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2007年3月

2007年3月31日 (土)

mixiと第二世代ネット革命―無料モデルの新潮流

■ 書籍情報

mixiと第二世代ネット革命―無料モデルの新潮流   【mixiと第二世代ネット革命―無料モデルの新潮流】(#800)

  早稲田大学IT戦略研究所, 根来 龍之
  価格: ¥2310 (税込)
  東洋経済新報社(2006/08)

 本書は、「第二世代の誕生というネットワールドの構造変化を背景にして、SNS(ソーシャル・ネットワーキングサービス)におけるネットワーク行動の特性と無料サービスの収益性確立のプロセスについて論じるもの」で、中でも、第2世代の特徴である「リアル×バーチャル」の世界の発展とビジネス化に焦点を当てています。
 プロローグ「mixiとは何か?――その誕生と成長――」では、SNSを、「ネット上のコミュニティサイトであるにもかかわらず、友人、知人など顔見知りとのコミュニケーションを楽しもうというまったく新しい趣旨のサービスであり、20~30代の若い世代を中心に、その利用者が急激に増えている」解説し、「ネットとリアルが連動したコミュニケーション」を楽しむことができる「一種の社会的インフラ」になりつつあると述べています。
 また、mixiのコンセプトが、「身近な人から刺激を請合い、交流を深め、新しい情報・知識も得て、日々の生活をより楽しく豊かに」であることが解説され、その名前が、「mix(交流する)」と「i(人)」を意味することが述べられています。
 第1章「『第二世代ネットコミュニティ』としてのmixi」では、伝統的なコミュニティが持つ性質として、
(1)一定の地理的範囲を伴うこと(地域性)
(2)構成員相互のフェイスtoフェイスの交流があること(物理的交流)
(3)構成員間に共通の価値観が存在すること(共通の価値観)
の3点を挙げ、一方で、mixiネットワークの特徴として、
(1)人への高い関与と信頼が基盤となっている。
(2)リアルな関係とバーチャルな関係が混在している。
(3)自分なりのつながりを多様に持つ。
の3点を挙げ、なかでも、(3)については、「mixiを利用してゆく過程やその結果としてもたらされるネットワークの特徴」であるとしています。
 第2章「mixiの構造と特性」では、mixi全体を俯瞰し、参加者の関与対象によって、
(1)マイミクシィ:参加者の「人への関与」に根ざしたコミュニケーションや事故の情報発信活動
(2)コミュニティ:参加者自身の「興味・関心のあるテーマへの関与」に根ざした共通のテーマコミュニティへの参加とコミュニケーション
の「二層構造化」していることを指摘しています。そして、mixiが提供する様々なアクセスコントロール機能によって反映される「機能特性」として、
(1)「招待(制)」機能による「参加者の制約制及び限定性」
(2)「情報公開の階層別制御」機能による「ネットワークの自己制御性」
(3)「足あと」機能による「訪問履歴の相互参照性」
(4)「マイミクシィのアクセス状況閲覧」機能による「アクセス状況の相互参照性」
(5)「コメント書き込み等のアラート」機能による「顕示性と相互視認性」
の5点を挙げています。
 また、「読むだけの人」を意味する「ROM(Read Only Member)」に対する言葉として、「ネットコミュニティに積極的に自分の意見を書き込み、中心的役割を演ずる人たち」である「RAM(Radical Access Member)」という言葉を紹介しています。
 第3章「mixiにおけるコミュニケーション――情報の発信・伝播と消費行動――」では、mixi内部を流通する情報として、
(1)日記情報:参加者個々が自由意思で書きたい時に書きたい内容を書く。
(2)おすすめレビュー情報:参加者が、ある製品(商品)やサービスについて、主に肯定的な意見を自由意思で書き込む。
(3)「掲示板情報」:当該コミュニティに参加していれば、コメントを書き込むことができる。
の3種類を挙げ、「日記情報」において、「何かを目的とせず、コミュニケーションすること自体を楽しむ性質(コンサマトリー性)」を持つ会話が多いことを指摘しています。
 第4章「『バーチャル特性』が果たす役割」では、「リアル特性が高い参加者」に関する仮説として、
(1)活動に関する仮説:リアル特性(傾向)の高い参加者は、ネットワークにおけるコミュニケーション活動に積極的である。
(2)信頼に関する仮説:リアル特性(傾向)の高い参加者は、ネットワークにおいて、相手を信頼しやすく、影響を受けやすい。
の2点を掲げ、この検証のために、ネットワークにおける行動特性についての測定項目として、
(1)mixi内情報に関する行動:コミュニケーションへの参加度や頻度を測定する。
(2)情報への信頼:mixiにおける情報をどの程度信頼し、その影響を受けて共感したり、情報への確信を高めたりしているか。
(3)消費行動:参加者同士の情報交換が、購買意思決定段階における「購入」までの一連の態度変容過程に対し、どの程度影響するか。
の3点を設定しています。
 そして、「リアル特性」が高いmixi参加者の特性傾向として、
・高いリアル率
・密な紐帯率
・低い情報公開度
・バーチャルコミュニティへの低い参加度
・「実際に知っているマイミクシィ」への高い信頼度
・「実際に知らないマイミクシィ」「友達の友達」への低い信頼度
を挙げています。
 著者は、当初設定した「活動に関する仮説」と「信頼に関する仮説」は棄却され、「mixi内情報に関する行動」「情報への信頼」「消費行動」に影響を及ぼすのは、「バーチャル特性」であったと述べています。
 第5章「『第二世代』特有の存在」では、それぞれに独立した「クリーク」を相互に行き来する「パイプ役」として、「mixiにおける人との関係や情報の流れをつないでくれる役割」を果たす「バーチャリアラー」について解説し、マーケティング・コミュニケーションの領域における、「特別な専門知識は持たないが、市場全般の広く、複数のカテゴリー情報や販売店の情報などの横断的な情報を集めて発信する、周囲の人から貴重な情報源として頼りにされているような消費者像」である、「市場の達人(マーケット・メイヴン)」との類似性を指摘しています。
 第7章「無料サービスにおける収入源」では、「個人別の『おすすめ商品』に関する情報をeコマースのサイトに表示したり電子メールで送ったりする」「リコメンデーション機能」について解説しています。
 第9章「無料サービスの事例紹介2」では、日本初の無料プロバイダーであった(旧)livedoorが、「大手の有料プロバイダと同様、1ユーザにつきメールアドレスを一つ発行し、50MBまでのホームページスペースを割り当てていただけでなく、ニュース、エンターテイメント情報、芸能情報、懸賞企画など、大々的な情報ポータルの運営」も行い、そのコスト負担がかさんだことに言及しています。
 第10章「3社のビジネスモデル整理」では、mixi、フォトハイウェイ、(旧)livedoorの3社について、「コスト構造がほぼ共通している一方で、主な収入源はそれぞれ異なっている」ことを指摘しています。
 第11章「3社事例の比較」では、(旧)livedoorが、「利用者基盤の増加とともに増えるコストを回収するだけの収入を得ることは最後までできなかった」のに対し、mixiは、「ネットワーク外部性によって、戦略モデルを差別化できるという強み」があり、「利用者基盤と蓄積情報という2つの資源の間に強い相互強化関係があった」ことを指摘しています。
 エピローグ「第二世代ネット革命とは何か?」では、「リアル×バーチャル」が、「SNSの登場をきっかけとする、参加者間の新しいネットワークの構造」であると述べています。
 本書は、mixiを楽しもうという人にとっては、あまり関係のないことですが、SNSの運営に携わっている人や、次のビジネスのネタを探している人にはお奨めの一冊です。


■ 個人的な視点から

 個人的には、ネットワーク理論による分析のところをもっと正面から扱ってほしいという感想はあるものの、それは専門の研究者に譲るとして、このくらいにざっとまとめてもらうと人に説明するときには使いやすそうです。第1部の内容を元にしたパワーポイントの資料とかがあるとうれしいですね。この研究所のページにでも置いてないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・SNSの先にあるものを見たい人。


■ 関連しそうな本

 ダンカン ワッツ (著), Duncan J. Watts (原著), 栗原 聡, 福田 健介, 佐藤 進也 (翻訳) 『スモールワールド―ネットワークの構造とダイナミクス』 2006年03月22日
 ダンカン ワッツ (著), 辻 竜平, 友知 政樹 (翻訳) 『スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための新科学的思考法』 2005年09月28日
 安田 雪 『実践ネットワーク分析―関係を解く理論と技法』 2005年10月04日
 安田 雪 『ネットワーク分析―何が行為を決定するか』 2005年10月13日
 アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日
 岡本 呻也 『ネット起業!あのバカにやらせてみよう』 2005年07月18日


■ 百夜百音

結成50周年 クレイジーキャッツ コンプリートシングルス HONDARA盤【結成50周年 クレイジーキャッツ コンプリートシングルス HONDARA盤】 クレイジーキャッツ オリジナル盤発売: 2005

 合掌・・・。
 4月から新社会人の皆さん。社会人の在るべき姿は植木等の「日本一」シリーズに学びましょう。当時の最先端の「東京」を見ることができる上、「釣りバカ日誌」の佐々木さんの若い頃も見れますよ。役回りはいつも同じですが。

『結成50周年 クレイジーキャッツ コンプリートシングルス HARAHORO盤』結成50周年 クレイジーキャッツ コンプリートシングルス HARAHORO盤

2007年3月30日 (金)

中央省庁の政策形成過程―日本官僚制の解剖

■ 書籍情報

中央省庁の政策形成過程―日本官僚制の解剖   【中央省庁の政策形成過程―日本官僚制の解剖】(#799)

  城山 英明, 細野 助博, 鈴木 寛
  価格: ¥2730 (税込)
  中央大学出版部(1999/01)

 本書は、中央省庁の中堅、若手行政官と行政学、政治学、経済学の中堅、若手研究者の月1~2回の研究会の2年間の成果をまとめたものであり、
・各省庁の政策形成の具体的プロセス
・各省庁の行政官が養成される具体的な人事システム
・行政官が行動するコンテクストとなるインセンティブシステム
について、具体的な叙述、分析を試みたものです。
 序章「本書の目的と方法」では、「省庁というブラックボックスの内部の論理を言葉にし、相互に理解可能な分析の対象にすること」が、「あらゆる行政組織改革の前提となる基礎作業でもある」という、本書の位置づけが述べられています。 
 また、各省庁の政策形成プロセスにおいて、
(1)創発:誰がどのようにしているのか
(2)共鳴:どのような情報共有の仕組みがあり、内外へのフィードバックの仕組みはあるか
(3)承認(オーソライズ):公式、非公式の承認制度
(4)実施・評価:決定されたことは実施され、評価されているか
の4つの段階を経ることが解説されるとともに、省庁を、
(1)企画型
(2)現場型
(3)査定型
(4)渉外型
の4つの類型に分類しています。
 第1章「政治学から見た官僚制」では、文献レビューの中から、
(1)政策プロセスはいくつかの構成要素により成り立っているが、各段階によりダイナミクスが異なるという点はあまり事例研究の対象になってこなかった。
(2)政策プロセスにおける官僚組織内での政治過程はあまり重要視されてこなかった。
(3)政策プロセスが、省ごとにかなり異なることは、政策決定過程研究における日本政治のモデルでとらえ切れていない変数があることの裏返しである。
(4)政策プロセスとは別に官僚組織そのものの研究を省ごとの比較を通じて行う必要性があげられる。
の4点を指摘しています。
 第2章「経済学から見た官僚制メカニズム」では、公共選択論を基礎に、官僚制の行動原理、官僚制の内部構造、官僚制の内部管理メカニズム(人事システムと評価システム)等行動様式を支えるインフラストラクチャーについての研究を検討しています。
 第3章「行政学における中央省庁の意思決定研究」では、本研究の成果として、
(1)各省庁、各課題領域における意思決定の多様性を具体的に明らかにすることができる。
(2)技官が大きな役割を果たす建設省や、実務的にも学問的にも隔離されがちであった外務省に関して先行研究を補完する。
(3)政策のイニシアティブがいかに開始されるかを焦点としている。
の3点について指摘しています。
 第4章「通産省の政策形成過程」では、通産省における政策形成過程の一般的特徴として、
(1)政策手段として、明確な権限の行使ではなく、アイディアに基づく誘導的手段が広く用いられる。
(2)大臣官房・産業政策局の強いリーダーシップ
の2点をあげるとともに、縦割り局、横割り局、外庁を通して、「通産省を取り巻くある種の経済情報共有体」が形成されていることを指摘しています。
 また、通産省の政策形成過程における特徴的な制度として、
・法令審査委員制度:大臣官房に設置され、通産省にとっての重要な政策課題のほとんどすべてについて、全省的観点からまず最初に議論し、重要案件についてのゲートキーピング機能も有する。
・新政策制度:毎年度春に、大臣官房総務課が政策課題をノミネートし、それぞれの課題について各局各課に「ツケを出す」
の2点をあげています。
 第5章「国土庁の政策形成過程」では、地方分権が推進される中で、「国土行政についても、国の役割を明確にしなければならない」と述べ、「今後は国が直轄で行う事業を明確にし、その事業に限って記述することが必要となってくる」と指摘しています。
 第6章「建設省の政策形成過程」では、「現場型」の建設相の特徴として、
(1)「政府投資の執行に重点を置く行政手法」:様々な政府投資の手法を用いて、財政の中で大きな割合を占める公共事業費を執行する省である
(2)「国自らによる公物管理」:国の地方出先機関による「直轄事業」。外注できない業務として、公物管理にかかる様々な住民との調整や他の行政機関との調整、事業の企画立案、用地交渉、工事発注とその監理など。
(3)「専門分化による各部局の独立性の高さ」:政策実現手法として個別に予算を持っていることも多く、自立性が高い。
の3点をあげています。
 また、建設省の業務の進め方の特徴として、自立性の高さとともに、課長補佐級以上の者が自由に発議することができる「調べもの」と呼ばれる調査手法をあげ、「横の連携は全くとられずに実施されるので、末端の事務所では沢山の調べものが同時に舞い込むことが起こりうる」としながらも、各系列の所掌範囲が明確に分割されているため、重複問題は発生せず、最近まで調べものに協力した地方建設局や事務所に対するフィードバックは行われてこなかったことが述べられています。
 また、平成2年に中国地方で行われたあるシンポジウムの中で、「道路に駅があってもよいではないか」という素朴な提案がなされたことをきっかけに全国に「道の駅」が整備された例を挙げ、「『道の駅』にかかる創発退き祖には、地方の自主的な発案による『道の駅』の実験の実施等様々な試み」があり、その盛り上がりを受けて制度化されたことが述べられています。
 第8章「総務庁・行革審議機関の政策形成過程」では、現行の査定システムに存在するアプリオリな限界について、
(1)限定的合理性:機構・定員の査定においては、業務量やマンパワーを定量的に把握することは今後ともきわめて困難であり、最適基準は存在し得ず、相対的な満足基準による。
(2)受動性:査定が原則的には、新規要求を受けたものについてだけ行われる
(3)日本的合意形成:査定を「承認」していくためには、要求省庁、関係省庁、政治といったアクターすべてからの合意を必要とする。
の3つのキーワードにより整理しています。
 著者は、総務庁の政策形成を査定型・企画型の組み合わせという性格を有するものであるとした上で、それを可能にしたのは、「旧行政管理庁出身者を中心とした豊富な人材群であった」と述べています。
 第9章「大蔵省の政策形成過程」では、その特徴として、主計局における「軍隊的」な仕組みをあげ、「各次長の下に配置されている主計官等をひとまとめにして『師団』と称すること」にも象徴的に現れているとし、「情報伝達や意思決定過程のルートが、軍隊的に上下に1本に繋がるように明確化されている」ことを指摘しています。
 また、政策形成過程の特徴として、
(1)予算の統一的編成に向けた組織的工夫
(2)「軍隊的」な指揮命令系統の確立
(3)妥協のプロセス――「握り」と「納め」の必要性
(4)組織の限界――「他人の不幸は自分の幸福」
の4点をあげています。
 本書は、中央省庁の内部のブラックボックスを窺い知ることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書には、おまけとして通産省ジャーゴンというものも紹介されていましたが、字面からなんとなく分かるものから想像のつかないものまでいろいろありました。
・レク
・ガッチャンコする
・切り貼り
・デキアイ
・シリが切れている
・○○枚紙
・タマを抱える
・モトイキ
・修文
・すりあわせ
・オチ、オトシドコロ
・おりる
・オファー
・カウンターパート
・ツメル
・クリア
・マルポツ
・もむ
・ツケ
・握る
・ネグる
・ショートノーティス
・デマケ
・合議(あいぎ)
・前広
・まく
――答えが気になって眠れない人は本書を探してみてください。
 先日、国の役人と話していて、「その件については前広(まえびろ)にパパッとよろしくやっといてください」と言われてカチンときてしまい、「すいません、その『前なんとか』ってところがよく聞き取れなかったのですが、もう一回おっしゃっていただいてよろしいですか?」「不勉強ですみません。それはどんな意味なんですか?」と聞き直してしまいました。人間、言いにくいことをはっきり言いたくないときにジャーゴンを使う傾向があるのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・役所なんてどこも同じだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 西村 健 『霞が関残酷物語―さまよえる官僚たち』
 末弘 厳太郎 (著), 佐高 信 (編集) 『役人学三則』 2005年12月12日
 新しい霞ヶ関を創る若手の会 (編集) 『霞ヶ関構造改革・プロジェクトK』 2005年12月22日
 宮崎 哲弥, 小野 展克 『ドキュメント平成革新官僚―「公僕」たちの構造改革』 2006年04月13日
 テリー伊藤 『お笑いニッポン公務員―アホ役人「殲滅計画」』 2006年03月16日
 行財政構造改革フォーラム (著), 上山 信一, 樫谷 隆夫, 若松 謙維 『新・行財政構造改革工程表―「霞が関」の三位一体改革』 


■ 百夜百マンガ

蒼き神話マルス【蒼き神話マルス 】

 典型的な「柳の下の泥鰌」狙いの作品だったのですが、さすがにいなかったようです。というかマガジンの恐ろしいところは、一度ヒットすると何度も同じ作品を描かせ続けるところです。

2007年3月29日 (木)

広報・パブリックリレーションズ入門

■ 書籍情報

広報・パブリックリレーションズ入門   【広報・パブリックリレーションズ入門】(#798)

  猪狩 誠也
  価格: ¥2200 (税込)
  宣伝会議(2007/01)

 本書は、「広報あるいはパブリックリレーションズを初めて学ぶ人のため」の入門書です。米国で生まれた「パブリックリレーションズ」が日本に導入されて60年経ち、「日本に導入された時代と今日とでは社会の様相がまったく異なってしまった」ため、「社会にとって、また組織にとっての重要性はますます増してきた感がある」と述べられています。
 第1章「広報・パブリックリレーションズとは何か」では、「広報・パブリックリレーションズ」を、「組織とそれを取り巻く人々・集団との関係を円滑にし、お互いが信頼できる関係を作り、維持する考え方であり、技術である」と定義しています。
 また、行政広報論の第一人者である井出嘉憲教授が提唱する、PRの「4つの理念」として、
(1)事実に基づいた正しい情報を提供する。
(2)ツーウェイ・コミュニケーションを確保する。
(3)「人間的アプローチ」を基本とする。
(4)「公共の利益」と一致させる。
の4点を紹介しています。
 さらに、広報活動を、
(1)社外情報の受信
(2)社外情報の社内への発信
(3)社内情報の受信
(4)社内情報の社内への発信
(5)社内情報の社外への発信
の5つに大別しています。
 第2章「広報・パブリックリレーションズの歴史」では、1947年にGHQの指令により、府県などの地方行政機関に、「国民統治の方法のひとつとして"パブリックリレーションズ"の導入が示唆」され、日本の行政が考えた訳語「広報」が広がっていったとして、その語源の一つに、「戦前、日本が現在の中国東北部に傀儡国家『満州国』を作ったときに、そこに日本が設定した国策企業の南満州鉄道(満鉄)に『弘報課』があったこと、遅れて満州国政府にも『弘報処』という部門が存在していたこと」の影響を挙げています。
 また、占領軍の米軍スタッフが、日本の民主化のために、「国民にはよく知らせ、国民の声をよく聴くべきだという民主主義の初歩ともいえるパブリックリレーションズの理念を熱心に指導した」にもかかわらず、日本の行政機関は、「敗戦まで、行政は国民の声を聴くなどほとんど考えもしなかった」ため「広報とはほとんどが"お知らせ"一辺倒」であり、「当時、行政広報の指導的立場にあった人は"広報"と訳したことが、『PRとは広く知らせることだ』という誤った観念を植え付ける原因ともなったと述懐している」ことを紹介しています。
 一方、民間企業には、
(1)電通(当時は電報通信社):吉田秀雄社長がGHQに接近する間にPRの考え方に触れた。
(2)証券業界:野村證券の奥村綱雄社長を中心に、証券民主化、大衆化をスローガンにしていた。
(3)日本経営者団体連盟:労使関係安定化方策のための経営視察団をアメリカに派遣し、そのときに、社内報、提案制度、態度調査などのパブリックリレーションズとヒューマン・リレーションズを持ち帰った。
の3つのルートでPRという概念が導入されたことが解説されています。
 第5章「広報・PR活動のマネジメント」では、経営戦略における広報・PR部門の役割として、
(1)経営戦略の策定の一部を分担すること
(2)経営戦略遂行のためのコミュニケーション戦略を策定・実行すること
(3)社外への発表
の3点について解説しています。
 第6章「コミュニケーションとコミュニケーション手段」では、企業に関わるコミュニケーションについて、
(1)社内コミュニケーション(Internal Communication)
(2)社外コミュニケーション(External Communication)
の2つに大別し、「企業にとって、社内コミュニケーションは社外コミュニケーションの質を高める上で重要である。それは、企業が人々に理解され、信頼されるためには、企業で働く人々の一人ひとりがステークホルダーとのパーソナル・コミュニケーションによって個人としても組織人としても理解・信頼されることが前提になるからである」と述べています。
 また、企業内コミュニケーションのために、「組織内部で使う言葉、概念を組織のメンバー全員が共有できるように、その組織特有の言葉を新入従業員のときから教え込んだこともひとつの知恵であった」が、「こうした組織特有の用語の使用は、他の組織と融和を阻み、独善性を生み出しやすい」として、電電公社の民営化時に石川島播磨工業から総裁として乗り込んだ真藤恒氏が、「電電ごでしゃべるな、日本語で話せ」といったエピソードを紹介しています。
 さらに、マス対象のコミュニケーション理論として、
(1)「二段階の流れ」仮説:マスメディアによる上方は、オピニオンリーダー(インフルエンサー)を経て、活動性の低い人々(フォロワー)に流れる。
(2)「議題設定機能」:メディアが公共の問題について人々の議題、その重要度、優先順位、枠組みまで決定する。
(3)「沈黙の螺旋」:メディアが特定の意見を唱導すれば反対意見は沈黙し、時間とともにますます特定の意見が支配的になっていく。
の3つの基礎理論を紹介しています。
 第7章「メディア・リレーションズ」では、パブリシティを、「企業や団体が、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどの各種のメディア(客観的な報道機関)に対して、公共との関わりのある情報を提供し、そのメディアに主体的に報道してもらうこと」と定義し、
(1)マスメディアを使うこと。マスメディアは基本的には公共性がある。したがって、その情報には、社会性、公共性がなければならない。
(2)情報の選択の責任はメディアが持つ。したがって、その情報は真実でなければならない。同時にニュース性が必要である。
(3)ニュース性が必要であっても、誇大であったり、事実を曲げてはならない。もしそれが後で分かったら、そのメディアからは見向きもされなくなるだろう
の3点を挙げ、マスメディア対応の原則として、
(1)誠実
(2)迅速
(3)正確
(4)公平
(5)冷静
の5点を挙げています。
 第10章「エンプロイー・リレーションズ(社内広報)」では、「企業で働く社員が最も大事なステークホルダーであることは当然である」とした上で、直接的には人事部門の担当としながらも、内部のコミュニケーションという観点から広報部門がかなり力を入れていかなければならない点が多い、としています。
 また、「トップの経営に賭ける情熱、夢を社員に伝えなければ、社員はその夢を共有できない。それは電子メディアや年数回刊行の活字社内誌だけでよいのか、生の集会で、あるいは、せめて映像で伝えれば、感動の共有ができるのか」は、「広報パーソンの腕の見せどころ」であるとしています。
 さらに、社内広報も、「広報・PRの原則通り、双方向型でなければならない」ため、「公式ルートでは収集できない情報を集めること」も重要な職務であると述べています。
 そして、「感動の共有化」を図るために、
・コンテスト(キャッチフレーズ、論文、商品アイデア、QCサークルなど)
・発明・優秀セールスパーソン・社会貢献や文化スポーツに活躍した社員の表彰
等のイベントを時折開催することも大事であると述べています。
 具体的には、活字社内報に関して、
(従来)社内融和をモットーにして、できるだけたくさんの社員の顔写真を入れ、趣味を語ったり、わが子の絵を載せたりという「人間関係型」といわれる人事・労務部門発行の月刊誌が多かった。
(現在)コーポレート・コミュニケーション戦略の一環であり、社外情報も社内情報も重要な情報は全員で共有しなければならないため、広報部門が担当することが多くなっている。
 第11章「ネット広報・PR」では、ブログの特性として、
(1)個人からマスに対して情報発信することが促進される。
(2)コミュニケーションをとおしたクリエイティブが求められる。
(3)更新をこまめに実施できる運営体制が必要不可欠である。
(4)コメント機能によりコミュニケーションが盛んに行われ、ネガティブな情報も迅速に流通するリスクを併せ持っている。
(5)ネガティブなコメントやトラックバックに対する適切な対応が重要。
の5点を挙げています。
 第13章「危機管理」では、「広報は危機管理にはじまって危機管理に終わる」とした上で、危機管理を、
(1)クライシス・マネジメント:緊急事態が発生した場合の対応
(2)リスク・マネジメント:危機予防や保険によるリスク・ヘッジ
の2つに大別しています。
 そして、クライシス・コミュニケーションとして、「社内に対してはきちんと情報を流しておくことが重要」とし、「速報はイントラネットで、一段落したら活字社内報で詳細に報告する。特に再発を起こさないためにも原因をはっきり伝えておきたい」と述べています。 また、危機管理の基本方針を考える際には、
(1)「最悪の事態」を想定しておくこと。
(2)事実を隠さないこと――事実を隠し、後で露見した場合、事態は間違いなく悪くなる。
の2点をまず頭においておきたいと述べています。
 さらに「記者会見の5原則」として、
(1)謝罪
(2)現状説明
(3)原因究明
(4)再発防止
(5)責任表明
の5点を挙げています。
 本書は、広報とパブリック・リレーションに携わる人間にとっては、是非読んでおきたい一冊です。


■ 個人的な視点から

 広報というと、外に発信する機能ばかりがイメージされますが、それ以上に社内への情報発信や流通促進が広報の重要な機能であることが本書で知ることができます。
 社内への情報発信の方法としてまず挙がるのは、日本企業の家族的経営の特徴の一つともいわれている社内報ですが、これは、戦後、アメリカの企業を視察に訪れた日本企業の調査団が、当時の「世界一の企業」であったIBMの社内報を見て、それを真似てはじめたのだという説があります。社内報の他にも終身雇用や手厚い福利厚生なども、日本企業の特徴といわれていますが、もともとは、アメリカの企業であったIBMを真似て創めたものが、半世紀後にアメリカへ日本企業の特徴として「逆輸入」されたものなのだそうです。


■ どんな人にオススメ?

・この4月から広報担当になってしまった人。


■ 関連しそうな本

 井之上パブリックリレーションズ (著), 井之上 喬 (編集) 『入門 パブリックリレーションズ―双方向コミュニケーションを可能にする新広報戦略』 2006年12月13日
 矢島 尚 『PR会社の時代―メディア活用のプロフェッショナル』 2006年11月13日
 ポール・A. アージェンティ, ジャニス フォーマン (著), 矢野 充彦 (翻訳) 『コーポレート・コミュニケーションの時代』 2006年10月23日
 世耕 弘成 『プロフェッショナル広報戦略』 2006年09月22日
 電通プロジェクトプロデュース局ソーシャルプロジェクト室 (編集) 『広報力が地域を変える!―地域経営時代のソーシャル・コミュニケーション』 2007年02月21日


■ 百夜百マンガ

とつげきウルフ【とつげきウルフ 】

 燃える若者やオッサンが主人公である場合が多いですが、珍しく子供が主役です。そのせいか大当たりはしませんでしたが。

2007年3月28日 (水)

未来を変える80人 僕らが出会った社会起業家

■ 書籍情報

未来を変える80人 僕らが出会った社会起業家   【未来を変える80人 僕らが出会った社会起業家】(#797)

  シルヴァン・ダルニル, マチュー・ルルー (著), 永田 千奈 (翻訳)
  価格: ¥1680 (税込)
  日経BP社(2006/9/21)

 本書は、「自分達の夢を極限まで追い求めた、すごい人たちに会いたい」という動機から、世界を旅してであった社会的起業のヒーローたちを紹介したものです。本書で取り上げられている「もうひとつの起業家」たちは、「変化を求めて声高に叫ぶことはしない。自身が変化を具現し、変化を促すタイプだ。原因をつきとめて糾弾するのではなく、解決策を示す。あくまでも地に足を着けたまま、社会問題に対して具体的で、広く応用できる未来への解決策を考え、実行する。未来に警鐘を鳴らすだけではなく、問題や行き詰まりを認識しつつも、楽観主義を捨てずに代替案を示す」と語られ、「セオリーよりも実践が優先する。自己犠牲に陥ることなく、自分達の行動が、経済、エコロジー、社会的分野でそれぞれどんな結果を生むかを冷静に判断する」と紹介されています。
 本書のタイトルは、ジュール・ヴェルヌの小説『80日間世界一周』をもじった「80人で世界一周」から採られていますが、実施には、取材先は113件にのぼっています。
 著者は、「この本はレシピ本じゃない。物語の本だ。新しいものを恐れる懐疑的な気持ちを克服した人たちの物語。不安定なもの、疑わしいものを批判するよりも、情熱を燃やし、実践的な価値を認め、まだ確立されていない考えでも、その正当性を信じるほうが賢いってことだってあり得るのだ」と述べています。
 第1章「ヨーロッパ」では、スーパーマーケットで買える、フランスで初めてのフェアトレード・ブランド「アルタエコ」を立ち上げたトリスタン・ルコントの、「まず、最初に大変だったのは、発展の見通しを強調し、市場の大半を占める既存の大型小売店を説得することだった」という言葉を紹介しています。
 また、自身が化学薬品のアレルギーに苦しんでいたことをきっかけに、「純粋に必要性から、従来とは異なる農法、『自然』で、とにかく自分自身が楽な農法を編み出そうと決意し、『自然が全て解決する』を信条とする農業人」となったペーター・コパートが開発した、「害虫を食べて作物の成長を助けてくれる益虫を育てるため」の方法論を紹介し、「現状を解決するには、もっと中期的、長期的な調和という視点から『イノベーション(技術革新)』を考え直さねばならないことがわかる」と述べています。
 さらに、環境に対して有害な塩素溶剤を売るエコロジストとして、ドイツの化学系洗剤レンタル会社、セフケム社長のカール・シュトゥッツルを紹介し、「顧客は、溶剤の量に対して金を払うのではなく、その機能、つまりは金属への洗浄効果に対して金を払う。末端の顧客が必要としているのは、大量の塩素溶剤ではなく、自社製品の衛生状態を維持することなのだ」という発想の転換によって、「できるだけたくさんの溶剤を売ることではなく、できるだけたくさんの金属製品をきれいにすることを目指そう」という「小さな革命」を引き起こしたことが語られています。
 第2章「アジア」では、「医療費を支払える患者は、貧しくて治療費が払えない患者の分も負担する」、すなわち、「患者の3分の1が正規料金を支払い、残りの3分の2は無料で手術を受ける」という画期的な医療システムの眼科病院を開業したゴビンダワ・ベンカタワミを取り上げ、それまでアメリカの企業から無償提供を受けていた眼内レンズをインドで生産することで安価に提供し、マクドナルドの成功を参考に、「安くて美味しいハンバーガーを世界中の街角で販売できるなら、その独創性と効率という宝物をもっと高尚なこと、失明者を救うことに活かせないだろうか」と考え、「患者は数時間の入院で充分。ベッドや病室などの設備はレンタルで安くあげればいい。各室で複数の患者の手術を行う。外科医は一人の患者の手術が終わったら、そのまますぐ後ろの患者の手術に取りかかる。看護師が術後の処置を行い、次の患者を呼び入れる」というファーストフード式の白内障治療システムを開発し、アメリカで眼内レンズ代を含めて1700ドルかかる手術を10ドルで実現したことを紹介しています。
 また、2006年にノーベル平和賞を受けたグラミン銀行総裁のムハマド・ユヌスを、「今回の旅で最大の成功例であり、最大の可能性を秘めたプロジェクトの発案者」として紹介し、「最も助けを必要としている、村で最も貧しい人たち」が、「返済能力がないとみなされ、銀行からお金を借りることすら」できず、「融資を拒否されることが、あらゆる阻害の発端になっている」こと、「多くの場合、貧困の原因は、個人の問題や、怠慢、能力不足ではなく、わずかな元金すら手にできない状況にある」ことに気づき、「貧者の銀行」グラミン銀行を立ち上げたことが語られています。そして、「まず、連鎖の末端にあるもの、人間のことを考える。そして、人間に希望を与えることが大切だ」という言葉を紹介しています。
 さらに、同じバングラデシュで、企業内保育園の運営会社ブルキを創業したスライヤ・ハクを取り上げ、同社の目標が、「女性たちが子供か、経済的な独立かの二者択一を迫られなくてもすむようにすること」であり、「工場に保育所を併設する経済的メリット」を証明するために大々的に調査を行い、「工場内に保育所を作ることによって、生産性が向上すれば保育所運営の経費は充分補えること」を確信した彼女が、このモデルと実現し、各工場に広めていったことを紹介しています。
 日本からは、「化学製品を使わず、自身の健康も損なわず、人間らしい生活を楽しめるようにする」ため、合鴨を使った新しい農法を開発した古野隆雄を紹介し、アジアで7万5千件の農家がこの方法を導入し、「本来なら退治すべき害虫を食べさせることで、鴨のエサ代も節約」でき、「生産性は、従来の農法を上回り、集中農法と同等の水準を達成できるので誰も損をしない。いや、損をするのは化学肥料の販売会社だけだ」と述べています。
 第3章「北アメリカ」では、「従来の援助システムとはまったく異なるアプローチを続ける援助団体」である、アショカ財団の創始者であるウィリアム・ドレイトンを取り上げ、そのやり方が、「人に対して、つまりは、その人の夢を実現させる能力に対して投資する」、すなわち、「その人の発案したレシピや方法論ではなく、その天職に賭ける情熱を支える」という斬新さを持っていることを紹介しています。その内容は、「起業を目指す人たちは、その志の正当性に加え、企業家としての資質についても審査」され、「ひとたび審査に通れば、アショカ財団はその企業家に対し、フェローとしてその後3年間、計画の実現に邁進できるよう、毎月の生活費を支給」し、「研修や研究奨学金、経営指導、法律専門家の斡旋や、メディアへの紹介」などを行うというものであり、「社会起業家は魚を与えたり、漁のやり方を教えるだけじゃないんです。漁業全体が変革されるまで頑張るんです」という彼の言葉を紹介しています。
 第4章「南アメリカ・アフリカ」では、「統計外」の存在である「闇組織」が、経済システムから排除される仕組みを解き明かし、「裏経済」を法治経済に更生させようとILD(自由・民主主義研究所)を創設した、エルナンド・デ・ソトを取り上げ、「なぜ、ペルーでは資本主義経済が成り立たなかったのか。それは、欧米や日本のような『商業権の法的な認知』という資本主義の大前提となる部分が欠如していたからだ。経済活動も発展も、まず法による商業権の保護があってこそだ」という彼の言葉を紹介しています。
 本書は、起業によって社会を変えようとしている人にとって勇気を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、もちろん社会起業家たちの驚きのアイデアや豊かな発想力を紹介しているものではあるのですが、それ以上に力点が置かれているのは、そのアイデアなり事業は、彼らの人生にとってどんな意味を持っているのか、彼らがどんな環境や社会の中で生きてきたのか、という部分です。
 その意味では、本書のスタンスは、社会起業家として取り上げられているビル・ドレイトン氏の「アショカ財団」が事業そのものではなく、社会起業家その人に、その熱意に投資していることや、日本のNPOであるetic.が開催しているビジネスプランコンテスト「STYLE」が、事業そのもののアイデアだけではなく、「あぜあなたはその事業をやらなければならないのか」というところまで掘り下げていることに通じる気がします。


■ どんな人にオススメ?

・世界中の「すごい人」に会ってみたい人。


■ 関連しそうな本

 デービッド・ボーンスタイン (著), 井上英之 (監修), 有賀 裕子 (翻訳) 『世界を変える人たち―社会起業家たちの勇気とアイデアの力』 
 渡邊 奈々 『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』 2005年08月11日
 町田 洋次 『社会起業家―「よい社会」をつくる人たち』 2005年02月16日
 斎藤 槙 『社会起業家―社会責任ビジネスの新しい潮流』 2005年06月01日
 D. ヘントン, K. ウォレシュ, J. メルビル (著), 加藤 敏春 (翻訳) 『市民起業家―新しい経済コミュニティの構築』 2005年03月15日
 C.K.プラハラード 『ネクスト・マーケット 「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略』 2006年07月28日


■ 百夜百マンガ

仮面ライダーBLACK【仮面ライダーBLACK 】

 現在に続く平成版ライダーのハード路線を方向づけた作品。残念ながらイケメン俳優は出てこないですが、お母さん方もぜひ読んであげてください。

2007年3月27日 (火)

自治体の人材マネジメント―経営センスある職員をいかに確保・育成し、活用するか

■ 書籍情報

自治体の人材マネジメント―経営センスある職員をいかに確保・育成し、活用するか   【自治体の人材マネジメント―経営センスある職員をいかに確保・育成し、活用するか】(#796)

  田尾 雅夫
  価格: ¥2520 (税込)
  学陽書房(2007/02)

 本書は、「ハードウエアの行財政改革には、ソフトウエアの人的資源管理が先行する」ことを、「組織論、あるいは経営学の分野で開発された様々な概念を用いて」論じているものです。
 第1章「地方自治体という組織」では、従来の考え方や手法での行き詰まりを認識・対処するための考え方の一つであるNPMについて、批判的に紹介しながら、「適用することで相応の成果を得ているところもあれば、そうでないところもある」理由を明らかにしています。
 そして、地方自治体が、経営体としての政党を得ることが難しいという論点整理として、
(1)公私比較
(2)第三セクター、あるいは、グレーゾーンの肥大化
(3)中央政府からの自立
の3点を挙げ、「地方自治体が経営体でなければならないことは疑いようのないこと」であるが、「その結果というコンセプトが、立場によって様々に理解される組織がある」として、「私企業とはやはり区別されるべきである」と述べています。
 また、「行政の経営化」や「NPMの徹底」が徹底できない理由として、「公共の組織のマネジメントに伴う」、「本質的に対立する二つの原理の折り合いのよくなさに由来」するとして、
(1)ポリティクスとアドミニストレーション
(2)ビュロクラシーとデモクラシー
(3)効率と応答性
の3点を挙げ、「以上の背反を承知で、私企業の論理を公的セクター、とくに政府組織に導入しようとする」のがNPMであると述べています。そして、「地方自治体を含めて公的セクターでは、NPMの考え方では対応できない経営があるということを承知しなければならない時期に立ち至っている」と述べています。
 第2章「人的資源管理の理論と方法」では、「その多くが労働集約的」である地方自治体による行政サービスの性質上、「それぞれの地方公務員の、地方自治体への貢献がそのまま成果となる」ため、「それぞれの地方公務員の、資質や能力、そして意欲が問われる」として、「『人的資源』という言葉は、地方自治体にこそ当てはまる」と述べています。
 そして、地方自治体の職員を人的資源として位置づける場合の論点として、
(1)有為な人材の発掘
(2)採用した人たちの処遇
(3)研修や再教育の機会
の3点を挙げています。
 また、従来からの地方自治体において、人材管理が配慮の外にあり、地方自治体を経営体と見なす考えがなかった理由として、
(1)評価の難しさ
(2)公における利害関係
(3)熱意は報われるか
等の論点を挙げています。
 さらに、人材育成を施策として位置づけるための具体的な方策として、
(1)コストを考えること
(2)何のための人材かを明確にすること
(3)さまざまな機会の提供
(4)再度の挑戦
(5)全体をしきれる人材の発掘と育成
の5点を挙げています。
 そして、「地方公務員として何を成したか、なぜ、それができたのか」について、「その人の人材として程度を評価」する論点として、
(1)能力・資質
(2)実績
(3)可能性
の3つの評価の視点を挙げるとともに、評価の基準として、
(1)法的制約
(2)資源の有限性
(3)コスト
(4)アカウンタビリティ
の4つの制約を挙げ、この3つの評価の視点と4つの制約を合わせて、「行政サービスを執行できる人材の育成、さらに、それが積み重なって、地方自治体の未来を託せる人材の育成は、やはり難しいといわなければならない」と述べています。
 著者は、「近年、地方自治体を私企業に準じて、いわゆる経営センスを導入すべきという議論」について、「地方分権や行政改革の中で、とくに課長など管理者の立場にある人たちは、私企業の経営センスだけではない、あるいはまったく異質のそれを必要としているのではないだろうか」と述べ、「地方自治体とは私企業とは相違する経営体」であり、必要となるのは、「有象無象の環境に踊らされるのではなく、むしろ積極的に、環境を作り換える能力」であり、「ポリティカルで、価値的な視野を含め込んだ経営者や管理者」としての経営センスが必要になると述べています。
 第3章「公務労働と人事施策の枠組み」では、地方自治体の業務を、
・ルーティンの仕事
・長期的な問題として見据えなければならない仕事
の2種にわけ、「ルーティンの仕事はスペシャリストに相応しい」ものであるが、「地方自治体が、分権化によって政策官庁化」するのであれば、「中長期的に、大所高所の視点から考え仕切れる人材」である「むしろゼネラリストの育成こそが急務」であると主張しています。
 また、地方公務員の人的資源の動員のためには、「地方公務員は概して従来から非金銭的な報酬に強い関心を向けること」が多く、「とくに行政職については、概して分権化に関心を有し行革を必要と考える、いわば積極関与層は政策に強い関心を有し、それの実現に関わりたいと考える人たち」であるため、「政策決定に参加し、その実現にむけて自らの努力が報われる」という意味で、「今以上に内発的に取り組む姿勢のようなものが重視される」と述べています。
 さらに、「お役所仕事」と揶揄される公務員の行動様式について、「「職場の中での行動様式については、企業に勤めている人の方がモチベーションは強い傾向にあることは否めない」としながらも、「職場だけではなく家庭や地域生活をも含めた生活全般、つまり日常生活の行動様式についてであれば、単純に、公務員がサボりたがる人たちであるとはいい切れない」とし、「職場だけのライフスタイルをみると、地方公務員は消極的な姿勢が見られ、いわゆるお役所仕事というネガティブなところだけが注視されそうであるが、職場を越えた日常生活全般のライフスタイルを見ると、その職業はそれなりに評価すべきところがある」と述べ、今後の、「超高齢社会を見越した場合、その前向きの社会性と先駆性をむしろ積極的にとらえ、かつ位置づけるべきであるかもしれない」と評価います。
 第4章「人事施策の具体化」では、「公人として公務員としてのメンタリティ」の特徴として、
(1)ローカル志向
(2)安定を重視
(3)社会的な技術の不得手
(4)経済的な報酬への無関心
(5)結果よりも過程重視
(6)リアリズムの不在
の6点を挙げ、中でも(5)に関しては、「熱意をもって難事業にあたるという姿勢が評価」されるのであり、「熱意が彼らの職業を勝ちづける要である」と考えられ、「真偽のほどは定かではない」としながらも、「『汗、涙、誠』がもっとも重要である」と公務員の間で語られることを紹介しています。
 また、「将来的に地方公務員として望ましい適性」として、
(1)クライエント関係における感受性
(2)理想主義的な信念
(3)広角的、複眼的視点
(4)ロング・スパンの価値意識
(5)責任の観念
の5点を挙げています。
 さらに、人的資源として欠かせない人の要件を、「組織人としての心理的契約を自覚した人」であると述べ、「できるだけ多くの有能な、そして意欲的ない改革の担い手が、その改革の理念を外から強いられるのではなく、逆に自ら求めて、その中に入り込むことで改革は成功への端緒を得ることができる。改革を内面化できるかどうかである」と述べ、「改革に向かう心理」が、「当事者の意欲を内面から駆り立てるようなしくみの構築を必要」とし、「自分の出番だという気持ちにさせるような機会を多くすること、そして、その気持ちを持続させるようなしくみの構築をすること」が必要であり、「まさしく改革とはモチベーションの問題である」と主張しています。
 第5章「市民との関係」では、NPOが担うとされる「公共」は、「公共サービスの一部でしか」なく、「それぞれのNPOはそれぞれの利害を主張する利害関係団体」であり、「旧来は、地方自治体内部で調整されていた統制の問題、つまり部局間の関係、あるいは部局内で調整されていたことがいわば外部化されて、庁外で調整されるようになった」とし、この一時的な行政過程の混乱をいかに乗り越えるかによって、「経営体としての地方自治体の有り様に一層磨きがかかることは疑いない」と述べています。
 また、警察官や医師・看護師、ソーシャル・ワーカー、教師などヒューマン・サービスにかかわる「ストリート・レベルのビュロクラット」の行動様式として、
(1)日常的接触
(2)サービス資源の独占
(3)非公式的な裁量
(4)応諾の強要
(5)応諾の公式化=組織としての制度化
の5点を挙げています。
 第6章「人的資源管理のための組織再編」では、政策評価において、「測定論でいえば、本当にはかれるのか」ということ、「尺度が構成できるかどうか」が問題になるとした上で、仮に「それで測れるとしても、それがムダ、ムリ、ムラをなくすための使い勝手の良い方便になるのかどうか」として、「行政評価の基礎的な部分に問題があるのではないか」と指摘しています。
 そして、「評価は欠かせない」としながらも、「結局、間接的な測定でしかない、いつまた作り変えられるか分からない」ものであるという、「謙虚さに支えられての評価である」ことを強調しています。
 また、改革とは、「組織人をできるだけ多くその過程に取り込むこと」を含んだものであり、「人的資源管理の立場からは、ヒトを資源として活かせない組織は、停滞するどころか、崩壊する。停滞や崩壊を防ぐためにヒトに関わるしくみの変更がある。財政危機に対処するためだけの変更ではない」と述べています。そして、行政改革における人的資源管理の論点として、
(1)意欲的な人材を改革の主要な位置に配置できるか
(2)そのことに向けてプログラムを提示できるか
(3)そのプログラムを実行するに際して、必要な人材を活用できるしかけが用意できているか
(4)そのことの正当性、さらにいえば実行可能性を外部に向かって説明できるか
の4点を挙げています。
 さらに、目標管理による自治体運営について、「目標管理は簡単な枠組みで捉えられることではなく、実務的に考えるとすれば、難しい問題もあり得る。むしろ、実務の円滑な遂行を阻害する要因の多いこと、また、問題の根の深さを、現状において正確に認識すべきである」と述べた上で、「しかし、それにもかかわらず、目標の設定や管理も、自治体経営の基軸に据えられるべきである」と述べています。
 著者は、NPMに関して、「人的間理論の立場からは、地方公務員の質を向上させることが、改革手法に拘泥しがちなNPM一般の議論に対しては、むしろ王道というべきである。民間手法を取り入れることに急ぐよりも環境に適合させるためには、それに意欲的に働く公務員を多くしなければならない」と主張しています。
 第7章「今後の課題」では、「現状を支えるのが管理者ではない。さらに新しい文化を創出することも、その仕事の一部になる」と述べ、「リーダーシップを超えたアントレプルナー」を、
(1)変革のイニシャティブを握ること。
(2)資源やそれがおかれた状況を、実際的な何かに仕向けるための組織化や再組織化ができること、動員力と言い換えてもよい。
(3)リスクや失敗を真正面から受け止められること。
の3つの働きをなせる人たちであると述べています。
 最後に、著者は、本書を通じて、「NPM(ニュー・パブリック・マネジメント)には、それに人的資源管理を先行させなければ、地方自治体の根本的な変革はない」ことを主張していると述べています。
 本書は、人的管理を切り口に、自治体の改革へのスタンスのあり方を示した一冊です。


■ 個人的な視点から

 高橋伸夫著『虚妄の成果主義』が、「成果主義」の問題点を指摘し、それ以上に、「成果主義」を盲信する人やそれを飯のタネにする人たちに痛恨の一撃を加えたのと同じように、本書は、NPMの改革手法を盲信し、「政策評価さえ導入すれば改革できる」「会計手法を一新すれば財政状況を立て直せる」かのように、手法に拘泥する人たち、及びあたかも魔法の杖であるかのように売り歩いた人たちに一撃を加える「虚妄のNPM」と言ってもいいような内容ではないかと思います。
 また、本書のタイトルの付け方については、同じ著者の『成功の技法』についても言えますが、読んでほしい人に対して、「おとり」的なタイトルのつけ方、中身とはあえて逆を行くタイトルを付ける傾向があります。つまり、『成功の技法』は、あたかも起業家として成功するためのイロハが書かれているような外面を装っておきながら、「甘い気持ちで起業すると痛い目に遭うよ」と往復ビンタを食らわせる内容(よって、騙された、と感じる人も少なくないようです)ですし、本書についても、おそらく自治体の人事担当者が飛びつきそうなノウハウ本のような外見を整えながら、「そんなに簡単じゃないよ、大事なのはモチベーションだよ」という著者の主張を食らわしています。もちろん、ぜひ多くの人事担当者が「おとり」に引っかかってほしいと思いますが。


■ どんな人にオススメ?

