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2006年12月

2006年12月31日 (日)

知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか

■ 書籍情報

知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか   【知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか】

  ピーター バーク (著), 井山 弘幸, 城戸 淳 (翻訳)
  価格: ¥3570 (税込)
  新曜社(2004/08)

 本書は、「知識社会」あるいは「情報社会」と呼ばれる現代を、「われわれの時代がこうした問題を真剣に考え始めた最初の時代である、などと性急に考えるべき」ではなく、「長い歴史的動向の展望の中に現代をおき、その特異性を明らかにしようとする」ものです。
 第1章「知識の社会学と歴史」では、知識社会学が組織的に研究されるようになったのは、20世紀初頭になってからである、と述べ、「少なくとも同種の研究活動が、3つの異なる国、フランス、ドイツ、アメリカ合衆国で始められた」と述べ、「知識と社会の関係について、なぜとりわけこれらの国々で関心がもたれたかのかという問題」時代が、社会学の社会学における興味深い問題であると述べています。
 また、著者は、本書の主題を選んだ理由として、「このような学術研究の空白領域に気づいた」ことを挙げています。
 本書で取り扱っている「知識とは何か」という問題については、
・「情報」(information):どちらかといえば「生の」素材、特殊で実際的なもの。
・「知識」(knowledge):「調理された」素材、思考によって処理されたり、体系化されたもの
という区別をして用いると述べています。
 そして、知識に関する研究が、これまではエリートの知識を扱ったものが多いことに対し、「学術的知識を、以前にもまして広い枠組みの中に置き直す、という容易ならざる試み」もなされるとして、「学術界のエリートたちの知の体系と、<もう一つの知識>と呼びうるものとの間に起きる、競合、抗争、交代」が、本書で繰り返し現れる主題であると述べています。
 著者は、「ベーコンの経験主義的認識論と、たとえ学識のある人間であっても普通の人々から学ばねばならないことがある」という彼の信念との間には、「密接な関連がある」と述べ、ライプニッツの「理論家と経験者とを幸福に結婚させること」という言葉を紹介しながら、「この種の相互作用を背景に、知識の支配的な形態とりわけヨーロッパの知識人が所有する知識に焦点を当ててゆきたい」と述べています。
 第2章「知識を生業とする」では、「知識人が最初に歴史に現れたのは、19世紀のロシアである」としばしば言われることに関して、「インテリゲンチャ」という言葉が、「官僚機構のなかに地位を得る可能性もなく、それを望んでもいない教養ある人々のことを言い表すために造語された」こと等を紹介しています。
 第3章「知識を確立する」では、「知的改革および文化的精彩の社会学」にかかわる一般理論として、
(1)ソースタイン・ヴェブレンに結び付けられる、アウトサイダー(社会の周縁にいる個人や集団)に焦点を当てたもの。→論文「ヨーロッパ近代におけるユダヤ人の知的優越性」
(2)ピエール・ブルデューに帰せられる、学術機関によるその種の不労所得生活者の生成と、学術機関の自己再生の傾向(「文化資本」)と呼ぶものの集中と移転に関わるもの。
の2つの理論を紹介しています。
 そして、「18世紀はあらゆる点でヨーロッパ知性史の転換点に当たる」として、
(1)高等教育における大学の実質的支配が問われた。
(2)研究機関および職業的研究者が出現し、「研究」という思想が生まれた。
(3)特にフランスの<知識人>は以前にもまして、経済的、社会的、政治的改革と深く関わるようになり、「啓蒙」(知識の普及)にも手を染めるようになった。
の3点について解説しています。
 第4章「知識を位置づける」では、「情報伝達の物理的改善および印刷本の発達とつながりをもつ知識の中心化の促進」を、世界経済の交流、数少ない大都市の発達、何よりも権力の集中にかかわるとともに、「知識の中心化は一部は自律的なものであり、書物の共和国と結びついた知識の交流の結果」であると述べています。
 また、15、16世紀において、「多くのヴェネチア人にとって最新の『リアルト〔商業中心地〕に関するニュース』」が経済的な死活問題であり、「海外駐在の商人が自宅に送る書簡は、同属経営者にとって一種の『データ・バンク』の役割を果たした」と述べています。また、17世紀にはアムステルダムは、「ヨーロッパ全体の情報交換の中心地」になったことなどが述べられています。
 著者は、「近代都市の都市における情報事業の成長」を、
・都会の労働分業の結果
・情報に対する増大しつつある欲求への呼応
の2点であると述べるとともに、「ヨーロッパの大都市に住むことによる方向感覚の錯乱が、知識欲を生み出したとも言える」と述べています。
 第5章「知識を分類する」では、「知識の洗練化における最も重要な要素の一つ」として、「知識の分類」を挙げ、分類の体系は、「絶え間なくつくられ、解体され、つくり直される」というデュルケムの言葉を紹介しています。
 そして、「近代初期のヨーロッパでは、知識は、さまざまな集団によって、多くの異なった仕方で分類されていた」として、
・理論的な知識と実践的な知識との区別、哲学者の知識と実践者の知識との区別、「科学」(scientia)と「技芸」(ats)との区別
・公共的な知識と「私的(プライヴェート)な」知識との区別
などのよく現れる区別を紹介しています。また、
・合法的な知識と禁じられた知識との区別
もよく引かれたことが述べられています。
 また、知識の体系をイメージするためのメタファーとして、
・領野(field)
・樹木とその枝
などを挙げ、公社に関しては、1300年頃に書かれたライムンドス・ルルスの『学問の樹』(Arbor Scientiae)などを紹介しています。そして、17世紀にはより抽象的な用語である「体系」(system)が、知識の組織構造を記述するのに使われるようになったことを述べています。そして、学問の体系における、「カリキュラム、図書館、百科事典からなる一種の知の三脚台」という3つの下位体系について、
(1)カリキュラム(curriculum):伝統的な陸上競技からとられたメタファーであり、走路と同じく、生徒が沿って走らなければならない道筋である「ディシプリン」(discipline)〔訓練、規律、学問分野〕の秩序あるいは体系。
(2)図書館:「本の秩序」は、大学のカリキュラムの秩序を再現し、分類の体系を物質的、物理的、空間的なものにすることで、この体系を支えてもいた。
(3)百科事典:encyclopediaは、「学習の円環」を意味し、元々は教育上のカリキュラムのことを指していた。
などのように言及しています。
 そして、ルネサンスと啓蒙主義の間には、学術的な知識の体系の中で、「制度を改める」ことと同様に「知識を再配置する」傾向が起こったことが述べられています。なかでも、図書館は、「大学の組織編成の変化の結果」と、「印刷術の革新がもたらした本の数の増加の結果」、再分類についての関心を高めたことが述べられています。
 また、「知識についての考え方の数多くの変化」の一つとして、計算への関心の高まりを挙げるとともに、「近代初期の流れの中で生じた別の2つの変化」として、
(1)自由学芸の知識と有用な知識とを比べた場合、その相対的な重要性が移動し、「理論は実践なしには無価値である」と考えられるようになったこと。
(2)知識を累積的なものと捉える新たな展望が開かれ、「新規さ」(novelty)は軽蔑的な連想を失い、推奨される長所になった。
の2点を挙げています。
 第6章「知識を管理する」では、政府機関が、「古代アッシリアの時代から、その支配下にある人民についての情報を収集し保管することに関心をもっていた」と述べ、現代の社会学者の言葉として、「すべての国家は『情報社会』であった。なぜなら、国家権力の生成は、行政上の目的に使われる情報を組織的に収集、補完、管理することも含めて、再帰的に監視される機構の再生産を前提とするからである」という言葉を紹介しています。
 また、「最初に駐在大使の機構を採用したヨーロッパ列強国の一つ」である、ヴェネチア共和国が、他国との交渉とともに他国の情報を集めるために海外代表者を送り、「定期的に外信を届けることだけでなく、人気(3年程度)の終わりに正式な報告書を提出するように求めた」ことを紹介しています。
 さらに、17世紀フランスのリシュリュー枢機卿は、「まるでそこにいたかのように、フランスで起きたことならなんでもすべてを知っていた」と語られていたことを紹介し、ルイ14世とルイ15世時代のパリでは、「蝿」(mouche)と呼ばれた雇われ情報員によって綿密に観察され、「1720年までには、蝿たちは首都のおよそ40のカフェに職場をもつようになっていた」と述べられています。
 この他、「政府の役人の関心を引くような大量の情報」は、地図の形で記録され、この時代の大きな潮流として、「統治の一つの道具としての地図製作が現れてくる」ことが述べられています。そして、地図への役所の関心が高まった理由の一つとして、「地図が一定の縮尺で量的な情報を提示する」ことを挙げ、この時代に、「政治的算術」、すなわち、「統治に関わる物事について計算によって推論する技術」として、さまざまな統計が行われ始めたことが述べられています。また、記録文書の巻数が増えたため、「それらを特別の保管室、つまり文書庫に収蔵して、特別の管理者、職業的な記録保管人をおいて、カタログや索引などを整備することが必要になった」として、近代初期が、
(1)印刷術の発明によって、手書きの文書が特殊な種類の文書になったので、手書きのものは別に分けて、図書館の特別の部分や手書き文書のために建てられた建物に、保管するようになっていった。
(2)政府の中央集権化が進んだ結果、フェリペ2世が「この悪魔め、余の書類よ」と呼んだものが、かつてないほど増加した。
(3)政府機関がウフィツィ、エスコリアル宮、ヴェルサイユ宮殿、ホワイトホールなどに定住した。
などの理由による一つの転回点であったと述べています。そして、これらの文書子は、行政官のために存在する「国家の秘密」の一部であったと述べています。
 第7章「知識を売る」では、「知識の商品化へと向かう最近の諸傾向が重要であることを否定するつもりはない」としながらも、「このような傾向を、もっと長い期間にわたるもっと緩やかな変化といった視点から眺めてみる価値はある」と述べています。そして、ルネサンス時代には、剽窃をめぐる論争が、ありふれた出来事になり、16世紀前半のドイツにおける、
(1)薬草についての書物に、剽窃した木版画を使うことの是非をめぐる印刷業者の論争。
(2)自然哲学を大衆化して広めた著作家が、多くの学者から剽窃の咎で訴えられた。
の2つの例は、「文章と思想の所有権に人々がますます心を奪われていくさまを例証してくれる」と述べています。
 また、16、17世紀に情報の商業的価値に気づいていたという際立った例として、オランダの東インド会社を上げ、有名な印刷業者の面々が、「有名な地図帳(アトラス)には載っていないような秘密の情報を含む、手書きの地図の制作者として雇われ」、
「海図制作者は、これらの海図に情報を印刷しないこと、会社の構成員でない者に情報を公開しないことを、アムステルダム市長の前で宣誓しなければならなかった」ことが紹介されています。
 そして、今日の「情報検索」(information retrieval)の課題が、古くからあり、印刷術の発明が、「ある意味で課題を簡単にしたし、別の意味では複雑にした」として、「本は多くの情報を発見しやすくした。ただし、適切な本をまず見つけることができたとして、の話だが」と述べ、「17世紀後半の書評の出現は、ますます深刻になってきた課題に対する一つの応答」であると解説しています。
 著者は、本章で述べる出版における発展を「本の商業化」と要約するとともに、より広い文脈の中では、「18世紀における『消費者革命』あるいは『消費者社会の誕生』と歴史家が呼ぶようになったものなかに位置づけられる」と述べています。
 第8章「知識を獲得する」では、読書の歴史について個々20年ほど多大な関心が寄せられ、そのことが、「『漁り読み』、『拾い読み』、『調べ読み』とも言いうる、『多読』と呼ばれる広く読む習慣の誕生をめぐって、論争が起きた」ことを紹介しています。しかし、多読は決して新しい発見ではなく、フランシス・ベーコンは、書物の読み方は3種類あり、「ある本は味わうべきであり、ある本は飲み込むべきであり、そしてわずか一部の本は噛んで消化すべきである」という言葉を紹介しています。著者は、この多読が、「参考図書の誕生から刺激を受けた」と述べ、「『全編を通読する』のではなく、特定の情報項目について知ろうとしている読者が『調べたり、参照したり』するための書物」である「参考図書は誰の手に渡り、どんな使われ方をしたのか」を論じています。
 第9章「知識を信ずることと疑うこと」では、イギリスに渡って自分を台湾人であると偽り通そうとしたフランス人のサルマナザールの『台湾誌』を取り上げ、17世紀になると歴史形は口承情報の信用性を次第に疑うようになったことが述べられています。
 また、17世紀後半に、哲学者たちは知識の問題に解決を与えるために、
(1)幾何学的方法
(2)経験主義の興隆
の2つの可能性、2つの方法に到達したことが述べられています。
 本書は、「知と情報の時代」と呼ばれる現代が、決して突如として誕生したわけではなく、長い歴史的動向の一部であることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 現代は「情報と知識の時代」という類のことがいわれて久しいですが、これがどのくらい久しいかというと、むしろ現代の社会が形作られている過程そのものが、情報と知識の処理量の増加とともに歩んできた、とでもいうべきものであるようです。
 現在の日本のビジネスマンが話題にしている「Web2.0」とかの問題も、「ユーザーによる情報の整理」は、一部の特権階級による情報の独占からユーザーに開放されてきた流れの中にあるものですし、意外と数百年単位で見た方が理解しやすいかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・自分が情報と知識の時代に生きていると感じる人。


■ 関連しそうな本

 ジョン・ヘンリー (著), 東 慎一郎 (翻訳) 『一七世紀科学革命』
 アルフレッド・W・クロスビー (著), 小沢 千重子 (翻訳) 『数量化革命』 2006年11月18日
 バーバラ・M. スタフォード (著), 高山 宏 (翻訳) 『グッド・ルッキング―イメージング新世紀へ』
 マシュー バトルズ (著), 白須 英子 (翻訳) 『図書館の興亡―古代アレクサンドリアから現代まで』
 ジョン・L. カスティ (著), 寺嶋 英志 (翻訳) 『プリンストン高等研究所物語』
 立花 隆 『「知」のソフトウェア』 2006年09月24日


■ 百夜百音

絶対チェッカーズ【絶対チェッカーズ】 チェッカーズ オリジナル盤発売: 2004

 「ギザギザハートの子守唄」の替え歌の「仲間をバイクで轢いたのさ~♪」がぐるぐる頭を回って離れません。
 ボーカルの人は某巨大掲示板では「小男」の名で親しまれてますが、チェッカーズ解散後のメンバーの中の悪さは一時期ワイドショーを騒がせました。


『COMPLETE THE CHECKERS ~ALL SINGLES COLLECTION』COMPLETE THE CHECKERS ~ALL SINGLES COLLECTION

2006年12月30日 (土)

Mind Hacks―実験で知る脳と心のシステム

■ 書籍情報

Mind Hacks―実験で知る脳と心のシステム   【Mind Hacks―実験で知る脳と心のシステム】

  トム スタッフォード, マット ウェッブ (著), 夏目 大 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  オライリージャパン(2005/12)

 本書は、「『21世紀型』の発想で書かれた脳の本」であり、「『ユーザーセントリック(ユーザー中心)』の脳の解説書」です。「ハッキング」という言葉からは、ソフトウェアの世界であれば、「誰かの作ったプログラムを操作することで、そのプログラムが元々持っていなかった能力を発揮させること、あるいは原作者が意図していなかった役割を持たせること」、「本来は別の目的で作られたプログラムを、少し手を加えることで自分の目的に合うものにしてしまう」ということを意味しますが、著者は、「本書で言う『ハッキング』は、それとは反対の意味になるかもしれない」として、「実験を楽しみ、結果に驚いているうちに、脳がいかに自分の思い通りにならないものであるか、を痛感するはず」と述べ、「脳は、かなりの部分で、われわれの意図とは無関係に、実に巧妙な仕組みによって自動的に動いている」ものであり、本書のハッキングによって、「脳の隠れた『ロジック』が明らかになる」ことが面白いと述べています。著者は、本書を、「基本的な物理現象と、外から観察できる心理現象の両方に注目して、複雑な脳の仕組みを明らかにしていく」ものであると位置づけています。
 第1章「脳の構造」では、認知心理学を、「脳の仕組みを、外部から『リバースエンジニアリング』的に推測する学問である」としながらも、「いくつかの理由から、脳の『リバースエンジニアリング』は、ソフトウェアのそれよりも難しい」と述べ、
・生物のシステムは非常に複雑で、ときに『カオス的』ですらある。
・人間は、ソフトウェアや機械のように首尾一貫してはいない。
・脳の機能を外から推測する際には、「本人の言葉を信用するわけには行かない」。
などの課題を挙げています。
 また、広く信じられている「人間は脳の10%しか使っていない」という「神話」について、「この神話はスパムの缶詰(豚肉の缶詰)よりも長持ちだ」という記事を紹介し、認知心理学の研究の結果、この神話は「実はまったく正しくない」ことが明らかになっており、少なくとも、「脳がどのような働きをしても一切活動しない『ブラックホール』のような部位は脳には存在しない」と述べるとともに、これまで最低80年以上生き続けてきたこの神話は、「自分の可能性について希望を持たせてくれる」ため、「どこか魅力的な神話」であり、「人間が『今よりも良くなりたい』と願う限り、神話は生き続けることになるだろう」と語っています。
 第2章「視覚」では、一般に視覚系が、「目は、ビデオカメラのように、頭の向いている方向に存在するものを次々に写し、目に捉えられた画像のデータは即座に脳に送られ、脳の中で順に処理される」という「非常に『自己完結的なもの』というイメージ」を持たれていることについて、「こうした世間一般の見方」に対し、「実際の視覚系がこの見方といかに異なっているか」を示しています。
 著者は、視覚信号の処理が、「あらかじめ『こうなっているはず』という前提」で処理が行われるものであり、「視覚系の中では、現実世界も『システムの構成要素の1つ』と見なされている」のではないかと述べ、「見るという動作は、目から入ってきた情報を脳がただ受動的に処理するだけのもの」という印象とは異なり、「『見る』事も含め、われわれの近く、認知は、通常思われているよりもはるかに能動的なもの」であると述べています。また、盲点の存在や、目の中心部以外は解像度がかなり落ちることを意識しないのは、「視点が常にあちらこちらと移動」し(「サッカード」と呼ばれる)ており、「中心窩を動かすことで、現実世界の「標本(サンプル)」を数多く集め」、「脳はそのサンプルを利用して、あたかも目全体で途切れることなく世界を鮮明に見ているかのような『幻影』を作り出し、我々に見せている」と述べています。そして、秒針など動くものを見たときに、「秒針が異常なくらい長い間止まっているように見えること」や、電車が駅のプラットフォームに入って停車した時に、「すでに電車は止まっているにもかかわらず、プラットフォームが(電車が動いている時と逆方向に)動いているように見えること」、船のゆれに順応して船酔いしなくなった人が、陸に戻った時に、「実際には揺れていないにもかかわらず、ずっと揺れているように感じる」状態(「下船病」と呼ばれる)になること等の現象を解説しています。
 第3章「注意」では、「何かに注意を向け、他の情報を無視するのは、厳密には、コンピュータのように『脳の処理能力』に制限があるためではないかもしれない」と述べ、むしろ、「われわれの『行動』に物理的な制約があるため、と考えたほうがよさそうである」ことを解説しています。本章では、「脳は二とおりの方法で物の数を数えることができる」として、
(1)ものを1つひとつ見て、1つ確認するごとに1つ増やす、という方法
(2)物の数が少ない場合に、通常より早く(最高5倍程度)数えられる方法「サビタイジング」と呼ばれる方法
の2種類があることを挙げ、「サビタイジング」を、「1つひとつ数えることなく目に見えているものの数を把握すること」であると述べ、このことが、その人の「注意を向ける能力」を知る大きな手がかりになると述べています。
 第4章「聴覚と言語」では、「聴覚が『何がいつ起きたか』を知らせる感覚、ということは、聴覚系のさまざまな部位の仕組みからも明らか」であると述べ、なかでも「音声を神経信号(電気信号)に変換する仕組み」が重要であるとしています。本章では、「音がどこで発生したか」という困難な仕事を脳がこなすために、「左右の耳に音が届くタイミングの差(「両耳間時間差」)」などの「手掛かり」を利用していることや、「我々が知覚する音の高さの決定に重要な役割」を果たす「基本波」の周波数を割り出す際に、「脳が行うべき処理を、物理的、機械的なかたち」で、蝸牛の構造が行っていることは、「ニューロンが行うべき処理の一部を、脳の外で機械的に行っている」という「エクステリジェンス」の一例と言えること等が紹介されています。また、人がノイズの中から「ホワイト・クリスマス」のメロディーを聴き取ることができるという実験からは、「単なるノイズから意味のある情報を読み取る能力は、空想傾向や幻覚傾向の強さと特に関係が深い」ことが述べられています。
 第5章「感覚どうしの関係」では、視覚と聴覚の連携について、映画で、人の口の動きを見ながら声を聴くと、本当に口の方向から声が聞こえているように感じることと同様の現象が、講演会では講演者から声が聞こえているように聞こえること、腹話術では人形が話しているように聞こえることなどが述べられています。
 第6章「運動」では、故障したエスカレータの上を歩いた場合に、「あらかじめ『故障しているから動かない』と知っていても、脳の予測機能がエスカレータを見ると自動的に機能してしまい、脳が姿勢、歩き方を、エスカレータが正常に動いている状況に合わせて調整してしまう」現象であり、「何か、エスカレータに『吸い込まれるような気がする』」感じを受ける「故障エスカレータ現象」について解説しています。
 また、「手足が今どこにあるか、を常にかなり正確に把握できる」のは、「自らの位置や動きなどを知る感覚」である「自己受容感覚」によるものであることを述べ、大きな鏡を使って触角情報と視覚情報の間に矛盾を生じさせると、「脳は一貫した身体図式を保つことが困難になり、体のどの部分が空間中のどこに存在しているか、ということが正確に把握できなくなる」ことを実験しています。このことは、『脳のなかの幽霊』でラマチャンドランが、手足を切断してしまった人が経験する「幻肢痛」と呼ばれる現象に関して、ダンボールの中に鏡を立てた「バーチャル・リアリティ・マシン」によって、「ないはずの腕が存在するかのように目に錯覚させる」治療法を解説しています。
 第7章「推論」では、
 9×8×7×6×5×4×3×2×1
 1×2×3×4×5×6×7×8×9
の2つの式をそれぞれ別の人に見せ、5秒間考えて大体の推測で答えを出すように頼んでみると、「推測で答える数字は、2番目の式を見た人の方が、小さくなる」場合が多いと述べ、「数を推測する場合、大抵の人はまず、すぐに頭に思い浮かべやすい数を一応の目安にし、それを増やすか減らすかして調整」するので、
(1)目安にした数からかけ離れた数は推測しにくい。
(2)最初に目安にする数が、推測する際のさまざまな状況によって変化しやすい。
という2つの問題があることを指摘し、「目安にする数は、初めの数が大きければ大きくなるし、小さければ当然小さくなる」ため、「その数の大きさが、推測する式の答えに不当と思えるほど大きな影響を与える」と述べています。この現象は、
・慈善事業のパンフレットの寄付金の記述を、「金額は$50、$20、$10、$5の中から選んでください」と書くことで、1人あたりの金額が高めになる。
・物の値段に"9ドル99セント"など、「キリ」がよい数字の少し下、というものが多い。
などを説明するものになっています。
 また、「確率を正しく推測することが人間にとっていかに難しいか」を示す事例として、「モンティ・ホール問題」を紹介し、20世紀を代表する数学者であるポール・エルデシュもこの問題に引っかかったと述べています。なお、著者は、エルデシュに関して、「『Erdosナンバー』を考案したことでも知られている」と説明していますが、Wikipediaによれば、考案者はエルデシュの友人の数学者であるロン・グラハム(ピーター・フランクルのジャグリングの師匠でもある)が考案したものであるようです。
 さらに、人がものごとを予測する際に現状維持のバイアスがかかることが、「行動の一貫性、保守性の原因」になっていることについて、「時にはバイアスがあまりにも強すぎ、自分でも理性の部分では『間違っている』とわかっていても、どうしてもそれに引きずられてしまう」ことを、伝染病対策に関して、「確実に得られる利益があるとわかっている場合、それがゼロになってしまうリスクを冒すことに無意識に抵抗してしまう」というバイアスが存在することを示しています。
 第8章「構造を知る」では、我々の脳が、「いくつかの部分をまとめ、部分のまとまりと1つの『物体』ととらえる」という理解の仕方をしていることを「ゲシュタルト群化原理(ゲシュタルト原理)」という心理学用語で解説し、
・近接:そばにあるものは自然に同じグループに属するとみなすことが多い。
・類同:見た目が似ているものもひとまとめにすることが多い。
・閉合:「ある図形やパターンに近いが不完全」というものがあったときは、それを完成させようとする。
・連続:図形が連続する線の上にあると認識しようとする傾向がある。
の4つの原理について説明しています。
 また、ウイジャ盤(霊界との交信を行えるとされるボード)、ダウジング棒、ファシリテーテッド・コミュニケーション(健常者が腕を支えることで、重度の身体障害者からのメッセージを受け取ることが出きるとされるコミュニケーション方法)等で利用されていると考えられる「観念運動現象」と呼ばれる現象に関して、「我々は自分の思考が行動の原因であると解釈した時に、『自分の意志で動いた』と感じ」、「この、『つながり』が見出せなければ、意志は感じられない」ことを紹介しています。
 第9章「記憶」では、「我々の脳の記憶システムは、実は『ハッキング』で成り立っていると言っても間違いではない」として、「周囲の環境から絶えずもたらされる情報の量は、脳の記憶容量をはるかに上回っているため、どうしても、さまざまな手段で取捨選択をしなくてはならない」と述べています。そして、「見覚えがある」という感覚は脳が捏造したものであり、「我々の記憶システムは処理は速いが、意外に『いい加減』なものである」ことを示しています。
 また、人間の脳には、「目印を覚える機能を持った領域」があり、この領域は、「自分がどこにいるか」を知るのに役立っていることを解説し、この「海馬」と呼ばれる「出来事」の記憶に非常に重要な役割を果たす領域による「エピソード記憶」が、「自分がどこにいるのか」を知る機能から進化したものであるらしく、それは、「『自分の位置』を記憶する際に、そのときの『コンテキスト(状況)』も記憶される」ことを意味するものであることが述べられています。
 第10章「他者との関係」では、目が、「他人がどこを、何を見ているかを知ること」という意味で重要であるとした上で、「人間の視線のもたらす効果」について、「X Window付属のアクセサリツール、""xeyes""を使うと、不思議にマウスのカーソルを見失うことがないのは、他人の視線を無意識に追いかけてしまう、という人間の性質のためかもしれない」と述べています。
 本書は、自分自身が一番理解できないものであるかもしれない、自分の脳についての理解を深める上で重要な役割を果たす一冊です。


■ 個人的な視点から

 昔、職場に本書で紹介されている「故障エスカレータ」がありました。たまに歩くと、降りる時に妙に足を突っ張ってしまって、きっと普通の階段とは一段一段の高さが違うせいなのだろうかと思っていましたが、本書を読んで、「吸い込まれるような感覚」が確かにあったことを思い出しました。
 とは言っても日本ではなかなか故障したエスカレータに出くわす機会はありませんが、通勤時間帯以外の時間には何本かあるうちの1本を止めている駅もありますので、そういったところでは「故障エスカレータ現象」を体感してしまう可能性があるかもしれません。普段は動かないエスカレータなんかに用はないので意識していませんが、もしかすると危険防止のために使えなくなっている可能性も高いです。


■ どんな人にオススメ?

・自分の脳こそ思いどおりにならないものであることを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 ベンジャミン・リベット (著), 下條 信輔 (翻訳) 『マインド・タイム 脳と意識の時間』 2006年11月11日
 トール ノーレットランダーシュ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』 2006年06月18日
 ジュリアン ジェインズ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 2006年06月04日
 アンドリュー ニューバーグ, ヴィンス ローズ, ユージーン ダギリ (著), 茂木 健一郎 (翻訳) 『脳はいかにして"神"を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス』 2006年07月01日
 V.S. ラマチャンドラン, サンドラ ブレイクスリー (著), 山下 篤子 (翻訳) 『脳のなかの幽霊』 2006年09月03日
 ジェフ・ホーキンス, サンドラ・ブレイクスリー (著), 伊藤 文英 (翻訳) 『考える脳 考えるコンピューター』 2005年12月17日


■ 百夜百音

The Best of【The Best of】 The Bangles オリジナル盤発売: 1999

 最近なぜだか突然頭に浮かんで「♪え~お~え~お~」というフレーズがエンドレスで流れまくるので困っていましたが、やっと何の曲だか突き止めました。

『Greatest Hits』Greatest Hits

2006年12月29日 (金)

大政翼賛会に抗した40人―自民党源流の代議士たち

■ 書籍情報

大政翼賛会に抗した40人―自民党源流の代議士たち   【大政翼賛会に抗した40人―自民党源流の代議士たち】

  楠 精一郎
  価格: ¥1260 (税込)
  朝日新聞社(2006/07)

 本書は、「ナチスやソ連共産党にならった強力な指導政党を中心とする新しい政治体制、『新体制運動』を望む声」や、「日中戦争の膠着化、アメリカからの資源締め付けなど八方塞がりの状態を、従来からの政党政治や議会政治では解決できないことに対する苛立ち」から、「『バスに乗り遅れるな』というスローガンのもとに、昭和15年8月までには全ての政党が政党政治家たち自らの手で解消され」、大政翼賛会として結実するという、「抵抗しがたい『空気』が存在」した中で、「『面従腹背』を選ぶか、声をあげて異議を唱えるか」という困難な選択を前に、「軍部の意向に逆らってまで大政翼賛会に反対し、議会政治を守ろうとした一群の政治家たち、すなわち、昭和16年11月から翌年5月まで衆議院院内会派・同交会に結集した代議士たち」の人物像を描いたものです。著者は、「彼らの覚悟と矜持は政治家の最も必要とする資質のひとつ」と評し、「こうした一群の政治家たちがいたから、日本の議会政治は連続性を失うことなく、戦後の政党政治も速やかに再出発をはかれた」と述べています。
 序章「同交会の活動と思想」では、昭和16年2月22日に提出された大政翼賛会補助費の予算減額修正案に賛成した54名の中から35名が、昭和16年11月10日に同交会を結成したことについて、その一員であった安藤正純の著書『講和を前にして』から、「『同交会』は主軸は政友会系の少数分子だが、尾崎翁の如き純無所属の長老があり、片山、鈴木の如き社会党系の人があり、木檜(三四郎)、工藤の如き民政党系の人があり、岡崎憲の如き労働系の人があり、一種の混合団体だった。然し大政翼賛会に反対し、軍国主義に反対し、官僚財閥に反対し、議会政治の復活を平和主義の高揚に熱意を傾倒する点で、まったく意気投合したのであった」という経緯を引用しています。
 また、同交会の思想については、「腹切り問答」で知られる浜田国松が広田弘毅首相に対する質問の中で、「政党と云うものは幾ら軍民一致したって、一つじゃ済むものではない、政党と云うものは対立に意義がある。国政に付いて意見を異にする場合に、政治の責任を御互いに追及する所に、摩擦と相克の間に真理の発見と妥当なる政策の産み出しがあるのである」と「複数政党の存在を前提として政党政治の真髄」を喝破していることを紹介し、この質問が、「明治憲法で定められた立憲政治の大道に則って施政を展開するように広田首相に求めた」ものであると述べています。そして、明治憲法の特徴が、「君主である天皇が強大な権限を有していること」である一方で、「憲法の運用いかんによっては、自由主義的運用も可能」なものであり、「大正時代から昭和初期にかけて政党政治と責任内閣制が慣習的に定着したのは、この憲法のもう一つの性格」を表したものであり、同交会の代議士の多くにとって、「明治憲法の自由主義的運用という政治のあり方は、選挙を戦い抜いてきた彼ら政党政治家たちの譲れない一線であった」と解説しています。
 第1章「『大正デモクラシー』の時代」では、「大正デモクラシー」の最大の成果が、「男子が一定年齢以上になれば納税額の多寡に関わりなく選挙権を行使できる普通選挙権の実現」にあったと述べ、「憲政の神様」尾崎行雄や、優勢が報じられた選挙戦の終盤になって公認を伝えてきた政友会に対し「公認返上す、糞食らえ、伴睦」と返事を書いた大野伴睦、「斎藤宗」(斎藤隆夫)や「木堂宗」(犬養毅)など同様な「熱狂的で固定的な政治家の支持者集団」である「世耕宗」を持ち、選挙の時にはタスキやリボンは一切つけず有権者には絶対に頭を下げなかった世耕弘一らが紹介されています。
 第2章「軍部の政治的台頭」では、ワシントン海軍軍縮条約やロンドン海軍軍縮条約が、「大量に馘首された軍人たちのなかに怨嗟を生」んだことが軍人を急進化させる背景となり、「軍縮がかえって軍部の政治的台頭を促した原因のひとつとなったことは、なんとも皮肉な現象と言えよう」と述べています。そして、2・26事件後、「粛軍」の名のもとに軍部が政治的影響力を拡大する時代に、「頑ななまでに議会主義と政党政治を主張した」のが、同交会の指導者であった鳩山一郎であり、世間から「お坊ちゃん」と言われても「『お坊ちゃん』はたいがい正義派である」と開き直っていたことが紹介されています。著者は、「鳩山一郎ほどある意味で二世議員と呼ぶに相応しい人物はいない」と延べ、鳩山一郎が子供の頃、弟の秀夫とともに、「未明の午前3時半から投稿前の7時までの約3時間ないし3時間半の間に数学、英語、漢文の3科目を母から教授された」エピソードが紹介されています。
 第3章「翼賛体制への抵抗」では、尾崎行雄が、「売家と唐様で書く三代目」という川柳を引用して、「立憲政治も明治・大正から三代目の昭和にあたり、ここで戒心しなければ」と説いたことが、「暗に天皇を誹謗」したものとして「不敬罪」に問われた事件の大審院における上告審における、「謹厳の士、明示大正昭和の三代に仕える老臣なり。その憲政上における功績は世人周知のところ」と称揚された判決文を紹介しています。
 第4章「占領政治の諸相」では、第1次吉田内閣の最大の課題と業績が、「『非軍事化』と『民主化』という占領政策の基本を集大成した新憲法の制定」であることを挙げた上で、衆議院の憲法改正特別委員会委員長であった芦田均が、第9条の第2項に「前項の目的を達するため」との文字を挿入する「芦田修正」を行ったことについて、「外交官出身であった芦田は、さりげなく、しかし注意深く、主権国家にとって自然権ともいうべき自衛権を、占領下に制定された憲法の中に密かに確保した」と評しています。
 また、失敗と評されることが多い片山内閣について、「新憲法に基づいて」、
・旧内務省を解体し、警察制度を分権・民主化の方向で改革した。
・労働者の福祉のための労働省を設置。
・公務員を「天皇の官吏」から「全体の奉仕者」と位置づけた国家公務員法を制定。
・戦前の「家族制度」を否定した改正民法の制定。
等の他、閣僚としての給料や前官礼遇(首相や三度大臣を務めた者に対する優遇措置)の廃止、閣下の敬称をやめさせるなどの積極的に民主化を進めたことを評価し、「民主化を総司令部によって、『上から』与えられたものとしてだけでなく、片山内閣が自生的なものとして、積極的担い手として推進した役割は記憶されていい」という福永文夫教授の言葉を紹介しています。
 第5章「鳩山内閣と保守合同」では、昭和21年5月に、政権の座を目前にして鳩山一郎が追放された理由について、「当時の容共的な社会の雰囲気のなかで『反共声明』を出すなど刺激的な言動が続いていた鳩山に対し、左翼的な民生局が優位だったGHQ」が、「『見せしめ的』な効果を狙って追放にしたのだろう」と解説しています。
 また、保守合同を実現した立役者である大野伴睦が、保守合同に執念を燃やす日本民主党の三木武吉から説得され、「老人の二人が、まるで高等学校の生徒のように、感激に燃えて手を取り合い『同士』としてのよしみを誓い合った」という「浪花節的」な人柄が紹介されています。
 その三木武吉については、「先生の金の使い方は実に綺麗で、政治の金なら最後の一銭は愚か、奥さんの貯金から一族や眷属の預金や財産まで全部動員するというやり方だった。(中略)私欲のない公明な心がなくてはできることではない」という河野一郎による評伝を紹介しています。さらに、戦後最初の総選挙時に、対立候補から、「ある有力候補のごときは、妾を4人も連れている」と攻撃を受けると、「私には妾が4人あると申されたが、事実は5人であります」と対立候補を煙に巻いた逸話が紹介されています。
 さらに、河野一郎については、「国会の廊下を歩いて正面に向いてぶつかり合って風圧を感じた」政治家として、吉田茂とともに挙げている中曽根康弘元首相の言葉を紹介しています。
 終章「昭和26年の再会」では、昭和26年11月2日に開かれた「同交会」の懇親会について、総勢37命中生存者は23名であったこと等を紹介し、同交会は、「わずか半年余り州銀に存在したに過ぎない。しかし、この時期に同交会をはじめとする議会政治擁護派が存在した意義は決して小さくない」と述べ、「彼らがいたから戦後の政党政治のスムーズな復活も可能に」なッ多とした上で、「『戦後民主主義』という用語があるが、民主主義は戦後特有のものではない。ポツダム宣言にすら『日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化』が謳われているように、明治23(1890)年の帝国議会開設以来蓄積されてきた議会政治と民主主義の伝統は我々の大きな政治的資産」であり、「その伝統を戦後にリレーしたのが、同交会のメンバーといえよう」と評しています。
 本書は、戦前から戦後への議会政治と民主主義の連続性を、代議士の個々人に焦点を当てながら論じている一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、元々、自由民主党機関紙である『自由民主』に、「気骨ある政治家たち―翼賛体制に立ち向かった37人―」と題して連載されたものに加筆・修正したものです。そのため、随所に自民党ないし著者の主張(憲法改正や中選挙区制の賛美など)が散りばめられていますが、それを差し引いても、戦時下から終戦直後に活躍した政治家たちの姿は魅力的です。
 戦前の日本における民主主義に関しては、民主党もその平成17年6月に「日本の近現代史調査会」を設置していて、平成18年12月にはその内容をまとめた『日本の近現代史述講 歴史をつくるもの』が刊行されています。こちらはまだ読んでいないのですが(なにしろ上下巻でボリュームもあるので、「積読」(^^;)状態です)、ぜひ近いうちに紹介したいと思います。
 また、本書に登場する政治家たちは、現職の政治家のお祖父さん世代に当たり、3世・4世議員の多さを印象付けるものにもなっています。


■ どんな人にオススメ?

