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2008年8月

2008年8月31日 (日)

フー・アー・ユー?

■ 書籍情報

フー・アー・ユー?   【フー・アー・ユー?】(#1319)

  のり・たまみ
  価格: ¥840 (税込)
  扶桑社(2007/11/2)

 本書は、「みんなの代表者」である政治家の「おかしな『発言』を集めた」ものです。「おかしな発言」と言えば例のあの大統領も当然登場します。それも何度も。
 本書のタイトルになっている「フー・アー・ユー?」は、2000年5月にワシントンでの日米首脳会談で当時の森喜朗首相がクリントン大統領に向かっての一言と伝えられています。「もちろん、森元総理がクリントン大統領を知らなかったわけではなく」、「人と会ったときの挨拶として『ハウ・アー・ユー(お元気ですか?)』と言うように覚えていた」が、言い間違えて「フー・アー・ユー(あなたは誰?)」とやってしまったと解説されています。そして、クリントン大統領が、「ヒラリーの夫です」と機転を利かしたにもかかわらず、「私もです(ミー・トゥー)」とやらかした、という落ちまでついています。
 佐藤栄作元総理が、1964年に、「人気のある政治家・大野伴睦氏が『伴ちゃん』と呼ばれたことに対抗して」、「高圧的・官僚的」な自分のキャラクターをわきまえず、「栄ちゃんと呼ばれたい」と発言した事に関して、横山ノック議員が、ほんとうに「栄ちゃん」と呼びかけたときに、「とても不快そうに見下した」という逸話が残っており、「実際に呼ばれて嫌なら、最初からそんなこと言わなければいいのに」と述べています。
 本書の真の主人公とも言えるブッシュ・アメリカ大統領については、2001年7月19日のロンドン訪問の際に、子供から「ホワイトハウスはどんな所なんですか?」と質問され、「白いよ」と答えた、という代表的な「迷言」を取り上げています。
 そして、大統領就任前のカリフォルニア州知事時代には、「私の知能が足りないと思っている人間はその事実をまだ甘くみている」と発言し、その後の8年間をこの段階で予言してしまっています。
 海部俊樹元総理が、初めて衆議院議員に立候補した1960年のキャッチフレーズ「サイフは落としてもカイフは落とすな」は、それ以来16回の当選を重ね、現職では当選回数で最古参となっており、「第29回衆議院選挙にこのキャッチフレーズで初当選したのが29歳。そのため『第29回総選挙に29歳で初当選したから、29年後には総理大臣になる』と公言するように」なったところ、「本当に、初当選から29年後の1989年、内閣総理大臣に」なったことが紹介されています。
 「ヤジ将軍」のあだ名を持っていた元衆議院議員の三木武吉市は、1946年に他党の候補から「妾が4人もいる候補がいる」と攻撃された際に、「愛人は5人であります」と即答し、「もっともいずれの愛人も年をとって廃馬となり役に立ちませんが、これを捨て去るごとき不人情は三木武吉にはできませんから、みな養っております」と返したことで聴衆の拍手を浴びたことを紹介しています。
 現在は、事務所費問題で脚光を浴び、その直前には、食の安全について「消費者がやかましい」と発言して話題を振りまいた農林水産大臣を務めている太田誠一衆議院議員については、2003年6月26日に当時の「スーパーフリー事件」に絡めて、「集団レイプをする人は、まだ元気があっていいんじゃないですかね。正常に近い」と発言したことを伝えています。
 「小泉チルドレン」と呼ばれる議員の中でも子供っぽい「チルドレン」ぶりを伝えられることが多い杉村太蔵衆議院議員については、「『棚からぼた餅』という言葉は僕のためにあるような言葉」と余りにストレートに気持ちを発言して有名になったことを伝えています。ほかには、「料亭行ったことないですよ、行ってみたいですよ! 料亭!」「国会議員はJR全部タダですよ!」「大臣に選ばれちゃったらどーしよ! うひゃ!」など、秀逸です。
 本書には、これら耳を疑うような迷言とは逆に、政治家の立派さを示すような発言として、1957年に石橋湛山総理が発言した「皆さんから嫌がられることをする。ご機嫌もうかわない」という決意表明を紹介しています。しかし、この直後老人性肺炎になり、在任65日で総理を辞職してしまったことを伝えています。
 本書は、政治家がわれわれと同じ人間であることを再認識させてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 失言・迷言の類では、日本にも森喜朗元総理という第一人者がいますが、アメリカの現職にはかないません。この2人の首脳会談の内容というのも、関係者は相当ひやひやさせられたのではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・政治家は大変だと思う人。


■ 関連しそうな本

 のり・たまみ 『へんなほうりつ』
 盛田 則夫 『世界のとんでも法律集』
 村井 理子 『ブッシュ妄言録―ブッシュとおかしな仲間たち』
 西森 マリー 『警告!絶対にマネをしてはいけない「ブッシュ君」英語集―正しい英語例つき』
 大月 隆寛 『ニッポンの恥!』
 ルーシー・ケイヴ 『世界一おバカなセレブ語録』


■ 百夜百音

フー・アー・ユー【フー・アー・ユー】 ザ・フー オリジナル盤発売: 1978

 腕をぐるぐる振り回す「ウインドミル奏法」で有名なグループ。ギタリストのピート・タウンゼントは轟音がたたって難聴になってしまったそうです。

2008年8月30日 (土)

世界を変えた6つの飲み物 - ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが語るもうひとつの歴史

■ 書籍情報

世界を変えた6つの飲み物 - ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが語るもうひとつの歴史   【世界を変えた6つの飲み物 - ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが語るもうひとつの歴史】(#1318)

  トム・スタンデージ
  価格: ¥2415 (税込)
  インターシフト(2007/05)

 本書は、「ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、茶、コーラ」という「各時代の中心的存在だった飲み物によって世界を区分け」したもので、著者は、「飲み物は一般に考えられているよりも密接に歴史と結びつき、人類の発展に大きな影響を与えている」と述べています。
 第1章「石器時代の醸造物」では、ビールについて、「最初に栽培した作物、大麦と小麦を原料とするこの飲み物が黎明期の文明を支え、社会、宗教、経済生活において中心的役割を果たすことになる」と述べ、「紀元前4000年までには、近東一帯に普及していた」と述べています。
 そして、パンとビールについて、「醸造にパンを使うというメソポタミア人の手法」が、「考古学者の間で激しい議論の的になっている」とした上で、「両者はいわばコインの表と裏のようなもので、パンは固いビールであり、ビールは液体のパンだったのである」と述べています。
 第2章「文明化されたビール」では、「メソポタミア人もエジプト人も、ビールは古代に神から与えられた飲み物で、自らの存在の基盤であり、文化的および宗教的アイデンティティの一部を形成し、社会的に非常に重要な意味を持つものと考えていた」として、「ビールはまさに、最古の二大文明を特徴付ける飲み物だった」と述べています。
 第3章「ワインの喜び」では、「ギリシアでは、ワインは庶民的といえる飲み物だったが、それでもなお、ワインはある階層と別の階層とを区別する際の目安になった」と述べたうえで、「たとえ上質なワインでも、水を加えずに飲むことは野蛮な行為である、とギリシア人、とりわけアテナイの人々は考えた」と述べ、一方、「ワインをまったく飲まないのは、ワインをそのまま飲むのと同じくらい悪いこととされた」と述べています。
 第4章「帝国のブドウの木」では、「裕福なローマ人たちは最上級ワインを楽しみ、それほど豊かでない人々は質の劣るワインを飲んだ」として、「コンビビウムと呼ばれた晩餐会への出席者には、それぞれの社会的地位にふさわしいとされるワインが出された」と述べ、「古代ローマには、伝説的高級ワインのファレルヌムから最低ランクのローラまで、各階層向けのワインが存在した」と解説しています。
 著者は、「ギリシア人とローマ人のワインに対する態度は、もともと古代の近東文化の中でその基礎が作られたものだが、さまざまな形で現在まで受け継がれ、世界各地に広まっている」として、「現代においてもワインが富、権力、地位と密接な関係にある」と述べています。
 第5章「蒸留酒(スピリッツ)と公海」では、「成分を単離・精製するために、液体をいったん蒸発させてから再び凝結する」という「蒸留法」が、「誕生は古代にまでさかのぼる」とした上で、「ワインを蒸留する習慣を取り入れたのはアラブ世界が初めてだった」と述べ、「蒸留の知識は、アラビア人学者が守り、そして発展させた数ある古代の英知の一つだった」として、「alchol(アルコール)という単語は、蒸留酒の起源がアラビアの錬金術師の実験室にあることを表している」と解説しています。
 そして、アフリカの奴隷商人が奴隷との交換品として、「布地、貝殻、金属製の器、水差し、銅板など」をヨーロッパ人から受け取った中で、「一番ほしがったのは強いアルコール飲料だった」と述べています。
 また、バルバドスの入植者たちが、「砂糖作りでできる副産物を発酵させ、これを蒸留して強力なアルコール飲料を作る方法」をブラジルから手に入れ、バルバドスでは、改良により、「それまでは何の価値もない余り物とされていた糖蜜を使ったケイン・ブランデーの製造法を開発」し、この飲み物が「キル・デビル(悪魔殺し)」と呼ばれ、さらに、もともと「騒々しいけんか、暴力騒ぎ」を意味するイギリス南部の俗語である「ラムバリオン」と呼ばれ、まもなく「ラム」と呼ばれ、「まずはカリブ諸島全域に、続いて世界各地に広まる」と解説しています。
 第6章「アメリカを建国した飲み物」では、「ニューイングランドの酒造業者たちにイギリス領の砂糖業者から糖蜜を買わせること」を目的とした「糖蜜法」が、「遵守されず、その制定は入植者たちを憤慨させた」と述べ、「ラム酒と糖蜜に対する関税はアメリカ植民地のイギリスからの分離のきっかけになるとともに、ラム酒に強烈な革命の香りを加えた」と述べています。
 そして、ヨーロッパからアメリカにやってきた入植者たちが、「蒸留酒で奴隷を購入し、服従させ、管理しただけではなく、蒸留酒に対するアメリカ先住民の狂信的な態度を、彼らに対する支配手段として意図的に利用した」と述べ、この狂信的態度のルーツについて、「幻覚作用のある在来種の植物と同じく、蒸留酒は超自然的な力を備えており、これを飲む者は完全に酩酊して初めてその力に近づくことができる、というアメリカ先住民の思い込みがもとになっているようだ」と解説しています。
 著者は、「銃器および伝染病と並び、蒸留酒は旧世界の人々が新世界の支配者になる手助けをすることで、近代社会の形成に寄与した。蒸留酒は、数百万の人々の奴隷化および強制的移動、新しい国家の建国、土着文化の征服の一翼を担ったのである」と解説しています。
 第7章「覚醒をもたらす、素晴らしき飲み物」では、ガリレオやベーコンら先駆者につづく、「合理的探求の精神」が、西洋思想会の主流として広がったとして、「新合理主義のヨーロッパへの広まりと同時に、コーヒーという、明敏な思考を促す新種の飲み物も普及した」と述べ、コーヒーが、「飲むものを酩酊させる代わりに覚醒を促し、感覚を鈍らせて現実を覆い隠す代わりに知覚を鋭敏にする飲料」と考えられたと解説しています。
 また、フランス領だった西インド諸島にコーヒーを持ち込んだ、フランス海軍士官ガブリエル・マテュー・ド・クリューが、当時パリの王立植物園にあったルイ14世のコーヒーの木から王の主治医を介してコーヒーの切り枝を入手し、大西洋を渡る旅の間、「わずかな水を、大いなる希望の源であるコーヒーの切り枝と分け合わなければならなかった」と語っていることを紹介しています。
 第8章「コーヒーハウス・インターネット」では、17世紀のヨーロッパのビジネスマンが、最新の情報を入手したければ、「コーヒーハウスに行きさえすればよかった」と述べ、「ヨーロッパのコーヒーハウスは、科学者、ビジネスマン、作家、政治家たちの情報交換の場だった。現代のホームページと同じく、コーヒーハウスは最新の、そしてしばしば信用のならない情報の発信源であり、それぞれの店が専門の話題、または独自の政治的視点を持っているのが普通だった」と解説し、「ヨーロッパのコーヒーハウスは全体で、理性の時代のインターネットの役割を果たした」と述べています。
 そして、「国家と民間双方の金融に急速な革新が起きたこの時期、数々の株式会社の設立、株の売買、保険制度の発展、国債の公的融資など、あらゆる要素が絡み合い、ロンドンはついにアムステルダムに代わって世界金融の中心となった」と、「イギリスの金融革命」を解説し、この革命を、「肥沃な知的環境とコーヒーハウスの投機精神がこれを可能にした。スコットランドの経済学者アダム・スミスの『国富論』は、いわば『プリンキピア』の金融版」であると述べています。
 また、1789年のパリのコーヒーハウスでは、革命論者たちが、カフェ・ド・フォアの外のテーブルで、「武器を取れ! 民衆よ、さあ武器を取れ!」と叫んだことがバスティーユ牢獄の襲撃のきっかけとなったとして、「カフェ・ド・プロコープに続々と集まった人々は、その鋭い眼差しで、黒い飲み物の奥に革命の年の輝きを見たのだ」とするフランスの歴史家ジュール・ミシュルの言葉を紹介しています。
 第9章「茶の王国」では、「帝国主義の拡大と産業の拡大、その両者をつないだのが、茶という新しい飲み物だった」として、「ヨーロッパ人が東方交易を拡大した理由」が茶であり、労働者の飲み物として浸透した茶が、「新たに誕生した工場制機械工業の担い手のエネルギー源」となったと述べています。
 そして、「18世紀の初め、イギリスで茶を飲む者はだれもいなかったが、同世紀の終わりには、それこそ誰もが茶を飲んでいた。誇張ではない」と述べ、チャールズ2世王妃のキャサリン・オブ・プラガンサのお茶好きをきっかけに、「東インド諸島からイギリスへの独占輸入権を認められたイギリス東インド会社によって爆発的に拡大する」と述べています。
 著者は、「茶は世界で最も古い帝国から世界各地に広まり、最も新しい帝国の中心に根を下ろした」と述べています。
 第10章「茶の力」では、1773年の茶税法がアメリカ入植者たちの怒りを買い、1773年の「ボストン茶会事件」などを経て、「1775年の独立戦争の勃発を後押しする結果となった」と述べています。
 また、アヘン戦争と絡めて、「アメリカの独立と中国の没落はどちらも、茶がイギリスの帝国主義政策に、ひいては世界史の流れに与えた影響の名残なのである」と述べています。
 著者は、「茶の物語からは、革新と破壊いずれの意味においても、当時の大英帝国の強大な力をうかがい知ることができる」とした上で、「イギリス人の茶好きは変わっていない」と、「この帝国とそのエネルギー源だった茶が歴史に与えた衝撃の後もまた、今でも残っているのである」と述べています。
 第11章「ソーダからコーラへ」では、「アメリカの台頭と、20世紀における戦争、政治、公益、コミュニケーションのグローバル化は、コカ・コーラ──世界でもっとも価値の高い有名ブランドであり、アメリカとその価値観を体現している、と世界中の人々に思われている飲み物──画世界に普及していく動きと、ぴたりと符合している」と述べています。
 そして、1886年、コカ・コーラを開発したアトランタの薬剤師ジョン・ペンバートンについて、コカ・コーラ社の公式説明と異なり、「実際にはベテランの売薬製造業者だった」と述べ、当初のコカ・コーラが、「少量のコカ・エキスを含んでおり、そのため、微量のコカイン成分が含まれていた」と解説しています。
 また、プロモーションの方向性を、「あるといい続けてきた医学的効能に力点を置かなくなった」結果、それまで、「頭痛薬ないしは強壮剤を求める、働きすぎの多忙なビジネスマンを対象」にしていたが、「女性と子供を新たなターゲットにする」ことができたと述べています。
 第12章「瓶によるグローバル化」では、コカ・コーラ社CEOの、
「10億時間前、人類が地球上jに登場した
 10億分前、キリスト教が誕生した
 10億秒前、ビートルズが音楽を変えた
 10億本前のコーラは、昨日の朝に飲まれた」
という言葉を紹介しています。
 そして、第二次世界大戦中、コカ・コーラが兵士のモラル維持に役立つという理由で軍需品として認められ、米軍は、「基地内に瓶詰め工場とソーダ・ファウンテンを作り、コカ・コーラの現役だけを出荷させることにした」とともに、「工場の機械を設置、操作するためにコカ・コーラの社員が基地内に派遣」され、彼らが「技術顧問(T・O)」として特別待遇を受け、「コカ・コーラ大佐」とも呼ばれたと述べています。
 著者は、「コカ・コーラはアメリカを連想させる飲み物であると同時に、単一の世界市場化、つまりグローバル化へと向かう流れを代表する商品でもある」と述べ、反対派から、「文化と企業とブランドを使ってほかのあらゆる地域を侵略しようとしている」として、マイクロソフト、マクドナルドとともに槍玉に挙げられていると述べています。
 エピローグ「原点回帰」では、「太古の昔、人類に発展への第一歩を踏み出させた飲み物」である「水」について、合衆国で販売されている容器入り飲料水のうち」、「実に40パーセントが水道水」であると指摘しています。
 本書は、世界史に「飲み物」という新しい切り口を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 アヘン戦争もそうですが、歴史の重要な節目には嗜好品をめぐる争いがきっかけとなっているものが多いことを教えてくれます。タバコとか麻薬をめぐる世界の本も読んでみたくなります。

■ どんな人にオススメ?

・酒やお茶が歴史を変えるとは思えない人。


■ 関連しそうな本

 アントニー・ワイルド (著), 三角 和代 (翻訳) 『コーヒーの真実―世界中を虜にした嗜好品の歴史と現在』 
 エディット ユイグ, フランソワ‐ベルナール ユイグ (著), 藤野 邦夫 (翻訳) 『スパイスが変えた世界史―コショウ・アジア・海をめぐる物語』 
 磯淵 猛 『二人の紅茶王―リプトンとトワイニングと…』 
 中本 晋輔, 中橋 一朗 『コーラ白書 世界のコーラ編』 
 ジルベール・ガリエ (著), 八木 尚子 (翻訳) 『ワインの文化史』 
 アラン・マクファーレン, アイリス・マクファーレン (著), 鈴木 実佳 (翻訳) 『茶の帝国―アッサムと日本から歴史の謎を解く』 


■ 百夜百音

崖の上のポニョ【崖の上のポニョ】 藤岡藤巻と大橋のぞみ オリジナル盤発売: 2008

 この夏は、ついついこのサビのポニョポニョが頭の中をぐるぐるした人が多かったのではないかと思います。

『崖の上のポニョ サウンドトラック』崖の上のポニョ サウンドトラック

2008年8月29日 (金)

こんなに使える経済学―肥満から出世まで

■ 書籍情報

こんなに使える経済学―肥満から出世まで   【こんなに使える経済学―肥満から出世まで】(#1317)

  大竹 文雄 (編さん)
  価格: ¥714 (税込)
  筑摩書房(2008/01)

 本書は、「現実のさまざまな社会問題を経済学の視点で一般の人にもわかるような記述方法で、紹介したもの」です。「経済学」に対する普通の人のイメージである、
・お金の儲け方を研究している。
・株価や景気の将来予測をしている。
などについて、「現実の経済とあまり関係なさそうな印象」があり、社会では、「経済学は役に立たない」と思われていることについて、「これは入門レベルの経済学の教育の仕方が悪かったのであって、経済学に責任があるわけではない」と述べた上で、「経済学の本質的な面白さは、社会の仕組みを考えることで、どうしたら人々が豊かになるかを考えること」だと述べています。
 そして、経済学は、「制度設計や政策をけってしなければならない時に、無視をしてはいけないポイントを教えてくれて、大きな間違いを防いでくれるという意味で役に立つ」と述べています。
 第1章「なぜあなたは太り、あの人はやせるのか」では、「肥満ややせ」が、「医学の問題として取り上げられるが、実は経済学の問題でもある」として、経済学では、「食べるのにかかるコスト(値段や時間)を、食べて得られる満足感から差し引いて考える必要」があり、「健康や容姿への悪影響といった肥満の不利益を、今のうちにどれだけ避けたいか」という「選好要因」も加わるとした上で、経済学では、「将来の1円を現在の1円に比べてどの程度割り引くか」を表す「時間割引率」で「せっかちさ」を図るが、「この値が高い、せっかちな人ほど、目先の満足感に対し肥満による将来の不利益を軽視するため、肥満度が上がるはず」だと述べ、実証調査でも裏付けられていると述べています。
 また、「たばこを吸う人は不幸である」として、その不幸の大きさは、「驚くべきことに年収がざっと200万円減ったのと同じくらいになる」と述べ、このような「中毒財」と「中学生の時、夏休みの宿題をいつごろやりましたか」という「後回し行動の程度」の間に、正の相関があると述べています。
 第2章「教師の質はなぜ低下したのか」では、教師の質の低下の原因として、「労働市場における男女平等の進展」を挙げ、労働市場に男女差別が根強く存在し、「一般のビジネスの世界では、女性は活躍できなかった」ため、「学業に優れた大卒女性は、教職についた」が、「男女差別が解消されてくると、優秀な女性は教師よりも給与が高い仕事、より魅力的な職種を選べるようになり、昔に比べて教師になる人は少なくなった」と解説しています。
 第3章「セット販売商品はお買い得か」では、「企業の限界費用(商品の生産を1個増やすのにかかるコスト)が非常に小さく、多く売るほど儲かるようなものの場合、バンドリングする商品を増やすほど企業が有利になる」として、「商品の数を増やせば増やすほど、消費者の支払い意思額のバラツキは収束し、平均に近づく」と述べています。
 また、「事故の利得を多少なりとも犠牲にして相手をさらに痛めつける『いじわる行動』」についての実験では、日本と上海、日米の比較では、「日本の被験者の方が『いじわる』であることを観測」したと述べ、「日本の多くの被験者はただ乗りをして相手に公共財を作らせようとするのだが、参加した被験者は、不参加者がいることを知ると、たとえ自己の利得が犠牲になろうとも、公共財の供給を控えようとする」ため、「相手はただ乗りの利得を得られない」が、「同じ実験を何度も繰り返す」と、「日本のほうがより多くの公共財を供給することになる」と述べ、「その背後には、『参加しなければ足を引っ張られる』という恐怖心が作用しているのかもしれない」と解説し、「従来の理論ではうまく説明できないアノマリー(変則)が数多く存在する」ことを指摘しています。
 さらに、人間が、「自由意志に基づいて『いつ生むか』を選択している」かどうかについて、「できちゃった結婚」で生まれた赤ちゃんと、そうでない結婚で生まれた赤ちゃんを比較し、「結婚から子供を作るまでに十分時間のある親は、年度末の3月ではなく、4月か5月を『選んで』子供を生んでいる、もしくは1月ではなく年末の12月を『選んで』いる」と述べ、12月生まれが多い理由として「扶養控除」を、4月生まれが多い理由として、3月生まれと4月生まれでは、「同じ学年なのにほぼ1年の成長の差が出てしまう」という「相対年齢効果」への親の配慮を挙げています。
 第4章「銀行はなぜ担保を取るのか」では、日本人が、「貯蓄好き(質素)」だといわれる主張について、「日本の家計貯蓄率は60~80年代半ばに限って15%を超えていただけで、日本人は必ずしも貯蓄好きとはいえない」と述べ、日本の貯蓄率の主たる決定要因として、「人口の年齢構成」を挙げています。
 また、銀行が融資に際して、担保を取る理由として、借り手と貸し手の間との「情報の非対称性」を挙げ、「情報の非対称性により、企業が本来の目的であるプロジェクトの収益最大化を怠る」ような「モラルハザード」を避けるため、担保を取ることで、「企業が借入金の一部を着服する誘引」を削ごうとする契約形態であると述べ、「このように個別の誘引と全体の効率性向上が一致する状況を、経済学では『誘引両立的(incentive compatible)』と呼ぶ」と解説しています。
 そして、グラミン銀行が無担保融資を行える理由として、貧しい村に拠点を作って借り手を発掘することで「情報の非対称性を最小化している」こと、「借り手の村人にグループを組ませ」、「村人同士が連帯責任を負えるだけの信用能力の高い相手を選ぶ『相互選抜』のメカニズムを働かせる」ことを挙げています。
 第5章「お金の節約が効率を悪化させる」では、「景気が悪くなると、公共事業を増やして景気を刺激すべきという主張が出てくる」が、「不況下の公共事業の意味はできた物の価値だけなのに、国民所得にそれ以上の波及効果があると信じられ、その大小が問題にされる理由」として、「失業手当は国内総生産に計上されないが、公共事業費なら計上される」という、「国民経済計算の意味が正しく理解されていない」ことを挙げ、「乗数効果を根拠に不況時に何でもいいからたくさん公共事業をやればいい、というのは誤りである」と述べ、「経済学は、公共事業によるバラマキを肯定はしないし、すべてが無駄だと切り捨ててもいない。乗数効果への幻想を乗り越え、公共事業の是非は金額や波及効果ではなく、できた物やサービスの中身で判断すべきというごく当たり前の結論をしてしている」と述べています。
 第6章「解雇規制は労働者を守ったのか」では、奈良県で話題になった「騒音おばさん」のケースを挙げ、「同じ問題を解決するのに、加害者がお金を支払う場合と被害者がお金を支払う場合が存在する」と述べ、その理由として、「事前に法的権利が確定していて、人々がコストなしに自由に交渉することができ、その取り決めをきちんと執行させることができれば、損害賠償に依存しなくてもパレート改善が達成できる」ことを示した「コースの定理」を挙げ、「コースの定理の面白さは、感情論に縛られず、最終目標を達成する方法を、私たちに考えさせてくれること」だと述べています。
 また、「既存正社員の解雇規制という既得権の強化」が、「既得権を持たない労働者の不安定雇用を増加させる」ことを実証データで示した上で、「労働者を代表する人々にも経済学が突きつけるシビアな現実から目をそらさず、解雇の柔軟性をどこまで認めるべきなのか、真剣に考えて欲しい」と述べています。
 本書は、誤解されがちな経済学のイメージを、身近の事例を取り上げながら変えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の執筆陣は、大阪大学社会経済研究所関係者となっていますが、同じ経済学者でもそれぞれ拠って立つ学術的立場の違いを反映して、相互に矛盾しているというわけではないですが、トーンというかニュアンスの違いが出ていて面白いです。


■ どんな人にオススメ?

・経済学はお金儲けを学ぶことだと思う人。


■ 関連しそうな本

 大竹 文雄 『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには』 2006年09月04日
 ゲーリー・S. ベッカー, リチャード・A. ポズナー (著), 鞍谷 雅敏, 遠藤 幸彦 (翻訳) 『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』 2007年02月05日
 スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー (著), 望月衛 (翻訳) 『ヤバい経済学』 2008年02月13日
 佐藤 雅彦, 竹中 平蔵 『経済ってそういうことだったのか会議』 2005年06月26日
 ティム・ハーフォード (著), 遠藤 真美 (翻訳) 『まっとうな経済学』 2008年02月15日
 ロス・M・ミラー (著), 川越 敏司 (監訳), 望月 衛 (翻訳) 『実験経済学入門~完璧な金融市場への挑戦』 2007年01月17日


■ 百夜百マンガ

喰いしん坊!【喰いしん坊! 】

 テレビのまねをした中学生が亡くなった事故か何かで、一時の早食いフードファイターブームは自粛されましたが、大食いタレントは相変わらずで、中には食べた皿の数を多くごまかす人も出てきたようです。普通なら少なめにごまかすものですが。

2008年8月28日 (木)

政局から政策へ―日本政治の成熟と転換

■ 書籍情報

政局から政策へ―日本政治の成熟と転換   【政局から政策へ―日本政治の成熟と転換】(#1316)

  飯尾 潤
  価格: ¥2415 (税込)
  エヌティティ出版(2008/3/18)

 本書は、「現代日本を対象に、二十数年という近過去における日本政治の大きな流れを振り返ることで、日本政治の『現代』を検討し、日本の有権者が『いま』立っている地点を確認すること」を目指したもので、著者は、本書が、「日本政治の将来を見渡すための見取り図の一つとして使われることを目指している」としています。
 第1章「戦後政治の成熟」では、1986年衆参同日選挙で、自民党が大勝した理由として、「保守勢力に勢いがあるので、投票率が上がれば上がるほど自民党が選挙で有利になる」と考え、投票率を上げる工夫の一つとして、「参議院選挙に合わせて衆議院総選挙を行う衆参同日選挙を行うこと」にしたと述べ、このとき、「自民党の基盤も弱くなり始めていたにも関わらず、野党の基盤が急速に失われたため、相対的に強くなった自民党が大勝した」と述べ、「自民党の基盤が失われる兆候は、政権の業績によって投票する選挙民が多くなり始めていたところに現れていた」と解説しています。
 そして、中曽根首相が掲げた「戦後政治の総決算」が、総決算されるものとして、
(1)戦後の利益分配政治の方向性を変えるという課題。
(2)「戦後民主主義」の精算。
の2点を掲げたと述べたうえで、「中曽根首相は、民営化をはじめとする行政改革をやったというけれども、政治家だけで物事を決めたのではない。むしろ政治家は裏方に回り、財界人などが必死に汗をかいて改革案を作った」と述べています。
 また、「政治家同士の権力闘争が発動された状況」である「政局」という言葉について、当時の「常識」は、「政治家というのは政局をする動物であって、政策というのは官僚の領域だというように、分けて理解されている。そして日本政治というのは、『政局』を中心に理解されるべきもので、せいぜいそれに選挙が加わる」というものであったと述べ、「人間関係を軸に、長期多角決済のネットワークを息長く形成して、様々な利害を調整しようとする。そのようなことを繰り返し、貸し借り関係を積み上げてきて、首相になっていくのが、自民党の政治なのである」と解説しています。
 著者は、「自民党体制が完成した1980年代には、政策、選挙、政局という要素が別々に進行する仕組みができていた」として、「議院内閣制で通常みられる、政権交代をかけて、政策転換を有権者に訴え、その結果として政権を担当した政党が、有権者の付託を受けて政策を推進するというメカニズムが働かないようなっていた」と述べています。
 第2章「自民党体制の構造と背景」では、中曽根内閣・竹下内閣を一つの絶頂とする「自民党体制」が、「議院内閣制の運用という観点からみると、他の議院内閣制諸国と比べて、特徴的な運用が成されてきた」として、「自民党体制においては、政治の領域が非常に狭く、いわゆる『政局』と『選挙』『政策』がそれぞれ切り離されており、政治とは政局のことだと認識が広がっていたことがわかる」と述べています。
 そして、「政権交代なき政党政治において、政治は『政局』を中心に回っていて、『政策』は付け足しだということになる」として、「大政策というのはプラスアルファのところで、政治家がその才覚でやるもので、国民とは関係ないという仕組みがあった」と述べたうえで、「政権交代によって、政策問題の決着がつくところに大きな意味があるということを考えると、政権交代なき政党政治は大枠のところで政治の機能を制限していることになる」と述べています。
 また、「自民党体制を背景で支えた戦後日本の政策環境」について、
(1)国際環境:冷戦時代は、日本が東アジア冷戦の前線近くに位置することもあり、外交的選択はきわめて限られていた。
(2)経済構造:恵まれた国際環境と、日本社会が工業化に適した性質を持っていたこと、民間の努力に政策がうまく連動することによって、高度成長がもたらされ、高度成長期においては、政治はむしろ経済成長のひずみを是正するといった補完的な役割の方に重点を置いていた。
(3)社会意識:急速な経済発展に伴って、社会が大変動下のにも関わらず、伝統的な前近代的な秩序が、形を変えながらも強固に残っているという安心型の社会関係資本があったため、社会的不安が大きな政治問題にならなかった。
の3つの分野に分けて考察しています。
 第3章「政策環境の変化と新しい課題の出現」では、「自民党体制を根底の部分で支えていたのは、イエ・ムラという秩序モデルによって支えられた安心の体系であった」が、「そうした社会的紐帯が、急速に変化することによって、直接的には選挙における動員のあり方が大きく変わってきた」とともに、「社会の変化は、新たな政策課題を次々に生み出す」と解説しています。
 そして、人々のつながりの変化が、「政治的には、無党派層の増大という形で現れた」として、「新しい保守層」は、「そのときどきの選挙情勢によって、自民党に投票するすることもあれば、棄権することもあり、場合によっては雇う候補に投票することもあった」が、「これは伝統的な不動層とは違い」、「自分の考えに従って行動する」という「一定の判断基準を持っている特徴があった」と解説しています。
 第4章「政治改革の定着」では、海部内閣当時、「当時の権力構造の中核となっていた小沢一郎、あるいはその後ろ盾になっている金丸信が、政治改革に熱心だった」として、「とりわけ小沢には、このままではだめだという危機感が強かった」とともに、「若手議員の不満」という推進力があったと解説しています。
 また、村山自社さ内閣の成立によって政権奪還した自民党が、「政権を失うことがどんなに怖いかということが身にしみ、どんな手を使ってでも政権に復帰するという熱意を持っていた」と述べ、「ルールに従って選挙戦を堂々と戦い、うまくいけば勝つ、下手をすれば負けるという政権交代を想定するのが民主政治の原則」であるが、「自民党には、政権交代だけは絶対に避けたい。政策はどんなに妥協してでも政権は維持したいという癖がついてしまう」と述べています。
 そして、2000年6月25日の総選挙について、「日本の選挙としては初めて、選挙前に、あらかじめ『連立内閣を予定し、首相候補には現職を担ぐ』ことを明確にしたという点で、連立政権のルールに沿った動きが見られた」として、「本格的な連立の時代に入った」と述べています。
 さらに、2001年4月の自民党総裁選について、「党内の幹部は、森首相はマスコミにいじめられてやめざるを得なくなったんだ」という程度の危機感であったが、一般の自民党支持者は、「自民党をそのままにしておくと、自分たちまで政権から遠ざかってしまうという危機感」を持ち、「ここのギャップに気がついたのが小泉であった」と述べています。
 2005年総選挙における自民党の対象については、その理由として、
(1)郵政解散や対立候補擁立で、自民党は改革派になったというイメージを作って、都市部の無党派層を大きくひきつけた。
(2)自民党の古くからの堅い支持者は、自分たちが支持する自民党が野党になってしまうかもしれないという恐怖感にあおられて、選挙に力を入れた。
の2つの要素を挙げ、「自民党か民主党かが問われたという意味で、200年の総選挙は、政権選択選挙であった」と述べています。
 第5章「行政改革と政治主導」では、「細川非自民連立政権の成立と、自民党の下野」によって、「官僚内閣制と政府-与党二元体制の微妙なバランスが崩れた」として、
(1)自民党の下野によって、与党であることが当たり前であった自民党が政権の座を失うと、それを前提にしていた仕組みが動かなくなる。
(2)政治家が果たすべき機能が変化し、首相が自分で主導性を発揮しないと人気が保てなくなってきた。
の2つの要素を挙げています。
 そして、「選挙制度改革と並ぶ、近年の日本においてもっとも大きな政府の制度改革」となった、橋本内閣における行政改革について、「1996年の総選挙で自民党と新進党が行政改革を競ったこと」で、「橋本内閣は、有権者から大規模な行政改革を行うという負託を受けた形となった」と解説しています。
 また、橋本行革の中心的な成果である、「内閣機能の強化と省庁再編」について、「内閣機能強化という目的は、2つのまったく違った解釈が可能である」として、
(1)小選挙区制導入以降の執政部強化という形で、首相主導の明確な権力核のある政権を作り、それを有権者が実質的に選択することによって、首相と一体となった内閣が強化されるという解釈。
(2)官僚内閣制を前提にして、各省を束ねる内閣を強くしているだけだから、結局のところ省庁のコントロールの下にある内閣という骨格は守られる。
の2点を挙げています。
 さらに、「業務を機能別に再編成」することを眼目としたニュー・パブリック・マネジメント(NPM)改革が、「当初1997年春ごろに関係者が想定していたような大規模改革にはならなかった」理由として、
(1)各省庁が強すぎて、自分たちの仕事を本気で変えようとしなかった。
(2)多くの省庁で政策実施は地方自治体に委ねている部分が多く、自分でやっていないという問題があった。
の2点を挙げています。
 行政改革と並んで重要な国家構造の変革である地方分権については、分権推進委員会の西尾勝委員のような「行政学者として長年こうした問題を扱った委員が、自治官僚のバックアップを得て、各省庁と徹底的に議論をして、それを説得ということを始めた」結果、「とことんヒアリングしていると、官僚の説明を聞いている委員のほうに知恵がついてきて、官僚が負ける場面も出てきた」と述べています。
 そして、2002年以降、地方分権論議を席巻した「三位一体改革」については、「地方分権を進めたい総務省と、財政再建をしたいという財務省の意向が呉越同舟的に一致した」として、「交付税と補助金と税財源という分野と、財務省、総務省、現場官庁という、二重の三位一体なのである」と述べています。
 第6章「改革の折り返し点としての小泉内閣」では、「20年前の状況と比べると、政治の光景は様変わりした」として、「政治報道の質が、ずいぶん変化」したことを挙げ、「本書の表題である『政局から政策へ』というのは、この20年の政治の変化を象徴している」と述べています。
 そして、不良債権処理における政治の役割として、政治的な指導力の発揮が必要な理由として、
(1)断固とした姿勢をとることを示さなければならない点。
(2)過去の政策遺産を何らかの形で遮断するのに、政治的決断が必要となる点。
(3)不良債権処理と財政再建、デフレ問題など、相互に関連して、解きほぐすのが難しい複雑な問題群を扱うときには、総合的な視点が何よりも重要となる。
の3点を挙げています。
 また、小泉構造改革が、「第二臨調路線の完成という側面を持っている」として、「大胆なことは確かであるが、問題の規定の仕方など、1980年代以来の改革と大きな共通性」を持ち、「その根底には、戦後システムを、形を変えることで維持しようという傾向」があることを指摘し、「小泉構造改革における、政治的リーダーシップとは、政治制度のうえのほうに権力を一時的に集中することで、政策的な停滞を打破するものであり、合意調達方法に革新をもたらすものではなかった」と述べています。
 第7章「政党間競争と政策体系」では、「小泉内閣における日本政治の変革は印象的であったが、跡を継いだ安倍晋三内閣における迷走と崩壊は、小泉内閣によって変わったかに見えた日本政治が、実はあまり変化していなかったという可能性を示唆する」が、「日本政治の変化は長い時間をかけて準備されてきたのであって、内閣の交代によって、一挙に元に戻るような一時的な変化ではない」と述べています。
 また、「選挙において政党を選択することが、政策を選択することにつながる」理由として、「個別政策ではなく、政党が政策体系を提示することによって、政策体系を選ぶことで有権者は多数の政策を同時に選択できる」と解説しています。
 著者は、「選挙・政策体系・政局の三者を切り離して考える政治の枠組みを転換すべき」であるとして、「これらを別々に考える古い政治を前提に自体の打開策を考えてはいけない」と述べています。
 本書は、この20年の日本政治の大きな変化を、ザクッと解説してくれるわかりやすい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、1986年以降の政治をまとめてあるのですが、自分が新聞やニュースで政治の話を読むようになって以降の話なので、何とかリアルタイム感を持って読むことができました。中曽根さん以前の鈴木善幸さんくらいまで遡ると、知らないわけではないけど、よくわからない、という感じでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・昭和60年代以降の政治の流れをまとめて理解したい人。


