知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで
■ 書籍情報
【知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで】(#2127)
イアン・F・マクニーリー, ライザ・ウルヴァートン (著), 長谷川一 解説 (その他), 冨永星 (翻訳)
価格: ¥2310 (税込)
日経BP社(2010/9/16)
本書は、「歴史の観点」から、「知の生産や保存や伝達が、経済や文化や技術の広範な変化を受けて、根本から問い直される」という問題に光を当てようとするものです。本書は、「知識の制度の歴史」として、「古代から今日に至る西洋の知的生活を支配してきた、図書館と修道院と大学と文字の共和国と専門分野(ディシプリン)と実験室(ラボ)の、6つ制度」を取り上げています。
第1章「図書館」では、図書館をめぐる物語の語り口として、
(1)図書館がどのようにして建てられ、資金はどのように集められたか、本はどのように作られ、集められ、写され、分類され、保存されたか、そして学者たちがそれをどのように利用したか、という制度としての物語
(2)そもそも文書の収集という行為の哲学的な根本原理とはなんぞや、ということから説き起こされる知の物語
(3)図書館は、古代の人々の最も深い憧れをある程度満たし、権力や資源を握る人々の願望を反映し、社会の権力や政治的な権力の構造とピタリと噛み合っていたに違いないとするポリス絡みの物語
の3点を挙げていまる。
そして、「アリストテレスと図書館をつなぐ輪であり、ポリスから帝国への変化を最もよく表す人物」として、ファレロンノデメトリウスを挙げ、プトレマイオス王朝が、デメトリウスのは次に従って、「あたう限りの文書を集めた、多額の金を支払い、地中海世界の市場で手に入る文書を、文字通り無差別にかき集めた。そしてついには、アレクサンドリアの港に入ってくる船に向かって、すべての巻物を差し出せと命じた」と述べています。
また、「始皇帝の宰相であり自身も法子の優れた学者であった」李斯について、「「焚書政策と分かちがたく結びついたもっと積極的な文化政策、すなわち中国語の書き言葉の標準化にも関わっていた」として、「李斯は書き言葉を整備することで中国文明を救ったといっても過言ではなかった。なぜなら、中国文明が統一を保てたのは、書き言葉のシステムのおかげだったからである」と述べています。
第2章「修道院」では、キリスト教の修道院が、「文明が崩壊する前に、むしろ意図的に都市文明から離れたところに作られたので、文明が衰微して荒廃した時代にも、巧みに学問を守ることができた。修道院は、西洋世界の様々な組織の中でも最も寿命が長いものの一つで、いわば修道院という制度自体に、長寿のDNAが組み込まれているといってもよいだろう」と述べています。
そして、「キリスト教の知への貢献は、単に成り上がりのカルト集団がその文書を哲学的な概念で飾り立てたといったもの」ではなく、「むしろこの宗教があったからこそ、知が、古代の世界を定義していた生身の人間の弁論による競争なしでも生き延びられるようになっていた」と述べ、「修道院は、文明がない荒野に特に順応した、世界初の知の制度だった」としています。
第3章「大学」では、中世の大学と今日の大学との大きな違いとして、
(1)12~13世紀にボローニャやパリにできた大学は、意図して作られたものではなく、学生や教師のネットワークの最も密なノードとして自然にできた。
(2)ヨーロッパの大学はすべからく都市の現象である。
(3)元来大学にはキャンパスも建物もなかった。
の3点を挙げた上で、修道院という「古い制度が反映している最中に、この新たな知の制度が登場することになった」理由として、「ヨーロッパが、ローマ帝国衰退期に受けた襲撃の傷からついに立ち直った体」と述べています。
第4章「文字の共和国」では、「文字の共和国とは、手書きの郵便書簡から始まり、やがて印刷された書籍や雑誌によって縫い合わされることとなった学問の国際共同体」であるとした上で、「この共和国は、生まれや社会的な地位や性別や学位による差別のない共和国で、当時も相変わらず学問ではラテン語を使うことが多かったせいもあって、言語の違いや国の違いや宗教の違いを超えた共和国でもあった」と述べています。
そして、「文字の共和国では、面と向かってのやり取りはまれで、参加者たちは互いの顔も知らぬまま、何十年位もわたって手紙をやりとりした」と述べています。
第5章「専門分野」では、「西洋では、啓蒙運動によって、大規模な知の市場がはじめて誕生するとともに、今日『専門分野(ディシプリン)』と呼ばれている知的な労働の専門化が始まった」とした上で、「知の歴史上最も驚くべき大逆転」である「ドイツが世界を近代的な学問の時代へと導いたこと」のきっかけとして、1694年にハレに、1737年にゲッチンゲンにできた大学に誕生した新たな制度であるセミナーを挙げています。
そして、専門分野が、「教育に熱心な大衆にひと揃いの知の甲冑をもたらすことで、はるか昔の啓蒙運動の夢を実現し、一般大衆に手を差し伸ばすことに成功した」と述べています。
第6章「実験室(ラボラトリー)」では、「科学で名を成す女性が出てきたことで、科学的な技法は、伝統的な人文科学に深遠な課題を突きつけた格好になった」として、「実験室における科学の成功は客観的な事実であり、しかも、『その資格のない』女性でも、実験器具の扱いさえ習得すれば、自然界のものを操作して、紛れもない成果を上げることができた」と述べています。
そして、「ビッグ・サイエンスの構成要素となるべき制度は、20世紀初頭にはすでに存在しており、しかもそれらの要素は、物理的な実験室と社会的な実験室が融合して、形を変えたものに過ぎなかった」として、「絶えず戦争が続き、目もくらむような新たな技術が生まれたところで、基本的な制度はほとんど革新されることなく残っている」と述べています。
「結論」では、「西洋の歴史において、知が6度にわたって根本から再発明されてきたというのが、この本の主張である」とした上で、「新たな知の制度が大きな力を得るようになると、古い制度は新たな目標を与えられて新たな制度に飲み込まれるか、全く異なる使命を担わされて置き去りにされるかのいずれかになる」と述べています。
そして、「前世界で実験室が台頭し、アメリカがはかない勝利に浸り、せわしない技術の躁状態が続く中で、私たちは永続的なものと一時的なものとをより分けなくてはならない」として、「絶えず実験を行い民主的な平等や社会を向上させようとする実験室の価値観を、人々を力づける人間的な制度として確実に具体化させることは、来る世代の使命なのだ」と述べています。
本書は、繰り返される知の発明を歴史の観点から解説した一冊です。
■ 個人的な視点から
人類は様々な方法で知識を自らの手中に収め、そして発展させてきましたが、それらを体系付けて解説した本書は、様々な「知の制度」を理解する上でわかりやすいガイドブックになると思います。
それにしても、秦の始皇帝の悪行の象徴として取り上げられることの多い「焚書」ではありますが、それまでバラバラだった書き言葉を標準化することで結果的に中国文明の統一を保ち、さらに、現代でも当時の漢字を読むことができる、という素晴らしい業績でもある、という評価には頷かされました。始皇帝の焚書がなかったら、日本語のシステムが存在していたかどうかも怪しいのではないかと思ったりします。
■ どんな人にオススメ?
・人類がどのように「知」を作ってきたかを理解したい人。











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