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2006年9月

2006年9月30日 (土)

一年で600冊の本を読む法

■ 書籍情報

一年で600冊の本を読む法   【一年で600冊の本を読む法】

  井家上 隆幸
  価格: ¥1680 (税込)
  ひらく(1997/10)

 本書は、1年で600冊の本を読むという著者の、大量読書術や本とのかかわり方を語っているものです。
 著者は、「ぼくが<量書狂読>になったわけ」として、小学校2年生の時に、玩具の弓の矢が左目を直撃し、「二十歳になると右目も見えなくなる可能性がある」と宣告されたことがきっかけで、「いつ目が見えなくなるかと怯えていたから、ジャンルは二の次、わかるわからないは三の次、読めるだけ読んでおこうとうわけで、この戦争中の数年間に速読乱読の癖は身についてしまった」と述べています。著者が本を買うペースは、週に最低一度は、書店に立ち寄ってまとめ買いをしていて、「ある日の書店のレシート」は、「5点で14点合計2万6620円」にも及ぶそうです。
 著者が面白い本を見つけるコツは、「とにかく棚を全部見て歩いて、目の中にパッと飛び込んでくる本は手に取ってみることからはじめる」だそうで、「予備知識もなしにパッと目に付いて、ウワッと買ってしまった、いわば衝動買いの本にはほとんどハズレはない」と述べています。
 また、表紙カバーに巻かれた"帯"やを見るだけでも面白いかどうかをある程度判断できるとして、「字数はおおむね200字前後。そのなかで、いかに『面白くみせるか』『手にとらせるか』と編集者たち、智慧をしぼっている。なかにはあおりすぎたり、ミステリーならネタばらししたり、勇み足もあるが、しかし、これを読んで興味を惹かれなかったら、これは自分には縁がない、あるいはつまらない本だと思ってもいい」と述べています。また、「帯」をきっかけに、「目次」「まえがき」「あとがき」などを読むことで、「書き手の思想、視点、立場が鮮明になってくる」とも述べています。そして、「あとがきや解説は本文を読み終わってから読むもの」と決め込んでいる人もいるが、「そんなカッコよさはこのさいきっぱりと捨ててしまうことだ」と切り捨てています。
 一方で、本を選ぶ時には「ベストセラー・リスト」では選ぶべきではないとして、その理由を、「フィクション」「ノンフィクション」の分類がずさんであること、むしろ、新聞の書籍広告である「サンヤツ」(3段8つ割)を注意深くチェックすることを勧めています。
 信頼できる書評家を見つけることも、いい本と出合うきっかけになります。「このひとは、と信頼できる書評家」を探し出し、同じ書評家の書評を読み、思想、世界観、本の読み方、趣味や関心などの傾向をつかむこと、いい書評家が集まっている書評欄(本書では、『週刊文春』の「私の読書日記」を勧めている)を読むことを勧めています。なお、著者は、書評を、
(1)文芸評論としての書評:本の内容に即して論を展開する書評。
(2)状況論としての書評:テーマを現実社会の自称に引き込んで紹介する書評。
(3)エッセイ的書評:本をマクラにふって身辺雑記を書きつらねる類の書評。
の3タイプに分類しています。
 著者は、読書の愉しみを、「なんといってもそこに書かれた世界をわがものにするというところにある」として、「自分は借りるのはきらいだ。買って読もうが借りて読もうが本は本、といってしまえばそれまでだが、借りた本は返さなければならないからだ」と述べています。
 また、つまらないと思っても、とにかく最後まで読むことで、「最初はわからなくても読んでいるとわかってくることもあるし、終末近くになってがぜんおもしろくなることもあるのだ」と述べています。さらに、外出するときには必ずバッグに本を一冊入れて出ることを勧め、「読書が苦手という人は、本とのつきあいが下手なのだと思う」として、「いつでもどこでも身の回りに本がいるという状態であれば、そんなおびえなんぞはまったくなくて、本は親しい存在になる」とまずは読まなくてもいいから文庫本を持ち歩く癖をつけることを薦めています。
 「あとがき」では、ショーペンハウエルの「読書とは他人の馬を頭の中では知らせるだけの行為だ」という言葉を引用していますが、年間600頭の馬が走り回る著者の頭の中はさぞにぎやかなのではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 著者が、友人の家を訪ねた先で、用意してあった本を読んでしまい、「酸欠の"金魚"状態」になって、書店に連れて行かれる、というシーンがありますが、旅先や出先で手持ちの本を読み終わってしまうことほど、困ることはありません。
 最近は駅の中のブックガーデンも充実してきたので、大きな乗換駅で新書なんかを買うこともできますが、新書なんていくらも時間を持たせることができないので、いくら1冊が安いといっても、何冊も買うわけにはいかず、さりとて古本屋を探しにいくわけにもいかないので結構悩みます。
 もしかして、雑誌や新聞一冊でたっぷり時間をつぶせるのは一種の才能かもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・本を読むのが好きな人。


■ 関連しそうな本

 モーティマー・J. アドラー, C.V. ドーレン (著), 外山 滋比古, 槇 未知子 (翻訳) 『本を読む本』 2006年07月02日
 加藤 周一 『読書術』 2006年07月23日
 立花 隆 『ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論』 2006年07月29日
 立花 隆 『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』 38914
 ポール・R・シーリィ (著), 神田 昌典 (翻訳) 『あなたもいままでの10倍速く本が読める』 38732
 松山 真之助 『マインドマップ読書術―自分ブランドを高め、人生の可能性を広げるノウハウ』 38473


■ 百夜百音

おどる亀ヤプシ+ハヴァナイスデー【おどる亀ヤプシ+ハヴァナイスデー】 UNICORN オリジナル盤発売: 1990

 踊るのは亀だけでなく、僕たちも踊るだけ、いい気なもんです。というわけで、「PTA~光のネットワーク」は30代の人なら笑えます。


『CHILDHOOD'S END』CHILDHOOD'S END

2006年9月29日 (金)

人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り

■ 書籍情報

人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り   【人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り】

  ジャレド ダイアモンド
  価格: ¥5040 (税込)
  新曜社(1993/10)

 本書は、チンパンジーと98%の遺伝的プログラムを共有している私たち人間の、「ユニークな特性」の鍵となる「ほんのわずかな中身」とは何かについて、ライフサイクルや言語など、動物としてのヒトの特性と、後の著書『銃・病原菌・鉄』の原型ともいえる文明の発展、『文明崩壊』のメッセージと重複する環境破壊への警告などを題材に解説しているものです。著者は、本書の目的を、「私たちの置かれている苦境についての特定の解決法を提言」することではなく、政治学者たちが、「過去から学ぶ機会を与えられるからこそ、個々の国家や指導者たちの研究をする」ように、人類の歴史を学ぶことで、「私たちがいまとっているような近視眼的な態度を続けていると、遅かれ早かれ、どんな不可避な結末が訪れるか」を知ることにあると述べています。
 第1部「単なる大型哺乳類の一種」では、私たちの祖先が類人猿の一種から現在の人類へ向かう道を歩み始める変化として、
(1)常習的に2本の脚で歩くようになった(400万年前)。
(2)私たちの系統が少なくとも2種に分かれた(300万年前)。
(3)常習的に石器を使うようになった(250万年前)
の3つの変化を挙げています。
 また、(特に男の)人類学者たちが、「人類進化における大型獣狩猟の役割を過大評価する傾向」があることに関して、「狩りをする人」という神話が、「あまりにも馴染み深いものになって」しまい、大型獣の狩猟をすることが男らしさの究極的表現のようにみなされるとした上で、「私たちが完全に現生人類のからだの構造と行動を備えるようになるまでは、大型獣狩猟が食料獲得に果たしていた役割は、たいしたものではなかった」と述べ、「狩猟によって、人類特有の脳や社会が獲得されたという説」に疑問を呈しています。
 著者は、「真の意味での最後の原始人」であるネアンデルタール人について、「彼らに人間性を認めることのできる証拠」として、
(1)簡単な暖炉を持っていたこと。
(2)死人を埋葬する習慣を持っていた最初の人々らしい。
(3)病気の仲間や年取った仲間のめんどうを見ていた。
の3点を挙げています。そして、彼らに取って代わったクロマニヨン人が、「以前の資料に比べて格段に形態上の多様性に富み、機能もはっきりと」した道具を持ち、ネアンデルタール人より20年長生きの60歳ぐらいまで生き、時間的空間的に多様な文化を持っていたことを解説しています。著者は、「ヨーロッパ人が北アメリカに侵入したとき、北アメリカのインディアンたちの多くは新たにもたらされた疫病のために死に、生き残ったものたちの多くはあっけなく殺されるか、追い払われるか」したのと同じように、「クロマニヨン人の持ってきた病気や殺戮や侵略がネアンデルタール人を絶滅に追いやったのだ」と推測しています。
 著者は、並存していたいくつかの先行人類の系統が、200万年前にふるいわけが起こって一つの系統だけが生き残り、6万年前にももう一度同じようなふるいわけが起こったとして、私たちの先祖がこの古いわけで勝ち残ってきた要因の最後のものとして、「複雑な話し言葉を可能にした解剖学的構造」を挙げています。
 第2部「奇妙なライフサイクルをもった動物」では、ヒトに特有のライフサイクルについて議論するために、「人に特徴的な社会構造、性に関するからだの構造、生理、行動」を取り上げ、
(1)婚姻制度と浮気の両方が存在すること
(2)どのようにしてセックスの相手を選ぶか
(3)私たちの生命にはなぜ終わりが来なければならないのか
の3点について論じています。
 1点目の人の性行動については、「ヒトの子どもが一人前の狩猟採集民になるには、長い間かかって情報を集積し、練習を積むことが必要」になった結果、「親の仕事が相当なものになったので、子どもが生き残るためには母親だけではなく父親の世話も重要なもの」になったことを家族の起源としてあげています。そして、この社会組織がヒトの男女の体の構造に与えた影響として、男女の体の相対的な大きさの差を挙げています。また、生物学者たちが、排卵時期がわからない隠された排卵と隠されたセックスの起源として挙げている説明として、
(1)多くの伝統的な男性人類学者たちに人気のある説:男の狩猟者たちの間の協力を促進し、攻撃性を抑制するため。
(2)ほかの多くの男の人類学者たちに人気のある説:特定の男性と特定の女性との間の絆が強まり、ヒトの家族の基礎ができる。
(3)もう少し現代的な男性人類学者の説:セックスと引き換えにいつでも肉を分けてもらえるようにするため。
(4)男性の生物学者と女性の生物学者が協同で出した説:排卵を隠すことで、永続的な結婚の絆で男をつなぎとめる。
(5)女性の社会生物学者の説:子殺しを避けるため、排卵を隠し、誰が父親なのかわからないように男を操作するようになった。
(6)別の女性の社会生物学者の説:出産の危険を避けるために排卵時期がわかる女性は排卵字のセックスを避けてしまい、少ない数の子どもしか残せなかった。
の6つの説を紹介しています。
 また、「結婚している人間が浮気をしようと思ったり、浮気を避けようと思ったりする理由」を説明する婚外セックス(extramarital sex: EMS)の理論について、「もっとも多くの子どもを生き残らせた個体が勝利者になる」進化的な競争を、ゲーム理論によって解説しています。著者は、このゲームに関して、「同種に属していても、雄と雌では最適なゲーム戦略が異なる」ことをまず指摘し、その理由として、「繁殖にかけるべき最低限の出費と、相手に騙される危険率との2点において、雄と雌とが、繁殖生物学的に大いに異なっている」ことを挙げています。そして、オオアオサギとダイサギ、ヒメアカクロサギ、セグロカモメ、ハクガンなどの鳥類の研究から、「浮気をする雄の鳥たちが自分の家庭ではしっかりと自分の子を作り、外へ出てはタネをばらまこうとする、洗練された戦略の数々を持っていること」がわかったことを紹介しています。また、ヒトに関しては、ヘブライ、エジプト、ローマ、アズテカ、イスラム、アフリカ、中国、日本などに存在した姦通法が、自分は騙したいが妻には騙されたくない、という男性のジレンマへの対処を示した例として取り上げられ、「父親であることを確実にするためのもっとも綿密なシステム」として、中国の唐代の皇帝のハーレムの例を紹介しています。
 著者は、「社会生物学は、人の社会行動がどのようにして進化してきたのかを理解するのに有用」であるとした上で、「この方向であまりに突き進んでいくべきではない」と述べ、「進化的説明は、ヒトの行動の起源を知る上にのみ有効」なのであり、「進化的説明のみが、今日の人間の行動を理解する唯一の方法」ではないと述べています。
 2点目の相手選びの問題に関しては、「魅力的と思う人」のイメージを、「私たちの身の回りにある物や人を、それと比較し、何かをすばやく認知するために用いる心像」である「サーチイメージ」の一例であるとして、夫と妻が肉体的な特徴でどの程度似通っているかについては、「私たちが一番よく出合う異性の人間に大きく影響を受けている」ため、「人は自分の異性の親や兄弟姉妹と似た人と結婚したがる」ことを解説しています。また、「どうして世界のいろいろな地域に住んでいる人びとの外見は異なるのだろうか?」という問題について、自然淘汰と性淘汰の2つを比較し、「性淘汰の効果が非常に大きい」ために、肌の色と太陽にさらされる度合の関係が不完全なものになっていることに言及しています。
 3点目の年をとって死ぬことに関しては、「動物が生物学的な修理のためにどれだけ投資『するべき』か」について、自動車の整備にかける投資と対比しながら、「修理にどれだけ費用がかかるか」と「修理をせずにいたときと修理をしたときとどちらが長生きできるか」の比較の問題であるとしたうえで、現代の人間の寿命が長いのは、「閉経や、自分を修理するための投資が増えたことなどの生物学的適応」のためであることを述べています。
 第3部「特別の人間らしさ」では、人間のがユニークなのは、二足歩行や大きな脳、一夫一妻制や長寿などの遺伝的特徴の上に築かれた文化的形質にあるとして、音声言語、芸術、道具を使う技術、農業などの他、化学物質の濫用やジェノサイド(集団殺戮)と多種の大量絶滅などがあることを解説しています。
 言語に関しては、新しい言語の出現には、
・ピジン:互いに異なる母国語を持っている植民者と労働者とが話を交わす必要から生じた第二の言語。
・クレオール:ピジン自体を自分の言葉として採用する世代が出てくることで発展したもの。
の2つの段階があることを述べ、様々なクレオール同士に類似性があることに関して、「ヒトの脳が、子ども期に言語を学習するための遺伝的青写真を持っている」というチョムスキーやビッカートンの説を紹介しています。
 芸術に関しては、その特徴として、
(1)ヒトの芸術はなんらの有用性を持たない。
(2)単に審美的な喜びのために行われる。
(3)遺伝子ではなく学習によって伝達される。
の3点を挙げた上で、「芸術が私たちの生存を助け、遺伝子の拡散に役立つ道」が、
(1)その持ち主に直接の性的利益をもたらす。
(2)地位を示す即効的な指標として、その持ち主に間接的な利益をもたらす。
(3)ヒトの集団を定義する。
の3点を挙げています。
 農業に関しては、「私たちがよりよい生活へと踏み出す決定的な一歩であったとされている農業(と家畜の使用)が、実際は、向上への記念碑であると同時に諸悪の始まりの記念碑でもあった」として、その間接的例証として、農業が広まる速度が非常に遅かったことを挙げています。また、古病理学の研究では、狩猟採集民が栄養状態もよく身長も高かったのに対し、農業の採用とともに人々の身長は低くなってしまったことを述べ、その原因として、
(1)狩猟採集民が様々なものを食べ、タンパク、ビタミン、ミネラルを適切に摂取していたが、農民は栄養のほとんどを澱粉質の作物でとっていたこと。
(2)一つか少数の作物に依存しているために、失敗すると飢饉に陥る危険が高いこと。
(3)農業によって、人口密度の高い、栄養状態の悪い、定住生活をすることで、伝染病や寄生虫が脅威となったこと。
の3点を挙げています。さらに、農業が、「病気に蝕まれた大衆と、健康で生産活動に従事しないエリート階級との区別」を生み出したことを述べています。そして、私たちが農業という罠にはまってしまった理由として、農業をすることで、狩猟をしているよりも多くの人間を養うことができることを挙げています。
 化学物質の乱用に関しては、喫煙、飲酒、麻薬などの現象を、動物の信号の一般的な理論、すなわちゴクラクチョウの長過ぎる尾やガゼルの「ストティング」など、「足手まといな付属品や危険を呼ぶような行動は、まさにそれが行為者に危険をもたらすものであるがために、その信号を出している動物が特に優れていることを示す正直な指標」となるというハンディキャップ理論を応用して説明しています。つまり、「薬物中毒は、ハンディキャップ・シグナルに頼るという、かつては有効だった私たちの本能が、今では私たちの身を誤らせているという典型的な例」であるとしているのです。
 第4部「世界の征服者」では、「遺伝的な優秀性の証拠が何もないにもかかわらず、なぜある民族が他の民族を征服するほどの文化的優位性をもちえたのか」という、後の『銃・病原菌・鉄』のメインテーマに通じる問題を論じています。著者はこの問題を、「なぜ古来よりヨーロッパでは、技術的、政治的な発展速度が速く、アメリカ(そしてサハラ以南のアフリカ)では遅かったのか?」と言い換え、「大陸間の文明水準の差異は人類の遺伝によるのではなく、地理が文化的特徴に影響を与えるためであること」を論じ、「ヨーロッパ人によるアメリカとオーストラリアの征服は、彼らのもつよい遺伝子のせいではなく、彼らの悪い病原菌(特に天然痘)やより進んだ技術(兵器や大型船を含む)、文字による情報の蓄積や政治体制のせい」であると述べています。著者は、地理が与える影響として、まず家畜の違いから取り上げ、家畜化の成功のためには、野生動物が、
(1)群れで生活する社会性の動物でなくてはならない。
(2)危険のサインに対して地上に立ち止まらずにすぐに飛んで逃げてしまうような動物は、管理するには神経質すぎる。
(3)檻の中での繁殖を拒まない。
の諸特徴をすべて備えていなければならないと述べ、ユーラシア人が「ビッグ5」(羊、山羊、豚、牛、馬)の家畜化に成功し、他の動物の家畜化に失敗した理由として挙げています。
 また、世界人口の約半数の人々が使う、印欧語族の繁栄について、
(1)現存する印欧語の系統関係
(2)最近まで征服されることのなかったニューギニアのような地域に見られる非常に大きな言語的多様性
(3)ローマ時代以降までヨーロッパで生き残った非印欧系言語
(4)印欧語の中に見られる非印欧語の名残
の4種類の証拠から、「印欧語が古代の『ブルドーザー』現象の産物であること」を示しています。そして、印欧語の重心点がヨーロッパにある理由を、中央アジアを征服した騎馬民族による言語的ホロコーストによる人為的効果であるとして、印欧基語(Proto-Indo-European、PIE語)の故郷が、「コーカサスの北、ロシアのステップの中」であったことを述べています。また、印欧語の「ブルドーザー」現象の原因を、
(1)農耕と牧畜の到来
(2)家畜利用の大々的拡大
の2つの経済革命が生じたためであることを解説し、中でも馬の家畜化によって、「次の5000年間の世界支配につながる経済・軍事パッケージを始めて結合した」と述べています。
 さらに、人間の特性の一つであるジェノサイドに関して、タスマニア人の撲滅やオールトラリア・アボリジニのケースを紹介した上で、「私たち人間のあらゆる本性の中でも、動物の先駆者からもっとも直接的に受け継いでいる本性が、集団殺戮=ジェノサイド」であることを述べています。そして、スターリンやヒットラーなど「20世紀のジェノサイドがユニークである」点として、
(1)犠牲者の人口密度の高さ
(2)犠牲者を取り囲むためのコミュニケーション手段の進歩
(3)大量殺人の技術の進展
という3つの利点を持っていたことを挙げています。また、「現代の集団殺人鬼たち」が、「彼らの行為と世界共通の倫理規範との矛盾」を切り抜けるための合理化の方法として、
(1)自己防衛は正当化される。
(2)自分たちの持つ宗教や人種や政治的信条のみが「正当である」とみなす、または、自分たちだけが、進歩やより高い文明水準の代表であると主張する。
(3)犠牲者を繰り返し動物に見立てる。
の3種類の倫理的合理化を行っていることを述べています。さらに、この例として、アメリカ人によるインディアンのジェノサイドの例を挙げ、アメリカ人が、「白人対インディアンの対立を、馬にまたがった大人の男たちの戦い、すなわちアメリカ騎兵隊とカウボーイが、強く抵抗する獰猛で放浪性のバイソンハンターと闘う物語のようにロマン化している」が、むしろ、「文明を持った貧農の人種が、同じような別の人種を根絶やしにした歴史と表現したほうがずっと正確」であると述べています。
 第5部「一夜にしてふいになる進歩」では、「産業革命までの人類は、それ以後と比べて生態的均衡状態にあり、種の絶滅や環境の過剰開発が深刻になりだしたのは産業革命以後のことである」という「ルソー的な空想」、すなわち環境保護論者が、しばしば過去を黄金時代とみなすことに関して、考古学や古生物学の最近の研究によって、「産業改善の社会が、何千年にもわたって、種を絶滅させ、環境を破壊し、自らの存在の基盤を侵食し続けてきたこと」が明らかになったことを紹介しています。種の絶滅の例としては、ニュージーランド島のモアや、ヘンダーソン島で絶滅した6種類の鳥類、マダガスカル島のエレファントバードや最大でゴリラほどの大きさになる12種類のキツネザルなどを挙げています。また、環境破壊の例としては、イースター島の巨大な石像、アメリカ南西部のプエブロ(インディアン集落)、ペトラ遺跡等を挙げています。
 また、大型の哺乳類であふれんばかりの土地であった南北アメリカ大陸において、ユーラシア大陸からのインディアンの南進によって、マンモスとマストドン、地上性のナマケモノ、グリプトドン、熊ほどのビーバー、剣歯虎、アメリカライオン、チータ、ラクダ、ウマなどの野生動物が、どの地域でも10年ほどの間に絶滅したクロヴィス人による「電撃作戦」について解説しています。
 さらに、私たちの頭上にある「核による大量殺戮の危険」と「大規模な環境破壊の危険」という2つの雲に関して、
(1)近現代(およそ1600年以後)になって絶滅した種は何種類ほどあるのか。
(2)1600年以前にさらにどれだけの種が絶滅していたか。
(3)私たちの子どもたちや孫たちの世代で、さらにどれだけの種が絶滅するのだろうか。
の3つのステップに分けて、種の大量絶滅を論じています。そして、爆発する人口が、生物の種を絶滅させる主要なメカニズムとして、
(1)動物が繁殖するよりも速い速度で殺して行く狩りすぎ。
(2)元々生息していなかった土地への生物の移入。
(3)生息地の破壊。
(4)種の絶滅の波及効果。
の4点を論じています。
 本書は、著者の研究の原型がつまった、それだけにボリュームのある一冊です。


■ 個人的な視点から

 人間の行動を、生物学的な視点で見ることに対して、抵抗のある人も少なくないのではないかと思います。著者も、単純化しすぎる問題点については言及していますが、本書の視点をベースに、これまでの政治史を洗い直してみることによって、政治学はより洗練された、社会「科学」に近づくことができるのではないかと思います。数学や経済学からの侵略に抵抗を示す人が多かった政治学の世界では、なかなか受け入れられないとは思いますが。


■ どんな人にオススメ?

・生物としての人間の行動原理を理解したい人。


■ 関連しそうな本

 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)』 2006年08月14日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)』 2006年08月15日
 ジャレド ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』 2006年09月12日
 ジャレド ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』 2006年09月13日
 ビョルン・ロンボルグ (著), 山形 浩生 (翻訳) 『環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態』 2005年09月19日
 ジュリアン ジェインズ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 2006年06月04日


■ 百夜百マンガ

C級さらりーまん講座【C級さらりーまん講座 】

 マンガ家と芸人が長く生き残るコツは、ワンパターンで自分の居場所を作ってしまうことでしょうか。単行本でむさぼるように読みたい作品ではないですが、雑誌の中で見かけるとほっとしてしまう作品です。

2006年9月28日 (木)

動機づける力

■ 書籍情報

動機づける力   【動機づける力】

  DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部
  価格: ¥1890 (税込)
  ダイヤモンド社(2005/2/3)

 本書は、組織の成功の半分を占める要因とも言うことができる「モチベーションを醸成するものとは何か、適切なインセンティブとは一体何なのか」という問いに答えることを目的として、モチベーションマネジメントの名論文を収めた論文集です。
 1968年のフレデリック・ハーズバーグによる第1章「モチベーションとは何か」では、多くの論文、書物、講演、研究会で提起される「どうすれば思うとおりに社員を働かすことができるか」という問題に対して、「机上の空論が知識を凌駕する」という情けない状況であることを指摘するとともに、どこで講演しても聴衆の中に必ずいる「直接行動派」のマネジャーによる「KITA」("Kick in the ass":尻を蹴飛ばせ)という方法について次のように紹介しています。
(1)消極的かつ肉体的KITA
(2)消極的・心理的KITA
(3)積極的KITA:ボーナスや手当、身分や昇進など。
 この中で、多くのマネジャーが「消極的KITAはモチベーションにならないとすぐ断言し、積極的KITAはモチベーションになると、ほとんど異口同音に主張」することについて、著者は、「消極的KITAが暴力だとすれば、積極的KITAは誘惑だからである」として、「誘惑に負けるほうが暴力を振るわれるよりもずっと不幸である」、「誘惑は自堕落を思い知らせるもの」と述べています。著者は、人間のもつ2組の異なる欲求として、
・動機付け要因(motivator):職務に内在する。達成、達成の承認、仕事そのもの、責任、それに成長ないし昇進。
・衛生要因(hygiene factors):企業の施策と管理、監督、対人関係、作業条件、給与、身分、それに福利厚生。
の2種類を挙げています。
 また、人事管理の考え方として、
(1)組織論:人間の欲求は非合理で、しかも多様であり、さらに状況によって変わるため、人事管理は時と場所に合わせて臨機応変に対応することが第一義となる。
(2)産業工学:人間は機械的に反応し、経済的に動機付けられるので、欲求を満たす最善の方法は、最も効率的な手順で仕事をさせることである。
(3)行動科学:集団の感情、社員の個人的な態度、加えて組織風土の社会面と心理面に関心が向けられる。
の3つの考え方が存在することを紹介しています。
 そして、仕事の充実化を図る10のステップとして、
(1)次に挙げる4つに当てはまる仕事を選び出す。
 ・産業工学のアプローチに投資しても出費がかさむばかりで改革に結びつかないもの。
 ・執務態度が水準以下のもの。
 ・衛生要因のコストがかさみ始めたもの。
 ・モチベーションいかんで成績に違いが現れそうなもの。
(2)(1)の仕事は改革できるという確信を持つ。
(3)ブレーンストーミングによって仕事の充実化が図れそうな改革リストを作成する。なおその際、実行の可能性は無視する。
(4)この改革リストを点検し、実際のモチベーションよりも衛生要因に関連する提案なら、却下する。
(5)リストを点検し、一般論的な提案は却下する。
(6)リストを点検し、水平的職務付加に関する提案は却下する。
(7)充実すべき仕事を担当している社員たちの直接参加は避ける。
(8)仕事の充実化を初めて試みる時には管理実験を実施する。
(9)実験班の成績が最初の数週間下降することを覚悟する。
(10)ライン・マネジャーが改革の導入に不安と敬意を示すことをあらかじめ想定しておく。
の10点を挙げています。
 第2章「期待が部下を動かす」では、バーナード・ショウの戯曲『ピグマリオン』のなかから、「レディと花売り娘との違いは、どう振舞うかではなく、どう扱われるかにあるんです」という言葉を引用し、上司の期待が部下の行動に及ぼす影響力の重要性を解説しています。中でも「沈黙は期待値の低さを伝える」例として、ある企業の最下位グループから営業職員が去るときに、「何一つものを言ったことはなかった」ことが、「大して期待していない」という暗黙のメッセージとなっていた事例を紹介しています。
 第3章「MBO失敗の本質」では、MBOに、「明らかにそのコンセプトと実践との間に深刻な乖離がある」ことを指摘し、プロセスとしてのMBOが、「モチベーションにおける、より深遠な感情的要素が適切に考慮されていない」という点で、「マネジメントにおける最も大きな幻想の一つ」であると述べています。また、企業においてMBOプログラムがうまく機能していない根本的な理由として、「相手は人間である」という視点がまったく欠けていると指摘しています。
 その上で、「MBOの実効性を高める3条件」として、
(1)モチベーションについて検証する。
(2)グループを単位とする。
(3)評価者を評価する。
の3点を挙げるとともに、「MBOを導入する前に考慮すべき3要素」として、
(1)理想自我の理解:ある個人がもつ「自分はこうあるべきである」という考え方を理解する。
(2)部下による自己検証
(3)上司の自省
の3点を挙げています。
 この他本書では、第4章「モチベーショナル・リーダーの条件」において、優れたマネジャーに不可欠な権力欲求に言及し、マネジャーのタイプを
・組織志向マネジャー:権力欲求が高く、親和欲求は低く、抑制力が高い。
・親和志向マネジャー:権力欲求よりも親和欲求の方が高い。
・個人権力志向マネジャー:親和欲求より権力欲求の方が高いものの抑制力が低い。
の3タイプに分類しています。
 また、第5章「フェア・プロセス:信頼を積み上げるマネジメント」では、「高業績を実現する上で決定的な行動や姿勢に大きな影響を及ぼす」フェア・プロセスについて解説しています。
 本書は、モチベーションについて考える上でヒントとなるさまざまな視点からの分析を提供してくれる一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の第6章「いかに人を動機づけるか」では、12人のマネジャーからのワンポイントアドバイスが収められていますが、よくある企業経営者ばかりでなく、犬ぞりレースの優勝者の言葉が入っているのが特徴です。
 ラグビーなどの集団スポーツのマネジャーによるリーダーシップ論はよく目にしますが、相手が人間ではない場合でも、人間に通じるリーダーシップや動機付けのあり方があるということでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・モチベーション理論の古典を押さえておきたい人。


