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2007年4月

2007年4月30日 (月)

マッキンゼー流図解の技術

■ 書籍情報

マッキンゼー流図解の技術   【マッキンゼー流図解の技術】(#830)

  ジーン ゼラズニー (著), 数江 良一, 管野 誠二, 大崎 朋子 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  東洋経済新報社(2004/8/20)

 本書は、「経営コンサルタントがまず身につけなくてはならないベースナレッジ」である、「メッセージを作り、伝え、実行するために広める」ためにビジュアル・コミュニケーションのスキルを解説したものです。
 序章「チャートで語る」では、「チャートについての熟考が足りず設計が悪い場合には、明確に伝わるどころか混乱を招く結果となってしまう」として、「APK(Anxiou Parade of Knowledge:知識の欲張りな羅列)症候群」として、「判読できないビジュアル」の例を示しています。
 そして、本書の目的を、「どんなチャートを活用するにしても、話し手と聞き手両方の役に立つチャートを選択し、活用してチャートで語る(say it with chart)ことを支援する」ことであると述べています。
 第1章「チャートを選ぶ」では、チャート基本形は、
・パイチャート
・バーチャート
・コラムチャート
・ラインチャート
・ドットチャート
の5種類しかなく、その作成のステップは、
(1)あなたのメッセージを決める(データからメッセージへ)
(2)比較方法を見きわめる(メッセージから比較方法へ)
(3)チャートフォームを選択する(比較方法からチャートへ)
の3段階であることを示しています。
 そして、「表形式のデータから抽出した何らかのメッセージを込めた5種類の比較方法」として、
・コンポーネント比較法→全体に対するパーセンテージ
・アイテム比較法→項目のランキング
・時系列比較法→期間内の変化
・頻度分布比較法→範囲内の項目
・相関比較法→変数間の関係
の5つを挙げています。
 また5種類の基本チャートフォームについて、
・パイチャート:ホットも実用性に欠けるので全体の5%に抑えたい。
・バーチャート:用途の幅が広く、25%ほどは活用すべき。
・コラムチャート:「古きよき信頼できる」チャートである。
・ラインチャート:働き者であり、コラムチャートと併せて全体の半分程度は活用すべき。
・ドットチャート:10%は活用の場を与える価値がある。
とした上で、残りはそれらを組み合わせて活用されると述べています。
 そして、比較方法と基本チャートフォームの関係を、
・パイ→コンポーネント
・バー→アイテム、相関
・コラム→時系列、頻度
・ライン→時系列、頻度
・ドット→相関
のようにマトリクス化してしめしています。
 著者は、チャートの選択から学べることとして、
・チャートは重要な言語形態のひとつである。よく考えられ設計されたチャートというものは、表形式のデータより迅速で明確なメッセージを伝えるのに役立つ。
・どのチャートフォームかを使うべきかを示唆するのは、データや目盛りではなく、それはまさしくあなたが伝えたいメッセージ、すなわち、あなたが何を表したいのか、どこの点を強調したいのかにある。
・チャートの数は少ないほど良い。あなたのメッセージを伝えるのに明らかに役立つと思われるときにのみ、チャートを用いる。
・チャートはあくまで補足的な資料であって、あなたが意図して書きたいことや、言いたいことすべての代わりにはならない。
の4点を挙げています。
 第2章「チャートを使う」では、「実践ではチャートから省く場合もある」が、「あなたが何を言いたいのか、あなたがどんな点を強調したいのかという、あなたのメッセージを明確にしなくてはならないことを確認し、プライオリティーづけを行い、最重要と位置づけるという最優先課題を決定するプロセスを省くべきではない」として、「メッセージ・タイトルなしにチャートは決定できない」と説いています。
 そして、5つの比較法について、
(1)コンポーネント比較法:全体を100%とした場合の内訳で、おのおのの部分の大きさを示す。
(2)アイテム比較法:アイテム(項目)間のランキングを示す。
(3)時系列比較法:一定期間にわたる変化を示す。
(4)頻度分布比較法::どれだけのアイテムが連続的な数値レンジに収まるかを示す。
(5)相関比較法:2つの変数の関係が予想通りであったかどうかを示す。
のそれぞれについての使い方を解説しています。
 第3章「コンセプトとメタファーを使う」では、「相互作用、レバレッジ(テコをきかせる)、障害、相互関係を表すイメージや、構造、論理的因果関係、プロセスなど」、「数量で表現できないメッセージを視覚的に伝えることは大変困難なことである」と述べています。
 その上で、4人のデザイナーたちによる、様々なイラストデザインの例を紹介しています。
 第4章「チャートをスクリーンで見せる」では、現在では10分もあれば作成できてしまうチャートが、著者がこの世界に足を踏み入れた1961年には、
・ビジュアル資料の製図専門家が製図机に座って青鉛筆を片手に、三角定規、T定規、分度器、コンパス、楕円定規、エンジニア用定規などを使って線や図形を作成する。
・写植の専門家に渡す。
・校正の専門家に渡す。
・できあがったチャートを再び最初の製図者に戻し、線を引くための専用のペンとインクで青鉛筆で引かれた線をなぞる。
・別の担当者が、市販のジパトーン(モノクロの地模様がついたシール上のもの)などを使ってモノクロの濃淡を施し、レイアウトを整える。
・プレゼンテーションで使うには、拡大複写写真やオーバーヘッド用の透明版や35ミリのスライドを作る必要があり、写真や産に依頼して一晩かかった。
という膨大な時間と工数が必要だったことが解説されています。
 一方、チャートの作成がお手軽となった現在、「聞き手の注目がチャートの方へ集中してしまい、話し手であるあなたに集中しなくなってしまう」ため、「ビジネス・プレゼンテーションで重要な聞き手との双方向のコミュニケーションを単調なビジュアルの羅列に終わらせてしまう危険性もある」ことを指摘しています。
 本書は、ビジネスや学会の場でプレゼンをする必要がある人にとって、とくに、「自分ではプレゼンが得意」と思っている人にとってはぜひ読んでほしい一冊です。


■ 個人的な視点から

 プレゼンテーションの上手な人のスライドは、情報がそれほど盛りだくさんではなく、それだけ見ても内容が分からないこともあります。それは、あくまで、プレゼンテーションの中身は、説明者本人が話す内容がメインであり、スライドはその補足資料でしかないからです。
 一方、スライドに書き込まれた情報量も満載で、これだけあれば他の人でも説明できるんじゃないか、むしろ、これだけ読めば十分なんじゃないか、というスライドも数多く見かけます。
 プレゼンの達人と言われている(株)ワーク・ライフバランスの小室淑恵氏は、営業のときのプレゼンの資料は、そのプレゼンを受けた担当の人が、社内で上司に向かってプレゼンするときに使いやすいように作るとよい、と述べていましたが、その場合でも、あくまで担当者氏自身が話す内容がメインであるからこそ、上司の心を動かすことができるのであり、やはり、情報過多のプレゼン資料はいかんと思いました。決して読むのが面倒だからというわけではありません。


■ どんな人にオススメ?

・心を動かすチャートを作りたい人。


■ 関連しそうな本

 久恒 啓一 『図で考える人は仕事ができる』 2005年08月13日
 松山 真之助 『マインドマップ読書術―自分ブランドを高め、人生の可能性を広げるノウハウ』 2005年05月01日
 川喜田 二郎 『発想法―創造性開発のために』 2005年08月27日
 トニー ブザン (著), 田中 孝顕 (翻訳) 『人生に奇跡を起こすノート術―マインド・マップ放射思考』 2006年05月07日
 トニー・ブザン (著), 神田 昌典 (翻訳), バリー・ブザン 『ザ・マインドマップ』 2006年12月17日


■ 百夜百音

Music Box Dancer【Music Box Dancer】 Frank Mills オリジナル盤発売: 2000

 昔、「吉田照美のてるてるワイド」の中の番組だった、「千倉真理の地球はまあるいよ」のテーマ曲ほかいろいろなところで耳にするのですが、何という曲なのか分からず調べました。
「From A Sidewalk Cafe」という曲のようです。
http://m.mystrands.com/track/2287517;jsessionid=4F2E44F8A...
で試聴することができます。
 同じように、曲名が分からなかったもので、「ハイパーオリンピック」のテーマ曲があったんですが、今調べました。「炎のランナー」ですね。 昔、「吉田照美のてるてるワイド」の中の番組だった、「千倉真理の地球はまあるいよ」のテーマ曲ほかいろいろなところで耳にするのですが、何という曲なのか分からず調べました。
「From A Sidewalk Cafe」という曲のようです。


『炎のランナー ― オリジナル・サウンドトラック』炎のランナー ― オリジナル・サウンドトラック

2007年4月29日 (日)

障害者の経済学

■ 書籍情報

障害者の経済学   【障害者の経済学】(#829)

  中島 隆信
  価格: ¥1575 (税込)
  東洋経済新報社(2006/2/10)

 本書は、障害者と関わりを持つさまざまな人々が、「どのようなインセンティブのもとで障害者と関わりを持っているか、そしてその関わり方に問題はないかという点」から検討し、「こうした人々の行動を規定する要素が必ずしも金銭面に限らないこと」を示したものです。本書において著者は、当事者の親という立場を生かす一方で、「できる限り当事者感覚を排除し、経済学の視点から冷静な目で障害者について考えた」と述べています。
 著者は、障害者問題を扱った本を、
(1)自伝タイプ:障害者本人またはその親が自らの経験談を綴った自伝のようなもの
(2)制度論タイプ:障害者の法制度について批判的検討を加えたもの
(3)観念論タイプ:障害者本人またはその関係者が新たな障害者観について語るもの
(4)意外性タイプ:障害者の知られざる意外な一面を描いたもの
の4つのタイプに分類し、(1)~(3)については、「どれもそれなりの問題意識があり、著者の主張も読み取れる」が、「そうした本のほとんどは福祉や障害者といったテーマを専門に扱う出版社から出され」、「そうした関連の人意外にはほとんど読んでもらえない」ため、「簡単に言えば、障害者を取り巻く人々から発信された情報のほとんどは少数派(マイノリティ)である福祉は関係者の中だけで流通していて、多数は(マジョリティ)である健常者には届いていない」か、(4)の本は、「健常者に読んでもらえるものの、その読後は基本的に『へぇ~』と感想を漏らすだけで終わってしまうことが多く、幅広い議論に発展するということはあまりない」と指摘しています。
 著者は、「福祉の現場に正しいインセンティブをつける必要がある」として、「障害者とその関係者たちが自分たちの利益のために行動した結果として、すべての人々が幸せになれるような制度設計」の必要性を主張しています。
 第1章「障害者問題がわかりにくい理由(わけ)」では、「障害者問題は難しい」といわれる最大の原因を「障害者についてわれわれがよく知らないこと」、すなわち、「障害者と接する機会が少ない」ことを挙げ、障害者と接するための条件として、
(1)障害者に町に出てきてもらうこと
(2)健常者がそのチャンスを逃がさず接触を試みること
の2つがあるが、現在のところ、これらの条件は満たされているとは言えないと述べ、障害者問題を分かりにくくしているもう一つの原因として、「それを福祉の問題ととらえてしまうこと」を挙げ、人びとが福祉は「正しい行い」であり、「それにあれこれ文句をつけるのは望ましくない」と考え、「福祉といったとたんに人々は思考停止状態になる」ことを指摘しています。
 そして、「わかりにくさ」の諸要因の根本として、「本来、障害者というグループがあるわけではない」にもかかわらず、「暮らしや就労の場で何らかの助けを必要とする人たちというその一転だけで強引にグループ化されている」という「障害者という名称から生まれるステレオタイプ的な障害者観が私たちの頭を固くしている」ことを指摘し、「人間一人一人がみな違うという当たり前の、しかし忘れられがちな考え方から出発するしかない」と述べています。
 第2章「『転ばぬ先の杖』というルール」では、アメリカやヨーロッパの交差点の例を挙げ、
(1)「転ばぬ先の杖」型ルール:信号で示されるような社会システム
(2)「案ずるより産むが易し」型ルール:ロータリーのようなシステム
の2つを提示し、「選択肢を拡大して人生の落伍者という烙印を消し、人生の多様性を認めていく」ために、「『先の杖』型ルールから『産むが易し』型ルールへの変更を進めていく必要がある」と述べ、「すでに日本が『先の杖』型では対処しきれない社会になってしまったことをわれわれは今認識すべきときに来ている」と述べています。
 第3章「親は唯一の理解者か」では、障害者の親が、この将来を悲観して無理心中を図る事件について、「障害者を持つ家庭の実情をよく知らない部外者は、同情心によって事件の問題点を理解しようとする」が、そのときに「多くの人々が母親の立場で同情してしまうことに問題の本質がある」ことを指摘しています。そして、1970年に脳性マヒの娘を殺害した母親に対し、「殺された娘もかわいそうだが、そうした障害児を持つ気の毒な母親もかわいそうだ。救ってやりたい」とする減刑嘆願運動が起き、実際に、1980年の判決では、「懲役3年、執行猶予3年」と情状酌量された動きに対し、「青い芝の会」という脳性マヒによる障害者団体のメンバーからは、「なぜ障害者を殺した母親が同情されるのか」、「同情されるべきはむしろ殺された娘ではないのか」、「殺した側の母親が同情されるならば、ころされた娘、ひいては障害者は世の中に存在しない方がよかったということになりはしないか」などの考えが出され、全国に散らばる障害者に「革命的ともいうべき発想の転換」をもたらし、1975年には『母よ!殺すな』と題した本が出版されたことが紹介されています。この「青い芝の会」の綱領には、「われらは愛と正義を否定する」という言葉があり、「人を愛する気持ちは、時には愛する対象となる人を自分のものにしたいという占有欲として表面化すること」があり、対等の立場にない親子間の愛の難しさ、特に「生きていくために他者の手助けを必要とする障害者はいつまでも親の世話から抜け出すことができない」ため、「子供への愛情はいつしか子供に対する支配へと変化し、子供のすべてを親が抱え込むようになる」問題を指摘しています。
 また、「本来であれば障害者が親から離れて自立するために使われるべきお金」である行政からの給付金をあてにして子供との世帯分離を望まない親がかなりの数に上ることを指摘し、「障害者の自立とは、障害者が誰かの言いなりになって暮らすのではなく、自分の意思で考え、自分の希望どおりの基本的生活を送れるようになること」であり、「それは必ずしも経済的自立だけを意味するものではない」と述べています。
 第4章「障害者差別を考える」では、養護学校が日本各地に建てられ、修学旅行で沖縄や東京ディズニーランドに出かけ、新しい入所施設では個室が完備されるという、「障害者を少なくとも見かけ上は恵まれた状況に置くこと」が、「障害者運動をしづらくし、本来のニーズを出にくく」していることを指摘しています。
 著者は、「人間の偏見が過去に蓄積された情報に基づいて形成されていくことはまず間違いない」ことから、
(1)差別される側が正しい情報発信を行うこと。障害者は決して「助けてもらう」存在でもなく、「かわいそうな」人たちではないと自らが示さなければならない。
(2)「先の杖」型から「生むが靖」型ルールへの変更。
の2種類の方法があると述べています。
 第5章「施設は解体すべきか」では、「行き場のない障害者が家の中に閉じ込められた状態」を「座敷朗」と呼ぶことがあることを紹介し、「家に閉じ込められている障害者に日中活動と生活の場を提供すべく建てられた」のが障害者施設であり、「施設の当初の目的は、障害者を抱えている家庭の惨状を救うことであり、シェルターとしての役割を担っていた」ことを解説しています。
 また、施設の職員のモラルを下げる要因として、
(1)毎日同じ仕事のくり返し
(2)障害者に対して優位な立場に立つこと
の2点を挙げ、これらを一度に防ぐ方法として、「担当をつけないこと」を提案し、その理由として、「障害者に対して特定の職員を担当として張り付けると、仕事に変化がなくなると同時に、両者の関係が固定化し、上下関係に結びつきやすくなる」ことを挙げています。
 第6章「養護学校はどこへ行く」では、子どもの就学は教育上の意味あいだけに限らず、「子供が学校に行くことによって、親は育児から解放され、自分の時間を有効に活用できるというメリットがある」ことを指摘し、障害児の場合は、
(1)障害の内容は千差万別であり、学校は親から情報をもらう必要がある。
(2)生活面での自立のための介助を教員が行う。
という意味で「一種の託児所ともいえる」と述べています。
 また、養護学校の教員の給与には「調整額」と称した特別手当が月2~3万円程度支給されている理由について、
(1)技術説:養護学校の教員には高度な技術が要求され、その技術を取得・維持するために追加的な費用がかかる。
(2)負担説:給与を高めに設定しないと養護学校教員のなり手がいない。
(3)モラル維持説:高い給与によって教員のモラルを維持できる。
の3つの仮説を提示しています。
 さらに、養護学校においては、障害の程度が軽い学生たちが「ヒーロー」になれるが、こうしたヒーロー的扱いが「社会に出てから仇となる場合が多い」ことを挙げ、「養護学校という閉鎖社会でヒーロー的な扱いを受けているうちに、いつしか自分は能力の高い人間なのだという錯覚に陥って」しまし、「こうした錯覚を持ったまま社会に出て行くと」、「職場での失敗を上司に指摘されると自信を失い、極端に落ち込んでしまう」、「単純労働だったりすると性に合わないといってすぐに辞めてしまう」など、「卒業して初めて、養護学校という温室と社会のギャップに気づく」ことを指摘しています。
 著者は、新システムのキーワードとなる「ニーズ」が出てくるようにするためには、親や本人にサービスを買っているという発想がない現状を改め、現物支給型ではなく、自腹を切ってサービスを選ぶ必要があるとして、
(1)養護学校の有料化:障害者と保護者に金銭的インセンティブをつける。
(2)養護学校の民営化:さまざまなサービスを提供できる学校を増やし、消費者に選ぶ権利を与える。
の2点を提案しています。
 第7章「障害者は働くべきか」では、「能力がありながら施設に滞留している障害者を一般就労へと結びつける」ためには、需要サイドである企業と供給サイドである障害者の両面から考える必要があるとして、需要サイドに関しては、「障害者の雇用の促進等に関する法律」を解説し、供給サイドに関しては、「一般就労を促進するためには何といっても障害者本人のやる気を引き出すことが重要」であるとして、「施設に入ってしまってからでは手遅れ」であり、「養護学校の段階から一般就労への準備をしておかなければならない」と指摘しています。
 また、「ドッグレッグス」という障害者プロレス興行団体を取り上げ、3500円というチケット代が「障害を売り物」にしているという批判を受けることに関して、「この料金こそがこの興行を持続させているキーポイント」であり、「料金を取ることにより、固定的な障害者イメージを持って障害者に接してくる人々」すなわち、「『障害者はかわいそう』な存在で『純真さ』を持ち、そうした障害者と接することで癒されると感じている人たち」を排除することができる点を指摘しています。
 さらに、施設を一通りみわたすことで、障害者の主体性がどの程度重んじられているかがわかるという「施設臭」(職員が管理的かつ指導的)という言葉を紹介したうえで、全国的に注目されている北海道浦河町の「べてるの家」の例を紹介しています。
 本書は、当事者に非常に近い立場から、経済学者としての冷静な目で分析した貴重な一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の著者は、『大相撲の経済学』、『お寺の経済学』など、経済学の手法や観察眼を使って、普通なら経済学の対象にしないような分野を扱った研究を世に送り出しています。
 そして、本著者の最新刊は、『オバサンの経済学』!!!
 個人的には、経済学をお金を扱うものだと思われるよりも、はるかに「正しい」使い方ではないかと思いますが、だんだんネタ切れするんじゃないかが心配です。


■ どんな人にオススメ?

・経済学の視点でいろいろなものを見たい人。


■ 関連しそうな本

 中島 隆信 『お寺の経済学』 2006年03月21日
 中島 隆信 『大相撲の経済学』
 中島 隆信 『オバサンの経済学』
 中島 隆信 『これも経済学だ!』
 ゲーリー・S. ベッカー, ギティ・N. ベッカー (著), 鞍谷 雅敏, 岡田 滋行 (翻訳) 『ベッカー教授の経済学ではこう考える―教育・結婚から税金・通貨問題まで』
 ゲーリー・S. ベッカー, リチャード・A. ポズナー (著), 鞍谷 雅敏, 遠藤 幸彦 (翻訳) 『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』 2007年02月05日


■ 百夜百音

田中星児【田中星児】 田中星児 オリジナル盤発売: 2005

 10年位前に地元に田中星児が来たときがありました。でもやっぱり知ってる曲は「ビューティフル・サンデー」でした。
 さすがに「ヤンチャリカ」とか普通知らないですし。

2007年4月28日 (土)

日本人の行動パターン

■ 書籍情報

日本人の行動パターン   【日本人の行動パターン】(#828)

  ルース・フルトン ベネディクト (著), 福井 七子 (翻訳)
  価格: ¥966 (税込)
  日本放送出版協会(1997/04)

 本書は、『菊と刀』でしられる著者が、これに先駆けて戦時中に国務省に提出したレポートです。
 著者は、この研究に文化人類学の手法を用いていることを冒頭に述べ、文化人類学では、「適応性こそ人間の獲得したすぐれた特質である」ことに力点を置いていることを強調しています。その一方で、この研究が日本でのフィールド調査無しに書かれているという欠点を持つという注釈を入れていますが、これは戦時中に敵国について書かれたレポートであるという性質上仕方のないことではないかと思われます。
 著者は、欧米の文化パターンとは相容れない日本文化の特徴として、
(1)カースト社会:食器から女性の髪留め、子供の玩具、食塩に至るまで階層や身分に応じて格付けされていた。
(2)死に対する態度:いかにして立派な死を遂げるかが重視される。
(3)倫理体系全体に見られる拘束力:欧米とは異なる前提に基づいているが、日本人によって体系的に述べられたことがない。
の3点を挙げ、これらが欧米人からは無抵抗な従順さの証拠と見られていると指摘しています。そして、この3点目の日本人の倫理体系を拘束する様々な要素として、「仁」、「恩」、「義務」、「義理」、「恥」などについてそれぞれ解説しています。
 また、日本人の自己鍛錬に関しては、日本人の結婚観について、出生、結婚、死亡の中で、「結婚だけが村人によって管理されうるものであり、これは最大限まで村人に管理されている」という言葉を引用しています。さらに、日本の文化として、「恋愛と家庭内の真面目な問題をなんとしても切り離そう」とし、「妾は別宅に囲われる決まりになっている」と述べています。また、「性的行為のともなわない芸者遊びという伝統も、恋愛の喜びと肉体関係とを分けて考えたがる日本人を満足させる、徹底した申し合わせの一例である」と述べています。
 この他、「誠」という言葉を、「最も肝要な教えであって、様々な道徳的教訓の基礎は、この一語のなかに含まれるといってよい……わが国古来の語彙の中には"誠"の一語を除いてほかに、倫理的概念を表す言葉がない」と述べている大隈重信の言葉を紹介しています。
 本書は、外国人の文化人類学者の目から見た日本人の姿を体系的にまとめているものとして、現代にも通じるものがあるのではないかと思われる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「外国人の目から見た日本人」というパターンの本は、現在でも数多く出版されており、古くは、『日本奥地紀行』や『英国人写真家の見た明治日本』に始まり、『人間を幸福にしない日本というシステム』や『日本人とユダヤ人』、『大人の国イギリスと子どもの国日本』などがありますが(一部は日本人?)、主観的なカルチャーショックをベースにしているようなものが多いのが現状です。
 そうした中で本書は、国務省に敵国の国民性を報告する、という性質上、かなり客観的に書かれています。外国人旅行者の見たトンデモ日本人論(それはそれで価値のあるものですが)や、自分のことを棚に上げた自虐的日本人論を読むのも楽しいですが、日本人の姿を冷静に見つめたいのであれば本書の著者の姿勢には得るところがあるのではないかと思われます。


■ どんな人にオススメ?

・日本人の姿を冷静に見る目がほしい人。


■ 関連しそうな本

 ルース ベネディクト (著), 長谷川 松治 (翻訳) 『菊と刀―日本文化の型』
 カレル ヴァン・ウォルフレン (著), 鈴木 主税 (翻訳) 『人間を幸福にしない日本というシステム』
 イザベラ バード (著), 高梨 健吉 (翻訳) 『日本奥地紀行』 2006年08月06日
 ハーバート・G. ポンティング 『英国人写真家の見た明治日本―この世の楽園・日本』 2006年08月13日
 イザヤ・ベンダサン 『日本人とユダヤ人』
 マークス 寿子 『大人の国イギリスと子どもの国日本』


■ 百夜百音

味楽る!ミミカ ナンバーワン【味楽る!ミミカ ナンバーワン】 おみむらまゆこ オリジナル盤発売: 2007

 子供に人気のアニメの主題歌。妙に耳に残るサビです。・・・なのはいいですが、問題なのは何だか「蛇文字さん」みたいな人が出てることです。「アジマル先生」なんですが、そっくりだと思うのは私だけでしょうか。


『ラブやん』ラブやん

2007年4月27日 (金)

ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力

■ 書籍情報

ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力   【ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力】(#827)

  ジョセフ・S・ナイ (著), 山岡 洋一 (翻訳)
  価格: ¥2100 (税込)
  日本経済新聞社(2004/9/14)

 本書は、「強制や報酬ではなく、魅力によって望む結果を得る能力」である「ソフト・パワー」について、その提唱者である著者自身が解説しているものです。著者は、「ソフト・パワーは国の文化、政治的な理想、政策の魅力によって生まれる。アメリカの政策が他国から見て正当性のあるものであれば、ソフト・パワーは強まる」と述べています。
 第1章「力の性格の変化」では、マキャベリーが4世紀以上前に説いた「愛されることより恐れられることの方が重要」という言葉に関して、「今日の世界では、この2つを兼ね備えているのが最善である」と述べ、「力を行使する際の戦略に、ソフト・パワーの側面をどのように組み入れるのか」が重要であると述べています。
 そして、ソフト・パワーが、「人々の好みを形作る能力」に基づき、個人の水準では、魅力と魅惑の力は誰でも知っているように、「民主主義の国の指導者は誘導と魅力の組合せを重視する必要に迫られる」と述べ、「人々の好みを形作る能力は、人格、文化、政治的価値観、政治制度の魅力や、正当性があり倫理的に正しいとされる政策など、無形のものに関連すること」が多く、「他人が従いたくなる価値観を指導者が代表していれば、指導に必要なコストは低くなる」と述べています。
 著者は、国のソフト・パワーの源泉を、
(1)文化:他国がその国の文化に魅力を感じることが条件
(2)政治的な価値観:国内と国外でその価値観に恥じない行動をとっていることが条件
(3)外交政策:正当で敬意をはらわれるべきものと見られていることが条件
の3つ挙げ、それぞれ解説しています。
 また、技術と社会の変化によって、「現代の民主主義国で戦争のコストが上昇している」一方で、「技術の民主化によって過激派の集団と個人が破壊の新たな手段を手に入れるようになった」ことを指摘し、「技術の進化は両刃の刃なのだ」と述べて意います。そして、「技術とイデオロギーの2つのトレンドによって、今日ではテロリズムの破壊力が強くなったと同時に、押さえ込むのが難しくなった」ことを指摘しています。
 著者はこれらの醸成を踏まえ、「力の他の源泉と比較したときにソフト・パワーの重要性が高まっていく」として、情報時代に魅力を高め、ソフト・パワーを獲得する国は、
・情報伝達のチャンネルを多数もち、問題の捉え方を規定できる国
・主流になっている文化と考え方(現代では、自由主義、多元主義、自治)がその時点で世界の規範になっているものに近い国
・国内的、国際的な価値観と政策によって信頼性が強化されている国
であると述べています。
 第2章「アメリカのソフト・パワーの源泉」では、社会に関する統計からアメリカの強さを示すものとして、
・外国からの移住者数
・映画とテレビの輸出額
・世界全体の留学生の約30パーセントをひきつけている
・8万6千人を上回る外国人研究者がアメリカの教育機関に在籍している
ことなどを示しています。
 一方で、最近の世論調査でアメリカの人気が下がっている点を指摘し、「ソフト・パワーの場合煮が送られ、誰がどのような状況で受け取り、それが望む結果を得るアメリカの能力にどのように影響を与えるか」が問題であると指摘しています。
 また、アメリカのソフト・パワーに打撃を与える点として、死刑制度や銃規制の問題を取り上げています。
 著者は、アメリカのイメージとその魅力は、
(1)文化
(2)国内の政策と価値観
(3)外交政策のないよう、戦術、スタイル
の3つの源泉が長期的に見てソフト・パワーを生み出すことが多いと述べています。
 第3章「他の国の組織のソフト・パワー」では、ソ連やヨーロッパ、アジアの幾つかの国のソフト・パワーについて解説しています。
 ソ連に関しては、「科学技術、クラシック音楽、バレエ、スポーツの分野ではソ連文化は魅力的だったが、大衆文化のえ輸出がなかったことから、影響が限られていた」とした上で、それ以上に、「ソ連の宣伝が実際の政策と矛盾していたこと」を指摘し、中央計画経済が市場経済に追いついていけなくなったこと、ハンガリー動乱やチェコ、ポーランドへの軍事介入など、「体制が閉鎖的で、大衆文化に魅力がなく、外交政策で強圧的な姿勢をとった」ためにソフト・パワーでアメリカに対抗することができなかったと述べています。
 ヨーロッパに関しては、文化と国内政策の魅力に加え、外交政策でしばしば世界の公共財に貢献している点から、ソフト・パワーを生み出していることを挙げ、政府開発援助や平和維持活動への貢献を指摘しています。
 日本に関しては、「アジア各国の中で、ソフト・パワーの源泉になりうるものをとくに大量に持っている」として、「欧米以外で初めて完全な近代化を達成し、所得と技術で欧米と同等になる一方、独自の文化を維持できることを示した」ことを指摘しています。
 さらに、インターネットを用いてソフト・パワーを生み出している例として、「国外に離散した民族の組織化」を挙げ、「インターネットはこうした民族にとって格好の手段になっている。歴史を共有しながら各地に分散している人たちを組織化して、大きな仮想社会を作り上げることができるからだ」というデービッド・ボリアの言葉を紹介しています。
 一方で、ソフト・パワーが「悪意のある組織やネットワークももちうるものである」として、「それを受け入れる支持者に依存し、受け入れる側が悪意のある人物であっても、この点に変わりはない」ことを指摘しています。
 第4章「ソフト・パワーの活用」では、広報外交が持つ、
(1)直接的な日々の情報提供:国内政策と外交政策の決定の背景を説明する活動。
(2)戦略的情報提供:イ繰るかの単純なテーマを設定し、象徴的なイベントや情報提供を計画し、中心的なテーマを印象付けるか、政府の具体的な政策を推進する。
(3)外国の主要な人物との永続的な関係を長い年月をかけて気づいていく:奨学金、交換留学、研修、セミナー、会議、メディアに登場する機会の提供など。
の3つの側面について、「どれも重要であり、直接の政府情報と長期的な文化交流の比率がそれぞれ違っている」と述べ、それぞれ、「時刻に関する魅力的なイメージを生み出す点で重要な役割を果たしており、それによって望む結果を獲得できる可能性を高めることができる」と師ながらも、「狭い国益を追求するものだと見えるか、傲慢に表明された政策では、ソフト・パワーを生み出すどころか、破壊する可能性が高い」と述べています。
 第5章「ソフト・パワーとアメリカの外交政策」では、減z内を、「アメリカの伝統を違った方法で利用し組み合わせる時期である」として、
(1)ジェファーソン主義をもっと強調し、
(2)ジャクソン主義をおさえるべきであり、
(3)ウィルソン主義者は長期的に政治の世界を民主主義的に変革していくことが重要だとしている点では正しいが、国際機関と同盟の役割を思い起こす必要があり、
(4)ハミルトンの現実主義を組み合わせて、短気を抑える必要もある、
として、「アメリカが成功を収めるためにはソフト・パワーの役割をもっと深く理解し、外交政策でハード・パワーのバランスを改善しなければ」ならず、それによって、「スマート・パワーになれる」と述べています。
 本書は、国家レベルのソフト・パワーについて論じているものですが、より小さな単位、例えば自治体レベルにおいても示唆に富んだ一冊です。


■ 個人的な視点から

 アメリカはもちろん「ハード」なパワーにおいても飛びぬけてますが、本書を読むと、実は「ソフト」なパワーこそが本当は恐いことがよく分かります。
 第2次大戦後の日本の占領期の記録や、朝鮮半島や台湾、満州などの外地政策を、本書の視点で読んでいくと、日本がいかに「ハード」なパワーに頼りすぎ、ソフトパワーを活用できなかったかがよく分かります。


■ どんな人にオススメ?

・アメリカがなぜ強いのかを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 中村 伊知哉, 小野打 恵 『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像』 2006年11月29日
 堀淵 清治 『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』 2007年04月15日
 フレデリック・L. ショット (著), 樋口 あやこ (翻訳) 『ニッポンマンガ論―日本マンガにはまったアメリカ人の熱血マンガ論』 2006年04月29日
 杉山 知之 『クール・ジャパン 世界が買いたがる日本』 
 北 康利 『白洲次郎 占領を背負った男』 2007年04月23日
 春名 幹男 『秘密のファイル(上) CIAの対日工作』 2006年08月24日


■ 百夜百マンガ

3×3(サザン)EYES【3×3(サザン)EYES 】

 伝奇モノ×ラブコメでコアな人気を築いた作品。結局のところ、現在連載している作品もコンセプトとしては同じようなものです。

2007年4月26日 (木)

分権化と地域経済

■ 書籍情報

分権化と地域経済   【分権化と地域経済】

  坂本 忠次, 遠藤 宏一, 重森 暁
  価格: ¥3150 (税込)
  ナカニシヤ出版(1999/11)

 本書は、「21世紀を展望した分権化と地域経済をめぐる諸問題を検討し、その自立と内発的発展のあり方を、諸外国の事例も踏まえて、それぞれの専門の分野から検討」したものです。
 第1章「地域経済と地域政策」では、「地域経済を、生きている人間の生活の場としての地域の経済と言う視角から、地域の自然環境、歴史・文化、地域社会、地域政治と結びついている経済としてとらえ、また、経済発展を導く独自の中間組織として把握」する「地域政治経済学」の立場から、地域経済の内発的発展の戦略を、
(1)単に市場経済で評価できるGDPの成長だけで判断せずに、地域の自然環境の保全・再生、地域文化・地域社会・地域政治の発展も含め、地域生活の総合的な発展を目標とする。
(2)受動的であれ発展の成果が教授できればよいと言う立場をとらず、外部の経済力と協力する場合も含め、地域の人々が協力して地域経済の発展を主導しているかどうか、地域経済の地域に根ざした主体的な発展、主体の地域民主主義を重視する。
(3)地域経済の全国的国際的位置を分析しながら、需要サイドと供給サイドの両面にわたって地域の産業発展を刺激する経済発展の単位あるいは中間組織(仕組み)としての地域経済の特徴に注目し、地域の競争優位の源泉をどこに見出して、どの分野で、どんな産業や事業を、いかにして起こしていくか、地域ごとに多様で独自の内発的発展の道を創造的に模索する。
の3点により定義しています。
 そして、「地域的な調整能力を発揮するには、画一的な中央集権的システムでは対応できず、規制緩和や地方自治制度が不可欠」であると指摘しています。
 また、地域社会・政治構造の背後にある地域経済システムについて、
(1)大企業の企業城下町になっているような単一産業都市や、少数の産地問屋が多数の織物業者を販売・金融・技術にわたって支配し、それぞれの傘下に収めているような繊維産業都市・
(2)企業が得意な専門化分野に特化し、地域に集積している補完的な専門家企業への外注に依存し、たえず相互に情報交換し相互学習の効果を生むような開かれた水平的な企業関係を大事にし、地域の諸組織とのネットワーク関係をも重視する地域的産業システムと呼ばれる地域構造。
の2つのタイプを想定しています。
 第3章「現代都市経済の視点」では、都市が備えるべき要件として、
(1)住みやすい都市
(2)働ける(職場のある)都市
(3)訪れてみたい都市
の「街づくり三原則」を提唱し、従来は現状追認的であった土地利用政策を、「都市をどう育てていくか」という積極的理念を実行することにある、としています。
 第4章「地域開発・地域づくりの開発効果評価論」では、地域開発の社会的・経済的効果の評価の構成要素として、
(1)「地域経済」効果
(2)社会的損失の計測
(3)財政バランス・シートの作成
の3点を挙げています。
 また、秋田県の「D製紙会社誘致反対訴訟」での証言をもとに、「社会的損失が地域経済効果を相殺する可能性も、定量的に計測できるものも包括しながら、主として開発の賛否に関わりなく地元住民が誰でも日常的な生活実感から常識的に認識できるような、定性的な予測を列挙するという形」で示し、
・悪臭・大気汚染、ダイオキシンの流出等による健康被害の可能性
・自然環境・景観の荒廃によるアメニティの喪失
などの他、社会的費用として、
(1)大量のパルプ廃液による海の汚染がもたらす漁業被害
(2)釣り船店、釣具店、民宿などの減収
(3)海水浴場の喪失に伴う一般住民の社会的費用と、海の家の経営等に与える「逸失利益」
(4)産業廃棄物処理費の増大、公害対策費の増大
などが予測できたと述べています。
 著者は、「これまでの地域開発研究の教訓」として、「内発的発展や地域づくり計画を構想する場合にも、各地域でこれまでの地域の歩みを振り返ってその決算書を作り、こうした歴史分析と現状把握によって、自らの地域個性と地域問題を発見することが不可欠の前提」であると述べています。
 第5章「都市における工業集積と地域政策」では、「日本の地域産業政策の特徴」を、「集権性と画一性」であるとし、「地方自治体は国の補助金や補助事業の書くと句を目指し、地域産業の実態と乖離した画一的な計画を立案し、その結果、政策の実効性を欠き、しばしば地域財政構造の悪化を招く結果になった」ことを指摘しています。
 また、地域への工業集積の契機を、
(1)地域固有の自然環境や資源を活用して地域固有の産業が生成発展するケース
(2)当該地域固有の需要に対応して工業が生成発展するケース
(3)既存企業に従業員として勤務しながら技能や経営管理ノウハウを習得し、それを基礎に独立創業するスピン・アウト型
(4)進出大企業や地場大企業の下請企業として創業し、親会社から技術移転を受けながら治術的蓄積をした技術移転型
(5)戦時期に空襲を避けて、大都市から経営者の出身地に疎開し、戦後そのまま定着した疎開型
の5つの類型に分けています。
 さらに、内発型発展をした工業都市の特徴として、
(1)経済的中枢管理機能が集積していること。
(2)立地企業の多様性。
(3)多様な関連産業が集積して社会的地域的分業体系、すなわち、水平的ネットワークが形成されていること。
(4)独自の販売チャンネルが形成され、販売活動を通じてユーザーや消費者ニーズがダイレクトに集積される仕組みが形成されていること。
(5)地域固有のノウハウの蓄積。
の5点を挙げています。
 著者は、「地域開発政策の転換は、地方自治体の産業政策の再構築を迫っている」として、従来、「産業政策は通産省が主導し、地方自治体はその政策的枠組みの中で地域産業政策を具体化してきた」が、これらは「地域における産業集積の実態に即した独自の地域産業政策」ではなく、今後は、「域外からの誘致政策で花k、既存の地域産業の集積を活用した産業政策の構築が求められる」としています。
 第6章「国土政策の転換と中山間地域経済」では、「中山間」という言葉について、1990年の『農林統計に用いる地域区分』が、「農業地域類型を都市的地域、平地農業地域、中間農業地域および山間農業地域の四つに分け」、「このうち中間農業地域と山間農業地域を合わせて中山間地域と呼称される場合が多い」ことが解説されています。
 第7章「分権化時代の地方公共交通の課題と展望」では、地域交通政策が、基本的な姿勢として、
(1)生活交通の充実
(2)交通容量の拡大から交通需要の管理への政策転換
(3)交通における社会的公正の確保
(4)交通行財政の制度改革
(5)交通政策策定・推進のための住民参加システムの創設
などが重要であり、「国民の交通憲章」を制定し、
(1)交通権の保障
(2)歩行権の保障
(3)人間と環境にやさしい交通
(4)平等で、安全で、文化的な交通
(5)高速自動車道路優先から生活向上と公共福祉の交通への転換
(6)道路特定財源の公共交通整備費への転換
(7)総合的な環境税の導入
(8)その他
の8点が、「明確に規定されるべきである」ことが述べられています。
 第8章「創造都市の経済と財政」では、「ポスト・フォーディズムのフレキシブル・スペシャリゼーション」として定義されるボローニャ市の都市産業システムの発展について、
(1)模倣と補完
(2)生産の分権化
(3)専門特化
の3つのメカニズムを指摘しています。
 そして、「ボローニャ経済の成功物語の要因」として、
(1)革新的創造的文化の集積を土台として大学や各種の技術学校を核とした技術やノウハウの普及、熟練労働者の育成によってフレキシブルな生産システムが形成される。
(2)地域内の多様な消費財生産を支える生産財(エンジニアリング)産業が発展することにより、域内産業連関の形成と顧客ニーズ対応型ノウハウの継承が行われる。
(3)各種協同組合、職人企業連合体などの非営利組織を通じたネットワークの形成が、「競争と協同」の理念を実現し、地域社会の連帯を強固なものとする。
(4)さらに零細企業を支えるERVETシステムなどの効果的な公共部門の支援システム産業政策が展開され産業社会のセーフティネットを形成する。
の4点を挙げています。
 第9章「韓国における都市化と都市構造」では、「韓国の国土構造は日本と類似しているだけでなく、開発政策でも大いに日本を参照し、各種制度も日本と似ているところが多い」とした上で、韓国の国土の都市構造が、「『先進国』的な特徴と発展途上国的特徴の両方を持っている」ことを指摘しています。
 第10章「英国の過疎地域の動向と過疎政策」では、「日本の過疎地、中山間地域に該当する栄光の条件不利地を取り上げ、地域・国土計画でこれがどう位置づけられ、対策がとられてきたか」を論じています。
 そして、
(1)過疎地では第1次、第2次産業の大きな比重低下に第3次産業が取って代わっていること
(2)その中でも観光、レクリエーション、ツーリズムが目立つこと
(3)農林業の従業者比重は小さくなっているが、地域保全の面から従前にもまして重要となっていること
などが指摘されています。
 第11章「地方分権化と地方自治体の財政政策」では、「今日の財政改革のあり方を検討しつつ、今後の分権型社会の実現に向けて望まれる政府間財政関係を中心とした改革方向と、新たな地方行財政ステムのあり方」について論じています。
 著者は、「21世紀に向けた地方財政自主権の確立のためにどのような方策が望まれているか」として、
(1)地方財政危機の克服と分権化時代の地域経済の再生に向けて、日本経済と地域経済の回復・再生、住民参画と地域文化の活性化を含む内発的発展が必要である。
(2)地方財政自主権の確立と住民自治のあり方について、地方分権一括法案の個々の中身については問題点が残されている。
(3)地方財政県の確立と地方税源充実のための方策が望まれる。
(4)地方財政における大型プロジェクトの企画、策定、実施への住民参加の制度化が必要となる。
(5)従来の公共事業偏重型財政から真の福祉型財政への転換が必要である。
の5点を挙げています。
 第12章「大規模プロジェクトと地方行財政」では、日本版PFIの特徴として、「目先の景気対策としての色合いが強いこと」などを指摘しています。
 第13章「災害問題と地方行財政」では、「災害の都市化」として、
(1)開発成長主義の都市形成は、環境やアメニティを破壊し、地域の共同体の崩壊と安全の軽視を生み、都市問題を加速する。
(2)住民の棲み分けが増え、災害の階層性が構造化する。
(3)社会資本の破損や機能マヒによって、住民の生活困難が深刻化する。
(4)被害が複合化し、災害が長期化する傾向が強まる。
(5)都市化の進展は地域のコミュニティの崩壊と弱体化を生み、地域の災害対応力を低下させる。
の5点を指摘しています。
 また、日本の災害対策制度の特徴として、
(1)災害対策における国の責任のあいまいさ。
(2)被災者個人の対策は不十分で、人間の尊厳や生存権などの基本的人権を保障する観点に乏しい。
(3)防災予算の優先順位が低い。
(4)長期化災害に対する防災対策の欠落。
の4点を挙げています。
 さらに、阪神大震災によって鮮明化した災害対策の地方行財政システムの改革課題として、
(1)災害対策における国の責任を明確にする。
(2)増加する災害対策予算を予防対策にシフトさせ、かつ事業の計画と執行は、地方自治の理念に基づき自治体と住民を主体とすることを原則とすべき。
(3)災害発生後の応急対策は、救助内容の拡充、国の財政支援の強化、運用の柔軟性を保障する。
(4)災害復旧にかかる国庫補助金の産業基盤優先的性格を早急に改め、かつ中長期的には、より分権型の財政構造に改革する。
(5)災害復興については、全国レベルの恒久的な災害復旧基金を予め制度化しておく。
の5点を指摘しています。
 第16章「地方分権への税財源構想」では、「税財源の地方以上と自治体財政自主権の強化を図るとともに、公共土木事業にかんする国庫補助負担金制度の廃止を実現して、公共投資依存体質=土建国家体質からの脱却を図る」必要性を述べた上で、著者がかねてから提案してきた改革案として、
(1)所得税と住民税を共通税化し、地方自治体が課税・徴収することとする。
(2)課税ベースや税率の決定については、当初は国と地方による共同決定方式によるが、次第に地方に権限を移す。
(3)共通税の配分は、地方6対国4の割合とし、地方自治体から国に逆配分する。
(4)法人住民税についてはすべて国税化し、その7割を地方交付税の財源として地方に再配分する。ただし、法人事業税については、自治体サービスに対する応益課税として存続させ、何らかの外形標準課税化を図る。
の4点を挙げています。
 本書は、国のあるべき姿という大所高所から論じる分権論が多い中で、地域経済という観点から分権化を論じたボトムアップな一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の出版元であるナカニシヤ出版には、どうも心理学に強い、というイメージがあって行財政関係の本は珍しい気がするんですが、単にこちらの本のセレクションが偏っているのか、出版社の傾向が偏っているんでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・地域経済の視点から分権のあり方を考えたい人。


