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2008年9月

2008年9月30日 (火)

働けません。―「働けません。」6つの"奥の手"

■ 書籍情報

働けません。―「働けません。」6つの   【働けません。―「働けません。」6つの"奥の手"】(#1349)

  湯浅 誠, 日向 咲嗣, 吉田 猫次郎, 春日部 蒼, 李 尚昭, しんぐるまざあず・ふぉーらむ
  価格: ¥1260 (税込)
  三五館(2007/12)

 本書は、「働けなくなったそのときにいかに生活を立て直したらよいか」について、
(1)生活保護を受ける
(2)失業保険をもらう
(3)住宅ローン返済をやめる
(4)法律扶助を受ける
(5)社会福祉協議会の貸付金を借りる
(6)児童扶養手当をもらう
の6つの「奥の手」を、「実際に使いこなすことができるように具体的に紹介」したものです。
 第1章「生活保護を受ける」では、「生活保護は、だれにとっても一つの選択肢になりえる」とした上で、生活保護に対する、
(1)働けるときにちゃんと働いていれば、ちゃんと生活できて、しかも貯金ができたはず。
(2)できるはずのことをやらなかったからには、何か本人たちに問題があるはず。
とする「自己責任論」について、「すべてを自己責任で片付けずに、このことに理解を示せるかどうか、それが生活保護に対する態度の分かれ目になる」と述べています。
 そして、「生活保護」というと、「暴力団の不正受給」などの「濫給」が報じられるが、「本当は生活保護を適用しなければならない」のに適用しない「漏給」が大変な数に上ることを指摘し、生活保護を受けられる条件として、「すくなくとも法律上は、生活保護法は働ける人を排除していない」と述べています。
 また、福祉事務所での闘い方について、住所不定状態にある人が、「あなたの管轄はここではない」と言ったり、「住所がないと保護できないから、アパートを借りてから保護を申請してください」と追い返されるのは「ウソ」であると指摘し、住民票がなくても保護責任を負う「現在地主義」や、アパート入居用に一時金が用意されていることを解説した上で、「管轄の違う福祉事務所が申請を受け付けた場合には、管轄の福祉事務所に申請を送付する義務がある」と述べています。
 さらに、福祉事務所はあの手この手で申請書を受け取ってくれないが、「とにかく申請書を出して帰る」という決意が必要だとして、福祉事務所のウソの例として、
・申請書が入った金庫の鍵を持った人が帰ってしまった。
・住所不定の人は申請できない。
・申請を受け付けると生活保護を開始しなきゃいけないので受け付けられない。
・申請は誰でもできるが、生活保護を受けられない人がいる。あなたは受けられない。
などを紹介し、「生活保護の申請は、だれでも、いつでも好きなときに、することができる」と述べ、申請書は書式を要するものではないので、「必要事項さえ記載してあれば、どのような紙に書いたものであっても有効である」として、
(1)申請者の氏名及び住所又は居所
(2)要保護者の氏名、性別、生年月日、住所又は居所、職業及び申請者との関係
(3)保護の開始又は変更を必要とする事由
の3点が記載してあれば、「たとえ新聞折込広告の裏紙に記載したものでも有効である」と解説しています。
 また、申請をした後で、「取り下げろ」と言ってくることがあるが、「本当に保護できない理由がある場合には、申請を取り下げなくても役所の判断で却下すればいいのであって、それをせずに『取り下げ』を求めてくる場合は、『却下はできないが、保護したくない』という何かしらの理由がある可能性がある」と述べ、「取り下げませんから、要件に当たらないならばそちらで却下してください」と伝えることを勧めています。
 同様に、法律上の規定がない「辞退届」について、「本当に保護を継続できない理由があれば、辞退届けを提出させるまでもなく、福祉事務所の職権で廃止すればいいのだ。つまり、辞退届を求めてくるということは、職権でできるような正当な廃止理由がない、ということにほかならない」と解説しています。
 第2章「失業保険をもらう」では、体調を崩して退職を勧告された場合に交渉方法を具体的に挙げ、都道府県の労働相談窓口に相談した結果として、
(1)もし、会社側が病気を理由に退職を勧奨したり、解雇したとすれば、それは明らかな不当労働行為に当たる。
(2)斡旋申請を出せば、当局が仲裁をする。
(3)もしその結果に納得できない場合は、裁判を起すこともできる。
(4)過去の判例から見て、あなたは確実に勝つはずだ。
の4点を紹介しています。
 そして、健保の「傷病手当金」について、そのメリットを、「在職中に一度もらっておけば、同じ病気で働けない状態が続く限りは、その後、たとえ会社をやめても支給される点」であると述べています。
 また、「退職理由は、何が何でも『会社都合』にこだわ」るべき理由として、退職後の雇用保険の失業手当に関して、「天国と地獄ほどの差」が出るとして、
(1)自己都合になると、3ヶ月の給付制限を課せられる。
(2)もらえる手当ての総額にも大きな差が出る。
(3)受給資格要件でも差が出る。
の3点を挙げ、「会社から退職を強要されても、安易に自分から辞表を出すなんてことは絶対に避けるべき」だとして、「サラリーマンが辞表を出してトクすることなど、何ひとつない」と断言しています。
 第3章「住宅ローン返済をやめる」では、「返さない」のと「返せない」のとはまるで違うとして、「返したいけど返せない」のなら「刑事上の罰則はいっさいない」、「民事上の契約不履行として、民事上のペナルティ(強制執行など)を甘んじて受ければそれだけでいい」と述べ、「借金を返せない者は死刑に処す」なんて法律はないのに「自分で自分を死刑に追い込んでしまう」必要はないと述べています。
 そして、実際に返せないとどうなるかについて、
・1日遅れた場合
・1週間遅れた場合
・1ヶ月遅れるとどうなるか?
・3ヶ月以上遅れた場合
・一括請求された場合
・競売予告通知が来た場合
・任意売却
・競売された場合
などと「返さないとどうなるか?」を解説し、「競売は、借り手にとっては『手間とお金がかからない』という思わぬメリットがある」ので「あまり悲観的にとらえる必要はない」と述べています。
 第4章「法律扶助を受ける」では、「不慮の事態で働けなくなったりして、お金を持っていないけれど弁護士に法律相談したい人を対象にしたトラブル解決術」を解説しています。
 そして、「民事・掲示を問わず、あまねく全国において、法による紛争の解決に必要な情報やサービスの提供が受けられる社会を実現することを目指す」ことを理念とした「法テラス」について解説しています。
 第5章「社会福祉協議会の貸付金を借りる」では、大学在学中に父親が倒れた著者が「社会福祉協議会の生活福祉資金貸付制度」の就学資金貸付を利用して大学を卒業した体験談が語られています。
 第6章「児童扶養手当をもらう」では、「一定の所得以下のシングルマザーなどに支給される国の手当て」である「児童扶養手当」について解説しています。
 本書は、やむを得ず働けなくなったときに一筋の方向を見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 生活保護に対する社会的な批判は大きく、いろいろな媒体で不正受給、すなわち、働かないのに寝て暮らす人たちの記事が紹介されていますが、日本がこれほど自殺が多いのも、社会保障があいまいだからというのが大きいのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・生活保護を受けるのはだらしないと思う人


■ 関連しそうな本

 湯浅 誠 『あなたにもできる!本当に困った人のための生活保護申請マニュアル』
 大山 典宏 『生活保護VSワーキングプア』
 湯浅 誠 『貧困襲来』
 藤藪 貴治, 尾藤 廣喜 『生活保護「ヤミの北九州方式」を糾す―国のモデルとしての棄民政策』
 杉村 宏 『格差・貧困と生活保護―「最後のセーフティネット」の再生に向けて』
 宇都宮 健児 『もうガマンできない!広がる貧困―人間らしい生活の再生を求めて』


■ 百夜百マンガ

無頼男(ブレーメン)【無頼男(ブレーメン) 】

 荒くれ者の男たちと「ブレーメン」を結び付けてしまうセンスも最高ですが、いまどきの子どもたちは「ブレーメン」の話しを知っているのでしょうか。

2008年9月29日 (月)

鉄道地図は謎だらけ

■ 書籍情報

鉄道地図は謎だらけ   【鉄道地図は謎だらけ】(#1348)

  所澤 秀樹
  価格: ¥819 (税込)
  光文社(2008/03)

 本書は、「路線・線路の集合体である鉄道地図の楽しみの上澄みの部分」を、「堅気の方、いや一般の方にもお裾分けしよう』年亜t者です。
 第1幕「鉄道地図、七不思議の旅」では、青春18きっぷで、JR四国の土讃線から窪川で予土線に乗り換えると、下車時に200円を請求されることを紹介し、予土線の「始発駅の窪川と次の若井の間の一駅間がJR線ではなく土佐くろしお鉄道線となるため、その部分の運賃が別にかかる」と解説し、「JR線として途切れているのが、わずか一駅間であるため、、索引地図自体もよほど注意深く見ていないと、土讃線と予土線は繋がっているかのように錯覚してしまう」として、「このあたりが、鉄道地図の奥深さというか、罪深さでもある」と語っています。
 そして、「かかる奇々怪々な現象が鉄道地図に生まれた理由」として、香川県の多度津を基点とする国鉄土讃本線が、、昭和26年まで窪川まで延び、昭和38年には、窪川~土佐佐賀間が国鉄中村線として開業したが、昭和61年の「国鉄再建法」で、中村線は、輸送密度の計算が、「鮮明を根拠とする線区単位」で行われたため、輸送密度が極端に低い赤字ローカル線としてバス輸送転換の対象になり、予土線は、代替輸送道路が未整備だったために生き残りが約束された、という経緯を説明し、結局、中村線は、第三セクターの土佐くろしお鉄道として引き継がれ、「予土線の物理的根無し化は回避された」が、「根元をなす窪川~若井間はJRではなくなり、鉄道地図上に不恰好な姿をさらす結果を招いた」と解説しています。
 また、同様の「根無し草路線」として、JR花輪線を挙げ、盛岡駅で花輪線に乗り換えようとすると「IGRいわて銀河鉄道 盛岡駅」と書かれた改札を通らなければいけないという例を挙げ、その原因である「整備新幹線に関する」掟である、「並行在来線分離」ルールを紹介しています。
 さらに、「政争の具」となった、大船渡線について、「鍋鉉線」と呼ばれる形状が、当初、ある有力政治家が路線を無理に北回りに変更させ、工事が進んだところで、その政治家が失脚し、別の有力政治家が強引に南下させたため、「鍋鉉」のような形状になり、「政治路線」の代表のように言われるようになったと解説しています。
 このほか、漢字で「柏原」と表記する駅が、関西本線の「かしわら」、東海道本線の「かしわばら」、福知山線の「かいばら」のように読みがばらばらであることや、西武鉄道の池袋線と新宿線が、所沢で交差していたり、多摩湖の畔に向けて3本の視線が、「まるで餌場に群がる三匹の蛇のように」達していることなどを紹介しています。
 さらに、「ややこしい線路」の本家本元とも言える、往年の「筑豊線群」について、「国鉄史上おそらく一、二を争う難解で稠密、複雑多岐、千万無量な路線網」が昭和40年代の初頭に最盛期を迎えたと述べ、「かつて殷賑を極めた遠賀川水運がそっくりそのまま鉄道に化けたような格好の一本道輸送だった」と解説しています。
 第2幕「全国津々浦々、『境目』の謎」では、JRの線名の名の元について、
(1)沿線の街道名を与えたもの
(2)起点側あるいは終点側の都市名・地名を与えたもの
(3)沿線の代表的な都市名を与えたもの
(4)沿線の旧国名(古代の国名を含む)を与えたもの
(5)沿線の地方名、地域名を与えたもの
(6)起点側と終点側の旧国名からそれぞれ一字を取って合成したもの
(7)起点側と終点側の都市名からそれぞれ一字を取って合成したもの
(8)買収私鉄の社名が影響したと思われるもの
(9)その他
の9つに大別しています。
 また、「管理局変われば外国」などといわれる鉄道管理局について、「東京の秋葉原界隈は、ほんとうに境界の巣窟だ」として、「隣接する4駅のうち3駅は管理局をことにしている」だけでなく、中央本線の神田~御茶ノ水間、総武本線の馬喰町~錦糸町間など、「都合5つもの局界が踵を接する、紛れもない境界銀座」だと述べています。
 第3幕「特選 鉄道地図『珍』名所八景」では、桑名に、
・1435ミリ軌間の近鉄名古屋線
・1067ミリ軌間のJR東海関西本線、養老鉄道養老線
・762ミリ軌間の三岐鉄道北勢線
が集い、「近鉄の標準軌、JRの狭軌、三岐鉄道北勢線のナローゲージがきれいに並ぶ箇所があり、ご親切にもそこには踏切まで用意されている」として、「三種のゲージが地上に並ぶのは、ここが日本で唯一であり、それらを偶然にも見事に串刺しにする踏切の存在には本当に恐れ入る。まさに天下一品の貴重な踏み切りだ」と熱弁しています。
 また、大垣駅から西へ3.1キロ行った「南荒尾信号場」について、「下り線、上り線、美濃赤坂線、垂井線と、実に4本もの東海道本線を分けるまことに豪快な分岐点なのである、こんな扇の要のような信号馬は全国的にも珍しい」と語っています。
 本書は、鉄道路線図を見ると一日過していられる人にとってはよだれの出そうな一冊です。


■ 個人的な視点から

 鉄道に乗って旅をするときに、時刻表は欠かせませんが、昔、大糸線に乗ったときに、南小谷のところに変なマークがあるのを見て、「工事中かな?」、「昔事故があったけどまだ寸断されていたりするのかな?」と不安になったことがありました。結局、その地点には何もなし。実は、JR西日本と東日本の境界線でした。


■ どんな人にオススメ?

・時刻表を見ていると時間がはやす区切る一。


■ 関連しそうな本

 櫻田 純 『世界で一番おもしろい 鉄道の雑学』
 川島 令三 『<図解>新説 全国未完成鉄道路線――謎の施設から読み解く鉄道計画の真実』
 浅井 建爾 『知らなかった! 驚いた! 日本全国「県境」の謎』
 野田 隆 『テツはこう乗る 鉄ちゃん気分の鉄道旅』 2008年03月08日
 青木 栄一 『鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町』 2007年07月18日
 原田 勝正 『鉄道と近代化』 2007年11月30日


■ 百夜百マンガ

おのぼり物語【おのぼり物語 】

 個人的に「上京」ってしたことがないので、「おのぼりサン」っていうのも、バカにする言葉ではありません。ちょっとうらやましい体験ではあるものの、20歳のときならともかく、30近くなるとショックも大きいのではと思います。

2008年9月28日 (日)

ユビキタス、TRONに出会う―「どこでもコンピュータ」の時代へ

■ 書籍情報

ユビキタス、TRONに出会う―「どこでもコンピュータ」の時代へ   【ユビキタス、TRONに出会う―「どこでもコンピュータ」の時代へ】(#1347)

  坂村 健
  価格: ¥1365 (税込)
  NTT出版(2004/10)

 本書は、「ユビキタス・コンピューティングという技術の周辺で、どういうことが起ころうとしているのか、できるだけやさしく」解説するとともに、「社会と密着した技術では、技術設計と同程度かそれ以上に制度設計が重要であること」の理解を目指したものです。
 第1章「TRONの20年とユビキタス・コンピューティング」では、「コンピュータの使い方は、ドラマチックに、大きく動いている」として、現在、重要視されているコンピュータを、「組み込みシステムをベースにしたモバイル(持ち運べる)や、ウェアラブル(身につけられる)といった、小さく、いつでもそばにあるようなタイプになってきている」と述べています。
 そして、著者が取り組んできた「TRON」(The Realtime Operating System Nucleus)が、その目的を「『どこでもコンピュータ』の実現に置いて、トップダウンとボトムアップの両面からアプローチを行い、20年にわたって推進してきたプロジェクト」だと述べ、オープンアーキテクチャで普及してきたTRONが、「もし課金してもここまで普及したと仮定」すると、「間違いなく10兆円を超える経済効果があったとされている」が、「日本人として世界に対し、自分たちができることで最大の貢献をする」という目標については、「満足できる結果は出ている」と述べています。
 第2章「ユビキタス・コンピューティングの現況」では、組み込みコンピュータの最先端で起こっていることとして、「コンピュータの微小化が急速に進み、驚異的なサイズのコンピュータが作られようとしている。例えば、砂粒のようなコンピュータも実現しつつある」として、「このくらい小さくなると、まさに『どこでもコンピュータ』が実現する」と述べています。
 そして、「ユビキタス・コンピューティングと呼ばれる分野にはトータルシステムの考え方が必要だ」として、大型コンピュータを含めた要素が、「ネットワークで結ばれることが重要」だと述べています。
 また、RFIDの活用について、「国ごとにその部分に関して意識が大きく違う」と感じていると述べ、米国で最も関心をもたれているのは、「間違いなく流通分野でのコスト低減」だとして、具体的には、「従業員や業者による内部犯行、万引きあるいは何らかの手違いにより商品がなくなること」を意味する「シューリンケージ(流通過程での滅失)防止」を挙げています。
 そして、「ユビキタス・コンピューティングの応用はきわめて地域密着型、生活密着型の技術であり、RFIDの利用に関しても、日本は米国と同じやり方で運用するとまず失敗する。分けて考える必要があるだろう」と述べています。
 第3章「ユビキタス社会に向けて」では、産業政策について、「なぜか日本では深く知らない人のほうが声が大きいという不思議なことが起こる。それこそが、日本の産業政策の問題の根源ではないかと思うくらい」だと述べ、「問題は知識ではない」、「重要なのは、根本的な理解」であり、「問題なのは無知を自覚せず、生半可な理解で議論に加わり、またそのままでいいと思っている一部の人たちだ」と指摘しています。
 そして、「技術的なことをよく理解しないで議論に参加して、そのままの思い込みで極端な議論を語る人の声の方がなぜか特によく通るのが、日本の特徴だ」と述べています。
 また、いまの時代で重要な考え方として、「ベストエフォート」を挙げ、「実際問題として、パソコンもインターネットもそのシステムを構築する、個々の要素についてばらばらの主体が提供しており、全体に責任を持つ主体がいないというところに特徴がある。ベストエフォートの考えでしか、大きなシステムの提供はできない」と述べています。
 本書は、「コンピュータ」という言葉でイメージするコンピュータの姿が近い将来まったく変わってしまうことを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の第3章では、一章のかなりの部分を、技術のことはまるでわからないのに、生齧りの知識でわかった気になって、経済の考えでしかものを語れない「半可通」への批判に割いています。BTRONでは「非関税障壁」として槍玉に挙げられ、通産官僚に生贄に差し出されたとかの話もありますが、個人的には「B-Right V」や「Tipo」を使っていたので坂村先生応援したいです。


■ どんな人にオススメ?

・コンピュータは四角いものだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 坂村 健 『TRON概論』
 坂村 健 『ユビキタス・コンピュータ革命―次世代社会の世界標準』
 坂村 健 『痛快!コンピュータ学』 2005年07月02日
 ペッカ ヒマネン, リーナス トーバルズ, マニュエル カステル (著), 安原 和見, 山形 浩生 (翻訳) 『リナックスの革命 ― ハッカー倫理とネット社会の精神』 2005年10月29日
 アラン・C. ケイ (著), 鶴岡 雄二 (翻訳) 『アラン・ケイ』
 山形 浩生 『コンピュータのきもち 新教養としてのパソコン入門』 2005年07月23日


■ 百夜百音

ソルティ・シュガー【ソルティ・シュガー】 ソルティ・シュガー茶歌集<走れコウタロー> オリジナル盤発売: 2005

 ライブ映像を見ていると、当時の雰囲気を知らないと盛り上がれないんじゃないかと思いますが、こういう時代性がある曲こそ、時代を超えた普遍性があるのではないかと思います。

2008年9月27日 (土)

わが子に「お金」をどう教えるか

■ 書籍情報

わが子に「お金」をどう教えるか   【わが子に「お金」をどう教えるか】(#1346)

  篠上 芳光
  価格: ¥798 (税込)
  中央公論新社(2008/03)

 本書は、その使い方で、「『間違った万能感』を持つこともあれば、『我慢すること』を学ぶことも」ある「お金」について、「本当に大切なことは、お金に対してどのように向き合っていけばよいのかというような、お金についてのもっと本質なこと、大げさに言えば親が考えるお金についての哲学を子どもたちに教えることではないか」を論じたものです。
 第1章「子供は親の職業、年収を選べない」では、歯科医が、「歯並びが悪いのは、親の責任だよね……」などと言い切ってしまうような、「拝金主義の横行で、収入の少ない親の元に生まれてきた子供たちを差別するような時代の空気を感じる」と述べています。
 一方で、「社会的に親の地位が高く、経済的にも恵まれている家庭ほど、他人が救いの手を差し伸べることが困難」であり、「それ以前に、外見が良いだけに、周囲が気づかないことも多い」と述べています。
 第2章「『お金で買えないもの』って何?」では、元ライブドア社長の堀江貴文氏の「お金で買えないものなんかないんじゃないですか?」という独り歩きした言葉を取り上げ、「知識や経験、そして学歴、成績も全て、お金で買うことが可能なもの」だが、「人間の第六感、鋭い勘といったものは、決してお金では買えません。そして、それを磨いておかないと大損してしまうことも」あると述べています。
 また、「多くの人々から尊敬され、社会に貢献するような方々は、間違いなく子供時代に『将来の成功に繋がるような、体験やエピソード』が豊富に」あるとして、「逆に考えると、『子ども時代につまらない人間は、大人になってもつまらない人間にしかなれない」と述べています。
 さらに、「子どもを溺愛することは、虐待することの対極の行為のように思われるかも」知れないが、「溺愛も、子どもの長い人生においては、虐待に繋がることもあるのだということを実感」すると語っています。
 第3章「子どもたちのお金に関する疑問に答える」では、立教大学名誉教授・音楽学者の皆川達夫先生について、「上から下までブランド物で固めたいやな奴」と思われることもあるが、「私は、仮にも音楽の教師です。自分自身で、この音楽は本物だと見分ける感性があるから教壇に立つことができるのです。ブランド名だけでものを判断することは、ホンモノを自分で見分ける力がないということです」と語ったことを紹介しています。
 また、著者が、子どもたちに、「勉強はとても楽なことなんだよ。先生に教えられたことが全部できれば100点満点だね。でも、大人になって、社会に出たらどうだろう」、「自分で考え、自分で行動する。こういう人間にならなくては、これからの時代には通用しない」と語っていることを紹介しています。
 さらに、東京・木場の材木問屋や鶯谷の家具店の親御さんたちが、「商売が先行きダメになることをしっかりと子どもたちに教えていた」として、「大学までは、しっかりと面倒を見る。しかし、親ができるのはそこまでだ。あとは、自分の力で生きていきなさい」と語っていることを紹介しています。
 第4章「お金の教育で自立した賢い子どもに育てる」では、「どれだけたくさんのお金を持っていても、どれだけ高価なブランド品で外見を飾っていても、食事のあとでその人の品格がわかる」と語っています。
 そして、「一代で財産を築いた家庭に比べ、代々、ご先祖様から受け継いだ資産を守り続けているご家庭というものは、一見するととても質素な生活をされていらっしゃる方が多い」として、江戸時代から続く商家には、「老舗の身代を受け継ぎながら、贅沢などをして身上を潰すのは、盗人の罪よりも100倍重い罪を犯したことになる」という戒めの言葉があると述べています。
 本書は、なかなか正面きって子どもに語る機会が少ない、「お金」について、考えるヒントを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「子どもは親の鏡」という言葉がありますが、親の「品性」を一番写すのはお金の使い方と食べ物の食べ方なのかもしれません。恐ろしいものです。


■ どんな人にオススメ?

・ご飯の食べ方に自信のない人。


■ 関連しそうな本

 篠上 芳光 『絶対エリート主義―なぜ、有名中学・高校に入れるべきなのか』
 篠上 芳光 『中学受験 合格の決め手は「家庭内文化力」だ!』
 中島 隆信 『子どもをナメるな―賢い消費者をつくる教育』 2008年01月29日


■ 百夜百音

BEST 1997-2001【BEST 1997-2001】 小野リサ オリジナル盤発売: 2002

 ガットギターのテンションの緩い感じの音は、ボサノバには欠かせません。
 ちなみに、「ガット」とは「内臓」のこと、「内臓のある奴だ」、「内臓ポーズ」、「内臓石松」など、様々な訳が考えられますが、この間「スーパーガッツ」という看板を見ました。モツ専門店でしょうか?

