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2007年2月

2007年2月28日 (水)

「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た

■ 書籍情報

「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た   【「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た】

  村上 宣寛
  価格: ¥1575 (税込)
  日経BP社(2005/3/30)

 本書は、「世間で広く使われている心理テストはまったく当てにならないし、根拠もない」ことを、血液型人間学、ロールシャッハ・テスト、YGテスト、内田クレペリン検査などの実例について証拠を挙げ、解説しているものです。著者は、心理学者として、「よく当たる心理テストをつくるのは、非常に難しい」とし、「心理学ではなく心理測定の専門知識が必要」であることを挙げています。
 第1章「なぜかみんなの好きなABO」では、血液型人間学に、
・集中力は目的の有無によってムラがある。
・現実的な面とロマンチックな面を持っている。
・思い出を大切にする。
など、誰にでも当てはまる表現が多数含まれていることを指摘し、性格テストではこれらの質問は真っ先に削除の対象になると述べています。さらに、血液型人間学の歴史を辿り、そのルーツが、1929年に発表された教育学者の古川竹二の「血液型による気質の研究」にあることを挙げ、その学説をまとめた『血液型と気質』の内容は、「血液型の比率を目分量で判断したもの」にすぎず、「これでも学者かと疑う」レベルのものであることを述べています。そして、この古川学説を焼き直して大衆書を執筆したのが『血液型エッセンス』の著者である能見正比古であり、その統計理解がお粗末なものであること、元となったデータは、『血液型でわかる相性』の読者アンケートであり、「血液型人間学に興味を持ち、知識を吸収し、共感を覚えた人達だけが返送」した、最初から大きなバイアスが入ったものであることを指摘しています。
 著者は、これらの血液型人間学が根拠のないものであることを知っているはずのマスコミが、視聴率稼ぎのために芸能人の血液型を取り上げる特集をし、さらには企業では、ミサワホームエンジニアリングが、営業関係はB型、経理関係や現場管理者にはA型、等のように、「本人の適性を考慮せず、血液型で人事をやる会社」であり、「とんでもない人権侵害が平然と行われていた」ことを指摘しています。また、茨城県警や北海道県警などの警察でも人身事故の当事者の血液型や星座ごとの分析結果をホームページに掲載している例を挙げています。
 第2章「万能心理テスト」では、「誰もが『当たっている!』と感じる質問」として、
(1)あなたには人に好かれ、尊敬されたいという強い欲求があります。
(2)あなたは自分自身を批判する傾向があります。
(3)あなたには使われていない潜在能力がたくさんあります。
などの、新聞や雑誌の占星術の本から抜き出した13の文章を大学生に配布し、どの程度当てはまっているかを答えさせ、ほとんどの学生が当てはまると答えた例を紹介しています。著者は、これを「誰にでも当てはまるような一般的な性格記述を、自分だけに当てはまるとみなしてしまう現象」である「バーナム効果」と解説しています(バーナムは、19世紀のアメリカの興行師で、人を騙す名人)。
 第3章「インクのシミで心を占う」では、1984年の日本心理臨床学会のシンポジウムで行った「めくら分析」(ロールシャッハ研究)の例を紹介しています。これは、「あらかじめ、話題提供者に事例のロールシャッハ・プロトコルを送り、各自の意見をごく簡単なメモにまとめ、相互間にメモを交換しておき、それ以外は予備的な情報交換をせずに、直接シンポジウムで話題提供していただきそれをもとに討論を展開させる」というもので、ロールシャッハの専門家としてあがめられてきた3名の著名な心理臨床家が参加していますが、その分析結果はどれも大ハズレであったことが紹介されています。著者は、ロールシャッハ・テストは「正常者と精神障害者が弁別できないテスト」であったにもかかわらず、もともと、検査される人が精神的な問題を抱えていることが多く、神経症や精神病という診断を下せば当たる確率は高かったため、臨床現場で使われてきたことを指摘しています。
 第4章「定評ある性格テストは大丈夫か」では、YG検査として知られる「谷田部ギルフォード性格検査」が、ギルファドの性格検査から質問項目を抜粋したものであり、半世紀前から項目が放置された、1940年代の理論の産物、「生きた化石」であることが指摘されています。
 第5章「採用試験で多用される客観心理テスト」では、教員採用試験などで用いられる内田クレペリン検査(一桁の数字を連続的に加算させて、その作業結果から性格を見ようとする検査))が取り上げられ、この検査が、1940年代に国鉄で運転者の適性検査として採用されたことをきっかけに、産業界、教育界などで使われるようになったことが述べられています。また、検査を開発した内田勇三郎が、本は読まない、論文も書かない、という"研究生活"を送る在野の研究者であったため、精神的疲労により瞬間的に実行が止まってしまう「ブロッキング現象」を情緒不安定の証拠と介錯してしまうことを指摘し、「内田クレペリン検査という世界でもユニークな心理検査は、無知という土台の上に組み立てられた砂上の楼閣である」と酷評しています。
 本書は、就職活動などで心理テストを受ける機会の多い学生はもちろん、心理テストを実施する側の企業や官公庁の人事担当者にはぜひ一読して欲しい一冊です。


■ 個人的な視点から

 内田クレペリン検査は、ずいぶん受けたような気がしますが、本書を読んでしまうとなんの役に立つのかと不安になります。作業能力のチェックはできるようですが。
 世の中には、心理テストや占いが大好きという人がたくさんいます。個人で楽しむ分には害はないのかもしれませんが、人事や採用に用いられているものの根拠が怪しくなるのはどうかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「占い」ではなく、もっともらしく「心理テスト」と言われると信じてしまいがちな人。


■ 関連しそうな本

 谷岡 一郎 『「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ』 2005年12月13日
 ゲルト ギーゲレンツァー (著), 吉田 利子 (翻訳) 『数字に弱いあなたの驚くほど危険な生活―病院や裁判で統計にだまされないために』 2006年01月14日
 A・K・デュードニー (著), 田中 利幸 『眠れぬ夜のグーゴル』 2005年12月25日
 ジョエル ベスト (著), 林 大 (翻訳) 『統計はこうしてウソをつく―だまされないための統計学入門』 2006年1月8日
 パオロ・マッツァリーノ 『反社会学講座』 2006年03月11日
 ローレン スレイター 『心は実験できるか―20世紀心理学実験物語』 2006年09月16日


■ 百夜百マンガ

ウッシーとの日々【ウッシーとの日々 】

 「北海道ライフ」ものの作品ではありますが、酪農生活を描いた作品ではなく、牛みたいな模様の愛犬「ウッシー」との生活を描いたものです。

2007年2月27日 (火)

家計からみる日本経済

■ 書籍情報

家計からみる日本経済   【家計からみる日本経済】

  橘木 俊詔
  価格: ¥735 (税込)
  岩波書店(2004/01)

 本書は、
・なぜ日本国民は不安を感じるようになったのか。
・日本の経済成長の果実によって家計が豊かになったというのは本当か。
・経済の家計が抱える問題は何か。
という問いに答えることによって、「国民の経済行動の最小単位」である家計を通して日本経済を議論することを目的としているものです。
 第1章「行き先を見失った日本経済」では、「わが国ではもう経済成長だけを求める時代は終焉した」という著者の主張が述べられ、その理由として、
(1)日本人の所得水準が高くなったので、これ以上の生活水準を求めなくてもよい。
(2)これ以上の労働時間の長さを求めるのではなく、ゆとりのある生活を送ることの価値に目覚めてもよいのではないか。
(3)貧困に悩んでいる発展途上国に、経済成長の可能性を追求する余地を与えるために、先進国は一歩後退するか、足踏みをしてもよいのではないか。
(4)節度のある天然資源の利用に励むことが大切。
(5)高い経済成長は世界の環境破壊にも悪影響がある。
の5点を挙げています。
 第2章「家計から見た戦後の日本経済」では、バブル崩壊後の不況が続く理由として消費の不振を挙げ、その理由として、
(1)ラチェット効果(所得が低下してもそれほど消費は下降しない性質)が弱くなった。
(2)社会保障制度が不安定になり、将来への不確実性が高まった。
(3)国民の多くに熱狂的に購買を促すような新商品に乏しい。
を挙げています。
 また、女性労働に関して、戦前の日本の主要産業である農業と零細の商工業では、既婚女性が労働力として期待される程度が高く、「戦前の日本では既婚女性が労働している場合が圧倒的に多く、専業主婦は一部の経済的に余裕のある家庭に限られていた」ことが述べられています。そして、高度成長期前後には、女性の「夢」であった専業主婦、すなわち、「家庭に入って家事と育児に専念し、少なくとも賃労働をせず、あるいは家族労働者として働かない女性」という願望を満たすには、
(1)夫の所得だけで家族が暮らしていくことができ、自分が働く必要がない。
(2)農業や商業に従事したり、工場で働くことは過酷なので避けたい。
(3)家事や育児に十分時間を取りたい。
(4)郊外の庭付き一戸建て、それが無理なら団地の一角に一家で住みたい。
等の希望や条件が満たされて初めて可能になるものであり、ほとんどの家計では、妻が労働することは避けられず、専業主婦になる経済的な余裕はなかったことが述べられています。
 第3章「豊かさを実感しない家計の存在」では、高度成長期を支えた長時間労働に関して、最長の1960年には、年間2484時間労働していたことを挙げ、統計に表れた数字の他に、「わが国の悪しき伝統である『サービス残業』が当時から相当あった」ことを考慮すると、「超長時間労働であったことは間違いない」と述べ、その要因を、
(1)家計が豊かではなく、1時間あたりの賃金率も低かった。
(2)国民全体に経済復興と経済成長への必要間と期待が高く、社会全体に怠惰を許さない圧力があった。
(3)技術進歩の水準が低く、長時間労働に頼ることによって生産量を高めなければならなかった。
の3点挙げています。そして、1990年代の大不況期には総労働投入量は減少傾向を示したものの、「30代から40代前半の男性を中心にして、過酷な残業労働が発生し」、しかも「大企業で働く人たちに顕著に見られる」という二極化現象を呈していることを指摘しています。
 第4章「家計の経済危機」では、若年者と中高年の失業問題のうち、若年者については、「親はもう少し自分の子供を突き放すくらいの覚悟がほしい」と述べる一方、中公認については、(1)全国の大都会のホームレスのほとんどが40代と50代の中年男性で占められていること、(2)リストラや経営失敗に遭遇した中高年男性の自殺が急上昇していること、の2点を指摘しています。また、税による再分配効果が弱体化した理由として、
(1)高所得階層から税金を多く取ると勤労意欲や貯蓄意欲にマイナスになり、経済効率にも悪影響があるとの主張。
(2)1980年代のイギリス、アメリカのサプライ・サイド経済政策。
(3)1980年代の好調な経済を背景に減税政策を採用するだけの余裕があった。
(4)わが国の所得分配は平等であると信じられていたので、高所得者層の減税政策は所得分配への影響が小さいだろうと判断されていた可能性。
を挙げています。
 さらに、一部の労働者が過酷に働いている理由として、
(1)新規採用を控え、中高年層を退職させたことにより企業において労働者の数が減少した。
(2)30~44歳の男性は企業の中核社員として生産性も高く、企業としてのメリットが高い。
(3)本人の勤労意欲も高く、家庭のために高い賃金への希望が高いので、長時間労働を拒否しない傾向がある。
の3点を挙げています。
 世代間格差・不公平の問題に関しては、公的年金制度を例に、
・引退世代が過少な拠出に対し多額の年金給付を受けていること。
・将来世代の給付を低くすべきか。
などについて論じ、
(1)人間社会には歴史的に、世代間の不公平の存在は避けられない冷酷さがある。
(2)不確実性の伴う経済社会にあっては、世代間の不公平が生じるのは避けられない。
の2つの理由から、「公的年金の世代間損得論議や、世代間不公平論議にばかり関心が集中するのは得策ではない」と述べています。
 第5章「社会保障制度改革と家計の対応策」では、公的年金制度について、社会保険方式よりも税方式が望ましいとして、
(1)徴収コストの節約
(2)税による高い徴収能力
(3)世代間の損得論議を顕在化させない
(4)社会保障給付への国民の不安を払拭できる
(5)将来の経済成長への貢献度がより高い
の5つの理由を挙げています。
 また、介護保険の制度改革として、
(1)介護保険制度と医療保険制度(特に高齢者保険制度)の統合
(2)介護保険の税源を100%税収に変換
の2つの提言を行っています。
 本書は、家計というミクロ的な視点から、日本の労働政策や社会保障制度をわかりやすく論じた一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 家計の問題を論じる中で、もっとも身近に感じるのは、世代間の対立ではないかと思います。本書では、雇用政策に関しては、中高年の雇用を守るために若年者の採用が抑制されている点、社会保障に関しては、賦課方式による年金の負担と給付の不公平などが取り上げられています。政府全体の議論ではピンときませんが、やはり、自分の財布の問題となると真剣になりますね。


■ どんな人にオススメ?

・日本経済を実感できるレベルから捉えてみたい人。


■ 関連しそうな本

 橘木 俊詔, 斎藤 貴男, 苅谷 剛彦, 佐藤 俊樹 『封印される不平等』 2006年02月10日
 苅谷 剛彦, 石田 浩, 菅山 真次 (編集) 『学校・職安と労働市場―戦後新規学卒市場の制度化過程』 2006年03月03日
 橘木 俊詔 『日本の経済格差―所得と資産から考える』 2006年02月10日
 苅谷 剛彦 『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』 2006年02月14日
 橘木 俊詔 『現代女性の労働・結婚・子育て―少子化時代の女性活用政策』 2006年08月18日
 橘木 俊詔, 森 剛志 『日本のお金持ち研究』 2006年06月13日


■ 百夜百マンガ

おそるべしっっ!!!音無可憐さん【おそるべしっっ!!!音無可憐さん 】

 大ゴマを使った「動き」が中心の少年マンガ系の作品に比べて(「リンかけ」の実写化なんて目眩がしそうです)少女マンガはドラマ化しやすいのかもしれません。テレビ画面は大きさ変わりませんからね。

2007年2月26日 (月)

現代日本官僚制の成立―戦後占領期における行政制度の再編成

■ 書籍情報

現代日本官僚制の成立―戦後占領期における行政制度の再編成   【現代日本官僚制の成立―戦後占領期における行政制度の再編成】

  岡田 彰
  価格: ¥5250 (税込)
  法政大学出版局(1994/12)

 本書は、「占領政策と日本官僚制」というタイトルで専門誌に連載されていたものをまとめたもので、「間接統治のもと、占領下の諸改革の中で、『遅れてやってきた改革』ないしは『遅らせられた改革』ともいうべき日本官僚制改革について、日米の一次資料をもとに占領者と日本官僚制の両者の相互作用、すなわち両者の対抗・連携と、改革課題そのものの棚上げないしは見送りという妥協の経緯をたどりながら改革の枠組みと限界、そして現代行政へ積み残された課題をその淵源にさかのぼって検証しようとしたもの」です。
 第1部「新憲法と行政制度の再編」では、「法制局と人事院、それに行政管理庁との過渡期の組織」である「行政調査部」の設置や国家公務員法の制定経緯などが論じられています。
 序章「占領と官僚」では、行政調査部が、
(1)行政機構と公務員制度の根本的改革という新憲法体制に即応したわが国の行政機構の再編問題とそのための基本的な法政整備を進めること。
(2)こうした立案・管理を行う機構そのもののあり方の問題。
という表裏一体の2つの問題を抱えていたことが述べられています。
 第1章「行政調査部の設置とフーバー顧問団の編制」では、「旧体制の主要な政治勢力であった軍人および財閥については、直ちに解体の方針が明示され実施に移され」たのに対し、「これと並ぶ堅固な政治勢力であった官僚制改革については、フーバー顧問団の来日が占領開始から一年余り経過した1946年11月30日であることに象徴されるように、占領当初から『官僚制改革』が予定されていたわけではなかった」ことが述べられています。そして、この「官僚制改革」を提案したのが、GHQ民政局のM・エスマン中尉であり、「GHQの圧力と指導なしにはその改革を期待することはできない」とコメントし、「日本側にこの問題に対する『自主的改革』への可能性がないこと」を指摘していることが述べられています。
 また、エスマンからの求めに応じて蝋山政道教授から提出された「官吏制度改革」のメモには、
○制度上の問題
(1)管理制度における封建制(feudalistic system)の廃止
(2)官吏のパブリック・リレーションの改善
(3)官公吏とその他の職員との間の不当な差別の撤廃
○人事上の問題
(1)多様な公共サービスを調整する人事管理機関の欠如
(2)科学的職階制度(scientific classification)採用の必要性
(3)試験、任用制度の再編
(4)職場研修制度の確立
(5)新しい試験制度と連関した大学教育の改善と再編
のような項目に整理されていたことが紹介されています。
 さらに、1946年4月25日付の民政局長から参謀長宛の「日本の封建的管理制度の根本的全面的改革」と題するメモが、「全体主義国家の大黒柱としての日本の官僚制には、公共サービスあるいは社会的責務の概念が発達しなかったこと、高級官僚は形式的で狭隘な法律至上主義で、行政管理や職能上の責務に対して無知・無関心であり、技術系管理が冷遇されていること、しかも、中央人事機関や職階制を欠き、厳格な身分制秩序や複雑・不公平な俸給制度が存在する」と問題点を指摘し、SCAPINに基づき設置する委員会報告のガイドラインとして、
(1)政治的任用に寄らない一般の公務員は、人種、宗教、性別、社会的門地に関わらず能力あるものに対して途が開かれること
(2)国家公務員制度を所管する中央機関
(3)公開競争試験による募集
(4)能力と実績のみを基本とした昇進
(5)職階制の合理的計画案
(6)公平で適切な給与計画
(7)上司の独断的な処遇から職員を守るための工夫
(8)科学的行政における任用前および在職中の研修の実施方法
の8項目を示したことが述べられ、この具体策が、「アメリカで発達した科学的人事行政制度の導入」であり、日本の行政学者がエスマンに勧めた「英国型の公務員制度改革」とは異なる改革の方向を示すものであったことが解説されています。
 著者は、「『官僚制改革』は、『民主化』という初期改革の方針の延長上に、これの徹底ないしは補強をするものとして、憲法レベルから法律レベルへの方制度改革の移行期にGHQ内部で起案され政策となった。ここでは近代的科学的な『公務員制度』の導入という路線の選択がなされ、米本国から人事行政の専門家からなる顧問団が来日することとなった。非政治的人事行政に精通した団員から構成される顧問団の改革のアプローチは『政治路線を歩むより、むしろ非政治的路線を踏襲する可能性』は予想されたものであった」と述べています。
 第2章「国家公務員法の制定」では、「『官僚制改革』に由来するミッションが、政府職員対策を重点とした『公務員制度改革』に傾斜し、その結果、従前の労働政策の修正ないしは変更を進めた過程について、フーバーのこうしたレポート提出にいたる経緯、及び、その後の国家公務員法の制定過程を中心に考察」されています。
 そして、「必然的に現状維持的方向を選択」した官僚の「自主的改革」を端的に示しているものとして、「内務省が主に地方の公吏を対象に起草した『公務員法案要綱』」を挙げています。内務省地方局からは当初、臨時法政調査会に「昔の地方官官制に当たる」「地方行政官庁法案」が諮問され、「官吏の身分について従前の各種の官制の規定を一本化し、法律化を図った」「官吏法案」において定められた「官吏の身分に照応した職、定員、権限等」を定めた「中央行政官庁法案」「地方行政官庁法案」の内容は、「前者は従前の『各省官制通則』を、後者は国の機関としての地方官庁たる府県を規定した『地方官官制』をベースとしたもの」であり、これら官吏法と官庁法は「一体、不可分なもの」であったと述べられています。しかし、新憲法の下で「従前の内務大臣による知事の任命制の維持が困難となり、首長の公選制が不可避な事態」となると、臨時法政調査会は、「地方行政官庁法」を断念し、「中央・地方の行政官庁法を一本化した『行政官庁法案要綱』と『官吏法案要綱』を答申することとなったことが解説されています。そして、「府県知事を監督し、地方行政を統括」してきた内務省が、「『地方官官制』を引き写した『地方行政官庁法案』に代えて『公務員法案要綱』を立案したのは、これに起因する」と述べられています。内務省は、「知事公選を前提に、府県の組織とその官公吏の身分について、組織法と身分法に分け、府県の自治体化という組織的独立性を与えつつ、知事以外の主要な『組織と職』を団体組織法に定める一方、これと連動する人事権を身分法たる『公務員法』で確保することにより、内務省の府県に対する監督権の維持・強化を構想」したと解説されています。
 1946年10月24日に地方制度調査会が発足すると、
「第4 府県知事等の身分の変更に伴って、地方団体の吏僚制度をいかにするか。その要綱を示されたい」
などの項目が諮問され、これに関連する調査項目として、
(1)首長の高級輔佐機関をどうするか。
(2)現行局部課等の組織をどうするか。
(3)一般職員の任用、給与、分限、服務、懲戒等はどうするか。
(4)監査委員、参与及び委員はどうするか。
(5)収入役及び出納吏制度はどうするか。
(6)官吏と公吏及び公吏相互間の交流その他の関係をどうするか。
(7)職員の教養をどうするか。
(8)その他職員に関する制度について改正する必要はないか。
などの調査項目が掲げられたことが述べられています。
 そして、内務省が官公吏を一本建てとし、「知事公選制に伴う地方主要人事確保」を構想した「公務員法案要綱」を策定していますが、これに対しては、行政調査部の浅井清公務員部長から、「『官公吏』を通じた『公務員法』ではなく、『官吏法と地方公吏法とに分けて立法することを適当とする」というクレームが付き、その要旨として、
(1)国と公共団体とは別個のもので、人事関係法を一本建てとすることは必然的基礎がない。
(2)新憲法の下に高揚されつつある地方公共団体は人事についてもその独立性を認めなければならない。
(3)公吏に関する規定は枠をはめるだけで、地方公共団体の自治権行使の余地を残しておかねばならぬ。官吏に関してはいかほど精密な規定をしてもよい。
(4)憲法の「公務員」の語も条文により必ずしもその範囲を同じくしない。
(5)内務省の「公務員法案」は主として都道府県5大都市を目標とし、その他の市町村に及ばない。みずから一本建ての意義を失っている。
(6)行政調査部の公務員制度改革もまだ出来上がらず、官公吏一本建てとするにはまだ研究の余地が大きく残されている。
(7)官吏が公吏に優越する地位にあるというような思想と制度は排除すべきであり、公吏と官吏と同一の水準におき、別途考慮するを必要とする。
などの点が示されたことが述べられています。著者は、この対立を、「『公務員の本質』そのものから調査を始めようとする行政調査部公務員部と、『地方官官制』という勅令の『法律化』をすすめようとする内務省の両者の改革の視点と関心の所在の相違がそのまま対立の形となったもの」であると述べています。
 しかし、政府が進めてきた「自主的改革」構想は、1947年2月11日に行われたフーバー顧問団と民政局係官の協議において「事実上の拒絶」に合い、これを決定付けたのが、2月6日に行われた吉田・フーバー会談であったことが述べられています。この吉田・フーバー会談の結果、
(1)フーバーの既定の方針に即した中央人事機関の設立準備体制の確立。
(2)それまでに日本側で起草した官吏法案、公務員法案等の取り扱いの問題。
の2つの動きが顕著となり、その後フーバーが示した「国家公務員法案」(フーバー草案)が、「強力な中央人事行政機関の設置というフーバーの原則を貫徹しつつ、吉田の最大の関心である官公労組対策では、公務員の政治活動の制限や争議権の剥奪」を規定しており、「官吏のほか雇員・傭人を含む『政府職員対策』とフーバーが『信奉』する近代科学的な『公務員制度』とを包摂したもの」であったことが述べられています。
 ところが、フーバー草案は、特に人事院の独立性に関して、各省からの巧みな抵抗に合い、「内閣、国会、裁判所に対する人事院の『独立性』」は、「人事院を内閣総理大臣の『所轄』と位置づけることにより、その権限と地位を『緩和』する措置」がとられていますが、著者は、人事院の独立性の緩和に関して、
(1)強力な人事行政機関の新設に対する各章の反対
(2)民政局部内のフーバー顧問団及びレポートに対する反発(フーバー・レポートは、それまで民政局が進めてきた占領政策の「成果」に対する「修正」を指示したものであった)
の2つの反発があったことを解説しています。
 著者は、エスマンの「官僚制改革」のメモにはじまり、国家公務員法制定・改正にいたる「公務員制度改革」の軌跡を、「いわば『民主化』から『復興』へという占領政策の転換を象徴する『改革』であった」と述べ、「フーバーによる『公務員制度改革』は『官僚制改革』という主題のもとに、『公務員労働基本権』の制限問題を介した『安定化』に力点をおくことで、初期の占領政策の転換を促し、また、職員組合による政策介入への排除を図ったものであった」と述べています。さらに、フーバー後の人事院に関しては、「フーバーが人事院を可愛がり過ぎたために司令部の人事院となり、『日本政府部内の故事にしてしまった』」というGHQ/SCAPの最後の民政局長利ぞーの言葉を紹介するとともに、フーバーに「法律の専門知識がなかった」ことが、運用上の具体的措置に陰を落とし、その中には、「エスワン試験(S-1)と呼ばれた高級公務員の再試験の問題」も追加されると述べています。
 第3章「内閣制度の『継承』と行政組織法」では、「戦前・戦中の国家体制が占領の性格を規定するのであれば、帝国憲法下の内閣制度をいかに評価し位置づけるかによって、統治体制に対する占領改革の一つの方向性が示される」と述べています。
 そして、内閣法案が当初、「『首長たる』を削除した内閣総理大臣を規定し、強い総理よりも『同等者中のナンバー・ワン』にとどめることを意図し」、その意を受けた行政官庁法案要綱試案は「本法中必要な規定は内閣総理大臣を主任とする行政事務に関してこれを適用すること」とし、「その分担管理する事務のあることを明記」したが、法制局にとっては、「憲法の『首長たる』の意を実質的には各省なみに引き下げたということ」となり、「法制局の位置づけを曖昧なものとせざるをえない」こととなったことが、混乱を招いたことが解説されています。
 著者は、「内閣法等の組織法の制定過程は、結局、法制局の描いた『官制』の法律化の過程であり、その主題は憲法に規定された行政権の帰属する内閣と、これまで最高行政官庁たる各省大臣とを『立法技術的』に連結を進めることにより、現状維持的な改革に終始させるということにあった」と指摘しています。
 第4章「行政管理庁の創設」では、行政調査部がまとめた「行政調査部運営の方針及び運営の状況」において、内閣制度に関する個別的研究項目として、
(1)内閣総理大臣の閣内統制力及び行政統率力をいかにして強化するか。
(2)内閣に所謂行政統合機関を設くべきか。
(3)所謂政務官制度をどうするか。
の3点が挙げられたことを述べ、その具体的な構想は、「まだ必ずしも明瞭ではなかった」ことを解説しています。
 著者は、「行政調査部が発足当初に構想した総理大臣の統率力の強化策、すなわち、法政、人事、予算の主要三局を基軸に、行政管理機能を内閣レベルで統合し、行政各部に対する指揮監督権の強化を図るという試み」は、
(1)法制局→解体
(2)人事局→人事院
(3)予算局→大蔵省
と「統率力の柱となるべき行政管理機能は『分散』され」、「結局、行政組織上では達成されなかった」と指摘するとともに、「内閣の首長たる」総理大臣の「行政各部の指揮監督」の中身を、「統制的作用」ではなく「行政事務の総合調整」と位置づけ、「より並列的なニュアンスを与えることで、『指揮監督』という垂直の関係を『調整』という水平、並列の関係に置き換えようとした」と述べています。
 第2部「行政整理」では、片山~芦田~第3次吉田内閣にかけての行政整理過程を解説しています。
 第1章「行政整理への認識と手法」では、行政整理を実施する上での法制上の根拠となった行政機関職員定員法と各省設置法の制定過程を辿り、「『行政整理』の問題が敗戦後の政治・行政課題としていかに認識され、各省、内閣、GHQのそれぞれのレベルでどのような手段が選択され対処されたのか、改革の推進要因はなんであったのか、また整理の『効果』は講和にどのような影響を与え、現代行政に如何なる課題を与えることになったのか」を解明することを目的としています。
 1945年10月30日に閣議決定された「行政整理ニ関スル件」では、予算定員において、5割を目途とした自主的な縮減などを掲げますが、これに対してGHQ民政局のエスマンは、
(1)政府の人事統計制度は適切ではない。官吏の数も確かではなく、政府はその他の職員(雇員傭人等)の数を把握していない。
(2)彼らは人員整理による財政削減以上の改革目的を意識せず、自己満足している。
(3)政治的な指示を欠いたままに、これまで日本の官僚制を支配していた東大閥による整理を認めることは、なんらの変化も彼らの影響力も損なうものではない。
などの問題を指摘し、批判したことが述べられています。
 また、1948年1月27日に閣議決定された「行政整理に関する件」では、
「三、地方自治の精神に則り、中央官庁の権限はできるだけ地方に移譲するとともに既存の地方出先官庁は徹底的に整理し、且つ能う限り地方団体に統合する。」
などの方針が掲げられたことが述べられています。
 第2章「行政整理抑制の構造と予備的措置」では、1948年4月16日付の行政調査部起草の「行政整理に関する件」において、「経済体制の整備と外資導入による経済復興のために、経済部門と密接に関係する行政部門の能率化の必要」を目的に掲げ、「行政事務の整理再編制と機構の簡素合理化を行う」として、
(1)不急不要事務の廃止と機構の整理合理化。
(2)部局間の権限と事務の重複の排除、責任の明確化。
(3)中央の権限の地方移管と地方出先機関の整理。
(4)少人数による能率主義の貫徹と合理的な人員の配置換。
(5)企業特別会計の独立採算的経営の確立、徹底的合理化。
(6)前各号により、昭和23年4月1日の現在の機構、人員の検討、整理案の作成と提出。
(7)整理案に基づく予算上及び官制上の整理の確定措置。
(8)確定措置を完了しない部局は定員増、人員充足を行えない。
(9)7号での整理の職員は4ヵ月間は定員外とする。その間逐次整理の外、減耗補充、配置転換等に充当する。
(10)整理の退官退職者には特別給与を支給する。
の10項目が掲げられたことが解説されていますが、このドラフトに基づいて芦田内閣において閣議決定された内容は、「片山内閣が掲げた予算定員の『二割五分』の縮減を削除し、各省各庁の人件費の『一割五分』の削減という人件費の減額問題に『整理』を変容させた」ため、『いわゆる血の出る整理ではなかった』との指摘を紹介しています。
 また、1947年に行政調査部が取りまとめた、「各庁地方出先機関整理案」及び「各庁地方出先整理試案」を示した9月23日の各省代表者会議において、「経費の負担はどうなるか、分与税では府県が云う事をきかぬ」「国の事務と地方の事務の限界を先づはつきりと定めねばならぬ」などの意見が出され、9月30日に「各庁地方出先機関整理試案(司令部への提出案)」を策定し、ここでは、
(1)担当事務の特殊性(司法行政、鉄道現業官署、郵便官署、国立病院、営林署等)
(2)行政区画が数府県にわたる広域的機関
(3)臨時的な性質と一地方に偏在するもの(復員庁、引揚援護院などの出先)
を除外し、一府県の区域ないしはそれ以下の区域を行政区画とする出先機関を対象に
(1)廃止または整理するもの
 (1)戦災復興院建築出張所
 (2)内務省(国土局関係)地方駐在員
 (3)文部省地方駐在員
 (4)農林省資材調整事務所
 (5)地方商工局出張所
 (6)運輸省自動車事務所
 (7)文部省教育施設局出張所
(2)知事に移管するもの
 (1)終戦連絡地方事務局の一部及び同出張所の一部
 (2)公共職業安定所
 (3)都道府県労働基準局
(3)なお研究を要するもの
 (1)文部省出張所
 (2)検疫所
 (3)木炭事務所
 (4)食料事務所、同支所、同出張所
を挙げ、「関係各庁はおおむねこれに反対の見解を表明している」と備考に帰したことが述べられています。
 さらに、1948年5月2日の閣議には、行政調査部の案を元にした「各省(庁)地方出先機関整理案」として、
(1)廃止しその事務を知事に移譲するもの
 建設院建築出張所、建設院地方駐在員、教育施設局都道府県駐在員、農林省資材調整事務所、商工出張所の一部、道路運送監理事務所
(2)機関を知事に移管するもの
 公共職業安定所、都道府県労働基準局
(3)機関を廃止し、事務を知事に移譲するもの
 連絡調整地方事務局出張所のうち立川事務所、木炭事務所、都道府県防疫駐在官、婦人少年極地方駐在員
(4)廃止または設置を見合わせるもの
 文部省大阪出張所、厚生省地方駐在官、地方労働局
(5)設置の見合せ
 国立公園監理所
がかけられますが、建設院の出張所廃止外は各省の反対で頓挫し、芦田首相が「話にならぬ」と日記に記していることが述べられています。
 第3章「定員法による整理の実施」では、1949年2月25日に閣議決定された「行政機構刷新及び人員整理に関する件」と閣議了解された「行政機構刷新要領」では、「行政機構の簡素化」の中で、
「(イ)都道府県またはそれ以下の区域を管轄区域とする各省各庁の地方出先機関は、原則としてこれを廃止し、その所掌事務は都道府県に移譲する」
などの方針が示されていることが述べられています。
 著者は、定員法の成立に関して、「吉田の行政整理の主題は、戦後、急膨張した政府職員、とりわけ国鉄、前提を中心とする現業職員の実在人員の整理にあった」と述べ、吉田にとってマッカーサー書簡に基づく国家公務員法の改正は、予想される『労働構成』の勢いを削ぐもので、整理の『前奏曲』となった」ことが述べられています。
 そして、「日本占領は『民主化』という観点からは『未完の占領』と解されうるが、『講和』からは『有限の占領』の至当の帰結となる」として、「民主化という『戦争の哲学の破壊』、ないしは戦争遂行勢力の放逐は、講和という『経済の安定』と入れ替わり、『冷戦』の中に放擲された」と指摘しています。
 本書は、現在のさまざまな制度の根底をなす、日本の官僚制度の転換点をじっくり見つめるには最適の一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、主に国家公務員を中心とした戦後官僚制度の成立過程を分析したものですが、都道府県の完全自治体化に伴う地方官の取り扱いや国の出先機関の再編など、都道府県が不自然な形態になった経緯を教えてくれています。
 現在の教科書では、所与のものであるかのように現在の組織を取り扱っていますが、現在の形になるまでの組織の変遷を知ることは、現在、そして未来の姿を把握する上で重要ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・日本の官僚制をガラガラポンで考えてみたい人。


■ 関連しそうな本

 勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日
 川手 摂 『戦後日本の公務員制度史 「キャリア」システムの成立と展開』 2005年12月29日
 稲継 裕昭 『人事・給与と地方自治』 2005年12月09日
 早川 征一郎 『国家公務員の昇進・キャリア形成』 2006年04月20日
 石見 豊 『戦後日本の地方分権―その論議を中心に』 2007年02月09日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日


■ 百夜百マンガ

ボクはしたたか君【ボクはしたたか君 】

 「奇面組」の作者による久々のヒット作・・・であったにもかかわらず惜しまれつつも「奇面組」ほどには当たらなかった作品。ギャグ作家は厳しいです。

2007年2月25日 (日)

地図を楽しむなるほど事典

■ 書籍情報

地図を楽しむなるほど事典   【地図を楽しむなるほど事典】

  今尾 恵介
  価格: ¥1470 (税込)
  実業之日本社(2002/12)

 本書は、「明治時代からずっと統一された縮尺で全国的に整備してきた国家プロジェクト」であり、時代の移り変わりのドラマを日本全国の規模で面的に定点観測している地図を楽しむためのさまざまなアプローチ方法を紹介しているものです。
 本書は、明治に東京が首都になりえたのは、江戸市街の3割を占めた大名屋敷の跡地を活用することができたからだという指摘を紹介しつつ、江戸時代の「切絵図」と大正8年(1919年)、平成10年(1998年)の東京の市街地の地図を比較しています。現在の都市の官公庁を始めとする公共施設の敷地は江戸時代の大名屋敷を活用したものです。本書では維新後も残った大名屋敷として西片町の阿部邸の敷地が、後に分割され、「どこまで行っても10番地」と呼ばれるようになったことが紹介されています。
 また、豊橋市の大正6年の地図を紹介し、田んぼの中に出現した正方形の町が、都心部分から移転してきた遊郭であること、そして現在の地図では市街地の拡大によって遊郭の跡地も市街地に飲み込まれたが、道路の形に現在もその後をとどめていることなどが述べられています。同様の例として、東京の吉原が人形町付近から移転してきたこと、名古屋の中村遊郭の例、東京の洲崎遊郭が根津から移った理由が「帝国大学の学生の風紀を守るため」であったことなどが紹介されています。
 一方、市街地が消滅していく様子も地図から読み取ることができます。
 先日、隠していた膨大な借金が明らかになり、財政再建団体化が決まった北海道夕張市は、最盛期の昭和30年には11万人いた人口が約50年後には1万5000人ほどにまで減少し、その様子を地図からも読み取ることができます。市の北西部には、谷の斜面に段々畑のように炭鉱住宅がひしめいていたことが昭和47年の地図からも読み取ることができますが、並べた平成7年の地図では、その一体は「荒地」となっています。また、国鉄夕張線に並行して走っていた私鉄の夕張鉄道は廃止され、その跡地は自転車道路になっているそうです。昭和47年当時は北東部の炭鉱住宅付近にあった夕張駅も、2度の移転を経て、現在ではスキー場の近くまで2キロほど南下したことが読み取れます。
 地図というと多くの人は、「客観的に作られている」ものだと無条件に思い込んでしまいがちですが、著者は、地図はあくまで地図製作者の「目的に応じた取捨選択の基準」によって結果が大幅に変わるものであり、「デフォルメという手段を用いて思想を表現する媒体」であると述べています。その例の一つとして、世界地図に用いられるメルカトル図法が、高緯度地方を拡大して表示してしまう特性を持っていることについて述べ、「社会主義国」を示す赤色を塗られたソ連の土地が大々的に拡大され「世界を支配しつつある」ような印象を与えていたことを指摘しています。
 本書はどちらかというと雑学的な知識が多い傾向にありますが、実用的な内容としては、多くの人が苦労している、子供の学校までの通学路や自宅から最寄り駅までの略図の描き方を解説しています。よくあるパターンとして、端から書き始めて目的地に近づくにつれ説明が細かくなりスペースが足りなくなることがありますが、著者はこの理由を、全体を把握していないためであるとして、次のような書き方を推奨しています。
(1)実測の市街地図でコース全体を見る。
(2)行程の中間点をチェックして、鉛筆で下書きする。
(3)4分の1地点をチェックし、道路をなるべく実際の比率に近くして骨格を描く。
(4)曲がり角や複雑な箇所は大きめに誇張して描く。
(5)目印となるコンビニや看板などを大きめにハッキリ記入する。
 これらに加え、注意する点として、
(6)「いくつ目の交差点」は見落とすこともあるので間違いのもと。
(7)方位にこだわらず、出発点を下、目的地を上に描く。
の2点を挙げています。
 本書は、地図に関する雑学としてはもちろん、多くの人が意外とうまく描けない略図を簡単に描く方法を身に付けたい人にもお奨めの一冊です。


■ 個人的な視点から

 私の地元の千葉に関しては、戦前の千葉が軍と海水浴の海水浴と都市であったため、都内から千葉に訪れる海水浴客のために、「浜海岸」(現在のみどり台駅より450メートルほど東京寄り)と「千葉海岸」(現在の西登戸駅)の2つの駅が開設されたことが紹介されています。「千葉で海水浴?」とお思いの方もいるかもしれませんが、当時は、現在の国道14号線の辺りが、海岸線に沿った崖下を通っていて、干潮時には沖合い1キロまで干潟が広がる海水浴場として人気があり、「浜海岸」の辺りは戦前には文人が避暑に訪れる別荘地としても知られていました。
 その後、昭和23年の地図では、現在の千葉大の敷地にあった東京大学第二工学部への通学のため「浜海岸」駅が千葉よりに移って「工学部前」駅となり、その後、「黒砂」と地元の地名に変わった後、昭和46年の現在の「みどり台」になっています。
 また、海水浴場として賑わった海岸は、沖合いまで埋め立てられてしまったため、昭和42年に「千葉海岸」は「西登戸」に改称されています。
 
 「【千葉タウンウオッチング】稲毛 新旧の歴史、息づく街並み」

 
 千葉関連では、九十九里浜に存在している「飛地」についても触れられています。これは、江戸時代に普及した木綿や藍などの作物の増産を支えた「干鰯(ほしか)」という肥料の急騰を受け、農村集落が、「漁に目覚め、競って浜へ納屋を建て、そこで地引網を行うように」なったことを起源とし、これらの納屋集落が、のちに漁業専従の定住集落になったことが述べられています。これらの集約は、「○○納屋」(南部)や「△△浜」(北部)と名づけられ、内陸の本村とペアで存在し、共通の神社を持ち、親戚関係にあったため、2~3キロ離れた本村の飛地として温存されたことが紹介されています。


■ どんな人にオススメ?

