2012年5月23日 (水)

知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで

■ 書籍情報

知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで   【知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで】(#2127)

  イアン・F・マクニーリー, ライザ・ウルヴァートン (著), 長谷川一 解説 (その他), 冨永星 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  日経BP社(2010/9/16)

 本書は、「歴史の観点」から、「知の生産や保存や伝達が、経済や文化や技術の広範な変化を受けて、根本から問い直される」という問題に光を当てようとするものです。本書は、「知識の制度の歴史」として、「古代から今日に至る西洋の知的生活を支配してきた、図書館と修道院と大学と文字の共和国と専門分野(ディシプリン)と実験室(ラボ)の、6つ制度」を取り上げています。
 第1章「図書館」では、図書館をめぐる物語の語り口として、
(1)図書館がどのようにして建てられ、資金はどのように集められたか、本はどのように作られ、集められ、写され、分類され、保存されたか、そして学者たちがそれをどのように利用したか、という制度としての物語
(2)そもそも文書の収集という行為の哲学的な根本原理とはなんぞや、ということから説き起こされる知の物語
(3)図書館は、古代の人々の最も深い憧れをある程度満たし、権力や資源を握る人々の願望を反映し、社会の権力や政治的な権力の構造とピタリと噛み合っていたに違いないとするポリス絡みの物語
の3点を挙げていまる。
 そして、「アリストテレスと図書館をつなぐ輪であり、ポリスから帝国への変化を最もよく表す人物」として、ファレロンノデメトリウスを挙げ、プトレマイオス王朝が、デメトリウスのは次に従って、「あたう限りの文書を集めた、多額の金を支払い、地中海世界の市場で手に入る文書を、文字通り無差別にかき集めた。そしてついには、アレクサンドリアの港に入ってくる船に向かって、すべての巻物を差し出せと命じた」と述べています。
 また、「始皇帝の宰相であり自身も法子の優れた学者であった」李斯について、「「焚書政策と分かちがたく結びついたもっと積極的な文化政策、すなわち中国語の書き言葉の標準化にも関わっていた」として、「李斯は書き言葉を整備することで中国文明を救ったといっても過言ではなかった。なぜなら、中国文明が統一を保てたのは、書き言葉のシステムのおかげだったからである」と述べています。
 第2章「修道院」では、キリスト教の修道院が、「文明が崩壊する前に、むしろ意図的に都市文明から離れたところに作られたので、文明が衰微して荒廃した時代にも、巧みに学問を守ることができた。修道院は、西洋世界の様々な組織の中でも最も寿命が長いものの一つで、いわば修道院という制度自体に、長寿のDNAが組み込まれているといってもよいだろう」と述べています。
 そして、「キリスト教の知への貢献は、単に成り上がりのカルト集団がその文書を哲学的な概念で飾り立てたといったもの」ではなく、「むしろこの宗教があったからこそ、知が、古代の世界を定義していた生身の人間の弁論による競争なしでも生き延びられるようになっていた」と述べ、「修道院は、文明がない荒野に特に順応した、世界初の知の制度だった」としています。
 第3章「大学」では、中世の大学と今日の大学との大きな違いとして、
(1)12~13世紀にボローニャやパリにできた大学は、意図して作られたものではなく、学生や教師のネットワークの最も密なノードとして自然にできた。
(2)ヨーロッパの大学はすべからく都市の現象である。
(3)元来大学にはキャンパスも建物もなかった。
の3点を挙げた上で、修道院という「古い制度が反映している最中に、この新たな知の制度が登場することになった」理由として、「ヨーロッパが、ローマ帝国衰退期に受けた襲撃の傷からついに立ち直った体」と述べています。
 第4章「文字の共和国」では、「文字の共和国とは、手書きの郵便書簡から始まり、やがて印刷された書籍や雑誌によって縫い合わされることとなった学問の国際共同体」であるとした上で、「この共和国は、生まれや社会的な地位や性別や学位による差別のない共和国で、当時も相変わらず学問ではラテン語を使うことが多かったせいもあって、言語の違いや国の違いや宗教の違いを超えた共和国でもあった」と述べています。
 そして、「文字の共和国では、面と向かってのやり取りはまれで、参加者たちは互いの顔も知らぬまま、何十年位もわたって手紙をやりとりした」と述べています。
 第5章「専門分野」では、「西洋では、啓蒙運動によって、大規模な知の市場がはじめて誕生するとともに、今日『専門分野(ディシプリン)』と呼ばれている知的な労働の専門化が始まった」とした上で、「知の歴史上最も驚くべき大逆転」である「ドイツが世界を近代的な学問の時代へと導いたこと」のきっかけとして、1694年にハレに、1737年にゲッチンゲンにできた大学に誕生した新たな制度であるセミナーを挙げています。
 そして、専門分野が、「教育に熱心な大衆にひと揃いの知の甲冑をもたらすことで、はるか昔の啓蒙運動の夢を実現し、一般大衆に手を差し伸ばすことに成功した」と述べています。
 第6章「実験室(ラボラトリー)」では、「科学で名を成す女性が出てきたことで、科学的な技法は、伝統的な人文科学に深遠な課題を突きつけた格好になった」として、「実験室における科学の成功は客観的な事実であり、しかも、『その資格のない』女性でも、実験器具の扱いさえ習得すれば、自然界のものを操作して、紛れもない成果を上げることができた」と述べています。
 そして、「ビッグ・サイエンスの構成要素となるべき制度は、20世紀初頭にはすでに存在しており、しかもそれらの要素は、物理的な実験室と社会的な実験室が融合して、形を変えたものに過ぎなかった」として、「絶えず戦争が続き、目もくらむような新たな技術が生まれたところで、基本的な制度はほとんど革新されることなく残っている」と述べています。
 「結論」では、「西洋の歴史において、知が6度にわたって根本から再発明されてきたというのが、この本の主張である」とした上で、「新たな知の制度が大きな力を得るようになると、古い制度は新たな目標を与えられて新たな制度に飲み込まれるか、全く異なる使命を担わされて置き去りにされるかのいずれかになる」と述べています。
 そして、「前世界で実験室が台頭し、アメリカがはかない勝利に浸り、せわしない技術の躁状態が続く中で、私たちは永続的なものと一時的なものとをより分けなくてはならない」として、「絶えず実験を行い民主的な平等や社会を向上させようとする実験室の価値観を、人々を力づける人間的な制度として確実に具体化させることは、来る世代の使命なのだ」と述べています。
 本書は、繰り返される知の発明を歴史の観点から解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 人類は様々な方法で知識を自らの手中に収め、そして発展させてきましたが、それらを体系付けて解説した本書は、様々な「知の制度」を理解する上でわかりやすいガイドブックになると思います。
 それにしても、秦の始皇帝の悪行の象徴として取り上げられることの多い「焚書」ではありますが、それまでバラバラだった書き言葉を標準化することで結果的に中国文明の統一を保ち、さらに、現代でも当時の漢字を読むことができる、という素晴らしい業績でもある、という評価には頷かされました。始皇帝の焚書がなかったら、日本語のシステムが存在していたかどうかも怪しいのではないかと思ったりします。