2008年9月26日 (金)

東京R計画―RE‐MAPPING TOKYO

■ 書籍情報

東京R計画―RE‐MAPPING TOKYO   【東京R計画―RE‐MAPPING TOKYO】(#1345)

  CET
  価格: ¥2500 (税込)
  晶文社(2004/09)

 本書は、「かつて東京の中心部であった地域を、デザインやアートの観点から、再発見=創造するための運動体」である「CET(Central East Tokyo)」の「ガイドブックであり、新しいタイプの情報誌であり、現代都市を読み解くためのマニュアルであり、認識方法のカタログである」とともに、ここで起ころうとしていることを、「記録し、ノウハウ化していくテキストブック」です。
 そして、「RE-MAPPING TOKYO」について、「個人によって都市はさまざまなかたちに認識されていて、その認識のしかたは一様ではない。実際の年の地図の上には、幾重にも見えない地図のレイヤーが重ねあわされて風景はつくられている」と述べています。
 第1章「TDB-CEの記録」では、神田について、「江戸の名残で、この界隈は居住空間と仕事場が共存している構造が多い。つまりSOHOとして非常に適している街」だとして、「この街にあった方法で開いているスペースを有効活用するべく、2000年に『千代田SOHOまちづくり構想』」をまとめたと述べています。
 また、会期中に、「作品が展示された空き物件は、そこを見に来た観客に気に入られ、そのままギャラリーになったところもある」と述べています。
 第2章「CET04の企画」では、「新築の漂白された空間ではなく、歴史と触感と奥行きのあるエリアでこそ、都市再生の活動は具体的な結果に結びついていく」と述べ、「神田明神のお祭りのように、熱気と情熱、つまりムーブメントとしての活動体が『CET(Central East Tokyo)』として結実する」と述べています。
 そして、「アーティストとこの街は、実は相性がいい」として、このエリアが、「江戸時代、葛飾北斎や平賀源内、歌川(安藤)広重といったアーティストが数多く住んでいた場所である」と述べています。
 また、CETのスタッフが街のビルオーナーを説得する際に、「一週間だけタダで貸してください。多くのひとがアート作品を鑑賞するように、あなたのビルを見に来ます。もしかすると、この空きビルを気に入って借りてくれる人も現れるかもしれません」と説明していたと述べています。
 第3章「Director's Interview」では、CETが、「誰が指示を出すわけでもなく、それぞれが全体のなかでのポジションと役割を発見し、ある程度それぞれが現場判断で動いていく」という「フラットソサエティによって成り立っている」と述べています。
 CET実行委員長の鳥山和茂氏は、「アーティストがとがったもので、地元の人たちがのっぺりしたものだとしたら、それらの溝をきっちり埋められるような厚みを持つ樹脂みたいな存在になれたら」と語っています。
 CETプロデューサー/アートディレクターの佐藤直樹氏は「まったく前例のないところからつくり、その上で最終的には最後のディティールのところまで自分たちでできるって、やっぱり面白い」と語っています。
 CET顧問の清水義次氏は、CETを、「地元の人も新たに移り住んだ人も、このエリアで仕事をするのは面白いと思ってくれるものを目指す、新しい形のクリエーション活動」だと語っています。
 インディペンデントキュレーターの原田幸子氏は「CETで面白いのは着眼点と発想の違いだ」として、「アーティストや建築家はすごく暗くて汚い廃墟を見ても、落胆するどころかむしろ自分たちがこれをどう変えていこうかと大喜びする」ことを指摘しています。
 建築家・編集者の馬場正尊氏は、「僕らは基本的に新しい風景や出来事を見たいがために仕事をしている」として、「具体的なものをつくってしまえば、そこから新しい現実がごろごろ生まれてきて、そういうダイナミズムの中に身をおいているのが好きなんだ」と語っています。
 CET事務局/プロデューサーの橘昌邦氏は、「RENの家守としても、商店街の理事としても、CETのクリエイターや彼らの活動能力と地元の産業を結び付けたい」と語っています。
 第4章「Re-Mapping」では、「CETマップ」を、「地図を認識の道具としてとらえたプロジェクト」であると述べたうえで、「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」である「トマソン」マップや、「おもしろい建物・看板」マップ、ウィーンの建築家・芸術家のフンデルトヴァッサーにちなんだ緑化マップなどを、様々にマッピングしています。
 第5章「関連プロジェクト」では、「RENというシェアオフィスをマネジメントすることはもちろんのこと、単体のビルのだけではなく、その周辺に散在する空き室をネットワークさせることによって、総合的にエリアの利便性を高める」という「家守」のキャラクターについて語っています。
 また、「リノベーション」について、「単に改装するのではなくて、古くからある都市や建物の何かを変えることによって、新しい使い方や命を吹き込むような行為」であると述べています。
 本書は、古くて新しい東京の姿をリアルタイムのように見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書のカバーは、一見シンプルなカバーのように見えますが、なんとなく持った感じがおかしい。
 よく観ると、A3サイズの紙を折りたたんでカバーにしてあって、オリジナルの「マップ」を書き込むことができるようになっています。
 裁縫の本などでは、服の型紙が綴じこんであることがありますが、人によっては、邪魔だから捨ててしまう、という人もいるカバーをこういう風に工夫するのは楽しいと思いました。


■ どんな人にオススメ?

・目に付きにくい東京の隠れた魅力を追いたい人。


■ 関連しそうな本

 東京R不動産 『東京R不動産』
 馬場 正尊, 原田 幸子, 阿野 太一 『R the transformers』
 東京大学21世紀COEプログラム「都市空, 藤野 陽三, 野口 貴文 『アーバンストックの持続再生―東京大学講義ノート』
 秋山 英樹, IC21 『空室ゼロにするリフォーム&リノベーション―賃料値下げをしないですむ打開策』
 中谷 ノボル, アートアンドクラフト 『みんなのリノベーション―中古住宅の見方、買い方、暮らし方』
 みかんぐみ, メディア・デザイン研究所 『団地再生計画/みかんぐみのリノベーションカタログ』


■ 百夜百マンガ

Banana fish【Banana fish 】

 文化庁の「日本のメディア芸術100選」の漫画部門26位に輝く作品。この作品を読んでニューヨークのイメージが固まってしまった人も少なくないのではないかと思います。

2008年9月25日 (木)

現代コミュニケーション学

■ 書籍情報

>現代コミュニケーション学   【現代コミュニケーション学】(#1344)

  池田 理知子
  価格: ¥1890 (税込)
  有斐閣(2006/05)

 本書は、「いまだに漠然としたイメージでしか語られていない」コミュニケーション学についての「混乱した状況を整理し、コミュニケーション学の持つ可能性を探ろう」としたものです。
 序章「コミュニケーションと権力」では、従来、「単なる『技術』や『コミュニケーション能力』の問題として」考えられう、「コミュニケーションのノウハウを追求する解説し終始」していた「コミュニケーション」という概念が保持する前提から脱却し、「コミュニケーションという概念の持つ可能性を探ることを目的としている」と述べ、「現代コミュニケーション学にとって避けることができない『権力』という概念を紹介し、コミュニケーションとの接点について」概観するとしています。
 そして、「戦略的な配置が組み込まれた規律方権力の装置を批評する」には、「権力による2つの暴力について考える必要がある」として、
(1)空虚で抽象的な自由が規律訓練されることにより発動される、身体に及ぶ暴力
(2)権力が自身に向ける暴力
の2点を挙げ、「1つ目の暴力に批評・介入する際、私たちは2つめの暴力に注目しなくてはならない」と述べています。
 第1章「時計時間の支配」では、私たちが「標準時間システムへの恭順を促されるようになったのか、その目に見えない力の作用を明らかに」するとしたうえで、「まわりの世界との余裕を持ったかかわりへと私たちを導いてくれる可能性のある概念として、『間』と『遊』を提示」しています。
 第3章「言語選択と英語」では、「『言語選択=英語』という『常識』を疑い、異文化・国際コミュニケーションにおける言語選択の決定が私たちに何をもたらすのか」を考えるとしています。
 そして、「英語の不利益」として、
(1)自己表現の困難さ
(2)言語差別
(3)コミュニケーションの不平等
の3点を挙げています。
 著者は、「本章で描こうとした権力とは、もはや支配者―被支配者を明確に区別できるものではない」として、「これは支配なき支配」であると述べ、「最も効率的な支配とは『支配しないという形で支配する』こと、つまり、支配されるものが喜んで支配してもらうよう覇権(ヘゲモニー)を発動すること」だと述べています。
 第5章「レトリックと権力」では、レトリックによる支配について、「人々を抵抗できる状態に置きながら、実際には抵抗できない空間を構成する」ことであると述べ、レトリックについて、
(1)説得技術
(2)同一化
の2種類の定義を紹介しています。
 また、古代ギリシャのレトリックの思想的系統として、
・ソフィスト
・プラトン
・アリストテレス
・イソクラテス
の4つの系統を挙げた上で、「現代のレトリック研究は政治的な呼びかけをする装置に賢慮を持って実践的に介入していく。いかにして既存の議論に介入し別の解釈の可能性を見出す頃ができるのか」と述べています。
 第6章「家庭内コミュニケーション」では、「『家庭』らしさに縛られている私たちの姿を明らかにすると同時に、そこからの脱却の可能性を論じていく」としています。
 そして、「大正期以降、人々の間では、次第に子どもを『完璧な子ども=パーフェクト・チャイルド』として育てることが理想視されてきた」とする広田照幸による指摘を紹介しています。
 著者は、「今までも、家族の成員は主体性を持った1人の人間であるとは言われてきたが、むしろ異質な他者である、というところから家族関係を見つめなおした方が、これまで気づかなかった家族の様々な側面が見えてくる」と述べています。
 第7章「ジェンダーとコミュニケーション」では、「自分の性は、社会から与えられた役割を果たすことで、錯覚してしまう可能性があることを示した」のが「ジェンダー」という概念だと述べたうえで、「戦時性暴力とジェンダー・フリーに関する問題の共通点は、日本という国民国家や人間の生き方に関して価値観を戦わすという、文化戦争に関わっているという点である」と指摘しています。
 著者は、ジェンダーという領域におけるコミュニケーション学の役割として、
(1)社会の中で私たちが目撃する「身体」の社会構築性にコミュニケーションが介在していることを、丁寧に記述すること。
(2)私たちが「身体」を忘却しないように、「身体」の所在する場を常に確保する批評を絶え間なくしていくこと。
の2点を挙げています。
 第8章「コミュニケーション教育と権力」では、「特に日本における英語教育の中でのコミュニケーション教育の推進に焦点を当て、国策としての英語コミュニケーション教育が目指すものを検証」するとしています。
 そして、「国内外に抱える不安」に対し、日本が、
(1)内なる社会崩壊の対処として「日本人のアイデンティティを持った日本人の育成」
(2)経済グローバリゼーションへの対処として「英語コミュニケーション能力を持った日本人の育成」
という2つの方向性を持った教育政策で対応しているようであると述べています。
 第10章「テクノロジーとコミュニケーション」では、「同時代性は、特にネーション・ステートの成立・強化に大きな役割を果たすことになった」と述べ、「同時代性による権力を可能にした典型的なテクノロジー」として、
(1)「母国語」の発明
(2)活字ジャーナリズムなどの印刷されたメディア
(3)ラジオやテレビなどの電波によるメディア
の3点を挙げています。
 第11章「メディアのレトリック」では、「メディアは権力作用を媒介する」としたうえで、「メディアの研究は、メディアをテクストとして分析することによって、そのような権力作用と媒介作用を作動させる可能性の条件を明らかにしていく」と述べています。
 そして、映画『マトリックス』を例に挙げ、「支配に権力を与えるのは、支配される人間の側である」として、「支配される側の同意に基づき行使される権力形態を覇権(ヘゲモニー)と呼ぶ。覇権が成立する社会では、権力が一方的に上から行使されるのではなく、支配される側の同意に基づく相互的な権力関係が成立している」と述べています。
 著者は、「複数のマトリックスの存在を知ることによって、われわれはオラクルの脚本の中にほころびを見出し、人類解放という『マトリックス3部作』の解釈を規定する支配的コードを転覆する可能性を見出すこと」ができるとして、「選択の可能性を見出すことによって、支配的なコードに対して対抗的な脱コード化が可能になる」と述べています。
 第12章「多文化主義とコミュニケーション」では、「異文化間のコミュニケーションの問題を、その文化間の関係性に注目することで、もう一度、整理し精査する」とした上で、「その関係性を、従来の多文化主義的視点からではなく、コミュニケーション額の視点からとらえなおし、今後の多文化社会のあり方を提示」すると述べています。
 そして、「渋滞は、多文化主義であるとか異文化コミュニケーションというと、どうしても他者を相対化することで特殊化する作業を無意識・無批判に行ってきたが、その無意識を顕在化することで『私たち』は、新しい形の多文化主義を思考することができるだろう」と述べています。
 本書は、「コミュニケーション」をめぐる権力の様々なあり方を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、「コミュニケーション学」の新しい可能性を探っているものなので、一般的な社会学系のコミュニケーション論を期待しているとピント外れに感じるかもしれません。
 とにかく、「進歩的文化人」的な香りが漂う一冊です。「進歩的文化人」がこれだけ集まると読むほうも疲れます。もしかすると、読者とのコミュニケーションは、「コミュニケーション学」の対象には含まれないのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・既存の「コミュニケーション論」には飽き足らない人。


■ 関連しそうな本

 池田 理知子, 今井 千景, エリック・M. クレーマー, 岩隈 美穂, 灘光 洋子, 吉武 正樹, 山田 美智子, 伊佐 雅子 『多文化社会と異文化コミュニケーション』
 池田 理知子 『多文化社会と異文化コミュニケーション』
 池田 理知子, エリック・M. クレーマー 『異文化コミュニケーション・入門』
 福島 瑞穂 (著), 中下 裕子 (著), 鈴木 まり子 (著), 金子 雅臣 (著), 池田 理知子 『セクシュアル・ハラスメント』
 末田 清子, 福田 浩子 『コミュニケーション学―その展望と視点』
 大田 信男 『コミュニケーション学入門』


■ 百夜百マンガ

アクション大魔王【アクション大魔王 】

 最近でこそ少なくない体当たりエッセイ漫画の人です。ストーリーものの少女漫画から幅広く描けるのは才能なのでしょうか。

2008年9月24日 (水)

学者のウソ

■ 書籍情報

学者のウソ   【学者のウソ】(#1343)

  掛谷 英紀
  価格: ¥735 (税込)
  ソフトバンク クリエイティブ(2007/2/16)

 本書は、「学者による個別の不正が大きな社会的損失に繋がる」という現状を伝えるとともに、「学者のウソ」の具体例を列挙し、「学者のウソが横行する社会背景に潜む問題点」を論じたものです。
 第1章「学者のウソ」では、住基ネットに関する長野県本人確認情報保護審議会や、長野県の「緑のダム構想』などを取り上げ、「予測力の欠落した学者の意見のみを大々的に取り上げたジャーナリストの責任も問われてしかるべき」であり、「これほど論理的に穴の多い文章も珍しい」と批判しています。
 また、少子化論争を巡り、エンゼルプラン・新エンゼルプランに関わった、女性学、人口学、社会学、労働経済学などの学者が、「保育所を増やせば出生率は回復するとの学術的予測を行った」ことについて、「学者たちの失態の真相は、過失ではなく、意図的なウソだった」と指摘しています。
 そして、学者の「ウソ」には、「過失によるウソと確信犯的なウソが入り混じっている」として、前者については、「今に始まった話ではない」が、「後者の故意によるウソは、社会にとってより深刻な問題である」と述べています。
 第2章「本来の学問」では、「自然科学の方法論は実験や観察を繰り返し行うこと、その結果を統一的に記述する理論を導き出すことの2つからなる」とした上で、「再現性の仮定」における「同一条件」の定義に疑義を表しています。
 また、社会科学については、「予測が与える社会的影響を言い訳に使うこと」が問題であるとして、「注意喚起と予測を混同させる論法は、歴史的に見ると新しいものではない」と指摘しています。
 さらに、本質主義の考え方について、「普遍性をもつ法則を見出そうとする試み自体、その有用性は認められるものの、その取り扱いについて、注意すべきこと」があるとして、
(1)確率的な予測しか与えない法則を根拠に、社会の構成員に過剰な規制を加えようとすることの危険
(2)法則が捏造される危険
の2点を挙げています。
 第3章「学歴エリート社会の罠」では、朝日新聞について、「スポンサーへの配慮が記事にまで影響を及ぼしている可能性が極めて高いこと」や、山田昌弘著『希望格差社会』において、「中年のフリーター博士」を「弱者と見立て、これを問題視している」こと、「男女共同参画推進運動を進めるフェミニストたち」が、「女性全体を弱者と見立て」、「女性集団の中の強者であるエリート女性のみに手厚い政策的援助が行くように誘導」していることなどを指摘しています。
 そして、「その能力を個人の利益だけでなく、社会貢献にも発揮することを期待される存在」である「学歴エリート」が、「利己的な行動をカモフラージュするためのコミュニケーション能力の習得を優先してきた」と述べ、エリートが堕落した要因として、「学歴エリートだからこそ生じてくる価値観の存在」である、「ある種の実力主義」について指摘しています。
 また、倫理の後退とともに、「人を攻撃するための道具として倫理を持ち出す人が増えていること」を問題視し、予見不可能で、「責任を負わせる対象も見出しにくい」問題について、「法的責任は問えずとも、人道的な責任を必ず声は必ず出てくる」と述べ、その副作用として、「不可避の事故のリスクがある仕事には誰もつきたがらなくなり、結果として必要不可欠なサービスが市民に提供されなくなる」と述べています。
 著者は、「利己主義が実質的に社会の標準的な規範となってしまっている以上、個々人にその規範を超える行動を要求するのは酷である」として、「個人にそれを要求する前に、そういう規範が広く受け入れられる仕掛けを社会に組み込む必要がある」と述べています。
 第4章「ウソを見破る手立て」では、学歴エリートたちが、「一見利己的に見えない」ことについて、「目的に関する議論と手段に関する議論を意図的に混同させる戦略をとる」という共通点があると指摘しています。
 そして、学歴エリートが、「政治的に左派」で「進歩的文化人」、「ハト派」と呼ばれることについて、「実際には『ハト』ではなく、『爪を隠せる賢いタカ』なのである」と述べています。
 また、「日本の世論は右傾化している」という指摘について、その理由は、「左翼のウソ」が「次々に明らかになってしまったこと、そしてそのウソに対して左翼がまったく謝罪していないこと、これこそが世論が左翼に背を向ける最大の原因」だと指摘しています。
 著者は、「お互いを信じられる社会をつくるため」には、「相手に本当に納得してもらえるような説明をするコミュニケーションの方法を打ち立てること」であるとして、「言論責任保証事業」を提唱し、そのシステムの最大の利点として、「言論の自由を確保する形で言論の責任を追求できること」を挙げています。
 そして、「言論責任保証の方式が最もインパクトをもつ分野は、官僚に対する評価」であるとして「このような評価システムが導入されていれば、アクアライン建設を推進した官僚やエンゼルプラン・新エンゼルプランを推進した官僚の給与は没収されることになっただろう」と述べています。
 本書は、学者のウソにいとも簡単に騙される「愚民」にとって、騙されていることを気づかせてくれる、ATMに貼ってある「オレオレ詐欺注意ステッカー」のような一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の73ページに「過失によるウソと確信犯的なウソが入り混じっている」という言葉がありますが、著者は、後者について、「故意によるウソ」と言い直しているように、悪いこと、間違っていることをわかっているのにうそをつく、という意味で「確信犯」という言葉を使っているようですが、これは典型的な誤用で、本来は、「道徳的・宗教的・政治的な信念に基づき、自らの行為を正しいと信じてなされる犯罪」(大辞林)の意味です。
 こういうところで間違えると非常にかっこ悪いわけですね。
 この場合は、著者は単なる勘違いなので、「過失によるウソ」ということになるのでしょうか。少なくとも悪気はなさそうです。

 著者の掛谷氏より丁寧なコメントをいただきました。文中で「故意によるウソ」という表現が出てくるので、「確信犯=故意によるウソ」という意味で使っているのではないかと理解してしまいました。本書の元になったウソの分類については、掛谷氏のHPをご確認ください。
 それにしても、「間違いを指摘するところで間違えるとかっこ悪い」ということを書いて自分が間違えてしまうとは恥ずかしい限りです。


■ どんな人にオススメ?

・学者の言葉は信じてしまう人。


■ 関連しそうな本

 赤川 学 『子どもが減って何が悪いか!』 2006年10月19日
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 2005年07月13日
 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 2005年09月07日
 パオロ・マッツァリーノ 『つっこみ力』 2008年09月07日
 A・K・デュードニー (著), 田中 利幸 『眠れぬ夜のグーゴル』 2005年12月25日
 ビョルン・ロンボルグ (著), 山形 浩生 (翻訳) 『環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態』 2005年09月19日


■ 百夜百マンガ

ハイパーあんな【ハイパーあんな 】

 「美少女+格闘」というゲームみたいなコンセプトの作品。クッキングパパの人のアシスタント出身というのは意外な感じがします。

2008年9月23日 (火)

アニキの時代―Vシネマから見たアニキ考

■ 書籍情報

アニキの時代―Vシネマから見たアニキ考   【アニキの時代―Vシネマから見たアニキ考】(#1342)

  谷岡 雅樹
  価格: ¥777 (税込)
  角川マガジンズ(2008/01)

 本書は、「オヤジよりもむしろ、ヌエ的に、飄々と賢くたくましく生き抜く」アニキを取り上げた、「オレたちのアニキ論」です。
 第1章「地上を跋扈するアニキたち」では、「アニキ」とは、「親という第三者を介さずに、直接に契りを結ぶもの」であり、「直接、兄と弟に値する人物が尊敬しあって、もしくはホモ的な要素も加味して、二人が互いの絆を誓う」と述べ、「一家(組織)とは関係無しに一対一で結ぶ関係である以上、むしろ父性や父親原理を否定したところから生まれてきた考え方」だと述べています。
 そして、90年代に、「フリーターや、ヘタレや、オタクや、ニートが育っていく中で、アニキという存在はどんどん渇望され」、「その渇望と待望の中から、90年代、怒涛の攻めを繰り出してくるのが『Vシネマ』であった』と述べています。
 第2章「アニキを生み出したVシネマの世界」では、「手本が無かった。自ら作った業界、世界だけあって、オヤジがいなかった」、「大御所」たちが、「昔の名前でメガホンをとるが、自らが粗製乱造に手を貸して、製作費の減少とともに」去って行った、「残るはアニキだけである」と述べています。
 そして、「新宿騒乱時代の正統後継者の一人」である哀川翔が、「脆弱な製作体制のVシネマ世界で、そして若者の芽を摘み取る政策の時代の中で、アニキとなった。それはもう、自分しか(玉を取りに)行く者がいなくなっての緊急当番であった」と述べています。
 また、「ベスト・オブ・弟分」中野秀雄について、「数々のアニキたちを、後から前から、脇から支えているような、その佇まいが、垣間見えるせいであろう」と述べています。
 著者は、「Vシネマの製作現場自体はもはや恵まれておらず、暴対法で排除されてきたヤクザ動揺の疲弊が、テーマに選ぶ作品(たとえば実録物)とダブることで不思議な表現力を生み出している」として、「この条件を生かすべきである」、「せめて、その迫力を、カネがなくとも知恵で見せてほしい」と述べています。
 第3章「わが国のアニキ史」では、「これまでリーダーとは、地縁血縁の共同体を代表することで、引き継がれてきた」が、著者は、「同じ仲間がアニキを(パートナーシップの上での)社長として、存在させる。親分が全部責任を取る時代は終わった。血筋が幅を利かせる時代は終わったのである」として、「価値の転換が起きる」時代に、「指導力を持つのは、これまでの価値の継承者ではない」、「アニキは、この世襲制を、がんじがらめの差別態勢をぶっ壊すものである」と述べています。
 また、日本映画の中で、「兄弟分を意味する『兄弟』の付くタイトル」について、菅原文太が「ほぼ独占している」理由について、「まずチンピラで売り出したスターは菅原文太だった」として、文太が「アニキとなるために」、俊藤浩滋プロデューサーという「親を斬った」のだと解説しています。
 最終章「そして小沢のアニキへ」では、「なぜ、この山賊の世間での注目度は、実際の力量から見て驚くほどに低いのか。結局は一人だけ、今のところ最後まで発見されずに居残り佐平次となっている」と述べています。
 本書は、「オヤジ」ではなく「アニキ」の時代となった現代をVシネマを通じて解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 一般に「兄貴」と言ったときには、「超兄貴」とかのボディビルダーみたいのだったり、水木一郎だったりというのをイメージするかと思いますが、基本は、『傷だらけの天使』の水谷豊の雰囲気なのでしょうか。
 正直なところ、Vシネマっぽい文体というやつは読みにくかったです。


■ どんな人にオススメ?

・「アニキ」という言葉に惹かれてしまう人。


■ 関連しそうな本

 谷岡 雅樹 『Vシネ血風録』
 谷岡 雅樹 『キング・オブ・Vシネマ―ゴールドカタログ100選』
 哀川 翔, 谷岡 雅樹 『哀川翔―鉄砲弾伝説 (谷岡雅樹のナイフの横顔)』
 谷岡 雅樹 『Vシネマ魂―二千本のどしゃぶりをいつくしみ…』
 谷岡 雅樹 『三文ガン患者』
 木全 公彦, 谷岡 雅樹 『映画業界で働く―映画プロデューサー・配給・宣伝・興行・字幕翻訳家etc.』


■ 百夜百音

ベスト&ベスト【ベスト&ベスト】 堀江美都子 オリジナル盤発売: 1995

 ハクション大魔王の「アクビ娘」の歌もいいですが、「けろっこデメタン」も覚えています。それにしても、蛙版のロミオとジュリエットだとは気づきませんでした。タツノッコン王国にも見かけなかった気がします。

2008年9月22日 (月)

アメリカの雑誌ビジネス

■ 書籍情報

アメリカの雑誌ビジネス   【アメリカの雑誌ビジネス】(#1341)

  桑名 淳二
  価格: ¥3150 (税込)
  風涛社(2008/07)

 本書は、「広告収入に頼る雑誌ビジネスではなく、販売収入に頼った雑誌ビジネス」を目指すなど、「アメリカ雑誌業界の読者研究の取り組みから、新しいビジネスモデルを」探ったものです。
 第1章「アメリカ雑誌ビジネスのキーワードは『熱狂的な読者を掴まえる』」では、「アメリカ雑誌は、広告収入なしでは存在できないビジネスとなっている。そこで、雑誌社は、広告収入を増やすためには、読者数を伸ばすことが最善策であると判断し、年間予約購読料金を大幅に割引して、読者を集めようと躍起になってきた。いわゆる数の多さを競うナンバー・ゲームを展開してきたのである」と述べています。
  第3章「アメリカ雑誌ビジネス『読者をどのように考えればよいのか』」では、新しいビジネス・モデルの考え方として、
(1)販売収入で利益が出るビジネスを構築すること
(2)熱狂的なファンを読者にすること
(3)雑誌をマーケティング媒体としてアピールすること
(4)雑誌関連のサービスをビジネスに加えること
(5)収入源を多様化すること
(6)雑誌ビジネスにドット・コムを活用すること
(7)ビジネスはダウン・サイジングを基本にすること
(8)新しい販売ルートを開拓すること
の8点を挙げています。
 第5章「雑誌作り『クオリティのある読者を掴まえる』」では、「現在、アメリカの雑誌ビジネスは、単に雑誌を販売する、広告を獲得するというだけではなく、第三の収入の柱を探し求めている」として、「イベントやカンファレンスの開催や、関連商品の販売にとどまらず、いろいろな方面に広がってきている」と述べています。
 第8章「雑誌広告『雑誌広告と読者の関係』」では、「編集記事そっくりのページで、通常、スペシャル・アドバタイジング・セクションと呼ばれる記事広告」が「アドバトリアル」と呼ばれるとした上で、「雑誌社は広告を割り引きなしの価格で獲得するうえでの取引にアドバトリアルを使うことが多い」と述べ、「あまり、多すぎると問題がある」のでは、「アメリカ雑誌発行者協会とアメリカ雑誌編集者協会はスペシャル・アドバタイジング・セクションと明記し、書体を本文と変えなければならないというようなガイドラインを作っている」と述べています。
 第10章「雑誌創刊のポイント『読者第一主義』」では、「雑誌創刊で最も重要なのは最初の1年間である」として、「雑誌ビジネス、長い期間の投資が必要で、週刊誌や月刊誌、または、50万部以上の部数では、支出が多く、早期における利益は見込めない。最初の2~3年を生き残るためには、雑誌社は多くの資金が相当必要になる」と述べています。
 第13章「雑誌ブランドの拡張で読者を拡大する『どのように読者を増やすか』」では、アメリカの雑誌社にとって、海外版の発行が、有望なビジネスとなっているとして、
(1)ハイテクの普及によって、製作、ファイル転送、意思の伝達などがきわめて容易である。
(2)現地通貨支払いなど、現地スタッフの雇用の面で有利である。
(3)有能な人たちがアメリカ雑誌関連事業に参加してくれる可能性が大である。
(4)海外版の発行を通じて新しいビジネスモデルを習得できるチャンスがある。
の4点を挙げています。
 第15章「カスタム・マガジン『企業と連携して顧客を読者に』」では、企業がその顧客に向けて発行する雑誌であるカスタム・マガジンについて、その目的は、「現顧客の維持と新しい顧客の獲得である」と述べ、「雑誌社は企業と連携してカスタム・マガジンを発行することによって、新しい読者を掴まえることが可能になったことから、今後は、カスタム・マガジンの状況を調べてみる」と述べています。
 第18章「雑誌の生き残りの道『定価で購入してくれる人々を掴まえる』」では、「新しいビジネスモデルを作り上げなければ生き残れない」として、「従来の広告収入依存のビジネスから販売収入依存のビジネスへの転換を図ることで、そのためには、熱狂的な読者を掴まえ、年間予約購読でも割引料金ではなく、低下で購入してもらうことである」と述べています。
 そして、「変革の時代における最重要課題は雑誌の役割を再確認することである。そして、掴まえた読者の要求に合わせた雑誌作りをすることである」として、「雑誌には他のメディアにない長所がたくさんある。その優れた面を強調していけば、雑誌は必ず生き残れる」と述べています。
 本書は、日本の雑誌関係者にとっても、雑誌の読者にとっても、新しい姿のヒントを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 アメリカの雑誌をテーマにしているからなのか、本書の文体もやけに翻訳調なところがあり、最初は、アメリカのビジネス書を訳したものかと思いましたが、日本人が書いています。パクリじゃないといいんですが。


■ どんな人にオススメ?

