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2007年1月

2007年1月31日 (水)

地域振興

■ 書籍情報

地域振興   【地域振興】

  植田 浩, 米沢 健
  価格: ¥2940 (税込)
  ぎょうせい(1999/01)

 本書は、「従来の中央集権型システムを見直し、国民の多様な価値観にきめ細かく対応できるよう、各地域ごとの自主性・主体性を重視した新しいシステムを構築」する過程において、非常に大きな意味を持つ、「地域の個性を引き出し、独自性を伸張させる」行政施策である「地域振興」について、「地方振興の基本的な考え方や国の地域振興施策の体系、国主導の発想を地域主導に転換する起爆剤となったふるさとづくり、その他国土政策や社会資本整備などの諸課題」について「取りまとめた」ものです。
 第1章「国土政策の動向」では、「国土作りの指針として、国土総合開発方(昭和25年5月)に基づき、国が全国の区域について作成する総合計画」である「全国総合開発計画」について、昭和37年の「全国総合開発計画」から、平成10年の「21世紀の国土のグランドデザイン」まで、5回にわたって策定されてきたことなどについて解説しています。
 中でも当時の世相を反映してか、「税収等の伸びによる地方財政の拡大を背景」とした、「地方単独事業」の急速な増加が特徴であると述べられています。また、国民意識の大転換として、
(1)量よりも質、所得や収入を上げることよりもゆとり、新しさや刺激よりもくつろぎが尊ばれるようになった。
(2)自由な選択と自己責任が重視されるようになってきている。
(3)自然の価値が再認識され、より重きがおかれるようになってきている。
(4)男女が固定的役割分担にとらわれずに、社会の対等な構成員として、あらゆる分野に参画し、ともに責任を担おうとする考え方が浸透しつつある。
などが挙げられています。
 また、「21世紀の国土のグランドデザイン」実現の基礎を築くための課題として、
(1)自律の促進と誇りの持てる地域の想像
(2)国土の安全と暮らしの安心の確保
(3)恵み豊かな自然の享受と継承
(4)活力ある経済社会の構築
(5)世界に開かれた国土の形成
の5点が列挙されています。
 さらにこの計画の意義・特徴として、
(1)開発理念の変化に対応
(2)長期抗争「21世紀の国土のグランドデザイン」の提示
(3)「参加と連携」による国土づくり、地域づくり
(4)国土基盤投資の重点化、効率化
(5)新たな国土計画体系のあり方の提示
(6)計画の推進方法
などが解説されています。
 概要的な説明が多い本書の中で、「これまでの全総計画と地方自治の関係」に関しては、新しい全総計画について、「本計画は、権限、財源の文献にとどまらず、何を目指すかという目標設定(計画権)の面における分権にまで実質的には踏み込んでいるという解釈も可能」であると述べ、「この点については、そもそも各地域の計画権は各地方公共団体が有するのであるから、全総計画は国が本来果たすべき役割にかかる事項を超えて計画の対象とすべきではなく、地域づくりの重視は当然のことをいっているに過ぎないとの意見もあろう」と自治省としての主張を展開しています。
 また、「地方自治の観点からの本計画に対する批判」として、
(1)地域計画論:住民の主体的な選択を表す地域計画が基本にあって、初めて全国各地の地域計画に基づく地域増を基礎とした全国像を描くことができるという立場からは、国が各地域の木脳の分担のあり方を提示し、国土の地域間分業の体系化を行おうとする全国計画優先の国土計画は、本来のあるべき国土計画とは相容れないという批判がなされる。
(2)指針論:地域づくりの方向性については地域がその計画権に基づき自ら判断するのであり、そもそもその指針を国が示す必要があるのかという批判がなされる。
(3)各論:国土軸論に関しては、多軸型の名の下にあまりにドラスティックに地域分けをすることについての批判がある。また、既存の政府方針を超える新たな施策の提示を全総計画に期待する立場からは、地方財源確保の方法や住民参加の手段など地方分権の具体的な進め方について明示すべきであるのに、その点で踏み込み不足であるという批判がなされる。
など、自治省の立場や要求を代弁する批判を展開しています。
 第2章「国の地域振興施策の体系」では、「いわゆる条件不利地域」の地域概念について、
・地形や気候など自然的条件に着目した考え方
・人口減少など社会現象に着目した考え方
の2つがあると述べています。
 また、従来の地方産業の振興施策について、「各地域の産業構造や産業集積の状況は一様では」ないため、「一定の成果は収めたものの、おのずとそこには限界も存した」と認め、「くには、あくまでも一定の施策メニューの選択死を広げることに重点を置き、地方自治体が、自らの創意・工夫により、当該地域の産業構造、産業集積の特徴などを正確に把握した上で、効果的な産業施策を展開していく」べきであると主張しています。
 さらに、地方都市の整備に関して、「これまでも、国土の均衡ある発展をめざしてさまざまな施策が講じられ、一定の成果を挙げてきたわけであるが、依然として、東京圏を中心とした一挙集中、地方圏の活力の低下というトレンドに劇的な変化を及ぼすには至っていない」とチクリと批判し、「地方の創意工夫を活かした魅力ある『地方拠点作り』の促進」のため、「地方拠点法」を活用することを主張しています。
 「大都市から地方への転出」である「UJIターン」については、その阻害要因として、
(1)職業に関すること
(2)土地柄になじめないとの危惧
(3)大都市に比べて利便性が低下する
(4)住宅の確保
(5)医療・福祉施設の整備状況
(6)気候・風土の違い
などを列挙し、「地方が、魅力ある基盤整備を実際に充実させていくことがUJIターン促進においても重要である」として、
(1)自然環境の保全
(2)保健・福祉・医療施設の充実
(3)自然を活かした余暇環境を整備し遊びの条件を充実させる
(4)教育機関を充実させ学ぶ場としての条件を充実させる
(5)文化・情報が得られる仕組みを作る
(6)魅力ある雇用を創出する
(7)住みよい住宅を供給する
(8)交通基盤を整備する
などを挙げた他、「主婦の意見やライフスタイルが地方都市への移動と大きく関係しているにもかかわらず、女性が地方都市に移動するといった観点からの施策が少ない」ことから、「女性を意識した施策をとるべき」との指摘を紹介しています。
 第3章「ふるさとづくり」では、「多極分散型国土」の実現には、「国において基盤整備や機能分散を進めること」と同時に、「地域において主体性と責任に基づいた個性豊かな地域づくりを進めていくこともきわめて重要」であると述べています。
 そして、重要な地域振興施策の一つとして、「ふるさと創生一億円事業が大きな役割を果たした」地方公共団体主導のイベントが持つ、地域へのメリット・効果として、
(1)博覧会などのイベント開催が、地元経済に少なからぬ波及効果を与えることへの期待(・・・あくまで「期待」であることに留意する必要がある)
(2)公共投資による地方の景気刺激、都市整備の進展という側面。
(3)イベント開催による地域のPRやイメージアップ効果が大きい。
(4)イベントの内容によっては、イベントが住民の連帯感の高揚やコミュニティの育成などに大きな役割を果たす。
の4点を高々と唱えています。
 さらに、求められる地域プランナーの人材像として、
(1)課題(目的)を達成する能力
(2)課題解決や目的実現のための戦略・戦術を立てる能力
(3)実行力
の3点に集約できると述べ、その育成方針として、(財)地域活性化センターが設立した「全国地域リーダー養成塾」のカリキュラムが参考になるとして紹介しています。
 いよいよハード事業としては、「地方公共団体が自らの企画によって単独で行う事業であり、地域の特性を活かした魅力あるふるさとづくりと多極分散型国土の形成を進める上で、都道府県単位で見て金曜どの高い事業について、公的な資金・財源および民間活力を効率的・合理的に活用するための新しい仕組み」の創設のために創設された、「ふるさとづくり特別対策事業」について解説しています。
 また、ふるさとづくりのためのソフト事業に関しては、昭和62年の竹下総理大臣の所信表明演説から、「ふるさと創生」の理念を、「『こころ』の豊かさを重視しながら、日本人が日本人としてしっかりとした生活と活動の本拠を持つ世の中を築こうとの考えに基づくもの」であり、「すべての人々がそれぞれの地域において豊かで、誇りを持って自らの活動を展開することができる幸せ多い社会、文化的にも経済的にも真の豊かさを持つ社会を想像することを目指し」たものであることを紹介しています。
 そして、ふるさと創生施策が始まって10年余りが経過したことの国・地方双方へのインパクトは、「大変大きかったように思われる」と述べています。
 第4章「地域を支える基盤」では、水資源開発など社会資本の整備や自然資源の保全等について解説しています。


■ 個人的な視点から

 本書は、多くの著者による編著という形式であるためか、そのまま役所の白書や報告書のような感じの仕上がりとなっていますが、公文書ではないため、そこかしこに現れる自治省の省益を代弁した解釈の主張を読むという目では楽しめる一冊です。
 そう考えると、自らの考える政策を実現するための方法の一つとして、論文や書籍によって世論を誘導していく、という方法は、実はかなり古くからある正統派の方法なのかもしれません。本書の価格や発行部数を想像すると、広く読まれることによってその試みが成功したかどうかは疑問ですが、自治体やそこから受託したシンクタンクが各種計画を作るときのネタ本に使われるということを想定すると、少なくとも関係者にとっては一定の影響力を持ち得るのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・地域振興に関する旧自治省の考え方(ただし数年前)を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 平嶋 彰英, 植田 浩 『地方債』 2006年12月14日
 佐々木 信夫 『市町村合併』 2006年03月27日
 吉村 弘 『最適都市規模と市町村合併』 2006年03月29日
 町田 俊彦 『「平成大合併」の財政学』 2006年12月06日
 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日
 赤井 伸郎 『行政組織とガバナンスの経済学―官民分担と統合システムを考える』 2006年11月24日


■ 百夜百マンガ

らんま1/2【らんま1/2 】

 世代的にはラムだっちゃ世代なのですが、海外では「らんま」や「犬夜叉」は人気があるようです。

2007年1月30日 (火)

ヨーロッパ帝国主義の謎―エコロジーから見た10~20世紀

■ 書籍情報

ヨーロッパ帝国主義の謎―エコロジーから見た10~20世紀   【ヨーロッパ帝国主義の謎―エコロジーから見た10~20世紀】

  アルフレッド・W.クロスビー (著), 佐々木 昭夫
  価格: ¥3990 (税込)
  岩波書店(1998/04)

 本書は、「ヨーロッパ人の移民と彼らの子孫は、現在、世界のいたるところに居住している」理由を、従来の説明で用いられた「政治形態と様々な技術」に加え、雑草、動物、疫病という生物学的な見地から解説しているものです。著者は、ヨーロッパ人の拡大を、養蜂業の言葉を用いて、「ヨーロッパ人は仲間に追い立てられるように群れをなして分封し、よそに自分たちの新しいすみかを定める蜂の群れさながらで、しかもその文法を何度も何度も繰り返した」と表現しています。
 第2章「パンゲア再訪」では、初期の人類が、ユーラシアとアフリカという「裂けたパンゲアの中心部」から、新しい世界、すなわち南北両アメリカとオーストラリアに到達することは、「地球から他の天体に移り住むといったほどの途方もない大仕事だった」と述べています。そして、残された旧世界からは、「病気も何もすべてひっくるめ、旧世界の新石器革命は稠密な人口の中心地からあふれ出て広がったが、途中遭遇した新しい作物や雑草、わずかばかりの種の新しい飼育動物や害虫、害獣、それから無数の新しい病気――例えばマラリア――をその都度取り入れていった」ことを解説しています。
 第3章「ノルマン人と十字軍」では、ノルマン人によるアイスランドやグリーンランドへの移住を取り上げ、「火山と氷河で覆われた大洋のまっただ中の島々に住み着くために生命をとしたとするなら、なぜ彼らは、アメリカを植民するのにもっと頑張らなかったのか」という問いに対する答えとして、単純に「遠すぎた」ことを挙げ、当時の造船技術や航海術では大西洋を渡ることが困難であったことを解説しています。
 一方、十字軍による東方進出が失敗した理由については、「エルサレムに到達するために、いわば桟橋を踏み外してしまった」と述べ、「永年続いた熱狂の大波がひいていった後には、補給は減り、稀になり、ついには消えてしまった」ことを解説しています。
 第4章「幸多き島々」では、ヨーロッパ人たちがアゾレス諸島に家畜を「植えつけていった」ことについて、「普通、羊はあまりにおとなしすぎ、意気地がなさすぎるので、ほっておいて生きながらえることは滅多にない」が、「アゾレスには大きな肉食獣もいなければ、羊をえじきとするいかなる病気も、おそらくはなかった」ため、「羊の方が明らかに人間の定住者よりも早」く、野生化したことが述べられています。
 また、カナリア諸島において、先に住んでいたグアンチェ人が最終的に敗北する決定的要因が、「ペスト」と「モドラ」という疫病であったと述べ、「処女地的疫病(これまではその病気に触れることのなかった住民に、何らかの感染症が突発する場合をこう呼ぶ)」の特徴として、
(1)個々人への感染症の衝撃は極めて重く、しばしば死を伴う。
(2)感染に曝されたほとんどすべての者が倒れるから、病人中の死亡率は全住民の死亡率に等しい。
(3)作物の播種、収穫は放棄され、家禽の世話をする者もいない。将来の食べ物と、保温に備えるという重要な日常の仕事をする人間がいなくなる。
の3点を挙げています。
 第5章「遥か彼方の海を吹く風」では、第4章で述べた「東部大西洋の島々でのヨーロッパ人の成功には、生態学的帝国主義の萌芽が予兆のように感じ取れる」と述べ、旧世界の拡張主義者が帝国主義的行動を世界的規模に拡張するために、「パンゲア大陸の書いて一列を、つまり大洋を、大勢で、しかも自分らに奉仕し、寄生する様々な生物と一緒に超えなければならない」として、その大事業が実現するための条件を、
(1)ぜひ海外で帝国主義的冒険を試みたいという強い欲望が人々の胸に湧いてくること。
(2)価値の高い船荷や乗客を十分乗せることができ、速く、運航しやすい船を作る造船技術。
(3)航海のための一新された装置と技術。
(4)船に乗せることができる小型で強力な武器。
(5)大洋を超えて船を運航するためのエネルギー源。
の5点挙げています。
 そして、ポルトガル人の船乗りたちが、「風についての自分たちの知識に自信を持ち、陸地に背を向け、何週間もの間、大洋に身をまかせた」本物の「海の男(マリネイロ)」になったことを述べ、彼らの航海方法は、「海を戻ってくること、船を下手廻しにして大きく海を巡ること」を意味する「ボルタ・ド・マール」と呼ばれたことを紹介しています。
 著者は、マリネイロたちによる航海術の確立によって、「パンゲア大陸の縫い目は製帆係の縫い針で縫い合わされ、閉ざされつつあった。鶏はキーウィ鳥と出合い、ネコはカンガルーと出合い、アイルランド人は馬鈴薯と出合い、コマンチ族は馬と出合い、インカ人は天然痘と出会った。皆初めてだった。リョコウバト、タスマニアの原住民の絶滅のカウントダウンはすでに始まっていた。この天体の上で、その他のいくつかの種類の生物の膨大な数の拡張が始まった。先頭を切ったのは豚や牛、ある種の雑草と病原菌、そして旧世界の諸民族だった。みなパンゲアの裂け目の向こう側にある土地との接触から何らかの利益を得る者だった」と述べています。
 第6章「達し得るが捉え難い土地」では、今日ネオ・ヨーロッパとなっている土地のほとんどが、
(1)気候といった基本的な要素がヨーロッパと似ていること
(2)旧世界から遠く離れていること
の2つの基準を満たしていることをについて解説しています。
 第7章「雑草」では、ヨーロッパ人の人口上の発展を説明するために、これまで唱えられてきた数々の理論が説明できなければならないものとして、
(1)ネオ・ヨーロッパでは原住民が意気阻喪し、絶滅に至る場合が多いという事実。
(2)ネオ・ヨーロッパでの、ヨーロッパ農法の目もくらむような、ほとんど恐ろしいほどの成功。
の2点を挙げ、これらは「けた外れに大きな減少だから、われわれの目には超人的なものと見え、人間の意思など及びもつかない強さと正確さと普遍性を備えたさまざまな力が、たまたま人間的な事柄に打ち当たって表に現れたものと見える」が、ヨーロッパ人の一方通行の移住のパターンが、「ヨーロッパとネオ・ヨーロッパ館の、他の数種の生物移住の歴史に、そのままの形で現れているという事実こそ、まことに意味深長である」として、「雑草、野生化した家畜、ヒトと結びついた微生物」3つを取り上げています。
 第8章「動物」では、「ヨーロッパ人にとって幸い」なことに、「柔軟な適応力に富む彼らの家畜は、異国をヨーロッパ風に変えていくのにきわめて効果的だった」ことが述べられています。そして、「ほとんどあらゆる用途でアメリカ、オーストラリアの家畜は旧世界の家畜に劣っていた」ことを指摘しています。著者は、
・豚:大型の家畜の中でおそらく最も「雑草的」といえる。
・牛:体温調節器官が進歩し暑い気候に耐え、人が消化できない繊維質を肉、牛乳、繊維、皮革に変える。
・馬:インディアンと戦うときには欠くべからざるものであり、どこの植民地でも速やかに繁殖した。
の3種の家畜が拡大していったことを解説しています。また、アメリカの原住民に「イギリス人のハエ」と呼ばれたミツバチは、「白人侵略者の接近を示す不吉な前兆」に他ならず、「誰かが蜂を発見したという知らせは口から口へと伝えられ、みなの心に悲しみと驚きの気持ちを広げるのである」ことが記されています。
 第9章「疫病」では、「さまざまな生物のうちで、きわめて雑草的な生物」である病原菌が、植民地でどのような歴史を経たかを検討し、「抵抗主義者たちが、どれほど残忍かつ狡猾であったにせよ、先住民を一掃してネオ・ヨーロッパの地を開き、後からやってくる者の人口学的乗っ取りにまかせたのは、帝国主義者自身ではなく、彼らの持つ最近の力だった」と述べています。そして、ヤノママ族の言葉である「白人が病気を持ってきた。白人さえいなかったら、病気も決してなかっただろう」という確信は「理にかなっている」と述べています。
 著者は、天然痘について、「最初にパンゲア大陸の海底の地裂を超え、エスパニョーラ島に達した」1518年の終わりか翌19年の初め以後400年間、「この病気は海外での白人帝国主義の前進にとって火薬と同じくらい本質的に重要な役割を果たした。いや火薬よりも重要だったかもしれない」と述べています。そして、19世紀にオーストラリアのアボリジニーに流行した天然痘が「オーストラリア原住民がこれまでに経験した、最大の人口学的衝撃」であり、「この有効が、「アボリジニーの人口の3分の1を殺害し、大陸北西部の諸部族だけが免れた」ことを解説しています。また、北アメリカのカイオワ族の伝説として、「私は死をもたらす。私の息に当たった子供たちは、春の雪に遭った若い草のように萎れてしまう。私は破壊をもたらす。いかに美しい女でも、一度私の姿を見れば死のように醜くなる。男たちには私は死をもたらすだけでなく、彼らの子供たちを破壊させ、彼らの妻たちを醜くしてしまう。最強の戦死も私には屈服する。私を見た部族は、すべて以前と同じではない」という、「黒い衣を着て高い帽子をかぶった使者のような姿の未知の人物」、すなわち天然痘の言葉を紹介しています。
 第10章「ニュージーランド」では、ニュージーランドの本来の生物相は、「人類が誕生以来ほとんどの時をすごしてきた、地球上の他の場所の基準から見て機会であり、少なくともヨーロッパとはまるで違っていた」と述べられています。そして、ヨーロッパ化という避け難い過程が、「自動的に働くようになり、後戻りがきかなくなるため」の条件として、
(1)ヨーロッパ人と彼らにつきもののさまざまな生物が、大量にニュージーランドに誘致され、現地の生態学的システムが破砕され、それゆえやがてマオリ社会が崩壊する、その動機となるものがなければならない。
(2)非常に多数の異国人が何らかの理由でニュージーランドに強い親近感を持ち、ニュージーランドに引き寄せられなければならない。
(3)異国人が求めているものを満たそうとしてマオリが懸命に働くためには、何か動機がなければならない。
の3点を挙げています。そして、(1)については、最初の頃の探検隊が、「植物相のならず者」である雑草の種を撒き散らしたことについて、「火薬庫が暗いと言ってろうそくに火をつけるようなもの」であると述べています。(2)については、鯨油とアザラシの皮革を求めて、大量のヨーロッパ人やネオ・ヨーロッパ人たちが、アイランズ湾を訪れ、「豚肉、ジャガイモ、トウモロコシ、キャベツ、タマネギを求め、そしておまけとしてアイランズ湾の女たちを求めた」ことを上げています。(3)については、マオリが他の部族との抗争のために鉄製の道具と武器を欲しがったことが紹介されています。
 第11章「解釈の試み」では、「二重混交生物層とその主要構成員であるヨーロッパ人の成功」が、「長い間にわたって闘争と共同を重ねながら進化してきたチームとしての生物の成果である」と述べ、この「多種間革命」の余震は、「今でも地球上の全生物とその生活圏全体をゆるがしている」と述べています。
 本書は、過去500年間に引き起こされた全地球規模の生態系の破壊を歴史学の立場から解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 「ヨーロッパ帝国主義」という言葉から、なにやら世界中を這い回る妖怪を思い浮かべてしまうのは、日教組の強かった高校時代の教育のせいでしょうか。
 『銃・病原菌・鉄』というタイトルの本も、一番原住民を皆殺しにしたのは2番目の病原菌であったことが解説されていますが、本書を読むと、『病原菌・雑草・ブタ』がヨーロッパの強さの秘密だったことがわかります。
 そういえば「雑草魂」という言葉が好きな人は、なにやら虐げられた感じが好きなのかもしれませんが、どこにでもあつかましく生態系を破壊する実際の雑草は、ほとんど生態系における「グレイ・グー」といっても過言ではありません。


■ どんな人にオススメ?

・豚、牛、馬の生命力の強さに驚きたい人。


■ 関連しそうな本

 アルフレッド・W. クロスビー 『飛び道具の人類史―火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで』 2006年10月02日
 アルフレッド・W・クロスビー (著), 小沢 千重子 (翻訳) 『数量化革命』 2006年11月18日
 ジャレド ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』 2006年09月12日
 ジャレド ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』 2006年09月13日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)』 2006年08月14日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)』 2006年08月15日


■ 百夜百マンガ

俺たちのフィールド【俺たちのフィールド 】

 地味なサッカーマンガですが根強い人気を持っています。少年誌にはどこかにこの手の正統派スポーツマンガが欠かせない気がします。

2007年1月29日 (月)

貫徹の志 トーマス・ワトソン・シニア―IBMを発明した男

■ 書籍情報

貫徹の志 トーマス・ワトソン・シニア―IBMを発明した男   【貫徹の志 トーマス・ワトソン・シニア―IBMを発明した男】

  ケビン・メイニー (著), 有賀 裕子 (翻訳)
  価格: ¥3360 (税込)
  ダイヤモンド社(2006/12/1)

 本書は、IBMの創業者であるトーマス・ワトソン・シニアの評伝です。ジェームズ・コリンズによる「本書に寄せて」では、ワトソンは、「人好きのする性格ではなかった」が、「自ら先頭に立って新しい道を切り開く」「野性味にあふれ」、「まわりがおののくほどの活力をみなぎらせ、空模様のように気まぐれなのだが、その実、何かしらの法則には従っている」と評されています。
 第1章「異端の経営者」では、ワトソンが経営者として頭角を表し、そして生涯を通じて守り続けた、公正な経営の重要性を思い知ることになる「破滅の淵」が描かれています。1903年、「アメリカ屈指の革新性で知られ、繁栄をきわめ」ていたデイトンのナショナル・キャッシュ・レジスター(NCR)の本社に呼び出された29歳の青年ワトソンは、自らの経営の氏となるNCR創業者のパターソンから、「新品の売れ行きを脅かし、NCRに損害を与えるとともに、レジスター市場の支配を妨げていた」中古レジスター業界を「叩きのめす」ため、「NCRの傘下で、中古レジスター事業を立ち上げ」るよう命じられます。この、「会社の運命を左右するような大仕事」を任されたワトソンは、NCRとは無関係であることを「偽装」した「ワトソン・セカンドハンド・キャッシュ・レジスター」を設立し、「人知れず中古レジスター業界にもぐりこみ、内側から業界を突き崩す」という指名を実行していきます。NCR製のレジスターは品質に優れ、耐用年数が長かったため、自ら製造したNCR製品が、「本来は新品を購入するはずだった顧客」の市場を奪っていることが、パターソンには許せなかったのです。ワトソンは、「すでに中古レジスター取扱店のある商業地区」に店を出し、利益を上げる必要なく、「高めに仕入れて安く転売する」ことで、周囲の店を追い詰め、「二度と中古レジスター販売には参入しない」という一筆とともに好条件で買収していく、という手口で、5年間、中古品販売事業に携わり、パターソンの期待を上回る目覚しい成果を挙げていきます。
 この事業を機に、「ワトソンはそれまでとは違った人生を歩み始め」ます。「自身の事業を舵取りできるとの自信」を得、NCR本社での花形ポジションに就き、「やせていたが、疲れを知らないよう」に職務に邁進し、「好奇心が強く進取の精神にも富んでいたため、新しい取り組みも始めたい」と考え、「発明家ハーマン・ホレリスの統計機械と運命的な出会い」をしています。「各セールスマンの業績を把握するための新しいシステムがある」という話を聞き、「長方形をした厚めのパンチカードを用いて、データを統計処理する機械」を見たワトソンは、「まさに目から鱗が落ちた瞬間だった」と語り、即座にホレリスの「タビュレーティング・マシン・カンパニー(TM)」に製品を注文しています。
 また、ワトソンは、「裏表のない人柄によって、セールスマンの忠誠心を勝ち取って」いき、1911年には、「2年前の実に2倍以上の実績」である10万台を販売しています。このことによって、ワトソンはNCRの期待の星となり、中古レジスター業界を牛耳るとともに、NCR社内の実力者にのし上がっています。
 しかし、1912年2月22日の『デイトン・デイリー・ニュース』の一面トップには、「NCR幹部、連邦大陪審から起訴される」との見出しが躍り、その中には「トーマス・J・ワトソン」の文字も見られます。タフト大統領政権下、反トラスト法違反の追及にすさまじい執念を燃やしていた政府によって、「90%もの市場シェアを握り、キャッシュ・レジスター業界に紛れもなく君臨していた上、荒っぽい商売のやり方は広く知られていた」NCRは、「何年もの間当局からにらまれて」いましたが、ついに決定的な証人、すなわち、パターソンによってNCRを追われた元幹部であるチャーマーズの登場によって、窮地に追い込まれ、3つの罪状で起訴されています。この裁判によって、ワトソンは、「長ければ3年ものあいだ」刑務所に送られるかもしれない、という衝撃に襲われています。「すべてが順風満帆だったはずのところへ、突然、犯罪者に転落するかもしれない」という現実を突きつけられたのです。ワトソンと親交を結んだピーター・ドラッカーは、「例の裁判によってワトソンがどれほどの痛手を負ったか、誰も十分には理解していない」、「ワトソンは悪党呼ばわりされたわけで、生涯その傷は癒えなかったはずだ」と述べています。
 著者は、この裁判と有罪判決を通してワトソンが、「仕事や昇進よりも重要な事柄があるのだ」ということを知り、「自分は私利私欲を追い求める詐欺師ではない」ことを「証明するという使命」を得、「裁判という試練を経たからこそ、ワトソンは偉大なリーダーとなり、IBM帝国を築けたのだろう」と述べています。
 1913年3月、春先から続いた雨によって、デイトンの町はほぼ全域が浸水し、「アメリカ市場で最悪の洪水」に見舞われます。高台にあったNCR本社に何百人もの市民が押し寄せるなか、ニューヨークにいたワトソンは、ニューヨーク市民から寄付を募り、食料、薬、毛布、水などの救援物資を満載した列車を仕立てています。この洪水に直面したパターソンは、下心ではなく純粋な動機に基づいて行動した一方で、「またとない広報の機会が訪れていること」にも気づき、「鮮やかにメディア対応をこなし」ています。ワトソンはこのとき、パターソンからメディア対応の重要性を学んでいます。このことは、ワトソンほか反トラスト法訴訟の被告人たちにとって追い風となり、同じ頃ワトソンは、ジャネットとの結婚式を挙げています。しかし、「すべてがバラ色に見えた」直後に、ワトソンはパターソンから退社を迫られます。「ある日ワトソンが出社すると、前日まで自分の使っていたオフィスが別人にあてがわれていた」という逸話まで残っていますが、著者は、ワトソンが辞職したのか解雇されたのかについては、「経営陣の誰かが社を去るときには往々にしてそうであるように、両方の側面がある」と述べ、「二人は袂を分かったが、これはワトソンにとってさほど辛い経験ではなく、パターソンに軽蔑の目を向けたわけでもない」と述べています。
 著者は、ワトソンがNCRで過ごした17年は、「経験も財産も何もなかったワトソンに、社会的な地位とビジネスでの成功をもたらしてくれた」、「おおむね素晴らしい歳月」であり、「数々の親友、そしてビジネスの師パターソン」と出会えたこと、そして、ワトソンにとってはもはや狭すぎたデイトンの地を離れなくてはならなくなったことを述べています。
 第2章「フリントとの出会いと才能の開花」では、大物武器商人にして、USラバーなどいくつものトラストをまとめ上げたフリントと出合ったワトソンが、「熱い企業家魂」を見出され、フリントがまとめ上げた「コンピューティング・タビュレーディング・レコーディング・カンパニー」(CTR)のトップとして迎えられます。CTRでの日々は、ホレリスとフェアチャイルドの2人の老害に悩まされますが、「手かせ足かせの多い状況だったからこそ、ワトソンは能力を最大限に発揮できたのだろう。忍耐と分別を重んじて、カリスマ的なリーダーとして周囲を引っ張ったのだ」と評されています。ワトソンは、トップに就任すると、まず、「自分が何をすべきかについて、周囲に意見を求め」ています。これは、経営幹部が「けっして自分の無知を認めなかった時代」であり、「上司はあくまでも上に立つ者として、部下に指示を出す。部下には黙って従うことが期待された」当時としては「前代未聞の試み」であったと解説され、「階層の少ないフラットな組織の重要性は、現在でこそコンサルタントや権威たちがしきりに訴えているが、ワトソンは75年も早くそれを説いていた」と述べられています。
 またワトソンは、1915年1月25日に、後々42年にわたって説き続けることになる「人材とは何か」のスピーチを行っています。これは、
・メーカー(The Manufacture)
・ゼネラル・マネジャー(General Manager)
・セールス・マネジャー(Sales Manager)
・セールス担当者(Sales Man)
・サービス担当者(Service Man)
・工場長(Factory Manager)
・工員(Factory Man)
・事務部門マネジャー(Office Manager)
・事務担当者(Office Man)
を書き出した紙を掲げ、ここから「Man」を残してすべての文字を消し、「われわれはみな同じ人間である。……肩を組んで団結し、共通の利益のために汗を流そうではないか」と、「社員の全員が重要でしかも平等なのだ」ということを伝えようとしているものです。
 1915年3月15日、無罪が確定し、CTRの社長に指名されたワトソンは、「人生で最大の悪夢から解放」され、今度は、「パターソンが過ちを犯したことを証明」し、「自分は道理をわきまえた真っ正直な企業家なのだと、世間に知らしめなくてはならない」という新しい思いから、「CTRを賞賛に値する偉大な企業へと育て上げ、正しい信条をもとに高い倫理観を植えつけなくてはならなかった」と述べられています。著者は、CTRが息も絶え絶えの弱小企業だったこの時点では、「ワトソンは偉大なる予言者か狂人かどちらかだった」と述べています。
 第3章「CTRの舵取り」では、反トラスト法訴訟の影に怯え、「スキャンダルの噂が立っただけでも、自分の名声に後世まで汚点が残りかねない」と考えたワトソンが、20世紀初めにおいては、「酒場でのケンカと同列」にしか見られなかった株価操作を行っていたオグズベリーとフェアチャイルドに、「憤然として二人と向き合い、株価操作をやめるように迫った」ことが述べられています。ワトソンはオグズベリーをけっして許さず、後に将来性を失った計量器事業部門の社長に据え、「自分を呼び戻してくれるだろう」との期待に応えなかったと述べられています。
 また、「ワトソンの下で働くのは、並大抵の苦労ではなかっただろう」と述べ、セールス状況の資料の数字を読み誤り、部下に弁解の機会を与えず、「弁解はやめて少しは頭を働かせてはどうだ」と怒りをぶちまけたワトソンが、今度は自分の誤りに気づくと、「私の言葉を無条件に信じてはいけない」、「私が根も葉もない事柄を並べ立てるのを、そのままにしておいてはいけない」、「君達が正しい場合もある。私に意見したらどうだ」と声を荒げたエピソードが紹介されています。
 ワトソンは自分の流儀をCTRに浸透させようとし、信念を会社に植え付けていきます。著者は、「このようにして企業文化を培ったことこそが、アメリカ産業界を進化させるうえでワトソンが果たした最大の貢献」であると述べています。まずは、「重要な人物のもとを訪ねる折には、相手と同じような服装を心がけるように」とのセールスの視点から、「社内にはワトソン好みの服装をする人々が増え」、伝統的なビジネススーツが定番となっていきます。また、ビジネスマンが昼食時に酒を飲むのが当たり前だった1910年代において、いきなり禁酒を宣言せず、「仮に自分が若いセールスマンを雇ったなら、就業時間中に酒を飲んではいけないと教えるだろう」と説き、セールス総会などで食事といっしょにワインが供される言行不一致を指摘しています。これらによって、ワトソン流のものの考え方は、CTR全体に浸透し始め、ワトソンは自分が刑務所に送られそうになった経験から、「誠実さがいかに重要であるかを賢明に」説き、「従業員にも信義を大切にしながら行動するように求め、とりわけ競合他社と渡り合う際にはけっしてこの戒めを忘れないように」と教え、礼儀を重んじつことを求めています。また、自らの楽観主義をCTRに植えつけ、「従業員たちにも自分と同じように、バラ色の未来を思い描いてほしい」と望んだことが述べられています。
 ワトソンは、1917年には、「20世紀を代表する製品開発者」として知られることになるブライスを雇い、技術者たち同士に同じ課題を与えてしのぎを削らせ、「各グループが激しく切磋琢磨したため、CTRが市場を制し、向かうところ敵なしだった時期にも、社内には緊張感が漲っていた」と述べられています。
 また、その副作用として技術者にフラストレーションがたまり、燃え尽きてしまう者もいることを知ると、「社費で部下たちを素敵な休暇に招待したり、5000ドルものボーナスを支給」(当時の技術者の年収は1~2万ドルが相場)したり、することで、狙い通りの効果をあげ、「CTRをより大きく飛躍させるための方程式」を見いだしつつあったと述べられています。
 さらに、ワトソンは、3社の名称をつなげただけの「コンピューティング・タビュレーティング・レコーディング・カンパニー」という社名に頭を悩ませています。第1の悩みは、社名に事業内容が表されているため、事業部門を切り離すと名称が実情と食い違ってしまうこと、第2の悩みは、ワトソンが望む、「壮大さのようなものを醸し出す社名」ではなかったことです。最初はカナダの子会社につけた「インターナショナル・ビジネス・マシーンズ」の社名をワトソンは気に入り、1924年には「CTR」という社名が姿を消し、「IBM」という名称がNYSEに登録されています。
 第4章「揺籃期のIBM」では、『アメリカ人物辞典』への掲載を依頼されたワトソンが、自らを三人称で、「上背があって姿勢が良い。濃い色の瞳からまっすぐに視線を向け、状況や相手の人柄を人目で見抜き、完璧に理解するようである。ワトソン氏に初めて会った人はこれら二つの特徴に強い印象を持つ。話の内容は実に的をいている。視線と話し方からは、絶えずまわりに気を配り、何かを探っているような、鋭敏な感性がうかがえる」と回答し、「自己陶酔と自信過剰の萌芽が読み取れる」と述べられています。
 また、ワトソンが統計機事業に照準を合わせた理由として、
(1)新しいテクノロジーの魅力
(2)IBMが統計システム関連の主要特許を独占していたこと。
(3)IBM専用の新しいパンチカードによって、顧客を囲い込むことができたこと。
(4)データ処理技術は揺籃期にあったため、最新の研究開発部隊とマーケティング部隊に投資した企業がライバルに水をあけることができること。
などがあり、「それらを総合的に判断すると、絶対的な支配力を手に入れられそう」であったことが述べられています。
 しかし、著者は、ワトソンのプランには、信頼性が欠け手いたことを指摘し、当時すでに、「企業の業務オペレーションに必須のものとなっていた」パンチカード機械が「あまりに故障が多かった」こと、そして、「信頼性を向上させるためには、製品設計を改めるだけでなく、工場とそこで働く人々の意識を高める必要があった」と述べられています。
 この難問に直面したワトソンは、ニューヨーク州エンディコットで、世界最大級の靴メーカーであるエンディコット・ジョンソン(EJ)を経営する、「産業史上でも屈指の革新的経営者」であるジョージ・フランシス・ジョンソンに出会います。「いかさま師や強権を振るう企業家が入り乱れていた時代」にあって、「企業は対等な個人の共同体であるべきだ。みなが共通の目的に向かって汗を流し、利益が出たら全員で分かち合うべきだ」との信念を持ったジョンソンは、福利厚生を充実させ、時給制を出来高給に改め、1919年には「利益配分」制度を考案し、1日の就業時間を9時間半から8時間に短縮していました。ワトソンは「従業員の満足度と忠誠心を高め、質のよい機械を生産してもらう必要」に気づき、ジョンソンの手法に倣い、「EJに劣らない福利厚生を整え、工場労働に大きな敬意を払」い、エンディコットを訪れる回数を増やし、視察した工場では、「立ち止まっては工員に作業内容の説明を求め、生産の質や効率を高めるために何かアイデアがないか尋ね」、「工員たちは、ワトソンが自分たちを尊重してくれている」と感じたことが述べられています。また、「従業員研修用の施設を建設したほか、時間給の工員に二週間の有給休暇を与え」ています。一方で、ジョンソンと見解を異にする点としては、ワトソンは、「出来高給を採用すると、働き手が腕によりをかけずに、手っ取り早く作業を終わらせようとするなど、意識の低下を招き、品質も損なわれる」と考えたことなどが上げられています。
 従業員たちには手厚い待遇を与え、満足度を高めていったワトソンは、幹部に対しては強烈な個性をぶつけました。著者は「大企業にふさわしい効果的なマネジメント組織を築く能力が十分とはいえず、そのせいでかえって独裁色を強めていったともいえる」と述べています。ワトソンは、「だれからも何からも、言動を抑制されない立場」になったために、「かりに判断を誤ったとしても、それを知る方法」がなく、自分では話術に強い自信を持っていたが、聞き手にとってはワトソンの話は退屈で長すぎ、「話し声には抑揚がなく、数分おきに大きな咳払いをするのが癖」であったと述べられています。さらに、社内だけでなく、外の世界でも自分を重要人物だと考えるようになり、「列車に乗っているときに、自分と同行者が景色を楽しめるように、車掌を機関士のもとに走らせて列車を止めたことも、一度や二度では」なく、あるとき、機関士が遅れを取り戻そうとスピードを上げたときには、車掌と口論になり、緊急ブレーキを自らかけようとし、
・車掌:「そのコードに触れると、どなたか怪我人が出る恐れがあります」
・ワトソン:「運賃を払っているのはこの私だ。お前なぞお払い箱にしてやる」
・車掌:「そうですか。……ですが、そのコードにだけは触れないでください」
と言い争いになったエピソードが紹介されています。
 また、ワトソンが歌を愛したため、IBMの従業員たちも歌に惹かれ、ハリー・エバンスは、人気ソングの替え歌を作り、1925年には自分が集めた「IBMソング」を小冊子にまとめ、セールス総会や集会の折には「IBMを称える歌」がみなで歌われたことが紹介されています。
 第5章「大胆さと幸運」では、1929年の株価の大暴落を前にしたワトソンが、「事態が好転するのを待っているつもりはない。自分たちの手で好転させるのだ」と発破をかけ、「技術力をテコに販売を押し上げられるはずだとの信念を基に、研究部門には市場性の高い発明を行うよう」に命じ、「ここにいる全員に、『これまでよりも大きな仕事を始められる』との自信を持ってほしい」、「もしそのような自信を持てない者がいたなら、一人で私のところへ来るように。喜んで相談に乗り、手助けをしたい。いまは総力を挙げるべきときなのだから」と全社の結束を呼びかけています。
 また、1930年代にワトソンに初めて会ったドラッカーが、「ワトソンは人と心を通わす術に素晴らしく長けていました。氏の暖かさをどう言葉で表せばいいのか、わかりません。人をひきつけてやまないので。まるで魔術師のように。ですが、かりに1930年代当時に『ハーバード・ビジネス・レビュー』が創刊されていたなら、ワトソンは変り種の経営者として取り上げられていたでしょう」と語っていることが紹介されています。
 ワトソンは、1930年4月1日号の『フォーブス』のインタビューに、「深刻な不況の兆しは見えません。……むしろ、1930年は非常に明るいとしになるだろうと予想しているほどです」と語り、こうした見方に沿って、
(1)工場の操業を続け、レイオフを避ける。
(2)世界中の企業がR&D予算を削るなか、あえて増額に踏み切る。
という「一歩誤れば会社を破滅へと導きかね」ないリスクの大きな決断を下しています。前者に関しては、1929年から32年にかけて、生産能力を3分の1ほど増強し、完成品の在庫を積み上げています。後者に関しては、1932年1月12日に、「年間総収入の6%近くに相当する100万ドルを投じて、民間研究所のさきがけとなる施設を設ける」と発表するという「周囲の目には常識外れとも取れる賭け」に出ています。著者は、ワトソンが研究所を建設した理由として、「景気の良し悪しに関わらず、法人顧客が購入せずにはいられないような、魅力あふれる製品を考案」するという「需要を刺激する必要」に迫られていたことを挙げています。しかし、ワトソンの賭けは、数年後には雲行きが怪しくなり、ドラッカーは、ワトソンが、「自分がいかに危ない橋を渡っているかに気づいていなかった」と語っています。
 現在では、女性が働きやすい企業の筆頭に挙げられるIBMですが、1935年には25人の若い女性が採用され、67人の男性とともにエンディコットの研修センターに集められています。これは、ワトソンが、娘の友人の若い学生から、「アメリカ企業では女性のキャリア・パスがほとんどないが、それはなぜか」と尋ねられ、「正当な理由がないとすぐに気づいて、女性も対象に含めるようにと研修センターに命じた」ためでした。ワトソンは、研修センターの門戸を女性にも開放したことに心を躍らせ、「毎週のようにセンターに通って」きたことが紹介されています。そして、修了式の挨拶に立ったワトソンは、「男女が揃った第一期に当たるこのコースから結婚するカップルが生まれるだろう」と予言し、いくつかのカップルがゴールインしたこと述べられています。
 しかし、男女ともに全米の最前線に配置されたコース修了者のうち、「女性の受け入れに二の足を踏む現場マネジャーが現れた」との知らせが入ると、「ワトソンは烈火のごとく怒」り、「67人の男性すべてを解雇するように命じ」ています。つまり、「男性がいないとなれば現場マネジャーは女性を受け入れざるを得ない。さもなければ人員を増やせないことになる」からです。この命令を受けた幹部2人のうち1人は、「化粧室に駆け込んで嘔吐した」と伝えられています。
 運良く、上級管理職の機転のおかげで数人は難を逃れていますが、そのうちの一人は、数十年後に、「あのような蛮行がまかり通ったのは、当時のIBMに、勇気を振り絞ってワトソンの過ちを指摘する人物がいなかったからです。素晴らしい仲間たちが、何の理由もなく会社を追われました。ハーバードやエールを卒業した人材が、突然職を失ったのです」と語っています。
 著者は、ワトソンを「その企業に特有の伝統や理念」である企業文化に最初に注意を払った人物であると述べ、「IBMはまったく新しい社風を持った企業」であり、「それ以前の企業文化全般とは大きな隔たり」があり、IBMの優位性は「もっぱら社風に依存していた」ものであり、「ワトソン率いるIBMが世界のどの企業よりも勝っていたのは、結束力にあふれる強烈な社風を培い、管理し、反映へつなげた点」であると述べています。IBMは、「白いワイシャツの上にぱりっとしたスーツを着用し、禁酒を誓った従業員であふれ、会議ではハリー・エバンスの作った歌をみなで歌う」という持ち味で知られるようになり、ノルマを100%達成したセールスマンは、<ハンドレット・パーセント・クラブ>の会員になることができ、このような社風を伝え広めるために、社内向け広報・宣伝の仕組みを取り入れたことが解説されています。その代表格は、『ニューヨーク・タイムズ』の体裁を模倣した社内報の『ビジネス・マシーンズ』であり、さらには、月刊の社内報『THINK』には著名人のエッセーやワトソンによるIBMの理念などが掲載され、社内以外にも、顧客、政治家などに計6万部が送付されたことが述べられています。
 さらに、IBMの企業文化は、ワトソンが自身の個性や人柄を生かして切り開いた歴代大統領にまでつながる人脈を通じてPRされ、「この企業文化があったからこそ、IBMは正しい理念を持った素晴らしい人材だけが揃う企業」となり、「社内に一体感が育まれた」と述べられています。著者は、1934年にワトソンが猟犬に「ラッキー」という名前をつけたことを取り上げ、「気立ての良いラッキーは尻尾を振りながら、主人のお役に立とうと脇に控えていた。映画の脚本家でさえ、これ以上の比喩は考えつかないだろう」と述べています。
 1934年、大恐慌はさほど長引かないと見込んでいたワトソンは、倉庫にうずたかく積まれた在庫の山を前に、「もう後がないというところまで追い詰められ」ますが、1935年8月14日にワトソンの指示するルーズベルトが署名した社会保障法が、「情報処理をめぐってこれほどの狂想曲が巻き起こったのは、前代未聞である」という莫大な需要を巻き起こします。この法律によって、アメリカに社会保障制度が生まれ、各企業は、「全従業員の労働時間、賃金、社会保障費などを記録しておく必要」に迫られ、「連邦政府のほうでは、受け取った何百万という報告書を処理して支給額を計算し、受給者に小切手を送付する」ために、統計機械の需要が「一夜にして急増し」、統計機械を持たない企業は、新たに導入し「政府は船一席分もの機械を必要とした」と述べられています。これだけの需要に応えられるのはIBMただ1社であったため、「ニューディール関連のデータ処理業務を一括受注」し、目覚しく業績を伸ばし、「当時から1980年代に至るまで、IBMはデータ処理業界に王者として君臨」したことが述べられています。
 ドラッカーによれば、ワトソンは、社会保障法の成立を予想していなかったばかりか、企業と政府にこれだけ膨大なデータ処理が生じるとは予想していなかったと伝えられていますが、著者は、「目を見張るほどの成功を手にするためには、激しいまでの熱意、幸運、そして幸運が訪れたときにそれを受け止めるための努力が求められる。ワトソンの事例もこの法則に当てはまる」と述べています。
 ワトソンは、1914年の入社に際し、利益連動型の報酬を得る契約を結んでいたため、1930年代には利益の増大を受け、「凄まじい額の報酬」をもたらし、1935年に公表された最初の高額所得者名簿の第1位に掲載されます。これによってワトソンは、一気に知名度を上げ、「1日に1000ドルを稼ぐ男」という「尊敬と軽蔑の入り混じった呼称」が与えられます。ワトソンは、「IBMを発展させるため」に、自身の名声を広めたいと願い、「図らずも、同時代の経営者たちを差し置いて、アメリカで最も著名な企業家となった」と述べられています。
 第6章「友人、英雄、崇拝者」では、ワトソンの娘ジェーンの友人のアン・バン・ベクテンから、「なぜ大企業は女性に腰かけ以外のキャリア・パスを用意していないのか」と問いかけられたワトソンが、「疑問はもっとももだ」と述べ、「IBMは女性の採用を増やし、より重要なポストを担えるように訓練すべきだ、ついてはその手助けをしてほしい」と答え、ベクテンが、IBM研修センター初の女性研修生の一人としてエンディコットに派遣されたエピソードが紹介されています。著者は、「ワトソンは女性を愛し、女性たちもワトソンを愛した」が、それは「俗っぽい関係」ではなく、また、「ワトソン自身にも女性的な一面」として、「美とファッション、上質の衣服、靴、そしてダンスを愛した。ショッピングを楽しんだ。人々と親しくなり、影響を及ぼし、相手の心に入り込むのを好んだ」ことを挙げています。
 一方で、「女性を積極的に採用し、昇進させるという方針」は、「女性マネジャーに対しても、癇癪をぶつけたり、厳しい要求を突きつけたり」した結果、相手が泣き出すと態度を和らげ、命令を取り下げるという「ワトソンの弱点をあぶり出す結果」となったことが述べられています。
 ただし、涙に弱いワトソンも、政治的信条という一点に関してはけっして情に流されず、IBMの本社と製造拠点のあるニューヨーク州知事だったルーズベルトを支持し続け、財界人たちの「働かなくても生活できるという意識を広め、勤労意欲を著しく削ぐものだ」という評価を受け入れなかったことが述べられています。著者は、ワトソンがルーズベルトを支持した理由を、製品販売にとどまらない深い理由、すなわち、それまでのワトソンにとって「天空に輝く北極星のような存在」だったNCR時代のビジネスの師パターソンに代わって、「歴史に名を残し、世界に足跡を刻む」という両方において、「秘訣を心得ており、行動を通して決然と、人びとを惹きつけるやり方で目的を果たした」ルーズベルトを新たな目標に据えたと述べています。そして、ルーズベルトとの親交によって、ワトソンに変化が芽生え、論争を嫌うそれまでの傾向が消え、政治とも深く関わるようになり、「IBMの活動をとおして平和、資本主義、民主主義の進展に貢献し、よりよい世界を生み出す」という「遠大な志」を抱くとともに、自身についても、「大統領、各国君主、法王などと並ぶ歴史上の偉人」と見なして行動を意識したことが述べられています。
 ワトソンは、分刻みのスケジュールを正確にこなし、若く美しい女性秘書は気が散る原因になり、間違いや憶測を招く原因になるからと、「成果を挙げたければ男性を秘書にすべきだ」との信念を幹部たちにも伝え、自室には、「毛足の長い青のじゅうたん」(何しろ「ビッグ・ブルー」ですから)を敷き、ランチの後は時間管理の一環として昼寝をし、1920年代に地方の博覧会で飛行機が墜落した事故を目の当たりにしたことを機にけっして飛行機に乗らず、大量のコーヒーやチョコレート・ドリンクを流し込む大のジャンクフード・マニアでありながら、「高速で走る機関車が石炭を燃やすよう」に「太る心配は一切せずに済んだ」ことが紹介されています。
 また、CTRに転じた直後は、「周囲の幹部たちに意見を求め、耳を傾けた」ワトソンは、「時が経つにつれて、自分の哲学を説き、命令を下すようになった」が、部下たちに数多くの質問をぶつけ、現場ではセールスマンや工員を捕まえては、「緊張する相手にていねいな言葉遣いで仕事についての質問を」し、情報を求めていたことが述べられています。一方で、経営陣との会議では、60分の会議のうち、50分はワトソンが持論を展開し、残りの10分は子飼いの部下たちがそれを賞賛する、というものであり、「ワトソンは周囲に服従を求める傾向を強めており、出席者たちはそれに従った」と述べています。
 第7章「敵、そして錯覚」では、「産業界のルーズベルト」になる自信をみなぎらせていたワトソンが、活躍の場を世界に広げ、国際商工会議所(ICC)の会頭に就任し、「この立場を利用して国際情勢に影響力を及ぼそう」とするものの、「狙いは裏目に出る」ことが述べられています。ワトソンは、「誰かがヒトラーに平和の意義を理解させなくてはならないとすれば、自分をおいてほかに適任者はいない、との自負」を抱いて、1937年6月24日、ベルリンの駅に降り立ちます。ヒトラーとの会談を終えると世界各地からの記者を前に、「ヒトラー相当は、戦争は起こさないとご自身で約束してくださった。戦争を望む国も、戦争に打って出るような余裕のある国もないはずで、ドイツももちろん例外ではない、と」と勝ち誇った気分で語っています。著者は、ワトソンが、「ナチスから歓迎を受けていることに罪の意識」を感じ、「その場に自分はいるべきではない」とは一瞬でも考えなかっただろうと述べ、「物事を楽観視する性格により、さらには達成感により、負の側面は目に入らなくなっていた」と想像し、「おめでたいことに、自分が空恐ろしい失態を犯しているとは露ほども考えなかった」と述べています。
 著者は、IBMが1940年までドイツの子会社であるデホマグの支配的経営権を握り続けた理由についてh、「21世紀の今日から振り返れば、ヒトラーは許しがたい罪人であり、アメリカ企業は一も二もなくナチス・ドイツとの関係を絶つべきだった」と言えるだろうが、「1930年代末の不透明な地政学」下では、アメリカ企業はさまざまな秘策を駆使して、ドイツでの資産を守ろうとし、IBMも例外ではなかったと述べています。著者は、「ワトソンは悪の権化でも、愚か者でもなかった。ナチスには手は貸さなかったが、暴走を止めもしなかった。世界という舞台でルーズベルトに並ぶ名声を手に入れたいと願いながらも、尊敬の対象だったルーズベルトの偉大な資質、すなわち勇気を振り絞ることはできなかったのである」と述べています。
 1940年には、ナチス・ドイツがポーランドとオランダを占領し、フランスへと侵攻、5月末にはトム・ワトソン・ジュニアが陸軍州兵部隊に入隊したことで、ワトソンは、「戦争を避ける、他国との貿易を強化する、というヒトラーの言葉は偽りだった」との手紙を添え、勲章をヒトラーに送り返しています。著者は、ワトソンが、「自分なりのやり方で、自分なりの理屈に従って、ヒトラーに果たし状を突きつけた」としたうえで、「政治という舞台では、ワトソンは勝利を手にできなかった」「生涯で最大の失敗である」と評しています。
 第8章「王と城」では、1930年代末のワトソンが、「単に企業家の鑑であっただけでなく、サクセス・ストーリーの主役として大勢のアメリカ人にとって憧れの的」であり、「世界に君臨する王者を祝福する」場としてうってつけの舞台である世界博が1939年に開催されたことが紹介されています。そして、翌年のIBMデイには、すべての事業所と工場が休業し、IBMの中間管理職、セールスマン、工員全員とその配偶者を招き、12本の貸切列車によって1万人の社員が一切の費用の会社負担で招待されています。ところが、その列車のうち一本が衝突事故を起こし、35人が重傷、400人が軽傷をおったという知らせを聞いたワトソンは、直ちに幹部とともに現地に直行し、病院を回って収容された従業員すべてにじかに言葉をかけ、負傷者全員に花束を贈ったことが紹介され、「幹部たちにはあれほど冷徹だったワトソンも、一般の従業員に対しては文字通り家族のように接した」と述べられています。
 著者は、「誰の目にも分かる欠点を備えたワトソンが、なぜ偉大な企業を築けたのだろうか。なぜ偉大な人物となりえたのだろうか。いや、偉大とはいわないまでも、社内外の大勢の人々の敬愛されたのはなぜか」とい問いに対し、
(1)必要とされているときに周囲に手を差し伸べ、期待に十二分に応えることで人びとの忠誠心を引き出した。
(2)自分を売り込み、世界は自分を中心に回っているかのように考えていたが、他人へも惜しみない称賛を贈った。
(3)周囲の人びとを、目に見えない磁石のような力で惹きつけるカリスマ性に恵まれていた。
(4)もっぱら若い大卒者を採用し、手厚い処遇を施し、若い頃から大きな機会を与えた。
(5)情熱的な献身ぶりを示す従業員と、<ハンドレット・パーセント・クラブ>などの制度や考え方をとおして、強烈な社風が培われたこと。
などの理由を挙げています。
 第9章「トーマス・ワトソン・ジュニア」では、1914年に誕生した長男トム・ジュニアが、10歳の頃には、「厄介者トミー・ワトソン」の名で知られ、「学校の換気装置に、スカンクから抽出した凄まじい悪臭のする液体を入れて、臨時閉校に追い込む」といういたずらをするなど、反抗を通してワトソンの注意を引こうとし、自伝の中でも、「父親から愛されているなどとは思いもしなかった」と書いていることを紹介しています。トムは学校では成績は振るわず、後年には、少年時代の自分がうつ状態であったと認めています。
 1937年、63歳になったワトソンは、後継者の育成にはまったく気を配らず、CTR時代からの同士がほとんどを占める側近たちは、「全員が特定の職能に長けた人びと」であり、「はるか以前から自分の跡を継ぐ人物は一人しかいない、との思いを抱いていた」ことが述べられています。一方で、女性の登用にかけては時代の最先端にいたワトソンが、娘のジェーンとヘレンはIBMに就職させようとは思いもせず、「キャリアを追い求めるのは結婚する気のない女性だけだと考えており、娘たちがそのような生き方を選ぶとは想像もしていなかった」ことが述べられています。
 トムは、従軍した後、第一航空隊を率いるフォレット・ブラドレー少将の補佐官になり、当時としては最大規模のB-24爆撃機に副操縦士として乗り込んでいます。また、軍用機の乗務員の監督を任され、大きな裁量を与えられたときには、「トムは完璧を求めて彼らに厳しく接し、きつい言葉を浴びせることもあった」ため、部下たちから「もう二度と一緒に働きたくない」との反発を受け、「自分が部下たちにしたのは、父親が自分に対してした仕打ちを同じだと悟」り、「何もかもを自分のいうとおりにこなすように迫り、一人ひとりの強み、弱み、ニーズ、ものの感じ方が違うという点を見落としていた」ことに気づきます。このことをきっかけに、トムは意識を改め、「相手をほめ、業務に支障がないかぎりは、できるだけ自分たちのやり方で仕事をさせた」と述べられています。
 著者は、「トムの才能は、すべて眠ったまま」になっていて、教育者たちは、トムに「落伍者」のレッテルを貼り、「トムは感情をコントロールできず、自身も持てずにいた。親のすねをかじりながら道楽で飛行機を乗り回すという、けっして褒められない人生を歩んでいるように見えた」が、「トムには常に資質が備わっていた」としか考えられず、トムは、「ブラドレーの支え」によって、「自分自身、そして自分なりの志」を、よりどころとすることができたとのべています。
 ブラドレーに「戦争が終わったらどうするつもりだ?」と聞かれたトムはユナイテッド航空のパイロットになるつもりです」と答えますが、ブラドレーから「IBMに復職して、いずれは経営の舵を取るものとばかり思っていた」と繰り返されます。そして、トムから「私にIBMが経営できるとお思いですか」と聞かれたブラドレーの返事が、「トムの自分探しの旅」に終止符を打つことになるのです。――「もちろんだ」
 第10章「ワトソンの戦い」では、戦時中に政府と軍にリースしていた大量の契約が戦争の終了とともにいっせいに打ち切られ、戻ってきた製品の再リース先を見つけられなければ、売上高の落ち込みは避けられないという難題に直面したワトソンが、リース切れになった製品の「性能を引き下げる方法」を考えることによって、中小企業向けの「低価格帯商品(ローエンド)」の新規市場を開拓するという計画を立てたことが解説されています。
 著者は、「IBMのパンチカード機械がなければ、アメリカの戦争遂行には支障が生じていただろう」と述べ、パンチカード機械の性格が民生品から軍需品へと変わり、「軍の利用する機械の90%をIBM製が占めていた」ことを紹介しています。しかし、ワトソンにとっては、「好きではない事業のために、多くの時間と精力を割かなくてはならなかった」という個人的な問題が持ち上がっています。「人生そのもの」であったIBMの経営を舵取りする仕事が楽しくなければ、「人生もまたひどく味気ないものになる」からです。そこで、ワトソンは軍需事業を委ねられるエグゼクティブを探し出しますが、IBMの最上層部は、ワトソンの数十年来の同士たちで固められ、「志と才能のあるマネジャーが出世の階段を登っていき、岩のように堅いこの壁にぶつかったなら、いくつかの選択肢を秤にかけて、おそらくは退職するという道を選んだだろう」という状況にあったため、ワトソンは、「経験が乏しく荒削りでもよいから才能のあるやり手の若者」を求めて、組織の下層にまで探りを入れ、チャーリー・カークを見いだします。38歳でエグゼクティブ・バイス・プレジデントに昇格したカークは、IBMの軍需生産すべてを任せられ、その期待に応える鮮やかな手腕を見せています。ワトソンはわずか数ヶ月でカークにほれ込みますが、カークの登場によって「将来を見越した権力闘争が水面下で激しさを増して」いったことが解説されています。終戦後、IBMに復帰したトムはカークを忌み嫌うようになりますが、このトムの悩みは、「IBMの歴史上でも他に例を見ない急展開」を迎えることになります。
 戦時中、技術部門では、ワトソンの要求に応えるために技術者の増加に迫られます。ワトソンは、「女性にエンジニアリングを身につけさせてはどうか」と考え、「技術系の学部を出た女性を選んだほうがよいのではないか?」と提案しますが、「男性ばかりのIBMの技術陣は、女性技術者を採用しようと考えたことは一度もなかった」ため、「ワトソンがもっと強く自分の主張を押し通そうとしていたなら、IBMはほとんどの企業が見過ごしていた才能ある女性技術者たちを集められただろう」と述べられています。
 1945年には軍需生産が最高潮に達し、IBMの売上高は1億3800万ドルに達し、民需拡大後の1947年には1億3900万ドルを記録しています。著者は、ワトソンの壮大な計画には、みずからが「超IBM」を生み出したために、ワトソン自身が時代遅れになるという綻びがあったと述べています。
 第11章「コンピュータ時代の幕開けとワトソンの老い」では、ワトソンが、電子技術の存在を、「それが自社の脅威になるかもしれないと知っていた」が、「エレクトロニクスが発展すればパンチカード機械が時代遅れになる、などという想像は容易に受け入れられなかった」と述べています。しかしながら、ワトソンが「エレクトロニクス事業への参入をかたくなに拒んだ」との逸話は真実ではなく、ワトソンは「いったん理解しさえすれば、新しいテクノロジーを積極的に追い求めた」と述べられています。
 ワトソンがコンピュータに執念を燃やすきっかけは、ハーバードにありました。気鋭の若手学者ハワード・エイキンを紹介されたワトソンは、「研究が何かに役立つとは期待していなかったが、このプロジェクトに資金を提供すれば、ハーバード大学との関係を深められるだろう」との思惑から資金を投じ、1943年初めにエイキンとIBMは<Mark I>と名づけられた試作品を完成させています。1944年8月6日、翌日の発表を控え、ボストン駅に着いたワトソン夫妻は、ハーバード大学からの迎えを探しますが、迎えに来たのはIBMボストン支社長のマケイブただ一人でした。ワトソンの怒りに油を注いだのは、マケイブから渡されたその日の地元紙でした。翌日発表されるはずの<Mark I>が1面トップに取り上げられ、「エイキンとハーバード大学はIBMに無断で報道発表を行い、そこではエイキンが単独発明者として扱われていた」のです。著者は、「このときのマケイブほど気の毒な人物はいないだろう」と記し、ホテルに着くまでの間、ワトソンがエイキンを呪う言葉を吐き続けたと述べています。
 この事件をきっかけに、ワトソンは、「IBMがエイキンの力を借りずに電子計算機を作れることを、ハーバード大学と世界に知らしめてやるのだ」という誓いを立て、「エイキンの現行機種、今後の機種がすべて子どもだましに見えるような、抜きん出たコンピュータを開発するよう」命令しています。「IBMは復讐のためにエレクトロニクス事業に足を踏み入れた」のです。
 しかし、ワトソンは、コンピュータを「あくまでも非中核的な新規事業」と見なし、「パンチカード機械に代わるもの」、まして、「パンチカード機械を押しのけるもの」とは見なしていなかったと述べられています。
 1946年にトム・ワトソン・ジュニアがIBMに復職すると、ワトソンはトムにチャーリー・カークの補佐役を務めるように言い渡します。カークは「新しい補佐役をそれは熱心に鍛え」ますが、トムは「カークの心の広さに感謝しながらも」、カークが「IBMの中心に居場所を持って」いることが面白くなかったと述べられています。
 トムにとってカークは「ワトソン一家に打ち込まれたくさびのような存在」であり、トムもカークもワトソンから認められようと、何とか手柄を立てようと競い合うようになり、ワトソンは、将来を意味するトム・ジュニアと現在を意味するカークとの間で「板ばさみになった気分だった」と述べられています。
 ワトソンは時間を稼ぐために、トムとカークをいっしょにヨーロッパ出張に送り出します。ワトソンは、「本社での日々のプレッシャーから解放されて、長旅を共にするあいだに、一緒に仕事をしていく術を見出してくれるのではないか」との期待を抱いていました。しかし、リヨンのカールトン・ホテルに到着し、IBMフランスの歓迎を受けたカークは、「胸から胃にかけて激しい痛みを感じてテーブルを立ち、化粧室に入ると嘔吐し」、駆けつけた医師からは、「神経過敏を原因とする発作的な左胸痛」と診断されますが、午前4時、カークは心臓発作を起こし、43歳で息を引き取っています。
 著者は、ワトソンとトムが、「エレクトロニクスについて話し合いをしたことも、合意に達したことも」なく、ただ行動しただけであったが、ワトソンからトム・ジュニアへの代替わりをうまく進める上で、この「無意識の合意」が重要な意味を持ち、エレクトロニクス事業のおかげで、トムは父親の影から逃れられたと述べています。しかし、エレクトロニクス事業をめぐる確執はなかったものの、トムは、「地位を賭けて戦わなくてはいけない」と感じ、「ワトソンとトム・ジュニアが一つの部屋にいると、まるで蓋の空いたガソリン容器が二つ置かれているようだった」と述べられています。
 トムは、権力を手に入れるにつれて、より激しくワトソンに挑むようになり、トムは、IBMの最上層部に仲間を引き入れ、ワトソンの腹心は、「忠実な老僕フィリップス」を除いてみな去っていきました。
 著者は、「トム・ジュニアが権力を手に入れ、IBMがエレクトロニクス事業に大胆に参入する」という一連の出来事が、「その後のIBMの行方を決定付けた」が、
「かりにトム・ジュニアがいなかったなら、IBMはどうなっていたか」という「非常に興味深い問い」を提起しています。著者は、「ワトソンの資質はIBMを築き上げるうえで欠かせなかったが、これが逆にあだとなって、IBMの弱体化、ひいては凋落を招いていただろう」と述べ、「もしトム・ジュニアがいなかったなら、IBMは傾いていたかもしれない」と述べています。また、「もしカークが生きていたら?」という問いに対しては、「カークは優れたCEOになっていたかもしれないが、リーダーとしての大胆さ、高い創造性といったものは片鱗すらも見えなかった」して、「カークが経営トップの地位に就いていたなら、IBMは持ちこたえはしただろうが、トム・ジュニアの下でのような躍進は望めなかったはずである」と述べています。著者は、全体として、「すべてがワトソンにとって申し分のないめぐり合わせとなった」としたうえで、先の二つの問いのカギは「社風」であり、リーダーシップの空白が生じたとしても、「やがて社風を土台にリーダーが生まれ、会社に再び活力をもたらしただろう」と、ワトソンの死から40年後、リーダーシップ危機に襲われたIBMが、ルイス・ガースナーの基で再生を果たした折、IBMの社風が「まさにそのような役割を果たした」と述べています。
 第12章「世界をこの手に」では、ワトソンが、「まるで、これから企業を築こうとする企業家のように判断を下し、自分の直感に頼るという危険な綱渡り」をすることで、「ワトソンはIBMにとって重荷になりつつあった」と述べられています。また、ワトソンがもう一人の息子のディックにIBMワールド・トレードを任せようとしたことに、トム・ジュニアが反発したことや、ドラッカーが、ディックを評して、「偉大なる創業者の息子でなかったら、ディックはどうがんばっても事業部長どまりだったでしょう」と語っていることを紹介しています。
 ワトソンは「賛辞にとにかく弱」く、古参幹部であるニコルは、「ワトソンのそばから離れずに当意即妙のお世辞を繰り出すことで、出世の階段を上った」と述べられています。ワトソンは、数々の称賛の中でも、
(1)紳士録の記述:ワトソンの項は長文ぶりで知られ、そこには数百にも上る組織や団体とのつながりが記されていた。
(2)名誉学位:有名大学から一目置かれることは、ワトソンの学歴面での負い目を軽くした。
(3)勲章:ワトソンは壮麗さや儀式を好み、何よりも、自分が海外にまで広く名を馳せる政治家になったような気分に浸った。
の3種類に特に弱かったと記されています。
 1952年1月15日、トム・ジュニアの社長指名が公表され、新体制に移行した直後、アメリカ司法省が、
・自社製カードにしか対応しない仕様で機械を作ることによって、他社からのカードの製造のチャンスを奪い、顧客に自社製カードの購入を強いた。
・特許の管理や買取を通して、競合の芽を摘んだ。
・リース制度を通して機械・部品の中古市場やアフターサービス市場の発展を妨げた。
などの反トラスト法違反のかどで、IBMを相手取った訴訟を起こしています。ワトソンにとってこの告発は、「38年にも及ぶ自分の功績をぶち壊しにしかねないもの」であり、訴えの取り下げや和解に応じるつもりがないことを告げた司法省のモリソンは、ワトソンが、「涙を流し、やがてその場から立ち去った」と語っていると述べられています。
 1930年代にIBMがわが世の春を謳歌し、90%もの市場を握り、次々と特許を取得することで、「さらに高い壁を張り巡ら」すことができた理由として、著者は、
(1)社内の取り組みとしては、エンディコットに研究所を設立して、研究や製品開発への投資を増やした。
(2)苦境にある競合他社から花形技術者を引き抜いた。
(3)他社が大恐慌に耐えるために資金を必要としていたのにつけ込んで、強引ともいえる安値で既存の特許を買い取った。
の3点を挙げ、ワトソンは、「自分の特許戦略をあくまでも優れた事業センスの賜物だと見なし、市場を独占するための戦術だとは思ってもいなかった」と述べています。
 トム・ジュニアは、司法省が取り上げているのが、「すべて、統計機械やパンチカードなど、過去と現在の製品に関わる問題だという点に着目」し、司法省との和解を進めたい、
(1)政府はこれらの製品の市場支配力を弱めることを求めているだけなので、関連特許の他社への開放や売り切り制の導入、他社製カードの使用などの取り組みを行うほうが政府と法廷闘争を続けるよりも楽に思えること。
(2)父親の前ではけっして口に出さなかったが、古くからのパンチカード機械のリース料とパンチカードの売上に収入を頼っているかぎり、厳しい競争と不確実性が待ち受ける新しい時代に進んで飛び込むことができないこと。
の2つの理由があったことが述べられています。
 1952年の大統領選当日、ワトソンは、<UNIVAC>がコンピュータ業界のリーディング・カンパニーの地位をIBMから奪おうとするという「生涯で最も屈辱的なPR上の大問題」に直面します。著者は、1950年代の萌芽期のコンピュータ業界において、IBMは「動物園で育てられたトラが自然環境に放たれたように、毎晩同じ時間に目の前に夕飯が運ばれてくることなどない、と初めて知った」のだと述べています。<UNIVAC>幹部は1952年の大統領選の当日、CBSテレビに「開票結果を予測するコンピュータを提供しましょう」と申し出、CBSは「少なくともおもしろい試みではある」との理由から番組で<UNIVAC>を使用しています。一部地域からの開票速報を入力した結果、<UNIVAC>からは、接戦を予想した世論調査の予測を裏切り、「現在のところ、00対1でアイゼンハワーが優勢」という予測、すなわち、「アイゼンハワーが438票対93票でスティーブンソンを破り、地すべり的な勝利を手にする」という結果が予測されています。実際にはプログラムが2桁の数字しか想定していなかったためのトラブルで、100対1でアイゼンハワーが優勢、というものでした。
 翌日の開票結果は、「442票対89票」という結果で、<UNIVAC>が誤差1%未満という正確さで予想を的中させたことが、「ユニバック」という言葉を「コンピュータ」の代名詞に押し上げ、IBMがコンピュータ製品を市場に出した際には、世間からは、「IBM製のユニバック」と呼ばれたことが述べられています。
 ワトソンはこのとき激しく動揺し、「自分が権力の座から滑り落ちたと思い、震え上がった」と伝えられています。
 第13章「人間ワトソン」では、トム・ジュニアが「既存の枠にとらわれずにチャンスに飛び込む人材」を「野鴨(ワイルド・ダック)」と呼び、野心あふれる戦後世代は、トム・ジュニアの新鮮な発想に心惹かれ、IBMソングを歌うのを嫌がり、まわりと同じような服装をする姿勢に違和感を抱いたと述べられています。一方ワトソンを取り巻く舞台は、「風景、支柱とも新しくなり、そこでは新しい人材が新しい筋書きに沿って動き回っていた」が、ワトソンは退場を拒み、経営トップの地位に恋々としていたため、「IBMの若手幹部たちは、凄まじい速さで成長する企業で次々と積み重なっていく課題に対処しようと、時間に追われていたため、『ご老人』ワトソンが会議に加わるとしばしば顔をしかめ」たと述べられています。「ワトソンの振る舞いはまるで、戦争の英雄がいまだに自宅で制服を着て、家族を朝礼に引きずりだそうとしているようだ」ったのです。
 1953年に2ヶ月のヨーロッパ出張に出かけたワトソンは、息子をはじめとしたIBMの若手幹部たちに、「会社を動かしていけるだけの能力と知識が」あり、「ワトソンがじかに指揮を執らなくても、変革を遂げ、成長していること」、「自分の下を離れて独り立ちするのが、会社のためなのだ」をようやく悟ったのだと述べています。
 IBMは<UNIVAC>追撃のために、コンピュータ事業に力を振り向け、IBMと<UNIVAC>を製造するレミントン・ランドの組織の差は徐々に浮き彫りになってきます。「目的意識、まとまり、団結心。どれをとっても、IBMのほうがはるかに上」であり、「レミントン・ランドは砲弾の雨の中に足を踏み入れたような気分だったに違いない」と述べられています。トム・ジュニアは金に糸目をつけずにエレクトロ技術者を集め、矢継ぎ早に新製品を開発しますが、IBMがレミントン・ランドを打ち負かす決め手となったのは、技術力ではなく、「ワトソン譲りの優れたセールス手腕がものを言った」のであり、IBMのセールスマンが顧客にコンピュータ導入のメリットを一生懸命説明するのに対し、レミントン・ランドのセールスマンは、技術的な説明ばかりを繰り返したと述べられています。
 著者は、仮にトム・ジュニアが<UNIVAC>追撃過程のどこかで躓いたとしても、「IBMの社風にしっかりと根を下ろした自立性と結束が本領を発揮して彼を助け、目的を達することができた。ワトソンが手塩にかけた宝物は十分に成長していた」と述べています。
 反トラスト法訴訟への対応をめぐっては、ワトソンはトム・ジュニアと真っ向から対立し、裁判所への出頭をめぐって、「お前じゃまったく埒が明かん!」と罵声を浴びせるワトソンに、トムからは「どっちかにしてくれ。行けといわれれば行くし、行くなというなら電話で先方に断りを入れる」という言葉が飛び出し、これにワトソンは、「行け。ただし、何かを決めてくるのは許さん!」と一喝しています。何人かの証言によると、「トム・ジュニアは本社ビルの外に出たものの、どうすればよいか途方に暮れて、ニューヨークの歩道に立ち尽くしていた」と伝えられています。そして、裁判所の会議室で法務担当者や裁判官とテーブルを囲んでいたトム・ジュニアのもとに、秘書から一枚の紙片が手渡されます。
「  ありったけの
   信頼
   感謝
   称賛
   愛情をお前に
   父より  」
 トム・ジュニアの頬には、裁判官たちの目の前にもかかわらず、涙が伝わり落ちたと伝えられています。
 ワトソンは、「自分の支えがなくてもIBMが走れるよう」になると、めっきり衰え、胃腸の機能が衰え、慢性的な吐き気に悩まされるようになります。医師からは外科手術を勧められますが、ワトソンは拒み、1956年6月19日、82年の生涯を閉じています。
 ワトソンの死後、IBMの従業員たちが最後にワトソンの姿を目にする機会は、年末の従業員向けメッセージとして収録された映像で、ワトソンは映像の最後に、1914年にCTRの従業員たちに説明した「Man(人)についての提案」を持ち出し、「肩書きは所詮肩書きに過ぎない。ビジネスで中心的な役割を果たすのは、一人ひとりの人間である」と話し、「結局のところ、ビジネスは人の力にかかっているのだ」と締めくくっています。
 著者は、「事務仕事を肩代わりする機械(マシン)をこの世にもたらし、考える機械(シンキング・マシン)を次々に市場に送り出し、『電子頭脳』を作り上げた産業界の巨星ワトソン」が、「人間らしさを忘れてはいけない。人間らしさを活かすように」と私たちを諭していると述べています。
 第14章「創業者の遺産」では、ワトソンの遺産を、
(1)情報という種から産業を芽生えさせた
(2)企業文化に大いなる可能性を見出した
(3)企業経営者が著名人(セレブ)として扱われる先がけとなった
の3点を挙げています。
 本書は、IBMという一企業の創業者の伝記にとどまらず、ビジネススクールで教えるような経営の理論、エッセンスではなく、「経営者」という存在が、欠点も併せ持つ生身の人間であることが生む力の素晴らしさを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ピーター・ドラッカーは、「独自の価値観に根ざした日本的経営」というテーマを語ると、日本では「必ずといってよいほど笑われた」というエピソードを語っています。日本人は、「われわれはただIBMのこれまでの取り組みをなぞっているだけなのです」と語るからです。日本人はいつも、「1950年代に戦後の復興に本腰を入れ始めた折、最も成功した会社はどこだろうかと、世界を見わたし」たところ、IBMを置いて他になかったからだと答えたそうです(邦訳『すでに起こった未来』)。
 著者は、ワトソンの教えが、「戦後の日本経済を助け、そのすみずみにまで影響を及ぼした」と同時に、1990年代にIBMと日本企業がともに苦境に陥ったのは偶然ではなく、「ビジネスモデルが根本から変化して、ワトソン流の手法や家族主義的な経営が通用しなくなったから」であると述べています。そしてIBMがルイス・ガースナーという指揮官を得て、「新しい時代の競争に耐えられるように必要な変革を進めていった」一方で、「日本の産業界には、いまだそのようなリーダーは登場していない」と述べています。
 岡崎哲二氏らによる戦前の日本企業の研究によれば、戦前の企業こそ、株主重視で短期的な業績にこだわり、ホワイトカラーの人材流動性も高く、終身雇用は一部でしか見られなかったことが明らかになっています。
 現在、「日本的経営」として槍玉に揚がっている終身雇用や家族的経営のルーツが、本書で描かれているワトソンにあることは、今も昔も外資系企業の人事慣行に対する信仰の強い日本企業にとって、皮肉なものかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・日本的経営のルーツを探りたい人。