・自治体の人事担当者(だまされたつもりでだまされませんか?)


■ 関連しそうな本

 田尾 雅夫 『成功の技法―起業家の組織心理学』 2005年04月23日
 田尾 雅夫 『会社人間はどこへいく―逆風下の日本的経営のなかで』 2005年02月27日
 田尾 雅夫 『組織の心理学』
 高橋 伸夫 『虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメ』 2005年3月30日
 城 繁幸 『日本型「成果主義」の可能性』 2005年12月08日
 山中 俊之 『公務員人事の研究―非効率部門脱却の処方箋』 2006年06月08日


■ 百夜百マンガ

ブリザード・プリンセス【ブリザード・プリンセス 】

 サンデー増刊での『とってもひじかた君』の好感触を受けて本紙登場したもののなかなか一般受けすることはなかったようです。

2007年3月26日 (月)

明治国家形成と地方自治

■ 書籍情報

明治国家形成と地方自治   【明治国家形成と地方自治】(#795)

  渡辺 隆喜
  価格: ¥8925 (税込)
  吉川弘文館(2001/05)

 本書は、「慶応4年4月、維新政権の覇権確立以降、明治11年7月の三新法公布までの町村会、大小区会、府県会の総称」であり、「成立期府県制のもと府県独自に施行された地方議会」である「地方民会」を真正面から取り上げたものです。著者は、地方民会成立史の特質について、「地方民会発達のコースは、従来、維新期の藩議院から区戸長会一般への形態転化として、また町村寄合の町村会への機能改革として、ないしはブルジョア的政治勢力の形成史の視点から『土佐藩議院―民撰議院設立建白―愛国公党―自由党』のコースに対する、『熊本藩議院―小田県臨時議院設立建白―地方民会論』のコースとして考えられてきた」が、この路線の問題提起が、「一貫して豪農層の政治的成長を民会論の基礎に据えている点に特徴を持っている」のに対し、「一般的な民衆のあり方から、形態的には維新期の組合集会の変質過程を通じて理解し、あわせて構成諸相の政治的成長を必然化した、経済的諸条件の変化に留意して検討する方が自然である」として、「幕末期村政改革―維新期組合集会―区戸長会―民会」のコースを提示しています。
 第1章「大久保政権時の政治構造」では、明治国家の成立にとって、「維新官僚による集権化の実現過程は、中央、地方官僚を現実の担い手として、特に在地諸勢力の政権内への取り込みがいかに行われるか」という国民統合が問題であり、「地方行財政確立の問題が主要な課題」であったとして、「地租改正にともなう土地税制整備の問題は、国税体系の基礎確立とともに他方で地方税としての民費、府県税の整備を要請し、行政担当者としての地方官と区戸長の性格の明確化を迫るもの」となったことが述べられています。
 また、「下からの民会化」が、豪農層、特に地租改正議員のあり方に「象徴的に機能と限界が表現される」として、「地域意思結集の性格を地主的社会関係に矮小化する役割を持つ一方、民会の地主議会化を助け、統治の手段に転化させる」とし、「こうして民会を統合手段化させ、大久保政権の方針に忠実な地方官を優遇し、地域意思優先の地方自治推進の地方官を切り捨てた」と述べています。
 さらに、「府県会の広域化および地方官の権限、身分の明確化」が、「国家および地方財政の負担増大に対応してとられた措置であり」、「より一層増大する民費の処理をめぐって地方制度を改正し、地方民会たる府県会、町村会を公認し民費徴収の同意機関たらしめることが要請」されたとして、三新法によって成立した府県会が、「民会的性格を制限」したものであり、地方税は、
(1)土地
(2)営業税、雑種税
(3)戸数割をもって大衆課税的性格を強める根拠を与えた
ことが述べられています。
 著者は、明治8年当時の地方官の性質を、
(1)民権派寄り地方官
(2)政府追随的啓蒙派
(3)体制維持的保守派
(4)行政テクノクラート
(5)封建的官僚派
(6)農民的改租派
の6つに分類し、当時の地方行政が、「(1)民権的地方官と(6)農民的改租派地方官、(5)封建的官僚的地方官の左右両派の切捨てが進行する一方、中央においては、(4)型地方官を中核に(2)の長州系地方官と(3)の薩摩系地方官を両翼とする行政中心の官僚体制が形成されつつあった」と述べています。
 そして、当時の府県行政が、明治4年11月の県治条例を出発点とし、明治8年11月の府県職制並事務章程で規定されるまでの間の変化を、
(1)府県長の事務分掌は明治4年の庶務課、聴訟課、租税課、出納課の4課体制から、8年の学務課、勧業課を含む6課体制に移行すること。
(2)聴訟課より裁判事務が分離
(3)徴兵事務の増加
(4)地租改正事務の激増
等の特色が見られ、「これらのほか文明開化、殖産興業政策にともなう土木、勧業事務も少なくない」ため、「これらに呼応した下請体制が大小区でも整備」されたことが述べられています。
 また、府県区町村会規則の成立過程から、「幕末以降、開設の多くなった町村会合の規則化が遅れている」とともに、「府知事県令らによる会議の規則化は府県段階を中心にしたこと」を物語り、この意味は、
(1)実際上は町村段階からの民主化というよりは、府県段階の統治主導の行政諮問化のための会議が優先されたこと、
(2)逆に云えば区戸長および区戸長クラスを議員にしてまでも世論の吸収を必要としており、
(3)したがって当初は区戸長集会および区戸長議員が多いこと。
(4)県区会開設府県とくに早期の開設県は小規模県が多く、かつこれらの県は民主化も早いこと。
(5)これらは県下人民の公選民会開設の建議、要請を契機に開設されている場合が多いこと、
等を特色としていることが述べられています。
 第2章「留守政府下の府県議事会」では、廃藩置県により中央集権化を完成した明治政府が、「新設75県に西南雄藩出身者を中心に新任府知事県令を配置し、新たに統一的行政事務を処理すること」になり、「旧県以来の地方官が新府県の腸管にそのまま留任した場合もあったが、その場合においても多くは在地性を持たず、行政上の地域的慣行を知らない場合がほとんどであった」として、「地域的慣行は中央集権国家の成立により画一化さるべき性質を多く含むものであったとはいえ、地域独自の自治的性格を含んだがゆえに新任府知事県令が直ちに着手し得ない部分であり、それゆえ在地の地方有力者への府県政諮問を必然化した」と述べられています。
 また、中央集権国家成立直後の明治5、6年当時に、過渡的に成立した議事会が、「後に展開する民会の性格を萌芽的に内容」していたとして、
(1)村役人および区戸長公選の伝統
(2)公選代議機関を産み出そうとする地方自治路線
(3)区戸長議員による施政諮問会の性格を持った議事会
の3点を挙げています。
 第3章「大久保政権成立期の『府県会』」では、「自由民権運動の第一頁を、板垣らの『民撰議院設立建白書』(明治7年1月)から起筆するのは、この建白をもって単なる『上流民権論』とかたづけ去るのと同様に不当である」として、「建白書」の提出が、
(1)廃藩置県以後、先駆的な各府県で形成され始めた「地方民会」における素朴な民主主義政治への動向
(2)この転換期を表徴する全国的な農民反抗の、解職された封建家臣団のやり場のない不平不満が、しおさいのごとくその背景にどよめいていた
の2つの動きを前提に持つと述べています。
 そして、明治7年県会の特色として、当時の県会の位置づけが、「議員は審議権のみとし、施行権は県令にあることを明確化し、県令の専断権を確認するもの」となっており、「体制への言及を否定」したうえで、「議長の権限を明確化し、県令の役割を区別し、民会的性格を強めたもののその議長に県令参事をあてることにより、法令上の開明性とは対照的に民意の自由な伸長を許さぬもの」になったことを、「千葉県議事条例」などを例に論じています。
 第4章「地方官会議と地方民会」では、「上院としての元老院、下院としての地方官会議をもって立法府に性質を変えようとする民権派と、この声に押されながら依然として形式的『議院様のもの』でよいとする木戸、大久保=専制派との争い」が、「マスコミを動員した民選議院論や民会論だけでなく、現実に各府県で開設されていた府県会、区会を通じ、また地方官会議の現場において激しく展開されている」ことが述べられています。
 そして地方官会議の位置づけを、「明治6年4月の地方官街道以来、政府は主催した大蔵省の強大な権限の縮小を図ったとしても、新設内務省のもとで依然、地方事務の統一的処理のための諮問会議としての地方官会議の必要性は認めていた」と木戸の意図に沿って要約し、「とくに地方官会同が主目的にした国家および地方財政の確立問題は、木戸もまた『第一に会計之事などは尤懸念』すると認めており、彼の議長受諾の真意はこの点にあった」と述べています。
 また、明治8年度府県会において民会史上もっとも注目すべきものとして兵庫県会を取り上げ、8年5月に区戸長会の県会が開かれ、9月には県会議員選挙規則を定め公選議員の選出を決め、この公選議員と区戸長議員の併用による県会が12月に開かれ、町村公借金穀取締の議案が議決され、政府に建議されたことが、9年10月公布の「各区町村金穀公借共有物取扱土木起工規則」の先駆けとなったことが述べられています。
 著者は、明治8年の政治情勢を、「代議政体樹立を期待し地域から議事体制を積極的に構築しようとする民意の動向と、その動きをおさえ、地方体制を専制体制下の事務的行政機関として、または諮問機関として、代議機能を封じ込めようとする政府との攻防の歴史」であると述べています。そして、「公選化=民会化は町村の抱える現実的諸問題に応えるものとして真の地方自治として要請された」ものであることが述べられています。
 第5章「地租改正と農民の動向」では、地租改正がわが国の近代化にとって、「最も重要な基礎的事業であり、その評価は明治維新の本質的理解と密接な関連性を持っている」として、廃藩置県直後から明治14年にかけて行われたその作業が、「知見を公布しつつ農民の土地所有権を法的に確認し、これを基礎に、地域ごとに錯綜した従来の現物貢租を廃棄し、新しく全国画一的に金納地租の方法を採用する作業」であり、「新政府の財政基盤の創出といった租税改革としての性格のほか、幕藩領主的土地所有の解体作業として土地改革の側面も持っており、地租改正を推進した国家権力の性格や、地租改正により日本資本主義の再生産構造の特質が打刻されたという意味で、事業の結果が日本のその後の歩みを根本的に決定し、かつその性格を規定したもの」であると述べています。そして、この地租改正の中核作業をなす地価調査について、「改正の性格を集中的に体現する地価算定法の成立過程、その性格、適用の結果、政府案(検査例)との関係を明らかに」しています。
 著者は、村ごとに差を持った算定法が、「それぞれの再生産構造を反映して算式化された」ため、
(1)位置づけられる地租は相対的に低下した旧貢租であったが、錯綜的支配体制化の領主権力による収奪度や生産力上昇の度合いによって生ずる地域差の解消とはなりえず、そのまま固定すること。
(2)地域差を持つ前期的市場の影響化に異なった諸物価が使用され、同じ生産条件と収穫量のある地でも地価に統一性を欠くこと。
(3)取分比率が異なる算定方式であるように、その村の土地所有の成長度がそのまま継承され、地位、村位の等級が組まれず村落相互の比較を困難にすること。
という問題を含んでいたことを指摘しています。
 第6章「地租改正土地法民会」では、地租改正が「農民生活と基本的にかかわりあうため」、「実施される政策と農村の実態とは、様々な矛盾を生み出し政府と人民との大綱関係として拡大される」として、明治6年7月の「地租改正条令の公布を経て耕宅地の改正の最盛となる9年頃に、改正のもつさまざまな矛盾が、全国各地で爆発する」中で、「蓆旗、竹槍の途による反対運動としてではなく、合法的な公選議会の活動を通じて政府に政策修正を要求する途を選んだ」浜松県に着目しています。
 そして、県民会の成立過程として、「県下に盛んであった地租改正、民会論が、政府の強硬方針の前に沈黙し、にもかかわらず、現実の改正が政府の思惑に相違したとき、『菓子ヲ与ヘテ力ヲ奪』うものとして、民会解説による収穫米改正審議の実現可能性が与えられることになった」ことが開設されています。著者は、浜松県の地租改正と民会の成立について、「直接的には地租改正が民会を生み出しており、見様法を中核とする地租上納法の審議が民会の中心となった限り、民会は政府財政の基盤形成に対する地方的要求の反映を期待して努力されていた」と述べています。
 終章「自由民権運動と地方自治論」では、民権運動高揚期に、政府の日本国憲按のほか、民間でも相次いで私擬憲法草案が作成され、このうち地方自治の規定に関しては、
(1)元老院、西周案等の政府系(開明派)所案:府県会・町村会を憲法上の要件としながら三新法の延長上にとらえ、「行政上ノ方法ヲ議定スルノミ」に留めようとする。
(2)筑前共愛会、京都府民融資、兵庫国憲法講習会、千葉卓三等の国会期成同盟系の諸案:憲法上に自治的保障を得ようとし、府県自治を中核に地方自治を立憲制の基礎に据えようとした。
(3)立志社、植木枝盛、村松愛蔵等の立志社系民権左派の諸案:府知事県令公選制、府県会による府知事県令の任免、行政職務の諮問等をはじめとする府県会への大幅な権限付与が、郡区町村吏の人民任免制などとともに規定される。
(4)共存同衆・交詢社・嚶鳴社・山陽新報等の、のちの改新党系に属する所案:当時最も地方自治の理論を身につけていたグループであるが、地方自治に関する規定が欠け、最も関心が薄かったかに見える。
の4つに大別できることが述べられています。
 「結論」では、本書の検討結果として、
(1)研究史との関連において、地方民間は天皇制国家の創出、資本制生産の移植と助長のための諸機構の創出の中に位置づけながら、「民意調達」と「民意伸張」相矛盾する二様の場として設定されている。
(2)ブルジョア的政治勢力の形成史との関連において、従来の藩議院や自由党史的理解に対し、幕末以来の農民層の政治的成長の中で解明した。
(3)これら3路線を民会形成の3つの要請としてのみではなく、幕末維新期の農民層分解を基盤とする地代、土地所有の形成過程として理解した。
(4)地租改正のもつ意味を、改組の本質=地価算定の中に民会化の契機を見ている。
(5)地方自治形成史として農民利害の対立の少ない、農民的土地所有形成の農民分解の初期段階を設定し、そのうえに地方民会を理解した。
の5点に要約しています。
 本書は、日本における地方自治がどのように形成されてきたかを見る上で重要な契機となった地租改正との関係を明らかにした一冊です。


■ 個人的な視点から

 統一地方選挙目前ですが、現代に生きるわれわれにとってはあって当たり前、ということで関心も薄れがちな地方議会、とくに都道府県議会が、地租改正とそれに対する反対運動という大きな流れの中でその芽が育まれたものであることを知ると、見方も変わってくるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・都道府県議会があって当たり前だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日
 岡田 彰 『現代日本官僚制の成立―戦後占領期における行政制度の再編成』 2007年02月26日
 石見 豊 『戦後日本の地方分権―その論議を中心に』 2007年02月09日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 落合 弘樹 『秩禄処分―明治維新と武士のリストラ』 2005年05月19日


■ 百夜百マンガ

キャプテンキッド【キャプテンキッド 】

 海賊モノっていっても時代考証とかあまりこだわってなさそうな感じがアバウトで良いです。絵には好き嫌いが分かれそうです。

2007年3月25日 (日)

情報時代の見えないヒーロー[ノーバート・ウィーナー伝]

■ 書籍情報

情報時代の見えないヒーロー[ノーバート・ウィーナー伝]   【情報時代の見えないヒーロー[ノーバート・ウィーナー伝]】(#794)

  フロー・コンウェイ, ジム・シーゲルマン (著), 松浦 俊輔 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  日経BP社(2006/12/14)

 本書は、「20世紀最高の頭脳の一人であり、世界的な天才にしてい予見的な思想家となった神童であり、神話の域に達する奇行で知られる浮世離れした学者であり、アメリカのハイテクが最初に栄えた時期には、一般にも名が知られたベストセラーの著述家でもあった」にもかかわらず、「情報時代の割れ目に落ちてしまった見えない(ダーク)ヒーロー」であるノーバート・ウィーナーの「話であり、その人の人類のための闘いに関する、伝説ともなっている物語」です。ウィーナーは戦時中に予見したことは、「工学、生物学、社会科学の最先端を股にかける、通信(コミュニケーション)、計算(コンチューテーション)、制御(コントロール)からなる、新たな学際的な科学」は、コンピュータの先駆者(ノイマン)、情報理論(シャノン)、人類学者(ミードとベイトソン)ら、科学者の死と集団をひきつけ、ウィーナーはこの新しい科学に「サイバネティックス」という案をつけています。
 著者は、「ウィーナーの革命的な貢献」が「ほとんど忘れられている」理由が、「これまでよくわからなかった」として、本書を、「情報時代の歴史の捨てられた部分にさかのぼ」り、「「ウィーナーの人生と業績の年賦を、その早熟な幼少期から、サイバネティックス革命の幕開けや、それに続く情報時代の爆発の第一波のところまで迫っていく」ものとしています。
 そして、ウィーナーを、「古代文化の闇の側にあったヒーローや、現代文化のアンチヒーローと同様、観衆や社会の表面的な掟はバカにして、もっと奥の目的ともっと高度な真実を求めた。周囲の宇宙に対する影響からその存在を推定することしかできない見えない物質(ダークマター)のように、ウィーナーの科学と思想は、われわれの世界のあらゆる方面で、今も影響を及ぼしている」と評しています。
 第1章「世界で最も際立つ少年」では、11歳の時に、「正規の学校教育は3年半受けただけで、」タフツ大学に入学し、1906年10月7日の『ニューヨーク・ワールド・マガジン』紙のトップを熱狂的な記事で飾った「世界で最も際立つ少年」を紹介し、ノーバートが父の「計算された強制」によって、容赦なく、「ばか」、「間抜け」、「どじ」、「ぐず」と、「英語、ドイツ語など自分がペラペラの40か国語で罵倒」され、毎日の猛勉強によって、8歳の時には近視がひどくなり、かかりつけの医者から、「このままでは視力がまったくなくなってしまうのではないか」と半年間、本を読むのを禁止されたエピソードが紹介されています。そして14歳でハーヴァードの大学院に入学し、1913年にはハーヴァードの歴史で最年少の博士となっていますが、家族からのあだ名「できそこない(ナビンズ)」が、「名詞 1 とうもろこしの小さくて不完全な粒 2 発育不全、つまり発達の具合が不完全なもの」という意味であることが述べられています。
 第2章「若きウィーナー」では、ウィーナーが卒業生奨学金を得て、マサチューセッツ州ケンブリッジからイギリスのケンブリッジのトリニティ・カレッジに渡り、英米世界では最高の哲学者バートランド・ラッセルに師事したことが述べられています。そして、「ラッセルの雷は、ウィーナー青年のぐらつきやすい自信の息の根を止めたが、以前に経験してくぐりぬけていた試練があるおかげで、ラッセルの新人いじめ」は、「反抗」という新しい反応のきっかけになったと述べられています。そして、ウィーナーが、「ケンブリッジで出会った、見たこともない精神と人格の自由」を喜び、「ケンブリッジでは、奇抜さは高く評価され、それがない人は、それらしく見せるために、それを装わなければならなかった」と語り、後に自分自身の奇抜さが世界的に評判になったときには、「長年のイギリスの友人たちのせい」にしています。
 また、1914年の春には、ゲッティンゲン大学を訪れ、ドイツ数学に冠たる人物であるヒルベルトから微分方程式を習い、この人こそ「実に万能の数学の天才」だと讃えています。そして、このゲッティンゲン大学の数学世界での勉強が、「ウィーナーの心を橋の向こうへ連れて行」き、他の研究生たちとの、「活気のある議論を楽しみ、持論も得て、またそのやりとりのおかげで、社交的な技能が大きく向上するのにも役立った」と述べています。
 第3章「神童と教授夫人」では、1926年3月に14歳の時にドイツからアメリカに渡ってきたマルグリット(アメリカではマーガレット)・エンゲマンと結婚しますが、ゲッティンゲンで、「ドイツの大学を覆いつつあった成長中のナチズム」とぶつかり、また、新任数学科長のクーラントからも面罵されたことによって、「ウィーナーの高揚した気分は吹き飛び、神経衰弱寸前に追い込まれた」ことが述べられています。ウィーナーは、「どん底の精神状態にある神経症の夫という問題を抱えることは、マーガレットには快い経験ではなかった」と語り、マーガレットは、「自分が思い描いていた心踊る教授夫人(フラウ・プロフェソール)から根本的に方向が変わった役割」、すなわち、「落ち込みやすい夫が国際的な科学者のスターの仲間入りする道を加速するなか、その世話をし、守る役になることを誓った」ことが述べられています。
 第4章「弱電流、光計算機」では、ウィーナーが、「統計学的な手法」によって、「通信技術の試み全体に対して、根本から新しい方式」を立てはじめ、その新しい視点が、「まぎれもなく、幼い頃の、『実は人間の知識は全て近似のみに基づく』という明瞭な結論を伴う、『無知の理論』が開花したもの」であり、「他の傑出した科学者と数学者が、ほんの何年かの間に次々と出してきた、世界を揺るがす『不確定性』原理、『不完全』定理、確率論を反映し、それを最も一般的な科学と数学の言葉でまとめなおしたもの」であったことが述べられています。
 また、1928年には最初の子が産まれ、この子に、「三段論法の第1格第1(AAA)式」からとり、「自分が子供の頃に習った、演繹的推論の古典的規則に、言葉を割り当てて覚える中世の暗記法」において、「最初の暗記項目のバーバラBarbaraには3つのaがありこれは『純粋全称』という初歩的な三段論法を構成する3つの肯定文による命題の符丁となる」ことが述べられ、「ウィーナーの頭では、新しく生まれた女の子は、自分の最初の子であるだけでなく、論証の最高の形態――純粋全称――でもあった」ことが述べられています。
 第5章「ウィーナーの徘徊」では、ウィーナーがMITの迷路の中を、「いつもの葉巻を振り回し、鼻を上げた蔵のように頭を後ろへそらし、ある記録によれば『ピーナッツを空中に放り上げては口で受け止め』ながら、大学の間道や獣道を歩き回るという日々の風景(スペクタクル)に、大学全体が慣れていた」ことについて、テックの住民の間では、「ウィーナーヴェーク」と呼ばれ、「MITでは、ウィーなおは老化という廊下を歩き回り、出会った人を、同僚でも、時には学生でも、誰でも引き止めて長話をして、自分の最新のアイデアについて聞かせていました。私もよく引き止められました。時にはまったく無意味なことを滔々と話すこともあったし、ほとんど預言者のように見えることもありました」という友人であるストロイクの言葉を紹介しています。
 また、ウィーナーの徘徊話で一番有名なものとしては、「MITから帰宅するとき、ウィーナーは考え事に夢中になって、立ち止まって子供に道を尋ねたが、それが自分の娘だということに気づかなかった」ことを取り上げ、この話が、「半分だけしか本島ではない」として、ウィーナーが二世帯住宅から新居に引っ越した後、古い習慣で元の家に帰ってしまったことが真実であり、娘のペギーの、「父は考えごとをしていなくても、元の家に帰ったことはありえます。母が姉か私のどちらかに、父を探しに生かせたこともありえます。でも、子供が分からなかったなんてことは、ぜったいありえません」という証言を紹介しています。
 第6章「ひとつの科学の誕生」では、20年間偏微分方程式を解いて過ごして来たウィーナーが新しい射撃制御理論に、「定常時系列の外挿、補間、平滑化」というタイトルを付け、この資料が、機密扱いとなり、「真黄色の表紙をつけて綴じ、戦時科学者・技術者の中の選ばれた人たちに、機密保持を念押しして」見せられ、「黄禍(イエローペリル)」と呼ばれるようになったことを取り上げ、この内容が、対空砲火制御の細かい点をはるかに越えた画期的な成果であり、「どんな分野の技術者にとっても必須の概念である、『制御(コントロール)』という概念全体を、電子時代のための新しい科学の言葉で立て直していた」ものであることが述べられています。ウィーナーは、「メッセージの通信(コミュニケーション)が、『人間が意図して考えを伝えようとする』ことに限らないという、重大な発想の転換」をし、全ての通信動作は、「電気的に行われようと、機械的に行われようと、はたまた他の手段で行われようと、計算機が行う動作と本質的には変わらない」と宣言し、「通信という分野すべてが基本的に一つ」であると断言した上で、「『情報を伝える』ために用いられる装置すべてに共通の、とらえどころのない量と、どんなメッセージでも、そこに含まれる情報の『有効性』を測る正確な手段」を記述し、「『特定のメッセージ』が、より大きな『量・あるいは確率によるありうるメッセージ』――その量が後に、『ビット』と呼ばれることになる――からでてくる数学的可能性」と述べ、「そのときから後、あらゆる分野の通信技術者の仕事を導くことになる原理、『このような情報は一般に統計学的な性格のものに属する』という原理」を提示しています。
 また、1924年にウィーナーが、「標的の飛行機について、10秒から20秒にわたって観測された位置を電気信号の列に移し替え、未来のしかじかの時点で飛行機がどこに来るかをウィーナーの統計的処理が予測する場所の空間内での位置を計算する」ウィーナー=ビゲロー式プレディクターを開発し、この過程で、「ビゲローからフィードバックに関すること」を知り、すぐに、「回路理論、サーボ機構設計、電子計算機という生まれたばかりの分野にとって、フィードバックが重要だということを把握」し、「ウィーナーにとって、フィードバックの発見は、火の発見にも匹敵した」と述べられています。
 第7章「循環する因果の騎士たち」では、メイシー財団の後援を得た、「守らなければならない秘密は守れたが、いいアイデアを自分ひとりにとどめておくことはできなかった」ウィーナーが、「心理学と脳科学の交わるところで、その当時の時事的な問題を討議する」という名目で、20数人の著名人を集めた会議を開催し、「通信と自動制御の問題に関する研究」で、「自然界でも人間界でも見られる整った過程の新領域を特定」したと発表し、「この新しいコミュニケーションの過程は、科学的方法のそもそもの初めからそれを動かしてきた、従来の直線状に連なる因果関係の論理では支配されていない」もので、「循環因果性」という論理的原理に支配されたものであることを語り合ったこととが述べられています。そして、この「因果循環性の最初の騎士たち」が、「最も大きな目的を持つ、共通の大義」、すなわち、「人間の人間らしい特徴――内側ととそ側の表現すべてにある、人間の知性の原理――を見つけてとらえ、それに論理的駆るちんけ医学的に、理論と実験で根拠を与え、それによって、20世紀にはびこる科学的還元主義の力に対する対案を出すこと」で結ばれ、後に、「サイバネティックス・グループ」と呼ばれるようになり、「科学思想における新たな対抗勢力の前衛」となったことが述べられています。
 また、ウィーナーが独自に採用した「子供たち(ボーイズ)」――ピッツ、レットヴィン、セルフリッジ――や、同じく元神童であるフォン・ノイマン、IBMとの取引で不満を覚えたハーヴァードのエイケンらとの交流が語られています。
 著者は、ウィーナーらが、「共通の専門的な野心に加え、ウィーナーとその仲間が引き受けた英雄的な難関への取り組みは、西洋の科学を何世紀もの間しっかりとらえていた間言論の砦を突破し、ウィーナーの新しい論理とコミュニケーション概念を、新たな理解の梃子と建材として使って、人間の知能という謎を解明するという、大胆な科学的使命」を持ち、その一団が、「推論と計算という、頭の高度な力の最初の謎を解いていて、その革命は、物理学、生物学、人間学、さらに哲学の最先端と、横断的に進むことになる」と述べています。
 第8章「メイシーで朝食を」では、1946年3月から開催されたジョサイア・メイシー・ジュニア財団の戦後初の会議が、「あらゆる分野を収めるため、しかも簡潔な名称がないため、この会議は、苦し紛れの『生物学と社会学におけるフィードバック機構と循環因果系会議』という名称になった」ことが述べられています。会議では、フォン・ノイマンが、「計算できる数なら何でも計算し、論理的問題なら何でもとける」プログラム内臓方式の説明をしたことや、「出席者全員が噛み付けるような話題とは、神経生理学者と心理学者にとって第一の問題、人類学者にとっては幅広い文化的意味がある争点、数学者や技術者にとってもやりがいのある課題」が、「『普遍的』な計算機は形――知覚――を、論点だけ使って計算できるだろうか」という問題であったことなどが述べられています。
 また、ウィーナーが、「コミュニケーション理論の中核となる要素」を、「メッセージが情報を伝えるには、そのメッセージは、ありうるメッセージの中から選ばれたものでなければならない」という単純な定義を述べ、「その情報を伝えるメッセージという進展途上の概念を、確率論や統計力学の基本概念と結びつけ」た上で、「情報に関する歴史的な特徴」、すなわち、
「この概念は、エントロピーともかかわる。」
を挙げ、「この、今日普遍的に考えられているように情報を記述した、記録に残る最初の発言で、ウィーナーは情報を、エントロピー、つまりメッセージのランダムさを表す関数として、物理学的な言葉で定義」し、「ここでエントロピーは、メッセージに含まれる情報量の否定(ネガティヴ)として現れるものであります。……つまり、基本的に言えば、情報量は、エントロピーの否定〔負のエントロピー〕だということであります」と語り、このウィーナーの情報に関する新しい物理的なとらえ方が、通信工学にとって「革命的な一手」であったと述べています。
 さらに、「情報の尺度として二進法を取り入れ」ると言う重要な結びツケを行い、情報を測るときには、
「桁数は、2を底とする対数になるのであります」
と断言したことが述べられています。
 著者は、フォン・ノイマンが、「現代で最も重要な物理学の原理――熱力学の第2法則にまつられたエントロピーというランダムさの尺度――を、情報のような、とりとめのない、ランダムでない、人間の真髄のようなものとをつなげるウィーナーの方程式に衝撃を受け」、「メッセージという新しいものや、ほかならぬ情報に応対する能力が、ただの統計学な確率や、それを言うなら純然たるカオスから導かれるというのは、フォン・ノイマンの論理的な頭にとっては、手に余るように」見え、「そのつながりをつけたのが自分ではなく、ウィーナーだったことに嫉妬もした」ことを、「エントロピーと情報とのつながりを、ウィーナーがそれを中心に据える前から認識していて……そのつながりを調べて、フォン・ノイマンが見逃していた重要性を十分に評価したという功績がウィーナーの手に落ちたことに、いらだっていた」だけでなく、「フォン・ノイマンはウィーナーの頭脳をきちんととたたえていて、自分よりも上ではないかと思っていた」と述べています。
 また、このメイシー会議について、人類学者であるマーガレット・ミードの、「進化する集団で一番目立つ特徴は、そこに少なくとも一人、他に代えがたい人物、この人がいなければ、その集団の性格がまったく別になるだろうというような、特殊な想像力や思考の才能を持った人がいるということ」というとらえ方を紹介し、集まった人々にとって、「ウィーナーこそが、『他に代えがたい人物』だった。ウィーナーは、集まった人々に、コミュニケーション概念と原理の新しい世界を開き、疑問の余地なく、メイシー会議はウィーナーにとっていいことづくめだった。自分の新しいコミュニケーション科学の社会的次元に関する意識を大きく広げ、早い段階で、すでに流れ出しつつあった新しいテクノロジーの人間的な帰結に関して警鐘を鳴らしていた」と述べています。
 第9章「ビッグバン――『サイバネティックス』」では、1948年10月22日、フランスとアメリカで同時に発売された『サイバネティックス――動物と機械における制御と通信』について、「本の題をどうするか、この分野を表す名をどうするか」が悩みの種であり、「考えついた言葉は、舵手を表すギリシア語、キュベルネテス(cybernetes)であった。求めている言葉は英語で使わなければならないので、ギリシア語の英語式の発音を利用しなければならず、そこでサイバネティックス(cybernetics)という名を思いついた」ことが述べられています。
 ウィーナーは、「サイバネティックスの新しい用語と概念を披露」し、「メッセージという根本概念」は、「電気的、機械的、神経的手段で伝えられる」メッセージをも含み、「情報という、糸口になる概念」は、「情報量の統計的理論で、この理論にあっては、単位量の情報とは、確率が等しい選択肢との間での一回の判断として伝えられる情報となる」と細かく定められていることなどが述べられています。
 そして、「強烈な見出し、自信に満ちた文章、哲学的な反省をまぶしていた。その科学は革命的で、その声は挑むようで、論争になるのは必死だった。この本には、後から見れば預言的だったと分かるが、その当時としては反発を買いそうな発言が散りばめられていた」と述べられています。
 また、『サイバネティックス』は、「連合軍の戦時中の技術の勝利で、新しく科学と技術に関する話になじみ、戦後の発明の新しい収穫の実を刈り取ろうという集団が起こした新しい波」をとらえたことが述べられています。
 ウィーナーは、『サイバネティックス』の成功によって、「ただの頭のいい数学者という立場から、承認済みの天才にして、アメリカという舞台と、国際的な科学という高みにある領域での上昇中のスターという新しい地域に出世」したと述べられています。
 さらに、サイバネティックスと一体になって、工学の世界の上で「爆弾のような力で爆発」したシャノンの数理的な通信の理論について、「どちらも情報の二つの相補的な概念を、戦後世界にもたらした功績があるといえるし、実際そういう評価を受けている」と述べ、また、フォン・ノイマンが、「自分の自動機械の理論の多くのアイデアを、ウィーナーの研究から取り込」み、「循環フィードバックのシステムの論理的な性質を分析し、ウィーナーのアナログ的な情報の見方の影響を受けて、『連続的なものとほとんど接触がない』、厳密にデジタルの計算機理論の『重大な弱点』を強調」し、それを自分でつかめなかったことを嘆いたことに言及しています。
 著者は、ウィーナーの新しい科学が、「自動機械と電子テクノロジーの生産と設計のために、物理学、生命科学、社会科学の理論と研究のために――そして、毎日、新しいテクノロジーの時代の脅威の生き方を苦労して把握し、習熟しようとしている人びとのために」、「驚くべき速さで、新しい概念的などだいと実験的な基礎を提供」したと述べています。
 第10章「ウィーナーの徘徊、その2」では、『サイバネティックス』を書いたことが、「ただでさえ負担がかかっていたウィーナーの目にとっては、最後の一撃」となり、白内障を取り除く手術を受け、家族や秘書に本を読み上げてもらい、手紙は口述筆記で書いていたことが述べられています。
 また、「ますます、夫と子どもに対して違和感を深め」ていったマーガレットが、「ウィーナーが新しく得た地位を誇りに思い、自分自身も満足」し、「それを、自分が払った犠牲の一部を埋め合わせるものとして受け入れた」ことが述べられています。そして、「ウィーナーは欝のときの方が、高揚しているときよりも、家庭的には扱いやすく、社会的に受け入れやすく、自分の立派な男のイメージにもあっているという結論」を出し、「意識してかどうか、自分がそうだと思うウィーナーの利益にかなう前提に則って動いていた」と述べています。
 さらに、ウィーナーが、長年の夢であった、「自身の新しい科学の技術面と生物学の面の両方を研究する学際的なセンターを、他ならぬMITに作る」という構想を口にするようになったにもかかわらず、「ウィーナー=マカロック同盟は、情報時代の初期の騒々しい悲劇的な出来事の一つの中で破裂した」として、1951年末にウィーナーが「突然マカロックと絶縁し、広がった研究グループの才能ある若手メンバーとの関係を絶った」出来事について、「派手な亀裂は修復不可能な不和となり、そればウィーナーの科学革命と、生まれたばかりの情報時代の流れを変えることになる」と述べ、「明らかになってきた真実は、誰もが遠く思いもよらなかった出来事の構図を描いた」と述べています。
 それは、マーガレットが、「ウィーナーの生活と職業に支配的な地位を確保したい」という欲求で、「自分が夫の一番近い仲間で第一の助言者として、邪魔されずに動ける水準にとどめておく必要」があるため、「長女がシカゴのマカロック家にいたとき、マカロックのところの若者――ウィーナーの弟子たち――が、長女を誘惑した」という告発をし、これを聞いたウィーナーは、「マカロックの研究の本拠で、自分の『純粋全称』をけがす弟子たちを考えて、気持ちも動揺」し、翌朝、「キリアン学長に、RLEのマカロックとそのチームと公式に関係を絶つという長い手紙を書いた」ことが述べられています。それは、「ある重要な細かい一点を除いて、効果的な暴露」であり、その一点とは、「そもそもの話がでっち上げだった」もので、慎み深い1950年代当時、ウィーナーが娘の恥になると思われることを誰かに明かすことはない、というマーガレットの計画は「完璧にうまくいった」と述べられています。
 著者は、「分裂により、ウィーナーらが個人的にどの程度の代償を払うことになったか、サイバネティックスの理論と実践にどれだけの被害があったか、この分裂がなかったらどういうことになっていたか、誰にもはっきりとは言えな」いとしながらも、「分裂がなかったら、たぶん、神経科学を何十年かにわたって支配していた脳モデル、脳の機能と組織の全か無かによる神経ネットワーク理論は、とっくに修正され、ウィーナーが生涯気にしていた、いまわしいアナログ処理を含むようになっていたかもしれない」、電子計算機の領域という一つの技術的先端領域では、「フォン・ノイマン自身が求めていた、もっと真相に近い、もっと生物に似た計算方法を組み込むよう改良されたかもしれない」と述べています。
 著者は、サイバネティックスの前進は、ウィーナーの仲間たちの行動ではなく、「マーガレット・ウィーナーの行いによってその本拠地で停止させられた」と述べています。
 第12章「ある科学者の反乱」では、1946年末にウィーナーが、ボーイング社の研究員から「黄禍」論文の写しを求められた手紙を受け取り、それに対するそっけない返事をボストンの『アトランティック・マンスリー』誌に送り、全文掲載されたエピソードを紹介し、ウィーナーが、「新しい通信と制御のテクノロジーに関する科学者としては、紛れもなく国防にかかわる研究をしている政府やその代理機関に協力することを、公然と拒否した最初の人物となった」と述べています。そして、ウィーナーが、自分の誓いを更新・強化し、
「鑑みるに、将校であれ、大企業に雇われている科学者であれ、誰であれ、私が得た成果が科学と人類の最善の利益のために使われるのではないとなれば、私がその成果を引き渡す理由があるとはやはり思えない」
と宣言しています。
 また、ウィーナーは、「自分が科学者として立っている立場すべてに反するフォン・ノイマンの攻撃的な活動に対して、個人的に批判したことはなかったが、フォン・ノイマンの理論に異論を挟まずにすませることもできなかった」として、「フォン・ノイマンがプレイヤーを完全に知的で、完全に情け容赦ない人間と描くのは、抽象的で、歪めている」と書き、「ゲームをするときの技巧的な形態は、『押し売り』や軍の戦略家には影響力があり、『高度なビジネスの世界、あるいは政治、外交、戦争という密接に関連した世界には、残念ながら成り立つ構図』を提供することを認める」ものの、「入り組んだサイバネティックスの軽の動き方」の理解では、「フォン・ノイマンの冷ややかなゲームとしての取り扱いが堕落で、結局は無益であることは明らかだった」と述べています。この考えには、「フォン・ノイマンの最大のファン」であった、「がむしゃらな若い数学の天才、ジョン・フォーブス・ナッシュ」も同調し、「『協調ゲーム』と、混合戦略の概念という代替案」を考え、これが、「サイバネティックスのように『論理的循環』で進み、プレイヤー全員にとって結果を最適にする平衡点に向かって進行する」ものであることが述べられています。
 第13章「政府の反応」では、ウィーナーの反乱が、「政府の先頭に立つ人びとを震撼」させ、「アメリカ中の科学者の間にもっと広く反乱をもたらし、それが拡散しかねないという心配」が、「政府の関係者と機関をすべて、共通の目的のもとに結集させた」ことが述べられています。
 しかし、FBIは、「ウィーナーが共産主義者だとか、ウィーナーが政府に対して非合法な行動に加担したという証拠」を得ることはできず、「ウィーナーが『きわめて変わっている』、『政治的に素朴』、『とことんエゴイスト』、『いかれている』」といった率直な描写を伝えられたことが述べられています。
 著者は、この「魔女狩り」によって、「最大の損害を受けたのはアメリカの科学そのものだろう。戦後間もない時期、基礎研究の資金はほとんど政府と軍が独占していたことに元気づいて、魔女狩りは科学の頭脳と下部構造全体に激しく襲いかかった」と述べています。そして、ウィーナーが、「危険すぎて無視しないわけにはいかず、とくに今度は、危険すぎて手が出せなかった」と述べています。
 第14章「ウィーナーの徘徊、その3」では、ウィーナーが、マカロックと弟子たちとの断絶の後、「明らかに気力も衰えた」ため、「職業上の生産性も急降下」し、そのかわり、回想録に逃避しタコとが述べられています。そして、メイシー会議にも1950年の第7回を最後に離脱し、「かつての哲学的な熱気の大半は消え」、フォン・ノイマンは出てこなくなり、1953年5月の最終回の会議で、マカロックが、「われわれの集まりは、ノーバート・ウィーナーと、その数学、通信工学、生理学の友人が、その天才で統括してくれたからこそ始まりました。われわれ全員を代表して、ウィーナーがまだここにいてくれたらと思います」と、悼むように謝辞を述べたことが語られています。
 またウィーナーは、1950年代に工学科の博士課程にいた若い電気工学者であるアマール・ボーズと出会い、親交を深めたことが述べられています。ボーズは、ウィーナーの徘徊を、「ウィーナーが学問の領域を超えて知識を自由に交換することを信頼していたことの象徴で、ウィーナーはそれを、自分の散歩コースで一番役に立つ見識を求めて歩き回りながら、根気よく行っていた」と述べています。また、ウィーナーが自分の周囲に分け与えた力を、「垣根の向こうの道を見る」能力(ウィーナーの言い回し)であったとして、「ウィーナーが、可能なことを創造し、自分の数学や、自分のアイデアの意味を、まっすぐに研究や技術屋、遠い将来の社会への影響につなげてみる能力」を表していると述べています。
 さらに、1950年代にウィーナーが、「自分が十年前に予測していた神経化学的現実を間近で見た」として、ジョン・ナッシュが、「誇大妄想と変質妄想に襲われ、意に反して、急性の分裂病の治療のために、ボストンのマクリーン病院に入れられた」ことが述べられています。
 そして、ボーズが要約した、「ウィーナーの得意な精神と、その彷徨する天才を動かす力の秘密」として、「先生、先生は数学や科学に信じられないような貢献をしてこられましたが、どうしてそんなことができたんですか」という問いに対して、「飽くなき好奇心」と答えたことが述べられています。
 第15章「象の子への賛辞――ノーバート・ウィーナーの飽くなき魂」では、ウィーナーの関心の焦点が、1950年代に「根本から変動」し、インド政府から、「自動式工場の体制化で急速に産業の成長」を遂げるために「科学者や民間の指導者たちの目を開いてほしい」と招きを受け、「世界大戦のあと、西洋は知的にも道徳的にも衰弱を示しつつあり、それを補うためには、もっともっと東洋を必要としている」と、強く信じていたことが述べられています。
 ウィーナーは、「この国が向かうべき目標」を、「『熟練技術者の集団』――あるいは、ウィーナーの言い方では、『科学技術の下士官層』を育て、まったく新しい種類のテクノロジー社会を創造することだ」と説き、ウィーナーの訪問後、「インドは全国的な工科大学網を設立し、新世代の科学者・技術者を訓練する仕事にかかり、アメリカなどの国々にその訓練を終えた人々を輸出するようになり、そうした国々で、この人々は世界でも最も聡明で、最も求められる技術労働者と見られるようになった。インド人は、アメリカのコンピュータと通信産業の発達の中で畏るべき力となり、カリフォルニアのシリコンバレーでは、外国人労働者の中でも重きをなす集団となった」ことが述べられています。
 また、ウィーナーが自分の氏名を見直し、「自分の中の哲学者が大きくなり、歴史という望遠鏡越しに、新しいテクノロジー社会を検討し、新しい倫理的ジレンマや、その人間にかかわる影響」を考えたことが述べられ、ウィーナーがヨーロッパから「中世のゴーレム譚で、元は生命のない泥人形に、プラハの博士(ラビ)が、超自然の呪文で生命を吹き込んだ。伝説では、西暦6世紀、巨人ゴーレムは、プラハのユダヤ人を略奪団の殺戮から救ったが、後には手に負えなくなり、プラハの善良な人々を殺し始め、きちんとしたラビが、怪物を泥に戻す秘密の言葉を唱えるまで続いた」という伝説を紹介したことが述べられています。
 第16章「幼年期の終わり」では、マカロックとの絶縁から10年経ち、和解の相談をウィーナーから受けたバーバラが、「古傷が開いて、また非難と個人攻撃が続くことになり、『また私がいけにえになるんじゃないか』と恐れた」ためにその申し出を拒絶したことが述べられています。
 また、アメリカの軍部がAI(人工知能)を取り入れ、ソ連がサイバネティックスを取り入れたことが、「このイデオロギー的に負荷のかかった時期、アメリカのサイバネティックスにとっては暗雲となった」ことが解説されています。
 そして、1964年3月18日、ストックホルムを訪れていたウィーナーは、スウェーデン技術研究所の長い階段を登っているうちに、「息は苦しくなり、鼓動も速くなっていった。そして突然、ウィーナーは動けなくなり、倒れ、意識を失った。階段で心停止を起こし、呼吸も停まった」ことが述べられています。
 著者は、サイバネティックスが、2つの分野の間の研究獲得競争と縄張り争いには敗れたが、「新しいテクノロジーの時代のもっと広い領域での信条や精神のための闘いには勝った」と述べています。
 エピローグ「未来――グローバル社会を生きる」では、「ウィーナーの初期の技術に関する構想の多くは、21世紀の今でも最先端にある」として、光コンピュータや電子回路を用いた脳の神経ネットワークモデル、神経科学の分野における脳の複合的なアナログ情報処理等を取り上げています。
 そして、サイバネティックスの概念の道具が、「人びとがもっと効果的に、生産的に考え、想像し、改革するのを助け、さらにはたぶんウィーナーがその最も才能ある弟子たちを引上げた、ウィーナー本人と同じく『垣根の向こうを』見て、どんな作用でもその最終結果まで見通すことができるすいじゅんでかンが得るのを助けることができる」と述べ、「ウィーナーの遺産と人間の進歩という今なお進行中の物語の節目で、人間全般、とくにアメリカ人が、自らの社会を改善し、同時に人類の利益を自分の利益にしようと決意すれば、時代の激流と、すぐそこまで来ている新しい技術の世界を生き延びて、より安全で健全で、もっと反映した地球社会をもたらすことができるだろう」と述べています。
 本書は、現代の技術社会の基礎を築き上げることに貢献した「見えない」巨人の功績を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 私たちが普段何気なく使っていて、今では全国の警察本部に「サイバー犯罪相談窓口」なるものができるほどにまでなっている「サイバー」という言葉ですが、Wikipediaによれば、
「サイバースペース(Cyber-space)はSF作家のウィリアム・ギブスンが自著『ニューロマンサー』や『クローム襲撃』の中で使用したサイバネティックス(cybernetics)と空間(space)の合成語。」
となっており、ウィーナーの預言をベースにしていることが分かります。
 つまり、ウィーナーがいなければ、『マトリクス』も作られなかったし、チバ・シティの「トロン岬」がパール兄弟によって歌われることもなかったということです。それなら、ウィーナーを「千葉に縁のある文化人」にできないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・20世紀最高の知能を持った「象の子」に会いたい人。


