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2007年4月18日 (水)

近代日本の警察と地域社会

■ 書籍情報

近代日本の警察と地域社会   【近代日本の警察と地域社会】(#818)

  大日方 純夫
  価格: ¥6090 (税込)
  筑摩書房(2000/04)

 本書は、「近代日本の歴史の流れの中で、警察がどのようなあり方を示し、どのような役割を演じてきたのかを、地域社会との関係にこだわり、歴史的に追求しようとするもの」です。
 第1章「近代国家の形成と警察」では、明治期における警察の成立過程を、
(1)近世社会との比較に意を用いること。
(2)中央の動向だけでなく、地域におけるその実態に目を向けること。
(3)国際的な継受の関係に留意すること。
の3点に着目しながら追っています。そして、近世の「警察」が、武士身分である与力・同心と、末端の治安の維持に当たる番人の2つを主要な担い手とし、「近世『警察』は身分制と不可分の関係にあった」と述べ、「一方で武士という軍事戦友集団が、軍事・行政と未分離なかたちで担いながら、他方、共同体自体も番人を通じてその『自警』をはかっていくという、二元的な『警察』力の編制様式をとっていた」と解説しています。この「近世の地域社会において警察的機能を担っていた番人・番非人・非番人などは、維新変革による新政府の成立後も、依然として地域最末端で警察的活動」を担い、「地方ではなお近世的な『警察力』が基本的には継続されていた」と述べられています。その後、身分とは無関係に「捕亡吏」を募集するようになった後も、「旧来の習慣・意識は強く残存しており、士族は捕亡を『賤職』と見なしてこれにつくことを拒否したり、応募しなかったりした」一方で、「『市村狡猾ノ徒』、ないしは『旧鉢屋職』の人々は自分が選ばれよう、採用されようと汲々としたものの、実際には能力の適格性が満たされず、結局、落第してしまった」ため、公募では定員を満たすことができなかったことが述べられています。
 1875年3月には、行政警察規則が公布により、「番人は一切廃止され、すべて警察官については『羅卒』との名称に統一」され、同年10月には「巡査」と改称され「今日に至る下級警察官の呼称が確定」下と述べられています。
 また、日本近代警察の特徴として、
(1)極度の中央集権制:身分制を否定するとともに、自治的な性格をも完全に排除した。
(2)膨大な権限による国民生活への介入:犯罪の捜査・摘発という司法警察的な機能よりも行政警察的機能が中心とされた。
(3)士族・特権的内部編制;士族層を警察に吸収しながら、他方では試験・能力・資格を梃子として非人身分を警察から排除するという事態が進行したと考えられる。
の3点が挙げられています。
 第2章「『帝国憲法』体制と警察」では、帝国議会開設を目前に控えた警視庁が、「膨大な政治情報収集機関と化した」ことについて、
(1)警視庁中央直属の探偵:高等警察に関する「上流社会ノ内情」を探索する。
(2)署長配下の探偵:「刺客危激及軽噪ノ徒」や、その他、政治上、秘密に事をはかるものなど「外部」に全力を注ぐ。
の2種類があったことが述べられています。
 また、警視庁管下における情報収集面に即した高等警察の展開状況について「帝国憲法の制定前後から日清戦争にかけての時期、情報集約ルートの整備、探偵のレベル・アップ、視察台帳(ブラック・リスト)の作成」の3点において、「高等警察の基礎固め」がなされ、以後、警察権力を握る藩閥官僚勢力が、「こうした基礎の上に立って政治情報の収集を進めつつ、選挙対策や議会対策を講じ、対抗勢力の切り崩しをはかろうとしていった」のではないかと分析しています。
 さらに、消防行政について、それまで市町村または一部の有志者に委任されてきた消防に関する事務について、1894年の消防組規則の公布により、すべて府県知事の警察権に委ねられることになり、「設備を市町村に命令したり、市町村が設置したものを認可することは、消防組規則の主意ではないとして、市町村の自主性を完全に否定し、きわめて強硬な統一化がはかられていった」ことが述べられています。そして、この消防組が「官設」の機関と位置づけられ、警察権のもとに置かれ、「火防とともに水防も任務とし、さらに平時の警戒・巡邏も職務となった」として、「消防組は地域の中に根ざした警察の下部組織となり、警察の補助的活動を担うことが期待されていった」と述べられています。
