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2007年3月20日 (火)

「ニート」って言うな!

■ 書籍情報

「ニート」って言うな!   【「ニート」って言うな!】(#789)

  本田 由紀, 内藤 朝雄, 後藤 和智
  価格: ¥840 (税込)
  光文社(2006/1/17)

 本書は、
・いじめや憎悪が生まれる社会的なメカニズムを研究対象とする社会学者(内藤)
・通俗的な若者論に対する詳細な検証と批判をネット上で粘り強く続けている大学生(後藤)
・教育・労働・家族の関係について実証研究を行ってきた教育社会学者(本田)
の3人が、「それぞれの観点からそれぞれのやり方で、昨今の『ニート』言説のあり方を批判する意見」を表明し、本田氏のブログのコメント欄において、「一緒に『ニート』言説の問題性を提起する本を作ろうということ」に合意して生まれたものです。
 著者は、「ニート」という言葉が、「若者全般に対する違和感や不安をおどろおどろしく煽り立てるための、格好の言葉とし用いられる。『ニート』はやがて、本来の定義を離れてあらゆる『駄目なもの』を象徴する言葉として社会に蔓延する」と指摘しています。
 第1部「『現実』――『ニート』論という奇妙な幻影」(本田)
 第1章「『ニート』のイメージは間違っている」では、2004年の中頃から「絨毯爆撃のように」、「ニート」論の攻勢が始まり、2005年ごろからは、「政党や政府にも『ニート』に関する動き」が出始め、そこに共通する、「何らかの意味で『病んだ』状態にあるために仕事に向かって踏み出せない若者、というイメージ」があり、「『ニート』をめぐるこのような状況は、若者と仕事の現状に対する世の中の認識と、そうした現状への具体的な施策の方向性を大きく歪めるもの」であると述べています。
 そして、「最近年における絶対数という点でも、過去からの増え方という点でも、『ニート』に比べて若年失業者や『フリーター』の方が焦点を当てられるべき対象である」にもかかわらず、「なぜか2004年あたりから、『ニート』がものすごく強調され始めた」ことが、「とても不可解で腹立たしい」と述べています。
 著者は、「『ニート』は多様で、しかも大半はごくごく『普通の、まっとうな』若者たちであり、ただ現在はさまざまな事情や理由から働いていない、というだけ」なのに、「『ニート』のイメージが、非常にネガティヴなものになってしまった」ことについて、「不登校」や「ひきこもり」にかなり近いイメージが、当初から議論の中に埋め込まれ、「中心的な論者・研究者も、かなり無自覚なまま、それらのイメージを『ニート』に投影していた」点を指摘しています。
 また、「ニート」という言葉が日本に導入された段階で、「定義的に失業者が除外された」ことを「きわめて問題」とし、「もし『ニート』に当初から失業者が含まれていれば、現在はびこっているような『ニート』論は成立しなかったはず」であり、「失業者を論じる際には当然、『なぜ仕事のポストがないのか』、『なぜ企業は人を採ろうとしないのか』という問い、すなわち労働需要側(企業側)のあり方への問いにつながらざるをえない」と述べ、「『ニート』という言葉が流行り始める直前の時期には、若年就労問題の最大の表にはやはり労働需要側にあるという認識が、地歩を得つつあった」ことを残念だと述べています。
 著者は、「いまや、『ひきこもり』イメージをかぶせられた『ニート』という言葉が、あまりにも大きな影響力をもつようになってしまったこと」で、「若者の現実とかけ離れた議論や施策が世の中に蔓延し」、こうした状況に対して、もう歯止めをかけなければならない時期が来ていると述べ、「『ニート』という括り方ではない、より若者の実態に即した区分け線を用いながら、本当に有効な施策を講じていく必要がある」と主張しています。
 第2章「若者に対して新に必要な支援はなにか」では、企業の採用抑制の背景として、バブル経済崩壊後の長期不況の影響とともに、
(1)日本社会の人口構造という、いわば歴史的な要因
(2)若い女性が働き続ける確率が高まったこと
という「企業にとっていわば外側から偶然降りかかってきたともいえる」2つの要因に加え、
(3)グローバル経済競争の激化から来る人件費縮減の要請と、サービス経済化や生産サイクルの短期化から来る労働力の量的柔軟化の要請
という要因によって、「企業の新規学卒採用、すなわち『学校経由の就職』」が90年代半ば以降急激に縮小したにもかかわらず、「しくみとしては『学校経由の就職』が依然として若者の典型雇用(正社員)へのほぼ独占的な採用ルートであり続け」、その結果、「いったんこのルートから外れて『フリーター』などの『不安定層』になった若者が正社員になれるチャンスは、小さく閉ざされたままになった」ことを指摘しています。
 著者は、「学校経由の就職」をなくしてゆくべきと主張し、その理由として、
(1)「学校経由の就職」ルートで正社員の職に移行する新規学卒者と、それ以外の「不安定層」との間に、その後のキャリア展開の可能性に関して大きな格差があり、それを変えてゆくためには、「学校経由の就職」以外のルートの方が量的に支配的になってゆくことが不可欠。
(2)「学校経由の就職」では在学中に勉学と並行しながらあわただしく就職先を決めることになるが、そうした時間的な圧縮は、一方では学生にとっても企業にとっても大きなプレッシャーとなっており、適切なマッチングではない場当たり的な就職―採用につながる。