・戦前以来の議会政治と民主主義の連続性を押さえておきたい人。


■ 関連しそうな本

 坂野 潤治, 田原 総一朗 『大日本帝国の民主主義―嘘ばかり教えられてきた!』 2006年11月08
 坂野 潤治, 三谷 太一郎 (著), 日本の近現代史調査会 (編集), 藤井 裕久, 仙谷 由人 『日本の近現代史述講 歴史をつくるもの〈上〉』
 五百旗頭 真, 瀧井 一博, 伊藤 正直, 小倉 和夫 (著), 日本の近現代史調査会 (編集), 藤井 裕久, 仙谷 由人 『日本の近現代史述講 歴史をつくるもの〈下〉』
 坂野 潤治 『明治デモクラシー』
 坂野 潤治 『近代日本政治史』
 坂野 潤治 『昭和史の決定的瞬間』


■ 百夜百マンガ

のぞき屋【のぞき屋 】

 最初のシリーズでは「のぞき屋」に出会ったことで日常が剥がれ落ちていく大学生が、次の「新・のぞき屋」では、のぞき屋自身が主人公になる変わった構成になっています。

2006年12月28日 (木)

政界再編の研究―新選挙制度による総選挙

■ 書籍情報

政界再編の研究―新選挙制度による総選挙   【政界再編の研究―新選挙制度による総選挙】

  大嶽 秀夫
  価格: ¥2940 (税込)
  有斐閣(1997/12)

 本書は、1994年に成立した選挙制度改革の
(1)「政党本位、政策本位」の選挙によって、有権者の政策指向が選挙結果に反映し、政権交代が比較的頻繁に行われること
(2)同時に、政党数が2ないし3に収斂して政局が不安定とはならないこと
という2つの側面からなる理想を、1996年10月20日に行われた総選挙が、どこまで実現したのかを検証しようとするものです。
 第1章「政治改革をめざした2つの政治勢力」では、「選挙政治改革は、政治家自身が最初に提唱し、これをマスコミや(民間臨調などに集まった)財界、労働界、学会などのオピニオン・リーダーが支持することによって、実現したもの」であると述べ、「改革を推進した政治家たちの同期とその背景を検討することを通じて、選挙制度改革が何を狙って導入されたものであるかを考察」しています。
 1つ目の勢力である、自民党若手改革派については、彼らの議論が、「自分たちが将来も(多数派を占める)自民党議員であり続けることを前提」に、「同一選挙区で自民党議員動詞が争う中選挙区制を改革すること」に向けられていたが、さきがけに参加したかつての若手の改革派にとっては、「小政党が生き残るためには、中選挙区制が望ましい事態」となったこと等が述べられています。そして、若手議員たちが、国会議員になってからも、「自民党内部の厳格な年功序列のため政策に関与する道を閉ざされ、冠婚葬祭や選挙民の就職の斡旋など世話焼き活動に明け暮れる毎日」に強い不満を感じていて、中でも、「周囲から押されて父親の地盤を引き継いで(他の職業から転職して)政治家の道を歩んだ二世議員に特にそうした不満が強かった」ことが述べられています。一方で、彼らには、「エリート的な立場から来る一種の贖罪意識」があり、こうした「負い目」が、「自分たちのような二世だけが政治家になれるという現状を変えようとする気持ち」を強めたことが述べられています。また、族議員として活躍するには若すぎる彼らにとっては、政治改革は、政策として関われるほとんど唯一の政策領域でもあったことが解説されています。
 また、選挙制度改革に対する抵抗理由である後援会組織の反対についても、後援会組織がそれほど制度化されていなかったり、父親から引き継いだ後援会首脳部との結びつきが強固でないため、「自らの選挙区が比例区や他地域への移動となる可能性を持つ選挙制度改革に比較的抵抗が少なかった」と分析されています。
 2つ目の勢力である小沢一郎については、「政治改革」は、「単なるスキャンダルの防止策」ではなく、
(1)農協や中小小売商など伝統的経済セクターからの自民党に対する圧力を遮蔽し、国益に沿った経済改革を実現するだけのフリー・ハンドを政権首脳に確保するために、個人後援会と派閥という二つの分権的権力構造を全面的に解体し、等を中央集権化する。
(2)社会党を政権に参加させることで、同党を現実主義化してその急進的左翼部分を解体し、保守二党ないしはより穏健な社会民主義的政党をもう一方の政党とする二大政党制を実現する。
という、「『国家改造』への中核的な戦略」であったことが述べられています。
 また、日本新党が、発足当初から選挙制度改革を主要スローガンに掲げていたわけではなく、小政党にとっては、中選挙区ないしは比例代表性の方が好ましいと考えていたことが述べられています。
 第2章「『外からきた』改革派」では、既成政党の「枠の外から」登場した日本新党に参加した議員たちがどこから来たのか、93年総選挙において吹いた「風」の性質、「日本新党は何に成功し、何に失敗し、何を残したのか」、という問いに答えるとしています。
 著者は、日本新党に集まった主なグループとして、
(1)かつての自民党関係者や支持者で、政治腐敗を繰り返す自民党の体質に批判的になった人たち。
(2)「細川家臣団」あるいは「熊本家臣団」と呼ばれたグループ。
(3)市民運動などの活動家であった人たち。
(4)知名度の高い有名人など。
の4つを挙げています。
 また、細川や小沢など「改革派」の人たちの共通点として、
(1)日本のシステムが冷戦後の世界に対応できないという時代認識と、日本政治の現状に対する危機感とが共有されていた。
(2)処方箋としての主張が、主に経済的自由主義に依拠している。
(3)利益誘導中心の小政治、ロー・ポリティックスだけでなくて、外交・防衛や教育など国家の意思決定に関わるような大政治、ハイ・ポリティックスをやりたいという意欲を持っていた。
の3点を挙げています。
 著者は、「日本新党は、不満層という既成政治の『外から』の風を選挙では受け止めることに成功したが、『外から』の恒常的な政治参加を促して、新しい政治勢力を代表する政党となることには失敗した」と述べ、「日本新党の失敗は、『外から』やってくる者の意欲や彼らが直面する障壁といった、構造的な論点を示している可能性がある」と分析しています。
 第3章「都市圏における個人後援会の変容と再編」では、政党本位・政策本位の選挙の実現をめざして1994年に実現した選挙制度改革が、小選挙区中心となった止め、「政党規律が弛緩し、政党が個人代議士レベルにまで分権化するとともに、現職議員の生き残りがすべてに優先されること」となった結果、「政治腐敗の温床とされ、有権者へのサービス合戦の中心となると批判された個人後援会」が、「むしろ強化されることとなった」ことが述べられています。
 第4章「農村型選挙区における政界再編及び選挙制度改革の影響」では、茨城新2区の分析を中心に、
(1)同じ政党の候補者同士が争わない選挙制度
(2)県議会における自民党の優位
(3)中央での自民党優位
という3つの要因が、「県議をしてより積極的な自民党候補指示へと向かわせた」と推測し、選挙制度改革の「政党中心の選挙」という謳い文句に近づいている部分があると述べています。
 第5章「大都市の下町における選挙ネットワークの変化と連続」では、
(1)政治改革の問題に冠する健全な議論を終わらせることなく、さらに進めるための証拠を提供すること。
(2)都市型選挙区の特徴、とりわけ東京下町選挙区の特徴を指摘すること。
(3)実際の選挙運動の観察を通じて、変化した点と変わらなかった点を論じること。
の3点を目的としています。そして、自民党系の政治家が、後援会づくりを選挙運動の中核に据えてきた理由として、
(1)同一選挙区に同じ政党の公認を受けた複数の候補者が立候補することが可能な中選挙区制では、政党名だけでは選挙戦を戦えなかったこと。
(2)自民党以外のほとんどの政党は、何らかの形で組織的なネットワークに依存していたため、自民党も有権者を動員するための自らの組織的な砦が必要だったこと。
(3)自民党系の選挙運動組織は、有権者の代表というよりは、選挙競争を勝ち抜くために形成されること。
の3点を挙げ、「一言でいえば、組織としての講演会は選挙の基盤を固めたいという政治家の要求に応えたものだといえる」と述べています。
 著者は、「新しい制度の下では党の旗は、大きな傘のような役割を果たし、その下でさまざまな地方の政治勢力が集まることになるだろう」と分析し、自民党の地方組織が、「支持者が政治家に影響力をもつ『顧客ネットワーク』から、あまり影響力をもたない『党のマシーン』型に変わりつつある」と述べています。
 第6章「大企業労使と選挙」では、「企業の中でも特に、ある特定の地域に集中的に立地している大企業の労使の動向は、その選挙区の投票結果を左右する」として、豊田市を含む愛知11区と日立死を含む茨城5区を対象に、大企業労使の選挙区レベルの選挙活動について論じています。
 また、大企業労使の選挙での行動について、
・票割り:企業と組合がそれぞれ異なった集団を対象として、その範囲内での集票を行う。
・企業選挙:企業組織をそのまま特定の候補者の集票組織として利用する。
・企業ぐるみ選挙:選挙の際に特定の候補者が労使の一致した支援を受ける。
等を解説し、「大企業の労使はそれぞれ異なる候補者の支持集団の一部を構成し、それぞれ互いに交渉することなく、企業は企業組織と取引関係のネットワークを利用し、労組は組合員のネットワークを利用して自らの集票組織を形成し、その内部での集票を最大化するように行動してきた」と述べています
 さらに、トヨタと日立の事例の共通点として、
(1)選挙の際の労使の境界は中間管理職の部分で不明確である。
(2)企業は長期間政権党であった自民党との関係の維持を理由とするのに対し、労組は会社の仲間、あるいは組合の代表を国会に送るといった同一の組織への帰属を強調する。
(3)労使はともに、選挙が労使関係に影響を及ぼすことに配慮している。
の3点を挙げるとともに、異なる点として、「トヨタでは労組の主導で労使の境界を破るような動きが見られたのに対し、日立では基本的に中選挙区の時期と同様の行動が見られたこと」を挙げています。
 第7章「ポスト55年体制期における地方レベルでの政治的再編」では、「自民党一党優位体制の崩壊と新選挙制度の導入という2つの政治的事件が地方レベルでどのような変化を生み出したのか」を確かめるとしています。著者は、「日本が非常に中央集権的な国だという考え方は広く行き渡っている」としながらも「それでもなお地方自治体の自律的な活動は政治システムを分析する上で無視し得ない重要性を持っており、しかもその自立性は拡大している」という立場を取る理由として、
(1)国の政府は、地方政府が持っている、正統性の意義を無視することはできない。
(2)地方政府の歳入面にしても、十分とは言えないが、独自の財源もそれなりにある。
(3)日本では自治体の数が非常に多いという単純な事実。
(4)日本の地方政府は、全体で財政の約6割を支出している。
(5)法的には、日本の地方政府は法が禁止していないあらゆることを行うことが可能である。
の5点を挙げています。
 第8章「自民党地方組織の活動」では、小選挙区制の導入によって、「地方レベルでの政党組織の活動が増大していることは明らかで」あり、「地方議員系列の再編成などをもたらすもの」であったが、その一方で、「公認の問題のように地方組織が関与する余地が減少している領域」もあり、「有権者は依然として個人的な結びつきを通じて動員されている」と述べています。
 第10章「制度認識と政党システム再編」では、
(1)「重複立候補」の制度の導入の経緯を振り返り、「並立制」が二大政党制につながると考えられたロジックを検証する。
(2)従来、「小選挙区中心」であるとして理解されてきた「並立制」に対して、「重複立候補」の仕組みを重視する観点から再検討を行い、この制度に対するアクターの反応が、制度の作用に大きな違いをもたらしうることを示す。
(3)新しい選挙制度が、日本における「イギリス型二大政党制」の成立を、当面遠ざける方向に働いていると主張する。
の3点を目的としていることが述べられています。
 本書は、1990年代の日本の政治改革、特に選挙制度改革についてコンパクトに解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 多くの人にとって、政治に関する情報源は、新聞やテレビのニュースではないかと思います。日々の政治家の発言やスキャンダル、その時々で脚光を浴びるイシューについての情報は手に入りますが、一歩引いた、より大きな変化や時代の流れを認識するには、こういった10年単位の分析や、政党の歴史を追った文献、そして個々の政治家の評伝などが役に立つのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・1990年代の日本の政治の激震を検証したい人。


■ 関連しそうな本

 竹中 治堅 『首相支配-日本政治の変貌』 2006年12月26日
 蒲島 郁夫 『戦後政治の軌跡―自民党システムの形成と変容』
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 土屋 彰久 『50回選挙をやっても自民党が負けない50の理由』
 川人 貞史, 平野 浩, 吉野 孝, 加藤 淳子 (著) 『現代の政党と選挙』
 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日


■ 百夜百マンガ

高校鉄拳伝タフ【高校鉄拳伝タフ 】

 少年ジャンプのデビュー作『海の戦士』を読んだ時は、「猿渡」という姓があるのを知らなかったので、「猿+渡哲也」という名前のインパクトにギャグだと思っていました。
 それにしもあれほど地味な官僚出身の首相の名前を、格闘家の高校生の名前につけちゃうのはなぜなんでしょうか。
 かなり早い時期からCGを多用していた漫画家さんでもあります。

2006年12月27日 (水)

金融工学者フィッシャー・ブラック

■ 書籍情報

金融工学者フィッシャー・ブラック   【金融工学者フィッシャー・ブラック】

  ペリー・メーリング (著), 今野 浩, 村井 章子 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  日経BP社(2006/4/20)

 本書は、現代ファイナンス理論の誕生に大きく貢献し、「マクロ経済学と金融理論のさまざまな問題に生涯を通じて取り組み続けた研究者」でもあるフィッシャー・ブラックの生涯を扱った評伝です。そして、ブラックという独創的な人物に、CAPM(資本資産評価モデル)の扉を開き、ファイナンスに革命的な発想をもたらす道筋をつけたジャック・トレイナーに関する記述に多くを割いています。
 トレイナーは、サミュエルソンによる「この世でただひとつ価値ある貨幣のために身を粉にする。その貨幣とは、経済学者からの賞賛である」という経済学者の定義には当てはまらない実務家であると述べられています。そして、トレイニーは、「現代のファイナンスを特徴づけるのはリスクと時間である」と述べ、ブラックの特異な才能が生み出したモデルについて、「どれも鋭い洞察から生まれたエレガントなモデルだ。これらのモデルによって、世界の見方が変わった」として、そのなかでも最も有名なブラック=ショールズ公式によって後のデリバティブ革命が可能になったと語り、ブラックが、「優秀な学生の前では老練な理論家、有能な数学者の前では数学の分かる物理学者、混乱から利益が生まれる現場では緻密な分析能力を持つ実務家」であったと回想しています。さらに、ブラックにとって、「本質的な発見をするためには、それまでの常識を疑ってかからなければならない」ことが魅力的であり、「地味な三揃えに身を固めてはいても、ブラックの本性は反逆者だった」、「彼の本能は既成価値の破壊へと向かわずにはおれない。それは、組織や制度にとっては脅威だったけれども、正当と認められた学説や理論に対する攻撃は、けっして否定のための否定ではなかった」と語っています。
 また、ファイナンス分野における革命的な理論が、リスクに関するものであり、「資本資産評価モデル(CAPM)」が、「リスクの高い株式ポートフォリオについて、リスク・エクスポージャーを増やさずに期待リターンを高める方法」を教えてくれるものであることが述べられています。
 著者は、「ファイナンスの分野で、ブラックのモデルは世界の見方を変え、それによって世界を変えた」と述べ、「リスクと時間の捉え方が変わったことは、単なる金融制度改革などよりもはるかに大きな意味を持つ」として、「リスクと時間にまつわる新しい知識を持つことによって、社会そのものについての理解が深まり、個人のみならず集団の生き方」も変わり、ブラックが、「個人と社会の両面でパイオニアであろうとし、両方を現代ファイナンス理論に沿って組み立てようとした」ことを述べています。著者は、ブラックが30歳近いときにCAPMに出会い、その後30年間に渡って、CAPMが「生涯かけて解くべき問題の最後のジャンプ台」となり、「そして彼は、それをやった」と語っています。
 第1章「知的好奇心の芽生え」では、フィッシュ少年が「ごく小さな頃から抜きん出て賢かった」こと、「上の地位にいる専門家に疑問を提出するという終生の習慣」が高校時代には芽生えていたこと、大学3年生の時に最初の結婚をし、卒業後するに子供が生まれたこと、大学院では人工知能、とりわけ「それを使ってどうやって人間の能力を高めるか」に関心をもったこと等が語られています。
 第2章「未完成のアイデア」では、ブラックの金融や経済に対する見方が、すべてジャック・トレイナーから始まり、「彼にとって最初にして最大の師」であったことが述べられています。また、トレイナーのCAPMが、「統計学から株価決定論にいたるまでのごく当たり前の考え方を応用したもの」であり、「サイコロの確率論を株式にも当てはめ、何はともあれ多数の銘柄で構成されたポートフォリオをもつ方が、単一銘柄だけを持つよりもはるかにリスクが小さい」ことを論じたものであることを述べています。
 また、ブラックがシカゴ大学のマイケル・ジェンセンと出会い、シカゴ学派の「効率的市場仮説」に基づくCAPMの解釈を目の当たりにすることで、「ブラックはCAPMと効率的市場仮説の両方が成り立つ世界を解明したい」と思うようになったことが語られています。
 第3章「経済学教育」では、ブラックはCAPMをトレイナーから直々に教わった、たった一人の人間であったため、経済学用語でなければ話すことができない他の研究者たちにはCAPM理論はポイントが理解できず、「CAPMという新しい理論が根を下ろし発展するためには、経済学者の手で改めて『発明』されなければならなかった」ことが述べられています。そして、1964年に「ほんもの」の経済学者であるウィリアム・シャープの手によって CAPMのアイデアが発表され、翌年にはジョン・リントナーが続いています。シャープとブラックは1967年3月に初めて会っていますが、そのときのブラックの印象は、「専門の教育を受けてきた同僚よりも」ファイナンスに詳しく、「生まれつきの能力」だと解釈され、「とにかくフィッシャーはものすごく頭がいい」というものであったことが述べられています。
 ウッドストック・フェスティバルのあった1969年には、ブラックは「トレイナーの均衡理論を足がかりに自分なりの『反体制』理論を構築するのに忙しい夏」であり、彼が想像する「理想のCAPMの世界」は、「ジョン・レノンの『イマジン』に歌われるような兄弟愛の世界ではない。『誰もが分かち合い財産など持たない世界』とは正反対の世界」であったが、「ブラックにとっては、まごうこかたなきユートピア」であったことが述べられています。そしてブラックは、「論理が完璧で破綻がないと納得」できるという理由で、「CAPMと効率的市場仮説の両方を支持する立場」をとり、「CAPMも効率的市場も、世界をありのままに扱うことができない。だが、未来の世界を正確に予測している」と考え、「生涯の半分を興味のおもむくままに過ごしてきた若い頭脳が、とうとう飽くことを知らぬ知的好奇心を注ぎ込むに値する深くて広いテーマにめぐり合った」ことが語られています。
 第4章「CAPMとともに」では、MITのマイロン・ショールズが、ジェンセンの紹介でブラックに会い、ともにファイナンス理論の応用に強い関心を持ち、「それぞれに得意とするところが違い、補い合い助け合うことができそう」な研究スタイル、すなわち「ブラックは理論に強く、ショールズはデータに強い。ブラックは何事にも疑問を抱く内気なタイプ。ショールズは気が強く外交的」であったため、二人のコンビが誕生したことが述べられています。そして、ブラックは、効率的市場に関する新しい理論を試す役回りでウェルズ・ファーゴ銀行のケースを引き受けるために、独立して自分でコンサルティングを始め、ウェルズ・ファーゴのスタッフを使い、「理論を使って実証研究を導く」仕事に取り組んだことが語られています。ウェルズ・ファーゴの社員から見たブラックの姿は、「ものすごい集中力で没頭し、次から次へと何時間でもぶっ続けで、しかも緻密に仕事をこなし、疲れたそぶりさえ見せない。唯一のエネルギー源は、何杯もお代わりする甘いアイスティーのだけ」というものであり、何よりも感嘆すべきは、「1ヵ月分の仕事をたった1日でチェックして次の指示を出してしまう」という「彼の有能ぶり」であったことが語られています。
 著者は、「ブラックとショールズがウェルズ・ファーゴのために行った最大の貢献」は、「ステージコーチ(駅馬車)・ファンド」と名づけられた「二人が編み出した投資戦略」に基づく実際のファンドが売り出されたことだと述べていますが、ウェルズ・ファーゴの社内にはこのファンドの強硬に反対するビル・フォースがおり、「ある重要な会議でフォースが勝利を収め、ブラックが憤然として席を蹴った」日が、のちのちまで「アルファが死んだ日」と語り継がれ、ブラックが冷静さを失ったのはこのときぐらいのものであることが述べられています。
 ブラックとショールズは、後の事後分析において、「イノベーションは高くつくし危険でもある」と総括し、「ステージコーチ・ファンドは最終的には頓挫したが、それは政府の規制が原因であると同時に、これまでにない新しい商品に投資を募るのが難しいせい」でもあッ他ことを認めています。そして、「いろいろ問題点はあるにしても、今後、レバレッジの有無を問わずさまざまなファンドや関連商品が次々に登場することはまちがいない。遅かれ早かれ、個人投資家のためのファンドも必ず売り出されるだろう」という二人の予言は数年のあいだに現実になり、世界最大のファンドに成長したことが語られています。
 第5章「ブラック=ショールズの公式」では、ブラックが「オプション価格付けの問題に一意解を与える微分方程式を、ブラックが69年6月までに導き出した」が、それを解くことはできなかったこと、彼がもっと物理学に詳しければ、この式がおなじみの熱拡散方程式の一種であることに気づくことができ、もっと数学の造詣が深かったら、基本原理に基づいて方程式を解くことができたであろうことが述べられています。そして、ブラックは「式を解こうと何日も悪戦苦闘した挙句、ついに棚上げ」してしまいます。その後、ブラックとショールズ、さらにはマートンが加わってこの方程式の導出方法に検討が加えられ、「自分たちの研究成果に興奮した3人」は、「ブラック=ショールズ公式を使って割安なワラントを突き止め、せっせと取引に励む」ものの、「3人とも討ち死にという仕儀に終わった」ことが語られています。ブラックは、「ときに市場は公式よりも賢いこと」を認めざるを得なかったと述べられています。
 当時の正統派経済学にとって、ファイナンスと名の付くものは「外様」であり、サミュエルソンは、「ファイナンスは私にとって日曜日に絵を描く趣味のようなものだった。日曜画家はプロには相手にされない。レフェリー付きの専門誌に論文を掲載してもらえないから、大勢の人に読んでもらうことすらできない」と語り、当時ファイナンスを専攻しようとした大学院生は、「ファイナンスなんて、経済学からみれば、医者からみた骨接ぎみたいなもの」だと警告されたことが紹介されています。しかし、ブラックが68年に研究に着手したときは学術界の異端だったオプション価格問題は、「いつのまにか時流に乗」り、シカゴ大学の経済学者たちが参入し、「他の大学や研究機関がブラックにようやく関心を抱き始めた頃、シカゴ大学がいち早くブラック獲得に乗り出した」こと、SECが新しいオプション取引所の創設を認め、73年4月26日にはシカゴ・オプション取引所がオープンし、直後にブラック=ショールズ公式が発表され、「ほとんど一夜にして、脇役は主役になっていた」ことが語られています。
 第6章「マネー・ウォーズ」では、ブラックが貨幣について「単純化した世界に関する自分の結論は複雑な現実世界にも当てはまる」と主張し、「もし当てはまらないなら、そこにはまだ生かされていない利益機会があることになる。そうした利益機会をどしどし利用していけば、やがて全体の仕組みが変わり、単純化された世界に近づいていく。単純世界に関する自分の結論は、均衡理論に基づいているのだから堅固である。他の説はそうでないから信頼性に欠ける」との言い分を持っていたことが語られています。
 第7章「変動相場制」では、ブラックは76年に、「資本資産評価モデル(CAPM)を使って先渡契約の価格式を導出し、先渡しと先物の違いを説明」する独創的な論文を書き、「証券オプションの価格を求めるブラック=ショールズ公式と同じ考え方を使い、商品先物のオプション価格式も導いた」ことが紹介されています。
 また、シカゴ大学の大学院教授の地位を確保したブラックが、「学内のあちこちで繰り広げられる経済学の議論に首を突っ込」み、「社会規範に従わないからと制裁を受けることもなく自由な異端者」でいられるシカゴ大学が、「至極心地よかった」ことが述べられています。一方で、苦痛であった「教える義務」に関しては、「すでに解決済みの問題を教室で講義するのはひたすら退屈」であり、時間の無駄だと考えていたため、「学期のはじめに、質問のリストと読むべき本や論文のリストを渡す。授業ではそのなかから3つか4つの質問を取り上げて議論し、学生も私も一人一人意見を述べる」というシステムを採用することで、最低だった学生からの評価が最高に跳ね上がったことを紹介しています。
 第8章「スタグフレーション」では、MITに移ったブラックが、ネオ・ケインジアンだらけのMITの、学説上の援護射撃は期待できなかったなかで、物理的にも孤立していることを好み、興味を抱く分野で研究している人のところに、「ブラックだ。君の論文を読んだよ。悪いが、12ページに書いてあることをちょっと説明してくれ」という電話をかけていたことが紹介されています。また、学生にとっては、ブラックの授業は、「ファイナンス用語の『ネイティブ・スピーカー』の面前で自分の文章を組み立てる鍛錬の場」であり、ブラックは、学生の言ったことにインスピレーションを受けると、「金のボールペンを取り出してメモを書き留める」ので、「先生の講義をストップさせて、ボールペンを取り出させるようになりたかったものです」と学生が回想していたことが述べられています。
 ブラックは、ケインジアンとマネタリストが真っ二つに別れて論争するスタグフレーションの議論の中に「敢然と足を踏み入れ」、「景気変動は均衡の一種ではないか」という疑問を投げかけ、「景気変動の原因は不均衡ではなく不確実性だ」と主張しています。ブラックは、「景気循環の根本的な原因は、生産パターンと需要パターンのミスマッチにある」と考え、「総量よりも、個別部門の生産と需要パターンの方が重要だと考えた」ことが紹介されています。そして、「ブラックはファイナンスに関しては超一流だが、経済のことはてんでわかっていないという風評」が流れたことで、ブラックが「自分のアイデアを発展させようと、いよいよ決意を固める」ことになったことが語られています。ブラックは、「資本収益率が大幅に変動するのは、将来キャッシュフローの価値が不確実だから」であり、「将来キャッシュフローの価値が不確実なのは、ごくミクロ的な問題である」と考え、「適切な選択をするのに必要なこまかい情報を何一つ知らぬまま、設備投資や生産の決定を下さざるを得ない」うえ、「新しい情報が次々と入ってきて将来予測が上下に振れるため、個別企業の資本価値は変動」し、新情報は、「全ての企業の価値に一様な影響を及ぼすことが多いため、資本家智の合計も変動することになる」とし、新しい情報が将来の需給関係にミスマッチする方向にも作用するというアイデアを持っていたことが述べられています。ブラックはこのアイデアを78年4月に「一般均衡と景気循環」という論文にまとめ、相当な期待をかけて次々とセミナーなどで発表しますが、「定評ある専門誌で論文を載せてくれるところはなかった」と述べられています。しかし、この論文には、「景気変動をかなり抽象化して扱っている」という明らかな問題点があるうえ、「ブラックの理論は伝統的なマクロ経済学の理論と何の接点も持っていなかった」ため、「ブラックが望んでいた革命をマクロ経済学にもたら」すのは、70年代後半のロバート・ルーカスの誕生を待たなければならなかったことが語られています。
 第9章「再び実業界へ」では、ブラックが、「学ぶ場としてはゴールドマンの方が大学より優れていた。おそらく企業は、新しい状況に対応するために学び続ける必要があるからだろう」という理由のために大学を去り、ゴールドマン・サックスを選んだことが語られています。また、ゴールドマンの方がブラックを登用した理由としては、
(1)年金基金の投資方針:年金資金に認められた優遇税制で株主と年金受給者の両者が受ける利益に注目し、税金のサヤ取り(裁定取引)と言える方法を提案した。
(2)企業会計理論:会計士は企業収益の評価を企業価値の評価に転換すべきであることを主張した。
(3)資本予算の策定手法:将来のキャッシュフローについて無条件の予想を立てるのをやめ、市場におけるリターンが無理すくむ金利に等しいと言う条件を設定することで現在価値の予想制度を上げ、よりよい投資判断を下せるようになる。
の3つの理由について解説されています。
 第10章「トレーダーの世界」では、ブラックの仕事の大半が、「彼の自前の記憶力を補い外部記憶装置」の役割を果たす「シンクタンク(ThinkTank)」と命名されたプログラムに収録され、「読んだり見たり聞いたりしたこと、あるいはふと思いついたことなどは、全てこのデータベースに放り込まれ」たことが語られています。また、データ・ファイルのほとんどは、三段キャビネット7本にもなる紙のファイルと関連づけられていたことが解説されています。ブラックはいったんコンピュータの前に座ると、「ファイナンスの問題解決に没頭する思考マシン」になり、早朝や深夜にも読んでいる論文の著者に電話し、昼食は毎日デスクで「脳の食べ物」である白身魚のボイルをミネラルウォーターに流し込む生活を送っていたことが語られています。
 ブラックの頭からは、「いったい証券取引の手法上、永久的な利益の源泉として信頼に足るものはあるのだろうか」という根本的な疑問が離れず、「長期的な均衡の下では必然的に利益の源泉は減っていく」ことに頭を悩ましていました。そして、この問題を考え抜いた結果、完全な均衡状態であっても、
(1)中央銀行による為替市場や信用市場への介入を利用する。
(2)「フロー」を取引すること。「フロー取引で上げられる利益は、一般に過小評価されている」
の2つの利益の源泉があるという結論に到達しています。ゴールドマンサックスは、ブラックの論文から、
(1)フロー取引から得られる情報のメリットを生かせば、かなりの長期間にわたって利益を上げ続けられる。
(2)そうした情報のメリットを最大限に生かすためには、均衡状態での取引が望ましい。
の2つのメッセージを読み取ったことが解説されています。
 第11章「一般均衡の探求」では、ブラックの人生において、皮肉なことに、「彼が生涯を通じて信奉していた理想のCAPMの世界ではオプションは端役に過ぎないのに、人生で機会の扉を開くのは、つねにオプションに関する業績だった」として、CAPMが想定する株式と無リスク資産だけの世界から、どんどん離れて「現実の世界ではデリバティブが大流行」していった謎にブラックが挑戦していったことが述べられています。そして、「デリバティブが叛乱するのは理想世界からの逸脱ではなく、理想世界へ向かう過程である」とブラックが考え、ブラックがゴールドマンで、「デリバティブは問題の原因ではなく解決であることを学んだ」こと、すなわち、「市場がモデルより賢いことを確認した」ことが語られています。
 そして、1987年10月19日の月曜日、ブラックマンデーと呼ばれるこの日に、ブラックは目を輝かせ、「まさに歴史がつくられる瞬間にわれわれは立ち会っているんだ」と、「手を叩きながら愉快そうに叫んだ」ことが述べられています。そして、市場関係者は、「あれほど大幅な下落を均衡理論で説明できるはずがない」と考えていたのに対し、ブラックは、「相場が下落する根本的な原因は、投資家のリスク選好が変化すること」であり、「この変化はクラッシュに先立つ数年間に徐々に起きていたが、市場参加者が気づかないため、いざ暴落が始まるまで価格に反映されなかった」ことを説明する「暴落の均衡モデル」を発表しています。そして、「クラッシュを引き起こしたのはノイズである」と結論づけ、「投資家が考える平均回帰が実態に即していれば株価はあれほど上昇しなかっただろうし、その後にあれほどの大幅下落による調整をしなくて済んだだろう」と考え、「今回のクラッシュは、情報コストとノイズ・とレーダーを組み込んだ拡張型均衡モデルの範囲内に十分おさまるものだった」と解説されています。
 1995年3月、癌が再発し、快復の望みがないと考え、治療を断固拒絶したブラックは、5月1日にジャーナル・オブ・ファイナンス誌に書き上げた論文を送付する際に、「この論文の掲載をお願いします。ただしレフェリーから何か指摘があっても、直すことはできないかもしれません」とのメモを添えています。また、5月3日、フィナンシャル・アナリスツ・ジャーナル誌に送付した論文のメモには、「奇跡が起きない限り、これが私の最後の投稿です。貴誌とは長いつきあいでした。感謝しています。今後のますますのご発展をお祈りします」と書かれていました。
 1995年8月30日、静かに息を引き取ったブラックの死後、ブラックの最後の論文は秘書によって、ハーバードの若手経済学教授であるエド・グレーザーに送られています。
 終章「この世に変わらないものはない」では、ブラックの死後、その評価は一段と高まり、ブラックの葬儀で「追悼の辞を述べた人たちの名前を並べるだけで、アメリカのみならず世界に金融革命を起こした先駆者たちの紳士録が出来上がってしまう」ほどであったことが述べられています。
 著者は、「ブラックが考える均衡市場は立った2つの数字で説明できる。金利とリスクの価格である」と述べ、「この2つの数字は集団としてのリスク許容度を表すものであり、投資選択の指針となりうる」ものであり、「2つとも、不確実な未来に臨むときの心理を説明したに過ぎない。重要なのは、不確実性を扱う方法を投資家に教えてあげることだ。そして資本資産評価モデル(CAPM)にはそれができる」と解説しています。
 著者は、「新しいアイデアを思いついて現実の世界に投じる時、結果がどうなるかをブラックはほとんど考慮しない」、「ブラックの目から見れば、経済とは本来的に変化のプロセス」であり、「新しい考え、新しい提案が投げ込まれれば、必ず新たな問題を引き起こし、新たな解決策が必要になる。一つ一つの瞬間を切り取れば経済は均衡しているが、時間の推移の中で考えれば経済は変化している。そして、変化の道筋を事前に知ることは不可能である。どんな変化も、実際に試して見なければ感じ取れない」というのが、ブラックの持論であったと述べ、「彼のこの現実主義と実験精神は、象牙の塔よりもビジネスの現場で高く評価されている」ことを語っています。
 また、ブラックにとって、CAPMは「北極星」であり、「絶対的に信頼できるこの磐石の道案内役がいたから、どんな状況に直面しても動揺せず、一貫した姿勢を貫くことができた」と評しています。
 世知辛い金融という世界に革命を起こした、内気な理論家にして実践主義者であるブラックの生涯は、金融にまったく関心がない人にも、ぜひお奨めしたい一冊です。


■ 個人的な視点から

 アマゾンのレビューにもありましたが、タイトルに「金融工学者」と付けちゃうのはいかがなものかと思います。単に金融工学の枠組みのみでブラックを捉えることは、ブラックが理論と実務の両方に精通していたことを示す本書の内容とも矛盾しますし。
 そうは言っても、ブラック=ショールズ方程式は金融工学とは切り離すことができず、金融に関心をもってもらうために、「金融工学」という言葉を持ってくること自体は仕方ないかもしれませんが、ブラックを「金融工学者」に限定して位置づけてしまうことは失礼ではないかと思います。
 せめて、『フィッシャー・ブラック~金融工学を拓いた男』とかでしょうか。売れるタイトルかどうかは別として。


■ どんな人にオススメ?

・無機的な印象のある金融の世界を拡大した人間臭い世界を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 デイヴィッド サルツブルグ (著), 竹内 惠行, 熊谷 悦生 『統計学を拓いた異才たち―経験則から科学へ進展した一世紀』 2006年11月23日
 ゲーリー・S. ベッカー, リチャード・A. ポズナー (著), 鞍谷 雅敏, 遠藤 幸彦 (翻訳) 『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』
 今野 浩 『金融工学20年~20世紀エンジニアの冒険』
 デービッド・G. ルーエンバーガー (著), 今野 浩, 枇々木 規雄, 鈴木 賢一 (翻訳) 『金融工学入門』
 ジョセフ・メイザー (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『数学と論理をめぐる不思議な冒険』 2006年12月16日
 エマニュエル ダーマン (著), 森谷 博之, 長坂 陽子, 船見 侑生 (翻訳) 『物理学者、ウォール街を往く。―クオンツへの転進』


■ 百夜百マンガ

バイクメ~ン【バイクメ~ン 】

 バタアシ金魚からドラゴンヘッドへの過渡期的作品というか、初期のギャグ路線と座敷女とかのシリアス路線とが混在している不思議なテイストの作品です。

2006年12月26日 (火)

首相支配-日本政治の変貌

■ 書籍情報

首相支配-日本政治の変貌   【首相支配-日本政治の変貌】

  竹中 治堅
  価格: ¥882 (税込)
  中央公論新社(2006/5/24)

 本書は、「1990年代以降に、日本の政治の仕組みがさまざまな形で変わっていく過程を解き明か」し、「そのもっとも顕著な効果として、首相の権力が大幅に強まったことを示す」ことを目的としたものです。
 著者は、「劇場政治」「ポピュリズム」「テレポリティクス」と表される小泉純一郎の政治手法を、
(1)政策を実現しようとする際に、政策に反対する勢力との対立関係を作ることを重視する。→ex.「抵抗勢力」
(2)改革を妨害する勢力に立ち向かう首相のイメージを作り出し、世論の支持を獲得し、政策を実現する原動力とする。
(3)メディアを積極的に活用し、対立に脚光を当て、その構図を国民にわかりやすい言葉で説明し、支持を喚起する。
の3点でまとめたうえで、小泉が首相として大きな力を振舞うことができた「より重要な理由」として、1990年代以降、「日本の政治の仕組みが大きく変わった結果、首相という地位そのものが、首相に就任する政治家に大きな権力を保障するものとなった」ことを指摘しています。
 著者は、本書の目的を、1994年以降、政治改革に続いて、
(1)政党の間で競争が行われる枠組みが定まり、主要な政党として、自民党と民主党が競い合うようになった。
(2)首相の地位を獲得・維持する条件が変わり、世論から支持を獲得することが何にもまして重要な条件となった。
(3)首相の権力が強まった。
(4)行政改革が行われ、国の行政機構が1府12省庁に再編された
(5)政治過程における参議院議員の影響力が高まった。
の5つの変化が起きたことを論じることであると述べています。そして、この中でもとくに首相の権力が強化されたことに着目し、首相の権力が、
(1)自民党総裁が保持する権限――公認権、政治資金配分権
(2)法律によって首相が与えられている権限――経済財政諮問会議の新設
(3)世論
の3つによって支えられていることを指摘しています。
 第1章「自民党の政権復帰と新進党の結成」では、「1994年1月29日に政治改革の実現が確実になってからの約1年間の政治過程」が持つ意味を、「正当性が大きく変化し、当面の政党間の競争の枠組みが固まった」ことにあると指摘しています。
 第2章「橋本内閣と行政改革」では、1995年9月22日に行われ、橋本龍太郎の当選が決定した自民党総裁選の持つ意義を、
(1)総裁を選ぶ上で派閥の力が低下したことを明らかにした。
(2)「選挙の顔」として国民から支持を獲得できることが、派閥からの支持以上に重要な条件になり始めたこと。
の2点を挙げています。
 また、橋本が、党の看板政策として行政改革を打ち出した背景として、
(1)新進党に対抗する必要
(2)政治家としての橋本自身にとってのライフワークであったこと
の2点を挙げています。
 そして、1996年11月21日総理府に設置された「行政改革会議」にとっての課題が、
(1)内閣機能の強化をいかに行うか。
(2)1府21省庁あった行政機構をいかに再編するか。
の2点であったことを解説しています。さらに、これら2点とともに重要な意味を持ったものとして、「大蔵省の機能改革」を挙げ、
・日本銀行に対する権限の縮小
・金融部門・監督部門の分離
等の改革の結果、「他の省庁と比して巨大な権限を持っていた大蔵省=財務省の機能が縮小された」ことを指摘しています。
 著者は、橋本が取り組んだ行政改革の結果、「終戦直後以来の抜本的な行政機構の改編」が行われ、
・内閣官房の役割が拡大され、内閣府とその下に経済財政諮問会議が置かれた。
・重要政策について、首相が閣議で発議する権限が認められた。
ことなど、「以前に比べ首相は大きな権限を法律によって与えられることになり、政策立案過程において指導力を発揮しやすく」なるとともに、「省庁のなかの省庁」として君臨していた大蔵省の機能を4分割することで、「首相の権力を相対的に高める」ことになったと述べています。
 第3章「新進党の崩壊と民主党の台頭」では、新進党が短期間で崩壊した理由として、一般に言われる「小沢一郎という存在のために内紛が起こった」という原因の他に、民主党の成立を傍観し、1996年10月の総選挙で新進党が敗北したことを指摘しています。
 第4章「小渕恵三・森喜朗内閣」では、新進党の崩壊によって、大政党に有利な小選挙区・比例代表並立制を前提にすれば、政権を奪取される可能性が低くなり、危機感を欠いた自民党が登場させた2人の派閥領袖について論じています。1998年7月30日に首相に就任した小渕は、「かなり自由に閣僚人事を行い、首相の権力が徐々に強化されつつあったこと」を示しています。そして、国民の支持を獲得するために、「これから全国を回って、国民と同じ目線で話し合って行きたい。そうすれば、私の人間的な考え方への理解が深まるのではないか」と考え、「忙しい合間をぬって、国民に自らの姿を見せようと努力」したことが述べられています。そして、「ブッチホン」の名で知られる、秘書を通さず時の最高権力者からの電話を多用したことについて、「これは端倪(たんげい)すべからざる人心収攬(しゅうらん)術だな、と思った」というジャーナリストの佐野眞一氏の発言を紹介しています。しかし、首相の激務に加え、心臓に持病があった小渕が、休みなく働き、「おびただしい書類、書籍、新聞の切抜きに目を通し、徹夜で録画ビデオを見る」ことを常とし、数々のブッチホンを書け、「総理になってから夜はお風呂に入らなく」なったという生活を送ったことで、2000年4月1日に脳梗塞を発症し、5月14日に帰らぬ人となったことが述べられています。
 小渕が急病で倒れた後、自民党主要派閥の幹部の話し合いによって、「ここにいる森さんでいいじゃないか」という提案に異論が出なかったことで、後継首相に決まった森喜朗については、この首相就任過程が不透明であったことが、「森内閣の正統性を大きく損なう」ことになり、翌年の総裁選での予備選導入の原動力となったことが述べられています。
 著者は、「小渕・森内閣は自民党の派閥が最後の輝きを見せた時代であった」が、「森内閣の退陣とともに派閥政治は完全に終焉を迎えようとしていた」と述べています。
 第5章「小泉純一郎と首相権力の確立」では、2001年4月24日の自民党総裁選での小泉純一郎の勝利を、
(1)国民からの直接の支持を原動力として、総裁選に勝利を収めた。
(2)1978年の大平総裁選出以来、つねに支持する人物を総裁選で勝利させてきた橋本派が初めて敗北した。
の2つの意味で歴史的であったと解説しています。
 また、この総裁選と、従来の総裁選との大きな違いが、
(1)都道府県連が持つ票の数が1から3に増えたこと
(2)都道府県連が両院議員総会に先立って予備選を実施し、その結果に基づいて、両院議員総会で投票を行うことにしたこと
の2点であったことを挙げ、このシステム変更の背景には、「もう自民党はだめだ」「今の自民党を見ると、まったく支持できない状況にある」という有権者の批判を直接浴びていた地方組織の怒りがあったことを指摘しています。
 そして、4月26日に首相に就任した小泉が手にした、
(1)自民党総裁として保持する権限
 ・選挙:小選挙区制の下では首相が持つ「公認権」は、個々の政治家にとっての生殺与奪権となった。
 ・カネ:政治資金規正法の改正と政党への公的助成制度の導入によって、政治資金が集めにくくなり、総裁への依存度が強くなった。
 ・ポスト:首相=総裁の党内及び閣内における人事権が完全に確立された。
(2)法律によって首相に与えられている権限
 ・経済財政諮問会議の活用――聖域なき構造改革、骨太の方針
(3)世論の支持
の3つの権力について解説しています。なかでも、小泉が「骨太の方針」を取りまとめることができた理由については、
(1)首相の権力が強まっていた。
(2)就任後、圧倒的人気を誇っていた。
(3)自民党も各省庁ともこの方針の持つ意味を把握しかねていた。
の3点を挙げています。また、経済財政諮問会議については、2002年以降、「二重構造化し、二つの政策決定過程が生まれた」と述べ、
(1)第1過程:首相、閣僚、さらに民間議員の関心のある政策が扱われる
(2)第2過程:各省庁が重視する政策が扱われる――「骨太の方針」の策定が予算編成作業の一部として確立された。
の二重構造を解説しています。
 第6章「参議院という存在」では、1989年以降、自民党の参議院議員が影響力を増した事情として、
(1)1989年の参議院選挙以来、自民党が参議院で過半数割れし、法案成立の鍵を握った。
(2)1992年の竹下は分裂をきっかけに、小渕=橋本派の中で参議院議員の存在感が増した。
の2点を挙げています。
 著者は、参議院議員の影響力を示すものとして、「参院は首相の解散権も及ばない。内閣はしっかり支えるが、言いたいことは言うというのが基本線だ」という青木幹雄の発言を紹介しています。
 第7章「郵政民営化と権力の行使」では、2003年9月21日に幹事長に就任した安倍晋三の人事が、1980年以来守られてきた「総幹分離」(総裁とは別の派閥から幹事長を起用する慣行)が破られた異例の人事であったことが解説されています。また、2004年9月27日に、自称「偉大なるイエスマン」武部勤の幹事長への抜擢の理由を、「小泉がすでに、郵政民営化法案が通常国会で成立しない場合には、衆議院を解散する決意を固めていたから」であり、小泉の意向に従って総選挙の一切を実務を取り仕切る幹事長が必要であったからと解説しています。
 さらに、2005年の衆議院総選挙において、「刺客」候補の擁立が可能になった理由として、中選挙区制では、「刺客」候補を放っても、対象とされた候補も当選できる可能性があるのに対し、「基本的には一人しか当選者が出ない小選挙区制であればこそ党の方針に従わなかった政治家に、対立候補を擁立することが意味を持つ」と述べています。
 終章「権力の一元化と2001年体制の成立」では、2001年体制の最大の特徴として、「首相がはるかに強い権力を行使できる」ことを挙げ、「2001年体制は集権的な体制」であることを指摘し、「首相は他の政治家や政治組織に対し、非常に強い地位を獲得し、『首相支配』と呼べる状態がつくり出されている」ことを指摘してます。そして、「2001年体制が成立した歴史的意義」を、「以前の55年体制に対し、責任の所在と権力の所在が一致するようになったこと」を挙げ、「責任を取らされる以上、政策を立案する上で、必要十分な権力を与えられることは道理にかなったこと」と述べ、「権力を保持している政治家に責任を問う」という「民主主義の基本」がようやく実現し、「日本の民主主義の室は確実に高まった」と評しています。
 本書は、首相の権力を切り口に日本の民主主義の質を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 小泉政権については、その特異なキャラクター、属人的な要素や「ワンフレーズ・ポリティクス」と呼ばれる面ばかりが取りざたされることが多いですが、その底流には橋本~小渕~小泉と徐々に制度が整備されて強化されてきた首相の権限と、森政権の支持率の低さゆえに高められた自民党地方組織の声があったことを本書は指摘してくれています。
 また、「抵抗勢力」として悪役に仕立てた橋本派のトップであった橋本元首相が築き上げた首相集権体制の果実を得ることができたという点も大事なところです。


■ どんな人にオススメ?

