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2008年2月

2008年2月29日 (金)

ネットは新聞を殺すのか-変貌するマスメディア

■ 書籍情報

ネットは新聞を殺すのか-変貌するマスメディア   【ネットは新聞を殺すのか-変貌するマスメディア】(#1135)

  国際社会経済研究所, 青木 日照, 湯川 鶴章
  価格: ¥1575 (税込)
  NTT出版(2003/9/25)

 本書は、「ネット社会が進展する中で、メディアがどのように変容していくか」に焦点を当てた「ネット社会における情報戦略」をテーマとし、
(1)「2ちゃんねる」や「ウェブログ」のような個人(大衆)による情報発信が、草の根ジャーナリズムあるいは大衆ジャーナリズムとして確立すると、既存のメディアにどのように影響していくのか。
(2)若者を中心にどんどん活字離れが進み、ネットで情報を取ることが日常化してくると、紙の新聞はなくなっていくのか。
の2つの疑問を提示しているものです。
 第1章「報道機関に挑む草の根ジャーナリズム」では、急増している「ウェブログ」が、「価値のある情報ほど多くのウェブログからリンクが集まり、人々の目により触れやすくなる」という特徴を持つため、「価値のある情報はあっという間にネット上に広がる」と述べています。
 また、ウェブログ作成ソフトメーカーCEOのデイブ・ワイナー氏が、「ウェブログが新聞より影響力を持つようになる」と主張する根拠として、
(1)大衆がより多くの情報を求め出した。
(2)プロのジャーナリズムの業界が経済的な危機に陥っている。
の2点を示していることを紹介した上で、プロのジャーナリストであるジョシュ・クイットナー氏が、プロが勝っている点として、
(1)数多くのニュースをコンパクトにまとめる仕事
(2)調査報道
の2点を挙げていることを紹介しています。
 また、「2ちゃんねる」のユーザーたちが、あるドキュメンタリー番組のないように疑義を抱き、独自に検証を行なった事例を取り上げ、「大手報道機関に対抗できるほどの大きな発言力を一般大衆が持ち始めている」と述べています。
 さらに、メールマガジン発行元の「まぐまぐ」などによって、「何かを書いて発表するということが、一部の層の特権的なものであったのが、誰もが書いて発表できるようになった」ことを紹介しています。
 第2章「21世紀のジャーナリズムの姿」では、報道機関の側が、「偏見のない正確な報道」という点で大衆発信情報より優れていると自負しているのに対し、大衆はそうは思っていないというギャップを指摘し、「草の根ジャーナリズムがプロのジャーナリズムを凌駕することはない」という報道関係者の言葉を「そのまま鵜呑みにはできない」と述べています。
 また、「プロのジャーナリズムと草の根ジャーナリズムの融合というかたちが、もっとも可能性の高い結末になりそうだ」として、日本経済新聞社が運営するIT有識者のコミュニティー「日経デジタルコア」を取り上げ、事務局の坪田知己代表幹事の「テレビが登場してもラジオが役割を変えて生き残ったように、一般誌は事業規模が大幅に縮小するものの生き残ることはできるだろう」が、専門性が問われる経済紙で、変化のスピードに追いついて生き残るのは、「専門家のコミュニティーをネット上に形成し、ニュースの重要性や意義付けを即時に提示してもらえる仕組みを作ったところ」であり、デジタルコアがそうした試みである、という言葉を紹介しています。
 著者は、「今後のジャーナリズムの形は、既存の報道機関が、一般大衆の要望に応えられるかどうかにかかっているといってもいいだろう」と述べています。
 第3章「紙の新聞はなくなるか」では、マイクロソフト社のディック・ブラス副社長が「ニューヨークタイムズは2018年を最後に紙の新聞の発行を止めるだろう」と予測していることを取り上げた上で、ハーバード大BSのクラーク・ギルバート教授が「紙の新聞に対する需要はなくならないでしょうが、紙の新聞の市場は縮小し、紙の事業の収益率は低下する」として、「紙の事業の呪縛から逃れられない新聞社にとって、非常に厳しい時代になろうとしている」と指摘していることを紹介しています。
 また、ニューヨークタイムズ・オン・ザ・ウェブのスコット・マイヤー氏が、「紙の読者とウェブの利用者は、まったく違う層」であるため、「ウェブ版は紙の読者を増やすのに最適の手段である」と語っているのに対し、日本の新聞関係者は、これは「紙の配達地域とニュースサイトのターゲット地域が違う」からではないかとして、「日本の新聞の部数は確実に減る」と述べていることを紹介しています。
 第5章「テクノロジーは何を変えるのか」では、「情報技術の日進月歩の進化は当然、報道機関のあり方を激変させる」として、
(1)読むための電子機器:電子ペーパー、タブレットPC、読書端末など
(2)オンライン広告:ターゲッティング広告、グーグルの動向など
(3)コンテンツを作り出す技術
などのテクノロジーを紹介しています。
 終章「21世紀の日本の報道機関の姿」では、「もし数年後に技術革新の津波がやってくればどうだろう」と、「対策を持つには、技術革新の動向を見極めること、情報技術に長けた集団に生まれ変わることが何よりも肝要だ」と述べています。
 本書は、最先端の情報を扱っていながら、実はもっとも保守的な業界の一つであるジャーナリズムを舞台に、激変する環境をわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読んでいて、日経の坪田さんが突然登場して個人的にはびっくりしました。
 今年のお正月、釣れ過ぎてしまったアジとサバを何匹か引き取っていただきありがとうございました。あったら嬉しいですが、また釣れ過ぎてしまったらよろしくお願いします。


■ どんな人にオススメ?

・ネットばかり見ていて新聞は不要だと思う人。


■ 関連しそうな本

 歌川 令三 『新聞がなくなる日』
 中馬 清福 『新聞は生き残れるか』
 河内 孝 『新聞社―破綻したビジネスモデル』
 崎川 洋光 『新聞社販売局担当員日誌』
 大塚 将司 『新聞の時代錯誤―朽ちる第四権力』
 藤原 治 『ネット時代10年後、新聞とテレビはこうなる』


■ 百夜百マンガ

医龍 Team Medical Dragon【医龍 Team Medical Dragon 】

 この作品で「バチスタ手術」という言葉が一般に広まりましたが、バチスタというのは人の名前だということを初めて知りました。
 そういえば、どことなく「ステバチ」と語感が似ていますが、ローザ・ルクセンブルグのアルバムで「STAY BUT EAT」というのがありました。

2008年2月28日 (木)

ネットワーク社会の深層構造―「薄口」の人間関係へ

■ 書籍情報

ネットワーク社会の深層構造―「薄口」の人間関係へ   【ネットワーク社会の深層構造―「薄口」の人間関係へ】(#1134)

  江下 雅之
  価格: ¥882 (税込)
  中央公論新社(2000/01)

 本書は、「ネットワークというムーブメントの本質を探ろうと思ったら、ネットワークを受け入れる下地が何なのかを分析し、さらにその下地がネットワーク浸透後、どういう方向に進むかを予測しなくてはいけない」という問題意識から書かれたものです。著者は、本書の関心事項として、「ネットワークでの拘留はどういう必然性から導かれたのか、それがどういうライフスタイルに結びつくのか、その交流にどういう原理が作用しているのか」、等を挙げています。
 第1章「ネットワークの実像」では、娯楽小説や映画での描写を参考に、「新しいテクノロジーが一般大衆にどの程度認知されているか」を知ることができるとして、「すくなくとも80年代前半を境にして、ネットワークは一般個人が私的な用途で利用する身近な存在であるとの認識が広がり始め、90年代半ばにはほぼ日常的な存在と認められたと見なしてよさそうだ」と述べています。
 また、ネットワークがマスメディアと明確に異なる点として、「ネットワークの向こうには『人』がいて、ときにはその『人』からインフォメーションやトランザクションの機能を引き出せる点」を挙げ、「ネットワークを単なる伝送路にあらざるものと意味づける要素は、人どうしの接触や交流の現場になりうる点にこそある」と述べています。
 第2章「メディア産業とネットワーク」では、「そもそもネットワークはどういうチャネルになりうるのだろうか」という問いに対して、「ネットワークを情報の宝庫と無条件に賛美することもできなければゴミ箱と切って捨てることもできない」と述べ、「産地直送の『ナマモノ』」であり、「それを活かせるかどうかは、素材に接した人の料理の仕方、味わい方次第である」と解説しています。
 そして、メディアが未発達な時代には、「共同体の『門番(ゲートキーパー)』が世論を先導することがあった」が、マスメディア登場後は、「メディア自体が影響力を行使するようになり、全国規模あるいは全世界規模の『有名人』が世論を引っ張ることもあった」としたうえで、「ネットワーク時代には、個々の関心領域を単位として、門番やオピニオン・リーダー、有名人とは異なる小教祖(ミニ・カリスマ)的な役割を持つ者が一種の均衡点として出現するだろう」と述べています。
 第3章「バーチャル・コミュニティの過去・現在」では、「耐久消費財や対消費者向けサービスでは、利用者が増えれば増えるほど需要面でも供給面でも市場拡大要因が大きくなる」として、「普及率がある一定の段階を超えると、爆発的な相乗効果が発揮される」という閾値を「Critical Mass(CM)」と呼ぶと解説し、1997年の時点で「ネットワークを利用できる環境にある人が総人口の8~10パーセントに達した」ことを指摘しています。
 また、「電子コミュニティ」の特徴を、「いつでも、どこでも、誰とでも」としながらも、「誰とでも」の部分は、携帯電話とネットワークでは異なり、「物理的な制約だけでなく、社会的制約をも離れ、接触する機会をもてそうになり人とも交流できる可能性があることを意味している」と御ベテいます。
 第4章「ネットワーク上に見られる現象」では、「われわれは職場や学校、家庭において、その場に応じた『役割』を演じている」ことが、「束縛感や一種の圧迫感をもたらすことがある」とした上で、ネット上で、「キャラクターを意図的に設定するという行為」の典型として「ネットおかま」を挙げています。
 また、ネット上という「多様な価値観の持主が集うことを期待される<場>であっても、結局は類似性・同質性の原理が作用する」と述べ、この同質性という原理の元では、<場>の状況は、
(1)覇権争い:同質性のスタンダードを追及する過程
(2)調和的交流:何らかの関心事あるいは行動原理を共有しているという前提での交流
(3排除:異質なメンバーの追放)
の3種類のいずれでしかありえないと述べています。
 さらに、ネットワーク上で加熱したコミュニケーションが発生し、「感情的な誹謗や揚げ足取りに終始する状況に陥ること」を「バトル」や「フレイミング(flaming)」と呼ぶことを解説しています。
 第5章「コミュニケーションの原理」では、<現実社会>と<仮想社会>の直感的な区別として、
・現実社会=身体が居合わせる機会を持つことを前提とした人間関係
・仮想社会=メディア空間上の記号を通じた人間関係
と解説しています。
 また、電子ネットワーキングの社会的現実感の決定要因として、
(1)制度レベル:社会的な位置関係
(2)対人環境レベル:社会的・対人的な存在感
(3)信念レベル:自分の持つ常識との一貫性
の3つのレベルがあることを紹介しています。
 さらに、ネット上で匿名を実現する方法として、「隠す」と「仮想する」の2通りのうち、後者については、
(1)ペンネームを用いること
(2)「他人の実名を盗む」という方法
(3)一人で複数の人格を装うことで、自分の「本体」をくらますという方法
の3種類の方法があると述べています。
 第6章「ネットワークというコミュニケーション革命」では、「ネットワークという言葉を『網状の構造を持つもの』の比喩としてとらえるならば、『ネットワーク社会』とは、人間関係がネットワーク上のトポロジーを取る社会と解釈できる」と述べ、
(1)集団の形成要因に注目したもの
(2)情報化社会の進展結果として、情報の発信源である個人どうしの相互依存関係に注目したもの
(3)情報民主主義という考え方
の3つの論点に注目したいと述べています。
 本書は、ネットワーク社会の構造を読み解くきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は2000年3月に出版されたものですが、この当時に比べて8年経ち、インターネットと関わりを持つ人も相当増えたので、本書で紹介されているような、ネット上の習俗のようなものも、慣れてしまってそれほど目立たなくなったのか、少数派になってしまったのでしょうか。なんとなくピンと来なくなってしまった気がします。


■ どんな人にオススメ?

・ネットワークの姿を見たい人。


■ 関連しそうな本

 今井 賢一, 金子 郁容 『ネットワーク組織論』 2005年03月19日
 オリヴァー・E.ウィリアムソン 『市場と企業組織』 2005年04月19日
 池田 信夫 『ネットワーク社会の神話と現実―情報は自由を求めている』 2005年09月17日
 ダンカン ワッツ (著), 辻 竜平, 友知 政樹 (翻訳) 『スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための新科学的思考法』 2005年09月28日
 増田 直紀, 今野 紀雄 『複雑ネットワークの科学』 2005年11月18日
 アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日


■ 百夜百マンガ

黒鉄【黒鉄 】

 作者の代表的な作品です。まだ完結していない作品だけに、ハツカネズミが終わったことで再登場の機会がある?

2008年2月27日 (水)

働く、編集者―これで御代をいただきます。

■ 書籍情報

働く、編集者―これで御代をいただきます。   【働く、編集者―これで御代をいただきます。】(#1133)

  加藤 晴之
  価格: ¥1680 (税込)
  宣伝会議(2007/07)

 本書は、「編集を生業(なりわい)としてカネを稼ぐ、言い方を変えれば情報をタダではなく、受け手(読者)から情報のお代を頂戴する職業について」論じているものです。
 著者は、「編集者は、編集者が担当する『もの書き』によって育てられていくもの」であると述べています。
 第1章「職業編集者になる!」では、編集者は、「猛獣つかい」でなければならない、としながらも、「書き手(小説家、マンガ家、ルポライターなど)の一流になるには、天才でなければならない」が、「一流の編集者には、その道の秀才ならば誰でもなれる」と述べています。
 第2章「編集者を取り巻く環境は変化したか」では、雑誌というメディアや書籍という活字商品、そして出版社が滅びないための「条件」として、
(1)メディアそのものの優位性
(2)コンテンツ(雑誌の記事や企画、書籍作品)
(3)出版社で働く人材の資質の高さ
の3点を挙げています。
 第3章「裁判を傍聴する」では、1989年3月にアメリカ人弁護士が最高裁で逆転勝訴するまで、「一般の傍聴人がメモを取る自由」は日本の裁判所になかったことを論じています。
 そして、「言論・報道の自由というものは、常に言論・報道の自由を勝ち取るために努力し続けなければ、自由な言論による批判を封殺したい公権力や政治家たち、横暴な権力を振りかざす勢力によって、どんどん押さえ込まれていく」と述べています。
 また、ロッキード裁判の法廷写真などを取り上げ、「写真の木本は、証拠写真であること。カメラマンはそうした歴史の決定的瞬間を、証拠として記録し保存することが重要な仕事」であると述べています。
 第4章「『現場』を経験する」では、「法廷とは、この国で起きた犯罪の最終局面的な『事件現場』」であるとして、「法廷傍聴とは、まさに犯行現場に立ち会う、ということでもある」と述べています。
 そして、編集者、ルポライター、小説家、マンガ家などの書き手になろうと思うのであれば「一番大切にして欲しいのは、『現場感覚』」であると述べ、「編集者の技量は、作家との打ち合わせという、かけがいのない『現場』を、なんどもなんども経験しない限り向上」しないと述べています。
 また、よく「客観的な報道」という言葉が使われるが、「報道において、大切なのは、『ニュートラル』ではなく、『フェアネス』です。客観性ではなく公平性です」と述べています。
 さらに、「これは、ちょっとおかしいんじゃないか?」という「心の中に『?』マークを灯せなくなることが怖い」として、「小さな疑い、小さな迷いが大事なのである」という立花隆氏の言葉を紹介しています。
 第6章「プロ編集者はそのとき、どうする?」では、「書き手の実力を測るカンタンな判別法」として、「原稿を書く速さ」を挙げ、「現行の速い人は、書く『身体能力』がすぐれている証拠」であると述べています。そして、「もの書きというのは、ふつうの人がかけないような文章を書ける人。さらに、『普通の人が書けない文章を書く』という仕事をやり続けるだけの特別な才能をもった人たち」であると述べています。
 また、情報提供者から、多額の謝礼を要求されたときの対応策として、「法外なおカネの話を持ち出す人は、概してたいしたネタをもっていないケースが多い」と述べています。
 さらに、政治家のスキャンダルの持ち込みは、「フレームアップされた謀略」である「ためにする話」であることが多いと注意を呼びかけています。
 第7章「編集長クラスはどう対処する!?」では、編集長にとって、「じつは、イケイケ記事の掲載に向けてアクセルを踏むより、ブレーキをかける、つまり記事を掲載しない、あるいは記事の当たりを弱める判断をするほうが、よほど勇気がいるもの」であると述べています。
 第8章「週刊誌はどのように毎週作られているか」では、著者の同業の大先輩の言葉として、「いまや週刊誌は、この国に残された最後の白バイだ」という言葉を紹介し、「ますます週刊誌は週刊誌らしくならなければならなくなったようだ。週刊誌ほど面白いメディアはない」と述べています。
 本書は、週刊誌を自分で買ったことがない人にとっても、編集の面白さを伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 そういう自分も週刊誌を買わない世代な上に、スポーツ新聞も買わないのですが、電車の中でヘアヌード写真を広げられるお父さんはある意味で恐れ入ります。


■ どんな人にオススメ?

・自分は週刊誌なんか読まない、と思っている人。


■ 関連しそうな本

 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 2005年09月07日
 川上 和久 『情報操作のトリック―その歴史と方法』 2007年10月12日
 豊田 きいち 『著作権と編集者・出版者』 2006年5月4日
 河崎 吉紀 『制度化される新聞記者―その学歴・採用・資格』 2006年11月10日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年06月23日
 高木 徹 『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』 2006年11月27日


■ 百夜百マンガ

生徒諸君!【生徒諸君! 】

 榊原郁恵が主演したことで知られる「ナッキーはつむじ風」の原作マンガ・・・と思われがちですが、どうやら「類似品」の類になるようです。

2008年2月26日 (火)

社会が変わるマーケティング――民間企業の知恵を公共サービスに活かす

■ 書籍情報

社会が変わるマーケティング――民間企業の知恵を公共サービスに活かす   【社会が変わるマーケティング――民間企業の知恵を公共サービスに活かす】(#1132)

  フィリップ コトラー/ナンシー リー (著), スカイライトコンサルティング (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  英治出版(2007/9/4)

 本書は、「半世紀以上にもわたって民間企業で顧客満足を高め、売り上げと利益を上げるために使われてきた『マーケティング』を、社会に変革をもたらすために活用することを提案している」物です。著者は、本書執筆の動機を、「市民ニーズの充足と公共機関のパフォーマンスの改善の間の明らかな相関を発見し、それを活用するにはどうすればよいのか」と述べ、「この目標を達成するために、基本的かつ実証されているマーケティングの原理と手法をどのように活用するか」が本書の中心テーマであると述べています。
 第1章「市民の要望にこたえる」では、「政府の仕事は企業の仕事とは本質的に異なる」と主張し、「政府機関の活動をもっと効率的、効果的、革新的なものにしてもらいたいという市民の願いは夢想だという」考えに対し、「これを非効率、浪費の言い訳に使ってはいけない」と主張し、オズボーン=ゲーブラーの『行政革命』を挙げています。
 そして、「公共部門で働く人たちにもっとも見過ごされ、誤解されてきた分野の一つ」がマーケティングであるとして、「広告」と誤解されがちであることを述べた上で、「マーケティングは、市民のニーズを満たし、本当の価値を届けたいと願う公共機関にとって、最善の計画を作成するための基本概念である」と述べています。
 第2章「マーケティングの考え方を理解する」では、マーケティングの基本原理として、
(1)顧客中心主義に徹する:あなたの顧客が常に「私に何の得があるのか」と問いかけているのだと想像する。
(2)市場を細分化し、ターゲットを定める:市場の細分化によって、サイズが大きく質的ばらつきを持った市場を、より小さな同質のセグメントに分割することで、セグメントごとの独自ニーズに適した製品やサービスをより効率的、効果的に見つけ出すことができる。
(3)競争相手の特定:競争相手を特定するときの秘訣は「近視眼的マーケティング」を避けることである。
(4)マーケティングの4Pを利用する:理想的なマーケティング計画のシナリオでは、プロモーションの決定は、プロモーションされるべきもの(製品、価格及び流通チャネル)の決定が済むまでは、検討されることもない。
(5)活動をモニタリングし、修正を加える:目的と目標を明確に理解して初めてスタートできる。
の5点を挙げています。
 第3章「サービスを創造する」では、「まず公共機関における製品の定義とその要素について説明」し、「公共部門にとってもっとも重要な製品マネジメントの機能である『プログラムとサービスの開発とその品質の向上』に焦点を合わせる」としています。
 そして、「マーケティング的なものの見方、特に『物事を改善しようという意識』が大きく貢献すること」を示したものとして、英国の有名シェフが、「英国の学校食堂で出される脂っこく、塩辛い、加工された、甘すぎる食事」を、「天然素材や果物、(目立たないように工夫した)野菜をたくさん使った、調理したての、栄養価の高い食事に替えたい」として始めた「もっとましなものを食べさせて(フィード・ミー・ベター)」プロジェクトが、「質の悪い食生活を送り、運動不足で太り始め、不健康になってきた国民の関心を引いた」と紹介しています。
 また、マーケティング論が、製品を、
・核:製品としての本質
・形態:外見からはっきりとわかるもの
・付随機能:顧客の期待を超える付加価値のある特徴やサービスを付け加えた製品
の3つのレベルに分けていることを論じています。
 第4章「魅力ある価格設定とは?」では、米国運輸省外局の国家道路交通安全局による自動車事故による死傷者と経済的損失現象のための「クリック・イット・オア・チケット」キャンペーンを取り上げています。
 そして、マーケティング戦術としてのインセンティブについて、
・金銭的インセンティブ:期待する行動のコストを引き下げる。
・金銭的負のインセンティブ:競合する行動のコストを増加させる。
・非金銭的インセンティブ:期待する行動の知覚価値を高める。
・非金銭的負のインセンティブ:競合する行動の近く価値を減少させる。
の4つの戦術を紹介しています。
 第5章「流通チャネルと最適化する」では、「商品を届けるために使う手段であり、市民がその商品に接する手段」である「流通チャネル」について、「マーケティング・ミックスの中では、これはPlaceのPであり、担当者が直面するもっとも重要な意思決定の一つと考えられている」と述べ、ネパールにおけるコンドームの流通改善の事例を紹介しています。
 第6章「ブランドを創造する」では、「公共機関がプログラムの望ましいブランド・イメージを作り出し、維持するためには何をすべきかについて考えていく」としています。
 そして、米国環境保護庁が「地球を守る」ブランドである「エナジースター」というプログラムを創設し、住宅市場において、「強力なブランド戦略が、政府と産業界のもっとも成功した協力関係を築くのに、重要な役割を果たした」と述べています。 著者は、「公共機関も、見込み客の心の中にある希望の場所を確保するためにブランディング戦略を利用すべきである」と述べ、「米国の森林保護官であると同時に、世界で最も認知度の高い想像上のキャラクターの一つ」である「スモーキーベア」や、「米国人に『犯罪に立ち向かおう』と呼びかけ、その方法を教えるために使われたブランド」である犯罪防止犬「マクグラック」等の例を紹介しています。
 第7章「効果的なコミュニケーションを行なう」では、コミュニケーションについて、「望ましいポジショニングとブランド・アイデンティティをしかるべき場所に、釘を打ち付けて固定する、いわば金槌の役割を果たすツールである」と述べています。
 そして第4の「P」であるプロモーションについて、特に「説得力のあるコミュニケーション」という意味で使われると解説しています。
 また、マーケティング・コミュニケーションの中核となるメッセージ作成の出発点として、
・何を知らせたいか
・何を信じてもらいたいか
・何をしてもらいたいか
の3つの質問を挙げています。
 さらに、メッセージを伝えるスポークスマン起用の例とて、2005年に日本で行われた「冷房温度を上げてエネルギーの節約を呼びかける全国的なキャンペーン」(クール・ビズ)において、「半袖シャツにノーネクタイ姿の小泉純一郎首相の写真が新聞広告に掲載された」例を挙げています。
 第8章「顧客満足度を高める」では、「マーケティングの原理とテクニックをどのように使えば、顧客サービスを改善し、顧客満足を高めることができるのか」をテーマとしています。
 そして、「水のタンクを持った平和維持軍」フェニックス消防署の例を挙げ、「サービス提供のあり方を決める主な要因が顧客のニーズや認識、感情」であり、「結局、ビルや家屋に投票権はない。投票するのは人間なのだ」というブルナチーニ署長の言葉を紹介しています。
 また、顧客満足を高める実践活動として、
(1)優れたサービスをする従業員を支援する
(2)社会基盤とシステムが障壁になっていないか確認する
(3)顧客管理システムを検討、改善する
(4)総合的品質管理によるベネフィットを発見する
(5)期待度と満足度を追跡し、評価する
の5点を挙げています。
 第9章「ソーシャル・マーケティング」では、「健康改善、傷害事故防止、環境保護、地域貢献に影響を与える活動に対して特に用いられている」理論であると解説した上で、フィンランドの「ファットからフィットへ」運動などの事例を紹介しています。
 そして、「ソーシャル・マーケティング」を、「マーケティングの原理と手法を使って、個人やグループ、社会全体のベネフィットのために、ターゲット・オーディエンスに影響を及ぼして、ある『行動』を自発的にとらせたり、拒否させたり、修正させたり、放棄させることである」と定義し、その目的は、「生活の質を向上させることにある」と解説しています。
 そして、成功に近づけるための原理として、
(1)過去のキャンペーンの成功例を活用する
(2)行動する準備ができている市場から始める
(3)一度に一つ、簡単で実行可能な行動を促す
(4)行動の変化を妨げる障害を取り除く
(5)本当のベネフィットを目の前に差し出す
(6)競合する行動のコストをあきらかにする
(7)目に見えるモノやサービスを勧める
(8)非金銭的インセンティブ(評価や報償)を与える
(9)メッセージにユーモアをこめる
(10)意思決定のタイミングに合わせたメディア・チャネルを使う
(11)公約や誓約を取りつける
(12)持続させるために注意を喚起する
の12点を紹介しています。
 第10章「戦略的連携関係を結ぶ」では、「官民双方にとってメリットのある提携関係」を扱い、「最善のパートナーを見つける鍵を握るのがマーケティングの発想である」と述べています。
 そして、企業の「コーズ・プロモーション」のための提携関係や「コーズ・リレーテッド・マーケティング」のために提携関係の事例を紹介しています。
 著者は、「公共機関を待ち受けている落とし穴」として、
(1)単独の場合に比べて「時間」がかかる
(2)成功の一因は「妥協」であるようだ
(3)相手の民間企業や非営利組織が、たとえ些細な逸脱行為であっても信用を失墜する、つまり「マイナスの評判」を立てられる可能性がある
等の点を指摘しています。
 第11章「情報をいかに集めるか」では、マーケティング・リサーチを、「組織が直面している特定の問題に関するデータを収集し、分析し、報告すること」と定義した上で、「データ」や「市民からの情報」、「市民からの意見」の有用性を解説しています。
 また、マーケティング・リサーチの実施時期に関して、
・フォーマティブ・リサーチ:戦略を形成するときに使われる調査
・トライアル調査:本格的な製造や施策実施の前に戦略と戦術をテストするために行う調査
・モニタリング調査:当初の目標や目的と成果を比較するための調査
の3点について解説しています。
 第12章「施策をきちんと評価する」では、パフォーマンス測定の対象として、
・アウトプット(市民への出力)
・アウトカム(市民の反応)
・インパクト(反響)
の3つのカテゴリーを挙げて解説しています。
 第13章「説得力のあるマーケティング計画を作成する」では、2003年4月にブルームバーグ市長がニューヨーク市のチーフ・マーケティング・オフィサーにジョセフ・ペレーロを任命したことについて、「ニューヨークはマーケティング部という部署とチーフ・マーケティング・オフィサーという職位を持つ世界最初の都市になった」と紹介しています。
 本書は、マーケティングという言葉になじみを持たず、「コトラー」という名前を聞いたことがないような公共部門の人間にも、事例を交えてわかりやすく解説している一冊です。


■ 個人的な視点から

 コトラー先生の新境地?と思って期待して買ったマーケティングの世界の人にとっては、当たり前すぎて、人によっては期待はずれに感じる人もいるかもしれません。
 しかし、本書は、マーケティングの「マ」の字にも縁がない(と言われている)公共部門の読者を想定したものであるので、そういう人たち向けには、基本的なマーケティングの概念を、なじみのある公共部門の事例を使って解説した本書はわかりやすい一冊になっているのです。
 その意味では、本書の内容が簡単すぎると思うようなた人が、「コトラー」の名前で中身を良く確かめずに買ってしまったところに原因があるのではないかと思います。マーケティングの基本中の基本なのかもしれませんが。


■ どんな人にオススメ?