■ 関連しそうな本

 西尾 勝 『未完の分権改革―霞が関官僚と格闘した1300日』 2007年04月09日
 石見 豊 『戦後日本の地方分権―その論議を中心に』 2007年02月09日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 松本 英昭 『新地方自治制度詳解』 2007年03月12日
 持田 信樹 『地方分権と財政調整制度―改革の国際的潮流』 2007年03月14日
 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日


■ 百夜百マンガ

暴力の都【暴力の都 】

 当時、各局が夜のニュース番組に個性派キャスターを登板させて視聴率戦争をしていました。そんな世相を反映した作品でしたが、若干作画の力不足というか平板な演出の感じがしました。

2007年4月25日 (水)

クリティカル・シンキングと教育―日本の教育を再構築する

■ 書籍情報

クリティカル・シンキングと教育―日本の教育を再構築する   【クリティカル・シンキングと教育―日本の教育を再構築する】(#825)

  鈴木 健, 竹前 文夫, 大井 恭子
  価格: ¥1995 (税込)
  世界思想社(2006/11)

 本書は、「意識的に観察や分析、推論をし、一定の標準に照らして評価すること」と定義され、米国では、「双方向の会話を生む考え方を育む方法」として30年以上前から教えられている「クリティカル・シンキング(批判的思考)」と呼ぶ手法について解説しているものです。
 第1章「クリティカル・シンキング教育の歴史」では、世界的には、「自ら考える力のある前向きの子供たちを育てるための処方箋としてクリティカル・シンキングが多くの国で採用」されていることを紹介し、「なぜ今そうした教育が必要とされているか」について、
(1)教育の目的は、知識を教え込むのではなく、子供一人一人がもともと持っている創造性や才能を伸ばすことである。
(2)しばしば、社会には正しい答えを一つに決めることができない問題が存在する。時には、常識を疑ってみることも大切である。
(3)個人は独自な存在で、異なった考えを持っていることは当然である。
の3つの理由を挙げています。
 その上で、クリティカル・シンキングを、「狭量で決まりきった一つの解釈や知識に対して、独自の解釈や異なった理解の可能性を開こうとする態度」であり、「情報や知識を複数の視点から注意深く、かつ論理的に分析する能力」であると解説しています。
 また、クリティカルに考えるための基本モデルとして、
(1)査定:何が問題なのか、何がなされるべきかを決定留守。
(2)診断:問題解決のプロセスに必要なデータを収集する。
(3)計画:何がなされるべきかを熟考する。
(4)施行:プランを実行に移す。
(5)評価:目標が達成されたかどうかの決定を下し、もし結果が納得のいくものでなければ、プランを修正する。
の5点を挙げています。
 第2章「日本におけるクリティカル・シンキング教育」では、「多様化した学生を抱えて学部教育の新しいあり方を探らなければならない日本にとって説得的な説明」として、アメリカに登場している「四つのC]、すなわち、
(1)Communication
(2)Critical Thinking
(3)Creativity
(4)Continuous Learning
の4点を挙げています。
 そして、「これからの日本は、文明の衝突から対話へと視野を広げ、異なった文明の共存を考えていかなければ」ならず、「その対話の一助となるCT教育であってほしい」と述べています。
 第3章「クリティカル・シンキング教育の現状と将来」では、「コミュニケーションについて学ぶ意義」が日本の教育界にも浸透しつつあり、日本の大学において近年コミュニケーション学科新設ラッシュが起こっている理由として、
(1)教養教育の行き詰まり
(2)現代社会におけるコミュニケーション教育の重要性が、日本でも認識されるようになってきた
(3)「大学・冬の時代」に向けて、関係者が切実に感じている魅力あるプログラムの構築
の3点を挙げています。
 また、日本の指導者層に、「言葉によって人を説得し、社会を動かす」コミュニケーション技術の習得が急務となっている理由として、
(1)政治家は、積極的に国民に語りかけることで彼らを説得し、世論を形成していくことが必要になってきている。
(2)これまで中央が政策を押し付けて済ましていた行政の問題に、地方の人々が反旗を翻すようになり、住民投票や条例制定の直接請求といった新しいしくみによって、地域住民が行政に直接介入するようになった。
(3)マスメディアが「公的政策決定を議論する場」として機能していないことに対する強い不満。
の3点を挙げています。
 第4章「クリティカルに読み解く」では、「誰にでもできるのが当たり前の行為」と思われがちなリーディングを、「理解のメカニズムを把握した上で練習すれば、能力を伸ばすことができるスキル」と位置づけ、「そうした技術を身につけてはじめて、クリティカル・シンカー(批判的・検証的にものごとを考えられる人)への道が開ける」と述べています。
 そして、英文を題材に、辞書を引き引き苦労して精読するのではなく、「英文を読む目的に応じて、その読み方も変えるべき」であるとして、
(1)Scanning(飛ばし読み):「ざっとみる」あるいは「走り読みする」の意味。
(2)Skimming(要点を押さえる読み方):「要点だけをとらえて読む」、あるいは「ざっと(表面に)目を通す」の意味。
(3)Intensive reading(精読):文章の展開や理由づけにも気を配って、内容を完全に理解するための読み方」。
(4)Extensive reading(多読):「あるテーマについて、広く情報を得ることを目的とした読み方」。
の4つの読書法を目的に応じて使い分けることを解説しています。
 さらに英文の構造として、「英文では、第1センテンスに書くパラグラフのトピックを提示することが多く、そこだけを拾い読みしても全体の内容を把握できる」ことを挙げ、「そのパラグラフの内容を提示している文」をトピック・センテンスと呼ぶことを解説しています。
 また、「一つ一つのパラグラフこそが、書き手のアイディアの単位」であるとして、「パラグラフ・リーディング」の技術を身につける必要を述べ、主なパラグラフの種類として、
(1)Topic Paragraph(トピックk・パラグラフ)
(2)Need Pragraph(必要性パラグラフ)
(3)Information-Giving Pragraph(情報提供パラグラフ)
(4)Discussion Pragraph(検討パラグラフ)
(5)Key Pragraph(キー・パラグラフ)
(6)Proof Pragraph(証明パラグラフ)
(7)Exsample Pragraph(具体例パラグラフ)
(8)Summary Pragraph(サマリー・パラグラフ)
の8種を解説しています。
 さらに、「積極的な読み手」を、「論の展開や理由づけの確かさにも気を配りながらテクストを読める人」と定義し、
(1)何が重要なアイディアなのか
(2)まとめと結論は何か
の2つの条件が「考えながら読む人」に必要であり、その上、クリティカル・リーダーになるためには、
(3)どのような説得の材料が用いられているか。
(4)自分はどのような評価を与えるべきか。
が必要になると述べています。
 そして、「テクストの中の説得の材料」を知ることが、叙述的な分析をする必要性があるとして、
(1)テクストの「目的」(purpose)を知る
(2)テクストの「論調」(tone)を知る
(3)テクストの「構造」(structure)を知る
(4)テクストの「読み手」(reader)を知る
(5)テクストの「筆者のペルソナ」(persona)を知る
(6)テクストの「補足資料」(supporting materials)を知る
(7)テクストの「レトリック戦略」(strategy)を知る
の7点を挙げ、この分析の観点を用いて、尾崎豊の「卒業」の歌詞を分析しています。
 第5章「クリティカルにエッセイを書く」では、「エッセイ・ライティングの完成に至るまでの各プロセスにおいて、クリティカル・シンキングがどのようにライティングと関わっているのか、そして、ライティングの様々な作業を通して、以下にクリティカル・シンキングの力が強化されていくのか」を論じています。
 著者は、「単に正しいか間違っているかを判断するだけの思考体系、さらには情報さえ手に入ればよいと考える態度のままでは、次世代の行く末が不安」であり、「こうした現状を打開し、真に自分で考える能力を身につけた次世代を育てていく」ために必要な方策の一つとして、「作文=文章を書く」という知的作業の活用を挙げています。
 そして、エッセイ・ライティングのプロセスとして、
(1)テーマについて考える(thinking)
(2)書く(writng)
(3)推敲する(revising)
の3つの段階があることを述べています。
 また、自分の考えや意見を述べる文章を組み立てる上で、実社会での論証を反映させて生み出した「トゥールミン・モデル(Toulmin Model)」が参考になるとして、
・データ
・理由付け
・留保条件
・裏づけ
・主張
・限定条件
の6つの要素を挙げています。
 第6章「クリティカルにディベートする」では、ディベートを「1つの論題に対して、対立する立場を取る話し手が、聞き手を論理的に説得することを目的として議論を展開するコミュニケーションの形態」と定義し、教育訓練としてのディベートの効用として、
(1)批判的施行の力がつく
(2)論旨を組み立てる力がつく
(3)問題解決意識が身につく
(4)社会的な問題に対する関心が高まる
(5)学生が自信を持つ(特に人前で話すことについて)
の5点を紹介しています。
 第7章「クリティカルに異文化を読み解く」では、「クリティカルな異文化問題理解能力」を、
(1)態度:共感、内政、保留、相対化・複合化、差別・偏見・ステレオタイプ
(2)知識:文化、異文化・自文化・高級文化、生活文化、地理・歴史
(3)技能:情報処理、言語処理、分類・整理、分析、批判的思考
の3つの領域に分類・整理しています。
 第8章「クリティカルに日本を考える」では、国内外での日本語学習者数を、国際交流基金の海外日本語教育機関調査での235万人に、テレビやラジオ講座を加えると数百万人にのぼるとした上で、その目的を、
(1)日本語そのものを学習するため
(2)何らかの目的を達成する手段として
(3)その他
の3つに大別しています。
 本書は、教育を切り口にしていますが、クリティカル・シンキングを学ぶ機会がなかった社会人にとっても重要な示唆を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で一番実用的だったのは、第4章の「クリティカルに読み解く」でしょうか。本章では、英文の読み方を解説していますが、同じことは、英文を元にした翻訳書にも使うことができます。
 このように体系的に整理されると、自分が本を読むときの読み方も、このような手法によっていることが分かります。その意味では、一番「読み解く」のに時間がかかるのは日本語で書かれた小説で、むしろ英文の学術論文の方が(もちろん内容が難しすぎて理解できないことは別として)読みやすいことが分かります。


■ どんな人にオススメ?

・クリティカルに世の中を見る目を持ちたい人。


■ 関連しそうな本

 苅谷 剛彦, 西 研 『考えあう技術』 2006年06月30日
 穂坂 邦夫 『教育委員会廃止論』 2006年01月26日
 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 2005年09月07日
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 2005年07月13日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年06月23日
 ドナルド・R. キンダー (著), 加藤 秀治郎, 加藤 祐子 (翻訳) 『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』 2006年06月19日


■ 百夜百マンガ

B.B.フィッシュ【B.B.フィッシュ 】

 13歳でデビューした早熟な天才漫画家。当時の価値観と言うかかっこよさを引きずり続けている感じはしますが、読者も一緒に歳をとっているので、80年代のかっこよさを保存し続ける、ある意味タイムカプセルとも言えなくもないです。

2007年4月24日 (火)

政府会計の改革―国・自治体・独立行政法人会計のゆくえ

■ 書籍情報

政府会計の改革―国・自治体・独立行政法人会計のゆくえ   【政府会計の改革―国・自治体・独立行政法人会計のゆくえ】(#824)

  山本 清
  価格: ¥4725 (税込)
  中央経済社(2001/07)

 本書は、「政府会計を政府の経営システム改革の中に位置付け、どのような論理から会計システムの改革が国際的に進行しており、わが国の改革に欠けているのは何かを明らかにする」ことを目的としているものです。
 序章「政府会計の改革に向けて」では、「アカウンタビリティ(Accountability)と会計(Accounting)は、そのスペルに明確に現れているように密接な関係にあるというより、むしろ会計はアカウンタビリティを担保するシステムとして表裏一体のもの」であり、「結果について合理的に説明するには、記述的・定性的な情報より体系的・客観的に要約された情報と結果に関する関与について明らかにすること」が要求されていると述べています。
 そして、「アカウンタビリティと効率向上に対して、会計が何を果たさねばならないか、どのように機能するのかと同時に、第三の機能として利害調整や協調関係の確立・維持に何ができるかを明らかにしようとする」ことが本書の目的であると述べています。
 第1章「政府会計の発展の多様性と共通性」では、政府会計の目的・機能を、
(1)民主的統制とアカウンタビリティの確保
(2)資源管理の改善
(3)マクロ政策に資する情報提供
の3点に要約しています。
 第2章「会計システムの変革モデル」では、三重県の改革の事例を取り上げ、外部圧力として、北海道庁のカラ出張等による不正経理事件と、地方債の償還費が年々財政を圧迫しVFMを求める業績圧力が高まってきた(ただし、他の都道府県に比べるとむしろ健全であった)ことを挙げ、内部圧力として、民間の経営手法の導入と県庁組織の分権化を目指した北川前知事による経営システム改革を挙げています。
 また、今後の課題として、
(1)わが国の地方政府改革はいまだに進展中であり、特に会計システム改革は評価システム導入の次の政策として提案されているため、その効果について継続的に観察していく必要がある。
(2)本章で提示したモデルをわが国以外の他の諸国に適用して、その頑健性を検証すること。
(3)NPMと会計の関係を、サブシステム段階で詳細に検討すること。
の3点を挙げています。
 第3章「会計システム改革の国際的動向」では、会計システム変革の国際的動向について検討し、「現金主義から発生主義会計への以降は、単に会計技術の問題でなく政府の経営や改革で重視する内容により、アカウンタビリティ志向、マネジアリズム志向及び統合志向があること」を明らかにしています。
 第4章「財政制度改革と政府会計」では、各国の財政制度について、「米国にみられるように欧米諸国には、わが国のように歳入と歳出を同時に均衡させた形式で承認して予算とする方式でなく、歳出についてのみ歳出承認額(限度額)を与える方式があり、発生主義予算も歳入予算を除いた歳出予算のみに適用されることがあることに留意」すべきことが述べられています。
 またニュージーランドの予算制度について、「アウトプットコストを財源措置する点でアウトプットを供給する側の裁量性を認め、効率性を向上させるとともにアカウンタビリティも確保しようとする契約構造として評価できる」としています。
 著者は、各国の公会計制度の改革概要及びニュージーランド政府の財務改革から得られる教訓として、「会計制度の改革を決して独立の制度改革と位置づけるべきでないこと」すなわち、「予算制度、政府の経営システム及びアカウンタビリティ構造の改革の視点から、会計システムに何が必要かを明らかにし、会計制度の会アックと他の関係システムとの整合性・相互補完性が維持されねばならない」と述べています。
 第5章「ストックの管理と政府会計」では、政府の貸借対照表の機能を、
(1)アカウンタビリティの向上
(2)資源管理の改善
(3)財政・経済政策への活用
(4)議会統制の向上
(5)情報開示の改善
の5点に要約しています。
 また、わが国の貸借対照表の位置付けと利用については、「大統領制で三権分立が徹底している米国と議院内閣制で与党と内閣が一体となる行政優位のわが国で、同じモデルを採用することは政府経営に関して慎重な検討が必要である」と述べています。
 さらに、政府会計改革の課題として、
(1)リスク分析やVFM評価の技能と標準化
(2)予算統制の確保方策
(3)予算・会計制度の改革
の3点を指摘しています。
 第6章「政策評価と予算・会計」では、予算の目的・機能として、
(1)政府活動の経済的成果の事前測定
(2)財務資源の調達・統制
(3)アカウンタビリティの確保
(4)資源の効率的配分と利用
(5)利害調整
の5点を挙げています。
 そして、現在の行政改革の主流になりつつあるNPMにおける予算と評価のリンケージに関して、
(1)政策階層のレベルに応じた3つのマネジメント・サイクルに関して、予算と評価の連動を考慮する必要があること
(2)成果志向の行政を実現するには、内閣レベルのサイクルにおいては予算編成は施策のアウトプットの量と質に焦点を当てること、このためには発生主義による予算編成と会計報告が必要なこと
(3)施策と事務事業の整合性を確保しつつ、予算で認められた額と目的の範囲内で施策の実施方策である事務事業の権限と責任は各省庁に委ねること。
(4)予算編成の政治的過程の特性を踏まえ、評価の経済的合理性を過度に追求せず、アウトプットにかかるサービスの質に関し満足度調査等のソフトな評価手法も活用して利害関係者の調整や合意形成に活用すること
(5)単年度の予算編成におけるモニタリング的評価の活用と戦略的計画に合わせたプログラム評価を併用すること、後者ではアウトプットだけでなくアウトカムの評価も行うこと
5点に要約しています。
 第7章「政府の経営と管理会計」では、ABC(活動基準原価計算)について、「単に適正な原価の算定」という機能にとどまらず、「財・サービスの供給と顧客を供給側の活動を通じて結びつけるシステムであるため、原価がどのような活動により発生しているか及びサービスの質と原価の関係を明らかにすることができ、いわゆるWhat If分析を可能にする」と述べています。
 また、海外の事例の導入について、「集権的で投入志向の行政管理が行政改革を通じて変革されれば、自主的・内発的にコストや質を比較する必要性が生じてくるからABCやBCSあるいはその基盤としてベンチマーキングが活用されることは自然な展開である」と述べています。
 第8章「独立行政法人の経営と会計」では、独立法人制度について、「財務面に限定しても自立性、自発性を備えた法人として制度設計がなされているとは必ずしも言えない」と指摘した上で、
(1)中期目標は独立行政法人でなく主務大臣が設定することになっているから、法人はこれを受け入れるほかない。
(2)運営交付金については自律的な財源措置及び使用が認められているが、施設費等については公債発行対象経費に含まれる限り、財源措置は主務大臣及び財務大臣の裁量にゆだねられる。
の2点を挙げ、「独立行政法人の行う業務には一部について自立性を認めただけで、府省は企画立案と同時に当該法人の行う業務についても自ら主体的に行うことになる」と指摘しています。
 著者は、「成果の測定が比較的容易な行政サービスにおいても、業務運営の自律性は独立行政法人の第一次目的とされた組織的独立性だけでは不十分であり、経常的原資である運営費交付金についてのみ自立性と主体的な意思決定が認められているにすぎない」ため、「業務運営の成果及び計画自体に当該法人で管理不可能な要素が影響し、本来の自律的な活動保障を通じた効率と質の向上やアカウンタビリティの強化も不完全なものになる危険性が高い」と述べています。
 第9章「財務情報の公開と政府会計」では、「行政の効率化と同時に受益と負担の関係から行政サービスを見直すこと」が必要であり、「特に地方政府のサービスは費用と便益が地域内で尾ほぼ完結するため、財政情報を公開することにより、住民がサービスの質と量を選択するシステムを構築することが可能である」と述べています。
 第10章「政府監査の機能と効果」では、民主的統制にとって、「政府全体にマネジメント・サイクルの視点」が必要であると述べ、各国のSAI(Supreme Audit Institution, 最高会計検査機関)の組織的性格について、
(1)議会付属型:米国GAO
(2)司法型:フランスCDC
(3)独立型:日本BOA
(4)独立型に近いが司法官的組織:ドイツBRH
(5)議会と緊密な関係ながら議会から独立して監査活動を実施:英国NAO
などのように類型化しています。
 第11章「政策評価と会計検査」では、ニュージーランド以外のNPMを推進している諸国のSAIが、「いずれも政策・施策評価への拡充を図っている」ことについて、
(1)MPMの理論的前提を所与としても、供給者(政策の執行・実施者)の設定する計画目標及び業績指標が適正でない場合があり、このときには、行政府から独立した外部機関が妥当性を検証するとともに修正を勧告することが必要である。
(2)NPMでは、供給者はその実施する政策の枠組みに制約されて裁量性を有し、業績向上を図る構造をもっており、政策の枠組みの検討は、行政府から独立した機関が実施する以外ない。
(3)NPMの前提である市場原理や顧客志向が機能しなかったり、不適切なサービス部門がある。
の3つの側面から妥当であると述べています。
 第12章「政府監査と行政改革――米国のGAOを例にして」では、1993年8月に成立したGPRAについて、「政府の政策が何を行っているか、目的を達成しているかを測定し効率性・友好性を向上し、アカウンタビリティの改善を目指す」ことを目的にしたものであることが解説されています。
 著者は、その供給と課題として、「GAOのGPRAをめぐる活動はGPRAに規定された責務を超えて行政改革を推進するため大きな精力を割いている」ことを挙げ、わが国の会計検査院の活動の見直しを提言しています。
 第13章「政府監査の将来展望」では、会計検査のインパクトが小さい理由を、
(1)内部的要因:会計監査の伝統的アプローチに起因し、「明らかに無駄が発生していると検証できるものを探し出すことに重点が置」かれている。
(2)外部的要因:議会の側で利益供与型政治を志向する議員が多くなる場合に、評価の検査結果の高需要の委員会は中位需要の議会より生産を非効率に統制しても算出水準を高めようとするため、モニタリングや非効率を指摘する監査、評価の限界価値を議会全体より低くする。
の2点から分析しています。
 本書は、政府の会計制度や監査制度の新しい潮流を押さえておきたい人にはお奨めの一冊です。


■ 個人的な視点から

 公会計改革の本ということで、テクニカルな記述を中心としたもの、という先入観を抱きがちですが、本書は、行政学や政治学の視点から公会計改革の意味を追っているという点で、「公会計改革ってバランスシートのことだろ? あんなの手間だけかかって意味ないよ」という単細胞の方にも分かりやすい一冊ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「公会計改革=バランスシート」と思っている人。


■ 関連しそうな本

 桜内 文城 『公会計革命―「国ナビ」が変える日本の財政戦略』 2005年02月28日
 石原 俊彦 『地方自治体の事業評価と発生主義会計―行政評価の新潮流』 
 山田 真哉 『さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学』 2005年08月19日
 石原 俊彦, INPMバランススコアカード研究会 『自治体バランス・スコアカード』 2005年11月01日
 ポール・R. ニーヴン 『行政・非営利組織のバランス・スコアカード―卓越した組織へのロードマップ』 2006年07月12日
 ロバート・S. キャプラン, デビッド・P. ノートン (著), 吉川 武男 (翻訳) 『バランス・スコアカード―新しい経営指標による企業変革』 


■ 百夜百マンガ

G-HARD【G-HARD 】

 「ヤンキーもの学園漫画家」からのイメージ脱皮を図りつつ、ハード路線に転じるも、どうしてもこの絵だと、いざというときには「友情」で大逆転しちゃいそうな気がしてしまってハラハラしません。

2007年4月23日 (月)

白洲次郎 占領を背負った男

■ 書籍情報

白洲次郎 占領を背負った男   【白洲次郎 占領を背負った男】(#823)

  北 康利
  価格: ¥1890 (税込)
  講談社(2005/7/22)

 本書は、第二次大戦敗戦後、吉田茂の側近としてGHQとの交渉に当たり、マッカーサーさえ叱り飛ばし、「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれた男、白洲次郎に惚れ込んだ著者が描いた評伝です。
 神戸一中時代までを描いた「育ちのいい生粋の野蛮人」では、旧制中学の最上級になったときに、父・文平から、ペイジ・グレンブルック1919型という米公社を買い与えられたことや、中学時代の友人の今日出海(作家、文化庁長官)から、「背が高い・訥弁(どもったらしい)・乱暴者・かんしゃく持ち」という印象を持たれ、「育ちのいい生粋の野蛮人」と評されたことが語られています。
 イギリス留学時代を描いた「ケンブリッジ大学クレア・カレッジ」では、「僕は手のつけられない不良だったから、島流しにされたんだ」という本人の言葉が紹介されています。また、ケンブリッジでは、「君の答案には、君自身の考えが一つもない」と低い点をつけられ、「これこそオレが中学時代疑問に思っていたことの答えじゃないか!」と喜び、次の試験では自分の意見を存分に書いて高得点をもらったことが述べられています。また、小学校教員の初任給が45円程度だった当時、一度に1万円ほども送金があったというエピソードが紹介されています。しかし、留学生活を謳歌していた次郎の元に、昭和恐慌のあおりで白洲商店父さんの知らせが届きます。次郎は帰国後、当時稀少だった欧米をよく知る人材として、日本水産の取締役などを歴任しています。
 政界への接近を描いた「近衛文麿と吉田茂」では、軍部と対立し、開戦阻止に動いていたことから「吉田反戦」をもじって「ヨハンセングループ」と呼ばれ、駐英大使として日本から離れていた吉田と、日本大使館で親交を深めたことが語られ、「吉田とは歳が24も開いていたが、この頃築いたある種の友情がその後の二人の関係を決定づけた。吉田もまた次郎の中に自分と似た資質を見出したのだろう。議論べたで、気が早いため癇癪が先に来て、すぐ"うるさい""ばかやろう"になってしまうところまでそっくりである」と述べられています。
 また、いちはやく日本の敗戦を予期した次郎が、南多摩郡鶴川村の農家を買い取り、「武蔵野国と相模の国の国境にあるから武相荘(ぶあいそう)だ。立派な名だろう」と名づけたことがかたられています。
 「終戦連絡事務局」では、外相に就任した吉田が、「戦争に負けて外交に勝った歴史もある。ここからが正念場だからな」と次郎を引っ張り出し、終戦連絡事務局参与に大抜擢したことが語られています。このことは、次郎にとっても、「舞台は整った。斜に構えることも韜晦する必要もなく、全身全霊でぶつかっていける場所を見出したのだ」と描かれています。
 また、日本語を話すときには、「口の中でこもったようなしゃべり方をする上に吃音も残っていた」次郎が、「英語での喧嘩はお手のもの」で、GHQ民政局長であったホイットニーがお世辞で、
「貴方は本当に英語がお上手ですな」
と言ったときには、
「閣下の英語も、もっと練習したら上達しますよ」
と切り返したという有名なエピソードも紹介されています。
 さらに、GHQに近づくため、初めはミルクマンさえも装い、"Scapanese"と言われていた次郎が、タフネゴシエーターぶりを発揮するに連れ、"Mr. Why"、"Difficult Japanese"、"Sneaking eel"とまで呼ばれるようになったことが語られています。
 GHQに裏切られた友の死を描いた「憤死」では、「あんなに気位の高かった近衛がGHQに振り回された挙句に悲惨な最期を遂げた。哀れでならなかった、悔しくてならなかった」と次郎の心境を描いています。この事件から一週間後の、天皇陛下からマッカーサー家へのクリスマスプレゼントを届けに行った次郎が、マッカーサーに
「そのあたりにでも置いておいてくれ」」
と言われ、
「いやしくもかつて日本の統治者であったものからの贈り物を、その辺に置けとは何事ですかっ!」
と叱り飛ばした有名なエピソードが、「天皇に対する不敬だけが理由」ではなく、「近衛を振り回した挙句死に追いやったマッカーサーの横暴に対する抑えようのない義憤があった」ことが述べられています。
 「"真珠の首飾り"――憲法改正極秘プロジェクト」では、昭和21年2月3日、ホイットニー民政局長を部屋に呼んだマッカーサーが、「象徴天皇、戦争放棄、封建制廃止という三つの原則に則ったものとなるようとくに留意してもらいたい」と憲法改正草案の作成を命じ、この「わずか9日間で憲法を作れ」という極秘プロジェクトのコード-ネームが"真珠の首飾り"と呼ばれたことが述べられています。
 「ジープウェイ・レター」では、GHQを説得するために次郎が書いた、
「マッカーサー案は、日本の固有の事情をまったく顧みない"エアウェイ"(空路)のようなものです。それに対して"彼ら"の案は、日本の狭くて曲がりくねった山道(固有の事情)をなんとかジープで走っていこうとしているわけです。回り道であっても日本の伝統と国情に即した道をとる方が混乱を招かないからです。ぜひ"彼ら"の考えをご理解ください」
と、あたかもGHQサイドからものを見ているかのように、日本人を"彼ら"と呼んだ「ジープウェイ・レター」が紹介されています。
 憲法改正までの緊迫したやりとりを描いた「『今に見ていろ』ト云フ気持抑ヘ切レス」では、「シンボル」という言葉を日本語訳する際に、「井上英和大辞典」を引いて、「象徴」という言葉に決まったやりとりを紹介し、「後日学識高き人々がそもそも象徴とは何ぞやと大論戦を展開しておられるたびごとに、私は苦笑を禁じえなかったことを付け加えておく」と語っていることを紹介しています。
 また、GHQ主導による憲法案を日本政府案として公表するという要求を吉田が受け容れた際に、「次郎には悪いが、"抵抗したんだ"という事実は残った。今回の憲法は独立を回復した後に我々の手で改正すればいい」との思いを持っていたと述べられています。一方の次郎は、一連の憲法改正作業の間自宅に帰れず、「監禁して強姦されたらアイノコが生まれたイ!」と吐き捨てるように語っていることが紹介されています。他方で、憲法について全否定するのではなく、「新憲法のプリンシプルは立派なものである。主権のない天皇が象徴とかいう形で残って、法律的には何というのか知らないが政治の機構としては何か中心がアイマイな、前代未聞の憲法が出来上がったが、これも憲法などにはズブの素人の米国の法律家が集まってデッチ上げたものだから無理もない。しかし、そのプリンシプルは実に立派である。マックアーサーが考えたのか幣原総理が発明したのかは別として、戦争放棄の条項などその圧巻である。押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと素直に受け入れるべきではないだろうか」と語っていることが紹介されています。
 白洲家の系譜をたどった「海賊と儒学者と実業家のDNA」では、綿花貿易で財を成した次郎の父・文平が、『二十世紀の商人白洲文平」と大書した番傘をさして街中を闊歩し、『白洲将軍』と呼ばれたエピソードなどが紹介されています。
 宿敵であるGHQ民政局との戦いを描いた「巻き返し」では、次郎が、「ボクは人から、アカデミックな、プリミティブ(素朴)な正義感を振り回されるのは困る、とよくいわれる、しかしボクにはそれが貴いものだと思ってる。他人には幼稚なものかもしれんが、これだけは死ぬまで捨てない、ボクの幼稚な正義感にさわるものは、みなフッとばしてしまう」と語っていることが紹介されています。
 また、経済安定本部の次長を兼務するようになった次郎が、長官とウマが合わず、大喧嘩の末まったく出仕しなくなり、
「何が"経本"なもんか、"アンポンタン"だから"安本"だ」
と言う言葉が広まったことが紹介されています。
 「ケーディスとの最終決着」では、次郎が蛇蝎のごとく嫌っていた楢橋渡が仕込んだGHQ将校と華族夫人たちとのパーティーをきっかけに、次郎の交渉相手のケーディス中佐が華族の鳥尾子爵夫人とのスキャンダルを起こし、そのことに後ろめたさを持っていたケーディスが、鳥尾子爵からの要請に応じて昭和電工の捜査を命じたことから一大疑獄事件に発展したことが語られています。
 「通商産業省創設」では、「この通商産業省という役所は、実に、ひとりの男の執念が作り上げた"日本復興"の切り札」であり、「GHQとあれほどの死闘を行った次郎からすれば不満かもしれないが、日本の歴史を振り返ってみたときに、白洲次郎という人物の最大の功績は、まさにこの通商産業省を創設したことに尽きる」と評しています。
 また、当時まだ37歳の少壮官僚であった、後に"通産の天皇"と呼ばれるようになる永山時雄を通産省の最初の次官にしようとして固辞されると、当時の官庁にない「官房長」ポストを新設したことが述べられています。
 東北電力会長時代を描いた「只見川電源開発」では、「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門との丁々発止のやりとりや、只見川開発をめぐる東京電力との衝突で見せた、「白洲三百人力」(次郎一人で自由党代議士300人に匹敵する)と称された政治力が描かれています。
 舞台をアメリカに移した「講和と独立」では、後に国務長官を務めるダレスを相手に、「何とかしろなんて無責任なこと言われても責任はもてませんよ。今度政府が国民の信用を失ったら日本は赤化しますよ。それでもいいんですか!」と小気味よい短歌を切った様が描かれています。
 また、講和会議での吉田の演説の原稿を、GHQと相談して英語で書いてきた外務官僚を叱りつけ、「講和会議でおれたちはようやく戦勝国と同等の立場になれるんだろう。その晴れの日の演説原稿を、相手方と相談した上に相手国の言葉で書くバカがどこの世界にいるんだ」と、チャイナタウンで急いで和紙を買い求めさせ、筆で日本語原稿を書き始め、その巻紙の原稿は長さ30メートル、直径10センチになり、各国のマスコミは、"吉田のトイレットペーパー"と打電したことが述べられています。
 「そして日の丸は再び揚がった」では、独立国家に復帰後、次郎が、"天皇の退位"と"吉田の引退"によって筋を通すべきだという持論を曲げず、宮沢喜一は、「当時マスコミで言われた『白洲の側近政治』なんていう批判はまったくあたらない」と語っていることを紹介しています。
 政界を離れ、再び実業界に戻った次郎は、川崎製鉄の千葉工場の建設を通産省を通じて後押しし、四日市旧海軍燃料廠払い下げ問題に関しては、当時、「次郎の伝がなければ入札には入れないというクチコミが広がった結果、次郎の名刺が1枚5万円という異常な高値を呼んだという噂」が流れたことが語られています。
 次郎の遺言をタイトルにとった「葬式無用、戒名不用」では、病床の次郎が、若い看護婦に、
「右利きですか? 左利きですか?」
と尋ねられ、
「右利きです。でも夜は左(酒飲み)」
と真面目に人生最後のジョークを口にしたことが紹介されています。
 本書は、白洲次郎という人物の魅力を伝えると同時に、戦後史に関心を持つきっかけにもなる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、読み物としては非常に面白いのですが、実在の人物や現実の政治的出来事は、あくまで白洲次郎という人物の魅力を引き立てるための脇役・舞台装置として登場しているものであり、その部分は割り切って読まないと、いちいち腹を立てたり、後で恥をかいたりする恐れがあります。
 それこそ、「サラリーマン金太郎」などの本宮マンガに代表される、
・実家は大金持ちだがそれを感じさせない爽やかさ。
・困っているお婆さんを助けたら実は伝説の超大物だった。
・若い頃から「こいつは大物になる」と一度あっただけの人に見出される。
・喧嘩は強いが、その後は意気投合して仲間になる。
などの主人公のイメージにピッタリです。もしかすると、本当に本宮作品の主人公のモデルの一人なのかもしれません。
 ぜひ本書を原作にしてコミカライズしてほしいところです。『勇午』の赤名修の作画なんかだとかっこいいですね。
 ところで、21世紀に入って憲法改正の議論の下地を作るような時期にこの人物が脚光を浴びたというタイミングは、時の政権からの働きかけがあったのではないか、というのは穿った見方でしょうか。何しろ、「パブリック・リレーションズ」に力を入れているだけに、世論形成の手法としては比較的オーソドックスな手法なのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・敗戦後の日本を舞台に「日本一かっこいい男」が活躍する活劇を見たい人。


■ 関連しそうな本

 白洲 次郎 『プリンシプルのない日本』
 春名 幹男 『秘密のファイル(上) CIAの対日工作』 2006年08月24日
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 ジョン・G. ロバーツ 『軍隊なき占領―戦後日本を操った謎の男』
 中村政則 『占領と改革』 2007年03月09日
 天川 晃, 増田 弘 『地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続』 2007年03月07日


■ 百夜百マンガ

ダンダラ【ダンダラ 】

 「かっこいい男」を描かせたら作画としては本宮ひろ志以上にかっこいい男が描ける人です。この人の絵で白洲次郎を描いてくれたらぜひ読んでみたいです。

2007年4月22日 (日)

サイバネティクス学者たち―アメリカ戦後科学の出発

■ 書籍情報

サイバネティクス学者たち―アメリカ戦後科学の出発   【サイバネティクス学者たち―アメリカ戦後科学の出発】(#822)

  スティーヴ・J. ハイムズ (著), 忠平 美幸 (翻訳)
  価格: ¥3360 (税込)
  朝日新聞社(2000/12)