・目の前に広がっていたはずの、変容してしまった昔の風景に思いをめぐらしてみたい人。


■ 関連しそうな本

 今尾 恵介 『住所と地名の大研究』 2006年07月06日
 今尾 恵介 『日本地図のたのしみ』
 今尾 恵介 『消えた駅名―駅名改称の裏に隠された謎と秘密』
 谷川 健一 『日本の地名』 2005年07月10日
 片岡 正人 『市町村合併で「地名」を殺すな』
 秋庭 俊 『帝都東京・隠された地下網の秘密』 38994


■ 百夜百音

ゴールデン☆ベスト【ゴールデン☆ベスト】 一世風靡セピア オリジナル盤発売: 2004

 「和太鼓+シンセ+掛け声」のこの手の音楽は80年代特有なのかと思ってましたが、「よさこいソーラン節」のシリーズはそういえば継承者なのかもしれません。路上で踊りますし。


『魁!!男塾 音楽集』魁!!男塾 音楽集

2007年2月24日 (土)

興奮する数学 ―世界を沸かせる7つの未解決問題―

■ 書籍情報

興奮する数学 ―世界を沸かせる7つの未解決問題―   【興奮する数学 ―世界を沸かせる7つの未解決問題―】

  キース・デブリン (著), 山下 純一 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  岩波書店(2004/8/26)

 本書は、2000年5月、パリで、クレイ数学研究所がそれぞれ100万ドルの賞金をかけることを発表した7つの未解決問題に関するものです。ただし本書は、公式解説書とはまったく異なり、問題そのものを解説するのではなく、「それぞれの問題の背景や起源、問題が難しい理由、数学者がたちが重要だと思っている理由の説明」を主としています。
 第0章「挑戦開始」では、2000年5月24日に発表された100万ドルの賞金が、投資信託会社の最高経営責任者を長年務めた裕福な数学愛好家のランドン・クレイによって委託されたものであり、クレイがこの「ミレニアム問題」の発表をパリで行った理由は、1900年にパリで開催された第2回国際数学者会議で、後援したヒルベルトが、「20世紀の数学のための予定表」とでもいうべき23個の未解決問題をリストアップしたことにちなんでいます。
 このミレニアム問題とは、
・リーマン予想
・ヤン=ミルズ理論と質量ギャップ仮説
・P=NP?問題
・ナヴィエ=ストークス方程式
・ポアンカレ予想
・バーチ-スウィナートン=ダイヤー予想
・ホッジ予想
の7問からなり、著者は、これらの問題を理解するのが難しい理由として、「抽象化の度合いや速度が専門家にしか着いていけない段階に到達してしまった」ことを挙げています。
 また、この7つの懸賞問題によって数学が大きく発展することになると考える理由として、「これらの特別な問題に注意をひきつけることのよって、懸賞問題はその問題が発生した分野に若い数学者たちをひきつけ」、こうした人が、「賞金の獲得よりも問題を解くことに喜びを見出すはず」であるからだと述べています。著者は、「世界的な専門家から週末に数学の問題を解くことを楽しみにしているアマチュアまでの数学好きの人」にとって、難しい数学の問題を解くことは、「こそにあるから」以上の理由はないと述べています。
 第1章「素数の音楽 リーマン予想」では、「数学者に数学における最も重要な未解決問題はなにか」を聞けば必ず答えるものとして、この140歳の難問を紹介しています。この問題を予想したリーマンは、「直感的な方法で仕事をしており、自分の結果を完璧にするために必要となる厳密な論理的議論への欲求をまったく示さなかった」ために、「計算こそが最も重要だと考えていた古い世代の数学者を激怒」させたが、「リーマンの最終的な成功にとって欠くことのできないもの」だったと述べています。
 著者は、このリーマン予想の証明から得られる「素数の分布に関する追加的な情報」は、「数学以外でも重要性をもつだろう」として、インターネットのセキュリティに対する貢献等を挙げています。
 第2章「われわれを作る場 ヤン-ミルズ理論と質量ギャップ仮説」では、この第2のミレニアム問題が、「数学と物理学の新しい出会いに向かう重要なステップとなり、物質の性質についての理解を増大させることになるだろう」と述べています。この第2のミレニアム問題は、「量子色力学に向かう発展の中で生まれ」、「物理学者によるチャレンジに答えるために数学者が解かなければならない難問」であり、「これを解くには、物質に関する理解を前進させるのに役に立つ新しい特殊な数学を発展させることが必要となる」としています。
 著者は、この問題を「21世紀の価値ある朝鮮課題だが、現時点ではまだ難しすぎる」というウィッテンの言葉を紹介し、読者がこの問題をとけるチャンスは「あまりなさそうに見える」と述べています。
 第3章「コンピュータが失敗するとき P=NP?問題」では、この問題が、全てのミレニアム問題の中で、「数学の訓練はほとんど受けておらず、非常に若いかもしれない、数学界では無名の『未知のアマチュア』によって解かれる可能性が最も高い問題」であるとして、「問題が何をいっているのかを理解することが比較的容易だというだけではなく、1つのいいアイデアだけで解けてしまう可能性」」があり、「いいアイデアを思いつくのにたくさんの知識は必要ない、豊かな想像力さえあればいい」からだと述べています。
 この問題は、計算的複雑さの分野に関するものであり、この問題の確立に最も貢献した人物として、スティーブン・クックという若いアメリカ人が紹介されています。そして、計算的複雑さに関しては、1930年代にメンガーによって導入された「巡回セールスマン問題」や「プロセス・スケジューリング問題」について解説し、これらの問題が、計算事態は非常に単純なのだが、確かめて見なければならない場合の数の多さが問題をほとんど回答不能にしているとして、「人間にしろコンピュータにしろ、これらの計算を順番に(つまり一つずつ)遂行しなければならないので、完了までに絶望的なほど長い時間が必要になる」と述べ、こうした過程を「本物の複雑な計算を含む過程と区別」するために、「非決定性多項式時間過程」略して「NP過程」が考えられたことが解説されています。
 第4章「流れを作る ナヴィエ-ストークス方程式」では、オイラーによる「粘性のない理想的な流体の運動を厳密に記述する一連の微分方程式」を、1822年にナヴィエとストークスが、「流体がいくらかの粘性をもつ現実的な場合を含むように改善」したことが解説され、この方程式が、「流体が無限に薄い平面的な幕となる2次元の理想的な場合に解くことができるが、(より現実的な)3次元の場合には、解が存在するかどうかさえ知られていない」と述べています。
 著者はこの問題について、「数学者たちがこれらの方程式を解こうと試みてきた時間の長さを思うと、とても解けないのではないかという思いを打ち消すことは難しい」として、「少なくとも、何らかの真に新しいテクニックがないと解けないように思われる」と述べています。
 第5章「やわらかい動きの数学 ポアンカレ予想」では、ポアンカレの数学が視覚的なものが好きだという特徴が反映されている理由として、「ポアンカレは視力が弱かったので、先生が黒板に書いたものが見えないことが多く、それが結果として頭の中に独自の画像を描かせることとなり、そのことが視覚的な能力を向上させたのではないか」という歴史家の推察が紹介されています。
 また、トポロジーに関しては、1735年にオイラーによって解決された「ケーニスベルクの橋」の問題や、「メビウスの帯」とそれに対応する閉曲面である「クラインの壺」(多くの数学者の研究室に装飾品としてガラス製の壺が置かれている)が紹介されています。
 第6章「方程式が解けないときを知る バーチ-スウィナートン=ダイヤー予想」では、この予想が楕円曲線に関係していること、そして、この楕円曲線が、現代数学のあらゆるところに顔を出すことなどが解説されています。
 第7章「図のない幾何学 ホッジ予想」では、著者が、「読者が絶望のうちにあきらめることになるようなものはできるかぎり後にまわすべきだという原理」に従って、この問題を7番目においた理由を述べています。
 本書は、現代の数学が直面している「壁」を示すことで若き才能ある数学者をこの分野に呼び込もうとしているものですが、将来、この本を読んだことがきっかけで数学界に身を投じる人が出てくるとうれしいです。ちなみに映画『ビューティフル・マインド』のモデルとなったジョン・ナッシュは、13歳か14歳の頃に読んだE.T.ベルの『数学をつくった人々』をきっかけに数学のおもしろさに惹かれていったそうです。


■ 個人的な視点から

 アメリカの数学者にしてピーター・フランクリンのジャグリングの師匠でもあるロナルド・グラハムは、数学者を、「『私は寝床に横になり、目を閉じて仕事をする』と主張することのできる唯一の科学者である」と述べているそうです。
 さすがはピーター・フランクルのジャグリングの師匠だけあってとぼけたことを言うものです。


■ どんな人にオススメ?

・数学の歴史に名を残したい人。


■ 関連しそうな本

 サイモン シン 『フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』 2006年09月02日
 ロビン・ウィルソン 『四色問題』 2006年07月18日
 チャールズ サイフェ (著), 林 大 (翻訳) 『異端の数ゼロ―数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』 2005年11月20日
 ポール ホフマン (著), 平石 律子 (翻訳) 『放浪の天才数学者エルデシュ』 2005年11月06日
 グレゴリー・J・チャイティン (著), 黒川 利明 (翻訳) 『セクシーな数学-ゲーデルから芸術・科学まで-』 2005年11月03日
 E・T・ベル (著), 河野 繁雄 (翻訳) 『数学は科学の女王にして奴隷』 2006年09月18日


■ 百夜百音

ぼくはくま(DVD付)【ぼくはくま(DVD付)】 宇多田ヒカル オリジナル盤発売: 2006

 くまのゼンセはチョコレートだったそうです。なぜに? 色が茶色いからでしょうか。


『ぼくはくま(スペシャル・パッケージ)』ぼくはくま(スペシャル・パッケージ)

2007年2月23日 (金)

裏社会の日本史

■ 書籍情報

裏社会の日本史   【裏社会の日本史】

  フィリップ ポンス (著), 安永 愛 (翻訳)
  価格: ¥4515 (税込)
  筑摩書房(2006/03)

 本書は、「犯罪や社会の底辺での営みの諸現象を歴史の厚みの中に位置づけ、社会の暗部の所掌を把握し、現代日本の周縁的空間の形成の経緯に光を当てること」を目的とした、「日本のやくざと貧苦の人々についての書」です。著者は、本書の横断的なテーマとして、「犯罪を生み出すものとしての貧困と差別。放浪への導きの道具としてのやくざ、周縁層を組織化する力、路上と下層民、黙契と共謀、個人的あるいは集団的な反抗、『拒絶の伝統』の表現、最後に、文学や社会的想像性の中で育まれる彷徨のテーマである」と述べています。
 第1部「日陰の人々」では「周縁民たち」の歴史を述べ、「穢多と非人にのみ注目したのでは、差別の現象の広がりを見誤ってしまう。紀元がかなり漠としており、呪術的=宗教的次元の禁制に根ざしていた差別の現象は、16正規の尾張から、と市民のうちの『漂白層』を構成するあらゆるタイプの、貧しく、みすぼらしく、寄る辺なき人々の、社会身分の規制による制度的な隔離という形をとるようになった」ことを指摘しています。
 第1章「中世における周縁民」では、中世から江戸末期にかけて、「えたと非人は二大差別カテゴリーであった」ことに関して、
(1)なぜ中性に、ある特定の集団に対する差別に見られるような、活動の機能による社会的序列化が起こったのか。
(2)その後、どのように差別が構造化され、えたや非人、その他、似たような運命を辿る身寄りのない人々に対する制度的排除のシステムへと変貌していったか。
の2点を挙げ、「明治以前の日本における周縁化=差別化には2つの起源がある」として、
(1)穢れに纏わる呪術的・宗教的水準での禁制に関わることであり、10世紀から、「穢れなさ」によって自らを他と画然と区別することにより権力を安定させようとする朝廷の価値体系の基盤となった。
(2)既存の秩序に背く活動をする社会の不安定層(貧者、放浪者、大道芸人)を統御しなければという、あらゆる権力に共通の懸念に由来するもの。
の2点を指摘しています。
 また、「えた」共同体の起源に関して、その語源が、「朝廷の鷹や犬の餌を手配するのを職業とする人々を指す『餌取』に由来する」という説を紹介し、その語は江戸時代におけるほど差別的なものではなく、「中世のえたは、寺の掃除や神社の鳥居の建立といった、ある種の職業に関わるものだった」ことが述べられています。
 さらに、「非人」の身分は中世においては「種々の理由から出身共同体から排除されたことに由来するもの」であったが、「いわゆるえたとはあまり区別」されず、身分が制度的に定められたのは江戸時代に入ってからであることが解説されています。
 「第2章」江戸期下層のヒエラルキー」では、「奈良、京都といった日本の中枢地域に初めて出現した、賎民のメンバーである、ある種の人々に対する差別」が、「中央集権的な徳川幕府の下で強まり、制度化された」ことによって、「差別はやがて社会統制の道具となっていった」過程が解説されています。徳川幕府は社会の周縁に対し、「両面政策」を採り、「被差別共同体に対し、内部の運営に関しては前世紀から引き継がれてきた一定の自律性を残しつつ、えた、非人という二大勢力の周辺に位置する下層民の隷属の秩序を導入することで、多様な下層民の世界を支配しようとした」ことが述べられています。
 著者は、「えた共同体は、一種のギルドのようなもの」として、「幕府は皮革の製造、販売、斃牛馬の解体、皮革のなめしから革製品の生産、販売に関わる活動に対し、独占権を与え」、「えた共同体の最も強力なリーダー」として、江戸に居住していた、「弾左衛門(世襲の敬称)と呼ばれた穢多(長吏)頭」が、「皮革業を行うための資格証を、納付金と引き換えに発行」していたと述べています。
 この徳川時代の末期には、「ひとつの身分に固定されていない個人の割合」が江戸、大阪や京都で上昇し、「このような下層民」が、「都市へと追われた農民とともに、明治期の産業プロレタリアートを成すことになった」ことが解説されています。著者は、これを含めたさまざまな要因が、「明治の『大変革』の急速だった理由」であると述べ、江戸時代に新たに「土地の仕事から解放され、自らの労働力を自由にできる都市のプロレタリアート」が「階級」として誕生したと述べています。
 第3章「国民国家の周縁で」では、1860年代の政治的・社会的混乱により、身分制度が衰退し、1866年に長州藩が「えたを奇兵隊に組織し」た際には、徳川慶喜は「関東地方のえた頭である弾左衛門」からの「身分引上(醜名除去)の請願書」を受け入れ、明治維新の志士たちが政権を握った後には、「弾左衛門は江戸と静岡を結ぶ長い街道の安全管理を請負い、報酬を得た」ことが述べられています。
 また、1870~71年に行われた初の全国人口統計によれば、「えたの人口は28万311人、非人の人口は2万3480人」であったが、関山直太郎の推計では、「実際にはえた44万3000人、非人7万7358人と推定」され、「これによれば、えた・非人の人口は全人口(3千万人)の2パーセントにあたる」と述べられています。そして、「旧被差別民の多くは最貧層であった」が、「『新平民』を恵まれない人々と同一視するのは単純化しすぎである」として、「江戸時代と同様に、明治の(20世紀末にいたっても)旧被差別民は、支配権を他の弱き者たちにふるう富裕なエリートを擁していた」として、「旧被差別民のリーダーのうちには、事情に通じている分野(皮革業、精肉業)で再び企業経営者となるものもあり、相変わらず仕事を手配し、彼らの回りには、庇護を求めて、最も弱い立場の人びとが集まってきた」として、「末代の弾左衛門は今戸地区を去り、荒川に軍靴製造工場を建設し、弾左衛門の配下たちは、浅草に神輿製造会社を興し、成功を収めた」と述べられています。
 著者は、「日本近代における被差別民の差別を、変化の観点から捉えなければならない」として、「1990年代の半ばにおいて、差別は、戦後直後から1970年代初頭にかけてと比べると潜在化し、より巧妙で陰険、かつ見えにくいものになっているように思われる」と述べています。そして、「広島と長崎で、被差別民は、肉体的な苦しみにおいては他の人々と同様であったが、他者との『違い』についての痛ましい経験をした」として、広島では「原爆投下後、差別は激しくなって」いき、「被差別部落民として、また被爆者として、二重の差別を受けた」ことや、長崎では、迫害されたキリシタンが流刑となり「賎民の監視下に置かれた」ことに関して、「賎民の務めた役割についての記憶は殆ど薄れておらず、被爆した被差別民に対する差別は強まるばかりであったようだ」と述べ、「被差別地区の旧住民に対して、原爆は全てを消し去ったが、差別は長い間、地を這うように残った」と語られています。一方で、その50年後に起きた阪神大震災直後の状況は、「広島や長崎とは異なっていた」として、「一部の新聞・雑誌で繰り広げられた風評に反し、被災者の救助や援助において、番町の住民に対する差別はなかった」ことが述べられ、「長田区の例は、日本近代における恵まれない人々の状況の、逆説的だが示唆的なケースである」として、「被差別民や在日韓国・朝鮮人には、背景に強力な組織」があり、「市当局の気まぐれの犠牲となった何の保護もない他の低所得者たちよりも、震災直後には、よりよい待遇を受けることができた」ことが解説されています。
 第5章「大日本を支えた労働者たち」では、「日本において、鉱山での労働は常に厳しく、また下層のものであると考えられてきた」として、「生活条件は劣悪を極め、炭鉱の家族たちには寝具さえなかった」ことや、北海道において炭鉱労働者が、「炭鉱労働者は囚人が務め」、「タコ部屋」と呼ばれる小部屋に住み、「自分の足を貪って死んでいく囚われのタコさながら、生きて炭鉱を後にすることはできなかった」ことや刑に服してないものでも、「とりわけ朝鮮人は『タコ部屋』に住んでいた」と述べられ、「日本の炭鉱労働者の3分の1を朝鮮人が占めていた」ことや、西表島(沖縄)や花岡(秋田県)では、「台湾や福建省出身の中国人が多かった」ことが述べられています。そして、「親方の大半はやくざと結び」つき、「石炭生産量全国1位を誇る遠賀川流域の筑豊炭田」や「平底船(五平太船)で石炭が運ばれていた若松港の輸送会社」をその例として挙げ、「現在もなお、筑豊地域の公共工事を請負う企業や輸送業はやくざと結びついており、九州北部はやくざの拠点として知られている」と述べられています。
 第6章「どんづまりの街」では、「万人に開かれていながら、誰にも期待などは寄せはせぬ」世界を、「ヤミの界隈たる、都市の只中にある流刑の地の多くは、差別や苦痛、市の歴史の痕跡を留めている」として、「こうした場所は、盛り場・遊郭・貧民街からなる三角形の極の一つとなっている」として、日本の都会の地勢の一つの特色をなしているこの「三位一体」が、「東京の山谷、大阪の釜ヶ崎(現あいりん地区)」に見られ、一方で「歴史の浅い横浜の寿町」では、不完全な形でしか表れていないと述べられています。
 「往時の一大歓楽街であった旧浅草と、旧『不夜城』吉原に隣接する山谷」については、「壁なきゲットーとなる以前から、呪われた界隈であった」として、「浅草磔場」として知られていた小塚原刑場などについて解説し、「山谷周辺は苦痛と死が刻み込まれた場所である」と述べ、「この地は、ある意味で堕落者や敗者、零落者の場所であったし、その面影をなお残している」としています。
 また、釜ヶ崎についても「山谷と似た歴史を持っている」として、「江戸末期に泥棒、賭博師、屑拾い、日雇労働者が集まっていた、今は無き名護町の最下層社会を継承するもの」であり、1885年に蔓延したコレラを契機に、当局は「名護町を無くし、住民を入船町に移住させた」ことが述べられています。
 一方、「横浜の寿町は戦後になって発展した貧困の新ゲットーである」として、終戦後に占領軍の物資置き場となった地域が、朝鮮戦争時の労働市場の非常な活況によって発展し、占領軍が引上げ、「野毛や桜木町から寿町に移ってきていた日雇い労働者のために、平壌出身の在日朝鮮人が、寿町に初めてドヤを」作り、「日本で第三位の規模の寄場が誕生した」経緯が解説されています。著者は寿町の特徴として、「界隈を支配するのは在日韓国・朝鮮人であり」、彼らが「ハングルを掲げた数多くの居酒屋を所有している」こと、「1980年代末に来日した非合法の移民が多いこと」の2点を挙げています。
 著者は、伝統的なスラムと日本の貧困のゲットーを区別する要素として、「日本の貧困ゲットーにおける社会関係は、家庭に依拠するものではない」ことを挙げ、「ドヤ街は男社会であり、多くは血縁を断ち切り、労働力以外売るものの無い、孤独な個人の集まる世界である」と述べています。
 著者は、「1945年の敗戦直後は、廃墟と窮乏の中で、貧民と労働階級は再び混じり合った」が、「60年代の経済成長により、労働者と下層階級との一体性は断ち切られ、貧困と犯罪の世界に関する解釈は、それにより画されることになった」と述べています。
 第2部「やくざ」では、無法者とテキヤの世界を取り上げています。著者は、「やくざ性」を、「その社会的出自がどのようなものであろうとも、周縁性の一つの象徴であり、社会の暗部で生きる一つの方法なのである」と述べ、やくざと貧民との違いを、「特殊な世界への所属要求を持ち、法に対して不服従である点」としながらも、「貧民からやくざへの移行がどこで生じているのかを見定めるのは困難であることが多い」理由として、やくざと貧民が、「往々にして社会の下層階級の生活スタイルを共有している」ことを挙げています。
 第1章「江戸の犯罪」では、「徳川時代の最も意義深い現象」として、「当時の世界のどこにも見られなかったような、比類ない都市の発展」を挙げ、このような社会の進展によって、「路上を跋扈する盗賊団というのではなく、都市の浮動層を母体とする組織化された集団」という「新しいタイプの犯罪」が出現し、「貧窮と無拘束ゆえに潜在的な犯罪傾向をもち、悪党たちと同様に悲惨な生活条件のもとにある別の社会集団へと広がっていった」と述べています。そして、当局は、「都市社会の最下層の人々からなる浮動的で雑多な『乞食のような』一群に真正面から立ち向かうよりは、やくざ集団の主だったリーダーたちを間接的に支援し、最下層グループ内での支配力強化を援助することによって、最下層内部での管理方法を取ろうとした」ため、「幕府は社会の周縁的空間を統御するため、『やくざ』たちに超法規的警察の役割を与えた」ことが述べられています。
 第2章「義賊』では、「やくざ(ことに博徒)」が、「任侠の規範により、不正を糾す者としてのイメージを培ってきた」ことを取り上げています。明治維新直後には、「都市のやくざの世界を形成する者たち」が、「政治的活動家に変貌し、伝統的な親分・子分関係のシステムを、自由主義的な価値の擁護運動のための動員力として利用した」ことが述べられ、「侠客の中には、1870年代から1880年代にかけて自由民権運動に参加するものもあり、歴史家が『民権侠客』と呼ぶもの」になっていったことが解説されています。
 また、やくざが、19世紀末から非合法な伝統的活動に携わるとともに、「体制に仕え、生まれつつあった労働組合運動を抑圧したり、帝国主義的拡張に参加したりして、独特の『愛国主義的』暴力活動」を行い、「やくざの国家主義的で反動的な直接行動主義は、ことに危険で暴力的な反共産主義を培ってきた彼らのいわば『必然の』傾向であった」と述べ、「思想的動機というより、おそらくその組織と暴力の秘儀と、伝統に関する懐古趣味とが、やくざと完全に一致する価値システムを構成しているという理由で、極右集団はやくざを引き付けた」と解説しています。元来、極右は、「不遇のために鬱屈し、多くが職業的な扇動家になっていった旧士族たちで構成」され、「少数派の『壮士』は自由民権運動で戦ったが、多くは議会周辺に集まり、ボディーガードとして国家主義的組織に参加」したことが解説されています。そして、「やくざ、右翼の過激主義者、そして手配師の絆を示すよき例証」として、原敬内閣の内務大臣であり、鹿児島で親方を通じ炭鉱を取り仕切っていた元大物手配師の一人であった床次竹二郎の後援で結成された「大日本国粋会」が、「国会に忠誠心を持つありとあらゆる人間」として、「約6万人のやくざ、アウトロー、手配師、各種の扇動家たち」を集めたことを挙げています。そして、「内務省と警察に支持され、ムッソリーニ主義のファシストをモデルとしていた国粋会」が、60万人のメンバーを擁しているとされ、スト破りや「プロレタリアートの政党と密接な関係があった水平社の奈良における1923年の解放運動の制圧」に利用されたことが述べられています。
 著者は、「右翼の過激主義者とやくざとが隣り合うこうした組織の中にはたいした重要性を持たなくとも、見過ごすことのできないものがいくつかある」として、「戦前にこうした組織の上層部にいた人間たちが、50年代初めから黒幕、すなわち政治の駆け引きの裏の勢力となっていく」と述べ、1931年に大阪で結成された「国粋大衆党の会長」の「笹川良一」やその「忠実な協力者」である「児玉誉士夫」らを挙げ、児玉について、「彼は戦後に、右翼とやくざ、正解とアメリカのロビイストたちとの間の重要なフィクサーとなる」と述べています。そして、「やくざと極右は、軍部と緊密な結びつきがあり」、「『愛国主義的ギャング』の行動(諜報活動、テロ、さまざまな取引)が頻繁になされる場所は中国や韓国であり、そこで彼らは現地のギャングと結びついていた」と述べています。著者は、「徳川時代末期の混乱の時代に、やくざは貧者に側に立つことを選ぶことができたが、その後、やくざは、権力の超法規的機関に変貌したのである」と述べています。
 また、やくざを「都市の申し子である」として、「マフィア以上に(そうでないにしても、後に見るように、その組織、陰の文化において)、ナポリのカモッラを思わせる」として、2つの犯罪集団が、「都市」という発展環境の共通点を持ち、「ナポリでも江戸でも、社会の下層に生じる秩序が問題であり、マージナルな人びとと階級から落ちこぼれた人々は、最終的にその秩序の中で互いを知ることになった」と述べています。
 第3章「敗戦期のやくざから暴力団まで」では、「やくざは、混乱、窮乏、そして仕事を求めどっとあふれた復員兵などの無秩序に乗じて、いち早く再編された社会『制度』の一つである」として、敗戦直後の混乱期に試みられたやくざの組織改革を論じ、「この時期やくざは、軍国主義時代の行動力を引き継ぐ国家主義的正統性の後光を帯び、警察自体から調整的勢力であるとみなされ」、「ことに戦後の再編の際、アメリカ占領軍の厚遇を受けた」として、「日本を安定化させ、彼らの目には脅威と映っていた左翼を阻止しようと気遣っていた」という占領軍の思惑について述べています。
 そして、やくざの暴力行為が再び「愛国主義的」なものになった理由として、「自分たちの縄張りだと思われる場所の外国人を排斥することが重要となった」ことを挙げ、「日本人やくざが彼らに抗し、警察官のみを守った」例として、「山口組組員が、韓国・朝鮮人やくざによって警察署で人質に取られた警官を救った」兵庫県の事件を紹介し、「神戸の警察は山口組の恩を忘れなかった」と述べています。
 また、やくざが、「アメリカ人から大いに政治的援助を受けることができた」背景として、「冷戦の始まりと中国での国家主義的勢力の後退により、日本の民主化は、アメリカ政府の目からすれば二次的なもの」となり、優先されるべき「共産主義との戦い」のために、米国が「監獄にいる戦犯や、やくざの中にそれを見出した」ことを解説しています。
 さらに、1960年の日米安保条約改定時に、安保条約改定やアイゼンハワー大統領の訪日に反対する左翼の大規模デモを契機に、「やくざが再び政治の表舞台に現れた」として、日本の保守陣営が、「左翼と学生への対策に関し警察に加担してくれるよう、極右とやくざに援助を求め」、その仲介役は「児玉誉士夫が担った」と述べ、政府が、「羽田空港と東京都心との間での米大統領の警備の人材を必要としていた」ことについて、児玉がやくざと交渉し、「羽田-都心間に1万8千人のやくざと1万人のテキヤ、および、種々の極右組織のメンバー4千人を配置する用意」を整え、「アイゼンハワー大統領『歓迎委員会』」の構成メンバーには、「悪名高いやくざと並び、保守政治家たち(橋本登美三郎、自由民主党の議員で元警視総監の田中栄一、河野一郎、および元法務総裁の木村篤太郎)がいた」ことが言及されています。
 この他、著者は、「終戦直後の日本のやくざの世界は、エネルギッシュな人物に事欠かない」として、「新宿の闇市という奇跡の庭の『王』である尾津喜之助、銀座に君臨したアメリカ人の手下である安藤明」を挙げた上で、戦後三十年を支配する名前として、「日本最強の暴力団である山口組三代目組長、田岡一雄」の名を挙げ、やくざが、「民衆に対し、常に魅力を放ち続けてきたし、また、大物やくざは自らのイメージを大切にしてきたので、戦後の『親分』の生涯は、格好の記述対象となっており、その伝記には事欠かない」として、戦後の「親分」たちの物語を数々紹介しています。著者は、「20世紀末の日本の『親分』たちは、魑魅魍魎の日本社会暗部の、この上なく示唆的な肖像のギャラリーをなしている」として、「これら偉大なる極道たち」は、「社会の病理的というより、生理的な要素なのである」と解説しています。
 第4章「やくざの組織・権威・伝統」では、「日本においては、やくざが彷徨の案内人であった」として、やくざを「封建社会の如何なるカテゴリーにも属さない人々や、どこにも登録されていない人(無宿人)のための環境システム」であると述べ、「やくざの世界は、権力と暴力の支配する世界であるが、それは、さまざまな差異を無効にするものであって、出自や過去は気にならなくなる」と述べています。
 そして、やくざの世界を特徴づける「親分・子分システム」について、
(1)情動的な深い責任の感覚
(2)それに劣らず強力な求心力
の2つの特色を挙げています。
 また1992年5月の暴力団対策法施行以前には、「日本のやくざは伝統的に街中に立派な建物を構え、社会に組み込まれ」、「近隣の住民から幾分かは不審の目で見られていたものの、だからといって地域社会から追放されていたわけでは」なく、「地元の祭りに参加し、神輿(住民たちが肩に担ぐ一種の祭壇)を担」ぎ、「やくざの親分は地元の『名士』であり、誕生や葬式、あるいは開店の際には陣頭に立って指揮を」とっていたことが述べられています。著者は、やくざが、「把握し難い取引がなされたり、陰の共謀が進んだりする堅気社会の周縁の『グレー・ゾーン』を仕切」り、「後ろ暗い政治的利害関係その他の理由により、正攻法で解決することができないような問題を処理」する「仲介者の役割を果たしている」と述べ、「やくざが社会に統合されている」要因として、
(1)やくざが「社会の潤滑罪」としての役割を果たしているのは、彼らが通常、一般の人々(堅気衆)の領域を侵したりせず、その安寧を尊重するからである。
(2)やくざの享受する社会的統合は、権力、すなわち政治家および警察との密かな黙認関係に基礎をおくものである。
などを挙げ、「日本社会のやくざに対する寛容性は、やくざが民衆の想像力に密かに及ぼしている魅力に由来するもの」であり、「やくざは、文化を育む土壌において、独特かつ両義的で明示しがたい位置を占めている」と述べています。
 著者は、日本のやくざを、「非合法の『整然とした』諸慣行や経済的規制傾向により、シチリアのマフィアよりもはるかにしっかりと社会に組み込まれ」、「さまざまな側面から見て、ヤクザは結局、合法性の周縁で機能するメカニズムの歯車であり、システム全体の良好な運営にとって欠かすことのできないものなのである」と述べています。
 第5章「あたらしいやくざ」では、1980年代末から90年代初めにかけて非常に強まった「暴力団の経済的規制傾向」について述べ、実業界の一部とやくざとの間の共謀関係として、「多数の企業の株を少量ずつ持つ個人で、小株主として総会に参加し、取締役会の意向に有利に計らい、取締役会が面倒な立場に追い込まれないようにする」総会屋のシステムを挙げています。
 また、1980年代後半の投機熱を、「暴力団が合法的活動の深部にまで参与するのに有利に働いたばかり」ではなく、「やくざと極右や政界との癒着を深め、やくざの規制傾向を強めることとなった」と述べています。
 さらに、1992年の暴力団対策法の主たる目的として、「やくざの市民的活動への参入阻止」を挙げ、「堅気の人びとの生活をおびやかさない」という暴力団の大原則が80年代末に大きく変化したという当時の警察長犯罪対策部長国松孝次の言葉を紹介し、「暴力団対策法適用以後、組織は姿を潜めるようになったが、実際にはすでに再編制が始まって」おり、「活動がより隠れた部分でなされるように」なり、「隠蔽活動が発展」し、商社の体裁や政治運動、宗教団体などの形をとるようになったことを述べています。著者は、暴力団対策法の「性質の異なる2つの潜在的リスク」として、
(1)市民の自由を奪うものであること
(2)従来やくざと社会との間に存在していた暗黙の均衡が破られかねないこと
の2点を挙げています。
 第6章「露天商」では、「それなしには祭りが真に存在することはありえない」祭りの立役者である行商人について論じています。そして、行商人が「自身を好んで香具師(やし)と呼ぶ」ことについて、「香具師は薬師(薬の専門家)、すなわち、薬売りの縮約に由来する」という説などを紹介しています。
 第7章「路上の花火師たち」では、江戸時代のテキヤが「不動的、不安定で、士農工商のいずれにも属さず、それゆえ、より周縁へ追いやられた人々から成り立っている」と述べています。
 第8章「テキヤ――帰属と拒否」では、「やくざの基層文化とさまざまな点で近いテキヤの基層文化にも独自性はある」として、「テキヤには口上の大いなる伝統がある上に、その隠語や習慣はやくざとは異なっている」として、テキヤが天照大神ではなく神農を崇拝していることを指摘しています。また、テキヤの伝統がやくざと異なる点として、
(1)独特の「隠語」
(2)洗練された口上の「芸」
の2点を挙げ、テキヤの隠語が、「一定の『威厳のライン』以下の周縁の人々によって使われ、いくつかの職業集団の無数の言い回しの中に入り込んでいる」と述べ、「テキヤの隠語は認知のしるしであると同時に、外部に対する防衛でも」あり、「共同体として形成されるための手段でもある」と述べています。
 また、祭りの際に地元商店街組合にとって、「テキヤとうまく折り合いをつけていくのは、すべて利益につながること」であり、「テキヤがいなければ『祭りは葬式になってしまう』」として、1980年に秩父市の商工会議所がテキヤの人数縮減を要求し、秩父の夜祭からテキヤが撤退した際には、「事態はあまりに壊滅的であったので、秩父市はテキヤの翌年の祭りへの参加要求をすぐさま受け入れた」例を紹介しています。
 本書は、歴史の教科書には表面的な事件、制度しか登場しないさまざまな出来事の水面下で脈々とつむがれてきた「裏社会の日本史」をつないでくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の著者は、実在する『ル・モンド』東京支局長のフランス人だということです。現代の日本の裏社会を描いた『ヤクザ・リセッション』の著者も元『フォーブス』のアジア太平洋支局長でしたが、こういうテーマの本の場合、身元が割れることを恐れて日本人なのに外国人風のペンネームを使う人も多いようです。
 身の安全を恐れてということではないですが、『反社会学講座』のパオロ・マッツァリーノ氏は、「イタリア生まれの30代。天然パーマでひげもじゃです。父は寡黙な九州男児、母は陽気な花売り娘」という幕張在住の大学講師とされています。


■ どんな人にオススメ?

・歴史の教科書のページの裏側を覗いてみたい人。


■ 関連しそうな本

 ベンジャミン・フルフォード 『ヤクザ・リセッション さらに失われる10年』 2006年02月18日
 松原 岩五郎 『最暗黒の東京』 2006年07月31日
 紀田 順一郎 『東京の下層社会―明治から終戦まで』 2006年07月27日
 横山 源之助 『日本の下層社会』 2006年08月11日
 山本 雅基 『東京のドヤ街・山谷でホスピス始めました。―「きぼうのいえ」の無謀な試み』 2007年01月25日
 パオロ・マッツァリーノ 『反社会学講座』 2006年03月11日


■ 百夜百マンガ

BOY―Hareluya II【BOY―Hareluya II 】

 「地上に落ちた天使のコメディ」という設定が日本で受けず、10週打ち切りを食らった前作の設定を変え、学園不良ものとしてヒットした作品です。
 知らない人はなんで「2」なのかが分からないことでしょう。そういえば、『代紋 TAKE-2』には「TAKE-1」はあるのでしょうか。それとも人生の2テイク目と言うことなのか

2007年2月22日 (木)

マンガの中の障害者たち―表現と人権

■ 書籍情報

マンガの中の障害者たち―表現と人権   【マンガの中の障害者たち―表現と人権】

  永井 哲
  価格: ¥1995 (税込)
  解放出版社(1998/07)

 本書は、ろうあ者を中心とした障害者が登場するマンガを紹介しながら、「障害者のことを描いてるけどさ、障害者自身から見たら、な~んかヘンだと思わない?」という話をすることで、「障害者がまちがった形で描かれている作品を読んだ人も、そのままに受け入れてしまうのではなく、そのまちがいに気がついてほしい」という思いが込められているものです。
 著者が最初に出会ったろうあ者を描いたマンガは、『りぼん』1971年7月号に掲載された「まぶしい風」という作品で、愛媛県立松山ろう学校のソフトボール部を、きちんとした取材の上で描かれていて、著者は、「これは貴重な資料だと思い、掲載誌から切り取って大切に保存」したの語っています。
 第1章「ろうあ者って、こんなふうに見られているの?」では、1960年前後の3つの作品を紹介し、これらの中で、口封じのために文字通り「薬でのどを潰す」企みが、「字をかけることをわすれていた」というオチになっていることを挙げ、当時の一般の人々からは、「声の出せない障害者はそれだけで、もう周囲の人びととはまったく話のできない存在というように思われていた」ために、「しゃべれないために目撃した内容を十分詳しくは伝えられない」という設定になったのではないかと述べています。
 また、いくつかの作品に、「母親が耳が聞こえなかったので、少しは読唇術ができる」という子どもが登場することについて、「声に頼れない僕らろうあ者」が、「毎日苦心したところで、100パーセント読み取るのは、とうてい無理」であり、「いくつかの単語がかろうじて読み取れれば、いい方」だと指摘しています。むしろ、現実にいちばん近い作品として、車の中から、
「わ た し に か ま わ な い で!」
と、口の動きで伝えようとしていたのに、相手は、
「声は聞こえなかったけれど・・・ 口の動きで分かった 彼女は俺にこう言った 『私を助けて!!』・・・・・・と」
と伝わってしまう、という場面を紹介しています。
 この他、山岸涼子の「遠い讃美歌」という作品で、美人の主人公の周りにチヤホヤと群がってきた男たちが、「耳が聞こえない」と聞くとがらりと態度が変わり、
「しっかしおしいよなあ」
「これだけ美人でもそれじゃ嫁のもらい手ないよなあ」
と、「障害者というだけで、もう恋愛や結婚などの対象外ということになってしまう」ことを指摘するとともに、「障害者という以前に、女を『人間』扱いしていない」と、「『女』として『障害者』として、二重の差別に対決していかなければならなくなってしまう」と述べています。
 第2章「街角の、あたりまえのろうあ者たち」では、関川夏央・谷口ジローコンビによる「ユリシーズが旅立った雨の夜」に登場する聴覚障害のスナイパーである主人公を紹介し、「ろうあ者がハードボイルドの主役をやっているってのは、実にめずらしい」と述べています。
 また、『遥かなる甲子園』に先立つこと30年以上前に、ろう学校の野球チームを扱った作品として「熱球球太」という作品を紹介しています。
 第3章「ここにも あそこにも・・・さまざまな聴覚・言語障害者たち」では、「盲聾唖」者への教育の挑戦の実話を元に描かれた「0学級の子どもたち」という作品が紹介されています。
 また、寄生獣で知られる岩明均の初期の作品である『風子のいる店』の中で、どもってしまう風子に対して、お説教をする中年の男に対し、他の客が、
「あんたは さっきその娘を半人前だと指差したな もしあんたの片足が無かったら あんたは何人前になるんだ?」
という言葉を紹介しています。著者は、この作品を、「たんに吃音というだけでなく、障害者に対する基本的な視点をはっきりと持って描かれている」とお奨めしています。
 第4章「主役になったろうあ者たち」では、山本おさむの『遥かなる甲子園』と、軽部潤子の『君の手がささやいている』を紹介し、「山本おさむが『社会の中の障害者』を描こうとしてきたとすれば、軽部潤子は『日常の中のろうあ者』を描こうとしているのかもしれません」と述べています。そして、「障害者にはできやしない、どうせ障害者だから」という「敵意ある差別」には対抗できても、「おまえのことが心配なんだから、愛しているんだから」という「好意あふれる差別」には、なかなか対抗しきれないと語っています。
 第5章「マンガの中のさまざまな障害者たち」では、「骨格が変化して、まるで犬の顔のようになってしまう」「モンモウ病」にかかった主人公を描いた『きりひと讃歌』や、『佐武と市捕物控』の佐武、脳性マヒの障害者を描いた『てっちゃん』などを紹介しています。
 著者は、、「この現代日本で、マンガという分野は、ものすごい比重を占めています」と述べ、「マンガの影響力って大きいですから、障害者ってこういうものなんだってまちがって覚えられてしまったりすると、僕らたまりません」と、手塚治虫の、マンガで何を描いてもかまわないが、「これだけは守らなければならないということがある。」「それは基本的人権だ。」という言葉を紹介しています。
 本書は、マンガという切り口を通じて、人権を考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者は、マンガの「擬音」(オノマトペ)と聴覚障害に関して、「雪が降る時はしんしんという音がしていると思っていた」という友人の言葉を紹介しています。本書では、聴覚障害者に「音楽」をどのように伝えるか、ということをテーマにした「ff(フォルテシモ)で飛びたて!」という作品を紹介していますが、子供に教えること以上に大変だと思います。


■ どんな人にオススメ?

