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2007年2月 6日 (火)

過労死・過労自殺の心理と職場

■ 書籍情報

過労死・過労自殺の心理と職場   【過労死・過労自殺の心理と職場】

  大野 正和
  価格: ¥1680 (税込)
  青弓社(2003/03)

 本書は、バブル崩壊後の『失われた10年」の中で、一国の首相までが倒れた、過労死・過労自殺のメカニズムを分析したものです。
 2000年4月に脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人となった小渕総理は、「いい人」「親切」「気遣い」「几帳面」という「多くの日本人に馴染み深い」人柄を持ち、「政治家という特殊な職業の性質ではなく、庶民や労働者と共通する働きぶり」を見ることができると述べられています。著者は、過労死・過労自殺が企業以外にも「公務員、教師、看護婦や医師、さらには過労死・過労自殺裁判を闘う弁護士にまで広がっている」として、"過労死の企業責任"とは別に、「日本人の働き方が問われている」と述べ、「日本社会を"企業中心社会"として分析するよりも、"仕事中心社会"として考えることによって、過労死・過労自殺の謎に迫ることができる」と解説しています。
 また、「過労死」という言葉については、過労死の名付け親の一人である田尻医師の、
(1)ある日突然。
(2)その原因には仕事による無理以外には思い当たらない。
(3)多くは職業病らしさを持っていない「普通の病気」である。
の3つの条件を紹介したうえで、1990年代後半に働きすぎによる死が「事件」として人々の目を引き、「過労死として語られる」ようになったことが重要であると述べています。
 そして、「一般的な長時間労働を指摘するだけでは過労死の謎は解けない」のは、「好きで働いて死んだ」のではなく、「疲れた体に鞭打って出勤し」、「逃れようなく仕事に巻き込まれ自分を見失ってしまうケース」が多く、「単に、長い時間過酷な仕事で心身をすり減らすというだけでなく、どこかに悲壮感が漂っている」と述べています。そして、その原因として、「過労死・過労自殺は長時間労働から生まれるのでは」なく、「長時間労働と短時間労働の並存こそが問題だった」糊塗を指摘しています。
 さらに、「過労自殺と個人の性格や素質との関係」に関して、「一般の社会人の中にしばしば見られる」だけでなく「積極的に評価」されている性格の人が被災者となる点を指摘しています。そして、過労死・過労自殺事例の多くが、「メランコリー親和型うつ病」であり、この人たちが、「その『平凡さ』ゆえに高い評価を受けている人たち」であり、「そこに日本人特有の『生の美学』がある」と指摘しています。
 著者は、「職務ストレスがそのままで過労死を生み出す」のではなく、"仕事はきついがやりがいがある"という働き方から、「そのやりがいが孤独な戦いへ変化する中で生まれてきた」と述べ、「単なる長時間労働やストレスだけから過労死・家老自殺を説明することではなく、自由という言葉にかかわる自分というものを明らかにすることが求められ」るとして、本書の目的を、「仕事での自分の位置づけを、<心理>と<職場>において探求すること」であると述べています。
 第2章「過労死・過労自殺の<心理>」では、過労死・過労自殺の事例では、「メランコリー親和型の"他人のために献身的に尽くす配慮"」に必ず出会うと述べ、これらの人たちが、「仕事を『断る』ことや『任せる』ことによって、まわりに悪いことをしたと感じてしまうので、なかなかそれができない」だけでなく、「自分が仕事を引き受けることで安心感が得られる」ことが述べられています。そして、「『仕事を任され』るなかで『俺が』がんばるのだと言う覚悟によって、他の人の分まで自分に引き受ける仕事振りこそが、過労死・過労自殺者の特徴」であり、「逃げ出さずに背負い込むことが、仕事に生きる証なのである」と述べています。
 著者は、「すべて自分のせい」にするメランコリー親和型の「罪責感」が、「自分で自分を追い込んでいく力として働く」ため、「日本の職場においてはじつに有効な仕事倫理」であったことを指摘し、「そういう逃げられない状況において、自ら限界まで仕事をまっとうしようとする否応のない努力が、過労死・過労自殺を生み出す土壌」であると述べています。
 また、過労自殺者の遺書に、"申し訳ない""すまない"といった内容が多く見られる点について、「職場の同僚に対する罪責体験」が、「義理的な負い目」=「水平面的な負い目」、すなわち、「好意と好意の等価交換を果たせないことへの悔やみ」であるとした上で、過労死・過労自殺者の意識にある「病的な痛恨」はこれだけでは説明できないと述べ、仕事というものが、「『どんなに精一杯返済しても』返し切ることのできない報恩の行為」であり、「とくに過労死・過労自殺者の仕事ぶりに当てはまる」ことを指摘しています。
 第3章「過労死・過労自殺の<職場>」では、日本の職場で、「割り当てられた仕事の周辺」の「フリンジ・ワーク」の遂行が求められ、そこに「人としての『やる気』が最大限に発揮される領域がある」と述べ、「過労死・過労自殺者の特性である、誰に命令されるのでもなく自ら積極的に仕事に取り組む姿勢」が、「この日本の働き方に最もよく適合している」と指摘しています。
 また、日本的労働編成での職場集団への配慮が、「気兼ね」と表現され、「『気配り』が相手への積極的な援助を用意する姿勢を意味するのに対して、『気兼ね』は相手から『助けられること』への申し訳なさと遠慮が含まれ」、「できることならすべて自分の手元で処理しようと努める」メランコリー親和型の働き方に言及しています。
 第4章「過労死・過労自殺と<自分>」では、職場集団性の理想状態である、「"困ったときはお互いさま"というギブアンドテイクの『義理』的な助け合いと、職場全体への配慮である『恩返し』的な貢献がうまく調和して働いていること」が崩れ始めたことで、「義理を果たさないまわりの人たちの仕事を一人で抱え込み、全体の場への配慮も欠かすことのできないメランコリー親和性の強い人」が孤独な戦いに直面することを指摘しています。
 本書は、過労死・過労自殺を切り口に日本の職場と仕事のあり方を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で紹介されている事例の中で、「なぜ他の人は電話をとらないのか」、「特定の誰かに割り当てられた任務でもない。いわばボランティアによって遂行されている仕事」であるという例が紹介されています。自分自身を考えると、電話を取ることは「反射」とも言うべき領域で、意識が介在せず、電話がなりだす前、発光ダイオードが光ると手が勝手に反応して電話をとってしまっています。面倒と言えば面倒ですが、電話がなるたびに、「自分がとらないとまずいかな」と周囲の状況を思い浮かべた上で電話をとることを考えればいっそう気楽な気がします。