 本書は、「最終的にサイバネティクスと総称されるようになった多方面にわたる諸問題を討議するために、メイシー財団の後援のもと、1946年から53年にかけて開催された一連の学際的な会議」を主題とし、なかでも、「工学者や生物学者や数学者ではなく、心理学と人類学と社会学の研究者に的」が絞られています。
 本書は、「出版論文の背後に存在する書簡や議事録を読み解くこと」で、
(1)当時の研究者たちの生き生きとしてまた渾然とした発想の現場を描き出すこと。
(2)取り上げる学問研究が当時の政治的社会的状況を密接なかかわりを持ちながら進行していたことを示すこと。
の2つの点で当時の時代性に迫ろうとしていると解説されています。
 著者は、会議の2種類の「背景」として、
(1)当時のアメリカ合衆国の一般的な政治状況、具体的には、自然科学と社会科学の様々な学問分野の一般的状況
(2)個々の会議出席者が第1回会議に携えてきた知的好奇心
の2点が、「科学研究への影響力として前景に浮かび上がってくる」と述べています。
 第1章「アメリカ合衆国、二十世紀なかば」では、本書の目的を、「一連の新しい考え方が人間科学に影響を与え、それまであったいくつかの学問分野を変容させ始めたある重要な時点を描きだすこと」であると述べ、「この歴史的な出来事を的確に描写するには、人間科学分野での公表された研究ばかりか、個々人、小集団、そしてもっと大規模な、その出来事が組み込まれた社会的・政治的基盤をもよく調べる必要がある」としています。
 そして、戦争中に共通の科学的関心に基づいてネットワークを造った一団として、
・数学者:ノーバート・ウィーナー、ジョン・フォン・ノイマン
・工学者:ジュリアン・ビゲロー、クロード・シャノ
・神経生物学者:ラファエル・ロレンテ・デ・ノ、アルトゥーロ・ローゼンブリュート
・神経精神医学者:ウォレン・マカラック
・博識な天才:ウォルター・ピッツ
などを挙げ、「このグループの一部が、自分達の概念は工学と生物学に有用だが、もっと全般的な重要性があり、ことによると、人間科学の研究者にとって格別の関心事かもしれない学際的な統合の手段を提供できるのではないか」と言い出したことが述べられています。
 著者は、「科学史、分けても人間科学の歴史における私の見方は、エリート集団の中で互いに語り合い、影響しあい、何が大切か、物事をどう見るか、どんな方向性の進歩が必要かについて相違をまとめ、自分達の集団の資質と威信を利用して何らかの研究領域を前進させるこうした団体こそが、歴史の進行における重要な要素だということである」と述べ、こうした団体における相互作用の研究が、公表された業績本位の歴史では誤って伝えてしまう科学の本質をうまく補って伝えるのではないかと述べています。
 第2章1946年3月8~9日」では、本書が、「1946年3月8~9日にビー区マン・ホテルでメイシー会議のテーブルを囲んでいた集団、すなわちアメリカで人間科学を研究していた人々のうちでも少数の特別な学者たちが、これらの新しい思想の流れをどのように受け止め、それに対応したか」を述べていると解説しています。
 そして、個々から始まる連続会議で公表された考え方を核に、「その周囲を楽観主義が取り巻いて雪だるま式にふくれあがった」結果、サイバネティクスと情報理論は、「それらの中に予告された新しい統合が、人間にまつわるすべてのことに新しい展望を開き、人間と人間性にまつわる周知の薬価な問題の多くを解決する助けとなるよう運命づけられているのだ、という感情」を、参加者の間に生み出したことが語られています。
 第3章「『精神の具体化』を論述する」では、10回連続で司会を務めたマカラックが、「冷徹で有無を言わせない機械論者の典型的イメージにも、専門的技能と能率に取り付かれた人間の典型的イメージ」にもまったく当てはまらず、「自分の自動車の修繕可能な働きを理解するのと同じように、鮮明で、具体的で、明解な、分かりやすい言葉で人間の精神と論理的思考を理解したい」という強い願望を持っていたことが語られています。
 第4章「レインダンサー、スカウト、トーキング・チーフ」では、本書が取り上げているものが、メイシー会議を牛耳った「人間科学者群(クラスター)」であり、他の類似集団を科学史に探すと、17世紀の『見えざる大学」がふさわしいと述べた上で、この人間科学者群を、「ミードやベイトソンが人類学研究で調査したのと同じようなひとつの部族と見なすこと」により、ベイトソンを「スカウト(斥候)」、フランクを「レインダンサー(雨乞いの踊りをする者)」、ミードを「トーキング・チーフ(首長の代弁者)」の役を演じたと提言し、3人とも「実力者集団すなわち、『部族会議』にぞくしていた」と述べています。
 そして、ミードが、「サイバネティクス・グループのような集団について多くのことを考え、また書いた」上、「そのような集団は、生物学のではなく『文化の進化』という観点からきわめて重要」であるという「説得力のある理論的解釈を提供」したと述べています。ミードは、「進化群の最たる特徴は、かけがいのない個人が少なくともひとりは存在することである。そのような個人は、特別な想像力や発想に恵まれているので、その人抜きではその群れがまったく別の性格になる」と解説しており、著者は、「サイバネティクス会議で、ウィーナーは紛れもなくそんなかけがいのない個人であり、ミードはこの集団をひとつの重要な進化群と認めた」と述べています。
 第5章「明解にする論理、あいまいにする論理」では、若い数学者レナード・ジミー・サヴェッジが、サイバネティクス学者の一群に属さず、「会議に参加していた数年間、彼は数理統計学の再定式化に取り組み、『賢明な』決断をするための体系的な手順を解明しつつあった。彼は、現代の統計学的意思決定理論の創始者の中でもひときわ興味深い人物である。主観的な判断を真面目に受け止め、自分の手法に対する哲学的批判にかなりの注意を払った」と述べています。
 第6章「錯乱した精神、芸術家、精神科医の諸問題」では、「サイバネティクス会議の参加者で精神医学に関与していた人びとの見解」が、本書の言う多様な「部族」や忠誠心に由来し、1950年をはさんだ前後数年委という短い期間に、いくつかの見解の相違が現れたことに言及しています。
 また、ベイトソンが、ウィーナーに宛てた手紙から、「彼がメイシー会議から学んだのは、工学理論がその焦点をエネルギーからコミュニケーションと情報へ移しつつあること、そして、フロイト派のリビドーとエネルギーの考え方が精神医学において概念的に誤解を招くように思えるのに対し、メッセージとコミュニケーションは、サイバネティクスの理念が妥当であれば適切だということだった」と述べています。
 さらに、ノーバート・ウィーナーが、「コミュニケーション理論の用語を使って、一方通行のコミュニケーションと不平等を好む社会制度を批判」し、「脳における記憶と、複雑な回路やコンピュータにおける情報貯蔵との類似性を示しながら、ウィーナーは、ショック療法はやはり有害な影響を及ぼすかもしれないが前部前頭葉ロボトミーよりはましだ、それほどの荒療治でないことだけは確かだから」と書いていることを紹介しています。
 著者は、ベイトソンとマカラックとキュビーが、「精神医学にかんする3つのまったく違う観点を代表して」いるとして、
・マカラック:物理的治療を信頼していたが、仮にそれらが失敗しても患者を別の療法でいじくり回してはいけない、なぜなら患者及びその人のやり方は、どんなに奇異であっても不可侵だ体、と主張した。
・キュビー:わずかに修正を施したフロイト派の精神分析を信じ、精神の病気、病因としての個人史、意識の尊重、中産階級の暗黙の価値観を力説した。
・ベイトソン:狂気の医療的というより人類学的・認識論的な視野を試し、観察し、熟考することを好むが、自分の利益のために人々をじかに操ることは慎む。
という3つの考え方を紹介しています。
 第7章「メイシー財団と世界的な精神保健」では、「社会の影響は、何も戦後の政治状況の影響力だけに限」らず、「人間的なあらゆることを語るときは、最も個人的な感情を語る場合でさえ、つねに数理的な形式を与えること、機械でまねること、あるいは他の点で工学になぞらえること」というキュビーの、「精神分析という『女性的』な実践に形を与えよう」とした努力が、「会議での彼の発表に明らかである」と述べています。
 第8章「ラザーフェルド、レヴィン、そして政治の状況」では、サイバネティクスの考え方が、「きわめて多様なイデオロギーの状況に応用」でき、ウィーナーが、それらを使って、「政治的・行政的な権力集中に反対する激しい議論をぶち、相互作用する小規模な共同体の長所を褒め称えた」ことが述べられています。
 第9章「ゲシュタルトからビットへ(その1)」では、当時、「新行動主義がアメリカの心理学会で最も有力な学派」であり、サイバネティクス会議には、「ゲシュタルト学派とその創始者たち」の影響が感じられたことが述べられています。
 そして、レヴィンが、「いくつかの量的な経験的研究について論じたすえに」到達した結論は、「個人が障害に直面してどれくらい早く諦めるかは……以下の3つの要因によって決まる。目的に向かう心理的な力の強さ……実感される目的達成の見込み……その人の責任の度合」という常識にかなったものであったことが述べられています。
 著者は、サイバネティクス会議が開かれていたい数年の間に「レヴィンのゲシュタルト心理学から、バーヴェラスの情報の『ビット』への大きな転換が起こった」として、レヴィンが「自らのアメリカ化の一環」として、「哲学的あるいは基本的なものから応用的なものへと力点を移した」と述べています。
 第11章「メタファーと統合」では、1960年代に、「マカラックはもはや初期のサイバネティクス学者に匹敵するほど影響力のあるどんな科学部族に属していなかった」が、持ち前の冒険心で、「精神と脳」という最も興味をそそられた問題を追い続けたことが述べられています。
 そして、サイバネティクスの用語が、「新たなコミュニケーションとして人気を博し、コンピュータ技術は生活にあって当たり前のものとなり、そのなじみやすさによって、物事を類推するためのイメージと知識を人びとに与えた」が、「全体に、サイバネティクスの言葉は、概念体系とそれに付随するメタファーの例に漏れず、我々の世界と経験の一面をくっきりと浮かび上がらせる代わりに、それ以外の面を隠すという犠牲を強いる」と述べています。
 第12章「当時と今」では、メイシー・グループの何人かが、「伝統的な実証主義や客観主義や行動主義から『社会構成主義』へと立場を変えた」ことが述べられています。
 著者は、「メイシー会議の物語の真意は、『個人の群れ』、集団、小規模な共同体の果たす重要な役割である」と述べ、「メイシー会議は、より大きな動きの一部ではあったが、たしかに人間科学研究の新たな方向、アメリカにおけるあの歴史的な一時期にふさわしい新たな方向を定めた」と評しています。
 本書は、戦後の一時期、科学がその輝きを増した時期の科学者たちの人間模様に光を当てた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の中で、マカラックが研究していた精神障害として、「よくある戦争神経症、一般には『砲弾(シェル)ショック』の名で知られているもの」が紹介されていますが、たまたま、その部分を読んだときに、New Orderの「Shellshock」が流れてびっくりしました。単なる偶然なのですが。


■ どんな人にオススメ?

・現在の世界で当たり前に使っている概念のルーツをたどりたい人。


■ 関連しそうな本

 フロー・コンウェイ, ジム・シーゲルマン (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『情報時代の見えないヒーロー[ノーバート・ウィーナー伝]』 2007年03月25日
 スティーブ J.ハイムズ (著), 高井 信勝 (翻訳) 『フォン・ノイマンとウィーナー―2人の天才の生涯』
 ハワード ラインゴールド (著), 青木 真美, 栗田 昭平 (翻訳) 『思考のための道具―異端の天才たちはコンピュータに何を求めたか?』 2006年01月07日
 トール ノーレットランダーシュ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』 2006年06月18日
 ウィリアム パウンドストーン 『囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論』 2006年09月11日
 ノーマン マクレイ 『フォン・ノイマンの生涯』 2006年11月21日


■ 百夜百音

Antonio Carlos Jobim's Finest Hour【Antonio Carlos Jobim's Finest Hour】 Antonio Carlos Jobim オリジナル盤発売: 2000

 今年で生誕80周年だそうです。「生誕○○周年」と「没後○○周年」と「デビュー○○周年」を組み合わせると、だいたい3年に1回はアニバーサリーイヤーがやってきますね。
 それ自体は別に問題ないと思います。重要なのは、没後何年も商売のネタになることです。それこそ、まだ生きているのに忘れ去られた昔の大スターがごまんといますので。


『おいしい水』おいしい水

2007年4月21日 (土)

一七世紀科学革命

■ 書籍情報

一七世紀科学革命   【一七世紀科学革命】(#821)

  ジョン・ヘンリー (著), 東 慎一郎 (翻訳)
  価格: ¥2625 (税込)
  岩波書店(2005/5/28)

 本書は、「科学をその理論的完成物の面から出なく、つまり内在主義的に眺めるだけではなく、科学は一つの社会的営みあるいはプロセスであるという明確なスタンスを取りながら、そこから様々な政治的、経済的、文化的力学の中にある時代の科学を置いて眺める」というアプローチをとっているものです。役者は、本書が、「入門者が17世紀の科学革命について手っ取り早く俯瞰する上で役立つとともに、科学史研究の難しさとおもしろさをも教えてくれる」と解説しています。
 第1章「科学革命と科学史の記述」では、「科学の発展についての『連続』史観は、過去に協調されすぎたきらいがあるにせよ、有効性を失っていない」という見方が広く意見の一致を見ているとしています。そして、連続主義の主張により、歴史家たちが、「その後重要と分かった事柄を、現在の目から眺めて評価する」といういわゆる「ホイッグ主義史観」の危険について認識するようになったとしています。
 また、「科学史の中で最も知的興奮に満ちた研究分野」として、「専門化された分野と自然哲学との間の相互作用が、片方あるいは両方の陣営の努力によって、新しい知識や実践のみならず、今日の諸科学の分類に近いものを生み出すに至った過程」を挙げています。
 さらに、科学史において、
(1)内在主義者(インターナリスト):科学やその任意の分野を、自己完結的で自立しており、自らの内在的論理にしたがって発展するような思想体系として考える人々。
(2)外在主義者(エクスターナリスト):科学の発展はそれが生まれた時代の社会政治的あるいは社会経済的文脈によって規定されると主張する人々。
との間で激しい論争があり、しばらくすると「折衷主義」と称する蛍光が一般的となり、「折衷主義的アプローチは今日でも大勢を占めているようだ」と述べています。
 第2章「ルネサンスと革命」では、科学革命の特徴として、「自然の知識が人間生活の改善へと結びつかなければならないという態度」を挙げ、この有用性を重視する態度は、「ルネサンス人文主義者の強調した実践的生と公共の福祉の理念から直接来ていると見ることができる」としています。
 著者は、科学革命の特徴を、
(1)自然的世界の働きを理解するのに数学を用いること。
(2)真理発見のために観察と実験を行うこと。
(3)知識の有用性という考え方を自然的知識にまで広げること。
の3点挙げ、「科学革命の起源には、人文主義者の改革思想が主要な地位を占めている」と述べています。
 第3章「科学的方法」では、科学革命の科学革命たる所以は、「科学方法論と考えられるものが発達し確立されたこと」であるとし、
(1)数学と測定を使って世界とその諸部分がどのように働くかを正確に規定するということ。
(2)観察や経験、そして必要とあれば人工的に組み立てられた実験を通して自然についての知識を得ようとすること。
の2つの要素を挙げています。
 そして、コペルニクスが、「完全に抽象的な数学的議論しかしていなかった」にもかかわらず、「地動説がどれほど自然哲学に反していようとも、数学的推論から要請される以上それは真実でなければならない」と強調している点で、「彼は革命的だった」と述べています。
 また、ニュートンの『プリーンキピア』の出版によって、「16世紀に始まった自然哲学の数学家の流れ」が完成したのは、「ニュートンが数学的にも自然学的にもおおよその正解に達したからなのかもしれない」としています。
 さらに、自然誌家たちが、「すべてをより即物的に記載する」ようになった背景には、
(1)ルネサンス人文主義者が観想的生よりも実践的な真に道徳的な優位を置いたこと。
(2)自然誌家が自らを神の第二の書物である被造物の世界を読み解き、第一の書物である聖典を読み解く神学を補足していると考えたこと。
の2つの社会的要因があったと推測しています。
 著者は、「数学的諸学、自然誌、生理学と解剖学、化学、実験装置の進歩といった変化がだいたい同時に起き、それらすべてが科学革命期に経験主義を育んだ」と述べ、「この時期に経験的知識の有効性についての考え方が大きく変容し、実験的方法の誕生が科学革命の大きな特長として挙げられるまでになったことは疑いようがない」と述べています。
 第4章「魔術と近代科学の起源」では、科学革命における経験主義の起源の一つとして、「魔術的な伝統」を挙げています。そして、「科学と魔術が区別されてゆく過程」は、「単にあらゆる魔術的なものが排除されるという単純な過程」ではなく、当時の多くの思想家は、「魔術の不正な使用だけを問題視するべき」と考えていたことが述べられています。
 また、錬金術してもあったニュートンについて、「ニュートンの錬金術研究は、長い間その科学的な仕事とは無関係なものとして片付けられてきたが、近年になりそれが彼の物質理論に影響を及ぼしていることがわかってきた」と述べています。
 第5章「機械論哲学」では、最も忠実な機械論において、説明原意が制限され、「あらゆる現象は数学化された機械学(力学)の基本概念」、すなわち、「形、大きさ、量、運動といった概念」を用いて説明され、「機械論は自然の働きを機械の働きになぞらえる」ものであることが解説されています。
 また、ニュートンとライプニッツの考え方に、「神学、形而上学、自然哲学がからまりあって」おり、「彼らの間の論争もまた、いわば宇宙論的な含意を背景に持っていた」ことが述べられています。
 著者は、「生物を機械論的に説明することには多くの困難が伴っていたが、それにもかかわらず機械論哲学は、数学的力学に関係する問題だけではなく、生命に関する諸学にも同じくらい大きな影響力をもった」とした上で、「デカルトなどにみられる機械論的生理学は、現代の生命科学の起源と考えることができる」と述べています。
 第6章「宗教と科学」では、「科学と宗教は世界の根本心理を理解する上で正面から対立する、相容れない視角であるとする考え方」が、現在でも強く、二つの世界観の間には対立もあるが、「それは事柄の一面でしかない」ものであり、「ガリレオ裁判」は、「相対立する二つの世界観が衝突した結果必然的に起きたとは到底言えない」と述べています。そして、コペルニクス主義及びガリレオの断罪は、「科学的心性と宗教的心性の対立の必然的産物では決してなく、むしろ特定の要因がいくつか重なり合ったことから生まれた事象であった」と指摘しています。
 著者は、「科学と宗教とは根本的に相容れない世界観である」とする考えに対し、「宗教的関心が哲学者デカルトにとって重要な動機であったこと、またその発展の段階からその最終的な形に至るまで、彼の哲学の細部に深く影響したということは疑うことができない」と述べています。
 第7章「科学と文化――より広い視点から」では、「様々な自然科学上の変化のうち、知識の象牙の塔の中だけで完結したものは一つもない」と述べ、「そうした変化が生まれた歴史的コンテキストに目を向けることが不可欠」だとしています。
 そして、「17世紀イギリスにおける実験的方法の発達」に、「政治的な関心が働いた」として、「反乱と内線、政治的に不安定な王位空域、緊迫した王政復古期初期」といった政治的出来事と、イギリスで発達した実権哲学とは、「偶然の一致ではないことが明らかにされている」と指摘しています。
 第8章「結論」では、啓蒙主義の知識人は、「単なるご都合主義、ましてや単なる偶然」から自然哲学を利用したのではなく、「理性と経験の権威に対する揺るぎない確信に支えられ」、「自然主義的な議論の説得力と信頼性をも信じていた」と述べ、「こうした変化の起きた時期が、やがて科学革命期として見られるようになる」と述べています。
 本書は、科学史についての良質な入門書としてお奨めできる一冊です。


■ 個人的な視点から

 通常、学校では政治を中心とした歴史が教えられ、科学や経済は歴史の中での一トピック的に扱われることが多いように感じます(少なくとも自分の経験では)。暗記科目と呼ばれた受験向けの歴史教育では、政治体制の変化を中心に教えていったほうが分かりやすく、「年表」に整理もしやすい。何しろ、多くの場合、歴史は後の政権によって編纂されるので、現在の目から見て都合のよいように整理されていますので、科学や経済のように、あちこちで同時多発的に発生し、様々な思想が並行した状態のまま覚える必要がありません。
 その点で、経済史や科学史の視点から歴史をとらえなおすことは、政治史についても、本来の姿であるその複雑さを受け容れる訓練として適切なのではないかと考えられ、経済や科学への関心や必要性にこだわらず、経済史や科学史に触れてみることは必要なのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・歴史を見る多角的な視点がほしい人。


■ 関連しそうな本

 ピーター アトキンス (著), 斉藤 隆央 (翻訳) 『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』 2006年5月5日
 アルフレッド・W・クロスビー (著), 小沢 千重子 (翻訳) 『数量化革命』 2006年11月18日
 ビル ブライソン (著), 楡井 浩一 (翻訳) 『人類が知っていることすべての短い歴史』 2007年04月08日
 ジャレド ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』 2006年09月12日
 ジャレド ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』 2006年09月13日
 アルフレッド・W.クロスビー (著), 佐々木 昭夫 『ヨーロッパ帝国主義の謎―エコロジーから見た10~20世紀』 2007年01月30日


■ 百夜百音

青春の輝き~ヴェリー・ベスト・オブ・カーペンターズ【青春の輝き~ヴェリー・ベスト・オブ・カーペンターズ】 カーペンターズ オリジナル盤発売: 1995

 70年代のワイルドなロックが全盛だった当時、カーペンターズは優等生ぶってる、ということで評論家からは散々こき下ろされたそうです。
 日本でも、「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきか」なんてことを大真面目に議論していた人たちから、Sugar Babeがボロクソに言われ、ライブで彼らが登場すると盛り下がったそうです。
 いつの時代にも、どの世界にもこういう人たちはいるもんですね。

『シングル・コレクション・ボックス』シングル・コレクション・ボックス

2007年4月20日 (金)

町内会と地域集団

■ 書籍情報

町内会と地域集団   【町内会と地域集団】(#820)

  倉沢 進, 秋元 律郎
  価格: ¥3600 (税込)
  ミネルヴァ書房(1990/09)

 本書は、「西欧の先進国に類例のない」、「地域集団であって、日本の都市社会をとくための最も重要なキーワードのひとつ」である町内会について、日本都市社会学会の第3回、第4回の大会シンポジウムの報告者や討論者による、「この日本社会をとく鍵ともいうべき集団の構造とその変容」についてまとめられたものです。
 第1章「町内会と日本の地域社会」では、一般的に町内会の組織上の特性として挙げられるものとして、
(1)加入単位が個人でなく世帯であること。
(2)全戸の自動または強制的な加入であること。
(3)活動目的が多岐にわたり包括的な機能を持つこと。
(4)業税の末端保管機能を果たすこと。
の4点について解説した上で、さらに、「ごく自明のこととされて多くの研究者が見落としている点」として、
(5)ひとつの地域にはひとつの町内会しかない。
を挙げ、「この排他的地域独占は所与のこととなっているが、他の集団と比べたとき町内会の性格を解く鍵になる非常に重要な点ではないか」と指摘しています。
 また、著者が岡山県の津山で調査を行った出火に対する町内会の対応の例を取り上げ、注意すべき点として、
(1)庁内が単位となって火事に対処する。それも役割分担が非常にはっきりして組織化されている、つまり制度化されていること。
(2)火事が起きたとき、見舞いに人々が駆けつけるのは、火災を受けた家というよりは町内である、ということ。
の2点を指摘しています。
 さらに、商店街のアーケードの修理費を巡る通沿いの商店と路地裏の住民との利害の対立の例を挙げ、歴史的な背景としては、「江戸でもどこでも本来明治以前から引き続いていた町内のルールというのは、表通りに、間口3間なら3間、5間なら5県の店と土地を持っている、そういう人たちの集団として町内というものはあった」ことを挙げ、裏店に住む、「浪人者やあんまや職人」、「後には勤め人たち」は、「本来町内のフルメンバーでなかった」ことを述べ、「町内を構成していたのは、土地持ち・家持ち層だけでなく、裏店の人々も含むが、今日の町内会に当たる町内の寄りあいに出席し、町内の意思決定に参加しうるのは、すなわち町内の正式の構成員としての権利と義務を持つのは、前者だけであった」と解説しています。
 第2章「町内会の歴史と分析視角」では、近代都市・東京の町内会の歴史を、
・第1期:明治地方制度が成立する明治20年代前半期までで、江戸時代の五人組制度を中心とした「町内自治制度」の解体期。
・第2期:大正中頃までの時期で、大都市行政制度が整備・成立していく一方、町内社会の担い手が伝統的産業の自営業者から新たな社会層へと交代して行く時期。
・第3期:町内会の地方的整備の時期で、社会的条件と行政的条件、政治的条件の三つの条件が絡まりあいながら、地方行政を中心とした町内会の整備が進行した時期。
・第4期:中央政府による町内会の整備期で、敗戦まで続き、町内会が官僚制機構の一部に組み込まれていった。
・第5期:占領軍政策下に町内会が「禁止」されていた期間。
・第6期:日米講和条約締結により、町内会禁止の命令が解かれて以降の時期で、伝統的な公私未分化の行政理念が次第に『復活』するとともに、町内会が、これまでとは比較にならないくらい「自主的に」自らの在り方を決めることができるようになった。
の6期に分けて解説しています。
 このうち、第2期については、
(1)明治33年(1900)から組織されていく衛生組合の動向
(2)町内会の結成母体となる町内の「有志団体」の叢生
という二つの注目すべき動きについて解説しています。
 また、第3期については、「町内会形成の前期と、形成された町内会が地方行政の中に確たる位置を獲得していく後期」とに分けることができ、前期については、「町内会の成立とは多くの場合、町内有志団体の全戸加入団体化」であり、「それまでの有志団体が、組織編制原理の変革を行い、町内居住のすべての世帯に門戸を開き、参加を呼びかけた」と述べています。そして、後期については、「社会教育のためだけでなく、総合的な地方行政との関連性を深め」、町内会のあり方を水路づけた要因として、
(1)震災後の区画整理と町名整理が、東京に住む人々を否が応でも、その居住地の町を単位とする問題に関わることを余儀なくした。
(2)大阪で開始され、現在の民生委員の前身に当たる「方面委員制度」の導入という社会福祉政策。
の2点を指摘しています。
 第5期に関しては、昭和22年の内務省発地第39号により、「現在町内会長、部落会長及び同連合会長が行っている行政事務は、本年四月一日までにすべて市、区、町村に移管すること」が決められ、「町内会が行政的な領域から切り離され」、「行政的領域に町内会を関与・動員させることを禁止した」ことが述べられています。これによって、「官」と「私」の関係は、強権的なものから「民主的」なものに少しずつ変わり、占領軍による町内会禁止にもかかわらず、都市に町内会が存続してきた理由として、
(1)占領軍と政府―地方団体との関係:行政の担当者は、町内会を存続させる必要を主張し、「形式的に」従えばいいと考えていた。
(2)地方行政能力の低下:「行政の貧困」が町内会を必要としていった。
(3)生活上の必要性:町内会が、生活物資の配給、地域的な秩序の維持などのために必要であった。
(4)敗戦が地域生活に与えた影響:交通や通信手段が十分でなかったため、人びとの日常生活は、町内を中心とした生活にならざるをえず、人びとの生活上の「地域」を狭域化し、私的な「生活の貧しさ」が生活上近隣の相互扶助を必要とし、そのことが間接的に、町内会を必要とさせていった。
(5)町内レベルのリーダー層の健在性:町内リーダーは多くの場合、町内社会内においては、打撃を受けることがなかった。
(6)大正末から昭和20年までの間に、町内会が自らの存在の「正当性」を都市社会において獲得した。
の6点を挙げています。
 第3章「文化型としての町内会」では、町内会の歴史について批判する側の指摘として、
(1)前近代的集団、あるいは封建的組織であり、五人組を継承するものである。
(2)住民の自主性とは無関係に上から作られた組織、つまり官制団体である。
(3)常に軍国主義やファシズムと結びつく体質を持ち、戦時中の戦争協力のことからもこれは明らかである。
の3点を挙げ、それぞれについて、
(1)町内会は一応五人組とは断絶していると考えねばならない。江戸時代の五人組は、一町内の家主(大家、家守とも言われ借家の所有者ではなく、所有者である地主に委託されて当時店借といわれていた借家人の管理にあたっていたもの)が構成していた組であり、現在であれば、区役所の派出所に当たり、構成員が限定されていた。
(2)町内組織は自然発生的に形成された。
(3)町内会は住民の意識が向かっている方向に動くのであり、日本人の意識の大勢が協力を是としたところから、社会の一部でありそのような意識を持つ人びとの構成する町内会も協力に応じた。
と反論しています。
 第4章「高齢者の都市地域集団関係」では、「町内会をはじめとして高齢者が持つフォーマルな集団加入と参加活動の実態」について分析し、「インフォーマルな諸関係、総合生活満足度との関連を比較都市論的に検討」した結果、
(1)都市高齢者の二類型――久留米型(九州・中都市)と札幌型(北海道・大都市)――が対照的に確認された。
(2)久留米型(九州・中都市)は多様な集団ネットワークを持ち、多方面への展開を通して、生活構造の幅を拡張している。
(3)札幌型(北海道・大都市)は町内会という地域集団に個人のネットワークが収束し、インフォーマルとフォーマルの両生活構造とも縮小ぎみである。
(4)集団参加活動でも「老人クラブ活動」、「学習活動」、「宗教活動」においては、久留米型(九州・中都市)が札幌型(北海道・大都市)よりも積極的であった。
(5)ソフトな都市づくりの主内容を表すコミュニティ形成の観点からは、インフォーマルな生活構造の豊かさに加え、フォーマルな集団加入の多方向性と参加活動の積極性から、久留米型(九州・中都市)に展望がある。
(6)札幌型(北海道・大都市)の高齢化政策課題は、ソフト面の展開にある。
の6点の結果を導いています。
 第7章「コミュニティと地域の共同管理」では、「コミュニティの場に見られる多くの活動(その担い手としての集団)の構成」について、
(1)全戸参加・問題解決型:コミュニティ施設整備、防災、交通安全、ゴミ処理など。世帯単位での協力が求められる。
(2)全戸参加・生活充実型:文化祭、運動会などの親睦、交流。
(3)有志参加・問題解決型:個人ボランティアだけでなく、老人会による独居老人訪問活動、婦人会によるファミリーサービス活動、老人給食など。
(4)有志参加・生活充実型:文化・スポーツクラブなど、個人をメンバーとする活動。
の4つの類型を見いだしています。
 第8章「町内会の機能」では、行政機関との関係で見た町内会機能として、従来から問題とされてきた、
(1)行政補間機能:町内会の行う行政連絡の伝達・募金・調査の取りまとめ、各種委員の推薦などの活動。
(2)圧力集団機能:住民共通の生活要求を取りまとめ、それを行政に伝達し、実現のための圧力行動を行う。
に加え、両機能の中間領域に自立してきた
(3)住民参加機能:行政施策への参加活動を指し、とりわけ行政とのコミュニティ事業における白書の作成、地域の診断、事業計画の作成と実施、施設の建設と運営などに町内会が参加する活動。
を追加しています。
 本書は、すでに出版から20年近くが経過し、必ずしも現在の町内会の実態を表すものではありませんが、町内会についての体系的な理解を得るためのまとまった一冊です。


■ 個人的な視点から

 「隣組」といえば思い出すのは、「トントン トンカラリンと隣組、障子をあければ顔なじみ、まわしてちょうだい回覧板、知らせられたり、知らせたり」という曲です。個人的には、小学生の頃に読んだ「マンガ 日本の歴史」とかいう本の中で歌詞を初めて見た気がしますが、当時はこの曲のメロディは知りませんでした
 この曲が「ド、ド、ドリフの大爆笑」と同じメロディだと気づいたのは30を過ぎてからでしょうか。
 そう考えると、社会的なキャンペーンソングとして、秀逸な例の一つなのかもしれません。
 さらに驚いたのは、この曲がNHKの「みんなのうた」(の前身に当たる「國民歌謠」)から出てきた曲だということです。


■ どんな人にオススメ?

・町内会のルーツをたどりたい人。


■ 関連しそうな本

 金子 郁容, 藤沢市市民電子会議室運営委員会 『eデモクラシーへの挑戦―藤沢市市民電子会議室の歩み』 2005年10月21日
 D. ヘントン, K. ウォレシュ, J. メルビル (著), 加藤 敏春 (翻訳) 『市民起業家―新しい経済コミュニティの構築』 2005年03月15日
 D.ヘントン (著), J.メルビル (著), K.ウォレシュ (著), 小門 裕幸 (翻訳), 榎並 利博, 今井 路子 『社会変革する地域市民―スチュワードシップとリージョナル・ガバナンス』 2005年10月03日
 金子 郁容, 渋谷 恭子, 鈴木 寛 『コミュニティ・スクール構想』 2006年04月06日
 鵜浦 裕 『チャーター・スクール―アメリカ公教育における独立運動』 2006年03月31日


■ 百夜百マンガ

愛がいそがしい【愛がいそがしい 】

 『神童』の映画化のせいか、長らく忘れ去られていた旧作も文庫化されるようです。帯を見てはいませんが、「大ヒット、映画化された『神童』の原点がここにある」とか書かれているんでしょうか。

2007年4月19日 (木)

府県制と道州制

■ 書籍情報

府県制と道州制   【府県制と道州制】(#819)

  小森 治夫
  価格: ¥1890 (税込)
  高菅出版(2007/01)

 本書は、「現在大きな問題となっている、府県製と道州制を巡る論点を整理し、府県制の意義と役割を再評価する」ことを目的とし、府県制の役割について、「広域行政の担い手であると同時に、狭域行政の守り手でもあるという、二重の役割」を論じ、
「府県制を論じる際には、広域化と狭域化の二つの視点から論じることが必要である」と主張しています。
 序章「本書の課題と構成」では、「平成の大合併」に引き続いて、「府県制度廃止=道州制構想」が本格的に登場したことについて、その背景として、
(1)「平成の大合併」の進展により、府県の位置づけや役割が変化して、府県の空洞化が進んでいる。
(2)府県域を超える広域行政の課題が増大する中で、地方分権改革の担い手としては道州がふさわしいなどの、広域行政と地方分権の「受け皿論」
の2点を挙げた上で、道州制導入の論理を、
(1)社会・経済が発展し住民の生活圏が拡大した現在の日本では、明治以来の府県の区域では狭すぎるという素朴な論理。
(2)外交・防衛などの期間課題は国が担い、国民生活関連の行政は地方が分担するという、国と地方の役割分担の見直し。
の2点により整理しています。
 第1部「府県の歴史と行財政」第1章「府県の歴史……戦前期」では、明治地方制度制度化の府県の特徴として、「内務大臣を頂点に、府県を中間、市町村を基底としたピラミッド構造をなすものであり、この中で府県及び国の官吏である知事が中軸とされ、内務大臣に掌握された知事は府県会及び市町村を統制する重要な役割を持つもの」とされ、「この府県は地方団体としての性格を持つが、同時に国の行政区画であるという二重の性格」を有していたと述べています。
 第2章「府県の歴史……戦後期」では、戦後改革による知事公選制の実現、府県の完全自治体化が、「府県が国の行政区画であることを前提として構築されてきた戦前の国家行政機構に、根本的な変革を迫ることとなった」が、「その実現に至る過程での内務省の抵抗は大きかった」ことを解説しています。
 また、シャウプ勧告において、「市町村優先の行政事務再配分と国庫補助金制度の前面整理の方針」が出され、地方財政の問題点として、
(1)市町村、都道府県、中央政府間の事務の配分及び責任の分担が不必要に複雑であり、また、重複している。
(2)上記三段階の統治機関の間における財源の配分が、若干の点において不適当であり、また中央政府による地方財源の統制が過大である。
(3)地方自治体の財源は、地方の緊要経費を賄うには不足である。
(4)国庫補助金及び交付金は、独断的に決定されることが多い。
(5)地方自治体の起債制限は、きわめて厳重に制限されている。
の5点が指摘され、
(1)地方税源の拡充強化
(2)国庫からの交付金の一方的独断的決定の排除
(3)国・都道府県・市町村間の徴税と行政責任の明確化、集中化
(4)必要な財政平衡交付金の設置
の4点からなる基本方針が示されたことが解説されています。
 また、第1次地方制度調査会の答申において、「市町村と府県の性格の区別、府県の国家的性格の強調」に着目し、
 「府県は、本来、その自治事務を処理すると同時に、市町村とは異なり、市町村を包括し、市町村と国との中間に位する広域自治体として、国家的性格を有する事務を処理することをもその任務とすること。したがって、国は、国家的性格を有する事務の遂行に必要な限りにおいて、指揮監督権の行使その他の関与を行うことができるものとすること」
 「府県の性格に鑑み、事務の配分及び出先機関の統合等を促進するため、機関委任及び団体委任の制度並びに地方事務官等の制度を活用するものとすること」
と述べられていることを紹介しています。
 さらに、高度成長期においては、「全国的に地域開発行政が展開される中、府県は中央各省、公団等の下請機関化されることとなった」として、内務省の解体によって、「戦後における中央―地方の行財政システムは、中央各章がその地方出先機関と府県の機関委任事務という二系列で行う、縦割りの行財政システム」となり、このことは、「戦前の内務省とうち方から戦後の大蔵省統治方への転換であり、しかも大蔵省は総枠規制を行うのみで、予算配分の実質的な権限は中央各省が握る」というものであったことを解説しています。そして、高度成長期前期においては、中央各省が地域開発行政を進めるにあたり、
(1)幹線道路、重要間についての管理権限を道路法改正(1964年)、新河川法制定(1964年)によって府県から中央各省へ吸い上げた。
(2)地方農政局の新設(1963年)、地方建設局の強化(1963年)、地方構成局構想(1964年)など、中央各省の出先機関を強化した。
(3)水資源開発公団、愛知用水公団、道路公団、阪神高速道路公団、住宅公団等の各種特殊法人を設立した。
など、「ニューセントラリゼーション(新中央集権的傾向)」と呼ばれ、府県自治の危機が強く叫ばれたことが述べられています。著者は、「結局、府県の役割とは、地域開発をめぐって生じる市町村や住民との間の利害対立や紛争に対処するという、調整機能に過ぎない。このようにして、府県は中央各省、公団等の進める地域開発行政の下請機関にされた」と述べています。
 一方、高度成長後期において、「中央各省が地方出先機関、公団等に仕事を抱え込む傾向から『機関委任事務活用論』に転換」した契機として、1964年の第一臨調「行政事務の配分に関する改革意見」を挙げています。
 第3章「府県の行政」では、1953年に第1次地方制度調査会から出された「地方制度改正に関する答申」(神戸勧告)を紹介し、事務配分における市町村優先の原則を明らかにした上で、府県の事務について、
(1)市町村の区域を越えて処理しなければならない事務
(2)市町村で処理することが著しく非能率または著しく不適当である事務
とし、「府県と市町村とは同等であるとした上で、府県の機能を国と市町村との連絡と市町村間の調整」としていることを解説しています。
 第4章「府県の財政」では、山村勝郎氏の府県財政研究から、府県財政の特徴として、
(1)国の政策により大きく影響される
(2)景気変動に強く影響される
(3)財政投融資化現象が現れている
の3点を紹介しています。
 また、保母武彦氏の研究から府県財政の特徴として、
(1)府県の事務配分は大きいが、財源配分は少ない。
(2)府県の役割は教育費、国土保全及び開発費、産業経済費(農林水産業費+商工費)である。
(3)府県の事務配分は減少し、空洞化が進んでいる。
の3点を紹介しています。
 著者は、これらの研究を踏まえ、府県財政の歳入の特質を、「自主財源である地方税のウェイトは低く、依存財源である地方交付税交付金や補助金のウェイトが高い」理由として、「府県の仕事には機関委任事務が多く、補助事業が中心であったため、補助金や地方交付税などの国からの移転財源に頼らざるを得なかった」ことを挙げています。
 第5章「府県の果たしてきた役割」では、1967年に全国知事会地方行財政調査特別委員会がまとめた『府県政白書』において、戦後の都道府県についての評価を、
(1)行政内容:都道府県の行政内容が都道府県住民の応えるだけ充実しているか。
(2)民主化:行政が都道府県住民の意思と責任によって行われているか。
(3)能率化:行政の執行が能率的に行われているか。
(4)総合化:地域内の行政が総合的に行われているか。
(5)新中央集権化的傾向への対応:都道府県行政が最近の時代の要請である、いわゆる「新中央集権化的傾向」に対応しうるようになっているか。
の5つの視点から、
(1)行政内容:地域的不均衡はあるが、行政内容は充実し水準は向上している。
(2)民主化:団体自治と住民自治の観点から評価して、民主化は推進されている。
(3)能率化:国の地方出先機関や公団等に比べて府県は合理的かつ能率的であり、府県自体の行政能率も向上している。
(4)総合化:都道府県の行政を総合調整して実施するのみではなく、その地域内において中央政府の縦割行政に伴う弊害を是正しながら、中央政府や市町村の事務、公社・公団等の事務等についても総合的に連絡調整するよう努力している。
(5)新中央集権化的傾向への対応:制度上も運営上も積極的に対応するよう努めている。
と評価しています。
 著者は、わが国における府県制度の特質として、
(1)地域総合行政の担い手
(2)広域行政の担い手
(3)産業経済行政の担い手
(4)総合的技術の担い手
(5)市町村自治の守り手
(6)国と地域を結ぶ、集権と分権を統一する日本型の民主的統治形態
の6点にまとめています。
 第2部「道州制構想の変遷」第1章「戦前期の道州制構想」では、1940年代前半に、道州制の根拠として、
(1)中央・地方を通ずる行政事務の全面的再配分、すなわち地方に権限を委譲するための要請。国家総動員体制の進展により、中央官庁の所管事務が激増し、行政事務の中央集権化が進んだ結果、中央官庁は日常的・現業的事務に忙殺されて、重要な国政の企画立案に専念する余裕がなくなった。
(2)行政の現地処理の要請。従来国家統制の対象外に置かれた民間活動などへの統制が強化された結果、国の許可・認可・承認の必要が激増した。
(3)地方行政段階における行政機関の分立による弊害を除去するという要請。
(4)統制経済の要請。食料・燃料などの生活費実需物資の統制が府県を通じて実施され、府県割拠主義、いわゆる「府県ブロック」の弊害が表面化した。
(5)国土計画の面からする要請。大都市に工場が集中し、農村の後輩が問題になったが、国土計画に基づく地方計画の実施には府県では狭すぎた。
(6)内外地を一体とした行政措置の増大に基づく要請。
の6点が議論されたことが解説されています。
 第2章「戦後期の道州制構想」では、第4次地方制度調査会が1957年に行った「府県制度を中心とする地方制度の根本改革についての答申」について、
(1)現行府県を廃止し、国と市町村の間に中間団体として「地方」を置く。
(2)「地方」は地方団体としての性格と国家的性格とを併せ持ち、その区域は全国を7ないし9ブロックに分割したものとする。
(3)「地方」の組織は公選で選ばれた議会と、議会の同意を得て総理大臣が任命した任期3年の「地方長」とする。
(4)「地方」の事務は、現在、国、国の出先機関、府県が処理している事務で移譲しうるものとする。
(5)「地方」を管轄区域とする国の総合出先機関(「地方府」)を置き、地方長をその長とする。
というものであり、この答申が、「『内政府』設置、すなわち旧内務省の復活に呼応して、国の出先機関を統合して地方行政の総合性を回復した、強力で広域的な戦前型の府県制度を復活しよう」という構想であったことが解説されています。
 第3部「地方分権改革と府県制、道州制」第1章「地方分権改革と府県制度」では、地方分権改革の特質として、
(1)「中央は軍事・外交等の基幹機能を、地方は住民に身近な行政を」という単純な分業論である。
(2)それが国民生活と人権保障を軽視するという前提で展開されているために、しばしば「財源保障ぬきの分権論」に陥ってしまう。
(3)それが住民自治の視点が希薄な分権論である。
(4)分権化のための受け皿づくりとして広域行政が提示されている。
の4点を指摘し、「府県制の廃止や知事公選制の廃止に結びついた道州制構想は言うまでもないが、層でない場合であっても、道州に対する住民の民主主義的統制の後退、道州内部における集権化の強まりなどの問題」等を指摘しています。
 また、地方分権委員会が、「シャウプ勧告や神戸勧告に立ち戻って、国と地方の行政事務の再配分を提起しなかったため、中央政府の事務事業を自治体に移管するという重要な課題が、今回の地方分権改革からはずされた」ことを指摘しています。
 第2章「平成の市町村合併」では、「三位一体改革」が、「国の財政再建と中央省庁の権益を優先するもの」であり、「『分権改革』を旗印として最大限に利用した『構造改革』」であり、「その狙いの中心は、社会保障、公共事業と並んで国の三大歳出分野である地方への支出(地方交付税、国庫補助負担金)を削減することを通じて、国の財政再建を進めることにある」と述べています。
 本書は、府県政と道州制に関するこれまでの議論をコンパクトにまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、過去の府県政と道州制の議論や経緯を一覧する上では便利な一冊ですが、これらの先行研究を追う方法は、あくまで紹介に過ぎず、著者のオリジナルな視点は感じられません。もともとは、過去に行っていた勉強会の成果などをベースとしているらしいですが、単に昔の資料を引っ張り出してきただけのようにも感じられ、ここ15年くらいの分権の議論との断絶を感じます。
 一方で、近年の分権を扱った第3部は、第2部までの過去の府県・道州制の議論の分析とは断絶しており、また、著者の印象を書きつらねた「感想文」のようで、とってつけたような印象をぬぐえません。
 とは言え、戦前戦後の議論をまとめた便利な一冊ではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・戦前・戦後の府県制・道州制の議論を俯瞰したい人。


