« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月

2008年5月31日 (土)

このへんでドロンします―昭和へっぽこフレーズ大全

■ 書籍情報

このへんでドロンします―昭和へっぽこフレーズ大全   【このへんでドロンします―昭和へっぽこフレーズ大全】(#1227)

  へっぽこ調査室, タナカ カツキ
  価格: ¥1050 (税込)
  幻冬舎コミックス(2005/04)

 本書は、「周囲の人を腰くだけにさせてしまうヘンな日本語」である「へっぽこフレーズ」のなかから、「"へっぽこ度"の高いと思われるものを勝手に厳選。頼まれもしないのに一冊にまとめ」たものです。
 著者は、へっぽこ人間の「正しいあり方」として、
・へっぽこを肴に仲間と一杯やる
・商店街でへっぽこを使い、大根を値切る
・電車の中で素敵なへっぽこを思い出し、一人でニヤニヤする
・失恋した友人をへっぽこで元気付ける
・勇気を出して、時々合コンで使ってみる
・へっぽこで取引先と円滑なコミュニケーションをはかる
・他人のけんかをへっぽこで仲裁、丸くおさめる
などを挙げています。
 「ラブなへっぽこ」では、「明らかに前日と同じ服装で出社してきた部下」に目ざとい上司がかける「君もなかなかの発展家だね」というフレーズについて、「酒色をむさぼるという意味で、夜の部門で活躍している人のことを指す」と解説しています。
 また、「女房の手料理」では、「ありもので作った煮込み系」が想像されるが、「ワイフの手料理」といった場合は、「紀ノ国屋スーパーの高級食材で作ったグリル系が予想される」と解説しています。
 「怒りのへっぽこ」では、「自分にとって不都合なものやいやな相手を追い返すとき」に使う「おととい来やがれ!」を、「街の金融業者への使用は、大きなケガや事故のもとになるので避けること」や、「あさって来やがれ!」と使ってしまうと「翌々日に再び来てしまうので不適切」であると解説しています。
 「おでかけへっぽこ」では、間違って、「おニューハーフのブラウスなの」としてしまうと、「フリルやスパンコールがたくさんついてそうな一着」になってしまうと解説しています。
 また、「50代の営業職の男性」がよく使用する「テクシーで行きますか」には、「タクシーなど乗り物を使用せず、テクテク歩いていくことをユーモラスに表現」しているが、「テクシーする後姿は、ユーモアでは片付けられない物悲しさがある」と解説しています。
 「呼び名へっぽこ」では、「妻が妊娠している」という意味の「コレがコレなもので」というジェスチャーについて、「レコがコレなもので」としてしまうと修羅場と化す間違った使い方であると解説しています。
 「学校でへっぽこ」では、「子供の頃は他愛もない嘲り言葉」だった「おまえの母ちゃんデベソ!」も、大人になってから会社の同僚などに「お前の母ちゃん(妻)デベソ」などと言うと、「変な誤解を生じかねないので注意」すべきであるとしています。
 「一声へっぽこ」では、「なるほど」の「ほど=ヘソ」を言い換えた「なるへそ!」について、「このような相槌を打つ者は、本当に話を理解しているのか、また理解しようとする気持ちがあるのか定かではない」と解説しています。
 本書は、昭和がしっかりと体に染み付いている人間にとっては、へっぽこどころか普段の会話で当たり前に出てきてしまう言葉を集めた一冊です。


■ 個人的な視点から

 すっかり「死後」扱いされている「へっぽこフレーズ」ですが、今でも中高年以上の皆さんとお付き合いする上で、その知識は欠かせません。
 その意味で、自分では決して使わないにしても、「○○だよね」とへっぽこフレーズをかまされたときに、「それは今の若い人にはわかりませんよ(でも自分には分かります)」とタイミングよくずっこけてみせるためのテキストには適しているかもしれません。
 とは言え、そんなお勉強はしたくありませんが。


■ どんな人にオススメ?

・自分はへっぽこなフレーズは使わないと思っている人。


■ 関連しそうな本

 アコナイトレコード 『グレイテストヒッツ!困ったときのベタ辞典』
 ことば探偵団 『知ってるようで知らないものの呼びかた』
 長野 伸江 『賞賛語(ほめことば)・罵倒語(けなしことば)辞典』
 藤井 青銅 『略語天国』
 死語研究会 『死語大全』


■ 百夜百音

美しく青きドナウ/シュトラウス・コンサート【美しく青きドナウ/シュトラウス・コンサート】 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン) オリジナル盤発売: 2007

 よく運動会などで放送される「ラデツキー行進曲」ですが、歌詞は結構きついものがあります。まあ言ってみれば日本の軍歌と同じようなものですから。

『ニューイヤー・コンサート2006』ニューイヤー・コンサート2006

2008年5月30日 (金)

日本の地方政治―二元代表制政府の政策選択

■ 書籍情報

日本の地方政治―二元代表制政府の政策選択   【日本の地方政治―二元代表制政府の政策選択】(#1226)

  曽我 謙悟, 待鳥 聡史
  価格: ¥5040 (税込)
  名古屋大学出版会(2007/12)

 本書は、日本の地方政府が持つ最大の制度的特徴である、「首長と議員の双方が別個に公選される『二元代表性』」に注目し、「二元代表性の下での政治過程および政策選択という観点から、戦後日本の地方自治に関する通時的分析を提示」しているものです。そして、「二元代表制についての理論的検討に基づいて、日本の地方政治を比較の中に位置づけることを横糸として、またほぼ一定期間ごとにその様相を大きく変えてきた首長と議会における政党間関係の変化や部門間関係の変化と、それがもたらした政策選択の変容を縦糸として、日本の地方政治の実態を織りなしていくことを狙いとする」としています。
 著者は、本書の特徴として、
(1)文脈叙述、計量データ分析、事例分析という政治学における実証手法の3つの柱が、1つの理論によって束ねられ有機的に結びつくこと。
(2)理論的関心、地方政治の通史への関心、計量データ分析への関心、あるいは事例への関心の、いずれか1つがあれば読むに値する成果になること。
等を挙げています。
 第1章「地方政府の比較政治学」では、「地方政府の制度分析から導かれる部門間関係や政党間関係の重要性にまず着目しつつも、それぞれの時代において地方政治を取り巻く文脈的ないし外生的要因に対しても、従来の研究とは異なった強い注意が払われる」として、「社会経済状況を反映した自治省(総務省)や与党を中心とした中央政府の意向と法制度上の誘導、地方自治を論じる各時代の行政学者や経済学者の支配的見解、さらには政策争点への態度や政党支持という形で表明される有権者の動向が、地方レヴェルの政治的要因によって政策が規定される程度と、政治的要因の内部で首長と議会のいずれがより大きな意味を持つかという点の双方に対して、無視できない影響を与えると述べ、「地方政治要因の文脈依存的効果論」と名付けています。
 また、基本仮説として、
・基本仮説1:歳入に関する政策選択においては、中央政府による制度化の程度が強いため、地方政府の政治変数が影響を持たない。
・基本仮説2:歳出に関する政策選択のうち、総額すなわち政府規模に関心を持つのは、知事のみである。
・基本仮説3:歳出に関する政策選択のうち、個別の政策領域に関心を持つのは、議会のみである。
の3つの仮説を立てています。
 第2章「戦後日本の知事と議会」では、「戦後の都道府県知事と議会について、それぞれの変化および両者の関係の変化を明らかにする」としています。
 そして、知事を、
(1)自民単独知事
(2)自民・中道知事
(3)保革相乗り知事
(4)民主系知事
(5)非自民保守系知事
(6)革新・中道知事
(7)革新単独知事
(8)無党派知事
の8つに類型化しています。
 また、「知事の党派的構成の時系列変化」として、
(1)革新系知事の隆盛――1960年代から70年代前半
(2)保守回帰と相乗りの時代――1970年代から80年代
(3)無党派知事の台頭――1990年代以降
とに分けたうえで、「大きな1つのサイクルの始まりとその帰結までをまとめて捉えるために、本書では各章の分析を、15年間という通常とは異なる単位で行う」と述べています。
 著者は、「都道府県レヴェルにおける戦後日本の地方政治は、約15年を1つのサイクルとして意外なほど大きく変動を続けてきた」として、「このような知見は、従来からも多くの論者によって直感的には認識され、指摘されてきた」が、「本章は知事の支持政党データと議会の政党別議席データを組み合わせることにより、直感に実証的な基礎を与え」、「政治変動の時期区分としては10年よりも15年が適切であること、1970年代の革新自治体の隆盛よりも90年代の無党派首長の登場がより大きな変動であることなど、個別事例の観察や直感によっては見落とされがちな点について、いくつかの指摘を行なうことも可能となった」と述べています。
 第3章「財政と政策の長期的変化」では、「戦後日本の地方政府が行なってきた政策選択には、政治変動と同じく、時代ごとの特徴が刻まれている」とした上で、都道府県ごとの差異が、「1970年代前半までは歳出面で、70年代後半から80年代には財政再建の手法」で生じ、「90年代以降は歳入と歳出が同時に都道府県ごとの違いを強める方向で作用している」と述べています。
 第4章「革新自治体隆盛期の政策変化」では、「戦後日本の革新勢力における戦略なき観念論の優位」が、「特定の政党や人物に起因すると言うよりも、日本の政治イデオロギーとしての『革新』が全体として有する傾向だった」と述べ、「その一因が、マルクス主義への過剰なまでの傾倒にあったことには、疑いの余地がない」として、「マルクス主義が理論的で体系的な社会批判や分析のツールとして、とりわけ戦後のある時期までは独占的な地位を占めていた」と述べています。
 そして、地方政治における革新系首長の登場基盤として、
(1)二元代表制の下では、地方に強固な基盤を持たず、議会では少数派にとどまる革新系政党であっても、特に首長選挙では魅力的な候補を擁立することで勝利を収められる可能性が高まったこと。
(2)地方政治では国政野党間の提携の生涯が少なかったこと。
の2点を挙げています。
 また、本書の分析モデルである「地方政治要因の文脈依存的効果論」が、「知事と議会の党派的構成を主たる独立変数としつつ、外生変数にも十分な注意を払おうとする」として、
(1)有権者の政策選好
(2)地方政府が置かれた社会経済環境や中央―地方関係といった、地方政府にとっては操作しがたい環境的要因
の2つの外生変数を挙げています。
 さらに、「民生費に表れる福祉政策と土木費となって登場する開発政策が、この時期の地方政治にとって大きな政策選択の争点であった」と述べ、「これら2つの政策領域には、知事と議会の双方が関心を寄せる」ため、「知事と議会の単独変数モデルよりも交差項モデルにおいて、より明確にこのような傾向が現れると予測される」としたうえで、「革新系知事と保守多数議会という組合せの下での民政費をめぐる対立は、保革対立と知事―議会間対立が重合した、二元代表制政府に特徴的な争点構造をとった」と述べています。
 著者は、この時期の革新系知事のバックグラウンドを、
(1)東京都の美濃部亮吉に代表される大学教授など、いわゆる進歩派文化人出身者
(2)北海道の横道孝弘に代表される革新系政党所属議員や労働組合幹部からの転身者
(3)岡山県の長野士郎、滋賀県の武村正義などの自治官僚出身者
の3つに分けています。
 そして、東京都の美濃部知事が、「住民を意思決定に参画させるとかえって当事者間の利害対立が先鋭化し、事態が前に進まないケースが増え始めた」として、「住民の反対がある限りは開発事業を行わないという『橋の哲学』や、低所得高齢者医療の無料化による『病院の老人クラブ化』への批判と結び付けて語られ、少数の人々の要求に甘すぎる政治として、反対派によって半ば意図的にではあるが、革新都政の負のイメージを形成することになった」と述べる一方、滋賀県の武村知事については、「県庁改革と住民参加の延長線上に、第2期の80年に制定された有リン合成洗剤使用を禁じる『琵琶湖条例』など、環境保護において先進的とも評される成果が生まれた」と述べています。
 また、計量データ分析から、「革新系知事が保守系知事に比べて福祉政策を中心とした再分配を優先する傾向」が明確に示され、「同じ革新系でも議会は開発政策に否定的ではなく、補助金の配分などに関して中央政府は革新系知事を要する都道府県を冷遇した」と述べています。
 第5章「保守回帰期の政策変化」では、1970年代後半から80年代の大きな社会経済環境の変化が、「地方政治における主要な争点を大きく変えた」として、
(1)財政状況の悪化への対応
(2)財政状況と連関する公共セクターの改革
(3)脱物質的な価値を追求するような政策への転換
の3点を挙げています。
 そして、この時期の知事と議会の政策選好について、
(1)地方政治の主たる争点は『開発か福祉か」ではなくなった。
(2)知事は財政の健全化に主に関心を寄せるようになった。
(3)教育政策については、新たに議会による党派の違いが歳出水準の違いをもたらすようになった。
の3点を挙げています。
 著者は、1970年代後半から80年代の地方政治の政策選択の特徴として、
(1)政治的な選択が歳出と歳入の水準を変化させることが少なくなった。
(2)商工費に加えて土木費にも、革新系知事がその削減を図るような傾向が見られなくなり、主に議会で歳出水準が決定される政策領域へと変化した。
(3)保革対立的な争点として、議会における衛生費に加えて教育費が新たに議会での対立的政策領域となった。
(4)歳出総額について自民・中道知事は総額抑制効果を持つ。これに対して、議会革新勢力が強い場合と保革相乗り知事の場合に増えるという傾向が見られる。
の4点を挙げています。
 第6章「無党派知事期の政策変化」では、「無党派知事の登場は、しばしば有権者の『既成政党離れ』という消極的な選択の結果として語られる」が、「その選択の背景には、有権者が望ましいと考える政策や重要だと考える政策や重要だと考える対立軸の変化もまた存在したはずである」と述べています。
 そして、「ナショナルミニマムの達成という目標が実現した後」の地方交付税制度が、「80年代後半のバブル景気に際して、あるいみでの『延命措置』がとられた」として、自治省が、「地方債の許可方針を緩め、その補填を交付税により行なった」ことを指摘し、起債方針の緩和が、「地方債の発行により財政規模を拡大するか、それを抑制して長期的な財政の県税を保つかという選択の余地を、地方政府に与えた」という限定的な意味で「歳入の自治」を得た、と述べています。
 また、1990年代以降の無党派知事が、「しばしば政党からの支援を和えて受けないことを前面に出して当選を果たした点が特徴的である」として、「知事側の判断によって生まれた無党派知事を、とくに主体的無党派知事」と名付けています。
 著者は、「各政策領域がどのような知事―議会関係の下に置かれたか」について、
(1)特に知事が歳入と歳出の選択に関与を強めたことで、ふたたび多くの歳出項目が政治化したこと。
(2)政治化した歳出項目は、衛生費とポークバレル的な政策領域の多くとの二種類に分かれること。
(3)歳入については知事だけが関与していること。
の3つの特徴を挙げています。
 そして、東京都の「二人の異なる主体的無党派知事の違い」として、青島幸男と石原慎太郎を取り上げ、石原と知事が、「人事と広報を知事専属の業務」として、都庁官僚を戦略的に活用させるようになったと述べています。
 また、「財政運営上の困難が大きくなったことと、無党派知事の登場を最大の特徴とする1990年代の地方政治において生じた」現象として、
(1)政府規模に関する選択が、日本の地方政治にも現実的な課題として登場するようになった。
(2)個別項目では、政治化された領域が著しく増大した。
(3)無党派知事の下では従来の政党間対立とは異なった構図が、地方政策過程に生じている可能性が指摘できる。
の3点を挙げています。
 終章「結論と展望」では、地方政府の制度構造を、「日本の戦後改革において最も大きな変化がもたらされた領域であった」としたにもかかわらず、「多くの地方自治論は地方政府の無力さを語ってきた」ことについて、「地方自治論とは、中央―地方関係論あるいは地方行政論であり、地方政府における政策過程のダイナミクスを体系的に把握しようとする関心には乏しかった」ことを指摘しています。
 そして、本書における実証分析の知見として、
(1)戦後日本の地方政治における時期区分はおよそ15年を一区切りとするものであり、それは政治変動と政策変化の両方について該当するということ。
(2)政治変動と政策変化の間に存在する因果連関を解明したこと。
の2点に集約されるとしています。
 さらに、本書の検討が、「たしかに現行制度がモラルハザードを生みだしている面があるにしても、それが常に地方政府の財政規律を失わせることに直結しているわけではないことも明らかにした」として、1980年代と90年代後半以降の二度にわたり、地方政府が財政再建に本格的に取り組み、その過程では、「主として自民系知事や無党派知事がマクロ財政運営に関心を持つことにより、一定の成果を収めた都道府県も少なくない」ことを指摘しています。
 本書は、「地方政府」の政治的な性質の積極的な解明を試みた一冊です。


■ 個人的な視点から

 曽我氏の前著『ゲームとしての官僚制』も意欲的な一冊でしたが、本書も、やや乱暴かな、と思わなくもないですが、いずれにせよ切れ味の良い一冊ではないかと思います。
 せっかくなら市町村を分析してくれたら面白いとは思いますが、合併があったり何やらで個別の団体ごとの差異が大きいのではないかと思います。
 また、10年ではなく15年単位というのも、首長と議員の任期が4年単位であることを考えると、なんとなく納得できるような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・「地方政府」の政治に触れたい人。


■ 関連しそうな本

 曽我 謙悟 『ゲームとしての官僚制』 2006年02月24日
 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日
 加藤 寛 『入門公共選択―政治の経済学』 2005年03月13日
 村松 岐夫, 伊藤 光利 『地方議員の研究―日本的政治風土の主役たち』 2005年02月21日
 金井 利之 『自治制度』 2007年10月24日
 西尾 勝 『地方分権改革』 2008年04月01日


■ 百夜百マンガ

ぱじ―Momo‐chan's grandfather【ぱじ―Momo‐chan's grandfather"Paji" 】

 おじいちゃんモノの漫画はギャグマンガであったとしても常に死の影がちらつくのですが、そんなハラハラした緊張感が4コマには合うのかもしれません。

2008年5月29日 (木)

ふしぎの博物誌―動物・植物・地学の32話

■ 書籍情報

ふしぎの博物誌―動物・植物・地学の32話   【ふしぎの博物誌―動物・植物・地学の32話】(#1225)

  河合 雅雄
  価格: ¥777 (税込)
  中央公論新社(2003/01)

 本書は、「新しい博物学とは何かを知っていただき、また、生涯学習の友として役立つような興味深い話題を集めて構成した」ものです。
 第1章「オトシブミのゆりかご」では、「究極の糞の利用」である「糞食」について、「糞には未消化な栄養物の残渣がたくさん残って」おり、「糞を回収して栄養分として再摂取できれば、最高のリサイクルシステムといえる」とした上で、「糞そのものが栄養資源であり、もっといえば糞を再接種しなければ餓死するという動物」としてウサギを取り上げ、「捕食からいかに逃れるか」が大切なウサギにとって、「体が小さいから大きな醗酵胃を持つことはできないし、悠長に反芻しているわけにはいかない」ために、「糞食という特殊な消化システムを進化させた」と述べています。
 そして、昆虫が六本足である理由について、「地面のつけている足が3本、空中で前に進める足が3本」であり、「平面は3点の座標で決定される」という幾何学を用いると、「安定のまま、前方に伸ばした3本の足と交代させれば、サササーッの滑らか走行が完成する」と述べています。
 また、「アリだけを食べる変わったアリ」として、ヒメサスライアリを取り上げ、「他のアリの巣に押し入って、幼虫やサナギ、成虫までも餌食にしてしまう」と述べ、彼らが、「自分たちの体に非情な改造を行うことで、一糸乱れぬ全体行動を可能にした」として、「全員の目を無くしてしまった」ことで、「いつも仲間と体をくっつけあうようにしていないと、迷子になってしまう。その結果、自然と隊列が形作られる」と解説しています。
 さらに、「アリになりすまして、アリの巣の中に住み着いてしまうハチがいる」として、エイコアブラバチが、トビイロケアリの巣の中に入り込もうとする理由を、「アリが巣の中で買っているアブラムシに寄生するため」であると解説しています。
 第2章「熱帯雨林の妖怪ラフレシア」では、里山を、「薪炭の生産を目的として定期的に伐採・利用される二次林(薪炭林)のこと」であるとした上で、「世界に誇ることができる日本一の里山」として、北摂の里山を取り上げ、そのすばらしさを、
(1)当地の里山の歴史性
(2)里山が生きていること、つまり、里山の伐採、炭焼きによって、本来の里山景観が現在も持続していること
(3)大入道がつっ立って、両手を広げたような奇妙な形の台場クヌギの存在
(4)クヌギ林の昆虫群集
の4点にまとめています。
 また、ラフレシアが、「1818年、当時スマトラ島の副総督だったトマス・スタンフォード・ラッフルズ卿によって発見された」とされてきたため、「ラフレシア」という名前が生まれたが、1797年に、フランスの博物学者ルイ・オーギュスト・デシャンプによって最初に発見されたことが最近の研究でわかっており、彼が、「不幸にも戦争のため学術的な扱いを受けなかった」と述べています。
 第3章「象歯年代記」では、化石の魅力の一つとして、「現代の生き物とは違う独特な形を持っていること」を挙げ、「古生代の生き物は現代の生き物とは一味も二味も違うものが多く、とても魅力的な存在である」と述べています。
 また、「東京湾に面した都心のはずれに、奇跡的に開発を免れた自然の干潟がある」として、千葉県・小櫃川河口の盤洲干潟を取り上げ、「広大な葦原をともなった希少な塩生湿地が今も残されていることで有名だ」と述べ、ここに、「肉眼レベルの生物はもちろんのこと、顕微鏡レベルでも貴重な生物が発見されている」として、発見者の故小杉正人氏にちなんだ、「シュードポドシラ・コスギィ」を紹介しています。
 さらに、花粉について、「花は束の間の美しさの中にはかなく消えてゆくが、飛散した花粉は土の中にひっそりと永遠の命を保ち続ける」として、「その見えない花園は、壮大な過去の森の姿、森の歴史を物語ってくれる」と述べています。
 本書は、博物学の楽しさの一端を垣間見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 博物学と言うと、博物館の中で顕微鏡を覗いているイメージがありますが、あらゆる自然を、博物学の目で見ることができたら、それはそれで楽しそうです。きっと楽しいに違いないと思われます。


■ どんな人にオススメ?

・身近な「ふしぎ」を発見する目を持ちたい人。


■ 関連しそうな本

 ピーター アトキンス (著), 斉藤 隆央 (翻訳) 『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』 2006年5月5日
 荒俣 宏 『大東亜科学綺譚』
 亀谷 了 『寄生虫館物語―可愛く奇妙な虫たちの暮らし』 2006年08月26日
 リチャード・ドーキンス (著), 日高 敏隆, 岸 由二, 羽田 節子, 垂水 雄二 (翻訳) 『利己的な遺伝子』 2006年09月26日
 スティーヴン・ジェイ グールド 『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語』 2007年03月03日
 ビル ブライソン (著), 楡井 浩一 (翻訳) 『人類が知っていることすべての短い歴史』 2007年04月08日


■ 百夜百マンガ

おせん【おせん 】

 ドラマにもなった作品。食べ物の美味しそうな感じは、動画よりも、情報量の少ないマンガのほうが伝わる気がします。
 ところで、昔ながらの古い宿屋に泊まるのは風情があっていいですが、小さい子供連れではなかなか気後れしてしまいます。

2008年5月28日 (水)

水戦争―水資源争奪の最終戦争が始まった

■ 書籍情報

水戦争―水資源争奪の最終戦争が始まった   【水戦争―水資源争奪の最終戦争が始まった】(#1224)

  柴田 明夫
  価格: ¥798 (税込)
  角川・エス・エス・コミュニケーションズ(2007/12)

 本書は、「深刻化する地球温暖化とエネルギー・金属・食料資源の有限性という問題を、『水』というフィルターを通してより鮮明にしてみようと試みたもの」です。
 第1章「枯渇の危機に瀕する水資源」では、「世界中で食料の生産拡大の動きが始まっている」ことが、「砂漠化や水源の枯渇などの新たな『水ストレス』を招いてしまうことになる」として、「21世紀の世界の食糧生産の鍵を握るのが水なのは間違いない」と述べています。
 そして、近年の世界各地での穀物の増産において、「地下水の過剰な汲み上げがあり、農業用水から必要以上の水が蒸発したり、水漏れが起きたり、といった不適切な灌漑施設の管理を伴なう農業活動があった」とした上で、「様々な問題を抱える農業用水を合理的に利用すれば、世界の水需給のバランスが改善されることを意味する」と述べています。
 また、わが国の水資源の利用について、「農業用水が66%と圧倒的に多く、水分の蒸発散という形で水を浪費させつつも、実は莫大な水資源を節約している」と述べています。
 第2章「地球温暖化がもたらす水と食糧の危機」では、北朝鮮の食糧生産が極度に悪化した例を挙げ、「天候に左右されやすい食糧生産条件があるところに、ひとたび工業生産が落ち込めば、たちまち農業機械や肥料、農薬、燃料が不足する」と述べ、「食糧生産減少→工業生産減少→食糧生産のさらなる減少」という悪循環に陥ると述べ、「今後、深刻化する地球温暖化は食糧生産へのダメージということを通じて、北朝鮮の政治体制を一気に突き崩す可能性さえある」と指摘しています。
 また、中国について、天然資源に恵まれ、食料の主要生産国でもあるが、「あまりにも人口が多いため、1人当たりで計算すると、それらの資源量は極めて少なくなってしまう」として、その典型として水を挙げ、中国の水需給の特徴として、
(1)国土や人口の大きさに比べて水資源量が少ない。
(2)中国内における水の総給水量が減少傾向にある。
(3)用途別に見た水需要構造の変化が著しい。
の3点を挙げています。
 第3章「巨大な利権とビジネスが動かす水」では、世界中で水をめぐる問題が深刻化することで、「国連などの国際機関による本格的な水問題への取組が進むと同時に、水関連のビジネスが急拡大している」と述べ、欧米では、「官民一体となった『水関連ビジネス』という潮流が起きつつある」として、「いまや世界の水資源はエネルギーや金属、食料にも増して資源化しているともいえる」と指摘しています。
 また、水不足や水の汚染の問題の深刻化への対策として期待されるビジネスとして、
(1)海水淡水化:日本企業は、ナノテクを武器に水処理膜の高機能化などで攻勢をかけると同時に、インフラ整備などを通じて産油国との関係強化を図ろうとしている。
(2)使用した水を再処理し、中水として利用する:日本の工業用水の使用料の80%近くが、再処理水(中水)の利用という形になっていて、世界有数の存在である。
の2点を挙げ、日本では、これらの2つをまとめて「造水」と呼ばれていると述べています。
 著者は、「21世紀の水は、石油をもしのぐ資源ともいえ、将来、原油のように取引所で取引される商品となり得る可能性も否定できない」と述べています。
 第4章「資源大量消費時代の到来」では、BRICsに代表される新興国経済の台頭が、「世界経済の成長率を押し上げているばかりでなく、エネルギー・資源市場に価格高騰という形でも大きなインパクトを与えている」と述べ、近年の世界経済の成長をもたらしている、「新興国のモノづくり」や「それを支える高速道路、発電所、港湾、情報網などのインフラ(社会基盤)整備」が、「世界規模でエネルギー・資源の需要」を喚起していると述べています。
 また、高騰する原油価格が、
(1)巨額のオイルマネーを手にした産油国の間で資源ナショナリズムが高まったこと。
(2)原油価格の高騰は非鉄や鉄鉱石、石炭、レアメタルなどの資源の価格高騰を招き、改めて消費国に資源の枯渇問題を突きつけた・・・「ピーク・オイル問題」
(3)原油高騰は代替物としてのバイオエタノールやバイオディーゼルなどバイオ燃料の急速な普及をもたらし、その結果、食糧市場とエネルギー市場の競合あるいは連動性が強まった。
の「3つの面から世界情勢におけるパワーバランスを大きく塗り替えようとしている」と指摘しています。
 第5章「穀物をめぐる3つの争奪戦と穀物メジャーの戦略」では、「穀物も戦略物資としての性格が強まる可能性」に言及し、今後、「世界では食料をめぐって3つの争奪戦が激化する可能性がある」として、
(1)国家間の争奪戦
(2)エネルギー市場と食糧市場との争奪戦
(3)新興国における工業部門と農業部門との水と土の争奪戦
の3点を挙げています。
 また、穀物メジャーの主要な機能として、
(1)生産者から小口の穀物を大量に集荷し、それらをまとめて大口の規格品に仕立てる。
(2)規格品の穀物を大量に輸送し、輸送コストを削減する。
(3)年間を通じて、安価な国際穀物市場に大量に供給する。
(4)輸入国の市場環境や需要動向を探索し、穀物の流通を合理的に調整する。
の4点を挙げています。
 第6章「水の超大量消費国・日本はどうすべきか」では、1990年代前半から使われだした言葉である「バーチャルウォーター」について、「乾燥地帯の中東は一見水不足のように見えるが、実際には他国で大量の水を使って生産した農産物を輸入しているため水資源が乏しくても水不足に陥らない」という考え方であると解説した上で、日本が2000年度に輸入したことになる農産物とバーチャルウォーター係数を掛け合わせて、「バーチャルウォーター貿易に総輸入量」を、「650億立方メートル」と算定し、「日本国内の年間の灌漑用水の使用料が570億立方メートルだから、バーチャルウォーターの輸入はこれを大きく上回ることになる」として、「日本は水資源総量では比較的恵まれていながら、多くの水を海外に依存している」と指摘しています。
 そして、「日本は膨大な食糧を海外から輸入しているからこそ、国内の水資源をそれほど使わずに済んでいる」、すなわち、「食料輸入を介しての世界の水に依存しているのが我が国」であると述べています。
 さらに、「水資源の循環利用を考える上で、政策的に低価格に設定されている水料金との比較で、経済合理性をいかに確保するかが最大の課題」であるとして、日本の産業部門が、「廃水処理レベルを改善する過程で様々な工程転換を進め、水資源の回収率を上げてきた実績」を持ち、「ここで培われた経験やノウハウは今後、広東省の水循環の高度化を考える上では活用すべき大きな財産である」と述べています。
 本書は、「水」をキーワードに、激化するグローバルな資源獲得競争を読み解いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 なかなか輸送に手間のかかる「水」のことだけに、グローバルな獲得競争と言ってもぴんときませんが、本書で取り上げられている「バーチャルウォーター」は国境を越える水の概念について分かりやすく説明しているものだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・水はタダだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 柴田 明夫 『食糧争奪―日本の食が世界から取り残される日』
 柴田 明夫 『資源インフレ―日本を襲う経済リスクの正体』
 柴田 明夫 『エネルギー争奪戦争』
 宮脇 淳 , 眞柄 泰基 『水道サービスが止まらないために―水道事業の再構築と官民連携』 2007年11月28日
 国際調査ジャーナリスト協会(ICIJ) (著), 佐久間 智子 (翻訳) 『世界の"水"が支配される!―グローバル水企業(ウオーター・バロン)の恐るべき実態』
 ロビン クラーク, ジャネット キング (著),沖 大幹, 沖 明 (翻訳) 『水の世界地図』


■ 百夜百マンガ

1・2のアッホ!!【1・2のアッホ!! 】

 ジャンプのヘタウマギャグ路線の代表作。このころのジャンプのデタラメさは子どもたちの心を捉えてました。

2008年5月27日 (火)

噂の拡がり方―ネットワーク科学で世界を読み解く

■ 書籍情報

噂の拡がり方―ネットワーク科学で世界を読み解く   【噂の拡がり方―ネットワーク科学で世界を読み解く】(#1223)

  林 幸雄
  価格: ¥1470 (税込)
  化学同人(2007/7/20)