■ 関連しそうな本

 トーマス・ワトソン・ジュニア (著), 高見 浩 (翻訳) 『先駆の才 トーマス・ワトソン・ジュニア―IBMを再設計した男』
 ルイス・V・ガースナー (著), 山岡 洋一, 高遠 裕子 (翻訳) 『巨象も踊る』 2005年03月21日
 P.F. ドラッカー (著), 上田 惇生 , 林 正, 佐々木 実智男, 田代 正美 (翻訳) 『すでに起こった未来―変化を読む眼』


■ 百夜百マンガ

万年雪のみえる家【万年雪のみえる家 】

 拡げすぎた伏線を回収しきれないまま序盤で打ち切られた大河ドラマです。結局、番長もの(金太郎含む)以外のストーリーはまとめきれないというお決まりのパターンです。

2007年1月28日 (日)

不思議の国のアリス

■ 書籍情報

不思議の国のアリス   【不思議の国のアリス】

  マルティン・ガードナー, ルイス・キャロル (著), 石川 澄子 (翻訳)
  価格: ¥1365 (税込)
  東京図書(1980/01)

 本書は、『不思議の国のアリス』にマーティン・ガードナーによる注釈をつけたものです。ガードナーは、ギルバード・K・チェスタートンがルイス・キャロル生誕百年際に際して、「『アリス』がすでに学者たちのおぞましい手に落ちて、『古典文学の墓石のような灰色の記念物になりつつある』という彼の『さむけ』を表明した」ことを紹介し、「アリスはつかまえられて勉強をさせられるだけではなく、他の者たちにまで勉強をさせるはめになっているアリスはいまや生徒であるばかりではなく、先生でもある」という言葉を紹介しています。しかしガード-ナーは、、「滑稽談というものはツボが解らなければ笑いがはじけないので、なぜ、その冗談がおかしいのか、そのわけを知らなければならないこともある」述べ、「アリス」が「もともと一世紀前の英国人を対象として書かれたので、我々はついぞお目にかかったことのない、したがってピンとこない冗談とつきあうわけである」タメ、「この本のこきみのよい才気を心ゆくまで味わいたい読者は、本文には書かれていない、背後のさまざまなことを知る必要がある」と述べています。また、ガードナーは、
・比喩的な解釈
・精神分析的な解釈
の2つの種類の注釈をできるだけ避けたと述べています。
 第1章「兎穴を降りる」では、いきなり穴に落ちるところからはじまっている理由について、「わたしは先先話をどう進行させようかというあてなどまるでないまま、いきなりヒロインを兎穴から降下するところからはじめてしまった」というキャロルの言葉を紹介しています。
 また、挿絵にかかれたアリスは、実在のアリスである黒っぽい髪をおかっぱにしたアリス・リデルではないだけではなく、キャロルが選んだメアリ・ヒルトン・バドコックの写真を送られた画家は、モデルを使うことを拒んだことが注釈されています。これに関してキャロルは、「彼の描いたアリスは均整が全然取れていない。それも一ヶ所や二ヶ所ではありません。頭が異常に大きく、足はこれまた異常に小さく、かたわじみていますモデルを使わなかったからです」と不満を漏らしています。
 また、アリスが飲んだ「わたしを飲んで」と書かれたびんの中身は「桜んぼ入パイとプリンとパイナップルと七面鳥の焼肉とタフィーと焼きたてのバタートーストを一緒にしたような味」だと本文に書かれていますが、これに関する注釈はありません。「実際に試してみたが~」から始まる注釈も期待したいものです。
 第2章「涙の池」では、「2つの『アリス』に出てくる詩の大部分はキャロルと同時代の読者なら誰でも知っていた詩か、ポピュラー・ソングの替え歌」であり、「1、2の例外を除けば、その原詩は今はすっかり忘れられてしまい、題だけがキャロルにからかわれたばかりに生き残っている」が、何が茶化されているのかがわからなければ、滑稽さがぴんとこないので、すべての原詩を収録していることが述べられています。
 第5章「芋虫の忠告」では、キャロル自身が、幼児向けの「アリス」の中で、芋虫の鼻とあごが実は足だと解説していることを紹介し、1951年のディズニー版「アリス」における「眼をみはるような視覚効果の一つ」として、「芋虫の口からぷかぷか出てくるさまざまな色の煙の環がスクリーンの上で広がりながら文字や物の形に変わって、芋虫のセリフを形成しつつ薄れ、消えていくという手法」を紹介しています。
 また、本書のもとになった「地下世界に行ったアリスの冒険」においては、「きのこのかさを食べると体が大きくなり、茎を食べると小さくなるといっている」ことを紹介し、キャロルが読んでいたかもしれない昔の本には、幻覚を生ずる特性を持ったキノコを食べるときに、そういうきのこを食べると大きさと距離に関する幻覚を生ずると書かれていることが紹介されています。
 第6章「ブタと胡椒」では、「チェシャネコのような笑い」という言葉が、キャロルの時代には耳慣れた表現であったことや、その起こりは、
(1)チェシャ州(キャロルの生地)の看板画家がその地方の旅館の看板に笑っているライオンを描いた
(2)チェシャチーズはひと頃、笑うネコの形に作られていた。→「チーズに化けた猫が、チーズを喰うネズミを喰うところを想わせるから、まさにキャロル的魅力をもつ」
の2つの説があることが紹介されています。
 また、アリスが抱いた男の赤ん坊がブタに変わってしまう理由として、キャロルが男の子をさげすんでいたことを取り上げています。
 チェシャ猫に案内された帽子屋については、「帽子屋のように狂った」や「三月兎のように狂った」という表現が、当時は世間一般に使われていたことを解説し、信憑性のある説として、フェルトの製造過程で使われる水銀中毒のために、「帽子屋は本当に気が狂った」という説を紹介し、「犠牲者には、『帽子屋の震え』と呼ばれる症状が現れ始め、それから眼や手足が冒され、話がもつれた。症状がもっと進んでくると、幻覚が現れ、その他の精神異常を来たした」と述べています。
 第7章「気違いお茶会」では、このアリスの冒険が、アリス・リデルの誕生日である5月4日の出来事であることや、物語の中のアリスは7歳ということになっているが、この物語を書きとめた1862年にはアリスは10歳であったことなどが紹介されています。
 第8章「女王のクローケ試合」では、
・スペード→庭師
・クラブ→兵卒
・ダイヤ→廷臣
・ハート→王子
・絵札→王室のメンバー
のように、キャロルがほんとうのトランプカードの働きと、擬人化して息を吹き込んだカードの働きとをものの見事につなぎ合わせたことを絶賛しています。
 また、女王がひっきりなしに斬首命令を下すことに関して、「そういうシーンに対する子供たちの反応や、もし子供たちの精神に害があるとすれば、どんな害があるのかという経験的な研究はまだでていない」として上で、「普通の子供は首切りを大変おもしろがるだけで、ちっとも害はないようだ」と述べ、「『不思議の国のアリス』や『オズの魔法使い』のような本を、分析をやっているおとなたちの好餌にさせて放置しておくことこそ、有害だと」述べています。
 第9章「いかさま海亀の話」では、仔牛を使って作る「モック・タートル・スープ」(緑色の海亀のスープのイミテーション)を紹介し、挿絵画家のテニエルが「いかさま亀」に牛の頭と後ろひずめとしっぽをつけて描いた理由を解説しています。
 また、涙もろいグリフォン(オックスフォードのトリニティ・カレッジの紋章)は、「オックスフォードの低俗な『お涙頂戴』、『ああいいとも』志向を揶揄している」ものであることを解説しています。
 本書は、ディズニーなどでアリスに関心をもった人に、原作を楽しんでもらうためには、ぜひ一読いただきたい一冊です。注釈も物語の世界を邪魔するほどうるさくありません。


■ 個人的な視点から

 第11章「誰がパイを盗んだか」では、証人として法廷に引き出され、女王に睨まれたために「まっさおになり、すっかり落ち着きを失」った帽子屋が、王から、
「証拠事実を述べよ」
「びくびくすることはない。びくびくすると、この場で死刑に処す。」
を言われてビクビクしてしまうシーンがあります。
 これと同じことは、家庭でも職場でも色々なところで起きています。
それは、「怒らないから本当のことを言いなさい」というものですが、気をつけたいものです。


■ どんな人にオススメ?

・アリスを時代背景とともに楽しみたい人。


■ 関連しそうな本

 ルイス・キャロル (著), ピーター・ニューエル, マーティン・ガードナー (原著), 高山 宏 (翻訳), 『新注 不思議の国のアリス』
 ルイス キャロル (著), 高山 宏 (翻訳), ピーター ニューエル, マーティン ガードナー 『新注 鏡の国のアリス』
 マーティン ガードナー (著), 門馬 義幸, 門馬 尚子 (翻訳) 『ルイス・キャロル 遊びの宇宙』
 マイケル・W. フリードランダー (著), 田中 嘉津夫 (翻訳), 久保田 裕 (翻訳) 『きわどい科学―ウソとマコトの境域を探る』 2006年01月21日
 マーティン・ガードナー 『インチキ科学の解読法 ついつい信じてしまうトンデモ学説』 2006年02月11日
 マーティン ガードナー (著), 市場 泰男 (翻訳) 『奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究』


■ 百夜百音

「カリキュラマシーン」ミュージック・ファイル【「カリキュラマシーン」ミュージック・ファイル】 宮川泰 オリジナル盤発売: 1999

 世代的には、
あいつの頭はあいうえお
かんじんかなめのかきくけこ
散々騒いでさしすせそ
たいした態度でたちつてと
の曲もいいですが、ねじれてねじれてキャキュキョも忘れられません。

『カリキュラマシーン ベストセレクション』カリキュラマシーン ベストセレクション

2007年1月27日 (土)

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス

■ 書籍情報

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス   【広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス】

  スティーヴン ウェッブ (著), 松浦 俊輔 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  青土社(2004/06)

 本書は、「エイリアンがいる証拠が見つかってもよさそうなものなのに、いるようには見えないという矛盾」である「フェルミ・パラドックス」に対する多くの科学者から提起された50の答えを解説したものです。
 第1章「みんなどこにいる?」では、著者とこのパラドックスとの出会いが述べられ、著者にとってこのパラドックスが、「生命がいる可能性のある場所の数の多さと、宇宙の年齢の途方もない長さ」との「2つの大きな数のあいだの競争のように見えた」と述べています。そして、「フェルミ・パラドックスが面白いと思ったのは」著者だけではなかったため、「長年の間に多くの人々が、パラドックスに対する答えを出していて」、それを集めることが趣味になったと述べられています。そして、これらが、
(1)地球外生命はすでに何らかの形でこちらへ来ている。
(2)ETC(地球外文明)は存在するものの、何らかの理由でその存在を示す証拠が見つかっていない。
(3)宇宙にいるのは、あるいは少なくとも天の川銀河にいるのは我々だけで、そういえる理由も説明できる。
の3つの部類のいずれかにおさまるものであると述べられています。
 第2章「フェルミとそのパラドックス」では、「二十世紀物理学者の中でも一番完成された物理学者――最高レベルの実験的研究を行い、かつ世界レベルの理論家」であったエンリコ・フェルミその人について解説しています。また、「フェルミ推定」という、一見すると答えようのない問題の答えの大きさを推定する方法、について、その典型として、「シカゴにはピアノの調律師が何人いるか」という問題を、
(1)シカゴの人口を300万人とする。
(2)ピアノを所有するのは世帯であり、学校はオーケストラなどの団体のものは無視する。
(3)1世帯には5人いるとして、60万世帯があると推定できる。
(4)20世帯に1世帯がピアノを所有しているとするとシカゴには3万台のピアノがあることになる。
(5)ピアノは1年に1度調律が必要とする。
(6)調律師は1日に2台の調律ができ、年間200日働くとすると、75人のピアノ調律師が必要になるが、知りたいのは概数であるため、100人に丸める。
という6つの仮定から導く方法を解説しています。
 そして、フェルミが問いかけた「通信する文明はいくつ存在するか」という問題に対する推定として、ドレイクによって示された「銀河系で何らかの通信をしている文明の数を推定する手段」である「ドレイクの公式」を紹介しています。
 また、パラドックスへの関心が爆発したきっかけである、『クォータリー・ジャーナル・オブ・ロイヤル・アストロノミカル・ソサエティ』誌に1975年に掲載された、マイケル・ハートによる論文を紹介し、この論文が、活発な議論を巻き起こし、1979年にはフェルミ・マラドック酢を論じる学会が開催されたことが述べられています。
 第3章「実は来ている」では、「最も単純な解決方法」として、「『彼ら』はもう来ている、あるいは少なくとも、過去には『彼ら』は来たことがあるとする」方法を紹介し、3種類のうち、「一般の人々にずば抜けて人気がある」ものであると述べています。
 著者のとぼけているのは、この解の筆頭に、
・解1:彼らはもう来ていて、ハンガリー人だと名乗っている
というジョークを持ってきていることです。これは、フォン・ノイマンに代表されるロスアラモスで働くハンガリー人が、「火星人」とあだ名され、彼らの先祖の火星人は、人間に成りすましたが、放浪癖、言語、知能の3つの点でその違いを隠し切れなかった、とするものです。また、
・解2:彼らは来ていて人間のすることに干渉している
では、「私が今朝出勤するときに見た奇妙なドラゴンのような形の雲の説明をわざわざつけることはないのと同様、科学者には、空に生じた特定の光を生んだ状況を詳細に説明する必要があるわけではない」と述べ、説明を求められたとしても、「異様な光景を説明する新しい仮説は必要ない」と述べています。
・解3:彼らは来ていてここにいる証拠を残している
では、「火星は長い間、生命がいると思われてきた」理由の一つとして、イタリア語の「カナリ」という言葉に、英語圏の天文学者が「運河(カナル)」という「二つの水路を結ぶ人工的な構造物を表す語に訳した」ことがきっかけであると述べています。
・解4:彼らは来ていてここにいる――われわれはみんなエイリアンだ
では、「生命が別のところで生まれ、何らかの方法で地球に運ばれてきたのではないか」という説である「パンスペルミア説」を解説しています。
・解5:動物園シナリオ
では、「地球もETCがわれわれ用に残しておいた自然公園にあるのだ」とするもので、「あちらとこちらの相互作用が内容に見える理由は、あちらが見つかりたくないと思っていて、こちらからは向こうが見えないようにする技術的能力もあるのだろう」とするものです。しかしこの説は、「そう考えたところでどうなるのか」ということ、すなわち、「検証可能な仮説ではない」という理由で攻撃されていることが解説されています。同様に、
・解7:プラネタリウム仮説
も、動物園シナリオのバリエーションであり、この仮設を局単位まで進めると、「自分が経験すること――人、出来事、物――は、すべて自分の意識のないようだと思っていて、われわれが共有する外側の実在だとは考えていない」とする「独我論」に似てくる」と述べています。
 第4章「存在するがまだ連絡がない」では、「多くの科学者が地球外生命という問題についてとっている立場」として、「銀河には、生命がいる惑星が数万程度あり、その惑星の一部には、われわれよりも技術的にずっと進んだETCが存在する」というものを紹介し、この立場は、「ETCが存在するなら、なぜ彼らが見当たらないのか。少なくとも、何の消息もないのはなぜか」というフェルミの疑問に答える必要があると述べています。
・解9:星はあまりに遠い
は、「星と星の間の距離が大きすぎて、恒星間旅行ができない」ためとするもので、そのための宇宙船の建造のアイデアとして、「タキオン」、「ワームホールとワープ駆動」、「零点エネルギー」など、SFでお馴染みのアイデアを紹介しています。
・解11:浸透理論による取り組み
に関して、「特定の計について、その系の一方の端から反対側の端までの連続した経路がある確率を計算」する「浸透(パーコレーション)」の問題を解説しています。
・解14:家から出ない
では、「無関心と経済事情の不幸な結びつきによって、ETCは故郷にとどまるということかもしれない」という説を紹介しています。
・解16:向こうは信号を送っているが、その聞き方がわからない
では、「妥当な範囲で遅れる信号の量や種類は限られてくる」として、
・電磁波
・重力波
・粒子ビーム
・仮説上のタキオンビーム
の4つの通信手段についてその特質を検討しています。
・解18:こちらの探査方針が間違っている
では、探査方針として、
(1)目標探査:近くにある個々の星を狙い、意図的にこちらに向けられている信号や、漏れ出た放射がたまたま通りがかるのを探知するのを期待して、高感度の装置を用いる。
(2)全天探査:天球の広い範囲を操作し、無数の星を対象にし、感度は大幅に落ちる。
の2つの方法を挙げて検討しています。
・解22:バーサーカー(皆殺し集団)
では、1950年代の冷戦時代の戦略家が、「すさまじい威力があり、制御不能で、地球上の人類をすべて――当の平気の所有者を含めて――死滅させられる」という「最終兵器」のアイデアを考えていたことに関連して、「感覚を備えた、自己増殖する機械で、有機的生命にとっては野蛮にも危険である」バーサーカーのせいで、ETCは成長できないか、バーサーカーによって滅ぼされるか、バーサーカーの関心を惹かないように息を殺しているかである、というものであることを述べています。
・解25:向こうは呼びかけているが、こちらが信号を察知していない
では、「メッセージを探知したとして、その内容を解読できるだろうか」として、「ヴォイニッチ手稿」を引き合いに出して解説しています。
・解27:破滅のいろいろ
では、未来のナノロボットが自己増殖を繰り返し、地球表面の生物を構成する素材を分解し、それを使って自分たちの複製を増やすことで、「貪欲なナノロボットとその廃棄物の海に変わってしまう」という「灰色のねばねば(グレー・グー)問題」について解説しています。
 第5章「存在しない」では、「われわれが連絡を取れるほど進んだ地球外文明は存在しない」という区分を紹介し、我割れば、「われわれに観測できる対象は、観測者であるわれわれの存在にとって必要な条件の範囲内のものとならざるを得ない」という「弱い人間原理(ウィーク・アンスロビック・プリンシプル、WAP)」に拘束されていると述べ、これはほとんど「同語反復(トートロジー)」であることを認めています。
・解34:われわれが一番乗り
では、「重い元素が生命ができるほどの恒星間の空間にたまったのは、最近になってからのこと」だとする仮説を紹介しています。
・解36:継続的に居住可能な領域は狭い
では、地球型の惑星である以外に、「われわれが知っているような生命が、技術文明が発達するのに必要な何億年も生き続けるには、別の条件も満たさなければならない」として、「惑星系の居住可能領域(HZ)になければならない」という説を紹介し、その鍵が水であることを解説しています。
・解42:こんな月は滅多にない
では、月の存在がフェルミ・パラドックスを解決できるとする理由として、
(1)月のどこが変わっているのか。
(2)他の惑星系に、地球の衛星に似た衛生が存在する確立はどのくらいあるか。
(3)月の存在が知的生命の発達のために必要かもしれないというのはどういうことか。
の3つの疑問に答えています。
・解43:生命の誕生がめったにない
では、「生命の鍵を握る成分は水らしい」として、現在の太陽系では、「地球以外に少なくとも3つの天体に海があるかもしれない」として、木星の衛星のエウロパとカリスト、土星の衛星タイタンに海のある可能性に言及しています。
 第6章「結論」では、「これほどデータに乏しく、根拠のない、偏った推測に左右された――人類の究極の運命の巻き添えになった――重要問題もあまりない」というデーヴィド・ブリンの20年前の言葉を紹介した上で、
・解50:フェルミ・パラドックスは解決した
として、「ETCの来訪を受けたことがなく、そこからの連絡もない」という「どんな論争があっても、その中で確固とした事実」を指摘しています。
 著者は、「フェルミ・パラドックスが教えてくれるのは、この銀河系の中で知性のある、もののわかる種族は人類だけということだ」と述べています。
 本書は、異星人の存在を考えることを通じて、われわれ自身のことを考えるきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 私たちは、小さな頃からこの広い宇宙の中で地球という星に縛り付けられている、というイメージを共有していて、江戸時代の大多数の日本人のように、外の世界をまったく知らないまま一生を終えていく、という想像をしていましたが、それほど簡単に「宇宙人」というのはいるわけではなさそうです。
 こうなるとほとんど、「あの世」のイメージの共有に近いものがあるような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・「宇宙人」の可能性に思いをはせて見たい人。


■ 関連しそうな本

 ウィリアム・パウンドストーン (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『パラドックス大全』 2007年01月13日
 ニール・F. カミンズ (著), 増田 まもる (翻訳), 竹内 均 『もしも月がなかったら―ありえたかもしれない地球への10の旅』
 サイモン シン (著), 青木 薫 (翻訳) 『暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで』 2006年05月03日
 ロビン・ウィルソン 『四色問題』 2006年07月18日
 チャールズ サイフェ (著), 林 大 (翻訳) 『異端の数ゼロ―数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』 2005年11月20日
 サイモン シン 『フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』 2006年09月02日


■ 百夜百音

I Wanna Be Adored【I Wanna Be Adored】 Stone Roses オリジナル盤発売: 1991

 美しい&懐かしい曲です。今でもベースのリフをポツリと弾いてしまうことがあります。

『The Stone Roses』The Stone Roses

2007年1月26日 (金)

仕事人間のバーンアウト

■ 書籍情報

仕事人間のバーンアウト   【仕事人間のバーンアウト】

  横山 敬子
  価格: ¥2625 (税込)
  白桃書房(2003/12)

 本書は、「リストラの後、企業に残った人々の中」に見ることができる、「バーンアウトを起こし、やる気をなくしてしまった人達」を、「活用することにこそ、企業成長の種が潜んでいるのかもしれない」という問題意識から書かれているものです。著者は、本書の読者対象を、「研究者や学生ばかり」ではなく、「むしろ企業の経営企画室(人事部も含む)などの会社全体の運営を考える人、管理職についている人にこそ読んでいただきたい」と述べています。
 第1章「バーンアウトの基礎的理論的研究」では、日本では、1980年代に「働きすぎからバーンアウト(燃え尽き症候群)になり、仕事への意欲をなくし、さまざまな精神・身体症状が発生し、自殺する人まで出てきた」ことから話題になったが、1990年代にはほとんど注目を浴びることはなくなり、その研究において主流を占めてきたのは、「主としてヒューマンサービス従業者(看護し、教師など)であり、その対象として、企業組織で働くヒューマンサービス以外の仕事についている人々(企業の従業員、管理者など)のバーンアウトは、特にわが国において、ほとんど注目されてきていない」ことが述べられています。
 また、バーンアウトという言葉は、精神科医のFreudenbergerによって広められ、「健康管理専門職に見られる情緒的な極度の疲労、肉体的疲労、職務熱中の不在、患者への人間性抹殺、低下した職務達成などの以前から気づかれている現象」にこの言葉が当てはめられたことが述べられています。そして、1970年代後半から1980年代初頭にかけての実証的研究の結果、バーンアウトの尺度として、「マスラックバーンアウト尺度(MBI)」、「バーンアウト指標尺度(BI)」が開発されたことが紹介されています。
 第2章「職務バーンアウトに関する文献研究」では、日本において職務バーンアウト研究がほとんど皆無であることを挙げ、アメリカにおける過去の職務バーンアウト研究の成果として、ストレサーとして、
(1)対人関係次元
(2)職務関連次元
(3)組織プロセス次元
(4)職歴開発次元
(5)状況認知次元
などが挙げられていることや、「ストレスある出来事の中で、または間で、経験により修正される継続的な処理上のプロセス」である「コーピング」などについて解説しています。
 また、職務態度から職務行動、職務行動から職務業績に行く研究がほとんど見当たらない理由として、
(1)調査上の難しさ
(2)調査における独立変数同士の関係を見た研究がわずかであること
の2点を挙げています。
 第3章「実証的研究」では、
・まず、対人関係、職務関連、組織プロセス、職歴開発、状況認知などのストレサーを知覚してバーンアウトを起こす。
・ほかに上司のサポートや性格などのモデレーター要因もバーンアウトに影響を及ぼす。
・その結果、職務満足や組織コミットメントが減るなどの職務態度に影響が起こる。
・さらにそれらの職務態度は、欠勤などを含めた職務行動に影響し、最終的に職務業績を落とす。
という因果関係のモデルを想定し、仮説の検証を行っています。サンプルとしては、「東京に本社を置く14社」に質問票調査を行い、587名の事務系の正社員・管理職から回答を得ています。
 第5章「結論」では、属性とバーンアウトの関係について判明したこととして、
(1)男性でかつ26-30歳、6-10年勤続、総合職のいずれか1要因を持つ人。
(2)女性でかつ25歳以下、31-35歳、1-5年勤続、未婚、一般職のいずれか1要因を持つ人。
(3)男女短大卒・高専卒・大学中退者。
の3グループの人たちが、「男性でかつ、中高年、既婚、管理職のいずれか1要因を持つ人に比べ消耗感、冷笑癖(あるいはどちらか)が強かった」と述べています。そして、「消耗感がバーンアウト過程において中心の役割を果たしていること」を明らかにするとともに、「日本的経営においては、権限のない有能な人に仕事が集まりやすく役割過重になる」ことが立証されたと述べ、役割過重は、「単に仕事量が多いというだけではなく、周囲からの過剰な期待、高い遂行基準、権限がないのに責任ばかり押付けられるということが、含まれ、よって疲れきって消耗感が起こる」と推察しています。
 さらに、終章「面接調査」では、調査を行った14社のうちから同意を得た7社の部長・役員を対象に、関連事項を含めた面接調査を行い、
・全員が有能な人に仕事が集まる傾向を認め、その人が持つ権限については、(1)最初は一人で注文をこなしているうちに後から金や人を使う権限がついてくる、(2)権限は与えられず作業として仕事だけやらされる、と意見が分かれた。
・日本では、有能な人に仕事が集まるのが普通で、役割過剰になるのは上司が認めている証拠でもあり、そのことに気づかない人が、消耗感を覚えるという指摘があった。
・上司が意見を汲み上げる手法としての飲み会は今は利用されず、昼食や出張時の車中での上役との会話は否定されず、その意味としては、(1)仕事が忙しく飲み会を利用している余裕はない、(2)上司は多忙なので突然言われても対応できないため、これらの機会に意見の概要を伝え、会議などの公式の場で詳しい説明をする、等が挙げられた。
・同期の中での違いが出てくるものは、給料、仕事の内容、地位、部下の数という選択肢以外に上司に恵まれることであることが挙げられた。
などの結果を述べています。そして、上司のタイプを、「責任をとる・とらない」の2タイプに、社風を「風通しの良い会社・悪い会社」の2タイプにそれぞれ分け、
(1)「責任をとる上司・風通しの良い会社」→職務バーンアウトが起こりにくい。
(2)「責任をとる上司・風通しの悪い会社」→職務バーンアウトが起こるかどうかは上司の力量にかかってくる。
(3)「責任をとらない上司・風通しの良い会社」→仕事に失敗すると、責任をとらされてバーンアウト状態に陥るか、解雇される場合もある。
(4)「責任をとらない上司・風通しの悪い会社」→職務バーンアウトではすまない。
の分析を行っています。
 著者は、本研究の目的が、
(1)リストラ(人員整理)後に企業に生き残った人たちにバーンアウト現象があるのか。
(2)バーンアウト現象があるとすればどのような特質を持った人が、どのような要因でバーンアウトに至るのか。
(3)バーンアウトの結果どのようになるのか。
を明らかにすることであることを述べた上で、
・職務バーンアウトを起こさないためには、組織目標がはっきりしていて、正確な業績評価、他人から意義ある仕事と認められること。
・従業員にやる気を出させ、活性化させるのにまず必要なことは、評価面の充実であること。
などの提言を行っています。
 本書は、医療や福祉の世界として知られてきたバーンアウトが、事務系の会社員にとっても他人事ではなくなっていることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は元々、バーンアウトに関して行った調査だったのですが、追加面接は、管理職や役員に対してインタビューしたせいか、いくらか人生訓めいたものが多くなったのではないかと想像します。それはそれで含蓄のあるものなのですが、本書の中ではやや唐突な感じが否めませんでした。


■ どんな人にオススメ?