・小泉政権の強さの制度的な裏づけを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 大嶽 秀夫 『政界再編の研究―新選挙制度による総選挙』
 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日
 高瀬 淳一 『武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法』 2006年08月10日
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 上村 敏之, 田中 宏樹 (編著) 『「小泉改革」とは何だったのか―政策イノベーションへの次なる指針』 2006年11月02日
 世耕 弘成 『自民党改造プロジェクト650日』 2006年12月19日


■ 百夜百マンガ

終戦のローレライ【終戦のローレライ 】

 映画→マンガのパターンはよく見かけますが、小説のコミカライズは最近見かけないような気がします。昔は「アフリカの爆弾」とか面白かったです。

2006年12月25日 (月)

行政活動の理論

■ 書籍情報

行政活動の理論   【行政活動の理論】

  クリストファー フッド (著), 森田 朗 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  岩波書店(2000/12)

 本書は、「公共サービスを供給するさまざまな方法について考察し、論じる能力」である「行政分析」に関して、「制度設計についての初歩的な原則から解き始める一般的な入門書がない」というギャップを埋めることを目的にしたものです。著者は、本書を、
(1)学説史よりもむしろ分析的であること。
(2)経済学に基づいた行政分析の伝統についてのバランスの取れた議論を含んでいること。
という2つの条件を満たす入門書として執筆したと述べ、本書の目的として、
(1)読者に、公共サービスの編成における「行政的要素」についてのセンスを習得してもらうこと。
(2)読者に、公共サービスの供給をめぐる標準的な議論の筋道を学んでもらうこと。
(3)読者が、公共サービス供給のいくつかの方法について体系的に考えることができるように、簡単な思考の道具のセットを提供すること。
の3点を挙げています。さらに訳者は、本書の特徴を、「制度のルール化と、そのルールの執行における諸問題を考察するための枠組みを明確に提示していること」であると述べています。
 第1章「行政分析の基礎」では、不安定な河口Mに隣接したV村を想定し、洪水の危険を減らすための要件として、
(1)実効性:問題が、少なくとも一部は解決可能であること。
(2)重要性:問題が、単に不快であったり、不便であるだけではなく、V村の住民の生命にとって危険であること。
(3)共同性:解決が、V村の全住民に結合した利益を確実にもたらすものであること。
の3点を挙げた上で、(3)についてはさらに、
(a)消費の結合:すべての住民に提供することなく、便益を独り占めすることはできない。
(b)非排除性:費用の一部分を負担しようとしない住民にその便益を享受させないようにすることはできない。
(c)便益の不可分性:1人の住民が便益を受けることで、他の住民の便益が減少するわけではない。
の3つの論点、すなわち「公共財」をめぐる論点を含んでることを述べています。そして、公共財の供給である洪水対策作業に関しては、「市場による解決は存在しない」ため、その費用負担の方法として、
(1)自発的な協同行為:小さな村ならば起こりうるかもしれないが、一般に「ただ乗り」の誘惑が強い。
(2)1人ないし少数の人々による自発的な供給:1人ないし少数の地主が村の土地の大部分を所有していれば考えられるが、所有権が細分化されているほどこのようなことは起こりにくい。
(3)強制:拒否するものには罰則が適用される「課税」によってまかなう。
の3つの方法を提示し、(3)の方法は、「『公行政』を牧歌的な情景に持ち込むこと」であると述べています。
 また、このV村にそって流れるL川の汚染問題に関して、「上流の住人がL川の水を汚さないように、下流の住人が上流の住人を契約する――汚染する権利を買い取る――ことは、原理的には可能である」としながらも、
(1)そのような取引のためのコストが莫大なものになる。
(2)戦略的な位置を占める所有者が、契約締結を急がない。
(3)仮に契約が締結されたとしても、その履行を確認することが困難。
の3つの困難があることを示しています。
 著者は、「私たちは、契約と財産権の一般法を越えた何らかの行政の枠組みなしにはうまく解決することのできない基本問題(すなわち、人間の生命の維持にとって基本的な問題)に遭遇しているのである」と述べ、「私たちは、もはや言葉の厳密な意味であの公共財は扱わないにしても、『公権力』が、以上のような情景に入り込んでくることを阻止することはできない」と解説しています。
 第2章「法制度の設計」では、前述のV村において、「複数の委員からなる地域洪水対策委員会の設置」のような、「一般的なアイディアを細目に転換する場合」に解決しなければならない問題として、オストロームによる、
(1)誰がその枠組みの中に含まれるべきか。
(2)委員会の権限はどのようなものか。
(3)委員会における委員の人数は何人であるべきか。
(4)いかに課税評価が行われるべきか、委員をその事務に拘束する手続きはいかにあるべきか等の「手続きルール」(authority and procedural rules)の問題。
(5)委員はどのような記録や帳簿を作成しなければならないか。
(6)委員会は、度の様にして委員会としての決定を行うべきか。
の6つのタイプを示しています。
 また、「公式ルール」という言葉を、
(1)公式ルールは、決定における選択に影響を与えることによって、人間行動に作用することをめざしている。
(2)公式ルールは、命令、禁止、許容を太謳え、それらの命令、禁止、許容が適用される条件を示した明確な言明である。
(3)公式ルールは、少なくとも最小限の一般性及び普遍性を有している。
(4)公式ルールは、設計され、原則として、変更されうるものである
の4つの基本的特質を持つものであると定義しています。
 著者は、「すべての行政活動を『ルールと機械的手続』に転換」しようとするときに、ルールの構造の中に組み込まれていなくてはならない性質として、
(1)認知可能性:ルールは、参加者が、、ルールに基づく決定を行う前に、知ることができ、見出しうるものでなくてはならない
(2)合理的根拠と因果関係の妥当性:ルールがめざす目的は、広く受け入れられ、容易に理解できるものでなくてはならない。
(3)矛盾の不存在:ルールは、相互に完全に整合的でなくてはならない。
(4)条件節の特定:ルールの前提条件は、事前に完全に特定されていなければならない。
(5)客観的基準:ルールに組み込まれている基準は、明確に確定しうるものでなければならない。
(6)強固なカテゴリー:ルールが行為ないし他の事項をカテゴリーに分割する場合には、そのカテゴリーはしっかりとしたものであり、明確でなければならない。
の6点を挙げています。
 著者は、これらの6つの性質によって、「公共サービスの供給を、客観的で、所与の、そして機械的に適用可能な一群のルールによって厳格に秩序付けることの困難さ」を示し、「せいぜいそれは、近づくべき理念型、あるいは、十分に実現されるべき枠組みというよりも、むしろそれに対して現実のルールの完成度を計る『物差し』でしかない」と述べています。
 第3章「ルールの執行」では、「行政とは何か」という問いに対する常識的な解答の1つとして、「潜在的な抵抗や回避行動に抗しつつ、決定を実行する、あるいはルールを執行することである」として、「『公』権力の行使ないし『公共』サービスの供給を含むかぎりにおいて、『公』行政の大半は、人々が自発的には行おうとしないことを、強制的に行わせることに関わっている」と述べています。
 著者は、「行政機関」が選択しうる基本的な執行の方法として、
(1)ルールの無視ないし修正
(2)啓蒙
(3)制裁戦略
(4)物理的抑止(違反行為を物理的に困難、不都合な意思不可能にする方法)
の4つの選択肢を示し、それぞれ検討しています。
 また、その執行の程度についても,
(1)完全な法遵守
(2)法遵守の受容可能なレベル
(3)違反行為の追及から直接得られる便益と執行の(限界)コストの均衡
(4)違反行為の追及から直接得られる便益、及び執行がなされなかったならば発生したであろう違反行為が行われなかったことによって得られる便益の合計と、執行の(限界)コストの均衡
の4つの基準を示しています。
 さらに、「誰が執行するか」という論点については、
(1)執行を完全に民間人の手に委ねる方法
(2)執行を主として民間人の手に委ねる方法
(3)執行を民間人と行政官僚制の間で分担する方法
(4)執行を主として行政官僚制に委ねる方法
(5)執行を完全に行政官僚制に委ねる方法
の5つの可能性について検討したうえで、ベッカーとスティグラーによって考察された「法執行を改善する2つの可能な方法」として、
(1)他の職業に比べて公的な法執行官の報酬を相対的に高くすることで、彼らが違法行為をする誘惑を減少させる。→この過剰な給与の支給は、(公務員の)不誠実な行為に対する保険に対して支払われる割増保険料のようなものである。彼は正直であることによるよりも、不誠実にふるまうことによってより多くのものを失わなければならないのである……」(ベンサム)
(2)法執行の実績ベースで誰かに補償をするという方法を採用することによって、すなわち、その者が告発された違反者に課された罰金を報酬として受け取ることによって、法執行を「民営化」する。
の2つの方法を示しています。
 また、「設計ないし予見がどの程度ルールの『執行可能性』を高めるか」という点に関しては、「家庭内で飼われているペットに対して、毎年その価値に応じた税率で税を課す」という「ペット税」を想定し、このような税の徴収が、
(1)記録可能性:ペットの総数を把握することが難しい。
(2)追跡可能性:規制を行うに適したペットの存在を把握する地点が存在していない。
(3)基準の一義性:価値を持った対象の単位がそもそも捕捉しにくい。
(4)補完性:徴税は他の「面」での執行によって補完することが難しい。
(5)交差制裁:税を支払おうと言うインセンティブが弱い。
の5つの理由から、「きわめて困難であろう」と述べています。
 最後に、行政官僚制の大規模な活動なしにルールがどの程度執行可能かという「自動監視」ないし「自動執行(self-enforcement)」について、
(1)執行がある構造の中に物理的に組み込まれている場合
(2)共同体の一体性
(3)被害者ないしその代理人による私的な執行
(4)会員組織を通じての執行
の4つの意味が考えられることを示しています。
 第4章「公共サービスの供給形態の諸類型」では、「公共サービスの編成における6つの重要な次元」として、
(1)専門性
(2)編成の規模
(3)直轄 対 委託
(4)独占 対 競争
(5)受益者負担(利用料あるいは目的税) 対 一般財源
(6)行政官僚制 対 民間企業
の次元を示し、それぞれについて論じています。
 このうち、(2)の編成の規模に関しては、、「ある公共サービスを供給するのに適した規模の選択」の基準として、
(a)サービスに含まれている公共財の規模
(b)作業能率に対する規模の影響
(c)当該サービスの第1の名宛人である消費者の集団
の3つの基準を示しています。
 また、(3)の「直轄対委託」に関しては、ウィリアムソンによる、「委託よりも直轄を利用する方が望ましいと考えうる要素」として、
(a)「限定された合理性」と結びついた「不確実性」
(b)「便宜主義(oppotunism)」と結びついた交渉主体の数が少ないこと、すなわち「少数性」
の2点を紹介しています。また、「主人と使用人の関係におけるコストと難点」というもう1つの側面、すなわち「使用人問題(agency-problem)」について論じ、この問題は、
(a)使用人の地位が独占的であればあるほど。
(b)企業組織における権限の階層の数が多くなればなるほど
(c)使用人の作業成果の数量的把握が困難であればあるほど
より深刻になると述べています。
 さらに、(5)の受益者負担の問題に関しては、「財源を特定する方法」に関する限界として、
(a)利用料制度は、純粋公共財には適用できない。
(b)サービスが自然独占の事業を含む場合には、利用料による運営では、必ずしもそのスラックをコントロールすることができない。
(c)料金を確定する上で、他にも困難な問題が発生するかもしれない。
(d)利用の質と量に正確に比例した料金を徴収するためには時間と装置にコストがかかる。
(e)サービルが特定の税によって供給され、他の潜在的に代替可能なサービスが一般財源によって支出される場合に、利用料は利用のパターンを歪めることになりかねない。
(f)低所得層の人々が負担を免除されているところでは、モラル・ハザード問題が再び発生する。
の6点を挙げています。
 第5章「変化への適応」では、変化への適応を、「ルール制定に関する『法の支配』アプローチ、ルール執行についての機械アプローチのアキレスの踵ともいうべき最大の弱点」であると述べ、「変化を探知する能力と変化に対応する能力、そして、変化に適応しようというインセンティヴとを区別」して論じています。
 第6章「消費者主権と便利な行政」では、公共サービスの「生産者たる『実務家』ではなく、公共サービスの利用者ないし消費者に照明を」当て、「『消費者主権』の原則を、公共サービスの供給に実際にどれほど取り入ることができるのか」について、「興味深い疑問が提議されている」ことについて論じています。
 本書は、行政学について学びたい人はもちろん、行政活動のあり方について考えたい人にはぜひお奨めしたい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、行政学の教科書という体裁はとっていますが、数式が出てこないだけで、考え方の多くは公共経済学や契約理論と呼ばれる経済学の一分野、法と経済学、公共選択論などに、その理論的根拠を求めることができます。
 その意味では、行政学を学んだ人や、多くの行政関係者にとっては、これら関連する経済学へのガイドブック的な役割を持ち、一方で経済学をバックボーンに持つ人々にとっては、一から行政学の入門書を紐解くよりも、経済学の考え方(と言っても経済学の中でも偏りのある分野ですが)をベースに、行政活動にアプローチすることを可能にしています。
 さらに追加要望としては、行政学側には、本書をきっかけにどのような経済学の文献を読むべきか、を示したブックガイドがあればいいのに、と思いました。


■ どんな人にオススメ?

・行政学ってとっつきにくいと思っている経済学部卒の人。


■ 関連しそうな本

 森田 朗 『現代の行政』
 西尾 勝 『行政学』
 村松 岐夫 『行政学教科書―現代行政の政治分析』
 ロナルド・H. コース (著), 宮沢 健一, 藤垣 芳文, 後藤 晃 (翻訳) 『企業・市場・法』 2005年04月29日
 柳川 範之 『契約と組織の経済学』 2005年02月22日
 加藤 寛 『入門公共選択―政治の経済学』 2005年03月13日


■ 百夜百マンガ

かっとびハート【かっとびハート 】

 ヤングジャンプで長いこと連載していた下手な絵の四コマです。当時20代だった読者も現在では40代となり、当時は学生や平社員の視点から書かれていたギャグも中間管理職の悲哀を描いたものになりました。

2006年12月24日 (日)

水族館狂時代 〈おとなを夢中にさせる水の小宇宙〉

■ 書籍情報

水族館狂時代 〈おとなを夢中にさせる水の小宇宙〉   【水族館狂時代 〈おとなを夢中にさせる水の小宇宙〉】

  奥村 禎秀
  価格: ¥756 (税込)
  講談社(2006/10/21)

 本書は、映像製作会社のテレビCMディレクターからドキュメント映像の分野を経て、「世界中の僻地で大自然と対峙」した経験から、「本来の海、本来の川、そして本来の地球自然、この素晴らしさを水族館に足を運ぶ人々全員に伝えたい」という思いを持ち、「その自然をいつまでもこの地球に残し、いつか現地に足を運んでみたくなるような、そんな生でリアルな水族館をつくりたい」と、水族館や動物園などの企画・設計のコンサルトをしている著者の、水族館への思いを綴ったものです。著者は水族館を、「老若男女すべての人々を誰彼なく平等に慰め励まし、やさしく心を癒してくれる」、「ありがたい、おとなのための施設」であると語っています。
 第1章「水族館の誕生」では、特権階級のための施設であった動物園が、フランス革命によって解体され、市民のための施設として生まれ変わり、この「革命がもたらした動物園の構造的変化」が、「動植物に関する学術研究の飛躍的発展に大きく貢献」したことを述べた上で、「もうひとつの革命」、すなわち、「電気の登場による一種の産業革命」によって、ガラス板の生産技術が発展し、1853年に、ロンドン動物園に併設する形で、「世界初の複数の水槽を並べた施設」である「フィッシュ・ハウス」が誕生したことが述べられています。
 そして、水族館は、「教育、娯楽、文化」の「三要素をすべてもちあわせているからこそ、老若男女すべての来館者を楽しませることができる」と説いています。
 第2章「ニッポンの水族館」では、2006年現在、わが国にある水族館は、「社団法人日本動物園水族館協会」登録されている数だけで68館、この他、複合型施設や登録されていない施設も含めると約百館になることを紹介しています。
 そして、Aquariumを「水族館」と訳した人物について、「動物園」を訳してたのは福沢諭吉らしいが、水族館は不明とした上で、農商務省の官僚で、三重県での養殖真珠や赤潮の研究をしていて、和田岬と堺の両水族館建設の陰の功労者であった西川藤吉という人物ではないかと述べています。
 また、1993年に出版された『AQUARIUM (WINDOWS TO NATURE)』の著者であるレイトン・テイラーが「日本の代表的な3つの水族館」として、葛西臨海水族園、名古屋港水族館、海遊館を挙げていることを述べた上で、著者自身の気になる水族館として、
・ふくしま海洋科学館・アクアマリンふくしま
・葛西臨海水族園
・新江ノ島水族館
・名古屋港水族館
・東山動植物園
・大分マリーンパレス水族館「うみたまご」
・かごしま水族館「いおワールド」
・沖縄美ら海水族館
などを紹介しています。
 第3章「水槽のなかのスターたち」では、「人間の世界同様、水族館のスターにも移りかわり」があるとして、
ラッコ、ベルーガ、イロワケイルカ、シャチ、シロクマ、ペンギン、クリオネ、ウーパールーパーなどを挙げ、いま流行はクラゲであると述べています。
 また、ザンジバルの市場で、尾びれに古代のアラビア文字に似た文様があるサザナミヤッコに、「アラーの他に神なし」という読めるものが出現し、しかも裏側には「アラーよりの戒め」と読める文様であったため、数セントが5千ルピーに跳ね上がった事件を紹介しています。
 第4章「水族館狂の系譜」では、戦後日本の水族館建設の原動力が、「学閥以外の『人間力』にある」として、今日の水族館人脈が1954年オープンの「江ノ島水族館」に行き着くと述べ、映画会社である日活の堀久作社長が、湘南海岸をドライブ中、「富士を背景にした江ノ島」を気に入り、水族館を建設することを決めた、というエピソードを紹介しています。早速、東京大学を退官した海洋学者である雨宮育作を呼び、館長に据えると、呼び寄せられた雨宮門下生たちはイルカ飼育発祥の地であるロス・アンゼルスに視察に行く、江ノ島マリンランドを作り上げたことが述べられています。それでも堀社長は、「イルカなんてスケールが小さい……。クジラだ、クジラを飼え」と語っていたそうです。
 その後、この水族館は日本の水族館に多大な貢献をし、人材の供給源となったことから水族館業界では「江ノ島ジャイアンツ」と呼ばれ、「優秀なコーチを他球団(水族館)に送り出しているようだ」とたとえられたそうです。
 また、「水族館は生物の展示以外に絵画、彫刻など、芸術的要素を包含した総合芸術だ」という須磨海浜水族園の吉田元園長の言葉を紹介し、水族館の館長が特にこだわるという「擬岩」について、
・FRP(F=Fiber, R=Reinforced, P=Plastics)
・GRC(G=Glass Fiber, R=Reinforced, C=Cement)
・セメントだけを使用したモルタルによる工法
の3タイプがあるとした上で、東京ディズニーランドの建設工事のときに、従来は左官業の工事で、建築の範疇であったこの作業が、分業化により美大生のアルバイトとなったことがきっかけで、擬岩製作を生業にする人が多いことが解説されています。
 第5章「水族館のできるまで」では、水族館のタイプを、
(1)イルカが飛んだりはねたりするタイプ
(2)純粋に魚水槽だけのもの
(3)この二つを組み合わせたもの
の3タイプに分け、一番多いのは(3)のタイプであると述べています。そして、水族館の研究を、
(1)水族そのものに関する研究
(2)水族と人の結びつきに関する研究
(3)水族の保護に関する研究
の3つ挙げています。
 また、水族館の基本構想として、
・葛西臨海水族園:海と人間の交流の場(七つの海の生き物たち)
・須磨海浜水族園:生き様水族館
・八景島シーパラダイス:水、環境、そして生物
・マリンワールド海の中道:対馬暖流に沿って
・いおワールドかごしま水族館:黒潮浪漫海道
・アクアマリンふくしま:黒潮と親潮が出会う潮目の海
・海遊館:環太平洋火山帯、環太平洋生命帯
・海響館:海のいのち、海といのち
・美ら海水族館:出会いと発見の旅
・名古屋港水族館:(北館)35億年 はるかなる旅、(南館)南極への旅
などのコンセプトを紹介しています。
 さらに、水族館の館長の仕事を、「おそらく宇宙飛行士になるよりむずかしいだろう」と評し、「館のコンセプトづくり、水族館全体の運営、飼育経験者の選別、人気生物の入手、地元の人々との交流など、これら集客数の確保に帰結するすべての要素に責任をもって実績を上げる能力を求められる」と述べています。
 著者は、「いま、水族館が若者に求めている」ものは、「専門の生物学知識のほかに、来館者が水族館に求めている日常生活の微妙な変化や、社会の流れなどを読むことのできる能力」であるとし、「水族館がつねに時代とともに歩んできたことと不可分」であると述べています。
 エピローグ「生命あるものの棲み家」では、「水族館がもつさまざまな顔である『研究、娯楽、保全、繁殖、教育、芸術』などの多面的意義についてはさておき、とにもかくにも『テーマ』が明確でない水族館は悪い水族館であり、テーマ作りを怠けている水族館はもっと悪い」と主張しています。
 本書は、水族館好きにとってはもちろん、「しばらく水族館には行っていない」という人も、読めばぜひ水族館に行ってみたくなる一冊です。


■ 個人的な視点から

 葛西臨海水族園や品川水族館、鴨川シーワールドなんかには行っています。特に夏場は、動物園と違って涼しいのがうれしいです。
 印象に残ったのは、「江ノ島ジャイアンツ」と呼ばれた江ノ島水族館人脈でしょうか。この人脈をベースにした「江ノ島水族館物語」みたいなストーリーがあったら読んでみたいものです。


■ どんな人にオススメ?

・水族館の魅力にノックアウトされた人。


■ 関連しそうな本

 中村 元 『全国水族館ガイド 2006-2007』
 堀 由紀子 『水族館のはなし』
 中村 元 『水族館の通になる―年間3千万人を魅了する楽園の謎』
 中村 元 『水族館の不思議な生き物』
 原子 禅 (著), 亀畑 清隆 『旭山動物園のつくり方―「伝えるのは命」最北の動物園からのメッセージ』
 はまの ゆか (イラスト), 若木 信吾 (写真), 旭川市旭山動物園, ブルース・インターアクションズ編集部 『幸せな動物園』


■ 百夜百音

グレイテスト・ヒッツ Vol.1【グレイテスト・ヒッツ Vol.1】 The ピーズ オリジナル盤発売: 1989

 電車の中で20歳くらいの子が、「バカになったのに」をyoutubeで聴いた、という話をしていました。もう20年位前になるんですが、ピーズとカステラの大木兄弟モノはいつ聴いても良いですね。


『ブッチーメリー』ブッチーメリー

2006年12月23日 (土)

世界の終焉へのいくつものシナリオ

■ 書籍情報

世界の終焉へのいくつものシナリオ   【世界の終焉へのいくつものシナリオ】

  ジョエル レヴィ (著), 柴田 譲治 (翻訳)
  価格: ¥1995 (税込)
  中央公論新社(2006/07)

 本書は、現実に存在する実に多くの危機の中から、「地球最後の日」のシナリオを決める上で、
・最も現実化の可能性の高いシナリオはどれか?
・実際に発生した場合に文明に対して破局的影響を及ぼすシナリオはどれか?
・回避できる可能性のあるシナリオはどれか?
という問題についての回答をひとつずつ探り、「各シナリオを理解する上で必要なあらゆる事実、数値、分析を提供すること、そして各シナリオとそれに対する反論を評価した上で、シナリオが提起する脅威について吟味すること、さらに『地球最後の日』となる可能性があるきわめて広範なシナリオを取り上げて、こうした分析を試みること」を目的としたものです。
 本書では、危機を、
(1)科学技術:実験室や研究所から出現する危機に焦点を当て、科学や技術が抑制できなくなる危険性や、物理実験から予期せぬ壊滅的な結果が生じる危険性。
(2)戦乱:軍事と政治の世界に由来する「地球最後の日」のシナリオ。
(3)生態系:人類に夜活動が地球生態系に及ぼしている危害や地球温暖化。
(4)天変地異:地球上の大部分の生命を絶滅させてしまいかねない危機。
の4つに分類して、論じています。
 第1章「科学技術の叛乱」では、ナノテクノロジーの脅威を、
(1)地球上のすべての生命体を絶滅させるほどの脅威
(2)単に将来世代の健康を脅かすだけの脅威
の2つに分け、前者については、ナノテクノロジーの父エリック・ドレスラー白紙が、『創造する機械――ナノテクノロジー』で初めて提起した、指数関数的に増加し続け、ついには世界中の材料を使い尽くしてしまう自己複製なのマシン、「グレイ・グー」を紹介しています。
 また、高性能AIの誕生が、「技術的特異点(シンギュラリティー)」という「テクノロジーの一大転機を生む触媒として作用する」ことで、「かつて人類が達成した技術を遥かに凌ぐような、人類の理解の範疇を超えたテクノロジーの進化」が起こる可能性に言及しています。
 第2章「戦乱の火種」では、「良識ある政府が世界各国の政治の標準となったのはごく最近のこと」であり、さらに、現在のアメリカでさえ、ブッシュ政権の主要な支持基盤となっているのは原理主義的キリスト教徒であり、その中には、「キリスト教原理主義の一派で、聖書は完全な心理であり、週末のh気兼ねをひくことで世界はキリストの再臨に備える必要がある」と説く「聖書再建派(Biblical Reconstructionist)」と親密な関係にある団体も多い」ことを指摘しています。
 第3章「生態系の断末魔」では、「人類の活動により地球の生態系が完全に崩壊してしまう」「生態系破壊(エコサイド)」の恐るべき結末のストーリーを描いています。そして、世界経済の発展の加速によって最も深刻化するであろう汚染源として、
(1)旧式火力発電所
(2)ゴミ
(3)自動車の排ガス
の3つを挙げ、この他の汚染悪貨の可能性にも言及しています。
 また、主にその毒性が懸念されている化学物質として、
(1)難分解性有機汚染物質[POPs]
(2)内分泌撹乱物質
(3)鉛と水銀
の3つを挙げています。
 さらに、「世界各地の耕作適地から肥沃な表土がはぎ取られ、不毛な塩がふいた荒地と化し、かろうじて砂と埃が無骨な岩盤を隠しているような状態」になる恐れの要因として、
・土壌流亡
・塩害
・地味の低下
・土地利用の競合
を挙げ、土壌が流出し地味が低下したことで、やむを得ず限界耕作地に手を着けるというパターンで「歴史上多くの社会が崩壊してきた」として、
・北アメリカの先住民族アナサジ人
・中央アメリカのマヤ人
・イースター島のポリネシア人
等の社会の例を挙げています。
 また、人口問題の本質を、「単に人間の数だけではなく、人口による生態学的足跡いわゆる『エコロジカル・フットプリント』が関係してくる」と述べ、「先進国世界の人々のエコロジカル・フットプリントの値は発展途上国世界の人々のそれよりずっと大きい」タメ、「欲望」というファクターが重要になることを指摘しています。
 第4章「気候の大変動」では、過去の気候変動は、
・太陽が放つエネルギー量の変化
・地球の軌道と地軸の傾きの周期的変化
などの自然現象の結果だったのに対し、こういった自然現象が最近の温暖化の原因ではないと考える大きな理由として、
(1)大気中の二酸化炭素濃度が1800年代中頃以降、急激に増加した。
(2)人類の活動が原因の温暖化であることが気候モデルによって強力に裏付けられている。
の2点を挙げています。
 また、政治家やジャーナリストそして多くの人々が、地球温暖化に関して混乱や論争が存在するという印象を抱いている理由として、
・懐疑派は資金が潤沢で(しばしば石油資本が支援している)、特に化石燃料ビジネスの既得権益が強大な、アメリカ政界に有力なコネがある。
・問題に対してバランスのとれた視点を提供しようとするメディアの報道の仕方にも助けられている。
の2点を挙げています。
 著者は、「本当に最悪な地球温暖化のシナリオは、実は産業排ガスなどの人類の活動が直接的な駆動力となるのではなく、気候システムの『眠れる巨人』の覚醒によって引き起こされる」と述べ、この「眠れる巨人」が、「地球の気候と海水面を不可逆的に、しかもおそらくは急激に変化させる能力」を持ち、「環境条件が変化し、ある特定の臨界点を超えると、巨人たちは動き出し、止めることのできない一連の過程が始動する」と述べ、この「眠れる巨人」として、
・グリーンランドの氷床
・南極の氷床
・陸上や海底に蓄積しているメタン堆積物
・生物圏の炭素循環
の4つを挙げ、「いまからでも地球温暖化に歯止めをかける行動を起こせば、巨人たちの眠りを覚まさずにすむという点では、大多数の科学者の意見が一致している」と述べています。
 第5章「不測の天変地異」では、かつて人類が経験したことのない「種の絶滅を引き起こす事象」(ELE(エリー)、Extinction Level Event)を、「天変地異とも言える地質学的あるいは天文学的事象のことで、きわめて破壊的なために大絶滅を引き起こす」ものであり、地球上の生命はこれまで25回ほどこうした危機を乗り越えてきたと述べています。
 著者は、「現在この文明で流行している大量消費と資本主義的な行動様式を推し進めてゆけば、人類を確実に破滅の道へと導くことになる」という議論が、伝統的に「共有地(コモンズ)の悲劇」として説明されてきたことを述べ、「読者にできること」として、
・環境に優しい生活:省エネ、節水、リサイクルを心がける。
・環境に優しい交通:自転車や公共交通機関を利用し、必要以上に自動車を利用しない。可能な場合は相乗りやカーシェアリングを実行する。飛行機には乗らない。
・環境に優しい食事:肉を控え、魚介類はMSC(海洋管理協議会)認証のついたもの(すなわち資源・環境に配慮された漁業によるもの)だけを食し、野菜は有機栽培のものを食べる。
・地元優先:可能な場合は地元の製品やサービスを購入し、休暇で海外旅行には行かない。
・倫理ある消費:倫理に反しない商品やサービスを購入する(例えばフェアトレード食品やFSC[森林管理協議会]認証のある材木など。
・選挙権を行使する:環境政策を掲げ、国際条約の締結に力を注ぐ人物がいる政党に投票する。可能な場合は環境政策などのロビー活動を実行する。草の根運動に参加する。
・環境に優しい発想:自分自身と多くの人々の知識を高め、研究活動や運動を支援する。
の7点を挙げています。
 本書は、環境問題が、直接的な環境汚染だけではなく、政治や経済、特に途上国と先進国との格差の問題に密接に絡み合った複雑な問題であることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書に限りませんが、気候変動や文明の興亡に関する本の「締め」は、「明日からできること」でまとめる本が多いような気がします。
 もちろん、悪いことではないのですが、映画にたとえれば、それまで作品の中のストーリーに入り込んでいたのに、急に俳優や監督が出てきて挨拶を始めるかのような興醒め感は否めません。


■ どんな人にオススメ?

・「地球最後の日」を想像したい人。


■ 関連しそうな本

 ブライアン フェイガン (著), 東郷 えりか, 桃井 緑美子 (翻訳) 『歴史を変えた気候大変動』 2006年12月02日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)』 2006年08月14日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)』 2006年08月15日
 ビョルン・ロンボルグ (著), 山形 浩生 (翻訳) 『環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態』 2005年09月19日
 ニール・F. カミンズ (著), 増田 まもる (翻訳), 竹内 均 『もしも月がなかったら―ありえたかもしれない地球への10の旅』
 アルフレッド・W. クロスビー 『飛び道具の人類史―火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで』 2006年10月02日


■ 百夜百音

If I Were a Carpenter【If I Were a Carpenter】 Various Artists オリジナル盤発売: 1994

 カーペンターズのトリビュートアルバムなのに、こういう系のアーティストがそろうとこうも変わってしまうものかと。
 もちろん、良い方に変わって外れも少ない1枚通して聴けるアルバムになっています。


『Christmas Portrait』Christmas Portrait

2006年12月22日 (金)

元気なまちのスゴイしかけ

■ 書籍情報

元気なまちのスゴイしかけ   【元気なまちのスゴイしかけ】

  佐々木 陽一
  価格: ¥1680 (税込)
  PHP研究所(2006/11/2)

 本書は、PHP総合研究所の「地域経済活性化研究プロジェクト」が、「元気なまちの実例を紹介し、各地の参考にしてもらおう」と、「国内24地域の自治体や企業などを尋ねて調査を行ってきた」結果をまとめたものです。
 第1部「活性化に取り組む24の実例を見る」では、「地域経済活性化のために自治体や企業、そして住民が何を行ったのか、そこにはどんなしかけがあったのか」を地域ごとに明らかにしています。
 実例1「長野県諏訪市」では、「行政の最も期待される」ものは、「民間主導で始まった海外との経済交流の動きを諏訪地域の経済に還流させる橋渡しの役に他ならない」と述べ、「民間が方向性を示し、行政がそれに向かって動いた」ことが「諏訪大連ブース」として結実した理由であると解説しています。
 実例2「福井県鯖江市」では、自治体の経済政策や地元産業支援では、「特定の業種・企業に対する支援策は打ち出しにくいとされている」なかで、「地域特性や眼鏡産業の特殊性を十分に考慮し、大きな成果を上げている」点が、全国的にもユニークな産業活性化策であると分析しています。
 実例3「群馬県太田市」では、英語による小学校教育やなどの政策や施策を実施するための「投資経費」を、行政改革と産業政策によって生み出していると述べ、当初は、「意識改革ツール」であるISO9001の導入に対する「戸惑い」や「抵抗」が職員にはあったが、「土日の開庁も含めて、市民サービスの質を外部の専門家の視点から学ぶこと」によって、意識改革が定着していったことが述べられています。
 実例4「岩手県宮古市」では、宮古市の地域産業政策において特筆すべき点として、
(1)地域経営の最高責任者である市長のリーダーシップ
(2)行政職員の奮起と必死の努力がきわめて重要な役割を果たしている。
(3)広域自治体(県)としての地域経営戦略
の3点を挙げ、「地域産業の優位性は国際市場競争においていっそう鍛えられる」と述べ、成功に向けた集中的なサポートの必要性を説いています。
 実例7「東京都三鷹市」では、三鷹市の若手職員を中心とする総勢50人の自主研究会「三鷹市産業政策研究会」が、三鷹の地域産業活性化について5年間にわたる調査分析と討議を重ねた中で、
(1)市内の工場が公害発生の元凶とされ、有力企業が市街へ工場移転を続け、多くの中小工場は身を縮めて操業していた。
(2)吉祥寺や立川などの駅前商業集積が魅力を高める中で、三鷹商業の地盤沈下が懸念された。
(3)土地の用途地域別面積で住宅系が90%を占め、工業及び商業はそれぞれ5%であった。
(4)既存の地域産業が衰退し、昼間は高齢者と母親と子供中心の静かな住宅地域になっていくという将来の市の財政構造と人口構造の変化
等の事実が明らかになったことが挙げられ、この活動が96年の『三鷹市産業振興計画』に結実していったことが述べられています。そして、三鷹市の地域経営の特色を、
・計画した者が実行する
・行政事業と市民参加による協働実践
・地域産業政策と都市整備政策の連動
の3点挙げ、行政組織において、「出過ぎた」職員は、「行政マンとして視野を広げる、公正なゼネラリストを期待する」などの理由で異動させられるケースが多いのに対し、当時の安田市長は、職員の奮起を積極的に認めたことを特筆しています。
 実例11「鳥取県」では、「目先の産業空洞化を騒ぐのではなく、じっくりと腰をすえて取り組む地域活性化」を可能にした要因として、
(1)県庁組織がフラットで企業サポートへの機動性が高いこと。
(2)県からの押し付けではなく、立案・計画・実施まで、全て地元や民間事業者が主体的に行えるよう、事業補助に関する権限と予算を各地の県庁の出先機関に委譲している。
の2点を指摘しています。
 実例12「三重県&亀山市」では、企業誘致の「これまでに類をみない成功例」として知られているシャープ亀山工場の誘致について、成功の原因は、地元の亀山市と合わせて135億円と言われる巨額のインセンティブではなく、行政改革にあるとして、
・企業誘致の「投資とその効果」に対する理論構築
・緻密な情報収集と迅速な意思決定
・住民と議会、マスコミに対する説明
という政策とマネジメントの要素が結実したものであり、特に、「どれだけ効果的で迅速な政策対応ができるのか」という「スピード」が決め手となったことが述べられています。
 実例16「北海道倶知安町(ニセコ地区)」では、オーストラリア人などの外国人観光客の爆発的増加に、「クチコミ」が大きく貢献したこと、いくら素晴らしい観光資源があっても、「うちは山」「うちは川」と分かれていてはそれを活かすことはできず、「楽しいこと」「長期滞在」「交流」というキーワードによる包括的なビジョンが重要になることが述べられています。
 実例22「亜細亜大学」では、大学の取組みが「地域産業活性化」とのかかわりで注目される点として、
(1)「大学を外に開く」具体的な取り組みを実行している。
(2)アジアとの関係に焦点を当てて、大学の人材教育プログラムを絞り込んだ。
(3)広くアジアとの関係形成に目配りするなかで、まず、中国を選び具体的な人材育成プログラムを立ち上げた。
の3点を挙げています。
 第2部「地域経済を活性化する極意を考える」では、「実例に共通するエッセンスを抜き出し、地域経済活性化の『極意』として」、
(1)具体的で実行可能な政策をローカルマニフェストに示す
(2)まずは自治体改革から始める
(3)地域企業が求める人材を育成する
(4)産業政策に精通した自治体職員を育成する
(5)海外から投資と仕事を呼び込む
(6)効果のある政策はさらに、効果のない政策はやめる
(7)首長直轄組織を設置し責任とスピードを強化する
(8)テイクオフ間近の中小企業を重点的に支援する
の8点を示しています。
 本書は、地域経済の活性化を考える上でのヒントが詰まった一冊ではないでしょうか。


■ 個人的な視点から

 本書には全国から24の実例が紹介されていますが、本当に地域経済を活性化しているかというと少し眉唾に感じられるものもいくつかあったように思われます。
 その地域に行って確認したわけではないので確かなものではありませんが、すでに地域が活性化したという書き方ではなく、「~をめざす」「~をはかる」というタイプの役所言葉的なまとめられ方をしている実例は、施策としては面白いので掲載したけれど、目に見える効果が現れていない、という意味なのかと受けとられました。


■ どんな人にオススメ?

・自分にも元気を取り戻したい人。


■ 関連しそうな本

 ETIC. (編集) 『好きなまちで仕事を創る―Address the Smile』
 島田 晴雄, NTTデータ経営研究所 『成功する!「地方発ビジネス」の進め方 わが町ににぎわいを取り戻せ!』
 博報堂地ブランドプロジェクト 『地ブランド 日本を救う地域ブランド論』
 コミュニティビジネスサポートセンター 『入門 コミュニティビジネスの成功法則』


■ 百夜百マンガ

含羞我が友中原中也【含羞我が友中原中也 】

 若き中原中也と小林秀雄の三角関係をめぐるストーリーです。雨の日に走ったからといって濡れることには変わりないとかのどうでもいいところを覚えてたりします。

2006年12月21日 (木)

「空気」の研究

■ 書籍情報

「空気」の研究   【「空気」の研究】

  山本 七平
  価格: ¥460 (税込)
  文芸春秋(1983/01)

 本書は、日本社会のあらゆる場面を支配する「空気」とそれを霧散させる「水」について論じたものです。
 著者は、ある教育雑誌から「道徳教育」について意見を求められ、「日本の社会に道徳という規制があることは事実でしょう。(中略)"現実に社会には、こういう規範があります"という事実は、一つの知識乃至は常識として、系統的に教えておく義務が、教師にはあるでしょう」と答えた上で、「まず、日本の道徳は差別の道徳である、という現実の説明からはじめればよいと思います」と述べ、三菱重工爆破事件のときに、道路に重傷者が倒れていても人々は傍観していたのに、重傷者の「知人」だけはかいがいしく介抱していたという事例を挙げ、日本には、「人間には知人・日知人の別がある。人が危難に遭ったとき、もしその人が知人ならあらゆる手段でこれを助ける。非知人なら、それが目に入っても、一切黙殺して、係わり合いになるな」という「差別の道徳」があることを述べています。これに対し、その教育雑誌の編集員は、「うちの編集部は、そんな話を持ち出せる空気じゃありません」と答えてきたことに着目し、彼の意思決定を拘束している「何や分からぬ『空気』」の存在に争点を当てます。著者は、「あらゆる議論は最後には『空気』できめられる。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない」と述べ、「三菱重工爆破の時、その周囲にいた人々を規制し、一定のパターンの行動をとらせたのも、おそらく『空気』である。そしてそれを口にさせないのも『空気』である」と解説しています。
 著者は、この「空気」の例として、「戦艦大和」の例を挙げ、「いかなる状況にあろうとも、裸の艦隊を敵機動部隊が跳梁する外海に突入させるということは、作戦として形を成さない」という「明白な事実」を、作戦当事者自身が理解していながらも、「私は当時ああせざるを得なかった」という「空気」に支配されていたことを、「軍には抗命罪があり、命令には抵抗できない」という議論は怪しく、「むしろ日本には『抗空気罪』という罪があり、これに反すると最も軽くて『村八分』刑に処せられる」ことが解説されています。
 著者は、「空気」を、「非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ『判断の基準』であり、それに抵抗するものを異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力を持つ超能力であることは明らかである」と述べています。そして、「空気」を調べるために、「単純な『空気発生状態』を調べ、まずその基本的図式を描いてみること」として、イスラエルで遺跡発掘中に人骨が相当数出てきて、ユダヤ人はなんでもないのに、従事していた日本人は病人同様の状態となってしまい、人骨の投棄が終わると直ってしまった事例を挙げ、「人骨・髑髏という物質が日本人には何らかの心理的影響を与え、その影響は身体的に病状として現れるほど強かったが、一方ユダヤ人には、なんらの心理的影響も与えなかった」ということが「空気の基本型」であると述べています。また、聖書学者の塚本虎二氏の随想「日本人の親切」の中で、ある老人が、あまりにも寒かろうとヒヨコにお湯を飲ませて全部殺してしまった例を挙げ、「君、笑ってはいけない、日本人の親切とはこういうものだ」と語っていることを紹介しています。
 著者は、「われわれの社会は、つねに、絶対的命題を持つ社会」であり、「つねに何らかの命題を絶対化し、その命題を臨在感的に把握し、その"空気"で支配されてきた」と指摘しています。そして、われわれの祖先が、この危険な「空気の支配」に抵抗するために、「少なくとも明治時代までは、『水を差す』という方法を、民族の知恵として、われわれは知っていた」と述べています。
 第2章「『水=通常性』の研究」では、「水」という概念は『空気』以上に漠然としていると述べ、「ある一言が『水を差す』と、一瞬にしてその場の『空気』が崩壊するわけだが、その場合の『水』は通常、最も具体的な目前の障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人々を現実に引き戻すことを意味している」と解説しています。
 著者は、「空気」と「水」の研究を通じて、「一言でいえば日本における拘束の原理の解明である」と述べ、「『空気』も『水』も、状況論理と状況倫理の日本的世界で生まれてきたわれわれの精神生活の『糧』と言える」と述べ、「空気と水、これは実に素晴らしい表現と言わねばならない。というのは、空気と水なしに人間が生活できないように、『空気』と『水』なしには、われわれの精神は生きていくことができないからである」と述べています。
 本書は、日本人の社会の原理を明確に指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、『会議の政治学』の森田先生に、ぜひ読むべき、と奨めていただいたものです。万人向けの書評もよいですが、人にあった本を奨めるということも大切なチカラですね。自分が気に入った本、好きな本を紹介することは簡単ですが、その人に合った本を奨めるためには相当の読書量と質が要求されるものだと思います。
 よく「空気の読めないヤツ」と言われてしまいがちなだけに(^_^;、相当の期待を込めて読みましたが、期待にたがわぬ名作でした。


■ どんな人にオススメ?