■ 関連しそうな本

 ヴルーム, 坂下 昭宣 『仕事とモティベーション』 2006年02月17日
 ジョセフ・H. ボイエット, ジミー・T. ボイエット (著), 金井 壽宏, 大川 修二 (翻訳) 『経営革命大全』 2006年01月06日
 デビッド・シロタ 『熱狂する社員 企業競争力を決定するモチベーションの3要素』 2006年08月30日
 金井 壽宏 『組織を動かす最強のマネジメント心理学―組織と働く個人の「心的エナジー」を生かす法』 2005年06月09日
 松繁 寿和, 中嶋 哲夫, 梅崎 修 『人事の経済分析―人事制度改革と人材マネジメント』 2006年01月10日
 ステファン・P. ロビンス (著), 高木 晴夫, 永井 裕久, 福沢 英弘, 横田 絵理, 渡辺 直登 (翻訳) 『組織行動のマネジメント―入門から実践へ』 2005年02月17日


■ 百夜百マンガ

東周英雄伝【東周英雄伝 】

 モーニングの多国籍路線の中でも大ヒットした作品。歴史ものはこういう筆タッチの絵が合いますね。

2006年9月27日 (水)

利益が上がる!NPOの経済学

■ 書籍情報

利益が上がる!NPOの経済学   【利益が上がる!NPOの経済学】

  跡田 直澄
  価格: ¥1680 (税込)
  集英社インターナショナル(2005/09)

 本書は、「NPO=ボランティア」という思い込みが、「もはや夢物語に過ぎない」として、「今後のNPOのためにも『ボランティア幻想を捨てよう』と声を大にして」訴えているものです。著者は、アメリカのNPOが、「これまで公共部門にあった分野や政府が手を染めなかった分野」である医療や教育、福祉などの分野の中に「ニッチ」を見出し、そうした分野で活動を続けていくために、NPOが民間からマネジメントや「ファンドレイジング(fund-raising=資金集め)」の手法を学び、そうした人材を引き入れながら民間企業的な色彩を濃くしていったことを紹介しています。
 第1章「NPOのビジネスモデルを考える」では、NPOの維持と拡充という目的のために、
・自前の稼ぎ(営業収入)
・補助金・助成金
・寄付
の3つの要素が欠かせず、「この三つがいわば三位一体となってこそ、NPOは長く存続できる」という「3分の1ルール」を紹介しています。
 また、米国では、「NPOをやるかベンチャー企業をやるか」の二者択一が深刻な問題ではなく、「立ち上げた組織をどちらで登記するか」を必要に応じて選択する問題に過ぎないことを紹介し、「NPOも一種のベンチャーであるという気概が今の日本のNPO業界には求められている」と述べています。
 そして、NPO法人が高齢者介護用のグループホームの建設に当たり、銀行から融資を受けるというケースを紹介し、「金余り現象」が起きている銀行がやっと一般企業のプロジェクトファイナンスに重い腰を上げ始めたこと、一部の企業や機関投資家が「社会的に意義のある事業や企業家への投資」である「社会的責任投資(Socially Responsible Investment)」の具体化に着手し始めたことを紹介しています。
 第2章「この『ニッチ(スキマ)』を狙う」では、タイで国際的なNGO活動が盛んになった理由として、「NGOが活動する「隙間(ニッチ)」がアジアでは他国に先んじて拡大していた」ことを挙げ、この経緯として、1970年代以降、欧米の留学から帰国してきたエリート層が政財界に進出し始めた結果、政府も開放政策に動き始め、ここを狙って外資が大量に流入し、1990年前後の驚異的な経済成長を下支えしたこと、1980年代後半に始まったエイズの蔓延に、海外NGOが活動し、これらの活動を若いエリート層が支援して民法が改正され、NPOの設立が容易になったことなどが述べられています。
 そして、今後NPOビジネスにとって可能性のある産業分野として、医療や環境問題、そして、イギリスの「グラウンドワーク・ファウンデーション」の事例としてテムズ川河口のダートワースの土壌改善事業を紹介しています。
 第3章「『寄付市場』を造り出す」では、大阪の淀屋橋を作った豪商である淀屋辰五郎を紹介し、自費で橋を作り丸々「寄付」したことのリターンとして、大阪に物流の太いパイプが出来上がり、新しい繁華街が形成されたことが紹介されています。
 また、1914年に米国で設立された「クリーブランド財団」に範を取った大阪コミュニティ財団を紹介し、「多数の篤志家から寄付された多数の基金により、それぞれの意向にしたがって助成事業を行う」というその設立趣旨を紹介しています。
 この他、エコマネーでインフレーションを起こすという思考実験や、情報の非対称性を打開し、「寄付をする側と受ける側との双方を仲立ちするコンサルビジネス」として、「NPO法人寄付市場創造協会」(JaDoMaC)を紹介しています。
 第4章「NPO業界の足元を見つめる」では、日本社会に寄付文化が定着しない理由の一つとして、「寄付に関する制度がまだ整備されていないこと」を挙げ、NPOの収益事業に関して、「ほとんどの事業を収益活動と位置づけ、本来事業を限定的に捉えるという『線引き』をしているのが現状」であること、NPOに対する寄付金を、政策的に優遇していくことの議論の裏には、「寄付市場が拡大することで、国庫から支出しなくてはならない補助金が軽減できる」という政府の本音が透けて見えること、日本では寄付金に対する優遇を受けられる「認定NPO」が2005年7月現在で34しかない理由として、認定条件が厳しいこと、等が述べられています。
 著者は、「官主導の国家を民主導の国家に変えていくために」、非営利活動が重要な役割を担うとして、本書の意義を述べています。
 本書は、「NPO=ボランティア」と思い込んでいた人たちにとって、視界が開けるような一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の著者は、今年のはじめくらいに「竹中塾」のプレゼン大会の時にコメントをしていたのを見かけたことがあります。
 あちこちの委員などを歴任しているので名前を見たり、新聞でコメントしているのは見たことがあったのですが、単著を読んだのは本書が初めてだったのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「NPO=ボランティア」と思い込んでいる人。


■ 関連しそうな本

 渡邊 奈々 『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』 2005年08月11日
 上山 信一 『「政策連携」の時代―地域・自治体・NPOのパートナーシップ』 2005年03月28日
 町田 洋次 『社会起業家―「よい社会」をつくる人たち』 2005年02月16日
 谷本 寛治, 田尾 雅夫 (編著) 『NPOと事業』 2005年01月28日
 D. ヘントン, K. ウォレシュ, J. メルビル (著), 加藤 敏春 (翻訳) 『市民起業家―新しい経済コミュニティの構築』 2005年03月15日
 金子 郁容 『ボランタリー経済の誕生―自発する経済とコミュニティ』 2005年08月29日


■ 百夜百マンガ

自虐の詩【自虐の詩 】

 この作品はジャンル的には「DV四コマ」とかになるんでしょうか。とにかくちゃぶ台がひっくり返ります。『ゴーダ君』の貧乏4コマ路線の作者が化けた作品。説教臭くなったともいえますが。

2006年9月26日 (火)

利己的な遺伝子

■ 書籍情報

利己的な遺伝子   【利己的な遺伝子】

  リチャード・ドーキンス
  価格: ¥2940 (税込)
  紀伊國屋書店増補新装版版 (2006/5/1)

 本書は、われわれが生物が、「生存機械――遺伝子という名の利己的な分子を保存するべく盲目的にプログラムされたロボット機械」だという「小説よりも奇なり」な説によって、生物の様々な複雑な行動、親と子、雄と雌との間の争いや、利他的行動などを説明しているものです。著者は、本書の目的を、「遺伝子の利己性と私が呼んでいる基本法側によって、個体の利己主義と個体の利他主義がいかに説明されるかを示」すことにあると述べています。
 第1章「人はなぜいるのか」では、本書が「何でないか」について、
(1)進化にもとづいた道徳を主張しようというのではない。
(2)「氏か育ちか」論争における何らかの立場を主張するものではない。
(3)人間の行動やその他の動物の詳細な行動を記載したものではない。
とした上で、本書で用いられる利他主義と利己主義という言葉が、「行動上のものであって、主観的なものではない」ことを強調しています。そして、「淘汰の、したがって自己利益の基本単位が、種でも、集団でも、厳密には個体でも」なく、「遺伝の単位、遺伝子である」ことを論じるつもりであると述べています。
 第2章「自己複製子」では、ダーウィンの学説を、「進化自体が始まる以前の時期から始めて、従来のものよりもっと一般的な方法でこの偉大な学説を説明してみようと思う」として、3、40億年前に海洋を構成していたと考える「原子のスープ」の中に、「自らの複製を作れるという驚くべき特性を」そなえた「とびきりきわだった分子が生じた」と述べ、それを「自己複製子」と名づけています。そして、この複製過程における重要な特性として、「この過程が完全では」なく、「誤りがおこることがある」ことに着目し、誤ったコピーがひろまっていくにつれ、原子のスープが、「祖先」は同じだが、タイプを異にしたいくつかの変種自己複製分子で占められるようになったと述べています。そして、この分子の中で、「安定した分子、すなわち、個々の分子が長時間存続するか、複製が早いか、あるいは複製が正確か、いずれかの点で安定した分子によって占められるようになったに違いない」と推測し、これが、「生物学者が生物について進化と呼んでいる過程とかわらない」ものであり、そのメカニズムは「自然淘汰」であると述べています。
 第3章「不滅のコイル」では、「あらゆる動植物、バクテリア、ウイルス」を含む「われわれ」が、同一種類の自己複製子、すなわちDNAとよばれる分子のための生存機械」であることが述べられています。そして、DNA分子が行っている、
(1)複製
(2)タンパク質製造の間接的支配
の2つの重要なことを解説しています。また、現代の自己複製子の特徴として、「非常に群居性が強い」点を挙げ、「一つの生存機械はたった一個のではなくて何十万もの遺伝子を含んだ一つの乗り物(ヴィークル)である」ことが強調されています。
 さらに、本書のタイトルにも使われている「遺伝子」について、G.C.ウィリアムズの定義として「遺伝子は、自然淘汰の単位として役立つだけの長い世代にわたって続きうる染色体物質の一部」という定義を引用し、なかでも、「遺伝子がその定義上、コピーの形でほぼ不滅」という点を強調しています。
 第4章「遺伝子機械」では、「生存機械の行動のもっともいちじるしい特性の一つ」として、「人間の意図的な行動によく似」た、「そのまぎれもない合目的性」を挙げています。また、「たとえ遺伝子から行動に至る、胚発生上の原因の科学的な連鎖がどのようなものかをまったく知らなくてさえ、『なになに行動のための遺伝子』といういい方をして、いっこうにかまわない」こと、「遺伝子たちがその共有の生存機械の行動に『協力しあって』作用をおよぼす」ことを指摘しています。
 第5章「攻撃」では、「動物たちがあらゆる機会をとらえて自種のライバルを殺すことに全力を尽くしたりしないのは、なぜなのだろう」という問いに対し、J.メイナード=スミスの「進化的に安定な戦略(evolutionarily stable strategy)」という概念を紹介し、タカ派型とハト派型の2種類の戦略しかないと仮定した例による解説を行っています。
 第7章「家族計画」では、1個の生存機械たる個体が、「新たな個体を生み出すこと」(=子作り)と「現存個体に保護を加えること」(=子育て)というきわめて異質な2種類の決断、すなわち「この子を育てようか、それとも別に一匹産み落とそうか」という決断を下さなければならないという問題を取り上げています。
 第8章「世代間の争い」では、子が食物を得るために行う悪魔的な恐喝の例として、「キツネサン、キツネサン、ぼくを食べにおいで」と「捕食者をわざわざ巣にひきつけるような仕方で、泣きわめく」ことがあり、それを止めさせるために親が取りうる唯一の手段は食物を与えることしかない、という事例を紹介しています。また、カッコウと同じように多種の巣に托卵するミツオシエの雛が、先端のとがった嘴で羽化直後の他の乳兄弟を滅多切りにしてしまう例や、カッコウの雛が他の卵を巣から放り出す例を紹介しています。
 第9章「雄と雌の争い」では、「もし配偶者の一方が、個々の子供に対する貴重な資源の投資量を、公平な割当量以下で済ますことができたとすると、当の配偶者にとってこれは好都合となる」理由として、「別の配偶者との子作りに回せる分が増え、したがって、自分の遺伝子をより多くの子孫に伝えられることになるからである」と述べています。そして、雄と雌がそれぞれどれくらいずつ生まれるかという問題や、新しい妻をめとった直後に継子の可能性のある子供をすべて殺してしまう雄の例やブルース効果などを解説しています。また、家庭第一の雄を選ぶ戦略とたくましい雄を選ぶ戦略の2つの戦略のうち、家庭第一の雄を選ぶ戦略の例として、「気むずかしくはにかみがちな雌」を装い、長い求愛行動あるいは婚約期間を要求する例、雄の巣作りが完成するまでは交尾を拒否する例を紹介しています。
 第10章「ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう」では、「ぼくの背中を掻いておくれ、ぼくは君の背中を掻いてあげる」という「互恵的利他主義」の解説の他、アリの仲間に奴隷を使役する種類や定住的に食物(菌類)の養殖を行っている事例等を紹介しています。
 第11章「ミーム」では、人類をめぐる特異性を、「文化」という言葉に要約できるとしたうえで、「文化伝達の単位、あるいは模倣の単位という概念を伝える名詞」として、「ミーム(meme)」という造語を解説しています。この具体例としては、「人々に宗教への恭順を強いる上で極めて有効だった教義の一つ」である「地獄の業火という脅迫」を紹介した上で、「われわれが死後に残せるもの」が遺伝子とミームであり、遺伝子機械としてのわれわれは、3世代も経てば忘れられてしまうが、「もしわれわれが世界の文化に何か寄与することができれば」、「それらは、我々の遺伝子が共通の遺伝子プールの中に解消し去ったのちも、長く、変わらずに生き続けるかもしれない」と述べています。
 第12章「気のいい奴が一番になる」では、「自分と同じ種の他のメンバーたちを助け、自らの犠牲において、彼らの遺伝子を次世代に伝えさせるような個体」である「気のいい奴(ナイス・ガイ)」が、一番になることがありうることを、アクセルロッドがコンピュータ・プログラムのトーナメントを行った、繰り返し囚人のジレンマの実験を引用して解説しています。この実験では、「素朴な試し屋」や「後悔する試し屋」などの「意地悪(nasty)」な戦略よりも、「やられたらやり返す(tit for tat)」などの「気がいい(nice)」な戦略カテゴリーの方が成功すること、また、古い悪事をすぐに見逃す「寛容(forgiving)」戦略が重要であることが示されています。そして、「やられたらやり返す」に代表される「幅広い他の戦略に対してうまくゆく戦略」が「頑健(robust)」と名づけられたこと、これらを説明する「集団的に安定的な戦略」という表現が作られたことが紹介され、「利己的遺伝子の基本法側から逸脱することなく、基本的に利己的な世界においてさえ、協力や相互扶助がいかにして栄えうるのか」がこの実験によって示されていることが述べられています。
 第13章「遺伝子の長い腕」では、遺伝子が影響を及ぼす範囲は、その個体の形状だけに限らず、石を積み上げたトビケラの巣や、寄生生物にとっての宿主にも影響を及ぼすことが述べられ、「動物の行動は、それらの遺伝子がその行動を行っている当の動物の体の内部にたまたまあってもなくても、その行動の『ための』遺伝子の生存を最大にする傾向をもつ」ことを、「自己複製子」と「ヴィークル」という用語によって解説されています。
 本書は、生物学の記念碑的な著作であることはもちろん、生物のカテゴリーの中の一つの種であるわれわれの社会のあり方を考える上で多くの示唆を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は読んだのは6年ぶりくらいでしたが、当時読んだ時にはちんぷんかんぷんだったゲーム理論関係の解説が、本書の後にゲーム理論関係の本を読んだことで、以前よりはすっと頭に入ってきたような気がします。
 ここから得られる教訓は、
・『A』という本を読んで、その参考文献として『B』や『C』を読み、その後もう一度『A』を読むという読み方をすると理解が深まること。
・難しくて2~3割しか理解できない、と思った本でも、とにかく最後まで字面だけでも読み通すことで、関連する文献や再読した時の理解が深まること。
・本を読むのに必ずしも難易度の段階や順序にこだわる必要はなく、必要ならば再度読み直せばいいこと。
等ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・我々の行動の仕組みを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 ジョン・メイナード スミス (著), 巌佐 庸, 原田 祐子 (翻訳) 『進化遺伝学』
 ロバート・アクセルロッド (著), 寺野 隆雄 (翻訳) 『対立と協調の科学-エージェント・ベース・モデルによる複雑系の解明』 2005年11月15日
 ロバート・アクセルロッド, マイケル・D・コーエン (著), 高木 晴夫, 寺野 隆雄 (翻訳) 『複雑系組織論』 2005年11月29日
 R. アクセルロッド (著), 松田 裕之 (翻訳) 『つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで』 2005年12月20日
 増田 直紀, 今野 紀雄 『複雑ネットワークの科学』 2005年11月18日
 ニコラス ハンフリー (著), 垂水 雄二 (翻訳) 『喪失と獲得―進化心理学から見た心と体』 2006年4月15日


■ 百夜百マンガ

レベルE【レベルE 】

 『幽☆遊☆白書』では、ペン入れ前の「白い」連載で名をはせた作者ですが、この作品では、アシスタントを使わない、ということで、少年ジャンプにあるまじき月1連載で才能を発揮しています。

2006年9月25日 (月)

大臣

■ 書籍情報

大臣   【大臣】

  菅 直人
  価格: ¥672 (税込)
  岩波書店(1998/06)

 本書は、1996年1月から11月まで、自社さ連立政権において橋本内閣の厚生大臣を務めた著者が、「大臣とは何か」を、自らの在任300日を振り返りながら自問しているものです。著者は、多くの大臣が、「大臣は国民に選ばれた」という意識が薄く、「あくまで直接の任命者である『総理大臣』という意識」にあることを指摘し、市長や県知事には「市民の代表なのだ」という意識が強く、その意思が比較的とおりやすいのに対し、「国の行政機関のトップである各大臣と官僚の関係では、官僚のほうに政策意思決定権がいつのまにか移行している」ことを述べています。そして、その端的な理由として1年足らずで交替するという在任期間の短さを挙げ、本書では丸々1章を割いてこの問題を論じています。
 第1章「議院内閣制における大臣」では、国会は単なる「立法府」ではなく、「同時に内閣総理大臣を決める機関」でもあり、「主権者である国民を代表する機関で、国民に代わって総理大臣を決める権限を与えられており、その意味で、国会は国の最高機関なのである」と主張しています。そして、この論点に関して、当時の橋本総理から、「憲法第41条において、国会は国権の最高機関である、そう規定されております。国会が、主権者である国民によって直接選挙をされたその議員から成っております国民の代表機関、こうした位置づけでありますから、国家機関の中で、なんといいましても一番主権者に近い、しかも最も高い地位にあるにふさわしい、そういう趣旨を当然のことながらこれはあらわしていると思います」という答弁を引き出したことを紹介し、これが、「三権分立の立場から国会は行政に一定以上口を出すべきでないとする、霞が関の長年の主張が崩れたことを意味する」と述べています。
 また、現状認識として、現行憲法の内閣が"国会内閣制"であるにもかかわらず、実質的には"補佐役"である官僚にコントロールされる"官僚内閣制"になっていることを指摘しています。著者はこの理由を歴史に求め、「明治以来の伝統的な官僚法学」が、「まず最初に『国家観念』をつく」り、「国家に主権があり、その下で、この部分は議会に権限を、この部分は裁判所の権限だ、と権限を分け与えてある」と主張し、「国家作用のうちから立法作用と司法作用を除いた残りの作用」が「行政権」であると考えることで、官僚が自分を守っていること、「まず国家があって国家が国民を統治するという前提」に立っていることを指摘しています。
 そして、内閣の事務実務が、各省庁から出向した霞が関に官僚らによって取り仕切られており、「首相官邸もまた霞が関官僚の植民地になっている」ことを指摘し、閣議が実質上「サイン会」と化している現状を、「閣議決定をするには、その案件ごとに、総理以下の大臣が署名しなければならない。そのために書類が回ってくるので、それに署名するのに忙しいのだ。多い日は何十という案件がある」ので、「いちいち中身をチェックすることもできない。ましてや、その内容をしっかり読んで確認するなど、とても不可能だ」と述べています。
 第2章「大臣の任期から考える」では、自民党が、「衆議院議員の選挙で6回当選しさえすれば、誰でも大臣になれる」という慣例を作り上げたとして、この「誰でも」の例外は、浜田幸一氏くらいしか近年例がないことが述べられています。また、過去の政治経歴において、「一貫して非自民政権を作らなければと主張」してきた自分が、田中派の流れを汲む橋本内閣に入閣することに対する迷いがあったことを述べています。
 また著者は、大臣になった直後に、部下になる官僚から「このたびは、おめでとうございます」と挨拶されたことに対して違和感を述べています。さらに、組閣当日の就任記者会見では、まだ何も分からない状況で官僚の用意したペーパーを読まされ、官僚に言質をとられることになるので、就任直後の記者会見は廃止すべきであると主張しています。
 第3章「大臣三百日で見えたもの」では、就任後に行われる「大臣レク」について、「一般の企業で、新しく就任した社長が役員や管理職を呼んで最初の会議をするとなれば、まず社長のほうから、どういう方針で会社を経営していくのか、その方針が提示され、それに対して、他の役員なり管理職から質問や意見が出されるのが普通だと思うが、役所はその逆なのである」と、官僚が決めている方針を説明されることへの違和感を示しています。そして、薬害エイズ問題について、著者が自ら作成した調査の基本方針をまとめた文書を官僚に示したところ、「過去に、彼らが大臣から文書の形で指示を受けたことはなかった」ために、大変驚いていたという逸話が紹介されています。
 また、薬害エイズ事件で、著者が厚生大臣として謝罪したことに関しては、著者個人ではなく、政治家による連立与党内のワーキングチームが、「薬害エイズ問題の全面和解に向けて」という文書をまとめ、行政を動かしたことが述べられています。著者は、政治家によるトップダウンという考え方について、「民主主義というのは『交替可能な独裁』だと考えている」と述べるとともに、民主的だと思われているボトムアップのシステムが、「誰がどこで決めているのか」が実に曖昧な「誰も責任を負わないシステム」であり、「本当の政策判断をしているのは、大臣でもなければ事務次官でもなく、局長でも課長でもない。課長補佐かその下の官僚が、実質的には決めているといって過言でもないのだ」と述べています。
 第4章「大臣の仕事」では、制度的には、大臣には人事権も予算の執行権もあるが、「その権力はほとんど行使されることがない」として、「大臣が官僚の意向に反した強行な人事をした場合」には、マスコミから「大臣の行政への介入」という批判を受けることについて、「大臣にはもともと人事権があるのだから、介入と言うのはおかしいのではないか」と述べ、「大臣が人事権を発動することが、まさにニュースになるくらい珍しいという現状のほうがおかしいのだ」と述べています。そして、権限を持つ官僚に政治責任も持たせるために、政治任用(ポリティカル・アポインティー)の導入を主張しています。
 また、国会中の「質問取り」から大臣レクまでの流れについて、
 ・質問通告
 ・質問取り
 ・質問予定事項の整理
 ・質問予定事項の各局への配分
 ・質問予定事項の各課への配分
 ・各課、答弁資料案を作成
 ・総務課法令係長、総括補佐閲覧
 ・総務課長閲覧
 ・審議官閲覧
 ・局長閲覧
 ・官房文書課長閲覧
 ・官房長閲覧
 ・答弁資料確定
 ・各課、答弁資料清書
 ・答弁資料印刷、綴合せ
 ・総務課、答弁資料の取纏め
 ・答弁資料官房文書課へ提出
 ・大臣レクチャー
という流れを、約3時間で行うことを紹介し、それでも「出来上がる答弁書が大臣の元に届くのは」、「委員会の前日の夜遅くや当日の朝7時頃」となり、著者は、その答弁書に納得できない内容があれば、「これではだめだ。検討しなおしてくれ」とつき返していると述べ、「国会の委員会が野党との戦場だとしたら、その前の大臣室での答弁づくりは官僚との『戦場』だった」と述べています。
サインその1 著者は、自身が厚生大臣である間、「大臣は根源的には国民によって選ばれ、各役所を国民に代わって監督する者」と考え行動していたのに対し、一般には大臣自身にも国民にもその意識が薄く、「大臣は役所の代表であり、その役所の利益を主張するのが自分の役目と思っている」という「官庁にコントロールされた大臣」を批判しています。
 第5章「<座談>行政権とは何か」では、松下圭一法政大学教授、五十嵐敬喜法政大学教授との座談会が収録されています。
 本書は、自らの経験を元に、大臣のあり方を論じた稀有な一冊ではないかと思います。

■ 個人的な視点から

 本書はもともと8年前に妻がもらった本だったのですが、8月31日に行われたイベント「e- デモクラシーで政治は変わるか?」にパネリストとして参加されていた著者に重ねてサインをいただくことができました。
 菅さん、ありがとうございます。
サインその2

■ どんな人にオススメ?

・大臣が何をする人なのかを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 菅 直人 『総理大臣の器―「菅」対「小泉」マニフェスト対決』
 小沢 一郎, 菅 直人 『政権交代のシナリオ―「新しい日本」をつくるために』
 松下 圭一 『市民自治の憲法理論』
 松下 圭一 『政治・行政の考え方』


■ 百夜百マンガ

るんるんカンパニー【るんるんカンパニー 】

 人吉が生んだ奇才、ことミッキー鳥越先生が『くるくるくりん』でブレイクする前の作品。後の不条理ギャグにつながる展開の速さとギャップは、当時はマニア受けしかしなかったものと思われます。

2006年9月24日 (日)

「知」のソフトウェア

■ 書籍情報

「知」のソフトウェア   【「知」のソフトウェア】

  立花 隆
  価格: ¥756 (税込)
  講談社(1984/01)

 本書は、著者の幅広い著作活動を支える、情報の「インプットの仕方、アウトプットの仕方、そして、インプットからアウトプットに至るプロセス」について解説しています。
 インプットに関しては、その種類を、
(1)アウトプット先行型:アウトプットの目的を満たすためのものであることがはっきりしている。
(2)インプット先行型:とりあえず使途を決めず楽しみながらインプットする。
の2つのタイプに分けて解説しています。また、新聞・雑誌記事のスクラップ等の資料整理に関しては、「費用対効果比を考えるよりも、時間対効果比、手間対効果比を考えることがいつでも重要である」こと、スクラップは記事の大きさの大小に関わらず、一つの記事は「一つ一枚の台紙」という原則を必ず守ること、可能な限りスクラップの量を減らすこと、雑誌の興味のない記事など読む価値がないものはできる限り読まないこと、等が述べられています。
 著者は、それまで知らなかった新領域の知識を得るためには、まずは世界最大のブックセンターである神保町の書店街を巡り、よき入門書を入手すると述べています。そして、「よき入門書」の条件として、
(1)読みやすくわかりやすいこと。
(2)その世界の全体像が的確に伝えられていること。
(3)基礎概念、基礎的方法論などがきちんと整理されて提示されていること。
(4)さらに中級、上級に進むためには、どう学んでいけばよいか、何を読めばよいかが示されていること。
の4点が挙げられています。
 また、アメリカ大統領の一日が、CIA長官による国際情勢ブリーフィングによって始まる例を挙げ、行政機構の本質を情報機関であると指摘し、「情報は権力である。情報それ自体が力をもち、また情報は力を持つものに流れる。逆に、権力は情報を集め、集めた情報は権力維持に活用されるという面もある。権力機構すなわち行政機構はすべて、見方を変えれば情報機関でもある」と述べています。著者は、官僚から情報を引き出すためには、
(1)その情報が存在しており、それが相手の手元にあることをこちらは知っているのだということ。
(2)その情報を秘密にしておくべき理由は何もなく、公開されて当然であるということ。
の2点を納得させる必要があると述べています。
 聞き取り取材に関しては、「自分がその相手から聞くべきことを知っておくこと」がもっとも大切であり、「いかがですか?」、「ご感想をちょっと…」と水を向けるだけで、「相手が何かまとまりのあることを当然にしゃべってくれるものだと思い込んでいるおめでたいジャーナリストがあまりにも多い」ことを嘆いています。「いい質問ができるかどうかでインタビューの成否は半分以上きまる」として、「一に準備力、二に想像力」を挙げ、さらに後者を、「歴史的、経験的事実を問うとき」に重要になる<事実的想像力>と、「事実をつなぐ論理を発見する能力」であり「考えの筋道を立てる能力」である<論理的想像力>に分けています。 また、インタビューのときには、できるだけテープを使わず、原則としてメモ筆記である理由として、「4、5時間かけて聞いた話も、ほんとに記録するに値するのは、そのうち十分の一くらい」であり、テープに取ると気が緩んでメモの質が落ちることなどを挙げています。著者は「いい話を聞くための条件」を、「こいつは語るに足るやつだと相手に思わせること」、すなわち、「話した通じる相手」だと思われることが重要であるとしています。
 インプットからアウトプットへの変換に関しては、KJ法のユニークな点を、「これまでは個々人の頭の中で進められていた意識内のプロセスを意識の外に出して一種の物理的操作に変えてしまった」ことにあるとした上で、頭の鈍い人が集団で考える時には適しているが、「普通以上の頭の人が一人で考える場合」には適していないことを指摘しています。著者は、本を読むときにノートを取る必要がないことなどと合わせ、「あまりごちゃごちゃ心配しなくとも、人間の全体験は、必ずその人の無意識層に刻印を残し記憶されていく」として、「その記憶が必要な時に、それは忽然と意識の中によみがえってくる」ものであり、「人間の知的能力の増進の要諦は無意識の能力を涵養することにあるのであって、なにやら意識的な小手先のテクニックを覚えこむことにあるのではない」と述べています。そして、無意識の能力を高めるためには、「できるだけ良質のインプットをできるだけ多量に行うこと」以外にはないと述べています。また、いい文章を書くための実用的な方法としては、「動詞的表現の文章は名詞的表現に、名刺的表現の文章は動詞的表現に変えてみること」を挙げています(例:「書き換えが可能なのである」→「書き換えることができる」)。
 また、文章を書く準備として、手持ちの材料の心覚えである「材料メモ」と、閃きの心覚えである「材料メモ」を作ること、「材料メモ」は200字詰めの原稿用紙(ペラ)を用いることが述べられています。そして、「材料を読むことによって得られたコンセプチュアルな認識」を、「チャート」に図解していきます。著者は、「一枚のチャートを説明することでそのまま一篇の論説を書くことができる」と述べています。
 著者は、本書の最後に、オーディオの用語である「SN比」という言葉を取り上げ、よい音の条件の一つである、信号(シグナル)と雑音(ノイズ)の比率を、「自己の内なる情報系」にも当てはめ、「情報のSN日(真実・ガセネタ比)を普段に高める努力が必要」であることを主張しています。
 著者は、あとがきで本書を、「自分で自分の方法論を早く発見しなさい」と要約していますが、そのためのヒントが凝縮された一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 著者は、本書の中で「原則として本は買うべきもの」という見解を述べ、その理由として、「図書館の本には、線を引いたり、書き込みをしたり、ページを折ったり、場合によっては破ったりというようなことができない」ことを挙げています。そして、「市民の読書生活において、図書館が中心的役割を果たすべきだ」という見解に対し、「公営で無料の大食堂をあちこちに作って、そこを市民の食生活の中心にすべきだなどというバカげた意見を唱える人は共産圏でも少ないだろう」と述べた上で、「読書は精神的食事である。自分で読む本くらい自分で選んで、自分で買って、自分の手元に置き、好きなときに好きなように読むべきである」と主張しています。
 ほとんどの本を図書館から借りて読んでいる身としては、非常に胸が痛い言葉です。本を買う金は自分に対する投資だからと考えることができても、本を置く場所ばかりはどうにもならず、著者のように地上3階地下1階のビルでも建てられれば良いのですが。
 ちなみに、昨年の9月から今年の8月までの1年間に紹介した本の合計額は788,651円でした。やっぱりしばらくは図書館通いが続きそうです。


■ どんな人にオススメ?