■ 関連しそうな本

 神野 直彦 『三位一体改革と地方税財政―到達点と今後の課題』 2007年04月16日
 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日
 土居 丈朗(編著) 『地方分権改革の経済学―「三位一体」の改革から「四位一体」の改革へ』
 赤井 伸郎 『行政組織とガバナンスの経済学―官民分担と統合システムを考える』 2006年11月24日
 上村 敏之, 田中 宏樹 (編著) 『「小泉改革」とは何だったのか―政策イノベーションへの次なる指針』 2006年11月2日
 平嶋 彰英, 植田 浩 『地方債』 2006年12月14日


■ 百夜百マンガ

噂の男前【噂の男前 】

 『湘爆』以来の熱心な固定ファンがいたのか、長らくメジャー少年誌での連載を続けていましたが、個人的にはファンの年齢層と掲載誌が相当乖離した印象を受けました。

2007年4月18日 (水)

近代日本の警察と地域社会

■ 書籍情報

近代日本の警察と地域社会   【近代日本の警察と地域社会】(#818)

  大日方 純夫
  価格: ¥6090 (税込)
  筑摩書房(2000/04)

 本書は、「近代日本の歴史の流れの中で、警察がどのようなあり方を示し、どのような役割を演じてきたのかを、地域社会との関係にこだわり、歴史的に追求しようとするもの」です。
 第1章「近代国家の形成と警察」では、明治期における警察の成立過程を、
(1)近世社会との比較に意を用いること。
(2)中央の動向だけでなく、地域におけるその実態に目を向けること。
(3)国際的な継受の関係に留意すること。
の3点に着目しながら追っています。そして、近世の「警察」が、武士身分である与力・同心と、末端の治安の維持に当たる番人の2つを主要な担い手とし、「近世『警察』は身分制と不可分の関係にあった」と述べ、「一方で武士という軍事戦友集団が、軍事・行政と未分離なかたちで担いながら、他方、共同体自体も番人を通じてその『自警』をはかっていくという、二元的な『警察』力の編制様式をとっていた」と解説しています。この「近世の地域社会において警察的機能を担っていた番人・番非人・非番人などは、維新変革による新政府の成立後も、依然として地域最末端で警察的活動」を担い、「地方ではなお近世的な『警察力』が基本的には継続されていた」と述べられています。その後、身分とは無関係に「捕亡吏」を募集するようになった後も、「旧来の習慣・意識は強く残存しており、士族は捕亡を『賤職』と見なしてこれにつくことを拒否したり、応募しなかったりした」一方で、「『市村狡猾ノ徒』、ないしは『旧鉢屋職』の人々は自分が選ばれよう、採用されようと汲々としたものの、実際には能力の適格性が満たされず、結局、落第してしまった」ため、公募では定員を満たすことができなかったことが述べられています。
 1875年3月には、行政警察規則が公布により、「番人は一切廃止され、すべて警察官については『羅卒』との名称に統一」され、同年10月には「巡査」と改称され「今日に至る下級警察官の呼称が確定」下と述べられています。
 また、日本近代警察の特徴として、
(1)極度の中央集権制:身分制を否定するとともに、自治的な性格をも完全に排除した。
(2)膨大な権限による国民生活への介入:犯罪の捜査・摘発という司法警察的な機能よりも行政警察的機能が中心とされた。
(3)士族・特権的内部編制;士族層を警察に吸収しながら、他方では試験・能力・資格を梃子として非人身分を警察から排除するという事態が進行したと考えられる。
の3点が挙げられています。
 第2章「『帝国憲法』体制と警察」では、帝国議会開設を目前に控えた警視庁が、「膨大な政治情報収集機関と化した」ことについて、
(1)警視庁中央直属の探偵:高等警察に関する「上流社会ノ内情」を探索する。
(2)署長配下の探偵:「刺客危激及軽噪ノ徒」や、その他、政治上、秘密に事をはかるものなど「外部」に全力を注ぐ。
の2種類があったことが述べられています。
 また、警視庁管下における情報収集面に即した高等警察の展開状況について「帝国憲法の制定前後から日清戦争にかけての時期、情報集約ルートの整備、探偵のレベル・アップ、視察台帳(ブラック・リスト)の作成」の3点において、「高等警察の基礎固め」がなされ、以後、警察権力を握る藩閥官僚勢力が、「こうした基礎の上に立って政治情報の収集を進めつつ、選挙対策や議会対策を講じ、対抗勢力の切り崩しをはかろうとしていった」のではないかと分析しています。
 さらに、消防行政について、それまで市町村または一部の有志者に委任されてきた消防に関する事務について、1894年の消防組規則の公布により、すべて府県知事の警察権に委ねられることになり、「設備を市町村に命令したり、市町村が設置したものを認可することは、消防組規則の主意ではないとして、市町村の自主性を完全に否定し、きわめて強硬な統一化がはかられていった」ことが述べられています。そして、この消防組が「官設」の機関と位置づけられ、警察権のもとに置かれ、「火防とともに水防も任務とし、さらに平時の警戒・巡邏も職務となった」として、「消防組は地域の中に根ざした警察の下部組織となり、警察の補助的活動を担うことが期待されていった」と述べられています。
 第3章「警察と地域社会――巡査日記を読む」では、1885年から1911年まで神奈川県の藤沢警察署管内に勤務した石上憲定という巡査の日記を取り上げ、「明治憲法体制の成立前後から、日露戦争前夜にかけて、地域社会の中で巡査がどのような活動に従事していたのか、当時の地域社会にとって、警察とはどのような存在であったのかを追求」しています。そして、駐在巡査が、「警察の窓口として、住民のさまざまな"願い"を受け付けつつ、それに対応する警察活動を展開」したとして、放火未遂届けの提出や無銭飲食者への説諭、畑の甘藷盗難の現場検証、井戸の中への人糞の投入の検分、家庭内の紛争に類するものまでが駐在所に持ち込まれたことや、祭りや芸能工業の取締りなどの活動を紹介しています。また、横浜・国府津間の東海道線の開通に伴い、1887年には勤務地を列車が通過するようになり、"要人"の通過に伴い、鉄道の線路・踏切などの警衛に駆り出された様子が紹介された様子が紹介されています。
 さらに、伝染病対策にも奔走し、「伝染病の患者発生ないし死亡の通報があるたびに、役場職員とともに現場に出向いては消毒に当たって」おり、「民衆は患者を隠そうとし、警察側は患者を発見しようとする。そして、警察による強制収用・隔離に対して、様々な紛糾が生じていた」事が記されています。
 第4章「日露『戦後経営』と都市警察」では、1905年に発生した日比谷焼打事件を、「日本帝国主義の構造的矛盾の集中的かつ爆発的な表現形態」とした上で、この事件が、「支配階級に明治政府はじまって以来の多大の衝撃を与えた」にもかかわらず、「それが権力側、支配者側に直接どのような民衆対策の変化をもたらしていったのか、民衆統治にどのような影響を与えたのかについては、十分には明らかにされていない」と指摘しています。そしてこの事件が、「警察の総元締めとも言うべき内部大臣の官邸と、警察署2カ所、警察分署9カ所、派出所・交番所258カ所が焼打ちされ、破壊されたという事実」に着目し、「焼打ちによって消失し、破壊された警察署・派出所などの数は、東京全市の警察官署数の8割」にも及び、「東京全警察焼打事件」とも称すべき子の激しい警察攻撃が、「権力=警察と民衆との本質的な対抗関係が、騒擾という抵抗の原初的な形態をとって噴出してきたもの」であると述べています。
 これに対して、1906年には警察官制が全面改訂され、従来の高等警察に関する首相直属規定を廃止し、内相に一元化され、この背景として、警視庁の創置とともに導入された政府への直結規定により、「警視庁は首都警察として東京府からは独立し、政府直属の警察力として、藩閥勢力の権力維持の道具」となり、「警視庁は内閣の『耳目』として情報を収集し、『爪牙』として権力を執行」したことに対する批判が向けられていたことが解説されています。
 また、この警察機構の改革は、「単に民衆の側からの警察批判に対する受動的対応」にとどまらず、その本質は、「日露戦争後における資本主義発展に伴う諸矛盾の激化に対応すべく、警察力の再編制を図り、民衆支配と体制的秩序の維持を有効に進めようとするところ」にあり、「それは警察批判を発生させてくるような民衆の状況そのものに切り込もうとするものでもあった」と述べられています。著者は、「日露戦後における国内支配の矛盾、とりわけ、民衆騒擾の発生に直面した内務=警察官僚層の危機意識の産物」として、「すでに日露戦後、"警察の民衆化"的思考と、"民衆の警察化"的思考が出現してきていた」と指摘しています。
 第5章「デモクラシー」の高揚と警視庁では、米騒動後の警視庁が、「『親切丁寧』主義を標榜して民衆対応様式に一定の手直しを加えるとともに、他方で、これとは逆に民衆を警察の側にたぐりよせようとする試み」として、「地域の有力者を"カナメ"として旧中間層の吸収を図り、『下』から後援・協力の体制を形成していこう」としたことが述べられています。そして、この「民衆の警察化」が、内務省が全国的に支持していた方針であったことが解説されています。
 第6章「『自警』と『民衆の警察化』」では、大正7年8月17日に、岡山県内務部長が県下の各市町村に訓令を発し、「青年団員・在郷軍人会員・消防組員などをもって『自衛団』を組織するよう」明示、「市町村役場・警察署・巡査駐在所や、隣接市町村の自衛団と連絡をとって警戒に当たること、団員は他と区別できるような目印をつけること、部内の秩序が破壊されそうな場合は、警察官や幹部の指揮にしたがって『自衛的行為』をとること」などが指示されていることなどを紹介しています。これら、全国各地における警察による地域住民の組織化は、「名称は保安組合・自警団など各種あるにせよ、これらの官製的な地域住民組織は、地域の治安維持・秩序維持を図る警察の下部組織とされ、地域の『自警』を先導」し、依拠すべき組織母体としては、消防組・青年団・在郷軍人会、なかでもかねて警察の下部機関としての位置にあった消防組が重要な役割を果たしたと述べています。
 そして、消防組に関して、各警察署の指揮監督下にあり、消防組相互の連絡や情報交換に欠けていたため、1903年に、「消防従事者の技芸・学術の奨励、功労者の表彰、死亡者の遺族の慰籍・共済などをはかるため大日本消防協会が設立され、各都道府県には支部が置かれた」が、財政的な破綻などから、やがて解体し、1910年代半ばから、「消防組員を対象とした消防組の後援団体が『消防義会』という名称で結成され」はじめたことが述べられています。
 著者は、大事世界大戦後の1920年前後に、「国内外におけるデモクラシーの潮流の下で、民衆に直面する警察のなかには、新しい動きが生まれた」として、「この潮流に対抗して阻止を図ろうとする単純な方向ではなく、その流れに一定かみ合う形で民衆支配を貫徹しようとする方向」であり、その結果、「警察を一定民衆に接近させようとする『警察の民衆化』と、民衆を警察に接近させようとする『民衆の警察化』の主張」が登場したと解説しています。
 第7章「体制的矛盾の深化と警察」では、1921年7月12日に「労働要視察人視察内規」が定められ、社会運動に対する監視体制は、「労働者・小作人・社会主義者と、資本家・地主の政府との間の、利害のするどい裂け目に対応していた」と述べています。それに先立つ1918年には、内務次官から全国の各庁府県長官に秘密の通牒を送り、
(1)特別要視察人が労働者など下層階級に向かって主義を宣伝することはないか。
(2)特別要視察人が軍人や学生に主義を吹鼓することはないか。
(3)特別要視察人と朝鮮人との関係。
(4)外国人、とくに危険思想を持つ者と労働者などとの接近や、特別要視察人・朝鮮人との往来・通信・会合。
の4つの注意事項を挙げ、「社会主義者が労働者・軍人・学生・朝鮮人に接近することに特に警戒を深めた」ことが述べられています。
 第8章「警察官ストライキと警察精神」では、埼玉県入間郡南畑村の駐在巡査、長山昌雄が語った言葉として、「「おれだって百姓の長男だよ。家へ帰ればまた百姓になってはたらくのだ。こんな巡査商売に入ったのも、実は百姓で金の出どころに困るものだからだよ。恩給がつけばすぐ引っ込んで百姓になる」との言葉を紹介し、「現在の警察官の90パーセントは百姓の二、三男で、月給が安いため、恩給がついたら転職しようという人が15パーセントはいる」との長山の分析を紹介しています。
 そして、政府は1920年に、「ストライキに立ち上がらざるを得ないほどの巡査の生活難」に対して、「巡査給与令を改め、約2倍に近い増額」を行い、こうした待遇改善と並行して、精神的統制をつよめていったことが述べられています。著者は、「『陛下の警察官』といった呼称や、それに相応しい精神性の要請は、日本近代警察の形成期から明確化されていたものというよりは、むしろ『大正デモクラシー』期におけるデモクラシー機運に対する対抗思想として急浮上してきたものと考えることができる」とし、こうした精神の強調が、1930年代半ばからの「警察精神作興運動」において、「本格化、全面化」していくと述べています。
 第9章「特高警察の機構・機能と構造」では、特高警察の内部構造に焦点を当てるにあたり、
(1)専制的・独裁的な国家においては、政治警察・秘密警察の役割がとりわけ肥大化する。それぞれの国家のあり方、社会の在り方とかかわらせながら、政治警察・秘密警察に関する比較史的な検討を試みること、それを通じて特高警察の政治警察・秘密警察としての共通性と独自性を解明すること。
(2)特高警察の性格を、それを成立せしめている日本近代国家・社会の構造的特質とのかかわりにおいて把握すること。
(3)特高警察体制を担う特高警察官そのものの人間像を、その精神構造にまで立ち入って探ること。
の3点を留意すべき点としてあげています。
 そして、特高警察官について、「日本の特攻というのは、通常の警察業務とは異なる特別の研修や訓練を経た要員で構成した政治警察とか秘密警察というのではないのです」、特高係は警察の一部門で、所属長に任免され、刑事係や交通係と同じで、特別な地位や権限を持ってはいなかった。上官や検事の指揮・命令を受けて法律に基づいて執務する」という特高関係者の証言を挙げ、「その背後に特高警察の責任を免除しようとする意識が働いていたことは疑いない」としながらも、「事実として彼らが主張するとおりの実態面」をもち、「そこにこそむしろ近代日本の警察組織の独自性があった」と指摘しています。
 また、その精神構造については、「内務省の若い役人で特高になりたがるものが多かった。優秀だという人は非常になりたがったものです」、「一般警察官の多くは、特高係に抜擢されることを希望し、特高は憧れの的であった」という証言を紹介しています。
 第10章「『陛下の警察官』の実像と虚像」では、1930年前後の時期に、新聞・世論が、「その手に握った特権をエサとして警察官が金品を私腹に入れている」という警察の腐敗を、積年の宿弊として相次いで告発した実態を紹介しています。
 1930年に天皇の行幸の警衛のため、浜松市に集まった警視庁や愛知・神奈川・大阪方面からの応援の警察官数千人のうちに、「夜更けに市中を横行して、遊郭・料理店・カフェーなどで無銭飲食をしたり、暴行するなどの『醜事実』を重ね、その被害は数十件に達した」ことが紹介されています。
 第11章「戦時体制下の警察」では、警察が、「国民を戦争へ動員するために統制を強め、反戦・反ファッショ的な言論の口を封じ、運動の手足を縛った」として、1938年に内務省警保局長が警視総監と各府県知事に送った「治安対策要綱」から、そのポイントを、
(1)和平へ向けての動き。これは厳重に取締る。
(2)中国との妥協に反対し、ソ連・イギリスなどとも戦うべきだとする戦争拡大の動き。
(3)戦時経済の確立を図るために経済機構を根本的に改革しようとする国家主義者の動き。
(4)経済統制の犠牲をこうむる中小商工業者・勤労者、物価騰貴によって生活が窮迫する一般国民の不平不満が爆発する危険性。
(5)このような情勢に乗じる共産主義的、人民戦線的、反戦的策動とともに、自由主義者・民主主義者・人道主義者の反戦論にも特に注意警戒を要する。
の5点を挙げています。
 著者は、戦時体制下において、「膨れ上がっていく警察は、一方で『経済統制』の縄で国民を縛り上げながら、他方、縛り上げれば縛り上げるほど蜂起の影におびえて、『治安』の網を張り巡らしていった」と述べています。
 第12章「戦時防空体制と警防団の活動」では、「消防組と防護団の組織的な統合を図り、防空活動の充実へ向けて『人的機構の整備』を目指すもの」が警防団であると述べています。著者は警防団を、「消防組を中心とし、これを組織的に改変することによって成立した警察に直結する防空防火組織であり、自らは民衆から出自しつつ、警察から統制され、これを通じて民衆を統制した」と述べ、「防空に当たっては、空襲の機器と国民の義務が精神主義的に強調され」、「空襲に備え、防空活動の完璧を期すためには、国民の完全な統制がはかられねばならなかった」と述べています。
 終章「敗戦・占領と警察改革」では、内務省は敗戦後も治安維持法と特攻警察を廃止しようとする意思は毛頭なく、「特攻警察については、廃止どころか、その大拡充(倍増)がもくろまれていた」として、「"戦後"に対処する警察力構想の核心は、警察力の武装化と特攻の強化にあった」と述べています。
 しかし、占領軍は、政治的・公民的・宗教的自由に対する制限の除去を目的に、
(1)治安維持法・思想犯保護観察法・国防保安法・軍機保護法などの弾圧法を廃止せよ。
(2)政治犯を直ちに釈放せよ。
(3)思想警察その他一切の類似機関を廃止せよ。
(4)内務大臣・警保局長・警視総監などの警察首脳部、すべての特高警察官、および弾圧活動に関係ある監理を罷免せよ。
からなる、「いわゆる人権指令」を下したことが述べられています。
 そして、1945年10月13日をもって、「内務省と地方庁の警察首脳部106人が一斉に罷免され」、14日には「地方庁の特高警察関係者約4800人が罷免」され、「特高警察の機構と人員は、ついに"消滅"」したが、罷免の対象が、10月4日現在の在職者に限定されていたため、日本側はこの指令が出る直前に特高関係者を辞職させ、「すぐさまその連中を警察署長に任命」したことや、生き残ったのは人間ばかりではなく、特高関係の仕事は県庁の公安課に引き継がれ、「その公安課にいるのはもとの特高係長であった」ことが述べられています。
 また、占領軍内部においても、「警察を直ちに地方分権化することは、日本に陸海軍或いはその他の警察力として役立ちうる武力がない今日、国内における法律規則の有数な執行が望ましからざる程度に阻害される状況に日本政府を陥らせる」と主張するG2と、日本の非軍事化と民主化を徹底的に進めようとしていたGS(GHQ民政局)が激しく対立し、1947年のマッカーサー書簡によって、中央集権的な警察力の解体と、市町村公安委員会の管理下におかれる自治体警察の誕生という形で決着したことが述べられています。
 しかし、政府・警察首脳部は、当初より、「国家地方警察を足がかりとして警察の中央集権的性格を復活しようとする動きが根強く、自治体警察よりも優遇的な施策が高ぜられた」ため、警察通信・犯罪鑑識・警察教養は国家公安委員会の管轄下に置かれ、国家非常事態の場合には国家地方警察の指揮権が認められていた一方、自治体警察そのものに関して、「当初より非能率、不経済のゆえをもって旧警察制度への復活を図ろうとする動き」があり、「警察をもつことを義務付けられた自治体では、国庫からの補助がきわめて不十分だったこともあって、警察講演会などの寄付に頼らざるを得ず、警察が地域ボスと癒着する傾向」を店、51年6月の警察法改正による住民投票を経て、1605単位の自治体警察は54年1月時点では402まで激減したことが解説されています。
 そして、結局は1954年7月の新警察法の施行により、「自治体警察は国家地方警察とともに全廃され、都道府県警察に一元化された。都道府県警察を指揮監督する中央官庁として警察長を設置して中央集権的性格を強め、これに対する国家公安委員会の権限も「指揮監督」から「管理」に変えられ」、「日本の現代警察は、再び中央集権的な国家警察としての性格を強化した」と述べられています。
 本書は、近世からの連続性を持つ日本の警察組織の沿革を、とくに地域社会とのかかわりにおいて解説した良書です。


■ 個人的な視点から

 戦前の警察官というと人間性のない統制のきついイメージがありますが、本書からは生々しく人間臭い警察官たちのドラマが伝わってきます。
 一方で、民衆が「警察化」されていく過程は背筋が凍るような恐ろしさがあります。よく田舎では、「消防団の帽子をボンネットに置いておくと検問もスルーできる」とか、「冬の夜回りの消防車は運転する人も一杯引っ掛けないと寒くてやってられない」という話を聞きますが、単に持ちつ持たれつの関係だから、という以前に、地域の消防力と警察権力との固いつながりが根底にあることが分かるのも本書の大きな収穫です。


■ どんな人にオススメ?

・地域と警察の深いつながりを理解したい人。


■ 関連しそうな本

 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (15)警察改革と治安政策』 2007年02月01日
 中村政則 『占領と改革』 2007年03月09日
 勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日
 天川 晃, 増田 弘 『地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続』 2007年03月07日


■ 百夜百マンガ

珍遊記【珍遊記 】

 極一部から熱狂的な支持を受けるカルト漫画家にしてなぜこの人が日本一のメジャー誌に連載していたのかが不思議です。だからこそ人気があったんだと思いますが。

2007年4月17日 (火)

「失われた10年」を超えて〈2〉小泉改革への時代

■ 書籍情報

「失われた10年」を超えて〈2〉小泉改革への時   【「失われた10年」を超えて〈2〉小泉改革への時】(#817)

  東京大学社会科学研究所
  価格: ¥3990 (税込)
  東京大学出版会(2006/03)

 本書は、東京大学社会科学研究所が2000~2004年度に実施した「失われた10年? 90年代日本をとらえなおす」の成果をまとめたものです。このプロジェクトは、「1990年代は改革の機会を逃した『喪失の10年』であったとする通説的な見解を批判的に検討しつつ、1990年代の日本において、実際には何が生じ、何が生じなかったのかを実証的に解明し、さまざまな点で長期的な構造変化が生じた1990年代の歴史的位置付けを与えることをつうじて、21世紀の日本のあり方を考えるための基礎的な知的基盤を提供すること」を目的としています。
 序章「政治展開・小泉政見の意味」では、「90年代に長いトンネルを抜けるとそこは小泉政権であった」として、「日本の『失われた10年』は宮沢政権に始まり小泉政権で展開する。先進国中随一の経済成長と自民党(自由民主党)単独安定政権が宮沢政権で終焉したとすると、小泉内閣により10年にわたる経済停滞・銀行部門危機と政党再編・短命政権は転機を迎える」と述べ、「なぜ『失われた10年』の帰結として、その転回点にきわめて異質な性格と政治手法を持った政権が登場し、その政権の結果、『失われた10年』以降の政治過程と政策課題がどのように規定されるのかを検討すること」が重要であると説いています。
 また、小泉首相の政治史指導の異質性と画期性を、「その政策内容よりも、政策過程を動揺させたこと」にあるとし、その政治行動の合理性を、「政治指導者が個人的人気をその立脚する組織や制度の安定性に優先させるような新しい状況」に求め、「党首の個人的資質を重視させる小泉首相の政治手法」が、「今後の政権交代など日本の政権の性格や政党競争、政策過程に大きな影響を与えることは確実である」と述べています。
 著者は、小泉政権が、「財政再建主導の経済財政政策、自由貿易・投資協定促進、対米同盟強化の政策選択・転換を首相官邸・内閣主導で実現し、その過程で自民党の政策過程を迂回し、自民・民主両党の政策収斂と新たな政策対立軸の端緒を拓いた」と述べ、その結果、「自民党主導の既存の政策過程は不可逆的に展開し、今後は首相・党首主導の政策決定の制度化が、小泉政権の政策選択の継承か対抗かをめぐり展開される」ことが、「『失われた10年』以降の政治・政策課題」であると述べています。
 第1章「小泉改革の位相」では、「小泉改革に集約されている日本の政治変化・政策対応」が、「先進諸国の共通経験の一形態と理解することができるだけに、先進諸国の中での日本の特徴を明らかにすること」を目的であるとし、その結論として、
(1)政治制度改革に関しては、中選挙区制での候補者組織(後援会)による過当競争・金権選挙の是正策として選挙制度改革及び政治改革が実現され、制度的には小選挙区比例代表並立制が採用されたが、その結果、政策・イデオロギー収斂による二大政党化や政党党首の党内派閥や党内政策審議機関からの独立が進展した。
(2)政策対応に関しては、景気後退の際、日本の低インフレと恒常的貿易黒字、強い通貨は、政府が国際金融市場からの強制的経済政策規律を受けずに拡張的財政金融政策を反復的に発動することを可能にし、累積公的債務を増大させ、この結果、財政再建のための諸改革が最優先政策課題となったが、労働規制緩和や社会保障改革は通常の政策過程に委ねられることになった。
(3)日本が、内需拡大の景気回復によったため、政府はアジア金融危機後に受動的に自由貿易・投資協定を国内改革の支援手段として推進した。
の3点を挙げています。
 また、90年代以降の福祉改革に関して、「少子高齢化、女性の社会進出への対応という需要要因と、経済・産業構造変化、財政制約という供給要因の中で企画され、福祉供給の市場化と所得格差を容認し、その結果、先進諸国の社会福祉支出は定常状態に入った」といえるが、「もともと労働市場参加率が高い日本では、経済の停滞は社会福祉政策支出の増大をもたらさず、また中高齢男性や女性の労働市場(再)参加による雇用拡大要請にもいたらなかった」ため、社会福祉改革が最優先課題にならず、「通常の政策過程で前進的・技術的に処理されてきた」と解説されています。
 第2章「政治的リーダーシップと構造改革」では、飯尾潤による、「憲法上は政策の形成に責任をもつとされる議院内閣制と、実際に政策のほとんどを決定している党・官僚」とする「日本には1つではなく2つの政府がある」という主張を紹介したうえで、西洋民主国家における政治家と官僚に関係についての研究を紹介し、「政策の実効だけでなく形成段階でも官僚が重要な役割を果たすということは、珍しいことでもなければそれ自体大きな問題を引き起こすことでもない」と指摘しています。
 また、比較政治の観点から、日本における政治主導の確立に関する示唆として、
(1)日本では見過ごされがちであるが、政治主導の実現はいずれの民主的社会においても容易ではない。
(2)強力なトップダウンのリーダーシップは必ずしも望ましいことではない。
(3)グローバルもしくは地域レベルでの改革への圧力は、強力な利益集団や関係官僚の抵抗を打破するのに役立つ。
(4)「抵抗勢力」に対する政治的リーダーシップ発揮の条件としての、政党間の力関係の変化、立法府と内閣の能力高める制度改革による「自前」での政策決定のコストを引き下げ、官僚機構の変化による官僚自身による改革の受容。
の4点を挙げています。
 さらに、公務員制度改革の遅れの要因として、
(1)複雑に入り組んだ官僚組織の構造そのもの。
(2)誰が改革を指揮し、誰が将来の公務員制度を改革するのか。
(3)公務員制度がその外の世界と適合するか。
の3点を挙げています。
 小泉政権が、銀行の不良債権処理の加速にはリーダーシップを発揮したと評される反面、深刻な財政再建問題に関する評価が低いことに関しては、こうした批判が、
(1)赤字は政権が歳出を制限できなかったことによるのではなく、歳入の大幅な減少によるものである。
(2)年金制度改革はどこの国においても極めて困難であり、小泉は世論の支持を失うという代償を払っても指導力を発揮したといえる。
の重要な2点を見逃していると指摘しています。
 第3章「国家・社会関係」では、「民間非営利組織の活動を支える法制度として最も基本的なものの1つである法人制度」について、「この10年で大きな変動が生じた」として、1998年の特定非営利活動促進法(NPO法)の制定を解説しています。
 また、従来の法人制度の問題点として、
(1)民間非営利組織が法人格を取得することが極めて困難である。
(2)民法上の公益法人についてその実態上、さまざまな逸脱ないし機能不全が見られるようになった。
の2点を挙げています。
 さらに、NPO法の成立が、
(1)民間非営利組織が法人格を取得することが従来より格段に容易になった。
(2)民間非営利部門に国家的承認が与えられた。
(3)NPOの社会的認知の拡大。
(4)行政と民間非営利組織との関係について、両者の「協働(パートナーシップ)」を促進する機能を果たした。
など、「民間非営利部門の発展にとって大きなインパクトを与えるものであった」と述べています。
 一方、ポストNPO法の法人制度改革としては、2001年6月に制定された中間法人法を挙げ、「NPO法制定後も法制度の隙間となっていた非営利・非公益(共益)型の団体について、それが『社員に共通する利益を図ることを目的とし、かつ、剰余金を社員に分配することを目的としない』場合に、中間法人として法人格を取得する道を開いた」ことなどが述べられています。
 さらに、今後の法人制度改革の特徴として、
(1)民法の法人規定の全面的な見直しは、1896年の民法制定以来100年ぶりのことであり、一般的な非営利法人制度を創設する今回の改革が民事基本法製の重要な改正であることは間違いない。
(2)今回の改革のもたらす実際の効果は、短期的には差ほど大きなものとならない可能性もある。
(3)今回の法人制度改革が政府の行政改革の一貫として進められてきた。
の3点を挙げ、「現在の法人制度改革が、行政改革(行政のスリム化・効率化)の一環としての公益法人制度改革の枠内で進められ、民間非営利活動の促進の視点が必ずしも十分実質化されなかったことが、政府案に対する民間団体・NPO関係者の反発を招き、結果的に、NPO法人を新しい一般非営利法人制度の枠外に置くという変則的な制度設計をもたらした」と解説しています。
 第4章「長期経済停滞下の財政運営と銀行部門再建」では、1990年代初頭の先進諸国不況にあって、
(1)日本が直面した景気後退の国際経済的深刻度は、ディスインフレ経済規律を規律化した国々(日本、スイスやドイツなど)に共通して比較的穏健なものであった。
(2)日本のディスインフレ制度は、政府による超低金利政策を反復的財政出動の発動を容易にした点で、通貨安定・通貨防衛のためのディスインフレ的金融財政政策を外的に選択させられた国々と対照的である。
(3)その結果、日本は銀行部門再建策でも景気回復を前提とした市場主導の銀行部門の経営健全化を選択し、通貨防衛や緊縮的財政金融運営のために強制的資本注入=国家管理による銀行経営の健全化を余儀なくされた北欧3国と対照的であった
(4)1990年代の政党再編と脆弱政権にあっても財政出動主導の景気回復策・銀行部門再建策の継続は、日本の経済政策の決定が、ディスインフレ制度を構成した経済部門間の調整・合意と不況期選挙での与党勢力の交代とに触発された受動的決定であり続けたこと。
の4点に要約できるとしています。
 また、「1990年代の日本の政治経済及び経済政策過程への含意」として、「もともとディスインフレ制度を構成する経済部門の連繋・合意を基盤として日本の合意的政策決定は自民党単独政権崩壊後の政党再編と連立政権の頻繁な交代にもかかわらず、少なくとも小泉政権までは踏襲されていた」と述べ、注目すべき点として、「基礎財政収支や公共事業費の分析で、経営の景況判断とともに参議院自民党議席率が有意であった」こと、1990年代に財政出動がいずれも参議院選挙前後で議論されたことを指摘し、このことが、「衆議院の自民党議席率変化が基礎収支の変化にも、公共投資の変化にも有意でない」ことを意味していると述べています。
 第5章「政治的リーダーシップと財政投融資改革」では、財政投融資制度に関して、「小泉政権になってから1年余りの間は、強い抵抗のため改革はほとんど進展しないとの見方がもっぱらだった」が、実際には、「小泉政権のもとで自体は大きく変化」し、「財投計画額は、1990年代半ばをピークに、小泉が首相となった2001年度には減少しつつあったが、2001年度から2005年度までの間にほぼ半減」し、「あるものは統合され、多くは刷新され、事実上あらゆるプログラムについて透明性が高められ監視が強化された」と指摘しています。
 また、橋本首相と小泉首相が、「現状維持に傾きがちな審議会」を、
(1)リーダーシップに関して、改革のための主要な審議会では、自ら会長(議長)となった。
(2)スタッフと報告書作成に関して、大部分の審議会では省庁がスタッフを提供し報告書の作成に当たるが、1990年代には、自前のスタッフうを抱え、少なくとも重要事項については独自に報告書をまとめる審議会が増加した。
(3)審議会の委員に関して、改革を指示する学者やマスメディアの代表で固められ、関連業界の代表や官僚OBの委員は少数に留められた。
のように変えたことを指摘したうえで、これらの改革が、
(1)政治スキャンダルと経済パフォーマンスの低下による政治経済状況の動揺。
(2)改革を掲げて有権者へのアピールを競う「政治的起業家」の出現。
(3)個別的利益の制限という犠牲を払ってでも集合罪の供給を増やそうとする政党のリーダーが出現して、審議会を新設あるいは再活性化し、陣笠議員たちはやむを得ずそれを支持した。
の3つの段階を踏んだことを解説しています。
 さらに、財投改革の結果、「自民党名主要な支持層である農業・自営業者に有利な政策がいまだに実施されていること、そして内閣と財務省が財投改革の必要性を最も強く訴えかけた浮動層と野党に傾きがちな都市部の有権者こそが、財投の大幅な縮減によって最も損害をこうむるという皮肉なねじれが生じたこと」を指摘しています。
 第6章「三位一体改革による中央地方関係の変容」では、
(1)三位一体改革の全体像に焦点を当てて、従属変数である三位一体改革の帰結を確認する。
(2)一定の制度的環境の下での首相、中央省庁、地方団体の相互作用に着目した仮説を提示する。
(3)実際の三位一体改革の政治過程を、制度的変数とアクターの合理的行動に焦点を当てて実証を試みる。
(4)本章の知見をまとめて、改革以後の日本の中央地方関係を展望する。
の4点を目的としています。
 まず、2004年11月26日に決定された三位一体改革の全体像を、
(1)地方交付税関連では、総額の減少と算定の簡素化、そして臨時財政対策債の縮減が行われた。
(2)国庫補助負担金の廃止や縮減が行われた。
(3)国庫補助負担金の廃止・縮減に対応して、中央から地方への機関税の税源移譲が行われることになった。
の3点で示しています。
 そして、小泉首相が、「三位一体改革を地方交付税などのマクロな改革と国庫補助負担金の削減や税源移譲などのマイクロな改革との2つに分けて、それぞれの改革案の立案を既存の組織や新設の組織に委任し、政治的責任の追及を巧みに回避しながら財政再建を目指し」たうえで、経済財政諮問会議と「国と地方の協議の場」が、「政策的主導権の確保のための有効な制度的手段」となったことが解説されています。
 また、中央省庁の三すくみ状態として、
・「財政再建」を志向財務省:税源移譲だけは回避したい。
・「地方自治の擁護者」を自負する総務省:地方交付税の縮減だけは回避したい。
・一般的な支出省庁あるいは事業省庁:「手塩にかけて育てた娘」のような存在である国庫補助負担金の削減や廃止だけは回避したい。
のように、「中央省庁の内部はそれぞれ最も容認できない選択肢が明確となっており、それぞれの省庁に政治的な応援団がついて『三すくみの膠着状態』となっている」とした上で、小泉首相にとって、「どのように既存の制度的手段を活用してこの三すくみの対立の中で財政再建を目指していくのか、また、既存の制度的手段では不十分な場合にどのような制度的手段を新たに構築し、活用していくのか」が課題であったことが解説されています。
 著者は、財政再建を目指す小泉首相が、「三位一体改革の中でも、地方交付税制度といったマクロな財政問題の解決と、個々の国庫補助負担金の廃止・削減と個々の税目の税源移譲の精査といったマイクロな財政問題の解決とを二分して、最も抵抗の少ない形での歳出削減を目指し」多と述べています。
 第7章「改革の中の逸脱」では、「1990年代から今世紀にかけての労働法改革に現れた異質な現象」を、「逸脱」と呼び、
(1)従来の政策策定プロセスからの逸脱:審議会を事実上迂回して、労働政策が決定された。
(2)法の有効性からの逸脱:結果として制定された製作も事実上、大きな制約が課せられ、当初の目的を果たしえない。
の二重の意味を含んでいると述べ、「前者の逸脱は産業民主主義への挑戦である」と糾弾しています。
 第8章「空洞化する社会的セーフティネット」では、社会保険の空洞化は、「たんに長い不況の下で制度が機能不全に陥ったため」ではなく、現行の制度が、「日本の20世紀第3四半期に固有だった社会・経済上権を前提として設計された。すなわち、豊富な若年労働力人口の増加と相対的に少ない被扶養人口という『人口ボーナス』、それを1つの要因とした年々実質10%以上の経済成長、男性雇用者に長期安定的で年功的な雇用処遇を提供する企業、雇用者と専業主婦からなる『男性稼ぎ主』世帯の増加、などを条件として、『男性稼ぎ主』型の生活保障システムが形成され、1980年代に仕上げられた」ものであることが述べられています。
 第9章「対外経済政策」では、1990年代に、日本の対外政策が、
(1)通商摩擦への対応における二国間交渉と妥協を通じた解決から多国間フォーラムを通じたルール志向の解決への転換。
(2)貿易と投資の自由下における多国間主義から地域主義ないし二国間主義への転換。
の2つのパラダイム転換を経験したことが述べられています。
 また、今日の日米間の通商問題について、
(1)WTO協定がカバーする事項についてはWTO紛争解決手続きを通じて処理する。
(2)個別の製品や分野に関する対日市場アクセス改善に向けて交渉する。
(3)以上に還元されない経済構造改革型の交渉を行う。
の3方式が並存し、「交渉の焦点は数値目標型から経済構造改革方に移っている」ことが解説されています。
 著者は、「地域・二国間の貿易と投資能自由化の推進」という日本の方針が、「世界各地で進行する地域主義に対する防御的な対応」であったが、「これと多国間主義を組み合わせて多層的自由化戦略として整合的かつ継続的に運用していゆくためには多くの困難が存在」し、「それを克服するためには高度の政治判断と戦略、そして国内の抵抗勢力に対応しながらそれを実行する政治力が必要である」と述べています。
 第10章「冷戦後の安全保障戦略」では、「自衛隊の海外派遣が徐々に実施されていく過程で、危機管理という面から日本の安全保障に関する政府としての基本方針を明確にしようという動き」が強まったとして上で、有事法制やテロ対策特措法、イラク特措法をめぐる政治過程を概観し、
(1)省庁再編に伴う内閣官房の機能強化が安全保障政策の分野における首相の強い指導力発揮を可能にした。
(2)野党の性質が55年体制とは明らかに変わった。
の2つの要因が「安全保障政策の転換にとってきわめて重要である」ことが確認されたと述べています。
 本書は、「失われた10年」という言葉を用いることによって、90年代をきちんと見ようとしない、無反省な態度に「喝」を入れてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 普段、「失われた10年」という言葉を安易に使う傾向がありますが、実際に90年代に何が起こったのか、何が変わったのかをきちんと検証して使っているわけではなく、「ただなんとなく」使っている人が多いのではないでしょうか。
 もちろん、90年代の損失に目を向けて「失われた10年」という言葉を使った人の問題意識は評価すべきものだと思いますが、報告書の類の冒頭の時代認識を論じる部分で「失われた10年」という言葉を安易に使ってその中身を深く検証していないものを見ると底が浅く見えてしまいます。


■ どんな人にオススメ?