 第3章「警察と地域社会――巡査日記を読む」では、1885年から1911年まで神奈川県の藤沢警察署管内に勤務した石上憲定という巡査の日記を取り上げ、「明治憲法体制の成立前後から、日露戦争前夜にかけて、地域社会の中で巡査がどのような活動に従事していたのか、当時の地域社会にとって、警察とはどのような存在であったのかを追求」しています。そして、駐在巡査が、「警察の窓口として、住民のさまざまな"願い"を受け付けつつ、それに対応する警察活動を展開」したとして、放火未遂届けの提出や無銭飲食者への説諭、畑の甘藷盗難の現場検証、井戸の中への人糞の投入の検分、家庭内の紛争に類するものまでが駐在所に持ち込まれたことや、祭りや芸能工業の取締りなどの活動を紹介しています。また、横浜・国府津間の東海道線の開通に伴い、1887年には勤務地を列車が通過するようになり、"要人"の通過に伴い、鉄道の線路・踏切などの警衛に駆り出された様子が紹介された様子が紹介されています。
 さらに、伝染病対策にも奔走し、「伝染病の患者発生ないし死亡の通報があるたびに、役場職員とともに現場に出向いては消毒に当たって」おり、「民衆は患者を隠そうとし、警察側は患者を発見しようとする。そして、警察による強制収用・隔離に対して、様々な紛糾が生じていた」事が記されています。
 第4章「日露『戦後経営』と都市警察」では、1905年に発生した日比谷焼打事件を、「日本帝国主義の構造的矛盾の集中的かつ爆発的な表現形態」とした上で、この事件が、「支配階級に明治政府はじまって以来の多大の衝撃を与えた」にもかかわらず、「それが権力側、支配者側に直接どのような民衆対策の変化をもたらしていったのか、民衆統治にどのような影響を与えたのかについては、十分には明らかにされていない」と指摘しています。そしてこの事件が、「警察の総元締めとも言うべき内部大臣の官邸と、警察署2カ所、警察分署9カ所、派出所・交番所258カ所が焼打ちされ、破壊されたという事実」に着目し、「焼打ちによって消失し、破壊された警察署・派出所などの数は、東京全市の警察官署数の8割」にも及び、「東京全警察焼打事件」とも称すべき子の激しい警察攻撃が、「権力=警察と民衆との本質的な対抗関係が、騒擾という抵抗の原初的な形態をとって噴出してきたもの」であると述べています。
 これに対して、1906年には警察官制が全面改訂され、従来の高等警察に関する首相直属規定を廃止し、内相に一元化され、この背景として、警視庁の創置とともに導入された政府への直結規定により、「警視庁は首都警察として東京府からは独立し、政府直属の警察力として、藩閥勢力の権力維持の道具」となり、「警視庁は内閣の『耳目』として情報を収集し、『爪牙』として権力を執行」したことに対する批判が向けられていたことが解説されています。
 また、この警察機構の改革は、「単に民衆の側からの警察批判に対する受動的対応」にとどまらず、その本質は、「日露戦争後における資本主義発展に伴う諸矛盾の激化に対応すべく、警察力の再編制を図り、民衆支配と体制的秩序の維持を有効に進めようとするところ」にあり、「それは警察批判を発生させてくるような民衆の状況そのものに切り込もうとするものでもあった」と述べられています。著者は、「日露戦後における国内支配の矛盾、とりわけ、民衆騒擾の発生に直面した内務=警察官僚層の危機意識の産物」として、「すでに日露戦後、"警察の民衆化"的思考と、"民衆の警察化"的思考が出現してきていた」と指摘しています。
 第5章「デモクラシー」の高揚と警視庁では、米騒動後の警視庁が、「『親切丁寧』主義を標榜して民衆対応様式に一定の手直しを加えるとともに、他方で、これとは逆に民衆を警察の側にたぐりよせようとする試み」として、「地域の有力者を"カナメ"として旧中間層の吸収を図り、『下』から後援・協力の体制を形成していこう」としたことが述べられています。そして、この「民衆の警察化」が、内務省が全国的に支持していた方針であったことが解説されています。