・情報の変換を生業にしている人。


■ 関連しそうな本

 立花 隆 『ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論』 2006年07月29日
 立花 隆 『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』 2006年07月16日
 梅棹 忠夫 (著) 『知的生産の技術』 2005年05月05日
 川喜田 二郎 『発想法―創造性開発のために』 2005年08月27日
 加藤 秀俊 『取材学―探求の技法』 2005年10月16日
 渡部 昇一 『知的生活の方法』 2005年10月09日


■ 百夜百音

The History of Shogo Hamada 【The History of Shogo Hamada "Since 1975"】 浜田省吾 オリジナル盤発売: 2006

 昔、ガキの使いで「浜省だらけの野球大会」ってめちゃくちゃおもしろかった記憶がありますが、本人のアルバムは一枚も持ってないです。「片想い」とかいい曲ですよね。


『愛奴』愛奴

2006年9月23日 (土)

書きたがる脳 言語と創造性の科学

■ 書籍情報

書きたがる脳 言語と創造性の科学   【書きたがる脳 言語と創造性の科学】

  アリス・W・フラハティ
  価格: ¥1995 (税込)
  ランダムハウス講談社(2006/2/3)

 本書は、「作家はなぜ書けるのかというほかに、なぜ書きたがるのか、それどころかなぜ書かずにいられないのかという疑問」に神経科学からアプローチしたものです。本書のタイトルは「書かずにいられない病」である「ハイパーグラフィア」に由来しています。また、もう一方の辛い対極である書きたくても書けない状態、「ライターズ・ブロック」についても併せて、分析の対象としています。
 著者は、医学部でハイパーグラフィアを知ったときに、自身もハイパーグラフィアではないかと考えていたと述べています。その理由の一つは、「感じやすい医学生は勉強している障害が自分にもあると思い込みやすいせい」ですが、もう一つは、「書きたいという衝動がますます強くなっていたから」だと述べられています。本書は、著者にとって、「自分の脳でどんな激変が生じたから、わたしはほとんど意思に反してまで作家になったのか、この本はそれを自分に説明しようという試み」であると位置づけられています。
 第1章「ハイパーグラフィア――書きたいという病」では、一番よく知られているハイパーグラフィアの原因である側頭葉てんかんが、「異常にモチベーションの高い作家」を生むことが述べられています。この側頭葉は、ほかの神経細胞からの電気的刺激に敏感なため、「創造性に選択的な影響を及ぼす脳の状態を知る窓口」である発作の原因になりやすいと述べられています。そして、ほとんどのてんかん患者は、発作の時だけ症状が出るが、発作と発作の合間にも症状が出る人(発作間の症状)があり、「ハイパーグラフィアは発作間の症状である」と解説されています。
 著者は、ハイパーグラフィアの定義を、
(1)大量の文章を書く。
(2)外部の影響よりも強い意識的、内的衝動から生まれる。
(3)書かれたものが当人にとって非常に高い哲学的、宗教的、あるいは自伝的意味をもっている。
(4)少なくとも当人にとっては意味があるという緩やかな基準は別として、文章が優れている必要はない。
の4つの基準によって示しています。
 また、側頭葉以外の脳の部位に損傷を負っても書くという行動が増大する例として、「前頭葉の損傷に起因する書字行動」について、「同じ文字を繰り返し書き続けるというような原始的なかたちの『書字衝動』に」よるものであり、「書きたいという衝動よりも、『強迫的使用』というもっと奇妙な現象」であると述べています。
 著者は、ハイパーグラフィアを神経科学的に分析する意義について、「神経心理学の知識が積み重なるにつれて、脳に起因することがつきとめられない気質はますます少なくなっていくし、それらの気質を変える治療も増えていく。創造性を神経学的に説明することは、最近まできわめて分析しにくかった問題を扱う、力強く実り多い方法になろうとしている」と述べています。
 第2章「文学的想像力と衝動」では、ハイパーグラフィアを研究する価値として、心理学と神経学の2つの方法から、創造性の起源を明らかにするのに役立つと述べられています。
 著者は、心理学者が主張するいくつかの創造性理論を紹介する中で、「芸術面の創造性の根本には精神病がある」とする説や、作家たちがインスピレーションを得るためにさまざまな薬物を用いてきたことを紹介しています。
 また、側頭葉が文学だけでなく視覚的芸術や音楽の意欲もコントロールしている例として、側頭葉認知省の患者のほとんどが音楽や視覚的芸術の創造力が高まることや、側頭葉てんかんか躁うつ病、あるいはその両方を患っていたと言われているゴッホの例を紹介しています。
 第3章「精神状態としてのライターズ・ブロック」では、ライターズ・ブロックになった作家に共通する特徴として、
・知的には問題がないのに書けないこと。
・書けなくて苦しんでいること。
の2点を挙げています。そして、この対極にあるのがハイパーグラフィアであるとしながらも、「この二つの脳の状態はまったく正反対というわけではなく、相互補完的で、だから一人の作家がハイパーグラフィアとライターズ・ブロックのあいだを揺れ動くことが可能になる」と述べています。また、特殊な例として、ライターズ・ブロックの苦しさがまざまざと現れた饒舌な長い文章を紹介し、ハイパーグラフィアとライターズ・ブロックが同時に現れることもあると述べています。
 この他本書では、書痙とライターズ・ブロック、先送りとライターズ・ブロックとの対比や、19世紀にマスケット銃に代わりライフル銃が使われるようになったために被害者に失語症のような特定の症状を生じさせ、言語の神経学が大きく進歩したこと等が述べられています。
 本書は、創造性や芸術という、科学とは一番離れたところにありそうな問題に、神経科学からアプローチしたもので、科学書としては物足りないところはあるものの、読み物としては十分楽しめる一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の第7章には、『神々の沈黙』の著者、ジュリアン・ジェインズの「二分心」に関する解説が収められています。重い精神病患者にとっては、「内なる声が激しくなってそれ自身が生命を持ち、言葉と話しての境界が流動的になる」と述べられていますが、ジェインズが神話の分析からたどり着いた結論と、神経科学者の研究とがこういうところで出会うというのは、近接する分野の本を読んでいく楽しみの一つではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・文章がかけなくて悩んでしまう人。


■ 関連しそうな本

 ジュリアン ジェインズ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 2006年06月04日
 トール ノーレットランダーシュ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』 2006年06月18日
 V.S. ラマチャンドラン, サンドラ ブレイクスリー (著), 山下 篤子 (翻訳) 『脳のなかの幽霊』 2006年09月03日
 アンドリュー ニューバーグ, ヴィンス ローズ, ユージーン ダギリ (著), 茂木 健一郎 (翻訳) 『脳はいかにして"神"を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス』 2006年07月01日
 オリヴァー サックス (著), 春日井 晶子 (翻訳) 『レナードの朝』
 ジェフ・ホーキンス, サンドラ・ブレイクスリー (著), 伊藤 文英 (翻訳) 『考える脳 考えるコンピューター』 2005年12月17日


■ 百夜百音

ベスト【ベスト】 円広志 オリジナル盤発売: 2003

 昔「夢想花」がヒットした時には、『八時だよ!全員集合』で、「とんでとんで~」がいつまでも繰り返す、というギャグをやってました。
 関東の人間にとってはそのくらいしか印象にないのですが、関西ではすっかりお茶の間に定着しているようです。


『探偵!ナイトスクープ Vol.1&2 BOX』探偵!ナイトスクープ Vol.1&2 BOX

2006年9月22日 (金)

プロフェッショナル広報戦略

■ 書籍情報

プロフェッショナル広報戦略   【プロフェッショナル広報戦略】

  世耕 弘成
  価格: ¥1575 (税込)
  ゴマブックス(2005/12/20)

 本書は、自民党が歴史的な大勝を得た、2005年総選挙において、党のコミュニケーション戦略チームのリーダーを務めた著者による、「広報戦略の本質であるコミュニケーションの重要性」を説いたものです。著者の経歴は、大学卒業後、民営化間もないNTTに入社し、米国の大学院でコミュニケーションと企業の危機管理について学び、広報畑を歩き、本社報道担当課長を務めた後に、1998年、参院議員であった伯父の急死を受けた補欠選挙に当選したというもので、著者自身は、「キャリアの基本は常に組織と社会を結ぶコミュニケーション」であると位置づけています。
 第1章「戦略的広報とはなにか」では、政界に入って最大の驚きとして、「政府首脳を守る仕組みがない」ことを挙げ、朝夕記者会見している官房長官には、役所の想定問答のメモが渡されるだけで、アドバイスをするコミュニケーションのプロが不在であること、総理大臣には随時記者が群がる「ぶら下がり取材」が行われ、その日の気分に左右される発言(特に森総理では極端)が世界に向けて発信されていることなどが、「国益に関わる問題」として紹介され、「コミュニケーション関係の専門補佐官が絶対に必要」であると感じたことが述べられています。
 第2章「自民党の広報改革プロジェクト」では、2003年11月の総選挙と2004年の参院選において民主党が躍進したことを受け、自民党国会議員の中からも、「民主党のCMやポスター、パンフレットのほうが格好いい」と、広報のあり方に問題意識を持ち、「わが党の広報に問題があるのではないか」との批判が噴出したことが紹介され、総裁直属の「党改革実行本部」の戦略的広報体制確立部会長に就任した著者が、改革のポイントとして、
(1)完全に縦割りになっていた自民党の広報関連組織を一元化すること。
(2)広報本部長の部屋を幹事長室のすぐそばにすること。
(3)党のスポークスマン(報道官)を新たに立てること。
(4)プロのPRコンサルタントを入れること。
をアクションプランに盛り込んだ中で、唯一(4)が、プラップ・ジャパンというPR会社との契約という形で実現し、宮城2区補選のイメージ戦略アドバイス、1日1個のプレスリリースなどが評価されたことが述べられています。
 そして、2005年総選挙時には広報本部長代理に就任し、小泉総理から「今回は広報が大切だから君がぜひやってくれ」と任され、「幹事長補佐」という権限とともに、選挙公報の全権を委譲されたこと、「コミュニケーション戦略チーム」(コミ戦)を立ち上げたことが述べられています。
 第3章「プロジェクトマネジメントとしての広報」では、「戦略的広報を実践する上での最大のデータは新聞やテレビの報道状況である」との認識から、毎朝、その日発売の新聞と雑誌記事のクリッピングと、前の晩からその日の朝までに選挙を取り上げた全番組を録画して文書に起こしたものを用意させるとともに、広報局のもつ世論調査機能をフル活用したデータ蒐集を行ったことが述べられ、さらに、企業のマーケティングで使われる「フォーカス・グループ・インタビュー」を取り入れたことなどが述べられています。また、公認候補を発表する幹事長会見のバックを「改革を止めるな。」のロゴで埋め尽くせば、テレビのニュース映像に必ず使われる、等のアイデアをすぐに実行に移すことで、コミ戦のメンバーのモチベーションも上がり、波に乗っていきます。
 第4章「組織を勝利に導くための広報戦略」では、選挙戦の間、「郵政民営化に関してシンプルでわかりやすい争点を国民に問いかける」というスタンスを取り続け、著者らが、徹底的にデータを重視し、中でも「果たして郵政民営化一本で最後まで選挙戦を戦えるのかどうか」に関しては、世論調査を固唾を呑んで見守っていた様子が述べられています。そして、「選挙での最大の広告塔」である小泉総理の遊説先選びに関しても、従来のしがらみや惰性に縛られた遊説先選びではなく、徹底的なデータ重視により、当落がきわどい激戦区に限定して遊説先を選んだこと、最終日には効率的に移動できる首都圏の激戦区、埼玉、東京、千葉を遊説して回ったことが述べられています。「小泉首相が来るとどの場所も大体1万人の人が集まる。1万人集まるということは、単純に考えて何千票はひっくり返っている」と、接戦を一つ一つものにしていく地道な取組みが勝利に結びついたと述べられています。
 また、テレビ番組出演者の人選も、「その番組の性格、バラエティー的なのか本格的な討論番組なのか、出てくる相手を過去のデータから分析して一番良いと思われる人を出演」させるという戦略をとり、その例として、民主党の菅直人氏には、竹中平蔵氏をぶつけることで、眉間にしわを寄せてイライラしてくる菅氏と、えびす顔の竹中氏とのコントラストを強調したことが述べられています。
 さらに、広報活動の重要な役割である組織内コミュニケーションについては、コミ戦から全国の各候補者に、毎日1~3通のFAXを送り、「自民党のセールスポイントや民主党の政策の問題点」を周知徹底させたことが紹介され、このFAX情報が、候補者の演説ネタとして好評だったことが紹介されています。
 第5章以下は、広報マンとしての著者自身のことが語られています。第5章「プロの広報マンになるために」では、著者がNTTでどのように育てられてきたか、毎朝6時半に出勤して、「全国紙や業界紙など新聞11紙を全部点検し」、記事を切り抜いて自分で編集することが、「会社と会社を取り巻く状況への問題意識」を育む「広報のプロを目指す人の必須経験」であること、新聞各紙の論調(スタンス)分析を徹底して行わされたこと等が述べられています。また、第6章「コミュニケーションのプロが広報だ」では、伯父の急死により、参院補選に担ぎ出される様子が述べられています。自民党本部の森幹事長に呼び出され、その場で、
(1)伯父の支持母体であった近大OBと関わりがないこと。
(2)世耕家の中の序列。
(3)一サラリーマンに選挙に出るだけの資金がないこと。
(4)家族の反対。
の4つの理由を即答し、そのうちの3つを幹事長自身が解決してしまったことで、断れなくなったこと等が述べられています。
 本書は、自民党の歴史的大勝を、後から語った自慢話ととることもできますが、世の中に出回っている経営者の本の類いの8割9割はそんなものです。いっそ、本書のタイトルも正面から、『2005年総選挙を勝利に導いた広報戦略』とかにしても良いくらいではないかと思います。また、これは難しいとは思いますが、『社長失格―ぼくの会社がつぶれた理由』があるように、選挙に負けた側の敗因分析の本があったら読んでみたいと思いました。


■ 個人的な視点から

 2005年総選挙の小泉総理の遊説先の最終日が千葉だったことが紹介されていますが、具体的には千葉市の鎌取ジャスコでした。当時は、民主党の党首が岡田氏だったこともあり、ある面で節操のなさを感じていましたが、しがらみにとらわれない遊説先選びというのは本当なのかもしれません。
 また、本書では、ブロガーと幹事長との懇談会が紹介されていますが、候補者の公募に応募し、幹事長面接まで進んだ様子が書かれたブログも話題になりました。この記事が書かれたのが選挙前(2005年08月19日)だったこともあり、実は開かれた候補者選びを演出するための仕込みだったとしたら大したものだと思います(←妄想)。
 
『いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」』「自民党公募体験談(爆)~その1」


■ どんな人にオススメ?

・顧客起点のコミュニケーションによる組織改革の事例を見たい人。


■ 関連しそうな本

 世耕 弘成 『自民党改造プロジェクト650日』
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日
 高瀬 淳一 『武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法』 2006年08月10日
 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 2005年09月07日
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 2005年07月13日


■ 百夜百マンガ

ジパング少年【ジパング少年 】

 日本での閉塞的な生活から、なぜか南米に旅立ってしまうストーリーに初めは戸惑いましたが、地味ながらいい作品です。
 「お金を覚えているか」が記憶喪失かどうかのテストになるという話を知りました。ほんとうに記憶喪失でもお金は忘れないそうです。この作品では人間の業の深さのように書いていましたが、単に記憶の仕組みの違いではないかと思います。

2006年9月21日 (木)

成果主義の真実

■ 書籍情報

成果主義の真実   【成果主義の真実】

  中村 圭介
  価格: ¥1785 (税込)
  東洋経済新報社(2006/03)

 本書は、「成果主義に関心を抱く人々に、冷静さを保ち、幅広い視野を持っていてほしい」、「その上で、現在、生じつつあることの意味を自分なりに深く考えてもらいたい」との思いから著されているものです。著者は、企業を成功に導くものは、「自社が得意とし、かつ有望だと思われるマーケットを定め、そこに適切な製品を供給すること」、すなわち経営戦略が基本であるとして、「良き人事管理は、中長期的な成功にとっての必要条件ではあるが、経営の成功の十分条件ではない」と述べ、目を向けるべきは人事管理ではなく「成果を生み出す部門別業績管理」、すなわち「仕事管理」であると述べています。
 著者は、本書の狙いとして、
(1)良き人事管理は、経営の成功を保証しはしない。
(2)昇給や昇進などのインセンティヴは従業員の働きぶりに間接的にしか影響を及ぼさない。
(3)従業員の日常的な働きぶりを直接、コントロールする仕組み=仕事管理は人事管理に含まれるべき。
(4)賃金制度は企業内の従業員相互が取り結ぶ人間関係のありようを表し、その改革のインパクトは広く企業社会全体に広がる。
の4点を最終章に掲げています。
 第2章「いろいろな成果主義」では、成果主義を、
(1)素朴な成果主義
(2)プロセス重視型成果主義
(3)分離型成果主義(意図的分離型)
(4)分離型成果主義(結果的分離型)
の4タイプがあるとして、それぞれについて解説しています。
 「素朴な成果主義」とは、「売上、利益などの数値の実績と報酬を直結させるもの」であり、「昔ながらの出来高旧制度を現代風に言い換えただけ」のものであると解説されています。
 「プロセス重視型成果主義」とは、「成果だけでなく、成果を生むプロセスにも着目する成果主義」であり、本書ではデパートと電機メーカーの2つの事例が解説されています。前者に関しては、
(1)最終成果だけでなく、それを生み出した行動をもあわせて評価する。
(2)毎月の給料については、成果主義の対象が管理職に限られる。
  →権限と責任はセットでなくてはならず、上司の失敗の責任は負わせられない。
  →発展途上の従業員には失敗を恐れずのびのびと仕事させる。
(3)最終成果と成果行動についての評価に応じて、管理職の給料は毎年変動する。
の3つの特徴を挙げています。また、後者に関しては、
(1)粗利や収益を含む受注・売上目標の達成度(50%)
(2)中長期的な重点的取組み課題(30%)
(3)費用を抑制するための取組み(10%)
(4)部下の育成や能力開発(10%)
の4つの面が評価されることが紹介され、その特徴として、
(1)紆余曲折を経て、プロセス重視型の成果主義へと変わった。
(2)成果主義の対象は、事実上、課長以上の管理職に限られる。
(3)管理職に関する限り、成果主義は毎年の昇給額に反映される。
(4)役職(=等級)によって給料の上限と下限が決まり、役職ポストに対して給料が支払われる。
(5)管理職の人件費総額が一定範囲内に納まる。
の5点を挙げ、なかでも(4)と(5)については、前者のデパートの事例に共通していることを指摘しています。
 「分離型成果主義」とは、「与えられた目標をどれだけ達成したかを評価することはない、つまり最終成果が評価の対象とはならないという意味」の成果主義であるとして、トヨタの事例が紹介されています。著者は、この「意図的な成果と評価の分離」を、「成果主義を徹底する。けれども、成果を評価する場合には、成果そのものではなく、成果を生み出すために発揮した能力に着目する」ものであると述べ、トヨタにとって、賃金制度改革のためのスローガンとしての「成果主義」が必要であったのではないかと推測しています。そして、管理職の目標面接シートが、
(1)期待されている役割:組織の使命、分掌業務、方針と一致。
(2)重点テーマ:本年度の役割を遂行するに当たって設定した中心的な複数の課題。
(3)評価項目ごとの自己評価と上司評価:課題創造力、課題遂行力、組織マネジメント力、人材活用力、人望の5項目。
 ――重点テーマの達成度そのものに関して記述する箇所はない。
の3つの部分から構成されていることが述べられています。著者は、トヨタの成果主義の特徴を、
(1)成果主義をうたいながらも、評価においては目標の達成度などを考慮しないことを宣言している。
(2)評価は、目標や役割を果たすために必要とされる能力の発揮についてなされる。
(3)管理職の重点テーマ、一般職の期待される役割は、会社の年度方針、副社長・専務の重点実施項目から導かれる。
(4)成果主義の対象は、管理職に限られている。
(5)一般職の給料は、毎年上がっていく。
(6)管理職のボーナスは、毎期の評価に応じて大きく変動する。
の6点挙げています。
 もう一つの分離型成果主義の例としては、情報通信企業の例が取り上げられていますが、トヨタと異なり、「意図的ではなく、結果として分離している」ことを指摘しています。著者は、この企業にとっての賃金制度改革の真の狙いを、
(1)一般職の賃金カーブを50歳前後で頭打ちにする。
(2)人事評価結果を毎年の賃金に反映させる(成果加算と成果手当)。
の2点指摘しています。著者は、この企業を、「精緻な制度とは裏腹に、実際には成果と評価は分離している。結果として分離している」と述べています。
 また、成果主義がもたらした変化として、
(1)成果主義は主として管理職を対象にしている。
(2)管理職の給料について、定期昇給がなくなり、評価に応じて変動し、天井がある。
(3)一般職については、能力の向上を促し、その伸長に合わせて給料を支払うという仕組みが維持されている。
(4)ボーナスの算定に、会社業績と個人の貢献度が直接的に結び付けられるようになった。
の4点を指摘しています。
 第3章「成果を生み出す仕事管理」では、ホワイトカラーの生産性に関して、おびただしい数の本や報告書が出版されているが、解決策が発見されていないことについて、「生産性の測定」という難問に固執しないこと、すなわち、「まずは測定、その後に管理」ではなく、「まずは管理があり、それに適合的な何かを測定すれば良い。乱暴な言い方を許してもらえれば、ホワイトカラー個々人の生産性などは測定する必要などない」と述べ、「ホワイトカラーの効率的利用のカギは仕事管理にある」と述べています。具体的には、デパートの事例を通じ、「会議の場で陰に陽に浴びせられる(と感じられる)叱責、嘲笑、認知、賞賛など」が、「良き成果のための重要なインセンティブ」となっている例を挙げるとともに、よい成果の決め手は、「上司の指示の適切さをどのようにしたら確保できるか」、「その支持をいかに部下に伝え、彼らの的確な行動をいかに確保しうるか」という「成果を生み出す行動=プロセスに着目し、良き行動をいかに確保しうるかが重用になる」と述べ、成果主義が「プロセス重視型でなければならない」理由としています。
 著者は、デパート、電機メーカーの営業部とシステム開発部門などの事例から、
(1)仕事管理を進めていく上で着目する指標の一つとして、金銭的=財務的な指標を利用できれば、管理のサイクルを回しやすい。
(2)その場合であったとしても、金銭的=財務的な指標だけで仕事管理が行われているわけではない。
 →金銭的=財務的指標は仕事の成果を客観的に測定することができるが結果に過ぎない。
(3)財務及びそれ以外の指標と仕事のプロセスに着目しつつ仕事管理のサイクルを回していく上で、頻繁に開催される会議が重要な役割を担う。
(4)仕事管理の緩急は事例によって異なる。
(5)金銭的=財務的指標が、ホワイトカラーの結果としての生産性の測定とその向上を図るために利用されるとは限らない。
(6)事務系のスタッフ部門の仕事管理の仕組みは、依然としてあいまいなままに残った。
(7)成果主義と仕事管理の関係をどう考えるか(賃金制度と仕事管理は一対一の対応関係にはない)。
の7点をまとめています。
 第4章「新しい人事管理論」では、
(1)他人に依存:経営トップは、他人に依存品蹴れが、戦略を実行することも、利潤を得ることもできない。
(2)限定された合理性:人間のできることには限界があり、すべてを知り、すべてを予測することはできず、自らの考えをすべて言葉にし、誤解を生むことなく相手に伝えることもできない。
(3)機会主義:自分に有利な結果が実現されるように、相手に対して嘘を言ったり、脅したりする。
(4)インセンティヴ:刺激、誘因。自分から懸命に働こうという気にさせるもの、怠けてはダメだと思わせるもの。
(5)コントロール:懸命に仕事をするように外から促すこと。
の5つのキーワードを挙げ、経営者は、「従業員=他人に依存しなければ、戦略も実行できないし、利潤もあげられない。彼らに仕事を任せるほかない。だが、限定された合理性と機会主義のために、任せっぱなしにはできない。任せ方に工夫をこらし、他方でインセンティヴとコントロールの仕組みを用意する必要が」あり、「そうした工夫と仕組みこそが人事管理である」と述べています。
 第5章「人事を変える成果主義」では、「報酬制度の3つの変化」として、成果主義が賃金制度、ボーナスを、
(1)勤続を積み、年齢を重ねれば、賃金が半ば自動的に上がっていくという意味の年功賃金はなくなりつつある。
(2)職務遂行能力の向上を促し、それを評価するという意味の能力主義が消えつつある。
(3)ボーナスにおいて、企業の業績と個人の貢献度が強く結び付けられるようになった。
の3点を指摘し、これらの変化が管理職で鮮明に見られると述べています。そして、人事管理に課せられる課題として、
(1)役職昇進前の中年期以前の能力開発の重要性が今まで以上に高まること。
(2)中年期以降のリターンマッチ、能力開発、モラール維持なども重要な課題となる。
の2点を挙げています。
 本書は、成果主義の導入の是非ばかりに固執しがちな近年の人事管理をめぐる議論に対し、経営の基本である「仕事管理」(部門別業績管理)の重要性を説いた堅実な経営書ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書が損をしている(得をしている?)としたら、本書のタイトルである「成果主義の真実」に釣られて手にする人の多くは、著者の主張するところに反して、成果主義自体の是非や影響にこだわっている人たちである点ではないかと思います。
 著者の狙いが、そういった人たちに、こだわるべきは仕事の中身を管理することであって賃金制度ではないことをわかってもらうことだとすれば、適切なタイトルなのかもしれませんが。


■ どんな人にオススメ?