■ 関連しそうな本

 ハワード ラインゴールド (著), 青木 真美, 栗田 昭平 (翻訳) 『思考のための道具―異端の天才たちはコンピュータに何を求めたか?』 2006年01月07日
 スティーヴン・ストロガッツ (著), 蔵本由紀, 長尾力 (翻訳) 『SYNC』 2006年04月10日
 トール ノーレットランダーシュ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』 2006年06月18日
 ウィリアム パウンドストーン 『囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論』 2006年09月11日
 ノーマン マクレイ 『フォン・ノイマンの生涯』 2006年11月21日
 シルヴィア ナサー (著), 塩川 優 (翻訳) 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』 2006年11月20日


■ 百夜百音

麻倉未稀ベスト【麻倉未稀ベスト】 麻倉未稀 オリジナル盤発売: 2003

 大映といえばガメラというのは世代が古いのか、大映といえばドラマな人が多いようです。大魔神でもなく。
 くさい芝居に笑うという人もいますが、テレビドラマなんてもともとそんなものだと思って見ると他のドラマも大差ない気がしてきます。


『大映テレビ主題歌~TBS編~』大映テレビ主題歌~TBS編~

2007年3月24日 (土)

言葉のない世界に生きた男

■ 書籍情報

言葉のない世界に生きた男   【言葉のない世界に生きた男】(#793)

  スーザン シャラー
  価格: ¥2447 (税込)
  晶文社(1993/07)

 本書は、序文を書いているオリバー・サックスによれば、「言葉を知らない青年イルデフォンソの人となりの美しい、細やかな研究であり、彼と何とか接触して言語の世界の扉を彼のために開こうと心をくだくシャラーの忍耐強い、献身的な努力を伝える、斬新な思いつきに満ちみちた記録」です。
 著者は、聾者のための通訳者として働いたロサンジェルスのコミュニティー・カレッジで、耳が不自由で、言葉という概念そのものを知らない青年、イルデフォンソに出会います。田舎育ちで教育を受ける機会を持たず、手話もまったく知らないイルデフォンソは、27歳になるまで言葉のない世界を生きてきました。著者は、イルデフォンソの27年間を、「牢獄の囚人だって、彼ほど孤独ではなかったろう。彼の監房の窓は開いていたはずだ。彼は世界のあらゆるものを経験することができた。すなわち、匂いをかぎ、味わい、眺めることができた。それなのに精神的にはまったくの孤立状態がつづいていたのだ」と述べています。
 著者は、イルデフォンソに言葉を教えようと、マイムやサイン、黒板に書いたC-A-Tという文字を行ったりきたりしながらネコの名前と絵やしぐさとを繰り返し結び付けます。そしてついにイルデフォンソは、「ヘレン・ケラーがかつてあの井戸端で手のひらにほとばしる冷たい水の感触にはっとして、それを師のアン・サリバンがもう一方の手のひらに綴ったW-A-T-E-Rという単語と結び付けたそのときに瞬時にして飛び越えたのと同じ川」を、飛び越えることに成功します。この天啓に触れたイルデフォンソは、周りのものを次々と、「生まれてはじめて見るかのようにしげしげと眺め」、テーブルや本をたたいては著者に名前を求めます。イルデフォンソは唐突に、「さっと顔を曇らせたと思うと、テーブルの上にいきなりつっぷしてさめざめと泣いた」と記されています。「イルデフォンソは人間の住む宇宙にはじめて足を踏み入れ、精神の交わりというものがあることに」気づき、「すべてのものに名前があるということを悟った」のです。
 その後著者は、イルデフォンソに言葉を教えてしまったことを、「私の努力は、現実のむごい衝撃を和らげてくれる無知という唯一のクッションを彼から奪ってしまったのではないだろうか?」と悩みますが、イルデフォンソは諦めず、粘り強く言葉を覚えようとします。著者は、「与えるものを拒まない、彼の柔軟な精神は、教師にとって喜ばしい楽園であった。与えられたものをむさぼるように吸収し、さらに多くを求めるその態度に、私は大きな満足感を覚えた」と述べています。イルデフォンソは、「科学者に不可欠の、観察と推理という二つの道具」を備え持っていましたが、「世界最初の科学者と同様、彼の手元には彼以前の人々による観察記録がなかった」世界に暮らしてきました。しかし、今やイルデフォンソの目の前には、「彼自身が見出すことができなかったものへと彼を導いてくれる扉が開け放たれた」と述べられています。
 この他著者は、イルデフォンソが示す、「緑」に対する不可解な反応、「男たち、走る。こわい。隠れる。腕、握る。ポケット、調べる。友達、ポケット、紙、調べる」というマイムやサインに戸惑いますが、ある日、不法滞在者であったイルデフォンソが、国境警備隊員の緑色の制服と緑色の車を恐れていることに気づきます。著者は、イルデフォンソと国境警備隊との関わり方を知るために、国境警備隊員に取材しています。
 この他本書には、言葉を覚えたイルデフォンソによって語られる彼の過去や、イルデフォンソが仲間たちと交わす手話と身振りによる厚い議論などが紹介されています。
 本書は、多くの人が当たり前のように使っている「言葉」がいかに人を結びつけ、生活を豊かにしているかを知ることができる一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 著者は、北米最後の野生インディアンである「イシ」の話を思い出しています。「ヤヒ族の中間達がことごとく死に絶えた後」、カリフォルニア州オロヴィルの畜殺場に迷い込んだイシをイルデフォンソと対比した著者は、「二人の相似こそ彼らの人間性を裏づけるものであって、彼らの相違そのものが言語の重要性、また一つの部族に所属するということの重要性を物語っている」と述べています。
 イシのエピソードは昔何かの本で読んだことがありましたが、ぜひきちんと読んでみたいと思いました。


■ どんな人にオススメ?

・言葉のない世界を想像できない人。


■ 関連しそうな本

 オリバー サックス 『妻を帽子とまちがえた男』 2006年10月15日
 オリヴァー サックス (著), 春日井 晶子 (翻訳) 『レナードの朝』
 オリヴァー サックス (著), 吉田 利子 (翻訳) 『火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者』 2006年03月26日
 ニコラス ハンフリー (著), 垂水 雄二 (翻訳) 『喪失と獲得―進化心理学から見た心と体』 2006年4月15日
 けいはんな社会的知能発生学研究会 (著), 瀬名 秀明, 浅田 稔, 銅谷 賢治, 谷 淳, 茂木 健一郎, 開 一夫, 中島 秀之, 石黒 浩, 國吉 康夫, 柴田 智広 『知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦』 2006年04月09日
 ジェフ・ホーキンス, サンドラ・ブレイクスリー (著), 伊藤 文英 (翻訳) 『考える脳 考えるコンピューター』 2005年12月17日


■ 百夜百音

The Best Of Jig Saw: Sky High【The Best Of Jig Saw: Sky High】 Jig Saw オリジナル盤発売: 1995

 ミルマスカラスのテーマ曲として有名な曲です。全日派には忘れられない曲でしょう。
 サバスの方は、無法者のロード・ウォリアーズのテーマ曲です。

『Paranoid/Iron Man』Paranoid/Iron Man

2007年3月23日 (金)

沖縄の島守―内務官僚かく戦えり

■ 書籍情報

沖縄の島守―内務官僚かく戦えり   【沖縄の島守―内務官僚かく戦えり】(#792)

  田村 洋三
  価格: ¥2940 (税込)
  中央公論新社(2003/4/26)

 本書は、沖縄戦研究において、「県民の安全を願いながら、県民に戦争への協力を求めなければならない二律背反に苦しみつつ、自らの使命に徹して職に準じた県首脳や職員の姿」が、あまり書かれていない、という問題を取り上げ、「なり手のない"官選最後の沖縄県知事"に完全と赴任、在任5ヶ月足らずの間に県民の疎開や食料調達、戦場での避難誘導に全力を挙げた末、43歳で沖縄南部・摩文仁の丘に散った兵庫県出身の牧民官・島田叡(あきら)」と、「当時の知事や同僚部長が沖縄から逃げ出すことばかりを考えていたのをしり目に、県外疎開など県民保護のレールを敷いた上で島田を迎え、44歳で運命を共にした栃木県出身の護民官・荒井退造」の2人の「島守」を取り上げたものです。
 著者は、「直接仕えた旧県庁職員や一般県民から高く評価されている"二人の島守"が、片や沖縄戦の記録の中で多く語られない理由」として、「軍と協力してあの戦争を色紙、大きな参加をもたらした官に対する深く屈折した心情が、沖縄戦研究者の筆と足腰を重くしている」と述べています。著者は、「首里を撤退した島田知事らがその後、どこをどう移動したか、はっきりしていない」ことを知ったことで、"生涯一記者"気質に火がつき、「調べないから、はっきりしないんだ」ということが、本書を書いた第一の理由であり、もう一つ、「今どきのふやけた官僚は、命をかけて仕事をした大先輩のツメのあかでも煎じて飲むがよい」ということが理由であると述べています。
 第1章「幻の"県庁・警察部壕"再発見」では、明らかでなかった、1945年4月27日に、戦中の沖縄県政最後の大きな会議である「敵前緊急市町村長・警察署長合同会議」を開催した県庁・警察部壕を突き止めるまでのエピソードが紹介されています。
 第2章「疎開の恩人・荒井警察部長」では、南方への前進基地として重要度を増した沖縄県に、島田知事の前任であるI知事と、福井県官房長だった荒井退造、副知事格の内政部長にBが赴任し、「新任の最高幹部3人のうち2人までが匿名」で帰されていることについて、「2人の完了としてのあり様に多くの問題点があり、それを指摘する当時の県庁職員、県民の厳しい評価は"棺を覆って定まっている"のだが、2人はすでに故人であり、著者が本人から直接、それらの問題点について弁明を聞く術がなかったから」であるとしています。
 また、I知事は初登庁時の訓示において「人の輪、誠実、滅私奉公」の3つのモットーを強調していますが、著者は、「この訓示を始め、経歴、風貌、新聞の人物評に至るまで、一点非の打ちどころがない立派な内容だが、その後、3つのモットーを自らことごとく反故にするなど、人生に対する処し方の違いから、荒井とはまったく違った運命をたどる」と述べ、着任から1年後には、「豊富に胸膨らませて着任したはずのI知事と荒井警察部長の職務に対する姿勢に、部下の目にも明らかな違いが現れ始めていた」ことが述べられています。浦崎特別援護室長は、「知事は外見堂々としたな風格を備えていたが、小心翼々の神経質で、腹の座らない一介の小吏でしかないという評もあった。耳タブまで真っ赤に染めて職員を叱り飛ばしている図は、それだけで、一県の長官としては失格であった。戦局の悪化につれて沖縄があわただしくなってくると、ロクに仕事も手につかないふうで、いざ戦場となった場合、60万県民を率いて戦争に突入する気迫など片鱗もうかがえなかった。(中略)この知事に配する内政部長が、これまた臆病者であった。小細工のきく口達者で、頭のよさを自負しているようだったが、誠意となるとゼロであった。彼の念頭には自身の利益と安泰以外何物もなかったと極言してもいいだろう。尽忠報国を信条としていた、あの頃の官吏としては例外的な存在であった。人のよい牧経済部長や仕事熱心な荒井警察部長を遠ざけて、知事に取り入る術策にたけていたが、いつのまにか庁内にそうした雰囲気を作り上げることに妙を得ていた。考えてみると知事も愚かだったが、知事を思いのままに操っていた内政部長の悪賢さは、憎み足りないものがあった」と語っています。
 さらに、一般疎開の担当が、「本来、社寺兵事を司ったない西部ではなしに警察部とし、各警察署に窓口を作り」、「国の至上命令を県下の隅々にまで徹底し、短期間でやり遂げる」ために、「ある種の威令や組織力、機動性を持っている警察を動員した方がことが運びやすいと考えた」ことが述べられています。
 著者は、荒井警察部長が東京の妻子にあてた手紙を紹介し、「危険な勤務地を去り、愛する妻子のもとへ帰りたい……それは人間として自然の感情であり、当然の願望であろう。しかし、彼がI知事やB内政部長と決定的に違ったのは、転勤工作をしたり、逃げ腰になることなく、死の瞬間まで職責を全うしたことである」と述べ、「家族、肉親、同僚、部下への温かく、きめ細やかな心遣い」は、「彼が決して直情径行、馬車馬のような戦時型官僚でなかったことを物語る」と評しています。
 第4章「10・10空襲の中で」では、1944年10月10の大空襲時に、I知事が深夜、一人で「県達」を発し、県庁を中頭郡普天間の松並木の下にあった県中頭地方事務所へ移し、翌日、沖縄新報専務から「県庁舎は焼け残っている。早く那覇へ帰って戦災と行政機能の回復に努めてもらいたい」と忠告されてもそこに残り、県民の間から「この重大な戦局のさなかに、長たる者が逃げるとは何だ」「知事はけしからん」との非難が巻き起こり、「知事の権威は、いよいよガタ落ちになった」と述べられています。
 著者は、この空襲が、
(1)県民が沖縄の前途に不安を募らせ、県外疎開が一気に盛り上がった。
(2)警察以外の県の中枢は機能せず、あの官尊民卑の時代に「知事、市長頼むに足りず。役所はあってなきがごとし」の非難が巻き起こった。
の2つの重大事をあぶりだしたと述べています。
 第5章「島田知事、敢然と赴任」では、1945年1月11日朝、当時大阪府の内政部長を務めていた島田叡の自宅に知事から呼び出しがあり、「だれかが、どうしてもいかなならんとなれば、言われた俺が断るわけにはいかんやないか。おれが断ったらだれかが行かなならん。おれは行くのは嫌やから、だれか行けとは言えん」、「これが若い者なら、赤紙(召集令状)一枚で否応なしにどこへでも行かなならんのや。おれが断れるからというので断ったら、おれもう卑怯者として外も歩けんようになる」と沖縄県知事の内命を受けた様子を紹介しています。このとき、意向を聞いた当時の池田大阪府知事は、島田が即答したことに対し、「君、家族もあり、親族もあることだから、三日ほどよく考え、相談した上で、返事しても良いんだぞ。断っても良いんだぞ」と言ったが、「いや、これは、妻子に相談することじゃありません。私が決めることです」と答えたことが紹介されています。
 そして、沖縄に赴任する島田の荷物は、「トランク2つだけ。中には抹茶道具、『南洲翁遺訓』『葉隠』などの愛読書数冊、婦人が入れた和服と博多帯、胃腸・風邪などの常備薬、ピストル2丁など」の他、布袋に入った日本刀と自決用の青酸カリを国民服の胸ポケットに携え、「覚悟の赴任を物語っていた」と述べられています。
 また、赴任後、「I知事は逃げてけしからん。知事さんも大変ですね」と言われたことに対し、「人間誰でも命は惜しいですから、仕方がないですね。私だって死ぬのは恐いですよ。しかし、それより卑怯者といわれるのは、もっと恐い。私が来なければ、誰かが来ないといけなかった……。人間とは運というものがあってね……」と、前知事の悪口を一切口にしなかったことが紹介されています。
 第8章「座右銘は『断而行鬼神避之』」では、島田が、各所で請われるままに書いた色紙には必ず「断」の一字を記し、最後の揮毫では「断而行鬼神避之」の全文を残していることを紹介しています。
 第9章「沖縄戦前夜の壕づくり」では、上陸空襲3日目の3月25日に城岳の県庁職員壕で緊急部課長会議を招集し、県庁機能を首里・識名両台地に移すと発表し、その理由が、第七船舶輸送司令部から、「城岳一帯を戦闘指揮所に使いたいから、職員壕を譲ってほしい」との申し入れを受けたためであることが述べられています。そして、課長たちは、「全員、戦闘帽に鉄カブト、国民服、ゲートルで身を固め、日本刀がある人は腰に帯びていた」という様であり、「全員がすでに、家族を九州や北部・国頭地方に疎開させており、肉親ときずなを断ち切って県民のために尽くそうとする献身の姿だった」とし、「決断の人・島田の挺身の姿勢は、職員にも浸透していた」と語っています。
 また、首里の壕に移転した県庁は、「足元は砂が敷き詰めてありましたが、天井は鍾乳石がデコボコのままで、背の高い人はぶつかりそうな低さでした。職員は首里高女から運び込んだ机やイスで仕事場を作り、各課ごとに県庁からもってきた課名の表示板を天井からぶら下げ、その下で事務を執っていました。(中略)天気のよい日で、ガマの中がかなり暑かったのを覚えています」という証言を紹介し、「劣悪な環境の壕内で課名を掲げて執務する職員の姿は健気」であると述べています。
 第10章「米軍上陸下の"新壕"生活」では、4月29日の天長節を期して日本軍の総攻撃が敢行されると伝えられた知事が、警察署長から「この戦争に勝ったら長官は大栄転され、内務大臣は間違いないでしょう。私を東京の真ん中の警察署長にご推挙下さい」と投げたのに対し、「それはお易い御用だが、君、ワシントンの警視総監の方が良いのやないか」と、呵呵大笑して答えたことが紹介されています。
 また、4月27日には、「日本の地方行政史上、空前絶後の南部地区19市町村長と4警察署長による敵前緊急合同会議」が、"県庁・警察部壕"で開かれ、この会議が、戦前、戦中の沖縄県政70年最後の市町村会議になったことが紹介され、その様子を、「皆、鉄カブトと巻脚半で身を固め、道中何度も爆撃を避け、地面に腹ばいになったせいか泥まみれ。幽鬼のように目ばかり光らせた必死の形相で、命からがら壕へ転がり込んできました。壕の周辺では遠来の出席者をねぎらうため、県庁の女子職員が水汲みや炊き出しに懸命でした。ロウソクとランプの灯があるとはいえ、薄暗い自然洞窟の70畳敷きぐらいの広間は、秘書や随行者を含めると100人近い人間でぎっしり埋め尽くされました。沖縄の4月末はすでに夏、しかも狭い壕内です。壕の外は荒れ狂う空襲や砲撃の喧騒、壕内は人いきれ。頭がボーっとするような暑さの中で、会議は始まりました」という証言を紹介しています。
 第15章「最後の県庁・轟の壕」では、「万難を排して沖縄を脱出し、沖縄戦の現況及び県民の奮闘ぶりを本土・内務省に報告せよ」との特命を受けた8名の警察別働隊員が、6月7日4つの班に別れ、北部の集結地・久志村を目指し出発したものの、「米軍の占領地帯を潜行する任務は、困難を極め」、「山中の道なき道を行き、警戒線にかかって銃撃され、川を泳ぎ渡るなどの苦闘の連続。比嘉・安富祖班は、出発3日目の同10日、与那原で米軍に捕らわれ、池原班の玉城警部補と長濱巡査は6月17日、中頭郡中城村で米軍と銃撃戦の末、殉職した。下地・長山班は15日かかって目的地の久志村にたどり着いたが、沖縄戦の集結で6月25日、辺野古で米軍に投降している」と述べられています。そして、「ひとり池原警部補だけが7月20日、本島北端に近い国頭村奥集落からサバニで脱出、海路、与論島――沖永良部島――奄美大島を経て、千葉県の東京留守業務部隊沖縄班にたどり着いたのは、敗戦2か月後の10月」であったが、池原が「住民や官公吏の沖縄戦への強力の実情、戦況等について、内務省で詳しく報告」し、「沖縄県民のスパイ行為があったために戦争に負けた、という流言を打ち消すことにも心を砕いた」ことを紹介しています。
 また、知事が、女子職員に「僕たちはこれから軍の壕に行く。君たち女、子供には(米軍は)どうもしないから、最後は手を上げて出るんだぞ。決して(友)軍と行動を共にするんじゃないぞ」とささやき、それを聞いた職員が、「悔しくて、悔しくてたまりませんでした」、「あの時は長官の真意が分からず、情けないと思いました」と語っていることを紹介しています。
 さらに、壕に入ってきた陸軍の大塚曹長率いる一団が避難民から食料を漁り、それに逆らった子供を撃ち殺したことを語り、壕から出て行った人の、「友軍に銃を突きつけられ、わずかな持ち物を取り上げられ、壕を追い出された。ウッター(あいつら)に殺されるより、自分の屋敷で艦砲にでも当たった方がまし」と吐き捨てた言葉を紹介しています。そして、伝統武芸家の宮城嗣吉の手引きで米軍に救出された避難民が、アメリカの将校から「日本ノ兵隊 生カシマスカ 殺シマスカ?」と聞かれ、「殺せ!殺せ!」が一斉に口を衝き、「皆が憎んだのはアメリカ兵より、日本兵だった」ことが述べられています。しかし、「何百人もの避難民を死に追いやった大塚曹長ら日本兵の一団は、この爆破で全滅したと思われていたが、ずる賢くも別の出口から脱出して米軍の捕虜」となっていたとして、「残念ながらこれが一部日本兵の実態であり、県民の側から見た沖縄戦の一面の真実」だったと述べています。
 第16章「二人の島守」では、「知事さんは赴任以来、県民のためにもう十分働かれました。文官なんですから、最後は手を上げて、出られてもよいのではありませんか」と提案された島田が、「君、一県の長官として、僕が生きて帰れると思うかね? 沖縄の人がどれだけ死んでいるか、君も知っているだろ?」と応え、自嘲するように、「それにしても、僕ぐらい県民の力になれなかった県知事は、後にも先にもいないだろうなあ。これは、きっと、末代までの語り草になると思うよ」、「軍と最後をともにします。見苦しい体を残したくないから、遠い海の底へ行くかな」と語っていたことを紹介し、島田と荒井が官僚というこの国のエリート社会で、「Nobless Oblige」の精神を持ち続けた数少ない人びとであったと述べています。
 6月25日または26日に島田と荒井が軍医部壕を出た後の足取りについては明らかになっておらず、敗戦後は、「一時は生存説さえ飛び交った」ものの、生存は確認されず、また、当時の県庁は、「本庁が1官房3部29課で700人、地方事務所、学校などの出先が92機関で1365人だったが、殉職した件職員は458人にのぼった」ことが述べられています。
 そして、未確認の情報として、「知事さんは私が最初に見た時と同じ姿勢で横たわっておられたが、あごの近くに小さな拳銃が落ちていまして、耳の下から後ろにかけて、ものすごく血が流れていました」という第32軍直轄の独立機関銃第14大隊出村中隊山川小隊の分隊長・兵長であった山本初雄の証言を紹介しています。
 本書は、沖縄戦の記録としてはもちろん、戦中の県庁の様子を知ることができる貴重な一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の中で、防空壕に移転した県庁の職員が、運んできた机を並べ、天井から課名を書いたプレートをぶら下げているシーンがあります。著者はそんな姿を「健気」と記していますが、そんな状態になっても、「課」の看板を守る姿は、極限状態に置かれているからこそ、役所の本質を表しているのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・戦前の官僚のNobless Obligeに触れてみたい人。


■ 関連しそうな本

 田村 洋三 『沖縄の島守―内務官僚かく戦えり』(文庫)
 天川 晃, 増田 弘 『地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続』 2007年03月07日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 石見 豊 『戦後日本の地方分権―その論議を中心に』 2007年02月09日


■ 百夜百マンガ

人間凶器カツオ【人間凶器カツオ 】

 「ノリタカ」と「拓」をくっつけた感じというか、この人の場合、何を描いても同じなんですが、原作付けるタイプの人でもないようですし。

2007年3月22日 (木)

地方交付税

■ 書籍情報

地方交付税   【地方交付税】(#791)

  兵谷 芳康, 小宮 大一郎, 横山 忠弘
  価格: ¥2,940 (税込)
  ぎょうせい(2000/01)

 本書は、「地方交付税制度について総論と各論に分けてその解説を行うとともに、こうした制度に対する批判や意見を大いに取り上げ、何とかそれに応えようと試みたもの」です。
 第1章「地方交付税の概要」では、「地方財政」という言葉が、「そのもの自体が存在するわけ」ではなく、「わが国を構成する約3300の各地方団体の財政がそこに存在している」のであり、「地方財政とは、それらをまとめた集合体のようなものであると考えれば分かりやすい」と述べています。
 また、その制度の意義を、「仮に、地方団体が自ら徴収する自主財源でもって自らの行政活動を賄うという理想的な姿を想定した場合に、おのおのの地方団体型の団体と同一レベルの行政活動を住民に対し行うとすれば、経済力の低い地方団体ほど経済力の豊かな団体に比べ住民一人当たりの税負担を相当重いものにしなければならないであろうし、その反対に税負担の方を同一レベルにとどめようとすれば、おのおのの地方団体の行政活動・サービスに相当の格差が生じる」と述べ、「教育や福祉を始め地方団体に求められる行政活動が、地方団体の規模にかかわりなく一定レベル以上のものであるならば、それらの行政に対するニーズに応えるための財源を地方団体自らの租税収入だけで賄うということは、現在の国と地方の租税収入の配分割合や地方団体間における財政力格差が存在する状況では困難」であると指摘し、地方財政調整制度の役割を、「地方団体が住民に対し、も止められる一定レベルの教育や福祉などを提供するためには、国としても各地方団体が一定レベルの行政を行うことができるような財源麺での調整を行うことが不可欠」であるとしています。
 さらに、わが国における地方財政調整制度の沿革について、昭和7年に発表された「地方財政調整交付金制度要綱案」において考案され、大正末期以降の深刻な不況と都市部と農村部との経済力格差を背景とした、昭和11年度に創設された臨時町村財政補給金において初めて地方財政調整制度が実施されたことが述べられています。そして、昭和15年には、わが国で初めての恒久的な地方財政調整制度である地方分与税制度が創設され、その内容は、「一定の税を国が徴収し、これを地方団体に分与するもので、還付税と配付税の2種類」からなるものであったことが解説されています。そして、昭和24年に来日したシャウプ博士を団長とする「シャウプ税制調査使節団」の勧告において、従来の地方配布税制度の欠陥として、
(1)総額の決定方式が国税である所得税および法人税の一定割合とするとされているものの、毎年のように配布税率が変わるため地方団体にとっては配布される額の予想がしづらい上に、国の都合により一方的に大幅な減額とされることもあるため、配布税が信頼されていないこと。
(2)地方団体への配分についても、各団体の課税力に逆比例し、また割増人口による財政需要に比例して行うとしても、この方式では必ずしも各団体の実際の財政力や財政需要を反映しているとはいえず、独断的な面があること。
の2点が指摘され、新たに平衡交付金制度が創設されたことが解説されています。
 昭和25年度から導入された地方平衡交付金制度に関しては、「地方配布税制度のように地方団体間の財政力の不均衡を調整し、格差の是正を図ると言う以上にさらに一歩進んで、地方団体に一定水準の行政を行うことができる要素の財源を保障しようとする地方団体に対する財源保障制度であるという点で意義深いものである」としていますが、「現実の運営では予想通りにはいかず、うまく機能しなかった」として、
(1)総額については、各地方団体の財源不足額を積み上げる方法を採用していたが、実際には個々の地方団体の財源不足額を算出して、これを積み上げて国の予算の基礎とすることは不可能であったため実際には従来からあった地方財政計画を素にマクロ的に地方の財源不足額を算出し、これを基礎として平衡交付金の総額が決定されていた。
(2)地方財政計画上の財源不足額の算出に当たっての歳入の見積や歳出の積算については、当時地方財政を預かっていた地方財政委員会と地方側の要求を少しでも削減したい大蔵省との意見が常に対立することとなり、交付金の総額の決定をめぐって毎年度国と地方との紛争が絶えず、結局政治的に決定されるということとなり、本来の理論的な財源不足額の決定方式とはまったく異なる状況が生じていた。
(3)その結果、地方財政を賄うのに十分な総額が確保されなかったため、地方団体はますます窮乏して息、財政運営における赤字の原因を平衡交付金の不足に求めることになった。
の3点を挙げています。
 これらの問題を受けた地方制度調査会は、昭和28年度から地方交付税制度の創設を答申し、その内容は、「交付税の総額に地打ては所得税、法人税および酒税の一定割合とするという従前の配布税法制度を基礎としている一方、各地方団体への配布額については基準財政需要額と基準財政収入額を用いた地方財政平衡交付金制度を踏襲したもの」となっていたことが解説されています。その改正のポイントとしては、
(1)地方交付税の総額を所得税、法人税および酒税の一定割合とし、一定の国税の収入額にリンクさせることにより、国税の一部が自動的に交付税の財源となるようにすることで、交付税が地方団体の独立財源であるという性格を強めたこと。
(2)財源保障方式については、毎年度の財源不足額を積み上げるという平衡交付金時代にうまく機能しなかった単年度の保障方式を長期的な保障方式と改めたこと。
(3)各地方団体への交付額については、平衡交付金時代の基準財政需要額、基準財政収入額による財源不足額を補填するという方式を踏襲し、ミクロレベルの完全な財源保障機能を持たせること。
の3点が挙げられています。
 地方交付税制度の目的としては、その性格・特徴として、
(1)地方交付税が地方団体の独立した共有財源であること
(2)地方交付税の総額は、地方行政に必要な額が確保されていること
(3)地方交付税の使途が制限されないこと
(4)地方団体税の配分が適正に行われること
の4点が担保される必要があること、その機能としては、
(1)財政調整機能:国と地方の財源配分を調整する国・地方間の均衡化と地方団体間の財政力格差を調整する地方団体間の均衡化の2種類がある。
(2)財源保障機能:地方交付税は財源の均衡は図るのみならず、さらに進んで地方団体の行政運営に必要な財源をミクロ、マクロの両面において保障している。
の2点を挙げています。
 そして、地方交付税制度に対する批判として、
(1)交付税制度は難しすぎるのではないか:毎年出される算定についての制度解説だけでも1000ページ近い分厚い冊子となっている。
(2)国庫補助金と比べて分かりにくい:国庫補助金が具体的にどの箇所にいくら交付されたかが明らかなのに対し、地方交付税では具体的な金額は計算の家庭の問題であり、算出に関与しない者にとっては結果的には総額としてしか把握できない。
(3)補正が多すぎるのではないか:単位費用の積算根拠となる人件費や事務事業等についてのコストアップ、内容変更などにより単位費用を改定すべく毎年国会に提出される地方交付税法の改正法の審議過程において詳細な議論がなされ、各地方団体から制度改正の要望が毎年のように出されている。
等を挙げ、簡素化への方針として、「算定の簡素化を図るには増えすぎた補正の整理統合を行うしか方法」はなく、「併せて地方分権の進展に応じて国と地方の役割分担が見直されたり、法令等による地方団体への事務事業の義務付けなどが廃止、緩和、簡素化されるようになれば、当然それに応じた見直しを行い、簡素化に向けての検討を積極的に行っていくことが大切である」としています。
 また、地方交付税制度が持つ「ソフトな予算制約」問題に関して、「合理的に産出した財政需要額と財政収入額の差、すなわち財源不足を補てんするのであるから、財政力の弱い団体ほどたくさん交付を受けることとなり、歳入に占める地方交付税のウェイトが大きくなる」ため、「このために本来地方団体が行うべき財政健全化や自主財源確保への努力が阻害されているのではないか、さらには地方団体の放漫な財政運営を助長しているのではないか」など、地方交付税制度による地方団体の自主性阻害への批判に対しては、「各地方団体独自の努力による人件費の抑制や事務経費の節減等の要素は、個々の地方団体の交付額の算定には直接反映されないようになっている」と応えています。
 さらに、「近年、バブル期において地方財政が広聴であったとき、それまでに発行していた財源対策債などの償還について後年度地方交付税で順次措置していく予定のものを償還基金を設け一度に地方交付税でその所要額を措置したことや、交付税措置のある地域総合整備事業差異を使って故郷作り事業などの単独事業を積極的に展開したことが、結果として一般財源であるはずの地方交付税も補助金と動揺に特定財源のように使われているのではないか」との疑念を抱かせ、「各種補助金を持つ各省庁もそういう感覚で地方交付税を捕らえるようになったのではないか」ということが、「地方交付税が補助金化しているとの指摘を生むに至らせた」と推測し、これらについて、その目的を解説し、「即地方交付税の補助金かにあたるとはいえない」と述べています。
 そして、地方交付税の制度上、「一般財源化により確実に所要財源が確保されるということと現実の交付税総額がどうなるか、さらには個々の地方団体の交付税配分額がどうなるかということとは別の問題」であり、「交付税総額や個々の団体に配分される交付税額は、地財計画の編成過程や個々の団体の地方税収により決められることとなり、絶対的なものでなく、相対的なもの」であることを混同してはならないとしています。
 特例措置については、制定当初の昭和20年代が、「新憲法の下で地方自治が飛躍的に発展した一方、急激な行政需要の拡大により地方財政の方は悪化の一途をたどっていき、地方交付税制度が発足した昭和29年度では46都道府県のうち34団体、7割以上の団体が、5881市町村のうち2247団体、4割近くの団体がそれぞれ赤字団体に転落」しており、「そうした危機的状況にあった地方財政を再建すべく、地方交付税の充実に努めた時代」が昭和30年代であったとして、交付税率が毎年のように引上げられ、「当初20%だった交付税率は昭和41年度には32%まで引上げられ、今日に至っている」ことや、高度経済成長による国税の自然増収にともなう補正予算が組まれることが多く、「地方交付税の増額分についてはその一部を翌年度に繰り越すという年度間調整措置がよく行われた」ことが述べられています。しかし、昭和50年代には、石油ショックによる低成長時代に移行し、「税収が落ち込む反面、景気対策として財政出動が求められ歳出は増加したため、国では大量の赤字国債を発行し、一方地方では交付税特会による巨額の借入れと大量の地方債の増発を余儀なくされた」ことが解説されています。
 第2章「地方交付税の算定」では、普通交付税が、「基準財政需要額が基準財政収入額を超える地方団体に対して交付されるもの」であり、「当該地方団体の基準財政需要額が基準財政収入を超える額」とされ、「原則として、ある地方団体について算定した財源不足額が、そのまま当該地方団体の普通交付税の額となる」として、
  基準財政需要額 - 基準財政収入額 = 財源不足額 = 普通交付税額
という算式を示しています。
 また、基準財政需要額の性格として、「基準財政需要額は、それぞれの地方団体の実績による経費の支出額(決算額)でもなければ、実際に支出しようとする額(予算額)でも」なく、地方交付税が、「各地方団体の財源不足額を公平に補填することを目途として交付されるもの」であるため、実績額を用いず、「基準財政需要額は、地方団体における個々具体的な財政支出の実態は一応捨象して、その地方団体の自然的・地理的・社会的条件に対応する合理的かつ妥当な水準における、いわば『あるべき財政需要』として算定される」こととなっていることを解説しています。そして、基準財政需要額が、「地方団体において合理的かつ妥当な水準の行政を行うために必要な一般財源としての財政需要額を示すもの」であることが、「地方交付税が、地方団体に置ける各種の財政需要のうち税収入をもって賄うべき部分の不足額を補てんするものとして機能を有していることから当然」であるとしています。
 単位費用の算定については、毎年度改正されることを常例としていることについて、
(1)地方行政の内容は、法令等の改正又は社会情勢の進展により、毎年度変化すること。
(2)毎年度、公務員の給与改定が行われることが最近の例になっていること。
(3)国庫支出金、使用料・手数料等の特定財源の収入が、毎年度、国の予算や地方財政計画等により変動すること。
(4)地方財政に財源不足が生ずる場合には、投資的経費を地方債(財源対策債)に振り返る場合が多いこと。
(5)毎年度、地方交付税の総額が変動すること。
(6)毎年度、地方税収入、地方譲与税収入等が変動すること。
の6点を挙げています。
 さらに、「現実の測定単位一単位あたりの行政費用は、各地方団体の行政規模、人口密度、都市化の程度、気象条件等の差に応じて大きな開き」があり、「このような事実を無視して、各地方団体に同一の単位費用を適用して基準財政需要額の算定を行う場合には、基準財政需要額が各地方団体の合理的かつ妥当な水準の財政需要額を示すものとはならず、普通交付税の配分が著しく不公平なものとなる恐れがある」と補正係数の意義を述べ、その種類として、
(1)種別補正:測定単位のうちに種別があり、かつ、その種類ごとに単位あたりの経費に差があるもの
(2)段階補正:測定単位の数値の多少による段階に応じて単位あたりの経費が割安または割高となるもの
(3)密度補正:人口密度等測定単位の数値の密度または測定単位の数値と特定の数値等との比率の増減に応じて単位当たりの経費が割安または割高になるもの
(4)態容補正:都市化の程度、法令上の行政機能、公共施設の整備状況等地方団体の態容に応じて単位当たりの経費が割安または割高となるもの
(5)寒冷補正:寒冷又は積雪の度合いによって単位当たりの経費が割高になるもの
(6)数値急増補正:人口などの測定単位の数値が急激に増加した地方団体
(7)数値急減補正:人口などの測定単位の数値が急激に減少した地方団体
(8)財政力補正:「災害復旧費」のうち単独災害復旧事業等の元利償還金の基準財政需要額への算入に当たって、その元利償還金の税収入に対する比率に応じて算入率を引上げる
の8種を挙げています。
 基準財政需要額算定の近年の動向としては、昭和50年代以降、地方財源不足に対処する等のために、
(1)財源対策費:特別の地方債として財源対策債を発行して地方債の充当事業の範囲を拡大する一方、基準財政需要額の算定において、事業費補正による公共事業の地方負担額の算入の中止または算入率の引き下げや単位費用に算入する事業費の一部の圧縮を行うことにより、普通交付税により措置されていた投資的経費の一部が地方債に振り返られ、本来地方交付税によって財源措置すべきものを地方債に振り替えたことから、その元利償還に要する費用について基準財政需要額に算入することとしたもの。
(2)地域財政特例対策債:昭和57年度から行われた「後進地域の開発に関する公共事業に係る国の負担割合の特例に関する法律」などの規定により国庫補助負担率のかさ上げが行われていた事業について、当該かさ上げに相当する国の補助負担額の6分の1が暫定的に引き下げられ、これに伴う地方負担の増加分について発行が許可され、元利償還金全額が基準財政需要額に算入されるもの。
(3)臨時財政特例債:昭和60年度以降行われた公共事業等の投資的経費に係る国庫補助負担率の暫定的引き下げに伴う地方負担の増加分について発行を許可される地方債。
(4)減税補てん債等:平成6年度に実施された住民税の減税等に伴う減収分等について、地方財政法5条の特例として発行が許可され、元利償還費要は基準財政需要額に算入される。
のような地方債が特別に発行を許可され、その償還費が基準財政需要額に算入されることが解説されています。
 本書は、自治省側の一方的な解説ではありますが、地方交付税制度について、一通りの理解をしておきたい場合にはまず読んでおきたい一冊です。


■ 個人的な視点から

 地方交付税は複雑で、昔は県庁の市町村を担当する課(地方課など)では交付税の算定は一大イベントで、何週間も泊り込みで2時3時まで仕事して翌朝太陽が黄色く見えたそうです。
 そのイベントの山場が市町村の財政担当者が一堂に会する「本算会議」だったのですが、すでに算定結果はお互いに積めてあるのでセレモニー的に検算をする場のようになっていたようです。


■ どんな人にオススメ?

・地方交付制度の概略を手軽に押さえたい人。


■ 関連しそうな本

 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日
 土居 丈朗(編著) 『地方分権改革の経済学―「三位一体」の改革から「四位一体」の改革へ』
 土居 丈朗 『三位一体改革ここが問題だ』
 赤井 伸郎 『行政組織とガバナンスの経済学―官民分担と統合システムを考える』 2006年11月24日
 町田 俊彦 『「平成大合併」の財政学』 2006年12月06日
 吉村 弘 『最適都市規模と市町村合併』 2006年03月29日


■ 百夜百マンガ

死のホワイトマジック【死のホワイトマジック 】

 少年誌の作品構成で重要な位置を占める「恐怖モノ」になるはずなんですが、意気込みと力量のギャップが大きかったのかついてこれる人が少なかったようです。

2007年3月21日 (水)

徹底追及 「言葉狩り」と差別

■ 書籍情報

徹底追及 「言葉狩り」と差別   【徹底追及 「言葉狩り」と差別】(#790)

  週刊文春
  価格: ¥1450 (税込)
  文藝春秋(1994/09)

 本書は、1994年から週刊文集で特集された「『言葉狩り』と差別」の連載を元に、加筆修正して発行されたものです。「はじめに」には、「最初に申し上げたように、いかなる言葉も差別語となりうる。"差別語"の範囲は際限なく広がっていく可能性を孕んでいる。差別語であるか否かは、一体誰が決めるのか。また、決められるのか。そして、明確な判断基準はあるのだろうか」と、本書の問題意識が提示されています。
 第1章「断筆宣言の衝撃」では、高校の教科書に掲載された(!)筒井康隆氏の小説「無人警察」に、「てんかんに対する差別を助長し、誤解を広める記述がある」として、教科書の発売中止と作品の削除を求める抗議声明を、日本てんかん協会が出したことを端緒とする「断筆宣言」事件が取り上げられ、「これまで隠密裏に処理されてきた『差別語』の問題を白日の下に晒したという意味で、そのインパクトはきわめて大きかった」と述べられています。筒井氏は、マスコミや出版社の事前チェックを受け、「狂」という字が使えず、「芸術的狂気」や「酔狂」「頓狂」「風狂」「狂気」「狂瀾」などの日本語が使えなかったことを、断筆宣言の中で述べています。また、「片手落ち」という言葉が、「片・手落ち」という意味であるにもかかわらず、「片落ち」という古い言葉に言い換えられていることが紹介されています。また、「精神障害者への差別語」に関して、74年の一連の抗議行動の際に、「カーキチ」「音キチ」「狂乱物価」なども対象とされたことが取り上げられています。また、森敦氏の『月山』が第70回芥川賞を受賞した際に、共同通信から加盟各社に送られた紹介記事の中に、一般的集落を意味する「部落」という言葉が含まれていたため、この記事を掲載した福岡の『夕刊フクニチ』の編集局長が、「多数で取り囲」まれ、「3時間にわたって糾弾」されたことが紹介されています。
 第2章「『白雪姫』は差別童話か?」では、「言葉に関してすこぶる敏感な町」として有名な堺市の"先進性"が、「堺市女性団体連絡協議会」(堺女性協)と「黒人差別をなくす会」という2つの「実に興味深い」団体を例に解説されています。堺市では、「奥さん」や「ご主人」という言葉は女性差別という批判を受けるため、「妻さん」「夫さん」という言葉で呼び合わなければならないこと、「鯉のぼりで雄が上になっているのは、女性差別につながる」として、「棹を横にしてタテに吊るしている」保育所、93年の全国フェミニスト議員連盟主催の「自治体男女平等度コンテスト」では「堺市が50点満点中47点を獲得」し、全国1位に選出されていることなどが紹介されています。この堺女性協の「童話・絵本研究会」では、『白雪姫』『みにくいアヒルの子』『こぶとりじいさん』など118点の童話や絵本を"差別書"として告発しています。また、『ちびくろサンボ』を「絶版に追い込んだことで知られている」という「黒人差別をなくす会」が、「9歳になる息子」の発案により、妻を会長、自分は副会長、息子を書記長とする「奇妙な団体」として発足し、最初の成果の『ちびくろサンボ』によって、『ワシントン・ポスト』紙に紹介され、ついにはアメリカ黒人団体から親子2人が招待されたことなどが述べられています。
 第3章「大新聞『言い換えリスト』をスッパ抜く」では、高槻市の公立中学校の運動会で、「障害物競走」を「山越え谷越え競争」や「アップダウンレース」と言い換えたり、種目自体を廃止してしまったこと、「バカチョンカメラ」や「士農工商○○」等の言葉が「言い換えリスト」に挙げられていること、「四つ」という言葉が拡大解釈され、大阪の教科書出版社が小学校の算数の教科書で、数を表す「4つ」がすべて「4こ」に書き換えたことが取り上げられています。また、「リポビタンD」の「ヨッ! お疲れさん」のコピーが「関係者」の抗議により「ヨォ! お疲れさん」に変更され、それでもまだ声に出して読むとまずかったのか、翌年には「ヨォ! やるじゃない」に変更されたことが紹介されています。
 第4章「編集現場での『わが言葉狩り』」では、マスコミ現場へのアンケートの中で、「どこからか自宅の電話番号を見つけ出し、三日間くらい、脅迫電話が鳴りっぱなしでした」という抗議経験などが紹介されています。また、「新聞広告に掲載できないから」という理由で、削除・言いかえをしたケースが数件あり、これは、「新聞社側からの『言論弾圧』ともとれなくもない」と述べられています。
 第5章「誌上対決・部落解放同盟」では、部落解放同盟中央本部教宣局マスコミ対策部の小林健治のインタビューが掲載されています。解放出版社の本の新聞広告が、「『部落』はまずい」という理由で拒否される、「うちの本から『部落』という文字をとったら、半分はなくなりますよ」というコメントが、今の自主規制の異常さを現すケースとして紹介されています。また、時事通信社に抗議をした際に、「抗議に行くと『同和文献大鑑』――エセ同和団体の5万円もする本ですが、数万部も売れているから恐ろしい――を2冊も買っておりますと堂々と」言い、「これが免罪符になるだろうという意識」であったということが述べられています。
 第6章「言葉狩りの『主犯』は誰だ」では、1994年2月24日の朝日新聞に「断筆宣言その後」として掲載された筒井康隆氏の「それがいけないんじゃないですか。言葉だけで傷つくというのが……。これは差別的表現を使っているけれど、われわれを傷つける意図で使っているのではない、と判断できるのが知性でしょう」という発言が紹介されています。
 本書は、差別と言葉狩りの問題を考える上で、必読書の一冊ではないかと思います。

■ 個人的な視点から

 本書の巻末には、資料として「主要マスコミ『言い換え』用語集」が収録されています。これは、読売新聞の『差別表現・不快語・注意語要覧』をベースに、マスコミ各社の「言い換え用語」を収録したものですが、これを読むと、マスコミで使われている不自然な表現(新聞などで不自然に数文字スペースが開いていることがありますが、これは言い換えなどの結果なのでしょうか?)を、記者が本来頭の中で使っていた表現にデコードすることができます。
 そうなると、書いた人の「差別する意図の有無」は、印刷されている活字の文字からは判断できないような気もします。
 本書のマスコミアンケートの中でも、「社のワープロには独自の辞書が組み込まれており、……などを打つとゲタ(〓)が出るようになっている(注・記号が表れ、言葉が出てこない)」というアンケートが紹介されていますが、Windowsに搭載されているIMEの辞書にも変換できない言葉がたくさんあります。これに対応した、「自主規制語補完辞書」なるものまでネットには掲載されています。この問題が、マイクロソフトやジャストシステムなどが、自主的にこの問題に気づいた結果なのか、各種団体の活動の「成果」なのか、いろいろな経緯があるのかもしれません(実際には、辞書を供給している会社が対応しているのだと思いますが)。


■ どんな人にオススメ?

