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2007年10月22日 (月)

満鉄調査部―「元祖シンクタンク」の誕生と崩壊


■ 書籍情報

満鉄調査部―「元祖シンクタンク」の誕生と崩壊   【満鉄調査部―「元祖シンクタンク」の誕生と崩壊】(#1005)

  小林 英夫
  価格: ¥735 (税込)
  平凡社(2005/09)

 本書は、日露戦争後にでき、「ロシア革命から、日中戦争、アジア太平洋戦争を通し、日本帝国の東アジア進出の各段階で、そのときの課題に対して調査活動の最前線に立ち、日本の国策決定に重要な役割を演じた」満鉄調査部をひもといて、その歴史を辿り、「彼らの活動と実績、それが戦前の日本の国策に与えた具体的影響、さらには戦後の日本の政治と経済に与えた『遺産』を検討するもの」です。
 序章「満鉄調査部の誕生」では、満鉄の初代総裁後藤新平の満州経営哲学を表した言葉として、「文装的武備」という言葉を、「文事的施設を以て他の侵略に備え、一旦緩急あれば武断的行動を助くるの便を併せて講じ置く事」である、すなわち、「植民地支配は、単に武力に頼るだけではなく、教育、衛生、学術といった広い意味での『文事的施設』を駆使する必要があり、植民地の人々の間に日本に対する畏敬の念が生じれば、いざという場合に他国からの侵略を防ぐことが出来る」というものであると解説しています。
 また、後藤が調査部を重視した理由として、後藤が「欧米並みの大企業であれば、それ相応の調査部を持つのは当然と考えていた」ことを挙げ、「岡松参太郎に命じてヨーロッパの調査機関の実状を調べさせているが、それを基に調査機関が出来ると、早速英文、仏文でその機関の宣伝を開始している」ことを紹介しています。
 第1章「調査機関とロシア革命」では、満鉄が調査活動の一環として大量のロシア関係資料の収集を行ったことを挙げ、1923年には調査課ロシア係主任であった宮崎正義を中心に4ヶ月に及ぶ調査を行っていることを紹介しています。
 第2章「国益と社益との間で」では、第一次大戦後の大きな変化として満鉄の経営の拡大を挙げ、鉄道や鉱山に対する巨額の設備投資と、中国人従業員の低賃金が、高収益の源泉となり、この収益が満鉄調査部の活動を支え、日本人従業員の豊かな生活を支える財政基盤となったと述べています。
 また、満州事変後、関東軍の手で統治部が組織されると、多数の調査部員が引き抜かれて統治政策の立案に従事し、関東軍参謀の石原カンジらが、新たな調査機関の設立を満鉄調査部に働きかけたことが述べられています。
 そして、宮崎が満州での経済統制策の立案に取り組み、「いかなる経済政策を採用するかは、建国初期の最大課題の一つだった」ことが述べられています。宮崎は、「目先の利益にとらわれない経済統制政策」として、「一番重要なのは産業部門によって統制のやり方を変えること」を挙げています。
 さらに、宮崎が、東京でブロック経済に関心を持つ軍人、官僚、学者の人脈づくりに力を注ぎ、35年8月に、「日本の国力調査と日米戦争に備える生産力拡充計画の立案」を目的とする「日満財政経済研究会」を立ち上げたことが述べられています。
 第3章「満鉄調査部と日中戦争」では、32年2月から様々な国策に関与して活動してきた経済調査会が36年9月にはその活動を終了し、この4年半の間に、「文字通り関東軍の経済参謀本部の役割を演じた」と述べられ、その活動は、作成した立案調査書類だけで368件、各件平均400ページ、中には1000ページを越す大部のものもあるというすさまじい物量であったことが述べられています。
 また、1939年には、調査部が一大調査機関として拡充され、大幅な人員増強が行われ、1939年4月に1731人だった調査部員が、1年後には2345人に増加していることが紹介されています。
 第4章「満鉄調査部事件の真相」では、調査部内には、当時発禁の書であったマルクスの『資本論』が置かれ、世間は「満鉄マルクス主義」と称していたことが紹介されています。
 そして、大調査部の出現によって、新たに多くの調査マンが入社し、彼らの中に「思想的前歴者」が多かったことが紹介されています。
 さらに、「支那交戦力調査」「日満支ブロック・インフレーション」調査報告書が、「日本の戦争継続能力に疑問を投げかけるもの」であり、「しだいに軍部との対立を深め始めた満鉄調査部に何らかの『制裁』が加えられることは時間の問題だった」と述べられています。
 そして、「満鉄マルクス主義」と称された思想は様々出会ったが、「彼らの多くが『現実』を批判的精神で観察し、批判的に行動するという点では共通項」を持ち、「国策に対して批判的視点をもちつつも、満州国から見て合理的とされる行動をとっていた」と解説しています
 第5章「それぞれの戦後」では、満鉄調査部のスタッフの多くが、「敗戦後も当地に残留し、進駐してきたソ連軍や国民党軍のもとで留用され日々の糧を得る生活を送りひたすら帰国を待つこととなった」と述べられています。
 そして、戦後への継承という点では、「中国革命の嵐のなかで彼らが好むと好まざるとに関わりなく受けた影響」を、「見落としてはならぬ」と指摘しています。
 本書は、日本初の本格的シンクタンクの「一生」を概観することが出来る一冊です。


■ 個人的な視点から

 戦後の日本が、「世界で最も成功した社会主義国」と言われたルーツは、満州国での革新官僚たちの社会実験にある、というのが、「1940年体制」論ではありますが、その是非はさており、満鉄調査部の使命感や高揚感は読んでいて心地よい一冊でした。


■ どんな人にオススメ?

・日本のシンクタンクのルーツを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 野口 悠紀雄 『1940年体制―さらば戦時経済』
 小林 英夫, 米倉 誠一郎, 岡崎 哲二, NHK取材班 (著) 『「日本株式会社」の昭和史―官僚支配の構造』
 小林 英夫 『「日本株式会社」を創った男―宮崎正義の生涯』 2006年01月02日
 小林 英夫 『満鉄―「知の集団」の誕生と死』
 山室 信一 『キメラ―満洲国の肖像』 2006年01月13日
 小林 英夫 『満鉄調査部―「元祖シンクタンク」の誕生と崩壊』


■ 百夜百マンガ

つるピカハゲ丸【つるピカハゲ丸 】

 「秘技!答案二枚返し」で有名なボクシング漫画?『とどろけ!一番』の作者がヒットさせた作品。あの必殺技も大人になってから見るとやはりギャグだったのが分かります。

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