・「成果主義」論争に決着をつけたい人。


■ 関連しそうな本

 都留 康, 阿部 正浩, 久保 克行 『日本企業の人事改革―人事データによる成果主義の検証』 2005年06月24日
 高橋 伸夫 『虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメ』 2005年3月30日
 高橋 伸夫 『〈育てる経営〉の戦略―ポスト成果主義への道』 2005年06月16日
 城 繁幸 『日本型「成果主義」の可能性』 2005年12月08日
 城 繁幸 『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』
 溝上 憲文 『隣りの成果主義』 38737


■ 百夜百マンガ

江戸むらさき特急【江戸むらさき特急 】

 「時代劇+4コマ」のニッチを押さえてしまった人。問題は、時代劇ネタはある世代以上にしかわからないという点ですが、ネタ元はわからないけどおもしろい、という「ゆうえんち くじら」的な面白さもあるのかもしれません。

2006年9月20日 (水)

できれば幸せに働きたい―働く女(ひと)の身の振り方

■ 書籍情報

できれば幸せに働きたい―働く女(ひと)の身の振り方   【できれば幸せに働きたい―働く女(ひと)の身の振り方】

  日本経済新聞生活情報部
  価格: ¥1470 (税込)
  日本経済新聞社(2003/08)

 本書は、日経の生活面で2002年9月から毎週月曜日に連載された「仕事と生きる」を元に、「働く女性の現状はどうなっているのか。彼女たちは、どんな課題を抱え、それにどう立ち向かおうとしているのか」をまとめたものです。
 第1章「働き続けては見たけれど」では、「能力主義で男女差がなく、高収入でおしゃれ」な、女性の理想の職場とされてきた外資系企業で、日本企業以上に大胆な人員削減にほんろうされる女性が増え、「能力主義ではなく、能力"アピール"主義」という外資企業の実態に対する幻滅も紹介されています。
 また、女性技術者の前に立ちはだかる壁として、中間管理職が女性を使いこなせず、「『君はいいから』と実務に携われないこともしばしば。これではキャリアが身につかない」と長期的なキャリア形成が困難なこと、昇進・昇格面で男性が実力以上の評価を与えられることもあることなどが挙げられています。
 第2章「"お手本"がいないとまどい」では、女性社員の専門職志向に関して、「女性の多くはスペシャリスト(専門職)と、庶務など一定の職場での習熟が重視されるエキスパート(専任職)を今度している」という人事関係者の批判を紹介する一方、女性を専門職志向に向けた一因として、男女雇用機会均等法施行後、多くの企業が社歴の浅い女性を専門職能が重視される中枢部門(マーケティング、企画、人事など)に配置し、営業などの現場から離したことが問題だとする指摘を挙げています。そして、現在の女性のキャリアモデルが、「仕事に全身全霊を傾ける男性型のキャリア志向のものに限られ、しかも男女の待遇格差も残る不完全なものでしかない」という指摘を紹介しています。
 第3章「"ワーキングマザー"の現実」では、育児休業明けの女性社員が直面する企業からの冷遇に、「出産前に高い評価を受けていた女性ほど悩みは大きく、落差に打ちのめされる」ことを紹介しています。また、仕事と育児の間で板ばさみになる悲哀を、なかなかご飯を食べない4歳の長女に「まま忙しいんだから、早く食べてよっ」と叱った母親に対して娘が発した「ママ、怖い」という言葉で表しています。共働き夫婦の家事時間に関しては、2001年の社会生活基本調査の結果として、妻の4時間8分に対し夫は28分にしか過ぎず、大きな時間差があることが示されています。
 転勤もワーキングマザーの前に立ちふさがる大きな壁です。「辞令一つで、全国どこにでも赴任せよ、というのは日本の企業社会だけの慣行」であるという指摘とともに、転勤を回避するため、転勤のない職種へ転換し昇格を諦めた例や、夫の転勤を機に退職する人も少なくないことが紹介されています。
 第4章「犠牲になる私生活」では、苛酷な労働環境に「このままでは体を壊してしまう」という不安を抱えて働く女性が増えていることが述べられています。一つには、「働く女性にとって、過労死が身近な問題になりつつある」ことで、働く女性は平均年齢が低いため脳・心臓疾患は少ない代わりに、業務上のストレスに起因する精神疾患の相談が多いことが紹介されています。もう一つには、仕事のストレスが引き金になったアルコール依存症が増加していることで、「女性は男性よりアルコールへの耐性が低く、少量の飲酒でも依存状態に」なりやすく、「男性中心の企業や組織で、それまで体験しなかった挫折を味わい、酒に逃避するケースが増えている」ことが指摘されています。また、働く女性の勤続期間の長期化や、経済的に自立したことや、多忙な自分を支えられる役割を夫に期待するなど結婚観が多様化したことで、男性側とのミスマッチが生じ、結婚相手が見つからないことが述べられ、総合職の中には、仕事と転勤に追われて結婚相手を見つける時間がないがないというケースも紹介されています。さらに、転勤にともなうストレスに関して、「男性なら夜のつきあいや休日のゴルフ、釣りなどを転勤先で楽しむことが多いが、女性は一般的にストレスを発散できる場が限られる」ことが指摘されています。
 第5章「"不安定な立場"の悩み」では、これまで「仕事と家庭を両立しやすい」と考えられてきたパートタイマーや派遣社員が、不況による労働条件の悪化で残業が増え、残業もいとわず臨機応変に働ける人が求められていることが紹介され、「派遣は今や両立が最も難しい働き方」になっていることが指摘されています。また、全国の地方自治体で約30万人が働き、そのほとんどが女性といわれている非常勤・臨時職員に関して、正規職員と賃金や有給休暇制度などの待遇格差が大きく、なかでも雇用期間に制限があり、一年や半年といった雇用契約の更新を繰り返しながら働き続けている点が指摘されています。
 第6章「"壁"は自分で乗り越える」では、「11人の部下を持ち、ほぼ月1回のペースで海外にも出張する管理職」と2人の子どもの母親を、多ければ週4回の夜間ベビーシッターを頼み、自宅からの国際電話やメールで仕事をこなしながら両立しているケースを紹介しています。「管理職は自ら動くより人や仕事のやりくりを手配するコーディネーター的な仕事が多い」ため、「子育てとの時間配分がしやすい面も」あるという言葉が紹介されています。また、正社員で勤めながら、小学6年から2歳児までの4男2女の6人を育てる子だくさんママも紹介されています。夫婦2人だけの育児は2人目は大変だったものの、「夫も料理などの家事がどんどんうまくなったうえ、長男が二男を見てくれたから、赤ちゃん一人の世話だけでよかった。2人目を乗り切れば、何人でも大丈夫」と、3人目からは育児が楽になったことが紹介されています。子だくさんのワーキングマザーは、「経済的にも仕事を続けていないと、多くの子どもを育てるのは難しい」反面、夫婦2人分の収入のある共働きの世帯の方が、経済的にはたくさんの子どもを持つことが可能な環境にあることが述べられています。
 第7章「突破口を求めて」では、女性向けの社内組織・社内活動など、企業側が女性を積極的に活用するための支援策を打ち出していること、社外のネットワークで交換した知識や人脈を仕事やキャリア形成に活かし、仕事の悩みも相談しあっていること、社内ベンチャーや公募に挑戦する女性が増えていること、「性別に関する先入観が評価に入る余地がなく、職務や目標が明確なので働きがいを感じる」ことができる成果主義が女性に歓迎されている反面、「家庭責任の重さが違うまま、同一尺度で男女の働き方を比べれば女性が不利になる」ことなどが紹介されています。
 本書は、元が新聞の連載であったため、一つ一つのトピックが短く読みやすいので、仕事と家庭に追われて本を読むまとまった時間をとることが難しい人にもお奨めできる一冊です。


■ 個人的な視点から

 女性はアルコール依存症になるリスクが高いそうです。
 本書では、アルコール治療専門病棟を備える国立療養所久里浜病院の樋口医師の言葉として、
・女性は一般的に男性に比べて小柄で、肝臓も小さいためアルコール分解能力が低い。
・アルコールを吸収しにくい体脂肪が多いこともあり、一般に男性が20年程度で依存症になるのに比べ、女性はその半分程度の期間で依存状態になる。
ことが紹介され、女性は比較的飲酒期間が短くても、男性以上に危険性が高いと述べられています。
 アル中と言えば、吾妻ひでおの『失踪日記』にも三鷹のアルコール依存症治療病棟の逸話が紹介されていますが、その中で、アルコール依存症は、
「不治の病気です」
「一生治りません」
「ぬか漬けのきゅうりが生のきゅうりに戻れないのと同じです」
という恐ろしいセリフが出てきます。


■ どんな人にオススメ?

・幸せに働きたい人。


■ 関連しそうな本

 ロザベス・モス カンター (著), 高井 葉子 (翻訳) 『企業のなかの男と女―女性が増えれば職場が変わる』 2005年10月11日
 佐野 陽子, 志野 澄人, 嶋根 政充 (編著) 『ジェンダー・マネジメント―21世紀型男女共創企業に向けて』 2005年12月06日
 樋口 美雄, 太田 清, 家計経済研究所 (編集) 『女性たちの平成不況―デフレで働き方・暮らしはどう変わったか』 2006年03月30日
 熊沢 誠 『女性労働と企業社会』 2006年07月25日
 赤岡 功, 長坂 寛, 渡辺 峻, 筒井 清子, 山岡 煕子 『男女共同参画と女性労働―新しい働き方の実現をめざして』 2005年09月08日
 白波瀬 佐和子 『少子高齢社会のみえない格差―ジェンダー・世代・階層のゆくえ』 2006年03月10日


■ 百夜百マンガ

それはエノキダ【それはエノキダ 】

 コダワリの主人公「榎田保」のモデルは、作者と親交のある漫画家の岩明均氏(『寄生獣』など)と言われています。
 コダワリの性格のせいか、月刊誌の連載も実質隔月刊状態(+白い状態)でしか読めないのが残念なところです。

2006年9月19日 (火)

正社員ルネサンス―多様な雇用から多様な正社員へ

■ 書籍情報

正社員ルネサンス―多様な雇用から多様な正社員へ   【正社員ルネサンス―多様な雇用から多様な正社員へ】

  久本 憲夫
  価格: ¥777 (税込)
  中央公論新社(2003/4/26)

 本書は、「これからは『正社員』の時代として考えるべき」と主張し、「正社員」「社員」という働き方あるいは雇用関係の意味と、個人にとって、画一的な正社員像がかなり息苦しくなっている一方で、派遣社員などの働き方があまりに不安定であることの問題をいかに解決すべきか、を論じているものです。
 第1章「雇用の多様化の限界」では、世の中で言われている雇用関係・就業形態の多様化(派遣社員、有期雇用、パートタイマー、契約社員、SOHO、在宅勤務など)の傾向がますます進展するという議論に異論を唱え、これらが量的に限られたものであると同時に、質的に決して望ましいものとは言えないことを指摘しています。そして、統計上は就業形態の多様化よりも、雇用者への集中化傾向があることと述べています。
 また、「正社員」を、
(1)定年までの雇用継続を前提とし、
(2)そのつど企業が求める仕事上の要請に個人が応え、
(3)企業は一定以上の安定した賃金を保証する、
をすべて満たす雇用関係にある人と定義しています。
 さらに、近年非正社員が増えている理由として、
・企業の将来予想が変化し、生き残りのためにダウンサイジングが必要になった。
・正社員を育てる必要性は感じても、背に腹は変えられない。
・多くの企業が不振であるため、有能な人材を中途採用できるようになった。
ことを挙げています。その上で、企業が問題視している正社員の高コストは、画一的な正社員管理が問題であり、多様な正社員化による引き下げの可能性を示唆し、私たちが求めているものが、「多様な雇用形態ではなく、多様な正社員」であると述べています。
 第2章「多様な正社員を望む人々」では、「週40時間しか働かない人(つまり5時に会社を退社できる人)は、正社員とは認められないのが当然のように思われているのが現代日本社会」であることを指摘し、「日本社会が求める、あるいは判例が求めるような正社員の生き方を望まない人は多い。しかし、非正社員では、とても安定した生活は維持できない。だから、正社員という生き方にすがる」という窮屈さを述べています。
 第3章「労働時間と共稼ぎ」では、企業にとっての残業のメリットを、
(1)残業させることが容易である。
(2)残業させた方が割安である。
(3)解雇を減らすことができ、従業員のモラール維持につながる。
の3点挙げ、個人の側にとっては、
(1)残業を拒否することがむつかしい。
(2)少しでも収入が欲しいから残業したい。
(3)雇用保障のためには、やむをえない。
の3点があることを挙げています。この中で、企業のメリットの(2)として、残業が割安となる理由について著者は、社会保険の算定ベースが標準報酬月額であることを指摘し、残業割増率が法定最低基準の25%だと、時間外労働の方が割安となり、残業手当がまったく負担とならない「割増率」は71%であると述べ、これが「企業にとって残業の最大のインセンティブとなっている」ことを指摘しています。
 第4章「長期安定雇用と年功賃金の現実」では、終身雇用あるいは長期安定雇用の定義として、
(1)一企業での勤続が平均して非常に長い。
(2)終身雇用とは定年まで一つの企業で働き続けることを意味し、ほとんどの男性社員はそうしていたのに、現在の不況によって、それができなくなった。
(3)企業はどのようなことがあっても整理解雇しない。
の3つを挙げています。その上で、喧伝されている「雇用の流動化」に関して、全体としては勤続年数の推移が安定的で、激しい変化が見られないこと、男性の30代後半と40代前半の高卒でやや短期勤続化が見られる動きが、あたかも社会全体の動きのように課題に報道された可能性が高いことが述べられています。そして、「近年変化したのは、不振企業の多発とそれにともなう個人の自己防衛意識の強まりという、いわばありきたりの変化があるだけで、終身雇用あるいは長期安定雇用そのものが崩壊してしまったということはできない」と述べています。
 また年功賃金に関しては、「年齢別賃金プロファイルが右肩上がりであること」という意味では、年功賃金は基本的に維持されている一方、勤続による賃金上昇効果としての年功賃金は若干弛緩していることを指摘しています。
 さらに、年功賃金を望ましいとする人の割合が高い理由を、「年功主義が、人々の公平感に合致している一種の能力主義」であり、その公平感とは、「まず最低限の『必要』を前提としつつ(生活給的意識)、それを越えた部分については、実績と努力によって配分されるべきという考え方」であることを述べています。
そして、成果主義の弊害として、「企業の業績は、個人の目に見える業績の単なる総和ではない。企業は企業業績の向上に目的があるのであって、個人の業績だけが上がっても企業業績が低下してはいけない」ことを指摘しています。
 第5章「昇進競争の行方」では、同期入社者間の競争が、普通の職場ない競争よりもはるかに優れている理由として、「職場ない競争は、同僚の間での足の引っ張り合いとなりがちであり、職場内協力を痛めつけてしまう可能性があるが、職場を越えた競争は、それぞれの個人ががんばることが、企業にとっては、相乗効果のみを意味するから」であると述べています。
 また、サービス残業が起こる理由として、
(1)企業という管理の仕組みの中で、法律違反を防止する機関がないか非常に弱いこと。
(2)賃金を労働時間の対価とする意識が個人に弱いこと。
の2点を挙げ、特に、後者については「正社員性」が潜んでいることを指摘しています。
 第6章「能力開発の重要性」では、これまで実態として「とばされた」という感覚の強かった専門職制度がほんとうに機能しうる時代に差しかかっているのではないかと述べるとともに、偽装請負の問題を防止するためにも、正社員雇用が企業にとって割高となるシステムを作りかえる政策が必要であることを主張しています。
 本書は、正社員個々人のキャリアについて考えるうえではもちろん、「雇用形態の多様化ではなく正社員の多様化」という観点を与えてくれるという点で、社会格差の問題を考える上でも重要な一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の衝撃的な部分は、通常個人にとっては「割増賃金」を支払われている残業が、企業にとっては「割引賃金」であったという部分です。人を増やすことは、教育訓練の部分でコストがかかるので、今いる人に割増賃金を払ったほうがましなのかと思っていましたが、元々、教育訓練コストを除いても残業させた方が割安になるというのであれば、企業が残業に大きく傾くのは当然だともいえます。
 現在、残業の割増率の引き上げが議論されていますが、その背景にはこんなトリックが隠されていたことがわかる一冊です。


■ どんな人にオススメ?

・残業代をもらって得したつもりになっている人。


■ 関連しそうな本

 エドワード・P. ラジアー (著), 樋口 美雄, 清家 篤 (翻訳) 『人事と組織の経済学』 2005年04月05日
 八代 尚宏 『日本的雇用慣行の経済学―労働市場の流動化と日本経済』 2005年03月23日
 伊丹 敬之, 伊藤 元重, 加護野 忠男 (編集) 『人的資源 リーディングス 日本の企業システム』 2005年05月20日
 田尾 雅夫 『会社人間はどこへいく―逆風下の日本的経営のなかで』 2005年02月27日
 松繁 寿和, 中嶋 哲夫, 梅崎 修 『人事の経済分析―人事制度改革と人材マネジメント』 2006年01月10日
 サンフォード・M. ジャコービィ (著), 鈴木 良始, 堀 龍二, 伊藤 健市 (翻訳) 『日本の人事部・アメリカの人事部―日本企業のコーポレート・ガバナンスと雇用関係』 2006年06月02日


■ 百夜百マンガ

冬物語【冬物語 】

 学園ものの狭間で意外に少ない予備校もののラブコメです。中学浪人をテーマにした『チューロウ』の作者はもっと下の年齢を、という意識があったようです。

2006年9月18日 (月)

数学は科学の女王にして奴隷 1

■ 書籍情報

数学は科学の女王にして奴隷 1   【数学は科学の女王にして奴隷 1】

  E・T・ベル
  価格: ¥840 (税込)
  早川書房(2004/9/23)

 本書は、純粋数学と応用数学について、「数学者でない多数の読者」に対して、彼らが昔教わった初等数学の、「その先はどうなっているのかと好奇心をもち、数学の総体を解剖せずその精神を求めたい」という欲求に答えてくれるものです。著者は、「数学の巨大な蓄積から話題を選んでお話しする」ことで、「少なくとも数学が生き生きとした生命をもち、成長の過程にあるということ、また科学・技術のある部門の理解に不可欠であることを感じ取っていただけることと信ずる」と述べています。そして本書は、「純粋数学であれ応用数学であれ、その主題についての教科書や論文の代用品を意図したものでは」なく、「本書を読んで数学づいた学生」がデカルトが23歳のとき夢を見た後でしたように「どの生き方に従おうか?」と自問することもあるのではないかと期待すると述べています。
 第1章「さまざまな観点」の冒頭には、本書のタイトルの由来にもなっているガウスの言葉、
「数学は科学の女王であり、整数論は数学の女王である。女王はしばしばへり下って天文学や他の自然科学に奉仕するが、最上席は常にこの女王のものである」
を引用しています。そして、リーマンの幾何学、ケイリー、シルベスターらの不変式論、ストゥルム、リウーヴィルによる境界値問題などの、現代物理学に影響を与えた数学者たちが、「科学への稔り豊かな応用を期待して純粋数学を追及したのでは」なく、「対象性、単純性、一般性に対する感覚と、うまく表現できないが、事物の合目的性とでもいうべき状態に意識だけに導かれ、科学・技術に直接役立つというよりも、数学そのものの美に霊感を受ける場合が多い」ことを述べています。
 また、数学が19世紀初めから黄金時代に入り、それ以来「数学的知識は多いに増加し」、「現代数学の四主要分科のうち二つ以上についてアマチュアの域を脱した知識をもつと自負する人は、意でもごくわずかであろう」ことが述べられています。著者は、「もし数理物理学を、数学の王国の一県に加えるならば、近代数学の全領域を詳細に専門家の水準で理解するためには、20人以上の才能豊かな人々が一生涯勉強しなければならないだろう」と述べています。そして、「受けた数学教育が高校止まりまたは大学1年止まりの人々にとって、この点だけがわずかな慰めで」あり、「相対的に見てこの人々は、最新号の数学雑誌のページを繰ったり、学会に出席したりする大多数の数学者に比べてそれほど劣ってはいない」と読者に対するフォローを入れています。
 著者は、「米国の一流高校に学ぶ生徒が授業科目を全部とった場合に、彼が習得する数学がどの種類のものか」について、
・幾何:実際にはユークリッド幾何学であり、ある種の技師たちには十分だが、現代物理学のおもな関心事ではなく、数学者の宇宙像はこれをはるかに超えたところまで行っている。
・代数:幾何よりもいくらかましで、高水準な生徒はパスカルが発見した指数が正整数の場合の二項定理を習得するが、代数が本当におもしろくなる部分は、パスカル没後150年以上後に発見された部分である。
・整数論:優秀校の卒業生でもまったく何も教わっていないが、整数論の分野の最も驚くべき結果の中には、高校で1年間も訓練すれば誰でも理解できるものが多い。
・解析幾何学と微積分学:高水準の数学過程を習得した生徒でさえこれを教わったものは一人もいない。
とそれぞれ解説しています。そして、「標準的な四年生大学課程の数学科の普通の卒業生が、一般に現代数学精神を把握しそこなっている一つの理由」として、古今未曾有の数学的天才アーベルが、6、7年の研究生活の間に、「アーベルは数学者に、優に500年分の研究の種を残してくれた」と言われるほどの成果を挙げられた理由として、「大家の仕事を研究したからだ。亜流にはかまわなかったからだ」と答えていることを挙げ、「数学のひからびた骨よりも、その生きた精神を理解するためには、大家の著作に直接当たってみなければならない。教科書や解説は必要悪なのである」と述べています。
 著者は、19世紀半ば以降の数学的精神を「一般性の拡大と自己批判の深化」であると要約し、数学者が「知識の巨大な統一的体系の建設者となり、個々の定理は壮大な理論構造に組み込まれるようになった」ことが、「現在行われている数学と17世紀初めまでの大数学者のなした仕事との根本的な相違点」であると述べています。
 第2章「数学的真理」では、ラッセルによる数学の定義、「数学とは、対象そのものを知らずに論じ、論じていることが真かどうかわからない学問であると定義できよう」について、
(1)常識の「うぬぼれ」を叩き壊すこと。
(2)数学の完全な抽象性を強調していること。
(3)このわずかな言葉によって、科学全体を公理的形式に帰着させ、問題の論点を透明に認識できるようにする、という1890年代この方の数学の主要な狙いの一つを端的に示していること。
(4)数学は数と量と測定の科学であるという思想をさす、という、ぐらつきつつある伝統に、轟きわたる弔砲を放ったこと。
の4つの利点があることを述べています。
 第3章「束縛を破る」では、ユークリッド幾何学が、ロバチェフスキー幾何学やリーマン幾何学より好んで選ばれる理由を、2300年もの間学校で教えられているように、「この幾何学が3つの中でもっとも学びやすい」ことであると述べています。また、数学の理論(代数学、幾何学、その他)を構成する公準的方法が、19世紀末から20世紀所期までの数学へのおもな寄与の一つであったことが述べられています。
 第6章「大樹も一個の種子から」では、「数学における、深遠な発見のもっとも豊かな源泉」が、「古いことがらを新しい立場から見直すこと」であり、何世紀も前から知られていたある特殊な事実を、新しい角度から一瞥し、この最初の直感の閃きから、次から次へと発見、展開が行われた例として、「群と不変式の概念」が解説されています。
 第7章「絵で考える」では、1900年代の初めごろには、市況報告などの一見して理解できるグラフが、「高等教育を受けた人にとってさえ、ありふれたものではなく」、ウェルズが立てた「全初等教育にグラフの読み方の教育を義務づける」という社会教育計画によって、「無邪気な子供たちは誰でも、算数の本を開くとかならずひょいひょいと上り下りする降雨量の季節グラフや、くねくねとした潮の満干グラフにお目にかかることになった」ことが述べられています。
 本書は、純粋数学の教科書として期待する人には、まったく役に立たないものではないかと思いますが、読み物として、数学の深遠な世界に触れたい、という人にとっては好奇心を大変刺激する一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の第8章には、その当時の未解決の問題として、整数論におけるフェルマーの最終定理と、位相幾何学における四色問題が取り上げられています。本書が出版されたのが1951年、著者が亡くなったのが1960年、アッペルとハーケンによって四色問題が証明されたのが1976年、ワイルズによってフェルマーの最終定理が証明されたのが1994年です。その意味では相当古臭い本なのですが、知己的好奇心をくすぐるという意味では、まったく新奇な読み物として読むことができると思います。


■ どんな人にオススメ?

・高校までの数学の先にあるものを覗いてみたい人


■ 関連しそうな本

 E・T・ベル 『数学は科学の女王にして奴隷〈2〉科学の下働きもまた楽しからずや』
 ポール ホフマン (著), 平石 律子 (翻訳) 『放浪の天才数学者エルデシュ』 2005年11月06日
 ブライアン バターワース (著), 藤井 留美 (翻訳) 『なぜ数学が「得意な人」と「苦手な人」がいるのか』 2005年11月13日
 グレゴリー・J・チャイティン (著), 黒川 利明 (翻訳) 『セクシーな数学-ゲーデルから芸術・科学まで-』 2005年11月03日
 サイモン シン 『フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』 2006年09月02日
 ロビン・ウィルソン 『四色問題』 2006年07月18日


■ 百夜百音

AWAKE【AWAKE】 L'Arc~en~Ciel オリジナル盤発売: 2005

 数字と言えば、Wikipediaに書いてはいけない数字というのがあるらしく、156うわなにをするやめqあwせdrftgyふじこlp
 
 
 
というのがあるそうです。


『李博士(イ・パクサ)のポンチャックで身長が5cm伸びた!』李博士(イ・パクサ)のポンチャックで身長が5cm伸びた!

2006年9月17日 (日)

ネオテニー―新しい人間進化論

■ 書籍情報

ネオテニー―新しい人間進化論   【ネオテニー―新しい人間進化論】

  アシュレイ モンターギュ
  価格: ¥3150 (税込)
  どうぶつ社〔新装版〕 (1990/07)

 本書は、「幼い形のまま成長する過程」であり、幼児や胎児にみられる特徴が、成人にも保存されている「ネオテニー(幼形成熟)、または幼形進化(ペドモルフォシス)」について解説しているものです。訳者は、本書の独創的な点を、「ヒトの行動もまたネオテニーによって説明できるとしていることにある」と述べ、「身体と行動というに側面は進化の過程で互いに作用しあいながら発達してきたため、密接に関連して」いるとして、「愛への欲求」、「友情」、「感受性」、「好奇心」、「遊び」、「創造力」などの子どもの行動上の特徴をネオテニーという見地から検討しているとしています。
 「ネオテニー」という言葉は、1884年にバーゼル大学のコルマン教授が初めて用い、1926年になって、アムステルダム大学の解剖学のボルク教授が、「胎児化」という名称で、「ヒトの場合、退治から幼児、こどもから大人への発育の速度が、他の霊長類のどの種と比べてもおそく、また、ヒトの成人の特徴のなかに胎児の特徴であるものが多い」ことを指摘しています。ボルク教授は、「平面的な顔、少ない体毛、大きな脳容量、手足の構造、骨盤の形態など数多くの身体特長が、成長とともに他の動物では変化するのに、ヒトでは、成人にまでそのままもちこされる」ことを指摘し、「ヒトは身体的発育においては、性的に成熟した霊長類の胎児である」と述べています。
 一方で、著者は、ボルクの議論の難点として、「彼があまりに"胎児化現象"を強調しすぎた点」にあるとし、主として、身体的特徴にその焦点が当てられ、ネオテニーに関する"行動学的"側面が明らかに欠如している点を指摘しています。
 そして、著者は、「柔軟で従順、かつ適応的であるというネオテニーの結果によって、類人猿が進化的につくりなおされ、ホモ・サピエンスとなった」とし、ヒトが今後進化するかどうかは、「これらのネオテニー的特徴がひきつづき発達するかどうか」によるとしています。
 また著者は、子宮内で過ごす期間を「体内妊娠」、誕生からはいはい、つまり四足歩行の始まりに至る約10ヶ月間を「対外妊娠」と呼び、ヒトの全妊娠期間を19ヶ月内外になるとし、妊娠=gestationという言葉は、「幼児が四足歩行やはいはいであちこちと自分で動き回れるようになるまでの発達状態にあてはめるのに、ふさわしい語」であると述べています。
 著者は、本書のテーマとして、「おもに、身体上のそれよりは行動上のネオテニーであり、そしてそれが、ヒトの発達にどんな影響をもたらしたか」にあるとし、ヒトのネオテニーによる身体上の進化についての議論が、ネオテニーが行動の進化において果たした役割を解明する上で、科学的な基礎となるものであると述べています。
 そして、人類の本当の性質について新しい理解の上に立ち、社会の本質を再定義しなくてはならないとし、社会を「すべての世代において人類のネオテニー的特徴をはぐくみ伸ばすような養育を行う生活システムである」と定義しています。そして、「進化からみれば、私たちのネオテニー的で延長された幼年期、つまり一生つづく"若さ"こそ、ただひとつの、最も支配的な事実であり、そしてそれにもとづいて、社会と生産関係が設計されているということがわかるだろう」と述べています。
 本書は、生物学にもとづいた進化論の本ですが、私たちの社会を考える上で参考になる一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者は、ヒトの行動の中に見ることができるネオテニー的行動を、「私たちひとりひとりのなかには、過ぎ去った一時期のものとしてではなく、継続する性格の一面として、"こども"が住んでいる。それは、私たちが親切であったり寛大であったりできる能力とおなじように、進化上の事実である」と述べています。
 もしかすると、「子どもっぽいことをするな」と怒られたときの言い訳にネオテニーが使えるかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・人から子供っぽいと言われてしまう人。


■ 関連しそうな本

 エレイン モーガン (著), 望月 弘子 (翻訳) 『人は海辺で進化した―人類進化の新理論』 2005年05月08日
 エレイン モーガン (著), 望月 弘子 (翻訳) 『進化の傷あと―身体が語る人類の起源』
 エレイン モーガン (著), 望月 弘子 (翻訳) 『人類の起源論争―アクア説はなぜ異端なのか?』 2005年12月10日
 ニコラス ハンフリー (著), 垂水 雄二 (翻訳) 『喪失と獲得―進化心理学から見た心と体』 2006年4月15日
 ブライアン サイクス (著), 大野 晶子 (翻訳) 『イヴの七人の娘たち』 2006年06月24日
 斎藤 成也 『DNAから見た日本人』


■ 百夜百音

タリホー【タリホー】 ザ・クロマニヨンズ オリジナル盤発売: 2006

 ヒロト+マーシーと言えば青い心を思い出す世代なのですが、ずっと同じに聴こえなくもないところが、根強い人気を支えているのでしょう。


『星降る夜に』星降る夜に

2006年9月16日 (土)

心は実験できるか―20世紀心理学実験物語

■ 書籍情報

心は実験できるか―20世紀心理学実験物語   【心は実験できるか―20世紀心理学実験物語】

  ローレン スレイター
  価格: ¥2520 (税込)
  紀伊國屋書店(2005/08)

 本書は、歴史的な心理学の実験を題材に、その実験に携わった本人や関係者に取材したドキュメンタリー風のエッセイ集です。
 第1章「スキナー箱を開けて」では、「存命中の最も影響力のある心理学者」とされながら、研究成果が「全体主義的目的に利用される可能性」や自らの娘を2年間箱の中で育てたなどの伝説により、「邪悪な」という悪名がついてまわる心理学者B.F.スキナーの有名な「スキナー箱の実験」を取り上げています。スキナーはパブロフの古典的条件づけを発展させ、単純な分泌線を条件づけるという反射ではなく、「オペラント」と名づけられる「周辺の環境に向けて働きかける」行動を条件づけることに成功します。スキナーの発見は、今日でも恐怖症やパニック障害の治療に用いられ、効果をあげていることが紹介されています。著者は、「人間スキナーを正しく理解する」ためには、「人々をペットのようにしつける共同体を夢見た悪鬼のような男」である「イデオローグとしてのスキナー」と、「行動というものに対する見方を完全に変えてしまう発見をいくつか行った」「科学者としてのスキナー」の2人としてみる必要があると述べています。
 第2章「権威への服従」では、1960年代当時に一般的であった「権威主義的パーソナリティ」という考え方を破壊した、スタンレー・ミルグラムの「電気ショック装置」を使った服従の実験が取り上げられています。これは、数百人のボランティアに、「罰が学習に与える影響を調べたい」と説明し、痛みを演じる生徒役の役者に電気ショックを与えるよう命令し、人間がどこまで権威に服従するのかを実験したものです。ミルグラムは実験に先立って予想調査を行っていますが、精神科医とイェール大の学生と一般市民のすべてのグループが「被験者が最高レベルまで電気ショックを上げることはないだろう」と予想していたことが紹介されています。著者は、この実験で命令に従わなかった35%の被験者に着目し、「そこから先は社会心理学が役に立たなくなる決定的な分岐点」であると述べています。そして、この実験の被験者2人、命令に反抗した一人と服従した一人とに取材をしています。また、当然ながらミルグラムの実験が多くの心理的反発と激しい非難を浴びたこと、ピーター・ガブリエルが「We Do What We Are Told」という曲を書いたことなどが紹介されています。
 第3章「患者のふりして病院へ」では、デヴィッド・ローゼンハンが行った偽患者としての精神病院への入院実験を取り上げています。この実験で、ローゼンハンが「『狂気』というラベルが狂気を生み出すのではないか、脳の状態が診断されるのではなく、診断が脳を形作るのではないか」と考えたこと、医師にはわからなくても他の入院患者には偽患者だということがわかっていたことなどが紹介されています。この実験は多くの精神科医から激烈な反論を受けます。ある病院からは、「これから3ヶ月のうちに、何人でも好きなだけ偽患者を急患受付に送り込んでごらんなさい。見破ってみせましょう」と挑戦を受け、3ヵ月後、病院側は、41人の偽患者を見破ったと胸を張りましたが、ローゼンハンは1人も偽患者を送っていなかったことが紹介されています。著者は、この実験を自ら再現すべく、8回精神科ERを受診していますが、入院させられなかったことが述べられています。
 第4章「冷淡な傍観者」では、1964年3月13日にニューヨークで起きた「キティ・ジェノヴィーズ事件」をきっかけに、ダーリーとラタネが行った「責任の拡散」に関する実験を紹介しています。
 第5章「理由を求める心」では、レオン・フェスティンガーがUFOカルト集団の観察から導き出した「認知的不協和」について紹介しています。この章では、朝鮮戦争中に中国の捕虜になったアメリカ兵に対して、中国が、「拷問や豪華な褒美で信念を変えさせたわけではなく、ただ捕虜に一握りの米やキャンディーを与え、引き換えに反米的な文章を書かせた」ことに関して、「認知的不協和の理論は、信念に反する行動に対する報酬の価値が低ければ低いほど、信念を変える可能性が高くなると予測する」と述べています。著者は、不協和理論を基礎づける神経の働きを研究している科学者として『脳のなかの幽霊』などで知られるラマチャンドランの、「あら探し」装置の研究を紹介しています。
 第6章「針金の母親を愛せるか」では、母親から引き離されたアカゲザルの子ザルが、ミルクを出す金属製の母人形ではなく、ミルクを出さない布製の柔らかい母親人形にしがみつく、という実験を行ったハリー・ハーローを取り上げています。栄誉ある米国心理学会の会長に選出され、テレビのクイズ番組に出演したハーローに、布製の母親で育ったサルたちが正常に成長しないという事実が突きつけられます。ハーローの実験は、実験動物擁護運動を生んだことが紹介されています。
 第7章「ネズミの楽園」(浦安にあるアレではない)では、「依存症とは、薬理の中にあるのではなく、患者をサポートしない社会の複雑な関係性の中にある」というブルーズ・アレグザンダーの説を確かめるため、著者自身に実際に薬物を投与さえしています。
 第8章「思い出された嘘」では、「現実と想像の間を仕切るカーテンは、ごく薄いものにすぎない」と主張し、抑圧されていたトラウマの記憶とされるものの多くが、セラピストたちの示唆によって生み出された偽の記憶に過ぎないとするエリザベス・ロフタスの、「ショッピングモールの迷子」の実験を取り上げています。ロフタスに対して、著者は情緒的な批判(「ロフタスの笑い声は耳障りで、声の中にはわずかに人を見下す響きがある」など)を繰り返していて、本書の中でも特に後味の悪い章になっています。
 第10章「脳にメスを入れる」では、ロボトミー手術の開発者として知られるノーベル章受賞者であるアントニオ・エガス・モニスらが取り上げられ、現在では批判されるロボトミー手術と、現在多くの精神科医が処方しているプロザックとが、本質的には同じであるのではないのではないかという疑問を提示しています。
 本書は、ポピュラー・サイエンスものとして読むには、あまりも著者の感傷的な記述や行動が多く、各章の後半部分は読むに耐えないものですが、心理学実験に関するドキュメンタリーものとしては、興味深い一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書は、米国での出版後に、取り上げられている人物たちから、「事実無根」、「そんなことを言っていない」という抗議を受け、メディアをにぎわせたこと、翻訳作業中にも次々に「訂正」が届き、第1章のスキナーに関する記述の多くが削除されたことが訳者あとがきに記されています。
 訳者は、「本書はただの実験心理学入門書ではない。ここには心理学というものを、そしてこの社会に生きる人間の営みそのものを見直す『眼』がある。学問的な問題をこのように自らに引き付けて語れる者は、そうはいない」とフォローしながらも、「語り口に問題があるとしても」と、著者が自らに「引き付けて」語った部分に対してはフォローしきれないことを記しています。


■ どんな人にオススメ?