・90年代に何が変わったのかを検証したい人。


■ 関連しそうな本

 ベンジャミン・フルフォード 『ヤクザ・リセッション さらに失われる10年』 2006年02月18日
 大田 弘子 『経済財政諮問会議の戦い』 2006年12月01日
 竹中 治堅 『首相支配-日本政治の変貌』 2006年12月26日
 上村 敏之, 田中 宏樹 (編著) 『「小泉改革」とは何だったのか―政策イノベーションへの次なる指針』 2006年11月02日
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日


■ 百夜百マンガ

赤いペガサス【赤いペガサス 】

 早すぎた(のかもしれない)F1ものです。『六三四の剣』あたりから武道系の人というイメージが付いてますが、もともとはいろいろなスポーツを精力的に開拓して来た人です。

2007年4月16日 (月)

三位一体改革と地方税財政―到達点と今後の課題

■ 書籍情報

三位一体改革と地方税財政―到達点と今後の課題   【三位一体改革と地方税財政―到達点と今後の課題】(#816)

  神野 直彦
  価格: ¥2625 (税込)
  学陽書房(2006/11)

 本書は、「『三位一体改革』という歴史的出来事」に携わった「歴史の生き証人」である著者らが、「未来に真実を語り継ぐことが使命だという認識」のもと、編纂したものです。
 第1章「三位一体改革の意義と課題」では、「改革(reformation)」という言葉が、「再び(re)」と「形造る(form)」の合成語であることか亜r、「本来の形に戻すこと」であるとして、「三位一体改革」の意味を、「国税から地方税への税源移譲、補助金の改革、交付税の改革という国と地方自治体との財政関係を構成する三つの要素を、有機的に関連づけて、国と地方自治体との財政関係を『本来の形に戻すこと』である」と述べています。
 そして、日本において、「地方財政が地域住民の協働意思決定の基づいて運営されることを困難にしている」ルートとして、
(1)機関委任事務に象徴されるように、国の指令や命令によって「歳出の自治」を奪うというルート。
(2)補助金バラマキによって、「歳入の自治」を奪うというルート。
の2つのルートを挙げています。
 また、地方分権改革の次のステージの課題を、
(1)地方分権改革を国の関与を廃止・縮小する段階から地方自治体の役割を高める段階へと進めること。
(2)地方自治体の役割を増加させて自立させる「上から下へ」の改革だけでなく、「団体自治」から「住民自治」へと踏み込み、「下から上へ」の流れを作り出す改革に着手すること。
であると述べています。
 第2章「三位一体改革の経緯」では、2005年11月30日の政府・与党合意について、
・3兆円の大規模な税源移譲はこれまでにない画期的な改革であり、分権にとって大きな前進であること。
・個別の国庫補助負担金改革について、生活保護が盛り込まれなかったこと、施設費を対象に含めたことは評価、しかし、児童扶養手当、児童手当、義務教育費の国庫負担率の引き下げは地方分権改革に理念に沿わないものと批判。
・将来について、2007年度以降もさらなる改革を進めるべき。
と、地方六団体が声明を発表したことを解説しています。
 第3章「三位一体改革の到達点」第1節「国庫補助負担金の改革」では、「補助金改革、税源移譲というアウトプットとは別に、重要な副産物があった」として、「地方が国の求めに応じ、自ら国に対し税源移譲に結びつく補助金改革案を作り上げ、政府に提示したこと、そして、『国と地方の協議の場』が設定され、それを閣僚相手に同じテーブルでの交渉で実現に結びつけたこと」を挙げ、「このプロセスは歴史的にも貴重な経験となった」としています。
 また、三位一体の議論が、「霞が関にとって非常な脅威」となり、「三位一体と霞ヶ関の中で薦めたいと思っている組織」は、総務省の中の旧自治部局のみであり、「他の事業官庁、あるいは国の財政当局は、ただでさえ足りない国税を地方税に移管するという発想は、もともと不見識だと言い続け」、各省庁にとっては、「自分たちが予算要求して大事に守り育ててきた補助金を廃止して、それを地方税に振り替えて地方に渡すなどということは、尋常では考えられない発想」であり、事業官庁の立場では、「補助金があって組織が動き、地方との接点が出てくる。補助金がなくなると、自分達の仕事のツールがなくなることを意味」し、組織の存続に関わる問題であることが解説されています。
 第2節「地方税の改革」では、2004年の政府税調の答申で検討された、消費税から地方消費税への税源移譲の実現可能性について、
(1)消費に関連した基準により都道府県間で清算を行うことにより税収の偏在性が少なく、安定的である。
(2)地方においても福祉サービスの安定的な提供が求められているなか、役割は重要である。
(3)国の消費税の制度と一体のものとして仕組まれており、全国一律の税率が前提である。
(4)国が委託を受け、消費税と合わせて徴収を行っており、地方が直接に税を徴収するしくみとなっていない。
の4点のまとめを紹介しています。
 その上で、今回の税源移譲では、「所得税から個人住民税への税源移譲の優位性が勝った」ため、地方消費税の出番はなかったが、「今後の局面においては、地方消費税こそが最も充実させるべき基幹税であるといって差し支えない」と述べています。
 また、税源移譲の受け皿として、「最も可能性が高い」と考えられていた個人住民税についても、2004年度の政府税調答申から、
(1)税体系の中で個人住民税が応益性や自主性の要請に最も合致している。
(2)所得割の税率のフラット化、均等割りの充実といった改革を進めていくことが重要である。
の2点を紹介しています。
 さらに、個人住民税所得割の税率が10%比例税率かされることに伴う、「この10%の税率を都道府県民税と市町村民税にどう分けるか」という問題について、「マクロベースでおおむね今回の国庫補助負担金改革の影響を反映した税収が確保できる」という試算結果と、「市町村重視という観点」を踏まえ、「10%比例税率の内訳を、都道府県民税を4%、市町村民税を6%とする案が与党の税制調査会に示され、そのまま了承、決定されることとなった」ことが述べられています。
 著者は、「税源移譲の結果、おおむね9割近くの納税者にとっては、個人住民税(所得割)の税額が所得税額よりも大きくなる」という見込みについて、こうしたことは税源移譲前には、ごく一部の場合しか生じていなかったが、「税源移譲後は、納税者にとっての個人住民税の比重はかつてなく重要なもの移ること」になり、「行政に関して需要と負担の関係の明確化が求められているなか、まさに画期的な変化」であり、「住民が地方団体に向ける目もより厳しいものになると考えられ」、「地方団体全体として、負担に見合った行政サービスとは何か、住民と向き合った財政運営をいかに行うかが従来以上に大事になる」と述べています。
 さらに、課税自主権に関しては、法定外税の税収が増えたとしても、地方税収に占める割合はわずかであり、「今後も法定外税に税収面で大きな期待を寄せることはできない」が、「必ずしも税収そのものを目的としない税が現れている」として、典型的な例として、杉並区のレジ袋税や豊島区のワンルームマンション税などを紹介しています。
 第3節「地方交付税の改革」では、交付税改革の具体的な論点として、「財源保障機能と財源調整機能という交付税制度の有する機能を有効・適性に発揮していくため」、
(1)総額:交付税の総額をどのように設定すべき
(2)配分方法(算定方法):個別団体の配分方式はどのようにすべきか
という2つの論点があることを紹介しています。
 そして、財源保障機能と財源調整機能について、
(1)何らかの財政需要に着目して、その財源の保障をするために、国から地方に対して財政移転を行うと、移転された財源は、地方団体間の財源格差の調整機能を発揮する。
(2)何らかの財源調整を意図して、国から地方に対して行われる財政移転は、その前提として、何らかの財政需要についての財源を保障することを目的とするものである。
(3)両機能の相対的な主従関係は別として、(1)と(2)は同じことを言い替えたものである。すなわち、何らかの財源保障を行う際には、それがどの程度の財源調整機能を発揮するかを視野に入れつつ制度設計するものであり、何らかの財源調整を行う際には、それがどのような財政需要を保障するものなのかを視野に入れつつ制度設計を行うものである。
の3点により整理しています。
 また、三位一体改革が、「地方分権の推進を目的とすることはもちろんであるものの、同時に、国と地方を通じた財政健全化も目指しているものであり、地方歳出の見直し・抑制に取り組み、また地方税収の増加の結果として、財源不足額が減少し交付税総額の抑制が図られたものである」と述べています。
 著者は、今後の財政調整制度を考えていく上で、
(1)中長期的に持続可能な制度であること
(2)予見可能性の高い制度であること
という視点が必要であるとしています。
 第4章「地方財政の将来」では、日本が、「社会経済構造にあった財政に転換しようとしている」ことが、財政再建の社会的背景であると同時に、「再建ではなく、財政構造改革と呼ぶべき」であると述べています。
 また、地方税改革に関して、「交付税対象税目と地方税を入れ替えること」も議論されており、「地方税の法人課税を交付税財源の国税とし、同額の消費税(交付税財源分)を地方消費税とする」議論がなされ、地方六団体の「七つの提言」でも、「地方税は地域偏在性が比較的少ない税目構成とし、地方交付税の原資は地域偏在性の比較的大きな税目構成となるようにすること」を提言していることを紹介しています。
 本書は、三位一体改革について、分かりやすく、コンパクトに解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 地方税制の見直しについては、最近の報道では政府でも見直しの検討を進めているみたいですが、どこまで本気でやるつもりなのでしょうか。
 補助金や交付税の見直しに引っ張られて税源が移譲され、税制の見直しに引っ張られて国の仕事が見直され、という良い循環になればよいのですが、どこかで梯子を外されて財務省だけがほくそえむ、という結果に終わらないように注視したいと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「三位一体改革」という歴史的事実を記憶しておきたい人。


■ 関連しそうな本

 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日
 土居 丈朗(編著) 『地方分権改革の経済学―「三位一体」の改革から「四位一体」の改革へ』
 赤井 伸郎 『行政組織とガバナンスの経済学―官民分担と統合システムを考える』 2006年11月24日
 上村 敏之, 田中 宏樹 (編著) 『「小泉改革」とは何だったのか―政策イノベーションへの次なる指針』 2006年11月2日
 兵谷 芳康, 小宮 大一郎, 横山 忠弘 『地方交付税』 2007年03月22日
 平嶋 彰英, 植田 浩 『地方債』 2006年12月14日


■ 百夜百マンガ

電影少女―Video girl Ai【電影少女―Video girl Ai 】

 千葉県民としては見逃せない(を口実にしてしまう)作品。テレビから人が出てくるっていう、ギャグマンガ(2次元→3次元という逆平面ガエル)かホラー映画(貞子!)か、という設定でラブコメを読ませてしまうのはやっぱり画力でしょうか。

2007年4月15日 (日)

萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか

■ 書籍情報

萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか   【萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか】(#815)

  堀淵 清治
  価格: ¥1680 (税込)
  日経BP社(2006/8/14)

 本書は、「日本のマンガが北米のコミックス市場へどのようにして登場し、発展したかということについて、出版する側の実体験に基づいて書かれたおそらく最初の本」です。
 著者は、1986年、「今後十年以内に、アメリカのコミックス市場を急成長させること」を目的に掲げ、サンフランシスコに「ビズコミュニケーションズ」を立ち上げ、市場規模がほとんど「ゼロ」だったアメリカ市場に参入しています。本書はそんな著者の半生を描いたものです。
 第1章「八〇年代、ゼロからのスタート」では、大学時代「ワセダフォークソングクラブ」という音楽サークルの先輩から西海岸の様子を聞き、同期の友人であり、のちに「二十年来のビジネスパートナー」となり藤井氏とカリフォルニアに一ヶ月の旅にでて、西海岸のヒッピー文化に衝撃を受けたことが語られています。著者らは、「この社会の常識や規範など気にもかけずに好きなだけ自由に表現活動をすることができる西海岸の風土のすっかり魅了」され、「大学を卒業したらアメリカへ渡るしかない」とすっかり腹を決めてしまいます。
 大学院に留学する名目でカリフォルニアに渡り、ニューエイジ・ムーブメントに出会った著者らは、そのまま、サンフランシスコから車で3時間ほど離れたエルク・バレーと呼ばれる山岳地帯に移り住むことになります。著者は、「こうした山での生活は、たとえ世界じゅうどこへいっても自分は生き残れるだろうという自信のようなものを与えてくれた」と語っています。著者の様子を心配してアメリカに尋ねてきた両親を山に連れてきた下りでは、著者の予想に反して、「息子の選んだ風変わりな生活をただ淡々と受け入れている両親の姿」に、「このときほど、僕は両親を尊敬したことはない。かっこいい親を持ったな、と感じたものだ」と語っていますが、本心では、「そりゃあ、この子はいったいどうなることかと思ったで」と心配していたことが紹介されています。
 著者が、コミック業界と出会ったきっかけは、1985年に「ある映画の企画を持ち込むために役員を含め数名が訪米するので、現地でミーティングの手配などをやってほしい」との依頼を受けた、小学館・相賀昌宏氏との出会いであることが語られています。「出会った瞬間に『この人だ!』と直感的に分かる」奇跡的な出会いだったと語られています。
 当時のアメリカのコミックス市場は、「日本と比較すると最低でも20年は遅れているとされ、その未成熟さゆえに日本マンガのような質の高い『ストーローマンガ』を受け入れる土壌はまだできていない」と考えられていましたが、著者の、「アメリカで日本のマンガを出したら面白いでしょうね」という言葉に、「実は、私もまったく同じことを考えていたんですよ」と相賀氏が応え、「アメリカのコミックス市場がいまだかつて誰も本気で開拓しようとしたことのない未知の可能性を秘めたマーケット」であったことが述べられています。
 そして、1986年に社員4名の小所帯でスタートしたビズコミックスの創刊号には、
・白土三平『カムイ外伝(The Legend of Kamui)」
・工藤かずや/池上遼一『舞(Mai The Psychic Girl)』
・新谷かおる『エリア88(Rrea 88)』
の3タイトルに絞り込まれたことが解説されています。
 しかし、実際に出版という作業に当たると、「克服しなければならない実務的なハードル」が数え切れないほど表れ、「そのほとんどが、日本人とアメリカ人の文化的慣習の違いから生じる問題」であり、
(1)読み方の違い:アメリカではすべての書物が横文字で左開き:相賀氏の助言によってオリジナルの原稿を反転印刷することで右開き→左開きへ。
(2)翻訳の難しさ:マンガ特有のボキャブラリーやオノマトペ(擬態語や疑似語)、そして流行語などの翻訳は非常に辛抱強い作業と広い知識が必要になるため、日本の文化に精通した上で、アメリカのコミック文化も熟知している翻訳家を見つける必要があった。→下役を行う日本人翻訳家と、ネイティブチェックを行うアメリカ人翻訳家、編集者の共同作業によって自然なマンガ翻訳を実現。
(3)ページ数の違い:アメコミのページ数は24~36ページで全ページカラー印刷、月刊が基本。週刊誌ベースでページ数をたくさん使う日本のストーリーを読ませるために、隔週コミックスとして連載スピードを速めた。
などの工夫が解説されています。
 これらの苦労の結果、「ビズコミックスはこれ以上ないほど幸運な滑り出して全米デビューを果たす」ことができたと語られています。
 第2章「九〇年代、ピンチをチャンスに変えるまで」では、90年にはいって、「膨らみすぎたコレクターズバブルの泡がついに弾け飛んだ」ことで、コミックス出版社は次々に崩壊し、資金力のある主要アメコミ出版社とビズだけが生き残ることができたと語られています。
 著者は、「沈みかけた船の上で生きながらえる方法はふたつにひとつ」であると、「そのまま船に残り、いつ沈没するかもわからないその瞬間まで必死に欄干へしがみついて助けを待つのか、あるいは、思い切って大海へ身を投げ出し、なんとか岸に泳ぎつけるまで自分の『運』を試すのか」の二者択一を迫られ、そこで、イタリアで武論尊/原哲夫『北斗の拳(Fist of the North Star)』を出版したいという話が舞い込みます。著者は、ヨーロッパのメディアの反応から、「マンガという日本の文化に対する彼らの姿勢にどこか親近感のようなものが感じられた」として、「古くから人種や文化の異なる近隣諸国と肩を並べているヨーロッパ人にとっては、マンガのような異国文化に理解と敬意を示すことがそれほど特別のことではないのかもしれない」と語っています。
 また、90年代に入ってようやく「グラフィックノベル」と呼ばれる単行本形式のマンガを全米の一般書店に売り出すことができた著者らは、ビズのグラフィックノベルに一定のイメージを定着させるため、「サイズをすべて日本の原紙寸法である『菊版(縦21.8センチ×横15.2センチ)』に統一」し、サイズや装丁に統一感をとったことが解説されています。アメコミ式フォーマットに対する著者らの「反逆」は見事に成功し、その後参入してきた他社も日本の菊版サイズでグラフィックノベルを出版するようになり、「コミックスに関してはほとんど手付かずのような状態だったトレードブックマーケットで、我々はアメコミの常識から解放されただけでなく、そこに日本式のグラフィックノベルを確立することになった」と語っています。
 さらに、「ビズには昔からピンチを救う勝利の女神がついている」と、「コミック不況の暗いトンネルを彷徨っていた我々を光へと導き、アニメビジネスという新たな挑戦に成功をもたらしてくれた」、「小柄で愛らしい、しかし圧倒的なパワーと個性で世界を熱狂させてしまう女神」として高橋留美子氏を紹介しています。94年には、サンディエゴのコミックコンベンションに『らんま1/2』の著者として高橋氏を登場させ、「会場は割れんばかりの拍手と歓声で湧きあがった」と語っています。
 そして、「さらなる幸運」として、日本でベストセラーになった『C・G・ステレオグラム―驚異の3D』をアメリカ、ヨーロッパでヒットさせ、この成功が、「我々ビズに商業的な利益だけでなく、世界というフィールドで堂々と勝負していけるという自信と確信をもたらしてくれた」とともに、「ビズの存在感を小学館社内にアピールする上でも大いに役立った」と語っています。
 90年代後半には、ポケモン旋風が全米を吹き荒れ、『電撃!ピカチュウ』が百万部を超えるヒットとなり、このことをきっかけに、「小学館プロダクションUSA」の設立につながったことが語られています。
 第3章「二十一世紀、新たなる革命に向けて」では、日本の怪物雑誌『少年ジャンプ』をアメリカにも『SHONEN JUMP』として参入させる際に、滅多に人前に出ないことで有名な鳥山明氏を、カリスマ編集長であった鳥嶋和彦氏(Dr.マシリトで有名、小泉元首相ではない)の尽力によってアメリカのパーティに引っ張り出したエピソードや、「アメリカで売られている雑誌のうち、87パーセントが定期購読によるもの」という小ネタも紹介されています。
 そして、2002年に北米における日本マンガ単行本市場が1億ドルに達すると、後発のグラフィックノベル出版社であるトウキョウポップの猛烈な追い上げを受け、低価格化「戦争」に発展します。それまで、翻訳やレタッチの人件費などのため、15ドル前後の定価を保っていたグラフィックノベル市場に、定着してきた菊版サイズから日本の単行本に近い小型サイズに切り替え、表紙をつけないペーパーバックス・スタイルにすることで10ドル以下の低価格で参入したトウキョウポップに、市場シェアは奪われ続け、2003年にはトウキョウポップが市場の70%を押さえるという事態に発展します。著者は、「もはや、これは戦争です。そして、私たちはこの戦争に必ず勝たなければならない」と宣言し、まずは、9ドル95セントという同額まで下げ、「少年ジャンプ」作品については、7ドル95セントまで値下げし、そのために翻訳のギャラの引き下げのほか、「これまで刊行したものを含めたすべてのグラフィックノベルを日本式の右開きで刊行する」という挑戦にでます。
 本書は、日本のマンガに半生をかけた著者の自伝として、マンガに関心がない人にもぜひ読んでいただきたい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書では、海外のマンガ・アニメファンたちが、自らを誇らしげに「OTAKU」と呼び、「そこには、自分たち外国文化に精通している『コスモポリタン』なのだと自負する気概も感じられる」と語られ、著者は、中でも、「japanophile」(日本偏愛)という言葉が現れるほど、「マンガやアニメを入口にして日本の文化や歴史、そして言語や政治、時事現象に至るまで並々ならぬ興味を載ってのめり込む『超親日』を生みだしている」事を紹介しています。極端な例としては、「白人のアメリカ人であるにもかかわらず、とにかく日本に住みたい、日本人になりたい、というような『同一化願望』を抱く日本オタク(とくに白人)を揶揄する『wapanise』などというスラングまで造られ」ていると述べられています。
 日本では「オタク族の研究」などのイメージが強いですが、そういう語彙はなかなか伝わらないようです。


■ どんな人にオススメ?

・自分を「OTAKU」と自認したくない人。


■ 関連しそうな本

 中村 伊知哉, 小野打 恵 『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像』 2006年11月29日
 フレデリック・L. ショット (著), 樋口 あやこ (翻訳) 『ニッポンマンガ論―日本マンガにはまったアメリカ人の熱血マンガ論』 2006年04月29日
 杉山 知之 『クール・ジャパン 世界が買いたがる日本』
 町山 智浩 (翻訳), パトリック・マシアス (著) 『オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史』
 浜野 保樹 『模倣される日本―映画、アニメから料理、ファッションまで』
  『』


■ 百夜百音

シモダス【シモダス】 シーモネーター&DJ TAKI-SHIT オリジナル盤発売: 2003

 さすがにいつまでも下ネタアーティスト名ではきつかったようでアーティスト名を変えたようですが、なんとなく、カラスヤサトシ的なしょうもなさがよい感じです。


『Live Goes On』Live Goes On

2007年4月14日 (土)

言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか

■ 書籍情報

言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか   【言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか】(#814)

  酒井 邦嘉
  価格: ¥945 (税込)
  中央公論新社(2002/07)

 本書は、「言語に規則があるのは、人間が規則的に言語を作ったためではなく、言語が自然法則に従っているため」であるという問題提起によって「言語を持つ心」のユニークな本質を明らかにし、サイエンスに人間の復権を促そうとするものです。
 著者は、「脳はどのように言葉を生み出すか」という問題は、サイエンスの最期のフロンティアの一つであるとして、その理由を、
(1)言語は脳の小路機能の頂点にあるので、ブラックボックスの究極にある。
(2)言語は人間にのみ備わった能力であり、言語の研究は人間でしかできない。
(3)言語は他のさまざまな認知機能と密接に結びついているので、言語の機能だけを取り出して研究するのが難しい。
の3点挙げています。
 また、著者は、学問の目指すべき具体的な方向として、
・問題1:人間にしかない言語機能は、文法を使う能力だと考える。文法は脳のどこにあり、他の認知機能とどのように分かれているのか。
・問題2:文法はどのようにして脳に作られるのか。その基本メカニズムが、言語の違いや個人差に依存しない普遍的なものであるのはなぜか。
・問題3:言語はそれ以外の認知機能とどうして違うのか。その違いを支える神経メカニズムあるいは分子メカニズムは何か。
の3つを挙げ、中でも「特に文法の法則性と、それを支える原理を知りたい」と述べています。
 著者は、本書の分析対象である「言語」を、
「言語とは、心の一部として人間に備わった生得的な能力であって、文法規則の一定の順序に従って言語要素(音声・手話・文字など)をならべることで意味を表現し伝達できるシステムである」
と定義しています。
 第2章では、言語獲得の3つの謎として、
(1)決定不能の謎:与えられる言語データだけから、幼児が言語知識のすべてを決定するのは不可能。
(2)不完全性の謎:幼児に与えられる言語データは不完全であり、不完全なデータから、なぜ完全な文法能力が生まれるのか。
(3)否定証拠の謎:なぜ文法的に間違った分が間違っていると分かるようになるのか。
の3点に整理しています。そして、この3つの謎を一気に解決してしまう回答として、「幼児の脳には初めから文法の知識がある」と考えればいいと述べています。
 本書はこの他、チョムスキーによって提唱された脳の「言語獲得装置」や、言語の脳科学に必要な4つの柱(言語学、工学的アプローチ、解剖学と生理学、遺伝学)等が解説されています。
 本書は、言語に対する脳科学的なアプローチに関心がある人なら読んでみてもいい一冊かもしれません。


■ 個人的な視点から

 本書には、「ジャバウォッキー文」という文が紹介されています。ジャバウォッキーとは、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に出てくる詩の題名で、ジャバウォック怪物に関するものです。ジャバウォッキー文は、「辞書を引いても載っていない非単語を使った文」で、作品中では詩の始めと終わりにジャバウォッキー文が使われているそうです。


■ どんな人にオススメ?

・ジャバウォッキーに関心がある人。


■ 関連しそうな本

 ジュリアン ジェインズ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 2006年06月04日
 ピーター アトキンス (著), 斉藤 隆央 (翻訳) 『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』 2006年5月5日
 けいはんな社会的知能発生学研究会 (著), 瀬名 秀明, 浅田 稔, 銅谷 賢治, 谷 淳, 茂木 健一郎, 開 一夫, 中島 秀之, 石黒 浩, 國吉 康夫, 柴田 智広 『知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦』 2006年04月09日
 ジェフ・ホーキンス, サンドラ・ブレイクスリー (著), 伊藤 文英 (翻訳) 『考える脳 考えるコンピューター』 2005年12月17日
 スーザン シャラー 『言葉のない世界に生きた男』 2007年03月24日
 V.S. ラマチャンドラン, サンドラ ブレイクスリー (著), 山下 篤子 (翻訳) 『脳のなかの幽霊』 2006年09月03日


■ 百夜百音

COMPLETE COLLECTION【COMPLETE COLLECTION】 ザ・キング・トーンズ オリジナル盤発売: 2001

 十分昔の曲なのですが、今聴いてもそれなりに聴ける日本のスタンダードな一曲です。

2007年4月13日 (金)

日本型行政委員会制度の形成―組織と制度の行政史

■ 書籍情報

日本型行政委員会制度の形成―組織と制度の行政史   【日本型行政委員会制度の形成―組織と制度の行政史】(#813)

  伊藤 正次
  価格: ¥7140 (税込)
  東京大学出版会(2003/07)

 本書は、「アメリカ型の独立規制委員会を含む行政委員会という制度が、第2次世界大戦敗戦後の占領改革を通じて日本にもたらされ、中央政府レヴェルにおいては戦後50年以上の歳月を経てその過半が消滅したとはいえ、今なお複数の行政委員会が存続し、活動している」という事実に着目し、日本における行政委員会制度の受容・形成過程を分析しているものです。
 著者は、本書の課題として、
(1)さまざまな合議制行政組織の設立事例を分析することを通じて、既存研究の対象範囲を大幅に拡張すること。
(2)アメリカから伝来した行政委員会制度が日本において受容される過程に関し、新たな視座を提示すること。
の2点を挙げています。
 第1章「占領初期における合議制組織の誕生」では、「占領改革の初案段階において、日本の『非民主的』要素を除去し、『民主化』政策の審議・立案を行う主体として、多数の合議制組織が活用」され、その設置形式は多様であり、組織の正確にも幅があったが、「いずれも、その所期の目的を達成すれば活動を修了することを予定」された「臨時的な組織」であった点で共通しているが、一方で、「政策体系の『民主化』を受けて、各種の行政分野を担当する常設的な行政組織として、多くの合議制組織が創設」された(公正取引委員会、証券取引委員会)が、「占領初期の段階では、これらの組織が必ずしも一括して『行政委員会』と認識されていたわけではない」と述べられています。
 著者は、これらの組織体をそれぞれの設立経緯に基づき、
(1)既設の官庁の解体に伴って設置された合議制行政組織:内務省→地方財政委員会・全国選挙管理委員会・国家公安委員会
(2)明らかにアメリカ型の独立規制委員会をモデルとして設置された合議制行政組織:公正取引委員会、証券取引委員会
(3)総司令部の直接の指示を受けることなく、日本側が自発的に設立した合議制組織、あるいは、総司令部の示唆を間接的に受けながらもアメリカ型の独立規制委員会とは異なる性格を持つ合議制行政組織:各種労働委員会、統計委員会、司法試験管理委員会、外国為替管理委員会、外資委員会
の3つの類型に分類しています。
 これらのうち、国家公安委員会については、1947年のマッカーサー書簡によって、突如として、「警察設置自治体・都道府県・中央の三層に『委員会』を設置する構想」が提示されたことに関して、国家公安委員会が、「民間人委員で構成される合議制組織として設置」されることになり、その組織形態は、「図らずもアメリカ型の独立規制委員会に近く、地方財政委員会や全国選挙管理委員会と比べ、組織としての性格」が明瞭であったが、「ここに成立した新たな警察制度は、人口5000人以上の自治体に置かれる自治体警察(自治警)と、それ以外の地域を担当する国家地方警察(国警)が並立し、これに公安委員会制度が接木されるという、きわめて複雑な構造をもつ」ことになり、「国警に対するレイマン・コントロール(素人統制)を実現するべく設立された国家公安委員会に対しては、警察の実情を知らない有識者委員による合議対が警察行政の責任を負うことができるのか、また、合議制組織では捜査に必要となる迅速な意思決定に支障を来たすのではないか、といった疑問が提起」されたことが述べられています。
 第2章「国家行政組織法による組織の同型化」では、国家行政組織法制定の意味を、「行政組織法政における戦前・戦後の連続と断絶という観点から眺めた場合に浮かび上がる論点」を提示した上で、行政委員会制度に関して、
(1)新憲法の制定に伴う統治システムの転換をもってしても、後に「行政委員会」として同型化される合議制行政組織を法律に基づいて設置しなければならないという考え方が、当然に導き出されるわけではない。
(2)アメリカから「移植」された「委員会」という合議制行政組織の方が、ドイツ法学に起源をもつといわれる行政官庁理論の概念構成と親和性が高いという逆説を指摘できる。
(3)国家行政組織法による組織の同型化という観点から見れば、各種の合議制組織を「国の行政機関」としての「委員会」に認定するに際しては、さまざまな困難が存在した。
等の論点を提示し、「戦後の『内閣法・国家行政組織法・設置法体制』は、国家行政組織法を挟み込むことによってそれ自体が法理論上の不整合性を内包しているのみならず、『行政委員会制度』という下位制度の存在によって、さまざまな選択と解釈の予知を野起こした行政組織法政であると捉えることができる」と指摘しています。
 また、各種の合議制組織が、「行政官庁法においては一括して『所要の部局及び機関』と捉えられ、個々の実情に応じて法律設置とするか政令設置とするかの選択が許容されていた」が、「国家行政組織法案の立案過程を通じて、『国の行政機関』としての『委員会』と、諮問的・調査的機能を担う『審議会等』を峻別し、全社の設置は法律事項、後者の設置は政令事項とする方針が固められていった」ことが述べられています。
 さらに、国家行政組織法の包括的な適用を前提に、
・「行政委員会制度」の適用範囲
・「行政委員会」の組織的画一性
の2つの軸に、合議制組織の同型化の戦略を、
(1)限定的画一化:法制局や行政調査部・行政管理庁が選好する戦略であって、「行政委員会制度」の適用範囲をできるだけ狭く設定し、「行政委員会」に該当する組織を限定すると同時に、おのおのの「行政委員会」の組織的画一性を高めようとする戦略。
(2)包括的画一化:「行政委員会制度」の適用範囲を広くとりながら、同時にその内部における組織的な画一性を確保しようとする戦略。
(3)限定的多様化:「行政委員会制度」の適用範囲を限定的に捉えるとともに、その内部の組織的な画一性に関してはそれほどの関心を払わない戦略。
(4)包括的多様化:「行政委員会制度」の適用範囲を広く介しながら、そこに含まれる個別の組織について、過度の統一性・体系性を追及することはしない。
の4つの類型に整理したうえで、
(5)多型化の戦略:そもそも国家行政組織法の包括的な適用に異議を唱え、「内閣所轄合議体制度」や「法定外合議体制度」等の適用範囲を拡大したり、新たな行政組織制度を創設することにより、行政組織制度自体の多元化を促進する戦略。
の5つの戦略を挙げ、各種の合議制組織の側が採用する対応戦略について論じています。
 著者は、「国家行政組織法の制定に伴う『内閣法・国家行政組織法・設置法体制』の確立と『御製委員会制度』の成立は、各種合議制組織の『行政委員会』かを当然に帰結したわけではない」ことを指摘し、「『行政委員会制度』の適用範囲をできるだけ限定化する方針を明らかにしていた行政調査部・行政管理庁に対抗し、『行政委員会』を設立するには、各章との権限関係を調整し、関係アクターの政治的な指示を調達した上で、各種作用法令あるいは各省設置法の改正を行わなければならなかった」と述べています。
 第3章「占領終結に伴う組織の改廃と制度の存続」では、旧内務省地方局財政課の業務を引き継ぐ臨時の合議制組織として設立された地方財政委員会が、地方自治長に再編されいったん廃止された後に、1949年のシャウプ勧告に基づいて、1950年に再び地方財政委員会と称する組織が設置されたことについて、この第2次地方財政委員会の特徴として、
(1)シャウプ勧告に基づいて創設された地方財政平衡交付金制度の運用・執行機関と位置づけられ、単なる審議機関ではなく、執行機関として、中央地方の財政調整をめぐる政治過程の中核に位置付けられた。
(2)第1次地方財政委員会が、国務大臣を委員長に、国会議員を委員に含むという変則性を備えていたのに対し、第2次地方財政委員会は、民間有識者2名及び地方団体推薦3名の計5名の委員で構成され、委員長は委員の互選とされた。
(3)第1次委員会が内閣総理大臣の「管理」に属する合議制組織であったが、第2次委員会は、国家行政組織法第3条第2項に基づく「委員会」として創設された。
の3つの異なる点を挙げ、「『行政委員会』として高度の独立性が与えられた」が、「その実際の活動は、周知のように、激しい対立と混乱に彩られることになった」と述べています。
 著者は、地方財政委員会が、「行政委員会という組織形態をとっていたがゆえに、平衡交付金の決定に際して大蔵省に対する敗北を続けたとみなし、地方財政平衡交付金制度の失敗を、地財委の組織形態に帰する議論」があるのに対し、「むしろ、ドッジ・ラインによる均衡財政の要請と、毎年度の交付金総額の決定に際して膨大な交渉コストが生じるという地方財政平衡交付金制度自体が孕む問題点に起因している」と指摘しています。
 また、占領終結に伴う行政委員会の改廃にもかかわらず、「機能面における『行政委員会制度』の『限定的画一化』は、完全には成し遂げられなかった」ばかりか、存続した「行政委員会」は、「むしろ占領終結後の政治情勢を反映して、組織の『多様化』が進行していった」と述べています。
 さらに、警察制度改革に関して、占領期の警察制度が、
(1)人員、装備等の決定的な不足
(2)「分権化」の帰着としての国家地方警察と自治体警察の分立体制が、治安対策を強化する上での障害となっていると認識された。
(3)「民主化」を目的に採用された公安委員会制度が、政権担当者にとって、エージェンシー・コストを発生させるしくみとして認識された。
の3点の課題を抱えていたことが述べられています。
 そして、1953年に閣議決定された「警察制度改正要綱」が、
(1)「総理府の外局」として国務大臣を長官とする「警察庁」(仮称)の設置
(2)国家公安委員会を警察庁長官の「監視助言」機関としての「国家考案監理会」に改組すること
(3)国警・自治警をともに廃止し、警察本部・公安委員会を都道府県単位に設置するとともに、警視以上の警察本部職員を国家公務員とすること。
を骨子としていたことなどが解説されています。
 終章「総括と含意」では、「日本の行政委員会制度は、日本国憲法が定める議院内閣制という統治システムを前提としながら、『内閣法・国家行政組織法・設置法体制』という行政組織法政の確立があって始めて、その存立基盤を獲得するとともに、定着を遂げることに成功した」と述べた上で、
(1)日本の「行政委員会」の組織的起源は占領期に創設された各種の合議制組織にまで遡ることができるが、これらの組織は、必ずしもアメリカの独立規制委員会を明示的なモデルとしていたわけではなく、日本の行政組織と政策体系の「民主化」を目的としながら、多様な背景の基に設立された。
(2)神経NPOウの制定に伴い、行政組織法政の体系化に向けた動きが始まり、各種合議制組織の統治システム内部における位置づけが問い直されたことによって、行政組織制度としての「行政委員会制度」が成立した。
(3)23に及ぶ多様な「行政委員会」を包括するにいたった日本の「行政委員会制度」は、占領終結に伴って大きな転機を経験した。
の諸段階に言及しています。
 著者は、日本における「行政委員会制度」が、「国家行政組織法の制定・施行を出発点として形成され、鳩山内閣期に確立した後、『55年体制』下で比較的安定的に推移してきたと特徴づけることができる」と述べ、そこに確立した「日本型行政委員会制度」の構造的な特質を、
(1)事実上、国家行政組織法別表第1によって担保された行政組織制度である。
(2)日本型行政委員会制度が最終的に「限定的多様化」を遂げた要因には、戦後日本における行政組織の決定制度が、国会の関与を大きく許容するという「民主性」を備えていた点を挙げなければならない。
(3)このような行政組織の法定主義は、日本型行政委員会制度の変革を抑制する方向にも作用した。
の3点挙げています。
 本書は、日本における行政委員会制度の成り立ちを理解する上で、大きな示唆を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の分析の対象になっているのは国レベルの行政委員会制度ですが、都道府県にも市町村にも行政委員会制度はいくつもあります。有名どころで予算の規模も大きい「教育委員会」はよく知られていますが、この他にも都道府県レベルでは、「人事委員会」、「選挙管理委員会」、「労働委員会」、「海区調整委員会」、「内水面漁業調整委員会」、「収用委員会」など様々な行政委員会や監査委員などがあります。しかも、この中でも、「合議制」ということで組織のトップとしての「委員長」を設けないものがあったり、任命権者が知事であるものが含まれていたりとその制度は複雑です。ぜひ、続編として、地方における行政委員会制度の研究書も出してほしいと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「行政委員会」って何?という人。


■ 関連しそうな本

 川手 摂 『戦後日本の公務員制度史 「キャリア」システムの成立と展開』 2005年12月29日
 早川 征一郎 『国家公務員の昇進・キャリア形成』 2006年04月20日
 稲継 裕昭 『人事・給与と地方自治』 2005年12月09日
 稲継 裕昭 『日本の官僚人事システム』 2005年02月10日
 岡田 彰 『現代日本官僚制の成立―戦後占領期における行政制度の再編成』 2007年02月26日
 天川 晃 『GHQ日本占領史 (12) 公務員制度の改革』 2007年01月18日


■ 百夜百マンガ

BASTARD【BASTARD 】

 そういえばこの作品はいつから連載されてたんでしょうか。ジャンプの中では異質な存在でしたが、異質なままでいるのが「才能」なのか?