・日本社会を支配する「空気」の本性を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 森田 朗 『会議の政治学』 2006年12月07日
 冷泉 彰彦 『「関係の空気」 「場の空気」』 2006年12月15日
 橋本 治 『上司は思いつきでものを言う』 2005年07月17日
 戸部 良一, 寺本 義也, 鎌田 伸一, 杉之尾 孝生, 村井 友秀, 野中 郁次郎 『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』 2005年03月09日
 福田 健 『「場の空気」が読める人、読めない人―「気まずさ解消」のコミュニケーション術』


■ 百夜百マンガ

BOYS BE【BOYS BE 】

 基本的に一話完結の連作ものなのでいくらでもこの手の話は描けると思うんですが、それにしても、いつまでも続いていていいもんなんでしょうか。第2のコータローになれるかどうか・・・。

2006年12月20日 (水)

誰のための会社にするか

■ 書籍情報

誰のための会社にするか   【誰のための会社にするか】

  ロナルド ドーア
  価格: ¥819 (税込)
  岩波書店(2006/07)

 本書は、「過去10年の間にさまざまな面で変わってきた日本の現時点の企業制度において、その利害関係の葛藤・妥協を分析」することを目的にしたものです。
 第1章「コーポレート・ガバナンス」では、時折耳にする「うちの会社は最近、コーポレート・ガバナンスを導入しました」というセリフに対し、「導入する前は無政府状態だったのですか」と聞き返したいと述べ、「アメリカ型諸制度だけを意味するの」ではなく、「あらゆる企業組織が持つ、「何らかの形で、重要な決定を誰がどう行うかという、明示的、あるいは暗黙のルール」の総体を「コーポレート・ガバナンス」と呼ぶと述べています。
 また、アメリカのコーポレート・ガバナンス制度の基本原理を、
(1)会社は株主集団の所有物である。
(2)経営者は、株主の財産を委託されて、株主の代理人として、なるべくその財産の利回りを高くして、その財産の市場価値を最大化することを義務とする。
(3)取締役の機能は経営者がその義務をちゃんと果たしているかどうかを管理することである。
(4)取締役は、経営者となんら切りや腐れ縁がないことが重要であり、株式を保有して、株主集団と利害関係が一致していることが望ましい。
(5)経営者のいいパフォーマンスを確保するために、監視されているという潜在的「ムチ」のほかに、株主と利害を一致させるストック・オプションがよい「アメ」になる。
の5点を挙げています。
 著者は、企業の考え方として、
・株主所有物企業
・準共同体的企業
の2つの考え方があり、この違いは、「新古典派経済学」と新制度派、新化派、ポスト・ケインズ派などの「非正統派」経済学という2つの経済思想を反映しているとしたうえで、「日本はますます"正統派"の新古典派経済学者の天下になりつつ」あり、「それに並行して、またたぶんにその結果として、『株主所有物企業』が一般形態になろうとしている」と指摘しています。
 第2章「グローバル・スタンダードと企業統治の社会的インフラ」では、
(1)果たして「株主所有企業」が世界的に是とされている企業形態であるのかどうか。
(2)企業形態は国によって、「国柄」に即して、違っているが、「国柄」のどういう点がその多様性を引き出しているのか。
(3)具体的に「経営・監督の分離」論が「国柄」によってどう変わるか。
の3つのテーマを扱っています。
 著者は、「各国の企業制度はその国の『国柄』に対応して違っていてしかるべきである」とする理由として、
・政治的価値の問題:「株主所有物企業」は、新自由主義的な政治思想と合致し、「ステークホルダー重視企業」は社会民主主義思想と合致している。
・普遍的コーポレート・ガバナンス問題へのさまざまな答え:国民性、社会に潜在的に存在する「動機付け資源」は問題の一部であって、雇用制度がその資源を堂活用するかはまた別の問題である。
の2つの次元を挙げています。このうち、後者の「動機付け資源」の国際的多様性に関しては、さらに、
(1)内発的動機(やりがい、自己達成感の追及、良心の呵責の回避)と外発的動機(お金、名誉の追及、処罰の回避)
(2)外発的動機の中で、その「褒美」として、金銭と権力と名誉という三つの価値の相対的重要性のバランスがどうなっているか。
(3)「利己主義」対「思いやり」のバランス。
の3つの次元に区別しています。
 また、コーポレート・ガバナンスの中心的課題である、「権力の配分」については、その権力として、
(1)戦略作成機能:戦略的計画・方針の制定
(2)執行機能:計画目標を実際の個別の指示に翻訳して、計画を実行し、日々出てくる問題の解決を図ること。
(3)監視機能:会社の人々の実際の行動を監督して、結果的に指示に従ったか、戦略目標や法的規制に合致していたかを確かめ、足りないところ、脱線しているところを改めること。
の3点を挙げています。
 第3章「どこに改革の必要があったのか」では、「改革機運が強化された要因」として、「洗脳世代」とも呼ぶべき「1970年代、80年代に官庁や大企業の若手従業員として、アメリカに派遣留学をして、MBAやPh.D.を取得して帰ってきたかなり大勢の人たち」が、90年代には、「官庁(特に大蔵省、通産省、法務省)、政権与党、民間企業、財界団体、大新聞、大学の経済学部、政府審議会などにおいてその影響力を『臨界質量』にまで高めた」ことを指摘しています。
 第4章「組織の変革」では、コーポレート・ガバナンスの「改善」の名において行われた組織上の変革として、
・企業レベルでの変革
・マクロ市場レベルでの変革
を挙げ、さらに前者については、
・法的枠組みの「改正」による変化
・企業が自主的に行う組織・行動の変革
の2種類に分類しています。そして、1993年から2005年までのせわしない法「改正」の特徴として、
(1)ほとんど全部といっていいくらい、日本の制度をアメリカの現行制度に近づける効果がある。
(2)株主の権限を強化するものもあるのだが、多くは、経営者の選択肢を広げることを趣旨としている。
(3)以上のような、経営者の選択肢を広げる措置に比べると、会社に負担をかけ、会社を規制するような措置はずっと少ない。
の3点を挙げ、その理由として、「経営者の利益を代表する経団連」の土壇場での影響力が強かったことを挙げています。
 また、「執行役制の導入、取締役会の圧縮、監査機能の強化」などの諸制度変革の総合的な評価として、
(1)意思決定過程の合理性・質を高めたか
(2)意思決定過程のスピードを速めたか
(3)業務執行機能と監視機能の分離をもたらしたのか
(4)不祥事発生の防止効果はあったのか
の4つの視点から検証しています。
 第5章「株主パワー」では、決定的に重要な変化として、
(1)金融市場グローバル化の顕著な加速
(2)商法や証券取引法の改正による株主と企業の関係の変化
の2点を挙げ、「経営者を長老として、従業員集団が資本所有者・資本管理者のサービスを適当に使う『日本的経営』から、資本所有者が、経営者という代理人を通じて、従業員を使う『株主所有物企業』への移行」と表現しています。
 そして、経営者たちが、「従業員の賃金をカットして、自分たちに59%の賃上げを与える」ように、「『株主革命』というより『経営者革命』といった方が正しいかもしれない」と指摘し、「日本の大企業も"先進国アメリカ"が踏んできた道を"後進"しつつある」と述べています。
 第7章「ステークホルダー・パワー」では、「株主優遇の商法改正が行われ、経営文化も変化して、この制度は、最近、合法性だけでなく、現実味をも帯び、また、その正当性が『常識』となってきた」理由として、「株主以外のステークホルダーの抵抗が生ぬるかった」ことを指摘し、経営者、従業員ともに、「準共同体企業」の崩壊を傍観してきたことを解説しています。
 本書は、とかく制度の面に目が行きがちなコーポレート・ガバナンス論に、ステークホルダーたちの利害関係の面からの視点を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の中で、官庁の人の話として、次のような言葉が紹介されています。
「局長になればもちろん、課長になっても、自民党の代議士などと交渉しなければならなくて、公益の増進に関する自分の信念もいろいろ妥協しなければならなくなる。本当に正義感に駆り立てられて、仕事に励むことができるのは課長補佐くらいのところまでだ」
 著者は、この言葉を企業に読み替えれば、「企業についても同じことが言える」と述べていますが、どの世界でも年を重ねていくことには変わりがない大変さがあることを教えてくれる言葉です。


■ どんな人にオススメ?

・コーポレート・ガバナンスという言葉をきちんと咀嚼したい人。


■ 関連しそうな本

 小佐野 広 『コーポレートガバナンスの経済学―金融契約理論からみた企業論』 2005年02月23日
 小佐野 広 『コーポレート・ガバナンスと人的資本―雇用関係からみた企業戦略』 2006年3月7日
 エドワード・P. ラジアー (著), 樋口 美雄, 清家 篤 (翻訳) 『人事と組織の経済学』 2005年4月5日
 八代 尚宏 『日本的雇用慣行の経済学―労働市場の流動化と日本経済』 2005年3月23日
 都留 康, 阿部 正浩, 久保 克行 『日本企業の人事改革―人事データによる成果主義の検証』 2005年06月24日
  『』 


■ 百夜百マンガ

750ライダー>【750ライダー 】

 季節が巡っても年をとらない、学年も上がらない「永遠の高校生」のパターンを確立した作品です。

2006年12月19日 (火)

自民党改造プロジェクト650日

■ 書籍情報

自民党改造プロジェクト650日   【自民党改造プロジェクト650日】

  世耕 弘成
  価格: ¥1365 (税込)
  新潮社(2006/7/14)

 本書は、「小泉劇場」の裏方の広報戦略を、幹事長補佐という立場で支えてきた著者が、「この3年間、私が見てきた自民党の姿を描こう」としたものです。著者は、党改革の道半ばにして本書を出版した理由として、
「すでに我々の党改革は、いくつかの通過点を過ぎた。
 もう、自民党は戻れないのだ」
という確信があるからだと述べています。
 第1章「始動」では、2003年11月、小泉政権誕生の2ヵ月後に行われた「マニフェスト選挙」と呼ばれた衆議院選挙において、内閣への圧倒的な支持率があったにもかかわらず、蓋を開けてみると、
「あの人気はどこへ消えたのだろうか」
という予想に反した結果に終わった場面から始まります。
「わが党の候補者はどうしても古い感じがする。そこが民主党との差じゃないか」
と、選挙の敗因として、真っ先に候補者問題が挙がります。そして、民主党の「フレッシュ」に見える人材は、「実は自民党が一度袖にした人たちだったというケースが多くあったこと」が判明します。
「彼は確か、自民党から出たがっていたよね」
「この人は、地元の県連に出たいと言ってきたよ」
という話が次々に明らかになり、「自民党が門を閉ざし」、「どこの馬の骨だかわからない奴にやれるものか、という空気が定着してしまっていた」という反省が出てきたことが、「党改革をしっかりやって、選挙に勝てる政党を作る」きっかけになったことが述べられています。衆院選の1ヵ月後、2003年12月2日には、安倍幹事長を中心に「党改革検証・推進委員会」が作られ、
・候補者選定プロセスの改善並びに立候補者人材育成の強化(公募制度の導入など)
・「政治とカネ」の透明化
・政策立案能力の向上、党内人事政策の改革
・友好団体との関係構築、「無党派」対策の強化
・党組織の強化・活性化
・広報改革
の6つの部会が立ち上げられ、著者は広報改革部会の副部会長に就任しています。
 この検証・推進委員会の提言は、当然議員の抵抗に遭いますが、「真っ先に強い拒否感をしました」のは、
「そんなことは無理でしょう」
「昔やろうとしましたが、挫折していますよ」
という党職員でした。しかし、立ち上げてから3ヵ月後には膠着状態に陥った委員会にとって、「後から考えれば、これは党改革が存続していく上でのターニングポイントとなる大きな出来事」になる埼玉8区の衆議院補欠選挙がやってきます。現職の自民党議員が公選法で逮捕され、本人に加え、系列の市街議員10人、選対関係者からも何人も逮捕者が出た上、関係者が相当数事情聴取を受けたことで、地元の自民党組織がガタガタになり、「今回は戦える状況にないから候補者を立てることはできない、不戦敗にしたい」と埼玉県連が音を上げる出来事が起こります。党による候補者の公募の最大の壁になる県連が白旗を揚げたことを、著者は、「地元にとっては大ピンチだったが、私たち委員会にとっては滅多にないチャンスが巡ってきた」と捉え、「これまで我々が考えてきたことを思い切りやる」ことを幹事長に訴え出ています。この公募では、所沢出身の38歳の弁護士が候補者に選ばれますが、後に「刺客」候補として登場する佐藤ゆかり議員もこの公募をきっかけにコンタクトを取り続けていたことが語られています。
 この埼玉補選の成功により、委員会は「政治とカネの透明化」に次の手を打ちます。これは、「モチ代」「氷代」と称した年に2回党から所属議員に配られる現金を廃止する問題です。著者は、政治資金規正法や税法上非常にリスクが高いことを理由に、「同じお金をもらうのでも、党本部から支部へ振り込んでもらって明朗会計にするべきだ」と訴えています。また、「政治資金収支報告書」を党のホームページに掲載することも提案しますが、どちらも「今までと異なることをする」ことへの反発に遭い、頓挫してしまいます。この事態は、「自民党はモチ代・氷代の内容を全てインターネットで公表する」という誤った形でのリーク記事が新聞に載ったことがきっかけで動き出します。著者は、党幹部から呼び出され、「こんなことをするなら、党改革なんて全部反対だ!!」と叱責され、党内の「改革反対」の大合唱に直面します。しかし、直後に起きた「日歯連」事件によって、「お金のやりとりは振込みにして証拠が残るようにし、きちんと収支報告をしないと、日歯連みたいなことがまた起こりますよ」という著者の説得に耳を貸してもらえるようになり、その直後から氷代の配布が廃止され、委員会の大きな実績になったことが語られています。
 著者は、2004年7月の参院選までに、「広告代理店へ丸投げ」であった自民党の広報を戦略的コミュニケーションに変えるべきだと考えていましたが間に合わず、従来の選挙広報で戦うことになってしまいます。当時は、選挙戦で30億円もの広告費を使いながら、「金は出すけど口は出さない」一番の上客と言われていた自民党を、「圧倒的なシェアを誇る商品と、異常に現場で強い営業部隊を持っている企業のようなもの」に喩えています。そして、戦略性のないまずい従来型広報の例として、「日本の風土にネガティブキャンペーンは合わず、効果を得るのは非常に難しいという定説」を無視した民主党を一方的に批判する新聞全面広告の例を出し、「参院選での敗北が、はからずも広報改革を求める党内世論へとつながっていった」と語っています。
 著者は、参院選の敗北の責任を取って安倍幹事長が降板する意向を固めたことに、党改革がストップする危機感を覚え、小泉総理に直訴に向かいます。著者は総理から、「わが党の改革を言う以上、派閥のことを述べないのはありえない。今一度、昭和38年に遡り、過去の改革でどういう提言がなされ、結果がどうなったのかを勉強して、派閥とどう向き合うか考えなさい」という重い宿題を課せられ、過去の改革の歴史を調べることで、公募制やモチ代・氷代の廃止、「自己申告表」による人事改革やシンクタンク構想などの委員会の試みが、全て派閥解消につながっていることを発見しています。
 第2章「前進」では、検証・推進委員会が党改革実行本部に格上げされて以降の話が語られています。
 著者は、それまで自民党で行われてきた「公募」が、
・公募とは形ばかりで、実際は有力者の談合であらかじめ決まった候補者を担ぎ出していた。
・候補者を選ぶ予備選が正当に行われなかった。
・予備選挙の選挙運動に必要な党員の名簿を出してもらえなかった、その名簿を買わされた。
・公募に申し込みたいなら、まず500万円出せと地元の実力者に言われた。
などの酷い話がゴロゴロしていたことを挙げ、「こうした形ばかりの公募を廃し、党本部主導で進めなくてはならない」として、「公募制度管理委員会」を設け、全国統一の公募ルール作りから始めていったことが述べられています。そして、来るべき衆院選に向け、
「日本を変える仕事。挑戦者よ、来たれ。」
「政治の血液サラサラに。」
「いま必要なのは、ココロザシです。」
というインパクトのある公募広告を次々と全国紙に打っていきます。
 さらに、政治とカネの透明化に向けて、「コンプライアンス室」を作り、
「地元の祭りに寄付してほしいといわれているが、大丈夫か」
「講演会で会費をとろうと思うが、どんな告知をしたらいいか」
等の問い合わせに専門家が答える体制を作ったほか、ポケット版『コンプライアンスQ&A集』の配布や「コンプライアンス勉強会」の開催など次々に手を打っていきます。政治家が立食パーティーに参加するときに、茶封筒に「会費」と書いて5千円なり1万円なりを包んでいくことが多いが、「案内文に『会費○○円』と明記されていないのに持っていけば、買収もしくは寄付に当たってしまう」ことなどが解説されています。
 さらに、著者は、自らが責任者として関わった広報改革については、
(1)党の広報の縦割り組織を排除し、機能を一元化すること。
(2)広報の専門家を党のスポークスマンとして置くこと。
(3)広報本部長室を幹事長室の隣に引っ越すこと。
(4)プロのPRコンサルタントを入れること。
の4つの提言をまとめ、それらがすべて反対にあったと述べています。その中で初めに実現したPRコンサルタントの導入については、「小泉総理の『人生いろいろ』発言で、幹事長が記者に囲まれてコメントを求められたらどうするか」などのお題に対する回答や「根性がありそうだったこと」を理由にプラップジャパンを選任したことを述べています。
 また、自前の政策研究機関であるシンクタンクの創設については、霞ヶ関の官僚が、「世界的に見れば、官僚の学歴として最低の水準である」として、「いくら東大とはいえ、学部しか出ていないというのは、世界レベルでいえば決して高いものではない」ことを指摘しています。また、学者の世界が、「まだまだ左系の勢力が強い」ことを挙げ、「保守系の学者たちの拠点となり、表舞台に出て行くきっかけ」としての自民党のシンクタンクの必要性を述べています。さらに、シンクタンクに、人材のリボルビングドア(回転ドア)の役割を期待し、予算や制度という制約に不満を持っている霞ヶ関の官僚を連れてきて思う存分やってもらい、選挙の候補者や官邸スタッフにする、という構想も語っています。
 第3章「結実」では、2005年8月8日に突如宣言された解散によって、著者が選挙戦の広報を任された姿が描かれています。著者は、「広報本部長代理」と「幹事長補佐」という肩書きを得て、まず、党職員からなる実働部隊として「コミュニケーション戦略チーム」(コミ戦)を立ち上げます。
 それまで適当に予定のつく人を送り込んできたテレビの討論番組への出演者選びも、「テレビ局が言うとおりに動いていいんですか」と、「出演者選びの時点から戦いが始まっている」ことを指摘し、「頼まれたその場で返事をせずに、コミ戦でしっかり話し合って決めていく」というルールを徹底し、テレビ局とも駆け引きをするようになったことが述べられています。
 また、「改革を止めるな。」というコピーは、「否定型のフレーズはよくない」というプロの指摘もあったが、総理自身が決定し、「一番総理の言いたいこと」であったことが語られています。
 さらに、空白区への候補者選びに関しては、選挙まで1月という短い期間にもかかわらず、13日掲載→16日締め切り、立候補に必要な戸籍抄本を持参、という常識では考えられないスケジュールで公募を行い、868名の応募があったことが語られ、印象的だった候補者として、青ヶ島の教育長だった飯島夕雁氏が取り上げられています。
 そして、ネットへの働きかけについては、「民主党は、この前の参院選挙でも告示後にホームページの更新をやりたい放題だった」という党職員からの指摘を受け、総務省への照会と記者会見を行ったことを述べた他、候補者でない著者らが個人の日記を更新し続けることについて、告示日以降の基準の一つとして、「候補者の名前は書いてはいけない」ことなどを解説しています。
 また、話題になった「自民党本部にブロガー(ブログを作成している人たち)を招待する」というアイデアについては、8月25日当日に台風が直撃したことで、当日対応するはずだった安倍幹事長代理が参加できなくなり、不安がる武部幹事長がメインで対応せざるを得なくなったことなどの裏話が語られ、ブロガーたちの論調も、「自民党が最初にこうした試みをしたことは評価する」という反応であったことが述べられています。
 この他、著者の広報マンとしての経験が活かされたエピソードとして、自民党本部の「お客様コールセンター」の職員をコミ戦に呼んで「昨日はどんな電話がありましたか?」に答えてもらったことや、武部幹事長がテレビで「消費税を上げる」と発言してしまったことを否定する記者会見を直ちに行ったことなどが語られています。
 第4章「発展」では、衆院選の大勝によって、党改革のスピードが一時期ダウンしてしまったことや、成功例として、毎日候補者に送り続けた「ファクス通信」による自民党のメッセージの統一、失敗例として、マニフェストの見映えの面ではトップダウン型の民主党には負けてしまったこと、等を述べた他、「小泉チルドレン」としてマスコミの注目を浴び、
「料亭行ってみたいです」
「国会議員の給料は2500万円ですよ!」
「議員宿舎は3LDKですから、楽しみです」
などの面白おかしい発言を繰り返す杉村太蔵議員に謝罪会見を開かせ、
(1)質問が来たら、とにかくいったん飲み込むこと。
(2)ばれないだろうと思えるどんな小さな嘘でもつくな。
という2つのアドバイスをしたことが語られています。大量に生まれた「小泉チルドレン」の教育については、これまでは派閥に委ねられていたが、なおざりになっていたことも指摘されています。
 また、選挙の対象に気を緩めた自民党が、広報コンサルタントの契約を変更してしまい、耐震偽装マンションの問題で危機管理面での脆弱さを露呈してしまったことが語られています。
 著者は、「自民党というのは、党のようで党でない」と述べ、
・共産党や公明党のような日刊新聞ひとつ発行できていないこと
・党員の数が大幅に減っていること
・党の組織が複雑で、県連ですら県内に支部がいくつあるか把握できていないこと
等の問題点を指摘しています。
 さらに、党職員について、「半分の人が変わり、残り半分が変わっていない」という心象を語り、「党職員の一人一人を全員掌握していた」ことが田中角栄元首相の力の源泉であったことを述べています。
 終章「現実」では、偽メール問題で、民主党が「こちらも驚くほどの危機管理能力のなさを露呈」し、テレビの討論番組に著者が出演した時には、出演者が2日間のうちに3回も代わり、結局出演した桜井議員は、「党から紙一枚も渡されていなかった」ため、討論をしても、「彼があまりに何も知らないので驚くどころか、気の毒になってしまった」ので、「こんなことも知らないでテレビに出てきたのですか」と攻撃する気にもなれなかったと述べています。著者は、「彼らのどこがまずかったのか」を他山の石とするとして、
(1)初期の段階で、根拠もなく自信を持っていたこと。
(2)前原代表にまで問題が波及しないように、野田国対委員長が防波堤となるべきであったこと。
(3)総理の「ガセネタ」発言など、気がつくチャンス、引き返すチャンスを何度も逃したこと。
(4)民主党内の「メール」問題検証チームが、調査結果を出すのに1ヶ月以上もかけ、ほとんど活動をしていない甘いものであったこと。
等を指摘しています。
 著者は、これらの党改革の原点を、「溺れないように泳ごう」という切実なものであり、「ともかく自民党を選挙に勝てる政党に改革しなければ、この党に未来はない」という切迫した思いからスタートしたと語っています。


■ 個人的な視点から

 本書は、もちろん日本の政治の中心を舞台にしたものではありますが、長年のしがらみに縛られた巨大組織の改革に挑む中堅社員の姿を描いた一種の企業小説のように読むことができます。というよりもむしろ、著者自身が、マスコミがよくやるように、自民党改革を政局の視点から描くのではなく、巨大企業に擬して描くことによって、サラリーマン層の共感を得ようと意図しているのではないか、と考えてしまうことはうがった見方でしょうか。
 何はともあれ、前著の『プロフェッショナル広報戦略』がビジネス書だとしたら、本書は「実録企業小説」の部類に入るでしょうか。楽しく読めるストーリーであることは間違いありません。


■ どんな人にオススメ?

・巨大組織の改革に挑む人。


■ 関連しそうな本

 世耕 弘成 『プロフェッショナル広報戦略』 2006年09月22日
 矢島 尚 『PR会社の時代―メディア活用のプロフェッショナル』 2006年11月13日
 矢島 尚 『好かれる方法 戦略的PRの発想』 2006年10月25日
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日
 中尾 英司 『あきらめの壁をぶち破った人々―日本発チェンジマネジメントの実際』


■ 百夜百マンガ

重役秘書リナ【重役秘書リナ 】

 企業小説にもいろいろな主人公がいますが、秘書の目から見た社内の動き、というのが実は一番分かりやすいポジションなのかもしれません。

2006年12月18日 (月)

恋愛結婚は何をもたらしたか

■ 書籍情報

恋愛結婚は何をもたらしたか   【恋愛結婚は何をもたらしたか】

  加藤 秀一
  価格: ¥756 (税込)
  筑摩書房(2004/8/6)

 本書は、人々が、「<恋愛結婚>に何を求めてきたのか、それはどのような<幸福>だったのか」という問いをきっかけに、日本の「恋愛観」を性道徳と優生思想の歴史の中に掘り下げていったものです。
 序章「<恋愛結婚>の時代」では、「私たちは、『恋愛結婚の時代』を生きている」と述べ、「もはや現代では、ただ単に結婚といえば恋愛結婚のことなのだ」とした上で、「昔ながらの『恋愛・お見合いという二項対立』そのものが急速に意味を失」い、「出会いのきっかけは何であれ、人はそれを恋愛結婚と呼ぶことができ」、「何らかの客観的に観察できる行動が増えた」のではなく、「人々が自分の結婚を『恋愛』という観念に結び付けたがるようになったということである」と述べています。
 第1章「制度としてのロマンチック・ラブ」では、「徳川時代の日本社会には『恋』はあっても『恋愛』はなかった。『恋愛』とは明治期になって西欧から輸入された新しい観念である」という言説が多いことを挙げた上で、日本において恋愛概念を思想言語として定着させ、自らの生活においても具現しようと苦闘した、「日本近代における『恋愛至上主義』の先駆者」として北村透谷を取り上げています。
 そして、日本における結婚に特有の問題として、「日本と、日本にそれを押しつけられた諸国にしか存在しない」、「家制度を引きずった人身管理システム」である「戸籍」という制度に縛られていることを指摘し、「その呪縛は、戦前の国家主義の名残りであるどころか、むしろ最近になればなるほど強まっている」と述べています。そして、「日本においてもはや『戸籍』とは単なる公的書類ではなく、いわば道徳の源泉として、日本人の精神を呪縛する何ものかになってしまった」という諌山陽太郎の言葉を紹介しています。
 第2章「『一夫一婦制』への遡行」では、日本社会に強固な根を生やした一夫一婦制が、「実はそれが確立したのはそれほど古いこと」ではなく、明治初期には、「一人の男性が妻と妾という複数の女性を抱え込む『蓄妾制』がはびこっていた」として、欧米並みの婚姻制度の整備が、開明派知識人たちにとっての緊急課題であったことを述べています。
 その後、法制度の整備と共に、蓄妾制は表舞台から後退していきますが、明治の元勲たちの多くは妾を抱えていて、黒岩涙香の『万朝報』では各界名士の蓄妾を暴くスキャンダル記事で有名になったことなどを紹介した上で、法制度の変化に対応して、「明治後期以降の『一夫一婦制』という言葉は、文字通りの婚姻法制を指すよりも、むしろ性道徳を焦点化する方向へシフト」していったことが指摘されています。
 第3章「一夫一婦制という科学」では、福沢諭吉が、『日本婦人論』の中で、「男女の体質を改良して完全なる子孫を求むるの法」を論じ、晩年の『福翁百話』の「人種改良」というエッセイで、「人間の能力は遺伝で決まるから、『人間の婚姻法を家畜改良法に則り、良父母を選択して良児を産ましむるの新工夫』を行わなければならない。具体的には、まず第一に『強弱智愚雑婚の道』を絶ち、精神的・肉体的に劣る者には結婚を禁じて『子孫の繁殖を防ぐ』と同時に、優秀な者どうしを『精選』して結婚させればよい」と語っていることを紹介し、「これこそが、日本で最初の科学的な遺伝観にもとづく『優生結婚』の展望だった」と述べています。
 その後、明治末には、「恋愛・結婚・生殖の優生学的な改革を国家的課題として論じる言説」として、海野幸徳『日本人種改造論』や澤田順次郎『民種改善模範夫婦』などがあらわれてくるとして、これらを解説しています。澤田は、「結婚の幸福。それは一夫一婦が仲むつまじく、『善良な子孫』に恵まれた家庭をつくることである。しかしそれは誰にでも可能というわけではない。遺伝的に優良な体質を持ち、それを子孫に伝えられる男女だけが、『幸福』を得ることができるのである」と説き、そのような『幸福』が「日本という国家の生産的な基盤となることにつながっている」と主張していることが解説されています。
 第4章「人類のために恋愛を!」では、大正期に、「家庭」が、「雑誌や新聞の中のイメージから抜け出て現実に定着し始め」、その最初の担い手は、「産業化の進展を背景に農村から大都市へ流入した人々の中で、第一次世界大戦後の好景気によって相対的な豊かさを手に入れた階層」であり、とりわけ官公吏・教員・会社員といったホワイトカラー男性とその妻たちにとって、妻が「主婦」となることは、「家計の豊かさを安定ぶりを示すステータス・シンボルであった」ことが述べられています。
 また、<恋愛・結婚・優生思想>の三位一体を最も豊饒に具現化した著作として、戸塚松子『恋愛教育の基本的研究』を挙げ、「『恋愛』と『一夫一婦』とを理性そして科学の名の下に語ることは、必然的に、『我国』の未来を担うべき子孫の人種的改良について語ることでしかありえなかった」と指摘しています。
 第5章「恋愛から戦争へ」では、昭和初期に日本医師会が、「『民族衛生』政策の必要を答申し、『悪疾遺伝のおそれある遺伝病者、低能者、変質者および常習犯罪者』の増殖を防止するために『制産または断種』を奨励すべき」と提言したことについて、このニュースを伝える新聞の、「けふの醫師總會で人間濫造を防げと内務大臣へ勸説(旧字)」という見出しを紹介し、「このような雰囲気の中で、『結婚=家庭』が担う<国家の生殖装置>としての意味づけが赤裸々にされつつあった」と指摘しています。
 また、昭和14年に厚生省で開催された「優生結婚座談会」での議論を受け、「結婚十訓」として、
 一、父兄長上の指導をうけよ
 二、自己一生の伴侶として信頼できる人を選べ
 三、健康な人を選べ
 四、悪い遺伝の無い人を選べ
 五、盲目的な結婚を避けよ
 六、近親結婚はなるべく避けよ
 七、晩婚を避けよ
 八、迷信や因習にはとらわれるな
 九、式の当日結婚届を
 十、産めよ増やせよ国のため
が定められたことが紹介されています。
 終章「<恋愛結婚>の方へ」では、1966年に兵庫県公衆衛生部が「不幸な子どもの生まれない運動」を開始したことを、発行された『幸福への科学』という冊子における、
(1)生まれてくること自体が不幸である子ども。たとえば遺伝性精神病の宿命を担った子ども。
(2)生まれてくることを、誰からも希望されない子ども。たとえば妊娠中絶を行って、いわゆる日の目を見ない子ども。
(3)胎芽期、胎児期に母親の病気や、あるいは無知のために起こってくる、各種の障害をもった子ども。
(4)出生直前に治療を怠ったため生涯不幸な運命を背負って人生を過ごす子ども。
(5)乳幼児期に早く治療すれば救いうるものを放置したための不幸な子ども。
の5点が定義されていることを紹介し、「一体ある人の幸不幸を他人が決めることができるのか」という疑問を示しています。
 著者は、「健康である義務と、家庭という夢」という「これからの日本の『国民』たちが担う2つのテーマが交わるところに何が生じるのか、私たちは慎重に見極めていく必要がある」と指摘しています。
 本書は、私たちが自明のものだと信じ込んでいる「結婚」「幸福」「家庭」が、近代以降にさまざまな経緯を経て形作られたものであることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 現在の少子化対策に連なる家族行政における「1940年体制」(1939年体制でしょうか?)とも呼べるものがあるのかもしれません。
 「産めよ増やせよ国のため」ばかりが取り上げられることが多い「十訓」ですが、他の9訓の方が結構差し障りがあるような気がするのは気のせいでしょうか?


■ どんな人にオススメ?

・「恋愛」を所与のものと考えてしまう人。


■ 関連しそうな本

 赤川 学 『子どもが減って何が悪いか!』 2006年10月19日
 山田 昌弘 『希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』 2006年01月11日
 宮本 みち子 『若者が『社会的弱者』に転落する』 2005年05月04日
 山田 昌弘 『パラサイト・シングルの時代』 
 白波瀬 佐和子 『少子高齢社会のみえない格差―ジェンダー・世代・階層のゆくえ』 2006年03月10日
 目黒 依子, 西岡 八郎 (編集) 『少子化のジェンダー分析』 2006年06月23日


■ 百夜百マンガ

太郎【太郎 】

 信用金庫に勤めるプロボクサーという二足のわらじを描いた作品。ボクシングのシーンよりも、それをめぐる生活や仕事の方が心に沁みます。

2006年12月17日 (日)

ザ・マインドマップ

■ 書籍情報

ザ・マインドマップ   【ザ・マインドマップ】

  トニー・ブザン (著), 神田 昌典 (翻訳), バリー・ブザン
  価格: ¥2310 (税込)
  ダイヤモンド社(2005/11/3)

 本書は、「脳のスイスアーミーナイフ」と呼ばれ、世界中で愛用されている思考のためのツールである「マインドマップ」を、その提唱者自らが解説したものです。著者は、市販のコンピュータには1000ページもあるような使用説明書があるのに、「現存するどんなコンピュータより100兆倍も性能の高い、驚くほど複雑な生物コンピュータである私たちの脳には、使用説明書がない」という問題意識から脳の研究を始め、放射思考とマインドマップを開発したと述べています。
 著者は、マインドマップの特徴として、
(1)中心イメージから描くことにより、関心の対象を明確にする。
(2)中心イメージから主要テーマを枝(ブランチ)のように放射状に広げる。
(3)ブランチには関連する重要なイメージや重要な言葉をつなげる。
(4)あまり重要でないイメージや言葉も、より重要なものに付随する形で加える。ブランチは、節をつなぐ形で伸ばす。
の4点を挙げ、マインドマップが、「思考を直線形式(1次元)から一歩前進させ、平面(2次元)、そして放射的で多次元的なものへと進化させる」と解説しています。
 第1部「脳は脅威のメカニズム」では、まだ分からないことが多い脳について、
(1)脳は何から構成されているか。
(2)脳はどのように情報を処理するのか。
(3)脳の主な機能は何か。
(4)スキルはどのように脳内に伝わるのか。
(5)いかに苦労なく学び、覚えるか。
(6)人間の脳には、パターンを追い、パターンを作る性質があるのか。
(7)普通でありながら非凡な人が、他の人よりも多くのことを記憶するために使っている技術は何か。
(8)なぜ、多くの人が自分の脳の力や機能について絶望しているのか。
(9)自然で理想的な考え方とは何か。
(10)自然で理想的な人間の思考の表現とはどのようなものか。
という本書の基本的な問いかけを行っています。
 そして、脳の基本的な機能として、
(1)受容:感覚が得た情報を受け入れる。
(2)保持:情報を蓄積し、蓄積した情報を取り出す。記憶を保持する。
(3)分析:パターン認識と情報処理。
(4)アウトプット:さまざまなコミュニケーション、創造的な行為、思考。
(5)コントロール:知的および身体的機能をコントロールする。
の5点を挙げ、これらが互いに補強しあっていることを解説しています。
 また、標準的なノート方が持つ欠点として、
(1)キーワードが明確でない
(2)記憶しにくい
(3)時間を無駄にする
(4)脳の創造性を刺激しない
の4点を挙げ、非効率なノート法を使い続けると脳にも多くの悪影響が生じる一方で、「簡潔さ、効率、自分で作る」という要素を持つノート法が効果的であることを解説しています。
 第2部「脳の力を全開にする準備」では、マインドマップ作成の最初のステップとして、「多くのコンセプトを統括するキーコンセプト(主要概念)」である「BOI(基本アイデア)」決めることを解説し、BOIを見つけるために、
・どんな知識が要求されているか。
・本にするとしたら、章にどんな見出しをつけるか。
・具体的な目的は何か。
・7つの重要な項目は何か。
・根本的な疑問は何か。「なぜ」「何を」「どこで」「だれが」「どうやって」「どれを」「いつ」などが、大きなブランチとしてうまく機能することが多い。
・こうしたものを含む、より大きな項目は何か。
といういくつかの質問をしてみることを推奨しています。
 第3部「マインドマップの作り方」では、多くの古代東洋文明で師が入門者に教えてきた3つの基本、すなわち、
・従:師の真似をし、説明が必要なときのみ質問することができる。
・協力する:基本的な技術を身につけ、適切な質問をすることによって、情報をまとめ、確かなものにしていく。
・分化する:弟子が、師が教えることをすべて完全に習得し、知的な進化を続けることで、師に敬意を表する。
に相当する3つの段階として、「3つのA」、
・受容する(accept)
・適用する(apply)
・順応する(adapt)
を示しています。
 第4部「マインドマップ活用法」では、多くの選択肢から意思決定する方法としての「多分類マインドマップ」を作成する利点として、
(1)脳が分類、カテゴリー化、明確化などを行う能力を強化する。
(2)複雑なデータを1枚の紙の上に統合することができる。
(3)何が得で、何が損かという決定に大きく影響する条件を明らかにする。
(4)脳のスキルを十分に活用し、広範囲にわたる要素を検討したうえで、結論を出すことができる。
(5)脳のスキルのすべてが刺激されるので、脳が自身と対話をするようになる。
(6)決断をくだした理由を思い出し、似たような決定を行わなければならないときに参考にするための記録として、保存しておくことができる。
の6点を挙げています。
 また、集団でマインドマップを活用する、「グループ・マインドマップ」の作成方法として、
(1)テーマを決める
(2)個人でのブレインストーミング
(3)小グループでのディスカッション
(4)複合マインドマップのたたき台を作成する
(5)熟成させる
(6)再構築と見直し
(7)分析と決断
の7つの段階を示し、その実用例として、ボーイング社が、技術マニュアルを長さ8メートルのマインドマップにまとめることによって、従来数年かかった上級航空技師チーム100人の研修を、わずか数年に短縮することに成功し、約1100万ドルのコストを削減したことが紹介されています。
 第5部「マインドマップを使いこなす方法」では、「脳の働きを完全に、忠実に反映」し、「色と時間に加えて、3次元空間を活用できるようになり、時間の管理にとどまらず、自己管理、さらには人生設計のシステムをモテに入れること」ができる「マインドマップ・スケジュール」の作成方法を解説する他、論文の準備段階としてマインドマップを使うことで、「標準的なノート約20ページ分のメモを作った上に下書きを2、3回するかわりに、マインドマップをひとつ作り、下書きを1回ですませる」ことができると述べています。また、「学習障害」とくに「失語症」の子供にとって、「非常に有効な学習法」になることなどが述べられています。
 本書は、マインドマップの解説書として「決定版」的な一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、内容は非常に充実しているのですが、翻訳モノにありがちな冗長さも否めず、日本だったら新書版1冊の川喜田 二郎『発想法―創造性開発のために』よりも中身としては薄いのではないかと感じます。
 とは言え、図も多用され、読みやすい上に、全ページカラーでこの値段は大変お買い得だと思います。


■ どんな人にオススメ?