■ 関連しそうな本

 飯尾 潤 『日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ』 2008年03月25日
 飯尾 潤 『民営化の政治過程―臨調型改革の成果と限界』
 竹中 治堅 『首相支配-日本政治の変貌』 2006年12月26日
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 猪口 孝, 岩井 奉信 『「族議員」の研究―自民党政権を牛耳る主役たち』 2005年08月03日
 谷口 尚子 『現代日本の投票行動』 2005年05月25日


■ 百夜百マンガ

おろち【おろち 】

 蛇といえば毒蛇51匹と暮らしていて指を咬まれた男のニュースがありましたが、毒蛇よりも、作品自体の毒のほうが恐ろしいかも知れません。近々実写映画が公開予定。

2008年8月27日 (水)

影響力の法則―現代組織を生き抜くバイブル

■ 書籍情報

影響力の法則―現代組織を生き抜くバイブル   【影響力の法則―現代組織を生き抜くバイブル】(#1315)

  デビッド L.ブラッドフォード, アラン R.コーエン (著), 高嶋 薫, 高嶋 成豪 (翻訳)
  価格: ¥2625 (税込)
  税務経理協会(2007/12/3)

 本書は、フラットになった組織において、権力など使わなくても人に動いてもらうことができる原理、「レシプロシティ」(互恵性)について解説したものです。
 第1章「なぜ影響力なのか――この本から得られること」では、本書で解説する影響力のモデルとして、
(1)影響力を発揮するとは、相手が価値を置くものを提供し、その代わりにこちらが得たいものを得る、つまり価値の交換である。
(2)人間関係は重要だ。周囲とよい関係を築いているほど、協力者は見つけやすい。
(3)職場で人を動かすには、準備が必要である。
(4)影響力を発揮するには、自分のためではなく仕事のために必要だから頼む、という姿勢が不可欠だ。
(5)残念だが、人を動かせないのは、本人に原因のあることが多い。
(6)どんな人にも、本人が思っているよりも、もっと人を動かす力がある。
の6つの法則を挙げています。
 また、「影響力のモデルが役に立つ」場合として、
・相手が非協力的なとき
・信頼関係ができていない相手に、負担をかける可能性があるとき
・相手との関係がよくないとき
・依頼に応えること自体が相手に大きな負担になるとき
・頼む機会が二度となさそうなとき
の5点を挙げています。
 第2章「影響力の法則――レシプロシティを活かす」では、「『レシプロシティ(互恵性)』は、ほとんどあらゆる文化に共通する社会通念のひとつである」と述べ、「一般的に、誰かのために何かをした場合、相手はこちらに対して恩を感じると考え、また同等の見返りがあると期待する」と述べています。
 そして、「さまざまな"人を動かす"状況の中で、共通する法則が働いている」として、
(1)味方になると考える
(2)目標を明確にする
(3)相手の世界を理解する
(4)カレンシーを見つける
(5)関係に配慮する
(6)目的を見失わない
の6つからなる「影響力の法則 コーエン&ブラッドフォードモデル」を解説しています。
 また、「まず自らの手で人を動かせなくなる状況」として、
(1)相手を否定的に考える
(2)目標があいまい
(3)相手の世界を理解していない――目標や懸念、ニーズは、組織の要請に左右される
(4)相手が何に動くかに気づかない
(5)相手が価値を置くものを認めない
(6)相手の求めに応じられる自分のリソースに気づいていない
(7)相手との人間関係の敬意に配慮しない・修復しない
(8)交換の仕方を決めない、働きかけない
の8つの「障壁」について解説しています。
 第3章「交換メカニズムで人は動く――何を交換するのか」では、「相手から行動を引き出す対価として提供される」リソースである「カレンシー(通貨)」について、「相手が関心を持つカレンシーと、自分が提供できるカレンシーがわかって、初めて価値の交換が成立する」として、
(1)気持ちの高揚や意欲を喚起するもの:ビジョン、卓越性、道徳的/倫理的な正しさ
(2)仕事そのものに役立つもの:新しいリソース、チャレンジ又は成長(学び)の手伝い、組織的な支援、すばやい対応、情報
(3)立場に関するもの:承認、ビジビリティ、評判、所属意識/重要性、接点
(4)人間関係に関するもの:理解、受容/一体感、私的な支援
(5)個人的なもの(その人自身に関すること):感謝、当事者意識/参画意識、自己意識、安楽さ
の5種類のカレンシーが、「様々な場面で使われている」と述べています。
 また、「否定的なカレンシー、人が否定的な価値を置くもの、避けようとするものも存在する」として、「状況によっては必要だったり、選択肢の一つにもなりうる」と述べ、
(1)建設的なカレンシーを出さない
(2)相手が嫌がるカレンシーを使う
の2点を挙げています。
 第4章「なにが人を動かすのか――相手の世界を知る」では、「相手が何に動くかわからないときにも相手との互恵的な関係を築き上げられるように、相手の世界をどう把握するか、そのプロセスに焦点を当てて解説」しています。
 そして、「影響力を損なう否定的なサイクルに陥らないためには、否定的なサイクルが起きるパターンを理解すること」だと述べ、「上司でも同僚でも、協力してくれない相手の性格が悪いと感じられるときは、それを警告だととらえ、もっと理解する必要があると自分を説得するのだ」と述べています。
 著者は、「相手の世界を理解しようと忍耐強く努力することによって、不可能とも思えた価値の交換が可能になり、相手から行動を引き出す突破口につながる」と述べています。
 第5章「使っていない力を活かす――目標、優先順位、リソース」では、「あなたには、自分で思っているよりも遥かに人を動かす力がある。あなたが使えるリソースには何があるかを把握しておけば、難しい場面でも人を動かせるようになるのだ」と述べています。
 そして、「自分にとって最も重要なことは何かを明確にする必要」があるとして、「もし、組織から自由で革新的であること」が最も重要であったら、上司とは対立するだろうと述べ、「多くの野心的な若者が、この落とし穴に落ちて上司をいらだたせている。そしてその結果、自分が思うように動けるチャンスを失い、新規の取引案件を見つけ出す時間を持てなくなっただろう」と述べています。
 また、個人的欲求の最大の問題は、「それが組織のための目標と区別できなくなることではなく、その人の影響力を高める能力を妨げてしまうこと」であると述べています。
 さらに、「相手の求めるカレンシーを把握することが、あなたのパワーの源になる」とした上で、「影響力の障壁」を自分で作ってしまう理由として、
・相手にはっきりと"貸しがある"と主張しない。
・自分が何をして欲しいかをはっきり言わない。
・相手に響くカレンシーを知っているが、使いたくない。
・相手に響くカレンシーを知っているが、相手を喜ばせたくない。
の4点を挙げています。
 第6章「人間関係を築く」では、帝国主義時代のイギリスの役人たちが、「植民地をつつがなく統治するために、女王と同じように考えることを訓練された」ことを紹介した上で、「現代は違う。協力し合わなければならない相手は、多種多様なバックグラウンドや価値観を持つため、うまくつきあうには努力が必要なのだ」と述べています。
 また、「仕事上の信頼関係を構築する際の注意点」として、
・必要に迫られるまで、相手との信頼関係作りに目を向けない。
・どのように相手に近づけばいいかわからないので、そのままにする。
・我慢しすぎて爆発する。
・自分が理解できない言動を否定的に解釈する。
などの点を挙げています。
 著者は、「目標は、相手と親友になることではない。問題のある関係であっても、仕事はやり遂げられる」が、優れた仕事の成功のためには、「人間関係を改善する努力をした方が得策なのだ。『影響力の法則』を実践すれば、改善は可能になる」と述べています。
 第7章「交換の戦略」では、時間をカレンシーとして使うときの戦略として、「タイミングは常に『すぐ』とは限らない」と述べ、
(1)すぐその場で:お返しとして、そこですぐにカレンシーを提供する。
(2)過去を活用:相手の信頼を勝ち得るために、過去の自分の努力を引き合いに出すことができる。
(3)将来に向けて:後でお返しすることを約束する。
の3つのタイミングについて解説しています。
 そして、「将来借りるか引き出すために、今あるリソースを投資するのには意味がある。こちらから頼み事をする前に、日頃から相手の要請に応えておくのだ。実際に交換する前から、将来に備えて積み上げておくというわけだ。将来への備えだといえる」と述べています。
 また、「価値を交換する場で対処すべき5つの課題」として、
(1)強く出るか、後退するか?
(2)率直に全部話すか、一部だけにするか?
(3)当初の予定通りに進めるか、その場にあわせるか?
(4)ウィン・ウィンで行くか、否定的な交換にするか?
(5)仕事中心で行くか、関係重視で行くか?
の5点を挙げています。
 さらに、「価値の交換時の5つの落とし穴」として、
・相手が気にかけていることを大切にしない
・その場の生きた証拠に触れても、過去の分析結果にしがみつく
・力がないのに、相手にしかける
・否定的な反応を恐れるあまり、自分が考え付いた方法を使わない
・この相手と再び会う可能性があるということを忘れ、自分だけひとり勝ちしようとする
の5点を挙げています。
 第8章「上司に影響を与える」では、上司を動かすためのアプローチ方法として、
(1)上司を信頼できるパートナーと考える。
(2)上司の世界をしっかりと理解する。
(3)あなたが使えるカレンシーを知る。
(4)相手が望む関わり方に注意を払う。
の4点を挙げています。
 そして、「自分の働きかけを受け付けない上司のことを、最悪でどうしようもないと決め付けている人は少なくない。彼らは、上司の性格を否定的に考え、重要な局面でさえ、上司との関わりを避けてしまう」ことを指摘させた上で、「自分が真のパートナーだと上司に理解させるのは簡単ではないが、それで一生の付き合いができる場合もある」と述べています。
 第9章「やっかいな部下を動かす」では、「部下を動かすふたつの形」として、
(1)次のステップのポジションで求められる能力要件は何か。
(2)事前に何を頼むか決める。
の2点を挙げています。
 また、「最後のアドバイス」として、「権限を振り回さないほうが、部下を動かせる。権限を使えば、一瞬は思い通りになるかもしれない。しかし、目に見えない抵抗に遭うとわかっていたら、無理な命令を下すことはない」と述べ、「部下に権限を委譲し、自分に対して影響力を発揮させることで、あなたの力は強まっていく」と解説しています。
 そして、「自分自身がパートナーとしてふるまうことを上司から求められたと想像して、自分もそうして欲しいのだと伝えよう」と述べています。
 本書は、組織において、権限以上に力を発揮することができる影響力のロジックを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で紹介されている、「外交官のルール」というのがあるのですが、
(1)うそは言わない
(2)本当のことのすべては言わない
(3)不確かなときはトイレに行く
(出典不詳)
というのは、外交官に限らず、普段、組織の中でも活用している人がいるような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・権力がないと人を動かせないと思う人。


■ 関連しそうな本

 ロバート・B・チャルディーニ (著), 社会行動研究会 『影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか』 2006年02月16日
 榊 博文 『説得と影響―交渉のための社会心理学』 2006年02月23日
 フランク・ベトガー (著), 土屋 健 『私はどうして販売外交に成功したか』 2006年11月17日
 印南 一路 『ビジネス交渉と意思決定―脱"あいまいさ"の戦略思考』 2005年6月28日
 鈴木 有香 (著), 八代 京子(監修) 『交渉とミディエーション―協調的問題解決のためのコミュニケーション』 2005年09月30日
 マックス H・ベイザーマン (著), マーガレット A・ニール (著), 奥村 哲史 『マネジャーのための交渉の認知心理学―戦略的思考の処方箋』 2005年07月04日


■ 百夜百マンガ

赤ずきんチャチャ【赤ずきんチャチャ 】

 「魔法少女」といえば、女の子向けアニメの定番ですが、おもちゃが売れないとスポンサーがつかないのはいずこも同じようです。「ゲキレンジャー」でおもちゃが売れなかったので次の「ゴーオンジャー」では次から次へと新しいロボット(ちょっと違うけど)が出てきたり、「プリキュア」も作中のおもちゃの登場場面のほうがCMよりも長いほどだったりします。

2008年8月26日 (火)

とんかつの誕生―明治洋食事始め

■ 書籍情報

とんかつの誕生―明治洋食事始め   【とんかつの誕生―明治洋食事始め】(#1314)

  岡田 哲
  価格: ¥1680 (税込)
  講談社(2000/03)

 本書は、「『料理維新』と称するのにふさわしい時代でもあった」明治期における、欧米の食文化の急速な浸透と「洋食」の誕生を描いたものです。
 著者は、「和洋折衷という新しい食である『洋食』をつくりあげていったのは、やはり、庶民の創意と工夫の積み重ねであった」として、
(1)庶民は、初体験の様式調理にはなかなかなじめず、
(2)やがて牛肉を、食べ慣れた和風の調味料(味噌・醤油)で仕立てて、牛鍋やすき焼きを作り上げ、
(3)さらに、様式調理の中から、折衷料理という独特な洋食を、家庭料理の中に取り込んでいった。
の3つのステップを挙げています。
 第1章「明治五年正月、明治天皇獣肉を食す」では、当時の指導者たちが、「見上げるような欧米人との体力差という現実」に直面し、「肉食を解禁し、西洋料理を普及させることで、体力的にも文化的にも、日本人の劣等感を払拭することが急務という結論を得た」と述べています。
 しかし、「肉食が解禁されたからといって、待ってましたとばかり、庶民が肉食へ飛びついたわけではない。これから後の長い時間をかけて、西洋料理という枠組みの中で、肉の調理法を習得し、日本人独特の折衷料理『洋食』を、つぎつぎにつくりだしていく」と述べています。
 そして、日本人の肉食忌避は律令国家以来のものであったが、「江戸中期から末期にかけて、大名たちの中に、これらの掟に従わず、密かな『薬喰い』を行う者が現れてくる」と述べています。
 第2章「牛肉を食わぬ奴は文明人ではない」では、肉鍋の調理形態が、「獣肉から牛肉へ、そして、味噌から醤油と佐藤へと移行していく。換言すれば、米飯に合うおかずとして発展し始める」が、「欧米の肉料理に共通する、香辛料の使用はまったく見られない」として、「日本人の食卓を欧風化した」のではなく、「洋風素材の牛肉を、和風鍋に取り込んだ』のだと解説しています。
 そして、庶民の間で牛鍋やすき焼きが定着した背景として、「政府や知識人による積極的な肉食奨励策』を挙げ、1972年(明治5)に、敦賀県下で、牛肉店の開店によくないうわさが飛び交った際には、敦賀県庁が、「牛肉は、健康の増進・活力の補強・強壮滋養によい食べ物である。今までの習慣にこだわって、牛肉を食べると心身がけがれると言いふらす不心得者がいる。これは文明開化の妨げであり、不届きである」とする異例の論告を出したことを紹介しています。
 また、「西洋料理」と「洋食」との違いについて、「パンと合うのが西洋料理であり、米飯と合うのが洋食」だとする著者の考えを述べています。
 第3章「珍妙な食べ物、奇妙なマナー」では、「西洋料理を食べるとき、ナイフとフォークを使うには、まさに決死的な勇気が必要であった」として、
・箸がないために使ったナイフとフォークで口の中を切り、血だらけになって悪戦苦闘する。
・スープの飲み方もわからない。平皿を手に持ち、味噌汁のように皿ごと吸ったところ、胸からひざにかけて熱いスープを浴びてしまう。
・ナイフに肉片を刺したまま口の中で法張り、ナイフを引き抜いたら、唇を切って血を流す。
などの珍事が起こったことを紹介しています。
 さらに、「珍妙な食べ物が、続々と登場した」として、
・卵黄を燻製にしたからすみ
・ひき蛙の焼き鳥
・ウサギの親子丼
・ヒンヒンのステーキ
・ワンワンのソーセージ
・豆の粉のおろしワサビ
などを紹介しています。
 第4章「あんパンが生まれた日」では、「明治維新になり、文明開化の進む中で、先人たちは、パンを不思議な形態に作り変えていく』として、「おやつ(間食)の機能を持たせた、和洋折衷型の『菓子パン』」を挙げ、「あんパン」の誕生は、「『とんかつ』と同じように、日本人が作り出した『洋食』なのである」と述べています。
 そして、「パンは、米飯に執着し続ける庶民には、なじみにくい異国の食べ物であった」が、「1874年(明治7)に、『あんパン』という食品が作られると、あっという間に日本全国を制覇し、天皇の食卓にまで上るようになる」と述べています。
 第5章「洋食の王者、とんかつ」では、「独特な和洋折衷料理=『洋食』」の誕生の中でも、「『とんかつ』がつくられる歴史は、一つのドラマを構成している」として、日本人好みのとんかつが出来上がった経緯として、
(1)牛肉から鶏肉そして豚肉への変遷、
(2)薄い肉から分厚い肉への変遷、
(3)ヨーロッパ式のさらさらした細かいパン粉から、日本式の大粒のパン粉への変遷、
(4)炒め焼きからディープ・フライへの変遷、
(5)さらには、西洋野菜の生キャベツの千切りを添えて、
(6)あらかじめ包丁を入れて皿に盛り、
(7)日本式の独特なウスターソースをたっぷりかけて、
(8)ナイフやフォークではなく箸を使って、
(9)味噌汁(豚汁・しじみ汁)をすすりながら、
(10)米飯で楽しむ和食として完成する。
の10項目を挙げ、「これだけの食の変遷に、60年の歳月が費やされた」として、「外来の食べ物を、このような執念で吸収・同化していった食の文化は、他国ではあまり例がないであろう」と述べています。
 そして、明治初期に見よう見まねで作られたビーフカツレツはすき焼きのようには普及せず、後に現れる「ポークカツレツ」こそが「とんかつ」の前身となったと述べたうえで、池波正太郎が、ポークカツレツの美味しさを、「ソースをたっぷりとかけて、ナイフを入れると、ガリッとコロモがくずれて剥がれる。これがまた、よいのだ。コロモと肉とキャベツがソース漬のようになったやつを、熱い飯と共に食べる醍醐味を、旨くないという日本人は、おそらくあるまい」と記していることを紹介しています。
 また、「とんかつのうまさには、サクサクとした日本式パン粉の歯ざわりが貢献している」として、「ヨーロッパ式の細かい粒のパン粉」では、とんかつの歯ざわりは得られず、揚げ油が汚れやすく、適度の厚みのある衣に仕上がらない、食べた感じももの足りないと述べています。
 第6章「洋食と日本人」では、「明治新政府や知識人が積極的に奨励した肉食や西洋料理の普及」は、
(1)明治初期:西洋料理の崇拝期
(2)明治中期:西洋料理の吸収・同化期
(3)明治後期:和洋折衷料理の台頭期
(4)大正・昭和期:もっぱら庶民的な洋食が普及して、三大洋食が脚光を浴びる
の4つの流れがあると解説しています。
 そして、明治中期の「特筆すべき動き」として、
(1)本格的な西洋料理を社会が少しずつ受け入れていった。
(2)西洋料理の調理技術を、日本的にし編成しようとした先人たちの努力
の2点を挙げています。
 また、明治後期の和洋折衷料理(洋食)の台頭について、
(1)カツレツ・コロッケ・エビフライのように、フライ(揚げ物)と米飯の組合せ
(2)ライスカレー・ハヤシライス・チキンライス・オムライスのように、洋風を取り入れた米飯類
(3)ロールキャベツ・シチュー・オムレツのような洋風和食
などの、いくつかの系統があり、「これらの料理の共通点」として、「和食の洋風化ではなく、西洋料理の和食化である」と解説しています。
 本書は、私たちが当然のように食べている「洋食」が、日本の明治維新後、長い試行錯誤を経て完成した日本独自の文化であることを再認識させてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者は日清製粉に勤務する傍ら、食文化について研究を続け、食文化史研究家を名乗られています。単なる食通よりもこちらのほうがかっこいい気がするのはなぜでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・「とんかつは和食」といわれると抵抗がある人。


■ 関連しそうな本

 岡田 哲 『ラーメンの誕生』 2007年11月23日
 小菅 桂子 『カレーライスの誕生』 
 岡田 哲 『コムギ粉料理探究事典』 
 岡田 哲 『たべもの起源事典』 
 岡田 哲 『日本の味探究事典』 
 岡田 哲 『食文化入門―百問百答』 


■ 百夜百マンガ

DAI-HONYA【DAI-HONYA 】

 タキタ氏と言えばとり・みき作品では欠かせない登場人物ですが、こういうハードな作品の原案もしているとは。近未来作品なのに、すでに作中の時代に追いついてしまうと一抹の寂しさを感じます。

2008年8月25日 (月)

階級社会―現代日本の格差を問う

■ 書籍情報

階級社会―現代日本の格差を問う   【階級社会―現代日本の格差を問う】(#1313)

  橋本 健二
  価格: ¥1575 (税込)
  講談社(2006/09)

 本書は、これまで「日本社会の目立たない舞台装置」だった「階級」が、「前面に躍り出ようとしている」ことを理解することなしには、「日本社会の現在を、そして将来を理解することはできない」として、「これを明らかにする」ことを目的としたものです。
 第1章「階級の死と再生」では、著者が大学院に入って階級研究を志したときに、「教員や大学院の先輩たちに、マルクス主義に関心があって、階級の研究をやりたい」と話すと、「いまどき何を考えているんだ」という顔をされ、「日本は9割が中流の平等な社会であり、西欧のような階級はなく、マルクス主義の階級理論は日本には当てはまらないというのが自明の前提とされていて、誰もそれについて実証が必要だとは考えていないようだった」と述べています。
 しかし、90年代後半以降、階級の存在が注目を集めるようになった最大の原因として、「いうまでもなく経済的格差の拡大」を挙げ、橘木俊詔の『日本の経済格差』は、「新聞の社説にも取り上げられるなど大きな注目を集めた」と述べています。
 そして、階級という言葉が、「世相を理解するための普通の言葉」として使われ始めていると指摘しています。
 また、「資本家階級と労働者階級に新旧2つの中間階級を加えた、少なくとも4つの階級が存在するとみなすのが、現代の階級理論の特徴である」として、「階級という言葉を『世相を理解するための普通の言葉』として使うならば、まずはこの四階級図式が出発点になるだろう」と述べています。
 第2章「階級へのまなざし──近代都市東京と『階級』」では、今和次郎の「孝現学」を取り上げ、「隅田川は東京にとって皮肉な川です。本所深川は東京の中枢部および山の手の人たちにとっては違う風俗の国なのです。現代文化人風俗の国ではないのです。実に現代細民風俗の国なのです」という結論を紹介しています。
 そして、現代の日本において、「今和次郎が見出したような地域差は、依然としてなくなっていない。それどころか、地域によって住む人々の階級が異なるということは、1980年代から盛んになった都市論・東京論の隠れた中心テーマだったといっても過言ではない」と述べています。
 著者は、「バブル経済とその崩壊、そしてその後の経済格差の拡大のなかで、下町と山の手の差はさらに大きくなったのだ」と指摘しています。
 第3章「庶民とヒーローの階級闘争──『下町の太陽』と梶原一騎」では、漫画原作者、梶原一騎を取り上げ、「戦後日本社会に梶原を位置づけるとき、忘れてはならないもうひとつの要素がある」として、「梶原こそが、常に階級にこだわり続け、上層階級を憎悪し、下層階級を擁護し、作品のなかではいつも下層階級とともに上層階級を打倒しようとし続けた稀有な書き手だった」と指摘しています。
 そして、梶原作品が、「類まれな能力を持つヒーローが活躍」し、その活躍が、「常に階級的な分断線の上で展開される」という特徴を指摘した上で、『巨人の星』が、
(1)労働者階級・・・星
(2)資本家階級・・・花形
(3)農民・・・左門
の「三階級の三つ巴の関係を中心に、物語は展開されていく」と解説しています。
 また、『あしたのジョー』のラストにおいて、資本家階級の白木葉子が、「すきなのよ矢吹くん あなたが!!」と告白することを、「ドヤ街の誇示であり都市下層だったジョーが、財閥令嬢に対して決定的な優位に立ち、資本家階級に勝利した瞬間である」と述べ、「このように愛を得ることによって資本家階級に勝利するというテーマは、次の『愛と誠』にも共通している」と解説しています。
 第4章「拡大する階級格差」では、「新中間階級と労働者階級の間には、かなりはっきりした違いが見られる」として、「所得水準は大きく異なり、生活や意識にも大きいな違いがある。そして両者の間の経済格差は、拡大しつつある」と述べ、「階級格差の拡大とは、まずもってこの2つの階級の間の格差の拡大なのである」と解説した上で、「同じ被雇用者でありながら、この両者を別々の階級とみなすことができる理由」として、
(1)地位や技能の違い
(2)両者の間の搾取関係の存在
の2点を挙げ、「新中間階級はいまや、労働者階級を搾取する最大の搾取階級である」と結論付けています。
 そして、「現代の日本で、労働者階級から階級闘争が発展する可能性はきわめて低い」として、「そもそも労働者階級は、政治に対する関心が低く、政治に関する知識が少なく、政治家や政治団体との接触も少ない。しかも一般的信頼感が低く、協力行動をとりにくい」ことを指摘しています。
 第5章「アンダークラス化する若者たち」では、「フリーター・無業者層の階級的性格」として、
(1)不安定性
(2)下層性
(3)不本意性と脱出困難性
(4)家族形成の困難
の4点を挙げています。
 第6章「女たちの階級選択」では、「日本の女性は全般的に地位が低く、このため男性に比べて新中間階級の比率が低く、労働者階級比率が高くなる」と指摘した上で、「女性たちがオフィスで働く労働者の下層部分に位置づけられた結果、男性たちは、地位や高収入を比較的容易に手に入れることができるようになった」と述べています。
 そして、「キューピッドの矢は遠くまで飛ばない」という言葉が、「階級間の距離についても当てはまる」として、「階級の壁は、男女にとって乗り越え不可能というほどではないとしても、依然として存在し続けているということができる」と述べています。
 第7章「『階級社会』のゆくえ」では、「今日の『格差社会』をめぐる議論の中で、『格差』のとらえ方には大きく分けて2つがある」として、
(1)所得などの格差そのものを問題にするもの
(2)社会移動の機会を問題にするもの
の2点を挙げたうえで、「格差拡大を問題にする場合には世代間移動に注目することが不可欠であり、これが格差是認・容認の主張に対抗するための有力な言説戦略となる」と指摘しています。
 著者は、「格差拡大が注目を浴び、『格差社会』『下流社会』などをテーマとした本屋、特集を組んだ雑誌が読まれるようになった」ことを、「ある意味では健全な傾向である」として、「このことは、本や雑誌の主な顧客である新中間階級が、格差が拡大する現状に居心地の悪さを感じていることを意味するからである」と述べています。
 本書は、「格差社会」の問題について、ストレートに「階級」という観点から迫った一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者が学生時代に、「いまさらマルクス?」と周囲から冷たい目で見られたと語っていますが、どうしても大学にはマルクス様大好きな元学生運動家がウヨウヨしていたので、そういう目で見られたのではないかと思います。
 マルクス自体は面白いのかもしれませんが、私も『資本論』読んでいないのでなんともコメントできません。


■ どんな人にオススメ?

・日本が階級社会だと思う人。


■ 関連しそうな本

 橘木 俊詔 『日本の経済格差―所得と資産から考える』 2006年02月10日
 佐藤 俊樹 『不平等社会日本―さよなら総中流』 2005年03月22日
 橘木 俊詔, 斎藤 貴男, 苅谷 剛彦, 佐藤 俊樹 『封印される不平等』 2006年02月10日
 三浦 展 『下流社会 新たな階層集団の出現』 2007年11月14日
 山田 昌弘 『希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』 2006年01月11日
 苅谷 剛彦 『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』 2006年02月14日


■ 百夜百マンガ

はいぱーぽりす【はいぱーぽりす 】

 世の中には「猫耳」マニアの人もいるようですが、いつも疑問に思っていたのは、頭に猫耳がついている場合、人間で言えば耳がついているところはどうなっているのか、ということです。この作品は、重複しているので「四つ耳」と呼ばれているそうです。

2008年8月24日 (日)

読書の腕前

■ 書籍情報

読書の腕前   【読書の腕前】(#1312)

  岡崎 武志
  価格: ¥819 (税込)
  光文社(2007/03)

 本書は、「これからもずっと楽しみとして本を読んでゆきたい、できるだけ読書の時間を多くとりたい、いろんな作家のいろんな本に触れてみたいと考えているような人」のために書かれたもので、「読んでいる最中に、無性に別の本が読みたくなる」ことを目指したものです。
 著者は、「人がすることすべて上達というものがある。何度も繰り返し、上手になりたいと願い、学び、そして少しずつ『腕前』が上がる」ように、「読書だってまったく同じ。読めば読むほどいろんなことがわかってくるし、前にはわからなかったことが、突然見えてきたりする」と述べています。
 第1章「本は積んで、破って、歩きながら読むもの」では、読書のメリットとして、「本を読むことで、他人を知る手がかりは得ることができる。また、本は、実生活では知りえぬ、膨大な人間のモデルを提供してくれる。しかも、相手の忖度を気にせず、思うがまま、自由にそのモデルと触れ合うことができる」ことを挙げています。
 また、昭和30年代初めまでは、朝日新聞社が、「写真や原稿の遠距離輸送に鳩を使っていた」ことを、森本哲郎の発言から知ったことを挙げ、「この『知る』ことの楽しみを知ってしまったからには、読書をやめろと言われても、いまでは遅すぎる~」と語っています。
 さらに、「本を読む時間がない」と言う人は多いが、「その気になれば、ちょっとした時間の隙間を利用して、いくらでも読めるものなのである」として、「2分、3分といった細切れ時間であっても、合計すれば1日20、30分にはなるはず」であり、「毎日30ページ近くは読める」、「新書程度の分量なら1週間に1冊は読了できる。要は、ほんとうに本が読みたいかどうか」であると語っています。
 そして、「ツン読」の効用について、「『買った本を全部読む』ということは、言い換えれば、『ぜんぶ読む本しか買わない』からであり、しかも本は一度読めばそれで用が済むと思っているからだ。おめでたいことこの上ない」と述べています。
 第2章「ベストセラーは十年後、二十年後に読んだほうがおもしろい」では、著者が、「書評家」の肩書きを名乗り、新聞や雑誌で書評を担当している中で、「書評を書いていて難しいと思うのは、まずはなんといっても字数の問題だ」と述べ、一番多い「800字では、その本が著者にとってどういう本であるかの位置づけ、あらすじ、読みどころ、ポイントとなる箇所の引用、締め(着地)を並べるだけで精一杯」だと述べています
 そして、いろいろなベストセラー本を読んできた結論として、「その8割方は読み通すのに苦労し、呼んで得たものもほとんどなかった。自分で買うかと言われればとんでもない。よく、みんなこんなものに金を出して、挙句に『感動した』だの『癒された』だの『生きる指針となった』などと言えるよな、とあきれるほどの代物だった』と述べたうえで、「ベストセラーは『売られている本』の代表なのである。『読まれている本』の代表なのである。だから、ベストセラーを見れば、日本の出版が見えてくる」とする長江朗の定義を紹介しています。
 第3章「年に三千冊増えていく本との戦い」では、古書店主から直木賞作家になった出久根達郎が、「本を処分する際に、読んでいない本を残して、読んだ本を売るのは間違いで、読んだ本こそ残すべきだ」と書いていたことを取り上げ、「一度読んだ本音場合、そこに何が書かれているかを知っている。読後しばらく経って、書いてあったことを再確認するときに既読の本は必要だ」と解説しています。
 第4章「私の『ブ』攻略法」では、著者が、ブログなどであまりひんぱんに「ブックオフ」と書くのが面倒になり、「ブ」とだけ標記するようになったところ、「まわりの友人も隠語として使うようになり、今では定着している』と述べています。
 第4章「旅もテレビも読書の栄養」では、書評の仕事を看板に掲げていると、「どんな本を読んだらいいか、お薦めの本はありますか」と訊かれることがあるが、「いつも返事に窮してしまう」と述べ、「書評家は、お薦め本の自動販売機ではないのだ」と語っています。
 そして、片岡義男が、「本を読むための旅」、すなわち、「なにかほかの目的がある旅行の合間に、というのではなく、本を読むだけのための旅行」を推奨していることを紹介しています。
 第6章「国語の教科書は文学のアンソロジー」では、読書だけは得意だった小学校3年生の著者が、物語を決められた時間内にどれだけ読めるか、というテストで、全部読み終わったにもかかわらず、担任教師から、「全部読んだ」のはウソだ、「(劣等生の)おまえなんかに、これが全部読めるわけがない」と言って、「おまえならこの程度だ」とプリントの半分のところに線を引かれた体験を、「おおげさでなく、刀で切りつけられたような痛みが走った」、「このときの無残な気持ち、屈辱は、死ぬまで忘れない。わすれようもない、生まれて初めての大きな傷をこのとき負ったのだ」、「私は彼をこの先も絶対に許さない」と語っています。
 また、小学生時代に住んでいたアパートの隣に、スクラップ回収会社があり、そこの倉庫に忍び込んでは、雑誌を読みふけった体験を、「砂糖壺に落ちたアリ」と表現し、「"本人間"としての私の基礎体力は、この倉庫と学校の図書室での読書体験によって作られていった」と語っています。
 さらに、高校時代に、「毎年新学年に進級する直前に、新しい現国の教科書に一通り目を通すのが常だった」として、「当時の私は、現国の教科書を文学作品のアンソロジーと受け取っていた」と述べています。
 第7章「蔵書のなかから『蔵出し』おすすめ本」では、著者の蔵書の「少なからぬ量」が、「本の本」、「本について書かれた本」であるとして、「書評集、出版史、古本についての本、読書論の類が、軽く本棚に本はあるだろうか」と述べ、「ときに、本それ自体を読むより、本について書かれた本のほうが面白いくらいだ。そこで紹介された本がまた読みたくなりあるいは著者が本を読む姿や仕種を追うことで、読書欲が刺激される。これは読書の永久運動だ」と語っています。
 本書は、読書好きなら共感できる読書の楽しさのあまり、読書自体を職業にしてしまった著者が語る、読書生活をまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 いくら本が好きでも、年間3千冊もの本を買い続ける人はなかなかいないと思いますが、著者の言葉のなかでも、「ツン読」に関する言葉は身にしみました。
 ツン読をしないということは、読む分だけしか本を買わない、という愚かなことだ、という言葉には共感すると同時に、本の置き場や購入費を考えると、欲しい本を欲しいだけ買うわけにはいかず、どうしても図書館が中心になってしまいます。


■ どんな人にオススメ?

