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2007年4月29日 (日)

障害者の経済学

■ 書籍情報

障害者の経済学   【障害者の経済学】(#829)

  中島 隆信
  価格: ¥1575 (税込)
  東洋経済新報社(2006/2/10)

 本書は、障害者と関わりを持つさまざまな人々が、「どのようなインセンティブのもとで障害者と関わりを持っているか、そしてその関わり方に問題はないかという点」から検討し、「こうした人々の行動を規定する要素が必ずしも金銭面に限らないこと」を示したものです。本書において著者は、当事者の親という立場を生かす一方で、「できる限り当事者感覚を排除し、経済学の視点から冷静な目で障害者について考えた」と述べています。
 著者は、障害者問題を扱った本を、
(1)自伝タイプ:障害者本人またはその親が自らの経験談を綴った自伝のようなもの
(2)制度論タイプ:障害者の法制度について批判的検討を加えたもの
(3)観念論タイプ:障害者本人またはその関係者が新たな障害者観について語るもの
(4)意外性タイプ:障害者の知られざる意外な一面を描いたもの
の4つのタイプに分類し、(1)~(3)については、「どれもそれなりの問題意識があり、著者の主張も読み取れる」が、「そうした本のほとんどは福祉や障害者といったテーマを専門に扱う出版社から出され」、「そうした関連の人意外にはほとんど読んでもらえない」ため、「簡単に言えば、障害者を取り巻く人々から発信された情報のほとんどは少数派(マイノリティ)である福祉は関係者の中だけで流通していて、多数は(マジョリティ)である健常者には届いていない」か、(4)の本は、「健常者に読んでもらえるものの、その読後は基本的に『へぇ~』と感想を漏らすだけで終わってしまうことが多く、幅広い議論に発展するということはあまりない」と指摘しています。
 著者は、「福祉の現場に正しいインセンティブをつける必要がある」として、「障害者とその関係者たちが自分たちの利益のために行動した結果として、すべての人々が幸せになれるような制度設計」の必要性を主張しています。
 第1章「障害者問題がわかりにくい理由(わけ)」では、「障害者問題は難しい」といわれる最大の原因を「障害者についてわれわれがよく知らないこと」、すなわち、「障害者と接する機会が少ない」ことを挙げ、障害者と接するための条件として、
(1)障害者に町に出てきてもらうこと
(2)健常者がそのチャンスを逃がさず接触を試みること
の2つがあるが、現在のところ、これらの条件は満たされているとは言えないと述べ、障害者問題を分かりにくくしているもう一つの原因として、「それを福祉の問題ととらえてしまうこと」を挙げ、人びとが福祉は「正しい行い」であり、「それにあれこれ文句をつけるのは望ましくない」と考え、「福祉といったとたんに人々は思考停止状態になる」ことを指摘しています。
 そして、「わかりにくさ」の諸要因の根本として、「本来、障害者というグループがあるわけではない」にもかかわらず、「暮らしや就労の場で何らかの助けを必要とする人たちというその一転だけで強引にグループ化されている」という「障害者という名称から生まれるステレオタイプ的な障害者観が私たちの頭を固くしている」ことを指摘し、「人間一人一人がみな違うという当たり前の、しかし忘れられがちな考え方から出発するしかない」と述べています。
 第2章「『転ばぬ先の杖』というルール」では、アメリカやヨーロッパの交差点の例を挙げ、
(1)「転ばぬ先の杖」型ルール:信号で示されるような社会システム
(2)「案ずるより産むが易し」型ルール:ロータリーのようなシステム
の2つを提示し、「選択肢を拡大して人生の落伍者という烙印を消し、人生の多様性を認めていく」ために、「『先の杖』型ルールから『産むが易し』型ルールへの変更を進めていく必要がある」と述べ、「すでに日本が『先の杖』型では対処しきれない社会になってしまったことをわれわれは今認識すべきときに来ている」と述べています。