 本書は、「最新のネットワーク科学の観点から、広範囲で素早い噂の伝播の仕組みについて、具体的な事例や社会心理、経済学の経験則を駆使して解説」しているものです。
 第1章「世間は意外と狭い!」では、私たちが誰とでも、「平均すると6人程度で結びつく」とい「6次の隔たり(six degrees of seperation)」について、「普段はあまり意識しませんが、地域、職業、年齢など複数の『社会的つながり』のなかに私たちは埋め込まれている」と解説しています。
 また、「ケビン・ベーコン数」や「たけし数」、「エルデシュ数」等を挙げた上で、「日本人の1人あたりの知人数」が、「200から300人程度」であるのに対し、アメリカ人は「1500から2000人程度」である理由について、「ホームパーティなどを日常的に行なうフレンドリーな国民性に加えて、顔見知り程度でも維持している方が転職などに有利なことなどによる意識の違いが関係しているよう」だと述べています。
 第2章「噂はどのように広がるのか?」では、1973年の豊川信用金庫事件を取り上げ、「女子高生の会話を大人が誤解したことから生じた」伝播ルートについて解説しています。
 また、噂が単なる伝言と異なる点として、「あらかじめ決まった内容を伝えるわけではなく、通常は曖昧な部分が多い話であるために、伝えられていく過程で内容が新しくつくられること」を挙げ、その主な傾向として、
・平準化:情報が短く要約されて平易化すること。
・強調:情報の中からある要素が選び出されて誇張されること。
・同化:話し手や聞き手がもっている知的あるいは感情的な状況や解釈で情報が歪められること。
の3点を挙げ、噂では、「『伝えたい、あるいは知りたいもの』を人々が話し合うなかで内容が新しくつくられ、様々な情報や知識を寄せ集めて状況を解釈しようとする行為が重要」であると述べています。
 また、噂の伝わりやすさについて、「不安さ、曖昧さ、信用度」の3つの要因が強く関係するようだと述べています。
 第3章「時空を超える伝達メディア」では、日本の中世や江戸における噂の役割について論じています。
 そして、中世においては、「『国内風聞』という証言が現在の物証にも匹敵するほど重要な役割を果たして」おり、「各地に点在する一国内で多くの人々が噂している事実と、それを聞き及んでいる証人がいることが非常に重要で、今日私たちが認識する客観的な記述や科学的な証拠よりも、驚くべき速さで伝わる噂の神秘な力に信用や真実を見出していた」と述べています。
 また、江戸時代の、「風刺・嘲笑・批判の意を込めた匿名の和歌として表現された落首(らくしゅ)と呼ばれる落書」を取り上げ、「騒然とした世情における言論統制下で、人々の抑えきれない信条が落書による情報伝達をとめどなく拡大したもの」であると述べています。
 著者は、私たちの祖先が、「さまざまな時代背景の中で、口頭伝承をベースに絵や表などのマルチメディアも駆使して、噂の情報伝達を活用してきたこと」がうかがえるとして、「そこには、権力に屈せず生き抜く庶民の力強さと、ユーモアあふれる知性すら感じられ」ると述べています。
 第4章「インターネットの威力」では、「現代では電子メールや携帯電話の普及によって」、「手書きや口伝え」を「超越する速さで想像以上の大きな範囲に広がって」しまうと述べています。
 また、「インターネット上で口コミの担い手となるのは、通常の購買行動における『オピニオンリーダー』とは少し異なる」として、「複数の商品カテゴリーや小売店などについて熟知し、多くの分野の情報を持つ『市場の達人』の役割が増大した」と述べています。
 第5章「蔓延するウイルス」では、「ネットワーク科学」と呼ばれる新分野の知見から、「意外に単純な原理から複雑なネットワークができうることや、不慮の故障や悪質な攻撃に対する強さと弱さ、さらに電子メールの送受信関係から示唆される恐るべき伝播速度と、ウイルスの蔓延に対する効果的な防御策などについて紹介」しています。
 そして、マーケティングにおけるハブの役割として、
・通常のハブ:ある商品カテゴリーにおいて、情報や影響力を与える人々。
・メガ・ハブ:通常のハブのように多くの双方向リンクを持ち、さらにマスメディアを通じて、一方的にメッセージを聞く人々へもリンクする人々。
・エキスパート・ハブ:特定の分野で顕著な知識があって、その分野の権威として質問される人々。
・社会的ハブ:カリスマ的に仲間から信頼を得て社会的な活動をしている人々。
の4種類のハブの役割を挙げています。
 また、「次数分布がべき乗則に従うネットワーク」である「スケールフリー」について、
(1)従来のランダムな結合構造における代表的なスケールに相当する次数が存在しない。
(2)グラフのある部分を拡大しても裾野が長い同じような曲線になっている。
の2つの性質に由来すると解説した上で、その基本的な生成原理として、「金持ちはより金持ちになる法則」に従うことで、こうした構造ができてしまうと述べています。
 さらに、スケールフリーネットワークが、「もっとも経済的かつ効率的なネットワークとして、すなわち、できるだけ少ないリンク総数で連結しつつ、お互いのノード間の距離(ステップ数やパス長と同義語)も短くなるようにすると、スケールフリー構造がつくりだされ」ると述べています。
 著者は、「現実のネットワークでは、『ハブを除去するとバラバラに分断され、逆に、ハブが機能すると伝播が急激に拡大する』ということ」が分かるとして、「ウイルスなどの感染拡大を抑えたいときには、ハブを機能させないようにする、すなわち重点的にハブを免疫化することが効果的」であると述べています。
 第6章「世界的交通網の拡大がもたらすもの」では、「噂や口コミに対する興味や関心に基づく伝達力の強弱とウイルスの感染力の強弱、また、体面や電子メールでの接触機械による伝承や感染のプロセスなどには類似する点が多く、ネットワーク上で伝播が拡大していく振る舞いは基本的には同じと考えられ」ると述べています。
 そして、「ペストやインフルエンザの感染経路が示唆すること」として、
・対面の咳やくしゃみ、飲料水や食物などを介した風土病→陸海空路の発達にしたがって、ウイルスの運び屋も大移動
・中世や近代までの口頭伝承→電子メールや携帯電話、国際的なすばやい情報伝播
という対応関係の変化から、「共通した世界規模の伝播拡大メカニズムが類推」されると述べた上で、「ネットワーク科学の知見はつい数年前の世紀末に人類が初めて得たもので、現代の私たちの世代になってやっと本質的な原理から、実際の現象を理解できるようになった」と述べています。
 そして、「高架的なショーとカットの高架」として、「地理的な空間上にスケールフリーネットワークを構築する方法」の代表的なモデルとして、
・ランダムアポロニアン(RA):多角形領域を三角形で分割したある初期構成から、毎時刻にランダムに三角形を一つ選んで、その内部に追加した新ノードと選択した三角形の拡張点とをリンクすること(三角形の細分割)を、ノード総数Nまで繰り返す。
・ドロネー三角分割(DT):毎時刻にランダムに選んだ三角形の細分割を一時的に施した後に、任意の三角形ペアからなる菱形に対角変形操作を全域的に(どのペアを選んでもそれ以上は鋭角が大きくならなくなるまで)行なうことを、同様に繰り返す。
・ドロネー風スケールフリー(DLSF):毎時刻にランダムに選んだ三角形の細分割を一時的に施した後に、選択した三角形の頂点で新ノードから一番近いものとの距離を半径として、その円内で対角変形操作を行なってリンクを張ることを同様に繰り返す。
の3つを挙げ、「任意のノード間の最短距離のパス」が、
・DT:短いリンクによるステップ数の多いジグザグ経路
・RA:ステップ数は少ないが長いリンクもたまに含まれる
・DLSF:それらの中間的な性質を持つ
という傾向があり、「どれも平均ステップ数がlogN程度の『小さな世界』」となると解説しています。
 また、交通網にたとえて、「平面上の一般道路や鉄道網に、その上を横断する高架の高速道路や航空網を少しだけ追加したようなネットワーク」について、「高速道路や立体交差があると、より短い距離で移動できるだけでなく、不慮の故障や悪意あるテロ攻撃に、より強いネットワークが地理的な空間上に構築」できるという特性が、「つい最近発見された」と解説しています。そして、「地理的に近いノード同士のつながりに、遠いノード間の結合になるかも知れないショートカットを本の少し加えるだけで、より強固なネットワークが出来上がり、途中で中継が切れても他に迂回路が存在するために、全体への情報伝達が可能で噂も蔓延しやすくなる」と解説しています。
 第7章「ネットワーク科学からのメッセージ」では、「世の中に溢れる膨大な情報や知識をもはや個人レベルですべて知りうる時代ではないことからも、ネットワークを考える必要性がますます増大して」いると述べています。
 そして、「口コミの割合が大きいほど、ニュースは速く伝わる傾向が見られることから、新聞やテレビなどのマスメディア以外から得る情報がかなり重要である」ことから、「噂や口コミを盛り上げるのも下げるのも、初めの頃が肝心」であるとして、「『蛙飛び』によって発火点となり得るハブに、情報をいかに速く伝えるかが鍵となる」と述べています。
 また、「金持ちはより金持ちになる」原理が、「交通網や情報通信網の発達によって、物資や情報が大量迅速にやり取りできるようになった結果、そこに自然に出来上がったネットワークの社会的な影響力が非常に増大した」と述べています。
 さらに、「構造上は、分散化してつかみどころがなくなる一方で、一極集中化していく諸々の社会問題に対しては、科学技術を批判しても、逆に科学万能的に楽観視しても、何の解決にも」ならないという社会構造を理解した上で、「私たち一人ひとりがよりよい社会について考える、ネットワーク科学はそうした機会を与えた」と述べた上で、「少数派のショートカットやハブの全体への影響が意外にも大きいことは、小さな存在である私たち個々人を勇気づけ」るとのべています。
 本書は、最新のネットワーク科学を用いて、身近な噂の問題を分かりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 「噂」は社会学の典型的なテーマだったと思いますが、ネットワーク科学の発展によって、いきなり人文系のテーマから、「ちゃんとした」というと語弊がありますが、ハードな科学の分野に持ち込まれたような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・噂の拡がり方に不思議を感じる人。


■ 関連しそうな本

 スティーヴン・ストロガッツ (著), 蔵本由紀, 長尾力 (翻訳) 『SYNC』 2006年04月10日
 アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日
 ダンカン ワッツ (著), Duncan J. Watts (原著), 栗原 聡, 福田 健介, 佐藤 進也 (翻訳) 『スモールワールド―ネットワークの構造とダイナミクス』 2006年03月22日
 ダンカン ワッツ (著), 辻 竜平, 友知 政樹 (翻訳) 『スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための新科学的思考法』 2005年09月28日
 ポール ホフマン (著), 平石 律子 (翻訳) 『放浪の天才数学者エルデシュ』 2005年11月06日
 川上 善郎 (編集), 高木 修 『情報行動の社会心理学―送受する人間のこころと行動』 2005年11月19日


■ 百夜百マンガ

妖精事件【妖精事件 】

 すいません。「こうがゆん」ではなく「たかがわゆん」だと思っていました。「リンかけ」がネタ元だと知って納得です。

2008年5月26日 (月)

自治体病院再生への挑戦―破綻寸前の苦悩の中で

■ 書籍情報

自治体病院再生への挑戦―破綻寸前の苦悩の中で   【自治体病院再生への挑戦―破綻寸前の苦悩の中で】(#1222)

  杉元 順子
  価格: ¥2520 (税込)
  中央経済社(2007/07)

 本書は、「何十年もの長い間、地域の健康・医療を支えてきた住民の命綱」である自治体病院に押し寄せる「厳しい淘汰の波」について、「実際にはどんな状況にあるのか。生き残る道を模索する自治体病院の実情を、数年にわたって取材した」ものです。
 第1話「合併の前提条件にされた町立病院民営化」では、大分県の佐賀関町を取り上げ、病院以上の際の町からの条件として、
(1)地域医療の継続
(2)新施設の建設
(3)公立病院時代の職員の雇用(または就職の斡旋)
(4)町が行なった新施設の設計の活用
の4点が示されたことを解説し、「職員は、ごく一部の退職希望者と転勤希望者を除き、基本的に全員雇用を達成した」と述べています。
 そして、町立病院時代の人件費率58%が、「経営を圧迫していた」ことについて、目標を「40%台前半」に置き、「職員全体で平均20%ダウン、高い人(無資格者など)では30%ダウンした」と述べています。
 第3話「合併で1市に性質の異なる3市立病院」では、岡山県備前市のケースについて、「努力している病院が報われるという図式は確保されるべきで、そうでないと自治体病院の明日は望むべくもないだろう」と述べています。
 第4話「過疎・累積赤字の町の病院が生き返った」では、京都府大江町のケースを取り上げ、1市3町の合併協議の最大の焦点が、町立病院をどうするかであり、「大江町民にとって病院は命の砦であり、病院の存続は合併の最重要のテーマ」だったと述べ、結局、福知山市との合併に当たって、公立病院としての継承を拒まれたことで、「赤字の国保病院から、公設民営(指定管理者制度)でスタート」し、「ベッド稼働率のアップ」により、「国保新大江病院として初年度から黒字ベースの順調な運営」を達成していると述べています。
 第5羽「民間への譲渡で過疎の町に病院が残った」では、新潟県巻町のケースとして、新潟市との合併期日までに、巻町立病院の民間譲渡期日が決定し、「自治体が民間医療機関に対し本格的な公募形式を取るのは全国的にも珍しいケース」となったと述べています。
 第6話「苦闘10数年、県立・市立病院の統合実現」では、岩手県の、「多額の赤字を抱えた県立釜石病院と市立釜石市民病院の統合再編」を取り上げ、「学校統合については人口の減少に対応してきたが、医療機関は対応させてこなかったことが衰退の大きな要因」であるとした上で、「入院したい患者にとっては空床は便利なので、経営者以外は問題意識が薄れがちでこれまで流されてきた」との釜石医師会長の言葉を紹介しています。
 第8話「なぜ進まない中核病院同士の機能分担」では、山形県の市立坂田病院と県立日本海病院の再編・統合問題を取り上げ、「同地域に県立、市立2つの機関病院があるという県内では珍しい病院配置」日打て、酒田市が県に対して統合を提案した形での再編問題に対し、県は「拒否あるいは消極的対応」であることについて、
・この提言が市から県になされたこと
・結果的に唐突の感があったこと
などが、「県当局の反発を招いたようだ」と述べています。
 また、「地理的には歴史的な旧藩士などの流れの中の地域的背景から手法が異なったり、市民感情が対立することもある」と述べています。
 第10話「行財政改革への決意が病院改革にも効果」では、「今、全国で起きている医療パニックは、大昔の長崎の縮図だ。いくら慌てても4~5年で修復はできない。ある程度つぶれるところまで行かないと立ち直れないかもしれない」とする、長崎県病院事業管理者の矢野右人氏の言葉を紹介しています。
 本書は、何らかの処方箋を示そうというものではありませんが、自治体病院問題の深刻さを伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 全国の自治体病院について、取材を重ねた本書は、もちろん読んでいて面白いのですが、その先に何が待っているのか、どうやって進むべきか、などを考える上では少し物足りない点もあります。ぜひ続編に期待したいところです。


■ どんな人にオススメ?

・公立病院はつぶれないと思っている人。


■ 関連しそうな本

 伊関 友伸 『まちの病院がなくなる!?―地域医療の崩壊と再生』 2007年12月12日
 兪 炳匡 『「改革」のための医療経済学』 2006年12月05日
 小松 秀樹 『医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か』 2008年01月08日 06:00
 永田 宏 『貧乏人は医者にかかるな!―医師不足が招く医療崩壊』 2008年04月09日
 西村 周三, 田中 滋, 遠藤 久夫 『医療経済学の基礎理論と論点 講座 医療経済・政策学』
 真野 俊樹 『入門 医療経済学―「いのち」と効率の両立を求めて』


■ 百夜百マンガ

まんがサイエンス【まんがサイエンス 】

 「科学」と「学習」からの撤退が問題になっていますが、「まだかなまだかな~学研のおばさんまだかな~♪」のセールスレディは今でも2万人いるそうです。

2008年5月25日 (日)

だれが「本」を殺すのか

■ 書籍情報

だれが「本」を殺すのか   【だれが「本」を殺すのか】(#1221)

  佐野 眞一
  価格: ¥1890 (税込)
  プレジデント社(2001/02)

 本書は、「『本』のない生活は、色のない絵画や味のしない料理のようなもの」ほどの著者にとってもっとも身近な「本」の世界を、著者自身が手法にしてきたノンフィクションの形で表したものです。
 著者は、「『本』を取り巻く状況の変化を描くことを通して、われわれが今どんな地点に立っているのか」を記していくとしています。
 第1章「書店」では、「適正な市場規模をはるかに超えた新刊ラッシュとオーバーストア状況」が、「『本』の需給関係に決定的なアンバランスをもたらし、今日いわれる出版クラッシュを招く主因となった」と述べています。
 そして、旭屋書店社長の早嶋茂は、「これからは、欲しいものがどこにあるかわからない、というお客さんのサインをどうキャッチできるか」であるとして、「本屋は本来ソリューション(問題解決方法の提案、提示)ビジネス」ではないかと述べています。
 また、往来堂書店店長の安藤哲也は、本棚は「管理」するものではなく、「編集」するものであり、「朝、届いたダンボールを開けるまで何が入っているかわからない商売なんてほかにありません」と語っています。
 さらに、盛岡市の「さわや」店長の伊藤清彦は、「書店の店長の一番の仕事は、商品の内容分析」だと述べ、「本を読まない書店員は絶対だめです。うちでは、読まない人はすぐにやめてもらってます」と語っています。
 第2章「流通」では、ブックサービス社長で、元大和運輸の木村傑が、「ヤマトでは重たい荷物ばっかり担がされてきたから、本なんて軽い、軽い。出版会の方たちは頭がよすぎる人ばかりで……」と語っています。
 また、「書店に注文していくら待っていたとしても読者に本が」届かない理由として、現在では「5冊を最低単位として書店に発送している」ことを挙げ、「約20年前までは『経済重量』といって、最低20キロ、冊数で50~60冊にならないと発送しなかった」と述べています。
 そして、某書店人が「新刊ラッシュで埋もれた既刊の良書を売りたい」と雑誌のエッセイに書いたところ、大手版元の営業マンから、「書店は新刊だけ売っていたらいいんだ。お前みたいなことをいう店には今後新刊本を送らなくするぞ」という脅迫状を、「取次ぎの荷物と一緒に」送ってきたという逸話を紹介しています。
 さらに、イトーヨーカ堂社長/セブン-イレブン・ジャパンの会長の鈴木敏文が、イトーヨーカ堂の前に、東京出版販売(現・トーハン)に在籍していたことを紹介し、鈴木が、「まだ街の書店では朝10時にならないと店を開けないし、夜の6時か7時になると、もう店を閉めちゃう。その上、自分たちが発注して、自分が本を揃えるという発想がなく、取次から送られてくるものをただ並べている」と述べていることを紹介しています。
 著者は、鈴木へのインタビューの中で、「たいへんすぐれたマーケッターの裏に漂うかすかなルサンチマンのにおい」を嗅ぎ取ったとして、鈴木が、新聞記者への夢が破れて取り次ぎに就職したことを挙げ、「鈴木は出版流通のことを熱を込めて語りながら、こと『本』の内容となるとほとんど関心を持って」いないことは、「取次時代の息苦しい仕事と、どこか無意識の中でつながっているのではないか」と、自らは「妄想」であると逃げ道を作りながら語っています。
 また、紀伊国屋書店の松原会長は、ブックオフに対して、「そんなにお読みになった本があるはずはない」、「ほとんど万引きの品物が流れていっている」と述べ、ある大手書店の元店長は、「売れない書店の中にはブックオフから本を買ってきて平気で返品をしているところ」があると述べています。
 一方、ブックオフの坂本孝に対しては、原宿ラフォーレ前にオープンした旗艦店を、「外も内も本屋のオープンの雰囲気とはおよそほど遠く、アメ横の歳末セールか居酒屋チェーンの新装開店のようである」と揶揄し、「ピンク色のワイシャツに赤いネクタイ」の坂本に、ジョークのつもりで「今度出る『だれが「本」を殺すのか』のサイン会をここでやらせてもらえませんか」と言ったところ、「坂本はそれを真に受け、『マルです、マルです。二重丸』と大喜びで答えた」と見下して紹介しています。
 第3章「版元」では、中央公論社の読売新聞社への身売りが、「これまでムード的に語られてきた感のある出版不況というものを、現実のものとして白日の下にいやおうなくさらけだした」と述べたうえで、「中公の経営危機と読売による買収劇」が、「中公の知的ブランドという言葉に集約されているのかもしれない」と述べています。
 そして、出版社の経営陣が、「数字に明るくないことが、あたかも良い出版者の証だと信じてきたフシがある」として、ある大手出版社の元役員が、「決算が出ると、数字の桁がみなわからず、下から、一、十、百、千、万、と位どりするのが常に繰り返される風景だった」と語っていたことを紹介しています。
 また、社員について、「1940年体制を引きずった出版流通システムに加え、左翼運動を装いながら、その実労働貴族のモノ取り主義でしかない組合運動が横行する。そしてちょっとでも批判がましい声が出ようものなら、われわれは出版文化に寄与する良書をつくってるんだと夜郎自大にふんぞり返る」として、「左翼労働運動が出版流通の40年体制を補完した」と指摘して今すい。
 第4章「地方出版」では、「現在、本というものがどんな状況に置かれているかを物語る」エピソードとして、秋田の西木村という図書館のない小さな村の、村役場の若者たちが、「転勤や引越しなどで不要になった本をください」と東京に向けて呼びかけ、「朝日新聞がこれを美談仕立てにして大きく報じたところ、たちまち30万冊の本が集まった」が、『脳内革命』や『窓際のトットちゃん』、『気くばりのすすめ』なんかが数十冊ぐらいずつあり、「この3冊で図書館ができるくらい」だったこと、ほとんどすべての段ボール箱に手紙が入っていたが、「要するに善意の押し売り」であったことを紹介した上で、「日本人のメンタリティーの中に本というものが、かなり特別なものとして意識されていることの証」であると述べています。
 また、長野には、32も地方出版社があり、印刷製本所も多数あることについて、「さすが岩波、筑摩を生み出した出版王国だけのことはある」と述べ、その理由として、「戦時中、東京の印刷製本会社が長野に疎開してそのまま残ったこと」を挙げています。
 第5章「編集者」では、吉本隆明が、「物書きのほうから見える編集者」のタイプとして、
(1)自分も物書きであるか物書きの候補者の匂いを持ったもの
(2)自分が所属している出版社を背光にして文壇的にか政治的にか物書きを将棋の駒のように並べたり牛耳ったりしてやろうと意識的にあるいは無意識のうちに考えているもの
(3)ほかの職業と同じような意味で偶然、出版社に職を得ているといった薄ぼんやりしたもの
の3つのタイプを挙げていることを紹介しています。
 第6章「図書館」では、著者が参加した「本の学校」のシンポジウムで、「図書館関係者の分科会は、まるでお通夜のように精彩がなかった」と述べ、「進歩的文化人そのままの言説の洪水に、私はやれやれと思った。これでは『週刊金曜日』が出したベストセラー『買ってはいけない』の市民集会となんら変わらないではないか。分科会ははじめから終わりまで『善意』の押し売りに終始した」と指摘しています。
 また、ブックオフやブックサービスなどの「抜け目のない商売人たち」と比較し、「図書館業界ではそうした狡猾といってもいいような人物はほとんど見当たらなかった」と指摘し、「狡猾さ、といって悪ければ、したたかさを持って時代と斬り結ぶことができなければ、住民サービスという公務員本来の仕事を放棄することにもつながりかねない」と述べています。
 第7章「書評」では、「ダ・ヴィンチ」について、「現在の読書状況についてほとんど異議らしい異議が見当たらない姿勢が、一見健全に見える紙面とは裏腹に、『日本読書新聞』の左翼教養主義を裏返しただけの、現状安住の退廃と畸型性のようなものが垣間見えてならない」と指摘し、「このミステリーがすごい」や「ダ・ヴィンチ」の登場を、「書評世界における教養主義の終焉ということができる」と述べています。
 また、著者自身が書評する場合には、「その本が誰かに薦めるに値する本かどうかを最低限の基準」とし、「もってまわった表現で自分の芸をいやらしくひけらかしたり、身辺雑記をチラつかせることが書評の極意だと勘違いしているやからが、日本の書評界にはまだ後を立たないようだが、簡潔にその本の内容を紹介し、その本を読んでくださいと愚直に進めるのが書評の王道」であると述べています。
 さらに、「もっぱら一方的な『芸』の舞台として語られてきたきらいがある書評の世界」が、「ネット社会の登場によって、読者と読者を結びつける触媒の要素へ変貌しようとしている」と述べています。
 第8章「電子出版」では、「この本は活字で印刷されている」という意味のことを書いたが、「この本に限らず活字で印刷された本など、今や日本からほとんど消滅してしまった」と述べています。
 「エピローグ」では、「本」ばなれに拍車をかけていると指摘されている時間消費型の携帯電話の爆発的普及について、「携帯電話による際限のないおしゃべりは、他者とコミュニケーションしているように見えて、実は脱コミュニケーションの心性に支配されている」とした上で、「『本』は、たとえどんな種類の本であろうと、無数の『so what』に答える装置を内蔵している」と述べ、「他者とのコミュニケーションを鍛錬するには、やはり『本』との対話という打ち込みや素振りが、最も理想的な環境となる」と述べています。
 本書は、「本」をめぐるさまざまな人たちの思いを垣間見ることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 この人は結構硬派なノンフィクションを書く人だという気がしていたのですが、こと自分が大好きな「本」のことになってしまうと地が出てしまうのか、三流雑誌のライターのような書き振りというか、まったく理不尽というか、言いがかり的な「書き逃げ」が多いような気がします。就職試験で落ちたことを根に持っているから、ナベツネや鈴木敏文はこんなことをしたんだ、なんてトリビアルすぎるというか、余計なお世話ではないでしょうか。
 全然関係ないですが、自分の中では、著者の名前を「さのまいち」と認識してしまっています。もちろん正しい読み方は知っているのですが、どうしても頭の中では、「佐野 眞一」という文字を「さのまいち」に変換されてしまって困っています。


■ どんな人にオススメ?

・「本」は誰が殺しているのか気になっている人。


■ 関連しそうな本

 佐野 真一 『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』
 佐野 真一 『渋沢家三代』 2005年08月06日
 山田 淳夫 『消える本屋―出版流通に何が起きているか』 2007年10月19日
 田口 久美子 『書店風雲録』
 小林 一博 『出版大崩壊―いま起きていること、次に来るもの』
 江口 宏志, 北尾トロ, 中山 亜弓, 永江 朗, 幅 允孝, 林 香公子, 堀部 篤史, 安岡 洋一 (著) 『本屋さんの仕事』


■ 百夜百音

サイボーグ009 SUPER BEST~サイボーグ009 生誕40周年記念盤~【サイボーグ009 SUPER BEST~サイボーグ009 生誕40周年記念盤~】 アニメ主題歌 オリジナル盤発売: 2004

 そういえば、サイボーグ009は断片的に連載ものの途中とか、単行本の断片とかを読んだくらいで、通しできっちり読んだことがないです。いつかきちんと読みたいです。

2008年5月24日 (土)

戦後漫画のトップランナー横井福次郎―手塚治虫もひれ伏した天才漫画家の軌跡

■ 書籍情報

戦後漫画のトップランナー横井福次郎―手塚治虫もひれ伏した天才漫画家の軌跡   【戦後漫画のトップランナー横井福次郎―手塚治虫もひれ伏した天才漫画家の軌跡】(#1220)

  清水 勲
  価格: ¥2835 (税込)
  臨川書店(2008/01)

 本書は、「戦後漫画のトップランナーであり、『メトロポリス』『アトム』などの手塚作品にも影響を与えた天才漫画家横井福次郎の障害と作品を現代に紹介するもの」です。なお、横山隆一の「フクちゃん」は、「横井の名前にヒントを得た」キャラクターであると説明されています。
 第1章「プッチャーとターザン」では、昭和23年1月頃、手塚治虫が横井福次郎に会い、当時、手塚の「話題の書であり、売れ行きが良いために自信を持っていた」『新宝島』を横井に見せたが、「横井にはだいぶ物足りなく写った」と述べ、当時、「ふしぎな国のプッチャー」を連載中で、「その未来社会を漫画と魅力的な分掌で描く絵物語スタイルで人気を博していた」横井の、「SF小説の巨匠・海野十三の世界に影響を受けた内容と比べて『新宝島』は"こどもだまし"に近いと思われても仕方がなかったかもしれない」としています。
 そして、横井の「ふしぎな国のプッチャー」を、「百年後の未来社会のイメージを漫画で具体的に示した最初の作品」とした上で、横井から"子どもだまし"の作品だと言われた手塚が、「ふしぎな国のプッチャー」に「対抗するかのようなSF漫画『メトロポリス』を出版」するまで、10ヶ月をかけた「並々ならぬ苦労があったようだ」と述べています。
 さらに、手塚の「アトム」にも「ふしぎな国のプッチャー」からの影響が「明確に出ている」として、この作品に出てくるロボット少年「ペリー」が、「十万馬力」で「科学の子」と呼ばれ、「ペリーは、プッチャーの父であるベッチャー博士が、交通事故で息子をなくしたロロー婦人のために作ったロボット」であるという設定について、「手塚治虫は横井福次郎に敬意を表して、アトムをペリーと同様な理由で生み出されたロボットにしたのではないか」と述べています。
 第2章「子ども漫画の開拓者」では、昭和19年に横井が、小川哲男を引き継ぐ形で連載を続けた「火の玉カンチャン」について、「海を潜り、陸を走り、空を飛ぶことのできる情報収集・敵内部撹乱飛行体」である「火の玉」号に乗り込んだカンチャンと助手のタコ吉が米軍攻撃に出発するストーリーであり、「日本軍の敗色が濃くなった時期の連載だけに、形勢逆転を米軍を上回る科学兵器で達成しようと様々なアイデアが紹介される」と述べています。
 また、昭和23年に連載した「ボックリ坊や」について、「西洋を舞台に色刷で描くという新しい試みの作品」であり、「漫画家の中で西洋人を描かせたら横井の右に出るものはいなかっただろう」理由として、「西洋映画俳優専門のブロマイド屋で働き、翻訳小説の挿絵を描いてきた横井の特別の技術」であったと述べています。そして、「横井がもう十年に来ていたら漫画の世界は変わっていただろうと言われる」が、「少なくとも子ども漫画の世界はもっと多様なものになっていた」と述べています。
 第3章「大衆漫画の開拓者」では、「戦中から一般大衆向けストーリー漫画の分野でも活躍」してきた横井が、戦後、「オオ!市民諸君」「エミコの時計は何故進む」「家なき人々」などの作品で脚光を浴びたと述べています。
 そして、昭和21年11月から昭和23年5月までに連載された「オオ!市民諸君」を、「横井の大衆向けストーリー漫画の代表作」であり、映画化されたことについて、「まさにこの原作漫画が時代状況を巧みに諷刺し、大衆にアピールしていたことを物語っている」と述べています。著者は、この作品を、「占領時代の真っ只中に生きた横井の現実感と民主主義、自由主義社会の先行きを予感して描いた作品だろう」と述べ、「文章、コマ漫画、漫画漫文が入り混じったもので、これほど複雑、多様な表現を使った漫画作品は空前絶後と言ってよい」と評しています。
 第4章「戦前・戦中・戦後社会の記録者」では、横井が、「最初、ナンセンス漫画を描き出し、実力を認められて新漫画派集団に迎えられ」た後に、「次第に風俗漫画や子ども漫画に創造範囲を広げ、コマ漫画・連載漫画にも挑戦し」、「やがて挿絵画家としても通用するほどの表現力を身につけていく」と述べています。
 また、横井が、小学校卒という学歴だが、「絵も文章も天才的な才能を持っていた」ことについて、「絵は北沢楽天が主宰する絵画塾の教育を受けているが、文章はまったくの独学である」として、「その語彙の広さを考えると、かなりの読書家で江戸文学からSF小説までもかじっていたのだろう。様々な挿絵の仕事をしていた頃は大衆文学にひたっていたといってよい」と述べています。
 第5章「横井福次郎の生涯」では、昭和5年に、時事新報社活字鋳造部に入社した横井が、同紙の日曜付録『時事漫画』(北沢楽天主宰)を目にし、「漫画なら自分にも描けるかもしれない……」と、「小学校の頃からの絵の仕事への憧れ」から、ナンセンス漫画に挑戦したことが述べられています。
 そして、昭和9年から昭和13年にかけては、「漫画だけでなく挿絵の仕事にも積極的に関わった」として、「様々なジャンルの小説の挿絵を担当」する中で、「空想科学小説の作家として知られる海野十三」をいったことが、後の「火の玉カンチャン」「ふしぎな国のプッチャー」「冒険児プッチャー」などの冒険科学漫画・SF漫画の発想に影響したことが「十分考えられる」と解説しています。
 また、「新しい漫画雑誌あるいは漫画を重視する雑誌が登場」した昭和21年が、横井が、「生涯の代表作ともいうべき作品のほとんどを一気に"吐き"出す」年であったと述べ、「横井が秘めていたアイデアが一気に爆発し、漫画家として完全に開花した年となった。ストーリー・テラーとして、表現者としての才能が十分発揮できるようになったからである」と解説しています。
 昭和23年には、『冒険ターザン』をはじめ、単行本が出版され、「印税というまとまった収入」をもたらすようになり、念願の家を東京に手に入れることができたが、「月35本の連載をかかえた時もあった」ため、「締切を守るための徹夜の仕事が続き、それが彼の命を縮めていくことになる」として、昭和23年12月5日、36歳の若さで急逝したと述べています。
 著者は、横井福次郎の日本漫画死に果たした役割について、「横井が日本SF漫画の先駆者であり、岡本一平を継ぐ大衆向けストーリー漫画の開拓者であった」とした上で、「その精神は手塚治虫に継承されたことは疑いの余地がない」ことや、昭和24~25年にかけて次々と漫画雑誌が休廃刊し、戦後の第一次大衆漫画ブームが終わってしまうことについて、「漫画界が横井を失った影響は極めて大きい」と述べています。
 本書は、今ではほとんどその名を目にすることがない、戦後漫画をスタートさせた埋もれた第一人者を発掘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 終戦直後の第一次大衆漫画ブームの中で、大人向けの風刺漫画から児童向け漫画まで、才能が幅広すぎるがゆえに燃え尽きてしまった、と考えると、当時の社会がいかに漫画を渇望していたか、ということの切実さを感じるような気がします。
 現在の、山のような雑誌が出版され、漫画もその予備軍も大量にいる中で、この中に本物はどれだけいるのか、と考えずにはいられません。


■ どんな人にオススメ?