・燃え尽きそうだと心配になった人。


■ 関連しそうな本

 田尾 雅夫, 久保 真人 『バーンアウトの理論と実際―心理学的アプローチ』
 久保 真人 『バーンアウトの心理学―燃え尽き症候群とは』
 清水 隆則 , 西尾 祐吾, 田辺 毅彦 『ソーシャルワーカーにおけるバーンアウト―その実態と対応策』
 水沢 都加佐, Be!編集部 『「もえつき」の処方箋―本当は助けてほしいあなたへ』


■ 百夜百マンガ

風魔の小次郎【風魔の小次郎 】

 「リンかけ」の最終回に向けての異様な盛り上がりとコマづかいの巨大化に慣れてしまった目には、ストーリー序盤の緩やかな展開や入り込めていない設定は物足りなかったようです。

2007年1月25日 (木)

東京のドヤ街・山谷でホスピス始めました。―「きぼうのいえ」の無謀な試み

■ 書籍情報

東京のドヤ街・山谷でホスピス始めました。―「きぼうのいえ」の無謀な試み   【東京のドヤ街・山谷でホスピス始めました。―「きぼうのいえ」の無謀な試み】

  山本 雅基
  価格: ¥1680 (税込)
  実業之日本社(2006/03)

 本書は、日本最大のドヤ街である「山谷」に「身寄りのない人、行き場のない人」が入居するホスピス「きぼうのいえ」を作った著者自身による3年半の記録です。この「行き場のない人」とは、「多くは抱えている疾病のために施設ホスピスには入れないひと、病院を出されて行き場を失ったひと、退院はしたもののひとりでは暮らせず、かといって療養施設にも入れないというひと」と述べられています。
 著者は、きぼうのいえの入居者を、「身寄りがなく、行き場を失った、余命にかぎりのあるひとたちのための家」と定義し、「おのずと在宅型のホスピスケア施設の様相」を呈してくると述べ、「施設ホスピス」ではないため医療的な設備はなく、「ごく普通に生活しながら、死を受け入れていく家」だと語っています。
 著者は、「実際に波乱万丈な人生を歩んできた人のユニークさについていくのはなまやさしいことではない」と率直に語り、「金にまつわる家族や血縁とのドタバタはきぼうのいえでは結構多く、親族とのトラブルのほとんどが金にまつわるもの」だと述べています。そして、「人生の終わりの時期に持つ悩みや痛み全体へのケアが必要」として、「ホリスティックケア」(全人的ケア)と名づけています。
 第2章「ぼくがきぼうのいえを建てるまで」では、1985年の日航機墜落事故の報に接した不安から「悲しみの底にあるひとのそばで生きることだけが、自分の使命である」と天命を受け、ボランティアを始め、その延長線上にファミリーハウス運動の活動に携わり、そして著者自身もうつ病とアルコール依存症にはまり込むバーンアウトを経験、そして、この「飲んでも飲まなくても『地獄』」という状態から、「三度の飯より好きだといわれる『人助け』によって」、自分自身が救われたと語っています。そして、『ボランティア第一号兼自分の奥さん」との出会いや、廃業したラブホテルやパチンコ屋を紹介された物件探しの苦労が語られています。
 また、施設の名前を決めるときには、「ストレートが一番」ということで「希望の家」、「山谷には漢字が読めない人も多い」という理由で、「きぼうのいえ」という名前が決まったことが語られています。
 第3章「とうとうオープン」では、「お風呂に入りたい人はいませんか」と炊き出しの場で声をかけては怪しまれ、「突飛な、ある意味独りよがりな善意の表現というものは、相手に恐怖心を起こさせる薄気味悪いものでしかないことをしみじみと実感した」と語っています。また、台東区役所では、ドヤに住む人には山谷の旅館業組合との話し合いの結果、6万6千円支給されているのに、在宅ホスピスに住む人への住宅扶助は5万3700円であると示されて奥さんが「切れた」ことが語られています。
 しかし、運営開始の3ヵ月後、「何とか運営が軌道に乗ろうとしてきた矢先」に、著者自身のうつが再発し、「まるで『休め』と強制終了をかけるように、頭の中でうつのボタンが押されたのを自覚」したと語られています。
 第4章「看取りのとき」では、「お葬式っていうのは、天国に誕生するお祝いの日なんだよ」という司祭の言葉が紹介されています。また、「人をだまして金銭的報酬を得て身を立てること」を常習とし、原野商法などに手を染め、「無縁仏にしてください」を遺言に残した入居者のエピソードや、大柄な元ヤクザの認知症の入居者の「ぼけたとき、人は元来持っている個性を隠し立てできなくなる」人柄の魅力などが語られています。
 そして、立て続けに問題を起こす入居者に、著者自身が手を挙げてしまい、ソーシャルワーカーと対立し、スタッフの間にも動揺が起き、著者がストレスによるパニック障害で救急車で運ばれたエピソードが語られています。
 「エピローグ」では、「ほんの小さなつまずきで人生を棒に振ってしまうような罠が、この社会にはいくつも張り巡らされている。そうしたひとたちにこそ、人生の最後に、生きる希望を取り戻し、悲しみを癒し、希望とともに次のステージすなわち死の世界に進んでいくための場所が必要なのだ」という著者の使命感が語られ、「人生の総集編に寄り添える毎日を、幸せだと思う」という思いが語られています。
 本書は、「人助け」によって救われた、著者自身について語られた一冊です。


■ 個人的な視点から

 「山谷」と言えば『あしたのジョー』ですが、「なみだ橋を逆に渡る」の名セリフの舞台となった泪橋は今やすでになく、橋の下に「丹下拳闘クラブ」もなく、橋がかかっていた「思川」は埋め立てられ明治通になってしまったそうです。
 本書では、「山谷」の語源は、「付近に山麓があったことから『三谷』、あるいは三軒の民家があったことから『三家(三屋)』と呼ばれていたのが」転じたものなど諸説あるとしています。
 この「ドヤ」という言葉は、「簡易旅館を示す『宿』(ヤド)をひっくり返して『ドヤ』と呼ぶ」もので「自嘲的な響を持つことばだ」と書かれていますが、言葉をひっくり返して符牒・隠語にするのは、一般的な気もします。「角袖」→「クソデカ」→「デカ」とかありますし。


■ どんな人にオススメ?

・泪橋の向こう側を覗いてみたい人。


■ 関連しそうな本

 横山 源之助 『日本の下層社会』 2006年08月11日
 紀田 順一郎 『東京の下層社会―明治から終戦まで』 2006年07月27日
 松原 岩五郎 『最暗黒の東京』 2006年07月31日
 大山 史朗 『山谷崖っぷち日記』
 渡邊 奈々 『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』 2005年08月11日
 町田 洋次 『社会起業家―「よい社会」をつくる人たち』 2005年02月16日


■ 百夜百マンガ

東京防衛軍【東京防衛軍 】

 実は「東京防衛軍」という組織は実在したらしいのですが、この作品はおそらくまったく関係ない、というか「陸軍中野予備校」みたいなもんでしょうか。中央線だし。

2007年1月24日 (水)

組織健全化のための社会心理学―違反・事故・不祥事を防ぐ社会技術

■ 書籍情報

組織健全化のための社会心理学―違反・事故・不祥事を防ぐ社会技術   【組織健全化のための社会心理学―違反・事故・不祥事を防ぐ社会技術】

  岡本 浩一, 今野 裕之
  価格: ¥2100 (税込)
  新曜社(2006/07)

 本書は、JCO臨界事故を端緒に、「組織不祥事を防ぐための技術の開発を目的として平成13年度に開始された」「社会心理学を用いた社会技術を開発する」研究プロジェクトである「社会技術研究」の研究成果を公刊したものです。
 研究の対象となった事例は、JCO事故の他、山一證券破綻、エンロン事件、東電シュラウド不報告事例、三菱自動車リコール不報告などであり、調査の結果、どの事例でも、「ヒューマンエラーの役割が無視できるほど小さいこと」がわかり、「決定内容の危険や非倫理性を承知しながらも、違反的行為が積極的に意思決定されていた」ことが明らかになっています。そして、「一人ひとりが善意であるにもかかわらず、組織全体として悪意の意思決定度のようにして行われ、維持され、なぜ修正されにくいのか」という社会心理学的アプローチにとって「最適の問題」であったことが述べられています。
 第1章「会議手続き」では、
・山一證券の粉飾決算(1997年)
・JCO臨界事故(1999年)
・雪印乳業の大規模食中毒事故(2000年)
・三菱自動車工業のリコール隠し(200年・2004年)
・雪印食品の牛肉偽装事件(2002年)
・日本ハムグループの牛肉偽装事件(2002年)
・東京電力の原発トラブル隠し(2002年)
などの「一連の企業不祥事や事故に共通」するものとして、「それが単純なミスではなく、積極的な意思決定のもとで違反の黙認や隠蔽、秘匿、偽装が行われてきたこと」であり、その意思決定の多くが、「会議や非公式な懇談でなされている」ことを指摘しています。そして、「組織における意思決定のあり方が大きく問われる」のは、「違反の芽が生じるのが意思決定の場であるなら、健全な方向へと組織を導くのも意思決定の場である」からであると述べ、「不祥事、大事故につながる危険な意思決定を抑止するためには、明確な手続きを設け、それに順じて議論を行うという健全な会議のあり方が必要不可欠である」と述べています。
 具体的には、「有効な手続きの一つ」として、1876年にアメリカ合衆国軍のヘンリー・M・ロバート将軍によってまとめられ、「国際的な会議の場で議事規則として広く用いられている」「ロバート議事規則」(Robert's Rules of Order)を紹介し、その中でも、「意思決定の健全化に最低限必要な手続き」として、
(1)議長の選出:役職者が議長を務め、提案者を兼ねたり、腹心が提案し、「ご質問、ご異存などございませんか?」と周囲をにらみ倒し、有無を言わさぬムードで原案を通してしまうのはお手盛り会議といわれても仕方がない。
(2)採決:異論が唱えられないことを「満場一致」とみなして議案を通すという暴走行為を避けるためには、採決を前提とし、採決に移ることの可否を諮る。
(3)支持がない意見は聞かない:発言の機会を求めても、誰かが支持を表明した場合にしか議長から発言が許可されない。
などを挙げ、「会議における慣行の違いを少し見ただけでも、日本の組織における会議のあり方が、いかに上層部の暴走や危険な意思決定を許す潜在的要素となっているか」が分かると述べています。
 また、体勢と異なる意見を述べることにはプレッシャーを感じる上、「日本の組織における会議では、上司を立てるとか、相手に花を持たせるなどと言って、意見があっても言わないことを美徳とする風潮」があり、「このような態度こそ、意思決定をゆがめる危険をはらんでいる」ことを指摘しています。著者らは、「会議において、成り行きをうかがうばかりで自分の意見を言おうとしない態度」の意思決定への影響についてシミュレーション研究を行い、「危険性の高い原案が提案され、それに反対の意見の人が十分多いときでもその中に日和見主義者が多いと、原案が可決される確率が思いのほか高いこと」が明らかになったと述べ、その結果として、
(1)原案への反対派に追随者が1人しかいないと、元々賛成派が過半数に達しない原案でも通ってしまう確率がとても高い。
(2)反対派のメンバーに追随者が多いほど(日和見主義者が少ないほど)、案を否決できる可能性が高まる。
(3)賛成派のメンバーに追随者が多くなると、元々反対派が過半数でも、原案が可決される確率が高まる。
(4)日和見態度の人がいる会議では、集団サイズ(会議の人数)が大きくなるほど、不十分な原案が可決されるリスクが顕著となる。日和見主義者が多くなるほど、また会議の規模が大きくなるほど、危険な提案が通りやすくなることが示唆されている。
の4点を挙げ、「重要案件についての正しい意思決定のために必要な事項」として、
(1)各人が同調に流されずに発言できる環境と文脈
(2)会議の招集基準、欠席者の意見の取り扱いなどが公正であること
(3)意思決定基準(可決基準)や投票方法が明示されていること
(4)議長が原案に対して中立的であること
(5)手続きに瑕疵のある意思決定は無効であるという価値観
が必要であると述べ、「意思決定手続きを適正に作成し、それを守ろうとするのは、人間がかくも同調的な存在であることを認める謙虚さに立脚する」と説いています。
 著者は、「集団意思決定はもともとそれ自体がひとつの『生き物』のように複雑な面があり、社会科学的に解明するのがなかなか難しい』が、
(a)議長忌避手続き
(b)意思決定基準の明瞭化
(c)手続きに瑕疵のある意思決定は無効だという慣習確立、
の重要性は動かぬものであると述べています。
 第2章「属人風土」では、「『不正は許さない・許されない』という価値観が確立され、共有されている組織と、そのような価値観が不在の組織とでは、起こりうる違反の件数にも大きな差が生じる」と述べ、組織に根づいた価値観、組織風土こそが、「経営の要とも言える意思決定のあり方に大きく影響する」と説いています。そして、「組織的不祥事の原因」として、「仕事に関わる判断や意思決定の過程で、『その提案は自社にとってプラスとなるか否か』といった『ことがら』の是非よりも、『誰が提案者か』『支持者は誰か』などと『人』の要素を重く扱う思考』である「属人思考」という風土を定義し、測定方法を確定しています。
 著者らは、分析の結果、
(1)違反は、「個人的違反」と、「組織的違反」の2群に大きく分かれる。
(2)規則や権限関係など不明瞭さは、個人的違反の規定因となっているが、組織的違反の原因にはなっていない。
(3)組織風土の属人思考が組織的違反の強い規定因となり、同時に、私的違反にも中程度の有意な規定力を持っている。
の3つの知見を抽出し、属人思考の強い組織ほど、
・法律違反の放置
・不正のかばい合い
・不祥事隠蔽の指示
・上司の不正容認
・規定手続きの省略
などの組織的違反が多く」なっていることを指摘しています。
 著者らは、「属人風土が組織的違反の最も重要な規定因である」という知見に基づき、「組織風土の改善、および健全な組織風土の維持」を目的とした「企業ドック」の必要性を述べ、企業ドックによって得られた情報を、「経営陣には見えにくい内部の事情を見いだす助け」とし、「属人思考のリスク低減に結びつける」ことに活用すること、3~20人の1人程度をランダムサンプリングして、本書で解説している属人風土測定手法を適用することで、「コストを抑えながら有効な調査を実施すること」が可能であると述べています。
 第3章「内部申告とコンプライアンス」では、「現実に警笛を鳴らすには大変な勇気や覚悟」が必要であり、
「通報したら、上層部(上司)は本気で取り合ってくれるだろうか」
「何人もの人を巻き添えにすることになる」
など、「組織の本気度や、大事に発展することへの不安」が先に立ち、
「そんなことをすれば、昇進の道が絶たれることになるかもしれない」
「"裏切り者"として、今のポジションから外されるかもしれない」
「同僚に自分が通報したことがわかってしまったらどうしよう」
「密告者として後ろ指を指されるようなことになったら…」
などの、人事的な不利益(左遷・解雇)や、周囲からの阻害、嫌がらせ、イジメなどの不安があることを述べ、具体例として、1974年に運輸業界の闇カルテルを内部申告したトナミ運輸社員の串岡弘昭氏が会社から受けた報復(四畳半の部屋に机が置かれているだけで、隔離され、仕事をさせてもらえず、昇任も昇給もない日が続く)を紹介しています。
 著者らは、「内部申告を思いとどまらせる理由」を、
(1)本人要因:実際に内部申告に踏み切るか否かを左右する要因、さらに環境認知要因(法や規定)と本人の心理的特性に分かれる。
(2)第三者要因:申告すれば周囲との友人関係が壊れるのではないか、白眼視されるのではないかといった、内部申告に対する第三者の反応を予測することによる心理的抑止。
の2つの要因に分け、
(a)自分が内部申告をしたら上司・家族はその行動を支持してくれそうな予測が強いほど、
(b)不正の深刻さが大きいほど、
(c)不正指摘が自分の職務の一部であると思うほど、
申告行動につながっていると解釈することができる反面、申告した場合の報復が厳しいと考えられるほど、不正を見ても申告しない傾向が強まることを明らかにしています。 
 また、トップ自らが、
「内部申告ほどけしからんものはない」
「愛社精神が高ければ内部申告などしないはずだ」
という価値観を持っていると、「内部申告の動機づけも不健全な方向に向かうことが予測される」と指摘しています。
 第4章「職業的自尊心」では、コンプライアンスや企業倫理を考える上で、「責任ある立場につく人が権限や利得、尊敬などを得る一方、いざ責任をとるべきときには誇り高くみずからの社会的義務を果たすというあり方」を指す「ノブレス・オブリジェ(noblesse oblige)」の考慮が避けられないとして上で、「同じ職業につく人であっても、何らかのトラブルが起きたとき、隠蔽に走ろうとする人と、迅速な報告によって大事に発展することを食い止めようとする人」とを分かつものが、「ノブレス・オブリジェにも通じる心理的義務」であり、「自分の職業に対する真の意味での『誇り』であろう」と述べています。
 また、「職業社会学の鍵概念のひとつ」である「職業威信」について、その基本的な概念を、「それぞれの職業に職業威信のスコアが対応づけられているようなかたちのもの」であるとした上で、ハイリスク・ハイリターンに関係する職業が、「高い科学性や高い倫理性と同時に特殊な職業的スティグマ」(stigma=烙印を表すギリシャ語、好ましくない、汚らわしいなどとして他者から蔑視や不振を受けるようなマイナス・イメージを象徴する語、合理的な根拠のあるなしにかかわらず職業が忌み嫌われる現象)をも伴う、「アンビバレントな職業になっている可能性がある」ことを指摘し、「近年の企業不祥事の中には、スティグマのある職業の周辺で起きたものが少なくなかった」と述べ、その例として、原子力産業に携わる職業を挙げています。そして、職業的スティグマが、「主として社会の差別偏見的な態度を媒介してその職業に従事する人の職業的自尊心に影響すること」を予想し、「高度な職務内容にもかかわらず、スティグマのある職業では、とくにノブレス・オブリジェが心理的にどのようなメカニズムで維持されているかが重要となる」と指摘しています。
 さらに、「消火活動や人命救助など、冷静かつ迅速な判断・行動が求められる消防職員の世界は規律が厳しく、社会的にも必要不可欠な職業」である消防職員を、「ノブレス・オブリジェの社会心理学モデルを作成するためには格好の職業のひとつ」であると述べ、「消防職員の職業意識と職場行動に関するアンケート」の結果から、
・違反に消防本部の規模による差はない
・組織的違反は中間管理職層に多い
・組織的市民行動とのかかわり
・職務的自尊心が上がると組織的違反が減る
などについて解説しています。
 著者らは、「職務的自尊心が組織的違反、個人的違反とシステマティックな逆相関」を持つことを明らかにし、「基本的に、職務的自尊心の高い人ほど、両種類の違反をしにくいことが示唆された」と述べています。
 第5章「潜在態度の測定」では、本書が、「社会技術として、意思決定の手続き遵守、組織風土管理、内部申告管理、職業的自尊心の管理」を提唱し、「この四つが有効に管理されれば、組織の反社会的な体質が改善されるという視点」であることが述べられています。
 そして、2000年7月2日に雪印乳業の当時の石川哲郎社長が詰め寄る記者に対して「私は寝てないんだ」と発言したことが、「錯綜する情報と対応で混乱していた社長が、記者に詰め寄られている状況下で、健在態度の表出に十分な認知的資源を投入することができなかったために表出した、安全に対する潜在態度である」と考えられる、「潜在態度の典型的な表出例」であると分析しています。
 本書は、組織のコンプライアンスを考える上で、体系的に記述された数少ない文献として、将来的な必読書となる可能性を持った一冊です。


■ 個人的な視点から

 公務員の中でも、本書で取り上げられている消防職員や警察官など市民の生命や財産に携わる人々は、特にノブリス・オブリジェ、強い職業的使命感に支えられています。彼らの仕事は、人の生き死にや財産に大きく関わっているだけに、当事者からの一方的な誤解を持たれ、やり場のない怒りや喪失の悲しみをぶつける対象にされてしまうことも少なくありません。例えば、大震災時に、大規模火災の消火に向かった消防士が、途中で倒壊家屋の下敷きになった人の救助の依頼を断って、逆恨みされるということなどが考えられます。
 そのような一方の側からだけのものの見方に基づいて、彼らの行動をあげつらい、こき下ろす行為は、当人にとってのルサンチマンを晴らすことはできても、なんらの問題の解決につながるものではないばかりか、消防職員や警察官の職業的自尊心を傷つけ、その結果として、士気の低下を招き、市民全体の安全を脅かすという点で、愚かしいものと言わざるを得ません。


■ どんな人にオススメ?

・企業不祥事を制度からではなくその仕組みから理解したい人。


■ 関連しそうな本

 串岡 弘昭 『ホイッスルブローアー=内部告発者―我が心に恥じるものなし』
 岡本 浩一, 石川 正純, 足立 にれか 『会議の科学―健全な決裁のための社会技術』
 岡本 浩一, 鎌田 晶子, 堀 洋元, 下村 英雄 『職業的使命感のマネジメント―ノブレス・オブリジェの社会技術』
 岡本 浩一, 鎌田 晶子 『属人思考の心理学―組織風土改善の社会技術』
 岡本 浩一, 本多‐ハワード 素子, 王 晋民 『内部告発のマネジメント―コンプライアンスの社会技術』
 樋口 晴彦 『組織行動の「まずい!!」学―どうして失敗が繰り返されるのか』


■ 百夜百マンガ

永沢君【永沢君 】

 本来サブキャラ(というか雑魚キャラ)に過ぎない永沢君でここまで話が作れるということは、『ちびまる子ちゃん』がいかに怪物的な作品かということを表しています。

2007年1月23日 (火)

慣習と規範の経済学―ゲーム理論からのメッセージ

■ 書籍情報

慣習と規範の経済学―ゲーム理論からのメッセージ   【慣習と規範の経済学―ゲーム理論からのメッセージ】

  松井 彰彦
  価格: ¥3570 (税込)
  東洋経済新報社(2002/12)

 本書は、「ゲーム理論の観点から慣習・規範を捉えたもの」であり、「日本の経済・社会システムが揺らぎ、新たなシステムの構築や到来が叫ばれている昨今、それらシステムの根幹を成す慣習や規範が経済とどう関わっているか」をテーマとしたものです。著者は、「広く浅いことよりも狭く深いことが優先」される学術研究の傾向を補完し、「学術論文には盛り込めない考えを慣習・規範という1つの主題の下で表現」することを意図していると述べています。
 第1章「序論」では、「観衆や規範の分析は、長い間、社会学の領域に属するとされ、経済学――とくに市場理論を核とする新古典派経済学では軽視されてきた」が、年功序列制や自由競争など、「経済規範ないし経済慣行とでも呼ぶべきもの」は経済問題と切り離して考えることができないものであると述べています。そして、本書において、「慣習と規範という2つの概念を明確に分けて分析を行う」として、
・「慣習」――陽表的な行動、ある集団の成員の多くがとっている行動様式
・「規範」――明示的にせよ暗黙的にせよ人がとるべき行動を指し示す言明
と述べ、「規範は慣習・慣行と異なり、価値判断の基準を提示するもの」であり、「その性質ゆえ、人々の満足度やものの見方に影響を与え、それを通じて意思決定を左右する」ものであると述べています。また、「慣習や規範はそれが多くの人に守られてこそ意味を持つ」ものであり、「みんなが守っていれば自分も守ったほうが得をするような慣習・規範は安定的であり、長続きすることが予想される」と述べています。
 著者は、慣習を支える力として、
(1)陥穽:過去から人々がとってきた行動以外の選択肢を深く吟味することなく慣習に従い続ける。
(2)自己拘束力:慣習とは異なる行動をとったときの帰結に不確実性がなくとも、その行動をとると自分にとって望ましくない帰結がもたらされるとわかっていたら、人は慣習を守り続ける。
(3)規範:「こうあるべきだ」とか「こうするべきだ」といったきまりとも考えられ、価値観や倫理観といった概念と密接に結びついている。
の3点を挙げ、さらに、「慣習やそれを支える規範と切り離せない概念」として、「それが確立している社会における人々の行動を統一的に規定する有形無形の規則の総体」である「制度」について論じています。
 また、本書のアプローチと制度の経済学との相違点として、制度の経済学が、「事実を丹念に追い、これを正確に記述していく」という「現実の描写力」にその真髄があり歴史学に通じるものがあるのに対し、本書のアプローチは、「現実を大幅に単純化した『おもちゃ』を作り、それをもとにあれこれ仮定法を用いた議論をする」点を挙げています。
 さらに、本書が、ゲーム理論を核としていることに関して、市場理論が、「対象を市場に絞ることで問題は明確となり、近代経済学は目覚しい発展を遂げた」一方、ゲーム理論は、「市場理論と同様に個人の合理的主体的行動をその核としつつも、市場理論における市場のような明示的な分析対象を』持たず、「より汎用性のある手法として、経済学の分析手法の核」に据えられたことが解説されています。
 著者は、本書において数式を多用することについて、「慣習や規範といった人間行動はしばしば数学の定式化にはなじまない」と言われるが、「現象がよりあいまいだからこそ数学的なアプローチが必要」であり、「あいまいなものをどのようにでも解釈できるようなあいまいな表現で分析していては、議論が水掛け論に陥る可能性」があり、「数学で語ることでその理解が増すことが期待される」と主張しています。
 第2章「くり返しゲームとフォーク定理」では、古代アッシリアの「目には目を、歯には歯を」で知られるハムラビ法典を紹介し、このような法律が、
(1)長期的な関係に基づく「当事者間による相互チェック」に頼った「私的な罰則を補完的に支える機能」
(2)「どの結果を均衡として選ぶかという問題」に一定の回答を与える「均衡選択の機能」
(3)罰則の内容について「ある種のフォーカル・ポイント(基準となる点)」を与える機能
を持つと述べています。
 また、規範としての結託について、「企業間の結託を語るとき、それを是とする風潮ないし規範が戦後日本にあったという点を無視することはできない」と述べ、「企業同士が市場において毎日顔を合わせ、くり返しゲームを行う状況」において、「どの解が選ばれるのかという問題」には、「経済の中でどのような規範が成り立っていたのか」という視点を欠かすことはできないと述べています。
 第3章「結託の経済効果I」では、「談合によって価格が上昇すれば当然利益は増える」が、「長期的にはこの増えた利益を求めて参入が進」み、結果的には、「元の木阿弥」となるとして、談合を、「短期的には手軽にいい気分になれる。しかし、いったんそれに手を染めてしまうと、いつのまにかそれは鎖のようにからみつき、談合なしには生きていけなくなる」「麻薬のようなもの」だと述べています。
 第5章「価格競争と慣習」では、札幌と東京を格安運賃で結ぶエア・ドゥが2002年6月に民事再生法の申請をしたことに関して、「完全競争下では答えが明らかな」、
・今後競争的な運賃が提示されるか。
・道庁による民間企業の支援は経済効率性を阻害するものだったか。
・そもそも運賃が低いほど経済効率性が高まるのか。
といった問いも、「寡占産業では必ずしも成立するとは限らない」と述べ、モデル化しています。そして、「企業の実際の価格決定メカニズム」として、「製品原価」に「一定のマークアップ率をかけて価格を決める」という「マークアップ原理」について解説し、「利潤最大化原理」との対比を行っています。
 著者は、「競争もあくまで規範であり、どの程度競争するかも含めて利潤原理とは異なる規範によって統御されている」と述べ、本章において、「たとえ利潤を生き残りの指標としたとしても、マークアップ原理をとる企業は利潤最大化原理をとる企業よりも多くの利潤を得ることが出来るという意味において、市場で生き残れること」を示し、「利潤原理は一定の規律づけを市場に与えることは間違いない」が、「あくまでも緩い制約」に過ぎず、「利潤原理以外の規範や慣習が市場を律する余地は競争社会においても十分に残されている」と述べています。
 第6章「企業の目的」では、「経済の生産の問題を語る際」には、「企業とその行動基準に関する仮説を避けて通ることはできない」として、
(1)利潤最大化仮説:長期的な視点で考えるとき利潤最大化をしていない主体が経済の中で生き残れないとして、企業を「あたかも利潤を最大化しているかのように」仮定してかまわない。
(2)経営主義理論:所有と経営の分離、複雑化した組織、不確実性の存在などによって、企業の経営者は利潤のみではなく、経営者個人の利得を追求する主体と化し、必ずしも利潤を最大化するように行動しているわけではない。
の2つの考え方について解説しています。
 著者は、「寡占市場においては長期の生存と結果的に得られる利潤とを同じものだとみなしても目的としての利潤最大化を正当化できない」ことをモデルで示していますが、このことは、「結果としての利潤を多く挙げた企業が生き残るというFriedman流の議論を突き詰めていくと、実は経営主義理論のような研究をしなくてはならない」ことを意味し、「2つの対立する陣営が実は対立する必要がなかったという結論」が導かれるとしています。
 第7章「ナッシュ均衡の解釈」では、「崖に向けて2台の車を並べ、2人が乗り込む。そして、2人とも崖に向けて車を加速させていく。ルールは簡単。先にこわくなって車から飛び降りたほうが負けである」という「チキン・ゲーム」を例に、「我々が犯しがちな過ち」として、「プレイヤーたちがこのゲームの利得をきちんと把握していなかったとしたらナッシュ均衡を求めることができない」という主張を挙げ、
(1)ゲーム理論において均衡の計算をするのは、われわれ分析者であって、プレイヤーではない。
(2)「均衡は何か」という問いと「均衡はどのようにして達成されるか」という問いを区別することも肝要である。
という2点を指摘しています。
 著者は、「ナッシュ均衡はあくまでも数学的な概念であり、その解釈はいくつもある」として、
(1)合理性に基づく解釈:予想の一致をどのように達成するかという点が問題となり、それが「合理化可能性(rationalizability)理論」に結びついた。
(2)進化的過程に基づく解釈:予想の出どころを過去の慣習に求めることができ、しっくりくる。
の2つの大きな流れによる解釈を紹介しています。
 第8章「進化論的安定戦略と動学」では、「合理的な人間を想定せずにいくつかの興味深い結果を導き、徐々に研究者の興味と支持を得て」いた進化ゲーム理論が、「1990年代に入って急速に経済学の主流を占める学術誌に掲載」されたことについて、社会ゲームの理論が「一役買った」として、社会ゲーム理論と進化ゲーム理論が、「両者はいずれも集団における戦略分布がどのように変化していき、どのような分布が安定的なものになるかという問題を分析」する一方、進化ゲーム理論では、「プレイヤーは実質的に行動の選択は」せず、「選択は基本的に種のレベルでなされる」のに対し、社会ゲームの理論では、「プレイヤーは自分の持っている情報・期待をもとに望ましいと考えられる行動をとると想定」され、「このような合理的・限定合理的なプレイヤーの意思決定が集計されて、社会全体の戦略分布の動き――動学過程――が決まる」ものであることが述べた上で、「利得によって表すのは個体の増減ではないので、出会う確率に影響を与えないまま社会の戦略分布の動きを考えることができる」ため、「社会ゲームの理論では2人対象ゲームに限らず幅広い範囲のゲームを扱うことが可能」となり、「将来を見通せる個人を考察することが可能となる」と解説しています。
 著者は、進化論的安定戦略が、「ナッシュ均衡に突然変異という揺らぎを導入してそれを精緻化したものとも考えられ」、「それが再び時を経て、経済学の問題に応用されるようになった」と述べています。
 第9章「社会とコミュニケーション」では、「意識的にせよ無意識的にせよわれわれは何かと何かを分けたいときに言葉を使」い、「協力とそれ以外の行動を分けたいときに初めて音声に意味が付与されるという進化論的な発想がどこまで真実をついているか」はわからないが、「協力関係というものが社会の基本的ニーズであるとすれば、言葉と社会は手に手をとって発展してきたものとも言える」と述べています。
 第10章「異文化との接触」では、「貿易利益と文化の過疎化という2つの観点から経済統合の効果を分析」し、「近年のゲーム理論の成果を踏まえつつ、『周縁の理論』を展開」し、「経済統合の利益と代償との比較考量が可能な枠組みの提示」しています。
 第12章「通貨危機と合理的パニック」では、「むやみに合理性による説明を批判し、他の説明に走るべきではない」理由として、「一見群集心理に基づくパニックのような現象ですらそこには投資家としての冷静かつ迅速な判断が働いたと見ることもできる」ことを挙げ、「合理性一辺倒であっても現実を見誤る可能性はあるし、合理性を軽視しても逆の形で現実を見損なう危険性をはらんでいる」と述べています。
 第3部「演繹から帰納へ」では、「機能的推論は慣習と規範の経済学の構築にとって欠かせないもの」であるとしながらも、「帰納は演繹に比べてモデル化することが極端に難しい」理由として、「1つの推論規則を特定化してしまうと、恣意的であるとのそしりもまぬがれない」ことを挙げながらも、「困難であるからと言って、無視し続けていいわけでは」ないと述べています。
 第14章「意思決定理論」では、「近代経済学やゲーム理論において期待効用理論は不確実性下の人間行動に関する支配的な分析手法として確立」しているが、「われわれの意志決定過程を自制してみると、必ずしも期待効用理論のように確率空間を考えて期待効用を計算し最善策をとるといった行為は行っていない」と述べ、
(1)人はしばしば最善の選択肢を追い求めるのではなく、現状よりもいい選択肢を探すにとどまる。
(2)過去のケースを参照しながら意思決定を行う。
という2点を挙げています。
 著者は、期待効用理論では、「意思決定主体の先見的な知識が仮定され、そこから演繹的にとるべき行動が導かれる」のに対し、「事例ベース意思決定理論」では、「まず経験があってそこから帰納的にとるべき行動が導かれ」、「両者の背後にある推論仮定は根本的に異なる」ことを述べています。そして、「1つの現象には現象にはいくつもの側面があり、どこから光を当てるかによって理解の仕方も変わってくる」として、「期待効用理論と事例ベース意思決定理論」を異なる理論とみなし、「この両者を峻別する応用研究が望まれる」と述べています。
 第16章「合理的差別」では、差別をしばしば支えている内面的性向である「偏見」を、「あるグループにネガティブな属性を結びつける考え方」であると述べたうえで、「差別と偏見の関係を統計的差別の観点から説明することもある程度はできる」が、「本当にいつもそのようにいわゆる嫌悪感とか不快感といった感情なしに合理的に判断した結果、差別が起きるのだろうか」と疑問を呈しています。
 第17章「帰納的ゲーム理論」では、生まれながら洞窟に鎖でつながれた囚人たちが、われわれが「影」と呼んでいるものこそ実体だと思って育つのではないか、という「プラトンの洞窟の比喩」を紹介し、「誤った社会像を組み立てることを生きるために必要なことと認め、自分が組み立てた社会像が根本的に誤っているかもしれないということをたえず意識し続ける」ことが、「われわれになしうる最善の行為かもしれない」と述べています。
 本書は、所与のものと考えがちな慣習と規範についての新しい視点を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者は、親しみやすい教科書であった『ミク戦』の著者の一人ということで、本書にもその親しみやすさを期待する人がいるかもしれません。親しみやすさという点では、本書は読みにくいかもしれませんが、ある程度慣れると、学術論文とは離れた軽やかな筆致にひきつけられるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・社会の仕組みを見る視点がほしい人。


■ 関連しそうな本

 梶井 厚志, 松井 彰彦 『ミクロ経済学 戦略的アプローチ』 2005年04月04日
 アビナッシュ ディキシット (著), バリー ネイルバフ (著), 菅野 隆 (翻訳), 嶋津 祐一 (翻訳) 『戦略的思考とは何か―エール大学式「ゲーム理論」の発想法』 2005年01月31日
 R. アクセルロッド (著), 松田 裕之 (翻訳) 『つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで』 2005年12月20日
 リチャード・ドーキンス (著), 日高 敏隆, 岸 由二, 羽田 節子, 垂水 雄二 (翻訳) 『利己的な遺伝子』 2006年09月26日
 ロバート・アクセルロッド (著), 寺野 隆雄 (翻訳) 『対立と協調の科学-エージェント・ベース・モデルによる複雑系の解明』 2005年11月15日
 ロバート・アクセルロッド, マイケル・D・コーエン (著), 高木 晴夫, 寺野 隆雄 (翻訳) 『複雑系組織論』 2005年11月29日


■ 百夜百マンガ

超兄貴【超兄貴 】

 作者の初期作品。元ネタがありながらもお構いなしの自由な展開は楳図かずおの『ウルトラマン』もびっくりというか。

2007年1月22日 (月)

アート・オブ・プロジェクトマネジメント ―マイクロソフトで培われた実践手法

■ 書籍情報

アート・オブ・プロジェクトマネジメント ―マイクロソフトで培われた実践手法   【アート・オブ・プロジェクトマネジメント ―マイクロソフトで培われた実践手法】

  Scott Berkun (著), 村上 雅章 (翻訳)
  価格: ¥3360 (税込)
  オライリー・ジャパン(2006/9/7)

 本書は、「決まりきった成果物を決まりきった手順で遂行する『ルーチンワーク』とは一線を画す、極めて創造的な作業」であるプロジェクトを、カオス(混沌)と呼ばれる状態から脱し、「ものごとを成し遂げるためには何を行う(あるいは行わない)べきか」という実用的な視点からプロジェクトを捉え、著者の長年にわたる経験と、「他のマネージャ、プログラマ、デザイナの経験を比較すること」で得るに至った「プロジェクトのマネジメント方法についての信念と結論」を集大成したものです。
 第1章「プロジェクトマネジメントの簡単な歴史」では、
(1)プロジェクトというものの大まかな歴史と、他の人々の経験を学ぶ理由。
(2)著者がマイクロソフトにおける経験から導き出した、さまざまなプロジェクトマネジメントに共通している背景。
(3)プロジェクトマネジメントに関する根本的な難問とその解決方法。
の3つの話題について述べています。
 (1)に関しては、過去の事例調査によって得られた重要な教訓として、
・プロジェクトマネジメントとソフトウェア開発は神聖な芸術ではない。
・作業をよりシンプルな視点から見ることで、よりパワフルに、より集中できるようになる。
・シンプルとは簡単ということではない。
の3点を紹介しています。
 また、プロジェクトマネージャがもつべきバランス感覚として、
・エゴ/非エゴ
・独裁/委譲
・曖昧さの許容/完全性の追求
・口頭/文書
・複雑さの容認/簡潔さの支持
・焦り/忍耐
・勇気/恐れ
・信者/懐疑論者
などについて論じています。
 第2章「スケジュールの真実」では、スケジュールの目的として、
(1)いつものごとが完了するのかを表す。
(2)プロジェクトに貢献するすべてのメンバーに対して、チーム全体における個人の成果物の位置づけを理解させ、各メンバーの強調を促進させる。
(3)進捗を管理し、作業を管理可能な固まりに分割するツールをチームに与える。
の3点を挙げたうえで、「どれだけ時間をかけてスケジュールを作成したとしても、それは単なる作業項目と数字の羅列でしか」なく、「スケジュールの持つ力を引き出せるかどうかは、スケジュールをマネジメントやプロジェクト推進用のツールとして使う人の手に委ねられている」と述べています。また、「プロジェクトの実施期間をほぼ等分に3分割できない場合、そのプロジェクトの各工程に対する取り組みが一様にならない何らかの理由がある」と述べています。
 さらに、「複雑な部分が肥大化したり、プロジェクト期間が長くなった場合」に、スケジュールを短い期間に分割し、各期間ごとに設計、実装、テスティングを割り当てる、エクストリームプログラミング(XP)で「イテレーション」と、スパイラルモデルでは「フェーズ」と呼ばれる手法について解説しています。
 著者は、「スケジュールを機能させるためにすべきこと」として、
・マイルストーンの長さはプロジェクトの不安定さに見合ったものとする。
・ビジョンに対しては楽観的に、スケジュールに対しては懐疑的に。
・設計に力を注ぐ。
・追加/削除を議論するためのチェックポイントを計画しておく。
・計画の哲学をチームに伝えておく。
・問題領域におけるチームの経験を見極める。
・共同作業に対するチームの自身と経験を測る。
・リスクへの取り組みは早目に行う。
などを挙げています。
 第4章「優れたビジョンを記述する」では、「チームを率いていく上での難問の一つ」として、「メンバーを長期間、同じ目標に向かって集中させ続ける」ことを挙げ、「ビジョンのドキュメントを記述する価値、優れたビジョンのドキュメントに含まれる品質、プロジェクト実施期間を通じてビジョンのドキュメントから価値を引き出す方法」について解説しています。そして、優れたビジョンに必要になる品質として、
(1)シンプル:メンバーがもつ重要な疑問に答えが出され、彼らの仕事を進める上で必要となる意思決定も支援される。
(2)意図重視(目標駆動):目標を的確に記述することで、明確な意図がメンバーに伝わり、プロジェクトがいつ完了したのかを判断できる。
(3)統合:さまざまなところからのアイデアを統合する必要がある。
(4)閃き:閃きは表面的なものごとからは生み出されない。
(5)覚えやすい:欠かれていることに筋が通っていて、直接的かつ正直である。
 第5章「アイデアの源」では、「アイデアの源が『ひと』であるのは、まぎれもない事実」だとして、「アイデアを考え出し、創造的思考を行う方法に焦点を当てて」います。著者は自らの経験から、「優れた質問なしに優れた答えは得られない」と述べ、「優れた質問を行うスキルに大きな価値があることを、マイクロソフトやIT業界で再発見することとなった」と述べています。
 また、ブレストなどでアイデアを生み出すためのルールとして、
(1)「そうですね、そうすると……」ルール
(2)「自分のアイデアを否定しない」ルール
(3)「さえぎる質問は行わない」ルール
(4)「他のメンバーを盛り立てる」ルール
の4つのルールを紹介しています。
 第6章「アイデアを得た後にすること」では、「優れたアイデアをマネジメントする」ことは、「優れたアイデアを見つけ出す」こと以上に大変であるとして、「プロジェクトの失敗」は、アイデアのマネジメント方式が不適切であった場合に起こることが述べられています。
 著者は、アイデアのマネジメントに関して、「決断力を発揮するだけではなく、その決断が突然のものとならないよう地ならし」をしておく必要があることや、
アイデアをまとめるために「アフィニティダイアグラム」(川喜田二郎氏のKJ法で用いられるダイアグラムであることが記されている)を用いることなどを解説しています。
 第7章「優れた仕様書の記述」では、「仕様書の記述や作業の文書化を行うにあたって万能の方法など存在しない」ことを、「仕様書など書く必要はないと信じているプログラマと議論した」経験を引き合いに出して述べています。そして、仕様書をうまく書く上でのヒントとして、
・他の仕様書から優れた説明を借用する。
・専門用語や曖昧な言葉は避ける。
・古い仕様書を保管しておく。
・仕様書を記述する際に、読み手のことを考える。
・Visioやフローチャートとは恋に落ちない。
・記述しているのはリファレンスなのか、それとも仕様書なのか?
・詳細に入る前に、擬似コードを用いたり、日本語を使用して、複雑なアルゴリズムを大局的な観点から説明する。
などを挙げています。
 第8章「優れた意思決定の行い方」では、本書の執筆に際して、十人以上のプロジェクトマネージャに対して行ったインタビューかた、「マネージャによっては通常の5倍(すなわたい5人分)以上もの仕事をこなすことができるのは、彼らが効果的な意思決定を行う能力を身につけているから」に他ならないと述べ、「意思決定のスキル」の重要性を説いています。また、意思決定に際して、
・シャーロック・ホームズ:「ありえないものを消去していき、ありそうもないものが残ったとしても、それが真実なのだ」
・オッカムの剃刀:最もシンプルな説明を見つけ出し、それを用いるということが問題を解決する上で最善の方法になる。
・熟考:いったん立ち止まり、それまで扱ってきたすべての情報を十分理解すること。
などの思考方法を解説しています。さらに、意思決定のスキルを向上させるためには、
(1)あなたにとって難しく、一所懸命に取り組まなければならない意思決定を経験する必要がある。
(2)あなたの意思決定の結果に注意を払い、その評価を行う。→戦闘機のパイロットが訓練やミッション終了後に行うデブリーフィング・セッション
の2つのことを実践する必要があると説いています。
 第9章「コミュニケーションと人間関係」では、バベルの塔の逸話を引き合いに、「この話は、相互のコミュニケーションがうまくできれいれば、不可能なことは何もなかっただろうということを示唆している」と述べています。また、プロジェクトマネージャが、「個人や集団とのコミュニケーションに長い時間を費やすことになるため、効率的なコミュニケーションを行うという点において、チームの誰よりも重い責任を負う」ことを指摘しています。さらに、コミュニケーションに関するシンプルなフレームワークとして、
(1)送信済み
(2)受診済み
(3)理解
(4)合意
(5)有益な行動への変換
の5つの基本的な状態を示し、「これらの状態は、遷移が進むに従って重要性が高まるとともに、達成が難しくなって」いくと述べています。
 第10章「メンバーの邪魔をしない方法」では、人々が不快になる理由として、
・~は私のことを無能だと思っている。
・~は私を信用していない。
・~は私の時間を浪費させる。
・~は私に対して敬意を払わずにマネジメントを行う。
・~は私に馬鹿げたことを聞かせたり、読ませたりする。
などを挙げ、これらの理由が、「なぜ多くの人々が作業プロセスを毛嫌いするか」という説明にもなるとして、人々は、「作業のシステム化によって、官僚主義を始めとするさまざまな苦難が降りかかってくると考えている」と指摘し、「この恐れが根拠のないものである」と述べています。また、優れたプロセスの発見と認識が、プロジェクトにもたらすことになる属性と効果として、
・進捗を加速させることができる。
・問題を避けることができる。
・重要な作業の可視化、測定が可能となる。
・プロセスの変更、除去を行うためのプロセスが提供される。
・プロセスによって影響を受ける人がそのプロセスを支持するようになる。
などを挙げています。
 さらに、優れた電子メールの書き方として、
・簡潔に、シンプルに、ダイレクトに。
・やることと締め切りを明記する。
・優先順位を明確にする。
・受信者が電子メールを読むと仮定するなかれ(内容があなたにとって重要である場合は特に)。
・実況放送を避ける。
・「ご参考」メールは別立てで。
・電話は友達。
などを列挙しています。
 第11章「問題発生時に行うこと」では、「あなたが行うこと、熱心さの度合、作業を共にする相手とは関係なく、問題は発生」するとして、「難局を徹底的に避けようとすれば、重要なことを一切行わないか、常に自らの身をあらゆるリスクから遠ざけるように振る舞うしか」ないが、「こういったことを行えば、プロジェクトの成功に貢献できる可能性はほぼなくなり、プロジェクトマネージャとしては失格になってしまう」と述べています。そして、難しい状況に対処するための指針として、
(1)気を落ち着かせる。
(2)プロジェクトに関係のある問題を評価する。
(3)もう一度、気を落ち着かせる。
(4)適切な人材を会議室に呼ぶ。
(5)選択肢を探求する。
(6)最もシンプルな計画を作成する。
(7)実行する。
(8)結果の振り返り。
の8つの手順を示しています。また、プロジェクトに問題が発生していると考えられる状況として、
(1)現実と現行の計画との間に大きな乖離がある。
(2)乖離が何か、その原因は何か、それを解決するのは誰の仕事か、そういったものが実際に存在するのかといったことについての混乱がある。
(3)乖離の解消に向けたりソースの適用方法が不明確である。
の3つの基準を示しています。
 さらに、ダメージコントロールの手法として、
・全員ミーティングを実施する。
・メンバーが同意しない場合、同意できる点を見つけ出す。
・プロジェクトとチームが正しかった状態にまで遡る。
・問題を隔離する。
・ダメージを避けるためにリソースの適用を検討する。
の5点を示しています。
 著者は、チーム作業で問題が発生した際の感情に関して、「プレッシャ」を「強制的で制約的な影響力または力を振るうこと」と定義し、たいていの場合、「人やチームに対するプレッシャが増えていくと、当面はパフォーマンスが向上」していくが、「ある程度を過ぎると、こういった関係は次第になくなり」、「チームが最高のパフォーマンスレベル(限界レベルや最大レベルとも言います)に達した後、さらにプレッシャを加えたとしても、チームをより熱心に、より効率よく、より迅速に作業させることはできない」上に、「さらなるプレッシャを加えると、最終的にチーム(または個人)は力尽き、パフォーマンスは低下していく」と述べています。
 第12章「リーダーシップが信頼に基づく理由」では、「説得は命令よりも強い」として、「専制君主的な力は、どんな馬鹿でも使うことができ、どんな行動でも命令することが」できるが、「知性のある人(あるいはグループ)に対しては、彼らを説得し、当初彼らがやりたくないと思っていた場合であっても、それが実は正しい、または優れたことであり、彼らのためにもなるということを納得してもらった上で作業してもらったほうがいい」ことを説いています。そして、「絶対にやってはいけないこと」として、「問題が解決していないにもかかわらず誰かを叱責する」ことを挙げ、「特に危機の真っ只中においては」、「これによって問題が解決するわけではない上、問題について最も多くのことを知っている当事者(非難されているメンバー)が罪悪感を感じ、自らの擁護を優先してしまうため、迅速な問題解決ができなくなる可能性がある」と述べています。
 第13章「ものごとを成し遂げる方法」では、「優先順位は力なり」として、「優先順位が決まっているのであれば、いつでも、どこでも、最も重要な主題に議論を収束させるための質問を投げかけること」、すなわち、
・私たちが解決しようとしている問題は何か?
・複数の問題がある場合、どれが最も重要なのか?
・この問題は私たちの目標とどう関係しており、どのように影響するのか?
・目標に見合うようにこの問題を解決する最もシンプルな方法は何か?
といった質問を列挙しています。また、優先順位を設定すると必要に迫られる「ノー」の言い方について、
・「ノー、それは我々の優先順位に合致していません。」:プロジェクトの終わりに近づくほど、目標変更は戦略の大きな失敗につながる。
・「ノー、時間ができた場合にのみ行います。」:相対的な意思決定の結果であることを明らかにしておく。
・「ノー、あなたが<不可能なことをここに入れてください>を行ってください。」:これによって、要求してきた当人にその要求を返すことができる。
・「ノー、次のリリースで考えます。」:更新頻度が高いものであれば、次のリリースでの採用の検討を提案できる(延期や先送りとも呼ばれる)。
・「ノー、絶対ダメです。」:長期的な観点から、その要求がプロジェクトの目標から根本的にずれている。
などを解説しています。
 さらに、「リスクのあるものも含まれているため、適用時には注意が必要」な、「ゲリラ戦術」について、
・権限の保持者を知る。
・情報源に当たる。
・コミュニケーション方法を変える。
・二人きりになる。
・誰かを捕まえる。
・姿をくらませる。
・アドバイスを求める。
・お願い、懇願、袖の下。
・人々を互いに競わせる。
・事前工作をしておく。
・コーヒーや食べ物をおごる。
などの戦術を紹介しています。
 第14章「中盤の戦略」では、「巨大な機械(自動車、飛行機、航空母艦等)を操縦する場合、初心者は進路変更操作をしてから、実際に進路が変更し始めるまでの時間を過小評価しがち」であるとして、戦闘機のパイロットが、「パイロットが一歩か二歩先を読めなくなったときの状況」を表す「飛行機の後方を飛行する」という言葉を紹介し、「構成の戦闘機を飛行させる場合と同様に、プロジェクトもさまざまな力をマネメントする必要」があると述べています。
 第15章「終盤の戦略」では、「プロジェクトの完了に近づくにつれて、分散した権限を集約すること」になる理由として、「あらゆる意思決定の重要性が増し、リスクも大きくなるため、よりしっかりとしたコントロールが必要になる」と述べ、「マイクロソフトでは「ウォーチーム」(war team)と呼ぶグループに、こういった権限を集約」することを紹介し、「期限が近づいてきた段階で、チームリーダからなる少人数のグループが、権力を一手に掌握することになる」と解説しています。
 第16章「社内の力関係と政治」では、プロジェクトマネージャにとって社内政治は、
(1)どれだけ大きな力を持ち、倫理的であろうと、政治的な影響力から逃れることはできない。
(2)力と政治はリーダーシップやマネジメントと切っても切れない関係にある。
の2つの意味があるとして、「あなたが直面している政治的な状況の分析方法、ありがちな状況とそれらが発生する理由、そして政治と力に関する問題の解決方法」を解説しています。そして、著者がマイクロソフトでの経験から学んできたポイントとして、
(1)政治とは汚いことを表す言葉ではない。
(2)あらゆるリーダーは、政治上や力の制約を抱えている。
(3)力の大きさは責任の大きさに比例する。
の3点を挙げ、「他人とともに働く上で避けることができない不快さを『政治』のせいにして憂さ晴らしをするという行為が、幼稚で身勝手なものであるということ」を学び、「同じことは、『マネジメント」、『エンジニアリング」、『マーケティング』などを悪者扱いし、彼らがどんなに馬鹿か、または非効率的かをあげつらうことにも当てはま」ると述べ、「誰かを攻めても何も変わらない上、相することで本当の原因や、状況の改善策が見えなくなってしまうこともしばしばある」として、「制約について理解することなしに下した評価は、現状に目を向けたものでなく、フラストレーション解消のためのものとなってしまうのが常」であると説いています。
 本書は、マイクロソフトなどのIT企業に限らず、プロジェクトに携わるすべての人々、すなわちマネージャにも部下にもぜひ読んで欲しい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で特に感銘を受けたのは、第16章の社内政治をあげつらうことの空虚さを指摘した部分です。若く有能である人の中には、上司の無能さをあげつらい、他の部門が無能だからこんなことになるんだ、と悪者扱いし、責め立てることを躊躇しない人が時折見られます(自らを振り返ると他人事ではありませんが)。
 しかし、「悪者扱いしたところで、彼らが賢くなったり、効率的になるわけでは」なく、本当の問題は他にあったり、「彼らは聡明なのに、あなたと同じように政治的な理由によって動きが取れないだけかもしれない」のです。
 本書はプロジェクトマネジメントの技術的な部分について説いているような印象を与えますが(日本語版に無理やり付け加えられた「マイクロソフトで培われた実践手法」など)、実は、プロジェクトマネージャの立ち振る舞いの基本を説いた、「上司論」のような内容に思えてきます。


■ どんな人にオススメ?