・言論の自由と人権の問題に悩まされている人。


■ 関連しそうな本

 アンブローズ ビアス (著), 筒井 康隆 (翻訳) 『筒井版 悪魔の辞典』 2005年09月25日
 筒井 康隆 『東海道戦争』
 筒井 康隆 『笑うな』
 筒井 康隆 『おれに関する噂』
 筒井 康隆 『文学部唯野教授』
 森 敦 『月山・鳥海山』


■ 百夜百音

ばちかぶり【ばちかぶり】 ばちかぶり オリジナル盤発売: 2007

 「プロジェクトX」のナレーションでお馴染みの田口トモロヲをボーカルに擁したバンド。石原裕次郎が亡くなった1987年7月17日には前日に亡くなったトニー谷追悼ライブを行っています。


『子どもたちのCity』子どもたちのCity

2007年3月20日 (火)

「ニート」って言うな!

■ 書籍情報

「ニート」って言うな!   【「ニート」って言うな!】(#789)

  本田 由紀, 内藤 朝雄, 後藤 和智
  価格: ¥840 (税込)
  光文社(2006/1/17)

 本書は、
・いじめや憎悪が生まれる社会的なメカニズムを研究対象とする社会学者(内藤)
・通俗的な若者論に対する詳細な検証と批判をネット上で粘り強く続けている大学生(後藤)
・教育・労働・家族の関係について実証研究を行ってきた教育社会学者(本田)
の3人が、「それぞれの観点からそれぞれのやり方で、昨今の『ニート』言説のあり方を批判する意見」を表明し、本田氏のブログのコメント欄において、「一緒に『ニート』言説の問題性を提起する本を作ろうということ」に合意して生まれたものです。
 著者は、「ニート」という言葉が、「若者全般に対する違和感や不安をおどろおどろしく煽り立てるための、格好の言葉とし用いられる。『ニート』はやがて、本来の定義を離れてあらゆる『駄目なもの』を象徴する言葉として社会に蔓延する」と指摘しています。
 第1部「『現実』――『ニート』論という奇妙な幻影」(本田)
 第1章「『ニート』のイメージは間違っている」では、2004年の中頃から「絨毯爆撃のように」、「ニート」論の攻勢が始まり、2005年ごろからは、「政党や政府にも『ニート』に関する動き」が出始め、そこに共通する、「何らかの意味で『病んだ』状態にあるために仕事に向かって踏み出せない若者、というイメージ」があり、「『ニート』をめぐるこのような状況は、若者と仕事の現状に対する世の中の認識と、そうした現状への具体的な施策の方向性を大きく歪めるもの」であると述べています。
 そして、「最近年における絶対数という点でも、過去からの増え方という点でも、『ニート』に比べて若年失業者や『フリーター』の方が焦点を当てられるべき対象である」にもかかわらず、「なぜか2004年あたりから、『ニート』がものすごく強調され始めた」ことが、「とても不可解で腹立たしい」と述べています。
 著者は、「『ニート』は多様で、しかも大半はごくごく『普通の、まっとうな』若者たちであり、ただ現在はさまざまな事情や理由から働いていない、というだけ」なのに、「『ニート』のイメージが、非常にネガティヴなものになってしまった」ことについて、「不登校」や「ひきこもり」にかなり近いイメージが、当初から議論の中に埋め込まれ、「中心的な論者・研究者も、かなり無自覚なまま、それらのイメージを『ニート』に投影していた」点を指摘しています。
 また、「ニート」という言葉が日本に導入された段階で、「定義的に失業者が除外された」ことを「きわめて問題」とし、「もし『ニート』に当初から失業者が含まれていれば、現在はびこっているような『ニート』論は成立しなかったはず」であり、「失業者を論じる際には当然、『なぜ仕事のポストがないのか』、『なぜ企業は人を採ろうとしないのか』という問い、すなわち労働需要側(企業側)のあり方への問いにつながらざるをえない」と述べ、「『ニート』という言葉が流行り始める直前の時期には、若年就労問題の最大の表にはやはり労働需要側にあるという認識が、地歩を得つつあった」ことを残念だと述べています。
 著者は、「いまや、『ひきこもり』イメージをかぶせられた『ニート』という言葉が、あまりにも大きな影響力をもつようになってしまったこと」で、「若者の現実とかけ離れた議論や施策が世の中に蔓延し」、こうした状況に対して、もう歯止めをかけなければならない時期が来ていると述べ、「『ニート』という括り方ではない、より若者の実態に即した区分け線を用いながら、本当に有効な施策を講じていく必要がある」と主張しています。
 第2章「若者に対して新に必要な支援はなにか」では、企業の採用抑制の背景として、バブル経済崩壊後の長期不況の影響とともに、
(1)日本社会の人口構造という、いわば歴史的な要因
(2)若い女性が働き続ける確率が高まったこと
という「企業にとっていわば外側から偶然降りかかってきたともいえる」2つの要因に加え、
(3)グローバル経済競争の激化から来る人件費縮減の要請と、サービス経済化や生産サイクルの短期化から来る労働力の量的柔軟化の要請
という要因によって、「企業の新規学卒採用、すなわち『学校経由の就職』」が90年代半ば以降急激に縮小したにもかかわらず、「しくみとしては『学校経由の就職』が依然として若者の典型雇用(正社員)へのほぼ独占的な採用ルートであり続け」、その結果、「いったんこのルートから外れて『フリーター』などの『不安定層』になった若者が正社員になれるチャンスは、小さく閉ざされたままになった」ことを指摘しています。
 著者は、「学校経由の就職」をなくしてゆくべきと主張し、その理由として、
(1)「学校経由の就職」ルートで正社員の職に移行する新規学卒者と、それ以外の「不安定層」との間に、その後のキャリア展開の可能性に関して大きな格差があり、それを変えてゆくためには、「学校経由の就職」以外のルートの方が量的に支配的になってゆくことが不可欠。
(2)「学校経由の就職」では在学中に勉学と並行しながらあわただしく就職先を決めることになるが、そうした時間的な圧縮は、一方では学生にとっても企業にとっても大きなプレッシャーとなっており、適切なマッチングではない場当たり的な就職―採用につながる。
(3)「学校経由の就職」では、若者が在学している学校と企業との組織的で長期的な関係のあり方如何によって、若者の就職機会に格差が生じる。
の3点を挙げています。
 また、従来の日本の若年労働市場において、「『教育の職業的意義』を欠いたこれまでの『学校経由の就職』では、甲羅をもたずやわらかい生身のからだを剥き出しにしている蟹のような若者を学校がどんどん企業に送り出し、そして柔らかい若者たちを企業が粘土みたいにこねあげてその企業向きの人材に形作っていく」というパターンが大勢を占め、「個人はあたかも『甲羅のない蟹』のような存在として扱われてきた」と指摘しています。
 第2部「『構造』――社会の憎悪のメカニズム」(内藤)では、ニート問題にみる社会の不安と憎悪として、
(1)「青少年が凶悪化した」「ニート化した」「子どもがわからなくなった」と煽り立てるマス・メディア。
(2)青少年にネガティヴなイメージを抱き、彼らの何気ない振る舞いに疑惑の「しるし」を探し当てては、独特の不安と憎悪であふれる大衆。
(3)危機をことさら強調して、今までなら通らなかった反市民的な政策や法案(あるいは条例)を通すなどして、望みの社会状態を現出させるチャンスを狙う政治。
の3体の構造的なカップリングが生じていることを指摘し、「青少年に対する不安と憎悪がペストのように蔓延」していると述べています。
 そして、「凶悪化している」というマス・メディアの主張に反して、「統計を見る限り、現代の若者は凶悪化して」おらず、「それどころか、青少年が年々おとなしくなっている」として、現在を、「日本の長い歴史の中で若者がここへ来て急激に穏やかになり、肉食獣から草食獣に変化するような、ものすごい変化の時期である」にもかかわらず、「年配者たちは、正反対に、若者を凶暴な肉食獣の典型のよう」に描き、「多くの人が、穏やかになった若者の牙を恐れるようになった」ことを指摘しています。
 また、紋切り型の事件報道に表れる論調として、
(1)前代未聞の事件を最近の青少年一般の凶悪化傾向を示すものととらえて警鐘を鳴らす。
(2)最近は物が豊かになったが、その反面、人間性が本来の自然の姿から離れたという疎外論。
(3)学校が息苦しい閉鎖的な空間になっている。
(4)思春期は人間関係が過敏で不安定なものになり、過度にべたべたしたり残酷なことをしたりする。
(5)インターネットでは普通の生活では出ないような邪悪な面が増幅されてしまう。
(6)『バトル・ロワイアル』のような映像メディアが悪影響をもたらす。
(7)少子化により社会性が失われた。
(8)インターネットや映像メディアのような『本物』でない仮想世界と現実との境界があいまいになった。
の8つを挙げ、それぞれ解説しています。
 さらに、青少年ネガティヴ・キャンペーンの分析から、「青少年問題に限らず、何かを問題として流行させるキャンペーンの基本的なメカニズムを抽出」できるとして、「比較的不変の『いいがかり資源』を組み合わせて、新しい『ヒット商品』が、『先行ヒット商品』のイメージに上乗せする仕方で移り変わっていく」という理論モデルを提唱し、ニートの先行ヒット商品として、「パラサイト」と「ひきこもり」を挙げています。
 そして、「職場のひどい待遇で痛めつけられて働けなくなった人が、若者自立塾のようなところで、農本主義的な、文化大革命の下放・労働改造のような生活をさせられて、『なんだか心が良くなりました』と言わされるような状況」が現に起きているとして、「朝6時に起床し、2キロのジョギングと腕立て伏せ……肉体労働といった日常で、二段ベッドが置かれたクーラーのない4人部屋で10時消灯。携帯電話は禁止されており、決められた時間に公衆電話を使うことしかできない。2週間に一度の外出許可もなかなか下りない」という若者自立塾がモデルとした沖縄産業開発青年協会の内実を紹介しています。
 著者は、「ニーとは、青少年ネガティヴ・キャンペーンの連鎖の中で売りに出されては、次々と移り変わる軽佻浮薄なイメージ商品のうちのひとつ」に過ぎないと述べ、「ニートの流行は、それで名を売ったデマゴーグたちも含めて、くだらないあぶくのような存在」であるとし、「しばらくすると、まちがいなくニートという言葉は消えて」いくと述べています。
 第3部「『言説』――『ニート』論を検証する」(後藤)では、「多くの『ニート』論が、単に巷の青少年問題言説の焼き直しでしかなくなっている」ことを、各メディアの「ニート」論を比較検証し、現在流布している「ニート」論が、「パラサイト・シングル」論と「社会的ひきこもり」論の混合としての側面が強く、「収入のある『パラサイト・シングル』とは違い、収入がない点において、『ニート』は『パラサイト・シングル』以下と見なされる」ことを指摘しています。
 また、フジテレビの朝の情報番組『とくダネ!』の「ニート」特集に登場した24歳の男性が発言した「働いたら負けかなと思ってる」という言葉をきっかけに「2ちゃんねる」で起こった「ニート祭り」について言及し、「ニート」が「青少年をめぐる問題の新しいトピックスとしてマスコミの関心事」となり、同時に「ニート」という存在に、「自立していない若者」「自分勝手な若者」というイメージが与えられ、「本来の定義である『15-34歳で、就業もしていなければ、教育も受けておらず、また求職活動もしていない若年層」という意味から離れていったとし、「このような『ニート』という言葉自体の独自の『発展』が、結果として人々の視線を社会構造の問題からそらせていったこと」に注目すべきと述べています。
 本書は、「ニート」という流行語が辿った数奇な道筋を追うことで、一つの言葉に込められた様々な思惑を読み解く一冊です。


■ 個人的な視点から

 「ニート祭り」のきっかけとなった「働いたら負けかなと思ってる」は、一昨年のライブドア社の忘年会で歌われた「2ちゃんねる」発の替え歌「VIPSTAR」にも登場しています。当時の「ニート祭り」を知らないとなぜこの言葉が歌詞に使われているのか分かりませんが、なんとなく雰囲気は伝わるのが不思議です。
http://www.youtube.com/watch?v=hh7ur83Rups


■ どんな人にオススメ?

・ニートを2ちゃんねるに入り浸っている人たちのことだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 本田 由紀 『若者と仕事―「学校経由の就職」を超えて』 2006年03月02日
 宮本 みち子 『若者が『社会的弱者』に転落する』 2005年05月04日
 玄田 有史 『仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在 中公文庫』 2005年07月20日
 小杉 礼子, 堀有 喜衣 (編集) 『キャリア教育と就業支援』 2007年03月16日
 スチュアート タノック (著), 大石 徹 (翻訳) 『使い捨てられる若者たち―アメリカのフリーターと学生アルバイト』 2006年11月14日
 熊沢 誠 『若者が働くとき―「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず』 2007年01月10日


■ 百夜百マンガ

水のともだちカッパーマン【水のともだちカッパーマン 】

 ネーミングが著しく安直に感じられるのは気のせいじゃない・・・・・・と信じたいです。『ターちゃん』でヒットを飛ばした後の鳴かず飛ばず状態はきつかったんじゃないんでしょうか。

2007年3月19日 (月)

官邸主導―小泉純一郎の革命

■ 書籍情報

官邸主導―小泉純一郎の革命   【官邸主導―小泉純一郎の革命】(#788)

  清水 真人
  価格: ¥1995 (税込)
  日本経済新聞社(2005/12)

 本書は、「官邸を舞台に過去十年の日本の政治史、とりわけ政策決定メカニズムの変遷の検証を試みたドキュメント」です。
 序章「小泉純一郎 最後の人事」では、経済財政担当相を、「竹中が『高めのボール球』を投げ込んで試合を作るピッチャー型の司令塔なら、与謝野はそれを受け止め、党内や各省の複雑に錯綜する思惑をさばいて落ち着かせ、軟着陸させるキャッチャー型の調整役」であると評しています。
 また、2005年の衆院選で民主党が掲げた「首相を中心に内閣のリーダーシップの下で予算の大枠を決定し、その枠内で各省庁の予算細目が決定する予算編成方式」である「国家経済会議」構想が、「1997年、橋本政権の下で中央省庁再編の具体案作りを担った首相直属機関の『行政改革会議』が打ち出した経済財政諮問会議の制度設計の原型とうり二つ」であることについて、「中央省庁の数を半減した上で内閣機能を大幅に強化するという橋本行革を最初に構想し、諮問会議の制度設計にも初期段階で深く関与した中心人物」が、橋本政権当時に、練り上げた省庁再編プランの原案を自民党や霞が関各省に骨抜きにされ、「強い敗北感を味わい、政治の現実を思い知らされ」、経産省に決別して民主党から参院選に出馬した松井孝治その日とであることを述べています。
 第2章「梶山静六の直感」では、無類の政策通として知られていた橋本が、「霞ヶ関の課長補佐クラスと細かい知識を競い合って勝つのが趣味」と陰口をたたかれ、小渕派内でも「怒る、いばる、すねる」と言われ人望には欠けたが、世論調査では宰相候補として高い人気を誇り、「自民党の最終兵器」といわれるほど党内の期待が高かったことが述べられています。これに対して梶山は、「俺は組織いじりには何の興味もないんだ」と、橋本が入れ込む中央省庁の再編を揶揄し、「官僚と重箱の隅をつつくような議論で競い、やり込めるのが得意な橋本に行革を『格好のオモチャ』として好きなようにやらせておく腹」であったことが語られています。
 また、梶山が、「公共事業費の削減はマクロ経済に悪影響を与える」として歳出カットを押し留めようとする建設省幹部に対し、「建設省はいつからマクロ経済屋になったんだ。そんなにマクロ経済が心配なら、いつでも経済企画庁に行かせてやるぞ!」と雷を落としたことが紹介されています。
 第3章「孤高の橋本龍太郎」では、「政治家同士の感情的な対立が極限を超え、互いにとことんつぶし合うまで引かない権力闘争」になってしまうと、「官僚はどの勢力にもくみするわけには行かず、身動きが取れなくなる」ことについて、「われわれは知恵はいくらでも出します。ただ、事柄が政争の次元になってしまうとそういうわけにもいかなくなってしまいます。」という官僚の愚痴を紹介しています。
 第4章「『真空』の小渕恵三では、参院選で惨敗した橋本後継の総裁選に出馬した小渕が、「米国の大統領経済諮問委員会(CEA)のように、生きた経済をやっている方や学者が、首相の一番近いところにいて経済戦略を立てる。会議の考え方は即、最高責任者である首相が実現していく」と、政権構想の柱として「民間のエコノミストや現役の経済人を集めた首相直属の『経済戦略会議』の設置」を提唱したことが述べられています。
 しかし、この戦略会議の答申は、「閣議決定」ではなく、「閣議報告」に留められ、「霞ヶ関では政府方針そのものになると言っていい『閣議決定』が一番重く、『閣議了解』がそれに次ぐ。さらに格落ちの『閣議報告』は各省庁間の調整を必ずしも必要としない分、内閣の政策運営に対する拘束力は弱まる」ことが解説されています。
 また、戦略会議のメンバーであった竹中が、「ニュースステーション」に出演し、「あの久米宏にディベートで負けないなんて竹中さんはすごい」と驚かれ、当時事務局に出向していた民間人が、「これは大学教授で終わる人物じゃないという予感がした」とと回想していることを紹介しています。
 そして、この答申の中で、特殊法人の資金調達を、「市場で自ら債券を発行する『財投機関債』か、そうでなければ国が政策的判断で投入する一般会計予算の二つに限定しようと構想していた」が、「いつのまにか事務局による修文作業で表現が『財投機関債等』となっていた」ため、「霞が関文学では『等』のたった一字が入ることで、財投債も活用できるという解釈になる。抜け穴が一気に広がり、文章の意味がまるで変わってしまう」例を挙げ、「霞が関は24時間体制で組織を挙げて対応してくる。学者が忙しい本業の合間を縫って非常勤で政策決定に首を突っ込んでいるだけではとても太刀打ちできない」という中谷が得た苦い教訓を紹介しています。
 さらに、戦略会議が母体となって育んだ人間関係は、「地下水脈として生き延び」、「奥田と牛尾は森の求めで諮問会議創設の当初から民間議員として参画」し、小泉政権時には竹中が経済財政担当相に就任、「骨太の方針」作りでは、「棚上げになった経済戦略会議の最終答申から『小さな政府』、財政運営とマクロ経済判断の連結など竹中の手で多くの政策構想がよみがえる」ことになったことや、経団連会長になった奥田が公表した「奥田ビジョン」は戦略会議の「樋口レポート」を「かなりの部分で下敷き」にしていることが述べられています。
 著者は、「官邸主導には様々な政治的思惑を磁場としてぶつけ合う『舞台装置』の仕掛けが不可欠だが、それだけでは政策決定は動かない。主役に演出家、プロデューサーやシナリオライターがそろわないとドラマの幕は開かないのである」と述べています。
 第5章「『司令塔』竹中平蔵の挑戦」では、わずか1年で「幕間の政権」という印象が強い森政権だが、「霞が関では橋本行革に基づく中央省庁再編がスタート。1府12省庁による新体制に移行して歴史的な転換点を迎え」、その前夜である2000年には、「新設する経済財政諮問会議をめぐり、首相官邸主導の政策決定メカニズムの行方を占う重要な論争」が巻き起こり、そのきっかけは、森が所信表明演説で打ち出した「諮問会議の先取り」と「首相主導の予算編成」にあったことが解説されています。
 また、橋本行革が内包していた限界として、「この国のあり方」の改革を目指すことをうたいながら、「省庁再編は官邸の機能強化を含めてどこまでも政府の行政組織の改革」にとどまり、「文字通りの『行政改革』であって、内閣と与党のかかわりまで含めた『政治改革』までは射程におさめていなかった」ため、「政策決定メカニズムに深く広く根を張ってきた自民等ないし与党との関係という厄介な問題をどう考えるか。そこまで視野に入れた包括的な統治構造の改革構想は存在しなかった」ことを指摘しています。
 さらに、諮問会議が官邸直結の内閣官房ではなく、「ワンクッション置いた内閣府」に設けられたことについて、「本当は内閣官房と内閣府を一体化して首相官邸に直結させる『大内閣府』構想を描いていたが、行革会議の中心になった憲法学者が退けた」という江田の言葉を紹介しています。
 著者は、小泉政権成立後、竹中が小泉から経済財政担当相を要請されたときに、「ここで引き受けなければ逃げたことになるのではないか。一生の後悔につながるかもしれない」と覚悟を決めたことについて、小泉・竹中関係を間近でみていた中川が、「自然な流れで一番最初に決まった人事だ。当然だと思った。城山三郎著『男子の本懐』で宰相・浜口雄幸が井上準之助を蔵相に口説き落とす場面とそっくりだった」と語っている言葉を紹介しています。
 また、2002年7月に竹中が仕掛けた「予算の全体像」には、
(1)「骨太」で定性的な改革の方向を示した上に、「全体像」で定量的な歳出の数値目標まで踏み込み、トップダウンで予算編成に枠をはめようとした。
(2)歳出と歳入を一体として「全体像」を考えるという論法で、増減税論議にも影響力の行使を狙った。
(3)「改革と展望」に続き、マクロ経済見通しと緊密に連結した予算編成という流れを確立しようとした。
の3つの野心が秘められており、「財務省と激しい綱引きになった」ことが解説されています。
 さらに、竹中が重視していた舵取りのポイントとして、
(1)諮問会議の討議プロセスの出発点となる「民間議員ペーパー」と呼ばれる4人の連名の政策提案。
(2)毎回の討議を集約し、方向性を示して次へつなげていく「竹中大臣取りまとめ」。
(3)節目節目で霞が関の各省の異論を押さえ込み、トップダウンで談を下す官邸主導の象徴である「小泉首相指示」。
の3点を挙げています。
 そして、この竹中大臣を支えたのが、「本間を結節点とする竹中、大田、跡田といった『大阪学派』の人脈がいわば『竹中チーム』として知力を結集し、諮問会議を切り回してきた」ことであることや、「裏匿名チーム」とも呼ぶべき政策スタッフの一群が存在し、その中核は、「意外なことに組織としては竹中に冷ややかな視線を向ける財務省や経済産業省の中堅、若手クラスの官僚たち」であり、筆頭格として経済産業省出身の岸博幸や財務省出身の高橋洋一などを取り上げています。著者は、竹中が、「官僚機構の大海で一人で孤立しては思うような政策決定などできない」と痛感しているため、「旧知の本間を軸とする『大阪学派』と、自らの人脈で引き寄せた『脱藩官僚』で固めた『竹中チーム』を支えにして諮問会議の舞台回し」を狙い、「『竹中チーム』は大げさにいえば、日本では前例のなかった米国流の政治任用スタッフの集団」ともいえるが、手作りで築き上げた非公式なネットワークであり、官邸主導の政策決定の屋台骨を支えてきた重みに比して「驚くほどの少人数」であったと述べています。
 2003年の最大の懸案となった三位一体改革については、「地方への税源移譲の優先的な実行を求める総務省と、これを機に国の予算で聖域扱いの一つとなってきた地方交付税交付金にも切り込みたい財務省」との激突となったことが述べられています。また、「小泉流の『自民党をぶっ壊す』に呼応して地方からも自民党体制を揺さぶっていく。霞が関解体にもつながる。これは政治闘争なんですよ」という増田岩手県知事の言葉を紹介し、「これまで力の源泉だった補助金がなくなっていけば、利益誘導型の自民党議員も、中央省庁そのものさえも存在を問われかねない。三位一体はそんな革命性をはらんでいた」ため、「国から地方へ」の小泉の掛け声で諮問会議が改革の土俵を設定し、3年間で4兆円という数値目標を掲げるあたりまでは、族議員も「総論賛成」だったが、「いよいよ『各論』で具体的にどの省が所管する補助金をどう削減するのかという段階になって反発は燎原の火のように燃え広がった」と述べています。
 また竹中が、「政権発足当初から税制改革に強い意欲を燃やし」、「税制改革をやらせてください。税制こそが構造改革の核心です。税は国のかたちですから」と小泉に直談判したことが述べられています。
 第6章「ラ・マンチャの男の『正気』」では、小泉が陣笠議員の頃から、「内閣総理大臣の権力とは何か」を考え抜き、「理論がどうこうとかいうんじゃなく政治を現実に見て、その中で考えてきたことだ」と語っていることを紹介しています。
 そして、内閣総理大臣の権力を、とことん突き詰めて言えば、
(1)衆院議員全員のクビを一瞬にして切ることができる衆院の解散権。
(2)閣僚や党首脳の人事権は解散権の行使。
の2つが表裏一体のものとして欠かせないと述べ、小泉は人事権の最も効果的な使い方として、「この役職に就くことができたのは誰のおかげなのか」を明確にすることを、「総理総裁の専権事項」として徹底して思い知らせる戦略を貫徹し、「派閥を完全にカヤの外においてガタガタになるまで弱体化させた」と述べています。
 また、「やればできるは魔法の合言葉」という2004年の春の甲子園で優勝した愛媛県の済美高校の効果の一節を気に入り、「文字通り宰相として『やればできる』ことをやりぬいたに過ぎない」ことが、「小泉政治の本質」だと述べています。
 さらに、衆院解散権と閣僚の人事権という「内閣総理大臣の権力」を最大限に発揮した小泉が、「政策決定メカニズムを自民党主導のボトムアップから首相官邸主導のトップダウンに変革するための新たなツール」として、「マニフェスト(政権公約)選挙と、経済財政諮問会議」という「車の両輪とでもいうべき二大装置」を活用したことが解説されています。
 一方、「小泉流政治が破壊が先行し、創造が後手に回りがちだった理由」として、「宰相の強烈なトップダウン手法にもかかわらず、あるいはそうであるがゆえに、政権全体としてそれを支える強固な『体制』がなかなか構築できなかった」ことを挙げています。そして、「秘書官の構成は据え置くが、それとは別に首相直属の政策スタッフを強化する」として、秘書官より若い課長級のキャリア官僚を初めて官邸に常駐させた「官邸特命チーム」を創設し、彼らが、「首相の生の言葉に日々接していると、思考回路もだんだん分かってくる」と語っている言葉を紹介しています。
 著者は、小泉を「『個人商店政治』の強みと限界、2つを同時に体現」すると評し、「最後まで織田信長ばりの徹底的な破壊者に徹するのか、それとも、新しい政治システム創造へのシフト・チェンジを見せるのか。答えはまだ見えない」と述べています。
 終章「『強い首相』登場の必然と皮肉」では、「地方の草の根からも政治の構造的変化を加速する動きが出てきた」として、「政治改革の語り部」を自認する北川元三重県知事が国政でのマニフェスト型選挙に続いて仕掛けた、「知事や市町村長のレベル、さらには地方議会でも同様の政策中心の選挙を浸透させようという『ローカル・マニフェスト』運動」を取り上げています。
 本書は、この10年間の政局の動きを分かりやすくダイジェストしていて非常に読みやすい一方、そのときそのときの瞬間を切り取ったタイプの分析が多い印象を受けましたが、小泉政権の出来事を知る上では必読の一冊です。


■ 個人的な視点から

 一昨年頃に、若手キャリア官僚を対象にした「スーパー公務員塾(通称:竹中塾)http://www.triggerlab.jp/」なるセミナーに何度か顔を出してきましたが、内容的には、よく自治体の政策研修にあるように、5~6人でグループを作って政策課題を分析した上で、政策を立案する、というものでしたが、特徴は、最終回の2日間、竹中大臣の前で政策をプレゼンし、優れた政策は「骨太の方針」に反映される、という点でした。岸さんのお話もおよそ官僚らしくなかったです。
 残念ながら、内容は、「?」なものも多く、特に、「自治体やNPOとの協働」をうたった政策の内容が、具体的には「補助金を出して市町村にやらせる」だったりして、入って2~3年でこういう発想になってしまうのかとがっかりもしたんですが、こうやって若手の中から目ぼしい官僚を釣り上げよう、という目論見があったのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・小泉改革が発現するまでの過程をつかみたい人。


■ 関連しそうな本

 御厨 貴 『ニヒリズムの宰相小泉純一郎論』 2007年03月08日
 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 上村 敏之, 田中 宏樹 (編著) 『「小泉改革」とは何だったのか―政策イノベーションへの次なる指針』 2006年11月02日
 竹中 治堅 『首相支配-日本政治の変貌』 2006年12月26日
 大田 弘子 『経済財政諮問会議の戦い』 2006年12月01日


■ 百夜百マンガ

ベアマーダー流介【ベアマーダー流介 】

 テコ入れなのかヤケクソなのか、必殺のアニマルフォーメーションで歴史に名を残した作品です。

2007年3月18日 (日)

新説 東京地下要塞 ― 隠された巨大地下ネットワークの真実

■ 書籍情報

新説 東京地下要塞 ― 隠された巨大地下ネットワークの真実   【新説 東京地下要塞 ― 隠された巨大地下ネットワークの真実】(#787)

  秋庭 俊
  価格: ¥1470 (税込)
  講談社(2006/6/16)

 本書は、東京の地下の闇(比喩的表現でなく本物の地下道)の謎を追う著者が、
・東京に初めて極秘の地下鉄が敷かれたのは、いつごろだったのだろうか。
・その地下鉄を建設したのは、どこの会社だったのだろうか。
という2つの謎を追ったものです。
 第1章「サンシャインシティの地下施設」では、地下駐車場3階にある野球グラウンド3つ分の巨大空間に迫り、「巣鴨拘置所の下には巨大な地下建築があったのだ」と推測し、「地下建築の解体、処理などの費用を国家予算でまかなうため」に拘置所の移転が閣議決定されたのではないかと述べています。著者は、サンシャインシティ地下の知られざる地下4階に通じるエレベーターを発見し、「池袋地域冷暖房株式会社中央監視司令室」という看板を発見するとともに、ここには豊島変電所と呼ばれる極秘の変電所が存在していると述べています。
 第2章「足元に広がる洞道」では、郵便洞道やNTT洞道、新宿やサンシャインなどの地域冷暖房用の洞道について、「戦前、陸軍が多くの地下道を有していて、戦後、各省庁に引き継がれたものの、そのルートは地上の道路とは無関係に延びていて、軍事上はそれが有効だったのだろうが、どこに行き着くのかわからないような地下道」ということが、「想像される」と述べています。そして、この洞道が建設されたのは、戦前、それも都電も走っていない頃、明治時代半ばの市区改正まで遡ることができると述べています。著者は、観音崎と富津の砲台周辺に武器弾薬を輸送するための地下道が縦横に走っていることを例に、護国寺そばの「坂下通り」に着目し、『日本築城史』を参考に、この近辺に偽装が施された砲台があったのではないかと述べています。そして、近くの開運坂から講道館のある後楽園まで柔道の先生が地下道を通って通っていた、と語る女性に出会っています。著者は、「東京の地下を調べはじめてそろそろ5年になるが、戦前の地下道を見たという人に会ったことがなかった」とその感激を語っています。
 第4章「都営浅草線の真実」では、東京に2種類の地下鉄がある理由を追っています。著者はこの背景に、山県有朋と立憲政友会との死闘が存在していたのではないかと推測し、戦後に岸首相が政権に着くと、私鉄が極秘に建設していたトンネルは「P線」という制度で私鉄に返却され、東京市が極秘に建設したトンネルは「都営地下鉄」として決めたのではないかと述べています。
 第5章「新宿・都営軌道」では、1919年に内務省東京市内外交通委員会が発表した「新宿・葵線」について、小田急電鉄が提出した路線図に着目し、この四ッ谷駅の書かれている場所が、現在の丸の内線の四ッ谷駅の場所であることは、ただの机上のプランであるならば、わざわざJRの駅から外れたところにするとは思えないと述べ、「地下鉄の四ッ谷駅を実際に建設する段階まで進んでいない限り、こんなところに駅を書くことはないはずである」と指摘しています。
 第6章「天下を掌握したのは誰か」では、東京に初めて極秘地下鉄が敷かれた時期と場所を、「1903(明治36)年の日比谷-数寄屋橋間」と述べています。そして、江戸期に作られた多くの上水の地下道には、「水が張られ、船が行き来していたのだと思う」と述べ、地下上水の大拠点が、「東京プリンスホテル付近と、神田駿河台の中央、皇居前から二重橋あたりと、東京駅八重洲口から日本橋にかけて」に存在していたと述べています。
 第7章「先に地下があった」では、三菱に払い下げられた丸の内の陸軍跡地が、開発されないまま放置され、三菱の二代目である岩崎弥之助が、「竹でも植えて虎でも飼うさ」と語ったという言葉を、「竹」は竹橋、「虎」は虎ノ門を表し、この間、皇居の中庭を貫通した地下道を示した、三菱の総力が結集された弥之助一世一代の名ゼリフだと「聞いても私は驚かない」(!)と述べています。
 本書は、同じ著者による帝都地下シリーズの最新刊として、地下マニアにはたまらない一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書のラストには、GHQの作った地図から著者が見つけ出した秘密の暗号が紹介されています。それは、東京市が敷設した極秘地下鉄は、新宿御苑、飯田橋、不忍池、清水観音堂など、アルファベットの「Shi」のつく地名が一直線に並んでいること、京急の祖・雨宮が認可を得た付近には、牛込見附、新見附、市ヶ谷見附などアルファベットの「Ke」が並んでいることなどです。さすがにここまでくると矢追系が露骨になってきますが、戦前の地図を現在と比較しながら追うこと自体はおもしろいです。


■ どんな人にオススメ?

・地下鉄はどこから電車が入るのかを考えると眠れなくなっちゃう人。


■ 関連しそうな本

 秋庭 俊 『帝都東京・隠された地下網の秘密』 2006年10月4日
 秋庭 俊 『帝都東京・隠された地下網の秘密〈2〉地下の誕生から「1‐8計画」まで』
 秋庭 俊 『帝都東京・地下の謎86』
 秋庭 俊 『写真と地図で読む!帝都東京・地下の謎』


■ 百夜百音

Love 2000【Love 2000】 hitomi オリジナル盤発売: 2000

 「どこからやってくるのか」が気がかりなのは地下鉄だけではありません。高橋直子選手が聞いていたことでも有名。
 シャンソンの名曲をカバーしていますが、作詞作曲のシャルル・アズナヴールはシャア・アズナブルのネタ元としても知られています。

『シャルル・アズナブール』シャルル・アズナブール

2007年3月17日 (土)

内臓が生みだす心

■ 書籍情報

内臓が生みだす心   【内臓が生みだす心】(#786)

  西原 克成
  価格: ¥966 (税込)
  日本放送出版協会(2002/08)

 本書は、著者の「心のありかをさぐる」研究の答えがタイトルとなっているものです。著者は、心を、「動物の器官や組織・細胞の持つ働き(機能)のこと」であると述べ、心の源を、「細胞という生命の最小単位の構造体が持っている働きによって発生するエネルギー」であるとしています。
 著者は、「口腔科」の医師で、人工骨と外呼吸器の深い研究によって、「進化の起こる原因子、免疫システムの謎、骨髄造血の発生」という三つの謎が解けるという信念のもと、研究を続けてきたことが述べられています。
 著者は、過去、心のありかをさぐる研究を、動物の大脳皮質を削ぎ落としたり、脳幹を切るなどの方法によって行われていたにもかかわらず、「どうやら心のありかは脳をいくらいじくってもわからない」ということがわかっただけだった、と位置づけています。そして、「心が心臓や肺つまり腸管内臓系に存在することを示し、さらに故事を辿って心が内臓腸管系に存在すること」を交渉するため、アメリカで実際にあった人の心肺同時移植研究の結果を取り上げています。これは、『記憶する心臓』という本でも知られている辞令で、難病に冒された主人公が、心臓と肺の移植手術を受けたところ、ドナーの青年の意識が自分の中にあるように感じ、青年の夢を見ます。その後、図書館でドナーの死亡記事を見つけた主人公は、青年の名が夢の中で知ったものと同じであることに驚愕する、というものです。著者は、この主人公の心が変わってしまったのは、「肺が腸管に由来する肝臓に相当するくらいに大きな臓器であり、腸管が生命の源である」ためであると解説しています。
 また、著者は、サメを使った実験により、進化は「重力を中心とした力学的刺激で起こることが明らかに」なったとして、「人為的に進化を生体力学刺激によって起こす実験進化学手法」を考案しています。
 著者は、生命の本質である心・魂は腸にあると主張し、「神経と筋肉と骨でできたがっちりした体壁身体は生命の心の腸管を運ぶヴィークル(担体―車)」に過ぎないと述べています。
 また、免疫システムについては、「心と精神に次いで高度な生命のエネルギー代謝、すなわち白血球を中心とした血液の機能」が免疫力であるとしています。
 具体的な心のありかとしては、「うれしい・悲しい・怒り等、内臓から発する情動」が心であり、胸と腹に宿っていると述べています。そして、自我を、「五欲の本能に根ざした、生命個体に備わった生存欲、そして本性で、腸にあるふてぶてしい内臓感覚」であると解説しています。
 さらに、腸を支配しているのは、「腸の出口と入り口の皮膚(外胚葉)の神経と腸粘膜(内胚葉)の神経の合体した神経の束」である「腸脳」であることを明らかにしています。
 本書は基本的に、腸を起点に発想されています。曰く、「顔は骨格を持った腸管で、骨格の外側に筋肉が出ている」ものであるそうです。さらに、「鰓」という字を「魚」と「田」と「心」に分解し、「田」はヒトやサルの頭を輪切りにした図で脳を表し、「心」は心臓に代表される腸管内臓器官を表すと述べ、魚は鰓で喜怒哀楽を表すと述べています。
 念のため言っておきますが、本書は、「トンデモ本」にカテゴライズされる類のものなので、読むときは心して読むことをお奨めします。


■ 個人的な視点から

 著者は、脚は本来、生殖器の補助装置であると解説しています。そして、脚を見て興奮する人がいるのも、足だけを使う競技であるサッカーを見て世界中の男女が興奮するのも、脚が生殖の補助器であるからであると述べています。もし本書をごらんになる人がいるとしたら、最初にこのことが書かれている190ページあたりを読んでから考え直してみてください。
 著者は、その個性的な発想のためか、研究テーマを選ぶ時にも、「その当時未解決で誰も手が出ない幅の広い問題か、最も難しい問題で、時流にあった手法とは異なるものだけを」選んできたことが述べられています。そのため、短期的な成果が出なかったそうです。「進化を起こす因子」と「心のありか」を明らかにしただけでも十分大きな成果だと思うのですが。
 実社会でも、「上司に恵まれない」ために、2度にわたって教室主任と対立し、2度にわたり「中央突破」(どんな内容なのかは怖くて聞けません)することで、自由な研究生活を送ることができるようになったと述べています。


■ どんな人にオススメ?