■ どんな人にオススメ?

・過労死は他人事だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 荒井 千暁 『こんな上司が部下を追いつめる―産業医のファイルから』 2006年11月15日
 玄田 有史 『仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在 中公文庫』 2005年07月20日
 スチュアート タノック (著), 大石 徹 (翻訳) 『使い捨てられる若者たち―アメリカのフリーターと学生アルバイト』 2006年11月14日
 熊沢 誠 『若者が働くとき―「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず』 2007年01月10日
 本田 由紀 『若者と仕事―「学校経由の就職」を超えて』 2006年03月02日
 宮本 みち子 『若者が『社会的弱者』に転落する』 2005年05月04日


■ 百夜百マンガ

ろくでなしBLUES【ろくでなしBLUES 】

 マイク・タイソンじゃなくて「前田太尊」という名前からもボクシングマンガであることが分かりますが、むしろ男子高校生の生活というか『反町君には彼女がいない』的な日常生活観が実は魅力です。

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コメント

著者の大野です。
詳しく読んで下さりまことにありがとうございます。
過労死問題は、労災認定や裁判として語られることが多いのですが、まさに日本の職場問題としての切り口がわたしの取り組んだ課題です。
第二作の「まなざしに管理される職場」もそうです。
これからも、よろしくお願いします。

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