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2007年4月10日 (火)

政府資金と地方債―歴史と現状

■ 書籍情報

政府資金と地方債―歴史と現状   【政府資金と地方債―歴史と現状】(#810)

  加藤 三郎
  価格: ¥6510 (税込)
  日本経済評論社(2001/07)

 本書は、「政府資金による地方公共団体への資金供給をめぐる問題」を考えることを意図し、これまで、政府資金の中心である預金部(資金運用部)資金に比べ研究が手薄であった簡保資金について、「政府資金の地方還元」という問題に関しては、「簡保資金の運用の在り方の分析は不可欠」であるという観点から、「研究史の欠落を埋める」ことを趣旨としているものです。
 第1部「政府資金と地方債の諸問題」、第1章「地方債から見た政府資金」では、昭和50年代から60年代初頭にかけての、「金利の自由化の進行過程における政府資金の比率の減少という自体が引き起こした過渡期の一つのエピソード」として、「従来の政府資金の比率の実績を基準にして政府資金と民間資金の理沙を補給する」という政府の対応が、「政府資金の低利性が、政府により地方自治体への一種の補助金」、すなわち「かくれた補助金」であったことを顕在化させたものであることが指摘されています。
 第2章では、今日、政府資金の地方還元問題として意識される貸付けに関して、「わが国では戦前から直接貸付けという形態が根づいてきた」ため、「この貸付けの地域配分によって、言い換えれば地方還元の具体的あり方によって」、「かくれた補助金」の帰着が決まってくると述べています。
 第2部「政府資金の地方還元」第1章「預金部資金と地方債」では、「遠隔からいっても量的にみても政府資金の中心」であった郵便貯金を主体とする預金部資金について、その地方還元という政府方針が、「関係3省のうち、内務省主導で実現した」ことを、明治42年度予算案の審議過程を示しながら明らかにしています。そして、大蔵省にとって、「郵便貯金の奨励による預金部資金の増加はもちろん歓迎すべき事柄であるが、その見返りとして資金の一部を地方に還元しようという内務省の主張には、『時勢ノ推移』として受け容れはしたが、消極的」であった理由として、「資金運用について一定の制約を課されることへの抵抗」を挙げています。
 第2章「簡保資金と地方債」では、「簡保資金の地方還元という方針がどのようにして形作られたのかという問題」を明らかにするために、簡保創業時の事情から検討し、「本格的な社会政策である強制的労働保険への展望をもって、主として労働者階級を対象として制度の構築が意図された」ため、この考え方は資金運用の基本方針に及んだことが述べられています。
 そして、運用形態としての、公債投資(国際と地方債)の内訳について、当初は国際だけであったが、1923年から地方債にも投じられ、1926年には地方債が4割近くを占めるようになったことについて、1920年以降の恐慌と不況によって、「失業問題が深刻」となり、小作争議が頻発するという社会背景を受け、運用開始時に圧倒的な比重を占めた住宅以外に、職業紹介などの不況下の課題事業や、自作農創設事業への貸付けが始まったこと、そして最大の問題として、「小学校の建設を始めとして社会政策的とはいえない事業が次々に対象事業に加えられていったことで、ついには地方自治体の庁舎までが貸付対象とされるにいたった」ことを指摘しています。
 著者は、創業後10年足らずの経験が、この事業の理念であった社会政策のあり方についての修正をもたらし、社会政策的とはいえない多くの事業が資金運用の対象となり、「地方還元という点でいえば都市中心という当初の構想から地方町村の比重が激増」し、「1926年2月現在、地方町村が5割5分に達するという状態」であったと述べています。
 また、大正15年度予算案の政府原案に利子補給の経費が計上されたことについて、
(1)内務省:小作争議の沈静化はきわめて重要な課題で、府県財政力が深刻な状態にあったにもかかわらず利子補給という政策を採らざるを得なかったが、これを国の財政によって肩代わりすることを強く希望していた。
(2)農林省(農商務省):この政策に本格的に取り組むようになって、国庫による利子補給という構想も視野に入れて検討していた。
(3)逓信省:社会政策的運用と地方還元という簡保資金の課題からこの事業の貸付に積極的ではあったが、一定の利回りの確保も至上命令であり、この2つの要請を満足させる「工夫」として、利子補給の提案には前向きに対応しようとしていた。
(4)大蔵省:預金部資金の貸付については拒否したが、簡保資金の貸付への利子補給である限り、資金量には一定の制約があるので利子補給にも自ら限度があるため、厳しい財政事情にもかかわらず利子補給という新規経費への予算計上に同意した。
と各省の対応を整理しています。しかし、「一定の利回りを確保しながら簡易生命保険事業の健全な発展を確保しようという発想」による利子補給が、「政界の論理」によって、「一定のルールによる地方還元という簡保資金の従来の方針をも危うくするようになった」と指摘しています。
 そして、簡保資金の運用原則として、「確実且有利に運用すること」という第1原則として掲げておきながらも、「加入者階級の利益のために社会公共事業に放資すること」という第2原則とともに、「各地方の加入者に応じて資金を地方に還元すること」という第3原則が、「法案審議の過程で議会において要求された資金の地方還元という考え方」、すなわち政界の要求を受容したものであり、この昭和初期に表明された簡保資金運用の三原則が、「政界と官界からの簡保資金への提案や要求にたいする回答であり、かつ独特の存在意義を内外に示そうとしたもの」であると指摘しています。