・手塚治虫が漫画を創造した神様だと信じている人。


■ 関連しそうな本

 中野 晴行 『謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影』 2007年07月28日
 手塚 治虫 『ぼくはマンガ家―手塚治虫自伝』 2005年05月28日
 うしお そうじ 『手塚治虫とボク』 2007年10月06日
 大塚 英志, ササキバラ ゴウ 『教養としての〈まんが・アニメ〉』
 中野 晴行 『マンガ産業論』
 夏目 房之介, 宮本 大人, 鈴賀 れに, 瓜生 吉則, ヤマダトモコ 『マンガの居場所』


■ 百夜百音

The Nutcracker【The Nutcracker】 New York City Ballet Orchestra オリジナル盤発売: 2000

 娘に「くるみわり人形」のCD付き絵本を買ってあげて以来、我が家では「くるみわり人形」ブームです。それにしても一筋縄ではいかない原作は、ぜひきちんと読んでみたいものです。

『くるみ割り人形』くるみ割り人形

2008年5月23日 (金)

押し紙―新聞配達がつきとめた業界の闇

■ 書籍情報

押し紙―新聞配達がつきとめた業界の闇   【押し紙―新聞配達がつきとめた業界の闇】(#1219)

  森下 琉
  価格: ¥1980 (税込)
  同時代社(2003/10)

 本書は、「新聞配達労働者はこんなにたくさんいて、こんなにも過酷な労働をして、それにもかかわらずその職場は現在も労働基準法も守られていない無権利状態にある。そうした状況の根底に大新聞社の『押し紙』という問題がある」という事実を「リアルに示し」たものであり、「新聞配達労働者が、使用者の横暴に泣き寝入りせず、裁判闘争を含めて6年間に渡り不屈にたたかいを繰り広げ、労働者の権利を一歩前進させた貴重な記録」です。
 序章「真夜中の配達」では、新聞配達労働の過酷な日常が、本書の舞台であり、全国でも数少ない「合売店」であるJR三島駅前の東部新聞販売会社とともに紹介されています。ひとりの担当者の配達部数は、朝刊で400件が普通であり、「現場に到着するまでの時間を除くと、平均して200軒を1時間で配っている」こと、「厳寒酷暑をいとえない、自然と真向う戸外労働」であり、「5時間と連続して睡眠をとることができない日常」を語っています。
 第1章「新聞合売店の『近代化』」では、1973年頃まで、夏期や年末に支給される「賞与」は、「氷代」「餅代」と書かれ、「専務、常務、支配人などは、ネクタイ、背広姿であっても創業以来の、身内、子飼いの従業員で、所詮は法被に前垂れ姿の大番頭、小番頭の『商い』方針が払拭されていなかった」と述べています。
 また、自分の地区の集金を完納できなかった「地区責」の氏名は、「札下がり」の見せしめとして、「大きな紙に書かれて、作業場に掲示され」、「給料で未集金分をさっぴかれ、給料支給も定例日より遅延された」と述べています。
 そして、身内の葬式があっても、「葬式は昼からだろう」と、「朝刊を配ってくれ」と言う、「常識はずれ」がまかり通っていた、として、「労働条件や賃金規定を定めた『就業規則』など」はない状態であったと述べています。
 第2章「配達労働者たちの矛と盾」では、「地区責任者の週休を確保するために導入された、代配要員制度」で入社した代配者たちが、「面接のとき、会社側の説明で、『毎月の給料に、地区責と代配の格差があるが、それは年二度支給されるボーナスで調整されるので、年収ではほぼ同等となる』とはっきり言われた」にもかかわらず、「実際は依然と『調整』」されず、労働基準法15条の「労働条件明示義務」もまったく果たされていなかったと述べています。
 そして、代配と地区責の給料格差が、「地区責に支給されているチラシ配達給料が代配には、まったく支払われていないこと」によるものであることを突き止める過程が述べられています。
 また、地元静岡で弁護士を探すにも、「具体的に相手が三島の新聞販売会社と分かると、『あの会社じゃねえ』と、みな関わりたくないようで、門前払いだった」ことが語られています。
 第3章「チラシ配達給料にからむ『不正』の連鎖」では、「新聞と折込チラシは、販売店と配達者にとって、不可分で車の両輪のようになっている」者であり、「このチラシ配達給料が、会社とその同族の広告社の『収益確保』の泉であり、また労働者側からしてみると、会社が収奪の的として狙ってくる格好の対象でもあった」と述べ、平成9年7月に静岡地裁沼津支部に「チラシ配達給料の一部未払い返還請求事件」を、どう10月には、「代配労働者に支払われるべきチラシ配達給料の不払いにたいする損害賠償請求事件」を提訴したことが述べられています。
 そして、「会社が従業員名義の銀行口座を勝手に開設して、濫用、私物化している」ことを、銀行で通帳元帳と通帳を照合した結果明らかにし、「本人分と会社分を区別して、本人分は個人が引き出せるが、会社分は別システムとして本人には引き出せず、通帳にも載らないシステムがあるのではないか」と述べています。
 また、チラシの配達労働を巡り、代配制度導入以来15年間、チラシ配達給料は未払いになっていて、「年間の未払い賃金総額は3600万円に及ぶ」上、「地区責任者のチラシ配達給料からは、勝手に機械使用料が差し引かれ続けてきた」という「膨大な金の使途」について、「毎日まいにち、各新聞者から配送された新聞が、梱包のまま山のように積まれて、そして、一度も読まれることなく、真新しい『新聞』が『古紙』になっていく無残な現実」を挙げています。
 第4章「押し紙」では、「1日1トンを超える量の新聞が、梱包を開けられることもなく倉庫に運び込まれた後、昔は週2回、いまは週3回、富士市の古紙問屋の4トントラックが回収に来て運び去っていく」と述べ、「全国的に部数が伸びず、経営のきびしい『毎日』のばあい、入荷数は5290部で、そのうち実際に配達されるのは、わずか2300部程度で、残紙3010部は廃棄される」という、「異常な事態」を明らかにしています。
 そして、「会社は、この『押し紙』代金をねん出するため、長期にわたって、実にさまざまなことを行なってきた。年間1億円を超える巨大な『押し紙』代金は大新聞社への上納金のようなものなのだろうか」と述べています。
 また、広告社が、「チラシ配付部数は公称5万部と宣伝しており、広告主はこれを信じて請求された額を支払っていた」が、実際に配達される部数は10%減で、「5000部が水増し分」であることについて、「会社の中ではチラシの挟み込み・配達給料から不当な賃金未払い(代配のチラシ配達給料、地区責の機械使用料無断控除)を行いながら、外ではそのチラシの部数を偽り、広告主に過分に請求をしている」ことを指摘しています。
 そして、「こうした販売店の広告チラシの不正水増しも、背景には『押し紙』代金をなんとしてもねん出しなければならない不透明な傷口から、じくじくとしみ出てくる『膿』であると言えるかも知れない」と述べています。
 第5章「むしりとられた生涯保障」では、従業員から実員を預かり、「私は銀行口座を持っておりませんので、私の勤務する朝日新聞販売店主(東部新聞反会社)を代理人に定め、退職金を受け取ることを委任しました」という「委任状」を、退職金共済組合に提出していたことを突き止め、「会社は、退職者に直接支払われるべき退職金の一部を不正に得ようと画策したと見られても仕方のない行為」であることを指摘するとともに、朝退共自体も、「『委任状』があったとしても、販売店主の口座に振り込むことが違法なことであるのは十分承知しているはずだった」として、「朝退共もまた、重大な責任を問われること」であると指摘しています。
 そして、「こうした不可解な金の流れの背景には、『押し紙』の存在がはっきりとある」と指摘しています。
 しかし、地裁判決は、「原告らの請求をいずれも棄却する」という平成13年に原告敗訴、東京地裁での控訴審は平成14年に控訴棄却が言い渡されています。そして、控訴審の判決日に、原告団が行なった各新聞者本社前でのビラ撒きの一週間後、会社側から和解申し入れがあったことについて、読売新聞社の「ワンマン社長の一喝」があったのではないかと推測しています。
 本件の弁護を担当した星山弁護士は、この事件の意義として、
(1)就業規則もなく、年中無休で有給休暇もまったく認められなかった前近代的な職場に、労働基準法を曲がりなりにも適用させることができた。
(2)少数とはいえ、職場に、憲法・労組法で保障された労働組合が結成され、会社が勝手な労務管理をすることができなくなった。
(3)裁判では、労働者側が請求した一部しか認められなかったが、会社が違法な労務管理することを事実上やめさせ、被った損害も一部回復できた。
の3点を挙げています。
 終章「炎は消えず」では、「日本の一地方、静岡県三島の位置新聞販売店の労働者たちが、無権利な労働条件に気づき、立ち上がった」背景に、「大新聞社の『押し紙』という強権に屈服しなければやっていけない新聞販売店の弱みがあり、新聞社はこのしわ寄せを、さらに弱い配達労働者に向け、彼らから絞る取れるだけ搾り取ろうとしたこと」が、6年間戦った労働事件の「基本構図」であると解説しています。
 本書は、新聞配達の現場から染み出た「膿」をきっかけに、大新聞社の「闇」にかすかな光を当てた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書のストレートなタイトルにもかかわらず、押し紙の実態は広く認知されていないような気がします。
 押し売りで契約させられた新聞をクーリングオフで解約しても勝手に配っておいていくのは、そもそも販売店に新聞が余っているからであるのを知ったのは最近のような気がします。
 そう言えば、ダイソーで割れ物用においてある新聞紙は関東でも広島の新聞ですが、あの古新聞はどんなルートで回ってくるものなんでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・インテリが書いてヤクザが売ると言われている新聞の実態を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 崎川 洋光 『新聞社販売局担当員日誌』 2008年04月22日
 河内 孝 『新聞社―破綻したビジネスモデル』 2008年04月08日
 本郷 美則 『新聞があぶない』 2008年04月07日
 黒薮 哲哉 『新聞があぶない―新聞販売黒書』 2008年04月24日
 歌川 令三 『新聞がなくなる日』 2008年03月29日
 小林 弘忠 『新聞報道と顔写真―写真のウソとマコト』 2008年03月28日


■ 百夜百マンガ

スローニン【スローニン 】

 「アフター高校部活モノ」というか、甲子園で「落球」してしまった元高校球児と、ラグビーで「骨折」した元ラガーマンの緩いストーリーが実はたまらないというか、湘爆の後半ではなかなか出せなくなってしまったムードがよいです。

2008年5月22日 (木)

誤報―新聞報道の死

■ 書籍情報

誤報―新聞報道の死   【誤報―新聞報道の死】(#1218)

  後藤 文康
  価格: ¥735 (税込)
  岩波書店(1996/05)

 本書は、マスメディアが多様化・巨大化し、社会、人間に極めて大きな影響を与えるようになった現代における誤報の問題を、「犯罪報道を手始めに、情報操作によるミスリード、でっちあげなど、いくつかの誤報のパターンを実例をあげて分析・検証」しているものです。
 第1章「犯罪報道の深み」では、1994年に発生した「松本サリン事件」に関して、「この事件をめぐって新聞、テレビ、週刊誌などマスコミは、誤報の大合唱といった様相を示し、深刻な人権侵害を引き起こした」と述べています。
  そして、重大な誤報が反復される原因として、
(1)マスコミが、犯罪事件では捜査当局を最大で最重要の情報源にしていること。
(2)時間に追われ、確認が不十分なまま見切り発車式に報道してしまうため。
(3)他の新聞、テレビなどとの過剰な競争心理。
の3点を挙げています。
 また、1952年に大分県で起こった「菅生事件」を例に、「警察によるフレームアップ」を、「粘り強い取材と通信社の協力で、警察ぐるみの隠ぺい工作を打ち破って見せた」例として紹介するとともに、1988年の「大阪府警の警察官による拾得金十五万円の横領と、届け出た主婦犯人扱い事件に対するキャンペーン」の例では、記事が出る前夜に、警察署長から、「おたくの社には何人も知人がいる。君の各記事は没(掲載をやめること)にできる。書くなら対抗手段を考える」と圧力をかけられたことを紹介しています。
 さらに、1972年の京都の国立短大教授をめぐる「国際産業スパイ事件」の例では、「警察の公式発表によった報道であっても、刑法230条の2に基づく『真実と信ずべき相当の理由があったと言えず』と、判決で認定された意味は大きい。『発表だから』といって無条件では免責されず、発表の中身を吟味し、裏付け取材をする努力が必要」だと述べています。
 第2章「『第一歩』の重さ」では、
かつて福岡で起こった殺人事件で、「捜査幹部がそろって否定したのを押し切って、スクープとして速報した」誤報では、「確認を求めた記者に対し捜査幹部の一人が否定し続けたあげく、最後に『それほど自信があるなら書きなさいよ』と言った」ことであったことが紹介され、「日常生活でもよくある一種の捨てゼリフで、真に受けてはならないやりとりだった」が、「記者は自分の得た情報が間違いないという先入観から、幹部の返事を、すべて希望的、肯定的に受け取ってしまった」と述べています。
 そして、スクープを狙った「歴史的誤報」として、1926年12月25日、大正天皇が亡くなった際の元号事件を取り上げ、東京日日新聞の政治部記者が、「新しい元号は『光文』になるらしい」という情報をつかみ、元号を決定する「枢密院本会議が朝刊が配られる前には終わるという判断」から、「朝刊では決定したものとして報道」してしまい、実際には枢密院本会議は、午前9時過ぎまでかかり、発表された元号は「昭和」だったと述べています。
 著者は、「新聞の場合、事実が確定してから記事を書いていたのでは、編集、製作と渡って印刷に回るまで、どうしても時間がかかる」ため、古くから「予定稿」という習慣を多用し、「あとは輪転機に掛けるだけにしておき、決定を待つというやり方」だが、「安易に予定稿に頼ることの危険さ、実際に見てもいない光景を、見てきたように描写することの時代錯誤は、認識しておく必要がある」と指摘しています。
 また、「情報源を明らかにしない」ことを約束した情報源の秘匿のために、「○○筋によると」という報道が登場するのは、「ある程度は仕方のないこと」としながらも、大韓航空機爆破事件が、記者仲間が「スジだらけ」と自重する記事になってしまったことを解説しています。
 さらに、朝日新聞が、中国で1971年に起こった「林彪クーデター未遂、逃亡、飛行機事故死」をめぐる報道で、「新聞としての基本的な姿勢が問われ、その歴史に傷痕を残すほどの失敗をしている」と述べ、朝日新聞が、「日中関係の正常化」を「編集上の大命題」と位置づけていたため、「編集、論説陣の間には、中国の意に反する報道、論評を抑制するという空気が強くなっていた」ことを指摘し、朝日新聞が、「わが国のマスコミとして初めて」の「当時の編集局長と周恩来首相との単独会見」を企画していたことも、「中国の反発を買う報道、論評を控えさせる原因になった」と解説しています。
 第3章「世論を動かすという危うい力」では、関東大震災時の「朝鮮人暴動」のデマ報道など、「不確実な情報、出所の曖昧な伝聞、流言蜚語の類を、確認作業をせずに報道すると、社会に大きな害を及ぼす誤報を犯しやすい」と述べています。
 また、「誤報が、権力による統制・弾圧や積極的な情報操作によって作られる場合もある」として、「新聞前史とも言える『かわら版』以来、太平洋戦争終結までのわが国の言論・報道史は、そのまま政治権力による統制・弾圧の歴史だった」と述べています。
 さらに、湾岸戦争時に、「イラクがクウェートから故意に流した原油」によって油まみれになった海鳥の写真が世界中に配信されたことについて、「環境保護団体まで反イラク側に立たせたという点だけでも、米側の情報操作は成功し、マスコミはまんまと乗せられたことになる」と解説し、米元司法長官ラムゼー・クラーク氏が、湾岸戦争でのマスコミのあり方を、「スプーン・フェド・プレス(Spoon Fed Press)」、すなわち、「スプーンで食べさせてもらうプレス」と呼び、「自分で行動したり考える機会を与えられず、権力から情報を恵んでもらう報道」を意味すると述べています。
 著者は、「ジャーナリズム」という言葉が、「日々の重要なできごとを取材、報道、解説、論評、記録する機能」であると述べ、「与えられた情報を右から左へ流すだけの作業なら、ジャーナリズムの名に値しない」と語っています。
 第4章「『虚報』の闇」では、近年の朝日新聞の虚報記事として有名な、1989年4月20日の夕刊一面に、沖縄・西表島の大アザミサンゴにつけられた「KY」という文字の傷跡の写真を、「心ない自然破壊の実例として報道」したが、実は、「取材した朝日新聞写真部のカメラマンが自分で彫ってつけた傷跡」で、「写真は『捏造』だった」事件を取り上げ、この事件の背景として、
・激しい功名心:夕刊一面をカラーで飾る機会など、ベテランのカメラマンでも滅多にあることではない。
・朝日新聞が力を入れている自然保護のキャンペーンに、写真を役立てたいという思いが強かった。
の2点を挙げています。
 また、朝日新聞のみならず、「戦後の新聞史上、一、二を争う虚報」として、1950年9月27日の朝日新聞「伊藤律単独会見記」を取り上げ、神戸支局から送られてきた原稿に対し、「大阪本社の担当の通信部デスクから真偽について疑問が出た」が、「結局『現地がそこまで言うなら』と掲載を決め」、東京本社での疑問の声はさらに強かったが、結局、「大阪がそこまでがんばるなら」ということで、掲載されてしまった経緯を述べ、結局、「決定的な反証として、伊藤氏に会ったという時間に記者がいたという旅館が見つかった」ことが明らかになったと述べています。
 さらに、NHKスペシャルの「奥ヒマラヤ 禁断の王国・ムスタン」が、「番組のかなりの部分が『やらせ』だという指摘が、取材スタッフの中から出てきた」として、
・スタッフに高山病にかかった演技をさせた。
・少年僧が飼っていた子馬を水不足で死なせ、雨乞いをする場面があるが、死んだのは少年の馬ではなかった。
・流砂現象や落石の映像はスタッフがわざと起こして写した。
等の点を挙げた上で、当時のNHKの幹部の一人が、「再現のことをやらせといっているんだ。あれがそうなら、私が作ったのも、この前に放送したのも、やらせということになってしまう」と、「ドキュメントの場合でも事実の再現は許される」という考えを示したことを述べています。
 第5章「誤報の行方」では、「誤報」を防ぐためには、「その第一歩がやはり確認であることは疑いない」と述べ、「誤報防止は確認に始まり、確認に終わると言ってもいい」と述べています。
 また、「小さな誤報」が続くときは、「個人だけの問題ではなく、組織のどこかに緩み、緊張感を欠く要素があると認識した方がいい」と述べています。
 著者は、「情報の真偽を見分ける」ために「いちばん効果的なのは、いくつかのメディア――新聞だけで見れば複数紙を比較しながら読むこと」であると述べ、「犯罪事件の報道でいえば、情報の出所、クレジットがはっきり示されていない報道は、全面的には信用しないこと」だと述べています。
 本書は、元新聞記者自信が、誤報が発生するメカニズムを解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で扱われている誤報の例が、朝日新聞のものばかりなのは、朝日新聞に誤報が多いということなのか、朝日新聞出身者である著者の他の新聞社に対する仁義なのかははっきり分かりませんが、いずれにしても、「林彪クーデター未遂」にせよ、「伊藤律会見」にせよ、「サンゴKY」にせよ、誤報・虚報の典型例を朝日新聞が生み出してきたということは事実ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・新聞のいうことを真に受けてしまう人。


■ 関連しそうな本

 河野 義行, 浅野 健一 『松本サリン事件報道の罪と罰』
 河野 義行 『松本サリン事件―虚報、えん罪はいかに作られるか』
 河野 義行, 下村 健一, 林 直哉, 磯貝 陽悟, 森 達也 『報道は何を学んだのか―松本サリン事件以後のメディアと世論』
 河野 義行, 浅野 健一 『松本サリン事件報道の罪と罰』
 今西 光男 『新聞 資本と経営の昭和史 朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩』 2008年04月05日
 今西 光男 『占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎』 2008年04月27日


■ 百夜百マンガ

THEかぼちゃワインAnother【THEかぼちゃワインAnother 】

 いくら続編だからと言っても、そのまま27年後の中年の二人のラブコメディにするわけにはいかず、20代後半になったのではないかと思いますが、いっそ年をとらせないで舞台だけ現代にしてしまう、という方法もあったのではないかとも思います。

2008年5月21日 (水)

「反社会勢力」があなたの会社を食いつぶす!

■ 書籍情報

「反社会勢力」があなたの会社を食いつぶす!   【「反社会勢力」があなたの会社を食いつぶす!】(#1217)

  猪狩 俊郎
  価格: ¥1890 (税込)
  日本経済新聞出版社(2007/11)

 本書は、「暴力的威力を背景にして資金を集め、組織の維持・拡大につなげて」いる「反社会勢力」に対して、「企業の側が政府私心に乗っ取って暴排条項を規定し、反社会勢力の情報をデータベース化して活用し、具体的に相手方との取引を拒絶し、契約を解消していく動き」を実行していく上で直面する「様々な障害」を克服する手段を示しているものです。
 第1章「反社会勢力による企業活動への介入の脅威」では、「暴力団そのものの違法活動に対する対策だけでなく、暴力団が影響を及ぼしている様々な勢力が主体となって行う不当要求行為に対して、どのように対処していくかが問題となっている」と述べています。
 第2章「我が国の反社会勢力対策の実情・問題点」では、反社会勢力の不当要求による被害が減らない理由として、
(1)暴力団の「しのぎ」つまり資金獲得方法の変化
(2)暴力団の資金獲得方法の変化に伴ない、これに協力する勢力が増加してきた。
(3)我が国の立法・行政・司法機関の側の対応という要因
の3点を挙げています。
 そして、反社会勢力排除の方針が、「日本の一部の企業を除いて個別企業の内部ルールとしてきちんと取り入れられていなかった」ため、「有事の際に、各企業の担当者が明確な基準によらずに、不適切・過剰な対応をしてしまうということを十分防止できなかった」ことを指摘し、「このことが企業に対する不当要求行為が一行に減少しなかった大きな要因になっている」と述べています。
 第3章「反社会勢力からの被害防止システムの構築は取締役の義務だ!」では、平成18年5月施行の会社法に基づき、「これまで判例が善管注意義務を根拠に取締役に義務づけていた内部統制システム構築義務」が、「新たに実定法上の義務として位置づけられた」ことを解説しています。
 第4章「タイムリーに発表された政府指針」では、「反社会勢力の排除をさらに確実なものにするために、反社会勢力との関係社団を単なる『倫理』の問題にしておくのではなく、『法令遵守』に関わる重大な事項と考え、専門部署の設置、対応マニュアルの整備、警察・弁護士等外部専門家との連携による法的対応などにより問題を解決することを『手順化』し、『企業内部のルール』として確立することが必要となってくる」と述べています。
 第5章「企業における平時対応のあり方」では、「反社会勢力排除規則」の意義について、「具体的な場面を前提とした具体的なルールを企業内の業務上の規則として制定することで、どういう場面で誰が何をすればよいかが明確になり、また、そのルールが周知徹底されることで確実に実践されていくことになる」と述べています。
 そして、行動準則の裏付けとなる、担当部署の設置とその要員の配置、反社会勢力との取引・契約を防止するための事前審査の徹底などについて解説した上で、「反社会勢力対応のための『三種の神器』」として、
(1)暴力団排除条項(暴排条項)
(2)反社会勢力の情報
(3)対応マニュアル
の3点を挙げています。
 このうち、「暴排条項」については、「企業と、顧客・取引先・従業員および代理店との法律関係を規定する契約書等に、反社会勢力が当該取引等の相手方となることを拒絶する旨を規定するとともに、企業が当該取引が開始された後に相手方が反社会勢力であることを認識した場合は、契約を解除してその相手方を当該取引等から排除できる旨を規定するもの」であると解説しています。
 また、「反社会勢力の情報」については、「警察による暴力団情報の提供は、公式的にはかなり限定されており、警察からこれらの勢力の情報を入手することには相当の制限が設けられている」と解説しています。
 第6章「企業における有事対応のあり方」では、「反社会勢力による不当要求の手口」を、
(1)接近型:機関紙の購読要求、物品の購入要求、寄附金や賛助金の要求、下請契約の要求を行なうなど、「一方的なお願い」あるいは「勧誘」という形で近づいてくるもの。→理由をつけずに断ることが重要である。
(2)攻撃型:企業のミスや役員のスキャンダルを攻撃材料として公開質問状を出したり、街宣者による街宣活動をしたりして金銭を要求する場合や、商品の欠陥や従業員の対応の悪さを材料としてクレームをつけ、金銭を要求する場合→不祥事案を担当する部署が速やかに事実関係を調査し、虚偽の場合は不当要求を拒絶し、真実である場合にも、不当要求自体は拒絶し、当該事実関係の適切な開示や再発防止策の徹底等により対応する。
の2種類に分けて対応策をとるべきであると解説しています。
 また、近時の不当要求の手口と対処法として、
(1)街宣活動をするとの脅し
(2)監督官庁へ苦情申立てをするとの脅し
(3)社長宅などへの直接要求
(4)マスコミに通報するとの脅し
の4つのパターンについて、事例を解説しています。
 また、従業員の安全確保に関して、「反社会勢力が機関紙などの購入を求めて一方的に接近してくる場合」は、「数打てば当たる」式の意識があり、「企業の担当者が断固たる拒絶の態度を貫けば、あっさり諦めて次のターゲットを求めていくケースがほとんど」だが、「反社会勢力にとって、当該企業から関係を遮断されることにより被る打撃が大きい場合」には、「相当なリアクションも予想される」として、「役員、担当者に対する物理的な直接攻撃が発生する恐れもあるので、関係遮断を貫く上では、役員・従業員に対するセキュリティ対策がきわめて重要になる」と述べています。
 さらに、不当要求に対する民事的措置として、仮処分と本訴の2つの方法のうち、「早急に権利の実現を図る手段として、仮処分の手続きを活用することも多い」と述べ、「仮の地位を定める仮処分」として、
・暴力団が、損害賠償を口実に面談を強要したり、威圧的な言動によって企業に金銭の支払いを要求する行為→面談強要禁止の仮処分申立て
・右翼を名乗る者による、街宣車を使った企業を誹謗する内容の街宣活動→街宣活動を禁止するための街宣禁止の仮処分申立て
等の例を挙げ、「仮処分決定が出され、それが相手方に送達されると、相手方はそれ以上に企業に面談を強要したり、街宣行為を行なったりしなくなるのが普通である」と述べています。
 そして、反社会勢力による不当要求場面を「いかにリアルに再現できるかが刑事的措置に訴ええるかを判断する上で重要なカギとなる」として、「反社会勢力との会話録音は、交渉現場の生のやりとりを正確に再現するものであり、法的手続きにおいて証拠価値が高い」と述べ、「証拠保全のために秘匿して行う必要」については、
・会話録音は、自己の管理下にある個人情報を保存するものにすぎない。
・後日不当要求がなされたときの証拠とするために相手方とのやりとりを正確に記録しておくことは、企業にとっての正当な業務行為といえる。
・相手方が反社会勢力である場合には、相手方には保護されるべき権利利益がないと言ってよく、反社会勢力との面談を秘匿録音することは、同法17条に違反しないと考えて差し支えない。
の3点により解説しています。
 また、「立証活動のルール化」として、
(1)事実経過をきちんと時系列でまとめて報告書を作成すること
(2)相手方の名刺を受け取る、質問するなどして極力人定を特定する
(3)相手方との電話・面談の内容を録音する
(4)クレーム内容の調査報告書を作成する
の4点を挙げています。
 第7章「反社会勢力は証券市場を狙っている」では、「業績不振で株価が低迷、無名のファンドや仕手筋などに株式を買い占められてマネーゲームの道具に使われる上場企業」である「ハコ企業」について、「上場時の主力事業は大幅に縮小または撤退したり、経営陣や株主が頻繁に入れ替わったりする事例が多い」と述べています。
 本書は、「うちは関係ない」と思っているところこそ狙われてしまう、反社会勢力問題について、コンパクトに概説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 街宣車といえば、昔は古い中型バスを改造したような、黒塗りで巨大なスピーカーを積んで、まさしく「害戦車」といったいでたちでしたが、最近、首都圏では、黒いワンボックスカーにスピーカーをつけたタイプの街宣車しか見かけなくなったような気がします。
 というのもNOx法の関係で、古い街宣車は道路使用許可が取れなくなったために、しかたなくスケールダウンしたらしいという話なんですが、本当のところはどうなんでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・「反社会勢力」と対峙しなければならない職業の人。


■ 関連しそうな本

 下野新聞「鹿沼事件」取材班 『狙われた自治体 ゴミ行政の闇に消えた命』 2006年02月08日
 ベンジャミン・フルフォード 『ヤクザ・リセッション さらに失われる10年』 2006年02月18日
 小佐野 広 『コーポレート・ガバナンスと人的資本―雇用関係からみた企業戦略』 2006年3月7日
 岡本 浩一, 今野 裕之 『組織健全化のための社会心理学―違反・事故・不祥事を防ぐ社会技術』 2007年01月24日
 樋口 晴彦 『組織行動の「まずい!!」学―どうして失敗が繰り返されるのか』 2008年01月13日
 岡本 浩一, 本多‐ハワード 素子, 王 晋民 『内部告発のマネジメント―コンプライアンスの社会技術』