 第6章「『自警』と『民衆の警察化』」では、大正7年8月17日に、岡山県内務部長が県下の各市町村に訓令を発し、「青年団員・在郷軍人会員・消防組員などをもって『自衛団』を組織するよう」明示、「市町村役場・警察署・巡査駐在所や、隣接市町村の自衛団と連絡をとって警戒に当たること、団員は他と区別できるような目印をつけること、部内の秩序が破壊されそうな場合は、警察官や幹部の指揮にしたがって『自衛的行為』をとること」などが指示されていることなどを紹介しています。これら、全国各地における警察による地域住民の組織化は、「名称は保安組合・自警団など各種あるにせよ、これらの官製的な地域住民組織は、地域の治安維持・秩序維持を図る警察の下部組織とされ、地域の『自警』を先導」し、依拠すべき組織母体としては、消防組・青年団・在郷軍人会、なかでもかねて警察の下部機関としての位置にあった消防組が重要な役割を果たしたと述べています。
 そして、消防組に関して、各警察署の指揮監督下にあり、消防組相互の連絡や情報交換に欠けていたため、1903年に、「消防従事者の技芸・学術の奨励、功労者の表彰、死亡者の遺族の慰籍・共済などをはかるため大日本消防協会が設立され、各都道府県には支部が置かれた」が、財政的な破綻などから、やがて解体し、1910年代半ばから、「消防組員を対象とした消防組の後援団体が『消防義会』という名称で結成され」はじめたことが述べられています。
 著者は、大事世界大戦後の1920年前後に、「国内外におけるデモクラシーの潮流の下で、民衆に直面する警察のなかには、新しい動きが生まれた」として、「この潮流に対抗して阻止を図ろうとする単純な方向ではなく、その流れに一定かみ合う形で民衆支配を貫徹しようとする方向」であり、その結果、「警察を一定民衆に接近させようとする『警察の民衆化』と、民衆を警察に接近させようとする『民衆の警察化』の主張」が登場したと解説しています。
 第7章「体制的矛盾の深化と警察」では、1921年7月12日に「労働要視察人視察内規」が定められ、社会運動に対する監視体制は、「労働者・小作人・社会主義者と、資本家・地主の政府との間の、利害のするどい裂け目に対応していた」と述べています。それに先立つ1918年には、内務次官から全国の各庁府県長官に秘密の通牒を送り、
(1)特別要視察人が労働者など下層階級に向かって主義を宣伝することはないか。
(2)特別要視察人が軍人や学生に主義を吹鼓することはないか。
(3)特別要視察人と朝鮮人との関係。
(4)外国人、とくに危険思想を持つ者と労働者などとの接近や、特別要視察人・朝鮮人との往来・通信・会合。
の4つの注意事項を挙げ、「社会主義者が労働者・軍人・学生・朝鮮人に接近することに特に警戒を深めた」ことが述べられています。
 第8章「警察官ストライキと警察精神」では、埼玉県入間郡南畑村の駐在巡査、長山昌雄が語った言葉として、「「おれだって百姓の長男だよ。家へ帰ればまた百姓になってはたらくのだ。こんな巡査商売に入ったのも、実は百姓で金の出どころに困るものだからだよ。恩給がつけばすぐ引っ込んで百姓になる」との言葉を紹介し、「現在の警察官の90パーセントは百姓の二、三男で、月給が安いため、恩給がついたら転職しようという人が15パーセントはいる」との長山の分析を紹介しています。
 そして、政府は1920年に、「ストライキに立ち上がらざるを得ないほどの巡査の生活難」に対して、「巡査給与令を改め、約2倍に近い増額」を行い、こうした待遇改善と並行して、精神的統制をつよめていったことが述べられています。著者は、「『陛下の警察官』といった呼称や、それに相応しい精神性の要請は、日本近代警察の形成期から明確化されていたものというよりは、むしろ『大正デモクラシー』期におけるデモクラシー機運に対する対抗思想として急浮上してきたものと考えることができる」とし、こうした精神の強調が、1930年代半ばからの「警察精神作興運動」において、「本格化、全面化」していくと述べています。
 第9章「特高警察の機構・機能と構造」では、特高警察の内部構造に焦点を当てるにあたり、
(1)専制的・独裁的な国家においては、政治警察・秘密警察の役割がとりわけ肥大化する。それぞれの国家のあり方、社会の在り方とかかわらせながら、政治警察・秘密警察に関する比較史的な検討を試みること、それを通じて特高警察の政治警察・秘密警察としての共通性と独自性を解明すること。
