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2007年11月

2007年11月30日 (金)

鉄道と近代化

■ 書籍情報

鉄道と近代化   【鉄道と近代化】(#1044)

  原田 勝正
  価格: ¥1785 (税込)
  吉川弘文館(1998/03)

 本書は、「日本の鉄道が日本の近代化において果した役割の検討を中心テーマ」としたものです。
 第1章「異文化としての鉄道」では、レールの軌間が「4フィート8インチ半」と決められた理由は、「本当はレールの一番外側を5フィートと決めたもので、5フィートと決めると、その内側のレールと車輪の当たるところは、4フィート8インチ半になる」体という説を紹介しています。
 また、日本の鉄道が、イギリスから技術も資材も導入していたため、「最初はヤードポンド法を採用」していたが、第一次大戦が終わる時期から1930年までにすべてメートル法に変えた理由として、「十進法ではなく十二進法をとっているヤードポンド法では、色々な計算をするのに非常に厄介なので、世界全体の流れが十進法を採用しているメートル法に変わっていくという動きを示し、それが日本にも入ってきた」と述べています。
 さらに、ロシアやスペインがヨーロッパの標準である4フィート8インチ半ではなく、5フィートの軌間を採用している理由として、スペインはフランスからの脅威を感じていたこと、ロシアもナポレオンによって侵略された経験があることから、あえて異なる軌間を採用したと述べています。一方、日本が朝鮮の鉄道を建設する利権を獲得した際には、日本の規格をそのまま持ち込んだほうが安上がりであるにもかかわらず、「当時中国で建設されていた鉄道の軌間である標準軌間を、朝鮮の軌間として採用すると決定」した理由として、「将来朝鮮から中国に勢力を伸ばしていく場合に、線路の軌間は統一しておいた方が、はるかに有利であるという判断」が働いたことを挙げ、「軌間の問題は、このように戦争や政治の問題と色々に絡み合っている」と解説しています。
 この軌間の問題に関しては、現在の新幹線の元々の起こりが、1939年に、東京~下関間に新幹線を造り、朝鮮海峡に海底トンネルを掘って、下関か門司と釜山を結ぶことで、東京から北京まで一本の列車を走らせることが出来る体制を作ることが計画され、現在の東海道新幹線が使っている新丹那トンネルや日本坂トンネル、東海道本線が使っている新逢坂山トンネルの一部は、このときに掘られているものであることが紹介されています。
 著者は、軌間の問題が政治や戦争の問題に絡むことについて、「鉄道がただ単に人や物を輸送するということだけではなく、政治的な役割を果たすという性格をかなり強く持っている」と述べ、「鉄道がどのような形で政治や社会と関わってきたのかという問題をいつも見ておかなくてはならない」と述べています。
 そして、鉄道と言う輸送機関が、「それが導入されたときには、日本人にとってまったく異なる文化のものということになった」とともに、「受け入れた日本人は、これを新しい文明として受け入れたと見ることができそう」だと述べています。
 第2章「鉄道の導入と利用」では、日本の鉄道建設が、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国の場合と異なり、産業革命に伴なうものではないため、「鉄道を建設する必要性がどこにあるのかということ」がはっきりしていないと述べています。そして、日本の鉄道が、「外国人の建設計画という外発的動機」から建設に入ったとして、幕府が倒れる直前の1867年の暮れに、「アメリカ公使館の職員が、江戸と横浜の間の鉄道の建設を申請し、それに対して幕府の老中が免許を与えて」いたことを取り上げ、明治政府が何とかしてアメリカの鉄道建設申請を無効にしたいと苦慮し、とはいえ、自力で建設する資金もないところにイギリスが資金と技術の援助を申し出てきたこと、そして、大隈重信や伊藤博文らが、中央集権制強化のために鉄道建設を主張したことなどを述べています。
 また、鉄道の「乗合方式」が、「それまで話したこともなかった人びとが一つの車両の中に乗り合わせるという、新しい社会関係を作り出し」たとして、閉鎖的な生活空間に生まれ育ち、「普段から付き合ったことのない他の村の人や他の階層の人たちと話し合うということが経験としてまずありえない状態、そういった人々と付き合うことは元々禁止されているという状態、そういう社会に生活していた人びとが客車に乗り合わせて、そこでお互いに相手を警戒するという気分を持ちながら、しかしそこに新しい社会関係を作り出していく」という習慣、「お互いに相手を人間として認めると言う近代社会における新しい人間関係が、鉄道を通じて生まれていく」ということになったと述べています。そして、無記名の乗車券という移動保証方式が、平等の原理を持ち込んだことを指摘しています。
 さらに、鉄道の開通が、「移動距離の認識を通じて空間認識のあり方を変え」、さらに、それまで最小でも15分(四半時)であった人びとの時間認識の単位を、分の単位まで必要となり、「鉄道を利用することによって、新しい時刻の認識を要求されるように」なったと述べています。
 鉄道の建設に関しては、元加賀藩主である前田家や、元福井藩主である松平家などの旧大名たちが資金を出して鉄道を建設しようという動きが始まってきたことや、東京市内に線路を建設するにあたっては、なるべく建物を排除せずに建設するために、「渋谷・新宿・目白と、東京の市街地の西側の田園地帯を通って、そして赤羽に取り付く、そこで荒川に橋を架けて、高崎の方へ線路を延ばしていく」というルートとともに、東京のターミナルを機能させるため、「山の手大地の東の外れを通って、王子から田端へ抜けて、そして上野まで」来るルートが設けられ、寛永寺の山の下のたくさんの下寺を取り壊し、そこにターミナルを作ることが決まった経緯を解説しています。
 第3章「鉄道と産業革命」では、「日本の鉄道は産業革命を欠いた鉄道である、あるいは、産業革命を欠いたままの鉄道であった」点が、ヨーロッパの鉄道との大きな違いであり、このことが、
(1)車両も線路も資材も輸入に頼り、自前で作っていくことが十分にできない。
(2)鉄道が産業革命を呼び起こす作用をした。
等の特徴を生んだと述べています。
 そして、日露戦争の頃には、「地元の企業家たちの経済的要請に基づいて」鉄道が作られるという傾向が現れ、「日本の鉄道の性格が、約30年の間にかなり変わってきた」と述べています。
 また、1892年に制定された鉄道敷設法によって、「政府自らの手で鉄道網を構想し、鉄道建設計画を自らの手で進めて」いくという独占的な要素を強めていったことや、この背景には、幹線鉄道の建設に熱意を燃やす軍部からの要請が強かったことを述べています。
 第4章「鉄道の発展と技術の自立」では、江戸時代以来の日本の測量技術は、三角測量を十分に取り入れられず、等高線を書くことができないために地形図を作ることが困難であったと述べ、その技術が、鉄道建設の際に、お雇い外国人の手で導入され、当時の日本の技術者たちが、測量に必要な数学の知識を急速に身につけたことについて、「鉄道の測量における図化という抽象化によって計画を進める方式、さらにペンやインク、鉛筆などの新しい筆記具の採用などの意味を考えると、鉄道建設の技術の中から、さまざまな形で近代化が生まれてきた」と述べています。
 また、車両技術に関しても、1910年代以降、基礎技術が完成してからは、モデルを買ってコピーすると言う方式が生まれたと述べています。
 さらに、1906年の鉄道国有法に関して、理由として、
・営業制度、特に運賃、経理などの統一と、それに基づく一環輸送体制、特に輸送能率の向上の実現を企図したこと。
・軍事輸送を行なう上でも国有化が望ましいこと。
・日本国内の鉄道、朝鮮縦貫鉄道と、南満州鉄道の3つの鉄道の一環輸送体制を作る必要があると考えたこと。
などを挙げています。
 著者は、「鉄道が国有化され、鉄道のネットワークが統一されると、重工業の発展という経済的効果はもちろん、人や物の動きの拡大が実現し、人びとの生活に大きな変化を生み出すこと」となったと述べ、なくてはならない移動・輸送の手段となると同時に、農・山・漁村と大都市との間の格差を拡大する傾向が生じ、鉄道が政治によって動かされる傾向も生まれたと述べています。
 第5章「鉄道の基盤確立と技術の進歩」では、1909年の鉄道院総裁後藤新平以来の広軌改築計画が結果として、政党の利害対立から否認されてしまったことについて、鉄道技術者は、このまま計画を放棄したわけではなく、
・狭軌用の車両でもいつでも広軌の車両として使えるように車軸を長くとっておく。
・トンネルの大きさ、橋梁の大きさを常に広軌用としてとっておくように建設規格を作り変えてしまう。
等の抵抗を図ったことを取り上げ、「建主改従という政党中心の考え方と、改主建従という改良を主として建設を従とする、主に鉄道技術者の考え方が対立する」ようになったと述べています。
 また1910年代の終わり辺りから、都市に対する人口集中が一層進んだことで、
(1)古くからある市街地の路面電車が対応できなくなり、新しい交通手段として都心を通る高速電車が必要になった。
(2)古くからある市街地の周辺に新たな市街地が形成され、都心と近郊市街地を結ぶ、いわゆる近郊電鉄が増えてきた。
の2つの変化が生じたことを解説しています。
 第6章「戦争から再建へ」では、戦時中の厳しい旅行制限を受ける中で人びとが身に付けたルールとして、「切符を買うとき、列車を待つときに一列に並ぶと言う先着順のルール」を挙げ、「このルールは戦後も守られ(地域によってはまったく守られないところもあります)、ブランド商品を買う若い人々の列にも引き継がれています」と述べています。
 本書は、鉄道が日本社会に与えてきたインパクトをわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 先日、山手線のホームで電車を待っていたら、関西弁の若者が、「この並んで電車を待つちう感覚がサラサラわからへん」(原文「この並んで電車を待つっていう感覚がぜんぜんわからない」をhttp://yan.m78.com/imode/iosaka.htmlで翻訳しました)とでかい声で話していました。何で関西人はこういうときに自分を基準にして聞こえよがしに大きな声で話すのか分かりません。


■ どんな人にオススメ?

・「railway mania」は「鉄ちゃん」のことだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 青木 栄一 『鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町』 2007年07月18日
 猪瀬 直樹 『土地の神話―東急王国の誕生』 2006年07月21日
 猪瀬 直樹 『ミカドの肖像』 2006年08月02日
 橋爪 紳也 『あったかもしれない日本―幻の都市建築史』
 成美堂出版編集部, 野島 博之 『昭和史の地図―昭和の始まりから太平洋戦争、高度成長時代まで46テーマ収録』
 西牟田 靖 『僕の見た「大日本帝国」―教わらなかった歴史と出会う旅』


■ 百夜百マンガ

幻魔大戦【幻魔大戦 】

 「パラレルワールド」という便利な言葉を使って、一つの物語があちこちに広がっていってしまう、というのはSFものを長く楽しむためのテクニックなのかもしれません。

2007年11月29日 (木)

コミュナルなケータイ―モバイル・メディア社会を編みかえる

■ 書籍情報

コミュナルなケータイ―モバイル・メディア社会を編みかえる   【コミュナルなケータイ―モバイル・メディア社会を編みかえる】(#1043)

  水越 伸
  価格: ¥2310 (税込)
  岩波書店(2007/03)

 本書は、「ケータイの文化とリテラシーを探るグループ活動」である「MoDeプロジェクト(Mobiling & Designing Project)」の研究成果をまとめたもので、その中核には、「批判的メディア実践と言う新しいメディア論の方法論」と「ワークショップ」があると述べています。著者は、本書の目的として、
(1)21世紀に急速に展開しつつあるモバイル・メディアの動態を、批判的にとらえること。
(2)今ここにはないケータイのありよう、今とは違うモバイル・メディア社会のビジョンをデザインし、指し示すということ。
の2点を掲げています。
 第1章「モバイル・メディア研究の新たな視座」では、北欧の研究者や業界人から、「iモードってスゴイけど、ディズニーランドみたいなもんだな」と指摘されたことを紹介しています。
 また、2004年5月のモバイル社会研究所の立ち上げ時に、NTTドコモの立川社長が、「これがなんなのか、よくわからなくなってきたんですよ」と語り、「そろそろケータイの社会的な役割や文化的な意味を、光の部分も影の部分も含めてしっかり研究しなければならない段階にきている」ことが研究所設立の趣旨であると話したことを紹介しています。
 そして、日本のケータイ文化の特徴として、
(1)インターネット・サービスの著しい普及
(2)メールの利用が突出している
(3)ケータイ写真の日常化
の3点を挙げた上で、「日本のケータイは、技術・資本の論理と文化の論理の間に大きな断絶をかかえ、産業的にも文化的にも袋小路のような地点にはまり込んでいると見ることができるのではないだろうか」と述べています。
 さらに、「日本でもっとも先鋭的に現れたモバイル・メディア社会の問題群」に対して、メディア論が取り組むべき点として、
(1)ケータイというメディアの研究はそろそろ、個別の実証調査だけではなく、社会全体の中でのケータイの位置付けや、日本におけるその特性などを、立体的、総合的に語る視点を持つべきではないか。
(2)情報技術の進展がメディアの姿を変え、変貌したメディアが人間のあり方や社会の仕組みを変えていくという、技術から社会への一方向の矢印だけで物事を捉える見方を変えていく必要がある。
 →テクノ・メディア論に対抗するソシオ・メディア論の重要性
の2点を挙げています。
 また、日本のモバイル・社会がはらむ問題を、メディア論の視座から、
(1)コミュニケーション空間の萎縮、あるいは二極化
(2)ケータイの社会的態様が固定化されてしまっていること
の2点を挙げています。
 著者は、ソシオ・メディア論の構図として、「新しいメディアが社会に姿を現すときのダイナミズムを、情報技術とメディア、そして社会の相関」として図に描き出し、そのポイントとして、
(1)情報技術とメディアを異なる概念として区分しながらとらえる。
(2)メディアが歴史的、地域的文脈を持った具体的な社会の中に投げ込まれ、それらの文脈にそった形で、すなわちその社会に相対的に特有な編み目にしたがって発現する。
の2点を挙げています。
 第2章「ケータイを異化する」では、鄭朱泳氏が、対談の中で、人間とメディアの関わりである「メディア・コネクテッドネス」は、
(1)結びつきの集中度(intensity)
(2)結びつきの拡がり(scope)
(3)結びつきの主要性(centrality)
の3つの次、要因で成り立っていることを解説しています。
 また、ヴィクター・ターナーが提唱した「パフォーミング・エスノグラフィー」の手法を用いたワークショップ、「典型的なケータイの風景を演じる」では、「自分の国でケータイが使われるシーン、それもいかにも自分の国らしい特徴が現れていると思われているシーンを外国人に見せることを想定して、寸劇風に演じる」というプログラムにおいて、「ケータイをめぐる私たちの経験の状況を日常生活のさまざまな場面から、とくに身体的な振る舞いとして引用することを通じて拾い上げようとするもの」であると意図を説明しています。そして、東京とヘルシンキの間における、ケータイをめぐる二つの文化の違いとして、
(1)ケータイの内側の空間と外側の空間とがどのような関係で共存しているのか。
(2)それら二様の空間がどのような様式で、具体的にはどのような身体技法に基づいて操作されているのか。
の2点に注目しています。そして、「東京のシーンでは、ケータイの内側のバーチャルな空間の優位性と意義にプロットの力点が置かれ、その上でリアルな空間からバーチャルな空間を切り離したり切り出したりすることに演技の力点が置かれている」のに対し、「ヘルシンキのシーンでは、ケータイの外側のリアルな空間の優位性と意義にプロットの力点が置かれ、その上でバーチャルな空間をリアルな空間に取り込むことに演技の力点が置かれている」と述べています。著者は、「ケータイをめぐる文化を豊かにすること」とは、「ケータイの内側の空間ばかりをひたすら高度化し、肥大化させていくことでは決してない。必要とされているのはむしろ、ケータイの内側の空間と外側の空間とを連携させる様式そのものを多様化し、偏在化させていくことなのではないだろうか」と述べています。
 第3章「ケータイを超える」では、ケータイ・カメラでの「はい、チーズ」の居心地悪さが、「被写体と撮影者をめぐるコミュニケーションのありようがこれまでのカメラのそれと違ってきていることを表している」と述べ、「カメラは単なる撮影のための道具で」ではなく、「撮る側と撮られる側の関係性を編む一つの象徴として存在している」と述べています。
 また、MoDeプロジェクトが実施したワークショップ、「世にもまれな地図づくり」について、「福岡市と地元上陽町の小中高構成20人の子供たちが、上陽町を散策しながらさまざまな風景や出来事をケータイ・カメラに収め、その写真を使って上陽町を紹介する地図を作るという活動」であると解説し、ワークショップと事後のインタビュー、アンケートから明らかになった「ケータイ・カメラと子どもたちの関わり方」について、
(1)「観る」次元:カメラというモノを通して世界を見る経験は、人と場所との関わり方を編み変える。
(2)「撮る」次元:撮影という用のためではなく、撮影という行為を消費することで、子どもたちは互いの距離を推し測り、保とうとした。
(3)「出す」次元:紙に印刷された写真は、過去の経験と自分の今を媒介するとともに、同じ上陽を歩いた仲間たち、つまり他者と自分の経験を媒介し、コミュニケーションを成り立たせる役割を持っている。
の3つの行為に分けて整理しています。
 第4章「ケータイを編みかえる」では、「『未来のテクスト』のプロトタイプ」である「カンブリアン・ゲーム」について、大抵のワークショップでは、「名称の由来であるカンブリア紀の多様な生命の爆発を想起させるような、リーフの爆発的な増加を目の当たりにする」と述べています。そして、「書くこと、読むこと、描くこと、観ること、撮ること、リーフをつなぐこと、これらはみなテクストAのある被写体を際立たせ、それを『~として』見るためにテクストBへ投影変換する行為である」と解説しています。
 また、デンマーク出身のアスケ・ダムによるデザイン実験として、
・ケータイ・ビデオカメラ:専用の一脚、マイク、ライトの3点セット
・ケータイ・プロジェクター:ケータイの中身を大きく映し出し、大勢の人々がその中身を簡単に共有できる
の2点を紹介し、この試みが、「ケータイにしつこくこびりついた産業的な思惑を批判的に振り返り、私たち普通の人々の潜在的な表現可能性を肯定的に唱ったデザイン実践だった」と解説しています。
 さらに、「民芸」という言葉が、1920年代に始まった芸術社会運動である「民衆芸術」の略語であり、「芸術家や職人など、実際にその品の制作に直接携わる人間だけでなく、彼らを支える家族や知人、そしてその品を生活の中で用いるあらゆる人々を含んだ地域の関係性の中から想像されると考えられていていた。それは、民芸の創造に対してひとりひとりが、その作り手と使い手の立場を循環させることのできるコミュナルな思想であり、営みであったといえよう」と述べています。
 著者は、「コミュナルなケータイとして、プロダクトとワークが結びついたデジタル民芸として、既存のケータイは、私たちの日常的な視座から編みかえられていく必要がある」と主張しています。
 本書は、もはや「携帯電話」ではなくなってしまった「ケータイ」をメディアとしてとらえなおした一冊です。


■ 個人的な視点から

 ケータイと言えば、プライベートな道具の代表という感じで、電車の中でケータイを使っている人が近くにいるとイライラするものですが、ケータイを「コミュナル」なものとして捉え直そうという本書は、考え方によっては大変過激なものではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・ケータイのカスタマイズに凝っている人。


■ 関連しそうな本

 T. コポマー (著), 川浦 康至, 山田 隆, 溝渕 佐知, 森 祐治 (翻訳) 『ケータイは世の中を変える―携帯電話先進国フィンランドのモバイル文化』 2007年09月02日
 小林 哲生, 天野 成昭, 正高 信男 (著) 『モバイル社会の現状と行方―利用実態にもとづく光と影』 2007年08月06日
 小檜山 賢二 『ケータイ進化論』
 遊橋 裕泰, 河井 孝仁 (編さん) 『ハイブリッド・コミュニティ―情報と社会と関係をケータイする時代に』
 ジェラード・デランティ (著), 山之内 靖, 伊藤 茂 (翻訳) 『コミュニティ グローバル化と社会理論の変容』 2007年07月24日


■ 百夜百マンガ

サスケ【サスケ 】

 来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ、手強いぞ、というアニメの主題歌が頭に残りますが、やたらにハードな設定と絵柄は子どもたちの憧れでした。
 仙道敦子の忍者もサスケですがちょっと違います。

2007年11月28日 (水)

水道サービスが止まらないために―水道事業の再構築と官民連携

■ 書籍情報

水道サービスが止まらないために―水道事業の再構築と官民連携   【水道サービスが止まらないために―水道事業の再構築と官民連携】(#1042)

  宮脇 淳 , 眞柄 泰基
  価格: ¥3360 (税込)
  時事通信社(2007/08)

 本書は、重要なインフラである水道事業について、
(1)社会基盤としての施設の老朽化
(2)事業体たる地方自治体、地方公営企業の人的資源の減少
(3)事業主体たる地方自治体、地方公営企業の財政状況の悪化
などの課題を挙げ、「国民の生活や社会活動に不可欠な水道水を供給する水道事業の持続性を確保することを目指して、水道事業の仕組みについて水道法、地方公営企業法、地方財政と官民連携と地方公営企業における政策決定から考え、その上で水道事業の現状を水道事業ガイドライン(社団法人 二本水道協会規格)の業務指標を活用しつつ水道施設や水道経営について明らかにする」ものです。
 第1章「水道事業の仕組み」では、平成17年度末時点の水道事業等の数は
・水道法に基づく認可を受けている水道事業・・・9,396(うち簡易水道事業7,794)
であり、「市町村合併や事業の統合により簡易水道事業の数は減少し続けている」と述べています。
 また、水道事業が抱える経営課題として、
(1)今後集中的に到来する施設の更新への対応
(2)水需要の減少傾向
(3)事業執行体制のあり方(PFI、アウトソーシングなどの民間的な経営手法の導入)
の3点を挙げた上で、今後の方向性として、
(1)地方公営企業法を最大限に活かし、給与や任用などについて首長の部局との横並びを廃し、民間企業に準拠し効率性を最大限に発揮するなど独立性を高める方向。
(2)長の執行機関の一つとして行政サービス面を重視し、首長の部局との均衡を図りながら、業務の実施については包括的な民間委託を取り入れるなど官民のパートナーシップを強化し民間的経営を取り入れていく方向。
の2点を挙げています。
 さらに、水道事業改革の国際的文脈を見ても、「金融のグローバル化の地方財政への影響が水道事業改革の背景として大きなウェートを占めていることがわかる」として、「現在進みつつある地方財政改革のスピードと併せて改革を行っていく必要がある」と述べています。
 第2章「水道事業の現状」では、水道資産の特徴として、
・約37兆円に上る巨大な社会資本であること
・資産額の約3分の2が水輸送系の管路施設であり地下に埋設されていて「見えない資産」であること
の2点を挙げ、これらの資産が、「高度経済成長期に集中的に投資されており、施設の寿命に比べて比較的短期間に整備されたものである」と述べています。
 また、課題として、
・人口減少、使用量の減少は水道事業の運営財源である水道料金収入の減少に直結する問題であり、今後、水道事業体はますます厳しい経営環境の下で事業運営を担っていく状況にあること。
・水道事業体職員の年齢構成は、45歳以上の職員が過半を占め、次代を担う若年層が薄く、今後経験豊かな職員が短期間に大量退職していくことで技術の継承問題や事業実施能力補填の対応策が喫緊の課題となること。
等の点を挙げた上で、保有資産の長寿命化のための水道施設の資産運用管理手法(アセットマネジメントシステム)の確立が急務であると述べています。
 第3章「水道事業における官民連携」では、「PPP(Public Private Partnership)」における「パートナーシップ」は、「官と民とがともに考えともに行動すること」を本質とし、「ともに考え、ともに行動するためには、『官』と『民』が共通の言葉で語り合い、水平的な信頼関係を形成し、ともに役割と責任分担を明確にする枠組みづくりが不可欠となる」と述べています。
 そして、公共サービスにおけるPPP事業について重要となる要素として、
(1)目的の明確化
(2)リスクの分散化
(3)構成要素の選択
(4)斬新性と質的向上
の4点を挙げています。
 また、水道事業に対しての民間関与・民間化の意義として、「国民の日常生活に支障が生じないように、健全な社会活動を支える水道事業の持続性を確保するため」に、事業体の広域化による規模の拡大だけではなく、「民間との連携により、水道事業のビジネスモデルを転換する手法も考慮されるべきである」と述べています。
 第4章「水道事業における監査制度」では、「公営企業たる水道事業においても事務技術を横断する知識が求められている」として、外部監査人に就任する割合の高い公認会計士は、財務会計・監査の専門家であるため、「事務事業の有効性、経済性、効率性までを評価するためには、水道事業の専門的知識を必要とする場合も多い」と指摘し、「補助人制度の活用や関係専門家の意見を聴取する制度の活用が期待される一方、水道事業タイ側でも外部監査人に業務指標(PI)などの情報提供を積極的に行なうなど外部監査人及び地方公共団体双方の努力が求められる」と述べています。
 第5章「水道事業の再構築」では、1990年代から急速に広まった途上国向け上下水道の民営化の動きによって世界の水ビジネスは活発になったと述べ、その理由として、世界銀行やIMFが採った「公営の水道事業は非効率であるとして、融資の条件とし民営化を強く要求」下政策があることを挙げています。
 また、水道事業の再構築例として、
・東京都多摩地区水道の一元化
・松山市・DBOによる浄水場整備等事業
・福島県三春町における包括委託
・八戸圏域における水道事業の広域化
等の事例を紹介しています。
 本書は、今後、下水道事業との統合や民間企業の参入など、激変を迎える水道事業について、現状を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本の水道事業は、日本の近代化施策の中では珍しく、自治体がイニシアティブをとって展開されてきました。もともと井戸などの水に恵まれていたために、富裕な都市を中心に事業が展開されてきたからかもしれません。
 そのためか、今後必要となる膨大な設備の更新の需要もあまり意識されていないような気がします。いざ更新となると、外資が大幅にシェアを伸ばす可能性も高いのではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・蛇口をひねれば水が手に入るのがあたり前だと思う人。


■ 関連しそうな本

 高寄 昇三 『近代日本公営水道成立史』 2007年05月15日
 赤井 伸郎 『行政組織とガバナンスの経済学―官民分担と統合システムを考える』 2006年11月24日
 白川 一郎 『自治体破産―再生の鍵は何か』 2006年10月30日
 吉富 有治 『大阪破産』 2006年10月20日
 野田 由美子 『民営化の戦略と手法―PFIからPPPへ』 2006年01月30日
 大住莊四郎 『ニュ-・パブリック・マネジメント  理念・ビジョン・戦略』 2005年01月23日


■ 百夜百マンガ

パロ野球ニュース【パロ野球ニュース 】

 すっかりテレビタレントとして顔の売れている人ですが、一般人の1.5倍の速さで年を経た老境の現在にあってもその筆は休まることがありません。

2007年11月27日 (火)

宅配便130年戦争

■ 書籍情報

宅配便130年戦争   【宅配便130年戦争】(#1041)

  鷲巣 力
  価格: ¥714 (税込)
  新潮社(2006/01)

 本書は、宅配便をめぐっての、明治初期から130年間にわたる「官と民との闘い」を通して、日本社会を覗いて見ることを目的としたものです。
 著者は、日本社会を変えた「コンビニ」「自販機」「宅配便」について、共通点として、
(1)ビジネスが始まった時期・広がった時期がほぼ同じ。
(2)失敗を予想されていた。
(3)「流通」の末端に位置する。
(4)道路や通信網などのインフラ整備を基本として成立している。
(5)サービス内容、売上高の点で、他国の追随を許さない。
(6)中国など近隣のアジアに進出を始めている。
(7)日本人の生活様式を大きく変えた。
の7点を挙げた上で、宅配便はコンビニや自販機と異なり、「官と民との闘い」という問題を抱えていると指摘しています。
 第1章「宅配便とは何か」では、ヤマトが宅急便を始めた初日(1976年1月20日)には、「取り扱った個数はわずか11個だったといわれている」ことを紹介し、「この30年の成長はすごい」と述べています。
 そして、宅配便が普及した理由として、
(1)利便性に優れる
(2)確実さに対する信頼感
(3)料金への信頼感
(4)ドライバーに対する信頼感
(5)国土の狭さと人口の密集
の5点を挙げ、「宅配便はまさに時代と社会の産物である」と述べています。
 第2章「宅配便が変えた日本人の暮らし」では、宅配便が与えたもっとも大きな影響として、通信販売は産地直送の普及拡大を挙げ、笹かまぼこや加賀棒茶の例を取り上げています。
 第3章「飛脚便から宅配便まで」では、明治初期に郵便制度が始まった当初は、江戸時代からの「定飛脚問屋」が営業を続けており、「民間の飛脚業者と官営の新式郵便との間には、顧客の奪い合いも起きた」ことを紹介した上で、郵便の国家独占の開始にあたり、飛脚問屋から激しい反発があり、ここで前島密は、飛脚問屋の総代である佐々木荘助と直談判し、「郵便事業を国家の独占とするかわりに、陸運を任せるだけではなく、郵便業務も一部請け負わせるから、会社を起こせ」と提案し、「陸運元会社」なる会社が設立され、この会社が、後に日本通運となったことを紹介しています。
 また、1911(明治44)年には、鉄道院が大都市に着く小荷物の特別速配を実施、1935(昭和10)年には、「宅扱」という、今日の「宅配便」とあまり変わらないサービスを始めていたことを紹介しています。
 さらに、高度成長期に、輸送業界で生じた動きとして、
(1)路線トラックの輸送システムの大型化と近代化
(2)大手企業を中心とする合併と系列化による業界の再編
の2点を挙げ、ここに乗り遅れたヤマト運輸が、「同じ重量の貨物を積むならば、重量の小さい小口貨物をたくさん運べば運ぶほど、収入は格段に増える計算になる」ことに着目し、業界の常識に逆らい、役員会の全員の反対を押し切って、小口重視に切り替え、「宅急便」を開始した経緯を紹介しています。そして、そのきっかけについては、小倉昌男氏が、
「身近な経験」
「吉野家の牛丼がヒントになった」
「アメリカに行ったときに見たUPS(ユナイテッド・パーセル・サービス)がヒントになった」
「ジャルパックがヒントになった」
などを挙げていることを紹介しています。
 第4章「『官』と『ヤマト』との闘い」では、宅配便の成長過程で、その先頭を走っていたヤマトが、「果敢にも旧来の業界の秩序に組み込まれる道を選ばなかった。その当然の結果として、他の業者と闘い、警察庁と交渉し、運輸省と闘い、郵政省と闘ってこなければならなかった。今日もなお郵政公社と闘っている」と述べ、この「闘いの試練」を通して宅配便が成長し、「闘いの結果得られたものは、他社も恩恵を受ける、という図式で今日まで進んできた」と述べています。
 そして、道路交通法に関して、警察庁との交渉の結果、「交差点の角以外なら、全国どこでも通用する許可」を得ることが宅配便の普及に大きく寄与したこと、免許制度をとっていた輸送業界で、ヤマトが出した路線免許の申請に、「多くは4年を要し、最長で6年を超えた路線さえあった」こと、ついには、1986年に当時の橋本龍太郎運輸大臣を相手取って「不作為の違法確認の訴え」を起こしたことなどを述べています。
 また、料金をめぐっても、当時の道路運送法は、運賃についても運輸大臣の認可が必要であり、「宅急便独自の運賃の設定は認められない」ことを理由に、2キロまでの料金が安い「Pサイズ」設定を認めない運輸省に督促するため、1983年5月17日に「Pサイズ」を6月1日に発売開始することをうたった広告を出し、発売直前の5月31日には「『Pサイズ』の発売は、運輸省がいまだ認可しないため延期せざるを得なくなった」という広告を出し、これを読んだ運輸省の杉浦喬也事務次官が激怒したと伝えられていると述べています。
 さらに、郵政省との闘いでは、1984年のバレンタインデーに、中曽根総理大臣が女子高生からチョコレートを送られ、そこに教育改革への賛意を示す手紙が添えられていたことを郵政省が「信書」に当たるとして、宅配便業者に警告を出したこと、1981年には9件だった郵政省監察局からの警告が、83年には63件にまで急増した背景には、宅配便の普及に郵政所が焦りを感じていたことがあること、1989年には「荷物に添付できる添状の範囲の拡大について」という文書が出され、荷物の処理に関する簡単な通信文などは封入が認められたことなどが述べられています。
 著者は、「郵便法に基づく現業を行い、郵便法の解釈を下し、郵便法違反行為を取り締まる。これらすべてを郵政省が行うことに問題があるのではないか。当然、現業に不利になるような解釈は出さず、現業に有利になるように違反を取り締まるに違いない」と指摘しています。
 また、2003年から信書便事業への民間参入が認められたが、一般信書便事業には参入がないことについて、ヤマトは、「民間企業の一挙手一投足すべてを総務省が許認可するいわば『民間官業化法案』ともいえる内容」であると不参入の理由を述べていることを紹介しています。
 そして、「ゆうパック」のコンビニに対する攻勢について、「ヤマトにすれば、信書便市場では事実上の独占を維持し、宅配便市場では法人税を免除されるなどの恩典を受けた郵政公社と、民間企業が同じ土俵で闘えというのでは、公正・公平ではないのではないか」と主張していることを紹介し、「その言い分はその通りであろう」と述べ、「いずれ民営化される巨大会社が、現在与えられているさまざまな優遇措置を利用して、『民』のやってきた仕事を奪っていく。それは、公平性からいえば、大いに疑問である」と指摘しています。
 第5章「宅配便の明日」では、新しい事業として、
(1)メール便
(2)生活支援事業
(3)海外進出
(4)ロジスティクス事業
の4点を挙げ、それぞれ解説しています。
 本書は、今では当たり前になってしまった「宅配便のある生活」がさまざまな長い経緯の末に成り立っていることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 宅配便、特にヤマト運輸に関しては、NHKのプロジェクトXを始め、さまざまな媒体で取り上げられてきたストーリーですが、それにしても、(佐川ではなく本来の意味の)飛脚以来の郵便/宅配便の歴史のなかで通して眺められるのはわかりやすいです。
 それだけに、中途半端にヤマト運輸にシンパシーを示している部分がもったいない気がしました。いっそのこと、客観的な立場に徹していればもっとわかりやすかったのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・宅配便のない生活は考えられない人。