・マンガを通して、世間の見方を見たい人。


■ 関連しそうな本

 週刊文春 『徹底追及 「言葉狩り」と差別』
 西尾 秀和 『差別表現の検証―マスメディアの現場から』
 アクセシビリティ研究会 (著), C&C振興財団 (編集) 『情報アクセシビリティとユニバーサルデザイン―誰もが情報にアクセスできる社会をめざして』 2005年08月15日
 関根 千佳 『「誰でも社会」へ―デジタル時代のユニバーサルデザイン』 2005年06月18
 安部 省吾 『知的障害者雇用の現場から―心休まらない日々の記録』 2006年06月27日


■ 百夜百マンガ

きりひと讃歌【きりひと讃歌 】

 ゆうきまさみの短編の中で「モンモウ病か?」という小ネタが出てくるんですが、これを読んでないと分からないネタです。

2007年2月21日 (水)

広報力が地域を変える!―地域経営時代のソーシャル・コミュニケーション

■ 書籍情報

広報力が地域を変える!―地域経営時代のソーシャル・コミュニケーション   【広報力が地域を変える!―地域経営時代のソーシャル・コミュニケーション】

  電通プロジェクトプロデュース局ソーシャルプロジェクト室 (編集)
  価格: ¥2310 (税込)
  日本地域社会研究所(2005/11)

広報力が地域を変える!―地域経営時代のソーシャル・コミュニケーション
電通プロジェクトプロデュース局ソーシャルプロジェクト室 (編集)
 本書は、平成16年度に財団法人名古屋市建設事業サービス財団が実施した「土木行政のアカウンタビリティー向上に向けての検討業務」の一環として、名古屋市東京事務所と株式会社電通が共同で行った「名古屋市広報ワークショップ」での講演・討議を、電通が編集・作成したものです。
 本書の問題意識の根底にあるのは、国や自治体が行う施策に関して、「これらの施策をいかに市民に効果的に伝え、共感を得て全体としての取り組みにしていくか」ということであり、「より多くの共感を得て、国や地域の再生や活性化に積極的につなげていく、その原動力になるのが『広報力(コミュニケーション力)』である」というものです。
 第1章「広報力とは何か」では、新しい行政モデルの基軸となる2大テーマである「経営」と「協働」に関して、これらを貫くキーファクターとして、
(1)選択:財源と人的資源の制約の中で「選択と集中」が求められるとともに、その地域にいってみたい(観光)、住んでみたい(定住)という「外からの選択」の側面もある。
(2)統合:トータルな住民満足の追及とともに、市民自身が「統合的」に市民生活を捉え、行政とともに「統合的に」解決する。
(3)関係:「参画・協働」の基盤であるとともに、「ステークホルダー」という考え方を含め、対話する対象の細分化と、対応の最適化が課題になる。
(4)価値:「選択」「統合」「関係」の諸活動を収斂させる「経営目標」。「双方向性」「伝達性」「時代性」という3つの特性を持つ。
の4点を挙げ、これらを、「時代の変革を捉えるキーワード」であるとともに「本稿の主題である『広報力』の背景をなす認識」であると述べています。
 そして、職員の意識・能力として、「職員はみな広報マン」という掛け声の問題ではなく、「『コミュニケーションで仕事をする』行政職員の意識やワークスタイルのあり方と認識」すべきであると主張し、
(1)「広報」を広報課などの千人組織だけに任せず、そことの連携を図りながらも各部局内で職員が自分で戦略立案し、実際に活動を展開する習慣を身につける。
(2)「広報評価」の指標と仕組みの導入。
の2点を提案しています。
 また、対話型広報においては、「コミュニケーションが本来的に双方向の行為を意味」し、「知らせる(広報)と聞く(広聴)は同時に行われてしかるべきであって、これを分離して考えるべきではない」ため、手法以上に「広報」=「広聴」の姿勢を貫くことが重要であると述べています。
 さらに、「ひとりの広報対象に、複数のメディアを通して情報が伝わる仕組み」である「メディア・ミックス」は行政広報においてもおおむね普及してきているが、「運動型広報」の一局面としては、「1つのテーマではあるが、それに関連する複数のメッセージが、複数のメディアや人から『異口同音』に伝達される手法」である「コミュニケーション・ミックス」について解説され、メディアは、「マスメディアやホームページ、ポスターやチラシの制作物、イベントや講演会」にかぎらず、「むしろこれから重視すべきは、『人』メディアではないだろうか」と述べられています。
 著者はこれらを踏まえ、「広報活動の基本」として、
(1)広報の基本は「誰に」×「何を」
(2)事実で語れ
(3)相手の言葉で語れ
(4)時間軸で語れ
(5)語るから対話ができる
の5つの原則を掲げるとともに、「広報戦略の構成要件」の例として、
(1)広報目的:何のための広報か、その目的の明確化
(2)広報目標:広報の展開によって期待する成果、誰をどうさせたいのか。
(3)広報対象:主たる対象は誰か、メディエーターになりうるのは誰か。
(4)表現内容:主たるメッセージは何か、一言で表現するとどうか。
(5)広報媒体:使用メディアの選定と組み合わせ方(メディア・ミックス)の方針
(6)広報時期:集中展開か継続展開か、効果を発揮しやすいタイミングはいつか。
(7)広報予算:広報目的・目標を達成するために必要な予算規模
(8)広報体制:立案・実施できる体制か、連携できる組織・集団・人材はあるか。
(9)広報展開:実施可能な案か、実施上のリスクはないか、社会的反響の予測。
(10)広報評価:実施後との効果測定、広報戦略評価、時期戦略へのフィードバック。
などの点を挙げ、広報戦略立案のためのヒントとして、
(1)メッセージの体系を整理する
(2)メディアを有効に組み合わせる
(3)タイミングをとらえる
(4)応援団を味方につける
(5)広報評価の仕組みをつくる
の5点について解説しています。
 著者は、「広報力」の問題は、「行政職員のコミュニケーション能力の向上」で解決できる問題ではなく、「それを組織的に動かしていく、いわば『コミュニケーション・マネジメント(広報経営)』の仕組み作りにつなげていく必要」があり、その際には、「地域を動かしていく主役はあくまで『市民』であり、その駆動力である『市民力』をいかに高めていけるか」という認識が重要であると主張しています。
 第2章「国によるコミュニケーション型行政の推進」では、平成8年に建設省中部地方建設局が「地域コミュニケーション大綱」をまとめ、平成11年1月には、全省的に拡げた「コミュニケーション型行政」を「1つの対話型行政のモデル」としてまとめていることが述べられています。
 そして、「真の『技術屋』は、対話自体を好きになることが必要」なのであるが、「どちらかというと人前で話すのが苦手な人」が多いことを指摘しています。
 また、これからの行政職員に求められる能力として、
(1)技術的能力(テクニカル・スキル)
(2)調整する技術(コーディネート・スキル)
(3)概念化する技術(コンセプチュアル・スキル)
の3つの能力を示しています。
 第3章「広報手法による地域活性化」では、「富山市価値創造プロジェクト」を取り上げ、富山商工会議所が、
(1)「少子高齢化」に対して経済団体としてどう対応していくべきか。
(2)中心市街地の空洞化
(3)車依存度が高い
(4)北陸新幹線の開業:平成26年ごろには東京都最短2時間7分で結ばれる。
の4つの問題意識をもっていたことが解説されています。
 そして、富山には「なーん、何もないちゃ」という富山弁に象徴される「謙虚さに根づいた分化」があるが、これは「自身がない、地元のことをよく知らない、口下手ということの裏返し」でもあると指摘し、「最も重要なことは、身近にあるものを富山市の価値や価値資源だと『気づく』こと」であり、「価値想像とはゼロから何かを生み出すのではなく、すでにある価値や価値資源に光をあてて輝かせることであり、それはそれほど難しいことではない」と述べています。
 著者は、「発信しなければ意思は伝わらないし、行動しなければ何も変わらない」と述べ、
・自分が変わる(自分を変える)
    ↓
・周囲が変わる
    ↓
・会社・地域が変わる
の3つのステップを示しています。
 第4章「企業の広報戦略に学ぶ」では、旭化成の「イヒ!」キャンペーンを取り上げ、企業の広報の機能を、
(1)広報によって「ブランド力を増大する」ことができる
(2)コミュニケーション・リスクを軽減すること
の2つを挙げ、「これ2つの機能を高めていくような広報力を培っていくことが重要である」と述べています。
 そして、緊急時の広報活動に必要な要素として、
(1)誠実な情報開示(インテグリティの原則)
(2)公共の利益で対応する(パブリック・マインドの原則)
(3)迅速な決定と行動(スピードの原則)
の3つの原則を示し、緊急時の広報をうまく行うポイントとして、
(1)組織の風通しを良くすること
(2)関係者とのコミュニケーション
(3)日常の活動において「グッド」の評価を得ておく:企業の好感度には(1)「エクセレント」と(2)「グッド」(人間で言えば「いい人、信頼が置ける人」)の2つの側面があり、「グッド」の評価を得るためには、本音で話し、等身大のメッセージを出すことが必要。
の3つのポイントを挙げています。
 著者は、「グッド」を狙ったコミュニケーションの礼として、平成9年からの「イヒ!」キャンペーンを取り上げ、「20~30代の若い世代には、旭化成がどういう企業かが知られていないという傾向」に対し、「若い世代に向けて、企業の『顔』を見せていこう」と始めたプロジェクトであることが解説されています。この「イヒ!」キャンペーンの効果としては、「最も遡及したかった20~30代のビジネスマンの好感度が、平成6年の38%から平成14年にはほぼ倍の77%に驚異的に上がった」ことや、就職ランキングが理系部門で30位程度から100内になるなどの社外において大きな効果があったとともに、社内においては、「ヒラメキ・コンクール」に4400通もの提案が集まり、社内に「言いたいことは言おう」、「ひらめいたことは言おう」というムードが産まれた他、「社内コミュニケーションを改革するために、社内報を利用して、社員が社長に質問する機会を与える『紙上Q&A』を実施」したことなどが紹介され、このキャンペーンが、「最初は社外に対する『グッド』なコミュニケーションを狙ったものであったのだが、社内に対しても本音のコミュニケーションを促すことにつながり、最終的には新しい企業理念を作ることにまでつながっていった」こと、すなわち、「社内のタブーをなくして、外に向かって突破していこうという機運が生まれ、社内でさまざまな改革を行う際にも思い切ってやろう、変えていこうというエネルギーにつながった」ことが解説されています。
 著者は、「職員が倫理観や価値観を共有したり、企業に対する忠誠心や求心力を高めたりということを考えると、運動論的な要素も必要」であるとして、「ヒラメキ・コンクール」において、サポーターズ・クラブを作り、「好きな人が好きなだけ参加できるしくみ」を作り、「トップのリーダーシップは改革のスタートアップを示す上で最低限は必要であるが、さらなる運動論として『ムーブメント』に消火させるためには、リーダーシップによって管理統制された(ように見える)改革ではなく、例えば旭化成における広報室のような、日頃から各部署と多様なコミュニケーション機会を有する部署が、自然に周囲の社員を巻き込んでいくような『流れ』が重要なのではないか」と述べています。
 また、「広報担当に必要の資質」として、
(1)広報を行う相手にきちんと理解してもらえるように、ストーリーを組み立てることができる人。
(2)喧嘩の仲裁ができる人、すなわち「コミュニケーター」。
(3)想像力が豊かな人
の3点をを挙げています。
 さらに、コミュニケーションのリスクを軽減するための視点として、
(1)職員1人ひとりが「コミュニケーション・リスク感性を磨く」こと
(2)相手によって言うことが違うような「ダブルスタンダードは通用しない」こと
(3)自分にとって悪い情報や失敗事例を言うことができる組織風土、コミュニケーション・リスクがない風土をつくること。
の3点を挙げています。
 本書は、「広報力」という視点から地域経営を捉えるという点で、広告会社の強みと弱みの両方を見ることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、もともとワークショップにおけるプレゼンをベースに本の体裁に編集したものですが、こうやって文章の形、本にしてみると、プレゼンで中身のあることを語っているか、ハッタリをかましている目くらましなのか、ということが良く見えてきます。
 何章とは言いませんが、「著者が言いたいことは何か」をどうしてもピックアップできない章もあり、ワークショップの会場ではなんとなく分かったような気にさせることはできても、冷静に振り返ると、バズワード(もちろん使い方、文脈に依存しますが)を散りばめただけのハッタリであることが分かるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・コミュニケーションを行政の仕事の中心に据えたい人。


■ 関連しそうな本

 井之上パブリックリレーションズ (著), 井之上 喬 (編集) 『入門 パブリックリレーションズ―双方向コミュニケーションを可能にする新広報戦略』 2006年12月13日
 矢島 尚 『PR会社の時代―メディア活用のプロフェッショナル』 2006年11月13日
 ポール・A. アージェンティ, ジャニス フォーマン (著), 矢野 充彦 (翻訳) 『コーポレート・コミュニケーションの時代』 2006年10月23日
 世耕 弘成 『プロフェッショナル広報戦略』 2006年09月22日
 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 2005年09月07日
 石川 慶子 『マスコミ対応緊急マニュアル―広報活動のプロフェッショナル』 2006年10月26日


■ 百夜百マンガ

HARELUYA【HARELUYA 】

 天上界から追放されてきた天使、という設定のこの作品では10号打ち切りの憂き目を見たこの作品ですが、ブレイクした『HARELUYAII BOY』を楽しむにはこっちの設定も知っておくといいです。

2007年2月20日 (火)

GHQ日本占領史 (20) 教育

■ 書籍情報

GHQ日本占領史 (20) 教育   【GHQ日本占領史 (20) 教育】

  天川 晃
  価格: ¥6510 (税込)
  日本図書センター(1996/12)

 本書は、GHQの民間資料局(CHS)によって編纂された『日本占領のGHQ正史』を翻訳したもので、この正史は、米第8軍軍政局による『軍政活動報告書』に匹敵するもので、「占領史研究に不可欠な資料である」と評されています。占領政策は、当初にはニューディーラーによる積極的な改革が行われたものの、東西冷戦を契機に、1948年に「改革」から「復興」に大きく転換したといわれているなか、教育に関してはこの「逆コース」なるものは存在せず、「計画されたものは全て達成された」と解説されています。
 教育の改革は、
・教員パージ:戦時中、生徒たちに軍国主義的・超国家主義的思想を吹き込み、生徒たちを戦場にかりたてた教師たちの公職追放。
・歴史教科書の作成:教科書から軍国主義的な思想を除去する墨塗りや史実に基づいた『くにのあゆみ』の作成。
などからなり、
・軍事教育が徐々に教育内容・方法に強力な影響を及ぼすにいたったこと。
・教師への監督が警官的機能を果たし、超国家的イデオロギー強化に寄与したこと。
・青年団が軍国主義者によって教育手段として利用されたこと。
など、「戦前の教育が国民思想形成に起用したことを批判し、戦後は憲法に基づいた個人の民主的育成こそが究極の目的である」とされたことが解説されています。
 第1章「降伏前の状態」では、1872年に、全国の教育制度の確立を規定した教育令が発布され、256校の中学校と5万3760校の小学校、8大学が設立されることになったこと、1890年には明治天皇が教育勅語を発布し、この直後によって唱導された道徳および倫理の概念が、その背後に天皇が神に起源を持つということを一般に承認されていたことから強力な情緒的宗教的拘束力を持っていたことなどが解説されています。
 また、占領直前には文部大臣は内閣の中で重要なポストの1つとみなされ、「極度の中央集権化された教育制度の組織と指揮監督の責務を担うとともに、軍事教練、芸術、科学、文学、宗教、娯楽および青少年の活動と組織に関与」し、「50万人の教師を指揮監督し、約20万人の僧職者を管理」していたこと、そして同省が「軍国主義者や超国家主義者に支配され、その効果的な道具」となったことが解説されています。戦前の教授法は、「高度に標準化」され、「中央の行政当局によって出された指示に確実に従うことが要求」されていたと述べられています。
 1938年には文部大臣に荒木貞夫将軍が任命され、「学校制度に対する軍国主義者の支配は完全なもの」となり、「軍国主義者の教育支配や学校における超国家主義・軍国主義の宣伝」に教員が協力しなかった場合は、「免職あるいは投獄が待ち受けていた」と述べられています。
 第2章「降伏後の状態」では、ポツダム宣言の遂行の1つが、「すべての軍国主義者・超国家主義者および占領の目的および反対者を教育機関から追放すること」であり、「不適当な人物の解任」が、主要目的の1つとなり、連合国最高司令官への指令の主要課題でもあったと述べられています。1946年1月4日の「総括的な追放令」によって、「政府の雇用者たる40万人以上の教員および教育官公吏が影響を受け」、適格審査方法の改訂が必要となったこと、1949年4月末までには、総計94万2459名が第1次適格審査手続きを受け、3151名が不適格であったことなどが解説されています。
 1946年3月にはアメリカの著名な教育者からなる使節団が来日し、
(1)日本の民主主義について研究し、学科課程・教科書・教師用参考書、視聴覚教育について勧告すること。
(2)日本の再教育の心理的側面について、教育方法における心理的修正、言語改革、教育刷新における優先順位、学生・生徒の独創性の開発、教師の再教育についての勧告。
(3)短期的および長期的改革、文部省の再編および地方分権化の諸問題の観点から行政を分析すること。
(4)高等教育、図書館、学術研究所、学生と教授団の自由ならびに社会科学の新たな方向づけについて研究すること。
の4つの領域についての分科委員会があったことが紹介されています。
 そして、1946年8月9日には、「ない核と同等の地位を有し、文部省から独立した常設委員会」である教育刷新委員会が設置され、
・6年制の小学校の上に、それぞれ3年ずつのレベルの異なる2つの中等教育機関を設置すること。
・その上に3年、4年、5年制の大学を設置すること。
・安定した社会的・財政的基盤に立つ私立学校を設置すること。
・教育行政の民主化・地方分権化。
などの具体的勧告が最初の公式報告書に含まれていたことが述べられています。
 1948年には、教育勅語にとって代わるべきものとして、国の教育理念を確立し、一般に「教育憲章」と呼ばれる教育基本法が制定され、「憲法上の保障を再び声明し敷衍したものであるとともに、教育の村長と虚位くの独立を強調し、公務における教育の優先を確立した1946年8月3日の決議そのものを法律として制定したもの」であり、米国教育使節団と教育刷新委員会の勧告を組み入れたものであることが述べられています。ここでは、教育の目的を、「あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。それは人格の完成と、心身ともに健康で、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労を重んじ深い責任感を持ち、平和的な国家および社会の形成者として、自主的精神に満ちた国民の育成である」と規制されたことが解説されています。
 行政の地方分権化に関しては、行政の地方分権化と適任教育者への権限の委譲を達成するために、軍国手主義的・超国家主義的政策を拒否する一方で、学校に対する現実の行政権が都道府県・市町村の公選の委員会に委ねられるべきものとされ、教育者たちは、「公選制の下での教育は政治的影響を受けるのではないか」と恐れ、「あまりにも唐突で、かつ重要なこの地方分権化について深刻な不安を抱いていた」が、「民主的学校制度の進展は、成功も失敗も、国民自身に委ねられるべきであるという考え」に基づき、改革に着手したことが解説されています。
 1948年には教育委員会法が公布され、この法令は、委員会権限の制約など若干の欠陥があったものの、「教育に関する権限を官僚的な中央官庁から国民自身に委譲する過程における革命的な措置であった」と評されています。教育委員会には、
(1)都道府県教育委員会:関係都道府県の設置した学校その他の教育機関を管理するべくすべての都道府県に設置された。
(2)市町村に設置される地方委員会:市町村などの関係地方公共団体の設置した教育機関を統制するために市町村に設置された。
の2つのタイプがあり、「かつて府県ないし市町村の当局が扱っていた教育事務に関する権限」が付与されたことが述べられています。また、私立学校についての所管については、文部省が、「学校教育法の権限」にもとづき、「都道府県に属する」という公式見解を発表したことが述べられています。
 教育委員会には、
(1)学校の設置および廃止
(2)学校の運営および管理
(3)教科内容
(4)教科書の選択
(5)関連法律の規定に基づく教員および校長の任免
(6)委員会の管理下にあるその他の職員の任免
(7)教職員の組織する労働組合
(8)建物の修繕・建築
(9)教材・設備
(10)委員会の所掌にかかる予算
(11)財産および積立金の管理
(12)他の教育委員界との契約
(13)社会教育
(14)専門的教育職員の再教育と自己改善
(15)証書および公文書の保管
(16)教育事項の調査および統計
(17)法律に別段定めのないその所管地域の教育事務
などの事項に関する管轄権が与えられ、その最初の選挙日は1948年10月5日とされたが、「旧制度から新制度への移行に伴う諸問題」により地方委員会設置予定が1952年まで延期されたことが述べられています。
 財政問題に関しては、教育改革の成否が、「その大部分が十分な財政援助を得られるかどうかにかかって」おり、「学校の経費は、何倍にも膨れ上がり、それにインフレーションが国全体の直面している克服し難い財政的不均等に追い討ちをかけた」と述べられ、「建築および設備の老朽化に戦災が加わった」ことで改修・改築が必要になり、「人口増と義務教育年限の延長の結果、在籍数は増加」し、改革計画の莫大な支出は、「とくに新制中学校の新校舎および設備」において著しかったと述べられています。
 1948年には、3つの法律によって学校教育費の国庫負担区分が改められ、
(1)義務教育費の国庫負担は、1940年に50%と定められたものが、学校教育法において確認された。
(2)高等学校定時制課程の教員給与は、都道府県が負担していたが40%の補助が認められた。
(3)市町村率の小学校、中学校、定時制、盲・聾学校の校長および教員の給与は都道府県が負担し、義務教育費国庫補助金の配分は都道府県の責任とした。
ことが解説されています。
 また、戦時中には緊急事態として、学校財産が住宅と産業に転用されたために復旧は遅々として進まず、1948年11月には、最高司令官が、「学校用地が教育目的に必要なときは、私人、教育以外の政府機関または法人による使用を禁止すること」を命じたことを紹介しています。
 さらに、地方公共団体は、旧制中学校の申請学校への切り替えを迫られていたが、ほとんどは新制中学校に切り替えられておらず、その理由には、旧制中学校当局者および教員たちが、「自分たちの」学校が下級の中学校に切り替えられることへの反対による圧力もあったことが紹介されています。
 社会教育に関しては、1945年11月に、文部省から都道府県知事に対して、「可能であれば社会教育に関する特別の部局を設置するよう訓令を発し」、1948年3月までには福井県を除く全県がこれを設置したこと、1946年7月には、都道府県知事に、「全ての地域社会に、それ独自の文化的あるいは社会的な催しのための集会場所となる公民館の建設計画」を求めたことなどが解説されています。
 1947年2月には、文部省は、「親が新しい教育計画に積極的に関心をもって参加するため」に、「父母と教師の会(PTA)」を組織することを援助し、「その組織、手続き、財政の諸措置について示唆」したことが紹介されています。
 言語改革に関しては、1946年11月5日に国語審議会が、当用漢字を1850字に限定することを建議し、翌日には、政府は公式に、「当用漢字表と簡素化された仮名遣いを採用」し、政府部局に対して、全ての文章による伝達文にそれを使用するよう指示したことが述べられています。
 本書は、日本の教育問題を考える上で、その再出発点である終戦直後の大改革を理解するための重要資料の一つです。


■ 個人的な視点から

 教育基本法の改正問題で脚光を浴びた教育制度ですが、現在の制度、例えば小中学校教員の人件費負担や私学が教育委員会の所管外とされていることなどを考える上では、占領期のあわただしい制度改正、民主主義の理想と財政に代表される現実との間の揺り戻しなどを考えなくてはなりません。


■ どんな人にオススメ?

・戦後日本の教育制度のルーツと長いタームでの「逆コース」問題を考えたい人。


■ 関連しそうな本

 カール・S. シャウプ (著), 柴田 弘文, 柴田 愛子 (翻訳) 『シャウプの証言―シャウプ税制使節団の教訓』 2007年02月13日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 天川 晃 『GHQ日本占領史 (38)地方自治体財政』 2007年02月15日
 天川 晃, 増田 弘 『地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続』 
 勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日
 岡田 彰 『現代日本官僚制の成立―戦後占領期における行政制度の再編成』 


■ 百夜百マンガ

プロゴルファー貘【プロゴルファー貘 】

 「わいは猿や!」かと思ったら「貘」でしたか。
 野沢直子の『はなぢ』に収められていた代表曲「バクバクバクバク大和田獏」を思い出してしまいました。

2007年2月19日 (月)

人事アセスメント論―個と組織を生かす心理学の知恵

あsc■ 書籍情報

人事アセスメント論―個と組織を生かす心理学の知恵   【人事アセスメント論―個と組織を生かす心理学の知恵】

  二村 英幸
  価格: ¥2940 (税込)
  ミネルヴァ書房(2005/07)

 本書は、「人が人の特性、個性を把握する機能であり、人材マネジメントの一局面」であり、「端的に言えば、組織の秩序を維持し経営戦略を達成させる機能と人を動機づけ成長させる人材育成機能」と要約される人材アセスメントについて、心理学を中心とした科学的なアプローチによって人事評価の実践的有用性を追及しているものです。
 第1章「人事アセスメントの目指すもの」では、「個人の特徴の差異を明らかにするのは、経営管理者の『技』の域から出て経営管理のノウハウとしての位置づけを明確にしてかからねばならない事態ととらえるべき」と主張しています。
 第2章「企業人能力のとらえかた」では、企業人能力としての性格特性の評価の観点として、
(1)精神病理の診断:身体的な健康と同列に位置づけられる精神的健康の観点
(2)人物特徴の理解:職場メンバー相互の人間的な理解の観点、あるいはその前提としての自己理解のための観点
(3)職務や職場との適合性や優秀性の評価:職務や職場の向き不向きや興味の有無や職務、職場要件の充足殿評価
の3点を挙げています。
 そして、米国における、企業人能力を職務要件との関連性からとらえた、
・知識(knowlegde)
・スキル(skills)
・能力(abilities)
の3要素が「KSA」と略称されていることが紹介されています。
 さらに、コンピテンシーについて、「米国の能力観にそって展開されてこそ意義が見出される」ものであり、「米国の社会事情において知的能力重視、資質重視の能力観を修正する意義が認められるのであって、日本においては従前からの能力観で、その内容にはとりたてて新鮮味はないはずのもの」であると述べています。
 第3章「資質を評価する」では、適性検査の種類を、
(1)能力適性検査
(2)性格適性検査
(3)興味・指向適性検査
(4)総合適性検査
の4種挙げ、それぞれ解説しています。そして、適性検査の適用場面として、
(1)人物理解を進めるための参考資料とする
(2)職務要件の充足度を診断、判定する
(3)能力開発を支援する
(4)経営人事情報として分析する
の4つの場面があると述べています。
 また、検査結果と面接で得られる人物イメージが食い違う場面が多くあることについて、「両社のいずれが正しいかで頭を悩ませるのではなく、矛盾する両情報を高い視点から統合する広い人間観をもって臨むのが正解であろう」と述べています。
 第4章「職務行動を評定する」では、多面観察評価ツールについて、「職務を遂行する上で鍵となっている職務行動を行動評定項目として抽出し、被評定者自身の自己評定と職場で関係のある複数グループ、複数名による評定を収集し、自己評定と関係者の評定平均との対比をもって職務行動能力・スキルを把握しようとする手法である」と定義し、
(1)現実の職務行動を評定の対象とする
(2)複数グループの複数名による評定
(3)自己評定と他者評定の対比
の3点がポイントであるとしています。そして、「冷静で客観的な事実にもとづいたものばかりでない」にもかかわらず多面観察評価ツールが機能する理由として、
(1)客観的事実よりも「主観的事実」にこそ意義があること。
(2)潜在的な人物特性の評定でなく顕在的な行動の観察評定であること。
の2点を挙げています。
 第5章「実践的能力・スキルを評価する」では、集合研修の形で、中間管理者層としての能力・スキルを育成、評価しようとする「アセスメントセンター方式」について解説しています。著者はこの方式を適用する上でのポイントとして、
(1)プログラムの簡便化の問題:プログラムの短縮化に伴い、得られる個人差尺度の信頼性が低くなる。
(2)アセッサーを社内で養成する方略の検討:他部門の生の情報の獲得や人材評価の眼を養える一方、信頼性、妥当性の観点ではマイナスになる場合が多い。
(3)対象者の受け入れやすさを高めることによって、納得観を高めようとする方略
の3点を挙げています。
 第6章「能力・スキルを評定する」では、「会社が社員に要求する職務遂行能力の程度、遂行結果、貢献度、遂行態度などを評価し、人事処遇・賃金処遇・人材育成などに繁栄させる基礎的な手段」と定義される人事考課について解説しています。また、目標管理による業績考課の運用上のポイントとして、
(1)仕事のプロセスの是非にも目配りが必要
(2)被考課者の考課に対するクレームの窓口を設けておくこと
の2点を挙げています。さらに能力効果に関しては、評定尺度の形式として、
(1)要素評定尺度:必要な能力要素を保持、あるいは発揮できている程度を管理者が評定する形式
(2)評定基準明示尺度:評定段階それぞれの意味を明示することによって、評定スコアの意味内容を明確にしようとする形式
(3)行動観察評定尺度:職務完遂の鍵となっている行動を事前に分析しておき、その行動が観察される頻度や有効性を評定させる形式
の3つがあることを解説しています。
 また、人事考課運用上のポイントとして、
(1)観察される場面の偏り
(2)考課者のバイアス
(3)評定プロセスにおける心理的エラー
の3つの障害を解説しています。
 さらに、「動機づけを人事考課の目的とすれば、自己評価こそが重要」であると述べ、「自分をどのように定義するかは実践的能力の重要な一側面」であると述べています。
 第7章「総合的に企業人能力と人格を評価する」では、面接選考の意義として、
(1)人物特徴の把握
(2)応募者の個人的事情や背景などを確認する意味
(3)採否の判断が可能な人物理解を進める場
(4)一般社会との接点としての意義
の4点を挙げています。また、面接評定のクオリティを向上させるためのアプローチとして、
(1)評定内容を事前に明確化する
(2)質問内容を標準化する
(3)評定項目と評定基準を徹底する
(4)面接者訓練を徹底する
の4点を挙げています。
 第8章「人事アセスメントの設計法」では、期待される人材像を特定するアプローチ方法として、
(1)職務要件に焦点:職務内容を分析してその特性を明らかにする
(2)人材要件からの視点:職務を特定せず職種や組織集団を想定して求められる能力や特性を整理する
の2点を挙げた上で、人材要件を明らかにするアプローチ方法として、
(1)公開されている参照情報から類推する方法
(2)人材要件サーベイによる方法
(3)実証的なデータを解析する方法
(4)ハイパフォーマー(高業績者)に対する観察やインタビューによる方法
の4つを挙げています。


■ 個人的な視点から

 本書は、人事制度に関して、基本的な部分を理解する上での教科書的、概論書的に読むことができます。人事制度は、「これ」といった正解がないせいか、アメリカで流行った新しい制度(一時の「成果主義」など)や著者の経験に基づいた「持論」ばかりが展開されることも多く、当たりはずれが大きい分野ではありますが、本書は中でも手堅い一冊といえるのではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・人事制度の手堅い解説を読みたい人。


■ 関連しそうな本

 都留 康, 阿部 正浩, 久保 克行 『日本企業の人事改革―人事データによる成果主義の検証』 2005年06月24日
 高橋 伸夫 『虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメ』 2005年3月30日
 城 繁幸 『日本型「成果主義」の可能性』 2005年12月08日
 溝上 憲文 『隣りの成果主義』 2006年01月20日
 山中 俊之 『公務員人事の研究―非効率部門脱却の処方箋』 2006年06月08日
 福田 秀人 『成果主義時代の出世術―ほどほど主義が生き残る!』 2006年06月21日


■ 百夜百マンガ

エンジェル・ハート【エンジェル・ハート 】

 黄金時代のジャンプを知るマンガ好きサラリーマンたちをターゲットにした作品。オリジナルの作品世界や設定を壊したくない人もいるようですが、要はキャラクターが作者からも読者からも愛されているということでしょうか。

2007年2月18日 (日)

プリンストン高等研究所物語

■ 書籍情報

プリンストン高等研究所物語   【プリンストン高等研究所物語】

  ジョン・L. カスティ (著), 寺嶋 英志 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  青土社(2004/11)

 本書は、1946年のプリンストン高等研究所を舞台に、「知識への限界」をめぐる物理学者と数学者との間で交わされる議論を描いたものです。本書には実在の人物が登場しますが、著者は、「この物語の中の人々の出来事を、実際の時代と場所から違う時代または違う場所へと写すに際して、少なからぬ文学的放縦を働かせた」として、オッペンハイマーの所長就任とゲーデルの数学部の教授昇進の2つの出来事を前倒ししています。著者は、本書を「文学小説」ではないが、虚構の作品であり、「科学的虚構(サイエンス・フィクション)」と呼びたいものであると述べています。
 本書のストーリーは、「並みの天才より数段先を跳躍する独特の嗅覚の持ち主」であるフォン・ノイマンが「どうすれば彼自身の現実の計算機械を持つことができるか」を画策する、という流れと、「抽象的理論が法貨である研究所において」、「ゆるぎない『至高の支配者』」であることをアインシュタインが認めた数学者ゲーデルの教授昇進をめぐる議論、という流れの、2つの流れを軸に進められます。
 コンピュータ建造問題に関して、ノイマンは、「戦時中の政府のために才能を展開した点では、IAS教授のなかで最も生産的な人」であり、「教授会――数学部の雲上人さえも――すぐ手近にコンピュータがあることの価値を直ちに理解し、それをIASに建設するという彼の提案書にすんなり納得するだろう」と当初考えていたが、「彼の同僚たちが感情的に悩む心理状態を理解できなかった」という「知的盲点」があったことが述べられています。
 また、ノイマンは、「計算機と、未来の科学におけるその役割」について語るなかで、「技術と科学がどのように手に手をとって進歩してきたか」を、
(1)ガリレオが劇的な望遠鏡の利用によって1609年に木星の数個の月を観察した。
(2)クリスティアン・ホイヘンスが顕微鏡を作った。
の2つの例を挙げて主張しています。
 さらに、「物質的世界と、記号と関数の数学的世界とのあいだのこうした区別」が、「哲学の中でも最も重要なもの」であると述べ、「それは、コンピュータにおいてそっくり反映されて」いると主張しています。
 こららの主張に対し、オッペンハイマーは、「コンピュータは多くの重要な――そしておそらく予測不可能な――やり方において、人間の知識を深めるための道具であることは確か」であると述べ、「それは実はIASの使命」であると語る一方で、「所長として、当研究所の教授連の士気もまた考慮する義務」があるとして、その決定をを評議会にゆだねています。
 ゲーデルの教授昇進問題に関して、ノイマンは「ゲーデルが教授でなくて、一体私たちの誰が教授となるのか、と私はときどき思うのです」と述べたのに対し、同僚のヴァイルは、「この研究所の教授になることは単に傑出した知的業績を上げる以上のことだということは知っているはずだ」と述べ、「ゲーデルのようなお役所の形式主義的気質をもった人をこのような世俗的な――だが必須の――雑仕事に関わらせたいと本当に思っているんですか?」と反論しています。そして、反対の本当の理由は、「ほとんどが彼の超俗的な性質」、「遠慮なしにいうと、彼が精神的に不安定なこと」であると語っています。
 また、ゲーデルは、「点や線や面のような数学的対象の諸性質とそれらの実在的相関物との間の一致は、数学の問題はない」と述べ、「むしろ数理認識論あるいは存在論の領域における問題、つまり数学的宇宙の対象と自然科学的世界の対象とのあいだの関係について研究する領域の問題」であると語っています。
 さらに科学者と倫理の問題に関して、ベーテは、「個人としての科学者には、実際に自分自身の個人的行動の責任がある」と述べた上で、「集団としての科学者には、大量破壊兵器についての研究を拒絶する権利はありません、たとえ正当な理由があっても、です」と述べています。
 そして、ボームの言葉として、「科学者が自然の内なる仕組みを理解しようと探求するとき、実際にどこまで探求することが許されるのか」という問題を、「科学的企ての限界についての道徳上の問題」であるとして、「要するに、科学的方法に従うことによって私たちを取り巻く世界について何を知ることができるのかという問題」であると語らせています。そして、「フォン・ノイマンの確信」は、「どんな問題でもその科学的な答えというものは一揃いの規則――つまり一種のアルゴリズム(算法)に従うことの最終結果であるということ」であるとしています。
 さらに、ウィグナーに、問題を明確化するための2つの方法として、
(1)私たちは数学的モデルと用いて実在性に探りを入れる――この場合、数学的記号と、実在的状況における観測可能なものとのあいだの一致を確立しなければならない。
(2)私たちは完全に数学を放棄して、単に観測結果と、この世界における規則性を表現するある種の経験的関係とを関連づける。
の2点を語らせています。
 本書は、フィクションという形態をまといながらも、科学哲学に関して深く踏み込んだ一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 第二次大戦直後のプリンストンといえば、映画『ビューティフル・マインド』も同じ時代のプリンストンを舞台にした作品です。ナッシュがアインシュタインに自らのアイデアを披露しに行って、「もっと物理学を勉強したほうがいい」とたしなめられた、というエピソードはありますが、ナッシュが在籍したのは数学科であり、働いていたのはランド研究所ですので、この作品との直接的な接点はありません。それでも、同じ時代の「アメリカの知性」の輝きを知ることができる作品ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・第二次大戦直後の「アメリカの知性」輝きを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 シルヴィア ナサー (著), 塩川 優 (翻訳) 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』 2006年11月20日
 ウィリアム パウンドストーン 『囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論』 2006年09月11日
 ノーマン マクレイ 『フォン・ノイマンの生涯』 2006年11月21日
 ハワード ラインゴールド (著), 青木 真美, 栗田 昭平 (翻訳) 『思考のための道具―異端の天才たちはコンピュータに何を求めたか?』 2006年01月07日
 佐藤 俊樹 『ノイマンの夢・近代の欲望―情報化社会を解体する』 2006年01月09日
 グレゴリー・J・チャイティン (著), 黒川 利明 (翻訳) 『セクシーな数学-ゲーデルから芸術・科学まで-』 2005年11月03日


■ 百夜百音

FRENZY【FRENZY】 大沢誉志幸 オリジナル盤発売: 1993

 先日、有線でアコースティックバージョンがかかっていたのを聞きました。結構いろいろな人にカバーされているようです。そういえばカップヌードルの曲でした。


『CUP NOODLE CM SONGS COLLECTION』CUP NOODLE CM SONGS COLLECTION

CUP NOODLE CM SONGS COLLECTION

2007年2月17日 (土)

渋滞学

■ 書籍情報

渋滞学   【渋滞学】

  西成 活裕
  価格: ¥1260 (税込)
  新潮社(2006/9/21)

