« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2008年10月

2008年10月31日 (金)

かなづかい入門―歴史的仮名遣VS現代仮名遣

■ 書籍情報

かなづかい入門―歴史的仮名遣VS現代仮名遣   【かなづかい入門―歴史的仮名遣VS現代仮名遣】(#1380)

  白石 良夫
  価格: ¥777 (税込)
  平凡社(2008/06)

 本書は、「仮名遣に限らず、『規範』というものに学問的合理性や正確性は必ずしも必要とは考えない」、「規範や規則は、その時代の都合によって、あるいはそれの及ぶ範囲の都合によって書き換え可能なもの」だという視点に立って、「歴史的仮名遣と現代仮名遣の、それらの成立の歴史及び運用のあり方について論じるもの」です。
 第1章「仮名遣以前──日本語の音とその表記の歴史」では、10世紀前半に、「ア行のエとヤ行のエに発音上の区別がなくなったこと」や、10世紀の中葉に「語頭以外のハ行音がワ行音に変化していった」、西暦1000年前後には、「ワ行音のヰ・ヱ・ヲがア行のイ・エ・オに発音変化した」こと、16世紀には、「ジがヂに、ズがヅの発音に近づくように」なり、「江戸時代に入って区別がなくなり、こんにちに至っている」ことなどを紹介しています。
 そして、「仮名(平仮名・片仮名)は音節文字であるから、発音の変化と密接であるという運命から逃れられない」として、「発音が自然変化すれば」、「旧来の表記は消えて新しい表記にとって替わるというのが、音節(表音)文字としての純粋法則」だが、「発音変化に従おうとする力とそれに抗おうとする力が働いて」、旧来の表記が使われ、「ここに混乱のタネがある」と述べています。
 著者は、読者にしっかり覚えて欲しいこととして、「定家も契沖も、仮名の混乱が発音の変化に起因していることを知らなかったのだ」と述べています。
 第2章「生みの親は定家──仮名遣の誕生」では、「戦後まもなく、地動説以前の時代に軸足をおいて、定家仮名遣理解の新展開をうながす研究が出現した」として、昭和25年の大野晋による「仮名遣の起源について」を挙げています。
 そして、「仮名遣が社会的な約束であるかぎり、それぞれの『社会』の仮名遣は、それぞれの『社会』固有の事情があってしかるべきだろう」として、「『社会』から仮名遣は自由ではあり得なかったはずである」と述べています。
 第3章「学問的根拠は絶対か──定家仮名遣の論理」では、定家の『下官集』を、「仮名で歌や草子を書写するときの、いわばマニュアルである」と延べ、「そこに一貫している定家の思想は、効率性・機能性そして現実主義を優先させることにあった」と述べています。
 そして、「定家には仮名遣の完全な語例の表は必要なく、だから作らなかった」として、「定家の仮名遣は、定家のためだけの規範であった」と述べ、「仮名遣にとって大事なのは、どれを選ぶかではない。選んだもので押し通すということ、これが仮名遣の本当の意味なのである」と述べています。
 第4章「いにしえびととの交感──契沖仮名遣の世界」では、契沖が、「万葉集研究の過程で、古代(10世紀以前)の真仮名文献においては、後世に見られるようなつかい方の混乱がない、という事実に気がついた」ことについて、「この発見は、日本語研究史上、画期的なものであった」として、「契沖は、古代文献に見えるこの真仮名表記がそのまま古代の発音の忠実な反映であった事実、後世の仮名の混乱が発音の変化によって引き起こされたという事実の国語史的発見に、あと一歩のところまで来たことになる」と述べています。
 そして、契沖が、仮名文献をさかのぼって調査し、「一つのことばに対応する仮名表記は一種類であった。混乱のない仮名表記が過去に存在していた」、「これこそが、定家仮名遣にかわる、和歌や和文を記すときの仮名の使い方の規範になる」と考え、「そのための用字辞典として作ったのが、すなわち『和字正濫鈔』であった」と述べています。
 著者は、「このすぐれて学問的な仮名遣説は、学問的であるが故に、規範仮名遣としてのある種の限界にもなっている」として、「仮名遣が規範として機能するためには、時代によってその表記の基準に変化があるのは好ましくないからである」と述べています。
 そして、「契沖の発見した古代仮名表記は、これを習得することによって、いにしえびととの交感がより可能なものとなる。これが契沖仮名遣の世界で生きる古学者の思想であった」と述べています。
 第5章「悪魔の規範──歴史的仮名遣の非実用性」では、「輝かしい近代日本の黎明期において、国語政策に携わったのは、おもに古学派系の学者であった」ため、「すでに学問的蓄積のあった契沖仮名遣が、日本語の正書法としての仮名遣に採用されることに、為政者や文化人のあいだにさしたる違和感や抵抗感はなかったろうと想像される」が、「実際に運用してみると、これが意外に厄介なしろものであることが判明した」と述べています。
 そして、歴史的仮名遣いの大きな問題として、「このような習得に困難な言葉は、効率的なコミュニケーション機能に反していると言わざるを得ない」と述べています。
 また、「内容的によく整備された『現代かなづかい』がまだ戦後混乱期だった昭和21年に作られたことは、驚嘆に値するが。が、それが可能だったのも、じつは明治30年代以来の表音式仮名遣模索の蓄積があったからである」として、「歴史的仮名遣は、古代人との心の感応の道具だった契沖仮名遣を近代の実生活の場に復活させた、時代錯誤な代物だった。現実の生活には不向きな言語だったのである」と述べています。
 第6章「残された課題──現代仮名遣解説」では、「歴史的仮名遣の配列が使いにくいものだというのは、歴史的仮名遣をわすれた現代人だけの話ではなく、当の歴史的仮名遣の世界で生活していた人たちにとっても、じつに使い勝手の悪いものだった」と指摘しています。
 そして、現代仮名遣に関して、最も時間をかけて議論された問題として、
(1)オ列長音をめぐる問題
(2)エ列長音をめぐる問題
(3)「じ・ぢ」「ず・づ」のかき分けの問題
の3点を挙げ、(1)に関しては、
「これらは、歴史的仮名遣いでオ列の仮名に『ほ』又は『を』が続くものであって、オ列の長音として発音されるか、オ・オ、コ・オのように発音されるかにかかわらずオ列の仮名に『お』を添えて書くものである」
と説明され、(2)に関しては、
「エ列の長音として発音されるか、エイ・ケイ等のように発音されるかにかかわらず、エ列の仮名に『い』を添えて書く」
と記され、(3)に関しては、
「『じ』『ず』を用いて書くことを本則とし、『せかいぢゅう』『いなづま』のように『ぢ』『づ』を用いて書くこともできるものとする」
とされたことを解説しています。
 第7章「伝統を捏造するな──文化人たちのノスタルジー」では、「仮名遣というのは、効率的な伝達機能を最優先すべき実用の具」だとした上で、「現代仮名遣にたいする批判で、もっともらしくて、しかしノスタルジックで情緒的で間が抜けているとわたしが感じるのは、歴史的仮名遣いの上に構築された文法の記述を混乱させるというたぐいの批判である」として、「歴史的仮名遣を勝手に美化して、それをいかにも学問的に装うとしている、本末転倒の論理でしかない」と批判し、「こうした論者は、平安時代の言語をもとにした学校文法のパラダイムでしか、日本語の文法を知らないらしい。でなければ、文法的揺れは学校文法に復元可能だと勘違いしている教条主義者であろう」と指摘しています。
 第8章「新仮名遣いで古典を書く──表記の規則だから」では、「仮名遣は表記の規則である」という命題について、「数学でいえば公理のようなもの」であるとしたうえで、「われわれに身近な歴史的仮名遣とか現代仮名遣といったものは、仮名の使い方の規則であって発音の規則ではない」と「声を大にして強調したい」と述べています。
 そして、「文語文であろうが口語文であろうが、万葉集であろうが源氏物語であろうが村上春樹の小説であろうが、現代仮名遣で書き始めたら最後まで現代仮名遣で統一する、歴史的仮名遣で書き始めたなら最後まで歴史的仮名遣で統一する」のが、「仮名遣」というものの意味だと述べています。
 また、「仰げば尊し」や「蛍の光」の歌詞を、「あれは、オーゲバ、ウトーナリと発音するのが正しいのだ。唱歌の歌詞の指導は、日本語を知らない若い教師には任せられない」と口うるさくいう国語教師がいるが、「そう発音しなければならないという根拠など、どこを捜してもない。けっして正しい日本語の発音ではない」としてきし、「じゃあ、正しい日本語はないのか」という反論には、「自分達が日常使っている言葉、それが正しい日本語である」と述べ、「法則を優先して、ありもしないアオギやハワを正しいとし、日常で現実に使っているオーギ・ハハを排除するなど、正気の沙汰ではない」と批判しています。
 本書は、日頃使っている仮名遣いと、もはや多くの人にはなじみのない旧仮名遣いがどうやって生まれたのかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「日本の伝統」を愛していると自称している人の中には、長い時間の中で移り変わってきた日本の社会を認識している人と、戦前に作り出されたフィクションとしての日本の伝統を愛好している人とがいるような気がしていますが、「歴史的仮名遣い」にこだわりを持つ人の中には、後者のタイプが多いような気がしてなりません。


■ どんな人にオススメ?

・歴史的仮名遣いは日本の伝統だと思う人。


■ 関連しそうな本

 萩野 貞樹 『旧かなづかひで書く日本語』
 青木 逸平 『旧字力、旧仮名力』
 福田 恒存 『私の国語教室』
 府川 充男, 小池 和夫 『旧字旧かな入門』
 萩野 貞樹 『旧漢字―書いて、覚えて、楽しめて』


■ 百夜百マンガ

人間万事塞翁が馬鹿【人間万事塞翁が馬鹿 】

 いわゆるひとつの「チョーさん」こと長嶋茂雄の似顔絵で知られる人ですが、これからだんだんミスターを知らない若い人が増えていくと辛いかもしれません。
 個人サイトは趣味の世界で楽しいです。怖い曲もありますが。
http://www.ne.jp/asahi/seco-han/mind/

2008年10月30日 (木)

"政事家"大久保利通―近代日本の設計者

■ 書籍情報

   【"政事家"大久保利通―近代日本の設計者】(#1379)

  勝田 政治
  価格: ¥1575 (税込)
  講談社(2003/07)