■ 百夜百マンガ

サトラレ【サトラレ 】

 内閣総理大臣直属の実行部隊、という設定がよくフィクションで出てきますが、なんだか「マーダーライセンス牙」を思い出してしまいます。

2008年5月20日 (火)

総理大臣とメディア

■ 書籍情報

総理大臣とメディア   【総理大臣とメディア】(#1216)

  石澤 靖治
  価格: ¥725 (税込)
  文藝春秋(2002/09)

 本書は、「アメリカで見られた政治とメディアの関係が、日本ではどうなっているのかを明らかに」し、「アメリカの現状と日本の状況にはどれくらいの距離があるのかを測ってみよう」とするものです。
 第1章「田中真紀子問題」では、「政治とメディア」という観点から、田中真紀子の言動をどう報じたかで、「日本のマスメディアの実像がそれぞれのシーンで見事なほど明らかにされた」と述べています。
 そして、田中真紀子が、「「これまでの政治とマスメディアの関係に挑戦状を突きつけた」として、「既存の政治メディアによる情報のインサイダー取引の状況を実例を持って明らかにし、それがワイドショーメディアでの発言によって抑止されうることを示した」と述べています。
 また、田中真紀子が、「外務省関係者や自民党議員からのリークと思われる行為によって、その不適切な言動が報道されて窮地に陥った際に、テレビカメラを通じて国民に向って話すことで問題をすり替えてその場を乗り切った」と述べています。
 さらに、「真紀子報道」は、「コマーシャリズムかジャーナリズムか」という意味で、「マスメディアにとっての踏み絵でありリトマス試験紙でもあった」と述べています。
 第2章「メディア政治の胎動」では、2001年2月1日から流される予定だった自民党宮城県連による「こんなんじゃ、私が総理大臣をやったほうがましよ!」というCMについて、「自分たちの政党の党首をストレートに批判するCMは前代未聞であり、世界的にもほとんど例を見ないものである」と述べた上で、テレビ局内の「考査」で、「ないように問題あり」とされて、「このCMを全面的に修正しなければ放送できない」と通告されたことを述べています。
 そして、「国民からの人気がある一方で言動にとにかく問題のある田中真紀子の暴走を封じ込めたこと」で、一躍脚光を浴びた、首相秘書官、飯島勲について、「小泉に毎日テレビカメラの前でしゃべらせた」という「デイリー・テレビ・インタビュー」戦略を取り上げ、
(1)このことで官邸からの情報発信を日常的に行うことができる。
(2)「ぶら下がり」で首相が口にした言葉が、実際に言おうとしていた文脈から大きく外れて一人歩きして大問題になったり、大きなイメージダウンにつながったりすることを下げ、カメラの前でそれを修正することもできる。
の2点を挙げています。
 また、飯島の一連の行動が、「アメリカの2つの政権のメディア戦略を思い起こさせる」として、
(1)スポーツ紙や雑誌など、官邸記者クラブに所属していないメディアに広く接触したことは、クリントンが選挙戦で、ホワイトハウス・ジャーナリズムではないジャーナリズムを通じてメッセージを届けた。
(2)各種の娯楽的なイベントに小泉を積極的に参加させた点が、レーガン政権と類似する。
の2点を挙げています。
 さらに、スポーツ新聞が、「一般の新聞で最も読まれる題材を集めて、それを単純化して大きな見出しで人々の感情に訴える紙面づくりをしている」として、「ある意味でスポーツ紙は日本の男性読者に最も熱心に読まれる媒体」であると述べています。
 第3章「2001参院選とメディア」では、土井たか子社民党党首が、「憲法おばさん」に扮したCMについて、社民党が広告評論家の天野祐吉に「最も旬なCM制作者」として、前田知巳を推薦してもらったと述べています。
 そして、2001年参院選でメディア選挙が本格化が一気に進まなかった理由として、「CMや選挙キャンペーン全体を請け負う広告代理店との関係」を挙げ、「評判の高い選挙CMを流している政党と広告代理店が良好な関係を成立させている」ように、「政党と広告代理店とがどれほどの信頼関係を打ち立てているか」が重要であると述べています。
 また、日本の選挙CMとアメリカの選挙CMとの大きな違いとして、
(1)アメリカの選挙は候補者本人が行なうのに対し、日本では政党のCMである。
(2)日本のスポットCMの時間が15秒と短いこと。
(3)ポジティブキャンペーンの不在
の3点を挙げています。
 さらに、参院選の社民党のCMが、テレビ局の考査を「通ればもうけもの」くらいに考え、それが拒否されると、「テレビ局に抗議するとともに、記者会見を開いてそのCMを記者たちに見せて、いかにキー局の考査が理不尽であるかということをアピール」し、「社民党の見解とこの選挙CMが、夕方のニュースで全国に向けて大きく報じられた」ことを、「他党に比べて財政的に乏しい社民党が、CMではなくパブリシティを使おうとした、かなり高度なメディア戦略である」と評しています。
 第4章「政治記者と政治家 Part1」では、「政治記者は、政治の様々な場面で重要な役割を担ってきた」と言われていることについて、「政治のプレイヤーとしての政治記者」の行動がリアルに描き出されている書籍として、伊藤昌哉の『実録自民党戦国史』を取り上げています。
 そして、彼らが「政治のプレーヤー」になる理由として、「これまで政治記者は政治家に『食い込む』ことが求められてきた」として、中でも派閥担当記者は、「食い込む」ことが要求されてきたと述べています。
 また、「政治家が政治記者に接しようとする」理由として、
(1)政治記者から情報を取るため
(2)政治記者の意見を聞くため
の2点を挙げています。
 さらに、「政治記者が政治そのものであった時代」の代表例として、
(1)NHKの「シマゲジ」こと島啓次(保守本流の宏池会)
(2)読売新聞の「ナベツネ」こと渡邉恒雄(大野伴睦、河野一郎、中曾根康弘ら傍流)
の2人を挙げています。
 第5章「政治記者と政治家 Part2」では、「政治記者から政治家の秘書になった人たち」について、「政治記者でもなく、さりとて実際の政治のプレーヤーでもなく、悪く言えば中途半端な立場に彼らはいる」と指摘しています。
 そして、『実録自民党戦国史』を著した大平正芳のアドバイザーだった伊藤昌哉が、「一言でいえば、私の時代は『新聞記者が政治をしていた』と言っていい。つまり新聞記者が政治家の間を飛び回り、情報を伝達して政治を動かしていた」、「情報は政治家にとって命だ」と語っていることを紹介し、「政治と情報、政治記者と政治家、政治記者から政治家秘書という関係と役割が見事に浮かび上がってくる」と述べています。
 第6章「メディア宰相と政策遂行」では、毎日カメラの前に立つ「デイリー・テレビ・インタビュー」が、「同時にそれは自分の新鮮さを毎日毎日、猛烈に消費していくことを意味する」と述べています。
 著者は、「メディア政治の勝者は、政治家でもメディアでもない。マス・デモクラシーの主役である国民である」と述べた上で、「メディアが舞台にあげた政治家を笑いものにし、おもちゃにするだけで喜んでいるような愚かで卑しい態度であってはならない」と述べています。
 本書は、日本の政治、特に総理大臣をめぐるメディアの関わり方の一端を見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本では、前代未聞のメディア戦略を駆使して評価された小泉政権ですが、世界的に見ると、メディア政治の先進国であるアメリカの後追いの戦略と位置づけることができる、という本書の分析は、出版から6年経った今でも、その新鮮さを失っていないと思います。


■ どんな人にオススメ?

・ワイドショーで政治家を見る機会が増えたと感じる人。


■ 関連しそうな本

 上杉 隆 『小泉の勝利 メディアの敗北』 2008年04月11日
 飯島 勲 『小泉官邸秘録』 2008年01月30日
 竹中 治堅 『首相支配-日本政治の変貌』 2006年12月26日
 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日
 清水 真人 『官邸主導―小泉純一郎の革命』 2007年03月19日
 御厨 貴 『ニヒリズムの宰相小泉純一郎論』 2007年03月08日


■ 百夜百マンガ

速攻生徒会【速攻生徒会 】

 作者の出世作にして、格ゲーの興奮とお約束を漫画に持ち込んだ作品。結局、この作品の世界観をその後も要求されてしまったのが残念ですが。

2008年5月19日 (月)

人間行動に潜むジレンマ―自分勝手はやめられない?

■ 書籍情報

人間行動に潜むジレンマ―自分勝手はやめられない?   【人間行動に潜むジレンマ―自分勝手はやめられない?】(#1215)

  大浦 宏邦
  価格: ¥1680 (税込)
  化学同人(2007/11/20)

 本書は、「なぜ社会的動物のはずの人間が自分勝手にふるまうことがあるのだろうか。そもそも自分勝手とはなんなのだろうか。自分勝手をやめるとはどういうことで、そのためにどんな方法があるのだろうか」という問題を、「進化ゲーム理論」によって解説するものです。
 序章「自分勝手とはなにか」では、我々が、「自分勝手な振る舞い」に対する「並々ならぬ嗅覚を文化を超えて備えている」ことについて、「自分勝手を嗅ぎ分ける真理的なメカニズム」を「裏切り者探知モジュール」と解説しています。
 そして、「自分勝手な行動」を、「自分の利益になる一方で、他人に不利益をもたらす行動」であると定義しています。
 第1章「2種類の自分勝手の発見」では、有名な「囚人のジレンマ」について解説した上で、「自分勝手」を、
(1)良い自分勝手:囚人のジレンマにならない自分勝手
(2)悪い自分勝手:囚人のジレンマになる自分勝手
に分類し、「自分の自分勝手に寄る利益が相手の自分勝手による不利益を上回ればよい自分勝手、下回れば悪い自分勝手」であると解説しています。
 第2章「上品、短気、寛容」では、「動物の社会行動の進化を説明するために考案した理論体系」である「進化ゲーム理論」について解説した上で、1979年に、アクセルロッドが「強そうな戦略を募集してコンピュータ上で対戦させてみる」という「アクセルロッド・シミュレーション」を開催したことを紹介しています。
 そして、第1回、第2回の選手権大会ともに、「最初は協力し、2回目以降は前回相手の出したとおりの手を出すという戦略」である『しっぺ返し』が首位を占めたことを紹介し、『しっぺ返し』戦略が、「単純さの中に、非協力の連鎖を誘発しない『上品さ』と、相手の非協力に機敏に反応する『短気さ』と、協力関係の再建を可能にする『寛容さ』を兼ね備えたすぐれた戦略であることが明らかとなった」と述べています。
 第3章「協力するのはお得?」では、「囚人のジレンマに似ているけれども、参加者が3人以上の状況」を、「社会的ジレンマ」と説明したうえで、「社会的ジレンマにおいて協力行動がとられやすい」場合として、
・社会的動機の持主のとき
・プレーヤーの間にコミュニケーションがあるとき
・仲間意識が強いとき
・周りが協力しているとき
・人数が少ないとき
・匿名性が少ないとき
・罰則があるとき
等の場合を挙げています。
 また、「非協力者が受ける罰」であるサンクションにはコストがかかることを説明したうえで、「サンクションのコスト負担をめぐるジレンマ」である「二次ジレンマ」によって、「サンクションを与える人はいなくなると予想されるのに対し、実際には実験に参加した人は嬉々として非協力者にサンクションを与える」ことについて、「サンクションのコストが小さければ、集団選択の効果が弱くてもサンクションを提供する戦略が得になることが可能であり、さらにサンクションの効果で協力的な行動をある程度安定的に維持できる」と解説しています。
 第4章「闘争は回避できるか」では、生命体の中で、「他の遺伝子が作ったタンパク質を使って、ひたすら自分の複製をつくる」遺伝子が増えていくと、「実務タンパク質をつくる遺伝子は材料を奪われて次第に数を減らしていく」という「社会的ジレンマ」の解決に関して、「協力的な遺伝子が多い集団の方が自分勝手な塩基配列が多い集団よりも、遺伝子の増殖速度が速くなる効果をサンクション遺伝子が増幅している」と述べています。
 第5章「共感と攻撃性のコントロール」では、「一般に他者の感情を自分のものとして感じる現象」である「共感」に関して、「ゲーム理論的に大変興味深い効果を持っている」と述べ、「共感が順位制とは異なる闘争回避を実現する可能性を示す」と解説しています。
 そして、「攻撃性のアクセルとブレーキ、共感のアクセルとブレーキが備わったことで、ヒト社会をくみ上げていく材料が揃ってきた」として、それが哺乳類が「哺乳」戦略を採用し始めたことであると述べています。
 第6章「みんなに合わせる」では、「殺すなかれ」と「盗むなかれ」という規範が、「非常に普遍的なもの」である一方で、「自分の集団とは異なる外集団のメンバーに対しては、適用されない場合もまま見られる」と述べるとともに、自己啓発セミナーなどの勧誘で「同じ○○沿線」など、「相手との些細な共通点を強調することで仲間意識を演出し、相手を説得しやすくする」説得技法である「グランファルーン・テクニック」について解説しています。
 そして、「自分より弱い相手に威張り散らす一方で、自分より上位の者や強いものには手のひらを返したようにぺこぺこ服従する心理傾向」である「権威主義」に関する問題点として、
(1)オーバーサンクション:権威主義的な攻撃は自分の利益や満足のためにサンクションをかける、いわば「自分勝手なサンクション」なので、全員の利得を上げることなどおかまいなしに、些細な自分勝手にもサンクションをかけがちである。
(2)外集団に対して攻撃性を持つ点。
の2点を挙げ、仲間意識や権威主義が私たちに要求する行動である、「自集団にプラスで外集団にマイナス」という行動を、「自集団勝手な行動」と名付けています。
 また、「若者の自分勝手」という問題について、「若い世代も他者への共感や権威主義的な服従性を十分もっている」とした上で、年配の世代と比べて、「他人志向」や「社会への関心」といった項目が大きく異なることを指摘し、「今の日本では大まかに言って70代以上で伝統志向、40~50代で内部志向、20~30代で他人志向の人が多くなる傾向がある」と述べています。そして、「他人とうまくやっていくこと」を信条とする他人志向者が、「なにかをする前に、周りがどう思うかを気にする」一方で、「そういう配慮をしない人間に対しては他人志向者は冷淡で、場の盛り上がりについて来れなかったり、水をさしたりするものは『空気読め』といわれていじめや排除の対象にされてしまう」ことを指摘し、この場合の「仲間内」とは、クラスの中の仲良しグループや、サークル仲間、バイト仲間など、「みんな」と表現される、「せいぜい十数人の同族集団全員」を指し、「若者のグループが盛り上がってくると、手をパンパン叩いてはしゃぎだすことがある」のは、「当人たちにとってはその場の盛り上がりに『乗る』ことが至上命題で、周りの迷惑になるからやめようという意識は希薄である」からであると解説しています。
 著者は、「若い他人志向世代が他の世代と比べて得に自分勝手なわけでも、自集団勝手なわけでもない」と述べ、「それぞれが従う自集団が異なっているため、うえの世代から見ると若い世代が自分勝手に見える」と述べています。
 終章「自分勝手はやめられるか」では、「理論的にも現実的にも自集団勝手をやめるのは難しい」とした上で、「自集団勝手の弊害を減らす方策」として、
(1)必要以上に他人に対してカリカリしないこと。
(2)自集団の範囲を広げること。
の2つの方法を挙げています。
 本書は、生物学から発達した進化ゲーム理論を用いて、人間の社会行動の仕組みの一部を解説してくれる良書です。


■ 個人的な視点から

 本書は、進化ゲームの本なのですが、出てくるイラストは、人間が多いのが特徴です。各章に「マクラ」が設けられ、ボリュームも大体同じ、3章以外は、各章に1点ずつイラスト付き、という構成から、おそらく雑誌に連載されたものではないかと思いますが、その点でも、読みやすさが伝わるのではないかと思います。
 なお、それでも進化ゲームらしい点としては、第4章(p.134)にカンブリア紀の「バージェス・モンスター」の代表的存在であるアノマロカリスが登場したり(単に描きたかっただけかもしれませんが)、第5章でカッコウの託卵(ドーキンスの『利己的な遺伝子』?)のイラストが載っています。
 ところで、第2章の「ワボンゴ」の実を持った先史時代陣のネタ元はなんなのでしょうか。なんとなく有名な話なのではないかという気もします。


■ どんな人にオススメ?

・人間は自分勝手なものだと思う人。


■ 関連しそうな本

 鈴木 光男 『社会を展望するゲーム理論―若き研究者へのメッセージ』 2008年03月17日
 アビナッシュ ディキシット (著), バリー ネイルバフ (著), 菅野 隆 (翻訳), 嶋津 祐一 (翻訳) 『戦略的思考とは何か―エール大学式「ゲーム理論」の発想法』 2005年01月31日
 梶井 厚志 『戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する』 2005年02月20日
 R. アクセルロッド (著), 松田 裕之 (翻訳) 『つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで』 2005年12月20日
 リチャード・ドーキンス (著), 日高 敏隆, 岸 由二, 羽田 節子, 垂水 雄二 (翻訳) 『利己的な遺伝子』 2006年09月26日
 ウィリアム パウンドストーン 『囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論』 2006年09月11日


■ 百夜百マンガ

働きマン【働きマン 】

 アニメ化もドラマ化もされた作品ですが、個人的には週刊誌とスポーツ新聞を読まない人間なので働きぶりの中身がいまいち分かりにくいのが難点です。

2008年5月18日 (日)

X51.ORG THE ODYSSEY

■ 書籍情報

X51.ORG THE ODYSSEY   【X51.ORG THE ODYSSEY】(#1214)

  佐藤 健寿
  価格: ¥2625 (税込)
  夏目書房(2007/04)

 本書は、「X51.ORGというサイトを運営しながら、世界の奇妙なニュースや、奇妙な事件を日々収集することをライフワークとしている」著者が、「2003年から2006年にかけ」、「UFOや雪男を求めて海外を歩き、この目と耳で見聞してきた、視察記録の集大成」です。
 著者は、「現地で一体何が起こっているのか」は、「行ってみたところで、結局何も分からない場合だった多々ある」が、「『分からない』ことが自分で『分かれ』ばそれは大きな発見なのだ」と述べています。
 第1部「北米編」では、「エリア51」について「例えばギターを抱いたロック少年ならば誰しも武道館を夢見るように、それはオカルトを志す少年にとって永遠のあこがれの地であり、そこを訪れることは、いわば一度は果たさなければならない、聖地巡礼なのである。つまりエリア51に行く、という事実こそがすべてなのだ」と語っています。
 そして、「エリア51の始まりにして終わりの地点、すなわち陰謀のイコンとでもいうべき、世界一有名な『立ち入り禁止』の看板」として、エリア51入口の「Restricted Area」(立ち入り禁止)の看板について、「これほど絵になる看板も珍しい」と述べ、その先の丘の上に停車する「カモデュード(エリア51を警備する謎の集団)」の様子を伝えています。
 また、ロズウェル事件について、「1947年、米政府がロズウェルで円盤と異星人を回収し、それを現代に至るまで隠匿し続けている」という「衝撃的事実」のため、「現代におけるUFO問題のゼロポイントとして、以降、大きな注目を集め続けることになる」と述べています。
 第2部「南米編」では、「戦争の終結とともに生まれた2つの謎――南米へと生き延びたアドルフ・ヒトラー、そしてアメリカの空を脅かし始めた空飛ぶ円盤、この遠い2つの点と点が、線でつながった瞬間、そこには『南米のナチス円盤開発秘密基地』という20世紀最大の謎が、まるで亡霊のように、しかし鮮やかに立ち現れた」と述べています。
 そして、現在は「勝ち組」の象徴として知られる国際ジャーナリストの落合信彦氏(ノビー)が、『20世紀最後の真実』で、「南米に離散したナチス残党、そして彼らが秘密基地で作り続けるUFOという前代未聞の謎」を取り上げたことについて、「中にはあまりのショックにノビーに反旗を翻し、批判するものさえ現れた」と述べています。
 著者は、ノビー本の「UFO秘密基地説」について、
(1)ナチスが戦争中、円盤型の新型飛行機を開発していたという噂
(2)ヒトラー始めナチス幹部の亡命先として存在した「エスタンジア」の噂
(3)近年まで野放しにされていたカルトコミュニティ「コロニア・ディグニダッド」の噂
の「3つの謎めいた噂がノビーの頭の中で何となく、あるいは恣意的に合成され、そこにフリードリヒ氏の強烈な追い風も受けて、いつしか『南米におけるナチス残党のUFO開発説』として強引に、そして確信犯的に展開されたものではないか」と述べ、「ノビーははじめから、ナチスのUFO伝説などには興味はなかったということでる。しかし何らかの政治的、思想的理由などにより、ノビーはこのコロニア・ディグニダッドの存在を、調査し、世間に知らしめたかった。そしてUFOという『飛び道具』を通じて、ゴシップ的関心を集めてでも、世間の注目を集めたかった」のではないかと推測しています。
 第3部「アジア編」では、「アジアにおける、2つのオカルト的双璧」である、「シャンバラ」と「イエティ」を取り上げています。
 そして、現代では「理想郷」の代名詞として一般化している、「ハンバラ」と「シャングリラ」、「アガルタ」について、「厳密には、それぞれの起源は異なっている」として、それぞれ解説しています。
 また、我々が「イエティ」とよぶものが、「現地においては実際のところ、すくなくとも『イエティ』『ミティ』という2つの種類が存在し、彼らがそれぞれ区別されている事実」を述べ、「イエティ」が、オスで、ヤクは襲うが人間は襲わず、「神、あるいは聖なる動物、精霊」とされ、「見ると災いが起こる」とされるのに対し、「ミティ」は、メスで、ヤクだけではなく人間を襲って食べることがあり、動物で、見ても災いは起こらないとされていると述べています。
 そして、イエティとミティにそれぞれに「性別」が存在する理由について、チベット民族の起源とされる神話が、「聖なる猿」と「肉を喰らう鬼女」であることを取り上げ、「現在のイエティとミティの性別分けや特徴、半人半猿的というイメージ、そしてさらにはイエティが神として崇められる理由――イエティの起源の秘密を、象徴的かつ、包括的に説明しうるものなのでは」ないだろうかと推測しています。
 本書は、大きくなった元「オカルト少年」たちにとっては、夢を思い出させてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 オカルト好きの人たちっていうのはどこのクラスにも必ず1人はいて、休み時間になると、他のクラスの同好の士たちと「ムー」とかを囲んで激論していたものですが、あの人たちの多くは、年を経るとともにオカルトから足が遠のいてしまうものなのでしょうか。

■ どんな人にオススメ?

・昔、矢追純一の「木曜スペシャル」を見て怖くて眠れなくなった人。


■ 関連しそうな本

 皆神 龍太郎 『UFO学入門―伝説と真相』
 ジャン-ジャック・ヴラスコ, ニコラ・モンティジアニ 『UFOは…飛んでいる!』
 落合 信彦 『20世紀最後の真実―いまも戦いつづけるナチスの残党』
 ジム・キース (著), 林 陽 (翻訳) 『ナチスとNASAの超科学』
 唐沢 俊一 『新・UFO入門―日本人は、なぜUFOを見なくなったのか』
 デボラ・ブラム (著), 鈴木 恵 (翻訳) 『幽霊を捕まえようとした科学者たち』


■ 百夜百音

鳥の詩【鳥の詩】 杉田かおる オリジナル盤発売: 2004

 今ではすっかりこの当時の清純派キャラはなくなってしまったのですが、この当時に一緒に歌っていた同年代の人たちがほとんど姿を消してしまった今、生き残っていること自体、相当なものです。

『』

2008年5月17日 (土)

ウェブ人間論

■ 書籍情報

ウェブ人間論   【ウェブ人間論】(#1213)

  梅田 望夫, 平野 啓一郎
  価格: ¥714 (税込)
  新潮社(2006/12/14)

 本書は、『ウェブ進化論』で知られる梅田望夫氏と、『日蝕』で芥川賞を受賞した小説家の平野啓一郎氏が、ウェブ世界の現状と未来について語った対談です。
 第1章「ウェブ世界で生きる」では、「インターネットが人間を変えるのであればどのように変えるのだろう」というテーマを持っていた平野氏が、『ウェブ進化論』から刺激を受け、一方、同時多発テロ後、「自分の生き方を変えようとしていた」梅田氏が、平野氏の『葬送』を読んで、「自分よりも年下の人、それも1970年以降に生まれた若い人たちと過ごす時間を積極的に作ることで時代の萌芽を考えていきたい」と決断したと、お互いに影響を語り合っています。
 また、平野氏は、2004年当時のパリにネットカフェができたときに、「誰も口を利かずに隣の人でなく何千キロ、何万キロと離れた場所の人とずっとやりとりしている」という光景を挙げ、「世界中どこでも、本当にコミュニケーションの際の『時空』の把握の仕方が変わってきているなという印象を強く受け」たと語っています。
 さらに、梅田氏は、アマゾンの「なか見!検索」について、「これからすべての書物はデータベース化されて検索可能となる方向へシフトする」と述べ、「ここまでは主にそれが理系のところで起きたけれども、次の十年は文系の方までその波が及んでくる」と語っています。
 そして、梅田氏がブログではなく『ウェブ進化論』という本を書いたことについて、「考えを一つの構造にまとめるのに適したメディアはやはり本しかない」と述べ、「ブログの本当の意味」は、「ブログを書くことで、知の創出がなされたこと以上に、自分が人間として成長できたという実感がある」と語っています。
 第2章「匿名社会のサバイバル術」では、平野氏が、「都市部と地方とでは、ネットによる恩恵の実感ってかなり差があるんじゃないか」として、東京のような大都市では、「一個人の中のいろんな面を引き受けてくれる、いわば受け皿がある」と語っているのに対し、梅田氏が、「ネットの魅力の感じ方って、リアルな空間での自分の恵まれ度に反比例する」と答えています。
 また、平野氏は、「ネットでブログをやっている人の意識」を、
(1)リアル社会との間に断絶がなく、ブログも実名で書く人。
(2)リアル社会の生活の中では十分に発揮できない自分の多様な一面が、ネット社会で表現されている場合。
(3)一種の日記。
(4)リアル社会の規則に抑圧されていて、語られることない内心の声、本音といったものを吐露する場所としてネットの世界を捉えている人たち。独白的なブログ。
(5)一種の妄想や空想のはけ口として、ネットの中だけの人格を新たに作ってしまっている人たち。
の5種類に分けられると語っています。
 さらに、梅田氏は、「リアルに戻ってこないと本当に大きくは稼げないし、社会に変化をもたらせない」として、「マクロで見ると、匿名でできることの集積というのは案外小さいという予感」があると述べています。
 第3章「本、iPod、グーグル、そしてユーチューブ」では、「世界中の本を全部スキャンして、ネット上に公開するというプロジェクト」の進行について、平野氏が、「表現者はもはや、守られるべき弱者ではないか」と述べているのに対し、梅田氏は、「出版をめぐる仕組みも、表現者が金を稼ぐ仕組みも、これから大きく変化していく」として、「その新しい流れと、どう折り合いを付けていくかという問題」だと応え、出版社側にも、「中身が検索できるように公開した方がビジネスとして得かもしれない」という論理が出来始めているとして、「ベストセラーは中身検索ができないほうがいいが、ロングテールの部分、本の少ししか売れない本については中身検索できた方が、出版社、著者、読者三方にとっていいのではないかというコンセンサスがこれから確実に生まれていく」と語っています。
 また、梅田氏が、本とCDの一番の違いとして、「本はプレイヤーがいらないスタンドアローンなメディア」であることを挙げ、「紙という『材質としての価値』がプレイヤーという機能として本に付随している」ことを指摘しています。
 さらに、梅田氏が株式会社「はてな」の取締役になるための「通過儀礼」として、「われわれの議論の中には、必ずアナロジーが出てくるから、一緒に経営をやってく上でこれを全部見てくれないと共通理解ができない」ため、『スター・ウォーズ』のDVDを全部見ることと言い渡されたというエピソードが紹介されています。
 第4章「人間はどう『進化』するのか」では、将棋の羽生氏が、「将棋の場合でも、とにかく情報量が圧倒的になっている」として、「情報の量がいずれ必ず質に転化する」という仮説を持ち、「シャワーのように情報を浴びて刺激を受けていて、しかもインプットの質が圧倒的によくなっている」ので、「頭がよくなるに決まっているじゃない」と語っていることを紹介しています。
 また、平野氏は、「人間の変容という観点に絞ってみれば、やっぱり多くの人が自分で自分を言語化してゆくようになった」ことが圧倒的に大きく、「その中で、自分が今までよりもよく分かったり、逆に自分を錯覚してしまったり、固定化してしまったりする」と語っていることに対し、梅田氏は、「アイデンティティが固定化されると、同じことを考えている人との共振があって、趣味や専門の『島宇宙』化していって、そのコミュニティの充足を目指していく」ことを、「今までよりもずいぶん幸せな選択なのではないか」と肯定しています。
 本書は、ネットによって人間がどう変わっていくかを、小説家の目で照らしながら、考えるきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で面白いのは、『ウェブ進化論』でネットで変わる社会を楽天的に見据えることのできる視点を提供した梅田氏のカラッとした前向きさに、小説家である平野氏が、ときどき着いていけなくなりそうになるなるところではないかと思います。来るべき未来の危機感をあおりながらも、楽天的な解決策(提案)を示すのがコンサルタントであるのに対し、時代の変化を前にした人間内面を描いていく小説家の仕事は、この部分では対照的なのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・ウェブは人間をどう変えるか、が気がかりな人。


■ 関連しそうな本

 梅田 望夫 『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』
 平野 啓一郎 『日蝕』
 平野 啓一郎 『葬送』
 ピーター モービル (著), 浅野 紀予 (翻訳) 『アンビエント・ファインダビリティ―ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』 2007年11月26日
 ジェームズ・スロウィッキー 『「みんなの意見」は案外正しい』 2006年08月29日
 佐々木 俊尚 『グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する』 2007年11月20日


■ 百夜百音

タモリ【タモリ】 タモリ オリジナル盤発売: 1977

 今ではすっかり「笑っていいとも」の人という印象しかないかもしれませんが、元々は、昼間の番組はおろか、深夜番組以外は登場させてはいけないような、アングラな「芸人」というか「面白い人」です。最近は、場を盛り上げる「芸人」は増えましたが、「面白い人」というのは減ったような気がします。

『ラジカル・ヒステリー・ツアー』ラジカル・ヒステリー・ツアー

2008年5月16日 (金)

メディアの法と倫理

■ 書籍情報

メディアの法と倫理   【メディアの法と倫理】(#1212)

  大石 泰彦
  価格: ¥2625 (税込)
  嵯峨野書院(2004/03)

