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2006年8月

2006年8月31日 (木)

行動経済学入門

■ 書籍情報

行動経済学入門   【行動経済学入門】

  多田 洋介
  価格: ¥1995 (税込)
  日本経済新聞社(2003/12/11)

 本書は、2002年のノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン教授らが研究を進めている、心理学の発想を経済学の理解に活かそうという「行動経済学」あるいは「経済心理学」の入門書です。行動経済学の特徴は、新古典派経済学が想定している完璧なクールヘッド(理性の持ち主)の「合理的」な人間ではなく、「間違いも起こせば、感情に流されたりもする、より身近で現実味のある人間像を前提として経済活動や経済現象の分析にアプローチしようとする点」にあります。このことによって、資産選択や消費と貯蓄の選択、労働契約関係など、伝統的な経済学では答えることができなかった様々な謎や矛盾(「アノマリー」と呼ばれる)を解くきっかけが与えられたことが述べられています。
 これまでの「標準的な経済学」が前提としてきた、経済プレーヤーとしての人間、「ホモ・エコノミカス」は、(1)超合理的、(2)超自制的、(3)超利己的、という特徴を与えられてきました。これには、
(1)このような「超」のつく合理的、自制的、利己的な人間の行動は、数学的に表現することが比較的容易である。
(2)間違いを犯したり、他人に利益を譲ったりする者は淘汰され、また経済全体として合理的でない人間が市場に及ぼす影響は微々たるものであるという考えがある。
という2つの理由があると述べられています。
 しかし、著者は、ベイズ・ルール、ゲーム理論、期待効用仮設、時間を通じた消費決定モデルなどの経済学の標準的ツールを取り上げ、「いずれも現実の人間行動を的確に表現しているかどうかについては疑問がある」と指摘し、行動経済学が、「『標準的な経済学』が十分には捉えきれていない人間の様々な行動様式を、心理学あるいは認知科学といった経済学以外の学問分野の研究成果を利用して紐解くことで、ミクロ的な経済行動やマクロ的な市場へのインパクトの分析における現実的な説明能力を補強しよう」とするものであると述べています。
 人間の合理性に関しては、経済学小咄として、
「ある日、経済学者のDさんとサラリーマンのEさんが人通りの多い通りを歩いていたときの会話です。
E『おい、そこの道端に500円玉が落ちているぞ』
D『そんなわけないさ。もし本等に500円玉が落ちているのだったら、誰かがとっくにそれを拾っているはずさ』」
という話が紹介されています。その上で、経済学における人間の合理性の限界について、サイモンの「満足化仮説」を紹介し、この議論が、「最適化の便益と費用というトレードオフ関係の中から、人々は比較的コストのかからない『定石』や『親指の法則』(ルール・オブ・サム)を採用することで最適な貝にある程度近い選択をするという、限定合理性の存在を正当化するための議論の源流をなすモデル」となっていると述べています。そして、限定合理性の存在をを示す事例として、いくつかのゲーム理論の実証研究、美人投票、「勝者の呪い」等の例を紹介しています。
 また、我々の意思決定に付きまとう「近道選び」(ヒューリスティックス)と呼ばれる行動パターンに関して、「人間の問題認識や解決のスピードを速めますが、その一方で、問題に対する必ずしも正確ではない答えを導いてしまうという危険性も孕んで」いることが述べられています。そして、代表的な近道選びとして、
(1)代表性(representativeness):統計理論に基づく推測を行うべき状況にもかかわらず、厳密な確率判断の代わりに、「似ているか」「代表しているか」などの基準を主観的な確率の判断に利用してしまうこと。間違いの症状としては、結合効果、基準確率の無視、標本数の無視等がある。
(2)利用可能性(availability):ある事象の確率を、どの状況がどの程度頭に思い浮かびやすいかによって、手っ取り早く思い浮かぶ情報を優先させて判断しようとしがちである。
(3)係留(anchoring):人々が物の大きさや価格などの数量的な評価を行う際、答えがそのときにもたらされている情報に左右される。その理由は、(1)人々の思考がある出発点からスタートして、これを調整した上で解答をはじき出す、(2)設問に含まれた情報を正しい答えにつながるヒントとして捉えるかもしれない、(3)無意識のうちに設問に含まれた情報などと矛盾しないような記憶や知識をあえて記憶の中から引き出そうとする思考プロセス、が考えられる。
の3つを挙げています。
 この他、「多くの人々が他者と比較して自分自身の能力を過大に評価するという自信過剰(overconfidence)の習癖を持つこと」や、自分が信じていたことと現実とが食い違うようなケースで精神的な苦痛を感じる認知不協和(cognitive dissonance)について解説されています。
 伝統的な期待効用仮説に代わりうる不確実性下の行動モデルとして有力な「プロスペクト理論」に関しては、「人々がくじ引きや株式投資など結果が確実ではない、リスクが存在するような商品を購入する際に、そのリスクに対してどのような見込みを行い、どのような行動をとるかについて説明するモデル」であり、
・損失をそれと同じ規模の利得よりも重大に受け止める。
・わずかな確率であっても発生する可能性があるケースを強く意識する。
という「人々にある程度共通に見られる行動パターンを理論的に説明するための分析ツール」として紹介しています。
 この理論は、
・価値関数v(x):発生する可能性のある結果それぞれに対して人々がどの程度の満足を得るか。
・確率ウェート関数:結果xの実現値によって異なる値を持つ価値vをありうるすべての可能性について統合して「価値の期待値」として評価するための、加重平均に用いるウェート。
の2つのパートからなり、価値関数は、
(1)価値関数v(x)の中身は、「参照点」(reference point)と呼ばれる、価値の対象となる変数のある水準からの変化であって、水準そのものではない。
(2)人々が真理的な問題として、利得よりも同じ規模の損失を価値ベースでより深刻に感じる「損失回避性」(loss aversion)
(3)利得であろうと損失であろうと参照点から離れれば離れるほど、わずかな額の変化から生じる価値の変化分が小さくなる「感応度逓減」。
という3つの特徴を持つことや、確率ウェート関数は、
(1)確率が1である(事象が確実である)ときには価値評価ベースの確率を1と評価するが、事象が確実から幾分下がる時には価値ベースの確率を額面の確率pよりも低いと捉ええがちである。
(2)確率がゼロである時には価値ベースの確率もゼロと評価するが、確率がゼロより若干高くなるときには価値評価上の確率を額面よりも高く考える。
という2つの特徴を持つことが述べられています。
 このプロスペクト理論の応用例としては、NYの個人タクシー運転手が、一般的にはタクシーの需要が大きいはずの雨の日には短い勤務で済まし、暖かい晴れの日に長く働くこと、競馬の最終レースで大穴狙いにシフトする人が多いこと、かける必要以上の過剰な保険に加入してしまうこと、景気のいい場合の選挙では現職が有利になり、景気が悪い場合にはリスキーな対立候補が有利になること等の例が紹介されています。
 行動経済学の最先端の応用分野である行動ファイナンスに関しては、「合理的でない投資家の存在によってなぜマーケットがうまく機能しなくなるのか」という論点に関して、伝統的な合理性経済学における効率的市場仮説をシュライファーに従って、
(1)弱い形(weak form)の効率性:将来の株価あるいは株式投資のリターンなどは過去の情報から予測することはできず、明日の株価に対する最良の予測値は今日の株価であるとする「ランダム・ウォーク仮説」。
(2)やや強い形(semi-strong form)の効率性:株価などの先行きは、公になっているすべての情報をもってしても予測することが不可能である。
(3)強い形(strong form)の効率性:将来の株価などの資産価格は、公私の性質を問わずあらゆる情報をもってしても予測することが不可能である。
の3つに分類した上で、1980年代以降の実証研究による効率的市場仮説への批判を紹介しています。
 この他本書では、明日よりも今日の時間を重視する「選好の逆転」という現象を示す人間の時間選好が、単純な割引モデルで表すことができるものではないとする「双曲的割引モデル」や、人間が純粋に利己的でないことを示す「公共財ゲーム」「最後通牒ゲーム」「独裁者ゲーム」の3つのゲームの例等を紹介しています。
 著者は、教科書的な経済学が前提とする、無尽蔵な合理性、完璧な自制心、極端な利己主義、という人間像を、「無批判に信用しても、現実の人々の行動や経済現象のすべてを説明できるわけではなく、合理性の限界や損失を嫌う性格、自分を律する能力の限界、相手の態度に対して自分の態度を決める行動原理といった心理的なファクターを人間像に加味することが必要である」と主張しています。
 本書は、教科書的な経済学が前提としている人間像に違和感を感じる人にとって、膝を打つことが多い一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 ちなみに、経験に基づく法則を意味する「親指の法則」とは、親指でものを測ることに由来しているそうです。
 また、本書では、「ギャンブラーの過ち」として知られている、「コイン投げで3回続けて表が出たので次は裏だろう」という勘違いを「小数の法則」として紹介しています。こういう考え方は、実際の会話の中では意外と説得力を持ったりしてしまうのが不思議なものです。


■ どんな人にオススメ?

・経済学が扱う人間像と自分自身とのギャップを感じている人。


■ 関連しそうな本

 友野 典男 『行動経済学 経済は「感情」で動いている』
 A. シュレイファー 『金融バブルの経済学―行動ファイナンス入門』
 スティーヴン・レヴィット 『ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する』
 大竹 文雄 『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには』
 R. アクセルロッド (著), 松田 裕之 (翻訳) 『つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで』 38706


■ 百夜百マンガ

問題サラリーMAN【問題サラリーMAN 】

 メジャー作品の『じみへん』がA面だとすると、B面に当たるのがこちらでしょうか。一時期は店頭においてなくて、「陰謀説」が流れた時もありました。

2006年8月30日 (水)

熱狂する社員 企業競争力を決定するモチベーションの3要素

■ 書籍情報

熱狂する社員 企業競争力を決定するモチベーションの3要素   【熱狂する社員 企業競争力を決定するモチベーションの3要素】

  デビッド・シロタ
  価格: ¥1995 (税込)
  英治出版(2006/2/2)

 本書は、企業にとって「もの言わぬ殺し屋」である無関心な社員を、企業が最も求めているものである「情熱にあふれた社員」に変身させるためには何をすべきか、について解説したものです。そして、著者は、「まず、社員が求めているものを理解し、それを与えなければならない」と述べています。
 著者は、社員の式のレベルを、「情熱的」「満足」「中間」「怒り」の4段階に大きく分け、「情熱は、満足感とは違う。関心の高い社員は、不満を抱えた社員でもある」とした上で、「自分と会社を同一視している人なら、たとえ企業の業績を賞賛されても現状に満足しないのは当然だ」と述べています。
 また、士気と企業の業績の互恵的な関係を取り込んだ「人材パフォーマンス・モデル」を開発し、その要点を、
(1)社員の士気は、ビジネスの成功にとって非常に重要である。
(2)社員の士気は、組織の方向性とリーダーシップが反映される日々の経営慣行による一つの関数である。
(3)フィードバック・ループにより、成功がさらなる成功をもたらす。
(4)日々の経営慣行は、社員の士気を高める上でもとも重要である。
と述べています。
 著者は、情熱を生み出す根源である、モチベーションに関しては、「人が仕事をする上での3つのゴール」を、
(1)公平感:「企業目標の達成に向けた社員の自発的な協力」を得るには、彼らが自分たちに対する会社側の姿勢や振る舞いに対して、本質的な公平感を持つことが不可欠。
(2)達成感:自分と帰属する組織が達成したことに誇りを持つことへの執着が、高いパフォーマンスに向けた行動を促進する。
(3)連帯感:他者との前向きな相互作用は、単なる満足以上に精神的な健康にとって欠かせない。
であるとする「仕事のモチベーションにおける3要素理論」を提唱しています。
 第3章以降の本書では、公平感、達成感、連帯感のそれぞれに関連した解説という構成になっていて、「公平感を示す」方法としては、雇用保障、報酬、敬意を、「達成感を与える」方法としては、ビジョン、権限委譲、やりがい、フィードバックを、「連帯感を強める」方法としては、チームワークをそれぞれ章を立てて解説しています。
 雇用保障に関しては、社員が「リストラを企業経営上の慎重な判断としてではなく、根本的に不公平な扱い」と受け取っている理由として、
・本質的な公平感:事象自体が公平であるか。
・手続きの公平感:実施プロセスが公平であるか。
の2点を挙げるとともに、企業が厳守すべき5つの基本原則として、
・原則(1):リストラに至るまでに、代対策をつくす。
・原則(2):リストラが不可避のときは、まず希望退職者を募集する。
・原則(3):寛大で、道徳にかなうやり方でリストラを行う。
・原則(4):リストラに至るプロセスのすべての情報を開示する。
・原則(5):残った社員への悪影響を最小限にとどめる。
の5つの原則を挙げています。著者は、本章の最後に、「パフォーマンスが低い社員を我慢してまで雇用し続けろ」と言っているわけではなく、「景気の下降やテクノロジーの進歩による省力化など、社員のレベルではどうすることもできない環境と、自発的に動かず受身なだけの社員」とを区別すべきであるとまとめています。
 報酬に関しては、成果主義の賃金制度が社員から最も低い評価を受けていること、中でも「メリット・ペイ」(給与が生産量と直接結びつかず、上司が一定期間における社員のパフォーマンスを主観的に評価する)に対しては社員の大多数が否定的であること、労働賃金と労働コスト(賃金と生産との関数)とを混同してはならないこと等を述べた上で、給与水準に関しては、「与えた分しか返ってこない」と結論付けています。その上で、成果主義の適切な運用方法として、グループ変動給の導入を提唱しています。
 敬意に関しては、その本質を平等性にあるとし、「自分の存在に経営者や管理職が満足している」と信じることが、社員が敬意を感じる重要なサインであると述べています。この具体策としては、「人間らしい」職場環境をつくること、不要なステータス・シンボルを廃止することが必要であると述べています。
 達成感を与える第1の方法であるビジョンに関しては、社員の総合的な満足度に強い相関関係を持つ「会社に対するプライド」の源泉として、
(1)財務実績におけるエクセレンス
(2)業務効率におけるエクセレンス
(3)製品特徴におけるエクセレンス(実用性、他社との差別化、品質など)
(4)企業倫理におけるエクセレンス
の4つのエクセレンス(卓越)を挙げています。
 権限委譲に関しては、リーダーシップを、「独裁者型」「自由放任型」「社員参加型」の3つに分類した上で、「ピラミッド型」である独裁者型マネジメントに対し、「フラット型」である3番目の社員参加型マネジメントの利点として、「社員の情熱とコミットメントを引き出すには、管理を減らすことである。管理が少なくなればなるほど、社員の情熱とコミットメントが生まれるのだ」と述べています。
 やりがいに関しては、「労働者の76%が自分の仕事を気に入っていると回答し、不満を表明した回答者は、わずか8%である」という調査結果を示し、「仕事内容を魅力的だと感じる感じないは、人によって大きく異なる」こと、仕事におけるプライドの源として、
・生産性の高い仕事をする。
・価値ある能力を生かす。
・重要度の高い仕事をする。
の3点があることを述べています。
 フィードバックに関しては、管理職の負担を和らげながら、社員にとって助けとなるフィードバックのガイドラインとして、
(1)パフォーマンスのフィードバックと年次人事考課の違いを理解する。
(2)社員は誉め言葉は聞きたがるが、改善を促す指摘には耳を課さないという先入観を持たない。
(3)全体的なパフォーマンスが満足でき、会社もそれを高く評価している社員には、そのことを伝える。
(4)改善を促すコメントは、具体的で事実に基づき、当人ではなく状況に対する指示でなければならない。
(5)フィードバックは、社員のパフォーマンスに直接作用する行為だけを対象とする。
(6)フィードバックする際には、双方向のコミュニケーションに努める。
(7)フィードバックのゴールは、あくまで改善実現を可能にするアクションにある。
(8)フォローアップで補強する。
(9)フィードバックは、把握している分野に限る。
の9点を挙げています。
 連帯感を強める方策であるチームワークに関しては、「職場における社員同士の社会的関係の質」として「社会関係資本」(ソーシャル・キャピタル)が重要であること、チームワークを促進するのは、「彼らにとっての最大の楽しみ」である、「共通の目標に向かって働くチームの一員としての交流である」ことを述べた上で、パートナーシップの確立に向けた方策の一つとして、ワークショップを提唱しています。
 本書は、本来は、情熱にあふれる社員を求める経営者むけのものですが、自分の職場を情熱あふれるものに変えて行きたい、という社員一人ひとりにとっても示唆に富んだ一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の第9章には、パフォーマンスの劣った社員として、
・能力指導、明確な目標、それなりの刺激を与えれば、現職のままでも満足できるレベルに引き上げられるタイプ。
・職種もしくは所属する会社自体の選択を間違えているため、環境を変えなければ改善が望めないタイプ。
・どんな指導を与えても、また、どんな職種や会社においても、現状が変わらないタイプ。
の3つのタイプが示されています。
 近年、公務員の世界でもパフォーマンスの劣った職員、中でも上記の3番目のタイプに対する分限処分に対する取組みが始められています。もちろん、人にはさまざまな事情がありますが、問題は、著者が、「その悪影響は多数の社員に及ぶ。なかでも、経営者や管理職がこの問題を放置しているという印象を社員に与えることが最大の問題だ」と指摘している点ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・自分の職場を変えたいと思っている人。


■ 関連しそうな本

 松繁 寿和, 中嶋 哲夫, 梅崎 修 『人事の経済分析―人事制度改革と人材マネジメント』 2006年01月10日
 ステファン・P. ロビンス (著), 高木 晴夫, 永井 裕久, 福沢 英弘, 横田 絵理, 渡辺 直登 (翻訳) 『組織行動のマネジメント―入門から実践へ』 2005年02月17日
 金井 寿宏, 高橋 潔 (著) 『組織行動の考え方―ひとを活かし組織力を高める9つのキーコンセプト』 2005年04月27日
 金井 壽宏 『組織を動かす最強のマネジメント心理学―組織と働く個人の「心的エナジー」を生かす法』 2005年06月09日
 ヴルーム, 坂下 昭宣 『仕事とモティベーション』 2006年02月17日
 サンフォード・M. ジャコービィ (著), 鈴木 良始, 堀 龍二, 伊藤 健市 (翻訳) 『日本の人事部・アメリカの人事部―日本企業のコーポレート・ガバナンスと雇用関係』 2006年06月02日


■ 百夜百マンガ

ファンキー・モンキーティーチャー【ファンキー・モンキーティーチャー 】

 ビーバップ、シャコタンブギ、工業高校バレーボールなど、この時期のヤンマガのヤンキーマンガ路線の一つです。
 月曜の朝、コンビニで、おにぎりと缶コーヒーと一緒に買われて、工事現場に向かう車に常備されてそうなイメージです。というか毎週買ってました。

2006年8月29日 (火)

「みんなの意見」は案外正しい

■ 書籍情報

「みんなの意見」は案外正しい   【「みんなの意見」は案外正しい】

  ジェームズ・スロウィッキー
  価格: ¥1680 (税込)
  角川書店(2006/1/31)

 本書は、有限の合理性しか持っていない個々人の不完全な判断が正しい方向に積み重ねられることで、集団として優れた知力が発揮される、「集団の知恵(集合知)」に関する、「一見するとバラバラだけれど実は根本的には似通っている現象」を、「この世界のありのままの姿」、そして「この世界のあるべき姿」として描いたものです。著者は、集合的な知力に関する問題を、
(1)認知:どこかの時点で必ず明快な答えが存在するタイプの問題。
(2)調整:集団のメンバー全員が同じような行動を取る中、他の人と調整する方法を考え出す。
(3)協調:利己的で、不信感いっぱいの赤の他人同士が一丸になって何かに取り組むようにする。
の3種類の問題に議論を絞っています。
 1986年、スペースシャトル・チャレンジャー号が発射74秒後に爆発した際に、チャレンジャー発射に関わる主要企業4社の株は瞬く間に下落し始めますが、爆発から1時間後にはモートン・サイオコール社だけが下落し続け、他の3社の株価は持ち直します。著者はこの現象を、「ほぼ瞬時に株式市場がチャレンジャー爆発の原因はモートン・サイオコールにあり、この惨事が同社のボトムラインに与える影響は深刻だと判断したことを示す確たる証拠」であると述べています。果たして、6ヵ月後に調査委員会が発表した事故原因は、サイオコール製のブースターロケットにあることを発表し、サイオコールの責任が認められます。
 著者は、市場が賢い判断を下せたのは、
(1)意見の多様性:それが既知の事実のかなり突拍子もない解釈だとしても、各人が独自の指摘情報を多少なりとも持っている。
(2)独立性:他者の考えに左右されない。
(3)分散性:身近な情報に特化し、それを利用できる。
(4)集約性:個々人の判断を集計して一つの判断に集約するメカニズムの存在。
の4つの賢い集団の特徴の要件を満たしたからだと述べています。著者はその理由を、「多様で、自立した個人から構成される、ある程度の規模の集団に予測や推測をして」もらい、「その集団の回等を均すと一人ひとりの個人が回答を出す過程で犯した間違いが相殺される」ことで、個人の回等が持つ、「情報」と「間違い」の2つの要素のうち、間違いが引き算され、情報が残るからだと解説しています。
 著者は集合知の例として、
・ページランクアルゴリズムによって、一番得票数の多いページを検索結果の上位に表示するグーグル。
・あらゆる選挙結果を予想する市場を設けた「アイオワ・エレクトロノック・マーケット(IEM)プロジェクト」
等を示しています。
 著者は、「確度の高い予想をする鍵は、一つの方法の完成度を高めることではなく、集団が賢明な判断を下すのに必要な多様性、独立性、分散性という要件を満たすところにある」とこの問題を要約しています。
 また、私たちが、「専門化が自分たちを救ってくれる」という考えにしがみつく理由として、
・平均することは妥協であり、レベルを下げることだと直感的に思っている。
・本当の知力は個人に備わっているという私たちの思い込み。
・世の中に予測をしている人がたくさんいれば、そのうち何人かは何年かの間になかなかの成績を収めることになるという「偶然のいたずらにだまされてしまう」。
の3点を挙げています。
 著者は、賢明な意思決定に独立性が不可欠である理由として、
(1)人々が犯した間違いが相互に関わりを持たないようにできる。
(2)独立した個人はみんながすでに知っている古い情報とは違う、新しい情報を手に入れている可能性が高い。
という2つの理由を挙げるとともに、独立性は合理性や中立性とは異なり、「どんなに偏っていて非合理でも、その意見が独立していれば集団は愚かにならない」と述べています。
 また、情報不足の状態で次から次へと判断が積み重なる「情報カスケード」の問題点として、「ある時点をすぎると自分が持っている指摘情報に関心を払う代わりに、周りの人の行動を真似することが合理的に思える」ことを指摘しています。そして、情報カスケードがうまく働いた例として、規格化したネジの広がりの事例を、悲惨な間違いをもたらした例として、1990年代後半のITバブルの事例を取り上げています。
 分散性に関しては、「人々はなぜか分散性は『自然』だとか『自発的』な状態だという考え方に取りつかれている」と指摘し、分散性を機能させることが難しいことを、交通渋滞やCIAの例を挙げて示しています。
 この他本書では、リーダーに導かれているように見える椋鳥の群れが、
(1)中心にできるだけ近いところにいるようにする。
(2)隣の個体と2、3羽分の距離を空けて飛ぶようにする。
(3)ほかの個体にぶつからないようにする。
(4)鷹に襲われたら逃げる。
の4つのルールに従っているだけであることや、みんなに税金を負担してもらうためには、
(1)人々がある程度自分の周りの人間を信頼し、だいたいにおいて彼らは正しいことを行い、相応の義務を果たすだろうと信じられること。
(2)政府は税金で得た資金を賢く、国益に適うような形で使ってくれるはずだということ。
(3)国家が悪者を探し出して罰してくれる一方、無辜の市民は罰しないだろうということ。
という3つの信頼が必要であることが述べられています。また、科学者の研究が他の人の情報に依存しているという事実から、
(1)科学の発展のためには、科学者同士が競争しながらもある程度お互いを信頼し合い、自らが公表するデータに関して公平無私な態度で望まなければならない。
(2)科学はつねに新しい知識が流入する共有の知識の泉に依存していると同時に、信頼できる仮説かどうかを選り分ける科学のコミュニティの集合的な知恵に対する暗黙の信頼にも依存している。
という論理的帰結につながっていること等も述べられています。
 著者は最後の章で、民主主義に関して、世界中で実施されている討論型世論調査の根底には、「政治的議論は一握りの専門家や政策エリートに限定されるべきではないし、そういった限定も必要でない」という考えがあること、「身近な状況や自己利益が具体的な問題や候補者に関する有権者の意見を形づくるという主張と、それでもなお有権者は職務を全うするのに一番適っている人を選ぶという主張」が矛盾なく両立すること、そして民主主義は、「私たちはどのようにすれば共生できるのか。どのようにすればみんなの利益になるように力を合わせられるのか」という問いに答える力を貸してくれるものであることを述べています。
 本書は、多くの人がおぼろげに抱いている民主主義や集合知への素朴な信頼に、自信を与えてくれる一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書には、社会心理学者のスタンレー・ミルグラムが1980年代に行った実験として、「大学院の学生に地下鉄に乗って、丁寧な口調で、でも単刀直入に座席を譲って欲しいと頼むよう指示した」ことが紹介されています。その結果は、話しかけた人の半数が座席を譲ってくれた、というものでしたが、話しかける勇気を振り絞るのが難しく、「不安だし、緊張して恥ずかしい」という「すさまじい苦痛」と感じることも述べられています。
 次にミルグラムは、学生たちに、場外の賭け店や券売場の列に割り込むよう指示します。その結果は、半分の確率で問題なく割り込めたものの、
・割り込んだ人をど突くなど、何らかの行動に出る人・・・10%
・言葉で強く抗議して割り込みを許さない人・・・25%
・「卑劣なヤツだ」とでもいうような敵意に満ちた視線を投げかけた人・・・15%
という大変苛烈な反応を示したことが紹介されています。
 ミルグラムといえば、新聞広告で募集した「教師役」の被験者に対し、答えを間違えた「生徒」に電気ショックを与えるよう指示することによって、人間が権威者の指示にどこまで従うかを調べた「アイヒマン実験」というえげつない実験を行った心理学者として知られていますが、心理学のゼミに所属する学生というのも大変そうです。
 そういえば、大学時代には、心理学の学生は、視界が上下逆転する特殊な眼鏡をかけて生活する実験をさせられる、という話を聞いたことがありますが、自らが実験台にならなければならない過酷な研究分野なのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・民主主義に自信を持ちたい人。


■ 関連しそうな本

 ジョン・バッテル (著), 中谷 和男 (翻訳) 『ザ・サーチ グーグルが世界を変えた』 2006年06月20日
 梅田 望夫 『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』 
 佐々木 俊尚 『グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する』 
 嶋田 淑之, 中村 元一 『Google―なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか』 2005年08月18日
 R. アクセルロッド (著), 松田 裕之 (翻訳) 『つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで』 2005年12月20日
 ロバート・アクセルロッド (著), 寺野 隆雄 (翻訳) 『対立と協調の科学-エージェント・ベース・モデルによる複雑系の解明』 2005年11月15日


■ 百夜百マンガ

ザ・シェフ【ザ・シェフ 】

 メスを包丁に握り替えたブラックジャックというかタイガーマスクというかは別として、ラーメン屋に置いてあったりしましたが、基本的に人情話なので、料理自体はおいしそうには見えないところがポイントです。

2006年8月28日 (月)

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生

■ 書籍情報

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生   【孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生】

  ロバート・D. パットナム
  価格: ¥7140 (税込)
  柏書房(2006/04)