・本が好きで好きな人。


■ 関連しそうな本

 松岡 正剛 『ちょっと本気な千夜千冊虎の巻―読書術免許皆伝』 2007年12月09日
 モーティマー・J. アドラー, C.V. ドーレン (著), 外山 滋比古, 槇 未知子 (翻訳) 『本を読む本』 2006年07月02日
 ポール・R・シーリィ (著), 神田 昌典 (翻訳) 『あなたもいままでの10倍速く本が読める』 2006年01月15日
 松山 真之助 『マインドマップ読書術―自分ブランドを高め、人生の可能性を広げるノウハウ』 2005年05月01日
 立花 隆 『ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論』 2006年07月29日
 加藤 周一 『読書術』 2006年07月23日


■ 百夜百音

ベストアルバム【ベストアルバム】 ずうとるび オリジナル盤発売: 2008

 「笑点」で座布団を運んでいる人が何者かを知りたい人は、このアルバムを聴いてください。一番確実な生き残り方なのかもしれません。

2008年8月23日 (土)

美を脳から考える―芸術への生物学的探検

■ 書籍情報

美を脳から考える―芸術への生物学的探検   【美を脳から考える―芸術への生物学的探検】(#1311)

  インゴ レンチュラー, デイヴィッド エプスタイン, バーバラ ヘルツバーガー (編集), 野口 薫, 苧阪 直行 (翻訳)
  価格: ¥3465 (税込)
  新曜社(2000/6/15)

 本書は、「『美しさ』という、従来きわめて感性的にとらえられていた経験を脳という生物学の側面から見直し、それがどのように脳内で情報処理され身体的に創出されるのかを現代の脳科学、神経科学、生物学、文化人類学など、学際的な知見に基づいて述べた、きわめてユニークな書物」です。
 第1章「美の生物学的基礎」では、「私たちの近くは特定の方向にずれているので、すべてのものが同じように私たちの感覚や認知に働きかけるのではない」として、「このバイアスを探求することが美学研究の目的の一つである」と述べています。
 また、私たちの知覚が、
(1)周りの世界の中に秩序、規則性、パターンを求めるという非常に基礎的で一般的な水準。
(2)種特有のもので、系統発生的なルーツを持つ場合もあり、また、態度の普遍性のゆえに多様な文化に見出される場合もある。
の2つの水準でバイアスされている、と述べています。
 第2章「韻律詩、脳、そして時間」では、
(1)詩の韻律という古くからある一つのテーマ
(2)ここ2,30年の間の人間の脳に関する熱心な研究の成果から導かれた新しい知識
(3)国際時間研究学会によって発展を見た科学的パラダイム
という、これまで互いに結び付けて考えてこられなかった三者の統合を試みたいとしています。
 そして、人間の行う情報処理が、「個々のニューロンの水準ではプロクルステス式」であり、「外界から得る情報をニューロン自身のカテゴリーに切り詰め、現実がニューロン自身の設定する問いに応えるときだけ、それらの答を受け入れる」と述べています。
 また、「個々の事例において因果的順序や目的的順序が形成され認知されるには、その前に事象間の順序関係や反応関係の多くの事例が比較されねばならない」が、「比較が可能になるには、比較対照の経験がそれぞれ別個のまとまりになっていることが必要」であり、「比較されるまとまり自体が時間的性格のものなので、経験のまとまりは同じ時程内に存在していなければならない」と述べた上で、「この「経験のひとかたまり」が約3秒で、「3秒の時程とは人における現在の長さである」と述べ、「人が話すとき、ほぼ3秒おきくらいに数ミリ秒の休止を入れ、「その間に次の3秒の正確な統語法や語彙を決定するのであろう」と述べるとともに、「聴き手は、聴いた3秒間の話の間は休止や思い返しなしに集中し、それから聴いたものを統合し意味づけるために聴くのを止める」と述べています。
 そして、「10分の3秒はヒトが落とし劇に反応するのに十分な時間である」と述べ、「3秒のラインと3秒の『聴覚的現在』のあいだのきわめて正確な対応」として、「ラインあたりの平均音節数はおよそ10であり、詩の韻律は聴覚系における最も低次の周波数リズム2つを具現している」と述べています。 また、「聴覚的駆動は、左脳よりも右脳に対してはるかに強く影響することが知られている」として、「韻を持たない通常の散文は『モノラル』モードで伝わり、もっぱら左脳に影響するのに対し、韻をもつ言語は『ステレオ』モードでやってきて左脳の言語的資源と右脳のリズムに関わる潜在力を同時に呼び起こす」と述べています。
 さらに、「韻律詩の喜びは、まぎれもなく脳の自己報酬的能力を刺激するという力に由来している」として、「それは明らかに、詩が脳自身の動機づけシステムと関わっていることに関連している」と述べています。
 著者は、「記憶の状況結合性の理論も、詩が大変記憶しやすい理由を説明する」として、「もし韻律とその独特な変形が、それ自身の雰囲気、言い換えれば脳の状態のサインをもっているならば、詩を容易に想起できるのも驚くにはあたらない」と述べ、ホーマーが、「詩神は記憶の娘である」と語っていた意味はそういうことではないか、と述べています。
 第3章「音楽におけるテンポ比率」では、音楽におけるテンポが、「音楽を左右する最も強力な要素の一つ」でありながら、「音楽において最も可変性の大きい要素でもある」と述べています。
 そして、「音楽の演奏における速度とテンポには生物学的基礎があり、最も深いたぐいの心理的な効果を持っている」と述べたうえで、「様々な音楽の中でテンポが変化するとき、そのテンポは低次の整数比率で変化するという強い印象を受ける」と述べています。
 第5章「視覚的な美と生理的制約」では、「われわれの意識体験というものは、2つの大脳半球の機能分化した多くの神経サブシステムが相互に補完的にはたらきあう結果生まれると結論してもよいだろう」と述べています。
 また、「高次の処理領域では、顔刺激や顔の一部分の刺激に明確な偏好を示す視覚ニューロンが発見されている」として、「われわれはこういう類の課題に強く依存している。つまり、顔の色々な特徴は別の、違った部位にあるニューロン集団によって符号化され処理されていると考えなければならないことになる」と述べています。
 著者は、「刺激は、視覚情報処理の内的なメカニズムが好む特徴によって選好されるということを示している」とともに、「そのようなタイプの刺激が肯定的な美的事象を構成するということも示していることになる」と述べたうえで、「視覚システムの機能的組織は、神経活動のダイナミックなパターンとして環境を表象するということ」を指摘しています。
 第7章「大脳皮質の非対称性と美的経験」では、「『空間的な』右半球も『時系列的な』左半球も、ほとんどの活動におけるパフォーマンスに、ともに重要な役割を果たす力を持っている」として、「左半球は時系列・聴覚優位のバイアスがあり、右半球は空間・視覚優位のバイアスが見られる」と述べ、「このようなバイアスによって、左半球は細部を記述しラベル付けし、その結果時系列によって順序づけうる分離可能な事象を厳密なカテゴリーの境界によって定義づける傾向を有し、一方、右半球は空間的携帯と図形の同時性によって統合的な関連性とその配置の探索が促進される傾向が強められる」と解説しています。
 そして、「メロディの弁別に関し、普通の人は左耳(右半球)優位を示し、音楽家は右耳(左半球)優位を示す」ことについて、興味深いと述べ、「音楽家はメロディの持つ区分しうる構成要素を聞いているのに対し、普通の人は音楽全体の輪郭に対して反応する」とか移設しています。
 また、「観察者が右利きの場合、画像の中で最も関心を引くものが右に配置されている場合に、明らかに『好ましい』と感じる」ことについて、「右寄りに描かれた画像は、最もバランスがよいと感じられ、好ましいとされる」ことは、「刺激の持つ非対称性が、生得的に持っている知覚の偏りを補うからであろう」と解説しています。
 さらに、子どもたちが描いた「悲しい絵」について、「48人の子供たちのほとんどは幸福感を表す対象を悲しみを表す対象に比べて右側に配置した」ことについて、「子供も大人と同様に、美に対する感覚をもち、それは一部生得的な知覚のバイアスと外界世界の刺激の非対称性とのバランスによって決定されるという見方と完全に一致している」と解説しています。
 第8章「美しさは見る者の視野の各半分で異なっているかも知れない」では、「機能的な脳の半球特異性とそれが美に関する判断に及ぼす効果を検討することが、情緒の諸過程と人間の脳との複雑な関係について洞察を得ることを可能にする一つの方法である」と解説しています。
 本書は、これまで感受性の世界の問題とされてきた「美」について、人間が持つ生き物としての特性がいかに関わっているかを探求した意欲的な一冊です。


■ 個人的な視点から

 現代の教育を受けて文字の読み書きができる人は、詩の朗読を聞いて文字を思い浮かべてしまいますが、字の読み書きができない人々にとって、3秒ごとに一区切りが入り、音楽的な抑揚がついた韻律詩は、もしかするとほぼ唯一の文学的体験だったのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・「芸術的感性」を磨く必要性を感じている人。


■ 関連しそうな本

 アンドリュー ニューバーグ, ヴィンス ローズ, ユージーン ダギリ (著), 茂木 健一郎 (翻訳) 『脳はいかにして"神"を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス』 2006年07月01日
 トール ノーレットランダーシュ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』 2006年06月18日
 ジュリアン ジェインズ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 2006年06月04日
 バート・L. ソルソ (著), 鈴木 光太郎, 小林 哲生 (翻訳) 『脳は絵をどのように理解するか―絵画の認知科学』
 岩田 誠 『見る脳・描く脳―絵画のニューロサイエンス』
 バルテュス, セミール・ゼキ (著), 桑田 光平 (翻訳) 『芸術と脳科学の対話―バルテュスとゼキによる本質的なものの探求』


■ 百夜百音

ミコちゃんのヒット・キット・パレード【ミコちゃんのヒット・キット・パレード】 弘田三枝子 オリジナル盤発売: 2005

 この人のことを知らなくても、「V・A・C・A・T・I・O・N 楽しいな」のサビのフレーズは聞いたことがあるのではないかと思います。デビュー曲は、「子供ぢゃないの」だそうです。

2008年8月22日 (金)

ブルバキとグロタンディーク

■ 書籍情報

ブルバキとグロタンディーク   【ブルバキとグロタンディーク】(#1310)

  アミール・D・アクゼル (著), 水谷 淳 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  日経BP社(2007/10/18)

 本書は、「1950年代から1970年代ころに至るまで、現代数学におけるいくつかの重要な分野を一から書き換え、自らの革新的な研究成果を幅広く講演し、優れたセミナーを主宰し、そして世界中の一流の数学者と交流」していた数学者、アレクサンドル・グロタンディークが、1991年8月に、突然、「数学のことを書き連ねた自筆の原稿2万5000ページ」に火を放ち、「一言も告げずに自宅を去り、ピレネー山中に姿を消した」事件を取り上げ、この失踪に深く関わる、「20世紀最大の数学者」である「ニコラ・ブルバキ」との関係を絡めた評伝であるとともに、20世紀の科学の変革を描いたものです。
 第1章「失踪」では、グロタンディークについて、1928年にベルリンで生まれ、父サッシャ・サピロはウクライナとベラルーシとロシアの国境が交わる地域に生まれ、当時の革命運動にのめりこみ、偽名を使ってロシアから脱出し、残りの人生を無国籍者として過ごしたこと、1940年に母ハンカとともに南フランスのリュークロ収容所へ収監され、アレクサンドルはここで、数学者としての才能、すなわち、「何時間も一人で過ごしたことで、誰とも交わらずに思索を生み出して考えを導く術」を学んだことなどを述べています。
 そして、若き学生アレクサンドルが、「数学の教科書に記されている問題があまりにくどく陳腐であること」、なかでも、「教科書に載っていた問題が、何の理由も目的もなしにどこからともなく姿を現したかのように書かれていたこと」に苛立ちを覚えたと述べています。
 第2章「フィンランドでの逮捕」では、1906年パリ生まれの数学者、アンドレ・ヴェイユについて、「恵まれた特権的な環境の中で育っていったが、それはアレクサンドル・グロタンディークの成長期とは対照的」であると述べています。
 そして、ヴェイユが、1939年にフィンランド警察本部にスパイ容疑で逮捕され、処刑に処される直前に、フィンランド政府の役人、ロルフ・ネヴァンリンナによって、国外追放に減刑され生きながらえたことを述べています。
 第3章「脱出」では、ローラン・シュワルツ、エリ・カルタンとアンリ・カルタン親子、クロード・シュヴァリー、ジャン・デルサント、ジャン・デュドネなど、ブルバキに深く関わることになる数学者たちの生い立ちを紹介したうえで、「戦争は彼らの取り組みを引き裂いた」と述べています。
 第4章「パリへの到着」では、グロタンディークが、「19歳でパリの数学界に旋風のように現れた」が、「控えめにいっても、彼には数学に関する標準的な予備知識が欠けていた」と述べ、後に、パリを離れてナンシー大学で博士号を取得し、パリに戻り、ニコラ・ブルバキの取り組みに関わるグループの数学者たちと親交を深めるようになったと述べています。
 第5章「将軍と時代精神」では、ヴェイユらが、19世紀の伝説的将軍、シャルル・ドニ・ソテ・ブルバキにちなみ、「革命時に毒殺された無名のロシア人数学者D・ブルバキ」を名乗り、完全に架空の内容で、「ブルバキの第二定理の一般化について」という論文を雑誌に投稿したことが、「無意味ではあるもののブルバキによる初の数学論文だったようだ」と述べ、「やがてブルバキが世界の舞台へ華々しく登場するようになると、イニシャルのDが"ニコラ"へ、そしてロシアがポルデヴィアという架空の国へ置き換えられることとなる」と述べています。
 著者は、「ブルバキとその業績は、20世紀初めの何十年かで起こった文化的大変動の産物だった」として、「純粋数学は、実世界とは何のつながりもない抽象的な研究分野であるように思われるかもしれない」が、「実際には、数学は一般的な文化と密接に絡み合っている」と述べています。
 そして、「20世紀の初めには、間違いなく新たな風が吹いていた。古い考えが毎日のように捨てられ、新たな方法が受け入れられていた」と述べ、「物理学、数学、言語学において始まった一見無関係な研究が、数十年のうちに別の分野で結びつき、人間の思考に対する新たなアプローチをもたらすこととなる」と述べています。
 第6章「ブラックとピカソの出会い」では、「アルバート・アインシュタインが特殊相対論を初めて世に示し、われわれの右中間を永遠に打ち砕いたその2年後、パブロ・ピカソとジョジルジュ・ブラックが芸術の世界で同じことを果たした」として、彼らが、「古き芸術観を捨て、芸術を新たな分野として解体することで、現代芸術を作り出した」と述べています。
 そして、「20世紀は、何世紀にもわたって社会を導いてきた数々の原理が完全に破棄されて始まった」と述べ、「こうした過去との突然の決裂は、人々の信じるあらゆるものに大変革をもたらした」として、「数学は、古代ギリシャ時代以来、人類の歴史の中でかつてないほど大きな役割を果たすこととなる」と述べています。
 第7章「カフェ」では、1934年にストラスブール大学で数学を教えていたヴェイユが、「当時、数学の授業には適切な教科書が用いられておらず、またカリキュラムも大いに改善の余地があった」ところ、「いろいろな大学で同じ数学のカリキュラムに関わっている友人が5人か6人いる。みんなで集まってこうした問題にきっぱり片を」付ける、というアイデアを思いつき、「この瞬間にブルバキが産声を上げた」と述べています。
 そして、1934年12月10日に、サン・ミシェル通り63番に建つカフェ・グリル=ルーム・A・カプラードに集まった若き数学者たちが、「フランスの全大学で行われる微積分学と解析学の授業のためにカリキュラムを作るというという、野心的な計画」に乗り出し、「このグループが、やがてニコラ・ブルバキとなる」と述べ、「パリで集まった6人の若き数学者と、後に加わるメンバーたちが、いわばパリの学生がやっていた悪ふざけを引き継ぎ、一人の人物をでっち上げて秘密結社を立ち上げる」と述べています。
 このとき、「グループのメンバーは全員が20代そこそこで、当時はみな無名だった」が、「彼らの小さなプロジェクトはすぐに当初の目的をはるかに超えて拡大し、20年ほどのうちにグループのメンバーたちは、世界中に影響力を及ぼす著名な数学者となっていく」と述べています。
 第8章「ブルバキの功績」では、「集合論」という「たった一つの出発点から数学の宇宙全体を導き出そうと取り組んだ」というフランス人数学史家ドニ・ゲージュの言葉を引用し、ブルバキは、
(1)公理化
(2)構造
の2つの強力な方法を選んだと述べています。
 そして、「構造の考え方」は、言語学という、「数学とは関係ない舞台」に存在していて、「ブルバキがその構造に切り込むと、この考え方は文化人類学へ取り込まれ、そこから心理学へ、さらに最終的には再び言語学を介して、数学的考え方が実りを生むとはほとんど思えない分野である文学へと入り込むことになる」として、「数年のうちに、構造の考え方は西洋文化のあらゆる思想を支配していく」と述べています。
 第9章「ブルバキの治世」では、ブルバキのやり方が、「初めからさまざまな難点があった」が、「混乱の中で数学の文書を作り出すというシステムは、不思議なことにあまりにうまく機能していた」と述べ、その理由の一つとして、「メンバーたちが怯むことなく身を捧げていたこと」を挙げるとともに、「デュドネの超人的能力」があったと述べています。
 また、ブルバキへの重大な批判の一つとして、「形式過ぎてあまりに抽象的、そして必要以上に厳密で、それによって数学の理解やその有意義な利用をいたずらに困難にした」というものであったと述べています。
 そして、「1950年代から1970年代にかけて、ブルバキは数学の世界を支配した」が、「"構造"の概念を発展普及させたという功績」で、「西洋文化全般に対して」貢献したと述べています。
 著者は、「ブルバキは、構造の概念を言語学における限られた意味から解放して、正確で数学的に強力なものへと変え、観念の世界へ解き放った」と述べています。
 第10章「クロード・レヴィ=ストロースと構造主義の誕生」では、「構造主義とは、"意味"の生成や認識に関する学問領域を体型づけて理解するための枠組みを提供してくれる、知的探求の一手法である」と述べた上で、構造主義が、「数学だけでなく、哲学、言語学、文化人類学、そして文芸評論にも影響を与えている」と述べています。
 そして、「言語学から拝借した構造に関する考え方と、その分野におけるトルベツコイやヤーコブソンの研究のおかげで、レヴィ=ストロースは、限られた成功の第一歩ではあったものの、文化人類学を、深い科学的基礎を持たない生物学的社会科学から脱皮させ、さまざまな社会やその親族関係に関する情報を系統的に分析してその体系の内部構造を解き明かすことのできる、現代的な学問分野へと変えた」が、具体的な結果をえっる溜めには、アンドレ・ヴェイユという数学者の助けが必要だった、と述べています。
 第11章「言語学における源」では、ブルバキが「構造的分析の数学形式に取り組んだ」能登同じレベルで、「ヤーコブソンも音声の二項規約体系を探した」と述べ、ヤーコブソンが、「構造の要素は人間の脳の中に埋め込まれていて、その振る舞いは数学的な形で決定される。したがって、言語の中に見出されたものは、別の分野の中にも姿を現しているはずだ」と考えたと述べています。
 第12章「心理学、精神医学、経済学における構造主義」では、「経済学における公理化の優れた実例であり、また極めて有効に機能する構造主義的モデルの格好の例」として、「経済的均衡という概念」を挙げています。
 第13章「文学グループ、ウリポ」では、「ブルバキを漠然と手本とした文学者の団体」であるウリポを取り上げ、ウリポが、「ブルバキの掲げた目標や原理を数多く採り入れた」として、
(1)文学を新しい形に作り替えること
(2)確立された文章の規範を打ち破ること
(3)作品の製作において、一見したところ行き当たりばったりに見える手法を探ること
の3つの目標を挙げています。
 第14章「アレクサンドル・グロタンディークとIHES」では、グロタンディークの不朽の業績として、「空間とその中の点がもつ性質の研究に新たな光を当てた」と述べた上で、グロタンディークが、「幾何学の分野に強力な手法と抽象代数の概念を導入」したと述べています。
 そして、「トポスをはじめ、ブルバキが採り入れなかった数々の数学的考え方を編み出した張本人こそが、グロタンディークだった」と述べ、「歴史は、彼が正しかったことを証明すること」になり、「ブルバキは、新たな手法を退けることで、凋落の道をたどっていく」と述べています。
 著者は、「何より政治活動に手を出したことが、グロタンディークを破滅させた」と述べ、他のブルバキの数学者が、政治活動に携わる一方で、自分の"職務"をこなしていたが、グロタンディークは、「おそらく育ってきた不幸な環境と関係があるのだろうが、何らかの理由で、どうしてもそうすることができなかった。ひとたび数学を離れると、二度と戻ることはなかった」と述べ、「彼はブルバキに失望し、政治活動家としての自らの失敗にも失望した。世界のあらゆる不正を悪魔のせいにした彼は、この不完全な世界から立ち去るしかなかった」結果、「ピレネー山中に身を隠した」と述べています。
 第15章「ブルバキの死とその遺産」では、「ブルバキは、数学を公理化すること、構造を重要なものへ押し上げること、そして、グループ誕生前の何十年も曖昧な形に出していた分野において、厳密さを推し進めることという、3つの目標を達成した」が、それ以降、「もはやこのグループは必要でなくなった。それ以上改革するものがなくなったのである」と述べるとともに、「メンバーが各自の名で著名な数学者となったこと」を挙げています。
 また、ブルバキの衰退をもたらしたもう一つの要因として、「現代数学に、厳密さ、抽象性、一般性、正確さ、そして構造を持ち込み、大半の数学者はこうした進歩を歓迎してきた」が、「ある時点で多くの数学者が、ブルバキは先へ進みすぎたと感じるようになった」と述べています。
 本書は、20世紀の科学を塗り替えた数学の力のすごさを納得させてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 数学というと、現在では、無味乾燥というか抽象的で何の役に立つのかわからないマニアのための学問という印象がありますが、カフェに集まったブルバキの20代の数学者たちを見ると、とてもエキサイティングな学問だということがわかります。
 また、数学が、自然科学のみならず、20世紀の社会科学を塗り替えていったことを初めて知りました。


■ どんな人にオススメ?

・数学はつまらないと思う人。


■ 関連しそうな本

 ジョン・アレン・パウロス (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『数学者の無神論―神は本当にいるのか』 2008年03月05日
 グレゴリー・J・チャイティン (著), 黒川 利明 (翻訳) 『セクシーな数学-ゲーデルから芸術・科学まで-』 2005年11月03日
 ポール ホフマン (著), 平石 律子 (翻訳) 『放浪の天才数学者エルデシュ』 2005年11月06日
 E.T. ベル (著), 田中 勇 (翻訳), 銀林 浩 (翻訳) 『数学をつくった人びと』 2007年07月16日
 藤原 正彦 『天才の栄光と挫折―数学者列伝』 2007年11月17日
 サイモン シン 『フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』 2006年09月02日


■ 百夜百マンガ

丸出だめ夫【丸出だめ夫 】

 「まるでだめ!」って相当ネガティブなタイトルなんですが、当時はこれで十分なインパクトがあったのでしょうか。

2008年8月21日 (木)

プロフェッショナル仕事の流儀あえて、困難な道を行け

■ 書籍情報

プロフェッショナル仕事の流儀あえて、困難な道を行け   【プロフェッショナル仕事の流儀あえて、困難な道を行け】(#1309)

  茂木 健一郎, NHK「プロフェッショナル」制作班
  価格: ¥1365 (税込)
  日本放送出版協会(2008/03)

 本書は、NHKの人気番組『プロフェッショナル』から、5人の出演者との対話をまとめたものです。
 第1章「環境金融コンサルタント 吉高まり」では、温室効果ガスの「排出権」を売買するビジネスについて、「経済の仕組みを使って環境問題の解決を図ろうという新しい取り組みに、今、世界が注目している」とした上で、「そのパイオニアといわれるのが、吉高まりだ」と述べています。
 そして、男女雇用機会均等法の前年に就職した吉高が、「会社に行けば、仕事というのはあるものだと思っていた」が、「何もない状況というのは、自分では受け入れられ」ず、外資系企業に転職し、ニューヨークに転勤し、環境ビジネスにであったことを語った上で、「やはり探さないと、求めて動かないと、やりたいものは見つからない」と述べています。
 また、「すごく悩んでいるときに難しいほうを選ぶ」、「答えはわかっているのに悩んでいて、結局は難しいほうを選ぶ」といわれると語っています。
 第2章「公立高校校長 荒瀬克己」では、堀川高校の学校改革が、「生徒の誰もが持っている『知りたい』という気持ちを中心に据えたものだ」と述べています。
 そして、「探求する心は、きっと子供たちの中にある」とした上で、「一つの学問研究につながるようなことを高校の間に経験できないだろうかと考えて、『探求基礎』という科目を作った」と語っています。
 さらに、「生徒や先生のやる気を引き出すキーワード」として、
・アドバイスはするが教えない。
・まっすぐに聞く、まっすぐに見る。
・すでに効果が証明されたものを取り入れる。
などのキーワードについて解説しています。
 第3章「自閉症支援 服巻智子」では、「一口に自閉症といっても、いまでは、『自閉症巣ペクトラム障害』という名前で呼ばれているように、とても多様な症状」を示すと述べ、あるオーストラリア在住の研究者が、「すべての人はいくつかのピースを持っている。もしも自閉症スペクトラムだという診断をするのに80ピース必要だとすると、多くの人は10ピースくらいは何かしら持っているだろう」という言い方をしていることを紹介しています。
 そして、服巻が、「誰かとわかり合いたい」という気持ちを自分の中に確認できるので、「誰かの『共感し合いたい』という気持ちを手助けしたい」と語り、それは、「結果的に忍耐という言葉になるのかもしれませんが、そうではなくて『ひもとく』だけ」だと解説しています。
 また、「自閉症支援を通じて、私自身の人生のためにすごく良かったのは、多様さを受け入れること、多様であっていいということを学んだこと」だと語り、「彼らが生まれてきた意味を探りたいと思ってこの仕事を選んだけれど、その子どもたちから、生きていくとはどういうことか、人として社会に存在するとはどういうことかを、教わった」と語っています。
 第4章「漫画編集者・原作者 長崎尚志」では、「企画からシナリオづくり、宣伝戦略まで、絵を描く以外の漫画制作すべてに関わる」、「絵を描かない漫画家」だとした上で、「面白いストーリーを創るキーワード」として、
(1)わかりにくいものを選ぶ:わかりにくいものをわかりやすく描いているから面白い。
(2)上下左右から見る:物語の形というのは大昔の神話や伝説に始まって、ほとんどパターンが出尽くしている。
(3)裏切りながら安心させる:「自分はこうなると思ってたのに、どうしてこうなったんだ」というのが、読者には面白い。
(4)自分が面白いと思うものをやる:漫画家なり編集者なりが面白いと信じているものをやるしかない。
の4点を挙げています。
 第5章「義肢装具士 佐喜眞保」では、「手術によって、気持ちが変わるほど大きな変化がある」として、自身が、脊椎の手術で身長が2センチ伸びただけで、「性格が変わるぐらいに幸せだった」と述べた上で、「本人の希望がかなうということが、どんなにうれしいことかわかる」として、「装具づくりでも、本人がどうありたいと願っているのかといういうのを、常に聞いて、本人の気持ちを入れながらつくって」いると語っています。
 また、子どもの頃の事故で障害を持つようになったことで、サングラスをかけるなど、「弱い自分を見せたくない」という時期があり、「本当は弱いんだけれど、弱く見せたくない」と思っていたが、「この仕事に出会って、人様が喜んでくれる、人のお役に立てるというのが実感できるようになった」と語っています。
 そして、「弱いから、弱いということがわかるから、それをカバーする努力もするし、自身を人の拓に立つ部分にぶつけたいという気持ちがある」と語っています。
 本書は、テレビで何となく見ていたのでは気づかないかもしれない、「プロフェッショナル」たちの心の機微に気づかせるきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 前身となった「プロジェクト×」がドラマティックなプロジェクトを追い求めたあげくに、都合の悪い部分は都合よく改変したりしてしまったために、信用を失って打ち切りの憂き目にあったのに対し、多くの雑誌や評伝が出ているように、個人の話は、それほど極端にドラマティックなプロジェクトでなくても、人生としてのドラマが人の心を揺さぶるのではないかと思います。
 個人的には、最近『20世紀少年』全22巻と『21世紀少年』上下巻を一気読みしてしまった勢いで長崎さんの話は楽しかったです。


■ どんな人にオススメ?

・プロフェッショナルの仕事をしたい人。


■ 関連しそうな本

 村山 昇 『「ピカソ」のキャリア「ゆでガエル」のキャリア』 2005年07月19日
 渡邊 奈々 『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』 2005年08月11日
 大島 謙 『高校を変えたい!―民間人校長奮戦記』 2006年02月13日
 吉田 新一郎 『校長先生という仕事』 2006年02月15日
 うしお そうじ 『手塚治虫とボク』 2007年10月06日
 斎藤 槙 『社会起業家―社会責任ビジネスの新しい潮流』 2005年06月01日


■ 百夜百マンガ

あいつとララバイ【あいつとララバイ 】

 バイク乗りの作品ですが、なぜか映画化されたときには少年隊が主役で、主人公はニッキでした。ちなみにカッちゃんは千葉の出身です。

2008年8月20日 (水)

マッキンゼーをつくった男 マービン・バウワー

■ 書籍情報

マッキンゼーをつくった男 マービン・バウワー   【マッキンゼーをつくった男 マービン・バウワー】(#1308)

  エリザベス・イーダスハイム (著), 村井 章子 (翻訳)
  価格: ¥1,890 (税込)
  ダイヤモンド社(2007/3/2)

 本書は、「主に最高経営責任者(CEO)を対象とするトップ・マネジメント・コンサルティングという職業」を確立し、「もともと経営システムの改善・効率化などを主とするマネジメント・エンジニアリング・ファームだったマッキンゼー&カンパニーを、経営者や指導者に高度なコンサルティングを提供する組織に変えた」男、マービン・バウワーの評伝です。
 第1章「マービンの一世紀」では、「マービン・バウワーがビジネスの世界に進出したことは、世界の企業経営に計り知れない波及効果があった」として、「マービンはコンサルティングの仕組みを作り、理念を掲げ、それを職業として確立し、世界中の経営者に影響を与えた」と述べています。
 そして、マービンが、「クライアントを、そしてファームを支えるパートナーをあくまで大切にするという価値観にこだわる姿勢は度外れ」であったとして、「サービスを提供する組織というものは単に能力と経験だけでなく、構成員の行動と姿勢が問われるのだと固く信じていた」と述べています。
 第2章「ビジョン」では、マービンが、「わるいのは上下関係であり、上への服従あるいは盲従だ」と考え、「CEOが必要とする知識の多くは最前線の現場に埋もれている」ことを知ったマービンが、「CEOを助けることを任務と心得、社内の知識や情報からトップを遮断している障壁を無くすべきだとアドバイス」したと述べ、「組織や運営の事となると、助言してくれる専門会社はどこにもなかった」当時、「そうした助言を与える仕事を経営コンサルティング」と名づけたが、後から聞いた話では、「経営に関するコンサルティング」と名づけたかったそうであると述べています。
 第3章「プロフェッショナル・ファーム」では、マービンが、経営コンサルティングを、「一つの職業であり、医師や弁護士と同じく、評判を確立しクライアントを獲得するには高い職業規範が必要だと考えていた」として、「クライアントの利益を最優先し、職業倫理を護り、真の価値を提供できる仕事に専念する。また顧客に常に真実を話すことによって独立性を維持することである」という規範を掲げたと述べています。
 そして、マッキンゼーのビジョンとして、
(1)全国展開する。
(2)ファームとしてのアイデンティティを確立する。
(3)高い専門能力をもつ意欲的な人材を集めて育てる。
(4)自己満足をいましめ、常に外部要因に注意を払う。
(5)リーダーを育てる。
の5つの項目を掲げたと述べています。
 また、マービンがマッキンゼーのアイデンティティとして、
(1)プロフェッショナルとしてのリーダーシップ
(2)共通の問題解決アプローチ
(3)実行の重視
の3点を考えていたと述べています。
 そして、マービンが、「プロフェッショナルが価値を置くのは金銭ではない。金銭的利益を無視するわけにはいかないが、それを目標にしてはならない」ということを口癖にしていたことを紹介しています。
 さらに、マービンが提唱する「プロフェッショナルとしてのリーダーシップ」として、
(1)顧客の利益を最優先する。
(2)つねに耳を傾ける。
(3)事実に立脚する。
(4)行動に結びつける。
(5)各人に最善を尽くさせる。
(6)職業倫理を徹底させる。
の6項目にまとめています。
 また、「優秀な人間をひきつけるには、そこで働くことに誇りを持てるような組織文化がなければならず、また経営コンサルティングという職業が価値ある職業でなければならない」と述べていることを紹介しています。
 さらに、マービンが87歳のときの理事会で収益性改善が問題になったとき、「プロフェッショナル・ファームの人間は、どうすれば収入を増やせるかを論じるべきではないと思う。ファームのディレクターやパートナーが論じるべき唯一の議題は、どうすればクライアントによりよいサービスを提供できるか、ということだ。よりよいサービスを提供できれば収入は増える。だが収入にこだわったらクライアントを失い、結局は収入も失う」と語ったことを紹介しています。
 そして、「よきリーダーシップ」について、1955年の講演で、「リーダーであることを命令指揮することと勘違いするようなリーダーがいたら、チームワークは乱れて」しまう、として、「企業を経営するとは次の経営者を育てること」に他ならず、「次世代のリーダーを生み出す土壌を豊かにすることは、競争優位、事業規模、利益のすべての面で企業自体の成長を促すことにつながるから」と語っていることを紹介しています。
 第4章「リーダーの決断」では、マービンが唱え続けた「共通のアイデンティティの確立」について、「ワン・ファーム」というコンセプトとして、
(1)経営コンサルタントという新しい職業を定着させ尊敬を勝ち得るために、プロフェッショナルのイメージを打ち出した。
(2)主要都市に構えたオフィスに、中央から指揮命令して足並みを揃える代わりに、各オフィスに自主運営・自由裁量の余地を与え、しかも統一性を保つために、ワン・ファームのコンセプトを浸透させた。
(3)クライアントへのサービス提供に一貫性を保つために、トレーニングと同時に一定のガイドラインを定めた。
(4)マッキンゼーというブランドのイメージを確立したいと考えていた。
の4点を挙げ、マービンが服装に関してはなかなかうるさく、「各人はプロフェッショナルらしい服装をしなければならないというだけでなく、ビジネスの世界で違和感のない服装、悪目立ちしない服装をするように指導された」と述べています。
 そして、マッキンゼーが株式公開をすることになった際には、「株式公開で巨万の富を得ようとするどころか、正反対の挙に出る」として、「遠い将来を慮り、保有株をパートナーに簿価で(時価ではない)譲渡した」、「それによって、健全な財務基盤を持つ公正で独立したプロフェッショナル・ファームとして、マッキンゼーを恒久的に存続させようとした」と述べ、マービンのこの行為が、「当時のパートナーからは称賛を、次世代のパートナーからは深い尊敬を集めている」と述べています。
 著者は、「1939年にマッキンゼーを買い戻してから正式退職する92年までの長いキャリアを通じて、マービンはリーダーシップの生きた手本だった。正しい決定を下し実行することをマービンは身をもって示し続けた」と述べています。
 第5章「リーダーシップ」では、マービンが示したリーダーとしての素質について、
・誠実さ
・現実的
・高い規範
・他人の尊重
・コミュニケーション能力
・配慮と検診
の6点を挙げています。
 そして、マービンが、「企業を動かすのは人であり、したがって企業は民主的な組織であるべきで、その中では自由な競争が行われなければならない」と固く信じていたことを紹介しています。
 第6章「改革の勇気」では、クライアントとチームを組んで問題解決に取り組むときに、マービンが決まって経営者に言うこととして、「リーダーとして、何かを変える勇気を社員に与えなさい」という言葉を紹介し、「マービンは、企業のトップを相手に組織改革のコーチングを行っていた」と述べています。
 また、ハーバード・ビジネススクールの改革に取り組んださいには、ビジネススクールの卒業生がリーダーシップを発揮できているか、をフォーチュン500社のトップ25社から話を聞くことにし、このインタビューに同行したスティーブ・ウォーレックは、マービンから、「この仕事から何を学んだかな」、「君の今後のキャリアで大いに役立つことだ」と訊かれ、「フォーチュン25社のCEOとあって話ができたということ」だと答えたことを紹介しています。
 第7章「マービン・スクール」では、マービンが、「人を育てることを第一に組織を設計」し、「仕事を共にした部下やクライアントに多くの影響を与え、それがまた受け継がれていった」として、「言わば『マービン・スクール』である」と述べています。
 そして、「マービン・スクール」の卒業生の中から、
・アメリカン・エキスプレスのハーベイ・ゴルフ
・イリノイ州の福祉改革を推進したギャリー・マクドゥガル
・広告代理店オグルビー&メイザーの創始者デービッド・オグルビー
の3人を取り上げて紹介しています。
 このほかの卒業生の中では、IBM会長のルイス・ガースナーが、「ビジネスに関してマービンから教わったのは、行動規範の大切さだ。しっかりとした規範を浸透させることは、規則で縛るよりずっと効果がある。とりわけコンサルティングのようにナレッジベースの組織では、そうだ」と語っていることを紹介しています。
 著者は、本書の最後に、マービン自身の言葉として、
「企業というシステムには人を育てる働きがある。私には、このシステムをよりよいものにする義務があると感じている。自分の経験を他に人に伝えようとするのはこのためだ」
という言葉を紹介しています。
 本書は、「経営コンサルティング」そのものを生み出した人物が何よりリーダーシップそのものを体現した人物であることを伝える一冊です。


■ 個人的な視点から

 何より共感したのは、マービンの高潔な人柄です。日々仕事をする中で、ミッションに忠実にあろうとすると、現実には、上司からの薄笑いに遭って凹むこともたびたびあろうかと思いますですが、そんなときにも勇気と希望を与えてくれる一冊です。


■ どんな人にオススメ?