 本書は、「『公議』を抑圧する『有司専制』」、すなわち「世論を無視する専制政治家」として暗殺された大久保利通について、「最新の研究成果をとりいれるとともに、筆者独自の見解も交えての大久保像を提示」するものです。
 著者は、大久保について、自由民権運動を担った立憲改進党の創設メンバーの一人である小野梓が、「いやしくも『専制』主義によって政治を行うような『下心』があるならば、府県会を開くような『自由の制度』を実行するはずがない」と語っていることを紹介し田植えで、「非常で冷酷な権力欲に強い策謀家」というイメージに対して、最近の佐々木克『大久保利通と明治維新』が、「本格的な修正を試みた」と述べています。
 第1章「国政参加をめざして」では、大久保が主君島津久光の命により、生麦事件の「趣意書」を書き、「あくまでも非はイギリスにあり、単純な攘夷行動ではない」と主張していることを紹介しています。
 また、金門の変から長州藩追討令が出されたときには、「即時長州追討という勅命は『名義』の判然としないものとして、異議を申し立て」たと述べています。
 第2章「王政復古クーデター」では、大久保が、「長州再征を名義にもとる『天下の人心』に離反する軍事行動と捉え、幕府の敗退に終わると断言し、薩摩藩としては無益の再征に与することなく、藩力の養成に務めるべきであると主張」したとして、「幕藩改革の思考は断念され、国政運営における幕府の無能力さを明確に意識し、ここに大久保は完全に幕府を見限った」と述べ、また、「その幕府と結ぶ二条関白と朝彦親王が牛耳る朝廷もこれ限りと突き放」したと述べています。
 また、1866年に、「京都の小松帯刀邸に薩摩藩から西郷・小松、長州藩から木戸孝允、仲介人として坂本龍馬が参集」して結ばれた「薩長盟約」について、「かつては『薩長同盟』と称され、武力倒幕をめざす薩長軍事同盟と評価されてきた」が、こうした通説に対し、青山忠正氏が「盟約は武力倒幕をめざすものではなく、薩摩藩が長州藩の『政治的復権』(『朝敵』という冤罪を晴らすこと)に向けて周旋することを約束したものであると指摘した」ことを紹介しています。
 さらに、徳川慶喜(幕府)に敗北したことで、「雄藩会議による平和的倒幕への道が立たれた大久保」が、京都薩摩藩邸で家老小松や西郷らと、「長と共に事を挙げる」事に合意し、「久光の承諾を受けることとした」と述べています。
 第3章「廃藩置県の断行」では、王政復古クーデターで成立した新政府が、「薩摩・土佐・安芸・越前・尾張の5藩を中心とする諸藩連合政権」であったが、「徳川慶喜を政権から排除することが決まった鳥羽・伏見の戦い以後、次第に天皇親政主義が前面に押し出されること」になったと述べたうえで、「中央集権化の実現のためには、反体制が大きな問題となってくるが、現実には戊辰戦争が反体制に大きな影響を与えることになった」として、
(1)藩財政を極度に悪化させた。
(2)藩主(藩重臣)の権威を失墜させた。
の2つの大きな影響を指摘しています。
 そして、新政府は当初、「藩体制を解体・消滅させることは意図していなかった」が、「独自の支配様式を有する江戸時代以来の藩そのものでは、中央集権化を成し遂げることは無理」だったので、「藩を直轄地である府・県と同列にし、藩に対する統制強化が可能なシステムとして、府藩県三治体制を創出した」と述べています。
 著者は、「廃藩置県とは大久保にとって、『瓦解』寸前の状況を切り開く『大英断』であった」として、「廃藩置県は一大飛躍であった」が、「主君久光との決別でもあった」と述べています。
 第4章「欧米視察の衝撃」では、廃藩置県に対して、「久光は怒り心頭に発し、廃藩の報が鹿児島に着いた夜、邸内に花火を打ち上げて『憤気』を漏らしている」ことについて、「知藩事(旧藩主)を一方的に罷免した廃藩置県について、久光以外に表立って不満を示す知藩事はいなかった」として、「士族の反乱は全く起きなかった」理由について、
(1)版籍奉還の規制力:版籍奉還を自主的に行った旧藩主は地方官となっており、任命権を持つ天皇の罷免に対し、反乱する大義名分はなかった。
(2)親兵の威圧力:薩長土三藩の強大な軍事力を眼前にして勝算はない。
(3)知藩事及び士族に対する優遇策:家禄は保障され、とくに知藩事は公家と同等の華族という特権的身分が与えられた。
(4)知藩事自ら反乱を防止しようとしたこと
の4点を挙げています。
 そして、大久保が、「資本主義国家として繁栄しているイギリス各地を『目撃』し、その富強の源泉は『製作場』・『製作所』すなわち工場と貿易にあり、その根底には『汽車』があることを痛感した」として、「これは、大久保に大きなショックを与えた」と述べています。
 第5章「征韓論政変」では、「朝鮮遣使論(征韓論)をめぐる対立は、大久保と西郷の決別という形で決着した。そしてこの対立で大久保ら非征韓派が主張したのが内地優先論である」という従来の評価について、大久保は、「単に内地優先論を唱えていただけなのだろうか」と疑問を表し、欧米視察の体験から打ち出された「『国政』を整備し『民力』を厚くする」という方向が、「国家目標として確定されたのが征韓論政変であった」と述べています。
 第6章「大久保政権の始動」では、「府県職制から府県廃合さらには県官任期例と、府県行政機構は大久保内務省の意のままに整備されていった」として、「中央政府の意思を府県に貫徹させる体制が、この1876年にほぼ実現した」と述べ、「ただし、大久保の出身地である鹿児島県のみ例外であった」と述べています。
 第7章「志半ばの死」では、大久保が西南戦争終了後、歴史学者の重野安繹を呼び寄せ、西郷の伝記の執筆を依頼したと述べています。
 そして、「大久保の政府内の地位はますます確固たるものになっていった」として、「大久保の威厳の一端」について、勝田孫弥『甲東逸話』から、
「甲東(大久保─引用者)が毎朝馬車を駆って内務省に到り、玄関にて車より下り、長い敷石や廊下を歩むとき、かつかつたる其靴音は、省の隅々までも響きわたり、階上階下共に雑談や笑い声を止めて、省内は恰も水を打ったように静まりかえった。
 甲東の威風は下僚のみで充たされた内務省ばかりでなく、太政官に登朝したときでも亦同様で会った。今までの快談壮語に耽りつつあった諸豪傑連も、甲東の姿を認めると、いつしか声を潜め、襟を正しうしてその言語を慎んだということである」
というエピソードを紹介しています。
 エピローグ「めざされた近代日本とその後」では、「幕末期にあって大久保は、朝廷・幕府・藩の一体化による国内一致態勢の構築をめざし」、「政治主体としての幕府の改革」に着手し、「その担い手としての徳川慶喜に期待をかけた」が、「雄藩の参加に拒否反応を示す幕府により失敗」に終わった結果、「幕府そのものを倒して、朝廷と藩による『公議政体』を目指すことになる」と述べています。
 また、明治政府の元では、「藩体制を維持したままで国内一致体制の感性に向けた中央集権化」を目指したが、「薩摩・長州・土佐の三藩提携による藩力動員策」がうまく機能しないことから「全般的廃藩論」による廃藩置県を断行し、主君島津久光とも決別したと述べ、「国権回復に向けて具体的に打ち出したのが民力養成論」だとして、「イギリスモデルの近代日本」を目指したと述べています。
 著者は、「大久保は『専制政治家』ではあるが『専制主義者』ではなかった」と述べた上で、「『非情』であり『冷酷』であるというイメージは、近代国家の建設に向けた不退転の決意と行動から生じたもの」だとして、「彼の『無口』で『笑わない』という性格や恐ろしいほど『威厳』が、そのイメージを一層増幅させることになった」と述べた上で、大隈重信による、「彼〈大久保〉は内治外交の困難を一人で引き受けて、よく維新の大猷(おおきなはかりごと)を定めて、功臣となった」、「彼は意思の人であって、感情の人ではなかった」が、「当時もし彼の如き人材なかりせば、かくの如く紛糾錯雑したる内治外交の整理も、或いはむずかしかったかも知れない」とする評価に「共感を覚える」と述べ、「大久保利通。熟考と果断の政治家であり、中江兆民が評したような『豪傑』で『大政事家』であった」と述べています。
 本書は、明治以降の日本を方向付けた大政事家の姿を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 当時の内務省は、日本の最先端のオフィスだったのかと想像しますが、その建物の中に響きわたる大久保の靴音は、聞けるものなら聞いてみたいと思いました。


■ どんな人にオススメ?

・大久保を「怖そうな人」と思っている人。


■ 関連しそうな本

 坂野 潤治 『未完の明治維新』 2008年03月10日
 百瀬 孝 『内務省―名門官庁はなぜ解体されたか』 2007年06月13日
 坂野 潤治, 田原 総一朗 『大日本帝国の民主主義―嘘ばかり教えられてきた!』 2006年11月08
 坂野 潤治 『明治デモクラシー』
 勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日
 落合 弘樹 『秩禄処分―明治維新と武士のリストラ』 2005年05月19日


■ 百夜百マンガ

よつばと!【よつばと! 】

 5歳の女の子というのは、父親にとってはとっても可愛いものなのです。家にいて独り占めはうらやましいですが、マンツーマンというのは大変そうだなとも思ってしまいます。

2008年10月29日 (水)

大正デモグラフィ 歴史人口学でみた狭間の時代

■ 書籍情報

大正デモグラフィ 歴史人口学でみた狭間の時代   【大正デモグラフィ 歴史人口学でみた狭間の時代】(#1378)

  速水 融, 小嶋 美代子
  価格: ¥756 (税込)
  文藝春秋(2004/1/21)