・「と本」に正面から向き合いたい人。


■ 関連しそうな本

 ジュリアン ジェインズ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 2006年06月04日
 トール ノーレットランダーシュ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』 2006年06月18日
 V.S. ラマチャンドラン, サンドラ ブレイクスリー (著), 山下 篤子 (翻訳) 『脳のなかの幽霊』 2006年09月03日
 アンドリュー ニューバーグ, ヴィンス ローズ, ユージーン ダギリ (著), 茂木 健一郎 (翻訳) 『脳はいかにして"神"を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス』 2006年07月01日
 リチャード・G. クライン 『5万年前に人類に何が起きたか?―意識のビッグバン』 2006年10月21日


■ 百夜百音

The Matrix: Music From The Motion Picture【The Matrix: Music From The Motion Picture】 Soundtrack オリジナル盤発売: 1999

 youtubeにいろいろなパロディが載っていておもしろいのですが、一番おもしろかったのはマペットのマトリクスでしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=XQrotZDDsTE&eurl

 実写版の元ネタと比べると驚きです。
http://www.youtube.com/watch?v=_0ibsoFsYFU

『マトリックス 特別版』マトリックス 特別版

2007年3月16日 (金)

キャリア教育と就業支援

■ 書籍情報

キャリア教育と就業支援   【キャリア教育と就業支援】(#785)

  小杉 礼子, 堀有 喜衣 (編集)
  価格: ¥2415 (税込)
  勁草書房(2006/2/10)

キャリア教育と就業支援
 本書は、
(1)学校におけるキャリア教育の推進と実践的な職業能力形成の仕組みの導入
(2)ほとんどの都道府県が設置した「ジョブカフェ」での総合的な就業支援
を柱とする「新たな政策展開の最前線にある方々への情報提供を目的に編集」されたものであり、他の先進諸国に遅れてこの問題に取り組む我が国にとって重要な参考事例となるイギリス、アメリカ、ドイツ、sうぇーでんの4カ国での政策展開を紹介しているものです。
 序章「なぜ若者政策を国際比較するのか」では、フリーターやニート・失業者増加の背景にあるものとして、「産業界が正社員として雇用するのは、より高学歴で一定年齢以上の者」であり、「低学歴、10代の若者に対しては正社員としての雇用機会は著しく少なくなっており、そのために、正社員としての職を求め続ければ、失業し続けることになり、非正社員に雇用口を求めればフリーターとなり、さらに、求職活動をあきらめてしまえば、ニート状態に陥ることになる」と述べています。
 著者は、企業の新卒採用がこれだけ厳しくなった要因として、
(1)景気の低迷
(2)雇用慣行の変化
(3)産業構造の変化
の3点を指摘しています。
 第1章「イギリスのキャリア教育と就業支援」では、若年無業者対策として注目されているコネクションズ政策(Connexions)が、どのような背景と経緯で導入されたのか、その政策が学校内及び学校外で具体的にどのように営まれているかについてまとめています。
 また、1998年2月に教育雇用省が発表した緑書のなかで、16歳以降の学習システムの構築に向けた国家ビジョンとして、
(1)個々人の可能性を最大限に伸張するとともに、企業を繁栄させること。
(2)競争的環境を用意し、今後の経済の発展を十分に保障すること。
(3)家族との強い結びつきや、地域において社会への参加意欲を育むことにより、社会的統合を実現すること。
(4)学習における創造性、起業心、意欲を育むこと。
の4点が掲げられたことが述べられています。
 さらに、1998年にブレア政権が導入した「若年者向けニューディール政策」(NDYP)の経験において、
(1)若者が支援を利用するのを待つという姿勢を改め、支援を必要としている若者がどこにいるかを支援側が把握し、働きかけること。
(2)支援機関のネットワーク化を行い、就業だけではないさまざまな面からの包括的・統合的アプローチを行うこと。
(3)若者が無業の状態を経験する以前に無業化を予防すること。
(4)若者に利用される支援とするために若者の意見に基づいて支援を行うこと。
の4つの課題としてまとめられたことが述べられています。
 コネクションズの支援の特徴としては、
(1)地域における統合的・継続的サービスのために、進路追跡データベースを設置したこと。
(2)在学中からの早期の働きかけ。
(3)若者の関与の推進。
の3つの点が、これまでの若者支援政策と大きく異なると述べられています。
 著者は、イギリスの経験から得られるインプリケーションとして、
(1)若者の学校から職業への移行を支援するためのひとつの方策として、教育政策と労働政策との接合が図られた。
(2)義務教育に所属している段階において、学校及び学校外機関双方から働きかけている。
(3)キャリア形成支援のプログラムの目的の広さ。
(4)社会的に不利な立場に置かれた若者への配慮が常に意識されている。
の4点を挙げています。
 第2章「アメリカのキャリア教育と就業支援」では、「Twixters」と呼ばれる、「大学卒業後、年齢的には成人を迎えながら、職を転々と変え、結婚もせず、親と暮らし、享楽的とも思える生活を続ける若者たち」の記事を紹介したうえで、アメリカにおける移行支援制度・実践から得られる日本への示唆として、
(1)学校段階におけるキャリア教育・就業支援における中核的担当者の配置とその専門性
(2)職場における体験的学習の体系性と多様性
(3)ターゲット集団を特定した積極的キャリア教育と就業支援
(4)プログラム効果測定
の4点を指摘しています。
 第3章「ドイツのキャリア教育と就業支援」では、ドイツの教育・雇用システムの特色である、「青少年の7割程度が前期中等教育終了後に、定時性職業学校に通学しながら企業での職業訓練を行う『デュアルシステム』」について解説しています。このシステムでは、「企業が訓練生と一種の労働契約として訓練契約」を結び、「この契約を結ぶために訓練生希望者は企業の選抜を受け、『訓練席』を確保することが、『第一の労働市場』として機能」しており、デュアルシステムによる職業教育・訓練を試験に合格して修了することで、「『専門労働者』や『職人』といった職業資格を持った労働者」となる「第二の労働市場」が機能していることが解説されています。
 著者は、デュアルシステム型の職業訓練の課題として、
(1)国自身が例外としてではなく訓練席を提供するか、
(2)企業に訓練席を強制的に割り当てるか、
という政策を採らない限り、第一の労働市場での需要に対応することが困難であることを指摘しています。
 そして、企業を取り巻く環境が厳しくなり、企業が「職業訓練を外部へアウトソーシングし、労働者自身の負担による職業訓練を求めるようになる」点を日本とドイツに共通する課題として指摘しています。
 第4章「スウェーデンの若者政策」では、1990年代以降の若者政策の特徴として、1999年のユースレポートに掲げられた、
(1)自立:青年期の到達目標
(2)「現在及び将来において若者がメンバーとして社会に参画し影響力(発言する機会と決定への参画)を持つこと」
(3)「若者のコミットメント、創造性、批判的思考力を社会は資源として生かさなければならないこと」
の3つの大目標を紹介しています。
 第5章「日本の若年者就業支援策」では、新規学卒者の労働需給調整において、人材供給が一時的に集中するため、
(1)学校卒業時に失業状態になる者を出さず、
(2)企業が必要な人材を計画的に採用でき、
(3)就職活動ができるだけ学校教育の妨げにならないようにする、
という目標達成のため、効率的・効果的なシステムが必要となることなどが指摘されています。
 そして、20054年4月からスタートした、「企業の即戦力重視の姿勢の中で若者にとってのハンディキャップとなっている実務経験不足という問題に対応するため、座学と企業での実習を組み合わせる『日本版デュアルシステム』」について解説しています。
 終章「キャリア教育と就業支援」では、就業に関わる若者政策の課題として、
(1)多様な職業世界に若者を方向づける
(2)若者のエンプロイアビリティを高める
(3)職業生活への移行が難しい若者への対応
(4)若者を活性化する
(5)政策を評価し、有効性を高める
の5点を挙げています。
 本書は、若者の就業支援に携わる人にとっては基本的な考え方を整理させてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、独立行政法人労働政策研究・研修機構(特殊法人の実態を内部告発した『ホージンノススメ』の舞台となった組織。著者とは退職金やセクハラをめぐって裁判になり労働政策を専門とする研究機関でありながら、自ら一部敗訴するという失態を晒している)の研究報告書をベースにしているため、あくまで現状の労働政策を追認するという性格が強く、出版後2年持ったないうちに目新しさはなくなってしまっていますが、読みやすい資料を整理したものとしては便利な一冊ではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・若者向けの就労対策の現状を押さえたい人。


■ 関連しそうな本

 小杉 礼子 『フリーターという生き方』 2006年04月04日
 小杉 礼子 『フリーターという生き方』 2006年04月04日
 宮本 みち子 『若者が『社会的弱者』に転落する』 2005年05月04日
 本田 由紀 『若者と仕事―「学校経由の就職」を超えて』 2006年03月02日
 苅谷 剛彦 『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』 2006年02月14日
 熊沢 誠 『若者が働くとき―「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず』 2007年01月10日


■ 百夜百マンガ

ジョーダンじゃないよ【ジョーダンじゃないよ 】

 マイケルの方ではなく、口の周りに泥棒ヒゲを生やしたビートたけしの顔を思い浮かべてしまうのは齢のせいでしょうか。

2007年3月15日 (木)

地方分権の財政学―原点からの再構築

■ 書籍情報

地方分権の財政学―原点からの再構築   【地方分権の財政学―原点からの再構築】(#784)

  持田 信樹
  価格: ¥5,250 (税込)
  東京大学出版会(2004/04)

 本書は、「21世紀の経済社会において、どのような地方分権化が望ましいのか、そのための財政システムはどうあるべきかを検討し、そのあるべき見取り図を構想する」ことを目的としたものです。
 序章「財政システムと地方分権」では、地方交付税の信頼喪失問題との関係で、「そもそもどのようにして地方財政計画上の財源不足が生まれたのかという問題」を強調し、「現行の地方交付税では、地方交付税の対象税目と主要な地方税の税源が重複しているために、地方交付税は景気の変動による地方税収の増減を相殺するような機能を有していない」ことを指摘しています。
 第1章「地方財政の国際的位置:日本と北欧」では、イギリスのレイフィールド委員会が、北欧諸国を、「社会的サービスを含む広範な事務を執行して所得再分配活動に関与し、かつ地方所得税により支出の大部分を賄い、不足分を水平的財政調整と一般補助金で補うという地方政府のあり方」を指して、「地方の財政責任」の模範として紹介したことを挙げています。
 また、地方政府の役割分担と裁量権に関して、
(1)分離型:ある政策領域が中央政府―地方政府のいずれの守備範囲かが明確になっている場合。
(2)統合型:混在しオーバー・ラップしている場合。
とに区分した場合、日本の政府レベルの役割分担は、「典型的な統合型」であると述べ、地方の裁量権の度合いについては、統合型はさらに、
(1)行政統制:地方が決定する事柄の細部に中央が干渉する
(2)立法統制:大綱的な誘導にとどまる
とに分けることができ、「日本の地方行財政において中央省庁の官僚は、記載や法定外税の許可、地方交付税における補正係数操作、財政再建準用団体指定等の'ハード'な手段から、人事や地方税法の解釈に関する『行政指導』のような'ソフト'な手段まで、様々なルートを通じて地方公共団体を日常的に監視・統制している」「典型的な行政統制型の統合モデル」であると述べています。
 一方、北欧諸国については、「地方自治が重要視されており、補助金は教科書的な役割(外部性の内部化等)に制限され」、「地方税が地方自治の財政的基盤であって、補助金はそれを補完するに過ぎない」ものであるとし、日本では、「地方政府の主な収入源は中央政府の所得税・法人税並びに消費税の付加税的性格を持つもので占められていて、税率決定権は制約を受けている」と述べています。
 さらに、日本の地方税システムについて地方税原則の、
(1)伸張性:地方政府に割り当てられた機能にふさわしい十分な税収を上げうること。
(2)安定性:税収入の変動が小さいこと。
(3)財政的自立性:税率決定権が保持されていれば、地方の選好に応じてサービス水準を変えることができる。
の3つの基準によって考察し、
(1)伸張性:おおむね満たしている。
(2)安定性:とくに都道府県の税収が景気循環に反応して、大きく変動する傾向がある。
(3)財政的自立性:税率と課税標準の決定をめぐって、地方自治体には2つの裁量権が認められているが、効率性や地方自治が必要とする有権者に対する説明責任が有効に発揮されていない。
であると述べています。
 著者は、財政調整制度の対照的なアプローチとして、
(1)垂直的財政調整:貧困な地方団体の歳入を一定の全国標準にまで引上げるために、中央政府が垂直的に補助金を交付する。
(2)水平的財政調整:「ロビンフッド・モデル」とも呼ばれ、豊かな地方団体が調整資金を拠出し、貧しい地方団体へ水平的に移転する。
の2つを挙げた上で、わが国において地方交付税による垂直的調整が定着している政治的理由として、
(1)突出して豊かで政治的な地方団体が財政調整制度の枠外に置かれること
(2)垂直的調整ではあたかも全ての地方団体が受領しており、だれも負担していないように見える「財政錯覚」
の2点を挙げています。
 そして、日本と北欧諸国の公共部門における分権化の比較から導かれる点として、北欧諸国が高度に分権的な公共部門を通じて、充実した福祉政策を実行しているのは、地方団体間での税負担を平準化している補助金・財政調整システムの存在であり、「協調的分権」(cooperative localistic model of fiscal federalism)モデル的特質を持っているからであることを指摘し、その相違点として、
(1)政府レベルの役割分担であり、日本が「行政統制」タイプであるのに対し、北欧は、「立法統制」タイプである。
(2)地方税における税率決定権であり、日本のシステムは大陸型の税収分割と北欧諸国並の高い支出構造を組み合わせた特徴を持っている。
(3)強力な財政調整制度がともに存在するが、算定公式と理念・調整方法に違いが見られる。
(4)中央によるコントロール実施する組織が異なる。
の4点を挙げ、日本の財政制度が、「税負担の調和やサービス水準の標準化並びに上位の政府によるコントロールを目標にしている」事を指摘しています。
 第2章「税源配分論の展開と日本の地方税」では、地方税について、「He who pays the piper calls the tune(費用を払うものにその使い道を決定する権利がある)」という原則に照らし、「受益と負担の関係を明確化し、有権者や納税者に対する説明責任を強化し、地域の選好にあわせた多様な行政サービスを供給するためには、地方公有財源である地方税の充実を図ることが第一義的に必要である」と述べています。
 そして、日本の地方税システムを、
(1)垂直的財政不均衡の形態:歳出と税収入のギャップ、したがってまた移転財源への依存が高まるほど地方自治体の納税者に対する説明責任は弱くなり、財政錯覚を発生させ予算制約をソフト化する「垂直的財政不均衡」の是正が必要である。
(2)課税ベースの構成:連邦、州、地方の異なるレベルの政府が同一の課税標準を共有する「重複型」においては、一般的に州・地方税は個人所得税と一般消費税を基幹税とし、若干の法人所得税で補完するというのが特徴であるが、日本の地方税は重複型でありながら歪んだ構造を持っていて、当該地域の住民が負担する個人所得税や一般長非課税等の居住地価税のウェイトが低く、その分法人課税のウェイトが大きくなっており、視認性が低く、火居住地にも負担が輸出されやすい法人所得課税に依存していることは、受益と負担の連動が断ち切られ、地方財政の説明責任が不明確になりやすい。
(3)課税自主権の度合い:日本の地方税は大陸型の税収分割とは一線を画しているように見えるが、大半の地方自治体が同一の課税ベースに全国一律の税率で賦課しているのが実態であり、地方財政の説明責任がこの面からも弱められている。
の3つの観点から国際比較を行っています。
 また、州・地方に個人所得税を配分することの正当化根拠として、
(1)税収に弾力性があり、所得弾力的な対人サービス(教育、福祉、医療)に必要な歳入を調達する能力があり、法人所得に比べて課税ベースの移動性が低い。
(2)公共サービスの費用を住民がなるべく広く分担する税なので説明責任が高い。
(3)一般報償関係に基づく応益課税としての正当化根拠がある。
の3つを挙げています。一方で、法人所得税については、「法人企業の大半は複数の地域で横断的な生産活動を行っているので課税所得をいかに地域間で配分するかという難問」があるうえ、「法人税の負担は商品価格や株主負担を通じて、他地域へ『輸出』されるので税負担は過大になる傾向がある」一方、「法人税の課税ベースは移動性が高いため租税競争が起こりやすく、この面では税負担は過少になる」性質があり、「このような水平的外部性によって受益と負担の連動が断ち切られるため、法人税に依存する地方自治体の財政責任は弱体化する」と述べ、伝統的な税源配分論では、「法人税は中央政府に配分すべき」と論じられてきたと述べています。
 著者は、地方税充実強化の基本的戦略として、「住民税と地方消費税の二大基幹税のウェイトを高めつつ、法人税については応益説的観点から税の性格を明確にすることにある」として、
・簡素で公平な固定資産税
・個人住民税の拡充
・地方消費税の将来像
・法人事業税の外形標準化
等について考察しています。
 第3章「付加価値税配分論と地方消費税」では、地方消費税の創設が、最終的には政策判断の問題であったために、理論的には様々な課題が積み残されているとして、
(1)地方消費税は都道府県に税務行政権がない不完全な地方税であり、かつ都道府県は税率決定権を持たない。
(2)「最終消費地と税の帰属地との一致」を図る考えから都道府県間の「清算システム」によって税収を帰属させるという複雑な機構を伴っている。
(3)地方消費税の清算は、商業統計などに基づき各県に配分しているが、その前提となる商業統計等が、地方消費税の対象となる取引やサービスの最終消費額を補足できるかについて実証的に確認されていない。
の3つの論点を挙げています。
 また、地方消費税の性格について、「都道府県の行政サービスに対する対価としての応益説的な観点と、消費に担税力を見出す応能的な観点とが込められており、その解釈は時期により、論者により必ずしも一貫したものではない」ことを指摘しています。
 さらに、境界統制なしに仕向地原則を適用する新基軸として、「繰延べ支払い方式(deferred payment method)」が、国際的な注目の的となっているが、「地方消費税創設にあたって、この方式が検討された形跡は管見のかぎりない」と指摘しています。
 著者は、日本の地方消費税の今後のあり方を考える場合にもつ、政策的含意として、
(1)今後の地方消費税のあり方を考察するには、原産地原則か仕向地原則かという選択を含めて、あらためて地方消費税の課税の仕組みを原理的に検討することが必要である。
(2)そのため、「税率決定が可能な地方消費税は原産地原則に適合的であるか否か」を再検討すべきである。
(3)わが国はECノイマルク委員会の勧告よりも、「地方付加価値税も仕向地原則であるべき」であるというシャウプ、クノッセン、バード各教授の説を参考にすべきである。
(4)税額控除清算方式で税率決定権を地方政府に与えるには、移出先の地域の税率で売上にかかる税額を計算するしかない。
(5)清算機関なしに、税率決定権を地方政府に与えるための究極の選択肢としては、付加税型の繰延べ支払い方式しかない。
(6)日本の地方消費税の将来像を構想する上では、共同型付加価値税(joint VAT)という点において、日本の地方消費税に最も近い、カナダの協調売上税(HST)の長所を参考にすべきである。
の6点を挙げています。
 第4章「地方交付税の制度設計」では、1954年に誕生した地方交付税が、「国税収入の一定割合を交付税とする『独立共有財源』としての性格はなし崩しに曖昧化」され、「平衡交付金的な発想」で運営されていることを指摘し、その問題点は、それが単なる交付税特会収支の悪化ではすまされず、「『負担』を後年度の各地方自治体とその納税者に転嫁するものでありながら、そのことが十分に認識されない仕組みになっていることに問題の根深さがある」ことを指摘しています。
 また、「地方公共団体には徴税権があるので民間企業と異なり破産、清算はない」ため、「地方財政が再建の見込みのない実質的破綻に陥っている」という議論は上滑りした不正確な表現であり、「債務履行状況に問題が発生しているため放置すれば今後破綻する恐れが強いという破綻懸念が実情に近い」と考え、「このような破綻懸念が実質破綻や破綻に転嫁する前に抜本的な改善策を講じる必要」があり、「残された時間はとても短い」ことを指摘しています。
 さらに、財源不足発生の原因として、「『供給側』が増大している時には『需要側』がそれ以上に膨張して、収支の黒字化が不胎化される一方、景気が後退して『供給側』が減少する時は『需要側』の膨張によって収支の赤字化が増幅されてきた」ことを指摘しています。
 著者は、地方交付税制度におけるモラル・ハザード問題に関して、固定資産税における市町村の「負担水準」と地方交付税の関係を検証し、「全町村の23%、全市の76%を占める地方交付税の交付額が地方税よりも少ない団体では、何らかの理由によって、固定資産税の『負担水準』が相対的に低く、結果的にモラル・ハザードに近い現象が発生していることが確認できる」と指摘しています。しかし、「地方公共団体が実効税率を下げることによって、恣意的に交付税余剰給付額を増加させることは不可能」であるため、「地方公共団体のモラル・ハザードは存在しない」と述べています。
 また、今後の財政調整制度の役割を、「交付税プラス地方税で『結果の平等』を保障するものから、地方税プラス交付税で『機会の平等』を与えるものに、主役から脇役に」再定義されると述べています。
 第5章「地方分権下の財政調整制度」では、地方交付税の制度設計をめぐって多岐にわたって展開されている議論として、
(1)財政調整あるいは財源保障の程度が高すぎるのではないかという基準財政需要の水準を中心とした問題
(2)いわゆるモラル・ハザードと呼ばれる地方公共団体に非効率的な行動を誘引する制度的な問題
(3)基準財政需要額算定の方式が複雑すぎるのではないか、あるいはそれに伴って本来の趣旨に反し恣意的に基準財政需要額が算定されているのではないかという実施上の問題
の3点を紹介しています。
 そして、財政調整制度の役割理解のためには、
(1)地方分権化の性格と正当化根拠
(2)分権化がもたらすコストとしての非効率と不公平
(3)分権化の長所を生かしながら、非効率と不公平を回避する制度設計
の3点などに注目する必要があるとしています。このうち、(1)に関しては、一般的な地方分権のコストとして、
(a)スピル・オーバー
(b)国内共通市場の撹乱
(c)租税競争
(d)垂直的財政外部性
の4点を挙げています。
 著者は、「『機会の平等』を保障する財政調整制度の正当化根拠は、地域間での財政余剰の格差(NFB)を標準化することにある」と主張し、そのポイントとして、
(1)人々の自由な地域選択は必ずしも最適な資源配分をもたらさない。
(2)財政調整の制度設計は、地方自治体が供給するサービスの性質ならびに財源調達手段に依存する。
(3)所得階層別の負担は日本では標準的なケースに近い。
(4)日本では準私的財の便益はやや累進的(低所得層に手厚い)であることが判明した。
の4点を挙げ、「居住地価税全体は所得比例的であり、他方、地方歳出ややや累進的である。この累進性ないし所得再分配性は日本における居住地課税の100%ないしそれ以上の平準化を正当化する」という結論を述べています。
 第6章「持続可能な地方債制度の将来像」では、「過去の経済対策への協力から生じた負の遺産を処理しなければならないだけではなく、地方分権や財投改革などの現在の大きな流れの中でも最も難しい位置に置かれている地方債制度の問題点を検証し、持続可能なシステムにするための基本的指針と制度設計を模索すること」を課題としています。
 そして、わが国で地方公共団体を破綻から守る社会的仕組みが、
(1)起債許可制度
(2)地方交付税
(3)起債制限比率
(4)財政再建団体制度
の4つの柱から構成され、「地方債許可制度と一体となった地方財政・地方債計画及び地歩交付税制度が、地方公共団体を破産から守る『暗黙の政府保証』として最も重要な役割を担っている」が、「暗黙の政府保証」の蟲師得ない副作用として、「納税者や個人ならびに機関投資家は地方公共団体の財政破綻による信用リスクを免れている」ことを挙げ、「地方公共団体の財政を注意深く監視し、財政運営のずさんな地方公共団体から資金を回収し、あるいは首長や議員を選挙で落選させるインセンティブが住民や投資家に働かない」ため、「財政破綻を起こさせない仕組みが整備され充実すればするほど、市場規律や納税者の監視機能は弱体化する」ことを指摘しています。
 著者は、一定の公的資金の必要性は依然認めながら、「今後は地方公共団体が市場において必要な資金を自らの力で調達することが一層強く求められてくる」と考え、「負の遺産を処理し、再び過大な債務を負わないために地方債制度の透明性を高めることも必要である」と指摘しています。そして、「市場による規律」が効果的に機能するための前提条件として、
(1)借り手の負債や返済能力に関する十分な情報公開が行われていること。
(2)金融機関に対するポートフォリオ規制(国債・地方債の発行割当て等)が行われていないこと。
(3)借手が債務不履行に陥った場合に貸手を救済しないという政府のコミットメントが信頼できること。
(4)借手は、新規借入れが不可能となる前に市場のシグナル(格付けの悪化等)に合わせて俊敏に政策決定を行うこと。
の4点を挙げています。このうち、(3)に関しては、「財政窮乏の最終的なゴールが不透明な場合、政府が無救済政策を貫くことはむずかしい。破産という最終ゴールが明確に規定されていれば財政的な怠慢や不注意に対する強力な抑止力となる」と述べています。
 著者は、長期的観点から見た制度設計として、
(1)行政的分権論:弱小団体の資金調達が可能であるが財政錯覚が発生する。
(2)強調的分権論:標準を越える部分についての自己責任を求める。
(3)競争的分権論:市場規律で財政運営を監視し、地方自治体の破産を容認する。
の3つの対照的アプローチがあるとした上で、「協調的分権論がより望ましい」と述べています。
 第7章「欧州地方自治憲章と分権化の戦略」では、1985年に批准が開始された「ヨーロッパ地方自治憲章の基本的な考え方を明らかにするとともに、諸勧告の日本への適用の可能性を検討」することを課題としています。
 そして、ヨーロッパ評議会が重複型の地方所得税を「最良の地方税」として推奨した根拠として、「リスボン報告」の叙述から、
(1)地方所得税なしに、自主財源比率が高い国はヨーロッパ諸国にはない。
(2)所得税のように弾力性の高い租税が「財政錯覚」を発生させるとは必ずしも言えない。
(3)事業用固定資産税、法人税、売上税に比べると、個人所得税の帰着はよりはっきりしており視認性が高い。
(4)課税ベースの地域間移動は地方所得税のような家計を客体とする税の場合、法人税や事業用固定資産税に比べて深刻ではない。
(5)地方所得税の単一比例税化は低所得者への負担を重くするし、逆に累進税率では中央政府が担うべき所得再分配効果を地方に認めることになるが、両者の折衷案として、所属税額を課税標準にした比例税率で賦課する方法がある。
の5点にまとめています。
 著者は、「ヨーロッパで地方分権に目を向けさせる諸条件は程度の差こそあれ、日本でも次第に重要性を増している」とした上で、「行政的分権から強調的分権への移行」が、
(1)依存財源比率が高く特定補助金が優位を占める歳入構造を、依存財源比率が低く包括補助金のウェイトが高いものへとシフトする。
(2)実質的に税収分割である地方税を手中とする自主財源比率を量的に高めると同時に、質的にも現行の事実上の税収分割方式から税率決定権を保持した重複課税方式へと転換する。
(3)地方自治体の財政責任が強化されることを前提に、地方債の発行を行政的統制ではなく透明なルールに基づいて管理する。
の3つの目標に向けて現行制度を改革することを意味すると述べ、このうち(1)については、「国庫負担金(地財法第10条)と国庫補助金(地財法第16条)との区分を明確にし、国庫補助金については廃止を行い、国庫負担金については生活保護、義務教育など真に国が義務的に負担を負うべき分野に限定すべきである」こと、「補助負担金を廃止した後、地方自治体が引き続き実施すべき事業については廃止した補助金の全額を地方へ税源すべきである」ことなどを述べています。
 本書は、財政面での地方分権化について、課題に一覧性を持たせているという点で、コンパクトといえる一冊です。


■ 個人的な視点から

 同じ著者(今回の場合は編者ですが)の本を2冊3冊と続けて読むと、内容が頭に入って来やすくて後に行くほど読みやすくなります。特に単著の文献で著者独特の概念や言葉遣いを打ち出している場合には、なまじ時系列順に読むと、概念を提唱し始めた初期の頃の説明はむやみに冗長であったり、年を追うごとに少しずつ内容や表記方法が揺れたりしていることがありますので、ある程度概念が安定し、一般的になったものを読んでから提唱され始めた当時の文献における試行錯誤の様子を読む方が安全です。
 車と同じでフルモデルチェンジ後の初期ロットを買うよりも、安定したから買った方が安心できるということでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・分権時代の財政制度を概観したい人。


■ 関連しそうな本

 持田 信樹 『地方分権と財政調整制度―改革の国際的潮流』 2007年03月14日
 平嶋 彰英, 植田 浩 『地方債』 2006年12月14日
 白川 一郎 『自治体破産―再生の鍵は何か』 2006年10月30日
 天川 晃 『GHQ日本占領史 (38)地方自治体財政』 2007年02月15日
 カール・S. シャウプ (著), 柴田 弘文, 柴田 愛子 (翻訳) 『シャウプの証言―シャウプ税制使節団の教訓』 2007年02月13日
 石見 豊 『戦後日本の地方分権―その論議を中心に』 2007年02月09日


■ 百夜百マンガ

うっちゃれ五所瓦【うっちゃれ五所瓦 】

 「帯ギュ」にしてもそうですが、少年誌の一角には必ず一定のスポ根モノが入っているのは、編集者たちの世代的な思い入れなのか、かつての少年誌の売上を支えたジャンルだからなのか、主たる客層である小中学生の部活をにらんだものなのか、どのあたりにあるのでしょうか。

2007年3月14日 (水)

地方分権と財政調整制度―改革の国際的潮流

■ 書籍情報

地方分権と財政調整制度―改革の国際的潮流   【地方分権と財政調整制度―改革の国際的潮流】(#783)

  持田 信樹
  価格: ¥5040 (税込)
  東京大学出版会(2006/09)

 本書は、「全国的に共通なサービス水準を、直接担当する地方団体の財政力如何にかかわらず維持するために不可欠な、福祉国家財政にとって期間的なシステム」である地方財政調整制度について、「世界的な改革の潮流を実証的に検討」し、「それらの特徴と問題点を明らかにしつつ、わが国での改革をいかに位置づけるかについての包括的な議論」を目的としたものです。
 第1章「なぜ財政調整制度の改革なのか」では、この制度が、「明示的であれ暗黙であれ、経済的に恵まれた地域から徴収された租税を貧しい地域へ再分配するという形で実施」され、「よほどうまく制度を設計しない限り地方団体のインセンティブに任せておくと税収を増加しようとする自主的な努力を怠り『貧困の罠』に陥る云々といった攻撃の矢面に財政調整制度は立たされることになる」と述べています。
 また、財政調整制度の原資の拠出に関して、
(1)水平的財政調整:「ロビンフッド・モデル」と呼ばれ、スウェーデンとデンマーク及びドイツの州間財政調整に用いられている
(2)垂直的財政調整:貧困な地方団体の歳入を一定の全国標準に引上げて標準的なサービスを提供するため中央政府が補助金を交付する
の2つの方法を挙げています。
 さらに、財政調整制度への批判として、
(1)「過剰平準化」論:どのような分配が適正かについて、一義的な解があるわけでなく、このような再分配を支えているのは究極的にはそれぞれの社会に埋め込まれた規範であり、富を共有するという原則に潜在的に反発する豊かな地域の支持が弱くなる可能性がある。
(2)「貧困の罠」論:地方公共団体への公布は税収調達能力には逆比例的に、反対に財政需要には比例的になされるのが原則であり、財政調整制度は課税努力を行った地方団体が交付金の減額というペナルティーを受けるなど注意深く制度設計がなされているが、グローバル化に伴い地域は直接に国際競争にさらされる一方で、中央政府は補助金を削減して財政赤字からの脱却を図ろうとしており、地方財政調整制度は課税努力のインセンティブ云々といったそれ自体は誰からも反対を受けそうもない批判にさらされる環境に置かれている。
(3)不透明さ:しばしば物取り主義によって財政調整制度は複雑になっているとか、算定方式を根本的に単純化すべきだという議論が展開される。「ドイツでは財政調整制度を本当に理解しているのは12人しかいない」とも言われている。
の3つに注目して解説しています。
 著者は日本の地方交付税制度について、「フローで見てもストックで見ても問題含みである」と述べ、改革の「痛み」が、「もっぱら人口規模3万50000人未満の小規模団体に集中している」こと等を挙げ、「いわゆる『三位一体』改革後の財政調整及び財源保障機能について基本的な考え方を提示すべき時期に来ていることは明白である」と指摘しています。
 第2章「民主主義体制における財政調整制度と政府関係」では、「日本の事例を中心に、民主主義体制における財政調整制度のあり方について政治学的な立場から」論じています。
 著者は、「天川晃によって提示された集権・分権/融合・分離のモデルを分析枠組みとして」用い、
(1)集権―分権の軸:中央政府との関係で見た地方政府の意思決定の自立性を問題とし、中央政府との関係で地方政府がどの程度まで自律的に、その区域内の住民の意思に従って、その意思を決定することができるのか。
(2)融合―分離の軸:地方政府の区域内の中央政府の行政機能を誰が担うのか。
と解説し、日本を「集権・融合型システムとして位置づけることができる」として、「多くの仕事が都道府県・市町村に委ねられていながら実質的な決定権は国の中央省庁が握っているという『集権的』な側面と、地方が行う仕事には地方自治体の仕事と国の下部機関として行う中央政府の仕事(機関委任事務)が『融合』している側面がある」と指摘しています。
 また、民主主義における財政調整制度の考察に当たり、鍵概念として、「ギリシャ語の『場』を意味するtoposに『支配(層)』のcrat(ia)をあわせた造語」である「トポクラート」という言葉を用いています。
 そして、「アメリカの擬似トポクラートである市支配人と、自治官僚とりわけ地方に出向している自治官僚は、非常に類似している点がある」として、
(1)彼らはあくまでも「助っ人」(hired guns)である。
(2)首長として立候補する自治官僚を除いて選挙にはかからず、公選の雇主であるトポクラートに奉仕する存在である。
(3)トポクラートとの同盟、協力関係は両者にとって不可欠なものであるが、時には対立する。
等の点を挙げています。
 著者は、このトポクラートと擬似トポクラートの連携が財政調整制度の管理に有効であっても、民主主義の観点からは、「日本における擬似トポクラートは、いまだ弱体な地方の影響力や行財政調整能力を補完する上で不可欠の存在であり、彼らとの同盟によって地方レベルの民主主義が意味をなす」と論じることができる一方、「このような議事トポクラートをむしろ財政調整制度の管理運営という特殊技能に特化したテクノクラートの亜種と捉え民主主義の死角を埋めるどころか、複雑な制度を作り上げて専門性の障壁を高くすることなどによってむしろ温存させるものだとすること」もできると述べ、「分権を進めていく上で融合的な側面を維持しながら改革を進めていくべきか、あるいはアメリカ的な分離型に舵を切って、政府間の調整と地域間格差是正から、権限・責任の明確化と地域間競争へと進んでいくべきか、といった価値判断とリンクせざるをえないであろう」と述べています。
 第3章「平準化効果の国際比較」では、「補助金による地方財源の平準化効果を測定することで、地方団体間の財源格差や原資総額、配分公式の持っている意義を定量的に分析すること」を目的とし、その考察に当たっては、
(1)地域間格差の実態と平準化機能との関係
(2)配分公式と平準化効果の関係
(3)補助金の原資の決定方法と平準化効果の関係
の3点に着目しています。
 著者は、本章の分析の結果として、
(1)一般補助金による平準化の程度は団体間の地方税の格差の程度に必ずしも対応していない。
(2)一般補助金の配分公式の違いによる平準化の強さは、財政調整係数を用いて分析すると、課税能力の勘案に特化したカナダの方式が強い結果となったが、財政調整係数は収入面の平準化効果の見に着目するため、結果の解釈には重大な留保が必要である。
(3)平準化効果と原資の決定方法との関係は、配分公式を変えずに原資の規定が変わったオーストラリアの事例では、原資の決定をルール化した方が裁量的に決定するよりも順位相関のマイナスの絶対値が大きく、平準化効果が高いことが観察された。
の3点を指摘した上で、分析の限界として、財政力の平準化機能の計測は本来、地方団体の財政需要をも考慮すべきであり、分析対象が平準化効果の一部であることに留意する必要があることなどを述べています。
 第4章「地方交付税と純財政便益」では、「地方交付税の目的のうち、財政調整制度について経済理論あるいは財政理論の観点から分析を行うこと」を目的としています。
 第5章「水平的財政平衡原則の二元的運用:オーストラリア」では、オーストラリアの財政調整制度の運営の特徴として、
(1)連邦政府は、州政府と地方政府双方に対し直接交付金を提供するのではなく、連邦政府は州財政に対して交付金を配分する一方で、地方政府に対しては州政府を通じて交付金を配分するという二段構えの配分手法がとられている。
(2)州政府間の財政調整制度では、交付金配分計算のための基礎作業を行う機関として、連邦政府や州政府から独立した連邦交付金委員会が設けられ、地方政府間の財政調整制度の運用においても、州・地方政府とは独立した地方政府交付金委員会が設けられている。
(3)連邦交付金委員会による交付税配分に関する作業は、州政府への交付金配分額自体を算定するのではなく、各州政府への配分割合を示す一人当たり相対係数を求め、連邦政府に勧告することが中心になる。
の3点などを挙げています。
 また、地方政府交付金委員会が一般目的補助金配分計算で考慮すべき全国ベースでの基本原則として、
(1)地方政府への一般目的補助金は水平的財政平衡原則に基づいて配分されたなければならない。
(2)各地方政府の歳出必要額及び財源調達キャパシティを見積もる上で、地方政府の歳出もしくは財源調達努力が補助金の決定によって影響を受けるべきでない(政策中立性)。
(3)交付金の配分にあたって最低補助額が設けられている。
(4)交付金以外の特定目的補助金などへの配慮として、交付金算定ベースとなる歳出ニーズに見合う地方政府への補助金については、包括アプローチに基づくべきとされる。
(5)先住民などへの配慮として、財政支援交付金は地方政府管轄内のアボリジニ及びトレス海峡島民らの特殊ニーズを繁栄する形で交付金を配分しなければならない。
の5点を挙げています。
 第6章「代表的課税システムによる平衡化:カナダ」では、多くの国における財政調整制度の設計が、「財政需要を考慮した算定公式を通じて公布」され、「とくに地方団体の歳入調達力が制約されているとか国が全国均一の公共サービスの提供を地方に委任している場合にそうである」のに対し、カナダの平衡交付金制度は、「もっぱら歳入調達能力の平準化を図っている」点でユニークな存在であると述べています。
 また、カナダが、「州政府の自己決定権限が自主財源の増大ならびに一般補助金化によって大幅に強化」されたが、州の風威力において、「石油収入で豊かなアルバータ州とプリンス・エドワード・アイランド州ではおおむね2.17倍近い格差」があり、「地域間・言語間の対立がたえず連邦制維持の脅威となってきたカナダ」では、この格差を放置することができないことが解説されています。そして、カナダの平衡交付金の多算定方式が、
(1)各州の一人当たり歳入調達能力を33の税目ごとに計算し、それを一人当たり財政能力と定義し、そのためにまず各税目単位で標準的な課税ベースを法律によって定め、それに全国平均税率を乗じて、得られる推定税収を計算し、それをさらに各州の人口で割って一人当たりの財政能力を計算する。
(2)各州の財政能力をベンチマークする「標準的」な財政能力と比較する。
(3)財政能力が標準的な財政能力に満たない州に対して、その差額を公布指定平均水準にまで引上げる。
の3段階のステップを踏むことで、「憲法のいう州政府が同様の税負担で同様の公的サービスを提供できる状態が達成」でき、この計算方法が、税収入を平準化しているため「代表的課税システム」と呼ばれることが解説されています。
 著者は、カナダの特異性として、「連邦レベルで州の利害を代表する正式の機構がない」点を挙げ、「政府間関係は連邦・州との『外交』の場であり、『非公式の協議による和解』というルールが定着している」点を指摘し、「平衡交付金の制度設計プロセスもその例外ではない」と述べています。
 第7章「強制されたアカウンタビリティ:イギリス」では、イギリスの地方税財政の変動について、「行政制度は政治的な理由で頻繁に変化し不安定であったが、実際の地方自治体の歳入はかなりの程度の安定性を示している」と述べています。
 また、イギリス政治において、「ウェストミンスター議会の至高性(A Sovereign Westminster Parliament)」を強調するダイシー的伝統が息づいており、「民意が反映されている議会で制定された法律を地方レヴェルで修正すること」に否定的であり、「ヨーロッパ統合であろうが、非イングランド地域への権限委譲改革であろうが、議会の機能を制限するものにはすべて消極的であり、地方自治に対しても例外ではない」ことが解説されています。そして、議会への高い信頼度と反比例し、地方政府や地方自治に対する不信感が根強く、「ヴィクトリアン・ドグマ(Victorian Dogma)」と呼ばれる「地方自治体への蔑視」が広範に浸透しており、「地方行政組織は機能別に乱立して非効率であったことや治安判事を中心とした不公平な行政も見られたことから有権者は地方自治体への不信感を強めて」いき、「19世紀以来、公衆衛生や道路整備など機能別にさまざまな地方行政組織が設置されていった結果、行政サーヴィスの供給体制は全体として非効率で複雑なものになっていき、地方自治には当初から幻滅感が漂っていたとさえいえる」と述べられています。
 さらに、イギリスの特徴として、「地方に関する予算が完全に中央のイニシアティヴで決定」され、地方自治体の予算編成が、
(1)政府は、どのぐらいの予算を地方自治体が支出すべきであるのかを決定し、それを数値化して「標準支出額総計(Total Standard Spending)」を設置する。
(2)書く中央省庁が支出するさまざまな政策領域での個別公布金や特別交付金の額を総計して、それを標準支出額総計から差し引いて「標準支出評価額(SSA)」を導出する。
(3)第二交付金化されて事業者税とも呼ばれる「非世帯向けレイト(NNDR)」の税収額の見積が会計年度始めに明らかにされ、配分額が決定される。各地方自治体で徴税されたNNDRは一度「交付金特別会計(Distributable Account)」に織り込まれ、人口比で按分して地方自治体に配分されている。
(4)地方自治体が、ほぼ上記の政府内部の作業と同時並行的に次年度予算を作成していく。
(5)歳入補填交付金の交付額が決定される。→SSAから、人口当たりに配分されるNNDRの額と人口数をかけた「譲与税額」と標準支出に対するカウンシル税の税額と課税客体件数をかけて予想される「税収額」をそれぞれ引いた額が、地方自治体が交付を受ける歳入補填交付金の額となる。
5つのステップを経ることが解説されています。
 著者は、イギリスの地方税財政制度が、「行政制度は頻繁に変わっても、地方財政は大きく変わらなかった」とした上で、
(1)中央政府が圧倒的な役割を占めている。
(2)中央からの移転財源への依存度がきわめて高いイギリスにおいて最も重要な行政制度の一つである財政調整制度は頻繁に改革され、かなり不安定であった。
(3)サッチャー時代からメージャー時代、そして現在のブレア時代に至るまで、公共セクターにおける地方歳入の総額は、実は大きな変化はなかった。
の3点にまとめています。
 第8章「財政調整制度の長き不在:アメリカ」では、ニクソン政権期の1972年に導入され、1985年に廃止された一般歳入分与という名の財政調整制度について、「一体、なぜこの制度がアメリカで導入されたのか、そして短期間に終止符を打ったのはなぜなのだろうか」を論じています。そして、従来、廃止要因として、
(1)連邦財政の逼迫
(2)州・地方財政の相対的な改善
(3)イデオロギー的反対
(4)制度的制約
の4点が候補として挙げられてきたことを述べた上で、「単なる財政事情というような社会経済的要因だけでなく」、「憲法、手続、政府組織、官僚制、慣習などの構造要因を広く含む」広義の制度がかかわっていると仮定して考察しています。
 また、1986年の歳入分与廃止以降、「財政調整制度なき国家」となったアメリカの特徴として、
(1)公共サービスの地域間格差と公平性の喪失
(2)州の課税権の保障
(3)課税統制なき国家
(4)マクロ財政調整なき国家
(5)財源保障なき権限委譲
の5点を紹介しています。
 第9章「『分与制』改革後の地域格差と財政調整:中国」では、「1994年に実施された分与制改革以降の時期の中国における地域格差の動向と地方政府間の財政力格差を是正する財政調整の機能を考察対象」としています。
 第10章「州間の水平的調整における根本問題:ドイツ」では、連邦国家の財政基本規範が、
(1)希少資源の配分
(2)その再分配
(3)経済安定
の3つの任務に役立っており、これらの任務に続き、財政基本規範を支える政治的な形成の責務が定式化され、
(1)所与の基本規範の枠組みの中で、市民が正当なものとして受け入れている秩序を発展させること。
(2)そのような秩序において、公的資源は可能なかぎり経済効率的に投入されること。
(3)以上と同時に、地域団体が基本規範に基づく任務を遂行するべく十分な行財政能力を備えていること。
の3点に基本規範が拡大されることが述べられています。
 また、ドイツにおいて、税源と税収を連邦及び州に配分することが、
(1)地域団体(州、市町村)がすべて、中央にある国家(連邦)が決める任務を十全に執行することができること。
(2)地域団体の固有権限で決めた任務を執行する形で国家たる性格を展開する可能性を地域団体に与えること。
の2つの目的を追っていることが解説されています。
 さらに、「財政基本規範において『アキレウスのかかと』となっているのは財政負担の配分であること」を明らかにし、「問題はある国家次元(すなわち連邦)が財政負担を決定して、その結果もうひとつの国家次元(州、市町村)の負担となるようなことが許されるか否か、という点」であり、「公的任務の執行の費用が立法次元に背負わせてしかるべきか、あるいは執行次元に背負わせてしかるべきか、2つのうち1つを選択すること」、すなわち、「因果関係の立法主因をとるか、執行主因をとるか」という問題であり、基本法が、「機能的な任務配分の論理を首尾一貫」させ、「因果関係の執行主因をとっている」と述べています。
 第11章「水平的財政調整の動揺:スウェーデン」では、この国が、「二元的所得税」をもって知られ、「地方は勤労所得税の比例税の部分のみを、中央は資本所得税及び累進課税の部分を収納」し、「他の国では地方の収入となるのが普通の固定資産課税が中央のものとなっている」ことも特徴であることが述べられています。
 また、1986年に、「世界の財政調整の歴史にとって、画期的」な出来事として、「単一性国家としておそらく初めて市町村レベルを含んだ水平的財政調整制度が、スウェーデンで導入された」ことを述べています。しかし、負担を求められる地方団体からは抵抗があり、「ロビンフッド税」なるニックネームが捧げられ、「地方に拠出を義務付ける制度が憲法違反ではないかという主張に基づいて裁判が提起」されたことが解説されています。
 第12章「再分配的福祉機能と連帯財政調整:北欧諸国」では、北欧諸国の公共部門の分権化が、
(1)100年前に個人所得税が導入された際に、すべての北欧諸国で地方所得賦課税の導入が決定された。
(2)地方自治体が中央政府の代理人の役割を果たすように、福祉サービスの供給を移譲することで、行政上の効率性が改善すると信じられてきた。
(3)初期の時代には、民主主義を強化して政治力をより広範囲に広めようとする準備も重要な役割を果たした。
の3つの要因によって進められたことが解説されています。
 また、政府が、「地方自治体に十分な課税力を認めて、割り当てられた歳出を完全にまかなわせることをしないように見える」理由として、「おそらく、補助金を失うと中央政府は統制の重要な手段を失うからであろう」と述べています。
 さらに、北欧諸国が、
(1)地方自治体間の財政需要(コスト)の格差
(2)課税標準の大きな較差
の2つの理由で強い財政制度を必要としていると述べています。
 そして、「財政調整において最も複雑な要素の1つ」として、「財政需要の測定」を挙げ、基礎的自治体の財政需要を統一的に測定するために、
(1)すべての基礎的自治体が同じ機能を持っていること
(2)何が地方の財政需要であるかを明らかにする
が必要となることを解説しています。
 第13章「分権国家における財政調整制度:スイス」では、日本の「三位一体の改革」においても採用されている「中立性の原則」が、スイスの「財政中立の原則」とは異なっている点として、
(1)NFA(『連邦政府と広東の間の財政調整と役割分担の新たな構築』)にあっては、既存の財政需要を総額としては変化させないという前提があるが、日本では、税源以上に先立って、補助金削減・交付税抑制が実施されたため、自治体における事実上の財政需要の抑制の要素を持つ。
(2)NFAにあっては、モデル計算が改正の精緻化と制度改正の説得力を高めているといえるが、日本では、この種の統計は公表されないままに進捗してきた。
の2点を挙げています。
 第14章「地方自治と地方交付税」では、1954年に創設された地方交付税制度において、「交付税の総額は特定国税収入の一定割合に限定された」点に着目し、「財政調整制度の総額を特定国税収入の一定比率と規定すること」が、「稀少な資源の配分を巡る国と地方団体との間の紛争を回避し、地方団体が財政運営の結果を国の財政調整制度から配分される交付額の不足額に帰するという弊害を予防する点では優れている」としながらも、地方交付税法第6条三の2が、「特定国税の一定率が変更される余地を残している」点を指摘しています。
 また、「地方自治の趣旨や地方交付税が使途の定めのない一般財源であるという規定との関係」では、「地方交付税額算出の基礎としての地方行政の事務内容と規模が、全面的に国の担当官庁により法令の形で定められている」ことと、地方交付税法第3条第3項「地方団体は、その行政について、合理的、且つ、妥当な水準を維持するように努め、少なくとも法律またはこれに基づく政令により義務付けられた規模と内容を備えるようにしなければならない」という規定をあわせると、「どの程度まで地方がその使途を自由に決定できる一般財源なのかについて疑問が生ずる」点を指摘し、「建前上は使途に制限のない一般財源ではあるが、実質的には使途の定められた特定補助金に準ずる性格の補助金にすぎないという批判の余地」が、わが国の地方交付税制度に存在すると述べています。
 本書は、各国の財政調整制度を並べて眺めることによって、わが国の地方交付税制度に大きな示唆を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 交付税制度というと、日本の地方交付税制度の内容について詳細に解説したものや、各国と比較したとしても個別の交付税的な制度について分析したものが多かったように思われますが、日本の「三位一体の改革」と同じように、国庫支出金、税源移譲、地方交付税の3つの財政調整制度について比較することで、日本の財政調整制度に対する理解が深まるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「三位一体の改革」の国際的な位置づけを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日
 土居 丈朗(編著) 『地方分権改革の経済学―「三位一体」の改革から「四位一体」の改革へ』 
 土居 丈朗 『三位一体改革ここが問題だ』 
 上村 敏之, 田中 宏樹 (編著) 『「小泉改革」とは何だったのか―政策イノベーションへの次なる指針』 2006年11月02日
 町田 俊彦 『「平成大合併」の財政学』 2006年12月06日
 遠藤 安彦, 秋本 敏文, 松本 英昭, 嶋津 昭, 井戸 敏三 『地方自治総合講座 (12) 地方交付税』 


■ 百夜百マンガ

烈火の炎【烈火の炎 】

 ジャンプで連載されていた『幽遊白書』のバトルの盛り上がり部分を取り出したような展開ゆえか「劣化の炎」という蔑称までつきました。ドラゴンボールにしても最初のボール探しの部分が、キン肉マンやターちゃんにしてもギャグマンガ時代が、リンかけでも姉弟の不幸時代が、そして、幽遊白書でも霊界探偵編があればこそ、エンドレスのバトルに突入しても感情移入できるのかもしれません。

2007年3月13日 (火)

戦後民主主義

■ 書籍情報

戦後民主主義   【戦後民主主義】(#782)

  中村政則
  価格: ¥2520 (税込)
  岩波書店(2005/8/12)