・元祖マインドマップに触れてみたい人。


■ 関連しそうな本

 トニー ブザン (著), 田中 孝顕 (翻訳) 『人生に奇跡を起こすノート術―マインド・マップ放射思考』 2006年05月07日
 トニー ブザン (著), 佐藤 哲, 田中 美樹 (翻訳) 『頭がよくなる本』
 松山 真之助 『マインドマップ読書術―自分ブランドを高め、人生の可能性を広げるノウハウ』 2005年05月01日
 久恒 啓一 『図で考える人は仕事ができる』 2005年08月13日
 ウィン・ウェンガー , リチャード・ポー (著), 田中 孝顕 『頭脳の果て』
 川喜田 二郎 『発想法―創造性開発のために』 2005年08月27日


■ 百夜百音

STAR BOX【STAR BOX】 バブルガム・ブラザーズ オリジナル盤発売: 1999

 デビュー当時は、ブルースブラザーズ(どちらもBBだし)のパロディ?、オマージュ?としてスタートして、トレードマークだった巨大アフロヘアもばっさり剃り落としたことが話題になりました(今で言えばスキマスイッチの人が坊主になったようなもの?)。


『WON'T BE LONG』WON'T BE LONG

2006年12月16日 (土)

数学と論理をめぐる不思議な冒険

■ 書籍情報

数学と論理をめぐる不思議な冒険   【数学と論理をめぐる不思議な冒険】

  ジョセフ・メイザー (著), 松浦 俊輔 (翻訳)
  価格: ¥2100 (税込)
  日経BP社(2006/4/20)

 本書は、数学と論理をテーマに綴られた16のショート・ストーリーを収めたものです。著者は、「現代数学を正当に評価するには、調べておかなければならないことがある。数学はどう伝えられるか、私たちに定理の証明を納得したと感じさせるものは何か――そういった問いだ」と述べ、「数学はちょっと見にはとっつきにくいことが多い」が、「数学の美しさと、それをめぐる喜びを、頂上へよじ上り、ゆっくりと動く雲越しに思想のジャングルを見ることによって、明らかにしたい」と述べています。
 第4章「亀がアキレスに言ったこと」では、「数学における観察がどうやって洞察を築くか、その築かれた洞察は、演繹的に証明される推論のために、アイデアにどう影響するかを検討する」という「成り立ちそうな演繹推論(プロージブル・アンド・デダクティブ・リーズニング)」という科目を教えている「私」は、「私たちが納得するのは推論であり、推論には論理の使用が含まれている」が、それだけでは全然足りず、「私たちが何かを考える時の内面の言語に依存しており、この言語は、私たちが正しいか間違っているかを推理できる元になる意味を伝える言葉や文を含んでいる」と語っています。そして、「数学の言語は正確」で、「ひとつひとつの記号が唯一の意味を持つ言語と言える資格があるのではないかと考えられるかもしれない」が、「数学者は、一般に形式の崩れた話し言葉を使って証明や考え方を伝える」と指摘しています。
 第6章「エヴァンの洞察」では、「数学の森の藪を切り拓いて通るときに収拾する大量の情報を使って、私たちは知っていることと知らないこととを結びつける」と述べた上で、ここに含まれる「すぐには結びつかなかったりする事実」のいずれかが、「未来のいつか、役に立つようになることを期待している」と語っています。
 第10章「終わらないものがある」では、「もしかすると無限は、自分のいる世界だけでなく、ありうる世界までもすべて説明したいという、人間の飽くなき欲望を処理するためのごまかしかもしれない」と述べるとともに、「演繹」と呼ばれる、「いわゆる自明の真理から始まり、厳密な論理的な論証によって進み、何らかの心理に関わる結論に達する」合理的な学と、「帰納」と呼ばれる、「暫定的な真理」である仮説から始まり、「いくつもの観測結果を用いて、下の仮説の真偽について、結論に達する」経験的な学とのうち、「数学は合理的な学だが、算術の公理のひとつは、奇妙にも機能的な感じがする」と述べ、「数学的帰納法」と「科学的帰納法」の違いを論じています。
 第11章「それ以外は人のなせる業」では、「無限の論理を理解することによって、科学と技術の進歩で可能になった巨大な飛躍は多い」としながらも、「もっと十全な理解をするには、科学を日々動かしているものを考えなければならない」と述べ、「日常的現実の論理」という「規律ある、本当らしい推論が、科学を成り立たせている」と語っています。
 第14章「6のぞろ目、1のぞろ目」では、「大数の法則」を誤解したせいで生じる、賭け事の間違いの代表例として、「モンテ・カルロの誤謬」と呼ばれる「事象がその履歴を覚えていると思い込」んでしまう、「悪名高い博打打ちの誤解」を紹介しています。これは、「世界中のカジノでルーレットをしている初心者の耳に、『赤が続いているから黒にかけろ』とささやく」ものだと解説されています。
 第15章「アンナの告発」では、「モンテ・カルロの誤謬は一例にすぎない」として、アメリカ人が毎年宝くじに何億ドルも使っている理由として、
(1)誰かが必ず当る。
(2)私にも、他の人と同じ勝ち目がある。
(3)自分には相当の勝ち目があるんじゃないかと本気で思う。
という「間違った3段階の規則から、間違ったことを信じているから」だと解説しています。
 第16章「モーティマー先生でいらっしゃいますか?」では、「演繹(ディダクション)という言葉は、演繹する(ディデュース)行為を表すとともに、除外する(ディダクト)行為も表す。第一の意味は「~から導く」行為であり、第二の意味は、「取り去る」行為を意味する」が、「可能性を消去することで結論に導かれると考えれば、両者は同じ方向を向いていることになる」と述べ、シャーロック・ホームズの華麗な推理(演繹)能力を例に挙げて解説しています。
 本書は、「数学」という無機質なイメージを持つ学問が、「冒険」という言葉に表されるようなワクワクした分野であることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「数学+小説」と言えば、まず思い浮かぶのは『不思議の国のアリス』です。映画は見たことがあるのですが、原作はまだ読んだことがありません。「数学者が書いたファンタジー」という先入観がなければ素直に読めるのかもしれませんが、時間がかかりそうなのでじっくり手元において読んだほうがいいかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・ストーリーの中の数学というミスマッチに惹かれる人。


■ 関連しそうな本

 E・T・ベル (著), 河野 繁雄 (翻訳) 『数学は科学の女王にして奴隷』 2006年09月18日
 チャールズ サイフェ (著), 林 大 (翻訳) 『異端の数ゼロ―数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』 2005年11月20日
 グレゴリー・J・チャイティン (著), 黒川 利明 (翻訳) 『セクシーな数学-ゲーデルから芸術・科学まで-』 2005年11月03日
 サイモン シン 『フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』 2006年09月02日
 ロビン・ウィルソン 『四色問題』 2006年07月18日
 ルイス キャロル 『不思議の国のアリス』


■ 百夜百音

クリスマスキャロルの頃には【クリスマスキャロルの頃には】 稲垣潤一 オリジナル盤発売: 1992

 最近でもスーパーの有線放送でインスト曲がかかってたりします。やっぱりタツローとこの曲は定番ということなんでしょうか。


『Fantastic Christmas』Fantastic Christmas

2006年12月15日 (金)

「関係の空気」 「場の空気」

■ 書籍情報

「関係の空気」 「場の空気」   【「関係の空気」 「場の空気」】

  冷泉 彰彦
  価格: ¥756 (税込)
  講談社(2006/6/21)

 本書は、「論理や事実ではなく、『空気』が意思決定の主役になり、またその『空気』が風向きの変化によってよく変わる」日本社会について、「あくまで日本語の特性と現在の日本語の実際に注目しながら、日本語と空気の問題を解き明かす」ことを目的としたものです。
 第1章「関係の空気」では、「話し手と聞き手の間が『関係の空気』で満たされるとき、日本語は高い伝達能力を発揮する」として、「一般的に省略表現では、省略をすることで『空気を共有している』という親近感のメッセージを送りつつ、暗号解読のカタルシスを瞬間に感じている」とともに、「表現自体に一つのスタイルがあり、そのスタイルに参加する喜びもある」ことを述べています。
 また、「厳粛な空気を使って言葉を省略するコミュニケーション」として、「腹芸」と呼ばれる伝統的な会話様式を挙げ、「戊辰戦争のさなか、官軍の江戸城総攻撃を前にして品川の薩摩屋敷で行われたという、官軍代表の西郷隆盛と、幕府側代表の勝海舟の会談」を例に、「江戸開城の腹芸」を「『禅のような無の空間』ではなく、膨大な情報量、それも冷徹な事実認識と、合理的な判断が凝縮された空間」であると述べています。
 著者は、「関係の空気」が、「言語スタイルに関係が深い」として、「空気を維持するために、話し手と聞き手の間で会話のスタイルが共通化されるように選択されていく、この作用は時には、新語や造語が乱発され、瞬く間に広がっていく原因ともなる」と指摘しています。そして、日本語が、「空気を使って情報の効率を高め」、「濃密な情感を表現したり、抽象度の高い価値観の共有を確認したり」することで、コミュニケーションの質を確保してきたと述べています。
 第2章「日本語の窒息」では、「空気が欠乏し会話が破綻」し、「やがて沈黙が支配」する「日本語の窒息状態」が社会に満ちているのではないか、と述べ、その要因の一つとして、「言葉が陳腐化するスピード」を挙げています。そして、日本語が変化する理由として、「日本語の鋭い情報伝達力」を挙げ、コミュニケーションの高効率化にあたって、「意味や論理の伝達だけでなく、話し手と聞き手の関係性のコントロール機能まで押し込んでしまう」ことを指摘しています。また、言葉が、「突然死するのではなく、陳腐なものへと衰えた結果忘れられていく」ものであることを、併せて指摘しています。
 また、『2ちゃんねる』が、「サイバー空間における日本語という文化にはなくてはならない存在になっているのは間違いない」とした上で、侮蔑語や侮辱語の問題以外に、「『スルー(無視)』が奨励されていること」の問題を指摘し、『2ちゃんねる』の「おやくそく」にある「頭のおかしな人の判定基準」として、
・「みんなの意見」「他の人もそう思ってる」など、自分の意見なのに他人もそう思ってると力説する人
・根拠もなく、他人を卑下したり、差別したりする人、自分で自分を褒める人
・自分の感情だけ書く人
を紹介しながらも、「ここまで力強く『無視』を主張されると、私は困惑せざるを得ない」と述べています。
 さらに、日本語のスタイルとして、「です、ます」体と「だ、である」体があり、この15年ぐらいの間に「だ、である」体が領域を広げ、「混ぜる表現」(言語学でコードスイッチと言う)が流行していることをしています。この「コードスイッチ話法」は「上から下」にしか使用することができず、この「上下の話し方のスタイルが対等ではない」ことが、上下のコミュニケーションにおいて「日本語の窒息」を生んでいることを指摘しています。
 著者は、日本語の窒息という現象の原因を、「日本語がコミュニケーションのツールとして、過剰な性能を持っている点」にあるとし、「コミュニケーションがうまくいっている限りは、日本語は切れの良い、効率の良い言語」である反面、その本来の性能を発揮するためには、「価値観や、常識と言った情報が、話し手と聞き手の間で共有されているという前提」が必要であり、「この前提が崩れた時、日本語は本来の性能を発揮できないばかりか、機能不全に陥る」と述べています。
 第3章「場の空気」では、1977年にベストセラーになった、故山本七平氏の『「空気」の研究』から、「日本には『抗空気罪』という罪があり、これに反すると最も軽くて『村八分』刑に処せられ」、「『空気』とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である」という指摘を紹介しています。
 著者は、この「空気」の利用に関して、「小泉純一郎という人はおそらく天才だと言える」と述べ、「小泉政権の5年間で、『空気』の濃さはどんどん増し、山本の言う『抗空気罪』はますます厳格になり、その一方で、『空気』の流れが左から右へ変わる振幅も大きくなった」と指摘しています。
 また、日本の会社の中にコミュニケーションについても、「表面上の指示や計画ではなく『空気』の占める割合が大きい」として、「とにかく、『顔を売って』、面倒なことは『出向く』のが組織を動かすコツ」であると述べ、「根回しのため、『空気』を確認する会議のために、人々は毎日出張」し、「この『空気』が日本の事務職の長時間労働を招いている」と指摘しています。そして、「日本の会社という組織はいわば『空気の共同体』であって、この『空気』を共有していない人に対して周囲が向けてくる『違和感』とか『非難』というのは極めて大きいものがある」として、産休からの復職後も、「お前は空気を共有していない」という「空気」のプレッシャーを受けることを述べています。
 著者は、「この『空気』の問題に関しては、程度の問題ではあっても、日本社会は異常である」と指摘しています。
 第4章「空気のメカニズムと日本語」では、「場の空気」が、「ある種の権力」になり、「『妖怪』のようにその場を支配する」ことを指摘し、その理由を、集団の中で、「『暗号が復元できた人間』と『できない人間』の間には決定的な溝ができてしまう」からであるとして、「例の件」という暗号が復元できない人間は、「わからなかった疎外感」を感じる一方で、わかったほうの聞き手には「わからないヤツのいる不快感」が生まれ、その結果、「全体的には『わからないといけない』という強迫観念、さらには『それが正しい』という強制と『反対するヤツは許さない』という攻撃性まで備えた『空気』が醸成される」と述べています。著者は、「暗号化」による「場の空気の権力化」の特徴として、
(1)意味の単純化
(2)話し手と聞き手の間に共通の言語空間が失われる、あるいは話し手と聞き手の対等な関係がなくなる。
などを挙げています。
 著者は、「元来は一対一の『関係の空気』を前提としたバラエティーに富む日本語表現が、三人以上の場にどんどん進出している」として、
・コードスイッチ
・タメ口
・ダジャレ
・比喩
・省略やなぞかけ
・スローガンや隠語、略語
が公共の場にあふれ、その結果、「元来は価値観の異なる人間、利害の異なる人間が共存する場であるはずの『公共の場』が、『私的な空気』に汚染されてしまっている」と指摘し、その象徴として、「コードスイッチ話法」によって人気を得た「みのもんた」を取り上げています。
 著者は、このコードスイッチ話法が歓迎される理由として、「自分の身の回りでの『関係の空気』に豊かなものが欠けているからでは」ないかとして、「地域共同体や家族、学校といった中間的な共同体が崩壊する中で、むき出しの個人が、政治や会社組織という大きな共同体に帰属させられていく、そんな減少が起きている」と述べています。
 第5章「日本語をどう使うか」では、「混乱する日本社会の問題点には、多くの場合、この日本語の空気の問題が介在する」として、
(1)ちゃんと語ることで日本語は伝わる
(2)失われた対等性を取り戻すために
(3)教育現場では「です、ます」のコミュニケーションを教えよ
(4)ビジネス社会の日本語は見直すべきだ
(5)「美しい日本語」探しはやめよう
の5点を提案しています。
 本書は、コミュニケーションの道具としての日本語の長所と短所を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者は、村上龍氏のメールマガジン『JMM』で「USAレポート」を連載していて、これをきっかけに本書を知りました。本書を読み始めると本書のタイトルが適切であると感じますが、実際に読み始めるまでは、扱っている内容やアプローチがわかりにくかったと感じました。新書は短いタイトルが身上ですが、もっとわかりやすいタイトルはなかったと、多少もったいなく感じます。


■ どんな人にオススメ?

・「空気が読めない人」と言われがちな人。


■ 関連しそうな本

 山本 七平 『「空気」の研究』
 橋本 治 『上司は思いつきでものを言う』 2005年07月17日
 戸部 良一, 寺本 義也, 鎌田 伸一, 杉之尾 孝生, 村井 友秀, 野中 郁次郎 『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』 2005年03月09日
 福田 健 『「場の空気」が読める人、読めない人―「気まずさ解消」のコミュニケーション術』
 高瀬 淳一 『武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法』 2006年08月10日

■ 百夜百マンガ

ホワイトアルバム【ホワイトアルバム 】

 ひりひりと痛々しい青春モノの繊細な部分が突出した作品。後に青年誌に移ってからのハジケタ作風も好きですが、泣ける部分のの原点はここにあります。

2006年12月14日 (木)

地方債

■ 書籍情報

地方債   【地方債】

  平嶋 彰英, 植田 浩
  価格: ¥2940 (税込)
  ぎょうせい(2001/02)

 本書は、「明治維新、戦後改革に次ぐ『第三の改革』の一環とも位置づけ」られている地方分権に伴った地方債許可制度の協議制度への移行と、財政投融資改革と金融システム改革という2つの大きな流れの中での地方債の激動期に、自治省の地方債課で席を並べた著者らが、「安きにわたらず、しかし、できるだけわかりやすく地方債制度を概説できるよう、記したもの」です。
 
第1章 地方債制度
 第1章「地方債制度」では、地方債を、「地方公共団体が財政上必要とする資金を将来その資金を償還するなどの債務を負うことにより外部から調達する仕組」と定義した上で、
(1)地方債は地方公共団体が負担する債務である
(2)地方債は、資金調達によって負担する債務である
(3)地方債は、証書借入または証券発行の形式を有する
(4)地方債は、地方公共団体の課税権および地方交付税法に基づき地方交付税を受ける権利を実質的な担保とした債務である
(5)地方債は、債務の履行が一会計年度を越えて行われるものである
の5つの側面を有していることを述べています。中でも(4)に関しては、「地方公共団体の地方債の信用」は、「その課税権および地方交付税法(以下「交付税法」という)に基づき地方交付税を受ける権利を実質的な担保としているものであって、現状のバランスシートの状況や損益の状況以上に、地方公共団体の将来的な経済状況や中央政府による将来的な保障の度合いの方がはるかに大きな意味をもっている」と述べています。
 また、日本において、景気政策に地方財政ないし地方債が用いられる原因については、
(1)地方財政が担っている行政の範囲が極めて大きく、中でも公共事業等の公的資本形成に占めるウェイトが極めて高い。
(2)地方財政の税制、税収構造。所属課税を国と地方でほぼ半々ずつ分け合っている。また、地方税収に占める法人所得課税のウェイトが高く、経済動向の影響が大きいため、これに対応するため、地方交付税・地方債による調整が行われてきた。
の2点を挙げています。
 
 地方債の機能としては、
(1)住民負担の世代間の公平のための調整
(2)財政支出と財政収入の年度間調整
(3)一般財源の補完
(4)国の経済政策との調整
の4点が挙げられています。
 また、基本的に地方公共団体の歳出は、「地方債以外の歳入をもって、その財源としなければならない」とした「非募債主義の原則」の上で、「一定の場合には、地方債の発行を可能」としており、その理由としては、
・世代間の負担の公平を図る観点からは、世代間の実際の施設から受ける受益の割合に応じて負担する方が望ましい。
・建設した公共施設等が、地域の発展のための基盤となり、地域経済を活性化させることにより住民の租税力を高める。
・実質的な問題として、規模の小さい団体においては、児童生徒の急増に伴う義務教育諸学校の建設や災害復旧事業に地方債を財源とすることはやむをえない。
・公営事業は、独立採算の原則に立って企業的経営を行うため、企業の立ち上がり経費等を地方債で調達することは当然の前提となる。
などを挙げています。
 
 地方債の許可制度については、「平成18年度以降は原則として協議制度に移行することとされている」としながらも、「個々の地方公共団体の財政上の健全性を確保するための国ないし都道府県知事による後見的な関与としての面」が強調されるが、「単なる地方公共団体の行為への許認可ではなく、地方債計画を通じた総量調整や財源保障と一体となって、信用の付与、融資の斡旋(政府資金等の一元的調整)といった財政調整機能を持つ制度」であると述べています。このマクロ的な地方債の機能については、
(1)地方債への信用の付与機能
(2)融資等の一元的調整機能
(3)公共投資に必要な資金の配分調整機能
(4)国の経済政策等とのマクロ調整機能
(5)地方財政計画を通じた標準的な行政水準の確保機能
の5点を挙げています。
 また、地方債の許可制度が、自治法250条の「当分の間」とされているが、この文言の挿入後、すでに50年が経過していることに関しては、「『当分の間』という用語は法令上、不確定の期間を表すものであり、時間的に短期間であることを意味しているものではないと解されている」ことを指摘しています。
 
 さらに、地方債許可制度の仕組みについては、
・3,300の地方公共団体が投資的経費の財源として地方債の発行を予定している場合に、いかなる事業にどの程度の額が許可されるのかあらかじめ見通しが得られなければ適切な財政運営を行うことは困難。
・地方債の許可に当たって自治大臣が大蔵大臣を行う協議に際しても、何らかの基準がなければ、極めて多大な労力を要する。
などのため、「地方債の許可処分の公正と迅速性を確保するための地方債の許可基準」として、許可方針が定めらていると述べ、
・地方債計画:地方債運用の量的な基準
・許可方針:個別事業債の許可に当ってのよるべき取り扱いを定めた質的な基準
であるとしています。
 この許可方針における地方債発行の制限としては、
(1)虚偽申請等を行った団体への制限
(2)起債制限比率による制限
(3)地方税の徴収率等に基づく制限
(4)公営競技施行団体への充当率の制限等
(5)そのた許可に当たって勘案される事項
などが示されています。
 また、地方債計画に関しては、その基本的な役割として、「地方債を財源とする事業の所要額とその原資との調整を図る」ことにあり、「地方債許可の運用の量的な基準となるもの」としながらも、「このことは、地方債の許可限度を示すということを意味するものではない。地方債計画額を超えていても、国民経済や金融事情等に悪影響を及ぼすことなく効果が期待できるものであって、当該団体の財政事情に問題がないような場合にもかかわらず地方債計画を厳格に運用し、地方債計画の枠外の地方債の発行を認めないようなことはむしろ適当ではなく、地方債計画においては時として計画外に地方債を許可することもありうるものである」と述べています。
 
第2章 地方債制度をめぐる論議と地方分権に伴う地方債制度の見直し
 第2章「地方債制度をめぐる論議と地方分権に伴う地方債制度の見直し」では、現在の地方債制度の基礎となっているものは、「地方債に関する許可および融資の手続が地方公共団体にとって煩雑なものであり、その簡素化が必要だとした」、「昭和25年10月に行われた、地方行政調査委員会義、いわゆる神戸委員会の『国庫補助制度等の改正に関する勧告』」であると述べています。
 また、地方債許可制度の問題が大きく取り上げられた、いわゆる東京都起債訴訟については、「昭和52年に東京都の美濃部知事が、自治法250条に規定する『当分の間』の地方債許可制度は、憲法の保障する地方公共団体の財政自主権を著しく制限するものであり、違憲、無効なものとして、裁判所の審査を求める訴訟の提起の承認を昭和52年9月定例県議会(「都議会」の誤りと思われる)に求めたが、結果的には都議会の承認議決が否決された」と概説し、この問題が、「政治的にも大きな問題であったほか、理論ベース、実務ベースでも、さまざまな議論を巻き起こした」と述べています。そして、昭和52年10月8日の参議院本会議における小川平二自治大臣の答弁として、「憲法はもちろん国とまったく離れて地方自治というものを認めておるわけじゃございませんから、地方自治を取り巻く環境のいかんによりましては、地方公共団体の活動に何らかの調整を加えるということが直ちに憲法の保障いたしまする地方自治の本旨に違反するものではないことは申すまでもございません」という言葉を紹介しています。
 
 さらに、地方分権一括法による地方債制度の改正として、平成11年7月16日に地方分権一括方が公布され、平成12年4月1日から施行されることとなったが、地方債制度の規程については、平成17年度から施行されることとされているとした上で、その主な内容として、
(1)機関委任事務制度の廃止およびこれに伴う事務区分の再構成
(2)国の関与等の見直し
(3)権限委譲の推進
(4)必置規制の見直し
(5)地方公共団体の行政体制の整備・確立
などであることを解説しています。そして、地方債制度の改正の概要としては、現行の許可制度は廃止し、「地方債の円滑の発行の確保、地方財源の保障、地方財政の健全性の確保等を図る観点から、地方公共団体が地方債を発行するに当たっては、国または都道府県と原則として協議を行うという制度に移行」し、新たな協議制度においては、
(1)地方債を財源とすることができる事業の範囲について法令で明確化。
(2)自治大臣等が協議において同意をした地方債についてのみ、公的資金の充当や当該地方債の元利償還金の地方財政計画への算入がなされること。
(3)地方公共団体は、自治大臣の同意を得ないで、地方債を発行するときは、あらかじめ議会に報告しなければならないこと。
(4)自治大臣は、毎年度協議における同意基準および地方債計画を作成し公表すること。
(5)一定の赤字団体、起債制限比率の高い団体、赤字公営企業等は、地方債の信用を維持する等の理由により、例外的に自治大臣等の許可を受けなければならないものとすること。
(6)標準税率未満団体は、公共施設等の建設事業の経費の財源とする地方債を発行するときは自治大臣等の許可を受けなければならないものとすること。
とされたことが解説されています。
 
 著者は、新制度に関して、「現行制度の下では、自治大臣等の許可なくして地方債は発行できないが、協議制度の下では、自治大臣等の協議を行えば(誠実に合意できるよう努力する義務はあるものの)、その同意がない場合であっても、当該団体の議会への報告を行えば地方債を発行することが可能であり、同意のある地方債と同意のない地方債の二通りのものが発行されうることになる」と述べ、「政府が同意できないような地方債の元利償還金は、国による財源保障の対象となる地方財政計画上の公債費に算入できないことは、当然と言えよう」としています。さらに、「赤字地方公共団体の起債制限については、現在は地方財政再建促進特別措置法23条により、財政再建計画を作る場合でなければ地方債を発行することができないこととされているが、一方で、協議制度の下で自治大臣等の同意がなくても地方債を発行できるようにしたことから、赤字団体の地方債の制限を実行(「実効」の誤植と思われる)あらしめるためには、地方債の発行に許可を必要とすべき」と述べています。そして、地方公共団体の財政破綻に関し、「破綻前の早期是正措置が特に必要である」とし、これらの措置により、「協議制度に移行した後も、現行と同様の地方債の信用が維持されるものと考えられる」と述べています。
 
 地方債の発行形式については、
(1)証書借入れの方法:地方公共団体が貸付者に借用証書を提出し、資金の貸付を受ける方法であり、現在政府資金および公営企業金融公庫資金の借入れはすべてこの証書借入れの方法がとられている。
(2)証券発行の方法:地方公共団体が有価証券たる地方債証券を発行し、それを金融機関その他が引き受けることによって資金を調達する方法であり、民間投資金のうち市場公募資金の全部及び縁故資金の一部についての借入れでは、この方法がとられている。
の2つの方法があることが解説され、その違いとしては、
・証書借入れ:手続が簡便で経費がかからない。
・証券発行:再建が流動化するとともに、多数の投資家から資金を調達することができるようになり、また登録債とすることによって証券に関する事務が簡便化される。
などの利点があることが挙げられています。
 
 地方債の発行条件については、「将来の財政負担をできる限り軽減し、世代間の住民負担を受益に応じてできる限り分担させる必要」という見地から、
(1)利率についてはできるだけ低利であること。
(2)建設事業の財源としての地方債に係る償還期限については、なるべく当該施設の耐用年数と一致していること。
(3)建設事業の財源としての地方債にかかる据置期間については、なるべく住民が利用できない期間と一致していること。
(4)償還方法については、元利償還金の各年度間の財政負担があまり大きく変動せず、なるべく均等であること。
が望ましいとしています。また、その償還年限については、
・市場公募資金、銀行等縁故資金:償還期限10年で、10年後(ここに「に」とあるのは誤字と思われます)及び20年後にそれぞれさらに10年の借り換えを行うものが多い。
・証券発行される地方債:市場における販売・流通を考え、商品の多様化という観点から、10年以外の償還期限の地方債の発行も検討しうる。
とされています。さらに、その償還方法については、
(1)均等償還(元利金等償還と元金均等償還がある)
(2)不均等償還
(3)一括償還
などの方法が挙げられ、さらに、
(1)年賦
(2)半年賦
の別があるとされていますが、「現在、政府資金はすべて半年賦元利金等償還であり、公営企業金融公庫資金は半年賦元利金等償還と半年賦元金均等償還が併用されている」と解説されています。

第3章 地方債の資金
 政府資金に関しては、「地方債資金の中では最も安定した良質の資金であり、地方債資金の中心的位置を占めている」とした上で、
・資金運用部資金
・年金資金還元融資(特別地方債制度)
・簡保資金
などについて解説されています。このうち、資金運用部資金に関しては、その原資として、
(1)郵便貯金などの資金運用部に対する預託金
(2)資金運用部特別会計の積立金及び余裕金
からなり、そのほとんどが前者であることが述べられています。また、年金資金還元融資に関しては、昭和36年度からの国民年金の保険料徴収に伴い、地方債計画と財政投融資計画の策定に当たって、その扱いが問題となったことが取り上げられ、厚生省、大蔵省、自治省の三省の意見を調整した結果、「財政投融資計画及び地方債計画のいずれにおいても、年金資金還元融資による一定の事業に対する融資を『特別地方債』とする区分が用いられること」となったことが解説されています。さらに、財政投融資改革の抜本的改革の概要として、
(1)郵便貯金資金、年金積立金の自主運用
(2)特殊法人等の新たな資金調達の仕組み
などが解説されています。
 
 公営企業金融公庫資金については、「公営企業金融公庫」の発足をめぐり、自治省と大蔵省の間で大激論が交わされ、公庫の名称についても、「公営<事業>金融公庫」を名称案として、「いわゆる公営企業や収益的建設事業のほか、例えば、新市町村建設事業が含まれ、更には地方財政健全化のための公債費対策の一環としての見地から公募債の条件の合理化が必要である限り地方債計画上の全事業にも及び得るものとしたいとの意図」を持つ自治省側と、「仮に公庫の設立を認めざるを得ないとしても、融通対象を公営企業のみに限定すべきである」と主張する大蔵省との綱引きの結果、名称は、「公営企業金融公庫」となったが、「公営企業」の範囲は、「従来のいわゆる公営企業の概念よりも広義のものに拡大すること」とされ、「地方団体が行う事業のうち、主としてその経費を当該事業の経営に伴う収入を持って充てるもので、別に定めるもの」に落ち着いたことが解説されています。公庫資金の貸付対象事業としては、
(1)一般貸付け:公営企業等の事業を施行する地方公共団体に、その企業債または一時借入金の資金として融通するもの。
(2)公社貸付け:地方の幹線道路の建設を行う地方道路公社または公営企業に相当する一定の事業を行う土地開発公社に、必要な長期資金を融通するもの。
(3)受託貸付け:農林漁業金融公庫からの委託を受けて、造林または牧野の造成改良などを行う地方公共団体に必要な長期資金を融通するもの。
の3つに大別されることが述べられています。
 
 民間等資金については、平成12年度の地方債計画の4割を占める「地方公共団体の財政運営上、非常に重要な位置を占めている」ものとした上で、
(1)なるべく低利で、かつ施設の耐用年数に対応したできるだけ長期の資金を得ること。
(2)地方公務員共済組合連合会資金のように、その資金の性質上地方公共団体の事業のために利用することが適当であるものを活用すること。
(3)民間投資金に対する他の資金需要との調整を行うこと。
などに十分留意する必要があると述べています。
 民間等資金は、
(1)市場公募資金:いわゆる起債市場において不特定多数のものを対象に公募される地方債の発行により調達される資金。
(2)縁故資金:発行団体となんらかの縁故関係を有する特定の銀行、保険会社、信用金庫、信用組合、農協系統金融機関等から借り入れる資金。
に大別され、後者については、昭和50年代以降、その依存量が著しく増大したため、「銀行等縁故債の発行量の多い地方公共団体においては、指定金融機関による総額引受けが困難となり、指定金融機関以外の都市銀行、信託銀行、相互銀行などからなる縁故債引受シンジケート団(以下「シ団」という)や協調融資団をつくり、縁故債の引受け、消化の円滑化を図る例が多く見られるようになった」ことが解説されています。
 
 この他、その他の縁故資金として、「コミュニティ・ボンド(住民公募資金)」については、
(1)メリット:個人消化の促進、資金調達手段の多様化というメリット以外に、住民がその資金を財源として建設されたコミュニティ施設に一層愛着を持ち、住民の連帯感や行政への参加意識を高めるという効果もある。
(2)デメリット:
 ・事務量、経費面での負担がその調達しうる金額に比べると相対的に大きく、効率的な行政執行の確保の面で問題なしとしないこと。
 ・充当事業がコミュニティ性の強いものに限られること。
 ・予定した金額に比べて過不足が生じやすいこと。
 ・一般住民を相手とするために、たとえば債権に関する知識が十分でないことに起因する各種トラブルが生じやすいこと。
等が挙げられています。
 その他の資金としては、戦前からも発行されている「外貨債資金」の他、「発行する地方債自体が支払手段となる」特殊な地方債であり、用地買収費や漁業補償費等の支払いのために利用される「交付公債」、「国の一般会計、特別会計または政府関係機関から貸し付けられる特殊な資金」である「特定資金」などが解説されています。
 
第4章 地方債計画、地方債許可方針及び事業別地方債の概要
 第4章「地方債計画、地方債許可方針及び事業別地方債の概要」では、地方債計画の根拠として、昭和26年2月20日閣議決定された「地方行政調査委員会議の地方債に関する勧告に対する措置要綱」において、「当該年度の地方債発行総額を定め、これを一般公共事業分(災害対策事業分を含む。以下同じ。)、災害復旧事業分(公共および単独分を含む。以下同じ)及び単独事業分に区分する」とされたことに起因すると思われる、と述べた上で、その役割を、「地方債を財源とする事業の所要額とその原資との調整を図るということにあり、従って、先に述べたように、地方債許可の運用の量的な基準となるもの」であると述べています。そして、このことが、「地方債の許可限度を示すということを意味するものではない」ことを、第1章に重ねて強調しています。
 事業別の地方債については、一般公共事業際に関して、「一般公共事業債の対象は、原則として臨時的事業でかつ多額の経費を要し、その事業の効用が将来の住民に及ぶような事業等とされ、その通常充当率についても20~40%と低めに抑えられ」、「道路目的税や譲与税等の特定の財源がある場合には、原則として対象とされないこと」が解説されています。
 また、公営住宅建設事業債が昭和39年度から設けられた経緯について、「国の住宅政策の伸長に伴い公営住宅建設事業費は毎年度増額され、これに伴う地方負担額も増加の一途をたどったため、その起債措置については従来とは別個な観点から検討が行われることとなった」と述べられています。
 一般単独事業債については、地方債計画の当初から登場していて、当時は、「対象範囲も文字どおり、災害によらない普通建設事業のうち国庫補助金を伴わない地方単独事業に限定されていた」が、「時代の推移とともに一般単独事業の守備範囲は順次拡大され」、「現在では、一般事業は、当該地方公共団体の財政力に比し、臨時的かつ多額の負担となる事業のうち、緊急に整備を要するものであって、一般財源をもって措置することが困難な事業を対象とし、地財法5条に規定する適債事業のうち、地方債計画の他の事業項目で措置されないすべての一般会計事業債を対象」となっていることが解説されています。
 
 さらに、地方の財政規律を緩めた元凶と名指しされることの多い「地域総合整備事業債」については、「地方公共団体が計画的に選択した事業に対して地方債を措置することにより、地方公共団体の自主性・計画性を確保しつつ、地域の総合的な整備を促進すること」を目的として創設され、昭和53年の創設当時は、「元利償還金に対する交付税措置はなかった」ことが述べられています。その後、昭和59年度に「まちづくり特別対策事業」が創設された際に、元利償還金に対する交付税措置が講じられる「特別分」が導入され、当初は、充当率70%、算入率は25~50%とされていたものが、昭和61年度において、充当率を75%に、交付税措置を30~55%に引上げることとなり、その後も、地域総合整備事業債特別分の対象は毎年度順次拡大され、昭和63年度にはふるさとづくり特別対策事業が創設され、「当時のふるさと創世の流れにも沿って事業量は飛躍的に伸びていった」ことが解説されています。
 また、昭和62年11月に発足した竹下内閣の「ふるさと創生」政策などを受け、平成元年度に創設された「地域総合整備資金貸付事業(ふるさと融資)」については、
・地域の振興・活性化のために民間事業者等に対して資金を供給する国の政策金融制度は、いずれも地域の実情を踏まえながら地方公共団体が十分に主体性・主導性を発揮して地域の振興・活性化に活用できる仕組みとなっていなかった。
・地方公共団体が単独で幅広い多様な要請に応えられるような融資制度を創設するには財政負担の面で問題があった。
ために、「地方公共団体協働の仕組みを構築し、それに対し地方財政措置を講じるもの」として創設されたことが述べられています。そして、平成6年度からは、対象事業の大規模化、設備投資経費の増大化等に対応した、融資限度額の大幅引き上げが行われたことや、平成9年度には、「民間活力の活用により地域の活性化を推進するため、ふるさと融資制度について臨時的な設備投資要件の引き下げ、融資限度額の引き上げ等により、その活用を図る」として、年度中途ながら臨時的拡充が行われたこと、等が述べられています。
 
 さらに、平成6年度以降、景気対策や地方分権の伸展に伴う地方公共団体の役割の増大などに対応して、臨時単独事業債、臨時地域基盤整備事業債、地域経済対策事業債、臨時経済対策事業債等が設けられ、その多くは充当率が100%、元利償還金の30~45%が公債費方式により後年度基準財政需要額に算入されるという有利なものであったことが解説されています。
 過疎対策事業債については、高度成長期以降の、農山漁村地域における急激な人口減少を受け、「現に人口の減少が進行中の地域に対し、緊急の対策として、生活環境におけるナショナル・ミニマムを確保しつつ、開発可能な地域には産業基盤等を整備することにより、人口の過度の減少を防ぐとともに、地域社会の崩壊及び市町村財政の破綻を防止すること」を目的に昭和45年に10年の時限立法として過疎地域対策緊急措置法が制定され、昭和55年には過疎地域振興特別措置法、平成2年には過疎地域活性化特別措置法が制定されたことなどが解説されています。
 公共用地先行取得対策事業債については、昭和42年度に、「当時の日本経済の急激な成長に伴う人口と産業の都市集中による地価の著しい高騰によって、国や地方公共団体が行う道路や公園等の公共的事業のための用地取得が極めて困難な状況となり、このため公共的事業の効率的な執行や計画的な都市形成の推進が著しく阻害され、さらには公共投資の投資効率の低下を招来するという状況」を踏まえ、「事業の執行に先立って用地を取得するための財源措置を講じ、財政負担の軽減に資すべきであるという地方公共団体からの強い要請」に応えて、地方債計画に新設されたことが解説されています。
 観光その他事業債については、「料金収入等により独立採算の可能な事業のうち、地方債計画上の他のいずれの事業債にも該当しない事業であって、地方公共団体が実施することができる事業」を対象とするもので、昭和53年度までは、「地方競馬、競輪、競艇、オートレースといういわゆるギャンブル事業といわれる公営競技の施設の建設に要する経費」には、「地方債を許可しない。」とされており、昭和54年度以降も「原則として、地方債を許可しない。」とされていたものが、平成元年度から地方債の発行が可能となったことが述べられ、その条件の一つとして、「各省庁の推薦があること」が解説されています。
 さらに、退職手当債については、「一面では地方公共団体の赤字を解消させるための赤字補てん債と類似している面」があるとしながらも、「職員を退職させることにより節減した経費をもって償還財源に充てることができ、加えて将来の財政構造(人件費)の健全化にも寄与することができる」ことにより、区別されると解説されています。その対象者としては、地公法28条第1項第4号の「職制若しくは定数の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を生じた場合」の分限退職のケースは少なく、ある程度退職職員の合意を前提とした過員の整理が行われることが多いことが述べられています。
 
第5章 地方債の発行・借入れの手続き及び償還・管理
 第5章「地方債の発行・借入れの手続及び償還・管理」では、「地方公共団体が地方債を起こすためには、地方債の起債の目的、限度額、起債の方法、利率及び償還の方法を予算で定めなければならない」ことについて、戦前から昭和38年度まで単行議決であったものが、昭和38年の改正により予算の一部として定められることとなったことを述べ、その理由として、「その予算に占める重要性等」を挙げています。
 また、地方債の許可を受けるための手続としては、
(1)地方債の許可の申請
(2)地方債の許可に係る関係機関との協議ないしは政府資金等の融資にかかる手続き
(3)許可予定額の決定及び通知
(4)許可書の交付
という4段階の手続を経て行われることが述べられています。(3)の許可予定額の決定については、地方債許可方針に基づいて行われ、「原則として、枠配分の方法により行うもの」とされており、枠配分とは、
(1)都道府県及び指定都市分:自治大臣が都道府県及び指定都市ごとに許可予定額の枠を定めて配分し、当該都道府県及び指定都市が配分された許可予定額の枠の範囲内において各事業別の充当額を定めて自治大臣に報告し、これを許可予定額とする方法。
(2)市町村分:自治大臣が各市町村の属する都道府県ごとに許可予定額の枠を定めて配分し、当該都道府県知事が配分された許可予定額の枠の範囲内において各市町村ごとに許可予定額を決定する方法。
であり、枠配分方法には、
(1)国庫補助負担金に伴う地方負担額等を起訴として配分する方法
(2)各都道府県からの要望に基づき配分する方法
(3)財政規模、継続事業の年次割、過去の起債実績、あるいは法令による規程に基づく算定方法を基礎として配分する方法
の3つがあることが解説されています。
 なお、簡保資金に関しては、「簡保資金の融資を受けた施設については、その周知方法として地方公共団体の負担で看板等の設置を求める点が問題とされていた」が、平成5年度から設置要請を止め、「学校、公園、住宅、コミュニティセンター等多数の地域住民の利用が期待できる融資施設を選定し、郵政省の費用負担においてモニュメント等を調整(「調製」の誤字と思われる)の上、設置要請する方式」に改められたことが解説されています。
 
 資金運用部資金の借入れ手続きについては、貸付けを受けようとする地方公共団体は、
(1)償還の見込みが確実であること
(2)事業の計画が適切であること
(3)財務の経理が明確であること
(4)運用部資金の償還について延滞がないこと
の条件を備えていることが必要とされていることが述べられています。
 また、地方債の償還については、地方債のうち、「特別の政策目的を持って許可された地方債については、その元利償還金の全部又は一部について、国により元利補給又は利子補給がなされ、あるいは地方交付税の基準財政需要額に算入される措置」が講じられ、
(1)元利補給金が交付されるもの
(2)利子補給金が交付されるもの
(3)普通交付税の交付額の算定に用いる基準財政需要額に元利償還金が算入されるもの(単位費用・事業費補正・密度補正における公債費の算入)
(4)特別地方交付税の配分基準に算入されているもの
に大別されることが述べられ、地方債の借り換えについては、政府資金は原則として借り換えは行われていないが、公営企業金融公庫債については、「公営企業の経営健全化等に資するため、高資本費事業を抱える等一定の条件」に該当する場合に借換え債が制度的に認められていることが解説されています。
 
 民間資金に係る地方債については、流通市場において、国債と地方債との間で「利回り格差(スプレッド)」が存在し、地方債の中でも「おおむね東京都債、東京都を除く6大都市債(横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市)、その他都道府県市債の三者の間で利回り格差が存在している」実態について、その存在理由として、
(1)信用リスク:地方公共団体がデフォルトを起こすのではないか、あるいは地方公共団体が破産し、債務償還に影響が出るのではないかという誤解に基づく懸念からくるもの。
(2)地方債の商品性:地方債が取引の対象として魅力があるかどうか。
の2点を挙げ、前者については、「現行の地方財政制度の下では地方公共団体のデフォルトは考えられない」として、
(1)地方債の許可制度は、許可を受けた地方債の元利償還を地方財政計画を通じてマクロで財源保障するものであり、地方公共団体トータルとしては、元利償還額が担保されている。
(2)個々の団体に対しては、起債制限比率による制限等の制度があり、赤字が一定限度を超えた団体には財政再建制度等が設けられている
の2点を理由に挙げ、「本来はこの信用リスクによって国債と地方債、あるいは地方債同士の間で価格差が出るものではない」としながらも、投資家の間に「漠然とした、あるいは根拠のない不安」があるときには、その不安を取り除く努力を行うための情報発信の重要性はますます高まっていくと述べています。
 また、後者に関しては、発行ロットの問題を挙げ、「流通性の点で国債や公営企業金融公庫債に劣っている」と述べ、「投資家から見れば、売買したいときに売買できないという可能性をより強くはらんでいることになり、これが流通価格に反映している」ことを指摘しています。
 
第6章 諸外国の地方債制度
 第6章「諸外国の地方債制度」では、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、韓国の地方制度と地方債制度を概説しています。中でもアメリカについては、地方財政制度、地方債制度を論ずるに当たって重要なこととして、
(1)連邦を構成する主体である州とその下部機関である一般の地方自治体を区別しなければならない。
(2)政府が借入れを行うことは基本的に認められるべきではないという考え方が古くから存在しており、ほとんどの州で憲法等に財政収支均衡条項が定められ、地方自治体レベルでも憲章等で地方債の発行には住民投票での3分の2の特別議決を必要とするなどの、極めて厳しい要件が課されている。
ことを挙げています。
 また、地方債には、
(1)一般財源保証債:発行団体の前信用力(税)を担保とするもの。
(2)レベニュー債:事業収益など特定の財源によって償還され、一般財源による保障がない分、発行条件は劣後するもの。
に区分されることが解説されています。
 
 本書は、5年以上前に発行され、用いられている用語も省庁再編前のものであり、本書の出版後には、協議制への移行など、さまざまな制度改正が行われているものの、地方債に関する考え方を理解するうえでは最も充実した解説書の一つではないかと思われます。


■ 個人的な視点から

 本書は、「自治省の役人が出した解説書」というものであるため、パッと見には機械的な解説、既存の解説資料を集めただけじゃないかと思われる方もいるかもしれませんが、読んでいくと、おそらく過去の先輩から代々語り継がれてきたであろう逸話や、著者自身の強い思い入れが感じられる部分があるように読み取れます。本書の著者とは、お二人とも学会などで面識があるためか、特に、著者の思い入れがある部分では、ご本人がお話しされているように感じられました。
 また、本書は現在絶版となっていて、入手は難しいかもしれませんが、アマゾンのマーケットプレイスで購入することができました。


■ どんな人にオススメ?