・公共部門にマーケティングは関係ないと思う人。


■ 関連しそうな本

 フィリップ コトラー, エデュアルド L. ロベルト (著), 井関利明(監訳) 『ソーシャル・マーケティング』 2005年02月14日
 フィリップ・コトラー, ナンシー・リー (著), 早稲田大学大学院恩藏研究室 (翻訳) 『社会的責任のマーケティング―「事業の成功」と「CSR」を両立する』 2008年01月24日
 フィリップ コトラー 『非営利組織のマーケティング戦略』 
 玉村 雅敏 『行政マーケティングの時代―生活者起点の公共経営デザイン』 
 井関 利明, 藤江 俊彦 『ソーシャル・マネジメントの時代―関係づくりと課題解決の社会的技法』 
 デビッド オズボーン, テッド ゲーブラー 『行政革命』 2005年01月22日


■ 百夜百マンガ

プ~ねこ【プ~ねこ 】

 1年間連載してても単行本1冊に満たないペースですが、長いこと連載が続いています。スーパーのレジ打ちにも精通しているのは内緒です。
 そう言えば、『スカタン天国』の翻訳版を台湾で入手したことがありますが、猫も台湾で受けているのでしょうか?

2008年2月25日 (月)

役員ネットワークからみる企業相関図

■ 書籍情報

役員ネットワークからみる企業相関図   【役員ネットワークからみる企業相関図】(#1131)

  菊地 浩之
  価格: ¥2100 (税込)
  日本経済評論社(2006/12)

 本書は、「日本企業の役員兼任を分析し、そこから日本企業の役員及びそのネットワークの特徴を明らかにしていく」ものです。
 第1章「役員兼任を分類する」では、委員会等設置会社で望まれる社外役員が「個人の資質」出選ばれるのに対し、従来型の社外役員は、「企業間関係」を背景にして送り込まれるものであると述べています。
 そして、役員兼任を、
(1)企業グループ型
(2)株式所有型
(3)非上場企業型
(4)金融機関 株式所有型
(5)法曹・税務型
(6)その他
の6つのタイプに分類しています。
 また、日本の役員兼任が、1999年から2005年の間で流れが一変し、それまでの85%が株式所有で説明でき、42%が親子会社間で成立したものだったのに対し、企業間関係重視型の役員兼任が減少し、個人的資質重視型の役員兼任が増加したと述べています。
 第2章「企業集団における役員兼任」では、「三菱・三井・住友・芙蓉・三和・一勧」の六大企業集団について、それぞれの役員兼任ネットワークを分析し、
・三菱:(1)金融機関、(2)有力事業会社、(3)その他の事業会社の3階層から構成され、ガチガチ堅固な序列主義。
・三井:企業集団化のメリット・デメリットを計算し、使える場合は使うといった感が強く、人的結合もソロバンをはじく。
・住友:結束力は強いが、普段はそれ以上に独立心が強く、身内で固まらない。
・芙蓉:生命保険会社の株式所有が鍵となり、付き合いはカネ次第。
・三和:関西財界に点在する断片的な人的結合。
・一勧:実は古河グループの役員兼任。
等の点を挙げています。
 そして、企業集団における役員兼任の特徴として、
(1)個々の企業間関係を基盤にしたものが多く、役員個人の資質に頼ったものは少ない。
(2)その多くが株式所有を基盤にしている。
(3)企業集団の社長会メンバーは表面上対等であるが、実際には序列がある。
(4)役員兼任の充実度は企業集団によってかなり異なる。
の4点を挙げています。
 第3章「地域財界における役員兼任」では、中部財界の役員兼任の多くが、株式所有を背景にしておらず、「役員兼任ネットワークは東海銀行・松坂屋・中部電力・東邦瓦斯・岡谷鋼機・名古屋鉄道の6社が中核を成している」が、その間にはほとんど株式所有も見られず、重要な商取引も想像できないことから、それ以外の動機によって形成されていると述べ、「中部財界の役員兼任ネットワークの実体は、地域巨大企業の連合体」であり、「東海銀行・松坂屋・中部電力・東邦瓦斯・名古屋鉄道」の5社は、「名古屋5社」または「五摂家」と呼ばれ別格視されていると述べています。
 そして、岡谷鋼機のトップが役員兼任を担っているのは、「岡谷家という家系が中部財界で特別な地位を保っているから」であることから、「地域財界の役員兼任ネットワークの実態は地域巨大企業の連合体が資産家層と連結したもの」であると解説しています。
 また、資産家層の子孫たちが、「かつて先祖が支配していた企業にごく普通に就職し、あたかも一般の社員から選ばれたように役員に昇進し」、「自家と無関係な企業でも、同様に役員に選任されている」ことについて、上流階級のインナー・サークルが持つ、
(1)文化的資本:個性的なスタイルや価値観や教育資格認定書
(2)社会的資本:家柄から生み出される社交場のつながりのネットワーク
(3)経済的資本:個人保有の金融資産
の3つの特質を強めると述べています。
 さらに中部財界で展開される血縁的役員兼任の特徴として、
(1)血縁的役員兼任は通常の役員兼任を補完している。
(2)血縁的役員兼任は地域的な枠組みに留まらず、全国的に展開されている。
(3)血縁的役員兼任は通常の役員兼任と違い、移転や断絶が多く、修復されない。
の3点を挙げています。
 第4章「血縁的兼任ネットワーク」では、「血縁的役員兼任」を、「2つの企業の役員同士に血縁関係があるとき、それら企業間には血縁を通じての役員兼任が存在する」と定義し、血縁的兼任ネットワークが、
・企業集団・企業グループという枠を超え、多くの業種の企業が包括されている。
・環状に連結しており、中心になるべき点がない。
という特徴を持ち、「特定の企業や特定の家系を基点として拡がるものではなく、『層』(=階層)なのだ」と述べ、「この『層』の実態こそ、血縁を媒介とした上流階層に他ならない」としています。
 そして、東京銀行で血縁的役員兼任を担う役員が、「ほとんどすべて上流階級の子弟である」と述べ、「父親が横浜正金銀行の経営者であるケースが多く、役員の二世化を印象づける」としています。
 第5章「出身階層による分析」では、「専門経営者の二世化」が、「地域社会に限定した特性ではなく、日本を代表する企業集団にも及んでいることを実証する」として、三菱グループ役員の出身階層を対象に、「役員の4割は上流階層出身者である」ことを明らかにしています。そして、
(1)専門経営者が決して広範な階層から選ばれたものではなく、特定の階層(上流階層)から選ばれたエリートである。
(2)かれらは世襲傾向を強め、独自の階層として再生産を行なっている。
の2点を指摘しています。
 また、いわゆる「業界入社」について、「総合商社の役員子弟が就職先として選ぶのは、あくまで総合商社であって、それよりランクの劣る専門商社ではない」こと、「都市銀行の役員子弟が就職するのは、あくまで都市銀行であって、地方銀行や相互銀行(現第二地銀)を含む銀行業全般ではない」ことを指摘しています。
 さらに、三菱グループ企業の役員子弟が、「父がエライほど出世しやすい」ことを実証的に指摘しています。
 エピローグ「日本の役員ネットワーク」では、終戦後まもない日本企業の役員兼任が、「個人的資質によるものが多かった」のに対し、高度経済成長期には、「役員兼任も株式所有を基盤とする企業間関係重視型」に変わり、「20世紀後半の役員兼任は『強者が弱者に役員を送り込む』かたちで実現した」と指摘しています。
 そして、「強者の知恵を借りる」役員兼任を「代替して余りあるインフォーマルな人的結合の存在」として、学閥や閨閥であり、その典型が血縁的兼任ネットワークであると述べています。
 本書は、日本の格差社会を象徴するもう一つの端である上流階層の実態を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 多くの人が、「育ちが違う人たち」が世の中に入ることを実感しながらも、建前としての「平等」に反論できずにいたのですが、同じように大学を卒業し、大企業に就職した人同士でも、すんなり出世して役員に収まる人と、ある程度までで頭打ちになる人とでは、単に本人の能力や努力以上に、生まれと育ちの違いが大きいということがわかります。
 ある意味では救いになる一冊なのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・「平等」は建前だけだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 橘木 俊詔 『日本の経済格差―所得と資産から考える』 2006年02月10日
 苅谷 剛彦 『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』 2006年02月14日
 B.エーレンライク (著), 曽田 和子 (翻訳) 『ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実』 2007年06月25日
 ポリー・トインビー (著), 椋田 直子 (翻訳) 『ハードワーク~低賃金で働くということ』 2006年03月08日
 三浦 展 『下流社会 新たな階層集団の出現』 2007年11月14日
 山田 昌弘 『希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』 2006年01月11日


■ 百夜百マンガ

Hunter X Hunter【Hunter X Hunter 】

 「作者急病のため」という理由での休載が多かったり、鉛筆で描いた「白い」回が多かったりと、マンガ家の悪い例のように言われることが多い作品ですが、なんだかんだでもう10年も続いているかと思うと驚きです。

2008年2月24日 (日)

悪魔の発明と大衆操作―メディア全体主義の誕生

■ 書籍情報

悪魔の発明と大衆操作―メディア全体主義の誕生   【悪魔の発明と大衆操作―メディア全体主義の誕生】(#1130)

  原 克
  価格: ¥756 (税込)
  集英社(2003/06)

 本書は、テレビやラジオなど、いまや「第二の自然」になっているメディア環境について、「こうした事態はいつごろから生まれてきた」のかを、「20世紀前半、メディアの揺籃期、当時の都市大衆は我々の先輩として、どのように情報と接していた」のかを、主にドイツと日本を例に挙げて解説したものです。
 第1章「【テレビ】料理番組と遠隔誘導ミサイル」では、1930年代に、ヨーロッパ各国がテレビの定時放送を開始したことについて、各国が国の威信をかけて開発競争にしのぎを削っていたと述べています。
 そしてナチスのゲッベルスが、「直接的な政治宣伝よりも、いわゆる『非政治的な娯楽』番組の方が、トータルで見た場合、大衆に与える影響が大きい」と考えていたことを挙げ、直接的な政治宣伝のような稚拙なやり方よりも、カワイ子ちゃんや好感度の高いスターや芸能人を使って、「自分を取り巻いている世界の根本を、ラディカルに問い直したりせず、ただただ目の前の現実を、受苦的に受けとめる様子を演じさせる」という「効率の良い方法」があると述べ、「こうした事態は、今も実はぜんぜん変わっていない」だけでなく、「事態はずっと深刻になっている」と指摘しています。
 また、日本におけるテレビ技術の開発の歴史を紐解き、「テレビ開発というプロジェクトが、国家事業としてのオリンピック開催という文脈を抜きには、考えにくくなり始めている様子を読み取ることができる」と述べています。
 著者は、「この時代は、テレビ社会や軍需産業といった問題の方がが、一斉に出現していた時代にほかならない」と指摘し、「今日のテレビ情報化時代の、直接のスタート地点なのだ」と述べています。
 第2章「【パンチカード】個人情報は悪魔の囁き」では、アメリカ合衆国の人口調査のために、1882年に新しい大量情報処理システムとしてパンチカード処理機が考案されたことを紹介し、「これこそ、国家がシステマチックに、個人情報を収集、管理した最初の事例である」として、「この高速処理マシンは、国家が個人情報を一元管理するという、特殊な使用目的と深く結合していた」と述べています。
 そして、「パンチカード処理機は、その情報処理能力の高さゆえ、戦争に動員される運命にあった」として、ナチス・ドイツが、1939年のポーランド進行直前に二度目の人口調査を実施した目的が、「運転免許取得者」と「ユダヤ人種」の数の確定にあったことを解説しています。ナチスが一斉にユダヤ人強制収容を実施したときには、「ユダヤ人の名前が漏れなく記載された名簿」が彼らの手にあり、「その名簿に基づいて、間違いを犯すことなく、ユダヤ人だけを連れ去った」と述べています。
 著者は、「情報の拘束児童処理システムは、この瞬間に、生命の高速処理機という凶器になったのである」と述べています。
 また、収容所において、「決して名前は使われなかった。つねに番号だった」という元衆人の証言を紹介し、「ここでは人間の死が、もはや個人名では語られず、記号や番号によってだけ整理されていた。人間性を否定する究極のディストピアだ」と語っています。
 第4章「【ラジオ】バベルの電波塔あるいはガレージキット」では、ラジオ愛好家(アマチュア)にはふたつのタイプがあるとして、
・積極派:ラジオ技術に関して、あれこれと工夫してみたがるマニアックなひとびと。部品を購入してキットを自分で組み立て、波長やコールサインを手がかりに世界中の電波を拾おうとする。
・消極派:もっぱら聴くだけで満足するひとびと。ラジオ受信機を、「蓄音機をモダンに改良したもの」ぐらいにしか考えていない。
の2つのタイプを挙げています。
 そして、英国や合衆国では、アマチュア無線家が、第一次世界大戦に通信兵として動員され、「動員に関する彼我の違いが決定的であった」ことが述べられています。
 第5章「【ラジオ定時放送】フォルクス受信機VE301型」では、ナチス・ドイツが、「自分達の主張を漏れなく送り届けるために、各家庭に一台、ラジオ受信機を行きわたらせる」ための、「大衆の受信機」「国民受信機」普及プロジェクトについて解説しています。
 そして、平均的な二回路タイプで150マルク前後が相場だったところを、「50マルク」で登場させるという価格破壊を仕掛け、さらに、2台以上受信機を保有した場合に受信料を無料することで、「家庭にラジオ複数時代が到来した」と述べています。
 また、ナチスのプログラムが、「ラジオを行きわたらせることによって、国家の行政機構にまで変革を及ぼすことができる」というものであり、「ラジオ受信機というハードウェアを行きわたらせ、メディア環境を一元化する」ことで、「これまでの行政システムも根本的に改革できる」というものであることを解説しています。
 さらに、ラジオは元来、最初から受信機だったわけではなく、「アマチュア無線のように送信機能も受信機能も両方兼ね備えたガレージ・キットであった」が、「中央からのコントロールが不能な情報が、全国を飛び交っているという図は、潜在的な反権力の体現そのもの」であることから、「送信業務の認可制度が導入され、中央による電波情報の一元化が国家行政の一部になっていった」と述べ、「情報を選択する可能性が、情報の受け手である聴取者から、本質的に剥奪されていた」と述べています。
 本書は、普段当たり前に接しているテレビやラジオが、どのような意図の下で放送されているのかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 アマチュア無線家が通信兵として活躍したという史実は、現代に置き換えると、スーパーハカーの皆さんをサイバー戦争に徴用するかのようなものではないかと思いますが、そう言えば、「ゲームセンターあらし」で、誤って発射された大陸弾道弾を打ち落とすためにソ連があらしを頼ったエピソードを思い出しました。


■ どんな人にオススメ?

・テレビやラジオの定時放送を当たり前のものだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 2005年07月13日
 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 2005年09月07日
 ドナルド・R. キンダー (著), 加藤 秀治郎, 加藤 祐子 (翻訳) 『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』 2006年06月19日
 川上 和久 『情報操作のトリック―その歴史と方法』 2007年10月12日
 アンヌ・モレリ (著), 永田 千奈 (翻訳) 『戦争プロパガンダ 10の法則』 2007年11月01日
 高木 徹 『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』 2006年11月27日


■ 百夜百音

エッセンシャル・ベスト庄野真代【エッセンシャル・ベスト庄野真代】 庄野真代 オリジナル盤発売: 2007

 イスタンブールやモンテカルロなど地名を冠した筒美京平メロディで人気を博しました。「歌って踊れるディストリビューター」としても知られています。

『庄野真代 ゴールデン☆ベスト-シングル・コレクション+筒美京平作品集-』庄野真代 ゴールデン☆ベスト-シングル・コレクション+筒美京平作品集-

2008年2月23日 (土)

思わず話したくなる社名&商品名の謎―なぜか気になる社名・商品名の由来760

■ 書籍情報

思わず話したくなる社名&商品名の謎―なぜか気になる社名・商品名の由来760   【思わず話したくなる社名&商品名の謎―なぜか気になる社名・商品名の由来760】(#1129)

  田中 ひろみ
  価格: ¥1470 (税込)
  日本文芸社(2003/07)

 本書は、「誰もが知っている664社の社名と身近な商品名・企業キャラクター名の由来を掲載」しているものです。
 第1章「意外に知らない社名の由来」では、「ブルドッグソース(株)」の社名が、
・ブルドッグ犬がソース発祥の国であるイギリス生まれである
・大正時代、日本の家庭でペットとして人気だった
ことから商品名として採用されたことを紹介しています。
 また、「(株)亀屋万年堂」のお菓子の「ナボナ」が「ローマのナヴォーナ広場で毎年行なわれる菓子祭」に感銘を受けたことにちなんでいることが述べられています。
 この他、ミシンの「ブラザー工業(株)」が、10人兄弟が興した会社であること、「モスバーガー」の「(株)モスフードサービス」の社名が「Mountain」「Ocean」「Sun」の頭文字にちなんだものであること、ガステーブルの「リンナイ(株)」が創業者の林さんと内藤さんの頭文字「林内」にちなんでいること、「グンゼ(株)」が養蚕の振興という「郡の方針」を意味する「郡是」と書いていたこと、「イカリソース(株)」の社名が創業者が船の事故で命をつないだいかり綱にちなんでいることなどが紹介されています。
 第2章「まだまだ続く社名の由来」では、通販化粧品会社の「(株)ディーエイチシー」の「DHC」が「大学翻訳センター」の略称であることや、化粧品メーカーの「(株)ちふれ化粧品」が消費者団体の「全国地域婦人団体連絡協議会(全地婦連)」との共同系商品事業に由来していることなどが紹介されています。
 また、洋菓子メーカー「モロゾフ(株)」が、ロシア革命でロマノフ王朝が崩壊したために、国外へ亡命して日本にたどり着いた、洗練された製菓技術を持つモロゾフ一家の名前にちなんでいること、「ヱスビー食品(株)」の「S&B」が太陽と鳥を図案化した「ヒドリ印」の商標にちなんでいることなどが紹介されています。
 第3章「なぜか気になる商品名・キャラクター名の由来」では、ハウス食品の「ククレカレー」が「クック」+「レス」で調理不要という意味であること、エーザイの「チョコラBB」が実際には世に出なかった「チョコレートコーラ」という飲料にちなんでいること、脱臭剤の「キムコ」がミスユニバースの伊藤絹子にちなんだものであること、「カステラ一番、電話は二番」の「文明堂」の電話番号が本当に「0002」であること、「(株)ディーシーカード」のCMに登場する「カッパ」と「たぬき」が「他を抜く」と「人を引きずり込む」ということで縁起がよいとされたことなどが紹介されています。
 また、興和の「ウナコーワ」が「至急電報」を意味する「ウナ電」にちなんで「早く効く」という意味で名付けられたことが紹介されていますが、今やまったく意味不明です。「うなぎのように長い電報」のことかと思う人も少なくないのではないでしょうか。
 本書は、普段目にする企業名や商品名の由来を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ちなみに「ウナ電」の「ウナ」は、英語の「urgent」(至急)をの2文字「UR」のモールス信号が和文モールスでは「ウナ」になることにちなんでいるそうです。
 そうなると「ウナ丼」は急いで出てくる丼ものなのでしょうか。少なくとも知っている鰻屋さんでは急いで出てくるメニューではないように思います。


■ どんな人にオススメ?

・自分の会社の社名の由来を知らない人。


■ 関連しそうな本

 本間 之英 『誰かに教えたくなる社名の由来』 2005年09月10日
 本間 之英 『誰かに教えたくなる社名の由来〈Part2〉』 38606
 湯元 俊紀 『語源ブログ ネットで探るコトバの由来』
 荒俣 宏 『広告図像の伝説』


■ 百夜百音

オーガニック・スタイル【オーガニック・スタイル】 クライズラー&カンパニー オリジナル盤発売: 2007

 葉加瀬太郎の強烈な髪型ばかりが注目され、そのままキャラとして定着してしまいましたが、他のメンバーは今何をしているのでしょうか。

2008年2月22日 (金)

NPOバンクを活用して起業家になろう!―組織作りから資金調達まで

■ 書籍情報

NPOバンクを活用して起業家になろう!―組織作りから資金調達まで   【NPOバンクを活用して起業家になろう!―組織作りから資金調達まで】(#1128)

  北海道NPOバンク
  価格: ¥1995 (税込)
  昭和堂(2007/06)

 本書は、「コミュニティ事業として活動するための組織作りからマネジメント及び資金調達の手引きを示して事業体としてのNPO支援をはかり、市民が担う公共事業の推進を意図」し、「グローバルな視野にたって、ローカルな世界から地球社会を組み立て直す役割を担うものとしてNPOバンクの取組を位置づけている」もので、「NPOバンクは新しい社会のあり方を目指す夢のある目標を掲げている活動であることを知っていただきたいというのが執筆者一同の願いである」としています。
 第1章「地域金融の潮流」では、「この金融閉塞期に、NPOバンク八重子ファンド、ミニ公募債などの形で、資金の出し手である消費者・個人投資家の意思に直接訴える仕組みが相次いで登場した」理由として、「これまで金融機関まかせで、なおざりにされてきた足元出の資金の流れを根っこから活性化しようとする動きかもしれない」と述べています。そして、「自らの資金の行方を、投融資先の経済的リターンだけでなく、自分にとって、コミュニティにとって、必要とされる社会的リターンの評価で判断できるかどうかが問われている」と述べています。
 また、コミュニティ・ファイナンスのあり方、非営利ファイナンスの在り方については、欧米の知恵と実績に、脱帽せざるを得ないとして、1977年に米国で、既存金融機関にコミュニティ向け融資を促す「地域再投資法(CRA)」が制定され、クリントン大統領時代に全面的に改正・強化され、「既存金融機関のコミュニティ向け融資の誘導を強める一方で、コミュニティに地域資金を循環させるNPOバンク(米ではローン・ファンドと呼ばれる)などをCDFIs(コミュニティ開発金融機関)と位置づけ」、その支援のため、「財務省が無償資金を供与するCDFIファンドも立ち上げた」ことを解説しています。
 さらに、NPOバンクのルーツの1つとして、「わが国で中世以来、庶民の間で相互扶助の資金融通手段として活用されてきた頼母子講・無尽講」を挙げ、「NPOバンクが各地で芽生える現状を考えると、かつての庶民金融の精神は潜在的に残っているようだ」と述べています。
 そして、日本のNPOバンクが、おおきくみると、
・連携型:地域の行政や既存の金融機関と何らかの形で提携や協力関係を築いていくアプローチをとっている。
・独立型:行政とも既存金融機関とも距離を置いて、自らの立ち上げの精神に立脚して、独自路線を展開している。
とに分けることができるとしています。
 著者は、「地域再生の受け皿としてのNPOバンクを育て、地域の資金を地域内で活かすためにも、NPOバンクの自立的な動きを支える非営利ファイナンスのための新たな枠組み作りが、わが国でも不可欠と思われる」と述べています。
 第2章「コミュニティ・ファイナンスの潮流」では、市民金融のさまざまなしくみとして、
(1)コミュニティファンド:地域が抱えるさまざまな課題解決に取り組む民間事業に対して、地域の生活者が少額出資をして作るファンド(資金)
(2)東京ソーシャルベンチャーズ:ビジネスにおけるベンチャーキャピタルのアプローチを採用
(3)市民風車等:大規模な事業の資金調達を事業単位で「プロジェクトファイナンス」を活用
(4)私募債:実態は市民事業団体が関係者が借金をすることに他ならない
等の例を紹介しています。
 そして、事業活動が充実しているNPOの多くが、個人から借り入れており、「NPOの多くにとって、金融機関はまだ敷居の高い存在である」と述べています。
 また、自治体からの公的資金の活用についての課題・論点として、
(1)自治体財政の厳しい現状認識
(2)協働への試行錯誤の取組
(3)トータルなサポートシステムの構築
の3点を挙げ、「資源の有効利用という視点で、行政機関、民間支援組織、金融機関などによるトータルでサポートするシステムが今後必要になってくる」と述べています。
 第3章「NPOと資金」では、「NPOのファイナンス戦略は、組み合わせることができる多様な要素が存在し、その制度設計を変えることで、多くのスキームを創造することが可能」であるとして、「より望ましいファイナンスの新しい戦略を創造していく経営努力がNPOに求められる」と述べています。
 また、NPO法人を「新たな公共・公益」の有力な担い手と認識するならば、
・資金繰り:全国レベルの政府系金融機関の融資制度の確立
・経営:民設民営の支援センターや都道府県レベルのNPO支援センターが経営相談をできる体制ができるよう支援する方策
・会計:公認会計士・税理士のNPO支援ネットワークと連携した「税務会計相談」支援
が必要であると述べています。
 第4章「北海道NPOバンクの現在」では、「北海道NPOバンクの成り立ちのユニークさを説明するとき、触れずにはいられない3つの『発明』」として、
(1)ひとつの金融のしくみに市民(市民個々人やNPO、企業など)と役所(北海道や札幌市)が一緒に協働で出資や寄付をなしてできた制度である。
(2)NPOを支援する制度そのものがNPO法人である。
(3)公認会計士、税理士、あるいは大学の研究者や企業の経営者、銀行関係者など、さまざまな専門家の知見が、ひとつの金融のしくみをボランティア・ベースで下支えしている。
の3点を挙げています。
 そして、2006年12月現在で北海道NPOバンクが持つ貸出原資として、
・自治体が出した出資金や寄附金:合計2000万円
・市民社会全体から集めた資金:2550万円
の4550万円となっており、「この原資を元手に、累計で1億3000万円を超える貸出実績を誇っている」と述べています。
 また、北海道NPOバンクが、
・NPO法人北海道NPOバンク
・NPOバンク事業組合
のふたつの団体を組織併用することで可能になった仕組みであると述べ、この「組織併用」が、「札幌の市民社会の発明」というべきものであり、1999年にスタートした北海道グリーンファンドにその原型があると解説しています。
 第5章「北海道NPOバンクの審査と融資事例」では、北海道NPOバンクの特徴として、
(1)NPO法によるNPOへの相互の資金提供の機構である。
(2)地方自治体との緊密な連携を図っている。
の2点を挙げ、この設立時の特徴が、「北海道NPOバンクの審査体制にも大きく影響している」として、
・NPOによるNPOへの相互的な資金提供という特徴は、融資に伴なう「情報の非対称性」を取り除く役割を果たしている。
・融資金額の上限を200万円として、貸付金の小口化を図ることによって貸倒リスクを低くしている。
の2点を挙げ、審査体制の特徴としては、
(1)理事会とは独立して審査委員会を組織している。
(2)審査にあたって融資判定表を用いている。
の2点を挙げています。
 また、北海道NPOバンクが融資申込み団体の審査にあたって評価している点として、
・返済能力
・それを支える組織力
の2点を挙げています。
 「おわりに◎ローカルガバナンスとNPOバンク」では、「市民活動が、その活動発展の延長線上にNPO法人を旗揚げするだけにとどまらず、NPO法人であることで可能な事業やあるいはNPOでなくては実施できない事業を考え推進することが肝心である。そうすることによって、NPO法人の活動が実践的になり、多様化し、NPOの役割を考えて活動するリーダーが増えていくことになる」と述べています。
 本書は、新しい社会を金融のしくみで作り上げていくダイナミックな動きを紹介している一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書でNPOバンクのルーツの1つとして紹介されている無尽講ですが、現在、第二地銀となった相互銀行や消費者金融の多くが「無尽」をルーツとしているというのは知りませんでした。
 なお、山梨県では、共同体や職場をベースにした無尽が盛んで地縁血縁選挙の基盤となっているということは、『選挙の民俗誌』を読むまで知りませんでした。


■ どんな人にオススメ?