・飲み会での説教みたいな「上司論」に飽きた人。


■ 関連しそうな本

 サニー ベーカー, G.マイケル キャンベル, キム ベーカー (著), 中嶋 秀隆, 香月 秀文 (翻訳) 『世界一わかりやすいプロジェクト・マネジメント』
 近藤 哲生 『実用企業小説 プロジェクト・マネジメント』 2005年12月28日
 深沢 隆司 『デスマーチよ!さようなら!』 2006年05月16日
 大久保 幸夫 『上司に「仕事させる」技術―そうか!ボス・マネジメント!』 2007年01月12日
 Thomas A. Limoncelli (著), 株式会社クイープ (翻訳) 『エンジニアのための時間管理術』 2007年01月06日
 村山 昇 『上司をマネジメント』


■ 百夜百マンガ

かってに改蔵【かってに改蔵 】

 くだらなさ全開、場当たり的な登場人物、というか苦し紛れのキャラを引っ張り出したところで、その回の当たり外れが決まってしまうような気がします。

2007年1月21日 (日)

「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤

■ 書籍情報

「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤   【「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤】

  下條 信輔
  価格: ¥777 (税込)
  講談社(1999/02)

 本書は、「脳の科学的理解は、結局私たちに何をもたらしたのか」について、「脳と心の問題を整理し直し、この問いになるべく分かりやすく答えよう」と試みているものです。このため、著者は、「錯誤」というキーワードに着目し、「脳の犯す錯誤と、脳をめぐる錯誤」というストーリーを立てるとともに、「脳は、そして心は、孤立しているか」という問いかけを設定し、「脳は孤立した存在ではなく、身体を支配し、逆に身体に支配され」る、ことを解説しています。
 第1章「錯誤とは何か」では、「知覚はいつも正しいとは限らない」として、「知覚の錯誤」である「イリュージョン」を検討することで、「正しい知覚機能や、その背後にあってそれを支えているものの正体も、わかってくるはず」であると述べ、「認知機能における『錯誤』のありようを検証することによって、逆に『正常な』認知機能の本質が浮かび上がって」くることを、「神経生態学的あぶり出し」と命名しています。そして、色つきのゴーグルをつけることによって、色覚システムが順応する「残効」のメカニズムを解説し、「色はモノの性質である」という常識自体に問題があり、色とは、「ものに帰属される性質」という「固定的で単純なもの」ではなく、照明や表面の性質、知覚側の視覚系の特性などの要因の相互作用から形成される「場」の文脈の中で意味を持つ「関係性の質」であると述べています。また、ストラットン以来の伝統を持つ、世界が逆転して見える「さかさめがね」の実験を紹介し、「正しい知覚とイリュージョンとを区別する基準をどこに求めたらいいのか」に対する明確な答えはないと述べています。
 さらに、心理学が、ヒトの外界を認識する機能を、
(1)知覚:その場の状況やあらかじめの予見、知識などには左右されにくく、入力のパターンから解釈が自動的に決まる。
(2)認知:知識や予見の影響を強くこうむり、状況次第で結論が変わる。
とに分けて考え、これらの共通点として、「不十分で曖昧な情報から、外界で起こっている出来事について、一種の推論をする」点を挙げています。そして、認知に関して、「ヒトには元来、秩序や因果を発見しようとする強い認知傾向」があり、「本来意味やつながりがないとわかっているランダムな出来事や事象にも、意味や因果、あるいは法則を見出そうとする」という「本質的な性向」を持つことを解説し、言い換えれば、「意味の『真空状態』を嫌う」と述べています。
 著者は、認知の「錯誤」の共通点として、
(1)だいたい誰でも同じようにまちがう。
(2)問題間で共通する原因によって、共通するまちがい方をする場合がある。
(3)正しい解法や知識を与えられても、なかなか「直らない」。
(4)論理的には同型だが、難易度がちがう問題を作れる。
の4点を挙げ、これら4点が、「知覚のイリュージョンについても言えること」であることを強調しています。
 第2章「脳の『来歴』」では、「錯誤は多くの場合、実は正解」でもあるとして、「問題の設定の中に、私たちの日常の環境とそぐわないものがある」と述べ、ミクロなレベルである「脳内の神経過程に分け入っていくと『錯誤』はその定義ごと蒸発して、『正常』な神経過程だけが残」ると述べています。
 また、記憶について、一般に信じられている「鍵のかかった引き出しに完全なコピーがしまってある」という状態を否定し、「記憶は一見、過去の正確な記録のように見えるが、実はそうではない。むしろその都度の状況に応じて、新たに構成されるものなのだ」という『記憶は嘘をつく』の著者であるコートルの言葉を紹介しています。著者は、象徴的な言い方と前置きしながら、「記憶は身体と環境に偏在し、そして脳の記憶に先立つということ。神経と身体の『つなぎ』を決めているのは、これらの総体です」と述べ、最終的には、「環境と身体をめぐる脳の来歴が問題となる」と述べています。
 第3章「心とからだと他者」では、「脳の機能は身体の構造や環境のありようから切り離すこと」ができないと述べ、「脳を頭蓋から取り出して生理的食塩水の中で生かしておく。実際に身体を動かして外界の事物と交流した時と同様の活動パターンを、コンピュータと無数の電極によって脳内に再現する」という、パットナムの「桶の中の脳」の思考実験を紹介しています。また、「幻肢」を含む二重感覚について、「新しい身体と脳の相互作用によって、新たな来歴が古い来歴の上に乗り、ダイナミックに交じり合う形で形成されつつあるあらわれ」であると述べています。
 さらに、「脳神経科学の依然として中心概念の一つ」である「中枢」という概念について、「自由意志のメカニズムを神経科学的に解明できるか」という問題を取り上げ、「従来の脳神経科学の方法でいくら調べても、認知機能のうち解明されるのは、受動的に反応する領野、つまり『削りかす』だけ」であり、削られて残る「本体」の方は、「永遠に『ホマンキュラス(賢いこびと)』となって残」ることを指摘しています。
 第4章「意識と無意識のありか」では、「意識」について、
(1)意識を意識以外のもので説明することはできない。
(2)意識とは、一つの状態または機能の名称ではなく、多数の相互に関連しながらも異質のものの、ゆるやかなまとまりなのではないか。
の2点を述べています。
 また、「どのようなときに意識は生じるか。またどのようなときには意識は生じないか」と問いかけ、その理由として、「人が通常考えているほどには、意識は常に生じているわけではないし、持続しているわけでもない」と述べています。そして、「行為の前後に、その行為についての意識、あるいは気づきが生じる」場合として、
(1)行動の流れが共生的にストップされたとき。また行動をとっさに行うことができず、しばらく待たなくてはならないとき。
(2)一連の行動の成果を評価する場面。
(3)別の視点から自分を客観的に見ることを強要されたとき。
の3点を挙げ、これらの3つに共通するものとして、「意識が『オール・オア・ナッシング』ではない」モノであり、「意識と無意識の境目の曖昧さ、連続と断続の間の曖昧さ自体が、心の実態であり、一つの本質かもしれない」と述べています。
 第5章「人間観と倫理」では、向精神薬であるプロザックを例に挙げ、薬物への疑問として、
(1)何らかの点で危険なのではないか。
(2)端的にいって公平さを欠くのでは。
(3)薬を常用することが人間本来の健全な状態、あるべき姿といえるか。
の3点を提示しています。そして、「プロザック現象」の持つ意味として、
(1)脳と体と世界が緊密に連携するありさまを、非常に具体的なレベルで実感させてくれた。
(2)脳科学が一見没価値的なようで、実は時代の人間観を急速に造り替えるという認識。その結果、社会の成り立ちやルールにも深刻なインパクトをもたらす一面を持つことを実感した。
(3)遺伝決定論と人体加工論・脳改造論などの思想の再編成。
の3点を指摘しています。
 本書は、普段特に「意識」することのない、私たちの「意識」について、考えるきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 大学時代に、心理学を専攻している学生が、本書でも紹介している「さかさめがね」の実験をしているという話を聞いたことがあります。つまり、数週間の間、「さかさめがね」をつけた生活を送るため、めがねを付けたまま登校し、学食でもめがねを付けたままご飯を食べているのを見たことがある、という話でした。
 残念ながら自分の目では、「さかさめがね」をつけて食事をする学生の姿を見たことはありませんでしたが、ぜひ一度遭遇してみたかったです。
 そういえば、例えば「さかさめがね」を付けたまま普通に社会人として生活はできるもんなんでしょうか? 実験用のごつい形だと難しいかもしれませんが、ちょっと厚めの眼鏡くらいの大きさで作成できるものだったらかけてみたいものです。


■ どんな人にオススメ?

・自分に「意識」があることが当たり前だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 ベンジャミン・リベット (著), 下條 信輔 (翻訳) 『マインド・タイム 脳と意識の時間』 2006年11月11日
 トール ノーレットランダーシュ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』 2006年06月18日
 ジュリアン ジェインズ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 2006年06月04日
 アンドリュー ニューバーグ, ヴィンス ローズ, ユージーン ダギリ (著), 茂木 健一郎 (翻訳) 『脳はいかにして"神"を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス』 2006年07月01日
 V.S. ラマチャンドラン, サンドラ ブレイクスリー (著), 山下 篤子 (翻訳) 『脳のなかの幽霊』 2006年09月03日
 トム スタッフォード, マット ウェッブ (著), 夏目 大 (翻訳) 『Mind Hacks―実験で知る脳と心のシステム』 2006年12月30日


■ 百夜百音

XCT【XCT】 POLYSICS オリジナル盤発売: 2000

 コルグのシンセみたいなバンド名といい、DEVOの真似した服装といい、オヤジには懐かしいテイストのバンドです。
 学生時代の同じサークルのバンドがDEVOのカバーをしたときには作業服の「みどりや」で黄色いつなぎを調達していました。


『National P』National P

2007年1月20日 (土)

Winnyの技術

■ 書籍情報

Winnyの技術   【Winnyの技術】

  金子 勇 (著), アスキー書籍編集部 (編集)
  価格: ¥2520 (税込)
  アスキー(2005/10)

 本書は、「P2P型のファイル共有ソフトWinnyの動作と構造」を、Winnyの開発者である著者自身が「詳細に解説したもの」です。著者は、2004年5月10日にWinnyを使った著作権侵害行為を幇助したとして京都府警(その直前に、京都府警自身の警官がWinnyを使っていてウイルスに感染し、捜査情報を流出させるという事件が起こり、示しがつかないという理由で逮捕に踏み切ったという説がささやかれています)に逮捕されたことで注目されました。
 第1章「P2Pの基礎知識」では、Winnyを、「ユーザーが『持ち合い』で運用するファイル共有システム」であり、「結果的に数十万から100マンともいわれるユーザーが参加するネットワーク」が出来上がったことが紹介されています。Winnyは、クライアント/サーバ方式とは対照的な通信形態で、「サービス提供者となる特定のサーバはなく、対等な役割を果たす各ピアが状況に応じてサービスの提供者になったり利用者になったり」するものであり、「ノード(節)とリンク(結線)による網目状の構造」となっていることが述べられ、このP2P型システムが、
・システム規模の急拡大にも耐えられる。
・コンピュータやネットワークの障害に強い。
・データの一元管理や短時間の同期は苦手。
・P2Pネットワーク全体の管理や監視が難しい。
という特徴を持つことが解説されています。
 P2Pファイル共有ソフトについては、これまでの進歩を、
・第一世代:ノード情報は中央のサーバが集中管理。Napsterなど。
・第二世代:純粋にノード同士でファイルの検索と転送が可能。Gnutellaなど。
・第三世代:キャッシュ機構を備え、匿名性が高い。Winnyなど。
の3つに分け、
・ノードの発見
・ファイルの検索
・ファイルの転送
に大きな違いがあることが解説されています。そして、ピュアP2Pを追求した第二世代のGnutellaには、「ネットワーク規模が大きくなると破綻する」という問題があることや、第三世代ファイル共有ソフトは、「情報の第一発見者がわからない」という意味で匿名性が高いことなどが解説されています。
 第2章「Winny紹介」では、Winnyの開発コンセプトとして、
・匿名性(プライバシーの保護)を実装したファイル共有ソフトであること。
・ファイルの共有効率がよいこと。
・Windowsネイティブプログラムであること(FreenetはJavaで実装された)。
の3点を挙げています。なおここでは、
・匿名性:情報の第一発見者を隠すことによりプライバシーを保護すること。
・共有効率:ほしい情報ができるだけはやく得られること。
の意味で用いられています。
 また、開発したソフトウェアの検証が難しいといわれているP2P型ソフトウェアの開発において、Winnyの開発は、大規模掲示板である2ちゃんねるのユーザー(2ちゃんねらー)の協力によってテストが行われ、最初のネットワークが構築されたことが語られています。
 第3章「Winnyの仕組み」では、Winnyネットワークを、「各ノードがインターネットを介して接続し、形成しているネットワーク」であり、「インターネット上にWinnyノード相互が築いたアプリケーションによるネットワーク」であると解説されています。その特徴として、「検索や配送の効率を高めるため、Winnyは高速な回線に接続しているノードにより多くのキーやファイルを集めるようになって」いて、
・上流:高速な回線に接続するノード
・下流:低速な回線に接続するノード
とする特有の概念があることが解説されています。その効果は、「川の流れ的理論」として示され、「川の中央(高速回線の上流ノード)は水の流れが速いので、同じポイント(ノード)を見ていると、大量の水が流れ込んでは出て行」くのに対し、「岸(低速回線の下流ノード)は流れが遅く、水がよどんでいて魚はほとんどいない」が、「棹で中瀬に向かって針を投げれば(検索をすれば)、一本釣りであっても比較的割りよく魚を釣り上げ」られることが解説されています。また、もう一つの特徴である「クラスタリング」については、「『好みの似ている』ノードをひとかたまり(クラスタ)にすること」であり、これによって、「ダウンロード希望者は少ない検索ステップでファイルを入手可能になり、情報の共有という面では効率がよくなる」ことが述べられています。
 著者は、Winnyネットワークを「系」としてとらえた時に、「効率のよいネットワーク形態」として、「ファイルを保有するノードからファイルを必要としているノードまでの距離(ホップ数)を短くすること」と、「ネットワークの規模が大きくなると、すべてのノードを相互に接続させるのは現実的では」ないこととを両立させるために、生活環境や関心事でクラスタリングするとともに、「メッセージの伝言では、なるべく『顔の広い人』にメッセージを託したほうが、伝言の成功率が高くなる」のと同じように、Winnyネットワークでは、「回線速度の速いノード(上流ノード)を『顔の広い人』に」することによって、ファイル共有の効率をよくしていることが解説されています。
 第4章「実装」では、Winnyのキーには、
・ファイル名
・ファイルサイズ
・ファイルID(ファイルの内容のMD5ハッシュ値)
・公開者情報(トリップ:片方向関数で生成された公開者認証文字列)
・ファイル流通量(参照された回数)、最終アクセス日時
・キャッシュのビットマップ情報
・キーのバージョン情報
・ファイル本体の位置情報
が含まれ、上流ノードは、上流と下流のいずれにも高い頻度でキーを送るのに対し、下流ノードは上流にキーを送るだけで上流からのキーはあまり受け取らない仕様になっている根拠として、
・下流では、キーを大量に拡散させると帯域が不足する。
・下流のノードが持っているキーはそれほど多くない。
・上流ノードに集まったキーを検索することでシステムが機能している。
・上流ノードもキーのリフレッシュが必要。
の4点を挙げ、「上流のノードは、定期的な拡散で流れこむキーが大量に蓄積しているので、他のノードを検索する必要があまり」ないのに対し、「下流のノードは、メモリ上にはそれほどキーが蓄積されないので、キーを大量に持っている上流ノードに頻繁に検索をかけ、それで得たキーを使ってファイル本体をダウンロード」すると解説しています。
 第5章「P2Pソフトの開発手法」では、シミュレーションには限界があり、Winny成功の鍵となったのは、「2ちゃんねるという非常に多くの利用者が集まる掲示板を通じて、多くのユーザーの協力を得ること」ができたことであることが述べられています。また、いったんできあがったP2Pネットワークが貴重なものであるため、「設計が悪かったからといって、気軽にアプリケーションを作り直したり、それまでと互換性のないバージョンを作ること」ができないことが特徴として挙げられています。さらに、開発後期のポイントとして、「システムへの攻撃にどれだけ耐えられるか」が重要になるとしています。
 著者は、Winnyネットワーク全体の状況を把握するためにモニター機構を備えていない理由として、
・そもそもモニター機構の実現が難しい。
・モニター機構がクラックの対象になりうる。
の2点を挙げ、ネットワーク全体の状況に関する考察ができなかったと述べています。
 Winnyの暗号技術に関しては、
・初期ノード情報
・ノード間通信
・キャッシュファイル
・プログラム本体
等が暗号化されている一方、処理速度を重視して、「コネクションのオープンに時間のかからない実装となっている」ことが述べられています。
 Winnyネットワークへの攻撃とその対策については、
・ごみファイルを大量にばら撒く→無視フィルタ機能や各種警告機能、クラスタ外に追いやる
・ファイルを捏造する→検索キーの上書き、捏造警告
・ウィルス問題→開発停止後に出てきた問題なので対策がなされていない。
・転送リンク接続数コントロール部の改変
等について解説しています。
 第6章「残された課題と可能性」では、問題となっている著作物の不正利用に関して、「この問題を解決するには、ファイル共有ソフトの技術だけではなく、課金システムや認証システム、また社会のシステムが整わなければいけません」と述べ、商用に適したシステムが整備されれば、「ファイル共有ソフトが著作物の流通に適したインフラになるはず」であり、Winnyネットワークが、「そのようなファイル共有ソフトが大規模な情報共有インフラとして利用できることを示したのでは」ないかと述べ、「ファイル共有ソフトで生じている複雑な問題を順に解きほぐしていき、むしろ有効に活用する道を検討すべき」と主張しています。
 本書は、違法なソフト流通や情報流出など、ダークサイドばかりが強調されがちなWinnyに関する技術と社会的なインフラという前向きな価値を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書のあちこちには、「逆ギレ逮捕」に対する恨み辛みが冷静な筆致のそこかしこから垣間見えてきます。特に、社会的にも問題となったウィルス問題については、「バージョンアップすれば対処できますが、現在は私がバージョンアップすることはできません」と、このような事態を招いた京都府警への言外の非難がこめられています。
 しかし、表向きには著作権法に関してファイル共有ソフトであるWinny1の開発者として逮捕されたとなっていますが、本当の意図は、発言者の匿名性の高いBBSネットワークであるWinny2の開発を阻止するためだったとしたら恐ろしい話です。ファイル共有で困るのはコンテンツを管理している会社くらいですが、匿名BBSを実現されてしまうと迷惑する人はたくさんいますし。((((;゚Д゚))))


■ どんな人にオススメ?

・Winnyはなんだかわからないと思っている人。


■ 関連しそうな本

 アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日
 増田 直紀, 今野 紀雄 『複雑ネットワークの科学』 2005年11月18日
 ダンカン ワッツ (著), Duncan J. Watts (原著), 栗原 聡, 福田 健介, 佐藤 進也 (翻訳) 『スモールワールド―ネットワークの構造とダイナミクス』 2006年03月22日
 ダンカン ワッツ (著), 辻 竜平, 友知 政樹 (翻訳) 『スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための新科学的思考法』 2005年09月28日
 安田 雪 『実践ネットワーク分析―関係を解く理論と技法』 2005年10月04日
 安田 雪 『ネットワーク分析―何が行為を決定するか』 2005年10月13日


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2007年1月19日 (金)

GHQ日本占領史 (13)地方自治改革

■ 書籍情報

GHQ日本占領史 (13)地方自治改革   【GHQ日本占領史 (13)地方自治改革】

  竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃
  価格: ¥6090 (税込)
  日本図書センター(2000/02)

 本書は、連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が編纂した歴史論文「History of the Non-military Activities of the Occupation of Japan」をもとに翻訳・編集された『GHQ日本占領史』の1冊であり、明治以前の地方行政から、明治期における府県制の成立、戦時下において地方自治組織が戦争遂行のための機関に変えられていったこと、古代から末端における統治機構として機能してきた地域団体、地方自治の確立に向けた戦後の改革について解説しているものです。
 第1章「明治以前の地方行政」では、徳川時代において、「40人の有給の代理人」である「代官」と、「少数の地区の補佐役」である「郡代」が江戸から藩に遣わされ、
(1)租税の査定・徴収・送付
(2)公共事業の監督・林野の管理・新田畑の開発と被災地域の復旧
(3)人口調査の実施
(4)宗教の取り締まり
(5)濫費・非行の抑制
の任務に当たり、「大名や地方の支配者である藩主とは異なり、世襲の権利を通じてその役職を得ているのではなく、将軍が能率向上を目的に選んだもの」であったことが解説されています。
 また、地方の小さな区域においては、家長たちによって選任(事実上の世襲)された「名主」については、
(1)上部の機関と村との連絡
(2)証書・抵当証書その他の公文書の捺印・登記
(3)租税の査定・徴収、大名への金の発想、大名を通じての代官・郡代への報告書の発送
(4)正確な記録・報告書の保管
(5)救済金・貸付金の配分
(6)公共事業の管理
(7)濫費や非行の抑制や立派な人物の事例の設定による道徳の指導
(8)警察権の行使および私的調停による訴訟の抑制
などに任につき、その引き換えに、「村の米の収穫の0.5%を超えない量の給付」を受けたことが述べられています。
 そして、人民は方への絶対的服従を教えられ、規則・勅令・布告・口頭の勧告が「絶えず反復」されたため、「行政と法の執行は日本全国を通じて似たものとなり、連帯感が強められた」が、「明治維新後の内務省の成立までは手続の完全な統一性はでき」ず、「農民が自分の地域社会の管理に何らかの形で参加することを許すために何かがなされるということはなったくなかった」と述べられています。
 第2章「府県制の成立」では、1873年11月10日に設立された内務省に、「すべての地方自治の事項についての完璧な監督権が集中」され、
(1)善行の奨励
(2)地方自治体の役場の設置・改廃と一定の吏員の任免
(3)地方自治体の支出、事務所数、地方課税の増減
(4)行政区画の境界の決定
(5)町村の再編と名称変更
(6)土地の測量
(7)林野の規制
(8)金銭の貸与および寄付
(9)道路・堤防・橋梁の建設
(10)農業学校・農業団体の統制
(11)歴史的に重要な記録・遺跡・建築物の保存
(12)救貧院や病院の設置
(13)公衆衛生機関の設置
(14)人民に対して直接命令の発令
を所掌した上、設置後2ヶ月以内には司法省から警保寮が移管され、「国と地方の両方のあらゆる警察機能の統制を通じてすべての日本人の生活に対する支配権が与えられた」ことが解説されています。
 また、府県の執政長官である知事は「内務大臣の推挙に基づき天皇が任命」され、「中央政府ないし地方自治体に留保されていない少数の地方的事項について権限を行使」し、「内務大臣に責任を負」い、「部下の吏員を監督し、選挙・教育・救貧・警察・公衆衛生・徴兵に関する事項を管理」したことが述べられています。市の首長である市長については、「市会が3名の候補者を指名し、それが内務大臣に伝えられ、天皇に推薦」され、「天皇は大臣を通じて3名をうちの誰かを指名することも、あるいは全員を拒否し、もう一度候補者の推挙を求めること」もでき、「間接的に選任」されたことが解説されています。
 第3章「戦時下の展開」では、明治初期に確立し、1940年代まで大幅な改正もなく運営された地方自治制度が、「超国家主義哲学の影響」の下で、「保持していたわずかな独立性」も「軍国主義者や超国家主義者が望ましいと考えた『効率的政府』(streamlined government)―地方問題に対する集権的統制の増大を意味する―に対立するもの」と考えられ、公式または非公式の規制によって中央統制が強化されたことが解説されています。
 東京市と東京府は廃止され、「内務大臣の直接的監督」に服する「都制」となり、その理由として、
(1)東京は国の人口の少なくとも10%を擁し、政治的・財政的・文化的に非常に重要となったため、東京の問題は地方的ではなく国家的な問題であること。
(2)市と府の2重の政府は能率的行政を妨げ、管轄権をめぐる紛争を生むこと。
の2点が挙げられてことが述べられています。
 また、府県会は多くの財政上権限を喪失し、「比較的重要でない問題に関して、要求された予算を減額ないし削除することができた」だけであり、財務監査権も内務省が掌握したことが述べられています。
 さらに、自由選挙は存在しなくなり、「不必要な競争や選挙運動」の排除のために、「候補者は空席の議席数に限られ」、市会の管轄権は、「予算、料金、租税の議決」に限定され、町村会は、「校長、篤農家、退職警官」などの「学識経験者」から選ばれた「参与」の意見を聞くことが求められたことが解説されています。
 1943年6月28日には、中央集権化はさらに進められ、
(1)地方行政協議会:全国を9ブロックに分け、知事が会長となり、財務、税関、専売、営林、鉱山、燃料、逓信、鉄道、技術、労政、海運に関する長で構成された。
(2)地方参事官臨時設置要綱の布告:徳川時代の代官の機能を復活させるために内務大臣によって、準公務員9人が任命された。
(3)戦時行政職特例:地方行政協議会の所在地である府県の知事が、地方行政を調整し服従を要求することを認めた。
の3点によって強化されたことが解説されています。
 第4章「地域団体」では、徳川時代に「隣保団体に割り当てられた多くの義務」が、「村・町・市・郡あるいは府県のようなより大きな機能単位に移された」が、「隣保団体の概念は生き残」り、1884の町村制の改正時の提案には「五人組を正式に存続させるための規定」が含まれていたことが述べられています。
 地域団体が正式の法制化されるのは、1937年の勅令で創設された地方制度研究所が立案し、棚上げになっていた法案を、当時の内務大臣安井英二が復活させ、「大政翼賛会が隣組を『取り込む』ことを防ぎ、それを『自治的互助団体』として維持するため」、1940年9月11日に全府県知事に発令され、「市町村を可能なかぎり広域的利益に対応して補助的付属的組織としての部落会や町内会にふさわしい地域に区分けするように命じた」ことが述べられています。しかし、「部落会と町内会の立法化が翼賛会の政策にとり不可欠なことは、明白だった」ため、その計画は大政翼賛会のものとほとんど同様のものであり、その目的は、
(1)町村の活動を協同隣保の精神に基づいて再編すること。
(2)町村の活動を大政翼賛会の原則に従って規制すること。
(3)国民道徳と協同を促進すること。
(4)国策を浸透を図り、国の行政を改善すること。
(5)経済を統制し、国民生活を安定させること。
の5点であり、「隣組を町内会・部落界の下部の執行団体として全国に設置し、全成員が出席する常会を月1回開催すること」が求められたことが述べられ、これによって、「総計19万9700の町内会および部落会と、112万の隣組の機関が創出された」とされています。
 その常会は、「調和的関係を推進するために計画され、出席は強制的」であり、その目的は、「国策の従順な執行機関」として、「全人民間の完全な共同を保つこと」であり、そのために効果的とされた活動は、
(1)善行者をほめ、不平を訴えず、悪口をいわないこと。
(2)意見を交換し、1人だけから聞かないこと。
(3)町をより住みよい場所にすること。
の3点であり、(2)の「最も効果的な宣伝媒体」が組長が管理する「回覧板」であり、「平易な言葉で大きな字で書かれ、訓戒やしばしば小さな組に関心のあるニュース事項とともに、あらゆる重要な公的な必要事項が含まれていた」ことが述べられています。
 第5章「最初の諸改革」では、1945年9月28日に、戦時中の地方行政協議会が廃止され地方行政事務局に代え、「地方自治体改革に関する最初のプログラムの推進」が、第90回国会に提出するために起草された4法案となったことを述べ、1946年9月20日に発効した新法によって、
(1)内務省の権限縮小による地方自治の増大。
(2)知事・市長・町村長・区長を含む首長の普通選挙。
(3)首長からの議会の独立を保証することによる議会権限の拡大。
(4)地方公務員の給与。
(5)イニシアチブ〔住民発案〕とリコールの導入。
(6)選挙の実施権を現職公務員から選挙管理委員会に移管することによる公明な選挙の保障。
(7)議会ないし執行機関の要求に基づく、あるいは調査委員会自身の主体性による、調査委員会を通じての地方自治体の公正な監査・監察。
などが定められてことが述べられています。
 第6章「公職追放」では、1946年10月22日に連合国最高司令官に報告され、一般に発表された「地方自治体公職者に対してパージを適用するための計画」が、「すべての公選および任命の自治体公職者を審査の対象とした」こと、かつてそれらの職位にあった者も含まれる可能性があったこと、「中央と地方を問わず、公職・公務に共通に適用された」ことなどが述べられています。
 第7章「地域団体」では、1947年1月22日に、内務省が「地域団体制度を廃止し、政府機能をそれにふさわしい機関に戻し、非政府的活動を個人や私的任意集団の活動に委ねた」ことが述べられています。その後、「政府権力を私的ないし準政府的機関に委譲することを特に禁じた地方自治法の制定」にともなって、「隣組の機能を地方自治体機関に移管すること」が明らかにされ、法の外に置かれた「隣組とその連合組織である町内会と部落会」が、「かつての首長の式の下で見せかけの任意の組織として復活されつつある」との情報を得た政府は、
(1)かつての部落会の長・副会長の地位にあった者の市町村の職からの排除
(2)政府公職者が地域組織・類似団体に指令を発することの禁止
(3)町内会、部落会、隣組の廃止以降に結成された隣組類似組織の解散
の措置をとったことが述べられています。
 第8章「地方自治法」では、1946年10月5日に内務省が設立した、委員54名、臨時委員30名、幹事34名からなる「地方制度調査会」が、「東京・府県、その他の地方団体の政府について検討」と勧告を行い、これに基づいた包括的な地方自治法が、1947年4月17日に公布され、憲法と同時に発効したことが述べられています。同法は、1946年9月20日の、都制・府県制・市制・町村制に関する4つの臨時立法の中から「望ましいとされたあらゆる点を編入」し、「地方公共団体の地方議会と地方執行機関の両方に広範な新しい権限を割り当て」、
(1)人口50万人以上の市に対する府県と同じ権利を持つ自治の保障
(2)内務大臣が府県知事を解任しあるいは彼の行為を取り消す権利の廃止等
(3)知事の中央政府からの独立(一定の法律の施行に関してその機関であるとされた)
(4)議会閉会中、地区の立法問題を管理していた参事会の廃止とそれらの権力の議会への復帰
(5)地震・洪水などの自然災害の場合を除いた労働や物資の強制的挑発の廃止。
のように規定することで、「自らの問題を管理できるように十分な権限を与えた」ことが述べられています。
 また、地方立法機関として誓いは大きな権限が与えられ、
・議案を提出・可決し、執行機関の拒否権を無効にする。
・執行機関の措置を追認ないし無効にする。
・不信任投票によって首長を解職する。
等ができ、「自らの事項を規制し、議員の中から議長・副議長を選出し、議員に一定の資格を決定し、非行のかどで議員を懲罰、もしくは訴追する権限」を持ったことが述べられています。
 また、「県内におけるすべて国の事務を調整するため、内務大臣の助言に基づき天皇によって任命される国の管理」であった府県知事は、「府県の行政事務を調整する公選の地方公職者」となり、
(1)特に他の機関に割り当てられているものを除く府県の諸活動を管理すること。
(2)副知事その他の行政部人事を議会の同意を得て任命すること、および、これらの公職者ならびに法律または政令で明示的に規定されていないその他の職員に対する懲戒。
(3)徴税を実施し手数料・使用料・分担金の徴収を監督すること、これらは議会の会計監査を受けなければならない。
(4)議会を召集すること。ただし議会もまた自らの意思で開会できることになった。
(5)予算を立案し、議会の上程すること。
(6)議会の審議を求める教書および議案を提出する。ただしこれは議員が知事の同意を得、あるいは得ずに、議案を提出する権利を排除するものではない。
(7)行政職員の法的権能を超えていると知事が考えた場合、その職員の行為を一時停止し、その停止について議会の承認を求めること。
(8)議会の処置に対する拒否権。ただし議会の3分の2の投票による破棄に服する。
(9)議会の解散。この場合新議員を選出するため即時の選挙が要求される。
(10)県財産の管理。ただし少なくとも年3回、財務報告を公表しなければならない。
等の権能を持つことが定められたことが述べられています。また、知事が、「以前県内の国政事務に関連する国会が制定した法令や省令の執行に対して責任を負」い、「地方自治を守るために法律によってその範囲が限定され十分に規制されていたが」、この権限内において、「中央政府の機関として存続し続けた」ことが述べられています。
 第9章「新しい公職の世界」では、1947年5月3日の新憲法と地方自治法の施行に備えて、4月5日に、知事46、市長206、町村長1万210、東京区長22の首長選挙が行われ、「国民が統制する公職者を選出する最初の機会」が国民に提供されたことが述べられ、総計207の候補者が知事の席を争ったため、「8県では競争が非常に激しく、総投票の37.5%の必要最低票数を獲得した候補者が1人もなく、決戦〔投票〕が必要となった」ことが述べられています。また、3374の市町村では、「1人の立候補者しかなく、そのため選挙の必要がなかった」ことが紹介されています。
 1947年~48年の間には、首長と議会の対立が162件のリコール活動を招き、「茨城のある村長が直面した困難」はあまりにも大きいので、1949年1月に彼が辞職した後、2月15日と4月5日に予定された2つの選挙は、「いずれも立候補者がなく、取り消しとなった」ことや、長野県の補欠選挙では、「辞職ないしリコールされた市長の後の立候補者が1人しかいなかったケースが3分の1もあった」ことが紹介されています。また、90市町村で議員が総辞職し、その理由は、
・小学校の設立に関する困難とその問題に関する対立――37
・執政長官との対立――10
・行政の改革――9
・その他――34
であり、「1948年4月1日と1949年7月1日の間に20市長と1356町村長が、ほとんどの場合、米の供出をめぐる問題あるいは学校の建設に関連した財政問題を理由に辞職」したことが紹介されています。
 さらに、国の法律によって設けられた特別機関に関しては、1947年に総理庁官房に自治課が設置されたが、「地方の監督権限の多く」が依然内務省に留保され、1947年末の同省の廃止後は、地方財政問題に対する統制権が、「国務大臣1、国会代表1、地方代表3(知事1、市長1、町村長1)」からなる「地方財政委員会」に暫定的に移され、同委員会が、「国益と両立する形で地方財政自治の包括的な計画を立案しなければ」ならず、その事項は、
(1)租税の賦課および徴収
(2)借入および公債の発効
(3)予算・決算・監査手続
(4)地方行政遂行のために必要な国家資金の公平な配分
(5)地方団体の中央政府に対する財政報告
の5点であったことが述べられています。
 1949年6月1日には、「国務大臣を長とする地方自治長が総理府に設置され」、総理庁自治課と地方財政委員会が廃止され、地方自治の原理は、「地方自治庁それ自体の構成に現れていた」として、構成員12人中半分は、「知事・市長・町村長および都道府県・市・町村の議会の6中央団体によって、それぞれ指名された」6人であり、残る6名は、国会議員2と首相によって選任された「学識経験」者4名からあっていたことが述べられています。
 1950年5月31日には、「首相によって任命され国会の承認を得た5人の委員からなる地方財政委員会が設置」され、
(1)平衡交付金の総額とその配分について計算する
(2)税収の新税源を認可する
(3)地方財政に関して調査し助言する
ものとされ、「同委員会は地方財政のいっそうの独立性を求める勧告を公表することで、その意図が実施に移されるべきことをすみやかに明らかにした」と述べられています。
 第10章「主要な問題」では、「主として財政的義務の問題で地方自治体が直面した最も困った問題」が、警察と教育に関するものであり、「かつては内務省の責任であった治安維持が、新しい警察制度の下で国と地方の行政が共同で担うべきもの」となり、農村部の国家地方警察は、「従来通り国の監督組織の下に置かれ、中央政府によって経費が支出」されたが、「人口5000人以上の自治体は、それぞれ地方の歳入でまかなわれる公安委員会と地方警察組織〔自治体警察〕を設置することが求められ」、1950年の地方税法の施行以前には、深刻な財政問題に直面し、「いくつかの村はこの責任を逃れるために自治体としての地位を放棄」し、その他、「2ないし3の村で1つの公安委員会と警察組織を作った」ことが紹介されています。また、小学校と中学校が無償の義務教育とされたため、「入学者数の増大と費用の増大をもたらし」、「かつては中央政府が地方の手数料に加味していた財政が、いまやすべて地方の責任となった」ことや、都道府県が高等学校の負担の多くを引き受け、「義務教育が要求された中学校の財政については市町村を援助することを義務づけ」られたことが解説されています。新制中学校のための施設を準備せよという勧告と、戦時中に放置・破壊された施設の修復・建替えの費用とが地方財政の負担に大きくのしかかり、「新しい施設をどこに設置するかが首長・議会・大衆の間で論争の的となり、また共同事業となった村々の間の摩擦の原因となった」ことが述べられています。中央政府による補助金は、「すべての補助金を単一の平衡交付金に代えるという圧力」によって危うくなり、地方財政委員会は、「特別補助金を地方自治を侵害するものとみなした」ことが解説されています。
 また、1949年9月に発行されたアメリカの専門家集団による税制使節団の報告書が、「一般的な租税改革と向う2年間の会計年度の特定的徴税に関する詳細な勧告」を行い、
・地方歳入総額の実質的増収とそれを獲得するための明確な財源の配分
・増収分の大部分が府県よりはむしろ市町村に配されること
の2点を勧告し、後者には、
(1)府県はすでに財政的に比較的安定していること。
(2)もし地方自治が真に強化されるべきだとすればより小さな単位こそ財政援助の第1順位に値するということ。
の2重の理由があったことが述べられています。そして、主要な地方歳入減として、
(1)住民(頭割りと所得との結合)税
(2)不動産取得税
(3)事業税
の3つが継続するよう勧告され、「それぞれの税源からの徴収金は、現行の徴税額を上回らなければならなかった」ため、「住民税は2倍に、不動産税は3倍にし、以後の収入はすべて市町村の収入とされるべきもの」とされ、府県の収入とされるべき事業税―営業所得税が、「税の目的に関して、付加価値に対する税、つまり、他の企業から購入した生産財に付加された増加価値に対する税に変更されるべきもの」とされたことが述べられています。さらに使節団は、「地方団体がほぼ正確な歳入見積の基礎の上に予算を立てることができるように、国民所得税の『割り当て』に基づく国庫からの平衡交付金を、公平な、あらかじめ決められた比率に基づいて、継続するよう勧告した」ことが述べられています。また、1950年8・9月に行われたシャウプ教授らによる7週間の再調査では、
(1)国税を大幅に減額すること。
(2)平衡交付金を大幅に増額し、それによって地方税率の引き上げを回避し、特別徴収、特に「任意の寄付」を止めること。
(3)事業税に代えて付加価値税を採用すること。
の3点が勧告され、このうち平衡交付金増額の勧告が、「地方財政委員会と大蔵省との間の論争」を引き起こしたことが述べられています。
 また東京都については、「地理学上、東京は市町村であるとともに県であったが、法的には件に分類」され、東京が、「人事・債権物資の配分、公債の発行ならびに平衡交付金の分配に関する法的制約により、1つの自治体として不利な立場」に置かれ、第7回国会において、「東京を国の首都として再建し、その政治的・経済的・文化的機能を全面的に果たせるよう」、都知事と建設大臣、国会の両院と都議会から各1名を選出、首相が国会の同意を得た4名の「学識経験者」の9名からなる「首都建設委員会」が設置されたことが解説されています。
 さらに、財政の効率化(Streamlining Government)に関しては、1949年6月1日に発効した「新省庁設置諸法による中央政府の再組織」に伴い、「各省庁の多くの支分部局が閉鎖」され、1949年夏の中央政府の再組織と人員削減計画によって、推定1万人が影響を受け、「府県の教育および福祉部局と農林・運輸・通産・国際貿易産業の広域〔管区〕部局が閉鎖」され、「人員の削減ないしその他の部局の閉鎖」に対して、「地方吏員の反対運動」が続いたことが述べられています。また、「府県の数の削減は地方自治体のコストを削減し、能率を向上させる最大の機会を提供したであろう」として、「国の財政援助への依存度が下がり、減税ができた。より少ないがより良い教育制度を設け、中央政府の支分部局を現実的に廃止でき、地方自治体行政の簡素化を達成することができたであろう」と述べ、「地方官僚の反対と、長期間にわたり確定されていた境界線を変更することの困難さ」が、こうした提案を妨げたことが述べられています。
 本書は、現在の地方自治制度や国土地法との役割分担の見直しをおこなう上で、必読書といっていい一冊です。


■ 個人的な視点から

 国と地方の役割分担を見直す中で、個別事業を見ていくと、「どうしてこんなデザインになってしまったのか」という問題に突き当たりますが、その問題を解く鍵の一つが、GHQ占領時の地方自治のデザインとそれに対する抵抗だということが本書を読むとわかります。


■ どんな人にオススメ?