・実験心理学の「異常」な世界に心惹かれる人。


■ 関連しそうな本

 ロバート・B・チャルディーニ (著), 社会行動研究会 『影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか』 2006年02月16日
 榊 博文 『説得と影響―交渉のための社会心理学』 2006年02月23日
 V.S. ラマチャンドラン, サンドラ ブレイクスリー (著), 山下 篤子 (翻訳) 『脳のなかの幽霊』 2006年09月03日
 デーヴ グロスマン (著), 安原 和見 (翻訳) 『「人殺し」の心理学』 2006年05月14日
 ジェームズ・スロウィッキー 『「みんなの意見」は案外正しい』 2006年08月29日
 ダンカン ワッツ (著), 辻 竜平, 友知 政樹 (翻訳) 『スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための新科学的思考法』 2005年09月28日


■ 百夜百音

ヴィンテージ・ベスト【ヴィンテージ・ベスト】 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド オリジナル盤発売: 2003

 子供の頃は、「あの娘のなんなのさ」しか覚えてなかった「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」ですが、改めて聴き直すと、1年→半年→3ヶ月→1月→たった今と時間を追っていく歌詞が面白いことに気づきました。


『ライブ帝国 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド』ライブ帝国 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

2006年9月15日 (金)

会社法入門

■ 書籍情報

会社法入門   【会社法入門】

  神田 秀樹
  価格: ¥777 (税込)
  岩波書店(2006/04)

 本書は、2006年5月に施行された「会社法」制定の背景と内容のポイントを、日本の会社法研究者の第一人者である著者が解説したものです。
 第1章「世界に広がる『株式会社』」では、世界的に普及しつつある「株式会社形態の核となる部分は世界的に共通」であり、その特質は、
(1)出資者による所有:株式会社では「株主」と呼ぶ。
(2)法人格の具備:団体自身の名において権利を有し義務を負うことが認められる。
(3)出資者の有限責任:株主は、出資額を超えて会社の債務について責任を負わない。
(4)出資者と業務執行者との分離:株主が選任した業務執行者が事業経営の意思決定と執行をする。
(5)出資持分の譲渡性:出資持分が株式という細分化された割合的単位とされ、株券という有価証券に表章される。
の5つであることが述べられています。
 また、新しい会社法が2005年に制定された目的として、
(1)従来の片仮名文語体である商法(会社の部分)を「現代語(平仮名口語体)」化する。
(2)1997年ごろから相次いで行われた商法改正により、損なわれた法制上の整合性の調整を図る。
(3)内外の実務界などからの改正要望や、過去の改正の際の付帯決議項目について改正する。
の3点を挙げています。著者は、戦後の商法改正の特徴を、「ファイナンス」「ガバナンス」「リオーガニゼーション」の3つの分野に分けて理解することを勧めていて、ガバナンスに関しては、1990年代後半から、「コーポレート・ガバナンスのあり方が実は企業のパフォーマンスに影響を与える、したがって、国の経済にも影響を与える」という議論が世界的に勢力を持ち、このことが会社法の改正を進める原動力となったことを述べています。
 第2章「株式会社の機関」では、上場会社などの大規模会社に関する、最近の機関についての法の考え方の潮流として、
(1)所有と経営の制度的分離を進め経営権を代表取締役等に集中し、株主はその選任と解任だけを決める。取締役等は、広い裁量権を与えられ、事業経営に際しては原則として過失責任である。
(2)そうした経営を監査・監督する仕組みとして、取締役会の他、監査役や会計監査人を置く。
の2点を挙げています。
 また、2002年改正で新たに導入された「委員会設置会社」制度について、
(1)取締役会で選ばれた委員をメンバーとする指名委員会・監査委員会・報酬委員会の3つの委員会が監査・ガバナンスの重要な位置を占める。
(2)監督と執行が制度的に分離され、業務執行は執行役が担当し、代表執行役が置かれ、業務の意思決定も大幅に執行役に委ねられる。
の2つの特徴を述べています。
 第3章「株式会社の資金調達」では、会社法の中心である私法的ルールについて、なぜ、「会社に関わる人々の利害の調整をする基本ルール」を定めるのかを、
(1)株主間の利害調整の場面
(2)株主と会社債権者との利害調整の場面
(3)株主と経営者との利害調整の場面
の3つについて例示しています。
 著者は、「株式」という仕組みについて、「株式会社における出資者である株主の地位を細分化して割合的地位の形にしたものであり、それは多数の者が株式会社に参加できるようにするための法的技術」と定義した上で、この「伸縮自在」な株式という不思議な仕組みについて、会社法が、様々なルールを設ける必要性として、
(1)多数の者からの資金調達を可能にするために、株式や社債を有価証券化すること。
(2)資金提供者間の利害を合理的に調整するルールを定めること。
の2点を挙げています。
 第4章「設立、組織再編、事業再生」では、株式会社設立のプロセスを、
(1)団体の根本規則である定款を作成する。
(2)株式発行事項を決め、株式の引受けを確定する。
(3)機関を決める。
(4)株式の引受人が出資の履行をして会社財産を形成し、その結果として設立時の株主を確定する。
(5)以上の会社法のルールに従って株式会社としての実体が形成されると、設立の登記をする。この登記によって株式会社は法人格を取得し、成立する。
の5段階で解説しています。
 また、会社法で認められている組織再編行為として、(1)組織変更、(2)吸収合併、(3)新設合併、(4)吸収分割、(5)新設分割、(6)株式交換、(7)株式移転、の7種類があることが述べられています。
 さらに、日本において、今後、私的整理に利用されることが期待されている「デット・エクイティ・スワップ」(債務の株式化)について、「債権者と債務者の合意に基づき債務を株式に変更すること」と述べ、そのポイントを、「金融機関などの債権者に対して単純な債権放棄を行う場合に比べて魅力を与えながら、債務者の事業の再生を図ろうという仕組み」であることとしています。
 第5章「会社法はどこへ行くのか」では、2005年に話題になったライブドアとフジテレビの間でニッポン放送をめぐって展開された争奪戦と、その後の買収防衛策をめぐる議論が解説されています。
 また、世界的な規模で「コーポレート・ガバナンス」が議論される背景として、
(1)大企業の不祥事の再発を防止するため。
(2)企業の競争力、国際競争力を高め、企業のパフォーマンスを高めるため。
(3)EU加盟国間での会社法制度の調整。
の3つの背景があることが述べられています。そして、「コーポレート・ガバナンス」を世界的な視点で考える時のポイントとして、
(1)望ましいコーポレート・ガバナンス・システムは、世界で一つではなく、それぞれの国において望ましいシステムがあると考えられる。
(2)企業の中での「オーバーサイト」機能(企業のパフォーマンス向上のための監視メカニズム)をどのように確保するか。
(3)ディスクロージャー(情報開示)の重要性。
の3点を挙げています。
 本書は、古くからの経緯を持ちながら、最も新しい法律分野でもある会社法を理解する上で、学生時代以降、それほど法律を勉強してこなかった元法学部生等にはお勧めできるものではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 私の学生時代には、「会社法」は、法律の学問分野や講義の名前としては存在していても、法律として単独では存在せず、講義などでは、商法などいくつかの法律をまとめて教えていました。
 この会社法に限った話ではありませんが、大学で勉強してきた知識というのが、ものすごいスピードで陳腐化していくのを感じます。


■ どんな人にオススメ?

・大学で教わった内容なんかはすっかり忘れてしまった元法学部生。


■ 関連しそうな本

 三輪 芳朗, 柳川 範之, 神田 秀樹 (編集) 『会社法の経済学』
 神田 秀樹 『会社法』
 柳川 範之 『契約と組織の経済学』 2005年02月22日
 ロナルド・H. コース (著), 宮沢 健一, 藤垣 芳文, 後藤 晃 (翻訳) 『企業・市場・法』 2005年04月29日
 林田 清明 『法と経済学―新しい知的テリトリー』 2005年06月07日
 伊藤 秀史, 小佐野 広 『インセンティブ設計の経済学―契約理論の応用分析』 2005年02月26日


■ 百夜百マンガ

博士の愛した数式【博士の愛した数式 】

 映画にもなりました、コミックにもなりました、テレビドラマ化もされました、という展開は『電車男』なんかと同じですね。ということは、『県庁の星』のTVドラマ化もあるのかしら。

2006年9月14日 (木)

統合される男女の職場

■ 書籍情報

統合される男女の職場   【統合される男女の職場】

  首藤 若菜
  価格: ¥5670 (税込)
  勁草書房(2003/12)

 本書は、それまで男性の職業とされてきた職域に女性が、女性の職業とされてきた職域に男性が参入する「男女混合職化」という変化がなぜおきているのか、という問題について、特にブルーカラー男性職種への女性の参入を事例として分析しているものです。
 第1章「性別職域分離とは何か」では、これまで日本企業・日本経済の成長を支えてきた、「男性は、いったん就職すれば長期にわたって働き続けられることがほぼ保障され、女性は、男性の職業生活を支えるために、家庭内の仕事を一手に引き受け」、職場では、「長期にわたって働き続ける男性と、結婚や出産まで、もしくは育児が一段落した後に限定的に働く短期勤続の女性で労働力編成が組まれる」という「男性が1人で一家を養う家族モデル」が、
(1)経済の落ち込みを受けて、企業と国家の両方が、この体制の保持から手を引こうとしている。
(2)女性の高学歴化による男女平等を希求する動き。
の2つの方向から崩されようとしていると述べられています。
 そして、性による職域の分断構造を融合させるアプローチとして、
(1)男性と女性の職域の違いを受け入れ、そのもとで男性と女性の職域の労働条件をそれぞれ見直し、男女間の格差を縮小させていく。
(2)労働市場のなかにある男女を分かつ垣根を取り払い、分断そのものを克服していく。
の2つの方法があり、本書では後者のアプローチに着目した分析がなされています。
 著者は、男女の職域の分断について、「男女の職域が異なること」を「性別職域分離」と定義し、さらに、「職種分離」(性による職種の違い)と「キャリア分離」(性によるキャリアの違い)に分類しています。このうち職種分離については、日本に存在する約300種類の職業のうち、約半数の143の職業では、雇用者の8割以上が占められている、つまり、職業の2つに1つはどちらかの性別によって構成されていること、また男性が8割以上を占める職業が118あるのに対し、女性は25しかなく、
(1)日本では多くの産業にわたって、男女が異なる職種で働いている。
(2)男性は女性よりも幅広い職種についており、女性は限られた職種に集中的に参入している。
(3)それぞれの職種の技能水準や賃金、雇用保障などの労働条件では、相対的に優位にある職種と劣位にある職種があり、前者には男性が、後者には女性が多い。
ことが挙げられています。
 また、性別職域分離が形成される理由として、
(1)人的資本論:労働供給側が性によって異なる職業を選択する合理性を説明する。
(2)差別的嗜好理論:経営者や男性の同僚、顧客が差別的な嗜好を持っている。
(3)統計的差別理論:経営者が利潤の最大化を求めて経済合理的に行動した結果、個別的な差別嗜好とは異なる差別が残る。
(4)ジェンダー理論:労働市場外にある伝統的なジェンダー間が性別職域分離に影響を及ぼす。
の4つの説明がなされていることを解説しています。
 さらに、女性労働者が男性職域に参入する契機として、
(1)アメリカを中心に始まったアファーマティブ・アクション・プログラム。
(2)産業構造の変化や経済成長による男性労働力の不足。
(3)仕事内容の変化や作業の軽量化をもたらす技術革新。
の3点を挙げています。
 著者は、本書の研究対象について、
(1)男女が混合して働く職場
(2)現業職場(生産工程・労務作業者と運輸職)
(3)なかでも伝統的に男性のみで構成されてきた鉄道業と自動車産業
(4)大企業で正規社員として働く労働者
の4つのポイントを示しています。
 第2章「男女労働者に分断された理由」では、性別職域分離の要因として、
(1)労基法に定められた女性に対する深夜勤務禁止規定
(2)男女の間に存在する筋力や体力面の格差
(3)主に女性と男性との勤続年数の違いに起因する統計的差別
の3つの仮説を提示しています。
 第3章「鉄道業」では、鉄道業の現業職場が、戦時期と戦後期の一部の補助部門を除き、男性労働力のみで編成され、特に機関士及び運転士は、男性の職域として固持されていたこと、旧国鉄では、運転士は職業威信の高いエリート職として位置づけられていたことなどを解説しています。また、地方の中小鉄道会社であるA社において、観光客をターゲットとした新型車量の投入に伴い、「斬新なイメージをだすことを目的に」乗客掛として女性を配置したことをきっかけに、運転士にも女性を登用し始めたこと、勤続期間の短い女性向けに男性(10年)よりも短い最短2年半で運転士に昇進できるキャリアを用意したこと、そして、このことが男性との軋轢を生んだこと等が紹介されています。
 また、著者は、国鉄の分割民営化によって誕生した大手鉄道会社のB社の女性車掌の定着率が他の職種の女性よりも明らかに高いことに着目し、その理由として、変則勤務の負担がある一方で、「勤務時間が明確であり予定が立てやすいこと、残業がほとんどないことのメリット」を挙げています。さらに、同じく旧国鉄のC社においても、駅務員の女性が、交替勤務に慣れると「定時に終わるため働きやすい」と感じていることを挙げています。
 第4章「自動車産業」では、大手自動車会社の100%出資会社であるD社において、聴き取り調査に加え、2週間にわたって実際に労働を経験する参与観察を実施しています。ここでは、職場内での女性に対する配慮として、筋力を要求されるメインラインではなく、サブラインを中心に女性が配置されていること、結婚または妊娠を期にすべての女性が退職しているが、4~5年の勤続は自動車産業では特に短くはないことが述べられています。
 また、大手自動車メーカーであるF社が女性採用を決めた要因として、
(1)男性だけでは十分な労働力が確保できなくなっていたこと。
(2)少子高齢社会の到来による若年労働者の減少への対応。
(3)均等法の成立(1985年)と労基法の改正(1998年)。
の3点を挙げ、女性に任せられる工程が限られ、女性専用工程が作られることが多く、サブラインに集中して投入されていることが述べられています。
 第5章「電気産業」では、1960年代の半導体職場で人海戦術的に女性が投入され、1970年代にはME化と24時間操業に伴い男性中心の職場に変わり、さらに1980年代のFA化によって男性が余剰労働力となり人件費を圧迫したために、柔軟な雇用管理が可能な女性中心にさいようされたという、「女性中心→男性中心→女性中心」という変遷が紹介されています。
 第6章「運輸業」では、1990年代にバス業界各社が競い合うようにバス運転手に女性を登用し始めたことが紹介され、技術の進歩によって、ギアチェンジに力を必要としないオートマティック車両が投入されたこと、登用の狙いとして、話題づくりと接客サービスの向上があることが述べられています。また、運輸業界で女性運転手の採用が増えている理由として、女性運転手の顧客からの評判が極めてよいことが挙げられています。さらに、タクシー業界に参入する女性運転手の入社動機として、「40歳を過ぎた女が、年収500~600万円を得ようとしたら、(この仕事の)ほかには選択肢はない」と語られていること、1970年代以降、長期雇用に合わせた賃金体系が作られてきたタクシー業界が、女性の採用をきっかけに、賃金月額を上昇させた歩合制の要素が高い賃金体系に戻りつつあることなどが述べられています。この他、建設オペレーターにおいて、作業場を転々と移動する勤労環境のため、結婚を契機に退職していること、航海士において、20日乗船-10日休日というシフトが家庭との両立を妨げ、離職原因となっていることなどが述べられています。また、船全体を仕切る女性航海士に対する反発から、甲板員のなかには、「女の言うことは聞かない」、「女は足手まといだ、とっとと帰れ」などの罵声を浴びせる者もあり、ノイローゼになる女性航海士もいることが紹介されています。
 第7章「性別職域分離の縮小要因」では、深夜勤務規制が、「一見女性のみを保護してきたルールと見えるが、それは同時に男性にも関係している」として、男女別の勤務シフトが、男性に昇進競争の緩和などの利益を付与していたことが指摘されています。また、深夜労働に関しては、解禁前には女性の見解は賛成・反対に半数ずつ二分されていたものの、1998年に深夜労働が解禁されてみると、「深夜労働の負担は予想以上に軽いもの」だと感じられたこと、「深夜手当や残業代による所得の増加が想定していた以上に大きく、深夜労働が身体や生活に与えるデメリットよりも所得増加というメリットをより強く感じている」ことが紹介されています。さらに、鉄道業の変則的な交替勤務が長期勤続を支えている理由として、基本的に残業が課されず、固定的な勤務時間であるために、「子どもの保育所の送迎や、その他の家庭内の責務について可能な範囲が明確化され、対応策を事前に練ることができる」ことが挙げられています。
 筋力的性差に関しては、技術革新によって、「職務遂行上、筋力や体力面での男女差の影響を極力削減することができ、男女混合職化が可能になった」ことが挙げられています。また、ラッシュ時のホーム整理、車両点検、酔客や乗客同士の喧嘩の対応、異常事態の対応など、これまで「嫁入り前の女性を傷つけたくない」という親心や、「女性にやらせるのは可哀想」という「心優しい配慮」から、女性には難しいとされてきた危険な作業や汚れ作業を、女性たちが難なくこなし、経営者らが抱いていた「言われなき不安感」の大部分が払拭され、男女を同一に扱っても問題ないことが認識されたことが述べられています。
 著者は、男女混合職場のキャリアに関して、「より短い勤続を前提にしながらも、男性よりも早期に上位職につく女性のキャリア」を、「促成栽培的キャリア」と名づけ、女性の勤続が伸びた要因として、
(1)男女混合職種は、女性よりも賃金水準が高いこと。
(2)変則勤務であるために残業が極めて少ないという勤務形態の違い。
(3)女性労働者が抱く仕事への誇り、やりがいの相違。
の3点を挙げています。
 第8章「新たな職域の形成」では、経営者が女性労働力の投入を進める主たる要因が、変動する労働市場への対応と、人件費の削減にあること、これに応募した女性たちが、「一般事務職には向いていないと思っていた」、「体を動かす仕事がしたかった」、「高所得を得たい」、「男性に混じって働きたい」などの積極的な理由を挙げていることが述べられています。また、男女混合職化を通じて、性別職域分離を縮小していく道程に、
(1)社会レベルと職場レベルで、男女均等なルールを確立すること。
(2)女性がそれに答えるビヘイビアをとれるかどうか。
という2つの局面があることが述べられています。
 本書は、これまでホワイトカラーを中心に語られることが多かった職場における男女の問題について、よりはっきりと分離している現業職場を取り上げることで、問題を明確にしている一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 数年前に総武線に始めて女性車掌が登場したときは、アナウンスを聞いたり見かけたりすると得した気になりましたが、最近は当たり前になりました。
 そういえば京成バスでも女性の運転手さんが増えた気がします。


■ どんな人にオススメ?

・男女混合職化の現状を捉えたい人。


■ 関連しそうな本

 ロザベス・モス カンター (著), 高井 葉子 (翻訳) 『企業のなかの男と女―女性が増えれば職場が変わる』 2005年10月11日
 佐野 陽子, 志野 澄人, 嶋根 政充 (編著) 『ジェンダー・マネジメント―21世紀型男女共創企業に向けて』 2005年12月06日
 樋口 美雄, 太田 清, 家計経済研究所 (編集) 『女性たちの平成不況―デフレで働き方・暮らしはどう変わったか』 2006年03月30日
 熊沢 誠 『女性労働と企業社会』 2006年07月25日
 佐藤 博樹, 佐藤 厚 (編集) 『仕事の社会学―変貌する働き方』 2005年12月01日
 鎌田 慧 『自動車絶望工場―ある季節工の手記』 2006年03月09日


■ 百夜百マンガ

駅員ジョニー【駅員ジョニー 】

 鉄道の現業で働く青春を描いた作品です。「男の世界」で生きてきた上司の寡黙な厳しさと優しさが印象的でした。

2006年9月13日 (水)

銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

■ 書籍情報

銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎   【銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎】

  ジャレド ダイアモンド
  価格: ¥1995 (税込)
  草思社(2000/09)

 下巻は、第3部「銃・病原菌・鉄の謎」の2章目から始まります。
 第12章「文字をつくった人と借りた人」では、世界に文字を発達させた民族と、発達させなかった民族とがいることを挙げ、「これほど価値のある文字を、全ての民族が持たなかったのはなぜだろうか」という疑問を提示しています。そして、文字システムの社会の間の伝播において、「実体の模倣」と「アイデアの模倣」とが果たした役割を考察しています。また、古代の文字の広がりに偏りがある理由として、古代の文字の表現力と使用者・使い道が限定されていたことを挙げています。さらに、文字が、「複雑で集権化された社会であり、階層的な分化の進んだ社会」の体系の下で、「余剰食糧によって支えられた官吏たち」によって読み書きされていたことから、「文字が誕生するには、数千年にわたる食糧生産の歴史が必要」であり、その伝播には、地形を含めた自然環境上の障壁が大きな影響を与えていたことが述べられています。
 第13章「発明は必要の母である」では、大陸ごとに技術発展のスピードが異なった原因に関して、「技術は、非凡な天才がいたおかげで突如出現するものではなく、累積的に進歩し完成するもの」であること、「必要に応じて発明されるのではなく、発明されたあとに用途が見いだされることが多い」ことを指摘し、「人類の科学技術史は、こうした大陸ごとの面積や、人口や、伝播の容易さや、食糧生産の開始タイミングの違いが、技術自体の自己触媒作用によって時間の経過とともに増幅された結果である」ことが述べられています。また、人類の長い歴史の中での技術における大躍進として、
(1)10万年前から5万年前の間に起こった言語能力と脳の働きの獲得。
(2)定住生活のはじまり。
の2点を挙げています。
 第14章「平等な社会から集権的な社会へ」では、「現代世界を統治しているのは、人類史上、どこよりも先に集権化と宗教の体制化をなしとげた社会の人びとの子孫である」ことを指摘し、政教の組み合わせが、人類史に直接影響を及ぼしていると述べています。さらに、歴史上、エリート階級たちが、平民の間で不人気にならないための方策として、
(1)民衆から武器を取り上げ、エリート階級を武装させる。
(2)集めた富の多くを民衆に人気のあるやり方で再分配して彼らを喜ばせる。
(3)独占的な権力を利用し、暴力沙汰を減らし、公共の秩序を維持して、民衆が安心して暮らせるようにする。
(4)イデオロギーや宗教でエリート階級の存在や行為を正当化する。
の4つが取られていたことが述べられています。
 さらに、人間社会が食糧生産を始めたことによって得た特徴として、
(1)エジプトのピラミッドなどのような公共建造物を、国家が自らの力を誇示するために建設できるようになった。
(2)余剰食糧が生まれた結果、労働の分化や社会階層の形成が可能となった。
(3)食糧生産は、人々に定住生活を可能にさせ(要求し)、様々な所有物をため込み、技術や工芸を発達させた。
の3点を挙げています。
 第4部「世界に横たわる謎」は、第15章から最終章までで構成されています。
 第15章「オーストラリアとニューギニアのミステリー」では、オーストラリアとニューギニアの社会が、アジア大陸を起源としながらも、アジア大陸の社会から孤立した状態で発展してきたものであること、ニューギニア人が首長社会や国家を形成しなかった理由として、
(1)独自に食糧生産を開始したが、低タンパクの食料であったこと。
(2)利用可能な土地に限界があり、大量の人口を養えるだけの面積的なゆとりがなかったこと。
等を挙げられることが述べられています。また、ヨーロッパ人がニューギニアに大量に定住しなかった要因として、マラリアをはじめとする熱帯病の存在、ヨーロッパの農作物や家畜がニューギニアの自然環境にまったく適していなかったこと、等を挙げています。
 第18章「旧世界と新世界の遭遇」では、ヨーロッパとアメリカの途方もない違いが、「主として、南北アメリカ大陸の大型野生動物が更新世末期に絶滅したことに端を発している」ことが述べられ、南北アメリカ大陸で行われていた農業が、
(1)タンパク質に乏しいトウモロコシの栽培に多くを依存していたこと。
(2)ユーラシア大陸では散播が行われていたのに対し、種を手で埋め込んでおく点播が行われていたこと。
(3)使役動物を使えず人力で大地を耕していたこと。
(4)動物の排泄物を肥料として利用できなかったこと。
(5)脱穀や製粉、灌漑などをすべて人力で行わなければならなかったこと。
の5つの点で大きく遅れをとっていたことが述べられています。
 第19章「アフリカはいかにして黒人の世界になったか」では、われわれが、「アフリカ大陸といえば、国人が先住民であり、白人はあとからやってきた侵入者で、アフリカの歴史は、ヨーロッパ人による植民地主義と奴隷貿易によって彩られている」という先入観にとらわれてしまっていることを指摘し、アフリカ大陸では世界の主要な6つの人種のうち5つの人種(黒人、白人、アフリカピグミー族、コイサン族、アジア人、うち3つはアフリカ大陸固有の人種)が暮らし、世界の言語の4分の1はアフリカ大陸にしか分布していない多様性を持つ大陸であることが述べられています。そして、アフリカにおいて、国人だけが広く分布するようになった理由について、紀元前3000年頃には、牛を飼育し、農作物を栽培していた黒人であるバンツー族が、森林を畑地に開墾し、人口を増加させ、狩猟採集民のピグミー族やコイサン族を追いやりながら拡散していったことが述べられています。また、今日は砂漠であるサハラ地域が、紀元前9000年から4000年にかけては湿潤で、湖沼の豊富な地域であり、「アフリカ大陸で最もは薬食料が生産されたことを示すと思われる考古学的証拠」が発見されていることや、「西洋文明の精神的な支えである新・旧約聖書やコーランを表した人びとの言語がアフリカ大陸で誕生した可能性がある」こと等が述べられています。
 エピローグ「科学としての人類史」では、人間社会の展開に影響を与えうる環境上の要因として、
(1)栽培化や家畜化の候補となりうる動植物種の分布状況が大陸によって異なっていたこと。
(2)伝播や拡散の速度を大陸ごとの大きく異ならしめた要因として、大陸が伸びる方向や起伏の激しさが重要であること。
(3)地理的な孤立など、異なる大陸間での伝播の容易さ。
(4)それぞれの大陸の大きさや総人口の違い。
の4つの要因を挙げるとともに、中国がヨーロッパに遅れを取った要因として、15世紀からの船団の派遣の中止を挙げています。
 著者は、「歴史学者が人間社会の歴史の変遷の中から因果関係を引き出すのは困難だといえる」とした上で、人間科学としての歴史研究が、「何が現代世界を形作り、何が未来を形作るかを教えてくれるという有益な成果を、我々の社会にもたらしてくれる」という期待を述べています。
 本書は、歴史と現代社会を科学するという点で、単なる歴史書ではなく、経路依存性などの経済史の研究に代表される社会科学とも親和性の高い一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書には、江戸時代の日本における銃火器の技術の社会的な放棄が取り上げられています。著者は、日本に銃火器の受入に抵抗する社会的土壌として、サムライたちが自分たちの階級の象徴である刀に誇りを持ち、銃の所持や使用を軽蔑していたと述べています。
 同じ著者の『文明崩壊』でも、江戸時代の森林管理が取り上げられていますが、日本語版序文で、著者の奥さんの親戚が日本人だと書いていることから、日本にも関心が深いのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・科学としての歴史に関心がある人。