・金融と言えば銀行や消費者金融を想像する人。


■ 関連しそうな本

 ムハマド ユヌス, アラン ジョリ (著), 猪熊 弘子 (翻訳) 『ムハマド・ユヌス自伝―貧困なき世界をめざす銀行家』 2007年05月10日
 シルヴァン・ダルニル, マチュー・ルルー (著), 永田 千奈 (翻訳) 『未来を変える80人 僕らが出会った社会起業家』 2007年03月28日
 渡邊 奈々 『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』 2005年08月11日
 C.K.プラハラード 『ネクスト・マーケット 「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略』 2006年07月28日
 町田 洋次 『社会起業家―「よい社会」をつくる人たち』 2005年02月16日
 杉本 仁 『選挙の民俗誌―日本的政治風土の基層』 2007年11月07日


■ 百夜百マンガ

ドラベース【ドラベース 】

 別人が描くドラえもんと言えば、世代的には方倉陽二先生の描く微妙に風船っぽいドラえもんが思い起こされるのですが、今の子どもたちは本人以外のドラえもんで育ったのかもしれません。
 ちなみに作者とは高校時代に同じ駅を使っていたようなので、どこかですれ違っているかもしれないです。松田屋書店とかで。

2008年2月21日 (木)

地方は変われるか

■ 書籍情報

地方は変われるか   【地方は変われるか】(#1127)

  佐々木 信夫
  価格: ¥777 (税込)
  筑摩書房(2004/6/8)

 本書は、「これからの地方、とりわけ市町村のあり方を問おうとする」ものであり、「合併という大きな改革機会を捉え、全体として地方は変われるかを問うてみたい」としています。
 第1章「転換期に来た地方自治」では、わが国の地方レベルの行政の特徴として、
(1)規模の拡大によって行政サービスを充実させてきた。
(2)国の指導力に地方が協力する形で地域の振興を図ってきた。
(3)潤沢な財政事情を反映し、地方単独事業を拡大してきた。
の3点を挙げたうえで、「これから地方にとって、『経営』と『政治』が大事になる」理由として、機関委任事務制度の全廃によって、「7割程度の自治事務を手にした」ことを挙げています。
 第2章「なぜ市町村合併か」では、平成の大合併が求められる背景として、
(1)広域化
(2)分権化
(3)財政危機
(4)少子高齢化
の4点を挙げた上で、その意義として、
(1)自治体の「自治能力」(行財政能力)を高める機会
(2)新しいまちづくりのチャンス
(3)市町村合併は最大の行革チャンス
の3点を挙げています。
 そして、合併の功罪について、
・メリット:地域の一体的整備、投資の効率化・重点化、行財政基盤の強化等
・デメリット:政治代表度の低下、地域の歴史・個性の喪失、周辺地域の地盤沈下等
等の点を挙げ、前者が、「総じて地方自治の『団体自治』を重視する視点からの主張」であるのに対し、後者は、「総じて『住民自治』を重視する視点からの主張」であると論じています。
 第3章「市町村合併の設計」では、ポスト市町村合併の評価基準として、
・タテ軸:地域が「発展しているかどうか」・・・地域経営の視点からの評価
・ヨコ軸:自治体が「良くなっているかどうか」・・・自治体経営の視点からの評価
の2つの軸からの評価の視点を提案しています。
 第5章「地域経営の新しいスタイル」では、自治体の経営について、自己改革を求めたい点として、
(1)首長が変わること
(2)議会が変わること
(3)職員が変わること
(4)住民が変わること
の4点を挙げています。
 また、「地方発のアイディア」の重要性が増す点について、かつて、自治体ではじめてワインを製造した北海道の池田町長だった丸谷金保氏が、「日本の地方自治法はやってはならないことは書いていない」「だから自治体がワインをつくれるのだ」と語ったことを紹介し、「規制条文を反対から読むこの逆転の発想に感激した」と述べています。
 第6章「人材経営の新たな方向」では、人間に備わっている能力として、
(1)グライダー能力(受容能力):人に教わったことを正確に受け入れる。
(2)飛行機能力(創造能力):みずから考え、行動する。
の2点を挙げ、「これまで自治体職員は、国の指示待ち体質からグライダー能力を中心に人材育成をしてきた」が、「これからは飛行機能力を開花させなければならない」と述べ、前者は学校秀才、後者は社会秀才ともいえると述べています。
 第7章「議会は変われるか」では、最近増えている新しいタイプの議員として、「職員と研究会をつくったり、さまざまなセミナーに参加し、勉強しよう」とする「政策プロ型の議員」を、「望ましい議員像である」と述べています。
 第8章「地方財政の自立改革」では、「税財源の三位一体改革」という表現が「中身を表していない」と指摘し、「補助金を削る分を税源移譲でつじつまを合わせる、その種の技術論に矮小化されている三位一体改革論に惑わされてはならない」と述べています。
 そして、地方財政の自立改革には、「改革の発想を『配る』から『分ける』へとコペルニクス的に転換しなければならない」として、自治体の全国団体による水平調整が可能であると述べています。
 また、国から地方への補助金、交付金に関する問題として、「国の各省縦割りの補助金は、自治体の事務事業を分断し細かくコントロールしている点が問題である」とし、地方交付税については、「これほど自己決定・自己責任の原則を妨げる地方分権にそぐわない制度もなかろう」「と述べています。
 第9章「地方制度の将来」では、府県制について、「これだけ広域化した時代に、明治23年以来不変の府県制をそのまま維持する根拠は乏しい」と指摘し、「道州制は構想から実行段階へ大きく歩み始めるときがきたといえよう」と述べています。
 また、望ましい地方制度の方向性として、
(1)国の役割を、外交、防衛、司法、通貨管理など国家行政にふさわしい業務に限定する。
(2)その他の業務は、二層制の地方政府の役割とする。
(3)国の出先機関は、入国管理、検疫、社会保険などを除き、州と政令市などに移す。
(4)政令市を二類型とし、旧五大市とブロック圏中心市(札幌、仙台、広島、福岡)は特別市とする。首都には別に「東京特別市」をおく。
(5)国の出先機関と府県機能を統合し、7つか8つの「道州」をおく。その際、公務員の身分移管を行い、衆院小選挙区は廃止する。また、国会議員、知事、市長らの大幅削減と役割の見直しを行う。
の5点を提案し、「こうした改革を進めることで、外交に強い中央政府、内政に強い地方政府が生まれる」と述べています。
 本書は、平成の市町村合併後の地方制度の姿をわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 同じ著者による『自治体をどう変えるか』が2年後に同じちくま新書で出版されていて、内容的にもかぶる部分が大きいためか、途中まで読んだところで、「もしかして、同じ本を気づかずに読んでいるんじゃなかろうか?」という不安に苛まれてしまいました。


■ どんな人にオススメ?

・市町村合併後の地方制度の姿を模索している人。


■ 関連しそうな本

 佐々木 信夫 『市町村合併』 2006年03月27日
 佐々木 信夫 『自治体をどう変えるか』 2008年01月28日
 佐々木 信夫 『都庁―もうひとつの政府』
 吉村 弘 『最適都市規模と市町村合併』 2006年03月29日
 青山 やすし 『石原都政副知事ノート』 2005年07月01日
 白川 一郎 『自治体破産―再生の鍵は何か』 2006年10月30日


■ 百夜百マンガ

男おいどん【男おいどん 】

 四畳半で栽培実験を重ねたサルマタケの大量栽培の実用化で世界征服を狙う若者の立志伝・・・というわけではありませんが、インスタントラーメンとサルマタケという組み合わせは体に悪そうです。

2008年2月20日 (水)

結果を出して定時に帰る時間術

■ 書籍情報

結果を出して定時に帰る時間術   【結果を出して定時に帰る時間術】(#1126)

  小室 淑恵
  価格: ¥550 (税込)
  成美堂出版(2008/02)

 本書は、母親業と社長業など「四足のわらじ」を履きこなす著者が、「タイムリミットがあるからこそ、集中力が発揮でき、充実した仕事ができている」という自らの経験を元に、「限られた時間をもっと有効に使いましょう」と提案しているものです。
 第1章「忙しくてどうしようもないあなたへ」では、「時間にあまり制約のない人ほど、時間をうまく使うのが難しい」ことを指摘し、大切なのは時間をたくさん確保することではなく、「限られた時間をどう使って、何をするか」であると述べています。
 また、「ワークライフバランス」という言葉が、仕事を早く切り上げることや、仕事よりも家庭を優先するべきことと捉えられがちであることに対し、「私生活が充実することにより、結果的には仕事の質と効率が高まるという相乗効果が起きて、どちらもうまく回る状態を作ること」であり、むしろ「ワークライフハーモニー(調和)」ともいうべき意味であると解説しています。
 そして、「ワークライフバランスを大切にしていて、時間の使い方が上手な人」とは、「与えられた時間のなかで、自分の能力をフルに発揮することができ、さらに次の仕事につなげていく人」であると述べています。
 第2章「残業をやめてみよう!」では、「残業も苦になりません」という人に対し、「仕事が大切だからこそ、早く帰りましょう」と提案し、「外部の人脈やアイデア・最新情報をインプットしていない空っぽの人材が、残業代をかけながら社内でいつまでも生産性の低い仕事をしている状態」こそ、「一番会社にダメージを与えている」こともありえると指摘し、「仕事ばかりしていると、仕事がはかどらなくなってしまう」と述べています。
 そして、企業間競争で勝ち残っていくためには、「外部から情報や人脈・多様なアイデアをみんなで持ち寄れる集団」になる必要があると主張し、「普通の生活を楽しんでいない会社が、世の中の流行を捉えたヒット商品を作り出すことができるわけがありません」と述べています。
 また、仕事の進め方についても、深夜残業が当たり前だった過去の自分を振り返り、「仕事を早く切り上げることで、翌日の仕事がラクになる」という経験をしたことを語り、常習化している残業を切り上げるには、セミナーや友人と会うなど、他の人を巻き込んで予定を入れてしまうことを勧めています。
 第3章「『忙しすぎる人』の悪い習慣」では、残業する理由の定番である、「夜の方が、仕事に集中できる」という人に対し、早い時間に仕事をすることのメリットとして、
・体力・気力がある
・何かわからないことがあったときに、すぐ人に聞ける
・お店などが開いている
等の点を挙げ、昼間に集中できる環境を作るための提案として、トリンプ・インターナショナルで実施している、12時30分から14時30分までの2時間、「私語、オフィス内の歩き回り、仕事の依頼・確認など個人の職務に関する以外のことを禁止」する「がんばるタイム」を紹介しています。
 さらに、アフター5の付き合いを上司から声をかけられてしまう人は、「誘いやすい人」や「暇そうな人」に思われているのではないかと指摘し、「私生活が豊かで、約束がいっぱいだという雰囲気をかもし出している人」になり、「ほかに約束があるので」といっても、「あの人ならしょうがないか」と思われるような人になることを勧めています。
 第4章「周りを巻き込んで、時間短縮!」では、上司や同僚、後輩とのコミュニケーションの取り方の課題を挙げ、「いつまでも他の人の仕事に介入しようとしない。自分の仕事も人に譲ろうとしない」人が、「進歩のない人」「後輩を育てられない人」とみなされてしまう危険性を指摘しています。
 第5章「仕事時間が半分になるスーパー時間術」では、「集中力は、それほど長く続かないものだ」ということを前提に、A・B・Cの3つの仕事があれば、3つの仕事を並行して行なうことで、「短い時間で集中してやることが、集中力を高める」と述べ、特に女性には有効であることが多いこと、私生活でも活用できることなどを挙げています。
 また、ビジネス誌で連載講座を持っているプレゼンスキルに関しては、過去に2000回以上のプレゼンをこなした実績を挙げ、なによりも「実践練習をすることが大切」であるとして、ボランティアで開催している大学生向けのプレゼン教室の例や、発表前には誰かを捉まえて事前にプレゼンを聞いてもらうことを勧めています。そして、プレゼンがうまく行かない理由として、
・口癖が多い
・ネガティブワードが多い
・感情がこもっていない
・無駄なデータが多い
・前を向いて話していない
などのポイントを挙げています。
 さらに、ストレスをためないためには、なによりも「よく寝る」ことを挙げるとともに、「会社以外にも自分の世界を持っていること」と挙げ、「自分を支える柱が一本だけではなく、何本もあるほうが、気持ちが安定する」と述べています。
 第6章「プライベートを充実させる時間管理術」では、「ライフ」の時間を有効に使う上で、「人と出会う場所」に出かけること、そして、「自分が貢献できる場所に出かけていくこと」を勧め、そうすることで、「もっと役に立つためにはどうすればいいか」と考えるようになると述べています。
 また、休日を充実させるためには、人と約束したり、何かの予約を入れるなど「人を巻き込むこと」がポイントであると述べています。
 第7章「小室流!『四足のわらじ』を履く私の時間術」では、著者が、
・母親業
・2006年に創業した株式会社ワークライフバランスの経営
・商品開発グループ「ミアマーノ」主宰
・大学生のためのプレゼンテーション講座
の「四足のわらじ」を履いているため、「24時間では足りなくないですか?」と聞かれることが多いが、4つの軸を持つことで、人脈も4倍、入ってくるアイデアも4倍になり、短時間で多くのアウトプットが可能になるので、「四足のわらじを履くことによって、一つひとつの仕事が4分の1の時間で終わってしまう」ようになったと述べ、4つの世界を持つことで、「それぞれの世界でいきづまっても、別の世界での人脈がふっと助けてくれたりもする」と述べています。
 また、忙しい夫との育児・家事の分担については、朝の時間帯の育児・家事をうまく見直すことで、「どんなに帰りが遅い夫でも同じレベルで育児・家事に参加することが可能」であると、自らのスケジュールを示した上で、父親にとっても一定のまとまりのある育児を担当することで、かえって「育児の負担感が低い」というデータを示し、何よりも、「子育ての喜びを感じられる」ことを挙げ、「父親と子どもの絆は強くなり、愛情も深く」なると述べています。
 さらに、「ワークとライフはトレードオフの関係ではない」と述べ、「ライフが充実するからこそ、アイデア・人脈・スキルが得られて結果的にワークの質と効率が高まる」という「相乗効果の関係」にあることを強調しています。
 本書は、文庫サイズで手軽な上、中身も1つのトピックが数ページごとに短くまとまり、隙間の時間でも読みやすい工夫がされているので、忙しい人にこそ読んで欲しい一冊です。
(誤植チェック)
・p.35、13行目「かけなから」
・p.123、7行目「平行して」


■ 個人的な視点から

 著者の小室さんには、ちょうど1年ほど前に講演をお願いしたことがあるのですが、前評判どおりの説得力のあるプレゼンには聴衆も衝撃を受けたようで、それ以来、小室さんの話を引き合いに出すと「ワークライフバランス」という言葉が通りやすくなったような気がします。
 夫の家事分担は朝がいい、というのにも全面賛成で、寝ぼけていても短い時間のルーティンで作れてしまう朝御飯やお弁当などは、男の人にも向いているんじゃないでしょうか。サービス提供の時間が決められていて、そこに向けて複数のタスクを配置していく料理のスキルは、実はプロジェクトマネジメントの訓練には最適なのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・忙しくて本なんか読んでる暇もない、という人


■ 関連しそうな本

 小室 淑恵 『新しい人事戦略 ワークライフバランス―考え方と導入法―』 2007年08月22日
 大沢 真知子 『ワークライフバランス社会へ―個人が主役の働き方』 2006年07月24日
 デビッド アレン (著), 田口 元 (翻訳) 『ストレスフリーの仕事術―仕事と人生をコントロールする52の法則』 2007年09月09日
 中島 孝志 『仕事の道具箱』 2006年11月19日
 Thomas A. Limoncelli (著), 株式会社クイープ (翻訳) 『エンジニアのための時間管理術』 2007年01月06日
 奥井 規晶 『外資の3倍速仕事術―「できる自分」へのムダ消しレッスン!』 2007年09月17日


■ 百夜百マンガ

バーコードファイター【バーコードファイター 】

 コロコロコミックの全盛期を支えた作品(とは言いながらコロコロの全盛期は世代によってそれぞれな気もしますが)。ブームになったバーコード・バトラーの対戦物コンセプトは、カブトムシになったり恐竜になったりと手を替え品を替え、子どもたちの心とポケットのコインを奪っていきます。

2008年2月19日 (火)

無名戦士たちの行政改革―WHY NOTの風

■ 書籍情報

無名戦士たちの行政改革―WHY NOTの風   【無名戦士たちの行政改革―WHY NOTの風】(#1125)

  WHY NOTメンバー (著), 澤 昭裕 (編さん), 村尾 信尚 (監修)
  価格: ¥1995 (税込)
  関西学院大学出版会(2007/11)

 本書は、「自分と等身大の人々が行政改革や市民活動に取り組んだ経験」を、本という形で世に出すため、行政改革推進ネットワーク「WHY NOT」のメンバーが、「それぞれの立場から行政改革や市民活動について執筆したもの」です。 
 序章「首長の嘆き」では、サラリーマンと社長との関係と違って、「時の知事や市長などの首長と、職員という関係性」になると、「職員たるもの、まずは抵抗してみるもの」と思っている人が多いこと等を指摘し、「首長がより良い地方自治体を目指して遂行する組織内改革」について、
(1)首長と役所(職員)との関係
(2)首長の立ち位置
(3)持続可能な改革のための要件
の3点を取り上げています。
 また、元国土庁のキャリア官僚だった斉藤栄熱海市長のインタビューで、財政再建団体への転落の危機を前にして、「私が役人だったら、対策をセットにしないと絶対に外に出さない」はずだったが、市長になってからは、「まず状況を市民の皆さんにお示しして、対策はこれから考えます。一緒にやりましょう」というスタイルをとるようになったと紹介しています。そして、キャリア官僚と実際の地方自治の現場の違いとして、「はっきりいって、霞が関にいたら、現場のことは何もわからない」という言葉を引き出しています。
 さらに、古川康佐賀県知事とのインタビューでは、「県庁が好き」と語る古川知事が、根っこの考え方として、「磨けば光る、だから磨こう」という考え方ともって、総合的な人材マネジメントに取り組んでいることを紹介しています。
 著者は、両者とのインタビューの印象として、「最初の選挙で他候補と競り合った結果の勝利だけに、『選んでくれた有権者』への責任感が、とても強いように感じた」と述べています。
 第1章「行政は変わるのか?」では、近年の行政改革が、「官側の問題意識に基づいて進められているのが実態である」理由について、
(1)国・地方の財政再建が政府の一大課題になったこと
(2)官が民間経済活動の潜在的な可能性を奪ってきたことが経済低迷の原因の一つであるとの認識が広まったこと
(3)行政機関や公務員の信頼性が一挙に低下し、その回復が政治的な課題になったこと
の3点を挙げています。
 そして、公務員の矜持回復に向け、
(1)若手の公務員が政策原案を作成するために行う内部での議論を公開・発表し、政策形成のイニシアチブをとること
(2)人事評価基準を首長が明確に宣言し、実際に優秀と目されている人材を、問題が山積している部下に配属する人事を継続的に行なうこと
(3)住民に対して、これまでの行政改革の成果についての説明を直接行ない、その評価を問うてみること
の3点を提案しています。
 第2章「行政が変わった」では、改革先進県として注目された三重県の事例を通して、「その改革の経緯や現状を踏まえ、行政の組織原理、職員の行動様式、トップリーダーのコミットメントの面から、『変わる』の視点で行政の改革について」述べています。
 そして、三重県の取組が全国的な注目を集めるようになったことで、「世間から注目されているという自負や意識が、高潔な行いにつながる」という「ちょっとしたノブレスオブリージュ」が生まれ、「ブランドになりつつあった『三重県庁』という名に恥じないよう、他府県などから手本となるような取組を率先して実行し、『地方から日本を変えていこう』との思いを抱くまでになっていた」と述べています。
 また、三重県の改革の特長として、「的確な時代認識による理念を元にした制度の改革や価値創造への強い思いであり、その一連の取組は、行政システムの転換、変革を柱として、主に行政内部の改革であったが、その改革の大胆さ、理念に基づく理論と行動の一貫性にあった」と述べ、「トップリーダーは、あるべき行政組織にするには、社会や地域が求めるものが、行政の組織原理やそれを構成するシステム、制度とどのような関係があり、その組織文化も含めて、何を、どのように変えることが必要であるかを、わかりやすく示すことが大切である」としています。
 第3章「行政改革から自治体改革へ」では、空き家になっていた土地区画整理事務所の学童保育室への転用をめぐって、住民による自発的な地域課題解決と、縦割りの自治体内での調整との間で板ばさみになった経験が語られています。
 また、著者らがはじめた「ローカル・ガバナンス・フォーラム(LGF)」という勉強会をめぐって、「目的は選挙に立候補するためだ」、「あの団体は○○派だ」、「宗教を布教するためだ」、「うちの団体にアイサツがない」といった類の拒絶反応に合い、「トップに近い職員とトップに近い住民が、存在しない危機感を、相互作用によって高めあったことで大きく」なり、トップから「実体がどうであれ、政治的な活動をしていると一部から思われていることが大きな問題だ」と指摘された経験を語っています。
 著者は、LGFの講演会での村尾信尚氏の言葉として、「私たちの前に立ちはだかる敵」は、
(1)一人では何もできない、どうせだめだという「無力感」
(2)みんなに仲間はずれにされる、抵抗勢力から嫌がらせを受けるという「恐怖感」
(3)こんなことをしなければ楽なのに、誰かがやってくれるという「甘え」
の3つあるという言葉を紹介しています。
 第4章「地域に入り込む公務員」では、「自治体運営では、政策立案を担う職員(公務員)が実際に地域の現場に入り込み、自分の目と耳とで現場を見聞きして情報をかき集め、それをもとに政策を立案して決定していくことが重要であり、多くの県民はそうしているものだと考えているはず」だが、実情は、「県庁は市役所や町役場とは違って住民にとっては縁遠く、足を運ぶことも少ないので、住民から自然に情報がもたらされることは期待できない」ため、「職員自らが意識して現場に出かけていかない限り、現場の情報は集まってこないのが現実である」と述べています。
 そして、著者の職場の課長に着任した経済産業省の官僚が、「課員が日中ほとんど机に引っ付いたまま、パソコンに向かい、たまに電話で話をしていること、それと課への来訪者が極端に少ないこと」に気づき、「国より現場に近いところへ来たはずなのに、思い描いていた政策の現場と違い、いったいこれはどうなっているのかと強い疑念を抱いた」ため、「赴任前は、県庁は現場重視で仕事をしているものだと思っていたが、現実は大きく違う」と「強い調子で我々を叱咤した」というエピソードを紹介しています。
 また、現場に出る時間を確保して御用聞きをしたところ、「現場の本音ともいうべき意見を聞きだすことができるようになった」ことや、「商店街の問題点は組織の運営方法、空き店舗対策、街路整備などにあることが浮かび上がってきた」ことを述べています。
 さらに、現場に出かける時間を作るためには、「庁内調整の時間を省くため、政策責任者である上司も一緒に現場へ連れ出す段取りを組むことが重要」だと述べています。
 第6章「NPOと行政の協働」では、「行政改革の要ともいえ、地方自治体ではポピュラーとなった『協働』について、市民活動にかかわる一市民の立場から述べてみたい」としています。
 そして、「『協働』で行う事業が身近にあるはずのNPOにすら、『協働』の意義についての理解が進んでいないこと」や、「行政主導で進められている『協働』であるがゆえに、行政に都合のいい『協働』となる事例も多々見受けられる」ことを指摘しています。
 またNPOが、「何らかの社会的使命や公益的目的を達成するための『手段』として『協働』事業を実施しているはずにもかかわらず事業遂行に気をとられるあまり本来の使命や目的自体を見失ってしまい、『協働』による事業実施が目的化してしまっている場合がままある」と述べています。
 第7章「公を担う市民の可能性と課題」では、指定管理者制度の選定プロセスで明らかになった行政側の課題として、
(1)流行だからといって、個別事情を検討することなく、一律に指定管理者制度を導入する傾向がある。
(2)審査過程での情報提供不足の問題。
(3)指定管理量や利用料水準算定の問題。
の3点を指摘しています。
 第8章「選挙は行政を変えるか?」では、ボランティア中心の選挙戦において、素人集団であるがために、「最も怖いのが選挙違反」であり、「選挙スタッフが知らず知らずのうちに選挙違反を犯す」ことで、「最悪の場合、逮捕・拘留」であり、違反者や内容によっては、「候補者にも累が及ぶ」ことがあると述べています。
 また、「風」が吹くための条件として、
(1)行政への閉塞感など、なんとしても政治を変えたいという空気が住民の間にあるかどうか。
(2)選挙戦の構図がどうなっているか。
(3)「意外性」をその候補者に有権者が見ることができるか。
の3点を挙げています。
 第10章「新しいジャーナリズムの可能性」では、「日本のネットメディアやブロガーなどの新しいメディアとしての市民ネットメディアの台頭について、市民ジャーナリズムの視点から紹介」するとしています。
 本書は、名もなき多くの「戦士」たちの戦いの記録を綴った一冊です。


■ 個人的な視点から

 「無名戦士」というネーミングに著者らの意気込みが感じられます。本書のなかでポイントとなっている、行政改革が実際には、「官側の問題意識に基づいて進められているのが実態である」という指摘と関連させると、行政改革の出発点となっている問題意識が「無名戦士」たちのものであることがわかるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「無名戦士」の戦いぶりを見てみたい人。


■ 関連しそうな本

 村尾 信尚 『役所は変わる。もしあなたが望むなら』 2005年03月18日
 村尾 信尚 『「行政」を変える!』 2005年07月26日
 沢 昭裕, 経済産業研究所『公を担う主体としての民』研究グループ (編集) 『民意民力―公を担う主体としてのNPO/NGO』 2005年05月18日
 北川 正恭 『生活者起点の「行政革命」』 2005年03月07日
 山田 宏, 中田 宏, 長浜 博行 『ニュージーランド行革物語―国家を民営した国』 2005年03月04日
 ばば こういち 『改革断行―三重県知事北川正恭の挑戦』 2005年06月21日


■ 百夜百マンガ

忍空【忍空 】

 忍者+空手ということでタイトルが決まったようですが、忍者の部分で相当盛り上がったおかげでヒットしたようです。

2008年2月18日 (月)

都道府県改革論―政府規模の実証研究

■ 書籍情報

都道府県改革論―政府規模の実証研究   【都道府県改革論―政府規模の実証研究】(#1124)

  野田 遊
  価格: ¥3,150 (税込)
  晃洋書房(2007/07)