・最近の雑誌はつまらないと感じている人。


■ 関連しそうな本

 桑名 淳二 『データが語るアメリカ雑誌』
 桑名 淳二 『アメリカ雑誌は表紙で勝負する』
 桑名 淳二 『データで見るアメリカ雑誌』
 桑名 淳二 『アメリカ雑誌をリードした人びと』
 サミール フスニ (著), 桑名 淳二 (翻訳) 『ミスター・マガジンの「アメリカ雑誌で成功する方法」』


■ 百夜百マンガ

ハロー張りネズミ【ハロー張りネズミ 】

 「探偵」という職業も、ドラマや映画の中では良く見かけますが、実際のところ何をしている人なのかよくわからないところがあります。とりあえず、人の人生に首を突っ込む仕事、ということでの設定なのですが。

2008年9月21日 (日)

テレビだョ!全員集合―自作自演の1970年代

■ 書籍情報

テレビだョ!全員集合―自作自演の1970年代   【テレビだョ!全員集合―自作自演の1970年代】(#1340)

  長谷 正人
  価格: ¥2,520 (税込)
  青弓社(2007/11/24)

 本書は、「自作自演」を分析のキーワードに、「情報」と「演出」の亀裂を埋めるようなテレビ的言説の構築を目指したものです。
 第1章「開拓者の時代」では、「70年代のバラエティ」が「見る番組を選ばなければならないという悩ましくもうれしい選択を強いることによって、視聴者の側にテレビそのものに触れるという経験をもたらす」ことで、「視聴者を引き連れ、あるいは逆に視聴者に先導されながら、テレビという土地に様々なフロンティアを開拓し、テレビと自らを重ね合わせていくさま」をたどるとしています。
 そして、視聴者の位置取りについて、「一方で、観客が視聴者そのものであるという側面」があり、「もう一方で、それは、観客と視聴者とは一体ではない」と述べています。
 また、タモリの「出世」のスピードには、「個人の力量にすべてを帰着させることをためらわせる何かがある」として、「やはり内輪ウケということではないか」と述べ、「テレビが一つの固有の遊びの空間になり始めた」として、「『全員集合』が一つの番組の枠内で週に一度実現していた大きな内輪ウケの共同体が、テレビ全体に拡大し、常態化し始めた」と述べています。
 第2章「視るものとしての歌謡曲」では、60年代後半のGSブームについて、「それまで作詞・作曲家についてはレコード会社と専属契約を結ぶという形が主流」であったが、「GSについては、一過性のブームと大方は受け取り、また曲風が従来の歌謡曲とは大きく異なっていたために、専属作家が曲を提供する対象にはならなかった」ため、「GSブームをきっかけとして、専属契約を結んでいないフリーの作詞・作曲家が大きく頭角を現すこと」になったと述べ、GSが、「フリー作家の台頭を可能にするという意味で、より実質的な規制の秩序の破壊を実現するという面があった」と解説しています。
 そして、『スター誕生!』を企画した作詞家阿久悠が、
(1)テレビ時代にふさわしい歌手の発掘
(2)作詞・作曲家の地位の向上
の2つの意図を持っていたとして、「こうした番組企画の意図から読み取れるのは、『歌謡界』のさらなる自己変革ということに他ならない」と述べています。
 第3章「ドキュメンタリー青春時代の終焉」では、「1970年代は、ドキュメンタリーとテレビにとって大きな転回点だった。70年代とは、それまでのテレビのルールが根本的に否定されると同時に、現在のテレビへとつながる新しいルールが作り出された時代だった」と述べ、1960年代末に登場した『ドキュメンタリー青春」と、東京12チャンネルの担当ディレクターの田原総一朗を取り上げています。
 そして、田原が、ドキュメンタリーの制作を、「個性的な出演者と製作者の対決の場だと考えていた。彼にとってドキュメンタリーとは、出演者を追い詰めるための『罠』であり、製作者と出演者が対決を行うための『土俵』であった」として、ジャズ・ピアニストの山下洋輔が出演した「バリケードの中のジャズ」を紹介しています。
 また、田原の『テレビディレクター』を呼んで、テレビに入ることを志した、日本テレビの土屋敏男が手がけた、『進め!電波少年』などの「ドキュメント・バラエティ」の手法が、「間違いなく『テレビ自身を見せるテレビ』の正当な末裔である」と述べています。
 第4章「日常性と非日常性の相克」では、「テレビドラマが1983年以降、日常生活のロマン主義化とでも呼ぶべき方向へと変容していくプロセスの中で捨ててしまったものが何か」を問いかけています。
 そして、山田太一作品の凄みとして、「日常への非日常的暴発の瞬間をドラマチックに描いたところにあるわけではない。むしろ反対に、そのような非日常的爆発の後で、それを再び日常生活のなかに折り畳んでいく、そのプロセスを描いたところにある」と述べています。
 著者は、「ロマンチックなものに日常生活を支配されることによって、かえってロマンチックなものを夢見る方法を忘れてしまったこと。それが現代の生活文化とテレビの最大の危機」だと指摘しています。
 第5章「コマーシャルの転回点としての70年代」では、若者を中心に「CMに発熱した」70年代について、CMソングライター(としての)大瀧詠一、CMディレクター杉山登志(とその死)、CMディレクター川崎徹、コピーライター糸井重里らを取り上げ、「テレビ史の転回点──一つの様式の完成と同時に、その様式を崩す手法の胚胎の時期──としての70年代」を描き出すとしています。
 また、山下達郎や大瀧詠一、ムーンライダーズらについて、「80年代に才能が開花するモダンなクリエイターらにとって、CM音楽は修行時代を支えたパトロン的な存在だった。気まぐれで厳しいクライアントのオーダーをこなして、それを『商品としての音楽』として完成させるCM音楽は、のちのプロデュース・ワークに結びつく貴重な体験だったはず」だとする、田中雄二の解説を紹介しています。
 第6章「テレビと大晦日」では、メディア・イベントとしての大晦日について、「『局間の垣根の消失=無礼講』が非日常の空間を生み出す重要な要素になっている」と述べた上で、「1975年を転換点として、大晦日のテレビが『秩序』から『混沌』へと変容し、壮大なる無礼講空間へと姿を変えていく様子は、テレビにとって非日常とは何であるかの変容を意味する」と述べています。
 そして、帝国劇場の『レコ大』から東京宝塚劇場で行われていた『紅白』への移動という「神風出演」こそが、「視聴者の創造力において大晦日番組を一体とするのに重要な役割を果たしていた」として、「当時は局間の垣根が高く、他局の番組についてふれるのは原則としてご法度だった」と述べ、「神風出演という大晦日ならではの架橋は、複数のテレビ局が共同で生み出す大晦日というメディア・イベントの存在を立体視させた」と述べています。
 第7章「『女子アナ』以前 あるいは"1980年代/フジテレビ的なるもの"の下部構造」では、80年代に行われた一連の組織改革のなかで、「プロダクションの本社復帰」が「制作現場の空気を一変させた」として、「在籍する女性アナウンサーに『ポツダム社員』同様フジテレビの正社員としての地位を与えられたことが、いわゆる『女子アナ』誕生のきっかけだった」と述べ、それまで厳然と存在していた「25歳定年制」について解説しています。
 本書は、テレビが面白かった70年代を理論付けて解説してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 子供の頃の大晦日の目標は、「紅白をトリまで見る」、「ゆく年くる年をみる」というものだったような気がしますが、いつも目標かなわず寝てしまっていました。で、最後まで起きていられるようになるころには紅白は面白く感じなくなり、つまらないから早く寝るようになってしまいました。


■ どんな人にオススメ?

・70年代にテレビが大好きだった人。


■ 関連しそうな本

 田村 隆 『「ゲバゲバ」「みごろ!たべごろ!」「全員集合」―ぼくの書いた笑テレビ』
 大橋 巨泉 『ゲバゲバ70年!大橋巨泉自伝』
 山田 満郎, 加藤 義彦 『8時だョ!全員集合の作り方―笑いを生み出すテレビ美術』
 ジョン フィスク, ジョン ハートレー (著), 池村 六郎 (翻訳) 『テレビを"読む"』
 佐藤 卓己 『テレビ的教養』
 田原 総一朗 『テレビと権力』


■ 百夜百音

Re:Package【Re:Package】 livetune feat.初音ミク オリジナル盤発売: 2008

 こういう形で作品を発表してCDとして発売されるようになるなんて、すでに「初音ミク」という一大ジャンルが形成されてしまっている感じです。

2008年9月20日 (土)

アニメーションとライフサイクルの心理学

■ 書籍情報

アニメーションとライフサイクルの心理学   【アニメーションとライフサイクルの心理学】(#1339)

  横田 正夫
  価格: ¥2730 (税込)
  臨川書店(2008/04)

 本書は、「人間にはライフサイクルに従ったテーマがあり、特定の年代には特定のテーマに迫られることがある」というライフサイクルをテーマに、「人生のいくつかの時期に、自分の生き方についての問い直しが起こり、また生き方の変換を迫られるようなときが訪れる」という説明を、アニメーションの中に見いだそうとするものです。
 第2章「イジー・トルンカのアニメーション」では、トルンカのアニメーションを年代別に検討した上で、「アニメーションにおいて語られている内容は、心理学的な意味が多く込められており、それをもとに考えると20代、30代、といった十年ごとの年代別の分類とは別の分け方が可能になる」と述べ、「トルンカはほぼ5年ステップで自己の作品を変革してきている。それは習作期、確立期、展開期、警句期ならびに死の自覚期とみなすことができる」と解説し、「アニメーション作家の心理的な発展はライフサイクルに従って、洋の東西を問わず、同様に展開しているとみなせよう」と述べています。
 第4章「『ゲゲゲの鬼太郎』のライフサイクル」では、「個人作家によって作られる抽象度の高い作品ではなく、プロダクションによって制作される特定の年代をターゲットにしているような作品」であるが、「シリーズものとして作り続けられるうちに、そのテーマの中に、作り手のライフサイクル的テーマが入り込んでくることがある」ことを検証するとしています。
 そして、「シリーズものが、繰り返されると行ったことは、一つのシリーズを症例の一つの展開と同様に考え、シリーズの繰り返しを症例の再発と捉え、臨床心理学的な方法で検討することができる」と述べています。
 また、1960年から1964年までに、「鬼太郎の誕生からその鬼太郎世界に作者が同化するまでの過程が描かれ」手いることについて、「そこには現実の作者の家の問題、結婚、出産といった生活上の出来事が盛り込まれていた」として、「中年期危機に入った水木しげるの、妖怪漫画家としての新たなアイデンティティを確立するプロセスが、漫画の中に描き込まれていた」と解説しています。
 さらに、「第3部から第4部という変遷は、ライフサイクル的には説明しやすい変化」であるとして、「第3部では、成人期のテーマが語られ、伴侶を得ることがテーマとなっていた」が、11年たった第4部では、「むしろ中年期危機と認められるような内容が見いだせる」と述べています。
 著者は、「第1部では妖怪を退治し、第2部では人間の起こす環境汚染などの文明による不調和を批判し、第3部では異性を意識し、伴侶を獲得するテーマを描いていた。そして第4部では、中年期危機を描いていた」として、「第1部から第4部までは、人間のライフサイクルのテーマをそのまま見事に描いてきているとみなすことができる」と述べています。
 本書は、アニメーションといえども、作り手のライフサイクルが反映されている様子を分かりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 ライフサイクルという点では、同じことをより作家性の強い漫画でやると、はっきりとした結果が出るのではないかと思います。すでに結構行われているのではないかともおもいますが。


■ どんな人にオススメ?

・アニメは商業的だ、と感じている人。


■ 関連しそうな本

 横田 正夫 『アニメーションの臨床心理学』
 フレデリック・L. ショット (著), 樋口 あやこ (翻訳) 『ニッポンマンガ論―日本マンガにはまったアメリカ人の熱血マンガ論』 2006年04月29日
 平林 重雄 『水木しげると鬼太郎変遷史』 2007年08月12日
 杉山 知之 『クール・ジャパン 世界が買いたがる日本』 2007年08月19日
 斎藤 環 『戦闘美少女の精神分析』 2007年11月02日
 堀淵 清治 『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』 2007年04月15日


■ 百夜百音

ハチャトゥリャン: 管弦楽作品集 ~剣の舞【ハチャトゥリャン: 管弦楽作品集 ~剣の舞】 ラザレフ(アレクサンドル) オリジナル盤発売: 2002

 ただでさえ速い表題曲ですが、ニコニコ動画に2分以内の超スピードで演奏したものが紹介されていました。しかも指揮者は、「まだ速さが足りないと思いませんか?」と再演奏しているし。

2008年9月19日 (金)

地方を殺すな!―ファスト風土化から"まち"を守れ!

■ 書籍情報

地方を殺すな!―ファスト風土化から   【地方を殺すな!―ファスト風土化から"まち"を守れ!】(#1338)

  
  価格: ¥1365 (税込)
  洋泉社(2007/10)

 本書は、「禁煙、大型店の出店規制が緩和されたことで、日本中の地方郊外のロードサイドに大型商業施設の出展ラッシュが生まれ、その結果、本来固有の歴史と自然を持っていたはずの地方の風土が、まるでファストフードのように、全国一律の均質なものになっている現象」である「ファスト風土化」の問題点が、「現在進行形でどのような事態を地方に生み出しているのかをレポート」したものです。
 映画監督の大林宣彦インタビュー「文化の町であることをアイデンティティにしよう」では、大分県臼杵で映画を撮ろうと思ったが、臼杵市長の後藤国利氏が、「私たち市民がせっかく穏やかで静かに守ってきたこの町で映画を作ると尾道のようになる、それは困る」と断られたことが語られています。
 「『焼き畑農業』と化した郊外乱開発に経済合理性はない!」(藻谷浩介)では、小売販売額と坪効率の低下について、
・全国的な都市近郊の乱開発により、経済成長率や人口増加率を大幅に上回るペースで小売売り場面積が増加した。
  ↓
・出来てしまった商業施設は生き残りををかけて安売り競争に走る。
  ↓
・商業施設の坪効率が大幅に低下する。
  ↓
・売り場面積の増加ペースを坪効率の低下率が上回る状況となり、日本全体の小売販売額が下がり始めた。
というロジックを展開し、「要するに、需給バランスの崩壊で、値崩れが起きている」と解説しています。
 また「歪んだ進展解説競争に、手を貸しているものたちの存在も見逃せ」ないとして、
(1)郊外の遊休土地(農地や遊休工業用地など)を店舗用地として安価で貸している地権者
(2)地元の市町村
などを挙げています。
 著者は、「高度成長期以降に地方、大都市近郊を問わず蔓延してきた郊外乱開発」を、「一方的な人口増加を前提とした、大手商業者・郊外地権者・自治体三位一体の『焼き畑農業』だった」と指摘しています。
 「国道24号から観る京阪奈地域の歪み」(原広)では、警察白書で取り上げられた、「地理的な垣根を越えた犯罪」の頻発する地域として、
・茨城、群馬、栃木、埼玉の県境付近の「北関東地域」
・岐阜、愛知、三重の県境付近の「西東海地域」
・京都、大阪、奈良の府県境付近の「京阪奈地域」
の3地域を挙げています。
 「地方で起きた下流犯罪」(田上順唯)では、「郊外へと拡散が続くことで、日本中に大量に生まれている廃店舗が、現代の『悪所』として犯罪を引き寄せている」と指摘しています。
 本書は、どこに行っても同じように見えてしまう、日本の「地方」をリアルに見ようと試みた一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本を旅するときに、鉄道を使うと、まだ駅前の風景、沿線の風景というのはかなり個性が出るのですが、レンタカーを借りたりして車で移動すると、今どの辺りにいるのか、というのがままあります。
 さすがにチェーン店の系列などは違うのですが、店の展開方法が同じようなので遠くに来ていないような錯覚を与えます。


■ どんな人にオススメ?

・地方に行っても全国チェーンのコンビニと居酒屋とファミレスを探してしまう人。


■ 関連しそうな本

 三浦 展 『ファスト風土化する日本―郊外化とその病理』 
 三浦 展 『脱ファスト風土宣言―商店街を救え!』 
 三浦 展 『下流社会 新たな階層集団の出現』 2007年11月14日
 三浦 展 『下流同盟―格差社会とファスト風土』 
 ジョージ リッツア, 正岡 寛司 『マクドナルド化する社会』 
 藻谷 浩介 『実測!ニッポンの地域力』


■ 百夜百マンガ

菜【菜 】

 いわゆる「わたせ的」とされるハートカクテルのテイストは残りますが、日本家屋や和服などの「和」の雰囲気にも合うことがわかる作品です。

2008年9月18日 (木)

きちんとわかる巨大地震

■ 書籍情報

きちんとわかる巨大地震   【きちんとわかる巨大地震】(#1337)

  産業技術総合研究所
  価格: ¥1575 (税込)
  白日社(2006/10)

 本書は、大地震や巨大地震が、「なぜ、どのようにして起こるのだろうか。それは、どこまでわかっているのだろうか。研究はどこまで進んでいるのだろうか。予測はできるのだろうか」という疑問に答えようとしたものです。
 第1部「巨大地震の謎に挑む研究者たち」では、「地震の結果として起きた津波ならびに津波の痕跡から、逆に地震の規模や実態を推定する」研究者や、「地震後の地殻変動のことで、地震後に地面が徐々に隆起または沈降する」「余効変動(postseismic movement)」と呼ばれる地殻変動、「地震という出来事(イベント)によって堆積したものの総称」である「地震イベント堆積物」、「震源の動きを反映」した「津波堆積物」などの研究者を取り上げています。
 そして、「極端に言うと、地震予知が成功するかどうかは博打みたいなところがある。でも正しい知識を持っている人が一人でもいれば、間違いなく被害は減る」という言葉や、地球の「履歴そのもの」である地形に興奮するという研究者を紹介しています。
 第2部「巨大地震の秘密に迫る」では、第2章「日本列島周辺の海溝型地震」において、「記録が比較的多く残っている江戸時代以降では、だいたい90~150年間隔で南海トラフ沿いの海溝型地震の記録がある」とした上で、「遺跡で検出された地震の痕跡」によって記録の「空白期」が埋められつつあると述べています。
 そして、津波堆積物について、「深海底で発生した津波(の痕跡)を記録した、いわば天然の検潮儀のようなもの」であると述べ、「津波がいつ発生したかを知るには、津波堆積物自体やその上下の地層から資料を採取して、その放射性炭素年代などから推定することが多い」と述べています。
 また、北海道において、「津波堆積物の研究によって、約500年間隔で巨大な津波が道東を繰り返し襲ったことが明らかになった」として、内閣府の中央防災会議によって、「防災対策の検討対象の一つとされている」ことについて、「歴史記録を書いているにもかかわらず、防災対策の検討対象に位置づけられたことは異例であり、地質学から防災研究への大きな貢献」であると述べています。
 第3章「海溝型地震による地殻変動」では、「地震時の地殻変動は劇的で、沿岸の環境を一変させる。一方、地震の前や後にも少しずつではあるが、地盤は変動している」として、「余効変動」について解説しています。
 また、2004年スマトラ島沖地震について、アンダマン諸島の隆起珊瑚礁が、「まさにたったいま干上がった(実際には三ヶ月経過しているが)、まるで生きているかのような新鮮なサンゴたちであった。このような光景は、世界中でもごく限られた人しか見ることが出来ない」と思うだけで「抑えきれない興奮を覚えた」と述べ、「隆起量の見積もりには、マイクロアトールと呼ばれるサンゴ群集」を利用し、「隆起したマイクロアトールの頂上面と現在の低潮位の高度差を測れば、どれだけ隆起したかがわかる」と述べています。
 さらに、房総半島の海岸段丘に関して、「繰り返し起こる地震の何回かに一回が規模の大きい地震になるという性質は、最近、海溝型巨大地震に共通する特徴であることがわかってきた」と述べた上で、「地形や地層に記録された地殻変動を注意深く解読することによって、歴史記録には残っていない道の巨大地震の存在を知ることが出来るようになってきた」と述べています。
 第4章「内陸活断層による連動型大地震」でjは、濃尾地震とランダース地震について、「きわめて重要な意味」をもつと述べ、「こと連動破壊に関しては、過去の経験をそのまま将来に適用するわけにはいかない」と述べ、「断層の幾何学的な配置が、連動破壊の有無を決める極めて重要な要素であることには変わりはない」が、「連動の予測をより高い精度で行うためには、断層の応力蓄積レベルや破壊開始点も考慮していく必要がある」と述べています。
 そして、「海溝で発生するプレート境界地震発生の長期予測制度や発生メカニズムの研究の進展に比べ、内陸活断層の研究は遅れていると言わざるを得ない」と指摘しています。
 第5章「巨大地震の地震動」では、「地震動を理解しようとすれば、震源で起きていることと、波がいかに伝わってくるかという二つの現象をきちんと把握しなければならない」として、「大きな被害をもたらす地震動は、規模が大きく、震源での破壊過程が複雑な地震に起因することが多いし、多くの人が暮らす平野部で振動がどのように伝わっていくかを考えなければならないからである」と述べています。
 そして、苫小牧から札幌にいたる平野域が、「日本海が開いた頃に地下が沈み、そこに堆積物が溜まったところだと考えられ」、「堆積層の厚さは6000m近くに及ぶ」とした上で、「堆積層は軟らかく、波の伝わる速度が遅いために波の振動が増幅される。さらに、周辺部との速度差があるために、堆積層のある平野内には地震波がとどまりやすくなり」、「平野内部では揺れの継続時間が長くなる」と述べています。
 本書は、巨大地震にかんする最新の研究と、その限界とを、正しく理解するうえで、確実なガイドとなってくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 子供の頃は、映画の『日本沈没』の影響か、地震の後のサバイバル生活というのの印象が強く、とても怖かったのを覚えています。
 「ノストラダムスの大予言」を含め、そういったパニックものというのは一ジャンルを築いていただけでなく、子供たちの心の中で一定の比重を持っていたような気がしますが、今の子供たちはどうなのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・地震は怖いと思う人。


■ 関連しそうな本

 土井 恵治 『地震のすべてがわかる本―発生のメカニズムから最先端の予測まで』
 佃 為成 『地震予知の最新科学 発生のメカニズムと予知研究の最前線』
 岡田 義光 『最新 日本の地震地図』
 山中 浩明, 岩田 知孝, 佐藤 俊明, 武村 雅之, 香川 敬生 『地震の揺れを科学する―みえてきた強震動の姿』
 日本地震学会地震予知検討委員会 『地震予知の科学』
 川崎 一朗 『スロー地震とは何か―巨大地震予知の可能性を探る』


■ 百夜百マンガ

シロと歩けば【シロと歩けば 】

 長らく連載を続けてきた作者の代表作。ゴマちゃんにしてもウッシーにしても、やっぱりペットものというのは、四コマ漫画として展開しやすいのかもしれません。

2008年9月17日 (水)

上司をマネジメント

■ 書籍情報

上司をマネジメント   【上司をマネジメント】(#1336)

  村山 昇
  価格: ¥1470 (税込)
  クロスメディアパブリッシング(2007/09)