■ 関連しそうな本

 ジャレド ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』 2006年09月12日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)』 2006年08月14日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)』 2006年08月15日
 ジャレド ダイアモンド 『人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り』
 ダグラスC. ノース (著), 竹下 公視 (翻訳) 『制度・制度変化・経済成果』
 スロウイン エッゲルトソン 『制度の経済学〈上〉―制度と経済行動』


■ 百夜百マンガ

侍ジャイアンツ【侍ジャイアンツ 】

 小さい頃にアニメの再放送をよく見てました。ハイジャンプ魔球は高く飛べなかったのですが、大回転魔球はとりあえずぐるぐる回って投げることができたもののボールがどっちに飛んでいくかがわからないのが難点です。目も回ります。
 原作のマンガの絵柄は今見ると相当古いですが、『巨人の星』と比べても昔のマンガに見えます。

2006年9月12日 (火)

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

 2005年1月21日のスタートから、本日で600冊目となりました。


■ 書籍情報

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎   【銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎】

  ジャレド ダイアモンド
  価格: ¥1995 (税込)
  草思社(2000/09)

 本書は、紀元前1万1000年前に最終氷河期が終わった時点では、みな狩猟採集生活を送っていた世界各大陸の人類が、それぞれの大陸ごとの異なる経路で発展し、その結果、西暦1500年時点での技術や政治構造の不均等をもたらしたのは何の要因によるものなのか、すなわち、「ヨーロッパ人が銃や病原菌や鉄を持つようになった究極の要因」を論じたものです。著者は、本書を、「歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとの置かれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」と要約しています。著者は、本書の出発点を、25年前にニューギニアでであった政治家「ヤリ」から発せられた、「あなた方白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」という問いであると述べています。
 第1部「勝者と敗者をめぐる謎」は、第1章から第3章までで構成されています。
 第1章「1万3000年前のスタートライン」では、紀元前1万1000年頃の時点では、「どの大陸においても人間社会が最も早く発展しえたということはいえても、それがどの大陸であったかを特定することがはできない」ことが述べられています。
 第2章「平和の民と戦い民の分かれ道」では、ポリネシアで起きたモリオリ族(小さな孤立した狩猟採集民)とマオリ族(人口の稠密なところに住む農耕民で優れた武器を持っていた)との衝突の例を、「人類の歴史が大陸ごとに異なる発展をしていったという、より大きな疑問を理解するためのモデル」として示し、人口密度の低いところや総人口が少ないところでは、経済面での変化はあまりおきていない一方、より大きくかつ人口の稠密な島で社会的な分業化が進展したことが述べられ、人間社会が環境によって多様化することを示す例として挙げられています。
 第3章「スペイン人とインカ帝国の衝突」では、「ヨーロッパ人とアメリカ先住民との関係における最も劇的な瞬間」として、1532年11月16日に、スペインの征服者ピサロとインカ皇帝アタワルパとの出会いを解説しています。このとき、アタワルパの8万の兵士に対し、たった60人の騎兵と106人の歩兵しかいなかったピサロ側が圧勝した理由として、銃器の与える心理的効果以上に、スペイン側が持っていた鉄製の剣や槍や短剣と、インカ兵にとって初めて戦う騎馬隊が力を発揮したことが述べられています。さらに、読み書きのできたスペイン側が「人間の行動や歴史について膨大な知識を継承していた」一方で、読み書きのできなかったアタワルパ側は、スペイン人や海外からの侵略者に関する知識や関心を持ち合わせていなかったことが、ピサロの罠を有効なものにしたことが述べられています。そして、これらこそが、「ヨーロッパ人が新世界を植民地化したことの直接の要因」、すなわち、「銃器・鉄製の武器、そして騎馬などに基づく軍事技術、ユーラシアの風土病・伝染病に対する免疫、ヨーロッパの航海技術、ヨーロッパ国家の集権的な政治機構、そして文字を持っていたこと」であると述べられています。
 第2部「食糧生産にまつわる謎」は第4章から第10章までです。
 第4章「食糧生産と征服戦争」では、「それぞれの大陸において農耕や家畜の飼育が異なる時代に始まったという、食糧生産開始の地理的な時間差が、それらの大陸の人々のその後の運命を非常に大きく左右している」として、動植物の栽培化及び家畜化が人口の稠密化に直接的に貢献していること、家畜から人間にうつった病原菌が征服戦争において決定的な役割を果たしたことが述べられています。
 第5章「持てるものと持たざるものの歴史」では、世界に数箇所しかない、食糧生産を独自に始めた地域の人びとが、他の地域の人たちより一歩先に銃器や鉄工製造の技術を発達させ、各種疫病に対する免疫を発達させる過程へ歩みだし、この一歩の差が、持てるものと持たざるものを誕生させたことが述べられています。
 第6章「農耕を始めた人と始めなかった人」では、農耕を始めた要因として、
(1)この1万3000年の間に、入手可能な資源資源が徐々に減少し、狩猟採集生活に必要な動植物の確保が次第に難しくなった。
(2)栽培化可能な野生種が増えたことで作物の栽培がより見返りのあるものになった。
(3)食糧生産に必要な技術が次第に発達し、ノウハウとして蓄積されていった。
(4)人口密度の増加と食糧生産の増加。
(5)食糧生産者は狩猟採集民より数の上で圧倒的に多かったため、それを武器に狩猟採集民を追い払ったり殺すことができた。
の5点を挙げています。
 第8章「リンゴのせいか、インディアンのせいか」では、メソポタミアが農耕の開始に有利であった条件として、
(1)この地方が地中海性気候に属し、穏やかで湿潤な冬と、長くて熱く乾いた夏に恵まれていること。
(2)農作物として育成できるような野生種がこの地方には豊富に分布・群生しており、その種の植物を栽培化して農耕を開始するメリットが明らかだったこと。
(3)植物相において、突然変異種の有用な特性を子孫に伝達することができる「自殖性植物」の占める割合が高かったこと。
が挙げられています。そして、肥沃三日月地帯、ニューギニア、アメリカ東部の3つの地域を比較し、食糧生産の開始の差は、入手可能であった野生動植物の差が原因であることが述べられています。
 第9章「なぜシマウマは家畜にならなかったのか」では、「重要な大型家畜の野生祖先種が、世界じゅうに一様に分布していたのではなく、大陸ごとに偏って分布していたことが、結果的にユーラシア大陸の人々が銃器や製鉄の技術を発達させ、各種疫病への免疫を発達させたことにつながっている」として、ユーラシア大陸の「由緒ある14種」以外の動物の家畜化がうまく行かなかった理由として、
(1)餌の問題
(2)成長速度の問題
(3)繁殖上の問題
(4)気性の問題
(5)パニックになりやすい性格の問題
(6)序列性のある集団を形成しない問題
の6点を挙げています。
 第10章「大地の広がる方向と住民の運命」では、肥沃三日月地帯の作物が速い速度で伝播していった理由として、ユーラシア大陸が東西の方向に横長であり、「東西方向に経度が異なっても緯度を同じくするような場所では、日の長さ(日照時間)の変化や、季節の移り変わりのタイミングに大差がない。風土病や、気温や降雨量の変化、そして分布植物の種類や生態系も、日照時間や季節の移り変わりほどではないにしても、よく似たパターンを示す傾向にある」ことが述べられています。
 第3部「銃・病原菌・鉄の謎」は、第11章から第14章までで構成されています(第11章のみ上巻)。
 第11章「家畜がくれた死の贈り物」では、病原菌が、コロンブスの1492年の航海に始まるヨーロッパ人のアメリカ大陸征服において、最もおぞましい歴史的役割を果たしたこと、農業の勃興によって集団感染症が出現した理由として、
(1)農耕が支えられる人口密度の高さ。
(2)農耕民が糞尿を肥料としていたこと。
(3)都市の台頭。
等が挙げられること、などが述べられています。


■ 個人的な視点から

 本題にはあまり関係がないのですが、家畜化が難しい動物の中で、カバの危険性について触れられていました。なんと、「ライオンをふくめたアフリカ大陸のすべての動物の中で、毎年、もっとも多くの人を殺しているのはカバなのである」そうです。
 アフリカにいったときにはライオンに注意する以上にカバに注意しないということがわかっただけでも大きな収穫です。


■ どんな人にオススメ?

・ヨーロッパ人と病原菌の怖さを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 ジャレド ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)』 2006年08月14日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)』 2006年08月15日
 ジャレド ダイアモンド 『人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り』
 海部 陽介 『人類がたどってきた道―"文化の多様化"の起源を探る』
 リチャード・G. クライン 『5万年前に人類に何が起きたか?―意識のビッグバン』


■ 百夜百マンガ

<エンブリヲ【エンブリヲ 】

 学園ミステリーものと言えば定番中の定番の設定ですが、B級間たっぷりの絵柄の古さが、幼い頃に見た恐怖マンガを思い起こさせる作品です。

2006年9月11日 (月)

囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論

■ 書籍情報

囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論   【囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論】

  ウィリアム パウンドストーン
  価格: ¥2730 (税込)
  青土社(1995/03)

 本書は、「ゲーム理論の成立、展開を、フォン・ノイマンという人物の略伝と、冷戦時代の米ソ対立に重ねて物語った読み物」です。フォン・ノイマンは、スタンリー・キューブリックの「博士の異常な愛情」に出てくる車椅子の主人公のモデルの一人と言われている人物で、1944年にモルゲンシュテルンとの共著『ゲームの理論と経済行動』を表した他、現在の「ノイマン型」コンピュータの動作原理の産みの親であるとともに、「マンハッタン計画」にも参加し、原子爆弾の誕生に携わっています。
 著者は、軍事戦略の世界で登場することの多い「囚人のジレンマ」を、「我々の時代の、主要な、哲学的かつ科学的問題の一つである。我々の生き残りに関係する問題なのだ」と述べています。
 ノイマンの頭脳にまつわる逸話は数知れないほどあります。幼少時には、来客の前で、電話帳を暗記し見せたり、一度読んだだけの本を諳んじて見せるなど、超人的です。
 ゲーム理論には、「勝つことだけに関心をもっている完全に論理的なプレーヤー」に関するものであることが述べられています。本書では、二人・ゼロサムゲームにおける合理的な会を決めるために、ノイマンが立てた「ミニマックス原理」をケーキ分割の問題によって解説しています。また、「混合戦略」の解説では、モルゲンシュテルンが気づいた『シャーロック・ホームズの冒険』における矛盾が紹介されています。
 ノイマンは、1948年にはランド研究所に身を置くことになります。このランド研究所には、「フォン・ノイマンに続く『ゲーム理論』の大御所」であるジョン・F・ナッシュがコンサルタントとして在籍していました。ナッシュは、ノイマンのミニマックス定理を拡張し、「すべての二人・有限ゲームには、少なくとも一つの均衡点が存在すること」を証明し、ゲーム理論に多大な貢献を果たしています。
 同じくランド研究所のメリル・フラッドは、人間の不合理さをゲーム理論を用いて分析した先駆者として紹介されています。フラッドは、「さまざまな興味深いゲーム、ジレンマ、日常生活上の取引を見いだし」、1952年には、「いくつかの実験的ゲーム」と題した記録にまとめています。これらのランドの実験に刺激を受けたアルバート・タッカーは、1950年に、スタンフォード大学の心理学科におけるゲーム理論についての講演で、「ゲーム理論の予備知識がない心理学者なので、ストーリー仕立てで話した方がいいだろう」と思い、今では有名になった「囚人のジレンマ」のストーリーを作り上げたことが紹介されています。
 本書は、ゲーム理論の発達を東西冷戦とも重ね合わせています。本書では、1945年には2つだった米国の即時使用可能な完成原爆数が、1950年には「292から688の間」まで増加した様子が紹介されています。ノイマンは晩年には水爆のプロジェクトに携わり、そのためには、膨大な計算が必要になったこと、「水爆を作るにはたぶん、人類がこれまでにした計算を全部合計したよりも、もっとたくさんの基本的な演算をしなければならないだろう」というノイマンの言葉が紹介されています。そして、ノイマンは骨ガンに侵されていることが明らかになります。この原因は、ビキニ環礁で立ち会った原爆実験で浴びた放射能ではないかと言われていることが述べられています。死が近づいたノイマンは、ひどいうつ病や痴呆に悩まされ、1957年2月8日にこの世を去ります。
 本書はこの他、ジェームズ・ディーンの映画で有名になった「チキン・ゲーム」の解説や、キディ・ジェノヴィーズ殺人事件で知られる「志願者のジレンマ」、「シカ狩りゲームのジレンマ」等の解説の他、ゲーム理論の生物学、社会学などへの応用、アクセルロッドの繰り返し囚人のジレンマの実験等が解説されています。
 本書は、ゲーム理論の概説書、歴史書としてはもちろん、フォン・ノイマンをはじめとする登場人物たちの評伝、米ソ冷戦の緊張など、当時の社会背景と絡めた解説とによって、読みやすくも読み応えのある一冊になっているのではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 著者は、ノイマンを始めとした「マンハッタン計画」に参加した科学者にハンガリー出身者が多かった(「火星人集団」と呼ばれた)ことについて、「中央ヨーロッパのこの地域の社会に外部から加えられた圧力、個人の潜在意識の中にある極度の不安感、及び傑出したものを生み出さなければ、絶滅に瀕するという必然性によるのだ」というウタニスラフ・ウラムの言葉を紹介しています。
 ハンガリー出身の数学者といえば、「エルデシュ数」で知られるポール・エルデシュが知られていますが、彼はその奇行ぶり(デパートの袋を抱えて世界中の数学者の家をアポなしで渡り歩く)でも知られています。


■ どんな人にオススメ?

・ゲーム理論の産みの親である「天才」の姿に触れてみたい人。


■ 関連しそうな本

 アビナッシュ ディキシット (著), バリー ネイルバフ (著), 菅野 隆 (翻訳), 嶋津 祐一 (翻訳) 『戦略的思考とは何か―エール大学式「ゲーム理論」の発想法』 2005年01月31日
 R. アクセルロッド (著), 松田 裕之 (翻訳) 『つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで』 2005年12月20日
 ノーマン マクレイ 『フォン・ノイマンの生涯』
 鈴木 光男 『ゲーム理論の世界』 2005年08月02日
 中山 幹夫, 船木 由喜彦, 武藤 滋夫 (編集) 『ゲーム理論で解く』
 梶井 厚志 『戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する』 2005年02月20日


■ 百夜百マンガ

青き炎【青き炎 】

 キャッシュカードで全額引き出しておいた通帳と印鑑で取引する、という騙しが登場しますが、ATMでの引き出しに制限のある現在ではなかなか難しくなってます。

2006年9月10日 (日)

ヴォイニッチ写本の謎

■ 書籍情報

ヴォイニッチ写本の謎   【ヴォイニッチ写本の謎】

  ゲリー ケネディ, ロブ チャーチル (著), 松田 和也 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  青土社(2005/12)

 本書は、「誰にも読めず、理解もできない書物」として、長い間、暗号解読者やペテン師、古典学者、書籍商まで多くの人たちを魅了してきた奇書『ヴォイニッチ写本』をめぐるBBCのドキュメンタリーです。なお、本書の著者の一人、ゲリー・ケネディは、この写本を発見したヴォイニッチの遠い子孫に当たる人物です。
 この世紀の奇書を発見したウィルフリド・ヴォイニッチは、1865年、リトアニアの多言語都市コヴノに生まれ、ポーランド民族主義運動に参加して逮捕、投獄の後、シベリア送りになる直前に逃亡、「冒険また冒険、危機また危機の五ヶ月間」を経てロンドンにたどり着きます。その後、「ブックキャリア連盟」の一員としてマルクスやエンゲルスらの禁書をロシアに持ち込む仕事に携わり、これをきっかけに古書界での成功を収めます。
 ヴォイニッチは、この奇書との出会いを、「1912年、ヨーロッパ大陸への定期的渡航の折、貴重なる彩飾写本のまことに驚くべきコレクションに出くわしました。数十年にわたって、これらの書物は南ヨーロッパのとある古城の櫃に埋もれていたものであります。」と記しています(実際には、イタリア、フラスカーティにあるイエズス会の僧院ヴィラ・モンドラゴーネであったと解説されています)。そして、この写本が作成された年代を、「それが書かれていた仔牛皮紙(ヴェラム)、書体、挿画、顔料などをざっと見まして、一三世紀後半のものと判断」したと述べています。
 この写本は、「未解読の暗号でロジャー・ベーコンが記した作品」として世に出されました。その後、ウィリアム・ニューボールド教授によって解読が試みられます。しかし、「彼の解読作業には無数の直感的飛躍と当て推量が入り込んだが、彼は時に常軌を逸する自らの方法論を正当化するのみならず、自分の辿り着いた結果が驚くべき重要性を持つものと頭から信じ込んでしまった」ために、解読結果の発表直後はセンセーションを巻き起こすものの、彼の死後、解読手法の誤りを徹底的に指摘され、ニューボールドの評価は永久的に地に落ちるとともに、ヴォイニッチ写本それ自体が学会の外の闇の中に放逐されてしまうことになります。
 本書の中盤部分は、多くが暗号の歴史のおさらいに充てられています。そして、暗号学の発達の歴史こそが、ヴォイニッチ写本がロジャー・ベーコンの世紀(13世紀)のものであるのか、近年作成されたものであるのかを解読する鍵となっています。
 また、本書の終盤では、ヴォイニッチ写本が捏造である可能性について述べられていて、その捏造候補者の中には、「冒険とスパイと危険と暗い秘密に満ちた生涯を送った男」として、ウィルフリド・ヴォイニッチ自身の名も挙げられ、その「動機、能力、機会」について検証されています。
 著者は、最終章で、「もしも最終的にこの写本が偽書であることが判明したとしたら、私としてはその犯人はウィルフリド・ヴォイニッチであって欲しい。私の遠い先祖であることはさておいても、私はとっくの昔に地獄に堕ちたこの男にどんどん親しみを抱くようになった」と述べています。
 本書は、世紀の奇書をめぐるドキュメンタリーであると同時に、暗号学の入門書としての読みやすさを持っている一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の大きな魅力は、謎に満ちた写本そのものの魅力のみならず、まるで映画から抜け出てきたかのような人物であるヴォイニッチその人のキャラクターです。
 著者自身が、「ヴォイニッチは明らかに情熱と行動の人であり、イデオロギーと美しい人生に突き動かされていた。彼の傲慢と胡散臭い商売も、彼自身がそれを天真爛漫に吹聴していたという事実に照らせば、ほとんど大目に見ることができるだろう。暗黒街の紅はこべのような人物は、健全で地味な普通の人よりもずっと魅力的なのだ」と述べているように、ヴォイニッチのキャラクターは、最後まで読んでも写本の謎は解けなかった、という消化不良感をもチャラにしてくれます。


■ どんな人にオススメ?

・世紀の奇書に心を惹かれてしまう人。


■ 関連しそうな本

  『世界の奇書・総解説』 2005年07月03日
 サイモン シン (著), 青木 薫 (翻訳) 『暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで』 2006年05月03日
 ピーター ジェームズ 『事典 古代の発明―文化・生活・技術』


■ 百夜百音

GOLDEN☆BEST/ハイ・ファイ・セット 荒井由実・松任谷由実・杉真理作品集【GOLDEN☆BEST/ハイ・ファイ・セット 荒井由実・松任谷由実・杉真理作品集】 ハイ・ファイ・セット オリジナル盤発売: 2002

 ユーミンのカバーをしているグループという印象ばかりが強かったのですが、命名が細野晴臣ということを知って印象が多少変わりました。


『THE BEST ハイ・ファイ・セット』THE BEST ハイ・ファイ・セット

2006年9月 9日 (土)

かなり気がかりな日本語

■ 書籍情報

かなり気がかりな日本語   【かなり気がかりな日本語】

  野口 恵子
  価格: ¥693 (税込)
  集英社(2004/01)

 本書は、「最近の日本語とコミュニケーションについて考える材料を提供する」ことを目的としたものですが、単に若者言葉をジャーナリスティックに取り上げて嘆く「オヤジ説教本」ではありません。著者は、「若者たちの日本語力を憂える大人たちは、先輩として、後輩が豊かな日本語の世界を構築するよう導いてきたのだろうか。そもそも大人たち自身が、広くかつ深い日本語の世界を持っているのだろうか。さらに、その日本語の世界の中から選び取った磨き抜かれた日本語を駆使して、円滑なコミュニケーション活動を行っていると言えるのだろうか」と自問しています。著者は、大学で非常勤講師として、外国人学生に日本語・日本事情を、文学部の学生に日本語教育概論などを教えている語学教師ですが、本書には、日本語を学び、日本で暮らし始めた外国人学生たちが当惑する様々な「気がかりな日本語」やコミュニケーションが多数収められています。
 著者が、日本の大学生に敬語が使われる場面を想定した会話文を書かせたところ、ファーストフードやファミレス、居酒屋、コンビニのレジなどでの接客場面でのやり取りであったことを挙げ、「学生たちが最も親しんでいる、そしてほぼ唯一の敬語使用の場」が、家庭でも地域でも学校でも書物の中でもなく、ファーストフード店や居酒屋などのサービス業の現場であることを指摘しています。
 そして、日本語の乱れとして非難されることが多い「いまどきの大学生」を取り巻く日本語の環境を作り出してきたのは、ほかならぬ「いまどきの大人」たちであり、「大学生は、大人たちの育てたように育ち、するようにしてきた」ことを指摘しています。
 その「いまどきの大人」の日本語については、「まあ」や「やはり(やぱり)」等の言葉が、「あのー」「エーと」「エー」「このー」「そのー」「んー」のような、つなぎの言葉(フィラー)の仲間入りをしていることを指摘しています。また、「要するにとりあえず逆にある意味基本的に、日本語力だ」等の言葉が、特に深い意味もなく頻繁に用いられ、無自覚に使用されていることについて、
・「ある意味」には「別の意味」があるのか。
・「基本的に」の基本的な意味。
・反対のことを表さない「逆に」。―――「言い換えれば」や「その代わりに」の意味で使われ、「正反対」の意味では「真逆(まぎゃく)」が使われる。
・出過ぎ感のある「で」。
等の例を挙げて解説しています。
 大人の中でも年長の部類に属する人の日本語に関しては、かつての高齢者が「パーティー」が発音できず、「パーテー」や「パーチー」と言っていたのに対し、21世紀の高齢者は「ティーショット」や「デュエット」などもお手の物になり、ついには「ホームスティー」「ディスクトップ」などにまで発揮してしまう例を紹介しています。これは「規則の過剰般化」と呼ばれるもので、「意識的に、あるいは無意識のうちに、自分の獲得したルールを他のケースにも当てはめようと」してしまう、外国語学習者や幼児期の母語発話者が言語習得の過程で経験する誤りであることが述べられています。
 また、若者の日本語の乱れを指摘する大人自身の問題を指摘するものとして、
「おかしな上昇イントネーションが蔓延してますよね。半疑問? 実に耳障りですね」
という文章を紹介し、「自分では無意識に使用していながら、ほかの人が言うのを聞くと不快感を抱くのだろう」と述べています。同じような例としては、「腑に落ちる」などを挙げています。著者は、語彙の習得に関して、「理解語彙を増やす努力を続けながら、使用語彙を自らの責任で管理する」という点では、外国人学習者も母語発話者も根本は同じであると主張しています。
 この他本書では、「ことばの丁寧さの度合が、使われているうちに以前より下がり、乱暴に感じられる傾向」を差す「敬意低減の法則」の例として、身内に対しての尊敬語、身内に向けた謙譲語等の例を紹介しているほか、「高齢者のかた」「障害者のかた」のように、「『弱い立場の者への同情』を示そうと敬語の『かた』を用いるのは、差別意識を隠蔽するための姑息な手段のようにも見える」こと等を取り上げています。
 本書は、ちょっと前の日本語ブームに釣られて買ってしまった「練習帳」の類を買ったままほったらかしている人にも読みやすく、ドキリとさせてくれる一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 「要するにとりあえず逆にある意味基本的に」という言葉を聞いて、「とにかくひとまず何よりすなわちタイムボカ~ン」を思い出してしまう世代の人は少なくないはずです。
 タツノコ作品はGyaOで放送しているので、そちらで見ることができますね。
http://www.gyao.jp/


■ どんな人にオススメ?

・「いまどきの大人」の言葉の乱れが気がかりな人。


■ 関連しそうな本

 松井 栄一 『「のっぺら坊」と「てるてる坊主」―現代日本語の意外な事実』
 日本エディタースクール (編集) 『日本語表記ルールブック』
 神辺 四郎 『その日本語は間違いです―正しい言葉の使い方』
 北原 保雄 『問題な日本語―どこがおかしい?何がおかしい?』
 現代言語セミナー 『人前には出せない怪しい日本語164』
 北原 保雄 『達人の日本語』


■ 百夜百音

くまのプーさん 日本語歌ベスト【くまのプーさん 日本語歌ベスト】 ディズニー オリジナル盤発売: 2002

 『くまのプーさん』の劇中歌が収められていて、ストーリーを簡単に追うことができます。
 何気にプーさんが、自分が太っていることを気にしていることがショックです。まあ、食べすぎで穴に引っかかるくらいなので、重要なんですが。


『くまのプーさん 完全保存版』くまのプーさん 完全保存版

2006年9月 8日 (金)

The市役所改革―現役職員が物申す!

■ 書籍情報

The市役所改革―現役職員が物申す!   【The市役所改革―現役職員が物申す!】

  元松 逸太郎
  価格: ¥1890 (税込)
  総合電子リサーチ(2005/09)

 本書は、現役の市役所職員である著者が、自らの人事担当者としての経験を中心に、マスコミで報道される表層的な姿ではない、市役所職員のリアルな姿を描き、その改革を主張しているものです。
 著者は、「今改革が必要」な理由として、国と地方の財政事情を挙げ、「近い将来、やる気のない公務員は、バッサバッサとリストラされるようになる。その親にあたる地方自治体の維持ができないためである」として、多くの公務員が「自分がリストラされる」ことに危機感を持っていないことを指摘しています。そして、「三位一体の改革」が、「地方に一定の税源を移譲する代わりに、国から地方へ配分する補助金や地方交付税を減らすので、自立した自治体経営を目指しなさい」というものであると述べています。
 また、マスコミで報道される公務員に関する事件や不祥事について、「全ての公務員がさも同じであるかのように、世論を煽るような報道は慎んでもらいたい」として、マスコミが報道しない地方公務員の実態を紹介し、「市職員の給与は高すぎる?」や「市職員は暇?」などの疑問に誠意をもって答えています。給与に関しては、役所内部の決まりごととして、具体的な内容まで公表されることのない「ワタリ」(係長職などを複数の級に格付けし、一定の年数や号級に達した時点で上位の級に昇格させる)や、人事異動や昇任・降任などの市役所生活について解説しています。さらに、天下りに関して、
・企業などが天下り者の影響力に期待する場合。
・公社などが組織運営に行政のノウハウを必要とする場合。
の2つの理由を解説していますが、国家公務員と異なり、地方の小都市の市職員OB程度の肩書きでは民間企業への天下りは極めて稀であると述べられています。
 著者は市役所生活の大半を、人事や行革の担当者として送っていますが、人事係長である著者が、職員から「人事係は職員質みたいだ」と言われ、不満の矛先が向けられていることが述べられています。そして、その理由として、職員にとって人事異動の際に一番大事なのは、自分の配属であり、他の部署のことは二の次である点を指摘しています。
 そして、著者が「公務員を変えたい」という気持ちを伝えるために、地方公務員をテーマにしたホームページ「地方公務員も物申す!」を開設した動機なども述べられています。
 また、組織運営において最も大事な点として、「可もなく不可もない多数の職員のうち、一人でも多くの職員を、職場において中心的な役割を担える職員に育てること」であるとし、この内容に組織の相対的なレベルアップがかかっていることが述べられています。
 第4章の章末には、著者が分類した「見習いたくない公務員モデル」として、以下の8つが紹介されています(もちろん、これらの類型のうち、複数を同時に「発症」している職員も少なくないように思われます)。
(1)困った上司
 A 無気力型
 B 世渡り上手型
 C 旧お役人型
 D 威張り型
(2)役に立たない同僚
 E マイペース型
 F どこにいるの型
 G いつまでやってるの型
 H 自己チュウ型
 著者は、「公僕」という建前上、なかなか口には出しにくい「困った来庁者」についてもガンガン物申します。クレーマー的な市民の例として、
(A)一人オンブズマン系
(B)アルコール依存系
(C)ストーカー系
(D)自称法律家系
(E)議員と仲良し系
等を挙げています。
 本書を手に取った、将来の市職員希望者へは、市職員が地域住民との関わりが深く、住民から「顔を覚えられやすい」ことに自覚が必要であるとして、
・居酒屋で酔っ払って大騒ぎ→「市職員は酒癖が悪い」
・平日に仕事を休んで近所をウロウロ→「○○という職員が仕事をサボっている」
・ゴミ収集日でもない日に家族がゴミ出し矢印「市職員の家族なのにマナーが悪い」
などのお叱りの通報や投書があるという例を挙げています。
 また、時代を背負う若手職員に対しては、「同じ組織の職員の場合、採用職種・役職・経験年数が同じなら賃金はほとんど変わらない」ことが、仕事に精を出す職員にとっては「やる気を削ぎ落とす大きな要因となっている」ことを述べた上で、公務員に成果主義を導入するためには、まず職員の意識を変える取組みを行い、制度導入に耐えうる体質づくりを進めておく必要があると主張しています。さらに、改革に必要なポイントとして、首長(市町村長)の意識と、改革意欲を持った職員の関与が重要であることを述べています。
 最終章「変えよう変わろう市職員」では、職員の危機感を高めるために、
(1)仕事をしない職員は登用しない。
(2)若手職員を積極的に登用する。
の2点を挙げ、これだけの取組みで組織の雰囲気は一変するはずであると述べています。最後に著者は、
「市役所職員よ、危機感を持て。
 市役所職員よ、誇りと自信を持て。
 市役所職員よ、自ら学び、自ら考えよ。
 
 そして、内部から市役所が変わる」
というメッセージを掲げています。
 本書は、現役の自治体職員はもちろん、将来、自治体職員を目指す学生にもぜひ読んでいただきたい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で1点腑に落ちなかったのは、「職員研修制度」が福利厚生制度の1番目に挙げられている点です。「研修なんてお遊びだ!」と思う職員がいるとしても、人事担当者である著者が研修を福利厚生に位置づけているのには驚きました。
 ただし、小さい市町村の場合、自前の研修制度を持たず、一部事務組合などの外部の研修機関で研修を行っていることが多いので、数日間仕事から解放されて県庁所在地の研修機関に泊り込む研修は、福利厚生的な意味合いが強いのかもしれません。
 あと1箇所誤字指摘は、P.125の「パレードの法則」です。Googleで検索したところ、152000件もヒットしましたので、「コミニュケーション」と同様、日本ではこちらが一般的なのかもしれません。→「Pareto」


■ どんな人にオススメ?