 本書は、『哲学する民主主義』でイタリアにおける社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)の蓄積を分析した著者が、「米国コミュニティにおける市民・社会生活に、続いて一体何が起こったのか」をテーマに、米国社会の変化を社会関係資本の観点から分析したものです。
 著者は、「一般的互酬性によって特徴づけられた社会は、不振渦巻く社会よりも効率がよい。それは、貨幣の方が、物々交換よりも効果的であるのと同じ理由である」として、「人々の多用な集合の間で頻繁な相互作用が行われると、一般的互酬性の規範が形成される傾向がある」と述べ、市民参加と社会関係資本が相互義務と行為への責任を内包していることを指摘しています。また、社会関係資本の形式の次元の中で、最も重要なものとして、
・橋渡し(包含)型(ブリッジング):外部資源との連繋や、情報伝播において優れている。
・結束(排他)型(ボンディング):メンバーの選択・必要性によって、内向きの志向を持ち、排他的なアイデンティティと等質な集団を強化していくもの。
の2つを挙げ、「結束型社会資本が、社会学的な強力接着剤なら、橋渡し型社会関係資本は社会学的な潤滑在である」と述べています。
 著者は、ローカルリーグのボウリングを通じて知り合うような「小さな部分においても――そしてもっと大きな部分においても――われわれ米国人は、互いを再び結び付けあわなければならない」と主張しています。
 第2部「市民参加と社会関係資本における変化」では、「世代変化」が、
(1)多くの人々が自分の趣味や習慣を一つの方向に同時に変化させる。
(2)異なる世代が異なる趣味や習慣を持てば、生と死の社会生理により、個人が何の変化をせずとも結局は社会が変化する。
という2つのプロセスの組合せによって作り出されていることが述べられています。
 市民的、政治的参加パターンの変化としては、「ほぼ全ての形態のコミュニティ関与は、最もありふれた陳情署名から最も希な議員立候補に至るまで大きく低下した」こと、「委員を務めるというような『協同』的な形をとる行動が、手紙を書くといった『表現』的な形の行動よりも急速に低下したことが述べられています。
 市民参加に関しては、「この四半世紀の間に、自発的結社の数はおおよそ3倍になったが、平均会員数の数はおおよそ10分の1となっているように見える」こと、個人会員が所属し会費を納入するような郵送名簿組織のある巨大会員組織を、社会的なつながりという観点からは古典的な「二次集団」とは大きく異なる「三次手段」と名づける必要があること、1960年代初頭に18歳以下の子どもを持つ家庭100当たりの会員数が50近くにまで達した「父母と教師の会」(PTA)の会員数が20世紀の終わりには100当たり20以下にまで落ち込んだことなどが紹介されています。著者は、「多くの米国人が、自分はさまざまな組織の『メンバー』であると自称し続けているが、しかしほとんどの者はコミュニティ組織にもはや多くの時間を割かなくなっている」と指摘しています。
 宗教参加に関しては、
(1)今日における宗教は、これまで伝統的にそうであったように、米国におけるコミュニティ生活とその健全性における中心の源泉であった。
(2)20世紀を通じた宗教参加の広範な変動は、世俗的な市民生活の傾向と鏡写しになっていて、世俗生活と同様に、強い形態の関与の方が近年の減少が大きい。
(3)この時期を通じた米国人の宗教生活は、動的で労力を要する宗派が、より世俗的な形態に取って代わろうと押し寄せるという歴史的にはよくあるドラマの再現であり、宗教生活におけるこの傾向は、世俗的コミュニティにおける社会的つながりに見られる不吉な現象を強化している。
の3点を指摘しています。
 職場でのつながりに関しては、「現代米国社会の多くは、予測不可能な昇進と賃金の伸びに特徴づけられた、安定した雇用関係の上に築かれてきた。住宅所有や子どもの大学教育のような長期の個人投資、コミュニティの絆とそればもたらす安定性、職場外における生活の質といったものは全て、仕事のリスクと不確実性が減少されることによって拡大してきた」というピーター・キャペリの言葉を引用しながら、これら全てが仕事上の「新たな取り決め(ニューディール)」によって浸食されつつあると述べています。
 インフォーマルな社会的なつながりについては、
・マッハー(macher、大立者・中心人物):フォーマルな組織に多くの時間を費やす男女。
・シュムーザー(schmoozer、おしゃべり・口達者):インフォーマルな会話や進行に多くの時間を使う者。
というイディッシュ語の2つの言葉を取り上げ、この区別が、「米国人の社会生活における重要なリアリティを反映している」と述べています。そして、米国人が、「以前と比べて友人や隣人と過ごす時間を大きく減らしている」ことを指摘しています。また、ボウリングが米国で最も人気のある競技スポーツである一方で、リーグボウリングが過去10~15年で急激に落ち込んだことに着目し、この長期傾向が、「すでに検討した他の形態の社会関係資本で見られた傾向と正確に対応している」ことを指摘しています。
 社会関係資本の中心指標とも考えられる「他者を助けようとする対応態勢」である愛他主義、ボランティア、慈善活動に関しては、慈善活動の「加入者」は「非加入者」と比べて時間的、金銭的な寛大さが10倍近いこと、ボランティア活動はさらなるボランティア活動を促進することが述べられています。また、市民参加低下の潮流に逆らって増加している新たなボランティアのほとんど全部は60代以上の高齢者に集中していることを指摘し、その理由として、高齢者の健康と懐具合が過去数十年に顕著に改善され、退職後の生活をより長く積極的に送ることが可能になるとともに、1910年から1940年の間に生まれたこの年代が、「人生の中で市民的問題により深くかかわってきた」ことを挙げています。
 互酬性、誠実性、信頼に関しては、「一般互酬性はコミュニティの資産であるが、一般的な騙されやすさはそうではない」ことを指摘し、単なる信頼ではなく、信頼性が鍵となる要因になっていることを述べています。
 第2部の最終章では、全米国人の40%が、「定期的に会合を持ち、参加者へのサポートやケアを提供している小集団に現在関わっている」ことが紹介されています。また、社会運動と社会関係資本が非常に密接に結びついていて、社会的ネットワークが運動を組織するものにとって最中心となる資源である一方で、社会運動は新たなアイデンティティをもたらし社会的ネットワークを拡張することによって社会関係資本を創出することが述べられています。ただし、ダイレクトメールによってリクルートされた会員は組織的コミットメントが低く、1985年から1990年の間に会員数を3倍にしたグリーンピースが、続く8年間で85%の会員を失ったという事実が紹介されています。最後に、インターネットは、物理的に離れた人々の間における情報伝達ツールである反面、そういった情報の流れそれ自体が社会関係資本と、正真正銘のコミュニティを育みうるのか、という難問を抱えていることが指摘されています。
 第3部「なぜ?」では、1960年代と70年代に始まり、80年代と90年代に加速化した、「米国のコミュニティの解きほぐし」がなぜ起こったのか、という謎が、米国民主主義の未来にとって一定の重要性を有していると述べています。
 著者は、コミュニティ問題からのドロップアウト傾向の背後にいる、「最も明らかな容疑者」として、多忙さの拡大を挙げるとともに、問題の現況は、単純に過重労働ではないかとしています。ただし、余暇時間全体としては、「過去30年間には、市民参加の低下を説明するような自由時間の現象は一般に見られない」としながらも、この「自由時間」は、
(1)細切れの時間や、早期退職を余儀なくされた高齢者に対しての非自発的な固まりであること。
(2)教育水準の低い者が自由時間を得る一方で、大卒者の方はその大半がそれを失っていること。
(3)共働き家庭が一般化し、以前よりも労働に費やす時間が増加していること。
の3点の特徴を持つことを指摘しています。そして、「米国のコミュニティ参加を増加させる実践的な方法の一つ」として、「女性が(そして男性も)望んだ時にはパートタイムで働くことを容易にすること」を挙げています。
 また、郊外に増加した「共有権益(コモン・インタレスト)開発」と「ゲート付きコミュニティ」においては、「コミュニティの社会的等質性が増加すると、政治的関与のレベルが低下する」ことを紹介するとともに、車と通勤によるコミュニティ生活への悪影響として、「通勤時間が1日当たり10分増加するごとに、コミュニティ問題への関与が10%失われる」ことを指摘しています。
 テクノロジーとマスメディアによってもたらされた20世紀にわたる変容に関しては、
(1)ニュースと娯楽はますます個人化されていった。
(2)電子技術はこの、オーダーメイドで専用に誂えたような娯楽を、プライベートに消費することを可能にした。
の2つの問題点を挙げています。テレビに関しては、1965年から95年までの30年間に増加した週当たり6時間の余暇時間のほとんどがテレビ視聴に費やされたことを、「テレビは余暇時間の中の巨大な存在(800ポンドゴリラ)である」という言葉を紹介しています。そして、テレビが市民参加を減少させるプロセスとして、
・テレビが限られた時間を競い合う。
・テレビには、社会参加を抑制する心理的影響がある。
・特定のテレビ番組内容が、市民的動機付けを弱める。
の3つの仮説を立てて検討しています。
 年齢の問題に関しては、「最近の世代に見られる社会的孤立と市民参加の低下という厳然たる構図」に対抗する重要な事実として、「過去10年間に、若者の間でボランティア活動とコミュニティ奉仕の増加が見られる」ことを挙げるとともに、世代的遷移は「われわれのストーリーにおける重大な要素」としながらも、「それが市民的、社会的参加の全ての形態に対して等しく協力に寄与しているわけではない」ことを指摘しています。そして、「20世紀後半の3分の1を通じた米国における市民参加の低下はその多くが、著しく市民的な世代が、コミュニティ生活への組み込まれ方の少ない数世代(その子や孫)によって置き換わったことに起因する」とまとめています。
 第4部「それで?」では、社会関係資本が持つ、人々の願望を現実へ変換するのを助ける特性として、
(1)社会関係資本は、市民が集合的問題解決をより容易にすることを可能とする。
(2)社会関係資本は、コミュニティがスムーズに進むための潤滑油となる。
(3)自らの運命がたくさんのつながりを持っている、ということへの気づきを広げることで人々の取り分を増やす。
の3点を挙げています。
 著者は、「社会関係資本が人々を賢く、健康で、安全、豊かにし、そして公正で安定した民主主義を可能にするという証拠」として、米国各州における社会関係資本を・コミュニティ組織生活の指標
・公的問題への参加の指標
・コミュニティボランティア活動の指標
・インフォーマルな社交性の指標
・社会的信頼の指標
の項目で測定しています。その結果は天気図のような形で地図化され、
・「高気圧」ゾーン:ミシシッピ、ミズーリ川の上流を中心として、東西にカナダ国境に沿って広がっている。
・「低気圧」エリア:ミシシッピデルタを中心とし、かつての南部連合を貫いて同心円状に広がっている。
と表されています。著者はこの図を眺めて浮かび上がってくる「このような違いはどこから来たのだろうか?」という疑問に関して、少なくとも部分的には入植のパターンが影響していることを理由に挙げ、さらに、19世紀前半における奴隷制との間の空間的相関として、「当時の奴隷制度が過酷なものであるほど、週における今日の市民性が低い」と指摘しています。
 また、教育と児童福祉における社会関係資本の重要性については、東海岸のノースカロライナ州とコネチカット州とを比較しながら、「近隣、コミュニティレベルの社会関係資本は子どもの学びに明らかな影響を与える」とともに、「家族内の社会関係資本もまた若年期の発達に強く影響する」ことを解説しています。
 治安に関しては、ロバート・J・サンプソンによる、「(a)匿名性が高く、住民同士での顔見知りのネットワークが希薄で、(b)ティーンエイジャーの仲間グループに目が行き届かず、公共空間のコントロールが弱体化しており、(c)組織的基盤が弱く、地域活動への社会参加が低い、といった特徴のあるコミュニティは、犯罪と暴力のリスク増加に直面する」という実証研究を紹介しています。
さらに、経済的繁栄に関して、社会的ネットワークの経済的価値が、持たざるもののために限られているわけではない例として、「ビジネス・エグゼクティブの回転式名刺入(ロールデックス)に収められた社会的、組織的つながりが、職業上の成功度合いの決定要因として、その教育水準や経験に劣らぬほど重要である」という研究を紹介しています。また、シリコンバレーの経済的奇跡の根本には、「この地区の創業間もない企業の間で発達した、インフォーマルな、そしてフォーマルな協力の水平的ネットワークにその多くを負っている」ことが述べられています。
 健康と社会関係資本の関係に関しては、「社会的なつながりのない人々は、それに対応された人々で家族、友人、そしてコミュニティと密接なつながりのあるものと比べたときに、あらゆる原因について2~5倍の確率で死亡しやすい」という米国、スカンジナビア、日本で行われた研究を紹介しています。
 民主主義に関しては、『哲学する民主主義』で取り扱ったイタリアの地方政府に関する研究が紹介されているほか、米国の各種を比較した結果として、「社会関係資本が納税遵守を予測することに成功した唯一の要因であった」ことが述べられています。
 一方で、社会関係資本の「暗黒面(ダークサイド)」としては、組織的連帯の低下の裏には、個人的自由の上昇という「利得(ゲイン)」が存在していること、学校統合にともなう「強制バス通学」のようなケースは、橋渡し型と結束型の社会関係資本との間のトレードオフを提示していることなどが述べられています。
 第5部「何がなされるべきか?」では、歴史からの教訓として、19世紀最後の数十年に、組織構築のブームが存在し、コレラの初期的な土台の上に、10世紀末から20世紀初頭にかけて、市民組織の巨大な新しい構造が構築されたこと、この時期の組織急増の最も顕著な例が友愛グループであること、そして、「社会関係資本への投資は、政治的動員と改革にとってその代替物ではなく、前提条件だということ」が述べられています。
 最終章「社会関係資本主義者(ソーシャル・キャピタリスト)の課題に向けて」では、社会関係資本を生み出すことは容易いことではない、とした上で、「集合的、個人的主導の双方を通じて、21世紀に向けて米国コミュニティを再興させること」を課題に設定しています。そして、
・米国の親、教育者、ヤングアダルト
・米国の雇用者、労働組合のリーダー、政府関係者及び被雇用者自身
・国内の都市、地域プランナー、開発業者、コミュニティ組織者、住宅購入者
・米国の聖職者、世俗のリーダー、進学者、一般の信徒
・米国メディア界の重鎮、ジャーナリスト、インターネット上の指導者(グル)
・米国の芸術家、文化組織のリーダーや出資者
・米国の政府関係者、政治コンサルタント、政治家、同胞たる市民
のそれぞれに対し、社会関係資本の再興を訴えています。
 本書は、社会関係資本の重要性を認識している人はもちろん、地域社会の変化に不安を感じている人にとってヒントを与えてくれる一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の少し変わったタイトルは、著者の同僚のジャック・ドナヒューがつぶやいた「米国人は『孤独なボウリング』をしているようだ」という言葉にちなんでいます。『哲学する民主主義』を読んだ人にとっては待望の翻訳だと思いますが、本書が初めてという人にとっては、7140円という価格と、700ページ近い分厚さは相当の障壁になるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・コミュニティの弱体化を感じている人。


■ 関連しそうな本

 ロバート・D. パットナム (著), 河田 潤一 (翻訳) 『哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造』 2005年03月03日
 ロバート・アクセルロッド (著), 寺野 隆雄 (翻訳) 『対立と協調の科学-エージェント・ベース・モデルによる複雑系の解明』 2005年11月15日
 金子 郁容, 松岡 正剛, 下河辺 淳 『ボランタリー経済の誕生―自発する経済とコミュニティ』 38593
 ドン コーエン (著), ローレンス プルサック (著), 沢崎 冬日 (翻訳) 『人と人の「つながり」に投資する企業―ソーシャル・キャピタルが信頼を育む』 38705
 R. アクセルロッド (著), 松田 裕之 (翻訳) 『つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで』 38706
 金子 郁容 『新版 コミュニティ・ソリューション―ボランタリーな問題解決に向けて』 38693


■ 百夜百マンガ

マカロニほうれん荘【マカロニほうれん荘 】

 少年チャンピオン全盛期を支えた看板作品であると同時に、ギャグ漫画家のはかなさを教えてくれる作品です。コンスタントにギャグマンガを描き続けることの難しさは、アイドル歌手が生き残るのと同じくらいではないでしょうか。

2006年8月27日 (日)

超常現象の心理学―人はなぜオカルトにひかれるのか

■ 書籍情報

超常現象の心理学―人はなぜオカルトにひかれるのか   【超常現象の心理学―人はなぜオカルトにひかれるのか】

  菊池 聡
  価格: ¥693 (税込)
  平凡社(1999/12)

 本書は、心理学者である著者が、UFOや心霊、超能力などのオカルトや超常現象と呼ばれる世界を、心理学の目を頼りに見ていこうとしているものです。
 心理学者である著者は、「心理学」という言葉が、怪しいイメージで受け取られがちであるという点に関して、「カウンセリング」「心理ゲーム・雑誌の心理テスト」「心理検査」「人の気持ち、考えていることがわかる」「心が読まれそうでこわい」「あやしげ}等、大学の新入生を対象とした調査結果を紹介しています。
 一方で、通俗心理学の方は社会一般からの強い支持を受けているようで、著者はある宴席で、大手電機メーカーの要職にある大学時代の先輩から、
「どうも君達のような大学関係者が書く本は小難しくてイカン。知識は羅列してあるが、けっきょく生き方の指針にはならないし、がんばって明日の仕事をしようという気に全くさせてくれない。私は来週尊敬する船井幸雄先生の講演会に行く。彼の書く本も推進する本も、実に読みやすく、面白い。人生の役に立つものだ。君たちも見習いなさい」
とご忠告を受けてしまいます。フナイ本に書かれている「波動理論」などにオカルト臭さを感じていた著者は、著者は同じ系統にあるものとして、春山茂雄氏の『脳内革命』等を挙げながら、自らが出版する本のベンチマークの対象として、
・心理学専攻以外の多くの一般社会人に受け入れられるという点で『脳内革命』を目指すこと。
・科学性という点で『脳内革命』のようには絶対ならないようにすること。
の2つの項目を掲げています。ただし、残念ならばこの2点はあまりにも高い目標だったようです。フナイ本のように「これはいい、それは悪い! と水戸黄門的にすっぱりと、気持ちのいいほど二分法で切り捨ててくれる」方法で科学的な本を書くことは容易ではなく、著者はこれを「脳内革命ジレンマ」と命名しています。
 著者は、人間にとって「自分のこころの真実」と「客観的な事実」とは、どちらが大切か、という問題に直面します。著者は、宗教などの「こころの真実」を否定するものではないとしながらも、フナイ本やオカルトは、「自分が事実であってほしいと願うこと、すなわち自分だけの真実を、客観的な事実に安易に置き換えられればこんなに素晴らしいことはない」という事実と真実の一線を越えたところにあることを指摘しています。一方で、「フナイ信者のおじさんたちの疲れがなんとなくわかる歳になってきた」著者は、「ストレスの多い日常、『事実の群れ』に押しつぶされそうな閉塞感の中で、救いをさしのべてくれるのならいいじゃないか」という気持ちも理解できないこともない、「オカルトとは壮大な癒しの体系」かもしれない、と述べています。しかし、口当たりのよいウソは問題の隠蔽と先送りでしかない「麻薬」であり、「緊急時の沈痛によくても根治に至らないのがオカルトによる癒し」であるとし、「人生を未知の土地を旅することにたとえれば、頼りになるのは正確な情報を示す地図である」と述べています。
 第2章以降は、各論的なオカルト退治の話が中心になります。UFO情報の95%は既知の物体(飛行機、星、雲など)である、という研究機関の報告を、熱心なUFOマニアが、「残りの5%は正体不明なのだから、その中に宇宙人の乗り物がある可能性は否定できないじゃないか」と反論する言い方に対し、論理の飛躍を指摘し、科学評論家である皆神龍太郎氏の「いや、あれはぶんぶく茶釜のタヌキが手足を引っ込めて飛んでいるんですよ。正体がわからない以上、タヌキである可能性も否定できません」という言葉を紹介しています。
 著者は「超常現象やオカルトの研究」がいかにも怪しげな印象を与えるとしながら、「超常体験の研究」(当人にとって、科学常識では説明できない超常現象が起こったと認識される体験)は徹底的にやるべきで、「超常原理の信奉」は徹底的に排除すべきである、というスタンスを述べています。著者は、「超常現象を体験した」と主張する人に対し、「超常現象と同様な体験をもたらす心理的な錯誤は数多く存在する。したがって、超常体験のみを根拠にした主張は、妥当なものではない」と答えることができるとしています。
 第4章~5章には、著者自身が関西のテレビ番組に出演して、「霊能者」たちと直接対決した体験記が収められています。著者はオカルト批判が抱えている決定的な不利として、「オカルトは基本的に人の願望に忠実なのである。オカルトを批判的に考えること自体、人間から何か新しい可能性を奪い取ると誤解されやすい」ことを挙げています。著者は、オカルトを放置することの問題点として、「それらが擬似医療としての診断と治療に直結している」ことを挙げています。オカルト治療・民間治療に頼ったために、初期医療が遅れて手遅れになったり、精神的な病気を抱える人がオカルトにはまって悪化させるケースが数多くあることが指摘されています。
 この他本書では、血液型占いが単なる雑誌の一コーナーにとどまらず、某化粧品会社が女子社員の採用にあたり、「B型10点、O型9点、AB型6点、A型3点」という採用基準を用いていたことをはじめ、血液型が人事に利用されているという危険性の指摘や、占いが持つ「自分を納得させ決断させる上での巧妙な責任回避システム」としての働きなどが解説されています。
 本書は、超常現象自体に関心のある人はもちろん、科学的なものの見方を身につけたい人には格好の入門書なのではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書は、「科学的」を売り物にしていながら、そこかしこに見え隠れするSF好き、オタな記述がスパイスになっています。
 テレビ番組での霊能者との対決を扱った第5章の扉には、「またつまらぬものを斬ってしまった」(十三代目 石川五右ヱ門)という台詞が何気なく収まってますし、122ページには真面目な顔をして、「ジョセフ・ジョースター氏ならずとも読み切ることはできる」という記述が紛れ込んでいます。この他、P.163には「シンちゃん」と「しんちゃん」と「シン」の違いを「ごくごく基本的な常識」という言い張っていたりするなど(ちなみに、碇シンジ、野原しんのすけ、風間真の順)、かなりの重症振りが露見していますが、オカルト好きとは相容れない存在なのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・オカルト好きの人の気持ちが理解できない人。


■ 関連しそうな本

 菊池 聡 『超常現象をなぜ信じるのか―思い込みを生む「体験」のあやうさ』
 菊池 聡 『不思議現象 なぜ信じるのか―こころの科学入門』
 マイケル・W. フリードランダー (著), 田中 嘉津夫 (翻訳), 久保田 裕 (翻訳) 『きわどい科学―ウソとマコトの境域を探る』 2006年01月21日
 マーティン・ガードナー 『インチキ科学の解読法 ついつい信じてしまうトンデモ学説』 2006年02月11日
 マーティン ガードナー (著), 市場 泰男 (翻訳) 『奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究』
 マーティン ガードナー (著), 市場 泰男 (翻訳) 『奇妙な論理〈2〉なぜニセ科学に惹かれるのか』


■ 百夜百音

となりのトトロ【となりのトトロ】 サウンドトラック集 オリジナル盤発売: 2004

 メジャーな作品ですが、オープニング曲の「さんぽ」の作詞をしているのが、『ぐりとぐら』の中川李枝子さんだということに最近気づきました。
 そうなるとキツネは『そらいろのたね』のキツネが思い浮かびます。


『となりのトトロ』となりのトトロ

2006年8月26日 (土)

寄生虫館物語―可愛く奇妙な虫たちの暮らし

■ 書籍情報

寄生虫館物語―可愛く奇妙な虫たちの暮らし   【寄生虫館物語―可愛く奇妙な虫たちの暮らし】

  亀谷 了
  価格: ¥550 (税込)
  文藝春秋(2001/02)

 本書は、寄生虫を愛し、寄生虫と戦い続けてきた、目黒寄生虫館の館長による寄生虫トリビアが満載のエッセイです。
 著者は、「2種類の動物が相互に害することなく共同生活をする」共生生活を、
(1)双利共生:お互いが相手の存在で利益を受ける(ヤドカリイソギンチャクなど)
(2)片利共生:一方は利益を受けるが、もう一方は何の利益も受けない(カクレクマノミとイソギンチャク、コバンザメとサメなど)
の2種類あるとして解説し、一方で、「寄生生活」とは、「2種類の動物が共に生活しているが、一方は他方にすっかりよりかかり、職も住もまかせきりにしてしまい、何も宿主(寄生する動物)にお返しをしない」ものであり、このような生活をしている動物を「寄生虫」と呼ぶと述べています。著者は、一般にイメージされる「宿主に悪影響を与え、ときには命さえ奪う」という考えを否定し、「宿主が死ねば寄生虫自身も死んでしまう」ため、「基本的には寄生虫がいたとしても、宿主は決して迷惑をしない」と述べています。
 寄生虫館の目玉は何と言っても、8.8メートルのサナダムシの標本です。しかし、この虫がいたとしても、「患者は無視の存在がわかるほどの苦痛は感じない」ものであり、写真の虫がお腹にいた男性にも自覚症状がなかったと述べられています。また、女子高生のお腹の中に、合計8匹、45メートルものサナダムシがいた例も紹介されています。このページには、『東京女子高制服図鑑』の森伸之氏のイラスト入りです。
 寄生虫は、同じ宿主に対する過剰寄生によって共倒れすることを防ぐために(宿主を独り占めするために)、宿主に抗体を作らせて他の寄生虫の感染を拒否させているという説が紹介されています。
 著者は、「正しい終宿主にたどりついた寄生虫は悪いことはしない」というのは、寄生虫学の常識であり、寄生虫が怖いのは、「本来のルールからはずれて寄生虫が寄生する」、「迷入(マイグレーション)」によるものだと述べ、この場合には、「まちがって入ったことを自分でも腹立たしく思ってか、寄生した生物に害をなす場合がある」のだと述べています。
 また、寄生虫の持つ能力として、「自然界の食物連鎖に積極的にわりこむ能力」を挙げています。レウコクトリディウムという寄生虫は、「終宿主にたどりつくために、自分を食べてもらおうと、自分でアピールする」積極性をもっています。カタツムリの親戚であるオカモノアラガイを中間宿主に、スズメなどを終宿主に持つレウコクロリディウムは、オカモノアラガイに入ると、赤と緑の縞模様になり、その触角(カタツムリのツノの部分)に入り込むと毛虫のように動き回ります。これを見たスズメは、好物の毛虫と間違えて、オカモノアラガイの目をかじり取り、体内に寄生虫を抱え込んでしまうのです。
 この他本書には、カニに寄生した上、去勢してしまうフクロムシの寄生メカニズムや、5歳の少女の口から吐き出されたハリガネムシ、エジプトのミイラの中から発見されたエジプト住吸血虫、1958年にレース途中の競走馬「ワカコドラ」の腹の中でパンクした40匹の大条虫等が紹介されています。
 本書の第7章には、タイトルである寄生虫館の歴史が紹介されています。終戦後、奉天から引き上げ、診療所を開業した著者は、目黒の50坪の土地のバラックに住んでいた老婦人を往診した際に、千葉の300坪の土地と交換する機会に恵まれます。こうして寄生虫館の建設予定とを入手した著者は、15坪の3間のバラックからスタートし、標本を集め、古道具屋の主人から寄生虫の説明用の掛け軸を貰い受け、「あるときばらいの催促なし」の約束で立派な建物を建ててもらい、寄生虫館を成長させていく様子は、「現代のわらしべ長者」のようです。
 本書は、寄生虫の雑学読み物としてはもちろん、寄生虫に生涯をかけた著者の熱意とそれを意気に感じた周囲の人々の心温まる物語としてもお奨めの一冊です。


■ 個人的な視点から

 数年前に、目黒寄生虫館がデートスポットとして人気になったことがあります。お土産に数々の寄生虫のイラストの入ったTシャツを買いましたが、さすがにその後のお昼御飯には麺類は食べなかったと記憶しています。


■ どんな人にオススメ?