 さらに、対象事業の拡大過程に関して、ここに形成された「金利体系」が、「性格からいうと、実は補助率の体系だといった方がよいように思われる」と述べ、「社会政策的事業に対しては最も効率の補助金を供給し、簡易生命保険事業の課題とのかかわりに応じて補助率が決定されていた」ことを指摘し、「この『金利体系』は『金利』の論理によってではなく、『補助金』の論理によって、つまり『金融』の論理ではなく『財政』の論理によって決定されたもので、いわば擬似的な金利体系だった」と述べています。このことは、「信用力の低い町村に相対的に大きな補助金が供与された」ことであり、「より長期の貸付に対してより大きな補助金が供給された」ことであるとしています。
 また、郵便年金積立金に関しては、この事業が、「当初、簡易生命保険事業と同時に調査が進められていたが、後に切り離されて、簡易生命保険事業の実施後、10年を経て実現した」ものであり、このことが、「この事業が簡易生命保険事業と共通した面と異質な面とをもともと併せもっていたこと、さらに簡易生命保険事業の10年の経験をも前提に制度の構築が行われたこと」を示唆していると述べています。
 第3章「預金部の改革」では、制度改革の最大の問題であった運用委員会について、「従来、大蔵大臣の専断体制といっても他省庁に関係のある事項については閣議において意見調整を図ってきた」が、「この機能をより常態化し、さらに民間委員を含めて委員会を編制しながら、大蔵省の裁量権を実質的に維持しようという点に委員会の構成原理の眼目があった」ことが指摘されています。
 第3部「地方還元の実態」第1章「戦前・戦中」では、預金部地方資金の激増の過程における「一つの重要な改革」として、地方資金供給の方法に関して、従来の機関経由による間接貸付けが、1927(昭和2)年から、「道府県と6大都市(東京、大阪、今日と、名古屋、神戸、横浜)に融通する普通地方資金については当該地方債券の預金部引き受けによって直接貸付を行うように改めることにした」ことを挙げ、この改革の翌年には、直接貸付を市町村にまで拡大しようという構想の検討が始まっていることが述べられています。著者は、その理由として、「金融恐慌から昭和恐慌の過程で地方自治体は深刻な財政危機にあって、低利の政府資金の増大のみならず、その一層の低利性を求めた」ことを挙げ、「こうして府県と市町村間の信用力格差を表現していた利率差は消滅」し、「預金部は直接貸付に伴う機構の拡大や、事務量の新規負担をコストとして上乗せすることなく、従来通りの金利で貸し出すことを前提として自治体の負担軽減が実現した」ことを指摘しています。
 しかし、個々の公共団体への資金脅威ゆうの実情については、当時の雰囲気について、「預金部の金でも、借りた以上は返さなければならない金である。それを地方の人はもらったもののように考えて、返さないでもよいと思っている。それから選挙のあるときになりますと、この金が選挙に利用される。代議士が来て、自分の選挙を有利にするため、低利資金を借りてきたと宣伝する。そういうものが入ると不良貸ができる」と、「国と地方団体の間においても深刻なモラル・ハザードの発生や財政規律の弛緩が見られる」ことを指摘し、「かくれた補助金」の性格の一面を物語るものと述べています。そして、この原資は、一般的に銀行預金利率よりも低位に維持されていた郵便貯金の利率、すなわち、「この時期の預金部の地方資金の低利性は郵便貯金の低利率に大きく支えられていた」のであり、「農民を中心とする庶民の零細資金」である貯金者に対する「かくれた租税」によって賄われてきたことを指摘しています。
 さらに、地方債の問題以上に創業時の構想にはるかに大きな衝撃を与えたものとして、日中戦争の開始後に簡保資金も国債消化への協力が求められたことを挙げています。
 また、1943年度以降は、大蔵省が、「政府資金を一元化することによって、より合理的な運用が可能となる」という年来の主張を、「政府の金融統制力の強化という戦時期の政策課題によって補強」し、「簡保資金は契約者貸付と地方公共貸付を除いて預金部に預入する、地方公共貸付の金額は従来の運用実績を基準とした上で、両省で協議するが、その融通条件は預金部地方資金と同一とする、簡保年金資金の必要運用利回りにより算定した額から、預入されない資産から生ずる運用預入額を控除した金額を利子として支払う」というものであったことが述べられています。
 著者は、預金部資金の移動問題を考える上で、「内部地方資金だけに注目していたのでは実態を明らかにすることはできない」とし、「外地地方資金を含めてみると、資金の流れは当会、近畿、山陽地方から朝鮮と東北、北海道、山陰地方へ移動したといえる。外地と農村部へというのが大きな流れだったのである」と指摘し、「この時期に預金部資金は農村から都市に移動したのではなく、逆に大都市から農村への移動というのが主要な流れだった」と述べています。
 第2章「戦後」では、戦後の簡保資金の地方還元の状況として、
(1)保険加入状況に応じて還元するという方針にもかかわらず、地方公共団体貸付を通じてかなり大きな地域間の資金移動が行われている。
(2)移動の型が1970年代半ば頃から転換し、近畿郵政局管内が、この時期移行、大きな移出地域から大きな移入地域に転換した。
の2点を挙げています。
 また、移出入の流れを規定しているのが、「文教」と「住宅」事業への貸付の地域配分にあることを指摘しています。
 終章「結び」では、戦前に、「低利の預金部資金について、大蔵省の担当官は『地方の人はもらったもののように考えて、返さないでもよいと思っている』と嘆いたが、交付税措置というのは地方債元利の全部または一部を文字通り『もらったもの』で『返さないでもよい』ことにする仕組み」であり、「交付税措置のある地方債というのは地方債の形態をまとった補助金といった方がいいかもしれない」と指摘し、この「『かくれた補助金』の補助率はきわめて高いし、政策的誘導という視点から見れば、交付団体に限られることになるから、きわめて変則的な補助金といえる」と指摘しています。
 そして、地方交付税の仕組みについて、「いわば二つのブラック・ボックスの組合せを通じて政府資金が供給されていることもできそうである」と述べ、「ディスクロージャーの一層の進展を望まざるを得ない」と指摘しています。
 本書は、政府資金について、地方債と「政界の論理」との関係を戦前・戦後を通じて追った良書です。