 本書は、「マス・メディアやジャーナリストによる取材・報道活動を"法"と"倫理"という二つの社会的ルールの観点から分析し、批判する学問分野である『メディア倫理法制』の概説書」です。
 著者は、「メディア倫理法制」の特徴として、「"社会科学"としての性格に加えて"実践活動"としての性格をも有していること」を挙げています。
 第1章「表現の自由・総論」では、日本国憲法の規定する人権のうち、マス・メディアをめぐる法的・倫理的問題の考察に深くかかわる特徴として、
(1)憲法が、国家に対して、人権を保障してゆくに際して、人権を保障するために国家が個人に対して一切介入や干渉をしないという態度と、人権を保障するために国家が積極的に行動し政策を実現してゆくという態度の、基本的に二つの態度を使い分けるべきことを示唆している点。
(2)この憲法が、それが明文で保障する人権以外にも、人間の生命・自由・幸福追求にとって不可欠であり、かつ、日本国憲法制定以降の社会状況の変化の中で新たに認識され生成されてきた利益については、これを人権の射程内に収めるものとして解釈されてきた点。
(3)この憲法に規定される人権の享有主体は、基本的に自然人に借りられないという点。
の3点を挙げています。
 そして、表現の自由の規制が、
(1)事前抑制:ある表現物が不特定多数者に向けて公表される以前の段階で、問題のある表現物に対して規制を加えること。
(2)事後制裁:表現物が発表されて世の中に出回ってから、問題の表現物を発表したものに何らかの制裁を加えること。
の2種類の方法に大別できると述べています。
 第2章「取材・報道の自由(その1)」では、「取材・報道の自由」について、「マス・メディアの自由のうち、国民の知る権利に奉仕する目的で行なわれる諸活動の自由であり、表現活動の準備段階である取材活動の自由もその射程内に収める」特色を有していると述べています。
 また、行政部(官庁)に対する取材に関する最大の論点として、「いわゆる行政秘密(国家秘密)に対する取材活動の自由の問題」を挙げ、国家公務員法第111条の「そそのかし罪」の規定が、「ジャーナリストの取材活動にまで適用されるか否か」について、「西山記者事件」を取り上げています。
 第3章「取材・報道の自由(その2)」では、「情報公開制度や個人情報保護制度といった情報法制がマス・メディアの取材・報道にもたらす影響、および、取材・報道の自由を背後から支える2つの原則」として、
・取材源の秘匿
・取材フィルム・テープの目的外使用の禁止
について論じています。
 そして、個人情報保護法が、「マス・メディアの取材・報道の自由に対しても重大な影響を持つ」ことを指摘し、第50条において、「報道機関に対する適用除外規定」をおいていることを解説した上で、「報道機関に対する適用除外は、いわゆる"特権"の一つ」であり、「本質的にマス・メディアに認められるべきものではなくジャーナリストに認められるべきものであるという原則」を述べています。
 また、再販制度を主張する人々の論拠として、
(1)言論の多様性の維持
(2)全国同一価格での基本的情報の提供
の2点を挙げています。
 第5章「放送制度とインターネット表現」では、わが国において、「『通信』『プリント・メディア』『放送』の各メディアごとにその自由制約の論理構造(あるいは、自由保障の水準)はそれぞれ異なって」いると述べた上で、「インターネット表現の自由の構想」として、
(1)放送モデル説
(2)プリント・メディア・モデル
(3)自主規制モデル説
の3点を挙げています。
 第6章「名誉毀損」では、名誉毀損を、「公然と事実を嫡示し、人の名誉を毀損」する行為であると述べています。
 そして、「マス・メディアなどの表現行為の自由と人格権の一つとしての名誉の保護とのバランスをとることにある」と述べ、「名誉毀損的な記事や番組が免責されるために必要な三要件」として、
(1)公共性要件:問題の記事において提示された事実が「公共の利害に関する事実」に該当すること
(2)公益性要件:事実の提示が「専ら公益を図る目的」で行なわれること
(3)真実性要件:問題の記事が真実であると認められること
の3点を挙げています。
 また、「ある事柄に関する意見の表明」によって、「ある人物の社会的評価の低下がもたらされる可能性」の場合に、「名誉毀損の成立・不成立を判断するため」のルールとして、「公正な論評(フェア・コメント)の法理」を挙げ、名誉毀損的な論評であっても、
(1)その論評の前提となる事実が、その主要な点において真実であること
(2)その論評の目的が専ら公益を図るものであり、人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱したものでないこと
(3)その論評の対象が、公務員がその地位において行なう行動など公共の利害に関する事実であること
の3要件を満たす場合には免責される、と定式化しうるルールであると解説しています。
 第7章「プライバシー侵害」では、プライバシー侵害を、
(1)私的領域への侵入
(2)私生活上の事実の公表
(3)肖像・氏名の無断利用
の3つに類型化しています。
 そして、プライバシー侵害の救済手段に関して、「ある人のプライバシーすなわち私的領域は、人の名誉すなわち社会的評価とは異なり、いったんそれが侵害されれば、謝罪広告を始めとする何らかの事後的措置によってはほとんどその回復が認めない点に特徴を有する」として、「その救済手段に関して事前差し止めの果たす役割が名誉毀損の場合に比べて高まることは必然的」であると解説しています。
 第8章「性表現規制」では、性表現の規制理由として、
(1)青少年の保護
(2)差別の禁止
(3)見たくない人の保護
の3点を挙げています。
 第9章「差別的表現規制」では、「差別的表現」と呼ばれるものの中に、
(1)積極的差別表現:ある特定の個人・集団を差別する明確な意思を持って行なわれる表現
(2)消極的差別表現:とくに差別的な意図で公表されたものではないが、そこに看過することのできない差別的なメッセージや言葉遣いが含まれている表現
の2種の表現が含まれると述べています。
 そして、差別的表現に対する規制の是非に関して、
・規制否定説
・規制肯定説
の両説を挙げ、規制否定説の論拠として、
(1)差別的表現に対しては法規制によるのではなく、対抗言論、すなわち反論や抗議によって対応することが正統的であり、得策である。
(2)国家、特に警察が介入することの危険性。
(3)規制対象を極めて狭く限定せざるを得ない点。
の3点を、規制肯定説の論拠として、
(1)差別的表現の場合、普通の表現の場合には存在している論争の対象性が存在していない。
(2)差別的表現は犯罪であるという、いわば"旗印"を立てることによって啓発的・教育的な効果が望める。
(3)表現の自由は、人間の人格や個性を発現するものであるとともに、民主主義のシステムを作動させるものとして重要な人権だが、差別的表現に関しては、このどちらの局面においても存在価値が低く、したがって規制を躊躇する必要はない。
の3点を挙げています。
 第11章「犯罪報道」では、犯罪視報道をもたらす要因として、
(1)犯罪に直面した読者・視聴者多数の抱く本能的な欲求・感情
(2)犯罪の"イベント化"
の2点を挙げた上で、犯罪視報道のもつ問題性を克服あるいは回避するための改革論として、
(1)原則匿名報道主義
(2)主観報道主義
の2点を挙げています。
 また、犯罪被害者報道に関して、マス・メディアが、「遺族の周辺に多数の取材陣を繰り出し、遺族宅の玄関前に張り付かせ、容赦なく呼び鈴を鳴らし、少しでも外出の気配があればカメラを向け、望遠レンズで室内の様子を撮影しようとさえ」し、「遺族宅の周辺では、マス・メディアの車両が道路を塞いだり、報道に煽られた(?)心無い"野次馬"や"見物客"が交通渋滞を惹き起こすほどに集まるといった現象も見られ」たと述べています。
 第12章「権力報道」では、「わが国の権力報道には、諸外国のそれと比べて際立った特徴が存在」しているとして、「権力に対する取材が『記者クラブ』という独特の集団を通じて行なわれていること」を指摘しています。
 そして、記者クラブの有する問題点として、
(1)記者クラブの閉鎖性
(2)「黒板協定」と「オフレコ取材」に象徴される談合性
(3)記者クラブが政治・社会権力による情報操作の温床になりかねない点
の3つの性格を問題視しています。
 また、「ジャーナリストと権力との関係のあり方を考える際に忘れてならない」倫理的論点として、「メディアはその報道において、事件の真実を客観的に、すなわち性格かつ忠実に伝えなければならず(事実性原則)、したがってニュース内容から記者個人の意見は排除されるべきである(没評論原則)とする考え方」である「客観報道主義」がもたらす功罪を挙げ、わが国において、1946年の「旧・新聞倫理綱領」において採用され、2000年の「新・新聞倫理綱領」においても継続されていることを指摘しています。
 第13章「報道倫理の諸問題」では、天皇・皇室報道の倫理を論じる際に見落としてはならない点として、ジャーナリストに対するテロ行為の問題を挙げ、戦後の代表的なジャーナリズムへのテロとして、「天皇や皇族が革命で処刑されるシーンを」描いた1961年2月の「風流夢譚」事件と、1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件を取り上げています。
 また、虚報・やらせを生み出す要因として、
(1)世論を作為的に誘導することに懼れを感じないマス・メディア(ジャーナリスト)の傲慢さ
(2)取材での成果や出世を求める気持ち、すなわち"功名心"の暴走
(3)衝撃性や娯楽性を追及しようとするジャーナリストや番組制作者の本能的な"面白主義"
の3点を挙げています。
 本書は、権力を監視するメディア自体をきちんと監視するための眼を持たせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「表現の自由」の話は、憲法の問題に直結するので、言葉遣いが難解な印象があるのですが、読みやすい一冊でした。
 ちょうど、平行して読んでいた『三丁目の猟奇』にちょうど、「風流夢譚」事件が取り上げられていたのでタイムリーな感じでした。


■ どんな人にオススメ?

・マスコミは広告主以外は、何事にも囚われず自由だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 唐沢 俊一 (著), ソルボンヌ K子 (イラスト) 『三丁目の猟奇』
 徳山 喜雄 『報道危機―リ・ジャーナリズム論』 2008年03月30日
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 2005年07月13日
 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 2005年09月07日
 河崎 吉紀 『制度化される新聞記者―その学歴・採用・資格』 2006年11月10日
 川上 和久 『情報操作のトリック―その歴史と方法』 2007年10月12日


■ 百夜百マンガ

三丁目の猟奇【三丁目の猟奇 】

 『三丁目の夕日』にあやかるつもりはまるでないでしょうが、『鎌倉物語』なんかは結構猟奇テイストなエピソードもあって、違和感がないんじゃないかと思います。

2008年5月15日 (木)

YouTube革命 テレビ業界を震撼させる「動画共有」ビジネスのゆくえ

■ 書籍情報

YouTube革命 テレビ業界を震撼させる「動画共有」ビジネスのゆくえ   【YouTube革命 テレビ業界を震撼させる「動画共有」ビジネスのゆくえ】(#1211)

  神田 敏晶
  価格: ¥735 (税込)
  ソフトバンククリエイティブ(2006/12/16)

 本書は、「ユーチューブを取り巻くさまざまな現実を見つめ、動画共有革命が生み出す新しいビジネスや文化について、具体的な事例を紹介しつつ、考察」しているものです。
 第1章「動画共有革命の衝撃」では、「ネットの世界で一番の激戦区である動画コンテンツ提供という荒海」にあって、「ユーチューブという小さなボート」が、「見事なクルージング技術で切り抜けてきた」ことが、「グーグルがユーチューブに魅力を感じ、買収した理由の一つ」であると述べています。
 また、ユーチューブのチャームポイントとして、
(1)無料で大容量の動画をアップロードできる投稿機能
(2)膨大な作品の検索を可能にするタグ機能
(3)動画でコミュニケーションする共有機能
(4)埋め込みタグによるブログスフィア活用
(5)ひかえめな宣伝
(6)おおらかな著作権保護対応
の6点を挙げています。
 第2章「ユーチューブのメディアパワー」では、ユーチューブに登場する「ネット映像らしいコンテンツ」として、「街中や公園で『FREE HUGS』と書かれた看板を掲げて通りかかる人々にアピールし、趣旨を理解して歩み寄ってきた人とやさしくハグ(抱擁)しあう」という「FREE HUGSキャンペーン」や、ソニーの薄型テレビ「ブラビア」のテレビCMのパロディ作品の例などを挙げた上で、「消費者の手によってコンテンツが生成されるメディアのことをCGM(コンシューマ・ジェネレーテッド・メディア)と呼ぶ」ことにナラって、「消費者が勝手に作る広告のことをCGCM(コンシューマ・ジェネレーテッド・コマーシャル)と呼ぶ」と述べています。
 また、CGCMが直接的に売上げアップにつながった事例として、「メントス&コーク」の一連の作品を紹介しています。
 第3章「方向転換を余儀なくされるテレビ業界」では、「ハードディスクレコーダーの登場で長時間録画が可能」となったことで、「いつでも瞬時に選択した番組を再生できる」、本格的な「タイムシフト」が実現するとともに、メモリースティックなどへの書き出しやインターネット経由での転送による、「見たい番組を見たい場所で見る『プレイスシフト』」が実現可能となったと解説しています。 また、「これまで、テレビの市場価値を測るモノサシは視聴率しかなかった」が、「いまや、視聴率の価値は崩壊寸前まできている」として、現在の視聴率には、「録画は含まれていないこと」を指摘し、「今後は番組の人気度を計るバロメーターとして、既存の視聴率だけではなく、『録画率』や『再生率』などもサーベイ(調査)されないと意味がない」と述べた上で、さらに、「広告主は視聴率よりも、商品&サービスへのトランザクションレート、つまり購買につながったか否かで番組を評価すべきである」と述べています。
 著者は、「テレビCMによる無料放送ができる『地上波テレビ』」を、「テレビ1.0」と呼んだ場合に、「保存されたデータでネットワーク上で高精細な巨大なディスプレイに映せるものであればなんでも『テレビ2.0』に括られるようになった」本書の出版から2年後の世界(2008年)を想像しています。
 第4章「動画共有が創造するビジネスモデル」では、「ネット広告業界全体が動画サイトへのCMをどう行なうか模索しているなか、ユーチューブではいくつかの試みが始められている」として、
(1)参加型動画広告(Participatory Video Ads = PVA)」:レート付けやコメント付加など、ユーチューブのコミュニティ機能をすべて備えた広告形式
(2)ブランドチャンネル:ブランド力を喚起するために、企業やアーティストと連動する広告チャンネル
の2点を紹介しています。
 そして、2006年に「ナイキジャパンがインターネットCMに参入した」第1弾CMが、「オタクの聖地『アキハバラ』」で、「1人のサラリーマンが突然、戦隊もののコスプレをした集団に追いかけられ、アキハバラを逃げ回る」という内容であったことを紹介しています。
 第5章「著作権2.0を考える」では、「ユーチューブといえば著作権、著作権といえばユーチューブというくらい、何かとユーチューブと著作権の侵害問題はセットで話題にされる」とした上で、「オリジナリティのある優れたコンテンツをどうやって集めるか」が、「大きな課題の一つ」だと述べています。
 そして、「テレビ局からの著作権侵害や訴訟問題で違法サイトのレッテルを貼られたユーチューブ」が、「最初の頃はすぐに消えてしまうバブルなドットコム企業の一つ」と思われたが、実際には、「ユーチューブを目の敵にしているはずのテレビ局をはじめとしたコンテンツメーカーが次々と提携を持ちかけてきた」と述べています。
 また、「著作者の名誉や作品の意図を守るために、いくつかの権利(Some Rights)は存在するが、それ以外のコンテンツの自由な利用を妨げる権利は放棄するという意思表示のあり方」として、ローレンス・レッシグ教授が提唱した「ネット時代に対応できる新しい著作権の仕組み」として、「クリエイティブ・コモンズ」について解説しています。
 第6章「ユーチューブ後の世界」では、「いかに、自分たちのサービスとの接触時間をユーザーに保ってもらうかが命題となっている」として、「シェアの奪い合いの時代から、ユーザーの『可処分時間』を共有し、『競争から共創』する時代へと向う」と述べています。
 そして、「他人に教えたくなる映像とは、画質や音質などの品質クオリティではなく、笑いのツボや空気感を伝えているものであるから人を魅了する」として、「映像を検索できるツールとしてユーチューブを一度認識してしまった僕たちは、既存のサービスが提供する、検索できない映像に対して不満やストレスを感じ始めている」と述べています。
 また、「Living My Life Faster」や「メントス&コーク」のような、ユーチューブで流行するクリップに共通する「法則性」として、
(1)誰もが少しの努力でまねができそうと思える
(2)新しい表現手法に出会える
(3)自分でもやってみたいと思わせる
(4)さらに知人に知らせたくなる
(5)続々と同じことを始める人がでてくる
の5点を挙げ、「ユーチューブの世界観は、世界のユーザーが、小学校の一つのクラスに集められたかのように、世界中にネットワークされているところに意味があるのかもしれない」と述べています。
 本書は、ユーチューブの紹介・解説とともに、「ユーチューブ後」の世界をわかりやすく語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 ユーチューブといえば、誰でもカンタンに画像をアップロードできることから、著作権的にまずい画像でも無料でたくさん見ることができる、動画の「置き場」としての性質が強調されすぎてきた気がしますが、むしろその本質は、検索やネットワークの方にあり、その意味では非常にグーグルの思想に近いのではないかと思います。
 動画を「マイミク」のようにネットワーク図的に表示する機能もつくようになりましたが、近い将来、動画だけではなく、Webページもこのネットワークに飲み込んでいくと、グーグルのトップページはユーチューブの画面になってしまうのではないかとさえ思います。
 また、グーグルが「グーグル・デスクトップ」でPC内のファイルも検索対象にしたように、ユーチューブのネットワーク図にローカルのドキュメントやメールが関連づけられるようになるのではないかとも予想します。


■ どんな人にオススメ?

・動画がつながる世界を体験したい人。


■ 関連しそうな本

 佐々木 俊尚 『グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する』 2007年11月20日
 ピーター モービル (著), 浅野 紀予 (翻訳) 『アンビエント・ファインダビリティ―ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』 2007年11月26日
 アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日
 スティーヴン・ストロガッツ (著), 蔵本由紀, 長尾力 (翻訳) 『SYNC』 2006年04月10日
 吉野 次郎 『テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか』 2008年05月03日
 池田 信夫 『電波利権』 2007年05月07日


■ 百夜百マンガ

火星人刑事【火星人刑事 】

 単行本がなかなか出版されないことで知られている人ですが、『陸軍中野予備校』の時は、最終巻の6巻を買おうとして、間違えて2冊5巻を買ってしまったこともあります。

2008年5月14日 (水)

超人気ワークライフバランスコンサルタントが教える キャリアも恋も手に入れる、あなたが輝く働き方

■ 書籍情報

超人気ワークライフバランスコンサルタントが教える キャリアも恋も手に入れる、あなたが輝く働き方   【超人気ワークライフバランスコンサルタントが教える キャリアも恋も手に入れる、あなたが輝く働き方】(#1210)

  小室 淑恵
  価格: ¥1365 (税込)
  ダイヤモンド社(2008/3/14)

 本書は、「ワーク・ライフバランス」の伝道師として、コンサルティングや講演に全国を飛び回っている著者が語った、「ワーク・ライフバランス的キャリア指南書」です。同じ著者のこれまでの著書と比較すると、『新しい人事戦略 ワークライフバランス』がコンサルタントとしてのメインの顧客である企業の人事担当者を主なターゲットにしていたものであり、『結果を出して定時に帰る時間術』が入社3~5年目くらいの会社員の女性を主なターゲットとしていたのに対し、より「人生」にシフトしているというか、「長い目で見た仕事生活のパターン」としての「キャリア」をどう組み立てていくか、という視点から書かれています。その意味では、本書のメインターゲットは、20代後半から30代前半、結婚や出産を前にして、自分の「人生」と「キャリア」をどうバランスさせていくかに悩む高学歴女性がメインのターゲットといえるでしょうか。そうなると、「ワーク・ライフバランス」というよりも、「キャリア・人生バランス」という感じなのかもしれません。本の装丁も表紙の著者の写真も、ちょっとフェミニンさと「仕事できる感」を強調した印象を受けますし、本文も、これまで以上に自らの生い立ちを語っている部分がある一方で、内容的にはきちんとビジネス書としての格調を持っています。
 「プロローグ」では、「ワーク・ライフバランス」という考え方を、「ライフ(プライベート)を充実させることでワーク(仕事)の効率や成果がアップし、そのことでまたライフ(プライベート)が潤っていく好循環を生み出す」と解説し、著者がここにたどり着くまでの、
(1)大学3年生のときに聴いた猪口邦子教授の講演
(2)自分を変えるための1年間のアメリカ生活
(3)大手化粧品会社でのビジネスモデルコンテスト優勝
(4)コンサルティング会社の起業
の4つのステップを語っています。
 第1章「『仕事』と『プライベート』がうまくいかないのはなぜ?」では、「人生がなかなかうまくいかない」原因として、
(1)仕事で頑張るには、何かを犠牲にしなければならない
(2)弱みを見せず男性と同じように働くことが、あとに続く女性たちのためになる
(3)子どもの都合でフルに働けないのは、会社に申しわけない
(4)女性には、いろいろ人生の選択肢がある
(5)いったん専業主婦になると、働くのはパートしかない
(6)仕事のコツを上司や先輩から教わるために、長い時間行動をともにしたほうがいい
(7)女性は短距離型、男性は長距離型
(8)若手がすぐ辞めるのは、本人に問題があるからだ
の8つの「誤解」を挙げたうえで、「実は学生時代まで、私自身がどっぷり信じていました」と、「"筋金入り"の専業主婦志望」であったことを語っています。
 第2章「私はこうして、キャリアも恋も手に入れました」では、学生時代の著者が、「女性としての幸せをつかむには、仕事なんかしちゃいけない。両立はできないんだ」と思い込み、「負け戦にわざわざ出て行って、完全に負けたりしたらつらいな」と考えていた著者が、大学の授業で聞いた、猪口邦子上智大学教授(当時)の講演をきっかけに、「自分は変わらないといけない」と考えるようになり、1年間休学してアメリカ行きを決めたことを語っています。
 そして、アメリカでは、ベビーシッターの経験から、育児休業中にキャリアアップしている女性と出会い、「日本も働いて子育てができる国にしたい」というテーマを見つけるとともに、当時日本ではまだまだ高額だったインターネットと出会っています。著者は、このアメリカ時代の経験から、「新しい環境でしかできない『新たに得られるもの』に意識が向き出すと、新しい環境を前向きに、ポジティブに楽しめるようになっていく」と述べています。
 また、大手化粧品会社に入社し、営業の仕事を経験する中で、「お店のお手伝い」に時間を割かれる「丁稚サービス」営業からの脱却を図るために、「グチと文句ばかり言っているようにしか聞こえないことも、相手が無意識のうちに発している相談なんだ」と気づいたことから、「お店のイタリアンレストラン化計画」など売上げ向上の提案書をまとめる営業スタイルを身に付けた経験を語っています。
 その後、入社2年目の社内ビジネスモデルコンテストでは、「社のビジネス領域を超えた斬新な」新規事業プランで優勝し、「育児休業者の職場復帰支援」プログラムは「次世代育成法」という追い風を受けて社外にも売れ始めますが、導入企業から、
・男性の育児休業者が使いにくい
・年配男性の介護休業に対応できないか
・メンタルでの休業者に対応できないか
などの不満の声を受け、「個人がいろいろな事情を抱えていても、働き続けられる職場づくりを支援するビジネス」の需要に気づき、起業を決意したことを語っています。
 さらに、社長業と生活の両立に関しては、夫婦で交代で子どもの面倒をみる生活が、「子どもにとって理想的な家庭ではないのではないか」と考え、「家族のワーク・ライフバランス」、すなわち、「平日も夫婦がともに仕事の時間をやりくりして、家族で一緒に過ごす時間をきちんと確保すること」が欠かせないと語り、「個人のワーク・ライフバランス」だけではなく、「家族の絆が深まるようなワーク・ライフバランス」の重要性を訴えています。
 第3章「ワーク・ライフバランスのための小室流仕事術」では、「20代に毎日『残業』という切り札を使って成果を出していた人は、育児や介護などでその切り札を使えなくなる」として、「時間制約のない20代こそ、短時間で成果を出す方法にチャレンジする」べきだと述べています。
 また、ワーク・ライフバランスは、「さりげなく、でも堂々と情報発信し、周りの理解を得、さらには巻き込んでいくことが重要」だと述べています。
 第4章「信頼できるパートナーの見分け方、つきあい方」では、「ワーク・ライフバランスを実践し、少しずつプライベートの時間ができれば、会社の外でいろいろな出会いを増やせる」と述べています。
 そして、「パートナーを見分ける"目印"」として、「女性のまじめな話を最後まできちんと聞く人かどうか」を挙げています。
 また、日常生活の中でのワーク・ライフバランスにとって欠かせない、夫の家事については、「夫を部下にしない」ために、「ぐっと我慢して、ほめながら相手が自分で気がつく」のを待つことや、「8割ほめて、2割付け足す」という「もったいない理論」を紹介しています。
 第5章「ワーク・ライフバランスが日本を救う」では、第1章で挙げた8つの「誤解」が生まれた背景について解説しています。
 また、「高い付加価値を提供しなくてはモノやサービスが売れない時代には、思い切りライフの時間を持っている人のほうが、アイデアに満ち溢れて高い成果を短時間であげている」と述べています。
 さらに、「国がワーク・ライフバランスを言いはじめた理由」について、「このままでは年金や医療などの社会保障制度を根本から見直さざるを」得ないことを挙げ、その対策として、
(1)子どもを増やすこと
(2)女性の社会進出
の2つがあることを解説しています。
 著者は、「これからの日本に必要なこと」として、「お互いの多様性を認め合うこと」を挙げ、「そのためには、ひとりひとりが多様な経験をする」必要があると述べています。
 本書は、主に女性のキャリアを問題に取り上げていますが、男性にとってもキャリアと人生を考える上で大きな示唆を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 よくよく見ると、タイトルで「超人気」って自分で書いちゃうのはいかがなものかと思ってしまうのですが、現実に「超」が付いてまったく恥ずかしくないくらい「人気」となっています。そして、周囲を含めたそのテンションの高さが、本書の勢いになっているのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・キャリアと人生のどちらも諦めたくない人。


■ 関連しそうな本

 小室 淑恵 『新しい人事戦略 ワークライフバランス―考え方と導入法―』 2007年08月22日
 小室 淑恵 『結果を出して定時に帰る時間術』 2008年02月20日
 金井 壽宏 『働くひとのためのキャリア・デザイン』 2005年01月30日
 山田 正人 『経産省の山田課長補佐、ただいま育休中』 2006年10月10日
 佐々木 常夫 『ビッグツリー 私は仕事も家族も決してあきらめない』 2006年10月31日
 大沢 真知子 『ワークライフバランス社会へ―個人が主役の働き方』 2006年07月24日


■ 百夜百マンガ

スローステップ【スローステップ 】

 少女マンガの雰囲気を少年/青年漫画に持ってきて成功した人の作品を、少女漫画に持って帰ったらどうなるか、という意味で興味深い作品です。読むのはやっぱり男の人が多いのかもしれませんが。

2008年5月13日 (火)

ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性

■ 書籍情報

ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性   【ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性】(#1209)

  荻上 チキ
  価格: ¥735 (税込)
  筑摩書房(2007/10)

 本書は、「ウェブ上の特定の対象に対して批判が殺到し、収まりがつかなそうな状態」である「炎上(した・している)」に関して、「インターネット上での集団行動が社会にもたらす影響について考えると同時に、『インターネット上での集団行動が社会にもたらす影響について考える』ための能力を養うことを目的」としたものです。著者は、自らを、「テクスト論とメディア論を専門に研究しつつ、人文系のニュースを中心に常にウェブ上のさまざまな話題に対してアンテナを広げてきたブロガー」であると述べています。
 第1章「ウェブ炎上とは何か」では、ウェブが、「『みんなの意見』をデータベースに取り込み、履歴を積み重ねていくことで、より上質のサービスを個人に向けて提供してくれる」ものであるとして、「あたかも独自の生態を持った生物のようなもの」と述べ、映画『マトリックス』を例に、「人間に欲望の発露の回路を与え、底でコミュニケーションを行なうためにアクセスしてくる『人間』による書き込みやファイルの投稿を糧に、どんどん成長」していると解説し、「人が生み出したものでありながら、人の手を離れて独自の成長を遂げるそのさまは、『怪物(リヴァイアサン)』のようでも』あると述べています。
 そして、インターネットの「生態」(特徴)として、
・「可視化」:限りない数の情報を目に見えるようにする。
・「つながり」:情報と情報をどんどんつなげていく。
の2点を挙げ、「今や、多くの人がインターネットを欲望の媒介にして降り、同時にインターネットは多くの人の欲望を媒介することでどんどん発展」すると述べています。
 また、インターネットが、「度を過ぎれば『民主主義』に対して打撃を与えることさえある」として、アメリカの憲法学者キャス・サンスティーンが提唱した概念である「サイバーカスケード」について、「サイバースペースにおいて各人が欲望のままに情報を獲得し、議論や対話を行なっていった結果、特定の――たいていは極端な――言説パターン、行動パターンに集団として流れていく現象」と解説しています。
 著者は、「ウェブ上の集団行動がネガティブな形で機能すること」も多くあるが、「そのメカニズムは、ポジティブな形で機能するケースと同じ原理を根幹において共有しており、その原理を踏まえないでカスケード現象に対して批判を展開しても有害無益になる可能性が高い」と指摘しています。
 第2章「サイバーカスケードを分析する」では、「インターネットのおかげで、特に若者を中心としてコミュニケーションが劣化している」という「メディア有害論」に関して、コミュニケーションの齟齬は、「ウェブ以後」に突然始まった現象ではなく、「『ウェブ以前』の社会であれオフライン上であれ、常にある程度見受けられてきたこと」であると指摘し、例として、「集団で討議を行なう際、人が異なる意見へと歩み寄るよりは、もともと持ち合わせていた性質を強化する傾向にあり、討議を終えると人々は当初の意見の延長線上にある極論へとシフトしていく可能性が高くなるという現象」である、「集団分極化(group polarization)」を挙げ、「『話が通じない』という状況は、いつだってあちこちでおこっていること」であると述べています。
 そして、ウェブが、「つながることへの欲望を人に与えるばかりでなく、そのつながり方を規定することさえある」として、「ウェブというメディアが特定の方向へとコミュニケーションをつなげていくというその物質性」について、「技術的条件や物理的条件、社会的条件、生物的条件などを、統計などのデータを元に利用し、人を特定の方向へ誘導する力」である「アーキテクチャ」という概念を挙げ、「かつてないほどに大きな影響力をもちつつある」アーキテクチャの力について、「規律訓練型権力(ディシプリン)」と対比する概念として「環境管理型権力」という言葉を紹介しています。
 第3章「ウェブ社会の新たな問題」では、「インターネットは、リアリティの希求に一つの発露先を与えて」くれるとした上で、イラク人質事件にまつわる言説を例に挙げ、「カスケードによって議論の枠組み自体が固定化されていってしまった点」に着目し、「ある問いのフレームが大きくなることで、他の問いのフレームをかき消してしまった」という、「立ち位置のカスケードだけでなく争点のカスケードが起こった」ことをポイントとして挙げています。
 そして、「サイバーカスケードが問いのフレームを構築し(争点のカスケード)、問いのフレームがある種の回答を優位に立たせてしまう(立ち居地のカスケード)という二重のカスケード」であると述べ、「インターネット上での二重のカスケードは、リアリティの構築をあっさりと実現(誘導)してしまい、それに対する対抗軸を立てるのが難しくなってしまう」と述べています。
 また、「既存のカスケードに対して、別の対抗カスケードを構築すること」がウェブ上で頻繁に行なわれるとして、ゲーム脳バッシングやジェンダーフリー・バッシングを中和するための「まとめサイト」が広げられたことを解説しています。
 第4章「ウェブ社会はどこへ行く?」では、「情報操作の専門家」を意味する「スピン・ドクター」という言葉について、「スピン」を「特定の思想や党派にとって有利に働くような状況をもたらすために、情報を操作することで世論のムードを変えることを意味する言葉」であると解説し、ウェブ上で、「チームセコウ」「ホロン部」等の存在が、「工作員」という意味で冗談交じりで言及される述べています。
 そして、「カスケードそれ自体は肯定されたり否定されたりするものではなく、それを解釈する文脈や、それを惹き起こしている環境との関連で吟味される必要」があると述べています。
 また、個人のリテラシーの重要性を説明する際、「鮫島事件」を例に挙げ、「インターネット黎明期の、アングラな空気が漂う匿名掲示板だからこそ起こった、思い出すのもおぞましい悲惨な事件」であるとして、「おおっぴらに語ることがタブーとされている事件を語るような口調で楽しみあうジョークの作法」であると解説しています。
 著者は、「どのように形を変えようと、カスケードはそこそこに発生」するとして、「筆者はそれを、希望として共有するために本書を執筆した」と結んでいます。
 本書は、インターネットがあることが当たり前の社会を生きるための、世の中の仕組みの知識を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で取り上げられているサイバーカスケードについては、なかなか読んだだけでは想像がつきにくいのではないかと思います。個人的には最近あまり熱心に2ちゃんねるやブログのコメント欄を読まなくなっているので、「祭り」を見に行くこともなく、リアルタイム感がなかなか実感できない気がします。


■ どんな人にオススメ?