 本書は、大正期の人口統計を中心に、「民衆の物理的・精神的生活状態」について論じたものです。
 第1章「明治と昭和の狭間で」では、「大正期は、日本にいろいろな面で重大な変化をもたらした」として、「政治・経済・社会・文化の諸局面において、大正の15年間に起こった変化は、それ以前や以後15年間の変化に優るとも劣らない」として、「実際には目に見えない時代精神というべきものも加え、もっと多くの分野で決定的ともいうべき変化があった」と述べています。
 そして、大正という時代を、「『激動の大正期』と名づけてもかまわないほどの変革期であった」とした上で、「近代日本の成立にとって順風満帆の明るい時代」では決してなかったと述べています。
 第2「大正期の全国人口」では、大正が始まった西暦1912年の日本の人口は、「正確にはわかっていない」として、大正9年10月1日の第1回国勢調査以前の人口に関して、官庁統計だけでも、
(1)本籍人口
(2)甲種現住人口
(3)乙種現住人口
(4)警察署調人口
(5)昭和5(1930)年内閣統計局発表の人口
(6)「赤坂推計」と呼ばれる推計
の6種類があるとしています。
 また、人口を長期的に観察する際には、短期的変動を無視していいかもしれないが、大正期のわずか15年の間に、「全国の人口趨勢に影響を与えるような出来事がいくつかあった」として、
(1)結核の蔓延
(2)大正7(1918)-9年に世界的に流行したスペイン・インフルエンザによる死亡
(3)大正12年の関東大震災
の3点を挙げ、「いずれも人口を減少させる作用を演じたが、どの要因も単年度の人口減少にはならず、人口は増大し続けている」と述べています。
 第3章「第一次世界大戦と戦時景気」では、「わずか4年間であったが、日本は未曾有の好景気に沸いた。この間、最初の政党内閣である原敬内閣も誕生している。表面を取れば、『大正デモクラシィ』が満開したかに見える。経済面での変化はより大きく、戦時景気は企業熱に火をつけ、日本を『工業国』に転換させるまでに至った。国際的には『債務国』から『債権国』へと転換した」が、「物事は決してバラ色一色ではない」として、「実際には社会的不安定が、大正後期の日本を覆うこととなる」と述べています。
 第5章「死亡率上昇──女工と結核」では、「他の伝染病は近代化とともに消滅しつつあったが、このように明治末期から大正期にかけて、結核のみは蔓延した」として、その原因に工業化そのものを挙げています。
 そして、「大正3年に始まり大正12年に至る10年間は、相対的に高死亡率期といえる時期であった」として、歴史人口学では、「前近代社会において、死亡率が病気や災害のために通常より何倍も高くなり、出生率を上回るような場合、つまり人口の自然変化率がマイナスになるような場合」を「mortality crisis(死亡危機)」と呼ぶことから、「まず結核が蔓延し、そこにスペイン・インフルエンザが襲来し、さらに関東大震災が追い討ちをかけ」たこの時期を「大正死亡危機」(大正mortality crisis)と名づけ、「大正前期に下がりだしていた死亡率は大正死亡危機による一時的な上昇の後、大正末年移行は長期的に徐々に低下していく」と述べています。
 第6章「スペイン・インフルエンザ」では、1918年の第一次世界大戦の終局において、「将校が突撃を命じてもドイツ兵たちは立ち上がらず、突撃は成功どころか実行さえ困難になった」理由として、「兵士たちの抗命でもなければ、厭戦気分でもなかった」として、「20世紀最悪の流行病、いわゆるスペイン・インフルエンザ」を挙げています。
 そして、この「インフルエンザ・ウイルスによる流行性感冒」がスペイン・インフルエンザと呼ばれた理由として、「戦時にあって、参戦国はどこも多大な戦病死者の存在、あるいは国内における流行を公表せず、ひとり中立国であったスペインにおける流行が広く喧伝されたから」だと述べるとともに、「ヨーロッパでは、何でもよくないことはスペインのせいにする、ということもある」が、「スペインが発生源ではなかったことは確かである」として、1918年3月頃、「アメリカにおいて品評会に集められた豚の間でインフルエンザが発生し、それが兵士たちにうつり、西部戦線に運ばれた」という説を紹介しています。なお、スペイン・インフルエンザによる死者については、「最低でも2000万人、最高で4500万人という範囲が、目下答えうる死亡者数」だと述べています。
 また、日本の『人口動態統計』からインフルエンザ流行の状態を観察すると、
(1)大正10年の死亡者は、山形県・新潟県・富山県・石川県・徳島県・香川県において、インフルエンザ流行以前の大正6年より少ない。
(2)死亡者が多かった年は、全国では大正7年が最高で149万人、以下、9年、10年、8年、6年の順であるが、各道府県がすべてこのとおりであったわけではなく、東京を中心とする関東・南奥羽・東海地方は大正9年に最大の被害を出し、それ以外の北海道・北奥羽・北陸・甲信越・近畿以西は大正7年に最も多くの犠牲者を出した。
(3)福井県・京都府・大阪府・島根県の4府県で死亡が出生を上回っている。
の3点の特徴を挙げることができるとしています。
 さらに、当時のポスターなどから、当時の政府が、「スペイン・インフルエンザをあまり深刻に受け止めていなかったのではないか」という疑念を示し、「世界を震撼させた感染症の予防や治療に、国家から直接には一銭も出なかった、というのは、驚くべきことである」と述べています。
 第7章「人口指標のいろいろ」では、大正10年に発表された童謡「赤とんぼ」の一節で「ねえやは一五で嫁に行き」という一説があり、「大正の頃は15歳という若さで女性は結婚したのか、と思いかねない」が、実際には、「農村県でもかなり結婚年齢は遅くなっていた」として、「一五で嫁に行く」のは「まったくの例外であった」と述べています。
 また、大正中期以降、婚外子率が低下した理由として、
(1)皇室における側室の撤廃
(2)大正期に高揚した女性解放運動
(3)教育の普及
の3点を挙げるとともに、1月と3月に出生が極度に集中する「早生まれ症候群」について、
(1)小学校の就学率がほぼ100%になり、就学年齢が4年から6年に延長されたことから、早く小学校を卒業させ働き手とすることを親が考え、早生まれで子どもを産んだ可能性がある。あるいは4月に生まれても3月出生と登録すれば、一年早く学校を卒業させることができた。
(2)実際には12月生まれの者が、1月に出生を登録し、数え年の年齢を1歳若くするケースが多かった。
(3)なぜだか分からないが結婚式を挙げる人たちが増え、結婚が3月から5月にかけて集中するようになったこと。
の3点を挙げた上で、「早生まれ症候群」が意味するところは、
・親が子どもを早く学校に入れたこと
・数え歳年齢では早生まれの子どもは一切若く取り扱われるようになったこと
・親が子どもの出生および出生月をコントロールする術を持つようになったのではないかということ
の3点を挙げています。
 第8章「国勢調査」では、大正9(1920)年の日本における国勢調査の開始が、「欧米諸国に比べてはるかに遅く、先進工業国以外と比べても遅いほうであった」と述べています。
 また、「都市と農村の間で、合計特殊出生率に差のあることが判明した」として、「都市化、それも大都市の形成が、合計特殊出生率の低下にもっとも強い影響を与えた」と述べています。
 第9章「大正末年の人口」では、大正13年から15年にかけての高い人口増加率に関して、
(1)都市部の死亡率が改善されたこと。
(2)乳児死亡率の低下。
の2点を挙げています。
 そして、「まず死亡率が低下し始め、続いて出生率の低下が起こり、高出生率+高死亡率の状態が、低出生率+低死亡率の状態に移行する過程」である「人口転換(demographic transition)」が日本で起こった時期について、「通常、大正後期、つまり1920年代あるいは1920年代後半に起こった、とされている」と述べています。
 著者は、「日本社会は、大正7(1918)─9年当たりに大きな転換点があったように見える」と述べ、「人口転換」に限らず、「大正後期は、労働者・夫人・被差別民といった社会的弱者が団結し、地位を向上させるべく組織を作り、立ち上がった時代であった」ことや、「識字能力・読書人口の増大、高等教育の量的拡大」から、「『民度』は明治期よりはるかに高くなっていた」ことなどをあげ、「人口統計上の状態・変動に加え、以上のような民衆の生活や意識の状態・変革をつづることこそ、本来の意味のデモグラフィ──民衆誌──なのである。そして、これら多様な意識を持った民衆の出現こそ、『大正デモクラシィ』の名に値する社会の到来ではなかったのだろうか」と述べています。
 本書は、人口統計という切り口から、激動の大正期を読み解いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 人口推計のグラフを見ると、江戸時代から現在まで人口が増加している様子から、大正期も一様に人口が増え続けていたのかと思っていましたが、「大正死亡危機」と呼ばれるほど色々な変動要因があるとは想像しませんでした。


■ どんな人にオススメ?

・大正ってなんか印象が薄いと思っている人。


■ 関連しそうな本

 速水 融 『歴史人口学で見た日本』 2007年12月26日
 湯沢 雍彦 『大正期の家庭生活』 2008年10月08日
 石川 義孝 『人口減少と地域―地理学的アプローチ』 2008年03月03日
 速水 融 『歴史人口学の世界』
 速水 融 『歴史人口学と家族史』
 鬼頭 宏 『人口から読む日本の歴史』


■ 百夜百マンガ

キン肉マンII世【キン肉マンII世 】

 2世ものブームのの筆頭に上げられる作品。
 ところで2人のペンネームである「ゆでたまご」先生はどちらが「ゆで」でどちらが「たまご」なんでしょうか。

2008年10月28日 (火)

数式を読みとくコツ―「数式は哲学だ」と割り切ってみよう

■ 書籍情報

数式を読みとくコツ―「数式は哲学だ」と割り切ってみよう   【数式を読みとくコツ―「数式は哲学だ」と割り切ってみよう】(#1377)

  杉原 厚吉
  価格: ¥1995 (税込)
  日本評論社(2008/02)

 本書は、「数式の読み方という非常に基本的なことがらを、数学の入口に立ってじっくり眺めてみようとするもの」です。著者は、「他の学問における思考は普通の言葉で表されるのに対して、数学における思考は数式という言葉によって」表され、数式は、「式の変形という機械的操作によって形を変え、それが思考の展開を表す」ので、「数式が使える数学と数式の使えないほかの学問とは根本的に異なるのだろう」という考え方について、「数式で表したからといって思考がいきなりクリアーになるというものではない」と述べ、「数式がわかりにくいと言うときの責任は、著者にある場合だって少なくない」ことを指摘しています。
 第1章「等号にはいろいろな意味がある」では、「数学の記号の中でも最も基本的」な「等号」を例に、「数式の意味は機械的に一意に決まるものではなくて、その数式を書いた著者の意図を理解して初めて決まるものだ」ということがわかると述べています。
 そして、「数学も言語の一種である」ので、「思考の筋道」をたどることによって、「読者は式という言語で表現された著者の思想を理解する」と述べています。
 また、「位置ベクトルに演算を施した結果を結ぶ等号は、ある特定の座標系だけでしか意味を持たない。別の座標系を採用すると全く意味の無い式になってしまう」という例を挙げ、「=は左辺と右辺が等しいことを表す」という一般原則のみの理解が、「いかに危ういかが理解していただけるであろう」と述べています。
 さらに、「数学も言語の一種である」ので、「誰かが言葉の使い方を誤り、その誤りがそのまま広まると、あとの人が苦労する」として、「オーダ記号」について、「等号を使うべきではない場面で、不用意に等号を用いたために、混乱の多い記号になってしまった」と述べています。
 第2章「もしもこの世に数式がなかったら」では、ユークリッドの『原論』を例に、「ギリシャ時代には、現代のような便利な数式の記述法は発達していなかった」ので、「普通の言葉で数学の議論を展開しなければならなかった」として、「これがどれほど不便で、その結果として得られる記述がどれほど難解なものであったか」と解説し、数式を使うと、「中学生でも十分に理解できるもの」であることを示した上で、「数式は偉大な発明である。数式が使えるからこそ、昔だったら一部のエリートしか近づくことができなかった数学という世界が、私たち一般人に対しても開かれた世界となった」として、「数式は忌み嫌うべきものなどではなく、その便利さを享受すべき有用な道具」だと述べています。
 また、ガリレオが、論理を展開する上で図を非常に効果的に使っていることについて、「図で表し、作図で考えることが、現代なら式で表し、式操作で考えることと同じだったのではないだろうか」と述べています。
 著者は、「式の変形は、数式の操作の中では比較的簡単なもの」だが、「式を使わないで文章だけで説明しようとすると、長く、読み難いものになってしまう」として、「数式なしで数学を深く理解することは、ほとんど不可能である。逆に、数式の読み方がわかってくれば、数学の理解へは非常に接近できたことになる」と述べています。
 第3章「無限と一口に言っても」では、「等号と同じように、無限にもいろいろな種類がある」として、「それぞれの場面で、どの意味の『無限』が使われているのかを意識しなければならない」と述べています。
 また、コラム「式の直訳」で、数学の中にある「一般人を突き放して寄せ付けない表現」に出会ったときにたじろがずに済むコツとして、「その表現が『式の直訳』ではないかと疑ってみること」を挙げています。
 第4章「極限がわかると微分・積分もわかってくる」では、「ある種の手続を無限回くり返すこと」を意味する「極限をとる」や、「その種の手続を繰り返した結果、行き着く先のこと」を意味する「収束先」などについて、「『無限』にかかわるものであるため、すぐには理解しにくい」が、「哲学的な考察によって、ある種の悟りを開いたとき、その意味が見えてくる」と述べています。
 第5章「行列の出生の秘密」では、「縦と横に数が並んで長方形の形をした」行列について、「行列という同じ姿をしていても実は別のものがたくさんあるという理解の仕方が心地よいものである」と述べています。
 そして、「点を点へ移す線形変換を表す行列」である「線形変換行列(linear-transformation matrix)」について、「どういう場面で生まれた行列だったのかを忘れないようにする」ことで、「最初はわずらわしいと感じられるかも知れないが、その行列の出生地が明確に表現されるために、その行列のどのような性質に着目すべきかがよくわかり、とても便利である」と述べています。
 また、線形変換行列について、「逆行列、行列式、固有値・固有ベクトル、直交行列などの概念が意味を持つ」ことなどを解説しています。
 著者は、「行列という記号も、同じ記号でありながら多様な機能を持つ。そのうちどの機能に着目すべきかは、その行列がどこで生まれたかによる」と述べた上で、「見かけが同じ行列も、中身には多様性があり、そのうちのどれが今問題にすべきものかをいつも気にする心の姿勢が大切」だと述べています。
 本書は、一般には苦手な人が多い数式が持っている意味と便利さとを分かりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 数式は外国の言葉だと思っている人には「哲学」だって難しいでしょ、と思うんじゃないかと思いますが、色々と完璧な世界だと思われている数学の世界が、実は結構穴だらけだとわかるだけでも自信が付くんじゃないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・数学は完璧な世界だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 シルヴィア ナサー (著), 塩川 優 (翻訳) 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』 2006年11月20日
 ノーマン マクレイ 『フォン・ノイマンの生涯』 2006年11月21日
 ポール ホフマン (著), 平石 律子 (翻訳) 『放浪の天才数学者エルデシュ』 2005年11月06日
 グレゴリー・J・チャイティン (著), 黒川 利明 (翻訳) 『セクシーな数学-ゲーデルから芸術・科学まで-』 2005年11月03日
 ジョセフ・メイザー (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『数学と論理をめぐる不思議な冒険』 2006年12月16日
 E.T. ベル (著), 田中 勇 (翻訳), 銀林 浩 (翻訳) 『数学をつくった人びと』 2007年07月16日