■ どんな人にオススメ?

・人類がどのように「知」を作ってきたかを理解したい人。


2012年5月22日 (火)

生き物たちの情報戦略―生存をかけた静かなる戦い

■ 書籍情報

生き物たちの情報戦略―生存をかけた静かなる戦い   【生き物たちの情報戦略―生存をかけた静かなる戦い】(#2126)

  針山 孝彦
  価格: ¥1890 (税込)
  化学同人(2007/9/20)

 本書は、「生物が遺伝的にもつ種独自の情報処理系」である「環世界」を見つめなければならない理由について、「生物の歴史全般を見直し」ながら書かれたものです。
 第2章「生き物はいかに多様化したのか」では、カンブリア紀の生物たちに外骨格が目立つようになった理由として、捕食者からの防衛にはほとんど効果がなかったが、「外骨格もない骨格も、体の一部に堅いものを準備して、運動の支点として機能することが重要な役割である」と述べ、「筋肉をもった多細胞生物は、骨格をそなえることで、早く動くことができるように」なり、「カンブリア紀の生物の世界が喧騒の世界になったのは、この骨格の出現によるものだったのだろう」と述べています。
 第4章「多細胞生物の設計原理」では、真核細胞の集まりからなる組織は、
(1)上皮組織
(2)結合組織
(3)筋組織
(4)神経組織
の4つに大別できるとし、「個体を形成する何兆個もの細胞を、大きく4つに分類でき、それだけで個体が構成されている」ことはすごいことだと述べています。
 第6章「生き物たちの情報戦略」では、「カンブリア紀の運動性能上昇を支えることができたのは、感覚器官の出現であった」として、「移動のスピードに応じて、性能のよい感覚器官を創造し、進行方向の前側に集中して並べる。そして情報処理きである脳をその中心に置くことで、生存の確率は、上がりました。性能のよい感覚器官と情報処理機の形成は、カンブリア紀の生物たちに『食う食われる』関係をつくりあげ、この結果、個体群に変化を与えて爆発的な多様化を導いたのではないでしょうか? 中でも遠隔受容器として働く眼の出現は、『食う食われる』ものたちにとっての重要な感覚器官として働いたことでしょう」と述べています。
 第8章「生物がつくりあげる世界」では、「環世界」という言葉について、「その中心的な概念は、動物やヒトといった主体(生物)が働きかけて客体(環境)に対する世界を構築する」というものであり、「それぞれ別の主体が全く同じ環境に置かれたとしても、それぞれの主体は大きく異なった独自の世界を構築し、その中に生きているのではないかと考えること」であると述べています。
 本書は、多様な生物がひしめき合う世界に対する一つの見方を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 生き物が進化する上で、一番の推進力になっているのは「食われる」こと、ということなのでしょうか。素早く移動する運動能力も、いち早く危険を察知する「眼」も、食われそうになることで進化してきたようです。何だか軍隊の進化にも似ているような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・生き物を取り囲んでいる世界を知りたい人。


2012年5月21日 (月)

性器の進化論――生殖器が語る愛のかたち

■ 書籍情報

性器の進化論――生殖器が語る愛のかたち   【性器の進化論――生殖器が語る愛のかたち】(#2125)

  榎本 知郎
  価格: ¥1575 (税込)
  化学同人(2010/1/30)