 本書は、渋滞が嫌いで、「混むには必ず理由がある。そしてその理由を取り除けば渋滞はなくなるはずだ」と考えた著者の10年間の「渋滞の理由探しの旅日記」をまとめたものです。著者は、建築士や生物学者、情報処理技術者が、「異なる分野でも案外似たようなことを考えている」という「相似性や相違点に注目」したと述べています。
 第1章「渋滞とは何か」では、ホースの出口の断面積を半分に絞れば水は2倍の速さで出て行くのに、人や車には無理な理由として、「人は水の分子と違って自らの意思を持っており、別に誰かに押されなくてもいろいろな方向に勝手に動ける」ことを指摘し、水分子は、(1)「慣性の法則」、(2)「作用=反作用の法則」、(3)「運動の法則」という力学の基本原理が成り立つ「ニュートン粒子」であるのに対し、人や車はこれが成り立たない「非ニュートン粒子」であり、著者はこれらを「自己駆動粒子」と名づけています。そして、これら「自己駆動粒子系」とその渋滞を考える上で性質の良い理論モデルとして、「ASEP(エイセップ:Asymmetric Simple Exclusion Process、非対称単純排除過程)」と呼ばれるモデルを紹介しています。そのモデルとは、
(1)初めにたくさんの箱を用意し、それをずらりとまっすぐ並べる。
(2)箱には玉が一つだけ入り、適当にいくつかの箱に玉を入れておく。
(3)玉をいっせいに右隣の箱に移す。ただし、すでに玉が入っていれば動けない。
という簡単なルールで、この操作を繰り返すと、玉全体が右にぞろぞろ動いてゆき、これを人や車の動きに見立てることができることが解説されています。そして、「一つの箱には一つしか玉が入れない」という「排除堆石効果」があることで渋滞が発生することが述べられています。このとき、玉が少なければ渋滞は発生しないが、玉を増やしていくと、「お互いが邪魔になって動くことのできない玉の集団」(クラスター)が発生し、クラスターは流れとは逆に右から左へ進むことや、渋滞クラスターができ始める玉の数は、サーキットの長さの半分だけ玉を入れた状態で、このギリギリの状態は、「臨界状態」と呼ばれることが解説されています。
 この他、従来の渋滞の理論として、現在で銀行やデパートなどっで実際に使われている「待ち行列理論」について、「リトルの公式」と呼ばれる、
   待ち時間 × 人の到着率 = 待ち人数
が紹介されています。著者は、この待ち行列理論には、「人の実際の動き」である「排除体積効果」が考慮されておらず、「ところてんのように後ろから押されて全体が一気に動く」というイメージであり、「自己駆動粒子系としての扱いは、車や人の排除体積効果を考慮しなければならないときに本質的に重要になってくる」ため、「ASEPを基礎とした自己駆動粒子系の渋滞学はこれからの分野」であると述べています。
 さらに、人や車が道の上を「連続的」に移動するのに対し、ASEPでは箱から箱に「離散的」に動くモデル化をしていることについて、このような手法は、近年多くの分野で見られるようになった「セルオートマトン法」と呼ばれる新しいモデル化の手法であることを解説しています。
 第2章「車の渋滞はなぜ起きるのか」では、高速道路の渋滞原因について、平成17年度の第1位は、「サグ部・上り坂」であり、昔は渋滞原因のトップであった「料金所」はたったの4%でしかないことについて、ETCの導入の効果を指摘しています。そして、「サグ部」について、「棚などの真ん中の部分が重みで『たわむ』という意味」であり、緩やかにたわんだような状態の道、100m進むと1m上昇または下降しているぐらいの気がつかない坂道であると解説し、明らかな原因が見えず、「自然渋滞」といわれる「このサグ部での渋滞こそ、本書の中心テーマである『自己駆動粒子』系が作り出す物理的現象といえるもの」であると述べています。
 著者は、研究の切り札として、「縦軸に交通流量、横軸に交通密度をとって描いた図」である「基本図」について解説し、東名高速道路では、「自由走行のときの車」(自由走行相)は「お互いに邪魔されないために、皆ほぼ同じような最高速度」で(およそ時速84km)走り、右上がりの直線を描くのに対し、渋滞してくると基本図の右半分の高密度側にデータ点が出現し、右下がりの広がったデータ分布を示し、「ちょうど渋滞が起きるところはこの右上がりが右下がりに変わるところである」ことを指摘しています。この形は、感じの「人」の形をしているため、「基本図は人型である」といわれ、上に突き出た部分は、「メタ安定」部分と呼ばれる「自然渋滞発生のメカニズムを考える上で最も大切」な部分であることが述べられています。これは、「車間距離が40m以下になっても相変わらず自由走行の時速80kmぐらいで走っているような状況」であり、「渋滞になってもおかしくない密度にもかかわらず、渋滞せずに自由走行相と同じ速さで動いているので、車群が車間距離をつめて高速走行しているかなり危ない状態」であることが解説されています。
 この他、「2車線道路はどっちが得か」という問題に関して、「自由走行のときは追い越し車線のほうが速いのだが、渋滞してくるとわずかに走行車線のほうが平均速度は速くなっている」という事実を指摘し、「混んできた場合は走行車線を入ったほうがよい」ということについて、「長距離トラックの運転手はこのことを経験的に知っている」が、「この結果を皆が知ってそのように振舞ってしまってもまた意味がないため、本音をいえば、この結果は本書に書きたくなかったのだ」と述べています。
 さらに、信号のある都市交通に関しては、基本図は、人型ではなく、メタ安定のある辺りがごっそりと削り取られたような台形に近いことを述べ、このような流れを絞ってしまうものを「ボトルネック」と呼ぶことが解説されています。さらに、信号機がたくさんある道では、「ある速度で走る車だけノンストップで通り抜けられるようにした」「スルーバンド」と呼ばれる信号機制御が可能であることが解説されています。
 第3章「人の渋滞」では、2001年7月21日発生し、死者11人を出した明石市大蔵海岸花火大会の事故を取り上げ、死者が出た場所では、1平米の面積に15人ぐらいいたのではないかという調査結果があり、「そのときに人が感じた力は1平米あたり約400kgという、とてつもない大きさだったらしい」ことが解説されています(現場付近の300kgの荷重に耐える手すりが壊れ、医学的には約200kgで人間は失神するといわれている)。
 著者は、群集の状態をその動因によって、
(1)会衆:興味の対象への直接行動には訴えず、むしろ受動的関心から集まっているもの――音楽会や劇場
(2)モッブ:強い感情状態に支配され、抵抗を押しのけつつ敵対する対象に直接暴力的に働きかけるもの――手段テロ、襲撃
(3)パニック:予期しない突発的な危険に遭遇して、強烈な恐怖から群集全体が収拾しがたい混乱に陥るような場合――劇場やホテルでの火事や客船の沈没
の3通りに分類し、状況の変化で、「会衆がモッブ化したり、モッブがパニックに陥ったりすることもある」と述べています。
 そして、非常口の手前で混雑し、「出口がつかえてしまってスムーズに出られなくなる」状態である「アーチアクション」について解説し、避難の際のボトルネックに発生する閉塞に関する「ミンツの実験」を紹介しています。また、避難経路の問題に関して、安全な避難の原則が「2方向避難」という言葉に集約されていることを解説しています。
 第4章「アリの渋滞」では、アリが1列で歩けるのはフェロモンと呼ばれる化学物質のおかげであり、重要なフェロモンとして、
(1)道しるべフェロモン
(2)警報フェロモン
(3)性フェロモン
の3種を紹介しています。
 そして、アリの運動の基本図について、「密度が増加すると平均速度が上昇しているところ」があり、これこそが「混んでくると逆に速く動ける」という「アリの場合で起きるフェロモン特有の効果」を解説しています。
 また、アリがフェロモンの効果によりダンゴ状態になることに関して、バスのダンゴ運転との類似性を指摘し、「バスもアリも同じメカニズムでダンゴ運転になってしまう」として、「バスの場合の渋滞は、『フェロモン=乗降客の少なさ』という公式で、アリとまったく同じモデルで研究できる」と述べています。
 第5章「世界は渋滞だらけ」では、「砂時計で1分を正確に測るのに必要な砂の量や容器の形を理論的に計算すること」はまだ誰にもできておらず、粉つぶの動きの計算については、「基礎になる方程式すら物理学ではまだ確立されていない」ことを解説しています。そして、粉粒体の解析にセルオートマトンがうまく使えない理由として、
(1)粉粒体の内部での相互作用はある意味で「非局所的」である。
(2)「多体衝突」の問題。
の2点を挙げています。
 この他、地下鉄がダンゴ運転を避けるために、「時間調整のために当駅で1分停車いたします」などの放送が入って停車することや、空港での離陸許可待ちなどについて解説されています。また、マネーフローと渋滞、すなわち、渋滞学の経済学への応用や、医学の分野への応用などについて解説されています。
 第6章「渋滞学のこれから」では、車やアリなどが、「決して直線状の道の上を動くだけでなく、実際にはネットワーク上の道の上を動く自己駆動粒子」であるとして、ネットワークモデルの拡張を行っています。具体的には、インターネットや高速道路網、航空機の路線などのネットワークについて解説しています。そして、ネットワーク理論に関しては、
・「スモールワールド」:ネットワークの接続形態において規則性とランダム性の両方の性質を持ったネットワーク。
・「スケールフリー」:ある程度ランダムなつながりのネットワークの中にも、実は多数の接続をもつ中心的な役割のものが少数存在し、ネットワークを特徴づける代表的なスケールがない。
という2つの新しい概念の発見によって、ここ数年の間に新しい動きが出ていることが解説されています。
 また、複雑なものを理解する上でも、「いつかは立ち止まってじっくり考え、得られた結果を要素還元的なアプローチで料理することが大切であり、それこそが科学」であると述べています。
 本書は、高速道路でノロノロ走りながら誰もが思い描く「渋滞の先頭」について、科学的な分析を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の中で、「スルーバンド」と呼ばれる「ある速度で走る車だけノンストップで通り抜けられるようにした」信号制御技術が紹介されています。これを読んで、小学校4年生くらいのときに、社会科見学で県警本部の交通管制センターを見学させてもらい、「ちゃんと制限速度を守って走ると信号機に引っかかって止まることなく走り続けられるようになっているんだよ」と解説されたことを思い出しました。もう四半世紀も前の出来事ですが、まさかこんなところで再会するとは思いませんでした。
 ところで、県警の交通管制センターって一般の人でも見学可能なんでしょうか?
 ということで「交通管制センター 見学」でググってみると、要予約で、平日の昼間、というパターンが多いようです。
・警視庁
・埼玉県警
・千葉県警
・神奈川県警


■ どんな人にオススメ?

・渋滞の列の先頭が気になって仕方のない人。


■ 関連しそうな本

 ダンカン ワッツ (著), Duncan J. Watts (原著), 栗原 聡, 福田 健介, 佐藤 進也 (翻訳) 『スモールワールド―ネットワークの構造とダイナミクス』 2006年03月22日
 ウィリアム パウンドストーン 『囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論』 2006年09月11日
 アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日
 土場 学, 佐藤 嘉倫, 三隅 一人, 小林 盾, 数土 直紀, 渡辺 勉, 日本数理社会学会 『社会を"モデル"でみる―数理社会学への招待』 2005年11月30日
 スティーヴン・ストロガッツ (著), 蔵本由紀, 長尾力 (翻訳) 『SYNC』 2006年04月10日
 蔵本 由紀 『新しい自然学―非線形科学の可能性』 2006年12月03日


■ 百夜百音

hirose kohmi THE BEST Love Winters【hirose kohmi THE BEST Love Winters】 広瀬香美 オリジナル盤発売: 1998

 厭味とかそういうのではなく、本当にどういう人がこの人のアルバムを買っているのか興味があったのですが、やはりスキーに行くときに聞く曲なのでしょうか。


『Harvest』Harvest

2007年2月16日 (金)

内務省と明治国家形成

■ 書籍情報

内務省と明治国家形成   【内務省と明治国家形成】

  勝田 政治
  価格: ¥7980 (税込)
  吉川弘文館(2002/01)

 本書は、明治期の内務省の成立過程を明らかにすることを目的としたものです。内務省は、
・1872年 4月:創設に向けての動きが始まる。
・1873年11月:官業・警察・地方の3行政を中心とする、総合的内政機関として設立。
・1881年 4月:農商務省設立により勧業行政が移管。1947年の解体まで警察・地方両行政が省務の中心になる。
・1886年 2月:内務省官制により、地方行政が筆頭事務になり地方統治機関としての確立を見る。
という経緯を経ていますが、本書では、このうち72年から80年までを「成立期」と捉え、分析対象としています。具体的な分析項目としては、
(1)内務省の創設過程:3行政がいかなる時期に、どのような政治状況の中で、位置づけられていったのかを追求することにより、創設過程は3段階に区分されることを論証する。
(2)内務行政の成立・展開過程:3行政の相互関連性に留意し、内務行政がどのように形成され、成立し、展開したのかを、地域における遂行主体である地方行政機構と関連させて明らかにし、そこに設立理念である民力養成論が、どのように反映していたのかの仮説を提示する。
の2点が挙げられています。
 第1部「内務省の設立」第1章「廃藩置県と内政機構」では、1871年8月10日に臨時官として設けられた「布政使」をめぐる大蔵省と左院との対立を取り上げ、金沢県と広島県に林厚徳と河野敏鎌の両名を布政使ではなく「大蔵省出仕兼大参事心得」として派遣したことが問題になり、ここからは、
(1)大蔵省の地方行政掌握に対する批判:廃藩置県後の地方官人事は、事実上大蔵卿が掌握していたが、大蔵省の職掌は「租税勧業」であり、地方行政への関与には反対する立場が示されている。
(2)左院自身の権限拡張要求:左院無視を批判して自らの存在意義を主張し、地方官人事権という大蔵省権限に介入する意図を吐露している。
の2点を指摘することができ、これらがいずれも後の左院の主張に連なり、「ひいては内務省設立運動と関連する」ことが述べられ、「ここに、地方行政をめぐり71年9月中旬には大蔵省と左院の対立が顕在化し、この過程で左院は大蔵省の地方行政掌握を問題視すると同時に、自らの権限拡張の必要性を打ち出し」、この主張こそ、内務省設立運動の論理になっていくと解説されています。
 第2章「内務省設立構想の提起」では、1872年4月の左院少議官宮島誠一郎「新設内務省ノ議」によって、内務省設立構想が最初に提起されたことが紹介されています。また宮島がこれに先立って起草した「立国憲議」の憲法制定論が、「人民ヲ保護スル」という政府の義務論から説かれ、「政府の義務は『人民保護』にあり、これを実現するためにまず、『国憲』により君権を確定して『君民同治』の政体として、次いで『民法』により『人民』の『権利義務』を定め、その後に『刑法』を制定しなければならない」と主張していることが解説されています。著者は、この「立国憲議」が「大蔵省抑制という政治的意図から起草されたことは、従来無視されてきたこと」であり、この観点からの分析は「今後の重要課題」となると述べています。そして、こうした政府の義務論は、内務省設立構想にも共通し、現状における大蔵省への府県事務の集中を批判し、大蔵省権限を分割し、「全国土地人民ノ事務」を担当する内務省の設立が急務であり、これによって「人民保護ノ道始テ確立スヘシ」と主張していることを指摘し、この内務省構想が、「憲法制定要求と同様『人民保護』という政府の義務(任務)論から出ており、その契機となったのが大蔵省内政に対する批判であった」ことが述べられています。
 また、当時の司法省が、「司法権の独立(司法省による統一)」を目指し、「地方裁判権の府県(地方官)からの剥奪を意図し、大蔵省と対立していた」ことについて、1871年11月の県治条例により、「地方の裁判権は地方官に帰属」し、府県庁には東京都を除き「聴訟課」が設置されたことに対し、司法省は72年5月20日に「各府県裁判所ノ儀ニ付伺」を正院に提出、各府県裁判所の司法省管轄を要求し、8月3日の「司法職務定制」により、「司法省が全国の司法権を握り、裁判所を統括することが規定」され、「県の聴訟課が廃止され、その職務は司法省管轄の府県裁判所に移管」されたことが述べられています。司法省は、続く地方官に対する牽制策として、「地方官の違法行為に対する人民の権利救済策として、人民の地方裁判所や司法裁判所への訴訟」を認めることを要求し、「最初の行政訴訟の規定と評され、司法省の地方官に対する優位を示すもの」である11月28日の司法省達第46号として実現しています。
 著者は、72年後半から73年初頭が、「司法権の統一を意図した司法省によって、地方官(大蔵省)の権限が府県裁判所(司法省)に移管・吸収されていた時期」であり、福岡司法大輔による73年1月の案が、「こうした地方レベルの権限掌握を前提に、中央官庁としての大蔵省の権限を分割して内務省を設立し、地方行政における大蔵・内務・司法3省体制の創出を意図したもの」であると解説し、この福岡案を契機として内務省設立が留守政府で問題となってくると述べています。
 第3章「留守政府をとりまく政情」では、「大蔵省問題を契機として、正院強化を目的とする太政官制改革に向けての動き」が始まり、参議大隈重信の諮問に応えるかたちで、大蔵省三等出仕渋沢栄一が改革案を作成し、「強大化した正院の権力」によって「各省の過大な予算要求を封じ込める」ことを意図していたが、正院での審議には、大蔵省と対立した新参議3名が加わり、結果としては、5月2日に太政官職制が改訂になり、「正院権限の飛躍的強化と大蔵省権限の縮小が実現」し、大蔵大輔井上馨と渋沢は「抗議の意を込めて早速辞職」したことが述べられています。
 また、4月23日には、内務省設立の審議も開始され、その審議内容を直接示す資料は存在しないが、
(1)正院の審議に参加した参議6名中4名が明らかに設立論者であること。
(2)73年5月12日から13日にかけて、江藤新平が内務省も含む官制案を起草していること。
の2点を根拠に、「正院の審議によって設立の合意が形成されたのではないだろうか」と述べています。
 この江藤案における内務省の部分については、
「    内務省
 本章は人民安寧の為め設けらるゝ職掌也。
第一 各地方官と政令上及ひ其各支配上に付ての文書往復。
第二 各地方官人撰及ひ其職掌に付ての諸事。
第三 県議院大区議院の諸規則を維持すること。
第四 人別改の事。
大五 県費を決定する事。
第六 官より設くる救貧手当及ひ取締の事。
第七 質屋免許及ひ取締の事。
第八 人民互助諸会社。
第九 獄舎及ひ乞丐を消絶する事。
第十 全国の取締及ひ取締長の事。
第十一 安寧に関する諸法の施行。及ひ安寧に付て諸官と文書往復。
第十二 板刻師書肆及ひ行売商並に板刻師書肆の免許状の与奪。且新聞紙の事。
第十三 諸著述書並諸翻訳書の免許
第十四 電信線の取扱
第十五 判任以下は任命。奏任官以上は奏聞す従前の通。」
とされたことが紹介され、江藤案での内務省が、「地方行政と警察行政の日本柱で構成」され、その後の構想の基本となっていくが、後に重視される勧業行政は、工部省の専管事項となっていて、「内務省を勧業行政から位置づけることは、いまだこの時期には見られていない」と述べられています。
 第4章「征韓論政変と民力養成論」では、「内務省の設立にとって征韓論政変は、重要な意義」を持つものであるとして、「本書の位置づけを明確にするため」に研究史を概観し、政変研究の課題を明らかにすると述べられています。
 著者は、「内治優先論」を、「単に外征論に反対するということのみ」では捉えられず、「いわゆる内治優先論こそ内務省創設の理念として位置づけるべきである」と主張しています。
 そして、各省割拠体制という状況となっていた留守政府において、「不統一に開化政策を進めている各省を批判」した大蔵省の井上馨と渋沢栄一が、大蔵省を含む各省の権限削減を意図した1873年5月2日の太政官制改革に反対して辞職し、5月7日には連名で「財政上の建議書」を提出していることを取り上げ、漸進主義による民力養成論を唱える井上・渋沢が辞職せざるを得なかったことは、「民力養成論が留守政府内部では決して優勢ではなかったことの証左となろう」と述べられています。
 著者は、「1873年10月の政変の争点は、あくまでも朝鮮政策(征韓論)であり、その歴史的意義は大久保利通の主導権掌握にとどまらず、漸進主義による民力養成論が国家目標として確定されたことにある」と結論づけ、この民力養成論が、内務省の設立に大きく関わってくると述べています。
 第5章「民力養成論と内務省の創設」では、大久保の内務省構想に関して、
(1)米欧巡遊中に各国の内務省に着目し調査を進めていたこと。
(2)内務省の職掌に関連して警察行政と勧業行政に強い関心をもっていたこと。
(3)内務省設立に向けた政治行動の開始を、岩倉使節団帰国後に想定していたこと。
の3点が明らかになっていると述べています。
 1873年11月2日には、内務省創設が参議会議の議題となり、その8日の11月10日には、「下野した征韓派参議に対する『実跡』として、樺太問題への取組みが急務とされたことから、内務省創設も同時に急がねばならない課題」となり、「機構や職制が未確定のまま、とりあえず設置のみの太政官布告が急いで出された」経緯が解説されています。設置の布告後、「機構や職制の具体的事項の検討が開始」され、伊地知正治の「内務省職制私考草案」が審議の検討試案となり、その内容は、
(1)内務省を「国の国たる所以の根元ナレ」(前文)と、国家機構の中枢機関としていること。
(2)内務省の任務を「全国の安寧上下ノ便宜を主トスルモノ」(本章の職制)としていること。
(3)内務省の部局として戸籍(地方行政)・勧農(勧業行政)・警保(警察行政)の三寮を据えたこと
の3点が注目されることが解説されています。
 第2部「内務行政の成立と展開」第1章「大久保政権の成立と内務省の出発」では、内務省が「地方官に好感を持って迎えられ、またそれに寄せる期待も大きかった」ことが紹介され、内務省設立の動きが、「地方行政の要因から始まったという経緯」からするならば、「地方官の歓迎は当然のことであった」と述べています。
 また、1874年において、「勧業行政より緊急性を要したのが警察行政」であり、「1月15日に東京警視庁が設置され、首都東京府の整備は進んだが、他府県は未着手」であったことが述べられています。9月23日に内務卿伊藤博文によって、「行政警察規則案の上申とその裁可公布」を求めた「地方警察事務規則之儀ニ付伺」が三条太政大臣に提出されたことは、「治安状況が極度に悪化し、内務警察の敏速な対応が迫られていた時期」であったと述べられています。
 第2章「内務行政の形成」では、1875年5月24日に、大久保利通が、「本省事業ノ目的ヲ定ムルノ議」という「内務省事業すなわち内務行政の基本目的を、大久保が初めて総括的に主張した最重要建議」を三条太政大臣に提出したことが述べられています。その内容は、
(1)内務省の設立目的:「専ラ内治ヲ整ヘ根基ニ尽シテ体裁ノ虚文ヲ講セス奇功ヲ外事ニ求メス民産ヲ厚殖シ民業ヲ振励スルコトニアリ」と民力養成論に基づく民業振興としている。
(2)内務行政の基本方針:「内治ヲ整ヘ国力ヲ養フコト」のために「基礎ノ未タ堅確ナラサルモノヲ堅確ニシ節目ノ未タ整備ナラサルモノヲ整備シテ実力ヲ養ヒ……治安ノ根基ヲ牢固」にしなければならないと、「実力」の養成と「治安ノ根基」の確立を2大目標に掲げ、前者が民業振興、後者が行政警察の確立であり、地方行政はこの段階では重要政策としては位置づけられていない。
(3)政策課題:勧業行政(a,b,d)と警察行政(c)に大別でき、地方行政は緊急政策課題として掲げられていない。)
 (a)「樹芸・牧畜・農工商ヲ奨励スルノ道ヲ開ク」
 (b)「山林保存・樹木栽培」
 (c)「地方ノ取締ヲ整備スル」
 (d)「海運ノ道ヲ開ク」
とされていることが解説されています。
 地方警察制度に関しては、1875年3月7日に、「全国共通の警察組織を定めた行政警察規則」が公布され、「各府県(東京府は除外)に警察掛を設置」することとされたが、この規則はあくまでも基準であり、細目まで規定したものではなく、4月5日に内務省は、「必要と考えられる警察力」の調査を各府県に命じています。この調査を踏まえ、5月には、内務省案として大久保が裁可を求めた「各地方警察設置方伺」が作成され、具体策としては、
(1)府県に警部を設置する達案
(2)「警部職制」案
(3)邏卒を巡査と改称する(月給・等級)達案
(4)行政警察規則の改正(警察掛官員および掛官員の敬具への解消、邏卒の巡査への改称)達案
(5)「巡査懲罰例」案
(6)「出張所設置方」案
(7)「巡査召募規則并検査表名簿式」案
(8)「月報送致手続」案
(9)「巡査俸給規則」案
の9点を別紙として添付しています。
 地方警察制度の整備問題は、6月から7月にかけて開催された地方官会議の議題にもなり、
(1)警察費
(2)邏卒配置法:1区域を人口約10万人として各区に出張所を設け、そこに官員1名と邏卒50名を配置することにし、1区画内に7屯所・8分屯所を設ける。
(3)邏卒召募規則
の3点が「地方警察議問」として上程されたことが解説されています。
 また、警察行政と密接に関連する衛生・検閲の事務が、75年6月22日に文部省から内務省に移管され、行政警察の一環として、「健康ヲ看護」することが明記され、内務省内に「衛生局」が設けられたことが述べられています。
 第3章「内務行政の成立」では、勧業行政と警察行政が本格的に開始されることで、「それらの地域での遂行主体である地方行政機構の整備」が新たに問題となったことが述べられています。
 廃藩置県後の地方行政機構として、
・府県官制(1871年10月28日):府県ともに知事(11月2日に県知事は県令と改称)以下の官員が置かれ、府県庁内に租税・庶務・聴訟の3課が置かれた。
・県治条例(11月27日):出納課が追加され、庶務課(戸籍・学校事務)、聴訟課(裁判などの司法事務、警察行政)、租税課(租税事務、勧業行政)、出納課(予算・決算などの経理事務)の4課体制が成立した。
が定められ、内務省設立後に勧業・警察行政が重視されたにもかかわらず、この4課体制をすぐさま修正しようという動きは現れず、「内務行政の中軸となった勧業行政と警察行政は、75年になっても地方行政機構のなかにそれぞれ専管局を持っていなかった」のみならず、「両行政の担当部局は、各県によって異なっているばかりではなく、同一県においても担当課の変更が見られる場合もある」ことが述べられています。
 その後、75年11月30日に「府県職制並事務章程」が公布、県治条例は廃止され、府県庁機構は、「第一課(庶務)・第二課(勧業)・第三課(租税)・第四課(警保)・第五課(学務)・第六課(出納)」の6課制が設けられ、著者は、その意義として、
(1)県のみならず府をも合わせた地方行政機構の統一が実現した(それまで「府治」の規定はなく、府政は知事の「臆断」によって運営され「事務ノ紛乱」を生じる原因となっていた)
(2)勧業・警察の2大行政を地域で遂行する専管部局の独立と統一の実現
の2点を挙げています。
 各府県では勧業行政として、まず勧業試験場を設置し、「農作物の試作や農具の展示などの事業」を進め、その後、府県職制により勧業課が設置されると、「各府県が勧業行政の中心として位置づけ、地域で行政を推進させる役割を担わせた」「勧業御用掛」が設けられたことが解説されています。
 また、内務省の3大行政の中で、「最も立ち遅れた」地方行政については、地方行政を専管する部局が設けられず、
・戸籍寮:戸籍編製と区戸長職制
・地理寮:地方行政区画
・第二局から第一局:地方税(民税)
の3部局に分属されていたことが述べられています。76年の段階では、「内務省は町村行政よりもまず、中央政府の意思を府県に貫徹させるべく府県行政の方を優先」しており、これは、
(1)県廃合:「24県の廃止は、内務省の主導の下に、地方統治上の障害を一挙に除去し改革することをめざして企てられ」、難治県の排除と府県経費の節減の2点を目的に、「旧藩城に依拠して中央政府の指令を無視し続ける書見を廃絶し、政府に忠実な府県体制の造出をめざすもの」であった。
(2)地方官人事:5月1日に「地方官任免例」が大久保から三条太政大臣に要求され、7月27日の「県官任期例」として実現し、地方官が本務に専念できる方策として、任期の長期化(土着化)によって、地方官と地域住民との親和を図り、地方行政を円滑に行うことを目的とするとともに、任期12年のうちの3年を1期間として、期間ごとの「治績」評定を明記し、「内務省の地方官監督権の強化」が盛り込まれている。
という内務省主導の動きとして現れています。
 これら、府県職制(75年11月末)、府県統廃合(76年4月・8月)、県官任期例(7月末)によって、「府県行政機構は内務省の意のままに整備」されたことは、「中央政府の意思を府県に貫徹させる体制を意図した地方行政が、76年にほぼ実現したこと」を意味し、先行した警察行政と勧業行政と合わせて、「内務行政は76年にはほぼ成立した」と述べられています。
 第4章「内務行政の展開」では、「1876年半ば移行に頻発した新政反対一揆や士族反乱」が内務行政に転機を迫り、前者が地方行政に、後者は勧業行政にそれぞれ大きな影響を与えたことが述べられています。これらを契機とする76年末から77年初頭にかけての地方・勧業行政の新たな模索は、「一般殖産及華士族授産ノ儀ニ付伺」(78年3月3日)と「地方之体制等改正之儀上申」(3月11日)という大久保による2つの政策提言を生み出したと述べられています。このうち、後者は、法制局や地方官会議及び元老院会議の検討を経て、78年7月22日に、郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則からなる「三新法」として公布され、これに先立って内務省では「地方区画・地方議会・地方財政」の3要素に取り組んでいたことが解説されています。
 地方区画問題については、76年3月19日に大久保が、府県以下の区画を問題とした最初の建議である「区画改正之義ニ付伺」を三条太政大臣に提出し、現行の大区小区制は、もっぱら戸籍調査のために設けたものであるため、「行政上ノ用ヲ完フセサル」弊害があり、各府県で移動があることを指摘し、「一定準拠スル所ノ標的」に基づき統一的な区画と吏員の職制の制定を主張、大区小区制を廃止して旧来の郡に依拠することを提案しています。この提案は、大区小区制に取り組み始めたばかりであることを理由に井上馨の法制局によって却下されていますが、「旧来の郡の行政単位化を打ち出したこと」が後の郡区町村編制法に連なる要素として注目されると述べられています。
 地方財政問題については、従来、民費賦課法がなかったため、「民力」を考慮せずに「濫リニ事業」を起こし、そのたびに課したために民費が「巨額」になり、「到底民力ニ堪ヘサル」ことになった問題が解説されています。
 三新法の構成要素の中で法制化が最も遅れた地方議会については、78年1月には大久保を中心に立法化が進んだことが述べられています。
 また、統一的地方制度が緊急課題となったときに、町村の位置づけが急浮上した理由としては、
(1)大区小区制下における無視できない町村の現実的機能
(2)内務省設立理念の民力養成論
の2つの要因を挙げ、「とくに後者の要因が、町村に自治的要素を与えることになった」と述べられています。
 さらに警察行政では、国事警察が急速に浮上し、行政警察からの自立化の動きが見られるとして、77年1月には東京警視庁と警保局が廃止され、両者を合体させた警視局が内務省内に設けられ、「警視庁の機能をも内務省に移行」させたことが解説されています。国事警察機能は、自由民権運動の高揚とともに整備・拡張され、この時期は「演説会への対処が問題となって」いたことが述べられています。
 第5章「大久保死後の内務省」では、1881年4月以降は農商務省の創設によって、勧業行政が分離され、警察行政と地方行政が商務の中心となったことが解説されています。このうち警察行政については、「高揚する自由民権運動への対処から緊急性を帯び」、82年から84年にかけて、「自由民権運動の宣伝組織活動・建議請願活動・言論活動・府県会活動などを直接取締る弾圧法令が矢継ぎ早に制定」されたことが解説されています。また地方行政については、「民力養成論との関連から『住民社会独立ノ区画』として位置づけられた」町村に関して、府知事県令の下級官僚であり、戸長(町村)監督の権限を有する「郡長」の地位が83年に高められ、給料の国庫支弁が実現されるなど、官僚としての地位が明確にされたこと、「明治17年の改正」によって、町村統制(戸長官選化、誇張役場の管轄区域の拡大、町村費に対する強制徴収)が強められたことなどが解説されています。「地位と選任方法の両面において地方末端官僚として位置づけられた戸長」が、「その後官吏としての取扱いを受けるよう」になり、「内務卿―府知事県令―郡長―戸長という系列の安定確保をはかる町村統制が強化」されたことが解説され、「旧来の自治的団結とは無縁な人為的な行政単位(戸長管区)と組織を作り出し、官選戸長を任命し、町村の自治的行政体の実情を喪失させた」と評されていることを紹介し、「ここに民力養成論の大きな交代をみる」と述べられています。
 内務省機構については、地方行政事務が三新法制定によって、
・庶務局:地方税事務と府県会事務
・地理局:地方区画事務
・内局:区戸長職制事務
の3部局に分属され、このうち庶務局は83年5月7日に新たに区町村会事務を担当することになり、「3つのなかでは最も重要な部局」となったが、分属体制そのものは変更なく、「地方行政の専管局としての位置を占めるものではなかった」と解説されています。その後、町村の統制許可の意図の下、地方行政専管局の設置が構想され、83年12月に内務卿に就任した山県有朋によって提起された「内務省職制改正ノ議」について解説されています。
 「結論」では、本書で明らかになった論点として、
・内務省は、
 (1)1872年4~5月、当初地方行政専管機関として位置づけられたが、大蔵省権限削減と左院権限拡張の要求は凍結された。
 (2)73年1~5月、司法・内務・大蔵の三省による地方行政体制を意図した内務省設立が正院の議題となり、地方行政のみならず、警察行政の担当機関としても位置づけられたが、岩倉使節団との約定書により凍結された。
 (3)73年10~11月、征韓論政変を経て、大久保により国家目標としての民力養成論からの性格が付与されて設立が実現した。
 の3段階を経て設立されたものである。
・76年末の新政反対一揆や士族反乱は地方行政や勧業行政に影響を与え、前者は統一的地方制度である三新法を成立させ、後者は士族授産を本格化させた。
などが述べられています。
 本書は、現在の地方制度のルーツを明治国家の確立との関係から探ることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の中で警視庁「盟約」廃止問題(1879年)として取り上げられているのは、76年に警視庁が警察官が遵守すべき「盟約」として定めた、
(1)「同僚相催シ会合宴飲及妓楼ニ同遊スル」こと
(2)外出時の洋装の義務付け
の2項目のうち、後者の洋装義務の廃止についてです。その理由としては、
(1)経費削減の必要から国産物を使用し輸入を減少させるべき。
(2)洋装を着用して「探訪」するならば「人皆忌避シテ何ノ得ル所」がないことから、公用以外は「角袖」を許して「衆人ノ至ル所ニ至ラシメ人民ノ向背ハ勿論其他百般ノ事ヲ視察」させたほうが効果が大きいこと。
の2点が挙げられています。
 今でも刑事のことを「デカ」と言うのは、この「角袖」を「クソデカ」と呼んだことにちなんだと言われていますが、この「盟約」廃止がなければ「デカ」という言葉も生まれなかったのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・明治期の地方行政について探りたい人。


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 石見 豊 『戦後日本の地方分権―その論議を中心に』 2007年02月09日
 カール・S. シャウプ (著), 柴田 弘文, 柴田 愛子 (翻訳) 『シャウプの証言―シャウプ税制使節団の教訓』 2007年02月13日
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 天川 晃 『GHQ日本占領史 (38)地方自治体財政』 2007年02月15日


■ 百夜百マンガ

バイオレンスジャック【バイオレンスジャック 】

 鉈のように巨大なジャックナイフってどのくらい重いんでしょうか。永井キャラ総出演の作品だけにいろいろなバージョンが存在してます。

2007年2月15日 (木)

GHQ日本占領史 (38)地方自治体財政

■ 書籍情報

GHQ日本占領史 (38)地方自治体財政   【GHQ日本占領史 (38)地方自治体財政】

  天川 晃
  価格: ¥6090 (税込)
  日本図書センター(1997/08)