 本書は、都道府県の改革を念頭に、「地方政府体系における広域政府の規模のあり方に関して実証的に検証したもの」です。著者は、従来の道州制論の多くが、「実証的見地から都道府県の改革や道州のあり方について検証されてはいない」ことの原因として、「都道府県の機能等に関する課題が十分に検証されてこなかった」ことを指摘し、「都道府県の改革の議論は、現行の都道府県よりも広域的な政府の創設を視野に入れることから、政府規模を重要な論点とするはずであり、都道府県の機能等に関する課題とは、すなわち政府規模の大小の観点から論ぜられなければならない」と述べています。
 序章「研究の位置づけと構成」では、「府県制度は戦後改革後は、地方自治体か国の総合的な出先機関かといった両極で不安定に揺れ動くものの、安定的に推移してきた」が、第1次地方分権改革において、「名実ともに完全自治体」になり、「府県と市町村の対等な立場となる制度環境へと移行した」一方で、「補完性の原理、基礎自治体重視の地方分権」という方向性の中で、「府県の市町村への関与が本格的に問われる時代に入った」と述べ、分権改革で棚上げされてきた地方側の枠組みに関する論議について、「今後、地方政府体系における府県と市町村、あるいは広域政府と基礎自治体の関係についてより明確にしていかなければならない」と指摘しています。
 また、本書の構図として、「地方政府体系における広域政府という捉え方を重視し」、「地方政府体系への接近方法が本書全体の構図を決定づける」と述べています。
 第1章「府県を取り巻く環境の変化」では、「府県を取り巻く環境変化は、府県の役割と活動するための手段の縮小を要請するものであるとまとめることができる」と述べ、「自立的な都市の増加や基礎自治体重視の地方分権の時代的趨勢のもと、府県の手段たる事務・権限の積極的な移譲が要請される環境にある」と述べています。
 第2章「府県機能の検証」では、「これまで主張されてきた府県機能論と主な批判を再整理したうえで、従来の府県機能論では明らかにされてこなかった府県機能の検証を行い、最後に府県機能の検討にあたって求められる観点について言及したい」としています。
 そして、これまでの府県機能論に欠如していた視点として、
(1)対象とする市町村を一括りにして扱い論じてきた。
(2)行政手段を踏まえて検証されていない。
(3)実際に府県が各機能を果たしているかが実証されていない。
の3点を挙げています。
 また、府県機能の実証分析に当たり、
<仮説1>広域的機能:府県内の市町村数が多いほど、広域的機能が必要となるため、府県の人口当たり歳出額は増加する。
<仮説2>連絡調整機能:府県内の市町村数が多いほど、連絡調整にかかる手間などのコストがかかるため、府県の人口あたり歳出額は増加する。
<仮説3>補完的機能:府県内の小規模市町村比率が高いほど、小規模市町村に対する補完的機能が必要となるため、府県の人口あたり歳出額は増加する。
<仮説4>自立的な行政運営が可能な政令指定都市を包括する府県では、府県の役割が限定的となるため、府県の人口当たり歳出額は減少する。
<仮説5>事務処理特例による事務移譲を積極的に行っているほど、基礎自治体である市町村の自治が尊重され府県は支出を抑えることから府県の人口当たり歳出額は減少する。(略)
の5つの仮説を立て、「補完的機能については、府県は人口当たり歳出額を増加させていることから、自らの役割を果たすために行動していると判断することができるが、一方、広域的機能及び連絡調整機能については、逆に対象とする市町村数が増加するほど人口当たり歳出額が減少し、必ずしもそれらの機能を果たすための行動が取れていないことが明確になった」と述べています。
 第3章「市町村合併と府県の役割の変化」では、
(1)市町村合併に伴なう府県に変化について、特に財政面に焦点を当て統計的に実証すること
(2)府県の政策変容の要因分解
の2点を目的とすると述べています。
 そして、「市町村合併は府県機能を弱める要因になりうるものと判断できる」と述べ、「程度の差はあれ、市町村合併は府県が行うあらゆる政策領域における役割縮小につながるはず」として、「地方政府体系における府県の位置づけを最も簡単に把握する方法」として、「府県の歳出学(または税収)を分子として、当該府県における市町村の歳出額と府県の歳出額の合計を分母にすることにより算出される財政集中度」を用いた分析を行っています。この結果、「市町村合併の推進は、減少府県における政策領域の一律の歳出削減を図るのではなく、特化している費目の増加を始めとして歳出総額を維持していうのであり、他府県と比較して、減少府県で特定分野の府県機能がにわかに必要になったとは考えにくいことから、そうした歳出が増加した分野は市町村のニーズ以上の事務を府県が行なっていると考えることができる」と指摘しています。
 第4章「地方政府体系の統合・分化からみた広域政府の規模」では、「統合的政府体系では規模の経済や範囲の経済による行政サービスの効率的供給を最大の論拠とし、一方、分節的政府体系では、身近な政府の環境や住民の移動を念頭に置いた地方政府間の競争環境の形成による効率性や住民への応答性を追求するものと考えられる」と述べています。
 そして、「府県における高い財政集中度(すなわち垂直的統合)は、人口当たり歳出額から見て非効率な支出効果になることが明らかになった」として、「わが国の地方政府体系において道州等の広域政府を導入する場合、当該の広域政府における財政集中度を抑制する一方で、市町村における財政集中度を高めること(すなわち、垂直的分化)が望ましいという考え方につながる」と述べています。
 また、「市町村数が多くなればなるほど、人口当たり歳出額から見て非効率な支出効果になる」ことから、「わが国の地方政府体系においては、競争的効果や政治的効果よりも技術的効果の方が効率性に寄与していると言え、市町村合併の促進による市町村規模の拡大と市町村数の減少が望ましい」と述べています。
 さらに、「広域政府への財源集中を抑制するなかで、広域政府内の市町村は合併による規模拡大と技術的効果の確保を目指すとともに、その結果として市町村間の歳出較差を縮小することが要件といえる」と述べています。
 第5章「政治参加から見た広域政府の規模」では、地方政府の規模との関連における政治参加の促進要因として、
・住民から政府への距離の近接性
・参加する意義が感じられる程度に政府が重要な役割を果たす場合の政府への期待
の2点を挙げています。
 そして、「政府規模と投票率の関係は、分節的政府体系の観点からは、需要面に立脚した上で住民と政府の近接性及び銃民間のコミュニケーションを背景とした価値の共有化が重視され、一方、統合的政府体系の観点からは主にサービス供給面より、地方政府の対応能力の増大とそれへの住民の期待が重視される」と整理しています。
 また、財政集中度と住民の府県に対する期待の関係については、
(1)府県の相対的対応能力の程度を表現する財政集中度の高さは、ほとんどのモデルで一貫して高い影響力で投票率を高めることに寄与している。
(2)都市化との関係では農村部ほど、市町村数との関係では市町村間の水平的連携がなされていないほど府県の財政集中度が高くなり、この財政集中度の高さが投票率を高める。
の2点を述べています。
 さらに、「知事選の投票率に対しては、府県の相対的対応能力に対する住民の期待の高さと相対的対応能力そのものがきわめて重要な要素になる」と述べ、「期待される広域政府であるため」には、
(1)従来の府県よりも対応能力が高まること
(2)行政サービスの実施主体やサービス内容について十分な認識を持たない住民が、広域政府の政策の有効性に対する認識を深めること
の2つの条件が必要であると述べています。
 著者は、広域政府の規模について、「基礎自治体では対応が可能な諸問題への対応に純化するなかで実現されることが妥当である」と述べています。
 第6章「府県連携による政策の限界」では、府県連携に期待される機能として、
(1)道州制導入の主要な論拠の1つとして挙げられる府県域を超える広域的行政需要への対応
(2)サービス供給の効率性向上
の2点を挙げています。
 そして、「府県連携により実現しようとするプログラムの目的や手段の明確性」が、府県連携で実現される政策を分類する主要な判断基準となると述べています。
 著者は、「府県連携を府県合併や道州制移行に自動的につながる過渡的な行政体制として理解することは難しい」と述べています。
 第7章「中心―周辺府県関係から見た広域政府の規模」では、「社会資本整備の観点から中心府県と周辺府県の経済の相互関係を検証すること」を主要な論点に位置付けています。
 著者は、「道州制論議の背景にある経済圏としての府県経済間は相互依存関係にあり、とりわけ社会資本整備の面から見れば一元的な政策実施が求められ、したがって、経済圏に適合する道州制は、そうした一元的対応に効果的な制度である」と述べています。
 終章「わが国における広域政府の規模のあり方」では、「府県の改革を念頭に置いた広域政府の規模のあり方」について、
(1)地方政府体系における広域政府の規模は、サービス供給の効率性を確保するために、垂直的分化の促進による抑制が望ましい。
(2)サービス供給の効率性を前提として広域政府の民主性を強化する上では、広域政府の規模は、基礎自治体では対応が困難な諸問題への対応に純化し、その対応能力の強化と住民の行政サービスに対する認識を深める方策を推進するなかで、そのあり方を検討しなければならない。
(3)広域政府創設にともなう統治単位の一元化は、広域政府の期待される機能である広域的行政需要への対応とサービス供給の効率性の両側面から求められるとともに、有効な政策実施や投資の意味でも要請される。
(4)道州などの広域政府の制度導入については、地方自治の観点からは地方側の発意も重要ではあるが、基礎自治体重視の地方分権を促進するのであれば、全国一斉に行うことの方が効率的である。
の4点を抽出したとしています。
 本書は、どこから手を着けるべきかが難しい府県制の問題について、一つの切り口を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 現行の都道府県の是非については、さまざまな視点から検討がなされているところですが、都道府県の機能について、本書のようにきちんと検証されていることは道州制の議論をするうえでの基礎的な資料になるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・都道府県の機能について一定の考え方が必要な人。


■ 関連しそうな本

 小森 治夫 『府県制と道州制』 2007年04月19日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 岡田 彰 『現代日本官僚制の成立―戦後占領期における行政制度の再編成』 2007年02月26日
 渡辺 隆喜 『明治国家形成と地方自治』 2007年03月26日
 松尾 正人 『廃藩置県―近代統一国家への苦悶』 2007年07月05日
 道州制.com (編集), 一新塾 『道州制で日はまた昇るか―地方分権から市民主権へ』 2007年08月16日


■ 百夜百マンガ

いじめてくん【いじめてくん 】

 『感染るんです』で人気だったキャラのスピンオフ作品ということもさておき、コミックバーガーという雑誌自体が懐かしいです。

2008年2月17日 (日)

浮動票の時代

■ 書籍情報

浮動票の時代   【浮動票の時代】(#1123)

  長島 一由
  価格: ¥840 (税込)
  講談社(2007/10/19)

 本書は、「2005年の郵政解散による総選挙、2007年の参議院選挙など、地方選挙に限らず国政選挙においても、組織や地盤という意味からは圧倒的に不利な落下傘候補が地滑り的な勝利を収めること」が珍しくなった現象を考えることで、「時代を読み解く鍵」を見つけようとするものです。
 第1章「浮動票時代の選挙と旧来型の選挙」では、選挙技術のコツのうち大事な点の一つとして、「政策をきちんと練って候補者のセールスポイントと一緒にわかりやすく有権者にプレゼンテーションすること」であると述べ、「これが候補者や陣営によって雲泥の差が出てしまう」と指摘しています。
 また、旧来型の選挙をしてきた人からは「空中戦」と呼ばれる、「不特定多数の有権者を対象に、朝、夜を問わず、駅前で個人新聞を配布したり、街頭演説を中心に徹底的に政策を訴える」ことによって、「全部浮動票での当選を目指す選挙」を、旧来型の選挙が「釣堀」の釣りであるのに対し、「大海原に釣り糸を垂れる」ものであると述べています。
 そして、浮動層の時代の中心は、「無党派層+α(支持政党への離反層)」であると解説し、「いつの間にか、地盤の液状化や組織、団体などの既得権益の空洞化などが広がっていた」ためであると述べています。
 第2章「浮動票時代の首長の権力」では、「あらゆる機能を持つ地方自治体のリーダーは、地域限定ではあるが、絶大な権限を持つ大統領のような存在でもある」と述べています。
 また、「選挙は絶対評価ではなく、相対評価だ」として、「しがらみを持たないよそ者の方が、有権者にとって行政・政治の改革をしてもらう上では魅力的に映る場合さえある」と述べています。
 さらに、「お堅く安定したイメージの(地方自治体という)職場のトップは、実は、『企業買収によって頻繁に入れ替わる社長』のようなものと、いえなくもない」として、そのまんま東知事のような首長誕生パターンの例を挙げています。
 第3章「浮動票時代のオール野党議会への対処術」では、自らの8年間の逗子市長在任時代に、「新市長の思いどおりにはさせない」という思いが、「多かれ、少なかれ、市役所の一部の職員や議員には根強くあった」と述べ、なかでも、「こいつが市長にならなければもっとバラ色だったのに」という感情が「一番根が深い」と述べています。
 そして、議会において、「ポストの割り振りを受けること」を意味する「アンパンをくわされる」という隠語を紹介し、「人事調整の中で、アンパンを食べさせられたあと態度が豹変し、おかしくなった議員のことを、『○○さん、口の周りにアンコついてたもんな』などと、周りの人は笑っていた」と述べています。
 これに対し、市長の側は、「職員に対する人事権」というニンジンを持っているとして、「足元をすくわれないようにするためにも、市役所の生産性を上げるためにも、ポストの昇進昇格などの人事権はフルに活用する」と述べています。
 また、オール野党の議会で、嫌がらせのようなくどい質問や満場の野次に対抗するために、「『ひとりごと』を口にしてひどい質問やおかしな質問には釘を刺した」として、行政のリーダーには、「相手によってはふてぶてしさを持ち合わせなければならない場合がある」と述べています。そして、議員の不用意な発言に対して、「席に座ってから、『冗談じゃない』『何をいってるんだ!』と、大きな声で『ひとりごと』をいった」ことや、「手に持っていたファイルを机にたたきつけて、怒りをあらわにした」ことなどを語っています。
 第4章「浮動票時代だからできる役所を変える発想法」では、行政サービスの全国調査で日本一を獲得することを目標に掲げ、日経新聞社などの「全国透明度ランキング」で1位を獲得したことなどを語っています。
 第5章「浮動票時代の人事マネジメント術」では、著者が逗子市長に就任した前後に、富野暉一郎元逗子市長に会う機会があり、「人事は絶対に自分でやらなきゃダメだ。議員に関与させないことはもちろん、人任せにしないこと。人事は市長の力の源だから……」とアドバイスを受けたことを語っています。
 また、人事にあたって、「ポストを横にスライドさせるだけでも、態度が180度変わった」と述べ、その理由として考えられることとして、
(1)方向転換がしやすい
(2)前例主義と公平性に捉われないで済む
(3)市長よりも情報量が少ない
の3点を挙げています。
第6章「浮動票時代の組織運用術」では、「開き直った公務員」ほど手強いものはない、として、「原則、罪を犯さない限りクビにならないという身分の保障に加えて、一生懸命働いた人とそうでない人でさほど差がつきにくい賃金システム」を指摘しています。
 第7章「浮動票時代に有権者はどう行動すべきか」では、浮動票時代のリーダーは、「しがらみがないから、一人ひとりの声に敏感になる」ため、「浮動票の時代は、一人のリーダーが変える時代でもあるが、それは同時に、一人ひとりの有権者が変える時代でもある」と述べています。
 本書は、自ら浮動票を掴んで選挙を戦ってきた著者が語った実践(実戦)の記録です。


■ 個人的な視点から

 本書の内容からすると、それほど「浮動票」がテーマというわけでもなく、どちらかというと、「オール野党時代の役所改革術」くらいのほうが合うような内容ですが、あえて「浮動票」という言葉を前面に出したのは、例えば国政に向けてのアピールという意味もあるのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・浮動票は当てにならないと思っている人。


■ 関連しそうな本

 逢坂誠二 『町長室日記―逢坂誠二の眼』 2005年05月27日
 浅野 史郎, 北川 正恭, 橋本 大二郎 『知事が日本を変える』 2005年04月02日
 埼玉新聞社 (編集) 『生き生きまちづくり 埼玉県志木市の挑戦』 2005年04月17日
 北川 正恭 『生活者起点の「行政革命」』 2005年03月07日
 田中 成之 『"改革"の技術―鳥取県知事・片山善博の挑戦』 2006年2月21日
 〈横浜改革〉特別取材班, 相川 俊英 『横浜改革中田市長1000日の闘い』 2005年10月19日


■ 百夜百音

ゴールデン☆ベスト【欽】スーパーヒット【ゴールデン☆ベスト【欽】スーパーヒット】 オムニバス オリジナル盤発売: 2004

 イモ欽トリオにしてもひょうきん族にしても、当時のテクノポップとお笑いは切っても切り離せない関係にあったことがわかります。

2008年2月16日 (土)

紳士の国のインテリジェンス

■ 書籍情報

紳士の国のインテリジェンス   【紳士の国のインテリジェンス】(#1122)

  川成 洋
  価格: ¥735 (税込)
  集英社(2007/07)

 本書は、
・スパイ作戦自体がスパイによって遂行されたという痕跡をまったく残していないこと。
・実際の行為者であるスパイのカバー(偽装)や、その正体が暴露されていないこと。
の2つが完全にクリアされることで、その任務が終わる、という困難かつ命がけの任務につくスパイの「最先進国」の異名を持つイギリスのスパイについて、「祖国に尽くしたスパイ」と「祖国を裏切ったスパイ」を2部構成で紹介しているものです。
 
○第1部「祖国に尽くしたスパイ」
 第1章「フランシス・ウォルシンガム」では、「イギリス秘密情報部の父」といわれ、「部下のスパイにいろいろと指示をするスパイマスターとしての役割や、彼自らがその黒幕となって行う陰謀や策略といったスパイ活動そのもの」に真骨頂を発揮したことを紹介しています。
 そして、「イギリスの陰謀史に残る悪名高い『バビントン・プロット』の顛末」について、元フランス王妃で、スコットランド女王にして、敬虔なカトリック教徒のメアリ・スチュアートを陥れるために、25歳の青年貴族バビントンをそそのかし、エリザベス女王暗殺計画を持ち掛けさせ、その咎によりメアリの死刑執行を実現したことを解説しています。
 また、メアリの処刑をきっかけとした、スペインの「無敵艦隊」遠征の動きを事前に察知し、艦隊の全陣容の情報を入手し、130隻の艦隊のうちスペインに帰港できたのは3分の2に過ぎないという打撃を与えています。
 しかし、「エリザベス女王の危機を二度も見事に勝利に変えた」にもかかわらず、ウォルシンガムは、その秘密情報機関を私費で賄い、情報部を維持するために破産してしまっています。
 著者は、ウォルシンガムを、「冷静沈着にエリザベスの政敵を次々と倒し、常に聖職者のように黒衣をまとい、ときに特異の二枚舌や恫喝的な言辞を操っていた」ため、「暗い謎に満ち、危険と策略に長けた闇の人間」とみなされていたと述べ、「まさに情報機関のために生まれてきたうってつけの人間だった」と評しています。
 第5章「ポール・デュークス」では、革命期のソ連において、
・ソ連のパスポートを持つチェーカー(ソ連の秘密警察)の同志ピオツロヴィスキー
・手足の不自由な赤軍兵士
・髭面のプロレタリアート
・肺病の知識人
などの4種類の変装を見事にこなし、「その変装姿に応じて自在にロシア語を操る」ことができたMI6のポール・デュークスについて、「偵察する国の人間への変装と言語能力、さらに周囲を完全に騙す演技力、これこそスパイとしての理想的な武器に他ならない」と評しています。
 そして、デュークスがMI6の長官であった「C」ことマンスフィールド・カミング海軍大佐から要請を受けたデュークスが、スパイとしての訓練をほとんど受けぬまま、「2年間、ソ連におけるイギリス情報部の責任者として並々ならぬ能力を発揮」を発揮したとして、「彼は、勇敢で明晰な判断力を持ち、敏捷で、率先して事に当たる際にはとても大胆でありながら、身の危険に対しては非常に敏感だった。そのうえ、すでに述べたように、変装とロシア語の天才だった」ので、「他のイギリスのスパイが太刀打ちできるようなレベルではなかった」と述べています。
 第6章「サマセット・モーム」では、スパイらしからぬ風采と、世界的な作家という名声をカバー(偽装)にして、ほぼ30年間MI6の工作員を続けていたというサマセット・モームを紹介しています。
 そして、モームが、自らの唯一のスパイ小説の中で、スパイの仕事について、「もしきみが首尾よくやってくれても、きみは感謝の言葉一つもらえないし、また面倒な事態が起こっても、助けは望めない」と説明していることを紹介しています。
 また、モームが、1919年、20年、21年、23年に中国大陸や東南アジア諸国を訪れた際に、横浜や東京、長崎下関、神戸などを訪れたことについて、その目的は、「日清・日露戦争、そして第一次世界大戦に勝利し、それ以降急激に軍拡を重ねる日本の軍事力の現状を調査し、その南進政策の方向性を探ること」であり、「親日家の大作家」と日本で愛されていたモームが、「まぎれもない『反日派』の急先鋒」であったと解説しています。
 第8章「イアン・フレミング」では、フレミングが、第二次大戦中、最前線のドイツ軍の指揮を削いだブラック・プロパガンダ作戦の実践や、ナチ党副総裁のルドルフ・ヘスをイギリスへの無謀な単独飛行に突き動かすため偽りの占星術師を接近させたと言われていることを紹介しています。
 著者は、フレミングを、「実に神出鬼没、その作戦も自由自在。しかも、完全な失敗はほとんどない。まさにスパイの天才だった」と評しています。
 そして、「戦争が終わったらなにをするつもりか」とたずねられ、「いままでのあらゆるスパイ小説に止めを刺す」と答えたというエピソードを紹介し、このスパイ小説の映画『007』シリーズがヒットを重ね、全男性の羨望の的といわれるジェームズ・ボンドを生み出したことを紹介し、そのモデルは、フレミングが知っている数人のスパイを合成した人物と言われているほか、MI5の工作員ダスコ・ポポフという説があり、彼のコードネーム「トライシクル(三輪車)」は、「ワイン、女、そして歌」に熱中していたからとも、「一度に二人の女性をベッドに引き入れるからだ」とも言われていることを紹介しています。
 
○第2部「祖国を裏切ったスパイ」
 第9章「ジョージ・ブレイク」では、ブレイクが3件の国家安全法違反容疑で42年の懲役刑を受けた計算について、「彼の裏切りによってソ連で処刑されたイギリス人工作員が42人もいた」ために、「裏切られた工作員1人につき1年の懲役刑」という計算だったことを紹介しています。
 そして、判決から6年後、「独房の鉄製の窓格子を折り曲げ、屋根を滑り降りて地面に飛び降り、それから編み針を横木にしたナイロン製の梯子を使って刑務所の塀をよじ登り、外で待ち構える共謀者たちのいるところに飛び降りた」後、ソ連に渡り、90年にはロシアのテレビのインタビューに答えていることが述べられています。
 第12章「キム・フィルビー」では、「未来のC」と呼ばれたMI6の高官だったフィルビーが、ソ連に政治亡命し、KGBに大佐として迎えられ、「赤旗勲章」「レーニン勲章」を授与され、ソ連の記念切手にもなっていることが紹介されています。
 本書は、インテリジェンスの大国であるイギリスの闇の深さに少しだけ触れることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の出だしが、いきなり16世紀だったことに戸惑いを覚えたのですが、読み進めるうちにイギリスのインテリジェンスの伝統が脈々と続くものであることに驚きを覚えました。
 なかでも、ジェームズボンドの原型を生んだ第二次大戦期とともに、『ジョジョの奇妙な冒険』第一部の舞台となった19世紀のイギリスが、いかに冒険活劇の舞台として適切であったかが伝わってくる一冊でした。


■ どんな人にオススメ?

・スパイといえば007を思い出す人。


■ 関連しそうな本

 手嶋 龍一, 佐藤 優 『インテリジェンス 武器なき戦争』 2008年02月06日
 手嶋 龍一 『ウルトラ・ダラー』
 手嶋 龍一 『外交敗戦―130億ドルは砂に消えた』
 小谷 賢, 落合 浩太郎, 金子 将史 『世界のインテリジェンス―21世紀の情報戦争を読む』
 佐藤 優, コウ・ヨンチョル 『国家情報戦略』
 大森 義夫 『日本のインテリジェンス機関』


■ 百夜百音

モノノケダンス【モノノケダンス】 電気グルーヴ オリジナル盤発売: 2008

 久しぶりに再開した電気の皆さんは、相変わらずといえば相変わらずでした。その時々の風俗を妖怪にごった煮させてきた水木しげるの感性は電気の感性と近いのかもしれないと思います。

2008年2月15日 (金)

まっとうな経済学

■ 書籍情報

まっとうな経済学   【まっとうな経済学】(#1121)

  ティム・ハーフォード (著), 遠藤 真美 (翻訳)
  価格: ¥1890 (税込)
  ランダムハウス講談社(2006/9/14)

 本書は、「経済学者は世界をどのように見ているか」をテーマとし、「経済学者は何を語ることができるのだろう。そして、なぜ経済学者のような視点をもつべきなのだろう」かを論じたものです。
 第1章「誰がためにそのコーヒーはある」では、駅の一等地にあるコーヒーバーを例に、リカードの地代のモデルについて、「牧草地のような優等地の地代は、『牧草地と限界地の農業生産性の格差』と『農業生産性そのものの重要性』というふたつの要素によって決まる」と解説しています。
 また、経済学者の視点について、「経済学そのものは客観的な分析をするツールであるからといって、経済学者が常に客観的であるわけではない」として、経済学者が扱う、権力、貧困、成長、発展という問題について、「そうしたテーマの根底にあるモデルを巧みに操りながら、その背景にある現実の世界と距離を置いたままでいることは難しい」と述べています。
 第2章「スーパーマーケットが秘密にしておきたいこと」では、「価格に無頓着な顧客を見つけ出す戦略」として、
(1)顧客を個別に評価して、それぞれの支払い意思に応じた価格を設定すること(「第一級価格差別」または「個別ターゲット」戦略)
(2)特定の集団ごとに価格を設定する(「グループターゲット」戦略)
(3)事故に不利益な供述をさせる(「自己負罪」戦略)
の3点を挙げ、「コスタ・コーヒーも、スターバックスも、一部の顧客に自分は価格に敏感ではないと白状させるような仕掛けをつくる際」に、(3)の戦略を使っていると解説しています。
 そして、フランスの鉄道業界の草創期に流布した有名な話として、「一部の鉄道会社の三等車に屋根がなく、座席が板張りなのは、三等車に屋根をつけたり、三等席を布張りにしたりするのに数千フランかかるから」ではなく、「二等車の料金を払える乗客が三等車に乗らないようにしている」ためであり、「貧乏人には必要な者を与えずに、金持ちには不要なものを与えている」という話を紹介し、IBMの低価格レーザープリンター「レーザーライターE」が、高級モデルの「レーザーライター」とまったく同じ部品を使って、わざわざ「印刷速度を遅くするチップ」を組み込んでいるという話を紹介しています。
 第3章「完全競争市場と『真実の世界』」では、ジム・キャリーの映画『ライアー・ライアー』の主人公フレッチャー・リードの話をマクラに、「自由市場はフレッチャー・リードの息子によく似ている。自由市場では、うそがつなくなるからだ。うそをつけないというのはフレッチャーにとっては屈辱的なことだったが、真実の世界は完全に効率的な経済へとつながっていく。完全に効率的な経済とは、ほかの誰かの効用を悪化させずに、誰かの効用を高めることができない状態をいう」と解説しています。
 そして、「価格システムが包含する真実」から導かれる結論として、「価格とは、企業にとっての費用を真に表象するものであり、顧客にとっての価格を真に表象するものでもある」と述べています。
 第5章「内部情報」では、経済学者が、「取引の一方の主体者が内部情報を持っていて、もう一方の主体者が内部情報を持っていない場合、市場が私たちの望んでいるようには機能しなくなる可能性」について知っていたが、ジョージ・アカロフが1970年に中古車市場における「レモン」(粗悪な中古車)の売買についての学説を発表するまで、「その問題がこれほど深遠で劇的なものであろうとは、誰も気づかなかった」と述べています。
 そして、「アカロフのレモンでレモネードを」つくる方法として、マイケル・スペンスが、「情報を持つ側が情報を持たない側に信頼性の高い方法で情報を伝えることは可能だ」と論じ、ジョー・スティグリッツは、「情報を持たない側が情報をあきらかにする方法を見つけ出した」として、スペンスは、「レモンの売り手には中古車が良質であることを伝える真のシグナルを発信できない」ため、長期的な事業計画をたてている事業家は、ショールームの投資によって店の信頼性の高さを示すことができ、かつての銀行は信頼を示すために、店をブロンズと大理石で固めたことを解説しています。
 著者は、「頭部を大きく切開せずに手術を行なう手法」である「キーホール(鍵穴)手術」を引き合いに、問題をできる限り絞り込む「キーホール経済学」を提唱し、医療保険を例に、「まず最初に市場の失敗を見極め」、「情報を幅広く入手できるようにする」ことと、「この情報を活用する機会を患者に与える」ことという「ふたつのキーホール治療が必要であることが明らかになる」と論じています。
 第6章「合理的な狂気」では、「株式投資をするにあたっての教訓」として、
(1)スーパーマーケットで人の列が一番短いレジを見つけるのは難しいという教えを忘れずに、どの株価にも膨大な量の専門知識が織り込まれていることを心に刻み込んでおく。
(2)長期間にわたって利益を上げ続ける企業は、他の企業が対抗できない独自の能力を持っていることを忘れてはならない。
の2点を挙げています。
 第7章「本当の価値をなにひとつ知らなかった男たち」では、アメリカ政府の電波免許のオークションを取り上げ、「政府はさながら、部屋に隠しカメラが仕込まれていることを知らない、ある意味幸せなポーカープレイヤーである。他のプレイヤーたちがうなずきと目配せで会話をして順番に賞金を稼いでいっていることにはまったく気づいていない。政府はゲームに参加していると思っているが、それは実はゲームではないのだ」と述べています。
 第8章「なぜ貧しい国は貧しいのか」では、警察官の妨害行為と不正行為に象徴される腐敗のほか、「貧しい国が貧しい国である大きな理由のひとつ」として、「労働規則が硬直的なため、経験豊富な専門労働者でもない限り、正式な雇用契約を結ぶことは難しく、女性や若者が自力で生きていくにはグレーマーケットに頼るしかない。官僚的な形式主義は企業意欲をそぐ。裁判所の腰が重いために、企業家は新しい顧客を獲得する魅力的なビジネス機会を捉えられない。詐欺にあっても裁判所は自分たちを守ってくれないとわかっているからだ」という規制がはびこっていることを指摘しています。
 そして、「世界中の貧しい国には何が欠けているのか」について、「『社会資本』(『信頼』という言葉に置き換えられるかもしれない)と呼ぶ人もいれば、『法の支配』、つまり『制度』と呼ぶ人もいる」が、これらはラベルに過ぎず、「他のすべての人に直接的あるいは間接的に損失を与える行動をとることが大部分の人の利益になるという屈折した世界」であると指摘しています。
 第9章「ビールとフレンチフライとグローバル化」では、経済学者のアバ・ラーナーが提唱した貿易理論に関する重要な定理である「ラーナーの定理」(輸入税は輸出税とまったく同じ効果をもたらす)にもとづくなら、「アメリカのテレビ製造業界の雇用を守るために中国製テレビの輸入を制限するのは、アメリカのテレビ製造業界の雇用を守るためにアメリカの伝道ドリルの輸出を制限するのと同じ結果になる」と論じています。
 そして、「比較優位理論、常識、経験のいずれから見ても、貿易は経済成長を促進する」と述べた上で、「貿易が環境破壊につながる」と懸念されている理由である、
(1)「底辺に向かう競争」が進み、環境コストが少なくて住む寛大な環境法のもとで財を生産しようと、企業が海外に進出する。
(2)物理的に財を移動させれば、資源が消費され、汚染が発生するのは避けられない。
(3)貿易は経済成長を促進するかもしれないが、地球を傷つけるものでもある。
の3点について、「いずれも一見するともっともらしく思えるが、貿易は環境に悪いという考え方は説得力に欠け、根拠はほとんどない」と論破しています。さらに、日本や韓国が、農家に特権を与え、農業が集約化することで、「農業補助が増えるほど、化学肥料の消費量は増える」ことを指摘しています。
 また、ナイキの不買運動のキャンペーンにつながった「搾取工場(スウェットショップ)」の問題について、「搾取工場は衝撃を与える世界の貧困問題の症状であって、原因ではない。労働者は自らの意思でそこで働いている。にわかには信じがたいが、他にどのような代替策があったとしても、そのほうが条件が悪いのである」と指摘し、「そうした現地企業の賃金でさえ、違法な露天で商売したり、売春したり、マニラなどで激しい悪臭を放つゴミ捨て場で換金可能なゴミを拾ったりするなど、職に就かずに金を稼ごうとするよりはまだましだろう」と述べています。
 第10章「中国はどのようにして豊かになったか」では、「伝統的な経済成長モデルの要件となる人的資源、社会資本、金融資本が中国にあったことは明らか」だが、「こうした資源が十分に活用されているとは必ずしも」思えず、「適切な誘因がなければ、資源は浪費される」として、毛沢東政権時代の資源の浪費ぶりの伝説を紹介しています。
 そして、毛沢東政権時代の「大躍進政策」と呼ばれた産業政策が、「一見合理的に思われたが、経済市場稀に見る失策だった」として、「人民が懸命に努力すれば、不可能も可能になるという暗黙の約束」に基づく経済政策が、「情熱だけではどうしようもできない」ものであったことを指摘するとともに、「産業政策が茶番だったとしたら、農業政策は悲劇だった」として、大躍進政策委如ッて公共事業に大量の農民が駆り出されて農地が荒れ果て、毛沢東が「みずから中国の農業技術を再設計し、稲を密に深く作付けするように規定して、増産を図った」が、稲は密植されすぎて育たず、毛沢東の歓心を買いたい党幹部は、「毛沢東が自分の政策の成果を鑑賞しようと列車で巡遊したときには、現地の役人が鉄道の線路沿いに溶鉱炉を作り、少し離れたところにある水田から稲をとってきて線路の近くの水田に政府の規定通りの密度で植え直した」ことを紹介しています。
 また、「自己完結型の経済を築くにはどこよりも適した場所であるように思え」、世界から隔絶されていた中国が世界を必要とした理由として、
(1)玩具、靴、衣服などの労働集約財の世界市場を開拓できたこと
(2)こうした輸出で獲得した外貨を原料と新技術に投資して、中国経済の発展が促進されたこと
(3)外国からの投資を誘致して、生産や経営に関する近代的な技術を学べたこと
の3点を挙げています。
 本書は、現実の世界を見つめる経済学者の視点を味わうことができる一冊です。

■ 個人的な視点から

 本書と『ヤバい経済学』を読み比べると、『ヤバい~』の方が明快でわかりやすいのですが、「経済学」という意味では本書の方が、中身のある話をしているように思われます。なにより、現実の社会現象を経済学の理論で説明する、という基本に忠実です。


■ どんな人にオススメ?