・自分のブログが炎上する恐怖がある人。


■ 関連しそうな本

 キャス サンスティーン (著), 石川 幸憲 (翻訳) 『インターネットは民主主義の敵か』 2005年11月21日
 ローレンス レッシグ (著), 山形 浩生 (翻訳), 柏木 亮二 (翻訳) 『CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー』 2005年2月1日
 エリック・スティーブン レイモンド (著), 山形 浩生 (翻訳) 『伽藍とバザール―オープンソース・ソフトLinuxマニフェスト』 2005年10月22日
 川上 善郎 (編集), 高木 修 『情報行動の社会心理学―送受する人間のこころと行動』 2005年11月19日
 パトリシア ウォレス (著), 川浦 康至, 貝塚 泉 (翻訳) 『インターネットの心理学』 2005年10月15日
 岩崎 正洋(編著) 『eデモクラシー』 2005年05月02日


■ 百夜百マンガ

交響詩篇エウレカセブン【交響詩篇エウレカセブン 】

 コミック単行本の各巻のサブタイトルが、「BLUE MONDAY」「UNKNOWN PLEASURE」「NEW WORLD ORDER」「HERE TO STAY」とか、日曜の朝7時に流してはいけないような曲ばかりです。中心スタッフが1970年生まれだからだそうですが、同世代感にもほどがあるという感じです。
 ちなみに、登場人物の「マシュー」のネタ元として、Wikipediaではサーファーとかから引いていましたが、この世代で「マシュー」と言えば「マシュー・スウィート」だろうが。と思うんですが。少なくとも「マシュー南」ではないように思います。

2008年5月12日 (月)

自治体財政のツボ―自治体経営と財政診断のノウハウ

■ 書籍情報

自治体財政のツボ―自治体経営と財政診断のノウハウ   【自治体財政のツボ―自治体経営と財政診断のノウハウ】(#1208)

  小西 砂千夫
  価格: ¥1995 (税込)
  関西学院大学出版会(2007/12)

 本書は、「財政という観点で、住民が役所を監視するためのノウハウをお伝えすること」を通じて、「住民本位の行政運営の実現」に貢献することを目的とするものです。著者は、「財政の世界は自治体の職員であっても畑が違えば親しみがないというほど、専門化された世界」であるとして、「住民の目線で、どうすれば自治体の財政がわかるか」を自らへの課題としたと述べています。
 第1章「住民はどうやれば自治体の暴発をチェックできるか」では、「財政再建団体になれば楽になれる」という「誤解」に対して、「再建団体の職員の主な仕事」は、「政策を考えることではなく、できるだけ人件費を節約して、税金の取り損ねを少なくすることだという位置づけになって」しまい、「自治を支える自治体職員のモティベーション(士気)は下がり気味になりがち」であると指摘しています。
 そして、夕張市を例に挙げ、「他団体と比較して、異常なほどの貸付金と回収金があった」という状態が「4年間続いていた」として、「どうも尋常ではない財政運営が行われているのではないか、と見ることが」できると述べています。「116%」という経常収支比率についても、「自治体では経常費に宛てるための借金はできませんから、116%ならば100%を超える16%分の財源はどこから持ってきたのだ、という疑問が生まれます」として、「経常収支比率が116%などという数字は、赤字地方債が出せない以上は、単に財政状況が悪化しただけではたたき出せません」と指摘しています。
 第2章「自分たちの税金がなにに使われているか(1) 初級編」では、予算書について、「誰の決裁で何に何円まで使えるか」を表している、と述べ、「公権力の暴走を避けるために予算による縛りを重視し、事後ではなく事前の監視を重視している」点を、「企業との一番の違い」であると解説しています。
 そして、「役所の建前主義を乗り越えて、住民とともに懸案を考えようとする姿」として、「事業別予算」を上げ、日本の事業別予算書のさきがけとして、北海道ニセコ町の「もっと知りたいことしの仕事」を紹介しています。
 第3章「自分たちの税金が何に使われているか(2) 上級編」では、「これまで外部委託をしていた庁内の清掃を職員が行なうようになった結果、たとえば年間3000万円のコストを引き下げたといった成果を強調するケース」について、「一見すると、努力しているよう」に見えるが、「職員の時間単価を考えると、どうみても外部委託のほうが安い」と指摘し、「職員の時間単価はイクラで、清掃の外部委託とどれだけ違うか、というコスト感覚があれば、職員に清掃をしてもらうことが効率的という判断はできない」と述べています。
 また、事業別予算と総合計画との関係について、「総合計画と予算の事業区分に整合性がないと、たいへん困ったこと」が起きる、すなわち、「総合計画の進捗管理ができない」ことを指摘しています。
 第4章「自治体の財政診断(1) 初級編」では、「自治体の財政比較で使われるデータは、すべて決算統計に基づいてなされるものであり、簡易版である決算カードにすべて載って」いるとして、「決算統計・決算カードは決算分析資料として最重要」であると述べています。
 そして、「起債制限比率」について、「毎年の返済額のしんどさを表現していますが、借金の残高の重さは量れません」と述べています。
 また、「わが国の地方自治の特徴」として、「規模が小さくても、基礎自治体としての行政任務は規模にかかわらず決して小さくないこと」を指摘しています。
 さらに、「あと○○年で財政再建団体に陥ると訴えている」自治体があることについて、「まったく行政改革を行わないで、このままの放漫な財政運営を続けていくと、いずれは実質収支(実質単年度収支の累積額)の赤字幅が財政調整基金や減債基金の残高を上回り、その差額が標準財政規模の20%を超えるのが○○年後である」と説明されているが、「歳入予測をわざと過大にしてむざむざ赤字を出したり」、「夕張市のように決算報告そのものに手を入れてしまうような団体」もあるが、ほとんどの団体にとっては、「財政が厳しいというのは、否応なしに行革せざるを得ない状態をさしているのであって、『モラルハザードを起こさない限りは再建団体などになることはない』というのが自治体の財政運営の置かれた定め」であると解説しています。
 また、「自力で再建をするくらいならば再建団体になったほうがむしろ楽であるという実感」は、「首長が無責任で、財政再建に向けての厳しい判断を下すことから逃げ回っているというような状況が見え隠れ」すると述べています。
 著者は、「複数の財政指標をつくることはよいとしても、それを最後には償還能力と資金繰りの2つに集約することが有効である」と述べ、「資金繰りでは実質単年度収支」、「償還能力では公債費を除く経常収支比率」をとることによる分析の実例を示しています。
 第5章「自治体の財政診断(2) 上級編」では、「財政の持続可能性の分析は、1年間のキャッシュ不足が起きないかという『資金繰り』の観点と、長期にわたって債務償還ができる見通しがあるかという『償還能力』の観点からアプローチすべき」であると述べています。
 そして、財政力指数と起債制限比率の関係について、「財政力指数の低い団体ほど、逆に起債制限比率が高い」、つまり、「分不相応の起債をしてしまって、その償還に身動きが取れなくなっている団体が、財政力の低い小規模団体を中心に相当多い」と指摘しています。
 また、地方交付税削減の影響についても、「地方交付税が圧縮されても、すべての団体が体力以内の木際にとどまっておれば、特に税源に乏しいから困るということ」はないが、「体力異常に起債している団体の場合には、そのショックは倍増されて」しまうとして、「体力以上に起債している団体は、小規模団体に圧倒的に多いので、小規模団体ほど、交付税削減の影響が大きいという図式」になると指摘しています。
 著者は、「地方財政制度はどんどん変わっていき、多面的な分析が必要」になるとして、「今後は赤字地方債の発行さえ、想定できないわけでは」ない、中で、「債務償還能力の診断をできない自治体は、健全な財政運営のあり方について十分な見識をもてない」ことになると指摘し、「財政分析のあり方は、従来の資金繰りを中心とした分析から新たな手法による局面に入った」と述べています。
 第6章「バランスシート(財務諸表)の持つ意味」では、「自治体の決算統計とは、まさに内部管理のためのデータ」であり、「一般の住民に財政状況を分かってほしいという気持ちで作っているものではない」と述べています。
 第7章「地方財政制度の今後と財政見通し」では、地方財政制度について、「国が地方に法令等で行政任務を規定しており、いわばあなたの仕事はこれですよと規定していますので、それに相応しい財源を、(1)総額として確保するために地方財政計画を策定し、(2)個別の自治体に対しても財源が保障されるように地方交付税などで財政調整を行なうもの」であると解説し、「地方財政制度の根本にあるのは、行政任務に相応しい財源保障という形で、全国どこに住んでいても一定水準の行政サービスが保障される仕組みを通じて内政の安定を図るという『国家統治』の観点」であると述べています。
 そして、「地方団体はひとつひとつで単立なのではなく、全体として一つのかたまりであって、相互に扶助しあうという『連帯』の形をとっている」と述べ、「国家統治と相互扶助を通じた共同体の思想という地方財政の制度の特徴は、正規が変わった頃から吹き荒れている地方財政制度への批判や改革の動きの中で、筆者から見てあまり正当に評価されているようには思えません。むしろ、それとは対極にある至上主義的な動きの方が勢いを増して」いると述べています。
 第8章「自治体財政で何を改革しなければならないか」では、「成果主義的な考え方を取り入れた行政運営への民間的手法の応用」と考えられてきた「NPM(ニュー・パブリック・マネジメント)」について、「かなり功罪があるよう」に見えると述べています。
 そして、三重県が、「NPMという理論に沿って改革をしたわけではなく、改革の過程を後で振り返ってみればNPMといわれているものに近かった」というものであり、「三重県が行なったことと同じ仕組みを導入し、形をまねたところで、それがもたらす効果は、三重県で起きたことと決して同じではない」と述べています。
 一方で、「自治体批判を煽るようなスキャンダルも頻発」しているが、「大切なのは、自治体をけっしてみおろしてはいけない、ということ」であるとして、「おまえたちは民間に比べコスト意識がない、何度言っても役人はちゃんとやらない、役人のいうことなんか菊に値しない、そのような心根から出た批判の言葉は、けっして改革を進めるエネルギーにはなりません」と述べています。
 本書は、自治体を監視する側の住民にとっても、監視される側の自治体にとっても、わかりやすく地方財政を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者の研究されている分野自体は、研究者だけに結構マニアックでついていくのが大変な部分もあるのですが、本書で主張されている骨の部分は、普段、勉強会などで自治体職員にお話しされている部分に共通する部分が多いような気がします。
 その意味でも、本当の意味で本書の内容に付いていこうと思ったら、それなりに勉強する必要があるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・自分の住んでいる(または勤めている)自治体の財政状況を理解したい人。


■ 関連しそうな本

 小西 砂千夫 『地方財政改革論―「健全化」実現へのシステム設計』 2008年04月02日
 小西 砂千夫 『地方財政改革の政治経済学―相互扶助の精神を生かした制度設計』 2008年04月04日
 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日
 吉富 有治 『大阪破産』 2006年10月20日
 松本 武洋 『自治体連続破綻の時代』 2007年01月04日
 肥沼 位昌 『キーワードでわかる自治体財政』 2008年05月08日


■ 百夜百マンガ

サクラ大戦漫画版【サクラ大戦漫画版 】

 広井王子と言えば数々の原作漫画をこけさせたことで有名ですが、ゲームにかかわるきっかけも、ドラマティックと言えばドラマティックです。

2008年5月11日 (日)

なつかしのニアレトロ「昭和」 まぼろし商店街

■ 書籍情報

なつかしのニアレトロ「昭和」 まぼろし商店街   【なつかしのニアレトロ「昭和」 まぼろし商店街】(#1207)

  串間 努
  価格: ¥1680 (税込)
  ソフトバンククリエイティブ(2008/1/26)

 本書は、著者が少年時代を送り、「アイデアひとつで子どもの消費市場に大量生産の商品を出すことができ、子ども世界にブームを巻き起こすことが可能な昭和40年代」にスポットライトをあてることにこだわったものです。
 著者は、「昭和35年頃~昭和45年頃生まれの世代」を、「ガキ大将とも遊んだことがあり、ゲームセンターでも遊んだというデュアル体験」をもつ「ハイブリッド世代」と命名し、その共通体験は、「戦争や学生運動ではなく子供の頃に親しんだ『商品』を主とするモノとTV番組、漫画」であると述べています。
 「オモチャ屋の章」では、ユリ・ゲラーのスプーン曲げがブームになり、休職の先割れスプーンを、「中には無理やり力任せに折ってしまう怪童もいた」と述べています。
 また、仮面ライダー変身ベルトを付けて、「自分がライダーになっているつもりで崖から飛び降りたり、敵のショッカー役の友達に本気でライダーキックを浴びせたりする」ため、怪我が続出し、「よい子のみんなは真似しないでの」という「注意テロップが表示されたり、仮面ライダーが呼びかけた」ことを紹介しています。
 「雑貨屋の章」では、おにぎりを、「昭和40年代前半くらいまでは竹の皮で包んでいたが、それがいつの間にかホイルに」なり、「今では透明のラップで一つずつ巻いている」と述べています。
 また、「スワン型オマル」が普及した理由として、「日本では和式便所は穴に落ちる危険性があった。また、深くて臭い穴は子供にとって恐ろしい空間だ。恐怖感から便所に行かなくなるという心理的弊害がある」ため、「オマルが幼児用に転用されたのではないか」と述べています。
 「食料品店の章」では、「マルシンハンバーグ」のパッケージに描かれた、「天然パーマにリボンを付けた『みみちゃん』」が、「美味」に由来し、「髪の毛のカールが魚を、リボンの曲線が豚のしっぽを、それぞれ表している」と解説しています。
 また、「ヨーグルト・健康」では、「ひィふゥみィよォヨーグルト、ごォーろくチチチチ、牛のチチ!」という健康体操のコマーシャルを紹介しています。
 「デパート・百貨店の章」では、「最近はデパートに『大食堂』というものがめっきり少なくなり、専門店の食堂街となっているが、和洋中そろったサンプルショーケースは子供にはものすごく魅力的で、目移りしてなかなかメニューを決められない」と述べています。
 「駄菓子屋の章」では、昭和30年代前半に、コカ・コーラの日本上陸に危機感を募らせた中小清涼飲料水製造メーカーが、「昭和34年、大同団結して全国的に統一銘柄を作ったらどうか」と考え、ブラジルからガラナの豆を輸入して「コアップガラナ」を開発したことが述べられています。
 また、「日本で最初の市販のアイスクリームバー」である「名糖ホームランバー」が、「ホームランが出ればもう一本」、「ヒット」だと「3本集めてもう1本と交換できた」ことが大人気を呼び、「当初は日本橋の工場で製造、出荷を待つ問屋さんの列ができたほどの人気だった」と述べています。
 さらに、「チューブチョコ」が作られた経緯は、「昔のパチンコの換金用の景品が板チョコだった」ため、「食べないでお金を交換」され、「何回もパチンコ屋さんとお客と交換所の間を循環」するうちに、「痛んだり水に濡れ」、「これをヤクザ屋さんがメーカーに返品する」ので、「再生可能なものは水と合わせて加熱して、水飴にチョコの味を付けただけのソフトチョコを開発した」と解説しています。
 「公園・空き地の章」では、「鬼ごっこ」のバリエーションとして、
・たか鬼:地面よりも高いところに逃げると、鬼は捕まえることができない。
・かげ鬼:鬼に自分の影を踏まれたらアウトになってしまう。
・氷鬼:捕まるとその場で氷のように動けなくなってしまう。
・ケードロ
等を紹介しているほか、「宝踏み」「ひまわり」「まるじゅう」「さくら鬼」「たんぼ十字架」など、「各地で呼び名がまったく違い、通称さえ定かでない」遊びについて、「共通しているルールは、鬼は内野や二重線を描いた部分のみ限定して動けるという規制があること、鬼以外はサクラやヒマワリや円の形の外野または線上のみを走ることができること、最初に『何周する』と宣言してそれを鬼が阻止したら勝ちということなど」であると解説しています。
 また、「まっかちん」ことザリガニ釣りの餌をアンケート調査した結果として、カエル、スルメ、ザリガニの身、キャラメルコーン、ちくわ、消しゴムなどを挙げています。
 本書は、昭和60年代生まれの人にとっては、懐かしくてしかたがない一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の著者は、千葉出身の1963年生まれということもあって、千葉市内の「奈良屋デパート」の思い出などはさすがに共有することはできないのですが、遊びのルールや呼び名などは共通点が多く、楽しく読むことができました。
 ぜひ、千葉市出身で1966年生まれの少年隊の植草カっちゃんに読ませてみたい一冊です。小学校のときの同級生の親がやっていた千葉市内のおもちゃ屋さんに通っていたということを聞いたことがあります。


■ どんな人にオススメ?

・昭和35~45年頃生まれの人


■ 関連しそうな本

 町田 忍 『帰ってきた! 昭和レトロ商店街』
 町田 忍 『昭和レトロ商店街―ロングセラー商品たちの知られざるヒストリー』
 初見 健一 『まだある。今でも買える"懐かしの昭和"カタログ~食品編~』
 初見 健一 『まだある。―今でも買える"懐かしの昭和"カタログ 玩具編』
 太陽編集部 『昭和生活なつかし図鑑』
 藤沢 太郎 『ぼくらのメイドインジャパン―昭和30年~昭和40年代』


■ 百夜百音

三波春夫 ルパン三世を唄う【三波春夫 ルパン三世を唄う】 三波春夫 オリジナル盤発売: 2008

 現在の目から見ると、まったく結びつかない組合せですが、当時は「スター」ということでこの組合せが生まれたのかもしれません。
minamilupin

『ルパン三世クロニクルSPECIAL LUPIN THE THIRD THE ORIGINAL-NEW MIX 2007』ルパン三世クロニクルSPECIAL LUPIN THE THIRD THE ORIGINAL-NEW MIX 2007

2008年5月10日 (土)

ヨーロッパをさすらう異形の物語 上―中世の幻想・神話・伝説

■ 書籍情報

ヨーロッパをさすらう異形の物語 上―中世の幻想・神話・伝説   【ヨーロッパをさすらう異形の物語 上―中世の幻想・神話・伝説】(#1206)

  サビン・バリング・グールド (著), 村田 綾子 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  柏書房(2007/09)

 本書は、「中世ヨーロッパに流布していた代表的な伝説をほとんど網羅し、それを時代と民族、あるいは作家の個性が加工して、それぞれ魅惑的なヴァリエーションを創っていったことを指摘」するとともに、「著者の知識と感性を総動員して、融通無碍に時空を超えた『比較神話学』へと連なっている」ものです。
 第1話「さまよえるユダヤ人」では、「中世に生まれたあらゆる神話の中で、このユダヤ人の伝説は群を抜いている」と述べた上で、この神話が、「人間の生命という、永遠に解けない謎、想像の源泉から生まれている」という「大いなる神秘を起源にしている」と述べています。
 第2話「プレスター・ジョン」では、「プレスター・ジョン伝説は、東宝におけるネストリウス派の目覚しい繁栄から生じたと思われる」と述べたうえで、「ローマについて語るときの見下した口調は、西洋人の心情を表しているとは思えない」として、「どう見ても、ヨーロッパ人の捏造したものではない」と指摘しています。
 第3話「占い棒(ダウジング)」では、「中世は迷信や俗説の時代だった。占い棒には埋蔵されている財法、貴重な鉱石や水脈、泥棒や殺人犯を探し出す力があると信じられていた」と述べ、棒占いの驚異的な力がヨーロッパ中の関心を集めるきっかけとなったジャック・エマールのエピソードを紹介しています。
 第4話「エペソスの眠れる七聖人」では、エペソスの「眠れる七聖人」が、「その望みどおりにエペソスの地で安らかな眠り」につくことができず、「聖遺物が黄金や宝石よりも価値のあった時代に、そっとしておいてもらえるはずもなかった」として、「今もサン・ヴィクトル修道院付属教会に安置されている」と述べています。
 そして、「西暦250年ごろ、7人は当時のローマ皇帝デキウスのもとで迫害されて、前に述べた洞窟に埋められたのではないだろうか。そして479年、テオドシウスの治世下で、彼らの遺骸が発見され、移送されて、眠れる七聖人の伝説が生まれた」とする考えを、「ただの憶測ではなく、じゅうぶんに考えられる話だ」と述べています。
 第5話「ウィリアム・テル」では、「古典を研究する者にとって、できることなら避けたいつとめのひとつ」として、「人々が事実だと思っている話をでたらめだと暴き、史実とされている出来事がただのつくり話にすぎないと証明すること」だと述べています。
 第6話「忠犬ゲラート」では、この物語が、「インドからヨーロッパにもたらされた。伝播の道筋も明らかになっている」として、「『ゲスタ・ロマノールム』によって、ヨーロッパ中に伝わり、ウィリアム・テル伝説と同じく、国や地域ごとの色合いをまとい、語り継がれていった」と述べた上で、「国や世紀によってさまざまな変化が生じても、物語の土台は変わらない」として、「人間が動物や鳥と友情を育んでいる。人の言葉を話せない動物は、自分のやりかたで主人に尽くす。だが主人はその行動を誤解して、命の恩人を殺してしまう」という筋書きを解説しています。
 第8話「反キリストと女教皇ヨハンナ」では、「女教皇ヨハンナの伝説は完全なつくり話で、その土台には歴史的事実は一切存在しない。おそらく、ローマ・カトリック教会の聖職位階制(ヒエラルキー)に不信を抱かせる目的で、ギリシア人がつくりだしたものだろう」と指摘しています。
 第10話「ヴィーナスの山」では、ヴェーヌスベルクの物語の根源を、
「地下にいる人々が、人間と結ばれようとする。
 α.男性が彼らの住処へ誘い込まれ、地下に住む種族の女性と結婚する。
 β.男性が地上に戻ることを望み、逃げ出す。
 γ.男性がふたたび地下の世界へ舞い戻る」
という構造をもつとして、「現存する民間伝承集の中には、この根源に基づいた物語が必ずと言っていいほど入っている」と述べています。
 そして、「中世に形作られた伝説は、新興宗教と既存宗教のせめぎあいを如実に物語っている」として、「タンホイザーの物語が本当に伝えているのは、キリスト教徒とは名ばかりで、実際には異教の心を持つひとりの男が、異教の魅力に惑わされていくさま」であると解説しています。
 第13話「聖ゲオルギオス」では、各地の神話を比較した上で、「謎めいた素性をもつ聖ゲオルギオスを、キリスト教化されたセム人の神と認めないわけにはいかない。転化していく上で、必要に応じてほんのわずかな脚色が加えられた」と解説し、「聖ゲオルギオスが何度も死んでしまうのは、見方を変えれば、太陽が一日で姿を消すことを意味している」と述べています。
 また、「ドラゴンとの戦いは、アーリア人の神話すべてに共通するもの」として、「ドラゴンに捧げようとした乙女とは、大地である。ドラゴンは、嵐の雲。ドラゴンと戦う英雄は、太陽。英雄が持っている輝く剣は、稲妻の光。英雄が勝つことで、大地は危機を脱する」として、この物語が、「その風土ごとにアーリア人が感じ取る天候の特色に合わせられている」と解説しています。
 本書は、ヨーロッパ人ならば当たり前に知っている数々の神話や伝説のルーツを読み解くことで、民族の歴史の一端を垣間見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ヨーロッパ人の書くいろいろな文章の端々には、古典とともに、古い伝説があちこちに引用されることが多く、翻訳で読む日本人には、なかなかニュアンスというかその背景が伝わりづらい点がありますが、本書は、その一助になるものではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・ヨーロッパ人の理解を深めたい人。


■ 関連しそうな本

 サビン・バリング=グールド (著), 池上 俊一, 村田 綾子, 佐藤 利恵, 内田 久美子 『ヨーロッパをさすらう異形の物語―中世の幻想・神話・伝説 (下)』
 甚野 尚志 『中世の異端者たち』
 高橋 友子 『路地裏のルネサンス―花の都のしたたかな庶民たち』 2006年11月03日
 若桑 みどり 『フィレンツェ―世界の都市と物語』
 高橋 友子 『捨児たちのルネッサンス―15世紀イタリアの捨児養育院と都市・農村』 2006年12月09日
 アルフレッド・W・クロスビー (著), 小沢 千重子 (翻訳) 『数量化革命』 2006年11月18日


■ 百夜百音

30-35 vol.7 「イカ天」特集【30-35 vol.7 「イカ天」特集】 オムニバス オリジナル盤発売: 2006

 これだけはっきりターゲット年齢層を絞ってくると痛快です。たしかに、土曜の深夜にイカ天を一生懸命見ていた世代となると限定されてくると思います。

『バンド天国』バンド天国

2008年5月 9日 (金)

入札激震―公共工事改革の衝撃

■ 書籍情報

入札激震―公共工事改革の衝撃   【入札激震―公共工事改革の衝撃】(#1205)

  
  価格: ¥1,470 (税込)
  日経BP社(2004/12)

 本書は、公共工事の入札をめぐる制度の変遷を克明にたどり、「それが公共工事や建設産業にどんな影響を与えてきたのかを様々な実例やデータを基に検証したもの」です。
 第1章「大胆に設計段階から施工者に任せる」では、2004年7月27日に入札公告が行なわれた「東京国際空港(羽田空港)D滑走路建設外工事」について、「設計・施工一括発注方式」に始まって、「維持管理費込みでの発注」、「総合評価落札方式」、「異工種JV」、「出来高部分払い」など、「これまでの公共工事の入札では考えられないほど多様な入札・契約制度を併用」したものである上、「工事の受注者には施工だけでなく、その前の設計段階から任せる『設計・施工一括発注方式』を採用した点」を、特に注目すべきであると述べています。そして、「設計・施工一括発注方式」が、「工事の受注者が持っている施工のノウハウや独自の施工技術を設計に反映しやすい」と述べています。
 また、「D滑走路工事の入札におけるもう一つの目玉」として、「国交省が求めた場合は完成後30年間の維持管理も設計・施工を担当したJVが担う点」を挙げています。
 第2章「民間の見積もり合わせを導入」では、「民間企業のように複数の建設会社と交渉して有利な条件で工事の発注ができないものか」という問題意識から国土交通省が、「公共事業コスト構造改革プログラム」に、「提案と対話による技術力競争を重視した調達方式の試行」を盛り込んだことを、「国交省版の『交渉方式』である」と述べています。
 そして、中部国際空港の事業費削減の事例に関して、事業費削減の成功要因としての契約手続きに関して、
(1)公共事業の予定価格に相当する「制限価格」を設定しながら、その価格に上限拘束性をもたせずに参考価格としたこと。
(2)中部国際空港が独自に調査した資材単価を使って制限価格を設定したこと。
(3)受注希望者が提出した見積価格が制限価格を下回った場合、最低の価格を提示した企業と契約すること。
の3点を挙げています。
 第3章「一般競争入札の導入前夜」では、「国の機関の入札・契約を制約する会計法や、自治体の入札・契約を制約する地方自治法において、指名競争入札は実は例外扱い」であり、「90年代前半までほとんど使われなかった『一般競争入札』が、法的には実は原則なのである」と述べています。
 そして、指名競争入札においては、「発注者の『恣意性』が問題になること」が多く、受注者にとっては、「受注調整、いわゆる談合をするうえでは、都合のいい仕組み」である一方、発注者にとっても、「指名される側の建設会社よりも、優位な立場に立ちやすい」上、「指名によってある程度の施工実績のある建設会社を選んでおけば、施工途中で工事を放棄されたり、手抜き工事をされたりといった心配は少なくなる」という、「それなりにメリットの大きな方式」であったと述べています。
 しかし、93年に「ゼネコン汚職事件」が置き、入札・契約制度の改革が続いたことに加え、80年代後半以降、「建設市場の国際化の流れ」から、「ガイアツ」という名の改革を求める圧力がかかっていたと解説しています。
 第4章「ゼネコン汚職事件で本格化した改革」では、「ヤミ献金疑惑」が明らかにあった直後の93年4月に、米国から「日本の建設会社は政治献金などを通じて、入札で優遇される一方、海外の建設会社は入札で不当に差別されている」地の指摘があり、同年6月の日米建設協議で、「米国が指名競争入札の廃止と一般競争入札の導入を求めたほか、さらなる独禁法の強化」を求めたとして、「入札・契約制度の改革を求める圧力はさらに強まってきた」と解説しています。
 そして、93年12月にまとまって中建審の入札・契約制度の改革案が、一般競争の入札の導入を目玉に、「今日に至るまで続いている日本の入札・契約制度改革のキーワード」である、「透明性」と「客観性」、「競争性」の3つのキーワードがすべて盛り込まれていたことを指摘しています。
 第5章「相次ぐ不祥事が情報公開へ突き動かす」では、1998年2月に中建審が、「予定価格を入札の後で公開する『事後公表』の取組に踏み切るべき」だと建議したと述べた上で、「予定価格の公表では自治体の方が先行している」として、「都道府県と政令市の約8割が予定価格の事前公表に踏み切った」と述べています。
 そして、「予定価格を事後公表した直後に落札率が低下した事実は、全国紙でも取り上げられるほどの話題となった」と述べたうえで、「予定価格や最低制限価格を事前公表するメリット」として、
(1)透明性の向上
(2)競争性の確保
(3)役所の職員が予定価格を探ろうとする不正行為に巻き込まれにくくする
の3点を挙げ、特に「不祥事をきっかけにして事前公表を急ぐ自治体」では、(3)を重視しているところが多いと述べています。
 第6章「コスト削減の切り札登場」では、「技術の裏づけもなく、単に過当競争の結果として落札価格が下がったのだとすれば、『安かろう、悪かろう』の構造物を生み出すことにつながりかねない」と述べ、90年代後半から、「民間企業の技術力を生かしてコストを下げる『VE(バリュー・エンジニアリング)方式』」が注目され始めたと解説しています。
 そして、VE方式のバリエーションとして、実施のタイミングによって、
(1)設計VE方式
(2)入札時VE方式
(3)契約後VE方式
の3種類の方式があると解説しています。
 一方で、課題として、
(1)設計内容が完全に固まった段階で施工方法だけを見直す入札時VE方式や契約後VE方式は、設計そのものを見直す設計VE方式に比べて制約条件が大きく、コストダウンの効果を得にくい。
(2)施工者から技術提案を受けるケースは少ない。
の2点を挙げています。
 第7章「価格競争の激化で超安値落札が急増」では、「制度改革に専攻して取り組んだ自治体」から「落札価格の大幅な下落が表面化した」とした上で、「良質な工事をする能力のない入札者を、てい入札価格調査で排除するのは難しかった」が、「かといって制度改革で品質が著しく低下したかというと、そうともいえない」と述べています。
 そして、「利益が上がるとは思えないような安値で落札するケースが後を絶たない」理由として、「価格競争をせずに"話し合い"で受注できる市町村発注の指名競争入札があるからだ」とする「建設会社の元幹部」の証言を紹介しています。
 第8章「増える技術競争を競う入札」では、「発注者が施工方法を限定する範囲を少なくし、民間企業から幅広く技術提案を受け付ける」ことで、「構造物に必要な機能や品質を確保しながら、一方で事業のコスト削減も図れる」と述べた上で、「民間の技術力を活用する代表的な入札・契約方式」として、
(1)設計・施工一括発注方式
(2)性能規定発注方式
(3)総合評価落札方式
の3点について解説しています。
 そして、「総合評価落札方式」が、「技術提案の優劣と入札価格の安さとをどのように勘案するかによって、仕組みが変わってくる」として、
・除算方式:技術提案による特典を入札価格で割る
・加算方式:技術提案と入札価格の得点を足す
の2つの方式を挙げ、前者はさらに、
・総合評価管理費計上型:標準案との差を定量評価
・標準加算点型:定量評価の「数値方式」のほか、定性評価の「判定方式」、「順位方式」がある
の2つに分けることができると解説し、「標準加算型の導入によって、発注者は騒音値の低減や工期の短縮日数などといった技術提案の評価の対象となる『評価項目』の検討に力を注ぎやすくなった」と述べています。
 また、自治体でも、東京都や神奈川県、埼玉県、兵庫県などが総合評価落札方式を導入し始め、「国交省が使っていない方式」である「加算方式」を「試行し始めた自治体も出てきている」と述べています。
 第9章「入札・契約制度改革は第二幕へ」では、改革の3本柱のうち、「透明性や客観性の2つの観点から見れば、かなり改善されてきたといえるかもしれない」としながらも、「競争性の視点から見ると、これまでの入札・契約制度改革が十分であったかいなかの判断は難しいところだ」と指摘しています。
 そして、「今後の入札・契約制度の行方にも大きく影響しそうな法案が、2004年10月に始まった秋の臨時国会に次々と提出された」として、
・独占禁止法の改正案
・「公共工事の品質確保の促進に関する法律案(品質確保法)」
の2つを挙げ、解説しています。このうち、後者については、「談合によって落札価格を一定水準に保つことによって、公共工事の品質が確保されてきた面がある。談合がなくなって価格競争が激しくなれば、落札価格は下がり、手抜き工事などが横行する」という主張が建設業界の一部にあるとして、「品質確保という誰もが反対しにくい"大義"を前面に押し出しているものの、最大の狙いは、行き過ぎた価格競争に歯止めをかけることにある」と述べています。
 さらに、桐蔭横浜大学の鈴木教授による、「地元企業を育成する立場と、調達者としての立場とのバランスに悩んでいる自治体も多いようだ」との分析を紹介しています。
 本書は、ここ15年ほどの入札制度改革の動きをおさらいする上で便利な一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、さすがに専門紙の記事を基にしているだけあり、読み手も基本的には建設関係者を中心に捉えているのではないかと思われます。しかし、一般書籍として販売するのに十分な判りやすさも備えていて、建設関係者以外にも安心してオススメできる一冊です。


■ どんな人にオススメ?