■ 関連しそうな本

 小倉昌男 『小倉昌男 経営学』
 小倉昌男 『やればわかる やればできる―小倉昌男の経営と仕事についての120項』
 小倉昌男 『経営はロマンだ! 私の履歴書・小倉昌男』
 小倉昌男 『「なんでだろう」から仕事は始まる!』
 建野 友保 『小倉昌男の福祉革命―障害者「月給1万円」からの脱』
 NHKソフトウェア (著), 日経ベンチャー (編集) 『ザ・メッセージII 小倉昌男』


■ 百夜百マンガ

SHOGUN【SHOGUN 】

 ある意味で、史村翔的というか本宮ひろ志的というか、風呂敷を大きく広げた、広げすぎた作品です。ご都合主義的な展開も「スケールの大きさ」の一言で済ませてしまうマンガらしいマンガが最近は減ったような気もします。

2007年11月26日 (月)

アンビエント・ファインダビリティ―ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅

■ 書籍情報

アンビエント・ファインダビリティ―ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅   【アンビエント・ファインダビリティ―ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅】(#1040)

  ピーター モービル (著), 浅野 紀予 (翻訳)
  価格: ¥1995 (税込)
  オライリージャパン(2006/04)

 本書は、「わたしたちの日々の生活の中ですでに現実のものとなろうとしている、どこにでもコンピュータが偏在する環境、すなわち『ユビキタスコンピューティング環境』の中にあって、私たちが日常的に情報に接する方法がいかに劇的に変化してきているか、そして、その接し方の変化によって私たちの生活がどのように変わろうとしているのかについて、非常に多くの具体例を示しながら解説」を試みているものです(巻末「解説」より)。
 第1章「遺失物取扱所」では、「われわれは、ファインダビリティの進化の変節点にいる。情報にアクセスするためのあらゆる新型インターフェースや装置を作り出すと同時に、ヒトや場所、製品、所有物などについてのすさまじく大量の情報を、ユビキタスなデジタルネットワークにインポートしつつあるところなのだ」と述べ、「各種プロセッサやセンサ、RFIDタグ、その他関連テクノロジ製品のサイズと価格は、ティッピングポイント(臨界点)に近づきつつある」としています。
 著者は、「インターネットがユビキタスコンピューティングに出会う場所」において、「アトムの大地とビットの海を結ぶ、今出現しつつある新たな海岸線を地図に記すにあたって、自分たちの来し方行く末を見晴らすためには、『ファインダビリティ』が有能なレンズになってくれる」と述べています。
 そして、本書のタイトルである「アンビエント・ファインダビリティ」を、「現在急速に出現しつつある新たな世界を表現する言葉」であり、この世界では、「誰の居場所でも何のありかでも、いつでもどこでも見つけることができる。われわれはまだその世界まで到達していないが、間違いなくその方向に向かって進んでいる」と述べています。
 また、Amazonの書籍売り上げの半分以上が、売り上げトップ130,000タイトル(これはBarnes & Nobleの店舗の品揃え点数)より下位の商品から成り立っているという、いわゆる「ロングテール」について、「限界費用がゼロ同然になる経済においては、競争への挑戦と大いなる勝利は、ファインダビリティの中にある」と述べ、「ファインダビリティは今日、ウェブにおける最大の話題であり、情報入手経路の収束とユビキタスコンピューティングの津波が海岸に押し寄せるにつれて、その到達範囲はさらに広がるだろう。現実空間で身体を動かす必要がどんどん少なくなるとしても、われわれは内蔵センサと空間的メタデータがあふれる物質世界をナビゲートするために、ウェブを利用するだろう。集団地とインスピレーションを捜し求める情報通の消費者たちが踊る進化するダンスにおいて、モバイル機器がデータの流れを1つにするだろう。そしてこのアンビエント経済の中で、ファインダビリティは競争優位性の重要な源になるだろう」と述べています。
 そして、「ファインダビリティは、われわれがどのように権威を定義し、信頼性を割り振り、意思決定を下すのかというプロセスにおける、静かなる革命の中心にある」と述べています。
 第2章「経路探索小史」では、「位置情報サポートとユビキタスコンピューティングが交わる地点で、人間はますます、物理空間とサイバースペースを結ぶハイブリッドな環境の中でナビゲーションを行うようになりつつある」と述べています。
 また、「情報の視覚化技術を利用してウェブをマップ化しようとする試み」が、ことごとく失敗している理由として、「そこには『その場にいるという実感』がないから」であると述べ、「空間的メタファーには限界がある」ことを認めた上で、「それでも、そこにはやはり真の価値がある」として、「ファインダビリティは物質世界とデジタル世界との架け橋であり、それらの間でユーザがさまざまな概念を思いのままにインポート/エクスポートできるようにしてくれる」と述べています。
 第3章「情報とのインタラクション」では、「有益な情報システムを設計するには、ユーザとその社会的背景についての深い理解が不可欠」であると述べ、「失敗に終わったウェブサイト、イントラネット、インタラクティブ製品のほとんどの背景には、ユーザとその情報探索行動についての見当違いなモデルが存在している。ユーザは複合的であり、社会的である。そして、情報もまた同じだ」と指摘しています。
 また、1948年にカルヴィン・ムーアズが「情報検索(information retrieval)」という用語を生み出したパンチカードの時代から、「情報検索の中心的な課題と原則は、いまなお有効かつ重要である」として、「これらの課題と原則の中心に、適合性(relevance)という概念が根を下ろしている。手短にいえば、適合する結果とは、ユーザにとって興味深く有益な結果のことである」と述べています。
 さらに、「人間が適用するメタデータのタグはアバウトネスを示すことができ、結果的に適合率を向上させる」として、「Googleのページランクアルゴリズムは、ユーザが構築するインバウンド(内向き)リンクが、アバウトネスを示す優れた尺度であると認識している」と述べています。
 第4章「錯綜する世界」では、「われわれは地球的規模のパノプティコンの中で生きることについて、深刻な不安を抱くかもしれない。そして実践的な観点から言えば、アンビエント・ファインダビリティは到達不可能な目標だ」としながらも、「それでもやはり、われわれは確実にアンビエント・ファインダビリティという未開の地に向かって進んでいるようだ。だから今こそシートベルトを締め、スマートフォンの電源を入れて、来るべき乱気流に備えよう」と述べています。
 そして、「レザーケース、回転式ベルトクリップ、着せ替えプレート、カスタム着メロ」などが、「消費者家電をハイテクなファッション的表現手段」である「エブリウェア(everyware)」に変身させると述べ、「ユビキタスコンピューティングの荒野をさまようとき、モバイル機器はわれわれの命綱となり、分かちがたく錯綜した未知の絆となって、人と人とを結びつけるだろう」と述べています。
 第5章「プッシュとプル」では、「現在のアテンションエコノミーの世界で適応するには、プッシュとプルとの新たなバランスが不可欠である」と述べ、「実際にサイトを訪れた多くのユーザにとって、サイトのトップページは案内板に過ぎず」、「サイトにアクセスしたユーザが欲しいのは製品やサポート情報、データ、ドキュメント、ダウンロードファイル」であり、「サイトが伝えようとしているメッセージには無関心なのだ」と述べています。
 また、考案した「ユーザエクスペリエンスのハニカム構造」として、下図の7つの要素を示し、
(1)これはユーザビリティの問題を超えたところまで議論を進めるために非常に役立つツールである。
(2)このハニカム構造のモデルはモジュール方式のデザインアプローチに対応している。
(3)ハニカム構造の7つの切り口はそれぞれが一種の「鏡」としても役立つ。
の3点を述べています。
        ____
       /    \
  ____/ 役に立つ \____
 /    \ Useful  /    \
/ 使いである \____/ 望まれる \
\ Usable  /    \ Desirable /
 \____/ 内容のある \____/
 /    \ Valuable  /    \
/ 探しやすい \____/利用しやすい\
\ Findable /    \ Accessible /
 \____/ 信頼できる \____/
      \ Credible /
       \____/
 

 そして、「ファインダビリティはウェブデザインにおいてもっとも扱いにくい問題の1つ」であり、その理由の一部として、「意味体系と構造につきものの曖昧さ」を挙げています。
 第6章「ソシオセマンティックウェブ」では、社会学者のSusan Leith Starによって提唱された、「複数の集団が共有していながら異なる理解を行なっている道具または観念」を表す「境界オブジェクト(boundary object)」をキー概念に、セマンティックウェブとソーシャルソフトウェアのそれぞれを支持する両コミュニティ間の「過激で激しい議論の応酬」について論じています。
 そして、これら二派のコミュニティが、「似たような問題に直面」していながら、「不幸なことに、過去から教訓を得たりお互いから学びあったりすることができない場合が多い。両者が話し合うことは滅多にないし、いざ話をする段になっても、互いに異なる語彙を用いて会話してしまう」と、その論争が「バベルの塔」を想起させると述べ、「希望的観測としては、メタデータを境界オブジェクトとして用いることで、われわれは相互解釈を育み、共通理解を形成し、真の社会的進歩を促すことができるはず」であると述べています。
 また、「われわれがメタデータと呼ぶ境界オブジェクトに備わっている美徳」として、「どちらか一方だけを選ぶ必要はない」と述べ、「オントロジー、タクソノミー、フォークソノミーは相互排他的なものではない」と指摘しています。
 著者は、「情報のファインダビリティは、人間が知覚する情報の品質に偏りをもたらす」という研究結果を取り上げ、人気度を示すメタデータが、「ユーザがどのデータを見つけるかを左右するだけではなく、そのデータをどれくらい尊重するかにも同様に影響を及ぼす」と述べています。
 第7章「啓示による意思決定」では、「自分の家族やキャリアや健康に関するもっとも重大な決断に限って、もっとも感情に左右されやすい」という「限定的"非"合理性」の存在を認めながらも、「われわれは群集の英知の存在や、『たとえ集団内のほとんどの人間が格別に見識があるわけでもなく合理的でもないとしても、なお集団として賢明な決断にたどり着くことはありうるのだ」という知見を紹介しています。
 著者は、「最終的には、コンピュータは人工頭脳を作り出すことではなく、実在する人間の知性を拡張することに関わっている」と述べ、「人間と機会と区別するのは、情報に秘められている啓示である」点が、著者が「ウェブを愛する理由である」と述べています。
 本書は、普段意識せずに活用している、ウェブ上に集められた知恵や、その活用を可能にしているファインダビリティの重要性を気づかせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 普段何気なく使っている検索エンジンですが、考えてみれば、これだけ世界中に無数にあるウェブサイトの中で、お目当てのサイトにたどり着けるということは、奇跡のような出来事ではないかとも思います。
 七十近い自分の親がネットで調べ物をして、買物をしているのを見ると、インターネットが一部のマニア向けだった時代から、今ではすっかり社会のインフラになってしまったことを実感します。


■ どんな人にオススメ?

・ググればほしい情報が見つかるのがあたり前だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 佐々木 俊尚 『グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する』 2007年11月20日
 嶋田 淑之, 中村 元一 『Google―なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか』 2005年08月18日
 ジョン・バッテル (著), 中谷 和男 (翻訳) 『ザ・サーチ グーグルが世界を変えた』 2006年06月20日
 アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日
 スティーヴン・ストロガッツ (著), 蔵本由紀, 長尾力 (翻訳) 『SYNC』 2006年04月10日
 ダンカン ワッツ (著), Duncan J. Watts (原著), 栗原 聡, 福田 健介, 佐藤 進也 (翻訳) 『スモールワールド―ネットワークの構造とダイナミクス』 2006年03月22日


■ 百夜百マンガ

ペエスケ【ペエスケ 】

 当初設定した主人公よりも、途中から脇役だったはずのキャラに主役を奪われる、ということは、古くはバカボンからDr.スランプからとなりのやまだ君まで定番と言っていいほどまでです。

2007年11月25日 (日)

知の編集工学

■ 書籍情報

知の編集工学   【知の編集工学】(#1039)

  松岡 正剛
  価格: ¥672 (税込)
  朝日新聞社(2001/02)

 本書は、「編集工学研究所」の所長である著者が、単に雑誌や新聞に限らず(著者自身は伝説の雑誌『遊』の編集長でもあるのですが)、「人間の活動に潜む最も基本的な情報技術」である「編集」の入門書として著したものです。
 著者は、「編集」を、「該当する対象の情報の構造を読み解き、それを新たな意匠で再生するもの」と定義しています。そして、「編集」が本質的には「遊び」と同じ性質を持つとしながら、人間に潜む<編集能力>あるいは<自己編集力>に言及しています。
 著者は人間の「脳」に着目し、情報を<意味単位のネットワーク>にリンクさせ、この分岐の中を次々と進むことを<思考>と位置づけ、このことによって人間の脳は、14、5時間の情報を5、6分の情報に短縮する<情報圧縮>が可能になると述べています。
 また、日本社会がハード面において「情報化」することは「編集化」することを意味しないとして、「ハードの情報化(情報技術)とソフトの編集化(文化技術)の合体」の必要性を主張しています。
 なお、本書のタイトルである「編集工学」という言葉は著者の造語であり、「私がふと<編集工学>(Editorial Engineering)という言葉を思いついたのは、1980年前後のことだった。」ということが述べられています。
 本書は元々、10年ほど前に出版されたものですが、この10年で私たちの扱う情報の量は格段に増え、情報を扱う技術としての「編集工学」の重要性も大きく増しているのではないかと思います。


■ 個人的な視点から

 著者の松岡氏は、「行政経営百夜百冊」のネタ元のサイト「松岡正剛の千夜千冊」の主であり、千夜千冊は今も続行中で、最新は1207夜にまで達しています。
 「編集」という言葉をこれだけ突き詰めた人はいないんじゃないかと思うんですが、雑誌の時代以上に、ネットと検索の時代にあっては「編集」という言葉は重要性を増しているのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「編集」という言葉の意味を考えたい人。


■ 関連しそうな本

 松岡正剛 『松岡正剛千夜千冊(8冊セット)』
 松岡 正剛 『フラジャイル―弱さからの出発』 2005年11月23日
 金子 郁容, 松岡 正剛, 下河辺 淳 『ボランタリー経済の誕生―自発する経済とコミュニティ』 2005年08月29日
 松岡 正剛 『17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義』
 松岡 正剛 『花鳥風月の科学』
 松岡 正剛 『日本という方法―おもかげ・うつろいの文化』 2007年06月09日


■ 百夜百音

The Sound of Music【The Sound of Music】 Original Motion Picture Soundtrack オリジナル盤発売: 1965

 日本人の多くはこの曲を聞くと京都に行きたくなってしまうらしいですが、よくよく聞くとやっぱりヘンな曲です。

『My Favourite Things』My Favourite Things

2007年11月24日 (土)

心は孤独な数学者

■ 書籍情報

心は孤独な数学者   【心は孤独な数学者】(#1038)

  藤原 正彦
  価格: ¥460 (税込)
  新潮社(2000/12)

 本書は、アイザック・ニュートン、ウィリアム・ロウアン・ハミルトン、シュリニヴァーサ・ラマヌジャンの3人の天才数学者の生涯をそれぞれの生地を訪ねながら紹介した評伝です。
 著者は、現地を訪ねた理由を、「いくら輝かしい天才であろうと」、自然、歴史、民族、文化、風俗などの「生まれ育った風土の影響下にあるはず」と考えたからであると述べ、「天才の人間性ばかりか数学までが、そういったものの産物であることが分かった」と語っています。
 ニュートンを取り上げた第1章「神の声を求めて」では、1642年のクリスマスの夜に生まれたニュートンが、生後3歳で母親の再婚のために実家に託され、その苦しみから、「義父と母を家もろとも焼き殺してしまう」と脅すほどであった、暗い少年時代を送ったことが紹介されています。また、思弁的に自然現象を考察し、実験的考察の伝統を受け継いだニュートンが、これに、「数学的裏付けを与えることで理論の確実さを高める」方法を創始したことが紹介され、信心深いニュートンにとっては、「自然は数学の言葉で書かれた聖書であった」と述べられています。
 さらに、ニュートンの人間性に関しては、「自分が公表しないのに、先取権にはこだわる」という悪癖があったこと、当時知識人の間で流行していた秘密結社「バラ十字会」に関する書物を熟読していたニュートンが、造幣局監事としてロンドンに出る際には、千ページを超える錬金術手稿を木箱に注意深く封印して行ったこと、50歳のときに強度の鬱病にかかり、猜疑や幻想に悩まされていたことなどが語られています。
 また、微積分学の創始者の称号をめぐって、大陸のライプニッツと泥仕合を繰り広げ、「十数年も続いた論戦は、終いには国家威信をかけた、手段を選ばぬ中傷合戦にまでなった」ことが紹介されています。
 著者は、「最後の魔術師」と呼ばれたニュートンは、「聖書では使徒の言葉を通して、史書や錬金術研究では古代や中世の賢人の知恵を通して、自然研究では宇宙の仕組みを通して、ニュートンは神の声を希求しつづけた」のであり、「論理の一貫した人生を送った」と語っています。
 第2章「アイルランドの悲劇と栄光」では、ハミルトンの恋人キャサリンの父親が、「娘が無一文の学生と恋の深みに陥る」ことを怖れ、中年の資産ある牧師と強引に婚約させてしまったことを、彼女の母親から聞かされたハミルトン自身が、「娘の恋人である私に、娘の婚約を告げる際に見せた彼女の表情はとても忘れられません。娘を真剣に愛している私への同情、そして涙ながらに婚約破棄を嘆願する娘への哀れみから、悲痛に満ちていたのです」と語っていることを紹介しています。
 そして、43歳の時に、キャサリンとの間に文通があり、「ともに結婚している身で文通することに、大きな罪の意識を感じながら、二人は張り裂けそうな胸のうちを六週間にわたって綴りあった」こと、48歳のときに、キャサリンは死の床にあり、ハミルトン、「他人の妻に会うという、当時にあっては罪を問われかねない危険を冒して、彼女を見舞った」ことなどを紹介した上で、「二人だけ出会うことも自由に手紙を書くこともままならないまま、これほど長い年月、これほどの激しさで思い続ける、というところにハミルトンの真骨頂がある。まさにこの強烈な情緒と執念をもって、彼は数学に立ち向かったのである」と述べています。
 第3章「インドの事務員からの手紙」では、ラマヌジャンの数学の道のりを、「公式や定理を理路整然と上から解説されるのではなく、自ら挑戦することで、才能への点火がなされたのである。観光バスで名所旧蹟を回らず、彼は地図を頼りに、手探りで道を探しながら、それらの場所にたどり着いた。その過程で、諸定理を自らの血肉にしたばかりか、長く苦しい思考の後に訪れる、発見の鋭い喜びを充分に味わった」と表現しています。
 また、宗主国イギリスで、ラマヌジャンからの手紙を受け取った3人目の数学者であるハーディが、同僚のリトルウッドとその手紙をめぐって議論した結果、「これら公式がインチキだとしたら、いったい誰がそれを捏造するだけの想像力を持っているだろうか。この著者は本物に違いない。そんな信じがたい技術を有する泥棒やいかさま師の数より、偉大なる数学者の数の方が多いからだ」と結論づけたことが紹介されています。
 さらに、ハーディの成果が、大雑把には、
(1)既知の定理、あるいは既知の定理から容易に得られるもの
(2)新しくて奇妙だが、重要そうではないもの
(3)新しくて重要なもの
の3つに分類できることについて、ハーディが、「既知の結果であっても、それを独力で再発見したというのは大変な名誉です」と評したことを紹介した上で、「再発見というのは、いつの時代においても天才の、特に若き天才の特徴と言える。若き天才は、当然ながら同輩から抜きん出てしまうばかりか、先生をも越してしまうため、一時期、独学となることが多い。この時期に、類まれな独創力ゆえに、既知の定理をそれと知らずに独力で見出すのである」と述べています。
 また、ラマヌジャンに証明を要求しても、「続々と新公式を示すばかりで、肝腎の証明を送ろうとしない」ことに、痺れを切らしたハーディが、「フェアー精神では人後に落ちない自分を、信用しようとしない生意気なインド人め、という苛立ちと、このと法もない天才をインドに埋もれさせては数学界の大損失、という使命感の長い葛藤の末に、使命感がついに勝利した」と述べ、「ラマヌジャンをケンブリッジに連れてくる、というハーディの特命」を帯びてマドラスを訪れた若干24歳のネヴィルに会うように手紙を送ったことを紹介しています。
 著者は、ラマヌジャンが発見した公式の美しさについて、「それらはよく『奇抜』と称されるが、それは単にまずらしいという意味ではない。常人が想像できないほどの美と調和を有している、という意味に近い」と述べ、リトルウッドがラマヌジャンの仕事に対して、「この世のものとは思われぬほど美しく特異」と評していることを紹介しています。
 そして、ケンブリッジ到着直後のラマヌジャンが、ハーディとの「天才と大秀才」という数学では理想のコンビでの仕事を進めるものの、「一人暮らしの上、ケンブリッジ唯一の社交場とも言えるホールで食事をしないため、話し合うべき友人もできない」上、「イギリス特有の冷たく憂鬱な天気、そして孤独がラマヌジャンを弱らせ」ていったと述べています。渡英後3年ほどでラマヌジャンはついに病魔に襲われ、胃潰瘍、敗血症、癌、結核など、さまざまな病名をつけられるが、「栄養をとれという意志の指示に抵抗し、相変わらず菜食にこだわり続け」たため、10名ほどの医師が、「忠告に一切従わないため」、次々に見放したとも言われていることを紹介しています。
 著者は、ラマヌジャンを、「この地上にはどこにも彼の居場所がなかったのだ。インドでは貧困に追われ、イギリス人が騒ぎ出すまで正当な評価をされず、戒律を破ってまでして訪れたイギリスでは、人にも土地にもどうしてもなじめず、ついには不治の病にまで取り付かれた」ことなどを挙げ、「悲劇の人と思った」と語っています。
 本書は、数学者の中でも、特に著者の思い入れの詰まった三人の悲劇を取り上げた一冊です。


■ 個人的な視点から

 他の科学者と違ってダイレクトに世の中に影響を与えられるわけではないため、象牙の塔の住人の典型のように思われがちな数学者ですが、紙と鉛筆さえあればどこでも研究ができ、自分の内面で徹底的に思考を重ねる性質のせいか、変人が多く、ドラマティックな人生は「非数学者」の心を魅了してやみません。
 実は日本人の貢献も華々しい分野でもあるのですが、学問分野自体が地味であるためか、あまり知られていません。


■ どんな人にオススメ?

・数学者は人生においても地味だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 藤原 正彦 『天才の栄光と挫折―数学者列伝』 2007年11月17日
 E.T. ベル (著), 田中 勇 (翻訳), 銀林 浩 (翻訳) 『数学をつくった人びと』 2007年07月16日
 シルヴィア ナサー (著), 塩川 優 (翻訳) 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』 2006年11月20日
 E・T・ベル (著), 河野 繁雄 (翻訳) 『数学は科学の女王にして奴隷』 2006年09月18日
 チャールズ サイフェ (著), 林 大 (翻訳) 『異端の数ゼロ―数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』 2005年11月20日
 サイモン シン 『フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』 2006年09月02日


■ 百夜百音

My Generation【My Generation】 Who オリジナル盤発売: 1965

 今の目から見ると、おとなしそうに見えるピート・タウンゼントが暴れている映像を見ると、「キレる若者」という言葉も違った意味に伝わってしまいそうです。とりあえず、ヘッドフォンの音量には気をつけましょう。

『The Who Sings My Generation』The Who Sings My Generation

2007年11月23日 (金)

ラーメンの誕生

■ 書籍情報

ラーメンの誕生   【ラーメンの誕生】(#1037)

  岡田 哲
  価格: ¥756 (税込)
  筑摩書房(2002/01)

 本書は、「ラーメンが誕生し、人気者(国民食)となり、国際食になるまでの、ラーメンの魅力を縦糸に、その不思議さを横糸にしながら、私たち日本人の食の考え方の一端について、いささかの模索を試みようとするもの」です。著者は、「これほどまでに、数々の不思議な足跡を辿りながら、しかも、庶民的な魅力に満ち溢れた食べ物は、ほかに類例を見ないであろう」と語りっています。そして、ラーメンの不思議として、
(1)ラーメンのような麺料理が、日本にはなかなか現れてこなかったこと。
(2)第二次世界大戦の後で、大陸からの引揚者などにより、中国の餃子や麺料理が再度もたらされると、あっという間に日本全国に浸透し普及したこと。
(3)今日では、世界中で食べられていること。
の3点を挙げています。
 第1章「中国めん料理の発達小史」では、「ラーメンを構成する素材群の中で、めんの打ち方は中国より学び、スープやトッピングによる食べ方は、日本人自身の創作により、今日の和食めん料理の形態を築き上げた」と述べ、「めん食文化の発展を、めんの打ち方と、めんの食べ方に区分して、中国と日本を比較していくと、その延長線上のはるか彼方に、日本のラーメンの姿が、蜃気楼のように浮かび上がってくる」と述べています。
 また、広大な中国の南部と北部では、めん料理の食べ方が異なり、
・北方のめんは太く、スープは醤油仕立てで味は濃い。丼は大きく、めんの量も多い。
・南方のめんは細い。小椀に盛られ、味付けは塩味がベースである。
と対比し、「これらの情報が、個々に日本の各地に伝えられ、その後、渾然一体となり同化されている。ご当地ラーメンの異なる発祥を知る上で、これらの要因はきわめて重要である」と述べています。
 第2章「日本のめん食文化の歩み」では、めんの技術伝来に、「歴史的に見て二つの大きな節目がある」として、
(1)奈良から平安前期に書けての唐菓子の伝来であり、これが日本のめんの出発点になった。
(2)鎌倉から室町期にかけての技術の再伝来であり、こちらを受けて、そうめん、うどん、そばが順に完成されている。
の2点を挙げています。
 また、うどんの食べ方の変遷を追い、「醤油味に合う食べ方を、しきりに探り出している」と述べ、「糊食の大好きな日本人の間に、めんの食べ方としての醤油の利用は、急速に普及していく」ことを指摘しています。
 第3章「ラーメンへの芽生え」では、明治維新後、来日した中国人料理人によってもたらされためん料理が、大正時代のシナ料理ブームによって、油料理や豚肉料理を受け入れる素地を与えられ、「庶民は、シナそばの魅力に引き寄せられて」いったと述べています。しかし、この過程には、大きなハードルとして、
(1)肉食の忌避
(2)油料理の忌避
(3)かん水の入手
の3つを飛び越えることが必須条件であった、と述べています。
 また、ラーメンの芽生えとして、日清修好条約によって、横浜の山下町界隈に2000人を超える華僑の居留地ができ、ここに「柳麺(リュウミエン)」の屋台ができたことを紹介しています。そして、明治43年になると、横浜の南京街から浅草の「来々軒」に来た広東省の料理人が、日本人好みのめん料理の開発に取り組み、「トンコツにトリガラを加えて、コクはあるが、あっさりしたスープを考案し、塩味から関東の濃口醤油の味にして、従来の刻みネギだけに、シナチク・チャーシュー・ネギを加える」1杯10銭の「シナそば」を開発したことを紹介しています。
 さらに、札幌で、ロシア革命で追われた山東省出身の料理人がつくる「肉絲麺(ロースーミエン)」が好評になり、物珍しさから集まった日本人客から「チャンコロそば」と呼ばれたことに心を痛めた店主が、料理人が注文を受ける際に叫ぶ「好了(ハオラー)」という言葉から「ラー麺」という呼び名を思いついたことから、札幌では、「いち早くラーメンと呼び名を変える」と述べています。
 著者は、ラーメンへの芽生えについて、ラーメン誕生前に、「シナうどん・南京そば・チャンポン・皿うどん・シナそばが横浜・長崎・東京・喜多方・札幌などの全国各地で、試行錯誤の中で考案されていく」と述べ、これらの共通点として、
(1)日本にやってきた中国の料理人により作られためん料理は、
(2)当初は、中国からの華僑や留学生相手のものであったが、
(3)この異国のめん料理に、日本人の客も興味を抱き始め、
(4)そして、日本人の嗜好にあっためん料理に、時間をかけながら変えていく。
の4点を指摘しています。
 第4章「料理書に見るラーメンへの変遷」では、日本のシナ料理の普及には、山田政平の果たした業績がきわめて大きい、として、大正15年から昭和22年までに出版された料理書において、
(1)シナそばの作り方
(2)かん水の導入
(3)多種多彩な中国めん料理の紹介
(4)戦後の中華そばの紹介
にまで及び、中国大陸での20年に及ぶ修業ののち、帰国後は、「プロの料理人の育成ではなく、素人にもわかるシナ料理の紹介に心血を注ぐ」と紹介しています。
 第5章「ラーメンの魅力を探る」では、第二次世界大戦後、「大陸からの引揚者がもたらした中国北部のめんのスタイルに、中国の各地のめん料理の特徴が混ざり合い、さらに、日本人の和食化への努力の繰り返しの結果が、今日のラーメンのルーツを形成している」と解説しています。
 そして、「ラーメン」の語源については、「拉麺(ラーミエン)」や「柳麺(リュウミエン)」辺りが、ラーメンの語源説に最も有力ではないかと述べています。
 また、かえしとだしを最後の段階で総合する日本そばのつゆの製法の特殊性を指摘し、「ラーメンが、中華風の和食めん料理であるといえる理由」であると述べています。
 第6章「日本が生んだ世界のラーメン」では、10年間、4時間睡眠で開発を続けて「チキンラーメン」を生み出した安藤百福が、ラーメンの開発目標として、
(1)おいしいこと。
(2)保存性
(3)便利性
(4)経済性
(5)安全性
の5つの条件を掲げていたことを紹介しています。
 また、インスタントラーメンが世界に浸透した理由として、
(1)カップにフォークであれば、箸を使わない文化圏の人々にも可能性があること。
(2)カップが商品の包装材になり、調理器具になり、食器になるという着想。
の2点を挙げています。
 第7章「こだわりの味・くせになる味」では、ご当地ラーメンに共通する特徴として、「創作意欲旺盛な料理人が数多く登場して、ココロを込めて創作し続けている姿が見られる」ことを揚げています。
 また、ラーメン通が行く店の10箇条として、
(1)めんを茹でる釜が大きい
(2)茹で上がった面は、掬い網を使っている
(3)丼は小さめである
(4)近くにラーメン激戦地がある
(5)店構えは、あまり広くなく、せいぜい15席ぐらい
(6)メニューは単純明快で少ない
(7)個性派の研究熱心な主人がいる
(8)とくに、チャーシューに拘りがある。
(9)仕込み分が売切れたら、閉店してしまう
(10)家族だけ、または、アルバイトの少人数で切り盛りしている。
の10点を挙げています。
 本書は、ラーメンマニアだけでなく、たまに食べるくらいのラーメン好きにもお奨めできる一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本中にラーメンマニアはたくさんいますが、長い時間をかけて複雑な経緯で誕生したラーメンだからこそ、追いきれないほどの多様なラーメンがあることがわかります。
 そう言えばアキバでは「変身ラーメン」が人気だそうです。


■ どんな人にオススメ?