2007年4月12日 (木)

テレビ政治―国会報道からTVタックルまで

■ 書籍情報

テレビ政治―国会報道からTVタックルまで   【テレビ政治―国会報道からTVタックルまで】(#812)

  星 浩, 逢坂 巌
  価格: ¥1260 (税込)
  朝日新聞社(2006/06)

 本書は、「小泉とテレビとの関係をきっかけに、テレビと政治との現在・過去・未来を考えてみよう」というねらいを持ったものです。著者は小泉の手法を、「ひと言でいえば、自民党や国会、そして永田町の政治メディアを飛び越えて世論に渦を巻き起こし、その力を使って政治を動かす」ものであると評しています。
 第1章「郵政総選挙とテレビ政治」では、2005年総選挙時に、「小泉自民党が提起した『郵政民営化一本やり』の争点設定と『刺客』ブームに対してテレビ側に戸惑いはあったが、結局は小泉自民党のペースを崩すことはできなかった」というメディア側の反省点があったことを述べています。
 また、現代の政治メディアの構成員を、
(1)大手新聞社や共同、時事の両通信社、NHK・民放などの政治部記者:オーソドックスな政治メディアであり、ほとんどが記者クラブに所属して記者会見や記者懇談に出席。
(2)『文芸春秋』、『週刊文春』、『週刊新潮』などの硬派月刊誌・週刊誌、テレビでも討論番組、特集番組などのスタッフ
(3)スポーツ紙、芸能週刊誌、テレビのワイドショーのスタッフ
の3列に類型化し、2001年の小泉政権誕生以来、それまで第1列が中心だった政治報道が大きく変わり、小泉首相や当時の田中真紀子外相がワイドショーに連日取り上げられることで、第3列についた火が、第1,第2列に及んできたと分析しています。
 第2章「政治とテレビの変遷 1」では、1972年6月17日の佐藤首相退任時の記者会見において、「僕は国民に直接話したいんだ。新聞になると、文字になると違うからね。偏向的な新聞は嫌いなんだ、大嫌いなんだ。テレビは真実を伝えてくれる。私の心境もそのまま伝えてくれる」と語り、「新聞記者が退席した会見場でテレビカメラに向かって退任の弁を述べるという異例な形をとった」ことが紹介されています。
 また、自民党の歴代政権を中心にメディアとの関わりを概観し、「自民党内の『傍流』から誕生した政権は、メディア、とりわけテレビ対策に心を砕き、政権のパワーとしてテレビを活用した」という法則を見いだしています。
 第3章「政治とテレビの変遷 2」では、国会でのテレビの取り上げられ方に、「1950年代と60年代の上昇期、70年代と80年代の停滞期、80年代末から現在までの再上昇期という、3つの時期」があることを示し、「90年代に入りテレビが政治的な影響力を増大させた」という言説に親和的であると述べています。
 また、1980年代末からの第3次テレビ政治が、「派閥争いの『キャンペーンの場』『宣伝のアリーナ』としてのテレビが、徐々に『説明の場』『説得のアリーナ』へと変化していき、ついには政治本体の変容を導き出していくプロセス」として理解できることを示しています。
 また、80年代後半以降に拡大したニュース番組や討論生番組が、「激動する政局に寄り添いながら、政局そのものを活性化させる役割を果たした」が、この時期の政治家のほとんどは、「ほとんどが、政界話に終始し」ていたという指摘を紹介しています。
 さらに、「政治家の宣伝的テレビ利用と、テレビ局の政治を『絵』に使用とする傾向がもたらした、テレビに大きく左右され、影響を受けやすくなった政治」という定義のテレビ政治はテレビの誕生当初から存在していたと述べています。
 そして、小泉について、「テレビ露出に関しては、これほどカメラの前に身を晒しフレーズとイメージの露出量を保ち続けてきた首相はテレビ政治史上存在しない」として、「この徹底した露出を支えているものが、小泉が官邸で平日毎日行っているテレビ記者会見である」と述べています。
 また、小泉のテレビ政治を、「明確なメッセージをテレビによって伝えることで、国民の関心と期待を調達しながら、テレビを武器にそのメッセージを具現化することでリアリティーを与え、それによって指示を維持・拡大していくという循環に特徴付けられる」と評しています。
 第4章「テレビ政治の社会学」では、新聞の発行部数を都道府県別に比較し、
・全国紙といわれている新聞は関東圏と大阪圏に部数が集中している
・地方紙が6割以上の普及率を誇っているのは13もの県にのぼる。
として、「地域というメガネをかけてみると、日本は、関東圏と大阪圏を除いて、地方紙の王国であり、その点で実は日本において(も)新聞はサーキュレーションという点で県を単位とした『分権的』(分県的)な配置になっている」ことを指摘しています。
 一方でテレビは、
・「配置」においては中央集権的である。
・「量」においては膨大である。
として、「東京にある『キー局』は、日本全国のほとんどすべてのテレビ受像器に音と映像を同時に伝えることが可能な『配置』となっている」と述べています。
 また、テレビカメラの変化がもたらしたテレビ政治への影響について、
ENG(Electonic News Gathering)と呼ばれる、ハンディ・カメラと小型VTRによる収録システムが政治報道に導入されたことで、「従来の政治情報の流れと質を徐々に変化させ」、「敵のみならず味方に関する精度の高い情報の保有こそが、権力闘争に勝ち抜く際の必須の条件であり、適切な時期に適切な情報を流通させることで、状況をコントロールすることも可能である」と述べています。
 そして、「テレビを用いることで政治家は『正確なニュアンス』を伝える可能性を上昇させうるが、自身の発言が膨大な人間に瞬時に伝わってしまう性質は、政治家に発言の『速度』や『うまさ』を要求することになり、逆に政治家を追い込むものでもあった」と述べています。
 さらに、小泉政権下のワイドショー政治が、「放送され続けてきた政治的な話題が、途切れなき様々な『闘い』のエピソード群であった」ことを指摘しています。
 本書の副題にもなっているTVタックルについては、この「闘い」を「リアルにわかりやすく表現し、それによって視聴者に受容されてきた」と紹介し、その魅力が、「わかりやすさと本音」にあり、政治がわかりやすく表現され、国民の理解が進むこと自体は日本政治に対して大きな貢献をしているが、一方で「小泉時代のテレビ政治が陥った隘路」に直面しているとして、
(1)小泉への徹底した風刺や批判が難しかった。
(2)ごまかしのないスリリングな議論の場を設定しようとすればするほど、政権が設定した政治的争点に議論の「ネタ」がはまりこんでしまう。
の2点を指摘しています。
 第5章「テレビ政治の将来」では、テレビの政治報道に関して、
(1)中身の充実
(2)討論性の重視
(3)自己検証の強化
(4)国際性
の4点を提言しています。
 本書は、90年代以降の、日本の政治の変化をテレビを軸に検証した、わかりやすい一冊です。


■ 個人的な視点から

 『TVタックル』は、もともとあんなに政治家が出てくる番組ではなかったのですが、いつの間にか土日朝の討論番組のライト版みたいな位置づけになってしまいました。
 月曜の夜9時からという時間も、土日の朝っぱらから政治家の顔なんか見たくねーよ、という層に受け容れられやすかったのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・最近、テレビで政治家を見かけることが多くなったと感じている人。


■ 関連しそうな本

 G.E. ラング, K.ラング(著), 荒木 功, 小笠原 博毅, 黒田 勇, 大石 裕, 神松 一三 (翻訳) 『政治とテレビ』 2007年04月04日
 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 2005年9月7日
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 2005年7月13日
 高瀬 淳一 『武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法』 2006年8月10日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年6月23日
 ドナルド・R. キンダー (著), 加藤 秀治郎, 加藤 祐子 (翻訳) 『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』 38887


■ 百夜百マンガ

オッス少林寺【オッス少林寺 】

 Wikipediaによれば、
> 少林寺拳法では本来、空手独特の押忍(オッス)という挨拶を禁じている。
> これは開祖である宗道臣が「おはようございます」を省略した悪習であるとして、
> 一般に広く使われている挨拶を使用するよう講習会等で強く禁じていた。
とのことです。タイトルの中にすでに矛盾をはらんでいる作品。

2007年4月11日 (水)

財政投融資

■ 書籍情報

財政投融資   【財政投融資】(#811)

  新藤 宗幸
  価格: ¥2730 (税込)
  東京大学出版会(2006/05)

 本書は、「財政投融資なる巨大な政府金融システムに視点をおきつつ、日本の政治と財政の深層にアプローチ」を試みるものであり、
(1)そもそも財政投融資とはなんであるのかを、明らかにする。
(2)財政を腐食させている構造的要因を明らかにする。
(3)財政投融資の2001年改革ならびに郵政事業民営化が持つ予算青磁への意味を明らかにし、財投改革に新たな視座を提起する。
の3点を目的としたものです。
 序章「予算のなかの財政投融資」では、財務省が財政投融資債を長期債務にカウントしない理由として、「政府金融の財源であり将来利子をつけて償還されるから、税で返済する国債などの長期債務とは異なる」ことを挙げていると述べています。
 第1章「財政投融資のしくみ」では、近代日本が、「租税をもとにした財政支出や政府出資とは異なる公的資金の調達と投融資のシステムを制度化」してきたとして、「官営貯蓄機関を全国各地に設置し、そこで集められた資金を『国家銀行』を通じて政府関係機関や民間に投融資するシステム」が、「日本の近代化の有力な推進装置」であったと述べ、この歴史過程を、
(1)明治初期~第二次世界大戦の敗戦まで:原型の形成・完成期
(2)1951年~2000年度:戦後近代化の有力装置として機能した全盛期
(3)2001年度~:改めて存在証明を問われ、その改革が政治の焦点に。
の3段階に区分しています。
 このうち、昭和恐慌期から戦時体制期における運用の特徴としては、
(1)国債引受に力点が置かれた
(2)昭和恐慌打開のための地方とりわけ農村部への投資
(3)日本製鐵株式会社、日本発想伝株式会社などの社債引き受けや購入による戦時経済基盤の強化
(4)北樺太石油株式会社への事業資金融資、南満州鉄道株式会社の社債購入、満州開発公社債、北支および中支開発債など政府保証債の購入による植民地経営支援
の4点を挙げ、「国民の零細な貯蓄を預金部なる『国家銀行』において集中的に管理し、時々の政策目標におうじて大規模に投資、出資するシステム」が、「すでに戦前期に原型を完成させていた」と述べています。
 また、戦前戦後を通じた年金制度の整備が、「資金運用部の資金の拡大と投融資の網の目の拡張に寄与」したが、「集められた資金をどのような分野に重点を定めて投融資するかは、相対的に別個の政策判断による」ため、「財政投融資の機能(投資分野)と社会保障との齟齬が問題視」されることになり、年金の管理機関が、各種の政策金融による被保険者への利益還元などを掲げ、余剰金(積立金)の自主運用を求め、年金福祉事業団の設立につながったことなどが述べられています。
 さらに、政府保証債の発行額を規定している要因として、
(1)郵便貯金などの伸び悩みによる財投原資の減少を補完する。
(2)1970年代の第1次石油危機や1990年代中期以降の経済不況からの脱却を図るため、財投の機動性を高めるとして、政府保証債の発行を認められている機関に「特別の事情」がある場合には、50%増の範囲内で政府の債務保証限度額を増額できる「弾力条項」が、一般会計予算総則に盛り込まれた。
の2点を挙げています。
 2001年の財政投融資制度改革後の最も大きな特長としては、資金運用部が廃止され財投資金の調達方法に「改革」の手が入れられたことを挙げ、「資金運用部資金法の一部改正(1999年)によって、財政投融資制度の中核をなしてきた大蔵省資金運用部と資金運用部資金は廃止され、財務省の管理・運用する財政融資資金におきかえられた」ことが解説されています。
 著者は、財政投融資制度の沿革を解説した上で、「戦後近代化過程において安定資金のもとで運用されてきた財投機関は、『入口』にもまして既得の利益に固執する集団をうみだしている。『出口』の改革こそ、依然として財政投融資改革の重要課題として残されている」と指摘しています。
 第2章「財政投融資の歴史的機能」では、戦後日本における財投の歴史的機能として、
(1)最も巨視的にみたときに財政投融資が日本の財政に果たした機能として、「小さい政府」を補完し、政府公共部門を拡大してきた有力な動因であった。
(2)政策機能としては、初期の資本蓄積機能から生活関連の社会資本整備や政策金融に変化してきた。
等の特徴を指摘した上で、2001年改革が、「制度枠組みに変化をもたらしたが、旧制度のもとで投下された資金の運用は続いているばかりか、それに必要な資金保証が『経過措置』であれもうけられている」ことや、「「財投債が新たな資金調達方法であるのは事実だが、郵便貯金資金や簡易生命保険資金、年金積立金といった巨額の『安定的』公的資金がつぎ込まれることに変化はない」ことを挙げ、「巨大な官営金融機関の存在が、財政構造の腐食との関連性において、以前重要な改革課題であることにかわりはない」と指摘しています。
 また、財投機関の「濫設」を、貿易振興、基幹産業への資金援助の分野をはるかに上回る規模で、公共事業分野に見ることができるとして、本州四国連絡橋公団や東京湾横断道路株式会社などの例を挙げ、「日本道路公団や住宅公団に見るように、財投機関が『子会社』を設置する事例は数多く見られる」が、「これほど大規模に複数の財投機関が、採算性の欠如を当初より問題視された機関の設立に関わったことなどなかった」として、「財投資金の配分が官僚機構の裁量にゆだねられている典型例」であると指摘しています。この他、住宅金融公庫(1950年)、日本住宅公団(1955年)、宅地開発公団(1975年)の設立の例を挙げ、「これ自体、機能の再分化を強調した濫設という以外にない」と指摘した上で、賃貸住宅の建設に投下された資金の回収期間が70年、分譲住宅の割賦返済期間が35年とされているのに対し、資金運用部資金からの借入金の償還期間は、最も長期のもので30年であるため、「公団は構造的に資金繰りのための借入金や一般会計からの利子補給金の給付を受けざるを得ない」構造となっている点などを指摘しています。
 著者は、これら「濫設」の理由として、「自民党政権にとってみれば、こうした財投機関の『濫設』による政策金融の『拡充』が政権の安定に寄与したばかりか、一党優位政党制への道を拓いた」こと、すなわち、「財政投融資の政治的資源としての効用は、きわめて大きかった」ことを指摘しています。
 しかし、1996年度初頭から、財投制度に対する疑問が噴出し、財投の入口への流入は、民間金融機関の「経営危機」やバブル経済破綻後の超低金利政策などによって順調に推移したのに対し、民間銀行の長期プライムレートが、軒並み政府系金融機関の貸出し基準金利を下回ることになった結果、中小企業金融公庫、国民金融公庫などの中小・零細企業向け貸出しは低迷し、住宅金融公庫では、過去の高利融資の利用者からの繰上げ償還が急増した結果、95年度の財投実績は、計画額を2割下回り、財投史上過去最大の未消化額8兆501億円を計上したことが解説され、一方で、国有林野事業特別会計と国鉄清算事業団などの過去の財投融資の「こげつき」が政治問題化したことが述べられています。
 著者は、財政投融資が、「潤沢な資金をもとにして歳出を『補完』し」、「戦後復興期においては資本蓄積に向けて有効に機能し、また高度経済成長期には生産基盤の強化にむけて機能した。さらにポスト近代化と友のひろい意味での社会政策的機能をつよめた」と評しながら、この制度が、「制度の存続と一層の活用に群がる集団をたえず生産」し、「行政資源としてさらには政治資源としての『無定見』な制度の運用」が、「制度それ自体を『腐食』させざるをえない」と述べています。
 第3章「2001年改革とは何であったか」では、新たな財投制度の枠組みの要点として、
(1)大蔵省資金運用部と資金運用部資金の廃止と、財務相の管理・運用する財政融資資金への置き換え。
(2)資金運用部資金の原資の大半を構成した郵便貯金と厚生、国民年金積立金の強制預託制の廃止。
(3)財政融資資金の、主として財政融資資金特別会計の発行する財政投融資債(財投債)による調達。
(4)財政融資資金、産業投資特別会計、政府保証債による財政投融資の原資の構成。
(5)財投機関の発行する財投機関債が制度化され、これによる調達額との兼ね合いで、財政融資資金による融資が決定され、財投機関は制度上、経営状態や信用力を市場のテストにさらされることになった。
の5点を挙げています。
 また、この改革の過程において、大蔵省が政治によって押し切られ、「近代化過程で『独占』してきた政府金融の『入口』と『出口』への絶大な権限を失う」こととなったが、この改革案を後追いした資金運用審議会懇談会の最終報告が、「大蔵省と郵政省の『共栄共存』を基礎とするもの」であり、大蔵省が、「財投機関への資金配分権を維持できるばかりか、審査の『厳格化』によって要求官庁と財投機関への影響力をたかめることができる」等、「大蔵省にとって『敗北』とはいえない」ものであり、「ミクロにみるならば、こうした大蔵官僚機構の組織維持戦略が、財政投融資制度改革をうながした」と指摘しています。
 さらに、「財投の長い歴史の中で財投機関を頂点とした組織系列がつくられてきた」ことについて、この「官制系列」にとって、「道路公団の工事発注をめぐる談合事件にみる組織と経営の不透明性」は、「氷山の一角」にすぎず、「民間会計基準による経営評価や事業評価にもまして、特殊法人などの組織構造にメスを入れ、組織改革がはかられねばならないはず」と指摘しています。
 終章「財政投融資をどうするのか」では、「社会政策に軸足を置いたとされる政策金融」が、「理論的にも実際にもいまや時代適合性をもっているとはいえない」として、「社会政策的な要素の濃い政策金融は、個人や法人に対する個別の資金貸付けといったスキームからの転換を必要として」いると指摘しています。
 また、「公共性がたかく償還可能性のない領域にたいして、政策金融の名を借りつつ実質的には無償資金の供給を行ってきた従来の手法は、根底から否定されるべき」であり、「そのような領域には政府の権力的経済活動としての財政によって、無償資金を供給すればよい」と述べています。
 さらに、公営企業金融公庫について、「政府保証債によって資金の大半を調達」ものを「自治体ないしその連合体に移管するとしても、原稿業務を続ける限り自治体が運営資金を拠出することは、地方財政の状況から見て不可能に近い」ため、「結局のところ、政府保証債ないし財政融資資金からの借入金に依拠せざるをえない」ものであり、「一般会計からの補給金などの資金流出に歯止めをかけるものとはならない」と指摘しています。
 本書は、2001年の財政投融資改革を中心に、制度の経緯と課題を分かりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 「第二の予算」とも呼ばれた財政投融資については、実態がなかなか見えにくいところがありますが、見えにくさという意味では、2001年の改革によって一般の人にはかえって制度としては見えにくくなったのかもしれません。
 それでも、個別の機関別に、とくに市場から見えやすくなることは、大きな成果とは思いますが。


■ どんな人にオススメ?

・「財政投融資」の役割と課題を押さえておきたい人。


■ 関連しそうな本

 加藤 三郎 『政府資金と地方債―歴史と現状』 2007年04月10日
 平嶋 彰英, 植田 浩 『地方債』 2006年12月14日
 白川 一郎 『自治体破産―再生の鍵は何か』 2006年10月30日
 吉富 有治 『大阪破産』 39010
 赤井 伸郎 『行政組織とガバナンスの経済学―官民分担と統合システムを考える』 39045
 上村 敏之, 田中 宏樹 (編著) 『「小泉改革」とは何だったのか―政策イノベーションへの次なる指針』 39023


■ 百夜百マンガ

ちくちくウニウニ【ちくちくウニウニ 】

 ついに少年誌にまで波及した戦車ブーム。一部の大人はともかく、サンデーの読者にはシュールすぎたんじゃないかという気もします。

2007年4月10日 (火)

政府資金と地方債―歴史と現状

■ 書籍情報

政府資金と地方債―歴史と現状   【政府資金と地方債―歴史と現状】(#810)

  加藤 三郎
  価格: ¥6510 (税込)
  日本経済評論社(2001/07)

 本書は、「政府資金による地方公共団体への資金供給をめぐる問題」を考えることを意図し、これまで、政府資金の中心である預金部(資金運用部)資金に比べ研究が手薄であった簡保資金について、「政府資金の地方還元」という問題に関しては、「簡保資金の運用の在り方の分析は不可欠」であるという観点から、「研究史の欠落を埋める」ことを趣旨としているものです。
 第1部「政府資金と地方債の諸問題」、第1章「地方債から見た政府資金」では、昭和50年代から60年代初頭にかけての、「金利の自由化の進行過程における政府資金の比率の減少という自体が引き起こした過渡期の一つのエピソード」として、「従来の政府資金の比率の実績を基準にして政府資金と民間資金の理沙を補給する」という政府の対応が、「政府資金の低利性が、政府により地方自治体への一種の補助金」、すなわち「かくれた補助金」であったことを顕在化させたものであることが指摘されています。
 第2章では、今日、政府資金の地方還元問題として意識される貸付けに関して、「わが国では戦前から直接貸付けという形態が根づいてきた」ため、「この貸付けの地域配分によって、言い換えれば地方還元の具体的あり方によって」、「かくれた補助金」の帰着が決まってくると述べています。
 第2部「政府資金の地方還元」第1章「預金部資金と地方債」では、「遠隔からいっても量的にみても政府資金の中心」であった郵便貯金を主体とする預金部資金について、その地方還元という政府方針が、「関係3省のうち、内務省主導で実現した」ことを、明治42年度予算案の審議過程を示しながら明らかにしています。そして、大蔵省にとって、「郵便貯金の奨励による預金部資金の増加はもちろん歓迎すべき事柄であるが、その見返りとして資金の一部を地方に還元しようという内務省の主張には、『時勢ノ推移』として受け容れはしたが、消極的」であった理由として、「資金運用について一定の制約を課されることへの抵抗」を挙げています。
 第2章「簡保資金と地方債」では、「簡保資金の地方還元という方針がどのようにして形作られたのかという問題」を明らかにするために、簡保創業時の事情から検討し、「本格的な社会政策である強制的労働保険への展望をもって、主として労働者階級を対象として制度の構築が意図された」ため、この考え方は資金運用の基本方針に及んだことが述べられています。
 そして、運用形態としての、公債投資(国際と地方債)の内訳について、当初は国際だけであったが、1923年から地方債にも投じられ、1926年には地方債が4割近くを占めるようになったことについて、1920年以降の恐慌と不況によって、「失業問題が深刻」となり、小作争議が頻発するという社会背景を受け、運用開始時に圧倒的な比重を占めた住宅以外に、職業紹介などの不況下の課題事業や、自作農創設事業への貸付けが始まったこと、そして最大の問題として、「小学校の建設を始めとして社会政策的とはいえない事業が次々に対象事業に加えられていったことで、ついには地方自治体の庁舎までが貸付対象とされるにいたった」ことを指摘しています。
 著者は、創業後10年足らずの経験が、この事業の理念であった社会政策のあり方についての修正をもたらし、社会政策的とはいえない多くの事業が資金運用の対象となり、「地方還元という点でいえば都市中心という当初の構想から地方町村の比重が激増」し、「1926年2月現在、地方町村が5割5分に達するという状態」であったと述べています。
 また、大正15年度予算案の政府原案に利子補給の経費が計上されたことについて、
(1)内務省:小作争議の沈静化はきわめて重要な課題で、府県財政力が深刻な状態にあったにもかかわらず利子補給という政策を採らざるを得なかったが、これを国の財政によって肩代わりすることを強く希望していた。
(2)農林省(農商務省):この政策に本格的に取り組むようになって、国庫による利子補給という構想も視野に入れて検討していた。
(3)逓信省:社会政策的運用と地方還元という簡保資金の課題からこの事業の貸付に積極的ではあったが、一定の利回りの確保も至上命令であり、この2つの要請を満足させる「工夫」として、利子補給の提案には前向きに対応しようとしていた。
(4)大蔵省:預金部資金の貸付については拒否したが、簡保資金の貸付への利子補給である限り、資金量には一定の制約があるので利子補給にも自ら限度があるため、厳しい財政事情にもかかわらず利子補給という新規経費への予算計上に同意した。
と各省の対応を整理しています。しかし、「一定の利回りを確保しながら簡易生命保険事業の健全な発展を確保しようという発想」による利子補給が、「政界の論理」によって、「一定のルールによる地方還元という簡保資金の従来の方針をも危うくするようになった」と指摘しています。
 そして、簡保資金の運用原則として、「確実且有利に運用すること」という第1原則として掲げておきながらも、「加入者階級の利益のために社会公共事業に放資すること」という第2原則とともに、「各地方の加入者に応じて資金を地方に還元すること」という第3原則が、「法案審議の過程で議会において要求された資金の地方還元という考え方」、すなわち政界の要求を受容したものであり、この昭和初期に表明された簡保資金運用の三原則が、「政界と官界からの簡保資金への提案や要求にたいする回答であり、かつ独特の存在意義を内外に示そうとしたもの」であると指摘しています。
 さらに、対象事業の拡大過程に関して、ここに形成された「金利体系」が、「性格からいうと、実は補助率の体系だといった方がよいように思われる」と述べ、「社会政策的事業に対しては最も効率の補助金を供給し、簡易生命保険事業の課題とのかかわりに応じて補助率が決定されていた」ことを指摘し、「この『金利体系』は『金利』の論理によってではなく、『補助金』の論理によって、つまり『金融』の論理ではなく『財政』の論理によって決定されたもので、いわば擬似的な金利体系だった」と述べています。このことは、「信用力の低い町村に相対的に大きな補助金が供与された」ことであり、「より長期の貸付に対してより大きな補助金が供給された」ことであるとしています。
 また、郵便年金積立金に関しては、この事業が、「当初、簡易生命保険事業と同時に調査が進められていたが、後に切り離されて、簡易生命保険事業の実施後、10年を経て実現した」ものであり、このことが、「この事業が簡易生命保険事業と共通した面と異質な面とをもともと併せもっていたこと、さらに簡易生命保険事業の10年の経験をも前提に制度の構築が行われたこと」を示唆していると述べています。
 第3章「預金部の改革」では、制度改革の最大の問題であった運用委員会について、「従来、大蔵大臣の専断体制といっても他省庁に関係のある事項については閣議において意見調整を図ってきた」が、「この機能をより常態化し、さらに民間委員を含めて委員会を編制しながら、大蔵省の裁量権を実質的に維持しようという点に委員会の構成原理の眼目があった」ことが指摘されています。
 第3部「地方還元の実態」第1章「戦前・戦中」では、預金部地方資金の激増の過程における「一つの重要な改革」として、地方資金供給の方法に関して、従来の機関経由による間接貸付けが、1927(昭和2)年から、「道府県と6大都市(東京、大阪、今日と、名古屋、神戸、横浜)に融通する普通地方資金については当該地方債券の預金部引き受けによって直接貸付を行うように改めることにした」ことを挙げ、この改革の翌年には、直接貸付を市町村にまで拡大しようという構想の検討が始まっていることが述べられています。著者は、その理由として、「金融恐慌から昭和恐慌の過程で地方自治体は深刻な財政危機にあって、低利の政府資金の増大のみならず、その一層の低利性を求めた」ことを挙げ、「こうして府県と市町村間の信用力格差を表現していた利率差は消滅」し、「預金部は直接貸付に伴う機構の拡大や、事務量の新規負担をコストとして上乗せすることなく、従来通りの金利で貸し出すことを前提として自治体の負担軽減が実現した」ことを指摘しています。
 しかし、個々の公共団体への資金脅威ゆうの実情については、当時の雰囲気について、「預金部の金でも、借りた以上は返さなければならない金である。それを地方の人はもらったもののように考えて、返さないでもよいと思っている。それから選挙のあるときになりますと、この金が選挙に利用される。代議士が来て、自分の選挙を有利にするため、低利資金を借りてきたと宣伝する。そういうものが入ると不良貸ができる」と、「国と地方団体の間においても深刻なモラル・ハザードの発生や財政規律の弛緩が見られる」ことを指摘し、「かくれた補助金」の性格の一面を物語るものと述べています。そして、この原資は、一般的に銀行預金利率よりも低位に維持されていた郵便貯金の利率、すなわち、「この時期の預金部の地方資金の低利性は郵便貯金の低利率に大きく支えられていた」のであり、「農民を中心とする庶民の零細資金」である貯金者に対する「かくれた租税」によって賄われてきたことを指摘しています。
 さらに、地方債の問題以上に創業時の構想にはるかに大きな衝撃を与えたものとして、日中戦争の開始後に簡保資金も国債消化への協力が求められたことを挙げています。
 また、1943年度以降は、大蔵省が、「政府資金を一元化することによって、より合理的な運用が可能となる」という年来の主張を、「政府の金融統制力の強化という戦時期の政策課題によって補強」し、「簡保資金は契約者貸付と地方公共貸付を除いて預金部に預入する、地方公共貸付の金額は従来の運用実績を基準とした上で、両省で協議するが、その融通条件は預金部地方資金と同一とする、簡保年金資金の必要運用利回りにより算定した額から、預入されない資産から生ずる運用預入額を控除した金額を利子として支払う」というものであったことが述べられています。
 著者は、預金部資金の移動問題を考える上で、「内部地方資金だけに注目していたのでは実態を明らかにすることはできない」とし、「外地地方資金を含めてみると、資金の流れは当会、近畿、山陽地方から朝鮮と東北、北海道、山陰地方へ移動したといえる。外地と農村部へというのが大きな流れだったのである」と指摘し、「この時期に預金部資金は農村から都市に移動したのではなく、逆に大都市から農村への移動というのが主要な流れだった」と述べています。
 第2章「戦後」では、戦後の簡保資金の地方還元の状況として、
(1)保険加入状況に応じて還元するという方針にもかかわらず、地方公共団体貸付を通じてかなり大きな地域間の資金移動が行われている。
(2)移動の型が1970年代半ば頃から転換し、近畿郵政局管内が、この時期移行、大きな移出地域から大きな移入地域に転換した。
の2点を挙げています。
 また、移出入の流れを規定しているのが、「文教」と「住宅」事業への貸付の地域配分にあることを指摘しています。
 終章「結び」では、戦前に、「低利の預金部資金について、大蔵省の担当官は『地方の人はもらったもののように考えて、返さないでもよいと思っている』と嘆いたが、交付税措置というのは地方債元利の全部または一部を文字通り『もらったもの』で『返さないでもよい』ことにする仕組み」であり、「交付税措置のある地方債というのは地方債の形態をまとった補助金といった方がいいかもしれない」と指摘し、この「『かくれた補助金』の補助率はきわめて高いし、政策的誘導という視点から見れば、交付団体に限られることになるから、きわめて変則的な補助金といえる」と指摘しています。
 そして、地方交付税の仕組みについて、「いわば二つのブラック・ボックスの組合せを通じて政府資金が供給されていることもできそうである」と述べ、「ディスクロージャーの一層の進展を望まざるを得ない」と指摘しています。
 本書は、政府資金について、地方債と「政界の論理」との関係を戦前・戦後を通じて追った良書です。


■ 個人的な視点から

 本書を通読して分かることは、現在の複雑な政府資金と地方債制度は、さまざまな経緯を経て現在の形に落ち着いた、と説明されることが多いが、その「経緯」の多くは、内務省(自治省・総務省)と大蔵省(財務省)の100年を超える交渉と妥協が現在の制度を形作っているということです。
 その意味でも、現在の制度を細かく重箱の片隅をつつくように覚えることよりも、本書などを通じて、過去の交渉の経緯と当時の社会情勢を合わせて追っていった方が正しい理解への近道だということが言えるでしょう。


■ どんな人にオススメ?

・政府資金の制度の成り立ちを歴史の中でつかみたい人。


■ 関連しそうな本

 平嶋 彰英, 植田 浩 『地方債』 2006年12月14日
 白川 一郎 『自治体破産―再生の鍵は何か』 『地方分権と財政調整制度―改革の国際的潮流』 2007年03月14日
 持田 信樹 『地方分権の財政学―原点からの再構築』 2007年03月15日
 松本 英昭 『新地方自治制度詳解』 2007年03月12日
 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日


■ 百夜百マンガ

Dr.Noguchi―新解釈の野口英世物語【Dr.Noguchi―新解釈の野口英世物語 】

 どの作品にも必ずいじめられっこが登場する人ですが、読む方も慣れてしまって、この後にすぐカタルシスが待っていると分かっているから安心して読めるのかもしれません。

2007年4月 9日 (月)

未完の分権改革―霞が関官僚と格闘した1300日

■ 書籍情報

未完の分権改革―霞が関官僚と格闘した1300日   【未完の分権改革―霞が関官僚と格闘した1300日】(#809)

  西尾 勝
  価格: ¥2310 (税込)
  岩波書店(1999/11)

 本書は、「地方分権改革の流れの渦中に身を置く当事者」である著者が、「その多忙な日々の合間を縫って全国各地を行脚し、その時々の状況を自治体関係者に報告し改革への理解を協力を求めた講演録の中から、改革の道程の節目節目を代表する6本を選び収録したもの」です。
 第1章「地方分権改革の潮流・体制・手法」では、地方分権の「混声合唱」状況が出てきた流れとして、
(1)行政改革の流れ:第二次臨調以来数次に渡る行政改革の流れ
(2)政治改革の流れ:これまでに行われた選挙・政治資金改正や政界再編制の流れ
(3)地方制度改革の流れ:1990年の福祉8法の改正に代表される機関委任事務から団体事務への切り替え
の3つの流れを紹介しています。
 また、著者が、地方分権論議において、
(1)受け皿論をすべて棚上げすべきであること
(2)現在の都道府県、市町村という二層の自治制度を基本的な前提にすること
の2点を主張してきたことが述べられています
 さらに、今回浮かび上がった新しい手法として、
(1)国の役割、各省庁が担当する仕事をできる限り限定列挙する
(2)機関委任事務の廃止
の2点を挙げています。
 そして、地方6団体の提言の中で、
(1)国の関与について不服申し立てをし、採決を求めることができる。
(2)条例無効確認訴訟:条例が無効と考える場合は国から裁判所に訴える。
等、「きわめて独創的な新しい制度の創設」が提言されていることを解説しています。
 第2章「なぜ分権が必要か」では、「地方分権の推進が時の政治課題になり、政治日程に浮上」した理由を、「地方自治関係業界以外の業界の人たちが地方分権の推進を求めるようになったからこそ、今日のような自体が生まれてきている」として、
・政界の政治家たち
・財界の財界人たち
・連合に結集している労働界の人たち
を挙げています。
 また、地方分権を推進する理由として、
(1)中央と地方の連絡なり折衝なりにかかっていた時間とエネルギーの浪費、無駄を省くことができる。
(2)市町村が自主的に事を決めていくことが増える。
(3)国の各省庁は、国際的な調整業務にエネルギーをむけることができる。
の3つの目的に集約することができるとしています。そして、国の行政の欠点として、
(1)新たに発生してくる問題に対する対応が必ず遅れがちになる、後追いになる。
(2)全国画一的な基準を設定してしまう性向がある。
(3)各省別の縦割りのバラバラ行政になりがち。
松下圭一氏による整理を紹介しています。
 第3章「中間報告とその後の状況」では、地方分権型行政システムの骨格をなす考え方として、
(1)上下・主従の関係を対等・協力の関係に切り替える。
(2)国と地方公共団体の間の新しい調整ルールと手続を構築する。
(3)法律による行政の原理を徹底する。
の3点を整理しています。
 また、従来の機関委任事務について、
(1)この機会に廃止してしまって良いであろうというもの。
(2)大半のものは自治事務に移行させる。
(3)非常に例外的だが、もっぱら国の利害に関わる事務については、法定受託事務に切り替えていく。
(4)きわめて例外的だが、この機会に国に返上して一貫して国が直接執行する。
の4つのグループに分けています。
 そして、中間報告に対する各省の対応として、
(1)委員に対する「ご説明攻勢」として、実態は「説得」「折伏」に来る。
(2)「奥の手を使います」と宣言し、「国会議員に泣き込む、族議員を動員する」
(3)関係業界を動員し、抗議のファックスを大量に自宅に送りつける。
等の「攻勢」が紹介されています。
 第4章「地方分権改革の基本戦略と都道府県」では、戦後改革において、都道府県が、知事の選任方法を官選から直接公選にあらためたが、それだけでは、「完全自治体」に変わることができず、本来ならば、
・都道府県が担う事務権限を完全自治体にふさわしいものに組み替えること。
・国と都道府県の関係を抜本的に再編制すること。
・都道府県と市町村の関係を自治体同士の関係にふさわしいものに改めること。
など、変えるべき点があったが、「戦後改革ではこれらの諸点にほとんど手が加えられなかった」と述べ、「基本的には戦前に都道府県で処理されていた事務権限の大半がそのまま戦後の都道府県が担う事務権限になった」ことが解説されています。
 著者は、このような、戦後日本の地方自治の姿を、「集権融合型の地方自治」とよび、「地方公共団体に自治体としての役割と国の下部機関としての役割の双方を担わせているという点で、国と地方公共団体とが融合してしまっているシステムであって、事務処理に関する実質的な決定権限が幅広く国の各省庁に留保されているという点で、集権的なシステムである」と述べ、このシステムの利点・長所としては、
(1)都道府県・市町村に実に多くの事務権限を幅広く担わせることが可能になった
(2)その結果、国の行政機構とか公務員の膨張を現状程度に抑制することが可能になっていた。
等があることを指摘しています。そして、財政学者の神野直彦教授の言葉として、「行政を執行する事務は幅広く地方に分散されているのだけれども、これらの事務処理方法を決める実質的な権限は幅広く中央に留保されているシステム」である、「集権的分散型システム」を紹介しています。
 また、国の関与の累計として、
(1)法令に基づく関与
(2)必置規制
(3)補助金行政
の3点を挙げ、このうち(1)の「法令に基づく関与、すなわち『通達行政』の縮小廃止を最優先課題」に選んだことが述べられています。
 第5章「四次の勧告を終えて」では、委員会側の考え方と省庁側の考え方の距離を縮め、関係省庁の合意を得るために、「グループヒアリング方式」(別名「膝詰め交渉方式」)と呼ばれる方法を考え出し、「委員会側のほうから交渉担当者を何人か選び」、「そういう少人数の交渉担当者と相手の省庁の局長クラスの人と膝詰め談判を繰り返すことによって合意点を探ろう」という方式をとったことが述べられています。
 また、地方6団体からの権限委譲の要望が少ない理由として、
(1)日本の地方公共団体は現在すでに非常に幅広くたくさんの仕事をしているので、これ以上国から下ろせというものはあまりない。
(2)これまで、地方道を国道に、二級河川を一級河川に「格上げ」してほしいという陳情を全国各地で行ってきた。
の2点を指摘しています。
 さらに、国税:地方税の割合が1:2だったものが、歳出面では2:1に逆転する「財政移転(fiscal transfer)」について、
(1)地方譲与税
(2)地方交付税交付金
(3)国庫補助負担金
の3つの類型を示し、補助金の一般財源化を主張してきたことが述べられ、地方税制についてはっきりと書くことができなかった理由として、「率直に言えば大蔵省がそこまで書かせなかった」と述べています。
 著者は、「今回の改革の最大の効果」を、「都道府県を完全自治体化すること」であると述べ、それまでの都道府県庁が担当している仕事のおおむね8割が機関委任事務であり、そのうちの4割が法定受託事務になったため、「今後都道府県庁の仕事の32%の仕事が法定受託事務になり、残りの68%の仕事は自治事務になる」と述べています。そして、市町村にとっても、「地方公共団体の側にもかなりの覚悟」が必要になり、「一言でいってしまえば、まず市町村職員の政策企画と政策法務の能力の工場が必要」であると述べています。
 第6章「推進計画と第5次勧告」では、政府が推進計画を決めるまでの間にもめた話の例として、「地方の役職者の人事について上級団体が承認をする」という、文部省の教育長の任命承認制度を挙げています。
 また推進計画について、政府に十分留意してほしいという「地方分権推進委員会のメッセージ」として、
(1)国庫補助負担金の整理合理化が地方交付税の中できちんと措置されているか。
(2)法定受託事務について一覧性が得られるような形をとる。
(3)たくさんの法律の改正を一括法でまとめて処理してほしい。
(4)都道府県と市町村との間の係争処理制度。
(5)推進計画後に施行される新しい法律について、意見交換させてほしい。
の5点を挙げています。
 本書は、現在の地方自治体制にとって大きなインパクトのあった地方分権一括法の作成意図を知る上で、コンパクトにまとまった一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で一番恐ろしいのが、各省庁からの「ご説明攻勢」です。著者は、ほとんど「折伏」に近いと言っていますが、夜討ち朝駆けでご説明に来られたんでは、大学教員の皆さんは、フルタイムの勤務スケジュールが少ないがゆえに、本来は研究や執筆に向けるべき時間を大量に食われて、疲弊してしまうのではないかと思います。
 ましてや、省庁が作った(と思われる)雛形を使って大量に送りけられるファックスなどは、出版社に抗議の無限ループファックスを送りつける宗教団体のようです。


■ どんな人にオススメ?