・経済学者の視点で社会を見てみたい人。


■ 関連しそうな本

 スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー (著), 望月衛 (翻訳) 『ヤバい経済学』 2008年02月13日
 飯田 泰之 『経済学思考の技術 ― 論理・経済理論・データを使って考える』
 大竹 文雄 『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには』 2006年09月04日
 ゲーリー・S. ベッカー, リチャード・A. ポズナー (著), 鞍谷 雅敏, 遠藤 幸彦 (翻訳) 『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』 2007年02月05日
 ゲーリー・S. ベッカー, ギティ・N. ベッカー (著), 鞍谷 雅敏, 岡田 滋行 (翻訳) 『ベッカー教授の経済学ではこう考える―教育・結婚から税金・通貨問題まで』
 佐藤 雅彦, 竹中 平蔵 『経済ってそういうことだったのか会議』 2005年06月26日


■ 百夜百マンガ

コメットさん【コメットさん 】

 世代的には第2期に当たる大場久美子のコメットさんの世代です。そういえばサリーちゃんもこの人の作品なんですね。

2008年2月14日 (木)

観光を読む―地域振興への提言

■ 書籍情報

観光を読む―地域振興への提言   【観光を読む―地域振興への提言】(#1120)

  溝尾 良隆
  価格: ¥2310 (税込)
  古今書院(1994/01)

 本書は、「わが国で話題になっている観光の現象を解明し、数ある個別の現象を通じて一般化への理論構築をして、この一般理論から再び個別の現象を解明すること」を意図したものです。著者は、「観光」の語源は、「国の光を観る」、すなわち、「地域の優れているものを観せたり、優れた光を観にいくこと」であると述べ、「"光"とは、結局、地域の特性・個性」であると述べています。
 第1章「観光地域の動向」では、スキー場、海水浴場、温泉地、町並み観光地、都市観光地、農山村地域といったカテゴリーごとに課題を論じています。
 そして、信頼できない日本の観光地の統計の「最たるもの」として、海水浴の統計を挙げ、「水増ししているのではなくて、数え方がいい加減」であることを指摘しています。
 また、温泉地の盛衰要因として、
(1)交通体系の変化が明暗を分けている。
(2)自らの持つ優れた環境を悪化させたか、より良く生かしたか。
(3)旅行者の嗜好変化への対応の方法。
の3点を挙げています。そして、「望ましい方向」として、「温泉地は地域特性を生かしリゾートの方向を目指す」べきであると主張しています。
 さらに、農山村地域の同行として、著者が携わった群馬県新治村での「全村農村公園構想」について触れ、「リゾート地域として売り手市場であるから、こちらがしっかりとした計画をもち、必要であれば外部民間を選別していくこと」にし、「農業者と私とで、村全体が美しい農村で、そこでリゾート事業を展開していく構想計画を策定した」ことを解説しています。
 第2章「新たな観光と地域の対応」では、「全国各地で、ようやく水をいかすことが、美しい個性のあるまちになることに気づいた」として、岡山市の西川緑道や、出雲市の高瀬川、佐原の小野川などを取り上げています。
 また、NHKのテレビドラマについて、朝のテレビドラマと日曜日の大河ドラマを取り上げ、「朝のドラマは、比較的現実の姿を伝えており、観光客が訪れても期待に応えてくれる」一方で、大河ドラマは、「テレビ用のセットの世界」であり、「現地を訪れてもテレビをほうふつする雰囲気がない」ことを指摘しています。
 第3章「日本のリゾート開発」では、「わが国は今、これまでのリゾート開発のあり方を反省して、リゾートの原点に立ち戻り、経済市場主義から脱皮して、快適なリゾート地を整備し豊かな生活を享受することが必要であり、心の休まるリゾートづくりへ向けて再スタートすべきである」と述べています。
 そして、リゾート開発の形態として、
(1)内発型開発:
(2)外発型開発
(3)租界型開発
の3つの形態を挙げ、(1)については、「外発型開発の問題点を是正したものであり、地域が目指す望ましい開発方法である」と述べています。
 また、群馬県新治村の農村公園構想に関して、「企業がリゾート開発の対象地として狙うには絶好の村」であった状況を察知して、村の人たちと、
・新治村は、リゾートでは売り手市場である。安売りしてはいけない。
・村の全体方針を定めた上で、開発のないよう、民間企業を選択する。しっかりした計画がないままに、個々の計画を認めていくと村全体の土地利用が無秩序になる。
・自信をなくしている農業者が土地を売却しないために、農業とリゾート事業との結合を図る。
という方向を確認したことを解説しています。
 さらに、「これまでのリゾート開発は、国民が快適にリゾートライフを過ごすためと言うよりも、目先の経済的利益を目的として民間企業は開発を進め、国民は会員権の購入に走っていたのが実態であった」と指摘しています。
 第4章「魅力ある地域の創造へ向けて」では、観光地の多様化と老舗観光地の低迷として、
(1)街道町
(2)社寺観光地
について、「交通機関の発達、旅行の大衆化により観光地が多様化していく中で、これら老舗の観光地は追われる立場となり、観光地としての地位は低下していった」と述べ、「温泉地は依然としてわが国の宿泊地としての主力を担っているが、ここでも観光地の多様化のなかで、温泉地個々をみると盛衰がみられる」と述べています。
 また、各地の観光基本方針の各論部分の提案として、
(1)地域特性を生かすこと、ないしは数十年かけて観光対象に成り得る資源を作り上げること。
(2)長期滞在型が可能な観光地にすること。
(3)海外の観光地との競争を念頭におくこと。
の3点を挙げています。
 さらに、「広義の観光資源については地域の努力で達成できる。何一つ特色がない地域であれば、それは観光地としての魅力もない。何もないといっても、スポーツ活動や文化活動は日常の活動であり、そうした地域には他地域から交流を求めてくる」と述べています。
 本書は、15年近く前の本であるにもかかわらず、現在に通じる課題を取り上げている一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の中で、著者が携わったリゾート地域として群馬県の新治村を何度も取り上げていますが、現在では、2005年10月に合併により、みなかみ町となっています。
 先日、旧新治村の湯宿温泉に行ってきて、つげ義春の「ゲンセンカン主人」に描かれた寂寥感は感じられませんでしたが、筆者が主張していた「全村農村公園構想」に基づいて残された旧三国街道は情緒がありました。


■ どんな人にオススメ?

・観光は遊びと同じだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 溝尾 良隆 『観光学―基本と実践』
 後藤 哲也, 松田 忠徳 『黒川温泉 観光経営講座』 2007年12月04
 後藤 哲也 『黒川温泉のドン後藤哲也の「再生」の法則』
 宮本 和義 『和風旅館建築の美』 2007年09月30日
 高野 慎三 『つげ義春を旅する』 2007年10月07日
 つげ 義春 『つげ義春旅日記』 2007年10月27日


■ 百夜百マンガ

リアル【リアル 】

 やっぱりバスケマンガのイメージが強い作者ですが、やはりドラマの運びのうまさがポイントだということに気づかされます。

2008年2月13日 (水)

ヤバい経済学

■ 書籍情報

ヤバい経済学   【ヤバい経済学】(#1119)

  スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー (著), 望月衛 (翻訳)
  価格: ¥2100 (税込)
  東洋経済新報社(2007/4/27)

 本書は、「答はデータの中にある」という見方をすることで、「現代の日常の上っ面を1枚か2枚引っぺがしてその下に何があるかを見てみよう」とするものです。本書が取り上げるのは、
・麻薬の売人がそんなに儲けているのなら、彼らがいつまでも母親と住んでいるのはなぜ?
・銃とプール、危ないのはどっち?
・過去10年の間に犯罪発生率を大幅に引き下げたものは何?
・不動産業者は心からお客のために仕事をしている?
・黒人の親はどうして子どもの出世の見込みをぶち壊しにするような名前をつける?
・学校教師は一発大勝負のテストでインチキをしている?
・相撲界は腐敗している?
等の質問です。
 著者は、「あらゆるものの裏側」では、「インセンティブは現代の日常の礎である」と述べ、「インセンティブを理解することが――おうおうにして壊してしまうことにもなるけれど――凶悪犯罪からスポーツの八百長、出会い系サイトまでどんな問題もほとんど解決できる鍵になる」と述べ、この「鍵」によって、
・通念はだいたい間違っている。
・遠く離れたところで起きたほんのちょっとしたことが原因で劇的な事態が起きることは多い。
・「専門家」は――犯罪学者から不動産屋さんまで――自分の情報優位性を自分の目的のために利用する。
・何をどうやって測るべきかを知っていれば込み入った世界もずっとわかりやすくなる。
など、日常の裏側を探検しています。
 第1章「学校の先生と相撲の力士、どこがおんなじ?」では、「インセンティブの味付けは基本的に3つある」として、
(1)経済的
(2)社会的
(3)道徳的
の3点を挙げた上で、「インセンティブが何であれ、置かれた状況がどうであれ、インチキする連中はどんなことをしてでも人を出し抜こうとする」として、
・シカゴ教育委員会が導入した一発勝負のテストで、200クラス以上(約5%)の先生が生徒が書いた間違いを消して正解に書き直していた。
・本場所千秋楽で7勝7敗の力士の勝率は、力士たちの間での取引の成立を裏付けている。
などの分析を述べています。また、大相撲に関しては、11代大鳴戸らによる八百長の暴露事件を取り上げ、外国人記者クラブでの記者会見の直前に、告発者の2人が、「同日・同じ病院・同じ病気」で死亡した事件を紹介しています。
 第2章「ク・クラックス・クランと不動産屋さん、どこがおんなじ?」では、「KKKに潜り込んで内部からぶっ潰した顛末」を描いた『KKKのフードを剥ぐ」を取り上げ、著者のステットソン・ケネディが、KKKが使っているさまざまな隠語やKKKの「聖典」の中身を、ラジオ番組『スーパーマンの冒険』のプロデューサーに教え、子どもたちの遊びのネタにしてしまい、「KKKの秘密主義を逆手にとり、貴重な知識をネタに変えて彼らを全米の笑いものにした」ことで、「KKKの集会にやってくる人は急に減り、入団希望者も激減した」ことを紹介し、「KKKは――政治家や不動産屋さんや株屋さんみたいに――情報を蓄え、出し惜しみすることで力を得ている集団だった」と解説しています。
 第3章「ヤクの売人はどうしてママと住んでるの?」では、「最先端の武器と底なしの資金で武装している」と喧伝され、「アメリカで一番儲かる仕事」としてマスコミから描かれたドラッグの売人たちが、「ほとんどみんな団地に住んで」いて、「ほとんどがママと実家に住んでいる」という事実を、「なんとなくおかしい」と述べ、「答えは正しいデータを見つけられるかどうかにかかっている」が、「この疑問の答えを見つけるには、まず、本当に売人に囲まれて暮らし、そのうえ麻薬取引の秘密を知りながら生き延びられた人を見つけなければならない」として、実際に、社会学のフィールドワークで6年間ギャング達と一緒に暮らし、FBIの手入れを招き、組織に消される運命にあったギャングから帳簿を託されたスティール・ヴェンカテッシュの研究を紹介しています。そして、その「帳簿」がハーヴァード大学のソサイエティ・オブ・フェローズで出会った著者(レヴィット)によって、「それまで誰も踏み込んだことのない犯罪組織の分析」につながったと述べています。
 そして、幹部3人と「歩兵」約30人を抱えるリーダーの月給が8500ドルであるのに対し、従業員全体に月で9500ドルしか払っておらず、幹部は月に700ドル、歩兵の時給は3.30ドルであり、彼らが、「ママの家に住むほかない」ことを解説しています。
 著者は、彼らがこんな仕事を選ぶ理由を、「ウィスコンシンの農家のかわいい娘がハリウッドに行く」ことや「高校のクォーターバックが朝5時に起きて筋トレする」のと同じで、「彼らはみんな、ものすごく競争が激しいけれど、トップにたどり着けば大儲けできる」分野で成功したいと思っているからであると解説しています。
 第4章「犯罪者はみんなどこへ消えた?」では、レクシスネクシスのデータベースから、犯罪現象の説明として挙げられているものを抽出した、
(1)画期的な取締まり戦略
(2)懲役の増加
(3)クラックその他の麻薬市場の変化
(4)人口の高齢化
(5)銃規制の強化
(6)好景気
(7)警官の増員
の7点を挙げた上で、それぞれについて解説しています。そして、このうち、(4)の人口の高齢化に関して、「予想がつかなかった、また長く表に出てこなかった、重要な点」として、1973年1月22日の「ロー対ウェイド」裁判に対する連邦最高裁判決をきっかけに中絶の合法化が一気に広がったことを挙げ、この裁判の結果をに乗じた可能性の高い女性が、「結婚していない、ティーンエイジャーだ、貧しい、あるいは3つ全部、そういう女性が多かった」と述べ、「子供時代の貧困と片親の家庭」は、「子供が将来犯罪者になるかどうかを予測できるもっとも強力な要因に数えられる」として、「アメリカで何百万人もの女性に中絶を決心させた要因は、そうした人たちの子供が、もしも産まれていたら不幸せな人生を送り、多分罪を犯していただろうと予測する要因そのものでもあるようなのだ」と述べています。そして、「ロー対ウェイド」裁判の後に生まれた最初の世代が10代後半になる頃に、犯罪発生率が下がり始めたと述べています。
 第5章「完璧な子育てとは?」では、アメリカで1年間に家のプール1万1千個あたり子供が1人溺れているのに対し、銃の方は100万丁強あたり1人の子供が銃で死んでいることを指摘しています。
 また、子供それぞれの事情と学校の成績の間の相関を分析した結果を、
・意味アリ:親の教育水準が高い。
・意味ナシ:家族関係が保たれている。
・意味アリ:親の社会・経済的地位が高い。
・意味ナシ:最近よりよい界隈に引っ越した。
・意味アリ:家に本がたくさんある。
・意味ナシ:ほとんど毎日親が本を読んでくれる。
のように、を対にして解説し、「本は本当は、知恵をくれるものじゃなくて知恵を映すもの」であるなど、「意味アリ」の項目は「親がどんな人か」であり、「意味ナシ」の項目は「親が何をするか」であることを解説しています。
 第6章「完璧な子育て、その2」では、「ウィナー(勝ち馬)」と「ルーザー(負け犬)」と名付けた兄弟が、後に、ルーザーはニューヨーク市警の巡査部長に、ウィナーは犯罪常習者になってしまった例や、「テンペスト(Tempestt)」と名付けるつもりが「テンプトレス(Temptress 痴女)」と名付けられた女の子の例などを紹介し、彼らが皆黒人であることが、「単なる趣味の問題」か「名前と文化にかかわる、もっと大きな話につながる問題」なのかを論じています。
 また、1961年以降にカリフォルニア州で生まれた子供全員の出生証明書のデータを元に、年代ごとの黒人と白人に多い名前を分析し、「高所得・高学歴の親の間ではやった名前が社会・経済のはしごを下へ伝っていく」という「はっきりしたパターンがある」と述べ、「名づけゲーム」を動かしているのは有名人ではなく、「ほんの数ブロック向こうのご家族、家が大きくて車が新しいおうちを見て動くものなのだ」と解説しています。
 本書は、「経済学読み物」として楽しく読める一冊ですが、解説では経済学らしくインセンティブで解説していますが、社会学の読み物としても楽しめそうな一冊です。


■ 個人的な視点から

 経済学で社会現象を解説する「経済学読み物」は、古くは、『ベッカー教授の経済学ではこう考える』がありますが、近年、だいぶ増えてきた感があります。
 ただし内容的には、本書のようにデータの分析をベースにしたものもあれば、インセンティブでいろいろな現象を解説したもの、比較優位論をベースにしたものなどさまざまあり、さらに古くからある「~の経済学」の類の、給料や業界事情など単にお金にまつわる雑学を紹介するだけのものもあります。どれも面白いのですが、このうちのどれかをたまたま手にした人が、「これが経済学か!」と思ってしまうかもしれないかと思うとちょっと心配でもあります。


■ どんな人にオススメ?

・経済学はマジメな人のものだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 ティム・ハーフォード (著), 遠藤 真美 (翻訳) 『まっとうな経済学』
 飯田 泰之 『経済学思考の技術 ― 論理・経済理論・データを使って考える』
 大竹 文雄 『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには』 2006年09月04日
 ゲーリー・S. ベッカー, リチャード・A. ポズナー (著), 鞍谷 雅敏, 遠藤 幸彦 (翻訳) 『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』 2007年02月05日
 ゲーリー・S. ベッカー, ギティ・N. ベッカー (著), 鞍谷 雅敏, 岡田 滋行 (翻訳) 『ベッカー教授の経済学ではこう考える―教育・結婚から税金・通貨問題まで』
 佐藤 雅彦, 竹中 平蔵 『経済ってそういうことだったのか会議』 2005年06月26日


■ 百夜百マンガ

どっきりドクター―Clinic comedy【どっきりドクター―Clinic comedy 】

 定番のマッドサイエンティストものなのですが、少年サンデーにはこういったオーソドックスな少年漫画がよく似合う気がします。

2008年2月12日 (火)

ワークライフバランス入門―日本を元気にする処方箋

■ 書籍情報

ワークライフバランス入門―日本を元気にする処方箋   【ワークライフバランス入門―日本を元気にする処方箋】(#1118)

  荒金 雅子
  価格: ¥1575 (税込)
  ミネルヴァ書房(2007/11)

 本書は、ワークライフバランス(WLB)の重要性を「さまざまな立場から理解、共有してもらうこと、そして、WLBの実践に向けて何から始めればよいのか、そのヒントを提供すること」を目的としたものです。
 第1章「今、なぜワークライフバランスなのか」では、「食べていくために、私たちは何をどのくらい犠牲にしなければならないのでしょうか」と考えたときに、「経済が右肩上がりの高成長期は『犠牲』に対する見返りが大きかった」が、今は、「ご褒美がもらえるかどうかわからない不安な状態での『犠牲』」であるを指摘し、「私たちが追及する『豊かさ』が変わったのですから、当然それに合うように経済・社会システムも変わらなければなりません」と述べています。
 そして、慢性的な長時間労働が、「労働者自身の健康、生産性、労働者の家族にマイナスの影響を与える可能性が高い」として、「長時間労働をはじめとする働き方を見直すことは、労働者の健康、企業の業績、そして家族関係、これらすべてを改善する鍵」となり、「それを実現させるために、ワークライフバランス(以下、WLB)という考え方や意義を皆で理解、共有していく必要がある」と述べています。
 また、ワークライフバランスの意義について、
(1)双方が得をするWin-Winの関係が築ける
(2)多様化に柔軟に対応できる
(3)暮らしのなかで高まるリスクに柔軟に対応できる
の3点を挙げています。
 第2章「企業経営とワークライフバランス」では、1990年代までの福利厚生施策が、「終身雇用制度を前提に『家族を支える男性社員とその家族』というくくりで成り立っており、世帯主である男性に手厚い施策」となっていたが、1990年代後半から、「少子高齢化や働く女性の増加、個人の価値観の多様化などを背景に、働くものすべての家庭責任に配慮し仕事と家庭の両立を支援するため、育児や介護に関する施策の充実が求められるように」なったことが解説されています。
 そして、企業がWLBを推進する本汁的な意義として、「社員が仕事と私生活のバランスをとりながら、もてる能力を最大限に発揮するようサポートすること」であると述べ、「実際にWLBを推進している企業は、働きやすい職場環境を提供することで、社員の満足度を高め、経験を積んだ優秀な人材を維持し続けることが可能となり、それによって業績向上につながるということを確信している」と述べています。
 また、「独創性やアイデアによって成長する知識創造型企業がますます重要視されるなか、生産性・競争力を測る指標は『時間や量」から、『仕事の質や成果』に変化」しているとした上で、「これまでの仕事の内容ややり方を見直し新しい働き方を構築するというプロセスが必要」となると述べ、仕事の再設計のポイントとして、
(1)仕事と理想的な社員像についての既存の価値観・規範を見直すこと
(2)習慣的な仕事のやり方を見直すこと
(3)仕事の効率と効果を向上させ、同時に仕事と私生活の共存をサポートすること
の3点を挙げています。
 第3章「企業のワークライフバランス取り組み実践例」では、中小企業で仕事と育児を両立しやすい要因として、
(1)「能力」を評価し、キャリアロスが少ない
(2)役職の階層がフラット
(3)職住接近の職場環境
(4)職場に子どもを連れてこられる雰囲気
(5)女性活用をめぐる多様性
の5点を紹介しています。
 そして、ワークライフバランス成功の秘訣として、
(1)会社の本気度が社員にみえていること
(2)社員の自律性を高める
(3)公平・公正な施策で処遇のアンバランスをなくす
(4)所得ロス・キャリアロスを生じさせない工夫を
の4点を挙げています。
 第5章「世界のワークライフバランス」では、諸外国における取り組みとして、
・アメリカ:企業主導型で、経営戦略として発展
・イギリス:企業主導から政府主導で柔軟な就労形態支援へ
・フランス:女性の両立支援を目的に家族政策として推進中
・ドイツ:国力を高めるという視点から家族に優しい環境作りを推進
・シンガポール:表彰制度で企業のWLB推進をバックアップ
などの紹介をしています。なかでも、ドイツについては、日本・イタリアと並ぶ「超少子化国」であるとして、この3国の共通点が、「子育ては母親が行うべきもの」という性別役割分担意識が社会の中に根強く残っていることを指摘しています。
 第6章「個人とワークライフバランスのあり方」では、「多様化」が、「多くの人に、人生の質を問うことの契機」となり、「生き方が多様になり、人とは違う自分独自の個性的な生き方を人々が求め始め」たとして、「QOL (Quality Of Life)」の視点が導入されたと述べています。
 (株)ワーク・ライフバランス社の小室淑恵社長のコラムでは、「企業内におけるワークライフバランスへの取組みが、決して国の少子化対策のためではなく、企業の生き残りをかけた戦略の一環として必要になってきた」とした上で、これから政府・企業に期待することとして、「男性の働き方の見直しであり、ここを根本的に改善するための、仕事の効率化を高める手段や政策、管理職の意識改革を行わないかぎり」、合計特殊出生率は「1.3をピークとして再降下をたどることになる」と指摘しています。
 第7章「父親にとってのワークライフバランス」では、WLBの観点から、「最もそのバランスが悪い集団」は、働き盛りといわれている20~40代の男性であるとして、「最もその特徴を現しているのが『長時間労働』」であると指摘したうえで、帰宅時間の日常的な遅延化が、
・精神的・肉体的な負担を強いり健康を根底から脅かす
・家族との時間を奪い、母親の育児を孤立させる
ことを指摘し、「男性のWLBを考えることは、子どもやパートナーあるいは家族や社会を考える大きな契機でもある」と述べています。
 そして、大きな社会変化を受けて「父親の存在や行き方も変化を遂げ」たとして、
(1)核家族の中で家族の役割自体が変化した
(2)経済社会の発展により家族内の機能が外注化され、その家族ごとに家族内機能と役割が複雑かつ多様化した
の2点を挙げ、「現代社会において絶対的な父親像が不在の時代である」と指摘しています。
 また、男性のWLBの意義として、「その社会の変化とともに男性の生き方を豊かにしていくこと」であり、「男性をエンパワーメントし、また男性を救うものとなる」と述べています。
 さらに、父親の育児参加がもたらす社会の変化として、
(1)子どもが豊かな価値観の中で育つ
(2)母親の育児不安や育児ノイローゼなどの解消につながる
の2点を挙げています。
 第8章「ワークライフバランスとキャリアデザイン」では、「WLBを実践するためには、マインド(思考)とともにスキルが必要」であるとして、
(1)ストレスマネジメント
(2)タイムマネジメント(時間管理)
(3)コミュニケーションスキル
の代表的な3つのスキルを挙げています。
 また、自分らしいWLBを実践していくための効果的な方法として、
(1)考え方を変える
(2)話し方を変える
(3)行動を変える
の3点を紹介しています。
 本書は、単なる理念や問題提起だけでなく、より具体的にWLBを考えるきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 内閣府にも「仕事と生活の調和推進室」が設けられ、ワークライフバランスも徐々に一般的な言葉になってきましたが、まだ抵抗や偏見をもつ人も少なくないのではないかと思います。
 そんな先入観を打ち破ってくれるようなスター級のビジネスマンと言うか、モデルになるような人の登場が望まれます。


■ どんな人にオススメ?