・職場の現実に屈せずに、高く理想を持ち続けたい人。


■ 関連しそうな本

 若松 茂美, 織山 和久, 上山 信一 『変革のマネジメント―明るい「リストラ」を考える』 2005年08月10日
 チャールズ オライリー , ジェフリー フェファー (著), 広田 里子, 有賀 裕子 (翻訳), 長谷川 喜一郎 『隠れた人材価値―高業績を続ける組織の秘密』 2005年02月03日
 エティエンヌ・ウェンガー, リチャード・マクダーモット, ウィリアム・M・スナイダー, 櫻井 祐子 (翻訳), 野中 郁次郎(解説), 野村 恭彦 (監修) 『コミュニティ・オブ・プラクティス―ナレッジ社会の新たな知識形態の実践』 2005年08月25日
 上山 信一 『だから、改革は成功する』 2005年11月2日
 モーガン マッコール (著), 金井 壽宏, リクルートワークス研究所 (翻訳) 『ハイ・フライヤー―次世代リーダーの育成法』 2005年08月09日


■ 百夜百マンガ

新 ど忘れ日本政治【新 ど忘れ日本政治 】

 政治家の漫画を描かせたら当代随一の漫画家。源さんが政治漫画になっちゃったと思っていたら、作者自身、政治漫画をメインにするようになってしまいました。

2008年8月19日 (火)

公会計改革―ディスクロージャーが「見える行政」をつくる

■ 書籍情報

公会計改革―ディスクロージャーが「見える行政」をつくる   【公会計改革―ディスクロージャーが「見える行政」をつくる】(#1307)

  公会計改革研究会
  価格: ¥1,890 (税込)
  日本経済新聞出版社(2008/02)

 本書は、「公会計改革とディスクロージャーを車の両輪として、地方自治のいっそうの充実を進めて」いくことを目的としたものです。
 第1章「公会計改革の視点」(神野直彦)では、「『改革(reformation)』とは本来の姿に戻すこと」であるとして、「『公会計改革』も本来の目的を問い、公会計の本来の姿を追求していく必要がある」と述べています。
 そして、「政府にとって決算の意味は、社会の構成員の決定どおりに執行したことの承認を得て、予算の執行責任を解除してもらうことにある」として、「決算の意義は、決算を審議することで明らかにされた事実について、政治的責任を選挙などで問うことができるようにすることにある」と述べています。
 また、「企業の財務会計で発生主義を採用し、減価償却を実施するのは、利潤を確定することにある」が、政府は「利潤を確定する必要はない」ため、「政府という経済主体では、発生主義を導入して利潤を確定することには意味がない」が、「それにもかかわらず現金主義では財政状況が的確に把握できず、公会計に発生主義を導入すべきだと主張される背景には、政府機能の拡大に伴い租税という市場を通さない収入ではなく、市場を通した収入が増加していることがある」ことを指摘しています。
 第2章「自治体の経営改革を統括する」(上山信一)では、「筆者自身の官民双方における実体験をもとに、行政が企業経営にどこまで学べるのか、またその際に評価とディスクロージャーがどういう役割を果たすのか」を考えるとしています。
 そして、わが国のNPMが、「1990年代半ば以降に主に自治体に導入され、実践されてきた」、「3人の首長によって日本でもNPMが始まった」として、
・94年11月:逢坂誠二・ニセコ町長(現衆議院議員)
・95年4月:北川正恭・三重県知事(現早稲田大学大学院教授)
・95年4月:増田寛也・岩手県知事(現総務大臣)
の3人を挙げ、「いずれも従来型の与野党相乗り型選挙とは一線を画した選挙を経て当選した」共通点を指摘しています。
 また、2005年から2007年にかけての関市長時代の大阪市の行政改革について、
(1)徹底した情報公開
(2)改革の方針を具体的に公文書に記述した
(3)個別具体の事業の中身が民間企業の経営分析手法を使って解明された
(4)財政問題について単年度収支だけでなく、負債と資産のバランスを視野に入れた財政再建策を立てた。
の4つの要素を挙げています。
 著者は、これからの自治体経営にとって重要になる課題として、
(1)これからは積極的な情報公開が改革を進めるパワーソースとなる。
(2)改革にあたって公開すべき情報の中身を進化、あるいは深化させなければならない。
(3)行政情報を外から評価する"情報市場"の整備が必要である。
の3点を挙げています。
 第3章「都市・自治体マネジメントの創造」(大住荘四郎)では、自治体のマネジメントの意思形成に共通するアプローチ手法として、
(1)マーケティング的アプローチ:組織の外部環境に着目し、住民のニーズや外部の期待を正確に抽出することで、地域・都市マネジメントからみたビジョン(将来像)や公共サービスの設計を目指す。
(2)戦略的アプローチ:組織を取り巻く外部環境の変化を組織のミッションとの関係で把握し、組織のあるべき姿(ビジョンとゴール)を導き、それらを実現するための施策体型へのリンケージを図る。
(3)組織論的アプローチ:急激な環境変化に適応できる柔軟で活力ある組織づくりを目指す。
の3つのアプローチを紹介しています。
 また、「地域の潜在的な人材・地域の資源を活かし、地域の発展や公共サービスの確保のための多元的な都市・地域マネジメント像」の潮流を、「NPS(New Public Service=ニュー・パブリック・サービス)」と呼ぶこともあることを紹介しています。
 第5章「公会計改革と総務省方式改訂モデル」(森田祐司)では、
「自治体経営に必要な情報は、現金主義や発生主義で表される財務情報だけではない」として、「過去情報と将来情報」、「財務情報と非財務情報」の2つの切り口によって、
・行政評価(過去情報・非財務情報)
・マニフェスト・総合計画(将来情報・非財務情報)
・財務諸表(過去情報:財務情報)
・予算・財政計画(将来情報:財務情報)
の4つに分類しています。
 第7章「自治体がディスクロージャーをする意義」(石原俊彦)では、「自治体の行政経営改革における会計(学)の重要性を、事務事業評価と管理会計、ディスクロージャー(情報開示)、ならびに、財務会計の視点から考察する」としています。
 そして、わが国の自治体で採用されている事業別予算の克服すべき欠点として、
(1)事業別予算が、人件費を含めたフルコストの事業予算になっていない。
(2)事業別予算における「事業」を、財政計画上の事業名としているケースがほとんどで、財政計画上の事業名と総合計画から演繹された実施計画の事業名に必ずしも関連していない。
(3)「目」の下で個別の事業名が設定されている関係で、款・項・目を跨いだ複数の事業を統合した事業レベルでの予算額を集計することが困難になっている。
の3点を挙げています。
 また、「自治体の行財政改革を積極的に展開する際の『足かせ』」として、「各自治体の財政か職員の意識改革の遅れ」を挙げた上で、「バランスシートを作成する目的は、ほぼ財政課職員しか理解できていない自治体の財政構造を、民間企業流の決算書で整理し、それを住民に公表することで、より積極的な情報公開を行うことにある」と述べています。
 第8章「情報公開と市民参加の自治体経営」(福島浩彦)では、「これまでの公共は『官が支配する公共』だった」とした上で、「これからは地域のコミュニティの中で、公共を担う民の主体を限りなく豊かにすることによって、公共はより充実させ大きくしながら、役所はより効率的で小さなものにしていく、という視点が大切」だと述べています。
 そして、議会の役割は、「市民の合意を作り出すこと」と「行政の監視」の2つがあるが、「多くのいj地帯議会は、市民の合意形成の仕事は首長(執行部)に任せ、議会は要望と最後の決定だけを行っている」ことを指摘し、「この『市民の合意を作り出すこと』は、立法機関としての議会の最も重要な仕事だ」と述べています。
 第10章「求められる地方自治体のアニュアルリポート」(小林麻理)では、米国において、「公会計基準審議会(GASB)」が設定した、「地方政府の財務報告に関する基本原則」にならい、わが国においても、「統一的な財務報告モデルとして自治体アニュアルリポートのフォームを確立し、アカウンタビリティを履行することが喫緊の課題である」と述べ、「自治体財政の透明性の実現のみならず、すべてのユーザーに対して、期間比較、相互比較、標準比較を行なって企業の財務分析をするのと同じ環境を自治体財政について提供すること、比較可能性を高めるとともに情報共有の有用なメディアとして機能することにこそ意義がある」と述べています。
 本書は、テクニカルな会計論にとどまらず、自治体のガバナンスそのものを考えるきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 こういう「~研究会」名義の共著ものの場合、人によって言っていることが180度違ったり、逆に同じような論調過ぎてつまらなかったりと、結構当たり外れが大きいものですが、本書は、公会計を軸に、さまざまな論調が適度に分かれていてお買い得ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・地味ではある公会計が実は重要だということを知ってしまった人。


■ 関連しそうな本

 桜内 文城 『公会計革命―「国ナビ」が変える日本の財政戦略』 2005年02月28日
 山本 清 『政府会計の改革―国・自治体・独立行政法人会計のゆくえ』 2007年04月24日
 石原 俊彦 『地方自治体の事業評価と発生主義会計―行政評価の新潮流』
 石原 俊彦, INPMバランススコアカード研究会 『自治体バランス・スコアカード』 2005年11月01日
 ポール・R. ニーヴン 『行政・非営利組織のバランス・スコアカード―卓越した組織へのロードマップ』 2006年07月12日
 ロバート・S. キャプラン, デビッド・P. ノートン (著), 吉川 武男 (翻訳) 『バランス・スコアカード―新しい経営指標による企業変革』


■ 百夜百マンガ

赤胴鈴之助【赤胴鈴之助 】

 第1回目だけは『イガグリくん』の福井英一が書いていますが、売れっ子の多忙がたたった福井の急逝によって、作者が交代しています。
 最近では、『代打屋トーゴー』で知られる、たかもちげんの死後、アシスタントが連載を引き継いだ例があります。

2008年8月18日 (月)

プロ法律家のクレーマー対応術

■ 書籍情報

プロ法律家のクレーマー対応術   【プロ法律家のクレーマー対応術】(#1306)

  横山 雅文
  価格: ¥756 (税込)
  PHP研究所(2008/5/16)

 本書は、「苦情・クレームに名を借りて、執拗に不当な要求や嫌がらせを繰り返す人々」である「悪質クレーマー」を、いくつかのタイプに分類して、「それぞれのタイプの特質を指摘すると同時に、その特質に即して対処のポイントの解説」を行っているものです。
 第1章「悪質クレーマーに潰される!」では、悪質クレーマー増加の背景として、
(1)消費者保護関連法の施行による権利意識の高揚
(2)度重なる企業不祥事とそれに対する一般社会の激烈な反応
(3)インターネットの普及によって一般人でも企業・行政に対する攻撃が可能となったこと
の3点を挙げています。
 そして、「従業員の精神的健康のため、また善良な顧客に対するサービスの質を落とさないために、顧客と悪質クレーマーとは峻別して対応すべき」だと述べています。
 第2章「顧客? それとも悪質クレーマー?」では、「顧客として扱うか、悪質クレーマーとして対応するかの判断」のポイントとして、
(1)クレームの原因に法的根拠はあるか
(2)損害は発生しているのか
(3)クレームの原因と損害に因果関係はあるか
(4)損害と要求の関連性はあるか
(5)クレーマーの行為は適法か
の5点を挙げています。
 第3章「悪質クレーマーの4タイプと対応の基本」では、悪質クレーマーのタイプを、
(1)性格的問題クレーマー:自己保身には敏感
(2)精神的問題クレーマー:突発的な加害行為に要注意
(3)常習的悪質クレーマー:具体的な事実を根掘り葉掘り聞く
(4)反社会的悪質クレーマー:決して秘密を共有しない
の4つのタイプに分け、それぞれについて「対応の基本」を示しています。
 第5章「悪質クレーマーの術中にはまるな」では、企業の担当者の悪質クレーム対応が、「悪質クレーマーの術中にはまっている」と見られるケースについて、「企業側に、クレーマーの要求が不当要求か否かを判断する手順が確立されておらず、不用意な行為をしてしまうことによって、悪質クレーマーのペースに乗せられていくことが原因」だと述べています。
 また、「製品の欠陥による回収・交換の新聞広告が出ると、必ず、架空の被害を申告して金銭を得ようとする悪質クレーマーが出てくる」と述べています。
 第6章「クレーマーに言質・念書を取られるな」では、「クレーマーに念書を取られる要因のほとんどは、迫力負けによる混乱と長時間の拘束、いわゆる軟禁状態」であるとした上で、これを避けるコツとして、「自分には決裁権はないが、事実調査については自分が責任者である」ということを常に念頭において、事実関係の確認に集中することだと述べています。
 また、「裁判官は書面重視」であり、「特に書いたほうが不利になる内容の書面」、本章で紹介されている事例のような「賠償約束の念書などがあるのであれば、それは、ほとんど決定的」だとして、「裁判は、常に事後的判断」であると述べています。
 第7章「悪質クレーマーの犯罪行為」では、「悪質クレーマーの迷惑行為が犯罪を構成する場合を具体的事例を挙げて説明」しています。
 そして、「苦情の受付担当者の使命は、事実の確認に尽き」ると述べたうえで、「悪質クレーマーと判断するには、クレーマーの要求を明確にすること」だと述べています。
 第8章「企業不祥事が起こったときのクレーム対応」では、企業不祥事発生時に、直接の原因以外にクレームがふえる原因として、
(1)不信感による消費者の被害意識の拡大
(2)常日頃の製品・サービスに対する不満
(3)一般消費者からのご意見的なクレーム
(4)同業他社の不祥事の影響によるクレーム
(5)不祥事企業に対する嫌がらせ・いたずら
(6)弱みにつけ込んだ架空請求・過剰請求などの不当要求
の6点を挙げています。
 第9章「悪質クレーマー対応の7つの鉄則」では、「悪質クレーム対応の7つの鉄則」として、
(1)まずお詫びから:謝罪の言葉と、過失や法的責任の有無とはまったく別の問題
(2)事実の確認を潜行させる:損害額の査定など、責任を前提とした行為は、事実確認が確定するまでしてはならない
(3)感情的な対応は厳禁:人間は、その対象を分析する姿勢に立つことで、その対象が原因で感情的になることを回避することができる
(4)堂々巡りになったときが最初のポイント
(5)文書による最終回答・交渉窓口を弁護士に移管する通知を送る
(6)加害行為には素早い仮処分と刑事告訴で対応
(7)悪質クレーム事例を記録して対応の指針とする
の7点を挙げています。
 第10章「今後の課題」では、「弁護士費用は悪質クレーマーのもたらす損失よりはるかに安い」ことを解説しています。
 本書は、クレーマーの矢面に立たされている人はもちろん、潜在的なクレームのリスクを抱える多くの人にとって読んで損はない一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、弁護士が登場しないと収まらないような「病状」の重たいケースを中心に取り上げているので、日々のクレーム処理をどううまく対応するか、というニーズには直接的には対応していません。
 しかし、1万件に1件でも、致命的なクレーム処理のミスがあったときのことを考えると、悪質クレーマーへの対処方法は身につけておいて損はないのではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・悪質クレーマーに怯えている人。


■ 関連しそうな本

 吉野 秀 『お客さま!そういう理屈は通りません』
 関根 眞一 『となりのクレーマー―「苦情を言う人」との交渉術』
 川田 茂雄 『社長をだせ!―実録クレームとの死闘』
 吉野 秀 『クレーマー・シンドローム―「いちゃもん化社会」を生き抜く交渉術』
 援川 聡 『超プロがついに明かすクレーマーの急所はここだ!―どんな問題もすべて解決』
 森山 満 『企業のためのクレーム処理と悪質クレーマーへの対応 改訂版』


■ 百夜百マンガ

軽井沢シンドローム【軽井沢シンドローム 】

 リアルタイムで経験する世代ではなかったのですが、この作品に刺激されてカメラを手にした人は少なくないのではないかと思います。

2008年8月17日 (日)

非線形科学

■ 書籍情報

非線形科学   【非線形科学】(#1305)

  蔵本 由紀
  価格: ¥735 (税込)
  集英社(2007/9/14)

 本書は、「非線形科学の『定石』をごく平易な言葉で語り、それを通して、この科学の全体像を浮かび上がらせよう」とするものです。
 著者は、「自然は複雑で柔らかな構造」を持っており、「それにすなおにフィットするような科学が今求められている」として、「そうした自然の記述方法を、非線形現象の科学はさまざまに提供して」北と述べています。
 「プロローグ」でjは、「非線形の問題というのは実に広く、現代物理学のフロンティアはほとんど例外なく非線形の問題に立ち向かっている」とした上で、「非線形科学」と呼ばれるものは、「これよりかなり限定された意味」を持つとして、
(1)動きを含んだ現象にもっぱら関心を寄せる。
(2)現代物理学がともすれば軽んじてきたマクロ世界の現象に強い関心を示し、そこが主戦場になっている。
の2点を挙げた上で、非線形科学を、「生きた自然に格別の関心を寄せる数理的な科学」とみなしてはどうかと述べています。
 第1章「崩壊と創造」では、1970年代初頭に、「まだ荒地に小道が切れ切れに散在する程度の未開拓な分野」であった非線形現象の科学において、「そのころ偶然に出会った一冊の本が、図らずも研究者としての私のその後の人生を決定づけること」に鳴ったとして、パウル・グランスドルフとイリヤ・プリゴジンによる『Thermodynamic Theory of Structure, Stability and Fluctuations (邦訳『構造・安定性・ゆらぎ―その熱力学的理論―』)を紹介しています。
 そして、どう所の著者の一人であるプリゴジンが打ち出した「散逸構造」という画期的な概念について、「エネルギーの絶え間ない散逸の中から立ち現れる構造を意味する『散逸構造』は、その逆説性もあってでしょうか、鮮烈な印象を人々に与え」たと述べ、「萌え続ける蝋燭が、燃焼によって生じるエントロピーを空気中に排出し続けることで炎という構造を維持するように、エントロピーが絶えず外部世界に排出され続ける限り駆動力は維持され、システムは平衡からはなれた状態を保つこと」ができ、「そこから生じるさまざまな形や運動を、プリゴジンは散逸構造と名付けた」と解説しています。
 著者は、「エネルギー保存の法則とエントロピー増大の法則の立場から世界を見直してみると、見慣れた身辺のさまざまな現象が新しい意味を帯びて」来るとして、「変転する自然を貫く一本の太い軸が見えてくる」と述べています。
 第2章「力学的自然増」では、「対流現象の中でも特に熱対流現象と呼ばれるものに注目」し、「この特別の減少を例に取りながら、科学者たちは非線形現象を理解するために、どのような姿勢で挑み、どのようなアプローチを試みて来たのかについて」述べています。
 そして、「温まった流体の浮力によって引き起こされる熱対流現象」である「レイリー・ベナール対流」を取り上げ、「このような線形理論だけでは、不安定になった結果、どのような流動状態が生じるかについては何も」言えないという困難について、非線形科学がとってきたアプローチとして、
(1)コンピュータ・シミュレーション
(2)粗っぽくいえば「物離れ」した立場
(3)分岐理論、あるいはもっと広く、分岐理論を一つの柱とするいわゆる縮約理論
の3点を挙げています。
 第3章「パターン形成」では、熱対流現象と並んで、非線形現象の科学を進展を牽引してきたもう一つの物理現象として、「ベルーソフ・ジャボチンスキー反応」(BZ反応)の名で広く知られる化学反応を取り上げ、「物質の濃度が時間とともに周期的に変動しながら化学平衡に近づいていく化学反応として、最初に注目されたもの」と解説しています。そして、「化学反応が振動する」ということ自体の魅力に加え、「ペトリ皿の中で実験を行うと反応液が不思議な模様を描き、それがゆっくりと成長発展するという事実」をもう一つの大きな魅力として挙げています。
 第3章「パターン形成」では、「均一な状態は拡散の効果によってかえって不安定化し、不均一なパターンが生じうる」という現象について、「拡散に誘導された不安定性」または「チューリング不安定性」と呼ばれている現象であると述べ、「キリンやシマウマや貝殻などをいると、その表面に自然が描いた美しい模様は、チューリング・パターンと関係があるのではないか」と思うとして、1995年に理化学研究所の近藤滋氏らが「ある種の熱帯魚に見られる縞模様がチューリングの機構に基づいて説明できること」を示したことを紹介しています。
 また、「流体力学の方程式にせよ、化学反応と拡散過程が絡んだ方程式(反応拡散方程式)にせよ、これら非線形な運動方程式をまともに扱うことは一般に極めて困難」であるため、「ある方針に従って非線形の発展方程式を扱いやすい形に変形する」ことである「縮約」と呼ばれる考え方が必要になると述べています。
 第4章「リズムと同期」では、「私たちの身のまわりには、実にさまざまなリズムがある」が、「そのような、力学モデルによるアプローチが難しい場合」に、「「リズムの発生機構側からないならわからないなりに、その先にある高次の自己組織化現象に取り組めるのが非線形科学の魅力の一つ」であると述べ、リズムとリズムが出会うと起きる「同期」という現象について、「二つのリズムが相互作用すると、周期がぴたりと一致して歩調関係は少しも乱れない、ということが起こる」と解説しています。
 そして、「最も劇的な集団同期の例」としてしばしば取り上げられる「ホタルの集団における発光の同期」を取り上げています。
 第5章「カオスの世界」では、「カオスの発見は何といっても非線形科学の展開における最大のできごと」だったとして、「そのインパクトは強烈で、あたかも安定していた足下の地面が突然ぐらぐらと揺らぎ始めたか」のようであったと述べています。
 そして、「生態系のダイナミクスも実際には多数の複雑な要因が絡んでいる」にはちがいないが、「二次写像モデルの複雑な振る舞いは、ローレンツ・モデルのそれと同様に、『現象の複雑さを、直ちに多くの要因が絡むことによる複雑さと考えてはならない」という警告」を与えてくれると述べています。
 第6章「ゆらぐ自然」では、「十分に発達したブロック内部のゆらぎ、すなわち臨界状況で物質内のゆらぎを特徴づけるキーワードは、平均値や分散や中心極限定理にかわって自己相似性やベキ法則」であると述べ、「自己相似性はベキ法則と密接に関係している」と解説しています。
 そして、「ベキ法則で記述されるような、特徴的なスケールを持たない対象として、スケールフリー・ネットワークと呼ばれるもの」を取り上げ、「スケールフリーとはまさしく特徴的なスケールを持たないという意味」であると解説しています。
 また、ワッツとストロガッツによる「スモールワールド・ネットワーク」のモデルやバラバシによる「スケールフリー性をもつネットワーク」などについて解説しています。
 本書は、われわれの生活に深い関わりをもつ「非線形科学」をわかりやすく解説した入門書としてお薦めの一冊です。


■ 個人的な視点から

 生物学だったり社会科学だったりと「科学」と名の付くさまざまな分野で「非線形」の科学が新しい流れを作り出しているような気がします。とは言え、『構造・安定性・ゆらぎ―その熱力学的理論―』が1970年代初頭ということは、もう40年近く経つわけですが、ようやくメインストリームに大きな影響を出すようになったということなのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・「科学」と聞くと、方程式と実験を思い出す人。


■ 関連しそうな本

 蔵本 由紀 『新しい自然学―非線形科学の可能性』 2006年12月03日
 スティーヴン・ストロガッツ (著), 蔵本由紀, 長尾力 (翻訳) 『SYNC』 2006年04月10日
 都甲 潔, 林 健司, 江崎 秀 『自己組織化とは何か―生物の形やリズムが生まれる原理を探る』 2006年05月13日
 スティーブン ジョンソン (著), 山形 浩生 (翻訳) 『創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク』 2006年02月25日
 マーク・ブキャナン (著), 阪本 芳久 (翻訳) 『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』 2005年12月21日
 アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日


■ 百夜百音

アナタボシ【アナタボシ】 MilkyWay オリジナル盤発売: 2008

 『きらりん☆レボリューション』という作品自体は知ってましたが、ここまで徹底的にメディアミックスしたものだとは思いもよりませんでした。
 とにかく頭にグルグルと残る曲です。
 グルグルと言えば、3人で肩に手を置いてグルグル回るのは異国情緒あふれる振り付けだと思います。

2008年8月16日 (土)

したたかな生命

■ 書籍情報

したたかな生命   【したたかな生命】(#1304)

  北野 宏明, 竹内 薫
  価格: ¥1680 (税込)
  ダイヤモンド社(2007/11/16)

 本書は、「世界をロバストネスの観点から眺めることにより、世界は生命の躍動としてとらえられ、通常は生命とは無関係だと思われている『組織』も、ある種の生命法則と同じように『進化』していることがわかるようになる」ものです。
 著者は、「ロバストネス」(=強靭さ)とフラジリティ(=脆弱さ)は、「あらゆるシステムの表と裏の顔」だと述べています。
 第1章「したたかに生きる強さの条件」では、「分子の集合体からなるシステムの構成原理、基本原理は何かという問いに答える」溜めの「システムバイオロジー」という研究分野について、「システム論的な生物学への新たな興味は、システム論からの流れ、代謝工学からの流れ、ゲノムサイエンスからの流れ、計算科学・複雑系からの流れが折り重なったということに特徴がある」と述べています。
 そして、「生命現象を理解するには、遺伝子やタンパク質を理解することは必須」だが、「それらがどのように相互作用し、そのネットワークが、どのような動作原理で挙動するのかがわからなければ、その生命現象の理解は困難」だと述べた上で、システム生物学の「システム」の理解のレベルとして、
(1)システム構造理解
(2)システムダイナミクス理解
(3)システム制御理解
(4)システム設計理解
の4つのレベルを挙げています。
 また、「生命のシステム・レベルでの理解につながる思考の枠組み」として、「生物の色々な局面で観察され、部品個別の機能では説明できない現象」について、「生物が、いろいろな擾乱に対してその機能を維持し続けることができる現象」を挙げ、「多くの種では、幅広い擾乱に対して、対応できる能力を有して」いるという特徴を、「ロバストネス(Robustness)」と呼んでいることを紹介し、本書が、「このロバストネスという概念を用いて生物や組織などのシステムをより深く理解するという試みを展開」するものであると述べています。
 さらに、「複雑なシステムのロバストネスを向上させる方法」として、
(1)システム制御
(2)対故障性
(3)モジュール化
(4)デカップリング(バッファリング)
の4点を挙げています。
 第2章「強くなればなるほど弱点が生じる」では、「すべての擾乱にロバストなシステムは存在しない」として、「ロバストネスとフラジリティの関係というのは表裏一体で、どこかをロバストにすれば、必ずどこかにフラジリティが出てくる」というトレードオフが存在し、「このトレードオフは永遠に解決」しないと述べています。
 さらに、トレードオフは、「ロバストネスとフラジリティの間だけではなく、パフォーマンス(性能)とリソース(資源)までも含んだ関係」があるとして、「この4つがまさに『四つ巴』になる」と述べています。
 そして、糖尿病をロバスト・システムの脆弱性という観点から理解するとして、われわれの身体が、「エネルギー消費が激しく、感染症の多い環境に対してロバストになるように進化してきた」と考えられるとした上で、進化的なタイムスケールでは、「マクロな敵(捕食者)とミクロの敵(感染症)との戦いに有利になるような適応をしてきた」ため、「どのような場合にでも、中枢系と免疫系の機能を維持することが最も重要」であったと述べ、「進化的に見ると、インスリン抵抗性は疾病ではなく、通常の生理学的機能であり、感染などに対する生態のロバストネスを実現する機構である」と考えられるが、「ヒトが生きる環境が急激に変わってしまった」結果、「血中のグルコースレベルが高いままでいるので、糖毒性や高インスリン血症などによって引き起こされる血管障害になる」と解説しています。
 第3章「ロバスト・システムとしての癌」では、「癌がいろいろな治療に対してロバストに対応する現象」について、癌のロバストネスの原因として、
(1)細胞内のフィードバック・ループやシグナル伝達系の多様性
(2)腫瘍微小環境でのフィードバック(tumor microenvironment feedback)
(3)癌細胞の遺伝的多様性
の3点を挙げた上で、「これらのメカニズムによって、癌は非常にロバストなシステムになってしまった」と述べています。
 また、抗癌剤の開発において、「癌細胞に選択的に効果を及ぼし、正常細胞には副作用を与えないという『選択性』をいかに確保するか」が重要であるが、「多くの抗癌剤では、高い選択性を実現できていない」として、「ヒトの大規模タンパク質相互作用データを利用した研究」が進んだ結果、「多くの疾患の原因タンパクはネットワークの周辺部分に存在するのに対して、癌関連因子はネットワークの中心部」であり、「非常に多くの分子と相互作用するネットワークの構成要素」である、「ハブ」であることが明らかになったと述べています。
 そして、「一つの可能性」として、「ハブやボトルネックとなっている因子をターゲットにしないで、多くの因子をターゲットにする戦略」を挙げた上で、「問題は、ロングテールの部分にあるターゲット単独では、大きな効果を及ぼさないであろうということ」であると述べています。
 第4章「遺伝と共生をつなぐ進化のシステム」では、「進化可能性とロバストネスは密接に関連していて、進化とロバストネスは切っても切れない関係」のようだと述べ、生物が進化する際には、
・突然変異などの遺伝的な変化が引き起こされる必要
・その結果として、新しい形態が出現し、集団中に広まっていく必要
の両方が必要であるとして、
(1)致死的ではない突然変異が生じる可能性があることが必須
(2)変異は致死的である可能性があるので、できるだけ少ない数の変異で新たな有利な表現型が生み出されうる
の2つが必要であると述べています。
 そして、「少ない回数の突然変異で新たな表現型を生み出すことに関わりがありそうなメカニズム」として、「モジュール化」を挙げた上で、「ホメオティック遺伝子(Homeotic Genes)の出現」と、「それを含むショーン・キャロルがいうところの『進化のツールボックス』の出現」という2つの「進化的な飛躍」が、モジュール化を可能にしたと解説しています。
 また、「生物の生命現象を担う分子間相互作用ネットワークの構造」において、「コアを中核とした重層構造をもつ進化戦略」として、「蝶ネクタイ構造」(Bow-Tie Architecture)のネットワークが見えてくると述べ、「進化の過程で、シグナル伝達系が多様化する場合に、安定的に保存されているコア・ネットワークに接続することで、新しい刺激やより詳細な刺激の弁別に対応できる可能性」を示唆しています。
 著者は、「進化可能性とロバストネスのメカニズムは、システム上の要求としては同じことが要求されているのではないか」として、「ロバストネスが進化可能性を促進し、進化のプロセスでその環境に対してよりロバストネスの大きい個体が選ばれやすいという相互関係がある」と述べています。
 そして、「ロバストネスという視点から生命を見ていくと、生命の多様性や進化が別の角度から理解できる」として、「このような概念体系の構築は、ようやく始まったばかり」だが、「いずれ非常に豊饒な概念・理論体系が構築され、生命システムなど、複雑で進化可能なシステムに深い理解に達するのではないか」と述べ、「その中での中核概念であるロバストネス・トレードオフは、複雑で進化可能なシステムが内含する本質的な相克として、生命の物語の中心的モチーフになるのではないか」と述べています。
 本書は、生命や組織が持つ「したたかな」頑健さに対する理解を深めるきっかけを与えてくれる一冊です。

■ 個人的な視点から

 進化と糖尿病の話は『迷惑な進化』にも出てきた話なので読みやすかったですが、一番面白かったのは、ロバストネスという観点から見た癌の話でしょうか。病気として治りにくい、ということは、癌がそれだけロバストであるということですが、こんなところでネットワーク理論に出くわしたのが驚きでした。


■ どんな人にオススメ?

・生命の強さの仕組みを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 竹内 薫 『99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』 2007年06月16日
 北野 宏明 『システムバイオロジーの展開―生物学の新しいアプローチ』 
 児玉 龍彦, 仁科 博道 『システム生物医学入門―生命を遺伝子・タンパク質・細胞の統合ネットワークとして捉える次世代バイオロジー』 
 池上 高志 『動きが生命をつくる―生命と意識への構成論的アプローチ』 
 田中 博 『生命-進化する分子ネットワーク―システム進化生物学入門』 
 蔵本 由紀 『非線形科学』 


■ 百夜百音

続・青春歌年鑑 1970【続・青春歌年鑑 1970】 オムニバス オリジナル盤発売: 2002

 月亭可朝もボインを嘆くどころの場合ではなくなってしまいましたが、今の若い人にはなかなか通じないのではないかと思います。

2008年8月15日 (金)

日本文化の模倣と創造―オリジナリティとは何か

■ 書籍情報

日本文化の模倣と創造―オリジナリティとは何か   【日本文化の模倣と創造―オリジナリティとは何か】(#1303)

  山田 奨治
  価格: ¥1680 (税込)
  角川書店(2002/07)

 本書は、「文化に関わるコピーについて考察した」もので、「情報のポストモダンを切り開くキーワード」として、「再創――レクリエーション」、すなわち、「コピーをしながら楽しむ創造」を掲げたものです。
 著者は、「再創主義は、文化帝国主義ではなく文化的な贈与である」として、「再創主義が人類に文化的な豊かさをもたらし、情報の排他的な所有による富の独占に代わって、21世紀型の産業モデルにもなりうる」として、水木しげるや京極夏彦の例を挙げ、「妖怪がはやりうるのは、『妖怪はみんなが知っていて、誰のものでもない』からである」と述べ、「パブリシティがあるコピー自由な素材」であることが、「妖怪のように何度も繰り返すブームを作り出す秘密」だと解説しています。
 第1部「模倣と創造――オリジナリティとは何か」では、「人間が成長しながら言葉を獲得していく過程の中で、ものまねがどのような役割をもっているのか」について論じるとして、「英語文化圏に比較して日本語文化圏では、形状的な特徴よりも色彩・素材・質感・肌触りといった非形状的な特徴に着目しようとする傾向がある」として、子の傾向が、「一見似ても似つかないものの間に類似点を発見する能力、すなわち『見立て』につながる」と述べています。
 そして、「人間の思考にとって大きな役割を持つアナロジーの力を身につけるには、子供の頃の遊びが大切である」として、「子どもの『ごっこ遊び』は、アナロジーを発達させるのに良く、その発達の度合いは、子どもが『ベース・ドメイン』にどれだけ親しんでいるかに影響される」と解説しています。
 また、美術におけるものまねに関して、「これまで多くの画家によってコピーされてきた」『モナ・リザ』について、「絵画が有名であることと、そのコピーをよく見かけることは、論理的に等しい」として、「これらのコピーのすべてが、『モナ・リザ』を有名にする原動力になっている」と述べ、「コピーされた図像が普及すれば、オリジナルの価値はたかまる」と解説し、「わたしたちが何となく受け入れているような、オリジナルであること、独創的であることへの絶対的な価値観には、疑いの目を向けざるを得なくなる」と述べています。
 第2部「著作権は何を守っているのか――著作権制度の光と影」では、日本の著作権法の源として、イギリス型コピーライトと著作者の権利としてのフランス型著作権の2つを挙げ、「イギリスで発達したコピーの権利としてのコピーライトと、フランスを中心とする大陸で発達した精神的な所有権のような著作権とは、別のものであった」と述べ、「政変によって国王の権威が失われたおりに、国王からの特許に代わるものとして、それぞれが構想されたという点では共通している」が、イギリス型のコピーライトの原型が、「印刷出版業者に与えられた印刷権であり、業界の保護法を強く持っていた」のに対し、フランス型の著作権は、「天才の権利」として誕生し、「自然権論の影響を当初から受けていた」と解説しています。
 また、「江戸時代から明治なかごろまでの著作者や著作物をめぐる『常識』がどのようなものであったのかを、再認識しておかなければならない」として、「江戸時代では、他人の著作物の構想をそっくり借用したり、台詞や文章そのものを勝手に使用して出版や上演をしたり、著作物を好きなように改変することは、当然のように行われていた」が、そのような時代を、「著作権のない『遅れた時代』と簡単に切り捨ててしまっては、近世の日本文化の本質を見落としてしまう」と述べ、国文学者の諏訪春雄が、「他人の考え出した筋や趣向、表現であっても、さらに、それをひねって、意表をつく、より効果的な使い方をすれば、それがそのまま新しい作者の栄誉となるような精神風土が存在した」と指摘していることを紹介しています。
 さらに、著作権と不平等条約の関係について、「不平等条約の改正と日本の著作権制度とは、双子の兄弟なのである」として、「ベルヌ条約の加盟国であった列国は、条約への加盟を不平等条約の改正に必要な条件のひとつにした」と述べ、「著作権は、文化産業の先進国が後進国を支配するさいの正当化のための原理であって、国際政治が演じるパワーゲームに用いられるカードの一枚にすぎない。文化産業の後進国は、パワーゲームのなかで、つねに著作権カードを引かされてきた」と解説しています。
 第3部「日本文化と再創主義のすすめ」では、「日本には、著作権や独創性にはとらわれない自由な創造の楽しみがある」として、それを「再創」と名付け、「古典詩歌、芸道、建築などに見られる再創の文化を振り返ると、わたしたちが歌ってきた『つながりの歌』は、文化の発展のための優れた方法であることが見えてくる」と述べています。
 そして、「連歌の形式がダイナミックに創られた時代の『花の下連歌』のありさま」を、
(1)毘沙門堂、地主権現、北野社などの特定の社寺付近において連歌会が催された。
(2)無縁の聖が宗匠として連歌会を取り仕切った。
(3)誰もが身分を隠して出詠できた。
(4)熱狂を伴なうパフォーマンスであった。
のように整理し、「連歌や俳諧に代表されるように、日本の古典詩歌では、集団的で共同体的でありながらも、その上に繊細で微小な個性を加えることで個人の内面が引き出される」として、「連歌師、俳諧師にとっては、『連衆』というよき文芸共同体を得ることが、作品の世界を花開かせるための必須の条件であった」と述べています。
 また、「本歌取り」の技法を完成させた藤原定家が、「本歌取り」が盗作にならないための規定として、
(1)歌の総量の半分までを可とする量の規定
(2)上句の七五や下句の七七をそのまま使うことを禁じる配置の規定
(3)本歌の趣向の中心部分をとり本歌取りであることをわかるように作る引用部位の規定
(4)最近の作者からではなく古人歌からとる引用対象の規定
(5)本歌と主題を変えるという主題の規定
などを設けたことについて、「盗作にならないための禁止規定であると同時に、趣ある『本歌取り』をするためのマニュアル的な規定だと見ることもできる」と述べています。
 著者は、「近世までの日本では、文芸は共同体が所有するものだった」、「古典詩歌の『付け』や『本歌取り』などの再創的な技法は、詩歌の表現を豊かにするものとして育まれてきた」として、「コピーは文化と心を伝える、つながりの歌をうたう」と述べています。
 さらに、再創が、「日本の文化に特有なものではなく、コンピュータ・ソフトウェアの開発方法の中にも見られる」として、ハッカー文化と日本文化の関係について論じています。
 そして、オープンソース・ソフトウェアの創作スタイルとして、
(1)創作のための共通の基盤、すなわちバザールが成立するための「伽藍」が必要である。
(2)職業とは切り離された文脈で創作を取り仕切る優れたリーダーが欠かせない。
(3)開発コミュニティには誰もが参加できて、コミュニティに対しては匿名性を保ちうる。
(4)コミュニティはたいへんアクティブで、熱狂的である。
の4点を挙げ、「花の下連歌」とほとんど同じであるとして、「再創主義による創作である」と指摘しています。
 著者は、「デジタルコピーのちからによって、情報の排他的な所有という近代のパラダイムは終焉を迎えるだろう」として、「わたしたちがいまするべきことは、デジタルのコピー力を人類の文化的な豊かさにつなげるための方法を模索することではないだろうか」と述べています。
 本書は、私たちが子供の頃から教え込まれてきた「独自性」という考え方がそれほど古い歴史を持っていないことを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 面白かったのはハッカー文化と連歌の関係でしょうか。文化を共有する世界中のプログラマが、さまざまなモジュールを色々な方向に改良し、その中から、多くの支持を集めるモジュールが残っていく、というフリーソフトウェアの世界は、確かに短歌や俳諧の世界に通じるものがあるような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・「個性」や「オリジナリティ」が何より大事だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 福井 健策 『著作権とは何か―文化と創造のゆくえ』 2006年06月10日
 名和 小太郎 『情報の私有・共有・公有 ユーザーから見た著作権』 2006年10月14日
 ケンブリュー マクロード (著), 田畑 暁生 (翻訳) 『表現の自由vs知的財産権―著作権が自由を殺す?』 2006年04月23日
 エリック・スティーブン レイモンド (著), 山形 浩生 (翻訳) 『伽藍とバザール―オープンソース・ソフトLinuxマニフェスト』 2005年10月22日
 ローレンス・レッシグ (著), 山形 浩生 (翻訳) 『コモンズ』
 リチャード・M・ストールマン (著), 長尾 高弘 (翻訳) 『フリーソフトウェアと自由な社会 ―Richard M. Stallmanエッセイ集』 2006年02月04日


■ 百夜百マンガ

鉄拳チンミ【鉄拳チンミ 】

 月刊マガジンと言えばこの作品、というくらい看板だった長編大作。中国拳法の話なのにキャラクターの名前が韓国料理なのはいかがのものかと思いますが。

2008年8月14日 (木)