(2)特高警察の性格を、それを成立せしめている日本近代国家・社会の構造的特質とのかかわりにおいて把握すること。
(3)特高警察体制を担う特高警察官そのものの人間像を、その精神構造にまで立ち入って探ること。
の3点を留意すべき点としてあげています。
 そして、特高警察官について、「日本の特攻というのは、通常の警察業務とは異なる特別の研修や訓練を経た要員で構成した政治警察とか秘密警察というのではないのです」、特高係は警察の一部門で、所属長に任免され、刑事係や交通係と同じで、特別な地位や権限を持ってはいなかった。上官や検事の指揮・命令を受けて法律に基づいて執務する」という特高関係者の証言を挙げ、「その背後に特高警察の責任を免除しようとする意識が働いていたことは疑いない」としながらも、「事実として彼らが主張するとおりの実態面」をもち、「そこにこそむしろ近代日本の警察組織の独自性があった」と指摘しています。
 また、その精神構造については、「内務省の若い役人で特高になりたがるものが多かった。優秀だという人は非常になりたがったものです」、「一般警察官の多くは、特高係に抜擢されることを希望し、特高は憧れの的であった」という証言を紹介しています。
 第10章「『陛下の警察官』の実像と虚像」では、1930年前後の時期に、新聞・世論が、「その手に握った特権をエサとして警察官が金品を私腹に入れている」という警察の腐敗を、積年の宿弊として相次いで告発した実態を紹介しています。
 1930年に天皇の行幸の警衛のため、浜松市に集まった警視庁や愛知・神奈川・大阪方面からの応援の警察官数千人のうちに、「夜更けに市中を横行して、遊郭・料理店・カフェーなどで無銭飲食をしたり、暴行するなどの『醜事実』を重ね、その被害は数十件に達した」ことが紹介されています。
 第11章「戦時体制下の警察」では、警察が、「国民を戦争へ動員するために統制を強め、反戦・反ファッショ的な言論の口を封じ、運動の手足を縛った」として、1938年に内務省警保局長が警視総監と各府県知事に送った「治安対策要綱」から、そのポイントを、
(1)和平へ向けての動き。これは厳重に取締る。
(2)中国との妥協に反対し、ソ連・イギリスなどとも戦うべきだとする戦争拡大の動き。
(3)戦時経済の確立を図るために経済機構を根本的に改革しようとする国家主義者の動き。
(4)経済統制の犠牲をこうむる中小商工業者・勤労者、物価騰貴によって生活が窮迫する一般国民の不平不満が爆発する危険性。
(5)このような情勢に乗じる共産主義的、人民戦線的、反戦的策動とともに、自由主義者・民主主義者・人道主義者の反戦論にも特に注意警戒を要する。
の5点を挙げています。
 著者は、戦時体制下において、「膨れ上がっていく警察は、一方で『経済統制』の縄で国民を縛り上げながら、他方、縛り上げれば縛り上げるほど蜂起の影におびえて、『治安』の網を張り巡らしていった」と述べています。
 第12章「戦時防空体制と警防団の活動」では、「消防組と防護団の組織的な統合を図り、防空活動の充実へ向けて『人的機構の整備』を目指すもの」が警防団であると述べています。著者は警防団を、「消防組を中心とし、これを組織的に改変することによって成立した警察に直結する防空防火組織であり、自らは民衆から出自しつつ、警察から統制され、これを通じて民衆を統制した」と述べ、「防空に当たっては、空襲の機器と国民の義務が精神主義的に強調され」、「空襲に備え、防空活動の完璧を期すためには、国民の完全な統制がはかられねばならなかった」と述べています。
 終章「敗戦・占領と警察改革」では、内務省は敗戦後も治安維持法と特攻警察を廃止しようとする意思は毛頭なく、「特攻警察については、廃止どころか、その大拡充(倍増)がもくろまれていた」として、「"戦後"に対処する警察力構想の核心は、警察力の武装化と特攻の強化にあった」と述べています。
 しかし、占領軍は、政治的・公民的・宗教的自由に対する制限の除去を目的に、
(1)治安維持法・思想犯保護観察法・国防保安法・軍機保護法などの弾圧法を廃止せよ。
(2)政治犯を直ちに釈放せよ。
(3)思想警察その他一切の類似機関を廃止せよ。
(4)内務大臣・警保局長・警視総監などの警察首脳部、すべての特高警察官、および弾圧活動に関係ある監理を罷免せよ。