(3)「学校経由の就職」では、若者が在学している学校と企業との組織的で長期的な関係のあり方如何によって、若者の就職機会に格差が生じる。
の3点を挙げています。
 また、従来の日本の若年労働市場において、「『教育の職業的意義』を欠いたこれまでの『学校経由の就職』では、甲羅をもたずやわらかい生身のからだを剥き出しにしている蟹のような若者を学校がどんどん企業に送り出し、そして柔らかい若者たちを企業が粘土みたいにこねあげてその企業向きの人材に形作っていく」というパターンが大勢を占め、「個人はあたかも『甲羅のない蟹』のような存在として扱われてきた」と指摘しています。
 第2部「『構造』――社会の憎悪のメカニズム」(内藤)では、ニート問題にみる社会の不安と憎悪として、
(1)「青少年が凶悪化した」「ニート化した」「子どもがわからなくなった」と煽り立てるマス・メディア。
(2)青少年にネガティヴなイメージを抱き、彼らの何気ない振る舞いに疑惑の「しるし」を探し当てては、独特の不安と憎悪であふれる大衆。
(3)危機をことさら強調して、今までなら通らなかった反市民的な政策や法案(あるいは条例)を通すなどして、望みの社会状態を現出させるチャンスを狙う政治。
の3体の構造的なカップリングが生じていることを指摘し、「青少年に対する不安と憎悪がペストのように蔓延」していると述べています。
 そして、「凶悪化している」というマス・メディアの主張に反して、「統計を見る限り、現代の若者は凶悪化して」おらず、「それどころか、青少年が年々おとなしくなっている」として、現在を、「日本の長い歴史の中で若者がここへ来て急激に穏やかになり、肉食獣から草食獣に変化するような、ものすごい変化の時期である」にもかかわらず、「年配者たちは、正反対に、若者を凶暴な肉食獣の典型のよう」に描き、「多くの人が、穏やかになった若者の牙を恐れるようになった」ことを指摘しています。
 また、紋切り型の事件報道に表れる論調として、
(1)前代未聞の事件を最近の青少年一般の凶悪化傾向を示すものととらえて警鐘を鳴らす。
(2)最近は物が豊かになったが、その反面、人間性が本来の自然の姿から離れたという疎外論。
(3)学校が息苦しい閉鎖的な空間になっている。
(4)思春期は人間関係が過敏で不安定なものになり、過度にべたべたしたり残酷なことをしたりする。
(5)インターネットでは普通の生活では出ないような邪悪な面が増幅されてしまう。
(6)『バトル・ロワイアル』のような映像メディアが悪影響をもたらす。
(7)少子化により社会性が失われた。
(8)インターネットや映像メディアのような『本物』でない仮想世界と現実との境界があいまいになった。
の8つを挙げ、それぞれ解説しています。
 さらに、青少年ネガティヴ・キャンペーンの分析から、「青少年問題に限らず、何かを問題として流行させるキャンペーンの基本的なメカニズムを抽出」できるとして、「比較的不変の『いいがかり資源』を組み合わせて、新しい『ヒット商品』が、『先行ヒット商品』のイメージに上乗せする仕方で移り変わっていく」という理論モデルを提唱し、ニートの先行ヒット商品として、「パラサイト」と「ひきこもり」を挙げています。
 そして、「職場のひどい待遇で痛めつけられて働けなくなった人が、若者自立塾のようなところで、農本主義的な、文化大革命の下放・労働改造のような生活をさせられて、『なんだか心が良くなりました』と言わされるような状況」が現に起きているとして、「朝6時に起床し、2キロのジョギングと腕立て伏せ……肉体労働といった日常で、二段ベッドが置かれたクーラーのない4人部屋で10時消灯。携帯電話は禁止されており、決められた時間に公衆電話を使うことしかできない。2週間に一度の外出許可もなかなか下りない」という若者自立塾がモデルとした沖縄産業開発青年協会の内実を紹介しています。
 著者は、「ニーとは、青少年ネガティヴ・キャンペーンの連鎖の中で売りに出されては、次々と移り変わる軽佻浮薄なイメージ商品のうちのひとつ」に過ぎないと述べ、「ニートの流行は、それで名を売ったデマゴーグたちも含めて、くだらないあぶくのような存在」であるとし、「しばらくすると、まちがいなくニートという言葉は消えて」いくと述べています。
 第3部「『言説』――『ニート』論を検証する」(後藤)では、「多くの『ニート』論が、単に巷の青少年問題言説の焼き直しでしかなくなっている」ことを、各メディアの「ニート」論を比較検証し、現在流布している「ニート」論が、「パラサイト・シングル」論と「社会的ひきこもり」論の混合としての側面が強く、「収入のある『パラサイト・シングル』とは違い、収入がない点において、『ニート』は『パラサイト・シングル』以下と見なされる」ことを指摘しています。
 また、フジテレビの朝の情報番組『とくダネ!』の「ニート」特集に登場した24歳の男性が発言した「働いたら負けかなと思ってる」という言葉をきっかけに「2ちゃんねる」で起こった「ニート祭り」について言及し、「ニート」が「青少年をめぐる問題の新しいトピックスとしてマスコミの関心事」となり、同時に「ニート」という存在に、「自立していない若者」「自分勝手な若者」というイメージが与えられ、「本来の定義である『15-34歳で、就業もしていなければ、教育も受けておらず、また求職活動もしていない若年層」という意味から離れていったとし、「このような『ニート』という言葉自体の独自の『発展』が、結果として人々の視線を社会構造の問題からそらせていったこと」に注目すべきと述べています。
 本書は、「ニート」という流行語が辿った数奇な道筋を追うことで、一つの言葉に込められた様々な思惑を読み解く一冊です。