・国と地方の役割分担を一から見直したい人。


■ 関連しそうな本

 天川 晃 『GHQ日本占領史 (12) 公務員制度の改革』 2007年01月18日
 天川 晃 『GHQ日本占領史 (38)地方自治体財政』
 穂坂 邦夫 『市町村崩壊 破壊と再生のシナリオ』
 穂坂 邦夫 『教育委員会廃止論』 2006年01月26日
 平嶋 彰英, 植田 浩 『地方債』 2006年12月14日
 白川 一郎 『自治体破産―再生の鍵は何か』 2006年10月30日


■ 百夜百マンガ

ベルサイユのばら【ベルサイユのばら 】

 平日の朝っぱらのお茶の間にNew Orderの「Age of Consent」が流れるなんて世の中まちがっちょる!!!映画「マリー・アントワネット」のCMのことですが・・・。

2007年1月18日 (木)

GHQ日本占領史 (12) 公務員制度の改革

■ 書籍情報

GHQ日本占領史 (12) 公務員制度の改革   【GHQ日本占領史 (12) 公務員制度の改革】

  天川 晃
  価格: ¥6090 (税込)
  日本図書センター(1996/12)

 本書は、連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が編纂した歴史論文「History of the Non-military Activities of the Occupation of Japan」をもとに翻訳・編集された『GHQ日本占領史』の1冊であり、GHQ民生局公務員課による「公務員制度改革」の「具体的な活動報告」です。
 「解説」では、この「改革」が、「占領改革全体の流れの中では『遅れた改革』であり、『間接統治』とのジレンマの中から萌芽したことにその限界を示している」ことを指摘しています。この「改革」は、1945年11月に開始されたミルトン・J・エスマン中尉のヒアリングに端を発し、1946年4月のSCAPIN(占領軍総司令部の日本政府への命令)ドラフトにおいて、「政府に管理制度研究のための委員会を設置し、90日以内に近代的民主的な改革案を提出させる」ことが盛り込まれ、そのガイドラインとして、
(1)中央人事行政機関の設置
(2)公開競争試験の実施
(3)職階制の確立
(4)研修制度の確立
等が示され、「自主的な改革の意思のないことからGHQによる圧力で、改革の実施を迫ろうとしていた」ことが述べられています。
 また、フーバー顧問団に関しては、米本国政府から派遣された数多くのミッションの中で、「極めて特異なケース」であったとされ、「レポートで具体的な法律案(国家公務員法)を提示、その法制化を迫ったこと」や、「GHQ民生局に新たにこれを所管する公務員課の設置を勧告し、自ら課長に就任してレポートの徹底的な推進を図った」ことが挙げられています。そして、1947年6月に提出されたフーバー勧告については、
(1)法律と同一の効力を有する命令制定権や独立予算等を有する強力な中央人事行政機関の設置
(2)職階制と職責に応じた給与原則の確立
(3)政治的行為の制限
(4)争議行為の禁止
等を骨子とするものであり、日本側にとっては、「暗闇から牛を引き出したようなもの」である、「国家公務員特別色の筆頭に天皇を掲げていた」ことが含まれていたことが述べられています。GHQ民生局の同僚からのフーバーに対する評価は厳しく、コーエン労働課長は、「患者の病名に関係なく、立った1つの治療法しか用意せずに病床にやってきた医者のようなもの」とみなし、「連中は北極へいったとしても、エスキモーやアザラシやシロクマのために同じ計画を作るのではないか」と酷評していることが紹介されています。著者は、フーバーが、「法律の専門知識に欠け、『役人や議員の助言に耳を貸さず』、マッカーサーの支持だけを唯一の頼りに、彼の理念の具体化に邁進したことが、逆に講話後に、人事院の改組・廃止論を浮上させることにも」なったことを指摘しています。
 第1章「降伏前の状況」では、1938年の時点での政府職員の在籍者数は、「陸海軍両省を除く各省および専売事業の職員の総計」が85万8543人のうち、高等官(2.2%)と判任官(17.3%)を除くおよそ80%がの政府職員が、「管理の地位も身分の保障も与えられてはいなかった」ことが述べられています。また、内務省に属する約1万2000人の判任官のうち、1万600人以上が府県ないし地方行政に従事していたことが述べられています。給与政策に関しては、「管理の地位を比べる標準的な俸給表は定められて」おらず、「給与政策は、国会の立法よりも勅令が左右し」、「当時の基本給は相対的に低かったが、諸手当を合算すると、産業界の給与に匹敵し、ことによると実質的にはこれよりも良好なものであった」ことが解説されています。また、休職の規程は、「一時的には反抗的な官僚、過度に野心的な、あるいは評判のよすぎる官僚を解任させるために活用された」ことが述べられています。
 第2章「占領初期の活動」では、「日本には軍政を敷かずに既存の政府機構を温存させ、これを最高司令官の指令のもとに従属させ、予定した変革および改革の遂行に当たらせる」という政策が、「日本軍国主義の公然かつ明白な一部分ではなかった官僚制に対して、軍国主義者や財閥とは異なったアプローチ」を必要とさせ、「好戦的な超国家主義を理由に追放された者を除き、官僚は占領管理の下でさえその勢力を保持し」、この日本の政府機構の利用が、「既存の組織なくしては不可能であり、この決定は効果的な占領行政を保障した一方で、官僚自身を介しての官僚制内部の改革を達成するという長期的課題」を課すものであったことが解説されています。そして、「降伏前の軍国主義者や財閥の利害と協力すること」の危険性に気づいていた官僚は、「占領が公式に開始される数週間前」には、人事記録を破棄し、高級官吏の大規模な移動を行うことで、「侵略的な帝国主義が極めて顕著な部分を行政機関から切り離」し、「既存の政府機構を利用するという決定」によって、「占領軍に対する官僚の役務の提供」が容認されたことが解説されています。
 1946年4月1日の勅令による改革では、
(1)従前の管理の職階制を廃止し、これにかえて3階級とすることで、官等の叙級体系を簡素化する。
(2)複雑な俸給、手当表の簡素化。
(3)技官の任用と昇進に関する統一的な規則および手続きの制定。
(4)女性の高級官吏への任用に対する非合法的な禁止をほぼ完全にもたらしてきた慣行を解くこと。
(5)法理論重視を軽減するよう試験問題を改め、文官試験委員がこれを統括すること。
の5点が規定され、これらの勅令は、「革命的ないしは根本的な変革をもたらすものではない」ものの、「伝統的な慣行を壊す第1歩のものであり、より抜本的な改革へ向けてのさきがけとして役立つもの」となると主張されたことが解説されています。
 第3章「国家公務員法の制定」では、「憲法の規定を補完する法律の制定」が、「公務員の新しい身分を明らかにし、いくつかの官僚制の拠点にとどめの一撃を加えた」として、憲法と同日に施行された地方自治法によって、「すでに縮小された内務省から地方自治体に多くの権限および管理と職員を移管」させ、「内務省は従前の機能の骨組みのみを残すばかりとなった」ことが解説されています。
 また、賃上げ要求の運動が、「あらゆる組合によって絶え間なく行われ」たため、「行政活動が絶えず分断され、しかも公務員法改正の合意に至らないという政府と国会の怠慢な結果」が、1948年7月22日のマッカーサー書簡の、「国家公務員法の全面的改正を直ちに行うよう勧告」へと結びついたことが解説されています。
 さらに、「地方自治体の職員を対象とした法律は未制定であった」ものの、「教員を含むそれまでの中央政府に雇用されていた多数の職員」が、「地方自治法によって自治体に身分が移管」され、1950年12月の地方公務員法の制定までは、「労働組合法および労働関係調整法の規定が準用」され、この間は、「7月31日のポツダム政令によって自治体職員の組織活動や労働組合の権利は制限され、そのうえ職員の利益を保護する人事機関による保障給付の適用は否認されてきた」と述べられています。
 第4章「人事院」では、人事院規則の中で、「職員の政治的活動に関する規則」がもっとも関心を呼び、国家公務員法が当初、「職員が政党または政治目的のために利益を求め、もしくは受領することを禁止したが、あいまいな表現でその定義づけを容易なものとはさせなかった」ため、1948年の同法改正において、「『政治活動』を禁止し、禁止されるべき個別の政治活動の種類については人事院が責任を持ってその規則で定めることとなった」ことが解説されています。1949年9月19日付けで定められた人事院規則14-7(政治的行為)では、禁止されるべき活動を、「全体主義や軍国主義の復活を意図するように、憲法で規定された民主政治の基本原理を浸食するあらゆる活動である」と規定そいたことが解説されています。そして、人事院がこの規則の基本的原則を、
(1)公務員はその影響力を選挙に利用すべきではないこと。
(2)政治的争点に対して中立を努めることが報復を回避し、公務員の立場を有利なものとすること。
の2点であるとしていることが述べられています。
 第5章「人事行政」では、制定当初の国家公務員法において、職階制の採用が規定されたものの、「国会にその承認を得るために提出する職務分類表の策定については、新たに発足する人事委員会にこれを委ねるとして、詳細な規定については次の法制化に委ねた」ため、「同法の大まかな規程を完全に実施すること」には至らなかったことが述べられています。
 また、国家公務員法が、「一般職への最初の任用とその後の昇進については、人事院が定めた資格を有するすべての志願者を対象とした公開競争試験に基づくものでなければならないと規定」し、1949年1月には、「全国10箇所で、5、6等級の職員を人事院以外の行政機関の職に任用するために最初の試験を実施」したことについて、「行政職で4314名、技術・専門職で7987名」が、第1次の任用試験を志願し、「客観的な知能検査」と「多くの専門的、技術的な分野の筆記試験と一般行政の分野の筆記試験」、「口頭試問、身体検査、それに身上調査」からなる試験の結果、行政職の概算1200名の欠員に対して2578名が、専門・技術分野の1000名の欠員に対して2079名が採用候補者名簿に登録されたことが述べられています。
 さらに、制定当初の国会公務員法が、「局長および次長を除き現に官職にあるものは、資格試験に合格したものと見なす」と定められ、「適用除外者である局長、次長については、1951年7月1日以前まで、暫定的に任命されたものと見なし、人事委員会は1950年7月1日までに官職の配置を定め、必要な『試験ないしは評価』を実施するものとされていたこと」、そして、1948年の国家公務員法の改正によって、「事務次官を含む課長補佐以上のもので、人事院の指定する官職にあるもの」が、「1951年6月末日までの間、その職に臨時的に任命されたものと見なす」と定められ、同法が、「人事院は『いかなる官職に在任する職員に対しても、適宜試験を実施し、これを転退職させることができる』と規定」したことが述べられています。
 この規定に基づき、「事務次官を含む指定の職に職員を当てるための試験を実施すること、および当該の職に臨時に任命されたものが試験の成績に基づいて任命された場合には、この規定が執行する」ことが人事院から発表され、人事院規則が、「試験による任用候補者がいない場合か、候補者以上に欠員があり、志願者の資格について人事院の審査と同意がなされた場合にのみ、無試験による在職者の任命を認め」、1950年1月に試験(いわゆる「S-1試験」)が実施されることになったことが述べられています。この人事院規則の公布は、「競争試験を経ることなく臨時的任命を恒常的任命に切り替えるための方途が見出されるものと見なしていた官僚にショックを与え」、8076名の職員が、合計1万2200通の願書を提出し、1月15日に14の都市で実施された試験は、「3時間を予定したが、受験者には希望するだけの時間延長が認められた」ため、「大半の受験者は2倍の6時間をかけ」、「中には15時間もがんばった者もいた」こと、その翌週には45の専門・技術分野の2621の職を対象とした制限時間付きの試験が実施され、8319名の受験者の任用資格が認定されたことが述べられています。
 この試験の結果、およそ25%の高級官吏が、「試験の成績がふるわず、そのために職を失うこと」となり、「在職者のうち、引き続き従前の職に任命された」者は、
・1等級:36の職のうち29
・2等級:139の職のうち108
・3等級:318の職のうち239
・4等級:1955の職のうち1473
・合計:2448の職のうち1473の職
であり、「最終的には、高級官吏のおよそ30%が職を失うという結果」となったことが述べられています。
 また、人員整理に関しては、「占領の当初から、政府職員が過剰であり、人員削減によって能率が一層増進されること」が自明であったため、「あらゆる政党と歴代内閣」が人員整理と予算削減という「殊勝な公約」を掲げたが、「実際には公約はほとんど実現されること」はなく、「むしろ官吏の数は著しく膨張した」ことや、鉄道労働者の中から始まった人員削減が、都電の職員が加盟する組合によるストが実施され、「国鉄労働組合は、大量解雇は違法である」として、「左派が優勢な国労の中央委員会」による実力阻止の扇動、そして、下山定則国鉄総裁の死を含む多数の死者を生じさせることとなった暴力の爆発を招いた「過激な指導」が「鉄道労働者の大半を遠ざけるものとなった」ことが述べられています。
 給与に関しては、「政府職員の本給の引き上げが難しいという状況に対処するため」、「ありとあらゆる目的の身代わり」として、「扶養手当の増額、臨時の地域手当、特殊勤務手当」など、「複雑な諸手当の制度が工夫」され、「列車の乗務員にはトンネル通過の運転手当が支給され、税務署員には住民にののしられることに対する不快手当が支給」されたことが紹介されています。その後、人事院によって、給与ベースの引き上げが勧告されますが、「それでも政府職員の給与は民間企業の従業員に比べると、しばらくの間はこれよりも低いものにとどまるであろうと予想」されたことや、人事院が、「政府職員の給与問題の全般的な改善」について、「著しい貢献」をなし、「生計費、消費者物価、それに民間企業の賃金調査」が「科学的に編纂」され、「信頼に足る指数」となり、給与表を10から4に削減、全職員について給与上の実際の地位を決定したことが、「それまでに全体の給与表がなかったことや数百にも及ぶ特別手当が十分に知られてきたものではなかったことを考慮すれば、価値あるもの」であると述べられています。
 労使関係については、「もっとも経済的に困窮な時代に、唐突に組合を承認したこと」が、「問題解決の手段としての"権利"を強調させることとなった」と述べ、「急進的な指導とその要求」が、「国民に対する何らかの責任感の成長」を妨げたと述べられています。
 また、戦前には、「夏期の勤務時間」が、「いわゆる半ドンが慣例となっていた」ことについて、1947年と48年にはこの慣例の再開という要求が出され、世論を背景とした政府がこれを拒絶すると、「紛争や職場放棄が発生」したことが述べられ、人事院による、「すべての政府職員の週48時間労働」の確立の勧告と、1949年1月からの実施に対し、抗議の嵐が発生したものの、職員組合の政治力・団体交渉力が減少し、「しぶしぶ従うこととなった」ことが述べられています。なお、半ドン問題は、1949年7月に「夏の間は週44時間労働」に縮減され、同年10月からは通年化されたことが述べられています。
 そして、「日本の官僚制には非民主的な活動という意味が含まれているにもかかわらず、政府を適切に機能させるためには官僚機構の整備は欠かせないものであり、真の課題は新しいタイプの管理を養成することであると理解された」とし、老練な官僚達の影響力の保持と改革への抵抗は、「改革を理解しそこなった結果」であったと総括されています。
 本書は、現在議論されている公務員制度改革を理解する上で、そのベースとして理解しておく必要がある一冊です。


■ 個人的な視点から

 今年の1月から、日経の「ゼミナール」で、「公務員制度を変える」と題した連載が掲載されています。これは30回まで続くそうですが、公務員制度改革を議論するうえでは、現在の制度が混乱の中からスタートした占領期について理解する必要があると考えられます。
 例えば、長い間当たり前だと思っていた土曜日の「半ドン」が、戦前の「夏期半ドン」の制度を引きずった労使交渉の結果であることや、いったんは土曜もフルタイムとなったことは、本書を読むまで知りませんでした(なお、半ドンの勤務時間は、幕末の藩庁の勤務時間、すなわち、「武士の勤務時間」に類似しており、明治19年頃までには9時から5~6時の勤務時間が一般化しますが、夏期半ドン制度は継続し、大正11年の閣令で定められた官公庁の勤務時間の規定でも「7月21日から8月31日までは、午前8時から正午まで」とされています)。
 また、問題になっている特殊勤務手当のルーツが、人事院勧告の制度が整備される以前の給与決定システムの不備に対する応急策にルーツを持つことなども、本書から知ることができます。


■ どんな人にオススメ?

・今の公務員制度のルーツを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 川手 摂 『戦後日本の公務員制度史 「キャリア」システムの成立と展開』 2005年12月29日
 早川 征一郎 『国家公務員の昇進・キャリア形成』 2006年04月20日
 稲継 裕昭 『人事・給与と地方自治』 2005年12月09日
 稲継 裕昭 『日本の官僚人事システム』 2005年02月10日
 稲継 裕昭 『公務員給与序説―給与体系の歴史的変遷』
 山中 俊之 『公務員人事の研究―非効率部門脱却の処方箋』 2006年06月08日


■ 百夜百マンガ

テニスボーイ【テニスボーイ 】

 「デカラケ」ということばとその解説を初めて知ったのはこの作品だったのではないかと思います。ジャンプ→ヤングジャンプ→スーパージャンプと読者とともに着実に成長(老化?)している漫画家です。

2007年1月17日 (水)

実験経済学入門~完璧な金融市場への挑戦

■ 書籍情報

実験経済学入門~完璧な金融市場への挑戦   【実験経済学入門~完璧な金融市場への挑戦】

  ロス・M・ミラー (著), 川越 敏司 (監訳), 望月 衛 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  日経BP社(2006/3/2)

 本書は、「実験室内に再現された経済環境において経済理論の仮説を実験的に検証する学問」である「実験経済学」に関する入門書です。
 第1章「風洞実験と市場」では、物理的世界において、風洞などのシミュレーションによる分析がうまく行くならば、「同じような方法が市場でも使えるのではないか、市場は結局、買い手と売り手の間をつなぐ橋なのだから」という発想を「自然な成り行き」として、本書が、「実験室に構築した市場が市場のモデルとして有効であるだけでなく、経済の理論と現実の差を埋めるのに役立つのかはなぜかを説明する」ものであることを解説しています。
 第2章「安値拾い」では、「実験室の統制された環境でバブルを生成し、投機的バブルは実在することを示す」と述べた上で、「実験経済学と他の経済学の大きな違い」として、「実験経済学が生きた生身の人間を被験者として使う点」を挙げ、モデル化に当たり、人間の行動が「普遍的な部分と個人的な部分」という2つの部分からなると考えると良いと述べています。そして、史上初めての市場実験が、1940年代、「ウォール街の喧騒から遠く離れたマサチューセッツ州ケンブリッジにある、ハーヴァード大学の平穏な教室」で、チェンバレン教授によって行われたことが述べられていますが、チェンバレンは、「実験結果が自分の独占的競争の理論――市場は非常に不完全な形で機能している――を支持するものになったことを明らかに喜んでいる」一方で、「そうした結果をあまり真に受けなかったようだ」と述べられています。
 第3章「ふたりのスミス」では、アダム・スミスによる『諸国民の富』の出版以降、「アダム・スミスが大まかに説明した理論の細部を詰めようと、たくさんの哲学者、科学者、そして経済学者が仕事を続け」た後に、チェンバレンの実験の一つに参加していたヴァーノン・スミスが、1955年に、「実験のやり方を変えれば、需要と供給の法則に対する反証をチェンバレンよりも強い形で行えることに気づ」き、「自分で設計した市場実験を行うにあたって、被験者がルールを理解し、市場がどう機能するかを把握するに従って結果が変わるかどうかを見ようとした」ことが述べられています。そして、「買い手と売り手の両者が同じ条件で参加」(=ダブル)し、「注文は口頭で競売人に告げられる」、「口頭ダブル・オークション実験の結果」を見て、需要と供給の法則は「マーシャルが思っていたよりいっそう協力に機能することを示す結果」が出たことに衝撃を受け、市場メカニズムが、「買い手と売り手の非公開情報を集計して一意の効率的な価格と数量を実現する驚くべき計算機であること」を発見したことが述べられています。その後、スミスが、
(1)市場をより現実的にするために、政府の補助金や自分のポケット・マネーを使って本物の現金の報酬を支払うようになった。
(2)取引を実現すれば買い手と売り手にそれぞれ一個当たり5千との「手数料」を支払うことで、最後の取引を行う努力に対して報酬が与えられるようになった。
の2つの根本的な変更を加え、「スミスの実験は市場という概念と需要と供給の法則に価値ある証明を提供した」ことが述べられています。
 第4章「実験室のバブル」では、「実験市場が需要と供給の法則に従うことが示された」ことに関連して、スミスの実験で、「口頭ダブル・オークションで実現する競争均衡は安定的であったこと」というもう一つの同じような重要な結果が得られたことが述べられ、スミスの市場が、「完全かつ沈滞した市場」であり、「市場のもっとも好ましくない特性」、すなわち、「まれにしか起きないが、しかし深い傷を残す投機的バブルとそれに続く暴落」も「実験室で再現できるかという問題が残った」ことが開設されています。そして、経済学者たちが、「情報カスケード」と呼ばれる、「トレーダーたちが自分の持つ情報を無視し、『群れの後追い』をしようとする現象」があることに気づいていることや、遅れを伴う価格調整過程が行き着く3通りの可能性のなかから、「軌跡がクモの巣に」似た「クモの巣モデル」などが解説されています。
 そして、「実験に投機を導入するため」、「第3の種類の被験者を持ち込んで投機家の役割を与えれば、彼らに市場を不安定化させる能力があるかどうかを検証できる」として、「一方には投機家を入れ、他方に入れず、出た結果を比べる」ことによって確認できることが述べられています。この実験の結果、驚くべきことに、「実験が複雑であったにもかかわらず、市場メカニズムが相変わらず効率的に機能」し、「均衡に達するのにやや長い時間がかかっただけ」であったことが解説されています。
 著者は、「資産市場では交換はコストや価値の違いで起きるのでは」なく、「被験者のリスクに対する態度と将来における資産価値の評価の違いに基づいて起きる」のであり、「被験者による資産の評価に影響を及ぼす要因」の統制が難しいため、「実験で個人差を利用して取引を促すのは難しい」と述べています。また、「市場バブルとは本質価値ではなく取引価値で資産価値が決まる状態」を言い、「バブルのさなかにある資産は焼けたジャガイモ(ホット・ポテト)のようなもので、トレーダーからトレーダーへと次々に持ち主を換え」るが、実験における「投機家がいて季節が2つの市場では、最後の審判がいつもすぐそこに迫っているため、時間が短すぎてバブルは発達しなかった」ことが解説されています。そして、スミス、スチャネック、及びウィリアムズが、さまざまな実験パラメータの下で、「新しい実験ではバブルがどれほど容易に発生するか」を示したことが述べられ、「初めての実験によるバブル」が、「典型的なバブルと1987年に起きた特殊な状況の両方を含む市場の不安定性の一般的な原因」についての手掛かりを与えたことが解説されています。
 第5章「野生のバブル」では、「実験室でバブルを生成するのが容易だということ」は、金融市場のような「同じような制度に基づいてつくられた自然発生的市場」でも「一般的な現象である可能性」が高いとして、「自然発生的市場で効率的市場理論を否定」するためには、「株式などの資産の価値が期待キャッシュフローの価値と等しくないことを示せばよい」が、効率的市場理論は、これに対して、
(1)キャッシュフローは正確には予測できず、どんな資産でも真の価値を求めるのは難しい。
(2)ノイズが資産価格に入り込む。意味のある新しい情報がなくても市場価格は「ランダムウォーク」と呼ばれる挙動を示す。
の2つのバリケードを築いていることが解説されています。
 また、カーネマン、トヴァスキー他の心理学者が、行った実験が、「経済や金融の基礎理論を拡張し、実験で被験者が示す明らかに非合理な行動を説明する理論を構築しようとする研究分野」である「行動経済学」や「行動ファイナンス」の基礎となったことが述べられています。
 さらに著者は、「市場の不完全性」が、
(1)市場は全て、経済内にある知識を集約して価格に変換する機能を持つが、集約仮定と最終的な結果(市場価格)が共に欠落していると、他の市場が効率的に機能するために必要な情報が得られない可能性がある。
(2)追加された市場は、既存の市場に対し現実的な妥当性を再確認させる働きをするが、この点で不完全な市場は効率性を損なう。
の2つの点で効率性を損ないうることを解説しています。
 著者は、「バブルと市場の効率性について基本的な事実」として、「市場は非常に高い効率性を持ちうるが、バブルが四六時中発生する単純な資産市場を構築することも可能であることが実験でわかっている」ことを挙げ、「実験室でも自然発生的市場でも非合理性が生き延びる可能性を検討する可能性はありそう」だと述べています。
 第6章「ブラック・マンデー」では、1976年に発明されたポートフォリオ・インシュアランスが、「巨大な株式ポートフォリオに対する保険」という「欠けていた市場」の問題を回避しようと、「目新しい取引戦略」を用いた結果、「もっと大きな問題」、すなわち、「市場が激しく不安定化」するという問題を招いたことが解説されています。そして、ウォール街を襲った「金融技術革新の波」である数量的手法が、
(1)ポートフォリオ
(2)オプション
(3)インセンティブ
という、「金融の世界では長い間株式や債券の脇役に甘んじていた」3つの分野に焦点を当て、
(1)モダン・ポートフォリオ理論
(2)オプション評価理論
(3)インセンティブ管理理論
という3つの理論として構築されたことを解説しています。
 また、「取引戦略を実行するためにコンピュータ・プログラムを使う」プログラム取引が、パーソナル・コンピュータの普及によって1980年代のウォール街に広まったこと、そして、ブラック・マンデーの際、「世界はコンピュータによる株式取引がどれほど市場を不安定化させるかを思い知らされた」と述べています。
 第7章「この世はみなオプション」では、MITのフィッシャー・ブラック、マイロン・ショールズ、およびロバート・マートンのオプション評価方法が、「オプションを複製するために保有する株式の数量、および借り入れる資金の額を連続的に変化させていく、ある種のダイナミック・ヘッジ取引戦略」に「相当する」と言えるためには、
(1)原資産の価格変化は基本的にランダムウォークに従う。
(2)原資産と無リスク資産の両方が、いつ何時でも効率的市場の価格で売買できなければならない。
の2つの非常に強い仮定が必要になることが解説されています。
 また、ブラックとショールズが、「無限の可能性をうまく考慮すれば、オプションを評価する一般公式が用意に得られることを発見」し、オプションを評価するためには、
・行使期間の長さ
・行使価格
・無リスク金利
・原資産価格
・原資産のボラティリティ
の5つであることが解説されています。
 そして、「この世は皆オプション」という見方がウォール街に最大の影響を与え、ウォール街は、「債券を発行する側と購入する側のニーズにミスマッチがある」ことに大きなチャンスがあることに気づき、「債権を『さいの目に切り分けて』、年金基金にとって問題の多かったオプションを切り離し、早期償還のリスクをとる気のある他の投資家や投機家に売却」したことが述べられています。
 第8章「見えざる手が価格を掴む」では、フリードマンの有名な「タダのメシなんてものはない」という言葉は、「彼の大好きな制度、すなわち市場そのものにも当てはまる」として、「市場の効率性なるメシの代金は価格発見過程には必ずつきまとう非効率性によって支払われる」ことを述べ、「そういう非効率性を排除できる完全な市場メカニズムが見つかる可能性を残しておくためには、価格発見についてよく理解しなければならない」と語っています。そして、「市場の価格発見のコストを負担する」事を避ける「フリーライダー問題」を、「ある個人のコストを伴う行動が、そのコストを負担しない他者を利するとき、常に発生する」と述べ、「取引が価格に与える影響」である「マーケット・インパクト」と呼ばれる「取引が起こす証券価格の変化の大きさ」について解説しています。
 また、口頭ダブル・オークションが、「開いている間いつでも取引が可能」な「ザラバ市場」であるために、「非常に乱雑」であり、その長所が即時性にあることが述べられています。
 さらに、実験市場に非常に近い関連分野であるオークション・メカニズムの設計について、「オークションを徹底的に分析した初めての経済学者」であるウィリアム・ヴィカレイを取り上げ、その考えは、「オークション過程の設計を変えれば買い手に留保価格を公開するインセンティブを与えることができると気づいた点」で画期的であったことが述べられています。
 第9章「シグナリングと指数」では、1970年にジョージ・アカロフによて発表された論文で使われた「レモンという言葉」に関して、アカロフが、「売り手はモノの真の価値を知っている一方、買い手は完全に暗闇に放置されている場合」という、「逆選択がもたらすもっとも本質的な問題を分析」したことを解説しています。さらに、アカロフの仕事を拡張し、「価格の代わりに、実績を示す外生的な指標を、品質を示すものとして使えないか」と考え、「市場シグナリング」のモデルを開発したスペンスや、シグナリング・モデルを労働市場から金融市場に拡張したスティグリッツ、ロスチャイルドおよびワイスについて解説し、「実験でのシグナリング市場は壊れやすい」ことが、「買い手と売り手に情報に関する足かせをはめると市場の挙動が典型的にどうなるか」を示唆していると述べています。
 第10章「結局この世は金なのだ」では、「経済学の完全な世界」では、お金は存在せず、「お金は市場に開いた一番大きな穴を埋めるべく作り出された方便」であると述べた上で、「そもそも貨幣そのものが最大の貨幣錯覚なのかもしれない」と述べています。
 第11章「市場は絡まりあって大騒ぎ」では、1998年9月に「世界金融の通行を妨害していた金融世界の乗り物」として、ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)を取り上げ、「優秀な頭脳と技術の粋を結集した情報システム」によって、「市場で明らかに不適正な価格を一番乗りで発見し、価格が正常に戻れば利益を得られるポジション」を作る、というLTCMの事業戦略が、「単純であるという点で素晴らしかった」と述べる一方、LTCMの知的巨人であるショールズとマートンが作り出し、「今日の金融市場に深く浸透した考え方」である「裁定取引に基づく理論が持つ概念上の欠陥」が、LTCMの崩壊を早めたことが皮肉であったと述べ、「LTCMの栄枯盛衰は市場メカニズムの欠陥によってもたらされたのだと考えることができ」ると述べています。そして、金融経済学の、「効率的市場理論へのほぼ完全な信頼を捨て、行動ファイナンスへと接近する傾向」に、LTCMの崩壊で拍車がかかり、その1年以上前には、シュライファーとヴィシュニーが「裁定の限界」と題した論文を発表し、「LTCMやその他のヘッジファンドが行っている裁定取引では市場が均衡に戻らないことがある」ことを示す理論を展開したことを解説しています。
 第12章「市場に知能を」では、「基本的なスマート・マーケット・メカニズムがどのように機能するか」を示し、「スマート・マーケットは素晴らしいかもしれないが、同時に危険でもある」と述べています。そして、「自己裁定市場システムの最も重要な特徴」として、「そこに含まれる市場はバスケットの市場も構成要素の市場もすべて、ダブル・オークション単体に見られるのと基本的に同じ性質を備えているという点」を挙げています。
 第13章「賢い競売台」では、世界中の国家政府が「所有」している電磁スペクトルのオークションを取り上げ、ヨーロッパ諸国の初期の周波数オークションにおいて、もっとも成功したのは進化ゲーム理論の専門化が設計したオークションであったことが解説されています。
 第14章「良かれと思って」では、実験経済学が直面する課題は、「実験市場を『本物』らしく見せること」ではなく、「作った市場を、整合性を維持したまま実験室から外の世界へ移すこと」であると述べ、「見えざる手は必然的に進歩をもたらす」ものであり、「私たちには、研究室で得られた初期の結論に基づいて、経済の進化に全面的に参加する義務がある」と主張しています。
 本書は、実験経済学や証券・株式投資に関心のある人にはぜひ一読してほしい一冊です。


■ 個人的な視点から

 『実験経済学入門』という本書のタイトルは、あたかも経済学の教科書のような印象を与えますが、むしろポピュラーサイエンスのような読み物として、特に基礎知識を持たなくても、場合によっては、経済学自体に関心がある必要すらありません。実験経済学という新しくエキサイティングな新領域が、ブラック・マンデーに代表される市場の不安定性をどのように解明していくか、という展開は発見・発明モノの科学読み物の趣があります。


■ どんな人にオススメ?

・市場の仕組みを再現したい人。


■ 関連しそうな本

 多田 洋介 『行動経済学入門』 2006年08月31日
 友野 典男 『行動経済学 経済は「感情」で動いている』
 A. シュレイファー 『金融バブルの経済学―行動ファイナンス入門』
 スティーヴン・レヴィット 『ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する』
 ペリー・メーリング (著), 今野 浩, 村井 章子 (翻訳) 『金融工学者フィッシャー・ブラック』 2006年12月27日
 エマニュエル ダーマン (著), 森谷 博之, 長坂 陽子, 船見 侑生 (翻訳) 『物理学者、ウォール街を往く。―クオンツへの転進』


■ 百夜百マンガ

SHADOW SKILL【SHADOW SKILL 】

 とにかく、連載時の岩明均作品とは対照的な「黒い」作品です。どのくらいかというと、アフタヌーンを読んでいると指先が真っ黒になるのは、半分くらいはこの人のせいでしょう(後の半分は高橋ツトムか?)。スクリーントーン職人として生きていく道が開けそうです。

2007年1月16日 (火)

第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい

■ 書籍情報

第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい   【第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい】

  M・グラッドウェル (著), 沢田 博, 阿部 尚美 (翻訳)
  価格: ¥1575 (税込)
  光文社(2006/2/23)

 本書は、「初対面の人に会うとか面倒な問題にぶつかるとか、とっさの決断を迫られるとか、そういうとき自分でも知らぬ間に下している判断や決断の正体を見きわめること」を目的としたものです。著者はその「直感的なひらめき」を「第1感」を、「無意識のうちに素晴らしい判断を下す能力を持っている」としつつも、「第1感を信じていい場合と信じてはいけない場合」とがあり、それを「区別することは可能か」という問題を明らかにするとともに、「第1感は養うことができ、自由に操れるものだ」というメッセージを投げかけています。このような、「一気に結論に達する脳の働き」は、「適応性無意識」と呼ばれ、「心理学で最も重要な新しい研究分野のひとつ」であり、「人が生きていく上で必要な大量のデータを瞬時に、何とかして処理してくれる」「強力なコンピュータのようなもの」であると述べられています。
 第1章「『輪切り』の力」では、夫婦の会話1時間分を解析することで、「95%の確率で、その夫婦の15年後を予測できた」という事例を紹介し、「技術的には、好意的な感情と敵対的な感情の数を数えた」ものであり、15分のビデオでも90%以上、「たった3分」のビデオでもかなりの精度で夫婦の未来を言い当てることができ、そのためには、短い会話の中に、全ての夫婦が持つ「特徴的なパターン、すなわち夫婦のDNAのようなもの」を見つけ出そうとしている事例を紹介しています。そして、ビデオテープや方程式を相手に行ってきたような計算を、「自動的に、しかも早回しで無意識に行っている」という「輪切り」の能力について述べています。この他、第二次大戦中、ドイツ軍の無線通信の傍受に携わっていたイギリス軍の女性たちが、「送信のリズムだけでドイツ人通信士の『筆跡』を聞き分けられるように」なった事例を紹介し、私たちの無意識が、「一気に結論を出すとき、あるいは何かを『直感的』に感じ取るとき」、「目の前の状況をふるい分け、どうでもいい要素は捨てて、これはという要素に神経を集中させる」ことを解説しています。
 著者は、「輪切り」の能力を、「人間として生きるうえで最も大切な要素」であり、「世の中にはたくさんの『筆跡』が隠れていて、たった数秒でも輪切りにした断片に注目すれば、いろんなことがわかってくる。だから私たちはこの能力に頼っている」と述べています。
 第2章「無意識の扉の奥」では、「無意識から湧いてくる考えや判断についての、2つめの重要な事実」として、「瞬時の判断というものは、まずごく短時間に起こる」ものであり、「そのような判断は無意識に起こる」ため、「なぜそんなふうに感じるのかを正確に説明」できず、「瞬時の判断と輪切りのすごい力は認めても、一見不可解なこの能力を信用できるわけではない」と述べています。
 著者は、「私たちはたいてい自動操縦モードで動いている」として、「私たちの考え方や行動、特に、とっさの場合にいかに適切に判断して行動するか」が、「思った以上に外界の影響を受けやすい」と述べ、「閉じた扉の恩恵は大きい」が、「無意識から生まれた思考について説明を求めたときは、答えが返ってきても慎重に解釈する必要がある」ことを、「恋愛に関してなら私たちはこのことをよく理解している」と述べています。
 第3章「見た目の罠」では、「アメリカ史上最悪の大統領の一人」であるハーディングを一目見た弁護士兼ロビイストのドハティが「この男は素晴らしい大統領になるのではないか」という、「アメリカ史に汚点を残すことになった考え」が浮かんだことを、「瞬間的な認知の暗い側面」として取り上げ、「偏見や差別の根っこには多くの場合これがある」として、「潜在連想テスト(IAT、Implicit Association Test)」と呼ばれるテストを紹介し、「人種や性別といった事柄に対する人の態度には二段階」、すなわち、
(1)意識的な態度:自分で選んだ信念、はっきりと表明した価値観。
(2)無意識的な態度:考える間もなく自動的に生じる瞬時の連想。
の2つの段階があることを示しています。
 また、ニュージャージーのトップセールスマンであるボブ・ゴロムが、「客の求めているものや心理状態についてはいくつも瞬時に判断を下すけれど、客を見た目で判断することは絶対にしない」というルールを自らに課していることを紹介し、ほとんどの販売員は、「人に会ったときの見た目の第一印象のせいで、事前に集めたほかの情報の印象が薄れて」しまい、「ウォーレン・ハーディング大統領をめぐる思い違い」をしやすいことを指摘しています。
 第4章「瞬時の判断力」では、引退していた歴戦の司令官バン・ライパーが、ペンタゴンの「ミレニアム・チャレンジ」という「史上最大規模でもっとも金のかかった演習」に「ペルシャ湾岸の某国政府に反旗をひるがえし、地域全体を戦争に巻き込もう」とする「ならず者の軍司令官」役としてかり出され、米軍の作戦演習を行うJFCOMと演習を行った事例が紹介されています。このミレニアム・チャレンジでは、
・青チーム(JFCOM):敵の思惑や能力を体系的に理解するために、データベールや表や方法論を用意した。
・赤チーム(ライパー):だらしなく勘だけが頼りで、毎日いくつもの判断を次々に下していく。
の「2つの対立する軍事哲学が衝突」し、赤チームには「瞬間的な認知パワーが働いた」が、青チームには直感が働かなかった理由を、「重圧にさらされた動きの速い状況で、瞬時の認知によっていかに正しい判断を下せるかどうかは、訓練とリハーサルで決まる」と述べ、ライパーが部下に「指示は出すが諸君の行動を支配はしない」と伝え、「全体的な指示や作戦の目的は私を含む指揮官が伝えるが、戦場に出た部隊は上からの細かい指示を当てにするな」、「前線の部隊は自らの責任で、頭を使って前に進まなければならない」ことを徹底することによって、「いちいち自分の行動を説明しなくても動ける」という「瞬間的な認知」が可能になったと述べています。
 もう一つの事例としては、テレビドラマ『ER:緊急救命室』のモデルになったクック・カウンティ病院を取り上げ、この病院が1990年代後半に行った、「胸の痛みを訴えて救急室に運ばれてくる患者の診療方法」の根本的な転換について解説しています。医局長のブレンダン・ライリーは、リー・ゴールドマンという心臓外科医の研究に注目し、心電図の結果と、アージェント・リスク・ファクター(緊急リスク因子)と呼ばれる、
(1)患者が感じている痛みは不安定狭心症に特有なものか?
(2)患者の肺に水は溜まっているか?
(3)患者の収縮期血圧は100以下か?
の3つの因子を組み合わせれば的確な診断を下せる、と考え、この方式によって、心臓発作を起こしていない患者を見分けられる確率が、従来の70%増という驚異的な数字を示したことを紹介しています。この実験の重要な点は、「何かを判断する際、情報は多いほど適切な判断を下せると、みんな当たり前のように思い込んでいるから」であり、この実験が、「救急室の自発的な行動に枠組みを与え」、「患者を『人』として理解する」ために、「それ以外の領域で判断を下すことにともなうプレッシャーを和らげる必要」があることを解説しています。
 著者は、「大切な教訓」として、
(1)正しく判断するには熟考と直感的な思考のバランスが必要。
(2)優れた判断には情報の節約が欠かせない。
の2点を挙げ、「チェス盤を見てみろ。敵の動きはすべてわかる。でも勝てる保証はあるか? そんなものはない。敵の考えまではわからんのだ」というライパーの双子の弟ジェームズの言葉を紹介しています。
 第5章「プロの勘と大衆の反応」では、1980年代の「ペプシ・チャレンジ」に危機感を抱いたコカ・コーラが、「ペプシ・チャレンジの結果から目をそらさずに、コークの味を疑うべきだ」と考え、「ニューコーク」を生み出し、「市場調査の結果は好転」したが、市場の反応は惨憺たる結果だった事例を紹介し、「人の本心を明らかにするのがいかに難しいかをよく示している」と述べています。そして、ルイス・チェンスキンが提案した「無意識のレベルではほとんどの人がパッケージと製品を区別しない」、「消費者にとって、製品のパッケージと中身は一体」だという「感覚転移」の概念を紹介し、「食べ物を口に入れて一瞬でおいしいかまずいか判断するとき、人は未来と唾液腺で感じた味だけに反応するのでは」なく、「目や記憶や想像力から得た感覚にも反応する」ことに言及しています。そして、「市場調査の結果を重視することがなぜ間違っているのか」について、「自分の好みについて的確な説明をできるのはプロだけ」であることを挙げています。
 第6章「心を読む力」では、1999年にサウスブロンクスで起きた警官による誤射事件を取り上げ、「瞬時の認知のうち最も一般的で重要なのは、おそらく他人に対する判断や印象だろう」として、
(1)被害者の姿を見ただけで、瞬間に怪しいと判断した。
(2)好奇心が強かっただけなのに、「警官の姿を見ても逃げないなんて、なんてあつかましい奴だ」と思った。
(3)被害者が体を少し傾け、ポケットに手を入れるのを見て、危険人物と決め付けた。
の3つの致命的な間違いを指摘し、「誰でも人の心を読み間違える」失敗を、「一瞬の出来事だし、不可解すぎて、どう解釈すればいいのかよくわからない」と述べ、この事件が、「マインドリーディングの仕組みを示し、それが時には大失敗することもあることの貴重な教訓である」と述べています。
 著者は、マインドリーディングの第一人者であるトムキンスとエクマンの研究を紹介し、43種類ある「あらゆる顔の筋肉の動き」である「アクションユニット」の組合せと、表情を読み取って解釈するルールをまとめた「表情記述法(FACS, Facial Action Codeing System)」について解説しています。そして、エクマンが解説していることが、「私たちが状況を輪切りにするときの生理学的な基礎」であり、「人や社会的状況を理解するのに必要な手掛かりは、目の前にいる人の顔に現れている」と述べています。
 本書は、私たちが普段意識せずに(無意識だからしょうがないですが)使っている「勘」についての裏づけとその限界を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書のカバー裏には著者の近影が掲載されていますが、巻末の謝辞の中で、このボンバヘッドな髪型について言及されています。著者は、それまで「きちんと髪をカットし、役人や政治家にでもなれそうなヘアスタイル」だったものを、この髪型に変えたところ、
・やたらスピード違反で捕まるようになった。
・空港のセキュリティ・チェックで毎回引っかかるようになり、入念に身体検査されるようになった。
・近くで起きたレイプ事件の容疑者に間違えられ警官に取り囲まれたが、似ているのはアフロヘアだけだった。
など、人生が一変し、このことをきっかけに「なぜ第一印象はそんなに強烈なのだろう?」ということについて調べ初めて本書ができたと述べています。


■ どんな人にオススメ?

・自分の「野性の勘」に自信がある人とない人。


■ 関連しそうな本

 マルコム グラッドウェル (著), 高橋 啓 (翻訳) 『ティッピング・ポイント―いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか』 2005年02月12日
 ベンジャミン・リベット (著), 下條 信輔 (翻訳) 『マインド・タイム 脳と意識の時間』 2006年11月11日
 トール ノーレットランダーシュ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』 2006年06月18日
 ジュリアン ジェインズ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 2006年06月04日
 アンドリュー ニューバーグ, ヴィンス ローズ, ユージーン ダギリ (著), 茂木 健一郎 (翻訳) 『脳はいかにして"神"を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス』 2006年07月01日
 V.S. ラマチャンドラン, サンドラ ブレイクスリー (著), 山下 篤子 (翻訳) 『脳のなかの幽霊』 2006年09月03日


■ 百夜百マンガ

ななはん~七屋ちょこっと繁盛記~【ななはん~七屋ちょこっと繁盛記~ 】

 癒し系のキャラの絵にこっそり込められた四コマ的辛口テイストは、好き嫌いが結構分かれるんじゃないかと思います。

2007年1月15日 (月)

選挙ポスターの研究

■ 書籍情報

選挙ポスターの研究   【選挙ポスターの研究】

  東大法・蒲島郁夫ゼミ
  価格: ¥10500 (税込)
  木鐸社(2002/11)

 本書は、「国政選挙の候補者の選挙ポスターをすべて収集し、それを一冊の本に」まとめることで、日本の政治文化を知る上での重要資料とすることをめざしたものです。ゼミの指導教官である蒲島教授は、「常々、『人のやっていない研究をしなさい』といっている」が、本書は、「選挙ポスターに関する研究所として、最初の(たぶん最後の)本格的なもの」ではないかと述べています。
 この選挙ポスターという「独特の選挙メディア」は、「政治学の分野においてはほとんど研究の蓄積がないといってよい分析対象」であり、著者は、本書を、「選挙キャンペーンの研究」の1つであると同時に、「2000年総選挙における選挙戦術・戦略分析」としての側面を持ち、「候補者が『何をどのようにアピールしているか』を知ることは、候補者と有権者のコミュニケーションのあり方を知る上での第一歩であることには違いなく、『政治的コミュニケーション研究』にも何がしかの貢献ができたのではないか」と述べています。
 本書の分析対象は、前候補者1199名中の57.1%に当たる685枚であり、その収集方法は、各政党本部に依頼した結果、社民、自由は90%以上収集できたのに対し、共産、民主ややや低かったこと、自民党、共産党のポスター収集率に地域的不均衡があること、などのバイアスがあることが注記されています。
 著者は、ポスターというメディアが広く用いられる理由として、
(1)公的補助制度のために低コストであること。
(2)効率性の高いメディア資源が限られていること
の2点を挙げ、「選挙ポスターのメディアとしての特徴」として、「最も高い受動的接触率」を挙げ、「選挙ポスターは候補者の政策や経歴などを載せているにもかかわらず、効率性が非常に低」く、「有権者にとって候補者選択に役に立つ媒体ではないが、接触率は非常に高く、そのために候補者の認知度を高めるには役に立っているといえる」と述べています
 第1章「選挙ポスターの構成要素1~デザイン」では、ポスターの重要な構成要素である、候補者名・顔写真・政党名・スローガンの4つの要素の面積を分析し、平均値は、53.7%とその半分強をこの4要素が占めていること、なかでも共産党は、候補者名と政党名に広い面積を割いているため60%近くにまで達し、さらに政党名は、「平均値の2倍を軽く超えており、極端に大きい」一方で、「顔写真は小さい部類に入る」ことが述べられています。また、自民党と民主党を比較すると、自民党は政党名・顔写真が大きく、民主党はスローガンが大きいことがわかり、支持層の違いが現れていると述べられています。また、ロゴマークと当選率の関係については、新人ではロゴありが20.0%に対し、ロゴなし9.5%と大きく差が開いていることが特記されています。
 第2章「選挙ポスターの構成要素2~写真」では、「顔の中心」の分布が、自民党・共産党ではまとまっているのに対し、民主党は点が散り気味であることが分析されています。また、無地の白いシャツを着ているケースが高い中であえて色シャツを着用する率は30代の候補者に多く、「型にはまらない服装が若さや斬新さの間接的なアピールになっている」ことや、政党別では民主党の率が高く、都市部において率が高いことが述べられています。さらに、ポスターに使われる小道具としてもっとも多く利用されているのは、「演説風景を演出し、雄弁なイメージをアピール」するマイクである他、バレーボールや野球のボール、自転車、白衣と聴診器などが用いられていることが述べられています。
 現職の証である議員バッジの着用については、「比較的都会の代議士が議員バッジをつける傾向がある」ことや民主党候補のほうが着用率が高いことなどが分析されています。
 第3章「選挙ポスターの構成要素3~文字情報」では、名前の縦書き・横書きを分析した結果、自民党では、「横書き候補ほど、当選回数が少なく、年齢が若く、その選挙区では老年人口比が低く青年人口費が高い」という有意差がある一方、民主党には傾向がないことから、「自民党が候補者の当選回数や年齢に合わせた、さらには選挙区の有権者構成に合わせたポスター作りをしている一方、民主党ではそのような配慮はまったく感じられない」と分析しています。
 また、書体については、どの政党でもゴシック体が圧倒的に大きいが、共産・社民の女性候補者では、丸ゴシック体を使用する率が高いことが指摘されています。
 さらに政党名の表記に関しては、面積では共産党がずば抜けて大きく、「全国一丸となった『比例区は共産党へ』の大合唱は並ではない」こと、社民党も比較的広いスペースを充てていることなどが分析されています。また、比例区宣伝に関しては、
・比例代表「も」○○党へ
・比例代表「は」○○党へ
の2つについて、前者は小選挙区を重視している一方、後者は「比例区のために党の広告塔となっている」ことが指摘されています。
 候補者の経歴の表記については、与党候補者が政権党ゆえに就けるポストなどの経歴アピールに熱心であった一方、野党の新人候補者は、新人らしいフレッシュな経歴をアピールし、また細かい経歴も積極的に載せていることが分析されています。
 第4章「候補者属性と選挙ポスター」では、「若さを訴えかけるもっとも有効な手段」として、年齢を表記している候補者が7名いたことや、都市では「若いということを前面に打ち出すことは有効な手段」である一方、地方では「若さに頼りなさ・実力のなさを感じる人々が多くいる」ためストレートなアピールが難しいのではないかと分析されています。
 また、
・勝ち組(相対得票率60%以上)
・負け組(  〃  6%以下)
のポスターを比較したところ、保守層の多い地域の共産党候補者では、「候補者独自の要素(経歴や独自のスローガンなど)さえ掲載せず」党のスローガンを重点的に掲載し、「候補者の当選より比例区で1人でも当選者を確保するという戦略」が見えると述べています。
 さらに、言葉遊びを用いた「迷スローガン」としては、
・「こう」という名前の候補者が、「こう!と決めたら(氏名)××こう」
・「ごう」という名前の候補者が、背景に「Go」
・「ゆみ」という名前の候補者が、「You&Me」
・「かつ」という字を使う候補者が、「政治にカツ!」や「カツを入れよう」
等の例が掲載されています。
 第5章「選挙区属性と選挙ポスター」では、レイアウトの地域差として、
・顔の大きさは、北海道で大きく、南巻頭と東京で小さい。
・苗字は近畿、北海道が大きく、名前は東北、東海が大きい。
・九州では氏名共に小さいが政党の表示が大きい。→組織を重視した選挙運動の可能性。
・スローガンは関東・四国が大きく、近畿、中国は小さい。
等の特徴があり、それぞれ選挙運動形態と結びついている可能性が指摘されています。
 第6章「政党と選挙ポスター」では、79年の総選挙と比較して、政党の公認を示す表記の率が87%から76%に下がっている理由として、選挙制度の改変の影響を挙げ、「小選挙区制よりも低い得票率で当選できる中選挙制では、自民支持者の票を"確実に"集めることの重要性は相対的に高」く、後任表記が重視されたが、「小選挙区制の下で各候補者は他党支持者や無党派を意識せざるを得なくなったため、政党公認のアピールが弱まった」と分析しています。
 第7章「並立制下の選挙運動」では、「並立制において候補者が担う役割を明らかにし、これを手掛かりとして候補者の政党に対する自立性を分析」した結果、
(1)候補者の存在は政党の比例区の得票を増大させる。
(2)選挙区における候補者の強さは、比例区における政党の得票にも影響を及ぼす。
(3)候補者の強さと選挙運動の自立性のあいだに相関関係が見られる政党と見られない政党が存在する。
(4)民主党に関しては、選挙運動における政党宣伝の量が政党と候補者の得票分布を規定していた。
の4点を明らかにしています。
 第8章「政党組織と候補者の比例区行動」では、「野党が比例区を重視するほど、小選挙区での野党分断を招き自民党に漁夫の利を与えている」ことが指摘され、「共産党が、『小選挙区での当選よりも比例区得票を優先する』候補者を全区に立てることが小選挙区での野党乱立を招き、第二党である民主党を苦戦に追い込むという構図」が明らかになっています。
 終章「選挙ポスター研究の意義」では、本書の分析結果を、
(1)ポスターの構図・デザインは画一的である。
(2)内容と細かい表現はバライエティーに富んでいる。
(3)選挙メディアであるにも関わらず(「拘らず」の誤字)、政策的な内容に乏しい。
(4)候補者、政党、選挙区の違いを反映している。
(5)選挙ポスターは、候補者の合理性の産物である。
の5点にまとめ、選挙ポスターが、「有権者とのコミュニケーション能力を欠いている」ことが本書の基調をなす認識であることを述べています。
 本書は、政党や選挙事務所関係者にはぜひ参考になる一冊ではないでしょうか。


■ 個人的な視点から

 名前の読みの韻を良くするために、本名では訓読みするのをあえて音読みする場合も多いようです(例:つよしorたけし→ごう)。井上陽水が「ようすい」ではなく「あきみ」であることは有名ですが、訓読みすると柔らかい印象を与える一方で、音読みさせることで歯切れがよく攻撃的なイメージを与えることができるのかもしれません。
 さて、本書の資料編「選挙ポスターの作られ方」では、自民党のポスター作成マニュアルである『選挙宣伝―新・目で見る選挙戦―』が紹介されていますが、「自民党サービスセンター」のサイト(とても政権与党の関係サイトとは思えない、個人の趣味のページかと思った。何とかしてくれ)を見ると、出版物のコーナーに、『目でみる選挙宣伝』(4000円)が販売されています。図書館にはない類の本だと思いますが、ぜひ一度読んでみたい。でも高いので躊躇してしまいます。
 このサイトには、党則や機関紙の他、
・必勝だるま(10000~40000円)
・必勝マーク入り紙コップ(2000個入り16000円)
・必勝帽子(1000円)
・卓上党旗(10000円)
等が販売されています。


■ どんな人にオススメ?