・うどんの映画と組み合わせてデートコースにしたい人。


■ 関連しそうな本

 亀谷 了 『おはよう寄生虫さん―世にも不思議な生きものの話』
 藤田 紘一郎 『笑うカイチュウ―寄生虫博士奮闘記』
 藤田 紘一郎 『踊る腹のムシ―グルメブームの落とし穴』
 藤田 紘一郎 『パラサイトの教え』
 藤田 紘一郎 『謎の感染症が人類を襲う』


■ 百夜百音

帰って来たヨッパライ【帰って来たヨッパライ】 フォーク・クルセダーズ オリジナル盤発売: 1968

 エンディングのお経の部分がビートルズの「A Hard Days Night」であることに今日初めて気づきました。
 テープスピードを半分に落として歌う大変さは「はじめてのチュウ」のあんしんパパによれば、お経みたいなスピードで歌うためにスタッフがみんな眠りに堕ちてしまうところにあるそうです。その意味では、メインの歌も実際にはお経状態で歌われていたことが想像されます。


『イムジン河』イムジン河

2006年8月25日 (金)

秘密のファイル(下) CIAの対日工作

■ 書籍情報

秘密のファイル(下) CIAの対日工作   【秘密のファイル(下) CIAの対日工作】

  春名 幹男
  価格: ¥1890 (税込)
  株式会社共同通信社(2000/03)

 本書には、東西冷戦から1990年代までのCIAの対日工作が赤裸々に語られています。
 CIAは秘密工作部門の大物であり、葉山の住人の一人だったデズモンド・フィッツジェラルドが、「チャイナ・ミッション」と呼ばれる秘密工作、すなわち、「中国人を、横須賀、厚木、茅ヶ崎の秘密の施設で訓練する」という対中工作を指揮していたことが述べられています。占領中に、GHQ防諜部門のキャノン機関が行っていた工作を、CIAが引き継いだ形になります。東西冷戦の深刻化によって、CIAは、情報機関にとどまらず、"冷戦省"とも呼ぶべき規模に膨れ上がり、
 a.ソ連の権力構造に最大限の圧力を加える。
 b.自由主義世界の人々と国家が米国志向を強めるようにする。
 c.戦略的な地域での地下抵抗活動や秘密ゲリラ活動を最大限展開する。
という秘密工作の任を負ったことが述べられています。
 そんなCIAの秘密工作の中には、後からふり返るとそのセコさに笑ってしまうようなものもあります。東京・晴海と大阪市・堂島浜で開催された初の中国見本市を妨害するために、
・「見本市反対」のビラをまく。
・毛沢東主席の肖像画のビニールカバーの上から墨汁をかける。
・夜の間に貿易相談室が荒らされ、書類がなくなる。
などの妨害がなされたことが紹介され、犯人が警備のために出入りしていた公安関係者だったという証言も紹介されています。中でもセコイのは、「このビラを持参した人にはビールと中華料理を無料で提供します」がヘリからまかれ、ビラを持参した数十人が押しかけた、というものです。本書には、これらの工作を仕掛けたのが、当時CIA要員として東京に駐在していたハワード・ハントであったことが述べられています。
 また、ベトナム戦争に対して、日本の市民運動の原型として成長した「ベトナムに平和を!市民連合」(べ平連)が、表面の市民グループと別に、非公然の地下組織、「反戦脱走米兵援助日本技術委員会」(JATEC)という二重構造でできていたこと、JASTECの脱走米兵逃亡ルートをつぶすために、米情報機関からスパイとして偽逃亡兵が紛れ込んだこと等も紹介されています。
 さらに、政界工作に関しては、GHQの参謀第二部(G2、情報)民間情報局内に、吉田茂追放の論議があったこと、米情報機関と吉田らの"暗闘"が展開されたであろうこと、吉田が「アメリカ政府要人らに対しては、意図的に、毒のない好人物を演じ」ていたこと(中には「彼はどう見ても精力的で野心的な政治家ではなく、温和でのんきそうな地方名士といった感じを与えます」という印象を記している者もいる)等が述べられています。
 「昭和の妖怪」と称された岸信介に関しては、米国から情報源としての役割を期待され、起訴されずに釈放されたこと、巣鴨プリズンから釈放され、実弟の佐藤栄作官房長官の公邸についたときに、「いがぐり頭に口ひげを生やし、みすぼらしい姿で、女中に、『弟はいるか』と」言ったところ、護衛が連れてこられたこと、CIAが1950、60年代に自民党に資金援助していたが、1994年のニューヨーク・タイムズ紙で暴露されてしまったこと等が紹介されています。
 安保騒動では、自民党が、「全学連と戦う学生グループの創設に努力したが、不十分な資金しかなく、負けてしまいそう」であるとして、右翼や体育会系学生らを動員する資金をCIAが調達したといわれていることや、60年安保を機に、「日本では政治家と右翼とやくざの関係がぐっと近くなった」ことなどが述べられています。
 この他本書では、CIAが日本の情報機関の防諜対象となっていないノーマークの存在であること、CIA要員の偽装方法として、
(1)外交官カバー
(2)軍人カバー
(3)民間人カバー(民間偽装要員=ノン・オフィシャル・カバー、NOC)
の3種類があること、1976年まで霞が関ビルの向かい側にあったくすんだ6階建ての通称「満鉄ビル」(戦前の近代的な情報機関「満鉄調査部」があった)にCIAのオフィスがあったことなどが述べられています。
 本書は、日米関係はもちろん、日本の政治史を読み解くうえで外すことができない重要な役割を演じているCIAの活動を知ることができる良書ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 よく何か不可思議な政治的事件があると、すぐに「CIAの陰謀に違いない」という陰謀説を言い出す人がいますが、本書ではCIAがそのような陰謀説を否定しないことが述べられています。
 その理由は、
「恐怖感を植えつけるのも一つの作戦」
であるからです。「深層心理に『恐怖感』があるため、アメリカが嫌うようなことを発言するのを避け、アメリカが反対するような政策は実行しない」ということになり、現実にそうした「ひそかな恐怖感から逃れられない政治家が少なくないようだ」と著者は述べています。
 ある大物政治家が述べたという、
「行く先々で、自分の発言に気をつけるんだよ。CIAがウォッチしているから」
という発言が、冗談とも本気とも取れないところに、CIAの怖さがあるのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・「体育会系」がなぜ就職に有利なのかを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 春名 幹男 『秘密のファイル(上) CIAの対日工作』 2006年08月24日
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 ジョン・G. ロバーツ 『軍隊なき占領―戦後日本を操った謎の男』
 産経新聞特別取材班 『エシュロン―アメリカの世界支配と情報戦略』
 中田 安彦 『ジャパン・ハンドラーズ―日本を操るアメリカの政治家・官僚・知識人たち』
 柴田 哲孝 『下山事件―最後の証言』


■ 百夜百マンガ

風のマリオ【風のマリオ 】

 『Dr.コトー』で感動を呼ぶ、一つのことに打ち込むひたむきさや人情味はこの作品で培われたと言っていいかもしれませんが、コミカルな軽さがないために重苦しく感じたりくどく感じる人が多いかもしれません。

2006年8月24日 (木)

秘密のファイル(上) CIAの対日工作

■ 書籍情報

秘密のファイル(上) CIAの対日工作   【秘密のファイル(上) CIAの対日工作】

  春名 幹男
  価格: ¥1890 (税込)
  株式会社共同通信社(2000/03)

 本書は、「太平洋戦争では互いに敵同士として殺し合い、戦後緊密な同盟国となった、異質な二つの国」である「日本とアメリカが絡んだ情報工作、というまったく新しい視点」をテーマとしたものです。著者は、日本人の意識の中にある「サクセス」と「陰謀」の間の「漂流」というもつれた糸を解きほぐす作業として、「『インテリジェンス(情報)』の側面から日米関係の深層を抉り出し、漂流の原因と理由を突きとめて、初めて可能になった」と述べています。本書は、1997~98年にかけて、全国42の共同通信加盟紙や英字紙に掲載された50回の連載『秘密のファイル――日米関係の裏面史』を基にしています。著者は、この執筆に当たり、米国公立文書館で十万ページを超える秘密文書に目を通し、数万ページをコピーしています。この連載は、在日米大使館で毎回翻訳され、米政府内に配布されていたことが述べられています。
 本書は、日米開戦前夜に奔走した在米日本大使館員の姿から描き始められています。一等書記官だった寺崎英成は、大使館内に情報組織を設立し、アメリカ国内の情勢を調査し、外国系アメリカ市民や日系人を利用するという任務を帯びてワシントンに送り込まれますが、着任前からアメリカ側の防諜の網に引っかかっていたことが述べられています。また、開戦前には、「日本人は能力ない」との固定観念が米側を支配していて、マッカーサーは、「日本軍機のパイロットは白人の雇い兵に違いない」と信じ込んでいたこと等が紹介されています。
 また、米陸軍内に対日情報工作のために日系二世が集められ、暗号の解読、入手した日本軍の文書の分析、約1万4千人の日本人捕虜の尋問など、情報戦において日本を圧倒したことが述べられています。フィリピンで米軍の通訳をしているところを「救出」された日系二世の榊田元宗が、米国陸軍情報部の残地諜者として残されたスパイであったエピソードでは、日本軍降伏後に、サカキダを尋問した日本軍将兵の前に、米軍服を着て現れ驚かせた話が紹介されています。この他、「山本長官前線視察」の暗号電報を解読したハロルド・フデンナ(普傳名)、敗戦を決定的にした日本海軍の重要機密書類である「Z作戦要領」を翻訳したヨシカズ・ヤマダとジョージ・ヤマシロ、米戦略情報局(OSS)で活躍したジョー・コイデなど日系二世の活躍が紹介されています。
 本書には、戦前の日本軍の情報将校たちが、GHQ参謀第二部(G2)にリクルートされ、GHQの情報工作に加担したことが述べられています。河辺虎四郎中将を中心とした旧日本軍人によるG2直轄の極秘情報機関は、後に、「河辺機関」と呼ばれる組織であることや、児玉誉士夫の資料の中から、「KATO機関」(鎌田、有末、田中、辰巳、小野寺の頭文字)というG2の下請け情報組織に関する記述が見つかったこと、「GHQ歴史課」の中に置かれていた「服部機関」等が紹介されています。この理由については、CIAの資料の中から、「米占領軍の参謀第二部(G2、情報)は冷戦で、日本軍が最近まで占領していた地域(中国・朝鮮半島)に関する内部情報を入手する必要に迫られ、多くの日本の専門家に仕事に復帰するように求めた」という記述を発見しています。
 また、巣鴨プリズンに収監された19人のA級戦犯容疑者(岸信介、笹川良一、児玉誉士夫ら)がなぜ戦犯として訴追せず釈放されたのか、という問題に関して、「戦争責任は東条英機らに負わせた。その裏で、児玉、笹川らを釈放し、情報活動に利用する」というアメリカ情報当局の裏工作の痕跡を拾い集めています。児玉の釈放後、米情報当局と日本の右翼の"蜜月"が始まったこと、児玉を見出したのは「児玉担当の主任検事」であったフランク大佐であったこと等の他、佐川良一や辻政信などの怪人物に関するCIAのファイルを次々と紹介しています。
 この他本書では、戦後日本の共産主義者リーダーであったプロレタリア作家の鹿地亘が1年間に亘ってキャノン機関に監禁されたことや、CIAのオフィスが一時、大蔵省ビルに置かれていたこと、日本国民の思想改造のため、アメリカ大使館ラジオ部が作成した「完パケ」のラジオ番組が各ラジオ局に配られ、放送されたこと、『私はシベリアの捕虜だった』など米政府の心理戦略に基づいた映画制作のために資金提供が行われたことなどが述べられています。


■ 個人的な視点から

 本書には、初代CIA東京支局長であったポール・チャールズ・ブルームと、彼に執事として雇われた成松孝安の奇妙な出会いについて紹介されています。横須賀の走水海岸で、ユダヤ系作家の原書を読んでいた成松に話しかけたブルームは、「私と一緒に東京で仕事をしないか」と持ちかけられます。成松は5年にわたりブルームの執事を務めますが、「ブルームさんは外交官だと思っていた」と後に語っています。当時、CIAの活動を認めていなかったマッカーサーの目を欺き、ブルームは外交官を装ってCIAの初代東京支局長として着任していたことが確認できたと述べられています。
 ブルームは、自宅で毎月著名人を集めた夕食会「火曜会」を開催していますが、中でも、
・笠新太郎(朝日新聞論説主幹)
・松本重治(国際文化会館理事長)
・松方三郎(共同通信社専務理事)
・浦松佐美太郎(評論家)
・東畑精一(農業経済学)
・蝋山政道(政治学)
・前田多門(元文相)
・佐島敬愛(信越化学取締役)
の8人の常連については、「8人のサムライ」と呼んでいたことが紹介されています。
 1953年に、火曜会は解散され、成松はブルーム邸を"円満退社"することになりますが、退職金を現金で与える代わりに、スパゲティ屋の資本金を集めてもらいます。店の名前もブルーム自身が考え、後にこのスパゲティ屋は全国展開し、日本のスパゲティ料理店の草分けとして有名になりますが、この支援には、ブルームの"口止め"の意味もあったようです。
 このスパゲティ屋の名前は、"壁の穴"。現在も全国チェーンとして知られています。


■ どんな人にオススメ?

・日々CIAの陰謀に怯えて暮らしている人。


■ 関連しそうな本

 春名 幹男 『秘密のファイル(下) CIAの対日工作』
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 ジョン・G. ロバーツ 『軍隊なき占領―戦後日本を操った謎の男』
 産経新聞特別取材班 『エシュロン―アメリカの世界支配と情報戦略』
 中田 安彦 『ジャパン・ハンドラーズ―日本を操るアメリカの政治家・官僚・知識人たち』
 柴田 哲孝 『下山事件―最後の証言』


■ 百夜百マンガ

激!!極虎一家【激!!極虎一家 】

 山本スーザン久美子の元ネタ、かどうかは定かではないですが、17歳144ヶ月になった『ラブやん』の主人公の幼なじみの崇山庵子の元ネタであることは疑いのないところですが、元ネタの元ネタはカメリア・ダイアモンドの人ですね。
 読めます?→「枢斬暗屯子」(極道界のキャリアウーマン)

2006年8月23日 (水)

インターネットヒストリー―オープンソース革命の起源

■ 書籍情報

インターネットヒストリー―オープンソース革命の起源   【インターネットヒストリー―オープンソース革命の起源】

  ニール ランダール
  価格: ¥2,415 (税込)
  オライリー・ジャパン(1999/06)

 本書は、「インターネットの創始者たちがそれぞれのどのような状況で、どのような意識をもってその構築に貢献したのかが、本人の口から語られた貴重なインタビュー集」です。監訳者である村井氏は、インターネットを、「『官』が『公』のことを行う20世紀まで人類が当たり前だとしてきた既存の仕組みの中で、皆で力を合わせて『民』が『公』の利益を支えるというまったく新しいモデルを実現するというチャレンジで」あると評価し、本書を、「人類の新たな挑戦の歴史(しかもその起源)について書かれた本」と位置づけています。
 インターネットは、合衆国西部の4台の大型コンピュータをつなぐ実験から、30年足らずの間に世界中のさまざまなコンピュータをつなぐネットワークに急成長しました。著者はインターネットを、「いわば神話のヒュドラーのような生きた技術に最も近い。1本の縄を断ち切っても、また新たに2本の縄が隙間を埋めようと出てくるのだ」と述べています。
 インターネットの起源は、1960年代、ソビエトからの核攻撃を恐れ、対策を練っていた米国が、軍内部のコミュニケーションシステムを壊滅から守ることにありました。集中管理を行う中央コンピュータをなくすためには、どのコンピュータにもすべての通信を管理するだけの能力が必要不可欠であること、メッセージの宛先であるコンピュータが破壊されている場合には、通信網を迂回して稼動中のマシンを探し当て、メッセージを伝達しなければならないこと、が条件となりました。ここで登場するのが、1960年代にポール・バランが基本原理を発表した「パケット交換方式」です。バラン氏は、インタビューの中で、当時の通信分野のトップであったアナログ人間たちには、デジタル人間には当たり前のことが意に介せず、「パケット交換方式なんてものがうまく行くはずがない」という感情的な対立があったことを語っています。
 著者は、インターネットのスタート時に大半を資金援助したARPAのARPANETに関しては、インターネットの発展に1960年代が貢献した最も大きな功績として、「1960年代は世界中で興味を共有する人々がコミュニケーションの必要性と欲求を意識した時代」に生まれた「オープンでグローバルなコミュニケーションのコンセプトそのものである」と述べられています。
 第3章では、ARPANETが誕生した後、軌道に乗るまでにいくつかの理由から時間を要したこと、そして、1972年10月に行われた国際コンピュータ通信会議で行われたデモで、40台のターミナルをパケット交換方式でネットにつなぎ、参加者にネットワーク上で実際に何か作業をしてもらったことなどが述べられています。著者は、技術者による実験が中心であったARPANETが、ユーザの使い勝手に目を向けたこと自体が画期的だったと評しています。ロバート・カーン氏のインタビューでは、ARPANETの使用開始に関して、多くの大学生たちが同乗していることに軍が神経を尖らせていたこと、ARPANETが果たしたインターネットの誕生への貢献として、「独立した複数のドメインの接続を果たし、ネットワーク上でオープンアーキテクチャ環境を実現したこと」が挙げられています。
 第4章では、1983年1月1日からARPANETのプロトコルがTCP/IPに切り替えられたことに関して、TCP/IPの発明者であり"インターネットの父"であるヴィント・サーフ氏のインタビューを掲載しています。
 第6章では、USENETの誕生に合わせて発生したネチケットの問題、すなわち、フレーミングとスパミングの問題について解説されています。USENETの誕生に携わったスティーブ・ベロバン氏のインタビューでは、ネットが本来的に規制しにくいものである喩えとして、「教会が聖書の数を把握しきれなくなったので、グーテンベルクの印刷機による複製が可能になった」という主張の例を取り上げています。
 第7章では、1980年代半ばの到来とともに、かつてジョージ・オーウェルが『1984』で予言した未来像が否定される一方で、ウィリアム・ギブソンが『ニューロマンサー』で初めて使った"サイバースペース"という言葉が一般化したことが述べられています。
 第8章では、1986年にインターネットを引き受けたNSF(全米科学財団)によるNSFNETの画期的な点として、最初からネットワークをつなぐネットワークとして設計されたこと、そして、1995年4月にNSFNETバックボーンが手を引いたことに関して、『誰にも気づかれずに切り替えが行われたこと自体、NSFNETが大成功であったことを意味する」ことが述べられています。
 この他本書では、WWW以前にインターネットを制した存在であったgopher(ホリネズミ)、ジュネーブのCERN(欧州原子核研究機構)で生まれたWWWに関してそのネーミングについて妻と相談したというティム・バーナーズリー氏のインタビュー、1993年にNCSAの学生であったマーク・アンドリーセン氏によって開発されたブラウザーであるMosaic等の他、ヨーロッパのインターネットの歴史上重要な位置を占めるISO-OSIプロトコルの果たした役割、インターネット上の道徳的に有害な情報と検閲を求める声の高まり等について解説されています。著者は、ヨーロッパや太平洋沿岸諸国でインターネットが広がったことに関して、「インターネットがアメリカから発生したことがいかに重要な意味を持つか」と述べ、「アメリカのアメリカらしいところは、この国は勝者が生まれるとその勝者を世界中と共有したがること」であると述べています。
 著者は将来のインターネットを、「第一に社会資産、第二に情報資産」として捉えられるとして、その結果として、「現在私たちが教育や個々の授業において価値を認められていること、そしておそらくは現在の思想において価値を認められているものの多くが失われることになるだろう」と指摘し、「変化はすでに始まっており、変化は必ず訪れる。それは両価的な力を有する怪物が未来に向けて、私たちの背中を押している証拠でもある」と結んでいます。


■ 個人的な視点から

 本書の監訳者である村井純氏は「はじめに」と「あとがき」の他、本文中においても日本におけるインターネット普及の中心的役割を担った人物としてインタビューが掲載されています。その中では、氏が1984年10月に開始した「日本大学間ネットワーク」の略称である「JUNET」について、自分の名前(Jun)をつけたのではないか、と人から指摘されることが多いこと、そしてこの名称は、「Japan University Network」の略称であることが語られています。それにしても人が見れば自分の名前をつけたように見えるでしょうが。


■ どんな人にオススメ?

・民の力によって発達した社会インフラの経緯に関心がある人。


■ 関連しそうな本

 ペッカ ヒマネン, リーナス トーバルズ, マニュエル カステル (著), 安原 和見, 山形 浩生 (翻訳) 『リナックスの革命 ― ハッカー倫理とネット社会の精神』 2005年10月29日
 リーナス トーバルズ, デビッド ダイヤモンド (著), 風見 潤 (翻訳) 『それがぼくには楽しかったから』 2005年11月05日
 リチャード・M・ストールマン (著), 長尾 高弘 (翻訳) 『フリーソフトウェアと自由な社会 ―Richard M. Stallmanエッセイ集』 2006年02月04日
 エリック・スティーブン レイモンド (著), 山形 浩生 (翻訳) 『伽藍とバザール―オープンソース・ソフトLinuxマニフェスト』 2005年10月22日
 クリス ディボナ, マーク ストーン, サム オックマン (著), 倉骨 彰 (翻訳) 『オープンソースソフトウェア―彼らはいかにしてビジネススタンダードになったのか』 2006年01月29日
 ケイティ ハフナー, マシュー ライアン (著), 加地 永都子, 道田 豪 (翻訳) 『インターネットの起源』 


■ 百夜百マンガ

私立極道高校【私立極道高校 】

 作品中で実在の学校の名前が使われたということで回収になった幻の作品です。タイトルの「極道(きわめみち)高校」は、『激!!極虎一家』でも登場します。

2006年8月22日 (火)

マンガに教わる仕事学

■ 書籍情報

マンガに教わる仕事学   【マンガに教わる仕事学】

  梅崎 修
  価格: ¥735 (税込)
  筑摩書房(2006/03)

 本書は、仕事をテーマにしたマンガを「素材」として取り上げ、そこに描かれている、「職場に生まれる願望、苦しみ、喜び、誇り、後悔」などの等身大の経験を読み解き、仕事学を語っているものです。著者は、本書を書くにあたって、
(1)マンガの中の職場
(2)現役社会人たちのさまざまな職場
(3)自分自身の職場
の3つを想像しながら、「主人公たちの仕事経験の一つ一つを丁寧に読み解」いてきたと述べています。
 本書の構成は、おおむね仕事人生の段階順に並べられています。
 第1章「自分の仕事を探している若者に読んで欲しいマンガ」では、「自分らしさにこだわり、自分探しが強迫観念になっている」主人公が、他人の仕事をうらやみ、自分中心の発想から逃れられずに苦しむ『SHOP自分』、嫌でも地元と一緒に生きていかなければならない信用金庫の仕事の中に、街の人から必要とされる喜びを見出す『まいど!南大阪信用金庫』、水浸しの土間の中を駆け回るのでアヒルと呼ばれる「追い回し」の仕事の厳しさを伝える『味いちもんめ』、「責任を果たし終えた後の気持ちよさを味わおうじゃねえか」と仕事の楽しさを叫ぶ『サラリーマン金太郎』などが紹介されています。
 第2章「会社の現実にぶつかったら読みたいマンガ」では、会社の昇進競争から閉ざされているがゆえに、人間関係のしがらみを上手に利用できるOLたちを描いた『OL進化論』、ていのよい経営側の責任転嫁でしかない「教育の自己責任時代」の逆を行く、「仕事をしながら学び、からだで覚えていく」身近な教師の大切さを教えてくれる『壁ぎわ税務官』、失敗体験を活かす"学ぶ能力"の高さが魅力の『なぜか笑介』等が紹介されています。
 第3章「会社の人間関係が複雑になってきたら読みたいマンガ」では、"洞察力を持った優しさ"と"機転がともなう度胸"を兼ね備えた上司としての魅力が光る『怪傑!!トド課長』、「派閥ってもんは入るもんじゃない。自分で作るもんだよ」と、一人ひとりがライバルになるホストの世界で生きる『六本木不死鳥ホスト伝説 ギラギラ』、トラブルがあっても慌てず、機転を利かせて周囲をリラックスさせ、活気ある職場をつくるリーダーらしくない理想のリーダーシップを見せてくれる『総務部総務課 山口六平太』、自分の弱みを素直に見せ、他人からバカにされても気にしない、会社全体のためにバカになれる『取締役 平並次郎』等が紹介されています。中でも、「気持ちよくみんなに働いてもらうことが厚生課の仕事だからね」というトド課長のセリフは、成績の上がらない部下の自殺という過去を抱えているからこその重みがあります。
 第4章「会社以外の生活を考えるために読みたいマンガ」では、「自分の家庭を充実させるには、住居と職場を選び、同僚と密接な人間関係をつくる必要が」あり、何よりもよい夫婦関係が重要であることを教えてくれる『クッキングパパ』、仕事と仕事の隙間に楽しみを見つけられる、負けをつくらない楽しい職場を見せる『タンマ君』等が紹介されています。
 第5章「仕事人生を振り返るときに読みたいマンガ」では、「中高年真っ只中の団塊の世代(男に限る)の願望が投影された理想のサラリーマン」像のなかに、残された人生の短さに対する諦観が混じる『部長 島耕作』、「やっているときは気付かなかったけど、あの仕事はいい仕事だ、ユーリー、フィー、愛、もう5年ほどしたら帰る。そしたらまた仲間に入れてくれ」というセリフから人生の小さな発見が見える『プラネテス』、「大学教授になれたんじゃなくて、大学教授にしかなれなかった」という(確かに他の仕事は無理そうです)『天才柳沢教授の生活』、生来の不恰好さ、凸凹をうまく活かして一人前の落語家になる姿を描く『寄席芸人伝』等が紹介されています。
 本書は、ビジネスマンガを、一時の気を紛らわすおとぎ話として読むのではなく、そこに人生の機微を読み取るか、という楽しみ方を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を生み出す母体になったのは、「オリジナル・ワーキング・ライフ仕事研究会」という社会人サークルであることが述べられています。著者は当時は、「頭でっかちで理論好きな研究者のたまご」であったと述べていますが、実際に仕事を持つ社会人と研究者との出会いはこんなに面白いものを生み出しました。特に、仕事を正面から捉えずに、ビジネスマンガというワンクッションを間に挟むことで、生々しすぎる実体験をマンガに投影した楽しい議論をしていたのではないかと想像されます。


■ どんな人にオススメ?

・ビジネスマンガを夢物語と思っている人。


■ 関連しそうな本

 日本経済新聞社 (編) 『働くということ』 2005年02月24日
 田尾 雅夫 『会社人間はどこへいく―逆風下の日本的経営のなかで』 2005年02月27日
 金井 壽宏 『働くひとのためのキャリア・デザイン』 2005年01月30日
 佐藤 博樹 『変わる働き方とキャリア・デザイン』 2006年05月22日
 玄田 有史 『仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在 中公文庫』 2005年07月20日
 本田 由紀 『若者と仕事―「学校経由の就職」を超えて』 2006年03月02日


■ 百夜百マンガ

のんちゃんのり弁【のんちゃんのり弁】

 10年ほど前にテレビドラマになったので見覚えのある人もいるのではないでしょうか。最近は少なくなった下町人情ものです。

2006年8月21日 (月)

ニッポンの課長

■ 書籍情報

ニッポンの課長   【ニッポンの課長】

  重松 清
  価格: ¥1575 (税込)
  日経BP社(2004/1/26)

 本書は、「ニッポン全国、さまざまな仕事をしている課長に会いたい」という思いの元、21人の課長からさまざまな本音を取材したものです。元々は、『日経ビジネス アソシエ』に連載されたものです。
 本書は5部に分かれていて、
・「会社建て直し課長」
・「イケイケ課長」
・「社会派課長」
・「"有名人"課長」
・「ニッポン全国、村の課長、町の課長」
に大別されています。思ったよりも公務員が多いのも特徴で、21人中6人が動物園や虐待、どじょうすくいなど、公務員らしい人から何の仕事なのか想像がつきにくい人まで揃っています。
 「わたしがやらずに、だれがやる――会社建て直し課長」では、りそなホールディングスの「競争力向上委員会」事務局というストレートな名前の肩書きの課長から、優秀な先輩社員が早期退職でどんどん辞めてしまい、危機感を感じたという、そごう横浜店の営業企画課長、"外資"になった関西さわやか銀行で、「やればやるだけ評価される」成果主義の目玉となった女性課長第一号、「あってはならない」事件を起こした雪印乳業の「謝りつづける部署」でストレスと戦う「お客様センター」の課長が紹介されています。
 「こんな時代でも、ヒットを飛ばします――イケイケ課長」では、メーカーにとって難しい年代だったローティーン少女ファッションに『エンジェルブルー」ブランドでヒットを飛ばしたナルミヤ・インターナショナル、"はとバス=田舎から上京したおのぼりさん"のイメージを、次々に新しいコースを開拓することで覆したはとバス、東京の冬の風物詩となった京王百貨店の駅弁大会を支える裏話と全国を駆け回って開拓される新企画などが紹介されています。
 「世のため、人のため、未来のため――社会派課長」では、都政の現場で活躍する課長が2人登場します。一人は、文学部哲学科卒だったのに、上野動物園に経理担当として配属されたことをきっかけに、「動物の多様性、バラバラなところ」にすっかりはまってしまい、希望して飼育課に異動したという多摩動物園の飼育課長です。"動物が好きなひと"であるだけでなく"動物を好きになったひと"である自分だからこそ「こういう風にしたら動物園がおもしろくなる」と他人に説明できるという強みがあると語っています。
 もう一人は、「ドラマや小説の世界」の課名なのではないかと著者が疑う「東京都児童相談センター虐待対策課」の課長です。縦割りの行政の中で、ケース・バイ・ケースの協議を重ね、戦っている姿が紹介されています。
 この他、勝手に「バンダイロボット研究所所長」を名乗り、ホームページを立ち上げてしまった「リアルドリーム ドラえもんプロジェクト」のリーダーが紹介されています。
 「二度目のお仕事――"有名人"課長」では、スポーツ界を沸かせたかつての名選手&現役アスリートが、企業で活躍する姿が紹介されています。國學院久我山高校、早稲田大学、サントリー、日本代表で活躍し"プリンス"と呼ばれた名ラガーマンは、スポーツドリンク『DAKARA』のブランド・マネージャーとして、1977年の夏の甲子園に1年生エースとして愛知県代表の東邦高校を準優勝をもたらし、"バンビ"の愛称で伝説を作った元高校球児は、日本鋼管から地元の商社にヘッドハントされていました。スピードスケートのメダリストが、会社への貢献が認められ、社内最短・最年少で課長に昇進したことも紹介されています。
 役所の課長が4人も紹介されているのは、「おらが町を、村を、おこします――ニッポン全国、村の課長、町の課長」です。名産「南高梅」によって、全国一の所得伸び率を誇る村となった和歌山県南部川村にある、日本唯一の「うめ課」長、日本中で「夕焼け」課長の名前で通ってしまう愛媛県双海町の地域振興課長、「どじょうすくい」の代名詞である「安来節」のふるさと「安来市」をどじょうの町にするために奮闘する「どじょう振興課長」が紹介されています。
 本書は、ニッポン全国の課長さんにとって、自らを励ますものになることはもちろん、課長さん以外にも楽しめるたくさんの仕事人生が収められた読み物ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 著者は、「部長はスリーピースの雰囲気だが、課長にはスリーピースは似合わない。とはいえ、係長ほど安物の背広ではないはず」という、課長の微妙な立ち居地をうまく表現しています。しかし、本書には、現場で腕まくりをしてハツラツと働く課長がたくさん登場していて元気付けられます。特に、登場している役所の課長は、いつでも作業服を着て現場に乗り込む感じが共通しているのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・課長、またはそれ以外の人。


■ 関連しそうな本

 重松 清 『お父さんエラい!―単身赴任二十人の仲間たち』
 日本経済新聞社 (編) 『働くということ』 2005年02月24日
 田尾 雅夫 『会社人間はどこへいく―逆風下の日本的経営のなかで』 2005年02月27日
 金井 壽宏 『働くひとのためのキャリア・デザイン』 2005年01月30日
 八代 尚宏 『日本的雇用慣行の経済学―労働市場の流動化と日本経済』 2005年03月23日


■ 百夜百マンガ

おれは直角【おれは直角 】

 いくら名前が名前だからって、直覚に歩くことはなかろうにとは思いますが、昔はこれくらいわかりやすい(乱暴な?)キャラクター設定がマンガらしい設定だったのでしょう。

2006年8月20日 (日)

地図で歩く路面電車の街

■ 書籍情報

地図で歩く路面電車の街   【地図で歩く路面電車の街】

  今尾 恵介
  価格: ¥1,575 (税込)
  けやき出版(1998/06)

 本書は、30年ほど前までは、ある程度の都市の目抜き通りには必ず走っていて、市民の便利な足として愛用されていた路面電車のうち、「現在まで生き残った路面電車の走る街の中からいくつかを選び、地図を片手に電車に乗りながら考えた」というものです。著者は、「路面電車」の定義を、「あるようで明確ではない」とし、その理由を、「市街地の路上を走るなら問題ないが、田舎道の、それも道端を走るのは路面電車なのか。本の数百メートルしか路面を走らなくても路面電車なのか、など迷う路線も多い」ことを挙げています
 都電で唯一生き残っている都営荒川線は、「路線のほとんどが道路上ではない専用軌道であること」から例外的に廃止を免れたことが紹介されています。最盛期の昭和50年ころの都電は、38の系統が都内を縦横無尽に走り回り、路線延長は213.5kmに及び、「世界的に見ても大きな路線網を持つ『路面電車王国』だった」ことが述べられています。本書には著者の手書きによる都電の路線図が掲載されていますが、都心を縦横無尽に結んでいる様子がよく分かります。これらの路線網は、「電車事業の赤字と交通渋滞の安易な解決方法としてはっきりと都電の撤去が打ち出され、『東京都交通事業財政再建計画』に従って1年間に7系統ずつという恐ろしいまでのスピードで撤去が進んだ」ことが述べられています。
 湘南を走る名物となっている江ノ電に関しては、厳密には路面電車ではないとしながらも、「昔は全国的に見られた『電気軌道』の標準スタイルといえる」として紹介されています。昔あった「浜須賀」という停留所に関連して、「スカという地名は砂地に付けられることが」多いことが述べられています。
 著者は、「人が旅行に魅力を感じるのは『非日常』を体験できるからだ」という言葉を紹介し、鉄道の非日常風景として、「田舎の旧街道の道端を電車がのんびり走る美濃町線」を上げています。また、今では見られなくなってしまった光景ですが、名鉄犬山線という大手私鉄の大型車両が自動車と一緒に走る犬山橋の写真を掲載しています。この橋は、大正時代に木曽川を超える橋を作るにあたり、川の両岸である愛知・岐阜の両県から費用負担を受けることになり、鉄道専用橋の建設費を出す理由を立てるために地元住民も望む併用橋となったことが紹介されています。
 日本最大の輸送人員を誇る路面電車はとしては、広島旧市街18.8kmを走り、1日12万5千人を運ぶ広島の路面電車が紹介されています。高度成長期に、アメリカの大都市交通を見学しただけの人たちによる、「欧米ではもう路面電車など走っていない、地下鉄と高速道路の時代である」という、無知なのか意図的なものなのか不明な事実誤認に基づく報告を受け、全国で路面電車が廃止されている中、広島県警は、ドイツなどのヨーロッパに調査に赴き、ヨーロッパでは路面電車のない都市の方が例外であることを見聞きし、この調査に基づき、「広島の市街地の都市交通の担い手には路面電車が最適」という結論に至ったことが紹介されています。さらに、全国都市の路面電車の息の根を止めたのは、1963年に国家公安委員会が、「対処療法的かつ安易な渋滞対策」として自動車の機動への乗り入れを許可したことでした。これにより全国に生き残っていた路面電車は自動車の渋滞に巻き込まれ、お客はどんどん離れ、経営的に成り立たなくなり廃止へと向かいました。しかし、広島では、「路面電車の代替交通機関に決め手がないまま廃止したら、市中心部の交通が麻痺状態になることが予想されたため」、1971年に際と軌道への自動車乗り入れを禁止しました。この後、減少を続けてきた市内線の輸送量が増加し、経営的にも黒字になったことが紹介されています。
 本書はこの他、全国でも松山にしかないという旅客を扱う鉄道と路面電車が平面交差する伊予鉄道や、ドイツで開発された超低床車両が導入された熊本の市電、市の南部の山麓で採れた石材を運ぶための札幌石材馬車鉄道をルーツに持つ札幌市電、高知にあるのに「とでん」と呼ばれる土佐電鉄(全国で唯一、路面電車の終点が「郡部」にある)、日本の「電車発祥の地」である京都伝記鉄道、1914年に開通したものの昭和に入ってからバスに客を取られ、1933年に廃止された沖縄電気軌道などが紹介されています。
 本書は、鉄道マニアはもちろん、古くからの都市の街並みの変遷に関心がある人にはお奨めの一冊です。


■ 個人的な視点から

 静岡市にも昔は路面電車がありましたが、現在は静岡と清水を結ぶ静岡鉄道の電車線しか残っていません。静岡駅前のバスロータリーから静電の新静岡駅までは、元々路面電車が通っていた道を通りますが、こんな短いところにも名残は読み取れます。


■ どんな人にオススメ?