 第3章「親は唯一の理解者か」では、障害者の親が、この将来を悲観して無理心中を図る事件について、「障害者を持つ家庭の実情をよく知らない部外者は、同情心によって事件の問題点を理解しようとする」が、そのときに「多くの人々が母親の立場で同情してしまうことに問題の本質がある」ことを指摘しています。そして、1970年に脳性マヒの娘を殺害した母親に対し、「殺された娘もかわいそうだが、そうした障害児を持つ気の毒な母親もかわいそうだ。救ってやりたい」とする減刑嘆願運動が起き、実際に、1980年の判決では、「懲役3年、執行猶予3年」と情状酌量された動きに対し、「青い芝の会」という脳性マヒによる障害者団体のメンバーからは、「なぜ障害者を殺した母親が同情されるのか」、「同情されるべきはむしろ殺された娘ではないのか」、「殺した側の母親が同情されるならば、ころされた娘、ひいては障害者は世の中に存在しない方がよかったということになりはしないか」などの考えが出され、全国に散らばる障害者に「革命的ともいうべき発想の転換」をもたらし、1975年には『母よ!殺すな』と題した本が出版されたことが紹介されています。この「青い芝の会」の綱領には、「われらは愛と正義を否定する」という言葉があり、「人を愛する気持ちは、時には愛する対象となる人を自分のものにしたいという占有欲として表面化すること」があり、対等の立場にない親子間の愛の難しさ、特に「生きていくために他者の手助けを必要とする障害者はいつまでも親の世話から抜け出すことができない」ため、「子供への愛情はいつしか子供に対する支配へと変化し、子供のすべてを親が抱え込むようになる」問題を指摘しています。
 また、「本来であれば障害者が親から離れて自立するために使われるべきお金」である行政からの給付金をあてにして子供との世帯分離を望まない親がかなりの数に上ることを指摘し、「障害者の自立とは、障害者が誰かの言いなりになって暮らすのではなく、自分の意思で考え、自分の希望どおりの基本的生活を送れるようになること」であり、「それは必ずしも経済的自立だけを意味するものではない」と述べています。
 第4章「障害者差別を考える」では、養護学校が日本各地に建てられ、修学旅行で沖縄や東京ディズニーランドに出かけ、新しい入所施設では個室が完備されるという、「障害者を少なくとも見かけ上は恵まれた状況に置くこと」が、「障害者運動をしづらくし、本来のニーズを出にくく」していることを指摘しています。
 著者は、「人間の偏見が過去に蓄積された情報に基づいて形成されていくことはまず間違いない」ことから、
(1)差別される側が正しい情報発信を行うこと。障害者は決して「助けてもらう」存在でもなく、「かわいそうな」人たちではないと自らが示さなければならない。
(2)「先の杖」型から「生むが靖」型ルールへの変更。
の2種類の方法があると述べています。
 第5章「施設は解体すべきか」では、「行き場のない障害者が家の中に閉じ込められた状態」を「座敷朗」と呼ぶことがあることを紹介し、「家に閉じ込められている障害者に日中活動と生活の場を提供すべく建てられた」のが障害者施設であり、「施設の当初の目的は、障害者を抱えている家庭の惨状を救うことであり、シェルターとしての役割を担っていた」ことを解説しています。
 また、施設の職員のモラルを下げる要因として、
(1)毎日同じ仕事のくり返し
(2)障害者に対して優位な立場に立つこと
の2点を挙げ、これらを一度に防ぐ方法として、「担当をつけないこと」を提案し、その理由として、「障害者に対して特定の職員を担当として張り付けると、仕事に変化がなくなると同時に、両者の関係が固定化し、上下関係に結びつきやすくなる」ことを挙げています。
 第6章「養護学校はどこへ行く」では、子どもの就学は教育上の意味あいだけに限らず、「子供が学校に行くことによって、親は育児から解放され、自分の時間を有効に活用できるというメリットがある」ことを指摘し、障害児の場合は、
(1)障害の内容は千差万別であり、学校は親から情報をもらう必要がある。
(2)生活面での自立のための介助を教員が行う。
という意味で「一種の託児所ともいえる」と述べています。
 また、養護学校の教員の給与には「調整額」と称した特別手当が月2~3万円程度支給されている理由について、
(1)技術説:養護学校の教員には高度な技術が要求され、その技術を取得・維持するために追加的な費用がかかる。
(2)負担説:給与を高めに設定しないと養護学校教員のなり手がいない。
(3)モラル維持説:高い給与によって教員のモラルを維持できる。
の3つの仮説を提示しています。