からなる、「いわゆる人権指令」を下したことが述べられています。
 そして、1945年10月13日をもって、「内務省と地方庁の警察首脳部106人が一斉に罷免され」、14日には「地方庁の特高警察関係者約4800人が罷免」され、「特高警察の機構と人員は、ついに"消滅"」したが、罷免の対象が、10月4日現在の在職者に限定されていたため、日本側はこの指令が出る直前に特高関係者を辞職させ、「すぐさまその連中を警察署長に任命」したことや、生き残ったのは人間ばかりではなく、特高関係の仕事は県庁の公安課に引き継がれ、「その公安課にいるのはもとの特高係長であった」ことが述べられています。
 また、占領軍内部においても、「警察を直ちに地方分権化することは、日本に陸海軍或いはその他の警察力として役立ちうる武力がない今日、国内における法律規則の有数な執行が望ましからざる程度に阻害される状況に日本政府を陥らせる」と主張するG2と、日本の非軍事化と民主化を徹底的に進めようとしていたGS(GHQ民政局)が激しく対立し、1947年のマッカーサー書簡によって、中央集権的な警察力の解体と、市町村公安委員会の管理下におかれる自治体警察の誕生という形で決着したことが述べられています。
 しかし、政府・警察首脳部は、当初より、「国家地方警察を足がかりとして警察の中央集権的性格を復活しようとする動きが根強く、自治体警察よりも優遇的な施策が高ぜられた」ため、警察通信・犯罪鑑識・警察教養は国家公安委員会の管轄下に置かれ、国家非常事態の場合には国家地方警察の指揮権が認められていた一方、自治体警察そのものに関して、「当初より非能率、不経済のゆえをもって旧警察制度への復活を図ろうとする動き」があり、「警察をもつことを義務付けられた自治体では、国庫からの補助がきわめて不十分だったこともあって、警察講演会などの寄付に頼らざるを得ず、警察が地域ボスと癒着する傾向」を店、51年6月の警察法改正による住民投票を経て、1605単位の自治体警察は54年1月時点では402まで激減したことが解説されています。
 そして、結局は1954年7月の新警察法の施行により、「自治体警察は国家地方警察とともに全廃され、都道府県警察に一元化された。都道府県警察を指揮監督する中央官庁として警察長を設置して中央集権的性格を強め、これに対する国家公安委員会の権限も「指揮監督」から「管理」に変えられ」、「日本の現代警察は、再び中央集権的な国家警察としての性格を強化した」と述べられています。
 本書は、近世からの連続性を持つ日本の警察組織の沿革を、とくに地域社会とのかかわりにおいて解説した良書です。


■ 個人的な視点から

 戦前の警察官というと人間性のない統制のきついイメージがありますが、本書からは生々しく人間臭い警察官たちのドラマが伝わってきます。
 一方で、民衆が「警察化」されていく過程は背筋が凍るような恐ろしさがあります。よく田舎では、「消防団の帽子をボンネットに置いておくと検問もスルーできる」とか、「冬の夜回りの消防車は運転する人も一杯引っ掛けないと寒くてやってられない」という話を聞きますが、単に持ちつ持たれつの関係だから、という以前に、地域の消防力と警察権力との固いつながりが根底にあることが分かるのも本書の大きな収穫です。


■ どんな人にオススメ?

・地域と警察の深いつながりを理解したい人。


■ 関連しそうな本

 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (15)警察改革と治安政策』 2007年02月01日
 中村政則 『占領と改革』 2007年03月09日
 勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日
 天川 晃, 増田 弘 『地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続』 2007年03月07日


■ 百夜百マンガ

珍遊記【珍遊記 】

 極一部から熱狂的な支持を受けるカルト漫画家にしてなぜこの人が日本一のメジャー誌に連載していたのかが不思議です。だからこそ人気があったんだと思いますが。

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