 本書は、現代人にとって、「物理的な時間、空間的に過す場所、そして心理的な気持ち空間の『最大の占有者』」である仕事からの使者である「上司」にかんして、「部下が働く現場で遭遇する具体的なシチュエーションや疑問、無意識に自問しているキャリアテーマを随所で取り上げ、それをどう解釈し直し、どう行動に結び付けていけば、自分の夢・志(=大いなる目的)につながっていくのかを一番の中軸に据えて」まとめたものです。
 第1章「マインドのリセット」では、「小さくは日々の業務で成果を上げるため、大きくは自分の仕事上の想いや夢、志をかなえるために、上司という資源を有効に活用することが賢い職業人」だとした上で、上司を
(1)権限、機能を持った存在・・・「一役職人」としての上司
(2)知識、能力、経験、人脈を持った存在・・・「一能力人」としての上司
(3)個性、人格を持った存在・・・「一人間」としての上司
の3つに分解してとらえることができると述べています。
 そして、「上司や組織に対するポジティブな働きかけは、必ず何かポジティブな結果を引き出」すと述べ、「会社に入れば『上司がもれなく付いてくる』」ことは、「有難い話」であるとしています。
 また、「リーダーシップ」に対応する「フォロワーシップ」について、
(1)模範的
(2)孤立型
(3)消極的
(4)順応型
(5)実務型
の5つのタイプを挙げています。
 さらに、「上司には活用できるいろいろな『引き出し』」があるとして、
(1)権限という引き出し
(2)能力の引き出し
(3)人格の引き出し
の3点を挙げ、「職業人としての成功の半分は、上司の引き出し方にかかっていると言っても過言ではない」と述べています。
 第2章「上司を理解する」では、「部下は『聞き上手』でなくてはならない」として、そのためには、
・観察力
・読解力
・設問力
の3つの力が重要であると述べています。
 第3章「自分を発する」では、「部下は上司だけでなく、所属する組織(部や課)に対しても自分を『よく見える状態』にしておかなくては」ならないとして、「自分を拓いていくには、いい意味で『目立つ』こと」が重要であると述べています。
 そして、「材料を複数の観点から揃え、選択肢を設定し、自分のシナリオを持って、自分の選ばせたい選択肢に誘導する」準備を着実に行うことで、「部下は上司の持つ主導権の何割かを奪うことができる」と述べています。
 また、「上司から言われたことを、会社が持つ既存の方法を使って、言われたレベルで返すこと」は当然やるべき仕事であるとしたうえで、「既存の会社のやり方を疑ってみる、そして自分なりの工夫や新しい視点を加えてみる。そうした自分のオリジナルな提案を混ぜて、仕事を10%分上乗せして上司に返す」ことが「優秀な部下の習慣」であると述べています。
 第4章「信頼・共感を得る」では、「有効な上司/部下関係をベースとして、強い組織を形成しているところは、必ず当事者たちが担当仕事の意味や意義を、第三点として、設定して共有している」として、
・対顧客/対取引先/対経営陣
・担当事業の未来
などの「共有する目線方向」を持っていると述べています。
 そして、仕事の二面性として、一面には「苦役」であるが、もう一面には「チャンス」とあるとして、仕事は、
・自分の可能性を開いてくれる成長機会
・様々な人と出会える触発機会
・何かことを成し遂げることによって味わう感動機会
・学校では教われないことを身につける学習機会
・あわよくば一攫千金を手にすることもある経済機会
であると述べています。
 第56章「場・脈をつくる」では、「上司と部下の関係は、二者間で閉じていると、どうしても互いの能力の出来不出来や人間性のことに気が集中しがちになり、感情的なものの支配が強く」なるとして、「大人の職業人であるべき私たちは、関係をある程度安定化させるための理性的な『第三点』を求め」る賭して、
・両者が共有できる目標やビジョン
・組織内の他社員
という「第三点」を求めると述べています。
 そして、「良い仕事が出来たという最大の報酬は、次なるもっと良い仕事の機会を得ること」であると述べています。
 第6章「ストレスと共生する」では、「自分の労働や労働時間、そしてそこから生まれるアウトプット物をそれなりの値段で買ってくれる人を顧客と呼ぶとすれば、サラリーマンにとって新の顧客は、あなたを雇用してくれる『会社』」であるとして、「その顧客の代表として、あなたの労働の質・量が値段(=給料)に見合っているかどうかを評価しているのが上司」だと述べています。
 第7章「大いなる目的を持つ」では、「真の出世とは、自分の働く忠誠心を職・仕事に置き、その職・仕事を通して、会社内は当然のこと、業界内、そして広く世のなかに認められていく、そして各方面に意義を与えていく状態」を言うとして、「自分の競争意識は、常に業界標準、世界標準を超えることに向けられて」いると述べています。
 さらに、キャリアは、中長期的には、「本人の『将来こうなりたい』という強い『意志の力』(=志力)が決定的な要因となる」として、「『志力』を起こすための4つのヒント」として、
(1)理想イメージを持つ
(2)共感人を持つ
(3)行動で仕掛ける
(4)自分を持つ
の4点を挙げています。
 本書は、サラリーマンにとって避けて通ることが出来ない「上司」を、どうとらえるかによって仕事生活がいかに変わるかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 サラリーマンにとって、悩み事の8割上は、上司/部下の関係に起因するものではないかと思いますが、本書は、そういった目の前の問題に苦悩する多くのサラリーマンに、より高みにある「北極星」を見せてくれる一冊ではないでしょうか。
 それにしても、著者も村山さんは、非常にすっきりとしたロジックで一冊の本をまとめていて、しかも内容が充実しているにもかかわらず、「一テーマ一冊」でわかりやすく展開するので、ビジネス書としては模範的なのではないかと思います。
 一方で、そつがないというか模範的過ぎるがために、口コミで大ヒットに広がる起爆剤となるような、ロジックを無視した熱い語りの部分や、読む人を圧倒する壮絶な人生経験の部分が弱いのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・上司/部下の関係を客観的に見つめたい人。


■ 関連しそうな本

 村山 昇 『「ピカソ」のキャリア「ゆでガエル」のキャリア』 2005年07月19日
 山本 寛 『昇進の研究―キャリア・プラトー現象の観点から』 2005年09月01日
 キャメルヤマモト 『稼ぐ人、安い人、余る人―仕事で幸せになる』 2005年05月24日
 金井 寿宏 『ハッピー社員―仕事の世界の幸福論 解決!組織で働く悩み』 2005年05月09日
 金井 壽宏 『変革型ミドルの探求―戦略・革新指向の管理者行動』 2005年03月12日
 小河原 直樹 『新しい社会契約』 2006年11月30日


■ 百夜百マンガ

ナース・ステーション【ナース・ステーション 】

 医療現場を描いたリアル路線の漫画の草分け的な作品。今の医療漫画ブームもこの作品がなければ存在しなかったかも知れません。

2008年9月16日 (火)

自治体財政健全化法―制度と財政再建のポイント

■ 書籍情報

自治体財政健全化法―制度と財政再建のポイント   【自治体財政健全化法―制度と財政再建のポイント】(#1335)

  小西 砂千夫
  価格: ¥2625 (税込)
  学陽書房(2008/04)

 本書は、「自治体財政健全化法の制度の趣旨を理解する部分と、その枠組みの下での自治体の財政再建や財政分析のあり方を示す部分の両方」からなるものです。
 序章「自治体財政健全化法のねらいは何か」では、この法律の狙いが、「破たんへの対応」ではなく、民間企業以上に「破たん」の社会的影響の大きい自治体について、「それをどのように避けるかの予防措置を設けたことが特徴」だと述べています。
 そして、旧法見直しに当たっては、「自治体は再建制度に守られているので、財政悪化を起こしても借金返済ができないということがない。そのために財政悪化を起こしても大丈夫という親方日の丸体質が生まれている」という「市場主義的」な制度改革の提言があったが、「最終的には、そういった方向性は地方財政制度を抜本的に見直すときに検討することとして、自治体財政健全化法の設計ではその部分は見送られ」たと述べています。
 第1章「自治体財政健全化法の概要─財政早期健全化や財政再生の対象になったらどうなるのか」では、
・実質赤字比率
・連結実質赤字比率
・実質公債費比率
・将来負担比率
の4つの指標を挙げ、これらをまとめて「健全化判断比率」と呼び、「この4つの指標のうちのどれか1つでも早期健全化の水準以上になれば早期健全化段階となり、財政再生段階の基準以上になれば再生段階」されると解説しています。
 そして、早期健全化段階に適用されると、
(1)財政健全化計画
(2)財政健全化計画の策定手続等
(3)国等の勧告等
のようなスキームで財政再建に努めなければならないこと、財政再生段階になった場合には、
(1)財政再生計画
(2)財再生計画の策定手続、国の同意等
(3)地方債の起債の制限
(4)地方財政法第5条(地方債の制限)の特例
(5)国の勧告、配慮等
の5つのスキームが適用されることを解説しています。
 著者は、夕張市の財政再生計画を解説した上で、「準用再建団体とはかくも厳しい世界であるということをあらためて認識したい」とした上で、「いっそ財政再建団体になった方がまし」などとは、「間違ってもいうべきではありません」と述べ、「自治体は、自分で作った借金や赤字は、住民生活を犠牲にしながら自力で最後まで返済しなければならない状況にあることを強く意識すべき」だと述べています。
 第2章「健全化判断比率とはどのようなものか」では、「財政再生のスキームは、実質収支の赤字に表れる資金ショートをメルクマール(基準)にして発動されること」と述べ、その論理の背景には、「建設公債主義で自由な借り入れを縛っていることが根本理由」にあると述べています。
 そして、「実質赤字比率と連結実質赤字比率では、早期健全化基準や財政再生基準に一定の差が設けられ、連結実質赤字比率が多少の赤字では基準に引っかからないように配慮されている背景」として、「国の予算措置の不足が、市町村における連結赤字比率の算定に影響を及ぼすこと」など、「自治体の財政運営の努力とは関係のないところで出てしまう赤字の存在にも配慮したもの」であると解説しています。
 第3章「早期健全化基準と財政再生基準の考え方」では、4つの財政指標が、「実質的な意味での財政健全化ではない見直しをした場合には、何かの指標が悪化するか、後年度に何かが悪化するか、時間がたってもなかなか好転しない、などの効果が出るように考えられて」いるとして、「健全化判断比率の相互の関係」を図示して解説しています。
 そして、将来負担比率だけが、財政再生基準の指標とならない理由として、「実質的な負債の財源総額に対する規模に対して大きいかどうかを見るもの」であり、「それが大きくても資金ショートがおきなければ、当面は困」が、「いずれは財政状況が厳しくなると予想され、そのときには住民への公共サービスの提供が危ぶまれる」ため、「予防措置としての健全化判断比率としてはふさわしい」と解説しています。
 第4章「自治体財政健全化法で求められる監査の体制」では、これまでの自治体の監査の実情として、「監査委員が2名の市町村では議員と自治体出身者という組み合わせが多く、監査委員による監査をサポートする事務局も自治体の職員で構成することから、総合的に見て、監査に求められている専門性も対象となる組織からの独立性も十分であるとは」いえないことを指摘しています。
 そして、自治体職員がボランティアで集まって、自治体財政健全化法に備えた監査のマニュアル作りを行っている「政策提言自治体会議」の活動について、著者自身も参加しているものとして紹介しています。
 第5章「財政情報の開示、公会計制度改革と自治体財政健全化法」では、国や自治体のバランスシート作成に関して、「財務書類を整える意義に疑問を挟む余地はなく、実務的に可能な限り統一的に財務諸表の作成を推進していくべきである」と思うが、「そのことが、自治体の財政運営のために必要な財政分析に直接的に貢献するのではなく、財政分析のためには別途財政指標を開発し、それにあわせた情報開示が求められるということを忘れてはならない」と指摘しています。
 そして、自治体は、「現金主義であると同時に、建設公債主義(原則として建設投資にしか財源として地方債を充てられない)であり、かつ地方財政法5条の2の中で地方債の償還期間は耐用年数よりも短く設定すべきと定めて」いることから、
「減価償却<地方債の元本償還+建設的に投資的経費に充当される一般財源等」
という関係式が成り立つと述べ、「現金不足が発生していない限り、発生したコスト以上に一般財源等を投入して建設費をまかなったり、元本償還をしているわけ」であり、「当期利益にあたるものは黒字であり、バランスシートは資産超過であること」になると述べ、「資金ショートさえ起こさなければ、財政運営は万全である」と述べ、「債務の建て方に制約が設けられていることによって、現金の動きだけを見ていれば、財政運営の持続可能性が維持できる仕組みになっている」と解説しています。
 第6章「健全財政のための財政指標の設定、財政再建の進め方」では、「財政分析は1年間の財政収支と、1年超の長期の財政収支に分けて考えることが望ましい」と延べ、「1年以内の資金ショートにt呪医手は、自治体では、財政再建制度や自治体財政健全化法の枠組みがある限り、当面は問題ではないと見るべき」だと述べています。
 そして、償還能力と将来負担比率に関して、「将来負担比率の分母を、標準財政規模ではなく、償還財源とすべきではなかったか」という意見について、
(1)純債務の定義ですら政省令や細則で細かく定めてもなお実態的には判断が分かれるものがあると予想されるが、償還財源の定義はそれ以上に難しく、公平なルールとして設定することに伴う技術的な点が大きい。
(2)純債務の年度ごとの変動にくれべて、償還財源の変動はもっと大きく、分母であるだけに指標の数値が年度間で極端に動くことが予想される。
の2つの点でなじまないところがあると述べています。
 また、「財政分析は、資金繰りと償還能力の2点から行うことが望ましい」とした上で、「資金繰りと償還能力の指標には様々なものがあり、それぞれを総合化して、資金繰り系指標と償還能力系の2つに集約できれば、かなり面白い財政分析ができ」ると述べています。
 さらに、「交付団体間の財政格差は留保財源の大きさで決まる」とした上で、「小規模で財政力指数が低い自治体の多くが、借りすぎの状態にある」ことを指摘し、「借りすぎている状態で、地方財政の圧縮が進むと、その痛みは、借りすぎていない状態よりもはるかに厳しいものが」あると述べています。
 著者は、借りすぎると、「結局のところ、人件費カットで凌ぐこと」になるとして、「自治体職員は、借りすぎの状態になると、結局は自分たちの人件費でその尻拭いをしなければ」ならないことをよく自覚して、「全庁的に財政問題に当事者意識を働かせることが大切」だと述べています。
 第7章「自治体の財政規律の確立と債務調整の是非」では、「自治体にも破たん法制を導入することによって、市場による監視を強めることが財政の健全化を促す」という問題提起に対して、地方債が安全債権であることが、「自治体の財政運営に緊張感をそいでいるので望ましくない」という見方は、「安全であるのは貸し手である金融機関から見てそうであるだけであって、借り手である自治体は借金返済が楽になるということでは」なく、「自治体は自分で作った借金は、どんなに厳しい行政改革であってもそれを潜り抜けて、自力で返済しなければならない」と述べています。
 そして、「新しい地方財政再生制度研究会」の報告に関して、「現在の地方財政制度では、国は地方に多くの事務配分を行い、自治体の財政力に応じたサービス格差は、国民のコンセンサスとして限定的にしか認められないという状況」にある中で、「現在のような制度として運用せざるを」得ないと述べ、「事業債を別とすれば、現在の地方財政制度の中で債務調整を導入することのメリットは少ない」と指摘しています。
 終章「わがまちは大丈夫なのか、財政を悪化させないために必要なこと」では、近年、地方分権が進められている中で、「自治体財政健全化法のスキームは地方自治の精神に反するので、好ましくないという見方」がある点について、「自治体財政健全化法によって一部の財政事情の悪い団体の自治権が制限される」ことは、
(1)財政状態が深刻な状態になって回復不可能、あるいはたいへん長い期間をかけなければ健全化しない状態になることは、後世代に多くの負担を負わせることになり、世代間の公平を著しく欠くことになる。
(2)ある自治体の財政状態が悪化すれば、他の自治体に悪い影響が及ぶ。
の2点からやむをえないと述べています。
 そして、「自治体財政健全化法には、深刻な問題を表面化することで、先送りできないようにする効果が期待され」ると述べ、「先送りにすることで表面化することを避けてきた問題を明るみに出し、透明性を高めていく方向に踏み出した」と述べています。
 本書は、単なる自治体財政健全化法の解説として読むだけではもったいない一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で紹介されている「いっそ財政再建団体になった方がマシ」ということは、口が裂けても言ってはいけない、ということは、小西先生が普段から強調されています。本で読むとまた説得力が増す感じがします。


■ どんな人にオススメ?

・自分の住んでいる自治体の財政状況が心配な人。


■ 関連しそうな本

 小西 砂千夫 『自治体財政のツボ―自治体経営と財政診断のノウハウ』 2008年05月12日
 小西 砂千夫 『地方財政改革の政治経済学―相互扶助の精神を生かした制度設計』 2008年04月04日
 小西 砂千夫 『地方財政改革論―「健全化」実現へのシステム設計』 2008年04月02日
 赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日
 上村 敏之, 田中 宏樹 (編著) 『「小泉改革」とは何だったのか―政策イノベーションへの次なる指針』 2006年11月02日
 竹中 平蔵 『構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌』 2007年11月05日


■ 百夜百マンガ

カンブリアン【カンブリアン 】

 地味ながらも読み応えのある作品を生み出し続けてきた人でしたが、50代の若さで亡くなられたのは惜しいです。

2008年9月15日 (月)

煙る鯨影

■ 書籍情報

煙る鯨影   【煙る鯨影】(#1334)

  駒村 吉重
  価格: ¥1470 (税込)
  小学館(2008/1/31)

 本書は、日本にたった5艘だけある沿岸商業捕鯨の船に5ヶ月間乗り込んだルポルタージュです。著者は、「いまも、日本沿岸の海域で鯨を追う現役の鯨捕りたち」の話を書きたい、という一心から、そのうちの一艘「第七勝丸」に、「春から秋にかけ、日本の沿岸を渡り歩いて鯨を追う旅路」に同行しています。
 プロローグ「捕鯨が来た道」では、和歌山県太地町の捕鯨の歴史を語る上で外すことができない「あの事故」、明治11年12月24日に起きた「大背美流れ(おおせみながれ)」と呼ばれる、百十四名の命を失った大事故を紹介しています。
 第1章「熊野灘へ」では、知人の編集者から、「商業捕鯨の船が実在するってことを、いったいどのくらいの人が知ってるんでしょう。乗ることができたら、面白いじゃないですか」との言葉をきっかけに捕鯨の世界に片足を突っ込んだことを語っています。
 そして、取材する先々で、捕鯨に賛成か反対かの「二分論の前を避けて通ることは、まずもって難しかった」が、「強いて言うなら、数少ない捕鯨国の一つである日本の中にあってすら、置き去りにされたような商業捕鯨の現場に身を置く男の姿に興味があるだけだった。あるいは、まるで将来の見えないその業界で、腕一本を拠りどころに飯を食っている職人たちに、ごく自然と畏敬の念をもっただけのことだった」と語っています。
 著者は、太地町の捕鯨船勝丸に身をおくことについて、「まずそのことの難しさを思う。たった7人しかいない小さな船に、明らかに歓迎されない人間が一人混じるという図式は、ちょっと考えるだけでも気を滅入らせた」と語っています。
 第2章「見えぬ『烏帽子』」では、「初日に幸先よく2頭を仕留めたのを最後に、ぱたりとゴンドウ鯨の姿が見えなくなってしまった」ことについて、「捕鯨船に限らず、マグロ漁船など大物を追う船に強い考え方」として、「取材者のような部外者を乗せた場合、海神はその船に恵みを与えることをやめてしまう」という「ジンクス」があると語っています。
 第3章「ゴンドウ鯨」では、太地沖でゴンドウ鯨の捕獲が本格的に始まったきっかけとして、明治11年の「大背美流れ」を挙げ、「働き盛りの男たちと、鯨方という大組織を失った太地浦では、物理的に大型捕鯨を再興するのは不可能となっていた」と述べています。
 そして、「知る限り、太地ほどゴンドウ肉のかぐわしい臭味を偏愛する土地は、他にあるまい」と語っています。
 また、大型捕鯨船の砲手の性格は、「気が強くって、くよくよしない。ドンガラ(捕鯨砲の的を外すこと)打っても、ナンヨっという図太い顔ができる」ことを紹介しています。
 第4章「昼下がりの岩門」では、太地の喫茶店の奥さんから、太地が、「じっと見られてる感じがしますでしょ」、そして、「おかずが来るんですよ、夕方になると近所から」と聞かされたことを語り、「どうやら太地とは、そんなところらしい」と語っています。
 そして、「捕鯨モラトリアムにより熱烈に一般の鯨肉市場に迎えられ」、「バブル」と言われるほどであったツチ肉が、「調査の副産物により、早々に退席を余儀なくされた」と述べています。
 第5章「列車のなかで」では、千葉県の和田浦に向かう車中で捕鯨の歴史を振り返りながら、昔は、「各船にいた、年配者の艫取りが古いしきたりを厳格に守らせていたようが、昭和50年代中ごろからは、海と鯨を怖れ崇める敬虔な光景もすっかり潰えた」こと、そして、俳優の菅原文太がレポーターを務めたNHK教育テレビで勝丸の船主・磯根翁を訪ねた際に、「母船の加工工場で加工の追いつかない鯨肉がぞんざいに放られるのを目撃したこと」を語り、「南氷洋はひどい……」という声を「やっと絞り出した」ことを挙げ、「日本の捕鯨は、どこかで豹変した」と語っています。
 第6章「ツチ鯨」では、「ツチ漁を語るとき、鯨捕りたちの口調は、まるで眼前の鬼門を凝視するかのように小難しくなる」として、「他の鯨に比べても極めて用心深く臆病な性質」に加え、「千メートル以上を軽々と潜り、40分以上も水中を泳ぎまわることが可能な、驚異的な潜水能力を備えている」ことをあげています。
 また、「房総半島の切っ先にある浦々は、熊野灘に面した紀州の鯨どころ同様、鯨とのつき合いが古い」として、「江戸の昔から、安房といえばツチ」だと述べ、「安房は、セミなナガスといった大型の髭鯨を捕るために網捕り法を見事に完成させた太地とはまた違う、独自の捕鯨文化を生んだ地であった」と語っています。
 そして、「和田に来て、つくづく知らされた」として、「どうやら、土地の人びとにとってツチ鯨とは、多分にお題目になりがちな古き良き歴史文化財の類などではなく、いまも暮らしの一部として欠かせない身近な存在であるらしい」と述べています。
 第7章「追尾」では、「鯨を仕留めた後にしなければならない、重要な仕事」として、
(1)引き寄せた鯨の首元か手羽の付け根辺りの急所に、ジャンスと呼ばれる槍を入念に突き込み、完全に息を断っておく必要がある。
(2)ロープをかけて右の舷側まで鯨を引き寄せた段階で、長柄の「腹さき」で首元の頚動脈を断ち、腹を開き、肉に血が回らないようにすること。
(3)艫デッキのウインチも使って巧みにロープを操り、巨体を徐々に艫側に持っていき、船尾の右側に尾を結わえ付ける。
の3点を挙げています。
 第8章「和田の解剖場」では、「国道沿いで鯨料理のレストランを営むママ」が、「和田の夏はツチでしょう。この季節、ツチ食べな、何食べるの」といって、「ツチ捕る船に乗るなら、肉の味ぐらい知っておいたほうがいいでしょ」と、揚げたてのツチ肉のフライを出してくれたことを語っています。
 そして、「待望の一頭の商品価値が、あられもなく崩落するさまをつぶさに見せ付けられた私は、和田の人々が持つ妥協のない評価基準に敬服しつつも、しばし唖然とさせられた」と語っています。
 第10章「沈黙の根室海峡」では、ツチ鯨を仕留めた勝丸が港に戻ったときに、「いつもならボランティアの学生らや見物人が大勢詰め掛けているはずの、港前の解剖場に、まったく人気がなかった」という「異変」に気づき、「髭鯨肉の不足を補ってきたツチ肉が、その役割を完全に終えたという、市場の厳しい現実を、勝丸はあらためて突きつけられたのだ」と語っています。
 第11章「大漁満足」では、「いつまで勝丸にとどまるべきかを、真剣に考えざる」を得なくなった著者が、自身が3年前にパレスチナ自治区のガザに入って身動きが取れなくなった経験を思い起こし、「煎じ詰めれば、すべては私自身が食うためでしかないのである」、「汗の流さず血も浴びず、無力で無責任な傍観者となって、ただ何かを観るためだけに、他社の人生にふらっと立ち入り、とっとと去っていく。紛れもなく、それが私の仕事なのであった」と語って慰安す。
 本書は、近海商業捕鯨という知られざる世界を舞台に、そこで営まれる海の男たちの人生を描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 第8章に登場する、国道沿いの鯨料理のレストランのママというのは、おそらく和田のおかみさん会の八千代さんではないかと思います。
 「ぴーまん」の料理も美味しいですが、併設の「櫟」も雰囲気がいいですよ。


■ どんな人にオススメ?