 本書は、「人間の性現象は、繁殖という枠にとどまらず、ヒトとして生きていく中で、生殖器、性生理、性行動、性交渉、雄と雌の関係性などが相互に密接に関連し合った複合体として進化してきた」として、「"生殖器の進化"という切り口から生殖器と密接に関係しあう要素を総合的に考察することで、人の性複合体の進化を浮き彫りにしていこう」とするものです。
 第2章「繁殖をめぐる内なる戦い--雄の内生殖器」では、精巣の役割として、
(1)文字通り"男のシンボル"になっていること
(2)男性ホルモンであるテストステロンを分泌すること
(3)精子を作ること
の3点を挙げています。
 そして、雄同士で配偶をめぐって争うときの戦略として、「メスの生殖管に射精した時、他のオスの精子が生殖管に入れないようにブロックする」戦略を挙げ、「精液を固めて次の交尾ができないようにする」例を紹介した上で、「ヒトの精子には、後からくる精子を撃退する戦略がある」とする「キラー精子」説を紹介しています。
 第3章「いかに良い遺伝子を獲得するか--雌の内生殖器」では、「たとえコストが掛かっても、多数の余分な卵子を作り、その中から少数のエリートを選別する方法」が採用されたとした上で、卵管峡部上皮の役割として、
(1)精子をつなぎ止めておくこと
(2)留めおいた精子が活性を失わないよう、栄養を与えて生かしておくこと
(3)受精能を与えること
の3点を挙げています。
 そして、卵管についての仮説として、「ヒトの卵管峡部は、排卵の時まで門を閉ざし、複数のオスのものであろうと精子をすべて捕獲して同じスタートラインに置く」ことから、
(1)卵管峡部は精子競争を推し進めるべく進化した
(2)人の卵管膨大部の機能や構造は、より多くのより活発な精子を送り込める雄を選ぶために進化した
の2つの仮説を提唱しています。
 また、「異性の遺伝子を選ぶ過程は、配偶相手を選ぶところから子どもが大人になるまでのあいだに4段階にわたって起こる」として、
(1)配偶期:配偶者と交尾するまで
(2)卵管期:卵管における淘汰
(3)子宮期:子宮における淘汰
(4)成長期:生まれてから大人になるまでの間における淘汰
の4つの段階を示しています。
 第6章「愛はなぜうまれたか--生殖器の進化と人間の性」では、ダーウィンが挙げた2つの性淘汰である、
(1)雄同士で雌に配偶者として選んでもらう競争
(2)雌との配偶をめぐって雄同士が争う過程
の他に、
(3)雌の生殖管における精子同士の競争である精子競争
というもう一つの性淘汰の形があることがわかってきたと述べています。
 そして、ヒトにおいて、「排卵された卵子の実に9割までが淘汰されて死んでいく」という強い生殖管淘汰が働いている理由として、「生殖管淘汰とは雌が雄の遺伝子を厳密に選ぶ機構だ」という可能性を挙げています。
 また、「ヒトでは繁殖のために雄雌の関係を規定する遺伝子のはたらきが弱く、そのかわり雄雌関係が社会的な絆を生む愛をもたらす遺伝子の進化を促したの」ではないかと述べています。
 本書は、生殖器からヒトの愛の由来を読み解こうとした一冊です。


■ 個人的な視点から

 「精子競争」という精子の間の仁義無き戦い。物理的に固めちゃうとか、後から来た精子を撃退する「キラー精子」とか、雌の生殖管におけるえげつない戦いも目に見えないものとはいえ熾烈なものがあります。配偶者を見つけた後こそが「俺達の本当の戦いはこれからだ!」なのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・配偶者を見つけてひと安心している人。


2012年5月18日 (金)

人はなぜ夢を見るのか―夢科学四千年の問いと答え

■ 書籍情報

人はなぜ夢を見るのか―夢科学四千年の問いと答え   【人はなぜ夢を見るのか―夢科学四千年の問いと答え】(#2124)

  渡辺 恒夫
  価格: ¥1785 (税込)
  化学同人(2010/5/31)

 本書は、夢に関する本の2つの流れである、
(1)フロイト、ユング流の夢の深層心理学の流れをくむいわゆる夢判断
(2)レム睡眠の脳波研究などに基づいた脳生理学的なもの
の2つを総合した上で、「夢科学を古代から歴史的に展開してきたものとしてとらえよう」とするものです。
 第1章「『ギルガメッシュ叙事詩』に始まる」では、『ギルガメッシュ叙事詩』や『創世記』のエピソードが、古代オリエント世界において、「夢には意味がある。ただし、ほんとうの意味は隠されているから、解釈の技法によって暴かねばならない」と考えられていたことを象徴していると述べ、夢の「有意味性」と「解釈技法」は、20世紀のフロイトやユングなど、深層心理学的な夢に理論にまで受け継がれた、「夢についての基本的な考え方の一つ」だと述べています。
 第2章「フロイトとユング--深層心理学の時代」では、フロイトが、「夢の分析が無意識の世界を解明するのに重要な方法になること」に気づいたことから、自分の夢の分析を始めたと述べています。
 そして、ユングが、「精神病の患者が語ったり描いたりする幻覚や、子どもの夢の中に、古代の神話や宗教儀礼のなかの図像象徴(イコン)と共通したものがあること」に注目し、「集合的無意識」について、「心とは大洋に点在する島であって、表面上は別々でも底では連続している」と述べ、ユング心理学の功績として、「近代文明社会にあってはもはやナンセンスとしか映らなくなってしまった伝統的な習俗や儀礼の深層心理学的意味をあきらかにすることによって、機械論的合理主義的な風潮に歯止めをかけるための、理論的支柱となったところ」にあるとしています。
 第3章「レム睡眠の発見--夢の現代科学のはじまり」では、深層心理学的な夢研究の方法論上の弱点として、
(1)データの信頼性に欠ける恨みのあること。
(2)検証可能性の問題。
の2点を挙げた上で、1950年代にアメリカのシカゴ大学でレム睡眠が発見されたことを、「夢科学の歴史の中でも、フロイト『夢判断』の出版(1900年)いらいの、エポックメイキングなできごと」だと述べています。
 第6章「レム睡眠の機能--記憶の整理?」では、夢とレム睡眠の機能についての、1987年時点での主要学説として、
(1)本能的衝動の解放説
(2)ホメオスタシス説
(3)学習記憶説
(4)回復説
の4点を挙げています。
 第8章「夢の進化理論」では、「主導的な認知神経科学の理論は、夢見の有用な機能を見つけ出すことを、完全に放棄してしまっているように思われる」として、「夢の意識とは、レム睡眠の期間に、眠っている脳が実行する様々な神経生理学的な機能に随伴して生じる、ある種の無秩序な雑音であるとみなされているのだ」と述べています。
 第9章「明晰夢と自己意識の誕生」では、「明晰夢」(lucid dreaming)について、「夢のなかで、『あ、自分は今、夢を見ているんだな』と自覚し、場合によっては思うとおりに夢の展開をコントロールできるという、特別の種類の夢につけられた名である」と述べた上で、「明晰夢の特徴は、夢を見ているという自覚と、夢の鮮明さ、迫真感が、相伴って現れる点にある。明晰夢とは、精巧な仮想現実世界そのものなのである」としています。
 本書は、夢とは何かを追い求めた科学と歴史をまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 脳の活動を外側から観察できる技術が進んだことで、これまで「人文系」と言われていた分野にも統計学以外の科学的なアプローチが多数入り込んできたわけですが、今さら新しい技術に乗り換えるわけにも行かない人たちが重鎮として陣取っている学問分野が順応できるまでにはまだ時間がかかるような気がします。とは言え、こういう問題は、議論とか論破ではなく、「時が解決してくれる」という側面も大きいのですが。