・選挙のときのポスターがどれも似たり寄ったりだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 藤谷 治 『いなかのせんきょ』 2006年10月28日
 林 真理子 『幸福御礼』 
 奥田 英朗 『町長選挙』 
 村松 岐夫, 伊藤 光利 『地方議員の研究―日本的政治風土の主役たち』 2005年02月21日
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 2005年07月13日
 選挙制度研究会 『統一地方選挙の手引』 


■ 百夜百マンガ

どうだ貫一【どうだ貫一 】

 ヤクザとか選挙とか原作者の得意そうな題材を扱っても、結局は「播磨灘」になってしまう個性の強さが不思議です。

2007年1月14日 (日)

自動要約

■ 書籍情報

自動要約   【自動要約】

  Inderjeet Mani (著), 奥村 学, 植田 禎子, 難波 英嗣 (翻訳)
  価格: ¥4620 (税込)
  共立出版(2003/06)

 本書は、「情報のソースを受け取り、そこから内容を抽出し、最も重要な内容をユーザに、簡約した形で、かつ、ユーザやアプリケーションの要求に応じた形で提示すること」である「自動要約」について解説しているものです。
 第1章「緒言」では、要約の基本概念とともに、「要約システムを調査するための構造的枠組み」を概論しています。
 まず、要約の基本概念として、
・抜粋:入力から複写した題材だけで構成された要約。
・アブストラクト:入力に存在しない題材を少しは含む要約。より高い度合の漢訳化ができる可能性がある。
に分けることができると述べています。また、もう1つの要約の区別として、
・指示的アブストラクト:より深く読む文書を選択する参照機能を提供する。
・報知的アブストラクト:原文中の顕現的な情報をすべて、あるレベルの詳細さでカバーする。
・批評的(評価的)アブストラクト:原文の主題を評価し、著者の著作の質に関するアブストラクト作成者の見方を表現する。
の3つについて解説しています。さらに、要約における重大な概念として、
・情報量:それを元に、原文書を再構成できるなら報知的であると見なせる。
・顕現性:文書中の情報に付与される、文書の内容、応用への文書情報の適合性の両方を反映する重み。
・一貫性:全体が統合されるようにテキストの部分を集める方法
の3点を挙げています。
 要約のプロセスについては、
(1)解析:この段階で入力を解析し、内部表現を構築する。
(2)変形:入力の内部表現を要約の表現に変形する。
(3)合成:要約の表現を自然言語に戻す。
の3つの段階があることが述べられ、さらに、基本的要約操作として、
(1)選択:要素のフィルタリング
(2)集約:要素の併合
(3)一般化:要素を、より一般的/抽象的なものに置き換えること。
の3つの操作について解説しています。
 また、要約の手法については、
(1)表層的手法:原文の顕現的な部分を抽出し、それらを効果的な方法で並べて提示し、頑健性という利点を持つ。
(2)深層的手法:少なくとも文の意味レベルの表現を仮定し、一貫したテキストを生成することをめざせる。
の手法を挙げています。
 著者は、自動要約を、「自然言語処理、情報検索、図書館学、統計、認知心理学、人工知能を含む、きわめて学際的な応用」であると述べています。
 第2章「専門家の要約」では、「職業的な生活の一部として要約を行っている」専門家として、「要約を生成する技術に熟練した専門的な抄録作成者」に関する研究や要約活動を行う方法が、「自動要約に対して貴重な洞察を提供する」と述べています。
 人間の抄録作成者に関する研究としては、Endres-Niggemeyer(1998)を挙げ、人間の要約に関する、
(1)文書の調査:文書をよく知るため、文書のタイトル、概要、ページ上のレイアウトや書式、目次、文書全体の構造、最初の部分を調査する。
(2)適合性評価:テキストの本体からさまざまな適合パッセージを同定する。
(3)要約作成:要約を作成するために文書に適用される切り貼り作業。
の3つの段階について解説しています。そして、抄録作成者が、
・テキスト内要約:""in summary""ではじまるもの等
・手掛かり句:""I conclude by""や""this paper is concerned with""等
などを利用し、長いテキストにおいては、「全体の概要が読むべき章を選択するのに使われ」、その特徴的な行動として、
(1)文書の最初から終わりまで読むことは決してない。
(2)文書の構造的構成を、適合パッセージを探して文書を拾い読みするのに用いる。
(3)適合テキスト要素を結びつけるのに、談話レベルの修辞関係を用いる。
(4)文書構造を利用し、個々の文よりも前に段落やパッセージを調査するトップダウン戦略を用いる。
(5)手掛かり句(解くにテキスト内要約)、情報の位置、構造的な位置(文書の最初、段落の最初と終わり)、タイトルや見出しからの情報といった特定の表層的素性を利用して拾い読みをする。
(6)標準的な文パターンを使い、切り貼り操作で抄録を作成する。
の6点を挙げています。
 また、新聞の編集者が、トップページに記事の要約を書く際には、「そのまま使え、あとは編集すると要約ができる1つか2つの段落を見つけよう」とする、「興味のある領域でよくある典型的な状況を同定する特別のスキーム」を用いていることが述べられています。
 さらに、抄録作成のための「特有の読みの技術」として、
(1)Exploratory-to-retrieval reading:目的、扱う範囲、方法、結果、結論に関する適合情報を含む節を探し当てる。
(2)Responsive-to-inventive reading:抜粋のためのもっとも適合した情報を選択、組織、合成するため、第1段階から得られた題材を読み返し、索引語を書き留める。
(3)Connective (value-to-meaning) reading:簡潔性、一貫性、文体の規約などの目的で抄録を編集するために読み、かなりの量の「推敲」が行われる。
の3点について解説しています。
 著者は、「人間のようやく作成者がどのように要約を行っているかをより詳細に調査する、より多くの研究がこの分野には必要」であると述べ、それによって、「人間の指導の有無にかかわらず、機械がどのようにして同じことをするか」を明らかにできると述べています。
 第3章「抽出」では、Edmundsonの古典的研究から、
・手掛かり語:コーパス頻度に基づいて抽出され、ボーナス語とStugma語に分けられる
・タイトル語:タイトル、副題、見出し中の単語
・キーワード
・文の位置:「概論」、「結論」のような特定の節見出しで出現する文に重みを割り当てるとともに、テキスト中の順序位置を元に文に重みを割り当てる。
の4つの素性について解説しています。
 著者は、「コーパスの特徴やテキストのジャンルに適合するよう要約器を調整できるので、コーパスに基づく文抽出手法は魅力的である」と述べ、その理由として、方法論が確立され、わかりやすい規則を学習でき、学習機の訓練に関する設計選択やパラメタがたくさんあることを挙げています。
 一方で、抽出システムの能力には「根本的な限界」として、「構文的・意味的レベルでの集約、任意の種類の一般化が欠けている」ことを指摘しています。
 第4章「推敲」では、
(1)表層的一貫性補正:宙ぶらりんな照応詞、ギャップ、めちゃくちゃになった構造化環境に表層的手法で対処する。
(2)全面的推敲:原文とともに予約を推敲することで、スペース辺り多くの情報量を詰め込む。
(3)テキストコンパクション:除去によってテキストを縮める。
等の推敲手法を挙げ、これらを「組み合わせることでよい結果を生む」と述べています。
 第5章「談話レベルの情報」では、専門的な抄録作成者が、「文書の構造がどうであるか(スキームあるいはスキーマ)に関する、ジャンル特有の予測」を用い、「適合するパッセージはまとめて、記事の要約内容の心的談話レベル表現(テーマと呼ばれる)へはめ込まれ」、「テーマは、抄録を合成するのに用いられる」と述べ、「特定の種類の談話レベルの情報がどのように要約で有用かを調査」しています。そして、要約に関する理論的区別として、
(1)テキスト結束性:どの程度緊密にテキストが結びついていつかを決定する、単語、語義、参照表現間の関係を含む。
(2)テキスト一貫性:複数文のテキストの全体構造を、節や文間のマクロレベルの関係で表現する。
の2つの概念について解説しています。そして、テキスト結束性から得られる種類の談話構造が、「テキスト中の顕現性パターンと関係がある」とする一方、テキスト一貫性が、「テーマの概念と関係し」、これから得られる談話構造が、「テキストで表されている推論パターンと関係がある」と述べています。
 第6章「アブストラクト作成」では、「入力に存在しない題材を少しは含む要約」であるアブストラクトについて、「少なくとも文の意味レベルの表現まで解析し、解析した表現を変形し、最後に自然言語生成を用いて合成を行う」ものであり、その作成手法は、
(1)テキスト中の文の意味表現の構築
(2)意味表現に対し、選択、集約、一般化操作を行い、新しい表現をつくる。その際、文書の談話レベル表現や、背景概念を含む知識ベースも用いることができる。
(3)自然言語で新しく表現する。
の3つのステップが必要であることが述べられています。
 著者は、「アブストラクト作成手法には立ち向かうべき問題が相当ある」とした上で、「現時点では、抽出と比較して、さまざまなアブストラクト作成手法で圧縮率が稼げることを示す体系的な研究」はなく、「実用的なシステムを構築する場合、高い圧縮率の環境を扱うのでなければ、抽出のほうが魅力的である」と述べています。
 第7章「複数文書要約」では、「単一文書要約の関連文書集合への拡張」である複数文書要約(MDS)について、その目的を、「関連文書集合を情報のソースとして受け取り、冗長性を除去したり、情報内容の類似点や相違点を考慮しつつ、そこから内容を抽出し、最も重要な内容をユーザに、簡約した形で、かつユーザやアプリケーションの要求に応じる形で提示する」ものであることを述べ、この「複数文書をまとめた1つのアブストラクトという概念」は、WWW出現によって、オンラインの膨大な文書集合を収集できるようになったため、「要約の中で、最も急速に変化しつつある研究領域」である言葉述べられています。単に、「単一文書要約をつなぐのでは十分な解決法にならず」、その意味レベルの手法の本質は、「各文書の意味レベルの要素を同定すること」であることが解説されています。
 第8章「マルチメディア要約」では、その入力と出力について、
(1)ソースと要約がテキストでない同じメディアの場合
(2)要約がソースと異なったメディア集合の場合
の2つに区分できることが述べられています。
 第9章「評価」では、「自動要約のような実用的学問の本質的な部分」である評価について、「要約の評価を考察するための枠組み」を議論しています。その内的評価(システム事態をテストする評価)としては、
(1)質の評価
(2)情報量の評価
の2種類があるとし、前者については、「どう読めるか」という点で、「結局、人間を含む」ことを指摘しています。また、後者については、合理的な尺度の1つとして、「要約中に原文からの情報がどの程度保存されているか」を挙げています。
 第10章「あとがき」では、「要約は、人間がより効率的に将来の膨大な情報資源を利用する手助けをすることを約束する」ものであり、そのためには、「さまざまな実用的タスクのためのさまざまな要約の要請を正確に定式化できるか、有効な解決策が明確に思い描けるかにもかかっている」と述べています。
 本書は、自動要約自体の研究者はもちろん、日々膨大な情報を処理することを仕事としている人にとっても示唆に富んだ一冊です。


■ 個人的な視点から

 自動要約に関して研究することは、人間がどのようにして膨大な情報を処理しているか、を知ることであり、本書で紹介されている抄録作成者の手法は、自動要約の研究のみならず、膨大な情報を効率よくまとめる上で、参考になるものです。
 多くのホワイトカラーにとっては、収集した情報を編集して要点をまとめることは、日々の仕事の中核的な作業ですし、単に本を読むことについても、手掛かり句と文の構成をたよりに斜め読みしていく抄録作成者の読み方は身につけておいて損はありません。
 「フォトリーディング」など、「速読」と喧伝されている怪しげな手法はたくさんありますが、超能力的(「超脳力」?)な怪しい解説を真に受けるよりも、結局のところ、こういった体系的な読み方を身につけるほうが確実で最も近道なのではないかと思います。私もよく「どこかで速読を習ったのか」と聞かれますが、やっているのは、抄録作成者がやっているような斜め読みであり、「1秒間に○百字」とかのセミナー商法に金を払ったわけではありません。


■ どんな人にオススメ?

・少ない時間で文書の要点を理解したい人。


■ 関連しそうな本

 奥村 学, 難波 英嗣 (著), 人工知能学会, JSAI= (編集) 『テキスト自動要約』
 徳永 健伸 (著), 辻井 潤一 (編集) 『情報検索と言語処理』
 北 研二 (著), 辻井 潤一 (編集) 『言語と計算 (4) 確率的言語モデル』
 荒木 健治 『自然言語処理ことはじめ―言葉を覚え会話のできるコンピュータ』
 荒屋 真二 『人工知能概論―コンピュータ知能からWeb知能まで』
 上村 博一 (著), 山城 秀生 『字が話す 目が聞く―日本語と要約筆記』 2006年10月29日


■ 百夜百音

建設的【建設的】 いとうせいこう&TINNIE PUNX オリジナル盤発売: 1986

 日本のHipHopの初期の頃からテレビでラップしている怪しい人たち、楽しかったです。タイニーパンクスは鈴木賢司のアルバムに参加していました。


『東京ブラボー!!』東京ブラボー!!

2007年1月13日 (土)

パラドックス大全

■ 書籍情報

パラドックス大全   【パラドックス大全】

  ウィリアム・パウンドストーン (著), 松浦 俊輔 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  青土社(2004/9/30)

 本書は、「われわれがものごとをどう知るのかを明らかにする逆説」を扱ったものです。著者は、逆説を、「証明の概念の形態模写のようなもの」と述べたうえで、「矛盾の生じ方や矛盾が生じる場面」により、
(1)誤謬(ファラシー):推論に小さな、それでもうまく隠されたあやまりを介して生じる矛盾。
(2)常識が間違っている:「思考実験」など、想像はできても実際には実現しにくい状況。
(3)本物の逆説:「嘘つきの逆説」など、内因性のものであり、答えが出ない。
等に大まかに分類できると述べ、「いい逆説は、どんな種類の矛盾が生じうるのか――どんな種類の不可能がありうるのか――という問題を立てる」と語っています。
 また、論理学において、「逆説を検出するという抽象的な問題」を、「充足可能性」と呼び、「この陳述は必ず矛盾するか」、すなわち、「これらの前提がすべて正しい世界はありうるか」を問うものであるものであることを述べています。そして、充足可能性と等価な問題群が、「NP完全」と呼ばれ、これらが全て、「逆説を認識する」という充足可能性の問題が姿を変えたものだということが明らかになったことを解説しています。
 第2章「帰納――ヘンペルのレイヴン」では、1946年にアメリカの哲学者ヘンペルによって提起された「カラスの逆説」、すなわち、「すべてのレイヴンは黒い」という仮説の真偽を確かめようとしているバードウォッチャーを想像し、この仮説を、「すべての黒くないものはレイヴンではないものである」と言い換えたときに始まる逆説を解説しています。著者は、このような「何かが存在しないことを言う仮説」である「否定仮説」を証明することは極めて難しく、「無限回の行動が必要な手順」である「超作業(スーパータスク)」であることを指摘しています。
 著者は、「科学はたいてい一般論、つまり「すべてのXはYである」を相手」にし、「一般化を通じて」、「感覚経験を扱いやすい形に圧縮」するものであるが、一般論は、「隠れた否定形の仮説」、すなわち「YでないXはない」に対応しており、「無限回の宇宙においては、否定形の仮説を証明することは超作業」であり、「スーパータスクを介さないと到達できない知識には、疑念が生じるのも無理はない」と述べています。
 第3章「カテゴリー――グルー=ブリーンの逆説」では、1953年にアメリカの哲学者グッドマンが提起した「グルー=ブリーン」逆説を紹介しています。これは、グルーブリーン語を話す宝石商がいて、この言語には、グリーンという色を表す語はなく、代わりに「1999年12月31日の深夜12時以前はグリーンで、その後はブルーであれば、それはグルーである」と定義できる「グルー」という語があり、グルーブリーン語を話す宝石商は、「すべてのエメラルドはグルー」と定義すると考えた時に、英語の宝石商とグルーブリーーン語の宝石商に、「このエメラルドは西暦2000年には何色になりますか」と尋ねると、どちらも「エメラルドが今の色と別の色になるという話は知らない」と答えるが、「西暦2000年のグルー」とは、「普通の英語ではブルー」を指す、というものです。ここにおける逆説とは、「グルーブリーン語の宝石商の予測は、英語の宝石商の予測とは」合わず、「2000年になると、少なくともどれか一つの予測は間違いということになる」ものであると解説しています。
 著者は、すべての事物の色が刻一刻、少しずつ変化している、とする「回転する色環」を想定し、この考え方が、「逆転スペクトル」という思考実験と融合して、哲学者に盛んに論じられていると述べています。これは、「自分は生まれたときから、色を他の人々と正反対に見てきた」とするときに、「2人が、自分たちは同じ色を見ていることを確かめられるような形で、お互いの主観的な色の感覚を記述できるようにする方法はあるだろうか」というものであり、「これは不可能なのではないか」と述べています。
 また、科学がもつ美意識、すなわち、「理論の『美しさ』は、おおむねその単純さで測られる」とする「オッカムの剃刀」と呼ばれる重要な原理を解説しています。これは、「必要以上に事物を増やしてはならない」、すなわち、「必要な場合以外には、新たな仮定や仮説(事物)に訴えるべきではない」とする考え方であることが解説されています。
 第4章「知りえないこと――一夜で二倍?」では、科学者ポアンカレが立てた「史上最も有名な謎」として、「昨夜、みんなが眠っている間に、宇宙にあるすべてのものが2倍の大きさになったとしよう。何があったか知る方法はあるだろうか」という謎を紹介し、この思考実験の要点は、「変化を検出することができないのであれば、変化はあるのだろうか」というものであると述べています。
 また、時間に関する思考実験で最も有名な話として、1921にラッセルが考えた、「世界が5分前にできたとしよう。記憶や『以前の』出来事の痕跡も、造物主のいたずらとして5分前に作られたのである。そうでないことを、どうやって証明するだろう」というものを紹介し、それはできないとラッセルが語っていると述べています。
 また、認知科学が扱う事項には確かめられないものが多く、「他者の心」という「われわれが他人に自分と同様の思考や感情があることをどうやって知るか」という大問題を紹介しています。
 第5章「演繹――積み重ねの逆説」では、パズルと逆説の関係について、「パズルではいろいろと考えられる仮説の家(「うち」の誤植)一つだけが矛盾を避けられる」が、「逆説では、成り立つ仮説は一つもない」と述べ、「論理パズルは世界を理解するために用いる演繹的推論のミクロコスモスである」と述べています。
 第6章「信じること――予期せぬ処刑」では、絞首刑好きの裁判官が、囚人が、「毎晩、翌朝は絞首刑になるのだろうかと思いながら眠ることになる」ために、「来週の7日のうちいずれかの日の日の出の時刻に絞首すること」を宣告する「予期せぬ絞首刑」の逆説を紹介しています。この宣告に対して囚人の弁護士は、最後の土曜日に執行しようとすると金曜日には明日が執行日だとわかってしまうため土曜日はありえない、同じように金曜もありえず、逆算していくと、全部の曜日が除外されるため、「この宣告は実行できない」と語り、これを聞いて安心して眠った囚人は、ぐっすり眠った後、火曜を迎え、「その日とは知らずに」刑場に送られる、というものです。この逆説の逆説たる所以は、「一見すると最もな宣告が実行できない――それなのに実行できる」ところであり、この逆説には、戦時中のスウェーデン放送の、「今週、民間防衛演習が行われます。民間防衛組織の体制を万全に整えてもらうために、この演習が何曜日に行われるかは、前もって知らされません」という発表が元になっているという特徴が述べられています。
 また、哲学者が「三部立ての説明」として定義してきた知識の基準として、
(1)信じていること
(2)信じる根拠があること
(3)本当にそうであること
の3点を挙げ、多くの人が知識の第4の条件を見つけようとして苦労してきたことが述べられています。
 第7章「ありえないこと――予期の逆説」では、「集合の要素として党の集合が入ることの古典的な例題」としてラッセルの「理髪師の逆説」を紹介し、これらのような逆説に対しては、「現実世界でそういうことになりうるか」と応じられることがあると述べています。そして、「存在する可能性がある世界」という意味の「可能世界」という考え方が、西洋では最初にドイツの哲学者ライプニッツによって書かれたものであり、「この文は間違っている」が逆説であるとは、「この文が正確に自らのことを記述しているような可能世界はない」という意味であると述べています。
 第8章「無限――トムソンのランプ」では、「逆説にはよくある主題」として、「完全には把握できない広大な世界の象徴」である「無限大」を取り上げ、「逆説はしばしば無限大を含み、穏やかな日常世界に衝突し、それを脅かす」と述べ、最古クラスの無限大の逆説として、ゼノンによる「アキレスと亀」の逆説を紹介しています。
 第9章「NP完全――崔奔の迷宮」では、迷路をたどる問題が、「NP完全」といい、「どんな強力なコンピュータをも困らせる可能性がある、普遍的な問題群に属する問題」であると述べた上で、最も知られている迷路を解くアルゴリズムとして、「選ばなければならないところへ出たら、必ず一番右手にあるブランチを選ぶ」という「右手法」を紹介し、単純という長所がある一方、(1)効率的でない、(2)切り離された「島」がある迷路では同じ区域をぐるぐる回ることになる、という2つの短所があることが述べられています。
 第10章「意味――双子の地球」では、ヴォイニッチ手稿を取り上げ、「全体が暗号で書かれていて、まだ解読されていない。その著者、主題、底知れない謎である。解読されたとして、原文が何語になっているのかということさえ、誰も知らない。風変わりな裸婦像、奇異な発明品、存在しない動植物が、解読しようという人々をそそっている(後略)」と解説し、ヴォイニッチ手稿の謎が、「それが読めないことによって、知識の弱点に関する批評になっている」という「ほろ苦い魅力」があると述べています。
 第11章「心――サールの中国語の部屋」では、「脳が『機械』あるいは『コンピュータ』の類であり、意識は――何らかの形で、――この機械の動作の結果」だと想定する心についての考え方を紹介し、この「意識の機械論的な説明――加えてそれに対する懐疑論」が、1714年にライプニッツによって論じられた「思考する機械」にルーツを持つことが述べられています。
 第12章「全知――ニューカムの逆説」では、「全知ほど逆説を内在する概念は、そうはない」と述べ、「全知の逆説」として、「すべてを知っていると不利になる」ことを、「チキン・ゲーム」のゲーム理論による解説を用いて述べ、全知の逆説が、「常識は間違い」タイプの逆説であると解説しています。
 本書は、パラドックスを通じて私たちの世の中の見方に潜む思い込みや思考パターンを気づかせてくれる1冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、タイトルには「世にも不思議な逆説パズル」とありますが、これは受け狙いっぽい感じで、おそらく同じ著者・訳者による『ビル・ゲイツの面接試験』の二匹目のドジョウ的な狙いがあったのではないかと思います。
 本書の表紙の迷路は、『世界でもっとも美しい10の数学パズル』でも紹介されていて、確か『不思議の国のアリス』に出てきたヤツじゃないかと思うんですが、確認しておきます。


■ どんな人にオススメ?

・思考を鍛えたい人。


■ 関連しそうな本

 ウィリアム パウンドストーン (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『ビル・ゲイツの面接試験―富士山をどう動かしますか?』 2005年11月11日
 ウィリアム パウンドストーン 『囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論』 2006年09月11日
 マーセル ダネージ (著), 寺嶋 英志 (翻訳) 『世界でもっとも美しい10の数学パズル』 2007年01月08日
 ゲリー ケネディ, ロブ チャーチル (著), 松田 和也 (翻訳) 『ヴォイニッチ写本の謎』 2006年09月10日
 ジョセフ・メイザー (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『数学と論理をめぐる不思議な冒険』 2006年12月16日
 スティーヴン ウェッブ (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス』 


■ 百夜百音

キューティーハニー SONG COLLECTION SPECIAL【キューティーハニー SONG COLLECTION SPECIAL】 les 5-4-3-2-1 オリジナル盤発売: 2004

 「オリジナル・ラヴ」の前身、「レッドカーテン」を輩出した80年代後半のネオGSブームの主役と言えば「ファントムギフト」ですが、そのベーシストであるサリー久保田が作ったのが「les 5-4-3-2-1」です(大学時代にコピーもしました)。
 10年ほど前にキューティーハニーのOVAの音楽を担当しています。


『ザ・ファントムギフトの奇跡』ザ・ファントムギフトの奇跡

2007年1月12日 (金)

上司に「仕事させる」技術―そうか!ボス・マネジメント

■ 書籍情報

上司に「仕事させる」技術―そうか!ボス・マネジメント!   【上司に「仕事させる」技術―そうか!ボス・マネジメント!】

  大久保 幸夫
  価格: ¥1260 (税込)
  PHP研究所(2006/03)

 本書は、リクルートのワークス研究所の所長が書いたボス・マネジメントの入門書です。著者は、タイトルの「上司に『仕事させる』」とは、「上司に仕事を押しつけるということ」ではなく、「部下が上司を戦略的に動かして、自分の仕事やチームの仕事の成果を最大化する」ことであると述べています。すなわち、「自分の業績と上司の業績はダブル・カウント、つまり個人の業績ではなくトータルの業績で評価される」ものであり、「上司と部下は業績をシェアし合える関係」であるからです。著者は、上司とは、部下にとって"フリーウェア"であり、「どれだけ使っても構わない」にもかかわらず、「多くの人はこうした認識をもって」いないことを指摘し、「上司との良好な関係が築けない限り、会社の中で最大限のパフォーマンスを発揮し、自分の思い描くキャリア・プランを実現すること」はできない、「上司は、決して対峙する敵」ではなく、「同じ目標に向かって進む仲間」なのだという意識改革こそが、ボス・マネジメントの第一歩であると述べています。
 著者は、「上司」には2つのタイプ、すなわち、
(1)とても部下に指示されているが、自分の上司に対して影響力のないタイプ
(2)部下には嫌われているが、自分の上司には影響力のあるタイプ
の2つがあり、日本では、「圧倒的に後者が悪く評価」され、「上司の顔色」ばかり伺う「コバンザメ」と酷評されるが、現実には、後者の「上司に対して影響力のある人」(ミシガン大学のドナルド・ペルツは「上方影響力」と呼んでいます)のほうが、圧倒的に仕事ができることが述べられ、「上司との関係は、『仕事の本質』」であり、「できる人」は、「うまく自分の仕事のペースに上司を巻き込んで、どんどん自分のやりたい仕事を進め、昇進もして」いると述べています。
 第1章「上司は便利なフリーウエア」では、日本が、「他国と比べて、"極めて上司を嫌う国"」であるという調査結果を示し、日本で成果主義が機能しない理由の一つとして、「あんな上司に評価されるのは嫌だ」と感じる人が多いことを挙げ、アメリカでは、「上司は顧客だと思え」という考え方が浸透し、「部下が上司を動かす」という考え方があるから成果主義がうまくいくと述べています。
 著者は、上司とは、自分の目標を達成する上での最高のパートナーであり、そのための必要な機能を持ち合わせているとして、
(1)キャリア・コーチ:「こうなりたい!」を実現するための相談相手
(2)アセッサー:仕事の成果や部下の能力の評価者――「一生懸命やっていれば、ちゃんと見ていてくれている」という奇特な上司は「存在しない」。
(3)トラブルシューター:トラブルの処理役・謝罪役
(4)スタンパー:GOサインを出してくれる承認者
(5)ハイパー・プロフェッショナル:無料でノウハウを教えてくれる師匠――職務上、無料で自分にない「ワザ」を部下に伝授するよう、義務づけられている。
(6)コ・ワーカー:できない仕事を代わりにやってくれるパートナー
(7)ネットワーカー:仕事上必要な人脈の紹介者――社歴も長く豊かな人脈を持っている。
の7つの「便利な機能」を挙げています。一方、上司の「悪い機能」としては、
(1)企画を握りつぶす機能
(2)仕事のいいとこどりをする機能
(3)思いつきで部下に指示を出す機能
(4)部下を叱りとばす機能
(5)大事なところで責任を転嫁する機能
(6)行きたくないのに飲みに誘う機能
(7)長々と自慢話を語る機能
の7つを挙げ、これらは「良いか悪いかは微妙」で、これらを「7つのリスク」ととらえがちだが、「自分が考えている仕事の方向性が、他者の視点からも正しく見えるかどうかを確認する」ことは、とても大事なプロセスであると述べています。
 そして、上司に対する態度は、
(1)徹底的にこびる:常に上司のご機嫌を伺い、上司の言うことには絶対服従するタイプ
(2)徹底的に嫌う:上司を常に敵視し、自分からまったく近づこうとしないタイプ
の2つに分けることができ、ボス・マネジメントを成功させるためには、「理想の上司ランキング」に象徴される「誤った上司観」を正す必要があると述べています。
 第2章「戦略的に上司と"良い関係"を築く」では、「上司は、友だちではなく、『ビジネス上のパートナー』」であるとして、まずは、「上司が会社から何を求められているか」という「上司のミッション」(業績目標、課題、評価基準)を知り、上司の「個性」を知ることが必要であると述べています。具体的には、「上司への報告スタイル」を把握し、「報告だけは、上司が長く仕事をしてきた中で経験上身につけた上司独自のスタイル」であるため、上司に合わせたほうがよく、「上司のプレゼンテーション・シートやレジュメ、メモのフォーマットを真似るのも効果的」だと述べています。
 また、アメリカのボス・マネジメント関連書籍の構成の多くは、
・上司を知り
・己を知らせ
・信頼関係を築こう
というものであるが、日本企業ならではの要素としては、これに、
・上司に慣れる
が必要であると述べています。このうち、「上司の信頼を得る」ために、「安心感を抱いてもらう」ことが必要であるとして、
(1)「相(談)・連(絡)・報(告)ができること」
(2)上司の顔をつぶさないこと:典型例は「大事な情報を上司の耳に入れておかなかった」
の2つのポイントを解説しています。
 さらに、カーネギー・メロン大学のケリー教授による「部下の上司に対する関係性」として、
(1)模範的
(2)孤立的:
(3)実務型:「言われたことはきちんとやるが(それ以上のことはしない)」タイプ
(4)消極的:「受身でいても上司は自分のことを評価してくれるはずだ」という幻想を持つ。
(5)順応型:あまり親密になりすぎると、精神的な依存度が高まり、「イエスマン」になってしまう。
の5点を挙げ、「模範的」を除く4つの問題ある関係について解説しています。
 第3章「『good relation』をベースとしたボス・マネ7つの戦略」では、「ボス・マネジメントがうまい人は、強いリーダーシップも発揮できる人」である理由として、
(1)上司の先手をとらなければ、意見が通りにくい
(2)部下への影響力が上司にも影響する
の2つの理由について解説しています。
 また、先述の「上司の機能の使い方」の応用として、
・「上司の技術を盗む」最も効果的な方法は、上司の仕事の作法や流儀を自分の目で見て、真似をすること。
・事前相談で主導権を握ることにより、上司の威を借りて自由にやる。
・クレーム処理は、上司にとっては腕の見せ所でもある。
・上司から高い評価を得るために、良い評判が顧客の口から上司の耳に入るよう仕掛ける。
・キャリア・プラン実現を手伝ってもらい、元上司とも良い関係を維持し続ける。
等を挙げています。
 さらに、会社が社員にボス・マネジメント力を高めてもらいたい理由として、
(1)顧客サービスの強化:現場の社員のボス・マネジメント力が高ければ、かなり幅広い顧客のニーズに答えることができる。
(2)知識創造:一般社員と上司の両方のボス・マネジメント力がそろって、初めて知識創造が進む。→「ミドル・アップ・ダウン型マネジメント」
(3)プロ育成:上司の姿を真似することで、その型を習得し一人前に育っていく。
(4)次世代リーダー選抜:将来のトップ人材の非常に重要な選抜条件になり得る。
の4点を挙げる一方、これまで日本企業でボス・マネジメントが注目されてこなかった理由として、
・トップ・ダウンの経営で高い業績をあげることができた。
・「会社はファミリーである」という根強い考えがあった。
ことなどを挙げています。
 第4章「究極の上司、『社長』を動かす技術」では、「社長デビュー」、すなわち「組織の頂点に立つ社長に自分の顔と名前を覚えてもらい、社長とコミュニケーションを取れるようになる」ことが、「会社で成功を収めるため」の重要なポイントであるとして、「取締役会デビュー」を早めにすべき一方、会社の経営を理解するには、「小さな組織に入り、役職を挙げることで、経営がより間近に感じられるケースもある」として、「転勤・出向するのも有効な手段」であると述べています。
 本書は、組織で働く多くの「部下」、そして、部下を持つ多くの「上司」の両方にぜひ一読してほしい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読んだ後に、これまでに接した「できる人」や「できる上司」を思い浮かべてみると、どの人もボス・マネジメント力に長けていることに気づかされます。日本では、どうしても、成果さえ挙げていれば見る人はきちんとは見ていてくれる、という考え方が根強いせいか、上司との良い関係を構築することは、きちんと成果を挙げることのおまけ、人によっては、トレード・オフの関係(「上司にゴマすってる暇があったら仕事しろ!」)にあるくらいに思っている人もいますが、下っ端の身の丈(権限)の範囲で挙げられる成果には限界があり、より多くの資源を導入し、人を巻き込んでいくためには「上方影響力」は不可欠であり、自分一人では実現できないことを実現するために上司は存在すると考えるべきであることを本書は教えてくれています(こういう発想を「マキャベリスト」と批判する「縮こまったプロ意識」もまだまだ根強いです)。


■ どんな人にオススメ?

・上司と業績をシェアしあいたい人。


■ 関連しそうな本

 村山 昇 『上司をマネジメント』
 大久保 幸夫 『キャリアデザイン入門〈1〉基礎力編』 2006年12月11日
 大久保 幸夫 『キャリアデザイン入門〈2〉専門力編』 2006年12月12日
 大久保 幸夫 『ビジネス・プロフェッショナル―「プロ」として生きるための10話』
 マンフレッド・ケッツ ド・ブリース (著), 金井 壽宏, 岩坂 彰 (翻訳) 『会社の中の「困った人たち」―上司と部下の精神分析』 2005年11月14日
 マンフレッド・ケッツ・ド ブリース (著), 金井 壽宏 (翻訳) 『会社の中の権力者、道化師、詐欺師―リーダーシップの精神分析』 2005年11月24日


■ 百夜百マンガ

鉄腕バーディー【鉄腕バーディー 】

 初期ゆうきまさみ作品の同名の作品しか読んでなかったのですが、ついに我慢しきれずに読み始めてしまいました。最新刊は14巻・・・まとめ買いしてしまいそうな予感。
 1話完結的だった最初のシリーズと比べて、じっくりとストーリーが展開する感じは連載よりもまとめ読み向きです。

2007年1月11日 (木)

少子化と日本の経済社会―2つの神話と1つの真実

■ 書籍情報

少子化と日本の経済社会―2つの神話と1つの真実   【少子化と日本の経済社会―2つの神話と1つの真実】

  樋口 美雄, 財務省財務総合政策研究所
  価格: ¥3465 (税込)
  日本評論社(2006/02)

 本書は、財務総合政策研究所の「少子化の要因と少子化社会に関する研究会」の成果を取りまとめたもので、「『子育てが楽しい』と思える社会を構築するための基本情報を提供すること」を目的に、
(1)だれが現在のわが国では子育ての時間的・経済的コストを負担しているのか。
(2)諸外国における家族や企業、行政、そして社会のコストの負担、配分はどのようになっているか。
(3)個人のコスト負担軽減は出生率をどの程度上げるのか。
(4)経済の長期低迷や若者の将来不安の増大、そして労働市場の二極化が婚姻率や出生率にどのように影響しているか。
(5)育児支援策は個人の福祉向上に役立つのみならず、一国全体の経済成長や税収、財政支出、地域社会にどのような影響をもたらすか。
を検討しています。
 序章「2つの神話と1つの真実」では、
・働くことと子どもを持つということがトレード・オフの関係にある。
・女性の就業しやすい環境を整備するには、多額の直接的、間接的費用がかかり、企業の競争力が低下する。
という2つの「神話」を挙げ、諸外国の事例からは、「出生率は、社会環境によって上昇しうる(変化しうる)」ことが明らかであることを述べています。
 第1章「人口学からみたわが国の少子化」では、「少子化」を「出生率が人口置換水準を持続的に下回っている状態」と定義し、出生率を決定する要因として、
・近接要因:人口学的要因、医学・公衆衛生学要因
・社会経済的要因:出生力転換要因、政策・制度要因、価値規範的要因、政治的要因
等を挙げ、「人口減少の原因事象である少子化が30有余年前から始まり、人口減少の伏線がすでに敷かれていた」惰性期間が、「人口問題への政策を後手に回してきた」一因であると指摘しています。
 第2章「子育てに伴うディスインセンティブの緩和策」では、「子育てにかかる直接的な費用」として、養育費と女性に発生している機会費用という2つの要因を、子育てのディスインセンティブ要因として取り上げています。そして、最近の政策ターゲットとして、夫の育児参加を挙げ、女性の就業支援策としての有効性を論じ、「夫の育児協力度が高く、就業時間が短く、帰宅時間が早いことが、妻の就業や正規就業を支援することが明らかになった」と述べています。まとめとして、
・児童手当は少子化対策という観点からはほとんど効果がない。
・子育ての精神的コストの軽減のいう観点からも夫の役割は重要。
・今後は、男性労働者に対する子育てと就業の両立支援策の充実が重要。
・これまでの両立支援策は、正規就業者を対象としたものになりがちであった。
等を述べています。
 第3章「就労と出産・育児の両立」では、
(1)育児休業制度が、女性の出産にどのような効果を持っているか。
(2)育児休業制度の企業にとってのミクロ経済学的な効果。
(3)保育所の特別保育が出産に与える効果。
を検証しています。このうち、(1)に関しては、第1子は無職の女性よりも出産確率が高まり就労との両立が促進され、第2子についても就業によるマイナス効果を緩和させる効果のあることを明らかにしています。また、(2)に関しては、「育児支援につながる制度・慣行そのものは、直接的には業績に影響しないが、女性従業員の能力活用を積極的に行っていれば業績にプラスの影響を与える」ことを明らかにしています。
 第4章「雇用と所得の環境悪化が出生行動に与える影響」では、「最近の若い世代における出生行動の変化」が、「就業環境や所得環境の悪化により影響されている可能性」が高いことを指摘しています。
 第5章「北欧諸国における出生率変化と家族政策」では、北欧諸国における婚外出生率が、結婚の現象と同棲の広がりによって、急激に増加したことを紹介しています。また、家庭内労働の男性の分担割合が、3~4割と世界最高の水準にあり、わが国の数字が1割未満にとどまっていることとは対照的であると述べています。さらに、有給休暇期間を、就業しながらパートタイムで取得できる制度として、スウェーデンの「時間預金制(タイムバンク)」、ノルウェーの「時間口座制(タイムコント)」を紹介しています。
 第6章「フランスの家族・出生率・家族政策」では、フランスの家族の特徴を、
(1)学歴や社会的地位による家族形成・出生行動の違いがあまり認められない。
(2)生涯子供を産まない女性の割合が低い。
(3)3子以上の世帯は、貧困層と富裕層の両端に多くなっている
(4)結婚行動と出産行動の相関はあまりない。
の4点挙げています。(3)に関しては、さまざまな給付や税制の優遇によって、「所得の移転は、総じて低所得者層と高所得者層に対して厚く、中間層に対しては薄い結果となっている」と述べ、この結果、所得を横軸にとると、所得移転や出生率を縦軸にとった場合に「U字カーブ」を描くことを指摘しています。著者は、「職業と家庭の両立支援など地道な政策の積み重ねにより、さまざまな家族のさまざまな選択が可能となり、出産・子育てをするにふさわしい社会となることが重要」であると述べています。
 第7章「イタリアにおける少子化と少子化対策」では、イタリアの家族政策が、「歴史的に子どもの有無により課税やサービスの提供に区別をしてこなかったために、子どもが多いほど負担が大きくなっている」ことから、「家庭の貧困率では明らかに子どもの数とともに高くなる傾向にある」ことを指摘し、イタリア厚生労働省の言葉として、「イタリアにおいて子どもが1人いる世帯が子どものいない世帯と同じ生活をするためには、約25%の収入増が必要であり、子どもが2人、3人いる世帯はそれ以上に厳しい状況」であることを紹介しています。そして、少子化政策が効果をあげる条件として、子どもを産めない若年層の高い失業率を解消し、若年層を中心とする非典型雇用者が社会サービスを受けられるようにすることが必要であると述べています。
 第8章「イギリスの家族と家族政策」では、イギリスには、「家族や子どもの対象とする明示的に公式化された政策」は、長い間存在せず、1997年に成立したブレア政権が推進した「ワーク・ライフ・バランス」政策が、初めてのものであることや、
・職業と家庭の両立について実効性を高めるべく努力していること。
・保育サービスの量的な充足と質の向上を同時に満たすべく教育の観点を導入していること。
が注目すべき点であることが述べられています。
 第9章「アメリカの家族と家族政策」では、「アメリカでは家族政策は貧困対策としての意味合いが強く、子どもを持つ家庭や女性を支援することは政府の責任とは考えられていない」にもかかわらず、アメリカの合計特殊出生率が安定的に高水準を維持してきた要因を分析しています。そして、政府の代わりに民間主体が保育サービスの担い手として大きな役割を果たし、多様な選択肢が確保されていることや、出産・育児のために労働市場から一時的に退出しても再参入が容易であるため、出産に伴う機会費用が低く、就業と出産・育児の両立が容易であることなどが挙げられています。
 第10章「少子化がマクロ経済や財政・社会保障などに及ぼす影響」では、「現在の水準よりもさらなる少子化の進行」が、「趨勢的に経済成長の鈍化、国内貯蓄投資差額の悪化、財政・社会保障負担の増加に結びつく」ことを、マクロ計量モデルというシミュレーション方法を利用して明らかにされています。
 第11章「少子・高齢社会の進行と地域社会」では、「人口規模の現象や高齢化率の上昇により、人口1人あたりの歳出は増加し、1人あたりの地方税収は減少する可能性」を指摘し、高齢社会においては、「これまでの地方交付税を通じた地域間の財源再分配制度は困難になる」ことが述べられています。
 第12章「わが国における政策オプション」では、諸外国との比較を踏まえた保育政策の評価として、
(1)保育政策を生涯学習の基礎を築く重要な時期と考えた教育制度の一環と位置づける動き。
(2)保育料の公平性への配慮が見られる諸外国に対し、日本では不公平感が強い。
(3)保育内容の充実に向けて、親の参加を重視している。
(4)就学前教育への参加率を高めるために施設に対して積極的な投資を行っている。
(5)学童保育について、学校教育との連携を強める動きがある。
の5点を挙げています。
 本書は、日本の少子化問題について、網羅的にまとめた資料として、関心のある人にとっては割安な一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 少子化問題ほど、さまざまな当事者の利害やイデオロギーの交錯する分野はないのではないかと思います。本書は、財務省の研究所の研究会ということもあり、少子化によって、年金制度や地方交付税制度の維持が困難になることを強調していますが、主張する人によっては、社会保障制度の充実や地方への再分配の充実こそが少子化対策として行うべきであると言う場合もあるので難しいものです。


■ どんな人にオススメ?

・次の世代が健全に育つことを期待している人。


■ 関連しそうな本

 白波瀬 佐和子 『少子高齢社会のみえない格差―ジェンダー・世代・階層のゆくえ』 2006年03月10日
 子育て体験出版委員会 『ストップ・ザ・少子化 : 27人の子育て体験』
 樋口 美雄, 太田 清, 家計経済研究所 (編集) 『女性たちの平成不況―デフレで働き方・暮らしはどう変わったか』 2006年03月30日
 目黒 依子, 西岡 八郎 (編集) 『少子化のジェンダー分析』 2006年06月23日
 柏木 恵子 『子どもという価値―少子化時代の女性の心理』 2006年09月07日
 佐藤 博樹, 武石 恵美子 『男性の育児休業―社員のニーズ、会社のメリット』 2005年04月07日


■ 百夜百マンガ

帝都物語―Babylon Tokyo【帝都物語―Babylon Tokyo 】

 映画にもなった大ヒット小説のコミック化作品。『雷火』の藤原カムイの起用は個人的には賛成です。どちらの作品も「凍結」の副題がついたシリーズがあるのは偶然でしょうか。

2007年1月10日 (水)

若者が働くとき―「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず

■ 書籍情報

若者が働くとき―「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず   【若者が働くとき―「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず】

  熊沢 誠
  価格: ¥2100 (税込)
  ミネルヴァ書房(2006/02)

 本書は、「現時点における労働環境の決定ルールの帰趨を問うような労働研究の視点」から、若者の就業や仕事を論じたものです。著者は、40年にわたって勤務した私立大学の在職最期の年に本書を書き上げ、就職活動に赴く真面目な学生と、キャンパス離れしていくフリーター「志望」の学生の双方に、「就業に関するメッセージをまとめて伝えたい気になった」と、本書執筆の動機を語っています。
 序章「若者の労働をめぐって」では、朝日新聞2004年9月14日の「経済気象台」のコラムを引用し、社会人1年目の若者が出身大学の就職相談室に、「こんな会社に後輩を入れないでくれ」と、「一日12時間労働。1ヶ月にたった2日の休日、その賃金が手取りで13万円、半年働いて10キロやせた」と実情を語り、この若者に、「今時の若者はこらえ性がない、などとはいえない。なんで半年も我慢したのだ、と怒鳴りつけたくなってくる」というコラムに、「若者の労働を語る数多の言説のうち私がもっとも深い共感を覚えた」と述べています。
 第1章「若者労働の状況と背景」では、「若者を用意に離職に誘う要因のひとつ」として「就職できても結局『不本意就職』が多かった」と指摘し、「職場で何かいやなことがあった場合、そこまで執着しなければならない企業か?」と考えてしまうと述べています。
 また、「かんたんに言えば、若手社員の仕事はこのところまことにしんどくなって」いることを挙げ、「総じて正社員は働きすぎ」であり、20代後半から30代の男性サラリーマン約184万人が、週60時間以上の労働、すなわり、「5日働くとすれば日に4時間以上の残業、定時が6時に終わるとすれば退勤は10時以降」という働き方をしていると述べています。さらに、ホワイトカラーが、「ある種の自発的対応を喚起されながらも、結局はあらかじめ設定された過大なノルマの達成を強いられている、そこに長時間労働の根因がある」ことを指摘しています。このノルマの問題に関しては、社会に衝撃を与えた住宅リフォーム会社「サムニンイースト」の詐欺事件を例に、「この営業マンたちも、今の時代「勝ち組」になろうとあがいた若者のひとつの「労働」のかたちであると述べています。
 さらに、離職の原因として、職場の人間関係の緊張を挙げ、就職した卒業生が、「上司がこわい」と言っていることを述べています。
 また、自分のゼミ生からゼミナールの教材としてアルバイト体験をレポートさせ、派遣法改正による派遣「業種」自由化に伴い、「派遣会社が、『職種不問』で登録している学生に臨時性のきわめて高い雑業を斡旋」していることを述べています。また、学生たちの話を聞いた印象として、
・どの仕事も自分を「成長させてくれた」と、総じて体験を肯定的に語る。
・「バイトのわれわれを使う」その職場の正社員には決してなりたくない、卒業後の就職先は別に探したいと話を結ぶ。
の2点を述べています。
 第2章「状況のもたらす社会的影響」では、若年労働問題の現状が、若者が家庭を形成したいと願う時の選択を左右するルートとして、
(1)フリーターなど非正規労働者の雇用不安定や低収入が結婚を難しくする関係
(2)正社員の層でも、仕事にやりがいを感じ始めている女性が確実に増え、それなりに非婚と晩婚の傾向が進んでいる。
の2点を論じています。
 また、労働社会層の分化に関して、
(1)世帯単位で見ても日本の所得格差は拡大しつつある。
(2)世帯の所得格差が、次世代が働くスタートラインの格差を鋭くしている。
(3)今の日正規雇用者は、かつての臨時工(正社員になる前の経過的存在)とは違い、いつまでも企業社会の外なる存在である。
の3点を指摘し、3点目に関しては、「フリーターを給源とする、臨時の雑業を何でも引き受ける『下層』派遣労働者は、企業にとってはどこまでも、必要なら拾い、不必要になれば捨てる『手の力』、イギリスの文献にいうハンズ(hands)」に過ぎないと述べています。
 著者は、「フリーターを中心とする若者非正規労働者のステイタスは、若者がそこにどんな主観的な意味を込めようとも、総じて経過的ではなく継続的であり、時には生涯的でありうるかも」しれないと主張しています。
 第3章「若者労働 状況変革へのチャレンジ」では、「さしあたり検討・検証すべき」テーマとして、
(1)政府による若者の就業支援政策
(2)学校教育についての「教室と職場」の有効な関係形成
(3)若者の雇用拡大と職場への定着を可能にする労使関係の営み
(4)若者の主体性のありかた
の4つを論じています。著者は、政府の若者労働者政策に対して感じる物足りなさは、
(1)日本の公教育においてはなお、職業教育という側面が非常に希薄である。
(2)労働政策においては依然として、雇用と労働条件の決定に関する企業の自由裁量権を規制する施策が極めて弱々しい。
の2点に帰着すると述べています。
 また、フリーターにとって身近な存在である労働組合として、「未組織の小企業労働者やパートタイマーなど非正規労働者の切実なニーズを聴いて、その相談に応じ、会社に交渉し、一定の成果をあげている『誰でも入れる』組合」であるコミュニティユニオンを取り上げ、「このコミュニティユニオンのもつ可能性に着目せざるをえません」と述べています。
 さらに、1960~80年代には、「日本の家庭や学校や企業は、時代を背負う若者たちにしかるべき成熟を遂げさせるように一種の『まともさ』を強制してきた」と述べ、「家庭、学校、企業という三つのエスタブリッシュメント(既存の権威)が若者に迫ってくる『まともさ』への、ソフトに言えば誘導に、ハードに言えば強制に、当時の若者は体制としては従い、地味ながら堅実な生活者に成熟して」きたと語っています。
 著者は、「地味な仕事に就く若者たちに元気を送るような『気づき』と『思い定め』に至るルート」として、
(1)社会の人びとの切実なニーズに気づいて、それを満たすことに自分でも役立てるのだと思い至るルート。
(2)主としてすでに働いている若者に元気を送るルートとして、「ともにしんどい思いをしている仲間がいる」という発見。
(3)自分が苦労することで傍らの誰かを楽にしているという実感としての「傍楽」(ハタラク)ということへの気づき。
の3点を挙げています。
 第4章「教室と職場」では、戦後民主主義教育の考え方を、「基本的に、どんな出身階層の生徒についても平等に、できれば普通教育課程を延長し、一般的な学力の向上をはかること」であるとした上で、「各学校レベルで学ぶはずのカリキュラムの内容を、多くの仕事の遂行にあらかじめ必要とされる知識・技能レベルと比べ」、「過剰の学歴」という矛盾が進行していたことを指摘し、「この社会の職業のうち、入職にあたって必要な一般的知識という点で大卒の学歴がまず不可欠と思われるのは、専門・技術職の多くと事務職や販売職のごく一部に過ぎないということが直視されねば」ならないと述べています。そして、この矛盾を調整する方法として、
(1)企業が採用にあたって、学歴差だけでなく、学校差、成績差、個人の属性や性格の違いを従業員選別の基準とする。
(2)総じて80年代末ごろまではなお「健在」であったジェンダー規範。
(3)旧世代の低学歴者の膨大な存在。
の3点を指摘しています。中でも。(2)に関しては、80年代の頃から「学校関係の成功」者は断然女子学生のほうが多く、このジェンダー差別が、「『学校関係』では不成功だった若い男性にも、就職してからがんばれば、今度は男の方のジェンダー規範に従って「妻子を養う」ことのできるほどには、そこそこ『出世』できる余地を広げ」ていたと述べ、「現時点ではそうは行かないのが、ノンエリート男性のつらいところ」だと語っています。
 補章「フリーター漂流」では、2005年2月5日に放送されたNHKスペシャル『フリーター漂流』を取り上げ、工業労働を請負うフリーターの状況が、
(1)正社員と峻別された労働者の一階層を「ハンズ」として職場に組み込む、近年一層際立ってきた新しい労務管理の展開。
(2)経済政策における新自由主義の台頭とともに、「人材」の斡旋・紹介・調達が新たなビジネスチャンスと考えられるようになった。
(3)同じ職場で働いていても所属企業や雇用身分の異なる労働者の処遇にはまったく視野の及ばない企業別労働組合の体質。
の3つの要因のそれぞれが相互に他を強めあう関係によってもたらされていると指摘しています。
 本書は、労働研究者の視点、そして、40年にわたって学生を育ててきた教育者の視点から、若者の労働の問題を取り上げた、読みやすい一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書で取り上げている「過労死110番」の電話相談の事例として、「外食」産業の30代の店長が、「失踪後、『一生寝たい』と書き残して自殺した例」が紹介されています。
 睡眠不足が続くと、24時間寝ていたい、と思うときはありますが、実際に24時間寝つづけるというのは難しいもので、大抵は起きるのが面倒で転寝を繰り返していることが多いのではないかと思います。
 自分の最大記録は、夕方7時に寝て目が覚めたら次の晩の7時だったということがありますが、うろ覚えながら、忌野清志郎は36時間眠り続けたことがあるらしいという話を聞いたことがあります。


■ どんな人にオススメ?