・路面電車に郷愁を感じる人。


■ 関連しそうな本

 今尾 恵介 『地図を楽しむなるほど事典』
 今尾 恵介 『日本地図のたのしみ』
 今尾 恵介 『消えた駅名―駅名改称の裏に隠された謎と秘密』
 今尾 恵介 『住所と地名の大研究』 2006年07月06日
 今尾 恵介 『地形図でたどる鉄道史 東日本編』
 今尾 恵介 『地図で歩く廃線跡―失われた鉄道の痕跡を辿る』


■ 百夜百音

DREAM PRICE 1000 南佳孝 モンロー・ウォーク【DREAM PRICE 1000 南佳孝 モンロー・ウォーク】 南佳孝 オリジナル盤発売: 2001

 ヒロミ郷の「セクシー・ユー」と一緒にヒットした「モンロー・ウォーク」の方が今となっては有名ですが、浅野温子がまだかわいかった頃の映画の主題歌もヒットしました。


『スローなブギにしてくれ』スローなブギにしてくれ

2006年8月19日 (土)

華麗なる騙しのテクニック 世界No.1の詐欺師が教える

■ 書籍情報

華麗なる騙しのテクニック 世界No.1の詐欺師が教える   【華麗なる騙しのテクニック 世界No.1の詐欺師が教える】

  フランク・W・アバグネイル
  価格: ¥1,680 (税込)
  アスペクト(2003/12/19)

 本書は、ディカプリオが主演した映画『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の実在のモデルであり、現在は詐欺師時代の経験を生かし、文書偽造と安全対策に関する権威となっている著者が明らかにする数々の「騙しのテクニック」とその防衛策を収めたものです。
 著者は、16歳から21歳までの5年間に、その大人びた風貌と類稀な知能を使って、パンナムのパイロット、小児科医、地方検事補、社会学教授、株式仲買人になりすまし、250万ドルもの小切手を換金し、世界一の詐欺師として知られるようになります。逮捕された後には、刑務所で刑期を勤め、釈放後はピザ屋弥スーパーマーケット、映画館の夜勤の映写技師などの仕事を転々とします。先々で頭のよさを認められ、登用されそうになるたびに、詐欺師の前科と保釈中の身分とが明らかとなり、著者は絶望します。著者は、「刑務所が自分を更生させたとか、道徳心を養い、改心させたとか思っているわけではない。突然に明るい光が降り注ぐこともなければ、神が語りかけることもなかった。ただ私は、大人になっただけなのだ」と語るとともに、「二度目のチャンスさえ与えてもらえれば、それを活かせると知っていたが、与えようとしない社会に怒りを感じていた」と語っています。
 そんな著者に転機が訪れるのは、保護監察官に勧められて、保安官事務所や治安官事務所、地元のFBI捜査官や郵政監察官に、自分がしてきた詐欺の手口のレクチャーを始めてからです。この評判を聞きつけ、ターゲットというディスカウントストアからもレクチャーの依頼を受けます。著者は、これらの仕事を通じて、自分が偽造や小切手詐欺についてだれよりも精通していること、そして、その知識を正しい方向に活かせば、人々の力になれることを知り、その計画を実行します。著者は、それまで自分が常習的に搾取してきた相手である銀行に、行員に対する1時間のレクチャーをお試しでやらせてくれないか、内容に価値がなければなにもいらない、有益であれば500ドル払って欲しい、と持ちかけます。この結果、著者は、「ホワイトカラー犯罪の専門家」として銀行業界で評判になり、次にはホテルや航空会社からもお呼びがかかるようになります。
 著者は、その後25年間この仕事に携わり、報酬も高くなったが、FBIアカデミーなどの法執行機関でのレクチャーについては、まったくのボランティアであること、それが過去の償いであることを語っています。
 本書で詐欺の手口を明かすことについて、著者はその危険性を承知の上で、この本を読むことが、「ビジネスマンや消費者として役に立つ知識」になること、そして、犯罪者だけが手口を知っているべきではないことが本書の目的であることを述べています。
 本書の第2章以降には、小切手や偽札、横領、話術、偽造カード、ATM、ネット詐欺などあらゆる種類の騙しの具体的なテクニックが解説されています。著者が「現役」であった時代には、アパートを借り、他人名義の運転免許証を入手し、預金口座を開き、10日待って小切手帳を入手しなければならなかったのに対し、いまでは小切手が簡単に手に入るようになったことを指摘しています。そして、小切手に関しては、「人物ではなく小切手そのものを見ろ」という重要な原則が守られていない例として、でたらめの住所や署名が書かれた小切手が換金されている例を示しています。また、レーザープリンターで印刷された小切手が、マニキュアの除光液であるアセトンやスコッチテープで簡単に偽造されてしまう手口等も解説されています。
 また、ショッピングモールの商品券がカラーコピーされてしまうことや、バーコードラベルの貼り換えの手口、2色のインクしか使われていないアメリカ紙幣ほど偽造しやすいものはないこと、横領犯を捕まえても金は返ってくる見込みはないが「1099」という支払い証明の政府への提出をちらつかせるのが効果的なこと、よく働く人ほど横領を働く可能性が高いこと、定番であるマスタード詐欺や銀行を捜査するFBI捜査官詐欺、日本でも問題になったATMを使った数々の犯罪(ショルダー・サーファー、お札取出し扉に接着剤)、著者自信が被害にあったというネット詐欺、数々の偽ブランド品、富裕層を対象とした「金持ちサークル」を謳った投資詐欺などの手口が紹介されています。
 本書の巻末には、ID窃盗の遭いやすさをチェックする14項目のチェックリストがあり、書類の処分方法に注意すること、そして、基本として、自分の個人データを「教える必要性」があるのかを常に考えること、理由の説明を求める習慣を持つことを述べています。
 本書は、詐欺に遭いたくない人はもちろん、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の続きが気になる人にもお奨めの一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書には、古典的な釣り銭詐欺の手口が紹介されています。
 手口自体はよくあるものですが、著者は、これをテレビ番組『トゥナイト・ショー』で、警戒する司会者を相手に2回も実演して見せてみます。
 このやり方は、『ドラえもん』第9巻の「世の中ウソだらけ」でもジャイアンがのび太からアイスを騙し取る手口として使われています。
 
○変ドラ第九回「世の中うそだらけ」
http://hendora.com/hendora/hendora09/hendora9.htm


■ どんな人にオススメ?

・自分は騙されないぞ、と思っている人。


■ 関連しそうな本

 フランク アバネイル, スタン レディング (著), 佐々田 雅子 (翻訳) 『世界をだました男』 2006年03月19日
 ゴードン・スタイン/編著 井川ちとせ/〔ほか〕共訳 『だましの文化史 作り話の動機と真実』 2006年03月18日
 デービット・カラハン (著), 小林 由香利 (翻訳) 『「うそつき病」がはびこるアメリカ』
 DVD 『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』


■ 百夜百音

Singles(1976-2005)【Singles(1976-2005)】 Char オリジナル盤発売: 2006

 個人的にはチャー大好き世代よりちょっと下の(加藤)茶ー大好き世代なんですが、それにしても歳とってもかっこいいです。


『Johnny,Louis&Char since1985~1994』Johnny,Louis&Char since1985~1994

2006年8月18日 (金)

現代女性の労働・結婚・子育て―少子化時代の女性活用政策


■ 書籍情報

現代女性の労働・結婚・子育て―少子化時代の女性活用政策   【現代女性の労働・結婚・子育て―少子化時代の女性活用政策】

  橘木 俊詔
  価格: ¥3675 (税込)
  ミネルヴァ書房(2005/10)

 本書は、労働力不足の時代を目前に控え、「女性がこれまで以上に労働力として活躍することが望ましいとする」スタンスから、「女性が現在以上に労働参加し、かつその潜在能力を今以上に活用するにはどうすればよいか」という課題を中心にすえたものです。
 序章では、女性が職場でうまく活用されていない事実を、
(1)男性と比較して労働参加率が低い。
(2)管理職についている女性の比率が非常に低い。
(3)勤労意欲にややかける面があるといわれることがある。
の3点で示し、その理由として、
(1)女性の処遇に差別があり、働いている女性の勤労意欲を阻害している。
(2)女性の側に働きたい希望がないか、企業でがんばって働こうとする意欲に欠ける。
(3)女性にとって、職業生活で成功したいという希望がない。
(4)企業側は女性の労働生産性は低いとみなしているかもしれない。
という4つの理由が考えられるとし、特に(1)の処遇の差別に注目して分析を行うと述べています。
 中でも男女間賃金格差に関しては、
(1)労働市場に入る前の要因:教育水準の差など。
(2)労働市場における要因:企業における昇進や仕事配分の不利、コース別人事、パートタイマーの賃金格差など。
(3)ライフサイクルや家族との関わり:育児、家事の負担など。
の3種類の要因について解説しています。
 第1章では、「労働力としての女性に焦点を当て、学校教育システムと労働市場との接合をめぐる構造的問題を明らかにする」として、教育投資において、「女子は男子以上に経済的要因から影響を受けやすい、ヴァルナラブル(vulnerable)立場にあること、社会全体として、現在のパート活用が可能であるのは、「戦後50年かけて蓄積してきた高校教育と新規学卒雇用のシステムの下支えがあってのことだといった、長期的視点を持つべき」であることなどが述べられています。
 第2章では、「子どもの地位達成に関するリスクの増大と、その過程における母親の役割の増大が、日本社会における女性の活躍を促進するという課題、および少子化の進行を食い止めるという課題の双方にとって大きな障害となっている」という仮説を立て、「結婚後に子どもを持つか否か、そして子どもを持った後に働くか否かに関する女性の選択に対しては、『子どもの地位達成リスク意識』が固有の影響を持っていること」を明らかにするとともに、「女性活用と少子化対策を両立させるためには、子どもの地位達成を、母親が自身の人生を犠牲にしないでも確保できるようにするという面での対策が不可欠となる」ことを述べています。
 第3章では、「女性活用のあり方を母親就労に着目して検討」し、「性別役割分業観や幼い子をもつ母親就労に対する意識で重要な要因として、本人の母親が幼い頃実際に働いていたか否かがどの国にも共通して認め」られること、女性がもっと働きやすい社会を目指すためには、男性も含む社会構成員のすべてを視野に入れた環境整備が必要となることなどが述べられています。
 第4章では、男性の家事・育児参加に関して、
(1)我が国の男性の家事・育児参加が増えることが育児期の女性の就業を促進する効果があるか否か。
(2)どのような対策を行えば男性の家事・育児を増やすことができるか。
という2つの問題を取り上げ、「夫の家事・育児時間が長くなるほど、女性の労働力率が高まる」ことが明らかになったことや、逆に、「我が国の夫の家事・育児時間が今後も現在のままの低水準であるならば、育児期の女性に対する各種の就業促進策を講じて女性の労働力率を上昇させることにも限界があること」がうかがえることなどが述べられています。また、夫の家事参加の規定要因として、
・家事・育児の量(末子年齢、母親同居)
・時間的余裕(夫の労働時間、妻の労働時間)
・相対的資源(妻の年収割合)
が支持され、育児参加の規定要因としては、
・家事・育児の量(末子年齢、7歳以上の子ども)
・時間的余裕(夫の労働時間、妻の労働時間)
が支持されたことが明らかにされています。本章のまとめとしては、社会全体における人的資源の活用という面では、「わが国は労働市場ではもっぱら男性を(長時間労働として過剰に)活用して、女性を重文に活用せず、家事・育児労働では男性をほとんど活用せずに、もっぱら女性を活用するという状態になっている」ことを述べ、夫の家事・育児参加を進めることで、「育児期の男性の労働市場における過度な労働時間を短縮して、彼らが家事・育児に振り向けられる時間をつくり、その分女性が市場労働に投入できる時間を増やす」ことであることが述べられています。
 この他、第5章では、女性の婚姻状態と転職・再就職行動について、婚姻状態によって就業行動は非常に異なり、雇用就業におけるパート・常勤比率にも大きな差があることが述べられています。また第6章では、大卒女性のキャリアに関して、勤続年数とともにキャリア・昇格格差が増加していく理由や、男女差を感じさせない職場は、「男女同じように配属されている仕事で、上司の人事考課の公平性に満足しており、仕事分野としては研究・技術職の職場である」ことが述べられています。さらに第7章では、大卒女性が再就職せず、「M字カーブ」すら描かない理由として、「年齢制限や離職帰還が、大卒女性の再就職に与える影響」に着目して分析を行っています。
 本書は、女性の能力活用について、さまざまな分野から多角的な分析をまとめた一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の中でも、特に注目されるべきは、第4章の「男性の家事・育児参加と女性の就業促進」ではないかと思います。これまで、男性の家事・育児参加に関しては、男女の間の不公平感や、「父親ももっと子育てを」というスローガン的なものが多かった印象があります。
 しかし、本章では、社会全体から見た場合の、労働力の不均衡かつ非効率な使われ方に着目している点が特徴です。著者は、問題の帰結を「社会における男女の労働時間と家事・育児時間の分配の問題」であるとして、「社会全体の経済力、活力を高めるために、今一度時間の効果的な分配を検討する時期に来ている」と述べていて、大変うなづけるものではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・効率的な労働時間の分配に関心がある人。


■ 関連しそうな本

 佐藤 博樹, 武石 恵美子 『男性の育児休業―社員のニーズ、会社のメリット』 2005年04月07日
 佐藤 博樹, 佐藤 厚 (編集) 『仕事の社会学―変貌する働き方』 2005年12月01日
 佐藤 博樹 『変わる働き方とキャリア・デザイン』 2006年05月22日
 佐野 陽子, 志野 澄人, 嶋根 政充 (編著) 『ジェンダー・マネジメント―21世紀型男女共創企業に向けて』 2005年12月06日
 熊沢 誠 『女性労働と企業社会』 2006年07月25日
 大沢 真知子 『ワークライフバランス社会へ―個人が主役の働き方』 2006年07月24日


■ 百夜百マンガ

胸キュン刑事【胸キュン刑事 】

 ドラマにもなった(しかも深夜ではなく土曜日の夜7時半)人気作品。のはずなのに記憶の奥底に忘れ去られていった作品。「胸キュン」と言えば『君に、胸キュン』は1983年ですから当時は一般的に使われる言葉だったのかもしれません。

2006年8月17日 (木)

都市のマーケティング―戦略的街づくりのすすめ

■ 書籍情報

都市のマーケティング―戦略的街づくりのすすめ   【都市のマーケティング―戦略的街づくりのすすめ】

  田村 馨
  価格: ¥1785 (税込)
  有斐閣(1997/10)

 本書は、「都市の未来をどのような仕組みに委ねるか」の視点から都市の未来戦略を論じたものです。タイトルである「マーケティング」に関しては、「都市をめぐる新たな動きが都市の基本的な存立基盤を変容させており、未来に向けた生存領域確保のための仕組みやそのための構想力、組織デザイン力、すなわちマーケティング的な思考と実践が都市に求められている」からであると述べています。
 著者は、現実の「都市間競争」の特徴として、地方に立地する中小都市が独創的な取組みや競争の次元をずらす巧妙な展開を生む代わりに、「大都市を頂上に仰ぎつつ、同列にある都市群を強く意識し、微細な差にこだわる競争」すなわち「都市間の偏差値競争」が展開されていることを指摘しています。そして、これまでの都市が、時代の趨勢に寄り添おうとして、「時代への適応」を続けてきたことが、閉鎖的な状況に自らを追い込んできたと述べています。
 著者は「都市のマーケティング」に期待するポイントとして、
(1)多様な主体の共通の言葉として位置づけられる。
(2)制度変革の可能性をその視野の中に内包している。
(3)機能論的スタンスと同時に、きわめて実践的なスタンスをもっている。
の3点を挙げています。
 著者は、「都市のマーケティング」が受けやすい誤解として、「マーケティング」イコール「売り込み(セリング)」というとらえ方をされやすい点を指摘し、それでは「都市のマーケティング」イコール「都市の売り込み」戦略(シティセールス)になってしまうとしつつも、そのような誤解が生まれる理由を、
(1)企業マーケティングに対する誤解
(2)都市の売込みが都市のマーケティングの重要な要素の一つであること
の2点挙げています。そこで、マーケティングの権威であるコトラーの、
「マーケティングとは、価値を創造し、提供し、他の人々と交換することを通じて、個人やグループが必要とし欲求するものを獲得する社会的、経営的過程である」というやや広めの定義を紹介しています。
 著者は、都市の存立基盤は、「その集積メカニズムにある」と指摘し、「集積性が都市のエッセンスであり、集積性を糧に都市は持続的な発展を遂げてきたといえる」と述べています。
 著者は、都市のマーケティングを、「モノ、コト、ヒト、情報の創造と投入を通じて市民や都市の利用者が満足する都市をつくりだす過程」と定義しています。そして、今後は都市はストックを志向したマーケティングが必要となる理由として、「経済成長の鈍化や高齢化社会の進展といった都市をめぐる環境の変化」と、「今後は、新しさを付加することと同じくらい、都市がすでに有しているモノ、コト、ヒト、情報を守り維持することの戦略的価値が増していく」こと、ルール変更に当たり対話的調整の機会が増えるため「調整過程の記録」が重要になること、の3点を挙げています。
 著者は、都市の戦略力を、
・未来を感知し構想する力(未来デザイン力)
・ネットミーティングを仕掛け、共有と共感の場を醸成する力(価値共創力)
・伝承と革新を保証し支援する力(価値リノベーション力)
の3つの構成要素に分け、「これらの間にスパイラルな連鎖を生み出すダイナミズムを創出する仕組みづくりが都市の戦略力では問われる」と述べています。
 本書は、都市のマーケティングに関して、比較的早い時期にまとめ上げた一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 著者の田村さんには、昨年、「もやい九州」の飲み会でお会いしたことがありますが、結局本書を読むまでに1年以上かかってしまいました。普段、図書館では「まちづくり」系の本棚の方にはあまり立ち寄らないのですが、たまたま近所の小さい図書館だったので見つけることができました。蔵書数が少ないのは不便ですが、いろいろなジャンルを一覧できる点では小さい図書館は便利なところもあります。


■ どんな人にオススメ?

・金太郎飴のような地方都市に飽き飽きしている人。


■ 関連しそうな本

 玉村 雅敏 『行政マーケティングの時代―生活者起点の公共経営デザイン』
 フィリップ コトラー 『非営利組織のマーケティング戦略』
 フィリップ コトラー, エデュアルド L. ロベルト (著), 井関利明(監訳) 『ソーシャル・マーケティング』 2005年02月14日
 田村 馨 『変化する「ふくおか都心」―天神が変わる、福岡が変わる。都心再生の手がかりを探る』


■ 百夜百マンガ

虹色とうがらし【虹色とうがらし 】

 あだち作品の中でも異例の時代劇。本来、あだちスポーツ作品のストーリー展開の半分くらいはスポーツやってない場面であり、スポーツ以外の作品でも楽しめるはずなんですが、いつの間にかスポーツマンガの人になってしまいました。
 スポーツやらない現代劇もヒットすればいいですね。

2006年8月16日 (水)

人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学

■ 書籍情報

人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学   【人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学】

  広瀬 弘忠
  価格: ¥735 (税込)
  集英社(2004/01)

 本書は、私たちが持っている「災害観」が、「次々と現れる未知の感染症や環境破壊、生物・化学テロ」などによって、かなり古めかしいものになっている今、「私たちが上手に災害に対処するためには、災害それ自体と、災害に直面する人間心理に対する知識や洞察力が必要である」こと、特に、「人間の真理と行動に焦点を」あてたものです。著者は、「災害時の人間の心理や行動を知ることで、自分自身や家族、そして社会にまで及ぶ災害のダメージを減じていくことができるという観点」から、
・私たちの陥りやすい心理的な罠。
・危険を感知する能力を研ぎすますために必要なこと。
・何を、いつ、どうしたらよいのか。
等について述べています。
 著者は、災害への対応には、
(1)災害に働きかけて未然にその発生を予防したり、インパクトを軽減したりする。
(2)災害と災害との間に介入して、人間社会にもたらされる破壊の規模を最小化する防災・減災の手段があるかないな。
の2つの側面があるとしたうえで、(1)については、遠い将来の課題であり、当面は(2)の「被害に対する制御可能性」について論じるとしています。
 災害の衝撃を受けた人間の行動については、
(1)衝撃時:茫然→驚愕状態になるが長くは続かず、緊急対応モードの心理に切り替わる。
(2)虚脱状態:感情停止、生存優先の状態から、思考や感情をともなう人の行動への「スイッチの切り替え」をしている。
(3)災害後のユートピア:ホッと安堵する気分と、一瞬の至福観にも似た喜びの感情が湧き上がることがある。
(4)避難と救援活動――遠心的行動と求心的行動:大災害時にはUターンの流れが現れる。
(5)非常時に特有な社会規範:それまであたりまえであった規範が背後に退き、自然発生的に芽生えてくる非常時規範と呼ばれる新しい社会的なルールがとってかわる。
(6)回復期:たえがたい記憶、災害症候群、PTSD(過覚醒、侵入、狭窄)
の6段階で解説しています。
 本書のタイトルである「逃げおくれる」の部分に関しては、「正常性バイアス」という言葉を解説しています。これは、私たちの心が、予期せぬ異常や棄権にたいして鈍感にできていて、「ある範囲までの異常は、異常だと感じずに、正常の範囲内のものとして処理するようになっている」というものです。本書ではその例として、韓国で発生した地下鉄火災の際、隣の列車が燃えていて煙が入ってきても、じっと同じ姿勢をとり続ける人、アメリカのある地方で、小さな洪水が続いたあとで洪水警報が出ても高をくくって避難しなかった例、等を紹介しています。
 本書が取り上げている、もう一つの私たちの先入観は、「地震や火事に巻き込まれると、多くの人々はパニックになる」というものです。パニックという言葉は、ギリシャ神話に登場する半獣神"パン"の昼寝を邪魔されると、大きな音で人や動物に言い知れぬ恐れを与える、という逸話に由来するそうですが、著者は、人がパニックを恐れる理由として、映画やテレビドラマの影響で、「どこかで"他者のパニック"を期待する気持ちが、私たちの心の中にあるのかもしれない」と述べています。そして、「パニックをさけようとするあまり、危険の回避を遅らせ、そのために致命的な失態を招く場合さえある」として、1977年に起きたビバリーヒルズ・サパークラブの火災の例で、「ボヤです。火元はここからだいぶ離れていますが、すぐに避難してください。」という矛盾した警告が出されたため、中には座ったままでカクテルを飲んで談笑している人さえいて、そこに黒煙が吹き込んで164人が死亡した事例を紹介しています。パニックという「神話」は、1942年にボストンのナイトクラブ、ココナッツ・グローズで起きた500人近い死者を出した大火災の原因が、パニックであったと結論付けたヴェルトフォートとリーの2人の社会心理学者に辿ることができること、そして、大火災の要因をうまく説明できなかったために、パニックに責任をなすりつけたものであることが述べられています。
 著者は、パニック発生の4条件として、
(1)緊迫した状況に置かれているという意識が、人々の間に共有されていて、多くの人々が差し迫った脅威を感じていること。
(2)危険を逃れる方法があると信じられること。
(3)脱出は可能と思っても、安全は保証されていないという強い不安感があること。
(4)人々の間で相互のコミュニケーションが、正常には成り立たなくなってしまうこと。
の4点を挙げ、これらの条件は、客観的には満たされなくても、当事者が主観的に確信してしまえば条件を満たすことを述べています。そして、「ほんとうに恐いのは、パニックそのものよりも、パニックに対する過度の恐れである」と述べ、災害リスクに対処する際に、適切な判断力と合理的な意思決定の力を損なうことに、注意を述べています。
 この他本書には、「日本語には、英語のサバイバーに対応する言葉」がなく、生存者は、「被災者であり被害者であって」、"生きのびた罪"(デス・ギルト)を強く意識させる遠因ともなっていること、災害に対する脆弱性は、根本的には経済の力によって決定されるところが大きく、富める者が有利になること(仮設住宅には、老齢と孤独と貧困と病苦が同居していた)、等が述べられています。
 本書は、災害に対する心理学からのアプローチの入門書として、予備知識がなくても読みやすい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、災害がもたらす社会変革のインパクトについても述べられています。 著者は、災害からの復興を左右する要因として、
(1)災害の規模
(2)被災社会システムの活力
(3)環境社会システムから投下される人的・物的な援助量
の3点を挙げ、これらの連関について解説しています。
 著者は、災害を、「当該社会の外部から、必然的あるいは偶然的に絶え間なくおよぼされるポジティヴまたはネガティヴなさまざまな力」の一つとして捉え、災害がどのような社会変化をもたらしたかを解説しています。
 1917年にカナダ東海岸のハリファックスで起きた弾薬輸送船の火災に端を発した軍需物質の大爆発災害は、ハリファックス市を激変させ、社会学者のサミュエル・プリンスの研究によれば、「応急復興に要した2、3年の間における変化だけでも、通常の場合なら一世代かかっても達成できないほど大きなもの」であったこと、災害社会学者のユージン・ハースらの言葉を用いれば、「急速に成長しつつあるコミュニティは、被災しても急速に復興するが、変化せず停滞しているか、下り坂にあるコミュニティは、被災後にきわめてゆっくりと復旧するか、急激に衰えていく」という、災害がもたらす「社会変化の先取り」について述べられています。
 日本の例では、1923年の関東大震災以前は、経済や商業に関して、東京と大阪はほぼ肩を並べていたのに、震災復興過程で、東京の都市機能が格段に整備されたため、復興後の東京が、日本における政治・経済・文化の中枢として発展することになったことや、同様に第二次大戦末期の大空襲で焼け野原になった東京が復興によって整備が進んだことが、急成長する都市の例として述べられています。逆に、「社会の活力がそれほど強壮でもなく、さりとていまだ弱体になったというほどでもない状況下」で大災害に見舞われた例としては、阪神大震災によって、日本を代表する港湾都市・神戸の港湾機能は復旧しても、「荷揚げ料や積み出し量は、震災前の水準には戻らないし、破壊された港湾機能が復旧するまでの間に、"世界の神戸"は、東京や大阪、韓国の釜山などに、その機能を吸収されてしまった」ことが述べられています。また、震災後の家屋の建て替えブームは10年分の新規需要を前倒ししただけなので、新しい住宅需要が見込めなくなったこと、「震災後、神戸の人口動態から見て、神戸が市外の人々をひきつける魅力を失いつつあるのではないかと危惧」されていることが紹介されています。
 海外の例では、1963年に旧ユーゴスラビアのスコピエ市が地震に襲われた際、国力の不足からスコピエ市を十分に援助することができなかったために、災害復興は進まず、スコピエ市がますます深刻な災害脆弱性を抱え込んだことが紹介されています。また、仮に、膨大な援助資金が投入されて外見上復興しても、災害による施設・工場の破壊が、企業効率を高めるための施設の新鋭化と再配置の実現を容易にしたため、他の条件のよい地域への転出のチャンスを与え、破壊された施設の放棄と撤退を可能にしたことが述べられています。神戸に関しては、神戸製鋼所や川崎製鐵などが、破壊された神戸工場を放棄した例が紹介されています。
 著者は、「大災害は、それまでの社会システムの欠陥をクローズアップして見せることで、いわば変動期型の社会を作り出す」、すなわち「歴史の歯車を一回転前進させることで、移行期の社会を醸成する」と述べ、その際に「社会システムの効率化」が図られることを指摘しています。その例としては、「神戸ブランド」のありがたみが薄らいだことを挙げ、「震災前には、食品から衣料品まで、『神戸』という名前がつくと高級感があった。しかし、復興の過程で他の地域から入ってきた食品や衣料品などの価格や品質が、客観的かつ合理的に評価された結果、神戸ブランドの威光が弱まった」という話を紹介しています。


■ どんな人にオススメ?