■ どんな人にオススメ?

・「夢」と言えばフロイトやユングと思っている人。


2012年5月17日 (木)

経済は感情で動く―― はじめての行動経済学

■ 書籍情報

経済は感情で動く―― はじめての行動経済学   【経済は感情で動く―― はじめての行動経済学】(#2123)

  マッテオ モッテルリーニ (著) , 泉 典子 (翻訳)
  価格: ¥1680 (税込)
  紀伊國屋書店(2008/4/17)

 本書は、「感情の経済学」を解説したものです。著者は、「物事を決定するまでのプロセスについては、認知心理学、神経科学、実験経済学などの分野で、驚くほど研究が重ねられてきた」として、それらの研究から、「いかなる決定も当事者が最大の利益を引き出せるかどうかにかかっている、という経済理論が的を射ていない」ということだけではなく、「いったいどういうわけで、どんなふうにして非合理な決定をしてしまうのか、というメカニズム」も明らかになったと述べ、「これまでの経済学が説く内容よりはるかに豊かで、多彩で、生き生きとして、巧妙かつ風変わりで、想像力に飛んでいて面白い」と述べています。
 パート1「日常のなかの非合理」では、「私達の頭にあるお金は、きっちり決まった絶対的で抽象的なものではないのだ。私たちはお金には相対的な価値を付与し、経験や感情によって色付けをする」と述べています。
 そして、「選択肢がふえると真ん中を選びたくなるのは、それが一番だと思わせるちょうどいい理由を見つけた気がするからなのだ」と述べています。
 また、「何か(大したものでなくても)の所有者になったというだけで、そのものの価値が、それを持たない人が考える価値のおよそ2倍にも、たちまち跳ね上がる」理由として、「保有効果」を解説しています。
 パート2「自分自身を知れ」では、「私たちは何かを判断するとき、できるだけ近道を通ろうとするあまり、ときには道を外れてしまう」として、「できるだけ手短に簡単にやろうとする」という「ヒューリスティクスを見直して合理的選択をするには、頭が描くイメージの暗示に引っかからない努力が必要なのだ」と述べています。
 そして、「うぬぼれは私達の信念のなかにも深く根を張っている」として、「殆どの人が、自分の信念を『イエス』といってくれるものを好ましいとして、その反対のものは疎んじる」と述べ、「要するに、間違っていると言われるより、正しいと言ってもらうほうが気持ちがいいのだ。私達に味方するような情報を求めることに熱心で、その反対の情報には馬耳東風なのもこのためである」としています。
 パート3「判断するのは感情か理性か」では、「私達の多くは、『公平』、『誠実』、『正義』などについての明確な観念を持っていて、そのために、ときには自分の利益を第一に考えるという利己主義が薄らぐようだ」として、「これは取引に少なからぬ影響をもたらす」と述べています。
 そして、「物事を決定する過程でとくに重要なこと」として、「相手の気持を『読む』ということ」を挙げ、「自閉症の子どもたちは他人の腹が読めないために、『最後通牒ゲーム』では『ふつうの』人より合理的な行動をしている。相手にはわずかしか与えず、自分が受け取る番になったときには、馬鹿馬鹿しいほどの量でも受け取っている。まさに経済学のマニュアルにある完璧な行動をしているわけである」と述べ、「私達がどこまでも合理的に、経済学の理論に完全に従って行動できるのは、自閉症の人や脳に障害のある人、あるいは自分の意思がないと思われるものを相手にした場合だけなのだ」としています。
 また、「私達が正しくないと思う人の行動を罰しようとするとき」には、「おいしそうな料理を見た時、お金が儲かりそうなとき、セックスやドラッグを体験した時などに覚えるのと同じ、本能的な快楽」が味わえると述べ、「この快感を教えるのは私達の脳で、喜び、満足感、報酬などをコントロールする」部位である「線条体(ことに後部の)と呼ばれる、いわゆる神経節(あるいは基底核)の一つで、尾状核と被殻とを含み、皮質の下にある奥の部分、脳の中心に向かう脳幹の上部にある」であるとしています。
 著者は、「合理的な人というのは、自分の感情のコントロールと認知プロセスについて、頭の中でより正確で精巧な把握ができる人である」と述べています。
 本書は、全然別分野と思われがちな「経済」が「感情」と密接に関係が有ることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 最近、行動経済学とか心理経済学とか神経経済学の本が沢山出ているのは、研究成果の蓄積とノーベル賞とかの影響もあるとは思うのですが、それまで経済学というか「ホモ・エコノミクス」に対して多くの人が感じていた違和感を説明してくれる理論が出てきたことで、「それ見たことか」という感情を補強するという面もあるのではないかと思います。とは言え、「ホモ・エコノミクス」が理解できない人に最新の「ホモ・サピエンス」モデルが理解できるとも思わないですが。


■ どんな人にオススメ?