・地方債制度の考え方を理解したい人。


■ 関連しそうな本

 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日
 赤井 伸郎 『行政組織とガバナンスの経済学―官民分担と統合システムを考える』 2006年11月24日
 土居 丈朗(編著) 『地方分権改革の経済学―「三位一体」の改革から「四位一体」の改革へ』
 土居 丈朗 『三位一体改革ここが問題だ』
 白川 一郎 『自治体破産―再生の鍵は何か』 2006年10月30日
 吉富 有治 『大阪破産』 2006年10月20日


■ 百夜百マンガ

沈黙の艦隊【沈黙の艦隊 】

 現在、「二匹目のどじょう」もヒットしていますが、一時は国会でも取り上げられた作品です。連載の途中で、ソ連がロシアに変わってしまっている辺りもマンガの時間軸としては変ですが、激動の時代をうまくつかんだと言うこともできるでしょうか。

2006年12月13日 (水)

入門 パブリックリレーションズ―双方向コミュニケーションを可能にする新広報戦略

■ 書籍情報

入門 パブリックリレーションズ―双方向コミュニケーションを可能にする新広報戦略   【入門 パブリックリレーションズ―双方向コミュニケーションを可能にする新広報戦略】

  井之上パブリックリレーションズ (著), 井之上 喬 (編集)
  価格: ¥1,680 (税込)
  PHP研究所(2001/04)

 本書は、日本企業共通する、「醸成分析力の低さ、消極的な情報開示の姿勢、後ろ向きの対応、不祥事や事故に対しその責任を明確にして問題解決に向き合うという自己修正能力の弱さ」の根本には、「ツーウェイ(双方向性)コミュニケーションの欠如」があるとして、「パブリックリレーションズが登場・発展したアメリカにおける概念や技術を紹介するとともに、組織の責任者にはその必要性と重要性を、そして現場の一線を担う人たちを念頭にパブリックリレーションズの実践方法や分析手法を明示し、実践例」を掲げているものです。
 序章「今、なぜパブリックリレーションズなのか?」では、日本へのパブリックリレーションズの導入を、
(1)GHQ(連合国軍総司令部)の流れ:1947年にGHQが各都道府県にパブリックリレーションズ・オフィス(PRO)を設置するサゼスチョンを行い、行政機関に広報部門が設置された。
(2)電通の流れ:戦後いち早くパブリックリレーションズに着目し、「広告、宣伝の構想、企画を拡大するパブリックリレーションズ(PR)の導入とその普及」が活動方針に盛り込まれている。
(3)証券民主化の流れ:証券業界が「証券民主化」をスローガンに掲げ、証券市場建て直しをGHQが積極的にバックアップした。
(4)経済団体の流れ:1951年に日経連が「経営視察団」をアメリカに派遣し、53年にはパブリックリレーションズ研究会が発足している。
の4つの流れに分けて解説しています。
 第1章「パブリックリレーションズの概要」では、「有効な情報発信を行うには、対象となる特定グループである需要者(ターゲット)が属するパブリック全体(Publics:パブリックス)を理解する必要がある」として、日本では「公共」「公衆」と訳されていたパブリック(ス)は、「一般社会」「一般大衆」と表現する方が適切であると解説しています。そして、自らが、「パブリックの中心にあることと、パブリックの中の1因子にすぎないという両方の意識をもつこと」が、「情報の発信者であり需要者であるという意識」を持つことになり、「ツーウェイコミュニケーションに対する理解を深める上で役立つ」と述べています。
 また、アメリカにおけるパブリックリレーションズの進化について、
(1)プレスエージェント・パブリシティの時代(1850年頃から):いかなる可能性をも持って組織や製品・サービスをパブリサイズ(広告・宣伝)する。
(2)パブリックインフォメーションの時代(1900年頃から):組織とパブリックの双方の利益代表者たるべく努め、可能な限り真実と正確性を持った情報をパブリックに発信。
(3)非対称性ツーウェイコミュニケーション時代(1920年頃から):企業や組織の立場と視点からパブリックを説得、同意させるための手法。
(4)対称性ツーウェイコミュニケーション時代(1960年代から):組織の試みがすべての対象にとって需要可能な状態となるための手法。
とするグルーニングのモデルを紹介しています。
 さらにハーロウの定義として、「パブリックリレーションズは、一企業体とパブリックス(一般社会)との間の相互のコミュニケーション、理解、合意、協力関係の樹立、維持を助け、課題に対する論争に経営者を巻き込み、経営者に世論の動向を知らせ、その対処を助け、公共の利益に奉仕するための経営者の責任をはっきりと認識させ、社会の趨勢を予知するための警報システムとして経営者と一体となって変化を有効に利用し、さらにその最も重要なツールとして調査と健全かつ倫理に沿ったコミュニケーションに利用する、管理機能の役割を果たすものである」を紹介し、倫理を取り入れていることに着目しています。
 著者は、「パブリックリレーションズの概念が成長の過程で吸収してきたこと」は、
(1)双方向性コミュニケーション
(2)企業経営における重要性の増大
(3)倫理観の必要性
の3点に要約できると述べています。
 第2章「様々なリレーションズ」では、メディアを通じた情報発信には、
(1)情報発信者側が広告料などを支払う→広告・宣伝
(2)情報発信者側が広告料などを支払わない。→メディアリレーションズ
の2つのケースがあり、メディアリレーションの目的は、「企業など情報発信者が不特定多数の情報受容者に対して、意図する内容を性格に、公平に、できれば好意的にメディアに報道してもらうことにある」としています。その手法としては、
(1)記者会見
(2)プレスリリース
(3)ブリーフィング
(4)ワン・オン・ワンインタビュー
(5)記者懇談会
等の手法について解説しています。
 また、「投資家に有効な判断基準を提供していく活動」であるインベスターリレーションズについては、ターゲットとなるパブリックとして、
・既存の株主と潜在株主
・機関投資家
・一般投資家
・証券アナリスト
・ファンドマネジャー・投資顧問
・財務省・証券取引委員会・証券取引所
等を挙げています。
 さらに、「企業・組織体が事業や組織の活動目的を達成するために、政府や行政との関係を通じて情報収集、ロビイング(ロビー活動)やセミナ討論会などの集会を行い、メディアリレーションズをも含めて幅広く行う活動」であるガバメントリレーションズについては、「政府、立法に関する手続、政策、世論形成の過程などに精通した知識」が必要であると述べています。
 組織・団体内でのコミュニケーションズとしては、「組織・団体と構成員との相互信頼を構築すること」を究極の目的とするエンプロイーリレーションズについて、「構成員がその組織・団体に属していることで『何ができるのか』、『何を得られるのか』といった観点からモチベーションを高めること」であるとともに、「快適な職場環境が実現されることで構成員と組織・団体とのコミュニケーションがさらに促進される」と述べています。そして、そのポイントとしては、
(1)システマティックなコミュニケーション:あらゆるツール・テクノロジーを駆使する。
(2)左右対称なコミュニケーション:指示・命令や情報収集のような上下方向とは異なり、お互いに話をして聞く、文書を出して返事を読むという水平方向で対になったコミュニケーション活動が特徴である。
を挙げた上で、写真が不満を持つことの一つとして、「自分の会社に関する情報を社内ルートではなく、新聞などのメディアで知ることが多い」ことを挙げています。また、留意すべき点として、「いかなる形態であれ、社内情報は外部に行きわたる可能性」が高いとして、「予防策のためにコミュニケーション用の社内文書やファイルなどが、外部に出てもいいように細かく慎重に文章を作っておくこと」であると述べています。
 第3章「パブリックリレーションズと企業」では、コーポレートコミュニケーションが企業の根幹を成すものであり、
(1)環境の変化、特に市場に関わらない社会の情報を性格に読み取ってトップに伝え、その戦略立案を誤らせないこと。
(2)設定したターゲットに向け、そのターゲットにあった情報を発信していくことによって、企業行動が社会に受け入れられる条件づくりをすること。
の2点を指摘しています。
 そして、「企業イメージや製品イメージだけでなく、企業収益、株主への配当額や企業の将来性など様々なファクターが関係しあって構築される」ものである「企業品格(コーポレート・レピュテーション)」について、「これらのファクターを総攬的に把握・管理する」ことがレピュテーション・マネジメントであると述べています。
 また、パブリックリレーション専門家に求められる基本的な要素として、
(1)倫理観:制度による保証や規制にかかわりなく倫理観が必要である。
(2)ポジティブ(積極的、肯定的)思考:ポジティブ思考の環境は、柔軟性のあるフレキシブルな行動を容易にし、自己修正を伴った戦略的でクリエイティブなパブリックリレーションズ・プログラムを可能にする。
(3)シナリオ作成能力:先を見通す能力が必要不可欠。
(4)IT(情報技術)能力:他の能力に長けていたとしても、パソコンを前に首を傾げるばかりでは信頼は得られないし、仕事が進まない。
(5)英語力:国際間のビジネスだけでなく、インターネット利用においても英語力の必要性が高い。
の5つを挙げています。
 第4章「企業・組織における危機管理」では、危機管理には、
(1)イッシュー・マネジメント:予想される新しい課題や問題を抽出し、それらに対する企業の対応策を考え実施することで、「問題管理」などとも言われる。
(2)リスク・マネジメント:保険加入などの通常業務の範囲内で対応可能となるリスクを抽出し、対応策を考え実施すること。
(3)クライシス・マネジメント:事故や災害、地域紛争や国家間の戦争などの危機(クライシス)を想定し、対応策を準備し発生したら即座に対応すること。
の3つのタイプがあることが解説されています。そして、危機管理の失敗の代表例として、ペリエ社のベンゼン混入事件を、成功例として、ジョンソン&ジョンソンのタイノール事件を紹介し、「緊急事態発生時において一時的な企業イメージののマイナスや損失は免れないが、対応のいかんによってその後の展開が180度違ってくることを、企業トップやPR担当の関係者はしっかりと認識すべきである」と述べています。そして、「プラスイメージの蓄積が危機発生時においてマイナスを小さくする力として作用」する、「イメージストック作用」について解説しています。
 第6章「成功に導くPR戦略の構築と実践」では、「何(PR目標)を、パブリック(一般社会)の誰(ターゲット)に対して、コミュニケートしていくか」という図式を完成させるためのターゲットとして、
(1)ビジネスターゲット:発信する情報を確実に伝える必要のあるパブリックの中の最終ターゲット。――顧客・将来顧客、ディストリビューター、投資家など。
(2)コミュニケーションチャンネル:企業の経営目標や事業活動、製品・サービスなどに関して、その情報を拡大、あるいは拡散させて伝達する機能を持っている対象。――メディア、アナリスト、オピニオンリーダー、従業員など。
の2種類に区別していることが述べられています。そして、PRプログラム作成における留意点として、
(1)具体的で実現性のあるプログラムであるか?
(2)プログラムの実施スケジュールは確実なものか?
(3)予算計画に無理はないか、また、コストパフォーマンスはどうか?
(4)クライアント企業とPR会社との役割分担は明確か?
(5)クライアント企業とPR会社とのコミュニケーションシステムは確立されているか?
の5点を挙げています。
 さらに、「適正なメディアリレーションズをおこなう上で、取材対応という現場の最前線でのスキルアップを目指すプログラム」である「メディアトレーニング」に関して、取材対応を、
(1)企業側から積極的に情報発信する記者会見、記者懇談会、ワン・オン・ワンインタビューなど。
(2)メディア側の関心に基づいて取材申し入れに答えたもの。
(3)企業と関係のある事件・自己や、ニュース報道などにより取材が集中する緊急時の電話対応や対面対応。
の3つのカテゴリーに大別して解説した上で、ワン・オン・ワンインタビューを想定したメディアトレーニングを解説しています。
 この他、パブリックリレーションズ活動の評価手法のひとつであるCARMA(Computer Aided Research & Media Analysis)の解説や、ケーススタディとして、著者の会社が97年の国際PR協会ゴールデン・ワールド・アワードにおいて最優秀賞を受賞した、「日本における自動車部品のアフターマーケットの規制緩和プログラム」などの事例を解説しています。
 本書は、実践的なパブリックリレーションズの解説を読みたい人にはうってつけの一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読んで印象に残ったのは、著者の会社は、コンピュータ(マッキントッシュ)や自動車部品などの米国企業をクライアントに持ち、日本のマーケットや政府に対してパブリックリレーションズ活動を行っている、ということです。米国企業ならばいくらでも優秀なPR会社が米国内で見つかりそうなものですが、やはり現地の市場や政府に精通し、人脈を持つ現地企業のアドバンテージがあるようです。


■ どんな人にオススメ?

・日本のPRの実際を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 矢島 尚 『好かれる方法 戦略的PRの発想』 2006年10月25日
 ポール・A. アージェンティ, ジャニス フォーマン (著), 矢野 充彦 (翻訳) 『コーポレート・コミュニケーションの時代』 2006年10月23日
 石川 慶子 『マスコミ対応緊急マニュアル―広報活動のプロフェッショナル』 2006年10月26日
 世耕 弘成 『プロフェッショナル広報戦略』 2006年09月22日
 矢島 尚 『PR会社の時代―メディア活用のプロフェッショナル』 2006年11月13日
 春名 幹男 『秘密のファイル(上) CIAの対日工作』 2006年08月24日


■ 百夜百マンガ

ケロロ軍曹【ケロロ軍曹 】

 藤子F不二雄先生の「SF(少し不思議)」テイストと現代風のマニアックなオマージュとパクリをちりばめた小ネタの数々は、実は幅広い年齢層に受け入れられるのかもしれません。お父さんがはまっちゃうマンガです。

2006年12月12日 (火)

キャリアデザイン入門〈2〉専門力編

■ 書籍情報

キャリアデザイン入門〈2〉専門力編   【キャリアデザイン入門〈2〉専門力編】

  大久保 幸夫
  価格: ¥872 (税込)
  日本経済新聞社(2006/03)

 本書は、同じ著者による『キャリアデザイン入門〈1〉基礎力編』の続編にあたるもので、「基礎力編」では、30代までのキャリアについて書かれていたのに対し、本書は40代以降から老年期のキャリアデザインについて書かれています。著者は、「若者のキャリアについて書かれた本は数多くあるが、ミドル以降のキャリアについて書かれた本は驚くほど少ない」理由として、「若年期には大半の人々に共通するキャリア課題があるのに対して、ミドル以降になると個人差が激しく、共通して語れることが少ないことに起因する」ことを挙げています。そして、本書執筆に当り、「『成長するミドル』『充実するシニア』が仕事の現場にあふれている――そんな社会をつくりたい」という問題意識を持っていたことを語っています。
 第1部「プロフェッショナル・キャリア」では、「プロとは何か?」との問いに対し、
(1)その仕事で生計を立てているということ。
(2)仕事に向き合う真摯な姿勢のこと。
(3)独占的権限を持って仕事にあたる人々の集団のこと。
(4)熟練した職人ということ。
のような意味合いで使われている言葉とした上で、著者が本書で語るプロの定義は、しいて言えば(2)(3)(4)を合わせたものであり、「企業組織の中にいるプロフェッショナル」を意図していることを述べています。
 そして、企業組織におけるプロを考える上で、
・例1:経験30年のベテラン経理マン。正確さはピカイチで、どんな些細なミスも見逃さない。
・例2:店頭で顧客の相談に乗りながら、保険商品を販売している人。自分の顧客から評判を聞いて、指名で来る人も多く、結果、多くの顧客を抱えている。
・例3:優秀な営業成績をあげ続けて、ついに取締役に昇進した人。
・例4:新薬の開発に取り組んでいる研究者。昨年実験の成果から新薬につながる発見をしたところ。
・例5:コンサルティング・ファームに入社し、10年を経た経営コンサルタント。まだ将来もコンサルタントとしてやっていくべきかどうか決めかねている。
・例6:粉飾決算を見てみぬふりをしていた監査法人に所属する会計士。
・例7:新規事業開発に実績を持ち、新しいビジネスモデルを作ることに使命感を感じている人。
・例8:事業再生の段階にある企業に経営者として乗り込んで事業を再生させる人。ある程度軌道に乗るとまた、次の企業の再生に挑む。
の8つの例を挙げ、この中からビジネス・プロフェッショナルを挙げさせています。そして、「企業組織で働くプロの特徴」として、
・安定的に業績をあげられて、常に合格点以上の成果をあげられること。
・「職業倫理」を持つこと。
・その道の専門家としてやっていくという「腹決め」ができていること。
等を挙げています。
 また、「プロは職業を問わず、高度な専門技術や知識を求められる領域であれば、どの領域にも存在しうる」とした上で、プロの3つのコースとして、
(1)エキスパート型プロフェッショナル:1つの特定の技術領域を担い、専門職の概念に近い。
(2)ビジネスリーダー型プロフェッショナル:経営者こそ最高のプロフェッショナルでなければならない。
(3)プロデューサー型プロフェッショナル:新しい価値を生み出すリーダー型の人材であり、音楽や映画などの制作現場では古くから代表的な職業として注目されていた。
の3点を挙げています。
 著者は、「プロであるという意識は、大きく3つの意識に分解できる」として、
(1)自己概念:自分自身のイメージ、自分のあり方に関する意識。
(2)専門技術・技術認知:自分は何ができて、何ができていないのか、獲得しなければならない技術は何かということに関する意識。
(3)他者認知:自分が他人からどのように見られているか、チームの中で自分はどのような存在であるか、またはどう在るべきかという意識。
の3つを解説しています。そして、トップ・プロになった人が経てきた道筋を見ることから、プロ意識を向上させる経験として、
(1)退路を断つ、もしくは断たれる
(2)ささやかな成功体験
(3)視界の変化
(4)一流のものとの接触
等の重要なきっかけがプロ意識の向上を加速させると述べています。
 また、人が徐々にプロとしての道を歩むには、「あたかも階段を一段一段昇っていくかのように歩みを進め、最終的には社会的評価を得て、プロとしての使命を背負い、エキスパートとしてその技術を広く知られる段階に至る」として、
(1)仮決め:大まかに方向感覚を持って、行動を始めるという段階。
(2)見習い:プロになるということが一体どういうことなのか、そしてそのため身につけなければならない技術や知識について理解できるようになる段階。
(3)本決め:一通りの型を習得して、プロになる段階。
(4)開花:プロとしての円熟した時期にあたり、トップ・プロと呼ばれる段階。
(5)無心:自分が取り組んでいる仕事が社会的にどのような意味があるものなのかについてリアリティを持っている段階。
の5つの段階を示しています。そして、これらが、日本古来からの修行の段階を示す「守・破・離」に対応していると解説しています。
 第2部「専門力の磨き方」では、「自ら計画して専門力の一部をなす知識の習得」をするための、
(1)良質の入門書を読む:「やさしく描いてある」「全体的・網羅的に描いてある」「さらに学習したいときの方法や参考文献がていねいに示してある」という条件を満たすもの。
(2)入門書を読んで関心を持った領域の参考文献に挙げられているものを読むことと、現在の業務に密着している実用的な本で、書店で売れ筋としておいてある本を読んでみること。
(3)ある程度の基盤ができたら、その基盤を繰り返し使いつつ、さらに枝葉を付けてゆくように、「調べながら読む」「一度に集中的に読む」。
という手順を示しています。そして、アウトプットを前提とした読書を継続することで、知識がかなり豊富になると述べています。
 また、「人それぞれに、自分の考える行為と相性がよい行為がそれぞれにある」と述べ、「じっくり考えたいことがあるときにどのような方法を用いるか」という「考えるスタイル」として、
(1)読む:著者との会話を楽しむタイプ
(2)書く:文章を書くことで自分の考えを整理するスタイル
(3)話す:人に自分の意見を話すことで考えをまとめていく
(4)描く:図表に書きながら考えを整理する
(5)歩く:深い内省を必要とするときに適した方法
の5つのスタイルを示しています。
 第3部「年齢段階別キャリアデザインの方法(40歳前後から)では、「年齢段階別に専門力の要素である『専門知識』と『専門技術』について、高い水準のものを持っていると回答した人の比率をグラフ化」した「成長曲線」と名づけたグラフを示し、「30代半ばまではほぼ一直線に『専門知識』も『技術・ノウハウ』も向上していく。しかし、その後50歳頃までは必ずしも向上しているとは言えない状態、つまり『成長の停滞』の状態になっている」と解説しています。
 また、40代を「ビジネスパーソンとして最高の時」として、シモントンによる、「ある仕事をやり始めてからどのくらいの年数で創造的生産物を世に送り出すかという研究」を紹介し、「開始から約20年でピークがくることがわかる」と述べています。
 そして、「人生の中で最も忙しい」40代で高い業績をあげられるか否かのポイントは、「山登りの成功と『時間管理の上手さ』にかかっている」と述べています。そのため、
・無駄なことをしない。
・自分でなくてもできることは人に任せる(→自分専用のアシスタントを持つ)。
・時間を小刻み(基本的に15分、長くて30分)に有効活用する。
などの、「忙しい40台がきちんと成果をあげる時間を確保するためのテクニック」を解説しています。
 さらに40代での独立・開業を成功に導く方法として、
(1)現在の会社を退社する前にお試し起業してみる
(2)取引先は開業前に最低限は確保する
(3)開業および当面の事業運営資金に全財産を投入しない
(4)キャッシュ・フローを厳密に計算する
(5)営業力を冷静に評価する
の5点を挙げるとともに、法人か個人かなどの問題を解説しています。
 著者は50代のキャリアデザインに関して、
(1)一帯の山を制覇する:トッププレーヤーとして生涯現役を貫こうとする道
(2)ゆっくり楽しみながら山を下る:その職業の環境を整備する仕事や、次の世代を育てる仕事につく
(3)まったく異なる第二の山に登る:山を登るというノウハウ(方法記憶)を生かして2つ目の山はもっと早く登れる。
(4)湯治で疲れを癒す:リタイアもしくはハーフリタイアの道
の4種類の「山登り後の選択」を示しています。
 さらに60代以降のキャリアの最終ステージについては、「さまざまなものを結び付けて一つの具体的な形を描き出す」という「統合」という言葉がふさわしいと述べ、「能力の崩壊から来る絶望や親しい友人や家族の他界という絶望」や嫌悪を受け入れて超えたところに「老人的超越性(gerotranscendence)」があると述べています。


■ 個人的な視点から

 本書は、40代以降のキャリアデザインについて論じているため、「自分には関係ない」と思う若い人もいるかもしれませんが、自らのキャリアの全体像をつかむ上でも、ぜひ2冊まとめて読んでいただきたいと思います。


■ どんな人にオススメ?

・自分のキャリアを考えたい40~50代の人。


■ 関連しそうな本

 小河原 直樹 『新しい社会契約』 2006年11月30日
 金井 壽宏 『変革型ミドルの探求―戦略・革新指向の管理者行動』 2005年03月12日
 金井 寿宏 『ハッピー社員―仕事の世界の幸福論 解決!組織で働く悩み』 2005年05月09日
 キャメルヤマモト 『稼ぐ人、安い人、余る人―仕事で幸せになる』 2005年05月24日
 村山 昇 『「ピカソ」のキャリア「ゆでガエル」のキャリア』 2005年07月19日
 山本 寛 『昇進の研究―キャリア・プラトー現象の観点から』 2005年09月01日


■ 百夜百マンガ

男組【男組 】

 黄金コンビによる野望モノ。劇画の真骨頂とも言えるストーリーと絵柄は多くのにわか中国拳法マニアを生み出しました。
「大衆はブタだ。大衆は人間に養われなければならない!養われなければ…ごはんが食べられないじゃないか」

2006年12月11日 (月)

キャリアデザイン入門〈1〉基礎力編

■ 書籍情報

キャリアデザイン入門〈1〉基礎力編   【キャリアデザイン入門〈1〉基礎力編】

  大久保 幸夫
  価格: ¥872 (税込)
  日本経済新聞社(2006/03)

 本書は、「キャリアデザイン」という「重要で、よくわからない、やっかいなテーマと格闘する」ことを目的とし、理論は必要不可欠・最低限にとどめ、「何をするべきか」を伝えることに的を絞っているものです。著者は、キャリアデザインの目標を「キャリアの成功」に置き、その状態を、
「自己イメージ(アイデンティティ)と照らし合わせた基準で、仕事にフィット感・納得感がある状態であり、世の中の一般的基準による『他人より多い収入』とか『同期よりも早い出世』とか『名誉ある地位』とか『あふれるほどの資格』とかではない、仕事を通じて自分が活かされていると実感でき、幸福感を味わえる状態」
と説明し、「そのような職業に最終的に出会えて、その仕事で活躍できたかどうかがキャリアの成功か否かを決める」と述べています。
 第1部「キャリアデザインの考え方」では、「キャリア」という言葉が、
・職務経歴――キャリアの客観的側面
・仕事に対する自己イメージ――キャリアの主観的側面
という2つの側面を持つことを述べた上で、主観的側面については、
(1)能力・才能に関する自己イメージ――自分にできることは何か? 自分の得意なことは何か?
(2)動機・欲求に関する自己イメージ――自分は何がやりたいのか?
(3)意味・価値に関する自己イメージ――自分は何をやることに価値を感じるか?
の3点があると述べ、「この3つの問いについて内省することがキャリアの基盤をつくることになる」というキャリア研究の大家であるシャインの説を紹介しています。そして、キャリアの成功については、「キャリアとは人生そのものである。人生の仕事的側面がキャリアである」、「他人がどうみるかは関係ない」と述べ、「さまざまな職業の経歴を振り返ったときに、自分が費やしてきた時間をきらきらと光るものとして受け入れることができるかどうか。仕事をしている時間を幸福な時間として実感することができていたかどうか。それこそがキャリアの成功である」と力説しています。
 さらに、職業とのマッチングに関しては、「職業について5年から10年を経た段階で使われるもの」として、シャインの「キャリアアンカー(キャリアの錨)」を、前述の3つの問いに対する答えを統合したものとして紹介し、具体的には、
(1)専門・職能別コンピタンス
(2)全般管理コンピタンス
(3)自律・独立
(4)保障・安定
(5)起業家的創造性
(6)奉仕・社会貢献
(7)純粋な挑戦
(8)生活様式
の8つを挙げています。
 また、職務経歴や自己イメージ形成に関して、「当初のキャリアは『筏下り』のように、次には『山登り』のようにやってゆく」という年齢段階に応じた標準モデルを示し、それぞれ、
・筏下り:基礎力の獲得。そのプロセスにおいて、多くの経験を積み、さまざまな人との出会いを重ね、短期的な目標を何度もクリアし、仕事に対する3つの問いに対する答えを出すための「材料」を集めていく段階。
・山登り:専門力の獲得。自分が生涯をかけて取り組んでもいいと思える専門領域を選ぶ。
と解説しています。
 なお、著者は、「キャリアデザインを阻害するもの」として、
(1)仕事に対する諦観
(2)間違ったスペシャリスト志向
(3)仕事のブランク
の3点を列挙しています。
 第2部「年齢段階別 キャリアデザインの方法(30代まで)」では、「少々荒っぽく聞こえるかもしれない」と前置きした上で、「最初につく職業が何であるかはそれほど大事ではない」と述べ、「筏下り」の時期である初期キャリアにおいては、「自分が鍛えられる会社=『激流』を選ぶことの方が大事」であると説き、「激流か否かは30歳前後の社員を見ればわかる。成長していると顔に充実感があふれる。忙しくても顔に覇気がある。そして激流企業は、やめた人もさまざまな転職先で活躍している」と述べています。
 また、入社直後のキャリアの危機である「リアリティ・ショック」が起こる理由として、
(1)入社前の人事部門とのコミュニケーションでは、悪いところは説明されない。
(2)世間知らずで頭の中だけで仕事を考えていた。
の2点を指摘し、ショックを受けること自体は問題ではなく、ショックを引きずることの方に問題があると述べています。
 さらに、20代前半のキャリアルートが多様化していることに関して、
(1)そのキャリアは職業能力を高めることにとって有効か。
(2)そのキャリアは自分の「方向感覚」に合っているか。
の2点が、キャリア選択が有効か否かを決めるポイントであると解説しています。
 最後に、女性特有の問題として、出産のタイミングとキャリアデザインについては、戦略的にこのイベントを乗り越える方法として、
(1)なるべく早く山登り段階に入り、自分の専門分野を固めてから出産を迎える。
(2)早い時期に出産をして、出産後に筏下りからはじめる。
の2つの方法を提示していますが、「現実には多くの女性は出産によってキャリアを中断し、キャリアに対する意識を低下させ、非正規の労働などで軽めの仕事につくか、その後の職業キャリアをあきらめてしまうかになっている」と指摘しています。
 第3部「基礎力を身につける」では、基礎力を、
(1)対人能力:コミュニケーション能力に近いが、より広くリーダーシップ的な概念も含む。
(2)対自己能力:自分自身の感情を制御し、自分を動機付け、よい行動を習慣付ける。
(3)対課題能力:問題解決能力。
の3つの能力と、
(4)処理力
(5)思考力
とからなるものであると述べています。
 このうち、(1)の対人能力については、親和力、協働力、統率力の3つからなり、親和力に関しては、「たまに会って話す、必要なときに連絡をとって会える」という人脈を形成する上で、「まめさ」(たまにメールを送る、知人を紹介するという行動習慣)がポイントとなると述べています。
 (2)の対自己能力については、感情制御力、自信創出力、行動持続力の3つからなり、自信創出力に関しては、バンデューラが提唱した「自己効力(self-efficacy)」という概念について、人がある行動をとる時に働く、
(1)結果予測:自分のとる行動によってある結果が生じるという予測
(2)効力予測:上手く行えるかどうかという自分の遂行行動に対する予測
のうち、効力予測こそが自己効力、すなわち、「自分に対する有能感・信頼感」であると解説しています。また、行動持続力に関しては、最後まで完遂することによって、自己効力感とともに、「方法記憶」を得て、さらには継続学習習慣を得ることができると述べ、著者自信の例として、「一時期に集中的に本を読むこと」(年間ハードカバー150冊)が学習習慣を身につける上で有効であると説いています。
 (3)の対課題能力については、課題発見力、計画立案力、実践力の3つからなり、3つ目の実践力が高いということは、現場における有能さを示すと述べています。
 (4)の処理力については、言語的処理力と数量的処理力とがあり、これを測るものとして、採用試験に取り入れられているSPI試験(Synthetic Personality Inventory)を解説しています。
 (5)の思考力については、論理的思考力と創造的思考力とがあり、前者は、「ビジネス上の判断・意思決定を支えるものなので、ミッションが重くなればなるほど重要性が増してくる」が、身につけるには「思考経験の蓄積」が必要になると解説しています。
 本書は、これから「筏下り」に出発しようという学生や、「山登り」の時期にさしかかった30代の方にぜひ読んでもらいたい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、薄い上に「基礎」と題されているので中身も薄そうな印象がありますが、あくまで「基礎力」について解説しているので、結構読み応えがあります。
 とは言え、きちんと要点だけをまとめている感じなので、読みにくいということはありません。この関係の本を初めて読む人にもお奨めしやすい一冊です。


■ どんな人にオススメ?

・自分のキャリアを考えたい20~30代の人。


■ 関連しそうな本

 大久保 幸夫 『キャリアデザイン入門〈2〉専門力編』
 大久保 幸夫 『新卒無業。―なぜ、彼らは就職しないのか』
 金井 壽宏 『働くひとのためのキャリア・デザイン』 2005年01月30日
 田尾 雅夫 『会社人間はどこへいく―逆風下の日本的経営のなかで』 2005年02月27日
 日本経済新聞社 (編) 『働くということ』 2005年02月24日
 八代 尚宏 『日本的雇用慣行の経済学―労働市場の流動化と日本経済』 2005年03月23日


■ 百夜百マンガ

ノーマーク爆牌党【ノーマーク爆牌党 】

 麻雀ギャグマンガの人として知られていますが、絵はそのままに、珍しく真面目にストーリーモノを描いています。
 反対に『哭きの竜』のタッチでギャグをやる人はたくさんいますが。

2006年12月10日 (日)

レバレッジ・リーディング

■ 書籍情報

レバレッジ・リーディング   【レバレッジ・リーディング】

  本田 直之
  価格: ¥1523 (税込)
  東洋経済新報社(2006/12/1)

 本書は、毎日新しい本を1~4冊読み、年に400冊は下らないという著者が、「読書=投資活動」と捉え、それも100倍の利益が返ってくる「このうえなく割りのいい投資」であるということを説いたものです。著者は、本書を「私なりの経験や試行錯誤をふまえて、体系化・システム化し、より少ない労力で『100倍のリターンを得る』ための投資方法を書いたもの」と位置づけています。
 第1章「ビジネス書の多読とは何か?」では、「1500円の本1冊から得た知識は、100倍のレバレッジが効いて、およそ15万円の利益を生む」と、「読書こそ、最強の投資」と断言しています。著者は、アメリカのビジネススクールに留学し、毎日出される大量の課題と格闘しているうちに、「問題解決のヒントを探す」というはっきりした目的意識をもつことで、「余計なところを読まずに済み、ポイントを拾うのが速くなった」と語っています。ではなぜ、読書は投資効率がよいのでしょうか。それは、「汗水たらし、血のにじむような努力をした他の人の数十年分の試行錯誤の軌跡が、ほんの数時間で理解できるよう、本の中には情報が整理されている」からであり、「自分の『やる気』に他人の知恵や経験というレバレッジをかければ、何十倍、いや何百倍もの結果を出すことができる」と著者は言います。そして、多くの人の成功プロセスを吸収することで、「『パーソナルキャピタル(自分資産)』のいわば『含み資産』がどんどん増えていき、条件反射的に実践で必ず活用できるようになる」としています。
 そのためには、「『速読』より『多読』」であり、「いかにアウトプットするかが勝負」なのだと解説されています。そして、他人の経験や知恵から学ぶことができるため、「本を読めば読むほど、時間が生まれ」、「本を読まないから、時間がない」のだと語られています。
 第2章「本探しは投資物件選び」では、「自分の人生の目標」や「現状の課題」という目標があれば、「今、自分にはどんな本が必要か」ということがはっきり分かると述べたうえで、「ビジネスに役立つのは、理論より、実践のノウハウ」であるとして「教養型」ではなく「経験型」の本を選ぶことを奨めています。そして、目的がはっきりしているならば、同じジャンルの本を手当たり次第全部、徹底的に読む「カテゴリー集中法」を推奨しています。
 第3章「1日1冊、ビジネス書を戦略的に読破する」では、読書の流れとして、
(1)本を読む目的を明確化:読むところと読まないところの検討をつける
(2)制限時間を設ける:平均は1~2時間程度
(3)全体を俯瞰する:「前書き」「目次」「あとがき」などをチェック
(4)読書開始:緩急をつけ、線や印、書込み、ドッグイヤーなどのマーキングをする
という手順を示しています。
 また、読書環境としては、
・バラバラな時間帯に読むよりも、毎日時間を決めると、習慣になり、継続しやすい。
・朝の読書は、日々のモチベーションや仕事のリズムを作るペースメーカーの役割を果たす。
・すでに生活の一部分となっている習慣(入浴など)と、読書を組み合わせてしまう。
・「何時までに読み終える」というタイムリミットを設定する。
などが提唱されています。
 そして、制限時間内に読むためには、「1冊の本を最初から最後まで読むこと」はできず、「かなりの部分を読まずに捨てることになる」とした上で、「100項目すべてを抜き出して、1つも身につけないよりは、重要な1項目だけを抜き出して、それを実践する方が、リターンを得られる」と述べ、
・基本的に重要ポイントは本の20%
・そのポイントの80%を拾えればOKとする
ということは、200ページの本であれば、わずか32ページ分さえ読めれば、多少取りこぼしがあっても、もっと多くのものが拾えると解説しています。著者は、「レバレッジ・リーディングはあくまでも投資活動なのですから、単に本を多く読みこなすというのではなく自分の課題や目的・目標にとって必要な情報だけが得られれば、それで十分」と説いています。
 具体的な読み方としては、
・重要なポイントに線を引き、印をつけ、ページの角を折る→「単なる本」を「収益を上げる資産」に変える。
・余白にどんどん書き込む→投資としての読書のコツは、「自分だったらどうするか」をシミュレーションしながら読むこと。
・メモの内容を自分の中に刷り込み、習慣化することで正しいやり方を身につけ、実践のプロセスでそのまま使えるかが分かる。
と述べ、著者による「レバレッジメモ」の作り方が解説されています。
 第4章「読んだままで終わらせるな」では、「とにかく大事なのは、本から得たノウハウをレバレッジメモにまとめ、繰り返し読んで条件反射的に行動できるようにし、どんどん実践で活用していくこと」であると主張しています。
 本書は、単なる読書好きではなく、本を読むことを自分への投資とし、本を読むことで時間を作って行きたい人にお勧めの一冊です。


■ 個人的な視点から

 この「百夜百冊」も、レベレッジメモに近い作りかたをしているかもしれませんが、違いとしては、図書館から借りた本が中心なので、線を引いたり書き込んだりできない点でしょうか。
 過去1年間に紹介した分の本代を掲載してみたら80万円くらいでした。これを高いと見るか安いと見るか。レバレッジがかかれば8000万円になるということですが・・・。


■ どんな人にオススメ?

・自分への投資としての読書を徹底したい人。


■ 関連しそうな本

 立花 隆 『ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論』 2006年07月29日
 加藤 周一 『読書術』 2006年07月23日
 モーティマー・J. アドラー, C.V. ドーレン (著), 外山 滋比古, 槇 未知子 (翻訳) 『本を読む本』 2006年07月02日
 松山 真之助 『マインドマップ読書術―自分ブランドを高め、人生の可能性を広げるノウハウ』 2005年05月01日
 松山 真之助 『仕事と人生に効く100冊の本』 2006年01月22日
 ポール・R・シーリィ (著), 神田 昌典 (翻訳) 『あなたもいままでの10倍速く本が読める』 2006年1月15日


■ 百夜百音

だんご3兄弟【だんご3兄弟】 リチャード・クレイダーマン オリジナル盤発売: 1999

 あのリチャード・クレイダーマンが「だんご3兄弟」をタイトル曲にしたCDを出していること自体驚きなんですが、元祖猫耳キャラの「綿の国星」の音楽も提供しているなど、昔から作品を選ばないことを知りました。
 そういえば、同じ佐藤雅彦作品である「ピタゴラ装置」が「ルーブ・ゴールドバーグ・マシン」というのだということを初めて知りました。


『ピタゴラ装置DVDブック1』ピタゴラ装置DVDブック1

2006年12月 9日 (土)

捨児たちのルネッサンス―15世紀イタリアの捨児養育院と都市・農村

■ 書籍情報

捨児たちのルネッサンス―15世紀イタリアの捨児養育院と都市・農村   【捨児たちのルネッサンス―15世紀イタリアの捨児養育院と都市・農村】

  高橋 友子
  価格: ¥5040 (税込)
  名古屋大学出版会(2000/04)

 本書は、15世紀中頃のフィレンツェに開設され、今世紀中頃までの5世紀以上もの長い歴史を持つ、インノチェンディ捨児養育院の記録から、
(1)養育院開設に至る状況と背景、開設後の受け入れ状況、こどもたちの出自や連れてこられた理由、子供の養育や自立のためのプログラムを明らかにする。
(2)15世紀のフィレンツェとトスカーナ地方の農村の社会と家族の姿と、経済的・社会的・文化的な問題を浮き彫りにする。
(3)ヨーロッパ史の転換期であるこの時代に捨児を専門に受け入れる施設が普及し始めた問題を、イタリア、ヨーロッパ社会の歴史的な変容の中で考察する。
の3つの問題意識から執筆されているものです。
 第1章「インノチェンティ捨児養育院の誕生」では、「インノチェンティ」が「無辜なる者たち」を意味し、新約聖書の「キリストの誕生時にヘロデ王に殺害され、のちに聖人となったベツレヘムの嬰児たち」をさすことが解説されています。
 また、養育院に、「開設当初から養育院とその入所者であるこどもたちに関する詳細な記録が現存」していることが、「研究を進める上で大きなメリット」となり、「中世から近世への転換期のフィレンツェとトスカーナ地方の社会を、捨児養育院という窓口を通して我々に垣間見させてくれる」ものであることが述べられています。
 著者は、インノチェンティ捨児養育院が、「同時代の他の都市の施設やそれ以前にフィレンツェに存在した施設とは一線を画する捨児施設である」と評価できる点として、
(1)1348年の黒死病の後にフィレンツェ市の中心部に創設され、病者や寡婦など特定のカテゴリーを収容の対象とし、都市政府の保護の下に大ギルドによって庇護され運営される新しいタイプの慈善施設に属する。
(2)こどもへの慈善を通してフィレンツェ共和国の平和と反映を祈願するシンボリックな場として創設された。
の2点を挙げています。そして、(1)に関しては、インノチェンティ捨児養育院が、黒死病による人口危機の克服と社会秩序の維持のための、フィレンツェによる都市政府の政策の一環としてみることができると述べています。
 第2章「捨児」では、嬰児の受け入れに関して、「産気づいた女が養育院の玄関先で子供を産んで、その場に置き去るというショッキングな内容」の記述が紹介されています。また、捨児が生み出される背景の一つとして、「当時のフィレンツェに居住していた世帯の約半数が、不安定な経済状況の下で生活していたこと」を挙げています。さらに、こどもが婚外子であることを示唆する記述がしばしば見当たると述べ、上層市民が、「『醜聞を避けるため』、すなわち、『家』の名誉や親族の名誉を救うための手段」として婚外子を遺棄していたと解説するとともに、「別の意味での『醜聞』」として、「聖職者や修道し、修道女など貞潔の誓いを遵守すべきはずの聖界関係者のこども」の例を挙げています。また、開設直後のインノチェンティ捨児養育院に、「他の捨児施設と比較して、相対的に多くの男児が入所している」ことから、「インノチェンティのように大規模で本格的な捨児施設の開設が、通常時では起こり得ない子供の遺棄をも促した」ことを指摘しています。
 第3章「乳母」では、乳母に子供を授乳養育させる慣習が、「フィレンツェの上層市民の家庭において、母親を授乳の負担から解放し、母親ができるだけ多くの子をもうけること――これが当時の結婚の主たる目的であった――に専念すべく機能」していたことを述べています。
 また、養育院の里子向けの乳母の間に、「愛情をもって里子を養育する乳母はめったにいなかった」と述べ、「中には、こどもを養育する意志のない、もっぱら金銭目当ての悪質な乳母もいた」が、養育院が、「このようなあまり質のよくない農村の乳母たちに、こどもの養育を頼らざるをえなかった」という構造的な矛盾を抱えていたことを指摘しています。さらに、インノチェンティ住み込みの乳母が、「里子向けの乳母よりも一段低い社会階層の女性から構成され、その中には女奴隷や下女も含まれていた」ことを述べています。
 第4章「里子の養育と都市=農村関係」では、中世イタリア諸都市の発展を、「農村との関係を見ることなしには捉えがたい」と述べたうえで、富の不均衡が都市の社会階層の間にも存在し、「もっとも豊かであったのは、同市の人口のわずか1%にしか相当しない100の世帯に過ぎなかった」と述べています。そして、里子の養育が農婦にとって、「家庭内でなしうる比較的簡単な仕事」であり、農婦が、里子に乳をやることで、新たな妊娠を制限するという生活の知恵として知られていたことを紹介しています。
 第5章「養育院のこどもたち」では、インノチェンティのこどもたちの名前の特徴として、
(1)名前の大半は、当時の慣習に従って、聖書にちなんだ名前や聖人の名前が付けられている。
(2)名前に「捨児」のニュアンスが露骨に込められている例がある。
(3)こどもの出自を暗示する名前が付けられ、こどもの身元の確認を促す役割を果たしている。
(4)あるこどもが死亡すると、そのこどもの名前が新たに養育院に入ってきた別のこどもに継承されていることがある。
などが述べられています。
 また、養育院のこどもたちが、「彼らを自立させようとする養育院側の試みとはうらはらに、養親や奉公先の主人など施設の外の社会の人々に、かならずしも暖かく受け入れられていたわけではなかった」ことが述べられ、こどもへの市民の慈悲が、「施設への喜捨や寄進、援助の域を越えるものではなく、捨児の待遇の改善や救済を意図したものではなかった」と述べています。
 本書は、華やかの上層階層の文化のみが広く知れ渡っているルネッサンス期のフィレンツェに暮らす多くの人々の生活を捨児という切り口から伝えてくれる貴重な一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の中で、「農民の生活の具体的な様子を探る手掛かり」に利用される文学資料として、14世紀から16世紀にかけてのイタリア諸都市で、市民の間で語られた小話をまとめたノヴェッラ文学を取り上げています。同じ著者による『路地裏のルネサンス―花の都のしたたかな庶民たち』では、ノヴェッラ文学の『三百話』(トレチェント・ノヴェッレ)を残したサッケッティという人物を案内役に当時の庶民の生活を紹介しています。


■ どんな人にオススメ?