 本書は、連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が地方自治体財政に対する占領政策を1951年時点で分析、評価した報告書です。解説者は、連合国最高司令官総司令部が、強力で民主的な地方自治体の確立を目指し、
(1)1946年に首長の民主的選挙、1947年の地方自治法による地方財政制度に対する多くの中央統制の排除が行われたが、地方自治体の首長に対する内務省やその他省庁の実質的な行政統制の多くは残されていた。1950年には地方財政平衡交付金制度が設立された。
(2)民主的地方自治と行政上の効率性の原則に基づいた財政事務の再配分を行うため、1948年の地方財政法で政府間財政調整が要求されたが、シャウプ勧告の指摘を受け、1950年には神戸委員会が政府事務の再配分に関する勧告を行い、多くの事務が地方自治体の責任であり都道府県と市町村の事務の分配に関して可能なすべての地方事務を市町村に割り当てることが提案された。
(3)地方歳入制度を強化するために、国税が都道府県に委譲され、新しい地方税や市町村の府県税への附加税が認められ、地方税率引き上げの権限が認められた。さらにシャウプ勧告にしがたい、課税と税率調整のより大きな権限が与えられた。
などの施策が実施されたと述べています。
 しかし、占領軍の改革派行政機構全体の変革にまでは及ばず、機関委任事務を中心とする国政委任事務の存続など戦前からの中央集権的機構が温存されるなど、新しい地方自治制は、「戦後も温存された中央集権的機構を通ずる中央の統制支配によって空洞化される危険にさらされていた」と指摘し、このことは地方財政に、
(1)地方経費の構造は戦前と同様に国政委任事務費の比率が圧倒的に高かった。
(2)地方税制については年々税源の拡充と自主化が進展したが、強大な税制上の中央集権と国税の増税に阻まれ不徹底なものに終わった。
(3)国庫補助金と地方配布税が著しく増大して依存財源の比重は戦前よりも高まり、地方配布税は、本来の財政調整機能よりも財源保障機能に傾斜し、補助金的性格を強めた。
などの影響を与えたことが述べられています。
 また、シャウプ勧告については、
・地方税減の拡充強化による地方税収入特に市町村税収入の大幅な増収
・一般平衡交付金制度の創設とその大幅な増額
・国庫補助金の大幅な削減とその一部の平衡交付金への組み替え
・地方債の増発
を提示することで、「地方自治強化に向かって大きな数歩を進めるもの」であり、「日本の地方財政の歴史において画期的な意義を持っていた」と評していますが、「独占資本復興のためのドッジ・ラインのもとで地方自治体の維持を図らなければならなかったために、その構想の中心はつねに資本蓄積の促進と税収入の増大」におかれ、その結果、「新しい地方税体系は大衆課税的性格を強め、半民主的色彩を濃くしていた」と指摘しています。また、「明治以来の日本の地方自治と地方財政の特質」などを認識が十分でなかったため、「戦後も温存された中央集権的機構の改革に手を触れることがなかったという歴史的な限界」を有していたと述べています。
 さらに、シャウプ勧告の評価を行った研究として、宮島洋「シャウプ勧告の地方財政論」を取り上げ、その基本的性格と問題点として、
(1)公的欲求の充足という最も古典的な財政機能を地方財政の果たすべき機能として重視しているが、それ以外の財政機能を地方財政から切り離すという中央・地方財政間の機能分離論は妥当性を欠く。
(2)民主主義の発展・住民自治育成の観点から市町村優先主義を打ち出しているが、行政事務の効率性という観点からより広域的な市町村の再編成を示唆していることと整合しない。
(3)地方税制について応益主義に基づく公平原則が示唆されているが、シャウプ勧告の前提は懊悩主義に基づく公平原則であり、国税、地方税を通じた一貫性がみられない。
(4)地域的・時期的な財政力の不均衡を均等化し、財源保障をも実現する手段として平衡交付金が位置づけられ、その無限責任は国の財政の付与されたが、国の財政力について十分な考慮が払われていない。
の4点について紹介しています。
 第1章「地方財政制度の改革」では、地方財政制度の欠陥として、「中央の管理が地方自治体の首長として務めており、国はこれら中央の管理が執行する法律や規則を通じて、地方財政のほとんどすべての局面を統制して」おり、全国的な計画管理には適していたが、「強力で民主的な地方自治体の確立を目指そうとする基本的な占領政策とはまったく相入れなかった」ことが指摘されるとともに、降伏後の地方自治体が、「救済、社会福祉事業、教育、公衆衛生、警察および消防の行政に関連して、多くの新しい財政責任を引き受けた」ことが解説されています。
 また、「日本のほとんどすべての個人の生活に対して多年にわたり抑圧的な統制を行ってきた内務省」が、1947年に解体され、地方財政事務について付与された新設の地方財政委員会には、「1947年4月の地方自治法の財政規定を履行するための広範な計画を立案、実施する責任を任され、この計画には、
(1)地方の予算手続
(2)地方目的のための中央の財源の地方への配分
(3)税額査定および徴税の政策と手続き
(4)地方借入れの政策と手続き
(5)地方財政統計の中央による収集
が含まれていたことが解説されています。
 さらに、1949年9月に、シャウプ使節団によって構成を勧告された「地方財政委員会」には、「地方自治体の利益に対して相当の配慮をしながら」、
(1)一般の地方税諸法が適用されない特別税の採用についての地方からの申請の評価
(2)地方間の地方借入認可額の分配
(3)一定徴税額の地方への配分
(4)法律で定められた最高税率の一時的停止
(5)一定評価基準の決定
(6)地方に対する平衡交付金の算定基準の決定
(7)地方財政に関する統計の収集
の7点の職務の遂行が要求されたことが述べられています。
 1948に制定された地方財政法では、「中央よりもむしろ地方が主として関係する活動経費の全額を地方自治体が持つように要求され、その活動には、
・地方の行政・立法の経費
・地方の警察・消防
・地方の公共事業
・地方の保健・福祉・衛生・社会福祉
・地方の産業振興
・地方の公益事業
が含まれ、
・大規模公共事業
・伝染業の防止
・労使関係
・救済
・職業安定
などの、「相互の利害関係がある活動の経費を相互に分担することを要求されたこと」が解説されています。
 第2章「地方自治体の予算改革」では、地方予算が、「よりよい生活と労働条件、よりよい地域サービスと施設、そしてより大きな個人の機会のためのプログラムの民主的な計画と運営にとってますます強力な道具」となり、
・学校
・公共事業
・産業経済援助
・社会労働施設
・警察
・消防
・公衆衛生
を地域社会に供給し、中央のプログラムである、
・経済の安定化
・経済の復興と発展
・占領軍の援助
・教育
・福祉
・海外貿易
などと密接に調整されたことが解説されています。
 また、連合国最高司令官は、「地方歳出プログラムの草の根的改革」を一貫して主張したものの、「1万以上の地方自治体に対して直接指導あるいは援助を提供することはとてもできなかった」ため、大部分については、「当然のことながら分権化にはほとんど共鳴しない中央官僚を通してこの改革を進めざるを得なかった」と述べられています。
 さらに個別のプログラムに関しては、教育について、「すべてのレベルの政府が、中学校と小学校の運営に関係」し、
・市町村:学校の建設と維持費用を負担
・都道府県:教員給与を負担
・中央政府:補助金を交付
という役割分担であり、神戸委員会が、「中学校と小学校の運営のすべての責任を市町村に与えるが、中央が教育水準に対する統制を維持する」ことを提案したのに対し、1951年の選挙では日本の主要政党のすべてが、義務教育の経費を中央が負担すべきであることを主張したと述べています。そして、高等学校の経費は、都道府県・5大都市と中央政府との間での軋轢の原因であったが、神戸委員会は、「高等学校の運営上のすべての責任を都道府県と5大都市に与える」ことを提案しています。
 公共事業に関しては、地方の主要歳出プログラム中、教育に次ぐ位置にあり、この大半が、国庫支出金・補助金によってまかなわれ、「大部分の公共事業の種類を中央は指図することができ」、神戸委員会は、「どのレベルの政府が職務において主たる利害を持っているかに従って、公共事業の職務を分類し、境界を確定し、再配分する」として、
・河川:国、都道府県、市町村の河川として指定されるべき
・都市計画:主として市の職務であり、国から市政府に移管されるべきである
などを主張したことが述べられています。
 警察および消防に関しては、シャウプ使節団が、「雇用すべき警察官と消防隊員の定員を決定する権限を含む市町村の警察・消防組織の行政責任のすべてを市町村が引き受けること」を提案したが、1951年秋の時点で、「これらの勧告は採用されるようには思われなかった」と述べ、「多くの町村がその警察制度に関して反対の方針をとっていた」ことが述べられています。
 また、国の平衡交付金に関しては、「税の還付や割り当てよりずっと簡単で公平であったけれども、地方の財政事務を統制する強力な武器を国の手中に置」き、地方の財政自治を発展させるためには、「地方財政委員会や多くの中央官吏は、地方の利益を第一の関心事として地方平衡交付金制度を管理運営することが必要であった」と述べられています。
 国の補助金に関しては、1949年のシャウプ使節団の調査時には、約350件の補助金があり、14省庁の主たる統制の下、
(1)国家計画を完全に執行するための地方に対する100%の補助金
(2)中央と地方が利害を共有する活動に対する一部補助金
(3)公共事業、主として災害復興に対する補助金
の3つの一般的なタイプからなり、中でも重要だったのは、
・占領軍の援助に対する国のプログラムについての地方による管理運営
・統計の収集
・農地改革
であり、シャウプ使節団は、「政府間の責任を混乱させ、補助金の総額をめぐって中央と地方の官吏の間につまらない軋轢を引き起こし、中央官吏の統制下に地方官吏を不必要に置いた」望ましくないものとの見解であったことが述べられています。
 第3章「地方税制の改革」では、降伏当時の地方税制が、「ひどく非生産的で、不公平で、かつ硬直的」であった上、「民主的財政の諸原則に構わずに、中央によって統制されていた」ため、「占領政策に従って降伏後の地方の歳出プログラムの財源を確保するという課題」に対して不十分なものであったことが述べられています。そして、降伏後の財源不足に対応するため、「市町村は地域の構成員から強制的に寄付を集めるといった超法規的手段に訴えざるを得」ず、「地方官吏は自分の地方への財政援助を得ようとして東京に滞在する時間を過度に多く費やし」、「政治的陰謀や買収を通じて」この財政援助を獲得したことが述べられています。
 また、降伏当時の地方税制の「行政上の基礎的な欠陥」として、
(1)ほとんどの税官吏は民主的で効率的な税務行政を行うには不十分な教育と訓練しか受けていなかった
(2)地方の税務署は、設備が整っておらず、無秩序で、誤った管理が行われていた。
(3)税の手続きは非効率的で、標準化されておらず、しばしば差別的であった。
(4)納税者は、地方の税官吏の決定に異議を申し立てたり控訴するための有効な手段を持っていなかった。
などを挙げています。さらに、根本的なもう1つの問題として、「地方税に関する法律や規則が広く分散している」として、数千もの文書に条項が散在し、いくつかは19世紀にまで遡るものでああったことを指摘しています。
 1949年9月に行われたシャウプ使節団の勧告に関しては、
(1)地方税収総額を1949-50会計年度の1500億円から1950-51年度には1900億円に拡張する。
(2)地方税の分離を通じて市町村の道府県附加税を削除する。
(3)税の数を減らすが税率を引上げる。
(4)地方税をより生産的で単純なものとし、管理運営を簡単にするために、主要な地方税、特に事業税、住民税、および固定資産税を根本的に修正する
の4つの目的を達成するために地方税構造の抜本的改革が主張され、これらの目的に基づき、
・住民税
・地租および家屋税
・事業税
・入場税
などに関する特別の勧告を数多く提示したことが解説されています。
 そして、この勧告と国の経済政策に基づき、地方自治庁によって地方税法案が起草され、連合国最高司令官に承認されたが、閣僚たちは中央の権限が地方に移されることを嫌がり、「当時の予算計画と経済安定化政策に無関心であった大蔵大臣」が激しく反対し、提案された税率の大部分の引き下げを求めたことが解説されています。そして、1949年後半から1950年にかけての地方選挙の運動期間中に、すべての主要政党が地方税法案に反対したことが述べられ、有権者は、「この法案がより高額の税以外は何も約束しない」と信じるようになったと述べられています。
 地方税法案は、1950年7月、連合国最高司令官がいくつかの点で譲歩するかたちで制定され、この地方税法とともに、「シャウプ使節団によって提案された現代的で民主的な税制の立法的基礎が日本の地方自治体に確立」し、「単一的、統一的で、よくまとめ上げられたこの法律」が、「何十もの法律として散在していた数千の条項に取って代わ」り、「すべての附加税を廃止し、7独立税を都道府県に、10独立税を市町村に配分することによって、地方税構造を根本的に単純化」し、「地方の権限を拡張し、差別的でないかぎり、あるいは、国の法律と矛盾しない限り、地方が新税を課したり税率を調整することができるようにした」と述べられています。
 本書は、現在の地方自治体財政制度の基礎が形作られるまでの経緯を知ることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本シリーズを読むと、現在の日本のさまざまな制度が、GHQによる占領期に形作られたことが分かります。それも、一般的に言われるように単に理想主義的な政策が押し付けられたという単純なものではなく、GHQ主導の急進的な改革とそれに対する1950年前後の揺り戻しの結果が、サンフランシスコ条約の時期に固定されて現在に至っているというのが全般的な印象でしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・現在の自治体財政のかたちのルーツのひとつを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 カール・S. シャウプ (著), 柴田 弘文, 柴田 愛子 (翻訳) 『シャウプの証言―シャウプ税制使節団の教訓』 2007年02月13日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 天川 晃 『GHQ日本占領史 (38)地方自治体財政』
 天川 晃, 増田 弘 『地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続』
 石見 豊 『戦後日本の地方分権―その論議を中心に』 2007年02月09日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (37)国家財政』


■ 百夜百マンガ

とってもラッキーマン【とってもラッキーマン 】

 こういう汚い絵でも一人で何ページも連載を持たせちゃうところにジャンプのすごさはあるのだと思います。マガジンにも「ヘタウマ」というカテゴリーで4コマは持たせてますが、看板作品にしちゃうところに編集者の独断よりも読者の反応を重視する姿勢を見ることができます。
 主人公の名前が「追手内洋一(ついてない よういち)」という安易さもさすがです。

2007年2月14日 (水)

「不利益分配」社会―個人と政治の新しい関係

■ 書籍情報

「不利益分配」社会―個人と政治の新しい関係   【「不利益分配」社会―個人と政治の新しい関係】

  高瀬 淳一
  価格: ¥714 (税込)
  筑摩書房(2006/08)

 本書は、財政赤字という経済問題と、少子高齢化という社会問題を背景とした「不利益分配」に踏み切らねばならない政府が、「どうすれば不利益分配をしながら『民主的に』存続できるのか」を「学問的かつ現実的に模索」することを目的としたものです。
 序章「小泉クーデタの真相」では、「政治がその力を十分かつ有効に発揮できなければ、いかに市民が品格を回復させても、日本の国家財政や経済は破綻の危機にさらされる」という危機感を胸に、「昨今の政治の変化を語ったり、政治の機能を考えたり」することが本書の狙いであることが述べられています。
 著者は、今問われるべきは、「国家財政を建てなおすために、どのような政治家がどのような政治手法で政治を進めるべきか」という「政治家の力量」であり、この問題を真剣に議論するうえでの「たたき台」として本書を位置づけています。
 そして、小泉が示した新しい政治手法は、「国民の支持率が高い首相は、これを利用して党内調整や議会政治の運営を優位に進められる」ことであり、自分のペースで政権運営を進めるために、「利益分配よりも支持動員を政治の中心にすえなければならない」ことであること、すなわち、「小泉が切り開いた道」は、「何よりもまず国民の支持ありきで、そのためなら劇的に振舞ってもよい」ということであると述べられています。著者は、このせっじ手法を、「コペルニクス的ともいうべき発想の転換」であり、あえて呼ぶとすれば、「永田町の文化革命」であるとしています。
 また、著者は、「政策の是非や小泉の好き嫌い」はともかく、『小泉は政治がうまい』ことは率直に評価すべきであり、運のせいだけにして小泉の政治手法を低く見ようとして満足してはいけないと述べています。
 そして、「ポスト小泉時代」の政治に対する懸念として、小泉へのコンプレックスを抱えた才能なき「小泉もどき」が、「何かのきっかけで高い政治的地位を手に入れること」、あるいは「高い地位に着いた政治家が、次第に小泉コンプレックスに悩まされていくこと」を指摘しています。
 さらに、著者は、小泉政治が示した時代の変化として、
(1)利益分配の政治から「不利益分配」の政治への移行。
(2)日本の政治文化における「地元尊重」のゆらぎ。
(3)「いまより小さな政府」の実現と「市場重視」の不可避性。
(4)状況打開技術としての政治力の復権。
(5)支持動員手段としての「劇場政治」の有効性。
(6)政治の「パーソナル化」と、「デファクト首相公選制」の定着。
の6点を示し、「小泉政治によって、日本政治を規定する社会構造の変化が顕在化」し、小泉は、「これにどう対処すればよいのかまで示唆」したと述べています。
 第1章「『不利益分配政治』への移行」では、本書が主張する点として、
(1)日本社会の中心的課題は「利益分配」から「不利益分配」に移行する。
(2)不利益分配の必要から、政治の進め方も変わらざるを得ない。
の2点を掲げています。
 著者は、これまで、「地域ごと職域ごとの公共事業や産業政策の量」が、「自民党の族議員団の手で周到に調整され」、政治家たちが、「利益分配の采配のうまさによって手腕を認められ、党内での発言力を強めていった」メカニズムに、
(1)不平等を解消するために行われるはずの利益分配が、有力政治家の地元への不均衡な利益誘導へと変質していった。
(2)自民党の利益分配政治が「金権政治」も生み出した。
という「逆機能」(きちんと機能を果たそうとすると、必然的についてくるマイナス作用)が生じ、「長期的には制度疲労となって、政治の有効性をうばって」きたことを指摘しています。
 また、小泉が、「道路や郵便に関わる行政を単に効率化したかった」わけではなく、「郵政民営化を経済活性化の原動力にしようとした」わけでもなく、自民党、なかでも角栄系の派閥が、「大切に育ててきた利益分配政治のメカニズムを確実にぶっこわしたかった」のだと解説しています。
 著者は、問題は、「日本国民が財政再建のための『不利益分配』を供するかどうか」であり、「もし国民の多くが反対しても、政府が断固たる態度で『不利益分配』に踏み切れるか」であり、この「可能性」についての議論は、「政治文化の問題である」と述べています。
 第2章「ゆらぐ日本の政治文化」では、利益分配政治に、「地域間・職域間の『不平等』を解消しようという政治的意思」が働き、国民もそうした正当化を受け入れていたため、「日本国民の意識や日本の政治文化について語らなければ、不利益分配政治に踏み切れるのかの見通しは立てられない」と解説しています。
 著者は、日本の利益政治を、
(1)第1層「普遍的側面」:政治家の選挙区への利益誘導を当然のことと受け止める政治文化
(2)第2層「日本的側面」:地域を重要な生活共同体ととらえる政治文化
(3)第3層「時代的側面」:「金権政治」を許容する時代風潮
の「三層」の政治文化に支えられてきたという仮説を立て、この後の議論のベースとしています。そして、「三層の利益分配政治文化と、そのゆらぎの要因」として、3つの層の「揺らぎ」の直接的な要因である、
(1)利益にまさる投手イメージの重要性
(2)地元意識の変化、落下傘候補の健闘
(3)小泉型支持動員政治の有効性
の3点を示した上で、これらの「揺らぎ」の大きな背景として、
・小選挙区制
・テレビ政治
・個人主義文化
の3点を指摘しています。
 第3章「不利益分配社会の国家像」では、小泉改革の行く末について議論を重ねる中で、これらの主張に「主義」を付けて、「だれだれは『新自由主義者』であるとか、『市場経済至上主義』はよくない、などと議論するのは、あまり有益ではない」と考える理由として、
(1)政治的行為は一定の「政治的理念」の下に展開されているとは限らず、ある時点の判断基準として一つの政治的立場を擁護するのは「論者」であって「主義者」ではない。
(2)「主義」のレッテルをはると議論を抽象化することができ、他国の例や一般論を振りかざして、大上段から政治の現状を語っているような気分に浸れる。
の2点を挙げ、「『主義(イズム)』を決めてしまえば、それに適合した現実だけが目に入りやすくなる」と指摘しています。
 そして、日本が「高負担国」になることに歯止めをかけるための具体的な方策の一つが、「行政が担うべき領域を小さくし、行政に従事する人の数を減らす。政府予算もできれば抑制する」という「政府規模の縮小」であり、これを目指すべき国家サービスのあり方を示す「大きな政府」か「小さな政府」かの議論と混同するから議論がややこしくなるのであると指摘しています。
 また、格差社会論が「敗者」と「弱者」の「勘違いを広めやすい」として、「自由競争で出るのは『敗者』である。敗者は弱者とはかぎらない」と指摘しています。
 第4章「政治力の復権」では、「集団の存続という観点から、どうしてもメンバーに不利益を分配しなければならない場合」において、利益分配政治が可能ならば金銭授受でケリをつけられるが、「現在の日本の財政状況を考えれば、そうした手段をとるわけ」にはいかず、「政治的なパワーで何とか克服するしか、手はない」と述べ、「政治の世界は『経済力重視』から「政治力重視」へと移行してきた」と解説しています。
 そして、著者は、同じ「ポリティカル・パワー」の日本語訳である「権力」ではなく「政治力」という言葉を使う理由として、「権力」という言葉に対するネガティブな印象が強いことを挙げ、「『政治力』という言葉で、政治のパワーと技巧を語るようにしたい」と述べ、「国家という基本的政治集団の『健全な存続』が問題となっている時代」においては、「必要なときに必要な政治力がちゃんと使われているのか」を真剣に議論すべきであると述べています。
 著者は、ポリティカル・パワーがもつ「権力」と「政治力」の2側面について、
・「権力」:秩序を作り出す強制的契機、上から一方的に発揮され、他の集団との勢力圏の拡大闘争や、内部的な亀裂が予想されるときに発動されやすい。
・「政治力」:結束を生み出す心理的契機、役者の働きかけに観衆が応じる「双方向性」も見られ、感情的一体感を演出することによって、内部に残る心理的・物理的抵抗を乗り越えていこうという力。
であると解説しています。
 第5章「『見せる政治』と『魅せる政治』」では、現代の民主政治が、
(1)議会制デモクラシー:政治に個別の利害を持ち込むこと
(2)テレビ・デモクラシー:政治を娯楽化すること
という2つの顔を持つ事によって、不利益分配時代の政治運営をむずかしくしていることを指摘しています。その上で、小泉が「国民の支持を重視し、それに依拠し続けた根本的理由」は、「民主政治である移譲、議会の逆機能を乗り越えるエネルギーは、究極的には『国民の支持の動員』からしか生まれてこない」と割り切ったからだと述べています。
 そして、今必要とされる「見せる政治」について、「集団全体の命運にかかわり、しかも全員に負担を求めるような政策は、まずその目的と決定過程が『おおっぴら』になっていなければならない」と述べるとともに、「不利益分配時代の政治リーダーは、ちょっとしたカリスマくらいないと、つとまらない」、すなわち「魅せる政治」の必要性を説いています。
 一方、政治がニュース・ショー化することに関する問題点としては、カペラとジェイミソンが行った「テレビのシニシズム(冷笑主義)に関する実験研究」を取り上げ、「戦略型報道は、争点型報道に比べ、見る人をシニカルにしやすいとの結論」を得たことを解説しています。
 そして、小泉が、「ニュース・ショーの逆機能である娯楽化やシニシズムへの対処」として「見せる政治」と「魅せる政治」が有効であることを示したことを指摘しています。
 第6章「デファクト首相公選時代」では、「個性」を「劇的」にアピールする「個人」によるリーダーシップである「政治のパーソナル化」を指摘し、その危険性として、一人の個人に多くを依拠することになる「脆弱性」を挙げています。
 そしてこのパーソナル化が進んだ結果、「日本では『事実上』の首相公選制が確立」し、これを「デファクト首相公選制」と呼んでいます。
 さらに、「無党派層」という言葉の理解に伴う重大な誤りとして、「なぜか無党派層を『情緒的』と決めつける風潮」を指摘し、無党派層は「流動的」ではあるが、「かれらをムードだけで投票している愚か者のようにいうのは、まちがっている」と述べ、政党に対する忠誠心はないが、必ずしも政治に無関心であるわけではなく、「そのときどきの政治情勢を見ながら、自分の判断で投票する政党を決めている。これについて、いつも団体が支持する候補に投票している行為と比べて、判断の質が劣るようにいうのはおかしい」と述べ、「かれらを『自立派』を呼ぶのがよい」と名づけています。
 著者は、今後の政治において、「パーソナル化する政治リーダー」と「自立化する有権者」との直接的なつながりが重要になり、小泉が、「こうした変化を十分に意識したコミュニケーション戦略」をとっていることを指摘し、「不利益分配の時代、政治家からのメッセージが、直接、国民に届けられることは重要である。国民を説得する機会を多くもたないと、不利益など分配できるはずがない」と述べています。
 終章「首相の選び方」では、首相に必要な素養として、
(1)「舞台ばえ」:ステージの真ん中に立ったとき、あまりにも姿がさえないのでは、集団の凝集性は高まらない。
(2)「楽天性」:危機に挑むには「やればよくなる」との確信が必要であり、人々の沈んだ気持ちを盛り上げるチャンスをつくりやすい。
(3)「シナリオ・ライターの素養」:「空気」を読む「カンのよさ」と政治ドラマの展開を作っていく力が必要。
(4)「言葉政治」:国民の支持獲得はもちろん、政党政治・議会政治をも、言葉の力で動かしていかなければならない。
などの点を挙げています。
 著者は、今後の政権争いにおいて、「改革の『達成可能性』をめぐる政党間の『シナリオ競争』が重要になる」として、
(1)ドラマの善し悪しを先入観なく評価する癖をつける。
(2)政治家の私生活と「役者生活」とは、分けて評価する。
(3)政治家の言動や行動は、抽象的枠組みで解釈しない。
の3点を挙げ、「観客としての鋭敏な感性にさらに磨きをかけておく」必要性を説いています。
 本書は、小泉政治の解説を通じて、日本の政治文化の変容を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者は、テレビニュース番組の質的転換が進んだ時期を、アメリカではCNNが登場した1970年代半ば、日本では久米宏の「ニュースステーション」が始まった1980年代半ばであると述べています。それまでTBSの「ザ・ベストテン」や「ぴったし カン・カン」の司会で人気だった久米宏が他局でニュース番組をやる、しかもにこやかでお茶の間の人気者だったはずなのに超辛口なところが意外だった記憶があります。


■ どんな人にオススメ?

・政治家の討論番組を見るのが好きな人。


■ 関連しそうな本

 高瀬 淳一 『武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法』 2006年08月10日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年06月23日
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 2005年07月13日
 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 2005年09月07日
 佐々木 毅 『政治学講義』 2005年03月11日
 ドナルド・R. キンダー (著), 加藤 秀治郎, 加藤 祐子 (翻訳) 『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』 2006年06月19日


■ 百夜百マンガ

天地を喰らう【天地を喰らう 】

 「三国志」をベースにした大河ロマン・・・のはずが短期で打ち切られたジャンプの厳しさを実感させる作品。
 のちにゲームとして人気を得ました。

2007年2月13日 (火)

シャウプの証言―シャウプ税制使節団の教訓

■ 書籍情報

シャウプの証言―シャウプ税制使節団の教訓   【シャウプの証言―シャウプ税制使節団の教訓】

  カール・S. シャウプ (著), 柴田 弘文, 柴田 愛子 (翻訳)
  価格: ¥1680 (税込)
  税務経理協会(1988/12)

 本書は、1988年に開催された「発展途上国における基本的税制改革からの教訓」と題する会議に提出された論文の一つであり、シャウプ博士が日本税制について40年ぶりに発言したもとして、「税制の専門家にとって有益であるのみならず、日本の一般読者にとっても興味のあるもの」です。
 第1章「税制改革の由来」では、マッカーサーが、「歴史をひも解くと、国家の破滅は、常にとは言わないまでも、税制の非能率が嵩じて起きることが多い」とに認識を持ち、日本が2~30年後に世界有数の一大民主勢力になるためには、「健全な税制の創設とその実施」が必要であり、日本を民主国家にするためには、「地方政府を強化する必要」があり、「都道府県ならびに市に、より大きな財政的な自立」すなわち「独自のより強力な課税権を与える必要がある」と考えていたことが解説されています。
 第2章「プロジェクトの始まり」では、税制使節団が、1949年の夏の大部分を帝国ホテルで過ごし、1ヶ月の集中的な仕事の後、8月には「東京の暑さを山間部のホテルに避け、報告書の草案作り」を行い、8月末までに報告書が完成し、数週間後には英和対訳4巻として発表されたことなどが述べられています。
 第3章「税制使節団報告書」では、1949年8月26日の報告書に盛られた勧告として、
(15)主要地方税の1つである住民税は、均等割りや順位などの要素を重視せず所得を中心にすべきであり、市町村にすべて帰属させるべきであり、法人はこの税の対象外とするべき。
(16)不動産税の課税ベースの拡大。
(17)地方事業税は事業会社に対する付加価値税によって代替され、その税収はすべて都道府県のものとする。
(25)国の地方自治体に対する援助交付金制度は、
 ・100%交付金は、行政府の責任の所在が混乱し、国レベルからの過度の統制の基礎となり、国と地方の官僚間の摩擦が生じるためほとんど全部廃止。
 ・100%未満の交付金は一般目的の平衡交付金によって代替し、地方自治体を新しい業務や、よりよい方法の先駆者たらしめるよう計画された部分的交付金は存続する。
 ・平衡交付金は、各地方ごとに計算し、(1)一定の標準税率での地方税収と(2)その地方における必要な地方行政サービスを行う最小限のコストとの差を標準化するように計算される。
(26)地方財政委員会が設置され、情報を収集し、法令では厳密に律しきれない一定の事項について決定する。地方行政組織臨時審議会が、国、都道府県及び市町村間で特定の行政機能を割り当てるため設置されるべき。
などが盛り込まれたことが解説されています。
 さらに、税務行政に関しては、「税務当局のしていどおりの帳簿・記録を整えることに同意する所得税の納税者は、明瞭に識別できる指定の色(青)の申告用紙に記入することで見分けられ、実際の実地調査がないかぎり再査定〔更正または決定〕の対象とされないもの」とされ、青色申告制度の導入が勧告されたことが解説されています。
 第4章「税制使節団勧告の実施度」では、「報告書に盛られた概念上及び実際上の勧告」のうち、「重要なものほとんど全部発表後1~2年の短期間に実施に移された」が、1987年までには「廃止されたり、大幅に変更されたもの」もあり、「短期、長期いずれにわたっても実施されぬままに終わったものもあった」と述べられています。そして、その主要な例外は、「都道府県の所得を課税基準とする事業税に代替されるよう提案され」、「後日立法化されたが、適用は停止されついに施行されなかった」「付加価値税(VAT)」だけであり、その要因としては、
(1)付加価値の基本概念が当時の日本のみならず、一般にあまり知られていなかったこと。
(2)お互いの境界線を越える取引について、都道府県間の争いがたぶん危惧されたこと。
(3)日本の官僚及び国民が三段階にわたる所得税のもたらす累積負担についてあまり心配しなかったこと。
の3点が挙げられています。
 また、報告書の作成者たちが望んだ所得税を税制全体の大黒柱とすることについては、1949年と1986年の歳入状況を比較し、
(1)国税及び地方税の合計額のうち国税である個人所得税の占める割合は36%から26%に激減している。
(2)法人(所得)税のそれは8%から19%に上昇している。
(3)主として所得に基づいている住民税の割合は3%から15%に増加している。
ことから、「これら3つの所得に対する税金の合計」は1948年に総税収の47%であったものが1986年には60%となっているが、「法人(所得)税の割合の上昇と個人所得税の割合の低下は、報告書が明らかに望んだところと完全に逆であった」と述べられています。
 さらに、「地方に対し必要度に応じ交付金を配分する原則」が、「ある程度受け入れられたが、その交付金の総額は一定の国税の歳入額に依然としてリンク」していることが指摘されています。また、「三大地方税のうち二種の税の役割の根本的変化」や「総税収に対する地方税収の割合の大幅増」にもかかわらず、「都道府県と市町村の相互間の相対的重要性はほとんど変わらなかった」上、「住民税を市町村だけのものにすべきだという勧告は採用され」ず、「現在市町村はその税収額の69%を取っているに過ぎない」と述べられています。
 税務行政に関しては、「徴税職員に対する徴税目標制度」が1950年に廃止されたが、その後数年間は、滞納額の取立てについての「地区の税務署への割当制が存続」したことが解説されています。
 第5章「税制使節団報告書の一般的評価」では、1965年にマーティン・ブロンフェンブレナーとその研究助手小菊喜一郎が、「税制使節団の計画を立法化という点で『限定された部分的成功でしかない』と評し」、その理由として、「他国での長期間にわたる実験の成果のないまま」、
・純資産税〔富裕税〕
・継承取得税〔相続税〕
・付加価値税
などの、「いくつかの新しい財政上の実験を含んでいた」ことが指摘されています。
 また、1987年にジェーソン・C・ジェームズは、「使節団は国税としての直接税により国の税収のほとんどが徴収されるようにしたかったのであるが、直接税の中では個人所得税が間もなく使節団が頭に描いた構造を離れ、高い税率で純資産の課税抜きという包括的というよりはむしろ所得源泉別分類所得税という従前の形にもどるようになってしまった」ことを指摘しています。
 さらにジェームズは、「シャウプの地方財政制度」にとって「最大の打撃は1954年の平衡交付金の廃止」であり、その要因として、「1953年7月に始まった朝鮮戦争休戦による景気後退は予算の歳出の引締めを必要とし、平衡交付金は格好の標的となった」うえ、「「使節団の考えた交付金の分配法は共通の地方税の分配法にそのときもなお地方自治庁の手で利用されていたが、地方自治体に分配される金額の決定は、いくら必要であるかを独立して査定するのではなく、国の政府がいくら使えるかを決定することに左右されるというやり方にまたもや戻ってしまった……平衡交付金は地方自治を"下から"財政的に支える制度になるはずであったのに、"日本の事情に会わない"という建前から、たった4年で完全に姿を消してしまった」と解説されています。
 本書は、シャウプ自身による40年後の勧告の評価を読むことができる貴重な一冊です。


■ 個人的な視点から

 訳者は、「訳者あとがき」のなかで、シャウプ勧告後、「わが国の税制の辿った道は勧告受け入れ直後から始まった、勧告の要素の取り外しの歴史であった」と解説しています。
 ちなみにシャウプ博士は、1902年生まれ、2000年3月に97歳で亡くなられていますが、来日した1949年には、「世界で最もすぐれた税制を日本に構築する。」希望に燃えていたと言われています。


■ どんな人にオススメ?

・日本の税制と地方財政制度の原型を見たい人。


■ 関連しそうな本

 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 天川 晃 『GHQ日本占領史 (38)地方自治体財政』
 天川 晃, 増田 弘 『地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続』
 石見 豊 『戦後日本の地方分権―その論議を中心に』 2007年02月09日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (37)国家財政』


■ 百夜百マンガ

キリン【キリン 】

 バイクマンガの主人公は通常、20前後の若者なんですが、なんでこんな歳の主人公が、って思った人は多いんじゃないでしょうか。

2007年2月12日 (月)

数学的思考法―説明力を鍛えるヒント

■ 書籍情報

数学的思考法―説明力を鍛えるヒント   【数学的思考法―説明力を鍛えるヒント】

  芳沢 光雄
  価格: ¥735 (税込)
  講談社(2005/4/19)

 本書は、経済やビジネス以外に、社会問題・政治問題などさまざまな問題を考えるヒントとなる「数学で学ぶ考え方」や、算数や数学で学んだ論理性が役立つ「説明力」について、「数学者の立場から、そうした思考と説明の技術やヒントをふんだんに紹介しよう」というものです。合わせて、「考える力を養い、論理的な説明力をはぐくむために必要なこと」が、なおざりにされている、「現在の算数・数学教育の抱えている大きな問題」を指摘しています。
 第1章「間違いだらけの数学観」では、著者らが、「90年代の半ば頃から、学習指導要領の改訂のたびに学生・生徒の学力が低下していることをさまざまなデータを揃えて訴え続けていた」にもかかわらず、一切耳を貸さなかったマスコミが、1999年に出版した『分数ができない大学生』を境に、「学力低下」問題に注目するようになったことが紹介されています。
 また、著者が10年以上の数学啓蒙活動の中で主張してきた「地図の説明」の重要性については、「論理的思考力は地図の説明を練習させると育まれる」と述べ、「『図形の証明』と『地図の説明』はよく似た関係にある」ことを解説しています。
 さらに、「数学大国」インドの教育に関して注目すべき点として、「日本と比べて内容面でのレベルが高いこと」ではなく、「『証明力』を鍛えるという姿勢が、初等学校から大学入試まで一貫しているということ」であることを指摘し、インドの技術者が、「英語を使えることや賃金面での優位性もさることながら、数学とくに証明教育で鍛えた問題解決力と論理力が優れている」と述べています。
 「文系には数学や論理は不要」との意見に対しては、「『一般論』と『個別論』の扱いにおいて、理系も文系もない」と述べ、「『一般論』と個別具体的な事象との間を往復して考えるトレーニング」は誰にでも必要であり、「具体的な一現象を『代入』して一般論にしてしまうのは危険であり、公式や『計算規則』を鵜呑みにして『処理能力』だけを上げるのも困るのである」と指摘しています。さらに、「文系進学者に理解や数学は不必要」という掛け声のもとで、昭和50年代半ば以降続いてきた理科や数学の授業時間削減を目的とした"ゆとり教育"路線によって、日本の若年者の科学知識に対する無関心層は著しく増加し、「エコノフィジックス」に代表される経済と物理を融合させた金融工学等の新しい分野に対応できなくなっていることを指摘し、この考えが、「日本の国力をそぐ『迷信』と言うことができる」と述べています。
 そして、目先の「処理能力」に目を奪われた結果、「事が起きてからさも事前にわかっていたかのような説明」をする「結果論的思考」にはまりやすくなり、「目標に向かってさまざまな状況を考え、それを組み立てていくやり方」である「戦略的思考」を忘れてしまうことを指摘しています。
 第2章「試行錯誤という思考法」では、スポーツのルール改正や、国際的な商取引、重要な法改正に関して、「およそ日本人はお人好しで、規則が変更されるまではそれほど騒がず、後になってから大騒ぎする傾向がある」と述べ、「規則や制度の変更案が浮上した時に、自分の問題として、どんな変化が起きうるのかを自問しておきたい」と語っています。そして、日本で押しなべて定量的なことが軽視されすぎている結果、「多くの国民は意味や過程と切り離された定性的な「結論」だけに情緒的にとらわれ、右往左往しがちである」ことを指摘しています。
 第3章「『数学的思考』のヒント」では、「自分自身では理由がわからなかったさまざまな課題や現象に対して、数学を用いて自らその理由を説明できたり、あるいは他人や本の説明からその理由を理解できたりして感動を味わうこと」の積み重ねによって、人は本当の『数学好き』になっていく」のであり、「単純な計算練習を、数式を省略して何度もやると、計算スピードは速くなり、数学嫌いは見る見るうちに数学好きになって頭がよくなる」という迷信は、「固いコンクリートの上を何度も走っていると、足は速くなり、野球嫌いは見る見るうちに野球好きになって勘がよくなる」というのと同じようなことだと述べています。
 第4章「『論理的な説明』の鍵」では、著者が記述式の答案やレポートを読む時のポイントとして、
(1)仮定から結論を導くような文章になっているか。
(2)ポイントとなる「鍵」の部分と本質的でない部分とのバランスがとれているか。
の2点をチェックしていると述べ、「これらは、「一般の社会生活においても、『説明』を全体的に眺めてチェックする場合の注意点となるはず」と語っています。
 また、数学嫌いの理由とされている"誤解"のひとつに、「数学の証明には公式や定理が必要」というものがあるとして、「最先端の数学の研究では、『鍵』の部分にすでに名称のついた公式や定理が来ることはまずない」と述べ、「『鍵』の部分でも新しいものを創造しなくては、『本質的に新しい』ものとはあまり認められない」と解説しています。
 さらに、強力な論法である「背理法」を多用した数学の研究に没頭していると、「議論の進め方がやや強引になったり、全体をみる目もバランスを欠く傾向をもつように感じる」と述べています。
 そして、人間の予測は「直線的」であるのに対し、実際の事物は「『ロジスティック曲線』に従う現象が思いのほか多い」と述べ、「基本は直線的な予測でよい」が、「自動車の制動距離のようなものに関しては放物線を意識しておき、ものごとの成長する過程に関してはロジスティック曲線を意識しておけばよい」と語っています。
 本書は、各トピックが4ページ程度にコンパクトにまとまり、どこからでも読めるので、鞄に入れておいてパラパラ読むにはちょうど良い一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の冒頭で取り上げられている『分数ができない大学生』自体はまだ読んだことがありませんが、私自身も高校時代、受験科目でなかった「物理」には手を抜いていて、1学期の試験だけは気合を入れて点数を取りましたが、その後はまっさかさまに転落し、3学期には赤点でした。ただし、3学期分は年間で平均されてしまうので通知表には表示されなかったのがせめてもの救いでした。


■ どんな人にオススメ?