・昔習った経済学に納得出来ない人。


2012年5月16日 (水)

フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説

■ 書籍情報

フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説   【フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説】(#2122)

  スティーヴン・ジェイ グールド (著), 渡辺 政隆 (翻訳)
  価格: ¥924 (税込)
  早川書房(2003/11)

 本書は、「進化とは進歩前進の歴史であり、その最終的な成果としてわれわれ人類が登場した」という「世の中の大勢を占めている漠然とした進化観」に対し、「進化によってもたらされたのは多様性の増大であり、"進歩している"ように見える生物の登場は、あくまでもその副産物にすぎない」ことを、アメリカ大リーグにおける4割打者消滅の歴史の例で示したものです。
 第1章「ハクスリーのチェス盤」では、本書において、「"システム全体"(全容あるいは『フルハウス』)内での変異と時間と共にその変異が広がる変化様式を調べようとするとき、全体の中から乱暴に選び出した特例や抽象概念(ホモ・サピエンスすなわり人類の系統といった、往々にして変更した例)にばかり目が向くのは、特徴的ではない限定された事例が何かに向かっていると錯覚するせいではないのかと言いたい」と述べています。
 第2章「戦略的広報担当官に囲まれたダーウィン」では、「人類は、よく茂った生命樹の小枝に過ぎず、その小枝が分枝したのは地質学的に見てほんの一瞬前のことだとしたら、人類は前進する定めにある過程(生命の歴史において称揚されるぎている進歩のトレンド)が最終的に生み出す約束になっていた存在ではないかもしれないではないか。もしかしたら人類は、いかに輝かしい偉業を達成していようと、再び同じような条件下で生命樹の種子が発芽して育つことがあったとした場合には二度と出現しない、宇宙のはかない偶然にすぎないかもしれないではないか」と述べています。
 そして、本書の眼目は、「進歩は社会的先入観と心理的願望に根ざす錯覚であり、フロイト式第4の革命が語る明白な(しかも正しい)意味を受け入れたくないという人々の気持ちのなせるわざであることを明らかにしよう」というものであると述べています。
 第3章「トレンドをめぐる解釈と印象のちがい」では、本書で取り上げる、
・プロ野球界に四割打者が出なくなったのはなぜか
・生命の歴史を特徴づけるのは進歩か
という2つの問いかけについて、「いずれも重要なしきたりの本質と歴史を要約しており、双方とも道徳的な意味合いを含んでいるという意味で古典的なトレンドである」と述べています。
 第4章「最初の例--個人的な物語」では、本書で取り上げる例をきちんと理解するためには、変異の本質にかかわる、
(1)右の壁あるいは左の壁が変異の広がりを制限すること
(2)そういう制限があると、分布が右に歪むか左に歪むということ
(3)中心部の傾向を示す値でも、平均値とメジアンとモードにはちがいがあるということ
の3点を理解するだけでいいと述べています。
 第5章「第二の例--生物のささやかな冗談」では、ウマの進化が進化の「トレンド」の代表的な例になっていることについて、「ウマが選ばれた理由は、尻すぼみの系統の末端に位置する種が現在も生き残っているからなのだ。これで状況はさらに『悪化』したわけで、いまや完全なる一般化も可能だ」として、「システム全体の変異を考えようとはせずに、『どこかへと向かう実体』をトレンドとして描こうとする偏見のせいで、進化の動向と『進歩』の代表的な例とされているものはどれも皆、初期の繁茂からかつての栄光の名残である一本の枝のみを残すまでに衰退してしまった失敗したグループとならざるをえないのだ。これを生物のささやかな冗談と言わずしてなんと言おう」と述べています。
 著者は、「なんらかの実体(グループや進化の系統など)の歴史をたどるなら、構成要素すべての変異の変化--それらの全容--をたどるべきであって、直線的な経路を移動する単一の品目(平均値のような抽象か典型的とされる例)として間違った要約をすべきではないということ」だと述べています。
 第7章「従来の説明」では、「野球史の数ある統計的トレンドの中で、四割打者の消滅ほど多くの活字を費やされてきた話題はない」として、その根底には、「四割打者の絶滅は、野球の中で何かが悪化したことの表れであり、何が悪くなったのかがわかれば問題点は解決される」というものだと述べています。
 第8章「全般的向上の理由を探る」では、「ほぼすべてのスポーツで、絶対的な記録の工場は明確なパターンに従っており、その理由はおそらく私が四割打者問題に関して展開しようとしている論拠の要である」として、「スポーツ選手たちは、それ以上の向上を阻む『右の壁』に到達するのだ」と述べています。
 第9章「右裾が縮んだせいで死滅した四割打者」では、「四割打者とは、あくまでも全選手の打率を集めた完全な分布の右裾であって、いかなる意味でも、それ自体で定義して分離できるような『モノ』ではない」として、「四割打者は全選手の打率を集めた釣鐘状分布の右裾にすぎないという正しい見方をしてはじめて、全く新しいタイプの説明が提出できる」と述べています。
 第10章「四割打者の死とプレーの向上との関係」では、「打率などはあくまでも相対的な記録であることをきちんと認識し、プロ野球選手も、他の優秀なスポーツ選手同様、時代とともに向上しているに違いないと認めれば、それまでとは異なった(しかもほぼ確実に正しい)構図が浮き上がってくる」とした上で、「野球史の初期の頃」は、「プレーの平均はまだ、人間の限界である右壁からずっと離れたところにあった」ため、「2割6分という平均打率は右壁より遥か下にあり、その両側に変異が広く裾を広げていた」が、現代の平均的な選手は、「昔よりも何フィートか右壁に近い位置に立っている」ため、「並の選手(2割6分を維持する選手)と最高の選手との差は縮まってしまったため、4割という高打率は消されてしまったのだ。つまり皮肉なことに、四割打者の消滅はプレーの全般的向上のなせる技であって、何かが低下した証ではないのだ」と述べています。
 第12章「自然淘汰の骨子」では、「進歩を読み取らないと気が済まないというのは、トレンドを実体の移動としてみる伝統的な考え方の典型的な例である」として、「われわれは、そのような進歩が進化の過程全体の決定的な推進力に違いないという見方で凝り固まっている」と述べています。
 第13章「最小スケールでの予備的な例--体のサイズの進化に関する一般性」では、生命の歴史における複雑さを扱うこの章において、「考えうる最も単純な構造をした生物という"下限すなわち『左壁』からの拡大が変異全体の増大をもたらす"」という例を提供するとしています。
 第14章「最頻を誇る細菌の威力」では、「左壁から出発して変異を拡大させる歴史を根拠にした最良の弁論を展開する」として、
(1)生命は左壁から出発するほかなかった
(2)最初に出現したバクテリア状態の一貫した安定性
(3)生命のみごとな拡張は必然的にますます右に歪んでいく分布を生む
(4)分布全体を右裾の最大値一つで特徴付けようとする短絡傾向
(5)原因は壁の存在と変異の拡大--右裾は結果であって原因ではない
(6)そのようなシステムに進歩を忍び込ませる唯一有望な方法は論理的には可能だが、経験的には相当な確率で間違っている
(7)右裾だけに注目するという身贔屓を決行しても渇望する結論、すなわち全般的進歩に対するわれわれの切望を後押しする心理学的機動力は得られないだろう--つまり意識を授けられたわれわれ人間のような生物の支配へと、期待を裏切ることなく導いてくれる進化は手に入らない
の7点を挙げています。
 第15章「人間の文化を論じるエピローグ」では、「ダーウィンが苑革命的な書『種の起源』を締めくくるにあたって注意深く選んだ文章に、魅惑されつつ敬意の目を向けよう」と述べ、「ダーウィンは、人間の知能が発達したことや、あらかじめ定められた好ましい複雑さに向かった行進を称揚することで進化を称えたりはしていない。ダーウィンは、生命のさんざめくはち切れんばかりの多様さを、ニュートン的な荘厳さを湛えながら太陽の周囲を回る地球の単調な回転運動と対比することで称える方を選んでいる」としています。
 本書は、「進歩」という言葉に囚われやすい私たちの進化観にわかりやすい一撃を加えてくる一冊です。