・ワークライフバランスは福利厚生だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 小室 淑恵 『新しい人事戦略 ワークライフバランス―考え方と導入法―』 2007年08月22日
 大沢 真知子 『ワークライフバランス社会へ―個人が主役の働き方』 2006年07月24日
 佐藤 博樹, 佐藤 厚 (編集) 『仕事の社会学―変貌する働き方』 2005年12月01日
 佐藤 博樹 『変わる働き方とキャリア・デザイン』 2006年05月22日
 パク ジョアン・スックチャ 『会社人間が会社をつぶす―ワーク・ライフ・バランスの提案』 2006年10月13日
 小室 淑恵 『結果を出して定時に帰る時間術』


■ 百夜百マンガ

陽あたり良好【陽あたり良好 】

 わだち先生の初期のヒット作。少女漫画誌に連載されていたため、竹本孝之主演のテレビドラマで見た人が結構多いのではないかと思います。

2008年2月11日 (月)

医療と法を考える―救急車と正義

■ 書籍情報

医療と法を考える―救急車と正義   【医療と法を考える―救急車と正義】(#1117)

  樋口 範雄
  価格: ¥2310 (税込)
  有斐閣(2007/10)

 本書は、
・case(症例・判例)
・complaint(患者の訴え・原告の訴え)
・examination(診察・尋問)
・procedure(手術・手続)
・evidence(証拠・証拠)
など、「使う言葉に類似性がありながら相互に理解し合えない人たち」である医師と法律家について、「医療を考えることは同時に法のあり方を考えること」であることを解説したものです。
 序章「『Why=なぜ』で始まる維持法入門」では、「本書における医療と法を論ずる姿勢」として、
(1)医療と法(医事法)の基本原理はそれがあるか否かも含めてまだわからない。しかし、医療と法の目的とすべき到達点は誰の目にもあきらかである。
(2)医療と法を考えるに当たっては、法の果たすべき役割をどのように考えるべきかが焦点となる。
(3)「人々の健康を維持し向上させること」という目的が明確に設定され、その際に果たすべき法の役割は何かという問題意識をもつと、必然的に、従来行なわれてきた法解釈や法理論について再検討する姿勢が生まれる。
の3点を挙げています。
 第1章「医師・患者関係の性格」では、「法律家の間では、医師・患者関係を準委任契約と見る人が多い」ことに関して、彼らが契約にこだわる理由として、
(1)もしも契約を考えないとすると、医師の義務を何に基づいて認めればよいか途方に暮れるから。
(2)従来のパターナリスティックな医師・患者関係を改めて、患者のインフォームド・コンセントとその背景にある自己決定権を認めて対等な医師・患者関係をつくり上げるために、契約という概念が有効。
の2点を挙げています。
 第3章「倫理委員会」では、倫理委員会に法律家が加わるよう求められる理由として、
(1)法律家は、依頼者の代理人として働き、依頼者の法的な利益を守るためにさまざまな論点を提示することに習熟している。
(2)医師と法律家は専門家として、同様の倫理的課題に直面することが多い。
(3)臨床研究に関する倫理指針を、全体として指針が何を目的とし、そのためにどのようなスキームが作られ、いかなるポイントが重要かを理解する上で、同様の作業である法解釈の専門家が適している。
の3点を挙げています。
 第5章「医師の応召(応招)義務・診療義務」では、「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と規定する医師法19条1項に関して、「まず、その義務の性格と内容を確認し、最後に他の専門家や事業者との比較を行なう」としています。
 そして、「正当な事由がなければ、これを拒んではならない」という規定について、「わが国の法律論は、まず一般的抽象的に診療義務ありといっておいて、正当事由の解釈で細かな議論をする形をとる」と指摘し、「これは非法律化にはわかりにくい。相手を恫喝しておいて、その上で常識的な対応もできるところを見せて慰撫しようとするに等しい」と述べています。
 第7章「医行為・医業独占と業務の縦割り」では、「医師でなければ、医業をなしてはならない」と規定した医師法17条について、「いくつかの疑問を提起することができる」として、
(1)医師が独占する医療行為とは何か。
(2)「実施の対象が生身の人間であり、一歩間違えば重大な結果になりかねない」業種は、医師に限らないが、医師に業務独占が認められているのはなぜか。
(3)医師以外の医療従事者と医師の医業独占とはどのような関係にあるのか。
の3点を挙げています。
 第8章「医療事故と警察届出・刑事司法」では、「医療事故を巡って、刑事手続への端緒の1つとなる医師法21条の意義について考察し、さらに刑事司法が医療事故のどのように関わるべきかを検討する」としています。
 そして、福島県立大野病院の産婦人科医逮捕となった医療事故を取り上げ、「癒着胎盤は術前診断のきわめて難しい事例であり、対処法の何度が最も高い症例であって、過失といえるかどうかも難しい点や、病院が調査委員会をすぐに立ち上げて隠蔽の動きもまったくなかったことを考えると、なぜ1年以上経って逮捕拘留することになったのかが疑問になる」と指摘しています。
 また、数十年、日米の医療と法の比較研究を行なってきたロバート・レフラー教授の研究を取り上げ、「わが国における医療安全関する法規制について、もっとも重要なアメリカとの相違点は、刑事司法が果たす役割の大きさ」であるとの指摘を紹介し、アメリカの医療従事者は、「事故の後、刑事手続をおそれることはほとんど」なく、刑事事件になるとすれば、「酩酊した医師や薬物常習者の医師が手術をするなどのきわめて限定された場合である」ことを指摘し、日本に特殊な2つの理由として、
(1)日本の刑法典の中に業務上過失致死傷罪という犯罪があり、そこでは単なる「過失」で犯罪となるように解されている。
(2)日本では、医療ミスに対する対処・制裁として、他の手段が機能せず、結局、刑事司法に頼らざるを得なかった。
の2点を挙げています。そして、「医療事故について刑事司法の介入は、近年わが国において一定の大きな役割を果たした」が、「『目覚し役』としての刑事司法の出番は終わり、幕の外へ下りてよさそうなものだが、一旦喝采を浴びると退場したくないということを冒頭の福島の事件が示している」と指摘しています。
 さらに、刑事司法介入のメリットとデメリットとして、
(1)医療事故のケースで警察に依存しようとするのは、患者にとって、力関係の不足を補充する効果をもつ。
(2)警察の助力は、透明性の確保に資する。
というメリットを上げることができる反面、
(1)刑事介入の結果、「真実」がかえって隠されるケースもある。
(2)医療機関内部での相互不信を増加させる。
(3)医療事故も医療の範囲内である限り、何も知らない警察官にまず判断を委ねようとする姿勢が、真に専門家責任を重視したものか甚だ疑問である。
などのデメリットを指摘しています。
 そして、エレベーターやガス湯沸かし器の事故と医療事故が異なる点として、
(1)医療における患者への約束は、治癒ではない。一定の結果を保証できないところに現在の医学の状況がある。
(2)別の手段を選択できず、患者は医療に頼らざるを得ない。
(3)過失があったかどうかの判断は、文字通り専門的判断になる。
の3点を指摘しています。
 第9章「医師の守秘義務と例外」では、「そもそも他人の犯罪でも、当然、医師には届け出義務ありとしてよいのかという問題を、医師の守秘義務との関係で考察する」としています。
 第10章「個人情報保護法と医療」では、患者が自らの医療情報の保護について希望する点として、
(1)自らの医療情報が自分の知らない誰かに知られ、利用されることは避けたい。
(2)医療情報による差別を受けたくない。
(3)自分の情報をだいじにすることは、自分を人間として尊重してくれる証となる可能性がある。
の3点を挙げています。
 第10章「救急車と正義」では、医師が直面する重い課題として、
(1)たとえ患者が社会の敵であっても命を救うべきか否か。
(2)2つの命があって、時間的に見てどちらかしか助けられない場合、いずれの命を救うべきか。
の2点を挙げています。
 また、「トリアージ」について、「限られた医療資源をより効率的に利用しよう」という考え方であると解説しています。
 さらに、119番トリアージの実施への懸念として、
(1)社会のもっとも基本的なセーフガードである救急医療体制への不安の増加。
(2)119番トリアージの結果、救急車が来なかったために治療が遅れて実際に助かるはずの人が死亡するリスク。
(3)他の方法を考えることはいくらでもできるのではないか。
(4)全国の消防や救急体制は、それぞれ異なる環境に置かれており、このような難題に応えることのできるところばかりではない。
(5)ずるい人は症状を重く報告するのではないか。
の5点を挙げています。
 本書は、医療問題と社会との接点である「医事法」について、専門的な議論に偏ることなく、わかりやすく議論している一冊です。


■ 個人的な視点から

 近年、医療崩壊とか医師不足とか言われていることの多くの部分は、現実の医療と法律との齟齬の部分が出発点になっているのではないかと思います。その意味でも、本書のような試みは、ぜひとも法律の専門家の方から歩を進めて欲しい内容だと思いました。


■ どんな人にオススメ?

・医者と法律家との間の川は広くて深いと思う人。


■ 関連しそうな本

 伊関 友伸 『まちの病院がなくなる!?―地域医療の崩壊と再生』 2007年12月12日
 小松 秀樹 『医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か』 2008年01月08日 06:00
 兪 炳匡 『「改革」のための医療経済学』 2006年12月05日
 小松 秀樹 『医療の限界』
 小松 秀樹 『慈恵医大青戸病院事件―医療の構造と実践的倫理』
 真野 俊樹 『入門 医療経済学―「いのち」と効率の両立を求めて』


■ 百夜百音

ウクレレ人生【ウクレレ人生】 牧伸二 オリジナル盤発売: 2005

 日本では、ウクレレ=牧伸二というくらい定着してしまったこのキャラクターですが、個人的には、すでに気づいたときにはマンネリを売りにしてました。例えば、小島よしおが、「そんなの関係ねえ」をネタにして60歳過ぎても海パンで踊ってたりしたらそれはそれで日本の芸能界の懐の深さを実感させられるのではないかと思います。

『珍盤コレクション 河内のオッサンの歌』珍盤コレクション 河内のオッサンの歌

2008年2月10日 (日)

大相撲の経済学

■ 書籍情報

大相撲の経済学   【大相撲の経済学】(#1116)

  中島 隆信
  価格: ¥1680 (税込)
  東洋経済新報社(2003/09)

 本書は、「変な人たち」、「珍しい社会」というように「普通の人の目からは特殊に見える相撲の世界」を、経済学的に考えることによって、「その背後に潜んでいる合理性や一般社会にも通じる共通性を見出すこと」を目的としたものです。
 第1章「力士は会社人間」では、「力士が一匹狼というのは誤りであって、日本相撲協会という組織の一員であることを説明する」としています。
 そして、力士たちが、番付や取組の編成、勝敗の判定など「制度上の曖昧さに対してあからさまに不満を口にしたり、改革を要求したりしない」ことについて、「力士が組織の一員、すなわち会社人間であることを認めれば、角界に存在する数々の競争制限的制度の意義が理解できるだろう」と述べています。
 第2章「力士は能力給か」では、「実力社会」が成立するためには、
(1)実力が客観的かつ正確に評価できなければならない。
(2)実力を評価することがその社会全体の利益につながらなければならない。
の2つの条件を満たす必要があるとして、「大相撲というスポーツ界において、報奨制度が『実力社会』的システムになっているかについて検討する」としています。
 そして、「大相撲では番付に応じた給与とは別に『力士褒賞金』という給与がある」として、別名「持ち給金」とも呼ばれるこの給与の最大の特徴として、「成績が良ければ増えるが悪くても減らない」点を挙げ、「角界ではただ単に高い地位にいるだけでは高収入は得られない。しかし、逆にいうなら、現在の地位が低くても、過去の実績があり、十両以上の番付を維持できる実力があれば、若い横綱と大差ない給与がもらえる世界ということもできる」と述べています。
 また、番付について、「能力指標として万全ではない」ため、日本相撲協会は、「粗い階級区分でかつ緩い傾斜の給与体系にしている」と解説しています。
 さらに、褒賞金制度が、「番付の変動によるリスクを軽減し、力士たちに安定した収入を保証するとともに、長く現役を続けることが有利になるような仕組みなのである。他方、若くて能力のある力士に対しては、現状に甘んずることなく、現在及び将来の収入を増やすべくさらに優勝を目指して努力をさせる効果も持っている」と解説しています。
 第3章「年寄株は年金証書」では、「『年寄株』に代表される大相撲の『年寄制度』、いいかえれば現役引退後の力士が相撲協会に親方として残るという大相撲独特のしくみについて考える」としています。
 そして、年寄りとして出世するための要素として、
(1)年寄として勤続年数が長いこと
(2)現役時代の実績が優れていること
(3)相撲部屋を持っていること
(4)横綱・大関を育てた経験があること
の4点を挙げています。
 また、「年寄名跡は一種の年金証書のようなものといえるのではないだろうか」として、現役力士が受け取る所得の低さを挙げ、「その低さは、彼らが65歳の定年までの生活を保障されていると考えれば納得できる」として、「幕内力士は現役のときに稼ぎ出した所得の一部を協会に年金として納め、引退し年寄として協会に残った後で受け取っているのである」と解説しています。
 著者は、「大相撲は現役力士と年寄という『社員』を有する『会社』とみなせるだろう」と述べ、「それは、相撲という特殊技能に秀でれば一生の面倒を見てくれる会社なのだ」と解説しています。
 第4章「力士をやめたら何になる?」では、「企業が設備投資を行い、資本蓄積を通して成長していくように、力士も長い年月をかけて相撲に適した」からだを作り出世していく」としながらも、「力士の資本は相当特殊なもの」であることを指摘しています。
 そして、現役力士が積み上げる人的資本として、
(1)相撲に関する知識やノウハウ
(2)鳥的として相撲部屋で過ごす間に培った「ちゃんこ料理」の腕前
の2点を挙げ、幕内力士の半数以上が引退後も角界で仕事をしていること、2番目に多いのが料理店であることを、「この2つは力士の持つ人的資本の特殊性と深く関係がある。特殊な資本はそれが通用するところでしか使えない」と解説しています。
 第5章「相撲部屋の経済学」では、「相撲協会は持株会社で相撲部屋はそこにぶら下がっている子会社のようにも見える」として、「協会は各相撲部屋に出資し、相撲部屋はその資本金を元に力士育成事業を行い、その成果として関取という配当を協会に渡すといった感じ」に例えています。
 そして、相撲部屋の最適規模に関して、相撲部屋の主な目的として、
(1)なるべく多くの弟子を育成すること
(2)三役以上の力士を育てること
の2点を挙げ、この2つの目的を達成するために、「弟子の量を増やすことと質を高めること」の両立をすることは難しいことを指摘しています。
 また、現在のシステムの問題点として、「あまりに多くのコストを部屋に負担させていること」を指摘しています。
 第6章「いわゆる『八百長』について」では、「角界で八百長の起こるメカニズムを明らかにし、それに対する相撲協会の対処法と効果について述べる」としています。
 そして、星交換による八百長が成立するための条件として、
(1)力士の力が接近していること
(2)現在の一番の重要度に大きな佐賀あること
の2点を挙げています。
 また相撲協会の対策として、「ごまかしが損になるように設定される条件」である「インセンティブ・コンパチビリティの条件」を整える線に沿った解決策を試行しているとして、
・千秋楽に7勝7敗同士の力士による取組を多く編成する。
・幕内力士と十両力士、十両力と幕下力士の対戦を多く組んでいる。
等の対策を紹介し、さらに「同年齢で同程度の実力を持つ力士同士を同じ境遇で対戦させれば、現在だけでなく将来の取組に関する重要度まで両者でほぼ同じになるため、星の交換による利益の発生する余地はほとんどなくなってしまう」と解説しています。
 著者は、日本相撲協会という会社的要素を持つ組織において、「力士たちがガチンコ相撲をしていないと非難するのは、組織を守ろうとする会社で社員たちが互いに真剣に競争していないことを非難するのと同じではないだろうか」と指摘した上で、「角界の八百長を絶滅することが本当に社会にとってプラスになるのかどうか」を問いたいと述べ、「組織内での競争の程度はその組織のパフォーマンスのよしあしによって判断されるべきだと考える」と述べています。
 第7章「一代年寄は損か得か」では、「力士としての最高の名誉である一代年寄のシステム」について、「最高の名誉とはいってもすべてがバラ色ではないところにこの制度の面白さがある」としています。
 そして、輝かしい実績を持つ千代の富士が平成3年に引退したときに、一代年寄の特典を辞退した理由として、「相撲部屋の継続性」との関わりを挙げ、「一代年寄の場合は後継者選びが難しくなる」理由として、
(1)一代年寄は譲ることができない
(2)弟子の数の減少
の2点を挙げています。
 第8章「外国人力士の問題」では、外国人力士の出世確率がきわめて高いことについて、「選ばれたデータに基づいて議論し、結論を導くことの危険性」である「サンプル・セレクション・バイアス」として、
(1)入門時点で彼らは日本人の新弟子たちよりも高い能力を有していると見るべきである。
(2)モンゴルから日本の角界に入門する若者はすでにモンゴル相撲でかなりの実績を挙げているか、あるいは相撲留学という形で来日し、トレーニングを積んでいる者が多い。
の2つの意味でのバイアスの発生を指摘しています。
 また、外国人力士の流入を制限すべきかという議論に関して、「流入を制限しなくてもこれ以上問題は深刻にならない」理由として、
(1)力士は高給取りではない
(2)特殊資産形成が入門を抑制
(3)年寄株取得の制約
の3点を挙げています。
 第9章「横綱審議委員会の謎」では、「横綱」とは、「大関のうちで優れた力士に与えられる免許であって地位ではなかった」と述べています。
 また、横綱に「負け越したり休場したりしても地位を維持できる」という特権を与える理由として、「大相撲にとって横綱は欠くことができない看板」であることを挙げ、横綱という「公共財」に関して、「最適な供給量を決定するインセンティブを持ち合わせていない」当事者である協会や横綱本人に代わり、「公共財の最適供給量を決定すること」が横綱審議委員会の役割であると述べています。
 第11章「角界の構造改革」では、「競技とは直接関係のないものが相撲全体の雰囲気を形作っている」ことは、「他のスポーツがまねをしようとしてもできない大相撲だけの差別化された要素である」と述べ、「こうした独特の世界を維持するためには、競争を避けるしかない」としながらも、相撲文化の継承を使命とする姿勢を貫くことが大相撲の生き残る道だと主張しています。
 本書は、相撲の雑学本だと思っていると結構本格的な経済学と向き合わなければならなくなる一冊です。でも数式は使いません。


■ 個人的な視点から

 学生時代、たいていクラスに一人は相撲好きなヤツがいて、細かい相撲トリビアを披露していたのではないでしょうか。昔は、スポーツニュースの締めは相撲の取組だったりして、名前は聞いたことがあっても高見山以外はどれも同じように見えてしまって話についていけなかったことを思い出します。


■ どんな人にオススメ?

・相撲はヌルいスポーツだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー (著), 望月衛 (翻訳)  『ヤバい経済学』
 中島 隆信 『障害者の経済学』 2007年04月29日
 中島 隆信 『お寺の経済学』 2006年03月21日
 中島 隆信 『オバサンの経済学』 2008年01月23日
 中島 隆信 『これも経済学だ!』 2007年07月17日
 中島 隆信 『子どもをナメるな―賢い消費者をつくる教育』 2008年01月29日


■ 百夜百音

ズッコケ男道【ズッコケ男道】 関ジャニ∞(エイト) オリジナル盤発売: 2007

 子供の担任の先生がジャニーズ好きなので、幼稚園で覚えてきてしまいました。それにしても、ウルフルズのカバーではないようです。こういう曲は昔からありますし。

2008年2月 9日 (土)

日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す

■ 書籍情報

日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す   【日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す】(#1115)

  金谷 武洋
  価格: ¥1575 (税込)
  講談社(2002/01)

 本書は、日本語教師にとっての一番の問題である、「英語や仏語と日本語の根本的な違いがどの文法書にも明記されていないこと」を取り上げ、「国内国外で使われているほとんどの『日本語教科書』が基本的には『学校文法』に基づいており、その学校文法は西洋語、特に英文法を下敷きにしている」ことを指摘しているものです。著者は、本書のタイトルのあたまに「やはり」を添えたいと述べ、三上章が主張した「主語無用論」を、
(1)三上文法の日本語教室での具体的応用の提案
(2)主語や人称代名詞というテーマを、日本語の三基本文という、これまでほとんど注目されないで北観点とリンクさせる
の2つの側面で発展させるとしています。
 第1章「日本語に人称代名詞という品詞はいらない」では、「英仏語では、名詞と人称代名詞には構文的に異なった働きがある。日本語にはその違いがない」と述べています。
 そして、「存在者の数を不必要に増やしてはいけない」という「オッカムのかみそり(razor of Ockham)」という言葉を引用し、「日本語文法(ことに我々が学校で国語の時間に教わった学校文法)には無駄が多く、よくわからない。これでは(特に外国語としての)日本語がよく説明できない」と主張し、また、「オッカムの弟子を自任する我々は、『日本語で人称代名詞と呼ばれているものは構文的には名詞にすぎない』と明らかに宣言すべきである」と述べています。
 また、「英仏語(など多くの言語)には『人称代名詞がないと正しい文が作れない』という辛い『お家の事情』があるのに対して、日本語(や朝鮮語や中国語)にはそんな事情はまったくない」と述べています。
 第2章「日本語に主語という概念はいらない」では、「日本語には主語の概念は不要である。日本語の構文は朝鮮語や中国語などと同じく、述語だけで基本文として独立している」と主張し、「日本語に即した文法の書き換えを目指して、主語の文法的必然性の有無を検証する」としています。
 そして、フランスの言語学者アンドレ・マルチネによる主語の定義として、「主語は、他のあらゆる言語学的事実と同じで、その(具体的)振る舞いに置いてのみ定義づけられるもの」であるという定義を紹介し、「主語の条件」として、
(1)基本文に不可欠の要素である。
(2)語順的には、ほとんどの場合、文頭に現れる。
(3)動詞に人称変化(つまり活用)を起こさせる。
(4)一定の格(主格)をもって現れる。
の4点を挙げています。
 また、生成文法の方で使われる「ProDrop」という単語を取り上げ、「日本語や朝鮮語、中国語などは主語や目的語がよく『省略される』ので、代名詞を落とす言語(ProDrop language)と言われる」と述べた上で、「『省略』という説明事態がオッカムのかみそりで落とされるべき不要な髭であることは明らかになった」と述べ、「ProDropという『省略』を思わせる用語は不適当」であり、「ましてや、日本語など東アジアの言語がProDropなどと呼ばれるのは甚だ迷惑である」と指摘しています。
 さらに、国語学界の大御所である大野晋が、日本語への主語の概念の導入と当時の時代精神について、「明治以降、要するに英文法を元にして、大槻博士が日本語の文法を組み立てた。その時に、ヨーロッパでは文を作るときに主語を必ず立てる。そこで『文には主語と述語が必要』と決めた。そこで日本語では主語をしめすにも『は』を使う、と考えたのです。ヨーロッパにあるものは日本にもなくては具合が悪いというわけで、無理にいろんなものをあてはめた」と自ら語っていながら、「何故『日本語に主語はない』と文部科学省に断固抗議しないのだろう」と指摘しています。
 第3章「助詞『は』をめぐる誤解」では、「『は』は文字通りのスーパー助詞で、その本当の役割は、単文の境界を越えるところにある」と述べています。
 そして、「多くの文法研究者、そして日本語教師にとっては、『は』と『が』の二つがいまだに根強く『主語を表す主要助詞』という刷り込み(imprinting)がなされている。『主語症候群』あるいは『主語病』とでも呼ぶべきものだろう。我々はいまだに明治維新の精神構造から抜け出せていないのである」と述べています。
 第4章「生成文法からみた主語論」では、「きわめて特殊な言語の英語を鏡にして、普遍性を主張されては、まったくタイプの違う日本語などは迷惑である、と声を大にして訴えたい」と述べています。
 また、「現行の学校文法や日本語文法のように、主語を自明のものとしてしまうと、そのフィルターのために逆に見えなくなってしまうものがある」と指摘し、人称代名詞の問題とともに、自動詞と他動詞の対立の問題を挙げています。
 第5章「日本語の自動詞/他動詞をめぐる誤解」では、「『直接目的語をとる動詞が他動詞、他が自動詞』と言い切れるのは英語(や仏語)ではあっても日本語ではない。更に付け加えるなら、自動詞/他動詞分別の第2の目安とされる『他動詞文からは主客を反対にした受身文が作れる、自動詞文では不可能』という定義も、これまた英仏語なら真でも、日本語では間違っている」と指摘しています。
 そして、「明治維新以前の文法研究では、自他の対立そのものの考察がなされていた」にもかかわらず、「明治に入って、この領域でも英文法の圧倒的な影響下に構文分析へと移っていった」と述べ、「自/他動詞研究は、主語論をめぐる明治以降の『日本語文法の英文法化』に並行している」と指摘しています。
 終章「モントリオールから訴える」では、「茶髪で偽装する日本人を見て、私が想起せざるを得ないのは我々の母国語、日本語の不幸である」と述べたうえで、「本書で扱った問題は、日本語に関心のある日と、特に日本語教師の方々に知ってもらいたい」として、「日本語の文法を今こそ、借り物の第二英文法ではなく、日本語そのものに根ざしたものに変えよう、余計な髭をオッカムのかみそりで落とし、さっぱりすっきりした21世紀の新文法にしよう」と主張しています。
 本書は、当たり前に思っていた学校で習った日本語の文法を、もう一度自分の頭で考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 多くの人にとっては、これまで国語の時間に、まずは主語は何か、最初に「は」や「が」を探せ、ということで主語を探すという習慣ができているのではないかと思います。また、文章を書くときも、「主語を明らかにしろ」という指導が学校でもなされていたのではないかと思います。そういった教育を散々受けてきた人たちが世の中の大多数である中で、主語は要らない、ということを主張されることは非常にインパクトがある反面、「常識」に対して立ち向かうのは相当の労力なのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・文章を読むときに主語を探してしまう人。


■ 関連しそうな本

 金谷 武洋 『主語を抹殺した男/評伝三上章』 2008年01月19日
 金谷 武洋 『英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ』 2008年02月03日
 金谷 武洋 『日本語文法の謎を解く―「ある」日本語と「する」英語』
 三上 章 『象は鼻が長い―日本文法入門』
 庵 功雄 『『象は鼻が長い』入門―日本語学の父三上章』
 三上 章 『現代語法新説―三上章著作集』


■ 百夜百音

風になりたい【風になりたい】 THE BOOM オリジナル盤発売: 1995

 今では高校の音楽の教科書に載るほどポピュラーな曲になっているそうです。ブームのデビュー当時の姿を知る世代の人間にとっては、沖縄音楽のイメージだったりブラジル音楽だったりでよくわからないバンドだったりします。

『風になりたい(Samba,Novo)』風になりたい(Samba,Novo)

2008年2月 8日 (金)

99.9%成功するしかけ キシリトールブームを生み出したすごいビジネスモデル

■ 書籍情報

99.9%成功するしかけ キシリトールブームを生み出したすごいビジネスモデル   【99.9%成功するしかけ キシリトールブームを生み出したすごいビジネスモデル】(#1114)

  藤田 康人
  価格: ¥1575 (税込)
  かんき出版(2006/11/21)

 本書は、「資金力もブランド力もない、ベンチャー企業同然の外資系素材メーカーという立場にある者が、2000億円市場にまでなったキシリトール・ビジネスをどのようにして作り上げたかということ」を通じて、「マーケティング上の奇跡」とまで言われたキシリトールのマーケティング手法を解説しているものです。
 序章「マーケティングのプロとして」では、味の素を退職して、フィンランドの素材メーカーの極東支社を立ち上げた著者が、やるべきこととして、
(1)日本でキシリトールを認可させること。
(2)無名のキシリトールを食品メーカーに採用させること。
の2点をはっきりと認識していたことが述べられています。
 著者は、キシリトール及びその後に手がけた「食物せんいプロジェクト」の経験から、「PR(パブリック・リレーション)とSP(セールス・プロモーション)の融合という立体的アプローチ」を重視し、「広告、PR、店頭プロモーション、口コミ」などの「コミュニケーション手段をすべて有機的・立体的に組み合わせる『コミュニケーション・ミックス』を意識的に行なうことにより、その効果は計り知れないほど大きくなり、また実際の売りにつながる」と述べています。
 第1章「キシリトール現象」では、「機能性食品にロングヒットが出にくい最大の理由」として、「薬事法という法律のしばり」があり、「いわゆる健康食品については、医薬品と誤認されないように、その効果・効能を製品パッケージや広告の中でうたうことを厳しく禁じて」いると述べています。
 また、著者がキシリトールを日本の普及させることに成功した原因の一つとして、「プロデュース力」を挙げ、「基本的な部分は大学時代にすでに実践していた」と、バブル真っ只中の学生時代にディスコを借り切ってダンパの企画に明け暮れていた経験を挙げています。
 第2章「古いビジネスモデルを超える」では、味の素に入社した著者が、「甘味料事業部に在籍した4年間を通じて」、「食品業界のマーケティングの粋を集めたエリート教育を受け」ることができたこと、販売メーカー得のアプローチ方法を、それまでの研究部門ではなく、マーケティング部門に「低カロリー製品の市場性や海外動向などをプレゼンテーションする営業スタイルに変えた」ことなどを述べ、「相手とWin-Winの関係を築き、素材を販売する者も"川下"の消費者を意識してマーケティング・コンセプトを立案し、販売メーカーと交渉して、双方向のコミュニケーションを通じて情報の共有を実現する」ものである「第2世代」のビジネスモデルを構築したと解説しています。
 第3章「人生の岐路」では、著者が28歳のとき、フィンランドの素材メーカー「ザイロフィン」社の極東支社の立ち上げに際して、「あとはマーケティングを販売に長けていて、業界に強いネットワークを持つ人物を迎え入れ、1日も早く具体的なマーケティング・プランを本社に示すことが必要なのです」という引き抜きを受け、「大企業を捨てられるか」に悩んだことを語っています。
 そして、日本でまだ認可を受けておらず、さらに「砂糖の5倍以上もの高値」であるキシリトールガムを売るためには、普通のガムより2割高く売らなければ利益が出ない、そして、「虫歯予防効果」を宣伝することができない、という逆境の中、厚生省に日参して食品添加物認可の申請を出し続けたことが述べられています。
 第4章「最強の手段はPRプランニング」では、「メーカーへの説明・説得、そして厚生省へのアプローチという二本柱」に加え、「第3世代」のビジネスモデルとして、「"川下"の消費者の視点を持ち込んで、活用できる限りの周辺要素とコラボレーション(協働)する『B to B to C』(企業=企業=消費者)のビジネスモデルを大きく発展させたもの」を挙げ、具体的には、「日本国内の歯科界にキシリトールを受け容れてもらうように働きかけた」として、"ミスター・キシリトール"と言われるほどの学者にアプローチしたことを述べています。
 また、ある大手ガムメーカーのマーケティング担当者から、「自分たちが一切広告をしなくても、日本中の誰もがキシリトールの名前を知っていて、高い虫歯予防効果があることも理解してくれていて、その上2割高くても喜んで買ってくれて、流通もキシリトールの棚を作ってくれる――そういう世界を持ってきてくれれば、キシリトールガムを出してあげるよ。君なんかに絶対にできないと思うけど」と言われ、ショックを受けると同時に、「キシリトールを採用してもらうためには、なんとしてもその状況を作り出すしかないじゃないか!」ということに気づき、そのヒントを得るためにフィンランドを訪れ、フィンランドでは、「新聞、雑誌、テレビといったマスメディアに、積極的にキシリトールの情報提供を行なう」といった、「PR(Public Relations)という手法を用いて、消費者にキシリトールの効果・効能を理解させること」に成功していたことを目の当たりにし、「やっと私が求めていた答えが見つかった」と述べています。
 第5章「地獄のような1年」では、「一企業の利益のために新規添加物を認可することはできない。日本国民にとって必要であるという公正中立な判断があって初めて認可する理由になりうる」という厚生省の担当者を説得し、「食品衛生調査会」の開催までは道のりが遠かったことを述べています。一方で、メーカーには「いつか認可になります。もうすぐです」といい続け、「何年経っても認可は下り」ないため、業界では、「狼少年」と呼ばれるようになり、「プライドも何もずたずた」だったと語っています。
 そして、1997年4月17日、予定していた日よりも1日早く厚生省の公示が掲載されたため、各方面からの問い合わせが殺到し、「解禁日の時点で、日本でキシリトールの情報を持っているのは当社だけであり、そして世の中に見えているキシリトールの顔といえば私しかいません」という状態であったため、1日の狂いが、「とんでもないことになってしまった」と語っています。
 著者は、キシリトールヒットまでの数年の間に「藤田流マーケティング」とも称すべきスキルを身につけたと語っています。
 第6章「ブームをつくる」では、雑誌や新聞などに対し、「日本フィンランドむし歯予防協会」の活動が記事に取り上げられるように仕掛けることで、「PRの露出は、メディアが自らの判断と責任によって主体的に行なうもの」であるため、「薬事法の規制を一切受けず、キシリトールの機能をたっぷり書いてもらえる」と述べています。
 そして、キシリトールは大ブームとなり、認可から3ヵ月後の7月時点で70%の認知率、1年2ヵ月後には90%を超え、「マーケティング上の奇跡」と評されたと語っています。
 第7章「藤田流マーケティング」では、
・広告
・PR
・専門家からの口コミ
など、「さまざまな仕掛けをミックスし、それを元にして、いわば立体的にコミュニケーションを構築していく手法」を「コミュニケーション・ミックス」と呼び、「消費者に対する最強の訴求手段」であると述べています。
 そして、消費者が、「多くの場合、単独の商品ではなく、実はカテゴリーで製品を認知している」ということに気づいたとして、販売メーカーだけではブームになりにくく、多数の顧客を同時に持つ「マルチクライアント」企業である素材メーカーこそが、カテゴリーの拡大を仕掛けていくことができると述べています。
 第9章「脱・日本型マーケティング」では、著者が、「もはや食品素材マーカーの常識の域を超えた、いわばマーケティング・エージェンシーとしての機能を持ち、なおかつ製品開発の段階から関与することのできる、今までまったく存在しなかった業態を作り上げ」たと述べ、こうした手法を、「セールス・プロモーション(SP)とパブリク・リレーションズ(PR)の一体化」である「SPR」という新たな手法であると述べています。
 本書は、PR会社や広告代理店そのものではなく、素材メーカーという"川上"が仕掛けたマーケティングの実例として、大きな説得力を持った一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者に共感がもてるのは、味の素のサラリーマン時代の葛藤だったりします。自分のやりたい仕事に就きたいために目立とうとしたり、上から気に入られすぎたためにかえって自分のやりたい仕事ができなかったりと、サラリーマンの悲哀が感じられます。


■ どんな人にオススメ?