・ラーメンの奥深さに触れたい人。


■ 関連しそうな本

 岡田 哲 『とんかつの誕生―明治洋食事始め』
 小菅 桂子 『カレーライスの誕生』
 岡田 哲 『コムギ粉料理探究事典』
 岡田 哲 『たべもの起源事典』
 岡田 哲 『日本の味探究事典』
 岡田 哲 『食文化入門―百問百答』


■ 百夜百音

クリームの素晴らしき世界【クリームの素晴らしき世界】 クリーム オリジナル盤発売: 1968

 2005年の再結成時の映像は、さすがにおじいちゃんで少し可愛そうになります。ちょっと年寄り向きの曲ではないですね。

『The Very Best of Cream』The Very Best of Cream

2007年11月22日 (木)

「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方

■ 書籍情報

「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方   【「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方】(#1036)

  駒崎弘樹
  価格: ¥1470 (税込)
  英治出版(2007/11/6)

 本書は、「病児保育」という社会問題を解決する事業型NPO「フローレンス」を経営する社会起業家(ニューズウィーク日本版の『世界を変える社会起業家100人」の1人)である著者が、「食えない」業界だった病児保育の世界にイノベーションを起こし、自分達の街を、そして、「社会を変える」ことを仕事にすることができる時代を切り拓いていく過程を語ったストーリーです。
 第1章「学生でITベンチャー社長になっちゃった」では、学生ITベンチャーの社長をしながらも、「自分は何がしたいのか」に悩んだ著者が、高校受験、アメリカの田舎への留学、異国から見た日本、と回想を重ねる中で、「日本社会の役に立ちたい」という言葉に出会った瞬間を、
「ノートにその言葉が記されたとき、僕は誰もいないにもかかわらず周りをきょろきょろ見回した。まるで自分が書いた字ではないような気がした。すぐに斜線を引いて黒く塗りつぶしたが、また同じ言葉をその下に書いてみた。
 日本社会の役に立ちたい。」
「もう一度自分の書いた言葉を見た。迷いなくそこに寝そべっている言葉を、僕は汗をかいて狼狽しながら、にらみつけた。」
と語っています。実は、ここが本書の一番の山場です。
 第2章「『社会を変える仕事』との出会い」では、ボランティア団体と同じようなものと思っていたNPOが、アメリカでは、ビジネス界からの人材やノウハウの流入によって、「事業によって社会問題を解決する」方向にシフトしていること、そして、事業によって社会問題を解決する「社会起業家」という言葉に出会った驚きを、
「これならば、2年の間会社経営に身を費やしてきた僕にもできる、いや僕だからこそできる『日本社会の役に立つ』方法ではないだろうか」
と語っています。
 そして、ベビーシッターをしている母親から、子どもの看病で会社を休んだためにクライアントが会社をクビになってしまった話を聞いたことを思い出し、親が子どもの看病をするという「当たり前のことをして職を失う社会」という「社会問題」に気づきます。また、著者自身が、子ども時代に同じ団地の「松永さん」に預かってもらっていたことを思い出し、今の下町を見て、「松永さんは、もういないんだ」という言葉を口に出すことで、「俺がやってやるさ」と、この問題を「社会問題、という抽象的な言葉ではなく、血の通って、手のすぐ届くところにいる気に食わない野郎のよう」に見据えています。
 第3章「いざ、『社会起業家』!」では、「子どもが病気になったときの預け先がない」という問題には、「病児保育問題」という名前がついていたこと、凄腕の社会起業家だったナイチンゲールのファーストネームにあやかって「フローレンス」という組織名を決めたこと、助成金をめぐって魑魅魍魎あふれるNPO業界の暗部を目にしたこと、商店街のおじさんから衆議院議員、公務員までさまざまな人種とさまざまな言語を交わしたことを語っています。
 そして、「ニーズあるところにマーケットありき」というビジネスの原則にもかかわらず、病児保育の施設は僅かしかなく、その原因が、事業者に赤字を強いる行政の補助金の仕組みにあり、「全国の9割の病児保育施設が赤字」という状況にあることを知り、「経済的に成り立つモデル」を模索し始めます。
 第4章「大いなる挫折」では、「商店街の空き店舗を使って病児保育事業をする」というアイデアの実現のため、商店街の世界の顔役に気に入られ、行政を説得し、物件を見つけ、小児科医のバックアップを取り付けた著者が、頼みの綱にしていた中小企業庁の補助金を、「NPOが嫌い」だという区長のストップをかけられ、事業の頓挫を余儀なくされます。そこに、企業からは助成金を返せと言われ、プライベートでは失恋するという追い討ちをかけられ、「心が折れた」状態に陥ってしまいます。
 著者は、活動を支援してくれた、「仙人」というあだ名を持つETIC.の宮城代表に「もうやめます」と告白に行きますが、仙人からの、
「君さ、本当は何がしたかったんだっけ?」
「病児保育の問題解決のために、新しい『病児保育の施設』が必要なのだね?」
という問いかけに答えているうちに、
「施設をつくることだけが病児保育問題を解決する手段ではない」
と気づき、また走り出します。
 第5章「世の中のどこにもないサービスを始める」では、病児保育の問題は、「『預かる場所』が少ないということ」だとノートに書き付けた著者が、自宅で預かってくれる「松永のおばちゃんを、大量生産すればいいんじゃないか?」というアイデアにたどり着きます。著者は、「松永のおばちゃんは医療のプロではない」が、「医師と提携して、預かっているときにアドバイスをもらえる体制を構築すればいい!」という「脱施設モデル」を発展させ、定額制が当たり前になっているインターネットの世界をヒントに、「保険共済型課金システム」を採用することで、財務モデルを成立させています。
 さらに、世論形成とネットワーキングのために、「子育てにイノベーションを」と題したシンポジウムを開催したことをきっかけに、同じ問題意識を持つ、マーケティング・コンサルタントや弁護士などのプロフェッショナルが、フローレンスの活動に「プロボラ」(プロフェッショナル・ボランティア)として参加してくれるようになります。
 また、「こどもレスキュー隊員」となってもらう、「子育てのベテランで、病気の子供でも預かろう、っていう気合の入った人」を探すうちに、「最も頼みたくない人物」である(勘当されている)自分の母親に頭を下げ、「地域に埋もれた、志を持つ、子育て経験者という宝」を捜し求めています。
 第6章「『地域を変える』が『社会を変える』では、2005年4月のサービスインに向け、説明会を重ねた他、大手メディアでフローレンスの取組みが紹介された裏には、フローレンスの広報アドバイザー的な役割を果たしてくれるマスコミの記者から、「ソーシャルベンチャーの唯一の武器は、明確な社会性」であり、「言葉が認識を生んで、認識がアクションを生むの。アクションが変化を生む」とハッパをかけられ、プレスリリースのイロハを叩き込まれた成果であることが語られています。
 また、弁護士や大手企業の人事のプロ、行政マンがプロボラとしてバックアップしてくれたほか、学生インターンたちが銀行の内定等を蹴ってフローレンスへの就職を希望したことについて、「世の中は変わり始めている、確実に。」と語っています。
 そして、フローレンスのオフィスのある「Z区」の区役所の係長から、「はっきり言って、迷惑なんですよね」と厭味を言われたことを、「無関心な国民が生み出した無数のばかげた状況の、単なる一個の象徴だ」、「敵は彼のような象徴ではなく、いままさに日本がかかっている『無関心のくせに依存する』病気。日本人の精神性そのものではないだろうか」と語っています。
 また、厚生労働省の官僚が、1回のインタビューと研修マニュアルを元に、フローレンスのシステムをパクって自分たちの政策にしてしまったときには、激怒していろいろな人に愚痴っていますが、介護業界のパイオニアである「NPO法人ケア・センターやわらぎ」の石川治江氏から、
「国にパクられて一人前」
「あんたがしたいことって、何さ?」
「病児保育問題を解決するんだったら、国にパクられたほうがいいじゃないか。そのほうが全国で取組みが始まるんだもの」
とたしなめられ、己の器の小ささを恥じています。
 ところが、国のモデルは、ノウハウもなく、補助金が切れたら自立できない仕組みになっていたため、全国の事業者からのSOSや視察が来るようになり、「病児保育を始めようという全国の事業者をサポートする仕組みづくり」に取り組み、「参入する事業者が増え、育ち、活躍することによって、つまり市場が創出されることによって、『点』としての問題解決にとどまらず『面』としての問題解決が可能になるのではないか」と考え、「病児保育を『当たり前の社会インフラ』として日本に根づかせることができる」と述べています。
 著者は、社会起業家が行なうソーシャルビジネスを、「氷砕船」にたとえ、「クリエイティブな解決方法をあらゆる方法でプロモーションし、政策化をあと押しする」として、「氷砕船」が作った新航路を、「タンカーや豪華客船である国や自治体や参入企業は、その後ろを通っていって、規模の大きな仕事をすればいい」と語っています。
 そして、「政治家や官僚だけが世の中を変えるのではない」、ソーシャルベンチャーやプロボラのような「『気づいた個人』が事業を立ち上げ、社会問題を解決できる時代になっているのだ」、「『社会を変える』を仕事にできる時代を、僕たちは迎えている」と語っています。
 本書は、「社会を変えたい」と悶々としている人に、一歩踏み出す勇気を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者の駒崎さんや、本書に登場する「仙人」こと宮城さんとは、一昨年にアメリカから社会起業家をサポートするアショカ財団とREDFを呼んだ研究会でご一緒させていただきました。そのため、フローレンスの事業展開はNEC社会起業塾やマスコミなどでチェックさせていただいていましたが、本書で一番面白いと思ったのは、ITベンチャーの学生社長をしていた著者が温泉宿にこもって、「自分は何がやりたいのか」を自問する第1章です。駒崎さんの若さと目標の高さとがまぶしいほど輝いています。


■ どんな人にオススメ?

・社会の役に立ちたいと思っている人。


■ 関連しそうな本

 デービッド・ボーンスタイン (著), 井上英之 (監修), 有賀 裕子 (翻訳) 『世界を変える人たち―社会起業家たちの勇気とアイデアの力』 2007年08月28日
 渡邊 奈々 『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』 2005年08月11日
 町田 洋次 『社会起業家―「よい社会」をつくる人たち』 2005年02月16日
 斎藤 槙 『社会起業家―社会責任ビジネスの新しい潮流』 2005年06月01日
 谷本 寛治, 田尾 雅夫 (編著) 『NPOと事業』 2005年01月28日
 シルヴァン・ダルニル, マチュー・ルルー (著), 永田 千奈 (翻訳) 『未来を変える80人 僕らが出会った社会起業家』 2007年03月28日


■ 百夜百マンガ

ストッパー毒島【ストッパー毒島 】

 作者の野球に対する思いがつまった作品です。パ・リーグ的雰囲気が好きな人にはお奨めです。

2007年11月21日 (水)

地域再生まちづくりの知恵―古都・鎌倉からの発信

■ 書籍情報

地域再生まちづくりの知恵―古都・鎌倉からの発信   【地域再生まちづくりの知恵―古都・鎌倉からの発信】(#1035)

  福澤 健次
  価格: ¥756 (税込)
  平凡社(2007/03)

 本書は、「鎌倉市の都市マスタープラン策定に市民委員として参加」するなど、鎌倉のまちづくりに関わってきた著者が、「『市民によるまちづくり』の実践に役立つように、その体験と中心につづった」ものです。著者は、十数年、鎌倉のまちづくりに携わった景観から、「鎌倉と同じような規模の都市に住む人たちが、まちづくりに対して何を求めているか」が見えてきたとして、「多くの場合、住民たちは周りの自然と調和し、安全・快適に住むことのできる環境を求めており、そこに蓄えられたさまざまな記憶を大事に生活することを願っている」と述べ、こうした町空間の集合を「人間都市」と読んでいいのではないかと述べています。
 第1章「東京のまちづくりに求められるもの」では、「社会が成熟段階に達し、周りに起きる都市開発に市民が積極的に意見を出していくためには、市民の側にも町に関する理解が求められる」と述べ、「東京のまちづくりの実態や諸相の理解」が必要であると語っています。
 そして、「多様性」が巨大都市に必然的な性格であり、大きな魅力要素の一つであるとして、「東京は、新しい高層ビルブロックもあり、アジア的な低層高密度の町もあって、いろいろな人が住める多様な街区が混在しあっているところがよい。東京都市圏はそういう方向でできていったらよい」という考え方が「現実的で実現の可能性も高い」と述べています。
 また、建築家・東大教授の内藤廣氏が六本木ヒルズの自動回転ドア事故に関して「よそゆき超高層は不要」と題した論評を寄せ、書誌学者・林望氏が「身辺の『あたり前』に視線を注ぐ人が増えてくれるとよい」という見方を示していることについて、こうした「住生活を大切にしたまちづくり」を東京で実践するためには、「市民参加のまちづくり」がどうしても必要になる、と述べています。
 さらに、東京の都市空間、場を「時間」の違いから、
(1)業務時間を能率よく過ごせる場
(2)生活時間を心安らかに過ごせる場
(3)双方にサービスし、消費する時間を過ごす場
の3つにわけ、「それぞれの場の中に時間の売り買い、生産と消費、生活が入り混じりあい、三つの場の違いを簡単に定義しつくすことは難しい。それぞれの場を形づくり、動かし、利用する人々の価値観のあり方や行動様態をさらに研究していく必要がある」と述べています。
 第2章「地方都市の未来を拓くには」では、「自治体の自己決定領域の拡大とともに、自己責任も問われる本格的な分権の時代を迎えた」と述べ、多くの自治体で、独自のまちづくりの実現のために、自治体憲法といわれる「自治基本条例」を制定する動きが出てきていると解説しています。
 そして、地方都市の衰退に関する根本的な問題として、「少子高齢化・人口減少という全国的な社会変化や、産業構造の変化による地方経済の地盤沈下」を揚げ、「主要産業が構造不況に陥っている地方中心都市では、今後さらなる人口減少が予想される」と指摘しています。
 また、大分県湯布院町の取り組みを取り上げ、「地域に住む人々が生き生きと生活できることを考え、それを第一に考えていくことによって地域の活性化と再生が可能になる」と述べています。
 さらに、1999年にOECDの都市問題専門家が日本を訪問して視察した際に、「自然環境の尊重」や「歩行に重点を置く中心市街地のまちづくり」などの具体的なアドバイスを残し、さらに、OECD理事会が2000年末に、日本の都市政策に対する包括的な政策勧告として、「グローバリゼーション、経済構造の変化、高齢社会への移行、生活の質の向上への要求の高まりが日本の都市に影響を与えている」「日本における経済活動と社会活動における都市の重要性は明らかである」として、8項目にわたる勧告を行なったことを紹介しています。そして、その中に「サスティナブル・シティ」という言葉があることについて、「環境と人の営みが持続・継続していける都市」という意味であると解説しています。
 また、アメリカで最もすぐれた都市再生の成功例と評価されているジョージア州サヴァナ市の例を挙げ、運動家たちが、「まず買い取って保存し、売る」という方式でダウンタウンを救い、「広い範囲の都市再生を導いた」と評価しています。
 著者は、美しい景観を作り出すためには、「その町に求められる性格、地域固有の文化をよく見定め、住民・行政・専門家が知恵を出し合い、周到に計画を組み立て、実施しなければならない」と述べています。
 第3章「古都をいかに保存するか」では、現在の鎌倉を、「程よい規模で、住民も訪問客も自然に包まれながら行動し、古都の歴史や文化が楽しめる町となっている」と評し、この状態になるまでには、源氏三代の時代からの「長い歴史的経過」があり、「多くの骨格的な道路や町割り、社寺地など」が、鎌倉が「政治における枢要な都市であった時代」に作られ、その後、鎌倉が衰退し、人口が減ってからも、武家政権発祥の地・源氏の故地として、時の政権から大切にされ、「六百年にわたって、社寺のみがかろうじて維持され、小さい村が散在していた時期は、ある意味で古都の山河が大事に守られてきた期間と見ることができる」と述べています。
 また、昭和8年開校の歴史的建造物である御成小学校の改築問題の経緯を取り上げ、「永続性―仮設性、文化―文明という二つの評価軸から見ると面白い」として、「昔からの木造校舎の尊属や記憶を大切に考え、保存を主張する考え方は文化や永続性の側に立ち、一方、現代の教育環境に合う校舎機能を重視し、新築鉄筋化がふさわしいとする考え方は文明や機能主義の側に立つもの」であると述べ、「人々の暮らす町の空間が日々新しくなることが望まれる一方、歴史やアイデンティティ、記憶の継承や保存に対する要望も強いものがあり、建築や都市の問題解決にあたっては、ときに対立的に見えるそれらの要求をできる限り両立しながら解決していかなければならない」が、「それが実現したときに、個性的で魅力的な空間が生まれる」と述べています。
 第4章「市民参加のまちづくり」では、「都市のあるべき将来像を明確にし、市民、事業者、行政の共通の目標にしようとするもの」である都市マスタープランについて、1996年春に発足した「鎌倉市都市マスタープラン策定委員会」に副委員長として参加した経験を語っています。著者は、「地方分権が一層進み市の役割も増加し、都市計画の提案制度や景観法なども出てきた」として、「都市マスタープランなどの市の計画の果す役割や可能性はさらに増してくる」と述べています。
 また、鎌倉について、「歴史的に社寺などに関わる技術や生活文化が残り、明治以後は先進国文化を導入し、進取の精神のある鎌倉は、日本の『文化による創造都市』を目指す下地は十分ある」と述べ、鎌倉に望まれているのは、「まちづくりを総合的・体系的に明確なものとし、その実現を確実に進めていく体制をしっかりつくることである」と述べています。
 「おわりに」で著者は、「開発」と「保全」というまちづくりの両面に関して、「時代状況を見る素養や大局観、信念である」と述べています。
 本書は、まちづくりの当事者が、実体験を通じた実践的まちづくりを論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の帯には、「魅力的な町によみがえらせるには何が必要か?」「鎌倉のまちづくりの第一線に立つ建築家が説く都市再生の技術」と書かれていますが、内容的にはノウハウ本的なものではなく、「建築家の目から見たまちづくりとは」という感じのものであり、直ちに「技術」として役立つという性質のものではないような気がします。もちろん、営業上の戦略なのでしょうが、むしろ、まちづくりに関わる人が語った「まちづくり論」として素直に読むにはいい一冊ではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・当事者の目から見た「まちづくり」に触れてみたい人。


■ 関連しそうな本

 埼玉新聞社 (編集) 『生き生きまちづくり 埼玉県志木市の挑戦』 2005年04月17日
 田村 明 『都市ヨコハマをつくる―実践的まちづくり手法』 2005年07月27日
 田村 明 『まちづくりの実践』 2005年7月29日
 木佐 茂男, 逢坂 誠二 (編集) 『わたしたちのまちの憲法―ニセコ町の挑戦』 2005年03月25日
 逢坂誠二 『町長室日記―逢坂誠二の眼』 2005年05月27日
 浅野 史郎, 北川 正恭, 橋本 大二郎 『知事が日本を変える』 2005年04月02日


■ 百夜百マンガ

ぽちょむきん【ぽちょむきん 】

 「戦艦」が出てくるはずではない作品ですが、「戦隊」は出てきたりします。あたり前だと思っていた戦隊モノのスキームが揺らぐ心地よさを体験できます。

2007年11月20日 (火)

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する

■ 書籍情報

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する   【グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する】(#1034)

  佐々木 俊尚
  価格: ¥798 (税込)
  文藝春秋(2006/04)

 本書は、「検索エンジンを軸にして新たなインターネットのパワーを生み出し、そのパワーをテコにしてありとあらゆる業界へと進出を図ろうとしている巨大企業」である「グーグル」が、なぜそれほどのパワーを持ち、どのような影響を社会に与えようとしているのかを描いたものです。
 第1章「世界を震撼させた『破壊戦略』」では、「グーグルはこの数年、ありとあらゆる局面で『破壊戦略』をスタートさせている」として、「グーグルニュース」や、オフィスソフト、「Gメール」、「グーグルマップ」、無料の無線インターネット接続サービス構想である「グーグルネット」などを解説しています。そして、グーグルニュースに関しては、辺境のマイナー新聞がグーグルニュースに載ることで多くの読者を得ることができるようになった例を挙げ、「『情報のハブ(中心地)』が轟々と音を立て、別の場所へと軸を移していく」と述べ、これまで情報のハブを握っていたのは、一部の大手マスコミであり、「マスコミの側は自由に情報を動かし、自在にマスコミが作り上げる空間を演出していた」が、グーグルニュースの登場によって、「今後そのハブを握るのはグーグルとなる。グーグルの計算式(アルゴリズム)が情報のハブとなり、情報の空間を支配する司祭となっていくのである」と解説しています。
 第2章「小さな駐車場の『サーチエコノミー』」では、羽田空港近くで小さな駐車場を経営している「山崎夫妻」を取り上げ、羽田空港利用客から預かった車を1時間以上もかかる神奈川県内の駐車場や大田市場の無料駐車場に停めてしまうような「魑魅魍魎の世界」である羽田民間駐車場業界に参入した山崎夫妻が、他の業者が行なっているような巨額なマージンがかかる旅行代理店に頼らず、ビジネスを展開するために、「キーワード広告」を利用したことを解説しています。
 また、インターネットの古典的な広告であるバナー広告が、「クリックできる」ことに最大の特徴を持ち、広告代理店は、「テレビや雑誌の広告と違って、クリック回数を計れば広告効果がどの程度あるのかがすべて計算できる」とPRしたことについて、これは「パンドラの箱」を開けてしまった、と述べ、「それまでのテレビや雑誌の広告は『本当に効果があるのかどうかわからないけれど、ものすごく多くの人が見ているし、おそらく効果はあるのだろう』という漠然とした広告主の期待感から成り立っていた」が、この「期待感」に対しては、「本当は広告効果なんかないんじゃないか」という指摘が少なくなく、「インターネットの広告は、そうした砂上の楼閣に対するアンチテーゼとして登場したといってもいいかもしれない」と指摘しています。
 さらに、グーグルの検索エンジンの革新性について、
(1)「クラスタリング(結合)」というコンピュータ・テクノロジーを採用し、普通の安価なパソコンを数千台つないで、爆発的に増加するホームページをデータベース化することに成功した。
(2)「人気のあるホームページからリンクが張られているページはよいホームページ」という考え方に基づいた「ページランクテクノロジー」の開発。
の2点を挙げています。
 第3章「一本の針を探す『キーワード広告』」では、山崎夫妻の駐車場の広告のターゲットが、「関東一円に散らばっていて、しかも格安チケットを持っていて、そして羽田空港に自家用車で行こうと思っている人」という特殊なターゲットに広告を届けることが、これまでのマスメディア広告や折り込み広告などでは不可能であったのに対し、キーワード広告はそれを可能にし、「日本全国に(世界中に)散らばる特定の人たちに広告を届けることができるモデル」であると解説しています。
 山崎夫妻は、「羽田 駐車場」「羽田空港 駐車場」「羽田空港 民間駐車場」のようなキーワードで数万円からスタートし、「顧客にダイレクトに広告が投げ込まれる」ことによって、「きちんと顧客と向き合って、商売を続けていくことができる」納得のいくスタイルであり、「旅行代理店のおこぼれをもらうんじゃなくて、自分でキーワード広告を使って一生懸命顧客を開拓するようになって、考え方がすごく変わった」と語っていることを紹介しています。
 第4章「メッキ工場が見つけた『ロングテール』」では、古くからマーケティングの世界で使われてきた、「パレートの法則」「80:20の法則」が、「こと商品の販売に関しては当てはまらなくなりつつある」として、これまで死に筋だと思われた残りの20%の部分の商品が、「ものすごい勢いで売れるようになってきた」と述べ、その原因は、「インターネットが出現し、グーグルの高性能な検索エンジンがネット利用の中心になるにしたがって、消費者のニーズが劇的に変わってきたからである」と述べ、商品を売れる順に並べたグラフでは右側に長く広がる「長い尻尾」の形の部分の売れ行きが増える「ロングテール現象」が起きていると解説しています。そして、この現象によって、「それまで商売にならないと思われていたような顧客層――ある程度の数は存在するけれども、全国や全世界に転々と散らばってしまっているために、顧客にするのは難しかったような人たちにモノを買ってもらうことが可能になった」と解説し、「消費経済を根底からひっくり返してしまいかねない」ため、「サーチエコノミー(検索経済)」という大げさな用語が登場していると述べています。
 また、福井県の地場メッキ工場だった「三和メッキ」が、「『メッキ』という言葉で検索しても、三和メッキの名前が出てこない!」ことに気づき、キーワード広告やSEO対策に取り組んだ結果、全国の企業から仕事が舞い込むようになり、なかでも「東京にある企業の研究施設のメッキのニーズ」というニッチな市場を、秘密保持契約を結ぶことで押さえることに成功したことについて、「研究施設や工場などから小口のメッキを受注し、それらを次々にこなしていくというニーズは、新しいロングテールそのものだ」と述べています。
 第5章「最大の価値基準となる『アテンション』」では、「ロングテールを最大限に活用し、自社の収益につなげているのがグーグルという企業なのである」と述べた上で、グーグルは、収益構造を見る限り、「検索エンジン企業」と言うよりも、「巨大な広告代理店」になりつつあると述べています。そして、アドワーズとアドセンスという確固とした収益モデルの上に、「無線インターネット接続やオフィスソフト、案内広告(クラシファイド)などの新しいビジネスもどんどん無料で提供していくことができる」と述べています。
 また、「グーグルが実現しようとしている」ことは、グーグルニュースなどの「各種サービスの上でインターネットの個人ユーザーや企業などがありとあらゆる情報を交換し、売買し、金銭を流通させることのできる、巨大な場所(プラットホーム)を作り上げることである」と述べています。
 さらに、「アテンションがすべてを支配するアテンションエコノミーの世界」では、「囲い込み」という戦略はありえず、「人々がお互いのアテンションに基づいてさまざまなコンテンツや情報を流通させる際に、その流通を『仲介』することが、最高の戦略となる」と指摘しています。
 第6章「ネット社会に出現した『巨大な権力』」では、アメリカのビジネス誌『BUSINESS2.0』に掲載された「グーグルがメディアになる」という記事で、「グーグルがすべてを呑み込んでいくという将来像」がリアルに描かれ、この記事では、「グーグルが通信インフラになる」「グーグルが消滅する」などの可能性を論じた上で、「グーグルが神になる」という章で締めくくられていると紹介しています。
 そして、「グーグルの未来像は、新しいタイプの監視社会の幕開けとなるかもしれない」と述べ、かつて語られた「ビッグブラザー」という「国家主義的な監視システム」はいまや古いモデルであり、「現在進んでいる監視社会は『民』が主体になっている」と述べています。
 著者は、「世界のすみずみまで入り込み、すべてを見通している神の姿」を、「グーグルの未来の姿、そのものかもしれない」、「グーグルこそが、『神の遍在』なのである。それがわれわれにとって薔薇色の夢となるのか、それとも暗黒の悪夢となるのかは、まだ誰にもわからない」と述べています。
 本書は、普段便利に使っているグーグルの持つ意味を考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 グーグルにはいつもお世話になっていますが、最近の検索結果は、かなとカタカナと漢字の間に融通が出てきたような気がします。もちろん便利なのですが、昔の融通の効かない頑なさもそれはそれで便利だったので使い分けられるようにしてもらえると嬉しいです。


■ どんな人にオススメ?

・グーグルは検索エンジンだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 嶋田 淑之, 中村 元一 『Google―なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか』 2005年08月18日
 梅田 望夫 『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』
 ジョン・バッテル (著), 中谷 和男 (翻訳) 『ザ・サーチ グーグルが世界を変えた』 2006年06月20日
 アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日
 スティーヴン・ストロガッツ (著), 蔵本由紀, 長尾力 (翻訳) 『SYNC』 2006年04月10日
 ダンカン ワッツ (著), Duncan J. Watts (原著), 栗原 聡, 福田 健介, 佐藤 進也 (翻訳) 『スモールワールド―ネットワークの構造とダイナミクス』 2006年03月22日


■ 百夜百マンガ

一撃伝【一撃伝 】

 そんなに拳法ブームでもなかった時代から中国拳法を取り上げていたような気がします。

2007年11月19日 (月)

大森界隈職人往来

■ 書籍情報

大森界隈職人往来   【大森界隈職人往来】(#1033)

  小関 智弘
  価格: ¥1050 (税込)
  岩波書店(2002/08)

 本書は、大田区の町工場を30年間渡り歩いてきた旋盤工である著者が、工場とともに歩んできた町の変遷を描いたものです。著者は、「たまたまわたしは、町工場で旋盤工になった。朝鮮戦争のさなかのことだから、数えれば三十年前のことになって、その三十年をずっと、旋盤工であり続けている。一つの工場ではない。数えてみれば七つにも八つにもなる。ほんの腰掛けほどに立ち寄った工場を加えれば十指に余る」と語った上で、「三十年間もこうして小さな町工場で働いていると、機械油に汚れて黄色い澱のこびりついた工場の窓から町の息遣いを感じ取ることも少しはできる。三十年間も小さな工場の機会の前に立ち尽くしていると、鉄板入りの重い安全靴の裏からだって、その工場で暮らしを立てる人びとの思いが、体に滲み込んでくることはある」と語っています。
 第1章「人力車夫のストライキ」では、著者の「おふくろ」の口癖だったという、「損をした、災難だった、とんだめにあった、不運だった」という意味の「えんがみたよ」という言葉をキーワードに、大森に生まれ大森に暮らした「おふくろ」の半生を語っています。
 また、昭和4年に起こった、東急のバス路線の開通をめぐる大森駅西口の池上通りでの人力車夫のストライキを取り上げ、「人力車夫の『いい時代』は足早に遠のいてゆく」と語っています。
 第2章「町が工場になびくとき」では、著者が先輩職人たちから「いい時代」だったと聞かされた戦前・戦時中の大森の職人の生活と、戦災に洗われた大森の工場と暮らしを描いています。戦時下の軍需工場には、徴用された臨時工が送り込まれ、職人たちの「いい時代」とは、「工場労働者の中でも熟練工だった彼らが、大工や床屋や菓子屋のような職種の熟練職人がまるで役立たずのように扱われた時代に、彼らが宝物のように優遇されたということへの一種の郷愁のようなもの」であり、娼妓・芸者が「女子挺身隊」として工場に送り込まれたときには、「女に不自由したことはなかった」、「俺たちに睨まれるのをこわがって、やさしい言葉を書ければ、すぐについてきたもんだ」という時代だったことを語っています。
 また、魚屋を廃業した「親父」が、始めたばかりの帯鋸の目立修理工場が、空襲の焼夷弾で一夜で灰になり、その翌日には役所から赤紙が届けられたことを語っています。
 第3章「貝がら道を曳く」では、工業高校の「普通科」を出て小さな町工場で働き始めた著者の見習い時代が描かれています。「町工場の見習工には、大きな工場のように養成機関があったり指導者がいるわけではなかったから、機械に油を指すことで、機械の構造を覚える、それが町工場の教育だった」と語っています。
 また、著者が先輩の職人たちから、「お前は本当にいい日食ってるよなあ」(運がいい、いい時代に生まれたものだ)といわれ、「戦前に年季奉公をしたふたりには、戦後の民主主義の時代になって見習工をしているわたしが羨ましいという。ふたりとも、箸のあげおろしに怒鳴られて殴られて、仕事を覚えさせられた。工場の中だけではなく、寮に帰ってからの私生活のすみずみまでが、がんじがらめの徒弟制度で支配されていた時代を、ふたりは経験していた。雨が降って乾き足らぬ先輩の作業服を、自分の体温で乾かしたり、雪の夜道を酒やタバコを買いに走らされたりした」と語っています。
 第4章「わたしの1丁目1番地」では、著者が渡り歩いた中で、「もっとも町工場らしい工場」だった「昭和国産株式会社」での修行時代を語っています。著者は、この工場を、「その過程のどこかにきっと自分の作った金型や字具や部品や、時としては工夫や労力や汗が関わっていることを、その目で確かめられる工場。仕事が流れるに連れて、人も流れ動いている工場。その流れがいつも目の前にあって、まだ工場生活の浅い見習工の私にも手にとってわかるような工場。そういうものとして、町工場があった」と語っています。
 そして、「旋盤工の修行の第一歩は、一日中立ちつくすことのできるように足腰を鍛えることからはじまるもの」だと先輩から聞かされ、「体を鍛える修行をしなくとも、結果として、体は鍛えられた。それに応じられぬものは、その時点で工場から脱落した」と語っています。
 また、「その工場で仕事を覚えてやがては独立したいという願いを持っている労働者もいた」が、「自立したといっても、自分の家に機械を据えた小さな仕事場を持つだけの独立」であり、「足りない工具があると借りにきた。時には仕事を分けてもらうこともあった。顔馴染みという気さくな関係が続いていた。その労働者がいなくなってその工場に勤めてはいなくても、彼の仕事場はすぐ近くの町の中にあって、仕事のベルトはつながっていた」と語っています。
 さらに、直結旋盤と超硬バイトの登場によって、「旋盤工は自分の刃物を自分で造ることをしなく」なり、分業が進み、機械も「あてがいぶち」になったため、「儲かりさえすれば、旋盤工の腕が半ちくになろうと、半端職人で終わろうと、工場としては構わなくなった。戦後の工場の歴史は、仕事の上では半ちくを生み出した歴史だった」と語っています。
 第5章「無法地帯」では、著者の3つ目の工場である「京浜建設工業」時代を描いています。ここでは、「連合請負制」という賃金形態をとり、「ふつうの町工場の二倍ほどの金が稼げる」という話だったが、現実には、「彼らがいくら汗を流して働いてみても、請負賃金がある水準に到達すると、工賃が引き下げられた」ため、「出来高だけがうなぎのぼりに伸びるのに、賃金は鋸歯型の屋根のように波打つだけだった」と語っています。そして、組合を作り、ストライキ、ロックアウトという「お定まりの過程」の中で、著者の「馘」が取引材料になったことを語っています。著者は、この事件がネックになり、再就職で苦労しています。
 また、「腕さえよければ、仕事さえできれば、履歴がなんだろうと構わない」「東一製作所」では、「請負制度でこそなかったが、残業も臨出も無制限の時給制賃金」であり、「いちおうの建前として、毎晩は八時まで残業、休日は第一、第三日曜の月2回、祭日はなかった。有給休暇もなかった。残業手当は15%、休日出勤が30%という労働基準法以下の"約束"に甘んじさえすれば、手取りの額だけは東京計器の給料を上回る計算だった」と語っています。
 著者は、「町工場を渡り歩く職人」を、呑川に浮いたゴミに仮託して、「どこかの杭に引っかかっては新しい技能を身につけ、工場世界についての見聞を広めて、また杭を離れた」、「上流から流されてくるゴミが、その辺りでは素直には海に届かなかった。というのも海が近くて、潮が満ちるたびに川は逆流して、ゴミは何時間も辺りを漂っていたし、林立する舫杭に引っかかったり、水ぶくれて沈む」、「潮が退きはじめると、呑川に浮いていたゴミもせっせと海に向かって走り出すように、彼らもまた、一時の話題をその小さな工場に残して、消えていった。"重油のよどみ"のように流れ残る男たちの顔ぶれだけは変わらなかった」などのように表現しています。
 第6章「町と工場の折り合い」では、住宅地化が進み、町工場との折り合いが悪くなっていくさまを、着色された切削油を使うと、廃液として川に捨てたときに住民からの指摘で騒ぎになるため、成分はそのままで透明にすれば「安心して捨てられる」というエピソードを、「高度成長期の歪み」だと語っています。
 第7章「町工場の釜のめし」では、著者が背広を仕立てた際に、「失礼ですが、旋盤工をしておられますか」と尋ねられ、旋盤工は左肩が下がり、ガニマタになると語っています。
 また、「京浜間」と呼ばれた地域の町工場の連合体が、普通に注文すればひと月はかかるような特殊鋼の注文を、「まるで背中に火がついたように急き立てられて、3日や4日で自信を持ってやってのける工場はそうざらにはない」、「それができるのは京浜間しかないと、迷わず京浜間に持ってくるところに、目には見えない仕事の道がついてきた」と語っています。
 さらに、騒音問題で工業団地に移転した町工場の社長の話として、「ほんらい町工場というのは、仕事に対する機敏な対応力を持つことをその特性としてきた。ときとして労働者のアナン認可が残業をしたり徹夜をしたりしても注文に応じるというようなことが、この団地ではまず不可能になった」、労働者が自由に通えないのでいざというときに早退や遅刻ができず、主婦が来てくれない、「隣がメッキ屋で、その隣がネジ屋で、向こうが酸素屋で、材料屋があって工具屋があって、食堂があって、アパートができた。それが共存共栄で町を作っていった。お互いの工場が仕事を分け合い、奪い合った。奪い合うことで、技術を高めた。その連帯と刺激が、この京浜工業地帯の町工場を育て、伝統をつちかったのだ」という言葉を紹介しています。
 著者は、町工場に数値コントロールの「NC旋盤」や「マシニング・センタ」が入ってきたときに、抵抗する職人も多いなか、早い時期にNC機を覚えていったことを、「もしかするとわたしは、青バスに負われた人力車夫のことを、無意識のうちに自覚していたのかもしれない」、「もしかするとわたしは、一パイ十円のイカは、サシミにして皿に盛り付け山葵やツマをつけても十円で売った親父のことを、心のどこかで怖れていたのかも知れない」と語っています。
 本書は、日本のものづくりを支え続けた「町工場」の姿を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 自分の実家も町工場だったので、旋盤とかフライス盤とか小さい頃から当たり前のようにありましたが、さすがに中学生には荒削りしかさせてもらえませんでした。高校1年のときに、工場でバイトしたときには、「フライス盤できる」と言って工員さんに笑われました。


■ どんな人にオススメ?