■ 個人的な視点から

 生物の「進化」という言葉には色々と語弊があって、環境の変化にともなって変化に耐えられない種は退場せざるを得なく、対応でき多種は生き残るわけですが、それはどこか一定の高みに向かった「進化」というわけではなく、環境変化に翻弄された「成れの果て」ということでもあるのです。それを「進化」と呼べるかどうかは、
後から後ろ向きに振り返ったときの「後付け」の説明にすぎないわけです。


■ どんな人にオススメ?

・生命は常に「進化」していると思っている人。


2012年5月15日 (火)

なぜ経済予測は間違えるのか?---科学で問い直す経済学

■ 書籍情報

なぜ経済予測は間違えるのか?---科学で問い直す経済学   【なぜ経済予測は間違えるのか?---科学で問い直す経済学】(#2121)

  デイヴィッド・オレル (著), 松浦 俊輔 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  河出書房新社(2011/2/16)

 本書は、現在の経済システムの問題点を、「そのシステムが予測しがたいことではなく、途轍もなく生産性と創造性がありながら、不健康な状態にあるらしい」ことだとした上で、「正統的な経済学理論の背後にある誤解」について、「その考え方の由来を見るために歴史をさかのぼり、そう考えることが日常生活にどう影響するかを説明し、そんな考え方は成り立たない証拠があるにもかかわらず守られる理由を考え、修正の仕方、あるいは代替案を提起する」ものです。
 第1章「『ニュートン力学』で読む経済法則」では、「そもそも基本法則があって、それは簡単な方程式で表せるという考え方が適用できるのは、重力のような、一定の、その法則専用の事例だけ」だとした上で、雲のようなものは大気の力学の「創発特性」とするのが良いとして、創発的現象は、セル・オートマトンやエージェントベース・モデルなどの手法を用いた複雑系の科学者によって、広く調べられていると述べています。
 第2章「『ブラウン運動』で読む人の動き」では、「効率的市場仮説は、突然の変化が存在することを予想しておらず、その点で間違っている。効率的市場仮説で記述される経済では、変化は小さくてランダムなものだけなので、変わった空模様はありえず、嵐も日照りもない」が、実際には、「経済は実際の天気と同じく、様々であり変動する」と述べています。
 そして、その変動の理由の1つとして、「人がニュートン力学に出てくる原子のようには行動せず、互いの行動に作用しあっていることがある」と述べています。
 第3章「『つりあい』で読む市場」では、「正統的な経済観を規定する言葉」として、「効率、安定、合理」を挙げた上で、「19世紀に新古典派の経済が考えられた時、安定性という前提が求められたのは、当時の数学では、この前提がないと方程式が解けなかったからだ。しかし、この言い訳はもう通用しない」と述べています。
 そして、「経済のような複雑系の特徴は、長期的に見ると比較的安定しているように見えることが多いところにある」が、「安定と見えているものは、実は対立する強い力--性のフィードバック・ループと負のフィードバック・ループ--の間での休戦協定に過ぎない」と述べています。
 第4章「『パスカルの三角形』で読む価格変動」では、「正規分布は半世紀にわたり、私達の金融システムで中心的な活躍をしてきた」が、「その答えはというと、あまり大したことはなさそうだ」として、「価格変動が実際には正規分布には従っていない」という問題点があると述べています。
 そして、「複雑系では効率と堅牢性は相反する関係にあり、そのことからすると、短期的的効率の水準を下げる気になれば、経済のリスク水準は下げられるのではないか」として、「私達の金融システムは、危ない橋の上にあるように思えることが多い。複雑性の科学、ネットワーク理論、非線型力学、フラクタル統計学から得られる知見が、もっと安定し、停滞することの少ない体制に戻る道を見つける助けになるかもしれない」と述べています。
 第5章「『無理数』で読むホモ・エコノミクス」では、経済学をもっと現実的にするための次のステップとして、「合理的経済人という概念をきっぱり捨て、その代わりに、人が実際にどう行動するかについて、経験的に観察した結果を反映したものを取り入れることだ」と述べています。
 第8章「『ミツバチ』で読む経済成長」では、「大学の学部学生が教わり、政府の政策や企業の戦略を支配している」主流派の経済学が、「天然資源、汚染の影響、将来の世代の権利といったものの本当の価値を計算に入れていない」と指摘しています。