・マーケティングとは宣伝だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 矢島 尚 『PR会社の時代―メディア活用のプロフェッショナル』 2006年11月13日
 矢島 尚 『好かれる方法 戦略的PRの発想』 2006年10月25日
 ポール・A. アージェンティ, ジャニス フォーマン (著), 矢野 充彦 (翻訳) 『コーポレート・コミュニケーションの時代』 2006年10月23日
 世耕 弘成 『プロフェッショナル広報戦略』 2006年09月22日
 高木 徹 『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』 2006年11月27日
 井之上パブリックリレーションズ (著), 井之上 喬 (編集) 『入門 パブリックリレーションズ―双方向コミュニケーションを可能にする新広報戦略』 2006年12月13日


■ 百夜百マンガ

出直しといで!【出直しといで! 】

 作者ならではの照れくさい展開やセリフがこそばゆい作品。連載されていた当時は、登場人物と年齢が近すぎるため直視できませんでした。

2008年2月 7日 (木)

市民が主役の自治リノベーション―電子自治体2.0

■ 書籍情報

市民が主役の自治リノベーション―電子自治体2.0   【市民が主役の自治リノベーション―電子自治体2.0】(#1113)

  須藤 修, デジタルコミュニティズ推進協議会
  価格: ¥2000 (税込)
  ぎょうせい(2007/07)

 本書は、「沈滞しつつある電子自治体がやがて水面上にその姿を現し、自治体の改革を推進していく原動力になるという確信を持って執筆されたもの」です。
 第1章「これから求められる情報化社会と電子自治体構築の現状」では、「時間的、空間的な制約を克服することが情報化社会を実現する要件の一つである」としながらも、「付加価値を生み出すことができない地域社会は、ネットワークにぶら下がった消費地に過ぎなくなり、人口流出が続き淘汰されていく」 と述べています。
 そして、業務別のオンライン化状況について、「「住民に最も近い行政サービス分野からオンライン化が進んでいることが改めてわかる」と述べています。
 また、前佐賀市長の木下敏之氏の著書を引用し、「行政改革や電子自治体を進めていくことは、力強いトップダウンと縦割りの弊害を取り除いていかないと進まない」と指摘しています。
 さらに、電子自治体の構築は、「単なる電子化の推進だけでは実現できない」ものであり、「業務フローを見直し、ムダを徹底して排除することと人員の配置を見直し、新規に必要となる業務に対して大胆に人員の再配置を行なっていくことが重要である」と述べています。
 第2章「電子自治体の実態と課題」では、佐賀市がメインフレームからのダウンサイジングに成功した要因として、
(1)メインフレームからサーバへのダウンサイジングによりハードのコストダウンを図る。
(2)ソースコード公開により地元業者参入可能な競争環境を構築することで、運用保守のコストダウンと地元業者の育成を図る。
の「2つの明確な目標を掲げて市長をはじめとする強力なリーダシップの元にプロジェクトが遂行されたこと」を挙げています。
 また、IT投資によって税収や収入を増やすという考え方として、
(1)地元企業育成による税収増加:地元企業による保守・運用(佐賀市)
(2)システムの貸与による収入確保:自ら開発したシステムを他自治体に貸与し、使用料金を徴収する(横須賀市の電子入札システム)
(3)システムの販売による収入確保:自ら開発したシステムの販売(千葉県の人事給与等申請システム)
(4)経済政策の一環としてのシステム開発:(札幌市コールセンター)
などの手法を紹介しています。
 さらに、電子自治体の3つの目的として、
(1)行政経営にITを活かす
(2)市民との新たな関係構築にITを活かす
(3)地域経営にITを活かす
の3点について、「目的が達成されたとはいいがたい状況である」と検証しています。
 著者は、「行政経営の仕組み(NPM)がインプリメントされていなければ、手段としてのITを戦略的に使う(BPR)ことができない」と指摘し、「困難に立ち向かうだけの動機づけとなる目標値もなければ、目標達成によって得られるものも示されていなければ誰も行動しない。この目標値や報酬を明確に示し、職員の動機づけを行なうものが行政経営に他ならない」と述べています。
 第3章「全国各地で始まった自治体CIO体制―中小自治体の現状と課題―」では、「一部を除く多数の自治体、特に中小自治体においては、その組織体制、関係者の意識及び情報化への対応能力(専門知識・能力のレベル)が必要な水準に達していない場合が多く、ITの有効活用による業務改革や効率化・合理化は思うようには進んでいないのが実情である」と指摘し、「このような状況から脱却するためには、『組織体制の整備と関係者の意識改革』及び『情報化対応能力(専門知識・能力)の確保』が緊急の課題となる」と述べています。
 そして、電子自治体推進の鍵は、「『自治体CIO体制の確立』とそれを有効に機能させるための『自治体CIO補佐の活用』」であると述べています。
 第4章「自治体の電子化に求められる基盤の整備―市民と行政の連携―」では、「いかに自治体の電子化を進めるのか」という課題の解決法の一つとして、「行政と市民の『接点』の整備、とりわけ行政の広聴制度の充実」について論じ、「一見電子化とは遠いところにあるような広聴制度にこそ、電子化推進の鍵が隠されている」と述べています。
 そして、広聴制度を、想定する参加者の方に注目して、
(1)参加者流動型:インターネット広聴、パブリック・コメント、コールセンター、懇談会・座談会・ミーティング・出前講座・トーク、施設広聴、窓口相談、調査広聴、提案箱、提言・提案はがき、模擬議会
(2)参加者固定型:モニター制度、市民会議
に分けて解説しています。
 著者は、「まず市民と以下に行政が付き合うのか。自治体の電子化が進んでも、この課題は常に解決を迫られるだろうし、その課題を解決しない限り、電子は進んでいかない」と指摘しています。
 第5章「市民が主役の電子政府・電子自治体とは」では、北川正恭早稲田大学大学院教授(前三重県知事)と須藤修東京大学大学院教授が、「市民が主役となるような電子政府・電子自治体のあり方」をテーマに行なった対談を収録しています。
 そして、「今後の電子政府で一番重要となるのは、国民や企業の満足度を高めること」であるとしたうえで、「今後問題になるのは、トップリーダーがどこで立ち位置を変えるのかということ」であるとして、「行政は、官が『してあげる』というサプライサイドの発想からデマンドサイド、つまり生活者の起点に立って、自由に申請が行えるというユビキタスな社会を実現するという発想へと思い切って発想方法を切り替える必要がある」と語っています。
 また、「権力者が作ってきたあらゆるバリアを取り払わないと、ユビキタスな社会は機能しない」が、「権力者が作った秩序を壊すものだから、権力者もなかなか変えたがらない」と指摘しています。
 第6章「電子自治体推進のための考え方と手法」では、「中小自治体にとって特に重要でかつ緊急度の高い」問題点として、
(1)「基幹系システム更改の際にベンダーから提示された新機種の見積り金額」への対応の問題
(2)「庁内情報システムの全体像の不明確化」に関わる問題
(3)「EA、レガシー連携、共同アウトソーシングなどの潮流への対応」に関わる問題
の3点を挙げています。
 「おわりに」では、行政の改革を、「市民の視点を取り入れて『(行政が)これまで当たり前でやってきたおかしいこと』を指摘することから始めなければならない」と述べています。
 本書は、電子自治体が技術的には「夢」から「現実」に迫ってきたことで見えてきた現実の重さを考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 一時のバラ色の電子自治体ブームと言うか、「ITゼネコン」が盛り上がったe-JAPANの時代が去った後、さて自治体は実際のところどう変わったのか、これからどう変わっていくのかというところをフォローしてくれるのは大変ありがたいことではないかと思います。実際、ブームに浮かれていたところ、きちんと歩を進めたところ、何もしなかったところで相当の差が出た数年間だったのではないかでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・「電子自治体」という言葉にリアリティを感じない人。


■ 関連しそうな本

 榎並 利博 『電子自治体―パブリック・ガバナンスのIT革命』 2005年04月21日
 木下 敏之 『日本を二流IT国家にしないための十四ヵ条―佐賀市「電子自治体」改革一年の取り組みから』 2006年10月18日
 金子 郁容, 藤沢市市民電子会議室運営委員会 『eデモクラシーへの挑戦―藤沢市市民電子会議室の歩み』 2005年10月21日
 横江 公美 『Eポリティックス』 2005年02月11日
 岩崎 正洋(編著) 『eデモクラシー』 2005年05月02日
 小林 隆 (著), 自治体議会政策学会 (監修) 『インターネットで自治体改革―市民にやさしい情報政策』


■ 百夜百マンガ

怪奇版画男【怪奇版画男 】

 版画で漫画って路線はさすがに追随が難しいみたいで、なかなか版画で描いている人という話は聞きません。

2008年2月 6日 (水)

インテリジェンス 武器なき戦争

■ 書籍情報

インテリジェンス 武器なき戦争   【インテリジェンス 武器なき戦争】(#1112)

  手嶋 龍一, 佐藤 優
  価格: ¥777 (税込)
  幻冬舎(2006/11)

 本書は、9・11テロを伝えたNHKワシントン支局長の手嶋隆一氏と、「外務省のラスプーチン」と呼ばれた「起訴休職外務事務官」佐藤優氏の対談を収録したものです。
 序章「インテリジェンス・オフィサーの誕生」では、「外交は武器を使わない戦争」といわれ、「インテリジェンス」は「そうした戦いに不可欠な武器」であり、「国家の命運を担う政治指導者が舵を定めるための羅針盤」であると定義しています。そして、「精査し、裏をとり、周到な分析を加えた情報」がインテリジェンスであると述べています。
 佐藤氏は、自身を、「プロパーのインテリジェンス・オフィサー」ではなく、「インテリジェンスについてある程度の知識を持っている外交官」であると述べています。
 第1章「インテリジェンス大国の条件」では、手嶋氏が、「ラスプーチンのテーゼ」として、「世界第二の経済大国は、潜在的には世界第二のインテリジェンス大国たりうる」と述べた上で、「眠っているポテンシャルを十分に引き出していない」背景には、「外務省のひ弱な体質がある」と述べています。
 そして、佐藤氏が学んだ英国の陸軍語学学校について、「英国の潜在的な敵国の言葉を習得させる学校」であるとともに、「英国に好印象を持って本国に帰ってもらい、いざというときには、そこで築いた人脈をフル稼働させる」ことを目的としており、カダフィ大佐も卒業生であると述べています。
 また、インテリジェンスや情報力を、「自分の弱いところをできるだけ隠して、強いところを実力以上に強く見せる技法」であるとして、「軍事力が圧倒的に強い国には情報力が育ちにくい」と述べています。
 第2章「ニッポン・インテリジェンス その三大事件」では、「インテリジェンスにかかわる者にとって、、東京ほど魅惑の貌をした都市はそうめったにない」として、各国の情報機関が、1人当り年間5千万円もの膨大なコストをかけて人間を送り込んでいると述べています。
 そして、「1980年代あたりまでは、日本政府もかなりスクープ性の高いインテリジェンスのヒットを放っていた」として、1984年2月の「当時のソ連最高指導者だったアンドロポフの死去を世界で最初に掴んだ」琴を紹介し、「ハゲワシ」または「ハゲタカ」の異名を持った手練れの外交官、元外務省欧亜局長の東郷和彦氏がロシアの科学アカデミーの情報提供者に、「テレビの雰囲気がおかしいんですが、いったい何が起きているんでしょうか」と訊ねたのに対し、相手は日本語で「天皇陛下です」と答えたというエピソードが紹介されています。
 また、日本の公安警察や外事警察が、「間違いなく世界最高水準に近いレベルのカウンター・インテリジェンス組織」であると述べています。
 第3章「日本は外交大国たりえるか」では、佐藤氏が、小渕総理から官邸に呼ばれ、「おまえはモスクワやテルアヴィヴなどあちこち動いて、情報を集めて俺に報告に来い。俺がいないときは鈴木宗男のところに行け」と直接指示を受けて動いていたと語っています。
 また、外務事務次官の谷内氏の悪口を、「酒の勢いを借りて、ジャーナリストにずっと言い続けている外務省幹部」の言ったことが、30分も経たないうちに著者に電話で伝わってきたことを挙げ、「外務省のモラルの崩壊は異常」であると述べています。
 第4章「ニッポン・インテリジェンス大国への道」では、イスラエルがアラブ諸国の軍隊の侵攻の情報を読み誤った苦い経験から、「首相に提出されたレポートに対して、どんなことでもいいから『これではダメだ』と難癖をつけること」を役割とする「悪魔の弁護人」という役職を設けたことを紹介しています。
 また、情報機関を作るにあたっては、「まずは人を育てるところから始めなければならない」として、「まずは学術的な基礎体力」をつける必要があること、そして、「インテリジェンスの専門家を育成する作業は、シンクタンクではなく大学で行なうべき」であると述べています。
 さらに、「そもそもインテリジェンスというもの自体が、効率のいいものではありません。この世界は錯誤の連続です。膨大に存在する玉石混淆の情報をより分けて、ようやく国家の舵取りに役立つダイヤモンドのようなインテリジェンスが一粒か二粒見つかる」と述べています。
 本書は、インテリジェンスという言葉に初めて出会った人にも抵抗なく入り込める入門書です。


■ 個人的な視点から

 インテリジェンスといえば思い出すのは「スパイ大作戦」ですが、最初に原稿を書いた後、誤ってデータを消してしまいました(正確には上書きをしてしまった)。誰のミッションを受けているわけでもないのに、もしかするとこの本自体に、「このデータは自動的に消滅する」という仕込みがあったのかもしれません。インテリジェンス恐るべし。


■ どんな人にオススメ?

・「インテリジェンス」と聞いて「インテリげんちゃんの夏休み」という糸井重里のコピーを思い出してしまった人。


■ 関連しそうな本

 佐藤 優 『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』
 佐藤 優 『自壊する帝国』
 佐藤 優 『インテリジェンス人間論』
 佐藤 優 『獄中記』
 手嶋 龍一 『ウルトラ・ダラー』
 手嶋 龍一 『外交敗戦―130億ドルは砂に消えた』


■ 百夜百マンガ

幻蔵人形鬼話【幻蔵人形鬼話 】

 大ヒット作のイメージが強すぎるのか、どうしても結びつけて見られがちですが、うだつの上がらなそうな「やられキャラ」のオヤジに味があったりします。実は、伝奇物よりもサラリーマンマンガにむいているのかも?

2008年2月 5日 (火)

市町村盛衰記―データが語る「日本の姿」

■ 書籍情報

市町村盛衰記―データが語る「日本の姿」   【市町村盛衰記―データが語る「日本の姿」】(#1111)

  西中 真二郎
  価格: ¥1,575 (税込)
  出版文化社(2004/04)

 本書は、大正9年から平成12年までの国勢調査を元に、市町村の人口の推移や合併の推移を追いながら「この国の姿」を見直しているものです。
 第1章「2000年調査」では、世帯当たり人口について、県別に見ると、「多いほうは、概して都市化が進んでいない農村部を多く持つ県」であるのに対し、少ないほうは、「大都市部とそうでない県が混在している」理由として、「若者の流出により過疎化が進み高齢化が進んでいる地域では、家庭の崩壊が起こり、世帯あたり人数の減少が進んでいる」のではないかと述べています。
 また、製品出荷額について、人口1人当たり40000万円を超え、全国第3位に相当する区として、「工業地帯というイメージとはほど遠い」東京都千代田区を挙げ、「そのほとんどすべてが『印刷出版業』」であると述べ、千代田区には、大新聞の本社や出版社が多く立地していることを解説しています。
 第2章「制度と歴史」では、明治22年4月1日にわが国に初めて市が誕生したときに市制を布いた市として、弘前、盛岡、仙台、秋田、山形、米沢、水戸、東京、横浜、新潟、富山、高岡、金沢、福井、静岡、津、京都、大阪、堺、神戸、姫路、和歌山、松江、広島、下関、高知、福岡、久留米、佐賀、長崎、熊本、鹿児島の32死を挙げています。
 そして、大正9年には、埼玉、千葉、宮崎の3県にはまだ市が生まれていなかったこと、町の数では、千葉県が75、愛知県71、福岡県50がトップ3だったことを紹介しています。
 また、郡について、「大正10年の郡制廃止までは、れっきとした地方自治体だった」ものであり、地方制度としての郡は廃止になったが、現在の地方自治法も、補則において、「郡の変更等は知事が県議会の議決を経て定めること、郡の区域内に市が生まれたときは、郡の区域は自動的に変更されること等を定めている」ことを解説しています。
 第3章「長い目で見た変化」では、大正9年から平成12年の間の都道府県人口の推移に地打て、「トップの東京都と最小の鳥取県だけは、どの時期をとっても同じ」だが、「概して言えば、関東地方の上昇と西日本の下降という傾向」が窺えるとしています。
 そして、「大正9年から昭和25年にかけては、都市化が進む一方で、田園部の人口も増加したが、昭和25年から平成12年にかけては、小さい方から大きい方へ、一方通行で人が急激に流れていった」と述べています。
 また、「戦後の混乱期は、同時に農漁村の全盛時代」であったとして、「当時の農村は、物資も娯楽も少なかったけれど、村には活気があった。青年団を中心とした盆踊りやお祭り、演芸会や野球大会等等、村には若者が溢れていた」と語っています。そして、「関東と近畿の市こそ昭和25年ピークのものは少ないが、四国、中国には、昭和25年ピークの市著烏孫、特に町村が極めて多い。また、東北、九州沖縄も同じ傾向にある」ことを指摘し、「逆にこの時期は、大都市の落ち込みの時期でもあった」と述べています。
 第4章「さまざまな合併」では、「合併慣れした市町村」として、山口県新南陽市を挙げ、なかでも富岡村は、「富岡村→富田町→徳山市→富田町→南陽町→新南陽市→周南市と6回の変化を見せ」、「個別に見ると、同村が全国最多の変化経験を持つ七変化の村と言えそうである」と述べています。
 また、千葉県の富津市についても、「大正9年当時の町村が富津町にまとまるまでの合併経験を見ると、環村、駒山村、関村、豊岡村が4回、大貫町、吉野村、湊町、天神山村、竹岡村、金谷村が3回、富津町、飯野村、青堀村、佐貫町が2回の合併を経験しており、富津市制の施行を計算に加えれば、いずれも3回から5回の変化を経験している」と紹介しています。
 さらに、合併促進のために、「市制施行」という「田舎にとって魅力のあるエサ」として、人口要件を緩和することについて、「いささか安易過ぎる方法ではないだろうか」として、
(1)「市」というものをどういう性格のものとして理解しようとしているのか。
(2)合併しない町村とのアンバランス。
の2点を指摘しています。
 また、市の改名の例として、1年以内の改名から、即日改名の例などを挙げ、「1年程度続いたケースは、多分市制施行の後、何らかの理由が生じて名前を変えたのだろうし、数箇月、更には即日といったケースは、地域の特殊事情などがあって、名称変更が最初からの筋書きに入っていたのだろう」と述べています。
 第5章「名付け考」では、著者なりの好ましい市町村名の要素として、
・読みやすく、読み間違いも少ない。
。類似市町村名が少ない。
・地名として大きすぎず、小さすぎず、実体に合っている。
・過去の市町村名とのつながりが判りやすい。
・地域の特性と歴史を反映している。
の5点を挙げています。
 また、市町村名に使われている文字のベストファイブとして、「川田山大野」の5文字を挙げています。
 本書は、日本を見る「長い目」を与えてくれる一冊です。

■ 個人的な視点から

 昔、自分の戸籍を見ると、自分が生まれた直後に町が合併を繰り返し、ついに市になったのを見て不思議な感じがしたのを思い出しました。平成の大合併直前に産まれた子供も、後になってから自分が生まれた古い市町村名を見て同じような感覚を抱くものなのかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・日本の国の姿を長い目で見てみたい人。


■ 関連しそうな本

 佐々木 信夫 『市町村合併』 2006年03月27日
 町田 俊彦 『「平成大合併」の財政学』 2006年12月06日
 今尾 恵介 『住所と地名の大研究』 2006年07月06日
 吉村 弘 『最適都市規模と市町村合併』 2006年03月29日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
 天川 晃 『GHQ日本占領史 (38)地方自治体財政』 2007年02月15日


■ 百夜百マンガ

ぼのぼの【ぼのぼの 】

 シマリスくんの「いぢめる?」が涙を誘った作品。作者がその持ち味である毒をかわいい動物キャラの中に隠した、「針を仕込んだぬいぐるみ」のような作品です。

2008年2月 4日 (月)

金融NPO―新しいお金の流れをつくる

■ 書籍情報

金融NPO―新しいお金の流れをつくる   【金融NPO―新しいお金の流れをつくる】(#1110)

  藤井 良広
  価格: ¥819 (税込)
  岩波書店(2007/07)

 本書は、「自分達の力で、自分達の意思で、必要なお金を集め、必要なところ回そうではないかという市民の活動」である「金融NPO」を紹介しているものです。著者は、金融NPOの活動の広がりの背景として、「お金を、単に利を生む手段として扱うのではなく、環境や地域社会などを良くするためにこそ使いたいという『意志あるお金』の持ち主が増えていること」を上げています。
 第1章「日本の金融をどう見るか」では、江戸時代に隆盛をきわめ、第二次大戦後のある時期まで庶民金融として根づいていた『講』を取り上げ、「講の参加者が自分たちで小学の掛け金を出し合い、定期的に行なうクジ引きに当たった人が、その一定額を借りる権利を得る仕組み」であると解説しています。
 そして、金融NPOのタイプとして、
(1)NPOバンク:まとまった資金を元手に、地域活性化のための事業や人に必要資金を貸し出す。
(2)市民投資ファンド(コミュニティ・ファンド):自然エネルギー発電事業や地域の企業を市民資金で実現する。
の2つのタイプを挙げ、「経済的リターンと社会的リターンの両方を評価する視点がないと、既存の金融だけでは、資金は流れ込んでこない」と述べています。
 著者は、金融NPOづくりの背後にある、「お金を人任せにせず、自分の意思で必要なところに活かそう、という意識の広がり」について、「市民が金融を自らの手に取り戻す行動」につながっていると述べています。
 第2章「広がるNPOバンク」では、設立が増えているNPOバンクのタイプについて、銀行と違いは「貸し出しの元手となる資金の集め方」にあるとして、「NPOバンクは正式の銀行免許を持たないため、預金を集めることができない」ため、「自分達のヘソクリや、市民・住民に呼びかけて出資金を集める」と述べています。
 そして、大半のNPOバンクが、
・市民から「意志ある資金」を集める受け皿機関
・貸金業登録をして融資をする機関
の2段階構造をとっている理由について、貸金業登録の規定で、役員の履歴の提出が必要であったため、「出資者の中には現役の公務員や金融関係者も複数いたため、『貸金業に加わった』ことがわかると、職場での説明がわずらわしいだけでなく、立場上難しくなる懸念」が生じたためであることを解説しています。
 そして、NPOバンクの代表格である「未来バンク」について、理事長の田中優氏が、「自分が郵便貯金に預けたお金が、環境破壊的な事業に使われることを、たとえ貯金者が知らない場合でも、その貯金者が財投計画に『白紙委任』を与えたのと同じ」であると考え、当時、「環境・社会性への意識を明確に据えた金融機関は皆無だった」ため、「自分で受け皿となる金融機関を作ればいい」と考え、当時の西独の「エコバンク」をモデルに未来バンクを立ち上げた経緯を紹介しています。
 女性・市民信用組合設立準備会(WCC)については、地域活動に携わる女性が、「女性というだけで、銀行が一切融資してくれない」という不審を抱き、「銀行が私たちに資金を貸してくれないなら、私たちで銀行を作るしかない」と考え、信用組合の設立を目指したことが紹介されています。
 東京コミュニティパワーバンク(東京CPB)については、特徴として、グラミン銀行の互助システムをモデルにした、「一人一人では信用力に少し難がある場合でも、4人以上の賛同者を集めて『団』を結成すると、相互保証の格好で融資を受けることができる」仕組みである「ともだち融資団」を紹介しています。
 北海道NPOバンクについては、「地域社会の活性化を重視する地方自治体などと協働の形で活動を展開」するNPOバンクの代表格として、道庁が「市民と行政との共同による自立的な地域社会づくり」を打ち出し、「市民活動の育成策の一つとして『NPOバンクへの支援』を盛り込んだ」ことが解説されています。
 第3章「多重債務者を救え」では、2006年に提案された貸金業法改正案が、「NPOバンクの便法を封じ、バンク活動そのものを停止に追い込みかねない衝撃となった」理由として、金融庁には、NPOバンクをいじめるつもりはなく、「単に、NPOバンクの存在を知らなかったためのようだ」と述べ、結局、「NPOバンクに営利性がないことを条件として、監査義務づけの例外規定を法律に盛り込んだ」ことを解説しています。
 そして、多重債務者向けの救済資金の提供にはるか以前から、取り組み、独自のファイナンスを築き上げてきた「日本共助組合」を取り上げ、そのルーツは、「戦後に米国やカナダからやってきたカトリック教会の若い宣教師や神父たち」であったと述べています。
 また、多重債務者問題のもう一つの先駆者として、「岩手方式」として注目されている「岩手県消費者信用生活協同組合」を取り上げ、生協を登録認可するのは都道府県となっているため、「都道府県によって信用生協の扱いが異なることが、目下の一つの課題でもある」と述べています。
 第4章「市民ファンドで企業支援」では、1998年に、旧三菱信託銀行の行員だった片岡勝氏が立ち上げた「市民バンク」を取り上げ、同バンクの活動が、「貸出よりも市民出資によるファンド設立による企業支援、あるいは企業活動そのものの実践に軸足をシフトさせている」と述べ、「社会のさまざまな問題を解決すること自体を事業とするコミュニティ・ビジネスの立ち上げこそが必要だ」との片岡氏の言葉を紹介しています。そして、片岡氏の活動と、片岡イズムに共鳴した経営者、研究者、団塊世代、若者たちといった実践者とサポーター集団が、「ここ数年の間に、いくつもの企業支援ファンドを生み出してきた」と述べています。
 第5章「寄付で促す資金の還流」では、収益性を度外視する環境・社会活動系のNGO(非政府組織)や国際ボランティア、あるいは設立間もないNPOにとって、一番欲しいものは、返済不要な「寄付」による「自由に使える資金」であると述べ、日米間の個人寄付に関する税制優遇措置の差を解説しています。
 また、「寄付の力を自治体の政策と結び付けようという『寄付による投票条例』を提唱し、各地の自治体に条例導入を働きかけてきた」、非営利型株式会社の「寄付市場協会」を取り上げ、「経済的リターンを求める投資家は当然、NPCには投資しないだろう。しかし、社会投資家は、NPCの活動が社会に貢献しているという社会的リターンをみて判断する」という渡辺清氏の言葉を紹介しています。
 第6章「米英の金融NPOの担い手たち」では、地域社会の活性化を支える非営利金融の法制度の代表格である米国の地域再投資法(CRA)について、「同法は営利金融と非営利金融の相互還流を促す役割を果たしている」と述べ、「地域社会で非営利金融を提供する主体」として、地域開発金融機関(CDFI)を紹介しています。
 そして、法的枠組みとしてのCRAと、実施機関としてのCDFIが、クリントン政権時代に「制度的につながった」として、「94年のリーグル地域開発・規制改善法によって公的なCDFIファンドを創設した」ことを挙げています。
 また、王手銀行などが、「CRAで義務づけられた地域の低所得者向け住宅ローンなどを、地域に根づいているCDFIらと競って提供するのはコスト的に厳しい」ため、「大手銀行による地域活動の範疇に、地域内のCDFIへの投融資も認めることにした」と述べ、このことが、「CDFI側にも財務的な健全性・安定性を高める意欲を働かせる効果も期待できる」と述べています。
 著者は、「米国の金融NPOの現場を歩いてみた」として、1985年設立の「ボストン・コミュニティ・キャピタル(BCC)」、シカゴの「イリノイ・ファシリティーズ・ファンド(IFF)」、ニューヨークの「ノンプロフィット・ファイナンス・ファンド(NFF)」等を紹介しています。そして、NFFの創設者であるクララ・ミラー氏が強調している「ミッションは金融的に持続可能でなければならない」という点、金融と社会性という「ダブル・ボトムライン」の思想を紹介しています。
 第7章「『銀行』になった金融NPO」では、「各国の金融NPOの担い手たちが憧れる"三大メッカ"」として、
・トリオドス銀行(オランダ):金融、社会性、倫理性の「三つの道」
・GLS銀行(ドイツ):シュタイナー学校の建設運動が起源
・ショアバンク(米国):"ショアバンク・マフィア"と呼ばれる地元シカゴの銀行員であり、社会事業活動家たちによって設立。
の3つの銀行を紹介しています。
 「おわりに」では、「社会を豊かにするために、一人ひとりは生きがいを得るためにお金を活かすポイント」として、
(1)営利金融の分野で偏在の度合いを強める資金を、社会・環境リターンを生み出す非営利金融に流し込む新たなシステムをどう設計するか。
(2)金融機関の企業としての社会的責任(CSR)。
(3)人の奮起。
の3つのポイントを挙げています。
 本書は、金融とは決して金儲けの道具ではなくパブリックな役割を担うものであることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 昨年秋に、本書で紹介されているNFFのクララ・ミラー氏が来日され、立教大学でパネルディスカッションがありました。日本だとどうしても細々としたイメージが強いNPOバンクですが、法律を背景にした財務的な裏づけを持つNFFの規模と社会的なインパクトは、なかなか日本では想像がつきにくいものです。


■ どんな人にオススメ?