・数学はなぜか苦手な人。


■ 関連しそうな本

 岡部 恒治, 西村 和雄, 戸瀬 信之 (編集) 『分数ができない大学生―21世紀の日本が危ない』
 ポール ホフマン (著), 平石 律子 (翻訳) 『放浪の天才数学者エルデシュ』 2005年11月06日
 グレゴリー・J・チャイティン (著), 黒川 利明 (翻訳) 『セクシーな数学-ゲーデルから芸術・科学まで-』 2005年11月03日
 ブライアン バターワース (著), 藤井 留美 (翻訳) 『なぜ数学が「得意な人」と「苦手な人」がいるのか』 2005年11月13日
 E・T・ベル (著), 河野 繁雄 (翻訳) 『数学は科学の女王にして奴隷』 2006年09月18日
 サイモン シン 『フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』 2006年09月02日


■ 百夜百音

シングルベッド【シングルベッド】 EU PHORIA オリジナル盤発売: 2007

 聞き覚えのあるメロディかと思ったらシャ乱Qの曲ももうカバーされる時期に来たんですね。
 とりあえず、「シャッターズ」と「乱」と「QP(キューピー)」を足したのがグループ名になったそうです。そういえば「爆風スランプ」も同じパターンですね。


『BEST OF HISTORY』BEST OF HISTORY

2007年2月11日 (日)

もしも月がなかったら―ありえたかもしれない地球への10の旅

■ 書籍情報

もしも月がなかったら―ありえたかもしれない地球への10の旅   【もしも月がなかったら―ありえたかもしれない地球への10の旅】

  ニール・F. カミンズ (著), 増田 まもる (翻訳), 竹内 均
  価格: ¥2310 (税込)
  東京書籍(1999/07)

 本書は、「人々の思考は型にはまっていて、いつでも同じ視点で地球や人生を眺めている」という同僚の言葉に、「もしも月がなかったら? そうしたら地球はどうなるだろう?」と答えた著者の言葉をきっかけに、「まったく異なる地球をつくりだsのに熱中した」結果をまとめたものです。
 著者は、本書の目的を、「われわれは地球の天文学的環境が異なっていたら地球はどうなっていたかと問うことによって、地球理解のための努力に新たな方向性を見いだそう」と考え、「われわれの地球とは条件の異なる惑星を仮想して詳しく眺めることによって、我々の惑星を改めて見なおそう」と述べています。
 本書のタイトルでもある第1章「もしも月がなかったら?」では、「太陽を巡る孤独(ソロ)な旅」という理由から、月のない地球を「ソロン」と名づけ、「大きさも、科学的粗製も、太陽をめぐる軌道も、地球と同じであると仮定」し、「その惑星の本質的な天文学的、地質学的、生命維持における各性質について考察」しています。
 ソロンは、6時間ごとに自転していた若い地球が、潮汐の影響によって1日の時間が長くなり、45億年の間に6時間から24時間まで引き伸ばされたのに対し、ソロンは太陽による潮汐の結果、6時間が8時間に引き伸ばされたにとどまり、「ソロンと地球が大きく異なるのは、もっぱらその急速な自転にある」と述べられています。この結果、「ソロンの風は地球のそれとは非常に異」なり、「東西に吹く風はずっと強く、南北に蛇行する割合はずっと少ない」ことが解説されています。
 そして、「毎日の満潮と干潮の幅が地球のそれよりもずっと小さい」ソロンでは、「干満の差によっておおわれる海岸は100分の1にも満たない」ため、「生命が複製をつくることのできる岩の表面もはるかに狭く」なり、誕生しても「複製された生命体の生息範囲はなかなか広がらない」と述べ、「ソロンでの生命の進化は、地球に比べてずっと遅いだろう」と述べています。
 さらに、ソロンの陸上に誕生した動物における強い風の影響として、「より強い筋肉を発達させ、酸素濃度の高い空気によって供給される余分なエネルギーを利用する、もっと頑強でたくましい飛行生物が進化すると考えられる」と述べるとともに、陸上では、「土に深く食い込むかぎ爪は、強い風に逆らって直立するのに役立つかもしれない。幅広く扁平な体も役立つだろう」と解説しています。
 また、「ソロンの強い風は、多くの動物の声を含めて、地球で聞こえるような音をしばしばさえぎり、音が風上に伝わるのをさまたげる。ソロンでは、近くにいる動物の存在を物音で知覚するために、地球の多くの動物、とりわけ人類の聴覚器をこえた進化が必要になる」として、「指向性のある耳はソロンの背景ノイズを減らす」ことや、「脳内での音声処理にかかわる副次的な聴覚が進化」し、「絶え間ない風の音は、脳の中で濾過されるかもしれない」と述べています。そして、「音声言語よりも視覚言語の方が有効かもしれない」として、「彼らの四肢は、地球において船と船がコミュニケーションに利用しているものと同じような、生物学的な手旗信号器そっくりになるだろう」と予想しています。
 著者は、「はじめのうちは月がなくてもたいしたことではないような気がするものだ」が、「もう少し深く掘り下げてみると、小さい潮汐と強い風と短い一日は、ソロンの地形に大きな影響を及ぼし、その生命を進化させる能力と、そこに誕生するであろう動物の生命の質に大きな影響を及ぼすことがわかる」と述べ、「月があるおかげで、地球はどれだけ利用的な惑星になることができたか?」などについて考えをめぐらしています。
 第2章「もしも月が地球にもっと近かったら?」では、「地球の引力があまりに大きくなったために、月の重力ではその姿をとどめておくことができなくなってしまう距離」である「ロッシュの限界」を解説した上で、月を現実の位置よりも地球に近づけるために、
(1)月が誕生したのが、実際の歴史よりも遅かったと想定する。
(2)月が誕生した軌道がもっと地球に近く、おそらくロッシュの限界のすぐ外側だったと想定する。
(3)月が地球から遠ざかる速さがもっとゆっくりだったと仮定する。
の3つの場合を想定しています。
 そして、「現在よりもずっと近いところに月のある地球」を「ルンホルム」と名づけ、その月は、「われわれの月とまったく同じ姿だが、その軌道は地球の月までの距離の4分の1にすぎない」ため、「ルンホルムの夜空に浮かぶ月の直径は地球の月の4倍もある」とその光景を予想していています。
 ルンホルムでは、月によって引き起こされる潮汐は地球よりも張るかに大きく、単純化すると、「地球と月の距離が現在の半分ならば、それによって生じる潮汐の高さは現在の8倍になり、4分の1なら64倍になる」うえ、「ルンホルムの月の公転速度は地球の月よりずっと速いので、ルンホルムの潮汐の高さはさらに高くなるはずである」と予想しています。その結果、「潮が満ちるたびに、海水が内陸に何十キロメートルも、ときには何百キロメートルも流れこむ」と解説しています。
 この激しい潮汐の結果、「内陸深く流れこむ非常に大きな満ち潮は、引いていくときに大量の無機物をルンホルムの海洋に運んでいく」ため、「海水中の化学物質が豊かになると、生命の建築材料が豊富になるので、初期の生命体の進化は加速されるだろう」と予想しています。
 さらに、強力な潮汐と頻発する地震のために、ルンホルムでは、「多くの動物に地球の動物よりも速い反射と、地震のような危険から身を守るための、すぐれた本能を与えてくれるだろう」と述べ、「ルンホルムのすべての大型動物は、すぐれた運動能力と、力強い筋肉と、鋭い視覚に恵まれているだろう」と述べています。
 この他本書では、現在の地球の半径の60%の半径しか持たない小さな地球「ペティエル」や、今よりも地軸が90度傾き、季節の変化が極端な「ウラニア」、今よりも巨大な太陽を持つ「グランスター」などの架空の地球の他、
・もしも地球の近くで恒星が爆発したら?
・もしもブラックホールが地球を通り抜けたら?
・もしも可視光線以外の電磁波が見えたら?
など、様々な「もしも~だったら?」を展開しています。
 そして、最終章「もしもオゾン層が破壊されたら?」では、現実の地球的規模の環境破壊について、「もしこの過程が進行して、オゾン層の4分の1が破壊されたら、地球はどうなってしまうだろう?」という問いに、他の仮想の地球と同様に分析しています。著者は、「『もし~ならば』と問いかけることは、重要な問題に直面するのに役立つ」と述べています。
 本書は、ありえたかもしれない仮想の地球に思いをめぐらしながら、現実の地球を見る目を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 星野之宣のSFマンガで『ムーン・ロスト』という作品があります。これは、隕石の衝突によって月を失った人類が、木星からエウロパを奪取する、というストーリーです。
 この他星野作品には、『ベムハンター・ソード』などで、様々な奇想天外な設定の惑星が登場しますが、本書のように、科学者がまじめに考えた「もしも~だったら」の世界は読み応えがあります。


■ どんな人にオススメ?

・月に思いをめぐらすことができる人。


■ 関連しそうな本

 ジョエル レヴィ (著), 柴田 譲治 (翻訳) 『世界の終焉へのいくつものシナリオ』 2006年12月23日
 エドマンド・ブレア ボウルズ (著), 中村 正明 (翻訳) 『氷河期の「発見」―地球の歴史を解明した詩人・教師・政治家』 2007年02月04日
 ブライアン フェイガン (著), 東郷 えりか, 桃井 緑美子 (翻訳) 『歴史を変えた気候大変動』 2006年12月02日
 スティーヴン ウェッブ (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス』 2007年01月27日
 ウィリアム・パウンドストーン (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『パラドックス大全』 2007年01月13日
 サイモン シン (著), 青木 薫 (翻訳) 『暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで』 2006年05月03日


■ 百夜百音

vol.best【vol.best】 奥華子 オリジナル盤発売: 2005

 JRのデスティネーションキャンペーンのテーマ曲を歌っています。時かけの主題歌を歌っている、というところで気づく人もいるかもしれません。
 多くの人にとって「TEPCOひかりに決めたのは~」の声は聞いたことがあるでしょう。


『時をかける少女 限定版』時をかける少女 限定版

2007年2月10日 (土)

ドーキンス VS グールド

■ 書籍情報

ドーキンス VS グールド   【ドーキンス VS グールド】

  キム・ステルレルニー (著), 狩野 秀之 (翻訳)
  価格: ¥1,050 (税込)
  筑摩書房(2004/10/7)

 本書は、『利己的な遺伝子』の著者であるドーキンスと、『ワンダフル・ライフ』の著者グールドとの間の「論争」とは何か、どの点でどう対立し、どの点で意見が一致しているのか、を解説しているものです。
 著者は、生物学においては、これまで少なからぬ数の「大論争(パンチ・アップ)」が繰り広げられてきたとして、1930~40年代のホールデンとフィッシャーとの論争では、「二人の弟子が会話をすることさえほとんど許されなかった」ことが紹介されています。そして、近年における進化をめぐるドーキンスとグールドの「激しい議論の応酬」に関して、進化について意見の多くが一致している二人の「この論争がここまでヒートアップしているのは奇異に思える」と述べた上で、「進化の本質」をめぐって激しく衝突し、二人が、「進化生物学における異なった知的・国家的伝統をそれぞれ代表している」ことを述べています。
 著者は、ドーキンスにとって、「生命の歴史とは、遺伝子の系統間の、ほとんどが目に見えない闘争に他ならない」と述べ、「多くの自然史の記録から知ることができる、美しい生物学的メカニズムは、その闘争の目に見える産物」であり、「それらは、遺伝子の武器なのだ」と紹介しています。
 一方、古生物者であるグールドの関心は、「かつては環境の中で優位を占めていた生物の多くの種類が、今は存在していない」ことにあり、「その研究生活の大部分を通じて、絶滅の問題に関心を寄せてきた」ことが紹介されています。
 著者は、二人について、「ドーキンスは、適応を生み出す自然淘汰の力に感銘を受けている」一方で、「グールドは、生命の歴史の保守的な側面に魅せられている」と解説しています。
 第2部「ドーキンスの世界」では、「自然淘汰によって動かされる進化」を、
「競争+変異+自己複製=自然淘汰+進化」
と解説しています。
 そして、グールドにとっては、「遺伝子淘汰とは、遺伝的決定論に近い何かを前提にするもの」であり、「ドーキンスのことを、ある遺伝子と生物の形質との間に単純で安定した関係が存在するという考え方の支持者であると見なしている」と述べています。
 また、ドーキンスが、「遺伝子が自己複製を促進するために、世界に働きかけている事例」を「延長された表現型」とよび、「そうした遺伝子は効果をもたらし、その効果を通して淘汰の対象となる」と主張していることを紹介しています。
 第5章「利己性と淘汰」では、利他主義の存在を説明できる可能性として、
(1)利他主義はなにかの間違いから生じたものかもしれない。
(2)その個体が所属する集団に対して淘汰が働いた結果だと説明する。
(3)利他主義は幻想に過ぎないというもの。
の3点を挙げています。
 第3部「ハーヴァードからの眺め」では、グールドがターゲットにした、「種の内部で起きる進化的プロセスと、もっとスケールの大きい生命の歴史との関係に着目」した「外挿主義(エクストラポレーショニズム)」と呼ぶ考え方を解説しています。
 そして、グールドが、多くの絶滅した系統は、「一千回もの小進化的な間引きの結果として姿を消した」のではなく、「大爆発の一部として消え去った」と、「生命の樹の主要な系統」が、多くの場合、「進化というゲームのルールが変わる時期」である「大量絶滅期に姿を消す」と主張していることを紹介しています。
 著者は、大量絶滅の重要性についてのグールドの主張の根底には、「大量絶滅と背景絶滅には質的な違いがあり、大量絶滅さえなければ生き延びていたはずの主要な生物群が姿を消したという見方」があり、「種レベルでの属性が生き残りの可否を部分的に決定しているという考え方」に基づき、「大量絶滅期を支配していたのは種淘汰なのだ」と主張していることを紹介しています。
 第4部「論争の現状」では、ドーキンスとグールドの議論の大部分は、「進化理論の範囲内の問題をめぐるもの」であるが、この二人が、「科学そのものに対しても、非常に異なった態度をとっている」として、ドーキンスが、「古いタイプの科学信奉者」であり、「科学理論とはつねに暫定的なものであり、つねに新しい証拠やアイデアによって反証される可能性が開かれているという、ポパー的な基本理念を受け入れている」のに対し、グールドの科学の地位に対する見方は「ずっと両義的なもの」であり、「重要な問題の中には科学の対象外であるものも存在する」と考え、「科学と宗教は、たがいに独立した領域に関わるもの」との見方をしていることを解説しています。そして、「科学的信念は客観的な証拠によって決定」され、「その時々の文化や価値観の単なる反映以上のもの」であるという考え方に対し、グールドが、科学は、「その発展の背景にある文化的、社会的状況に非常に強く影響される」と主張していることを挙げ、このため、「科学の応用全般と、とりわけ進化生物学の人間への応用が、ドーキンスとグールドの鋭い対立点のひとつ」になると述べています。著者はグールドが、「社会生物学のような考え方は間違っているだけでなく、危険であり、不純な動機にもとづいていると見なしているのではないか」と推測し、これに対し、ドーキンスは、「人間行動の進化的な基盤に関する知識は、危険なものではなく、われわれを解放してくれる可能性を秘めたものである」と考えているとして、ドーキンスがアクセルロッドの研究を、「人類の状況を楽観しできる理由」として論じていることを挙げています。
 著者は、最後に両者の論旨を以下のようにまとめています。
 まずドーキンスの主張としては、
(1)淘汰は本質的には自己複製子の系統に作用する。
(2)遺伝子は通常、連合して乗り物(ヴィークル)を形成することで競争する。
(3)一部の遺伝子は別の自己複製戦略(無法者遺伝子や「延長された表現系)を持つ。
(4)生物個体のみならず、個体群も乗り物(ヴィークル)になりうる。
(5)自然淘汰は進化生物学において特別な地位を占めることになる。
(6)進化生物学の基本となる知的装置(協力、互恵主義、社会性を説明するものなど)は、人間の進化にも適用される。
(7)外挿主義は有効に機能する理論である。
の7点を解説しています。
 一方グールドについては、
(1)淘汰は通常、地域集団の中では個体に作用するが、淘汰は多くのレベルであたらいている。
(2)淘汰は重要であるが、あくまで小進化的な事象と大進化的なパターンを説明する多くの因子のひとつに過ぎない。
(3)外挿主義はよい理論ではなく、生命の歴史における巨視的なパターンを説明できない。
(4)進化生物学の手法を用いて人間の社会行動を説明しようとする試みは、そのほとんどが進化生物学の一面的な理解に起因する悪影響を受け、失敗に終わっている。
の4点を解説しています。
 本書の最後に、著者は、「手の内のカード」として、「地域的なスケールの進化についてはドーキンスが正しく、一方、地域的スケールの事象と古生物学的に長大な時間スケールの事象との関連については、おそらくグールドの方が正しい」という考え方を示しています。


■ 個人的な視点から

 本書は、一義的には進化生物学について解説したものですが、その根底には、科学そのものに対する態度や価値観を論じたものではないかと思います。
 なにより、TVタックルや朝生を見てもそうですが、人が真剣に論争しているのを傍から見ていることほど面白いものはありません。


■ どんな人にオススメ?

・生物の進化をめぐる二大巨頭の論戦を覗いてみたい人。


■ 関連しそうな本

 リチャード・ドーキンス (著), 日高 敏隆, 岸 由二, 羽田 節子, 垂水 雄二 (翻訳) 『利己的な遺伝子』 2006年09月26日
 ジョン・メイナード スミス (著), 巌佐 庸, 原田 祐子 (翻訳) 『進化遺伝学』
 スティーヴン・ジェイ グールド 『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語』
 ロバート・アクセルロッド (著), 寺野 隆雄 (翻訳) 『対立と協調の科学-エージェント・ベース・モデルによる複雑系の解明』 2005年11月15日
 ロバート・アクセルロッド, マイケル・D・コーエン (著), 高木 晴夫, 寺野 隆雄 (翻訳) 『複雑系組織論』 2005年11月29日


■ 百夜百音

すてきなビート‐Plus【すてきなビート‐Plus】 C-C-B オリジナル盤発売: 1985

 ピンクの髪にダテ眼鏡がトレードマークだったドラムの人は、郷里の熊本に帰って農業にいそしんでいるそうです。
 数年前にソフマップの広告紙に連載を持ってたような気がします。


『ゴールデン☆ベスト C-C-Bシングル全曲集』ゴールデン☆ベスト C-C-Bシングル全曲集

2007年2月 9日 (金)

戦後日本の地方分権―その論議を中心に

■ 書籍情報

戦後日本の地方分権―その論議を中心に   【戦後日本の地方分権―その論議を中心に】

  石見 豊
  価格: ¥2940 (税込)
  北樹出版(2004/10)

 本書は、「これまでにわが国で論じられてきた地方分権をめぐる論議を再検討し、これまでに展開されてきた論議と近年の改革の動きの関係を考えることをねらい」としたものです。著者は、分析の視点として、
(1)論議内容の分析視点としては、各論者の論議のねらい、目的は何か。
(2)論議間構造の分析視点としては、論議の要素が、論議間でどうつながっているのか。
の2つの視点を設定しています。
 第1章「地方分権の概念」では、欧米に見られる分権化の動きには、
(1)国から地方への分権
(2)官から民への分権
の2つの面があること、分権に相当する英語として、
(1)「decentralization」:政治的分権
(2)「devolution」:行政的分権
(3)「deconcentration」:行政権委譲
の3つの語があること、分権の概念が、
(1)自治と分権は、同じ種類で同じ方向の話ではあるが、両概念の違いをあえて明確にすると、目的と手段という関係で捉えられる。
(2)福祉国家の展開にともない新集権化現象が見られ始め、その行き詰まりとともに、今度は分権化が求められた。
(3)分権は目的への手段であり、本質的に変化する過程であり、志向(方向)的な面やそれ自体では独立の価値とはならない、そのような性格を持つものである。
の3点にまとめられること、等が述べられています。
 第2章「諸外国の分権化」では、英国では、1999年にスコットランド議会とウェールズ議会が設置され、ウェストミンスターから大幅な権限委譲が行われたことで、単一性国家から連邦制国家への移行の始まり、もしくは、準連邦制への道を歩みだしたと言われたことが解説されています。また、フランスの分権改革の特徴として、「県や州レベルの改革については、その程度の大小は別にして、一応改革が実現した」が、
(1)フランス革命以前からの歴史を有している。
(2)国会議員や大臣などと地方の議員や長を兼任できるフランス特有の兼職制度。
の2つの理由によって、コミューンが改革から取り残されたことが述べられています。
 第3章「戦後分権論議の歴史1――戦後改革の時代」では、1945年から1951年の占領期に、地方制度改革か、GHQによる戦後改革の一環として行われ、「改革の主たる担い手であったアメリカ本国またはGHQの理念や思想を色濃く反映させたものであった」ことが述べられています。また、GHQの分権化構想が「民主化構想」と言い換えられるものであり、
(1)英米の伝統的自治観に基づく住民自治を重視。
(2)アメリカ地方自治の歴史を踏まえた民主主義的な制度を導入。
(3)アメリカ本国におけるニュー・セントラリゼーションの動きを踏まえて、中央統制の仕組みにも留意。
の3つの特徴を持っていたことが解説されています。
 また、この時期の分権論議の特徴として、
・理論的には、憲法における地方自治規定をめぐる論議
・具体的には、知事公選制や警察・教育の民主化をめぐる新しい地方自治のあり方が論じられ、これとの関連で分権についても論じられた
という特徴があることが指摘されています。
 さらに、知事公選制をめぐっては、
(1)知事の選任方法・・・戦前の官選を住民の直接公選に改める
(2)知事の身分・・・官吏のままにするか公吏(地方公務員)に改めるか
という2つの争点があり、前者は1946年10月の第1次地方制度改革で公選に、後者は1947年5月の第2次地方制度改革で公吏に改められたことが述べられています。
 憲法における地方自治規定をめぐっては、
(1)伝来説(佐々木悠一)と固有権説(入江俊郎)の対立を見て取れる(この中間には制度保障説(田中二郎)がある)。
(2)各論者とも新憲法における地方自治規定を肯定的に評価し、地方分権的な性格のものとして捉えている。
(3)中央と地方の関係の捉え方を再検討しなければならないという問題意識を共有している。
の3点を指摘しています。
 著者は、この時期に、「自治権思想をめぐる伝来説か固有権説かという論争」が、「理論的関心の中心であった」として、「戦後当初の自治理論、分権論議が現実的な状況への対応策より、規範的な論議に強い関心があった」ことを指摘しています。
 第4章「戦後分権論議の歴史2――逆コースの時代」では、1947年の「トルーマンドクトリン」や朝鮮の南北分裂、東西対立の激化などによってアメリカの対日政策が大きく転換し、「日本経済を自立させ、極東における『全体主義(共産主義)』の防波堤とする方針」を採ったため、占領期の民主的改革は見直され、「逆コースの時代」と呼ばれることが述べられています。そして、地方自治制度についても、自治体警察の再編と教育委員会の公選制の廃止という逆コース的な改革が行われたことが解説されています。
 一方で、1949年には第1次シャウプ勧告として、
(1)中央・府県・市町村間の事務の明確な区分
(2)事務の効率的執行の確保
(3)市町村優先の事務再配分
の3原則が打ち立てられ、「地方税の独立税化、都道府県と市町村税の分離、国・地方間の新たな財政調整制度として個別補助金の整理による地方財政平衡交付金制度の創設」が目指されたことなどが解説されています。
 また、この勧告を受け、政府は1949年12月に地方行政調査委員会議(通称・神戸委員会)を設置し、委員会は1950年に「国庫補助金制度等の改正に関する勧告」「行政事務再配分に関する勧告(第1次神戸勧告)」、翌年には「行政事務再配分に関する第2次勧告」を提出しています。神戸委員会はシャウプ勧告の3原則を一般指針として検討を進め、国と地方の事務配分に関し、「事務の性質上当然、国の処理すべき国の存立のために直接必要な事務を除き、地方公共団体の区域内の事務は、できるかぎり地方公共団体の事務とし、国は地方が有効に処理できない事務だけを行う」という方針を立て、「広域自治体としての府県、基礎自治体としての市町村の権限を明確化し、『分離型』の中央・自治体関係を実現すべき」としたことが解説されています。この改革案が実現されなかった理由としては、「占領政策の方向転換や中央各省の反対」以上に、「改革の進め方の手順ならびにそのタイミングのずれ」が指摘され、「まず個別事務の再配分案が示され、それに基づいて個別補助金を整理し、それを地方財政平衡交付金制度の中に組み入れるのが順序」であるが、実際には、1950年5月に地方財政平衡交付金が制定され、神戸委員会の第1次勧告が同年12月に提示されていることから、「個別補助金の整理が事実上終わった後にその基本となる個別事務の再配分案を提出されても、実施される可能性は極めて乏しい」(高木鉦作)と指摘されていることが述べられています。
 この勧告に関して、実務家である地方自治長次長の鈴木俊一は、「神戸勧告と同時期に設けられた政令諮問委員会答申との相違点を問題にし、神戸勧告が『地方自治至上主義、市町村中心主義』であり、政令委答申は『地方自治事項を国全体の行政簡素化の中で捉えており、国・府県・市町村間に差はない』」と整理していることが紹介されています。
 さらに道州制の問題に関しては、その論議は1927年の田中内閣の行政審議会による州庁設置案であること、1956年に設置された第4次地方制度調査会では、道州制案が、・「地方制」案:現行の府県を廃止して全国に7~9ブロックの「地方」を置き、その長を官選にするもの。
という形で提案され、府県統合案は
・「県」案:現行の府県制度を基本的に存置して、3~4件の区域的統合を図るもの。
と呼ばれ、両案は、「戦後改革で導入された知事公選制を堅持するか放棄するかという点が最大の論点」であったことが解説されています。
 この時期に行われた逆コース的な地方制度改革の代表としては、警察制度の再編成と教育委員公選制の廃止が挙げられ、前者については、
(1)1951年6月、自治体警察を住民投票によって廃止できるようにし、発足当初1605あった自治体警察は402に減少した。
(2)1952年8月、首相の警察指示権を容認した。
(3)1954年6月、自治体警察と国家地方警察を都道府県警察に一本化し、警視正以上の幹部警察官は中央の任命となった。
の3次にわたって改革が行われたこと、後者に関しては、1948年に公選の教育委員会法が制定・実施されたが、「教育委員選挙の結果は、当選者の大半を教育関係者が占め、投票率も低く無投票団体も市町村の3分の1を数える状況」であったこと、「教育委員会だけが予算・条例の地方議会に対する原案執行権や教育長の支出命令権を持っていることに対して、地方公共団体から強い反対があった」ことから、1956年6月2日に新教育委員解放が強行可決・成立し、
(1)教育委員の公選制を廃止し、議会の同意を得て長の任命制に改めた。
(2)原案そう府県を廃止し、財産の取得・処分、市町村立小中学校教職員の任命権を都道府県教育委員会へ移した。
の2点の改革が行われたことが解説されています。
 さらにこの時期には、道州制問題と並んで、事務配分問題が地方制度調査会の争点となり、
・全国市議会議長会:市町村優先の事務配分を主張し、現行府県制度の廃止を前提に当面の措置として府県を存置し、市町村と府県の責任を明確にし、府県は国と市町村間の連絡についても意思的介在はなさない。
・都道府県議長会:「行政事務配分の対象は委任事務のみとし国政事務は含むべきではない、行政事務配分にあたっては権力の集中を来たさないように留意しなければならない」と国に対する立場を明確にし、『府県の事務のうち直接一般住民を対象として措置すべき事務は(中略)市町村に移譲すべき」としながら「府県は市町村を包括するところの広域的地方団体であるから、(中略)都市と農村との利害の調整、都市農村に共通する事務の処理、広域的視野と角度からする地方の産業、経済、文化等の総合的育成発展上必要な事務」を府県事務であると主張した。
ことなどが解説され、地方制度調査会の論議が一枚岩ではなく、市町村側は、「シャウプ勧告の市町村優先の原則を字義通り理解し、それを自らの存在の拠り所とした」のに対し、府県側は、「自らの存在の存続を前提にした地方自治・地方分権の推進を主張」したことが述べられています。
 著者は、
・知事公選論議
・シャウプ・神戸勧告をめぐる論議
・道州制論議
の3つに共通する要素として、「民主化」という要素を指摘し、「戦後改革期と逆コース期における分権論議は、『民主化』という要素を共有した強い関連性のある論議である」と解説しています。
 第5章「戦後分権論議の歴史3――高度成長の時代」では、第9次地方制度調査会における事務配分論議の特徴として、
(1)シャウプ勧告・神戸勧告の継承であり、従来の分離型の事務配分論(市町村4団体)
(2)国・地方間の協力・総合性・効率性を重視した機能分担的な考え方(都道府県2団体)
の2つの考え方の違いを指摘するとともに、1963年の第3回総会において、長濱委員から示された、
(1)地方自治推進のために、市町村の権限を強化するという神戸勧告のような考え方
(2)行政能率を中心とした事務配分の考え方
(3)新しい行政需要に対応した考え方
(4)政策推進との関連の考え方
の4つの立場について解説しています。そして、この時期の論議には、「社会経済環境の変化、行政需要の増大、新集権化傾向を認め、新たな中央地方関係の構築、国と地方の協力・協同に基づいた事務再配分の必要性を指摘」するという「高度成長期に対する認識」が共通していることを指摘しています。
 さらに、1950年代半ばから60年代初めにかけて提起された、
・「地方庁」構想:現行の府県は存置するが、広域行政の需要に対応するため、全国9ブロックに国の総合出先機関を設け、これまで本省が所管していた実施権限を大幅に移譲する。
について、全国知事会などから、
(1)知事中心の総合行政が侵される恐れがあること。
(2)結果において、二重行政、二重監督となって行政簡素化にはならないこと。
(3)国・地方を通じた行政事務の再配分によって縦割り行政の弊害も是正できる。
という強い反対があったことが解説されています。
 また、1964年には自民党が府県合併法案構想がまとめ、
(1)府県の区域が狭すぎて、一体的な社会経済圏と府県の区域のギャップが大きい。
(2)府県間に著しい財政力の格差がある。
という府県の行政機能の限界を指摘していることが紹介されています。
 第6章「戦後分権論議の歴史4――行政改革の時代」では、80年代の分権論議の特徴として、
(1)次の90年代における分権論議と実際の改革への準備期間
(2)大都市制度や広域行政に関して文献の支店からの論議が行われ、部分的な改革が実現――機関委任事務の整理合理化
(3)学者グループが、従来の中央地方関係の捉え方を根本的に変えるパラダイム転換を提案――「政府間関係」
の3点を挙げています。
 第7章「90年代の分権論議」では、90年代前半の分権を求める動向として、
(1)政治改革の流れ
(2)行政改革の流れ
(3)地方制度改革の流れ
(4)東京一極集中是正の流れ
という西尾勝による4点を紹介しています。
 また、地方6団体、内閣行革本部、第24次地方制度調査会の3つの審議会答申の共通点として、
(1)個性ある地域づくりならびに住民自治の推進
(2)国際的な諸問題への対応
(3)行政効率の向上
(4)東京一極集中の是正
の4つの共通したねらいがあることを指摘しています。
 第8章「地方分権推進委員会の審議と勧告」では、90年代後半の分権論議が、「地方分権推進委員会の真偽や勧告に併せて論議が展開」され、分権委がとった、
(1)事務権限の委譲より国の関与の縮減を優先させる戦略
(2)「受け皿論」を棚上げする戦略
は、「単に政治戦略というより、これまでの政府間関係論などの論議の蓄積に基づく発想(論理)である」と解説しています。
 著者は、90年代後半を、「分権改革を初め、わが国の『国の形』が問い直された政治・行政システム全般に及ぶ『行政改革の時代』」であり、分権改革は「時代が求めた『自然な』『すわりのよい』改革であった」と指摘しています。
 終章では、本書の分析視点が、
(1)戦後分権論議で見られる変化には、中央地方関係の捉え方が分離型から融合型へ変化した点の他に分権の意味そのものも変わったのではないか。
(2)文献論議の内容を変化させる要因には、社会経済環境の変化以外に、論議独自の展開メカニズムがあるのではないか。
という先行研究の再検討から得られた2つの疑問に基づくものであり、
(1)分権の意味の変化については、論者の論議の狙いの変化に注目し、それを「民主化」から「自律性」の向上への変化として整理した。
(2)論議の内容やその変化に影響を与える要因として、社会経済環境などの外部要因のほかに、論議間の要素的つながりのような論議の内的要因の存在を指摘した。
ことが解説されています。
 本書は、戦後の地方分権論議を概観する上で、コンパクトにまとまった便利な一冊です。


■ 個人的な視点から

 戦後、さまざまな分権をめぐる議論がなされ、勧告や提言が出されてきたことは、個々の事実としては認識されていますが、本書は、これら及びこれらをめぐる議論を要素に分解し、それらの間に脈々と流れる論理のつながりを見いだしていて、非常に分かりやすい一冊ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・戦後の分権論議を概観したい人。


■ 関連しそうな本

 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 天川 晃 『GHQ日本占領史 (38)地方自治体財政』
 天川 晃, 増田 弘 『地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続』
 カール・S. シャウプ (著), 柴田 弘文, 柴田 愛子 (翻訳) 『シャウプの証言―シャウプ税制使節団の教訓』
 勝田 政治 『内務省と明治国家形成』
 岡田 彰 『現代日本官僚制の成立―戦後占領期における行政制度の再編成』


■ 百夜百マンガ

きまぐれオレンジ★ロード【きまぐれオレンジ★ロード 】

 作者をしばらく見かけないと思っていたら、「脳脊髄液減少症」の記事で新聞に取り上げられていました。昔の有名人が、難病などで紹介されることも多いですがこれをきっかけに復活できるといいですね。

2007年2月 8日 (木)

検証・若者の変貌―失われた10年の後に

■ 書籍情報

検証・若者の変貌―失われた10年の後に   【検証・若者の変貌―失われた10年の後に】

  浅野 智彦
  価格: ¥2520 (税込)
  勁草書房(2006/02)

 本書は、「誰にとっても非常に口を出しやすい、あるいは口を出したくなる分野」である「若者論」について、
(1)若者バッシングが無自覚のうちに前提としている現実把握がどの程度妥当であるのかを社会学という方法を用いて検討する。
(2)若者の現状の中に、どのような新しいものが生み出されつつあるのかという点に注意を向ける。
の2点について論じているものです。
 第1章「若者論の失われた十年」では、「若者像の描き直しが必要」な理由を「若者についてのあまりにも否定に傾いたイメージを相対化し、できればそこに肯定的な要素を読み取っていくため」であるとし、ネガティブな若者イメージを構成するタイプとして、
(1)経済的:日本経済に現在の若者のあり方がプラスに貢献しているか否かという観点から判断を下す。
(2)道徳的:あるべき人間像あるいは何がしかの道徳観に依拠して、若者を批判的に意味づける。
の2点を挙げ、このうち、「若者についてのネガティブな語り方の宝庫」である後者について、
(1)他者への配慮の欠如と、そこから生じるとされる公共性の衰退。
(2)禁欲の衰退と意欲の減退から生じる労働倫理の解体。
の2つのポイントが繰り返されると述べています。
 また、今回の調査において、
・友人関係
・社会意識
・自己意識
・メディア利用
・音楽生活
の5つの視角から、今日の若者の姿を複眼的かつ構造的に理解する、としています。
 第2章「若者の音楽生活の現在」では、小川博司による「社会的コミュニケーションの中で、音楽の占める部分が増大する過程にある社会」である「音楽化社会」に関して、「音楽化とはまず環境面の変容を指すのであり、技術革新やメディア環境の変化を基盤とする」と述べ、また、「音楽を伝えるメディアの多様化ということでもある」と述べています。
 また、「若者が何を聴いているのかわからない」という意見について、「世代を超えて共有する音楽はもはやなく」、それどころか、「隣の席のクラスメイトの好みをとらえ切れていない状況」の原因が「再分化」に求められるとしています。
 著者は、音楽にかかわりの強い若者ほど、
(1)音楽の情報を資源として有していることが再確認され、
(2)音楽に直接的な意味づけをしながら、
(3)「聴く人を選ぶ」音楽を好む傾向がある、
ことが明らかになり、「音楽への関心の強さが当人のアイデンティティを構成するファクターになっているという推測を可能にする」と述べています。
 第3章「メディアと若者の今日的つきあい方」では、「若者がメディアとの関わりの中で抱く実感」と「批判する側が描き出すメディアと若者の関係のイメージ」には大きな乖離があり、若者が、「もがきながらも、メディアとの付き合い方を模索している最中なのではないか」と述べています。
 著者は、マスメディアでの「若者とメディア」論が、「多くの場合、要因間の関係を無造作に想定し、イメージで語られている」ことを明らかにし、「筆者の『印象』で、一部の若者の傾向を全体としてとらえたり、若者のメディア行動を短絡的に決め付けているものがある」ことを指摘しています。そして、「新しいメディア→新しい社会→それに対応する若者」という図式的議論が、「社会の変化として語られていることをそのまま個人に適用しようとする語り口」になっていることを指摘しています。
 そして、メディアを利用する若者の特徴として、
(1)テレビゲームの登場人物に思い入れを持つ若者は、友だちが多い。
(2)「ネット友だち」と友人関係・自己意識の関連は限定的
等の点について言及しています。
 さらに、調査の結果から、
(1)若者のメディア(特に系対話やインターネットなど)の利用率は高いが一様ではない。
(2)これらのメディアを少しずつ使いこなすタイプと、重点的に使うタイプ、あまり利用しないタイプが存在する。
(3)「メル友」「オフ会」などを利用する若者は10%台と少ない。
(4)「テレビゲームのキャラクターに思い入れを持つ若者」「インターネットで知り合った相手と友だち付き合いする若者」は、一般に問題視されるようなイメージと同じではないが、自分や友人関係について特徴のある意識を持っている部分も見られる。
の4点を明らかにし、これらが多様なものになっている社会的な背景都市t、絵
(1)彼らが、新しいメディアの普及期に生きていること。
(2)彼らを取り巻く生活環境などが、若者の間で大きな違いのあるものになっていること。
の2点を指摘しています。
 第4章「若者の友人関係はどうなっているのか」では、対人関係が「親密」であるためには、そこでコミュニケーションが円滑に行われ、安心と信頼が構築されることが不可欠であるとした上で、「友人関係の中に多様なものが含まれ、それらが選択的に使い分けられるようになった」という「選択化論」について、「「選択歌論を持って希薄化論を完全に否定することは困難」であると指摘した上で、「従来型の<深い-浅い>といった親しさの図式が解体することによって、これまでの常識的な感覚では思いもよらなかったような関係が、『親しい』、『友人』関係として認識される可能性が生じたという点なのではないだろうか」と述べています。
 著者は、「今回のデータからは、友人関係の希薄化論が危惧するような、友人関係の変化に伴う友人関係の社会か機能の低下という問題は、心理的安定化と対人スキルの学習という二つの機能に関しては、『親友』が、それを一定程度担っていることが確認された」と述べる一方、「友人関係の機能の一つとして考えられてきたモデルの提示という機能については、少なくとも『親友』に関しては、果たされていないと言うことが確認された」と述べています。
 第5章「若者のアイデンティティはどう変わったか」では、
(1)自己意識の10年間の変化から、現在の若者のアイデンティティの特質を明らかにする。
(2)今日の若者の自己意識のあり方を、特にその多元的なあり方に着目しつつ、その多様性を明らかにする。
(3)自己意識類型と規範意識や友人とのつきあい方などとの関係を分析する
の3点について論じています。そして、「若者の他者との関係の特質は、単に表層的というよりも、様々な他者に対するコミュニケーションの高度な使い分けにある」と指摘しています。
 著者は、「若者の自己の不確かさは増しているということ」が示されたとする一方、「いわゆるアイデンティティの未確立としての自己拡散」のみならず、「自己の多元性」によってももたらされていたと述べています。
 第6章「若者の道徳意識は衰退したのか」では、成人式の若者の行動の報道など、「わかりやすい」番組のために「若者を扱う番組の構成そのものにバッシングの視点が組み込まれている」ことを指摘しています。そして、「社会規範がしっかりしている大半の『ふつう』の若者たち」は、
「当事者がいないところで、干渉しすぎ。うざい。
そして、まちがっている。わかっていない。」
と言うだろうと述べています。
 第7章「若者の現在」では、
(1)データから見る限り若者の意識と行動には、良い意味でも悪い意味ではあまり変わっていない部分も多い。
(2)いくつかのデータを見れば変わった点も多いことを率直に認めてよい。
の2点に留意すべきとした上で、友人関係については、
(1)多チャンネル化
(2)友人とのつきあい方が状況志向的になっている。
(3)友人関係において見せている独特の繊細さ
等を指摘しています。また、自己に関しては、
(1)自分らしさ志向
(2)自己の多元化
(3)開かれた自己準拠
の3点を論じています。
 本書は、若者の姿を印象論ではない方法で捉えたい人にお奨めの一冊です。


■ 個人的な視点から

 毎年荒れる成人式を面白がって流すワイドショーのコメンテーターのコメントに、わが意を得たりと拍手喝采を送るようになるとオジサン・オバサン化が著しく、「何言ってんだ、このオヤジは」と思えたらまだ若いのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・若者論を自分の経験やマスコミの印象で語ってしまいがちな人。


■ 関連しそうな本

 玄田 有史 『仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在 中公文庫』 2005年07月20日
 スチュアート タノック (著), 大石 徹 (翻訳) 『使い捨てられる若者たち―アメリカのフリーターと学生アルバイト』 2006年11月14日
 熊沢 誠 『若者が働くとき―「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず』 2007年01月10日
 本田 由紀 『若者と仕事―「学校経由の就職」を超えて』 2006年03月02日
 宮本 みち子 『若者が『社会的弱者』に転落する』 2005年05月04日
 本田 由紀 『多元化する「能力」と日本社会 ―ハイパー・メリトクラシー化のなかで』 2006年09月06日


■ 百夜百マンガ

ゴッドサイダー【ゴッドサイダー 】

 なんとなく絵的にジャンプっぽくない作品でした。ゴツイ絵、グロい絵ということでは師匠の作品である『北斗の拳』と紙一重なのですが、どこか踏み外した感じが、ジャンプっぽくなかったです。

2007年2月 7日 (水)

官庁セクショナリズム

■ 書籍情報

官庁セクショナリズム   【官庁セクショナリズム】

  今村 都南雄
  価格: ¥2730 (税込)
  東京大学出版会(2006/05)

 本書は、「行政官僚制の病理を代表するもの」として挙げられるセクショナリズム、中でも「共管競合する分野での行政の効率性を損なっているのみならず、国益や行政の公共性をも脅かしている」と定説になっている我国の中央政府における行政官僚制について、
・歴史過程
・政治過程
・組織過程
の3つの側面から分析しているものです。著者は、本書を貫く問題関心の一つとして、「セクショナリズムははたして病理現象でしかないのか」という問いかけを行っています。また、わが国の行政官僚制の特色として挙げられてきた、
(1)組織の面における独特の職階制であり、外見上の階統制構造のもとで実体的には強い割拠性を内在させていること。
(2)官僚制における行動形態に古くからの特権的性格が残存していること。
(3)稟議制の名で知られている独特の意思決定方式が慣用化され、行政運営を拘束していること。
の3点について、(3)の稟議制に関しては、事実誤認があるとして、「ことに政策的判断を要する事案に関しては、その決裁過程で稟議書を用いる場合であっても、それに先行して、関係部課間での念入りな合意形成が存在し、その段階で実質的な意思決定が行われること」等が指摘されていることを紹介しています。
 第1章「セクショナリズムの歴史過程」では、本書において、「官僚制」が、「個々の行政組織の組織形態やそれを支える行動様式を指すのではなく、官僚機構を主軸とした政治的支配構造(統治構造)の組織的特徴」を指すものであると述べています。
 また、旧内務省の高等官に求められた能力として、「彼らに必要だったのは、一つの実務を終生担当して精通することではなかった。それは属官の職務である。それよりも、如何なる事務にもたちまち適当し処理しうる能力、多岐にわたる実務の諸部門を統括する能力が、彼らに要求されてきた」という升味準之輔の言葉を紹介しています。
 そして、「日本国憲法の制定によって、行政官僚制のセクショナリズムにいかなる断絶が生まれたか、あるいは、生まれなかったのか」という問題に関して、「内閣総理大臣はアメリカ大統領のような「首長(chief executive)」ではない。総理大臣ではなく、内閣が行政部(executive)なのである」という大蔵省の意向を受けたESS(GHQの内部部局たる経済科学局)の見解を紹介し、「これこそ、戦前来の各省分立体制を正当化する論理以外の何物でもない」とし、まさしく「憲法は変われども行政法は変わらず」であると述べています。
 第2章「セクショナリズムの政治過程」では、内閣レベルでの行政の統一性を阻害する原因として、
(1)国務大臣・行政長官兼任制
(2)与党と行政府の関係
(3)行政部内の割拠性
の3点を紹介しています。
 また、行政機関が、「政府の政策決定に影響を及ぼしうる力量において均一ではなく、そこにかなり大きな差異がある」要因として、
・各行政機関の有する専門的能力・技能
・政治的な支持者集団の強弱
が戦略的な重要性を持ち、これらが官僚(制)権力を左右する基礎的資源であると述べています。
 著者は、「セクショナリズムは、官僚政治を彩る組織紛争の形態に他ならず、当事者間での議論の応酬がその政治過程を特徴づけている」と述べています。
 さらに、「喧嘩官庁」である通産省が、「積極的な「口出し」をしつつも、政権政党に下駄を預けることなく、内閣官房の調整力の発揮によって解決がもたらされた事例」として、90年代の容器包装リサイクル法案の制定過程を挙げています。
 第3章「セクショナリズムの組織過程」では、縦割り行政をもたらしている最たるものとして、中央省庁の編成を挙げ、このタテワリ編成が、「政党の政務調査会等の部会構成やそこに集結する議員集団の編成に連動」し、「行政が対象とする各社会セクターに形成される業界集団と結びつき」、「政・官・業の三つどもえによる『鉄のトライアングル』」を形成していることが述べられ、一方、「国・地方の政府間関係においても縦割り行政の弊害」が指摘されることに言及しています。
 また、1996~7年にかけての行政改革会議における審議過程から、国家機能のあり方について、
(1)外交、防衛、治安、財政など国家存続のための機能
(2)経済と産業、国土の保全・開発、科学技術など国富を拡大する機能
(3)社会福祉、雇用、環境など国民生活を保障する機能
(4)教育や国民文化を醸成、伝承する機能
の4つの機能に分けた「橋本四分類」について解説しています。そして、「『縦割り行政の弊害の排除』を目的とする『調整システム』のあり方」として、
(1)内閣の強力な調整機能によるもの。
(2)省庁の大括りによる、調整の省庁内部化によるもの。
(3)特定機能についての省庁間での横断的調整システムを、恒常的に設置することによるもの。
(4)省庁間での個別的な意見調整のためのプロセスを、一般ルール化することによるもの。
の4項目が挙げられていたことを紹介し、ここで「総合調整」概念が限定的に用いられ、「かつては総理府参加の大臣長に認められていた総合調整権限が内閣官房および内閣府にせり上げられることになってしまった」、「総合調整権限のせり上げ」について言及しています。
 さらに、「財源と保障と財源調整の機能を果たす交付税」が、「全国の地方自治体の共通財源としての性格」の他に、80年代末ごろから、「中央省庁にとっても一種の共通財源として作用すること」となったことについて、「地方財源が予想以上の好調を持続したことを背景」に、「マイナスシーリングのもとでの各省庁の予算制約によって、地方交付税の利用という政策手段への依存度が高まった」ため、「各章所管の補助事業に伴う国庫支出金の減少を地方交付税の増額で担保し、補助事業土地法単独事業との組み合わせによって地方債の増発を招いても、その元利償還金の一部を後年度において地方交付税で措置するというやり方」が広がったことが述べられています。
 本書は、官庁セクショナリズムについての理解を深めるという点では明解ではありませんが、官庁セクショナリズムに関する問題を、歴史、政治、組織の3つの過程から論じた読み物としてはそれなりに読める一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書は、「行政学叢書」というシリーズものの一冊ですが、こういうシリーズの場合、担当してしまったテーマがあまりにも漠然としていたり、多義的なものであると、なかなかうまくまとまらないのかも知れず、本書にも著者の苦労の後がうかがえます。


■ どんな人にオススメ?