 そして、「経済の主要な問題は、予測しにくいとか、拡大の速さが十分でないとかのことではなく、多くの点で、それが病んだ状態にあるということだ」として、「私たちの今の経済への取り組み方は統合失調症的だ。私たちは経済的にも生態的にも不安定な、規制のないシステムを設計している。それについて、安定を仮定する手法を用いてモデルと建てようとし、未来の予測をしようとし、おかしなことになると、びっくりする。システムは不安定なものだと認識すれば、それは、受動的に次の動きを当てずっぽうに読もうとするより、積極的に改善する機会を開く」と述べています。
 第10章「『ファジイな倫理』抜きでは読めない経済」では、「世界経済は大きくなり、古い神話は力を失いつつある。台頭しつつある新しい筋書きは単純ではない。あるいは特に耳あたりの良いものでもない--私たちは理性的ではなく、有能ではなく、公平でも善でもないと言われるのだから」と述べています。
 本書は、いくら経済学を勉強しても経済が予測できないと思う人におすすめの一冊です。


■ 個人的な視点から

 経済学を学んだところで、この先の経済状況を事前に予測できるわけでもないですが、少なくとも今起こっている出来事が何故起きているのかを知ることができるだけでもぜんぜん違うと思うのです。例えばバブル景気が始まった時に、その好景気がバブルであることを理解している人が少なかったように、そして、バブルが崩壊し始めた時に、あくまでも一時的な失速だと信じ込んでいた人がたくさんいたように。


■ どんな人にオススメ?

・経済学の役割に半信半疑な人。


2012年5月14日 (月)

ジャーナリズムが亡びる日―ネットの猛威にさらされるメディア

■ 書籍情報

ジャーナリズムが亡びる日―ネットの猛威にさらされるメディア   【ジャーナリズムが亡びる日―ネットの猛威にさらされるメディア】(#2120)

  猪熊 建夫
  価格: ¥1785 (税込)
  花伝社(2011/01)

 本書は、「丹誠込めて作ったコンテンツを、無料、あるいは無料同然の安値でインターネットに流通させる愚行は、直ちにやめるべきである」として、「『有料課金』に徹してこそ、ジャーナリズムは維持できる」と主張するものです。
 第1章「広告はインターネットになびく」では、「広告の『紙離れ』が始まった」として、「多くの大衆がリーチするサイトがこんなに増え、しかもそこに出す広告は既存メディアと比べめっぽう格安とあって、ネットは広告媒体としての地歩を一気に固めてしまった」と述べています。
 第2章「『テレビ離れ』が始まっている」では、「広告主が、インターネット広告になびきテレビ広告を敬遠しだしたのは、景気の悪化で広告主が経費削減に走った中で、ネットと比べそもそもテレビの広告費が高すぎると判断したことが主因である。さらに、『広告媒体としての力の低下』や『出稿したい番組が減った』ことなども要因に挙げられる」と述べています。
 そして、「国民全体を一つにまとめたマクロのデータで見るかぎりでは、『テレビ離れ』は確認できない」が、「年配者のテレビ傾斜はますます進んでいるものの、若い人のテレビとの接触の仕方はこの数年でかなり変化している」として、「NHKは『皆さまの』ではなく、『高齢者のNHK』になっている」と指摘しています。
 第3章「『紙離れ』は止まらない」では、1996年に日本の新聞社、通信社がヤフーのサイトに新聞記事を提供したことについて、「ネットに記事を提供すれば、新聞社の名前も表記されるので新聞の購読者が増えるかもしれない」という「ほんの軽いノリ」であったと述べ、「日本の新聞界は今、臍を噛んでいる」としています。
 第5章「ジャーナリズムは誰が担うのか」では、「ネット上の情報・言論は玉石混交であり、新しい情報機関として認知され、多くの人から信頼されるような状況にはなっていない」背景として、
(1)まだ日が浅いという単純な事実
(2)悪貨が良貨を駆逐している
(3)「編集」を経ていない情報がほとんどである
の3点を挙げた上で、「新聞社、テレビ局の市場規模が縮小すれば、通信社だって経営が維持できなくなる。一次情報は集まらなくなるのだ」と述べています。
 本書は、紙のメディアへの郷愁と後進への(今更ながらの)警告が詰まった一冊です。


■ 個人的な視点から

 新聞業界の人間が既存メディアの衰退を語る、ということで、読んでいると非常にいたたまれない感じが伝わってきます。新聞やテレビが無くなれば一次情報が集まらなくなる、と言ってはおりますが、一次情報が集められる人材はお金が集められるところにいるんであって、前世の因縁か何かで紙メディアや放送メディアに縛り付けられているわけではないのです。新聞社の記者がテレビ局に乗り換えたように、お金があるところに自然に集まってくるのです。そういう点でも読んでいて悲しくなりました。


■ どんな人にオススメ?