・鯨は遠くの海で捕れていると思っている人。


■ 関連しそうな本

 渡邊 洋之 『捕鯨問題の歴史社会学―近現代日本におけるクジラと人間』 2008年01月31日
  『鯨類生態学読本』
 小松 正之 『クジラと日本人―食べてこそ共存できる人間と海の関係』
 小松 正之, 日本水産学会 『よくわかるクジラ論争―捕鯨の未来をひらく』
 大隅 清治 『クジラと日本人』
 星川 淳 『日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』


■ 百夜百音

つのだ☆ひろエッセンシャル・ベスト【つのだ☆ひろエッセンシャル・ベスト】 つのだ☆ひろ オリジナル盤発売: 2007

 つのだ☆ひろと言えばこの曲。それにしても、名前の間にある「☆」は未だに謎です。「漫☆画太郎」など、その影響は大きいようです。

2008年9月14日 (日)

「満洲」経験の社会学―植民地の記憶のかたち

■ 書籍情報

「満洲」経験の社会学―植民地の記憶のかたち   【「満洲」経験の社会学―植民地の記憶のかたち】(#1333)

  坂部 晶子
  価格: ¥2415 (税込)
  世界思想社教学社(2008/03)

 本書は、「『満洲国』で暮らした人びと、植民した側である日本人と、植民された側である中国人双方の、当事者たちの植民地経験を題材として取り上げ」、
(1)当事者の記憶を通して、植民地における人々の生活世界を再構成すること。
(2)これらの当事者たちが、それぞれ尾の植民地経験をどう位置づけているのかについて、また彼らにとってその経験がどのような影響を与えたのかについて考察していく。
(3)これらの分析を通して、植民者─被植民者のそれぞれにおける植民地の記憶の形を取り出し、比較考察していく。
の3点をもくろんだと述べています。
 第1章「支配のためのレトリックの行方」では、「日本の持った植民地経験の一つのケーススタディとして、日本人の『満洲』への植民地経験」をと仕上げ、「なかでも実際に『満洲』へ渡っていきそこで暮らした人びとが、戦後日本へ引き上げてきた後に、その『満洲』での経験をどのように記憶し、表象しているのかを分析していく」と述べています。
 そして、植民者自身による「満洲」経験の語りについて、
(1)「満洲」当地の当事者たちによる回顧集という形態をとるもの。
(2)マスター・ナラティヴを志向するような語りから区別される、植民地の日常生活を表現する語り。
(3)自らの植民地経験の構造的定位と、植民地の日常性への回顧の狭間で揺れ動くさまを示す一つの記憶として、文芸同人誌『作文』における「満洲」経験の語りの変遷をみる。
の3種類に区分しています。
 第2章「喪失した故郷へのノスタルジア」では、「『満洲』を経験した日本人が表出する植民地の日常性の語りに焦点」を当てるとしています。
 また、「満洲」の同窓会の活動が、「戦後日本社会での『生活のための共同性』をもつものではなく、また体外的なアピール性の強い『記録のための共同性』を示すものでもない」として、「一言で言えば、『満洲』時代の彼らの日常生活の思いでそのものを語り合うための場所であり、そこで培われる絆は『想起のための共同性』を示すといえるのではないか」と述べています。
 第3章「慰霊というコメモレイション」では、「農村部への移住者である『満洲』移民の語り」を取り上げています。
 そして、「開拓団の慰霊碑が、『満洲』開拓の偉業を記念し、ナショナルな語りへと収束していく傾向」を挙げています。
 また、満洲からの「逃避行」の経験を語ってくれた引揚げ者の「語り」の中から、
(1)逃避行の最中に多くの開拓団員を見殺しにしてきたこと、それをその家族に伝えることの困難。
(2)中国人と結婚した、中国の家庭に入ったということを村へ伝えることの困難。
などの点を挙げています。
 第4章「抵抗と被害の記憶のコメモレイション」では、かつての「満洲国」の領土の大部分を占める現在の中華人民共和国東北地区において、「当時の植民地経験がどのように記憶され、表象されているのかについて、植民地経験のコメモレイション、記念化の様式を通してみていく」と述べています。
 著者は、「中国東北地区における植民地期にかんするコメモレイションのあり方を取り上げ、その形式の変遷を実証的に追いかけてきたのは、そこに満洲国に関する植民された側の人々にとっての集合的記憶の一端が示されていると考えるから」だと述べています。
 第5章「被害の記憶の聞きとり実践」では、「中国社会における『満洲国』にかんする歴史の記述と、それぞれの当事者の記憶とのかかわりについて」考えるとしています。
 そして、「『満洲国』という植民地支配の歴史プロセスとめぐって、植民された側である中国東北社会における植民地経験の記憶を主題とする」と述べています。
 また、「いくつかの回想や証言から『満洲国』当時の日本人にとっての中国人労働者増を再構成してみれば、それは植民地に暮らした日本人にとって日常的に付き合いのあった個人というよりも、むしろ充足されるべき労働力、過酷な肉体労働に耐えうる『苦力(クーリー)』としてイメージされていた」と述べています。
 さらに、本章で見てきた「東寧の労働者たちの記憶」が、「中国社会のナショナル・ヒストリー」と「齟齬しない形での、地域における集合的記憶の諸相であった」と述べています。
 第6章「個人的な記憶の語り」では、「中国社会における植民地経験に関する集合的記憶の強調点となっているのは、多くは抵抗戦争のために犠牲になったヒーローを称揚するものか、あるいは大規模な集団的な被害の記憶にかんするものが多い」とした上で、「このようなナショナル・ヒストリーからこぼれおちるような、個々の人々の経験は、どのような場面で、どのように見ることが可能なのだろうか」と述べています。
 そして、「東寧県で収集され記憶されてきた『満洲労工』の被害の記憶は、当地における地域の記憶の枠組みとして、人々の経験を統合しひとつの定型的な語り口を構成している」とした上で、「植民地経験の中の個別化された経験は、そのひとつひとつの断片は、個々人の来歴を語る雑多な情報に過ぎない」としながらも、「植民地経験に関する大きな物語とは距離をとった、このような記録化の末端の現場にも目を向けてみることは、『満洲国』という一つの歴史的プロセスを、当事者たちの多様で個別の始点を確保するために必要なのではないだろうか」と述べています。
 本書は、現代では大きな声で語られることの少ない、「満洲国」についての、語りにこだわりにこだわった一冊です。


■ 個人的な視点から

 ブラジルやハワイへの移民にも共通するのですが、満洲からの引揚げといったときに、そもそも、満洲に開拓団として送り込まれた人たちが、そもそも食い詰めた寒村であるために、日本の引き揚げてきてもそれを養うだけの土地がなく、結局、戦後国内の新たな開拓地に向かった人も少なくないようです。前に、富士の裾野への開拓について、毎日新聞の静岡県版で読んだ記憶があります。


■ どんな人にオススメ?

・満洲といってももはやピンとこない人


■ 関連しそうな本

 山室 信一 『キメラ―満洲国の肖像』 2006年01月13日
 小林 英夫 『満鉄調査部―「元祖シンクタンク」の誕生と崩壊』
 小林 英夫 『満鉄調査部―「元祖シンクタンク」の誕生と崩壊』
 小林 英夫, 米倉 誠一郎, 岡崎 哲二, NHK取材班 (著) 『「日本株式会社」の昭和史―官僚支配の構造』
 小林 英夫 『「日本株式会社」を創った男―宮崎正義の生涯』 2006年01月02日
 小林 英夫 『満鉄―「知の集団」の誕生と死』


■ 百夜百音

NHK クインテット~アラカルト~【NHK クインテット~アラカルト~】 TVサントラ オリジナル盤発売: 2005

 顔では笑っていても、目が怒っている人というのはいるものです。そういう人が苦情電話に対応しているのを見ていると、言葉遣いは丁寧なのですが、電話で見えないためか、顔はものすごく怖くて、この人は怒らせてはいけないと感じます。竹中尚人の「笑いながら怒る人」よりも怖いです。

2008年9月13日 (土)

マクルーハンの光景 メディア論がみえる

■ 書籍情報

マクルーハンの光景 メディア論がみえる   【マクルーハンの光景 メディア論がみえる】(#1332)

  宮澤 淳一
  価格: ¥1680 (税込)
  みすず書房(2008/2/19)

 本書は、「メディア人の『元祖』とされるカナダ人」で、「1960年代に電子メディアを論じ、その革新的な思想は北米で賛否両論を巻き起こし」た、マーシャル・マクルーハンを取り上げた「3回の授業」です。
 テキスト『外心の呵責」では、「西洋人が神経を自分の身体の外側に出すプロセスを始めたのは電信が最初である」と述べ、「電信の発明以来、私たちは人間の脳と神経を地球全体に拡張させてきた」結果、「電子時代は実に不安な時代」となり、「人間は、頭蓋骨を内側に入れ、脳みそを外側に出して耐えている」と述べています。
 そして、「中枢神経形を外に出したとき、私たちは原始的な遊牧民の状態に回帰した」として、「これからは、食料も富も生活自体も、その源は情報となるだろう」と述べています。
 第1講「マクルーハン精読」では、テキストの「外信の呵責」を解釈しています。
 そして、マクルーハンにとって、「人間の精神と肉体の『拡張』がすべて『テクノロジー』」であるということについて、「人間の精神や肉体が発揮する機能を強めたり、代行したり、負担を軽減したり、変化させたりする、有形・無形のもの」であると述べています。
 また、電子メディア時代の本質を、「テクノロジカルな道具同士の共存(co-existence)がまさしく即時的に起こる」ことであり、それが「人類史上きわめて新しい危機を生み出した」として、「私たちの拡張された能力や感覚は、いまや、単一の体験領域を構成しており、この領域は、能力や感覚が中枢神経系自体さながらに集合性を意識するようになることを求めている」と述べていることについて解釈しています。
 さらに、マクルーハンの見据える人類史が、
(1)文字使用以前の時代
(2)グーテンベルクの時代
(3)電子時代
の3段階であると解説しています。
 そして、「電子メディアがもたらした『混乱』によって、『私たちは原始的な遊牧民の状態に回帰』し、『旧石器時代の人間』として『再び地球を放浪する』ことになった」が、「現代に捜し求め、集めるのは『食糧』ではなく『情報』である」とマクルーハンが述べていることを紹介しています。
 第2講「メッセージとメディア」では、マクルーハンが1951年に出版した初の単行本、『機械の花嫁』について、「米国の大衆文化(ポップ・カルチャー)を探求した本」であり、「ユーモラスで(ちょっとエッチな)語り口を通して」、米国大衆文化の要素である、「性」と「テクノロジー」と「死」の3つの要素を抽出したものであると述べています。
 そして、1962年6月の第2の単著『グーテンベルクの銀河系──活字人間の形成」について、「表音アルファベットとグーテンベルクの印刷機にはじまる各種のテクノロジーがどのように人間の思考様式を確定させ、いわゆる『活字人間』を形成させたかを論じた本」であると述べています。
 1964年5月の『メディア論──人間の拡張』については、「全米で注目され、マクルーハンを一躍時代の寵児にした本」であるとして、「『人間の拡張』である現代の電子時代のメディア(テクノロジー)を一つ一つ取り上げて評釈している本」だと述べています。
 そして、マクルーハンが、メディアを「ホット」と「クール」の2つに分類したことについて、その基準が「精細度」(definition)と「参加度」(participation)であり、
・ホット・メディア:高精細度=低参加度(ラジオ、活字、写真、映画、講演)
・クール・メディア:低精細度=高参加度(電話、話し言葉、漫画、テレビ、セミナー)
の2種類に分類しています。
 また、有名な「The medium is the message.」という、近年は「メディアはメッセージである」と訳されることが多い一文について、「『内容(コンテント)』が『メッセージ』であるよりは、『メディア』が『メッセージ』である、という宣言」だと述べています。
 第3章「ジョン・レノンと地球村」では、1969年12月20日の午後にマクルーハンのオフィスに、ジョン・レノンとオヨ・ヨーコが乗りつけたエピソードを紹介した上で、「電子メディアはグーテンベルク時代に生まれた個々人を束ね直し、『世界を収縮させ、一個の部族すなわち村にする』」という言葉を紹介し、「『村』とは、電子メディアによって一つになった世界」であり、そこは「あらゆることがあらゆる人に同時に起こる場所」であり、「起こった瞬間にあらゆる人がそれを知り、それゆえそこに参加する」のだと述べています。
 そして、「地球村」の特徴として、
(1)同時多発性:各地でさまざまなことが同時発生、即時の伝播、万人の参加・関与
(2)混迷の世界:現状認識・非予言性
(3)過渡期:未来への期待
の3点を挙げています。
 また、グレン・グールドが、「『地球村』という見方の存在を仮に認めた上で、それの同時性が効力を発揮した結果に懸念を表明している」と述べています。
 さらに、マクルーハンが、「芸術家」たちの作品や見解を様々に言及・評釈した考察について、究極的には、
(1)電子メディアの到来が「新しい環境」を生み出すこと。
(2)「新しい環境」の特徴とは「同時多発性」であること。
の2つの主張に帰着すると述べています。
 本書は、メディア論について語る上でははずすことのできない、マクルーハンの入門書として、やっぱり難しい、と思わせてしまうかもしれない一冊です。


■ 個人的な視点から

 「メディア論」というのもなかなか狐につままれたようなところがあって、「はぁ、なるほど・・・」とは思うものの、あまりピンとくるものは多くないのですが、マクルーハンについても、60年代にブームがあったことを知らないと、今になってから知ると、変に古典だとか神格化したりという問題もあるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「メディア論」という言葉にしり込みをしてしまいそうな人。


■ 関連しそうな本

 水越 伸 『コミュナルなケータイ―モバイル・メディア社会を編みかえる』 2007年11月29日
 T. コポマー (著), 川浦 康至, 山田 隆, 溝渕 佐知, 森 祐治 (翻訳) 『ケータイは世の中を変える―携帯電話先進国フィンランドのモバイル文化』 2007年09月02日
 荻上 チキ 『ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性』 2008年05月13日
 川上 善郎 (編集), 高木 修 『情報行動の社会心理学―送受する人間のこころと行動』 2005年11月19日
 パトリシア ウォレス (著), 川浦 康至, 貝塚 泉 (翻訳) 『インターネットの心理学』 2005年10月15日
 ピーター モービル (著), 浅野 紀予 (翻訳) 『アンビエント・ファインダビリティ―ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』 2007年11月26日


■ 百夜百音

まりちゃんズの世界【まりちゃんズの世界】 まりちゃんズ オリジナル盤発売: 1994

 ポニョの主題歌で心和んだ人たちは、歌っている人がここまで性根が悪いとは想像もつかなかったでしょうか。
 1974年当時、72歳だったババアは今では106歳になる計算ですが、200歳くらいまでは勝てそうにありません。

2008年9月12日 (金)

社名・商品名検定 キミの名は

■ 書籍情報

社名・商品名検定 キミの名は   【社名・商品名検定 キミの名は】(#1331)

  朝日新聞be編集グループ
  価格: ¥777 (税込)
  朝日新聞社(2008/1/11)

 本書は、「よく耳にする会社名、愛用している商品」の「意外と知られていない名前の由来」を紹介したもので、朝日新聞土曜版「be」に連載された「キミの名は」をベースに検定のスタイルにまとめたものです。
 「まずは腕だめし ○×10問チャレンジ」では、ミツカンの「味ぽん」の名は、「味付けぽん酢」を縮めたもので、「ぽん酢」とは、「かんきつ果汁を指すオランダ語」である「ポンス」荷由来することを解説しています。
 第1科目「売れ筋にはワケがある【商品編】」では、社名・商品名の由来本では定番の「国誉」や、「ヒドリ印→S&B」、「アヲハタ」、「遊波→UHA」、「カルビー」「山河あり→サンガリア」などを紹介しています。
 第2科目「ご先祖さま、ありがとう【ネーミング編】」では、「ウナコーワ」の「ウナ」が、至急電報の「ウナ電」に由来すること、天ぷらの「ハゲ天」が文化人たちに愛され、店主がハゲだったことから「ハゲの天ぷら屋」として親しまれ、背水の陣で銀座に進出した際に、それまでの店名「たから」を、作家・水上滝太郎の助言に従って「ハゲ天」に改めたことなどを紹介しています。
 また、化粧品の通販で知られるディーエイチシーが、「大学翻訳センター」の頭文字だったことなどを紹介しています。
 第3科目「「知識のちゃんこ鍋【トリビア編】」では、ニッカウヰスキーが、理想のウイスキーを追求しようと会社を興したが、「ウイスキーは熟成に時間がかかる」ため、「その間の収入を確保するため、初めはリンゴの100%ジュースを売った」ので、「大日本果汁株式会社」という社名でスタートし、ここから「日」と「果」をとったことを解説しています。
 また、サンリオが、創業者の出身地である「山梨」を音読みして「サンリ」に、「エイエイ、オー」の「オ」をつけたと解説されていますが、他の本では「山梨王」で「サンリオ」とする説もあります。
 第4科目「あのとき、歴史が動いた【史実編】」では、「段ボール」が、レンゴーの創業者・井上貞治郎が「自作の機械でボール紙に波型の段をつけた放送用緩衝材の製造に成功」し、「段ボール」と命名したことを解説しています。
 また、時計メーカーだったエプソンが、畑違いのプリンターに進出するきっかけは、東京オリンピックの公式競技の掲示を請け負い、持ち運びできる「プリンティングタイマー」を開発したことであることが紹介されています。
 第5科目「アイデア勝負、20番【デザイン編】」では、ゼブラが元々「石川ペン先製作所」だったが、社名を英語にしようとして、辞書を最後のほうから開いたときに、「ZEBRA」が目に留まり、漢字では「斑馬」と書き、「文」と「王」の組み合わせであることから決まったことが紹介されています。
 また、サランラップは元々太平洋戦線で使われていた銃や弾丸を湿気から守る放送フィルムなどに使われていたが、ある日、ダウケミカル社の技術者2人が、ピクニックに出かけたときに、たまたま奥さんがフィルムでレタスを包んで持っていったところ、大変な評判になり、この2人の妻の名前、「サラ(Sarah)とアン(Ann)」にちなんで「Saran Wrap」と名づけたことを紹介しています。
 本書は、よく知っている名前にもさまざまな思いが込められていることを知ることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 社名や商品名は、トリビア的にも面白いのですが、特に昔の会社の社名や商品名には、創業者の熱い思いや志がこもっていて知るだけで元気になります。
 それに比べて、最近の商品名は広告代理店任せになってしまったのか、当事者の思いが伝わってこないものが多いような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・名前にこめられた思いを感じたい人。


■ 関連しそうな本

 田中 ひろみ 『思わず話したくなる社名&商品名の謎―なぜか気になる社名・商品名の由来760』 2008年02月23日
 本間 之英 『誰かに教えたくなる社名の由来』 2005年09月10日
 本間 之英 『誰かに教えたくなる社名の由来〈Part2〉』 2005年9月11日
 湯元 俊紀 『語源ブログ ネットで探るコトバの由来』
 成美堂出版編集部 『日本のロゴ―企業・美術館・博物館・老舗…シンボルマークとしての由来と変遷』
 梅原 淳 『鉄道用語の不思議』


■ 百夜百マンガ

メスよ輝け!!【メスよ輝け!! 】

 最近、医療ドラマブームなのか、何本か放送しているような気がしますが、原作関係的にも内容的にも漫画とドラマの境目がなくなってきているようです。

2008年9月11日 (木)

技術官僚の政治参画―日本の科学技術行政の幕開き

■ 書籍情報

技術官僚の政治参画―日本の科学技術行政の幕開き   【技術官僚の政治参画―日本の科学技術行政の幕開き】(#1330)

  大淀 昇一
  価格: ¥735 (税込)
  中央公論社(1997/10)

 本書は、「《政府の中の技術者》=技術官僚が、明治以来の歴史のなかで、とかく公共事業に失敗があればまっさきに責任を問われ、また政治の道具・手段視されていた状態から、いかにして自らの立場を強くし、科学技術の立場を政策決定・行政過程のなかに反映させようとしたか、その苦闘の歴史から成り立っている」もので、「明治維新期における最初の技術官僚=お雇い外国人の役割というところから出発して、お雇い外国人と交代した日本人技術官僚集団の思想と行動を、戦後の科学技術庁設置と科学技術基本法発想の時点までたどったもの」です。
 第1章「お雇い外国人に代わる日本人技術官僚の登場」では、「鉄道建設をはじめとする近代的エンジニアリングを担当できる多くの日本人技術官僚が得られなかったので、すでに述べたように政府はそれをお雇い外国人に頼った」とした上で、こうしたお雇い外国人と「代替できる日本人技術者の養成を目指して、技術官僚養成の高等教育機関が工部省内に設立された」として、「工学寮」を挙げています。
 また、「近代化政策の立案・決定は日本人でやり、外国人はあくまで助言者・脇役としての地位に止めておかれた。工部省は、必要な技術官僚としてお雇い外国人を破格の高給で雇いつつも、決して国会氏の決定過程には参画させなかった」というあり方が、「日本人技術官僚がお雇い外国人と交代する事態になっても、技術官僚の扱い方として日本の行政機構の中で保持された」として、「日本人技術官僚はあくまでお雇い外国人の代替者であって、助言者、脇役としての地位に止めおかれた」ことを指摘し、「このことを制度的に固めていたのが文官任用令であり、また法律や財政関係科目のみの任用試験を規定する文官試験規則であった」と述べています。
 第2章「第一次大戦後の工業国化と技術者たちの目覚め」では、「河川に対する内務省土木局の役割を治水の方向へ大きく展開させた法制」として、明治29年の河川法の成立を挙げ、その意義について、法社会学の渡辺洋三が、
(1)純粋な治水立法であって、利水の観点なし。
(2)国家の中央集権的河川管理立法であった。
(3)大河川中心主義の立法である。
(4)河川法の制定は、地主層を大きく政府権力の階級的基礎とする第一歩となった。
の4点を指摘していることを紹介しています。
 そして、「内務省土木局の土木行政の主たる内容が、治河を中心としていたとき、社会資本投資の約半分は河川に投じられていた」が、「その役割が明治十年代末治水に転じる頃からは、社会資本投資の約半分が鉄道に投じられるようになった」と述べています。
 また、「日本最初のシヴィル・エンジニアたちの集まり」として、明治12年(1879)に工部大学校の第1回卒業生によって創立された最初の工学関係の学会である「工学会」を挙げた上で、その後、専門学会の独立が相次ぎ、「最後に残った部分でもって土木学会が創立された」と述べています。
 さらに、「技術者の地位を向上させ活躍の場を広げるための社会的運動を展開する、いわば連合工業調査委員会の別働隊のような形」で、「工政会」が、大正7年4月に発会したと述べています。
 第3章「大正デモクラシー下における技術者運動の横へのひろがり」では、官民の自覚的技術者集団が、「政党政治、憲政擁護、普通選挙などを求める全国的な大正デモクラシー潮流の中で工政会を中核にして、全国各地の高等ならびに中等工業教育機関の同窓会組織を結集して、着々と工業技術家の連盟化を推進していった」と述べています。
 また、昭和2年(1928)になる頃には、「日本工人倶楽部は世間から社会民衆党を支える『知識階級のサラリーマン並に中等階級』のもっとも有力な団体と見られ、会員数も50000人余に膨れ上がっていた」と述べています。
 第4章「新国土経営計画展開の中でのテクノクラシー思想」では、昭和11年8月に提案された「河川協議会」について、「内務技監を議長とし、技術官が出席する各省連絡協議会で、『河川の施設の計画または施行にして砂防、荒廃地復旧、堰堤、用排水、林業、漁業、開墾、港湾、道路、鉄道、橋梁、上下水道、工業などに影響あるもの又は是等の施設の計画又は施行にして河川の水理に影響あるもの』」について協議することとなっていたが、「一回も開催されなかった」と述べ、この協議会が、「まさに『河川の水理』に従って関連するあらゆる公共事業の計画と施設の施行について各省技術官が総合的に検討するという画期的な協議会ではあったが、この頃の内務技監青山士はそれを開催する指導力を発揮せずじまいであった」と述べ、「治山・治水・利水事業に関連する各省の技術官僚たちが『河川の水理』という視野に立って、全ての公共事業を国土経営的に関連づけて考察するという、いわば一つのテクノクラシー思想の片鱗をうかがうこと」ができると解説しています。
 第5章「大陸経営へ向けての技術者動員」では、日本工人倶楽部が、「何とか国内技術官の行く先を『満州国』行政部局に求めようと試みた。さらには関東軍特務部や満鉄の有力技術者に就職斡旋を依頼してもいる」と述べています。
 そして、昭和12年1月、「満州国」において、「土木行政機関の統一」がなされ、「『満州国』の国務院交通部は鉄道、道路、港湾、航空、治水さらに郵政事業、電気通信事業を管掌し、かつての日本の工部省のような一大公共事業省になった」と述べています。
 また、昭和13年、興亜院技術部が設置され、各省から優秀な技術者が集められ、「大陸経営という範囲の中での総合的な技術政策・技術行政を担当することを目指していた」として、「こういうことができる期間が内閣直属でできたということは、日本行政史上画期的であったというほかはない。まさに日本技術者運動史を飾る成果であった」と述べています。
 第6章「技術官僚が政治的飛躍を遂げた科学技術新体制」では、「科学技術新体制確立要綱」を「政治の表舞台に登場させようと技術官僚の先頭に立って死力を尽くしていた宮本武之輔」が、「示された『措置』の実現を見ることなく昭和16年12月23日の夜急逝した」ことについて、「文官任用令体制との戦いにおける壮絶な戦死であった」と述べています。
 また、松前重義が、論稿「日本技術の水準――如何にして向上さすべきか」の中で、日本の研究機関の欠陥を、「研究機関は日本に於て特に協力的ならず対立的にして相互に秘密確保に狂奔せり。故に互の連絡もなく研究能率著しく低下しをれり」と述べていることを紹介し、「さらに為政者の科学技術に対する認識の低さ、科学技術者たちの地位の低さと合わせて、科学技術者たち自身も学閥主義、功利主義、欧米追随主義を真に克服することができず、科学技術の総力動員とは程遠い状態に終始した」と述べています。
 第7章「戦後日本における科学技術行政の再建」では、昭和22年12月に内務省が解体・廃止され、国土局はその事務を一部分離し、戦災復興院と再び合体して、昭和23年1月に総理長の外局、建設院となり、この年の7月、建設省となったことを紹介した上で、「その発足にあたり、昭和16年以来内務省が行ってきた地方計画の指導事務を承継し、さらに国土計画をもになうこととされた」と述べています。
 結語「科学技術の独創性・創造性のこと」では、「日本人教官と技術官僚たちは、自分たちの想像の世界を切り開くために、さきに述べた性格の官吏制度と厳しく戦わねばならなかった」と述べ、「宮本武之輔はじめ日本工人倶楽部、日本技術協会の運動の中心にシヴィル・エンジニア(土木技術者)がいたということも、注目されねばならない」と述べ、「科学技術の独創性・創造性は、その国の自然と戦い、また自然に従うところから芽生えてくるからである」と述べています。
 本書は、現在では、公共事業を巡る天下りや談合が指摘される「技官」の世界が、明治期のお雇い外国人にルーツを持つ、長い経緯の末に築かれたことを解説してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 最近では「技官」というと、公共事業をやりたくて仕方がない利権集団かのように報じられていますが、明治以来の「文官」との差別を考えると現在批判されている「技官王国」と呼ばれる現象も極端な文官重視の反作用ではないかとも思います。


■ どんな人にオススメ?