 さらに、養護学校においては、障害の程度が軽い学生たちが「ヒーロー」になれるが、こうしたヒーロー的扱いが「社会に出てから仇となる場合が多い」ことを挙げ、「養護学校という閉鎖社会でヒーロー的な扱いを受けているうちに、いつしか自分は能力の高い人間なのだという錯覚に陥って」しまし、「こうした錯覚を持ったまま社会に出て行くと」、「職場での失敗を上司に指摘されると自信を失い、極端に落ち込んでしまう」、「単純労働だったりすると性に合わないといってすぐに辞めてしまう」など、「卒業して初めて、養護学校という温室と社会のギャップに気づく」ことを指摘しています。
 著者は、新システムのキーワードとなる「ニーズ」が出てくるようにするためには、親や本人にサービスを買っているという発想がない現状を改め、現物支給型ではなく、自腹を切ってサービスを選ぶ必要があるとして、
(1)養護学校の有料化:障害者と保護者に金銭的インセンティブをつける。
(2)養護学校の民営化:さまざまなサービスを提供できる学校を増やし、消費者に選ぶ権利を与える。
の2点を提案しています。
 第7章「障害者は働くべきか」では、「能力がありながら施設に滞留している障害者を一般就労へと結びつける」ためには、需要サイドである企業と供給サイドである障害者の両面から考える必要があるとして、需要サイドに関しては、「障害者の雇用の促進等に関する法律」を解説し、供給サイドに関しては、「一般就労を促進するためには何といっても障害者本人のやる気を引き出すことが重要」であるとして、「施設に入ってしまってからでは手遅れ」であり、「養護学校の段階から一般就労への準備をしておかなければならない」と指摘しています。
 また、「ドッグレッグス」という障害者プロレス興行団体を取り上げ、3500円というチケット代が「障害を売り物」にしているという批判を受けることに関して、「この料金こそがこの興行を持続させているキーポイント」であり、「料金を取ることにより、固定的な障害者イメージを持って障害者に接してくる人々」すなわち、「『障害者はかわいそう』な存在で『純真さ』を持ち、そうした障害者と接することで癒されると感じている人たち」を排除することができる点を指摘しています。
 さらに、施設を一通りみわたすことで、障害者の主体性がどの程度重んじられているかがわかるという「施設臭」(職員が管理的かつ指導的)という言葉を紹介したうえで、全国的に注目されている北海道浦河町の「べてるの家」の例を紹介しています。
 本書は、当事者に非常に近い立場から、経済学者としての冷静な目で分析した貴重な一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の著者は、『大相撲の経済学』、『お寺の経済学』など、経済学の手法や観察眼を使って、普通なら経済学の対象にしないような分野を扱った研究を世に送り出しています。
 そして、本著者の最新刊は、『オバサンの経済学』!!!
 個人的には、経済学をお金を扱うものだと思われるよりも、はるかに「正しい」使い方ではないかと思いますが、だんだんネタ切れするんじゃないかが心配です。


■ どんな人にオススメ?

・経済学の視点でいろいろなものを見たい人。


■ 関連しそうな本

 中島 隆信 『お寺の経済学』 2006年03月21日
 中島 隆信 『大相撲の経済学』
 中島 隆信 『オバサンの経済学』
 中島 隆信 『これも経済学だ!』
 ゲーリー・S. ベッカー, ギティ・N. ベッカー (著), 鞍谷 雅敏, 岡田 滋行 (翻訳) 『ベッカー教授の経済学ではこう考える―教育・結婚から税金・通貨問題まで』
 ゲーリー・S. ベッカー, リチャード・A. ポズナー (著), 鞍谷 雅敏, 遠藤 幸彦 (翻訳) 『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』 2007年02月05日


■ 百夜百音

田中星児【田中星児】 田中星児 オリジナル盤発売: 2005

 10年位前に地元に田中星児が来たときがありました。でもやっぱり知ってる曲は「ビューティフル・サンデー」でした。
 さすがに「ヤンチャリカ」とか普通知らないですし。

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