・NPOのためのお金が回るしくみが必要だと思う人。


■ 関連しそうな本

 駒崎弘樹 『「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方』 2007年11月22日
 デービッド・ボーンスタイン (著), 井上英之 (監修), 有賀 裕子 (翻訳) 『世界を変える人たち―社会起業家たちの勇気とアイデアの力』 2007年08月28日
 渡邊 奈々 『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』 2005年08月11日
 町田 洋次 『社会起業家―「よい社会」をつくる人たち』 2005年02月16日
 斎藤 槙 『社会起業家―社会責任ビジネスの新しい潮流』 2005年06月01日
 谷本 寛治, 田尾 雅夫 (編著) 『NPOと事業』 2005年01月28日


■ 百夜百マンガ

ふしぎなメルモ【ふしぎなメルモ 】

 赤と青のキャンディーがちょっと欲しくなったりしました。子どもたちをドキドキさせた作品としても記憶されています。

2008年2月 3日 (日)

英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ

■ 書籍情報

英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ   【英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ】(#1109)

  金谷 武洋
  価格: ¥1575 (税込)
  講談社(2004/1/11)

 本書は、「よく喧伝される『日本語特殊言語論』への反論」であるとともに、「英語標準言語主義」に対する警鐘を鳴らすことを目的としたものです。
 著者は、「英語はヨーロッパにおいてさえ『まったく例外的』な言語」であると述べ、であるならば、「日本語など東アジアの言語を英文法で記述するなどという試みは放棄すべきだ」と主張しています。
 そして、「日本語など東アジアの言語には必要ない『主語』」が、「英文法を真似て導入された」琴について、大野晋が、「明治以降、要するに英文法をもとにして、大槻博士が日本語の文法を組み立てた。そのときに、ヨーロッパでは文を作るときに主語を必ず立てる。そこで『文には主語と述語が必要』と考えたのです。ヨーロッパにあるものは日本にもなくては具合が悪いというわけで、無理にいろんなものを当てはめた」と語っていることを紹介しています。
 第1章「『神の視点』と『虫の視点』」では、著者がカナダの日本語教室で行なうクイズとして、「黒板に『風○窓○開○た』と大書して、『○にひらがなを一つずつ入れて、正しい文にしなさい』と聞く」と、日本人なら「風で窓が開いた」とするところを、カナダの学生たちは、「文頭の『風○』が直感的に主語だと予想」し、「風が窓を開けた」としてしまい、日本人が自動詞文にするところを、カナダ人は他動詞文にしてしまうことを紹介しています。
 また、日英語の違いを、川端康成の『雪国』の翻訳を取り上げて、
(1)国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
(2)The train came out of the long tunnel into the snow country.
の2つの文から受ける印象の違いを解説し、話者の視点が、原文では車内にあるのに対し、翻訳では、情報から見下ろしたアングルとなると述べています。
 著者は、この視点の違いを、「神の視点」と「虫の視点」と名づけ、「虫の視点は、臨場感あふれる『生き生き、ありあり』とした状況の中にある」と述べ、「虫の視点」には「コンテキストが豊かに瑞々しく、ありありと与えられている」一方、「神の視点」は、「抽象的客観的で状況から乖離した高みにある」と述べています。
 そして、日本語が、「テンス(時制)」よりも「アスペクト(相または態)」中心の表現をすることを、「アスペクトを借りて、テンスを間に合わせている」と述べています。
さらに、日本語と英語の構造を比較し、日本語を、「背が低く(上下2段)、上向きに枝を広げている」形から「盆栽型」と呼び、英語は、「のっぽ(上下3段)で末広がり」な形から「クリスマスツリー型」と読んでいます。
 第2章「アメリカよ、どこへ行く」では、日本人が短絡的に「英会話をマスター。これであなたも国際人」と捉えがちな風潮に、「あまり自覚されていない危険性」を指摘し、「英語を話すということは、一時的にせよ、「端的にいえば攻撃的、自己主張型人間」に「人格を変える営み」であると指摘しています。
 そして、朝日新聞ロサンジェルス支局長の伊藤千尋氏が「米語が世界の共通語として使われるのは現代の悲劇ではないか」とエッセーで述べていることを紹介し、「やがて米語が世界後として普及し尽くしたとき、世界の人間は攻撃的となり騒乱はさらに増すのではないかと推察される。そのとき、世界の人々の顔つきも攻撃的に変わるのだろう」との言葉を紹介しています。
 第3章「英語を遡る」では、「英語はその揺籃期からこれほどの勢力を擁していたのではない。それど頃ではない。その出自を見ればむしろ情けないほど、非力で無力な一言語でしかなかった」と述べ、「英語は日本語とは比較にならない受難の歴史を経て今日に至っている」ことを解説しています。
 そして、1066年の「ノルマンの制服(Norman Conquest)」によって、「何万という単位で支配階級がドーバーを越え」、フランス語が用いられ、「正式な文書はラテン語で」書かれたことについて、「これで庶民が英語に対する劣等感を持たなかったらおかしい」と述べるとともに、「この3世紀の間、フランス支配層とフランス語に虐め抜かれた英語に、何か異常なことが起こった」として、「主語」の発生をあげています。
 著者は、「古英語には主語がない」ことを指摘したうえで、後に文頭に立てられるようになった「I」も、「当初は主題を表すものに過ぎなかった」と述べています。そして、「フランス語と英語の混ざり合った『乱世』に、松本克己の言う『クレオール化』が進んだ」と述べ、「クレオールの最大の特徴が文法規則の簡略化」であるように、「記憶の負担になる名詞の性別(男性/女性/中性)も、この時期にあっさり捨ててしまった」ことを指摘し、「普通名詞や冠詞が曲用を失ってどんな文法格においても同じ形(例:the lordとthe servant)になるに至って、意味が伝わるためには語順に頼るしかない」ため、「意味が間違いなく伝わる最大の効果を狙ったのがSVOという語順だった」と述べています。
 第4章「日本語文法から世界を見る」では、「他動詞SVO構文を最大の武器とする典型的な『する言語』英語を人類の代表的な言語とみなし、普遍文法化することは、角田太作の傑作な地口(エゴ=英語)を借りれば、まさに独りよがりな英語中心主義『Eigo-centrism』である」と述べ、「日本語(や東アジア諸語)が一般言語学に寄与できる方向を探る方がどんなに生産的で、どんなに21世紀の時代の要請にかなっているか知れない」と述べています。
 第5章「最近の主語必要論」では、庵功雄の『「象は鼻が長い」入門』について、「タブーと言っていいほど『取り上げにくい問題』を、学界内部からこれほど率直に論じることはきわめて珍しいと思うので、その姿勢を歓迎したい」と述べています。
 本書は、英文法をベースにした日本語教育を受けてきた多くの日本人にとって、より相対的に自らの言語を見つめる視点を提供してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 英語の構文が、回りくどいほどに同じような形をしているように感じるのは、フランス語がを使う支配者層が3世紀の間居座ったことによって、庶民が使う英語が影響を受けた結果だということですが、日本も、アメリカによる占領から半世紀以上が過ぎ、語彙の点では相当に米語の影響を受け、庶民が使う日本語は相当変化しています。若者の日本語の乱れを指摘するお年寄りが多くいますが、アメリカによる支配の影響がゆっくりと現れ始めていると見ることができるのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・英語は世界の標準語と思っている人。


■ 関連しそうな本

 金谷 武洋 『主語を抹殺した男/評伝三上章』 2008年01月19日
 金谷 武洋 『日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す』
 金谷 武洋 『日本語文法の謎を解く―「ある」日本語と「する」英語』
 三上 章 『象は鼻が長い―日本文法入門』
 庵 功雄 『『象は鼻が長い』入門―日本語学の父三上章』
 三上 章 『現代語法新説―三上章著作集』


■ 百夜百音

迷い道【迷い道】 渡辺真知子 オリジナル盤発売: 2001

 「かもめが翔んだ日」は、「かもめ=ロッテ」つながりで、千葉マリンスタジアム内に流されたり、ライブが開催されたり、限定CDが発売されているようです。
http://www.sonymusicshop.jp/detail.asp?goods=DQCL000001015

『2000 BEST』2000 BEST

2008年2月 2日 (土)

江戸の温泉学

■ 書籍情報

江戸の温泉学   【江戸の温泉学】(#1108)

  松田 忠徳
  価格: ¥1260 (税込)
  新潮社(2007/05)

 本書は、「江戸時代の温泉について掘り下げ」、「温泉を堪能する江戸の人々の姿や『温泉とはなにか』について貪欲に解明しようとする科学者たちの努力」を紹介したものです。
 第1章「将軍様と熱海温泉」では、軽重9年(1604)月に、征夷大将軍徳川家康が熱海に来湯し、「この瞬間、その歴史的事実をもって、"温泉大国"日本における熱海の位置付けが決定したといっても過言ではなかった」として、「熱海は天下人家康によって、数ある名湯の中から選ばれた"温泉の中の温泉"であった」と述べています。
 そして、「温泉は、刀傷を負い疲弊した兵士たちを癒す"心身再生の場"であった。野戦病院であったのだ」と述べ、「戦国時代は温泉の争奪戦でもあった」との持論を展開しています。
 また、大名の汲湯のブームが献上湯に結びついたとして、将軍家への献上湯である「御汲湯」の「汲湯や運送の方法はいかにも厳粛なものであった」と述べ、桶を担いだ脚夫たちが「武士の護衛付きで、江戸城までの28里余の道のりを走った」様子を解説しています。
 第2章「江戸の温泉ブーム」では、「熱海の湯を愛したのは将軍家の人々ばかりではなかった」として、「熱海は江戸に近く、また幕府の直轄領であったところから、参勤交代で江戸詰めの大名たちがしばしば当時に訪れた」と述べています。
 第3章「江戸温泉物語」では、城崎温泉の案内書の中で、「最も完成度が高くベストセラーとなった」ものとして、『但州湯嶋道中独案内』を挙げ、湯治の「四禁」として、
(1)欲湯すまじきこと
(2)中の湯に入まじきこと
(3)色欲慎むべきこと
(4)保養破るまじきこと
の4点が掲げられていることを紹介しています。
 第4章「温泉医学の祖、後藤良山」では、「百病は一気の留滞より生ずる」という「"古方派"の旗手、後藤良山の医論、『一気留滞論』」を取り上げています。
 そして、良山の弟子の中で、その遺志を受け継いだものとして、香川修徳を挙げています。
 第5章「その後の江戸の温泉事情」では、「日本人にとっての温泉のよさは、そのファジー(あいまい)なところにあるともいえる」と述べ、「温泉はなぜ効くのか」は、「天地自然の陽気によって、熱い温泉が湧き出すが、人はその熱い勢いをうけて、気力が充実し活発となり、次第に心身が解きほぐされ、のびのびとなる」とする修徳の考えで十分だと述べています。
 また、江戸中期の後藤良山、香川修徳に始まったわが国の温泉学が、昭和初期に隆盛期を迎えるとして、その中心的医学者である藤浪剛一と西川義方の名を上げています。
 第6章「江戸の温泉学の結実」では、柘植龍洲の『温泉論』が「わが国の温泉学の黎明期における名著との評価を得た」理由として、「七、八十年の長きにわたって絶大な影響力をもった香川修徳の『一本堂薬選』続編に対して、温泉の本質を『泉気』と『泉才』に分け、要点を衝いて的確に反論したため」であると解説しています。
 そして、龍洲の浴法論の中で、「浴禁」の項が、「江戸期の医学者が書いたもののなかで最も詳しい」として、温泉に入浴するうえでの25の禁を、約して、
(1)まさに浴せむとする時、大いに飽き、大いに飢、大いに酔い、大いに汗する事を禁ず。
(2)既に浴すれば、高く歌ひ、長話し、暴に泳ぎ、長入をし、妄りに温泉液を飲むことを禁ず。
(3)浴後、仮寝、灸治、入房、久しく浴衣を著、粘り硬き物を食することを禁ず。
(4)一切瘡疥の初発、或は病後、之等いまだ復せず、或は孕婦三四ヶ月、七八ヶ月及び産後五十日の内或は邪風に冒され宿疾の発りたる日、或は憂え憤り時等を禁ず。
(5)疾雷、暴風、淫雨、地震、日月の蝕を禁ず。
の五道を掲げていることを紹介しています。
 第7章「温泉の原点、湯治」では、「湯は無我にして天地自然にしたがふもの也」という『但馬城崎湯治指南車』の言葉を引用し、「科学や医学がかくも飛躍的な進歩を遂げた現代、その最先端にいる日本人は、逆にシンプルな"温泉"に癒しを求めているにちがいない」と述べています。
 そして、「温泉の本質」を、「"生命力"に尽きる。私はたびたび"温泉力"という言葉でこのことを表現してきた。温泉にとっての生命力とは、鮮度である。沸き立てこそが、温泉が科学的な存在であることを保証してくれる」と述べ、「温泉にとっての鮮度」とは、「より科学的にいうと、"還元系"の状態が保たれていること」であると解説しています。
 また、戦後、特に昭和40年代以降には、「日本人のほとんどが"湯治"はもちろん、本来の"入湯法"すら忘れてしまっている」と述べ、その主たる原因は、"伝統的な療養法・湯治を時代遅れのものとして顧みず、西洋医学一辺倒の施策を取り続けてきた行政と、温泉にもっぱら歓楽的なものしか求めてこなかった、かつての企業戦士たちに求められる」と指摘しています。
 第8章「温泉科学の勃興と敗北」では、江戸期の温泉学が、宇田川榕菴という「"偉才"の出現により、その発展の可能性の翼をさらに大きく広げることになった」と述べ、「中国の影響を受けることなく、わが国独自の治療学としての道を開いてきた温泉学」に、「"近代科学"という、西洋で誕生した最新の科学の息吹を導入した」と解説しています。
 第9章「近代化する温泉」では、「有史以来戦後まで、わが国では基本的に温泉は私有化できなかった」として、「温泉は村落の共有財産であった」と述べたうえで、戦後の新憲法下における「温泉法」の制定が、「多分にアメリカ的価値観の影響を受けた」ものであり、「温泉県はそれまでの警察権力による保障から法的根拠を有するもの」になり、その最たるものは、「土地所有権者による温泉掘削は自由であるべきという発想」であると述べています。
 本書は、戦後、すっかり激変し、その姿をとどめなくなってしまった、日本人と温泉の関わり方を、再認識させてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 温泉ブームといわれていますが、休日に気軽に行ける日帰り温泉や1泊2日の温泉旅行が主流の現代の日本人に比べて、江戸時代の温泉にかける思いは、相当なものだったようです。
 現代において、江戸時代の温泉がもっていた魅力が失われた部分もありますが、温泉自体は変わっていないところも少なくないんじゃないかと思いますので、江戸の温泉に思いを馳せながら古い温泉に入るのも面白いのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・温泉好きな人。


■ 関連しそうな本

 後藤 哲也, 松田 忠徳 『黒川温泉 観光経営講座』 2007年12月04
 後藤 哲也 『黒川温泉のドン後藤哲也の「再生」の法則』
 宮本 和義 『和風旅館建築の美』 2007年09月30日
 アレックス カー 『犬と鬼―知られざる日本の肖像』 2007年10月04日
 高野 慎三 『つげ義春を旅する』 2007年10月07日
 つげ 義春 『つげ義春旅日記』 2007年10月27日


■ 百夜百音

ペガサスの朝【ペガサスの朝】 五十嵐浩晃 オリジナル盤発売: 2001

 どうしても「朝」つながりなせいか、「ビューティフル・サンデー」とか「君の朝」とかとイメージがかぶってしまいます。

『五十嵐浩晃 ~GOLDEN J-POP / THE BEST』五十嵐浩晃 ~GOLDEN J-POP / THE BEST

2008年2月 1日 (金)

ハイブリッド・コミュニティ―情報と社会と関係をケータイする時代に

■ 書籍情報

ハイブリッド・コミュニティ―情報と社会と関係をケータイする時代に   【ハイブリッド・コミュニティ―情報と社会と関係をケータイする時代に】(#1107)

  遊橋 裕泰, 河井 孝仁
  価格: ¥1890 (税込)
  日本経済評論社(2007/03)

 本書は、「モバイル化する社会を概観」し、「ケーターやインターネットなどの情報通信メディアが普及するにつけて、一見意味を失ったかのように見える『場』という環境が、コミュニティという人と人との関係性を持ち込むことによって再び輝きを増す」ことを論じているものです。
 第1章「ハイブリッド・コミュニティ思考」では、「パソコン+インターネットでは実現できなかったほどに、ケータイは生活の現実感をネットワーク上の情報空間と結び付けている」としたうえで、「現実空間が情報空間と結びついたことで、改めて『人が社会システムの一部なのか、人のための社会システムなのか』ということを問い直す必要が出てきているのではないだろうか」と述べています。
 そして、ケータイというメディアの特徴として、
(1)ネットワークとしてのケータイ:「いつでも、どこでも、だれでも」という理想型をもっとも体現している
(2)ケータイが扱う情報の質:今という時間や現実の出来事と非常に密着したコミュニケーション環境を提供
の2点を挙げています。
 また、「社会全体でモバイル化が進行したことで、人の『存在の不確実性』が高まっている」と述べ、「場所や時間を越えた種々の文脈の接合点としての個人の認識をどのように考えていくのか」がコミュニティデザインのポイントであると述べています。
 さらに、「情報空間と現実空間を横断する射程で社会システムデザインすることで、人と人との関係を元気に逞しくする仕掛けとしてのインターネットやケータイといった情報通信メディアが機能する」と述べ、「デザインによって両者を還流させるダイナミズムを作り出せないか」という思考が、本書で提案する「ハイブリッド・コミュニティ」の思考であると述べています。
 第2章「情報社会が生み出す諸問題」では、「ICTがもたらした豊かさの光の裏側には、同時に多くの影も潜んでいる」として、
・携帯電話により派生した様々な問題
・インターネット上の誹謗中傷
・情報セキュリティに関わる問題
等を挙げ、これらの影をもたらす要因として、「ICTにより個人の能力が高まり、その社会的影響力が増幅されていることが深く関係している」と述べています。
 そして、ICTが社会にもたらす問題として、
(1)住環境における問題
(2)地域環境における問題
(3)職場環境における問題
(4)ネット環境における問題
の4点を挙げています。
 著者は、本書が「ICTにより新たに生じた、もしくは増幅された、社会におけるさまざまな局面での問題に対して、ICTを通じた新しい社会のデザインが持つ可能性を探ることを目指している」と述べています。
 第3章「住環境のリ・デザイン」では、これまで住宅が、「家族を容れるハコ」(上野千鶴子)として、「家族構成、家族関係を空間的に表現し規定していく制度的な機能」を持っていたが、「家族のみんながケータイという「どこでもドア」を手中にした現在では、そのような空間の強制力を飛び越え、住宅の間取りが家族関係を反映するという前提が揺らぎつつある」として、「モバイル時代における住環境のあり方について、住居、家族がどのような変化の兆しを見せ、どの方向に向かう可能性があるか」について論じています。
 そして、
(1)家族の細分化
(2)多様化する家族
(3)ライフスタイルの多様化
(4)家族のライフステージによる変化
といった要因が、「家族のハコである住居に影響を与え、単にnLDKの是非を議論するに留まらず、新しい住居のカタチが多様に個別に模索されることになり、それらの集積が現在の都市、社会を構成している」と述べています。
 また、2006年3月のモバイル社会シンポジウムで発表した、「モバイル時代の『家族』と『住居』をテーマに一年間かけて行った分析と調査の結果」に基づいた戸建と集合住宅のイメージを紹介しています。
 第4章「地域閑居のリ・デザイン」では、「情報技術の支援を得た的確なデザインを適用することにより、そこで生きるに足る地域を再設計し、創発的に構築しうる可能性について考察する」としています。
 著者は、コミュニティを、「ある共通する関心を基礎にした、信頼に基づく、人々による自発的なつながり」と定義したうえで、地域が、「コミュニティの重層として構築され、発見される」と述べています。
 そして、地域を「コミュニティから構築されるアーキテクチャ」、個々のコミュニティを「モジュール」として捉え、モジュールとしてのコミュニティが持つ役割として、
(1)アイデンティティの拠り所
(2)地域ガバナンスの基礎
(3)地域情報の苗床
の3点を挙げています。
 また、「情報技術を適宜に装荷することにより、地域環境の再設計を行ない、安心・安全、かつ元気な地域を創発的に構築する試み」として、2004年に開設された「eコミュニティしまだ」を紹介し、「島田市に関わる少なくとも6~8名が、地域についての関心を増し、実際に地域活動を積極的に行うようになった」ことを挙げ、「地域において防災地図づくりに自主的に取り組むなどプロデューサー的な存在となって課題解決に取り組んでいる市民が生まれている」と述べ、「こうした動きは、多彩かつ継続的なブログの利用により蓄積される信頼、顔の見える関係の構築、個人ではなくグループでの利用に伴なう信頼の醸成とグループ運営からのプロデュース力の育ち、共有ポータルを契機とする地域経営の気づきなどを背景としている」と解説しています。
 さらに、2005年に開始された地域ブログサービス「はまぞう」を取り上げ、聞き取り調査によって、「地域限定のブログサービスが、顔の見えるオフラインの関係も基礎にしつつ、地域に人のネットワークを作り上げていることが窺われる」と述べています。
 著者は、「eコミュニティしまだ」及び「はまぞう」から導き出せる情報デザインとして、
(1)地域のもつアーキテクチャーに留意した、モジュールとしてのコミュニティを意識した設計の重要性
(2)モジュールとしてのコミュニティから生成される情報が可視化される場とともに、それらの情報が共有され一覧化される場の存在という重層的な可視化に基づく設計
(3)その重層性を活用し情報技術により自動化された、また運営者の視座に基づく、さらにもっとも重要なオフラインの場での「編集」の存在
の3点を挙げ、「この3つの要素を持つ情報デザインにより、地域の再設計及びそれを担う『人』の育ちが、地域特性などの個別的事情を超えて可能になる」と述べています。
 そして、「地域における適切な情報デザインは、コミュニティを多様に編集し創発的な地域経営の核となる『人』を発見する。また、地域のなかで資源を見出し、的確には位置し、成果を上げる『人』の育ちをも可能とする」と述べたうえで、「地域は、オフラインとオンラインを横断して構築される。そこに生まれるのは情報環境の関与を受け、地理的範囲と関心を多様に交雑させたコミュニティ、ハイブリッド・コミュニティである」と述べています。
 第5章「職場環境のリ・デザイン」では、スタンフォード大学のヘイム・メンデルソンらが提唱した、「eビジネスに対応する企業の能力」である「組織IQ」というフレームワークを取り上げ、組織IQには、
(1)外部情報の認識
(2)意思決定アーキテクチャー
(3)内部の円滑な知識流通
(4)組織のフォーカス
(5)eビジネス時代の事業ネットワーク
のディメンジョンがあると述べています。
 そして、今取り組むべき課題は、「工場のようなパブリック空間と、パーソナルコンピュータのプライベートな空間との間に、コラボレーションの空間を創出することができるか」であると述べています。
 第6章「ネット環境のデザイン」では、ネット・コミュニティを、「インターネット上に成立するコミュニティ」であり、「掲示板やチャットといったインターネット上のシステムを媒介として多数のユーザーを吸引し、コミュニケーションをつなぐ」と解説し、現実世界におけるコミュニティが、
(1)構成要員相互の交流がある
(2)共通の目標・関心などの絆が存在する
(3)一定の地理的範域を伴なう
という特性を持つのに対し、「ネットコミュニティでは、地理的範域のの制約が取り除かれ、交流や共通の目標・関心などが重要になる」と述べています。
 また、パソコン通信の世界における初期のネット・コミュニティと、インターネット上のネット・コミュニティを比較し、「限定的な空間で少なからず顔が見えていたはずのコミュニティには、見ず知らずの人々が多数入り込み始め」、
・発言を行なう少数のメンバー(Radical Access Member: RAM)
・彼らの発言を見るだけの多数のメンバー(Read Only Member: ROM)
が構成されるようになると述べ、「RAMをRAMとして引き留めるもっとも基本的な仕組み」として、「互酬性の論理、あるいは交換の論理」を挙げています。
 第7章「現実世界と情報社会を越えて」では、「情報通信技術の進展によって世の中の多くの社会システムは、ヒエラルキー型の情報処理(1×N)から、自律分散的な情報処理(N×N)を行なう形態に変化していく)と述べ、「階層構造を採らないN×Nのコミュニティでは、『命令』するコミュニケーションとその管理の仕組みが、個人の自由や創造性、価値観と衝突するので、『調整』するコミュニケーションと構成メンバーを育成する仕組みを志向する必要がある」と解説しています。
 著者は、「本格的な情報社会の到来がもたらすもの、そえrは人間の活動の場としての新たなフロンティアの出現である」として、コミュニティのリーダーになろうとする者は、「現実社会とは異なる特徴を持った情報社会の特長を活かして、2つの空間を自在に組み合わせたハイブリッド・コミュニティを構想することができる」と述べたうえで、「どのようなハイブリッド・コミュニティを思い描くのかという構想力と、現実社会と情報社会の両方にまたがる社会システムのデザインが重要となる」と述べています。
 本書は、ハイブリッド・コミュニティという「時代を作り出すための戦略思考」を、事例とともに解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 モバイルと住居のデザインといわれてもすぐには結びつきにくいものですが、各自が「どこでもドア」を持っていると想像してみると結構深刻な問題ではないかと思います。そうなった場合、玄関はどこになるのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・21世紀のコミュニティの形が想像つかない人。


■ 関連しそうな本

 小林 哲生, 天野 成昭, 正高 信男 (著) 『モバイル社会の現状と行方―利用実態にもとづく光と影』 2007年08月06日
 小檜山 賢二 『ケータイ進化論』
 ジェラード・デランティ (著), 山之内 靖, 伊藤 茂 (翻訳) 『コミュニティ グローバル化と社会理論の変容』 2007年07月24日
 パトリシア ウォレス (著), 川浦 康至, 貝塚 泉 (翻訳) 『インターネットの心理学』 2005年10月15日
 T. コポマー (著), 川浦 康至, 山田 隆, 溝渕 佐知, 森 祐治 (翻訳) 『ケータイは世の中を変える―携帯電話先進国フィンランドのモバイル文化』 2007年09月02日
 水越 伸 『コミュナルなケータイ―モバイル・メディア社会を編みかえる』 2007年11月29日


■ 百夜百マンガ

佐武と市捕物控【佐武と市捕物控 】

 座頭市のようなキャラクターがどこまで受けるかは未知数だったようですが、大ヒットとは言わないまでも一定のファンを得ることはできたようです。

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