・技術屋さんはマニアックだと思う人。


■ 関連しそうな本

 川手 摂 『戦後日本の公務員制度史 「キャリア」システムの成立と展開』 2005年12月29日
 城山 英明, 細野 助博, 鈴木 寛 『中央省庁の政策形成過程―日本官僚制の解剖』 2007年03月30日
 末弘 厳太郎 (著), 佐高 信 (編集) 『役人学三則』 2005年12月12日
 宮崎 哲弥, 小野 展克 『ドキュメント平成革新官僚―「公僕」たちの構造改革』 2006年04月13日
 テリー伊藤 『お笑いニッポン公務員―アホ役人「殲滅計画」』 2006年03月16日
 西村 健 『霞が関残酷物語―さまよえる官僚たち』 2007年09月05日


■ 百夜百マンガ

エルフを狩るモノたち【エルフを狩るモノたち 】

 タイトルからして抵抗感のある人もあるかと思いますが、多分こういう世界観に違和感なく入っていけることが、今の時代の漫画読みには求められるんじゃないかと思います。

2008年9月10日 (水)

図解「通販」業界ハンドブック Ver.2

■ 書籍情報

図解「通販」業界ハンドブック Ver.2   【図解「通販」業界ハンドブック Ver.2】(#1329)

  店舗システム協会
  価格: ¥1680 (税込)
  東洋経済新報社(2007/10)

 本書は、「他の業態の補助手段としてではなく、独自の可能性を持った販売分野として、新たな発展の入り口にある」通信販売業について、網羅的に紹介しているものです。
 第1章「『通販』業界の基礎知識」では、通信販売というビジネス形態について、
(1)顧客データベースをよりどころに、
(2)メディア(媒体)を活用して、
(3)双方向コミュニケーションを行い、
(4)その結果(レスポンス)を計測することによって、次のよりよい手法を構築していく
の4点が大きな特徴だと述べています。
 そして、通信販売という業態が、「他の小売チャネルと比較すると、はるかにシステマティックに組み立てられたビジネス」であるとして、「マーケティング」のデータを活用した「"仮説立て→実行→検証→次の仮説立て"というサイクルをいかにして常に上手に回していくか」がポイントであるとして、「通販の基本は"欲しい人に、欲しいモノを、ほしいときに"いかにスピーディに追求していくかということであり、その前提として、"信頼される商品とサービス"と"それを正しく理解してもらえるクリエイティブ"、さらに"適切な潜在ターゲットに適切なオファーをするためのデータベース"が必要」だと述べています。
 また、「商品の受注・配送・代金回収や業務全体にかかわるコンピュータシステム」など、「ビジネスを背後から支える機能」を意味する「フルフィルメント」について、今日の通販ビジネスにおけるフルフィルメント機能の最大の課題は、「いかにして顧客への提供手段(顧客の選択肢)を多くし、顧客満足を高めるか」だと述べています。
 第2章「モバイル環境の進展とメディアミックスの動き」では、「ケータイの消費行動のきっかけ」として、「事業者側からの『働きかけ』である」として、マーケティングでの一般的な消費行動のサイクルが、「AIDMA」と表現され、
・Attention(注意)→Interest(興味・関心)→Desire(欲求)→Memory(記憶)→Action(行動・購買)→Attention
のサイクルであるのに対し、ケータイ通販では、「記憶」が「働きかけ(Push)」に置き換わる「AIDPA」、
・Attention(注意)→Interest(興味・関心)→Desire(欲求)→ Push(働きかけ)→Action(行動・購買)→Attention
になると述べています。なお、パソコンによる消費行動は、「AISAS」と呼ばれ、「興味・関心」のあとに「検索(Search)」がくること、「行動・購買」を起こした後に「情報共有(Share)」が行われることが特徴である、
・Attention(注意)→Interest(興味・関心)→Search(検索)→Action(行動・購買)→Share(情報共有)→Attention
というサイクルと述べています。
 第3章「『通販』業界の現状」では、「小売業界において、通信販売ほど企業の浮き沈みの激しいチャネルはない」とした上で、業績を拡大しているタイプとして、
(1)化粧品・健康食品やパソコンといった単品、もしくは類似カテゴリーに絞り込んで販売を行っている企業・・・ディーエイチシー、ファンケル、デルなど
(2)企業をターゲット顧客として事業を行う、B to B通販企業・・・アスクル、ミスミグループ本社など
(3)ケーブルテレビなどを活用し、24時間専門放送のチャンネルをもつ「テレビ通販」企業・・・ジュピターショップチャンネル、QVCジャパンなど
の3点を挙げています。
 そして、「大手総合通販企業が相対的に苦戦している一方で、取扱商品を絞り込んだ専門店型通販会社やテレビショッピングやインターネット、衛星放送などの媒体を活用して飛躍した企業の躍進が顕著に見られる」と述べています。
 また、「近年、通信販売業界で行世紀を急拡大している企業のタイプ」として、「食品(特に健康食品)を手がけている企業」を挙げ、主要な食品通販企業には、「それぞれ何らかの他社にない特長があり、それが生活者に受け入れられた結果、大きな売り上げを作っている」と述べ、「日本で初めてチューブ詰めハチミツの生産やハチミツ梅漬の製品化に成功する一方で、そういったビジネス化の裏づけとなる『山田式蜂蜜チューブ充填機』や『蜂蜜用蜂球内部型給餌機』などの機器まで自社で開発するなど、徹底的にミツバチにこだわった商品提案が生活者の大きな共感を呼んでいる」食品関連通販企業第3位の山田養蜂場を紹介しています。
 さらに、「総合通販が伸び悩んだ大きな要因として、顧客セグメンテーション上の問題」を挙げ、「一人ひとり異なる買い手のニーズを漏れなく満たすのは難しいため、売り手は市場(顧客)をいくつかのセグメントに細分化して対応していこうとする」として、「地理的変数、年齢や性別などの人口動態的変数、ライフスタイルやパーソナリティなどのサイコグラフィック変数等」を挙げ、「売り手は、ターゲットとする市場を設定しなければならない」と述べています。
 第4章「『通販』ビジネスに不可欠なマーケティング要素」では、「一つのレスポンスの獲得についてかかったプロモーション費用」を示す、「CPR: Cost Per Response」について、「プロモーション費用/レスポンス数=CPR」の式で求めることができると述べ、「一件あたりの受注にかかるプロモーションのコスト」については、「プロモーション費用/受注数=CPO: Cost Per Order」の式で求めることができると解説しています。
 第5章「ベーシックな『通販』ビジネスモデル」では、メーカーの通販参入で注意すべき点として、
(1)既存の流通ルートを損なわないこと
(2)本業のイメージを損なわないこと
(3)採算性を重視すること
の3点を挙げています。
 第7章「『通販』業界の歴史」では、ブルワーカー、ルームランナー、アブトロニック、ビリーズブートキャンプなどの代表的な健康機器のヒット商品を紹介しています。
 本書は、もっとも先鋭的なマーケティングの激戦場である通販の世界を概括した一冊です。


■ 個人的な視点から

 先日、単品通販の第一人者、株式会社ディーエムネットワークの伊澤社長にお会いしてお話を聞く機会がありましたが、単品通販の世界が、マーケティングの粋を凝らした激戦場であると同時に、そこを勝ち抜くには、思いやストーリーが大事であると伺いました。
 ちなみに、社名がティーエムネットワークに似ているのは偶然なのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・通販と聞くと雑誌の裏表紙の怪しげなグッズ類を思い出す人。


■ 関連しそうな本

 芳子 ビューエル 『なぜ、テレビショッピングで買ってしまうのか?』
 中村 あつ子 『イラスト図解 通販のしくみ』
 斎藤 駿 『なぜ通販で買うのですか』
 鈴木 隆祐 『「通販」だけがなぜ伸びる』
 ダイレクト・マーケティング・グループ 『失敗しない単品通販―はじめるなら成長業種だ!』
 西野 博道, 山下 眞理 『「ワクワクドキドキ」やずや式少数盛栄術』


■ 百夜百マンガ

ゴーマニズム宣言【ゴーマニズム宣言 】

 元々はギャグ漫画家だったのにいつの間にか思想家というか言論の人になってしまっていました。漫画として面白いかというと、個人的には読み物という感じの扱いです。

2008年9月 9日 (火)

美しき日本の残像

■ 書籍情報

美しき日本の残像   【美しき日本の残像】(#1328)

  アレックス・カー
  価格: ¥714 (税込)
  朝日新聞社(2000/09)

 本書は、『犬と鬼』で知られる著者が、「小さい時の思い出、日本の神秘と美、祖谷の夢、歌舞伎のファンタジーなど、日本に対する愛情」を込めたものです。
 第1章「お城を探す」では、「お城に住みたいという夢を持つ子供」だった著者が、徳島県と高知県の境にある祖谷峡を訪れ、まだ美しい状態で残っていた捨てられた民家を探し、手に入れたことが語られています。
 ここが、どれほど奥深い山奥であったかは、ある日、著者の目の前で車の車輪が路肩から外れ、ドライバーが慌てて車から逃げ出した後、車そのものははかなくも、100メートルほどの崖下に落ちていった場面に遭遇したという記述からうかがい知ることができます。
 第2章「祖谷」では、「お城」が備えているべき条件として、
(1)巍峨たる山の上に位置していること
(2)その建物は頑強で見る人を圧倒するようなパワーを持っていること
(3)屋内は昔の生活が美しく保たれていること
の3点を挙げ、「この観点からすると、祖谷の民家は規模の上では小さいけれど、お城の必要条件を全て備えて」いたと述べています。
 そして、著者が手に入れた民家を掃除した際に、1950年頃書かれた少女の日記を見ることがあり、「その中には祖谷の生活の貧しさ、家の中の暗さ、そして大都会に対する絶望的なまでの憧れが、涙と共に素直に書かれて」いたとして、「その日記を思い出すたびに、日本人はなぜ自然破壊に手を染めてしまったのか、なぜコンクリートと蛍光灯という生活環境の中に住みたがったのかが少し理解できるような気が」すると述べています。
 第3章「歌舞伎」では、日本でステージクラフトが発達した理由として、「日本は中身より外見を大事にすることが多い国」だと述べています。
 第4章「美術コレクション」では、「日本では日本美術がむしろ迷惑なものとして『捨てられていっている』」ことを指摘しています。
 そして、京都の「会」(オークション)の不思議な点として、「新しいものより古いものが以上に安く販売されるという」点を指摘しています。
 第5章「日本学と中国学」では、「日本学を専門とする外国人で、京都に住み日本の伝統文化・芸術を学んでいる人々は多く」いるが、「その人々に共通した一つの特徴」として、「日本の伝統文化の『信者』になっているという点』を指摘し、何を話しても、「客観的に話し合うことが難しい」と述べています。
 第7章「天満宮に住む」では、1977年から京都の亀岡に住む著者の家が、約400年前の建物で、もとは近くの尼寺だったものであることを解説しています。
 第9章「僕の『関西七番巡り』」では、「京都の堕落はいつから始まったのでしょう?」という著者の質問に、友人たちは、「江戸初期からだ」と答えたことについて、「それから京都はずっと江戸に対して深い嫉妬心を抱き、明治になって首都が東京に移ったときから京都は自己嫌悪に陥ってしまったのではないか」と述べ、「京都は京都が嫌いなのです。それは世界の文化都市の中で唯一の例かもしれません」と述べています。
 第11章「奈良の奥山」では、「日本でいちばん美しい山は四国の祖谷渓ですが、いちばん神秘的な山は奈良の奥山です」として、「日本の古代信仰は山からはじまったらしい」と述べています。
 第12章「東西の文人たち」では、「東洋独特の『文人』という理想は儒教と道教が一緒になってできたもの」ではないかと述べ、文人の芸術が今の時代に認められていない理由について、「文人は『味が薄い』ということではないか」と述べています。
 第14章「最後の光を見ることができた」では、「今では日本家屋に美しく住んでいる人は全国で二十人ぐらいしかいないのではないか」として、その多くが外国人ではないかと述べています。
 本書は、日本の自然の美しさを、見つめなおすきっかけを与えてくれるかもしれない一冊です。


■ 個人的な視点から

 今、日本家屋に美しく住んでいる人は、ほとんど外国人だ、という指摘には衝撃を受けますが、実際のところ、かやぶきの古民家にわざわざ住むのはマニアだけで、趣味ではなく、先祖以来住んでいる人の多くは、今、住みやすいようにして住んでいるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・日本の美しさを指摘されたい人。


■ 関連しそうな本

 アレックス カー 『犬と鬼―知られざる日本の肖像』 2007年10月04日
 降幡 広信 『現代の民家再考』
 降幡 広信 『古民家再生ものがたり―これから百年暮らす』 2007年12月15日
 宇井 洋 (著), 石川 純夫 『古民家再生住宅のすすめ』 2007年10月21日


■ 百夜百マンガ

怪人百面相【怪人百面相 】

 映画の世界への「夢」や「伝説」がこめられた作品。主人公は、伝説的な「映画バカ」を合成したキャラだと思いますが、本人が読んだら複雑ではないかと思います。

2008年9月 8日 (月)

実践危機管理広報

■ 書籍情報

実践危機管理広報   【実践危機管理広報】(#1327)

  田中 正博
  価格: ¥1785 (税込)
  時事通信出版局(2008/4/30)

 本書は、広報担当者に対して、「危機管理広報のノウハウを習得し、万一の時には勇気を持ってトップにアドバイス」する、という「辛いミッション」を遂行して欲しい、との願いが込められたものです。
 プロローグ「危機管理広報の時代」では、危機管理広報手法として、
・公開質問状:質問内容を社会的に公開し、世論に訴えていく手法。マスコミ関係のみならず、多くのオピニオンリーダーや機関にも配布される。
・ポジション・ペーパーひとつのテーマについて、のアピール資料を定期的に、マスコミに持ち込み、マスコミ論調に影響を与える重鎮に説明し、関係者への理解を図る。
・ニューズレター:定期的に、理解してもらうことを目的に、多様な関係者に数ページの分量を送付する。
などの手法を取り上げ、事例とともに解説しています。
 また、広報担当者の機能として、マスコミ報道を分析して、その教訓を社内にフィードバックする機能を上げ、「広報の機能は、必ずしも『情報発信』だけではなく、外部情報を組織内に反映させるツーウェーの活動が求められる」と述べています。
 さらに、広報活動が必要な理由として、「何らかの『課題(解決しなければならない問題)』がある」ことをあげ、「対象とする相手、人々からその『課題』について理解や了解を得たい」という「パブリック・アクセプタンス(PA)」=社会から受容されること=こそが、「すべての広報活動の原点ともいえる命題である」と述べています。
 第1章「取材対応の基本」では、「不測の事態発生」には、
(1)事故、災害発生
(2)いわゆる不祥事(不正行為、違法行為、反社会的・反動儀的行為など)
の二通りの内容があるとしています。
 そして、「記者との関係を一番悪化させる」ウソとして、「広報担当者がつい事実を違う話をしてしまい、その結果、記者をミスリードしてしまう」ことを挙げ、「緊急時の"第一のタブー"」であると述べています。
 また、「ポジション・ペーパー」について、
・ある問題をめぐって
・"彼我"(企業vs消費者、企業vs地域住民、企業vs取引先など)の間で
・立場、見解の相違や対応の是非をめぐって紛糾や論争が生じているとき(イシュー状態の場合)
・コトの経緯や事実関係について
・相手の主張、見解、要求とともに、こちら側の対応行動の一部始終を
・時系列に、個条書きで整理し
・この問題に関する双方の対応行動、方針、主張を、客観的にまとめた資料
であると解説しています。
 第2章「緊急記者会見」では、「Q&A」を作る目的として、
(1)予想外の質問が出てきても動揺しないため
(2)回答のガイドラインを示すため
の2点を挙げ、「Q&Aの回答は表現の問題より『どういう基本認識と方針で挑むか』というスタンスが大切」だと述べています。
 また、スポークスパーソンは一人にすべき理由として、「記者会見の基本方針」である、「『同一情報』を『同時点』で『同一人物』の口を通して全メディアに伝えることにある」と同じであると述べ、「スポークスパーソンを一人に限定するというのは、情報の不統一や混乱を避けるためであり、その方針を守る限り、マスコミから非難されることはない」と解説しています。
 第3章「クライシス・コミュニケーション」では、「大切なのは、『起したこと』よりも『起した後にどう銅対応したか』が問われる」と述べ、「クライシス・コミュニケーション」を、「不測の事態発生時に欠かせない危機管理広報のキーワード」だと述べています。
 また、緊急事態発生時に具体的にすべきこととして、
(1)スピード(迅速な意思決定と行動)
(2)疑惑を生まない徹底した情報開示(説明責任を果たす)
(3)社会的視点に立った判断(企業論理や組織論理から判断しない)
の「3つのキーワード」に従って解説しています。
 第4章「マニュアルの作り方」では、不測の事態発生時の初期対応の失敗を避けるガイド役を果たすものとして、危機管理マニュアルを挙げ、その目的と意義として、
(1)予測もしなかったある危機が発生した場合に
(2)新人でもパートでもベテランでも
(3)迷わずに(ムダな議論や時間を費やさずに)
(4)これだけは必ずやらなければならないことと(MUST)
(5)これだけは絶対にやってはならないことについて(MUST NOT'S)
(6)明快な行動手順を示すことによって
(7)迅速な対応行動ができることで
(8)初期対応の失敗を防止すること
の8点を挙げ、ここで、「MUST」と「MUST NOT'S」をはっきり示すことがポイントだと述べています。
 第5章「メディアトレーニングの方法」では、民間企業や官庁で「緊急記者会見に備えてトップのメディアトレーニングが一般的に行われるようになった」ことについて、「限定された株主しか出席しない株主総会ですら念入りにリハーサルをするのに対し、マスコミを対象とした記者会見のリハーサルをしないというのは考えれば妙な話である」と述べています。
 そして、メディアトレーニングの効用として、
(1)緊急記者会見という緊張した場面を経験したことがないこと。
(2)顔を知らない模擬記者からの矢継ぎ早の鋭い質問に、適切なことばで回答することがいかに難しいものであるかに気づくこと
の2点を挙げています。
 また、ある著名な新聞記者が、「記者会見に望むトップにひと言、アドバイス」することとして、
(1)一人で出てくること
(2)自分のことばで話せ
(3)もっと役者になれ
の3点を挙げたことを紹介しています。
 さらに、スポークスパーソンに不可欠な行動として、
・わかりやすいことばで話す
・納得感を与える話し方をする
・説得力のある話し方をする
の3点を挙げています。
 第6章「こんなとき、どう対応するか」では、「いったん報道されてしまうと、放たれた矢と同じく、もはやコントロールしにくい状況になってしまう」誤報対応について、「広報担当者にとって、頭を痛める最難題の一つ」とした上で、メディア側と交渉する際に守るべき基本ルールとして、
(1)「抗議文書」ではなく「申し入れ文書」のタイトルにする
(2)「申し入れ書」を持参する場合、事前に担当記者に連絡する
(3)持参相手はメディアの部長
(4)誤報記事(放送)が出た2日以内に持参する
の4点を挙げています。
 そして、「"ささいなようで""案外重要"」な問題として、不祥事の記者会見時に、「いつ、どの状況で頭を下げるのだろうか。また、会見席に立つスポークスパーソンが座るタイミングとは?」について、「ステートメントの最初の部分で、まず、おわびのことばを表明し、全員頭を下げたあと、『では、ここで着席して説明させていただきます』と断った上で着席するようにする」と解説しています。
 また、緊急記者会見の心得として、
(1)定刻に入室、着席すること。絶対に定刻前には着席しないこと
(2)ステートメントを読み上げるときはワンテンポ、ゆっくり話すこと
(3)淡々とした口調で話す。力説したり強調したりしないこと
(4)語尾をハッキリ言う。語尾があいまいだと説得力が弱い
(5)一問一答を心掛ける
(6)わからない質問が出た場合、同席者と席上で打ち合わせしないこと
(7)会見が終了したら即座に退室する
の7点を挙げています。
 さらに、緊急記者会見でのタブー集として、「無意識でとった些細なしぐさや動作」が、"隠された一面"を表面化させることになりかねないという、「メラビアンの法則」の解説をした上で、
(1)こんな"しぐさ"はするな―――汗をふく、メガネをずり上げる、めがねをふく、手に持った筆記具を指先でいじる、組み合わせた両手の指先を動かす、ひんぱんに鼻や頭を指で触る
(2)隣の人とコソコソ話をするな―――「核心を突いた」「応答に窮している」という印象を与える上、マイクロホンにキャッチされる恐れがある。
(3)マイクを"横取り"するな
(4)座ったまま頭を下げるな
(5)服装であれこれ迷うな
の5点を挙げています。
 本書は、「危機管理」時にマイクの前に立たされる可能性がある人はもちろん、自分の上司、または将来的には自分が、記者会見の場に立たなくてはならなくなる可能性がある人すべてにとって、読んでおいて損はない一冊です。


■ 個人的な視点から

 広報的な「危機管理」の必要性を痛感させる出来事として、今日は相撲協会の大麻汚染と、「事故米」による有害物質汚染が報じられました。自分の組織に原因があって矢面に立たされる人は潔く会見に臨んでほしいと思いますが、「薩摩宝山」の西酒造はじめ、汚染された米だとは知らなかった(とされている)企業にとって、今回の事件こそ、まさに「危機管理」そのものではないかと思います。本書を読んだ上でニュースなどの会見を見ると、リアリティが増すのではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・「危機管理」なんて自分には関係ないと思う人。


■ 関連しそうな本

 石川 慶子 『マスコミ対応緊急マニュアル―広報活動のプロフェッショナル』 2006年10月26日
 尾関 謙一郎 『メディアと広報 プロが教えるホンネのマスコミ対応術』 2008年05月02日
 井之上パブリックリレーションズ (著), 井之上 喬 (編集) 『入門 パブリックリレーションズ―双方向コミュニケーションを可能にする新広報戦略』 2006年12月13日
 ポール・A. アージェンティ, ジャニス フォーマン (著), 矢野 充彦 (翻訳) 『コーポレート・コミュニケーションの時代』 2006年10月23日
 矢島 尚 『好かれる方法 戦略的PRの発想』 2006年10月25日
 猪狩 誠也 『広報・パブリックリレーションズ入門』 2007年03月29日


■ 百夜百マンガ

爆れつハンター【爆れつハンター 】

 タイトルを考えるときに「裂」の字が思い浮かばなかったのでひらがなにしておいたら、そのままタイトルになってしまったというのが潔いです。

2008年9月 7日 (日)

つっこみ力

■ 書籍情報

つっこみ力   【つっこみ力】(#1326)

  パオロ・マッツァリーノ
  価格: ¥735 (税込)
  筑摩書房(2007/2/6)

 本書は、「四角四面な議論や論理が性に合わない日本人におあつらえ向き」の「つっこみ力」を解説した「講演(公演)」録です。
 第1夜「つっこみ力とはなにか」「愛の章──わかりにくさは罪である」では、「つっこみ力では、わかりやすさを重視」するとして、」これからの時代は、シロウトに説明できるだけの国語能力を持つことが、プロの条件』だと述べています。
 そして、「職人は自分の道具箱の中身を他人に見せない」といわれる理由は、「道具には各自の工夫が凝らしてあって、その技を盗まれないようにするため」だとされるが、「下手くそな職人ほど、手前の腕を見破られるのをおそれて道具を隠す」のだという小関智弘さんの言葉を紹介しています。
 「笑いの章──つっこみ力の真髄」では、「つっこみ力は、愛と勇気とお笑い」の3つの柱で構成されていると述べたうえで、「メディアリテラシー」を、「つっこみ力」と改名したらどうかと提案しています。
 そして、「ツッコミの効用」として、
(1)わかりやすさを高める。
(2)笑いの付加価値を創出して相手の興味を惹きつける。
の2点を応用することが、「つっこみ力のカギ」となると述べています。
 また、つっこみ力が、「場を盛り上げようというサービス精神と、自己犠牲の精神が息づいている点で、批判や批評、メディアリテラシーとは一線を画』巣と述べています。
 「勇気の章──権威へのつっこみ」では、「笑いによるつっこみや風刺は、議論なんかよりよっぽど効果的な武器」となるとして、「だからこそ、権力者は笑いを禁じようとする」と述べ、ヒトラーが、「ジョークをいうことは相当や国家への反逆行為であるとして、冗談裁判所を作った」ことを紹介し、「やはり権力者は笑いを怖れ、潰そうとする」と述べています。
 そして、「つっこみは全面攻撃ではなく、笑いによって相手の逃げ道を確保してやってるところも、高度で、かつ、人間味のある手段」であるとして、「権威へつっこむときのコツは、つねに第三者の存在を意識すること」であり、「周囲の人を愉しませて巻き込み、あわよくば味方につけるのが、つっこみ力の理想」だと述べています。
 著者は、「愛と勇気とお笑い」こそが、「つっこみ力を構成する三大要素」であると述べ、「つっこみ力の目的は、社会と人生を面白くすることにある」、「正しさを面白さに変えるのが、つっこみ力の目的」だと述べています。
 そして、「社会が本当に求めているのは、批判力や論理力ではなく、新たな価値を提供する創造力」だと述べています。
 「幕間 みんなのハローワーク──職業って、なんだろう」では、「日本人ほど、職業を気にする国民はいない」として、日本の新聞では欠かせない「投書する人の住所・氏名・職業・年齢の4点セット」について、「これは世界の常識では」ないと述べています。
 また、当初の職業欄に、「元教員」や「前市議」などがあることについて、「失業中の人は、元会社員と名乗る権利があることになって」地舞うと述べています。
 第2夜「データとのつきあいかた」では、「データほど面白いものはないし、便利なものはない」が、「同時に、データほどバカバカしいものもない」という言葉に、著者の気持ちがこもっていると述べ、「どんなくだらない思いつきでも、それを裏打ちするデータが、探せば必ず世界のどこかに転がっている」として、「この世には、データで証明できないものはない」という言葉を「あまりにばかばかしいヘリクツ」だと述べたうえで、イギリスのロイター通信社が、「世界一犯罪発生率の高い国は、バチカン市国」だとする、「統計マジックを利用したお遊び」を報じたことを紹介しています。
 そして、「若者のマナーをしかるコラムを目にするたびに、それほど不快に感じるなら、何でこの人、その場で本人にいわないのかな」と「つっこみ」を入れた上で、「昔の人は、いい意味で自分勝手だった」、「近所の子供を教育することによって、社会道徳の衰退を防ごう、とか、こどもたちの健康を増進しようなんて、おせっかいな考えに基づいて行動していたわけ」じゃなく、「昔は『いい自分勝手』だった人が、現代では単なる『いいひと』になってしまった結果、抑止力がなくなり近郊が崩れ、一部の自分勝手な行動をする人が目立つようになった」と述べています。
 また、自殺と失業との関係について、「相関関係とは、たまたまそうなっているというだけのことなんだから、それを断ち切ってしまえばいい」として、「自殺の理由・原因から、どうすれば自殺しないですむ社会になるか」を探ると述べた上で、「平成10年急増の陰には、平成5年ごろに公庫が大量に貸し出した『ゆとりローン』というシステムがあったことは、住宅関連業界では有名な話」だとして、「平成10年は、このゆとりローンの犠牲者たちが返済6年目に突入する年にあたって」いて、「案の定、脱落者が大量に出た」のだと述べています。
 さらに、「日本のオトナたちは、『人生にはテレビゲームと違ってリセットボタンはないんだ!」とわかったふうなお説教を垂れるのを得意技」としているが、「欧米の社会には、人生のリセットボタン」があり、「むしろ、リセットボタンのない社会のほうが、設計ミス」だと述べ、この違いは、欧米では家は資産だが、日本では家は「消耗品のガラクタだから」だとして、「欧米では住宅ローンは、おもに家の資産価値に対して貸すもので、異本の住宅ローンは、主に人の支払能力に対して貸すものだという違い」だと解説しています。
 そして、「日本の自殺を減らすための確実な方法のひとつ」として、住宅ローンの方式を変え、「基本的に家そのものだけしか担保にできないことにして、貸す側にリスクを負わせれば、必死になって建物を検査」するとして、「結果的に家や建築物の質が上がるし、自殺も減るし、いいことずくめ」だと解説しています。
 本書は、日本人にとっての正しい「つっこみ力」をわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本には、「メディア・リテラシー」の重要性を説いた本の類が山ほどありますが、そもそも、「メディア・リテラシーの教育が重要だ」と言われたからといって、そのまま鵜呑みにしてしまうのでは、何たる皮肉な状況なのかと思います。
 そんなときこそ「つっこみ力」。「リテラシーってなんじゃ。わからんぞ!」というツッコミが入ることで「じゃあどうすればいいのか」を考えるきっかけになるのではないでしょうか。
 ちなみにこの本は、2月の頭に、地元のお父さんたちとの飲み会に向かう直前に、駅前のブックオフで購入し、途中まで電車の中で読んだあと、残りはその月に行った水上へ向かう電車の中で読んだことを思い出しました。半年以上寝かしていたわけですが、本を読み直すと、そのときのシチュエーションが同時に蘇ってくるので、本はもしかすると自分にとってのタイムマシンなのかもしれないと思いました。同じような関連付けは、過去に旅行などで一度通った道を通るときに、そのときに聞いていたカーステのCDの曲を思い出したりする時に感じます。


■ どんな人にオススメ?