・旋盤とフライス盤の違いがわからない人。


■ 関連しそうな本

 小関 智弘 『春は鉄までが匂った』
 小関 智弘 『町工場・スーパーなものづくり』
 小関 智弘 『鉄を削る―町工場の技術』
 小関 智弘 『仕事が人をつくる』
 小関 智弘 『ものづくりに生きる』
 小関 智弘 『職人学』


■ 百夜百マンガ

ダニ【ダニ 】

 どんな作品でも主人公のキャラクターはだいたい同じ、というのは強みでもあります。問題は、雑誌で見かけたときに何の作品が載っているのかがわからないことでしょうか。

2007年11月18日 (日)

江戸のファーストフード―町人の食卓、将軍の食卓

■ 書籍情報

江戸のファーストフード―町人の食卓、将軍の食卓   【江戸のファーストフード―町人の食卓、将軍の食卓】(#1032)

  大久保 洋子
  価格: ¥1680 (税込)
  講談社(1998/01)

 本書は、「てんぷら」「にぎりずし」「そば」「鰻の蒲焼」など、屋台で売られた江戸庶民のファーストフードについて解説したものです。
 第1章「江戸のファーストフードのにぎわい」では、江戸庶民の味「ファーストフード」が、「せっかちで粋な江戸下町の町人が、自分たちの中から工夫して生み出した食べ物」であると述べています。
 「てんぷら」については、現在でも火事の原因の第1位である天ぷら油が、江戸でも火事の原因となるのを恐れて、家の中での営業を禁止されていたことを解説しています。
 また、「すし」については、そのルーツは東南アジア起源と言われる「なれずし」であり、江戸時代前半は、室町以来の「生なれずし」であったが、「それまで早くても2~3日かけていた押しずし」を、飯に酢を混ぜてしまう「はやずし」が考案され、さらに、「箱に詰めて押す時間も待っておられず、さらにはやく」ということで、1820年前後に、「酢で調味した飯に、味付けした江戸前の魚をのせてにぎる」、「にぎりずし」が誕生したことを解説しています。
 「そば」については、「醤油やかつお節の発達により、汁物としての食べ物の中で特に人気を呼び、店構えから立ち売りまで、さまざまな形で江戸の人々に育まれていった」と解説しています。
 「鰻の蒲焼」については、「江戸前」といえば蒲焼のことでもあり、「各地でとれる鰻のなかでも、江戸湾のものは最高であると自慢したものである」と述べています。
 第2章「江戸の味の誕生」では、江戸中期以降、江戸の人口は100万人の大台に乗り、ロンドンの70万人をしのぐ世界の大都市であり、大名や武士の住居地が60~70%を占め、寺社地が15%で、50余万人の町人は残りの20%前後の土地に住んでいたと述べています。
 そして、江戸には公共的な明地として「会所地、河岸端、広小路、火除地」などがあり、「人々は目ざとく葦簾などで囲いを作って簡単な商売を始め、そこに人が集まってすなわち盛り場となっていた」と述べています。
 また、江戸の代表的な庶民が口にできる食べ物として、
・てんぷら
・二八そば
・にぎりずし
・鰻の蒲焼
・柳川鍋
・ようかん
・初鰹
・奈良茶飯
・佃煮
・浅草のり
の10点を挙げています。
 さらに、当時「大川」といわれていた隅田川が、「白魚がとれたというからきわめて水質のよい川であったことがわかる」と述べ、「日本の大密集地を流れる隅田川がきれいであった理由は、排泄物をリサイクルしていたからにほかならない」と解説し、長屋の共同トイレの糞尿は大家のものとされ、それを農家に売った代金は、「大家が長屋の持主からもらう給金より多いくらい」であり、「大家は正月になると、その糞尿代金の一部でモチをつき、店子に配った」ことを紹介しています。
 第3章「将軍の食卓、町人の食卓」では、将軍の厨房では扱えない食品が決まっていて、「町人などに比べてしきたりや禁忌が厳しく、食膳に上がらないものも多かった」反面、「全国の大名から特産物を送られ、長崎出島に許可された外国人とも交流があった関係で、海外事情にも通じ、珍しい食品を見たり、食したりするチャンスもあった」と述べています。そして、てんぷら、油揚げ、納豆は禁止であったが、兎は「一羽」と数えるため鳥類に入っていて食べてよい食材であったことを解説しています。
 一般の武士の食事についても、「武士階級は江戸時代には諸礼式などのしきたりに束縛されていたため、時代をどんどん先取りしていくようなたくましい庶民からは取り残され、格式ばかりを重んじていた面があった」と述べています。
 第4章「江戸グルメブーム」では、宝暦や明和の頃に高給な料理茶屋が繁盛し、金持ちの商人等が豪遊したため、「この頃から、随筆や評判記などを通じて、『通』とか『粋』などという言葉が料理の分野に持ち込まれた」と述べています。
 また、初鰹への熱狂について、文久9年3月25日17本の初鰹に、「1本2両1分から3両という値がついた」ことを紹介し、「うち6本は将軍家へ、8本は魚屋が仕入れ、3本を料理屋として名を馳せた八百善が買った。そして魚屋から1本を役者の中村歌右衛門が3両(現在の10万円ほど)で買った」と述べています。
 第5章「究極の料理屋、八百善」では、1657年の明暦の大火の復興の中で、もともと、「奈良地方の茶粥」を指す「奈良茶飯屋」ができ、「飯と汁と菜がセットになった食事の外食店の始まり」であると述べています。
 第6章「日本料理の完成」では、日本の料理様式が、
(1)上流社会の貴族や大名の食事様式で、奈良町の時代からの伝統をもとに鎌倉時代の式正料理の流れを組んで本膳料理へとつながっていったもの。
(2)茶道を中心に発達してきた、懐石料理と酒宴料理の会席料理。
(3)精進料理、普茶料理。
の3つの流れとなって成長したことを解説しています。
 また、卓袱料理屋南蛮料理の例を挙げ、江戸が、「京坂や長崎などいくつかの大都市が独自に発展させた料理の情報も、参勤交代などで交流が頻繁だったことにより、確実に収集される仕組みになっていた」と解説しています。
 著者は、「エピローグ」で、「本書で扱った江戸でのさまざまな現象は、第二次大戦後の復興とバブル期を通過した今日の日本に多くの共通項があるような気がする」と語っています。
 本書は、現在では当たり前に食べている、天ぷらや蕎麦、寿司などの誕生にまつわる、江戸の町人のバイタリティを伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 今となっては、老舗の、天ぷら、寿司、蕎麦、鰻のお店は敷居がすっかり高くなっていますが、元々は気楽に食べられる屋台のお店だったと思えば気後れする必要もないのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・江戸時代の庶民の「食」を体験してみたい人。


■ 関連しそうな本

 大久保 洋子 『江戸っ子は何を食べていたか』
 武光 誠 『食の変遷から日本の歴史を読む方法―戦乱が食を変え、食文化が時代を動かした…』
 中江 克己 『お江戸の武士の意外な生活事情―衣食住から趣味・仕事まで』
 青木 直己 『幕末単身赴任 下級武士の食日記』
 原田 信男 『江戸の料理と食生活―ビジュアル日本生活史』
 中江 克己 『お江戸の意外な生活事情―衣食住から商売・教育・遊びまで』


■ 百夜百音

踊れる歌える山本リンダ【踊れる歌える山本リンダ】 山本リンダ オリジナル盤発売: 1991

 米米クラブがカバーしていた方が印象に残ってしまったりしていますが、当時としては画期的だったようです。

『ベスト』ベスト

2007年11月17日 (土)

天才の栄光と挫折―数学者列伝

■ 書籍情報

天才の栄光と挫折―数学者列伝   【天才の栄光と挫折―数学者列伝】(#1031)

  藤原 正彦
  価格: ¥1155 (税込)
  新潮社(2002/05)

 本書は、9人の数学者を生んだ、自然、歴史、民族、文化、風俗など「風土」から天才たちの人間像に迫り、「天才の峰が高ければ高いほど、谷底も深い」、「栄光が輝かしくあればあるほど、底知れぬ孤独や挫折や失意にみまわれている」ことを語っているものです。
 第1章「神の声を求めた人 アイザック・ニュートン」では、1665年の夏、ペストの流行によってケンブリッジ大学が閉鎖されたため、仕方なく故郷のウールズソープ村に1年半あまり戻ったニュートンが、この間に、微積分法、万有引力の法則、光と色に関する理論という「三つの大理論の端緒を発見」したことを紹介し、このことをケインズが、「純粋志向に関してかつて人間に与えられた、最強の集中力と持続力」と評していると述べています。
 また、「創造の人」であったニュートンが、ハレーの助けによって「独立した三分野、微積分学、力学、天文学のそれぞれにおける諸成果を、完全無欠な有機体として統一」した『プリンキピア』を出版した44歳で燃え尽きてしまい、後半生は「栄光の人」として生きたことをの兵衛治増す。
 著者は、ニュートンにとって宇宙は、「尖塔を通さず直接に神の声を聞ける場」であり、「神が自ら造った宇宙だから、神の声がその仕組みの中に、美しい調和として在るに違いない」という強烈な先入観を持ち、「宇宙が数学の言葉で書かれている」という信念を持つことができたのではないかと述べています。
 第2章「主君のため、己のため 関孝和」では、関の最重要業績を、「連立高次方程式の未知数消去から行列式(正確には終結識)を発見したこと」であり、「ライプニッツの行列式より内容的に高度で時期的にも早かった」と述べています。
 著者は、「ふと、孝和が薄幸の人に思えた」と述べ、「算聖と崇拝されたのは死後三十年も経ってから」で、在世中はライバルに破れ失意の二十数年を送り、主君綱豊が6代将軍家宣になる晴れ姿を見る半年前に亡くなり、家庭的にはさらに不幸だったと語っています。
 第3章「パリの混沌に燃ゆ エヴァリスト・ガロワ」では、数学に目覚めた少年ガロワが、「寝ても覚めても数学を考え続ける」ことになったため、教師たちは、「数学に対する狂気がこの少年をとりこにしている。学校では時間を浪費し、いたずらに教師を苦しめ、絶えず叱責を受けている」「独創的だが風変わりで議論好き」「我慢できぬほど独創的をよそおい、救いがたいほど自惚れている」と報告していることを紹介しています。
 そして、ガロワが、「父親の自殺、二度の入試失敗、二度の論文紛失、そして退学と重なる不幸を、不公正な社会制度のせい」と考え始め、「共和主義から過激主義へと一気に進んで行く」姿を、「天才とは常に単純である。思い込みが激しい。美と調和への強烈な感受性と希求心を抱いていた青年ガロワにとって、ありとあらゆる不条理のうごめくこのみにくい世界が、ついに憤激の対象となった」と述べています。
 第4章「アイルランドの情熱 ウィリアム・ハミルトン」では、若き日に相手の父親によって引き離された初恋の女性キャサリンを三十年間思い続けたハミルトンが、キャサリンの死の床を見舞い、「私の生涯をかけた仕事です」と言って『四元数講義』を捧げたことを紹介し、「会うことも手紙を書くこともままならぬまま、これほど長い年月、これほどの烈しさで人を想い続ける、というところにハミルトンの真骨頂がある」と述べ、「まさにこの強烈な情緒と執念をもって、彼は数学に立ち向かったのである」と評する一方、この「情緒と執念」が「最愛の人を失った傷を深いもの」にし、「晩年の彼はより一層アルコールへと傾斜していった」と述べています。
 第5章「永遠の真理、一瞬の人生 ソーニャ・コワレフスカヤ」では、姉のアニュータがドストエフスキーの求婚を拒んだことを、ソーニャには理解できなかったが、「憧憬する姉のこの姿勢は、後になってそのままソーニャの基本姿勢となった」と述べています。
 また、数学と文学という「一見異質な二つの世界」が、「ソーニャの心の中で、ごく自然に共存していた」として、「数学者は詩人でなくてはなりません」「私には数学と文学のどちらの傾向が強いのか終生決められませんでした」というソーニャの言葉を紹介しています。
 著者は、ソーニャが、「際立った知性と美貌という天賦のものに恵まれながら、出会った恋愛のすべてが実を結ばなかった彼女を痛々しく感じた」と述べ、「すべては愛されなかった幼年時代にその因をたどれるかも知れないと思った」、多くの男性が、「彼女に魅了され、恋心まで抱いた」のは、「幼き日にできた胸の空洞を埋めるため、愛を異常なまでに渇望していたソーニャは、無意識のうちに」「男性を魅きつけようとふるまっていたのではないか」と語っています。
 第6章「南インドの"魔術師" シュリニヴァーサ・ラマヌジャン」では、南インドの一事務員から送りつけられた手紙を、多くの数学者がそのまま送り返したなかで、「運命の人」ハーディが、「このインド人は狂人か天才のどちらかだ」と叫び、「これらの公式がインチキだとしたら、一体誰がそれを捏造するだけの想像力を持っているだろうか。この著者は本物に違いない。そんな信じがたい技術を有する泥棒やいかさま師の数よりは、偉大なる数学者の数の方が多いからである」と語ったことを紹介しています。
 著者は、ラマヌジャンを、「われわれの百倍も頭がよい」という天才ではなく、「なぜそんな公式を思いついたのか見当がつかない」という天才であると評し、「ラマヌジャンの公式を見て私が感ずるのは、まず文句なしの感嘆であり、しばらくしてからの苛立ちである。なぜそのような真理に想到したかが理解できないと、その真理自体を理解した気に少なくとも私はなれないのである」と語っています。
 第7章「国家を救った数学者 アラン・チューリング」では、「暗号解読におけるアラン・チューリングの才能は図抜けたものだった」として、「チューリングが一国を救い、世界史を変えたと言ってよいほどのものであった」と述べ、「多様で混沌とした現象の中から論理構造を見出し理解しようと、集中して考え続ける習性」である、数学的思考そのものが「誰も予想しなかったほど役立った」と解説しています。
 そして、誰も仲のよい友達がいなかった15歳のアラン少年の前に現れた1歳年長のクリストファー・マルコムに、アランは心酔したが、ケンブリッジ大学のトリニティ・コレッジに入学したクリストファーが結核で亡くなると、「クリストファーが生きていればこう望むだろう、という生き方をすることを決意」し、「勉学に精を出し、生活や友人たちへの態度を改め、瞬く間に教官や下級生たちの人望を得るように」なったと述べています。
 第8章「真善美に肉薄した異才 ヘルマン・ワイル」では、ワイルが、27歳にして、画期的な『リーマン面の概念』を著したことについて、「論理の鎖としての数学と言うより、その背後にある本質を、言葉によって伝えようとする、ワイル独特の情熱がほとばしっている」と評し、「27歳の青年が、このような仕事を成し遂げるのは、ワイルの天才の他に、当時のゲッティンゲンに渦巻いていた、独特の熱気のせいもあるのだろう」と述べています。
 第9章「超難問、三世紀半の激闘 アンドリュー・ワイルズ」では、1452年にビザンチン帝国が滅び、帝国の学者たちが西方に持ち出したディアフォントスの『算術』がラテン語に翻訳され、17世紀前半にその訳書の余白にフランスに住む法律家のピーエル・ドーフェルマーが、「余はこの命題の真に驚くべき証明を発見したが、この余白はそれを書くには狭すぎる」という謎の言葉を残したことから、「後世の人々、幾多の名高い数学者から素人までが、この命題の解決に挑んだが、一向に謎は解けなかった」ことを解説しています。
 そして、少年時代にフェルマー予想と出会って以来、この問題を解決するという「少年の夢」に取り付かれたワイルズが、「予想の証明に必要な議論の9割を自分が完成しても、最後の1割を片付けた人がフェルマー予想解決の栄冠を得る」という悪夢を避けるため、「自分がその仕事に取り組んでいることを、プリンストン大学の同僚を含め誰にも漏らさない」という秘密主義をとることを決断したと述べています。
 ワイルズは、1993年6月23日からケンブリッジのニュートン研究所で3日間にわたり「モジュラー形式、楕円曲線、ガロワ表現」と題した研究集会の講義を行い、2日目が終わると、参加者の間に「もしかしたら」との噂が飛び、「3日目はすしづめの講演会場には入れない人々が、通路から背伸びしてのぞきこむという状態」で、「20世紀最大の数学的事件を目撃したい」と考えた人が押し寄せたと述べています。
 しかし、ワイルズの論文に対する査読の過程で1箇所だけ誤りが発見され、それから約1年間の苦悩が続きましたが、1994年9月19日、「突然、まったく不意に信じがたい閃きに打たれ」、「岩澤理論」と組み合わせるとうまくいくことに気づきます。ワイルズはこの閃きの瞬間を、「形容できない、美しい瞬間でした。とても単純でとても優雅で。なぜそれまでに気づかなかったのか自分でも分からず、20分間ほどじっと見つめていました。それから数学教室を歩き回っては机に戻るということを繰り返し、アイデアがそこにまだあることを確かめていました。とても興奮していました」と語っています。
 本書は、数学、そして数学者は、頭の固い小難しい人たちのものというイメージを持っている多くの人に、数学と数学者の人間臭さを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者自身が数学者ということと、両親から受け継いだ文才の両方を持ち合わせていたことが、本書を楽しく読める一冊にしています。海外の科学者の中には非常に文才を兼ね備えた人がいますが、国内ではなかなか例が少ないのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・数学者は特殊な人たちだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 藤原 正彦 『心は孤独な数学者』
 E.T. ベル (著), 田中 勇 (翻訳), 銀林 浩 (翻訳) 『数学をつくった人びと』 2007年07月16日
 シルヴィア ナサー (著), 塩川 優 (翻訳) 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』 2006年11月20日
 E・T・ベル (著), 河野 繁雄 (翻訳) 『数学は科学の女王にして奴隷』 2006年09月18日
 チャールズ サイフェ (著), 林 大 (翻訳) 『異端の数ゼロ―数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』 2005年11月20日
 サイモン シン 『フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』 2006年09月02日


■ 百夜百音

FINAL LEGEND【FINAL LEGEND】 Johnny オリジナル盤発売: 2003

 テレビドラマ「茜さんのお弁当」の主題歌でヒットした「ジェームス・ディーンのように」ですが、当時小学生だった私には、「ジミー」と省略されてしまうと何のことだかわかりませんでした。

2007年11月16日 (金)

第三の道―効率と公正の新たな同盟

■ 書籍情報

第三の道―効率と公正の新たな同盟   【第三の道―効率と公正の新たな同盟】(#1030)

  アンソニー ギデンズ (著), 佐和 隆光 (翻訳)
  価格: ¥1575 (税込)
  日本経済新聞社(1999/10)

 本書は、「これからの社会民主主義政治について、目下、多くの国々で闘わされている論争を整理し深化すること」を目的とし、「社会民主主義の刷新」について論じているものです。
 第1章「社会主義は過去の遺物か」では、「社会主義も共産主義も過去の遺物と成り果てたが、それらは今なお、私たちの脳裏を離れない」理由として、「社会主義運動の推進力であった価値観や理想を、脇に追いやるわけにゆかない」ことを挙げています。
 そして、「資本主義の限界に挑戦しようとするのが社会主義」であるとして、「資本主義経済を社会主義的に運営することにより、資本主義を人間的なものにつくり替えることができるという考え」が、「社会主義に固有の魅力の源泉となっている」と述べています。
 また、ヨーロッパの福祉国家における制度のありようとして、
・イギリスの制度:社会的サービスや健康保険を重視するが、所得に応じた給付制に特徴がある。
・北欧型福祉国家:税率が非常に高く、万人救済志向であり、給付レベルは高く、ヘルスケアを始め、豊富な資金をもとに国のサービスが保証されている。
・中欧の制度:社会的サービスへの関与は比較的少ないが、他の点では、豊富な資金に基づく給付が成される。その主たる原資は、雇用者の社会保険負担金である。
・南欧の制度:中欧の制度と形式には似通っているが、中央ほど包括的ではなく、支給額も低い。
の4つの類型化を行ったうえで、古典的な社会民主主義と新自由主義を以下のように対比しています。
 

○古典的社会民主主義(旧左派)     ○サッチャリズム、新自由主義(新右派)
社会生活や経済生活への広範な国家の関与 できるだけ小さな政府
市民社会よりも国家が優位        自律的な市民社会
集産主義(collectivism)         伝統的なナショナリズム
ケインズ主義的需要管理と        道徳的権威主義と強力な経済的個人主義
  協調組合主義(corporatism)
市場の役割は限定的、すなわち      市場原理主義
  混合経済あるいは社会的経済
完全雇用                他の市場並みに労働市場の需給を
                      バランスさせる
強固な平等主義             不平等の容認
完璧な福祉国家、すなわち        セーフティネット(安全網)としての
  「ゆりかごから墓場まで」市民を保護   福祉国家
単線的な近代化             単線的な近代化
環境保全への無関心           環境保全への無関心
国際主義                国際秩序についての現実主義的理解
二極対立の世界を前提に据える      二極対立の世界を前提に据える

 
 さらに、新自由主義が無敵ではなく、現に「窮地に陥っている」理由として、「新自由主義の二つの支柱である市場原理主義と保守主義が、緊張関係に陥ったこと」を挙げています。
 著者は、イギリス人の社会的、政治的意識を、
・横軸:経済的自由、すなわち自由市場への信仰
・縦軸:個人的自由
の2軸によって、以下の4つに分類しています。


○社会的・政治的意識の4分類
   個人的自由 大
      ↑
経     |     経
済 社会主義|自由主義 済
的     |     的
自←――――+――――→自
由     |     由
  権威主義|保守主義 
小     |     大
      ↓
   個人的自由 小

 そして、「第三の道」について、「過去2、30年間に根源的な変化を遂げた世界に、社会民主主義を適応させるために必要な、思考と政策立案のための枠組み」であり、「旧式の社会民主主義と新自由主義という二つの道を超克する道」であると定義しています。
 第2章「五つのジレンマ」では、社会民主主義をめぐる論争で重要視されたジレンマとして、
○グローバリゼーション:その正確な意味は何なのか。それはどんな影響を及ぼすのか。
○個人主義:いかなる意味で、現代社会はより個人主義的な方向を志向しつつあるのか。
○左派と右派:この対立軸が意味を失った、との主張をどう解するべきなのか。
○政治のあり方:民主主義の正統的なメカニズムから、政治は次第に遠ざかりつつあるのか。
○環境問題:社会民主主義的政策の中に、環境問題をどのように取り込むべきなのか。
の5点を列挙しています。
 また、第三の道の政治が目指すところを、「グローバリゼーション、個人生活の変貌、自然と人間との関わり等々、私たちが直面する大きな変化の中で、市民一人ひとりが自ら道を切り開いてゆく営みを支援することにほかならない」と述べ、
○第三の道が重視する価値
 ・平等
 ・弱者保護
 ・自主性としての自由
 ・責任を伴なう権利
 ・民主主義なくして権威なし
 ・世界に開かれた多元主義
 ・哲学的保守主義
の7点を挙げています。
 第3章「国家と市民社会」では、「社会を構成する主要な部分を包み込む、総合的政治プログラムの概略」として、
○第三の道のプログラム
 ・ラジカルな中道
 ・新しい民主主義国家(敵不在の国家)
 ・アクティブな市民社会
 ・民主的家族
 ・新しい混合経済
 ・包含としての平等
 ・ポジティブ・ウェルフェア
 ・社会投資国家
 ・コスモポリタン国家
 ・コスモポリタン民主主義
の10点を挙げています。
 第4章「社会投資国家」では、第三の道の政治が「新しい混合経済」を提唱しているとして、「新しい混合経済は、公共の利益に配慮しつつ、市場のダイナミックな力をうまく活用し、公的部門と私的部門を結合して相乗効果を発揮させる」と述べています。
 また、第三の道の政治における平等の意味として、「平等を包含(inclusion)、不平等を排除(exclusion)と定義」すると述べ、「もっとも広い意味での包含」とは、「市民権の尊重」、すなわち、「社会の全構成員が、形式的にではなく日常生活において保有する、市民としての権利・義務、政治的な権利・義務を尊重すること」であり、「機会を与えること、そして公共空間に参加する権利を保証することをも意味する」と解説しています。
 さらに、1942年にベバリッジが、『社会保険等のサービスに関する報告』において、「不足、病気、無知、不潔、怠惰に対して宣戦布告」したことについて、「ベバリッジが宣戦布告したのはネガティブなものばかり」であると述べ、「ポジティブ・ウェルフェア」は、「これからの福祉のあり方」であり、「個人ならびに非政府組織が、富を創造するポジティブ・ウェルフェアの主役なのである」と述べています。そして、「指針とすべきなのは、生計費を直接支給するのではなく、できる限り人的資本(human capital)に投資することである。私たちは、福祉国家のかわりに、ポジティブ・ウェルフェア社会という文脈の中で機能する社会投資国家(social investment state)を構想しなければならない」と主張しています。
 第5章「グローバル時代に向けて」では、「グローバルな問題は、ローカル・イニシアチブによる取り組みを求めると同時に、グローバルな解決策をも求める」と述べ、「行き先もわからぬグローバル市場の不規則な混沌、そして無力な国際機関」に「安定、平等、反映」などの問題解決を委ねてすますわけにゆかないと述べています。
 「結び」では、「近年の社会民主主義論争は、相当数の検討課題を浮き彫りにした」と述べ、イギリス労働党が、これらの課題解決に「大いに貢献できるはず」であると述べています。
 本書は、現代における社会民主主義を語る上で外すことができない一冊です。


■ 個人的な視点から

 個人的には「第三の道」の考え方自体は悪くない考え方だと思うのですが、実際に「第三の道」を主張している人たちの顔ぶれを見ると、ベルリンの壁崩壊以降、「社会主義」という言葉を口にしづらくなった人たちが飛びついたという印象を受けてしまいます。


■ どんな人にオススメ?