・現役自治体職員
 ・将来希望している人


■ 関連しそうな本

 塩沢 茂 『地方官僚 その虚像と実像』 2005年08月01日
 中国新聞社編 『ルポ地方公務員』 2005年08月17日
 新しい霞ヶ関を創る若手の会 (編集) 『霞ヶ関構造改革・プロジェクトK』 2005年12月22日
 稲継 裕昭 『日本の官僚人事システム』 2005年02月10日
 テリー伊藤 『お笑いニッポン公務員―アホ役人「殲滅計画」』 2006年03月16日
 宮崎 哲弥, 小野 展克 『ドキュメント平成革新官僚―「公僕」たちの構造改革』 2006年04月13日


■ 百夜百マンガ

みのり伝説【みのり伝説 】

 フリーライターというお仕事の厳しさが伝わってくる?作品です。お涙頂戴ものっぽい感じもしますが。

2006年9月 7日 (木)

子どもという価値―少子化時代の女性の心理

■ 書籍情報

子どもという価値―少子化時代の女性の心理   【子どもという価値―少子化時代の女性の心理】

  柏木 恵子
  価格: ¥882 (税込)
  中央公論新社(2001/05)

 本書は、子どもを産むことが「つくる」というように、自然現象ではなく女性の選択の一つとなった時代において、これまで自明とされてきた「子どもの価値」を、発達心理学(人間の心と行動とが誕生から死に至る全生涯にわたって、どのように発生し変化してゆくかを扱う)の観点から「親にとっての子ども」とは何か、を論じたものです。著者は、1990年の1.57ショック後に打たれた様々な育児支援策が実効を挙げていない理由として、「少子化、少産という人口上の現象は、女性が子供を産むことをめぐる心の問題、子どもの価値の変化の問題、さらに現今の結婚や家族の中での女性の心の問題」であるという認識が欠けているからだと述べています。
 第1章「『子どもの価値』展望」では、「子どもの価値」は国によって大きく異なり、発展途上国では、経済的・実用的価値が重視され、先進国では精神的価値が重視されるという国際比較の結果が示され、親が子供に対して期待する価値が人類に共通・普遍のものではなく、「社会的状況に依存しそれによって左右されるきわめて相対的なもの」であることが示されています。また、この20年で、女児の価値が男児を上回った理由を、(1)老後の精神的な支え、(2)育児のための親の負担(心身エネルギー・経済資源)が少ない、の2点挙げています。
 第2章「人類初の人口革命」では、少子をもたらす背景として、子どもが「授かる」ものから「つくる」ものへ変化したことを指摘し、かつての少子が「多産―多死の結果としての少子となった」から「少子だから少産でいい、少子にする」と、少子をもたらす原因が根本的に変化したことを述べています。そして、子どもを「つくる」か否かを決められるようになった時代の親の心と行動の変化として、
(1)子どものマイナス価値がにわかにクローズアップされ、事前に比較検討されることになった。
(2)親の子どもへの感情、特に子どもの死に対する親の態度や行動が大きく変化し、かけがいのない存在と思われるようになった。
(3)親の意思や計画で「つくった」以上は、「できるだけのことをしてやりたい」と教育に強い関心を抱くようになった。
の3つの変化が起こったことが述べられています。
 第3章「『なぜ子供を産むか』」では、母親たちの<産む理由>を、
(1)情緒的価値
(2)社会的価値
(3)個人的価値
(4)条件依存
(5)子育て支援
に分類し、さらに(1)~(3)を子どものプラスの価値、(4)、(5)を子どものマイナスの価値に分け、これらの世代間の差として、<自然・当然・社会のため>から<条件次第・自分のため>へ変化していることを指摘しています。また、子どもの数に関しては、経済コストと社会的規範の圧力から「少なく産んで良く育てる」考えが浸透し「子どもは2人」が一般的になったこと、一方、たくさんの子を持つ母親には、「子どもをもつことへの積極的な態度と社会的責任感」が強いこと、一人っ子の母親の、これ以上「生まない理由」が、「子どもを持つことで自分の生活から失われそうな事柄」が占めていることなどが述べられています。
 第4章「人口革命下の女性の生活と心の変化」では、子産みの決定時や子育て中の母親の心理に共通する、「自分」へのこだわりが強くなった理由を、
(1)「少子・高齢化」によって、子育て期間は長くなった一生のごく一部に過ぎなくなり、子どもだけを生き甲斐にすることができなくなった。
(2)<結婚―性―生殖―育児>の4点セットが崩壊し、個人化志向が強くなった。
(3)労働の質と学歴水準が変化し、「働く母」として職業と家庭の両立という多重役割が認識された。
ことを挙げています。この中では、女性が職業と家庭の多重役割を果たすことが、矛盾や葛藤を起こすという予想に反し、「働く母親は多くの役割をこなすことで、達成感を味わいそれが自信を生み充実感を味わっている、育児不安も低い、また夫との関係もよい」ということが分かってきたことが述べられています。一方で、母親が専業で育児をする"母の手で"は、「もっと発揮したい伸ばしたいもう一つの道が閉ざされ、否応なく一つの役割に閉ざされてしまった状況」であり、専業母親の不安や不満の根の一つが、「自分が大事にしてきた役割の喪失」、「家族役割だけではなくもう一つの役割も持ちたい」という多重役割への強い希求であることが述べられています。
 また、"母の手で"の問題として、父親とは名ばかりの父親不在の問題を指摘し、「家族は母子家庭と企業戦士に分裂した」結果、幼少時に接触の乏しかった父親は青少年期の子どもたちから頼りになる存在と認められないことが述べられています。著者は、「父親であることではなく、父親になる、父親をすることは、子どもや妻にとってではなく、男性本人にとって職業経験では得られない多くのことを学ぶ場」であると述べていえます。
 著者は、"母の手で"が今もって信奉され、育児を女性のものとしていることが、「女性を苦境に陥らせるのみならず、男性も子どもから当てにされず、妻にもうとまれる、といったふうに、親子・夫婦関係を危うくして」いる元凶であると指摘しています。
 第5章「子どもを<つくる>時代の問題」では、子どもを「いい」学校に入れることが、親の生き甲斐や勲章となり、「親のための子どもの教育」になってしまっている場合があり、親の教育熱心が、「発達の主人公である子どもに貧困な経験と環境を与えてしまっている危険」を指摘しています。また、「母―娘の一卵性双生児現象」の背景に、夫との関係が希薄なこと、自律的な行動力が乏しいこと、等の特徴があることも述べられています。さらに、性によってしつけや教育に違いをつける性別しつけが、先進国の中で日本に著しい点を挙げ、性別しつけが、「娘の価値を高め、より確かなものとする、そうすることで長期的リターンを期待する親の戦略、子どもへのエゴイスティックな戦略といえる」のではないかと指摘し、その裏づけとして、「娘に性別しつけをしている親ほど、娘に将来の支えを期待している」というデータを示しています。
 一方で、性の自由化の負の落とし子としての「できちゃった婚」について、親の意思や計画で子を「つくる」時代に、計画なしに"できちゃった」子どもが、「望まれずに誕生したことで、様々な不幸を将来することにもなりかねない」ことを指摘し、望まれない妊娠から誕生した子どもが、病気や入院回数も多く、学業成績も芳しくない、家庭や学校での適応も悪いなど、心身の発達に様々な問題が生じやすいこと、十分な養育どころか、存在そのものがうとましがられ、養育拒否・放棄になる危険性さえあることを示唆した研究を紹介しています。
 本書は、とかく出生率などの「ノルマ主義」に陥りがちな「少子化対策」に、個々人としての視点を与えてくれる貴重な一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書は、主に女性の心理を中心に展開していますが、男性にとっての子どもの価値についても部分部分で言及されています。特に、男性にとっても、人生が長くなったことで、職業に専念するだけで人生を終えることができなくなり、「退職後、家庭と地域に戻っての生活、それも子どもの巣立ったあと妻と向き合う生活が長く続くこと」になることは、人口革命が、男性に対しても、「どう生きるかを見直す課題を提起」していることを述べています。その上で、男性にとっても、社会的職業的役割と家族役割の双方を担う多重役割が、「達成感や自尊を高めるなど肯定的な効果」を持つことが述べられています。
 最近にわかに高まっている、団塊の世代の定年後問題は、消費や地域への人材供給などのプラス面も紹介されていますが、家族役割を放棄してきた企業戦士が、仕事を失った後、これまで無視し続けてきた家庭の抜け殻と向き合ったときに、何が起こるかを想像しただけで寒気がします。


■ どんな人にオススメ?

・子どもを「つくる」時代に生きている人。


■ 関連しそうな本

 目黒 依子, 西岡 八郎 (編集) 『少子化のジェンダー分析』 2006年06月23日
 白波瀬 佐和子 『少子高齢社会のみえない格差―ジェンダー・世代・階層のゆくえ』 2006年03月10日
 子育て体験出版委員会 『ストップ・ザ・少子化 : 27人の子育て体験』
 湯沢 雍彦 『少子化をのりこえたデンマーク』 2006年03月13日
 佐藤 博樹, 武石 恵美子 『男性の育児休業―社員のニーズ、会社のメリット』 2005年04月07日
 樋口 美雄, 太田 清, 家計経済研究所 (編集) 『女性たちの平成不況―デフレで働き方・暮らしはどう変わったか』 2006年03月30日


■ 百夜百マンガ

私たちは繁殖している【私たちは繁殖している 】

 「繁殖」というプリミティブな言葉とは裏腹に、「個人と出産」というきわめて現代的な問題がテーマになっています。

2006年9月 6日 (水)

多元化する「能力」と日本社会 ―ハイパー・メリトクラシー化のなかで

■ 書籍情報

多元化する「能力」と日本社会 ―ハイパー・メリトクラシー化のなかで   【多元化する「能力」と日本社会 ―ハイパー・メリトクラシー化のなかで】

  本田 由紀
  価格: ¥2415 (税込)
  NTT出版(2005/11)

 本書は、巷に氾濫するさまざまな得体の知れない「○○力」に象徴される、現代の日本社会における「『能力』の多元化」という社会状況の一端を、「ハイパー・メリトクラシー」というキーワードで書き出そうとしたものです。著者は、自身の造語である「ハイパー・メリトクラシー」を、「現代日本が足を踏み入れつつある『ポスト近代社会』における人々の社会的位置づけ=地位達成を制御する原理」であるとし、このハイパー・メリトクラシーが、「意欲や独創性、対人能力やネットワーク系勢力、問題解決能力などの、柔軟で個人の人格や情動の深い部分に根ざした諸能力」である「ポスト近代型能力」を人々に要請していることを指摘しています。
 著者は、序章「現代社会で求められる『能力』」で、「『業績主義』を人々の社会的位置づけに関する支配的なルールとする社会」である「メリトクラシー」の典型ないし極限形態ともいえる日本社会が、「競争」と不可分であることを述べています。その上で、「ハイパー・メリトクラシー」を、「手続き的な公正さという側面が切り捨てられ、場面場面における個々人の実質的・機能的な有用性に即して個々人を遇するという、『業績主義』が本来持っていた意味が前面に押し出され」、「人間存在のより全体、ないし深部にまで及ぶ」業績が要請される、「むき出しのメリトクラシー」であると指摘しています。そして、ハイパー・メリトクラシー下では、多様性・新奇性、意欲、創造性、個別性・個性、能動性、ネットワーク形成力、交渉力など、「文部科学省の掲げる『生きる力』に象徴されるような、個々人に応じて多様でありかつ意欲などの情動的な部分」を多く含む「ポスト近代型能力」が要請されることを述べています。そして、ハイパー・メリトクラシーが、「社会的地位」の獲得に対し、「『ポスト近代型能力』と総称されるような柔軟で不定形の諸能力が明らかな影響を及ぼすようになっているという状況」を意味するという社会観を象徴するものとして、佐藤俊樹氏の「『ガリ勉』の絶滅」というキャッチコピーを紹介しています。また、ハイパー・メリトクラシーが、
(1)個人の尊厳:「感情労働」の議論に代表されるように、「社会」が「個人」を裸にし、そのむき出しのやわらかい存在のすべてを動員して活用しようとする。
(2)社会的不平等:家庭における家族メンバー間の関係のあり方という、政策的介入が最も困難な領域が、個人の一生を決定する意味を増大させる。
の2つの点で大きな問題をはらんでいると指摘しています。
 第1章「ハイパー・メリトクラシーの大合唱」では、「ハイパー・メリトクラシーを明示的に推進したり、ハイパー・メリトクラシー化を前提としたうえで個々人の対処の仕方を指南する」ような「ハイパー・メリトクラシー言説」に注目し、分析を行っています。その例としては、日本経済団体連合会が2004年に提言した、『21世紀を生き抜く次世代育成のための提言――「多様性」「競争」「評価」を基本にさらなる改革の推進を――』において、「産業界が求める人材」が、
(1)志と心:物事に使命感を持って取り組むことのできる力。
(2)行動力:情報の収集や、交渉、調整などを通じて困難を克服しながら目標を達成する力。
(3)知力:深く物事を探求し考え抜く力。
の3つを備えるべき力として挙げていることを示し、ハイパー・メリトクラシー言説が、「経営者団体の提言を凝縮された核としつつも、企業の世界全体、さらには企業の世界を超えて社会全体を広く覆い始めていることが伺える」ことを述べています。
 また、教育界でも2003年の中教審答申「初等中等教育における当面の教育課程及び指導の充実・改善方策について」が、「生きる力」として、「確かな学力」、「豊かな人間性」、「健康・体力」の3つを掲げ、このうち「確かな学力」を構成するものが、「表現力」、「学ぶ意欲」、「課題発見能力」など「ポスト近代型能力」的な「知力」を意味するハイパー・メリトクラシー言説の一つの典型であること、2003年ごろから、「生きる力」に代わって盛んに用いられるようになった「人間力」が「生きる力」を「さらに発展させ、具体化したもの」であることなどを指摘しています。
 著者は、ハイパー・メリトクラシー言説の支配により、「ものの見方」が収斂に向かうことを危惧し、「こうしたハイパー・メリトクラシー言説をそれとして対象化し、されには相対化すること」が必要であると述べています。
 第2章「『がんばる子ども』の作り方」では、子どもたちにとっての「がんばり」の内実が、従来の、
・閉じた努力:受験勉強を典型とするような、与えられた目標に向かって反復練習などを通じて自分自身の単線的な向上を遂げること。
から、
・開かれた努力:その時々の周囲の状況に応じて自分のあり方や目標を自ら選び取り、それに向かって最大限の力を尽くすような行動特性。
へと変質しつつあると指摘し、後者は前者よりも「はるかに難しく高度な『努力』である」と述べています。著者はこのような子どもの「がんばる」対象の変化と多様化を、「『勉強』に関心が集中するメリトクラシー社会から、『勉強』以外の多様な側面での力が要請されるハイパー・メリトクラシー社会への移行」であると述べています。
 第3章「高校生の『対人能力』」では、日本の高校教育が、「戦後日本において高校教育がほぼ普遍化する過程において、高校間に細かく『輪切り』された階層構造が成立した」ことを特徴とする、「壮大な選抜・配分装置として機能」してきたことを述べた上で、現代の高校生の中で、「全体として高校や勉強の重要性が後退し、代わって家庭の重要性が浮上し」、メリトクラシー的な選抜と配分の仕組みが、高校生たちの生活全域を熾烈に駆り立てる事態が終わりを告げ、「メリトクラシーの弛緩」が顕在化していることを指摘しています。一方で、今の高校生にとって、学校を超えて広がるネットワークが重要化し、そのような対人関係を結ぶための一種の「能力」が重要になり、おそらく高まっていることを指摘し、ハイパー・メリトクラシー的な「ポスト近代型能力」の一部としての「対人能力」がより重要なテーマとして浮上しているのではないかと述べています。そして、「対人能力」を規定する要因として、
(1)「学力」の高い者の方が「対人能力」も高いという関係が見いだせる。
(2)男子の方が「学力」と「対人能力」の関連が強く、両方の能力を備えている者と、両方とも備えていない者との間に、一元的な序列が女子よりも明確に成立している。
(3)男子では「専門高校」に在学している場合に「対人能力」が高いという傾向がみられるが、女子ではそうした関係はみられない。。
(4)家族とのコミュニケーションの密度が高いものほど「対人能力」が高く、「家族コミュニケーション」、「学力」、「対人能力」の三者に相互高進的な関係がある。
の4点を挙げています。
 第4章「生きるためのスキル」では、「社会的地位」に影響を及ぼす可能性がある「能力」ないし「スキル」を、
・家事スキル:衣食住に関する基本的な生活を維持するための活動をしているか、できるか。
・テクニカルスキル:情報機器の活用や対人的なコミュニケーションなど。――コンピュータスキル、コミュニケーションスキル
・メンタルスキル:個々人の性格面での傾向、特に内面的・精神的な「強さ」。――ネガティブ志向、ポジティブ志向、有能感
の3種で構成される「ライフスキル」と呼び、その分布や要因について分析しています。「ライフスキル」に影響を及ぼす要因としては、家庭背景に関して、(1)家族構成(親元にとどまっているか独立しているか、既婚か未婚か)、(2)出身家庭の「社会階層」、(3)親子関係の質的なあり方、の3点を挙げています。また、学校教育に関して、(1)学校教育の年数(最終学歴の高さ)、(2)学校教育に感じる意義、(3)学力(中学3年時の成績)、(4)中学時代の不登校日数、等を挙げています。
 著者は、これらのまとめとして、
・「家事スキル」:男性では全般に低調だが、これが高いほど収入や社会参加意識が高くなるという形で、「社会的地位」に対して有効性を発揮視している一方、女性にとっては他のスキル形成や「社会的地位」達成を阻害するように作用している。
・「コンピュータスキル」:学力と最終学歴に強く規定され、正社員という職業面での「社会的地位」とも密接に関係している。
・「コミュニケーションスキル」:基本的な知的能力に加えて、学校、家庭、地域などの豊かな人間関係を経験することが必要。
・「ネガティブ志向」:「コミュニケーションスキル」の水準が低い場合に高くなる。男性については、学歴が高いものほど「ネガティブ志向」が高く、「有能感」とも正の相関を持っている。
・「ポジティブ志向」:女性よりも男性で高いが、女性も加齢とともに上昇する。対人的な能力と密接に関係している。
・「有能感」:「社会的地位」とは順接的な関係にあるが、職業面での「地位」とは相反する関係にある。
等を挙げています。
 第5章「女性たちの選択」では、日本の母親が、子育ての責任をほぼ一手に引き受けなければならない状況にあり、「ハイパー・メリトクラシー化にともなって、そうした母親による子育ての中身そのものが、きわめて広範囲かつ高密度なものとして要請されつつある」こと、すなわち「『人格も学力も』という全方位型の教育関心」をもつ「パーフェクト・マザー」志向について指摘しています。また、「子どもをもった上で働かないことを選んだ女性が、子どもの教育に関して熱心である度合いが高く、特に『ポスト近代型能力』の形成に高い関心を払っていること」を示しています。
 著者は、「パーフェクト・マザー」圧力から女性を解放する方策として、
(1)家庭内で子どもの「ポスト近代型能力」を形成するという前提は動かさず、その役割を女性だけでなく家庭内の別のエージェントに分担させる(男性の労働時間を短縮し、男性も家庭や育児の重要な担い手となるようなしくみ)。
(2)家庭の外で「ポスト近代型能力」が形成されるような機会を十分に確保する。
(3)「ポスト近代型能力」を要請するハイパー・メリトクラシー化の趨勢そのものを食い止める。
の方策を挙げています。
 第6章「ハイパー・メリトクラシーに抗うために」では、「『ポスト近代型能力』の構成要素である思考力、独創性、目標達成力、、対人能力等々は、それ自体を直接に習得することは難しいのに対して、『専門性』の構成要素である原則や概念、ノウハウは、一定の学習過程を通じて習得可能である」として、「専門性」を個々人が身につけることがハイパー・メリトクラシーが突きつける「ポスト近代型能力」の要請に対抗するための有効な「鎧」となると述べています。そして、「『ポスト近代型能力』の必要性を声高にいうのみで、その形成を個人や家庭、あるいは地域の手に任せきるという状態よりは、相当数の社会メンバーが『専門性』という立脚点を得た上で社会に出ることが、確実に『ましな』社会状態である」と主張しています。
 本書は、著者自身も認めるように、実証分析の制度などに関しては不十分(おおざっぱ?)な点があるものの、問題提起としては価値のある一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 著者の言う「ハイパー・メリトクラシー」を象徴するものとしては、「脳力」、「親力」、「大人力」、「部下力」、「就職力」、「笑顔力」、「外見力」、「質問力」、「コメント力」、「自信力」、「感情力」、「はつらつ力」、「徹底力」、「日本力」など、本書で挙げられている様々な「○○力」をタイトルに付けた書籍類がありますが、この他にも、様々な提言の類の中で「これからは、『○○力』が求められる」等のように新しい「力」のついた言葉を作り出すのが流行っていました。
 これらの中には、もちろん、産業、教育界の目論見の流れの中で付けられたものもあるでしょうが、中には、巷に出回る書籍類などに代表されるハイパー・メリトクラシー言説に感化されて、本人たちは大真面目に使っているものも少なくないと考えられます。このことは、ハイパー・メリトクラシー化が静かに深いところで進行しているという著者の主張を裏付けるものなのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・「○○力」の氾濫にうざったさを感じている人。


■ 関連しそうな本

 本田 由紀 『若者と仕事―「学校経由の就職」を超えて』 2006年03月02日
 苅谷 剛彦, 石田 浩, 菅山 真次 (編集) 『学校・職安と労働市場―戦後新規学卒市場の制度化過程』 2006年03月03日
 苅谷 剛彦 『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』 2006年02月14日
 橘木 俊詔, 斎藤 貴男, 苅谷 剛彦, 佐藤 俊樹 『封印される不平等』 2006年02月10日
 玄田 有史 『仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在』 2005年07月20日
 宮本 みち子 『若者が『社会的弱者』に転落する』 2005年5月4日


■ 百夜百マンガ

NHKにようこそ!【NHKにようこそ! 】

 「NHK」と言っても渋谷公会堂の隣で引きこもっているわけではありません。「日本放送協会」も「日本ひきこもり協会」も略称では一緒なのです。

2006年9月 5日 (火)

教育改革の幻想

■ 書籍情報

教育改革の幻想   【教育改革の幻想】

  苅谷 剛彦
  価格: ¥735 (税込)
  筑摩書房(2002/01)

 本書は、「過度の受験競争」「暗記ばかりの詰め込み教育」「画一教育」から、「自ら学び、自ら考える力を育てる教育」「子どもの意欲を中心とした教育」「子どもたちが自分で学びたいことを選べる教育」へ、という「わかりきったつもりで邁進してきた教育改革を、今一度、立ち止まって考え直すための試み」として、「教育改革につきまとう『幻想』を振り払って、教育の実相を捉えなおすこと」を目的としたものです。
 第1章「教育の制度疲労」では、1980年代半ばの臨時教育審議会以降、「いままでの教育ではまずい」という見方は、広く国民の支持を受けていたことを述べた上で、「教育改革屋教育問題をめぐっては、さまざまな印象論、体験論に基づく議論が広まっている」として、「現在進行中の文部科学省の教育改革に代表される教育の捉え方・問題把握の仕方、さらには改革をリードする理想の描き方を、できるだけ実証的に検証し、そこで見落とされた問題はないか、問題認識に誤りはないかを問い直そうとする試み」であるという本書の目的を述べています。
 また、「教育改革のベースとなる問題把握の誤りが、実は私たちが慣れ親しんできた教育の見方、さらには私たちの教育の論じ方に由来することを解き明かすこと」をもう一つの目的としています。
 著者は、1999年に、当時の文部科学省政策課長であった寺脇研氏と行った対談から、
・論点1:教育内容の削減は「全員が百点」をめざす。
・論点2:「自分で学びたい」という学習意欲を高めることをめざす。
・論点3:学習指導要領の成果は教師たちのやりかた如何による。
という3つの論点をピックアップするとともに、これまでの教育改革の成果として、「七五三」(小学校3割、中学校5割、高校7割の授業のわからない子ども)を解消するという点では意図どおりの成果を挙げていないこと、学習到達度の低下を引き起こしたこと、学習意欲の改善をもたらしていないこと、等を指摘しています。著者は、「今の日本の教育をとらえ直すためには、改革を導いている教育問題のとらえ方や教育の理想に含まれる論理を取り出し、つぶさに検討してゆくことが必要である」と述べています。
 第2章「『ゆとり』と『新しい学習観』『生きる力』の教育」では、「ゆとり」教育が、
(1)「過度の受験競争」のために、現代の子供には「ゆとり」が欠如しているという問題認識があったこと。
(2)ゆとりを与えるのは、教える内容を減らすことで、どの生徒にも学力の定着が図れることが期待されていたこと。
(3)「意欲」の欠如もまた、教育の問題点押して認識されていたこと。
の3点の問題認識に基づいていたことが示されています。
 第3章「『ゆとり』のゆくえ」では、学習時間の戦後の変遷に関して、
(1)ゆとり教育が推進されてきた時期に、子どもたちがどれだけ学習に追いまくられていたのかという「ゆとりの欠如」の実態を明らかにする。
(2)「過度の受験競争」によって子どもたちのゆとりが奪われているといった問題認識がどうして生まれ、広く支持を受けてきたのか。
(3)子どもたちの学習離れの実態がどのようなものか。
という3つの課題を設定しています。まず、(1)に関しては、「戦前期の『試験地獄』とは対照的に、『不勉強による学力低下』が問題に」なり、「戦後の混乱期と同じ程度あるいはより少ししか学習しなくなっている」ことを指摘しています。また、(2)に関しては、受験競争の激化が「社会問題」視された1950年代後半の「入学難の時代」に、「実態を調査してみると、思ったほどのゆがみは発見できなかった」ことや、「四当五落」は真実ではなく睡眠時間が8時間以上のものがほとんどであったことなどが述べられています。(3)に関しては、「ゆとり」教育の推進は、誰にでも均等に「ゆとり」を配分したわけではなく、「中学時代に成績が下位であった生徒たちが、高校に入学後に学習離れの拡大を引き起こしている」ことを指摘しています。
 第4章「『子ども中心主義』教育の幻惑」では、総合的な学習として目指されている、「子どもの意欲や興味関心を重視し、体験を重視した学習を展開することで、問題解決能力や自ら学ぼうとする意欲が生まれる教育」に共通する理念としての「子ども中心主義(child-centered)」の教育に関して、私たちが『子どもが主人公』の教育に魅了される理由を、「児童中心主義は、むしろ、近代の大人たちが直面した絶望の産物と見るほうが、真実に近いのではあるまいか」という西洋教育史家の宮澤康人氏の言葉を引用し、どの子どもにも「内部からの自己の内的必然性にしたがって自己発展する、<有機体的発達>」が備わっているとみなす「ロマン主義」が根底にあると述べています。
 第5章「教育改革の幻想を超えて」では、「『過度の受験競争』を教育問題の『現況』とみなす見方に私たちの教育認識は強く縛られてきた」として、「『学校が伝達する知識は役に立たない』という知識無用論を何の検証もなしに受け入れ」、「過度の知識軽視を生み出してきた」と指摘しています。そして、「受験を目当てにした学習を罪悪視することへの反動」から、「子ども中心主義」の教育が唱えられ、「意欲を高めるためには子どもの体験や活動が重要だとの見方に導かれ、活動主義・体験主義的な教育の試みが導入されてきた」と述べ、「理想のまばゆさを増す、背景としての過去の暗さ」のコントラストの強さが、「現実を見えにくくさせ、手段を欠いた理想を受け入れさせる基盤となっている」ことを指摘しています。
 本書は、私たちが無批判に受け入れてきた、「過度の受験競争」によって、学習に追いまくられる子どもたち、という問題が、イメージ先行で実態を見ずに受け入れられてきたことを気づかせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 高石友也の「受験生ブルース」が流行した60年代の「受験戦争」など知らない世代の身としては、「四当五落」(睡眠時間4時間なら合格し、5時間も寝ると落ちる)という言葉にもピンとこないのです。既に小林よしのりの『東大一直線』の頃には、ギャグとして使われていた「受験戦争」が、その後も長く教育関係者の頭を痛める問題として存在し続け、少子化と大学の増加で四大入学率が上がるころになって、「ゆとり教育」が出てきたわけですが、この頃には、受験戦争も下火になっていたことに気づかなかったというのが不思議です。


■ どんな人にオススメ?