・「ツッコミ」はお笑いの世界の話だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 パオロ・マッツァリーノ 『反社会学講座』 2006年03月11日
 A・K・デュードニー (著), 田中 利幸 『眠れぬ夜のグーゴル』 2005年12月25日
 ジョエル ベスト (著), 林 大 (翻訳) 『統計はこうしてウソをつく―だまされないための統計学入門』 2006年01月08日
 谷岡 一郎 『「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ』 2005年12月13日
 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 2005年09月07日
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 2005年07月13日


■ 百夜百音

Super Best Of Yumi Arai【Super Best Of Yumi Arai】 荒井由実 オリジナル盤発売: 1998

 「あの日にかえりたい」は子供の頃、よく母が歌っていたのを聞いて覚えてしまいました。最近、こういう人づてに覚える曲というのはないんじゃないかと思います。せいぜいカラオケで聴いた曲くらいでしょうか。

2008年9月 6日 (土)

〈海賊版〉の思想‐18世紀英国の永久コピーライト闘争

■ 書籍情報

〈海賊版〉の思想‐18世紀英国の永久コピーライト闘争   【〈海賊版〉の思想‐18世紀英国の永久コピーライト闘争】(#1325)

  山田 奨治
  価格: ¥2940 (税込)
  みすず書房(2007/12/20)

 本書は、1774年2月22日、今のロンドンにあるウェストミンスター宮殿で決着した「永久コピーライト」をめぐる歴史的な判決を題材に、「永久ではなく期限つきの権利だという原則」がどのように出来上がったかを解説したものです。この「ドナルドソン対ベケット裁判」は、独占的なカルテルを結んだロンドンの書店主たちに対し、「人気のある本を物価の安いエジンバラで印刷してロンドンに持ち込み、安い値段で売りさばく」ドナルドソンが、「新しい文化は、過去の文化を発展させながら創られる。世間に広まってからかなりの年数がたち、社会に浸透しきった作品に、いつまでも所有権があるのはおかしい」、「共有の文化がなければ、創作活動がとても窮屈になってしまう」という点を突いたもので、著者は、「作品を永久に独占することは許されず、作者が亡くなってからある年数が過ぎれば、誰でもコピーを作って売ることができる──既得権者がもっとも嫌う、こういった原則が認められた」点で、この「判決の意味は重い」と述べています。
 第1章「本の『海賊』と独占』では、裁判におけるドナルドソンの主張として、
(1)ベケットらの言うことは、難解でキメラ的で定義できない。コピー生産の独占は、天賦の際の独占を意味し、これは誰がどうみても異常な特権である。
(2)慣習法による権利には、良心と理性に基づく正義が必要。
(3)天賦の才を独占することは、人権の侵害。
(4)慣習法は正義と公正の母である公共の利益のためにある。
(5)本のコピーの特権と独占は印刷術とともに始まったもので、慣習法に基づくものではない。
の5点を紹介しています。
 著者は、、争点として、
(1)文学の所有権とは何か。ベケット側は文学には所有権があるというが、ドナルドソン側はそんなものは定義できないという。
(2)コピーライトは慣習法か。ベケット側は、コピーライトは慣習法に基づく永久の特権であるとし、ドナルドソン側は、コピーライトは印刷術にはじまり、「アン法」によって作られたもので、期限つきの権利だという。
(3)コピーライトの源は何か。ベケット側は、コピーライトの源は文学の最初の所有者たる著者にあり、書店主は、著者から文学の所有権を買い取っているので自分たちの独占物だという。ドナルドソン側は、かりに文学の所有権があったとして、何を持ってそれを買い取ったことになるのか、著者の天賦の才を独占するのは人権侵害でもあるという。
の3点を挙げています。
 第2章「コピーライトに群がるひとびと」では、イングランドの国内法だった「アン法」には、「コピーライト」の語はなく、「本の『版』をめぐる権利」を守って織物であるが、「その『版』とは何かが定義されていない」ため、「古典的な本の『版』の権利を、なぜ特定の書店が独占できるのか」、「その理由付けができない」と述べています。
 そして、ロンドンの書店主たちが、「権利を著者から買ったことを理由に、印刷・出版の永久独占を主張した」ことは、「『アン法』の精神に反することだ」とドナルドソンが考え、義憤だけではなく、「大市場にビジネス・チャンスを見出そうという経済的な動機がなければ、大書店主たちの独占に対して、これほど真剣に戦いを挑んだだろうか」と述べています。
 また、1769年4月20日に言い渡された「ミラー対テイラー裁判」では、主任裁判官のマンスフィールド卿が、「独占書店主たちの主張を認め」、「コピーライトは慣習法であり、著者がもつ永久の権利だとする判決を下した」と述べています。
 第3章「一九日間の法廷闘争」では、ドナルドソンの弁護人ダリンプルが、「アン法」の正式名称をパロディにした「生垣の若芽と木々の枝々の権利を植栽者に定められた期間帰属させることによって植栽を信仰する法律」なる架空の条文を披露し、「本を出版することは、生垣や木を植えることと同じような公共性がある──そんな公共のものを永久に誰かのものにしておくことは、いかがなものか」と主張したことを紹介しています。
 また、ベケット側の主張に「おかしな点がみられる」として、「出版の権利は『アン法』ですでに保護されている」にもかかわらず、「著者がもつという永久の精神的な所有権を持ち出し、書店の保護の必要性と著者の精神的な所有権を強引に結びつけて、永久の保護を主張している」点を指摘しています。
 さらに、アプスレー大法官からの質問として、
(1)著者には慣習法上の独占権があるか?
(2)慣習法上の著者の権利は、印刷・出版によってなくなるか?
(3)慣習法の権利にかんする訴権は、「アン法」によって奪われたか?
の3問を、カムデン卿からの質問として、
(4)慣習法は著者は相続人に永久独占権を与えているか?
(5)その権利は「アン法」によって奪われたか?
の2質問を挙げ、双方の主張を整理しています。
 第4章「スコットランドの『悪徳な知』の系譜」では、スコットランドにおいて、「印刷術を使って聖書の内容を広める」ことが行われ、長老派教会が、「教理問答書、聖書、讃美歌集をイングランドから持ち込み、いわばその『海賊版』を大量生産」したことが、「スコットランドの出版業の基盤になった」と述べています。
 そして、合邦後のスコットランドで、「文学、哲学、科学についての知的な議論が、日常社会に溶け込んでいた」として、「高い識字率とそれに支えられた出版業が隆盛した」「民衆レベルまで及ぶ知識と教養のなかから、スコットランド・ルネッサンスと呼ばれる文化が生まれた」と述べています。
 第5章「現代への遺産」では、「文学の所有権をめぐる18世紀の裁判がもたらしたもの」として、「文学の所有権はしばしば土地の所有権を比喩にして考えられて」きており、「大書店主たちによるコピーライト裁判も、土地の囲い込みという時代の気分を反映していたのだろう」と述べた上で、「永久コピーライト」という囲い込みは上院の判決でストップがかかったとして、「土地の囲い込みには熱心だったはずの上院の貴族たちも、最終的には本という文化は、土地のような経済財の比喩ではとらえきれないと認めた」と述べ、「文字文化の中心的な担い手」でもあった「高い教育を受けたインテリ」である上院議員は、「本やコピーライトは、経済財である前に文化財なのだということを、よくわかっていた」と述べています。
 「おわりに」では、アメリカの「コピーライト保護期間延長法」が、「ミッキーマウスの権利が切れそうになるたびに期間が延ばされてきた」ため、「ミッキーマウス保護法」だとも言われていることを紹介し、「著作権が延びていちばん得をするのは、著作者ではなく著作権者であり、著作物を流通させて利益を得ている会社である」と指摘しています。
 また、「海賊版」の効用として、
(1)それによって市場が形成されること
(2)価格が安いので若いファンが生まれること
(3)そのファンのなかから新たな創作が始まること
の3点を挙げ、「『海賊版』を非難することはたやすい」が、「それを違法だ、不道徳だと片付けてしまっては、この複雑怪奇な文化のダイナミズムが見えなくなってしまう」と述べています。
 本書は、現代の著作権をめぐる考え方の基本を決定した、18世紀の英国の裁判を丹念にたどった一冊です。


■ 個人的な視点から

 タイトルこそ「海賊版」という言葉を使っていますが、あくまで括弧つきの扱いであって、海賊版自体に関心がある人は少し肩透かしを食うかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・「著作権」は著作者を守っているものだと思う人。


■ 関連しそうな本

 山田 奨治 『日本文化の模倣と創造―オリジナリティとは何か』 2008年08月15日
 福井 健策 『著作権とは何か―文化と創造のゆくえ』 2006年06月10日
 名和 小太郎 『情報の私有・共有・公有 ユーザーから見た著作権』 2006年10月14日
 ケンブリュー マクロード (著), 田畑 暁生 (翻訳) 『表現の自由vs知的財産権―著作権が自由を殺す?』 2006年04月23日
 エリック・スティーブン レイモンド (著), 山形 浩生 (翻訳) 『伽藍とバザール―オープンソース・ソフトLinuxマニフェスト』 2005年10月22日
 リチャード・M・ストールマン (著), 長尾 高弘 (翻訳) 『フリーソフトウェアと自由な社会 ―Richard M. Stallmanエッセイ集』 2006年02月04日


■ 百夜百音

Bizarre Love Triangle【Bizarre Love Triangle】 Commercial Breakup オリジナル盤発売: 2001

 激甘なエレポップサウンド。New Orderのカバーをしていたことでたまたま発見しましたが、潔いほど楽しいサウンドです。なんとく同世代感を感じます。

2008年9月 5日 (金)

ネットいじめ

■ 書籍情報

ネットいじめ   【ネットいじめ】(#1324)

  荻上 チキ
  価格: ¥777 (税込)
  PHP研究所(2008/7/16)

 本書は、「『学校裏サイト』およびネットいじめの事例を詳しく観察することで、『学校裏サイト』およびネットいじめに関する具体的な対策の方向性を提示するとともに、その背景にある文化圏についての分析を通して、インターネットが日常化した現代社会のコミュニケーションについての考察」を行っているものです。
 第1章「つくられた『学校裏サイト』不安」では、「私たちの社会(『近代社会』)では、子どもを『未成熟な者』ととらえ、社会に出る前に安全な共同体のなかで『市民』として成長させるというモデルを立てている」ため、「インターネットから子どもを守ると同時に、これまでの共同体のあり方そのものをインターネットから守らなくてはならない」として、「子どもは無垢な存在であるため、子どもに有害なものは徹底的に排除しよう。有害な情報に近づかないように監視しよう」という価値観が広く受け入れられている現在、「『子どものために』という掛け声の下でケータイやネットが批判され、フィルタリングの導入が支持されるのは非常にわかりやすい」と述べています。
 また、「学校裏サイト」が報道される際には、「『闇』や『弊害』という特集内容に仕上がっており、なかには私があたかもネットユーザーとして『危険性』を強調していたり、取材の内容とはまったく反対の、一面的な記述にされていたりすることもあった」として、このような一連の報道によって形成された「学校裏サイト」に関するイメージを知る格好の例として、2008年3月まで放送された『3年B組金八先生』(第8シリーズ)を取り上げています。
 そして、これまでの報道では、「『学校裏サイト』は必ず否定的な書き込みを誘発し、それらが例外なくトラブルやトラウマにつながるかのような『演出』が施されていた」と述べています。
 著者は、現在、「学校裏サイト」やネットいじめについての議題を支えているのが「不安言説」であり、「それをさらに下支えしている『学校裏サイト』などの事例紹介が、きわめて偏っていることは問題」として、「実態の観察がていねいに行われず、デマなどに基づいた分析や提案などを施しても、結局は『都合のいい攻撃対象』を見つけて排除しようとする『害虫探し』に陥ってしまい、具体的な解決につながらないということは、これまでの『新しいメディア叩き』の歴史を見れば明らかだ」と指摘しています。
 第2章「学校勝手サイトの真実」では、本書では、「『学校』とそれに付随するテーマについて語り合う、関係者同士が利用する非公式サイト」を「学校勝手サイト」と表記すると述べ、この表記によって、「学校の話題について若者がコミュニケーションをすること自体が問題を生むのではなく、特定の教育構造とのかかわりあいのなかで『学校裏サイト』という『問題』が設定されているということが明らかになる」と指摘しています。
 そして、「学校内でもネガティブな発言がたくさんあるように、そして大人が利用する多くのサイトがつねにそうであるように、学校勝手サイトにもネガティブな書き込みは数多くあり、トラブルにつながるケースも存在する」が、「学校勝手サイトは、全体としてはどの程度利用され、どの程度が問題にされるようなケースなのだろう」か、として、データを紹介した上で、
・学校勝手サイトの継続利用率は全体的に低い。
・学校勝手サイトの主目的は情報交換や交流などであり、「悪口」を目的として掲げる者は相対的に少ない。
・学校サイトのすべてが「裏化」しているわけではない。
・「学校裏サイト=ケータイ文化」という連想には誤解が含まれている。
・学校や保護者らは現状を把握できず、具体的な「指導方法」が浮かばずに手をこまねいている。
などが確認できるとしています。
 著者は、「一般に『学校裏サイト』の問題として騒がれていることの多くは、実際は学校勝手サイトによって引き起こされている問題ではない。技術の問題ではなく、それを使う人間、そしてその人間の置かれているコミュニティの問題であるからこそ対応が困難なのだ」と指摘し、「単純な技術による制約よりも、コミュニケーションとリテラシーの問題としてとらえなおす必要がある」と述べ、「『学校裏サイトのどこが問題か』という問題設定は擬似問題であり、むしろ、リテラシーについての助言と、人間関係のメンテナンスが、個人あるいは社会によってどのように可能かについて考えたほうが効果的であり、より意味があるといえる」と述べています。
 さらに、「学校勝手サイト自体が高確率で『裏化』し、中傷などを誘発するため、使わないほうがいいという言説が広がっている」として、富士通の子ども向けサイト「インターネット知識の泉」を取り上げ、ここにこめられている「紋切り型のメッセージ」として、
(1)「学校勝手サイト=危険」なものという理解を強調することで、「そんなものには参加するな」というメッセージ。
(2)技術的にもアクセスしないようにすることが「子どものため」であるため、納得せよというメッセージ。
(3)子どもは大人の望むような形でのみ、メディアに触れてほしいというメッセージ。
の3点を挙げています。
 著者は、「注目されるべきは『技術の暴走』といった単純なストーリー」ではなく、「そうした語り方そのものが、『技術不安=技術過信による暴走』を生んでいるという現実をまずは見なくてはならない」と指摘しています。
 第3章「見えるようになった陰口」では、「『ネットだから対応できなかった』という発言に対し、あまりに多くの人がリアリティを抱いているという事実そのものが、『ネットいじめ』に対する対応のまずさを助長している」と指摘し、「これまでのいじめ研究と結び付けられる形での冷静な議論はほとんどなされていない」と述べています。
 そして、「これまで教師には見えていなかったいじめや陰口の数々が、教師ではなく『外部』に先に見られてしまっているがゆえに、いじめの存在を隠し切れず、対応できていない実態が明らかになっている」として、「これまで明らかになっていなかった潜在的ないじめの数々が可視化された」と述べています。
 また、「いじめ的な書き込み」について、実際の立場構造の反映や、実際の立場関係との因果関係の面から、
(1)ガス抜き型:ネガティブな書き込みではあるが、実際の人間関係を反映しているわけでもなければ、実際の人間関係に影響を与えないような書き込み。
(2)陰口型:実際の人間関係を反映しているが、いじめに積極関与しないケース。
(3)なだれ型:実際の人間関係が反映されているわけではないが、特定の人物がターゲットとして標的化・固定化され、その人をいじることが小さなトレンドとなり、それが実際の関係性に影響を与えうるケース。
(4)いじめ利用型:特定の人物に対する嫌がらせ目的でサイトを開設したり、個人情報を書き込んだりして間接的にいじめに利用したり、掲示板を使っていじめのプランを相談したりするようなケース。
の4つに分類しています。
 さらに、「裏化」している学校化ってサイトでは、「実際の学校でのヒエラルキー構造、すなわち『スクールカースト』を反映した書き込みであることをうかがい知ることができる」と述べています。
 第4章「ネットいじめの時代と終わりなきキャラ戦争」では、「『学校文化』とネットが、どのような仕方でかかわりあっているかを分析することで、学校勝手サイトやプロフの利用者の背景にある『学校ケータイ文化』を明らかにする」とともに、「私たちが現在行っているコミュニケーションとメディアとのかかわり方について考えていく」としています。
 そして、「プロフの登場によってはじめて『出会い系メディア』『個人情報の拡散』『人間関係やキャラのメンテ』などが行われるようになったのではなく、80年代や90年代頃からすでに子どもたち=私たちは、サイン帳やプリクラなどを利用することで、つながりを志向するコミュニケーションを行い続けていた」として、「それがケータイ文化に結びつき、今なお発展を続けている」と述べています。
 著者は、「ここ数十年、若者文化に見られた漸進的な変化や、サイバースペースを中心に広がっているように見える『棲み分け=横断』様式のことを『コミュニケーションの網状化』」と名づけています。
 また、「学校勝手サイト」が、「学校空間がもつキャラ階層化の問題が根強く反映されている」として、「学校勝手サイトはスクールカーストの可視化であり、さらに踏み込んで言えば『キャラ戦争の別ステージ』だ」と述べ、ケータイやネットが、「その技術によって記憶やキャラを記録することで、『一貫性の確保作業』自体を『外部媒体化』することを可能に」したため、「網状化したコミュニケーション空間を豊かにメンテナンスしていくためのツールにもなりうる」と述べ、「ケータイやネットは、これら『キャラ分けニーズ』を的確にサポートしてくれるがゆえに、私たちのパートナーメディアとして重要な地位を占めている」と解説しています。
 著者は、「ウェブ文化と学校文化(中間集団)の遭遇した現在、つねに互いのキャラのあり方を問い合うような、終わりなきキャラ戦争の舞台が偏在化した」と述べ、「その主要な舞台の一つである学校勝手サイト、あるいはそこでの具体的な暴力として生じるネットいじめや『いじり』などについて考察するためにも、学校文化とウェブ文化がどのような歩みを見せたかを振り返ることは重要な意義をもつ」と解説しています。
 第5章「ウェブ・コミュニケーションの未来」では、ギャル文字、プロフ、デコメ、学校勝手サイト、キャラ分けニーズ、ネットいじめなど、「ケータイやネットの登場によって誕生したと、おおむね否定的な目線が向けられることの多いこれらの現象」が、「実際はこれまでの学校文化と地続きの現象であり、子どもたちがただ『ふざけて』『遊びで』それらを行っているのではなく、その文化背景には、網状化したコミュニケーション空間、あるいは閉鎖的な学校空間をサバイブしていくために、必要性にかられて生まれたコミュニケーションの作法である」と述べています。
 そして、「『ケータイはこんなに危険です!』といった抽象的な警句や極端な事例ばかりが掲載された啓発パンフレットの類では、具体的なリテラシーは身につかない」として、「自分が見たくないものは他人にも目を背けさせるのではなく、いかに『目』を鍛えさせるかが重要だ」と述べ、「そのためには、不完全なフィルタリングに頼るのではなく、『チュートリアル機能が埋め込まれたシステム』をつくることが求められる」と主張しています。
 著者は、「インターネットが『みんなのもの』になった現在、サイバースペースに対して『空気を共有しない者をどう受け入れるのか』『未成熟なものをどう受け入れるのか』という問いが投げかけられている」とともに、「学校勝手サイトなどに見られる『キャラ戦争』が、ネットいじめなどの形で『弱者』を過剰に生み続けないよう、どこまでケアを行えるかという問いでもある」と述べ、「その問いに答えるための準備は始まったばかり」だが、「適切な理解をした上での対応が求められている」と述べています。
 本書は、ネットだから、という理由以上に、学校の中での出来事を反映しているからこそ、大人にはわかりにくい子どもとネットとのかかわりをわかりやすく解説してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 元々昔から説教くさくて個人的には見るに耐えなかった『金八』ですが、スタッフの高齢化が進行したのか、ますます時代から隔離していったような気がします。もともと『金八』が多くの人の心をつかんだのは、時代のトピックを扱うからではなく、そのトピックに対して見る人に考えさせる部分があったからなのではないかと思いますが。


■ どんな人にオススメ?

・「ネットいじめ」はネットが普及したせいで起きていると思う人。


■ 関連しそうな本

 荻上 チキ 『ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性』 2008年05月13日
 川上 善郎 (編集), 高木 修 『情報行動の社会心理学―送受する人間のこころと行動』 2005年11月19日
 パトリシア ウォレス (著), 川浦 康至, 貝塚 泉 (翻訳) 『インターネットの心理学』 2005年10月15日
 荻上 チキ 『12歳からのインターネット』
 渡辺 真由子 『大人が知らない ネットいじめの真実』
 渋井 哲也 『学校裏サイト――進化するネットいじめ』


■ 百夜百マンガ

当選【当選 】

 少女漫画のタッチでパンチパーマを描かせたら右に出るものはいない人。

2008年9月 4日 (木)

「お金」崩壊

■ 書籍情報

「お金」崩壊   【「お金」崩壊】(#1323)

  青木 秀和
  価格: ¥756 (税込)
  集英社(2008/4/17)

 本書は、中村敦夫、川田龍平両参議院議員の政策ブレーンを務める著者が、「『お金とは何なのか?』という根源的な問いかけから出発し、財政赤字、年金制度、グローバリズム、エネルギー問題など様々な論点」に迫ったものです。
 第1章「空洞化する貯蓄」では、政府債務1000兆円の時代を迎え、「市中消化による財政節度の維持」という「市中消化の原則」を「国債累積の防波堤とするのは、最初から無理があった」と指摘し、「財投改革」についても、「いかにインチキであったか」として、政府が、「表面上では財政投融資の大幅縮小を取り繕いながら、その裏で、せっせと資金運用部預託金を国債・地方債へ付け替えていた」として、「財投『改革』のおかげで、『民から官』への資金ルートはより強化された」と指摘しています。
 そして、「郵便貯金も、簡易保険も、厚生年金も、富国強兵や殖産興業などという特定の国家目的の実現のために、国民の間に存在する富を政府財政に取り込む手段として創設された」ことを解説しています。
 また、公的年金について、「政府はこれから先、現役世代に実に過酷な負担を強いることを予定している」として、「現役世代は、保険料を払うことで退職世代をまず支え、なおかつ、『運用収益』を確保するために退職世代が残した積立金を借りてきて利子をつけて返す経済活動をしなければならない」上に、「退職世代の過去の年金資金『運用』が残した超巨額な累積財政赤字の後始末が加わる」として、「まさにトリプルパンチの債務負担を負わされる」と述べています。
 著者は、「私たちがお金を預けた、郵便貯金に銀行預金、簡易保険や生命保険、損害保険さらには厚生年金、国民年金といった『個人金融資産』の貯金箱は、いつの間にかこじ開けられ、中に貯まっているはずのお金は、わが国政府のみならず米政府までもの財政赤字を補うために使われてしまい、果てはその中身のお金を守るためと称して貯金箱自体にも使われてしまった。もうスッカラカンになっているのである」として、「私たちは、いま、お金を含めて、社会のあり方そのものを見つめ直すときを迎えている」と述べています。
 第2章「なぜ公の債務は増え続けるのか?」では、借金とは、「借りたお金を『増やして返す』という経済行為」だと述べた上で、「直感的な複利計算ができない」公務員が、「兆の単位でお金を扱い、収入不足を借金で埋め続ければ、負債が1000兆レベルに達してもなんら不思議ではない」と述べています。
 そして、わが国が、この150年の間に、「公言された破産」を体験しているとして、
(1)「明治維新」
(2)「昭和新体制」黎明期
の2つの政治体制の変革を挙げ、「どちらの場合でも、『償還をよそおった破産』状態が続いたあげくの『公言された破産』処理であり、結局、国民全員がその強烈な痛みを分かち合わざるを得ないことになった」と述べています。
 著者は、「私たちが抱え込んだ莫大な公的債務。それを完済するのが不可能なことは、誰の目から見ても明らかだろう」として、「どこまで返せるのか、どこまで返さなければならないのか、それを確定しなければいけない」と述べ、「その限界は『借り手』の視点からしか決められない」として、「私たちにいま必要なのは『借り手の経済学』である」と述べています。
 第3章「お金の本質」では、社会経済のほうから金融システムに「金利をつけて返してしまうと、その時点では元金+金利分だけ使えるお金が減る」として、「持続的な『経済成長』を遂げようとするなら、金融システムが働かす『信用創造』機能をフルに活用して、より大きな貸付を受け続けねばならない」と述べ、「こうして、金融システムと社会経済とを絶え間なくお金が行き来する『資金循環』が起きることになる」と解説しています。
 そして、「日本銀行のような中央銀行を頂点とする金融秩序」である「中央銀行システム」が、およそ310年前の英国に起源を持つことを解説した上で、「一般に金兌換が停止され管理通貨制に移行することは、通貨の発行根拠が資産(金)から債務(国債)に完全に置き換わったことを意味する」と述べています。
 第4章「お金を<冗談>にしないために」では、「原子力発電は『使えない』し、バイオ燃料は『悪夢』でしかない」と述べた上で、「私たちには、石油に代替するエネルギー資源を追い求めることは、『裕福な人々』が最後の人間となる特権を『やみくもに買いに走る』行為にみえる」と述べています。
 そして、私たちが、
(1)このまま現代社会を支配するお金の論理に、自然が為すすべも無く自己崩壊するまで身を委ね続けるのか。
(2)何とか流れを変えて、持続可能な社会へと動き出すのか。
の「重大な岐路に立っている」と述べ、わが国が、150年ほど前まで、「他国からいっさいの助けを借りず、徹底した『有機農業によって養われる水準』の消費で、品位の高い独自の文明文化を築いていた」として、「江戸時代」を挙げ「わが国は、これから人口減少とそれに伴う消費縮減によって、これまでのようには『豊かでなくなる。確実に貧しくなる』」が、「江戸期のような社会であれば、おそらく誰もが人間性豊かに生きていける」と述べています。
 また、ミヒャエル・エンデが「問題の根源はお金にある」と正確に見抜いていたことを挙げた上で、「お金に健全性と永続性を備えさせるのは、結局は、自然環境と折り合いがついた健全で持続可能な社会経済を築けるかどうかにかかっている」として、「お金をこれ以上<冗談>にしてはならない」と主張しています。
 本書は、私たちが毎日、何らかの形で関わっている「お金」について、根源から問い直した一冊です。