 本書は、「戦後民主主義」を、教育や地方分権、象徴天皇制などさまざまな観点から論じたものです。
 序論「戦後民主主義とは何だったのか」では、「民主化」という言葉を、
(1)政治的な民主化、民主主義体制の樹立:特権的、身分的な支配の否定と人民主権の原則の下での民衆の政治参加を基盤とした政府の樹立
(2)社会的な民主化:身分や門地、性、家長などによる社会的特権や差別の禁止、権威主義的な文化や教育の否定あるいは教育の機会均等など
(3)経済t系な民主化:独占企業の分割や大地主制度の解体による自由競争システムの活性化
と解釈し、「総司令部による民主化も、基本的にこうした民主化の一般的な傾向に沿って進められたとみなすことができよう」と述べています。
 第1章「教育改革と民主主義観」では、「国体護持と民主主義の採用」という「日本的なる民主主義」の方向が、「天皇制存置による間接統治が決断されたとき」に定められたこと述べられています。
 そして、占領政策の原則確定後、文部省が先手必勝の意向を固めた改革が、「軍国主義や超国家主義の要因(人・物・制度・思想など)を教育界から除去すれば国体は護持されるという確信(期待)煮立った改革意志であり、それを保証するための改革、国体護持の担保としての『刷新改良』であった」ことが解説されています。
 また、GHQのCIE(民間情報教育局)のダイク局長が、「『偉大な文書であると思う』が、軍国主義者による誤用を許すような点があり、新しい事態に直面した日本人のために『だれにでもわかるような文体で新しい教育勅語をかき、この際教育のための情緒的跳躍台emotional springboardとなるようなものにしたい」』と語るなど、文部省にとって国体護持と同義とされ、その存続が最重要課題となっていた教育勅語問題が、「SCAPにとっても占領統治の成功を左右する問題であっただけに、その扱い(廃止)には慎重であった」ことが解説されています。
 さらに、「教育委員会」制度論が、「それ(教育)が不当な政治的及び行政的干渉の圏外におかるべきこと」(田中耕太郎『新憲法と文化』国立書院、1948年)を象徴していたことが語られています。
 著者は、「一貫して戦時体制の強力な支持勢力であった『教育』を断罪するという困難な課業は、何よりもアメリカの占領政策の展開によって』なされたものであり、占領軍が、「いわば超法規的外圧として機能」したため、「占領政策の方向が転換されるに及び、そして占領そのものが終わると同時に、改革への意欲もしぼんでしまった」うえに、「文部省が改革の主体であり続けたことは、占領軍が外圧であったと同程度に、改革されるべき教育の性格や方向を大きく限定する要因となった」と指摘し、「戦後教育は、『民族教育』か『国民教育』かという振り子運動の持続の中で歴史を作ってきた」と見ることができ、「教育勅語に顕現された国体観念に発する国家経営のための教育と、教育基本法に具現された『個人の尊厳』『人格の完成』に立脚した民主教育という、まるで交わることのない二つの精神のせめぎあいの様相を帯びたもの」であり、「一見して対立するかに見えた二つの精神も、出所は一つではなかったか」と述べています。
 第2章「労働組合と民主主義」では、占領期の労働組合が最も強く要求していたことの一つとして、「当時の用語でいう工員(生産労働者)と職員(ホワイトカラー)の処遇格差を撤廃することであり、企業内で工員と職員が平等に処遇されることであった」ことを挙げています。
 そして、「生産労働者とホワイトカラーの平等処遇という企業内民主主義観」が見落とした点として、
(1)平等処遇を教授できた従業員は、日本人の、男性の、正規の、企業内組合が組織された大企業の、従業員に限定され、在日韓国・朝鮮人、女性、さまざまな臨時従業員などは含まれなかった。
(2)明確かつ公正なルールでの処遇を企業内組合は必ずしも要求しなかった。
の2点を指摘しています。
 その上で、戦後後半においても、
(1)平等処遇を教授できない人びとと享受できる人々のあいだに、因果関係が維持され強化された。
(2)公正さに疑問のある処遇ルールが、人事労務管理でさらに重要な役割を果たすことになった。
という点を指摘しています。
 第4章「『地方分権』の時代――戦後の制度改革の残したもの――」では、1949年に発足した地方行政委員会、通称「神戸委員会」が、50年、51年の二度にわたり「行政事務再配分の勧告」を行い、「戦後の地方分権の推進のための大規模でかつ独自の方向づけ」を示していたが、「神戸委員会の勧告は当時の『制度改革の時代』のなかで実現することなく埋没してしまった」のであり、「いまあらためて『地方分権』が叫ばれるのは神戸勧告の挫折の結果といえなくもない」と述べています。
 そして、戦前の府県制度が「国の地方行政区画であるが同時にその区域を単位とする自治体でもあるという二重の性格」が与えられていたため、1920年代には第一次大戦後のデモクラシー思想と政党政治が伸張する中で知事公選論が唱えられ、30年代以降は道州制論が盛んになったことが解説されています。
 この知事公選論は、「国の地方行政区書くとしての府県の正確を変え、それまでの国の地方行政の仕組みを根本的に変革するもの」であり、「知事の人事権を持つとともに府県と市町村の自治の監督権を持っていた」内務省が、「内務大臣―知事―市町村長の系列を通じて国政事務を末端にまで及ぼす中央地方を通ずる総合行政の仕組み」として「内務省―府県体制」が確立していたことを解説した上で、知事公選制度が「この地方行政組織に風穴をあけるもの」であり、1927年の行政審議会が提起した「州庁」案は、「知事公選論を認めて府県を完全自治体にするとともに全国を6州に分けた新たな地方行政区画として州庁を設置」することによって、「従来の府県制度を自治体としての府県と行政区画としての州庁に分離して再編制する構想」であったことが解説されています。
 また、道州制が、「農業社会から工業化へという経済的基盤の変化、戦時体制化での統制経済・計画経済の必要性などで広域行政が必要となったことに対応するもの」として主張され、各省が広域行政の必要から「府県を通さず個別に直接統制する地方行政組織(出先機関)の設置を始めており、、これら出先機関を府県とともに新たな地方総合行政組織に再編制しようとする」ものであったことが解説されています。
 さらに、敗戦と占領が弱体化が始まっていた内務省―府県体制を完全な崩壊に導いた要因として、
(1)敗戦とともに国内では知事公選論が復活し世論がこの実現を強く支持した。
(2)内務省が戦後の地方行政体制として内務省―府県体制の維持を図りつつ同時に知事公選制度の導入に踏み切った。
(3)占領当局、特に政治的「民主化」を任務とする総司令部の民政局が内務省―府県体制の破壊を「民主化」のための「分権化」政策の基本として協力に推進した。
の3点を指摘しています。これに関して、内務省と民政局とは、知事選挙の方法をめぐって最初に対立し、内務省が「43年改正以前の市長の公選方法、すなわち県会で知事を選任する間接選挙を考えていた」のに対し、民政局は直接選挙を主張し、これに対して内務省は、「直接選挙の方法は、最も地方分権的であり、或る意味においては、廃藩置県の反対に、廃県置藩となり、府県割拠の弊を生じ、国政の統一的処理を不能ならしめ、現下の問題としては、食料政策その他の緊急施策の遂行に支障となる惧がある」と指摘していることが述べられています。
 道州制構想に関しては、占領下において、「道州制を求める世論があったに拘らず占領下で道州制の導入が実現しなかった理由」として、
(1)政府の側の行政機構改革問題への対応が遅れその機会を失った。
(2)民政局が行政機構改革問題に関しては基本的に日本政府に任せる方針をとっていた。
(3)最大の理由として、行政機構の改革に反対する官僚の抵抗を排除してこれを断行する政治力の発揮が国内でも総司令部内部にもかけていた。
の3点を指摘しています。
 著者は、「内務省―府県体制に代わる総合行政機構の構想は戦後においても内閣―道州制体制の導入」であったが、「日本政府各省の割拠主義とこれに連動する総司令部の関連部局の割拠主義」によって実現を阻まれ、「内務省―府県体制の崩壊と内閣―道州制体制の導入の挫折」は、「中央地方を通ずる総合行政機構の不在」を招き、「『行政機能の強化』が各省個別に行われ、個別の地方行政機関による多元的な広域行政の展開をもたらし、縦割り行政が自治体にも貫徹した」と解説しています。
 民政局で中央行政機構の問題を担当していたA・ハッシーは、地方制度の「分権化」政策に、
(1)中央政府と地方政府の機能を明確にさせ分離すること。
(2)地方政府と中央政府の間の調整について、日本で従来とられてきた恣意的な行政的統制によることなく、国会の立法と裁判所による統制にゆだねること。
の2つの根本原則が必要だと考え、地方自治法が制定され内務省が解体された47年末に、
(1)知事のように地方自治体で選ばれた職員が同時に国の行政に対しても二重の責任を負うのは不可能。
(2)現代の行政は国が行うべき機能が増大しておりこれらは国の期間を通じて行うべきで、これらを地方に「分権化」を図ることは時代錯誤で危険でもある。
の2点の疑問を呈していたことが解説されています。
 この「政府機能の分離の考え方を税制改革と結び付けてより体系的に、しかも地方自治の重視という方向で展開」したのが49年のシャウプ勧告であり、「納税者に税負担と政府の責任の関係を明確にさせることを主眼」に置き、「中央政府、府県、市町村という3つのレベルの政府の機能を分離し、能率的に仕事ができるレベルの政府に機能を再配分し、その責任を明確にするという考え方を提示」し、「地方自治の重要性を強調して住民に最も身近な団体である市町村こそが地方自治の主体であるべきことをも明示していた」と述べられています。
 そして、日本政府に委ねられた、異なるレベルの政府機能の再配分案に関して、地方行政調査委員会議(神戸委員会)が設置され、シャウプ勧告が求めた方針を、
(1)責任の原則
(2)能率の原則
(3)市町村優先の原則
に整理し、これを指針に膨大な政府の行政事務を中央政府、府県、市町村に再配分する作業に取り組み、「神戸勧告の作成過程で『責任明確化の原則』は次第に薄められ『市町村優先の原則』を優先した勧告が作成された」ことが解説されています。
 また、「市町村優先の原則」が、「自治体としての府県の意義は何かという問題を改めて浮かび上がらせ」、「優先して市町村に事務を再配分すれば自治体としての府県の存在は影が薄く」なり、「現に府県が処理している数多くの機関委任事務を『責任明確化の原則』に従って国の地方出先機関で行わせれば府県はその存立の根拠を失ってしまう」というジレンマに直面し、「神戸委員会においても隠された主題は府県制度の問題」であり、「自治体としての府県に新たな機能を与えることによって現に府県が行う国政事務を府県の事務として再編制しようとし」、勧告が、「府県は市町村の上級の自治体の地位にあるものではないが『その地域的範囲において市町村を包括する関係にある』として、国と市町村の連絡、市町村間の著しい不均衡の調整を行うなど異なる機能を持つものと位置づけた」ことが述べられています。
 著者は、「神戸勧告が求めた行政事務の再配分がそのまま実現していれば、その後の地方自治体の活動とあり方は大きく変わっていたであろう」が、「実現することなく終わってしまった」と述べ、その理由として、
(1)講和の締結から占領の終了という状況の変化に伴って国内政治の貴重が変化し、占領下の改革の「行き過ぎ是正」を目指す勢力と、改革の維持と「固定化」を図ろうとする勢力へと二分化が進行しつつあった。
(2)講和後の「戦後」体制作りが進められる中で、府県制度の再改革問題が中心の課題となり、その改革方向が二分化したまま関係者のあいだでも一致を見ることがなかった。
(3)政治勢力の二分化と府県制度の再改革構想の二分化とが連動して行政事務再配分を求める勢力の結集が不可能となった。
の3点を揚げ、「行政事務再配分の課題は現実の政治日程に上る以前に挫折した」と述べています。
 また、講和後の地方制度の見直しの中心課題であった自治体としての府県制度については、
(1)知事官選論の復活を唱える「逆コース」的な内務省―府県体制の復活の方向
(2)戦後版の内閣―道州制体制の導入、すなわち府県を廃止して新たな地方行政体制を作り出す方向
の2つの方向があったことが述べられています。
 さらに、戦後の中央地方関係の安定化の課題として、
(1)地方自治法の下で始まってきた府県と市町村の間の対立を収束する。
(2)地方財政の悪化を巡る自治体と性hの対立を収束すること。
という2点を挙げています。
 そして、自治庁が神戸勧告に沿って町村合併を進めた一方で、第二次神戸勧告で、「府県の上に道州を設置するのは行政機構を複雑化させ行政費を増大させ、府県を廃止して道州を設けることは必ずしも地方自治を強化するとは認めがたい」として勧告された府県の規模の合理化については、慎重な態度をとっていたことが解説されています。
 また、57年10月には地方制度調査会で、道州制導入論と数府県統合論の対立から「地方」制という名の道州制導入の答申が出され、その内容は、
(1)現行府県を廃止して国と市町村との間に中間団体「地方」を置き、同じ区域に国の総合地方出先機関「地方府」を新設する。
(2)同一人の「地方長」が「地方」と「地方府」の一体的総合的運営を確保する。
(3)「地方長」は「地方」議会の同意を得て総理大臣が任命する任期3年の国家公務員とする。
というものでしたが、これに対しては、
・府県を廃止して「地方庁」を公選から官選に復活させることは憲法にいう「地方自治の本旨」に反する。
・「地方」制の導入が旧内務官僚による完了的中央集権の復活につながる。
など、世論は一斉に厳しい批判を加えたことが述べられています。
 著者は、「『地方分権の時代』が開幕するためには、国民の批判がこれを強力かつ持続的に支持することが最大の条件である」とした上で、そのためには、「混声合唱」に喩えられる近年の「地方分権」の大合唱に欠けている「何のための自治体か」の論議を避けることはできないと指摘しています。
 本書は、戦後日本を象徴する「民主主義」という言葉をもう一度考え直すきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読むと、道州制をめぐる議論が現在の地方自治の仕組みができて以来、ずっと議論されてきたものであり、そのルーツは戦前にまで遡ることができることがわかります。そして、その主要なアクターとして、地方行政を所管する内務省~自治省~総務省と各省との間で事業実施をめぐる綱引きが繰り返され、そのうちの一つのテーマとして道州制が位置づけられてきた、ということを念頭に置くと、現在リアルタイムで繰り広げられている道州制をめぐる議論も、堂々巡りの蒸し返しの議論なのか、新しい状況にたいする対応なのかを見極める手がかりになるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・日本の「戦後民主主義」を多角的に捉えたい人。


■ 関連しそうな本

 中村政則 『占領と改革』 2007年03月09日
 天川 晃, 増田 弘 『地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続』 『シャウプの証言―シャウプ税制使節団の教訓』 2007年02月13日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 石見 豊 『戦後日本の地方分権―その論議を中心に』 2007年02月09日


■ 百夜百マンガ

はっぴぃ直前【はっぴぃ直前 】

 団塊ジュニアが高校受験の時期に連載された克・亜樹の初期のラブコメです。当時の受験の雰囲気を背負った人が親になった現在、お受験に熱が入るのかもしれません。

2007年3月12日 (月)

新地方自治制度詳解

■ 書籍情報

新地方自治制度詳解   【新地方自治制度詳解】(#781)

  松本 英昭
  価格: ¥3990 (税込)
  ぎょうせい(2000/04)

 本書は、平成12年4月1日に施行された「地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律」(地方分権一括法)に関して、今後の地方行政の運営の前提として、「今回の改革の理念、意義を的確に認識すること」が不可欠であり、「改正されたなかった条文であっても、今回の改革の理念に立脚した新しい視点から解釈し、運用を行うことが必要」であり、「地方自治制度のあり方そのものが大きく転換されたと考えるべき」でありことを狙いとしたものです。
 第1章「今回の地方分権改革と新しい地方自治制度」では、地方分権推進法における「地方分権の推進に関する基本理念」及び「地方分権の推進に関する基本方針」が、「今回の地方分権改革における基本的な枠組みの"主柱"とも言えるものであり、今回の地方分権改革が目指す地方分権の意味と理念も、制度的にはこれらの中から見出されるもの」であることが述べられています。そして、「地方公共団体が……役割を広く担う」ことと「自主性及び自立性が高まる」とは、「地方公共団体の『自己決定』と『自己責任』の徹底ということに他ならない」と述べています。
 また、戦後の日本国憲法下において論じられてきた地方自治の必要性については、
(1)民主政治の基盤、政治行政の民主化への寄与:地方自治は、民主主義の政治体制の具体化であり、また国民の民主主義の政治体験の場であることから、民主政治の基盤をなすものである。
(2)現地即応性・現地的確性の確保、現地効率性・現地能率性の確保:地域における諸問題・諸課題に対しては、地域自らで判断して対処するのが最も適宜・的確に処理できるし、また効率的かつ能率的である。
(3)総合行政の確保:全国を対象とする中央政府の組織機構及びその運用は、高度に専門分化し、横断的な調整を十分行うことが難しいが、地方公共団体は一定の地域に限られた組織機構及びその運用により活動をするものであり、地域の情況に即して総合的に調整し、対処しやすい。
(4)施策の先導的・試行的な展開:地域の情況の推移に応じて、新しい政治行政へのニーズに対して先導的に、また試行的に施策を展開できる。
の4点に要約することができるとしています。この上で、地方分権改革の今日的必要性として、
(1)政治行政における中央集権体制がもたらす弊害に対する根源的な解決。
(2)中央集権型のシステムの下において、地域を基盤とする活力、資源等がどうしても中央に奪われていくことから、一極集中が起こり、国土の均衡ある発展を阻害し、個性豊かで住民が満足感を覚えるような地域社会が形成されがたいとともに、中央やその周辺における集中の弊害が深刻なるという現象が進行した。
の2点を指摘しています。
 さらに、「自己決定」と「自己責任」の徹底を図る地方分権の推進のための方策及び措置として、
(1)地方公共団体(地域)の事務・事業、財源、人材などを拡充する
(2)地方公共団体の自由度を拡大する(高める、増す)
の2つの視点を挙げています。
 著者は、今回の地方分権改革の具体化までに、
(1)第3次行革審の答申を受けた政府の取り組み
(2)内閣総理大臣の諮問会議である地方制度調査会(第24次)による「地方分権の推進に関する答申」(平成6年11月)
(3)「地方六団体地方分権推進委員会」(平成5年11月設置)が提出した「地方分権の推進に関する意見書――新時代の地方自治」
の3つの取組みが同時並行的に進められたことを述べています。
 地方分権改革の今後の課題としては、「実体の面」と「意識の面」とがあるとし、前者については、
(1)今般の一連の制度等の改革で触れられなかったもの又は触れられてはいるが具体的内容が乏しいもの
(2)今般の一連の制度等の改革の枠組みに沿って個々の具体的な改革が対応していないもの等で対応又は見直しを必要とするもの
の2つに大別でき、(1)についてはさらに、
(a)地方の財源、特に税財源の充実確保
(b)地方公共団体の事務・事業についての配分その他の拡充
(C)人的な面における人材の確保、資質・パワー等の充実強化
の3点を挙げ、(2)については、
(a)条例制定事項について「侵害留保の原則」に沿った規定としたが、国の法令の中で「義務を課し、権利を制限する」内容の地方公共団体の行為について地方公共団体の規則等で定めることとしているものが見られる。
(b)「法令受託事務」についての抑制と見直し。
(c)国の「関与等」を見直し、国などの「関与等」の廃止・縮減をさらに進める。
(d)いわゆる"通達"とされてきたものについての全面的な見直し。
の4点を挙げています。さらに後者の「意識の面」については、
(1)「住民の意識」:住民が自分達のことは自分たちで解決するという自立(律)の意識を高めること。地域のこと、特に身近なことについては、政治・行政がかかわることであっても、住民と地方公共団体が協働してこれに対処していくことが当然であるとするような住民の意識の確立。
(2)「地方公共団体の意識」:中央依存意識からの脱却と、国や県の以降をことごとく気にかけるという意識。
(3)「国の側の意識」:国と地方公共団体との関係が、「上下・主従の関係」から「対等・強力の関係」に転換されたことを的確に認識して、それにふさわしい「国の側の意識」に切り替わる必要があること。
の3点を挙げています。
 第2章「機関委任事務制度の廃止及び新たな事務区分の下での地方自治制度」では、これまで、「地方公共団体の機関であると同時に、機関委任事務に関しては国の機関として国家行政組織の一環をなすという二面性」を有してきた地方公共団体の長について、「今回、機関委任事務制度を廃止することに伴い、地方公共団体の庁は国家行政組織の一環をなすという面はなくなり、これらの規定は削除された」ことが述べられています。
 また、自治法において、新たに1条の2の規定を設け、
(1)地方区お経団体が憲法に定める地域的な統治団体として国家作用のうち立法、司法以外のいわゆる形式的意味における行政のうち、地域的な性格を有する行政を担う主体であること。
(2)「国においては……国が本来果たすべき役割を重点的に担うこと」及び「住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねること」という役割分担の基本
が定められたことが解説されています。
 さらに、自治法2条2項で普通地方公共団体の事務を、
(1)自治事務:特別な性質・背景などを持つ事務である「法定受託事務」を除くすべての事務。
(2)法定受託事務:地方公共団体の事務のうち(国(都道府県)が本来果たすべき役割にかかるものであって、国(都道府県)においてその適正な処理を特に確保する必要があるもの」として法律またはこれに基づく政令により特に定めるもの。
とに区分して解説しています。
 この「法定受託事務」を創設する際の判断基準としては、地方分権委員会が、第1次勧告及び第2次勧告において示した、「法定受託事務(仮称)」として区分するための8項目のメルクマールを踏襲していることが解説されています。

(1)国家の統治の基本に密接な関連を有する事務
(2)根幹的部分を国が直接執行している事務で以下に掲げるもの
国が設置した公物の管理及び国立公園の管理並びに国定公園内における指定等に関する事務
 国立公園内における軽微な行為許可等に関する事務
 国定公園内における特別地域・特別保護地区等の指定等に関する事務
広域にわたり重要な役割を果たす治山・治水及び天然資源の適正管理に関する事務
環境保全のために国が設定した環境の基準及び規制の基準を補完する事務
 環境基準の類型あてはめ(水質・交通騒音)に関する事務
 総量規制基準の設定に関する事務
 大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、交通騒音の状況の監視に関する事務
信用秩序に重大な影響を及ぼす金融機関等の監督等に関する事務
医薬品等の製造の規制に関する事務
麻薬等の取締りに関する事務
(3)全国単一の制度又は全国一律の基準により行う給付金の支給等に関する事務で以下に掲げるもの
生存にかかわるナショナル・ミニマムを確保するため、全国一律に公平・平等に行う給付金の支給等に関する事務
全国単一の制度として、国が拠出を求め運営する保険及び給付金の支給等に関する事務
国が行う国家補償給付等に関する事務
(4)広域にわたり国民に健康被害が生じること等を防止するために行う伝染病のまん延防止や医薬品等の流通の取締りに関する事務
法定の伝染病のまん延防止に関する事務
公衆衛生上、重大な影響を及ぼすおそれのある医薬品等の全国的な流通の取締りに関する事務
 医薬品等の取締りに関する事務
 食品等の取締りに関する事務
 農薬等の取締りに関する事務
(5)精神障害者等に対する本人の同意によらない入院措置に関する事務
(6)国が行う災害救助に関する事務
(7)国が直接執行する事務の前提となる手続の一部のみを地方公共団体が処理することとされている事務で、当該事務のみでは行政目的を達成し得ないもの
(8)国際協定等との関連に加え、制度全体にわたる見直しが近く予定されている事務」
 第3章「地方公共団体に対する国または都道府県の関与等」では、関与の基本累計として、
(1)「承認」と「同意を要する協議」
(2)「命令」「指揮」と「指示」
(3)「是正の要求」と「是正の指示」
(4)「代執行」と「並行権限の行使」
等について解説しています。
 また、今回の自治法が、行政主体間のルールとして、
・法定主義
・基本原則
・手続ルール
・係争処理制度
等について定めようとしていることを解説しています。
 さらに、「通達」・「通地」と「処理基準」に関して、「機関委任事務」には、「国の包括的な指揮監督権があり、事務の管理・執行全般にわたり、『通達』の形式で一般的に定めることも、具体の事例について個別に指示等をすることが可能」であり、「『通達』の中で、一定の事項について、国と協議、承認等の義務づけや必置規制等についても定めることができる」と考えられてきたが、「法定受託事務」にかかる「処理基準」は、「個々具体の事例を対象としてそのつど定めるものではなく、あくまで一般的な基準として定められるものであり、その内容も目的を達成するために必要な最小限度のものでなければ」ならず、「新たな事務の義務付けや、国との協議や承認等の関与、必置規制などを定めることはできないもの」であることが解説されています。
 第5章「都道府県と市町村の新しい関係」では、「市町村優先の原則の一層の徹底を図り、都道府県と市町村との関係をより明確に対等・協力の関係として構築することとし、都道府県が処理する事務について、『統一的な処理を必要とする事務』の区分を廃止」して、「広域性」、「市町村に関する連絡調整」及び「事務の規模又は性質」の3つの観点からの区分に再構成したことが解説されています。
 第6章「地方行政体制の整備」では、地方議会の議員が議案を提出する際に、それまで必要であった「定員の定数の8分の1以上の者の賛成」が「12分の1以上」に緩和され、「地方議会の審議の一層の活性化を図ることとした」ことが解説されています。
 また、「指定都市に次ぐ一定の規模能力を有するとしてしてある程度の行政需要のまとまりと行財政能力」が必要となる中核市の指定要件のうち、「昼夜間人口比率要件」が廃止されたことなどが解説されています。
 第7章「その他の自治法改正事項」では、旧自治法に規定された「政令で定める事務に従事する都道府県の職員は、当分の間、なお、これを官吏とする」旨の規定が削除され、地方事務官制度が廃止されたことについては、これまで「人事上と職務上の指揮監督権がそれぞれ主務大臣と都道府県知事に別れるため、都道府県知事の職務に関する指揮監督権が形骸化し責任の所在が不明確となるなどの問題点」が指摘されてきたが、「地方事務官制度廃止後の事務の所管及び従事する職員の身分のあり方をめぐって意見が鋭く対立し、社会保険関係事務及び職業安定関係事務については解決されていなかった」ことが述べられています。
 第8章「地方自治制度関係法律の改正」では、地方債許可制度について、「地方公共団体の自主性をより高める観点に立って原則として廃止することとし、地方債の円滑な発行の確保、地方財源の保障、地方財政の健全性の確保等を図る観点から、地方公共団体が地方債を発行するに当たっては自治大臣または都道府県知事と原則として『協議』を行うという制度に移行」したことが解説されています。
 また、地方交付税法に関して、
・「地方公共団体は、交付税の額の算定方法に関し、自治大臣に対し意見を申し出ることができる」こと
・「自治大臣は、意見の申し出を受けた場合においては誠実に処理する」こと
・「自治大臣は、その処理の結果を、地方財政審議会に、地方交付税に関する事項を付議するに際し、報告」すること
が規定されたことが解説されています。
 本書は、現在の地方自治制度のベースとなる地方自治法を理解する上で、近年の重要な論点をフォローしたものではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 地方自治法は地方自治を根本的に規定する重要な法律でありながら、条文だけ読んでも無味乾燥な感じがしてつまらないものなんですが、今回のような大幅な改正をめぐる議論や、制定前の議論を追っていくと、1つの条文、1つの言葉に込められたさまざまな関係者の思惑をうかがい知ることができて面白いです。


■ どんな人にオススメ?

・現在の地方自治制度の根拠を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 松本 英昭 『地方自治法の概要』
 松本 英昭 『逐条地方自治法』
 松本 英昭 『要説 地方自治法―新地方自治制度の全容』
 地方自治制度研究会 『地方自治小六法』
 宇賀 克也 『地方自治法概説』
 原田 尚彦 『新版 地方自治の法としくみ』


■ 百夜百マンガ

花の慶次―雲のかなたに【花の慶次―雲のかなたに 】

 中高年男性を中心に人気の高いジャンルである「歴史小説」を少年誌に持ち込んだ作品。原作者の了解をなかなか得られず、作品化にこぎつけるまでには数々のドラマがあるそうです。

2007年3月11日 (日)

系統樹思考の世界

■ 書籍情報

系統樹思考の世界   【系統樹思考の世界】(#780)

  三中 信宏
  価格: ¥819 (税込)
  講談社(2006/7/19)

 本書は、「人間の歴史を通じてさまざまな知的活動の分野に散らばって姿をあらわして」きた「系統樹」に用いられる系統思考のルーツ、そして系統樹そのもののルーツを探ることを目的としたものです。著者は、「樹」というイコン(図像)は、紀元前のメソポタミア文明まで遡ることができ、「生命の樹(the Tree of Life)」という観念はその地で生まれたと推定されていることを紹介しています。
 第1章では、「系統樹思考」が、「多様性を系譜という観点から理解しようと」するものであり、「真の意味でばらばらに造られていない限り、生物だけでなく非生物の多様性も『系統樹』を共通のツールとして理解することができるはず」であると述べています。また、「学問分類」と「学問系譜」が整合性をもたない可能性に関して、「ものを分類する」という行為が人間が生得的に持つ認知能力の一つであると言われていることに言及し、「科学という知的行為の系譜を考えるとき、私たちがもともと持っていた認知能力の基礎を無視するわけには」いかないと述べています。
 第2章「『言語』としての系統樹」では、13世紀に印象的な図像を用いて「知の体系化」を目指したルルスが、「存在の連鎖」を表すために「鎖(chain)」を、学問体系のようなより複雑な秩序を「樹(tree)」を用いて表していることが紹介されています。著者は、図形言語としての特徴として、「『鎖』や『樹』は、そのグラフとしての連結性のおかげで、連続性・一体性・統一性のイメージを私たちに喚起」するとして上で、グラフの一部が"根"とみなされると、「その"根"を基点とする階層的体系化という新たな意味が付加」されると述べています。
 著者は、ルルスに始まる学問分類の系譜が、
(1)図形言語としての「鎖」や「樹」は、分類するという行為にとって有用なコミュニケーション手段である。
(2)分類のイコンとして用いられた「鎖」や「樹」は、分類対象間の階層的な順序関係を表現するのに適したグラフである。
(3)分類の一般論から学問分類の各論に移ると、学問の分類体系は時代背景によってそのスタイルや基準が変遷してきた。
等の興味深い点を明らかにしてきたと述べています。
 また、70年ほど前に、オランダの高名な植物分類学者であるラムの論文の冒頭に「ブンゾウ・ハヤタの高貴なる精神を追憶して」と献辞を書かれた植物分類学者、早田文蔵に関して、早田が発表した、生物分類に関する一般理論としての「動的分類学」を紹介しています。動的分類学は、「森羅万象の存在物が織りなす高次元ネットワーク」を根幹に持ち、「この世の万物が形成する網状ネットワークを踏まえた分類体系こそ、『自然な関係』に基づく『自然分類』である」という早田の確信に基づいていたものであったことが述べられています。
 さらに、
・分類思考(group-thinking):同じ対象物を離散カテゴリー化によって体系化し、対象物そのもののカテゴリー化を目標とする。
・系統樹思考(tree-thinking):対象物の系譜関係に基づく体系化を意味し、対象物をデータ源としてその背後にある過去の事象に関する推論を行う。
の2つの思考を対比しています。
第3章「『推論』としての系統樹」では、系統樹を科学者の独占物とせず、日常生活者にとっても現実世界を読み解くツールとして有用であるとして、"ベスト"の系統樹をどのように見つけるかを論じています。著者は、「系統樹とは要するに何なのか?」という問いに対し、「それはある現象に対する説明である」と即答し、「最節約性」という最適化基準を例に、伝言ゲームや写本系図の例を解説しています。
 第4章「系統樹の根は広がり続ける」では、1990年代に流行した「棒の手紙」を分析したツリー構造の解説や、ツリーよりもさらに複雑なグラフである「ネットワーク」構造等を解説しています。
 本書は、系統樹思考がダイレクトに用いられる科学者はもちろん、現実世界を何とか理解しようとする日常生活者にとっても読む価値のある一冊ではないでしょうか。


■ 個人的な視点から

 本書には、19世紀の宗教学者フォーロングが著した稀覯書『生命の潮流:全世界の人類に見られる信念の根源と系譜』に付録されていた、縦230×横70センチの巨大な布製の掛図の写真が収められています。フォーロングは、「原初的な宗教・神話の源泉となる5つのルーツ」を「樹木崇拝」、「蛇(男根)崇拝」、「火焔崇拝」、「太陽崇拝」、「祖先崇拝」にあるとして、この掛図に「太古の時代から現代に至るまでの宗教的信念の系譜を一枚の絵図として」描いています。著者はこの掛図の写真を研究室で撮影していますが、2メートルを優に超える掛図となると相当の迫力があったのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・ものごとを「樹」になぞらえて考えたい人。


■ 関連しそうな本

 スティーヴン・ジェイ グールド 『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語』 2007年03月03日
 デイヴィッド サルツブルグ (著), 竹内 惠行, 熊谷 悦生 『統計学を拓いた異才たち―経験則から科学へ進展した一世紀』 2006年11月23日
 西成 活裕 『渋滞学』 2007年02月17日
 キム・ステルレルニー (著), 狩野 秀之 (翻訳) 『ドーキンス VS グールド』 2007年02月10日


■ 百夜百音

スーパーマリオ64【スーパーマリオ64】 ゲーム・ミュージック オリジナル盤発売: 1996

 スーパーマリオといえば、謎の歌手「プリンセスピーチ」が歌った「Go Go マリオ!!」が一部では有名ですが、初期の同時発音数を制限されたゲーム音楽が若いミュージシャンに与えた影響は小さくないと思います。


『谷山浩子ベスト 白と黒』谷山浩子ベスト 白と黒

2007年3月10日 (土)

感染症は世界史を動かす

■ 書籍情報

感染症は世界史を動かす   【感染症は世界史を動かす】(#779)

  岡田 晴恵
  価格: ¥861 (税込)
  筑摩書房(2006/02)

 本書は、「古来から、多くの人命の損失にかかわるだけでなく、社会や文化の形成、国の盛衰の中にも深い爪痕を残してきた」感染症をキーにして、主にヨーロッパの歴史を振り返ったものです。著者は、「過去の歴史を振り返ると、ある時代には必ずその時代を特徴づける疫病(感染症)が存在している」と述べ、21世紀に生きる我々にとっては、鳥インフルエンザに由来する"新型インフルエンザ"が、その直面する感染症になるのではないかと警告しています。
 第1章「聖書に描かれた感染症」では、ハンセン病をはじめとする医療活動、慈善活動に一生を捧げた聖エリザベートや、福音書の言葉「行って、『天国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人を治し、死人を生き返らせ、(中略)あながたがは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい」に共鳴し、実践した聖フランチェスコ、エリザベートに過酷な苦行を強いた異端審問官コンクラートらが紹介されています。また、ハンセン病患者が、「出歩くときには黒いマントを着用して手袋をし、山高帽子をかぶり、杖を持っていかねばならなかった。黒衣の胸には、手の形をした白い布が縫い付けられていた」と、迫害されていた様子や、宗教との関わりの深い病であり、患者は罪を犯したから神から厳しい罰を与えられたと考えられ、人間社会では死んだこととして隔離施設である「ラザレット」に追いやられたこと等が述べられています。
 第2章「『黒死病』はくり返す?」では、ハーメルンの笛吹き男の伝説が、ペストに結び付けて考えられ、ハーメルンには名物のネズミ型のパンが売られていること、史上最初のペストの大流行と確認されたのは、540年の「ユスティニアヌスの疫病」であったこと、十字軍の遠征がハンセン病の流行環境をつくり、次の時代の疫病である黒死病の流行の素地を作ったことになること、1333年の中国、元の時代に長雨による黄河の氾濫や、蝗害、旱魃などの天変地異により食べ物のなくなったアジアから(黒死病を媒介する)たくさんのクマネズミがヨーロッパへ移動したとも言われていること、黒死病が蔓延したヨーロッパでは、「死体は、ペストに感染した危険なものとしてしか扱われなく」なり、市街は「街路に面する戸口に置き去りに」されたこと等が紹介されています。また、ペスト医が、鳥の頭の形をした奇怪なマスクをかぶり、、長いガウンに深靴をはいた異様な格好をしていたこと、当時の外科医は瀉血治療を行っていて床屋のクルクル回る看板は、「赤は動脈、青は静脈、白は包帯」を表す瀉血治療の名残といわれていることが紹介されています。さらに、黒死病蔓延の文化への影響として、屍や骸骨が絵画や木版画に頻繁に登場するようになり、男女、貧富、強者と弱者の区別なく地獄に連れて行く「平等な死」が描かれたことが述べられています。
 第3章「ルネッサンスが梅毒を生んだ」では、1495年頃に突然ヨーロッパに現れた梅毒が、当初は激烈な感染症であったものが50年ほどの間に現在の進行の遅い方に変化したこと、「ルネッサンス期に梅毒が猖獗を極めた理由の中には、性的な行動に寛容であった社会規範と売買春行為、さらに戦乱とが挙げられる」こと(ヨーロッパ社会で性がタブー視されるのはルネッサンス期に梅毒の嵐が吹き荒れ、痛手を受けた以降のこと)、数多くの娼家の最大の商売敵は修道院の修道女であったこと、ヨーロッパで発達したメイクアップ技術や香水文化の陰には、梅毒の痘痕を隠し水銀療法の異臭を消すという目的もあったこと等が述べられています。梅毒が広がった16世紀には、キリスト教の宗教改革が起こり、ルターは一夫一婦制の厳守から売春に反対し、清教徒(ピューリタン)はさらに厳しく性行動を慎み、純潔教育を施すことが必要とされたことを紹介し、ピューリタンの発祥は梅毒蔓延の結果であると言われていると述べています。
 第4章「公衆衛生の誕生」では、検疫の起源を、東方貿易の中継地であったヴェネチアにあるとして、「ヴェネチアの浮き洲のような街の沖合いの島の一つに、東洋から来た人間と商品を一定期間留め置いて、病気の出ないことを確認してから入港させた」こと、この期間が40日であったことから、英語で「検疫」を表す「quarantine」はイタリア語の40(quaranta)を語源としていることが述べられています。
 第5章「産業革命と結核」では、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」の実在のモデルが結核に侵されていたため、彼女の容貌は「透き通るような白い肌、遠くを見つめる憂いに満ちた瞳、けだるげな表情、なで肩の姿態。細く長い首には、頸部リンパ節の腫れのようなものが見られ」、結核の病状をそのままに物語っていることが述べられています。また、ロンドンのスラム街の下水設備はうまく機能せず、住宅地のあちこちに臭い水溜りができ、そこに投棄された汚物が上乗せされたこと、急速に過密化した労働者の住宅地区では「コレラやチフスをはじめとする感染症を蔓延させる下地」となり、「排泄物が流れ込んだ河川は、飲料水の確保を困難にしたこと」が述べられています。18世紀半ばに描かれたホガーズの銅版画「ジン横丁」には、階段から落ちそうになる子どもが描かれ、労働者階級は育児に割く時間を捻出できないため、泣いてむずかる子にビールやジンを与えて眠らせることが広がっていたこと、街の薬局では「ゴッドフリーズ・コーディアル(ゴッドフリーの強心剤)」と名づけられたアヘン入りの甘い乳児酒が販売されていたことなどが紹介されています。
 第6章「新型インフルエンザいの脅威」では、日本におけるインフルエンザの流行が、平安時代の862年に、高句麗族の国の客が持ち込んだ他国の毒気によって流行が起こった激しく咳の出る疫病で多数の死者が出た記録が残っていること、第一次世界大戦の戦況にスペインかぜが大きな影響を与えたこと等について触れた上で、第7章「21世紀の疫病」では、新型インフルエンザ対策行動計画の要点として、
(1)医療サービスの提供確保
(2)公衆衛生学上の介入
(3)抗インフルエンザウイルス薬の使用
(4)新型ワクチン政策
(5)感染症危機管理
(6)情報提供と共有
の6点を挙げています。
 本書は、歴史を感染症の流行という観点から捉えなおすとともに、公衆衛生が国家にとって重要な課題であることを再認識させてくれる一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 『驚異の戦争〈古代の生物化学兵器〉』で詳しく紹介されていますが、ジェノヴァの植民地であった黒海の港カッファをめぐるタタール族との争いの中で、ペストで死んだタタール族の兵士の遺体を投石器によって城壁の中に投げ込まれ、これによって「ヨーロッパ世界を席巻する黒死病蔓延の口火が切られた」ことが紹介されています。
 今でこそ生物兵器といえばバイオテクノロジーの成果物という印象がありますが、こんな原始的な形でも破滅的な被害を及ぼすことができることがわかります。


■ どんな人にオススメ?

・歴史の表舞台に現れない本当の原因を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 E. メイヤー (著), 竹内 さなみ (翻訳) 『驚異の戦争〈古代の生物化学兵器〉』 2006年07月08日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)』 2006年08月14日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)』 2006年08月15日
 ジャレド ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』 2006年09月12日
 ジャレド ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』 2006年09月13日
 ドロシー・H. クローフォード (著), 寺嶋 英志 (翻訳) 『見えざる敵ウイルス―その自然誌』


■ 百夜百音

Ultimate Kylie【Ultimate Kylie】 Kylie Minogue オリジナル盤発売: 2005

 日本ではJ-WAVEなんかでかかる、いわゆる「洋楽」のカテゴリーとは少しずれたように受け止められているポップな楽曲ですが、Jポップと呼ばれる日本語の曲の元ネタとしてバンバン使われている感じです。


『Greatest Hits』Greatest Hits

2007年3月 9日 (金)

占領と改革

■ 書籍情報

占領と改革   【占領と改革】(#778)

  中村政則
  価格: ¥2520 (税込)
  岩波書店(2005/6/10)

 本書は、占領期のGHQによる改革が、旧支配層や国内政治、官僚にどのような影響を与えたのかを多面的に論じたものです。
 序章「戦後史の起源と位相」では、1950年代に形成された政官財コンプレックス(複合体)が、新しい政治空間を作り出し、1949年に輸出振興と産業合理化を目的として発足した通商産業省などの経済官庁がその中軸をなしたことなどが論じられています。
 第1章「GHQ論」では、GHQによる占領改革の基本目的が、「日本が再び世界および米国の脅威とならないこと」であり、「そのための非軍事化・民主化」であったことと、非軍事化政策が、「厭戦・反戦思想に要約目覚めた日本国民の意思と一致しており、これが平和憲法、平和産業、平和教育を通じて戦後体制の基本的性格を決定し、戦後日本経済の高度成長をもたらす背景となった」ことが述べられています。
 また、民主的政治改革の最も重要な改革は憲法改正であり、その特徴として、
(1)戦前の天皇制国家体制を解体し、戦後体制の基盤となったこと。
(2)戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を規定した平和条項(第9条)。
(3)基本的人権保障の強化。
(4)戦前の「官治」から「自治」への転換を目指した地方自治の章を盛り込んだ。
の4点を挙げ、なかでも(4)に関しては、「はじめから『法律の範囲内』という条件つきであり、独自性が制限された」ものであることや、地方分権化、民主化の重要な柱の一つとして警察改革がすすめられ、「人口5000人以上の市町におかれた『自治体警察』とそれ以外の郡部を担当する『国家地方警察』の二本建」となり、所管も従来の内務省警保局から公安委員会となったが、「この改革をめぐりGHQ内では民政局と参謀第二部との間に激しい角逐があった」ことが述べられています。
 さらに、地方軍政機構と地方庁に関しては、GHQからのさまざまな命令が履行されているかを監視するために占領軍は、「GHQの下に第8軍政局、その下に軍団軍政部、さらにその下に地方(北海道・東北・関東・近畿など8地方)軍政部、そして最下部に府県軍政部(チーム)が存在」した地方軍政機構を用い、府県軍政部が地方庁を監視したことが述べられています。そして、GHQが、日本国民の占領に対する反応を知るため、「世論調査、郵便・電話・マスコミの検閲、対敵諜報部隊(CIC)による直接調査などのほか、府県軍政部や地方民事部などの地方軍政(民政)機構を通じてなされた投書・陳情などを利用」し、これらの中には、「超国家主義者等に対する『ホワイトパージ』や『レッドパージ』のための密告だけではなく、個人や地方公共団体の要求貫徹、紛争解決、不正摘発関係のものも多く含まれ」、これらに対して占領軍は、「事実関係を調査し、希望をかなえてやるという行政監視・調整機能を果たす」という「オンブズマン的役割」を国民から期待されていたことが述べられています。
 第2章「公職追放の衝撃――公職適否審査委員会を中心として」では、パージ指令が、
(1)戦争推進に積極的に協力した軍国主義者・超国家主義者・全体主義者タイプ
(2)戦争に批判的な医師抵抗した民主主義者・自由主義者・平和主義者タイプ
の2つに日本人を切り分ける鋭利な「ナイフ」であり、「前者は、平和国家として再起する新日本にとって、好ましくない淘汰されるべき日本人であり、後者こそ主役を演ずるべき好ましい日本人とされた」ことが述べられています。
 そして、この公職追放の実施過程である、「公職追放例に基づく基準(criteria)を対象者に適用する審査(screening)過程」に問題があったとして、審査を担当したのは日本側であり、内閣総理大臣に直属する歴代の公職適否審査委員会であったが、個々の審査には民政局(GS)の承認を必要としていたため、「日本側の各審査委員会は完全な主体的役割を演じたとはいい難く、むしろアメリカ側のコントロール下にあった」ことを指摘しています。また、GHQ内部において、
(1)民政局:日本を民主国家へ再生しようとする理想主義的な勢力であるニューディーラー
(2)参謀第2部:米ソ冷戦に対処するため日本の旧指導層を極力温存しようとする現実主義的な勢力
との間の政策論争が微妙にパージ問題にも繁栄されたことや、「追放処分が司法的にではなく行政的に実施されたため、GHQ側はパージをテコとして日本の内政に干渉でき」、特に占領行政に逆らう政治家に対して強権が発動されたことなどが述べられています。
 著者は、パージをめぐる日米ギャップの根底に「戦争責任に対する両国間の大きな認識の相違」があることを指摘し、「日本人一般は戦争の加害者意識は弱く、むしろ被害者意識の方が圧倒的に強かった」ため、「敗戦の責任を感じて公的地位を退いたものは、国会議員の9名、大学教授の数名、三井、三菱、住友など有力財閥幹部程度にすぎない」ことがそれを象徴しているが、「アメリカ側はそのような戦争責任に曖昧な日本人にあき足らず、あるいは義憤を感じ、日本人に『終戦』を『敗戦』として理解せしめる手段としてパージを最大限活用しようと考えたとしても不思議ではない」と述べています。
 第3章「旧資産階級の没落」では、戦前日本の旧資産階級(経済的支配階級)である、地主、財閥家族、華族、天皇・皇族の没落の過程を明らかにし、従来、農地改革、財閥解体、華族制度の廃止、新憲法の発布などが決定的な意義を持ったとされてきたが、GHQの財政政策特に財産税の課税もまた、すべての経済的支配階級に対する「絞り機」の役割を果たし、戦後日本の階級構成の再編に規定的意義を持ったことが述べられています。
 財産税に関しては、その納税時期には戦後第2期インフレーションが本格化し、「仮に、物価が2倍になり、所有財産を市中で売却して換金できるとすれば、最高90%という超過税率も実質的には45%となってしまう」が、旧資産階級は「インフレに対応できない者」であったことが述べられています。
 また、地主に関しては、「地主制の根幹をなす地主的土地所有は農地改革によって解体され、場合によっては財産税がこれを促進」し、「財産税は地主の所有資産を急減させ、農村社会における彼らの支配階級としての経済的基盤を掘り崩した」ため、大地主は一気に没落し、「農地改革と財産税は、天皇制国家の支柱としての寄生地主制をその根本から解体した」ことが述べられています。これに対し、地主は従来の農村社会における支配者としての威光を背景に、
(1)小作地取り上げ
(2)闇値による売り逃げ
(3)闇小作料
などの抵抗を行ったことが述べられています。
 財閥に関しては、その解体が、
(1)持株会社の解体:10財閥のすべての本社内本社的性格が濃厚なものなどが解体整理され、三井物産は200社に、三菱商事は140社へと徹底的に分割され、銀行が完全に除外された。
(2)財閥家族の企業支配力排除:それまで大蔵省によって行使されてきた財閥家族に関する管理機能が、持株会社整理委員会に付与された。
(3)株式所有の分散化:持株会社整理委員会が譲受け、証券処理調整協議会を通じて処分された株式価格はわが国総株式金額の42%にあたるという歴史上未曾有の株式所有構造の再編が強行された。
の3つの柱からなっていたことが述べられ、なかでも(2)に関しては、財産税の考案者である渋沢敬三元蔵相自身が財産税納入によって没落したが、「ニコボツ」(にこにこしながら没落する)と言って平気な顔をしていたことが紹介されています。
 華族に関しては、敗戦直後にGHQはめぼしい洋館の接収にかかり、「48時間以内に立ち退け」という通達が出され、主要な洋館は占領軍幹部の公邸とされたことが述べられています。
 天皇・皇族に関しては、GHQが財産税によって皇室財産を処理する方針であったのに対し、日本政府は、「皇室財産は天皇の側から自発的に政府に下付する形で処理するから、課税の形で徴収されるというような不面目なことは許していただきたい」と要請したが否認されたことが述べられています。また、皇族に関しては、梨本宮について、「戦前30数名いた職員は梨本宮が巣鴨から出所したときには執事と侍女と事務員が1人だけとなっていた。すでに預金は封鎖されていたから、皇族費という収入が絶たれては、売り食いするしかない。焼け残った土蔵の中にあった美術品、道具類や2台の車(キャデラックとフィアット)を売り払ったが、それらの代金は事務員に持ち逃げされた。また、3度盗難にあった。礼服、背広、肌着から大勲位菊花大綬章をはじめとする外国の最高位の勲章まで盗まれた」という没落の様子が紹介されています。
 第6章「『民主化』過程と官僚の対応」では、「占領初期の政治制度の『民主化』の過程を占領政策のみならず日本政府、とりわけ官僚の改革構想との関連で再検討」しています。 著者は、「官僚が提起した『自主的』『抜本的』改革案の中に、戦時体制下で検討された制度改革構想が新たな装いを持って登場しているのは興味深いことである」として、大蔵省の愛知揆一ら若手の官僚が提案した行政機構改革案をその一例として挙げています。具体的には、各章に対する内閣の統制権を拡大するために内閣が人事権を掌握し、予算と重要国策を決定するものとし、地方行政では府県制を廃止して道州制を採用し、内閣がその人事権を運用するというものであったことを挙げ、「内閣とその補佐機構の強化、国務大臣と行政長官の分離、中央行政機構の統廃合、府県制の廃止と道州制の導入などは、戦時下の行政機構改革でも繰り返し主張されていた」ものであり、「戦時の特別立法を通じて事実上この方向で改革が進められてきた」ことが述べられています。そして、これらの類似性は、「官僚の人的継続性を考えれば不思議なことでは」なく、「戦時体制が必要とした能率的合理的な行政機構は『新日本の建設』のためにも必要だった」ことが指摘されています。
 また、「政治的利害に関わらぬ官僚が、『民主化』や『自由化』を促進する改革案を提示して政治家と対立する側面も見られた」という選挙法の改正が、「内務省の期待通り占領当局者からの介入をほとんど受けないままに行われた」点について、このような「自主的」改革が可能であった事情として、総司令部の中で政治改革を担当する民政局が設置直後で、日本政府との間でまだ十分な国内立法手続が慣行化されていなかったことを指摘しています。
 さらに、「アメリカの方思想によって書かれた民政局草案をヨーロッパ大陸法系の伝統で訓練された日本の法政官僚が調整を図る」ことは当然であったとして、「民政局案の『地方行政』の章を『地方自治』に改めて『地方自治の本旨』なる言葉を加えたのは、明治の市制町村制の『隣保共同の精神』を継承しようとするもので、それ以前の日本の『民主的』伝統との連続によって新憲法の枠組みの制度的定着の道を開く意義を持った」と述べています。
 そして、占領下の官僚の行動が、
(1)国内の政治的制約
(2)占領当局の動き
の2つの条件によって制約されていたことを指摘し、官僚と政党を巡る争点について論じています。
 著者は、占領初期の政治制度の急速な「民主化」が可能であった理由として、「総力線の経験と敗戦の衝撃がもたらした国内での改革の機運が占領政策の『民主化』政策と交錯しつつ急速な『民主化』が進んだ」ことを挙げ、「占領当局が進める改革に日本政府、とりわけ官僚が抵抗し続けたという見方が一面的にすぎること」を指摘しています。
 本書は、占領期の改革を多面的に把握することを可能とする一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の中で、皇族の没落の典型として紹介されている梨本宮家については、梨本伊都子の『三代の天皇と私』から没落の様子が紹介されていますが、彼女は、「肥前佐賀藩の19台藩主鍋島直大の娘として1882年父の任地ローマで生まれた。伊都子という名は、その誕生の地に由来している」と紹介されています。
 昨年、佐賀城本丸歴史館で縁の品を見る機会がありましたが、「伊太利亜の都で生まれた子」だから「伊都子」とはしゃれた名前だと思いました。


■ どんな人にオススメ?