・「社会主義は過去の遺物」と思いたくない人。


■ 関連しそうな本

 小杉 礼子, 堀有 喜衣 (編集) 『キャリア教育と就業支援』 2007年03月16日
 ジェフリー・W. メイナード (著), 新保 生二 (翻訳) 『サッチャーの経済革命』 2005年08月04日
 林 信吾 『しのびよるネオ階級社会―"イギリス化"する日本の格差』 2005年11月27日
 アレンド レイプハルト (著), 粕谷 祐子 (翻訳) 『民主主義対民主主義―多数決型とコンセンサス型の36ヶ国比較研究』 2006年02月20日
 クリスチャン ウルマー 『折れたレール―イギリス国鉄民営化の失敗』 2006年08月03日
 ポリー・トインビー (著), 椋田 直子 (翻訳) 『ハードワーク~低賃金で働くということ』 2006年03月08日


■ 百夜百マンガ

新票田のトラクター【新票田のトラクター 】

 前作ではまったくの素人からスタートしたのに、いつの間にかベテラン秘書に成長してしまいました。素人が政治の裏の世界を見たカルチャーショック、という当初のコンセプトは薄らぎますが、政局好きには楽しめる作品です。

2007年11月15日 (木)

「女性を活かす」会社の法則

■ 書籍情報

「女性を活かす」会社の法則   【「女性を活かす」会社の法則】(#1029)

  植田 寿乃
  価格: ¥1470 (税込)
  日本経済新聞出版社(2007/06)

 本書は、「女性を生かす組織」をテーマに、5つの会社を勤務してきた著者自身の経験を元に語ったものです。
 第1章「女性を活かせない会社にもう未来はない」では、「ただ会社を活性化するために女性を活かすという方程式を信じるような意識だけではだめ」で、「女性が生き生き働けるような組織を作っていくことこそが、これからの自分達の企業の生死に関わる」と指摘しています。
 また、「社員の一人ひとりが、自らの生活と仕事を無理なく両立し、活き活きと働けるような企業風土」を歓迎するのは女性だけではなく、ライフワークバランスを大切にする現代の若い男性社員も、同じような環境を望んでいると述べています。
 著者は、モチベーションの高い会社の共通点として、
・個人が「キャリア自立」をし、目標を持っている
・フラットな組織、柔軟な人事
・「人間力」のある経営陣・管理職が多い
・社内コミュニケーションが活発
・女性が活き活きと働いている
の5点を挙げています。
 第2章「女性活用はまず意識改革から」では、働く女性の悩みとして、
・周囲にロールモデルがいない
・自分の未来像が描けない、キャリアの考え方がわからない
・頑張っても、会社の風土が変わらない
・世の中の情報に「取り残され感」を感じる
の4点を挙げた上で、働く管理職女性の悩みとして、
・他の女性たちから孤立してしまう
・「女だから」と思われるので制度が使えない
・メンターがいない
・ロールモデルがいない
の4点を挙げています。
 第3章「キーワードは『メンター』『ロールモデル』」では、メンターに望まれる条件として、
・人間力がある
・ある程度の地位・権限を持っている
・直属の上司ではない関係
・見返りを期待しない
の4点を挙げています。
 また、企業側がロールモデルの設定に失敗する理由として、「女性たちにとってのロールモデルではなく、企業側にとってのロールモデルとなる人を選定してしまう」ことを挙げ、
・スーパーウーマン
・「ガンダム女」(男性と同じように働く女性)
の例を挙げ、今の女性が憧れる女性像が、「肩の力が抜けていて、バランスよく楽しそうに働いている、そして仕事の実績を出している」女性であると述べています。
 そして、ロールモデル設定のポイントとして、
・ロールモデルには多様性が必要
・年齢によって段階的に設定する
・ロールモデルにはフォローアップ体制が必要
の3点を挙げています。
 第4章「職場の『男子更衣室』脱皮計画」では、これまでの日本企業の多くが、「部活の男子更衣室のようなノリ」をもった男ばかりの空間であったと指摘しています。
 そして職場のタブーとして、
(1)体育会系的な叱咤や命令
(2)タバコ部屋で仕事の話をする
(3)部下の相談ごとに「飲みニケーション」で対応する
(4)休日出勤、残業の多い人を「仕事熱心だ」と称える
(5)「女のくせに」、「女性だから」
(6)「○○ちゃん」とよぶ
(7)お菓子で「餌付け」しようとする
(8)女性を褒めすぎる
(9)恋愛、結婚、妊娠に関して話題を振る
の9点を挙げています。
 第5章「女性を活かす上司、潰す上司」では、モチベーションストッパー上司の傾向として、
(1)専制君主の「信長上司」「卑弥呼上司」
(2)性悪説の「殺し屋上司」
(3)成果主義の弊害「チューリップ上司」
(4)すべて頭で解決「アンドロイド上司」
(5)エリート主義の権化「スワット上司」
の5点を挙げています。
 一方で、女性を活かす管理職として、
(1)自己理解ができている
(2)他人が理解でき、他人を尊重するコミュニケーションができる
(3)状況により適切なリーダーシップを発揮できるか
(4)ストレスマネージメントについての知識がある
(5)部下に対して、カウンセリングやコーチングの知識・スキルがあるか
(6)女性のワークライフバランスに対して理解がある
(7)セクハラに関する知識がある
の7点を挙げています。
 第6章「実践・女性活用『最初の一歩』」では、
・自社の実態を知ること
・なぜ取り組むのか、目的を明確にすること
・ピンポイント対応ではなく長期的計画を
・制度整備と同時に、意識改革、組織風土改革を
・意識改革は経営層、管理職、人事開発部門から
・女性のコミュニティの形成
などのポイントを挙げています。
 本書は、女性の活用が喫緊の課題となっている経営者や人事担当者はもちろん、女性の部下や上司を持つ人にもお勧めの一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の内容自体は、比較的オーソドックスですが、読みやすく簡潔にまとまっているので、ビジネス書を読みなれていない人も抵抗なく読めるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・自分は女性社員の気持を理解できている、と思っている人。


■ 関連しそうな本

 佐野 陽子, 志野 澄人, 嶋根 政充 (編著) 『ジェンダー・マネジメント―21世紀型男女共創企業に向けて』 2005年12月06日
 ロザベス・モス カンター (著), 高井 葉子 (翻訳) 『企業のなかの男と女―女性が増えれば職場が変わる』 2005年10月11日
 脇坂 明, 冨田 安信 (編集) 『大卒女性の働き方―女性が仕事をつづけるとき、やめるとき』 2006年05月02日
 赤岡 功, 長坂 寛, 渡辺 峻, 筒井 清子, 山岡 煕子 『男女共同参画と女性労働―新しい働き方の実現をめざして』 2005年09月08日
 大沢 真理 『男女共同参画社会をつくる』 2007年3月6日
 伊藤 公雄 『「男女共同参画」が問いかけるもの―現代日本社会とジェンダー・ポリティクス』 2007年05月19日


■ 百夜百マンガ

新首代引受人【新首代引受人 】

 劇画の第一人者の絵師でありながら、すべてMacとタブレットで描かれたという作品。こんな作品を描いているのにコンピュータとシンセ好きというオヤジはなんだか楽しそうです。

2007年11月14日 (水)

下流社会 新たな階層集団の出現

■ 書籍情報

下流社会 新たな階層集団の出現   【下流社会 新たな階層集団の出現】(#1028)

  三浦 展
  価格: ¥819 (税込)
  光文社(2005/9/20)

 本書は、「所得格差が拡がり、そのために学力格差が広がり、結果、階層格差が固定化し、流動性を失っている」という説が多数発表されたことについて、「日本が今までのような『中流社会』から『下流社会』に向かうということである」ことを解説し、「そういう時代を前にして、若い世代の価値観、生活、消費は今どう変わりつつあるのか」を論じているものです。この「下流」とは著者の造語で、「下層」ではなく、「基本的には『中の下』」であり、「中流であることに対する意欲のない人、そして中流から降りる人、あるいは落ちる人」を指すと述べています。
 第1章「『中流化』から『下流化』へ」では、「おそらくもうあまり成長はしない」わが国の社会の中で、「皆が中流であることを目指すことに価値はなく、むしろ自分にとって最適な生活、最適な消費、暮らしを求めるようになっているようにも見える」と述べています。
 第2章「階層化による消費者の分裂」では、「女性の行き方が多様化し、女性が分裂していく」として、女性を、

      上昇志向(高地位志向)
         ↑
   お嫁系   | ミリオネーゼ系
        普通の
専業主婦←―――OL系―――→職業志向
志向       |
   ギャル系  | かまやつ女系
         ↓
        現状志向

の5つのタイプに類型化し、「現在、女性の格差が拡大している」のは、「かつてのように、単に夫の所得の多寡に帰せられる格差」ではなく、「自分自身が稼ぎ出す所得、その背景にある自分の学歴、その背景にある親の階層、そして自分自身の性格、容姿など、様々な要因によって形成されるライフスタイル全体の格差である」と解説しています。
 また、男性についても、「現在、若者が就職できるかどうかは、本人の実力はもちろんだが、親の階層に規定されているという見方も可能だ」と述べ、「若者が弱者と強者に分裂、二極化した」と述べ、極端に言えば、「高い階層の親から生まれた者は、学習塾と私立中高一貫校に進み、より高い学歴を得て、よりよい仕事につきやすい。低い階層の親から生まれた者は、公立の学校にしか行かず、学歴が低く、高卒で止まりがちであり、良い仕事につきにくく、失業者、無業者になりやすい」という現実が進行してきたと述べています。
 第3章「団塊ジュニアの『下流化』は進む!」では、「昭和ヒトケタ世代、団塊世代、新人類世代、団塊ジュニア世代を比較した『欲求調査』をもとに4世代の世代別・男女別の階層意識を比較」しています。
 そして、山田昌弘東京学芸大学教授の『希望格差社会』に関して、高度成長期は、「貧しい人ほど希望をたくさん持つことができた時代だった」と述べ、「低い階層の人ほど多くの希望と可能性を持ち、高い階層の人ほど、それまであった権利を縮小された時代であり、その意味で、個別具体的な事例はともかく、総じて言えば、希望格差が縮小する時代であった」とする一方、「現在は、将来の所得の伸びが期待できる少数の人と、期待できない多数の人、むしろ所得が下がると思われる少なからぬ人に分化している」と述べ、「希望が持てるかどうかが階層格差によって規定される。つまり希望が持てる階層と、希望が持てない階層に分化し、その階層が固定化する」ことこそ、山田の希望格差論であると述べています。
 第4章「年収300万円では結婚できない!?」では、「『欲求調査』をもとに、団塊ジュニアの階層意識別に所得、結婚、家族、職業などについてどのような違いがあるか」を見ています。
 そして、近年、「学歴と階層意識の相関も高まった」として、「裕福な専業主婦になるためにも高学歴が必要である。なぜなら、収入の高い男性と出会うためには一流企業に入った方が有利であるが、近年一流企業に入るためには、たとえ一般職でも四年生大学卒であることが求められるからである」と述べています。
 著者は、「配偶関係、家族形態、職業などの観点から階層意識を見てくると、従来型の理想の結婚増や家族像は決して弱体化はしていないことがわかる」と述べ、女性の生き方や家族形態は多様化したが、「必ずしも幸福の形が多様化したというところまではいっていない」と述べています。
 また、コラム「恋愛にも階層の壁ふたたび」では、「自由恋愛が輝きを持っていた時代は70年代がピークであったに違いない」と述べ、「80年代以降、階層化が進んで自由恋愛が困難になった」として、「結婚ほど同じ階層の人間同士を結びつけるものはない。個人だ、自由だと入っても、そもそも異なる階層の人間と出会うチャンスがないし、出会っても、恋愛の、まして結婚の対象とは考えないのが普通である」と述べています。
 第5章「自分らしさを求めるのは『下流』である?」では、団塊世代が、「消費社会の主役として、1960年代以降、個性的であることを前として生きてきた」と述べ、自分らしさ志向が拡がっていった結果として、「若い世代では『下』ほど自分らしさ志向が強く、『上』ほど自分らしさ志向が弱いという逆転が起きたことは、やはりにわかには理解しがたい」が、教育社会学者の苅谷剛彦東京大学大学院教授が、「親の階層が低い高校生ほど学習以外に自己能力感のある者が多いと指摘したことと呼応している」と述べ、「自己能力感を自分らしさ志向や自己実現感覚と読み替えれば、下流ほど自分らしさ志向が強いことが説明できる」と解説しています。
 第7章「『下流』の性格、食生活、教育観」では、「コミュニケーション能力が高い男女ほど結婚しやすく、仕事もでき、消費も楽しむという一方で、コミュニケーション能力の低い男女ほど結婚しにくく、一人でいることを好み、仕事にも、消費にも意欲がないという分断が生じる」と述べています。
 また、高度成長期以前は「貧しい人ほど加工食品を食べなかった」が、「現在は加工食品の方が安いし、自分で作るよりコンビニ、ファミレス、居酒屋に行った方が安い。よって、下流ほどそうした食産業に依存する」と指摘し、日清食品が、高付加価値の健康志向ラーメンと低価格商品とに二極化した製品を出すと言われていることを紹介しています。
 著者は、「親がエリートだからといって、子供にエリートとなる人生を強要できないように、親が、自分らしく、マイペースで、のんびり生きたい、実際そう生きているからといって、子供にもそういう価値観、人生を押し付けていいわけではない。親は、そして行政、社会は、すべての子供にできるだけ多様な人生の選択肢を用意してやるのが義務だと私は考える」と主張しています。
 第8章「階層による居住地の固定化が起きている?」では、「第四山の手論」という説を紹介し、「テレビドラマの『金妻』に象徴されるように、東急田園都市沿線などは、住民の高齢化と共に次第に高級住宅化してきた」現象を解説しています。そして、「総じて、東京郊外、とくに横浜・川崎で生まれ育つことは、現在の団塊ジュニアの階層意識によい影響を与えていることはどうも確かである」と述べています。
 また、「今住んでいる沿線、地域に固定していく」という住む場所の固定化について、「1960年代生まれくらいから、始めから大都市圏に住んでいた人」が増えたため、団塊ジュニアにとっては「郊外が故郷なのだ」と述べ、これは、「国土政策上そのように誘導されてきた」者であり、1985年に国土庁が発表した「首都改造計画」が見事の実現しつつあるのが現在であると言える、と述べています。
 そして、「生まれた時から東京の郊外の同じような住宅地の同じような中流家庭に育った同じような価値観の若者が増えるということは、異なるもの同士のぶつかり合いから、新しい文化が生まれる可能性を縮小させている」と述べ、それは「世界の縮小」であると指摘しています。
 「おわりに――下流社会化を防ぐための『機会悪平等』」では、「完全機会均等論は解決しがたい問題を内包している」として、「もし、完全なる機会均等社会が実現したら、結果の差はすべて純粋に個人的な能力に帰せられる。しかしそれはそれで非常に過酷な社会ではないか」と指摘し、「もちろん機会均等は重要なのだが、それより求められるのは『機会悪平等』の仕組みなのではないか」と述べています。
 本書は、単なる社会評論ではなく、勃興している「下流」という巨大な消費ターゲットをマーケティングの目で捉えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の場合、本文中で「下流」と名指しされる人が多く、誰でもどこか思い当たるところがあるだけに、ドキリとさせる→だから売れた、というところがあるのかもしれません。学術的な内容では決してないですが、新書自体のマーケティング戦略としては秀逸なのかもしれません。
 昔から劣等感を煽る商品は廃れないと言いますが、なかなか正面切って「貧乏」を取り上げるのは難しいなか、「中の下」のコンプレックスをくすぐるマーケティングとしては秀逸だと感じます。


■ どんな人にオススメ?

・自分は「下流」かもしれない、と思う人。


■ 関連しそうな本

 橘木 俊詔 『日本の経済格差―所得と資産から考える』 2006年02月10日
 苅谷 剛彦 『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』 2006年02月14日
 B.エーレンライク (著), 曽田 和子 (翻訳) 『ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実』 2007年06月25日
 ポリー・トインビー (著), 椋田 直子 (翻訳) 『ハードワーク~低賃金で働くということ』 2006年03月08日
 白波瀬 佐和子 『少子高齢社会のみえない格差―ジェンダー・世代・階層のゆくえ』 2006年03月10日
 山田 昌弘 『希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』 2006年01月11日


■ 百夜百マンガ

TOUGH【TOUGH 】

 高校生ではなくなった続編ですが、かれこれ15年ほど前の作品なわけです。主人公の名前に時代を感じてしまいます。

2007年11月13日 (火)

私が愛した官僚たち

■ 書籍情報

私が愛した官僚たち   【私が愛した官僚たち】(#1027)

  横田 由美子
  価格: ¥1470 (税込)
  講談社(2007/2/27)

 本書は、若手官僚たちから話を聞き、「そのひとつひとつのピースをジグソーパズルのように組み立てていくことによって、現在の官僚組織が抱える構造的な問題を浮き上がらせること」で、「役人国家・日本の構造的な問題を解くカギ」を求めたものです。
 著者は、2003年に雑誌の企画で永田町進出を目指す若手の座談会の司会をしたことをきっかけに、数百人にのぼる若手キャリアに会い、2006年に月刊誌に掲載した「霞が関人事興信録」という記事で「霞が関キャリア」についての発言を求められる立場になったと述べています。
 第1章「政治への野心」では、政治家とのコネを作るために若手官僚が集まっているパーティに潜り込み、「壁の花となっている官僚と水を得た魚のように動き回る官僚」とを隔てているものとして、「現在のポスト、省内での影響力」と「培ってきた永田町での人脈」を揚げ、若手の省内での影響力や出世は「どれだけ政治家とのパイプをつくれるか」にかかっていると述べています。
 そして、元財務官僚の衆議院議員、北神圭朗や田村謙治らのインタビューに関して、「財務官僚とあって感じることの一つに、彼らを取り巻く上品な空気がある。中には線の細い人もいるが、バンカラを気取っても鼻につかない程度なので、一緒にいて暑苦しくない。頭がいいので話も面白い」と語っています。
 また、同じく財務省出身の衆議院議員、木原誠二の選挙を心酔しながら手伝っている女性市議を取り上げ、「ここまで女性市議を心酔させることができるのは木原に人間的魅力があるのだろうと感じると同時に、日本人の間で、『官僚ブランド』は『信仰』に近いほど強いということを、改めて思い知った。政治の世界に身を置く人間ほど、官僚ブランドに対する信用度が高い気がする」と語っています。
 さらに、政界志望の若手官僚の中には、「政党は就職活動と一緒だと考えている者もいる」として、「自分の思いが実現できるところなら自民党でも民主党でも、どちらでもいい」という本音を紹介し、「はじめは民主党の公募に応募して合格したが、結局は2003年の総選挙で自民党から出馬」し、2005年の総選挙で比例で復活当選した衆議院議員の上野賢一郎を取り上げています。
 第2章「ビジネスの世界へ」では、「官から民へ、立場は変わっても志は変わらない。国益に結びつく仕事をしたい」というロジックで自らをも納得させて、外資系金融企業などに転職した元官僚を取り上げています。そして、「コンサルティング会社は、高学歴で弁の経つ人間を欲しがる傾向にある。日本は役人国家なので、役所の規制や動向を熟知している人がいたほうが、戦略を立てやすい場合もある。役人はグローバルな視野で広く物事を見るのに長けているし、経産省は最もビジネスの現場に近い官庁である。需要はあるのだ」と述べています。
 また、高速通信サービスを提供するアッカ・ネットワークスを立ち上げた元経産官僚の湯崎英彦副社長を取り上げ、湯崎がインターネット創世期の1993年にスタンフォード大学に留学し、その後、アメリカのベンチャーキャピタルに研修で派遣された中で、アメリカでの「DSL=ブロードバンド」のブレークを目の当たりにし、「このままでは日本は、ますます世界の潮流から取り残されてしまう」という焦りを感じ、「規制緩和を進め市場を整備すべきだ」と提言し、自らビジネスプランを作り、その「玉」を抱えて走ってくれる人を探す中で、「いつの間にか、自分で『玉』を抱えて走ってみてもいいんじゃないかと思うようになった」と述べています。そして、人事担当者に事業を出した際には、例外的な取り扱いでアメリカのベンチャーキャピタルに出向させ、「出向先で得たノウハウを日本に持ち帰り、それを国の施策に反映するのがミッションだったはずなのに、辞められては元も子もない」と説得されたことを紹介しています。
 さらに、元郵政官僚の田中良拓が経営する「政策規制コンサルティング」事業を行っている「有限会社 風雲友」を取り上げ、田中が東京大学大学院工学系研究科を卒業した技術系官僚で、アメリカに留学したときに、「日本では官僚はエリートで、自分たちを一番頭のいい人だと思っているが、アメリカではまったく違う」ということを痛感し、「日本の官僚は自分が頭がいいと思っているから、間違いを認められなかったり、できないといえないんだな」と悩んでしまったことが転職を考えたきっかけであったと述べています。
 第3章「『大蔵省』の虚と実」では、2005年の総選挙で、「若くて有望な人材が大量に流出した」として、解散が決まった8月8日以降、玉木雄一郎、長崎幸太郎、片山さつき、木原誠二が出馬を表明し、主計局幹部は「いったい、何人辞めるんだ」と苦虫を噛み潰し、全開の落選者を合わせると財務省出身者は8人にのぼったことが述べられています。そして、2005年の選挙で民主党から出馬したのは、「すごく優秀な人ばかり」で、「自民党から出られるとは思っていなかったから、主に民主党と接触していた」が、結果的に自民党からは「省内で二番手の人」が出馬した、「どうしようかと迷っていたり、民主党との話し合いがうまくつかなくて選挙区が見つからなかった人が自民党から出ていたね」、というある財務官僚の話を紹介しています。
 また、与謝野馨や谷垣禎一が財務官僚から人気が高い理由として、「国民の税金を使って選挙区に利益誘導するだけでは、財政は悪化の一途をたどるだけ」で、「民間の側も補助金や公共投資に頼るだけでは創意工夫や自主性が失われ活力ある社会は生まれない」という「本質論」を理解しているからだといわれていることを紹介しています。
 さらに、一度力を落としていた財務省が、2005年あたりから「財務官僚の復権」、「主計局マフィアが再び闊歩しはじめた」という物騒な言葉をあちこちで聞くようになった、として、「財政健全化主義、無駄なものは嫌い、道路公団、特別会計」など財務省の政策と合致する小泉純一郎元首相の政策が、福田赳夫元首相の秘書官であった元大蔵事務次官の保田博が、福田邸で書生のようなことをしていた小泉の「教育係」を務めていたからではないか、という噂話を紹介しています。
 第4章「『省益』の正体」では、キャリア官僚には、「たいした努力をすることなく勉強ができてしまうのは最低必須条件で、スポーツ万能で、芸術にも造詣が深く、女性にもモテる」という「スーパーマン」志向があることを指摘し、この志向がもろに出ているのが経産省キャリアだ、と述べ、経産省の官僚が、「霞が関のラテン系」と呼ばれ、「自画自賛をするのが好きで、野望を前面に打ち出す濃いタイプが多い。声が大きく、場の中心にいると自分が感じなくては気がすまない。宴席では必要以上にオーバーな冗談を口にして受けを取りにはしる。彼らは『I am No.1』なのだ」と解説しています。
 そして、2005年の選挙に民主党から出馬して敗退した福島伸亨を取り上げ、通産省の採用担当であった荻原誠司(岡山市長から衆議院議員)から、「これからの通産省というのは組織に雇われるのではなく、自分で国を変えていこうと思う人に来てほしい。そうでないと仕事はつとまらないんだ」と言われて通産省を選んだことが紹介されています。
 また、元郵政官僚の衆議院議員、遠藤宣彦が、郵政省時代に、「上司のメンツを立てるために、部下はどうでもいい汗をかかなくてはいけない」ことに疑問を訴えると生意気だと疎まれ、「役所の年功序列の制度では、お前は永遠に俺を抜くことができない。永遠にお前は部下なんだ」と言い放たれたことを紹介しています。
 第5章「悩める官僚たち」では、「どの役所にも何期にひとりは自殺者を出している」が、「あまり外部に情報が漏れないのは、組織を挙げて情報漏えいを封じようとするからである」と述べています。
 そして、「役所では10年から15年目あたりで落とし穴にはまってしまう職員が少なくない」ので、メンタル相談室以外に、「お休みポスト」と呼ばれる部署が用意されていることを紹介しています。
 また、霞が関の地位が相対的に低くなる中で、「経済的な意味でも、精神的な意味でも、報われないという思いは強くなっていく」として、「年収500万~600万円なのに、明け方3時~4時という生活が毎日続く。それでも働き続けていくことは、よほどのやりがいを感じなければ難しい」と述べ、「彼らの実際の労働現場は、もちろん部署によって違いがあるが、相当に過酷なものであることは間違いない」と述べています。
 第6章「出口を探して」では、慶応大学助教授に転じた元財務官僚の木幡績を取り上げ、財務省が、「北朝鮮といわれて喜んでいる意図は、大衆はバカだ、つまり衆愚政治だという考えが根幹にあるのです。日本を憂えているのは俺たちだけだと真剣に思い込んでいるから、ジャーナリズムに批判されればされるほど燃えるのです」と語っていることを紹介しています。
 第7章「夢から覚めた夢」では、ある経産省の若手官僚が、「メディアには実名で書いてもらいたい。一番仕事をしている自分たち課長補佐のことをも、もっと取り上げてほしい。一日も早く、政治家になりたい。出るなら、自民党でなくては意味がない」と、「憑かれたような表情」で訴えたことを紹介しています。
 また、2006年10月の神奈川10区補選に民主党から出馬した元経産官僚の後藤祐一が、
「実現男」ブログを立ち上げ、選挙戦に挑んだことを紹介し、後藤の妻が必死の表情で演説をしているのを見ていた筆者に、経産省の後輩の福島伸亨が、「横田さん、政治家とだけは結婚するものじゃないよ」とつぶやいたと述べています。
 本書は、実際に会ったことはないけど、マスコミのイメージで「官僚」の姿を思い浮かべてしまう人にお勧めの一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書では、「風雲友」の田中さんなど面識のある人が紹介されていたので面白かったのですが、中でも元経産省の福島伸亨さんは、東京財団や地方自立研の研究会で何度もお会いする機会があり、歳も近いこともあって、議論するのが楽しい人です。
 人が良くて頭が良くても勝てるとは限らないのが政治の世界ですが、こういう世界で頑張っている人が近くにいることは自分にとっても励みになります。


■ どんな人にオススメ?

・「官僚」の素顔を見てみたい人。


■ 関連しそうな本

 西村 健 『霞が関残酷物語―さまよえる官僚たち』 2007年09月05日
 山本 直治 『公務員、辞めたらどうする?』 2007年08月24日
 末弘 厳太郎 (著), 佐高 信 (編集) 『役人学三則』 2005年12月12日
 新しい霞ヶ関を創る若手の会 (編集) 『霞ヶ関構造改革・プロジェクトK』 2005年12月22日
 宮崎 哲弥, 小野 展克 『ドキュメント平成革新官僚―「公僕」たちの構造改革』 2006年04月13日
 テリー伊藤 『お笑いニッポン公務員―アホ役人「殲滅計画」』 2006年03月16日


■ 百夜百マンガ

ときめきトゥナイト【ときめきトゥナイト 】

 『有閑倶楽部』がドラマ化されたからというわけではないですが、「池のコイ誘拐事件」が同じ『りぼん』で掲載されたかと思うと楽しいです。

2007年11月12日 (月)

日本の行政―活動型官僚制の変貌

■ 書籍情報

日本の行政―活動型官僚制の変貌   【日本の行政―活動型官僚制の変貌】(#1026)

  村松 岐夫
  価格: ¥756 (税込)
  中央公論社(1994/04)

 本書は、「世紀転換期の日本を行政から捉えること」を目的としたものです。著者は、本書において、「最大動員」を鍵概念として使用し、その意味を、「行政に利用できるリソースに関してできるだけ能率的に使用すること」と解説し、「『規則による責任志向の管理』に対する『目標による能率志向の管理』である」と定義しています。
 第1章「最大動員のシステム」では、「日本の行政は明らかに一つの合理的な体系であった」として、「人的リソース、資金、制度のあらゆるものを目的に向かって能率的に動員するシステム」である「最大動員システム」であると解説しています。その上で、「従来型行政は西欧に追いつくことを目標にしている間は合理的であった」が、政策課題の趨勢が、「生産者中心主義から消費者中心行政へ移行している」な会においては、「これまでの行政の特色が障害となりはじめたのではないか」と指摘しています。
 また、日本の省庁官僚制の最大動員という特徴を作り出している要因として、「リソースが少ない」ということを挙げ、それを補うための特別の工夫として、
(1)地方政府の活用の伝統
(2)追いつき型近代化のエトスが節約と能率を生み出した
(3)行政はパートナーとして種々の団体を利用している
の3点を挙げています。
 さらに、日本の省庁組織において、アメリカ型の組織に比べると、「決定はボトム・アップ的」であり、「決定権が下方に分権化されている」と指摘しています。
 著者は、「官僚集団の活動は過剰気味」であり、その過剰が、「『無制限・無定量』と言われる、公務と組織への忠誠心がもたらすものである」と指摘しています。
 第2章「公務員制度と人事行政」では、「日本の公務員集団は、省庁ごとに人力(マンパワー)の最大動員システムとして極めて能率的であった」と述べ、省庁内の人事管理については、「管轄の曖昧さ、職掌の大まかさ、トップがジェネラリストであることは、できるだけ多くの人ができるだけ多くの業務をこなすことを可能にする仕組み」であると述べ、さらに、中央地方関係においても、最大動員の原理を物理的に表現したものとして、「東京事務所」を挙げています。
 また、日本の組織が、「ノン・キャリの持つ地位と役割に敏感に適合して作られている」と述べ、
・一見、キャリア組に大きく与えられているかのように見える命令権も、事実上は行政実施の仕組みの中で狭められている
・有力財界人といえども官僚のトップと話をつけてそれを下に降ろし、ノン・キャリに事務だけをやらせるというわけにはいかない。
・上司も部下に背かれては大量の事務をこなすことはできないし、自分で実施までやることもできない。
ため、「民間の有力者も種々の申請手続きを組織下部から始めなければならないのである。上司と下僚の間にもルールがある。これこそ官僚制である」と述べています。そして、ノン・キャリに大きな役割を与える理由として、
(1)ノン・キャリこそ当該課の実務に通じていて渡り鳥としてやってくるキャリア組だけでは仕事をやれないという現実。
(2)仕事におけるモラールを高めるため。
(3)外部の攻撃から身を守るため。
(4)少量のリソースを大量事務に使うには、画一主義と形式主義しかない。
の4点を挙げています。
 第3章「最大動員の行政管理」では、予算編成と組織設計、すなわち、「人と資金というリソース・マネジメント」について、「その持てる『リソースは少ない』ためにマネージメント活動に熱心になる」ことを特徴として挙げています。
 そして、予算の一般的機能として、
(1)議会・国民による行政への統制
(2)行政管理の手段
(3)計画の数字による裏付けと事業間の関連性強化
の3点を挙げ、「この機能の半分を日本では大蔵省が担う」と述べています。
 また、予算過程において、大蔵省が省庁セクショナリズムを降伏できなかった理由として、「大蔵省といえども省庁の中心的主張を調整できないし、しようともしない。省庁の主張は、予算過程という政治的市場で激しく争う。大蔵省が調整をしようとすれば、政治の中で泥まみれになる危険がある」ことを挙げ、「予算配分を急激に変更することはない」ため、その結果が、「インクレメンタリズム」(漸変主義)であると述べています。
 また、「日本の組織では組織単位間の職務分掌は明確であるのに対して、垂直的な分業関係は明確ではない」という指摘を取り上げ、「最大動員システムでは、縦の関係において底辺層を動員するためには権限の明確化は邪魔である。上の仕事を下が担い、下の仕事に上からの干渉をしやすくして、時間と労力を融通しあうことのメリットを生かそうとするのである」と述べています。
 第4章「トップと官僚」では、メリット・システムを採用しているアメリカの連邦公務員制において、「メリット成果は一定以上は進行せず、今でも最上層部の約2000が政治職である」と述べ、その理由として、
(1)アメリカでは執政長官たる大統領の選挙が、政党対政党というより、個人対個人の争いという色彩が強いこと。
(2)多元的な政治社会の必然的結果として省庁官僚制が、社会の関係利益及び連邦議会の常任委員会や小委員会と協調体制を作るため、多くの行政機関が大統領の立場から離れていくので、大統領は腹心の政治職を送り込むことで象徴組織をコントロールする必要があること。
(3)大統領は自己の影響力を確保しまた政策遂行上影響力を発揮していくために、自分に忠誠を傾ける公務員集団を形成しようとする。
の3点を挙げています。
 第5章「行政活動の変容」では、「日本行政の積極性は産業育成への関心からきている」とした上で、育成行政の問題点として、
(1)消費者軽視
(2)行政機関とパートナーとなる団体との間にもたれあいともいうべき相互依存関係が発展し、そのために行政と業界関係が不透明になる点にある。
の2点を挙げています。
 また、「許認可と並び、あるいはそれ以上に、育成行政の手段となる」行政指導について、「行政機関が国民の自発的協力を前提にして一定の政策目的を実現するために働きかけを行なうこと」であり、「産業政策をミクロ次元で実施する手段である」と述べています。
 著者は、「いまや行政指導論にも修正主義的理解の時代が訪れている」として、「戦後日本経済の積極的な推進者は、行政ではなく、民間の起業家精神であった」と述べ、1950年代初めに川崎製鉄が千葉県に新しい高炉を設置しようとしたときに、政府内でもっとも積極経済論者といわれた日銀総裁一万田尚登が「ペンペン草をはやしてやる」と言ったと伝えられていることを紹介しています。
 第6章「中央地方関係」では、「日本の行政の特徴としてのセクショナリズムも最大動員システムの論理」が地方自治体との関係に及ぶとして、中央諸省庁がそれぞれの最大動員のため、地方に対して、
(1)地方にいる350万人の公務員の人力を利用しようとする。
(2)地方が持つ70兆円の財源を利用しようとする。
(3)国民の事業に対する満足不満足の情報や新しい行政需要の情報を利用しようとする。
の3つの戦略で臨むと述べています。
 そして、戦前には、府県が国の出先機関であり、その伝統が残って、中央政府の各省の仕事について出先機関を置かず、府県を「出先機関」として利用する傾向がある、と述べ、「懇意知でも市町村は固有の事務も持つが、量的にいうと中央からの機関委任事務が多く、市町村も国の出先のように扱われることが多い」ことは、「英米の中央省庁がその事業の遂行に際して独自の出先機関を設置するのと対照的である」と解説しています。
 また、日本の中央地方関係の特徴として、
(1)地方の支出総額45兆円はきわめて大きい。
(2)地方の厳格な意味での自主財源による歳入が全政府歳入の中に占める割合を見ても3割であって、これは先進諸国のうちでも高い方である。また、地方政府の歳出が全政府歳出の7割弱を占めているのは先進諸国の中でも異例に高い割合である。
(3)巨額の資金が国から自治体に移転される。
の3点を挙げています。
 さらに、日本における中央地方の「関係図式」は、
(1)単純ではない:仕事の分担問題、仕事の分担における上下関係、経費の分担関係といった業務の遂行自体が複雑である。
(2)強固である:中央地方の関係図式は、これら多くの当事者が長い間に積み上げてきた既成利益の集積としてできたものであって容易に変更しがたい。
と解説しています。
 著者は、日本の通説的見解が、「日本では中央省庁が府県を媒介して、市町村を操作している」という垂直的行政統制モデルであるのに対し、地方の政治的影響力を重視した「水平的政治競争」のモデルとして、
(1)地方は主要施策について中央から押し付けられていない。
(2)中央と地方の担当部門の縦割行政の中で制作コミュニティのような親密な関係が生まれ、このルートで地方のニーズは中央に伝わり、中央の政策になるという過程が生まれ、地方が中央を利用しているという側面もある。
(3)地方の政策革新を生みだしているのは、地方住民の要求であり、それは選挙で表明される。
の3点を主張し、これを「第一型の自治」と呼んでいます。
 また、中央地方関係の相互依存と均衡の中で、いかなる条件の下に均衡が崩壊ないし変動するのか、という問題について、
(1)小改革の集合としての均衡打破
(2)大改革としての分権化
(3)システム担当者の政策体系の変更による均衡変質
の3点を挙げています。
 さらに、「第二型の自治の主張」として、「現存の府県と市町村の二層制を前提に、権限と財源を『地方』(府県または市町村)に移す主張」を挙げています。
 第7章「政治的環境の変化と行政」では、官僚集団の権力の態様を決める指標として、自律性と活動量を挙げ、
(A)活動量が大きく、かつ自律性も高い。
(B)活動量は大きいが、自立性が低い。
(C)活動量は小さいが、自立性が高い。
の3つの可能性のうち、日本の官僚制を説明できるのは(B)のみであると指摘しています。
 第8章「行政変革の推進」では、本書の分析の結果から、
(1)トップの強化
(2)評価基準と監査方法の再検討
(3)地方分権化
(4)選挙権
の4つの行政変容の方向が示唆されていると述べています。
 第9章「市民」では、「以前、学者は国士」であり、「追いつき型近代化を達成するための兵士でもあった」と述べ、行政学界からは蝋山政道を挙げています。
 本書は、10年以上前のものであるため、記述の中には古いものもありますが、日本の行政の本質を理解する上で欠かすことができない一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で、というか著者の主張で印象に残ったのは、中央省庁と自治体の関係を、「水平的政治競争」であると論じている点です。こと、「政治対官僚」という点で言えば、確かに地方からの政治的圧力を中央省庁の官僚が受け止めている、という構図はわかりやすいように感じます。


■ どんな人にオススメ?