・ルネッサンス期の社会の様子を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 高橋 友子 『路地裏のルネサンス―花の都のしたたかな庶民たち』 2006年11月03日
 星野 秀利 (著), 斎藤 寛海 (翻訳) 『中世後期フィレンツェ毛織物工業史』
 若桑 みどり 『フィレンツェ―世界の都市と物語』
 高階 秀爾 『ルネッサンスの光と闇―芸術と精神風土』
 中嶋 浩郎, 中嶋 しのぶ 『素顔のフィレンツェ案内』
 宮下 孝晴, 佐藤 幸三 『フィレンツェ美術散歩』


■ 百夜百音

ルドルフ・赤鼻のトナカイ【ルドルフ・赤鼻のトナカイ】 人形アニメ:ルドルフ オリジナル盤発売: 2006

 赤鼻のトナカイの話は、子供から、病に伏せている妻のことを「なぜ他のお母さんと違うの?」と聞かれた出版社勤務の青年ボブ・メイが、人と違うことは恥ずかしいことではない、と伝えるために作った詩、という感動的な話だと、『案外、知らずに歌ってた童謡の謎』で読んで初めて知りましたが、どうやら「ガセビア」なようです。


『Rudolph Red-Nosed Reindeer』Rudolph Red-Nosed Reindeer

2006年12月 8日 (金)

自治体のアウトソーシング

■ 書籍情報

自治体のアウトソーシング   【自治体のアウトソーシング】

  今井 照
  価格: ¥2415 (税込)
  学陽書房(2006/05)

 本書は、「実態として急速に進行しつつある自治体アウトソーシングについて、市民社会への分権と市民自治による管理を目指す社会分権型アウトソーシングの視点に貫かれた太い幹を示そう」としているものです。著者が提案する「社会分権型アウトソーシング」は、
(1)自治体とは何か(国家とは何か)
(2)行政機構とは何か(役所とは何か)
(3)「公務員」とは何か(市民とは何か)
という課題に突き当たるとしています。
 著者は、「多元的重層的な社会システムの一翼を担っている」自治体政府が、政府活動を供給するために有している自治体行政機構は、「従来、役所と呼ばれてきた行政組織(職員)だけで担われているのでは」なく、「自治体行政のアウトソーシングは、行政機構が多様なセクターで成り立つことを明らかにし、市民生活や地域社会にとって最も合理的な運用をめざしている」と述べています。
 第1章「自治体アウトソーリングの論点と歴史」では、行政のアウトソーシングを支えてきた伝統的な考え方である「行政の守備範囲論」(官民役割分担論)について、
(1)公共経済学的な公共財論:「非排除性」「非競合性」「外部経済」などをキータームに経済活動の役割分担を分析する。
(2)行政法学的な公権力行使論:給付行政の執行であれば非権力的作用であるが、規制行政は権力的作用であり、公権力の行使となるから委託することはできない。
の2つの考え方について解説していますが、これらの考え方が実際に自治体のアウトソーシングを動かしてきたわけではないと述べています。
 著者は、本書において、公共財論や公権力行使論、効率化論を超えたところにある新しいアウトソーシング論として、「市民からの信託によって成り立つ政治・行政論からの発想」に基づく、「市民社会への分権や市民自治による管理をめざした社会分権型アウトソーシング論」を提示すると述べ、その意義として、
(1)自治体の行政組織(職員)や業務を「社会化」すること。
(2)主権者としての市民の地位を確立するための条件を整える。
(3)行政執行が行政組織だけで行われているのではないことを明らかにする。
の3点を挙げています。
 また、本書で展開する具体的な自治体行政のアウトソーシング戦略の考え方として、
(1)行政組織における権力的作用を最大限縮減し、その業務を明らかにする。
(2)それ以外の行政組織の業務を社会化する。
(3)社会化するにさいして、行政組織以外に担い手がいない場合は、これまでの行政組織を法人化して請け負う。
の3点を提示しています。
 第2章「自治体アウトソーシングの構図と意義」では、自治体行政のアウトソーシングの構図として、
(1)廃止:事業執行の必要性の有無。
(2)民営化:意思決定の主体まで丸ごと行政組織から分離すること。
(3)法人化(エージェンシー化、PFI):形式的に自治体行政とは別組織を立ち上げ、そこに事務事業の一部をアウトソーシングする。あくまでも行政の一部として事務事業が執行される。
(4)包括的委託(管理委託、市場化テスト):行政機構とは別の法人が事務事業に携わっているが、あくまでも行政組織の一部を受託している関係。
(5)業務委託(民間委託):個別の業務に着目し、職員の仕事からその業務を切り分けて、民間企業などの委託すること。
(6)直営(職員制度の多様化):すでに多くの行政組織で、短時間勤務の職員が重要な仕事を行っている。
の6つに手法を類型化しています。中でも、(5)に関しては、「役所がやった方が安心」という心情の裏にある、「強い規範性に基づく事故防止機能を基本」に、
(1)情報管理
(2)賠償能力
(3)行政処分(公権力の行使)
の3つの具体的な論点を示しています。
 第3章
「自治体アウトソーシングの実際と検証」では、青森県三戸町、愛知県高浜市、福島県矢祭町、東京都大田区等の事例を紹介した上で、「このようにしてアウトソーシングが進めば、既存の行政組織や『公務員』であるその職員は、いずれ溶けてなくなるのであろうか。それとも、そこに政府ならではの何らかの役割が残るのであろうか。あるいは、行政組織は残っても、『公務員』以外の担い手が支えるようになるかもしれない」と論点を提示しています。
 第4章「自治体アウトソーシングと市民参加」では、学生たちと聴き取り調査を行った結果として、「市役所は市民活動団体への支援と位置づけているのに対して、市民活動団体は市役所の活動への支援だ」と位置づけているという「ベクトルのすれ違い」を指摘し、行政組織の側から提起される「協働」論には、「かなり自己中心的な(ストーカー的な)『片思い』なのではないか」と述べています。
 そして、日本において、「政治参加と行政参加が理論嬢ばかりか、実態的にも分裂するというのは、日本の自治体が、明治の大合併以降、行政組織として国家統治機構の中に再編されてきたという歴史が影響しているのだろう」と述べるとともに、
 また、市民参加をめぐって問題になる、「旧来からの『市民参加』形態であった自治会・町会や各種地域団体の代表者からの意見聴取と、現在問われている市民参加との関係」については、
・地縁組織で集約された意見が、地域住民の相対的な意見として位置づけられてしまう可能性がある。
・事業執行への参加において、個々の構成員の意志とは関わりなく、地域としての協働への参加と見なされる。
ことを指摘し、このことは、
(1)世帯単位の構成では、市民個人の意見の集約として相当に不十分である。
(2)企業活動や行政機能の発展によって、地縁団体の機能は縮小している。
(3)地縁団体の網羅性、非選択性という性格を、自治体行政が陥りがちな「全戸掌握主義」に結び付けてしまう。
という「三重の誤りを犯すことになる」と述べています。
 さらに、自治体議会議員と市民参加の関係においては、議員の中からは、
「その市民はいったいどのような資格で参加しているのか」
「市民全体を代表していないのではないか」
「市民参加でつくりましたと案をもってこられては、議会で議論する余地はない」
「市民参加は議会軽視ではないか」
などの声が出ることに関して、
(1)議会が現実の市民参加の過程に関わっていない。
(2)市民参加で得られた成案と現実の議会との意思が異なる。
の2つの可能性に言及しています。
 第5章「自治体アウトソーシングとモニタリング」では、日本の自治体行政評価ブームとその行き詰まりについて、
(1)評価目的の混乱:業績測定による事務事業の見直しから始まったが、評価制度を導入したからといって自動的に見直しが進むわけではない。
(2)評価の精緻化:誠実に評価しようとすると評価シートが膨らみ、負担増大、評価疲れが蔓延する。
(3)評価の基準となる目標値を立てにくい
の3点を指摘しています。
 その上で、自治体評価の意義を、
(1)自治体の政策体系を再編する
  →(1)現在の政策水準を整理する
   (2)必要な調査を繰り返して分析する
   (3)幅広い討議を繰り返してまとめる
(2)市民のガバナンスを高める。
  →(1)自治体政策体系の再編を通じて、市民生活の課題を明らかにし、地域の現状と将来像を提示すること。
   (2)地域課題解決のために自治体行政組織ができることを明らかにし、その責任と限界を示すこと。
   (3)市民に説明できることばと情報をもち、幅広い論議をするための共通基盤をつくること。
(3)自治体行政の執行体制を改める。
  →(1)仕事の根拠を明らかにする。
   (2)仕事の目標を明らかにする。
   (3)組織の目標を明らかにする。
の3点にまとめています。
 また、2003年の統一地方選以来、前三重県知事の北川早稲田大学教授によって提唱されてきたローカル・マニフェストについては、理論上すっきりとした位置づけをもつものではないとした上で、
(1)ローカル・マニフェストを誰がどのように作成するか
(2)ローカル・マニフェストと自治体総合計画体系との関係付け
(3)4年間の任期中に、どの程度実現できたかという評価
の3点について論じています。
 これらを踏まえ、「自治体行政のアウトソーシングにあたってのモニタリングを設計する基本的な視点」として、
(1)最終的に市民がモニタリングできるようにすること(容易に判断できること)
(2)事業の関係者や当事者がモニタリングにアクセスしやすいこと
(3)契約関係を活用した当事者相互に抑制的なモニタリング制度とすること
の3点を挙げています。
 第6章「自治体アウトソーシングの構想と戦略」では、アウトソーシングが、「コスト論で説明されることが多い」一方で、危惧を持つ立場からは、「コスト削減の前提として、委託化されたときの質を問題にすることが多い」点について、「同一労働同一賃金という原則から考えれば、同様の労働で人件費が異なるという現実」は、「一方が高すぎるか、一方が安すぎるか」という根本的な問題をはらんでいることを指摘しています。
 また、個別具体的な問題として、「基幹的業務とは何か」という判断を迫られているとして、図書館委託を題材に論点を整理しています。
 そして、「自治体行政のアウトソーシングの方向の先に描くべき、これからの自治体行政組織像と職員像」として、
(1)「公権力の行使」概念を最大限縮減し、その業務を明らかにする。
(2)それ以外の行政組織の業務を社会化する。
(3)社会化するに際して、行政組織以外に担い手がない場合は、これまでの行政組織を法人化して請負う。
の3つの考え方を示しています。
 本書は、コスト面を中心に論じられることが多いアウトソーシングについて、自治の立場から整理している一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書第4章の地縁組織との関係や議会との関係は、協働やアウトソーシングをめぐって常に議論になるところです。志木市役所では、「第二の市役所」的に既存の部に対応した市民委員会を設けていましたが、やはり、議会との関係には議論があったようです。
 市民委員会が次年度予算案を作っていることに反発した議会に対しては、「議会も予算案を作ればいい」という話さえ出たそうです。


■ どんな人にオススメ?

・市民自治の観点からアウトソーシングを捉えたい人。


■ 関連しそうな本

 南 学, 小島 卓弥 編著 『地方自治体の2007年問題-大量退職時代のアウトソーシング・市場化テスト-』 2005年08月22日
 市場化テスト研究会 (著), 本間 正明(監修・著) 『概説市場化テスト―官民競争時代の到来』 2005年10月07日
 八代 尚宏 (編集) 『「官製市場」改革』 2006年01月27日
 野田 由美子 『民営化の戦略と手法―PFIからPPPへ』 2006年01月30日
 内閣府公共サービス改革推進室 『よくわかる!公共サービス改革法(市場化テスト法)入門』 2006年10月05日
 今井 照 『自治体再構築における行政組織と職員の将来像―役所はなくなるのか、職員は不要になるのか』


■ 百夜百マンガ

彼女を守る51の方法【彼女を守る51の方法 】

 高校の美術の先生をしながらマンガを描く「兼業戦士」状態はまだ続いているんでしょうか?
 明後日は、この作品と連動したイベントがあります。
「第6回耐震補強フォーラム サバイバルゲーム 彼女を守る51の方法
 ~都会で地震が起こった日~in 六本木ヒルズ」
・日時:2006年12月10日(日)12:30~17:00(12:00 開場)
・場所:六本木ヒルズ ハリウッドビューティープラザ5Fハリウッドホール
(詳細)http://rescuenow.nifty.com/taishin/

2006年12月 7日 (木)

会議の政治学

■ 書籍情報

会議の政治学   【会議の政治学】

  森田 朗
  価格: ¥1890 (税込)
  慈学社出版(2006/10)

 本書は、学識経験者として、数々の審議会の座長や委員長を経験されてきた著者が、「委員として会議の場でどのように意見を述べ、自己の主張を貫くか、そして他の委員を説得するか、また座長としては、会議をどのように運営して、意見をまとめ、全員の合意を得るか」という点についての、「個々のメンバーにとっての会議への参加の仕方」や、「座長の立場から見てスムーズに合意に到達する方法」における、「さまざまな技術や作法」を解説しているものです。著者は、政府や地方自治体における審議会に注目した理由として、
(1)政策決定や多様な利害の政治的調整の仕組としてそれ自体重要な役割を果たしていること。
(2)会議の手続や運営体制が仕組として洗練されていること。
(3)行政学者として著者自身に経験があり、関心をもっていること。
の3点を挙げています。
 そして、本書の狙いを、
(1)審議会がどのように運営され、そこで政策や重要なものごとがどのように決められているかを明らかにする。
(2)物事を決定する会議という場を、効率的・生産的にすることに少しでも貢献したい。
の2点であるとしています。
 第1章「会議の政治学」では、審議会の役割として、「多かれ少なかれ政治の表舞台で決定することがで適当でないことがらについて、政治から距離を置いて合議によって結論を出す場」という性格を持つとした上で、委員の人選においては、「諮問する役所の側からすれば、たとえ議論が割れて多数決で結論を出さなくてはならなくなったとしても、諮問した役所側の期待する結論が出るように、それに近い考え方をもつ委員が多数となるように委員を選任することが重要」である一方で、答申の権威を失わないためには、反対派を含めた少数意見の主張者も選任し、「全員一致を原則とすることで、合意への圧力を作り出す仕組」を備えていることが解説されています。
 審議の手続としては、
・アジェンダ・セッティング
・ヒアリング
・論点整理
・フリートーキング
・「骨子」の作成
・「答申」の作成
という段階を紹介し、「対立する多様な意見をもつ委員からなる会議において、どのようにして効率的に合意を得るかという関心から考案された合理的な手順」であると述べ、段階ごとに「議論を尽くし、合意事項を確定し、それを積み重ねていく」という方法であるため、「まず現在議論している段階で合意に達するため」、「さまざまな技術や戦術が開発され、行使される」と述べています。
 また、委員の行動のタイプとしては、
(1)バランス配慮型:会議の目的、使命を十分に認識し、その上で審議の進行状況を理解し、自己抑制し、全員が納得できる結論に到達できるように配慮して発言する。
(2)自己主張型:状況に関わりなく発言して、自分のいいたいことをいう。
(3)自己顕示方:主張したいことはないが、内容はともかく発言することによって、自分の存在を確認し誇示する。
(4)専門閉じこもり型:自分の専門分野については、強い関心を示し積極的に発言し、議論をリードしたがるが、専門外のことにはまったく関心をもたない。
(5)理念追求型:普遍的な理念(世界平和、環境保護、人権擁護、男女共同参画など)の追求を使命と心得て、会議のテーマや目的に関係なく、あらゆる機会にその重要性を説く。
(6)無関心型:関連する団体や良識を持った社会人の代表として参加しているが、関心も利害関係もない。
(7)拒否権行使型:自分が代表している団体や組織の利益に反するような意見等には積極的に発言し、自分の代表する団体の利益を断固として守ろうとする。
の7つのタイプを示し、解説しています。そして、「議論が煮詰まり、最後の確認の段階で、拒否権を発動する発言をし、議論をリセットしてしまう委員は困りものである」と述べています。
 著者は、このような多様なタイプの委員の中で、しばしばみられる主張のテクニックとして、
(1)論理の飛躍は気にしない
(2)論理の矛盾も気にしない
(3)部分的な主張をして、全体像には触れない
(4)都合のよい実例・調査結果だけを活用する
(5)論点をそらして、質問をかわす
(6)一事例を一般化する
(7)シングル・イッシュー作戦
等の例を挙げています。
 さらに、会議が「一種の行き詰まり状態に陥り、出口が見つからない」という事態において座長に求められる資質・能力として、「状況を即座に把握して適切な方向を示すこと」をあげ、具体的には、
・バランス配慮型の委員に打開策なり妥協案を提案してもらう
・信頼している一部の委員から座長の考えを委員の「私案」として提出してもらう
等の打開策を図る方法を解説しています。
 これらの座長・多数派の戦術に対して、少数派委員の戦い方としては、「委員の辞任」という戦術がありますが、「その効果は辞任のタイミングによる」とされ、「早すぎる辞任は、委員のわがままとみられる可能性」があり、「最終決定がなされた後の辞任は、負け犬の逃避」と受け取られかねないと述べられています。
 審議会の最終的なアウトプットである答申ないし報告に関しては、「少数意見も取り入れて全員一致の合意に到達するため」、
・例えば、開発推進を謳う文の中に、「環境の保護にも配慮しつつ」という挿入句をさりげなく入れる。
・語尾を「……する」といい切る形から、「……するように努める」、さらに「……する方向で検討する」と、次第に表現をトーンダウンさせる。
などのテクニックを駆使するほか、「……については、……という意見もあった。」と書き加える、「両論併記という形で、2つの異なる意見がそのまま答申に掲載される」などが解説されています。
 著者は、「権力を保有していることの現われが、自尊心であり、メンツであるとするならば、人はそれが得られ、それを維持できるならば、他の経済的利益やその他の価値を犠牲にすることを厭わないかもしれない」と述べ、効率的な会議運営のために、「いかに顔を立てて、合意に導くか」、「譲歩とメンツの均衡点をどのように考えるか」という計算が双方で行われることが重要であると解説しています。
 第2章「会議の行政学」では、生産的、効率的に審議を進めるため、
・課題に関する資料や情報を事前に要領よくまとめ、忙しい委員に提供する。
・会議運営に不可欠な要素である、会議の設定や審議結果のまとめや記録、公表などを行う。
等の事務を担う事務局の役割や活動について分析しています。
 まず、事務局のメンバーについては、通常は、対象となっている事務を所管している部門が担うとしながらも、「従来のタテワリの政策分野、各省のタテワリの所管を越えた課題に取り組むために設置」される内閣や内閣府に置かれる各省横断的な審議機関は、各章や民間を含む他の機関の人材を集めた「混成部隊」の事務局が設置され、このような機関の審議事項は、「各省の権限や利益に大きく関わるもの」であるため、「事務局に職員を派遣している各省の利害が対立していることが多く」、「審議の過程をコントロールして、自己に有利な方向に結論を導こう」とする「各省間の対立が、そのまま事務局内部に持ち込まれている」ことを指摘しています。
 また、忙しい委員が議論に必要な情報を共有できるようにするため、原資料が大部の場合には、「要点をコンパクトにまとめた要約版」が作成されることが多く、「議論の質は、いかに要約を作るかということとともに、会議において事務局が行う資料説明のあり方に依存している」と述べています。そして、資料に対して、「重箱の隅をつつくような意地悪な質問」をする委員に対しては、資料作成にかなり神経を使い、「批判や要求がなければ使う必要のないエネルギーを投入」しなければならず、「それでも鋭いアラ探しの目を逃れることはできない」場合には、「そのような委員がとうてい読みきれないほどの大量の資料を直前に送付し、その委員を情報の消化不良状態」にし、「ここに書いてある」、「この資料に含まれている」、「読んでこないのが悪い」と「相手を萎縮させる効果を狙う」作戦が紹介されています。
 さらに、委員に対する事務局からの事前の「ご説明」については、多数賛成派、少数反対派、中間派のそれぞれに対しての「ご説明」のあり方はかなり異なり、
・多数賛成派:会議の進行の流れを説明し、落としどころを理解してもらい、要所要所での協力的な発言を依頼する。
・少数反対派:熱心に多数意見の妥当性を説き、少数意見の間違いを指摘する。反論するとさらに詳細なデータを示して再反論し、説明というよりは、特定の宗教や信仰の折伏に近い。ただし、通常はより一層、多数意見に対する反感が強まる。
・中間派:誠意をもって頼まれると、そのまま会議の場で主張する者もいる。ある委員は、最後の説明を受けた役所の主張を会議で述べる傾向があり、会議直前の面会を求めて、説明者の間で順番の譲り合いが行われたこともある。
等と解説されています。
 事務局の位置づけに関しては、トップダウン人事で座長が選任された場合のような、座長すら事務局と対立することもある少数派事務局や、審議会と役所の板ばさみになってしまう事務局、各省からの混成部隊のため「一枚岩」になれず「審議会、事務局幹部、派遣元の役所」の3つの忠誠心が職員に求められる事務局などの苦悩が解説されています。
 「玉虫色」と批判されることの多い答申案の文章については、「微妙な妥協の結果である部分」は多義的な解釈が可能な表現であることが多い一方、「将来、何をどうするか、どうすべきかについて、とくにそれが将来担当部局の任務と権限を拡大する場合には、役所にとっては明確に書いておいてもらった方が都合がよい」ことが述べられています。
 この他、審議会の「外野」の部分として、「関連する分野に詳しい政治家、あるいはそれを専門とする研究者や関連団体の幹部、財界人等とさまざまな機会を作って交流を深め」ることで、その役所の「応援団」を組織し、「潜在的な委員候補者」をプールしていることが述べられている他、反対は委員に対しては、これらの応援団の力を動員し、「有力な議員や学会、業界の大物」を使った圧力や、「昔からの友人、かつての上司、時には親類や先輩」を動員した義理や情に訴える作戦、さらには「業界や組織を使った大量の手紙やはがき、電話作戦」、「昼夜を構わず大量に抗議電報を送りつける」などのイヤガラセに及ぶことが紹介されています。
 第3章「会議の社会学」では、審議会の外部、特に情報公開やマスメディアとの関係について解説されています。
 近年外部に公表されることの多くなった議事録印鑑しては、情報機器、情報技術の進歩によって、「迅速にしかも多数作成されるようになってきた」とするものの、「実際の会議での委員の発言は不明確であったり、言いまちがえや勘違い、失言もある」ため、「そのまま活字にしたのでは読みづらく、記録や資料としては扱いにくい」という性質を持ち、「会議の発言を文字にするのに当って一定の加工が施される」と解説されています。手順としては、テープ起こしした生の原稿を、「事務局で読み直し、活字で表す文章として適切な形に修正を加え、補正」するという処理を行った後、委員に送られ、確認を受けるというものであると述べられていますが、まず、事務局の加工段階で、「発言者の意図の解釈を変えるような修正が加えられることもないとはいえない」と指摘しています。さらに、発言者による修正に関しては、「発言を補足するにせよ、削除するにせよ、ある程度は議事録の性格から許容されることだが、それも一定の度を超える」と、「議事録修正のエチケット違反」であるとして、ある審議会で激しい論争になったやりとりが、議事録では和気藹々と議論が展開されているように書き改められたものや、ある委員の発言に対して意義のあった著者が論破したところ、議事録では相手方の最初の発言自体が削除され、「突然私が、何の脈絡もなく、ある委員を批判するおかしな発言をした」ような形になってしまったことなどが紹介されています。
 さらに、メディアとの関係については、「審議事項の詳細について検討し、その分析を積み上げて、その主張を強固なものにするには、制度の詳細、個別の事案についてしっかりとした自分なりの理解が必要」であり、役所関係の記事に関しては、「情報源としての役所への依存」が断ち切れないために、「分析の甘さに結びつく可能性」が高いと指摘し、その原因として、「新聞社やテレビ局における人事のローテーションと記者クラブ制」を挙げています。
 最終章「審議会政治の今後」では、本書において、「専門的、第三者的性格をもつといわれている審議会での決定にも隅々まで政治が存在していること、あるいはしうること、それが整備された手続きによって、換言すれば一定のゲームのルールに従って展開されていること」を述べたものであることが解説されています。
 本書は、審議会の委員や事務局などの当事者にとっては苦笑しながら読むものになると思いますが、その実態を知らない多くの人間にとっては、新聞などの報道の向こうに垣間見える審議会の読み解き方を伝えてくれる一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 最近は、道路公団民営化の委員会のような、「劇場型」の審議会も増えてきましたが、多くは、「役所に都合のいい御用学者を集めた『隠れ蓑』」と思われているのではないでしょうか。
 著者は、「隠れ蓑」としての性格を否定していませんが、それにしても、審議会をめぐる数々の駆け引きや作法を知ることができる本書を読むことによって、新聞などの報道を鵜呑みにすることなく、ネット上に公開されているさまざまな議事録を読み解き、実施に行われた議論や場外でのさまざまな駆け引きをうかがい知ることができるようになるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・報道の向こう側を覗いてみたい人。


■ 関連しそうな本

 森田 朗 『現代の行政』
 クリストファー フッド (著), 森田 朗 (翻訳) 『行政活動の理論』
 森田 朗 『アカウンタビリティと自治体職員』
 猪瀬 直樹 『道路の権力』 2006年6月5日
 加藤 秀樹, 構想日本 『道路公団解体プラン』 2006年5月18日
 大田 弘子 『経済財政諮問会議の戦い』 2006年12月01日


■ 百夜百マンガ

子連れ狼【子連れ狼 】

 天才子役と呼ばれた大五郎は、政治の道に進んだ後、結局刑務所に入ってしまいましたが、人生いろいろな感じです。子役といえば白木みのるを思い出す人も多いのは当り(略)

2006年12月 6日 (水)

「平成大合併」の財政学

■ 書籍情報

「平成大合併」の財政学   【「平成大合併」の財政学】

  町田 俊彦
  価格: ¥2940 (税込)
  公人社(2006/04)

 本書は、「財務省の財政再建路線と『競争的』分権主義が一体に進めている政府間財政関係の再編の中で『半強制的』に行われた」ものである「平成大合併」について、財政面を中心に解説したものです。
 第1章「『平成大合併』から学ぶべきこと」では、「平成大合併」が、「各自治体・住民の自主的なイニシアティブと意向に基づく検討であり、自己決定」という合併の大原則に反し、「実態は財政的に制約を化された上での他律的な決定であり、暗黙のうちに強いられた合併なのである」と指摘し、「中央の都合に基づいて、地方の移行の斟酌なきまま政策が決定されたし、それより何より、中央が財政を合併促進の手段として駆使したことによって、多くの市町村が合併の適否を冷静に考える余地すらない状況に追い込まれた」と解説しています。
 第2章「地方交付税削減化の『平成大合併』」では、地方交付税縮小期に都市・町村間の基準財政需要額の伸び率格差に影響した要因として、
(1)交付税特別会計借り入れの臨時財政対策債への振替
(2)投資的経費の基準財政需要額の削減の影響
(3)小規模町村に対する「段階補正」見直しの影響
の3点を指摘しています。また、半世紀ぶりの大合併による、「合併のもたらす過疎化、住民参加の後退といった弊害を考慮すると、マクロの財政効果は喧伝されているほどには大きくない」ことを指摘し、「地方交付税の削減を主要な手段とした『半強制的』市町村合併」は、「分権の『受け皿』づくりに逆行しているといわざるをえない」と述べています。
 第3章「合併特例債は『疑似餌』」では、「70%分の『交付税措置』額が、交付税として戻ってくる」というのは、「幻想」であると述べるとともに、「市町村合併がどんどん拡大していけば、合併特例債の基準財政需要額算入も拡大し、交付税が肥大化してしまうと心配する向き」は、「全くの杞憂にすぎない」と解説しています。著者は、「合併という『小さな窓』からのみ交付税を見ていると得なように錯覚する」が、「当該自治体の基準財政需要額、基準財政収入額の全体動向、あるいは地財計画の交付税総額の動向など『大きな窓』からみないと合併特例債の得失の本当の姿はわからない」と指摘しています。
 第4章「『交付税措置』の虚実」では、「旧合併特例法で地方が特に期待を寄せた特例措置の一つ」である「合併算定替」を取り上げています。著者は、「合併にともなう普通交付税の措置は、合併前後の交付税算定の激変緩和や合併経費を基準財政需要額に算入することであり、その金額を保障するものではない」ことを指摘した上で、「合併算定替を底上げ措置ととらえれば、一本算定に比べ合併算定が大幅に上回っている自治体ほど、あとから痛みが大きくなるととらえるべき」と指摘しています。そして、基準財政需要額の底上げ要因として、
(1)合併団体数が多いほど需要額の底上げ率は高くなる。
(2)構成団体間の人口規模の格差が小さい場合、底上げ率は高い
の2点を挙げています。そして、「交付税神話が生きていた1999年の合併特例法改正時点では、交付税措置は事業拡大の優遇措置として合併促進の積極的な役割を果たしたが、2000年代に入り三位一体改革による交付税削減が本格化してくると、交付税措置は合併を交替させるどころか、むしろ交付税神話を失った自治体に、交付税削減の緊急避難として合併を選択させる消極的な役割に変わっていった」と解説しています。
 第5章「合併特例債に踊った篠山市」では、篠山市の新市建設計画に合併特例債を活用した多くの施設整備が盛られたことを取り上げ、今回の合併協議が、「議会主導によって進められてきたため、見通しの甘い内容とならざるをえなかったものと考えられる」と指摘し、篠山市が合併で"疑似餌"をたらふく食べたと述べています。
 第6章「人口規模の大きな新市・さぬき市」では、「さぬき市においては合併特例際の利用による投資膨張が合併後1年に限られ、合併に伴う『モラル・ハザード』が生じていないにもかかわらず、財政硬直化が急速に進行している点」に平成大合併の特質が現れていると述べています。
 第7章「市町村合併が進まない北海道」では、その理由として、
(1)市町村面積が広大である。
(2)市町村の面積が広大になれば、行政効率化効果は乏しくなる。
(3)合併によって財政規模は大きくなっても、財政基盤の強化はあまり期待できない。
(4)合併で面積が大きくなると人口移動が生じる可能性が出てくる。
(5)産業構造が異なる自治体の合併には困難が伴う。
(6)北海道の市町村の多くは、財政上の「優遇」措置の獲得の観点から急いで合併を選択することに慎重であった。
(7)合併をしても圏域全体の発展を見込める合併が少なく、財政の悪化を理由として「仕方なく合併するケース」が多かった。
の7点を挙げています。
 そして、「究極の行政改革」とよく言われる市町村合併が、「合併してしばらくの間は行政改革の動きは鈍くなってしまう」として、「議論があまりなされないまま急いで合併するのは、右手に美味しいケーキをもちながら『ダイエットしなければ』とつぶやいているようなものである」と述べています。」
 第8章「政令市の『指定の弾力化』と合併促進」では、2001年に静岡市内で政府の合併支援本部事務局長を務める総務省行政体制整備室の高島茂樹室長が、「弾力化という言葉は静岡、清水のために書いた。政令市として東海地方で力を発揮してほしい」と異例の発言を行ったことを紹介し、人口要件が80万人から70万人へ引き下げられた経緯を解説しています。
 そして、九州新幹線の全線開通によって、福岡市まで24分で結ばれることになり、「通過点」となることを恐れた熊本市の政令市以降が挫折した背景として、「熊本市自体における政令市構想の欠如」を指摘しています。
 本書は、専門書のような体裁をとっていますが、内容としては合併の実務に携わる人やまちづくりなどに関心のある人向けの一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、「平成大合併」を進める原動力となった財政による半強制的な誘導が、「疑似餌」であり、長期的にみれば「疑似餌」のツケを払い続けることになることを指摘したものですが、もう一歩踏み込んで、なぜ、長期的には損とわかっていることでも短期的には選択してしまうのか、という問題を分析してもらえると面白いものになったのではないかと思います。
 つまり、目先の合併特例債に飛びついた首長らは、自分たちの任期中、あるいは存命中の利益を重視して合理的に合併を選択したことの分析なんかも読んでみたいと思います。


■ どんな人にオススメ?

・平成大合併の推進力になった「疑似餌」のツケの払い方を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日
 上村 敏之, 田中 宏樹 (編著) 『「小泉改革」とは何だったのか―政策イノベーションへの次なる指針』 2006年11月02日
 土居 丈朗(編著) 『地方分権改革の経済学―「三位一体」の改革から「四位一体」の改革へ』
 土居 丈朗 『三位一体改革ここが問題だ』
 小滝 敏之 『アメリカの地方自治』 2006年02月02日
 穂坂 邦夫 『市町村崩壊 破壊と再生のシナリオ』


■ 百夜百マンガ

わたしは真悟【わたしは真悟 】

 ポストペットに出てくるロボットの「シンゴ」という名前はこの作品をモデルにしています。「さとる」という男の子の想いを「まりん」に伝えてくれる「シンゴ」は、メッセージを伝える役には適任です。

2006年12月 5日 (火)

「改革」のための医療経済学

■ 書籍情報

「改革」のための医療経済学   【「改革」のための医療経済学】

  兪 炳匡
  価格: ¥1,995 (税込)
  メディカ出版(2006/07)

 本書は、日本の医療分野の「改革」のために、「諸外国の事例、特に経済学的視点からの実証分析と経済学理論」をベースに、
(1)医療費高騰に対応する際に、「小物格の犯人」(高齢化、医療保険の普及、医師数、国民所得増大)を追い回しても政策上のメリットは期待できない。
(2)政策の形成・選択を行うには、正解の存在しない「理念」に関わる問題への答えを明らかにする必要がある。
(3)政策の形成・執行の各過程で評価を行うチェックアンドバランス機構を強化しなければ、改革は一度限りの打ち上げ花火で終わってしまう。
(4)公的皆保険制度の役割を堅持した枠内で可能な改革案をまず実施する。
の4つの提言を行っているものです。著者は、地域医療を目指して臨床研修をしていた中で抱いた、日本の医療制度に対して多くの疑問の答えを探して、米国に渡り医療経済学を学んできたと語っています。
 第1章「忙しい読者のための総括」では、著者自身による要約が掲載されています。そのタイトルどおり、ここだけ読めば要点はわかりますが、読めばなおのこと、詳細が読みたくなります。ここを読んでから関心のある章を読んでもいいでしょうk。
 第2章「比較による医療の相対的な位置づけ」では、(1)アクセス(医療機関へのかかりやすさ)
(2)コスト(医療費)
(3)医療の質
の密接に関連した3つの問題について解説し、欧州諸国と比較した日本の政府支出の特徴として、
・社会保障全体の割合が低い。
・医療の割合が社会保障額のうちで相対的に高い。
・経済振興対策費の割合が高い。
の3点を挙げています。
 (1)のアクセスに関しては、
・病気になっても金銭的な心配があり、医療機関を受診できるかどうか。
・受診する医療機関を患者が選択できるか。
・患者が医療機関を選択できても、実際に診察・診療を受けるまでにどの程度時間がかかるか。
といった要素から比較を行い、世界の主要先進諸国の中で例外的に国民皆保険制度を導入できなかった米港では、公民いずれの医療保険にも加入していない無保険者が人口の2割に上ることを指摘しています。また有保険者にとってもアクセスは一般的に悪く、「日本の医療は3時間待ち、3分診療」「米国の外来は1回の診療時間が15分」と言われているが、その「15分の外来の予約」を取るためには1週間かかることも珍しくなく、その理由として、1980年代以降民間医療保険分野を席巻したマネージドケア(MNG)が、「患者の医療機関の選択の自由」に何らかの規制を課していることを指摘し、「民間医療保険に比べて医療機関にとっての利潤率が低い公的医療保険しか持たない患者(低所得者)は診ない」という医療機関が存在していることを紹介しています。
 また、(3)の医療の質に関しては、一般的には「コストが高いところほど医療の質が高く」なるという相関関係の例外として、
・コストが低くても質が高い日本
・コストが高くても質が低い米国
を挙げています。そして、WHOによる世界191カ国の医療制度の「効率」ランキングで日本が2000年の報告書で1位、2002年の別の報告書では1位になっていることを紹介し、このような包括的な評価方法が、「特定の立場の利益にとって都合の良い指標のみの「つまみ喰い」する危険が比較的少ない」ことを評価しています。
 第3章「医療経済学に何ができるのか」では、医療経済学が、
・お金儲けとは関係ない。
・会計学の知識は必須ではない。
・経営学と同じではない。
と消去法による定義を試みています。
 そして、経済学の主要な目的の1つが「コストパフォーマンスの最大化」にあることを述べ、「医療経済学と『費用対効果・便益分析』が、ほとんど同義である」と日本で誤解されていることについて、「『費用対効果・便益分析』は医療経済学で用いられる多くの有用な分析手法の、ごく一部に過ぎ」ないことを説いています。
 また、専門大学院(プロフェッショナルスクール)で学ぶことが求められる医療経済学の概要を、
・ミクロ経済学理論
・計量経済学
についてそれぞれ解説しています。
 第4章「医療費高騰の犯人探し」では、「国際的な医療経済学者の間では、少なくとも、総医療支出と急性期医療支出(現時点では総医療支出の大部を占める)については、『医療費高騰の犯人探し』はすでに終了」と述べ、「犯人」として疑われた、
(1)人口の高齢化
(2)医療保険制度の普及
(3)国民所得の上昇
(4)医師供給数増加(ないし意思誘発需要)
(5)医療分野と他の産業分野の生産性上昇率の格差
はいずれも「小物」であり、「医療費高騰の主犯格については、『医療技術の進歩』、ということでほぼコンセンサスが得られて」いると述べています。著者は、上記の5つの要因のうち、定量化・数値化できた(1)~(4)の要因の総和を100%から差し引くと、「その他の要因」の寄与率が70~75%となり、5つ目の「医療分野・産業の生産性」の寄与率(定性的な推定)をさらに差し引いても、「その他の要因」の寄与率が依然50%近くなるとした上で、その中でも「医療技術の進歩」が医療費と上昇された要因として有力視されていると述べています。
 人口の高齢化が医療費にどのようなインパクトを与えるかに関しては、「寿命の延長」が医療費に与える影響をミクロデータを用いて検証したスピルマンとルービッツの研究として、
(1)個人レベルの急性期医療費が急上昇するのは死期の直前であり、寿命の延長にはほとんど影響を受けない。
(2)寿命の延長は主に介護医療費を上昇させる。
という結論と、その理由の一つとして、「1年当たりで見ると、高額な医療費を使う人は、相対的に病弱なので早く亡くなる」ことを紹介しています。
 医療保険制度の普及に関しては、「医療保険に加入する患者の負担額(率)を引き上げると、患者さんの受診抑制が起こり、疾患が悪化してから受診するので健康指標は悪化することになるのか? またこの場合、総医療費はトータルで増大するのか? 減少するのか?」という政策課題に関するランド医療保険研究として、
(1)患者さんの受診率・医療費はどの程度減少するか?→外来受診率、入院率は有意に減少した。
(2)受診抑制が起こると健康指標は悪化するか?→死亡率が有意に高いのは病弱者と低所得者のみ。具体的に悪化した健康指標は、低所得者の血圧と視力のみであった。
(3)患者さんの外来受診抑制が疾患の悪化につながり、医療費は全体として増大するのか?→健康指標の悪化を社会的弱者のグループにもたらしたが、医療費全体を増大させることはなかった。
等の結論を紹介しています。
 また、医療保険制度が誘発するモラルハザードとして、
(1)事前的モラルハザード:病気の予防に無関心になる。
(2)事後的モラルハザード:保険対象のリスクが発生した後の行動様式が変化する。
の2つを挙げ、医療保険に関しては、「リスク発生後に患者さんの意志でドクターショッピングを続け、医療保険からの支払額を上昇させることができる」ために「事後的モラルハザード」の影響が深刻になることを解説しています。
 医師誘発需要、すなわち、「患者の利益よりも医師の利益を優先して、必要性の低い医療を提供することで需要を誘発し、その結果医療費高騰に寄与すること」に関しては、当事者間で持っている知識(情報)量に差がある「情報の非対称性」のために、「医師が自身の経済的利益を患者さんの利益や社会全体の利益(資源の適性配分)よりも優先し、医学的に必要性の低い治療を提供する可能性」があるとしながらも、総医療費上昇に対する寄与率がほとんどゼロないし極めて軽微であるため、「わざわざそれらの医師を探し出すための政策は、政策的優先順位は低い」と述べ、「実質的な効率の改善を伴わずに、安易にある部門、例えば入院の医療費の伸び率を叩いて(抑制して)も、その結果、外来の医療費等、別の部門の伸び率が急上昇」する、「モグラ叩き」に関する研究を紹介しています。
 第5章「改革へのロードマップ」では、米国のメディケア(65歳以上の高齢者の公的皆保険)へのマネージドケア(MNG)と呼ばれる営利医療保険企業群の進出の結果が、あまりにも無残なものであり、「利潤を最大化するため医療費が相対的に低い健康な高齢者を集中的にMNGに加入するよう勧誘を行うなど」、経済学用語の「危険選択」と呼ばれる行動をとった結果、「MNG以外の従来の公的保険組織の加入者に病弱者の割合が上昇した疑い」が強く持たれたことを紹介しています。そして、MNGの危険選択、過剰支払額を正確に把握するためにデータ提出を求めた政府の勧告をMNG企業が無視し続け、ついにはデータ提出の義務化とMNGへの報酬方式の変更の発表をすると、多くのMNG企業が一斉にメディケアから逃げ出し、高齢者の中には医療が受けられない、メディケア加入権を失ったと勘違いする人々が続出し、大きな混乱をもたらしたことを紹介しています。著者は、これらの惨状から得られる教訓として、
(1)リスクプールを細分化することで低下する、リスク分散機能の面での「効率」は、マネージメント面の「効率」を高めることでは容易に補えない。
(2)営利民間保険会社を、公的保険市場に部分的でも導入することは、公的皆保険の根本理念の1つである「医療へのアクセス」を放棄し、リスク分散機能を無にすることにもつながる。
の2点を挙げています。
 また、日本において民間営利企業が公的・非営利の医療分野に参入する理由として、「営利企業の参入により市場において複数の供給者の間で価格競争が促進され、経営効率が改善し、コストが抑制される上医療の質が向上する」という通説が用いられることに対して疑念を示し、
(1)米国の医療機関の多い地域において「競争」を通じてコスト抑制につながったことを示す実証研究はなく、むしろ、競合の結果、著名な医師の招聘、豪華な内装、高額医療機器の導入など、「コスト上昇」につながる可能性が高い。
(2)競合する医療機関が複数「存在できる」医療市場は、人口規模が一定以上の大きさを持つ地域に限られている。
(3)競争によりコストは抑制できなくても、同じコストで質を向上することは、公的保険制度の枠内で十分可能である。
の3点をその理由に挙げています。
 さらに、米国の平均入院日数が短く見えるカラクリとして、
(1)日本の医療機関の機能分化が、他の先進諸国と異なり、歴史的に長期介護を担う部門が貧弱であったたため、急性期医療機関がその負担を担わざるを得なかった。
(2)日本や欧州諸国では急性期医療と見なされる医療が、米国では病院を「退院後」にスキルド・ナーシング・ファシリティ(SNF)に入所することで行われ、SNFの入所日数は入院日数としてカウントされない。
(3)平均入院日数が低下することが、必ずしも総入院支出の抑制を意味しない。
の3点を挙げています。
 著者は、医療費高騰と効率低下を招いた失敗例からの教訓として、
(1)需要側(患者さん)に経済的動機を与えてもコスト抑制にはほとんど無効→重篤な疾患にかかれば、金銭的な動機付けよりも健康回復を優先するため。
(2)安易な民営化が招く「制度の二層化」は後戻りできない→営利保険企業導入後、健康で所得水準が高く民間医療保険に加入できるグループと、福祉プログラムを含めた公的な医療制度に依存せざるを得ないグループに二分されてしまい、一度二層構造ができると政治的に「民営化以前」に戻すことは非常に困難になる。
(3)制度の二層化から増税に至る負のシナリオ
(4)民営化が生み出す医療機関の二層化
(5)診療報酬の一律カットがコスト上昇になる理由
等を示した上で、医療費抑制の成功例からの教訓として、
・公的皆保険制度化での「総額規制」と「医療機関の機能分化」
を示し、
・日本の現行制度が、すでに総医療費抑制に有効な効果を持っていること
・日本で提言されている改革案の多くは、さらなる医療費高騰と効率の低下を招く可能性が高いこと
を指摘しています。
 本書は、医療関係者はもちろん、一患者としてどのような医療が望ましいかを考える上でも、目から鱗がぽろぽろ落ちる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、一部の成功例や、特定の条件下でのデータを引っ張ってきて、「アメリカでは~」と語る「出羽の守」の話を疑ってかかるためのひとつのスタイルを示しているという点で、医療に限らず、経営や人事などにも応用が利きそうな一冊ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・医療改革をめぐる「常識」を自分の目で見極めたい人。