・占領期の民主化が急速に進んだ理由と戦時中の改革との連続性に着目したい人。


■ 関連しそうな本

 天川 晃, 増田 弘 『地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続』 2007年03月07日
 カール・S. シャウプ (著), 柴田 弘文, 柴田 愛子 (翻訳) 『シャウプの証言―シャウプ税制使節団の教訓』 2007年02月13日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 石見 豊 『戦後日本の地方分権―その論議を中心に』 2007年02月09日
 岡田 彰 『現代日本官僚制の成立―戦後占領期における行政制度の再編成』 2007年02月26日


■ 百夜百マンガ

有・椎名百貨店【有・椎名百貨店 】

 短編のギャグ作家からストーリー物へ、という流れは同じサンデーのゆうきまさみと近いものを感じます。たまにしか立ち読みしない人にとっては、短編の方が分かりやすいこともあります。

2007年3月 8日 (木)

ニヒリズムの宰相小泉純一郎論

■ 書籍情報

ニヒリズムの宰相小泉純一郎論   【ニヒリズムの宰相小泉純一郎論】(#777)

  御厨 貴
  価格: ¥756 (税込)
  PHP研究所(2006/06)

 本書は、小泉純一郎という個性豊かな首相の権力的人間像に迫り、彼に表象される現代政治のダイナミズムを明らかにすることを目的としたものです。
 序章「三つのタブーがなくなった」では、小泉首相が、「今の状況を意図していたわけでは」なく、「本人がごく些細な意図ではじめたことが、いつのまにか千波万波を呼んで思わぬ方向に広がっていくという、いわば政治を呼び込むタイプの政治家」であると述べています。そして、「はっきりとした見識や主張や思想がある」わけではなく、「全体を見ながら、『まあこれでいいんじゃないの』という程度の話で事を運んでいるのではないか」と推測し、従来の総理大臣に、こういう人はいなかった述べ、自分や周囲が確信をもてない話も平気で口にするという「今までにはいなかったタイプの総理大臣である」ということが、「宰相・小泉を考えるにあたって、忘れてはならない第1のポイント」であるとしています。
 第1章「選挙を好感度調査にした男」では、小泉首相が「橋本派が握っていた政治文法」をどんどん崩していった強気の背景に、「小泉さんのときになって橋本行革が現実化したというまことに皮肉な事情」があり、政権をとる前年から行革が本格化し、「省庁合併が行われると同時に、内閣府ないしは内閣官房の強化が制度として現実のものになっていた」ことを指摘しています。
 また、本書のタイトルになっている「ニヒリズム」については、「説得せず、調整せず、妥協せず」の「ニヒリスティックな三無主義」を挙げています。
 第2章「数の政治から劇場型政治へ」では、宰相・小泉を考える2つめのポイントとして、「小泉さんと自民党の派閥との関係、それから政党の現状」について焦点を当てています。そして、2001年及び選挙のときには、「従来型の選挙にあったような、多数のなかでの明らかに強い少数」は機能しなくなっていて、「数の論理がそこでもう一度変わり、草の根の多数をどうやって自分の支持に引きつけるか」という問題の変質を、小泉首相が見事に感知したことが劇場型政治につながっていったと述べています。
 また、その政治手法について、「党をそっちのけにして、内閣の側についた最初の人」であり、「内閣の側から司令を出した最初の人」であるとし、「このやり方が小泉政治の最も本質的な力の源泉の一つになった」と指摘し、その裏に、「彼個人のキャラクターに依存する天才的な勘の鋭さや意志の強さのほかに、政治文法に関する知識汚染から自由だったという党内経歴に由来する事情、あるいは橋本行革からスタートした官公庁の再編といった、政治環境や時代の風に巡りあってこれを自分に優位に好転させるという、彼独特の運の強さも関与していた」と分析しています。
 第3章「小泉内閣の歴史的な意味」では自民党が生まれたときの、「当時の野党、つまり革新側に政権を渡さないという一点で合同」したという原体験が、細川内閣成立時に「もう一度、強く反復・再生されること」になり、「相手が誰であろうと絶対に野党になってはいけない、与党であり続ける、これが自民党を支える唯一の実質的な党是」となったことを指摘しています。
 また、小泉首相が、「『説得せず、調整せず、妥協せず』に象徴される三無主義的行動を平気で繰り返すという点」において「基本的に『裸の王様』」であり、「『彼は裸だ』と明言する人が表れないうちに、いつの間にやら大きくなってしまった『裸の王様』」であると指摘しています。
 さらに、今の日本政治で起きている現象を世界的に見ると、私たちが今感じている変化はヨーロッパでも同じように起きていて、「カリスマを持つ指導者が、人気と権力を支えにして政治を進める傾向」を指して「大統領化現象(プレジデンシャリゼーション)」といわれはじめていることが述べられ、その共通事項として、
(1)人事や政策についての首相や大統領の自立性が拡大し、スタッフ、財源、さらには問題設定能力についても、個人に集中している。
(2)政党や行政のリーダーが、党の活動家や派閥の領袖の中から出てくるのではなく、ときの権力者の個人的な関係のネットワークの中から出て行くという方向に変わってきている。
(3)選挙全体が大統領など権力中枢を中心とする個人的な色合いの強い選挙運動になり、誰が党首であるかということが、選挙結果に大きく影響する。
などの点を挙げ、「小泉現象は21世紀の初めにぽっと出てきた何かの逸脱現象というようなもの」ではなく、「21世紀の先進国の政治における、大きな転換ポイントの一つになる要素」を含んでおり、「小泉現象をどう分析し、分析したものにどう対応していくかという判断が、小泉さんが引退した後になっても、良くも悪くも日本の政治を決する重大な鍵の一つになる」と述べています。
 第4章「なぜ小泉政治は面白いのか」では、小泉首相が、「長い間続いてきた政調会の事前審議という党内慣習を無視した」ことが、従来の「正当性は内閣にあるにしても実験は党にある、内閣の権威と党の権力があいまって、互いにうまく浸食しないようにやってきた」という自民党の知恵を「いとも簡単に壊そうとしている、どうも権威と権力を一緒にしたがっているようだ」ということに橋本派以下が気づき、この根拠になる武器の一つに、「橋本さんたちがやってきた行革の成果があった」ことを指摘し、従来の内閣が、内閣の寿命が縮まるような改革案は大抵やらずに済ませてきたのに対し、「ともかく一度決めた問題を全部並列にして、どんどん前に進んだ」と分析しています。
 また、「大蔵大臣で3期連続で予算を作ったら、もうその大蔵大臣には逆らえない」という話を紹介し、事実上の竹中予算といわれた予算を3年やったらやはり強く、もう元には戻らない、「竹下さんのいう法則を小泉さんはうまく読み替えて使った」と述べています。
 さらに、「各章から優秀な官僚がどんどん小泉シフトのために引き抜かれていった」ことを挙げ、「小泉さんが政治に限らず、官僚の世界でも年功序列を切ったことの意味は大きい」が、「あまり国民には見えないところかもしれません」とした上で、「少なくとも意識の上では確実に改革が進んでいる」と指摘し、最近の官僚が「外に対してしっかりとものをいうように」なったことを指摘し、「官僚が声を出すようになってよかった」と述べています。
 民主党に関しては、「あまりいわれていないこと」とした上で、「私は小泉さんは絶対に二大政党論者ではないと思って」いると述べ、「仮に二大政党制というような枠組みを作ってしまうと、彼はそれに拘束されること自体を嫌う」とし、「二大政党制でないものを目指して進んでいく点に小泉さんの勘どころがある」と指摘しています。また、前回の選挙で民主党が犯したミスとして、自分たちが政権をとったら、ポリティカル・アポインティで任命された人を全部交代させるといったことを挙げ、「こんなことを選挙の最中に言うのは世間知らずもいいところ」だと指摘し、「今まで一応中立を装っていた人ですら、ポリティカル・アポインティだから交代といわれたら、民主党のために頑張るはず」がなく、「本当に政権交代をする気であれば、優秀な官僚は残して民主党の側に引っ張ってくればいいわけ」であり、「自分たちのために協力してくれるように、むしろ彼らを分断するように仕掛けていくのがリアルな政治のはず」であると述べています。
 第5章「小泉劇場のライトモチーフ」では、「小泉以後の政治に大きな変化を呼び起こす要因」の一つとして、団塊の世代を挙げ、「歴史も政治もすべてが五感情報的になっている」と指摘し、「感性全開のせいで、政治がある時期から本当に身近に」なったが、「今演じられている政治は極めて場当たり的なものであって、先が見えるなどという代物ではありません」と述べています。
 巻末の「特別対談 小泉時代 日本はどう変わったか」では、松原隆一郎氏との対談の中で、「小泉改革はある種ニヒリズムの革命といっていいようなところがある点も見逃せない。『お上』が担保してくれると思っていた安心安全も、規制緩和や事後チェック型社会への以降、それに伴う監視システムの不備などが重なり、危うくなっている」と指摘しています。
 本書は、著者の講演録的な体裁もあいまって、読みやすい臨場感ある一冊となっています。


■ 個人的な視点から

 本書の中で、著者は、官僚が外に対してものをいうようになったことを評価しています。近年、『霞ヶ関構造改革・プロジェクトK』を出版した「新しい霞ヶ関を創る若手の会」などの動きも出ていますし、「竹中塾」というそのものズバリの名を冠した「公務員塾」の活動も行われました。外からはなかなか見えにくく、漏れ聞こえてくる様子から推測するしかありませんが、私が出会う官僚・元官僚の皆さんを見る限り、少なくとも変わろうとして動き出している人がある程度の数いることは間違いないと思います。


■ どんな人にオススメ?

・小泉政権を一時的なイレギュラーな出来事だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 上村 敏之, 田中 宏樹 (編著) 『「小泉改革」とは何だったのか―政策イノベーションへの次なる指針』 2006年11月02日
 竹中 治堅 『首相支配-日本政治の変貌』 2006年12月26日
 大田 弘子 『経済財政諮問会議の戦い』 2006年12月01日
 新しい霞ヶ関を創る若手の会 (編集) 『霞ヶ関構造改革・プロジェクトK』 2005年12月22日


■ 百夜百マンガ

てんぎゃん【てんぎゃん 】

 明治時代の型破りな科学者、南方熊楠を果敢にも600万部時代のジャンプで連載してしまったという勇気のある作品。こういう編集者の思い入れのある地味な作品が現れては消えを繰り返すところが、雑誌全体としてのジャンプの強みだったのでしょう。

2007年3月 7日 (水)

地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続

■ 書籍情報

地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続   【地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続】(#776)

  天川 晃, 増田 弘
  価格: ¥2625 (税込)
  山川出版社(2001/03)

 本書は、1970年代以降に、主としてアメリカで公開された公文書を利用した染料改革の研究が進められ、これらの研究によって明らかになった「占領改革の背景と改革過程の細部」に関する研究成果を元にした、「占領改革は実際にそれまでの日本の政治や社会をどのように変えた」のか、「占領改革はその後の日本の政治の発展にいかなる影響を与えた」という問題に関して、
(1)占領政策に対する日本側の対応の側面をより掘り下げて検討し、
(2)占領改革をそれ以前とそれ以後の日本の政治と社会の歴史の中で位置づける、
ことを目的としたものです。
 序論「地域から見直す占領改革」では、占領時代に軍政部から各府県に、最大時には2400人の軍政官が置かれ、「各府県の行政に口を挟んだ」ことが述べられ、「軍政部に配属された軍政官は軍服は着てはいても職業軍人では」なく、「民間人出身でアメリカで日本の軍政のために特別の訓練を受けてきたインテリ将校も多く、こうした軍政官は概して改革の理想に燃え」、「個別の軍政担当間の熱意に応じて各府県に与える影響にも差異が出たと考えられる」と述べられています。なかでも、山梨県軍政部の教育担当官、ブラバンディ大尉は、「いつも公僕のサービス精神の徹底を強調し『県庁の役人は「県民のサーバント」であることを信条とすべきである』と説き、「うるさい大尉」という評価と「有能の士」であったとの評価があったことが述べられています。
 第1部「1945年:地域社会の連続と非連続」には、「沖縄:戦中・戦後の政治社会の変容」と「地域の戦時・戦後と占領――茨城県を中心として」の2編の論文が収められています。
 「沖縄:戦中・戦後の政治社会の変容」では、1945年3月に、北部地区の国頭地方で「各町村の有力者、実力者、学校長、翼賛会員などを集めて結成」された、「宣伝、諜報、防諜、謀略を任務とする秘密機関」である「国士隊」の活動について解説されています。
 また、1945年1月に沖縄県知事に島田叡が就任すると、沖縄県庁の行政は戦時行政に切り替えられ、部課長会議において、
(1)芋の生産に重点を置くが、消費の現状から大家畜をつぶして食料に充てる一方、家畜の減少によって浮く量を、人間の食料にふりむける。
(2)雑穀類も極力確保して、主食に充てる。
(3)北部地区を始め全島に渡って、できるだけ蘇鉄を採取して備蓄食料とする。
(4)台湾総督府との直接交渉によって、相当量の台湾米を移入する。
の4点を決定し、戦時行政としての課題は、「(1)食糧問題、(2)県外引き揚げ、(3)本島北部地区への退避」などであり、「戦時の行政課題は、張りつめた緊張の中にあっても単純で明解であった」と述べられています。
 さらに、それまで沖縄県に対し、「治安人事に関することを始め地方統治に対して絶大な権限を持っていた」が、戦時に入ると「県政は軍の支配下に編入され、政府内務省の力はいくぶん後退」し、それまで内務省が人事権を握り、任命された部長が沖縄県庁に赴任していたが、「『玉砕』の雰囲気が立ち込めてくると、出張と称して沖縄を出、病気療養を理由にそのまま帰らぬ人や転任者もいたりして、空白の行政部署も生じた」ことが述べられています。
 沖縄戦の末期に起きた、「友軍」である日本軍による沖縄住民の虐殺事件に関しては、その原因として、
(1)防諜(スパイ嫌疑)
(2)捕虜に対する報復
(3)陣地暴露の防止(幼児殺害など)
(4)食糧確保
(5)壕確保
の5点が挙げられ、これらの事件の特徴として「すべて郡の命令のもとに行われており、そのすべてが、防諜、諜報に関係している」ことが述べられています。
 敗戦後については、「日本占領が現実化された時点で、沖縄占領は日本占領の中に、もしくはその一部として、包み込まれると考えられていたが、実際の政治過程では、二つの占領が別々に存在し、沖縄は、長期にわたって日本から分断されることになった」ことが述べられています。
 1945年8月、米国海軍軍政府司令部が、「沖縄を統治するにあたって諮問機関とする沖縄諮詢会の設立を発表」し、「軍政府―諮詢会―住民のチャンネル」という統治構造の中で「狭い場所しか与えられなかった」が、「住民を代表するがごとき人々を沖縄人の中から集めたこと」が、「戦後社会の大きな転機であった」と述べられ、その会議の雰囲気は、「日本政府のポツダム宣言受諾という重苦しさとは対照的に、米軍の支援の下での『復興』に大きく期待していた」と述べられています。
 そして、政治的な自治の活動がアメリカ軍政の元で沖縄人による政党結成活動として開始され、占領初期の政党や政治結社に共通する傾向として、
(1)沖縄の民主化
(2)占領軍への協力
(3)琉球独立論志向
の3点が挙げられています。
 「地域の戦時・戦後と占領」では、茨城という地域社会にとっての染料の意味を考える上で、「民衆が占領当局と直接接触するところの実態」を明らかにする必要があるとして、「民衆と占領を、地元で実際に媒介した地域のエリートたちの行動と意図、および占領前後の実態を明らかにする」とし、「茨城県の占領時代研究会や、筆者も参加した茨城県議会史作成時に行われた官僚、県政会、財界、教育界など各領域のリーダーの聞き取り調査」を材料としています。
 占領期終結の月である1952年4月から茨城県庁に勤務した石原信雄へのヒアリングでは、地方自治庁に採用された石原が、「内務省が解体され、『地方局は地方自治庁と地方財政委員会と全国選挙管理委員会の3つの役所に分解されてしまって見習いを採用する定員がない』」ため、茨城県総務課に勤務したことが述べられています。また、内務省地方局のOBたちから「君達は占領が解けてわが国が独立したら、内務省を復活させるんだからね」と言われていたことや、石原自身の視点として、「戦前・戦中の日本の地方行政は各章がそれぞれの行政分野で地方に対して、府県については直接監督する、市町村については、機関委任事務制度によって監督するという方式をとっていた……しかし、総じて各章が直接都道府県を通じて影響力を行使することについては、内務省が強力な調整権限を持っていて、言わば戦前の体制の中で、地方の立場を内務省が代弁するという役割を果たしていたんです……各省が縦系列で地方を支配していたんです。それに対して地方の立場をある程度守ったのは、内務省地方局だったんですね」「国が地方に仕事を押し付ける場合に……必ず内務大臣の了解をとらなければいけない、というような通達が明治のころから出てい」たと語っていることが紹介されています。また、内務省が持つ2つの顔として、「警保局や、社会局は、地方を支配・統制するという立場だったんですが、地方局は、地方自治を強化する方が国のためになるという思想を持っていた」とし、「戦前……各省が補助金を出すといっても、内務所がだめと言えばだめだったんですね。戦前の各省の補助金は、全部内務省の会計課が予算を組んだんです。……中央集権といいながら以外に地方の立場を強く反映していたんです。内務省がなくなったんで、各省がやりたい放題になった」という言葉を紹介しています。石原は、全国知事会の下に作られた地方制度調査委員会の委員長になった友末知事の下で、制度改革のためのデータ集め、原稿の作成など「一種の秘書官」のような仕事を県庁で行い、1年3ヵ月後に自治省に戻るまでの間、「この委員会での地方財政計画の作成、制度改正の経験はその後の石原の多くの糧」となり、「平衡交付金をめぐる大蔵省と地方財政委員会との厳しい対立を経て、定率制に基づく地方交付金制度にしたこと、その原型は、戦前の1932年に、『当時の内務省の若手官僚三好重夫』が提唱し、さらに三好が内務省財政課長のときの、戦時期の1940年に制度化した『地方配付税制度』にあったこと」などが述べられています。
 第2部「指導者交代の諸相」には、「パージの衝撃――岩手県を中心として」、「教員レッド・パージ――北海道を中心として」、「指導者の交代――衆議院総選挙結果を手掛かりに」の3編の論文が収められています。
 「パージの衝撃」では、パージが、日本人を単純に、
(1)戦争推進に積極的に協力した軍国主義者・超国家主義者・全体主義者のタイプ――好ましくない淘汰されるべき日本人
(2)戦争に批判的で抵抗を示した民主主義者・自由主義者・平和主義者のタイプ――主役を演じるべき好ましい日本人
の「2つのタイプに切り分ける"道具"のような役割を果たした」ことが述べられています。
 また、1946年1月にGHQ側の知事"公選"の意向を受けた内務省が都道府県知事の大量入れ替えを決定し、「1941年から45年までの翼賛会地方支部長を兼任していた官選の地方長官ないし知事150名が追放該当に指定され、岩手の宮田為益知事がこれに含まれた」上、知事の異動と相前後して「県庁職員の"整理旋風"が起こったこと」が庁内に同様の輪を広げ、「県庁職員2300余名のうち対象が2割5分、約600名もの規模に及んだため、その選抜に際して一種のパージ的処分が行われたとしても不思議ではなかったであろう」と述べられています。
 さらに、1946年の総選挙の意義ないし特色として、
(1)政治的な旧基盤が完全に分解された。
(2)政党の割合については、保守側が依然有利であることでは戦前・戦後に大きな変化がなかったが、政党の立場からは、非公認者の相次ぐ当選が政党側の混乱ぶりを象徴していた。
(3)唯一の婦人候補がトップ当選を果たした。
(4)革新勢力が2議席を確保するなど奮闘した。
(5)投票率が予想以上に高く、棄権率は2割7分2厘であり、最良の愛知(1割5分1厘)、最悪の千葉(3割7分5厘)の中では良好と言えた。
の5点を挙げています。
 知事公選に関しては、「官選から公選への転換は県庁内部に同様を引き起こし」、当時の状況として、「まったく天地がひっくり返ったような話でした。とにかく県庁というところは、昔から本官と地方官、この差がはっきりしていた。ある程度以上の法律上の行為になると、本官でなければ扱えない。いくら月給が高くても、地方官にはそういう権利が与えられない、というふうな時代でした。その本官というのが内務省任命の役人で、今でいう国家公務員です。それが便所まで本官と地方官に分かれていた。……私たちはそういうもんだと思い込んでいた。そのころの知事は、議会へ出ても、国防政策から何から、政府の弁解をしたもんですからね。……ところが公選、民選ということになると、自分たちの代表を自分たちで選ぶんだと、天地がひっくり返るようなことになるわけです」という吉岡誠(元県秘書課長、教育部長、盛岡市長)の言葉を紹介しています。
 また、初の公選知事である国分謙吉は、「県庁内部の実態をよく把握で傷、県庁の部課長たちも地方の民主化にどう対処すればよいかが判らず、混乱状態」であったため、「ある課長のごときは、県会で答弁に立って、私らは落ちた春さんを支援したのであって、今の知事を支援した覚えはない、と答弁して平気でいる」という証言が紹介されています。しかし、「知事の考え方次第で、県庁勤務者が本省から天下っていた官僚に代わって部局長の椅子に就くことも可能」となり、「内務省の人事権はなくなり、内務完了が地方に進出することが難しくなった」とともに、同年末の内務省解体によって、「中央政府の地方行政に対する旧来の官僚的統制を瓦解させた」ことが述べられています。
 「教員レッド・パージ」では、「道教育刷新」のためにとられた辞職勧告対象者が、
(1)新教育を理解せず又はその促進を阻害する行動のあるもの
(2)教育委員会及び学校長の教育方針に協力せず又は著しく生徒父兄の信用なきもの
(3)性行不良または教職員としての体面を失したもの
(4)勤務状況不良なるもの又は著しく指導力の欠如するもの
(5)教育基本法第8条2項に抵触するもの
(6)極端な反民主的思想その他により児童生徒に影響力ありと認められたもの
(7)服務規律に違反せるもの
の7項目のいずれかに抵触する者であったことが述べられています。
 また、北海道共産党がレッド・パージ闘争を効果的に組織し得なかった最大の要因として、
・北教祖のこれに対する消極的対応
・急速に進行していた労働組合運動の隊列の分裂
・産別会議の衰退と反共・民同勢力の主導権確立という状態の中で攻撃に対し統一して対抗し得ないという当時の客観的条件
などを挙げています。
 「指導者の交代」では、GHQによって進められた公職追放とそれと対をなす追放解除が、議会エリートの交代にどのような影響を及ぼしたかについて、
(1)追放実施期の1946年~49年選挙と、道解除以降の52~55年選挙とに大別し、それぞれの時期における交代の諸相を検討する。
(2)これらナショナル・レベルでのマクロな分析に加え、ケース・スタディとして兵庫県を取り上げ、地域からの視点を組み入れることで、この問題に対する新たな視座を提示する。
の2つの角度から分析しています。
 また、戦前(戦中)・戦後における議会エリートの交代の諸相の分析結果として、
(1)新人の議席率の変化に着目すると、46年占拠を含め、47・49年選挙においてもその比率は高かった。
(2)追放の効果を考えるとき、46年の第1次追放のみならず、47年の第2次追放も含めて考える必要がある。
(3)追放は議員の交代を促し、49年選挙においては、戦前派が全体の9.4%まで激減した。
(4)追放解除の結果見られた戦前は議員の復活は、よく参議院に限定するとその割合は大きくなかった。
(5)追放解除組の復帰と前後して、高級官僚や労組出身議員が台頭し、52年を起点として議会エリートの構成に変化が、これと比例するように政党システムの安定が見られ始め、議員の交代の度合が減退した。
の5点を指摘しています。
 第3部「制度選択と地域政治」には「特別市制をめぐる大都市と県の対抗――横浜市と神奈川県を中心として」が収められ、地方自治法の「第3編 特別地方公共団体」の「第1章」にあたる第264条から280条までが、一度も実現されることなく昭和31年に「削除」され、代わりに「第2編 地方公共団体」の第252条の19から21の指定都市の制度が導入された経緯として、「特別市の指定を求める5大都市(大阪、京都、名古屋、神戸、横浜)とこれらを含む5大府県との間の対立が激化して調整が困難となったことからとられた措置」であること等が解説されています。
 本書は、国家レベルの観点から捉えられがちな占領期の改革について、地方政治の観点から光を当てる貴重な一冊です。


■ 個人的な視点から

 戦前と戦後の国会議員の様変わりを分析したものや、戦前戦後の官庁(中央・地方)の変化を取り扱った文献は見かけますが、終戦直後の地方政治に対する追放の影響は面白かったです。
 岩手県の衆院選の話で全国各県の投票率が取り上げられていますが、戦後初の総選挙で千葉県は全国最下位だったことが(それでも6割以上ですが)紹介されています。ちなみに全国の都道府県議会議員選挙で歴代投票率が最下位も千葉県(4年前)です。4月の統一地方選ではどんな結果が出るでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・地方政治にとっての終戦の意味を押さえておきたい人。


■ 関連しそうな本

 カール・S. シャウプ (著), 柴田 弘文, 柴田 愛子 (翻訳) 『シャウプの証言―シャウプ税制使節団の教訓』 2007年02月13日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 天川 晃 『GHQ日本占領史 (38)地方自治体財政』 2007年02月15日


■ 百夜百マンガ

GS(ゴーストスイーパー)美神極楽大作戦!!【GS(ゴーストスイーパー)美神極楽大作戦!! 】

 アシスタントの横島くんの時給があまりにも安いのが気がかりです。自業自得なんですが。

2007年3月 6日 (火)

男女共同参画社会をつくる

■ 書籍情報

男女共同参画社会をつくる   【男女共同参画社会をつくる】(#775)

  大沢 真理
  価格: ¥1019 (税込)
  日本放送出版協会(2002/09)

 本書は、著者の前著『企業中心社会を超えて――現代日本を<ジェンダー>で読む』の続編的な位置づけで、1993年以来9年間の日本社会の変化と男女共同参画政策を解説したものです。著者は、デフレと少子高齢化の2つの悪循環の媒介項になっている『「不安」を解消し、悪循環を好循環に転換するために、社会政策システムを『両立支援』型に組みかえることを通じて、男女共同参画社会をつくることがカギになる」というメッセージを本書にこめています。
著者は、日本の社会的セーフティ・ネットが、「男性の雇用と処遇が、安泰という以上に右肩上がりであることを前提」とした「男性稼ぎ主」型であり、このことが消費不況に影響していることを指摘した上で、家計構造を危険(リスク)分散型にすることで、将来性のある雇用機会にチャレンジしやすくなる「両立支援」型の社会的セーフティ・ネットに再構築することを主張しています。
 また、「男女共同参画が家族を崩壊させる」、「専業主婦や育児を軽視する風潮を助長する」という一部メディアの論調に対し、日本人にとって、「母親が一人で育児に専念する」ことが「非伝統的」であり、1960年頃までは、日本人の大多数は大家族の農家で生まれ、母親は農業労働への従事が最優先で、子育ては年寄りやきょうだい等、多様な人々が分担し、農家の男性も長時間の農業労働に加え毎日1時間以上の家事労働もこなしていたことを指摘し、「親はもちろん、家族外の保育サービス、地域のネットワークなどが支えあう育児は、日本伝統の子育てを21世紀によみがえらせるものとすら」言えると述べています。
 第1章「ジェンダーに縛られない社会」では、国際連合開発計画(UNDP)が発表している「人間開発報告」の中で、日本が、「人間開発指数(HDI)」では162か国中第9位にあるにもかかわらず、「女性が積極的に経済界や政治生活に参加し、意思決定に参加できるかどうか」を測る「ジェンダー・エンパワーメント測定(GEM)」では、64か国中31位に落ちてしまうことを挙げ、「日本は先進国の一員として特異である」ことを指摘しています。また年金制度の「性別による偏り」について、
(1)厚生年金の「標準的な年金(モデル年金)」額が、平均程度の賃金を得て制度に加入し続けた「男性被用者」をモデルとして設定されてきた。
(2)第3号被保険者の保険料は、共稼ぎあるいは単身の世帯からの"逆補助金"として支払われている。
(3)第3号被保険者制度と所得税の配偶者控除制度があいまって、有配偶女性が年収100万円前後以下の短時間・低賃金の就労を選考するよう促されている。
(4)夫の死後の遺族年金の額によって、共働きで第2号被保険者として納付してきた保険料を「掛け捨て」にすることが迫られる場合がある。
(5)専業主婦が離婚すると保険料の負担が生じ、さらに夫の死後受けられる遺族年金が再婚後給付停止されるため、結婚の自由を妨げられる。
の5点の問題点を指摘しています。
 第2章「『男性稼ぎ主』型の形成と補強」では、いわゆる「標準世帯」とされている「内助の妻」と「会社人間」のカップルが、高度経済成長の結果として登場したものに過ぎないことを述べています。そして、日本の社会保障体系の特徴である「男性稼ぎ主」型の特徴を、
(1)家族頼み:生活はまず家族で支えあうものである、「夫は仕事、妻は家庭」という性別分業を行うことを前提とされた。
(2)男性本位:社会保障は、男性雇用者のニーズを中心に、世帯単位で設計された。
(3)大企業本位:とくに社会保険制度は大企業の労使に有利になっていて、税制もそれを助長してきた。
の3点挙げています。そして、1974年を境に男性の実質賃金の伸びが大きく低下したことを受け、1980年代後半からは専業主婦世帯は少数派となったことを紹介し、それにもかかわらず、日本の社会政策システムは1980年代に逆方向の改革が行われ、配偶者特別控除の導入や第3号被保険者制度の創設など、「女性が就業するにしても、所得を夫の被扶養家族の限度内にとどめるよう促」し、「低賃金のパートタイム就労を助長」した結果、「社会保険制度の空洞化が進行」したことが指摘されています。
 第3章「放置されたジェンダー・バイアス」では、アンデルセンによる福祉国家体系の3類型論として、
(1)第1群:「自由主義的」福祉国家――米、カナダ、オーストラリアなど。
(2)第2群:「保守的」福祉国家――オーストリア、仏、独、伊など。
(3)第3群:「社会民主主義的」福祉国家――北欧諸国
を紹介し、日本はこのどれにも当てはまらない分類困難なケースであることが述べられています。そして、1980年前後の日本の福祉国家が、「社会的支出の規模がOECD諸国の最低レベルであり、社会政策が選別主義的で家族支援志向が低く、さらに脱商品化の度合いもまた低く、個人に市場参加をしいるという点で、自由主義的」でありながら、「同時に社会保険の職域分立と階層性(勤め先企業規模別の格差など)では保守的であり、雇用の性別平等でもOECD諸国の最低レベル」であったことが述べられています。
 第4章「橋本六大改革の光と影」では、1970年代後半から21世紀にかけて、日本の「福祉見直し」の福祉国家観が、「国民負担率の抑制」を最優先の政策課題としてきたことが述べられています。そして、この路線に対する社会保障制度審議会の95年勧告の言外の批判として、「『公的負担』の抑制を至上命題として『家族による不要、介護、育児等の負担』を増やし、しかも社会保障制度を『男女平等の視点』に立って見直すことを怠るなら、家族を形成し維持する負担は一層大きくなる。『国民負担の抑制』路線は、若い人々、特に女性が結婚を先送りし、子供を産み育てないという方法で、そうした過重な負担を避けようとする傾向を助長し、その結果、少子高齢化をさらに加速するという不合理に陥る」と述べています。
 第5章「小泉『骨太方針』を検証する」では、経済戦略会議の「公正な格差」論を、「経済戦略会議の一部の学者メンバーが独創的に作ったものではなく、90年代後半に諸方面で合作されて、主流となってきたもの」であると指摘しています。そして、経済戦略会議のセーフティ・ネット論が、
(1)社会保障給付のナショナル・ミニマムのレベルを高くしすぎると、「モラルハザードが生じるだけでなく、非効率的な大きな政府を作り上げることになる」として、サービスも「社会的な必要最低限」と限定している。
(2)従来の社会保障制度改革について、「これまでの改革も国民負担の増大と社会保障給付の削減の組合せを続けてきた結果、制度に対する国民の信頼感の低下と将来不安の増大をもたらしている」と批判的である。
の2点を挙げています。
 また、男女共同参画社会基本等の基本理念として、
(1)男女が性別による差別的取扱いを受けないこと等男女の人権の尊重。
(2)社会制度・慣行が男女の社会における活動の選択に対して及ぼす影響を中立なものとするよう配慮。
(3)国・地方公共団体または民間団体の政策・方針の立案及び決定への男女共同参画。
(4)家庭生活における活動と他の活動の両立。
(5)国際的強調。
の5点を挙げています。
 第6章「男女共同参画社会への道」では、「安心」の基盤となりうる持続可能な社会政策システムへの改革案として、
(1)「三つの福祉政府体系」を確立し、中立的な税制とする。
(2)雇用平等の確率を。
(3)一元的な所得比例年金を。
(4)介護保障は地方分権を目指した税方式で。
(5)一人一保険証の医療保険を。
(6)ミニマム保障で雇用不安を解消。
(7)普遍的な児童手当と子育て支援を。
の7つの政策を提言しています。
 本書は、日本の男女共同参画政策の中心にいる著者ならではの深い関心と幅広い視点が発揮された一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の中で、日本の社会政策システムが、社会的セーフティ・ネットの機能低下や空洞化があらわになり、「プロクルステスのベッド」と化しているのではないか、という言葉が出てきます。
 このプロクルステスとは、ギリシア神話に登場する追い剥ぎで、「捕らえた人を鉄のベッドに寝かせ、ベッドからはみ出す長身の体を切り、短ければ無理やり引き伸ばした」というもので、融通の利かない画一的な制度を「Procrustean bed」と言うそうです。


■ どんな人にオススメ?

・男女共同参画に関する入門書を探している人。


■ 関連しそうな本

 赤岡 功, 長坂 寛, 渡辺 峻, 筒井 清子, 山岡 煕子 『男女共同参画と女性労働―新しい働き方の実現をめざして』 2005年09月08日
 脇坂 明, 冨田 安信 (編集) 『大卒女性の働き方―女性が仕事をつづけるとき、やめるとき』 2006年05月02日
 赤川 学 『子どもが減って何が悪いか!』 2006年10月19日
 伊藤 公雄 『「男女共同参画」が問いかけるもの―現代日本社会とジェンダー・ポリティクス』
 佐野 陽子, 志野 澄人, 嶋根 政充 (編著) 『ジェンダー・マネジメント―21世紀型男女共創企業に向けて』 2005年12月06日
 ロザベス・モス カンター (著), 高井 葉子 (翻訳) 『企業のなかの男と女―女性が増えれば職場が変わる』 2005年10月11日


■ 百夜百マンガ

きらきらひかる―浪速美人監察医物語【きらきらひかる―浪速美人監察医物語 】

 ドラマ化されて人気を博した作品です。「監察医」ものは推理小説の一ジャンルとして確立していますが、マンガでは珍しいんじゃないかと思います。

2007年3月 5日 (月)

物理学者、ウォール街を往く。―クオンツへの転進

■ 書籍情報

物理学者、ウォール街を往く。―クオンツへの転進   【物理学者、ウォール街を往く。―クオンツへの転進】(#774)

  エマニュエル ダーマン (著), 森谷 博之, 長坂 陽子, 船見 侑生 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  東洋経済新報社(2005/12)