■ 百夜百マンガ

HEAT(灼熱)【HEAT(灼熱) 】

 治外法権の異界、歌舞伎町を舞台にした作品。さすがに治外法権にもほどがあるだろうとは思うものの、このくらいじゃないとドラマにはならないということで、よい子はまねしないでください。

2008年10月27日 (月)

政策秘書という仕事―永田町の舞台裏を覗いてみれば

■ 書籍情報

政策秘書という仕事―永田町の舞台裏を覗いてみれば   【政策秘書という仕事―永田町の舞台裏を覗いてみれば】(#1376)

  石本 伸晃
  価格: ¥777 (税込)
  平凡社(2004/12)

 本書は、外資系銀行のデリバティブ・ディーラーから、司法試験合格を経て、弁護士にならずに衆議院議員、川田えつこの政策秘書になった著者が、「実際に経験した政策秘書の仕事」について書いたものです。
 第1章「秘書をめぐる喜劇と悲劇」では、国会議員の私設秘書については、数の制限が無く、「なかには、秘書の数が多すぎて、自分の秘書の数を把握していない議員さえいる」として、元労働大臣の山口敏夫の秘書が、あるパーティで同席した人に挨拶すると、「お互い山口敏夫の秘書だった」という笑い話を紹介しています。
 そして、「もし給料を支払わなくてもいいのなら、法的にも経済的にも、何人でも秘書を雇うことができる」ことに着目した人間が、「給料を支払わないで秘書の数を増殖させるシステム」として、「秘書の機能を金集めに限定」し、「議員秘書」の名刺を使って金を集めると、「議員は、いわば名刺の肩書き代として、、そのうちの一定割合をマージンとしてもらう」というシステムを作り出したことを紹介したうえで、「秘書の数が多くなればなるほど、そのコントロールは難しくなる」として、山口敏夫や加藤紘一らが、「金集めのシステムとともに政界でも実力を増大させ、その後、そのシステムのせいで凋落の道をたどった」という共通点を指摘しています。
 また、秘書給与問題の原因として、
(1)雇用主と使用者のミスマッチ:公設秘書は国から給料をもらっているが、実際の使用者は議員であること。
(2)給与と仕事のミスマッチ:秘書それぞれの仕事の内容に応じて給与を支払うことができない。
の2つのミスマッチを指摘しています。
 第2章「私が秘書になった理由」では、外資系銀行でのディーラーの経験から、「未知なる世界に対する不安、この不安から逃れるためには2つの方法がある」として、「その世界から限りなく遠ざかるか、その世界の中心に限りなく近づくか」だと述べて、著者がディーリングの世界にどっぷりはまったことを語っています。
 そして、著者が衆議院議員の川田悦子議員に「司法修習生」と書かれた名刺を渡したことをきっかけに、「じゃあ弁護士にならないで私の政策秘書になってよ」と声をかけられ、政治とのかかわりを持ったと述べています。
 第3章「秘書の仕事」では、無所属議員で国会での質問時間が非常に少なかった川田にとって、「委員会などでの質疑のほかに」認められている「質問趣意書という書面による質問」について解説しています。
 第4章「公設秘書制度」では、政策秘書の創設過程で、「資格試験に合格したものの中から政策秘書を採用する」という当初の案から、「資格試験合格者以外のルートを設け、試験を受けなくても簡単に政策秘書になれるように」変更されたことについて、「単に公設秘書の数を増やして人件費を減らしたい」という議員の本音と、「予算を計上するうえで政治改革という大義名分」が欲しい大蔵省の建前が政治的に決着した結果、「資格試験を受けなくても政策秘書になれる道が確保された」と述べています。
 そして、政策秘書になるためのルートとして、
(1)政策秘書資格試験
(2)資格認定者制度
の2つを挙げ、前者について受験者数が減少している理由として、「この試験に合格してもほとんどの人は政策秘書になれない」と述べるとともに、後者については、
・司法試験、公認会計士、国家公務員I種試験などの合格者
・博士号取得者
・会社などの団体に10年以上在職し、専門分野での著書がある者
・一定期間以上の公設秘書歴がある者で政策担当秘書研修を受講し終了した者
の4つを挙げ、最後の用件は、「第一秘書あるいは第二秘書を政策秘書に格上げするための方策」だと述べています。
 また、「公設秘書制度のあり方を考える基準」として、
(1)どのような形態・ルートであれ、秘書給与が最終的に議員の懐に入るような仕組みには絶対にしてはならない。
(2)公設秘書には一定の質が確保されていなければならない。
(3)現在の官僚による政治支配を打破するためにも国会のレベルアップが必要。
の3点を挙げています。
 第5章「政策秘書が見た国会」では、「かつて政治運動が建築物や町を変えた時代があった」として、60年代に学生運動が盛んなときに、学生たちが「足元の石畳をはがして武器にした」ことから、「東京の道路のいっせいにアスファルトが敷かれた」ことや、安保闘争のときの「ジグザグ行進」を阻止するために「国会周辺の道路の中央には緑地帯が設けられ」たこと名度を紹介しています。
 また、国会で働く人の給料が、りそな銀行の支店を使わないと振り込み手数料が必要となることを指摘し、「国会ではりそな銀行が自動的に儲かる仕組みになっている」と述べています。
 第6章「政策秘書が見た官僚」では、「官僚を目の前にしたときの無力感」を、「行き先のビルがどれかわからなくて、看板のない街を右往左往する無力感に似ている」と述べています。
 そして、2002年10月の東京大気汚染訴訟の判決を受け、原告団との交渉に臨んだ環境省の局長が、「この点については、今後有効な方策があるかどうか勉強することを+検討したいと思います」と回答したことについて、「なにを言っているのかわからない官僚の言葉には哲学的な響きがある。もっとも、国民は役人の言葉に哲学的な響きを求めてはいないのだが」と述べています。
 第7章「選挙!」では、衆議院解散後に最初にやったのが、「街じゅうに貼られた川田のポスターをはずすこと」だったことについて、「政治活動としてポスターを貼ることは自由である」が、「解散の翌日から総選挙の日までは政治活動のためのポスターを貼ることができなくなる」ため、「解散後すぐに街じゅうに貼られたポスターをはずしていった」と述べています。
 そして、立候補の受付に訪れた地元立川市の選挙管理委員会で、届出の順番を決める二度のくじを引き、この順位に基づいて掲示板にポスターを貼ることについて、「組織力のある陣営では、これらのポスターを2時間くらいで貼ってしまう。そして、一般に午前中のうちにすべての掲示板にポスターを貼れない候補者は泡沫候補といわれる」と述べています。
 また、「文書図画であるポスター、ビラなどの印刷物の数を制限する理由」が、「経済力の差によって選挙活動に差が出ないようにすることにある」にもかかわらず、「安価で、誰でも簡単に利用できるインターネットを使うことは禁じられている」という矛盾を指摘しています。
 さらに、「投票日当日にもできる選挙活動がある」として、「特定の候補者への投票を依頼することはできない」が、「選挙に行くこと自体を促す」ことはできると述べています。
 本書は、政治のアウトサイドからいきなり政治の中心に入り込んだ秘書の目から見た政治の姿を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 知り合いで政策秘書試験を通って政策秘書になった人もいますが、色々と大変な世界のようです。金集めが得意な議員も、苦手な議員も、国から給料が払われる政策秘書を金づると見ているというのは悲しいことです。


■ どんな人にオススメ?

・政策秘書は何をしているのかを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 白崎 勇人 『政策秘書が書く国会議員改革―国会議員を科学する 常識・うんちく・論争学』
 上杉 隆 『議員秘書という仮面―彼らは何でも知っている』
 永田 長太 『永田町のからくり―元議員秘書の歯ぎしり、言い分、そして提言』
 細川 珠生 『政治家になるには』
 橋本 五郎, 玉井 忠幸, 大久保 好男 『議員秘書の真実』


■ 百夜百マンガ

リアルバウトハイスクール【リアルバウトハイスクール 】

 漫画というかライトノベルとの境界線上にあるような作品。ハリウッドで日本の学園物の雰囲気は伝わらない気がしますが、いっそ『風林火嶄』でもやってしまえばと。

2008年10月26日 (日)

何故あの会社はメディアで紹介されるのか?―PR最強集団のTOPが教える55の法則

■ 書籍情報

何故あの会社はメディアで紹介されるのか?―PR最強集団のTOPが教える55の法則   【何故あの会社はメディアで紹介されるのか?―PR最強集団のTOPが教える55の法則】(#1375)

  西江 肇司
  価格: ¥1575 (税込)
  アメーバブックス新社/幻冬舎(2007/12/11)

 本書は、企業が、「メディアに取り上げられやすくするための、PRのノウハウやコツ」を紹介したものです。著者は、「PRが成長のカギを握る」として、「どんな企業でも、経営の軸足の一つをPR二億個とは重要である」と述べています。
 また、「さまざまな法則を『1フレーズで表現する』ことに力点を置いている」としています。
 第1章「これがPR最前線だ!」では、「消費者はもはや、イメージでモノを買ったり、サービスを利用したりしない。論理的な文脈で消費する」として、「コンテクストによる訴求」を掲げています。
 また、アメリカでPRが発達した背景として、戦争を挙げ、「古くは第一次世界大戦時、アメリカ政府は何百人もに上るジャーナリストやPRマンを起用し、戦争の情報を集める一方で、敵国のドイツやオーストリアなどのイメージダウンに繋がる情報を盛んに流した」と述べています。
 また、ベンチャーにとって、「お金をかけずにうまいPRを打っていく」ための有効な手法として、「社長が自ら"広告塔"になる」ことを挙げています。
 第2章「メディアの本質を知る14の法則」では、リリースを確実に呼んでもらうためには、「リリースを読んで欲しい媒体のページ、番組の内容に関して誰が決定権を持っているのか、それをきちんと調べて、個人名を宛先にして送るのがベスト」だと述べた上で、著者が、あるPR会社に『トゥナイト』でのPRを依頼したが、埒が明かなかったので、著者自身が直接テレビ局に電話をかけ、プロデューサーに会ってもらえた経験を紹介し、「クライアントのニュースを売り込みたければ、リリースや資料を流すだけではダメで、意思決定者に直に会うのがベスト」だと述べ、メディアの人は、「人に会って話しを聞く」ことが最も重要な仕事なので、「紹介者がいないと会わない」なんて面倒なことは言わないし、「ページ・番組の意思決定ができる担当者ほどアポを取りやすいし、ネタも通りやすい」と述べています。
 そして、メディアの人の心を一瞬にしてつかむために必要なのは、「1フレーズ主義」であり、「新しさをユニークさは、メディアを惹きつける最重要ポイント」だとして、メディアの人は、「で、何が新しいの? 既存の商品・サービスとどこが違うの?」ということを必ず質問すると述べています。
 また、メディアの人は、「いろいろな媒体をチェック」することで「ネタ拾い」をするとして、「新聞でも雑誌でもテレビでも、どこかのメディアに載ることで、その生地や番組を見た他の媒体から取材が入る。それが繰り返されることで、PRによる露出規模が雪だるま式に増えていく可能性が高い」と述べています。
 このほか、重要媒体を絞り込み、その媒体にとってのニーズを引き出すことや、PRのセンスを身につけるためには、「最先端のPRの成功事例を300パターンほど覚えてしまう」ことだと述べています。
 第3章「メディアを動かす17の法則」では、「メディアを動かす要となるのは、ネタそのものを、メディアが飛びつくよう、手を加えていくこと」だと述べた上で、ネーミングのポイントとして、
(1)どこかで聞いたことのあるメジャーなフレーズをちょいとパクる
(2)誰もが一度聞いたら忘れない、わかりやすい言葉
の2点を挙げています。
 そして、女性下着メーカーのトリンプが、得意とする「時事ネタがらみの商品開発」の例として、
・選挙前に「投票率UP!ブラ」(2007年5月)
・環境問題を受けた「NO!レジ袋ブラ」(2006年11月)
・少子化を食い止めて均整の取れた社会が到来することを祈願した「少子化対策ブラ」(2006年5月)
・「ウォームビズブラ」(2005年11月)
・「郵政想定外ブラ」(2005年5月)
・「構造改革ブラ」(2001年5月)
などの例を紹介しています。
 また、見出しに「最」や「初」の字があると、それだけでニュースになりやすいことや、「競合各社がひしめいている業界のPRをする場合は、クライアントだけを売り込むより、『競争の構図』をつくり上げて市場ごと売り込むのが効果的」であることなどを紹介しています。
 第4章「ストーリー&絵づくりの9の法則」では、メディアが取り上げやすくするためには、
「どんな写真や映像が撮れれば、メディアは喜ぶか」
「どういうストーリーの展開を、メディアは好むか」
を考えたアプローチが必要だと述べ、絵になりにくいニュースのときには、「トップを現場に担ぎ出す」ことで、うまく行くことが多いと述べ、「メディアは基本的に『現場主義』なので、現場を舞台に面白い絵を用意することはPRの使命」だと解説しています。
 第5章「PRの『近未来図』」では、クチコミの発信源となる主なプラットフォームとして、
(1)ブログ
(2)SNS
(3)比較サイト
(4)掲示板
(5)動画投稿サイト
などを紹介したうえで、、PRに携わる人間は、「新しいメディアの動向に敏感になっておく必要があるし、それらの新しいメディアが出現するたびに、どのように付き合っていくかを考えていかなければならない」と述べています。
 著者は、「あとがき」で、「実は、PRってたいしたことじゃないんじゃないか」として、「どんな仕事でもそうなのだが、やること自体はパターン化されている」「一番重要なのはアイデアであり、それを生み出すシステムを持つことだ」と述べ、「PRという仕事は、考え方一つで大きく変わる」と述べています。
 本書は、PRに携わる人はもちろん、ベンチャーを含めた企業経営者にとってもヒントになるかもしれない一冊です。