・日本の行政の仕組みを理解したい人。


■ 関連しそうな本

 曽我 謙悟 『ゲームとしての官僚制』 2006年02月24日
 稲継 裕昭 『日本の官僚人事システム』 2005年02月10日
 今村 都南雄 『官庁セクショナリズム』 2007年02月07日
 大森 彌 『官のシステム』 2007年07月30日
 新藤 宗幸 『財政投融資』 2007年04月11日
 クリストファー フッド (著), 森田 朗 (翻訳) 『行政活動の理論』 2006年12月25日


■ 百夜百マンガ

テニスの王子様【テニスの王子様 】

 個人的にはジャンプ本誌を読まなくなって以降の作品なので、たまに見かけても読み飛ばしてましたが、実写化されたり、色々ヒットしたみたいです。作者の名前が読めません。

2007年11月11日 (日)

模倣される日本―映画、アニメから料理、ファッションまで

■ 書籍情報

模倣される日本―映画、アニメから料理、ファッションまで   【模倣される日本―映画、アニメから料理、ファッションまで】(#1025)

  浜野 保樹
  価格: ¥777 (税込)
  祥伝社(2005/02)

 本書は、海外から注目される日本のポップカルチャーと日本の文化戦略を論じたものです。
 第1章「模倣される映像」では、『荒野の用心棒』と『スター・ウォーズ』を例に挙げ、「黒澤作品をもとにした映画が海外で新たなジャンルを作り出してしまうほど、黒澤作品の物語や設定、登場人物が普遍的な魅力を持っていた」と述べています。そして、「ハリウッドで流布している有名な逸話」として、ヨーロッパの映画際に出席したジョージ・ルーカスが、会場にいる黒澤明に気づき、一緒に来ていた友人が、「お前に著作権料をもらいに来たんだ」と冗談をいったところ、慌てて逃げてしまった、という噂話を紹介しています。
 また、来日した海外の映画人が、黒澤監督が亡くなれてからは、アニメーション監督である宮崎駿や押井守、大友克洋に会いたがるようになったことが述べられています。
 さらに、映画『マトリックス』の衝撃が、「日本のアニメーションを実写化したに等しいハリウッド映画が世界中で大ヒットしたことにあるのではなく、日本のアニメーション作品が歳月をかけて生み出してきた、現実には不可能な視点やシームレスに動く映像など、これまでアニメーションでしかできなかった表現方法、それも日本のアニメーションの刻印とも言えたものが、デジタル技術によって実写映像で実現されてしまったこと」にあると述べています。
 そして、アジアでも「日本で作られたTV番組が自国の番組をしのぐほどの人気を獲得することもある」ことを紹介し、台湾で「哈日族」と呼ばれる、「日本を好きであることを隠さず、表明する人たち」が登場したことを紹介しています。
 また、フランスで最も知名度の高い日本人は、『ドラゴンボール』の作者の鳥山明だったが、日本の財界人たちは、「誰一人、鳥山明の名前を知らなかった」と述べています。そして、日本のアニメーションが、「かつて実写映画は描きたくても描けない技術上あるいは費用面の制限が多かったため、実写かできないままのマンガやアニメーションがたくさん残されてきた」ことを、「見たこともないような表現」の宝庫であり、「ストーリーや新しい表現が枯渇してしまった現在のハリウッドにとって、魅力的な宝の山」であると述べています。
 第2章「模倣される生活様式」では、日本で人気を得たTV番組の『料理の鉄人』が、アメリカでも『IRON SHEF』として高い人気を獲得し、「番組そのものではなく、番組の企画や形式を販売」する「フォーマットセールス」という形式によって、アメリカ版も制作されていることを紹介しています。
 また、日本の正しい「省エネスーツ」である、「開口部が大きく、空気の入れ替えができるきもの」である浴衣について、「浴衣に抵抗があるなら、かりゆしウェアに習い、地元特産の織物や独特の柄、染色技術を生かしたものを開発すればよい」と述べています。
 第3章「模倣される理由」では、江戸時代に町民にも普段着としての着用が許されていた紬について、「真綿といわれる絹のくずから細い糸を紡ぎ出し、ひねりを加えて強度を高めているため、織り上げたとき、少し固めの感触があるが、着ているうちに次第に柔らかくなり、着ればきるほど着心地がよくなってくる」ため、大店の主人は、結城紬を手に入れると、「一年間使用人に着させて、何度も洗い張りをして柔らかくしてから着用した」といわれていることを紹介しています。
 また、インターネットの検索サービスである「ライコス」の2001年、2002年に最も多く検索された言葉が、「Dragonball」であったことを紹介しています。
 第4章「模倣する日本」では、『ペリー艦隊日本遠征記』に、「日本人は外国から持ち込まれた目新しいものを素早く調べて、その製造技術をすぐに自分のものとし、非常に巧みに、また精緻に同じものを作り出す」と記述されていることを紹介し、「『まなぶ』と『まね』は同じ語源から来ており、真似ることは批判される行為ではなく、何かを学ぶためには模倣から始めなければならないと考えられていた」と述べています。
 そして、「第1の模倣が中国で、第2の模倣がヨーロッパで、第3の模倣がアメリカだった。第3の模倣は、水から模倣しただけでなく、模倣を強制された。3つの模倣に共通しているのは、すべて科学技術の遅れを自覚して、始まっていることだ」と指摘しています。
 また、スペインのコルドバに8世紀に作られたメスキータを15世紀にキリスト教会に改築されそうになったときに、当時の国王カルロス5世が、「世界のどこにでもあるようなものを造るために、どこにもないものを壊した」と嘆いたことや、谷崎潤一郎が、「ふるさとは田舎侍にあらされて昔の江戸のおもかげもなし」と嘆いたことなどを紹介しています。
 第5章「共感される日本」では、我々が小さい頃から、「日本は資源のない小さな島国だと教わってきた」が、それが「資源とは物的資源のことだという、偏った観念を植えつけ、洗脳してしまった」と指摘し、日本の文化資源の豊かさを述べ、「文化はその文化圏に属するものみんなが持っていて、誰も占有できず、誰も奪うことができない。それこそがわれわれの最大の資源なのだ」と述べています。
 本書は、アニメーションに入れ込んでいる人はもちろん、日本の将来のリーディング産業を模索している人にとっても大きな示唆のある一冊です。


■ 個人的な視点から

 「オビ・ワン・ケノービ」が「黒帯」だとか、「ジュダイ」が「時代劇」にちなんでいるとかの都市伝説は色々なところで語られていますが、こういう本で真面目に紹介されると不思議な感じがします。


■ どんな人にオススメ?

・日本は物真似の国だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 杉山 知之 『クール・ジャパン 世界が買いたがる日本』 2007年08月19日
 町山 智浩 (翻訳), パトリック・マシアス (著) 『オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史』
 堀淵 清治 『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』 2007年04月15日
 中村 伊知哉, 小野打 恵 『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像』 2006年11月29日
 フレデリック・L. ショット (著), 樋口 あやこ (翻訳) 『ニッポンマンガ論―日本マンガにはまったアメリカ人の熱血マンガ論』 2006年04月29日
 斎藤 環 『戦闘美少女の精神分析』 2007年11月02日


■ 百夜百音

Greatest Hits【Greatest Hits】 Blondie オリジナル盤発売: 2005

 なぜだかアン・ルイスが頭に浮かんでしまいました。具体的にどの曲が似ている、というわけではないですが。

『Blondie』Blondie

2007年11月10日 (土)

「粉もん」庶民の食文化

■ 書籍情報

「粉もん」庶民の食文化   【「粉もん」庶民の食文化】(#1024)

  熊谷 真菜
  価格: ¥777 (税込)
  朝日新聞社(2007/9/13)

 本書は、「人類の食の基本として、日本人のもう一つの主食、または行事や催事のにぎわいの食として、大切に伝えられてきたさまざまな粉もんの素晴らしさを再発見し、その魅力に迫って」いるものです。
 第1章「粉もんのアイドル たこ焼き誕生」では、大正から昭和にかけて「東洋のマンチェスター」と呼ばれた大阪での、「今のたこ焼きの中身が、タコではなく、おもにコンニャクだった」という「ラヂオ焼き」の誕生から、たこ焼きの歴史を追っています。中身は「タコではなく、小さく切ったコンニャクや刻んだネギ、天かす、紅しょうがを入れた」もので、味付けの基本は塩と醤油、値段は2個1銭であったことが紹介されています。
 また、たこ焼きを「学問的」に分類すると、
(1)ソースをつける大阪たこ焼き
(2)おだしにつける明石焼きとも呼ばれる玉子焼き
(3)何もつけない戦前生まれのたこ焼き
の3つに分類できるとしたうえで、たこ焼きの原点として、ソースをつけない「素のたこ焼き」を出す「会津屋」に1983年にインタビューをし、ラヂオ焼きの具の試作に明け暮れていた会津屋の初代、遠藤留吉氏が、まずは甘辛く炊いた牛スジ肉を具にして「肉焼き」を売り出し、さらに明石の玉子焼きにタコが入っていることをヒントに「たこ焼き」を開発した経緯を紹介しています。
 そして、昭和30年代に、「程よい甘味と粘度のある万能調味料」である濃厚ソース開発によって、たこ焼きが屋台の人気メニューとして定番になり開花したと解説しています。
 さらに、コラムでは、著者のデビュー作である『たこやき』(1993年)において、当時の『広辞苑』第三版(1983年)の記述の古さを指摘し、編集者が岩波書店に、「改訂理由の手紙といっしょに本を送り、記述の改訂を迫った」結果、5年後の1998年の第五版において、たこ焼きの記述が改められたことを紹介しています。また、
 第2章「粉もん軸の食文化論――B級グルメ隆盛を可能にした製粉の技術革新」では、「食いだおれの街、やたら食にうるさい関西」では「自分にとって旨いものが一番なんや」という考え方が強く、「B急グルメ」は「東京発想のことばであり、関東の人々の『庶民的な食の楽しみ』への関心の現われとしてとらえたほうがいいだろう」と解説しています。
 第3章「麺類万歳」では、石毛直道『文化麺類学ことはじめ』から、麺類の分類として、
(1)拉麺系列
(2)線麺系列
(3)切り麺系列
(4)米粉・河漏麺系列
(5)河粉系列
の5つの分類を紹介しています。
 第4章「ふるさとのおやき」では、信州の「灰焼きおやき」を取り上げ、「あんなもの作らなくても、ほかにおいしいものがいっぱいあるから……」という表現が、「一見合理的な考え方」だが、「先祖代々、土地の素材を生かした形で丁寧に作られてきた、その家にとっては象徴的な、子どもたちにとっても、大事にとっておきたい食文化への冒?であり、なんとしてでも待ったをかけたい」と述べています。
 第5章「粉もんの地位――代用食の時代とアメリカの小麦戦略」では、明治の文明開化後、パン、ビスケット、ケーキ、エビフライ、コロッケなど揚げもん系が一般的になり、「昭和初期までは粉を使ったさまざまなメニューが登場し、粉もんの地位は確実に右肩上がりとなっていた」はずであるが、第二次世界大戦勃発後の食糧問題から、白米食以外の炭水化物の摂取が奨励され、「代用食」の登場により、粉もんは「まずくて最低レベルの食べものというレッテルを貼られてしまった」と指摘しています。
 また、敗戦後、食糧難の解決策が、アメリカ産の余剰農産物であり、「小麦を筆頭とする農産物をアジア救済という名目のもとに、一定の条件で贈与または輸出するという戦略的な政策」である「アメリカ小麦戦略」と呼ばれる農業国アメリカの周到な計画が企てられていたことを解説しています。
 また、「オレゴン小麦栽培者連盟」からの資金提供を受けた厚生省が運行させた「キッチンカー」による全国キャンペーンの目的が、「米を食べないで、小麦粉を食べよう」というものであり、その運行条件は、「必ず小麦粉と大豆を使用すること」であったことであることが解説されています。
 しかし、著者は、「ほんとにアメリカの小麦粉戦略だけが、現代の食生活を方向付けたのか、を冷静に考えると、答はNOである」と述べ、「粉もんを作り食べ、粉もんを育んできた庶民の精神性、そのしなやかかつしたたかな暮らしを楽しむ知恵や技こそが、日本の食生活の芯として、世界でも有数の豊かな食文化の真髄を形作ってきた」と主張しています。
 第6章「粉もんロードの終着点――もんじゃ、にくてん、お好み焼き」では、「粉もんは、はかない」と、粉もんが「料理と認められないこと」さえあると述べ、大洗の「たらし」など、各地に伝わる鉄板系粉もんを紹介しています。
 また、お好み焼きを含む鉄板系の粉もんのルーツとして、「鉄板粉もんの祖は千利休のフノヤキが、ひとつの端緒と考えられる」と述べています。
 さらに、鉄板系粉もんの特徴として、その加水率の高さを挙げ、「加水率を限りなく高め、そこから今度は表面の水分を一気に蒸発させる。表面のカリッと感と、なかの粥状のトロトロ感のコントラスト」という食感こそが、「鉄板粉もんの醍醐味であり、シルクロードを渡ってきた粉もんの歴史のいまのところの着地点なのである」と述べています。
 本書は、「粉もん」を切り口に日本の食文化の歴史を丹念に追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読んだせいか、たこ焼きが食べたくなってしまったところで、釣りにいって蛸を釣ったので、ダイソーでたこ焼き鍋を買ってたこ焼きを作ってしまいました。
 ポイントはやはり加水率。それから千枚通し。表面の部分がカリッとしてきたところで、内側から千枚通しを刺してひっくり返すのがポイントなのかもしれないと思ってしまいました。まだうまくまん丸にならないので、修行が必要です。


■ どんな人にオススメ?

・「粉もん」と言えば「大阪」だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 熊谷 真菜 『たこやき―大阪発おいしい粉物大研究』
 熊谷 真菜, シノハラ ガク 『たこやきのナゾ』
 熊谷 真菜 『たこやきの正しい食べ方』
 熊谷 真菜, ハリー中西 『大阪たこ焼33ヵ所めぐり〈2003年度版〉』
 熊谷 真菜 『大阪新発見散歩』
 熊谷 真菜, 日本ふりかけ懇話会 『ふりかけ―日本の食と思想』


■ 百夜百音

生命力【生命力】 チャットモンチー オリジナル盤発売: 2007

 見た目とギャップの大きいゴリゴリの3ピースの音を聴かせてくれます。アルバム売れてるみたいです。

『奥田民生・カバーズ 』奥田民生・カバーズ

2007年11月 9日 (金)

実践!自治体の人事評価―「評価される側」からのアプローチ

■ 書籍情報

実践!自治体の人事評価―「評価される側」からのアプローチ   【実践!自治体の人事評価―「評価される側」からのアプローチ】(#1023)

  中村 圭介
  価格: ¥2000 (税込)
  ぎょうせい(2007/04)

 本書は、地方公務員の「働きぶり、仕事で発揮する能力を評価するためには、どのような制度がふさわしいのだろうか」、つまり、「地方公務員にふさわしい評価制度」を探ることを目的としたものです。
 第1章「評価の必要性」では、著者が前著『変わるのはいま――地方公務員改革は自らの手で』で指摘した地方公務員の人事管理の問題点として、
(1)管理職の選抜に当たって、人事評価を使う自治体は民間と比べて少ない。
(2)長期間休まず規則を破らず、ただ勤務していれば、仕事ぶりにかかわらず、誰でも同じように毎年給料が上がる。
(3)3年から5年で職場を異動し、しかも、相互に関連のない職場を異動する。
の3点を挙げ、「個々の職員について、どんな知識、スキルが不足しているのか、どのような能力を開発していくべきなのか、どのような仕事に向いているのかを知る必要」があり、そのために人事評価が必要であると述べています。
 そして、「民間のような人事管理は自治体には適さない」という声に対し、「良質な行政サービスを効率的に提供していくためには、マーケット・メカニズムに変わる、何らかの工夫が必要となる」として、その一つとして「適切な人事管理」を挙げ、「自治体では、民間以上に人事管理が重要となる」と述べています。
 また、評価制度の設計に当たっては、「職場の目線を大事にしたい」と述べ、その理由として、
(1)評価される側の納得を得たいから。
(2)評価する側の負担も軽くなるから。
の2点を挙げています。
 第2章「職員の意識」では、自治労福岡県本部に所属する組合員30,580人を対象に実施したアンケート調査に対して、42.2%にあたる16,242人から得た回答について解説しています。
 まず、人事評価制度導入に対しては、10人中6人と予想以上に高く、その理由として、「現在の人事処遇への不満」が背景にあると述べています。
 そして、「積極派、慎重派、反対派」を分かつものとして、「現状の人事管理への不満」を挙げ、「積極派の4分の3、慎重派の3分の2は人事管理に不満を持ち、これに対して反対派は2人に1人となる。不満があるからこそ、積極派になるし、あるいは慎重派になる」と解説しています。さらに、人事評価制度がうまく機能していくためには、「フィードバックの仕組みを作ること、評価者訓練を行うこと」を挙げた人が覆いと述べています。
 第3章「職場の目線(1)――一般職」では、「県の出先機関、市町村そして県」の順序で、著者が分類し、概念化した職場の目線を、その根拠となった発言とともに述べています。
 県の出先機関については、「仲間の働きぶりや能力を見る目線を分類し概念化」したものとして、
(1)法令に関する知識
(2)顧客である市民への対応力
(3)個々の市民が置かれている状況を推理、分析し、的確な判断を下す能力
(4)仕事への積極性
(5)仲間たちとの協調性
の5点を挙げ、発言からは抽出されなかったが、
(6)業務に関する知識
を加えても良いかもしれない、と述べています。
 つぎに、市町村で働く一般職については、「多くの仕事に共通のものと、特定の部署の仕事だけに限られる固有のものとがある」として、前者については、
(1)法令に関する知識
(2)業務に関する知識
(3)仕事への積極性(ただし、県の出先機関で指摘されたものと違うものも含まれる)
(4)仲間たちとの協調性
の4点を挙げ、部署に固有の目線である後者については、
(1)企画立案能力
(2)顧客である市民への対応力
の2点を挙げています。
 さらに、県庁で働く一般職については、市町村の一般職と異なる点として、
(1)窓口で市民と直接、応対するような仕事がない。
(2)県の出先機関、市町村の指導、監督といった仕事がある。
(3)迅速に仕事をこなしていくことが特に求められる。
(4)議会対応が仕事の中で大きな比重を占める。
の4点を挙げ、多くの仕事に共通する目線として、
(1)法令に関する知識
(2)業務に関する知識
(3)仕事への積極性
(4)仲間たちとの協調性
(5)仕事の迅速性
の5点を挙げた上で、特定の仕事に固有の目線として、
(1)企画立案能力
(2)指導監督の対象となる出先機関、市町村の関係部署とのコミュニケーション能力
の2点を挙げています。このうち、「仕事のへの積極性」の中では、「アンテナを高く張っている人とそうでない人がいる」として、「そういう情報って自分で探さないと、降ってくるものじゃない」という発言を紹介しています。
 さらに、市町村、県の本庁、出先機関で働く一般職が、「どのような目線で、係長や課長などの働きぶりや能力を見つめているか」について、「一般職は、管理職の働きぶりや能力を、まずは、同僚と同じ目線で見る」上で、管理職固有の目線として、
(1)リーダーシップ
(2)部下に対する信頼
(3)責任
の3点、さらに県庁だけは、
(4)議会対応力
が加わると述べています。
 第4章「職場の目線(2)――現業職」では、「現業職は決して『単純労務職』ではない」と述べ、「単純労務」という言葉から一般的にイメージされる、「体を動かすだけで、知的な判断業務も必要とせず、かつ、技も不要であるような仕事」とは、現業職の実像は「大きくかけ離れている」と指摘しています。
 まず、県の道路技術員については、道路の維持管理業務に必要な知識と能力として、
(1)担当している道路の状況、その周辺環境についての知識
(2)天候や道路の状況に応じて、監視する対象を絞り込む、点検の目線を集中する能力
の2点を挙げ、「この2つの能力をあわせて以上の早期発見能力とでも言えようか。点検目線を絞り込み、道路に見られるわずかな兆候を見逃さずに、以上を早期に発見できるかどうか」が求められると述べています。
 次に、農業技術員に必要な能力としては、
(1)作業の立案能力(段取り能力)
(2)各作業の適切な時期を判断していく能力
(3)質の異なる土をうまく耕作し、農作物をうまく栽培していく技術
などを挙げています。
 次に、学校給食調理員については、仕事がうまくいったかどうかは、「おごちそうさまという声が聞こえた時」や「残滓とかが少なかった時」という正直な結果が還ってくることが述べられています。
 次に、清掃・し尿処理作業員については、「数台ある清掃車、バキューム・カーに、どの区域を担当させれば、もっとも効率的にごみ収集、し尿処理ができるだろうか」という「パズルを解かなければ、配車計画は立てられない」と述べ、「このパズルを解いているのは、清掃・し尿処理作業員自身である」ことについて、「プロジェクト班(収集ルートを策定している)を現業がもっているから、直営でやっていける。当局側に渡してしまったら、くみ取るだけの仕事になる」という発言にプライドが現れると述べています。
 著者は、これらの抽出した項目について、「抽出した諸項目こそが、現業職場における目線である」と述べ、「ここに概念化されている言葉を、現実に即して理解すること」が重要であると述べています。
 第5章「人事評価制度案」では、グループ討議から抽出した職場の目線をもとに、人事評価制度案を述べています。その概要として、
(1)一般職員を初級、中級、上級の3クラスに分け、その上に、係長を持ってくる。
(2)このクラスごとに、クラスごとに具体的な評価基準を作る。
の手順を挙げ、評価基準作成の方法として、
(1)職員個々人が保有する知識、能力などを質的、量的に把握し、かつ表現することが比較的容易な評価項目
(2)職員個々人が保有する知識、能力などを質的、量的に把握することは比較的容易だが、それを直接、表現することが比較的難しい評価項目
(3)仕事への積極性、企画立案能力については、積極性を向ける対象、企画立案する事業計画や条例案などの難易度
(4)協調性については、チームの中で果たすべき役割
(5)よりよい市民サービスを提供するという姿勢
の5点を挙げています。
 その上で、注意すべきこととして、
(1)実際に自分達の職場で求められている具体的な知識を念頭において、評価を下すこと。
(2)仕事への積極性や企画立案能力については、求められている知識、能力等を、クラスごとに具体的に確定しておくこと
の2点を挙げています。
 第6章「自治体が変わる」では、著者が、「人事評価制度は自治体の人事管理を変え、そればかりでなく、自治体そのものを変える」という思いから、地方自治体の人事管理、人事評価制度を調査研究してきたと述べています。
 本書は、職員自身の言葉から自治体職員の仕事と能力を拾い出した一冊です。


■ 個人的な視点から

 自治労のアンケートがベースになっているだけに、市町村から県までの幅広い職種の職員を対象にしている点が本書の強みでしょうか。ただし、実際の評価制度の構築部分は、残念ながら概論レベルで終わっている点があります。
 これは、研究者というスタンスの限界ということもあり、ここから先は、実際の実務担当者がどれだけ取り組めるかにかかってくる部分なので、研究者にこれ以上を求めるのは酷ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・人事評価の仕組みに不満がある人。


■ 関連しそうな本

 山本 直治 『公務員、辞めたらどうする?』 2007年08月24日
 稲継 裕昭 『日本の官僚人事システム』 2005年02月10日
 稲継 裕昭 『人事・給与と地方自治』 2005年12月09日
 川手 摂 『戦後日本の公務員制度史 「キャリア」システムの成立と展開』 2005年12月29日
 早川 征一郎 『国家公務員の昇進・キャリア形成』 2006年04月20日
 山中 俊之 『公務員人事の研究―非効率部門脱却の処方箋』 2006年06月08日


■ 百夜百マンガ

宇宙海賊キャプテンハーロック【宇宙海賊キャプテンハーロック 】

 「ヤマト」や「999」に比べて通好みのする作品ですが、作者の男のロマンと美学をこれほど表した作品とキャラクターはありません。

2007年11月 8日 (木)

なぜ日本人は賽銭を投げるのか―民俗信仰を読み解く

■ 書籍情報

なぜ日本人は賽銭を投げるのか―民俗信仰を読み解く【なぜ日本人は賽銭を投げるのか―民俗信仰を読み解く】(#1022)

  新谷 尚紀
  価格: ¥735 (税込)
  文藝春秋(2003/02)

 本書は、民俗信仰を主題とし、「身近な生活の中の素朴な疑問から、大きな謎が解けていくという民俗学の快感」を次の世代にも渡しておく、という思いで執筆されたものです。
 第1章「四季おりおり」では、「日本の桜文化の基層には樹木と人間とが交わす生命と霊魂の共感がある」ことが、「古来、桜を読んだ歌の多い理由」であると述べています。
 また、各地の民俗行事としての七夕の特徴として、「女性はこの日必ず洗髪する、子供たちは七回水浴びする、家族全員で行水する、食器を洗う、井戸浚いをするなど、じめじめした長い梅雨の間にたまった不浄なものを禊ぎ祓へ清める意味の伝承」など、「水に関する伝承が多い」ことを指摘しています。
 第2章「暮らしと信仰」では、「縁起かつぎやジンクスを考える上で、『境界』という概念は大変有効である」として、家の玄関に魔除けや盗難除けのお札が貼られることなどを挙げ、「玄関とは、心身ともに安心できる肌着感覚の家屋の中と、何が起こるかわからない警戒すべき外の世界との決定的な境目、内か外かどっちつかずであいまいな場所、つまり『境界』であり、何かけじめをつけたいとする衝動をわかせる場所」であるため、「玄関にはまじないや禁忌が集中している」と述べています。そして、自宅分娩がほとんどであった昭和30年代以前には、「エナとかアトザンと呼ばれた胎盤が産まれた子供に強い影響を与えるものとして慎重に処理され」、「そんな胎盤を埋めておく元も安心できる場所が他ならぬ家の玄関の敷居の下だった」と述べ、玄関の「境界」性を指摘し、「いまでもその引き戸の敷居を踏んではいけないという禁忌」があることを紹介しています。
 また、私たちの身の回りで縁起がよいとされているものを、
(1)神社や寺院の門前で配付されているもの・・・熊手、福笹、しゃもじなど
(2)言葉の霊力を気にかけるもの・・・鯛(めでたい)や昆布(喜ぶ)など
(3)「境界」的な状況や場所に禁忌や儀礼が集中するもの・・・正月行事や初物好みなど
(4)奇妙な呪物の類・・・女性の髪の毛、蛇の抜け殻、兎の尻尾など
の4点に類型化しています。
 さらに、路傍にまつられる道祖神の特徴として、「男根や女陰などの性的要素の強調があり、また兄妹婚の禁忌(タブー)の伝説がまつわりついているという一見不可解な事実」が、「道祖神が元々は、人々の厄災を一新に寄せ集めてそれを払え清める人形であり、そこから逆転して人々との生命を守ってくれる神様へ転換しているのだ、と理解すれば納得可能である」と解説しています。
 第3章「比叡山の水脈」では、「比叡山からの日本仏教の水脈が、一般の人々の民俗生活の中に」受容され、沈殿していった問題を考える上で、第18代天台座主、慈恵大僧正良源(912-985)の活動が注目される、と述べ、良源の足跡のうち、
(1)「権化の人」とも称されるさまざまな霊験や法力談が伝えられる祈祷調伏の並外れた能力を持つ人物。
(2)藤原師輔を有力壇越として摂関家に接近し、世俗権力と結びつき、天台座主から大僧正へと異例の昇進を遂げた人物。
(3)石造墓塔の造立供養の方式を示し、その先駆けとなった人物。
の3点に着目しています。
 著者は、「今日の葬送墓制の民俗における多様な実態、たとえば石塔の一般化といい、寺僧の葬送関与と墓地管理といい、また、一方では散骨葬などの遺骨の放棄など、それらのいずれもどこかで比叡山につながっていることを知るとき、最澄が入山し多くの門弟を輩出した比叡山の水脈の長くかつ広いことが思い知らされる」と述べています。
 第4章「葬儀と墓」では、日本各地の民俗を調べる中で、「どうしても仏教とは関係のないような行事がたくさん出てくる」として、「七日帰りなどと言って死後六日目の晩には死者が家に帰ってくると言い伝えられ、縁側に蓑笠姿の三脚の人形と供物棚を作っておく」例が近畿地方や四国地方で見られることを挙げています。
 また、千葉県の佐倉市や野田市、長柄町で見られる「四十九餅」について、「人々が分けて食べる喰い分かれの持ちであると同時に、死者の四十九日間の食べ物であり、まだ完全には死んだものと見なされていない死者の一日一つずつの生命、魂の象徴でもあった」と述べています。
 さらに、「家」制度の成立と関連づけて考えられることが多い石塔について、「実際に初期の石塔を見た限りでは、むしろ夫婦が不安な来世を仏のもとで一緒につながっていたいという気持から自分たちで建てたものが多かった」と述べています。
 第5章「死の神話」では、霊長類学者の水原洋城氏による「死は事実ではなく概念だ」という言葉を紹介し、『古事記』、『日本書紀』や世界各地の神話について「人類の祖先による死の発見と他界観念の生成をめぐる物語である」として解説しています。古事記に関しては、死の世界に赴いた二人の主人公が、「いずれも恐怖と危険を克服したのち、三貴神を得たり国作りを成し遂げている」ことから、「この死の豊饒性こそ、古事記神話が語りたかった死の認識論といってよいのではないか」と述べています。
 第6章「賽銭はなぜ投げるのか」では、民俗学から貨幣を見た際の身近な疑問として、
(1)なぜ私たちは神社でお賽銭を投げるのか。
(2)人はなぜきれいな清水を見るとその中にお金を投げ入れるのか。
(3)人にお金を渡すときなぜ裸銭では失礼なのか。
(4)結婚式などのご祝儀のお金はなぜピン札でなければならないのか。
の4点を挙げています。
 そして、生活の中でお金を考える上での視点として、
(1)現実的な意味での経済的な道具としての貨幣に注目すること。
(2)象徴的な意味での信仰や儀礼の場における貨幣に注目すること。
の2点を挙げ、ここでは後者に注目するとしています。
 著者は、儀礼と貨幣について、大きく分けて、
(1)結婚式の祝儀や葬式の香典など袋に入れてあげるお金
(2)嫁入りや葬式でみんなに撒いてあげるバラ銭、コイン
の2つのタイプがあると述べ、これらを民俗学的に読み解いていくと、贈与には、
(1)贈与交換による絆の強化
(2)領域侵犯に際しての贈与
の他に、日本の民俗の分析の中から発見できるもう一つの意味として、
(3)脱社会的な状態における贈与
を発見できると述べています。
 そして、埼玉県比企郡都幾川村大野という村の送神祭などの例を挙げ、
(1)ケガレの逆転現象
(2)ケガレはそれが祓ヘ清められるときに貨幣に託されている、貨幣に依り付けられている
の2点に注意すべきであると述べ、「貨幣はケガレの吸引装置であるということ、神社はケガレの吸引浄化装置であるということがわかった」として、「貨幣=死(ケガレ)」という等式が想定できると述べています。
 著者は、「貨幣の誕生は宗教の誕生、王の誕生と密接に結びついている」ことについて、「それは人間が死を発見したからだというのが私の仮説である」と述べています。
 本書は、民族学をツールに、日本のさまざまな民俗を読み解いていく楽しい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書のタイトルには、「なぜ日本人は」という言葉が入っており、著者によると、編集者からの「そのほうが多くの読者に受けるからだ」との勧めでこの言葉を入れたものであり、「知の社会還元ともいうべき一般書の出版に当たってはとにかく多くの読者の目に触れ手にとってもらえなければ意味はない」と語っていますが、「編集者の意見に同意して、日本人と賽銭という後をタイトルに入れた責任は筆者にある」とわざわざ断りを入れているところに、色々出版までの間の葛藤があった模様が伺われます。


■ どんな人にオススメ?