■ 個人的な視点から

 本書を通読して分かることは、現在の複雑な政府資金と地方債制度は、さまざまな経緯を経て現在の形に落ち着いた、と説明されることが多いが、その「経緯」の多くは、内務省(自治省・総務省)と大蔵省(財務省)の100年を超える交渉と妥協が現在の制度を形作っているということです。
 その意味でも、現在の制度を細かく重箱の片隅をつつくように覚えることよりも、本書などを通じて、過去の交渉の経緯と当時の社会情勢を合わせて追っていった方が正しい理解への近道だということが言えるでしょう。


■ どんな人にオススメ?

・政府資金の制度の成り立ちを歴史の中でつかみたい人。


■ 関連しそうな本

 平嶋 彰英, 植田 浩 『地方債』 2006年12月14日
 白川 一郎 『自治体破産―再生の鍵は何か』 『地方分権と財政調整制度―改革の国際的潮流』 2007年03月14日
 持田 信樹 『地方分権の財政学―原点からの再構築』 2007年03月15日
 松本 英昭 『新地方自治制度詳解』 2007年03月12日
 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日


■ 百夜百マンガ

Dr.Noguchi―新解釈の野口英世物語【Dr.Noguchi―新解釈の野口英世物語 】

 どの作品にも必ずいじめられっこが登場する人ですが、読む方も慣れてしまって、この後にすぐカタルシスが待っていると分かっているから安心して読めるのかもしれません。

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