・公共工事なんて全部談合だ、と思っている人。


■ 関連しそうな本

 桑原 耕司 『談合破り!―役人支配と決別、命がけの攻防記』 2007年09月25日
 桑原 耕司 『公共事業を、内側から変えてみた』 2006年02月22日
 桑原 耕司 『「良い建築を安く」は実現できる!―建築コストを20%も削減するCM方式』 2006年04月12日
 武田 晴人 『談合の経済学―日本的調整システムの歴史と論理』
 加藤 正夫 『談合しました―談合大国ニッポンの裏側』
 鬼島 紘一 『「談合業務課」 現場から見た官民癒着』 2006年03月15日


■ 百夜百マンガ

カスミ伝【カスミ伝 】

 忍者漫画ならではの楽しみ方というか、お約束を踏まえて見せるという点では、「サル漫」に近い部分もあるような気もします。ゆうきまさみの短編集にも似たようなくの一漫画があったような。

2008年5月 8日 (木)

キーワードでわかる自治体財政

■ 書籍情報

キーワードでわかる自治体財政   【キーワードでわかる自治体財政】(#1204)

  肥沼 位昌
  価格: ¥1890 (税込)
  学陽書房(2007/02)

 本書は、「専門性が高く、制度自体がわかりにくく難しいものだと思われて」いる自治体財政について、「用語の意味をわかりやすく説明し、自治体財政への理解を深めてもらう手助け」になることを目的としたものです。
 第1章「自治体財政の基礎的理解」では、「集権的分散システム」について、「決定権は国が握っていて集権的に決め、実際の仕事は全国の自治体において国が決めたとおりに分散的に処理している仕組み」であると解説しています。
 また、「地方財政計画」の特質として、
(1)地方公共団体の当該年度における実際の収支見込額を推測するものではなく、客観的に推測される標準的な収支額を示すものである。
(2)地方公共団体の普通会計における歳入と歳出を、都道府県と市町村を通じる純計の形で示しており、公営事業会計は含んでいない。
(3)地方公共団体の単年度の当初予算における収支を示したもので、前年度からの剰余金収入は見込んでいない。
の3点を挙げています。
 第2章「歳入」では、「自主財源・依存財源、一般財源・特定財源」について、「地方公共団体が自主性・自立性を高め、地域の実態に即した施策を展開していくためには、自主財源かつ一般財源である地方税の割合が増えることが最も望ましい」と述べた上で、「現実には、地方税による収入が地方公共団体全体の収入の3割に過ぎず、地方税を充実するため、税源移譲の実現が長年の課題となって」いると解説しています。
 また、「租税の原則」では、「税一般に共通する租税の原則」として、
(1)「公平」の原則
(2)「中立」の原則
(3)「簡素」の原則
の3点を挙げた上で、「地方税独自の租税の原則」として、
(1)負担分任の原則:その地方公共団体の住民が、行政サービスに必要な経費を広く分かち合うべきとする考え方。
(2)応益課税の原則:住民が地方公共団体からさまざまな行政サービスを受けて利益を享受していることに基づき、それに応じた負担を求める考え方。
(3)税制自主権の原則:地方公共団体が税制について自主性を持ちうるような税制でなければならないとする考え方。
の3点を挙げています。
 さらに、「国庫支出金」について、地方財政法が、「地方公共団体が担う事務にかかる経費の全額を当該地方公共団体が負担することを原則」としながら、「例外としての国庫支出金を国と地方の経費の負担区分により分類」していると述べた上で、「法律で国の負担を義務づけているもの」を、
(1)国庫委託金:国の全額負担となるもの
(2)国庫負担金:国にも責任があるので「割り勘」として一部負担となるもの
の2つに分け、「国庫補助金」については、「国が地方公共団体への新しい施策などへの『呼び水』として、国の義務としてではなく任意なものとして支出するもの」と解説しています。
 そして、「国庫補助負担金の改革」では、国庫補助金が、「中央集権を維持する重要な手段として機能して」来たため、「所管官庁にとっては、補助金の配分という大きな権限を手放すことへの抵抗が強いのは当然」だと解説し、2006年度までの「三位一体の改革」の成果について、「金額は目標をクリアしたものの、改革の内容には問題が残る結果」となったと述べています。
 「基準財政需要額」については、その内容と性質として、
(1)それぞれの地方公共団体の予算額でも決算額でもなく、その時代の経済レベルと社会の要請を勘案した一定の行政水準での算定となる。
(2)毎年度作成される地方財政計画の歳出の水準を具体化したものとなる。
(3)地方公共団体の予算編成のガイドラインとも考えられるが、あくまでも各地方公共団体が必要とする標準的な財政需要を測定するためのもので、基準財政需要額の基準を超えた支出を行うことを禁止したり、基準財政需要額どおりの支出を行うことを義務づけたりする性質のものではない。
の3点にまとめています。
 また、「交付税措置」について、「交付税措置によって基準財政需要額の計算に算入された場合、その分普通交付税がより多くもらえる」のか、という点について、
・不交付団体の場合は、普通交付税は交付されない。
・交付団体の場合も、基準財政需要額が基準財政収入額を上回る額だけが普通交付税として交付される。
・近年は、既存経費の算定方法の見直しなどにより、地方交付税の総額が抑制傾向にあるため、交付税措置により財源の増加が確実に見込める皮からない。
等の点を挙げています。
 第4章「会計制度」では、「会計年度終了後の翌年度の4月1日から5月31日までの2ヶ月間」を「出納整理期間」といい、「年度末までに確定した債券・債務の手続を完了させ、厳禁の未収・未払いの整理を行なうための期間」とされていることについて、「現金主義をとる場合、年度末までに収支の原因が発生したものを、その年度の収支として整理しようとしても、3月31日までに発生した事実に対して同じ日までに収入・支出の手続きを完了することは不可能」であるため、「現金を収納し、支払いの処理を行う猶予期間が必要となる」と解説しています。
 また、「債務保証」について、「法人に対する政府保証の財政援助の制限に関する法律」により、「地方公共団体は、会社その他の法人の債務については、原則として債務保証することができない」とされているのに対し、「行政実例によれば、損失補償については、会社その他の法人に対して地方公共団体が損失補償契約を結ぶことはできると解されて」いる点について、「どちらの場合であっても、地方公共団体に責任が及ぶという意味では両者の間にほとんど差が」ないため、「現実には、禁止されていない損失補償契約を利用することで、債務保証を行なうのと同様の経済的効果を得ることができ」、「一種の脱法行為ないし立法の不備との指摘」もあると解説しています。
 第5章「契約」では、「随意契約」について、「競争に付する場合よりも事務手続きが簡易であり、事務負担の軽減や効率化を図り、特定の能力や信用などのある業者を任意に選ぶことができるという長所がある」とされる一方で、「相手方の選択が一部の者に偏り、不利な条件で契約を締結する恐れがあるなどの短所」も考えられると述べています。
 第7章「バランスシート」では、「事業別行政コスト」について、「行政コストを計算する目的」を、「発生主義的にコストを把握することで、より効果的で有効な公金の使い方を実現すること」とした上で、
(1)数年間の行政コストを比較すること(経年比較)。
(2)複数の事業について同じような手法で行政コストを計算することで、事業間のコストを比較することができる。
(3)使用料・手数料などの受益者負担が適切な金額に設定されているのか、受益者負担の適正化を図るための基礎資料となる。
の3点をポイントとして挙げています。
 本書は、今年新たに財政担当者になった人にとっては、わからないことだらけの財政用語の中で、最初の手がかりとなり得る一冊です。本書でまず概略をつかんだ上で、逐条解説や実例を読むと理解が早いのではないでしょうか。


■ 個人的な視点から

 著者の肥沼さんには行政経営フォーラムや政策法務の勉強会でお会いしています。実際に財政の現場で予算や決算など地方財政の実務に携わった当事者がこういった解説書を出すことは、現場のニーズに最も適したものになるのではないかと思います。学陽書房の編集者さんも肥沼さんの図解能力を高く買われていました。


■ どんな人にオススメ?

・地方財政に携わることになってしまった人。


■ 関連しそうな本

 肥沼 位昌 『図解よくわかる自治体財政のしくみ 改訂版』
 肥沼 位昌 『超入門 自治体財政はこうなっている』
 梅田 次郎, 福田 志乃, 肥沼 位昌 『現場直言!自治体実行主義―分権時代のこころと戦略』
 小西 砂千夫 『自治体財政のツボ―自治体経営と財政診断のノウハウ』
 小西 砂千夫 『地方財政改革論―「健全化」実現へのシステム設計』 2008年04月02日
 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日


■ 百夜百マンガ

遊☆戯☆王【遊☆戯☆王 】

 やっぱりジャンプだけあって「お子様向けジョジョ」的なストーリーとカードゲームが図に当たった作品。単体の作品としてでなく、一連のジャンプ作品の中で読むことが重要なのかもしれません。

2008年5月 7日 (水)

ITがつくる全員参加社会

■ 書籍情報

ITがつくる全員参加社会   【ITがつくる全員参加社会】(#1203)

  小林 隆, 榊原 直樹, 関根 千佳, 遊間 和子 (著), 山田 肇 (編さん)
  価格: ¥2520 (税込)
  エヌティティ出版(2007/12)

 本書は、「デジタル・デバイドの解消という観点から、高齢者・障害者などより多くの人々が情報機器やサービスを利用できる社会を目指し」た、「情報アクセシビリティ」の調査研究の一環として執筆されたものです。
 第1章「全員参加社会とは何か」では、「高齢者や障害者と言った、しばしば情報弱者と分類される人々も含め、みなが参加する情報社会を作っていく。そのために、情報通信機器やサービスの改良を求め、利用者教育の機会を作っていく。そんな社会政策が世界各地で動き出した」として、「参加とか包摂という意味」を持つ「Inclusion」にちなみ、「全員参加の情報社会を作る政策をeInclusion政策と称する」と述べています。
 第2章「いまや、情報技術は、社会生活の中に深く入り込み、それをなくしては成り立たない」とした上で、「より多くの人々が情報技術の恩恵を享受できる社会を実現していくことに反対の人はいないだろう」と述べています。
 第5章「全員参加社会の将来ビジョン」では、「支援技術は、思いニーズを持つ人のために開発され、それがより軽いニーズを持つ誰にとっても便利だからという理由でう、結いばー猿デザインとなり、一般に普及していくことも多かった」と述べています。
 そして、「この21世紀に生きる市民であることの証として、われわれ自身が、国だけでなく、企業だけでもない、『新たな公』としてのパブリックな力を結集できる社会、それこそが、全員参加社会の目指す姿なのである」と述べています。
 第6章「ヨーロッパにおける多様性を前提とした情報社会への動き」では、欧州委員会の産業政策担当委員だったマルティン・バンゲマン委員が、約20名の専門家グループにより作成した、「欧州とグローバル情報社会(Europe and the global information society」、通称バンゲマン・レポートを作成したと述べ、「情報社会および情報社会が欧州市民や経済に与えるメリットに関するビジョン」が示され、具体的には、
(1)遠隔労働
(2)遠隔学習
(3)学術研究ネットワーク
(4)中小企業のためのテレマティーク・サービス
(5)道路交通量管理
(6)航空管制
(7)健康管理ネットワーク
(8)電子入札
(9)欧州横断行政機関ネットワーク
(10)都市情報ハイウェイ
の10分野が優先的アプリケーションとされていると解説しています。
 また、2005年6月に発表された「i2010」において、「ICTが社会に与える影響」について、
(1)ICTの便益をすべての市民が享受すること
(2)公共サービスはEU経済の重要な部分を占めていること
(3)生活の質を向上させること
の3つの観点から考慮しているとしています。
 著者は、ヨーロッパの情報化戦略が、「『何かを情報化する』というレベルから、ICTというツールを利用して社会経済全体に対する戦略へと変化してきていることがわかる」としています。
 第7章「アメリカにおける全員参加社会に関わる政策」では、注目すべき第1の動きとして、リハビリテーション法の第504条を挙げ、「障害者の人権(公民権)をはっきりと意識し、明文化している」と解説しています。
 そして、第2の法律として、「障害を持つアメリカ人法(Americans with Disabilities Act、通常はADAと訳す)」を挙げ、「雇用、公共サービス、公共施設での取り扱い、電話通信の4側面での、障害を理由とした差別を禁止している」と述べ、「ここに、障害者の公民権は、人種・宗教・性・出身国を異にする、多くの人々に対する公民権と同等の権利として確立された」と述べています。
 第8章「電子政府・地方政府」では、「私たちの暮らしは、社会的安定を求めるための秩序だらけになっていて、その全体像が見えにくい社会になっている」と指摘した上で、「情報社会の電子政府像は、社会の安定のための秩序形成が、人々の自由を妨げて不安定を招くことのないように、中央集権的なモデルから分散的なモデルに移行しつつ、個人あるいは小さな組織間の安定と自由のバランスをとり続けることを目指すべきである」と述べています。
 第9章「投票・参加」では、「だれもが、いつでも、どこからでも、政府への参加の権利つまり参政権を行使するために、電子投票はなくてはならない情報技術の1つである」と述べた上で、電子投票の最大の目的を、「情報社会において多様な個性とライフスタイルを有するすべての市民が参加できるようにするためにある」として、「したがって、電子投票のネットワーク利用は必須だ」と述べています。
 第10章「雇用・就労」では、「少子高齢化の進む社会において労働力を確保するためには、多様な人々が、各々の能力や生活形態にあった就労方法を選べるようにする必要がある」と述べた上で、在宅におけるテレワークのデメリットとして、「健康や納期に対する高い自己管理能力、ビジネスマナー、情報通信機器に対する知識、新しい情報の取得への努力が必要であるため、個人では難しいことが多い」としながらも、「適切な支援団体を構築することによってこうした障壁を小さくすることが可能である」と述べています。
 第11章「教育・能力開発」では、フィンランドで、2006年3月に発足した、「多くの聴覚障害者がコンピュータやインターネットを利用できるようにすること」を目的とした「ケンタウロス・プロジェクト」を取り上げています。
 著者は、「近年の情報技術の革新と進展は、障害者・高齢者などを含むより広い範囲での市民参加を可能にしてきた。教育や訓練における情報技術の活用は、情報アクセシビリティといった側面も考慮することでより多くの人々を更なる教育機会の拡大へと促す」と述べています。
 第12章「日本への提言」では、「日本の18歳以上の障害者のうち、50歳以上が、実に87.4%を占めている」と指摘し、「加齢や病気、怪我や疾患など、何らかの身体障害が、経済的困窮を招いたり、精神的な孤立感や生きがいの喪失につながったりして、うつ状態を惹き起こし、この膨大な数の中高年の自殺者を生んでいるのではないのだろうか?」と述べています。
 そして、「われわれ日本人は、子どもの頃から障害や加齢を『見ないように』して育てられてきた」と指摘し、「その結果、いざ自分が高齢化し、障害を持ったときに、ロールモデルを持たない日本人は、どう生きたらいいかがわからずに、死を選ぶのである」と指摘しています。
 また、「すべての子どもは、適切な教育をできるだけ周囲の子どもや兄弟たちと同じ環境で受ける権利がある」とするサラマンカ宣言について、日本が、「国連のサラマンカ宣言を無視してきたほぼ唯一の先進国であり、各国から非難されていることを知る人は少ない」ことを指摘するとともに、「軽度重複の障害にどう向き合うか、加齢や障害とともにどう生きるか、まったく教わってこなかった」ために、「実際に高齢・障害を持ったときに大きな絶望を生み、年間3万人の自殺者につながっているのだとしたら、これは国家が計画した壮大な殺人に等しい」と糾弾しています。
 第13章「地方政府への提言」では、「地方政府は、起こりうる問題を国政府に正しく伝える道具としても、情報のマスタープランを策定、活用し、国にその意向を伝え、補完性を発揮しつつ、全員参加社会の構築に取り組んでほしい」と述べるとともに、「情報社会における住民の多様な要求に対して、地方政府は、その力だけで応じることは不可能である。住民とともに、また住民独自に多様な問題を解決できる条件整備が、多様な価値を有する全員参加社会の地方政府には必要である」と述べています。
 本書は、社会にとって欠かせないものとなっている情報通信技術を、全員参加社会づくりに活用する方法を考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「情報アクセシビリティ」と聞くと、一部の人のために追加的な費用が必要になるかのような印象を与えますが、誰もが加齢によって軽度の障害を抱えていくことを考えると、決して一部の人のためのものでも他人事でもないことがわかります。
 新聞社も、この4月から各紙一斉に「メガモジ」などとフォントを大きく読みやすいものに変えていますが、文字が大きくなって読みやすくなるのは高齢者ばかりではありません。


■ どんな人にオススメ?

・自分はいつまでも健常者のつもりでいる人。


■ 関連しそうな本

 関根 千佳 『「誰でも社会」へ―デジタル時代のユニバーサルデザイン』 2005年06月18
 アクセシビリティ研究会 (著), C&C振興財団 (編集) 『情報アクセシビリティとユニバーサルデザイン―誰もが情報にアクセスできる社会をめざして』 2005年08月15日
 永井 哲 『マンガの中の障害者たち―表現と人権』 2007年02月22日
 小林 隆 (著), 自治体議会政策学会 (監修) 『インターネットで自治体改革―市民にやさしい情報政策』
 須藤 修, デジタルコミュニティズ推進協議会 『市民が主役の自治リノベーション―電子自治体2.0』 39485


■ 百夜百マンガ

G【G 】

 ラブコメマンガ家×ドーベルマン刑事の原作者=セーラー服と機関銃という感じでしょうか。意外性は十分ありますし、それなりにストーリーを読ませる力量は持っていますが、足りないのはやはり雰囲気でしょうか。

2008年5月 6日 (火)

愛の空間

■ 書籍情報

愛の空間   【愛の空間】(#1202)

  井上 章一
  価格: ¥2100 (税込)
  角川書店(1999/08)

 本書は、日本人の男女の性愛空間が、どのように移り変わり、それに従い、ラブホテルなどの建築様式にどのような影響を与えてきたかを論じたものです。
 第1章「森の恋人たち」でjは、「性行為の場所が屋内へ集約されだしたのは、わりあいに新しい現象なのである」として、「第二次世界大戦の敗戦後、20世紀なかごろ」には、「皇居前広場」は、「野外で性交をしあう男女の集まる場所」であり、「このころのひとびとは、皇居前広場と聞くだけで、そのことがピンときた」と述べています。
 そして、「敗戦直後の皇居前広場で性愛にふけっていた男は、外国人であった」として、ここが、「堀をはさんで、占領軍の総司令部に面していた」ため、「占領軍の兵士たちが、集まりやすい場所だった」と指摘しています。
 一方で、「屋外での性交は、対米戦争以前から、ごくふつうにおこなわれていた。日本の、とくに農山村漁村では、当たり前の慣行だったのである」ことを指摘し、皇居前広場の「密会」は、「近代ではなく、古い民俗の側にぞくする性愛だった」と述べ、「じっさいは古くからある民俗慣行を、そんなふうに誤解する。いわゆる『性の解放』を近代的だと考える偏見に、毒されていたというほかない」と述べています。
 第2章「芸者たちと、待合と」では、「昔の待合には、ラブホテル的な機能があった」が、「それだけに用途が限定されていたわけではない」と述べ、「男たちの芸者買いをサポートするのが、待合にとっての常態であった。しろうとの恋人たちも、そういった場所を転用させてもらっていたのである」と述べています。
 また、警察も、「賭博は御法度であるが、密売淫は差し支えない」ぐらいの気持ちで、待合に臨んでいたのではないかと述べています。
 第3章「ソバ屋のできごと」では、「ソバ屋の二階と言えば、恋を語るには絶好の場所であったわけだ。席料をとる訳ではなし誂え物をしてそれを運んでくれば、今度は客の方から手を叩くまでは誰も二階へ上がっては来ないまことに粋なものであった」という言葉を紹介した上で、汁粉屋、鰻屋、お好み焼き屋、テンプラ屋などについての記録もあるとして、「けっきょく、飲食店には、おおむねそういう属性があったのだというしかない」と述べ、「酔客への接待を兼業する待合があったこと」を挙げ、「ここでも、食と性は未分化な面を持っていたのである」と述べています。著者は、「食と性は、ソバ屋あたりを媒介にして、江戸時代から接点を持っていた。それが、1930年代になって、互いに分離し始める。20世紀のなかごろまでは、かねあうこともあっただろう。しかし、昭和史が、そのつながりを徐々に弱める過程であったことは、まちがいない」と指摘しています。
 第4章「円宿時代」では、「1910-20年代になると、新しい施設も、郊外へでき始める」として、「しろうとにもはいりやすい宿泊所が、ととのいだしてきた」と述べています。
 そして、1930年代になると、「一人一円で、部屋を借りることができる」、「低料金の時間貸し、いわゆる『御休憩』用の空間が、市街地にも広がりだす」と述べています。
 著者は、「1920年代は、女を店から連れ出す売買春が増えた時代」であり、「しろうとたちも、同じ頃に並行して屋内での性愛へ、傾斜しだしている」という二つの趨勢が、重なり合って、「性愛への空間提供産業を成長させていく」と解説しています。
 第5章「鏡と風呂」では、敗戦後、「戦時中の空襲をのりこえてやけのこった建物」も、「しばしば性愛用に転用されている」として、「かつて富豪たちが持っていた邸宅」が、「戦後の諸改革などで、収入を減らされた没落階級が、こんな営業を始めていたらしい」と述べています。
 また、「温泉マーク」と呼ばれるつれこみ宿について、「温泉マーク」にかわる新語として、「さかさくらげ」や「スリーS」という言い回しがなされたことについて、「性的なアイテムが、隠語を要請する度合いの強さを、あらためて認識するしだいである」と述べています。
 第6章「ラブホテルの時代」では、「1960、70年代のラブホテルに和風の意匠が多い点」について、「戦前以来の待合=料亭が、和風の数奇屋づくりを維持していた」というテイストが、鉄筋コンクリートの時代にも、保たれていたのではないか、として、「ラブホテルの業者たちは、その多くが色街に出自を持っていた。そう仮定すれば、和風のホテルが登場したことも、うなずける。花柳界の演出が、ホテル建築のそれにも引き継がれたのだと考えれば、それですむ」と述べています。
 また、「ラブホテルは、一般の男女が使うことをうたった施設」であるが、「古めかしい売買春の伝統を、ずいぶん引きずっていた。そして、そんな娼館が一般人へも門戸を開放していたということでは、なかったか」と述べ、「屋内は、伝統的にプロスティテュートの世界だったのである」として、「たとえ、ラブホテルの時代になっても、その構図は変わらなかったような気がする」と語っています。
 第7章「意匠、風俗、そして警察」では、「ラブホテルのデザインが、1980年代に入り大きく変わりだした」ことについて、「ラブホテルが、私娼のよびだしをしなくなった」ことで、「娼館的な営業からは、以前より距離を置きだした」ために、「『アダルト』風の演出が、影をひそめていった」のではないかと述べています。
 一方で、ジャズ・ピアニストのデューク・ジョーダンに「ラブホテル」という曲があるように、東京ディズニーランドができる前から、「日本的ディズニーランダゼイションを、展開していた」と延べ、「娼館色の濃い時代には、ラブホテルのディズニーランド風も、公共建築まで広がらない」が、「ラブホテルが娼館色をうすめてくる」と、「一般的な建築とラブホテルの境界はぼやけ、互いの滲透圧が高まった。そのために、図書館や学校建築へも、ラブホテル的な造形が顔を出したのだと考えたい」と述べています。
 本書は、近代から現代にかけての「悪所」の使われ方を、わかりやすく切り取った一冊です。


■ 個人的な視点から

 よく、「昔は男に夕食に誘われて付いて行くってのはOKも同然だった」という人がいますが、昔の飲食店が、性と未分化な状態で、言ってみれば隣の部屋には布団が敷いてあるようなものだったことを知らないと、ミスリーディングになるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・蕎麦屋に2階があることに気づかなかった人。


■ 関連しそうな本

 井上 章一 『新版 霊柩車の誕生』 
 加藤 政洋 『花街 異空間の都市史』 2006年07月10日
 加藤 政洋 『大阪のスラムと盛り場―近代都市と場所の系譜学』 
 紀田 順一郎 『東京の下層社会―明治から終戦まで』 2006年07月27日
 横山 源之助 『日本の下層社会』 2006年08月11日
 松原 岩五郎 『最暗黒の東京』 2006年07月31日


■ 百夜百音

明日に向かって走れ ― 月夜の歌【明日に向かって走れ ― 月夜の歌】 エレファントカシマシ オリジナル盤発売: 1997

 ポップになったかと思ったとたんに「悲しみが止まらない」にそっくりになっちゃたりしたのは、無理がたたったのでしょうか。

『エレファントカシマシ SINGLES 1988-2001』エレファントカシマシ SINGLES 1988-2001

2008年5月 5日 (月)

考えることの科学―推論の認知心理学への招待

■ 書籍情報

考えることの科学―推論の認知心理学への招待   【考えることの科学―推論の認知心理学への招待】(#1201)

  市川 伸一
  価格: ¥693 (税込)
  中央公論社(1997/02)

 本書は、「人間の推論について、心理学の立場から眺めてみよう」というもので、話題の多くは、「認知心理学や社会心理学の推論研究に基づいている」と述べています。
 第1章「形式論理と日常的推論」では、認知心理学者のウェイソンが実験に用いた「四枚カード問題」とか「ウェイソンの選択課題」と呼ばれる問題として、
「A」「K」「4」「7」の4枚のカードとともに
「ここには4枚のカードがある。どのカードも片方の面にはアルファベット、もう片方の面には数字が書いてあるということを、あらかじめ被験者は教えられている。そこで、次のルール
   母音の裏側には、必ず偶数がある
が成り立っているかどうかを確かめるためには、一体どのカードをめくってみる必要があるか」
という問題を示しています。
 第2章「論理的推論の認知モデル」では、「私たちの日常的な推論は、抽象的で一般的な形式に沿って行われるのではなく、領域固有性を持っている」と述べた上で、「私たち人間は、論理式を操作するような思考はおよそできず、視覚的なイメージをモデルとして操作しながら、さまざまな場合を吟味していくというやり方をとる」として、「裏返せば、イメージ的に考えることのできる図式表現を使うと、私たちの思考はずいぶん改善される可能性がある」と述べています。
 第3章「機能的推論」では、「ヘンペルのパラドックス」として、「すべてのカラスは黒い」という仮説をどのように検証すべきか、という問題を検討しています。
 第4章「確率・統計的な現象に対する理解と誤解」では、「コイン投げで何回か続けて表が出ると、次には裏の方が出やすくなると考えてしまう」という「賭博者の錯誤(gambler's fallacy)」について解説しています。
 そして、「検定」や「相関」、「回帰」など、統計的な理解に不可欠な概念について解説しています。
 第5章「ベイズの定理をめぐる難問・奇問」では、「条件つき確率」について、「ある情報が得られることによって、確率はその情報が得られたもとでの条件つき確率へと変化する」と述べ、
・事前確率:情報が得られる前の確率
・事後確率:得られた後の確率
について、解説しています。
 そして、「データから仮説の正しさを推論する」場合の「確からしさの程度を数学的に求める方法」として、「ベイズの定理(Bayes' theorem)」について解説しています。
 また、「私たちは、確率とはこのように振舞うはずだという信念のようなものをいくつか持っている」として、「三囚人問題」を解説し、「数学的な解答を聞いて、それが論理的に正しいことは理解できても、直感的には納得しがたいという意味で、相当の難問の部類に属する」と述べています。
 第6章「確率・統計問題での推論の仕組みと学習」では、「人間がどのようにして直感的な確率判断を行なっているのか。また、何らかの学習によって判断のバイアスを避けることができるのか」という問題を論じています。著者は、「ヒューリスティックス(heuristics)」という概念について、「常に正解に至るわけではないが、多くの場合、楽に速く正解を見つけられる『うまいやり方』をさし、『発見法』などと訳される」と述べています。そして、よく知られているものとして、「人間が確率判断を求められたときに、それを代表性(representativeness)に置きかえて判断してしまう」というものを挙げています。この他、「たまたま利用しやすいデータによって判断してしまいがち」だという「検索容易性(availability)」や、「出題者がヒントだと言っているわけではないのに、被験者のほうが勝手に与えられた値を基準にして、それを補正して答えてしまう」という「アンカリングと調整(anchoring and adjustment)」などについて解説しています。
 第7章「推論は知識に誘導される」では、「会話や文章の理解において私たちが使う知識体系」として、「スキーマ(schema)」を挙げ、「記憶というのは、聞き手のスキーマに適合するように解釈され、変容されていくものである」と述べています。
 また、「問題を説いた経験が他の問題の解決を促進する」という「転移(transfer)」に関して、「子どもたちのふだんの学習の様子を聞いてみると、問題が解けるにせよ、解けないにせよ、やりっぱなしのことが多いのが目につく」ことを指摘し、「問題解決プロセスの最後における重要な『推論』として、『なぜはじめはうまく解けなかったのかを考えて、一般的な教訓として引き出す』ということを強調している」と述べています。
 第8章「因果関係を推論する」では、「私たちが日常経験から作り上げた素朴な信念」である「素朴理論(native theory)」について解説しています。
 第9章「自己の感情と他者の圧力」では、「総意誤認効果(false consensus effect)」として、「他者の態度の分布を自分の態度に引き寄せて推測してしまうこと」を挙げ、例として、「タバコが好きな人は、タバコが嫌いな人に比べて、より多くの人間がタバコ好きだと推測しやすい」ことなどを挙げています。
 また、著者が、推論のバイアスやエラーなどを研究することについて、「心理学者は、こういう結果を出して、自分たちをバカにしているのではないか。他人が間違いをすることを示して、何が面白いのだろうか」と不快に思う人がいると述べた上で、「自分の判断のおかしさに気づいて、納得できたとき、私にとってそれは目の前が開けたような新鮮な経験となる。むしろそれは、より洗練された認識にいたる第一歩なのである」と述べています。
 本書は、人間がどのように考え、どのように世界を認識しているのかを知る手がかりを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で「三囚人問題」として紹介されている問題は、「モンティ・ホール問題」と呼ばれる問題と同じ構造をもち、天才数学者エルデシュも引っかかった問題として知られています。


■ どんな人にオススメ?