・紙メディアの断末魔の叫びを聞いてみたい人。


2012年5月11日 (金)

ウイルスと人間

■ 書籍情報

ウイルスと人間.   【ウイルスと人間.】(#2119)

  山内 一也
  価格: ¥1260 (税込)
  岩波書店(2005/5/13)

 本書は、「人類よりもはるかに長い歴史を持つウイルスの生命体としての存在意義は何なのか」を人間との関係から解説したものです。
 第1章「ウイルスの歴史は長く、人間の歴史は短い」では、ウイルスがどのようにして生まれたのかについて、
(1)細菌のような大型の微生物が退化したものであるという説
(2)ウイルスのほうが細胞よりも先に現れたという説
(3)細胞の後にウイルスが現れたという説
の3つの説を挙げ、現在では(3)の「ウイルスは細胞の遺伝子が外に飛び出してタンパク質の殻を獲得し、自己増殖できるようになったものと考えられている」という説が有力だと述べています。
 第2章「進化の推進力となったウイルス」では、真核生物の起源について、
(1)細菌と古細菌合体説
(2)真核細胞が古細菌や細菌以前に出現していたという説
(3)核はウイルスに由来するという説
の3つの仮説を挙げ、「真核生物の核がウイルスにより生まれたものと仮定すれば、我々は元をたどればウイルスの子孫ということになる」と述べています。
 第4章「ウイルスと生体のせめぎ合い」では、ウイルスの生存戦略として、
(1)持続感染
(2)宿主との関係から病原性を変化させる
(3)免疫反応をごまかして生き延びようとする
(4)空気感染などで他の人に急速に感染を広げる
(5)昆虫により感染を広げる
などの戦略を挙げた上で、「ウイルスは本来、宿主の動物にはほとんど病気を起こさないのが普通であり、これがウイルスの存続の戦略でもある」が、「別の動物種に感染すると重症感染になることがある」と述べています。
 第8章「人間とウイルスの関係を考える」では、「ウイルスの究極の生存戦略は平和共存である」とした上で、「人類が出現する以前から地球上に存在していたウイルスは、単に病毒としてではなく、シンシチンのように、寄生する宿主に役立っている側面を持っているのではなかろうか」と述べています。
 本書は、ウイルスの多面性を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ウイルスというと人間に厄介な病気をもたらす害悪と思われがちではありますが、人間がウイルスの存在を所与の条件としてこれまで進化をしてきたことを考えると、ウイルスを見る目も変わるかもしれません。とはいえ、ウイルス性の病気になりたくはありませんが。


■ どんな人にオススメ?

・「ウイルス=病原体」と思っている人。


2012年5月10日 (木)

犯罪捜査の心理学―プロファイリングで犯人に迫る

■ 書籍情報

犯罪捜査の心理学―プロファイリングで犯人に迫る   【犯罪捜査の心理学―プロファイリングで犯人に迫る】(#2118)

  越智 啓太
  価格: ¥1470 (税込)
  化学同人(2008/5/20)

 本書は、「現実のプロファイリング研究について、できるだけ最新の研究までを焦点に入れて紹介」しているものです。
 第1章「FBIによるプロファイリングプロジェクト」では、殺人事件の多くは、「金か愛」のトラブルが原因で起きたものであるが、「連続殺人(serial murder)」などの、「被害者と加害者に金銭関係や恋愛関係などのない事件」もあり、「このような事件では、捜査は前者の場合に比べて格段に難しく」なることから、1960年代後半からFBIが「この種の犯罪を解決するための研究プロジェクトを発足」させ、これがのちに「プロファイリング」として知られることになったとしています。
 そして、FBIの方法論について、「一人、一人の犯人の『心の闇』について想像をふくらませるのではなく、科学者としての冷静さをもって多くの連続殺人事件のデータを収集しデータベース化した」結果、犯人の行動を「Organizedタイプ(秩序型)」と「Disorganizedタイプ(無秩序型)」に分けることができたとしています。
 第2章「プロファイリングの新たな展開」では、FBIのカテゴリー分類がうまく当てはまらないケースもたくさん出てきた結果、「より客観的に犯人の行動を分析し、より適切なカテゴリーを設定していく」というアプローチが要求され、リヴァプール大学のカンター教授のグループの研究では、「最小空間分析」という統計的な手法を用いて犯罪行動を分析すつことを考えたと述べ、「この方法を用いると、類似している行動は相互に近くに、類似していない行動は離れて空間的に配置した図を作成すること」(空間マッピング)ができるとしています。
 第4章「犯人の危険性を推定する」では、ミューレンによるストーカーの分類として、
(1)拒絶型ストーカー
(2)憎悪型ストーカー
(3)無資格型ストーカー
(4)親密希求型ストーカー
(5)略奪型ストーカー
の5つを挙げ、それぞれについて、危険度を分析しています。
 本書は、映画などでは何やらブラックボックスめいた技術として描かれがちな「プロファイリング」を、地道な科学技術として解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 映画でよく目にする「プロファイリング」技術ですが、ブームのきっかけは、やはり1990年代の『FBI心理捜査官』なのではないでしょうか。当時はテレビでまるで魔法のように扱われた(ほとんど「FBI心霊捜査官」と同じような扱い)この技術にも、きちんとした統計的な裏付けがあることを本書は教えてくれます。


■ どんな人にオススメ?

・『羊たちの沈黙』でビビった人。


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