■ 個人的な視点から

 トリンプの「時事ネタブラ」は、昔からいろいろネタ提供していますが、最近のはややネタが苦しいところがあるのではないかと思います。
 トリンプのサイトには「ユニークブラジャー」コーナーがあって、2000年からの時事ネタブラが紹介されていますが、元々は、時事ネタで注目を集めつつ、機能性素材を使った技術力に目を向けさせる工夫があったような気がしますが、最近のはメディアからのリクエストが強いのか、アイデア勝負のものが増えているような気がします。
http://www.triumphjapan.com/release/unique/
 問題は、スポーツ新聞でいくら取り上げられても、買ってくれる人には情報が届かなかったり、色物的なイメージが付くことなのではないかと思うのですが。
 社長自ら広告塔になったり、ユニークな社内制度で知られたりと、PRのお手本的な会社ではあるのですが、ちょっと走りすぎな気もします。


■ どんな人にオススメ?

・お金をかけずにメディアに出たい人。


■ 関連しそうな本

 スチュアート ユーウェン (著), 平野 秀秋, 挟本 佳代, 左古 輝人 (翻訳) 『PR!―世論操作の社会史』 2008年07月18日
 デイヴィッド・オグルヴィ (著), 山内 あゆ子 (翻訳) 『ある広告人の告白』 2007年01月02日
 矢島 尚 『好かれる方法 戦略的PRの発想』 2006年10月25日
 ジャック・セゲラ (著), 小田切 慎平, 菊地 有子 (翻訳) 『広告に恋した男』 2007年09月20日
 ポール・A. アージェンティ, ジャニス フォーマン (著), 矢野 充彦 (翻訳) 『コーポレート・コミュニケーションの時代』 2006年10月23日
 猪狩 誠也 『広報・パブリックリレーションズ入門』 2007年03月29日


■ 百夜百音

ドロンボー伝説'08【ドロンボー伝説'08】 ドロンボー オリジナル盤発売: 2008

 実際のところタイムボカンシリーズで善玉はあんまり印象に残ってなくて、楽しみなのは悪玉の「三悪」がやられるところ、という人は少なくないのではと思います。
 オープニングは演歌バージョンいいですね。

『ヤッターマンの歌』ヤッターマンの歌

2008年10月25日 (土)

監視カメラ社会―もうプライバシーは存在しない

■ 書籍情報

監視カメラ社会―もうプライバシーは存在しない   【監視カメラ社会―もうプライバシーは存在しない】(#1374)

  江下 雅之
  価格: ¥882 (税込)
  講談社(2004/02)

 本書は、「あらゆる市民のあらゆる行動が、自動的にモニタリングされるという、従来とは異質な<しくみ>」をテーマとしたもので、著者は、「監視テクノロジーが長い期間を経て社会に浸透した以上、それと対峙するには、われわれのライフスタイルを地道に再検討するしかない」と述べています。
 第1章「覗き見社会と監視社会」では、「盗撮された画像や映像は、いろいろなルートを通じて販売される」として、「アダルトビデオの盗撮ものは、盗撮マニアによる盗み撮りを業者側で編集したものが多い」と述べ、「そのたぐいのビデオはほとんどが"やらせ"だと思っていた」が、「実際には、盗撮マニアからテープを買い取って編集する方が、はるかにコスト安」であると述べた上で、「たまたまレンタル店でビデオを借りた男性が妻の裸が写っていることに気づき、銭湯に抗議した」ことをきっかけに盗撮が発覚した事例を紹介しています。
 また、「国家が運営する監視システムは、着実に成果を上げている」として、「個人の生活が無制限の自由を享受できるわけではないのだから、公共の利益に対して個人の権利がある程度制限されうるという認識」は常識と言っていいと述べています。
 著者は、「我々が最も注意しなければいけないこと」として、「利便性という隠れ蓑に潜んで広がる監視のインフラ整備であり、現実の恐怖を前にして、なしくずし的に積み重ねられる監視の既成事実である」と述べています。
 第2章「NSAとエシュロン」では、エシュロンの技術的な弱点として、
(1)不特定話者の会話内容を自動認識することは現時点でもきわめて困難である。
(2)同軸ケーブル通信であれば、軸から漏洩する電磁波を傍受できるが、電磁誘導が不可能な光ファイバ通信は、同軸ケーブルのような方法では傍受ができない。
の2点を挙げています。
 また、エシュロンが、「宇宙からの傍受」と形容されることについて、「裏を返していえば、傍受の範囲は宇宙で受信できるほどとの強い電波に限定される」ことを指摘しています。
 第3章「インターネットの監視」では、FBIのカーニボーについて、「インターネットに仕掛けられた常在の監視塔ではない」ことが、NSAのエシュロンとの大きな相違点であると述べています。
 そして、「捜査機関や情報機関の行動をすべて否定するつもりはない」が、問題は、「インターネットの網羅な監視という発想が、きわめて非効率的」だと指摘し、標的のデータを見つけ出すために、「多くの"無実"のメールを"開封"しなければならない」と述べています。
 第4章「安全を守る監視社会」では、「ペットに普及しつつあるマイクロチップが、こんどは人間にも埋め込まれようとしている」ことについて、「誘拐という犯罪に対する危機意識にしても、日本と欧米・中南米とでは異なることに注意が必要」だと述べています。
 また、GPSを利用したトラッカー(追跡装置)について、発信機と異なり、追尾する必要がないなど利点が多いとした上で、大手警備会社のセコムが開発した「ココセコム」サービスや、千葉県警がストーカー被害者に端末を貸し出す試みなどについて紹介しています。
 著者は、「監視カメラが治安維持に貢献していることは事実である」としながらも、「どのような〈網〉を投げようとも〈魚〉は捕れる」のであり、「問われるべき問題は、その〈網〉が〈魚〉を捕るのに適切なものなのかどうか」であると述べています。
 第5章「暴走する監視」では、「テロ前年の2000年には、米国に『ヒロシマ』を実行しようとビン・ラディン氏が計画している、というアルカイダ・メンバーの通信をCIAが傍受した」が、米国政府は、「アルカイダには米国本土で大規模テロを実現する能力などないと考えていた」ことや、「テロが発生した2001年には、さらに多くの兆候が顕在化している」ことを紹介した上で、「なぜテロを防ぐことができなかったか」について、
(1)事前に収集した情報の量は多かったかもしれないが十分ではなかった。
(2)個々の情報をただ集めるだけでは全体像把握できないので、電子的な情報収集手段に注力するのではなく、人による情報活動を重視すべきだ。
(3)いかなる情報収集体制であろうとも完璧に機能することはありえない。
の3点を挙げた上で、「結局、あらゆる予兆を蓋然性でしか評価できないからこそ、監視体制は強化の一途をたどる」のであり、「それを制御するには、危険への個別的な対処という対処療法的な方法論とは異なる発想の対策が必要」だと述べています。
 また、「個々の情報は一つの文脈に位置づけてはじめて意味をなす」として、「統合化の対象とはなりえない雑多な要素が、現実世界では一つの現象を構成する」と述べています。
 第6章「監視される側の論理」では、「最初から個人の管理が目的のシステムは問題点が明白な分、批判の標的としやすく、監視システムを日常的に監視するという制御が可能」だが、「生活上便利なシステムとなると、われわれは拒否しにくい」と述べ、「利便性というオブラートに包まれてしまい、監視を意識できない」としています。
 また、「誰もが身の安全を守りたい欲求を持つ以上、監視システムを含む何らかの自衛手段は必要といわざるをえまい」として、
(1)地域社会の中で住民相互が監視をする。
(2)警備会社など市場から購入する。
(3)警察に監視役をゆだねる。
の3つの選択肢を挙げた上で、「第1・第3の選択肢を組み合わせた社会と、第2の選択肢を選ぶ社会とに二分される可能性が高い」と述べています。
 本書は、監視カメラがあるのが当たり前になった現代社会を、ある一面から切り取って描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 監視カメラといえば、デスノートの中で、「L」が不眠不休であちこちから集めたビデオテープ(たしかVHSだったような)をチェックするシーンがありましたが、確かに人力でやるのは骨が折れそうです。
 いくらカメラの数が増えても即監視社会というわけには行きませんが、これがネットワーク化+自動認識になると現実的に使えるものになるような気がします。
 個人的には、GoogleMapにGPS付携帯電話からの中継画像がリンクされるくらいになってやっと使い物になるのではないかと思いますが。


■ どんな人にオススメ?