■ 個人的な視点から

 「ニート祭り」のきっかけとなった「働いたら負けかなと思ってる」は、一昨年のライブドア社の忘年会で歌われた「2ちゃんねる」発の替え歌「VIPSTAR」にも登場しています。当時の「ニート祭り」を知らないとなぜこの言葉が歌詞に使われているのか分かりませんが、なんとなく雰囲気は伝わるのが不思議です。
http://www.youtube.com/watch?v=hh7ur83Rups


■ どんな人にオススメ?

・ニートを2ちゃんねるに入り浸っている人たちのことだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 本田 由紀 『若者と仕事―「学校経由の就職」を超えて』 2006年03月02日
 宮本 みち子 『若者が『社会的弱者』に転落する』 2005年05月04日
 玄田 有史 『仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在 中公文庫』 2005年07月20日
 小杉 礼子, 堀有 喜衣 (編集) 『キャリア教育と就業支援』 2007年03月16日
 スチュアート タノック (著), 大石 徹 (翻訳) 『使い捨てられる若者たち―アメリカのフリーターと学生アルバイト』 2006年11月14日
 熊沢 誠 『若者が働くとき―「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず』 2007年01月10日


■ 百夜百マンガ

水のともだちカッパーマン【水のともだちカッパーマン 】

 ネーミングが著しく安直に感じられるのは気のせいじゃない・・・・・・と信じたいです。『ターちゃん』でヒットを飛ばした後の鳴かず飛ばず状態はきつかったんじゃないんでしょうか。

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