・初詣でお賽銭を投げることに疑問を感じない人。


■ 関連しそうな本

 新谷 尚紀 『日本人の禁忌―忌み言葉、鬼門、縁起かつぎ…人は何を恐れたのか』
 沖浦 和光 『「悪所」の民俗誌―色町・芝居町のトポロジー』 2007年05月03日
 加藤 政洋 『花街 異空間の都市史』 2006年07月10日
 宮本 常一 『忘れられた日本人』 2006年06月25日
 イザベラ バード (著), 高梨 健吉 (翻訳) 『日本奥地紀行』 2006年08月06日
 宮本 常一 『イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む』


■ 百夜百マンガ

超人バロム・1【超人バロム・1 】

 当時の子供なら誰でも「バロム・クロス」をして遊んだ経験があるわけで、今でも酔っ払うと腕を振りかざして「バロ~ム」と叫ぶ人がいます。誰か応じてあげないと可愛そうです。

2007年11月 7日 (水)

選挙の民俗誌―日本的政治風土の基層

■ 書籍情報

選挙の民俗誌―日本的政治風土の基層   【選挙の民俗誌―日本的政治風土の基層】(#1021)

  杉本 仁
  価格: ¥2310 (税込)
  梟社(2007/03)

 本書は、著者の故郷である「山梨県を舞台に行なわれてきた『選挙』の実態を浮き彫りにし、その社会的実装を描きあげていく」ものであり、著者は、「『選挙』ほど、とりわけ甲州において、民俗の深層を反映するものはない」、「『選挙』が、私たちの社会のなりたちとしくみ、生活の営みそのもの、言い換えれば『民俗』ということだが、それに深く規定されているところからくるのではないか」と述べています。
 第1章「ムラ祭りとしての選挙」では、ムラの選挙において、候補者選びが難航することも少なくなく、その時に「ムラの体面」が浮上するとして、「自分のムラから神輿(候補者)を出さないとなると、外部(よそ者)の候補者に『シマ荒らし』をされ、ムラは『草刈り場』『秣場(まぐさば)』と化し、統一や団結が希薄になる。長老や顔役には面目もあり、村を蹂躙され、荒らされるまま、指をくわえているわけにはいかない。そんなことをしたら『お前のムラでは選挙も打てないのか』と外部から嘲笑を浴びることになる。面子にかけてもタマ(候補者)の擁立が不可欠で、躍起になる」と述べています。
 また、候補者とその家族が、「ムラ人の無理難題を票のために呑み込み、黙って頭を下げ我慢する」様子を、「ムラの掟を逸脱した家や無謀な蓄財をした家に、祭りのおり神の名の下に神輿を担ぎ込んだり、寄付を強請する嫌がらせと類似している」と述べ、「候補者も議員になるためには、せんきょという荒縄で縛られ、世論の批判を浴び、金を強要され、脅迫され、時には恫喝され、はじめて『お羽織』をきることができる」と解説しています。
 さらに、選挙の必需品である酒に関して、「戦後しばらくは、村人には毎日、酒を飲むという慣習が」なく、「酒はハレの日の飲み物」であり、祭りや葬式のときに振舞われるものであったが、「その飲み物が、選挙ではタダで振舞われたのである」、「ムラ人は、この時とばかりに振舞い酒を飲み、泥酔した。選挙村(=選挙銀座)には酔っ払いが横行し、とぐろを巻き、事務所の責任者などにくってかかる光景があちこちで見られた」と述べています。そして、戦後の物資不足の時には酒の調達は深刻で、1951年4月の統一地方選挙では、町長候補者が自宅で選挙用の酒を密造する事件が起きていることを紹介しています。
 候補者が「ゲン」を担いで、「万事に凶である仏滅や縁起の悪い数などを忌避する傾向が強い」ことに関しては、1951年の統一地方選挙の告示日の4月3日が仏滅であり、翌日は、四(シ)が二つ続く4月4日であったので、「ゲンを担ぐ候補者は、届出を2日も延期した」と述べられています。
 また、「外からムラに入ってきた者が、ムラに定住し、そのムラの構成員になること」である「ムラ入り」に関して、甲州の古語で「イセキ」と呼ばれる(婿)養子が、「ムラの実質的構成員として名実ともに一人前として認知されるための近道」として、「村人の手荒い『暴れ神輿』に乗り、撒銭・散財する選挙こそ、実質的なムラ入りにふさわしいものであった」と述べています。
 さらに、投票日の2、3日前からは、「シマ荒らし」に備え「ムラに臨戦態勢が敷かれる」として、「ムラ入口では古タイヤが燃され、ムラ内に入る選挙ブローカーなど不審者の侵入排除・追跡が始まる。時には道路上に障害物を築き、気勢を上げることもあった」と述べ、その場所が、「多くが道切りやドンド焼が行われる場所」である点が興味深いとしています。
 選挙当日の「狩りだし」については、「運動員が投票所近くに待機しながら、支持者が投票を済ましていない場合には、自宅や職場に呼びに出かけ、投票所まで運搬すること」と解説し、1951年4月の知事選では、笹子村(現大月市)で投票率100%という「偉業」が達成されたことを紹介し、この背景に、「病人はリヤカー、年寄りは背負って投票所まで運ぶ『狩りだし』があった」と述べ、「こうなると棄権などできない。村人の相互監視態勢下での投票行為となる」と解説しています。そして、「村の存在感を示すのに、選挙はまたとないチャンスであった。観光業などが興隆する高度成長期以前の僻村にあって、高い投票率は村の威信がかかった格好のメルクマールだったので」、「僻地といわれた村ほど選挙には熱心であった」と述べています。また、1968年3月3日には、南都留郡勝山村で98.3%の高い投票率とともに、そのうち3分の2が不在者投票であったという事態が起こり、これは、1947年5月の参院選で投票率30%台という不名誉な記録を作ってしまったことで村関係者が不在者投票の積極的な宣伝をしていたこと、熾烈な村長選で「二人の候補者からの度重なる買収・供応などの『攻撃』が加わり、ムラ人はいたたまれなくなり、自らの投票を繰り上げ、不在者投票にでかけた」からであると解説しています。
 第2章「ムラの選挙装置と民俗」では、「立候補には、ムラ(地域)推薦のほか同族団の推薦が不可欠になる」と述べ、これを象徴するかのように、「選挙シンルイ」なる言葉が存在し、「弱小な同族団では独自の候補者を立てても、基礎票が少なく、当選はおぼつかない」ため、「一定程度の基礎票を確保するために、同族団同士が選挙協力のために合従連行する」と解説しています。
 また、「親分子分慣行」に関して、「名づけもオヤブンの仕事の一つ」であり、「ムラにおいては、子どもの名前は寺の住職やオオヤの当主、ないしオヤブンが付けることが多かった」と述べ、「個人の名前は、単なる記号でなく、その人間の成長をリードし、その存在の社会的な意味づけにも資するもので、その人間の人格の証となることが多い」と解説しています。
 さらに、「山梨文化」と言われるほど、山梨県内に定着している社会現象である「無尽」に関して、「選挙と切り離しては語れない」と述べ、「政党は無尽の集票機能に着目し、候補者は無尽を巧妙に活用してきた」として、1951年4月の県議選で、「『無尽』名義で有権者を集め、酒宴を開き、投票依頼を行なった」事件を取り上げています。また、「無尽と選挙活動を候補者側から効果的に結びつけた最初の人」として、甲府市長を務めた河口親賀が「無尽市長」と呼ばれ、支持者を「河口宗」と呼んだことを紹介しています。
 甲州では、香典を差し出すことを「ギリハリ(義理張り)」や「ジンギ(仁義)を切る」と少子、「ギリハリやジンギを忘れたら『人ではない』といわれかねない。ギリハリを忘れたらエンギリとなる」ため、「新聞の『お悔やみ欄』が充実しているのも山梨県の特徴である」と解説し、「悲しいかな、高齢者の一日は、ここに目を通すことからはじまるといわれている」と述べています。そして、全国的にも珍しい8期32年間連続当選を果たした山梨市長の古屋俊一郎が、「市民の悲しみは市長の悲しみでもある」をモットーに、「市長室に絶えず喪服を用意し、市民の葬儀に足しげく通い、オトボレー市長とまで呼ばれた」ことを紹介しています。
 第3章「ムラの精神風土と金丸信」では、「ムラの民俗を利用・活性化した金丸信という『大物政治家』の政治手法や行動を対象にして、彼の在所であるムラとは何かを問い、そのムラを規定している民俗の意味を再度検証する」としています。
 そして、「ムラの民俗やその装置を収奪し、その機能を遺憾なく活用しているのが、後援会組織である」と述べるとともに、甲州人の気質として、朝日新聞記者であった山下靖典が、「山梨県人の特質を無尽や親分子分慣行の思考や集団様式の中から析出し、『割拠性―群猿性―親分子分―「小村」性』が甲州人―山梨県人の間に、時代によって表現形態は変化したものの、持続・継承されてきた」と見なし、「縄張り意識・排他的集団性・主従追従性・閉鎖的傾向の強い県民」であると指摘したことを紹介しています。
 また、金丸の武勇伝として、裏選対として選挙違反容疑で警察の取調べを受けた際に、「取調官がちょっと席を外したすきに証拠書類をヤカンの水で飲み込んでしまった」エピソードを紹介し、これが武勇伝として広まったことで、代議士への道が近づいたと述べています。
 さらに、1993年の「政界再編」の第一歩が、「金丸が資金ではなく、『自らの首』を差し出すことで贖われたといえよう」と述べ、「それは、利益政治によって地歩を築きながら集積した資金で、逆に利益政治に立脚した『日本=ムラ的』政治体制の清算を図った金丸信の、自己否定ないしは『自虐的』な政治姿勢と見ることができよう。そう考えるならば金丸は、ただの金権政治家でなく、戦後日本に稀な器量の大きさを持った政治家(ステイツマン)」という評価にもつながると述べています。そして、「政治手法と民俗という観点に限定すれば、民の生活状態をお上に伝え、お上が施政する、その媒介を忠実に果たした政治家こそが金丸信であったとはいえる。『私心がない政治家』と自らがいうように、常民の保持してきた民俗をお上の政治に還流した真に誠実な政治家だったといえなくもないのである」と述べています。
 終章「政治風土と民俗のゆくえ」では、選挙運動において、「ムラ人の活躍する場は小さくなり、かつての賑わいは影をひそめた感もなくはない」が、「表面上は別にして、内実はほとんど変わっていないといえよう。相変わらず、民族と結びついた選挙が続いているのである」と述べ、政治と民族の関係が切断されることは、「ムラ人にとっては、生活意識と選挙を分断せよというに等しい」と述べています。
 著者は、そもそも民俗が、「明治新政府の権力によって、因習・陋習として排斥されたもの」であったことを挙げ、「その民俗が、百年も経たずして、ムラの政治家によって権力の中枢に持ち込まれ、増殖・再生し、その機能を十分に発揮した(している)わけである」と述べています。
 本書は、山梨県のムラの選挙を切り口に、日本の政治文化の深層部分を照らした一冊です。


■ 個人的な視点から

 亡くなった一昔前の政治家とは言え、いまだ県内では影響力の大きい政治家を扱ったことで、「お前は金丸信を評価しているのか」と飲み会の席などで突き上げを食うこともあったそうですが、著者は、「人間的に興味を抱かなければ研究対象に選ばなかったのは確かである」と語っています。


■ どんな人にオススメ?

・ムラの選挙のルーツを探りたい人。


■ 関連しそうな本

 村松 岐夫, 伊藤 光利 『地方議員の研究―日本的政治風土の主役たち』 2005年02月21日
 猪口 孝, 岩井 奉信 『「族議員」の研究―自民党政権を牛耳る主役たち』 2005年08月03日
 藤谷 治 『いなかのせんきょ』 2006年10月28日
 季武 嘉也 『選挙違反の歴史―ウラからみた日本の100年』 2007年10月02日
 井上 和子 『選挙裏物語―「当選確率80%」スゴ腕選挙コーディネーターが明かす選挙のすべて』 2007年10月30日
 高久 嶺之介 『近代日本の地域社会と名望家』 2007年06月15日


■ 百夜百マンガ

ザモモタロウ【ザモモタロウ 】

 「プロレス+歴史上の人物?」という組合せでジャンプのトーナメントバトルとも親和性が高い作品です。

2007年11月 6日 (火)

差別用語を見直す―マスコミ界・差別用語最前線

■ 書籍情報

差別用語を見直す―マスコミ界・差別用語最前線   【差別用語を見直す―マスコミ界・差別用語最前線】(#1020)

  江上 茂
  価格: ¥2100 (税込)
  花伝社(2007/08)

 本書は、ニッポン放送報道部~テレビ東京報道部などで番組制作にかかわり、「差別用語辞典」の完成を目指して取り組んでいた著者が、『放送レポート』に38回にわたって連載した「マスコミ界『差別用語』最前線」をまとめたものです。著者は、「いわゆる差別用語ひとつを取り上げ、その発生の原点を求め、文献を何冊も読み漁」り、その立場は、「差別は許されない」ということと「言論表現の自由は絶対に守らなければならない」ということの調和であったことが述べられています。
 第1章「忠臣蔵のキーワード――『片手落ち』は果たして差別用語か」では、「多くの人たちが不快感を持つことばは変えられていってもやむを得ないが、ただカゲにおびえるようなことはすべきでないと考える」と述べ、忠臣蔵との関連では、「名だたる作家たちが、すべて『片手落ち』をキーワードに使っていることを考えると、もっと厳密にこのことばにこだわるべきだろう。ところが最近は、そうしたこだわりがなくなり、テレビの世界では『片手落ち』に一切『触れない』手法がまかり通っている」と指摘しています。
 第3章「『白雪姫』から『浦島太郎』まで童話・お伽噺がいま――」では、「古くから伝わる童話の浅はかで一面的な読み方は、一時の部落解放同盟の差別語糾弾同様、『ことば狩り』にすぎない。面白さを強調したり、美しさや醜さを述べることが差別につながるとなれば、そうした『形容詞』の使用そのものがアウトになってしまう」と指摘しています。
 第11章「『士農工商○○』は部落差別の隠喩か」では、筒井康隆氏の「士農工商SF屋」で抗議を受けた筒井氏が「多種多様な業界で自嘲的に使われている成句であり、その限りにおいて部落差別の隠喩にもなりえない」と抗議を突っぱねたが、出版社が解放同盟に謝罪したことを紹介しています。
 第12章「100人を超す"大糾弾会"の中で」では、「オールロマンス事件」を紹介し、「この時のリーダーだった浅田善之助氏が唱えた『部落にとって不利益なことは一切、差別である』という主張は、浅田理論として、その後の糾弾闘争でもしばしば使われること」になったと述べています。
 第13章「文庫本一五冊、糾弾で問う『屠殺場』はタブーか」では、「『屠場』をめぐる表現は、比喩として使われることも多いため、その差別性がしばしば問われる難しい問題である」としながらも、「だからといって普通名詞や固有名詞で『屠殺場』と使っただけで糾弾されたり、『屠所の羊』という仏教典から出たことばまでが糾弾されるというのは理解できない」と述べています。
 また、レイモンド・チャンドラー氏の『長いお別れ』に関して、屠場労組側の「確認会」への出席要請に対して早川書房側が、「マスコミとして初めて」これを拒否し、弁護士との協議の後、「話し合いは一回限り、2~3時間に時間を限る。出席者は双方10人以内とし、弁護士が同席する」旨の文書を送ったが、屠場労組側はこの提案を拒否したことを紹介し、「新しい動きである」と述べています。
 第15章「自主規制があの鬼平を斬る!」では、「民放テレビで深夜に放送される旧作の時代劇が"無傷"のまま放送されることはまずない」として、「"要注意"表現をことごとくチェック」し、セリフのカットや「音声消去」、その回自体を放送中止にするなどの対応がされていることを紹介しています。
 第17章「『ピー(きちがい)に刃物』でレッドカード」では、1996年の『たけしのTVタックル』で、現在は厚生労働大臣として日本の障害者行政の最高責任者である国際政治学者・舛添要一氏が、「日本がこういう状況になったのは変なことば狩りをしているからですね。いまから私が言うことは放送できないと思いますけど、昔は『きちがいに刃物』という非常にいいことばがあったのね。こういうのも止めちゃったでしょう。やっぱり『きちがい』は閉じ込めないといけないんですよ。だから、そういうことば狩りをすることで済ませているから『きちがい』の本当の怖さってのはね、わかんない」と発現したうち、「きちがい」という箇所にピー音を入れ、「ピーに刃物」、「ピーは閉じ込めないといけない」、「ピーの怖さはわからない」と聞こえたが、「ピーは『きちがい』であり、『きちがいは隔離、強制収容すべきだ』と主張していることは容易にわかった」ことを紹介しています。
 第20章「糾弾つづく『バカチョン』から『北鮮海流』まで」では、93年に国内の映画賞を総ナメにした『月はどっちに出ている』が、「いまや障害者や被差別者をドラマで悪く描くことは不可能といわれている」中で、「外国人はみな清く、貧しく、美しくという描き方、それは違う。ガイジンだって、ずるくてスケベなやつもいる」という崔洋一監督によって、「朝鮮人への差別表現をめぐってふだんハレモノにさわるような対応を迫られている放送局など、マスコミ関係者のど肝を抜いた」と述べています。
 第22章「『環日本海』が『北東アジア地域』に変更される最近アジア事情」では、「黒海」と「紅海」の命名理由が、「トルコから見て黒海は北、紅海は南、白海(とるこでは、地中海を『白海』と呼んでいる)は西に当たることから、方角と色を結びつけた世界共通の考え方にしたがって命名された」ことを紹介しています。
 第24章「『雅子さんま』もとびだした敬語、敬語の皇室報道」では、『ニューズウィーク』市が、「皇室の婚礼に関して誰も彼もがきれいごとを並べる状況は、欧米の基準に照らせば明らかに異質である。どうやら日本という国は、『和』や『団結』のためならば現実と非現実を入れ替えることもいとわないらしい」と書いたことを紹介した上で、「宮内庁や右翼のいやがらせでマスコミが沈黙しているために、憲法に『国民統合の象徴』と規定されていても、税金で支える私たち国民には、天皇家についての大事なことはほとんど知らされていない」と指摘しています。
 本書は、差別と表現の自由の問題に正面に考えた報道人が遺した貴重な一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の第25章「『放送禁止歌』が放送された日」で、1999年5月22日(土曜)深夜にフジテレビの関東ローカル枠『NON・FIX』で『放送禁止歌~歌っているのは誰?規制するのは誰?』というドキュメンタリーが放送されたことが紹介され、「放送界の恥部の一つだった『放送禁止歌』(要注意指定歌謡曲)について、『何が、どうして』と"内部告発"的に情報開示したこの番組に敬意を表したい。フジテレビの英断も素晴らしいと思う」と絶賛されています。
 この番組は、深夜と言っても2時とか3時とかのほとんど朝のような時間で放送されていて、たまたまこのときは何気なくテレビをつけていたら「放送禁止歌」というタイトルでやばそうな曲が次々紹介されているのでびっくりして最後まで見てしまったのですが、自分がたまたま遭遇した番組が歴史的な快挙として紹介されているのはなんだか嬉しいものです。


■ どんな人にオススメ?

・気軽に「ピー」とか「放送禁止」という言葉を使っている人。


■ 関連しそうな本

 西尾 秀和 『差別表現の検証―マスメディアの現場から』
 高木 正幸 『差別用語の基礎知識〈'99〉―何が差別語・差別表現か?』
 講談社校閲局 『日本語の正しい表記と用語の辞典』
 西尾 秀和 『差別表現の検証―マスメディアの現場から』 2007年03月21日
 永井 哲 『マンガの中の障害者たち―表現と人権』 2007年02月22日
 森 敦 『月山・鳥海山』


■ 百夜百マンガ

映画に毛が3本!【映画に毛が3本! 】

 よく、たいしたものではないという意味で、「○○に毛が生えたようなもの」という言い方をしますが、そういう人は毛が生えるのがどれほど大変なことかわかっているのかと小一時間ほど。

2007年11月 5日 (月)

構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌

■ 書籍情報

構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌   【構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌】(#1019)

  竹中 平蔵
  価格: ¥1890 (税込)
  日本経済新聞社(2006/12/21)

 本書は、「奇跡の内閣」である小泉内閣での大臣を引き受けた著者が、「国務大臣という責任と緊張の生活を日々振り返ることによって、教訓を大切にしながら何とかこの重責を全うしたい」と考え、また、「経済政策を勉強してきた人間として、この貴重な経験について、後日何らかの形で社会に還元する必要がある」と考えて「大臣日誌」を記し、この日誌に基づきながら「小泉構造改革の5年半を総括するもの」です。著者は、本書の狙いとして、
(1)経済的側面からの評価:この間の構造改革が経済政策という面からどのように意味を持っていたのか、またその効果をどう評価するかの素材を提供すること。
(2)政策決定の政治プロセス:実態に基づく正確な情報を提供すること。
(3)世論・ジャーナリズムと制作の関係
の3点を挙げています。
 著者は、2001年4月26日、小泉総理から直接「これからすさまじい戦いになる。大臣として閣内に入り一緒に戦ってくれ」と大臣就任の要請を受け、経済財政政策担当大臣に就任し、小泉内閣が退陣するまでの5年半の間、内閣を支え続けますが、「閣僚として学んだ最大のこと、そして読者に伝えたい最大のポイント」として、「日本を改革するのは容易なことではない」ことであると語っています。
 第1章「小泉内閣という"奇跡"」では、「失われた十年を解消し経済の再生を果たすには、経済政策を根本的に変える必要」があり、それが「構造改革」に他ならず、これを行えるのは、「奇跡の総理をおいてほかなかった」と述べています。著者は、本書で、小泉内閣以前にも大臣就任の要請を辞退したことがあることを語っていますが、小泉氏からの要請に対しては、「これは奇跡の総理だ。その総理が全力で戦いを挑み、日本を変えようとしている。そんな時、もし自分にできることがあるなら、自分も逃げることなくはせ参じなければならないのではないか」という思いで引き受けたと述べています。
 著者は、2001年4月に経済財政政策担当大臣となり、翌年9月の内閣改造で金融担当大臣の「兼務」を命じられています。著者は、不良債権問題の責任者として銀行改革に取り組むにあたり、その本質を、O・ラモントやO・ハートらの論文等によって知られていた「デット・オーバーハング」の問題、すなわち、「もはや返済できないような過剰な借入れを企業が背負ってしまうと、経済全体が大変な停滞状況になること」であると認識していたことを語っています。そして、銀行が社会全体の「決済システム」を担っている点を強調し、「政府は銀行のために公的資金を使うのではなく、決済システムという社会インフラを守るために資金を使う」のだと主張しています。
 第2章「金融改革の真実――"不良債権"という重荷」では、2002年9月30日に金融担当大臣を命じられ、10月10日には株価が8100円を割り込むところまで下げ、マスコミが「竹中ショック」だと報じ始めた際に、総理が著者を官邸に呼び、「何にも動じる必要はない。王道を歩んでくれ!」と語ったことに対し、「この総理の下であれば、どんな抵抗があっても不良債権処理を必ずやり遂げられる」と確信したことを語っています。
 また、「金融再生プログラム」の大枠を固める中で、「大手銀行の不良債権比率(前貸出しに対する不良債権の比率、当時は8.4%)を二年半で半減させる」という思い切った数値目標を設定するに当たり、
(1)銀行の資産査定の厳格化
(2)自己資本の充実
(3)銀行のガバナンス改革
の3点の基本認識が重要であったと述べています。そして、10月30日に発表した「金融再生プログラム」について、
・試算査定強化(DCFなど)
・資産査定の統一(横串)
・自己査定と検査結果の格差公表
・公的資金の活用
・繰り延べ税金資産への対応
・経営健全化計画の厳格なレビュー
の6つの骨格のうち、「繰り延べ税金資産の扱いは引き続き検討することになったが、あとの5つは完全に当初案の通りとなった」として「五勝一分」であると述べています。
 さらに、「大臣生活の5年半を通じて、私は常に批判に晒され、いわば針の筵の上にいた」という著者が、「最も痛いと感じた針の筵」として、2003年2月7日の閣議後の会見の中で、ETF(株価指数連動型上場投資信託)投資について、「つい『儲かります』という表現を使った」ために、国会が紛糾し、「いつ辞めても構わない」という開き直った気持で仕事を続けていた著者が、「正直なところこのときだけは、『何としても切り抜けなければならない』『ここで辞めるわけには絶対にいかない』という気持だった」と語っています。
 銀行改革の山場である、りそな銀行問題に関しては、2003年5月6日の深夜、岸博幸政務秘書官から「合併したばかりのりそな銀行で、監査法人が繰り延べ税金資産の認定で厳しい意見を示しており、場合によっては自己資本が必要レベル(4%)を下回る可能性が出てきた」という「とんでもない情報」を入手したことから始まり、これに対して著者は、「隠さない」「原則を曲げない」「ルール通りにやる」の3つの原則で対応することを事務方に徹底したと述べています。
 著者は、金融担当大臣として不良債権処理に取り組んだ2年間の経験を踏まえた教訓として、
(1)政策については細部を官僚に任せることなくしっかりと制度設計をしなければ成果は挙げられない。
(2)無謬性にこだわる官僚マインドが、いかに改革を阻む岩盤になっているか。
(3)日本ではいまだに過去の政策と行政の総括が十分に行われていない。
の3点を挙げています。
 第3章「郵政民営化の真実――改革本丸の攻防」では、郵政民営化への改革を進める上での最大の分岐点の一つに「総理直轄で進める」という2003年6月の総理判断を挙げています。
 また、著者がスタッフと一緒に気分転換をかねて三田の慶応義塾キャンパスを訪れ、その場で一気に「郵政民営化に関する『五つの原則』」として、
(1)活性化の原則
(2)整合性の原則
(3)利便性の原則
(4)資源活用の原則
(5)雇用配慮の原則
の5点を一気に取りまとめたことを述べています。
 また、郵政民営化に当たっても、「不良債権のときの竹中チームのような作業部隊を改めて作って、その案を経済財政諮問会議に小出しにしていく」という方法でなければ、とても具体的な改革案に行き着かないと判断し、平日の夜9時以降か週末に、著者と秘書官、郵政改革を担う志ある官僚、経済・財政の専門家からなる「ゲリラ部隊」を編成、徹底した議論を踏まえ、民営化の基本方針には確保しなければならない「ボトムライン」として、
(1)郵政のそれぞれの事業(郵便、銀行、保険など)が自立すること、そのために分社化が必要だという点。
(2)民営化され分社化された各事業会社には、他の民間企業と同じ法律を厳格に適用するという点。
(3)経営の自由とイコールフッティング(対等な競争)をうまくバランスさせるための仕組みを作ること。
の3点を明確に認識したことを述べています。
 さらに、2004年6月16日の国会閉幕日に、総理から、「改革のことを一番わかっている竹中さんが立候補し、選挙でそのことを国民に説明してほしい」と要請を受け、参院選出馬が決まり、6月24日の公示日までにポスターもビラも間に合わない状況の中で、72万2千票を獲得し、自民党のトップ当選を果たしたことを語って慰安す。
 そして、2004年9月27日の内閣改造では、郵政民営化担当大臣を命じられ、
(1)基本方針に忠実に「制度設計」を行い、さらにそれを「法律案」にすること。
(2)国民に対する説明責任を果たすこと。
(3)基本方針を決定する過程で出された反論を受けて、十分な対応を準備しておくこと。
の3点に取り掛からなければならなかったと述べています。著者は、全国21ヵ所を回るTVキャラバンの合間に、準備室の主要メンバーと「基本方針に完全に忠実な制度設計、またそれを具現化した厳格な法案」の作成に携わり、「大臣が法案作成にこれだけ直接かつ詳細に関わったのは前代未聞」であり、「通常は、官僚任せの仕事」であると述べ、「戦略は細部に宿る」のであり、「後に民営化法案をめぐって記録的長時間の国会審議を行うことになるが、その厳しい質問に耐えられたのも、私自身が法案作りに直接勝つ詳細に係わっていたから」だと述べています。
 また、法案をめぐる郵政ファミリーとの議論の中で、焦点となると考えていた点として、
(1)銀行と保険会社を「特殊会社」にせず商法の一般会社にするという点
(2)銀行・保険の株式について、持ち株会社はそれらを完全に処分し「民有民営」を実現させること
(3)準備のための会社をできるだけ早期に設立すること
の3点を挙げています。
 さらに、2005年4月3日の総理判断の翌4月4日には、郵政民営化法案に関する基本事項を確認する会議終了後、「参加者の一人」が著者の耳元で、「いつか仕返ししてやる」と耳元で囁かれ、その翌日にはある大物議員から「「竹中さん、あんたすべて思い通りで満足かもしれないけど、気をつけろ。どんでん返しがあるかもよ」と言われたことを明らかにし、「政治の世界にも、人間の品性というものが求められるはずだ。私は、この両氏の言葉を決して忘れまいと思った」と語っています。
 5月27日からの特別委員会での質疑では、民営化に対する批判及び議論の対立点として、
(1)民営化すれば郵便局の数が大幅に減少する、とくに過疎地において郵便局のサービスが維持されない。
(2)分社化の結果として「郵便局の窓口で金融(貯金・保険)サービスが受けられなくなる」という指摘。
(3)民営化後の銀行などを中心に、十分な収益を上げることができないのではないか。
(4)郵政は現状のままで何が悪いのか、何も国民に迷惑をかけていないではないか。
の4点があったことが語られています。
 郵政民営化法案は、2005年8月8日に参議院において否決され、総理は、「民営化法案が否決されたが、郵政民営化を本当にしなくていいのか、国民に聞いてみたい。国民が反対なら、私は退陣する」と「歴史に残る演説」を行い、このとき著者は、「実のところ、否決されて総選挙になることも悪くないという本音を持っていた。郵政民営化のような明白な政策すら実現できなければ、その後に控えているさらに厳しい改革を行うことなど絶対にできない。そうであるなら、一気に国民に信を問うのは意味のあることである。これまで、大臣という守りの立場にあって言いたいことも言えずにひたすら我慢してきたが、これでようやく攻めの姿勢になれる。その意味で4年間待った瞬間がついに来たのだ。せめてせめて、絶対に勝ちにいく。私は心の底からそう思った」と語っています。
 第4章「経済財政諮問会議の真実――政策プロセスはどう変わったか」では、小泉内閣発足後の2週間後、著者が経済財政諮問会議の性格と機能を「根本的に変えること」を狙いに一枚のメモを自ら作成したことについて、「永田町・霞が関では、大臣が自分でパソコンを打ってメモを作ることはほとんど考えられないことだった」が、「大学教授から閣僚に就任したばかりの私にとっては、ごく自然なことだった」と語っています。
 著者は、諮問会議を、「マクロ経済政策の実践的な議論をする場であるとともに、構造改革の司令塔としての機能を果たし、日本における『政策の決定プロセス』を大きく改革する原動力となった」と評しています。そして、諮問会議の大きな利点として、
・総理が議長であること
・運営は経済財政担当大臣の私が行えること
・信頼できる4人の民間議員が入っており彼らと力を合わせることができること
・諮問会議の議事録が会議3日後に公開される(つまりオープンな議論ができる)こと
の4点を挙げています。
 また、諮問会議の立ち上げに当たって得た教訓として、
(1)この国を帰るのは並大抵のことではない。世界的に見て普通のことが本当にこの国では容易に通用しない。
(2)諮問会議で民間議員が共同して声を揃えれば、それは事態を動かす力になる。
の2点を挙げ、「この二つの教訓を生かして、経済財政諮問会議を運営していこうと決意した」と述べています。
 さらに、最初の骨太方針作成において、経済財政諮問会議をうまく運営すれば、
・議長として総理がリーダーシップを発揮する
・政治利害から独立した民間議員の提案という形で政策をリードする
・議事録の速やかな公開を前提に国民の前でオープンな議論をする
という利点を発揮することができたことを述べています。
 この他、総務大臣として、「国と地方がもたれ合う複雑怪奇な仕組み」である地方財政改革に取り組んだ著者が、これを根本的に変えるために、
(1)国と地方の役割分担を明確にするための「分権一括法」を制定すること
(2)交付税の配分を、面積や人口などわかりやすい客観基準に基づいて行うこと(新型交付税)
(3)地方行革の新指針を作ること
(4)不交付団体を画期的に(例えば人口一定規模以上の都市の半分に)増やすこと。またそのための税源移譲を行うこと
(5)自治体の責任を明確化するために再生型の破綻法制を制定すること
(6)地方債の自由化を進めること
の6つの政策パッケージを進めた
 ことを語っています。
終章「日本経済二つの道」では、日本が、「改革によって潜在成長率を高める重要なチャンスに直面している」と述べたうえで、経済政策を決定しそれを実施するに至るまでのプロセスとして、
(1)政策に関するアジェンダ設定を行うこと
(2)政策の方向性ないしは基本方針を、リーダーを中心にしっかりと決めること
(3)基本的な方針に則って制度設計をきちんと行ない、必要な仕組みを作ること
(4)民主主義のプロセスを踏まえた合意形成
の4点を挙げています。
 さらに、改革の必要条件として、
・まず改革マインドをもった政治リーダーが存在し
・それを細部まで踏まえて支える、リーダーと一心同体のスタッフが存在し
・さらに民主主義のプロセスとしてそれを支持する国民が存在する
の3点を掲げています。
 そして、「日本の民主主義のインフラとして、政策専門家が育っていくことが不可欠であると強く認識するようになった」と述べ、「こうした専門家が、民間部門から政府の政策をしっかりウォッチし、国民に伝えるという機能を果たしていかねばならない。専門家による健全なポリシー・ウォッチが機能する社会にしなければならない」と語っています。
 本書は、当事者の一方的な視点であるとはいえ、小泉政権の総括としても、また政策決定プロセスの研究者による観察としても、価値ある一冊です。


■ 個人的な視点から

 竹中氏が大臣に就任されている間、「スーパー公務員塾」という企画があり、主に入省数年の若手キャリア官僚の勉強会の発表会に大臣自ら2日間足を運ばれて発表を聞き、コメントをされていました。
 プレゼン自体は、まだまだ経験の浅さが目立つものもありましたが、そういったものに対して、鋭い指摘と建設的な意見を出されていたことが印象的でした。


■ どんな人にオススメ?