・監視カメラを見ると顔を伏せてしまう人。


■ 関連しそうな本

 ローレンス レッシグ (著), 山形 浩生 (翻訳), 柏木 亮二 (翻訳) 『CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー』 2005年2月1日
 鍛冶 俊樹 『エシュロンと情報戦争』 2007年05月05日
 江畑 謙介 『情報と国家―収集・分析・評価の落とし穴』
 産経新聞特別取材班 『エシュロン―アメリカの世界支配と情報戦略』


■ 百夜百音

Keeper of the Seven Keys, Pt. 1【Keeper of the Seven Keys, Pt. 1】 Helloween オリジナル盤発売: 1987

 もうすぐハロウィンですね。ということでHelloweenです。バンド名が「e」になっているのはヘビメタらしく「Hell」を入れたからだそうです。ずっと、「こんにちは」という意味だと思ってました。

2008年10月24日 (金)

あなたが働き方を変えるべき48の理由

■ 書籍情報

あなたが働き方を変えるべき48の理由   【あなたが働き方を変えるべき48の理由】(#1373)

  小室 淑恵
  価格: ¥1,575 (税込)
  二見書房(2008/9/1)

 本書は、「仕事だけでなく私生活も大事にすることで、仕事がもっとうまくいく、また仕事が充実するからこそ私生活もますます楽しめる、そんな幸せな好循環を示す言葉」である「ワークライフバランス」について、「私生活も大事にすれば、仕事でも結果を残せるスゴ腕女子になれて一挙両得!」というメッセージがこめられたものです。
 第1章「『ワークライフバランス』って?」では、「仕事と私生活がお互いに刺激になり、よい影響を与え合うような『仕事と私生活の好循環』」が「ワークライフバランス」だと述べています。ここで、「バランス」といっても、「私生活を大事にする=仕事はテキトーにする」のではなく、仕事100%+私生活100%で達成度&充実度200%になる「相乗効果こそ、『ワークライフバランス』の本質」だとしています。
 そして、これは「子育てをしながら働く女性」だけの問題だけではなく、「『仕事ばかりしている、仕事のできない人』にならない努力が必要なのは、男性も女性もまったく同じ」であるとして、子育てが一段楽した後は、親の介護と担う立場になる可能性があり、「介護休業を取る男性もめずらしくなくなり、誰もがワークライフバランスと無縁で入られなくなる時代が来る」と述べています。
 また、日本のホワイトカラーが、「残業時間の長さは世界トップクラス」であるにもかかわらず、「仕事の生産性は先進国で最低レベル」であることを指摘し、「だらだらと長時間働いて頑張った気になっている、そんな悪癖はもう断ち切るべき」だとして、「仕事時間の長短に関わらず、どれだけ成果を上げられるか」という考え方にシフトすると述べています。
 第2章「『ワークライフバランス』な社会」では、「女性がバリバリ働いていると、子どもを産まなくなるのでは?」という疑問に対し、ノルウェーやアメリカ、オランダ、フランスなど、「女性の社会進出が進んだ国のほうが出生率は高い傾向にある」ことを指摘し、「女性の労働力を生かすために積極的に両立支援に取り組んだ結果、女性の社会進出が進むと、むしろ出生率も上がる」と述べています。
 また著者が著者が資生堂勤務時代に、「育児休業からの職場復帰を支援するプログラム」を事業化し、次世代育成支援対策推進法の成立という追い風を受けて順調に売り出していたときに、ある営業先から、「このプログラム、なんで画面がピンク色なの? 女性しか育児休業を取らないって決め付けてるんじゃない? うちには男性の育児休業者がいるのに困るよ」と指摘され、著者自身も、「育児休業は女性のもの」という固定観念が残っていたことに気づいたという体験を語っています。
 第3章「『ワークライフバランス』な会社」では、社員のワークライフバランスのための企業の取り組みとして、松下電器産業の「e-WORK」や資生堂などの事業所内託児所の令を上げた上で、制度や施設の整備のほかに、「大切なのが意識改革」だとして、特に管理職が、「これは単なる福利厚生ではなく、会社のためにメリットのあるからこそ取り組む、経営戦略の一環だ」ととらえることがなくては根付かないと述べ、「社内で研修を実施し、役員層も含めて同じ危機感・同じ認識を持てるよう努力している企業が増えて」いるとしています。
 また、「社員の残業削減」は起業にとってプラスである理由として、「残業代」とは、「作業能率が一番落ちている時間帯に支払っている、時間当たりの単価の高い人件費」だと述べ、「そんな状態で仕事をさせるのは、会社にとって一番儲からないスタイル」だと指摘しています。
 そして、裁量労働制や在宅勤務を取り入れた企業で、「生産性が31%も増加したほか、離職率も、離職に伴う募集や採用のコストもぐっと下がった」例を挙げ、「削減できたコストは会社全体で年間約98億8千万円」だったとして、「効率を上げて、成果をアップ、生産性をアップさせていくのはこれからの企業のつとめ」だと述べています。
 第4章「『ワークライフバランス』な私」では、女性には面白い仕事が回ってこない、という悩みに対し、著者がネットベンチャーでのインターン時代に、つまらないと思った電話のアポ取りでも、「知識を吸収すればするほど電話で効果的なプレゼンができるようになり、どんどんアポが取れるようになった」結果、「学生インターンながら全営業成績の87%を売り上げ」た例を挙げ、「もらった仕事にどんな姿勢で取り組むかでその先は開ける」と述べています。
 また、「24時間会社に時間を捧げる男性」の方が上司ウケがいいのでは、という疑問に対しては、これから、「会社の中核をなす団塊ジュニア世代の人々が介護に手をとられる立場となり、もはや時間的に制約のない従業員のほうが珍らしくなる」として、「生産性の低い残業をして会社命のフリをするよりも、『時間当たりの成果が高い、スゴ腕女子』を目指」すべきだと述べています。
 さらに、著者が2000年からボランティアで続けていた学生のための無料プレゼンテーション講座をきっかけに、ある企業からプレゼン講座の講師の仕事が入ったり、雑誌でのプレゼン講座の連載を持つようになった例を挙げ、「ボランティアでやっていたことが、突然ビジネスに結びついた」と語っています。
 そして、著者自身も、資生堂入社4年目の頃、「夜も遅くまでパソコンに向かう毎日」だったが、上司に見つかり、「これからは絶対7時に帰れ!」と命令され、7時以降の時間を人と会う時間に当てたことをきっかけに、人脈を通じてアポが取れるようになり、仕事の効率がよくなった体験を語り、「仕事ばかりしている人は、仕事が出来ない人」だった自分から脱皮できたと述べています。
 第5章「『ワークライフバランス』なカップル」では、夫婦での家事分担について、「とにかく2人でよく話すこと」、そして、「最初は不安があっても彼を信頼し、任せてみること」がポイントで、「任せるならば、細かいことはあまり気にしないように」と述べています。
 また、夫婦の協力関係をつくる上で、著者自身が苦労した点として、「夫の帰宅は深夜」なので、「私の夫の場合は無理なんじゃないか」というネガティブな思いを捨て切れなかったことを語った上で、「『家にいる時間がほとんどない』というのは思い込みで、もちろん出勤前は在宅している」ので、「朝の時間を担当してもらうこと」担ったと述べています。
 本書は、ワークライフバランスを大事にして「スゴ腕女子」を目指したい女性はもちろん、幸せな家庭を築きたい男性、仕事だけしていていいのか不安に思う男性にとってもお勧めの一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、基本的に「女子」を対象にした本ではあるのですが、年齢問わず「女子」の考えていること、男子にはこうであって欲しい、ということをマーケティングしたい人にとっては貴重な情報源ではないかと思います。

■ どんな人にオススメ?

・「スゴ腕女子」と「スゴ腕男子」を目指す人。


■ 関連しそうな本

 小室 淑恵 『超人気ワークライフバランスコンサルタントが教える キャリアも恋も手に入れる、あなたが輝く働き方』 2008年05月14日
 小室 淑恵 『新しい人事戦略 ワークライフバランス―考え方と導入法―』 2007年08月22日
 小室 淑恵 『結果を出して定時に帰る時間術』 2008年02月20日
 金井 壽宏 『働くひとのためのキャリア・デザイン』 2005年01月30日
 山田 正人 『経産省の山田課長補佐、ただいま育休中』 2006年10月10日
 佐々木 常夫 『ビッグツリー 私は仕事も家族も決してあきらめない』 2006年10月31日


■ 百夜百マンガ

マタギ列伝【マタギ列伝 】

 『釣りキチ三平』とかこういう作品を見ると、秋田ではまだこんな自然が残っているのか、と期待してしまいますが、さすがに今ではそうではないことはわかります。
 でも、30年前には、まだ見ぬ東北の山奥に思いをはせた人が少なくなかったのではないかと思います。

2008年10月23日 (木)

日本の選挙―何を変えれば政治が変わるのか

■ 書籍情報

日本の選挙―何を変えれば政治が変わるのか   【日本の選挙―何を変えれば政治が変わるのか】(#1372)

  加藤 秀治郎
  価格: ¥777 (税込)
  中央公論新社(2003/03)