・役所のタテワリの本当の理由を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 大森 彌 『官のシステム』
 森田 朗 『会議の政治学』 2006年12月07日
 クリストファー フッド (著), 森田 朗 (翻訳) 『行政活動の理論』 2006年12月25日
 森田 朗 『現代の行政』


■ 百夜百マンガ

博多っ子純情【博多っ子純情 】

 博多と福岡って同じようなもんだと思ってましたが、違うらしいです。まあ、浦安は東京都だと思っている人も多いと思いますので仕方ありませんが。

2007年2月 6日 (火)

過労死・過労自殺の心理と職場

■ 書籍情報

過労死・過労自殺の心理と職場   【過労死・過労自殺の心理と職場】

  大野 正和
  価格: ¥1680 (税込)
  青弓社(2003/03)

 本書は、バブル崩壊後の『失われた10年」の中で、一国の首相までが倒れた、過労死・過労自殺のメカニズムを分析したものです。
 2000年4月に脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人となった小渕総理は、「いい人」「親切」「気遣い」「几帳面」という「多くの日本人に馴染み深い」人柄を持ち、「政治家という特殊な職業の性質ではなく、庶民や労働者と共通する働きぶり」を見ることができると述べられています。著者は、過労死・過労自殺が企業以外にも「公務員、教師、看護婦や医師、さらには過労死・過労自殺裁判を闘う弁護士にまで広がっている」として、"過労死の企業責任"とは別に、「日本人の働き方が問われている」と述べ、「日本社会を"企業中心社会"として分析するよりも、"仕事中心社会"として考えることによって、過労死・過労自殺の謎に迫ることができる」と解説しています。
 また、「過労死」という言葉については、過労死の名付け親の一人である田尻医師の、
(1)ある日突然。
(2)その原因には仕事による無理以外には思い当たらない。
(3)多くは職業病らしさを持っていない「普通の病気」である。
の3つの条件を紹介したうえで、1990年代後半に働きすぎによる死が「事件」として人々の目を引き、「過労死として語られる」ようになったことが重要であると述べています。
 そして、「一般的な長時間労働を指摘するだけでは過労死の謎は解けない」のは、「好きで働いて死んだ」のではなく、「疲れた体に鞭打って出勤し」、「逃れようなく仕事に巻き込まれ自分を見失ってしまうケース」が多く、「単に、長い時間過酷な仕事で心身をすり減らすというだけでなく、どこかに悲壮感が漂っている」と述べています。そして、その原因として、「過労死・過労自殺は長時間労働から生まれるのでは」なく、「長時間労働と短時間労働の並存こそが問題だった」糊塗を指摘しています。
 さらに、「過労自殺と個人の性格や素質との関係」に関して、「一般の社会人の中にしばしば見られる」だけでなく「積極的に評価」されている性格の人が被災者となる点を指摘しています。そして、過労死・過労自殺事例の多くが、「メランコリー親和型うつ病」であり、この人たちが、「その『平凡さ』ゆえに高い評価を受けている人たち」であり、「そこに日本人特有の『生の美学』がある」と指摘しています。
 著者は、「職務ストレスがそのままで過労死を生み出す」のではなく、"仕事はきついがやりがいがある"という働き方から、「そのやりがいが孤独な戦いへ変化する中で生まれてきた」と述べ、「単なる長時間労働やストレスだけから過労死・家老自殺を説明することではなく、自由という言葉にかかわる自分というものを明らかにすることが求められ」るとして、本書の目的を、「仕事での自分の位置づけを、<心理>と<職場>において探求すること」であると述べています。
 第2章「過労死・過労自殺の<心理>」では、過労死・過労自殺の事例では、「メランコリー親和型の"他人のために献身的に尽くす配慮"」に必ず出会うと述べ、これらの人たちが、「仕事を『断る』ことや『任せる』ことによって、まわりに悪いことをしたと感じてしまうので、なかなかそれができない」だけでなく、「自分が仕事を引き受けることで安心感が得られる」ことが述べられています。そして、「『仕事を任され』るなかで『俺が』がんばるのだと言う覚悟によって、他の人の分まで自分に引き受ける仕事振りこそが、過労死・過労自殺者の特徴」であり、「逃げ出さずに背負い込むことが、仕事に生きる証なのである」と述べています。
 著者は、「すべて自分のせい」にするメランコリー親和型の「罪責感」が、「自分で自分を追い込んでいく力として働く」ため、「日本の職場においてはじつに有効な仕事倫理」であったことを指摘し、「そういう逃げられない状況において、自ら限界まで仕事をまっとうしようとする否応のない努力が、過労死・過労自殺を生み出す土壌」であると述べています。
 また、過労自殺者の遺書に、"申し訳ない""すまない"といった内容が多く見られる点について、「職場の同僚に対する罪責体験」が、「義理的な負い目」=「水平面的な負い目」、すなわち、「好意と好意の等価交換を果たせないことへの悔やみ」であるとした上で、過労死・過労自殺者の意識にある「病的な痛恨」はこれだけでは説明できないと述べ、仕事というものが、「『どんなに精一杯返済しても』返し切ることのできない報恩の行為」であり、「とくに過労死・過労自殺者の仕事ぶりに当てはまる」ことを指摘しています。
 第3章「過労死・過労自殺の<職場>」では、日本の職場で、「割り当てられた仕事の周辺」の「フリンジ・ワーク」の遂行が求められ、そこに「人としての『やる気』が最大限に発揮される領域がある」と述べ、「過労死・過労自殺者の特性である、誰に命令されるのでもなく自ら積極的に仕事に取り組む姿勢」が、「この日本の働き方に最もよく適合している」と指摘しています。
 また、日本的労働編成での職場集団への配慮が、「気兼ね」と表現され、「『気配り』が相手への積極的な援助を用意する姿勢を意味するのに対して、『気兼ね』は相手から『助けられること』への申し訳なさと遠慮が含まれ」、「できることならすべて自分の手元で処理しようと努める」メランコリー親和型の働き方に言及しています。
 第4章「過労死・過労自殺と<自分>」では、職場集団性の理想状態である、「"困ったときはお互いさま"というギブアンドテイクの『義理』的な助け合いと、職場全体への配慮である『恩返し』的な貢献がうまく調和して働いていること」が崩れ始めたことで、「義理を果たさないまわりの人たちの仕事を一人で抱え込み、全体の場への配慮も欠かすことのできないメランコリー親和性の強い人」が孤独な戦いに直面することを指摘しています。
 本書は、過労死・過労自殺を切り口に日本の職場と仕事のあり方を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で紹介されている事例の中で、「なぜ他の人は電話をとらないのか」、「特定の誰かに割り当てられた任務でもない。いわばボランティアによって遂行されている仕事」であるという例が紹介されています。自分自身を考えると、電話を取ることは「反射」とも言うべき領域で、意識が介在せず、電話がなりだす前、発光ダイオードが光ると手が勝手に反応して電話をとってしまっています。面倒と言えば面倒ですが、電話がなるたびに、「自分がとらないとまずいかな」と周囲の状況を思い浮かべた上で電話をとることを考えればいっそう気楽な気がします。


■ どんな人にオススメ?

・過労死は他人事だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 荒井 千暁 『こんな上司が部下を追いつめる―産業医のファイルから』 2006年11月15日
 玄田 有史 『仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在 中公文庫』 2005年07月20日
 スチュアート タノック (著), 大石 徹 (翻訳) 『使い捨てられる若者たち―アメリカのフリーターと学生アルバイト』 2006年11月14日
 熊沢 誠 『若者が働くとき―「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず』 2007年01月10日
 本田 由紀 『若者と仕事―「学校経由の就職」を超えて』 2006年03月02日
 宮本 みち子 『若者が『社会的弱者』に転落する』 2005年05月04日


■ 百夜百マンガ

ろくでなしBLUES【ろくでなしBLUES 】

 マイク・タイソンじゃなくて「前田太尊」という名前からもボクシングマンガであることが分かりますが、むしろ男子高校生の生活というか『反町君には彼女がいない』的な日常生活観が実は魅力です。

2007年2月 5日 (月)

ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学

■ 書籍情報

ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学   【ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学】

  ゲーリー・S. ベッカー, リチャード・A. ポズナー (著), 鞍谷 雅敏, 遠藤 幸彦 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  東洋経済新報社(2006/06)

 本書は、ノーベル経済学賞受賞者であるベッカー教授と「法と経済学」の発展に大きな貢献をしてきた法学者であるポズナー判事の2人で運営するブログ(というより「公開交換日記」?)とベッカー教授が『ビジネス・ウィーク』誌に連載しているコラムから選り抜いて翻訳したものです。著者らは、「ブログの成長」について議論しているうちに、「他とはちょっと変わったブログを自らやってみるというアイデア」に引きつけられ、「毎週、それぞれが自らの意見を表明しコメントを加えるという形式で、現代の"経済学的"テーマを議論する」というもので、このブログの立ち上げには、「著名な法学者(現在はスタンフォード大学教授)であり、自身が傑出したブロガーであり、また以前ポズナー判事の書記を務めたローレンス・レッシグ教授」の助けがあったことが序文の中で述べられています。
 第1部「ベッカー教授とポズナー判事のブログ対決」では、12回のブログでの応酬が収録されています。
 第1章「世界の重要な動き」では、「経済的自由と政治的自由」と題した週(2005年3月6日))に、ベッカーは、「経済的自由も政治的自由も、両方が高い評価を得ているから、一国が発展する過程で、この2つの自由が互いにどう作用しあうかを理解しておくことはきわめて重要である」と問題提起し、「政治的自由がその後の経済成長に及ぼす影響の小さいこと」を示し、「経済的自由はいずれ政治的自由につながりやすい一方、逆の因果関係は時間がかかり不確実性がより高い」と述べています。これに対してポズナーは、「高い生活水準は民主主義につながりやすい」という点と「民主主義は必ずしも経済的自由を推し進めるわけではない」という点でベッカーの意見に賛成を示しています。
 また、2005年4月3日の「中国経済の将来」では、ベッカーは、中国が、「他の国々を大きく超えて成長を続けることはない、と言えるわけではない」が、「今後50年ほどは中国経済が勝利する時期であると今から認めてかかるには慎重でなければならない」と述べています。これに対してポズナーは、中国と皇帝ウイルヘルム統治時代のドイツとの間に、
・攻撃的な態度の、時にはヒステリックな、国家主義の国であること
・潜在的な敵に取り囲まれていることに猜疑心を抱いていること
・その政治制度よりも進歩した経済制度を有していること
等の類似性を見いだし、「そのために中国は、軍事力に大量の投資をするかも知れず、自らに惨事を招くことになりかねない戦争に巻き込まれる可能性もある」と述べています。
 2005年7月31日の「欧州でのテロと移民政策」では、ポズナーが、「社会が既存の職を保護するなら、向上への意欲を持つ新参者にとっての雇用機会は乏しくなり、彼らの人生は社会の片隅で苦々しい思いをしながら終わってしまう可能性がある」という点で、「過激な考え方を育てるのは貧困ではなく、むしろ社会政策である」と指摘しています。
 2005年1月5日の「インド洋大津波とその他の大災害」では、ポズナーが、大津波のような自然災害に対する無策の理由として、
(1)政治家は限られた任期を持つため、遠い将来のことは視野の外に置くので、確率の小さい災害が発生する可能性を無視しがちである。
(2)政府は中央集権的な統制システムであるので、担当者は、多岐にわたる受け持つ仕事のうち、一定以上の事柄にしか注意を向けない。
(3)リスクが地域全体、グローバルな性格のものである場合、貧しく小さな国々の政府は大きく豊かな国々にいただ乗りすることを当てにして、迅速に行動しないことがある。
(4)弱体で、非効率な、腐敗した政府を持つ国々は、貧しいことが多く、それを実行できない。
(5)人びとは、非常に小さい確率を勘案して、ものごとを考えることに困難を覚えるために、リスクを念頭から消してしまいがちである。
の5点を指摘しているのに対し、ベッカーは、「貧しい国々が長期的に見て効果的な対応を図るための一つの方法」として、教育への投資の奨励を挙げています。
 2004年12月27日の「エイズその他の病気と経済進歩」では、ベッカーが、アフリカその他の貧しい国々で蔓延する病気が、人口の急速な伸びを抑える効果はあるが、「生存者への災禍」であり、「経済進歩に対する大きな妨げになっていることに疑いの余地はない」としているのに対し、ポズナーは、
(1)外国への援助は、公的資金や私的資金のよい使い道ではない。
(2)貧しい国々における人口増加がもたらす利益について、ベッカーほど楽観的になれない。
の2つの理由で賛成しないとしています。
 人口問題に関しては、2005年10月3日の「人口の増加の善し悪し」において、ベッカーが「経済が発展し女性の教育が高まるとともに、出生率が急速に低下する」ので、現在予測されている程度の人口増加は、「世界の広義の経済進歩に向けての前向きの刺激となる可能性が大きく、経済進歩を阻害するようなことはない」との確信を示しているのに対し、ポズナーは、人口増加の持つ、政治ガバナンスへの影響が軽視されていることを指摘しています。
 第2章「社会の制度との相互作用」では、2005年10月30日の「保育サービスと育児休暇に対する補助」において、ベッカーは、「課程に対して多数の子どもを持つように奨励する方法」として、「スウェーデン式の制度は間接的で効率が悪い」可能性を指摘し、「出産を奨励する最も直接的で最善の方法」として、「子供の数を増やした家庭に毎月の手当を支給する」ことを提案しています。
 また、2005年2月6日の「公的年金制度」では、ベッカーは、「公的年金の民営化を指示すべき真に強力な論拠」として、「民営化は退職年齢や退職者給付額の決定において政府が果たす役割を小さくし、政府歳入や歳出に関する財務報告を改善できることにある」ことを挙げています。
 第2部「ベッカー教授の熱烈コラム」には『ニューズ・ウィーク』誌に掲載されたベッカー教授のコラムが紹介されています。
 第1章「イノベーション」では、「世界中にシリコンバレーを作りたいのなら、まず補助金を全廃せよ」と題した回(2000年3月27日)で、「もしある国がハイテク集積を育成したいと思うのなら、企業に高額の解雇手当を払わせたり労働時間を制限する立法をしたりするのではなく、容易に労働者を雇用したり解雇できるようにすべき」であるという自説を展開しています。
 第2章「政府の役割」では、1999年9月13日の「遺産(相続)税――時代遅れの考え方」において、昔は遺産に対する税金が「中産階級や低所得者層の子供達にも平等な機会を与えるという点でメリットがあった」が、現代の子供たちは、「主として人的資本の移転(つまり、高度の教育を受けさせることなど)を通じて、親たちの経済的地位を"相続"している」ため、「もはや遺産税の公共政策上の意義は薄れたので、廃止すべき」であると主張しています。
 2000年7月17日の「厳格な司法が米国の都市を救いつつある」では、白人に比べて黒人の収監率が8倍も高いことに対して、人種差別との非難が上がることに関して、「都市中心部での生活は、黒人が被害者となるような犯罪に警察が目もくれなかった過去に比べ、現在では格段によくなっている」として、「警察の活動強化の恩恵を特に受けている」のは、都市中心部に居住する「マイノリティの人々である」ことを指摘しています。
 第3章「グローバル・イシューズ」では、2003年4月21日の「グローバル化が阻害されると、損をするのは貧者である」において、反グローバル化の動きが、「世界経済秩序を崩壊させるという目的を達する」ときの最大の被害者は、「G7の富裕なメンバーではなく、多くの国民を貧困や病気から救い出したいと願っている国々なのである」と述べています。
 本書は、「ブログで学ぶ経済学」という際物っぽいタイトルこそ付いていますが、ベッカー、ポズナーの二大巨頭の時事問題に関するコラム、という点では極めてまっとうな読み物ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 それにしても、こういうのは「ブログ」と呼んでいいのでしょうかという疑問は相変わらずです(人のことは言えませんが・・・)。
「The Becker-Posner-Blog」
を見ると、確かに(「百夜百冊」と同じ)「Movable Type」を使っていて、見た目的にも非常に見慣れた画面構成になっていますが、やっぱりこれは、「公開交換日記」でしょうかね。
 もちろん、システムをどう使いこなすかはさまざまなバリエーションがあっていいことですし、訳書には掲載されていませんが、毎回寄せられる数十件のコメントのなかにも読み応えがあるものが含まれているんじゃないかと想像されます(読んでない)。
 さすがに「切込隊長BLOG」みたいに、「今だ!1げっとおおおおぉぉぉ」とかはないようです。


■ どんな人にオススメ?

・経済学のものの見方を身につけたい人。


■ 関連しそうな本

 ゲーリー・S. ベッカー, ギティ・N. ベッカー (著), 鞍谷 雅敏, 岡田 滋行 (翻訳) 『ベッカー教授の経済学ではこう考える―教育・結婚から税金・通貨問題まで』
 土場 学, 佐藤 嘉倫, 三隅 一人, 小林 盾, 数土 直紀, 渡辺 勉, 日本数理社会学会 『社会を"モデル"でみる―数理社会学への招待』 2005年11月30日
 佐藤 雅彦, 竹中 平蔵 『経済ってそういうことだったのか会議』 2005年06月26日
 伊藤 秀史, 小佐野 広 『インセンティブ設計の経済学―契約理論の応用分析』 2005年02月26日
 大竹 文雄 『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには』 2006年09月04日
 多田 洋介 『行動経済学入門』 2006年08月31日


■ 百夜百マンガ

ぽっかぽか【ぽっかぽか 】

 この作品の影響で、「パパ」「ママ」の代わりに「ちち」「はは」と子供に呼ばせてる家庭は少なくないと思います。

2007年2月 4日 (日)

氷河期の「発見」―地球の歴史を解明した詩人・教師・政治家

■ 書籍情報

氷河期の「発見」―地球の歴史を解明した詩人・教師・政治家   【氷河期の「発見」―地球の歴史を解明した詩人・教師・政治家】

  エドマンド・ブレア ボウルズ (著), 中村 正明 (翻訳)
  価格: ¥1995 (税込)
  扶桑社(2006/04)

 本書は、「氷河期の存在が一般に認められるようになった」19世紀に、「いっしょに、地球の歴史、気候、地球上での氷の役割についての私たちの見方を変えた」キー・パーソンである、イライシャ・ケーン、ルイ・アガシ、チャールズ・ライエルの3人のキーパーソンを追ったものです。
 第1部「無知で野心ある三人の男」では、著者は、大体において人間が、「空っぽの帽子からうさぎを取り出す手品師よろしく、どこからか知識を得て、思いもよらない事柄を学び取る」と述べ、氷河期は「まさしくそのような新知識の一つである」と語っています。1820年代には、「j北極や赤道に向かって進んでいくと、氷河が小さくなり、ついにはまったく消えてしまうのが観察される」として、「世界で最も大きな氷の固まりは温和な気候のところにある」との説が流布したことが紹介されています。
 そして、本書の主人公の一人であるケーンを、北極探検に駆り立てた動機のひとつが、「単に無知のためだけ」ではなく、大学生の頃にリューマチ熱で心臓に障害が生じ、常に死の影に付きまとわれていたケーンが、「有名になろう、死ぬまでに目覚しいことをしよう」と決意していたことが紹介されています。アメリカ海軍の船医の補佐役として中国に向かうと、エジプトに渡ってはナイル川上流で「波乱に飛んだ戦闘」に参加し、陸路イタリアに向かい、スイスのアルプスを越えてフランスに入り、世界を一周してアメリカに戻ッ武ーんは、「栄光でも評判でもない、それのまがい物を手に入れ」、「栄光も評判もなくてもマスコミの力で名声をかち得ることができるということを発見した最初の一人」であると述べられています。1853年5月30日に、北極の周りの氷結していない海を目指して出発したケーンは、アメリカ国民から英雄とみなされ、成功を祈って心からの拍手を贈られたが、ケーンが見いだしたものは「マンモスをも凍らせるほどの荒れ狂う天候」であり、「夢から悪夢が生じる」のだと述べています。
 もう一人の主人公であるライエルは、パリ付近の古い地質形成とスコットランド湖の最近の堆積物を比較する手法を進めるなど、「真に科学的な地質学」を生み出す努力を始め、同じ頃に「自然科学において天変地異が重要な意味をもつ」とキュヴィエが書いたことを「完全に『非哲学的』である」とみなし、「変わった現象を全てノアの洪水のせいにする宗教学者と、天変地異を頼りにするキュヴィエのような科学者は、みな同じ迷信深い集団の一員である」といっていることを紹介しています。
 第2部「無知にとどまらず行動する」では、「氷河や極寒の時代を否定」する当時の態度を、「単なる『誤ったデータ(ガービッジ)』」ではなく、「ぎゅうぎゅう詰めにされ、固くなったゴミ(ガービッジ)」であり、「疑いようのない偏見だったので、1830年代の屈指の学者たちですら、氷河と言う考えに対して、私たちが『犬はにゃーにゃー説』に対するような反応」をしたと述べています。
 また、1836年の夏にスイスのシャンパンティエの自宅を訪れた本書のもう一人の主人公であるアガシが、5ヶ月かけてスイス奥地を探検し、「氷河説対洪水説」論争についての諸事実を完全に頭に入れ、調査が進むにつれ、アガシはライバルたちの氷河説に分があることを知り、「目的をもった大旋風さながら、急ピッチで調査を進めた」と述べられています。アガシは、氷河の後を見て、「途方もない大きさの花崗岩を引きずり、氷河が通った後の地面はひどくこすられていた」というまだ知られていない事柄が彷彿としてきたと述べられています。
 1837年にアガシは、後に「ヌーシャテル講演」として記憶されることになる講演をし、聴衆のほとんどは、「氷河論者に与することにしたというアガシの宣言」に驚き、「ちょうど、カトリックの集会で司教が歓迎の言葉の冒頭でプロテスタントの説を擁護し始めたときに、それを聞いていた著名な司祭たちが起こすであろうような反応をした」と述べられています。アガシは、「さまざまな事実を系統的に集め、目に見える証拠の上にあらゆる主張を組み立てた」が、ヌーシャテルに集まった自然科学者たちは、「巨大な氷を想像できない」という、「私たちにはもはや体験できない状況」にあったため、アガシの講演は敵意を持って迎えられたと述べられています。そして、「聴衆は恐怖にとらわれ、論争は収拾がつかなくなたtので、気の弱い人たちはだんまりを決め込んだ」と伝えられています。アガシは、わずか3日前まで「同時代の自然科学者の中では最も秀でていると見られていた」が、スキャンダルを起こし、「まともだとは思われなくなっている」と述べられています。
 第3部「変心」では、1840年に、ヌーシャテルではアガシが、初めて「氷河の全体像を描いた本」である『氷河研究』を書き上げ、ロンドンではライエルが10年前に出版し、「英語で読むことのできる最も優れた地質学の教科書という評判」をとっていた『地質学原理』の改訂第6版を出そうとしていたことが述べられています。前に出した本を加筆修正するというライエルの姿勢は、「最新の情報に常に気を配っていることが証明され、ライエルの地質学に対する研究態度は時間と新しい発見の試練を経ているという印象を強く与え」、「一方では、新しい事実が現れ必要に迫られると考えを変える現代の科学者の典型そのもの」のようであったが、「他方では、こうした変更改訂された点の全てがその本全体の主張をひきつづき支持していたので、昔の完璧な預言者のようにも見えた」と述べられています。著者は、「地質学上の事実の中で、氷河ほどライエルの成功のきっかけとなったものはないだろう」と述べています。
 1840年9月にグラスゴーで開催された英国科学振興協会の年次総会に出席したアガシは、氷河が動くにつれ、
(a)堆石を押して行き、
(b)漂石を載せて運び、
(c)下にある岩を引っかきみがく
が、この総会で提起された問題は、「アガシが引き合いに出している影響は、氷河によって惹き起こされたのだろうか、それとも何か他の原因によるのだろうか」であったことが述べられています。
 第4部「最悪の状態」では、一時は、スコットランドが氷河に覆われていたという説を支持し、アガシの側に転向したように見えたライエルが、「今は変節し、またナイアガラの特色の全てを、洪水、漂流する氷山、地盤の高さの変化という、以前の考えによって説明するようになった」ことが解説されています。
 第5部「確信をもって結末へ」では、「もし最初から氷河の仕組みが分かっていたら、氷河期を否定する説はあれほどまでに多くはならなかっただろう」とする一方で、「アガシとシンパーは氷河の仕組みが分かっていたら氷河期があったかどうかに興味をもたなかっただろう」と述べています。
 そして、1957年にケーンという「必要な詩人」が現れることによって、アガシとライエルにも時期が到来し、「だれもが巨大な氷をアガシと同じ視点で見ることができるようになった」ことが述べられています。
 第6部「二つの悲劇と一つの勝利」では、北極圏から生還したケーンが、1856年に地理学会から金メダルを贈られ、ケーンの著書は、アガシを初めとする各方面の名士からの推薦を受け、ひとたび出版されると大騒ぎになったことが述べられています。
 また、「現在の世界は天変地異のあと、ごく最近できた新しいものだ」という考えが機雷で生涯を通して闘ってきたライエルが、その考えを認めるようになったことなどが述べられています。
 本書は、現代では当たり前になった氷河期と言う事実とそのイメージが、日本ではまだ徳川幕府の時代だった19世紀の人たちにどのようにして受け入れられたかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 19世紀のイギリス、と言えば、『ジョジョの奇妙な冒険』の第1部であるジョナサン編です(作品の舞台は1880年代ですが)。本書を何気なく読んでいると、登場人物が150年前の人物だということを気にせずに読めてしまいますが、当時の学会の権威の高さや服装、雰囲気などを想像して読むとさらに楽しめるかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・氷河期を当たり前のものだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 ブライアン フェイガン (著), 東郷 えりか, 桃井 緑美子 (翻訳) 『歴史を変えた気候大変動』 2006年12月02日
 リチャード・B. アレイ (著), 山崎 淳 (翻訳) 『氷に刻まれた地球11万年の記憶―温暖化は氷河期を招く』
 ブライアン・フェイガン (著), 東郷 えりか (翻訳) 『古代文明と気候大変動 -人類の運命を変えた二万年史』
 ビョルン・ロンボルグ (著), 山形 浩生 (翻訳) 『環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態』 2005年09月19日
 ジョエル レヴィ (著), 柴田 譲治 (翻訳) 『世界の終焉へのいくつものシナリオ』 2006年12月23日
 ジャレド ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』 2006年09月12日


■ 百夜百音

ガンバの冒険【ガンバの冒険】 TVサントラ オリジナル盤発売: 1997

 子供の頃に見たときは、とにかくノロイが恐い、何週にもわたって重々しい絶望が続くのが辛かったです。大人になってからもう一度見たい作品の筆頭です。もちろん『宝島』にも同じことが言えますが。


『ガンバの冒険 DVDBOX』ガンバの冒険 DVDBOX

2007年2月 3日 (土)

テキスト自動要約

■ 書籍情報

テキスト自動要約   【テキスト自動要約】

  奥村 学, 難波 英嗣 (著), 人工知能学会, JSAI= (編集)
  価格: ¥3150 (税込)
  オーム社(2005/03)

 本書は、1950年代から50年近い歴史を持つにもかかわらず、これまで日本語で書かれたテキストがなかった「テキスト自動要約」に関する教科書です。これ以前にも、本書の著者による訳本は出ていましたが、より読みやすい内容になっています。
 第1章「テキスト自動要約概論」では、「最近ますます要約が我々の身近で活躍する場面は増えて」いて、検索エンジンの検索結果にリンク先の要約が紹介されている例が挙げられています。また、ネット上や携帯電話へのニュースの配信サービスでも自動要約したものが使われ、市販のワープロソフトにも要約機能がついていることを紹介しています。
 著者は、「要約(Summarization; Summary)」を、「もとのテキスト(原文)の内容を、より短いテキストで簡潔にまとめる処理」と定義し、「要約率」を「要約の文字数(あるいは文数)/元のテキストの文字数(文数)」と解説しています。そして、近年研究が進められている技術として、
・情報検索(Information Retreval):大量のテキストからユーザにとって必要と思われるテキストを検索する。
・情報抽出(Information Extraction):テキストから重要(必要)な情報を抜き出す。
・質問応答(Question Answering ; Q&A):ユーザの目的を反映した質問文に対してテキスト情報を利用して的確な答えを自動的に返す。
・テキストマイニング(Text Mining):膨大なテキスト情報の蓄積から、新しいあるいは特異的な「おもしろい」情報を発掘する。
・テキスト分類(Text Categorization):あらかじめ決められたカテゴリにテキストを分類する。あるいは、あらかじめ決められたカテゴリ集合から適切なカテゴリをテキストに選択し、付与する。
・テキストクラスタリング(Text Clustering):類似する文書をグループ化することで、テキスト集合を整理する。
などを挙げています。
 また、テキスト自動要約が考慮すべき要因として、スパーク・ジョーンズによる、
(1)入力の性質
(2)要約の目的
(3)出力の仕方
の3点を挙げています。
 さらに、利用目的に応じて、
(1)指示的(indicative):原文が読むべきものかどうか、自分の関心に合うかどうかを判断したり、原文の適合性を判断するなど、原文を参照する前の段階で用いる。
(2)報知的(informative):原文の代わりとして用いる。
の2つのタイプを解説しています。
 要約の手法としては、要約の過程を、
(1)テキストの理解(テキスト中の文の解析とテキストの解析結果の生成)
(2)テキスト解析結果の要約の内部表現への変形
(3)要約の内部表現の要約テキストとしての生成
の3つのステップに分け、「理解―変形―生成という、この過程をそのままシステムとして実現することは、テキスト自動要約の研究された当初の自然言語処理技術では言うまでもなく」、「現在の技術でも、かなり難しい」ため、「テキスト中の重要文を抽出し、それらを、もとのテキストに現れる順に並べて出力する手法が伝統的に用いられてきた」(重要文抽出)と述べています。
 また、言語処理技術を、
・言語理解あるいは言語解析
・言語生成技術
に区分し、言語解析をさらに、
(1)形態素解析
(2)構文解析
(3)意味解析
(4)文脈解析
の4つの技術要素に細分化しています。
 第2章「人間の要約作成手法」では、専門的な抄録作成者のようやく作成過程として、
(1)テキストの精査:通常は拾い読み
(2)主題となるパッセージの同定
(3)切り貼り(cut&paste)操作
(4)遂行(revision)
の4つのステップを示しています。 そして、人間が、「抽出された文を編集する」操作を、
(1)不要なくの削除(文短縮)
(2)(短縮した)文を他の文と結合する(文の結合)
(3)構文的変形
(4)句を言い替える(語彙的言いかえ)
(5)句をより抽象的/具体的な記述に置き換える
(6)抽出した文を並べ替える
の6つに同定しています。
 また、1992年から開始された「コクラン共同計画」における医療分野のサーベイ論文作成のためのシステマティック・レビューの手順として、
(1)研究テーマの設定
(2)研究を漏れなく収集
(3)各研究の妥当性の評価
(4)アブストラクトフォームに要約
(5)メタアナリシスによる統計学的解析
(6)結果の解釈
(7)編集と定期的更新
の7つの手順を示しています。
 第3章「テキスト自動要約の基礎」では、重要文抽出手法の手順として、
(1)何らかの情報をもとにして、各文の重要度を計算する
(2)重要度が上位の文から順に、指定された要約率(要約の長さ)に達するまで、文を選択する
の2つを挙げ、「重要文抽出では、文の重要度をどのようにして計算するかにより結果が変わるので、重要度の計算が重要であり、歴史的にもいろいろな情報が用いられている」と述べています。
 また、重要度評価の際に用いられる、テキスト中の情報として、
(1)テキスト中の単語の重要度を利用する
(2)テキスト中あるいは段落中での文の位置情報を利用する
(3)テキストのタイトルなどの情報を利用する
(4)テキスト中の手掛かり表現を利用する
(5)テキスト中の文あるいは単語間のつながりの情報を利用する
(6)テキスト中の文間の関係を解析したテキスト構造を利用する
の6つの情報を挙げています。このうち、(4)に関しては、論文などで、「本研究(で)は」、「まとめると」、「我々は」などの表現を含む文が、論文の主題を表すと考えられるなど、このような手がかり表現を利用して、テキスト中の重要文を抽出していることを解説しています。また、(5)に関しては、ハリティとハッサンによる「表層的な文間のつながりを表す指標」として、
(1)指示(reference)
(2)代入(substitution)
(3)省略(ellipsis)
(4)接続(conjunction)
(5)語彙的結束性(lexical cohesion)
の5種類の結束性(cohesion)を挙げています。
また、重要段落の抽出手法として、サルトンらによる、
(1)他の多くのノードとリンクで結ばれているノード(段落)は、複数の段落に渡る主題について議論していると考え抽出する(bushy path法)。
(2)bushy path法で抽出したノード同士は、連結しても必ずしも首尾一貫しないので、depth-first path法では、最初のノードかリンクが多いノードから開始し、それよりもテキスト中で後ろにある、最も類似するノードを再帰的に抽出する。
(3)segmented bushy path法は、セグメントごとにbushy pathを抽出することで、テキスト全体をカバーする要約を作る。
(4)新しい話題がはじまると、通常その先頭の段落で、その主題について述べることが多いため、augmented segmented busy path法では、先頭段落を必ず抽出する。
の4つの手法を紹介しています。
 さらに、テキスト構造解析によって得られたテキスト構造を利用して、重要文を抽出する手法の利点として、
(1)長さに応じた要約を、得られた構造木のそれぞれのレベルで作成できる。
(2)テキスト構造に基づいて重要文を抽出しているので、単語の出現頻度などを用いた手法に比べ、一貫性の高い要約が作成できる可能性がある。
の2点を挙げています。
 一方、重要文抽出に基づく要約の問題点としては、
(1)抽出した文中に代名詞などが含まれている場合、その先行詞が要約文中に存在する保証がない。
(2)テキスト中の色々な箇所から抽出したものを単に集めているため、抽出した複数の文間のつながり(一貫性)が悪い。
の2点を挙げています。
 第4章「より多様な要約作成を目指して」では、1990年代に入り、「テキスト自動要約の研究が活発化するとともに、多様な要約手法を開発する動きが出てきている」という動向について解説しています。そして、伝統的な要約手法からの脱却の動きを、
(1)抽出→アブストラクト作成
(2)genericな要約→query-biasedな要約
(3)単一テキスト要約→複数テキスト要約
(4)文抽出→文短縮
(5)要約の提示方法の検討
の5点にまとめています。
 また、ユーザに適応した動的な要約手法の応用として、Googleが、検索結果としてそのページのsnippet(抜粋)を表示する際に、クエリによって動的に変化させて作成している例をquery-biasedな要約の例として挙げています。
 第5章「単一テキスト要約システムの現在」では、人間の要約家庭に書き換え(revision)や言い替え(paraphrase)が含まれていることを挙げ、抽出した抜粋を言い替える目的として、
(1)文の長さを短くする
(2)抜粋を読みやすくする
という2つの目的があることを示しています。また、抜粋を読みにくくする要因とその書き換え手法として、
(a)不要な表現/接続詞の不足による文間のつながりの悪さ→接続詞的表現の[削除/付加]
(b)構文的な複雑さ→二つの文をつなげる/短文の分割
(c)冗長・不自然なくり返し→代名詞化/主語の省略/指示詞の付加
(d)情報の欠落→主語の補完/照応補完/照応詞の削除
       →代用の補完/捕捉情報の付加
(e)不要な副助詞/副助詞の不足による文間のつながりの悪さ→副助詞の[削除/追加]
の5点を挙げています。
 第6章「複数テキストを対象にした要約」では、複数テキスト要約のポイントとして、
(1)要約対象テキストの収集
(2)要約率
(3)要約対象テキスト間の類似点と相違点の抽出
(4)抽出された情報の順序付け
(5)要約の読みやすさ
(6)要約の提示方法
の6点について解説しています。
 また、一般的な複数テキスト要約システムの構成として、
(1)関連するテキストの自動収集(システム入力)
(2)重要文抽出
(3)テキスト間の類似点と相違点の抽出
(4)重要箇所抽出
(5)重要箇所の出力順序の決定
(6)書き換え
(7)要約結果の提示
の7つの手順ごとに解説しています。
 第7章「テキスト自動要約システムの性能評価」では、評価方法として、大きくは、
・内的(intrinsic)な評価:要約を直接分析することで要約の良し悪しを判断する。
・外的(extrinsic)な評価:他のタスクを実行するのに要約がどのように影響を与えるかに基づいて要約の有用性を判断する。
の2種類に分けられるとした上で、前者に関しては、重要文抽出結果評価の問題点として、
(1)要約率の変化に伴う評価値の変化
(2)テキスト中の複数類似箇所の選択問題
(3)観点の異なる正解要約が複数存在する問題
の3点を挙げています。
 第8章「テキスト自動要約の応用」では、テキスト自動要約システムやその出力が応用されている例として、
・検索エンジン
・ナビゲーション
・字幕作成、文字放送
・携帯端末向け
・障害者、高齢者の情報保証(例えば、自動要約筆記)
・議事録、発表資料自動作成
などを挙げています。
 本書は、自動要約に関しての技術的なテキストであると同時に、人間が文書を要約する動作を分析している点で、日々の文書の要約や書籍/資料の読み込みをするうえでも参考になる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書のあとがきには、自動要約の研究会で、「自分が要約の研究を始めた1997~8年頃は、みんな希望に満ち溢れていた。あんなこともできそうだ。こんなこともできそうだ、という議論が活発だったのに…」という発言が出たことが紹介されています。
 こういった期待と落胆は、自動要約に限らず、数多くの研究分野で共通することですが、特に人工頭脳関係は、それまでコンピュータの性能がネックだと思っていたのに、本当のネックは別のところにあったことが明らかになるケースが多いように思われます。


■ どんな人にオススメ?