・心理学の面から防災を考えてみたい人。


■ 関連しそうな本

 山村 武彦 『人は皆「自分だけは死なない」と思っている -防災オンチの日本人-』
 藤本 建夫 『阪神大震災と経済再建』
 広瀬 弘忠 『無防備な日本人』
 広瀬 弘忠 『心の潜在力 プラシーボ効果』


■ 百夜百マンガ

がんばれ元気【がんばれ元気 】

 徹底的に梶原作品に対するアンチテーゼとして描かれた作品。お父さん死んじゃう前半の山場では、編集の人からせっつかれたらしいです。

2006年8月15日 (火)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

■ 書籍情報

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)   【文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)】

  ジャレド・ダイアモンド
  価格: ¥2100 (税込)
  草思社(2005/12/21)

 本書は、主に過去に崩壊した社会を紹介してきた<上巻>に引き続き、主に現代の社会の崩壊の危機、そして将来に向けて書かれたものです。第2部の「過去の社会」の最終章である第9章だけは<下巻>である本書に持ち越されています。
 第9章では、過去の6つの社会の崩壊過程をふり返り、「環境問題の解決には、ふたつの対照的な方式」があること、すなわち、
(1)ボトムアップ方式:下から上へ
(2)トップダウン方式:上から下へ
があることが述べられ、前者の例としては、ニューギニア高知とティコピア島が、後者の例としては江戸時代の日本が取り上げられています。
 まずニューギニア高地は、ヨーロッパ人から見て"原始的"な生活をしているように見えながら、数万年にわたる社会の維持に成功していました。よー六班追う学者が首をかしげるような急斜面を垂直に走る排水路は、高地特有の降雨と土壌の条件下に適したものであり、彼らは、「年間最大1万ミリもの降雨量があり、地震や地すべりや(海抜の高いところでは)霜が頻繁に襲う地域で作物を育てるために、数千年のときを費やして試行錯誤を重ねてきた」ことが述べられています。
 また、太平洋南西部(P.25には「大西洋」と誤植されています)に浮かぶティコピア島は、環境持続能力にプラスに働く、降雨量の多さ、適度な緯度、火山灰とアジアからの黄砂に加え、焼き畑式農業とは一線を画す細部まで管理された食糧生産と、人口制限の7つの方法(性交中絶法、堕児、嬰児殺、独身を貫く、自殺、他部族を皆殺し等)、すべてのブタを殺し、代わりに魚介類とカメの消費を増やしたこと、等によって社会を維持してきたことが述べられています。
 トップダウン方式の例として挙げられている江戸時代の日本については、「平和と繁栄によって逆説的にもたらされた環境及び人口の危機に対する目的」で生まれた森林政策が述べられています。戦国時代が終わり、徳川幕府が「日本を戦争と外国の影響から遠ざけ続けた」ことで、日本の人口と経済は一気に押し上げられ、17世紀には木材消費の拡大による森林乱伐によつ環境及び人口危機に直面します。しかし、日本は、
(1)農業に対する圧力を緩和するために、魚介類とアイヌとの貿易で得た北海道産の食糧への依存を増やす。
(2)人口のゼロ成長(晩婚化、授乳期間の長期化、避妊、堕児、嬰児殺等)
の2つの方針転換によって、安定した人口と持続性のある資源消費率を達成します。また、幕府は、木材供給網を森林管理、木材運搬、町での木材消費の3段階において監視し、ドイツとは別個に、「植林による森林管理、すなわち樹木を成長の遅い作物とみなす概念」を発達させ、政府も商人も植林を始め、18世紀中には日本中に広く受け入れられ、1800年までには木材生産の落ち込みをストップします。
 著者は、日本社会が崩壊しなかった要因として、
(1)降雨量の多さ、降灰量の多さ、黄砂による地力の回復、土壌の若さなどのおかげで樹木の再生が早いこと。
(2)多くの土地や森林を荒廃させる山羊やヒツジがいなかったこと、戦国時代が終わりウマが減ったこと、魚介類が豊富にあったこと。
等を挙げています。
 本書の第10章以降は第3部として現代の社会を見ています。第10章では、ルワンダの大量虐殺を取り上げ、今では民族紛争と結び付けて考えられることが多いその背景にある、世界でも最も高い部類に入る人口密度を挙げ、「民族間の憎悪」以外の理由を探っています。独立後のルワンダが、「新たな農地獲得のため森林を開拓して沼の水を抜き、休耕期間を短縮し、一箇所の畑で年2、3回の連続的な作物の収穫を試みること」によって、増え続ける人口を支えてきたこと、土地不足によって引き起こされた土地争いによって家族や親類感を引き裂き、恨み重なる敵同士にしてしまったこと(大虐殺では同じ民族間での殺戮も多数発生した、「子どもをはだしで学校へ送り出さねばならない人々が、子どもに靴を買うことのできる人々を殺したのです」)等が述べられています。
 第11章では、カリブ海のイスパニョーラ島を二分するドミニカ共和国とハイチを取り上げ、2国間の経済や環境面での格差について論じています。この島は、コロンブスの到着以前には50万人程度の人口を抱えていたにもかかわらず、疫病や虐殺によって、コロンブス到着27年後(1519年)には、およそ1万1千人まで減少し、大部分が同年中に天然痘で死亡し、3千人に減少してしまいます。そして、スペイン人が、代わりにアフリカや北米・南米大陸から奴隷を送り込んだことが述べられています。著者は、島の東西の国を分かつ要因として、
・環境的相違:おもに東から雨が降る。
・社会的・政治的相違(1):ハイチが裕福なフランス、ドミニカが貧しいスペインの植民地であったため、ハイチが狭い土地に多くの人口を抱えてしまったこと。
・社会的・政治的相違(2):ドミニカがヨーロッパ系のスペイン語を話す国民が主であるのに対し、ハイチはクレオール語を話す国人奴隷が多数を占めるため、ヨーロッパからの投資がドミニカに集まってしまう。
等を挙げています。
 第12章では、「他の主要国と比べて特に申告であるだけでなく、さらに悪化している」環境問題を抱える中国が取り上げられています。著者は、「加速する環境被害と加速する環境保護運動の間で振り子のように揺れ動いている」とした上で、巨大な人口と巨大な経済、中央集計体制のために、中国の振り子は他の国よりも「強い弾みがつくことになる」と述べ、世界全体に影響を及ぼすことを指摘しています。
 第13章では、「過去から現在に至るまで、再生可能な資源がまるで鉱物のように"採掘"されてきた」オーストラリアが取り上げられています。著者は、オーストラリアが、「過去と現在の事例研究の掉尾を飾る地」としてふさわしい理由として、
(1)先進国の中で、人口や経済の規模が小さく全体が把握しやすい上、脆弱な環境は将来他の先進国で起こるはずの数々の問題の毒見のようなものであり、高い教育を受けた国民と高い生活水準などを有していること。
(2)将来的な生態系の衰退や社会の崩壊を理解するのに役立つとみなしてきた5つの要因の相互作用を非常に良く冷笑していること。
(3)著者自身がこの国を愛し、長い経験を積み、直接得た知識と共感の両面から語ることができること。
の3点を挙げています。
 本章には、かつてのオーストラリア政府が国有地を貸し付ける際に、自生植物の除去を義務付けていたこと、灌漑による塩水化という「多すぎる水」の問題が貴重な農地を失わせ、都市の飲料水に流れ込み、インフラを腐食させていること等が述べられています。
 第14章以降は、第4部として将来に向けて書かれています。第14章では、社会が破滅的な決断を下す理由を論じています。まずは、環境問題を予知できない理由として、将来を予見できない場合や、過去の経験が忘れ去られてしまうほど遠い昔の出来事だった場合、誤った類推に基づく理論等を挙げています。また、実際に生まれた問題を感知できない理由としては、文字通り感知できない場合、管理者が遠く離れている場合、触れ幅の大きい上下動に隠された緩やかな傾向の形をとる場合などが挙げられています。最期に、問題を感知していても、解決を試みることにさえ失敗する例として、人間同士の利害の衝突("共有地の悲劇"や"囚人のジレンマ"、"集団行動の論理"など)があることが述べられています。著者は、ある社会が失敗し、ある社会が成功する理由を、環境の違いの他に、「部分的に一個人の特異性に依存」していること等を挙げています。
 第15章では、大企業と環境の関係について、業者が東南アジアの樹木を不法に伐採する際の接待の手口や、1993年めに設けられた国際的な非営利組織である森林管理協議会、企業への非難は、その状況をつくった責任を突き詰めると一般市民に戻ってくること(持続不能な伐採によって作られた木製品を買い続けた、等)を忘れてはいけないことなどが述べられています。
  最終章では、過去及び現在の社会が直面する深刻な環境問題を、
(1)自然の棲息環境の破壊
(2)野生の食料源である魚介類の枯渇
(3)種の多様性の喪失
(4)土壌浸食
(5)化石燃料の枯渇
(6)水資源の枯渇
(7)野生植物の光合成能力の枯渇
(8)毒性化学物質
(9)外来種のもたらす損失
(10)人間の行動から発生するガス
(11)増え続ける人口
(12)人口増加が与える環境負荷の増加
の12点挙げ、そのどれもが今後数十年のうちに私たちのライフスタイルのくびきになりうると述べています。
 著者は、土地のほとんどが海面下にあるオランダが、おなじポルダーに暮らす運命共同体として環境問題に高い関心を持っていることを引き合いに、世界は同じ運命共同体であると述べ、自身を「慎重な楽観主義者」と称し、私たちが選択しなければならないことには、長期的な思考を実践する勇気が必要であること、価値観を捨て去る勇気をともなうことが述べられています。
 本書は、環境問題をテーマにしていますが、社会問題全般に通じる問題設定と課題解決の思考方法のヒントが得られるものではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の上下巻を通して読んで感じるのは、やはりヨーロッパ人が世界中に進出したことのインパクトです。過去の歴史を善悪で断じるつもりは全くありませんが、世界中の人間が住む環境に与えた影響の大きさは驚嘆すべきものです。
 同じ著者による『銃・病原菌・鉄』の方は未読なので、ぜひ読んでみたくなります。


■ どんな人にオススメ?

・環境問題を、政治・経済との関係から考えてみたい人。


■ 関連しそうな本

 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)』 2006年08月14日
 ジャレド ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』
 ブライアン・フェイガン 『古代文明と気候大変動 -人類の運命を変えた二万年史』
 ジャレド ダイアモンド 『人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り』


■ 百夜百マンガ

CYBORGじいちゃんG【CYBORGじいちゃんG 】

 まさかこの人が『ヒカルの碁』や『DEATH NOTE』を描いているとは想像もつきませんでした。ペンネームもちがいますし。デビュー当時は師匠の影響(路線)が強すぎたのかもしれません。
 村に初めてできたコンビニを壊しちゃうくだりが笑えました。当時、近所にコンビニがなかった田舎に住んでいる人間にとっては他人事ではありませんでした。

2006年8月14日 (月)

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)

■ 書籍情報

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)   【文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)】

  ジャレド・ダイアモンド
  価格: ¥2100 (税込)
  草思社(2005/12/21)

 本書は、社会の崩壊、すなわち、「環境面の脆さ、近隣社会との関係、政治制度、その他、社会の安定性に影響を及ぼすとされるいくつかの"入力"変数などについて、過去と現在の多くの社会を」比較研究法を用いて分析しているものです。プロローグでは、モンタナ州のハルズ農場とノルウェー領グリーンランドのガルザル農場を比較し、「最も豊かな、最も技術的に進んだ社会ですら、今日、環境と経済の両面で数々の軽視しがたい問題を抱え、それが日増しに大きくなりつつある」ことを痛感し、問題の多くが、「ガルザル農場及びノルウェー領グリーンランドの衰亡を招いたのとほぼ同質のものであり、、また、過去の多くの社会が解決に向けて苦闘してきたもの」であると述べています。
 本書は、過去の世界各地での文明の崩壊の事例が取り上げられていますが、著者は、「わたしたちは過去の崩壊から、おそらく現実的な教訓を引き出せるだろう。過去には崩壊した社会もあればしなかった社会もあることを、わたそたちは知っている」と述べ、これらを検証することで、「現代のどの社会に最も大きな危険が潜んでいるのかを、また何が最善の救済策になりうるのかを、的確に見定めることができるかもしれない」と述べています。
 著者は、社会の崩壊は環境被害という唯一つの原因からもたらされるのではなく、いくつかの要因が必ず存在するとして、潜在的な要因を次の5つの枠組み、即ち、
(1)環境被害
(2)気候変動
(3)近隣の敵対集団
(4)友好的な取引相手
(5)環境問題への社会の対応
の5点を挙げています。
 第1章では、現代のモンタナを取り上げています。著者は、過去と現在の環境問題を取り上げる本書でモンタナを最初に扱う理由として、「ともすれば抽象的と思われがちな主題に、ここの具体的な色付けを」施すことを挙げています。著者は、「現代のモンタナの環境問題は、産業改善の過去の社会を蝕んだ問題や、今や同じように世界じゅうの社会を脅かしている問題など、多種多様な問題のほぼすべてを含んでいる」として、特に、有毒廃棄物、森林、土壌、水資源(大気)、気候変動、生物多様性の低下、有害な外来種の問題を抱えていると述べています。
・有毒廃棄物:鉱業残留物、中でも堆積進出(ヒープリーチング)で用いられるシアン化溶液。
・森林:伐採と森林火災。
・土壌:リンゴ果樹園による窒素の枯渇、家畜の放牧による浸食、塩分が土壌と地下水に集積する塩性化。
・水資源(大気):地球温暖化による降雨量の減少と水不足、肥料や高山の有毒金属による水質低下など。
・有害な外来種:外来寄生虫が媒介する"旋回病"による在来種の減損、シカとヘラジカに感染する慢性消耗性疾患(CWD)、有害な外来性の雑草。
 著者はこれらの環境要因のほかに、モンタナ住民の収入の半分が州外からモンタナに流入してくる金であり、「モンタナ自体の経済が、すでにモンタナのライフスタイルを支えるにはほど遠いところまで落ち込んでいる」ことを指摘しています。
 第2章では、イースター島のモアイ像が、「数十年前までは、そのすべてが、おもに首を折ることを狙って故意に倒され、放り出されていた」ことが紹介されています。著者は、「石造を掘り、運搬し、台座にすえるという作業を組織化するためには、人口の多い複雑な社会が、それを維持できるだけの豊かな環境下で運営されていることが要件となる」として、18世紀にヨーロッパ人が出会った2~3千人の人口から推定される数値より、「はるかに多くの人間が居住していたことが伺える」と述べています。
 著者は、イースター島が西暦900年ごろにポリネシア人によって初めて領有されたと推測し、住居の土台や石像・台座から推測される最盛期の人口として6千人から3万人という数字を挙げています。モアイは、「身分の高い先祖の象徴」であり、石像の大きさが増している事実から、敵対する首長同士が競い合った様子が伺えるとしています。
 また、18世紀にイースター島を訪れたヨーロッパ人は、ほとんど樹木を目にすることができませんでしたが、かつては「背の高い樹木と低木の茂みからなる亜熱帯性雨林の島だった」ことが述べられています。しかし、乱獲と森林破壊、人間が持ち込んだネズミによる捕食により陸鳥が姿を消し、甲殻類も姿を消しました。また、畑を造るために樹木が切り払われ、薪に使われたことによって、樹木が絶滅し、それによって公開に耐えるカヌーの材料が失われ、ネズミイルカやマグロなどの遠海魚を得ることができなくなります。
 この森林崩壊は、太平洋における森林破壊の最も極端な事例であり、その結果、原料の欠乏、野生食料の欠乏、作物生産量の減少が島民に襲い掛かります。その結果、飢餓が始まり突発的な人口激減、そして失われた野生の肉の代わりに「それまで利用しなかった身近な供給源のうち、最大のもの」であった人間、すなわち人肉食に向かいます。島民が敵を貶める言葉は「オレの歯の間にはお前の母親の肉がはさまっている」という意味を持つそうです。
 イースター島がなぜ、これほど極端な森林破壊の事例になってしまったのか。著者はその理由として、太平洋の島々の島々の森林破壊に影響する要因として、
・湿潤な島より、乾燥した島
・赤道付近の温暖な島より、高緯度にある寒冷な島
・新しい火山島より、古い火山島
・火山灰が大気中を降下する島より、降下しない島
・中央アジアの風送出すと(黄砂)に近い島より、遠い島
・マカテアのある島より、ない島
・高い島より、低い島
・近隣関係のある島より、隔絶した島
・大きい島より、小さい島
の9つの物理的な変動要素を挙げています。そして、イースター島の森林破壊が異常なほど激しく進行した理由を、島民たちの性質や先見性のなさにあるのではなく、「太平洋において、最も脆弱な環境の中で、最も高い森林破壊のリスクを抱えながら暮らすという悲運を背負った人々」であったためであると述べています。
 著者は、イースター崩壊の引き金になった主要な二つの要因、人為的な環境破壊とその侵害行為の背後にある政治、社会、宗教的な要因に関して、孤立したイースター島と総体として見た現代の世界との間の瞭然たる共通点を見出し、「イースター島社会は、私たちの前途に立ちはだかりかねないものの暗喩(メタファー)として、最悪のシナリオとして、私たちの目に映る」と述べています。
 第3章では、南東ポリネシアのマンガレヴァ、ピトケアオン、ヘンダーソンの3島のうち、18世紀には無人島となってしまったピトケアン島とヘンダーソン島にかつて居住者がいたこと、マンガレヴァ島との交易が途絶えたことで必要な資源(金属や石、釣針の材料となるクロチョウガイなど)が入手できなくなったこと、内乱と慢性的な飢餓という泥沼にはまり込み政治的混乱が続いたことなどが述べられています。著者は、この交易のストップがもたらした悲劇を、「現代のグローバル化の拡大と、全世界における経済的な相互依存性の増大について、<利点と同様>リスクの面から考えてみてほしい」と問いかけています。
 第4章では、古代アメリカ先住民のアナサジ遺跡を取り上げ、「人為的な環境侵害、重複しあう気候変動、武力闘争を誘発する環境問題と人口問題、輸出入に依存した複雑な非自立型社会の強みと危険性、人口と勢力が頂点に達した後休息に崩壊する社会のありよう」など、本書の主題を鮮やかに描き出すものであると紹介しています。そして、アナサジの崩壊には、
・さまざまな型の人為的な環境侵害:森林破壊とアロヨの下方浸食
・気候変動:降雨と気温の面での変動が人為的な環境侵害と相互作用しあった。
・友好的な集団との内部交易:異なるアナサジの集団が構成していた相互依存型の複雑さが社会全体を崩壊の危機にさらした。
・宗教的要因と政治的要因:複雑な社会の維持に不可欠な役割を果たしていた。
の4つの要因の枠組みが作用していることが述べられています。
 第5章では、メキシコに存在していたマヤ文明の崩壊に関して、話を複雑にしている理由を、
(1)大規模な古典期の崩壊に先立ち、少なくとも2度小規模な崩壊が起こっている。
(2)明らかに古典期の崩壊が全面的なものではなかったこと。
(3)人口という面では、崩壊は緩慢に進んでおり、急速に崩壊したのは王制と長期暦であったこと。
(4)都市の崩壊と思えるものの多くが、実際には"勢力の循環"にすぎないことがあること。
(5)間や地方のそれぞれ異なる場所の都市が、異なる仮定を通じて繁栄したり衰退したりしていること。
の5つ挙げています。その上で、古典期マヤの崩壊を、次の5つの暫定要素に要約しています。
(1)入手可能な資源の量が人口増加の速度に追いつけなくなった。
(2)森林破壊と丘陵地の浸食。
(3)減少する資源をめぐる戦闘行為が増加した。
(4)気候変動
(5)これらの問題をマヤの王たち、貴族たちが認識し解決することができず、短期的な問題(私腹を肥やす、戦争、石碑など)に注がれていた。
 第6章では、ヴァイキングの西方進出を、「示唆に富んだ"自然実験"」と位置づけた上で、
・なぜ793年から広範な進出を始め、急速に最盛期を迎えたのか。
・なぜ、300年足らずで失速し、やがて完全に停止したのか。
の2点を分析しています。ヴァイキングは、北大西洋の島々に6箇所の植民地を設けますが、オークニー諸島、シェトランド諸島、フェロー諸島が1千年以上危なげなく存続し、アイスランドが貧困と政治上の深刻な問題を抱えたこと、グリーンランドのノルウェー人が450年後に死に絶え、ヴィンランド(北アメリカ大陸)は10年足らずで遺棄されますが、著者は、「これらの異なる結果に、各植民地の環境の差が関係していることは間違いない」と着目し、その環境上の変数として
・ノルウェー及びイギリスからの会場距離と航海時間
・非ヴァイキングの住民による妨害
・特に緯度と気候によって決まる農業の適否
・浸食と森林破壊の起こりやすさ
の4点を挙げています。
 著者は、アイスランドがヨーロッパで最も深刻な生態学上の被害を受けた理由を、「ノルウェーとイギリスの経験則では、一見緑豊かなアイスランドの環境に潜む脆弱性に対応できないという事実に気づくのが遅すぎた」からであると述べています。また、ヴィンランドに渡った「赤毛のエイリークの息子ふたり、娘ひとり、義理の娘ひとり」らとその後継者たちが、ビンランドを遺棄した理由は、彼らが「敵意を持った大勢のアメリカ先住民との間に良好な関係を築けなかった」(いきなり殺してしまった)からであること、グリーンランドの植生に対応した家畜の放牧に失敗したこと等が述べられています。著者はグリーンランドのノルウェー人社会の特色を、"共同型、暴力的、階層的、保守的、ヨーロッパ志向"の5つで表しています。また、ノルウェー人とイヌイットとの関係においては、鉄の欠乏によってイヌイットとの戦闘で優位が保てなくなったこと、交易関係を築けなかったことなどが述べられています。
 著者は、グリーンランドのノルウェー人について、「特に自滅的とは言えない」とした上で、彼らの考え方を方向付けている、
(1)グリーンランドの不安定な環境の中で生計を立てていくのは、現代の生態学者や農学者にとってさえ難しい。
(2)ノルウェー人は、グリーンランドの問題に虚心坦懐に取り組むつもりで乗り込んだわけではない。
(3)他の中世ヨーロッパキリスト教徒と同様、非ヨーロッパ人の異教徒を軽蔑し、そういう相手とうまく付き合うだけの経験をもたなかった。
(4)権力が最上層(首長や聖職者)の手に集中していた。
の4つの条件を挙げています。
 本書は、前半だけ読むとなにやら歴史の話に終始しているようですが、これを読んでおくことが後半になって効いてきます。


■ 個人的な視点から

 本書、特に上巻は、妙に人肉食の描写が多いような気がしますが、一つには、環境破壊による飢餓と、人間同士の政治的な問題とを結びつけるポイントであること、もう一つには、アナサジで発見された遺体をめぐる論争があったこと、ではないかと思います。
 食べ物がない切実さを一番表現しやすい方法なのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・社会の崩壊に不安を持っている人。


■ 関連しそうな本

 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)』
 ジャレド ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』
 ブライアン・フェイガン 『古代文明と気候大変動 -人類の運命を変えた二万年史』


■ 百夜百マンガ

ベムハンター・ソード【ベムハンター・ソード 】

 SF小説の文脈を読みなれていると、元ネタがわかってもっと楽しめるような気がします。

2006年8月13日 (日)

英国人写真家の見た明治日本―この世の楽園・日本

■ 書籍情報

英国人写真家の見た明治日本―この世の楽園・日本   【英国人写真家の見た明治日本―この世の楽園・日本】

  ハーバート・G. ポンティング
  価格: ¥1155 (税込)
  講談社(2005/05)

 本書は、明治34~35年頃から何度か来日し、「日本中を旅して日本の芸術や風俗、自然に親しみ、正確に日本を理解していた数少ない知日家であった」著者が、1910年にロンドンで出版した『この世の楽園・日本』(In Lotus-Land Japan)を抄訳したものです。当時、多くの外国人によって出版された、好奇の目や通り一遍の印象記による日本見聞記と異なり、本書は、「外国人として初めて日本陸軍に従軍し、日露戦争に参加して軍人を通して日本人の赤裸々な姿に触れ、さらに延べ3年にわたる日本滞在の体験から得た日本観、日本人間が見事に浮き彫りにされながら表現されている」ものであることが解説されています。
 著者は、サンフランシスコを出発し、東京湾に入った翌朝、「世界中の山の中でも最も美しい山、日本の芸術にすばらしい霊感を与えてきたあの富士山の優美な輪郭が、今や西の空にほんのり浮かび上がってきた」のを目にします。そして、常に感じていることとして、日本は国旗に日の丸ではなく富士山の姿を用いるべきと述べています。著者は、「フジ」という名前について、「アイヌについての権威であり学識の深いバチェラー師の意見」として、「この名前はアイヌの日の女神の名であって、アイヌがこの地方に住んでいたときにつけたものであり、それがそのまま現在まで残っている」という説を紹介しています。また、富士山に関する伝説として、「富士は一夜にして平野から隆起したのであって、それと同時に150マイル離れた土地で大きな陥没があり、そこに水がたまったのが今の琵琶湖だ」というものを紹介しています。
 また、京都の寺院では、外国人旅行者の不届きな行動に胸を痛めています。著者は、ある寺で、「一人の外国人の旅行者が誰も見ていないと思って、観音像の手をわざと一本折ってポケットに入れているのを目撃」してしまいます。また、外国人旅行者の部屋では、彼らが「美しい象嵌細工を施した襖の引き手」が床の上に落ちているのを見つけ、その品物が「一目見ただけで非常に上等な品物」であることがわかり、どこで買ったかを尋ねたところ、以前泊まった日本旅館の襖からむしり取ってきた物であり、面倒になったから棄てたものだと知ります。著者は、「このような盗みが犯されれば、外国人が疑いの目を持って見られることがあっても、驚くには当たらない」と非難しています。
 著者はまた、日本の大抵の都会で目にすることができる易者に注目しています。著者は友人の話として、長期の危険の多い航海の前に日本の易者に占ってもらい、「冒険は間違いなく成功するだろう」との助言を受け、これに従って航海に成功します。その友人は、その後、2度3度と航海前に易者に占ってもらい、その助言に従って順調に航海を終えますが、4度目の航海の時に、「年取った易者は筮竹を手にとって振り分け、本人照らし合わせてから心配そうな顔つきをして、運の風向きが変わったので、もしその仕事を続ければ必ずや恐ろしい不運に見舞われるから、今度の冒険は止した方がよい」という忠告を受けます。友人はこの易者の能力を信じて辞任を申し出、はたしてその船の消息は不明になってしまいます。
 著者は、第8章として「日本の婦人について」1章を割き、「日本を旅行する時に一番すばらしいことだと思うのは、何かにつけて婦人たちの優しい手助けなしには一日たりとも過ごせないこと」であると述べています。著者は、中国やインドでは、「召使いが全部男で、女性が外国人の生活に関与することは全くない」のに対し、「日本では夫人たちが大きな力を持っていて、彼女たちの世界は広い分野に及んでいる。家庭は夫人の領域であり、宿屋でも同様である。」と述べています。
 一方で、著者は、「日本の夫人の中でも外国人に一番誤解されいてるのは芸者である」として、日本の事情に通じていない外国人が、芸者を「手の込んだ刺繍を施した着物を着て、紙に長いピンをたくさん差し、帯を前で結んでいる」吉原の公娼と混同していることを指摘しています。そして、芸者が、「子供の頃から音楽、舞踊、歌、語り、会話、当意即妙の受け答えなど、あらゆる芸者としての訓練を受け」ていることについて触れ、「日本の高級な宴会に比べると、ヨーロッパの伝統的な宴会は、これ以上ないほど堅苦しい退屈な宴会である」と賞賛しています。
 本書は、今では日本人である我われ自身も見聞きすることができない、明治の日本を外国人の目から紹介している貴重な一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者は、明治の元勲と呼ばれた伊藤博文とも交流があり、大磯の伊藤邸を訪ねた写真も収められています。そして、長州藩士であった若き日の伊藤博文が、井上馨とともに暗殺者に襲われ、瀕死の重傷を負って逃げ込んだ家にいた若い娘の機転によって、畳の下の秘密の穴倉にかくまわれ、この出来事がきっかけになり、「政治家としてすべての要職を歴任し、天皇の私的な相談役という最高の地位を占めたこの老政治家」の生涯の伴侶となったことが紹介されています。
 Wikipediaに掲載されている写真を見ると、本書の写真と衣服や持ち物、椅子(本書では夫人が座っていますが)が酷似しているので、著者が撮影したものかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・明治時代の日本人を誉めてもらいたい人。


■ 関連しそうな本

 イザベラ バード (著), 高梨 健吉 (翻訳) 『日本奥地紀行』 2006年08月06日
 宮本 常一 『イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む』
 宮本 常一 『忘れられた日本人』 2006年06月25日
 イザベラ・L. バード 『朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』


■ 百夜百音

六本木心中【六本木心中】 アン・ルイス オリジナル盤発売: 1993

 ご当地ものということで、原宿に続いては六本木です。
 東京で「心中」というと品川あたりを思い出してしまうのですが、六本木の場合はどういう落ちなのでしょうか。


『六本木純情派』六本木純情派

2006年8月12日 (土)