・働く若者の姿を概括したい人。


■ 関連しそうな本

 スチュアート タノック (著), 大石 徹 (翻訳) 『使い捨てられる若者たち―アメリカのフリーターと学生アルバイト』 2006年11月14日
 荒井 千暁 『こんな上司が部下を追いつめる―産業医のファイルから』 2006年11月15日
 玄田 有史 『仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在 中公文庫』 2005年07月20日
 矢幡 洋 『働こうとしない人たち - 拒絶性と自己愛性』 2005年10月23日
 本田 由紀 『若者と仕事―「学校経由の就職」を超えて』 2006年03月02日
 宮本 みち子 『若者が『社会的弱者』に転落する』 2005年05月04日


■ 百夜百マンガ

かっこいいスキヤキ【かっこいいスキヤキ 】

 男のダンディズム(ダンドリズム?)を語らせたら右に出る人はいないこの人たち。フランスで宮崎駿と並んで絶賛されている谷口ジローと組んだ『孤独のグルメ』もプレミアが付いてますが、やっぱりこの絵がいい、という人も多いはずです。

2007年1月 9日 (火)

民営化という名の労働破壊―現場で何が起きているか

■ 書籍情報

民営化という名の労働破壊―現場で何が起きているか   【民営化という名の労働破壊―現場で何が起きているか】

  藤田 和恵
  価格: ¥1470 (税込)
  大月書店(2006/09)

 本書は、「合理化や利益至上主義までもが『民間並み』に行き過ぎてしまった」日本郵政公社とその周辺に働く労働者の「労働破壊」の実態を赤裸々に描いた(はずの)一冊です。
 第1章「郵便局の現場」では、ノルマに追われ、部下の肩代わりをして毎月十数万の身銭を切って「ゆうパック商品」を購入し、「国際エクスプレスメール」のノルマをこなすために、わざわざ自身が韓国まで出かけ、自分の泊まるホテル宛に送り、「そんなことまでしなくちゃいけないの。意味ないじゃない」とあきれる奥さんを残して自殺した郵便局の集配営業課長のエピソードを取り上げ、「小泉(純一郎)さんが民営化、民営化って言い出してから、主人はおかしくなりました。主人は小泉さんに殺されたと、思っています。このまま民営化が進んだら、第2、第3の主人が出てきますよ」という奥さんの言葉を紹介しています。
 また、この数年の日本郵政公社における過労死の背景に、
(1)ジャパン・ポスト・システム(JPS):トヨタ自動車の生産管理方式を取り入れたもの。「ムダ・ムラ・ムリをなくす」を理念に、主に郵便物の仕分け作業を再分化し、立ったまま仕分けする「スタンディングワーク」等を導入。
(2)「深夜勤(ふかやきん)」制度:「効率的な服務方法の導入」を目的に、従来の深夜勤務が午後5時~午前10時の17時間拘束で2日出勤と見なし途中2時間の仮眠があり、翌日明け、翌々日も非番が多かったのに対し、11時間拘束で仮眠時間はなく、3~4日連続して勤務しなくてはならないこともある。
の2つの制度の導入が影響していると指摘しています。
 また、ノルマを達成するために自腹を切る「自爆」の手口や、「グルメゆうパック」のノルマ達成を偽装するために、親戚などの名義で料金引き落としの口座を作って申し込み、残高不足で自動解約される「カラグルメ」という手法などを紹介した郵便局員による座談会を紹介しています。
 さらに、中央郵政研修所で開かれた、人事評価の低い職員に「今後の行動変革を促す動機づけ」をすることを目的にした「パワーアップ研修」について、「定年まであと2年なんです。どうして、私がこんなところに来なくちゃいけないんでしょうか。情けない」と泣き出した参加者がいたことを紹介し、この研修が「事実上の退職強要との批判がある」と述べ、「国鉄の人材活用センターやJR西日本の日勤教育のような、誰が見ても人権侵害だとわかるやり方」ではないが、「こういう相手を見下したやり方は、僕たちの自尊心を傷つける巧で陰湿な方法」だという参加者の言葉を紹介しています。
 第2章「しわ寄せはどこに向かうか」では、第1章で取り上げた「本務者」以外の労働者の実態を取り上げています。国家公務員法に基づく人事院規則が定める「非常勤職員」である「ゆうメイト」については、その身分について、「任期1日」との定めを絶対視する見方と、「常勤公務員と同じ内容の仕事に就かせる」場合には、「身分は常勤公務員並みに保証するべき」(この場合は「保障」ではないかと思いますが)という見方とを紹介しています。
 また、下請け業者である「日本郵便逓送」の社員や「小配(こっぱい)業者」と呼ばれる小包郵便物の配達委託業者など、「もっと弱い立場の人たち」を取り上げ、諸手当の廃止や賃下げなどの労働条件の切り下げや、随意契約から入札への突然の切り替えや本務者の営業機会とするための委託廃止など、「なりふり構わず、利益追求に奔走する公社が通ったあとは、死屍累々だ」という廃業予定の小配業者の言葉を紹介しています。
 そして、これらの取材の中で、「労働組合の声が一向に聞こえてこないこと」に疑問を感じ、かつて「権利の全逓」と呼ばれた最大の組織である「日本郵政公社労働組合(JPU)」が、今では末端の組合員から「JPUは当局(日本郵政公社)のいいなりだ」と批判され、JPU自身も「労使はともに経営を支えるパートナーであり、運命共同体です」と労使の結束を強調していることを述べています。そして、中央本部の専従役員の基本給や専従手当、通勤費、調査研究費などを含めた「諸給与計」が一人当たり約1370万円になり、三役クラスでは「2000万円を超えるともいわれる」のに対し、郵政公社の平均年収が610万円であることを比較し、「JPU役員の年収は相当に高いといえる」と指摘しています(調査研究費を含んだ相対的に高年齢と思われる役員にかかっている人件費とヒラを含む全職員の平均年収を比較していることに注意)。
 第3章「民営化の代償」では、郵政公社のライバル(と言うよりも死に物狂いで開拓した市場を公社に食い荒らされている)宅配便のドライバーたちの悲惨な労働実態として、「ビンタ、けり、張り手、ちょっとしたことで手がでるので、みんなびくびくしてました」、「僕らは、積もるだけ積もったストレスの、最後のはけ口みたいなものでした」という大手運送会社の社員の言葉を紹介しています。
 また、自治体の民間委託がハイスピードで進む背景として、行き過ぎた公務員バッシングがあるとして、「公務員の待遇切り下げの余波」が民間企業にも波及していることを指摘しています。
 本書は、郵政公社の民営化を前に、ぜひ一度読んでおきたい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、元北海道新聞社会部記者のフリーライターが日本郵政公社の労働問題について大月書店(「マルクス主義の文献を中心に、歴史書、子供向きの本などを発行」している出版社)から出したものです。こういう概略的な情報だけでも読む前から相当な先入観を持ってしまいそうですが、中身も相当偏りがあるので、心して読む必要があろうかと思います。
 たとえば、郵政公社の仕事を請け負う「日本郵便逓送」(日本郵政公社の郵便共済組合が出資する株式会社)の社員について「公社の周辺には、もっと弱い立場の人たち」すなわち「弱者」がいるとして紹介していますが、その「弱者」が、「必死で倹約して稼ぎを維持する」目的は、高校生と中学生、幼稚園の3人の子供に、「金のことで肩身の狭い思いは絶対にさせたくない」ためであり、「上の二人は塾に行かせているし、プールやダンスを習いたいといえば、教室に通わせ」、東京23区内に買ったマンションのローンもなんとしても払い続けなくてはならない」からだと紹介しています。その「倹約」の内容も、「自家用車を売り」(23区内に住んでいて自家用車を持たないのが「倹約」?)、「たばこをやめた」(当たり前?)、「小遣いは6万円から2万円に減らした」(小遣いが6万円?)、「5~6年前まで、家族旅行は3~4泊で北海道や九州に出かけていたが、最近は伊豆や大阪などの近場がほとんど。ビジネスホテルを2部屋取り、夫婦と子供3人の5人家族が、2組に分かれて素泊まりする」(それまではどんな大名旅行をしてたの?)、というものだそうです。 これが「必死で倹約」だというのだから、いったいそれまではどんな生活をしていたのかが想像されます。
 郵政公社や関連企業の「悲惨な」労働の実態を世間に問うつもりが、それまでの「天国」ぶりを世間に知らしめる結果になっている一冊ではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・郵政公社やその周辺で働く「労働者」たちの「悲惨な労働実態」を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 クリスチャン ウルマー 『折れたレール―イギリス国鉄民営化の失敗』 2006年08月03日
 大谷 健 『国鉄民営化は成功したのか―JR10年の検証』
 ポリー・トインビー (著), 椋田 直子 (翻訳) 『ハードワーク~低賃金で働くということ』 2006年03月08日
 八代 尚宏 (編集) 『「官製市場」改革』 2006年01月27日
 鎌田 慧 『自動車絶望工場―ある季節工の手記』 2006年03月09日
 鎌田 慧 『自律と協働、はたらきがいをもとめて―大阪市現業労働者の60年』 2006年01月18日


■ 百夜百マンガ

ナルミ【ナルミ 】

 学生時代、「きめうち」とかつぶやいてる人、多くいました。あまり考え込まなくていいので気楽なのですが、終盤になってフリテンしやすいのが難点です。

2007年1月 8日 (月)

世界でもっとも美しい10の数学パズル

■ 書籍情報

世界でもっとも美しい10の数学パズル   【世界でもっとも美しい10の数学パズル】

  マーセル ダネージ (著), 寺嶋 英志 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  青土社(2006/02)

 本書は、10大パズルを示すことで、「数学におけるいくつかの考えが、パズルの形をとってどのように始まったかを示すこと」を目的としたものです。
 第1章「スフィンクスの謎かけ」では、有名な、
「朝は4本、昼は2本、夜になると3本の脚を持つものは何か?」
というスフィンクスの謎かけを取り上げ、「古代の人たちは謎かけを思考力の判定方法と見なした、したがって、知識を得るための手段のひとつと見なしたのである」と述べ、古代ギリシアの司祭や巫女たちが、謎の形で預言を表現したことは、「お告げの言葉を洞察しうる人たちにしかその隠された預言を解き明かすことができない」ことを解説しています。著者は、「『スフィンクスのなぞ』を私たちがいま解いたような問題から区別するものは何かというと、『スフィンクスのなぞ』は解法の戦略が予測できるようなものではないということである」と述べています。
 第2章「アルクインの『川渡りのパズル』」では、
「1匹オオカミと1匹のヤギをつれた1人の旅人が大きなキャベツ1個を携えて川岸にたどり着く。残念なことに、川を渡るためのボートがひとつしかない。ボートが運ぶことができるものは2つまでである。――つまり、旅人を除けば、2匹の動物のうちの1匹か、あるいはキャベツか、のどちらしか運べない。もし彼が一緒にいなければ、岸に残されたヤギはキャベツを食べ、オオカミはヤギを食べるだろうということを旅人は知っている。オオカミはキャベツを食べない[もちろん、オオカミは旅人を食べないものとする]。さて、最小の往復回数で無事に川を渡るにはどうしたらいいだろうか?」
というパズルから学ばれる主な教訓として、「ものごと――動物、夫婦、文字など――の一定の配列を元にした問題は、体系的に研究して正確にモデル化することができる」と述べています。
 第3章「フィボナッチの『ウサギのパズル』」では、フィボナッチが、1202年に『そろばんの書』という教科書を出版し、「10進法がローマの記数法よりはるかに優れていることを、ヨーロッパの同業者たちに納得させることに成功した」ことを紹介し、この実行したり、「10進法を使えば容易に解ける一連のパズルと実際的な問題を考察した」と述べています。そして、数学者たちが、「フィボナッチ数がまったく思いがけない場所にそして驚くべき仕方で出現することを理解し始めるにつれて、あらゆるフィボナッチ数を計算するための効率的な方法を見つけることに興味を持つようになった」ことを解説しています。
 第4章「オイラーの『ケーニヒスベルクの橋』」では、「歴史上最も偉大で最も多作な数学者」であったオイラーの最も重要なパズルが、1736年の『ケーニヒスベルクの7つの橋』と題した論文に発表され、「彼は、このパズルが数学にとって潜在的な重要性があると確信していた」が、「その彼でさえも、このパズルがこれほど多くの革命的洞察――今日、グラフ理論や位相幾何学として知られる2つの独立した分野の確立をもたらすことになった洞察――を含んでいたとは創造だにしなかったに違いない」と述べています。「ケーニヒスベルクの町を流れるプレーゲル側には2つの島があり、7つの橋が本土との間をつないでいる。どの橋も2度渡ることなく7つの橋すべてを渡ることができるか?」
 第5章「ガスリーの4色問題」では、ロンドンのユニヴァーシティー・カレッジの若い数学者であったガスリーが、「地図の色塗りをしていた時、どんな地図でも、隣り合う領域(すなわち、単なる点ではなく境界線を共有する領域)が異なる色を示すように色を塗るには見たところ4色で十分なこと」に気づき、自分でこれを証明することができなかったので、兄を通じて、有名な数学者であったド・モルガンに尋ねたといういきさつが語られています。そして、1976年に、ハーケンとアッペルが、4色問題を「解いた」と主張した時に用いたのは、「悲しいことに、4色予想のためのどんな地図でも『リトマス試験』ができると彼らが主張するコンピュータプログラムであった」と述べ、「多くの数学者はハーケン-アッペルの『証明』に関してよい印象をもっていない」として、「『4色問題』は多くの(たぶん大多数の)数学者にとっていまも正真正銘のパズルのままである」と述べています。
 第7章「ロイドの『地球から追い出せ』んもパズル」では、「あらゆる時代を通じて最もシャープなパズル考案家」として、アメリカの技師サム・ロイドを挙げ、第4章で紹介した「15パズル」や、独創的な「切ってすべらす」手品のひとつである「地球から追い出せ」のパズルを紹介し、このパズルが、「ものごとが表面上どのように見えるかについて慎重であれ」と計画していると述べています。
 第8章「エピメニデスの『うそつきのパラドクス』」では、「パラドクスは本質的に論理学におけるパズルである」と述べ、
「かつてクレタ人哲学者エピメニデスは『すべてのクレタ人はうそつきだ』と言った。エピメニデスが語ったことは本当か?」
というパラドクスについて、これは、「ある言明(陳述)をした人が彼または彼女自身をその言明の中に含めること」を指す「自己言及性から起こる論理的困難の一例である」と述べ、ラッセルのバージョンとして、「床屋のパラドクス」を紹介しています。著者は、「『うそつきのパラドクス』は、それが数学の発展にとって根本的な願意を持ち続けていたにもかかわらず、日常生活における論理学の使用を究極的に向こうにすることはない」と述べています。
 第9章「洛書の魔方陣」では、「最初の9つの整数を正方形に配列し、各行、各列、各対角線における数の和が同じになるもの」が中国で「洛書」と呼ばれ、4000年前に発見されていたことを紹介しています。この魔方陣にはいくつものバリエーションがあり、「おそらくすべての魔方陣のなかで最も奇抜なもの」は、「アメリカの公務員、作家、科学者、そして印刷業者」であったベンジャミン・フランクリンによる8次の魔方陣であると述べています。また、魔方陣の研究が、「ある特定の問題を解くためのステップ・バイ・ステップの(段階的な)方法」と定義される「アルゴリズム」の概念の発展に大きな影響を及ぼしてきたことを指摘するとともに、魔方陣が、「数学と魔術の初期の歴史がかなり重なっているのはなぜかということについての手がかり」を与えてくれると述べています。
 第10章「クレタの迷宮」では、最初の迷宮として知られる「クレタ島に建造された牢獄」を紹介したうえで、「パズルはそれ自体が楽しいものだということはもちろん、パズルには数学の基本的の諸概念を例示する力があるということも強調したい」と述べています。
 本書は、単なるパズル読み物として読めることはもちろん、数学の歴史を知る上でも楽しい一冊です。


■ 個人的な視点から

 数学や論理を扱った本では、『不思議の国のアリス』のイラストがあしらわれることが多く、本書の表紙にもアリスのウサギが使われています。
 そこで、原著の方はどうなんだろうと思い、確認してみると、ウサギはウサギでも普通のウサギの写真でした。
http://www.amazon.co.jp/gp/reader/0471648167/ref=sib_dp_pt/503-3841745-6395100#reader-link
 これは、第3章のフィボナッチのウサギのようです。


■ どんな人にオススメ?

・ウサギもしくはパズルに関心のある人。


■ 関連しそうな本

 ウィリアム・パウンドストーン (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『パラドックス大全』
 ウィリアム パウンドストーン (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『ビル・ゲイツの面接試験―富士山をどう動かしますか?』 2005年11月11日
 エヴァン・I・シュワルツ (著), 桃井緑美子 (翻訳) 『発明家たちの思考回路 奇抜なアイデアを生み出す技術』 2006年04月30日
 サイモン シン (著), 青木 薫 (翻訳) 『暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで』 2006年05月03日
 ロビン・ウィルソン 『四色問題』 2006年07月18日
 ゲリー ケネディ, ロブ チャーチル (著), 松田 和也 (翻訳) 『ヴォイニッチ写本の謎』 2006年09月10日


■ 百夜百音

ドリフだョ!全員集合(青盤)【ドリフだョ!全員集合(青盤)】 ザ・ドリフターズ オリジナル盤発売: 2000

 「東村山音頭」はてっきり志村けんの曲だと思っていたら、三橋美智也・下谷二三子・春日八郎・大津美子という大御所達の曲だということを初めて知りました。
 しかも志村けんの前に1976年には歌手の平田満によってカバーされているそうです。
 「東村山○丁目」という地名が存在しないということも知りませんでした。


『ビデオ 唄と踊り 特集 日本の盆踊り』ビデオ 唄と踊り 特集 日本の盆踊り

2007年1月 7日 (日)

地図は嘘つきである

■ 書籍情報

地図は嘘つきである   【地図は嘘つきである】

  マーク モンモニア (著), 渡辺 潤 (翻訳)
  価格: ¥2854 (税込)
  晶文社(1995/08)

 本書は、「地図について、ちょうど人類が火や電気を制御し、利用するのに似た知識を提供すべき使命」をもったものであり、「地図恐怖症と名づけられるような不健全な懐疑主義を克服する手助け」になるものです。著者は、「地図の作成に免許はいらない」ものであり、地図利用者は、「地図が故意の偽造や巧妙な宣伝の道具としてもっている力に気づかないのである」と述べています。そして、「ひとつの地域についてのデータからは何種類もの地図が作成可能である。1枚の地図は、そのなかのたったひとつにすぎない」という「明白だが、すぐに忘れられてしまう警告」を紹介しています。
 第1章「地図はどのようにつくられるか」では、地図の3つの属性、縮尺、図法、記号について解説し、「それぞれの要素に歪曲の原因がある」として、「地図の縮尺、図法、そして地図に使われる記号を理解しなければ、地図を安全に、効果的に利用したり作成したりすることはだれにもできないのである」と述べています。縮尺に関しては、「図による縮尺の表記」を、「地図の縮尺を伝えるうえでもっとも役に立つ手段であり、また、安全なものでもある」と評しています。また、図法に関しては、地図図方が、「面積、角度、距離、方角、そして全体の形の5つの点で地理的関係を歪める」ものであると述べています。
 第2章「見やすくするためのウソ」では、「よい地図ほどこまかなウソが多いものである」として、「現実は3次元のもので、詳細で、表記すべきものが多すぎる」ため、「利用者が見たいと思うものを見やすくさせるために、地図は真実を削除する」と述べています。そして、具体的には、
・選択:さまざまな対象から地図に描くべきものを選ぶ。
・単純化:点の数を減らして細部を省略し、図の不恰好さを改める。
・おきかえ:重なったり合体してしまっている対象を移動させて図の相殺を避けようとする。
・スムージング:細部や煩雑な形を省略するために、点の移動や新たな点を書き加えて行う。
・誇張:リアルな感じを出すために地図記号に細部を付け加える。
の5つの手法を紹介しています。
 第3章「あやまりといたずら」では、地図のまちがいが、基本地図よりも派生的な地図によくみられることを挙げ、その理由として、「たいていの旅行者用地図や新しい地図は、地図作成の訓練を受けず、地理の詳細な部分には精通していないものによってつくられる」ことを挙げ、1960年代初めに、アメリカ自動車連盟が「シアトルを抹消する」というミスを犯した例やカナダ政府の旅行事務所が、オタワを落としてしまった例を紹介しています。
 また、街路地図の製作者が「競争相手用の編集」と呼ばれる、「通りの名前をわざととりちがえたり、変えること」の理由について、「法廷での著作権侵害の訴えを立証するため、うかつな競争相手の盗作行為を押さえて金銭での決着に持ち込ませるためには、地図の発行者は、『おとりの道路』を加筆して、地図に故意の誤りを記すことが知られている」と述べています。
 第4章「広告の地図」では、「製品やサービスが場所の移動にかかわるとき」、広告が、「しばしば地図を使うし、それが主要な部分になることもある」として、そのなかに、「穏健なマキャベリズム的な動機」として、
(1)図の相殺を避けるという地図の使命は、省略や誇張を必要とする広告マンには都合のいいものである。
(2)広告は注意を引かなければならないし、地図は関心を持つ人に納得されればいいということがある。
の2点が伺われると述べています。そして、具体例として、1875年にヘルター・スケルター&北部鉄道が、ライバルであるヘルター・スケルター・ヨン社との競合路線の地図を、大幅に改編し、自社の路線がより短距離で他路線への連結も良いものであるかのように描いた例が挙げられています。
 第5章「開発地図」では、「抜け目ない地図のための11の原則」として、
(1)選択は抜けめなくやれ
(2)枠組みの戦略
(3)プラスのものは力説せよ
(4)失敗に備えて、言い訳を用意しておけ
(5)マイナスのものはできるだけ小さく
(6)ディティールをごまかせ
(7)紙で説得しろ
(8)空中写真や歴史地図で気をそらそう
(9)概略化は創造的にやれ
(10)エレガントな魅力を付加させよ
(11)失敗した時には、何であれ、賄賂を考えろ
の11点を挙げています。
 第6章「政治宣伝のための地図」では、「賢明な扇動家」が、「地図の操作で意見形成が管理できることを知っている」として、「自分に都合のよい情報は強調し、矛盾はかくし、刺激の強い劇的な記号を使って地図にメッセージを盛り込んでいくもの」であり、「何も知らない市民は偏見にもとづく地図、時には事実を作為的に選択した地図を、真実として自発的に受け入れてしまう」と述べています。そして、宣伝地図が、「国や地域を大きく重要に見えるようにつくることもあれば、反対に、小さく書いて周囲の脅威をわかりやすくすることもある」として、アラブ諸国に包囲されるイスラエルを描いた地図や、ソ連や中国の脅威を訴えるために、アメリカの右翼団体であるジョン・バーチ協会やその他の政治グループ高緯度地域の面積が極端に拡大されるメルカトル図法を用いていたことが紹介されています(昔の世界地図では、ソ連は真っ赤に塗られていました。)。この他、戦前にドイツ情報図書館によってニューヨークで発行されていた週刊誌『ファクツ・イン・レビュー』からは、ナチスによるアメリカに対する政治宣伝として、ドイツの西進を正当化するための地図や、大英帝国の面積とドイツとを比較した地図、アメリカ、ヨーロッパ、ソ連、日本の「影響圏」を示すことでモンロー主義を褒め上げた地図等を紹介しています。さらに、「矢印ほど力があって暗示的な地図記号は少ない」として、朝鮮戦争時に韓国領内に侵攻した北朝鮮軍を黒い矢印で表した地図を紹介しています。また、円が、「幾何学的な純粋さを地図にもたらすが、それがまた、容易に正確さや権威を持ってしまう」として、地域の環境活動家が、計画中の焼却炉の周辺を同心円的に表示することで、恐ろしさを喚起している地図が紹介されています。
 著者は、地図を、「鉄砲やラクロスのスティックのよう」に、「それを所持する者、ねらいと使われ方、それに理由などによって良くも悪くもなりうるものなのである」と注意を促しています。
 第7章「地図の情報操作」では、「政府がなぜ、どのようにして地図を守り、地理的情報を隠し、そしてときには故意にあやまりをつくった地図を配給するのか」を解説しています。そして、国家が、「伝達、防衛、そして輸送についての戦略的な情報を提供して」しまわないために、「戦闘計画や地図を厳しく管理」し、「敵に詳細な地図を与えてしまうことは、しばしば、裏切り行為として考えられてきた」ことが述べられています。
 第8章「統計地図のナンセンス」では、「一方的な肯定、あるいは否定という立場から測定された1枚の地図で済ましてしまうこと」の危険を訴えています。
 第9章「色の不思議」では、CGでのデモンストレーションや、プレゼンテーション、新聞記事などを見て、「地図を引き立たせたり、だめにする色の原理に対する知識のなさ」を嘆き、「色を意図的に、あるいは無自覚に使うことで、えがきだす対象や計画が魅力的になったり、だいなしになったりする。地図を意識して使うためにはこのことにも注意しなければならない」と述べています。
 終章「おわりに メディアとしての地図」では、地図には、「位置や地理的関係についての情報のみを伝える道具」ではなく、「視覚的な装飾物」としての二重の役割があり、「地図作者の専門意見や動機を信頼しきってしまわない、利用者の健全な懐疑主義。それを高めるためには、この二重の役割に対する優柔不断さが必要である」と述べ、「言語や数学とおなじように、地図作成上の中小には利益が生じるが、反対に、具体的なものを損なわないわけにはいかない」ものであるという、「自戒の念、あるいは知識や正直な意図」をもたなければ、「地図の力は制御できなくなってしまう」と述べています。
 本書は、メディア・リテラシーの各論として、情報の伝達に携わる人にはぜひ読んでおいてほしい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、第9章及び終章の「柱」(奇数ページの右欄外に書かれた章名を記載する部分)に誤りがあり、「10 色の不思議」、「11 おわりに」と記載されています。さらにいえば、終章の柱は偶数ページである188ページに記載されているのも変です。
 こういう組版の基本的ルールは、普段それほど意識せずに本を読んでいると気になりませんが、ちょっとしたことに気づくと気になりだします。そして、私たちが普段、仕事でつくっている報告書の類でも、組版ルールを守ると読みやすいものがつくれるはずなのですが、なかなか勉強する機会がありません。


■ どんな人にオススメ?

・地図を素直に信じてしまう人。


■ 関連しそうな本

 ジョン・ノーブル ウィルフォード (著), 鈴木 主税 (翻訳) 『地図を作った人びと―古代から観測衛星最前線にいたる地図製作の歴史』 2007年01月01日
 今尾 恵介 『地図を楽しむなるほど事典』
 堀 淳一 『歴史廃墟を歩く旅と地図―水路・古道・産業遺跡・廃線路』
 今尾 恵介 『住所と地名の大研究』 2006年7月6日
 今尾 恵介 『日本地図のたのしみ』
 秋庭 俊 『帝都東京・隠された地下網の秘密』 2006年10月4日


■ 百夜百音

セーラー服と機関銃【セーラー服と機関銃】 薬師丸ひろ子 オリジナル盤発売: 1981

 『戦国自衛隊』や『時をかける少女』、『セーラー服と機関銃』など、再評価される角川映画ですが、次はいよいよ『幻魔大戦』でしょうか。


『「セーラー服と機関銃」オリジナル・サウンドトラック』「セーラー服と機関銃」オリジナル・サウンドトラック

2007年1月 6日 (土)

エンジニアのための時間管理術

■ 書籍情報

エンジニアのための時間管理術   【エンジニアのための時間管理術】

  Thomas A. Limoncelli (著), 株式会社クイープ (翻訳)
  価格: ¥2415 (税込)
  オライリー・ジャパン(2006/10/19)

 本書は、著者のようなシステム管理者に効果のある方法として、「時間を管理するためのフレームワークを整え」るものであり、タイムマネジメントの「テクニック」本です。著者は、著者自身を含めたシステム管理者に共通する特徴として、
(1)問題の解決にねばり強く取り組む(ブルドッグのように問題に食らいつき、問題が軽減されるまであきらめない)
(2)他の人々が何かを成し遂げられるようにすべてを手配したいと心から望んでいる。
(3)自分の仕事に面白味を感じている(1日中働いた後、家でもまだ仕事の続きをしている)
という3つの共通点を挙げています。著者は、「システム管理」は仕事ではなく、ライフスタイルであると述べ、「私たちのライフスタイルを私たちの言葉で述べ、私たちの問題を解決するタイムマネジメントの本が必要」であると語っています。そして、「一度状況を分析し、それを日々の作業に活かす必要がある」と判断し、コード行を検出するたびに再解釈しなければならない「インタープリタ言語」ではなく、事前の準備に時間をかけ、プログラム全体を処理してマシン語に変換するためにはるかに高速で実行できる「コンパイル言語」の発想をタイムマネジメントにも用いるべきだと述べています。ここから重要なテーマとして、
・タイムマネジメントに関するものをすべて1カ所にまとめる
・今取り組んでいることに頭を使い、それ以外のことには外部ストレージを使用する。
・定期的に行うことに対しては日課(ルーチン)を定める。
・習慣やモットーを身につけることにより、事前に判断を下す。
・プロジェクトタイムでは集中力を維持する。
・これらのツールを仕事以外の時間にも応用し、日常生活を管理する。
等の点を挙げています。
 第1章「タイムマネジメントの原則」では、システム管理者(SA)が2人いる場合には、「相互不可侵協定」を結び、様々な割り込みへの対応を午前と午後で分担することによって、プロジェクトに取り組める環境を作る方法を提唱しています。また、SAが1人だけの場合も、マネジャーと話し合い、プロジェクトタイムの間は緊急でない用事には電子メールで対応するなどのルール化する方法を紹介しています。
 著者は、一般的な「タイムマネジメント」本とSA向けの本書とが一線を画す理由として、
(1)問題が異なる:非常に多くの割り込みにさらされる。
(2)ソリューションが異なる:高度なテクノロジを用いたソリューションを扱うことができる。
・(3)品質管理の欠如:作業リストの管理、工程表の管理、人生目票の管理の基礎を学ぶ必要があるが、指南役は世界各国の技術者仲間であり、上司が重役から学ぶように、観察することによって学ぶ機会はほとんどない。
の3点を挙げています。
 また、SAのタイムマネジメントの原則として、
(1)タイムマネジメント情報を1つの「データベース」にまとめる(1つのオーガナイザを使用する)
(2)能力は重要な作業のために温存しておく(RAMを節約する)。
(3)日課を定め、それに従う(コードライブラリを再利用し、無駄な作業を繰り返さない)。
(4)習慣やモットーを養う(実行時の計算を計算済みの結果と置き換える)
(5)「プロジェクトタイム」の間は(カーネルセマフォのように)集中力を保つ。
(6)日常生活の管理にも、仕事で使用するのと同じツールを使用する(日常生活はオプション機能ではない)。
の6点について解説しています。(2)に関しては、アインシュタインの衣装戸棚には7着分の同じスーツがあって、「自分の能力は物理学のために確保し、毎日何を着るかを決める日常的な作業に回さない」という(実話かどうかは疑わしい)逸話を紹介しています。
 第2章「集中と割り込み」では、集中しやすい環境を確保するために、オフィスを整頓するためのモットーとして、
「迷ったときは捨てる」
を定め、
(1)ファイルにとじてよいものはそうする。
(2)未処理の仕事は積み重ねて、すぐに取りかかれるようにする。
(3)残りのものはすべて、「今から3ヶ月経っても開かれなかった場合は、捨ててよし」と書いた大きな封筒に入れ、封をする。
の3つの手順に従っていると述べています。
 また、「オフィスがもっとも静かな時間」である平日の最初の1時間を、「電子メールや留守番電話のチェック」などの作業でつぶさずに、プロジェクトに充てることで割り込みが入ることはほとんどないと語っています。
 さらに、プロジェクトタイムに要求が割り込んできた場合の選択肢として、
・委任する:他に対処できる人がいれば、その人に委任する。
・記録する:緊急でなければ、顧客が信頼できる方法で要求を記録する。
・実行する:本当に緊急の場合は、作業を中断して要求に応じる。
の3点を挙げ、「委任、記録、または実行」と考えると、相手にどう対処するかに焦点を合わせやすくなると述べています。
 第3章ルーチン」では、
「ルーチンとは、一度だけ考え、何度も実行するための手段である」
と述べ、「頭で考えることが少なく、重要な作業のための脳のサイクルを確保できる点で、非常に効果的」であると語っています。
 そのためには、「常に約束事や作業項目をオーガナイザに記録し、常にオーガナイザを持ち歩く習慣を身につけることを勧めています。
 また、関係者と会議を組むよりも自分がスタッフのもとを定期的に「巡回」することで、「問題をリアルタイムにトラブルシューティングし、障害を取り除き、無視されていると感じていた人々の問題を解決するにはうってつけ」であったと語っています。
 そしてルーチンを作成する方法としては、
・予定されていない、繰り返し発生する出来事
・保守作業
・人間関係とキャリアネットワーク
・作業を先延ばしにすると、余計に時間がかかる状況
・よく忘れるもの
・重要度または優先度の低い仕事
・新しい能力の育成
・最新情報の把握
等を、検討すべき項目として挙げています。
 第4章「サイクルシステム」では、顧客が、「ほかのどの能力よりも、作業を遂行する能力(フォロースルー)を高く評価」すると述べ、作業を遂行する秘訣は、「すべての要求を記録して、それらを終了するまで見届けること」であるとし、著者が「サイクルシステム」と呼んでいるものを紹介しています。著者は、「すべての要求をそのつど書き留める」ことの重要性を、「要求を完了していなかったことに腹を立てた顧客と顔を合わせ、『忘れていました』というかなりまずい言い訳を述べなければならなかった過去」を引き合いに出して述べています。
 著者は、成功するシステムの特徴として、
(1)携帯性
(2)信頼性
(3)管理しやすいサイズ
(4)カレンダー
(5)長期的な目標のリスト
(6)毎日の欄(作業リスト、スケジュール)
の6点を挙げ、このシステムの鍵は毎日のページにあると述べています。
 さらに、著者が「10年以上にわたって実践してきたプロセスの集大成」である「サイクルシステム」について、
(1)365日分の作業リスト
(2)今日のスケジュール
(3)約束のカレンダー
(4)メモ
の4点で構成され、
(1)今日のスケジュールを作成する
(2)今日の作業リストを作成する
(3)優先順位をつけ、スケジュールを調整する
(4)予定に取り組む
(5)1日の終わり
(6)会社を出る
(7)繰り返す
の7点の使い方を紹介しています。
 第5章「サイクルシステム:作業リストとスケジュール」では、処理しきれない作業への対処方法として、
(1)もっとも優先順位の低い仕事を翌日に回す
(2)作業を小分けにする
(3)作業を短縮する(作業の範囲を狭める)
(4)推定所要時間を変更する
(5)委任する
(6)優先順位を確認するための意見を上司に求める
(7)会議または約束を延期する
(8)残業する・・・これは最悪の選択肢を言わざるを得ない。
の8点を挙げています。
 第6章「サイクルシステム:カレンダーの管理」では、「顧客との会議をすっぽかすことほど、あなたの評判を傷つけるもの」はないとして、 会議や行事には必ず出席するためには、「自分の記憶力を宛にしないこと」が最も重要であると述べています。
 そして、「仕事、家庭生活、社会生活、奉仕活動、個人的なプロジェクト、睡眠」はどれをとっても重要であり、これらすべてを1つのカレンダーにまとめる理由を、「仕事によってプライベートな時間が侵食されるのを防ぐ効果がある」からだと述べています。
 また、会社のサイクルについて考える上で、上司が考えているビジネスサイクルとして、
(1)この会社のビジネスサイクルは何か。
(2)プロジェクトのスケジュールを改善するにはどうすればよいか。
(3)休暇を取るのに最適な時期はいつか。
(4)システム管理グループはプロジェクトのスケジュールを改善できるか。
(5)システム管理プロセスをビジネスサイクルの閑散期と繁忙期に連動するようなサイクルに変えられるか。
(6)ビジネスに規則性を持たせることは可能か。
等をたずねてみることを勧めています。
 第8章「優先順位」では、「次にどうするかで思い悩み、時間を無駄にしているなら」、「決断を単純にして、リストの先頭の項目から順番に片づけて」しまうことを推奨しています。そして、すべてのプロジェクトは、

            容易(作業が少ない)   困難(作業が多い)
大きなプラス効果     A               B
表面的な効果       C               D

のカテゴリのいずれかに分類することができるとして、
・カテゴリA:最初に着手するのは明らか。
・カテゴリD:避けるのも当然。
ではありながら、ほとんどのプロジェクトはカテゴリBまたはCに属し、「簡単なカテゴリCのプロジェクトに惹かれるのは人の常」であるが、カテゴリBのような、大きな効果をもたらすプロジェクトを会社の目標と一致させることが重要であると述べています。
 さらに、多くの人がマネジメントを一方通行であると考えているが、「マネジメントとは関係であり、関係の発展の一翼を担っているのはあなた」であるとして、「マネージャとのよい関係を築かなければ、目標を達成することも満足のいくキャリアを築くことも」ままならないと述べ、「上司に自分の目標をきちんと知らせること」が重要であると述べています。そして、上司の権限を利用する場合にのみ「上方委任」が必要であることを解説し、「上司が目標を達成すること」のために時間を費やしていることが明らかであれば、「上司もあなたを成功させることにより積極的になる」として、「上司を成功させることに明らかな貢献を果たすと、多くの扉が開かれ」、上司が、「キャリアパスを後押ししてくれ」、「だんだん『おもしろい』プロジェクトに誰よりも先に参加できるように」なると述べています。
 第9章「ストレスの管理」では、SAのストレスの最大の原因は、
・過剰な負担を感じること
・上司から矛盾する指示を与えられること
の2点であると述べています。前者については、本当に負担が重すぎて、それでもうまく行かない場合は、何よりも上司に助けを求め、仕事の優先順位を決める手助けを求めるべきであるとして、「負担が重すぎるのを打ち明けるのは、弱いからではありません。助けを求めるのは強い証拠です。それには大変な勇気がいりますし、アドバイスを受け入れるにはもっと勇気がいります」と述べています。後者については、「可能であるなら、上司に優先順位を書かせて、次に矛盾する支持を受けたときに、それを引き合いに出せるようにすると良い」と述べています。
 また、SAに共通する休暇中の誤りとして、
・用事や洗濯を済ませるためにときどき休暇を取っている・・・それは休暇ではない。
・週末に休みを取る・・・リラックスした状態になるまでの数日間のプロセスがない。
・旅先にノートPCを持っていき、数時間おきに電子メールをチェックする・・・筆者なら、わずかな料金で周囲にいかなるインターネットアクセスも存在しないことを約束してくれるホテルを選ぶ。
等を挙げ、SAが、休暇が取れないことを「この会社は私がいないとやっていけないのさ。だからもう何年も休暇を取っていないんだ」と自慢するのを聞くとうんざりし、SAが殉教者の強迫観念を抱いているのではないかと不安になると述べ、このような人が、「会社を運営するためにこれほど尽くしているのだから、誰もが恩義を感じているはず、と思い込んで」いて、「このような人と一緒に働くのは不可能」であると指摘しています。
 第10章「電子メールの管理」では、目標は、「受信トレイを空にすること」であるとして、
(1)フィルタ:フィルタソフトウェアを使用して、多くの作業を自動化する
(2)読まずに削除:ある種のメッセージは、読まずに削除しても問題はない。
(3)読んで処理:いつまでも受信トレイに残しておかない。
のいずれかの方法でメッセージを処理するプロジェクトを提案し、「電子メールは短命である。古くなればなるほど、その価値は低下する」と述べています。
 第11章「時間の浪費」では、一般的な作業時間の浪費として、
・作業リストのくだらない項目
・大量のメーリングリスト
・掲示板やUsenet
・チャットシステム
・オフィスへの「立ち寄り」
・セールスと人材スカウト業者
・手動プロセス
等を挙げています。
 第12章「文書化」では、SAが「ドキュメントを書くことを嫌い、恐れ、一般に避ける理由」として、
・自分が解雇される前兆に思えること
・完璧主義者のSAにはドキュメントを書き始めるのが非常に難しいこと
・誰にもじゃまされない時間が必要なこと
・ギークは印刷されたドキュメントが嫌い
等を挙げています。
 そして、簡単に後進できる多くのページで構成されたWebサイトを作成する上でのWikiの有用性として、
・新しいページを簡単に追加できる。
・中央で管理され、アクセスしやすい。
・誰でも参加できる。
・常に最新の状態を保つ。
等を挙げています。
 第13章「自動化」では、SAが一般に直面する問題として、
(1)一度だけ行う単純な作業・・・自動化する意味がない
(2)一度だけ行う難しい作業・・・最終的なうまく行くコマンドをスクリプトに記録すると、次回その作業を行うための方法が記録として残る
(3)頻繁に行う単純な作業・・・自動化の効果がもっとも高い
(4)頻繁に行う難しい作業・・・市販品の購入、作業遂行のためのツールの統合、社内ソリューションの開発
の4つのカテゴリに分類しています。
 終章「おわりに」では、新しい自由時間の使い方として、
・週に40時間働いたら家に帰る。
・大切な相手と過ごす時間を増やす。
・子供と過ごす時間を増やす。
・両親やあなたの人生において重要な人に電話をする。
・悪と戦う非営利団体を助ける(Web版・PC版)
・教育委員会に参加する。
・公職に立候補する。
等を挙げています。
 本書は、システム管理者を対象にしていますが、他の職種にとっても参考になる教訓が多く含まれた一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書で紹介されているSAの休暇の取り方のうち、「この会社は私がいないとやっていけないのさだからもう何年も休暇を取っていないんだ」という「殉教者の強迫観念」に関しては、SAに限らずあちこちで見かけるのではないかと思います。問題は、それが本当に「いないとやっていけない」のか、本人が勝手に思っているだけなのか、です。前者だとすると、その会社の危機管理面でも大きな問題を抱えていることになります。本人が病気になっても休めずに突然死、ということもありますし、急病で休んでしまったら会社が動かなくなってしまうとしたら、UPSの入っていないサーバ室や発電機のない防災施設のようなものです。早急にバックアップ体制を構築する必要があります。一方、後者の場合は、どうやってそれを気づかせるか、という問題があります。本書ではそういった人が逃げ場を失って退社してしまう例が紹介されています。


■ どんな人にオススメ?

・SAでもないのに自分にも見に覚えのある人。


■ 関連しそうな本

 梅森 浩一 『残業しない技術』 2005年05月15日
 行本 明説, 日本タイムマネジメント普及協会 『図解・仕事術 最強の時間力―タイムマネジメントの法則60』
 奥井 規晶 『外資の3倍速仕事術―「できる自分」へのムダ消しレッスン!』
 中島 孝志 『朝4時起きの仕事術―誰も知らない「朝いちばん」活用法』
 デビッド・アレン (著), 森平 慶司 『仕事を成し遂げる技術―ストレスなく生産性を発揮する方法』
 アレック マッケンジー (著), 倉田 良子 (翻訳) 『時間の罠(タイムトラップ)―タイム・マネジメント20の鉄則』


■ 百夜百音

マカレナ大行進【マカレナ大行進】 オムニバス オリジナル盤発売: 1996

 『エンジニアのための時間管理術』の中の挿絵マンガで、会社に出かける前の忘れ物チェックを、「携帯電話、Palm V、財布、ポケベル、Palm Pilotモデム、ペン、レザーマン、予備のスタイラス・・・」とズボンや胸ポケットを確認している姿が「マカレナ」と間違えられる、というネタがあったのでつい・・・・・・。

 その挿絵を見るかぎり、日本では、「セーラー服を脱がさないで」の振り付けに見えます。そう言えばJALのCMで三谷幸喜があちこちのポケットから携帯を探すCMがありました。

「JAL国内線割引運賃「先得」着メロ篇 15秒」

『おニャン子クラブ』おニャン子クラブ

<

2007年1月 5日 (金)

イノベーション・パラドックス

■ 書籍情報

イノベーション・パラドックス   【イノベーション・パラドックス】

  ジョルジュ・アウー (著), 石原 昇 (監訳), サイコム・インターナショナル (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  ファーストプレス(2006/1/31)

 本書は、「専門知識をより効果的に利用すること」を目的とした「分散型イノベーション」の考え方をテクノロジー企業が取り入れる際に参考となる洞察や提案を多数紹介しているものです。著者は、「分散型イノベーション」は、「経営トップの手に委ねられた手段であり、企業の競争力を高めるという目標に対して、イノベーションの将来を考え、指揮するためのもの」であるとのb手います。
 著者は、「日本語版への序文」の中で、技術に関して「日本のビジネス実践方法には重要なものがいくつかある」として、大企業が終身雇用制を基礎としているために、自社の「社員(member)」の育成に関して、
(1)長期的な視点で投資を行えること。
(2)社内のさまざまな部門への幅広い人事異動が可能なこと。
の2つの点で有利であると述べています。
 第1章「イノベーションはサバイバルだ」では、イノベーションを
・競争力の源
・市場向けの製品や工業プロセス、またはサービスに転換された発明
であると述べ、「経営効率のみに依存していると、収益が次第に縮小」していくため、シュンペーターの言う「創造的破壊の嵐」という変化を利用して収益と成長を手に入れる企業が生き残れると述べています。
 また、「イノベーションに要する投資コストを推測的に算出すること」が難しい要因を、
(1)R&Dはイノベーション・プロセスの唯一の立役者であるが、投資総額を算出するためには、マーケティング、設計、製造、法務、マネジメント全般に費やされた時間も考慮に入れることが重要。
(2)R&Dへの投資だけを考えても、市場の特定の製品やサービスとの関連を明確にするのは難しい。
の2点を挙げています。
 第2章「CEOのリーダーシップがイノベーションを推進させる」では、「現行の経営システムは、イノベーション主導型の成長を促進するような環境になっていない場合がほとんど」であるとして、大手テクノロジー企業において、多くの要素が、「イノベーションに鋭く焦点を当てようとした場合」の妨げになると述べ、「テクノロジー企業におけるイノベーション・パラドックス」を、「イノベーション・プロセスは企業にとって不可欠だが、CEOは多くの仕事を抱えていてイノベーション・プロセスに十分に取り組むことができないため、これを効果的に機能させられない」ことであると述べています。
 第3章「イノベーションはマネジメント可能か」では、技術的イノベーションの本質が、不確実性にあるため、R&D部門の文化に生じる特徴として、
(1)R&Dのスタッフは業務そのものが不確実なため、組織や職場環境に安定性を求めることで、それを埋め合わせようとする。
(2)R&Dの技術者は自らの探究心で満たされたエネルギーを引き出すことで、自分の仕事の不確実性を克服している。
の2点を挙げています。
 著者は、「イノベーションという錬金術において、試薬となるのは従業員の創造性、才能、知識、意欲」であると述べ、「イノベーション・プロセスの成果の質は、絶対的な人的要因に大きく依存する」ことを指摘しています。
 第4章「多様な手段を通して技術的イノベーションを活用する」では、イノベーションの発展の一過程として、「社外の協力者の力をプロジェクトに利用する傾向」が強まっていることについて、
(1)どのような企業でも万事をうまくこなすことなど不可能。
(2)社内よりも社外でやることの方がますます増えている。
の2点を挙げています。
 また、技術イノベーションに先進している企業として、英国のジェネリックスを取り上げ、その活動を、
(1)企業への「技術サービス」
(2)インキュベーターとしての新しいベンチャー企業の育成・支援から派生する「スピンアウト」のプロセスを実施すること
(3)同社が精通している技術や事業分野にかかわる社外のスタートアップ企業に資金提供するためのファンドである「シ-ドキャピタル」の管理
の3点紹介し、「スピンアウト企業に発展したイノベーション・プロジェクトが、そのプロセスで直面したいくつかの問題」として、
・アブソルート・センサーズ
・レトロ
の2社の事例を紹介し、これらの事例が、「イノベーション・プロジェクトが新事業として生まれようとするときに持ち上がるいくつかの問題を浮き彫りにしている」と述べています。
 著者は、ジェネリックのビジネスモデルについて、
(1)技術的イノベーションと知的財産を最も効果的に活用するのに最適な手段を活性化させるポジションにある。
(2)「研究者兼企業家」という稀少な人材を引きつけているという例外的な特徴を持つ。
の2つの理由から、「テクノロジー企業はジェネリックスを模範として見習い、多様な手段を通して技術や知的財産から収益を得るべきだ」という意見を指示しています。
 第5章「イノベーション・マネジメントの再定義――分散型イノベーション・システム」では、「スタートアップ企業の株式を創出することで親会社に価値を生み出している」企業内インキュベーターの「重要な二次的効果」として、
(1)R&D部門に付随するこれらのインキュベーターは、R&D部門に企業家的発想と経営志向的文化を吹き込む模範的な役割を果たしている。
(2)インキュベーターを組織・運営することで、機動的で活気あふれる企業として親会社のイメージアップが期待できる。
の2点を指摘しています。
 第6章「起業家精神が分散型イノベーション・システムを活性化させる」では、「イノベーションのアプローチについて外部の戦力に門戸を開く傾向」を特に強めているインテルが、多様なチャネルの中から「大学の研究機関とコーポレート・ベンチャーリング」の2つを大いに利用するとともに、「業界の選択に影響を与える機会が多い」と考えられるコンソーシアムである「共同事業体セマテック」が3番目に挙げられると述べています。
 また、製薬業界において、「開発プロジェクトや技術サービスのアウトソーシングが、今後増加することが予想」される理由として、
(1)柔軟性
(2)バランスシート上の資本の縮小
の2点を指摘しています。
 著者は、分散型イノベーション・システムのアプローチには、
(1)特定:企業にとって「インパクトの強い」製品を特定する。
(2)選択:企業に適した最も将来有望な製品を選択する。
(3)技術動員:選択した製品を開発するために社外の技術を探し出す。
(4)開発:社内と社外の協力体制を結合して製品を開発する。
(5)生産と流通:製品を製造して市場に送り出し、販売する。
の5つの段階があり、これらが企業内部でのイノベーション・プロジェクトと並行して実施されると述べています。
 第7章「カギを握る人的要素」では、「スタッフの士気を高めるマネジメント上の基本条件」として、、
(1)知的労働者への気配り:「新入社員の最初の1カ月間」に特に当てはまる
(2)管理スタイル:支援的で親身なマネジメントが不可欠
(3)関係するスタッフや組織の多様性を広げること:革新的なプロジェクトの強力な促進剤となる。
の3点を挙げています。なかでも(1)に関しては、「日本の大企業で各年度の初めに毎年行われる新入社員の入社式」について、「CEOによる儀式ばった歓迎の挨拶で始まり、会社の歴史、伝統、事業内容についてのレクチャー」のあと、「会社の各部門で時間を過ごす」というものであり、「入社式は若き技術者の人生に大切な第一歩としてはっきりと刻まれ、新しいスタッフの義務感と忠誠心を育てるのに大いに貢献している」ことを指摘しています。
 第8章「結論――分散型イノベーションによる価値創造と成長」では、企業が、「社内のR&D部門の技術知識を強化する必要性を持ち続ける」理由として、
(1)技術知識は社内により焦点を当てたイノベーション・プロジェクトと同様に、分散型イノベーションを活用するプロジェクトでも中心的な役割を果たす。
(2)企業が効果的に社外の技術を発掘し、買い入れるためには、有力なR&D部門が必要である。
の2点を指摘しています。
 本書は、分散型イノベーションというコンセプトを切り口に、企業のR&D部門のあり方を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、経済学のトピックの一つである「企業の境界」に関する問題としてとらえることができます。すなわち、不確実性の高い部門(R&D部門)を、企業の内部に垂直統合すべきか、別の企業として分離するか、という問題です。
 本書が示しているのは、完全に垂直統合してしまうと、スタッフが安定性を求め、自らの探究心でエネルギーを満たすことが難しくなる一方で、完全に分離してしまうと、分散型イノベーションの活用や社外のイノベーションの「目利き」をする能力が失われてしまうため、両者のバランスが重要になる、というものです。
 このスタンスは、本書で取り上げているイノベーション・プロセスに限らず、「社内か社外か」の選択に迫られる多くのプロセスに関して、「不確実性」と「企業活動へのインパクト」という2軸によって分析する手掛かりを与えてくれるものではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「社内か社外か」というアウトソーシングに関する問題に関心がある人。


■ 関連しそうな本

 エリック・フォン・ヒッペル (著), サイコム・インターナショナル (翻訳) 『民主化するイノベーションの時代』 2006年10月16日
 クレイトン・クリステンセン (著), 玉田 俊平太, 伊豆原 弓(翻訳) 『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』 2005年10月17日
 クレイトン・クリステンセン, マイケル・レイナー (著), 玉田 俊平太, 櫻井 祐子 (翻訳) 『イノベーションへの解―利益ある成長に向けて』 2005年09月29日
 キム・クラーク, カーリス・ボールドウィン (著), 安藤 晴彦 (翻訳) 『デザイン・ルール―モジュール化パワー』
 ジョー ティッド, キース パビット, ジョン ベサント (著),後藤 晃, 鈴木 潤 (翻訳) 『イノベーションの経営学―技術・市場・組織の統合的マネジメント』 2006年03月17日
 柳川 範之 『契約と組織の経済学』 2005年02月22日


■ 百夜百マンガ

Jigoro!―浦沢直樹傑作短編集【Jigoro!―浦沢直樹傑作短編集 】

 YAWARAのおじいちゃん「猪熊滋悟郎」(モデルはもちろん「柔道の父」と呼ばれた嘉納治五郎)の若き頃を描いた作品です。
 本編中でも人気キャラだっただけに外伝も筆が乗ったのではないかと思います。

2007年1月 4日 (木)

自治体連続破綻の時代

■ 書籍情報

自治体連続破綻の時代   【自治体連続破綻の時代】

  松本 武洋
  価格: ¥1000 (税込)
  洋泉社(2006/10)

