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2007年4月 4日 (水)

政治とテレビ

■ 書籍情報

政治とテレビ   【政治とテレビ】(#804)

  G.E. ラング, K.ラング(著), 荒木 功, 小笠原 博毅, 黒田 勇, 大石 裕, 神松 一三 (翻訳)
  価格: ¥2625 (税込)
  松籟社(1997/01)

 本書は、「テレビが大きな政治イベントの中継を通して、政治や政治家のイメージを形成し、またそうすることで政治の性格のあり方に影響を与える筋道」について検証しているものです。
 第1章「テレビの作るイメージ」では、「コミュニケーションが政治の世界に影響を与えるというよりはむしろ、社会がコミュニケーションによってのみ存在する」というデューイの言葉を紹介しています。
 また、政治の中でのテレビの役割について、
(1)テレビは、登場人物やイベントをクローズアップして見せるので、公的人物や政治的行動、遠く離れた場所を身近に感じさせる。
(2)音声に映像が加わることで、映画にラジオ放送を加えたもの以上のことをしてきた。
(3)視聴者は「自分の力で」それを見ることができ、またカメラは「嘘をつかない」ので、真実とされている公的なイベントの映像は広められていく。
(4)テレビの絵利点は、全部を中継する限り、他のメディアに比べて、起こっている事柄について、より十分により豊富にそしてより完全な姿を提供できることにある。
の4つの仮説を提起しています。
 第2章「テレビ独自の視点」では、1951年のマッカーサー元帥の帰国について、「ほとんどの人たちが混乱した見世物を期待していたのであり、その中で、巨大な群集となった慣習が積極的な役割を演じ、またその見世物は高まった感情と大人数の力ということを見込んで、脅威という要素を含んでいた」が、イベントに参加した人たちは、「ある人々は非常に長い時間まった後、マッカーサーをどうしても見ることができなかったという理由だけで、失望感を表明した」のに対し、「テレビでこのイベントを追っていた人は、彼らが期待したものを十分に見聞できた」ことが述べられています。
 著者は、「メディアの技術的可能性は、日常的なものは捨てて劇的なものを協調することを促し」、「観衆が元帥と彼の家族が通り過ぎるのを一目でも見れば幸運だった一方で、テレビの視聴者はマッカーサーをずっと見ることができた」と述べています。そして、「世論の聴講として限られた世論の表明を選ぶことによって、報道機関は全体として、世論の雰囲気を作り出すことを助け」、「この雰囲気の反応が本当の意見よりむしろ世論のイメージに幸甚の注意を向けさせる」と述べています。
 第3章「初の党大会完全テレビ中継」では、1952年7月7日から26日の間にシカゴで開かれた共和党と民主党の党大会を取り上げ、「この両党大会によって、これ以降の政治大会や他の大きな政治イベントのテレビ中継のスタイルが形成された」と述べています。
 第4章「『テレビに映る』という試練」では、1960年のニクソンとケネディのテレビ討論を取り上げています。そして、一般的に大衆向け政治番組が、
(1)自分の政治的な帰属意識の有効性を増大させる。
(2)その意識において投票者のイメージと政見との間の一貫性を、個々の投票者が自分の選択を支持する方向で促進する。
の2つの効果を持っていることを解説しています。そして、投票意図の変化が、
(1)結晶化:選択がなされていない状態あるいは投票をするつもりのない状態から、2人の候補者から1人を選ぶという明確な選好へ向かう動き。
(2)転向:ある候補者から他の候補へ鞍替えする。
(3)動揺:一時的な鞍替えや鞍替えには至らないけれど肩入れの度合が弱くなる。
の3つに分類されることを解説しています。
 また、テレビ討論に関しては、事前のニクソンのイメージが、
(1)副大統領の色は大きな責任を伴い、さらに大きな責任を伴う大統領になるためのよい準備期間となる。
(2)世界を駆ける外交政治家として記憶されていた。
(3)パーソナリティーとしての魅力、そして討論者としての実力には侮りがたいものがあるという認識。
というものであったのに対し、ケネディは、「政治家としてではなくひとりの人間として人々の目に映」り、「おおかた前途有望な『好青年』に対するそれ」であり、「政治的な組織づくりのやり方を知っている有能かつ冷静な大志を抱いた青年」というものであったことが述べられています。
 しかし、「ニクソン自身が『朝剃っても夕方5時にはうっすらと見えるほどになる濃いひげ』を隠すため、パウダーの上になにかメーキャップをしたらどうかという勧めに従わなかった」ことなど、「外見に関しては内容に関するほどの十分な注意を払っていなかった」という「基本的なミス」を犯したことを自ら認めていることが述べられています。
 さらに、テレビによって映し出された政治姿勢のイメージについて、
(1)候補者個人のテレビにおけるパフォーマンス
(2)候補者が自らに振り当てられた政治的な役割をよくこなしていること。
(3)個人的イメージ
の3つの構成要素の評価に依存していると解説しています。
 第5章「投票と選挙報道」では、開票放送によってもたらされる最小限の効果として、
(1)影響を受けうると考えられる集団の規模が小さいこと
(2)対抗する影響によって変化に向かうはずみが中和されてしまうこと
(3)投票州間を支えるある種の態度の安定性があること
の3つの特定の条件に帰することができるとしています。
 また、投票への動機づけとして、
(1)自分の投票が有効であると捉える。
(2)熱心な党は支持者の政治的関与。
(3)投票することを市民の義務と見なし、実行しなければならない「神授権」と見なす。
の3つの要因を挙げています。
 著者は、「選挙の夜は、候補者間の競争というよりも、どの局が最も早く正確に到達することができるかということを見る、ネットワークの世論調査間の競争になってしまった」と述べています。
 第6章「ウォーターゲート」では、「テレビは巨大な政治的イベントを生中継することで、たとえそのイベントが潜在的には分裂を招くようなものであったとしても、より一般的には結束させる力としてはたらく」ことを示しています。
 そして、テレビ中継された政治的イベントを、
(1)儀式:結束的/限定された視聴者
(2)スペクタクル:結束的/限定されない視聴者
(3)審議:論争的/限定された視聴者
(4)討論:論争的/限定されない視聴者
の4つのタイプのいずれかに当てはまると述べています。
 また、論争的なものでありながらテレビ中継されたことで変形し、「国論を分裂させるよりは結合させる機会としてはたらいた」、
・ウォーターゲート事件調査特別委員会公聴会(1973年)
・大統領弾劾公聴会
・辞任の夜
の3つのイベントを取り上げています。
 本書は、政治家を志す人はもちろん、メディアリテラシーを高めたい人にとっては格好の一冊です。


■ 個人的な視点から

 ニクソンとケネディのテレビ討論のエピソードは、テレビと政治を語る上でよく引き合いに出されますが、あくまでテレビの力の象徴としてそれ単体で使われることが多いのに対し、本書のように1950年代からの文脈の中で捉えることは、現在のテレビと政治の関係を考える上で有効なのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・政治とテレビの関係がどのように形作られてきたかを捉えたい人。


■ 関連しそうな本

 星 浩, 逢坂 巌 『テレビ政治―国会報道からTVタックルまで』
 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 38602
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 38546
 高瀬 淳一 『武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法』 38939
 高瀬 淳一 『情報と政治』 38526
 ドナルド・R. キンダー (著), 加藤 秀治郎, 加藤 祐子 (翻訳) 『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』 38887


■ 百夜百マンガ

炎のニンジャマン【炎のニンジャマン 】

 やっぱり「島本=火」なのか、「炎」「燃える」がつく作品の多さは半端じゃありません。忍者といえば『風の戦士ダン』以来でしょうか。

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