情報大爆発―コミュニケーション・デザインはどう変わるか

■ 書籍情報

情報大爆発―コミュニケーション・デザインはどう変わるか   【情報大爆発―コミュニケーション・デザインはどう変わるか】(#1302)

  秋山 隆平
  価格: ¥1890 (税込)
  宣伝会議(2007/10/15)

 本書は、インターネットの出現によって、「ネットワークの形が変わることによって、情報の流れが変わり、情報の流れが変わることによって、影響力の流れが変わ」り、「影響力の流れの変化」が「われわれの社会や経済、生活を大きく」変えるなか、「一体、われわれはどこへ行こうとしているのか」を論じたものです。
 第1章「何が起きているのか」では、1999年ころから、「われわれの社会に出回る応報が、指数関数的に増え始め」、中でも、「パーソナルメディアによる『選択可能情報量』」は、この10年間で、「なんと1万1千倍に増加」したと述べています。著者はこのことを、「情報化時代」が終わり、「情報過剰時代」が始まっていると述べています。
 そして、ハーバート・サイモンが、
「情報過剰時代には、アテンションが希少になり、それを消費する膨大な情報源に対して、アテンションを効率的に割り当てる必要が生じる」
と語っていることを紹介しています。
 第2章「アテンション・エコノミー」では、これまでのマスメディアのバリューチェーンでは、印刷工場や、新聞の宅配ネットワーク、電波資源がボトルネックとなっていたが、「制作・物流面のボトルネックが解消されることによって、UGC(ユーザー・ジェネレイテッド・コンテンツ)と呼ばれる、消費者発信情報が激増」し、「バリューチェーンの末尾に、新たなボトルネック、『アテンション』が出現した」と述べています。
 また、メディアのロングテールかに関して、「ロングテールが成り立つ」条件として、
・アイテムが「べき分布」している。
・「限界費用」「機会損失」が無視できるほど小さい。
・「検索エンジン」や「リコメンド機能」が発達していて、アイテムが簡単に見つけ出せる。
の3点を挙げています。
 第3章「過剰の経済学」では、「Abundance」という言葉に、「需要を超えて供給が満ち溢れていることを表すために『過剰』という言葉を当てて」います。
 また、2003年11月にブリニョルフソン、スミス、フーの3人が、「デジタル経済における消費者余剰」という論文で、「オンライン書店によってもたらされた選択肢増加の効果は、書店間競争の激化や、市場価格の下落による効果よりも、7倍から10倍大きい」と述べていることを紹介しています。
 第4章「ネットワークの歴史」では、「多対多のネットワーク」である「メッシュ型ネットワーク」が、その中に「1対1のネットワーク」も「1対多のネットワーク」もつくれることを述べています。
 また、「インターネットの父」と呼ばれるJ.C.リックライダーが、構想したコンピュータネットワークは、「現在のインターネットのようなものではなく、タイム・シェアリングしたホスト・コンピュータを次々につなげていったものだった」と述べています。
 そして、ソヴィエトとの「第二撃能力」競争の中で、「スター型」や「ツリー型」のナットワークではなく、いくつかの拠点が壊滅しても、「サバイバビリティ」が高い「メッシュ型」ネットワークが選択されたと解説しています。
 第5章「産業革命のパラダイム」では、「インターネットがもたらしたものは、末端からの情報配信コストの驚異的な低下と、スピードの加速」であるとした上で、産業革命では、「情報や資源の『セントラリゼーション(中心化)』」がみられたが、情報革命では、「情報や資源の『デ・セントラリゼーション(脱・中心化)』が顕著に」見られると述べています。
 第6章「ネットワーク・ダイナミクス」では、「マス社会の終焉」といわれるが、そのイメージは、「マス(升)に入った、節分の豆」が「ばらばらになった状態」ではなく、「ネットが浸透」して、「ネットリ」と「糸を引いている」納豆に近い状態であると述べています。
 そして、インターネットの特性として、ワッツとストロガッツが提唱した「スモールワールド・ネットワーク性」を挙げ、人間社会も、「仲間を越えたショートカットをいくつか設けることで、情報は、比較的少ステップで全体に行きわたる」と述べ、その特性として、「L: characteristic path length」が小さい割には、「C: clustering coefficient」が大きいという特性を持っていると解説しています。
 また、インターネットのもう一つの特性として、バラバシが発表した、「一部のノードが膨大なリンクを持つのに対し、ほとんどのノードがごくわずかなリンクしか持たないネットワーク」である「スケールフリー・ネットワーク性」を挙げています。
 さらに、消費者を、「商品関与度」と「情報発信力」により、
・インフルエンサー(影響者):情報発信力高、商品関与度高
・スプレッダー(伝播者):情報発信力高、商品関与度低
・シーカー(求道者):情報発信力低、商品関与度高
・オーディエンス(聴衆):情報発信力低、商品関与度
の4つのタイプに分類しています。
 第7章「発信―共振―増幅」では、『電車男』のヒットを例に、「2ちゃんねる→出版→映画→テレビ番組」というヒットの図式を、「雪だるま式(スノーボール・エフェクト)流行」と解説し、「ある日、山頂にできた小さな雪の玉が、ころころと転がっていくうちに、どんどん大きくなって、最後は巨大な雪の塊になる」というタイプのヒットの作られ方であると述べ、これまでの「ブロックバスター方式」のメガヒットの事例と対比した上で、前者が「ボトムアップ」プロセスを強化し、加速するものであるのに対し、後者は、トップダウンからはじめていくと解説しています。
 その上で、今流行の「きめの細かい消費者セグメントと、それに合わせた、ターゲティング広告」にもかかわらず、「それぞれ、別の方向を向いていた消費者が、超伝導のように同じ方向」を向いた「韓流ブーム」について、「これこそが最も効率がよく、かつ効果的なプロモーション手法」だとして、「マイクロ・ターゲティングといわれるような、あまりにも微細な手法を追い求めすぎると、広告が本来持っていた、ダイナミズムが失われてしまう」と述べています。
 第8章「情報過剰時代の消費行動」では、1920年代に作られた「AIDMAの法則」を取り上げた上で、「アクティブ・コンシューマーの際立った行動特性」である、「サーチ(情報検索)とシェア(情報共有)」を組み込んだ、
・Atention:注目
・Interest:興味
・Search:検索
・Action:行動
・Share:情報共有
の5点からなる、「AISAS(アイサス)モデル」を提唱しています。
 そして、このモデルの特徴として、
(1)インタラクティブ・モデル:企業と消費者が、互いにアクティブに関与しあっている。
(2)消費行動は購買で終わらない:消費行動の経験を共有しあうところまでを、消費行動プロセスの視野に入れている。
の2点を挙げています。
 第9章「クロスメディアをどう考えるか」では、飽和状態になった消費者を、飽和食塩水にたとえ、「新たに入れる塩をコップの水に溶け込ませる工夫が、大切になってくる」として、
(1)アテンション・マーケティング→受容性を高める
(2)ペネトレーション・マーケティング→浸透性を高める
の2つが必要になると述べています。
 また、イギリスのコミュニケーション・コンサルティング会社である「naked(ネイキッド)」による「消費者を囲むコミュニケーション・レイヤー」について、
・Viral/Personal(クチコミ)
・Experiential(経験メディア)
・Two-Way Communication(双方向コミュニケーション)
・One-Way Advertising(一方向的な広告)
の4段階を解説した上で、「いかにして注目を惹くか」という「アテンション・マーケティング」のキーワードが「キャッチ」であるのに対し、「いかに浸透させるか」という「ペネトレーション・マーケティング」のキーワードは「マッチ」であると解説しています。
 第9章「クロスメディアをどう考えるか」では、「アメリカ人は、二言目には多様な選択肢が必要だ」というが、「選択肢が多いことがそんなのいいことか」と多様性に疑問を呈しています。
 そして、「IT系の人が広告を語ると、ダイレクトメールのデリバリーシステムをいかに効率よくするか、という発想」になってしまうが、「広告は単純にメッセージ・デリバリーをやっているわけ」ではなく、「購入者以外に届けられた広告は、ムダ打ちではなくて、商品価値の『評価社会』をつくっている」と解説しています。
 また、「真のバズ・マーケティング」は、「消費者のクチコミをコントロールすることではなく、消費者のクチコミに耳を傾けて、それを商品やサービスの開発・改良に生かすこと」だと解説しています。
 第10章「アテンション・プログラム」では、「これでもかという、圧倒的な広告の集中投下」という言葉を、「最近あまり耳にしませんが、子々孫々まで伝えたい『美しい日本語』」だと語っています。
 また、ハードディスク・ビデオレコーダーを使った「CF飛ばし」について、「番組をハードディスクに溜めて、広告だけスキップをして見るような行為は、避妊具をつけて子づくりに励むような、神をも恐れぬ行為ですから、良い子の皆さんは、厳に慎んでください」と訴えています。
 第12章「さて、これから」では、「われわれの社会が求めているもの」が、「人類が迎えつつある、数多くの困難な課題を解決するための『集中処理と分散処理の最適な組み合わせ』」であるとして、「この2つが調和した、新しい情報処理システム、コミュニケーション・システムが、創発されてくることを願ってやみません」と述べています。
 本書は、めまぐるしく変化するネットワーク社会と広告のあり方をわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、著者曰く、「プレゼンテーション・ブック」という、著者があちこちで講演やプレゼンテーションをしてきた1000枚近いスライドをベースに、擬似的にプレゼンをしているかのように解説しているものです。
 その時々の関心に沿ってさまざまなテーマを取り上げているのですが、全体として少々統一感に欠けることが若干残念なところではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・情報がこんなに多くてどうするんだ、と思う人。


■ 関連しそうな本

 アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日
 ダンカン ワッツ (著), 辻 竜平, 友知 政樹 (翻訳) 『スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための新科学的思考法』 2005年09月28日
 スティーヴン・ストロガッツ (著), 蔵本由紀, 長尾力 (翻訳) 『SYNC』 2006年04月10日
 増田 直紀, 今野 紀雄 『「複雑ネットワーク」とは何か―複雑な関係を読み解く新しいアプローチ』 2006年04月18日
 ウィリアム パウンドストーン 『囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論』 2006年09月11日
 安田 雪 『ネットワーク分析―何が行為を決定するか』 2005年10月13日


■ 百夜百マンガ

ホムンクルス【ホムンクルス 】

 頭蓋骨に穴を開ける「トレパネーション」という古くからの民間療法があるそうですが、その効果そのものはともかくとして、瀉血とかトレパレーションとかの民間療法に対する憧れが、「WRYYYYYYYYYYY!」とかの吸血鬼の誕生に結びつかないことを祈りたいと思います。

2008年8月13日 (水)

晴れた日は巨大仏を見に

■ 書籍情報

晴れた日は巨大仏を見に   【晴れた日は巨大仏を見に】(#1301)

  宮田 珠己
  価格: ¥1,680 (税込)
  白水社(2004/06)

 本書は、日本中に数え切れないほどある大仏のうち、「40メートル以上のものにしぼって無節操に観光して回る」もので、著者は担当編集者から、「日本について、人があまり相手にしないような呆れたテーマで何か書きませんか」とお題を出され、真っ先に、「マヌ景」(日本中にはびこるマヌケな風景)、なかでもとくに巨大仏が思い浮かび、「巨大仏のある風景のおかしみについて書いてみたい」と即答したと語っています。
 第1章「牛久大仏(茨城)」では、牛久にある高さ120メートルの日本一の巨大仏について、「そんなにデカくして何のメリットがあるのかわからないが、メリットがあろうとなかろうと面白ければいい、というのがこの巨大仏旅行のコンセプトだ」と語っています。
 第3章「北海道大観音(北海道)」では、この大観音が、≪北の京芦別≫といって、「ホテルや宴会場などが一体となった複合レジャーランド」を形成し、宗教法人の経営ではなく、最初から「大観音=レジャー、という明快な図式で運営されている」ことを指摘し、「レジャー観音」とネーミングしています。
 また、「大観音の額にあるウルトラセブンのビームランプのような穴と、頭部から放射線状に広がった光背。それらを含めた風景全体が、何となくピンボールの盤面をも思わせて、ポップであった」と述べています。
 著者は、巨大仏を、「仏なんだけど、ぬっとする感触を呼び起こす巨大な建造物である点で、カミ的である」と述べ、「神だ仏だという以前に、坂口安吾の言う『生存それ自体が孕む絶対的な孤独』あるいは、世界があること自体の怖さがまずそこに感じられる」と語っています。
 第4章「加賀大観音(石川)」では、「巨大仏旅行も、巨大仏への信仰心でやっているわけではなく、なんかこう、場にそぐわないことの魅力というか、そこにある奇妙にズレた感じを面白がっている」トン述べ、「観光地としてはダメだけど、そのダメさがいい、というような転倒した愛」、「ダメさと楽しむ」。「ズレたモノヤ、アメな風景など、これまではどちらかというと否定的にとらえられていたそれらのモノや場所を、肯定的に楽しむ」として、「巨大仏のある風景から受ける、名状しがたい感触の中には、"ぬっとある"不気味さのほかに、このようなズレへの共感が含まれているのはまちがい」ないと語っています。
 そして、「常人には、それがそこにある必然性がまったく感じられず、それどころかその存在が周囲とあまりにズレているために、笑いさえ発生してしまっているような風景」を「マヌ景」と名付けています。
 第5章「高崎白衣大観音(群馬)」では、「巨大仏に期待される役割」が、「救い→驚き→笑い」に変化したとして、「万博から30年以上過ぎた時代を生きるわれわれにとって、他に巨大仏を訪れるどんな理由があるだろう」と語っています。
 第7章「会津慈母大観音(福島)」では、「見た感じ、まだ16いっていない」この観音様の顔が、『THEかぼちゃワイン』に出てくる「エルちゃん」に似ている、と指摘し、「アニメのキャラクターを連想させる観音さま」、「端的に言うと、ロリっぽい」、「観音さまが巨大であるだけに、その表情の幼さがかえって異様に見えた」、「子供体型、子供顔で巨大化されると、この世のものでない感じがいっそう強まる」と語っています。
 第8章「東京湾観音(千葉)」では、「東京から近いにもかかわらず、なぜかその存在はあまり知られていない」としたうえで、「大観音は、身近に高い建物もなく、スカスカした青空をバックに、現実感が希薄な感じで立っていた」と述べ、「まさに、火星に着陸したらいきなりそこに謎の遺跡が! みたいな、『ミッション・トゥ・マーズ』な風景である」と述べ、「ここには、ズレや違和感とはまた違う懐かしい異郷感のようなものがあった。巨大仏というのは、風景の調和をどれだけ乱しているかによって、その味わいの深さが決まると思っていたが、こうして単体で立っているだけでも十分に何かをかもし出すようだ」と語っています。
 そして、「世間一般のルールや価値観に乗らないという意味」で、「負け組」という言葉を使い、「脱線したり、錯綜したり、ルールで割り切れない風景が好きな人は、社会のルールに乗らない、という意味で負け組なのだろう」として、「巨大仏が面白いと思うとき、それは本来の宗教というルールを外してみているからいいわけで、真剣に信仰心で見ろ、と言われたらきっと興味がなくなるように思う」と述べています。
 第9章「釜石大観音(岩手)」では、もともと、地域の津波被災者慰霊のために建立されたこの観音さまが、「消化不良に終わった」原因として、「この観音さまが、なぜここにこんなものがあるのか理解に苦しむ、という奇抜なシチュエーションになかったからだろう。風景にズレがないのだ」と指摘しています。
 そして、「モノは、その意味を剥奪されたときに、"ぬっとあるもの"になるのだ」と述べ、「『マヌ景』を見るという行為の中には、"ぬっ"とある感触が、もともと内包されていたということができる」と解説しています。
 第12章「太陽の塔(大阪)」では、岡本太郎が、エッセイ『日本の伝統』の中で、
「だいたい、本来の目的を失って投げ出されたものというのは不可思議であり、一種の魅力を持っています。これはたしかです。だが、それを『物』として、そのまますなおにうけとめればよいのですが、妙に『神秘化』したり、いろいろとこじつけて納得しようとする。卑弱な精神のコンプレックスです」
と語っていることを紹介しています。
 第13章「最後の巨大仏めぐり」では、「いっそのこと全国の巨大仏のある16ヶ所を結んで、巡礼でも組めば、観光客が増えるのではないだろうか」として、「現時点ではまったく観光客に相手にされていない巨大仏でも、人は88ヶ所とか33ヶ所とか数字をあらかじめ設定されると、ついそれを巡ってしまう」と述べています。
 本書は、全国の巨大仏マニアの皆さんにとってはもちろん、巨大仏には興味をまったく持っていない人にとっても新たな発見を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 私自身、本書でも紹介されている巨大仏に常に見下ろされながら育ち、それがあるのが当たり前の環境の中で育ちましたので、本書で指摘されている違和感はあまり感じていなかったのですが、よくよく考えてみると全国的にも特異な環境で育ったのだということを自覚しました。


■ どんな人にオススメ?

・巨大仏のある生活が想像できない人。


■ 関連しそうな本

 藤田 洋三 『世間遺産放浪記』 2007年10月14日
 藤森 照信, 増田 彰久 『看板建築』 2008年04月12日
 宮田 珠己 『52%調子のいい旅』
 宮田 珠己 『ホンノンボ―ふしぎ盆栽』
 宮田 珠己 『ウはウミウシのウ―シュノーケル偏愛旅行記』
 宮田 珠己 『ジェットコースターにもほどがある』


■ 百夜百マンガ

よいこの星【よいこの星 】

 作者は千葉県出身ということで、この間高校生向けの進学情報の千葉県特集号で見かけました。作品に登場する学校の風景も、千葉県らしいものがあるかもしれません。

2008年8月12日 (火)

もっと長い橋、もっと丈夫なビル―未知の領域に挑んだ技術者たちの物語

■ 書籍情報

もっと長い橋、もっと丈夫なビル―未知の領域に挑んだ技術者たちの物語   【もっと長い橋、もっと丈夫なビル―未知の領域に挑んだ技術者たちの物語】(#1300)

  ヘンリー ペトロスキー (著), 松浦 俊輔 (翻訳)
  価格: ¥1470 (税込)
  朝日新聞社(2006/08)

 本書は、技術者が作る「橋、ビル、ダムなど地上で最も大きな建造物」を讃えたものです。著者は、そのような成果の背後に、「しばしば、その計画と同じほど人物の大きな技術者の物語がある。そうした人々があきらめずに追った夢は、今、我々の現実の一部となっている」と述べています。
 第2章「アメリカの橋さまざま」では、「ポートランドのように、橋の町だといえる都市はアメリカにたくさんあるが、美しく珍しい橋の数の点で言えば、オレゴン州の沿岸地域に勝る地域はほとんどない」として、その主任技術者コンディ・B・マッカローの天賦の際を讃え、「マッカローが設計した主要な橋は、どれをとってもまったく同一というものはないが、そのほとんどにマッカロー作品の特徴となる要素がある」として、「優美なコンクリートのアーチと、橋の入り口にあるアール・デコ超の塔」を挙げています。
 そして、「地元の地形や政治の都合で妙な形をしていたり、橋の利用者には業績がすでに忘れ去られた技術者を記念する変わった名がついていたりしても、どの町にも、それぞれに代表的な橋がある」として、「橋や橋を架けた人の物語には、歴史――土地や人々や、人々が描いた夢――の、豊かで得るところの大きいひとこまが潜んでいる」と述べています。
 第4章「浮体橋」では、「恒久的な大きな浮体橋は、基本的には複数の船体をくまなく並べて、連続した橋床ができるように舗装したものだ」としたうえで、「橋を設計するときには、航路として使える部分が取れるようにしなければならない」と述べ、「そのためにはたいてい、台船どうしの間を開け、その開いた部分を橋桁などの普通の橋と同じようなもので渡したり、何らかの稼動部分をつけたりすればよい」と述べています。
 第6章「ノルマンディー大橋」では、ノルマンディー大橋(ボン・ド・ノルマンディ)を、「多き話といえばほとんどが荘であるように、独特の技術問題に対する傑出した解決策であり、かつ、もっと広く歴史的に見れば、すべての橋の問題を解決するものでもある」と述べたうえで、「世界的な橋の場合、設計はすべて、個々の技術者の夢として始まり、その技術者が自身の美学的・構造的判断に対して抱く自信が、依頼主の財政的・政治的判断に対する自信と合致する場合に動き始める」と述べています。
 第7章「ブリタニア橋」では、「大規模な土木事業における経済の相対的意味」について、「後から見れば無駄と思えるものも、難しい判断を下さなければならなかった当時には、経済的なことと見えたかもしれない――判断は、必ずしも技術者だけがするのではなく、事業に財政的・社会的に責任をもつ、実業家や政治家とも強調して下される」と述べ、「工学的・科学的知識が少なくても、もっと経済的で構造的に優れた展開がいつか分からない将来に来るのを待つよりも、既知の経済的・技術的リスクをとって、さいは投げられた」と解説しています。
 第10章「ミレニアム橋」では、ゲーツヘッドのミレニアム橋に関するデザイン・コンペについて、「デザイン・コンペ賛成/反対の議論は、たぶんコンペがある限り、どこにでもあったことだろう」とした上で、「建築家と技術者は昔から、コンペが、意図してのものでなくても、わずかな対価で、幅広い専門家の仕事と意見を得る、巧妙な方法だという点で一致している」と述べ、19世紀の終わりの土木・機械技術者、J・W・C・ホールデーンが、「建築家や技術者がひどく酷使されてきた仕事として、『コンペ』という言葉で知られる仕事ほどのものはない」と書いていることを紹介しています。
 第11章「ミレニアムの遺産」では、「ロンドンのセントポール大聖堂の近くにあるシティという金融街の峻厳な建物と、テムズ川の対岸にある、元は壮大な発電所を改装したテイト近代美術館とをつなぐ」歩行者専用の橋であるロンドン・ミレニアム橋について、2000年6月10日の開通日に、10万人近い人々が橋を訪れた結果、「軽量の橋床は、それとわかるほどに横に揺れ」、「25万人もの歩行者が利用した3日後には閉鎖され、技術者たちが揺れ方を理解し、押さえる方法を求める間、ずっと閉鎖された」と述べています。
 そして、研究の結果、「ミレニアム橋は、歩行者と構造物の相互作用、つまり、『群集誘発型動的歩行者負荷(クラウド・インデュースト・ダイナミック・ペディストリアン・ロード)』とでもいうべき作用」を示し、「偶然、十分な数の歩行者の歩調がそろえば、わずかでも路面を横向きに動かすことがありえた。ところが、この動きは比較的高い頻度で生じ、人間は高い頻度の運動には敏感になる傾向があるので、わずかな動きが頭や体の中で増幅された。感知された運動に反応して、そのとき橋の上にいた人々は、橋の動きと同期して横に動き始め、これが、子どもが乗ったぶらんこを親が押してやると一回ごとにぶらんこが描く弧が大きくなるのと同じように、橋の動きを増幅する」と解説しています。
 第12章「壊れた橋」では、「どんな時点でも、技術・設計、分析は、それが基づく知識や前提以上にはよくならない。来るべき地震について端が安全かそうでないかは、当の地震のあり方がきちんと分からなければ確実なことはいえない」として、「技術者は、新しい端や現存の橋を、議論や審査の余地がある程度残ったままの判断で設計、分析しなければならない」と述べ、「いろいろな地震から学んだ教訓のおかげで、技術者は、限界はあっても、未来の地震にもっとよく耐えられる新しい橋などの構造物を設計できるようになる」と解説しています。
 第15章「ビルバオ」では、「彫刻のような構造をさっと描いたスケッチを実現するのに相当の時間と費用がかかった例」として、シドニーのオペラハウスを挙げ、「最終的な費用は当初の見積もりの15倍近くになった」にもかかわらず、「ここでは大規模なオペラがきちんと上演できず、オペラ愛好家をがっかりさせている」と述べています。
 第18章「摩天楼の崩壊」では、「2001年9月11日のテロリストによる攻撃は、単に世界貿易センターのツイン・タワーを倒しただけ」ではなく、「世界中の高層ビルの計画、設計、建設、利用の新時代の始まりを告げた」として、「当面、少なくとも西洋社会では、超高層ビルはテロリストの標的となる可能性があり、維新を求める借主が、看板高層ビルをこれからも借り続けるか、ますます検討することになる」と述べています。
 そして、「局所的に損傷を受けて柔らかくなった構造が上にある部分の重さに耐えられなくなると、下の階に向かって崩れていく。ビルの上層階から下層階に伝わっていき、鋼鉄の柱がそれ自体を伝った熱である程度柔らかくなっていくと、『パンケーキ・クラッシュ』と呼ばれる連鎖反応が起こってすべてが次々と崩れ落ちていく」と解説しています。
 第23章「技術者の夢」では、「英仏海峡トンネル、ジブラルタル・ダム、太陽発電や潮汐発電の普及など、壮大な技術の構想」を描いた、ウィリー・レイが1954年に出した『技術者の夢』について、「相当多くの人の記憶に残」り、「長く読まれ続けている」のは、「この本が、環境に対する大きな影響の潜む大規模な地上の事業を唱えていて、たとえ半世紀前の技術で語られているとしても、どんなにささやかな技術でも大規模に行えばこの惑星の姿を変えうるということを考えさせるからだ」と述べています。
 本書は、巨大構造物に対する人間のチャレンジと、それを支える社会的ドラマを簡潔に切り取った一冊です。


■ 個人的な視点から

 これまで多くの著書で建造物をめぐる失敗の歴史を描いてきた著者としては珍しく前向きなベクトルが強い一冊です。もちろん、失敗や試行錯誤は次の挑戦に向けた貴重な教訓となるのですが、本書が基本的に前向きなことは、著者が歴史の文脈の中ではなく、現在の時間軸の中で語っているという点で、ちょっとだけ物足りなく感じる人もいるかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・巨大な建造物にロマンを感じる人。


■ 関連しそうな本

 ヘンリー・ペトロスキー (著), 忠平 美幸 (翻訳) 『ゼムクリップから技術の世界が見える-アイデアが形になるまで』 2008年04月17日
 ヘンリー ペトロスキー (著), 忠平 美幸 (翻訳) 『フォークの歯はなぜ四本になったか―実用品の進化論』 2005年12月31日
 ヘンリー ペトロスキー (著), 池田 栄一 (翻訳) 『本棚の歴史』 2006年03月12日
 ヘンリー ペトロスキー (著), 中島 秀人, 綾野 博之 (翻訳) 『橋はなぜ落ちたのか―設計の失敗学』 2008年08月09日
 ヘンリー ペトロスキー (著), 渡辺 潤, 岡田 朋之 (翻訳) 『鉛筆と人間』 2008年07月04日
 ヘンリー・ペトロスキー (著), 忠平 美幸 (翻訳) 『〈使い勝手〉のデザイン学』 


■ 百夜百マンガ

Pink【Pink 】

 フェアチャイルドの曲で「わたしと鰐の一日」というのがありましたが、当時ワニを飼うのが流行ったりしたのでしょうか。

2008年8月11日 (月)

司法政策の法と経済学

■ 書籍情報

司法政策の法と経済学   【司法政策の法と経済学】(#1299)

  福井 秀夫
  価格: ¥3990 (税込)
  日本評論社(2006/12)

 本書は、「立法、行政とのかかわりの中での司法制度の設計のあり方に関する従来の法解釈論の限界を明らかにするとともに、司法に関して立法政策において何をどのようにどの程度規律すべきであるか、という観点からの標準的な『法と経済学』による分析を行ったもの」です。
 著者は、「多くの実定法専門家たる法曹、司法官僚、法解釈学研究者等は、法と経済学の理解がないまま解釈の適否や判例の適否を論じ、立法のあり方に対してまで改正の影響評価の手段をもたないにも拘らず、、弊害を伴なう主張を公言しがち」だと指摘しています。
 第1章「『法と解釈学』の黎明」では、日本の法学が「成文化された実定法の意味を探求する法解釈学を中心として発達してきた。議会で成立した法律や条令を与件とし、当事者間の利益衡量や判例の動向を踏まえて、複雑な法体系の論理整合的な解釈としてもっとも適切なものをめぐって論議がなされてきた」が、「現存する法の整合性を確保し、複数の価値の衝突を調整する場合、複数の解釈が並存しうるが、それらの間でその優劣を論理的に決することは困難であった」とともに、「立法に当たっての制度設計がどのような効果を経済社会にもたらすか、について判断する枠組みは、これまで十分には提供されてこなかった」と述べています。
 そして、「『法と経済学』の大きな役割は、法の市場への介入または不介入が、いかなる場合にどの程度資源配分を改善したり、逆に悪化させたりしているかを明らかにすること」だと述べています。
 また、日本の担保法制・競売法制が、「わざわざコースの定理の前提が成り立ちにくいように、言い換えれば、競売市場が失敗しやすいように法制度が設計されてきた」として、
・抵当権者と占有者のそれぞれの権利の外縁が不明確であり、判例もこれを解決していない。
・権利の実現のための裁判や民事執行全体の手続きは、長期にわたり、労力や時間コストも膨大に上る。
等を指摘しています。
 第2章「司法改革の法と経済分析」では、「これまでの司法改革の論点を整理し、基本的な司法改革の道筋を提示するとともに、立法府における制度改革論議の基礎的知見地権を提供することを目的とし、特に司法に係る各種規制の問題点とその改革の方向性について論じる」としています。
 そして、1970年参議院法務委員会、1971年衆議院法委員会のそれぞれの国会付帯決議において、「日弁連、法務省、裁判所という法曹三者の意見を一致させて司法改革の改正を行うべき旨が定められている」ことについて、「三者のうち一社がいかなる改革絵治安に対しても絶対的拒否権を発動しうるということを意味し、現実に法務省の施策を日弁連が阻止するという機能を果たしてきた」と指摘しています。
 第3章「司法制度設計の基準」では、「本来読みようがない不自然で素人を欺く解釈をひねり出すことを『リーガル・マインド』などと名付け、権威の衣を着せて初学者や第三者に対してありがたがるよう強要することは、知性・品性を備えた職業集団のとる態度ではない。立法によってではなく、現状に追随して解釈で規範を捻じ曲げ、長期にしのぎ続けることは、法の潜脱に等しい」としています。
 そして、弁護士規制に関して、「参入規制と並ぶ最大の問題点は、弁護司法72条の業務独占である」として、「情報の非対称の軽減策という正当化根拠すら存在しない現行規制には理由がない」と述べています。
 第5章「新司法試験の法と経済学」では、「新旧問わず資格試験である以上、一定の水準を越える受験者を合格とすれば足りるのであって、人数で枠を決めること、なかんずく新試験と現行試験との間で前者に優遇枠を割り振るということに根拠はない」と指摘してます。
 そして、「本来名称独占、業務独占を問わず、資格制度が発揮できる市場の失敗の補完はたかだか知れている。後者は有害ですらある」として、「本質的な情報の非対称対策は、弁護士資格の業務独占を廃止し、名称独占に転換するとともに、弁護士の広告の自由を認め、むしろ弁護士の過去の分野別の業務歴、勝訴・敗訴案件、報酬額などを開示することを義務づけ、それらの不開示や虚偽開示に対して、、資格剥奪などの厳正な措置を取ることである」と述べています。
 また、「そもそも試験や学歴によって、仕事で使ってみなければわからない業務達成上の質を担保するという発想自体が破綻している」と指摘しています。
 第7章「担保執行法制改革」では、「もともと競売法制の見直しの趣旨は、現在の競売市場が、一般人には近寄りがたい不透明なものであり、なかんずく執行妨害の温床になってい状況にメスを入れ、一般人が参加しやすい制度に変革していこう」というものであるにも拘らず、2003年6月19日に警察庁が自民党プロジェクトチームに提出した「占有屋などによる執行妨害の実態等について」と題する資料において、「一般人の入札増加に伴なう危険性」を挙げていることについて、「競売制度を、一般人が入りにくいまま維持しようなどという主張が、本来一般人であってもリスクなく競売に参加することができるよう暴力団などに対して毅然と妨害排除を行うべき法的責任を持つ警察庁からなされるとは驚天動地である」と述べています。
 第9章「法と経済学の成果としての定期借家権の導入」では、定期借家権の効果として、
(1)潜在的借家人の利益が増大する。
(2)高齢者住宅が流動化する。
(3)持家の売買も活性化する。
(4)持家と借家が相対化する。
(5)定期借家権による新たな市場が創出される。
(6)マンションが沈滞化する。
(7)定期借家は家屋の評価や税務にも大きな影響を与える。
(8)新規の定期借地の多くは定期借家に転換する。
の8点を挙げています。
 第11章「権利の配分・裁量の統制とコースの定理」では、「民事的交渉を主として念頭においているコースの定理を、行政法の領域に十分応用できることを示すとともに、市場の失敗と行政法との関わり、行政法における政府の失敗の危険性、行政裁量に関する法解釈や立法のあり方などについて、法と経済学により分析する」としています。
 そして、「市場の失敗対策としての公的介入である行政法の立法やその運用・解釈は、多くの場合市場における資源配分の変化についての影響に無知なまま行われ、多くの問題を引き起こしている」として、「無知は過去のことであったとしても、それが判明すれば直ちに改めるのが健全な立法態度である」と指摘しています。
 また、コースの定理の含意として、「法や判決は、権利を明確に定め、その流通・執行が迅速、確実かつ安価に行われるように手続きが実施されなければならないし、事後的な当事者間の交渉をより容易にするような権利配分を行わなければならないということ」であると述べ、「権利を配分されなかった当事者が権利を再配分してもらうための交渉を行う際、それが容易かつ迅速になされうる蓋然性の高いほうの当事者には初期権利を配分してはならない」と指摘しています。
 第13章「行政訴訟のパラダイム転換」では、「行政法学もひどい側面があるわけで、最高裁判決がいくら矛盾していても、つじつまを合わすためにはこんな屁理屈もあるというのを考えるのが、学会の大きな使命になって」いると指摘しています。
 本書は、法曹関係者にとっては、嫌なことばかり指摘しているし、理屈もわかりにくいしで、読みたくない一冊だと思いますが、ぜひ多くの人に読んでほしい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書では司法業界に厳しく噛み付き、他の著書でも官僚に激しい非難を与えている著者ですが、本業で所属している政策研究大学院の方は、国や地方の役人に、「仕事なんか1年くらいやらなくても人は足りてるんだからウチに学生を差し出しなさい」と「要請(圧力?)」をかけてくるということに矛盾を感じるところです。もちろん、日頃から、官僚組織の詭弁と役所のムダを指摘している著者がそんなことをするはずはないとは思いますが。


■ どんな人にオススメ?