本の愛し方人生の癒し方 ブックライフ自由自在

■ 書籍情報

本の愛し方人生の癒し方 ブックライフ自由自在   【本の愛し方人生の癒し方 ブックライフ自由自在】

  荒俣 宏
  価格: ¥600 (税込)
  集英社(1997/10)

 本書は、一般には『帝都物語』(か「トリビアの種」)で知られる翻訳家、博物学者の著者が、雑誌『BOOKMAN』に連載した、洋古書収集家の楽しさと悲哀を描いたものです。
 著者は、本書のタイトルに「自由自在」という言葉を用いていますが、自身では、「まったく不自由なブックライフだった」と述べ、「結局のところ本の奴隷にされて二十年間の強制重労働を科せられたようなもの」であると語っています。本書の連載中には入院生活も送っていて、「書物なんぞ読んでるうちに人生の持ち時間がなくなってしまうという厳然たる真実が、体力の衰えとともにいよいよ辛く眼前に立ち現れてくるのであります」など、本好きを暗い気持ちにさせる言葉も語っています。
 本書で取り上げられているのは、主にヨーロッパの古書です。中でも17世紀のヨーロッパの本が個人でも手に入ることを知ってからはその魅力に取り付かれたこと、そしてそのために稼ぎのほとんど(『帝都物語』の印税もすべて本題に消えたと立花隆の本にも書かれていました)をつぎ込んでいることが語られています。女性関係で苦労した友人の言葉という、「本に溺れる男にはまだ救いがある。本と縁を切ればお金が入ってくるじゃないか。その点、女と手を切るには金を支払わねばならない」という言葉を紹介していますが、本書を読む限りはあまり救いはありそうにありません。
 本書に登場するのはほとんどが海外を含めた古書屋のオヤジです。値付け一つをとっての他のお客とのやり取りを楽しんだり、値のつけ間違いに一喜一憂したりしています。また、古書の目録を眺めて見つけた欲しい本があると大騒ぎで、ときには、十年前の目録で見つけた本が欲しくて電話してけんもほろろに断られたり(当たり前ですが)しています。目録に書かれている本のサイズの表記が統一されていないことにけちをつけながら、要所のサイズのバラエティについてのウンチクも語っています。
 しまいには、オークションに出てくる本は、世界的な古本屋のシンジケートで相手にされなかったあまりもの、屑であると聞かされ、「これからはシンジケートへの突入だ。本集めも生命がけの冒険になる。自由自在の桃源郷で書物と戯れあそぶ夢は、またしても、はるかに遠のいた」と語っています。
 本書は「ブック」だけでなく「ライフ」にも言及されていて、仕事場近くのカプセル・ホテルに寝泊りする毎日を楽しそうに語り、その仕組みを解説したり、ついには出版社の床に「住み込み」を始めたりといった、とても数百万の本を即決で買う人とは思えないような生活を語っています(買う人だからかもしれませんが)。
 7年間醤油を買い換えず、ついに無くなって新しい醤油に変えたら、「驚いた。醤油が淡い褐色を帯び、実にサラサラしていたからだった。舐めてみると、ほんのり軽い。塩辛くない!」と大騒ぎです。一体それまで何を食べていたのでしょうか。
 本書は、本好きにとっては身につまされる、そうでない人にとっても一コレクターの異常な生活ぶりを窺い知ることができる貴重な一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書には、エジソンの最大のライバルであったニコラ・テスラが取り上げられています。伝記を入手したので書いているということですが、本以外の話題は珍しいです。多相交流による電力輸送を唱えた彼は、エジソンの嫌がらせを受け、世間に交流の危険性についてのデマが流されると、交流電機の優位性と安全性をPRするために、電気ショーを催し、自らが演じています。
 著者は、テスラに惹かれる理由を、キルリアン写真に先駆けて生物のオーラを視検することに成功した人だからと述べていますが、オカルト以前に変人同士で通じ合うところがあるのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・本に家計を圧迫されている人。


■ 関連しそうな本

 立花 隆 『ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論』 2006年07月29日
 加藤 周一 『読書術』 2006年07月23日
 モーティマー・J. アドラー, C.V. ドーレン (著), 外山 滋比古, 槇 未知子 (翻訳) 『本を読む本』 2006年07月02日
 ポール・R・シーリィ (著), 神田 昌典 (翻訳) 『あなたもいままでの10倍速く本が読める』 2006年01月15日
 松山 真之助 『マインドマップ読書術―自分ブランドを高め、人生の可能性を広げるノウハウ』 2005年05月01日
 荒俣 宏 『帝都物語』


■ 百夜百音

Myこれ!クション 田原俊彦ベスト【Myこれ!クション 田原俊彦ベスト】 田原俊彦 オリジナル盤発売: 2004

 昨日は、あやしげなモーソー系の会議があったので原宿に行ったのですが、原宿といえば「原宿キッス」がまず浮かびます。あとは「週刊東京少女A」くらいでしょうか。意外にご当地ソングが少ないのか、単に知らないのか。


『SINGLES~ 爆風スランプ』SINGLES~ 爆風スランプ

2006年8月11日 (金)

日本の下層社会

■ 書籍情報

日本の下層社会   【日本の下層社会】

  横山 源之助
  価格: ¥903 (税込)
  岩波書店(1985/04)

 本書は、日清戦争後のわが国の産業革命期における下層階層の生活・労働状態を客観的なデータを多用して明らかにしたルポルタージュです。著者は、二葉亭四迷と松原岩五郎から影響を受け、貧民ルポルタージュを通した貧民・労働問題解決への参加を志します。著者は、明治27年に『毎日新聞』(現在の『毎日』とは別)に入社し、多くの社会探訪記事を掲載し、明治32年には本書を書き上げています。
 本書の構成は、
・第1編 東京貧民の状態
・第2編 職人社会
・第3編 手工業の現状
・第4編 機械工場の労働者
・第5編 小作人生活事情
・附録 日本の社会運動
という構成になっていて、単なる潜入記事や風俗観察にとどまらず、さまざまな階層を統計データを用いて分析した本格的なルポルタージュとなっています。
 第1編「東京貧民の状態」では、東京市全体で、「細民の最も多く住居する地を挙ぐれば山の手なる小石川・牛込・四ツ谷にあらずして、本所・深川の両区なるべし」と延べ、この両区が旧幕時代から、職人や人足が多く住む地域であり、他の地域とは人情風俗も異なっていると解説しています。下層民の職業は、人足・日傭稼が最も多く、人力車夫が続くこと、特に浅草区に人力車夫が多いことが述べられています。また、著者は貧民の稼業として、万年町、山伏町、神吉町、松葉町の屑拾いに注目し、「世に器具物品に千種万別あると共に、天下にあらゆる廃物汚物は屑拾いの籠に集まりて事物の運命を示す」と述べ、屑を拾うには、人に遅れをとらないよう午前3時半ないし4時には起き出さねばならないこと、節分・土用干・十二月の大掃除には多くの屑を得ることができることなどが述べられています。
 また、貧民の家庭に関しては、広くて6畳、大抵4畳の部屋に、夫婦・子供、同居者を含め5~6人が住んでいること、寄留者が多いことが特徴であること、夫婦と言っても多くは正式に手続きを踏んだものではないこと、区役所に届けのない児童が多数あり、「成人してなお国籍なく、日本人にして日本人ならざるものまた多かるべし」と述べ、その理由を、「貧窟に国籍なき児童多きは、けだし野合して私生児産れ中途にして婦女の逃走するもの多きより生ず」と解説しています。
 第2編「職人社会」では、職人を
・居職人:錺職、下駄・鼻緒・袋物・蒔絵・縫箔・製本・裁縫・塗物・煙管・提灯等
・出職人:大工・左官・石工・瓦葺・ペンキ塗
に大別し、出職人は「もっぱら労力を売りて生活する純然たる労働者」である一方、居職人は「地方に至れば一面は労働者の階級に属して、しかして他方面においては自ら資本を下ろして店を開きその製作品を売れるは多く、ある意味にては商人たるが如く見ゆる場合あり」と述べています。
 第3編「手工業の現状」では、桐生・足利地方の工女の生活の実態として、「かれらが日々食するとことの食物と言えば、飯は米と麦と等分にせるワリ飯、朝と晩は汁あれど昼食には菜なく、しかも汁というも特に塩辛くせる味噌汁の中へ入りたるは通例菜葉、秋に入れば大根の刻みたるものありとせば、即ちこれ珍膳佳肴(ちんぜんかこう)」と述べています。一方で、工女の風俗に関しては、工場で彼らの言動に耳を傾けると、「親が承知で機織させて、浮気するなと先きぁ無理だ」という「猥褻聴くに堪えざるもの」を耳にすることがあること、広島県佐伯郡能美島は「従来淫猥の風最も盛んなる地方なりしが、昨年大阪朝日会社の分工場を設けられてより以来は地方より多くの男女職工入り込み足ることとて一層風俗を乱したること」などが述べられています。
 また、大阪「第一の貧民部落なりと称せられたる名護町」付近に燐寸工場が多数設立されていることに注目しています。燐寸向上の請負職工の作業である、軸並・箱詰・商標張・包装のうち、大半は軸並・箱詰であり、他の工場に比して幼年者を見ることが多く中には6~8歳を見ることもあること、各工場で箱詰めや軸並を仕上げるごとに検査係から与えられる札が付近の米屋で手形と同様に流通していることが紹介されています。
 第4編「機械工場の労働者」では、紡績工場の工女の年齢は、15歳以上20歳未満が最も多いこと、極端な例として7~8歳の児女を見ることがあること、紡績工場に欠勤者が多く常に1割程度あり、2000人の職工のいる工場に日々200人程度の欠勤者があり、2~30人は病欠であるが「他は悉く懶惰(らんだ)に基づく」と述べています。また紡績工女の風俗に関しては、「紡績会社は女護島(にょごがしま)なりと或る工場の某氏はかつて警句を吐けり」として、女工が男工の2~3倍の多数いるために、「一般紡績工場内男工と女工との間に種々の醜聞起こるもまた止むを得ざる事実なり」と述べています。
 第5編「小作人生活事情」では、旧幕時代と明治との小作人の生活を比較し、「明治の時勢は小作料を大にし、肥料を高価にし、弱者をいじめつつあり」と述べるとともに、農家の内職などに言及しています。
 また、附録となっている「日本の社会運動」では、帝国議会の実態を、「冷然として地租増徴案を可決し郵便税を引き上げ醤油税を増加し、かつ自己の便宜のために政府に強いて歳費を増加せり。その議員といえるものを見るに一人として主義の上に立てる者なく、悉く私利に趨り、議場の言論は珠利を争える市場のすなわち名を換えて帝国議会と称する者のみ。代議士の職は選挙法の手続を経て成りたる営利の位置にして、その権利は市場の物品と等しく金銭を持って買収するを得」と述べています。
 著者は、「余輩はいま、日本の下層社会を記したる筆を転じて、我が国の社会運動を記せんとす。我が国に社会運動あるか。もしそれ社会運動にして、欧米産業社会に見るが如く利益分配の不平等より生ぜる政治問題なりとせば、余輩は多く我が国においては記すべき社会運動を有せざるなり」と述べ、「今日欧米諸国に唱えらるる意味を以てせば、我が国にては特に社会運動として記るすべきこときわめてすくなしといえども、社会の欠陥に対して起りたる広き意味における社会問題を挙ぐれば、我が国にも社会問題あり、階級の衝突あり、強者弱者の衝突あり、貧富の衝突あり」と指摘するとともに、特に日清戦争後の産業革命、機械工業の勃興によって労働問題や物価の高騰が深刻になっていることを指摘しています。そして「わが労働社会にありて最も欠くるところは、同業者の間に団結なきことなり。それ団結は勢力なり。いやしくも自己の利益を図りその位置を高めんと欲せば、団結の勢力によらざるべからず」と労働者の団結を呼びかけています。
 本書は、日清戦争後の産業革命によって拡大した社会格差を正面から客観的に取り上げたルポルタージュとして、現代の社会格差の拡大の議論にヒントを与えてくれるものではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の第4編には、東京府下の鉄工場の多くが日給ではなく、その賃金を請負にしていることを、「即ち仕事の負担を定め、その製作品の程度巧拙によりて賃金を給する者、あたかも職人社会に請負行わると」等しいとしています。この理由として、「これ一は職工の怠慢を防ぎ、並びに労働を多量に得るの好方便たるが如し」であり、「競争を致して製品高を多量にするの傾向あるを以って、その賃金も多少日給者の上に出るが如しといえども、また粗製を濫造するの弊害は免かるあたわず」と述べています。
 また管理職に関しても、「良監督の名ある者の職工に対する挙動を見るに、恩を以って待つことをせずして徒に職工を威迫しお、ただ叱りてさえおれば監督の能おわれりとして、得々たるものおおきこれなり。監督と威圧とは別事なり。威圧は一時の成績あるべし、決して永久職工の心事を得るものにあるざるなり。しかるに実際局に当たる者は、しからずとしてかえって器械視するの成績あると説く者多きが如きは、畢竟労働者を以って牛馬視する封建時代の感念あるにこれ由るのみ」とも述べられています。
 これを読むと、「成果主義」で働く現代のサラリーマンが、明治時代の鉄工所の請負の職工と大差ないことがよく分かります。


■ どんな人にオススメ?

・社会格差と成果主義に気の重い毎日を送っている人。


■ 関連しそうな本

 松原 岩五郎 『最暗黒の東京』 2006年07月31日
 紀田 順一郎 『東京の下層社会―明治から終戦まで』 2006年07月27日
 小板橋 二郎 『ふるさとは貧民窟(スラム)なりき』
 大山 史朗 『山谷崖っぷち日記』
 細井 和喜蔵 『女工哀史』
 犬丸 義一 『職工事情 (上)』


■ 百夜百マンガ

ウノケンの爆発ウギャー【ウノケンの爆発ウギャー 】

 あのウノケンが少年サンデーに連載を持っていただけでも驚きですが、それにしても絵も話もぜんぜん少年向けではないのがポイントです。
 少年マガジンのギャグマンガは、絵が汚かったりエロはあってもマンガとしてかっちりしているのに対し、サンデーはエロと言うより下ネタやタブーネタなど掲載するのに勇気(蛮勇?)が必要な作品が多いのが特徴です。

2006年8月10日 (木)

武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法

■ 書籍情報

武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法   【武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法】

  高瀬 淳一
  価格: ¥1575 (税込)
  講談社(2005/10)

 本書は、「言葉の政治的利用に長け、世論の支持率を頼りに驚くべき大胆さで政治を進める<小泉型政治手法>の登場」を日本政治の歴史的変化を考え直す好機と捉え、「改めて日本の首相たちの言葉を点検し、政治コミュニケーションの観点から描く首相の政治手法の巧拙を論じてみよう」というものです。著者は、「小泉は、だれがなんといおうと、政治家として一定の成功をおさめた」として、「小泉を好きか嫌いかは別として、いまは小泉によって誕生した新しい政治モデルの可能性について、虚心に検討すべきとき」であると述べ、本書の議論を通じて、「<小泉型政治手法>の特徴を白日のもとにさらし、さらにその未来についても思いを馳せて」みることを狙いとしています。
 本書は、
・第1部「<言葉政治>能力から見た歴代首相の評価」
・第2部「不利益配分時代を動かす<小泉型政治手法>」
という2部構成になっています。
 第1部では、小泉首相が用いた「抵抗勢力」を、日本の首相が行った<言葉政治>の中でも白眉であると述べ、「この言葉によって、日本の政治手法はおそらく新たな歴史的段階に入った」と述べています。この「抵抗勢力」という言葉によって、
(1)改革を進める小泉と抵抗勢力の戦いという枠組みで、国民が政治を見るようになった。
(2)改革の旗手としての小泉のイメージを国民の間に定着させた。
の2点が新たな政治認識として生み出されたことを述べています。そして、第1部の趣旨として、「首相となるような政治家たちの言葉遣いには、いろいろな政治のワザが隠されているのではないか」という視点から戦後の首相たちの<言葉政治>をたどっています。本書では政治を振り回すだけの「失言」も取り上げていますが、<言葉政治>としては、
・闘争の言葉
・理念の言葉
・政策の言葉
を挙げています。
 本書では、歴代首相の国会演説(施政方針演説、所信表明演説)を分析の対象として取り上げています。ここで問題になるのは、官僚の作文ではないか、という疑念ですが、著者は、国会演説の更生を念頭に、その冒頭と最期を入念に見ることで、「どこかに首相がみずからの言葉で信念を表明しようとしている箇所を発見することができる」としています。
 まず、1950年代を「民主主義のレトリックの時代」として、吉田、鳩山、石橋、岸を取り上げ、中でも吉田と棋士は、「民主主義を語りながらも、民主的なマインドを強くもった政治家とはいえなかった」として、「彼らの政治には、国民に向けた<言葉政治>が少なすぎる」と述べています。
 続く1960年代は、「国家建設のレトリックの時代」として、池田と佐藤を取り上げています。池田は、吉田内閣の大蔵大臣に大抜擢されましたが、
「中小企業者の5人や10人が倒産しても、自殺しても、いたしかたがない。
 貧乏人は麦を食え」
の2つの失言によって辞任に追い込まれています。10年後、首相に就任すると、過去のストレートな物言いを逆手に「私はウソを申しません」をキャッチフレーズとし、「国民所得倍増計画」や「人つくり」などの流行語を生みます。著者は、「<言葉政治>で国民の気持ちを引きつけながら、その一方で国会とは別の形の意見集約をはかろうと」する池田の政治手法を、「中曽根や小泉の先駆」というべきものであると述べています。一方、佐藤は、「自分の言葉が国民に通じない責任は、新聞記者のせいだと思っていた」として、1972年には退陣表明の記者会見で新聞記者を会見場から追い出してしまいます。
「僕は国民に直接話したいんだ。新聞になると、文字になるとちがうからね。
 偏向的な新聞は嫌いなんだ、大嫌いなんだ。
 テレビは真実を伝えてくれる。私の心境もそのまま伝えてくださる。
 出てください。かまわないすよ。出てください」
 こうして、佐藤はテレビカメラだけを前に退陣を表明します。
 1970年代は、いわゆる「三角大福」の時代であり、繁栄や国家建設という言葉に代わり、物価高騰、公害問題、石油危機、政治不信などの政治課題が演説の中心を占める「課題解決のレトリックの時代」と位置づけられています。
「わが国には内外ともに多くの困難な課題が山積しております」(田中, 1970.10.28)
「わが国は、内外を問わず、未曾有の試練に直面しており、」(三木, 1974.12.14)
「人類始まって以来の変化の時代の到来だと思います」(福田, 1977.1.31)
「大きな曲がり角に立っております」(大平, 1979.9.3)
「政府が直面している課題は、広範かつ複雑であります」(鈴木, 1980.10.3)
 中でも著者は、「戦後の首相のうち一番の演説巧者」として、「声調やメリハリといった演説のプレゼンテーション技術において、政治家としては飛びぬけた力を」持ち、聴衆の心をひきつける天才的な話術を備えた田中を挙げています。優れたコミュニケーション能力を持ち、「列島改造」政策をブームにした田中は、演説巧者ではあるが<言葉政治>の第一人者ではないと著者は指摘しています。むしろ、自らが作り上げた利益分配手法によって、政治を動かし、支持を獲得することを重視していると述べられています。
 一方、「アーウー」という不明瞭な言語をあやつる政治リーダーという印象を与えた大平は、国会演説では自分の政治信念を熱心に語り、「日本型福祉社会」や「田園都市構想」のような明るい国家ヴィジョンを語っています。著者は、「政策の言葉として文化、福祉、田園、家庭などを用いた大平の先見は再評価されるべき」と述べています。
 著者は、1982年末以降の政治を「テレビ・デモクラシー時代」と位置づけ、中曽根康弘、竹下登、海部俊樹、宮澤喜一、細川護熙、村山富市、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎ら10人の首相の<言葉政治>を、
(1)言葉やイメージで政治を動かすことにたいする認識のレベル
(2)話術あるいはプレゼンテーション能力
の2つの尺度によって下表のように類型化しています。
 
    | |言葉やイメージで政治を動かす
    | |ことにたいする認識のレベル
    |―+――――――――――――――
    | |  高   |  低
――――+―+――――――+―――――――
    | |      |
話術  |巧|中曽根康弘 |田中角栄
あるいは| |小泉純一郎 |
プレゼン| |      |
テーショ|―+――――――+―――――――
ン能力 | |海部俊樹  |竹下登
    |拙|細川護熙  |宮澤喜一
    | |小渕恵三  |村山富市
    | |      |橋本龍太郎
    | |      |森喜朗
 

 このうち、表の右下の位置づけられた5人については、竹下の国会演説に、
(1)印象と異なる能力のアピール(「大胆な発想と実行」、「誠実な実行の政治」等)
(2)不要な自己アピール(我慢、辛い歩みの比喩、自己犠牲の言葉など重責を担う苦労を耐え忍びながら歩む自己の姿の描写)
など、「勘違いされた自己アピールや陰鬱な言葉」が消費税の導入に追い討ちをかけたために歴代内閣支持率最下位の7%につながったことが述べられています。
 一方、橋本については、国民の人気と単独政権の両方を手に入れ、「変革と創造」とスローガンに掲げ、行政改革、経済構造改革、金融システム改革、社会保障構造改革、財政構造改革、教育改革の「6つの改革」に取組み、実際に中央省庁再編、金融自由化など数々の構造改革を実現していったこと、改革の痛みや国民世論の支持に立脚した政治などは小泉と同じスタンスに立っていることなどが述べられています。しかし、<言葉政治>の能力においては、「橋本には言葉によって他者の心を動かそうとする工夫が少なすぎる」ことが指摘されています。それは橋本の国会演説が、「理屈と努力をうったえさえすればよく、聴衆を喜ばせることなど気にもとめない」ものであったとも述べられています。橋本には田原総一朗をして「夥しい数字を並べて反論され、それ以上提言する気力を失ってしまった」と言わせるほどの論破の力を持っていましたが、小泉のような感情に訴える手法は性格的にとれなかったのではないかと述べられています。
 パフォーマンスを重視した政治家としては、テレビを徹底的に意識し、議員バッジを外した姿で記者会見を立って行った細川が挙げられていますが、<言葉政治>という観点からは、「責任ある変革」や「質実国家」という言葉が「国民に新しい政治のスタートを印象付ける効果をもたなかった」点が指摘されています。
 みずから「ボキャ貧」と名づけた小渕は、内閣発足時に20%台前半だった支持率を1年かけて20~30%も改善させています。著者はこの理由を、「小渕のユーモア精神やコミュニケーション能力であった」として、「言葉や振る舞いで他人を楽しませようという気構えでいた」ことを述べています。著者は、「冷めたピザ」という批判に対しては、わざわざピザを持って雑誌の表紙に登場し、多くの人に気軽に「ブッチホン」をかける小渕には、「コミュニケーション好きという底力があった」と評価し、国会演説にも「熱心にコミュニケーションを取ろうとする小渕の努力」が見られると述べています。
 「言葉を戦略的に使って、国民の支持を高めるとともに、新たな政治状況をつくりだしていこうとする」<言葉政治>という手法に卓越した首相として、著者は中曽根と小泉を挙げています。中曽根の国会演説への異様なこだわりとしては、
(1)先哲の言葉の引用
(2)文化や科学技術への言及
(3)子孫への責任の強調
(4)比喩へのこだわり
等が挙げられています。
 そして、<言葉政治>の真骨頂として、著者は小泉の驚異的な内閣支持率や、「自民党を変える。日本を変える」、「自民党をぶっつぶす」、「抵抗勢力」、「聖域なき構造改革」、「恐れず、ひるまず、とらわれず」、「米百俵の精神」、「改革の痛み」という言葉が人口に膾炙したことなどを挙げ、「歴代首相のなかで、これだけ多くの言葉を広め、またこれほど感情的に語った者はいない」と述べています。そして、小泉の政治コミュニケーションの独自性として、
(1)個人の強調:自分が中心となって政治を進めている、という印象形成を意図した言葉遣い。
(2)自然さの追求:作為的な政治コミュニケーションにありがちな、演出過剰による「演出臭さ」が少ない。
の2点を指摘しています。
 第2部「不利益分配時代を動かす<小泉型政治手法>」では、小泉が、国民の支持を当てに下強引な政治手法に訴えることができた理由として、著者は、
・選挙制度の改革:衆議院選挙への小選挙区制の導入
・政治意識の変化:無党派層の増大
・政党政治の変化:連立政権の恒常化、ならびに二大政党化
・行政制度の改革:中央省庁の再編
・国際政治の変化:首脳外交の重要性の高まり
の5点を挙げています。
 また、小泉型政治手法の特徴として、「財政改革が不可避になった現在、『だれに利益を分配するか』をめぐる政治闘争は、『だれに不利益を分配するか』をめぐる政治闘争へ姿を変えつつある」という時代背景を挙げ、小泉が、巧みな仕掛けをもつ公共事業をめぐる政治的メカニズムに切り込んだことを指摘しています。そして、「官僚王国の解体」を「<不利益分配政治>のもたらす当然の帰結」であると述べています。そして、小泉が「不利益分配をしながら長期政権を維持できた」理由を「構造改革を自己象徴化し、<言葉政治>やサプライズによって自身を<プチカリスマ>化させていったため」であると指摘しています。
 著者は、<小泉型政治手法>の有効性について、
・政治的背景:首相の政治力の相対的強化
・経済的背景:財政の逼迫、不利益分配の必要
・社会的背景:テレビ・デモクラシーの普及
の3つの時代状況を挙げ、現在の政権担当者が克復しなければならない問題状況を、
・政治的不平等
・不人気政策回避
・政権維持困難
であると述べています。
 一方で<小泉型政治手法>の陥穽としては、民主政治における成功者に対する大衆迎合的・大衆先導的との批判を構成する、
・愚民思想
・人気者侮蔑思想
を挙げながらも、「人気=ポピュリズム(大衆迎合主義)=悪」という短絡的な固定観念では<小泉型>の欠点を語りつくすことができないとしながら、そのデメリットが、<政治のパーソナル化>の一点から生じてくると述べています。その危険性として、
・現行の三権分立制度の悪影響を与える危険性
・「第四の権力」であるマスメディアからの批判の空洞化
 著者は、「肝心なのは言葉である」として、「政治リーダーが使う言葉について、その理非曲直を弁別する技量をもたなければならない」と述べ、「きちんと区別できる眼力を身につけなければならない」と主張しています。


■ 個人的な視点から

 大平首相の「アーウー」は、子供番組にまで影響を与えています。
 当時のタイムボカンシリーズ第4作『タイムパトロール隊オタスケマン』(1980年2月2日~1981年1月30日)のエンディング曲、「アーウー・オジャママン」はそのタイトルからもわかるとおり、大平の口癖を使ったもので、歌詞では、福田首相の口癖と合わせた「アーウーホーホーホー」が繰り返されています。番組の途中でエンディングが変わってしまったのは、1980年6月の大平首相の急死を受けたものかもしれません。
 登場人物の名前の「ペレストロイカ・セコビッチ」も時代を感じさせます。


■ どんな人にオススメ?

・<言葉政治>を見極める眼力を身につけたい人。


■ 関連しそうな本

 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年06月23日
 高瀬 淳一 『情報政治学講義』
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 
 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 38602
 佐々木 毅 『政治学講義』 38422
 ドナルド・R. キンダー (著), 加藤 秀治郎, 加藤 祐子 (翻訳) 『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』 38887


■ 百夜百マンガ

プロレススーパースター列伝【プロレススーパースター列伝 】

 プロレスが「興行」であるという現実から子供たちの目をそむけさせてくれたのは、梶原流の解説が付いた過酷な特訓の数々でした。
 そのうち『プロボクシングスーパースター列伝』も作んないといけないですね。

2006年8月 9日 (水)

消滅する言語―人類の知的遺産をいかに守るか

■ 書籍情報

消滅する言語―人類の知的遺産をいかに守るか   【消滅する言語―人類の知的遺産をいかに守るか】

  デイヴィッド クリスタル (著), 斎藤 兆史, 三谷 裕美 (翻訳)
  価格: ¥924 (税込)
  中央公論新社(2004/11)

 本書は、世界中で大量に失われつつある言語に関して情報提供し、「言語の死とは何か、どの言語が死につつあるのか、なぜ言語は死ぬのか、そしてなぜ、よりによって今死ぬのか、ということについて、分かる限り事実を解明すること」を狙いとしています。そして、本書は、
・なぜ言語の死がそれほど重要なのか。
・なにかできることがあるのか。
・なにかをすべきなのか。という3つの難題を投げかけています。
 「言語の死」を定義することは簡単ではないようですが、「もし、誰かがある言語の最期の話者になったとしたら、その言語は――意思伝達の道具として見れば――すでに死んでいる」ことが述べられています。また、地球上に存在する言語は、少ないものでは3000、多いものでは1万まで開きがあり、これは、それまで「言語(ランゲージ)」と「方言(ダイアレクト)」に分けて捉えてきた二分法に問題があり、「外言語(タン)」、「内言語(ランゲージ)」及び「方言(ダイアレクト)」の三分法によって捉えるべきであることが述べられています。
 言語の今どのような状態にあるかを表す方法として、本書では、いくつかの分類法方が紹介されています。その中のひとつとしては、
・生存可能
・生存可能だが少数
・危機に瀕している
・消滅に近い
・絶滅
の5段階による分類法があります。
 本書は、言語の死を問題にしていますが、世間には、「言語の数が減ることは、人類にとっての利益であって悲劇ではない」という信仰があると述べられ、この見方に対して著者は、
(1)単一の言語を話すことが相互理解や平和、新たな国際協調と結束を保障するという発想はあまりに短絡的にすぎる。
(2)単一の世界言語の利点を声高に主張する人々は、強大な単一言語国の出身者であることが多く、その日がくれば、皆が使用するのは当然自分たちの言語であると思い込む傾向があること。
の2つの問題があることを指摘しています。
 そして、言語の消滅を放っておいてはいけない理由として、
・多様性が必要だから
・言語は民族的独自性を表現するから
・言語は歴史の宝庫だから
・言語は人間知識全体の中で大きな役割を果たすから
・言語はそれ自体興味深いから
等の理由を挙げています。
 そして、言語の消滅に対する対策として、
(1)危機言語は、優位な共同体社会内で話者の地位が向上すれば発展する。
(2)危機言語は、優位な共同体との比較において話者が富裕になれば発展する。
(3)危機言語は、優位な共同体から見て話者が法的に力を増せば発展する。
(4)危機言語は、話者が教育制度の中で強い存在感をもてば発展する。
(5)危機言語は、話者が自分たちの言語を書き記すことができれば発展する。
(6)危機言語は、話者が電子技術を利用できれば発展する。
の6点を挙げています。


■ 個人的な視点から

 本書では、人生を豊かに、楽しいものにする上で、異言語体験が重要であることが述べられています。
・「新しく言葉を覚えるたびに新しい魂を手に入れる」(スロヴァキアのことわざ)
・「二つの言葉を知る者は、二人分の価値がある」(フランスのことわざ)
 残念ながら、外国語で思考することができない自分としては、二つの言葉、二つの魂を持っている人はとても羨ましいです。


■ どんな人にオススメ?