・小泉内閣の「実効舞台」の舞台裏を覗いてみたい人。


■ 関連しそうな本

 飯島 勲 『小泉官邸秘録』
 大嶽 秀夫 『小泉純一郎 ポピュリズムの研究―その戦略と手法』 2007年06月19日
 信田 智人 『官邸の権力』 2007年06月22日
 大嶽 秀夫 『日本型ポピュリズム―政治への期待と幻滅』 2007年05月29日
 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日
 竹中 治堅 『首相支配-日本政治の変貌』 2006年12月26日


■ 百夜百マンガ

パンク・ポンク【パンク・ポンク 】

 『あさりちゃん』に比べて印象が薄く、『おはよう!スパンク』と混同されやすい作品ですが、今読むと懐かしいこと間違いない人がたくさんいることと思います。

2007年11月 4日 (日)

アニメ作家としての手塚治虫―その軌跡と本質

■ 書籍情報

アニメ作家としての手塚治虫―その軌跡と本質   【アニメ作家としての手塚治虫―その軌跡と本質】(#1018)

  津堅 信之
  価格: ¥2520 (税込)
  エヌティティ出版(2007/03)

 本書は、「既存文献を再検討するとともに、虫プロ創立に関わった当事者、手塚の側近にいた関係者などに対するインタビュー取材を実施して新たな知見を収集することによって、これまで意外なほどに成されていなかった手塚アニメの業績を再評価するもの」です。著者は、再評価の切り口として、
(1)手塚はどのようなきっかけでアニメに接近し、取り組もうとしたのか。
(2)『鉄腕アトム』政策の前後に、何がおき、何が試みられたのか。
(3)手塚がアニメで目指したのは、実験アニメーションだったのか、商業アニメーションだったのか。
3点を挙げています。
 第1章「アニメへの開眼」では、『海の神兵』を見た手塚が、「一生に一本でもいい。どんなに苦労したって、それの漫画映画を作って、この感激を子どもたちに伝えてやる」と誓ったというエピソードを取り上げ、このときに手塚にとって、「流れてきた涙のかなりの部分が『悔しさ』だったのではなないだろうか」と述べています。
 第3章「『鉄腕アトム』の背景」では、『鉄腕アトム』成立への伏線ともいえるラインとして、
(1)手塚治虫ライン
(2)虫プロ・萬年社ライン
(3)東映動画ライン
の3つのラインを設定しています。また、『アトム』実現に向けたさまざまな省力化手法として、
・三コマ撮り
・トメ
・引きセル
・くりかえし
・部分
などの手法を紹介しています。
 さらに、『アトム』の制作費に関して、「『アトム』による安い制作費が『前例』となってしまって、その後の日本のアニメ界労働者の賃金条件が劣悪化したという批判」について、「この批判は不適切であると断じてもよい」と述べています。そして、「萬年社と虫プロとのウラ契約的な措置」として、萬年社がプラス百万円を支払っていたというエピソードが伝えられていること、作品そのものに加え、「お菓子のパッケージやおまけ、文房具などにキャラクターをあしらい、その商品の定価や売り上げに合わせてロイヤリティを得るマーチャンダイジングを展開して、虫プロは大きな収入を得ていた」こと、虫プロスタッフの給与に関しても「少なくとも初期の無視プロ社員は『裕福』だった」ことを指摘し、「無視プロ設立当初の手塚は、アニメの商品価値を高め、それに伴なう収入を得てスタッフに還元し、さらにその収入をもとに次なる作品制作に活かすという、現実的な経営戦略を提案していたのであり、その点は性格に評価しなければならない」と述べています。
 第4章「実験アニメーションの成果」では、手塚の実験アニメーションの特徴として、「絵の動きそのものを実験し、かつ音楽との融合を考察しようとしていた側面」を指摘し、その代表的作品として『展覧会の絵』を挙げています。
 また、「手塚アニメの評価を二分する要因のひとつ」として、「手塚はアニメーション作家として把握までアマチュアであり、少なくとも手塚本人はそう自覚しており、描いて動かすことへの、ある種のコンプレックスを抱えていた」と指摘しています。
 第5章「手塚アニメの語られ方」では、「手塚アニメについて語ることが『避けられてきた』歴史があるのではないか」と述べ、今日『アトム』が語られる際の「三コマ撮り」などの技術的な指摘は当時あまりに専門的過ぎたこと、テレビアニメ制作の過酷さや賃金・経営面を含む製作体制の脆弱さなどの問題は、アニメーターを初めとする直接の制作従事者がマスコミに登場し始めた1970年代以降であることなどを指摘しています。
 そして、「手塚アニメが論じられていない、もしくは論じにくいと考えられている理由」として、
(1)手塚治虫はあくまで漫画家であり、アニメはその派生品、添え物として見られてしまう。
(2)当該作品における手塚の関わりが見えにくい。
(3)無視プロが創始した省力化システムと超廉価の受注体制が、「日本のアニメを低落させた」という認識が、どこかでこびりついている。
の3点を挙げています。
 第6章「大衆か実験か」では、手塚が「大衆か実験か」(p.201の13行目で「大衆か娯楽か」とあるのは誤字でしょう)のどちらであるかを考察するに当たって、『アトム』がもたらしたものについて、
(1)animeの発明
(2)漫画を原作にするということ
(3)人材の育成
の3点について、「ぜひ押さえるべきである」と述べています。
 そして、虫プロの目的が、「個人作家が個人の自由な活動のために、手塚が『場』を提供するとともに、自らも個人作品を制作するという、いわば作家連合、組合のようなものだった」と述べ、その例外性を指摘しています。
 第7章「手塚アニメとは何だったのか」では、手塚の「アニメーションを制作するために漫画を描いていた」という著名な発現が、
(1)幼少期からのアニメーション制作への憧れの蓄積
(2)アニメーションスタジオへの入門の希望(拒否)
(3)中古器材を集めたアニメーション制作の「まねごと」
(4)『新宝島』のヒットによる漫画家としての地歩の確立
(5)漫画原稿料や印税収入の蓄財
といった流れとつじつまがあっていると述べています。
 著者は、「『アトム』は、日本のアニメーションのその後の歴史を変える大きなきっかけを与えたのであり、逆に、少なくとも当時の東映動画における長編・ファンタジー路線には、そこまでのインパクトはなかった」と指摘し、「『鉄腕アトム』とは何だったのかという設問への解答は、この点につきる」と述べています。
 また、日本のアニメの特徴として、
(1)毎週1回30分連続放映という形式のテレビアニメが常時多数放映されている。
(2)さまざまな観客層を抱え込むことができる、多様な、そして時として複雑なストーリー内容を扱う。
(3)テレビアニメと並んで、長編アニメも多く制作されている。
の3点を挙げています。
 本書は、日本のアニメ史を理解する上で、国内はもとより、海外においても正しく理解されるべきアニメ作家としての手塚治虫を伝えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 その年代の子どもたちにとって、『鉄腕アトム』がどれほどの衝撃だったか今では想像もできませんが、印刷技術も未熟だった当時、実写に比べてアニメのほうが、お菓子などへのマーチャンダイジングビジネスは、相当やりやすかったのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・手塚アニメというと24時間テレビと『火の鳥』しか思い浮かばない人。


■ 関連しそうな本

 うしお そうじ 『手塚治虫とボク』 2007年10月06日
 中野 晴行 『謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影』 2007年07月28日
 手塚 治虫 『ぼくはマンガ家―手塚治虫自伝』 2005年05月28日
 大塚 英志, ササキバラ ゴウ 『教養としての〈まんが・アニメ〉』
 手塚プロダクション 『手塚治虫 原画の秘密』
 藤本 明男 『愛よ命よ、永遠に―手塚治虫少年ものがたり』


■ 百夜百音

ガンバランスdeダンス~夢みる奇跡たち~【ガンバランスdeダンス~夢みる奇跡たち~】  オリジナル盤発売: 2007

 後期エンディングの初回の放送を見たときには、あまりの「電気紙芝居」状態に何が起こったのか理解できませんでしたが、最近は動いているようです。去年のガンバランスが好きだった人にとっては衝撃だったことでしょう。

『ガンバランスdeダンス』ガンバランスdeダンス

2007年11月 3日 (土)

シルクロードと世界の楽器―音楽文化の東西交流史

■ 書籍情報

シルクロードと世界の楽器―音楽文化の東西交流史   【シルクロードと世界の楽器―音楽文化の東西交流史】(#1017)

  坪内 栄夫
  価格: ¥2100 (税込)
  現代書館(2007/06)

 本書は、「シルクロード的視野、楽音の科学的分析、先人たちの偉業の再確認、和洋楽器の対照比較を試みながら、誰にも親しみ深い楽器類を中心に、新しい角度から全世界の楽器を」論じたものです。
 第1章「竪笛類(尺八とリコーダー等)の変遷」では、リコーダーと尺八の特徴を比較し、
(1)吹き口の有無による発音の容易さと奏法の多様性
(2)尺八の5孔とリコーダーの8孔、音域はリコーダーが長3度広い。
(3)リコーダーはピンチングにより第二倍音を使用するが尺八は息の強弱のみで甲乙を使い分ける
(4)竹製の尺八に対し、リコーダーは木製、象牙製、大理石製などがある。
(5)尺八には大小の差はないが、リコーダーは大小さまざまな楽器が使用されている。
(6)尺八のルーツは推定できるが、リコーダーは経緯が不明である。
の6点を挙げています。
 また、ある研究家がヒチリキを「オーボエ属楽器原始形態の生き残り」と述べ、機械的発展の差が「決してそのまま、この両者の楽器としての優劣にはならない」点が面白さであると述べています。
 第2章「横笛と金管(ラッパなど)類の変遷」では、わが国伝統の笛類の共通点として、
(1)竹製
(2)円筒形または緩い逆円錐形
(3)能管と笙を除き、他はすべて適当な太さの竹の節を抜き、横笛は一端に栓を詰め、吹き口と指穴を開けただけの、きわめて単純な構造である。
(4)笙を除き、他はすべて漆塗りである。
の4点を挙げています。
 また、中国南部雲南省の「吐良(トリヤン)」という横笛が、中央に吹き口がついた特異な構造をしていることを紹介しています。
 さらに、角笛形の楽器について、牧畜が発達しなかったわが国には角笛系の楽器はないが、「ホラ貝がこれに相当」するといわれ、「内陸牧畜民の角笛」vs.「海洋漁撈民のホラ貝」とを対比しています。
 金管楽器については、「角笛から発達したと考えられるラッパ類、すなわち先に朝顔型開口部を持った長大な竪笛で、指穴を持たず、唇の振動によって発音する楽器である」と定義し、「奏者の唇をリードとする、リップ・リード管が金管楽器であり、リードを使用するリード管と吹き込む気流の渦でリードの役を果たさせるエア・リード管が木管楽器」であると述べています。
 金管楽器と結びつきの深い軍楽隊に関しては、西郷隆盛が熱を入れ、「薩摩藩がわが国軍楽隊第1号、『サツマバンド』を作り上げ、後にこれが海軍軍楽隊に引き継がれた」ことが語られています。
 また、他の木管楽器がフルートと異なる点として、
(1)竪笛であること
(2)リコーダーや尺八以外は、リードを使用すること
(3)尺八類を除いて、すべてリード・キャップを使用すること
の3点を挙げています。
 第4章「平琴類と竪琴類(ハープ等)の変遷)」では、筝と琴(七弦琴、和琴、ツィター類等)が「太古からまったく別系統の楽器だったと断定してよい」として、「筝とは文字の示すとおり、太い竹筒を使用した原始型から出発したもの」であるのに対し、「太い竹のない華北の人は、原始筝を模して、木の平板に弦を張り、琴の祖系を生み出したのであろう」と述べています。
 第5章「撥弦楽器類(琵琶とギターなど)の変遷」では、シルクロードと琵琶に関して、
(1)わが奈良の都とは、8世紀のシルクロードの東の終着点であった
(2)楽器の発展史は、すなわちシルクロードの歴史である
(3)螺鈿紫檀五弦琵琶こそは、以上の事実を今に伝え物語ってくれる世界でも唯一の、否、ただ一人の生き証人である
と述べています。
 そして、琵琶とギター、有棹弦楽器類の一番の祖型が、「エジプト、西南アジア方面で発生した」と述べ、その後、「だいたい中央アジアを中心に発達、普及してきた」と解説しています。
 著者は、「歴史的に見れば、三弦子、三線、三味線はギター系なのである。8の字胴の下半分を円形の蛇皮張りとしてクブズが生まれ、次に8の字胴の上半分を捨て去って、円形蛇皮張り胴の弦楽器が生まれた」と解説しています。
 第7章「擦弦楽器(胡弓とバイオリン等)の変遷」では、「擦奏(弓奏)楽器もやはりアジア中西部で生まれ、東西に伝えられたらしい。撥弦楽器よりもはるかに歴史が新しく十世紀以前は不明である」と述べ、「擦弦楽器の最初のアイデアは古来、馬に接する生活を続けてきた内陸遊牧民族、すなわち、シルクロードやその周辺の騎馬民族の間から生まれたとする意見が有力で、またインドを原郷とするジプシーが生み出したとする説もある」と解説しています。
 本書は、普段何気なく使っている楽器の多くが、シルクロードにルーツをもつことを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「のだめ」以来のちょっとしたクラシックブームのせいなのか電車の中で楽器を持っている人を見かけることが多くなった気がしますが、ヨーロッパの楽器といえどもルーツはシルクロードにあるかと思うと不思議な感じがします。


■ どんな人にオススメ?

・オーケストラの楽器はヨーロッパで誕生したと思っている人。


■ 関連しそうな本

 岸辺 成雄 『東洋の楽器とその歴史』 2005年08月07日
 岸辺 成雄 『唐代音楽の歴史的研究 楽制篇 上巻 覆刻版 (1)』
 岸辺 成雄 『古代シルクロードの音楽―正倉院・敦煌・高麗をたどって』
 田辺 尚雄 『大東亜の音楽』
 小泉 文夫 『小泉文夫 民族音楽の世界』
 柘植 元一, 植村 幸生 (編集) 『アジア音楽史』


■ 百夜百音

大人の勲章【大人の勲章】 嶋大輔 オリジナル盤発売: 2005

 「男の勲章」当時16歳だった少年が疲れたサラリーマンになった姿はリアルすぎて共感を呼ぶのかどうか。

『夜露死苦 戦極襲』夜露死苦 戦極襲

2007年11月 2日 (金)

戦闘美少女の精神分析

■ 書籍情報

戦闘美少女の精神分析   【戦闘美少女の精神分析】(#1016)

  斎藤 環
  価格: ¥840 (税込)
  筑摩書房(2006/05)

 本書は、「わが国固有の表現ジャンル」である「戦う少女」の系譜を追う中で、欧米型の「戦う女」たちとの区別に際して、「ファリック・ガール」という鍵概念を用いた精神分析の文脈を適用したものです。
 第1章「おたくの精神病理」では、「オタク」について、「オタキング」こと岡田斗司夫氏による定義として、
(1)進化した視覚を持つ
(2)高性能のレファレンス能力を持つ
(3)あくなき向上心と自己顕示欲
の3項目を紹介しています。
 また、社会学者・大澤真幸氏によるおたくという現象の定義として、
「おたくにおいては、自己同一性を規定する二種類の他者、すなわち超越的な他社と内在的な他者が極度に近接している」
という結論を紹介しています。
 その上で、著者自身によるおたくの特徴の記述として、
・虚構コンテクストに親和性が高い人
・愛の対象を「所有」するために、虚構化という手段に訴える人
・二重見当識ならぬ多重見当識を生きる人
・虚構それ自体に性的対象を見出すことができる人
の4点を挙げています。そして、彼らが、虚構を実体化するのではなく、また現実と虚構を混同することでもなく、「彼らはひたすら、ありものの虚構をさらに『自分だけの虚構』へとレヴェルアップすることだけを目指す」と解説しています。また、「みずからの趣味の領域に性生活の全部または一部を確保しているとき、その人は『おたく』なのではないか」と述べ、「戦闘美少女という、これ以上ないほどの虚構的存在が愛好され、真剣な欲望の対象とされること」から、「おたくの本質的特徴の一つは、虚構コンテクストへの高度な親和性である」と解説しています。そして、おたく人生の「上がり」が「異性のおたくパートナーとの結婚」とみなされていることから、「おたくにおいて決定的であるのは、想像的な倒錯傾向と日常における『健常な』セクシュアリティとの乖離ではないか」と述べています。
 第2章「『おたく』からの手紙」では、実際におたくとの意見交換を通して、「おたくの特性としての『虚構への欲情』『虚構としての倒錯』と平行する『健全な性生活』」に注目し、「性という根源的なものの、とりわけその想像的成分との向かい合い方において、おたくの特性が最も顕在化する。彼らはいわば、主体的に乖離を生きている。そしてここに示されるのは、戦闘美少女と『乖離あるいは媒介されたセクシュアリティ』との生成的な関係ではないだろうか」と述べています。
 第3章「海外戦闘美少女事情」では、欧米圏の「オタク」との対話を通じて、「日本のおたくの共同体性」を再認識したと述べ、「そこに見られる奇妙な雑食性と演技性は、結果として、多様性よりは一種の単調さをもたらしてはいないだろうか」と指摘しています。
 第4章「ヘンリー・ダーガーの奇妙な王国」では、一般には「精神病患者の作品」を指すことが多い「アウトサイダー・アート」の中で注目を集めているヘンリー・ダーガーを取り上げ、彼の物語に、7人の「ヴィヴィアン・ガールズ」と呼ばれるヒロインが登場し、「邪悪な大人の支配から子供奴隷を解放すべく、銃をとって果敢に戦う。その戦いはしばしば、血なまぐさく、残酷きわまりないものとなる。ダーガーの絵の印象は、少女らのあどけないエロスと、こうした血みどろの残虐性との対比によって決定的なものとなる。とりわけ奇妙なことに、少女たちはみな、少年のようなペニスを持っている。この描写をどのように受け止めるかが、ダーガーという作家との出会いの質を決めるといってよい」と解説しています。
 著者は、「ダーガーを精神病とみなさず、あくまでもわれわれに等しく神経症者であったとする立場」から、「彼の思春期的な心性と、メディア環境の生産的なカップリングをみてとらないわけにはいかない」と述べ、「ここにおいて、ダーガーと現代日本の『おたく』とを結びつける問題意識が、はじめて根拠づけられてくる」と解説しています。
 第5章「戦闘美少女の系譜」では、宮崎駿が高校3年のときに見たという『白蛇伝』に始まる戦闘美少女の系譜を年代ごとに追っています。
 1960年代には、石ノ森章太郎の『サイボーグ009』を「前駆作品」として取り上げ、「セクシュアリティとヴァイオレンスの特異的結合を『発見』したという点で、重要な作家のひとりである」と指摘しています。また、横山光輝の『魔法使いサリー』について、「戦闘美少女であると同時に魔法少女でもある」クロスオーヴァー作品である『美少女戦士セーラームーン』に連なるという点で、「戦闘美少女のもうひとつの原点」に挙げています。さらに、石ノ森とともに重視されるべき作家として、「セクシュアリティの対象としての『戦闘美少女』を発明し、同時に巨大ロボットもの(『マジンガーZ』)の始祖の一人」である永井豪を挙げています。
 1970年代については、実写TVドラマ『好き! すき!! 魔女先生』を取り上げ、非アニメ作品であるが、「ヒロインとして『戦闘美少女』が始めて登場した作品である」と述べています。また、70年代の「もっとも重要な歴史的転回」として、「おたくマーケット」の誕生とその急速な拡大を指摘しています。
 1980年代については、「アニメは前半にその爛熟を、後半にその衰退を経験する」と述べ、「おたくの夢がつまった名作」と評される『DAICON3』、『DAICON4』のオープニングフィルムなどを紹介しています。また、GAINAXの『オネアミスの翼』の興行的失敗が、「巨大ロボットもアニメ映えする美少女ヒロインも排除してしまった」ことにあるとする「絶望と開き直り」」が『トップをねらえ!』という「アニメの文脈を極限まで加速・凝縮したような、大変に『濃い』名作を生んだ」と解説しています。
 1990年代については、「戦闘美少女史上、最重要作品のひとつ」として、1992年に放映開始した『美少女戦士セーラームーン」シリーズを紹介しています。そして、「90年代において戦闘美少女ものの増加は著しく、アニメ作品だけに限定しても網羅しきれないほど多数の作品が制作されている。新たな系列は生まれていないものの、諸系列間の組み合わせによって多様な物語が紡がれ、作品世界の設定もさらに複雑化しつつある」と述べています。
 第6章「ファリック・ガールズが生成する」では、「漫画・アニメ空間の特異性」として、
(1)無時間:時間が読者の主観にしたがって伸縮するカイロス的時間である。
(2)ハイ・コンテクスト:表現形式それ自体がその表現内容を規定する度合いが高い。
(3)多重人格空間:完成度の高い漫画・アニメ作品においては、それぞれのキャラクターが部分人格化し、相互補完による総合化に成功している。
の3つのキーワードを挙げて解説しています。また、「われわれがアニメや漫画に容易に没入し、われわれは文字を読むようにしてアニメや漫画を『読む』」ことができることから、「もはや日本語表記が、象徴界と想像界との区分を曖昧化するような特性を持つと言うことはできない。それはむしり、想像的な対象物を象徴的な作動形式で処理するための、洗練された技術を提供しているのだ」と述べています。
 また、「わが国の表象文化において、これほどまでに性的境界の乗り越えが一般化していることも、日本的空間のハイ・コンテクスト性という点から解釈することが可能である」と述べています。
 著者は、「基本的にハイ・コンテクストせいを特質とする、わが国の表象文化の枠内において成立した漫画・アニメという表現形態は、無時間性、ユニゾン性、多重人格性などの要因をいっそう純化することできわめて伝達性の高い表象空間となり得た。こうした想像的空間は、自律的なリアリティを維持すべく、なかば必然的にセクシュアリティ表現を取り込まざるを得ない」と述べ、「漫画・アニメの多形倒錯性と、受け手の欲望の健全性というギャップは、おおむねこのような視点から整理することが可能だ」と解説しています。
 また、欧米圏のタフなファイティング・ウーマンが、「ペニスを持った母親」を意味する精神分析の鍵概念である「ファリック・マザー」に当たるのに対し、戦闘美少女たちを「ファリック・ガール」と位置付け、「ファリック・ガールの戦闘には、十分な動機が欠けている」ことを指摘し、「『空虚であること』によって欲望やエネルギーを媒介する女性は、私を含む一部の力動精神医学者によって『ヒステリー』と呼ばれるだろう」と述べています。そして、「ファリック・ガールは、虚構の日本的空間にリアリティをもたらす欲望の結節点である。彼女に向けられた欲望こそが、その世界のリアリティを維持する基本的力動にほかならない」と指摘しています。さらに、「ヒステリーの症状が虚構空間、すなわち視覚的に媒介された空間において鏡像的に反転したもの、それがファリック・ガールの戦闘行為だ」とのべています。
 著者は、「われわれはファリック・ガールの存在に『現実』を見る。なぜなら『性の現実』を知らないものには、彼女たちを愛することができないからだ」と述べ、「私はおたく的な生の形式を全面的に肯定する。私は彼らに対し『現実に還れ』などと説得を試みることは決してないだろう。彼らこそが誰よりも『現実を知る』ものであるからだ」と述べ、「ここではむしろ、アニメを愛しつつ性を排除するような態度の欺瞞性こそが告発されなければならない」と指摘しています。そして、「ファリック・ガールを愛することは、自らのセクシュアリティという『現実』に自覚的であるために、われわれ自身が選択した一つの身振りにほかならないのだ」と結論づけています。
 本書は、「おたく」の姿を通して、特異な文脈を持つに至った日本人の姿を映してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 昔からアキバには色々なオタクが集まっていて、最近はアニメ系の人たちが集まってきていますが、ネット上ならともかく、現実世界でその人が何のオタクかを特定するのは結構難しいんじゃないかと思います。アキバで知らない人に急に話しかけられたらびっくりしますし。


■ どんな人にオススメ?

・オタクはみんな宮崎勤みたいな人だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 堀淵 清治 『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』 2007年04月15日
 中村 伊知哉, 小野打 恵 『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像』 『ニッポンマンガ論―日本マンガにはまったアメリカ人の熱血マンガ論』 2006年04月29日
 杉山 知之 『クール・ジャパン 世界が買いたがる日本』 2007年08月19日
 町山 智浩 (翻訳), パトリック・マシアス (著) 『オタク・イン・USA 愛と誤解のAnime輸入史』 
 浜野 保樹 『模倣される日本―映画、アニメから料理、ファッションまで』 


■ 百夜百マンガ

少年マーケッター五郎【少年マーケッター五郎 】

 著者自身ビール会社のマーケット部門のサラリーマンをしながらマンガを描く二足の草鞋のマンガ家として有名でした。

2007年11月 1日 (木)

戦争プロパガンダ 10の法則

■ 書籍情報

戦争プロパガンダ 10の法則   【戦争プロパガンダ 10の法則】(#1015)

  アンヌ・モレリ (著), 永田 千奈 (翻訳)
  価格: ¥1575 (税込)
  草思社(2002/03)

 本書は、民主主義国家において、「開戦に当たり国民の同意を得ることが必要不可欠」であるため、「世論を動かして参戦に同意を得るため」に用いられる、10か条からなる「戦争プロパガンダの法則」について解説したものです。
 本書のもとになっているのは、1928年にロンドンで出版されたアーサー・ポンソンビーの『戦時の嘘』であり、「第一次大戦中、イギリス政府は、あらゆる国民に義憤、恐怖、憎悪を吹き込み、愛国心を煽り、多くの志願兵をかき集めるため(当時、イギリスでは兵役が義務ではなかった)、『嘘』をつくりあげ、広めた」ことを暴こうとし、戦争プロパガンダを、10項目の「法則」に集約しているものです。本書は、「この10項目を1章ずつたどっていこう」とするものであり、「ポンソンビーの指摘した状況」が、「現存する政治システムのなかでも、紛争が起こるたびに繰り返されているという実情を示す」ことであると述べています。
 第1章「われわれは戦争をしたくはない。」では、「あらゆる国の国家元首、少なくとも近代の国家元首は、戦争を始める直前、または宣戦布告のそのときに、必ずといっていいほど、おごそかに、まつこう言う」と指摘し、「まずは、平和を愛していると見せかけるほうが得策」であると述べています。
 第2章「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ。」では、「両陣営とも、相手国が流血と戦火の悲劇を引き起こそうとするのを抑止するために『やむをえず』参戦するという矛盾した構図は、第一次世界大戦時にすでに存在している」ことを指摘しています。著者は、第二次大戦の開戦時のドイツ、日本の側でも、「連合国側に戦争の責任がある」という論理が用いられていることを挙げ、「敵対状態にある双方が、同じ言葉を用いているという事実」を指摘し、「紛争が生じたとき、敵対する双方の情報源や資料の全体像が見えないまま、どちらが加害者であるかを判断することは不可能である」と述べています。
 第3章「敵の指導者は悪魔のような人間だ。」では、「たとえ敵対状態にいあっても、一群の人間全体を憎むことは不可能」であるため、「相手国の指導者に敵対心を集中させることが戦略の要となる」と述べ、「ありとあらゆる手段を使って敵の対象を悪魔に仕立て上げ、征伐すべき悪人、恐竜の生き残り、異常者、野蛮人、凶悪犯罪者、人殺し、平和を壊す者、人類の敵、怪物だと人々に示すことが必要なのだ」と述べています。
 第4章「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う。」では、「多くの場合、経済効果をともなう、地政学的な征服欲があってこそ、戦争が起こる」が、「こうした戦争の目的は国民には公表」されず、宣戦布告に対する国民の同意を得るため、「その国の独立、名誉、自由、国民の生命を護るために戦争が必要であり、この戦争は確固たる倫理観に基づく」ものであると、「戦争の目的を隠蔽し、別の名目にすり替え」る戦争プロパガンダが行われることを指摘しています。
 そして、NATO軍によるユーゴスラヴィア空爆の例を挙げ、「開戦の動機は、人道的なものでも愛他主義でもない。ただ、開戦時、攻撃の必然性を疑う世論に対して、説得力のある理由を示すことが重要だったのだ」と指摘しています。
 第5章「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる。」では、「ここでいうプロパガンダによく見られる現象」として、「敵側だけがこうした残虐行為を行っており、時刻の軍隊は、国民のために、さらには他国の民衆を救うために活動しており、国民から愛される軍隊であると信じ込ませようとすること」を指摘し、「敵の攻撃を異常な犯罪行為とみなし、血も涙もない悪党だと印象づける」という戦略について述べています。
 そして、第一次大戦時の連合国側のプロパガンダで、「もっとも成功をおさめ、政治的に大きな影響力をもった」ものとして、「手を切断されたベルギー人の子供たち」の話を挙げ、この「手を切断」という言葉が、「野蛮人に対して善悪の裁きを下す戦いだという倫理的な動機、さらに長く厳しい戦いになりそうだという予感など、当時の世論を集約し、象徴するものとなった」と述べています。しかし、終戦後、このプロパガンダに心を動かされたアメリカ人富豪が、「手を切られた子供と会って話がしたい」とベルギーを捜索したが、「誰一人として実際の被害者を見つけることができなかった」ことを紹介しています。
 著者は、「どちらの陣営だろうと、暴力というのは程度の差こそあれ残忍なものであり、状況、手段、訓練や命令のあり方次第では、想像を絶する激しいものとなる」と述べ、「戦争プロパガンダは、こうした暴力を用いるのは敵側だけだと思い込ませ、自国の軍隊が暴力的な行為をしたとしても、それは失策や不注意から『不本意に』起きてしまったことだと主張」するとしています。
 また、現代においても、アメリカがクウェート侵攻を制裁するための国民の支持を得るため、広告会社が流した、「保育器を盗もうとしたイラク兵が、なかにいた未熟児を放り出した」という作り話を利用し、「紛争介入を肯定する一大キャンペーンを行った」例を挙げています。
 第6章「敵は卑劣な平気や戦略を用いている。」では、第5の法則の当然の帰結としてこの法則がなりたると述べ、「多くの場合、技術的な優劣が勝敗を決定する」ため、技術的に劣る側は、「自分たちが使えない兵器を、敵が一方的に攻撃に用いるのは卑怯」であると非難し、「自国が行うときには合法的かつ巧妙な戦略として有効な『奇襲』も、敵陣が仕掛けてくれば卑劣な行為と非難する」と述べています。
 第7章「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大。」では、「戦況が思わしくない場合、プロパガンダは自国の被害・損失を隠蔽し、敵の被害を誇張して伝える」とのべ、第一次大戦開戦後の1か月で、フランス軍の被害は死者約31万3千人にのぼっていたが、「フランス軍参謀は、軍馬1頭の被害も一切公表せず、(英軍、独軍のような)戦死者名簿も発表しなかった」と述べています。
 第8章「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している。」では、「感動は世論を動かす原動力であり、プロパガンダと感動は切っても切り離せない」と述べ、「感動をつくりだすのは、お役人の仕事ではない」ため、「職業的な広告会社に依頼」するか、「感動を呼び起こすことが得意な職業、芸術家や知識人に頼ることになる」と述べています。
 著者は、「戦意高揚のために芸術家、知識人、文化人が駆り出される」ことについて、
(1)知性、才能とは何か。
(2)なぜ彼らがその精神を、その筆を、戦争プロパガンダに提供したのか。
の2つの疑問を呈し、「聖なる連帯感は、批判精神をすっかり麻痺させてしまう」と述べています。
 第9章「われわれの大義は神聖なものである。」では、「民主主義、『文明』、自由、市場経済といった概念も、不可侵の価値をもつものとして宗教と同様の意味を持つことが多い」と述べ、「とくに『民主主義』という概念は、あらゆる犠牲を払ってでも守り抜かねばならない神聖なものになった」と指摘しています。
 第10章「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である。」では、「戦時において、慎重に判断を行なうもの、立場を決める前に双方の言い分を聞こうとする者、公式発表の情報を疑う者は、即座に『敵のまわし者』にされてしまう」と述べています。
 そして、「戦時に政府が判断を誤った場合、多大な損害が生じることになる。だから、本当は戦時にこそ、政府の誤った決定を正せるように、言論の自由が保障されるべきなのだ」と主張しています。
 著者は、戦争プロパガンダの法則を突き詰めていくと、
・われわれは、今なお、先人たちのように情報をうのみにしていまうだろうか。
・こうした法則は意識的に実践されたのだろうか。
・真実は重要だろうか。
・なにもかも疑うのもまた危険なことではないだろうか。
という「根本的な疑問にたどりつく」と述べています。
 本書は、戦争を前にして、国家がどういう態度を取るのかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 そう言えば日本も海の向こうの戦争と関わって色々揉めているわけですが、こういう場合の政府のプロパガンダっていうのはどういう風に行われているのでしょうか。なかなかその時代にいながら国家の情報操作の全容を理解するのは難しいのかもしれませんが、そのための能力を磨く必要はありそうです。


■ どんな人にオススメ?

・戦争と国家に一定の距離を保ちたい人。


■ 関連しそうな本

 高木 徹 『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』 2006年11月27日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年06月23日
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 2005年07月13日
 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 2005年09月07日
 村上 龍 『海の向こうで戦争が始まる』
 川上 和久 『情報操作のトリック―その歴史と方法』 2007年10月12日


■ 百夜百マンガ

おやこ刑事【おやこ刑事 】

 子供たちが「太陽にほえろ」を真似てケイドロ遊びをしていた頃、徹底的に人間ドラマを追求していた作品です。

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