・自分では論理的に考えているつもりの人。


■ 関連しそうな本

 ポール ホフマン (著), 平石 律子 (翻訳) 『放浪の天才数学者エルデシュ』 2005年11月06日
 ジョセフ・メイザー (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『数学と論理をめぐる不思議な冒険』 2006年12月16日
 ウィリアム パウンドストーン 『囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論』 2006年09月11日
 ブルース シェクター (著), グラベルロード (翻訳) 『My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記』 2006年11月25日
 ウィリアム・パウンドストーン (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『パラドックス大全』 2007年01月13日
 スティーヴン ウェッブ (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス』 2007年01月27日


■ 百夜百音

とんねるず【とんねるず】 とんねるず オリジナル盤発売: 2005

 結構芸歴も長いんですが、さすがに最近は音楽チャートに登場することはなくなりました。ちょっと世代がずれるせいか、何が面白いのか良くわかりませんが、今となっては独自のポジションを築いているようです。

『ベスト足跡』ベスト足跡

2008年5月 4日 (日)

GHQ日本占領史 (17)出版の自由

■ 書籍情報

GHQ日本占領史 (17)出版の自由   【GHQ日本占領史 (17)出版の自由】(#1200)

  竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃
  価格: ¥6090 (税込)
  日本図書センター(1999/03)

 本書は、GHQによる日本占領時の「出版の自由」に関する改革、特に報道に関する改革を記録したものです。
 巻頭の「解説」では、古川純氏が、「占領軍当局は二重の責務を負った」として、
(1)軍国主義的・超国家主義的な思想を挫き、そのような思想を助長し、過去に民主主義的傾向を窒息させてきた公共的な情報メディアの統制措置を除去すること。
(2)情報メディアの中で及びそれを通じて民主主義的傾向の成長を奨励すること。
の2点を挙げています。
 また、「検閲(censorship)は広い概念であり、占領軍による検閲と破たんに情報の自由な流れを公権力が事前に内容を審査して抑制する活動だけではなく、軍の作戦行動のための諜報(情報収集・分析・評価)活動をも含んで用いられた」と解説した上で、「占領軍の検閲をあまり言論統制の面からだけ見ないで、米太平洋陸軍としての占領軍が広く軍として有する諜報作戦の中で継続した民間検閲活動という位置づけのもとに総合的視野で考察する必要」を強調しています。
 第1章「降伏時の状況」では、出版産業が、「戦争の間、日本の国民生活の他の部分と同様にひどい損害を受けた」と述べ、「政府の強制的戦時統合」によって、100以上あった日刊紙が55まで減らされるとともに、「戦前及び戦時の検閲と統制手段」によって、「すべての出版社に対して厳しい監視」が行なわれたと述べています。
 第2章「プレスの自由のための青写真」では、最高司令官が、「日本のプレスを解放し、そして、民主勢力としてその発展を促す最高司令官の権限を基本政策指令に含まれた広範な指示から導き出した」として、
(1)市民的自由を確立し基本的人権を尊重すること。
(2)日本の人民に占領の目的、政策及び進捗状況を完全に知らしめること、そして、彼らを合衆国及びその他の民主主義諸国の歴史、制度、文化及び達成した成果に親しませること。
(3)日本の人民に、人民の困苦を引き起こすに当たって、軍国主義者、全体主義者及び超国家主義者が果たした役割を明らかにすること。
(4)軍事的安全保障と占領目的を達成するために必要最小限の統制のみを日本のプレスに課すこと。
(5)民主的な理念と原則を普及することによって思想の自由を促進すること。
の5点を挙げています。
 また、「全国的な独占的ニュース収拾機関である同盟通信は、顕著な犯罪者であった」として、同盟が、「戦争の終結は、連合軍の軍事的優越よりも天皇の『大御心(慈悲)』によってもたらされたものであり、そして、占領しているアメリカ人はたんに天皇の『顧客』にすぎないとの立場」をとったと主張したことを指摘しています。
 さらに、新聞の事前検閲に当たり、「公刊を意図したすべての版のゲラ刷りを2部提出することを要求」され、「校正刷りの1部は、許可された印が付けられ、もしくは削除部分のために印づけられて返却され」、「写しの一部は発行された新聞と比較するために検閲当局に保存された」と述べています。
 第3章「出版者が直面した諸問題」では、「国民的新聞の最高レベルのオーバーホールのためのパターン」が、東京で「3大紙」によって築かれたとして、
・毎日新聞:1945年8月29日に奥村信太郎社長が辞職し、1946年2月16日には顧問からも退職。
・朝日新聞:村山長挙社長、上野清一会長及び従業員に受け入れられた5名を除くすべての取締役が1945年11月5日に辞職。
・読売新聞:正力松太郎社長が、SCAPが戦争犯罪容疑で彼の拘束を命じるまで、従業員の圧力に耐えたが、その後、正力と20人の読売役員ならびに取締役は辞職。
の3点を解説しています。
 第4章「ニュースの収集」では、「政府の管理下にあり助成を受けている[新聞]組合通信社」である「同盟通信社」が、「占領開始時における日本ので唯一のニュース収集・配信組織」であったが、最高司令官の1945年9月24日の指令が、「同盟から独占的特権及び政府支援の両方を剥奪した」と述べています。
 そして、「同盟解散の直前に、同盟の理事会と加盟新聞社は新たな組合通信社」である「共同通信」の計画を立案し、「多くの同盟従業員は共同で同じ地位を保った」と述べ、「共同への参加を断った若干の前同盟従業員」が、「時事通信社」と呼ばれる分離組織を作り、「共同と時事はライバル通信社として競争するよりも、共同は新聞社と日本放送協会にサービスを限定し、時事は個人購読者だけにニュースを売るという『紳士協定』を立案した」と述べ、時事通信社が、1945年に750名の従業員で操業を開始し、1950年には1444名になったと述べています。
 また、第3の通信社であるラヂオ・プレスが、「英語を話す2世によって降伏後間もなくに設立された」ほか、「占領の最初の年が終わる前に、より小規模な50を超す通信社がこの分野に参入した」と述べています。
 第5章「労働者とプレス」では、「政府のプレス統制を崩壊させる降伏勅書の直後に、日本の大新聞の当同社は多くは彼らが久しく課せられていたと感じた抑圧のくびきを、彼ら自身で取り除くための落ち着きのない運動を始めた」と述べたうえで、「占領中の最も重要な労働争議は、読売で起こった」として、「従業員の行動、結果としてのストおよび結果として生じた解決は、出版業界中で数年間、先例および雛形として位置づけられた」と述べています。
 そして、1945年の読売争議において、「正力松太郎社長以下の読売首脳陣の退陣」と「経営陣と取締役の影響力を削減し、編集責任の大部分を従業員に引き渡す」という抜本的な経営改革を要求したが、正力は拒絶し、結局、1945年12月1日に正力が戦争犯罪容疑で逮捕されたことで、「読売首脳陣は労組の要求にほぼ全面的に同意した」と述べています。
 また、朝日新聞の労働争議では、6人の従業員代表が、「村山長挙社長、上野清一会長、ならびい朝日の全取締役の辞職を求め」たのに対し、村山は、要求を拒否した上、6人の代表の辞職を求めるという報復に出たため、従業員グループは、村山の辞職を求めるビラを印刷・配付し、職場の重要ポストを占拠したと述べています。
 第6章「戦後の刊行物」では、「1県1紙、東京で5紙、大阪で4誌という新聞発行の制限が撤廃されると、資本と新聞事業に近づく方法を有する企業者に広範な市場をもたらした」と述べ、「戦後の日刊紙のほとんどは、読者層を、既成新聞の読者層を侵すのではなく、拡張しつつある新聞市場の中で獲得した」と述べています。
 そして、「新発行日刊紙の多数は夕刊紙であり、夕刊紙というのは、大新聞のほとんどが朝刊紙なのであまり立て込んでいない分野であった」が、1949年に起きた朝刊大新聞の夕刊発行によって、「夕刊旋風」を解き放ったと述べています。
 また、「新聞に対する公衆の信頼を損なうような機能を果たし、戦後日本の出版会を撹乱した特徴」として、「普通は限定部数・不定期発行のタブロイド版」で、「ゆすりや恐喝のためにならず者に利用された」「ゴロツキ新聞」について言及し、「『ゴロツキ新聞』の発行者は、もし彼らの揺すり・たかりを警察に知らせた場合には肉体的な暴行を加えると脅すことによって、対象となる犠牲者を脅迫した」と述べています。
 さらに、雑誌に関しては、「最も多く求められる5大婦人誌」として、「主婦の友」、「主婦と生活」、「婦人クラブ」、「婦人生活」、「ひまわり」を、総合雑誌としては、「世界」、「文藝春秋」、「中央公論」、「改造」を挙げています。
 第7章「小新聞対全国的日刊紙」では、「戦時中に新聞を規制した無数の政府規則と影響力のあるSCAPの改革にもかかわらず、1つの際立った特徴が変わらずに残った」として、「全国的新聞の支配―東京の3大新聞」を挙げた上で、それが、「明治維新に引き続き日本で発展してきた政治的・文化的生活のすべての形態が極端に東京に集中したことの必然的な結果」であると解説しています。
 第8章「プレスの改善」では、「戦前および戦時中に政府がプレスを統制するシステムの一部として利用した装置」である「記者クラブ」について、「SCAPが新聞協会に対して記者クラブ・システムの固有の害悪について印象づけた後に、力が弱まった」と述べています。
 そして、「共産党員の排除」の結果、「東京の新聞および通信社では解雇者または退職者は183名を数えた」他、大阪の77名をはじめ、全国では500名のレベルを記録したと述べています。
 また、「降伏後の初期において、プレスの自由に対し、民主的なプレスの発展を阻害する小さな、しかし時には影響のある制約があった」として、「すべての重要な政府機関のオフィスで機能した記者クラブという制度」を挙げています。
 さらに、「読者が競争紙との間の報道合戦に巻き込まれ完全に混乱した」事件として、朝日新聞による「本庄事件」と、読売新聞による「銚子事件」を挙げ、前者では、「本庄について、警察組織を買収し法を公然と無視して住民を恐怖に陥れるような暴力団員・バクチ打ち・ゆすり集団の支配する『暴力の町』」と書き、後者では、銚子について、「高寅[タカトラ、高橋寅松]という名前の地元のバクチ打ちのボスが仲間の1人に銚子の小新聞『大衆日報』の記者であるコシカワ・イノスケを襲うよう命じた」と読売新聞が報じたと述べています。
 第10章「書籍出版」では、書籍販売に関して、降伏後4年間は、「日本出版配給統制会社(通称『日配』)の事実上の独占であった」と述べた上で、1949年3月27日に、「閉鎖機関令」と「過度経済力集中排除法」の規定により、「閉鎖機関の指令を受けた」と述べています。
 本書は、終戦直後の出版業界の有様と、現在のマスコミの姿のルーツを伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 マスコミっていうのも規制産業ですから、「なぜ現在のような状態になってしまったのか」を考える上で、「経路依存性」がありすぎるほどあるので、終戦直後に遡ったり、戦前に遡ったり、明治にまで遡らないとわからないことが山ほどあります。
 その意味で本書は重要な資料なのではないかと思いますが、なにしろ、大昔でありながら登場メンバーの顔ぶれは現在とほとんど変わりませんから、読み物としても十分読める一冊だと思います。


■ どんな人にオススメ?

・現在の新聞社の素性を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 今西 光男 『占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎』 2008年04月27日
 今西 光男 『新聞 資本と経営の昭和史 朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩』 2008年04月05日
 崎川 洋光 『新聞社販売局担当員日誌』 2008年04月22日
 河内 孝 『新聞社―破綻したビジネスモデル』 2008年04月08日
 本郷 美則 『新聞があぶない』 2008年04月07日
 河崎 吉紀 『制度化される新聞記者―その学歴・採用・資格』 2006年11月10日


■ 百夜百音

GAME【GAME】 Perfume オリジナル盤発売: 2008

 いまだにポリリズム売れてるみたいです。去年、カラオケでパフューム歌ったときは誰も知らなかったのが嘘みたいです。
 ちなみに今日は館山に行って来て、地元の安房校の人のX-JAPAN話を聞いてきたので。

2008年5月 3日 (土)

テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか

■ 書籍情報

テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか   【テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか】(#1199)

  吉野 次郎
  価格: ¥1575 (税込)
  日経BP社(2006/11/30)

 本書は、「インターネットの影響で、放送ビジネスが大きな転換期を迎えている状況を解説」したものです。
 序章「五十年かけて密かに築いた"おいしいビジネス"」では、「テレビ局に、どうしこれほど富が集中しているのだろうか。他の先進国を見回しても、ここまでテレビ局が成功している国はない」と述べ、「日本のテレビ局が、半世紀をかけて、優れたビジネスの仕組みを築き上げた成果である」と語っています。
 そして、「テレビ局がインターネットを嫌う理由は、たった7つに集約できてしまう」として、それを本書の章立てにしたと述べています。
 第1章「地上デジタル巡る攻防戦」では、「映像を配信できるインフラ」である電波を独占してきたテレビ局に対して、「通信会社がブロードバンド回線で本格的に攻勢をかけようとしている」という状況を解説しています。
 そして、テレビ業界がブロードバンドで番組を流すのを認めない理由が、「高い視聴率を維持したい」という答えにたどり着くとした上で、世界でもまれに見る「有料放送大国」となってしまって勢いを失った米地上波テレビ業界の惨状を解説しています。
 第2章「揺れる最強の番組流通システム『系列』」では、テレビ局がインターネットに番組を提供しない理由として、表向きは、「著作権の処理が大変だ」という理由を挙げているが、実は、「単純に『儲からない』というだけである」という理由を述べています。
 また、キー局が「全国規模で事業を営んでいる大手企業からの広告依頼」を受け、「系列の地方局に番組と一緒にCMを放送してもらうことで、こうしたスポンサーから巨額な広告費を集められている」と解説しています。そして、「キー局のCM収入の仕組み」として、
(1)タイムCM:特定の番組につくスポンサーのCM
(2)スポットCM番組が終わってから次の番組が始まるまでの"すき間"の時間帯を埋めるCM
の2種類のCMについて解説し、キー局が、「潤沢なタイムCMを基に、魅力的な番組を作り上げ」、「さらに、残ったタイムCM収入で地方局に電波料を払って、その番組を全国に流してもらう」とともに、「番組の制作費はタイムCM収入で賄えているし、地元だけで流すCMなので地方局に払う電波量も不要」なスポットCM収入の「ほとんどをそのまま粗利益として確保できる」と述べています。
 第3章「成長力失った公共放送はネットに夢中」では、「悲願のネット進出」を果たすためのプロパガンダ装置として、NHKが「NHKアーイカイブス」を建設したとして、「NHKが、「ラジオ放送、テレビ放送、BS放送とメディアを増やすことで、拡大してきた組織」であり、「新たなメディアに手を出さないと、いずれ成長が止まるという宿命を抱えている」と解説しています。
 そして、民放テレビ局がNHKのネット進出に反対している理由は、「NHKは黙って今の公共放送に専念していろ」というものであり、「NHKが節度を持って従来通りの公共放送を提供していれば、民放テレビ局が望む『二元体制』が維持できると考えている」と解説しています。この「二元体制」とは、NHKが、「まじめな報道番組や教育番組、教養番組を多く流している」ため、民放が「娯楽番組の量産」に専念できる、というものであると解説しています。
 第4章「家電業界の戦略商品『ネット対応テレビ』の破壊力」では、テレビ界では、「画面が汚れる」という言葉が、テレビ局の放送以外の情報が映り込むことを表し、テレビ局はメーカーに「勝手に画面をいじるような機能を付けるな」、「あなた方は、テレビ放送を映す装置を作っているんですからね」と言っていると述べています。
 第5章「芸能界とテレビの蜜月に陰り」では、テレビ局が芸能界を引き寄せるために、「タレントに支払う『高額な出演料』とタレントの知名度を高める『大きな宣伝効果』の二つ」を使ったと述べ、「大物のお笑い芸人」には1回の番組出演で最高数百万円もの高額な出演料を支払っているのに対し、俳優は「テレビで効率的に稼げない仕組」だが、「大きな宣伝効果がある」こと、そして、ミュージシャンは、「テレビの宣伝効果に期待」し、CDやコンサートチケットの売れ行きの伸びを期待するモデルであることを解説しています。
 第6章「コンテンツの支配者が下克上に怯える」では、テレビ局の「番組を大量に生産できる体制」が、400社にも上るといわれる「外部の番組制作会社」によって支えられていると述べた上で、テレビ局が、「大きな番組制作費と、リスクの小さな政策環境の2つを与える上で、テレビ局は制作会社を自らの下に集結させてきた」と述べています。
 そして、「制作会社を引き寄せていたテレビ局の求心力」が、ネットの影響で低下してきた動きを後押ししているのが、「テレビ局による制作会社の支配が日本のコンテンツ市場の成虫を阻んでいるとして、市場構造の改革を目論んでいる」経産省であると述べています。
 第7章「政府とテレビ局に亀裂が走る」では、「テレビ放送用の電波」という「滅多に手に入れることができない貴重な財産」をテレビ業界に使わせている総務省が、その代わりに、「一般の報道番組や臨時の災害報道、文化の向上につながる放送など、社会に役立つ放送サービスを提供してもらっている」と解説しています。
 しかし、「通信と放送の融合」推進派の勢いが増したことで、「テレビ局は、自分たちの"商売の種"である番組を、インターネットの発展のために差し出せと政府から言われるようになった」と述べています。
 著者は、「インターネットとテレビを組み合わせて、新しいビジネスを創造できたとき、テレビ局は電波に改めて新たな価値を宿らせるだろう」とした上で、「すでに出来上がったビジネスモデルの上に乗り、楽に過ごしてきた世代」である今のテレビ局社員たちに、「電波の価値を生かせる新ビジネスを作り上げられるのだろうか」と述べています。
 本書は、誰もが知っているようで実は知られていないテレビ局のビジネスモデルを解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 在京キー局が儲かっていて、デカイ社屋を建てたり給料が良かったりというのは、単に全国ネットの番組を作っているからというだけではなく、綿密に練り上げられた"儲かる仕組み"があるからだということを認識させてくれる一冊です。


■ どんな人にオススメ?

・在京キー局の強大な権力の源を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 池田 信夫 『電波利権』 2007年05月07日
 原 克 『悪魔の発明と大衆操作―メディア全体主義の誕生』 2008年02月24日
 歌川 令三 『新聞がなくなる日』 2008年03月29日
 池田 信夫, 林 紘一郎, 山田 肇, 西 和彦, 原 淳二郎 『ネットがテレビを飲み込む日―Sinking of TV』
 国際社会経済研究所, 青木 日照, 湯川 鶴章 (著) 『ネットは新聞を殺すのか-変貌するマスメディア』 2008年02月29日
 池田 信夫 『ネットワーク社会の神話と現実―情報は自由を求めている』 2005年09月17日


■ 百夜百音

黒船【黒船】 サディスティック・ミカ・バンド オリジナル盤発売: 1975

 今のCDの「クリア」な音も良いですが、昔のテープコンプの聞いた音はいいですね。入力のインジケータが真っ赤になって隣のトラックにも音が漏れ出すようなゴチャっとしたサウンドは最近あまり聞かない気がします。

『20 Songs to 21st Century -BEST OF SADISTIC MIKA BAND-』20 Songs to 21st Century -BEST OF SADISTIC MIKA BAND-

2008年5月 2日 (金)

メディアと広報 プロが教えるホンネのマスコミ対応術

■ 書籍情報

メディアと広報 プロが教えるホンネのマスコミ対応術   【メディアと広報 プロが教えるホンネのマスコミ対応術】(#1198)

  尾関 謙一郎
  価格: ¥1680 (税込)
  宣伝会議(2007/11/30)

 本書は、「大手の新聞者で記者を20年した後、広報を二度6年も経験し、またメディア側の本社に戻っている」という稀有な経験をした著者が語る、「新聞記者と広報の間には、数々の誤解があるのではないか」という思いをまとめたものです。
 第1章「メディアによってこんなに違う 取材のしかた」では、元読売新聞経済部記者だった著者が、「重要なヒントもあるが、各方面から補強取材し、出所が分からないようにしてから直接取材するのが常識」と思っていたのに対し、スポーツ新聞は、「基本的にぶら下がり取材、聞いたことをすぐに字にする手法が身についている」と述べています。
 また、「テレビ局は同じマスコミでも新聞とは取材方法が違う」上、「同じテレビ局でも、ニュースと情報番組、また通常の番組とはまったく違う」と述べています。
 第2章「誰も教えてくれない 広報パーソンの心得」では、記者にとって「取材先との接点で気をつけること」として、
(1)まず、話を聞くことから始める。
(2)時々、悪気はないが、自分の意見をとうとうと述べる記者がいるが、他社の記者の話は一行にもならない。
(3)取材対象から外れると、お見限りという記者も多い。
の3点を挙げています。
 また、「広報部長や、広報部門に配属されたら、会社の勤務時間ではなく、半ばメディアの勤務時間に合わせるという覚悟が必要」だと述べています。
 第3章「インターネット時代の広報の仕事」では、「情報と報道は違う」として、「新聞社は取材した素材に対して、記者、およびデスク、編成(整理)、最後は編集局幹部(当番の編集局次長)の価値判断があり、一面トップからベタ記事、ボツまで毎日、扱いの違う記事を掲載している」と述べています。
 第4章「次は我が身! 危機管理はできてますか」では、「広報のマスコミ対応力は、一に現場との距離に左右される」と述べ、「売場あるいは現場との連絡、意思疎通こそ、広報に課せられた使命」であると述べています。
 また、「社内報は社員同士のコミュニケーションツールであるとともに、広報と社員を結ぶツールだということ。広報部員が社内各所を取材に行くことが大事なのだ」と述べています。
 さらに、マニュアルには、「外形的なことは存在するが、内容には触れられていないのが普通」で、「けっして本質的なものではない」と述べ、「むしろ、突発的な会見では、本質的な訴えたいことは何か、を明確にし、あとは犠牲にする覚悟が必要だ」と述べています。
 第5章「トップ広報と夜回り取材」では、ある通産省幹部の家の前で夜回りをしていた著者が、眠り込んでしまい、当の幹部氏から起こされたエピソードを紹介し、その幹部氏は後に、「ある県の知事となり、全国知事会でも指導的な立場を極めた」と述べています。
 第6章「まだまだあります 広報の仕事」では、「自分のところの社内報を読むヒマがあったら、取材先の企業の社内報を読め」との教えを素直に守り、「記者時代の約20年は、ほとんど社内報は読まなかった」と述べています。
 第7章「大学・役所・メディアの広報はちょっと特殊」では、「大学のステークホルダーは、相変わらず学生と理事会、教授だけと思っている」が、「本当は親、OB、学生を採用した企業まで広げなければならない」と述べています。
 また、「後方の自覚が薄いといわれた役所、大学が改革されると、残るのはメディア企業の広報ということになるが、それはまだ改革の途上についたとはいえないだろう」と述べています。
 本書は、メディアと広報の両方の目から広報を見ることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 新聞記者が関連企業に「天下り」して、その先で広報部長をやっている、というのは、結構複雑な問題なのではないかと思いますが、やればできるものなのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・マスコミにどう対応すべきかを悩んでいる人。


■ 関連しそうな本

 石川 慶子 『マスコミ対応緊急マニュアル―広報活動のプロフェッショナル』 2006年10月26日
 井之上パブリックリレーションズ (著), 井之上 喬 (編集) 『入門 パブリックリレーションズ―双方向コミュニケーションを可能にする新広報戦略』 2006年12月13日
 高木 徹 『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』 2006年11月27日
 矢島 尚 『好かれる方法 戦略的PRの発想』 2006年10月25日
 ポール・A. アージェンティ, ジャニス フォーマン (著), 矢野 充彦 (翻訳) 『コーポレート・コミュニケーションの時代』 2006年10月23日
 福西 七重 『もっと!冒険する社内報』 2007年12月18日


■ 百夜百マンガ

育ってダーリン【育ってダーリン 】

 世の中を斜に構えて切って見せる今の芸風にとっては「黒歴史」ともいうべき作品。普通にいい作品だと思いますが。

2008年5月 1日 (木)

ネット君臨

■ 書籍情報

ネット君臨   【ネット君臨】(#1197)

  毎日新聞取材班
  価格: ¥1470 (税込)
  毎日新聞社(2007/10/20)

 本書は、2007年に、「その年に特に重要で、あるいは今後大きな社会的テーマになるであろう問題を取り上げる大型企画」として、毎日新聞の「年間企画」に取り上げたものと書籍化したものです。著者は、「新聞メディアにとっても、近年の大きなテーマ」になっている、「インターネットといかに向き合うか」について、「急速に構築されたネット社会だけに、利便性と同時」に、「被害者の視点が軽んぜられている点」などの「ひずみ」があると考え、「ネットの匿名性がもたらす弊害を問い直すこと」から、ネット社会をテーマにした連載を始めたと述べています。
 第1章「失われていくもの」では、「さくらちゃんを救う会」の募金活動に対し、「2ちゃんねる(2ch)」で、「また死ぬ死ぬ詐欺ですかw」と「家族を中傷する匿名の書き込み」が始まり、職業を「団体職員」と公表していたことについて、NHKに勤務していることが判明すると「高給取りを隠して同情を買おうなんて詐欺だな」と、ネット上で「祭り」が始まり、「だまされて募金したので返してほしい」と救う会にはメールや電話が相次いだと述べています。さくらちゃんの母和子さんは、「家の前で携帯電話のカメラを構えた人影」を思い出しては、「裸で歩いているような恐ろしさ。眠れないときもありました」と語っています。
 2ちゃんねるの管理人であるひろゆき(西村博之)氏へのインタビューでは、匿名性の利点を、「純粋に議論をするのなら、人格はないほうが議論しやすい」と答え、中傷や個人情報の暴露が行なわれ、削除してもネット上に流出してしまう点については、「それはインターネットの仕組み。誰にとっても(解決は)不可能。世の中に住がなければ平和だよねっていうのと一緒で、あるから仕方がない」と答えています。また、匿名掲示板で個人が吊るし上げられる大衆心理が働きやすい点については、「(誹謗中傷を面白がる)人間の本質は変えるべきだと思うが、仕組みとしては無理。それができたらノーベル賞がとれる」と語るとともに、2chを、「(危険なのに人が集まる)歌舞伎町と同じ。きれいな情報だけを集めることは難しい。いろいろな情報があるから面白い情報もある」と語っています。
 計14人が逮捕された、小児の撮影を「狩り」と呼んでいた小児性愛者グループの記事では、摘発開始後、「自分のパソコンは捨てられず、庭に埋めたが警察に発見された」元JR東海職員や、PCのデータを消して証拠隠滅を図ったものの「自分のコレクションは保管し、逮捕された」コミック作家などが取り上げられています。
 一方で、ITで変わる職場に関しては、NTTデータが、社内版SNS「Nexti」を解説し、「息抜きしたり雑談できる場所をネット上に作った」ことを取り上げ、「ネットは人をぎすぎすさせるのではなく、生活を豊かにするものであってほしい」という解説者の言葉とともに、SNSのQ&Aコーナーで、エクセルの「オススメ本」を教えてほしいと書き込んだ若い社員の机に、2日後に1冊の本が置いてあった、というエピソードを紹介しています。
 また、この「ネット君臨」の初回記事を執筆したことで、毎日新聞社会部の岩佐淳士記者が、「岩佐クンの歌を作ってみました」「岩佐記者を退職に追い込もう」など、「非難する書き込みがネット上にあふれた」ことについて、「自分は『匿名』の安全地帯に身を置き、やり玉に挙げる相手は実名だ。息を潜めて眺める人もいる」と批難しています。
 第2章「IT立国の底流」では、「日本のIT政策には影の部分もある」として、梶原拓・岐阜県知事(当時)の肝いりで2001年に第三セクターを設立して整備された高速インターネット網が、大手企業の料金値下げで利用者が激減し、2006年には三セクは清算されたことを取り上げ、「ITが安易な地域振興策として使われ、挫折した一方、『肝心の人材育成やネットのセキュリティ対策は不十分だった』」とする、戦略本部の元委員の指摘を紹介しています。
 また、「新たな3K」として、「IT産業では、『きつい、帰れない、結婚できない』と呼ばれる状況が生まれている」と述べています。
 第3章「近未来の風景」では、「日本の子どもたちの間でも『ネットいじめ』は広がりつつあるようだ」として、「生徒が教師にはわからないように仲間内だけで作る『学校裏サイト』と呼ばれるホームページを使うこともある」と述べています。
 そして、韓国のインターネット事情として、「インターネット王国が10代の性犯罪王国に」と朝鮮日報が、「ネットの有害情報が青少年にもたらす影響を特集」したことを紹介し、「ネットが普及し始めた99年当時と比べると、06年の10代の性犯罪(強姦や強制わいせつ)は3倍以上の1800件超に増えたというショッキングなデータ」を紹介しています。
 また、ソウル大のファンウソク教授の研究論文捏造問題をスクープした韓国MBCが、「国の英雄を汚すな」という数十万通のメールや電話が殺到し、番組スポンサーは前者が降り、プロデューサーの家族は地方に引っ越し、本人にはボディガードが着いたと述べています。
 さらに、中国に進出したヤフーやグーグルなど大手ネット会社が、米下院の公聴会で、「検閲への協力をめぐって議員から吊るし上げられた」ことを紹介しています。
 第4章「私の提言」では、「識者座談会」で、佐々木俊尚氏が、「明らかに匿名によって新しい言論が生まれている」と述べ、ヤフー法務部長の別所直哉氏が、「最終的に個人を特定できれば、現実の世界で責任を追えるのではないか」と述べています。
 第5章「ネットからの反響」では、「第1部から第3部を通して寄せられたメールや手紙、ファクス、ブログのコメントは2000件を上回った」として、「連載記事への反響としては過去に例を見ないほど多かった」と述べています。
 また、連載のスタートに当たり、「何もネットを敵視するような規格をしなくても」「2ちゃんねる問題はトラブルが多いから、深入りしない方が良いですよ」と、IT業界関係者や霞が関の官僚から声をかけられたと述べています。
 本書は、ネットと新聞という2つの異なるメディアがつながるところに起こる火花を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の取材班の中に、昔、千葉の記者クラブにいた記者の名前を発見しました。よく電話や取材を取り次いでいて、非常に熱心な記者さんだと思っていただけに、本社政治部での活躍をうれしく思います。


■ どんな人にオススメ?

・新聞はネットをどう思っているかを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 歌川 令三 『新聞がなくなる日』 2008年03月29日
 小林 弘忠 『新聞報道と顔写真―写真のウソとマコト』 2008年03月28日
 河崎 吉紀 『制度化される新聞記者―その学歴・採用・資格』 2006年11月10日
 今西 光男 『新聞 資本と経営の昭和史 朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩』 2008年04月05日
 崎川 洋光 『新聞社販売局担当員日誌』 2008年04月22日
 河内 孝 『新聞社―破綻したビジネスモデル』 2008年04月08日


■ 百夜百マンガ

愛がゆく【愛がゆく 】

 時間旅行がらみの超能力もの。未来人なら超能力を使えるのか、というところの突っ込みはありますが、何にしてもストーリーを進ませられる力量はさすがです。

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

無料ブログはココログ