・言語の多様性の受容性を認識したい人。


■ 関連しそうな本

 ルイ=ジャン カルヴェ 『言語政策とは何か』
 ダニエル ネトル 『消えゆく言語たち―失われることば、失われる世界』
 河原 俊昭 『世界の言語政策―多言語社会と日本』
 河原 俊昭 『多言語社会がやってきた―世界の言語政策Q&A』


■ 百夜百マンガ

ピントぴったし【ピントぴったし 】

 「カメラ好き=女好き」という誤った?認識を与えた作品です。同じサンデーで連載された光画部が色恋沙汰を極力排除(曲垣と兵藤の婚約ネタはありましたが)していたのとは対照的です。

2006年8月 8日 (火)

現代政治と女性政策

■ 書籍情報

現代政治と女性政策   【現代政治と女性政策】

  堀江 孝司
  価格: ¥4935 (税込)
  勁草書房(2005/02)

 本書は、主に1980年代の、女性の就労に関わる政策を、
・フレキシビリゼーション
・平等
・再生産
の3つの課題に整理し、政治学の視点から分析したものです。著者は、これらの政策そのものについての研究は、すでに多くの先行研究があるものの、「実際の政策分析やその形成過程の分析は、きわめて限られている」ことに着目し、政治学の視点からの政策分析は女性政策の分析に新たな知見を与えるものであると述べています。
 第1章「フレキシビリゼーションの構想と実態」では、フレキシビリゼーションの方向性として、
(1)パートタイマーや派遣労働者など「雇用柔軟型」の層を創出する。
(2)女性社員をコース別に分類し、「一般職」部分については、結婚・出産後に退職し、育児が一段落した後の再就職を想定する。
の2つがあることを示しています。
 パートタイム労働者の増加に関しては、フルタイム労働者との間に利害の対立がある点として、正社員の労働組合員にとっては、「一般に採用基準が甘く、職場の責任も軽く、転勤はなく、勤続期間も短い者が多いパートターマーに、組合活動上同一の権利を与えること」に心理的な抵抗があることが述べられています。
 第2章「「人口構成の変化とその政策へのインパクト」では、日本社会が抱える人口構成上の問題点が、「こうした人口『危機』から予想されるさまざまな問題に対応するために、何らかの対応を行うことを余儀なくされ、そのために一定ていどの資源を割かざるを得ないなど、とりうる政策に制約が課される」という点で政府や正当などのアクターに「ある種の拘束力」を持つことが述べられています。
 第3章「政治学と女性政策」では、労働政策の領域では、「労働族」とされる議員が少なく、労働関係のポストを経験することが政治家のキャリアにとって有利とはいえないこと、利権や補助金事業など政治家が介在して「うまみ」を味わえる余地が小さいことなどが述べられています。
 第4章「フレキシビリゼーションの政治I――派遣労働に関する政策――」では、事実上放置されてきた人材派遣業が政策議題になったきっかけとして、77年に行政管理庁が行った行政監察に基づいた「業務処理請負事業に対する指導・規制の在り方」という勧告がきっかけになったことが述べられています。これを受け、84年11月には労相の諮問機関である中職審の小委員会から「労働者派遣事業問題についての立法化の構想」が提出されますが、法制化作業の中で時間がかかったのは、人材派遣業の定義と対象範囲の部分で、「立法化の構想」で示された14業種は、反対派の立場からは、「業務の範囲はきわめて広範であり、現在人材派遣が行われているほぼ全部の領域をカバーする。したがって、この法律ができたために人材派遣を行えなくなる業務は、事実上ありえない」と評価されていたことが述べられています。85年3月には労働者派遣法案が衆院に提出されますが、政府原案に、就業規則や労働協約に定めがあれば、本人の同意がなくても正社員を他企業に派遣できる、という規定があったことが批判の対象になったこと、中間搾取(ピンハネ)を巡る法規制が焦点となったこと等が紹介されています。
 著者は、労働者派遣法の法制化の主導権を労働相が握っていた理由として、人材派遣業が職安法違反の「もぐり業界」だった頃から、「派遣業者が氾濫し巨大市場になってしまっている。就職情報誌市場など比較にもならない巨大市場だ。そこで、労働省としては何とか法改正をして直々に認知し、この巨大市場を掌握したかった」ことが述べられています。
 第5章「フレキシビリゼーションの政治II――パートタイム労働政策――」では、82年に行政管理庁が行ったパート労働調査で83.8%の事業場が法令違反を犯していたことがきっかけに、労働省内にパート・プロジェクトが設けられ、翌年、
(1)パートに適用される就業規則を作成する。
(2)使用者は労働条件を明らかにした「雇い入れ通知書」を交付する。
(3)パートには超勤や休日労働を原則としてさせないよう努める。
(4)勤務日数に応じた有給休暇を与える。
等を骨子とした「パートタイム労働対策の方向」という提言がまとめられたこと等が述べられています。しかし、パート保護の法制化の動きは、「当面は行政指導でパートタイム労働の実態を整除し、当事者の合意を形成していく」という労働省の態度によって、立ち消えになってしまいます。その後、労働省自身も「久しぶりの大型立法」に意気込みを見せますが、労働省が考えた「通常の労働者よりも一日、一週間、一ヶ月あたりの所定労働時間が短い労働者」というパート労働者の定義が法律の対象にしにくいという批判を浴び、二度目の法制化のチャンスを失ってしまいます。結局は、連合の要請を受けて4野党が92年2月に提出した共同法案によって立法化の波が急激に高まり、93年2月の婦少審への労働省からの「短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法案」の要綱の諮問を受け、93年に法制化されていますが、
(1)「差別禁止」、「均等待遇の確保」が明記されていない。
(2)事業主の行う改善措置は努力義務にとどまる。
(3)公共部門のパートには適用されない。
等の点が不十分だとの指摘を受けます。
 著者は、パートタイマー政策について、派遣労働とは異なり、「労働組合・野党が一貫して推進し、それが労働省の対応を生んだ」という意味で、野党の議員立法がアジェンダ・セッティングしたという点を指摘しています。
 この他本書は、女性差別撤廃条約署名をめぐって、「深い関心を抱いていたのは、女性官僚、女性政治家、女性運動など、要するに女性だけであった」点や、74年に労基研によってまとめられた、「医学的・専門的立場から見た女子の特質」において、生理休暇に「医学的根拠がない」と指摘されている点、生理休暇自体が戦時中の学徒動員の際、軍需工場の厳しい労働条件下での女学生の保護策として始まったものであること、条約が85年というデッドラインを設定したことに決定的意義があること、男女雇用機会均等法や育児休業法の成立過程などが解説されています。
 本書は、制度面だけに目が向きがちな女性政策の成立過程やさまざまなプレイヤーの思惑を知ることができる点で、女性政策に携わる人はもちろん、政治学の読み物としても楽しめる一冊です。


■ 個人的な視点から

 今でこそ、女性政策に積極的な印象のある労働省ですが、本書の分析対象である1980年頃は、必ずしも女性の地位向上に熱心ではなかったことが述べられています。
「『男女平等』という言葉ひとつでも省内で言ったら、男性から『馬鹿じゃないか』とか『婦人の地位向上はよいが、平等とは何事だ』と言われるような雰囲気がありました」と当時の元婦人少年局夫人課長が語っています。
 また、女性初の事務次官となる松原亘子氏が、20代の頃に、「お茶組と掃除は女性が交代で、当番を決めてやっているようだから、その当番に組み入れられることは覚悟しておいた方がいい」との忠告を受け、その他に、弁当の注文なども東大卒のキャリアである松原氏に回ってきたことに反発し、それらを拒否して孤立無援になったという「武勇伝」が紹介されています。
 この他、職業安定局長が、「女子労働者というのは、男子労働者に比べて役に立たん。結婚して子どもができるとすぐ、つわり休暇という制度をつくってくれと労働組合が言って来る。次は産前産後の休暇、更年期になるとまた更年期休暇を作ってくれと言って来る。一生涯休暇ばかりとっている。だから役に立たない」と発言したことも紹介されています。
 2~30年前の話として紹介されていますが、労働省以外に目を向けると、今でも同じようなことを公言する人がたくさんいるのが現状ではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・女性政策の策定過程のさまざまなアクターの動きに関心がある人。


■ 関連しそうな本

 佐藤 博樹, 佐藤 厚 (編集) 『仕事の社会学―変貌する働き方』 2005年12月01日
 佐藤 博樹 『変わる働き方とキャリア・デザイン』 2006年05月22日
 佐野 陽子, 志野 澄人, 嶋根 政充 (編著) 『ジェンダー・マネジメント―21世紀型男女共創企業に向けて』 2005年12月06日
 熊沢 誠 『女性労働と企業社会』
 佐藤 博樹, 武石 恵美子 『男性の育児休業―社員のニーズ、会社のメリット』 2005年04月07日
 ロザベス・モス カンター (著), 高井 葉子 (翻訳) 『企業のなかの男と女―女性が増えれば職場が変わる』 2005年10月11日


■ 百夜百マンガ

プロゴルファー猿【プロゴルファー猿 】

 「旗つつみ」とかやってみたかったですが、旗が狙えるくらいなら不通に狙った方が確実だということに後で気づきました。
 木の根を掘り出してドライバーとか作っちゃいます。

2006年8月 7日 (月)

新しい家族のための経済学―変わりゆく企業社会のなかの女性

■ 書籍情報

新しい家族のための経済学―変わりゆく企業社会のなかの女性   【新しい家族のための経済学―変わりゆく企業社会のなかの女性】

  大沢 真知子
  価格: ¥798 (税込)
  中央公論社(1998/09)

 本書は、日本経済を取り巻く環境の変化によって、「雇用保障の見返りに夫たちは会社に尽くし、運命を共にし」、「妻たちは夫を支えるべく、家事労働に専念し」、「夫は外、妻は家という夫婦の分業ができあがった」という暗黙の了解である「社会的な契約(social contract)」が大きく変化していることを解説し、日本社会の規範となってきた古いパラダイムを維持しようとすることが、「逆に雇用を減らし、雇用保障のある仕事を減らすことによって日本の将来の経済発展を妨げていること」を指摘しているものです。著者は、日本の制度が、「男性を企業に、女性を家庭に閉じ込めることによって、稀少な人間資本の半分を形成する女性の能力をフルに活用していない」ことを指摘し、「今後、高齢化社会がさらに進展し、生産人口が減少するにともなって、これは大きな人的資源の浪費となっていく」と述べています。そして、「社会福祉における家族の負担を減らし、育児や介護の仕事を社会化(外部化)することが、逆に雇用を創出し、経済成長を促進する」という社会保障政策や雇用政策の発想の180度の転換が必要であると主張しています。
 第1章「女性労働者はなぜ必要か」では、フォーマル部門で働くことの問題点として、育児と仕事を同時に行うことができないことを挙げ、このために出産が制限され出生率が減り、女性が経済的に自立できるようになることが夫婦関係に変化を生じさせ、この変化に対応できないことが離婚率を押し上げていることを指摘しています。そして、現実経済の長期の変化が、賃金や(世帯)所得の変化を通じて男性や女性の働き方に与える影響を論じています。
 著者は、日米両国の経済発展過程で、女性の社会進出と出生率の低下という避けがたい経済変化が生じていることの背景として、経済が女性労働者を必要とするようになったという経済そのものの変化として、
(1)産業構造の変化:生産の中心が製造業から女性雇用率の高いサービス業に移行した。
(2)経済における労働需要の質的な変化:経済が高度な教育を受けた知的労働者をより多く必要とするようになり、性差よりも個人差が重要になった。
(3)若年労働者不足:出生率の低下による若年労働者不足の減少。
(4)女性の職場参加の増大がもたらす消費や税収へのプラス効果:経済発展のけん引役が重厚長大産業からサービス産業へ移行し、生産者を重視する社会から消費者を重視する社会へ経済政策を変化させることが必要となった。
(5)高齢化社会:確実に増え続ける老人の生活を支えるために、社会保障費を負担する現役の労働者が増えることが重要になる。
(6)パートタイム終業などの労働時間の短縮:職場での労働時間の短縮や、パート就労機会の増大により、女性が結婚したり子どもが生まれても就業を継続するようになった。
の6つの理由を挙げています。
 第2章「変化したアメリカ女性の生き方」では、女性の典型的な仕事が生産職であった時代には独身の時のみ働いていたのに対し、事務職が代表的な仕事になると子育て後に労働市場に戻る女性が増加した要因として、これらの職業の熟練形成の違いを、
・製造業:働きながら仕事を覚え、経験と共に生産性も上がるが、一定の経験を積むとそれ以上は生産性が上がらないため、賃金も頭打ちになる。このため、生産性のピークを過ぎた頃に結婚を期に労働市場から退出した。
・事務職:働き始める前に学校でタイプや速記の能力を身につけることができ、働き始めてからの生産性の上昇度は、急速ではない代わりに長い間上昇し続け、転職や就業の一時中断によって大きく失われることがない。
というアメリカの歴史経済学者であるゴールティンの説を解説しています。
 また、管理職の女性は増えたが、重役や取締役などの組織の重要事項を決定するメンバーはきわめて少ない現象を、女性の昇進の前に立ちふさがる「ガラスの天井(glass ceiling)」として紹介しています。
 第3章「日本の女性労働者はこう変わる」では、日本の状況として、「結婚や出産の時機などは遅れており、女性が結婚前に積む就業経験は長くなっているのだが、いずれかの時点で『仕事か結婚(家庭)か』を選択している女性が多い」ことを述べるとともに、より重要な問題として、「若い女子学生たちの多くは、自分たちもいずれはそうせざるを得ないだろうと考え」、「それにそった生き方を選択している」ことを指摘しています。
 また、女性が家庭と仕事を両立させるために専門性を身につけることが重要であるとしながらも、日本の会社では、専門性ゆえに便利に使われてしまい、それ以外の経験をさせてもらえない、という問題を指摘しています。その具体例として、男女雇用機会均等法施行前後に入社した女性のパソコン所有台数が他の年代の6倍近く高いことを挙げ、「パソコンは、就職の機会は与えてくれたものの、企業の頭脳となって活躍する場所を提供してはくれなかった。多くの女性は会社で便利に使われ、新しいシステムが職場に導入されるとともに退職を余儀なくされてしまった」と述べています。著者は、「制度的な制約は存在するものの、自己投資をしたり自分で経験を積んでいけば、さまざまな可能性が開かれる時代が日本にきている」ことを、本書のメッセージのひとつとして述べています。
 第4章「日本的雇用慣行の中の女性労働者」では、日本的雇用慣行の特徴といわれる、「終身雇用、年功型賃金、企業別組合」について、このような「終身雇用的な」企業に勤めているのは労働者全体の2割に過ぎないことを指摘し、これが日本的な雇用慣行としてその変化に人々が大きな関心を寄せる理由を、「この制度が日本の経済成長を支えたということと同時に、この制度によって私たちが大きな暮らしの安心を得てきたからである。また、協調的な労使関係を保つことができたのである」と述べています。そして、「『雇用の保障』が企業から個人へと移りつつあるのであれば、それを可能にする雇用制度や労働市場の環境づくりが不可欠」であることを主張しています。
 第6章「パースピレーションからインスピレーションへ」では、日本が、「長い時間一生懸命はたらいたらそれだけ生産性も上がるというパースピレーションの時代が終わり、同じ時間でより多くの成果を出すためにどうしたらいいのかを考えていかなければならないインスピレーションの時代に入った」ことが述べられています。そして、日本人の働き方が、「製造業のブルーカラーの生産性を向上させるのに大いに貢献したのであるが、サービス業やホワイトカラーの生産性向上には必ずしも結びついていない」ことを指摘し、その理由として、ブルーカラーとホワイトカラーの仕事の間の「効率」概念の差があることを挙げ、日本のホワイトカラーが、個人の能力差を報酬にあまり反映しないようになっていることを指摘しています。
 本書は、仕事と生活の両立を考える上で、その背景となる経済変化を概説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の終章では、不確実性が高まることで、組織の柔軟性を高めるニーズが高くなり、「雇用における柔軟性(flexibility)がますます高まることは避けがたい流れのようにおもわれる」と述べ、後の『ワークライフバランス社会』などにつなげています。
 本書に書かれているのは、いまから約10年ほど前の状況ですが、近年の「仕事と生活の両立」という考え方が、働く人を甘やかすための福利厚生の制度ではなく、大きな社会経済状況の変化と、企業の生き残りをかけた戦略からの要請であることを教えてくれます。


■ どんな人にオススメ?

・仕事と家庭の両立を巡る経済的な変化を概観したい人。


■ 関連しそうな本

 大沢 真知子 『ワークライフバランス社会へ―個人が主役の働き方』 2006年07月24日
 佐藤 博樹, 佐藤 厚 (編集) 『仕事の社会学―変貌する働き方』 2005年12月01日
 佐藤 博樹 『変わる働き方とキャリア・デザイン』 2006年05月22日
 樋口 美雄, 太田 清, 家計経済研究所 (編集) 『女性たちの平成不況―デフレで働き方・暮らしはどう変わったか』 2006年03月30日
 佐野 陽子, 志野 澄人, 嶋根 政充 (編著) 『ジェンダー・マネジメント―21世紀型男女共創企業に向けて』 2005年12月06日
 熊沢 誠 『女性労働と企業社会』 


■ 百夜百マンガ

緑山高校【緑山高校 】

 不必要なまでに強調された肉体の躍動は、『デカスロン』も真っ青なほどです。笑うところなのか真面目なのかがわからないところで好き嫌いが分かれるでしょう。

2006年8月 6日 (日)

日本奥地紀行

■ 書籍情報

日本奥地紀行   【日本奥地紀行】

  イザベラ バード (著), 高梨 健吉 (翻訳)
  価格: ¥1575 (税込)
  平凡社(2000/02)

 本書は、1878年(明治11年)に日本を訪れ、日本人通訳1人を伴って東北を抜け、北海道に渡った英国人女性の目から見た、文明開化が及ぶ以前の日本の姿が収められた旅行記です。
 本書は、彼女が妹に宛てた手紙を再編集したという体裁をとっていますが、その筆致はとても生き生きとしていて、読む人を引き込みます。
 当時の日本は、明治になったと言っても文明開化はまだ地方には到達しておらず、人々の生活は江戸時代と変わらないものであると考えられますが、それでも「英国夫人が一人旅をしても絶対に大丈夫だろう」と英国代理領事からお墨付きが出るほど治安は良かったようです。しかし、本書のあちこちで述べられているように、蚤の大群にはずいぶん悩まされたようで、旅行には折りたたみのベッドが不可欠であると語られています。
 本書には大きく2つの気づきを与えてくれるものがあります。一つは、外国人の紀行モノに多い、日本人には当たり前のものでも外国人にとっては驚かれるものです。
・ぞっとするほどいやなもののスープ・・・味噌汁
・障子の穴という穴から覗いている目・・・プライバシーの欠如
などは、現代でも変わらないでしょう。
 もう一つは、現代の日本には失われた当時の習俗、特に貧しい農民たちの暮らしぶりです。著者が、持ってきた西洋の薬を病人に与えたところ、村中から病人を抱えた人が集まってきてしまったことや、取り出した望遠鏡を鉄砲と間違えて、外国人珍しさに集まってきた群集が雲の子を散らすように逃げ出したこと、盲人が按摩や金貸しや音楽などの職業に従事することで自立して裕福に暮らす尊敬される階級をなしていたこと、既婚女性と未婚女性の服装が厳格に区別されていたこと、などは、同じ国、同じ地名が使われる同じ場所に暮らす現代の我々にとっても大きなカルチャーショックを与えます。
 著者の旅は東北を抜け、ついには北海道にたどり着きます。本書が良く引用されるのは、当時まだ文化的な独立を保っていたアイヌの暮らしを、詳細に描いていることです。また、当時の日本人のアイヌに対する差別意識を記述しているものとしては、通訳の青年の「アイヌ人を丁寧に扱うなんて! 彼らはただの犬です。人間ではありません」という言葉があります。「犬」というのは、彼らの先祖が犬であったという伝説も反映しているようです。しかし、当時の日本人が持っていた先入観を持たない著者は、アイヌの文化や習俗、人間関係などを実に詳細に描いています。そして、日本人の姿をみて受ける堕落した印象とは好対照に、アイヌ人を、「未開人の中で最も獰猛そうに見える」が話を交わすと「明るい微笑みに輝き、女のように優しい微笑となる」と好意的に述べ、「全体として受ける印象は、アジア的というよりはむしろヨーロッパ的である」としています。
 今では世界中探しても見つけることができない、異国の体験をしてみたいという方には強くお奨めできる一冊です。


■ 個人的な視点から

 今から1年以上も昔の話であるにもかかわらず、「日本の役所はどこでも、非常に大量に余計な書類を書く」と書かれています。当時の状況を考えると、その理由の一つには、ヨーロッパを含めて19世紀の他の国と比べて識字率が高かったことがあるのではないかと思います。
 ところで、識字率といえば、現代に住む我々も「知ってるつもり」になっているだけで、きちんと字を読めていないことが多々あります。私も以前、研修の講師で「文盲」を「ぶんもう」と読んでしまってから気づいてあわてて直したり、「疾病」をワープロで打とうとして「しつびょう」が変換されないことに悩んだり、「荒唐無稽」を「こうけいむとう」と入力して途方にくれたりしたことがあります。


■ どんな人にオススメ?

・まだ「江戸時代」を引きずっていた頃の日本、特に東北を旅してみたい人。


■ 関連しそうな本

 ハーバート・G. ポンティング 『英国人写真家の見た明治日本―この世の楽園・日本』
 宮本 常一 『イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む』
 宮本 常一 『忘れられた日本人』 2006年06月25日
 イザベラ・L. バード 『朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』


■ 百夜百音

心の旅【心の旅】 チューリップ オリジナル盤発売: 1973

 テレビCMで同窓会的な雰囲気でビールを飲んでる皆さんですが、30年前は押しも押されぬ人気者だったです。
 いつかはケラやクボブリュ達も歳をとっていっしょにCMに出たりする日が来るのでしょうか。


『有頂天 ナゴムコレクション』有頂天 ナゴムコレクション

2006年8月 5日 (土)

通勤電車で座る技術!

■ 書籍情報

通勤電車で座る技術!   【通勤電車で座る技術!】

  万 大
  価格: ¥800 (税込)
  かんき出版(2005/3/23)

 本書は、人気メルマガ「通勤電車で座る技術!」を元に書籍化されたもので、「より確実に、より快適に座る技術」である70個の「シット・ダウン・テクニック」を収めたものです。このテクニックには、
(1)周囲に迷惑をかけないこと。
(2)譲り合いの精神を忘れないこと。
(3)通勤電車を楽しむよう心がけること。
の3つの前提があります。
 始発駅で3列に並んで電車の乗り込む場合、列の何番目までが座ることができるでしょうか。また、並ぶとしたら列の両端と真ん中とではどちらが座れる可能性が高いでしょうか。列に並びながら考えてしまうこんなことを、真面目に計算しているのが本書です。ちなみに、著者の計算によれば、7人がけロングシートの場合、4番目までは確実に座れるが、5番目は着席率は一気に下がるので「疲れているときは次発電車を待つのが無難だろう」とのことです。
 ちょっと意外なトリビア的なテクニックとしては、途中から乗り込むのであれば、「混んでる車両を狙え」というものがあります。これは、「あなたの乗車駅が他路線との連絡駅の手前であれば」という条件付きですが、乗換口に近い車両は回転率が高いから、という理由です。
 ここまでは、毎日の通勤の中で体験的に行っているレベルのことですが、「シット・ダウン・テクニック」が本領を発揮するのはここからです。毎日同じ電車に乗っていると、その車両の顔ぶれもなんとなく見たことのある人になりますが、著者は、誰がどの駅で降りるのか、を記憶することで席がゲットできるとして、顔と体格、できれば髪形・服装・持ち物を記憶しておくことを推奨しています。本書の巻末には、「名刺サイズの降客メモ」まで付いていて、似顔絵と書いた日付、降車駅、乗車駅発車時刻、車両(何両目)、座っていたシートと位置を書く欄があります(実際に電車の中でこんなメモ書いてる人がいたら相当怖いですが)。本書は、さらにこれを元に「顧客リスト」ならぬ「降客リスト」の作成まで紹介されています(ただし、労力:高、くだらなさ:高、とされているので、ネタということだと思いますが)。
 本書で紹介されているテクニックは日頃のちょっとした観察の積み重ねが多いようです。
 シートの端は人気のあるポジションなので、いつも誰か座っている印象がありますが、端の席が空くと、隣の人がスライドして座ることが多いので、間の席よりも早く降りる可能性が高い、すなわち回転率が高いことが解説されています。
 寝ている客の見極めも観察に基づいています。
・「正面を向いて眠る」人は一番の狙い目。寝ているのではなく目を瞑っているだけなのですぐ降りると考えられる。
・「上を向いて寝ている」人は、見込みなし。ただし、携帯電話のアラームやイヤホン型の目覚まし「安心君Part2」などを身につけている場合があるので注意。
などの観察は、言われてみればもっともです。
 また、読んでいる本の厚さから、
・文庫本:短距離通勤者
・厚い本(参考書類):長距離通勤者
と見分けられること、雑誌を読むスピードによって降りる駅を見極めるテクニック、図書館のラベルから住んでいる市区町村を割り出すテクニックが収められています(この本は図書館のどの棚に置かれているのか?と欄外にコメントがありますが、日本十進分類表の686.5の「鉄道」の棚にありました)。
 この他、きょろきょろ車窓を見回す、組んでいた足を戻す、身なりを整える、本に栞を挟むなどの挙動へ注目や、早起きして眠って通勤するなどの小技が満載されています。また、やってはいけない「座る技術・悪のマニュアル」には、自前の折りたたみ椅子持ち込み、降車ホームからの乗車、空いた席に鞄を投げる、座っている他人の膝の上に腰を下ろす!などの荒業が紹介されています。
 本書は、通勤時間を快適に過ごしたい電車通勤者ならば、思わずうなずいてしまう一冊ではないでしょうか。


■ 個人的な視点から

 本書のタイトルを見て、真っ先に思い浮かんだのが、しりあがり寿の「流星課長」でした。「どんなラッシュでも必ず座る」という伝説のサラリーマン、流星課長のテクニックを体得できるのであればぜひ読んでみたい、と思ったのですが、残念ながら、つり革や網棚を伝って空中を移動したりという技は紹介されていませんでした。
 それでも各章ごとに流星課長のイラスト入りだったので、考えることはだれでも同じなのでしょう。
 通勤電車ではないのですが、スーパーのレジに並ぶ時にどの列に並ぶか、というのも悩ましいものです。列が短いからといって並ぶと、一人で2籠くらい大量買いしている人だったり、クレジットカードの支払いにもたもたしていたりで、ぜんぜん進まない時があります。逆に長い列のレジには、ヘルプで社員さんが入った2人体制でチャッチャカ進んでいく場合もあります。狙い目は、
・男性客:「お弁当+お茶」くらいの自分の分しか買っていない場合が多い。
・家族連れ:列としては長くなっていても、籠は1つである場合がある。
等でしょうか。
 同じようなものでは、高速道路の料金所に並ぶ時に、
・どの車線が早いか:左端の料金所は流れがスムーズな場合が多い。
・トラック・バスの後ろは早い:車体が長いので見た目上列が長くなるだけ。昔は、ハイカを使っていたので支払い時間も短かった。
等があります。いまのところはETCを通るのが一番早いんですが。


■ どんな人にオススメ?