・地方分権改革の行く末を案じている人。


■ 関連しそうな本

 森田 朗 『会議の政治学』 2006年12月07日
 石見 豊 『戦後日本の地方分権―その論議を中心に』 2007年02月09日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 松本 英昭 『新地方自治制度詳解』 2007年03月12日
 持田 信樹 『地方分権と財政調整制度―改革の国際的潮流』 2007年03月14日
 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日


■ 百夜百マンガ

ストッパー毒島【ストッパー毒島 】

 「ゴリラーマン」とは違ってちゃんとしゃべる主人公ですが、シリアスな作品への移行が結構スムーズにいった例ではないでしょうか。

2007年4月 8日 (日)

人類が知っていることすべての短い歴史

■ 書籍情報

人類が知っていることすべての短い歴史   【人類が知っていることすべての短い歴史】(#808)

  ビル ブライソン (著), 楡井 浩一 (翻訳)
  価格: ¥3150 (税込)
  日本放送出版協会(2006/03)

 本書は、「まったくの無の状態から、何ものかが存在するようになり、その何ものかのほんの一部が私たちへと至る過程と、その間の出来事」を記したものであり、著者は、現代の「ほとんどすべてのこと」(Nearly Everything)など語れるわけがないが、「それでも、うまくいけば、本書を読み終える頃には、それに近い感慨を味わえることだろう」と述べています。著者は、現在でこそ、「明解でわくわくするような文章の書けるサイエンス・ライターがたくさんいることを知っている」が、「わたしが使った教科書の執筆者たち」のおかげで、「科学がこの上なく退屈なもんだと信じ込んで育ち、本当はそうではないはずだとうすうす感じながらも、特に必要がないかぎり科学のことなど本気で考えなかった」が、「ふと、自分の生涯唯一の棲家である惑星について何も知らないことに気づき、切迫した不快感」を覚え、著者の生涯の一部(3年間)を、「本や雑誌を読むことに、そして、数々のあきれるほど愚鈍な質問に答えてくれそうな、聖人並みに辛抱強い専門家たちを見つけることに費やす決心」をし、「科学の不思議とその精華を、専門的になりすぎず、かと言って上っ面をかするだけではないレベルで、理解し、かつ堪能し、大いなる感動を、そしてできれば快楽を、味わうということが果たして可能かどうか」という意図と欲望のもとに本書を著したと述べています。
 第1章「宇宙の造りかた」では、「無から、わたしたちの宇宙は始まる」と、「ビッグバン」について、「目のくらむようなただ一介の脈動、言葉では表現できない速さと広がりを伴う栄光の一瞬を経て、特異点は天空に容積を、概念ではとらえられない空間を獲得する。この強烈な最初の一秒(多くの宇宙学者がその詳細に分け入ろうとしてキャリアを捧げる)で、重力が、そして物理法則を支配する他のすべての力が作られる。一分足らずで宇宙はとてつもない大きさに広がり、さらに高速で成長を続けていく。大量の熱が生まれた後、百億度まで下がり核反応を引き起こすのに十分な温度に達して、比較的軽い元素――おもに水素とヘリウム、それに少量(原子一億個につき一個)のリチウム――が発生する。三分後には、現在、存在する、もしくは、今後、存在が確認される、あらゆる物質の98パーセントがすでに生成されている。宇宙の誕生だ。そこはこの上ない不可思議さと愉快な可能性を秘めた場所。そして美しい場所だ。しかもサンドウィッチをこしらえるぐらいの時間で出来上がる」と表現しています。
 第4章「物の測定」では、ニュートンによる『プリンキピア』の出現について、「人間の知力が予想外に鋭い観察結果を生み出したがゆえに、発見された事実とそれに結びつく思考のどちらがより大きな驚嘆に値するのか、わからなくなってしまうような出来事が、ごく稀に、歴史上ほんの数回ほどの頻度で起こる」とその功績を評し、『プリンピキア』が、「世にある書物で最も難解な部類」であるが、「その晦渋さについていけるものたちにとっては、指針となる一冊」であったことが述べられています。
 第5章「石を割る者たち」では、地質学について、「現代では想像しづらい」が、「後にも先にも他の科学が成し遂げられなかったほどに19世紀の人びとを興奮させ、いい意味でつかんで放さなかった」として、「近代の世界の知性派たち、とりわけイギリスの学者たち」が、「果敢に田舎に繰り出して、当人たちの言葉を借りるなら、"石割り作業"に」親しみ、彼らがそのまじめな研究にふさわしい「威厳のある態度」で臨もうと、「服装もシルクハットに黒っぽいスーツといういでたち」が多く、「大学のガウンをまとって野外研究を行う」のを常とする者さえいたことが述べられています。
 第6章「科学界の熾烈な争い」では、恐竜の化石をめぐる2組の大人気ない科学者たちの争い、すなわち、イギリスのマンテルとオーエン、アメリカのマーシュとコープとの争いを紹介しています。マンテルは、「オーエンの悪意の標的になったばかりに誰よりも苦しんだ人間」として紹介され、「妻と、子供と、医業と、集めた化石の大半」を失った後、馬車の事故で背骨に損傷を受け、その弱り目をオーエンに付け込まれ、「マンテルが何年も前につけた種の名前を付け直し、発見の手柄を自分のものとして主張」され、1852年に、「痛みにも迫害にも耐え切れなく」なったマンテルが自ら命を断つと、その変形した背骨は遺体から取り出され、王立外科大学付属のハンター博物館館長だったオーエンの管理下におかれたことが紹介されています。また、コープが晩年、「自分がホモ・サピエンスの基準標本として宣言されること」に強い妄想を抱き、自分の骨をフィラデルフィアのウィスター研究所に遺贈したが、梅毒の初期の兆候が見られたため、ひっそりと棚の奥に追いやられたことが述べられています。
 第7章「基本的な物質」では、「放射能のように超自然的なエネルギーを持つものなら、なんであろうと体にいいはずだという俗信」のため、「歯磨き粉や緩下剤のメーカーは放射性物質であるトリウムをずっと製品材料に使っていたし、少なくとも1920年代の後半まで、ニューヨーク州のフィンガー湖群にあるグレン・スプリングス・ホテルでは(おそらく他でも同じだろうが)、堂々と、"放射性鉱泉"の治療効果を売り物にしていた」ことが述べられています。
 第8章「アインシュタインの宇宙」では、詩人のポール・ヴァレリーから、「着想を記録するノートを持ち歩いているのか」と尋ねられたアインシュタインが、「ああ、その必要はありません。着想を得ることは滅多にないですから」と答えたというエピソードが紹介されています。
 第9章「たくましき原子」では、カリフォルニア工科大学の物理学者リチャード・ファインマンによる、「科学の歴史を一文に集約」した言葉として、「すべてのものが原子でできている」という言葉が紹介されています。
 また、物理学者が、「ほかの分野の科学者たちを見下していることで有名」であるとして、オーストリアの物理学者パウリの妻が、夫を捨てて科学者のもとへ走ったときに、パウリが、「妻が闘牛士を選んだのなら理解できるよ」、「しかし、科学者とはね……」と友人に漏らしたことが述べられています。
 第11章「マーク王にクォーク三つ」では、カリフォルニア工科大学の物理学者マレー・ゲル=マンが、新たに発見した基本素粒子に、ジェイムズ・ジョイスの小説『フィネガンズ・ウェイク』の一節"マーク王のために、クォーク三つ」から、「クォーク」と名づけたことが紹介されています。
 著者は、「結局のところ、わたしたちはこの宇宙に住みながら、その年齢も精確には計算できず、周りを取り囲む星星までの距離も冠善意は分からず、あたりに満ちた物質の正体も確認できず、宇宙が従っている物理法則の特性も正しく把握していない」と述べています。
 第13章「激突!」では、恐竜を絶滅させたような隕石が地球に向かってくるとして、どの程度のあるのかという著者の質問に、「ああたぶん何もないでしょう」、「熱を帯びるまでは肉眼では見えないし、そうなるのは大気圏に突入してからです。そのときには、地球にぶつかるまで約一秒しかありません。最速の弾丸の何十倍も早く動く物体の話です。誰かが望遠鏡でずっと見張っていれば別ですが、そんなことを当て込むわけにもいきませんし、まったくの不意打ちを食らうしかないでしょうね」と答えた科学者の言葉を紹介しています。
 第14章「足もとの炎」では、「一般的に、地震と地震の間隔が長くなるほど、鬱積した圧力が増していき、そのはけ口としての揺れも巨大になる」として、ロンドン大学ユニヴヴァーシティーカレッジの危機管理専門家ビル・マグワイアの、東京を「死を待つ街」と呼び、「そもそも地震が起きやすいことで知られる日本の中でも、東京は3枚のプレートの境界近くに位置」し、6400人の犠牲者と総額990億ドルに上る被害を出した1995年の神戸の地震も、「東京を待ち受けている被害に比べれば、なんでもない――いや、比較的小さいと言える」という言葉を紹介しています。
 第18章「波躍る大海原」では、『鱈』を著したマーク・カーランスキの言葉として、「魚の切り身や魚のスティックと言えば、昔は鱈だったが、それがハドックに、ついで赤魚に、近年になって太平洋セイスに取って代わられた。今や、『魚』とは『種類を問わずとにかく残っているもの』のこと」だと紹介しています。
 第20章「小さな世界」では、1918年にアメリカで発生した豚インフルエンザに関して、ワクチン開発のため、医療当局が、ボストン港ディアアイランドの軍刑務所で志願者に実験を行い、「一連の実験で生き残ることができれば、受刑者たちには恩赦が約束され」、「被験者は志望者から採取した肺の組織を注射され、次に目、鼻、口に汚染されたエアロゾルを噴霧された。それでもまだ感染しなければ、のどに死にかけた患者の分泌液を塗られた。それだけやってもまだ無事なら、解除された既得患者が顔に席を吹きかける間、口を開けてその前にじっとしているよう要求された」という過酷なものであったことが紹介されています。しかし、300人の志願者の中から医師に選ばれた62人の被験者のうち、誰一人罹患せず、「ただひとり感染したのは刑務所専属の医師で、あっという間に死亡した」と述べられています。
 第21章「生命は続いていく」では、1909年にウォルコットによって発見されたバージェス頁岩層に関して、グールドが、「ウォルコットは福を転じて災いとなし、さらに、これらの素晴らしい化石について、これ以上はありえないほど大幅に解釈を誤った」として、ウォルコットが、「これらの化石を現代の分類に当てはめて、今日の虫や海月などの生き物の先祖と位置づけたために、その特異性を認識しそこなった」と指摘していることを紹介しています。また、ドーキンスとグールドの論戦に関して、当時、「安全ヘルメットを装着してから出なければ、カンブリア期については書けない気がする」という雰囲気であったことが語られています。
 第26章「生命の実体」では、「DNAの存在理由」を、「より多くのDNAを創り出すこと」とし、「要するに、人体はDNAを作るのが大好きで、人間はDNAなしでは生きられない。しかし、DNA自体は生き物ではない。言ってみれば、DNAほど著しく生気を欠く分子は他に存在しない」と述べ、科学者たちが、「不可解なほど控えめな――要するに、生命力のない――物質がどうして生命そのものの中心になれるのかを理解するまでに長い時間がかかった理由に説明がつく」と述べています。
 また、DNA構造の発見に大きな貢献をしたロザリンド・フランクリンについて、1950年代のキングズカレッジの女性研究者はあからさまな冷遇を受け、「女性はカレッジの特別研究員社交室への立ち入りを許されず、かわりに、『みすぼらしくて狭苦しい』」、「実用一点張りの部屋で食事を摂らなければ」ならず、「絶えず実験結果を男性三人組と分かち合うよう強要され、時には露骨な嫌がらせを受けることもあった」ことが紹介されています。彼女はノーベル賞を受けることなく、授賞式の4年前に、37歳の若さで卵巣がんにより死亡したと述べられています。
 著者は、「すべての生き物は、たった一つの原案に基づいて入念に作り上げられている。わたしたち人類は、単にそれが増強されただけの存在だ。わたしたちのひとりひとりが、38億年にわたる、調整、適合、修正、神の手による修繕などの黴臭い記録なのだ」と述べています。
 第27章「氷河時代」では、19世紀は酷寒の世紀であり、「特にヨーロッパと北アメリカは200年前からいわゆる小氷期に入っており、氷の張ったテムズ川での冬祭りやオランダの運河でのアイススケートなど、現在では考えられないさまざまな冬の催しが行われ」、19世紀の地質学者にとって、「自分たちが前時代より温暖な世界に暮らしていることや、冬祭りどころではないほどの凄まじい寒気や氷河によって周囲の地形が形作られたことを見抜くのは、むずかしいことだったかもしれない」と述べています。
 また、博物学者のシャルパンティエが、スイスのきこりに岩が遠くまで運ばれたことを尋ねたときに、「グリムゼル氷河に押し流されて、谷の両側に打ち上げられたんです。むかしはベルンあたりまで氷河が達していたと言いますから」と即答され、その着想を親しい友人のアガシに話したところ、「それをほとんどわがものにしてしまった」というエピソードを紹介し、友人のフンボルトが語った、「学術上の新発見の三段階」、すなわち、「事実を否定される。次に、重要性を否定される。そして最後には、第三者に功績を奪われる」という言葉を紹介しています。
 第28章「謎の二足動物」では、「化石のわずかなかけらを手がかりに、有史以前の人類に関するわたしたちの全知識は成り立っている」ことを、「ごちゃまぜにしていいなら、トラック一台に全部積み込めます」という言葉を紹介しています。
 第29章「落ち着かない類人猿」では、「頑健で、適応力に富み、高い知能を持つなら、なぜ地球上から消え去ったのかという疑問」に対する物議を醸している答えとして、「実は消え去っていない」という、「多地域進化説」を紹介しています。
 さらに、「現代人のあいだには遺伝子の差が極めてわずかしかない」ことについて、「55匹の猿の群れの方が、全人類よりも多様な遺伝子を持っている」という専門家の言葉を紹介しています。
 本書は、分厚い体裁とはうらはらに、さまざまな分野のポピュラーサイエンスの入門書としてお奨めの一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の各章は、さまざまなポピュラーサイエンスの名著につながっていきます。
 例えば、本書全体は、アトキンスの『ガリレオの指』のやや軽い感じにアプローチが近いといえますし、その他にも、グールドの『ワンダフル・ライフ』や、ダイヤモンドの『人間はどこまでチンパンジーか?』などさまざまな名著につながっていきます。
 『ガリレオの指』ではちょっと敷居が高いという人でも、本書を踏み台にすれば楽しく読めるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・ポピュラーサイエンスの醍醐味に触れてみたい人。


■ 関連しそうな本

 ニール・F. カミンズ (著), 増田 まもる (翻訳), 竹内 均 『もしも月がなかったら―ありえたかもしれない地球への10の旅』 2007年02月11日
 ピーター アトキンス (著), 斉藤 隆央 (翻訳) 『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』 2006年5月5日
 エドマンド・ブレア ボウルズ (著), 中村 正明 (翻訳) 『氷河期の「発見」―地球の歴史を解明した詩人・教師・政治家』 2007年02月04日
 スティーヴン・ジェイ グールド 『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語』 2007年03月03日
 キム・ステルレルニー (著), 狩野 秀之 (翻訳) 『ドーキンス VS グールド』 2007年02月10日
 ジャレド ダイアモンド 『人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り』 2006年09月29日


■ 百夜百音

502【502】 Something Else オリジナル盤発売: 1999

 柏のストリートシーンの星。奥華子のブレイクも彼らがいなければなかったかもしれない。そう言えば「電波少年」って跡形もなくなりましたね。

『ギターマン』ギターマン

2007年4月 7日 (土)

世間の目―なぜ渡る世間は「鬼ばかり」なのか

■ 書籍情報

世間の目―なぜ渡る世間は「鬼ばかり」なのか   【世間の目―なぜ渡る世間は「鬼ばかり」なのか】(#807)

  佐藤 直樹
  価格: ¥1470 (税込)
  光文社(2004/4/23)

 本書は、「わが国の『世間』の構造や本質について、これまであまり考えてこなかったようなことを、日頃の思考をいったん判断停止してマジメに考えてみようという本」です。著者は、歴史学者の阿部謹也氏の言葉として、「世間」はわが国に伝統的にあり、今もあるのに対し、「社会」は明治時代に西欧から輸入された言葉であり、「それまでにはなかったし、いまもない」と述べています。
 第1章「私が『世間』にこだわるわけ」では、「西欧の学問がよってたつ基盤(社会)と、わが国の学問がよってたつ基盤(『世間』)がまったく違うのではないか」という問題点を提起するとともに、著者自身が結婚と離婚をめぐって、「ほんとうは自分はさまざまな人間関係の網の目のなかに埋め込まれていて、自分が決定できることなんてないのではないか」と痛感したこと、ヨーロッパの不気味な「静けさ」という風景印象を体験したこと、を世間学にのめりこむきっかけとして述べています。そして、阿部氏の「世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり、会則や定款はないが、個人個人を強固な絆で結び付けている。しかし、個人が自分からすすんで世間をつくるわけではない。なんとなく、自分の位置がそこにあるものとして生きている」という定義を紹介するとともに、「私たち日本人が集団になったときに発生する力学」という自身による定義を加えています。
 第2章「世間学の基礎知識」では、「世間」を構成する原理として、
・贈与・互酬の関係:もらったことに対しては何か「お返し」を必ずしなければ「世間」への義理が立たないと考える強迫観念。
・身分の重要性:目上・目下、先輩・後輩などの身分による序列が非常に重要視される。
・個人の不在:「世間」の中に個人は存在しない。
・呪術的性格:「世間」にある民間信仰や迷信・俗信の類を知っていないと生きてゆけない。
という特徴を解説しています。そして、「こんなに大規模な形で、しかもこれらの特徴・性格・原理を、同時にすべてにわたって合わせもつ人間関係の集団は、日本の『世間』しかない」と述べています。
 第3章「医療と『世間』」では、脳死移植の基準として、「移植術を受ける機会は、公平に与えられるよう配慮されなければならない」と法に定められているにもかかわらず、厚生労働省が「本人の意思を尊重する」を拡大解釈して「親族への臓器提供」を認めてしまった例を紹介しています。
 第4章「学校と『世間』」では、「海外にいる日本人は、必ずといっていいほど、日本人同士で現地の世間を作る」という瀬田川昌裕氏の言葉を引用し、ニュージーランドの日本人向けフリースクールで起きた集団暴行事件や「山形マット巻きいじめ死事件」、九州大医学部が元オウム信者を「(1)かつてオウム真理教に入信していたこと、(2)その幹部として活動していたこと、(3)医学部は人の命を扱うので、こういう人物に教育を受けさせるのは適切でない」という理由で入学許可を取り消したこと等を論じています。
 第5章「職場と『世間』」では、2000年4月に当時の小渕首相が倒れた例を挙げ、「わが国は、首相ですら過労死するフシギの国である」と述べ、時事通信社の記者が、年次有給休暇を使って連続一ヵ月の夏休みをとったために懲戒処分を受けた事件や、伊万里市役所の係長がヒマラヤ登山のための申請した休暇が、「他の職員にしめしがつかない」ことを理由に認められず退職した事件、広島の高校で起きた民間人校長が自殺した事件(その前に2人の教頭が過労で倒れ、本人も医師の診断を元に休みたいと申し入れたのに認められなかった)等が論じられています。
この他本書では、2001年6月に大阪で起きた池田小学校事件や、2003年に起きた長崎児童誘拐殺害事件の際に当時の鴻池大臣が述べた「親なんか市中引き回しの上、打ち首にすればいい」という発言、マスコミが明石家さんまを呼び捨てにしてウサマ・ビンラディンに「氏」がつく理由等について、とりとめもなく論じています。
 本書は、前半は「世間」学の概説書、後半は「世間」をめぐるエッセイという感じの一冊でした。


■ 個人的な視点から

 本書の第8章では、報道機関が「容疑者」の呼称を使用する際の指針として、朝日新聞の「容疑者の呼称についての指針」(2001年11月24日朝刊)を引用しています。それは、
▼捜査機関が任意で調べている場合、匿名にするか、実名でも肩書きや敬称をつける
▼逮捕もしくは指名手配された段階で、原則として実名の後に「容疑者」をつける。呼び捨てにはしない
▼起訴を報じる記事でも、初出の指名に「容疑者」を使う
▼同じ記事の中で2回目以降は、肩書き呼称を併用することもある
▼起訴後、判決確定までは、原則として初出の氏名の後に「被告」をつける。無罪判決の時は、裁判記事では被告をつけるが、社会面記事直では「さん」づけでもよい
とするものですが、著者は、わが国では「容疑者」が侮蔑的な呼称であり、「無罪推定の法理」が「世間」では働かないことを述べています。
 おもしろいのは、タレントが「容疑者」になった場合で、有名な「稲垣吾郎メンバー」という苦し紛れの報道も紹介されています。


■ どんな人にオススメ?

・世間の目が気になる人。


■ 関連しそうな本

 佐藤 直樹 『「世間」の現象学』
 阿部 謹也 『学問と「世間」』
 阿部 謹也 『日本人の歴史意識―「世間」という視角から』
 阿部 謹也 『「世間」とは何か』
 パオロ・マッツァリーノ 『反社会学講座』 2006年03月11日


■ 百夜百音

Get the Knack【Get the Knack】 Knack オリジナル盤発売: 1979

 「一発屋」の代名詞とも言える人ですが、今聴いてもいい曲です。結局、流行や技術以上に、曲が素晴らしい、というのが何を置いても一番強いんだということを教えてくれます。

『80's ALIVE』80's ALIVE

2007年4月 6日 (金)

間違いだらけの公務員制度改革―なぜ成果主義が貫けないのか

■ 書籍情報

間違いだらけの公務員制度改革―なぜ成果主義が貫けないのか   【間違いだらけの公務員制度改革―なぜ成果主義が貫けないのか】(#806)

  中野 雅至
  価格: ¥1890 (税込)
  日本経済新聞社(2006/09)

 本書は、厚生労働省大臣官房国際課でILO(国際労働機関)担当の課長補佐として公務員制度改革に携わった経験を持つ著者が、公務員制度とこれまでの「改革」についての問題点をまとめ、「政官分離・権限委譲・成果主義の三位一体公務員制度改革」の必要性を説いたものです。
 序章「小泉内閣の下でさえ手をつけられていない本質的な公務員制度改革」では、政府が公務員制度の抜本的な改革案を示すことができない理由として、
(1)現在の公務員制度が、相応に優れた制度である。
(2)関係者間のコンセンサスを軸に何十年もかけて構築してきた制度であるため、相応に均衡の取れた制度になっている。
(3)日本の公務員、特にキャリア官僚を中心に各府省が大きな権限・威信を持って社会の様々な利害調整を行い、国家の方向性を示してきた。
(4)改革のモデルがなく、アングロサクソン諸国のNPM型公務員制度改革の適用は疑問視されている。
(5)行財政システムの課題は、公務員制度改革だけでは解決を期待できない。
の5点を挙げ、その結果、「現状の公務員制度を維持しながら、人件費・定員数・天下りなどの問題が起きるたびに個別に対処するという方向を選択せざるを得なくなっている」と指摘しています。
 その上で、現在の公務員制度の改革の方向として、
(1)「官の守備範囲」を明確にする。
(2)目指すべき公務員像を明らかにする(公務員の政策決定過程への官淀がメルクマールの1つになる)。
(3)公務員という身分がないとできない仕事を絞り込んでいく必要がある。
(4)中央と地方の役割分担を明確にしなければ、それぞれの仕事の中身や責任も明確にならない。
の4点を明確にした上で、公務員制度改革を実施すべきであると主張し、
(1)政治システムをはじめとした公務員制度以外の分野の改革
(2)公務員制度と他の制度の接点(政-官、中央-地方、官-準官)の改革
(3)狭い意味での公務員制度改革
の3つの分野で制度改革を行うべきであると述べています。
 第1章「誰も知らない素顔の公務員制度」では、「人事院の権限が強すぎるために、各府省が自分達の思い通りに柔軟・機動的で戦略的な人事管理をできない」とした政府の考え方の理由として、
(1)職階制の未実施と人事院規則への著しい依存
(2)級別定数管理で実現できない「信賞必罰人事」
の2点を挙げています。
 そして、公務員自身から見た公務員制度の問題点として、本省勤務者に関して、
(1)改革を妨げるセクショナリズムの横行
(2)頭脳・ビジョンなき政治への従属
(3)知的業務の現象と雑務の増加
の3点を挙げ、出先機関の若手職員から頻繁に聞かれる苦情としては、「過度の年功序列型人事・給与」を挙げています。
 第2章「同床異夢の政労使」では、平成13年に政府が示した「公務員制度改革大綱」について、その主なメニューとして、
(1)政府全体としての適切な人事・組織マネジメントの実現
(2)能力等級制度を中心とした新たな公務員制度
(3)改革案の実現に向けた今後の取り組み
の3点を挙げた上で、対抗に見られる政府の問題意識が、「公務員制度の見直しに当たっては、公務に求められる専門性、中立性、能率性、継続・安定性の確保に留意しつつ、政府のパフォーマンスを飛躍的に高めることを目指し、行政ニーズに即応した人材を確保し、公務員が互いに競い合う中で持てる力を国民のために最大限発揮し得うる環境制を整備するとともに、その時々で最適な組織編成を機動的・弾力的に行うことができるようにすることが必要である」という表現に集約されていると述べています。
 その上で、政府案が、
(1)労働基本権の制約や採用試験区分を現状維持としたこと
(2)能力等級制度の中核となる「職務能力遂行基準」が最後まで曖昧だったこと
(3)公務員制度改革関連法案が依然として国会へ未提出であること
(4)労使のコンセンサスを始めとして与党内部のコンセンサスさえ築けなかったこと
の4点で、欠陥があったという評価は避けられないとしながらも、
(1)各大臣を人事管理権ジャとして、現場に権限委譲するNPM型の公務員制度改革を打ち出したこと。
(2)年功序列的で硬直的な人事・組織運営を変えるために能力等級制度という新しい制度を打ち出したこと。
の2点において評価されるべき側面を持っていると述べています。
 また、「労」の問題意識の代表としての、2004年6月に出された「連合」の「公務員制度改革に関する研究会」の「公務員制度改革に関する提言」(中間報告)や、2005年4月に日本経団連が発表した「さらなる行政改革の推進に向けて――国家公務員制度改革を中心に」を取り上げ、後者については、「民間企業の現状を踏まえた上で間のあり方を問い直すという意味で新鮮な内容になっている」と評しています。
 第3章「小泉内閣で議論されなかった公務員制度改革の論点」では、政労使3社で最も食い違いがある、「香味運制度全体を集権的に運営していくのか、分権的に運営していくのか」という問題に関して、分権的管理の問題点として、
(1)ポストのインフレ化や公務員定数の激増による人件費コスト増大の可能性
(2)各省大臣を人事管理権者にすることの是非
の2点を指摘し、他方、集権的管理については、集権的管理として想定されるものが、
(1)現状の人事院・総務省を主体とした集権的管理
(2)労使が提案している内閣を主体とした集権的管理
の2つあることを明確にすべきであるとし、日本の肥大化した行政システムを、中央集権的な管理手法で、「どれだけ強権を発動しても」「どれだけ優秀な政治任用者やキャリア官僚を使っても」国家の全体像を把握しマネジメントすることはできないのではないか、と指摘しています。
 また、政労使の改革案が「能力に基づくトータル人事システム」の構築では共通しているが、能力を中心にした人事システムの構築の難しさとして、
(1)能力を正確に定義できるのか。
(2)各自の能力が曖昧である上、チームで仕事をする公務部門において職員個々人の能力評価が可能なのか。
(3)現在の管理職が、部下の能力を適性に評価できる評価者としての力量を有しているか。
(4)能力評価の基準は労使交渉事項か管理運営事項か。
の4点を指摘しています。
 さらに、日本経団連が主張している官民イコールフッティングの導入に関して、「官民融合」が、
(1)キャリア官僚を中心とした企画立案部門で働く公務員の官民融合→「キャリア官僚のビジネスマン化」
(2)政策の執行部門での官民融合→「ノンキャリア官僚の身分転換」
の2つのレベルでの官民融合を考える必要があると指摘しています。
 幹部公務員に関しては、そのあり方をめぐり、
(1)任用を中心に、(1)幹部公務員は内閣任用か各省大臣任用か、(2)幹部公務員にどこまで政治任用を認めるか。
(2)幹部公務員の範囲
(3)幹部公務員の処遇
(4)幹部公務員の役割およびその自立性
(5)幹部公務員の育成方法
等の論点があることを挙げ、それぞれについて解説しています。その上で、OECD諸国における先進各国の業績旧制度の比較調査結果から、「業績給制度は金銭面のインセンティブとしてはあまり機能していない」と総括し、
(1)個人別業績給制度は機能しないため、グループおよびチーム重視型の業績給制度に移行している。
(2)業績基準についてはアウトプット、コンピテンシー、対人スキル・マネジメントスキル、価値・規律遵守の4つの項目を中心にしている。
(3)成績昇給制度は稀であり多くの国は賞与のみに依拠している。
(4)業績給の金銭的側面でのインセンティブ効果は過大評価されてきた。
等の特徴を挙げた上で、
(1)業績給制度の導入に当たっては職員との協議が必要である。
(2)制度設計の基礎は標準職務基準よりもむしろ、少なくともその一部を目標設定に置くことが重要である。
(3)「平均」成績者の評点について詳細な区分を設けず、単純な業績評価の枠組みを開発する。
(4)詳細な制度設計には、どれだけ詳細な評点制度を作ってもすべての要素をカバーできず、十分良好な業績をあげている大半の職員よりは極端な業績(最優秀か不良)の職員の方がはるかに評価しやすいという2つのマイナス面がある。
(5)業績給制度は確固とした目標設定プロセスに重点をおくべきである。
の5点の教訓を引き出しています。
 論点となっている公務員の身分保障については、
(1)身分が保障されているからこそ、安心して働くのであり、公務能率も上がる。
(2)身分が保障されているために既得権意識や安住意識が芽生え、組織の変化を嫌うという体質を生んでおり、結果として公務能率も下がっている。
の2つの考えがあることを挙げたうえで、労働三権が付与されたとしても、労働三件が強くなるどころか、その役割が中に浮く可能性があることを指摘しています。
 第4章「諸外国の公務員制度改革」では、諸外国の公務員制度改革に、「民間企業の行動原理を行政機関にも導入して行政の効率化を図ろう」というNPM(New Public Management)の要素が共通していることを挙げた上で、その要素が露骨に当てはまるイギリスの公務員制度改革を参考事例に取り上げています。
 そして、権限委譲によって希薄になりがちな公務員制度に一体性を持たせる取り組みの一つである「上級公務員(Senior Civil Service)」制度について、各省庁およびエージェンシーが人事管理に責任を持ち、その育成制度として「ファースト・ストリーム(Fast Stream)制度」という「一般公募者や内部から推薦された者に公開競争試験を実施し、その試験に合格した者を各省庁の行政官、欧州関係職員、エコノミスト、統計専門家、科学専門化、工学専門家に任用するという制度」があることを解説しています。
 著者は、イギリスの公務員制度改革の特徴として、
(1)権限移譲を中心としたNPM型の公務員制度改革を実施する一方で上級公務員制度を創設することで、公務員制度の一体性を維持するための仕組みを導入している。
(2)各省庁・エージェンシーに給与決定方法の権限などを委譲する一方で、大蔵省の財政統制を強化しており、実際には各省庁等にそれほど権限が生じていない。
(3)かつてのような模範的効用主として振舞うわけではない一方で、女性や少数民族出身者、ハンディキャップのある人の積極的雇用などによって補おうとしている。
の3点を挙げ、「このような愛矛盾するいくつもの側面を持った公務員制度改革は、公務員のインセンティブを刺激したり、財政赤字の削減に寄与するという利点の持っている」一方で、
(1)労使交渉のコストの増大
(2)分権されても給与財源面での余裕がないため、機関ごとに大きな差がない。
(3)給与改善原資が少ないため大きなインセンティブにならない。
(4)業績評価の方法が分からず、目標達成のプレッシャーを感じる職員がいる。
(5)公務員魅力が低下している。
等の問題点を指摘しています。
 第5章「政官分離・権限委譲・成果主義の三位一体公務員制度改革」では、公務員制度改革のポイントとして、冒頭の4つの視点を踏まえた上で、
(1)公務員制度改革を実施する前に、政治システムをはじめとして公務員制度以外のシステムの改革をさらに進める必要がある。
(2)政官関係や中央―地方関係など周辺制度との接点を改革しないと、公務員制度改革には何の意味もなくなる。
(3)前述した各論を中心とした公務員制度改革を行うこと。
の3分野での改革の実施を提唱しています。
 そして、「目指すべき公務員像」を、「政策決定過程に深く組み込まれた公務員」が求められていないとする理由として、
(1)現役官僚の多くはこれ以上政治の代役を行うことに嫌気が差している。
(2)公務員が政策決定過程に深く組み込まれる限り、中央官庁が利益共同体化することは避けられない。
(3)公務員が深く政策決定過程に関わり歪んだプライドを持ち続ける限り、前例の踏襲ばかりが繰り返され、政策転換などできなくなる。
の3点を挙げています。
 また、「接点改革」に関して、
(1)政官関係の完全分離――「政官分離法」の制定
(2)道州制の導入で中央と地方の権限・責任・役割を明確化
(3)「官―準官」関係を整理し、特殊法人の長は「公募制」を原則に
(4)規律ある官民関係
の4点を挙げています。
 さらに、具体的な公務員制度改革として、
(1)集権的管理か権限委譲による分権的管理か→分権的管理の実現
(2)公務員制度の中心に何を置くのか→個々の権限・役割・責任の明確化
(3)官民関係→「回転扉型」の労働市場の育成
(4)任用の基本原則→能力評価を軸にした任用
(5)幹部公務員の在り方→政治任用の積極的活用など
(6)天下り問題→関連法人での公募制原則
(7)給与制度→バンド制給与制度の導入
(8)人事評価制度→公務員制度改革の切り札
(9)分限及び身分保障→「公務員もクビになる」という危機と自覚を促す
(10)人材育成及び能力開発→優秀な人材を惹きつける「最終兵器」
(11)労使関係の在り方→現実的対応を
(12)中央人事機関の在り方→公務員制度担当長の新設
等の各論点について提言しています。
 本書は、官僚及び研究者として、公務員制度をその内側と外側の両方から見ることができた著者ならではの、本質的かつ現実的な問題提起と具体的な提言が込められた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の著者による同テーマの前著『はめられた公務員』が、光文社ペーパーバックという読みづらい体裁(文章の途中に唐突に自動翻訳したような英単語が散りばめられ気持ち悪い)であった上、とにかく派手に刺激的にしたがる編集のせいなのか当たりが強く品のない物言いが目についたのに対し、さすがは「天下の日経」(「天下りの日経」という意味ではない)だけあって本書は上品で読みやすい内容になっています。
 城繁幸著『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』でも同じことがありましたが、光文社ペーパーバックで常識を疑うような感情的な物言いや破綻しているほど攻撃的な書き振りが目についた人も、他の文章を読んでみると相当真っ当なことを言っていることが少なくありません。むしろ、真っ当すぎてつまらないと考える編集者が光文社にいて、文章やロジックを「粉飾」している可能性も疑われます。その意味では本書は、『はめられた公務員』で傷つけられた著者の品格や信用を取り戻すためのリベンジの一冊かもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・現実的な公務員制度改革の方向を模索している人。


■ 関連しそうな本

 中野 雅至 『はめられた公務員』 2005年05月26日
 城 繁幸 『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』
 城 繁幸 『日本型「成果主義」の可能性』 2005年12月08日
 山中 俊之 『公務員人事の研究―非効率部門脱却の処方箋』 2006年06月08日
 テリー伊藤 『お笑いニッポン公務員―アホ役人「殲滅計画」』 2006年03月16日
 中野 雅至 『格差社会の結末 富裕層の傲慢・貧困層の怠慢』


■ 百夜百マンガ

銀牙―流れ星銀【銀牙―流れ星銀 】

 漢気あふれる犬たちのストーリー。もしかしたら、学園ものの定番であった「番長」もの(ある学校の番長にのし上がった後、数多くの他校の番長たちと闘いと出会いを重ね、ついには全国をしめる番長や日本を裏から支配する巨悪と戦う)にはリアリティが持てなくなった子供たち(何しろ「番長」なんかいませんし)に対する「番長」ものの変形なのかもしれません。

2007年4月 5日 (木)

補助金の社会史―近代日本における成立過程

■ 書籍情報

補助金の社会史―近代日本における成立過程   【補助金の社会史―近代日本における成立過程】(#805)

  長妻 広至
  価格: ¥3990 (税込)
  人文書院(2001/06)

 本書は、明治期の地方行政を、補助金政策を地方統治に活用してきた「官治的自治」の進展として把握することが、
(1)官選知事、市長選任における天皇の裁可(市制)、町村長選任における知事の裁可(町村制)、内務大臣の監督権と知事の原案執行権(府県制)などの制度的枠組み
(2)国政委任事務の傾向的な増大(これすら実証されているわけではない)
等を根拠に、「なかば自明の前提」となっていることに対し、政治史における重要なキーワードとなっている「地方的利益」を踏まえると、「官僚の意図が末端まで地方行財政を通じて貫徹するという素朴な『官治的自治』論からは、このような政治過程の分析すら有効性を持たなくなってしまう」と指摘し、「官治的自治論」に対する批判を踏まえ、「明治期における補助金の地域における具体的な態様を描」く、ことを目的としたものです。
 第1章「補助金論の系譜――近世から近代へ」では、明治期の地方財政における市町村土木補助を考える上で、府県会の議論で常に問題とされる「旧慣」の存在について、「領主が土木事業の負担を何らかの形で担う」ものであり、「領主と農民との直接的な関係を反映」する「御普請」と「自普請」が重要なキーワードになると指摘しています。そして、この「御普請」が、江戸時代を通じて変化していたことについて、
(1)「旧慣」は、徐々に形作られ、歴史的に変化してきた。
(2)実質的な内容は、その時々の社会的な変化を反映して、揺れ動きが見られる。
の2つの意味を持っていると述べています。
 また、川入村(現在の岡山市)等の事例を取り上げ、農民側の要求→工事の査定→補助の支給という経路について、「御普請の補助金化」ともいうべき現象が、近世を通じて形作られていったと述べています。
 著者は、岡山県などでの「旧慣」を積極的に変革して行こうと言う動きに、国が積極的な支持を与えず、「旧慣」改正に動かなかった理由として、「府県段階での『旧慣』改正、『官費』の再配分は、結局は府県間の『官費』の再配分につながること」を意味し、この作業が、「全国レベルでの公平性という地租改正事業と同様な論理に立つものであるが、おそらくはるかに困難を伴うものであること」が十分予想されたことであるためであり、「府県土木費中、官費下渡金」の廃止と地方税の課税制限を「地租五分一以内」から「地租三分一以内」に変更する、「四八号布告」が、「旧慣を系譜的に引き継ぐ定額金の問題点(府県間及び府県内の不公平性)を、少なくとも国庫支出段階では、まず白紙に戻す役割を果たしたと解釈」できると述べています。
 この四八号布告に対して、府県は第一に「旧慣」の切捨てで対応するものの、「定額金」の機能をすべて引き継ぐことはできず、第二の対応として、「定額金に変わりうる地方に対する国庫補助を要求」し、さらに、通常土木補助費の中でも河川と道路に対しては、内務省の内部からも、1884年2月に内務卿山県有朋から、「道路ノ制ヲ更定スルノ議」が地方官に内達され、この中において、「定額金の廃止が、内務省の地方に対する影響力を低下させることを危惧し、『官給』を復活させることによって、『国道管理ノ実権』を取り戻すこと」を主張し、ここでは、「悉皆官給」ではなく、「2分の1ないし3分の1の国庫支出すなわち国庫補助金の支給でも、『実権』を占めることができると考えている点」が重要であることが指摘されています。
 第2章「災害土木国庫補助事業と地域の動向」では、「四八号布告施行直後の1882年から災害土木火国庫補助規定が出される1889年までの間の、中央政府、府県、市町村の動きを追うことによって、地方の要求がどのように中央政府に伝えられ、逆に中央政府はどのようにして自己の政策を貫徹しようとしたか、いわば補助金の二つの側面に留意して、考察」しています。
 そして、1892年の水害復旧工事の国庫補助追加予算に関する衆議院での土木局長の答弁を取り上げ、この答弁が、「国庫補助の方法は第一に地租割は課税制限まで、戸数割は1戸当たり1円まで県側が負担し、残額は国が補助をする。しかしこの制限を越えて県が負担した場合もあり、第二の方法すなわち工事費の3分の1あるいは4分の1という形で国が補助する」という「補助の論理」を裏付け手いるものであり、「いずれにせよ『地方カラ請求』『県カラ請求』に対してその都度対応してきた」ことが述べられています。
 また、国庫補助の正確な額、方法が確定しない段階においても、内務省土木監督署技手の視察および検査が、「町村にとっては直接地域利害に関わる問題」として認識され、旧飛騨国において、1896年に検査があるという情報が伝わると、飛騨国の「町村長集議之上」設置された水害事務所から、益田郡下原村、上原中原聯合村、竹原村、下呂村に、「内務省査定の先鞭として、益田郡下原村ほか各村は、その後の基数を決める重要な役割を持っているので、すでに設計した場所について、補助の対象として採用されるように、『懇篤御陳情』するように指示する」書状が出されたことが述べられています。そして、内務省の工事査定が、「復旧工事を進めようとする地元にとって陳情の一つの山場」であり、「地元町村長・地元選出県会議員(常置委員)が一体となって行動するとともに、地元選出代議士井上利右衛門も、ほぼ全部の陳情の場面に参加し、圧力をかけることがみられた」と述べ、この結果、旧飛騨国にとって、「歴史的な予算獲得」に成功したことが述べられています。
 著者は、明治20年代の水害土木費国庫補助を、「諸制度が未整備の段階にあって、補助金をめぐる問題が、想起的に政治・社会問題化してきた時期と捉えられよう」として、政府が、「災害土木補助の法制化に並行して、地方負担、特に市町村負担の明確化を推し進めること」になり、「それと同時に工事への統制を強化していった」としながらも、「以上のような経過を『官治的自治』の進展とのみ解釈することは、一面的に過ぎる」と述べ、市町村が、「県会議員・県常置委員・国会議員を総動員して、関係諸機関へ執拗に働きかけていった」ことは、「あくまで災害復旧を名とした『公』の主張が背後にあり、政府もまた補助対象を『公』に限定しようとし」、その点で補助率が重要な論点となり、「政府土地法の微妙な綱引きの中で、『溜池用悪水路』と『改良工事』問題が浮揚してきた」と述べています。
 第3章「道路建設と補助金政策――企業勃興期」では、明治以降最初の体系的な道路政策として、1973(明治6)年8月2日に出された「河港道路修築規則」(大蔵省達番外)を取り上げ、この規則がそれ以降の道路政策の展開に対する意義として、
(1)すべての等級の道路について、割合の相違があるものの何らかの「地民」(地元)負担を課していること。
(2)道路工事における中心的役割を「地方官」が負っていること
(3)二等道路について「下渡金」という形で、ある種の補助金が規定されていること
の3点を挙げています。
 そして、松方緊縮財政期の1882年以降、各府県の道路事業に対する国庫補助が再び増加し、「恒常化する国庫補助に治打て、何らかの基準を設ける動きが、特に政府の側に見られ、補助金関連の法案が作成」されていったとして、
(1)1884年12月に内務卿山県有朋から提出された「国道経費支給内規」
(2)1885年10月に作成された「土木費準備法」
等を挙げています。また、これら国庫補助の制度化の動きと併行して、道路の構造、路線の制度が整備され、この過程において、「陸軍によって軍事上の見地から、いくつかの要求」として、
(1)道幅について、砲車を背転させることができる6間半(12m)以上を要求したが、内務省から財政上の理由で抵抗があり、結局4間幅に決まったが、現実には4間幅を実施することすら難しかった。
(2)国道について、合計18路線の「営所要塞若クハ要港等ヘノ聯絡ニシテ最モ要用ナル軍路」の追加要求があり、「各府各鎮台ヲ拘聯スルモノ」の一部が国道に編入され、国道は、軍事上の側面を存続させる一方、地域の要求に合わせる形で整備されていった。
の2点を挙げています。
 また、内務省土木局長であった三島通庸が、県令を歴任した山形・福島・栃木県の国庫補助要求を取り上げ、いわゆる「三方道路」の施行を強力に推し進めたことについて解説しています。
 そして、県特にとの道路国庫補助をめぐる関係が、1881年から85年の間に徐々に制度化されたが、「地元負担部分(国庫補助から総額を差し引いた部分)については、各県ごとにまちまちであり、国道であっても寄付金、協議費が地方税(県支出)と同等の比重を占める県が見られた」ことについて、「道路一般についてあくまで地元負担の原則が色濃く残存していること」を意味すると述べ、この原則も、「国内商品市場の拡大を支える全国的道路網の整備という中央政府の政策意図、逆に全国市場に直結する地域的道路開発の二側面の要請から限界を持つこと」となり、「あくまで表面上地元負担の原則を保持しつつ、なし崩し的に国庫負担を認めていったのが、国庫補助制度であった(『不足補助の論理』から『分担補助の論理』へ)」と述べています。ここで重要な点として、「政府の『国道相当』の内容は、明治初期の軍事、行政、外国貿易を中心にしたものから、地域経済の深化を目的にしたものに比重が移行していったこと」であるとしています。
 第4章「千葉県の道路行財政――明治前半期」では、
(1)道路の地域経済における重要性を踏まえつつ、明治前半期における道路の財政負担の帰属を明らかにしたい。
(2)町村の土木事業に対する補助は、県会議員の地元に対する利益誘導という問題をはらんだが、この先駆的補助金である町村土木補助費の持つ意味について考えたい。
という2つの課題を掲げています。
 著者は、明治初期の県内道路事業での基本原則が、「柴原県令のいう『協心戮力』であり、あくまで地元負担がベースであって、『国道』『県道』『町村道』の区別と財政負担先の区別は別個のもの」とされ、「なかでも篤志金、寄付金を含む、町村以下の範囲の地元負担は、明治10年代のより地域と密接な関係を持った道路の事業投資において主導的役割を果たした」と述べています。そして、町村以下の単位の財政負担の限界と、国の末端行政機関化した町村が自ら土木事業に避ける財政的余裕をなくしたことから、土木事業負担において、
(1)1883年度に始まる町村土木補助費の県支出
(2)「篤志金」「寄付金」「募金」「部落協議費」等の数々の名目による狭い範囲における地元負担
の2つの方向が展開したことが述べられています。さらに、県から町村への補助金のルートの形成後、国から県へ向けての補助金のルートが登場したことについて、「軍事上の理由による道路破損に対する国の応分の負担」を根拠としたものであり、「幹線からはずれている千葉県でさえ、あるいはだからこそ、補助を要求するという事態は、その後の地方行財政を考える場合、注目すべきことであるように思われる」と述べています。
 第5章「福島事件再考――国庫補助金と道路建設」では、三島通庸の山形県令就任直後の道路計画のうち、国庫補助を伴う主要な道路建設について概観し、
(1)行政の強い指導の下で事業が進められた。
(2)開墾された道路の経済上の性格の問題
の2点を指摘しています。
 著者は、「道路の費用負担は府県以下の地元が負担するという第四八号布告の基本的な方針」が、「施行後数年間で、なし崩し的に国が応分の分担をするという『分担補助の論理』に転化」していった際に重要なこととして、
・「南北の論理」:東京との関係(典型的には国道一等)
に、
・「東西の論理」:地域経済の重要視(日本海・太平洋の良港への直接接続、県道を含む)
が加味されだしたことを挙げています。そして、三方道路が、「補助金を獲得しやすい、東京との関係による『南北の論理』と地域経済における内在的要求である『東西の論理』を巧みに融合して、国庫補助金を獲得した」ものであるが、三島が、「その政治的パイプによって地域を直接に中央政府に結び付けようとして、県会操縦に失敗した」と指摘し、三方道路が、
(1)県会の場における地域利害の噴出
(2)補助の論理(「分担補助」の論理の定着)
(3)地域経済の自己主張
という3つの側面の過渡期に位置しそれぞれに対して大きな影響を持ったと解釈できる、と述べています。
 第6章「鳥取県の道路行財政――明治期」では、1882年臨時県会における国庫補助金の議論を取り上げ、注目すべきこととして、
(1)県支出の原案に地域からの働きかけ(郡会からの県令への建議)が反映されていること。
(2)県会での県支出(県補助)の決定に対応した「民力」の有無、地元の負担能力が問題とされていること。
の2点を指摘し、それまで、「民力ノ不足ヲ補助」するのが道路に対する補助金の大前提であったが、「民力ノ不足」を理由に補助金を見合すという論理が登場したと述べています。
 第7章「備荒儲蓄法と自作農の問題――地租の補助と貸与」では、明治初期・中期の農業政策・土地政策が、「結局は財政問題に帰着する側面を持っていた」と述べ、「地方官会議において特に政府側が負債増加による地価の低下を問題にしたのは、地主的利害というよりも、地価修正の可能性があった当時、地下の低下は地租の減収につながる」からであり、「地租延納にかわるに地租の補助・貸与をもってしたのは、何よりも年間一定の地租の確保を意図してのこと」であったと述べています。
 第8章「地方財政と農業補助金」では、日清戦後から行われた、「罰則の適用、警官の動員を伴った権力による強制を通じての技術の普及」である「サーベル農政」が、補助金による誘導に移行し、ほぼ日露戦後に本格化したことが述べられています。
 本書は、現在の補助金漬けの地方自治体がどのように形作られてきたのかを知る上で、重要な示唆を含む一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者は、大学院時代から長く千葉をフィールドにされ、「千葉ナショナリズム」と揶揄されてきたと「あとがき」で語っています。この中で出てくる「会合の開始は予定の1時間遅れという慣例」である「千葉時間」についてですが、結構属人的なものじゃないかと思うんですがいかがでしょうか。
 あちこちで「○○時間」は聞きますが、本格的に遅そうなのは「沖縄時間」くらいでしょうか。沖縄に転職した知人によれば、2時間の会議の終わりごろにやってくる人が結構いるそうです。
 
「うちなータイム(沖縄時間)の分析」


■ どんな人にオススメ?