 本書は、著者が「強い不満」を感じている、「わが国での選挙制度の議論のあり方」に、「一つでも風穴を開けたい」という思いから書かれたものです。
 著者は、わが国での議論の「困った傾向」から、
(1)専門家の知識が余り求められないこと。
(2)学者やジャーナリストなど、多少詳しい人も、陥りやすい「落とし穴」にはまっていること。
(3)各制度の思想的バックボーンが語られないこと。
(4)選挙制度を幅広く政治制度全般の中で議論することが少ないこと。
(5)選挙制度など取るに足らないことだ、という議論が消えないこと。
の5点を挙げています。
 第1章「『日本的』選挙制度論の虚妄」では、日本の中選挙区制が、「専門的には、『大選挙区・単記・非移譲式」の制度と説明されるものであり、ここまで話してやっと、外国の研究者にも理解してもらえるもの」であると解説しています。
 そして、小選挙区比例代表並立制が、「小選挙区制と比例代表制という、2つの代表制を『並立』させた」折衷的な混合型であると述べ、「日本の選挙制度の全体を見渡すと、すさまじいばかりの諸制度の混在状況」で、「選挙制度のデパート」であると述べています。
 また、外国の文献では、「多数代表制」と「比例代表制」についての記述しかないが、日本では、戦前に東京帝国大学の公法学教授であった野村淳治氏の造語である第3の類型「少数代表制」という言葉が、「中選挙区制」の主張の根拠となっていることを指摘し、「非合理な分類法に立って考えていると、思考方法が歪む」として、「性急にどの選挙制度が良いかを判断する前に、少し立ち止まって、専門的議論にも耳を傾け、冷静に考えてみていただきたい」と述べています。
 さらに、「並立制」の新制度で1996年、2000年の二度の総選挙が行われたが、「ちっとも二大政党制にならないではないか」という批判があることについて、「単純の2つの誤解に基づくもの」として、
(1)二大政党制を、二党の議席数の伯仲と混同しているもの。
(2)二大政党制とは、2つの主要政党があって、両者に政権交代の現実的可能性があることをいうのだが、毎回、接線とは限らず、ある程度の期間内に政権交代があればよい。
の2点を指摘しています。
 第2章「民主主義思想と選挙制度の類型」では、選挙制度の議論で、各制度の「利害得失」が語られることや、「重要なのは民意の反映であり、選挙制度は公正なものでなければならない」という前提から一方的に「比例代表制がベストだ」と結論付けられることに、「強い不満を感じている」として、「各選挙制度が、どのような民主主義の理念から主張されているかという、理念の問題が等閑に付されている」ことを指摘しています。
 そして、選挙制度の2つの類型である、
(1)比例代表制:民意な公正な代表を重視する・・・ミル、美濃部達吉ら
(2)多数代表制:安定政権の創出を重視する・・・バジョット、吉野作造ら
について、「それぞれどのような民主主義の理念に立っているのか、その政治思想を探っていく」としています。
 また、わが国の選挙制度論が混乱してきた理由として、
(1)選挙制度が長らく中選挙区制という例外的制度だったこと。
(2)それを正当化する議論が広まっていたこと。
の2点を指摘しています。
 さらに、このほかの重要な選挙制度論として、
・ケルゼン
・シュンペーター
・ポパー
の議論を紹介したうえで、ポパーが、「比例代表制が小選挙区制よりも、モラルの面で優位にあり、より公正で、より民主的な選挙制度だというような考えは、『国民の支配』という『時代遅れの民主主義の理論』に立脚するものだ」と批判していることについて、「日本では特に重要な意味を持つ」として、「比例代表制論者のナイーヴな見解には、彼のいう『時代遅れ』の民主主義論が色濃く残っているから」だと指摘しています。
 第3章「選挙制度の細目とその作用」では、「選挙制度について論じるときには、民主政治をどう考えるか、その理念にもとづいて考えていかなければならず、各制度の理念の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはない」と述べたうえで、諸制度の「細目の相違も時に重要な相違を結果としてもたらす」としています。
 まず、比例代表制について、
(1)単記移譲式:有権者は好きな候補者に投票し、多く取りすぎた候補者が出た場合、その票をムダにしないよう、(同じ党の)他の候補者に回してやり、党としては得票に比例して議席を得られるようにするもの。
(2)名簿式比例代表制:政党が候補者の名簿を提出し、それにもとづいて選択してもらい、議席を比例配分するもの。クローズド・リスト(厳正拘束名簿式)、フレキシブツ・リスト(単純拘束名簿式)、オープン・リスト(非拘束名簿式)、フリー・リスト(自由名簿式)の4つの方式があり、有権者が選べる範囲を広げるほど、政党本位の選挙から遠くなる傾向がある。
などについて解説しています。
 また、多数代表制についても、
(1)相対多数代表制:最高得票でありさえすればよく、多数といっても過半数(絶対多数)か否かにこだわらないもの。
(2)絶対多数代表制その1――「二回投票制」:上位の候補者で決選投票を行うもの。
(3)絶対多数代表制その2――「優先順位付投票制」:排除された候補者を支持した有権者には、2回目の投票で事前の候補者を選んでもらうもの。
などについて解説しています。
 さらに、比例代表制の議席配分方式について、「300以上もある」といわれる中で、主なものとして、
(1)最大剰余法:一議席獲得に必要な票数を算出し、それに応じて議席を配分する。
(2)ドント式など:各党の得票数を1からの整数で割っていき、その商の大きい順に定数に達するまで、議席を配分していく方法。
の2点を挙げています。
 著者は、「並立制など、混合型の選挙制度の場合に注意しなければならない点」として、2つの選挙を一緒に行うと、「必ず、相互に影響が出てくる」ことを指摘しています。
 第4章「政治制度と選挙制度」では、
(1)ある政治制度を担う議員や首長の選挙制度を考える場合、その制度が日本の政治制度全体で、どんな役割、機能を果たしているか、という文脈を踏まえて論じること。
(2)各種レベルの選挙制度が、必ず他の選挙にも影響を及ぼしということで、したがって、相互作用を考慮に入れて議論しなければならない、ということ。
の2つの観点に重点をおいて選挙制度を論じるとしています。
 そしてわが国における問題の一つとして、「選挙運動と議会運営のズレ」を挙げるとともに、もう一つの問題として、「党議を決定する時期」を挙げ、「法案提出の前に与党の事前審査で党議を決定しており、そのために国会審議が形式化し、法案修正の余地も狭くなっている」ことを指摘しています。
 第5章「選挙制度の作用」では、「いったい選挙制度にはどのような作用があり、その作用はどれだけ強力なのだろうか」として、「選挙制度の作用」について検討しています。
 そして、「小選挙区制で二大政党制の実現を」という主張が、政治学者の間で「デュヴェルジェの法則」として知られる考えを単純化したものであり、正確には、
(1)比例代表制には多くの政党を形成する傾向がある。
(2)相対多数代表制には、二党制をもたらす傾向がある。
(3)二回投票制には多くの政党を互いに連合させる傾向がある。
の3つの法則を言うと述べています。
 また、「本気で『政党本位・政策本位』の選挙を目指し、『政権交代のある政党制』を目指すなら、現在の政党のあり方を放置しておいてはならないのであり、参議院選挙や地方選挙も含めて、すべて改革していかないことには正当性は構造化されず、選挙制度の作用は生じてこない」ことを指摘し、「いまひとたびの政治改革を!」と訴えています。
 さらに、派閥の発生の背景の要因として、
(1)不十分な党組織
(2)国会議員中心の党首選挙
(3)自由な国会議員候補者の擁立
の3点を挙げ、さらに、「田中(角栄)派が全盛を極めた頃」からは、
(4)派閥の制度化
を追加できるかもしれないとしています。
 第6章「選挙制度改革の視点」では、衆議院に関する、「つまらない誤解に基づく批判」として、
(1)政権交代が可能な二大政党制といわれたのに、そうなっていない→小さな得票率の差を大きな議席差にするのが小選挙区制だから、そのときどきの議席差は開きやすく、伯仲状況となるのはむしろ稀である。
(2)新制度下での二回の総選挙でカネがかかった→選挙区が再編されてしばらくは、集票基盤を新たに整備しなければならない以上、負担が多いのもやむをえなかった面がある。
(3)並立制の細部の問題点を数え上げ、それでもって並立制の基本まで変えようとする姿勢(小選挙区で負けた議員が比例で復活するのはおかしいという、「ゾンビ議員」批判など)→開票の順番を比例選挙を先にすると印象がまったく異なるものとなり、議論の多くは感情論でしかない。
などを挙げた上で、本来、選挙制度は、「多数代表制か、比例代表制か」の二者択一であるので、「衆議院の選挙制度を再検討するというのなら、結局は小選挙区制と比例代表制のどちらを選ぶかという議論にならないといけない」と述べています。
 また、参議院が、イメージ的に「衆議院のカーボン・コピー」といわれ、存在理由が問われてきたが、「いったん参議院で与野党逆転が生じ、衆参で『ねじれ』現象が起きてみると、別の本質が見えるようになった」として、「参議院は法律案の議決で衆議院とほぼ対等の権限を有しており、安定政権を樹立しようとすれば、参議院のために連立政権を組むなどして、過半数を維持しなければならない」と述べています。
 さらに、「小さなことながら、改革していくほうが良いと思われる点」として、
(1)小選挙区制の選挙区再確定の問題
(2)候補者決定を文献的に行う仕組みをつくること
(3)候補者にできるだけ多様な人材が集められるような方策を幅広く導入すること
の3点を挙げています。
 終章「理念なき選挙制度を排せよ」では、筆者の私見として、「現在のところの暫定的なものだが、小選挙区制一本がよい」と述べ、そこに至るまでの見解の遍歴を述べています。
 本書は、選挙制度について論じる上で、押さえておかなければならない基礎知識が相当必要なことを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読んで強く感じるのは、選挙制度は、本来、民主主義をどのように考えるかという考え方を強く表したものであり、民主主義の議論をベースにしない選挙制度の議論は、私利私欲、党利党略に基づいたものになりやすいということでしょうか。
 また、本書で指摘されている小選挙区の区割り変更については、1箇所の変更だけでは収まらず、何人もの現職議員が影響、すなわち、集票装置の再構築を余儀なくされて、それだけお金がかかるのでかなりの手間になる上、ゲリマンダーになりやすいと思います。


■ どんな人にオススメ?

・選挙制度は複雑でわかりにくいと思っている人。


■ 関連しそうな本

 小林 良彰 『選挙・投票行動』 2008年10月22日
 小林 良彰 『公共選択』 2005年04月15日
 谷口 尚子 『現代日本の投票行動』 2005年05月25日
 アレンド レイプハルト (著), 粕谷 祐子 (翻訳) 『民主主義対民主主義―多数決型とコンセンサス型の36ヶ国比較研究』 2006年02月20日
 佐々木 毅 『政治学講義』 2005年03月11日
 加藤 寛 『入門公共選択―政治の経済学』 2005年03月13日


■ 百夜百マンガ

ごくせん【ごくせん 】

 仲間由紀恵の主演でドラマ化されて人気でした。それにしても、「ヤンクミ」のイメージに合わせるのは結構たいへんだったのではないかと思います。

2008年10月22日 (水)

選挙・投票行動

■ 書籍情報

選挙・投票行動   【選挙・投票行動】(#1371)

  小林 良彰
  価格: ¥2625 (税込)
  東京大学出版会(2000/06)

 本書は、「本書を通して『選挙・投票行動』に関する理論とモデルを学ぶこと」で、
(1)現実の政治過程において、民主主義がどのように機能していたのかを理解する。
(2)人々の政治的行動を理論家・モデル化する方法を学ぶ。
(3)「選挙・投票行動」についての理論とモデルを振り返ることで、政治現象に対する分析方法についての理解を深める。
の3点についての理解を深めることを目的としたものです。
 第1章「『選挙・投票行動』に関する理論とモデルを学ぶ意味」では、「何故、民主主義の理想が描いたような代議制が行われないのか。代表を選ぶ選挙や、その際に有権者が行う投票行動にどのような問題があるのか。それらを明らかにするためには、そもそも各国で現実で現実に行われている選挙・投票行動を解明し、説明しなくてはならない」として、「選挙・投票行動に関する従来の理論やモデルを整理、検証した上で、今後の選挙研究・投票行動研究が目指すべき方向についても検討する」としています。
 第2章「投票参加に関する理論とモデル」では、「選挙の際に、有権者が投票に行くのか、それとも棄権するのか」という「投票参加」を決定する要因に関する理論とモデルを紹介しています。
 まず、「期待効用モデル」に関して、ダウンズが、「有権者が投票に参加するかどうかを決定するもの」として、
(1)自分の投票の重要性
(2)政党間の期待効用差
(3)投票コスト
(4)長期的利益
の4つの要因を挙げていることを紹介しています。
 次に、「ミニマックスリグレットモデル」として、フェアジョンとフィオリーナが、
(1)ゲーム理論を応用し、
(2)二政党システムだけでなく他政党システムも分析した
という特徴を持つモデルを研究し多古とを紹介し、「不確実な情報の下では、自分が最悪の事態に陥ることを避けることになる」という考えの下に行動する有権者の投票参加を分析するための「ミニマックスリグレット(最大損失最小化)戦略」について解説しています。
 また、これらのモデルについて、「公共選択に関する研究は本来、現実の政治に一つの切り口を与えるものであり、現実の政治のすべてを説明しようとするものではない」が、「ともすれば、机上の空論になる危険性を持っていることも否定することはできない」と述べています。
 第3章「投票方向に関する『地域特性』による理論とモデル」では、有権者が「どの政党や候補者に投票するのか」という「投票方向」に関して、「有権者が居住する地域の特徴によって投票方向を説明しようとする理論やモデル」について解説しています。
 そして、わが国における有権者の投票方向について、小林が、「都市―農村」や「活性―停滞」という軸によって、「55年体制下における衆院選での各政党の得票基盤がどのように変化してきたのか」を分析した結果、「55年体制下における自民党の得票基盤は、選挙によって若干、異動するものの、基本的には原点より左側の農村部に位置していること」を明らかにし、「自民党は保守回帰を見せた80年代には『都市部よりに得票基盤を移し、得票の増加をはかった』といわれていたが、実は80年代においても得票の基盤は農村部から離れていなかった」ことなどを解説しています。小林によれば、「55年体制における衆院選での各政党の得票率を『地域特性』によってかなり説明することが可能」だとして、とりわけ、「55年体制下での自民党と社会党の長期低落傾向を説明することができる」と述べています。
 第4章「投票方向に関する『社会的属性』による理論とモデル」では、小林が、「わが国においてもおのおのの選挙における投票行動を性別によってある程度、説明することはできるが、選挙間の投票行動の『変化』を、社会的属性によって説明することは難しいこと」を示したと述べています。
 第5章「投票方向に関する『政党支持』による理論とモデル」では、「わが国では政党支持と投票行動の間に密接な関連を見出すことができる」が、「投票行動を政党支持で説明できるというだけ」では、トートロジーに過ぎず、「あまり意味がない」と述べています。
 そして、「政党支持で投票行動を説明すること」の問題点として、
(1)政党支持と投票行動の関係は概念上、トートロジーに近いものではないかということ。
(2)急速に増加してきた無党派層の存在。
の2点を挙げています。
 第6章「投票方向に関する『争点態度』による理論とモデル」では、1960年代半ば意向の米国において、ベトナム戦争や都市暴動などの影響を受け、「政党支持どおりに投票しない有権者が見られたことから、選挙における有権者の争点態度が注目されるようになった」と述べています。
 そして、ダウンズモデルの問題点として、「現実の選挙では争点は一つとは限らない」ため、「現実の選挙を説明しようとするならば争点を多次元化した空間理論を考える必要がある」と述べています。
 第8章「投票方向に関する『業績評価』による理論とモデル」では、「政府の業績、とりわけ経済状況に対する有権者の評価が投票行動にどのような影響を与えているのかを分析した研究も多い」とした上で、この種の研究は、
(1)アグリゲート・データを用いて経済状況と選挙結果(あるいは支持率)をマクロに分析する研究。
(2)サーベイ・データを用いて、何故、当該の経済状況に置かれた有権者がある投票行動(あるいは政党支持)をとるのかという心理をミクロに分析した研究。
の2つのタイプに分けることができると述べています。
 そして、小林が、「わが国の55年体制下における経済状況と格闘支持率、及び内閣支持率の関連を解明するために、55年体制を〈第一期:~75年〉、〈第二期:76年~88年〉、〈第三期:89年~〉の三期に分け、とりわけ第一期における保守回帰を経済状況という視点から分析している」ことを紹介しています。
 第10章「投票方向に関する『選挙運動』による理論とモデル」では、「有権者の投票行動に影響を与えるのは、有権者の属性ばかりではない」として、「政党・候補者がどのような公約を提示するのか、あるいは政党・候補者がどのよう程度の資金を選挙に投入するのか、といった選挙キャンペーンにも少なからず影響を受けることになる」と述べ、「公約や資金、補助金、選挙制度という幅広い側面から、選挙運動が投票行動に与える影響に関する研究を見ていく」としています。
 そして、わが国でも、川人が1996年衆院選の分析において、「候補者得票率は選挙運動費用に影響を与えないが、逆に、選挙運動費用は得票率に影響を与えていること」を明らかにしていることを紹介しています。
 また、「55年体制下における補助金配分と投票行動の関連を分析」した小林が、「政治家は自分たちの地元の地域のために補助金を取ってくるばかりでなく、自分たちの支持者のために、他の地域、あるいは他の有権者の支出に比べて過剰な財政支出」を行い、「こうして補助金や歳出の対象となった支持者から着実に表を改修することで当選回数を増やすとともに、政治資金を集めて党内での発言力を増やし、いっそうのキャリアを積んで」いき、「こうして高められたキャリア・ポイントや当選回数」が、「さらに政治資金を招いていく」という、「政治家にとっての合理性の連鎖」が存在することを明らかにしたと述べています。
 第11章「『選挙・投票行動』に関する理論とモデルの課題」では、「投票行動に対する説明要因が、わが国における投票行動の説明にどの程度、有用であるのかをみていく」としています。
 そして、「選挙・投票行動」に関する理論とモデルの問題点として、
(1)第一のジレンマ:一般化か個別化か・・・各選挙における投票行動に共通する要素の抽出を行うのか、個別選挙の結果を説明するのか。
(2)第二のジレンマ:高い説明力か広い領域か・・・被説明変数と説明変数の間のトートロジーをどのように解決するのか。
の2点を挙げています。
 著者は、投票行動研究の発展が、「同時に政治現象の分析方法の発展にも大いに貢献をしてきた」反面、「分析自体に関心がいき、時には何のために行っているのか理解しにくい研究もある」ことを指摘し、「何故、投票行動を説明したいのか、あるいは何故、政党支持を説明したいのかという問題意識をつねに明確にしていなくてはならない」と述べています。
 本書は、選挙や政治についての理解を深めるための入門書的な意味合いを持つ一冊です。