・司法「業界」の既得権に日本の闇の深さを感じる人。


■ 関連しそうな本

 福井 秀夫 『都市再生の法と経済学』
 福井 秀夫 『官の詭弁学―誰が規制を変えたくないのか』
 福井 秀夫, 大竹 文雄 『脱格差社会と雇用法制―法と経済学で考える』
 鈴木 禄弥, 山本 和彦, 福井 秀夫, 久米 良昭 『競売の法と経済学』
 福井 秀夫 『教育バウチャー―学校はどう選ばれるか』
 ゲアリー・E. マルシェ (著), 太田 勝造 (翻訳) 『合理的な人殺し―犯罪の法と経済学』


■ 百夜百マンガ

キヨスクフラッパー【キヨスクフラッパー 】

 最近はキヨスクでもバーコードで読み取りして、SUICAでの支払いが多くなって、あの名人芸の釣り銭勘定を見られなくなったのは残念なことです。

2008年8月10日 (日)

言葉を使うサル―言語の起源と進化

■ 書籍情報

言葉を使うサル―言語の起源と進化   【言葉を使うサル―言語の起源と進化】(#1298)

  ロビンズ・バーリング (著), 松浦 俊輔 (翻訳)
  価格: ¥2730 (税込)
  青土社(2007/03)

 本書は、学者たちの「興味をそそり、じれったく、かつまた期待を裏切られる問題」である「人間の言語という能力の進化」の問題について、「産出よりも了解の方が、人間が言語を使う能力を進化させた原動力だということ」を論じたものです。
 著者は、「了解の方が先んじている必要があることは、言語に向かう進化の道筋の上にあるあらゆる地点で、解釈が少なくとも一歩、産出に先んじている必要があることを意味する」と述べ、「合図の産出を改変して成功し、従って自然淘汰によって確保されるのは、その改変が、他の個体にあらかじめ存在している受容能力に合致する場合だけだ」と解説しています。
 第2章「笑み、目配せ、言葉」では、「言語で一番重要なことは、最も明白なこと」だとして、「言語によって、やすやすと事物のことを指せるようになり、さらにはそれらのことについて何ごとかを言えるようになる」と述べています。
 そして、「どこへ旅行しようと、笑顔はしかめ面より友好を意味するものである」として、「人類学者が、新しく調べる村で暮らしていく必要があるものの、言語はまだあまり勉強していないというときも、顔に出る表情を読みとることで、滞在先の人々の反応を判断することは容易にできる」と述べています。
 著者は、「一次近似として、言語はデジタルで、参照を容易にする。言語の大部分は、膨大な語彙を含め、学習しなければならず、これは、集団ごとに違ってもいいことを意味する」と述べる一方で、「われわれの笑い声、叫び声、うなり声、鳴き声、顰蹙、微笑は、他のジェスチャー=コールと同様、言語とは非常に異なるコミュニケーションを形成する。こちらはアナログ信号で、感情を伝えるのに優れている。言語ほど文化によるばらつきがないし、意思による制御もさほど受けない」と述べています。
 第3章「嘘と本当」では、ベルベットモンキーが、「その警戒の呼び声やうなり声で、暮らしている世界について、危険や捕食者についても、社会体制の様子についても、重要な情報を伝えている」と述べたうえで、「人間のジェスチャー=コールも参照的情報を伝えることができる」として、「われわれの笑顔は、少なくともベルベットモンキーのうなり声と同じくらいには、社会的関係について明らかにするに違いない」と述べています。
 そして、「一部の動物の合図の意味には『恣意的』と呼べるものがあるが、『離散的』とは違って、動物の合図に『恣意的』を使ったとき、単語について使ったときと同じ意味かどうかは明らかではない」と述べたうえで、「動物の合図の中に『恣意的』と言っていいものがあるというのは正しいかも知れないが、だからといって、それが言語に似ているとは言えない」と述べています。
 また、「言語と動物のジェスチャー=コールとの違いを強調」下上で、「進化論的に説明しなければならないのは、言語の独特の特徴である」と述べ、「われわれが言語を用いる能力が進化する様子を理解しようとすれば、検討しなければならないのは、言語の参照する力であり、デジタルなところであり、慣習により学習されるところであり、膨大な語彙であり、統語法と新造力である」として、「われわれが理解する必要があるのは、こうした言語の新しい特徴であり、われわれを他の霊長類から分ける特徴であり、そのような新しい特徴のほとんどは、認知に関わるものである」と解説し、「そうした特徴が、チンパンジーの心とよく似てはいても現代人の心とは違う心を持った動物に、どのように生じえたのか」という問題を提起しています。
 第4賞「心と言語」では、「相手の言語について何かを学ぶとすれば必須」となる「5つの具体的な認知の道具」について、
(1)相手と私は周囲の世界について、豊かな概念的理解を豊富に共有していることを前提にすることができた。
(2)相手と私は同じ対象と出来事に注目できることを前提にできた。
(3)私はまねする能力を前提にできた。
(4)指差す身振りと、参照する対象に似ている身振りとを理解できることを前提にできた。
(5)言語には反復可能なパターンがあることを前提にできた。
の5点を挙げています。
 また、チンパンジーが、「他者の視線の向かう先を追うことができる」一方で、「腕や指で指すことは理解できない」ことは、人間にとって奇妙なことに思えると述べています。
 さらに、「大型類人猿は、他の動物、さらにはサルと比べても、共同注意、模倣、誘導記号がうまいが、その技能は、現代人類がやすやすと学習するような言語を学べるほどのものではない」と慕う絵で、人間の早い時期の祖先について、「言語のひとかけらでもできてしまえば、それ自身が淘汰の対象になる」と述べ、「理解し話すことがうまい方が、生存と生殖に有利になっただろう」と解説しています。
 第5章「記号と合図」では、「音程の高い音はテンションの高さ、覚醒、興奮、熱意、活動、終わっていないことに対応する。音程の低さはテンションの低さ、弛緩、完了に伴う」として、「音程の高さの上がり下がりは、それとともに使う単語の意味を調節する」と述べています。
 そして、「音程の高い声は、小さいことをうかがわせる。弱さ、無力、服従、礼儀、自信のなさといった性質と関係する。低い声あるいは音程が下がることは、大きいこと、確信、権威、攻撃、自信、自足、威嚇をうかがわせる」と述べています。
 第6章「得られたアイコンと失われたアイコン」では、「聾唖者の中には、聴覚的に慣習化された合図を使うことがある」として、著者がインドの田舎で会った何人かの聾唖者が声を出すのに驚いた経験を語っています。
 また、アメリカ手話言語(ASL)には、「どんな話し言葉よりもはるかに多くのアイコン的なサイン、インデックス的なサインがある」と述べ、「サインが生み出される縦横奥行きの3つの次元が、話し言葉が閉じこめられている時間という1次元では無理なほど、アイコン性やインデックス性をもたらしている」可能性を指摘しています。
 著者は、「慣習化はコミュニケーションを加速し、産出する側の仕事を易しくするが、慣習化には他にも利点がある」として、「記号が標準化するにつれて、それは曖昧でなくなりもする」ことを指摘しています。
 第7章「わずかな音から多くの単語へ」では、「手の身振りによる視覚言語が始まってしまったら、声による聴覚の身振りへの切り替えを、何が誘発しえただろう」として、「言語に適応し、前適応した最古の性質は、すべて認知に関わるものだったと認識すれば、答えの一部になる」と述べた上で、「もともと言語ではない何かへの適応として、声道への意思による制御が先にあったとすること」を挙げ、「すぐに考えられる候補は、単語のない、何らかの歌唱だろう」と指摘しています。
 著者は、「憶測を恐れなければ、初期の人類に、音楽と言語の両方の祖先となる一種類の発生があったことは想像できる」と述べた上で、「石器時代の男と女は、互いの発生を魅力的だと思ったとすれば、性淘汰が声の技能の急速な増大を促したかも知れない」として期しています。
 第8章「統語法──生得のもの、学習されるもの」では、「統語法がわれわれの中で成長するときに自然発生的に育つのか、それともほとんど学習に依存しているのかという議論」に関して、チョムスキーが、自然発生的な成熟の側に立ち、「われわれがそれぞれ遺伝子にすでに組み込まれた言語の動き方の知識が相当にあって、それを持って言語学習の作業にかかるようになる」とする「普遍文法(ユニバーサル・グラマー)」説を唱えたことを紹介しています。
 また、「言語淘汰が意味する遅い変化と、クレオール化に見られる急速な変化との折り合いを付けるには、学習者が、われわれの子どもほど有能ではなかった言語の初期段階を振り返る必要がある」として、「機能的な言語があり得るようになるために変化しなければならないのは生物学的な構造ではなく、機能的な言語がまず言語淘汰の結果として出てきて、それから自然淘汰が作用する環境の一部となったということはあり得る」と解説しています。
 第9章「一歩一歩、文法へ」では、「統語法が発達した段階に関して推論するために用いられてきた、2つの全く異なる方向の証拠に依拠する」として、「一方では、統語法のうち、他の面がなくても使えた面がどれかと問い、そうして何が最初に出てきたかを問う。他方では、あいにくなことに『文法化』というぎこちない用語で呼ばれている、一群のよく知られた歴史的過程を検討する」と述べています。
 また、これまでの要約として、著者が唱えてきた、「変化が言語にもたらされる道」として、
(1)一人の人間の一生の間でさえ、言語のあらゆる部分が無作為の変化を受ける。
(2)文法化のサイクルの一部を成す変化。
(3)言語淘汰:外部言語の何らかの形が、子どもによって、他の外部言語よりも、自身の内部言語のお手本として好まれるときに生じる。
(4)自然淘汰と性淘汰によってもたらされる変化。
の4点を挙げています。
 第10章「権力、噂、誘惑」では、「言語能力の遺伝される違いがあれば、生殖がうまくいく度合いに差が付くことに寄与したに違いない」と述べる一方、「言語技能における遺伝子に基づく違いを求めることに反対する傾きは強いので、言語学者は言語の使い方や能力にある個体差に、そもそも目を向けようとしたがらない」と述べています。
 著者は、「二種類の個体差を認める必要がある「として、
(1)発音や声の質、一部の語彙の分野での特殊な発達、統語法に関わる個人に特有の細かい違いといった、些末なばらつきがあり、言語適性については何も言わない。
(2)言語能力が優るとか劣るとか、複合的なことができるとかできないとか、何かの目的について優れているとか劣っているとかの評価を何かの尺度上で付けられる差異もある。
の2点を挙げています。
 そして、「あとは、一番有能な旧石器時代の男女、他の人々よりも入り組んだ言語を扱えた人々が、平均よりも多い子どもを育てられたといえる理由を問うことである」と述べています。
 著者は、「性淘汰は、自然淘汰では説明しにくい行動については魅力のある説明である」が、問題点として、
(1)性淘汰は急速に作用するが、一貫性がなく、長期に渡って一つの方向に種を導くことはあり得そうにない。
(2)他の動物では、雌の選択のせいとされる特徴は、たいてい雌よりも雄の方で発達しているが、女は知的、言語的、芸術的能力の点で男とよく似ている。
があることを挙げています。
 その上で、「入り組んだ言語の進化の原動力となったのは、技術に関する技能よりも、社会的技能を促す淘汰だった」ではないかと述べ、「初歩的な言語を最初に使ってから、文字が発明されるまでの間、自然淘汰と性淘汰の圧力は、最善の社会的技能をもった個体に一番利益をもたらした」と述べています。
 第11章「言語はわれわれに何をしてきたか」では、著者にとって、「この世界の謎で最も深いのは、人間の意識という謎である」として、「科学は意識にはまだほとんど手を触れていない」と述べた上で、ニコラス・ハンフリーが、「われわれの意識が役に立つのは、それによって自分の動機、感情、行動について特権的な見通しが得られるからだ」と述べていることを紹介しています。
 また、「言語は長期の淘汰によらなければ、いかなる形でも発達しえなかったほど入り組んでおり、また良くできている。言語に見られるような適応した複合性を説明するには、他の方法はまったくない」と指摘しています。
 そして、著者自身が、半世紀ほど前に「ガロ」と呼ばれる人々の中で4年近くを過ごした経験を語り、「われわれは奇妙な種で、変わった存在にしたのは、他の何にもまして言語である。言語がどう始まったか、あるいはそれが人類の中でどう発達したかについて、詳細がわかることもないだろうが、推測がうまくなれば、言葉を使う猿としての人間の理解も向上することだろう」と述べています。
 本書は、私たちが普段当たり前に使っている言語が、進化の上では決して当たり前のものではないことを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 人間が言葉を使えるようになった過程については、色々な分野の研究者がアプローチしていますが、言語学者による本書のアプローチは切れ味も鋭く説得力もあります。もちろん、専門外の進化とか脳科学の部分はとってつけた感じもありますが、それも含めて専門家で議論してけばいいのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・言葉を使えるのは人間の当たり前の能力だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 ニコラス ハンフリー (著), 垂水 雄二 (翻訳) 『喪失と獲得―進化心理学から見た心と体』 2006年4月15日
 リチャード・G. クライン 『5万年前に人類に何が起きたか?―意識のビッグバン』 2006年10月21日
 アンドリュー ニューバーグ, ヴィンス ローズ, ユージーン ダギリ (著), 茂木 健一郎 (翻訳) 『脳はいかにして"神"を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス』 2006年07月01日
 ジュリアン ジェインズ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 2006年06月04日
 スティーヴン ミズン (著), 熊谷 淳子 (翻訳) 『歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化』 2007年07月08日
 ジャレド ダイアモンド 『人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り』 2006年09月29日


■ 百夜百音

Q: Are We Not Men? A: We Are Devo!【Q: Are We Not Men? A: We Are Devo!】 Devo オリジナル盤発売: 1978

 8月10日のサマソニに登場。だいぶおじいちゃんという歳なのですが、赤い「エナジードーム」を頭にかぶり、黄色いツナギを着た人たちがたくさん来てました。

2008年8月 9日 (土)

橋はなぜ落ちたのか―設計の失敗学

■ 書籍情報

橋はなぜ落ちたのか―設計の失敗学   【橋はなぜ落ちたのか―設計の失敗学】(#1297)

  ヘンリー ペトロスキー (著),中島 秀人, 綾野 博之 (翻訳)
  価格: ¥1365 (税込)
  朝日新聞社(2001/10)

 本書は、「どのように設計プロセスにミスが入り込むのかを説明するモデルを示すだけではなく、現場の設計者が自分で設計する際に同様のミスを犯さないようにする方法を示すこと」を目的としたものです。
 第1章「はじめに」では、「失敗という概念は設計プロセスの中心となるもので、失敗を避けようと考慮することではじめて、設計の成功が成し遂げられる」と述べ、「本書で紹介するさまざまなケース・スタディーによって過去の誤りの細部をよく知ることは、確立された失敗のパターンを打ち破り、より成功し信頼できる未来の設計を保証する最も確実な道なのではなかろうか」と述べています。
 第2章「概念設計のミス」では、「ミスは設計のどの段階でも起こりうるが、概念設計の段階で犯される基本的なミスは一番捉えにくいものに入る」と述べています。
 そして、1968年の東ロンドンのローナンポイントの24階建ての集合マンションにおけるガス爆発をきっかけとした崩壊事故を取り上げ、「すべての概念設計のミスが、ローナンポイントのビルのような劇的な崩壊に繋がるわけではない」が、「実物大の建造物、最大出力の機械、実際の能力の製品の形で出荷前に十分に批判され、うまく吟味されてこなかったため」であると指摘しています。
 第3章「規模の限界」では、「機能に対する大きさ、すなわち規模の効果ほど、よく知られていながらかくもしばしば忘れられる設計原理は恐らくない」と述べ、「歴史の最も困惑させられるような瞬間は、かつて試みられた最大の機械や構造物、システムが劇的に壊れるときにやってきた」と指摘しています。
 そして、「規模の効果という現象は、恐らくガリレオの図にもっともよく集約されている」として、「骨の長さは三倍にしてあり、太さはこの巨大な骨に相応した太さにしてある。これだけの太さにしておけば小動物の小骨格と同様の程度にこの巨大な動物の骨格はその運動に役立つ」と述べていることを紹介しています。
 第4章「設計の改悪」では、「解析面でかなり進歩しているにもかかわらず、設計問題の基本的順序は究極的にはいまだに次のようなもの」であるとして、
(1)どのようにして破損は起こるのか。
(2)どのように設計の工夫をすれば、別の破壊を招くことなくその破損の態様を回避できるのか。
の2点を挙げ、「幾何学、材料、工程といったどのような設計の変更も、新しい破壊の態様をもたらし、あるいは隠れていた破壊の態様が働くようにしてしまうかもしれない」ことを指摘しています。
 著者は、「ガリレオの大理石の柱の話という規範例の価値は、文字通りのお話としてではなく、一般化された警告を引き出す類推を引き起こす力にある」として、「もしそうした警告が、成功に基づいた経験則と同じように設計者に身近で直感的なものとなれば、警告となる規範例は、ヒューマン・エラーの削減と、設計の信頼性の向上に実際に役立つであろう」と述べています。
 第5章「論理的なミス」では、「ガリレオの片持ち梁の問題の正しい定式化、そして正しい解決の展開には非常に長い時間がかかった」原因の一部分が、「異論の余地のない天才ガリレオへの技術上、科学上の信頼による」と述べ、「私たちは基本的な前提に含まれるミスを見逃す傾向があり、その前提が権威をもって主張され、そこから導き出された結果によってそれが確証されるように見えるときにはなおさらである」と指摘しています。
 第9章「成功につながるミス」では、「さほど目立たずさほど新しくない事故は、いまなお関係があると受け止められる産業や専門分野だけでしか思い出されないことが多く、その場合ですら、そこに含まれていた間違った技術を最新技術が覆い隠すように見えるにつれ、それはほこりのかぶった文書庫に追いやられがちである」が、技術市場の失敗のかなりの部分は、時代を超えて今日も使われている、同じ設計の論理と方法論におけるミスによるものであり、それゆえに古典的な失敗の根本原因は、高度に洗練され複雑になった今日の設計と設計プロセスに対しても引き続き妥当でありうるし、事実妥当なのだ」と述べています。
 著者は、「通常設計(ノーマルデザイン)が人間の主な活動であり続けることに疑いはないが、設計の適用範囲を超えたどこかにほぼ不可避的に潜んでいると思われるヒューマン・エラーという落とし穴に十分に用心して設計者は進まなければならない」と述べています。
 第7章「視野狭窄」では、「すべての技術的失敗が、鋼鉄の亀裂や破壊、悲劇的な人命の損失を伴なって突然劇的に起こるものではない」として、「こうしたミスは設計プロセスにまさに特有なものである可能性があり、だからそれらに光を当てるケース・スタディーは、設計の教育と実践に非常に参考になり価値がある」と述べ、「このようなミスの一群は、設計における視野狭窄とひとくくりにして記述できる」としています。
 そして、1849年代後半に、「イギリス諸島で進行中の最も重要な建設プロジェクトと一般にみなされたし、その進捗を見るために、技術者や設計者たちはその場所をよく訪れた」、ロバート・スティーヴンソンの設計によるブリタニア橋について、「なぜ、ブリタニア橋が驚くべき成功であると同時に構成の橋にとって失敗の手本になったのかは、この橋の設計と建設を取り巻く状況を考えると最もよく理解できる」と述べ、「規範例(パラダイム)として役立つようなあらゆる歴史事例同様に、この話は詳細をより深く知るほど重大な意味をもってくる」と指摘しています。
 著者は、「すべての革新的な設計は、ある程度の研究、開発、証明、そして先行技術が当然のものとしていた保守主義を必要とするという意味で、いくぶん不経済なものと予想できる」と述べ、「ブリタニア橋の歴史事例は、新しい設計プロ宿とに伴なうことのある視野狭窄によって、設計者が、主要な設計上の問題の狭い範囲の外側からは、内側からほど注意深く失敗を考察することがどんなにできなくなるのかについての味方を与えてくれる」としています。
 第8章「技術的判断の源泉としての失敗」では、「設計における最初で一番不可欠なツールは判断である」として、「工学的判断とは、概念設計のまさに最初から、研究と開発のための解析モデルや実物モデルを作り上げていく鍵となる要素を見定めるものである」と述べています。
 著者は、「失敗の歴史事例と失敗を回避しようとする戦略は、一般に場当たり的なやり方でしかなされてこなかった設計の仕事への貴重な情報源である」と述べた上で、「設計は、失敗の予測と会費を含んだプロセスなので、設計者が失敗について多くの知識を持つほど、彼らの設計はそれだけ信頼できるものになる」と述べています。
 第9章「歴史の選択的利用」では、「失敗のないことは設計が完全があることを証明しない。なぜなら、表面化していない失敗の態様が、まだ経験されていない条件によって引き起こされるかもしれないからである」と述べ、「劇的な失敗がないことは、当然のごとく自信満々になったそのジャンルについて設計者たちに自己満足を与えてしまうかもしれない。そればかりか、成功の風潮は、何かおかしいという警告サインに対する設計者たちの反応をより鈍くするかもしれない」ことを指摘しています。
 第10章「史上に残る橋の崩落と未来の設計への警告」では、「設計の成功と失敗の関係は、技術の基本的なパラドックスの一つとなっている」として、「成功の経験の積み重ねによって、設計者はもっとはるかに大胆で野心的なプロジェクトに挑戦するようになり、それは万人を驚かす途方もない失敗にほとんど必ずつながる。他方で、失敗の結果、生まれ変わった保守主義が生じることが多い」ことを指摘しています。
 そして、シブリーとウォーカーが、歴史事例の研究を元に、主要な橋の崩壊が、「30年間隔で起こった」ことを指摘したことについて、その感覚は、「ある世代の技術者と次の世代の技術者のコミュニケーション・ギャップ」を示すかもしれないと考えたことを紹介し、「次々と現れる橋の形式のいずれも、それがまさにその前に崩落した様式に代わるものだったからこそ崩落するところまで発展したといえるかもしれない」と述べています。
 著者は、「過去1世紀半にわたって主要な形式の橋の崩落が約30年ごとに起こってきたというシブリーとウォーカーの観察は、いずれは奇妙で珍奇なものにすぎないとわかるかもしれないが、それは、設計プロセスの本質に現れるある種の警告の徴候に技術者の注意を喚起することにも役立つだろう」と述べています。
 第11章「結論」では、「失敗に基づく規範例が発展すれば、設計プロセスにおける失敗の役割をよりよく規定するのに役立つ」と述べ、「設計プロセスにおける失敗の役割の否定面、肯定面双方を理解すれば、プロセスそのものを、もっと理解しやすい、信頼に足る、生産的なものにできる」と指摘しています。
 そして、「当を得た歴史事例の教訓はときを超えているから、設計の論理と設計判断ミスの古典的な陥穽について現代の設計者の意識が高まれば、同じ誤りが新たな設計で繰り返されることを防ぐのに役立つ」と述べています。
 また、「成功は事実上リスクなしに模倣できるが、失敗についての適切な視点を組み込んだ技術的方法を適切に応用することによってのみそれを拡大することができる」と述べるとともに、「今日、失敗から学ばれる教訓の価値は広く認識されている」が、「ごく最近の失敗だけでなく非常に古いものも併せてみると、目に見える警告をはるかに超えた情報が含まれている」と述べています。
 本書は、工学的設計に携わる人はもちろん、制度設計など、およそ「設計」と名の付くさまざまな営みに携わる人にとって価値のある一冊です。


■ 個人的な視点から

 多くの人がその恩恵に浸りながらも直接的に思いを馳せることは少ない物理学とか橋などの構造物の設計について、非常にわかりやすく技術史を説いてくれる作者の代表作です。多少ミスがあっても人名に関わることはない制度設計などと異なり、わずかなミスも多くの人命に関わる事故につながる巨大構造物の世界は、もっと尊敬されてしかるべきものではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・何気なく「橋」を使っている人。


■ 関連しそうな本

 ヘンリー・ペトロスキー (著), 忠平 美幸 (翻訳) 『ゼムクリップから技術の世界が見える-アイデアが形になるまで』 2008年04月17日
 ヘンリー ペトロスキー (著), 忠平 美幸 (翻訳) 『フォークの歯はなぜ四本になったか―実用品の進化論』 2005年12月31日
 ヘンリー ペトロスキー (著), 池田 栄一 (翻訳) 『本棚の歴史』 2006年03月12日
 ヘンリー ペトロスキー (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『もっと長い橋、もっと丈夫なビル―未知の領域に挑んだ技術者たちの物語』
 ヘンリー ペトロスキー (著), 渡辺 潤, 岡田 朋之 (翻訳) 『鉛筆と人間』 2008年07月04日


■ 百夜百音

テレビアニメ スーパーヒストリー 4「紅三四郎」~「キックの鬼」【テレビアニメ スーパーヒストリー 4「紅三四郎」~「キックの鬼」】 テレビ主題歌 オリジナル盤発売: 1998

 メジャーセブンスのかっこいいハーモニーで終わる「アクビ娘の歌」は、大人が聞いてもカッコイイ曲に仕上がっています。もちろん、当時ならではの動き回るベースラインの「ハクション大魔王の歌」もよいです。

『ハクション大魔王 DVD-BOX』ハクション大魔王 DVD-BOX

2008年8月 8日 (金)

プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜く

■ 書籍情報

プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜く   【プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜く】(#1296)

  アンソニー プラトカニス, エリオット アロンソン (著), 社会行動研究会 (翻訳)
  価格: ¥3360 (税込)
  誠信書房(1998/11)

 本書は、「脱工業化社会を特徴づける大衆説得の技法」であり、「特定の観点を受け手に伝達することであり、その最終的な目的は、受け手がその立場があたかも自分自身のものであるかのように『自発的に』受け入れるようにすること」である「プロパガンダ」について解説しているものです。
 著者は、「説得は、広告やマーケティングに携わる人だけが使うものではない」として、アメリカ政府が、「自国に有利なプロパガンダを作り出すために8000人以上の人間」を雇い、「その費用は年間4億ドルに達する」と述べています。
 そして、「今日の説得の風景は、いくつかの重要な点で過去のものと大きく異なっている」として、
(1)われわれはメッセージが溢れた環境に住んでいる。
(2)短く、憶えやすく、そしてしばしば視覚に訴えるメッセージが溢れている。
(3)現代の説得は、以前よりもずっと素早く伝達される。
(4)いやというほど説得的メッセージに毎日されされているのに、説得の技術を学ぶ機会、そうした技術がどのように効果を生み出すのかを理解する機会はほとんどない。
の4点を挙げた上で、「説得の方法を学ぶことによってこのプロパガンダに満ちた世界を十分に理解し、そして、それに賢明かつ効果的に対処できるようになること」が、著者の願いであると述べています。
 第1章「日常生活のなかの説得」では、20世紀になって、「何が説得的メッセージを効果的にするのか」という昔からの疑問に対して、
(1)精神分析:一般には最も知られた説得の理論だが、プロの宣伝者が実際に使用するには最も役に立たない。
(2)学習理論:受け手がそれを学習し受け入れたときにはじめて説得効果を持つ。
(3)認知反応:成功する説得戦術というのは、送り手の観点に同意するように受けての思考を方向づけると同時に、そこで提唱されている行為に関する否定的な思考を妨げ、肯定的な思考を促進する。
の3つの一般的な会頭が現れたと述べています。
 そして、我々が、「現代の民主主義の本質的ジレンマ」と呼べる状況にあるとして、われわれが、「説得に価値をおく社会で生活をしている」一方で、「認知的倹約家としての我々は、この決定に十分に参加せず、メッセージを詳細に検討する代わりに、単純な説得の手がかりや限られたわずかな証拠に頼って判断してしまう」ことを指摘しています。
 また、われわれ人間が、「理性的であるように他者に対して、そして自分自身に対して見せようとする」という意味で「合理化する動物」であるとして、「自分の過去の行動を正当化しようとする傾向が合理化をエスカレートさせ、これが悲惨な結果を招きうる」例を挙げています。
 第2章「説得のお膳立て――効果的な説得を行うために」では、マスメディが描き出す世界の絵が、説得的である理由として、「示されている絵についてわれわれが疑問を呈することはまずない」ことを挙げています。
 また、著者が行った実験で、「あまり価値のなさそうなおとり」が、被験者の選択に影響を及ぼす理由として「対比効果」を挙げ、「対比させることは、違いを際立たせることを意味する。ある対象が、よくいん手はいるがそれほど良くなく、美しくなく、高くない対象と対比させられると、それは普通の場合よりも良く、美しく、高く判断される」と述べた上で、この研究からは、「文脈」が重要であり、「判断は相対的なものであり、絶対的なものではない。対象や選択肢は、文脈次第で良くも悪くも見える」が、われわれは文脈の影響に注目することは少なく、「このことが、政治家、広告主、ジャーナリスト、セールスマンのような『文脈を作る人』の影響力を高める」と解説しています。
 さらに、小説家ノーマン・メイラーが定義した、「雑誌や新聞に現れるまで存在しない事実(ファクト)」を意味する「事実もどき(factoid)」について、これが説得力をもつ理由として、
(1)事実もどきが真実か否かを確かめる試みがほとんど行われない。
(2)事実もどきは、しばしばいくつかの心理的欲求を満たしてくれるので、われわれはそれを受け入れてしまう。
(3)事実もどきは説得のお膳立ての機能を果たす。
の3点を挙げています。
 第3章「伝達者の信憑性――本物とまがい物」では、「われわれは、自己を理解し、定義するためにも信念や態度を持つようだ」として、「魅力的な情報源が商品の販売やわれわれの信念を変化させるのに効果的であるということは、われわれが信念や知識をもつ理由が、正しくありたいとか世界を正確に認識したいという願望以外にもあることを示している」と述べています。
 そして、信頼されていない場合の説得には、「伝達者は自分自身の利益に反するように見える行動をとることによって、自分が信頼のおける人間だと思わせることができる」と述べるとともに、「聴衆がある人の話を聞くとき、その人が自分たちに影響を与えようとしているのではないことを聴衆が絶対的に確信するならば、その人は見かけ上の信頼性を高めることができると同時に、見かけ上のメッセージの歪曲を低めることができる」と解説しています。
 また、好感をもたれるようにするためには、「聴衆が思っていることを話しなさい、他者を快適な気分にするようにしなさい、雰囲気(状況)をあなたに有利になるようにコントロールしなさい」というロジャー・エイルス(レーガンとブッシュの選挙参謀)のアドバイスを紹介しています。
 第4章「メッセージ――それはどのように伝達されるのか」では、「課題解決の際に用いられる単純な手がかり、もしくはルール」を意味する「ヒューリスティック」を取り上げ、「ある説得的コミュニケーションが、受け入れる価値や信じる価値があるかどうかを判断するときにも用いられる」と述べています。
 そして、「合理的な意思決定ではなくヒューリスティックによる判断が行われる」条件として、
(1)その問題を注意深く考える時間が十分にないとき
(2)情報が多すぎて十分に処理できないとき
(3)その問題が自分にとってさほど重要でないと考えるとき
(4)意思決定に用いる他の知識や情報がほとんどないとき
(5)その問題と直面した際、特定のヒューリスティックが素早く心の中に浮かんだとき
の5点を挙げています。
 また、鮮明なメッセージが私たちの認知反応に影響を及ぼす仕方として、
(1)鮮明な情報は注意を惹きつける。
(2)鮮明な情報はより具体的かつ身近なものとなる。
(3)鮮明に提示された情報は印象に残りやすい。
の3点を挙げています。
 さらに、「プロパガンダの持つ繰り返しの力」について、ナチの宣伝相ゲッペルスが、「大衆は、最も慣れ親しんでいる情報を真実を呼ぶのである」と考えていたとして、「単純なメッセージ、イメージやスローガンをくりかえすことで、世界についての知識を作り出し、真実とは何かを定義し、どのように人生を生きたらよいかを示すことができる」と述べています。
 また、「信頼できる送り手の場合には、送り手が唱導する意見と受けての意見の間の食い違いが大きいほど、受け手が説得される程度は大きい」一方で、「送り手の信頼性が疑わしい場合には、食い違いが中程度のときに最大の意見変化が生じる」と述べています。
 さらに、「単純に両方の立場を提示するコミュニケーションに説得効果があるということ」ではなく、「両方の立場を提示した上で、反対の立場の弱点を指摘することが説得効果を生み出す」と述べています。
 第5章「感情にアピールする説得」では、「人々を動機づけ説得するために恐怖心を呼び起こそうとするのは、牧師や政治家だけではない」として、恐怖アピールが最も効果的になる条件として、
(1)人々に強い恐怖を与えること
(2)恐怖が生み出す脅威を克服するための具体的な勧告を提供すること
(3)推奨された行動が脅威を低減させるのに効果的であると知覚されること
(4)メッセージの受け手が、推奨された行動を遂行できると考えること
の4点を挙げています。
 また、「誇りを感じさせるが意味のない人間同士の連帯」を意味する「グランファルーン」について、
(1)認知的なもの:「私はこの集団のメンバーだ」という知識を持つことによって、人は世界を分割し、それに意味を与えることができる。
(2)動機的なもの:社会的集団は自尊心やプライドの源泉となる。
の2つの心理的過程を挙げています。
 そのうえで、「グランファルーンの策略の餌食にならないようにする」ための単純な経験則として、
(1)最小集団を作り出し、あなたをその集団の一員であると規定しようとする人に注意すること。
(2)自尊心を、自己イメージを維持することではなく、一つの目標の達成に結びつけること。
(3)自尊心の根拠を、たった一つのグランファルーンに求めてはいけない。
(4)集団を隔てる壁を低くするために共通の地盤を見つけるようにすること。
(5)外集団のメンバーを、思ったより自分と共通点が多い一人の人間としてみるようにすること。
の5点を挙げています。
 さらに、交渉の基本的なテクニックとして、
・ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック:最初に非常に大きな要求を出すことで、その後の妥協した形の要求を受け入れさせる。
・フット・イン・ザ・ドア・テクニック:より大きな要請を受け入れさせるために、相手から小さな恩恵を引き出す。
などを紹介しています。
 著者は、「数が少なく手に入れづらいものが、われわれの知覚を変えたりある種の感情を引き起こす力がある」ことについて、「幻への罠」と表現し、「希少で手に入りにくいものを獲得することに注意や資源を集中させる傾向」と解説しています。
 第7章「情報戦略が失敗するとき――プロパガンダと社会」では、情報キャンペーンが失敗する場合として、「人は興味のある事柄に関しては多くの情報を獲得しようとするが、信念と一致しない情報は避けようとする傾向がある」ことを挙げ、「関心のない、あるいは賛同できない情報にされされることから逃れられないと気づくと、人はその情報を曲解したり、再解釈しようとする」と述べています。
 そして、「ニュースの選択が宣伝の基本である」として、「何らかの検閲なしには、厳密な意味での宣伝は不可能である」とするウォルター・リップマンの言葉を紹介し、「革命家や指導者の卵たちはみな、報道手段を手中に収めるのが第一歩であることを知っている」と述べています。
 また、「カルトを設立し運営する」ための方法として、
(1)あなた独自の社会的真実を作りなさい。
(2)グランファルーンを作りなさい。
(3)不協和の低減を用いてコミットメントを引き出しなさい。
(4)教祖の信頼性と魅力を確立しなさい。
(5)未救済者を転向させるために信者を送り出しなさい。
(6)信者たちを「好ましくない」考え方から遠ざけなさい。
(7)信者の視野を幻に集中させなさい。
の7点を挙げています。
 さらに、ヒトラーが、「ドイツがかつての威信を取り戻して次の戦争に勝つためには、説得という戦争においても連合軍に勝たなければ鳴らないことを悟った」として、ヒトラーにとって、「宣伝は目的達成(ドイツ国家の創立と、ナチ党の支配を確立し維持すること)のための手段であった」と述べ、ヒトラーが、「物事を理解する大衆の能力を馬鹿にしていた」として、「効果的な宣伝は、ヒューリスティックや感情への訴えに依存するものである」と述べています。
 そして、ナチの宣伝の最も危険な点として、「絶対的な真実があり、支配階級の人だけが真実を知る特権があるという、その前提にある」ことを指摘しています。
 本書は、プロパガンダの有用性とその「鋭さ」ゆえの危険性を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、言わば「大衆説得の技術」とでも題したらいいような内容になっていて、プロパガンダが古代から受け継がれてきた「技術」として発達したものであることをわかりやすく解説しています。「メディアリテラシー」という言葉が使われますが、もう少し大きな意味で、権力による説得に対するリテラシーとでもいうべき「判断力」を身につける上では有用な一冊ではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・権力を見極める「目」をもちたい人。


■ 関連しそうな本

 津金沢 聡広, 佐藤 卓己 『広報・広告・プロパガンダ』 2008年08月02日
 スチュアート ユーウェン (著), 平野 秀秋, 挟本 佳代, 左古 輝人 (翻訳) 『PR!―世論操作の社会史』 2008年07月18日
 高木 徹 『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』 2006年11月27日
 石澤 靖治 『戦争とマスメディア―湾岸戦争における米ジャーナリズムの「敗北」をめぐって』 2008年08月04日
 ロバート・B・チャルディーニ (著), 社会行動研究会 『影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか』 2006年02月16日
 榊 博文 『説得と影響―交渉のための社会心理学』 2006年02月23日


■ 百夜百マンガ

ぼっけもん【ぼっけもん 】

 男気あふれる作品で知られている作者ですが、鹿児島出身者にとっては「ぼっけもんゲットだぜ!」ということで思い入れも深いのではないかと思います。

2008年8月 7日 (木)

インターネットが変えた!自治体増収大作戦

■ 書籍情報

インターネットが変えた!自治体増収大作戦   【インターネットが変えた!自治体増収大作戦】(#1295)

  堀 博晴, 佐藤 章夫
  価格: ¥1200 (税込)
  ぎょうせい(2008/6/10)

 本書は、元都庁職員で、現在はヤフー株式会社で官公庁担当をしている著者が実践によって開拓してきた、インターネット公有財産売却、公金クレジット収納、そして、前著でも詳しく解説していたインターネット公売を解説するものです。
 著者は、「自治体の自立への第一歩」として、「現行法体系の中で徴収率を上げること」をまず第一に掲げ、「悪質な滞納を許さない仕組みを整え、さらに売れるものは役所が水から売って増収を図る、税の公平性を確保するとともに、自治体の努力を住民に示して、信頼を勝ち取る」方法しかないと述べています。
 序章「増収挑戦の時代へ」では、「いまからでもやる自治体とやらない自治体とでは、大きな差が出てくる」として、「自治体が生き残りをかける時代が始まった」と述べています。
 そして、税の配分をめぐって「格差是正」をいう以前の大前提として、「各自治体の努力」が求められると述べ、「最低限、自分たちでかけた税金ぐらいはとりましょうよと、声を大にして言いたい」と、「きちんとした滞納整理をやらずに、いくら『お金が足りない』と言われても、説得力に欠け」ると語っています。
 また、「聴衆を真面目にやろうとする職員の前に、首長が壁となって立ちはだかったり、部下のやる気の芽を上司が摘んでいる」例として、「首長の支援者が滞納者で、そのため聴衆部門にブレーキがかかっているケースが少なくない」ことや、徴収職員が当たり前にできるはずの「捜索・差押という当たり前の手法」を「時期尚早」とストップをかけ、「『下品』と言われ、やりたくてもできない状況」にある例を紹介し、「理解のない上司は部下を腐らせ、やがて組織を潰します」と語っています。
 さらに、「やってはいけないこと」として、
(1)滞納金を取らない
(2)時効を出す
(3)集金に行く
の「三悪」を挙げています。
 第1章「ネットオークションで『役所』を売る」では、「もともと自治体にあるもの」である「公有財産」について、「役所にあって使わなくなった物品や、売却先が決まらない不動産などをインターネットオークションで売れれば、一般競争入札と比べて高い落札率や落札学が期待できる」というイメージからスタートしたと語っています。
 そして、和歌山県では、インターネット公有財産売却に向け、「トップの報道発表の予定だけが先に決まってしまい、不動産担当に川畑さんにお鉢が回って」きた、という状況であったこと、「役所で新しいことを始めようとするとき、一番の障害となって立ちふさがるのは、他でもない役人たち」だとして、具体的には、「財産」「財務」「情報」「出納」「法制」の5つが「抵抗勢力」だったことなどを語っています。
 また、第1回のインターネット公有財産売却を無事終えた担当者の川畑さんが、「公務員になってから、こんな面白い体験をしたのは初めてだった」と話していたことを紹介しています。
 さらに、公有財産売却のメリットについて、自治体が「100万円の価値あり」と算定していても、「落札されなければ収入は0円」であり、不落が続けば維持管理費もかさむことに対し、「インターネット公有財産売却に出して、もし100万円で売れれば、システム利用料の3%を引いても、97万円の収入が自治体にもたらされ」、ヤフーへの3万円は「広告費用」と見なすことができないかと述べています。
 第2章「新たな歳入確保策! 公金クレジット収納が始動」では、2007年5月2日、東国原宮崎県知事がパソコンから自動車税を納付するパフォーマンスを見せた、「Yahoo!公金支払い」について、「ヤフーと契約した自治体の税金(自動車税や住民税、固定資産税など)や料金(水道料や施設利用料など)をYahoo! JAPANのウェブサイト上などでクレジットカードを使って納付できる収納・決済代行サービス」であると解説しています。
 このクレジット収納に関しては、
(1)債権譲渡方式:カード会社が行政機関から公金債権の譲渡を受け、代金を支払うとともに、納付者から債権を直接回収する。
(2)立て替え払い方式:カード会社などが納付者からの依頼を受けて公金を立て替え払いし、後で納付者から債権を回収する。
の2つの収納方式が考えられた中で、前者は、「公金債権を民間事業者に譲渡できるのかどうかが問題」になるため、後者を選択したと述べています。
 そして、インターネットの会社であるヤフーが公金クレジット収納に参入する枠組みとして、
(1)IPSP(インターネット・ペイメント・サービス・プロバイダー)
(2)ASP(アプリケーション・サービス・プロバイダー)
の2つの枠組みが検討されたうち、自治体にとって好ましいのは、ヤフーとのやりとりだけで完結する(1)であると考え、(2)のスキームの場合には、「自治体はカード会社と加盟店契約と指定代理農夫に関わる契約を結ぶ一方で、やフーともシステム利用契約を結ぶことになる」と述べています。
 また、宮崎県での動きに対し、「某クレジットカード会社が、ネガティブキャンペーンとしかいいようがない動きを見せ始めた」として、福岡、大坂、東京から、三度にわたって社員を宮崎に送り込み、「ヤフーのスキームは違法だと訴え」たことを紹介しています。
 さらに、宮崎県がクレジット収納を開始した結果、納期内納付率が、件数ベースで前年比1.2ポイント増、税額ベースで同1.9ポイント増であった結果を「県では成功と受け止め」たと述べています。そして、クレジット収納の特徴として、
(1)休日を含む金融機関の営業時間外での利用が約77%を占めた。
(2)12回までの分割払い、もしくはリボ払いを選択した人の合計は24%だった。
ことを挙げ、「宮崎県でクレジット収納を利用した人のうち、約4分の1が分割払いを選んだということは、それらの人たちが、手数料や金利負担をしてでもカード払いの利便性を選択したということを物語っているのではない」かと述べています。
 第3章「急拡大するインターネット公売」では、多くの自治体がインターネット公売の導入を決めた理由として、「どの自治体も徴収に本腰を入れ始めた表れ」であるとともに、
(1)手続きを契約方式から申し込み方式に変えた。
(2)インターネット公売にはお金がかからないから。
の2点を挙げています。
 また、インターネット公売を導入した自治体の職員からの手紙を紹介する中で、「不適当な表現かもしれませんが、(インターネット公売は)『おもしろい』の一言に尽きます」とあったことを紹介しています。
 第4章「実践! 初心者向け公売マニュアル」では、「公売を始めるにあたって、初心者の自治体が絶対に乗り越えなくてはならないハードル」として、「捜索であり財産の差押え」を挙げ、「当たり前の話ですが、ここが『難しい』とよく言われ」ると述べています。
 また、自動車の差押えに関して、「解決すべき課題は、いかに費用をかけずに保管し、いかに高く売るかだった」と述べ、「差し押さえた自動車を滞納者の自由にさせないためにも、余計なトラブルを避けるためにも、自動車を占有することが絶対に必要」だとしています。
 終章「北の大地からの自治体革命」では、北海道の税務職員を中心に結成された「ZEIMNET北海道21」を紹介し、「このネットワークのすごいところは、人事異動で徴収の仕事を離れざるを得なかった人たちが、引き続き参加していること」を挙げています。
 著者は、「インターネット公売は単なる滞納整理のためのツールではなく、公務員の意識改革を促し、自治体を変える原動力になる」が、著者たちの持論であり、「このように自治体の枠を越え、職域をも越えた地方公務員のネットワークが、北海道の地で生まれ育っているのを見ると、改めてその思いを強く」すると語っています。
 本書は、税務に携わる自治体職員はもちろん、多くの人に公務員の仕事の原点とは何かを考えるきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 何より身にしみるのは、新しいことをやろうとするときの一番の抵抗勢力は役所自身だということです。著者自身も元都庁職員ですので、そのこと自体は知っていても、都庁では当たり前であった「滞納→差押え」という思考パターンが理解できない人が山ほどいることには相当戸惑ったのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・公務員の仕事はつまらないと思っている人。