・電車で通勤している人。


■ 関連しそうな本

 しりあがり 寿 『流星課長』
 三戸 祐子 『定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?』 38635
 久恒 啓一 『通勤電車で寝てはいけない!―通勤電車と成功の不思議な法則』


■ 百夜百音

The Greatest Hits Collection【The Greatest Hits Collection】 Bananarama オリジナル盤発売: 1988

 荻野目ちゃんのカバーで知られる「Venus」で有名なグループです。さらにバナナラマ自身がショッキングブルーをカバーしていた曲でした。


『Best of Shocking Blue』Best of Shocking Blue

2006年8月 4日 (金)

雇用システムと女性のキャリア

■ 書籍情報

雇用システムと女性のキャリア   【雇用システムと女性のキャリア】

  武石 恵美子
  価格: ¥3360 (税込)
  勁草書房(2006/4/18)

 本書は、均等法や育児休業法の支援など女性の働く環境が整備されたにもかかわらず、マクロデータとして、妊娠や出産・育児を理由に退職する女性が多い状況が一向に変化せず、結婚や出産と仕事の両立の難しさからそれらを先送りする女性が多いのはなぜか、なぜ現場にいる女性のキャリアに響いていないのか、という問題意識に基づいて、
(1)働く女性を取り巻く「政策の変化」(男女雇用機会均等施策、仕事と家庭の両立支援策、非正規労働者の能力活用策など)が女性のキャリアにもたらしたインパクトを明らかにする。
(2)「日本的」雇用システムの動揺という社会変動の中で、女性のキャリア展開を支援する重要な視点を見落としていたのではないか。
という2つの課題に取り組んだものです。
 著者は、女性のキャリアを考察する意義を、70年代後半以降、「女性労働を取り巻く需要側、供給側両面での構造変化がすすみ、働く女性の問題がクローズアップされることに」なったいっぽう、「90年代以降の労働市場の構造変化の中で、多くの企業が、従来型の雇用システムを再構築してグローバルな経営環境のなかで競争力を高めることの重要性を強く認識するようになった」という変革の時期に、女性のキャリアの変化を考察することは、同時に、「男性のキャリアの今後を展望することにもなる」として、「男女双方にとって今後の働き方を展望することにもつながるものである」と述べています。
 著者は、男性正規労働者を中心に組み立てられた長期継続雇用に代表される雇用システムが根底からは見直されない理由を、企業と働く側の双方がメリットを見出すことができる合理性があるからとした上で、「長期継続雇用を基礎に置く雇用システムは、女性のキャリア展開の制約要因となってきたこと」を指摘し、この問題が、
・女性の労働力率の上昇は未婚若年層では上昇したが、有配偶者、子どものいる女性にドラスティックな変化が見られない。
・正規労働者に比べて低水準の処遇の正規以外の雇用形態で働く女性が増加している。
・女性の昇進や賃金の現状は男性と大きな格差を残したままである。
という特徴に反映されているとしています。
 雇用機会均等に関する第3章では、1986年の男女雇用機会均等法施行以降の均等処遇の定着を進めた要因として、
(1)関連法制度の整備:89年の「1.57ショック」を契機とした仕事と家庭の両立支援施策の充実や、99年の改正均等法・労働基準法の施行。
(2)日本企業の雇用を特徴付けてきた雇用システムの再編。
の2点を挙げています。また、「男女均等な雇用管理の定着が女性の管理職比率を高めている」ことや、「女性の定着と女性管理職比率のプラスの関係が鮮明になった」ことなどを分析により明らかにしています。さらに、「制度面で機会均等になっても男女労働者の間に事実上生じている差に着目し、このような差の解消を目指して女性の能力発揮を促進し、能力活用を図るための企業の取組み」である「ポジティブ・アクション」について、100メートル競走に喩えると、女性がトレーニングのやり方や機会を与えられない上に、家事責任というハンディを背負わされているため、「同じスタートラインでなく助成を少し前からスタートさせる、あるいは、女性がもっている重荷を下ろすといった形でハンディを取り除きながら、男女の競争条件をそろえようという取組み」と言うことができると述べています。
 仕事と家庭の両立支援に関する第4章では、90年代以降の両立支援策が、女性のキャリア中断の大きな理由である出産・育児の問題、特に仕事と「育児」の両立に最重点を置いていたことを受け、両立支援策の現状と女性のキャリアの変化について分析しています。著者は、企業が両立支援策に取り組む動機として、法律などによる外部からの義務付けの他に、企業経営にとってのプラスの影響が考えられるとして、それを裏付ける実証研究の紹介し、「企業間の競争が激しいアメリカでは、仕事と家庭の両立支援策を重要な人事施策と位置づける企業が多い」と述べています。また、仕事と育児の両立を支援する仕組みが、「従来の企業内や社会におけるスタンダードにとらわれず、多様な属性(性別、年齢、国籍など)や価値・発想をとり入れることで、ビジネス環境の変化に迅速かつ柔軟に対応し、企業の成長と個人の幸せにつなげようとする戦略」(日本経営者団体連盟『原点回帰――ダイバーシティ・マネジメントの方向性』)である「ダイバーシティ・マネジメント」と密接な関連をもつことが述べられています。著者は、両立支援策の実施を、「女性の勤続に寄与し、女性の勤続年数が短いという勤続面における男女差による統計的差別からの脱却が期待される」ものとしながらも、企業が従業員の子育てコストの一部を担うと言う側面があることから、従業員の雇用コストが男女で異なることになり、男女格差の原因となりうるとも述べています。本性では、実証分析として、「企業が両立支援策を実施することは、女性従業員の勤続長期化に寄与し、均等施策を併せて実施することによって、女性の昇進を促進する効果がある」ことを明らかにする一方で、「両立支援制度導入と新卒採用に占める女性比率にマイナスの関係が存在する可能性」を挙げ、、両立支援策の「男性の利用促進を進めなければ、仕事と家庭の両立支援策の導入が女性の雇用コストを高め、女性の採用にマイナスの影響を及ぼしかねない」と指摘しています。
 非正規雇用の拡大に関する第5章では、「基幹的な仕事」を、従来正規労働者が主に担ってきた、
(1)管理業務:部下の管理や職場の管理
(2)指導業務:職場の他の社員の指導・育成
(3)判断をともなう業務:決められたパターンにしたがって業務を遂行するのではなく状況判断が業務遂行に求められる非定型的な業務
のいずれかを差すものとした上で、非正規労働者の「基幹労働力化」を論じています。著者はこの背景として、
(1)職場における非正規労働者の比率とそれを構成する労働者の属性
(2)仕事の特性(仕事の標準化を進め、基幹的な仕事に求められるスキルを定型化できるか)
(3)労働市場の要因(地域の労働市場の特性)
の3つの要因を挙げています。また著者は、非正規労働者の基幹労働力化が、階層化をともないつつ進められていることを指摘し、
・非正規労働者の中から基幹労働力化する人材を選別して育成するためのルール化。
・基幹労働力化した非正規労働者に対してその能力を適性に評価しそれを処遇に反映させるための雇用管理。
が求められると述べています。
 正社員の働き方の多様化に関する第6章では、多くの女性のキャリアの展開に制約が多い原因を、現在の「正社員の働き方」が画一化していることにあるとして、その変化の可能性について論じています。まず、短時間正社員制度について、制度導入企業では人材確保やモチベーション向上への積極的な影響を評価する傾向が強く、未導入企業ではコスト削減効果を予想している点を指摘しています。また、在宅勤務を希望する社員に関して、女性では「未就学児をもつ家族的責任」を理由挙げる人が多いのに対し、男性では「高学歴者、管理職や技術職・専門職層」が希望する傾向がある点を指摘するとともに、男性にとっては短時間性社員以上にニーズが高いことを明らかにしています。
 著者は、まとめとして、「従来と比べて女性の能力発揮の機会は広がり、キャリア展開の可能性が広がってきた」としながらも、実際に女性のキャリアに大きな変化が見られない理由を、「多くの女性にとって、男性のキャリアが目指すべきモデルとはなり得なかったからではないだろうか」と述べています。そして、提言として、
・分断を阻止する政策:内部労働市場における男女のキャリアの同質化を担保する。また、非正規労働者が、本人の希望に応じて正規労働者に転換できる仕組みづくり。
・多様化を促す政策:多様な働き方に対応した、従業員が納得できるルールで公正に処遇する仕組みの構築。
・女性の就業を抑制する政策の見直し:税制や社会保障制度、企業の人事制度など、女性が働かないことを前提とするさまざまな制度の見直し。
の3点を挙げています。
 本書は、女性のキャリアの問題を考える上で、現在の論点を広く網羅したコンパクトな一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書は、女性の働き方の中でも、従来問題にされることが多かった、内部労働市場、すなわち企業内での賃金や昇進の問題を取り上げるだけでなく、近年の社会格差の議論でも焦点になっている非正規労働者の問題を女性のキャリアに絡めて取り上げている点が特色と言えるでしょう。
 映画『スーパーの女』のように副店長に抜擢されたり、ブックオフの社長のようなサクセス・ストーリーが喧伝されますが、現実には大多数が桐野夏生の『OUT』のように、夫が正規労働者として雇用されていることを前提とした低い賃金と不安定な雇用関係の下に置かれているのが現実ではないでしょうか。
 正社員を、「お買い得」な主婦のパートや契約社員に置き換える経営が、彼女らの夫が正社員であるから生活できるという前提のうえに成り立っているとすれば、女性の能力を活用していると言うよりも、蛸が自らの足を喰っているような刹那的な行動、またはフリーライダーと言わざるを得ません。


■ どんな人にオススメ?

・女性のキャリアの問題は自分には関係ないと思っている男性。


■ 関連しそうな本

 佐藤 博樹, 武石 恵美子 『男性の育児休業―社員のニーズ、会社のメリット』 2005年04月07日
 脇坂 明, 冨田 安信 (編集) 『大卒女性の働き方―女性が仕事をつづけるとき、やめるとき』 2006年05月02日
 橘木 俊詔 『現代女性の労働・結婚・子育て―少子化時代の女性活用政策』
 赤岡 功, 長坂 寛, 渡辺 峻, 筒井 清子, 山岡 煕子 『男女共同参画と女性労働―新しい働き方の実現をめざして』 2005年09月08日
 桐野 夏生 『OUT』
 伊丹十三 『スーパーの女』


■ 百夜百マンガ

いただきます【いただきます 】

 『Dr.コトー診療所』で人情モノの人と知られる作者ですが、『マッシュ』や『風のマリオ』などのお涙系の作品とは別の系であるのピカレスクもので脱皮した作品とも言えます。この作品のハチャメチャな乗りは以後の作品でも顔を出し、単なる人情モノ一辺倒ではないテンポを生んでいます。

2006年8月 3日 (木)

折れたレール―イギリス国鉄民営化の失敗

■ 書籍情報

折れたレール―イギリス国鉄民営化の失敗   【折れたレール―イギリス国鉄民営化の失敗】

  クリスチャン ウルマー
  価格: ¥2520 (税込)
  ウェッジ(2002/11)

 本書は、英国の「国有鉄道の分割・民営化(とその失敗)を中心テーマに英国鉄道界の内実を詳細に暴いたノンフィクション」です。
 1994年に英国国有鉄道から分離独立し、1996/97年に民間に売却されたレールトラック社は、「上下分離」で民営化された国鉄のインフラ部分の整備を担当する会社です。レールトラック社は、2000年10月17日に4名の死者を出したハットフィールドでの事故をきっかけに、約1年後に再び政府の管理下に戻されます。本書は、このレールトラック社を中心に、民営化の経緯と、何が事故を引き起こしたのかを丹念に追っています。著者は、この原因を、「イデオロギーと狭量な政治的かつ商業的利害の名目のもとになされた」と指摘し、民営化が「乗客にとって、特に長い目で見たときにどんな結果となるかはほとんど考慮されずに始められた」と述べています。
 このハットフィールド事故は、「車輪の輪縁と接触するレール頂部の内側角で、列車の重量を支えると同時に横方向の力も吸収しなければならない」ゲージ・コーナーのひび割れが原因で起こる「ゲージ・コーナー・クラッキング」によって、レールが約300の破片に砕けたことを原因として起きました。著者は、レールトラック社がゲージ・コーナー・クラッキングのレール内での伝播や線路網内での広がりについての工学的知識に欠けていたことを、「1996~97年の性急な民営化のなか、英国国有鉄道が100近い私企業に分割された結果、鉄道に必須の技術が失われてしまった」こと、また、「レールトラック社の主な役割は国家の主要な技術的源泉である一分野の保守整備の統括にあったはずなのに、その会社が関連技術の経験をもたない人たちによって経営されていた」ことを指摘しています。
 本書はまず、政府と鉄道との間の緊張関係と依存関係をヴィクトリア朝期まで遡っておさらいしています。そして、イギリスの鉄道史の奇妙な特徴として、「事態がうまくはこびかけたときに外的要因が介入し、ストップをかける」と述べています。また、1945年に誕生した労働党政府による主要な公益事業の国有化方針に基づいて、1948年に、「ほぼすべての輸送機関が単一の英国運輸委員会(BTC)の支配下に入った」ことが述べられています。その後、衝撃的な1963年のビーチング・レポート、1979年のサッチャー政権の誕生を経て、英国国鉄は、ヨーロッパ随一の効率と生産性の向上を誇り、「世界のいかなる大鉄道組織と比べてもひけを」とらず、「1990年代の初めほど、イギリスの鉄道がうまく運営された時代はない」と言われる運営を行っていました。
 著者は、鉄道事業に先立って民営化されたバス事業の教訓が鉄道民営化に活かされなかったことを、「バス競争への確信が妄想であることがすでに明らかになっていた」と述べ、「多くの経営者があぶく銭を稼げると思い、儲かるルートに路線が重複したが、彼らは都市経済の活力源となるような路線網をつくる義務は負わされていなかった。彼らはひたすら裁量のルートをつまみ食いし、以前は採算のとれない他の路線の維持に使われていた利益をかすめとった」と指摘し、鉄道売却の不可解な一面として、「保守党員が鉄道民営化の青写真を描いたとき、バス市場における競争の失敗から何も学ばなかったと思われる点」を挙げています。ています。
 また、鉄道の民営化検討委員会の慎重派の委員から、(1)地域分割、(2)分野分割の上下統合による二つの選択肢が提唱されたにもかかわらず、フランチャイズとして売却され、多くがバス会社の手に落ちたことを述べています。
 さらに、本書の「主役」であるレールトラック社に関しては、他部門からの分離だけでも十分にクレイジーであるのに、それを民間に売却することはさらに狂っているとしか言いようがないとして、「レールトラック者は鉄道線路、すなわちインフラを供給する会社であり、補助金への依存度が高く、線路を売って収入を得るしかない。そして線路の値段は恣意的に決められるのだ」と理由を述べています。また、日本の国鉄民営化の貢献者である運輸事務次官、JR東日本社長・会長を歴任した住田正二氏の、「もしレールトラック社の利益がインフラの保守整備に必要なコストの削減によるのであれば、安全面で諸問題が起こるだろう」というコメントを引用しています。
 著者は、民営化が始まった1996/76年後の3年間に、90年代の2つの大きな事故が起き、38人が亡くなったことを「憂慮すべきポイント」として上で、「民営化後の第三の惨事となった2000年のハットフィールド事故が、鉄道の新しい組織によって引き起こされたことは紛れもない事実」と述べています。
 また、民営化後の事故を調査した「アフ報告書」は、「民営化によってもたらされた潜在的な問題」として、
(1)運転士と信号係とが分断され、それぞれが列車運行会社とレールトラック社とに別れて働くようになったこと。
(2)信号係と"コントロール"分断されて、それぞれレールトラック社か列車運行会社のどちらかに報告するようになったこと。
の2点を指摘しています。
 この他本書では、国鉄の元で設けられていた43週間の最小訓練期間が、民営化後は定められていなかったこと、レール交換のための閉鎖によって生じる列車運行会社への補償金を避けるためにレールトラック社は極力余分な閉鎖を(特に忙しい夏季に)避けようとしていたこと、レールトラック社が設立初期に新しいレールを注文しなかったこと、新車両の導入に当たりレールトラック社が電気干渉による通信生涯を避けるために極度に厄介な安全基準手続きをとり、広範なネットワークのどこでも走れる仕様にしなければならなかったこと等が述べられています。
 著者は、民営化が、3年間で3つの大事故を起こし、鉄道事業に壊滅的なダメージを与えただけでなく、「競争の活性化や補助金の減額、公共部門借用条件の拘束のない魅力的な投資、労働組合の支配力を打破する、より広い商業的知識を生かして乗客によりよいサービスを提供する、などといった支持者たちの利益予測を何一つ果たせずに終わった」とまとめています。
 本書は、公共部門が非効率であるからといって、民営化すれば問題が解決するほど単純な話ではないことを示している一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者は、2001年に労働党政府によって設立された戦略鉄道庁(SRA: Strategy Rail Authority)が、戦略(Strategy)も権威(Authority)もないので、「ただR(Rail)と呼ばれてしかるべき」と揶揄されたことにも触れています。
 まったくこういったことを言わせると英国人はさすがだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・盲目的に民営化のすばらしさを信仰している人。


■ 関連しそうな本

 住田 正二 『SUCCESS STORY―THE PRIVATISATION OF JAPANESE NATIONAL RAILWAYS』
 柳川 範之 『契約と組織の経済学』 2005年02月22日
 ポール・ミルグロム, ジョン・ロバーツ (著), 奥野 正寛, 伊藤 秀史, 今井 晴雄, 八木 甫(翻訳) 『組織の経済学』 2005年01月24日
 ロナルド・H. コース (著), 宮沢 健一, 藤垣 芳文, 後藤 晃 (翻訳) 『企業・市場・法』 2005年04月29日
 伊藤 秀史, 小佐野 広 『インセンティブ設計の経済学―契約理論の応用分析』 2005年02月26日
 大谷 健 『国鉄民営化は成功したのか―JR10年の検証』


■ 百夜百マンガ

がんばれロボコン【がんばれロボコン 】

 世代的には、「デンガラガッタ、デンガラガッタ~♪」の主題歌が頭に浮かんできてしまいます。
 ガンツ先生と言えば、奥浩哉の『GANTZ』が出てきてしまうのも世代のせいなのでしょうか。

2006年8月 2日 (水)

ミカドの肖像

■ 書籍情報

ミカドの肖像   【ミカドの肖像】

  猪瀬 直樹
  価格: ¥2100 (税込)
  小学館(1986/11)

 本書は、戦後の混乱期に皇族の土地を買い漁り「プリンス」ホテルを建てた西部グループの創始者堤康次郎の評伝や、19世紀末の欧米で熱狂的に波及したオペレッタ「ミカド」に仮託された周縁のイメージの追跡、そして、明治天皇の「御真影」がなぜ欧米風の顔になってしまったのか、など様々な方向に「ミカドの肖像」を追った著者の出世作です。
 東京海上火災保険のビルの高さはなぜ99.7メートルなのか、大正14年着工に原宿の天皇専用ステーション「宮廷ホーム」はなぜ作られたのか、「お召列車」の三原則(1.ふつうの列車と並んで走ってはいけない。2.追い抜かれてはいけない。3.立体交差の際、上を他の列車が走ってはいけない)を支える「スジ屋」の存在等、本書は、現代の東京に見ることができる様々な禁忌(タブー)の紹介から始まります。
 第1部「プリンスホテルの謎」では、西武鉄道グループの当時のオーナーである堤義明氏のインタビューの中で、「すでにある土地」と語られているプリンスホテルの敷地がどのように入手されたのかを追っています。
 戦前の皇族に与えられた財産上の特権制度(皇族歳費制度、皇族賜邸地制度、皇族附職員制度、免税特権)が廃止に伴い、民間人の扱いになった宮家は、それぞれ財産のマネジメントに苦慮することになります。本書が事例として取り上げている朝香宮家は、現在は「千ヶ滝プリンスホテル」となった軽井沢の別荘を売り、白金台の本邸も西部に売り渡されます。著者は、朝香家の実務を担当していた中田虎一氏にインタビューを敢行しますが、本書に収録されている中田証言は輪郭も曖昧なままで終わっています。
 もう一つの事例としては、旧北白川宮家が所有していた土地に建てられた新高輪プリンスホテルや、隣接する旧衆議院議長公邸の敷地を含む1万6千坪の土地の登記を巡るトリックなどが解説されています。
 著者は、この2つのケーススタディを通して、朝香宮家の中田虎一氏、北白川宮家の水戸部孚氏ら「皇族のマネージャーたちの存在」を浮かび上がらせます。急激な環境変化にさらされた皇族にとって、内金が少ししか入らない西部の商法は一時取得による課税を避けることができ、「西部に土地を売れば、あなたを社員として迎えたい」という口説き文句は、失職した宮家職員の行く末に頭を悩ませていたマネージャーたちには魅力的なものでした(中田氏は西武鉄道監査役、水戸部氏は高輪ゴルフセンター支配人)。そして、「邸宅を原型で保存するという口約束」も「皇族の自尊心とマネージャーらの忠誠心の両方を満たした」ものであったと述べられています。著者は彼らを、「"西部王国"に寄食しつつ賢明に綱引きをしながら宮家を保存しようとしてきた忠臣であったのかもしれない」と述べています。
 本書は、この西部王国を一代で築き上げた堤康次郎が、軽井沢の千ヶ滝一帯の広大な土地を入手することができた経緯を辿りながら、「鬼の子孫」と称された京の八瀬童子が「レジャーランドに背を向け、天皇の柩をかつぐ伝統のほうを選んだ選んだ」ことと対比しています。また、堤康次郎がこだわり続けた土地への執着を、息子である作家の辻井喬の『彷徨の季節の中で』の一節を引用するとともに、関係者からインタビューをもとに、「東京がB29の波状攻撃にさらされて、花火が散るように夜空が赤く染まっていたとき、地下室で、電話を何台も並べて、一つの受話器を顎にあて大声で交渉をしつつ、ほかの電話機のダイヤルを片手で回して土地を買い漁っていた男」という堤康次郎像を描いています。
 この他、第2部「歌劇ミカドをめぐる旅」では、ミシガン州に実在する「ミカド」という地名のルーツを追う中で、1885の初演以来、瞬く間にヨーロッパ全土に伝播し、翌年にはアメリカ大陸にも上陸したオペレッタ「ミカド」にたどり着きます。
 第3部「心象風景のなかの天皇」では、広く流布されている明治天皇の「御真影」をめぐり、当時、紙幣の原版の彫刻と製版技術の指導のために招かれた御雇い外国人であるキヨソーネに焦点を当て、キヨソーネが描いた原画を元に写真が撮影され、この写真が「御真影」とされたこと、同じくキヨソーネによって描かれた西郷隆盛の肖像画をめぐる経緯などが述べられています。著者は、この「御真影」を、「写真が禁忌の対象になった世界的にも珍しいケースである」と述べ、国民の側に「特別な感情を持って受け入れる素地」があったことを、位牌の代わりに「祖先崇拝のツールに転化」したものとして、「ごく自然に祝祭の中枢に」置かれたものであると解説しています。
 本書は、天皇制そのものに関心がある人には物足りないかもしれませんが、タブーを追って東京~軽井沢~ミシガン~ロンドンと巡る旅を追体験する読み物としては非常に読み応えのある一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書で読み応えがあるのは、やはり第1部の「プリンスホテルの謎」ではないかと思います。特に、「ピストル堤」と対比させられる「強盗慶太」を描いた姉妹編ともいえる『土地の神話―東急王国の誕生』を先に読んでしまうと、第1部の続編として、東伏見宮別邸(横浜プリンスホテル貴賓館)、竹田宮邸(高輪プリンスホテル貴賓館)、李王家邸(赤坂プリンスホテル旧館)等を巡る経緯や、戦前の「ピストル堤」を詳しく描いたものを読んでみたいです。
 ちなみに「ピストル」のあだ名は、ピストルで撃たれたからだとも言われていますが、実弾(現金)を撃ちまくるからという説もあり、本書の中でも、選挙区内の畦道に車で乗りつけ、立ち往生するたびに、引き出すのに手伝ってくれた農民に「労働に対する日当」と称して札びらを切っていたことが紹介されています。
 ちなみに、本書のあちこちで対談(原宿ピテカントロプスって懐かしい名前ですが)が掲載されているテクノ・フレンチポップの「MIKADO」のCDは当時買ってコピーなんかもしたことあります。


■ どんな人にオススメ?

・西部グループのホテルがなぜ「プリンス」ホテルなのかに関心を持った人。
・MIKADOのCDを持っている人。


■ 関連しそうな本

 猪瀬 直樹 『土地の神話―東急王国の誕生』 2006年07月21日
 猪瀬 直樹 『日本人はなぜ戦争をしたか―昭和16年夏の敗戦』 2006年01月01日
 猪瀬 直樹 『道路の権力』 2006年6月5日
 猪瀬 直樹 『日本システムの神話』 2006年06月14日
 猪瀬 直樹 『ミカドの肖像―プリンスホテルの謎』
 辻井 喬 『彷徨の季節の中で』


■ 百夜百マンガ

やったろうじゃん【やったろうじゃん 】

 青年誌に移ってもラブコメがメインの人ですが、野球マンガにはこだわりがあるようです。どんどん暗くなる話に離れていく人も少なくないようですが。

2006年8月 1日 (火)

現場力を鍛える 「強い現場」をつくる7つの条件

■ 書籍情報

現場力を鍛える 「強い現場」をつくる7つの条件   【現場力を鍛える 「強い現場」をつくる7つの条件】

  遠藤 功
  価格: ¥1680 (税込)
  東洋経済新報社(2004/2/13)

 本書は、15に及ぶ著者のコンサルティング経験や早稲田大学BSでの講義などを元に、オペレーション・現場の目線から経営を捉え、競争力の源泉となる「強い現場」とはどのようなものかを整理したものです。著者は、過去のコンサルティングの経験の中で、成功例と失敗例とを比較し、「われわれの提言に対する『現場の人たちの反応』こそが、その後結果が出たか出ないかの大きな分岐点に」なっていると述べます。そして、カリスマリーダーの登場や、百点満点の非の打ち所のない戦略という「ないものねだり」をするのではなく、「もう一度自分たちの足元をしっかりと見つめなおし、自分たちの可能性を最大限に発揮できるよう鍛えなおしていく」ことこそが、日本企業の多くが今なすべきことだと主張しています。
 本書は、「強い企業」の条件として、そのような企業の「経営品質」を、
(1)競争戦略の品質:競合他社と差別化し、優位性を構築するための羅針盤。
(2)オペレーションの品質:戦略をすばやく、効率的、効果的に遂行する能力。
(3)リーダーシップの品質:企業が向かうべきビジョンを打ち出し、競争戦略とオペレーションを結合させ、企業としての総合力に昇華させる。
の3つの要素に分析しています。
 また、「正しい戦略」自体も重要であるが、それ以上に、「正しくやりきる」ことが重要であるとして、ヤマト運輸の故小倉会長の「事業発展の鍵は、あくまで(1)努力、(2)人材、(3)経営戦略の順である」という言葉を紹介しています。
 この「正しくやりきる」とは、「当たり前」のことを全員が最後まできちんとやりきることとして、この「当たり前」を、
(1)結果を出すのは自分たちだという強い自負・誇り・当事者意識を現場が持っている。
(2)現場が会社の戦略や方針を正しく理解・納得し、自分たちの役割をきちんと認識している。
(3)結果を出すために、組織の壁を越えて結束・協力し、知恵を出し合う。
(4)結果が出るまで努力を続け、決して諦めない。
(5)結果を出しても奢らず、新たな目標に向かってチャレンジし続ける。
の5つのポイントに凝縮して示しています。
 さらに、自律的な組織を構成する要素として、4~5人のチームによる「小ユニット」を数多くつくることで、ぶら下がる人間をなくし、主体性を持たせることができること、オペレーションの優れた企業の共通点として、現状を常に前向きな視点で「否定」しようとする姿勢があること等を述べています。とくに、業務を「否定」するための視点を以下のチャートにまとめています。
 
従来業務→廃止可能?       yes→廃止
      no
      ↓
    内容を変えられないか?  yes→簡素化
      no            →標準化
      ↓
   やり方を変えられないか?  yes→自動化
                   →集約化
                   →移管
 
 この他、現場力を高めるためには、「核」となる5%の「核人材」を育てることが組織変質の起爆剤となること、財前教授の総回診のようにセレモニー的に現場を回っても意味がないこと等が述べられています。
 本書は、著者のコンサルタントとしての経験がコンパクトにつまっていますが、「現場が大事」、「現場力を高めよう」という話を、コンサルタントの視点と経営者の発言で語っているところにアンビバレントな感じを受けてしまう一冊です。


■ 個人的な視点から

 この本に限ったことではありませんが、現場での長い経験を持つコンサルタントが書いた本が必ずしも面白い本とは限らないのはなぜなのでしょうか。
 確かに本書に書かれている内容にはうなづける部分が多くあり、「役に立たない本」だというつもりはまったくありませんが、読み物としては、お題目がならんだ退屈なものになってしまいます。
 同じ、コンサルタントが書いたものでも、米国のコンサルタントが書いた本は読み応え充分なものが多くあります。その違いはどこにあるのでしょうか。
 まず、日本の「経営コンサルタント」の守備範囲が、戦略から現場までオールラウンドであることが挙げられます。そのため、内容的には「社長の講話」から迫力と毒を抜いたものになってしまいがちです。日本のコンサルタントが書いた本でも、特定の分野に特化した人の話は読み応えがあります。
 また、色々な経営者の発言を引用していることも、よそよそしさを感じさせます。もしかすると、経営コンサルタントように、名経営者の発言をジャンル別に集めて編集した「経営者名言集」なるアンチョコでも出版されているのかもしれません。そう言えば、年頭の挨拶は新聞で必ず紹介されます。あくまで自分が取材、体験した一次情報に基づいたものにこだわる人の話は迫力があります。
 さらに、日本のコンサルタントの本は、研修などの資料をベースにしたものが多いせいか、要点を順にきれいに整理してあるのですが、本の中に物語がありません。これでは、退屈な座学の研修を自分の金で読んでいるようなものです。日本のコンサルタントの本でも、企業小説風のスタイルをとったものは読者をグイグイ引き込んでくれます。
 以上、日本のコンサルタント本から足が遠のいてしまう理由をまとめてみました。これから書く予定のある方は、(1)特化、(2)一次情報、(3)物語、の3つのポイントで書いてくれると嬉しいです。


■ どんな人にオススメ?

・名経営者が口々に語る現場の大切さを説いた言葉に触れたい人。


■ 関連しそうな本

 高橋 伸夫 『経営の再生[新版]―戦略の時代・組織の時代』 2005年06月10日
 別冊宝島編集部(編) 『わかりたいあなたのための経営学・入門』 2005年01月26日
 ジョセフ・H. ボイエット, ジミー・T. ボイエット (著), 金井 壽宏, 大川 修二 (翻訳) 『経営革命大全』 2006年01月06日
 スチュアート・クレイナー (著), 梶川 達也 (翻訳) 『マネジャーのための経営思想ハンドブック ― 経営学ロジックの歴史をじっくりと確実に学びたい方のために』
 ヘンリー ミンツバーグ, ジョセフ ランペル, ブルース アルストランド (著), 斎藤 嘉則, 奥沢 朋美, 木村 充, 山口 あけも(翻訳) 『戦略サファリ―戦略マネジメント・ガイドブック』 2005年02月15日


■ 百夜百マンガ

ちょっとヨロシク【ちょっとヨロシク 】

 「生徒防衛」とか「神の味噌汁」とかの駄洒落マンガの印象があるのですが、一応スポーツマンガのようです。
 いろんな部の部長の「苺谷香」がゴリラに似てるところは某スラム・ダンクと同じ設定です。

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