■ 関連しそうな本

 小松 秀樹 『医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か』
 真野 俊樹 『入門 医療経済学―「いのち」と効率の両立を求めて』
 西村 周三, 田中 滋, 遠藤 久夫 『医療経済学の基礎理論と論点 講座 医療経済・政策学』
 鈴木 厚 『日本の医療に未来はあるか―間違いだらけの医療制度改革』
 長谷川 敏彦, 松本 邦愛 『医療を経済する―質・効率・お金の最適バランスをめぐって』


■ 百夜百マンガ

ゲッターロボ【ゲッターロボ 】

 子供の頃は夢中になって見てました。相当無理のある合体変形は超合金シリーズでは再現不能だったと思われます。

2006年12月 4日 (月)

詳解 公共サービス改革法―Q&A「市場化テスト」

■ 書籍情報

詳解 公共サービス改革法―Q&A「市場化テスト」   【詳解 公共サービス改革法―Q&A「市場化テスト」】

  内閣府公共サービス改革推進室
  価格: ¥2,700 (税込)
  ぎょうせい(2006/07)

 本書は、「競争の導入による公共サービスの改革に関する法律(公共サービス改革法)」の条文ごとに、その解釈を解説しているものです。
 第1編「総論」では、公共サービス改革法制定の背景として、「政府が大きな役割を果たしてきた過去の制度を見直し、行政部門の徹底した効率化、経費削減を通じた『簡素で効率的な政府』を実現すること」が、「わが国全体にとって喫緊かつ最重要課題」であると述べています。そして、競争の導入による公共サービス改革にあたっては、
・「簡素で効率的な政府」(国又は地方公共団体)を実現するという観点
・官民競争入札等の透明公正な実施の確保の観点
・官民競争入札等により落札した民間事業者が有する創意と工夫が効果的に業務の実施に反映されるようにする観点
を踏まえるべきであることが理念として掲げられています。
 また、市場化テストの目的としては、「競争環境を作り出すことで、公共サービスの質の向上とコスト削減を目指し、その担い手は官民問わず、もっとも適したものに任せるということにある」としています。
 さらに、官民競争入札等の実施要項には、「確保されるべき公共サービスの質」が盛り込まれることが重要であるとし、「これが明確にされないと、何を目指して創意工夫を発揮し、効率化を図ってよいかわからず、結果的に、公共サービスの質の低下を招く自体にもなりかねない。従来の業務を十分に分析し、国民のニーズ等を総合的に勘案した上で、対象公共サービスとして何が求められているかを明らかにする必要がある」と述べられています。
 第2編「逐条Q&A」では、民間事業者に対して「法令の特例」を適用する法制度として、法令で規制されてより民間事業者が行うことができないとされている業務を行うことができるとして、ハローワーク関連事業や地方公共団体の戸籍法に基づく窓口業務などの例を挙げています。
 また、「特定公共サービス」については、「国の行政機関等又は地方公共団体の事務又は事業として行われる国民に対するサービスの提供その他の公共の利益の増進に資する業務であって」、法に定めのある業務の他、「民間事業者が実施することとする場合には法律の特例が必要とされる業務」についても、「公共サービス改革基本方針」において閣議決定され、法の一部改正を行うことによって、「特定公共サービス」と位置づけることが可能であることが述べられています。
 さらに、現在、すでに外部委託されている業務であっても、「民間事業者の相違と工夫が反映されることが期待される一体の業務」として、両者を合わせて官民競争入札等の対象として選定可能であることが述べられています。
 また、地方公共団体が必要かつ適切な監督を行うための具体的な手立てとして、
・落札者には、守秘義務および「みなし公務員」規定が適用される。
・契約に従って適性かつ確実に特定公共サービスを実施できない場合には、契約を解除できる。
・報告を求め、必要に応じ立ち入り検査を行うことができる。
・必要な措置をとるべきことを指示することができる。
等が規定されていることが述べられています。
 この他、法令の特例として、「国家公務員退職手当法の特例」が設けられています。これは、民間事業者が落札した場合に、落札事業者が「必要な知識・経験を有する国家公務員を雇用することを希望する場合」に、「国又は特定独立行政法人が、必要な知識・経験を有する国家公務員に退職の勧奨を行い、その勧奨を応諾して退職したものが当該民間事業者の従業員となり、対象公共サービスにかかる業務に従事すること」が想定されるとし、その者が、再度国家公務員として採用された場合に、退職手当の在職期間を引き続き計算することができるようにすることが述べられています。
 また、指定管理者制度との相違点に関しては、指定管理者制度を、
(1)公の施設の使用許可などの行政処分も含めて管理を行わせる制度。
(2)地方自治法において、「指定」行為を法定する一方で、具体的運用は条例に委任。
(3)委託に関する細目事項は、指定管理者とのあいだでの協定によってなされている。
としています。
 本書は、市場化テストに関して、とりあえず担当者の手元に一冊は置いておきたい一冊です。


■ 個人的な視点から

 新しい法律や制度ができると、この手の解説書が合わせて出版されますが、昔から、実務上必要な解説書を「手引き」や「要覧」、「事務提要」のような形で出版することが多くありました。これらの出版物は、「道路関係○○事業研究会」などのような名義で出版されていますが、その実体は、省庁の官僚が業務として作成した資料をそのまま出版社に渡し、その体裁を整えて出版しただけ、というものが少なくなかったそうです。
 そうやって出版された本を自分の省庁の予算や関係団体で購入して自治体に配ったり、買わせたりして入ってきた印税は何に使われたかというと

■ どんな人にオススメ?

・市場化テストの具体的なしくみを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 内閣府公共サービス改革推進室 『よくわかる!公共サービス改革法(市場化テスト法)入門』 2006年10月05日
 市場化テスト研究会 (著), 本間 正明(監修・著) 『概説市場化テスト―官民競争時代の到来』 2005年10月07日
 南 学, 小島 卓弥 編著 『地方自治体の2007年問題-大量退職時代のアウトソーシング・市場化テスト-』 2005年08月22日
 南 学 (編著) 『行政経営革命―「自治体ABC」によるコスト把握』
 野田 由美子 『民営化の戦略と手法―PFIからPPPへ』 2006年01月30日
 八代 尚宏 (編集) 『「官製市場」改革』 2006年01月27日


■ 百夜百マンガ

動物のお医者さん【動物のお医者さん 】

 この作品を読んで獣医志望者が激増したそうです。入学希望者の低下に悩む大学は、地域のフィルムコミッションみたいに、まずはマンガやドラマの舞台に使ってもらえるように宣伝してもいいかもしれません。

2006年12月 3日 (日)

新しい自然学―非線形科学の可能性

■ 書籍情報

新しい自然学―非線形科学の可能性   【新しい自然学―非線形科学の可能性】

  蔵本 由紀
  価格: ¥2415 (税込)
  岩波書店(2003/02)

 本書は、現代科学に対する人々の極論、すなわち、「一方では人類の夢を次々に実現し未知の世界へ私たちをいざなう魅惑にみちたものと称揚され、他方では、人間のコントロールの範囲をすでに逸脱し、人類を破滅に導きつつある悪魔的なものと忌み嫌われている」という極論が、「科学に対する一方的な思い込みによるものではないだろうか」という著者の問題意識から、「このような極論に陥らないための免疫力を自らも含め多少とも養いたいという思い」でかかれたものです。著者は、「科学の言葉で世界を描写するとはそもそもどういう営みなのだろうか」という問題から考え直すために、「現代科学のある種の異端児」である「非線形科学」の中に、「近代科学から現代科学を貫くある特有の姿勢に対して反省を促すような、新しい考え方の芽生えを見る」ことができる語っています。
 第1部「科学描写の構造」では、「複雑多様な生ける現実世界の科学描写の可能性というものをどう考えたらよいのか」という問題意識から、多少の科学的精神の持ち主ならば、「科学的に世界を理解するとは一体どういう認識の仕方を言うのだろうか」という基本的な問題に思いを馳せるべきだと説いています。そして、「人が流転する自然の中に比較的安定して変わらないもの、恒常的なものにまず目を付けることはほとんど本能的である」とした上で、「変わらないものを通じてこそ変わるものが理解できる、あるいは多様なものを理解するためにこそ同一普遍のものを見出さなければならない」という自然観こそ、「科学の基本的な姿ではないか」と述べ、「科学はとりわけ鋭利な刃物で『変わらないもの』『同一不変の性質』『現象間の恒常的な関係』を切り出そうと」し、その切り出し方にはさまざまな可能性があるはずだが、「現代科学がバランスを欠いているとすれば、それらの方向の一つがあまりにも強調されたためではないか」との疑念を呈しています。
 そして、ポラニーの「暗黙知」に代表される、「言語化することのはなはだ困難な、しかしそれなしでは人間がとうてい生きられないような重要が知識がある」ことは認めながらも、「非言語的な知識というものを安易に考えすぎないようにしたい」と述べ、「科学的言明のユニークさは、その意味するところが間然に一義的ではないにしても、不確定の幅が極めて小さいこと」であると指摘しています。
 さらに、「一般システム理論的な立場から、しばしば『全体は部分の単純な総和ではない』という主張がなされ」、「システムを構成する部分をいくら詳しく調べても」、「システムに全体として現れる様相」は見出すことができず、「それを無視した科学は『要素還元論』的科学として批判」されることについては、「このような主張は『部分』とか『要素』とか言われるものの意味について少し無頓着すぎる」のではないかと述べ、「詳しく調べようにも調べようがない」、すなわち「全体的な様相を記述するにさいして、個別原子に焦点をあわせた局所的な記述が不適切であるということにすぎない」と反論しています。
 また、「物質にとっての境界条件が自然的に制御されるプロセスのうち、特に基本的なものを明らかにすることを目的」とした、「『周辺制御の基礎科学』とでもよぶべき科学の領域がきわめて大きな重要性を持ってクローズアップされてくる」と述べ、それは、「通常『非線形科学』と呼ばれているものと大きく重なり、これが示唆する新しい自然の見方という意味あいを込めて私が『新しい自然学』と仮によんでみたものにもほぼ重なる」と述べています。そして、サイバネティックスや一般システム理論などの類似の意図を持つ科学と非線形科学を比較すると、
(1)非線形科学は、物質の高次の組織化原理に関して、非平衡統計力学という強固な物理学的基礎を持っている。
(2)カオスの発見がもたらしたインパクト、分岐理論をはじめとする充実した数理的基礎、シミュレーション手段としてのコンピュータの驚異的な進歩などがある。
という決定的な違いがあるとして、「非線形科学は規模においても深度においても、その前駆者の比ではない」と述べています。
 第2部「非線形科学から見る自然」では、非線形現象とは、「大雑把に言えば」、「何らかの形でフィードバック効果が働く減少であるといってよい」と述べ、「あるプロセスが進行すればそれによって生じる事態がそのプロセスの進行を促進したり阻害したりする」ようなフィードバック機構を内蔵しているシステムを「非線形系」とよんでよいと述べています。
 そして、「神経細胞にきわめて似た動的特性を示すシステム」を実現することができる化学反応系として、「開放化学反応系の代表例として繰り返し取り上げられるベルーソフ-ジャボチンスキー反応系」を紹介し、「まるで生き物のようにパターンが自己組織していくさまは、強烈なインパクト」であったと語っています。
 また、「同一のプロセスが繰り返される現象」である「リズム」について、私たちが知りたいこととして、
(1)リズム発生の物理的原因
(2)リズムとリズムが相互作用するとき、そこに何が生じるかという問題
の2つがあると述べ、このうち後者に関しては、「時間領域における自己組織化現象であり、近年は生命現象との関わりで大いに注目を集めている」、「引き込み現象」または「同期現象」と呼ばれる重要な概念について解説しています。
 さらに、カオスに関しては、マクスウェルやポアンカレが、「エネルギー散逸のないニュートン力学系のカオス」をとらえたのに対し、ローレンツが「散逸を伴う力学系におけるカオスの存在を最も説得的に示した最初の人」であると述べています。そして、「自然が示す柔軟で複雑多様な運動を、秩序だった運動やその合成の中に押し込めて理解しようとするのは、いかにも窮屈」であり、カオスの発見が、「自然のある種の複雑さを、その本質を損なうことなく科学的記述の中に取り込むことを可能にした」と述べています。
 第3部「知の不在と現代」では、「生活の快適性への欲望を直接間接の動因」とする、「自然の部分部分に関する知識を頼り」にした人間の自然への働きかけが、「生態系の破壊や大気汚染」に見るような「巨大な損失となって人間に跳ね返ってくるという構図」は、「知識と価値との分裂からくるというよりも、知のいびつさから来るものと思われる」と述べ、「個物の相互関連の中に同一不変構造を求めるような知、すなわち述語的世界の記述における知の発達が遅れているということも重要なのではないか」と指摘しています。
 また、「科学の世界においても日常世界においても、「客観的存在」とよばれるものは、喩えていえばクロスワードパズルのマスに入るべき文字に似ている」と述べ、「自然現象の総体は、三次元ならぬ超高次元クロスワードパズルにおいて、さまざまな場所におけるさまざまな方向へのヒントの集団に喩えられる」と述べています。
 本書は、科学によって世界をどのようにとらえるか、という問題を論じている点で、自然科学者はもちろん、社会科学者にとっても得るところの大きい一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 著者の名前は、ストロガッツの『SYNC』の訳者であり、その中で言及されている「蔵本モデル」の提唱者であるということで知っていました。
 2004年3月に京都大学を定年退職された際の最終講義録での紹介によれば、1984年に出版されたモノグラフ、"Chemical Oscillations, Waves, and Turbulence"は、「非線形動力学の分野において最も引用される本のひとつで、出版部数より引用部数が多いというくらい(笑)高い評価を得て」いると紹介されています。
 
・「蔵本由紀」(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%B5%E6%9C%AC%E7%94%B1%E7%B4%80
・蔵本由紀教授 最終講義録 「非線形科学の形成 - その一断面」
http://www.ton.scphys.kyoto-u.ac.jp/nonlinear/kuramoto-finallecture.pdf


■ どんな人にオススメ?

・科学との退治の仕方を模索している人。


■ 関連しそうな本

 スティーヴン・ストロガッツ (著), 蔵本由紀, 長尾力 (翻訳) 『SYNC』 2006年04月10日
 ダンカン ワッツ (著), 辻 竜平, 友知 政樹 (翻訳) 『スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための新科学的思考法』 2005年09月28日
 ダンカン ワッツ (著), Duncan J. Watts (原著), 栗原 聡, 福田 健介, 佐藤 進也 (翻訳) 『スモールワールド―ネットワークの構造とダイナミクス』 2006年03月22日
 アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日
 増田 直紀, 今野 紀雄 『複雑ネットワークの科学』 2005年11月18日
 増田 直紀, 今野 紀雄 『「複雑ネットワーク」とは何か―複雑な関係を読み解く新しいアプローチ』 2006年04月18日


■ 百夜百音

こんにちは またあした【こんにちは またあした】 コトリンゴ オリジナル盤発売: 2006

 「矢野顕子+ロリコン趣味」って人としていかがなものかと思いますが、そんなことも許されてしまうのが「世界のサカモト」の特権なんでしょうか・・・?


『ピヤノアキコ。~the best of solo piano songs~』ピヤノアキコ。~the best of solo piano songs~

2006年12月 2日 (土)

歴史を変えた気候大変動

■ 書籍情報

歴史を変えた気候大変動   【歴史を変えた気候大変動】

  ブライアン フェイガン (著), 東郷 えりか, 桃井 緑美子 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  河出書房新社(2001/12)

 本書は、「自然環境および短期の気候変動と人間との関係が、たえず複雑に変化してきたこと」を解説しているものです。著者は、本書で取り上げている「小氷河時代」からまあ部事のできる教訓として、
(1)気候の変動はゆっくりと穏やかに起こるわけではない
(2)気候は人類の歴史を左右する
 第1章「中世温暖期」では、スカンディナヴィア人の「赤毛のエイリーク」が、発見した島を「緑の島(グリーンランド)」と名づけた理由が、「魅力的な名前がついていたほうが、そこへ行ってみたいと人に思わせることができるから」だったことを紹介しています。そして、グリーンランドの人々が、タラが豊富に獲れ、「いつになく温暖な気候が何世紀もつづいたおかげ」で、「北アメリカまで航海し、アイスランドやノルウェーを相手にセイウチの牙や羊毛ばかりか、ハヤブサまで自由に交易」できたことが解説されています。著者は、「5世紀にわたって、ヨーロッパは暖かく安定した天候に恵まれ、寒冬や冷夏や記録的な嵐に見舞われることはまれだった」と述べています。
 第2章「大飢饉」では、「アゾレス諸島上空の強い高気圧と、同じくらい強いアイスランド上空の低気圧のあいだで、気圧が変動を繰り返す」、「北大西洋振動(NAO)」がヨーロッパの気候を支配していることを解説しています。
 第3章「気候の変動」では、「小氷河時代(リトル・アイス・エイジ)」を、「1310年ごろから5世紀半のあいだ、気候は寒冷化して予測不能になり、ときおり嵐に襲われ、急激な変化が突如として起こりやすくなった」と解説しています。著者は、小氷河時代の気温低下が大噴火と関係していると述べ、また、小氷河時代になった理由は不明だが、確実にわかっていることとして、「われわれがいまのまお大氷河時代に生きていて、過去75万年間にたびたび現れた間氷期の一つの中間辺りにいること」を挙げています。そして、歴史家のあいだでは、これまで気候の話題が中心になることはなかったが、年輪データのネットワークやアイスコア、歴史データの統計的な解析が始まったことで、「ようやくわれわれは変動し続ける気候の詳細なグラフを、小氷河時代の重大な歴史的事件と比べてみられるようになった」と述べています。
 第4章「嵐とタラとドッガー船」では、14世紀のオランダを襲った最大級の嵐として、1362年1月の「グローテ・マンドレンケ(大量溺死)」を紹介しています。また、14世紀半ばにグリーンランドを訪れたノルウェーの教会裁判所判事は、大きな教会がぽつんと立っているだけで、入植者の影も形もない、「まるで原因不明のまま見捨てられたゴーストタウン」のようであったと記録を残しています。著者は、「11世紀以降に北極地方が寒冷化し、海があれて天候が予測不能になったせいで、よりよい漁場を捜し求めたために、ヨーロッパ人は北アメリカに定住するようになった」と述べています。
 第5章「巨大な農民層」では、ペストの脅威や、山間部で前進してくる氷河について解説し、「1600年には、土を耕すものは誰でも、まだ飢えの恐怖から解放されることはなかった」と述べています。
 第6章「飢えの恐怖」では、「人類の生活を大きく変えた発展が気候変動によってのみ引き起こされたと本気で考える人」や、「小氷河時代の気候変動がフランス革命や産業革命、1840年代のアイルランドのジャガイモ飢饉の原因だったと理論づける人」はいないが、「古気候学が目覚しい進歩をとげたことで、今では短期の気候変動を、圧力に対する社会全体の反応という観点から見られるようになった」と述べています。また、初歩的な農業革命が、14、5世紀からフランドルやオランダで始まったことを解説しています。
 第7章「氷河との戦い」では、アルプス地方のアイガー山のふもと、グリンデルヴァルトの氷河の影にあった聖ペトロネラの教会が前進する氷河に飲まれ、「晴れた日には氷を通して教会の扉を見ることができた」という言い伝えが残っていたことを紹介しています。
 第8章「夏というよりは冬のよう」では、イギリスの「囲い込み」によって、小さな村に住む何万人もの貧しい人々を支えていた共有地が失われ、農村の貧しい人々が、「あたかも『下層階級』という別の種類の人間に落とされたかのようだった」ことを述べています。
 第9章「食糧難と革命」では、フランスで「自分たちの飢えを支配者の行動と結びつけて考える農民」がほとんどいなかったという「無頓着ぶりが、独裁政府のいちばん大きな強みだった」と述べています。そして、「1789年の大恐怖」は、「何世代も前からくすぶり続けていた生存の危機が頂点に達したもの」であったと述べています。
 第10章「夏が来ない年」では、1815年のタンボラ山の噴火によって、イギリスでは、「この時期ずっと、毎朝、太陽は煙の中を昇るようだった。紅く、輝きがなく、わずかな光や熱しか放たず、夜になると厚く立ち込めた水蒸気の雲の陰に沈み、地上を通った痕跡すらほとんど残らない」状態であったことが紹介されています。そして、この生存お聴きが、ヨーロッパのいたるところで大量移住の引き金を引いたことが述べられています。
 第11章「アン・ゴルタ・モー――大飢饉」では、ジャガイモを主食にし、ジャガイモの単一栽培に限りなく接近していったアイルランド人が、天候の不良と「レイト・ブライト」と呼ばれる疫病によって壊滅的な打撃を受けたことが述べられています。
 第12章「ますます暖かくなる温室」では、1400年から1976年までに完成された6500点の絵画に描かれた雲を解析した研究によって、「15世紀初めから16世紀半ばにかけて徐々に曇りがちの日が多くなり、その後、急速にすっかり雲に覆われるようになったことが判明した」と述べています。そして、「二酸化炭素の量の変化がメカニズムの一部としてはたらいて、19世紀末に地球の気温が徐々に上がり、1850年ごろに小氷河時代を終わらせることになったのかもしれない」と述べています。
 著者は、人為的に発生する温室効果ガスが、「現在の温暖化を持続させている主な要因であることはほぼ間違いない」と述べ、現在に住む読者に警告を発しています。


■ 個人的な視点から

 現在でこそ、地球温暖化が問題になっていますが、第二次大戦直後は真剣に将来の寒冷化に向けたシミュレーションが行われたらしいです。
 地球温暖化によって、人間が住みにくい環境になる、ということが喧伝されていますが、これまでの200年ほどを見る限りは、二酸化炭素による温暖化によって、飢饉の発生が抑えられ、人間が爆発的に増えたことこそが、温暖化によるいちばんの影響かもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・われわれが氷河期に暮らしていることを忘れていた人。


■ 関連しそうな本

 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)』 2006年08月14日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)』 2006年08月15日
 ブライアン・フェイガン (著), 東郷 えりか (翻訳) 『古代文明と気候大変動 -人類の運命を変えた二万年史』
 リチャード・B. アレイ (著), 山崎 淳 (翻訳) 『氷に刻まれた地球11万年の記憶―温暖化は氷河期を招く』
 ビョルン・ロンボルグ (著), 山形 浩生 (翻訳) 『環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態』 2005年09月19日


■ 百夜百音

俺は女王様【俺は女王様】 女王様 オリジナル盤発売: 1996

 昨日、グーグルを開くと赤いリボンが表示されました。世界エイズデーだからです。ということで、女王様にご登場いただきました。俺たちゃ横綱~♪


『ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・フレディ・マーキュリー』ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・フレディ・マーキュリー

2006年12月 1日 (金)

経済財政諮問会議の戦い

■ 書籍情報

経済財政諮問会議の戦い   【経済財政諮問会議の戦い】

  大田 弘子
  価格: ¥1890 (税込)
  東洋経済新報社(2006/05)

 本書は、大学の研究者から内閣府に入省し、3年半の間、「経済財政諮問会議の運営、とくに有識者議員をサポートして提案をつくりあげる仕事」を担当されてきた著者自身が、諮問会議の舞台裏の「奮闘努力、悪戦苦闘の連続」の日々を語ったものです。著者は、諮問会議の議題となった政策を縦糸に、横糸として、「それぞれの政策当事者(プレイヤー)が、どういう立場で見解を出し、どういう力学が働いて政策の出口が導かれたか」という政策形成プロセスが描き出されるように心がけたと述べています。
 第1章「経済財政諮問会議の登場」では、小泉首相、竹中経済財政政策担当相、4名の民間議員、という体制で仕事をすることは、「主張のメッセージ性、取組みの戦略性を重視する姿勢が、非常に印象的だった」というスタッフの言葉を紹介しています。そして、諮問会議が、若手官僚→係長→課長補佐→課長と順に上がっていく各省庁間の折衝の方法を変え、「まず課長レベルで論点整理を行う」ことによって、「若手から折衝していたときよりは、かなりスピーディ」になったことが紹介されています。
 著者は、諮問会議の目的を、「首相のリーダーシップを十全に発揮すること」にあると述べ、「少なくとも、これまでのところは、首相主導の政策決定がどのようなものか、諮問会議の随所で具現化されてきた」と評しています。そして、特筆すべきこととして、「首相が欠かさず出席すること」を挙げ、米国訪問中の1回を除いては首相自身が出席していることを紹介しています。
 第2章「バブル崩壊後の負の遺産からの脱却」では、2001年4月の小泉内閣誕生時点の日本経済の課題を、
(1)本格的な不良債権処理に着手すること
(2)歳出改革を断行し、肥大化した政府の仕事を削減して、小さくて効率的な政府にすること
(3)国の地方への過剰介入や、地方の国への過度の依存をやめて、本格的な地方分権を進めること
(4)規制改革を加速させること
の4点、すなわち「改革なくして成長なし」であったと述べています。そして、今日まで続く長い景気回復の特徴として、
(1)日本企業を長く悩ませてきた過剰債務、過剰設備、過剰雇用が解消し、企業体質が強化された。
(2)企業収益の好調さが家計へ波及するスピードが遅かった。
(3)所得が伸びないにもかかわらず、消費が堅調に推移した。
(4)地域間で景気回復のバラつきが大きい。
の4点を挙げています。
 第3章「"骨太方針"が作ってきた歩み」は、本書の中核をなす部分で、2001年6月26日に発表された「骨太第1弾」以降の骨太方針が解説されています。
 著者は、役所の仕事に、
・ロジ(ロジスティクス):会議のスケジュール調整、議題の設定、参加者の選定など、意思決定に至るまでのプロセスのデザイン。
・サブ(サブスタンス):議論や意思決定される内容・中身のこと。
の2種類があるうち、「一般には、ロジよりサブが重要と思われがち」であるのに対し、「どんな日程で、議事を何にするかというロジがきわめて重要であり、アジェンダ設定ができればおのずとサブは決まってくる」と述べ、「諮問会議の事務局を務める内閣府が他省より優位に立てるとすれば、内閣府主導でアジェンダ設定ができるところにある」と語っています。
 また、できあがった政策を「妥協の産物」と批判する人がいるが、「これは政策形成の実際を知らない人の言葉」であると述べ、「およそ妥協のない政策などない。問題は、どこで妥協し、どこを守るか、である。妥協そのものを批判するのではなく、妥協によって何を落としたかを見なくてはならない」と指摘しています。
 2001年の「骨太第1弾」では、「改革なくして成長なし」「民間でできることは民間に、地方でできることは地方に」というメッセージが前面に打ち出され、
(1)不良債権問題の抜本的解決が冒頭に掲げられた。
(2)2002年度予算に向けての重点7分野を設定し、予算を厚く配分する初めての試みが行われた。
(3)政策プロセスの改革について、意欲的な内容が書かれている。
の3点が特徴であると述べられ、このうち(2)に関しては、「重点分野の思い切った絞込みがむずかしいうえに、あらゆる予算項目が衣を変えて重点分野になだれこんでくる」ため、「思ったほどの効果はあげられなかった」と語っています。
 「骨太方針2002」については、内容は総論にとどまっているものの、税制改革の基本方針が書かれたことに、"歴史的"な意義があると評されています。また、もうひとつの特徴として、国と地方をめぐって、「三位一体改革」という言葉が登場したことが挙げられています。
 この骨太2002では、経済活性化策に最も大きな比重が置かれ、中でも重要な施策として、
(1)地方に規制改革の特例を認める「構造改革特区」を導入すること。
(2)起業促進のために最低資本金の特例を設けること。
(3)事業再編や産業再編を促すために産業活力再生特別措置法を抜本強化すること。
(4)会社更生法や破産法等の倒産法制を見直すこと。
(5)サービス産業を中心に530万人の雇用創出をめざすこと。
の5点を挙げています。
 骨太方針2003については、規制改革に関して、当時の「総合規制改革会議」の議長であった宮内オリックス会長の「遅々として進んでいる」という言葉を紹介しながら、諮問会議の側から見た規制改革の動きを述べています。
 骨太方針2004については、「いわば集中治療室に入っている期間」であった2001年から2004年度までの集中調整期間を脱した後の、「ポスト集中調整期間の取組みを明示すること」が最大の課題であり、2005年度~2006年度の「重点強化期間」の重要課題を盛り込んだことが述べられています。
 骨太2005については、"小さな政府"のための取組みとして、
(1)郵政民営化
(2)政策金融改革
(3)政府の資産・債務管理の強化(バランスシートの総点検)
という「資金の流れを変えるための3つの課題」が解説されています。
 著者は、「抜本的に改革する」「大胆に見直す」という「威勢のよいことば」は、「見た目はわかりやすいし改革色も出る」が、役人には痛くも痒くもなく、小泉首相がよく口にする「大事なのは各論」であると述べる一方で、「ギリギリの折衝を経て作成されるがゆえに、曖昧な表現にならざるを得ないことが多」く、「さまざまな意味を包含する描き方だからこそ、反対が強い政策でも、その芽を残すことができる」とし、「反対を受けながら改革の芽を少しでも残すために、メッセージを埋め込み、両方の読み方ができるように、まさに玉虫色の表現を懸命に探」したと語り、「わかりにくい表現は、さまざまな利害対立の中で、改革の芽を残し、次につなげていく手法でもある」ことを「役所に入って痛感した」と語っています。
 第4章「予算改革をめぐる戦い」では、省庁再編の狙いとして、「予算編成の主導権を財務省から官邸に移すこと」があったため、「諮問会議の運営において、内閣府と財務省との間に常に緊張関係があった」と述べられています。そして、内閣の大方針である「骨太方針がアンブレラ(傘)のように内閣全体を示し、それに各閣僚のイニシアティブ(主導権)を発揮してつくられた改革プランがぶら下がる」という"アンブレラとイニシアティブ"という言葉が解説されています。
 そして骨太2002では、重点分野という分野別(縦)の選別に加え、
(1)民に任せることはできないか、規制改革や民営化の方向に照らして適切か。
(2)地方に任せることはできないか、地方分権や地方行政改革の方向に照らして適切か。
(3)最適な政策手段を選択していることの説明責任が果たされているか。
(4)府省間の重複が排除され、かつ関係府省間の効率的な協力関係が構築されているか。
という4つの評価軸(横)を加え、縦横の両面でチェックすることを盛り込んだことが述べられています。
 また、メリハリのため、骨太2005では、「新規施策の計上に当り、既存施策の廃止・縮減を行う」という「予算見合いの原則」(米国では「ペイ・アズ・ユー・ゴー」原則)が盛り込まれたことが述べられています。
 第5章「諮問会議による政策形成プロセスの変化」では、諮問会議の功績として、
(1)政策が作られるプロセスを透明にし、国民から見えるようにしたこと。
(2)政策決定における変化のスピードを速くしたこと。
(3)数値目標や工程を提示することで、政策そのものを成果重視型にしたこと。
の3点を挙げています。なかでも、政策形成にスピード感がもたらされた理由としては、
・民間議員ペーパーが議論のキックオフになっていること。
・首相指示が随所で出され、議論を結論に導くということ。
・成果重視型の会議運営がなされているということ。
の3点を指摘しています。
 第6章「政策の現場からI ~負担の限度を重視すべき社会保障制度改革~」では、年金制度改革のポイントが、
(1)基礎年金の国庫負担割合を3分の1から2分の1に引上げること。
(2)給付と負担のバランスの見直し。
という2つのポイントを持ち、「諮問会議メンバーの間では意見が一致し、厚生労働省および与党の関係議員と対立があったケース」であることが述べられています。
 第7章「政策の現場からII ~法人税率引き下げをめぐる攻防~」では、竹中担当相が、「どうしてもやりたかった。先進諸国で経済政策といえば、その本道は税制改革以外ないからです」と答えているインタビューを紹介し、「活力を重視する税制改革」を強調するために、「税制の三原則といわれてきた『公平・中立・簡素』を、あえて『公正・活力・簡素』と言い換えて打ち出した」と語られています。
 また、税制改革をめぐる、民間議員の主張と、財務省・政府税調の主張との対立軸が、
(1)諮問会議と政府税調の役割分担
(2)税制改革の財源:「改革還元型減税」を主張する民間議員と、歳出削減の成果は国債発行の減額に充てるべきとする財務省
(3)減税の中身:法人税率引き下げを主張する民間議員と、制作税制を主張する財務省・政府税調
の3点であったと述べています。
 著者は、税制改革に関して財務省と真っ向から対立する政策を実現させることの難易度を、「イレブンを相手に、数人でサッカーの試合をしたような気分だ」と新聞記者からの取材で答えています。
 第8章「政策の現場からIII ~波乱の三位一体改革~」では、「補助金・税・交付税の3つを一体として改革しよう」という「三位一体改革」が、小泉首相自身が明確な問題意識を持っていなければ始まらなかっただろう、と述べ、補助金を管轄する省庁の抵抗や、「国が財源を保障するのは当然だ」という自治体の首長、補助金についている関係団体の政治的利害が絡み、「三位一体どころか、三すくみの状態が続いていた」と解説されています。
 そして、2003年6月18日に、首相から、
(1)補助金について、2006年度までに概ね4兆円程度を目途に廃止、縮減等の改革を行う。
(2)税源委譲は、基幹税の充実を基本に行う。個別事業の見直し・精査をした上で、8割程度を目安として委譲し、義務的な事業については徹底的な効率化を図った上で、所要の全額を移譲する。
(3)地方交付税は、2006年度までに、交付税の財源保障機能全般を見直して縮小し、総額を抑制する。不交付団体の人口割合を大幅に高めていく。
の3点の口頭指示があったことで、三位一体改革が本格的にスタートしたことが語られています。
 この後、三位一体改革は義務教育負担金や税源移譲3兆円等をめぐって激しい攻防が各省庁、地方6団体などと交わされ、2004年度~2006年度の三位一体改革は、
・4兆6661億円の補助金改革
・3兆94億円の税源移譲
として実現し、「骨太2003に書かれたことは、確かに達成された」と述べられています。
 著者は、三位一体改革を振り返り、地方分権という観点からは一番重要である、地方交付税の本格的な改革が取り残されたことが課題である述べています。そして、三位一体改革が「超一級のむずかしさを持っている背景」として、
(1)めざすべき地方分権の姿が明確ではない。
(2)改革を推進するエネルギーが、強そうでいて、実は弱い。
(3)役所にとっては大問題でも、住民の関心はいたって薄い。
の3点を挙げています。
 第9章「政策の現場からIV ~『小さな政府』をめぐって~」では、歳出を削減することのむずかしさを特に強く感じたケースとして、「骨太2003の潜在的国民負担率をめぐって、与党との調整が難航したとき」を挙げています。
 また、最優先課題に位置づけられることとして、「2010年代初頭にプライマリー収支を黒字化するために、歳出削減と増税をどう組み合わせるか、国民にその選択肢を提示して道筋を描くこと」を挙げ、2005年4月27日の諮問会議で民間議員が、「透明なプロセスで目標と工程を定め」、歳出・歳入一体改革を進めるために、
(1)「小さな政府」原則:歳出削減なくして増税なし。
(2)活力原則:経済活力と財政再建を両立させる。
(3)透明性原則:選択肢を基に幅広く議論する。
の3原則を提言したことを語っています。
 著者は、「小さな政府」を目指す、という表現には、
・政府のムダや非効率を削ぎ落とす
・将来の政府の規模を負担可能なレベルに抑制する
という2つのメッセージが含まれていて、これを実現するためには、
(1)真に必要なところに歳出がなされるよう、歳出の中身を徹底的に見直し、スクラップ・アンド・ビルドを行うこと。
(2)世代間の不公平を拡大させないこと。
の2点が重要になると述べています。
 第10章「"民間人"が政策に関与する意味」では、「民間からの役所への登用が増えるのは、基本的によいこと」であり、著者自身にとっても、「政策形成の現場を体験したことは有益だった」としながらも、役所の側の参入障壁として、
(1)役所文書を理解しなければ、役人と渡り合うことはできないという"言葉の壁"
(2)役職が上になるほど、政治との関わりが多くなるという政治との関係
の2点を指摘し、民間登用が生きる体制づくりと役所の人事システムそのものの見直しを提言し、「志ある民間の人材が、役所で働いて見たいと希望し、それがかなうシステムに変わることは、役人にとっても良い職場になることを意味する」と述べています。
 第11章「諮問会議のこれから」では、「改革の仕掛けとして重要な構成要素」として、
(1)首相のリーダーシップ
(2)民間議員ペーパーによる議論の牽引
(3)成果重視型の会議運営
の3点を挙げた上で、諮問会議の今後の課題として、
(1)予算の枠組みづくりにおいて、マクロ経済動向と翌年度予算とを連携させる仕組みが実現していない。
(2)FTA(自由貿易協定)の推進などの対外経済戦略について、これまでの諮問会議の議題は、国内問題に偏りすぎていた。
(3)政府・与党の二元体制のねじれが小泉内閣下で一段と際立ち、諮問会議が重要な役割を果たせば果たすほど与党との関係は難しくなってきた。
の3点を指摘しています。
 最後に、著者は、これまでの諮問会議が、「与党との対立軸を鮮明にすることで、経済財政政策を牽引してきた」が、その姿は、「本来の官邸主導もしくは内閣主導に至る過渡期のものではないだろうか」と述べ、「次のステージに歩を進める糸口」として、選挙時のマニフェスト(政権公約)によって、党の基本政策や改革工程を提示することが一般化したことを挙げ、「この流れを定着させることが、今後の重要なカギになる」との期待を寄せています。
 本書は、前政権下において、改革を進めるエンジンの役割を果たした諮問会議の内幕を知ることで、多くの気づきを得られる一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 著者は、本書を出版した後に誕生した第1次安倍内閣で、経済財政政策担当大臣に任命されています。内閣府在任中に諮問会議を運営した手腕を買われてということは間違いありません。
 ただし、小泉政権下で力を発揮した諮問会議が、安倍政権下でもその力を発揮できるかどうかはまだ未知数です。著者自身が本書で解説しているような「改革の仕掛け」が効果を発揮するかどうかは、首相のリーダーシップを初めとする多くの条件が揃ってこそのものだからです。


■ どんな人にオススメ?

・政策が作られる内幕を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 佐藤 雅彦, 竹中 平蔵 『経済ってそういうことだったのか会議』 2005年06月26日
 竹中平蔵 『竹中平蔵の特別授業―きょうからあなたは「経済担当補佐官」』 
 アビナッシュ・K. ディキシット (著), 北村 行伸 (翻訳) 『経済政策の政治経済学―取引費用政治学アプローチ』 2005年02月06日
 James Q. Wilson 『Bureaucracy: What Government Agencies Do and Why They Do It』 
 曽我 謙悟 『ゲームとしての官僚制』 2006年02月24日
 加藤 寛 『入門公共選択―政治の経済学』 2005年03月13日


■ 百夜百マンガ

四丁目の夕日【四丁目の夕日 】

 日本中を感動の嵐に巻き込んだ、あの「三丁目の夕日」の続編が制作されるそうです。とは言え、決して「四丁目の夕日」とは関係ありませんのでお気をつけください。

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