■ 関連しそうな本

 堀 博晴 『インターネット公売のすべて―徴収率アップの決め手!』 2007年07月26日
 神野 直彦 『三位一体改革と地方税財政―到達点と今後の課題』 2007年04月16日
 カール・S. シャウプ (著), 柴田 弘文, 柴田 愛子 (翻訳) 『シャウプの証言―シャウプ税制使節団の教訓』 2007年02月13日
 石 弘光 『税の負担はどうなるか』 2007年07月20日
 白川 一郎 『自治体破産―再生の鍵は何か』 2006年10月30日
 吉富 有治 『大阪破産』 2006年10月20日


■ 百夜百マンガ

マクロスF【マクロスF 】

 マクロスがいまだにシリーズとして続いていることに単純に感動します。それにしてもポイントはやっぱり歌なのですね。

2008年8月 6日 (水)

ミュージアム・マーケティング

■ 書籍情報

ミュージアム・マーケティング   【ミュージアム・マーケティング】(#1294)

  フィリップ コトラー, ニール コトラー (著), 井関 利明, 石田 和晴 (翻訳)
  価格: ¥3675 (税込)
  第一法規(2006/04)

 本書は、「ミュージアムの資源、使命、機会、課題を検討するための概念的・方法論的フレームワークを、ニュージアムに関連する人々に提供するもの」です。
 著者は、ニュージアムを、「類のない独特の提供物、すなわち豊かで、感覚的で、多面的な『経験』を真正で形ある物品を使い、学術的でかつ充実した情報と解釈を加えながら提供する場」であると述べています。
 第1章「ニュージアムの多様な世界」では、ニュージアムが、「他では得られない特別な経験、とりわけ希少で真正な物品に出会う悦び、美しく興味深い品々に遭遇することによる知覚的経験、コレクションや展示の背後にある研究や学問から得られる知識を提供する」ものであると述べた上で、「ニュージアム同士もさまざまな点で異なる」としています。
 第2章「ミュージアムの戦略的課題」では、ニュージアムが直面するであろう課題として、
(1)独自の魅力的な使命を策定し、その使命と外部からの期待・需要とを両立させる現実的な解決策を見つけること。
(2)利用者と地域社会からの強固な支援を確保すること。
(3)ミュージアムが長期的に運営できるように十分な資金と積立金を確保すること。
の3点を挙げています。
 そして、ミュージアムの重要な目的である、「利用者を獲得し、拡大し、そして維持すること」を達成するための行動を、
(1)ミュージアムの注目度、認知度、魅力を高め、ミュージアムに来館したことがない多くの人々に来館したいと思わせる。
(2)継続的な来館者または会員になってもらえるような魅力的な提供物と満足できる経験を企画・提供することにより、何度も来館する気にさせる。
(3)多くの人々の自由時間の大部分を占めるレジャー活動を提供している多組織と対等に競争する。
の3点に集約しています。
 第3章「戦略的プランニングに着手し始めたミュージアム」では、ミュージアムが、「戦略的マーケット・プランニング・プロセス」(SMPP)を採用することで、「その使命、提供物、対象市場を定義し、そして計画を立案・実施することができる」と述べています。
 そして、SMPPの最初の要素である「戦略的マーケット・プランニング・システム」の開発が、
(1)マーケティング計画を実施する環境分析
(2)内部資源分析
(3)使命、目的、目標の策定
(4)戦略策定
の4ステップに分けられると述べています。
 また、ミュージアムには、「4つのタイプの競争圧力と競争相手が存在する」として、
(1)欲望競争相手:潜在的利用者が抱いているさまざまな一般的欲求や嗜好(例:旅行、読書、テレビの視聴)
(2)一般的競争相手:潜在的利用者の特定のニーズや欲求を満たすさまざまな方法(例:何かを学習するためにミュージアムにいくのではなく、講演を聴く)
(3)サービス形態競争相手:選択した特定レジャー活動の目的を満たすさまざまな代替サービス(例:ミュージアムの美術コレクションをミュージアムに足を運んでみるのではなく、インターネットで鑑賞する)
(4)事業競争相手:潜在顧客ニーズを満たすことができるさまざまなタイプの組織(例:近隣の小規模美術館に行くのではなく、市中心部の大規模美術館に行く、または娯楽としてテーマパークやショッピング・センターに出かける)
の4点を挙げています。
 著者は、戦略的マーケット・プランニング・プロセスをミュージアムが策定した使命、提供するプログラム・プロダクト・サービス、訴求しようとする利用者セグメントの範囲を定義・計画・管理するためのフレームワーク」であるとした上で、
(1)環境要因、組織の強みと弱み、使命、目的、目標を分析する計画システムを策定し、戦略を決定する。
(2)選択した戦略に適応する組織設計を行なう。
(3)計画の実施と成果を観察するシステム(すなわちマーケティング情報システム・計画システム・管理システムを構築する)。
の3段階で構成されると述べています。
 第4章「ミュージアムの利用者を理解する」では、ミュージアム利用者大半に認められる最も際立った特徴として、「その学歴の高さであり、次に所得が高いこと」を挙げた上で、「ミュージアムの種類によって、その利用者の学歴は異なる」としています。
 また、「個人や集団は、さまざまなプロダクト、サービス、活動の中から選択を行う際に、一定のはっきりしたプロセスに従う場合が多く、マーケティング専門家は、顧客がどのように意思決定を行うかを示すいくつかのモデルを開発している」として、
(1)ニーズ喚起:利用者がある種のレクリエーション活動への関心を最初にどのように抱くか、そして意思決定の背後にあるニーズと欲求は何かを理解する必要がある。
(2)情報収集:利用者の経験レベルが上がり、特定タイプの取引に関わる知識が増えると、意思決定は単純で機械的なものになる。
(3)決定の評価:利用者は、自分が求めている要素を特定し、次にどの活動が求める要素を最も高いレベルで提供できるかを判断する。
(4)決定実行:選択肢の優先順位を確定すると通常は最も好ましい選択肢を選ぶが、他の人の意見、予想された事態または予想外の事態の発生、知覚リスク、の3つの要因により、最終意思決定に繋がらないことがある。
(5)決定後の評価と行為:利用者の満足には、「期待―成果理論」と「認知的不協和理論」の2つの主要な理論がある。
という5つの段階があると解説しています。
 著者は、ミュージアム・マネジャーがミュージアム利用者を理解するためには、「なぜ多くの人はまったく来館しないのか、なぜ人々はたまにしか来館しないのか、そしてなぜよく来館する人がいるのか、を知ることが重要である」と述べています。
 第5章「市場細分化、ターゲティング、ポジショニングの実施」では、「組織は、すべての人に訴求しようとするのではなく、その組織利用者として最も自然である人々を特定し、その人々に訴求してサービスを提供するために努力しなければならない」と述べ、「ミュージアムがそのミュージアム提供物に関心のある利用者や潜在的利用者をどのように特定するか、そしてそうした人々に訴求してサービスを提供するのに有効なマーケティング計画をどのように策定するか」を解説しています。
 そして、「すべての利用者を同じように扱う」ことは、「市場多様性を無視する結果」になり、逆に「各利用者を個別に扱うのは、ほとんどの場合には費用がかかりすぎて非現実的である」として、「現実的な解は、この両極端の間に存在する」と述べたうえで、ミュージアムが、
(1)マス・マーケティング
(2)市場細分化マーケティング
(3)ニッチ・マーケティング
(4)セグメント・オブ・ワン・マーケティング(個別セグメント・マーケティング)
の4つのレベルで市場にアプローチできると述べています。
 また、「市場を細分化する方法は数多く存在する」が、セグメントは、
(1)測定可能:特定したセグメントの大きさを推定できる必要がある。
(2)規模:ミュージアムが獲得する価値のある十分な大きさでなければならない。
(3)訴求可能:選択したセグメントを構成する個人に対し、効率的に情報を伝えられなければならない。
の「3つの特徴を示す場合にもっとも利用価値が高い」と述べています。
 第6章「マーケティング調査と情報収集ツールの利用」では、「歴史的にミュージアム・マネジャーは、コレクション、施設、資金、スタッフを管理することが中心であり、もう一つの重要資源である『情報』にはあまり関心を払っていなかった」が、「近年では、高度調査技法と情報技術の出現により、情報の収集・分析が革命的に進化し、最も小規模なミュージアムでも利用できるようになっている」と述べています。
 著者は、マーケティング調査を、「組織の利用者、組織に影響を与える環境要因、そして顧客満足や組織パフォーマンスを向上する方法を理解するために必要なデータや情報を、体系的に、整理・収集・分析・報告するものである」と述べています。
 第7章「魅力的な提供物開発」では、
「来館者は、知的興奮をミュージアムに求めているわけではない。
 退屈な現実世界の制約から一時的に逃れ、驚きや刺激を期待しているのである……利用者が美術館に求める最も重要な要素は、劇的変化に満ちた経験である」
というチクセントミハイの言葉を冒頭に引用した上で、ミュージアム提供物の基本エレメントとして、
(1)建物外観・内装およびデザインされた空間であるミュージアム「施設」そのもの
(2)「オブジェクト」、「コレクション」、「展示」
(3)ラベル、説明文、カタログなどの解説資料
(4)講演会、上演会、交流イベントなどのミュージアム・「プログラム」
(5)レセプションやオリエンテーション、食事サービス、ショッピング、休憩所などのミュージアム・「サービス」
の5点を挙げています。
 また、ミュージアムのマネジャーが、「サービスに関する4つの主要特徴」である、
(1)無形性
(2)不可分性
(3)不均一性
(4)消滅性
の4点に特に注意する必要があると述べています。
 第9章「コミュニケーションと宣伝」では、「コミュニケーションと宣伝のほか、ミュージアムが一般市民とコミュニケーションをとるための4つの主要ツール(広告、PR、ダイレクト・マーケティング、セールス・プロモーション)を、より効果的に活用する方法」について論じています。
 そして、広告立案の第1ステップである「広告目的設定」について、
(1)ターゲット:広告対象は誰か
(2)ポジション:提供物のメリット、競合する提供物との違いは何か
(3)望ましい反応:対象者からどのような反応を求めるのか
(4)計画対象期間:いつまでに目的を達成すべきか
の4要素を挙げています。
 そして、「目的、ターゲットとなる顧客セグメント、対象者に期待する反応、予算を決定した後は、効果的メッセージを立案しなければならない」として、バッド・シュールベルグが提案している、
(1)力強くはじめる
(2)テーマを一つに絞る
(3)シンプルな表現にする
(4)見る人や聞く人の心にイメージを残す
(5)劇的に終わる
の5つのルールを紹介しています。
 また、マーケティングの主な機能が、「『行動』に影響を及ぼすこと」であるのに対し、PRの仕事は、「組織またはそのプロダクトについて大衆の『態度』を形成、維持、または変化させること」であると述べ、「この『態度』が今度は行動に影響を及ぼす」と解説しています。
 さらに、PRが、
・広告より信頼性が高い。
・有料メッセージを嫌う人々の注意を引くことができる。
・広告メッセージを補強し、その主張根拠を示し、報道内容をより深く語ることにより、広告を補完することができる。
・費用は広告に比べごくわずかである。
などの特質があるがゆえに、「PRはマーケティング機能の重要部分を構成する」と述べています。
 そして、マーケティングPR種別が、
(1)イメージPR:人々が組織に対してある印象を持つよう試みる。
(2)日常的PR:日頃から定型的取り込みを行うことも必要である。
(3)危機PR:深刻な問題が発生した際に、ミュージアムがメディアやステイクホルダーに対して先手を打ち、戦略的に対応するための手助けをする。
の「まったく異なる3種別に分けられる」と解説しています。
 第10章「価格設定および収入基盤構築のための戦略」では、「ミュージアムでは、入館料を徴収し、他のサービスについても価格を設定することと、低所得層の人々でも施設を利用できるようにすることとは両立できるのだ、という認識が広がってきた」として、「無料解放日、パス、割引制度を導入して、すべての人々が施設を利用できるようにすることは可能である」とともに、「多くのミュージアムにとって、事業収入はもはや選択余地のない必須のものとなっている」と述べています。
 そして、「ミュージアムは入館料設定に当たり、その目的を明確にする必要がある」として、
(1)来館者数を最大化するような価格設定を行う。
(2)コスト回収最大化または黒字体質を構築する価格設定を行う。
(3)類似ミュージアムの価格設定に合わせる。
(4)他レジャー活動の価格設定に合わせる。
(5)収入最大化となる価格設定を行う。
(6)社会的に正当化される価格設定を行う。
など、さまざまな目的を解説しています。
 また、ほとんどのミュージアムがもうけている会員制度について、
(1)ミュージアムの利用・支援をより活発にすること
(2)独自収入源を作ること
の2つの目的を挙げています。
 第11章「経営資源の獲得」では、多くのミュージアムが、「来館者と地域社会の人々との長期的関係を築く手段として、また、資金調達に不可欠な手段として、会員プログラムを設けている」とした上で、会員を、
(1)非常に活発な会員
(2)中程度に活発な会員
(3)不活発な会員
の3つの集団に分類した上で、「ミュージアムの非常に活発な会員、中程度に活発な会員、歩活発な会員の比率を追跡することは有意義である」として、「不活発な会員が多い、または増加していることは、ミュージアムがこれら会員にとって大きな価値を確立していないことを示す兆候である」と述べています。
 また、資金調達者が、大口潜在的寄付者に対して、
「資産家を特定する→紹介してもらう→関心を高める→寄付を請う→謝意を表す」
の5段階の手法を採用していると述べています。
 第12章「マーケティング組織の構築」では、「顧客志向で、市場ニーズに素早く応えようとするミュージアムは、顧客視点とマーケティングの原則・手法を支持するような組織構造と組織文化をもたなくてはならない」と述べ、「たとえ小規模ミュージアムであっても、マネジャーとスタッフがマーケティング原則と手法を学ぶことはでき」、「ミュージアムが来館者や会員の視点を取り入れる妨げとなるものは何もない」と述べています。
 結論「ミュージアムが生き残るために」では、「ミュージアムが価値ある存在であることを、そのパトロンや一般の人々の人々に示すことができなければ、存続に必要な資源を集めることは難しい」ことは、「確実」であると述べています。
 本書は、ミュージアムの企画・運営に携わる関係者はもちろん、単にミュージアムに行くことが好きだという一ファンにとっても、ミュージアムを見る新しい楽しさを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 普段、博物館や美術館に行く機会がそれほどでもない、という人が多いのではないかと思いますが、本書を読んでからマーケティングの視点でミュージアムを見てみると意外と面白いのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・ミュージアムなんて退屈なものだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 村井 良子, 上山 信一, 三木 美裕, 佐々木 秀彦, 平田 穣, 川嶋-ベルトラン 敦子 『入門ミュージアムの評価と改善―行政評価や来館者調査を戦略的に活かす』 2005年11月17日
 水藤 真 『博物館学を学ぶ―入門からプロフェッショナルへ』 2008年06月20日
 新人物往来社 『日本全国おもしろユニーク博物館・記念館』 2008年06月30日
 太陽レクチャー・ブック編集部 『ミュージアムの仕事』
 高橋 隆博, 森 隆男, 米田 文孝 『博物館学ハンドブック』
 全国大学博物館学講座協議会西日本部会 『新しい博物館学』


■ 百夜百マンガ

ジパング【ジパング 】

 設定的には「戦国自衛隊」みたいですが、ポイントは、「沈黙の艦隊」と同じく、パワーバランスを崩す存在を状況の中に放り込んだら、他のプレイヤーたちはどう反応するか、という所でしょうか。野比家にドラえもんを放り込んだらドラマが生まれる、と同じようなものでしょうか。

2008年8月 5日 (火)

会計とコントロールの理論―契約理論に基づく会計学入門

■ 書籍情報

会計とコントロールの理論―契約理論に基づく会計学入門   【会計とコントロールの理論―契約理論に基づく会計学入門】(#1293)

  シャム サンダー (著), 山地 秀俊, 松本 祥尚, 鈴木 一水, 梶原 晃 (翻訳)
  価格: ¥3150 (税込)
  勁草書房(1998/04)

 本書は、ほとんどの会計研究が、「狭く限定された領域での会計の特定の機能にのみ、集中して焦点を当てよう」としていることに対し、「会計の多様な機能を1つの一貫した構図の中に統合する」ことを試みた一冊です。
 第1章「会計とコントロールの理論序説」では、組織における会計とコントロールを理解するために中心となる考え方として、
(1)あらゆる組織は、個人または個人からなる集団の間の契約の集合である。
(2)契約当事者間で共有された情報が蓄積されると、契約を設計して履行することが容易になる。
(3)組織におけるコントロールは、その組織に関係する個人や集団の利害間の持続的なバランスあるいは均衡である。それは組織のコントロールとは区別されなければならない。
の3点を挙げています。
 著者は、会計理論を、「会計行為のあらゆる重要な側面を、ある統合された枠組みの中に包含しなければならない」と述べ、組織の契約モデルを、「このような単純ではあるが、包括的な枠組みを提供する」と述べています。
 第2章「会計と企業の契約モデル」では、「会計を理解するためには、企業自体が理解されなければならない」として、会計の役割を分析するのに役立ちうる企業のモデルの起源として、バーリとミーンズ、コース、バーナード、サイモン、そしてサイアートとマーチの研究を挙げています。
 そして、「会計を理解するために、企業を合理的なエイジェント間の契約の集合と見なすこともできる」として、「エイジェントが提供し受け取る資源の形態、量および時点は、エイジェント間の交渉の題材となる。ここでは、資源請求権、インセンティブ及び誘因という用語と、エイジェントが受け取るか受け取ると期待する資源に対して互換的に用いる」としています。
 また、会計が、「企業を構成する契約を履行し強制するのに役立つ」として、企業を活動させるために、
(1)企業の資源プールに対する各エイジェントのインプットを測定する。
(2)各エイジェントの契約上の資源請求権を決定し、それを分配する。
(3)他のエイジェントがその契約上の義務を果たし、受け取った資源請求権がどのくらいであったかを、関連エイジェントに知らせる。
(4)契約上の地位や生産要素の保有者によって供給される生産要素のための市場の流動性を維持するのに役立つ。
(5)多様なエイジェント契約が定期的に再交渉されるので、監査済み情報についての共有知識のプールは、交渉と契約の成立を容易にするために、すべての関係者に対して提供される。
の5つの機能を遂行するとしています。
 さらに、会計が、「公への開示という形を取る情報という共通の基盤を共有することによって、契約当事者間の情報の非対称性を減少させるためのいくつかの事前の約束を含む」として、「合衆国やその他の多くの国々の証券諸法は、公開企業による公的な開示を要求している」と述べています。
 第3章「経営管理者の技能のための契約」では、経営管理者の特徴が、「会計とコントロールにおける彼等の役割を理解するための基礎となる」として、
(1)経営管理者の富は人的資本の形態をとり、企業に対する経営管理者のサービスはこの資本ストックから流出する。
(2)経営管理者のサービスのフローの質と量の測定は困難であり、この困難性は経営管理層のレベルが高くなるほど大きくなる。
(3)経営管理者は他のエイジェントと絶えず接触しており、しかも同時に2つ以上の競合する企業または組織のために経営管理者の資格で働くことは認められていない。
の3点を挙げています。
 そして、経営管理者が、「他のエイジェントともに、計画し、調整し、再交渉し、実行し、そして予想外の事象が生じたときには、計画の再調整を行う」と述べ、「経営者は、その調整という役割のために、企業の運営上の構造の中心に位置する」と解説しています。
 第4章「経営者と会計意思決定」では、企業の経営者が、「組織形態によって定義される境界の枠内」で、「会計とコントロールの詳細を具体化する」として、「経営者は自分の選択が他のエイジェントに与える影響を考慮しなければならない」と述べています。
 また、「予算編成やその他の意思決定におけるあらゆる参加」には、
(1)より多くの情報を提供された状態で意思決定が行われるという形で具現することによる、参加者から収集された情報の価値。
(2)参加者が共有しても良い情報の選択を通じて、参加者に好ましい意思決定が行われにくくなること。
との間のトレード・オフが見られると述べています。
 第5章「利益とその操作」では、「企業の様々なエイジェントの生ずるあらゆる利益のうち、株主に生ずる利益に固有のもの」として、
(1)株主は、他のすべてのエイジェントの資源請求権が支払われるか、あるいは解消された後に残った資源を請求する権利を有している。
(2)株主以外のすべてのエイジェントの資源請求権は、契約上の詳細な条件に従って移転される。
(3)株主資本に対する利益は、他の生産要素に対する利益ほど正確かつ確実には測定することができない。
の3点を挙げています。
 そして、「会計利益は株主資本のコストを控除しないで測定される」ことについて、「非割引会計利益保存の法則」と述べるとともに、「残余利益を産出することは、株主資本の帳簿価格に基づく資本コストを会計利益から控除することによって、容易に割引計算の形に修正できる」ことを、「割引残余利益保存の法則」と解説しています。
 また、利益操作の手段として、
(1)取引の裁量的会計処理
(2)会計原則の選択
(3)会計上の見積の調整
(4)移転価格
(5)実際の経済的意思決定
の5点を挙げています。
 第6章「投資家と会計」では、「株主の側から企業活動へ積極的に参加しないことや、その相対的な理解不足は、ほとんど必然的である」として、「大半の部主は、経営者や他のエイジェントの業績を個人的に監視するために、時間や努力を費やしたくない」ため、「企業間の投資ポートフォリオを多様化すること、個人的努力の節約、投資に関する専門知識の必要性から解放されることで得られる相当の利得と、企業の直接的コントロール権の喪失とを交換することになる」と解説しています。
 また、債権者は、「企業に対して永久的に資本参加することはない。期間、安全性、そして分散が、債務者の会計とコントロールへの関与を規定する債権者の3つの特質である」と述べています。
 さらに、投資家が「企業の会計意思決定に影響を与える」段階として、
(1)企業の設立
(2)資本市場での取引
(3)決議案への投票
(4)社会政治制度を通して
の4点を挙げています。
 著者は、「エイジェントの一集団として、投資家は企業において特別の地位を占めている」として、「彼らは企業に対して資源を事前委託し、企業からの資源の分け前に授かるまでに、比較的長期、ひいては無期限の期間が経過することに同意する」と解説しています。
 第7章「会計と株式市場」では、「株式の市場価値は、将来の配当(それともキャッシュ・フローないしは利益)の水準とその不確実性に対する投資家の期待に由来する。ここの取引者の期待が市場機構によって集約される。市場の価値は、将来の配当についての投資家個人の信念と、他の投資家の信念に対する信念に依存する」と述べた上で、
(1)会計は将来予測に投入される重要なインプットとして役立つ時系列の財務報告を提供する。
(2)将来の配当は、一企業の現在の物的資源と、その契約及びその契約が富を生み出すためにどれほど有効に利用されるか、ということに依存する。
(3)企業の物的資源を保全することは重要ではあるが、将来の配当を生み出すことにとっては全く十分とは言えない。
(4)企業の契約集合は、エイジェント間に相互依存関係を引き起こす。
(5)各階系システムはまた、劣った経営者と優れた経営者とをいかに有効に区別するか、に関しても差がある。
の5点を挙げています。
 第8章「監査人と企業」では、「監査人の企業に対する最大の寄与は、企業のシステムの検証にある」としたうえで、「監査報酬は監査人と取締役会の非経営取締役による委員会との間で、つまり会計システムの外で交渉される」と解説しています。
 また、監査人を雇う上での障害として、
(1)エイジェンシー・コストの削減幅が、監査人にその業務を実施させるのに必要な報酬と、少なくとも同程度でなければならない。
(2)2人のエイジェンシー関係への第3のエイジェントの参入は、最初の2人の間の関係に変更をもたらすのみならず、2つの新たな関係を生じさせ、以前には存在しなかった付随エイジェンシー・コストを生じさせる。
の2点を挙げています。
 さらに、「監査手続きの標準化は、業務の品質の相互監視と監査人を訓練するコストを節約する」一方で、「一定のリスクと追加的コストをもたらす」として、
(1)標準化された手続きになれた監査人が、不正及び隠蔽の革新的手法を識別する可能性は少ない。
(2)標準化された実務を、変動する環境と技術に合うように調整することはより高くつく。
の2点を挙げています。
 第9章「コンベンションと分類」では、「会計には特別な辞書がある」として、会計関係者自身も、
・コンベンション(convention)
・公準(postulate)
・原則(principle)
・主義(doctrine)
という概念について「統一した見解を有していない」と述べています。
 そして、コンベンションについて、「2人あるいはそれ以上の人々の間でのゲームの調整手段である」とか移設しています。
 また、「会計行為の期間性の多くは2つの理由から生じる」として、
(1)固定資産を利用すること
(2)定期的報告書を作成するために会計帳簿を日々記録紙、締め切り、要約し、監査するための固定費があるということ
の2点を挙げています。
 第10章「意思決定の基準と機構」では、「社会的に望ましい意思決定を定義」するための基本的なアプローチとして、
(1)パレート基準
(2)社会的費用-便益基準
の2点を挙げています。
 第11章「会計の標準化」では、エディとバクスターによる会計基準の類型として、
(1)開示や会計方針の説明のための基準
(2)財務諸表の様式や表示の統一のための基準
(3)特定の事実や不確実性の開示のための基準
(4)会計測定のための基準
の4類型を挙げています。
 また、社会的な選択機構を、
(1)慣習法
(2)市場
(3)国民投票
(4)立法
(5)裁判
(6)官僚制
の6つの範疇に分類しています。
 著者は、会計規則や基準を、「さまざまなエイジェントに対して他者が期待するように行動するよう誘うインセンティブとして理解できる」と述べ、「基準の設定と実施の利点をそれらが社会に課すコストや他の既決と比較考量する必要がある」と解説しています。
 第12章「政府、法そして会計」では、政府が、「少なくとも1つ、あるいはそれより多くの契約上の地位を企業の中で占める」とした上で、「税金の徴収はこれらの役割の中で、最もよく知られており、最も嫌がられているものである」と述べています。
 そして、「たいていの企業では、政府は、徴税者、顧客、販売者といった主要な契約エイジェントとしての役割を果たしている」とした上で、「こうした役割では、政府が企業の会計とコントロールの設計に重要な影響を与えている」と述べています。
 第13章「公共財組織の会計」では、「個人や他の組織が持分請求権を有する組織のことを営利的な、商業的なあるいは公開企業と呼ぶ」と述べ、持分請求権を取り引きする権利は、株主の権利に含まれると述べた上で、営利企業の特徴である「残余利益請求権の存在と、それらを有する株主からの残余利益請求権の譲渡可能性」に対して、「譲渡可能な残余利益請求権」を有しない「無残余利益請求権組織(NRIO: Non-Residual Interest Organization)」を取り上げています。
 また、「勘定を基金と呼ばれるいくつかのクラスに分けることは、NRIOの会計とコントロールの特徴である」として、「各基金はその組織の業務規定に含まれた特定の公共財やサービスと関連している」と解説しています。
 著者は、「公共財を生産する組織あるいは自然独占の状態でして機材を生産する組織のコントロールに必要なものは、競争的な条件のもとで私的材を生産・販売する組織のそれとは根本的に異なる」と述べています。
 本書は、「会計」についてのより深い理解へのきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「会計学」というと、ひたすらルールを暗記し、瑣末な解釈についてあれこれ議論を積み重ねるという点で、経済学部にあって法学部的な分野という先入観を持つ人が少なくないんじゃないかと勝手に想像しますが、会計がどのような機能をもっているか、という観点から分析すると、これほどエキサイティングな分野はないのかもしれません。
 問題は、この本を教科書にしてくれる大学(科目)がどこにあるのか、ということでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・会計学は解釈ばかりでつまらないと思う人。


■ 関連しそうな本

 小佐野 広 『コーポレートガバナンスの経済学―金融契約理論からみた企業論』 2005年02月23日
 伊藤 秀史, 小佐野 広 『インセンティブ設計の経済学―契約理論の応用分析』 2005年02月26日
 ポール・ミルグロム, ジョン・ロバーツ (著), 奥野 正寛, 伊藤 秀史, 今井 晴雄, 八木 甫(翻訳) 『組織の経済学』 2005年1月24日
 ジョージ・A. アカロフ (著), 幸村 千佳良, 井上 桃子 (翻訳) 『ある理論経済学者のお話の本』 2005年06月03日
 山田 真哉 『さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学』 2005年08月19日
 桜内 文城 『公会計革命―「国ナビ」が変える日本の財政戦略』 2005年02月28日


■ 百夜百マンガ

LOVe【LOVe 】

 同じ作者の『BB』の続編という位置づけですが、青春スポーツ路線から、裏社会~傭兵へと「暴走」(もちろん漫画的醍醐味としては素晴らしい)していった『BB』に比べて正統派ともいえる展開だったのではないかと思います。

2008年8月 4日 (月)

戦争とマスメディア―湾岸戦争における米ジャーナリズムの「敗北」をめぐって

■ 書籍情報

戦争とマスメディア―湾岸戦争における米ジャーナリズムの「敗北」をめぐって   【戦争とマスメディア―湾岸戦争における米ジャーナリズムの「敗北」をめぐって】(#1292)

  石澤 靖治
  価格: ¥3360 (税込)
  ミネルヴァ書房(2005/04)

 本書は、主にアメリカにおける戦争とマスメディアの関係について、「政権とマスメディアの関係という視点から捉えたもの」です。
 著者は、「政権との対立と批判をアイデンティティとするアメリカジャーナリズムが、湾岸危機・湾岸戦争において、なぜ明らかな敗北を喫したのか」を問題にしています。
 序章「戦争とマスメディアへのアプローチ」では、「湾岸戦争において政権とマスメディアがとった行動」について、「政治とメディア」「国際関係とマスメディア」という観点から「戦争とマスメディア」というテーマを掘り下げるとしています。
 そして、マスメディアとしてのジャーナリズムを考える際の、本書の中心となる基本的な概念として、「ジャーナリズム活動における『フレーミング機能』あるいは『ゲートキーピング機能』からの視点」を挙げています。
 また、マスメディアがジャーナリズム活動を行う際に、「ジャーナリストの『面白い』という琴線に触れたテーマや発言がニュースとして報じられる」として、これを、「マスメディアのエンターテインメント性」と定義しています。
 第1章「湾岸戦争におけるブッシュ政権の『勝利』とマスメディアの『敗北』」では、湾岸戦争において、米ジャーナリズムが、「自らの完敗を認めている」と述べた上で、本書が、「政権側とジャーナリズムの側にどのような状況があったのか、その背景となっていたものは何なのかなどを明らかにする」と述べ、
・敗北1 戦争前(1) イラクとの戦争を加速させる外部の世論形成勢力への加担
・敗北2 戦争前(2) 政権のプロパガンダの積極的受け入れ
・敗北3 戦争中 報道の独立の喪失とメディア・フレーム設定の喪失
などの点を指摘しています。
 そして、湾岸戦争における取材に採用された「プール取材」について、最大時には1600人という記者がペンタゴンの許可を得てサウジアラビアに滞在していたことを挙げ、「これほどの多くのジャーナリストが線上にいる場合には、危険であるとともに戦争の遂行の妨げになりうるということが、プール取材を導入しその人数を制限しようとしたペンタゴン側の考えだった」と述べた上で、「プール取材の導入とは単に取材の方式の問題ではなく、この戦争におけるペンタゴンの基本的な発想、すなわち戦争を『見せない』ということを示すものだった」と解説しています。
 また、マスメディアにとって軍の検閲は、「字句や内容の変更ではなく、時間的な問題だった」として、「時間がかかって情報が古くなり、記事として意味のないものになってしまったということがしばしばあった」ことを指摘しています。
 さらに、「戦争を行なう際にその戦争というものが国民にどのような『イメージ』を形成するか、あるいは報道によってどのようなものとして印象づけられるかということについて、パウエルとペンタゴンがそれらを副次的なものと考えていたのではなく、武器を使って実際に行なう戦闘行為と同じ次元のものとして位置づけていた」と指摘し、また、ブッシュ政権が、「世論や報道のモニタリングを的確かつ徹底的に行っている」と述べています。
 そして、スマート爆弾によるピンポイント爆撃の映像について、「彼らは地の流れないきれいな『滅菌された』戦争を見事に演出することに成功した」として、「ペンタゴンがメディア・フレームを決める主導権を完全に握っていたことを象徴的に示した」と述べています。
 第2章「ブッシュ政権のメディア戦略」では、「現代における戦争では、戦闘行為で勝利しても国民の支持を得ることができなければ敗北を意味する」ため、「国民を見方につけるためのパブリック・リレーションズ(PR、情報発信)を、戦闘行為と同じような重要性を持って行う必要がある」として、「戦争における情報戦」を、「実際の戦争と同じような『もう1つの戦争』である」と述べています。
 そして、「湾岸線における情報戦で、ブッシュ政権が勝利してジャーナリズムが敗北したこと」について、
(1)大統領選挙キャンペーンと、ホワイトハウスのメディア戦略の進化の中で、ブッシュ政権をどのようなものとして位置づけることができるのか、そして湾岸戦争でそれがどのような形で反映されたのかを、歴史的・構造的な始点から明確にする。
(2)ブッシュ政権が湾岸危機から開戦までの間にどのようなパブリック・リレーションズ、情報発信を行ってきたかを、ミクロの視点から検討する。
の2つの点から分析を行うとしています。
 そして、ニクソンのマスメディアに対する基本的な考え方が、「メディアの信用を失墜させれば、自分に対する信用はそれだけ高まる」というもので、「できるだけマスメディアのフィルターをかけずに、マスメディアを自分のメッセージを伝えるための道具として扱おう」と考え、「メディア・フレームを自ら設定できるような環境を選んで、情報発信を行おうとするもの」であったと述べています。
 また、レーガンについて、そのメディア対策の中心が、「毎日の夜のネットワークニュースで大統領が楽しい絵として映し出されるよう、何らかのイベントをホワイトハウスが考え出したこと」であると述べ、「ニュースメディアの抵抗の少ない方法で、あるいは自発的にニュースメディアを従わせるような方法で、レーガン政権はメディア・フレームの設定権を奪取した」と解説しています。
 著者は、ニクソン政権、レーガン政権のメディア戦略の基本的な発想を、「ジャーナリズムによる情報のアクセスをできるだけ限定する一方で、自らは積極的に国民にメッセージを発信しよう」というものであったとした上で、レーガン大統領の下で副大統領を8年務めたブッシュは、「メッセージを発する人間として『自分はレーガンではない』あるいは『自分はレーガンのようにはなれない』と自己規定していた」と述べ、「ブッシュ個人としては情報操作を意味する"spin"ということには、消極的な大統領であり、精神的な理解や付き合いを大事にする愚直な古いタイプの政治家であった」ことを指摘しています。
 第3章「ジャーナリズムとビジネスとの相剋」では、湾岸戦争における米ジャーナリズムの敗北について、「本来なら批判されるべきはずの政権の情報統制が国民から支持され、その反対にジャーナリズムの行動が国民から非難されたことが、ジャーナリズムの敗北感をより強いものにした」と述べたうえで、「ジャーナリズムというものが、言論の自由にとって不可欠で特別なものであるという意識が前提になっていることから、その行動、すなわち製品やサービスの質に関して、一般の国民から精査されることが少ない」こと、すなわち「ジャーナリズムの特権化」を指摘するとともに、ジャーナリズムが扱う情報という製品の「インタンジビリティ」(intangibility)と「唯一性」(uniqueness)を挙げています。
 また、「ジャーナリズム同士の競争による喧騒と報道のエスカレート」を挙げ、「産業としてのジャーナリズム」について、「一定の競争は許容できるものの、ある一定以上になると製品の劣化を招き安いという構造になっている」と指摘しています。
 著者は、「湾岸戦争が行なわれた時期は、ジャーナリズムにおけるビジネス化が進展していた時期と重なる」ことを指摘し、ジャーナリズムのビジネス化が、政権側による操作を容易にし、ジャーナリズムの公的な役割という存在理由を損ね、ジャーナリズムに対する信頼低下を招いたと述べています。
 第4章「戦争報道とマスメディア」では、「戦争あるいは紛争が生じた際に、マスメディアがそれに乗じてセンセーショナルな報道を行なったという好戦性」を指摘しています。
 そして、米西戦争と日米貿易摩擦の事例を挙げ、「マスメディアのエンターテインメント性が、戦争あるいは紛争という有事の際に、より明確な形で姿を現す」として、これを、「戦争あるいは紛争におけるマスメディアの好戦性」と定義しています。
 著者は、マスメディアが、国民が持つ「不信感、あるいは戦争における不安な感情に刺激を与えることで、受け手はその意味での負のエンターテインメント性をもつ刺激を感じるであろう」と述べています。
 第5章「結論と考察」では、イラク戦争のポイントである「従軍(embedded)」について、「ペンタゴンが徹底して記者を保護した」結果、「食料と寝る場所の供給を受け、身の安全を彼らに委ねることになった記者たち」が、「米軍よりの報道になることが少なくなく、彼らはペンタゴンの『チアリーダー』と表現される場合もあった」と述べています。
 終章「批判とジャーナリズム」では、アメリカと日本のジャーナリズムが、批判性において大きな差がある理由として、
(1)ジャーナリストのキャリア・パス
(2)匿名性
などを挙げたうえで、「自らへの強い批判性を有してこそ、ジャーナリズムは正当な批判報道を行なう資格を有する」と述べています。
 本書は、湾岸戦争を題材に、政府とジャーナリズムの関係に切り込んだ一冊です。


■ 個人的な視点から

 湾岸戦争のときの印象というか、息子の強硬姿勢のせいというか、パパブッシュはマスコミ操作に長けた人物という先入観を持っていましたが、本書では、ブッシュがマスコミに対しては古いタイプの政治家だったと紹介しているのが印象的でした。
 ちなみに、パパブッシュはブロッコリーが嫌いなんだそうです。知りませんでした。


■ どんな人にオススメ?