・過度の受験戦争という幻想にさいなまれている人。


■ 関連しそうな本

 苅谷 剛彦 『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』 2006年02月14日
 橘木 俊詔, 斎藤 貴男, 苅谷 剛彦, 佐藤 俊樹 『封印される不平等』 2006年02月10日
 苅谷 剛彦, 石田 浩, 菅山 真次 (編集) 『学校・職安と労働市場―戦後新規学卒市場の制度化過程』 2006年03月03日
 苅谷 剛彦 『学校って何だろう―教育の社会学入門』 2006年04月03日
 苅谷 剛彦, 志水 宏吉 (編集) 『学力の社会学―調査が示す学力の変化と学習の課題』 2006年07月04日
 苅谷 剛彦, 西 研 『考えあう技術』 2006年06月30日


■ 百夜百マンガ

塾師べんちゃん【塾師べんちゃん 】

 受験戦争の激化はこんな職業まで生み出してしまいました。やっぱりこの当時には、受験戦争を笑い飛ばしてやろう、というジャンルがあったことが伺えます。

2006年9月 4日 (月)

経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには

■ 書籍情報

経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには   【経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには】

  大竹 文雄
  価格: ¥819 (税込)
  中央公論新社(2005/12)

 本書は、「日常のさまざまな話題を経済学の視点で議論することを通じて、経済学の本質を読者に理解していただくことを目指したもの」です。
 著者は、近所の小学5年生から、「助ける」をテーマにさまざまな人にインタビューをするという総合学習の一環で、「お金のない人を助ける」というテーマでインタビューを受けます。その中で、「金持ちと貧乏人という所得格差の発生理由を明らかにし、貧困を解消するための方法を考えることは、経済学に課せられた大きな仕事の一つである」とした上で、所得再分配の問題が難しいのは、「リスクとインセンティブのトレードオフが発生するからである」と述べています。そして、「社会におけるさまざまな現象を、人々のインセンティブを重視した意思決定メカニズムから考え直すことが、経済学的思考法である」と述べています。
 第1章「イイ男は結婚しているのか?」では、女性の好みが「三高」(高学歴・高収入・高身長)から低姿勢・低リスク・低依存の「三低」に代わったという記事に関して、女性が結婚相手に望むものとして経済的要因が大きいことを指摘し、身長の高さと高収入という経済的な属性との関連を分析した研究として、身長が1インチ伸びると、時間当たり賃金が、イギリス人男性は2.2%、アメリカ人男性は1.8%高くなるという身長プレミアムを紹介し、その理由として、育った家庭環境等、身長は経済学者には観察できないような所得稼得能力を代理しているに過ぎないとする考えを紹介した上で、この要因を考慮しても身長プレミアムが計測される理由として、「高校におけるスポーツやクラブへの参加状況を説明変数に加えると、身長プレミアムが小さくなること、つまり、16歳時点で身長が高いと、体育会系のクラブに参加する可能性が高くなり、そうした社会活動によって、リーダーシップや組織を運営していくノウハウを学ぶ機会が高まるのではないだろうか」という仮説を紹介しています。
 また、アメリカ人に肥満をもたらした理由が、真空パック、保存設備、冷凍、人口調味料、電子レンジなどの食品調理の準備における「分業」の進展にあるとする研究を紹介し、「時間非整合性」と呼ばれる問題を解説しています。
 著者は、ベストセラーになった『負け犬の遠吠え』の著者の、「マトモな男の人はもう絶対結婚してるって。……まともな人がいいんだったら、もう掠奪しか手はないと思うよ」という発言を引用し、結婚と仕事の関係について考察しています。「結婚している男は、経済力がある」という観察が、「マリッジ・プレミアム」という実証研究の成果と整合的であることを述べた上で、この理由として、
(1)分業仮説:家事から解放されて仕事に専念できる。
(2)労働意欲仮説:家計を担うため責任感が生じる。
(3)シグナル仮説:信頼できる人間であるというシグナルとして機能する。
(4)差別仮説:雇主が結婚した男性を優遇している。
(5)経済学者には把握できない「隠れた魅力」仮説
の5つの仮説を紹介しています。
 この他本章では、東京の住宅価格には、ハザードマップの危険度に現れている災害リスクがある程度反映されて価格付けがなされていることや、長生きすることで相続税を節税できるのなら人々は死のタイミングを遅らせる、というイグ・ノーベル賞受賞研究等を紹介しています。
 第2章「賞金とプロゴルファーのやる気」では、スポーツにおいては、対戦相手との力が拮抗していて結果が予測できない場合に、観客動員や球団の利潤が最大になる「ルイス=シュメリングの逆説」を紹介するとともに、プロ野球で一人勝ちが生じた原因は、「参入規制を強くしたまま、ドラフト制度を弱体化させフリーエージェント制度を導入したこと」であると述べています。その上で、プロ野球制度の改革には、「プロ野球ファンが実力伯仲の試合を望んでいるのか、ひいきチームの勝利数最大化を望んでいるのか、といった基本的なファンの特性を明らかにして、その上で、各球団のインセンティブを高めるような制度設計をする必要がある」と述べ、経済学的思想の必要性を説いています。
 また、大学教員の任期制と終身雇用制の問題に関して、任期制の是非を、
(1)質の高い大学教員を採用できるかどうか。
(2)教授の若手大学教員に対する教育意欲や指導意欲を高めることができるかどうか。
(3)研究意欲を高めることができるかどうか。
(4)研究業績のうち努力とは関係ない要因で変動するケースに対してどのように処遇すべきか。
という問題であるとして、「研究者という、評価が困難な労働者の特性を考慮」すると、全員任期制を採用するより、「任期制と終身雇用権をもった教員の混合制度」が望ましく、同時に、「大学研究者の活動に関する情報公開と外部機関による適切な業績評価」が必要であることを解説しています。
 第3章「年金未納は若者の逆襲である」では、国民年金の未納率が上昇した理由を、「国民年金や厚生年金の収益率が若い世代ほど低くなり、若い世代ではマイナスに転じていること」であるとして、賦課方式の公的年金の財政方式が「ねずみ講」であることを指摘した上で、ねずみ講は少子高齢化で破綻をきたすと述べています。
 また、年功的な賃金制度が存在する経済学的な説明として、
(1)人的資本理論:勤続年数とともに技能が上がっていくため、それに応じて賃金も上がっていく。
(2)インセンティブ理論:若い時は生産性以下、年をとると生産性以上の賃金制度の元で、労働者がまじめに働かなかった場合には解雇する仕組みにすることで、労働者の規律を高める。
(3)適職探し理論:企業の中で従業員は、自分の生産性を発揮できるような職を見つけていく過程で生産性が上がっていく。
(4)生計費理論:生活費が年とともに上がっていくので、それに応じて賃金を払う。
の4つがあることを解説しています。その上で、単に成果主義的賃金を導入しただけでは、労働者の意欲は必ずしも向上せず、同時に能力開発の機会が増えることが必要であることを述べています。
 さらに、年功賃金を説明する最近の理論として、「人々は賃金(生活水準)が上がっていくことを喜ぶのではないか」という考えを紹介しています。
 第4章「所得格差と再分配」では、所得の不平等度が、その時点の所得だけの格差を示しているが、現時点の格差が小さくても、生涯所得の格差が大きければ、平等な社会であるとは言えず、逆に、一時点の所得の不平等が高くても、所得階層間の移動率が非常に大きければ生涯の所得格差は小さくなる可能性があることを述べています。これに関して、「ヨーロッパでは不平等度が高まると人々は幸福感を感じなくなるのに対し、アメリカ人は不平等度が高まっても幸福感が影響を受けない」という研究を紹介し、
(1)平等感の違い仮説:ヨーロッパの人々は平等を好むがアメリカ人はそうでない。
(2)所得階層間移動仮説:アメリカでは、所得階級間の移動率が高いので、現在貧しいことは必ずしも将来の貧しさを意味しない。
という2つの仮説のうち、「所得階層間移動仮説」が検証されたことを解説しています。
 本書は、経済学が単なる金勘定のためのものではなく、さまざまな社会の制度やあり方を見る上で必要になるものであることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読むと、竹中平蔵氏が『経済ってそういうことだったのか会議』で説明していた、経済学の語源を思い出します。それは、「経済学(エコノミクス)」の語源は、「共同体のあり方」という意味である「オイコノミコス」というギリシャ語に由来するというものです。
 日本では、社会のあり方を決めることに携わっている政治家や官僚は、法学部や政治学部卒が多いですが、社会のあり方を考えるという意味での経済学の素養のある政治家や官僚がもっと増えてくれるとうれしいです。


■ どんな人にオススメ?

・経済学はお金の計算をする学問だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 佐藤 雅彦, 竹中 平蔵 『経済ってそういうことだったのか会議』 2005年06月26日
 ゲーリー・S. ベッカー, ギティ・N. ベッカー (著), 鞍谷 雅敏, 岡田 滋行 (翻訳) 『ベッカー教授の経済学ではこう考える―教育・結婚から税金・通貨問題まで』
 アビナッシュ ディキシット (著), バリー ネイルバフ (著), 菅野 隆 (翻訳), 嶋津 祐一 (翻訳) 『戦略的思考とは何か―エール大学式「ゲーム理論」の発想法』 2005年01月31日
 梶井 厚志, 松井 彰彦 『ミクロ経済学 戦略的アプローチ』 2005年04月04日
 梶井 厚志 『戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する』 2005年02月20日
 伊藤 秀史, 小佐野 広 『インセンティブ設計の経済学―契約理論の応用分析』 2005年02月26日


■ 百夜百マンガ

バウ【バウ 】

 『ホワッツ マイケル』に代表される、もの言わぬペットをめぐる人間のドタバタを描いたほのぼのギャグ。愛らしいというより憎たらしい主人公が犬好きのハートをつかむのでしょうか。

2006年9月 3日 (日)

脳のなかの幽霊

■ 書籍情報

脳のなかの幽霊   【脳のなかの幽霊】

  V.S. ラマチャンドラン
  価格: ¥2100 (税込)
  角川書店(1999/08)

 本書は、神経科学者の著者による、「幻肢」(失われた手や脚を脳が忘れないためにそこにあるかのような感覚を持ち続ける)や「半側無視」(片側にあるものや出来事にまったく関心をもたない)、「カプグラ・シンドローム」(親しい人を別人だと思い込む)などの奇妙な患者との出会いと症状をきっかけに、脳の仕組みや働きを解説しているものです。
 著者は、人類が変わっているのは、「脳がほかの脳の働きを解明できるばかりか、自己の存在について問いかけをすることだ。」と指摘し、「脳が自分自身を理解しようと奮闘している」という再帰的性質を持っているからこそ、「神経学はわくわくするほどおもしろい」と述べています。
 第1章「内なる幻」では、本書に登場する幻肢や半側無視、カプグラ・シンドロームの患者たちは、「それぞれ脳の特定の部位に損傷があり、それが奇妙できわめて特徴的な行動の変化につながっている」として、「これらのシンドロームは、単なる珍奇な症例ではなく、正常な心と脳の働きの根本原理を説明する事例であり、身体イメージ、言語、笑い、抑うつなど、人間の本性を特徴づけているものを解明するのに役立つ」と述べています。そして、本書によって、「科学的な探求の奥底にあって、特に人間の心を理解しようとするときについてまわる不可思議な感覚」を読者と共有したいと述べています。
 第2章「どこをかけばいいかがわかる」では、幻肢(ファントム・リム)を扱っています。交通事故により17歳で左腕を失ったトムは、「肘から下が幽霊のように存在しているのを感じ」、「指」を1本ずつ動かし、無意識に転倒を防いだり受話器を取ろうとする幻肢の症状に見舞われます。著者は、カナダの神経外科医ペンフィールドによって調べられた、身体各部からの感覚を受け取る部位が、脳の皮質のどの部分に対応しているのかを示した「感覚ホムンクルス」を解説したうえで、脳の「地図を変えることができる」という国立衛生研究所のポンズ博士の実験をきっかけに、トムの脳内の手の地図が彼の顔面に対応するものであることをつきとめます。著者は、「ほどなくトムの幻の手の地図が、彼の顔の上に完成した。私は自分が見ているものが、ティム・ポンズがサルで見た地図の再配置に対応するものであることを認識していた。切断された手足の断端から遠く離れた部位――すなわち顔面――に触れて、幻肢の感覚が生じる理由を説明する方法がほかにない以上、その秘密は、顔面が手のすぐ隣に位置する脳の奇妙な身体地図にあるはずだ」と述べています。
 第3章「幻を追う」では、さらに幻肢に関して、
(1)幻肢をもつ人の中に「想像の」手足を随意的に動かせるという人が大勢いる。
(2)幻肢患者が失った手や脚に激しい苦痛を感じる、幻肢痛と呼ばれる現象。
(3)生まれつき腕のない人はどうなのか。
の3つの謎を追っています。著者は、生まれつき両腕がないのに、しゃべっているときには手ぶりをする幻肢(しかも15センチくらい短い)の事例を紹介し、その身体イメージが「少なくとも部分的には遺伝子によって規定されているに違いないことと、運動経験や触覚経験に完全に依存しているわけではないことを示している」と述べています。また、左腕を失ったジョンの幻肢がつかんでいるコーヒーカップを引っ張ると痛がるという反応を見て、「視覚が幻肢体験にはたしている役割」に着目しています。さらに、幻肢患者の3分の1くらいは、幻肢を動かせないという感覚を持っていることをきっかけに、イギリスの神経科医であるラッセル・ブレイン(本名)とヘンリー・ヘッド(本名!)が考案した「身体像(ボディイメージ)」に着目します。これは、「この身体イメージをつくり、どんなときでも維持するために、頭頂葉が多くの情報源(筋肉、関節、目、運動指令の中枢など)から入る情報を結びつける」ものであり、幻肢体験は、
(1)地図の再配置。
(2)運動指令の中枢が失われた腕に信号を送るたびに、身体イメージを持つ頭頂葉にも指令に関する情報が送られる。
の2つの情報源から出る信号に依存していることを指摘しています。著者はこの考えを元に、麻痺してしまった幻肢を再び動かせるようにする「バーチャルリアリティ・ボックス」(と言っても、段ボール箱の中に鏡を立てたもの)を考案しています。
 著者はこれらの実験を通じて、「患者の脳の中で何が起こっているかを理解するのに役立ち、また患者の痛みを軽減するための手がかりにもなった」と同時に、「あなたの体そのものが幻であり、脳がまったくの便宜上、一時的に構築したものだ」という深いメッセージが込められていると述べ、「あなたの身体イメージは、持続性があるように思えるにもかかわらず、まったくはかない内部の構築であり、簡単なトリックで根底から変化してしまう。身体イメージは、あなたが自分の遺伝子を子供に伝えるために一時的に作り出した外形にすぎないのだ」とまとめています。
 第4章「脳のなかのゾンビ」では、われわれが、「ものを見る」ということに関して、「単に頭の中で映像を走査(スキャン)することだ」という間違った考えに固執してしまいがちであることを指摘しています。そして、われわれが、「統一された自己として自分の運命を支配下においているという感覚」を改めて考えると、実験や症例からは、「実はあなたの中にもう一つ別の存在がいて、あなたの知らないあるいは気づいていないところで、自分のすべきことをしている」ということが示唆されること、「自分の脳に単一の『私』あるいは『自己』が存在するというあなたの概念は単なる幻想かもしれない」ことを述べています。
 この他本書では、失明後、幻覚で視野が満たされた患者が、シュールでイメージが一杯の幻想的な作品世界を作り出した例、「左側が見えないのではなく、左側の物体や出来事に全般的に無関心」になってしまった半側無視の例、自分の父親をそっくりな別人だと思い込んでしまうカプグラ・シンドロームの例、辺縁系のてんかん発作の患者などが「神聖な存在を感じたり神と直接コミュニケーションしたと感じるなど、感動的な霊的体験をする」という「側頭葉人格」の例、などが紹介され、それぞれが示している脳の働きについて解説されています。
 本書は、脳の働きという科学的な問題だけでなく、「自己とは何か」という問題に関心がある人にとっても一読の価値のあるものではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の序文は、『レナードの朝』や『妻を帽子とまちがえた男』など、自らの患者を題材にした作品で世界的に知られる神経学者であるオリヴァー・サックスが書いています。本書や『書きたがる脳』、『言葉のない世界に生きた男』などの脳や神経に関する科学書は、興味本位になりがちなこの分野にとって、格好の入門になるものではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・自分の脳は自分で理解できると思っている人。


■ 関連しそうな本

 オリヴァー サックス (著), 春日井 晶子 (翻訳) 『レナードの朝』
 オリバー サックス 『妻を帽子とまちがえた男』
 オリヴァー サックス (著), 吉田 利子 (翻訳) 『火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者』 2006年03月26日
 スティーヴ・グランド 『アンドロイドの脳 人工知能ロボット"ルーシー"を誕生させるまでの簡単な20のステップ』 2006年01月28日
 アリス・W・フラハティ 『書きたがる脳 言語と創造性の科学』
 スーザン シャラー 『言葉のない世界に生きた男』


■ 百夜百音

悲しい色やね【悲しい色やね】 上田正樹 オリジナル盤発売: 2001

 この曲を聴いていた当時は、「大阪湾(ベイ)・ブルース」を「大阪+ベイブ・ルース」と理解していましたが、後にホイチョイで同じネタをやっていて初めて「ベイ+ブルース」であることを知りました。「浪速のロッキー」みたいなものではなかったわけです。


『悲しい色やねん』悲しい色やねん

2006年9月 2日 (土)

フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで

■ 書籍情報

フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで   【フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで】

  サイモン シン
  価格: ¥2415 (税込)
  新潮社(2000/01)

 本書は、古代ギリシャの"ピュタゴラスの定理"に起源を持ち、350年に及ぶ長い間、世界中の数学者たちを悩ませてきた「フェルマーの最終定理」をめぐる、数学者たちの苦悩とアイデアの歴史を綴ったものです。
 この定理は、
  X^n+Y^n=Z^n
  この方程式はnが2より大きい場合には整数解をもたない。
と簡単に記述されたものですが、数多くの数学者がこのパズルに立ち向かい、そして敗れ去って行ったのでした。
 フェルマーは1601年にフランス南西部に生まれ、有能な役人として社交界の名士となった人物ですが、政治的や心を持たず、そつなく仕事をこなしながら、節約したエネルギーを数学にそぎこんだことが述べられています。フェルマーはパスカルとともに確率論の産みの親になっただけでなく、微積分学の創設にも深く関わった人物ですが、フェルマーが最も愛した分野は、これらに比べて何の役にも立たないと言われる、数論であり、「数の性質と数同士の関係を理解という情熱に突き動かされていた」ことが紹介されています。
 フェルマーは、上記の定理をディオファントスの『算術』の余白にメモするとともに、「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここには記すことはできない」という「苛立たしい思わせぶり」なメモを書き添え、いたずら好きな天才ぶりの痕跡を残しています。
 本書には、フェルマーの定理に挑んだ数多くの数学者たちの苦闘が記録されています。アルゴリズムによる方法を開発したオイラーや、無限が持つ奇妙な性質をわかりやすく示した"ヒルベルトのホテル"で知られるヒルベルトのほか、教養ある女性に対して最も差別的であったフランスにおいて、偉大な数論研究者としての地歩を固めたソフィー・ジェルマンが紹介されています。ジェルマンはパリのエコール・ポリテクニク(高等理工科学校)に、元在籍者の名前を借りてもぐりこみ、19世紀最高の数学者の1人であるラグランジュにであります。この出会いによって自信を深めたジェルマンは、数論に取り組み、世界一の数論研究者であるドイツのガウスに男性の偽名"ムッシュー・ル・ブラン"で手紙を出し、フェルマーの最終定理に大きな貢献を示しています。なお、ナポレオンのプロイセン侵略に際して、ジェルマンが進軍中の友人の将軍にあてた手紙によって、ガウスは特別な計らいを受け命拾いしますが、このときに初めてガウスはル・ブラン氏の正体が女性であったことを知ることになります。
 著者は、フェルマーの最終定理を、数学者にとって、この謎に曳かれずにはいられない「数学のセイレーン」であるとして、その理由を、
(1)他人を出し抜きたいという情け容赦のない感情。
(2)クイズを一つ解いたという無邪気な満足感を味わうことができる。
と述べ、数学の問題と解きたいという欲望に火をつける好奇心を表した言葉として、「πが無理数だと知ったところで何の役にも立たないだろうが、知ることができるのに知らないでいるなんて耐えられないではないか」というティッチマーシュの言葉を引用しています。
 本書は、著者がインド系イギリス人であるためか、数論に対する日本人数学者の貢献に多くの紙幅を割いています。第5章では、のちにフェルマーの最終定理の証明に用いられる「谷山=志村予想」を生んだ谷山豊と志村五郎が、1954年に東京大学の数学科の図書館で同じ論文を借りようとして出会うシーンから始まります。2人は当時の欧米では時代遅れとみなされていた"モジュラー形式"に魅了され、「楕円方程式とモジュラー形式とは実質的に同じではないか」と言い出すことで数学界に衝撃を与えています。楕円方程式とモジュラー形式に関する彼らの理論は、証明はできなかったものの、「谷山=志村予想」と呼ばれ、広く受け入れられるようになります。この谷山=志村予想とフェルマーの最終定理を結びつけるミッシング・リンクを発見したのは1984年に講演を行ったドイツの数学者フライです。彼は、フェルマーの方程式を楕円方程式に変形することによって、「フェルマーの最終定理の真偽が、谷山=志村予想が証明できるかどうかにかかっているというドラマティックな結論」を導きます。
 そして、この最終定理に決着をつけるアンドリュー・ワイルズが登場します。彼は、少年時代から関心をもっていたこの問題に取り組むために、屋根裏部屋にこもり、完全な秘密のうちに一人で仕事を進めていこうと決断します。7年の苦心の末、谷山=志村予想の証明を完成させたワイルズは、1993年の6月末にケンブリッジのニュートン研究所で開かれた専門家会議で講演を行います。ワイルズは、この講演に、「7年間というもの、これは私の一部であり、仕事としてはこれがすべてだったのです。私はこの問題に夢中で、この問題を独り占めしているとさえ感じていました。それなのに、私はそれを手放そうとしていた。まるで自分の一部を失うような気分でした」と複雑な感情を吐露しています。レフェリーたちによる誤りの指摘を受け、一度は綻んだと数学者たちに噂されていたワイルズの証明は、1995年5月、ついに『アナルズ・オブ・マセマティックス』誌に掲載されます。この最終定理が証明されたことの影響は、「以前なら尻込みしていた問題にも食らいつける」ようになるという心理的な影響だけでなく、楕円とモジュラーの世界を統一することによって、他の証明への近道を数学者たちに教えたことが大きいと述べられています。
 本書は、数論というとっつきにくい、無機質に感じられる世界をめぐる、情熱と人間味あふれるドラマの数々を教えてくれる一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書を彩っているのは、数々の数学者の生き様を描いたエピソードです。
 恋煩いの絶望で深夜零時に自殺するつもりで遺言を書き始めたヴォルフスケールは、予定時間よりも早くすべてを終わらせてしまい、時間つぶしに開いた数学書の証明の不十分な部分を見つけると、朝までかかって証明を修復し始めてしまいます。ヴォルフスケールは、命を救ってくれた謎への恩返しとして、フェルマーの最終定理を証明した者への懸賞金として10万マルクを投じるよう遺言状を書き換えます。
 この他、同じ著者の『暗号解読』でも登場するチューリングのエニグマ解読や、コンピュータによる「四色問題」の証明によって数学界を震撼させたハーケンとアッペルなどが登場します。
 このような人間ドラマも本書の大きな魅力です。


■ どんな人にオススメ?

・難問に食らいつく勇気が欲しい人。


■ 関連しそうな本

 サイモン シン (著), 青木 薫 (翻訳) 『暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで』 2006年05月03日
 ロビン・ウィルソン 『四色問題』 2006年07月18日
 チャールズ サイフェ (著), 林 大 (翻訳) 『異端の数ゼロ―数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』 2005年11月20日
 ポール ホフマン (著), 平石 律子 (翻訳) 『放浪の天才数学者エルデシュ』 2005年11月06日
 グレゴリー・J・チャイティン (著), 黒川 利明 (翻訳) 『セクシーな数学-ゲーデルから芸術・科学まで-』 2005年11月03日
 E.T. ベル (著), 田中 勇 (翻訳), 銀林 浩 (翻訳) 『数学をつくった人びと』


■ 百夜百音

十二月の旅人【十二月の旅人】 太田裕美 オリジナル盤発売: 1998

 売上的にはふるわなかった「さらばシベリア鉄道」ですが、「はっぴいえんど」コンビによるこの名曲は、元々は大瀧自身のために作られた曲だったそうです。


『大瀧詠一SONGBOOK1』大瀧詠一SONGBOOK1

2006年9月 1日 (金)

阪神大震災と経済再建

■ 書籍情報

阪神大震災と経済再建   【阪神大震災と経済再建】

  藤本 建夫
  価格: ¥3045 (税込)
  勁草書房(1999/09)

 本書は、「外見的に復興してくるにつれて人々の記憶から次第に印象が薄れ」た阪神大震災の陰に山積している未解決問題を、産業復興の分野について分析したものです。
 第1章「震災からの復興に影さす不況」では、兵庫県経済の復旧・復興が日本経済の不況に大きく影響され、回復は足踏み状態であることを分析しています。鉱工業生産や企業倒産、購買力回復の遅れ、新設住宅着工、公共工事、失業率、通関貿易などの各種指標を分析した結果、もともと兵庫県経済が、「素材型経済のウェイトが高い近畿経済がそうであるように、新たな外的条件の変化に産業構造がうまく対応できないうちに自身に遭遇した」ものであり、「震災を契機として震災前に企業が潜在的に抱えていた矛盾が一挙に噴出した」こと、したがって、「震災以前においてさえ限界的な企業が新たな条件の下で復興することは極めて難しい」ことが述べられています。
 第2章「震災からの産業復興の現状と政策的対応」では、神戸商工会議所と産業復興推進機構のアンケート調査を元に、
(1)復興の遅れが突きつけられているのは、観光業界、ケミカルシューズ業界、洋菓子業界など、これまで兵庫県・神戸市の経済構造を特徴づけてきた地場の零細企業であること。
(2)震災復興プロジェクトとして提案されたさまざまなプロジェクトが、神戸の企業家たちにインパクトを与えていない一方で、「集客・観光都市」や「国際都市」を目指せるだけの物理的・自然的準備資産、他都市に対して優位に立てるほどの付加価値に疑問符がつくこと。
が述べられています。
 第3章「震災復興と金融問題」では、兵庫県が高いシェアを占める中小企業金融安定化特別保証制度が、「貸し渋り」に悩む中小企業救済という社会政策的側面をもつ一方で、「本来なら保障を利用できないような財務体質の企業までが融資を受けるのを可能にし」、この制度が単なる資金繰りの改善という後ろ向きに使われれば、「保証協会は第2の住専になりかねない」ことが指摘されています。
 第5章「雇用の復興と政策課題」では、
(1)雇用は、住宅と並んで市民生活の柱の一つをなしており、雇用の喪失は、単なる所得源泉の喪失ではなく、社会とのつながりとともに生きがいの喪失をも意味する。
(2)雇用の復興は産業経済の復興とともにあるが、日本経済の深刻な景気低迷が経済復興を一層困難にしてきた。
(3)雇用の問題は均一構造ではなく、勤労者の年齢、職業能力、生活地域、要求などの多様性と、雇用を提供する側の業種、地域、規模、性格などの多様性を持つ。
ことが述べられ、震災以前からの問題として、鉄鋼業や造船業などの重厚長大型産業中心で、第3次産業への転換が遅れていたことが、雇用の復興にも影響を及ぼしていることが指摘されています。
 神戸市役所出身の高寄昇三氏による第7章「震災復興としての観光開発」では、震災復興経済政策として、最も効果的なプロジェクトは、「短期実現可能性があり、収益性・波及効果に富んだ事業」であり、「神戸経済の復活を、全国にアッピールし、再建への起爆剤的効果をもった事業でなければならない」として、流通・ファッション・観光・コンベンション産業を挙げています。そして、集客能力が疲労・衰退しつつある神戸観光都市の起死回生を狙う、大規模集客装置の建設が焦眉の案件であるとして、テーマ・パークの建設を主張し、「他の復興事業が精力的に展開されているのに、テーマ・パーク事業が宙に浮いているのは、理解に苦しむ」と述べています。著者は、観光都市としてのカンフル注射として、「大都市圏の人口集積の利点」を活かせば「事業的に成功する確率が、きわめて高い」テーマ・パークを建設すべきであると主張しています。
 第8章「神戸港の将来展望」では、ハード的には全面復旧した神戸港が、フロー面では回復せず、中でも神戸港の顔とも言うべきコンテナ貨物は、1997年時点で1994年比7割弱、全国6大港中のシェア20%にとどまっていることが指摘されています。また、内外経済情勢の激変として、(1)日本経済の失速、(2)アジア通貨・金融危機の影響、(3)震災以前より直面していた構造問題、の3点を挙げています。そして、震災までは日本第1位のコンテナ扱い実績を持っていた神戸港が3分の2の水準まで落ち込んだ理由として、震災直後の代替港として利用された大阪・横浜・九州各港へ流れた貨物が戻ってこないこと、より深刻な要因として、「国際コンテナ・ハブ港」の生命線である外貿トランシップ貨物が台湾の高雄・基隆港、韓国の釜山港に浸食され、極度の不振に陥っていることを挙げています。著者は、神戸港のハブ機能弱体化の基本要因として、
(1)神戸港へ貨物を接続するための費用があまりにも高かったこと。
(2)設備稼働率の低さや技術革新への未対応による高コスト体質。
(3)日本の6大港に見られる日曜荷役問題。
(4)港湾運送業の価格・参入規制問題
を指摘しています。
 本書は、災害の後に必要になるものが、単に災害前の姿に戻そうとする「復旧」ではなく、災害を機に問題を解決する「復興」であることを教えてくれる一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 震災の一番の脅威は、もちろん家屋崩壊による圧死や火災ですが、生き残ったとしても、被災者や地域に深刻な影響を及ぼすこと、つまり、震災の被害は何年も長く続くものであることを、本書は教えてくれます。
 災害は、「歴史の歯車を一回転前進させる」機能を持つといわれますが、地域や産業の衰退などの社会変化(一回転進んだ歯車)と、人の人生のサイクルとの軋轢(昨日までの生業が時代遅れになるなど)を、目に見える形に顕在化させる力があるのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・ハード面での復旧後も続く災害の怖さを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 藤本 建夫 『甲南大学の阪神大震災』
 広瀬 弘忠 『人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学』 2006年08月16日
 山村 武彦 『人は皆「自分だけは死なない」と思っている -防災オンチの日本人-』
 広瀬 弘忠 『無防備な日本人』


■ 百夜百マンガ

サバイバル【サバイバル 】

 実際に生き残る上でどれほど役に立つかは不明ですが、『日本沈没』に続いてこちらもぜひ映画でリバイバルしてみるとかはどうでしょうか。

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