 本書は、「過去20年間、ウォール街とロンドン・シティのいたるところで、主要な金融機関やより小規模の多くの金融機関」で、「彼らの技術を証券市場に応用しようと試みてきた」、「クオンツ」(計量アナリスト)と呼ばれる「元物理学者と元応用数学者」たちの仲間に加わった著者による、「科学者、クオンツ、そしてあるときには奇妙な旅人となる私の実際の物語」です。
 プロローグでは、クオンツとその同僚たちが、「さまざまな活動を寄せ集めたものを描写するために作られた不恰好な新語であり、計量ファイナンスを名づけたほうがよいもの」である「金融工学」を実践したこととともに、1970年代に「衰退する経済と戦争のために科学に対する一般市民の嫌悪」を原因として、物理学者たちの主要な就職先であった学究的な世界が崩壊し、他の分野に流入せざるをえなくなッたことが述べられ、あるヘッドハンターは、そのような物理学者を「POWs (Physicists on Wall Street:ウォール街の物理学者。戦争捕虜の意味も持つ)」と名づけたことが紹介されています。
 第1章「親和力」では、純粋理論を志望していた著者が、「結果的には自分の物理学人生の多くの時間を現象学者として過ごすこと」となり、「長期的には、これが私にとってはよい方向に働いた」と述べ、ウォール街への転身後は、「クオンツが現象学に似ており、それは純粋理論と比べても共通点が多いこと」に気づいたことを述べています。
 第2章「ドッグ・イヤー」では、著者がPh. D.を取得するのに「人生の10パーセント」に当たる7年間をかけ、「そのうち3年間はカリキュラムの学習課題を行った準備期間であり、研究分野に関するウォームアップの1年間、実際の調査期間の2年間」が続き、「最後に半年を費やして論文を執筆し、発表のための論文を書き上げ、反論に対する準備をした」ことが述べられています。
 第3章「ある種の人生」では、「ポスドクの生活は先祖帰り(アタビズム)、すなわち過去の遺物のようなものだった」と述べ、本来は、大学院生から教授になるまでの短い期間を埋めるために作られた制度であったが、「ソ連によるスプートニク号打ち上げ成功のショック以降の米国では、科学分野における競争をモラル上の戦争と同一視する考えが一般化してしまったために、おびただしい人数の若き科学者たち(彼らは今では終身在職権を得ている)がすべての教員職を独占するという状況を作り出してしまった」ために、Ph. D.取得の入口に流入し続けた向学心に燃える物理学研究者が出口に着くころには行き場がなくなり、短期的にその穴を埋めたのがポスドク職というポジションであったと解説されています。
 そして著者は、「物理学の世界で出会う人びとの中には、まさに想像を超えるようなスケールの人材がいた」ため、「自分の限界について理解し始めていた」と語られています。
 第6章「より高位の世界における知恵」では、1980年のエネルギー危機の最初のころ、「ポスドクの職からポスドクの職へ渡り歩くことに飽き飽きしていた物理学研究者に魅惑的な歌」を、エネルギー関連会社と通信会社であったことが語られています。
 第7章「流刑地にて」では、「生計を立てるために働かなくてはならない人々は、ベル研究所を純粋な学問の世界である象牙の塔だ」と言っていたが、ベル研究所で働き始めた著者にとって、「そこは金のために働く場所だった」と語られています。そして、「ベル研究所での仕事の非効率性と苛立たしさについては一冊の本になるだろう」と述べた上で、「中でも官僚制度のつまらない本質を最もよく表した愚行」として、「残業手当はまったく支払われていなかったにもかかわらず、職場であれ家であれ働いた残業時間をタイムカードに記入しろという命令が下された」ことを挙げ、「この命令は単に、どれくらい期待以上の働きをしたか嘘をついて管理職にへつらうという行為を誘引しただけだった」と述べています。
 著者は、「素晴らしい教育を受けていたにもかかわらず、私はいつもベル研究所では卑屈で、自分の品位を自分で貶めているように感じていた」と語っています。
 第8章「止まった時間」では、著者の頭から「ベル研究所からいかにして抜け出すか?」という考えが5年間離れることはなく、1983年後半になってウォール街が著者に手招きを始めたことが語られています。著者にアプローチをかけてきたゴールドマン・サックスは、「ソロモン・ブラザースの領域である債権とモーゲージ債という、生き馬の目を抜くように騒々しい平民の世界に足を踏み込み始めた時期」であり、「株式取引は、知力またはテクニカルな資源を必要としない」が、「債権はそれに比べるとかなり複雑」であり、。「数字、算術、代数だけでなく微積分も必要とされ」、「数千の企業の中の一つの企業の株価を適正に評価すること」が「株主市場のトリック」であるとした上で、「債券市場はより少ない証券により構成されるが、個々の債権はより複雑で、時には戸惑いを感じるほどである」と述べています。
 著者は、「株式の分野のビジネスでは算術で十分」であるが、「債券価格とそのイールドの関係を考え始めるとすぐに、代数学、順列、時系列に関する知識が必要」となり、最後に微分・積分が必要となり、「最も単純な債権でさえその価値は金利に依存するデリバティブ証券」であるため、「1980年代初めになって突然、債権とレーダーには何千もの債権ポートフォリオとその特徴を理解するための数学的分析の技量が必要」になったことが述べられています。そして、「ファイナンスの評価モデルを用いた低レベルのデータベースからハイ・レベルのユーザー・インターフェースにいたるリスク・マネジメント・ツールを構築することができる何でも屋」として、物理学または工学のPh. D.は、ファイナンスの数学が物理学の数学に非常に似ていることと、自分自身の数学とプログラミングを遂行しようとする意欲は大学院生やポスドクの本質的な部分であることが適していることが語られています。
 第9章「変身」では、「ベル研究所では、着任当日から、塔に最盛期が過ぎ去った誰か別の人のように自分のことを感じていた」著者が、「すでに40年間を生きてきたにもかかわらず、ゴールドマン・サックスでは自分が生まれ変わったように感じられた」と述べ、「ブロードウェイからアッパー・ウェストサイドへ毎夜家路へ向かう地下鉄の中で、コックス=ルービンシュタイン、ジャロー=ルドの教科書を熟読し、確立微積分学を再度学習し、頭を使っているという状況がわたしを興奮させた」と語っています。同じ電車に乗り合わせたベル研究所時代の同僚は、「揺れる車内で膝に乗せた書類に線を引いたり、数学記号に没頭しているいる」著者を見かけて、「ビジネスの世界に入るということは、地下鉄の中で数学をやるような世界とは無縁になることを意味していたのではなかったのか」という懐疑的な笑いを見せたと述べられています。
 第10章「他の惑星への簡単な旅」では、著者が、フィッシャー・ブラックのオフィスを訪問したときの様子として、投資銀行に勤める人々のほとんどが消耗的なマルチタスクな生活に適応していることに自惚れを抱いていることに対し、フィッシャーは、「自分を複数の仕事を同時にこなすマルチタスク的生活に適応させること」はなく、「多くの場合に、何かを読んでいるか、電話をしているか、あるいはパソコンにメモを入力」し、「パソコンに向かうときの姿勢は、ドアに背を向け、キーボードを膝に乗せ、椅子を180度ぐるりと回し、椅子の背後の窓際の棚に置かれたパソコンに向か」い、メモ用には、スケジュール管理用プログラムである「シンクタンク」を愛用していたことが語られています。
 著者は、物理学の世界でモデルを構築する際に、「しばしばその出発点としてオモチャの世界の表現を用いる」考え方を応用し、「将来における、期間1年物の債権の金利の単純なモデル」を構築し、このモデルを完成させるために、「将来を1年ごとに区切りその各時点での期間1年の将来金利の範囲を決定すること」が必要となり、「長期債は、連続的な短期債投資によって作られていると考えること」をモデルの鍵となる原則とすることで、「現在のイールド・カーブから、将来のどの時点のものであっても1年もの国債の金利を直接的に把握することができる」モデルを構築したことが解説されています。
 そして、著者らのモデルが魅力的だった点として、「モデルの格子(木)は、将来の支払い(ペイアウト)を平均化することで、証券の現在価値を導出する計算エンジンとして機能」し、「将来の支払いを格子の最終地点(時点)に入力し、計算機を指導させると、金利の分布を平均化し、金利の分布から割り引く(ディスカウント)ことで現在の価格を算出することができ」、「一物一価の法則を満たしていた」点を挙げています。
 著者は、著者ら以外にもイールド・カーブに関する整合的なモデルの構築者がいたにもかかわらず、著者らのモデル(BDTモデル)が受け入れられた理由として、
(1)著者らが実務家であったため、とレーダーが必要としていたものが分かっていた。
(2)実務家が利用しやすいものだった。
(3)ほとんどすべての曲線をカリブレート可能で、現実の取引にすぐに導入することができた。
の3点を挙げ、「その簡潔さゆえに、実務家と研究者の両方にとってイールド・カーブのモデル化という芸術への分かりやすい入口となり、その足跡を残した」と述べています。
 著者は、「かつての物理学のように」モデルの構築に夢中になり、「一日の大部分を、ひたすら同じ問題を対象に興奮し、格子(木)について考え、それを具体化するコンピュータ・プログラムを書き、その処理速度を挙げる方法を探し、フィッシャーやビルと話をし、コンピュータが出した結果を検討し、さらに修正を加えた。しばしば眠ることができず、真夜中に自然に起き出してしまい、新しい計画を試してみるまでベッドに戻ることができなくなったこともあった」と述べています。
 またフィッシャーについて、「彼は他人の仕事や行動に対して意見を言うとき、それを婉曲に表現するのではなく、自分の考えを直裁的に言った。彼は何が重要であるかに関して鋭い感覚を持っており、研究と同様に社内政治についても長期的視野を持っていた」と評し、著者に対して、「社内政治にとらわれることなく、たとえ周囲の人がそれを好ましく思わなくても質の問題に集中するように。可能な限り最善の方法でビジネスを支援し、新しい境地を切り開き続けることを試みるという目標から目をそらさないように」アドバイスし、新しいチャンスを探すことを奨励したと述べています。
 第12章「厳しい上司」では、著者にとって新しい職場である「ソロモン・ブラザースは辛い職場」であり、「打ち合わせには全員が遅れて参加すること」、すなわち「皆が、自分の時間を無駄にはしないように行動する結果、全員が無駄な時間を過ごすことになった」にまず気づいたと述べられています。そして、「ゴールドマン・サックスでは戦うべき敵は企業であったが、ソロモン・ブラザースでは戦うべき敵は同僚」であり、こうした企業文化の違いは、「上場企業と個人所有のパートナーシップ企業という構造的な相違によるものだろう」と述べています。
 著者は、ソロモン・ブラザースで最も印象に残ったこととして、「ビジネスを創出するために彼らが計量的なリサーチ(研究を用いる、まさにそのプロ的手法である」と述べ、「マーケティング・ツールとして金融モデルを使い、商人として金融のモデル化に取り組んでいた」上、「モデルを物差しのように使う専門家であり、異なる証券を価値の高いものからランク付けし、そのランキングに基づいて顧客に証券を売り込む達人であった」と評しています。著者は、「金融のモデル開発の成否は真実を見つけるための奮闘にあるのではなく、それを使う人々の心の中に奮闘があるということ」が理解できたとして、「用意に価値を計算できる、適正なモデルと概念を持つことができれば世界を席巻することができる。モデルが生み出す結果に顧客が信頼を置くようになったら、その企業は市場を支配できる」ことをソロモン・ブラザースで学んだと語っています。
 第13章「高度文明社会と不満」では、「以前は、アマチュア的で、独学で行う楽しい打ち解けた領域」であった実務家としてのクオンツ・ライフが、「統制された、ビジネス色の濃い、専門的な領域」になり、「同時に、おもしろさも少しずつ薄れていったように」感じたことが語られています。
 第14章「暗闇の中の笑い」では、著者らが、「債権の世界で得た経験を株式デリバティブの世界に持ち込むことができるという点で極めて優位な位置」似合ったため、債権とそのイールド(利回り)、そしてオプションとボラティリティの間に、
・債券価格は現時点での長期イールドを用いて価格が提示されており、長期イールドは将来の短期金利に対する市場の期待値を表す。
・オプション価格は現時点での長期インプライド・ボラティリティを用いて価格が提示されており、長期インプライド・ボラティリティは将来の短期ボラティリティに対する市場の期待値を表す。
という類似性に気がつき、「現在のボラティリティ面から将来の短期ボラティリティに対する市場の期待値を求めることを可能にするような、ブラック=ショールズ・モデルに変わる新しいモデルを構築する」という野望を抱いていたと述べています。
 そして、ある日、「スプレッドシート上に作った、5列で構成される簡単な格子で遊んでいる」ときに、「奇跡」がおき、「格子の内部を照らし出す3つの異なるオプションを用いれば、1つのノードのみを照らすこと」が分かり、「3つの周辺ノードを講師か核とするオプションが持つ、市場のインプライド・ボラティリティを用いて、1つのノードにおける局所ボラティリティを決定するアルゴリズム」を発見し、「逐次的にすべての局所ボラティリティを見つける術」を知ったことが述べられています。
 第15章「過ぎし日の雪」では、著者がゴールドマン・サックスを辞職することを決心するにあたり、「ゴールドマン・サックスの裁量の時代はトレーダーとクオンツが小さなグループの中で強い共同体意識を持って働いていた時期」であり、「BDTモデルを開発した当時のピーター・風呂インドのデスクとの協働、株式リスク・マネジメント・システムを開発した当時のイラジ・カーニとダン・オローケとの協働の時期」であったと述べています。
 第16章「偉大なる見せかけ師」では、著者がPh. D.を取得するために通ったコロンビア大学に、「大学教官と金融工学プログラムの所長」として、戻ったことが語られています。そして、「大学で教える学問と仕事で学んだことの間のギャップ」を感じるようになり、ウォール街働き始めた当時は、「物理学で学んだ技術は当然、金融モデルに応用できる」と考えていたが、「金融の世界の相手は、神の創造物である人間」であり、「人間は、一過性の意見に基づいて資産を評価」し、「自分が敗北をしたときにもそれに気づくことなく、同じ過ちを繰り返す」ものであるために、「物理学の手法は金融の世界でそれほどうまく働かない」ことに気づいたことが語られています。
 そして、フィッシャー・ブラックが金融理論について述べた、
「結局、理論というものは、昔ながらの実証的検証で確認されたことによって受け入れられるものではなくて、研究者達がその理論が正しくて関連性があることをお互いに納得させることによって受け入れられるのである」
という言葉を紹介し、著者の考えはこれをさらに進めた、「金融モデルは、量子力学や相対性理論が20世紀初めにおいて用いた思考実験(gedanken experiment)と同様のものである」というものであると語っています。
 本書は、科学と社会との関わり方を考えさせるとともに、80年代の金融工学の熱気を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 フィッシャー・ブラックに関するイメージは、どうしても「金融工学→マネーゲームの人」というものが強くなりがちでしたが、本書やブラックに関する評伝を読むと、確かに変わった人ではあるものの、人間的に興味を惹かれる人物ではあるようです。


■ どんな人にオススメ?

・物理学者は浮世離れした人種だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 ペリー・メーリング (著), 今野 浩, 村井 章子 (翻訳) 『金融工学者フィッシャー・ブラック』 2006年12月27日
 ロス・M・ミラー (著), 川越 敏司 (監訳), 望月 衛 (翻訳) 『実験経済学入門~完璧な金融市場への挑戦』 2007年01月17日
 多田 洋介 『行動経済学入門』 2006年08月31日
 A. シュレイファー 『金融バブルの経済学―行動ファイナンス入門』
 デイヴィッド サルツブルグ (著), 竹内 惠行, 熊谷 悦生 『統計学を拓いた異才たち―経験則から科学へ進展した一世紀』 2006年11月23日
 ゲーリー・S. ベッカー, リチャード・A. ポズナー (著), 鞍谷 雅敏, 遠藤 幸彦 (翻訳) 『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』


■ 百夜百マンガ

ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章【ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章 】

 原作がゲームということもあって、鳥山明のキャラを藤原カムイが描く、という夢の競演が実現したわけですが、「ドラゴンボール」の外伝を藤原カムイが描く、と考えるとすごいことです。
 今のところ同人誌以外では、企画もののパロディや作者が一線を退いて「原案」という形で関わっているものくらいしかヒット作品の世界を広げるマンガ(アトム→PLUTOとか)は見かけませんが、例えば、「ドラえもん」のパラレルワールドを楳図 かずおが描いたり、「のだめカンタービレ」の外伝を望月峯太郎が描いたりするようになれば、マンガを楽しむ世界はものすごく広がると思います。
 iTunesのようにマンガを一話ごとにダウンロードして読むようなことになると、こういった作品の「カバー」も広がるんじゃないかと思います。

2007年3月 4日 (日)

エネルギーの発見

■ 書籍情報

エネルギーの発見   【エネルギーの発見】(#773)

  キース・J. レイドラー (著), 寺嶋 英志 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  青土社(2004/04)

 本書は、エネルギーの本性を解き明かすためになされた科学的研究のかず数を紹介するとともに、その重要な副産物である、「この世界における偶然または確立の役割に関して私たちが現在理解しているもの」について解説しているものです。
 第1章「蒸気機関と大砲」では、エネルギーという言葉が19世紀までめったに使用されることがなかったことを述べるとともに、効率的な蒸気機関が18世紀の後半にジェームズ・ワットによって製作されたあと、科学者たちがどのようにそれが働くのかを調べ始め、彼らの結論が、熱力学の2つの基本法則に体系化されたことについて、それらの起源を尋ねれば、「真理のために真理を探究していた人々<科学者たち>ではなく、少数のきわめて独創的な技術者たちの経験的努力にゆきつく」と述べています。
 また、章のタイトルに関しては、大砲の砲筒の中ぐり作業を監督していたラムフォードが、「多くの摩擦熱が連続的に作り出されるという事実に強く印象づけられ」、熱の量の測定を行ったことを紹介しています。
 第2章「赤い血と電動機」では、「エネルギーの概念がどちらかといえばわかりにくく、やっと19世紀になってから明瞭に認識された理由」として、「圧力や体積や温度といった他の物理的な量と違って、それが直接に観察できないこと」をあげています。
 第3章「蒸気機関の再訪」では、熱力学第2法則が生まれたのは、第1法則が一般に受け入れられつつあったとき、すなわち、第1法則が発展しつつあったそのときに、並行していくつかの重要な研究がなされ、そこから第2法則の定式化が導かれたことが述べられています。
 そして1851年のケルヴィンの言葉として、
「物体のどの部分からであれ、まわりの物体の冷たいもの以下にそれを冷却することによって力学的効果を引き出すことはできない」
という「熱力学の第2法則」と呼ばれるようになったものの表現の一つを紹介しています。
 第5章「マクスウェルの悪魔」では、「なぜ宇宙のエントロピーは時間の推移とともに増大するのか」という疑問に対する答えとして、
(1)それは単に確率の問題であるというもので、一組のトランプの類推を紹介している。
(2)力学の諸法則から、必然的にそのようになるというもの。
の2種類を挙げ、後者はもっともらしいが誤っていることを解説しています。
 また、マクスウェルが確率論を科学に導入したことを、重要な革新であるとして、マクスウェルが、「熱心な長老協会派の人であり、それゆえ賭事に反対であった自分がこの分野に参入することにユーモアを感じた」ことが紹介されています。
 さらに、「マクスウェルの悪魔」として知られる想像上の生き物が、科学論文の中ではなく、マクスウェルが旧友に当てた手紙の中で現れたことを紹介しています。
 第6章「偶然とエネルギー分布」では、エントロピーと確立の関係と、分子エネルギーの分布に関して研究を押し進めたボルツマンを取り上げ、ボルツマンの研究が、「第2法則はまさに偶然の、つまり確率の問題である」ことという事実を示したが、「不幸なことに、彼は、この法則は偶然を考慮に入れなくても導くことができるとときおり示唆したことによってこの問題を少しあいまいにしてしまった」と述べています。 
 第7章「エネルギーの小さな塊」では、19世紀の最後の10年が始まるまでに「大多数の科学者たちは自分たちが自然の仕組みを大方理解したことに満足を感じていた」が、2~3年の間に、放射能が発見され、電子の諸性質の詳細な理解が得られ、放射能の強いラジウム元素が発見されたことで、「この状況は完全に変化した」ことが述べられています。
 第8章「エネルギーはmc^2に等しい」では、特許局の有能な職員であり、仕事もきつい方ではなかったアインシュタインに、多くの研究をしたり、いくつかの科学論文を発表する暇があり、「奇跡の年」となった1905年には、6編の論文を発表し、「そのうちの2つはノーベル賞の価値があった」として、エネルギーの量子化に関するもの、ブラウン運動に関するもの、特殊相対性理論に関するもの等であったことが述べられています。
 また、アインシュタイン自身は「彼に訪れたあらゆる名声に心を動かされなかったばかりでなく、できる限りそれに抵抗した」として、彼が、「彼の理論が立証された今、ドイツ人は誇らしげに自分をドイツの科学者と呼び、イギリス人はスイス系ユダヤ人と呼んでいるが、もし自分が間違っていることが示されていたならば、ドイツ人は彼をスイス系ユダヤ人と呼び、イギリス人はドイツの科学者と呼んでいることであろう」と冷笑的に論評したことが紹介されています。
 本書は、目に見えないエネルギー研究の歴史を人物の紹介を中心にした素人にも読みやすい一冊です。


■ 個人的な視点から

 ポピュラーサイエンスの中でも数式が出てくるものは読みにくい、というか理解できるできないは別として、途中で退屈になってしまいがちです。分かる人にとっては、数式の中に書かれていることこそがエキサイティングな核心部分なのでしょうが、ここを受け付けられないと非常につまらないものになってしまいます。
 その点、本書では使用した図の3分の2が科学者たちの肖像であることに象徴されるように、エネルギーの中身が分からなくても、偉大な科学者たちの列伝として楽しむことができます。


■ どんな人にオススメ?

・19世紀の科学の世界の興奮を味わいたい人。


■ 関連しそうな本

 ジョン・L. カスティ (著), 寺嶋 英志 (翻訳) 『プリンストン高等研究所物語』 2007年02月18日
 ピーター バーク (著), 井山 弘幸, 城戸 淳 (翻訳) 『知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか』 2006年12月31日
 マーセル ダネージ (著), 寺嶋 英志 (翻訳) 『世界でもっとも美しい10の数学パズル』 2007年01月08日
 ウィリアム パウンドストーン 『囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論』 2006年09月11日
 ノーマン マクレイ 『フォン・ノイマンの生涯』 2006年11月21日
 アルフレッド・W. クロスビー 『飛び道具の人類史―火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで』 2006年10月02日


■ 百夜百音

勇者ライディーン【勇者ライディーン】 TVサントラ オリジナル盤発売: 2003

 YMOの「ライディーン」に歌詞をつけて歌った「来るべき世界」という名曲があるのですが、TVアニメのライディーンにはまったく関係がなく、むしろ「空手バカ一代」や「天才バカボン」、「サザエさん」(これも名曲「家族の肖像」がある)の方が関係しそうです。


『勇者ライディーン DVDメモリアルBOX』勇者ライディーン DVDメモリアルBOX

2007年3月 3日 (土)

ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語

■ 書籍情報

ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語   【ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語】(#772)

  スティーヴン・ジェイ グールド
  価格: ¥987 (税込)
  早川書房(2000/03)

 本書は、「歴史の本質という、科学が取り組めるものとしては最も幅のある問題へのタックルを敢行した」ものです。著者は、本書の書名を、「生物そのものの美しさに対する驚嘆と、それらが駆り立てた新しい生命感に対する驚嘆」の「二重の驚嘆(ワンダー)の念を込めたもの」であると述べています。本書の副題である「バージェス頁岩層」とは、「カナディアンロッキー、スティーヴン山に連なる参詣の高度2400メートルの斜面に露出しているカンブリア紀中期の頁岩層(バージェス頁岩)」を指し、ここで発見された化石動物群には、「堅い殻を持たないため普通ならば化石として残りにくい生物」が、「精緻な構造をとどめた化石として保存されている点」であり、「それらの生物が生息していた時期は、さまざまな多細胞生物の爆発的出現(「カンブリア木の爆発」)が起こった時期の直後にあたる」ものであり、それまで堅い殻を持つ三葉虫などの動物化石だけで語られてきたカンブリア期の爆発の規模が「じつはもっとすごいものだったことが判明」したと述べられています。
 第1章「期待の図像を解読する」では、本書の大きな目的として、
(1)表面上は穏やかそうに見える生物進化の歴史全体をも視野に入れた再解釈の背後にある激しい知的ドラマの年代記である。
(2)その際解釈からの必然的な結論として、歴史の本質、人類は進化していなかったかもしれないという恐ろしい可能性に言及する。
(3)これほど重要な研究プログラムがなぜこれまで人々の関心を引かずにきたのかという謎に取り組む。
の3点を挙げています。
 著者は、「進化を扱ったおなじみの図像」が、「人類が登場したのは必然であり他に優越しているという心地よい考え方」を補強するためのものであることを指摘しています。そして、進化の系統樹が取りうる形状はほとんど無限に近いにもかかわらず、「従来の図式はそれらを無視し、クリスマスツリーを逆さにしたような"逆円錐形状の多様性増大"という唯一つのモデルにしがみついてきた」と述べています。著者は、「地質学がもたらした驚愕の事実を直視」するときに取りうる選択肢として、
(1)その意味するところを受け入れ、道徳律の源泉を含めて人生の意味を科学以外の最も適切な領域に探る術を学ぶ。
(2)歪んだ観点から生物進化の歴史を読み取ることで自然界に宇宙の慰めを求め続ける。
の2つがあると述べています。そして、「バージェス以後に見られる粛清パターン」が、「逆円錐形図という図式からは出てこない、実に過激なもう一つの解釈」、すなわち、「生物集団は、平常ならば反映を約束するダーウィニズム流の基準とは何の関係もない理由で繁栄したり死滅したりすることがありうる」ことを指摘しています。
 著者は、本書について、「偶発性というテーマと生命テープのリプレイというメタファーに照らすと、人類が進化する可能性は圧倒的に治盛ったことを論じるための本である」と述べています。
 第2章「バージェス頁岩の背景説明」では、生命の歴史が、「たゆみない発展」ではなく、「地質学的には瞬間といっていい場合もあるほどの短期間の大量絶滅と、それに続く多様化によって区切られた記録」であると述べています。著者は、「バージェス発見以前にどこかの古生物学者がアラジンの魔法のランプを手に入れていたとしたら」、「カンブリア期の爆発直後の軟体性動物群を私にください。その大事件が実際にもたらしたものをぜひとも見たいんです」と申し出るに違いないと述べ、バージェス動物群こそが「魔人の贈り物」であると述べています。
 第3章「バージェス頁岩の復元――新しい生命感の構築」であは、バージェス頁岩をめぐる新解釈が、
(1)バージェスの見直しはとてつもなく知的なドラマである。
(2)科学的発見に関する標準的なイメージのすべてが、バージェス頁岩の見直しによって崩されてしまった。
の2つの根本的な理由のため「最も見えにくい改革の一つ」だが、「われわれの生命観を変えるほどの影響力を持つものでこれに匹敵する古生物学上の発見はありえない」と述べています。
 そして、1909年にバージェス動物群を発見したウォルコットが最初に行った分類と1960年代にステルマーが行った分類方式を事細かに対照させることで、「すべての分類は、細部の違いは多々あるものの、微塵も疑われていない大前提の下でなされていることを示すことで、"靴べら"の威力のほどをはっきりと示すことができる」と述べ、ウォルコットが、バージェスで発見された化石を現在の生物の門に、"靴べら"で押し込んだことを指摘しています。
 また、1975年にハリー・ウィッティントンが古生物学会において「オパビニア」の図を披露した際に、「大笑いで迎えられた」ことを、本人は、「おそらくその笑いは、この動物の不思議な姿に向けられたものだったのだろう」と記していることについて、「ハリーには、オックスフォードでの同業者たちの笑いは困惑の表れであってあざけりの笑いではないことがわかっていた」が、「それでも彼は、わき起こった笑い声に動揺させられた」と述べています。この「オパビニア」については、
(1)オパビニアの眼は2個ではなく、なんと全部で5個である。
(2)前頭部のノズルは、伸縮自在の吻デモないし、触角が癒合してできたものでもない。ノズルは、東部仮面の最前部に付着し、そこから前方に伸びている。柔軟な器官で、細い溝のついた円筒状の管になっている。
(3)消化管は、ほぼ全体長にわたってからだの中心をまっすぐに貫く一本の管である。
(4)胴の主要な部分には15の体節があり、各体節の側面には一対の薄い葉状の薄い突起がついている。
(5)先頭のものを除き、個々の葉状突起の背面付け根付近にはオール状の鰓がついている。
(6)胴の最後の3つの体節は、"尾"になっていて、そこには3対の葉片状の薄板が外側上向きについている。
などの特徴が紹介されています。
(オパビニアの姿については、http://www.hcc.hawaii.edu/~pine/book1qts/opabinia.htmlなどを参照)
 著者は、「バージェス頁岩をめぐる2つの大問題」として、
(1)起源:進化は着実に進行する減少だと通常は考えられているというのに、このように高い異質性がこれほど急速に生じたのはいったいどうしてなのだろうか。
(2)生存と増殖:現生する生物はバージェス後に起こった悲運多数死によってもたらされたものだとしたら、どの生物がかち、どの生物が負けるかというパターンを設定するのは、はたして構造面のいかなる特徴で、機能のどのような特性で、どのような環境変化なのだろうか。
の2点を挙げています。
 第4章「ウォルコットの観点と歴史の本質」では、著者が、ウォルコットの解釈とそういう解釈を生んだ原因を詳しく論じる理由を、「理論はデータと観察に対して、微妙ではあるが避けがたい影響力を発揮する」という「科学史が伝える最大のメッセージをこれほど見事に語っている例を他に知らないからである」と述べています。そして、バージェス頁岩を巡る新しい見解を、「生命の進化を読み取るための好ましい原理としての歴史そのものの勝利に他ならない」と評しています。
 そして、ホモ・サピエンスを、「偶発性という領域の中で起こったとてもありそうにない進化の一事件である」として、「それは気分を引き立ててくれるもの、自由とその結果としての倫理的責任の源である」と常々考えてきたと述べています。
 第5章「実現しえた世界――"ほんとうの歴史"の威力」では、「ダーウィンが構築した体系において偶発性が演じる強力な役割は彼の理論からの論理的な帰結ではなく、彼自身の生涯と業績の中心をなす明瞭なテーマ」であると述べ、彼が、「進化擁護論を一つのパラドックスに埋め込んでいる」と指摘し、「進化を裏づける一番の証拠は、歴史の経路を露わなものとする奇抜で奇妙で不完全なものにこそ求めねばならない」と述べています。
 著者は、本書で展開した重要な主張として、「バージェス頁岩から得られた重要な洞察により、偶発性の意味が計り知れないほど高められた」と述べ、「現生生物に見られるパターンは、連続的な多様性の増大と進歩向上とによってゆっくりと進化したわけでなく、(形態的なデザインが最初に急速に多様化した後に起こった)とんでもない悲運多数死によってしつらえられたもの」であり、それは、「もしかしたら強力な支配力を発揮する運不運という要因によって達成された」としています。そして、「初期の多様性の幅が最大というパターン」が「いくつかの時代のいくつかの分類階級に属する系統では一般的な特徴」であることを指摘しています。
 また、「逆円錐形図と梯子図が崩壊したこと」で、「実際には出現しなかったが、過去の出来事のどこかがちょっとでも違っていたなら生じていた可能性のあった世界」への「水門」が開かれたと述べ、「人間の本性、地位、潜在能力に対して生物学が提供しうる最も重大な洞察は、偶発性の化身という単純な言葉にこそあると結論するしかない」として、「ホモ・サピエンスは実体であって趨勢ではないのだ」と述べています。
 本書は、歴史における偶発性の素晴らしさを実感させてくれるワンダフルな一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の表紙には、著者のお気に入りであるオパビニアのほかに、「幻覚が生んだ動物」を意味する「ハルキゲニア」の図が描かれています。このデザインは、「現生する多細胞生物の進化史ではそのごく初期に驚くほどのすばやさで、解剖学的デザインの呆然とするような異質性と独自性が生み出された」というバージェス頁岩のメッセージを一身に背負い込んだものを一つ選ばなければならないとしたら、「マニアの圧倒的多数が選ぶ生物」であると述べられています。


■ どんな人にオススメ?

・生命の素晴らしさを実感したい人。


■ 関連しそうな本

 スティーヴン・ジェイ グールド (著), 渡辺 政隆 (翻訳) 『フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説』
 キム・ステルレルニー (著), 狩野 秀之 (翻訳) 『ドーキンス VS グールド』 2007年02月10日
 リチャード・ドーキンス (著), 日高 敏隆, 岸 由二, 羽田 節子, 垂水 雄二 (翻訳) 『利己的な遺伝子』 2006年09月26日
 ジョン・メイナード スミス (著), 巌佐 庸, 原田 祐子 (翻訳) 『進化遺伝学』
 ジョン・アシュトン (著), 高橋 宣勝 (翻訳) 『奇怪動物百科』 2006年07月15日
 ドゥーガル・ディクソン 『フューチャー・イズ・ワイルド』


■ 百夜百音

JOY【JOY】 YUKI オリジナル盤発売: 2005

 一曲通してほとんど同じコード進行なので、「頭グルグル」率の高い曲です。
 もともとは、プロデューサーの未発表曲だったものらしいです。


『アストロダンス』アストロダンス

2007年3月 2日 (金)

障害者の中世

■ 書籍情報

   【障害者の中世】(#771)

  河野 勝行
  価格: ¥2625 (税込)
  文理閣(1987/08)

 本書は、「障害者は原始時代や古代社会では遺棄されていた。中世では嘲笑され、やがて近世にいたって憐れみ・慈悲の対象として遇され、曲がりなりにも人権を認められるのは、ようやく近・現代に入ってからのことだ」という「通説」に不満を持つ著者が、「障害者をどのような存在として捉えるかという、障害者観の科学的変革が求められる」という使命感のもと、科学的方法の確立を目指したものです。著者は、縄文時代後期の貝塚から、十数年間寝たきりの状態だった重度障害者の人骨が出土した例を挙げ、「きわめて地味ながら、わたしたちの原始社会に対するイメージを大きく覆す発掘」と述べています。
 第1章「触穢思想による『非人(キヨメ)』と『五体不具』説の形成」では、日本の障害者の歴史における中世の重要性を、「古代末期にはじまる自然発生的な障害者たちの集住化の段階を経て、不十分ながらも集団化・組織化に成功していくのがこの時期」であるからとした上で、それが、「支配者たちによって政治的に、まさに上からつくりだされたものでありながら、彼らだけではなく多くの民衆たちをもからめとり、相互に分裂させていく差別イデオロギーの一つとしての非科学的な障害者観の形成・拡大という条件の下で、さまざまな屈折を余儀なくされつつ達成されたもの」であり、これこそが「五体不具」説であったと述べています。著者は、古代律令国家においては、障害者は「女親の反道徳的行為の結果であり、また産物だとみなされていた」ことを紹介し、「不正な存在」であるからこそ、「障害者の流棄・殺害も正当である」という論理になっていると述べています。
 また、触穢思想の展開を画期づけた規定として、
(1)甲乙平定の穢(え)
(2)ケガレの消滅に関する日数の限定の
の2つであるとし、前者に関しては、「ケガレの感染と拡散を防ぐ手立てを立てる目安」としてこのような区別付けが必要とされたのではないか、また、後者に関しては、「人の死は30日、産は7日、六畜の死は5日、その産は3日、その肉を食うのは3日」などのように、「ケガレの種類のよってその消滅の日数が違う」と規定されていたことが述べられています。
 さらに、不具者崇拝が、「原始時代に広く世界的に認められるもの」であり、「障害者を、常人とは際立って異なるその『異常さ』ゆえに恐ろしく、また特別な霊力をもつものであるとする見方および習俗」と解説し、「支配と被支配という新しい社会的関係が登場するに及んで大きく後退させられていった原始思想の一つ」であると述べています。
 著者は、天皇や貴族たちが非科学的な触穢思想を執拗に肥大化させていった理由として、
(1)唐・新羅・渤海が滅び、事実上鎖国状態となる中で、視野が対外的にも国内的にも著しく狭くなった。
(2)かつての指導性と進歩性をまったく失い、崩壊しつつある古代的なものに規制して生きる存在になってしまい、意識も非合理的なものに変化していた。
(3)天皇の政治的実力の低下を補うため、一切のケガレから天皇を隔離することによって、その宗教的・イデオロギー的権威を高めねばならなかった
(4)貴族たちが、天皇を現実政治から遠ざけ、宗教的にまつりあげることによって、その政治への介入をできるだけ少なくするとともに、権威の上昇を図った。
の4点を挙げています。
 第2章「障害者の集団化と琵琶法師の登場」では、古代末期に、「社会的分業の発展と『中世都市』京都の成立など」を背景に、障害者の生活形態が変化し、琵琶法師ほど鮮やかなものでなくとも、「乞食という営みであっても、集団生活を行い組織的な活動を大寺社の『保護」と収奪の下に、いわゆるなわばりまで確立しつつ生活し始めつつあった」ことを述べ、「盲人の生活形態が乞食から芸能者を中心とする二、三のものに分化していった」ことなどを解説しています。
 第3章「『癩=業病』説の確立と非人宿の『完成』」では、鎌倉期の医学書が、癩病の原因を「前世における悪行に因るもの」としているのに対し、律令期の『令集解(りょうのしゅうげ)』においては、「虫ありて人の五臓を食う」と、「それなりに合理的で即物的な見方をしている」ことを指摘しています。しかし、鎌倉期には医学書に「癩病=業病観」がはっきりと記されるようになるとともに、「癩病は血筋によって伝わっていくという考え方が現れだし、親・兄弟や子孫にまで差別と偏見が及ぶ」ことになったことが述べられています。そして、自然発生的に出現した非人宿において、癩病者や障害者が入り込んでくる経路として、自然的なものも多いとしながらも、「癩病者の場合、病状がはっきりと現れ出すと、家族の者が応分の志をつけて、非人宿へひきとってもらうというケース」が少なくなかったと述べ、差別された賤民の一部が、「キヨメや警護そして癩病者や乞食の管理を任務と」していたことに言及しています。
 第5章「交通・信仰の広がりと障害者の"旅"」では、鎌倉時代から室町時代にかけて数多く作られた絵巻物の中に、「両手に下駄をはいた『いざり』、コモ(薦)をまとった片足の人々」など、多くの障害者が登場しているとともに、「白い布で顔を覆った」おそらく「癩病」者が見られることを指摘しています。そして、熊野神社が、「癩描写や障害者に早くから信仰され、それを拒否しなかった数少ない神社・霊地の一つであった」と述べています。
 第6章「平家物語の完成と当道座の確立」では、わが国中世の盲人が琵琶法師として果たした歴史的役割として、
(1)日本文学の第一級の古典『平家物語』を完成させたこと
(2)他の障害者に大きく先んじて自らの組織を結成したこと
の2点を挙げています。そして、中世の盲人が、琵琶法師のほかに、「地神盲僧」として、「地神(心)経という土地の神を祭るための日本製のお経を唱え、主として竈(かまど)祓いにたずさわった」ことを紹介しています。
 第8章「謡曲『弱法師』はなぜ生まれたか」では、能の中に、「当時きびしい差別と貧困の下にあった盲人を主人公にした曲がいくつも含まれる」上、「『盲目』という現象が、謡曲に強く流れる仏教教理の説明に好都合だった」ことについて、その根底には、「能楽者自身が、身分的には盲人たちとほとんど変わりのない状態だったことが横たわって」いると指摘しています。また、『弱法師』の本説が、遠くインドのヒマラヤ山麓から伝わったものであるという説を紹介するとともに、『弱法師』を、説教節の「しんとく丸」と比較しています。
 第9章「鉄砲伝来による合戦の様変わりと障害者の急増」では、16世紀半ばの鉄砲の伝来と、14世紀以降における槍の登場を近代以前の戦争史における2つの画期として論じています。著者は、宣教師フロイスの『日本史』における言葉として、諸侯の間に、盲人を家において奉仕させる習慣があり、1つには遊楽のため、もう1つは、外部に伝言を遣わすためで、「けだし彼らはふつう思慮深く、物事の交渉に巧みだからである」ことを紹介しています。
 第11章「御伽草子『一寸法師』が示すもの」では、障害者問題の視点から興味を引かれるものとして、『鉢かづき』と『一寸法師』を取り上げ、一寸法師が、都で仕えた家の美しい姫を手に入れるために、姫が自分の米の粉を食べてしまった、と嘘をつき、姫を感動させたというもとの話が紹介されています。
 本書は、現在の障害者観の根底に残る、さまざまな謂れのない差別のルーツをたどった一冊ではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 本書の第7章「一休・盲森女の人間的結合といわゆる盲人一揆」では、文明12(1480)年2月21日、大和に「一国中の盲目ども蜂起す、三百人ばかりこれあり。筒を吹きて寄来たる」という事件を紹介していますが、この事件は、『喧嘩両成敗の誕生』でも紹介されていたような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・過去の日本社会における障害者の立ち位置を探ってみたい人。


■ 関連しそうな本

 河野 勝行 『古代オリエントの障害者』
 河野 勝行 『障害児者のいのち・発達・自立―現代障害者問題の諸相』
 河野 勝行 『WHOの新「国際障害分類」(『ICIDH-2』ならびに『ICF』)を読む―先学に導びかれての学習ノート』
 河野 勝行 『日本の障害者―過去・現在および未来』
 清水 克行 『喧嘩両成敗の誕生』 2006年07月22日
 佐藤 弘夫 『起請文の精神史-中世の神仏世界』


■ 百夜百マンガ

地球防衛家のヒトビト【地球防衛家のヒトビト 】

 夕刊とは言え、朝日新聞でしりあがり寿が連載されるなんて過去には想像もつきませんでした。
 でも、植田まさしもいしいひさいちも今でこそ違和感ありませんが、それまでの作品を考えたら毎日お茶の間に届くなんて当時は衝撃だったんじゃないかと思います。

2007年3月 1日 (木)

GHQ日本占領史 (37)国家財政

■ 書籍情報

GHQ日本占領史 (37)国家財政   【GHQ日本占領史 (37)国家財政】(#770)

  竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃
  価格: ¥6300 (税込)
  日本図書センター(2000/02)

 本書は、GHQの占領政策が、「日本政府の主要な財政政策と財政計画が財政関係と国民経済にどのような影響を与えたかを明らかにすることを目的」としたものです。
 第1章「財政と国民経済」では、連合国最高司令官が、「日本の経済安定化と合衆国の納税者にとっての占領経費との密接な関係」について占領開始時から認識し、占領の最初の3年間、政府が安定化計画を実施するよう全般的な指令を出し、「それらは全て失敗に終わった」ことが述べられています。そして、初期の財政指令の中では、
(1)占領軍に対し財政的、物質的支援を供給する。
(2)連合国最高司令官に対し日本の財政状況を詳細に報告する。
(3)民間企業に対する「戦時補償」と退役軍人の戦時利得の支払いを停止する。
(4)インフレーションに結びつくと見られる多くの財政活動を連合国最高司令官の直接統制下に置く。
の4つの指令が重視されていたことが述べられています。
 また、1946年の当初予算が、「まる1年間の政府の財政要求を実行したり歳出と歳入の均衡を維持することができなかった」ために「一般会計を2倍、特別会計を3倍にする一連の補正予算の制定が必要と」なり、「断片的で即席の財政計画により、政府は、連合国最高司令官の反インフレ的財政指令に従うことができず、306億円の赤字が」明らかになったことが述べられています。
 1948年にはジョンストン委員会が、日本と勧告の経済情勢を調査し、4月28日に発行された報告書において、「政府の不均衡予算がインフレーションの主要な原因であり、連合国最高司令官の均衡予算への努力が」、
(1)政府職員の急速な拡張
(2)価格調整補給金の継続的な拡張
(3)不十分な税収
(4)占領経費の増大
により失敗したと断言し、均衡予算達成に向けた勧告として、
(1)日本の官吏によるでき得る限りの歳出削減
(2)占領軍官吏による最大限の占領経費削減
(3)地方徴税機関を通じた徴税を増加させる連合国最高司令官の軍政部における努力の継続
(4)生産費用に対する政府の統制価格のできるだけ早い調整
(5)以前には明かされていなかった所得、特に闇市場からの利益に課税する日本の当局における努力の増大
の5つの勧告を行っています。
 さらに、1948年12月1日には吉田内閣が、
(1)新しい公益事業法に従って公務員の賃金を引上げる。
(2)追加の価格調整補給金と生産補助金を供給する。
(3)占領軍支援に対する追加資金を供給する。
(4)後輩地域の復旧に対する資金を供給する。
の4つの主要目的を定式化した587億円の補正予算案を提出したことが解説されています。
 1948年12月10日には、合衆国政府から、「日本経済の安定化と再建に対する最高司令官の責任を大いに拡大する指令」が発せられ、この指令が「経済安定9原則」として知られるようになった一連の原則の実行を命ずるものであることが解説されています。
 1950年度には、日本の経済安定計画が、「朝鮮動乱から起こった新しいインフレ圧力」によって脅かされ、中でも
(1)合衆国の軍隊による日本市場での大規模な調達需要
(2)世界価格の上昇
(3)日本における対外貿易ブーム
の3つが傑出していたことが述べられています。
 第2章「予算制度の改革」では、降伏前の予算制度の欠陥として、「予算は内閣が作成し、財政面で無力であった議会が形式的に制定し、内閣あるいは議会に対する責任がなく法律の範囲外でかなりの財政活動を行うことができた官僚が執行した」という、議会統制の欠如を指摘しています。
 第3章「主要歳出計画」では、1946年度から1950年度の間に政府が実行した歳出計画として、
(1)経済安定化
(2)占領軍経費
(3)地方財政費
(4)公共事業費
(5)経済安定化および経済復興のための政府出資・投資
(6)教育文化費
(7)社会保障関係費
(8)国債費
の主要8項目を解説しています。
 また、1949年5月の緊急失業対策法によって責任分担が明確にされた公共事業計画について、「交付金を基礎に計画に対して財政資金を公布された市町村や都道府県によって運営されることになっていた」ことが解説されています。
 さらに、地方への財源移転に関して、当時日本に1万以上あった地方政府が、「占領期には歳入の大部分を予算上の交付金、補助金、税還付の形で国から受け取って」おり、これらの予算上の配分が、1945年度から1950年度の間に「歳出(一般会計)全体の9%から32%に上昇」し、これらが、「国からの予算に計上されない貸付金により資金調達された」ことが解説されています。そして、1950年度以前には、地方政府に対する国の支出が、「国の財政政策に従い、地方の財政計画についてはほとんど無関心に、国の官吏によって決定された」上、「地方政府の官吏は財政計画や財政運営について厳しく制限され」、「地方政府が受け取る歳入の合計額をあまり正確には予想」できなかっただけでなく、「国の現地管理により財政上の支配を受けていた」ことが解説されています。
 シャウプ使節団は、地方政府の財政力を高めるため、「地方税制度の再編と、草の根の計画に基づき地方財政委員会によって調整される新しい平衡交付金制度の採用を提案」し、この制度が、1950年の春に政府によって採用されたことが述べられています。
 第4章「租税制度の改革」では、降伏時の租税制度が、「最も税負担能力のない人々に対して不公平な税負担を転嫁」するものであり、
(1)個人所得税
(2)個別消費税
(3)事業税
の3大税目からなるとともに、個人所得税、事業税は「多くの点で矛盾のある、不公平なもの」であり、地方と国の租税制度の最も著しい欠陥として、「税収が可能な資産税の欠如」を挙げ、こうした欠陥が、「勤労所得者以上に資産保有者を不当に有利な立場に置」き、「これらの構造的な不公平性」が、「専断的で、差別的で、非効率的な徴税機関によって拡大された」ことが指摘されています。
 4ヶ月間の徹底的・総合的な分析の後、1949年9月に日本税制の報告書を公表したシャウプ使節団は、「日本が今後数年のうちに、もしそれを欲するならば、おそらく世界で最もすぐれた租税制度を持てないという理由はなんら認められない」と述べ、「1人当りの所得が低いにもかかわらず日本の租税負担はそれほど国民所得と釣り合いを失っているようには思われない」と結論付けたことが解説されています。使節団は、現行の個人所得税制度の下での過度に高い税率が、弱体化した税務行政・執行と結合して「広範囲に及ぶ脱税をもたらしていること」を指摘し、
・実質的な税率の引き下げ
・所得控除の引き下げ
・規定や手続きの簡素化
・事業者納税者による現代的な会計処理方法の広範囲にわたる採用
・キャピタル・ゲインの全額課税とキャピタル・ロスの全額控除
・所得税に関する税務行政と税務執行の全般的な改正
を提案したことが述べられています。
 また、降伏時の日本の個人所得税の欠陥としては、
(1)税率構造が運用するには大いに複雑で、差別的で、困難なものであった。
(2)税率が重要な所得の源泉の全てに適用されたわけではなかった。
(3)査定制度が不公平で非効率であった。
(4)納税手続きが一様に適用されず法外な延滞を容認していた。
の4つの根本的な欠陥があったことが指摘され、1949年のシャウプ使節団の報告書では、「高税率と高度の脱税が一体となって悪循環を発生させている」と指摘されたことが述べられています。
 さらに事業税に関しては、占領期の4年半の間の諸改革には、
(1)民間の投資や生産の増進
(2)異業種企業間での不公平の縮小
の2つの主要目的があったことが述べられています。
 第5章「税務行政の改革」では、占領期の最初の2年間の税法改革の進展に伴い、
(1)国税機構が中央当局により効果的に統制、調整されていなかった。
(2)税務職員が一般的に能力不足で、非協力的で、専断的で、腐敗していた。
(3)税務の手続きや実施が不必要に複雑で、標準化されず、均等ではなかった。
(4)降伏後の国税、特に大衆所得課税についての税務行政は日本におけるほとんど全ての勤労所得者に対し理解力ある参加を要求していたが、ほとんどの勤労所得者は税法の下での義務と権利を理解していなかったばかりか、十分な財務記録を保存していなかった。
という4つの根本的な税務行政上の弱点が明白になったことが述べられています。
 また、降伏後、多くの有能な税務官吏が、「税務機構を離れてより有利な職務に異動」し、「租税、法律、会計についてほとんど知識を持っていない若年の退役軍人にとって代えられ」、その原因は、「税務部門の相対的に低い賃金と能力主義任用性の欠如の結果」であったことが指摘されています。そして、「共産主義者たち」が、「税務管理の組合に入り込んで支配しようと企て」たため、「政府に対する徴税者組合のストライキがよく起こるようになり、しばしば日本全国の多くの地方で税務行政を停止させた」ことが述べられています。
 さらに1948年12月の経済安定化計画の一部として、最高司令官は、「収税計画を促進強化し、脱税者に対しては迅速かつ広範囲にわたり徹底的刑事訴追措置をとること」と立案された施策の採用を指令し、1949年5月には、
(1)大蔵省内に中央集権的に統制され半自治の税務局を創設し、税務局は地域的および地区的事務所に対して完全で頂点となる行政権限を持つ。
(2)全ての税務行政は新局へ移管し、大蔵省が責任を負う。
の2つの税務機構改革の措置を勧めたことが述べられています。
 第6章「政府債務の処理」では、降伏時の日本政府の外国債保証債務が、額面価格で、
・英貨債  6100ポンド
・米貨債  6800ドル
・仏貨債  3億8300フラン
に達し、2700億円以上の政府債務が、「降伏時には非常に巨額であったため、平価切り下げを行わない限りは当面の返済は絶対的に不可能であった」ことが解説されています。
 本書は、終戦直後に、新しい財政制度の模索を続けた日米の財政官僚達の試行錯誤の後を知ることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 一般会計を2倍に補正しなければならなかった1946年の予算というのも恐ろしいもので、当時の官僚達の苦労が偲ばれます。
 一方で、それまで官僚達の重石になっていた軍人が一気に放逐されたこの占領期は、GHQにいちいちお伺いを立てなければならず、苦労して作った「官僚製の自主改革案」がゴミ箱直行になることもある一方、官僚としては、新国家建設のために、やろうと思えば次々に実現できる「腕の見せ所」的なやりがいのある時期でもあったのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・暴れ馬のような国家財政の手綱を握った(まま振り回された?)財政官僚達の苦心の跡を見たい人。


■ 関連しそうな本

 カール・S. シャウプ (著), 柴田 弘文, 柴田 愛子 (翻訳) 『シャウプの証言―シャウプ税制使節団の教訓』 2007年02月13日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 天川 晃 『GHQ日本占領史 (38)地方自治体財政』 2007年02月15日
 天川 晃, 増田 弘 『地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続』
 天川 晃 『GHQ日本占領史 (8)政府機関の再編』
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (15)警察改革と治安政策』 2007年02月01日


■ 百夜百マンガ

陰陽師【陰陽師 】

 夢枕獏の大ヒット小説を原作にコミカライズも映画化もされた作品。お坊さん、お相撲さんと来てやっぱり和服を描かせるとよいですね。

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