・湾岸戦争のテレビ映像にエキサイトした人。


■ 関連しそうな本

 木下 和寛 『メディアは戦争にどうかかわってきたか 日露戦争から対テロ戦争まで』 2008年04月18日
 高木 徹 『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』 2006年11月27日
 アンヌ・モレリ (著), 永田 千奈 (翻訳) 『戦争プロパガンダ 10の法則』 2007年11月01日
 三野 正洋 『戦争の見せ方―そういうことだったのか!戦争の仕組み』 2008年06月10日
 津金沢 聡広, 佐藤 卓己 『広報・広告・プロパガンダ』 2008年08月02日
 スチュアート ユーウェン (著), 平野 秀秋, 挟本 佳代, 左古 輝人 (翻訳) 『PR!―世論操作の社会史』 2008年07月18日


■ 百夜百マンガ

天才バカボン【天才バカボン 】

 ローザルクセンブルグの「バカボンの国のポンパラスの種」の中で、「バカボン、ホントはバカボンのパパ」というフレーズがあって、それを聴くたびに、裏をとりたいと思っていたのですが、もう、どんとも作者もいないんですね。

2008年8月 3日 (日)

過疎地で快適に暮らす。

■ 書籍情報

過疎地で快適に暮らす。   【過疎地で快適に暮らす。】(#1291)

  鷲田小彌太
  価格: ¥1575 (税込)
  エムジー・コーポレーション(2007/10/29)

 本書は、働き盛りの30年間、過疎地で快適な生活を送ってきた著者がお薦めする「快適な過疎地暮らし」のガイドです。
 序章「過疎地が呼んでいる」では、過疎地で暮らした30年間を、「私にとって最も仕事が充実した時期」であると語った上で、過疎地にこだわる最大の理由として、「過疎地に住まいの拠点をおく生活が、都会や田舎に拠点をおく生活よりも快適だ、という長い経験則に支えられている」と述べています。
 第1章「『地方の時代』とは『過疎地の時代』のことです」では、「過疎地にないもの」として、
・公共交通機関
・商店
・電気
・ポスト
・電話
・水道
を挙げる一方で、「過疎地にあるもの」として、
・闇と光
・キノコや山菜
・静寂
・イヌの放し飼い
を挙げています。
 また、「過疎地の敵」として、
・身の丈の雑草
・害虫
・自然の雑木
・イタチ
・ナズミ
・キツネ
などを挙げています。
 さらに、過疎地の住居について、古民家や丸木小屋の不便さを指摘し、「ロマンのために家族の生活から利便性を奪うと、総スカンを食らう」と述べ、快適に暮らすために気をつけたいこととして、
(1)家の大きさは必要最小限
(2)可能な限り、普通の生活スタイルをスムーズに行うことができる設備
(3)風雨雪に強い家にする必要
(4)土台=基礎は完全にすること
などを挙げ、「大事なことは、奇を衒わないこと」だと述べています。
 第2章「快適な時間と空間を生きる」では、「過疎地で住む最大の『快』」として、「『人がいない風景』に出会う」ことを挙げています。
 また、「過疎地で住みはじめた瞬間、その恩恵をいやというほど味わうことができるもの」として、「闇」を挙げ、「『闇』はいまや希少価値になったのだ」と述べています。
 第3章「日本国中過疎地だらけ。よりどりみどりだ」では、「『過疎地』と『田舎』は同じではありません」と前置きし、「過疎地とは、第一に、かつて人が住んでいて、いい間は住まなくなった地区のこと」であり、「すぐにでも人が住むことのできる場所」だと述べています。
 そして、「勤めがあるにしろ、退職後であるにしろ、過疎地暮らしをはじめようとするなら、候補地として、都心から『1時間が至近距離』というのが目安になる」と述べ、「勤めがあるならば、2時間以内ということが条件」であると述べています。
 著者は、「過疎地暮らしは、都会や田舎と違って、自由に、気儘に生活したい、というのが原則になる」として、「そのための工夫は、当然、考えて、実行しなければなりません」と述べています。
 第4章「過疎地で快適に暮らした」では、「生きることの中心に仕事を置き、その仕事に存分に打ち込むこと」ができたことが、著者が「過疎地暮らしを快適に送ってきたことの第一で最大の証拠」だと述べています。
 第6章「過疎地は近くにもある。だが近すぎると後悔する」では、著者の胸中を、「退職したら、鴨川に住もう。」というフレーズが鳴っていると語り、千葉県は房総の鴨川を、東京から車でも電車でもバスでも2時間、という遠さを挙げ、「ここから都心に通うのは困難ですし、気が重いでしょう。でも、定住するのなら、と都心までつかず離れずの距離で、公共交通機関もあるので、ちょうどいいのではないでしょうか」と「鴨川に行ったこともないのに」そう思うと語っています。
 そして、「海から最低でも10キロ離れた山側で、高台であっても、できるなら海が見えないところがいい」と語っています。
 第7章「退職後は過疎地で」では、「退職後の生活が『余生』ではなく、最低でも20年間続く」ことを、「決して疎かにできない、人生上の大問題」だと述べ、「あれもこれも、つれあい次第だ」と述べています。
 本書は、都会に住んでいる人にとっても、田舎にすんでいる人にとっても、夢と希望を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「田舎暮らし」という言葉がありますが、特に定年退職後に、ほんものの「田舎」に突然やってくることは、相当ハードルが高いんじゃないかと思いますが、著者が提唱しているような「過疎地暮らし」の方が、むしろイメージに近いんじゃないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「田舎」=「過疎地」だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 鷲田 小彌太 『夕張問題』 2007年12月05日
 保母 武彦 『夕張破綻と再生―財政危機から地域を再建するために』 2007年08月08日
 松本 武洋 『自治体連続破綻の時代』 2007年01月04日
 吉富 有治 『大阪破産』 2006年10月20日
 西中 真二郎 『市町村盛衰記―データが語る「日本の姿」』 2008年02月05日
 佐々木 信夫 『市町村合併』 2006年03月27日


■ 百夜百音

あゝ、我が良き友よ【あゝ、我が良き友よ】 かまやつひろし オリジナル盤発売: 1975

 1970年代の段階で青春時代を振り返る曲だったわけなのですが、となるとこの曲の舞台の「古き時代」は1960年代前半くらいなのでしょうか。

2008年8月 2日 (土)

広報・広告・プロパガンダ

■ 書籍情報

広報・広告・プロパガンダ   【広報・広告・プロパガンダ】(#1290)

  津金沢 聡広, 佐藤 卓己
  価格: ¥3675 (税込)
  ミネルヴァ書房(2003/10)

 本書は、「広報・広告・プロパガンダ研究の歴史と現状の課題を明らかにすることを目的」としたものです。
 第1章「『プロパガンダの世紀』と広報学の射程」では、「社会国家化は宣伝と広告を広報の下位概念とする」と述べた上で、「広報が宣伝と広告を包含してゆく過程は、それぞれのキーワードの成立からも伺える」と解説しています。
 また、「広報を参加的コミュニケーション、宣伝を操作的コミュニケーションと理解するなら、ナチ宣伝は『ナチ広報』と呼ばなければならなく」なると述べ、「ホロコーストを単なる残忍さや野蛮の同義語として捉えることはナチズムの本質を見落とすことになりかねない」として、「ホロコーストは野蛮の延長にある暴力ではなく、むしろ規律化された近代的権力の極地であった」と解説しています。
 第2章「現代政治キャンペーンの理論と技法」では、現代政治キャンペーンの特徴の一つとして、「戦略性(ストラテジー)」と「組織的管理運営(キャンペーンマネジメント)」にあると述べ、「米国の選挙を中心に、現代政治キャンペーンとコミュニケーションを戦略的に組織化する理論としてのマーケティング・アプローチと、その個別技法を概観する」としています。
 そして、戦略性や組織的管理運営の必要性の背景として、
(1)現代社会における説得の難しさ、キャンペーンを支持してもらうことの困難さ
(2)さらに厳しい条件として、これらのキャンペーンは、税金や寄附金など稀少な公共的資源を用い、人々の関心や投票など、これも有限稀少な資源を獲得するための競争であり、政治社会の問題は一般に関心が低くキャンペーンが認知されること自体難しく、そのプロポートする対象は一般商品と異なり採用コストが潜在的に高い上、必要性も実感しにくい。
の2点を挙げています。
 また、マーケティング・キャンペーンのプロセスとして、
(1)環境条件の調査
(2)内的外的条件の評価分析
(3)戦略的マーケティング
(4)目標設定とキャンペーン戦略
(5)コミュニケーション、資源配分、組織化
(6)最重要マーケットでの結果
の6つのステップを解説しています。
 さらに、有権者のプロファイリングに必要な情報として、
(1)有権者と選挙区に関する客観的データ
(2)独自に、あるいは報道機関など第三者が行う世論調査によってしることができる、ターゲットとなる人々のプロフィールと、その心理的態度やニーズの特徴
の2種類を挙げています。
 そして、メッセージの三大構成要素として、
(1)政策アピール
(2)個人的資質(リーダーシップイメージ)
(3)現職との関係(現状維持または変化)
の3点を挙げたうえで、
よいメッセージの条件」として、
(1)適切なタイミングで、適切なメッセージを適切な人に、簡潔に、言い方を変えて反復する。
(2)考え方を強制したり強化するのではなく、聞き手との共有点を探す。
(3)なぜやるか(理由)、他よりどこがいいか(差別化)、人々が何を得られるか(レリバレンス)を明確にする。
(4)批判や攻撃には真剣に応答する。
の4点を挙げています。
 第3章「世論(せろん/よろん)概念の生成」では、「よろん」と「せろん」を、「かつて両者は別物であった」として、もともと「よろん」は「輿論」と表記し、「世論」は「せいろん/せろん」と読み、「異なる意味あいを持つ概念であった」と解説しています。
 そして、「輿論」について、「社会の集合意識であり、理念のようなもの」であると述べ、「『輿論』という概念は、選挙も議会も調査もなかった時代から存在し、用いられてきた」と解説しています。
 一方「世論(せいろん)」という言葉そのものは、1875(明治8)年の福沢諭吉『文明論之概略』であると言われ、また、1918(大正7)年に刊行された『大日本兵語辞典」では、
「世論:世の中の人が國家または軍隊の上に関して勝手気儘なる論説を試むること」
と、「軍人勅諭の精神をそのまま継承した『世論』概念」が掲載されていることを紹介しています。
 さらに、戦後、当用漢字表の公布により、「輿」の字が廃されたことから、一時的に文部省が「与」の字を当てようとしたが、「世」の表記に一本化していった理由として、「上から『与えられる意見』のようだと反対されたことによる」と述べています。
 第4章「戦略的世論調査の技法」では、大統領選挙において、19970年代に世論調査の利用が本格的になった背景として、
(1)調査分析技術の革新:コンピュータと統計分析ソフトウェアの発達
(2)政治環境の変化:予備選挙が多く用いられるようになった
(3)質問項目作成技術の進歩:当選するために役立つような質問項目を作るようになった
の3点を挙げています。
 そして、2000年の共和党の大統領候補指名争いにおいて、「回答者に政治的プロパガンダを伝えようとする偽の調査」である「プッシュ・ポウル(push poll)」の問題が起きたことを解説しています。
 第5章「現代日本の企業広報」では、日本企業におよそ10年遅れで入ってきた「新しいマーケティング手法」としての「ピーアール」について、「説得されていると感じないままに態度変容つまり商品の購買を迫られる方法」であると解説しています。
 そして、「広報がもっている2つの側面」として、
(1)情報操作型・プロパガンダ型
(2)理念型・情報公開型
の2点を挙げています。
 第6章「行政広報の変容と展望」では、18世紀のトマス・ジェファソンの書簡から、「人民の間に知識を普及させる」「人民に報道(知識)を与える」という表現を取り上げ、「政府あるいは行政機構が国民に情報を提供・共有し、政府の目指すビジョンを周知することで、国家の基盤を強固にしようとする試みは、独立直後の米国において始まったと考えられる」と述べています。
 そして、1946年12月に、「GHQが軍政部を通じて、当時の道府県庁に通達したPRO(Public Relations Office)の設置を求めた文書の一部」として、
「P.R.O.ハ政策ニツイテ正確ナ資料ヲ県民ニ提供シ、県民自身ニソレヲ判断サセ、県民ノ自由ナ意志ヲ発表サセルコトニツトメナケレバナラナイ」
という通達を紹介しています。
 当時、「その指示を受けた多くの行政担当者に『PR』という概念に対する知識は皆無に等しかった」が、戦後の「行政広報」が、「GHQによる研修の成果もあって、実務の上では素早い対応が行われ、広報紙の発行や報道対応などの体制が1955(昭和30)年までに着実に整備されていった」と述べています。
 著者は、「パブリック・リレーションズ(PR)とは、現在までイコール『広報』という誤った理解のまま推移している」が、本来は、「行政と住民の良好な『関係』の構築がその目的であり、GHQの通達にある『県民ノ自由ナ意志ヲ発表サセル」ことがその原点になる」と述べています。
 また、広報広聴の課題として、「多くの自治体、特に規模が大きくなるにつれ、広報と広聴がそれぞれ部や課として独立し、情報提供部門である広報と情報収集部門である広聴との連携がうまく図られていない」ことを指摘しています。
 著者は、「広報広聴には、血の通った情報提供や住民の声に耳を傾ける姿勢が重要になってゆく」として、「コミュニケーションによる相互作用の中から『地域の個性と主体性』を育んでゆくのが行政職員の使命であり、広報広聴の担当者はまさに、そのフロンティアに立つ役割を負う」と述べています。
 第7章「環境コミュニケーション」では、環境コミュニケーションの特殊性として、
(1)環境問題の複雑さ
(2)理解力ギャップ
(3)パーソナル・インパクト
(4)リスク要素
(5)大規模な相互干渉
の5点を挙げています。
 第8章「アメリカ広告文化史」では、「19世紀半ば以降発展し、洗練されてゆき、世紀転換期にほぼ完成を見る雑誌掲載の宣伝」を取り上げています。
 そして、「広告の掲載は雑誌の出現とほぼ同時に始まっていた」として、「産業革命が展開し始めると雑誌広告の量も増加してゆく」と述べています。
 また、19世紀的な宣伝の特徴として、「受け手の心理を無視した『無神経な』もの」であったとして、
(1)消費者の現実の生活から大きく懸け離れた世界の提示が、いっさいの配慮なしになされていた
(2)上品さや慎み深さが強調された時代だったにもかかわらず、数多くの宣伝が肌も露わな女性の図像を配した。
(3)今日では違和感を与える舞台設定が用いられた。
の3点を挙げ、「これらの広告はいずれも広告主の意図に基づいており、彼等の世界観を反映していた」と述べています。
 さらに、「大量生産と法人組織を特徴とする新たな経済」が、「宣伝でも部門化と専門家と官僚化が進行」し、「どんなバカにも石鹸は作れる。それを売れるのは賢い人間だ」という石鹸業界の大立者の発言を紹介しています。
 第9章「広告メディアとしての戦時期婦人雑誌」では、『主婦之友」を取り上げ、「十五年戦争時代とは、総力戦体制を支える国策『宣伝』メディアとしての役割を担った時代である一方で、消費を促し、商品カタログとして機能する『広告』メディアとして雑誌がより大きく発展した時期でもあった」と述べています。
 そして、広告主の中には、「マネキンガールにヒントを得て、専属の宣伝ガールをおく」ものが現れたとして、資生堂が、1932年「資生堂銀座石鹸」の発売に当たって、「マネキンガール12人を1組として外套広告」を行い、「各組とも2人を花嫁娘に仕立ててチラシを入れた花かごを持たせ、他の10人にはイブニングドレスを着せて商品を書いたパラソルをささせ、銀座通りをはじめ市内の盛り場を9月1日から1ヶ月あまりにわたり練り歩かせた。社内では彼女たちは『パラソルガール』と呼ばれた」ことを紹介しています。
 第10章「ブランド広告の理論」では、「シンボリックな意味でブランドは、貨幣的な存在である」とした上では、ソ連崩壊後のロシアでは、「マルボロがドルと同様のハードカレンシー機能を持った。自国の通貨より、煙草がより強い信頼できる貨幣的な存在であった」ことを紹介し、「強いブランドは、明らかに貨幣的存在であると同時に貨幣を生み出す力の源泉でもある」と述べています。
 本書は、広報に関するさまざまな観点からの分析を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 広報の本は、実務的な必要性や、商業ベースの規模の大きさなどを反映して、マーケティングなど企業活動をベースにしたものが中心になっていますが、歴史を遡ると、国家によるプロパガンダの研究を抜きには考えられないことではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・広告・宣伝は企業の専売特許だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 スチュアート ユーウェン (著), 平野 秀秋, 挟本 佳代, 左古 輝人 (翻訳) 『PR!―世論操作の社会史』 2008年07月18日
 高木 徹 『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』 2006年11月27日
 アンヌ・モレリ (著), 永田 千奈 (翻訳) 『戦争プロパガンダ 10の法則』 2007年11月01日
 デイヴィッド・オグルヴィ (著), 山内 あゆ子 (翻訳) 『ある広告人の告白』 2007年01月02日
 矢島 尚 『好かれる方法 戦略的PRの発想』 2006年10月25日
 ジャック・セゲラ (著), 小田切 慎平, 菊地 有子 (翻訳) 『広告に恋した男』 2007年09月20日


■ 百夜百音

魅惑のアコースティックギター伴奏 才能の本能【魅惑のアコースティックギター伴奏 才能の本能】 山本正之 オリジナル盤発売: 2003

 「戦国武将」と言った時には、昔から、信長、秀吉、家康と相場が決まっていますが、もっとマニアックな武将も登場させてあげてほしいものです。

2008年8月 1日 (金)

国債の歴史―金利に凝縮された過去と未来

■ 書籍情報

国債の歴史―金利に凝縮された過去と未来   【国債の歴史―金利に凝縮された過去と未来】(#1289)

  富田 俊基
  価格: ¥6300 (税込)
  東洋経済新報社(2006/06)

 本書は、「国債の誕生に遡って、その本質を明らかにし、各国国債の間の金利差が物語る過去を振り返って、わが国の未来に向かって投げかける光を見出そうとするもの」です。
 著者は、国債の歴史を調べる中で、
・ナポレオン戦争時のイギリスとフランスの国債金利はイギリスのほうがはるかに低かった。
・アメリカ南北戦争では、国債の価格を金で表示すると、北部政府の国債の方が金利が低かった。
・第二次大戦中、日本とドイツが戦前に発行したポンド建て国債は、両国のデフォルトと敗戦を予想するかのように、高い金利がついていた。
など、「非常に興味深い事実」を挙げ、「国債金利が戦争の帰趨を予測したり、政府の正当性までも見通していた」ことを指摘し、「国債市場を通して歴史との対話をはじめ、国債を期限から掘り起こし、その本質に迫る」ことによって、「国とは何か、貨幣とは何かという問題を考えることもできる」と述べています。
 そして、国債市場が、「その国の歴史を見事に映し」、「不確実な未来についての人々の変わり行く展望が国債価格に刻み込まれ、その国の未来をも見通そうとしてきた」と述べています。
 序章「市場の警告」では、「国債は、その国の中では、最も信用力が高く最も安全な負債(金融資産)であるので、最も低い金利がついている」とともに、「国際金融市場では、最も信用力と流動性が高い国の国債の金利を基準として、各国の国債金利に信用力に応じた金利差がついている」と解説しています。
 そして、日本国際の金利に、「リスクプレミアムを求められている」にもかかわらず、「歴史的な低水準で推移している」理由について、
(1)市場参加者が将来にわたる短期金利の期待値を下方に修正してきたことの反映
(2)日本銀行の時間軸政策によって、将来の短期金利と期間リスクとが抑制された
の2つの仮説を挙げています。
 著者は、「国債金利にリスクプレミアムが上乗せされることの意味を解明するには、まず国債とは何か、国債の信用は何によるものであるのかが明確にされねばならない」と述べています。
 また、国債の流通市場が、「満期が設定されていない永久債で、政府が償還のオプションを持つ利付国債」である「コンソル」の誕生によって、大きな進展を遂げたと述べています。
 さらに、日本において、「21世紀を迎えても、こと国債と国内貯蓄に関しては、依然として閉鎖経済の考え方が根強く残っている」ことについて、「長かった閉鎖経済の強烈な経験から考え方の体系として固まった思想というべきものかもしれない」と指摘しています。
 第1章「イギリス国債の起源」では、権利章典において、「国王の立法権と司法権が制約され」るとともに、「議会の同意によらない国王大権による資金集めは違法である」として、「課税には議会の承認が絶対に必要であることが定められた」と解説しています。
 そして、1692年に、議会が、「国債に関する最初の法律」を成立させ、「国王の借金に対する議会による保証が、法律によって明示的に付与され、国民の債務つまり国債が誕生した」とともに、1694年に「9年戦争の財源調達法(トン税法)」が成立し、イングランド銀行が創設されたことを解説しています。
 第2章「コンソルの誕生」では、イギリスにおいて、「新たに国債を発行する場合には、それが戦費の調達が目的であっても、また短期債務を国債に整理するためであっても、その利払いの担保となる恒久的な税が必要となる」ため、「戦争のたびに、またその直後に幾種類もの新しい物品税が導入された」として、コーヒー、茶、書籍、トランプ・カード、塩などに新税が課税されたと述べています。
 また、1751年に、「9種類の3%国債の利払いを減債基金から行うこととし、これらの914万ポンドを3%コンソル(Consols Threes)とした」ことについて、「利払い日の統一と、イングランド銀行による一元的な流通管理によって、コンソルの市場流動性が著しく高まった」と述べ、「3%コンソルはこの後発行された国債の主流となり、18世紀末までに最大ロットの銘柄となり、国際市場で活発な取引が行われた」と述べています。
 第3章「アムステルダムの外債市場」では、ネーデルラント連邦共和国(オランダ)について、「ユトレヒト同盟諸州の商人たちが私有財産権を保護し、規制行為を抑制する支配者に対して議会を通じて税を支払い、これらの制度の下で競争が促されたので、結果的にオランダは持続的な経済成長を達成した最初の国になった」地和尚開始、「交易の量が増大するにつれて規模の経済性が働き、それがオランダ経済の主要な原動力となった」と解説したうえで、商業に加え、「金融面においても世界で卓越した機能を果たしていた」として、「ヨーロッパ金融市場の中心地アムステルダムは、低金利を背景に外交貿易に対してだけではなく、外国政府にも資金を供給」され、「各国の国債金利には、信用力格差が反映されていた」と述べています。
 そして、アムステルダムでの外国債の信用評価の方法について、情報が不完全であった時代の投資家は、新顔債を、「買い手が十分な情報を持っていない商品」である「レモン」と見なし、「新顔債に対しては既往銘柄にリスクプレミアムを上乗せした高い金利をつけ、元利償還が確実に行われたか否かを10年以上にわたって監視するという方法をとったのではないか」と解説しています。
 第4章「ナポレオン戦争で試された英仏の国債市場」では、ナポレオン戦争における戦費調達に関して、「両国の戦費調達の方法は極めて対照的であった」として、「戦費をインフレ的にファイナンスしたのは、フランスではなくイギリス」であり、「イギリスは金兌換の停止に追い込まれ、大量の国債を発行し、物価上昇とポンド下落に見舞われた。一方、ナポレオンのフランスは戦費を国債ではなく税金でファイナンスし、金銀本位制を維持した」と述べ、「それは長い歴史の中で形成されてきた両国の国債に対する信任の差に起因するものと理解することができる」と指摘しています。
 そして、ナポレオンが、「国債不発行の方針を貫き、金銀複本位制を維持した」にもかかわらず、「国債を低い金利で大量に発行できるほどにはフランス国債の信認が回復したわけではなかった」ことを指摘しています。
 第5章「ヴィクトリア朝の黄金期」では、「ヴィクトリア朝時代にイギリスの国債市場は黄金期を迎えた」として、その背景について解説しています。
 そして1877年に、ディズレイリ政権のノースコート蔵相が、「大蔵省証券(Tresury Bill)法」を成立させ、「その形態は、シティの市場関係者の要請を受け、割引形式とし、満期は1年以内で通常3ヶ月で、入札による発行と定められた」と述べ、「財政運営と金融市場の双方の要請をうけて、TBの発行量は増大し短期金融市場の中核を占めていく」が、「TBが公開市場操作に用いられ、金融政策上大きな地位を確保していくには、第一次世界大戦以降まで待たねばならなかった」と解説しています。
 第6章「南北戦争:グリーンバックとグレイバック」では、南北戦争期のアメリカを、「多様な政府債務が多数登場し、およそへ維持では観測できない現象が発生し、あたかも経済の実験室のようであった」と述べています。
 そして、南部政府の発行した国債の価格が、「グレイバック紙幣の大増刷と内戦の大混乱」の中においても、「極めて安定した推移をたどった」が、「金価格で表示した南部政府の国際の価格は大暴落しており、金利は実に200%を超えて上昇していた」と述べています。
 第7章「明治政府と国債」では、維新当時、「多様な貨幣や藩札が流通しており、しかも海外の金銀比価の動向にも左右され、幣制は著しい混乱に陥っていた」とともに、「新政府の財政は旧幕藩の累積債務の処理、武士への家禄支給という巨額の歳出要因を抱えた一方、税は現物納であり、徴税権は全国石高の3割にも達しない直轄地にしか及んでいなかった」と述べています。
 そして、「旧藩債の処理や秩禄処分など旧体制解体と、政府紙幣の整理、銀行の創設、殖産興業などわが国経済の近代化のプロセスは、国債と極めて密接なかかわりをもって進展した」と述べています。
 また、円の誕生について、金本位制とした理由として、
・欧米主要国での潮流
・1両(万延二部金2枚)が1アメリカ・ドルにほぼ等しいこと
・「両円対当」とすることで1両=1円という読み替えで新通貨に移行できるという連続性を保つことができる
などの判断によるものであったと推測しています。
 さらに、日本が初めて国債を発行したのが、1870年4月23日(明治3年3月23日)であり、「九分利付英貨公債」が、「国内においてではなく、ロンドンでポンド建てで発行された」と述べ、同年のイギリスのコンソル金利が年平均3.24%であったのに対し、「日本国際に極めて大きい信用リスク・プレミアムが求められた」理由として、「国際金融市場ではニュー・フェース(新顔)の国債は外見からはないようが判断できない『レモン』とみなされ、既往銘柄よりも高い金利を求められたことに照らして考える必要がある」と述べています。
 著者は、明治政府が、「わずか10年近くの間に、地租改正と新地税の導入、秩禄廃止と金禄公債の交付という、歳出入両面の構造改革を成し遂げた」ことについて、「西南戦争前に経常的な歳出入の均衡を実現した」と述べています。
 第8章「ロンドン外債市場」では、「19世紀半ばから第一次世界大戦が勃発するまでの間は、財貨、資金、労働力が国境や大西洋を自由に行き来したグローバル経済の時代であった」として、「巨額の資本移動が持続」し、「ロンドン市場はいかにして卓越した地位を築いた」のかという問題について、「各国の国債に求められた信用リスク・プレミアムに着目」し、「ヨーロッパ主要国の国債市場と債務国の資金調達など」を論じています。
 そして、1848年のパリ二月革命で、「ヨーロッパ大陸の国債市場は19世紀最大規模の同様に見舞われた」が、「イギリス国債の金利だけは低下していた」ことについて、「ヨーロッパ大陸の投資家は、既に1832年に賛成権を拡大し、46年に穀物条例を廃止していたイギリスに革命が波及することはありえないと確信し、ヨーロッパ大陸諸国の国債を売却して、イギリス国際に資金を逃避させたもの」と類推しています。
 また、ヨーロッパ主要国は1870年以降、他の国々は1890年代以降に、「ネットワーク効果と国際金融市場での『承認の印象』を求めて、国内政策に厳しい制約を課して、次々と金本位制を採用するようになった」として、「金本位制の採用と国境を越える生産要素の異動とが互いに因となり果となって進展していった」と述べています。
 さらに、「日本での重要な経済改革因は顕著な反応を示さなかったロンドンの投資家」が、「金本位制への以降にはリスクプレミアムの顕著な縮小という形で反応した」点について、「金本位制はさまざまな国内改革の集大成であり、将来にわたって財政金融政策を規律づける役割が期待できること、そして、投資家にとってはこれらの事情を集約的に示すきわめて簡便な指標であったということができよう」と述べています。
 第9章「ワイマール共和国のハイパー・インフレーション」では、第一次大戦旧戦後のドイツが大戦前の1兆倍というハイパー・インフレーションを経験したことについて、その発生と収束について、「賠償金の支払いをめぐる国際交渉がインフレ期待に与えた影響」を中心に検討しています。
 第10章「帝政ロシア国債のデフォルト」では、「ソビエト政府によるデフォルト宣言にもかかわらず、帝政ロシアの国債価格は即座に暴落しなかった」問題について、「ソビエト債務履行拒否のパズル」と名付けられていることを紹介したうえで、「ロシアに対する最大の債権国であったフランスにおけるソブリン・デフォルトに関する過去の経験が、フランスの帝政ロシア国債の保有者にデフォルト宣言後もそれが撤回され、部分的であっても債務が履行される可能性を抱かせたものと考えられる」と解説しています。
 第11章「イギリスの5%戦争」では、19世紀のコンソルを中心とした政府の資金調達における「大変化」について、
(1)大蔵省証券の発行と中央銀行借入れに加えて、政府紙幣も発行されたこと。
(2)TBの発行方法が、1877年から採用されてきた価格競争入札(テンダー方式)から、一定の金利で常時売り出すタップ方式に変更されたこと。
(3)期間3~10年の国庫債券、国民軍事債券と呼ばれた中期国債が発行されたこと。
(4)長期国債の発行に際しては、利子課税や相続税の減免や、後から発行される国債に乗り換える権利などの恩典が付与され、国債が発行されるたびに条件が投資家に有利となったこと。
(5)国民軍事債券や戦時貯蓄証書などの形で国債の個人消化が促進されたこと。
(6)ドル建てや円建てという外貨建てのイギリス国債が初めて発行されたこと。
の6点を挙げています。
 また、第一次世界大戦後に、「国債の累積が続き、その負担が著しく増大した」にもかかわらず、「イギリスは、名誉革命以降の伝統を守り、デフォルトを起こさなかった。しかも、景気後退の中で高金利政策を採用し、1925年5月に金本位制に復帰し、すべての債務を旧平価で償還することにコミットした。その後も、金本位制を維持するための緊縮的なマクロ経済政策を採用した」理由について、「第一次世界大戦後に国際金融市場におけるロンドンの地位がウォールストリートに脅かされ、ポンドとコンソルの信任向上がかつてないほど大きな課題とされたから」であるとする仮説を紹介しています。
 第12章「ポワンカレの奇跡」では、ハイパー・インフレーションの瀬戸際にまで追い込まれたフランスが、「26年7月23日にポワンカレが政権に返り咲き、危機は急速に収束に向った」ことについて、「ポワンカレの二度目の安定化策には、財政黒字化、金利引き上げに加えて、次から次に満期を迎える政府短期証券の整理のための方策が盛り込まれた」として、「政府から独立した金庫が、タバコ専売益金などの特定の財源を担保に長期債を発行して、政府短期証券を償還するという方法」を挙げています。
 また、「ポワンカレが政府債務と為替減価の問題を直接に取り扱うのではなく、信認回復に向け」、
(1)資本課税を否定した抜本的な税制改革
(2)フランス中央銀行が公定歩合を引き上げ、通貨当局がフラン安定化に望む断固たる姿勢を明確に示した。
(3)市場に累積し次々と満期を迎えるディフェンス・ビルの整理を進めた。
の3つの政策を採用したことが、安定化に大きな効果を持ったと述べています。
 第13章「国債の日本銀行引受」では、「日本とドイツの国債金利は統制によって、見かけ上アメリカやイギリスの金利との連動性を強めたに過ぎない」ことを指摘し、「主要国の国債金利が連動性を高めたので、日本での資本流出規制は機能しなかったというのは、因果の読み違えといわねばならない」と述べています。
 また、1937年の日中戦争勃発により、「四分利付英貨公債の金利はふたたび10%を突破」し、日独伊三国同盟が締結された40年9月には21%に上昇したことなどを挙げ、
「ロンドン市場では、わが国の敗戦とその後のインフレを予想していたかのように、日本国際はジャンク・ボンドに墜ちていた」と述べています。
 さらに、「金本位制の下では機能していた財政規律メカニズムが、金本位制の離脱とともに失われた。あるいは、自由な資本移動が停止されて財政節度を失ったといった方が性格かもしれない。そして、いったん始まった国債の日銀引受が財政節度を弛緩させ戦費調達を促進し、歯止めのない国債の増発、戦争の拡大、そして戦後のハイパー・インフレーションに繋がっていった」とする鎮目の指摘を紹介しています。
 第14章「ナチスの国債」では、「物価と賃金の統制が次第に強化され、物価は外見上安定を保ち、貯蓄が増大した」ことについて、「ナチスの大々的な反ユダヤ等のプロパガンダによってハイパー・インフレーションの記憶が薄れ、国民が貨幣錯覚に陥ったためと見ることもできる」と述べた上で、「大量の国債が発行され、終戦時には国内金融資産の95%を国債が占めた」と解説しています。
 そして、ヒトラーが、巨額の戦費調達のために、「資本移動を規制して資本逃避を防ぎ、国内では民間投資を制限した。消費財の生産が抑制されたので、国民は消費の機会を制約された。このため貯蓄が金融機関に積みあがり、政府は国際を金融機関に直接発行した。さらに、政府は国営化された中央銀行から無制限にファイナンスすることができた」と述べ、「巨額の国債が物音一つ立てずに消化」されたとしています。 著者は、大量の国債が、「公営金融機関と民間の銀行や保険会社によって直接に消化され」、「市場での金利上昇、増税に対する国民の反発、そして国債を強制的に保有させることに伴なう心理的抵抗を回避し、『物音一つしない』、『円滑な方法』で大量の資金が調達された」と述べ、「こうして大量の国債が、低い金利で閉鎖経済の中に詰め込まれていった」と指摘しています。
 また、「ヒトラーが政権を掌握して以降の内国債の金利低下とポンド建てドイツ国債の金利上昇」が、「満州事変勃発以降のわが国の内国債とポンド建て国債の関係に極めて類似している」ことを指摘しています。
 本書は、国債の金利という指標の一つを追うことで、国際政治に対する市場の冷徹な観察を明らかにしてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読むと、市場というメカニズムが、世界の知恵を集める上で、いかに人智を超えた能力を発揮するかをまざまざと見せ付けられる気がします。
 『みんなの意見は案外正しい』ではないですが、市場が持つこの能力を、現実に近い形でわかりやすく解説する理論はないものでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・国債は利率も低いし、あまり面白くないと思っている人。


■ 関連しそうな本

 落合 弘樹 『秩禄処分―明治維新と武士のリストラ』 2005年05月19日
 新藤 宗幸 『財政投融資』 2007年04月11日
 ジェームズ・スロウィッキー 『「みんなの意見」は案外正しい』 2006年08月29日
 星 岳雄, アニル カシャップ (著), 鯉渕 賢 (翻訳) 『日本金融システム進化論』 2007年05月08日
 鶴 光太郎 『日本の経済システム改革―「失われた15年」を超えて』 2007年05月23日
 星 岳雄, アニル カシャップ (著), 鯉渕 賢 (翻訳) 『日本金融システム進化論』 2007年05月08日


■ 百夜百マンガ

のたり松太郎【のたり松太郎 】

 相撲取りは、技や体格があるのはいいに超したことがありませんが、「怪力」という字に現れている「怪しげ」な感じが人をひきつけるのではないかと思います。

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