・テキストを要約する仕組みを理解したい人。


■ 関連しそうな本

 Inderjeet Mani (著), 奥村 学, 植田 禎子, 難波 英嗣 (翻訳) 『自動要約』 2007年01月14日
 徳永 健伸 (著), 辻井 潤一 (編集) 『情報検索と言語処理』
 北 研二 (著), 辻井 潤一 (編集) 『言語と計算 (4) 確率的言語モデル』
 荒木 健治 『自然言語処理ことはじめ―言葉を覚え会話のできるコンピュータ』
 荒屋 真二 『人工知能概論―コンピュータ知能からWeb知能まで』
 上村 博一 (著), 山城 秀生 『字が話す 目が聞く―日本語と要約筆記』 2006年10月29日


■ 百夜百音

BEAT EMOTION【BEAT EMOTION】 BOOWY オリジナル盤発売: 1986

 当時のバンド少年たちには必修科目だったこれらの曲。とりあえず、「B・BLUE」と「ONLY YOU」はみんなが弾けたのでスタジオで遊ぶときにはよく演奏しました。


『BOφWY』BOφWY

2007年2月 2日 (金)

日本の財政改革

■ 書籍情報

日本の財政改革   【日本の財政改革】

  青木 昌彦, 鶴 光太郎
  価格: ¥5,040 (税込)
  東洋経済新報社(2004/12/3)

 本書は、独立行政法人経済産業研究所における「財政改革」プロジェクトの成果をまとめたものです。編者は、このプロジェクトの成果が、「日本の現状改革と将来世代にとって重要な含みがあると信じる」ために、「より広い聴衆に向けて発信し、その是非を問う」ことが動機であるとしていますが、編者自身も認めているように、「そうした意図を持った書物としては、本書は大部であり、また一見専門書的な外観を持って」います。
 序章「なぜ財政改革か」では、改革の方向を見きわめるキー概念である、
・国のかたち
・財政の持続可能性
・制度的補完性
・コモン・プール問題
・仕切られた多元主義
・モジュール化
・価値提供社会システム
・国民と官僚制の2つの顔
・縦を横に紡ぐ
等について解説しています。
 著者は、財政の問題を考えるには、「単に法文化されたルールのみでなく、そうした公のルールや政府組織の構造、世の中における情報や能力の分配などが、政府と民の双方にどのようなインセンティブを生み出すのか、どのような行動パターンを生み出すのか、結果としてどのような実効的なゲームのルールが生み出されるのか、などといったことを分析する必要がある」としています。
 また、「共有地の悲劇」として知られている問題を、最近の財政学では、「コモン・プール問題」と呼ぶことや、その解決には、「何らかの公共メカニズムが必要」であることを解説しています。
 著者は、経済社会システム全体の変化にもかかわらず、財政制度が補完的な変化をなしえず、仕切られた多元主義に特有な「国のかたち」に危機表出化と問題解決策を提起する能力が欠けている理由として、
(1)このシステムに固有の分断性と割拠性が、システムの自己変革や環境対応に必要なインセンティブの供与や、情報の透明化とその体系的な処理を難しくしている。
(2)年金制度などの各世代間の分配の公平性に関わる制度設計の過程に、将来世代がそのボイスを発する機会が内部化されていない。
(3)中央・地方財政制度、社会保障・年金制度、特別会計制度などの制度は、その効果や持続可能性において相互依存の関係にあるため、それぞれの仕切り内部での部分合理的な改革や閉じた数字合わせによっては有効な危機回避が行われないこと。
(4)仕切られた多元主義は、総選挙による政権担当正統の選出とそれによる内閣の形成という民主制のルールの中に埋め込まれていること。
(5)各省庁の官僚たちに対するインセンティブが仕切られた多元主義の割拠性を強めているとともに、省庁の自己的利益の追求や管轄社会利益集団の利益代表が公益に反しているという認識が社会に広くゆきわたると、その組織には公益の代表者としての機能を回復するような自律的な回復力が生まれるかもしれないこと。
等を挙げています。
 第1章「日本の財政問題」では、財政赤字削減のためには、
(1)予算プロセスの意思決定の権限を総理大臣、もしくは財務大臣へ集中化させること
(2)2~3年のタームで数値目標を設定すること
の2点が必要であると述べています。
 また、予算制度に関しては、
(1)項目別に詳細に行う査定に伴う膨大な取引コスト
(2)それらを削減する意図がある「増分主義」による予算の「既得権益化」
(3)一律削減による資源配分の歪みの増長
(4)事後評価がないことによる予算執行の非効率性
等の諸問題を解決するための手法として、「事後評価と予算科目への一括配分の組み合わせ」を提唱しています。
 さらに、予算制度の透明性に関しては、
(1)制度の透明性
(2)会計の透明性
(3)指標と予測の透明性
の3つの観点から論じています。
 第2章「現代日本の財政は持続可能か」では、国・都道府県・市町村・公的年金制度という4つの政府部門について、
・フロー:内容別に分類した歳入・歳出項目の毎年度の収支
・ストック:累積公債残高・積立金残高
を整理し、「一体何から歳入を得、何に歳出しているのか」を認識しておくことが重要であると述べています。
 また、国・地方財政の多層的構造に関して、典型的には、地方交付金、補助・助成金、公共投資関連補助であるとした上で、
(1)地方交付金:地方公共団体の歳出合理化・削減に対する動機づけを欠いている。
(2)補助・助成金:画一的な設定が地方公共団体の政策の独自性を損なうとして、税源移譲や地方交付金への振り替え(三位一体の改革)が進められている。
(3)公共投資関連補助:国からの補助・地方債起債・交付金増額という3つの「利益」に誘導され、1990年代を通じ地方公共団体が国の補助を全逓とした過大な公共投資に走り地方債残高を必要以上に増加させた可能性が指摘されている。
等の問題点を挙げています。
 さらに、各政府部門のモデル化に当たっては、都道府県・市町村一般会計モデルを、「国の関与がきわめて強い反面、独自税収は不安定」であるとし、「都道府県が独自に歳入を措置できる分野がほとんどないか、あるいはあっても財源として零細・不安定であり、地方交付金・国支出金、地方債収入など基幹となる歳入のほとんど全部の項目で国の関与を受けなければならない構造となっている」と述べています。その上で、議論の前提条件として、「改めて『都道府県とは何か』という地方自治における本質的位置づけを再定義するか、あるいは都道府県行政上、位置づけの疑問な事業について財源ごとに、国、市町村に返上あるいは譲渡するなど、『頭の整理』を行っていくことが必要ではないか」と提案しています。
 著者は、本章によって、「現状の財政制度や財政に関する挙動をそのまま放置・継続した場合、特殊な条件下でなければ、政府財政のうち政府負債か公的年金制度のいずれかに問題を生じる結果となり、持続可能性は確保されていないことが示された」と述べています。
 第3章「財政問題の将来キャッシュフロー分析」では、「将来補助金を含む財政ストック・データをバランスシートで表す手法を提示し、公的年金問題と道路公団問題という現在直面している問題に適用し、具体的な提言」を試みています。
 著者は、現在の公的年金制度に関して、「30代以降の将来世代は、保険料負担に見合う将来給付を期待できない」ことについて、「ネズミ講式トリックで名を馳せた米金融詐欺師の名に由来する『ポンジー・スキーム』に似た構造である」と指摘しています。
 また、道路公団に関しては、民営化委員会の意見書のポイントを、
(1)10年後を目途に道路買取り
(2)通行料平均1割値下げ
(3)通行料依存の建設認めず
(4)40年間の元利金等返済
(5)日本全国を5地域に分割
の5点示した上で、評価すべき点として、
・これまで政府内で議論されてきた交通重油お見通しの基礎資料を公開させ、その手法に問題があることを明らかにし、各種の政府計画の全逓となっている交通需要見通しを修正した。
・公団のファミリー企業の実態や、別納割引料金など経営のぬるま湯体質の指摘。
・情報公開度が抜群であった。
などを挙げる一方、国民負担について客観的な分析がなされず、具体的な数字がない点を指摘しています。
 著者は、「現在の高速道路料金が高いのは、債務は返済する一方で資産を残そうとする償還主義」のためであり、ゴーイング・コンサーンとして、債務に対する見合いの資産があれば十分とすれば、料金引き下げが可能であることや、50年で徴収して、その後は無料という前提となっていることなどを指摘しています。
 第4章「財政改革における政党と官僚制」では、財政再建を進めるために、どういう手段・手順でそれを実現するのかという点の合意がない点を指摘し、日本の政府構造における官僚あるいは官僚制の役割に焦点を当て、それを通じて財政構造改革に必要とされる制度改革の要素を見ていくとしています。
 著者は、「官僚内閣制」システムにおいて、財政規律を担うべき大蔵省がその試みを成功させたことは、「実は例外的な事態であり、そしてそれができたときは、内閣総理大臣と一体化したときであった」と指摘しています。
 また、財政再建プランの枠組みに関して、「超党派的な合意を作り、そうした合意をいわば憲法的規範として、長期にわたって継続させることが必要となる」と述べています。
 著者は、財政改革において、「官僚制の2つの顔」である、
・国益の担い手として社会からの自立性を強調する顔
・所轄に関わる社会的諸利益の代弁者としての顔
を使い分けてきた官僚制の特質を良く見極める必要がある、と指摘しています。
 第5章「財政問題と官僚組織・人事システム」では、「日本の行財政システムにおいては、予算要求から予算執行のプロセスに至るまで、官僚組織の意思決定および行動が大きな影響力を持っている」ため、財政問題を論ずるには、官僚組織・人事制度との関係について考える必要があると述べています。そして、
(1)近年のわが国の財政赤字がどのように拡大してきたのか。
(2)仕切られた多元主義における人事制度・慣行が予算獲得主義にどのように結びついているのか。
(3)なぜ、そうした人事制度・慣行が戦後日本において発達したのか。
(4)財政赤字構造の建て直しに有効な組織・人事制度上の改革はありうるのか。
の4つの論点について、
(1)一般会計予算は1990年代以降も増え続け、2000年代に頭打ち傾向になったが、各省配分は硬直化し、景気対策のための補正予算は膨張、政府債務は急激に増大している。
(2)仕切られた多元主義の下で発達した固有の官僚人事システムが、雇用の非流動化を通じて、予算獲得主義と共進化した。
(3)高度成長化に、業界ごとに仕切られた多元主義が発達するなか、財政資源の持続的拡大の下で各省庁の組織資源としての予算の役割が増大し、労働市場の非流動化が広がったことが、仕切られた非流動人事システムの発達を促した。
(4)人事制度は財政問題の観点からのみ議論すべきでないが、人事システムのあり方は、財政に関するガバナンス構造に直結し、「予算要求・執行の責任がより明確になる人事評価」と「職員と組織の過剰な予算獲得主義を和らげるための人材流動化」が、官僚のインセンティブ構造を財政規律に向かわせるための重要な検討課題となる。
と論じています。
 著者は、官僚人事システムを補完するものとして、「より少ないコストで適正な人材配置を達成するため」、人材に関する情報を効率よく集めることができる「『評判』という暗黙知を通じたプライシング(評価)の仕組みが補完的に発達しやすくなっていた」と述べ、「内部職員相互の集団監視システムともいうべき評判システムは、情報の非対称性を排除し、成果がなかなか目に見えにくい行政実務における業績を実質的に評価していくうえできわめて有効なシステムであった」と述べています。職員にとっては、人事が、「自己の価格づけ――つまり、単にその時々の給与水準を左右するだけでなく、いわば将来にわたる有形無形の報酬(生涯所得、昇進による社会的名誉、政策への参画を通じた社会貢献欲求の充足など)に影響を与える重要なシグナル」となっていることが述べられています。
 また、わが国の官僚インセンティブ構造を理解する上での重要な鍵として、「人事の非流動性」を挙げ、「市場に変わる規律回復メカニズム」を、「所管分野の利害調整を行いつつ、広く公益を追求」しなければならない「官僚制度の二重性」を指摘し、これが人事の非流動性と関係があり、当該省庁の社会的ステイタスが失われたとしても職員の退出が困難であるため、「職員自身が、組織の社会的ステイタスを回復するために公益追及行動に向けた組織改革に乗り出す場合がある」ことを指摘しています。
 さらに、仕切られた多元主義を、「国家総動員体制化の官民一体の生産調整システムを下地とし、戦後の高度成長において形作られていったもの」と考え、
(1)成長による財政拡大によって、組織資源としての予算が拡大し、固有の権益が形成された。
(2)高度成長下で企業・行政組織が着実に拡大することで、雇用が継続し、労働市場の非流動化が社会全体に定着し、職員は組織特殊技能への自己投資を進め、仕切られた非流動人事システムの中に自己の人生を組み込んでいき、人事当局は、職員が組織資源の保持拡大に寄与しているかどうかを、評判人事を通じて確認していった。
の2つの理由から、「高度成長の下で、仕切られた多元主義と産業組織が共進化」し、「仕切られた非流動人事システムと予算獲得主義の補完関係も強めていった」ことを指摘しています。
 第6章「政治システムと財政パフォーマンス」では、大日本帝国憲法が、「国務と統帥の分離と前者における国務大臣の単独輔弼制という2つの面で分権的な政治システムを規定していた」が、第一次大戦前には、「元老」という憲法外機関が国家の統合に寄与し、財政パフォーマンスに影響を与えていたことを述べ、日露戦争後には、戦後の巨額の国際が財政を圧迫するなか、「自立化し始めた軍部・官僚・政党という政治システムの構成要素が予算に対して強い膨張圧力を加え」たが、元老が予算プロセスに介入することによって予算の膨張が抑えられたことを指摘しています。
 しかし、第一次大戦以降、元老の機能が限定され、1930年代前半には事実上消滅した結果、分権的な政治システム化での財政規律の保持が困難になり、1920年代に定着した政党内閣制が予算を全般的に膨張させ、プライマリー・バランスは赤字基調を続けたこと等を指摘しています。
 第7章「財政ルール・目標と予算マネジメントの改革」では、
(1)1990年代の財政に関して、わが国とOECD主要国は何がどう異なるのか。
(2)2000年代に再び財政赤字が拡大している国とそうでない国が存在するのはなぜか。
の2つの疑問に関して、OECD主要国における予算マネジメントの改革を分析し、そこから得られる教訓を踏まえ、わが国に必要な改革を提案することを目的としています。
 著者は、財政赤字を抑制するために重要である意思決定プロセスを見直し一定の規律を与えるためには、財政ルールや目標が必要となると述べ、各国の改革の内容の特徴的な点として、「財政ルール・目標の重視とそれを踏まえた予算、特に支出のコントロールを挙げることができる」と述べています。そして、財政政策に課すべき制約方法は、財政赤字の原因の裏返しであるとして、
(1)民主主義のプロセスそのものに関係する政治・選挙システムの見直し
(2)予算編成の手順やルールを規定するプロセス・マネジメントの見直し
の2つに大別しています。
 また、1990年代にOECD主要国で財政再建が進み、各国が財政ルール・目標を導入し、予算マネジメント改革を進めることができたのかについては、
(1)経済危機:スウェーデン
(2)政権交代:イギリス、オーストラリア、アメリカ
(3)外圧(マーストリヒト条約等):オランダ、フランス、ドイツ
の3つに大別することができるとしています。
 さらに、OECDによる中期財政フレームの目的として、
(1)政府が複数年にわたりどのようにその目標を達成するのかを明示する。
(2)規定の政策を継続した場合のコストを示す。
(3)現在の意思決定が将来の支出に与える予算上の影響(後年度負担)を示す。
の3点を挙げています。
 著者は、予算の本質を、「希少資源の配分をめぐる政治的な闘争にある」として上で、予算の政治的な意思決定システムに影響を与える改革のアプローチとして、
(1)権限の集中化(イギリス、オーストラリア、ニュージーランド)
(2)厳格な合意システム(スウェーデン、オランダ、ニュージーランド、アメリカ)
の2点を示しています。
 また、各国の経験から得られる教訓を、
(政治経済学的視点)
(1)財政ルール遵守の合理性と政治的コミットメント
(2)内閣における政治的な意思決定システムの集権化
(3)財政の透明性の向上
(技術的視点)
(4)マクロ・ルールのデザインと支出ルールのリンケージ
(5)財政政策の事前事後の評価
(6)財政のミクロ的な改革
の6点に集約しています。
 わが国のこれまでの取り組みに関しては、「骨太の方針」と「改革と展望」に基づく財政政策について、財政ルール・目標と予算マネジメントという観点から、
(1)マクロ・ルールについては、新規発行国債を30兆円以下とする設定は一定の効果があったが、他方で会計上の操作を招き、透明性を低下させた。プライマリー・バランスの達成と一般政府支出の水準固定は、当面の目標としては妥当であるが、目標達成に至るプロセスへのコミットメントが判然としない。
(2)支出ルールと中期財政フレームに費えてゃ、諮問会議設置のプラスの効果もあるが、毎年の予算編成における支出コントロールのツールはシーリングであることに変わりないこと、「改革と展望」は経済と財政について初めて中期的な姿を示すものであるが、予算編成終了後に発表され、予算編成とリンクせず、将来の歳出を実質的に拘束するものではない。また、内閣府試算には事前のリスク分析および事後の評価が欠如している。
(3)予算編成プロセスについては、経済財政諮問会議の最大の貢献は、予算編成や政策決定の透明性を高めたことであるが、もともと調査審議機関として位置づけられているゆえの限界もある。
のように評価しています。
 さらに、わが国の予算マネジメント改革の工程表として、
(短期的な課題:既存施策の強化と財政の透明性の向上)
(1)改革の展望と政府予算案の策定
(2)「骨太の方針」とシーリング
(中期的な課題:インセンティブ構造の見直しと制度的なフレームワークの構築)
(1)中期財政フレーム
(2)業績予算
(3)日本版財政責任法
等を示しています。
 第9章「税制改革の政治経済学」では、「現在のわが国における税制改革の最も重要かつ緊急の課題」として、「今後の消費税増税を経済への悪影響に配慮しながらどう進めていくかにある」とし、相した税制改革を実現するため、どのような税制改正過程が必要かを論じています。
 また、補論として、レーガン第1次政権時に、過激なサプライサイダーたちが、「財政赤字削減策として大減税を提唱」し、巨額の財政赤字を生じさせた「ブードゥー・エコノミクス(呪術的経済学)」について論じています。
 第10章「経済活力の視点から見た税制改革」では、近年「仕切られた多元主義システム」がもつ重要性が低下しつつある要因として、
(1)業種横断的な課題の重要性が高まっていること。
(2)税制改正プロセスにおける「増税」に関する審議の重要性の高まり。
(3)改正論議の「オープン化」。
の3点を挙げています。
 第11章「地方財政の再設計」では、地方自治体におけるガバナンスをコーポレート・ガバナンスとの相違点として、
(1)ステークホルダーとしての住民と株主の違い:株主は企業の所有者であるが、住民は地方自治体の所有者ではない。
(2)ステークホルダーとしての資金供給者の違い:企業の事業資金は資金市場を通じて調達されるが、地方自治体は、原則である租税のウェイトが低く、国等からの資金移転や資金市場からの調達でまかなわれている。
(3)ステークホルダーとしての国の役割の違い:地方自治体においては、国から委託を受けた行政事務や、国の制定する法令によって行政事務の内容や執行方法が規定される等、国とともに日本の統治機構の一翼を担っている。
の3点を挙げています。
 また、地方債の「暗黙の政府保証」の限界に関して、
(1)形骸化しつつある建設公債原則に基づく発効規制
(2)交付税制度のシステミックリスクを内包する起債制限比率による発行規制
(3)現実のデフォルトリスクに対応しない歳入欠陥による発効規制
(4)将来の地方財政全体の償還可能性について不確実性を残す起債許可制度
(5)デフォルト防止に向けた個別自治体の内部規律における不確実性
(6)個別の制度要件による救済の谷間の存在
(7)地方財政再建法による準用債権におけるデフォルト規定の不在
等の点を指摘しています。
 さらに、目指すべきガバナンス・モデルとして、
(1)「国家監督型ガバナンス」:国が企業におけるメインバンク的役割を担い、平常時におけるモニタリングを非常時の強権的な地方自治体の自治権のサスペンドを行う。
(2)「ステークホルダー型ガバナンス」:住民や市場(債権者)といったステークホルダーが平常時には独自の利害関心に基づくモニタリングを行い、非常時にはステークホルダーのイニシアティブにより裁判所における手続きを通じて地方自治体の自治権をサスペンドする。
の2つのモデルを想定し、中長期的には、前者から後者への転換が望ましいと考える理由として、
(1)日本においては地方歳出の比率が高く、分散的な統制の方が統制コストが低下すると考えられるとともに、戦後の急進的・理想主義的な地方分権型ガバナンスの導入経緯から、国による地方自治体の木勢力は十分ではなく、新たな国による統制を整備することは困難である。
(2)地方分権に向けての強力な政治的・制度的な慣性力が働いている。
(3)国、地方自治体を通じて、かつてのような歳入の伸びを期待することが困難である。
の3点を挙げるとともに、移行期ないし短期的には非常時のガバナンスを強化し、財政破綻自治体への国家監督型ガバナンスを導入すべきと考える理由として、
(1)大都市自治体を中心に深刻な財政危機状況にあり、今後の経済状況の推移によっては、地方自治体の財政破綻が発生する可能性を否定できず、この時期にステークホルダー型ガバナンスを性急に導入することは、急進的・理想主義的な分権改革を志向して暗礁に乗り上げた戦後地方自治改革期の轍を踏む恐れがあること。
(2)すでに200兆円もの資金が地方自治体の供給されている現在、既発債を含めて一律に与信リスクを顕在化させることは資金市場を混乱させる恐れがあるため、市場によるガバナンスは新発債にとどめ、既発債については国家監督型ガバナンスの部分導入を通じて与信リスクを顕在させない。
の2点を挙げています。
 本書は、紙幅的には分厚いですが、財政改革について「概観」する上では「コンパクト」な一冊です。全ページ読まなくても、序章~第2章辺りをざっと読んだ上で、関心のあるテーマを読むのがいいのではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書は、5,040円と、普通のビジネス書の2~3冊分はする値の張る一冊ですが、その分、厚さも600ページ以上あり、こちらも一般的なビジネス書の3冊分はあります。実際には本の価値は厚さには関係ないのですが、そう考えると少しお得な気がします。


■ どんな人にオススメ?

・日本の財政改革を概観したい人。


■ 関連しそうな本

 青木 昌彦, 奥野 正寛(編著) 『経済システムの比較制度分析』 2005年05月10日
 青木 昌彦, 安藤 晴彦 (編著) 『モジュール化―新しい産業アーキテクチャの本質』 2005年04月22日
 青木 昌彦 (著), 滝沢 弘和, 谷口 和弘 (翻訳) 『比較制度分析に向けて』
 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日
 赤井 伸郎 『行政組織とガバナンスの経済学―官民分担と統合システムを考える』 2006年11月24日
 桜内 文城 『公会計革命―「国ナビ」が変える日本の財政戦略』 2005年02月28日


■ 百夜百マンガ

DO-P-KAN【DO-P-KAN 】

 「バリ伝」と「D」の間の鳴かず飛ばずというほどではないけど、大ヒットには恵まれず、試行錯誤を繰り返していた時期の作品です。この作品や「将」の要素は、後の「D」のエピソードや表現の中に継承されています。

2007年2月 1日 (木)

GHQ日本占領史 (15)警察改革と治安政策

■ 書籍情報

GHQ日本占領史 (15)警察改革と治安政策   【GHQ日本占領史 (15)警察改革と治安政策】

  竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃
  価格: ¥6510 (税込)
  日本図書センター(2000/02)

 本書は、連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が編纂した歴史論文"Poloce and Public Safety"をもとに翻訳したもので、占領統治期に地方分権の理想と現実的な中央集権への要請とのあいだで揺れ動いた警察改革について記録したものです。連合国軍は占領に当たり、「第一に憂慮したことは治安の維持」にあり、「占領当局には状況によっては治安維持を優先する発想」があり、「一応『間接統治』方式を用いることになったため、日本の警察を民主的に再編しつつも治安維持のためにそれを利用することになった」と解説されています。解説者は、「ここに徹底的な警察改革が逆に日本警察の治安維持能力を低下させることになるのではないか、とのディレンマが生じる」と述べ、「『警察と治安』には、民主的改革と治安、改革と利用という二重の意味での問題性を内包していた」と指摘しています。1947年12月17日には警察法が公布、翌48年3月7日に施行され、1605の市町村が自治体警察を創設し、国家地方警察も発足していますが、占領中期以後には、新警察制度に、
(1)自治体警察の存続問題:大都市以外の自治体警察を「財政的に支えることができない」状況
(2)公安条例の制定:治安維持の観点からの取締りの強化
の2つの点で転機が訪れたことが解説されています。さらに、戦前には警察業務の一部とされてきた消防活動が、1948年に警察法と同時に制定された消防組織法によって、組織が独立し、業務内容の明確化、設備の近代化が図られたことが解説されています。
 第1章「占領政策と基本改革」では、「警察制度の徹底的な見直し」が、当時の状況や既存の法律の十分な研究なしには成し遂げることができなかったのに対し、「拷問、不法な独房への拘禁、厳しい尋問、自白の強要、不必要な秘密主義の廃棄」などの「警察の方法に対する法的規制の確立や実施は遅滞なく着手できた」と述べられています。
 また、1945年10月17日に、連合国最高司令官が、「憲兵隊の解体を厳格に進める指令」において、「すべての正当な警察機能を正規の市民警察に移すこと」を命じ、保護観察所や予防拘禁所が1945年10月22日に正式に廃止され、労働・公衆衛生・社会保険の諸活動に対する行政管理が警察の管轄から厚生省に移管されたことなどが述べられています。この警察力の縮小には職員の大規模な削減が伴い、「憲兵隊約2万名と警防団1万名の解任」に加え、正規の市民警察業務においても、「経済的困窮そして敗戦と追放の結果として受けた相当の『面子の喪失』に一般的に帰せられる士気の低下」を反映して「非常に多くの離職数が生じた」とされています。
 第2章「非中央集権化の研究と計画」では、1946年に連合国最高司令官が、
・都市警察改革企画団(3月13日~5月15日):前ニューヨーク市警察局長ルイス・J・ヴァレンタインを団長とするグループ
・地方警察企画委員会(4月3日~6月24日)前ミシガン州警察部長オスカー・オランダーを団長とするグループ
の2つの警察専門家のグループを日本に招き、「人口5万人以上の都市に独立の都市警察を設け、それより小さい自治体は地方警察の管轄範囲に組織化することを考慮することが決定」され、「両調査団による勧告を盛り込んだ包括的な報告書の提出を受けた」ことが述べられています。また、日本政府は、1946年10月11日に、国会議員50名からなる警察制度審議会を設置しています。アメリカの2つの調査団が「広範囲にわたる分権」を勧告したのに対し、国会の審議会は「大幅な国家統制の留保」を望んでいたことが指摘されています。
 まず、都市警察改革企画団報告では、人口5万人以上の自治都市の警察部を再組織する必要性について報告し、
(1)都市警察の管理は内務省から公選の自治体執行者に移すべきである。
(2)行政と執行の管理は任命制の警察委員会に与えられるべきである。
(3)警察は、福祉、公衆衛生、消防および海上保安の問題を含む、現在なお警察によって遂行されている非警察的職務を解かれるべきである。
(4)突然かつ完全な変革から生じうる無秩序な状況を避けるために、再組織は漸進的に達成されるべきである。
(5)警察組織に関する連合国最高司令官の専門家は、再組織された機関の活動を観察・研究し、その書見に一致する助言を与えるべきである。
の5点が盛り込まれています。
 また、地方警察企画委員会報告では、「人口5万人未満のすべての都市的社会を管轄権限内に包括する、国と県の両レベルで機能する地方警察制度」を仮定し、
(1)行政および執行の管理は任命された職員に与えられるべきこと。
(2)警察官は文官の下におかれるべきこと。
(3)現在なお警察によって遂行されている非警察的職務は新しい地方警察から除去されべきこと。
(4)連合国最高司令官の訓練ずみの警察専門家は新しい組織が計画に従って発達するよう監視するためにそれとの密接な連絡を保持すべきこと。
の4点が盛り込まれていたと述べられています。
 一方で日本政府の警察制度審議会報告は、「内務省が管理の任免権を保持し、内務省の監督と統制の下で執行権限を行使する知事とともに現存の行政組織を維持すること」を勧告したが、「地方自治の原則に対する適切な配慮がなされておらず、また警視庁と内務省の望ましくない影響力を永続させることになるであろう」との理由から、連合国最高司令官の担当官に認められず、多くの委員が、「運営や訓練に必要な統一性を確保するには中央集権が不可欠であり、そして完全に非武装な国民の安全にとって地方分権は脅威であり、また地方警察を維持する財源の欠如と自治における能率的行政のための訓練不足を理由に実行不可能であると、心から考えていた」と述べられています。
 1947年には片山内閣と最高司令官との間で、非公式な警察制度改革の試案が書簡でやり取りされ、連合国最高司令官からは、
・各町市に中央政府から独立した警察制度を通した治安維持の責任を持たせる。
・町市や都道府県レベルにおいて警察制度を管理する委員会を設ける。
・国家警察と地方警察との間には何らの指揮命令関係を設けるべきではない。
などが提案されたことが示されています。
 1947年11月には、「諸提案の実行可能性を試し、国家地方警察と暫定的な自治体警察との管轄領域の境界線や調整などの技術的問題を解決し、既存の施設および装備の最も効率的な利用法を決定する」ことを目的に、千葉県に実験センターが設立され、その理由としては、農村と都市の両方があり、東京に隣接し、視察や監督が容易であることなどが挙げられています。この実験は成功し、1947年末までに、北海道、宮城、東京、大阪、広島、福岡の各県で模擬的分権が開始され、これらの地域では、正式の作業が許可された際の実際の法的分権が簡単な手続きで行われたと述べられています。
 第3章「警察法」では、「国家公安委員会が任命し一定の自由により罷免する国家地方警察本部長官の掌理の下におかれる国家公安委員会の事務部局」である国家地方警察本部が北海道を除く各都府県に1つ設置され、都道府県本部の警察長は「当該都道府県国家地方警察の長で、国家地方警察管区本部長によって任命され、その行政的管理に服するもの」とされたことなどが述べられています。また、すべての町市が自治体警察を持つべしとの最高司令官の指令方針に沿って、「人口5000人以上の都市社会はその区域内において警察を保持し、治安維持の責に任ずるもの」と規定され、「国家地方警察は地方公安委員会の要請によるほか、地方管轄区域内の自治体の警察に対して行政的ないし運営的管理あるいは権限を与えられなかった」ことが述べられています。
 第4章「地方分権下の警察」では、警察法の公布に先立つ1947年11月7日、内務省が、「『自治体』都市社会を構成する要件を決める際の指針となる訓令」を発し、これにもと好き、『日本の市町村3543のうち人口5000人以上の1605自治体が指定』され、施行令が発令された1948年3月6日には指定されたすべての市町村で準備が整ったことが述べられています。
 また、都道府県警察本部には、警察管区本部におけると同様に、
(1)総務部:秘書・企画および会計の3課
(2)警務部:人事・教養および装備の3課
(3)刑事部:防犯・捜査・鑑識および犯罪統計の4課
(4)警備部:警備・交通および通信の3課
の部課が設けられ、「警察長、すなわち警察隊長は、警察管区本部長が任命し、一定の事由により罷免する。警察長は当該都道府県内における国家地方警察への警察職員の任命を行い、また法令および国家地方警察の規則に従ってその区域内における法の執行を行うもの」とされたことが述べられています。
 第6章「法の施行」では、1949年の犯罪率は、10万人につき1950人で、戦前の最高記録である1934年の10万人につき2317人よりも低く、「犯罪状況は厳しかったが、公衆が思ったほど危機をはらんだものではなかったことを示した」と述べられ、また犯罪は全体的には人に対するよりもむしろ財産に対する違法行為であり、「住宅の軽構造、電話と警報機の不備、ならびに街路の暗さ」によって、強盗、窃盗、経済的犯罪が助長され、輸送施設の混雑状況によってスリが容易に行われたこと、インフレーションと貧困、不十分な配給手段によって悪化した食糧不足が犯罪発生の主な要因であり、「犯罪率は夏に最高に達し、作物収穫が可能になるにつれて次第に減少することが証明された」と述べられています。少年犯罪に関しては、「戦後の混乱と窮乏した経済状況、そして伝統的な統制の崩壊」が少年犯罪率を驚くほど上昇させたが、「片親または両親を失っていた犯罪者の実際の率は他の主要な国々の割合よりは以前低」く、さらに、「25歳になるまではおとなとみなさなかった日本の慣習」が少年の犯罪率を非常に高くしていたが、ほとんどの犯罪が18歳から25歳までの「青年」の犯罪であったことが述べられています。
 また、「急進分子が法律執行当局を当惑させ、また困らせる何らかの口実を正に得ようとしていた」ため、集団示威行動の際の警察権の行使には特に注意を要し、労働組合が急速に成長し、いくつかの組合が行う集団的示威行動が治安を脅かしたことが述べられています。そして、「市民的自由の保護策として課せられた警察活動の制約」が、「勇気づけられて巧みに扇動された少数民族のグループ」に、「自分たちは刑罰を受けることなく法と秩序の押し付けに挑戦できる」と考えるような状況を作り出し、挑戦人が「教育における特別な権利を要求」し、1948年には教育法の施行に反対して大阪と神戸で集団示威行動を起こし、これに伴って暴動によって、大阪では警察官58名、朝鮮人23名の負傷者を出し、神戸では、「暴徒が知事、検事その他の役人を軟禁し、朝鮮人学校の閉鎖命令の違法な撤回を彼らに無理じいた」ことが述べられています。
 さらに、1947年に、連合国最高司令部担当官らが封建主義的親分・子分制の解体を要求し始めたことによって、警察を巻き込む問題が生じていたことが述べられ、戦後の最も勢力のある集団は、「貸元・テキ屋・愚連隊長」であり、「人々の貧困および道徳的価値と厳格な統制の崩壊を温床として成長してきた」と解説されています。東京のテキ屋の親分たちは、「露天商同業組合」を組織し、1947年には、4万50000の登録露天商の88%を支配し、残りの12%も実際上支配し、この組織が、ここの営業者から税金を徴収し、市の税務職員と、一括して支払うべき税金総額を交渉したことが述べられています。また、親分組織と密接に関係した、「教養・脅迫を目的とする『中傷』チラシ(ごろつき新聞)の発行」が、「主に闇市の新聞印刷所で印刷され、発効日が不定期で、親分たちの違法な活動を助長しまたそれを補うために利用された」ことが解説されています。
 第7章「分権化不在の傾向」では、「広範な分権化に反対する最も根強かった主張の1つ」であり、「論争の中で最も大きな印象に残ったものの1つ」として、「自治体、ことに比較的小さな自治体が、個々の警察を財政的に支えることができないということ」を挙げ、この問題が、「改革の成就にとって唯一最大の抑止力であった」と述べています。この問題に対して、緊急の財政措置として行われた「任意」寄付金が、「理論的には任意であっても実際には恣意的に定められた支払能力に基づいて課された徴税」であり、寄付金が、「指摘に組織された団体、しばしば自発的な団体によって集められ」、「腐敗と不正の原因となった」として、1949年に埼玉県本庄町で起こった事件を紹介しています。これは、町議会議員、保護司会会員ならびに県司法保護委員会委員であった団体の創設者が、ごく短期間に約300万円を集めたが、この人物は「賭博のかどで5回の有罪判決を受けた記録があり、つい最近でも1942年に6ヶ月間服役していた」人物であり、この問題を調査し報道した朝日新聞の駆け出し記者が、この人物からの記事の指し止めを拒否し、記者たち、警察と嫌疑のある闇市の経営者のパーティーの記事を掲載したために、「警察と市民団体の創設者によって公然と暴力をもって襲われ」、本庄の全記事が「暴力団の町」との見出しで朝日新聞の全国版に掲載されています。この事件に関して国会の委員会が行った調査は、自治体警察を「衆目の外に」あり、「退廃」しがちだと全体的に批判したことが述べられています。
 この事件は、「警察のより一層の中央集権化の動き」に拍車をかけ、1951年5月には警察法改正法案が提出され、「国家警察と自治体警察とのより緊密な連絡」が規定され、知事には、都道府県公安委員会に対して、「国家地方警察に自治体警察の管轄内での権限行使を要請する権限」が与えられたこと、そして、「法案の最も重要な部分」として、「地方分権化崩壊の可能性を含みつつ、自治体警察を廃止して国家地方警察に移管するべきか否かを決定する住民投票を町村に認めた」ことが解説されています。この改正案の通貨にともにア、多くの自治体が、「警察の移管を許可する10月1日に間に合うように、直ちに住民投票を行う活動を開始」し、いずれの場合も警察権限の国家地方警察への移管の賛成票が圧倒的であり、「国家政府の代理人たち」が、「住民投票手続きの仕組みを説明するとの口実のもとに、しばしば中央集権化の宣伝者としての役割を果たした」ことが述べられています。この結果、「9月30日の最終期限前に、1028自治体が選挙を行い、わずかに4例だけが自治体警察の保持に賛成する結果」となり、10月1日には1万8338人の警察官と1860人の文官職員の国家地方警察への異動が行われたことが述べられています。
 第8章「海上保安」では、終戦直後、「密輸や不法入国が著しく増大したが、それを効果的に抑制する手段を欠いていた」とともに、戦時中に敷設された日本海域における機雷の除去が重大な問題となっていたこと、圧倒的多数を朝鮮人とする不法入国の問題は「海上での検挙と逮捕に効果をあげないと、陸上の警察問題が悪化する」という二重の意味で重要であったことなどが解説されています。
 第9章「消防」では、かつて消防は警察の責務であったため、「消防行政の変更を達成する立法」が、必然的に警察改革法と結合され、「行政の地方分権化を規定した消防組織法」が、「消防活動に関する事項を警察管轄から切り離した警察法と同時に制定」されたことが解説されています。
 本書は、現在の複雑な警察行政を読み解く上で重要となる、過去の経緯を知るとともに、地方自治の役割とその財源の問題を考える上で重要な示唆を与える一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で取り上げられている本庄事件は、『ペン偽らず―本庄事件』というタイトルで1949年に刊行されている他、1950年には『暴力の街』と題して映画化されています。
 この事件は、警察の地方分権化に暗い影を落としていますが、一方で、近年ニセコ町などで条例化された自治体への寄付に関しても足を引っ張っています。この寄付の問題に関しても、警察と同様、自治体に任せるのは信用できない、だから公的な施策に関する財源は税金をもって充てるべきで、より分権的な寄付金を用いるべきではない、という発想がうかがえるような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・複雑な警察組織を読み解きたい人。


■ 関連しそうな本

 朝日新聞社浦和支局同人 『ペン偽らず―本庄事件』
 三条美紀, 志村喬 『暴力の街』
 天川 晃 『GHQ日本占領史 (12) 公務員制度の改革』 2007年01月18日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 天川 晃 『GHQ日本占領史 (38)地方自治体財政』
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (37)国家財政』


■ 百夜百マンガ

まじかる☆タルるートくん【まじかる☆タルるートくん 】

 ドラえもんからケロロ軍曹まで脈々と流れる、平和な家庭に少し不思議な存在が住み着く設定です。作者はこの作品で売れる作品を作る自信を持ったそうです。

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