・日本の自治体が特定補助頼みになった経緯を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 石見 豊 『戦後日本の地方分権―その論議を中心に』 2007年02月09日
 天川 晃, 増田 弘 『地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続』 2007年03月07日
 渡辺 隆喜 『明治国家形成と地方自治』 2007年03月26日
 岡田 彰 『現代日本官僚制の成立―戦後占領期における行政制度の再編成』 2007年02月26日


■ 百夜百マンガ

The World Is Mine【The World Is Mine 】

 「The World Is Mine」と言ってもディオの言葉ではありません。最初は「単なる殺人鬼」の話がどんどん雪だるま式に大きくなる(そしてヒグマドンも大きくなる)展開のスピード感はマンガならではの醍醐味です。

2007年4月 4日 (水)

政治とテレビ

■ 書籍情報

政治とテレビ   【政治とテレビ】(#804)

  G.E. ラング, K.ラング(著), 荒木 功, 小笠原 博毅, 黒田 勇, 大石 裕, 神松 一三 (翻訳)
  価格: ¥2625 (税込)
  松籟社(1997/01)

 本書は、「テレビが大きな政治イベントの中継を通して、政治や政治家のイメージを形成し、またそうすることで政治の性格のあり方に影響を与える筋道」について検証しているものです。
 第1章「テレビの作るイメージ」では、「コミュニケーションが政治の世界に影響を与えるというよりはむしろ、社会がコミュニケーションによってのみ存在する」というデューイの言葉を紹介しています。
 また、政治の中でのテレビの役割について、
(1)テレビは、登場人物やイベントをクローズアップして見せるので、公的人物や政治的行動、遠く離れた場所を身近に感じさせる。
(2)音声に映像が加わることで、映画にラジオ放送を加えたもの以上のことをしてきた。
(3)視聴者は「自分の力で」それを見ることができ、またカメラは「嘘をつかない」ので、真実とされている公的なイベントの映像は広められていく。
(4)テレビの絵利点は、全部を中継する限り、他のメディアに比べて、起こっている事柄について、より十分により豊富にそしてより完全な姿を提供できることにある。
の4つの仮説を提起しています。
 第2章「テレビ独自の視点」では、1951年のマッカーサー元帥の帰国について、「ほとんどの人たちが混乱した見世物を期待していたのであり、その中で、巨大な群集となった慣習が積極的な役割を演じ、またその見世物は高まった感情と大人数の力ということを見込んで、脅威という要素を含んでいた」が、イベントに参加した人たちは、「ある人々は非常に長い時間まった後、マッカーサーをどうしても見ることができなかったという理由だけで、失望感を表明した」のに対し、「テレビでこのイベントを追っていた人は、彼らが期待したものを十分に見聞できた」ことが述べられています。
 著者は、「メディアの技術的可能性は、日常的なものは捨てて劇的なものを協調することを促し」、「観衆が元帥と彼の家族が通り過ぎるのを一目でも見れば幸運だった一方で、テレビの視聴者はマッカーサーをずっと見ることができた」と述べています。そして、「世論の聴講として限られた世論の表明を選ぶことによって、報道機関は全体として、世論の雰囲気を作り出すことを助け」、「この雰囲気の反応が本当の意見よりむしろ世論のイメージに幸甚の注意を向けさせる」と述べています。
 第3章「初の党大会完全テレビ中継」では、1952年7月7日から26日の間にシカゴで開かれた共和党と民主党の党大会を取り上げ、「この両党大会によって、これ以降の政治大会や他の大きな政治イベントのテレビ中継のスタイルが形成された」と述べています。
 第4章「『テレビに映る』という試練」では、1960年のニクソンとケネディのテレビ討論を取り上げています。そして、一般的に大衆向け政治番組が、
(1)自分の政治的な帰属意識の有効性を増大させる。
(2)その意識において投票者のイメージと政見との間の一貫性を、個々の投票者が自分の選択を支持する方向で促進する。
の2つの効果を持っていることを解説しています。そして、投票意図の変化が、
(1)結晶化:選択がなされていない状態あるいは投票をするつもりのない状態から、2人の候補者から1人を選ぶという明確な選好へ向かう動き。
(2)転向:ある候補者から他の候補へ鞍替えする。
(3)動揺:一時的な鞍替えや鞍替えには至らないけれど肩入れの度合が弱くなる。
の3つに分類されることを解説しています。
 また、テレビ討論に関しては、事前のニクソンのイメージが、
(1)副大統領の色は大きな責任を伴い、さらに大きな責任を伴う大統領になるためのよい準備期間となる。
(2)世界を駆ける外交政治家として記憶されていた。
(3)パーソナリティーとしての魅力、そして討論者としての実力には侮りがたいものがあるという認識。
というものであったのに対し、ケネディは、「政治家としてではなくひとりの人間として人々の目に映」り、「おおかた前途有望な『好青年』に対するそれ」であり、「政治的な組織づくりのやり方を知っている有能かつ冷静な大志を抱いた青年」というものであったことが述べられています。
 しかし、「ニクソン自身が『朝剃っても夕方5時にはうっすらと見えるほどになる濃いひげ』を隠すため、パウダーの上になにかメーキャップをしたらどうかという勧めに従わなかった」ことなど、「外見に関しては内容に関するほどの十分な注意を払っていなかった」という「基本的なミス」を犯したことを自ら認めていることが述べられています。
 さらに、テレビによって映し出された政治姿勢のイメージについて、
(1)候補者個人のテレビにおけるパフォーマンス
(2)候補者が自らに振り当てられた政治的な役割をよくこなしていること。
(3)個人的イメージ
の3つの構成要素の評価に依存していると解説しています。
 第5章「投票と選挙報道」では、開票放送によってもたらされる最小限の効果として、
(1)影響を受けうると考えられる集団の規模が小さいこと
(2)対抗する影響によって変化に向かうはずみが中和されてしまうこと
(3)投票州間を支えるある種の態度の安定性があること
の3つの特定の条件に帰することができるとしています。
 また、投票への動機づけとして、
(1)自分の投票が有効であると捉える。
(2)熱心な党は支持者の政治的関与。
(3)投票することを市民の義務と見なし、実行しなければならない「神授権」と見なす。
の3つの要因を挙げています。
 著者は、「選挙の夜は、候補者間の競争というよりも、どの局が最も早く正確に到達することができるかということを見る、ネットワークの世論調査間の競争になってしまった」と述べています。
 第6章「ウォーターゲート」では、「テレビは巨大な政治的イベントを生中継することで、たとえそのイベントが潜在的には分裂を招くようなものであったとしても、より一般的には結束させる力としてはたらく」ことを示しています。
 そして、テレビ中継された政治的イベントを、
(1)儀式:結束的/限定された視聴者
(2)スペクタクル:結束的/限定されない視聴者
(3)審議:論争的/限定された視聴者
(4)討論:論争的/限定されない視聴者
の4つのタイプのいずれかに当てはまると述べています。
 また、論争的なものでありながらテレビ中継されたことで変形し、「国論を分裂させるよりは結合させる機会としてはたらいた」、
・ウォーターゲート事件調査特別委員会公聴会(1973年)
・大統領弾劾公聴会
・辞任の夜
の3つのイベントを取り上げています。
 本書は、政治家を志す人はもちろん、メディアリテラシーを高めたい人にとっては格好の一冊です。


■ 個人的な視点から

 ニクソンとケネディのテレビ討論のエピソードは、テレビと政治を語る上でよく引き合いに出されますが、あくまでテレビの力の象徴としてそれ単体で使われることが多いのに対し、本書のように1950年代からの文脈の中で捉えることは、現在のテレビと政治の関係を考える上で有効なのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・政治とテレビの関係がどのように形作られてきたかを捉えたい人。


■ 関連しそうな本

 星 浩, 逢坂 巌 『テレビ政治―国会報道からTVタックルまで』
 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 38602
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 38546
 高瀬 淳一 『武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法』 38939
 高瀬 淳一 『情報と政治』 38526
 ドナルド・R. キンダー (著), 加藤 秀治郎, 加藤 祐子 (翻訳) 『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』 38887


■ 百夜百マンガ

炎のニンジャマン【炎のニンジャマン 】

 やっぱり「島本=火」なのか、「炎」「燃える」がつく作品の多さは半端じゃありません。忍者といえば『風の戦士ダン』以来でしょうか。

2007年4月 3日 (火)

自治体の市場化テスト

■ 書籍情報

自治体の市場化テスト   【自治体の市場化テスト】(#803)

  稲沢 克祐
  価格: ¥2,520 (税込)
  学陽書房(2006/06)

 本書は、「官と民とを対等な立場で競争入札に参加させて、お互いの強みを競争させ、第三者の判断で公共サービスの担い手を決定する手法」である「市場化テスト」を、「行政改革の究極のツール」ととらえる視点に立ち、「市場化テストとは何か、自治体においては、それをどのように進めていけばよいか」を平易に書いたものです。
 第1章「市場化テスト入門」では、市場化テストの核心を、「現在、独占市場である公共サービス領域に対して、競争原理を導入することによって、公共サービスの質の向上とコストの低下を図ろうとするもの」であると述べています。
 そして、その前提として、
(1)自治体業務全体の棚卸作業
(2)棚卸した事務事業についての、適切な事務事業単位への整理
(3)事務事業の必要性を判断するための評価基準の設定と評価
の3つの前提が必要となるとしています。
 また、市場化テストに伴う課題として、官側が落札できない場合の職員の処遇の問題を取り上げ、「20年間に渡り官民競争入札を強制されていたイギリスの自治体では、落札したばかりの部局でさえ、次の入札のときを考えて、解雇されるのではないかという不安から、職員の指揮(モラール)が低下してしまったという報告が数多く寄せられ」、イギリスでは、「営業上と規則(TUPE)」という公務員の「権利」を保護する法整備が進められたことが解説されています。
 第2章「官製市場改革と市場化テスト法」では、「官製市場」を、「政府が独占的に事業を行うか、公的関与が著しく強い分野の総称」とした上で、
(1)国が自ら実施する事業
(2)自治体の類似の事業
(3)形式的には民間部門であるが、官に準じた規制の下に置かれた社会福祉法人などのいわゆる非営利法人が独占し、民間企業の参入が禁止・制約されている市場
などの具体例を挙げています。
 また、自治体にとって市場化テストの対象となる「特定公共サービス」について、「地方公共団体の窓口業務」を挙げ、「戸籍法等の特例によって、これまで民間事業者には行えなかった戸籍法等に基づく戸籍謄本等の交付の請求の受付及びその引渡しなどの業務の実施が、民間事業者にも可能となった」ことが述べられています。
 第3章「イギリスにおける自治体市場化テストの導入と限界」では、著者がイギリスに滞在していた1995~97年当時、数多くの自治体を訪問調査する中で、どの役所でもどの部署でも「CCT」)Compulsory Competitive Tendering:強制競争入札)を書かれた簿冊を目にしたという経験を語り、「この言葉に対する自治体職員の反応は決して好意的なものばかりではなく、むしろ圧倒的に廃止を願う声が多かった」と述べています。
 そして、イギリスにおける強制競争入札導入の重要なポイントとなる、イギリス特有の組織として、「ブルーカラー」的な仕事を担う「直営現業部門(Direct Labour Organisation: DLO)」の存在について解説しています。
 また、イギリスの自治体が、強制競争入札に対してとった手法として、
(1)官民競争入札を経ずにサービスを民間企業に委託してしまう方法・
(2)直営サービス部門を強化し民間企業に対抗できるようにすること。
(3)直営サービス部門を民間企業にしてしまうこと。
の3点を挙げています。
 第4章「イギリスにおける自治体市場化テストの評価とその後」では、イギリスの強制競争入札によって、「自治体側が落札できなかったり、あるいは、落札するために人員削減をしたりしたために、数多くの自治体職員が職を失っていった」ことを指摘し、「こうした急進性ゆえに強制競争入札は不人気であったのだが、労働党政権によって廃止されたから後も、官民競争入札は自発的に」続き、自治体の文化がマネジメント重視へ変容したことなどが述べられています。
 そして、強制競争入札の課題としては、
(1)自治体に調達方法を決定するのは、自治体の裁量によるものであり、当初から入札を強制されることは自治権の侵害に当たること。
(2)強制競争入札は、官民の公正な競争を確保しようとするあまり、制度が複雑化していったために入札や契約などに関する書類作成が大量に発生したことから、「繁文縟礼」へと後退していったこと。
(3)強制競争入札で自治体側が落札をしようと、人員を大幅に削減したり、勤務時間などの条件を厳しく設定したりしたことから、自治体職員の士気が落ちてしまったこと。また、落札できなかった場合には地方公務員の身分を失うことがほとんどのケースであり、士気の低下につながったこと。
の3点を挙げています。
 さらに、労働党政権後、強制競争入札制度の廃止にもかかわらず、「競争によるサービスの有効性・効率性の向上を評価した上で、廃止後も積極的に競争条件の中でサービス提供に当たることが望ましいと自治体に対して宣言」し、廃止後も外部委託化の割合を増やしている自治体も2割程度あり、自治体内業務に戻った自治体は3%程度にとどまっていることが述べられています。
 労働党政権が、強制競争入札制度の代替策として打ち出した「ベストバリュー」については、「公共サービスの質とコスト双方において、たゆまぬ向上を目指すことが新しい自治体の証であってベストバリューの目指すところ」であり、「(向上のために必要なことは)コミュニティ内のサービス・ユーザー等との良好な協働関係を保つこと、業績の向上は指標と達成目標により計測すること、サービス提供主体の選択肢を広くすること、常に透明な自治体であることに務めること」であると述べています。
 また、ベストバリューを、
(1)戦略経営体系の構築
(2)業績マネジメント体系と品質マネジメント体系の構築
(3)外部評価
(4)失策に対する国の介入権行使
の4つのフェーズによって攻勢されていることを解説しています。
 第5章「自治体市場化テストの進め方(1)――全体プロセスと対象業務の特定化――」では、市場化テストの導入プロセスを、
(1)対象を特定化するプロセス
(2)特定化された対象に関する官民競争入札を実施するプロセス
(3)サービス実施中及び実施後のモニタリング
の3段階に分けてそれぞれ解説しています。
 また、(1)に関しては、競争入札に入る前の可能性調査の留意点として、
(1)官民の予想コストの把握
(2)事業規模・事業形態の検討
の2点を挙げています。
 第6章「自治体市場化テストの進め方(2)――入札の準備(組織と会計)・入札実施のプロセス――」では、これまでの、
・仕様発注:何をどのようにするかという詳細な「仕様」を事前に決めておく
では、民間側の創意工夫を狭めてしまうため、
・性能発注:仕事の進め方は落札者に任せる
を前提として競争条件の設定が必要になることが解説されています。そして、そのために、官民比較可能な自治体会計の整備が必要であるとして、イギリスの自治体が、強制競争入札の導入を機に、1980年代に発生主義会計の導入を進めたことが述べられています。
 また、価格のみの競争では、「安かろう悪かろう」に陥りがちであるため、「まずは、非価格要素で入札者を3者程度に絞ってから、当該3者に対して価格競争を課す」という「2段階の封筒(doble envelope)」という提案が生まれたことが紹介されています。
 第7章「自治体市場化テストの進め方(3)――契約、実施中のモニタリング、サービス・レベル・アグリーメント――」では、市場化テストにおける契約の留意点として、
(1)サービスの質とモニタリングの方法を明記する:サービス水準合意書(SLA)
(2)リスク負担を明記する
(3)複数年契約である
の3点を挙げています。
 このうち、SLAについては、「サービスの提供者と委託者との間で、サービスの契約を締結する際に、提供するサービスの範囲・内容及び前提となる諸事項を踏まえた上で、サービスの品質に対する要求水準を規定するとともに、規定した内容が適性に実現されるための運営ルールを両者の合意として明文化したもの」であると定義されています。
 また、要求水準として書き込まれる中で重要な、「重要業績指標(KPI)」について、「提供されたサービスの品質を評価するために、重要な業務結果の状況を判断するための指標」であると定義しています。
 第8章「地方公務員の処遇」では、「市場化テストで自治体側が落札できずに、そのまま職員が自治体内に残った場合、結局、人件費は変化なく落札した民間企業への委託料だけが上乗せされる」という問題について、イギリスでも制度の根幹にかかわる部分であると述べ、イギリスでは、「労働者の雇用と労働条件を保護するための法制度」として、1981年に「営業譲渡規則(TUPE)」を制定したことが解説されています。
 営業譲渡規則の適用による問題点としては、転籍した職員には、従来の賃金水準が維持される一方、新規に民間企業に雇用された職員には別途契約で決定され、「同じ業務に従事しながら、賃金格差が生ずる」という「二層賃金制」が問題になることが解説されています。
 また、日本における地方公務員の処遇の選択肢として、
(1)他の部局に移動させる。
(2)事業を受託した民間企業等に転籍させる。
(3)解雇する。
の3点を示し、それぞれ解説しています。
 本書は、とくに自治体における市場化テストについて、分かりやすく解説した良書といえるでしょう。


■ 個人的な視点から

 著者に初めてお会いしたのは、まだ、著者が群馬県庁の東京事務所にいらっしゃったときでした。行政経営フォーラムの縁でお会いすることができましたが、英国勤務をきっかけに「一皮むけ」、本書のような業績を重ねられていることは、多くの地方公務員にとって励みになることだと思います。人生、何がきっかけになるか分かりません。


■ どんな人にオススメ?

・自治体にとっての「市場化テスト」の意味を捉えたい人。


■ 関連しそうな本

 市場化テスト研究会 (著), 本間 正明(監修・著) 『概説市場化テスト―官民競争時代の到来』 2005年10月07日
 内閣府公共サービス改革推進室 『よくわかる!公共サービス改革法(市場化テスト法)入門』 2006年10月05日
 内閣府公共サービス改革推進室 『詳解 公共サービス改革法―Q&A「市場化テスト」』 2006年12月04日
 南 学, 小島 卓弥 編著 『地方自治体の2007年問題-大量退職時代のアウトソーシング・市場化テスト-』 2005年08月22日
 八代 尚宏 (編集) 『「官製市場」改革』 2006年01月27日
 大住莊四郎 『ニュ-・パブリック・マネジメント  理念・ビジョン・戦略』 2005年01月23日


■ 百夜百マンガ

陽気なカモメ【陽気なカモメ 】

 スリ→手が早い→ボクサー、というのも安易だとは思いますが、「ダッシュ勝平」からの流れではやむなしか。

2007年4月 2日 (月)

比較政治学

■ 書籍情報

比較政治学   【比較政治学】(#802)

  スティーブン・R. リード
  価格: ¥3360 (税込)
  ミネルヴァ書房(2006/02)

 本書は、「比較政治学の最も進んでいる側面を紹介して、日本の政治を理解するための知識を提供すること」を目的としたテキストです。「比較政治学」とは、「複数の国の政治を比較する学問」であり、本書では、
・先進国の民主主義(政党、選挙)
・3つの政策(移民対策、宗教と政治、政治腐敗と政治改革)
等のテーマを設定し、その理論を利用して、
・3つの国(イギリス、ドイツ、イタリア)の民主主義
を分析しています。
 著者は、日本流のテキストが「階段」の発想をとるのに対し本書では、アメリカ流に「地図」の発想を採り、「そこには当該分野の知識がさまざま示されるが、それに順番やレベルをつけない。それよりもまず知識の全体像を提示し、テーマを多く紹介する。そしてテキストを利用して勉強している学生が特定のテーマについて興味がわいたら、さらにその方面の勉強が続けられるように次の道を案内する」ことによって、「地図のように全体像と道案内を提供する」と述べています。
 第1部「選挙研究」では、選挙と政党を扱っています。選挙研究は「比較政治学の中で最も進んでいる分野」であり、その理由として、客観的なデータが大量に入手できることを挙げています。
 第1章「選挙と選挙制度」では、選挙制度の選択肢として、
(1)比例度
(2)政党本位や個人本位
(3)選挙協力を促進・抑制する機能
(4)競争を促進・抑制する機能
(5)一票の格差を決める区割り
の5点を挙げ、それぞれについて分析しています。
 また、選挙制度の影響については、「政治学の分野において最も信頼できる法則の一つ」として、「デュヴェルジェの法則」を挙げ、その提案された、
(1)小選挙区制は二大政党制を生む
(2)比例代表制は多数政党制を生む
の2つの仮説のうち、(1)は再度にわたって確認されたが、(2)は確認できなかったことが述べられています。
 第2章「投票行動」では、投票行動の特徴として、
(1)投票にかかるコストも利益も小さい
(2)参加の上限(一人一票)が決まっているから平等である
の2点を挙げています。
 また、投票行動を説明する仮説として、
(1)候補者や政党に国政を任せるという委任投票説
(2)周りの人の影響によるというコンテキスト効果説
(3)仲間と一緒に行動するという帰属意識投票説
(4)個人的な意見による政策投票説
(5)政党選びや当選確率を考慮した戦略的投票行動説
(6)政権交代を起こすか起こさないかという業績評価投票説
(7)投票行動を情報処理として考えるオンライン投票行動説(投票の時点で、政党や候補者などについての情報を思い出すのではなく、その好き嫌いの度合のみ思い出して、最も好きな政党や候補者を選ぶ)
の7点を挙げています。
 第3章「政党と正統性」では、民主主義の評価が高いことに対して、政党についての評価が低いことについて、「政党が国民同士の競争を促進するように見えるから」という理由を挙げています。
 そして、政党の定義を、「特定の党名で選挙に候補者を擁立する組織」と定義し、その側面として、
(1)代議士とその候補者を構成する国会の中の政党
(2)支持者を構成する有権者の中の政党
(3)党が雇う職員と選挙運動を担う活動家を構成する組織としての政党
の3点を挙げています。
 また、「選挙母体の拘束力が強く、事実上独立した『小社会』を形成して、政党はその『小社会』の系列団体の一つに過ぎない」ようなケースの場合、この政党を「柱政党」(Pillar Party)と呼ぶことが述べられています。 
 第2部「政策研究」では、政策の研究が選挙ほど進んでいない理由として、
(1)役に立つ客観的なデータが少ないこと。
(2)統計学的な研究以前に、基本的な事実把握がまだ足りないこと。
の2点が挙げられています。
 第4章「移民・少数民族問題と右翼政党」では、西欧各国が右翼政党の躍進する選挙を経験しながらも、その次の選挙では得票率が元に戻る傾向がある理由について、
(1)批判票が浮動票で安定しないこと
(2)右翼政党はよく分裂すること
(3)既成政党が次の手を打つこと
の3点を挙げています。
 また、移民問題や少数民族問題という「民主主義にとっての難しい問題」について、
(1)民主主義の国では民族間の暴力が少ない。
(2)一般的に選挙自体には対立を収める機能が見受けられる。
(3)選挙などの民主主義の過程には、学習機能もある。
など、「民主主義の学習機能が十分働いた」と述べています。
 第5章「宗教と政治」では、アイデンティティ政治に中心的な役割を果たす宗教について、民主主義に及ぼす危険性として、
(1)立場が絶対的になり、妥協できない
(2)信者に対する拘束力
の2点を挙げています。
 また、平和や民主主義に抵抗する「強い宗教」とに関する研究の成果として、これらの宗教が持つ特徴を、
(1)原理主義は近代化への反作用である。
(2)原理主義は伝統と近代から選別する。
(3)何でも白か黒か、善か悪かに分ける。
(4)指導者や聖書などの無謬性を信じる。
(5)至福千年を待望している。
(6)「われわれは少数の『選ばれた民』である」と信じる。
(7)「我々」と「他人」をはっきりと区別する。
(8)指導はカリスマによることが多く、組織は独裁的な傾向が強い。
(9)強い宗教団体に入会すれば、要求される行動が多く、自制できる時間がなくなる。
の9点挙げ、「強い団体が民主議にとって危険であり、強い団体に宗教団体が多い」と述べています。
 さらに、宗教が投票行動に影響を及ぼす仕組みとして、
(1)信仰と政策の関係
(2)帰属意識
(3)交際効果(付き合っている仲間と同じ投票をする傾向)
(4)「組織票」として選挙運動を行う組織
の4点を挙げています。
 著者は、「宗教政党や団体は、民主主義にとって危険視されることが多い」ことについて、「西欧の宗教政党がもともと民主主義に反対したように、インドのヒンドゥー教系のBJP(インド人民党)や、日本の公明党は、非民主主義的と批判されてきた」ことを紹介しながらも、「宗教政党は選挙などに参加すれば、妥協をするようになり、普通の政党に似てくる傾向がある」と述べています。
 第6章「政治腐敗と政治改革」では、「1990年代は政治腐敗の時代であったと同時に、政治改革の時代でもあった」として、「政治腐敗、政治不信、民主主義に対する不満などが原動力になって、民主主義の問題点を直すために改革案が多く議論されて、その多くが実施に至った」とのべ、イタリア、日本、ニュージーランドの三大改革について解説されています。
 また、イタリアと日本が小選挙区制中心の選挙制度を導入した目的が、
・多党制から二大政党制へ近づくこと
・政治腐敗を減らすこと
にあったが、政治改革は期待通りには機能せず、達成度も完全ではないが、「両国では二大政党制へ向かっているし、政治腐敗の改善は見えてきた」と述べています。
 第7章「戦後イギリスの民主主義」では、1945年~74年のイギリスが、「典型的な二大政党制であった」としてその特徴を、
(1)保守党と労働党は対等に戦って、勝負は少数の中立的な有権者の動向に決められた。
(2)各党得票率の増減は全国的に一律であった。
(3)政権交代が多かった。
の3点挙げていますが、「イギリスでも典型的な二大政党制は長く続かなかったし、安定できる政治体制ではなさそうである」と述べています。
 著者は、「いちぎるがた民主主義の基本は政権交代にあるので、1979年以降その民主主義は行き詰ったといわなければならない」と述べ、政権交代機能がにぶくなったイギリス民主主義の展望として、一般的には、民主主義が行き詰ると政治改革が提案されるが、イギリスでは大きな政治改革を行わずに、民主主義を進化させることができた点に言及しています。
 第8章「戦後ドイツの民主主義」では、ドイツが、「戦前の民主主義の挫折から学んだ教訓」として、「純粋比例代表制の危険性」を挙げ、戦後は、選挙制度についての議論がはげしく行われ、「多くの政治学者が高く評価する『併用制』」が選択されたことが述べられています。
 また、戦前の民主主義挫折から学んだもう一つの教訓として、「民主主義には政党が必要」であることを挙げ、ドイツ憲法が政党の存在を明記しており、政党研究における「包括政党」、「反政党的政党」、「カルテル政党」などの概念が、すべてドイツの政党を手本としたモデルであることが述べられています。
 さらに、ドイツのスキャンダルにおいて、「他の国にあまり見られないスキャンダル」として、「ナチ時代の活躍を隠したり、何かについて嘘をついたりすることが多く、1949年から1989年まで22事件もあった」ことや、再統一後には、「旧東ドイツの共産体制での活躍を隠したスキャンダル」も少なくなく、「東ドイツからのスパイが政府・政党の役職についていたという事件も多い」と述べています。
 著者は、ドイツ民主主義に、学習と改善能力があるが、大きな政治改革が行われていない理由として、
(1)ドイツの選挙制度(併用制)が、政治学者の中には評判が良く、推薦されている。
(2)戦前のわーマール共和国における直接民主主義的な試みが、多く失敗に終わったので、国民主義に対するアレルギーがあった。
の2点を指摘しています。
 第9章「戦後イタリアの民主主義」では、イタリア民主主義が、「西欧の最も困った民主主義」と評価され、イタリアに民主主義が難しいと思われる要因として、
(1)イタリア国家そのものが完全ではなく、様々な側面で地域差が激しい。
(2)財政指標や行政能力が最適とされてきた。
(3)マフィア問題やテロ問題があり、治安が西欧で最悪であった。
(4)政治腐敗も西欧一であった。
(5)戦前ドイツの政党制に煮ていたので、同様に崩壊する恐れがあった。
(6)イタリア独特の宗教・政治問題があった。
等の点を挙げています。
 また、イタリアが、「国家として統一されてからの歴史が浅く、現在もなお不完全で、地域差の激しい国である」として、「北部は西欧の最も豊かな地域の一つでありながら、南部は発展途上国に近い」上、「南部のような伝統的な社会に膨大な公共投資が入った結果」、政府腐敗が起こり、職を求めて北部に移動した南部人は、「外国人のように移民扱いとなり、差別の的になった」ことが述べられています。
 さらに、「マフィア」について、「警察が機能しない場合に警察の役割を果たす犯罪組織」という定義を挙げ、「どこの国にもマフィアが存在することになるが、それに最も手を焼いてきた国」であると述べています。
 著者は、「戦後イタリア政治史は、民主主義の成功譚である」として、「絶望的な条件下にもかかわらず、民主主義体制は学習し、改革ができた」ことを評価しています。
 「むすび――民主主義の展望」では、民主主義の最も高く評価できる側面として、「その学習効果」を挙げ、民主主義にとって難しい問題である、宗教、移民、汚職問題を分析し、「たしかにそれらの難しさを確認したが、それでも民主主義は機能しうるという結論」に達したと述べています。
 本書は、形のはっきり見える物ではない「民主主義」の輪郭を多くの国の多角的な比較によって見えるようにしてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の魅力は、日本の事例を主に扱っているわけではないのに、日本に対する示唆に富んでいる点です。とくに、規模も制度もまるっきり違うアメリカの政治との比較ではなく、ヨーロッパの政治、それも複数の国の政治制度や歴史を対比させることでそれぞれの国の特徴を浮かび上がらせています。
 よく、福祉の分野などでは、「北欧ではこうなんだけど日本は遅れている」的な「信者」的な主張が見られますが、個々の国と日本とを直接対比させるだけでは見えにくい、それぞれの国の制度の強みと弱みを知ることができるという点で、比較政治学の手法は広く使えるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・日本の政治を複眼で見てみたい人。


■ 関連しそうな本

 アレンド レイプハルト (著), 粕谷 祐子 (翻訳) 『民主主義対民主主義―多数決型とコンセンサス型の36ヶ国比較研究』 2006年02月20日
 佐々木 毅 『政治学講義』 2005年03月11日
 加藤 寛 『入門公共選択―政治の経済学』 2005年03月13日
 小林 良彰 『公共選択』 2005年04月15日
 河野 勝 『制度からガヴァナンスへ―社会科学における知の交差』
 マーク ラムザイヤー, フランシス・マコール ローゼンブルース (著), 河野 勝, 永山 博之, 青木 一益, 斉藤 淳 (翻訳) 『日本政治と合理的選択―寡頭政治の制度的ダイナミクス1868‐1932』

■ 百夜百マンガ

G組のG【G組のG 】

 大笑いするわけでもないし、クスリとするわけでもないんだけど、意味のなさに脱力する読後感は、某ファックス漫画家にも通じるものがある気がします。

2007年4月 1日 (日)

なぜ人は宝くじを買うのだろう 確率にひそむロマン

■ 書籍情報

なぜ人は宝くじを買うのだろう 確率にひそむロマン   【なぜ人は宝くじを買うのだろう 確率にひそむロマン】(#801)

  岸野 正剛
  価格: ¥1785 (税込)
  化学同人(2007/1/20)

 本書は、「偶然に起こる事柄の、起こりやすさの程度を測る物差し」である「確率」について、「楽しい話(ロマン)を中心に、我々が日常無意識のうちに接する確率に関わる話題をいろいろな角度から取り上げた」エッセイです。
 第1章「宝くじは買うべきか?」では、300円のくじの、すべての賞について、金額と当たる確率をかけて足し合わせた「期待値」が、141.99円であることを示し、「お金だけの損得勘定をすると、300円で買って期待できる当選金の金額は142円。ずいぶん損である」としながらも、「宝くじには、もしかしたら1億円が当たるかもしれないという『夢』がある」と述べています。そして、宝くじの期待が低い秘密として、宝くじの益金が公共事業の資金に使われるため、期待値が低く抑えられていることが解説されています。
 第2章「競馬にかけるロマン」では、2005年の日本ダービーでのディープインパクトの人気があまりに高く、「馬券の単勝の支持率が実に73.4%にも達し」、払戻金は、110円と歴代最低の払戻金であったことが述べられています。
 第3章「冠婚葬祭は重なるもの?」では、2つの行事が重なる確率を、誕生パーティーを例に計算し、23人以上では、誕生日の重なる確率のほうが、重ならない確率より大きくなることを示しています。
 第4章「確率が絡む誤解と先入観」では、「サイコロを6回振ったが、6の目は一度も出ていない。もうそろそろ6の目が出てもいいはずだ」という発想を取り上げ、同じような考え方として、戦場において、「一度当たった箇所には二度と当たっていないようだ」というものを紹介しています。
 第5章「優等生社長が成功する確率」では、戦後の日本の大企業で大量生産されてきた、「何もしない多くの優秀なサラリーマン」の存在が、優等生社長の成功する確率が低い原因と関係があることを示しています。
 第6章「甲子園出場と確率」では、甲子園出場に有利な条件として、
(1)強いチームを作ること
(2)地区大会での出場校が少ないこと
(3)実力のレベルが低い地区であること
の3点を挙げています。
 第7章「サイコロ賭博師メレの成功と没落」では、確率論誕生の契機となった、メレの大失敗談を紹介し、「自分が必ずかつと確信していた賭博に負けた原因だけは確かめなくてはならない」と考えたメレが、哲学者で貴族仲間のパスカルの元に駆け込んだことが紹介されています。
 第9章「神は存在するのか?」では、パスカルが、「神は存在するか、存在しないか」について思い悩み、神と無限大との間にいくつかの類似点があることに気づいたことが解説されています。
 本書は、「確率」をキーワードに様々なエピソードを散りばめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の中で、「確率」の計算によって一儲けした後、計算ミスによって財産を失い、そのことが確率論誕生の基礎となったという賭博師メレのエピソードが紹介されていますが、著者自身が一財産失うかも……?
 というのは、出版社のサイトによれば、
 
> DOJIN選書「なぜ人は宝くじをかうのだろう」についてのお詫びと対応について
 
> 1月20日発売のDOJIN選書「なぜ人は宝くじを買うのだろう」の内容に著者の勘違いによるミスが発覚いたしました.ご購入いただきましたお客様におかれましては,多大なご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び申し上げます.改訂版の出来上がりが4月上旬の予定でございます.すでにご購入いただきましたお客様につきましては,お取り替えをさせていただきますので,誠にお手数ではございますが,弊社営業部まで着払いにてお送り願います.改訂版が出来次第改めて交換分としてお送りさせていただきます.

という「お詫び」が掲載されています。着払いで交換、となると相当な負担なのですが、相当な部分を間違えたのか、宝くじやJRAの逆鱗に触れるようなとんでもないミスなのか、おそらくその両方なのではないかと思います。
 さて、この著者(福井工業大学 工学部 岸野正剛教授)は、統計の専門家ではないというものの、Amazon(http://tinyurl.com/256vf9)でみると20冊の著書があり、半導体デバイスに関する専門書が中心ながら、
○数学の教科書や一般書
『今日から使える物理数学』
『難しいがおもしろいに変わる基礎数学のコツ』
○量子力学の教科書
『今日から使える量子力学』
『量子力学―基礎と物性』
『量子力学の基礎』
○科学エッセイ
『電子はめぐる―先端エレクトロニクスとその開拓者たち』
『狂歌で迫るパスカルの謎』
『戦略の謎』
など、様々な本を出版しています。
 今回のミスでミソをつけちゃった感じですが、これらの本で勉強した経験のある方は、自分が勉強してきた内容に対する不安に苛まれるんじゃないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「へぇ~」と思う程度の科学読み物が読みたい人。ただし、「嘘を嘘と見抜けないと難しい」ので素人にはお奨めできない。


■ 関連しそうな本

 岸野 正剛 『今日から使える物理数学』
 岸野 正剛 『今日から使える量子力学』
 谷岡 一郎 『ツキの法則―「賭け方」と「勝敗」の科学』
 A・K・デュードニー (著), 田中 利幸 『眠れぬ夜のグーゴル』 2005年12月25日
 ジョエル ベスト (著), 林 大 (翻訳) 『統計はこうしてウソをつく―だまされないための統計学入門』 2006年1月8日
 デイヴィッド サルツブルグ (著), 竹内 惠行, 熊谷 悦生 『統計学を拓いた異才たち―経験則から科学へ進展した一世紀』 2006年11月23日


■ 百夜百音

生存証明【生存証明】 さいたまんぞう オリジナル盤発売: 2001

 さいたまんぞうが岡山県出身だったことにショックを受けましたorz。
 昔、目黒の寄生虫館に行ったときに権之助坂を見て、ここがビートきよしの「雨の権之助坂」の舞台かと思って感動しました。


『珍味』珍味

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