 本書は、「どこに住んでも今までのようにお任せという姿勢でいるわけにはいかない」時代に、「自治体を選ぶか、あるいは皆さんの手で改革させるということ」を考えねばならなくなった読者に対し、「自分の身は自分で守るしか」なく、「自治体もまた自分で監視するしかない」として、「自治体の抱える問題のアウトラインと読み方、そしてそれをただすために動く方法」を示したものです。
 序章「シミュレーション ある市を破綻させた男」では、「格差社会から弱者にやさしいヒューマンコミュニティへ」を標榜した市長が誕生したA市が、近郊都市破綻第一号として破綻するまでを描いています。ここでは、おそらく著者自身をの姿を託した「駅前で絶叫する若い議員」が、「政府は自治体に福祉を切り捨てさせるために続々と自治体を破綻させているんです! 破綻したら一気にすべて、切られます。破綻させないためにぎりぎりの努力をしましょう。皆さんはばら蒔き市長にこの街を潰させていいんですか!?」と訴える姿が描かれています。
 第1章「いま、自治体が直面している危機とは何か」では、2006年に破綻が表面化した夕張市には、過去2回の引き返すチャンス、すなわち、
(1)起債制限に引っかかった時に施策を見直すというチャンス
(2)24年間続いた市長の引退とともに訪れた市長交代のときに過去を清算するチャンス
の2回のチャンスがあったことが解説されています。
 また、夕張市の財政には、平成16年度の時点で、すべての歳入に占める諸収入比51.7%という「明らかな異常値」が見られており、総務省はこれを検証すべきであったのではないかと述べています(十分知ってたんだと思いますが・・・(^^;)。
 さらに、現在自治体が陥っている苦境の原因を、「バブル経済は列の余波とそれに対応するためにアメリカの外圧によって90年代に猛烈な勢いで実施した大量の公共事業、減税、そして、それらを踏まえた三位一体の改革である」と指摘しています。そして、国による自治体破綻法制の検討は、
・自治体が悪い
→自治体の経営者が悪い
→それを選んだ住民が悪い
→住民は我慢すべき
という理屈を構成することで、その地域の住民福祉を簡単に低下させることができ、「自治体を簡単に切り捨て、一蓮托生で信用不安に巻き込まれないために協議制をつくったのではないか」と述べています。
 第2章「自治体を取り巻くこれだけの問題点」では、土地開発公社による先行取得の「メリット」として、
・年度に縛られないなど機動的な運営ができること。
・市民やいわゆる野党議員に取得を察知されにくいこと。
の2点を挙げています。そして、原則的に「債務保証」をすることができない自治体が、例外的に土地開発公社や道路公社に対しては債務を保証することが許されているが、「自治体が正式に債務を保証している校舎ばかりではない。金融機関にしても、さまざまな複雑な関係のある自治体やその外郭団体の融資要請にいちいち債務保証を要求しにくい事情がある」ことを指摘しています。著者は、土地開発公社はそもそも土地インフレ対策の制度であり、現在はその意義は失われつつあること、また、議会を通さないため、隠れ蓑として悪用されてきたことを指摘し、「このような手法は今日もはや通用しない」と述べ、「公社の存在意義はもはやどこにもない」と断じています。
 さらに、自治体において団塊の世代の大量退職が始まるというのに、単式簿記の役所の会計には、「退職金給与引当金」は積まれていないため、従来までは例外中の例外であり、総務省によって起債基準が緩和された「退職手当債」という麻薬に頼らざるを得なくなっていることを指摘し、「退職金問題は、三位一体改革でただでさえ苦しい自治体の財政危機をさらに苦しいものにしていき、退職手当債はその問題を先送りにしていく」と述べています。
 また、毎週のように売却や縮小、閉鎖のニュースがマスコミをにぎわしている自治体病院については、「今後、自治体病院は続々と閉鎖あるいは縮小されていくだろう」とし、「それを前提に住む場所を選ばなければならない時代」であると述べた上で、これを立て直した例として、有名な坂出市立病院の塩谷泰一院長(当時)の改革を紹介しています。
 著者は、公共施設建設費の世代間での負担公平化を名目に乱発される地方債についても、世代会計による将来世代の負担が2.7倍あるいは4.4倍に達するというデータを示し、「子どもにツケ回しをする親というのはまともだろうか」と厳しく指摘しています。そして、縁故債を取り巻く環境も変わりつつあり、平成15年度の北海道庁の縁故債発行において、「これまで道債を引き受けてきた金融機関のうち道外金融機関7者が引き受けシンジケート団(地方債引き受けの窓口団体)から離脱した」事件を紹介し、「信用力は横並びという建前はすでに崩れ去った」と述べています。
 第3章「破綻する夕張市職員のボーナスはなぜ増えたのか」では、役所が、「スピード経営に向かない生き物」である理由を、「税金を世間から集めて運営する組織」であるため、
・慎重に運営する必要があり
・不法な、あるいは倫理にもとる使い方が許されず
・基本的に失敗が許されず
・法律や条令なしには動くことができない
等の条件が運営の前提として横たわっていることであるとし、「役所に仕事をさせる以上、スピーディーな仕事というものは期待できない。そして、役所に一定以上のスピード経営を求めることは、役所の存立の基盤を危うくする」として、「役所に最大限のスピードを求めることはどだい無理な話なのだ」と述べています。
 第4章「自治体を監視し、動かそう」では、総務省のウェブサイト(http://soumu.go.jp/)に掲載されている大量のデータの使い方を解説しています。
 著者は、一番基礎的な情報として、
・決算カード:自治体の主要な財政指標の現状
・財政比較分析表:その自治体の財政がよい部類か悪い部類か
の2つを挙げ、「これらは全国のすべての自治体に関して完備されて」いることを解説しています。そして、役所の体質として、「情報をたくさん公開すると問い合わせや要望がたくさん来るからやらない」という「面倒を避けるために情報は隠す」という公務員の思考回路を批判しています。
 また、「給与情報等公表システム」を使った各自治体間の待遇の比較の仕方を解説し、批判の多い特殊勤務手当てについては、
・福祉事務所現業手当(都庁)→福祉の現場は辛い? 世の中に辛くない仕事なんてあるの?
・動物園飼育作業等業務手当(都庁)→動物園で動物を飼育するのは動物園職員にとり特殊な仕事か?
・戸籍登録事務従事手当(横浜市)→戸籍を登録するとき、間違えてはならないから緊張するストレス手当?
・給食業務手当(横浜市)→じゃあ給食職員は何やるの?
等を指摘しています。
 一方で市議会議員の待遇については、議員報酬は500万円台の後半であり、「総額は同年代の大卒サラリーマンと比較すると多くは」なく、付き合いも少なくないため、副業をしていると述べ、「同僚で純粋な専業議員はほとんどいない」と述べています。
 第5章「誰でもできる自治体チェックの技法」では、「すべての自治体の財政について、主要な6つの指標に特化してビジュアルなグラフにしたもの」である「市町村財政比較分析表」をチェックするポイントを解説しています。また、「自治体の財政状況などを一枚のカードにまとめた資料」である「決算カード」については、含まれるデータが多いため、「市町村財政比較分析表と関連づけて主な指標を全国平均などと比較するほかは、気になるポイントをかいつまんでチェックすればよい」と解説しています。
 また、自治体の会計制度について、公会計が単式簿記という体系を採用し、「単に『住民税がいくら』と捉え、お金が出ると『鉛筆代がいくら』と捉える』ものであることを解説しています。そして、公会計のゴマカシを探るためのポイントとして、夕張市が借金の「飛ばし」(市の隠語では「ジャンプ」)を使った際に数字に表れた「財政規模と比較して大きすぎる諸収入」は、「何か異常な金の流れがある可能性を示唆している」と解説しています。
 決算カードに記載されている主要指標に関しては、「実質収支と実質収支比率」に関して、実質収支比率がマイナス20%以下になると、財政再建準用団体になり、この数字は「自治体側で恣意的な操作が容易な数字」であるため、「この基準を超える数字を示すということは、自治体が財政再建団体新生を決意するということと同じ意味になる」と解説しています。また、「経常収支比率」に関しては、所沢市職員の肥沼位昌氏の「エンゲル係数」という表現を、「非常に理解しやすいたとえ」と評しています。「ラスパイレス指数」については、「この数値は計算の前提として手当を含まないため、特殊勤務手当等のいわゆる厚遇問題が出てきたのではないか」という説を紹介し、「一種の粉飾だ」と述べています。「起債制限比率」と「実質公債費比率」については、前者は、「普通会計に関する借金の負担割合の比率」であるのに対し、後者は、「これをベースに、下水道会計や公営企業会計などの起債のうち、自治体の一般会計が負担することになる部分を連結に近い手法で組み込むという、連結的な指標」であると解説しています。
 巻末の近藤秀一氏の特別寄稿「自治体破綻を乗り越える」では、自治体財政危機の要因を、「何といっても国による政策誘導にあると言わざるを得ない」としながらも、自治体自身も「自己責任に基づく経済観念を最大限に高める努力を怠ってきた」ことを指摘しています。
 そして、自治体の財政状況を判断する基準として、
(1)地方債残高
(2)実質公債費比率
(3)経常収支比率
(4)実質収支の赤字比率
の4つの指標を検討することを解説しています。
 著者は、自治体の破綻制度として、「平成19年度からの地方債については、破綻認定を受けた場合には自治体の債務不履行を認めるようにし、市場規律が働きやすくした方がよい」と述べ、「一刻も早く、自治体破綻法制度を制定し、破綻させるのでなく、その直前に破綻の認定をすべきである」とし、破綻認定を受けた自治体は、4つの財務指標を3年以内に改善することを目指し、これらについて改善される状況が生じなかった場合には、きちんと破綻とし、首長と議会の責任を明確にし、首長は強制辞任、議会は諮問委員会にしてしまうべきであると提唱しています。
 本書は、危機的状況にある自治体の財政制度について市民の目線から分かりやすく解説したものであり、値段の元は取れるものではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 ちなみに、P.35の「ティーポ仮説」は、チャールズ・ティボーの「Tibout Hypothesis」のことかと思いますが、「ティーポ」と聞いてクルマ雑誌じゃなくてトロンのPDAを思い出す人は少なかろうと思います。


■ どんな人にオススメ?

・自分の住んでいる地域の自治体はまだ大丈夫だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 肥沼 位昌 『図解 よくわかる自治体財政のしくみ』
 佐々木 信夫 『自治体をどう変えるか』
 白川 一郎 『自治体破産―再生の鍵は何か』 2006年10月30日
 吉富 有治 『大阪破産』 2006年10月20日
 平嶋 彰英, 植田 浩 『地方債』 2006年12月14日
 橋本 行史 『自治体破たん・「夕張ショック」の本質―財政論・組織論からみた破たん回避策』


■ 百夜百マンガ

七夕の国【七夕の国 】

 月刊誌(アフタヌーン)ですら背景が「白い」この作者が、週刊誌、それもスピリッツに連載していることが驚きでしたが、月一か2ヶ月に1回くらいのペースだったので注意して読んでいないと話の筋を追うのが大変だったのではないかと思います。

2007年1月 3日 (水)

管理される心―感情が商品になるとき

■ 書籍情報

管理される心―感情が商品になるとき   【管理される心―感情が商品になるとき】

  A.R. ホックシールド (著), 石川 准, 室伏 亜希 (翻訳)
  価格: ¥3045 (税込)
  世界思想社(2000/04)

 本書は、航空会社の客室乗務員や債権の集金人に対する調査を元に、「人はどのようにして感情に働きかけるのか――あるいは、働きかけるのをやめたり、感じることをやめたりもするのか?」、「私たちが働きかけている対象とは何なのか」を明らかにすることを目的としたものです。
 第1章「管理される心の探求」では、「自分の感情を誘発したり抑圧したりしながら、相手の中に適切な精神状態――この場合は、懇親的で安全な場所でもてなしを受けているという感覚――を作り出すために、自分の外見を維持しなければならない」という「感情労働」について、「この種の労働は精神と感情の協調を要請し、ひいては、人格にとって深くかつ必須のものとして私たちが重んじている自己の源泉をもしばしば使い込む」と述べています。
 著者は、感情労働の働きを追及するため、
(1)デルタ航空の客室乗務員の世界。デルタ航空は他の会社よりも会社側の要求が強く、すべての客室乗務員に課せられる要求が拡大する状況にあり、公的生活における感情の働きについて、一般的なケースよりも明確に問題点を示してくれる。
(2)デルタの請求部へのインタビュー。企業にはときに猜疑や怒りでわざと客の立場を潰す集金人に代表されるような別の顔もある。
の2つのルートで労働市場に入り込んだことを述べています。
 第2章「手がかりとしての感情」では、デルタのスチュワーデス訓練センターで、会社が年に1回実施している自己意識講座の講師の、「これは、思考回路、行為、そして感情についての講義です」、「誠実な人間であるためには、私はあなた方に一つのことを話しておきながら別のことを信じると言うことはできない。私の誠意と熱意を、今から私が話そうとしている感情管理の技術の価値を証明するものとして受け止めなさい」という言葉を紹介しています。そして、講師が、「文句つけ(「文句つけ irate」は経験から生まれた造語的名詞)に対する腹立たしさを、あなたならどうやって静めますか」という問いかけに続いて、「私は、彼らの人生には何かトラウマ〔精神的外相体験〕があったのだ、という風に考えるように努めます。(中略)私は後になって、彼の息子が亡くなったばかりだったということを知りました。(中略)皆さんが相手のことを思い、なぜ彼らがそんなに混乱しているのかを考えていれば、自分のことや自分のフラストレーションから注意をそらすことができます。そうなれば、それほど怒りを感じることはないでしょう」という解説を紹介しています。
 著者は、「深層演技(deep acting)によって手がかりは解消するが、ある見方からすればそれによって他者を欺くのと同時に自分自身を欺いているのである。表層演技(surface acting) をするとき、私たちは自分が本当に感じていることを他者に対してごまかしていはいるが、自分をごまかしていはいない」と述べています。そして、「自分固有の領域が残されている、そのような内なる宝石という概念」である「ほんとうの自己」を、「自分の内部に深く押しやり、一層手の届かないものにしている」と解説しています。
 第3章「感情を管理する」では、「私たちは誰でも多少とも演技をしている」が、それには、
(1)表層演技(surface acting):ボディランゲージや作り笑いや気取って肩をすくめるしぐさ、計算されたため息。
(2)深層演技(deep acting):感情の働きの自然な結果であり、行為者は、自己誘発した感情を自発的に表現する。
の2種があると述べ、表層演技では、「表情や身振りは『うわべだけのもの』だと感じられる」が、深層演技では、「意識的な精神労働」を行うことで、「『私自身』の一部から自分で呼び起こした感情が保たれる」ことが解説されています。
 この深層演技の方法には、
(1)感情に直接命じるもの
(2)訓練されたイマジネーションを間接的に利用する
の2つの方法があり、「この2つ目のものだけが真のメソッド演技である」と解説しています。これは、「単純に体が、あるいはただちに接近できる感情がではなく、ファンタジーや潜在意識または半意識的な記憶全体が、貴重な資源とされる」と述べています。
 著者は、「劇場と生活を区別するものは幻想ではない」と述べ、「両者を区別するものは、幻想への価値評価と幻想を<それ>と知る容易さ、そして感情を作るための幻想を利用したときの結果である」として、「私的生活では、その結果は予測不可能であり、破滅的な結果を招かないとも限らない」と述べています。そして、「深層演技や表層演技が一日の仕事の一部に、つまり一日の賃金と引き換えに私たちが雇用主に売るものの一部になるとどうなるだろうか?」と問いかけ、「商業的場面では、表層演技と深層演技によって、顔と感情が一個の資源という特性を帯びる」と述べています。
 第4章『感情規則』では、「感情の交換を統制する権利や義務の意識を作り上げることによって感情作業を導く」、「感情規則」について解説しています。著者は、感情規則が、「心理学的な『お辞儀』を通じて交換の基本線を提供している」と述べ、交換には、「ストレートなものと即興的なもの」との2つのタイプがあることを解説しています。そして、「私的な生活の場では現在の交換レートを自由に尋ねることができるし、新しいレートについて自由に交渉することもできる。納得できないのならば、立ち去ることもできる」が、「労働という公の世界では、客に向けたい怒りを空想の中に閉じ込めながら不公平な交換を受け入れることや、失礼な、あるいは逆上したクライアントに対処することが人の仕事の一部となる」と述べ、「収支は賃金によって帳尻が合うことになっている」と解説しています。
 第6章「感情管理」では、「表現(displey)は売りさばかれるものである」が、そのような表現も長期的には「感情となんらかの関係性を帯び」、「表現と感情との分離を長期にわたって継続させるのは難しい」として、「認知的不協和のアナロジー」を用いて、<感情的不協和>の原理が作用すると述べています。また、感情管理の領域が、「身体的な外見と深い信念との間」に存在する中間の領域であることを述べています。
 そして、感情管理を機能させるためには、
(1)感情作業:個人的な行為から、一方で購入された方で販売される、公的な行為となる。
(2)感情規則:個人の自由裁量や他者との個人的な交渉に任された問題から、マニュアルや研修などの中で公然と定義づけられる。
(3)社会的なやりとり:細い水路に限定されることになる。
の3つの基本要素を変異させることが必要であることを解説しています。
 著者は、「生活のために感情労働をしている人は、他の人は直面しないような3つの難しい問題にぶつかる」として、
(1)自分の仕事や会社と一体化することなしに、どうやって心から、仕事や会社に帰属意識を持つことができるのか?
(2)働きかけている<相手と>気持ちの上で切り離されているときに、いかにして自分の力を使うことができるのか?
(3)もし私が一体感をもてない相手に向かって深層演技をするとしたら、どうすれば皮肉っぽくならずに自尊心を<維持>できるのか
の3点を挙げています。
 第7章「両極の間で」では、企業社会の2つの極として、「一方はサービスを提供し、他方はその代価を取り立てる」と述べ、「サービス提供行為の身振りの背後で、労働者には実際に思いやりと信頼と行為の感情を抱くことが求められる」一方で、「売りさばいた商品の代価を取り立てるときは、労働者には、深い不快な顔と命令を下す鋭い声とが求められ」、その背後で「不信と、ときには積極的な悪意の感情」が要求されることを述べ、「いずれの身振りにおいても、適切な感情をどのように生み出し、それらを持続させていくかが、労働者にとっての課題となる」と語っています。
 著者は、「集金業では、業務遂行の場や行為者間の関係は、最も初期の段階で非人格化され、保護される」として、集金代理店の集金人たちが、本名の使用を禁じられていることを紹介しています。そして、「集金人も客室乗務員と同様に、感情規則を遵守する」として、集金人は、「その疑念をたやすく信頼の気持ちに置き換えてしまってはならず、相手が真実を語っているかどうかの目安になるサイン、つまり真相に通ずる小さな手がかりが重要となる」と述べています。また、集金人たちが、「高慢な態度を取り、相手よりも優位に立ち、やりたい放題に物事を進めることが許されている」として、客室乗務員にとっては招かれざる「苦情の手紙」が、多くの集金代理店では大いなる賞賛を勝ち取ることになると述べています。また、客室乗務員が、雇用時の審査によって仕事上要求される資質の存在が保証されるのに対し、集金人の場合は、「仕事になじめないものは早々に辞めていく」という「人の回転率の高さ」によって保障されるものであると解説しています。
 著者は、感情労働が求められる職業は、これらの両極端な霊の中間に多数存在し、
(1)対面あるいは声による顧客との接触が不可欠である。
(2)他人の中に何らかの感情変化(感謝の念や恐怖心など)を起こさせなければならない。
(3)研修や管理体制を通じて労働者の感情活動をある程度支配する。
という3つの特徴を備えていると述べています。そして、「感情の負担を伴う職業は、すべての社会階層に存在し、それは、仕事を遊びではなく、仕事たらしめている一条件であるとも言える」と語っています。
 また、感情労働者である大人が、子供という小さな感情労働者の育成にも寄与しがちであるとして、「労働者階級の親たちが、行動に課せられる規則への服従を子どもに教えるのに対し、中流階級の親たちは、感情に課せられる規則をより重んじるように、子どもを育てる」という研究を紹介し、「中流階級の母親が子どもを罰するのは、息子が暴れてたり物を壊したりしたことに対してよりも、癇癪を起こしたことに対してである可能性がはるかに大きい」と述べています。
 この他、第8章「ジェンダー、地位、感情」では、「人に接する能力を求める巨大組織の成長につれて、相手の地位を持ち上げるための女性らしい技術や、そのために必要な感情作業は公的なものとされ、標準化されるようになってきた」ことが、第9章「本来性の探求」では、「資本主義が、感情を商品に変え、私たちの感情を管理する能力を道具に変える」のではなく、「資本主義は感情管理の利用価値を見出し、そしれそれを有効に組織化し、それをさらに先へと推し進めた」ことなどが述べられています。
 本書は、働く人の多くが、「感情労働者」として組織的に仕事をしていることを、気づかせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読んで、「研修」とは、一般的な能力を向上させたり、知識を習得するばかりでなく、感情労働のために不可欠な技術である、自分の感情をコントロールする技術を習得するためのものであることを知りました。
 「感情をコントロールする」というと、なにやらヨーダの元で修行でもしているような感じですが、映像としての視覚効果バッチリな超能力ばかりでなく、感謝や同情などの感情をコントロールすることも「感情労働者」にとっては重要な武器であることがわかります。


■ どんな人にオススメ?

・自分は感情労働者だという自覚のある人。


■ 関連しそうな本

 ポリー・トインビー (著), 椋田 直子 (翻訳) 『ハードワーク~低賃金で働くということ』 2006年03月08日
 玄田 有史 『働く過剰 大人のための若者読本』 2006年06月26日
 小沢 牧子, 中島 浩籌 『心を商品化する社会―「心のケア」の危うさを問う』
 パム スミス (著), 武井 麻子, 前田 泰樹 (翻訳) 『感情労働としての看護』
 森 真一 『自己コントロールの檻―感情マネジメント社会の現実』
 武井 麻子 『感情と看護―人とのかかわりを職業とすることの意味』


■ 百夜百マンガ

男樹【男樹 】

 ヤクザの息子が主人公、というわかり易い本宮マンガ。何しろ30年近く前のマンガなので今読むとアレかもしれませんが、本宮作品のスタイルの原型の一つと言えるでしょう。

2007年1月 2日 (火)

ある広告人の告白

■ 書籍情報

ある広告人の告白   【ある広告人の告白】

  デイヴィッド・オグルヴィ (著), 山内 あゆ子 (翻訳)
  価格: ¥1890 (税込)
  海と月社(2006/6/15)

 本書は、1960年代の広告人にとって、「『毛沢東語録』にも匹敵する一冊」であった、国際的大手広告会社オグリヴィ&メイザー社の創業者が「売る広告」を作るための技術を語ったものを、著者の没後2004年に新版として改訂したものです。
 「本書の裏話」と題された新版のための前書きには、「私の遺言」として、「成功する広告を作るのは技術である。インスピレーションもまったくいらないとは言わないが、ほとんどは技術と努力にかかっている」ことをも「もっとも重要な教え」として挙げています。
 第1章「広告会社の経営手法」では、著者が、広告業界に入る以前に、パリのホテル・マジェスティックのコックであった経験をひきあいに、「広告会社を経営するということは、研究所や雑誌社、建築事務所、大レストランの厨房など、創造性を求められる他の組織を経営するのによく似ている」と述べ、当時の料理長ムッシュー・ピタールから受けた影響として、「週に77時間も働いたうえ、休みは2週間に一度だけだった」というその勤勉さを挙げています。さらに「優れたクリエイターに温厚で人当たりのよい人間は少ない。たいていは気難しいエゴイスト、今の企業社会では敬遠されるような人間だ」として、チャーチルを例に挙げています。
 第2章「クライアント獲得の秘訣」では、著者が創業時に、「使いたい広告会社」のリスト入りを果たすために、
(1)広告業界紙の記者たちを昼食会に招き、無手勝流で一から大会社を築こうとしているという突拍子もない夢を語った。
(2)スピーチを年に2回以下にした。
(3)大広告主とコンタクトのある人々(経営者や広報コンサルタント、経営工学の専門家、広告スペースのセールスマン)と親しくなるよう心がけた。
(4)ありとあらゆる立場の人々600人に、頻繁に業務進捗レポートを送り続けた。
などの手を尽くしたことが語られています。そして、クライアント獲得のため、「ほぼあらゆるケースに通用する戦略」として、「しゃべりはクライアント候補に任せる」ことを挙げ、「聞き役に回れば回るほど、"敵"にはあなたが賢く見える」と語っています。
 第3章「クライアントとの関係を持続させるには?」では、著者が、「常にクライアントの製品を使っている」として、
・シャツ:ハサウェイ
・ローソク立て:ステューベン
・車:ロールスロイス、そのガソリンタンクにはスーパーシェル
・スーツ:シアーズ・ローバック
・朝食:マックスウェル・ハウス・コーヒーかテトリー・ティー、ペパーリッジ・ファームのトースト
・洗顔:ダブ
・体臭予防:バン
・ライター:ジッポ
・飲み物:プエルトリコ・ラムかシュウェップス
・新聞と雑誌:インターナショナル・ペーパーの工場で生産された紙に印刷されたもの
・休暇:行き先はイギリスかプエルトリコ、アメックスで予約を入れ、KLMオランダ航空かP&Oオリエントライン汽船に乗る
を使っていると語り、「これらはこの地上で最高の製品でありサービスではないか。そう信じればこそ、私はこれらを宣伝しているのだ」と語っています。
 第4章「クライアントに贈る『15のルール』」では、
(3)広告会社に対して、徹底して自社の要点を与えること
(6)あまりに多くの段階を経ることで、広告を痛めつけないこと
等、15の要点を語っています。
 第5章「成功する『広告キャンペーン』とは?」では、
(9)家族に読ませたくないような広告は絶対に書くな
など、「必ず守らなければならない11の掟」を語っています。
 第6章「『強烈なコピー』作成法」では、「ヘッドラインには常に新しい情報を入れることを心がける」、「ボディ・コピーを書くときは、ディナーパーティで隣に座った女性に話しかけるように書くこと」など、効果的なコピーの書き方が語られています。
 第7章「人をひきつけるイラストレート法」では、「広告に女性を惹きつけたい場合、一番良いのは赤ちゃんの写真を使うこと」として、その写真が、「家族」の写真の2倍、女性の目をとらえるというリサーチ結果を紹介しています。
 第8章「視聴者の心を動かすTV・CMの条件」では、「タイテイノCMは、激流のように次から次へと言葉を浴びせかけて、視聴者を混乱に陥れている」として、「真に効果のあるCMは、ひとるか二つに絞り込んだポイントを、シンプルに伝えるものだ」と語っています。
 第9章「『食品』『観光地』『医薬品』キャンペーンのポイント」では、著者が、イギリス旅行休暇協会やプエルトリコ及び米国観光局の広告を請負った経験に基づき、(1)観光地の広告は、必ずその国のイメージに影響するので「良い」イメージを与えることが政治的に重要である。
(2)「その国にしかないもの」を宣伝すること。観光客は家の近所で見られるものを見にわざわざ何千キロも旅行したりはしない。
(3)受け手が決して「忘れないような」イメージを築き上げること。
(4)掲載するメディアは、遠いところまで旅行する余裕のある層が手にとるものにすること。
(5)文化の匂いやステータスを刺激して、受け手が旅行コストを正当化しやすくすること。
(6)広告する国を、「誰もが行く国」の地図に加えるような広告を作ること。
(7)人に遠くの場所を夢見させるには、具体的に「何をどうすれば良いか」という情報を与えるのが一番。
(8)顧客が外国に出かけるのは、お決まりのものを見るためだ。
の8点を挙げています。
 著者は、「イギリスへいらっしゃい」の広告で、「古臭いイメージを撒き散らして、イギリスの威信を傷つけた」とイギリスのマスコミ界から集中砲火を浴び、「活気があり福祉にも手厚い先進国というイギリスの『真実の姿』を伝えようとしないのか」と糾弾されたた経験を挙げ、「こうしたものは『政治的には』価値があるかも知れないが、キャンペーンの唯一の目的は観光客を惹きつけること」であり、「わざわざ海を渡って発電所を見に行こうなどというアメリカ人はいない。ウェストミンスター寺院が見たくて行くのだ」と語っています。
 また、外国旅行をする際に、「アメリカ人観光客はその国の人々の態度に影響されることが多い」ため、「イギリス人がどんなに『親切か』を述べ、できるだけ固定観念のマイナスイメージを正すよう努めた」ことを語っています。
 第11章「広告への批判に対する私の回答」では、広告は政治に用いられるべきではない、という自説を述べ、その理由として、
(1)政治家の売込みに広告を使うとは下品極まる。
(2)民主党員を宣伝するとすれば、我が社にいる共和党員には不公平だし、逆の場合も同じことだ。
の2点を挙げています。ただし、社員が個人としてボランティアで政治的義務を果たすことについては奨励していると語っています。
 本書は、出版以来40年余りを過ぎていますが、今なお色あせない、そして今だからこそ光る多くの教訓を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 今、さまざまな業界で、PRや広告が引っ張りだこです。政党は、選挙の勝敗を大きく左右する要因としていかに優秀なPR会社を起用するかにしのぎを削っていますし、全国の自治体が、自治体間競争時代、地域ブランドの名の下に宣伝合戦を繰り広げています。
 しかし、本書の著者が語っている、クライアント獲得の条件は、こうした宣伝合戦が、いかに中身のないものに堕しやすいかを教えてくれます。
・広告する製品は、我々が広告に携わることを誇りに思えるようなものでなければならない。心の中では軽蔑している製品を広告するという数少ない例もあるが、そういうときは必ず失敗している。
・長期間売上が落ち込んでいる商品には近づかないことにしている。そういう場合は必ずと言っていいほど、商品自体に本質的な欠点があるか、もしくは経営陣が無能なのだ。


■ どんな人にオススメ?

・誇りを持った広告をしたいと思っている人。


■ 関連しそうな本

 クロード・ホプキンス (著), 臼井 茂之, 小片 啓輔 (監修), 伊東 奈美子 (翻訳) 『広告でいちばん大切なこと』
 ロバート・B・チャルディーニ (著), 社会行動研究会 『影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか』 2006年02月16日
 榊 博文 『説得と影響―交渉のための社会心理学』 2006年02月23日
 矢島 尚 『好かれる方法 戦略的PRの発想』 2006年10月25日
 高木 徹 『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』 2006年11月27日
 井之上パブリックリレーションズ (著), 井之上 喬 (編集) 『入門 パブリックリレーションズ―双方向コミュニケーションを可能にする新広報戦略』 2006年12月13日


■ 百夜百マンガ

奈緒子【奈緒子 】

 今年も駅伝の季節になりました。今日は関東地方は崩れるらしいので箱根は雪になるのでしょうか。

2007年1月 1日 (月)

地図を作った人びと―古代から観測衛星最前線にいたる地図製作の歴史

■ 書籍情報

地図を作った人びと―古代から観測衛星最前線にいたる地図製作の歴史   【地図を作った人びと―古代から観測衛星最前線にいたる地図製作の歴史】

  ジョン・ノーブル ウィルフォード (著), 鈴木 主税 (翻訳)
  価格: ¥4095 (税込)
  河出書房新社改訂増補版版 (2001/01)

 本書は、
・どんな人々が、われわれのうちなる童心をとらえる地図を作るのかどうか?
・地図作りの技術と科学はどのようにして進歩したのだろう?
・誰が先駆者となって重要な役割を果たし、地図を人間の情報伝達の最も有用な形式のひとつに発展させたのだろうか?
という疑問に答え、「地球の地図がつくられるようになった経緯と、地球に最も近い惑星が図示されるに至った経緯」を示したものです。
 著者は、「初期の人類が立ち上がってアフリカの平原や海の彼方を見はるかし、理解できないものに接して感じた最初の脅威」である「いにしえの脅威」から、地図作りの技術と科学である「地図学」が生まれ、「地図によって、人びとは自分たちの位置と周囲の状況を説明しようとし」、「自分たちの知っている世界と想像することしかできない世界を表現」し、「知識を身につけ、さらに多くの知識を獲得する意欲をかきたてた」と述べています。
 第1章「地図という着想」では、「地球上の多くの異なった地域で、多くの人々がそれぞれ独自に地図を考え出した」として、
・マーシャル群島に住む人びとのスティック・チャート
・道路を足跡の線で示したメキシコの地図
・エスキモーによってセイウチの牙に彫られた海岸の正確な地図
・紀元前2世紀の中国の墓から発見された湖南省から南シナ海に至る正確かつ詳細な地図
・粘土板に刻まれた古代メソポタミアの世界地図
等を紹介し、「地図を作るという着想は大変重んじられ、至るところで見られ」るのは、「地図には根源的な何かがあり、それが人間の意思伝達の基本的な形態だから」であると述べています。
 第2章「地球を測量した図書館長」では、紀元前4世紀後半にアリストテレスが、「地球が球体であることは、われわれの感覚によって証明される」と述べ、星の動きや緯度による見え方の違い、遠ざかる船が船体から見えなくなること、月に落ちる地球の影が曲線を描いていることなどを理由としてあげていることを紹介しています。
 そして、紀元前3世紀に、図書館長を務めるエラトステネスが、「1年で最も昼間の長い6月21日の正午」にだけ、「その深い井戸の水面に太陽の光がじかにさしこむ」というシエネの井戸の話をヒントに、太陽と井戸と垂直の円柱を利用して地球の大きさを計算したことを紹介し、「原理としては今日でもなお利用されているこの測定法」によって、
(1)地球を測定し、図によって示す上で大きな貢献をした人々は、多くの才能の持ち主であり、地図作りは知識を追求するための一つの方法でしかなかった。
(2)まず天を仰がなければ地球上の自分たちの位置を知ることができない。
という「地図学にしっかりと根付くことになる2つの伝統を培った」と述べています。
 第3章「プトレマイオスの基本原理」では、地動説を否定したことで知られているプトレマイオスの重要な著作『地理学』における「二重の誤り」、すなわち、
(1)地球の大きさを小さくとりすぎたこと
(2)アジアをあまりにも東へ延ばしすぎたこと
によって、「のちにコロンブスのように大胆な人々が危険を冒して未知の海へ乗り出す結果」となったことが述べられています。一方で、プトレマイオスが、科学的な地図作りのポイントとして、「地図学者の仕事は、『全体を正しい比例で測定すること』である」と述べたこと等を挙げ、「往々にして信頼できる情報の不足が原因だった」誤りは多かったとしても、「学識にもとづく彼の地図は、古代地図額の最高の業績だったし、誤りなども含めて、ずっと後世の地図学者や探検家にとっては非常に重要な遺産であった」と述べています。
 第4章「神話とドグマの世界」では、ヨーロッパ中世に作られた地図を、「地図というより聖書の絵解きであり、現実というよりも象徴であった」と評し、12世紀には、ヨーロッパに、「アジアのどこかに君臨しているキリスト教の君主」であり、「想像もつかないほどの富と権力を持っている」と伝えられた「プレスター・ジョン」の伝説のために、「教皇は使節を派遣し、王たちは大使を送った」ことについて、「それらの話はすっかり信用されたので、プレスター・ジョンの王国を探索することが人々をアジアへの冒険旅行にかりたてる主要な動機となって、それが一世紀あまりにわたって続いたと言っても過言ではないのである」というキンブルの言葉を紹介しています。
 また、中世の地図の最も一般的な形は、「T-O図」と呼ばれ、「陸地全体の周りを大海――O――がかこんでいる。Oの内側にある既知の3つの大陸は、内部に描かれた水によって分けられているが、それは図式的にきちんとしたT字型をしていることが多い」という形をとり、「キリスト教徒の地図製作者はやすやすとエルサレムを地図の中心の目立つところに置くことができた」と述べられています。
 第5章「1492年」では、ルネサンスと大航海時代に関して、
(1)地図及び地図製作者は、大航海時代にたいし、とりわけクリストファー・コロンブスにたいしてどんな影響を及ぼしたか。
(2)逆に大航海時代は、地図製作者と地図にどんな影響を与えたか。
の2つの問題について論じています。
 また、コロンブスが「インディアス事業」についての計画を思いついたきっかけをノルウェー人の探検が与えた可能性に関して、1957年に発見され、「どんな地図にもまして学会を興奮させ、一般人をも刺激した」、「ヴィンランド図」に関して、「本物だとすれば、ヴィンランド図はコロンブス以前の時代にノルウェー人がアメリカを発見したことを意味しており、またグリーンランドを島として描いた唯一の地図ともなる」と述べています。
 そして、「いまや探検と地図学がむすび」つき、「地図製作はもはや瞑想の仕事とはなりえず、心の狭い人の手に負えるものではなくなった」と述べています。
 第6章「円を四角に――メルカトル」では、「メルカトルがその挑戦に応えて製作した地図と地球儀は、可能な限り最新の知識を取り入れ、新しい陸地が発見されるとそれを忠実に表して、中世の誤りのほとんど全てを払拭した」ものであったと述べた上で、「地図製作者の任務」を、「その地図の使用者を想定し、その使用者が重視する特質に関してまったく歪みがないか、あるいはそれを最小にするような地図を設計すること」にあるとし、「これを達成するために、地図製作者は数ある投影法のなかで最適のものを選択しなければならない」と述べています。著者は、メルカトルを、「大航海時代の初期にはじまった地図製作の革命を仕上げるうえで、他の誰よりも大きく貢献している」と評し、「哲学的な絵と着ないし粗雑な略図に過ぎなかった地図を、より役に立つ道具に変えることによって、メルカトルは地図学を近代的かつより科学的な時代に進ませる道を開いた」と述べています。
 第7章「一度の長さの問題」では、17世紀~18世紀にかけ、「測量は測地学と地図学で前にもまして重要な役割を果たす」ようになり、「より正確な測定機械の発明と数学を利用した新しい技術により、測量は広い範囲に適用できる正確な技術となった」として、
・平板:地図づくりに際して角度を計測し記録するための最初の道具
・三角測量:三角形の一辺と二角が既知であれば後の数値も決定される、という幾何学の単純な原理に基づく
・角度測定のための器具:八分儀、六分儀、経緯儀
・距離測定のための器具:走行距離計(オドメーター)、輪転距離測定器、「測量者の鎖(ケ-ヴェイヤーズ・チェーン)」
・水準測量のための器具:水準儀による直接水準測量、三角水準測量及び気圧測高による間接水準測量
等の測量の器械並びに技術が開発されたことが述べられています。
 第8章「フランスの地図をつくった一族」では、1669年にルイ14世の王立科学学士院に招聘されたカッシニが、ルイ14世の財政総監を務めるコルベールからフランスの地図づくりを任されたことが述べられています。「道路や運河の整備を進め、経済の活性化を図るために多くの計画を立案し、国王の権力を絶大なものとし、その統治をゆるぎないものにしようとしていた」コルベールにとって、「地図がまったくないか、あったとしても不完全かつ不正確なものしかない」ことは不満であり、フランスの地図製作者たちが、「現場に出かけて観察や実測をすることはほとんど」なく、「いつになったら象牙の塔や印刷所から外に出るつもりなのだろうか? 飾り立てた地図から測量にもとづいた実用的な地図に、いつ重点を移すつもりなのだろうか?」ということに号を煮やし、「科学の道具を正しく使っての測量や測地をもととして、人工及び自然の地形を表すもの」である地形図を望んでいたことが述べられています。
 カッシニは、「自分が最も得意とし、かつ打ち込んでいた仕事」であった、「木星とその衛星の研究」によって、「地図づくりで最も困難な問題の一つ――地上のある地点の経度を知ること――の解決を求め」ます。カッシニは、「ヨーロッパ中の天文学者に手紙を出して、木星の衛星を使って経度を決定する方法を伝授」し、「これらの新しいデータのために、ヨーロッパのすべての地図が時代遅れ」になってしまいます。「いよいよ、最新の情報を取り入れてヨーロッパと世界の地図をつくるべきときがきた」と考えたカッシニは、天文台の西の塔の3階に直径10メートルの丸い地図を書き、ここにヨーロッパの何百という都市や町を描き込んだマスター・マップである「平面地球図(プラニスフエール・テレストル)」と名づけます。そして、1969年には、この情報を紙に移した世界地図を刊行しています。
 第9章「ジョン・ハリソンの航海用時計」では、1714年、「国王陛下の船の船長と、ロンドンの貿易商人と、商船の船長」の有志から、「当時の航海上の最もさしせまった問題について何らかの手を打ってほしい」との請願が議会に提出され、議会は、「経度測定法を発見した個人または団体」に賞金を出すことを決め、「経度誤差1度以内は1万ポンド、40分以内は1万50000ポンド、30分以内は2万ポンド」と定められ、「科学者と海軍の交換からなる常設の委員会」である「経度委員会」が設置されたことが述べられています。ヨークシャーに住む独学の時計師ハリソンは、「たいへん几帳面で完全主義者」であったため、7年の歳月をかけて「第1号」を作成します。この時計は海上のテストを経て、改良を積み重ね、1761には「第4号」が海上テストにこぎつけます。「それは大きな懐中時計のような外観で、直径は約12センチ、宝石軸受がついており、技術の粋をこらし何年もかけてつくった時計」であり、ハリソンは、「50年に及ぶ自己犠牲と、不断の労苦、たゆみない努力」がこめられ、「あえて言わせてもらうが、世界中の機械や数学を応用したものの中で、私のこの時計、いや経度の計時器ほど美しく好奇心をそそる構造のものはないだろう」と水から記しています。「第4号」は5ヶ月にわたる航海によるテストにおいて、激しい嵐による衝撃と圧力という試練を受けたにもかかわらず、経度誤差は全体で28分5秒であり、時計は誤差30分以内という条件を満たし、賞金を手にする資格ができたかのように見えました。しかし、委員会は「時計の構造検査とより厳しい再度の海上テスト」という難癖をつけ、賞金を払おうとしません。その動機は、「委員たちは科学の権威で学識もあり、いずれも名門の出だったので、ヨークシャーに住む時計師で貧しい大工の息子が経度問題を解決したのをあっさり認める気に」ならず、さらに、月による方法を主張するマスケリンからの圧力を受けていたことが述べられています。ハリソンは、「既存体制と戦う上ではおおよそ助けになるとは考えにくい人物」、すなわちジョージ3世にすがり、このことが、「事件全体をおとぎ話のように大団円でしめくくるお膳立て」を整えます。科学技術に通じたジョージ3世は、ハリソンの話を聞くや怒りを露わにし、「何たることか。ハリソン、お前が正しいと思う」と宣言し、ハリソンに「第5号」を作らせ、ジョージ3世自らがテストし、このことを知った議会はハリソンに2万ポンド満額の賞金を与えています。
 第10章「海上と陸上の測量者たち」では、太平洋の発見に重大な影響を及ぼした2つの考え、すなわち、
(1)「未知の南方大陸(テラ・アウストラリス・インコグニタ)」
(2)ヨーロッパから北アメリカを経由してアジアに至る北西航路
の2つを紹介しています。
 そして、3回にわたる太平洋への歴史的航海によって、タヒチからニュージーランド、オーストラリア東岸、南極圏、北アメリカのオレゴンからアラスカまでを明らかにしたクックについては、「太平洋の近代的な地図が彼の墓碑銘だ」と言われてきていることを述べています。
 第11章「兵士と教師、そしてインドの測量」では、インド測量の基礎を作り、「地図に空白があるのは目障りなのだ」と言われたレンネルについて、その当時、「測量の仕事を命じられるのは死刑の宣告にも等しかった」ことであり、「彼はジャングルで熱病に苦しみ、乾燥地の藪では毒蛇に、高く伸びたエレファント・グラスをかき分けていて虎に襲われた。また、低く垂れた枝から、一頭の豹がとびかかってきて5人の兵士を鋭い爪にかけたことがあったが、レンネルは筋肉質の痩身を翻して銃剣をつかむと、牙をむいてうなる豹の口を突き刺した」ことが述べられています。
 また、チベット人に「チョモランマ(世界の母なる神)」と呼ばれていたピークXVについて、「アジアの人々にすでに知られ、崇敬されている山に、新しくヨーロッパ風の名前をつけるのは傲慢だという原則」から、測量者が「新しく地図に載せる山を、いずれも名前ではなく番号で識別する慣例」を守っていたが、ピークXVだけは例外であり、測両者エヴェレストの名が冠せられたことが述べられています。
 さらに、インド北部のチベット国境の測量の障壁となったのは、嶮岨な山以上に、伝統的な鎖国政策であり、「ムガール人、ヒンドスタン人、パターン人、フェリンギ人(欧亜混血人)にしてチベットに入る者は死刑に処す」という中国の皇帝の命令であったことが述べられています。そして、ヒマラヤ越え作戦のために選ばれた「情報作業員」の中で、最初のパンディット(ヒンズー教の教師)探検家として最も偉大な功績を挙げたナイン・シンについて、21ヶ月に及ぶ仕事によって、「ネパールからラサに至る2000キロの交易ルートを測量し、31地点の緯度を定め、33箇所の標高を測定した。そして、チベットの首都の生き生きとした描写と、地図に載せるために初めてかなり正確に測量したその位置を土産に帰還した」と述べ、王立地理学会から「われわれの時代に他の誰よりも多くの確かな情報をアジアの地図に加えた人物」として金メダルを送られたことを紹介しています。
 著者は、パンディット探険家の中でさらに信じがたい例として、キントゥップの辛苦を、彼の手紙とともに紹介しています。
「拝啓、一緒に派遣されたラマ僧は私をジョングペン(村長)に奴隷として売り、託されていた官給品をもって逃げました。そのため、この旅は散々なものとなりました。しかし、私ことキントゥップはハーマン隊長の命令に従い、500本の丸太を用意しました。そして、チベット暦でチュールクと呼ばれる10番目の月の5日から15日までペマケのビープングから1日に50本ずつツアンポー川に投げ入れます」
 ツアンポー川がヒマラヤを横断してブラマプートラ川となることを証明するため、キントゥップはこの約束を実行しましたが、「ラマとキントゥップは行方不明になったと考えられ」ていたために、ブラマプートラ川の見張りはとうの昔に放棄されていたことが述べられています。
 第12章「アメリカの地図――境界線を引いた人々」では、ハッチンスによって先鞭がつけられ、次の数世代に広く行われた方形測量の影響について、「土地そのものに押された刻印」が最も目に付くと述べ、「幾何学が自然地理学を制覇した驚くべき実例」として、ユタ、コロラド、ニューメキシコ、アリゾナの4州が1点に集まる「フォー・コーナーズ」のような境界をこのように多く持つところは、「地球上のどこを探してもほかにない」と述べています。
 第13章「アメリカの地図――西に向かう地形学者たち」では、当時のアメリカに、「西へ行けば富と豊かな生活が待ち受けている」という伝説があったことについて、ケンタッキーが、「ミルクと蜜にあふれた約束の地、小川の流れに富んだ地……そしてあらゆる果実が豊かに実る地」と書かれていたことが紹介されています。
 第14章「メートル、子午線、新しい世界地図」では、1875年にメートル条約が締結されたことについて、「この度量法上の基準が最初に実用化されたのは18世紀末の数年間であり、革命家のフランスであった」理由を、「当時、フランスほど度量衡の改正を必要としていた国はほかにほとんどなかった」と述べ、「地方によってしばしば基準が異なり、度量衡の伝達に大きな混乱をきたしていた」ことが述べられています。
 そして、1913年にパリで開かれた国際図会議で100万分の1国際図の一連の基準が設けられるに当たり、「フランスはパリに代わってグリニッジを本初子午線とすることに同意し、イギリスは距離や海抜高度を表す公的体系としてメートル法を受け入れ」るという妥協によって解決されたことが述べられています。
 第15章「翼をもった地図製作者たち」では、「20世紀に生まれ、最初にして最も広範にわたる影響を及ぼした」新技術として、航空写真技術の発展を紹介しています。
 第16章「アマゾンをおおうレーダー」では、1970年代にブラジルがアマゾン川流域を横断する幹線道路建設に着手し、建設が始まった当初は、この道路の正確な地図は作られておらず、航空測量も雲のために範囲が限られ、思いもよらぬところで川にぶつかって立ち往生させられたことが述べられ、ブラジル人が、速報監視レーダーが地図製作に利用できることを知ったことが述べられています。
 第17章「地下に広がる地平線――層準」では、現在の地表下の地図づくりにおいて、「掘削したり穴を開けたりせずに地下の様子を観察する地球物理学的な方法」として、
(1)重力探査法:ある特定の場所での重力のわずかな変化を測定することによって、地表下の地質の性質や構造をある程度まで推定することができる。
(2)時期探査法:原子物理学の応用に依拠し、初期のものは小さな爆弾のようなプラスチック製の容器に入っていたため、爆弾とまちがえられた。(p.373には「爆弾上」とあるが「爆弾状」の誤りと思われる)
(3)地震探査法:地表で小規模な爆発を起こしたり、圧縮空気や新藤装置を用いて音波を発生させ、音波を反射する層準(ホライズン)を検出する。
の3つの方法について解説しています。
 第18章「氷の下の大陸」では、電波測深調査によって、氷河の下が広範囲に調査され、7番目の大陸の未知の地形が徐々に明らかになりつつあることが述べられています。
 第19章「海底の山脈」では、世界最大の山脈や、最も広大で深い峡谷が陸上ではなく、地球の表面の4分の3を占める海底にあり、「見ることができず、到達することもできない場所を、どうすれば地図にすることができるのか?」という疑問こそが地図学に投げかけられた最も大きな難題のひとつであったことが述べられています。そして、「陸上の地形図と海底の地形図の作成法には、根本的な違いがある陸上の地形図で重要なことは、より詳細な地図から新たな地図に書くべき地形をどう選択するかということである。(中略)一方、海底地形図をつくる場合には、作成者は断面図をもとに起伏のパターンと方向を仮定し、そこから解釈したものを地図に書かなければならない」というヒーゼン、サープ、ユーイングの言葉を紹介しています。
 第21章「新しい地理学への地図」では、コンピュータ導入によって、「目的や対象を限定したつくられた」主題図と言われる地図の一部門に変化が起こり始めたことが述べられ、現在の主題地図作成のコンピュータ化を支える情報システムとして、
(1)地図作成データ・ベース
(2)統計データ・ベース
の2つを挙げています。
 この他、本書では、衛星写真を使った地図作成や、月面や火星の地図の作成など、地球外にまで拡大した地図作成者の活躍を紹介しています。
 本書は、地図マニアはもちろん、旅行好きな人が、まだ見ぬ地に思いをはせるときにも思い出してほしい一冊です。


■ 個人的な視点から

 第9章で、船乗りたちが、「測程線として知られるかなり原始的な方法」により船の速度を見積もった様子を、「長い紐に錘を埋めた木片――しばしば丸太(ログ)の切れ端が使われた――をつけたもの」を船尾から投げ込み、砂時計で時間を計り、その間に繰り出された紐の長さによって船の時速を算出する、というものであったと述べられています。
 このことから、船の航海日誌は「ログ」と呼ばれるようになり、この言葉は、現在では広く日誌の意味で使われ、コンピュータでもログという言葉が使われるようになっています。「blog」(web-log)という言葉も、ここからきていることを考えると、私たちは「ネットサーフィン」をしている間に、「丸太」を置いて回っているのかもしれません。
 ちなみに、この紐の途中には一定の長さごとに結び玉(ノット)が作られ、ここから、「1時間辺り何海里進むか」を表す「ノット」という船乗り用語が生まれています。


■ どんな人にオススメ?

・カーナビを素朴にスゴイと思える人。


■ 関連しそうな本

 マーク モンモニア (著), 渡辺 潤 (翻訳) 『地図は嘘つきである』
 今尾 恵介 『地図を楽しむなるほど事典』
 堀 淳一 『歴史廃墟を歩く旅と地図―水路・古道・産業遺跡・廃線路』
 今尾 恵介 『住所と地名の大研究』 2006年7月6日
 今尾 恵介 『日本地図のたのしみ』
 秋庭 俊 『帝都東京・隠された地下網の秘密』 2006年10月4日


■ 百夜百音

I LOVE PARTY PEOPLE【I LOVE PARTY PEOPLE】 DJ OZMA オリジナル盤発売: 2006

 紅白のコスチュームで話題をさらった人ですが、立ち位置を模索している必死さは、一時期の電気グルーヴのメンバーを見ているようです。


『MATCHY TRIBUTE』MATCHY TRIBUTE

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