■ 個人的な視点から

 「お金」の話を入り口に、幅広い問題に展開していくという点で、昨日の『生きるための経済学―〈選択の自由〉からの脱却』にも共通点を持っています。共通点といえば、ともにミヒャエル・エンデを引用している点も共通しています。経済を論じる人たちの中にエンデをひいきにする一定の支持層でもあるのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・「お金」との付き合い方を考えて生きたい人。


■ 関連しそうな本

 安冨 歩 『生きるための経済学―〈選択の自由〉からの脱却』 2008年09月03日
 富田 俊基 『国債の歴史―金利に凝縮された過去と未来』 2008年08月01日
 落合 弘樹 『秩禄処分―明治維新と武士のリストラ』 2005年05月19日
 新藤 宗幸 『財政投融資』 2007年04月11日
 ジェームズ・スロウィッキー 『「みんなの意見」は案外正しい』 2006年08月29日
 星 岳雄, アニル カシャップ (著), 鯉渕 賢 (翻訳) 『日本金融システム進化論』 2007年05月08日


■ 百夜百マンガ

9で割れ!!【9で割れ!! 】

 高校卒業後、12年間地方銀行の銀行員を勤めた経験をもとにした自伝マンガ。タイトルの「9で割れ」とは、伝票の記載ミスで収支が合わないときに、もっとも多いミスである桁間違いを確認するための作業だそうです。

2008年9月 3日 (水)

生きるための経済学―〈選択の自由〉からの脱却

■ 書籍情報

生きるための経済学―〈選択の自由〉からの脱却   【生きるための経済学―〈選択の自由〉からの脱却】(#1322)

  安冨 歩
  価格: ¥1019 (税込)
  日本放送出版協会(2008/03)

 本書は、「シジョウ」ではなく、「イチバ」についての「市場経済論」を目指したもので、「具体的な生身の人間が、コミュニケーションを繰り広げる中で、現実に物理的な物質やエネルギーの出入りを引き起こす場面についての考察」であり、「こういったコミュニケーションの中で、処理不可能なはずの膨大な計算がやすやすと実現されるという奇跡の展開する現実の市場についての考察」です。
 第1章「市場経済学の錬金術」では、「市場経済学」が依拠している仮定の多くが、「じつは非現実」であるとして、
・相対性理論の否定
・熱力学第二法則の否定
・因果律の否定
の3点を挙げています。
 そして、標準的な市場理論が、
(1)最適化原理:人々が「合理的」であると仮定する。
(2)均衡原理:財の価格は需要量と供給量とが等しくなるまで調整される。
の2つの支柱により支えられているとした上で、「この2つの支柱が物理学の観点から見て、どれほど非現実的であるか」と述べています。
 まず、「消費者が効用を最適化できる」という仮定については、「無限の計算速度を要請するので、相対性理論を否定して初めて成り立つ」と述べ、「情報のやりとりにエネルギー消費や物質の移動は必要ない、という仮定をおかなければ、標準的な市場理論を維持することができない」という点で、「熱力学第二法則も否定せねばならない」と述べた上で、「因果律に拘束されつつ実行される生産・交換・消費の仮定を、このような因果律に束縛されない模索の結果として得られる均衡状態と同一視することは、因果律を破ってしまうことになる」として、「経済学の標準的な市場理論が、相対性理論・熱力学第二法則・因果律という根本的な物理法則を破っていることが明らかとなった」と述べています。
 第2章「『選択の自由』という牢獄」では、「『選択』という考え方は、本質的な問題を抱えている」として、
(1)人間を正しく捉えていない。
(2)それは実行不可能である。
の2点を指摘し、「『選択の自由』という考え方は、現実の人間の思考過程を反映しておらず、その上、実行不可能の不条理な論理である」と指摘しています。
 そして、ミヒャエル・エンデの『自由の牢獄』という短編を取り上げ、「エンデの主張では、選択のじゆうというものは、じつはまやかしであり、結局のところ本質的な選択などそもそもできないのであり、合理的選択を迫られる現代人は『自由の牢獄』に捕らえられている、ということになる」と述べています。
 第3章「近代的自我の神学」では、歩らにーの「懐疑による自由の自滅」という観点を導入し、「近代的自我を支えるものは、純粋な合理性などではなく、むしろ、狂信的とも言えるほどの神学的な渇望である」と述べ、「この特殊ヨーロッパ的信仰が、私たちを呪縛している」と指摘しています。
 また、プロテスタンティズムの教義が、「自己嫌悪を要求するので、それは利己心に帰結する」として、「経済人はこの利己心に追い立てられて、果てしない努力を続ける」と述べています。
 第4章「創発とは何か」では、「創発とは何かという問題を、ポラニーの思想とアラン・チューリング(1912年生~1954年没)の思想とを比較しながら探求する」としています。
 そして、「複雑系科学や知識経営学に代表されるような『創発』の研究」が、「ポラニーに従って創発の旗印を掲げながら、チューリングのアプローチを採用してきた」として、「表面的には創発を肯定しつつ、実際にはこれを否定する研究を推進してきた」と指摘し、「これは一種の自己欺瞞であり、それでは研究が進展するはずがない」と述べています。
 第5章「生命のダイナミクスを生かす」では、「人間は本来、豊かな行動の可能性を持っており、多種多様で予測不可能な振る舞いをするが、ハラスメント状況下では、著しく単純で予測可能な振る舞いをする」と述べています。
 第6章「『共同体/市場』を超える道」では、本書のこれまでの議論が、「『市場』の支配原理である選択の自由の不条理と、そこから脱出する方途としての『創発』の重要性を主たるテーマとしてきた」が、「本章では角度を変えて、その対立項目である『共同体』を対象として議論を行う」と述べています。
 また、「西欧のステレオタイプでは道は分岐するのに対して、孔子の道は分岐しない」理由について、フィンガレットが、「それを、世界の単一の秩序に対する孔子の強い信念に由来する」と考えたからだと述べています。
 第7章「自己欺瞞の経済的帰結」では、「よい学校に行けば、選択の自由が広がる」という命題が、「まやかしである」として、「こういうルートに足を踏み入れるということは、虚栄に満ちた狭い世界に入ることに他ならない」と述べ、「世間では、東京大学の先生ともなると、たくさん給料をもらって、皆から尊敬されて、温かい家庭を持ち、ゆったり幸せに暮らしているのだろう、と思われているようである」が、「東大教員の給料はエリート・サラリーマンよりはるかに低い」上、「同僚の先生方は、特に幸せそうには見えない」と述べています。
 また、「財産・名声・権力をめぐる競争の敗者にとっては、家庭と国家や階級といった『想像の共同体』とが、自我を補填する役割を果たす」と指摘しています。
 終章「生きるための経済学」では、「人間を自動人形に貶め、その自尊心と自立心とを奪い、外部の力に打ちのめされた存在であると思い込ませる思想は、人間の自発性を殺し、自動人形にしてしまう」として、「このような思想は、生よりも死を志向しているといえる」と述べ、「自己嫌悪→自己欺瞞→虚栄→利己心→選択の自由→最適化」という思考連鎖を「ネクロフィリア・エコノミクス」(略して、ネクロ経済学)と呼んでいます。
 本書は、「経済学」というタイトルにもかかわらず、いわゆる経済学らしい議論はまったく登場しない、むしろ経済学に違和感を感じている人に、その違和感の理由を補強する説明を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、著者が、「経済学を振り出し」に(著者は、京大の経済院卒)、「歴史学、物理学、計算機科学、数理生態学、人類学、社会学、経営学、環境学、心理学、東洋思想などの分野」を渡り歩いた「遍歴の果てに見えた、アカデミズム全体、あるいは近代そのものの持つ、最大の盲点についての考察の報告書」という触れ込みです。
 さらに、院卒業後は、銀行での勤務経験もあるということで人生経験豊富な方なのですが、なにぶん出版社が、『内臓が生みだす心』を出版したNHKブックスということもあって、幾分警戒してしまう自分がいたりします。


■ どんな人にオススメ?

・経済学の考え方に素直には納得できない人。


■ 関連しそうな本

 安冨 歩 『複雑さを生きる―やわらかな制御』
 安冨 歩, 本條 晴一郎 『ハラスメントは連鎖する 「しつけ」「教育」という呪縛』
 森嶋 通夫 (著), 安冨 歩 (翻訳) 『新しい一般均衡理論―資本と信用の経済学』
 安冨 歩 『貨幣の複雑性―生成と崩壊の理論』
 ミヒャエル・エンデ (著), 田村 都志夫 『自由の牢獄』


■ 百夜百マンガ

歌男【歌男 】

 なかなか「短歌」をテーマにした漫画というのも少ないと思いますが、そもそも集英社の『オールマン』っていう雑誌時代がほとんど目にしたことがないような気がします。

2008年9月 2日 (火)

新書百冊

■ 書籍情報

新書百冊   【新書百冊】(#1321)

  坪内 祐三
  価格: ¥756 (税込)
  新潮社(2003/4/10)

 本書は、「『新書』というメディアをテーマに、まさに『新書』という器」で、「読書という時代を超えた文化や文化行為の力強さを、特に若い人に伝えるべく」書かれたものです。
 著者は、「本というメディアとの関係について、20世紀日本は4つのサイクルに分けられる」として、
(1)第1期(1900年~1925年):本は限られた人たちだけのものだった。
(2)第2期(1926年~):円本(1926年)や岩波文庫(1927年)の登場による教養主義的読書層の誕生。
(3)第3期(1975年~):若者たちの間ではサブカル的読書が主流に。
(4)第4期(2001年~):サブカル的読書もその実質が見えず、文化としての読書は変質してしまった。
の4つの区分を挙げ、「読書という文化の大きな一つのサイクルが終わった」が、「その終焉は、逆に、新しいサイクルの始まりであるかもしれない」と述べています。
 第1章「自らの意思で新書本を読み始めた頃」では、高校時代に出会った岩波新書の『新唐詩選』を挙げ、「私の中で、新書という『本』の一つのイメージの原型をなしている」と述べています。
 また、高校3年当時、「とてもジャーナリスティックな話題をよんでいた」渡部昇一の『知的生活の方法』を手にし、「そろそろ読書に対する本格的な物心がつき始め、『知的生活』というものにちょっと興味がわいた」のではないかとした上で、歯切れのよい文章で、「一つの読み物としてかなり面白く読んだ」にもかかわらず、幾つか引っかかった点として、「英文解釈における『あてずっぽう』を批判」したことや、「わからないのにわかったふりをしない」という「知的正直(インテレクチュアル・オネスティ)」、そして、「少年の頃に芥川などを読んでいた近所の早熟少年は、中学時代に痴漢となった」などを挙げた上で、久しぶりに『知的生活の方法』を通読してみて、「この本が単なる教養主義礼賛の書ではなく、1976年という時代相を背景に、もっと複雑な内容を持った書であることを知った」として、「これは、新しい教養主義礼賛の書」であり、「古い教養主義批判の書」であったと述べています。
 第2章「新書がどんどん好きになっていった予備校時代」では、浪人生時代、「一種の自己逃避的気分」から、「試験前になると、試験勉強以外のことを猛烈に行いたくなる」として、「私の場合、それが読書だった」と述べています。
 そして、「その頃手にした岩波新書の黄版で一番強く印象に残っている」物として、大岡信の『詩への架橋』を挙げています。
 著者は、「浪人生というのはきわめて身分が不安定」であり、「何ものでもないからこそ、ひそかに、内側から自分を鍛えなければならない。そのための最大のトレーニングが読書だった」として、「生涯で一番読書をした」と述べています。
 第3章「新書で読んだ読書ガイドと読書法と書斎の話」では、1962年の刊行時には幻と言えた「日本の名著」の幾つかが文庫本で手軽に読めるようになったおかげで、「受験勉強に響いてしまった」として、竹越与三郎の『二千五百年史』を挙げています。
 そして、著者が「新書による読書案内が好きだった」として、清水幾太郎の『本はどう読むか』を挙げ、「いい意味でプラグマティックな読書(読書法)ガイドとして役に立った」と述べ、「読み方にもスピードが必要だ」として、著者というものは、「皆、『相当のスピードで』原稿を書いている」ので、「文章を貫く一筋の連続性」が生まれると紹介しています。
 第4章「講談社現代新書のアメリカ文化ものは充実していた」では、早稲田大学第一文学部入学時には、「浪人時代の多読が功を奏して」、「学びたいと思ってい学問の領域がかなり多様化していた」と述べています。
 また、「ザ・ダイナマイツや村八分などで活躍した伝説のギタリスト」山口冨士夫が、2002年夏のインタビューで、家出した13歳くらいのときに「岩波文庫」の『アメリカの少年たち』という本を手にして「アメリカの体制に反抗しているギンズバーグとか」を目にしたと語っていることを紹介して、谷口陸男の『アメリカの若者たち』を取り上げています。
 第5章「やがて来るニューアカ・ブームを前に」では、1978年当時、「知の世界での大きな変動、いわゆるパラダイム・チェンジが進行しつつあった」として、松岡正剛の『遊』、三浦雅士の『現代思想』や『ユリイカ』、さらには『エピステーメー』などのカルチュアー雑誌が、「知的ミーハーの若者たちに強く支持された」と述べています。
 そして、「知のパラダイム・チェンジ」を反映したものとして、中村雄二郎の『述語集』を挙げ、「暗黙知」、「エントロピー」、「記号」、「劇場国家」、「コスモロジー」、「ダブル・バインド」、「分裂症(スキゾフレニア)」などの"述語"を中村が「知の仕掛けとしての述語」と読んでいることを、「当時の時代相が懐かしく思い出される」と述べています。
 また、『中世の風景』など、中公新書には対談や座談会の優れたものが多かった」と述べています。
 さらに、大学1年の夏に出会った矢沢永一の『完本・紙つぶて』について、「『本の神話学』と並んで当時も今も私にとって読書のバイブルである」と述べています。
 第6章「作家の書いた新書本とお勧めの伝記物」では、高校3年の終わりから浪人時代にかけて受講していた「Z会」や「オリオン」の通信添削の問題文で使われた岩波新書の文学物として、平野謙の『昭和文学の可能性』と武田泰淳の『政治家の文章』を取り上げています。
 また、著者が大学時代を過した1980年前後が、「知の大変動期であったと共に、また、新たな言文一致体が勃興した(あるいはそれを模索した)時代でもあった」として、小説の村上春樹や島田雅彦や高橋源一郎、ノンフィクションの沢木耕太郎や関川夏央や猪瀬直樹、スーパーエッセイの椎名誠や嵐山光三郎や村松友視など、「新しい文体を持った書き手たちが次々に登場した」と述べています。
 本書は、著者の読書遍歴を年代順に追ったものなので、年代が違うと少しピンとこないかもしれませんが、この年代の人たちの読書観を知るきっかけになる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の目次のところには、プロローグから第1章、第2章と、紹介されている新書を横に並べた背表紙の写真が収められています。なにやら古本屋さんの新書コーナーを眺めているようで楽しい演出です。


■ どんな人にオススメ?

・新書をこよなく愛する人。


■ 関連しそうな本

 宮崎 哲弥 『新書365冊』 2008年07月07日
 渡部 昇一 『知的生活の方法』 2005年10月09日
 モーティマー・J. アドラー, C.V. ドーレン (著), 外山 滋比古, 槇 未知子 (翻訳) 『本を読む本』 2006年07月02日
 ポール・R・シーリィ (著), 神田 昌典 (翻訳) 『あなたもいままでの10倍速く本が読める』 2006年01月15日
 立花 隆 『ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論』 2006年07月29日
 加藤 周一 『読書術』 2006年07月23日


■ 百夜百マンガ

おもひでぽろぽろ【おもひでぽろぽろ 】

 ジブリで有名な作品の原作。声優さんというか俳優さんに合わせたキャラクターの印象が強い人には原作は入り込みにくいかもしれません。

2008年9月 1日 (月)

アメリカのシンクタンク―第五の権力の実相

■ 書籍情報

アメリカのシンクタンク―第五の権力の実相   【アメリカのシンクタンク―第五の権力の実相】(#1320)

  横江 公美
  価格: ¥2520 (税込)
  ミネルヴァ書房(2008/06)

 本書は、「シンクタンクの役割増加と電子政府の発展の関係を、明らかにすること」を目指したものです。著者は、「『電子政府』による情報急増とシンクタンクとマス・メディアの関係は、まさに『リインターメディエーション』現象として理解することができ、流通業界はもちろん政治の分野にも適用することができる」として、「政府とマス・メディアの間に、急増する政治関連情報を整理し再編集する情報プロセッサーが必要になる『リインターメディエーション』という現象が起きていて、この新たな役割をシンクタンクが担うことになった」と解説しています。
 第1章「デジタル・ネットワーク時代の政治情報』では、「1990年代になり、デジタル・ネットワークが一般に広まると、マス・メディアを仲介せずに、人々が政治情報を直接手に入れられる環境が整ってきた」とした上で、アメリカでは、「情報はデモクラシーの一つの要件であるという考え方が根底」であり、「デモクラシーには判断の根拠となる情報が不可欠である」と述べています。
 そして、インターネットが、「人々が、直接、政治情報を入手でき、かつ、政治参加できる環境を作ってはいるものの、政治参加への実際的な利用となると、いまだ限定的であるといわざるを得ない」と述べています。
 その上で、「政治情報の新しい媒体としての機能をシンクタンクが果たすようになった現象」を、ビジネス論議からのアナロジーで、「リインターメディエーション」と名づけ、その定義として、「デジタル・ネットワークの発達と普及を背景にして、従来からのモノ・サービス・情報の供給主導の流通過程に変動が起き」、「需要サイドのニーズと期待に応える形で、新しい仲介的活動主体が改めて登場している現象」であると述べ、この「リインターメディエーション」こそが、「今日、とくにアメリカにおける政治情報の流通過程に起きている大きな変動を説明し、分析するために、きわめて有効なキ・コンセプトとなることを、とくに強調したい」と述べ、「この過程で登場してきた新しい仲介的活動主体」を「情報プロセッサー」と名づけています。
 そして、シンクタンクが、
(1)散らばった政治情報を収集し、再編集していること
(2)増加した情報を活用して研究を行っていること
(3)それらの再編集した情報や研究の検索しやすいデータベースを構築しサイトで公開していること
の3つの点で、情報プロセッサーとしての役割を演じていると述べています。
 第2章「『電子政府』による情報環境の変化」では、「行政・議会が『電子政府』を使って政治情報を自ら発信し、政治情報を増加させた背景」を整理しています。
 そして、インターネットの「政治に関係する分野で利用されている機能』として、
(1)インターネットは伝統的なメディアの機能を拡大する
(2)インターネットには、巨大な掲示板としての機能がある。
(3)インターネットは、仕事を容易にするコラボレーション機能を持つ。
(4)電子メールは、国境も時間も越え、そして廉価である。
の4点を挙げています。
 また、アメリカの「電子政府」が、「中身の情報も検索機能も充実しており、政治情報環境を格段に改善している』として、「電子政府」が、「ディスインターメディエーション」(中抜き)現象を可能にする一方で、「リインターメディエーション」現象を必要とするほどの情報を提供していると述べています。
 第3章「シンクタンクの構造と機能」では、「シンクタンク」を「公益のために政策研究を行うが、自らは政治活動を行わない政党から独立した非営利団体」と定義した上で、シンクタンクを「人材、資金、テーマ設定、アウトプット」を基準に、
(1)コントラクト・シンクタンク:主な収入源が政府発注のコントラクト(委託研究)である。
(2)アカデミック・シンクタンク:アカデミック手法にのっとった問題解決型の研究が行われている。
(3)アドボカシー・シンクタンク:設立趣意書に掲げるイデオロギーに沿った政策研究を行い、それを啓蒙することが目的である。
の3つのタイプに分類しています。
 また、法律的要件としては、「シンクタンクとは、501(C)3の免税コードが認められた非営利団体であり、その目的は公益のために政策研究を行っている団体のこととされている」と解説しています。
 第4章「シンクタンクの経営戦略」では、シンクタンク経営の基礎となる資金集めについて、
(1)個人、企業からの寄付
(2)財団からの研究に対する助成金
(3)委託研究
(4)シンクタンク業務に関わるさまざまなビジネス
の4種類を挙げています。
 第5章「シンクタンクとマス・メディア」では、「電子政府構築以後、シンクタンクが『情報プロセッサー』としての機能を持ち、政治とマス・メディアの間で存在感を拡大し、『リインターメディエーション』現象が起きていること」を明らかにするとしています。
 そして、アメリカの主要シンクタンクについて、
・・ブルッキングス研究所:典型的なアカデミック・シンクタンク
・ヘリテージ財団:アドボカシー・シンクタンクの代表
・AEI:アカデミック・シンクタンクとアドボカシー・シンクタンクの両方の特徴を持つ
・ランド研究所:コントラクト・シンクタンク
・アーバン研究所:コントラクト・シンクタンクとアカデミック・シンクタンクのミックス・シンクタンク
のように分類しています。
 また、「マス・メディアは、シンクタンクが行う研究に対して、とくに依存度を高めている」として、
(1)1996年から2004年までの8年間で、マス・メディアのシンクタンクへの依存度は、格段大きくなった。
(2)「レファレンスとしての研究・データ」と「研究者の書いたエッセイ」という研究関連として記事中に登場する数の増加が顕著である。
の2点を挙げています。
 著者は、数値分析の結果として、
(1)マス・メディアが記事を作成するときに、シンクタンクへの依存度を高めている。
(2)シンクタンクのタイプや思想的背景にかかわらず、マス・メディアはシンクタンクへの依存度を高めている。
(3)シンクタンクのタイプや思想的背景に関わらず、マス・メディアはシンクタンクが行う「政策研究」への依存度を高めている。
(4)5つのシンクタンクの中で、アドボカシー・シンクタンクのヘリテージ財団の「政策研究」が、マス・メディア印取り上げられる回数の伸び率が最も大きかった。
の4つの傾向が明らかになったとしたうえで、「マス・メディアは、シンクタンクへの取材を増加し、とりわけ『研究』への依存度を高めていることがわかった」として、「『電子政府』の構築によって政治情報が急増したという政治情報環境の変化に対して、マス・メディアはシンクタンク研究の需要者になることで対応している」と述べ、「シンクタンクという新しい登場人物が政治情報の流通過程に登場したことで、『リインターメディエ-ション』現象が起きている」と指摘しています。
 第6章「情報プロセッサーとしてのシンクタンク」では、ケース・スタディとして、
(1)アドボカシー・シンクタンクでありながら「政策研究」の引用を急増させたヘリテージ財団
(2)データベース・シンクタンクの代表例とも言えるCRP(The Cnter For Responsive Polirics)
の2つのシンクタンクを取り上げています。
 著者は、ケース・スタディの結果、
(1)デジタル・ネットワーク時代に入り、シンクタンクが「情報プロセッサー」の役割を果たすようになったことにより、存在感を増した。
(2)「情報プロセッサー」の役割に特化した「データベース・シンクタンク」が登場した。
の2点を確認できたと述べています。
 終章「電子政府とシンクタンク」では、今回の研究で、
(1)アメリカの「電子政府」は、情報公開請求の多い公文書の開示を行うなど、政策研究の基礎となる政治情報を積極的に流通させ、政策研究の環境を強化している。
(2)「電子政府」が政治情報を増加させた結果、マス・メディアを需要者とする政治情報に関する「情報プロセッサー」が必要になり、その役割をシンクタンクが担うようになった。
(3)ビジネスの世界のみならず、政治情報流通過程においても「リインターメディエーション」現象が起きた。
の3点が明らかになったと述べています。
 著者は、「日本においても政治情報の流通過程に『情報プロセッサー』という新しい役割を果たす組織が発生せざるを得ないほどの、政治情報を発信する『電子政府』が構築されることを期待したい」と述べています。
 本書は、日本ではなかなかピンとこない「第5の権力としてのシンクタンク」の役割を明らかにした一冊です。


■ 個人的な視点から

 アメリカでは、「電子政府」の構築によって、大量に出回ることになった政策情報を整理するために「リインターメディエーター」としてのシンクタンクが必要になったということですが、日本の場合は、電子化されても政策情報は相変わらず出回らないので、シンクタンクがマス・メディアの情報源になることはほとんどないんじゃないかと思います。
 裏を返せば、政府が情報をコントロールできないような分野では、一定のシンクタンクの役割が重要になるのではないかともいえると思います。


■ どんな人にオススメ?

・シンクタンクとは銀行の研究機関だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 横江 公美 『第五の権力 アメリカのシンクタンク』 2005年06月13日
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 2005年07月13日
 横江 公美 『Eポリティックス』 2005年02月11日
 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 2005年09月07日
 キャス サンスティーン (著), 石川 幸憲 (翻訳) 『インターネットは民主主義の敵か』 2005年11月21日
 ジェームズ・A. スミス (著), 長谷川 文雄, 石田 肇, ボストン・フューチャー・グループ (翻訳) 『アメリカのシンクタンク―大統領と政策エリートの世界』


■ 百夜百マンガ

まさし君【まさし君 】

 「ゴーダ君」にしても、漫画家が自分の名前をつけた四コマは思い入れが強いのではないかと思います。ほかの作品は「コボちゃん」とか「かりあげクン」とかのネーミングであるのに対し、自分の名前は一度だけなので、ぜひライフワークとして、中断をはさんでも続けてほしいものです。

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