■ 個人的な視点から

 選挙が近いとか遠いとか色々憶測が飛んでいますが、選挙制度についての理解を深めることは、本来もっと有権者にとって重要なことなのではないかと思います。
 とは言え、選挙の面白みといえば、誰が通って誰が落ちるのか、というところに尽きるのですが、あまりにそこばかりに目が行くのはいかがなものかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・選挙権を持っている人。


■ 関連しそうな本

 谷口 尚子 『現代日本の投票行動』 2005年05月25日
 小林 良彰 『公共選択』 2005年04月15日
 アレンド レイプハルト (著), 粕谷 祐子 (翻訳) 『民主主義対民主主義―多数決型とコンセンサス型の36ヶ国比較研究』 2006年02月20日
 佐々木 毅 『政治学講義』 2005年03月11日
 加藤 寛 『入門公共選択―政治の経済学』 2005年03月13日
 ドナルド ウィットマン (著), 奥井 克美 (翻訳) 『デモクラシーの経済学―なぜ政治制度は効率的なのか』 2008年10月11日


■ 百夜百マンガ

スーパーゲーム大戦ゲームセンターあらし対マイコン電児ラン【スーパーゲーム大戦ゲームセンターあらし対マイコン電児ラン 】

 マンガ版の『ビル・ゲイツ物語』なんて作品も入っているらしいです。
http://sugaya.otaden.jp/e306.html
 当時、BASICでプログラムを書くというのに憧れましたが、さすがに小学生には手が出ず、結局ファミコンベーシックにも触りませんでした。

2008年10月21日 (火)

民主党の研究

■ 書籍情報

民主党の研究   【民主党の研究】(#1370)

  塩田潮
  価格: ¥798 (税込)
  平凡社(2007/12/11)

 本書は、「誕生から11年少々」と若く、「実像は不鮮明、実態は漠として捉えがたく、正体も不明というイメージがつきまとう」民主党について、「『自民党に変わる政権担当可能な党』を標榜しながら、数々の矛盾や課題を抱えたまま走り続けている」として、「その『裸の姿』を追跡し、『王道の政権交代』を目指す党の可能性と限界を探ってみた」ものです。
 第1章「参議院制覇」では、民主党の代表選挙の出馬した小沢が、ルキーノ・ヴィスコンティ監督の映画『山猫』の台詞、「変わらずに生き残るためには、自ら変わらなければならない」という言葉を持ち出した事情について解説しています。
 そして、民主党への合流後、小沢には2年半に2度の党首取りのチャンスがあったにもかかわらず、動こうとしなかったため、「いざというときに腰を上げない『躊躇と逡巡の政治家』という別のマイナス・イメージも生まれた」と述べています。
 また、69年の初当選以来、代表就任まで36年余に及ぶ儀陰暦のうち、「リーダーとして頭角を現したのは竹下登内閣の官房副長官になった87年暮れ以後」であるとして、そこから代表就任までの間に、「約6年ごとに転機を迎えている」として、
(1)挑戦と躍進の時代:官房副長官から自民党幹事長、竹下派会長代行を経て、93年の細川政権樹立まで。
(2)模索と迷走の時代:羽田内閣の短期崩壊、村山首相の登場による野党転落、新進党の旗揚げと解体、自由党の結成、自自連立政権参加、連立離脱と続いた94年から2000年まで。
(3)充電と雌伏の時代:野党回帰の後、自由当分r熱を経て民主党に合流し、代表就任に至るまで。
の3つの時代に分けて論じています。
 第2章「『選挙の小沢』の虚実」では、「選挙のプロ」を自認する小沢の手法について、「一言でいえば師匠譲りの田中角栄型であった」として、「地道な選挙運動を行え。手を抜くな。徹底的に有権者と接しろ」という教えとともに、「選挙運動は川上からやれ──。つまり、選挙運動はまず個人レベルの戸別訪問、それも人口密度の低い農村部から始めろ」という「川上作戦」を新人候補たちにも説いているとした上で、小沢が、「有権者の声に耳を傾け、声を汲み上げるのが民主主義」という考えを持ち、そのためにも川上作戦が有効と認識していたと述べています。
 また、小沢が、「かつて新進党や自由党の党首だった時代と違って、声高に『改革』や『変革』を叫ぶスタイル」はとらず、「小沢イズムを前面に打ち出して党を引っ張るという手法はたんすに仕舞いこんで、党の団結と結束の維持を最優先にした」と述べています。
 さらに、小沢流選挙の特徴として、「女性にもてない民主党」という長年の壁の克服のための女性大量擁立とともに、「風と波に頼る選挙」からの脱却として、「田中角栄直伝の『選挙運動は川上から』を唱え、自らも率先垂範した」ことを挙げ、「小沢の手腕が発揮された例」として、代表就任直後の衆議院千葉7区補選において、人口が少なく自民党が強い関宿あたりから活動をスタートしたことを解説しています。
 著者は、小沢が、「民主党が抱える4つの欠点」の克服をひそかに目指してきたとして、
(1)寄り合い所帯の団結力と結束力のなさ
(2)党の虚弱体質と幼児性
(3)内部対立と背後院潜む世代戦争
(4)「風」と「波」に頼りがちな体質と構造
の4点の克服のために参院選を活用し、「小沢流選挙法を持ち込むことによって参院選勝利と党改革の両方を一気に実現する腹づもりであった」と解説しています。
 第3章「民主党旗揚げ」では、1996年夏に、鳩山が中心となって結成した民主党が、中曽根元首相から、「ソフトクリームみたいなもの。甘くておいしいが、夏が終われば溶けてなくなる」と言われていたことを紹介した上で、鳩山が、「個人参加というスタイル」にこだわった理由として、「これからは自己の尊厳をしっかりと作り上げていく社会にしなければならない。国家や政党はそれを動かす人為的な存在だから、できる限り柔構造にしていく。政党も政策単位で結びつくようなネットワーク型が重要になる」という、「鳩山の独自の社会観、政党観」がこだわりの原因となったと解説しています。
 また、当時、橋本政権下で、非常に新自由主義的な色彩を出してきた自民党に対して、「一種のアンチ、新自由主義にはなりえないという点を党名に込めたかった」という理由を解説しています。
 第4章「『宇宙人』鳩山由紀夫」では、鳩山が著書の中で、「伝統的な永田町政治ではほとんど無視されてきた『愛』『美』『尊敬』といった問題を照れもしないで大まじめで取り上げた」ことについて、「高邁な理想とも言える」が、「抽象的過ぎてわかりにくいという批判も多かった」と述べています。
 そして、鳩山が政界で「宇宙人」と呼ばれてきたことについて、「正体不明の政治家というイメージ」とともに、「およそ日本の伝統的な政治リーダーにはない資質を備えていた点が注目された」として、伝統的なリーダーの条件は「高得点とはいえなかった」が、「伝統的な永田町政治に染まっていないところ」、「非永田町的人間」が魅力の一つであった」と述べています。
 また、鳩山の根っこには、アメリカでの体験があり、「自己の尊厳をしっかりと作り上げていく社会にしなければならない」という「鳩山流の自立する個人を中心とする『ニューリベラル』が根底にある」と述べています。
 第5章「菅直人の栄光と挫折」では、橋本内閣入閣に当たって、「地位や役職への執着はなく、それより仕事の中身への関心が第一」と強調したが、「実際には知名度アップやポスト獲得に並々ならぬ意欲を示したのは疑いない」と述べています。
 そして、菅が名を上げた薬害エイズ問題について、「厚生官僚は内心もうこれ以上、先任者のやったことを守りきれないと思い始めているという情報」があり、「被害者側に立つ人物が大臣として乗り込んでくれば、後輩連中にとってそうせざるを得なかったと先輩に対する言い訳にできる」という雰囲気を、菅が瞬時に嗅ぎ取ったとして、「弱者救済と官僚支配打破という美名の陰でしたたかな計算が顔をのぞかせていたことに気づいた人たちもいた」と述べています。
 また、市民運動、選挙運動などを通して、10年以上手を携えてきた片岡勝が、「政治家以前の菅」について、「彼は昔から話をしていて面白くない男です。要するに理で動くから。それは貫徹していて日常の中で上の部分で話が始まることは一切ない。雑談がない。仕事の話はするけど、ほかのことで話はしないんです」と語っていることを紹介しています。
 また、「現実主義者の裏返し」としての菅の危うさとして、「理念やイデオロギー、あるいは世界観や国家観の不在」を指摘しています。
 第6章「自由党合流の真相」では、司法試験受験中に、父の急死で27歳にして国会議員となった小沢が、「他派の議員との交流など外向きの行動は意識的に手控え、田中や竹下、金丸といった派の先輩たちとのつきあいに多くの時間」を割き、小沢と同い年の長男を数え年6歳で失った田中は、「一郎、一郎」と呼んでわが子のように可愛がった」と述べています。
 また、「細川内閣をつくり上げ、自民党を結党以来初めての野党に追いやった」小沢が、「与党代表者会議を主導して『非自民連立政権の最大の実力者』と恐れられた」ことを、「この時期が小沢の最初の絶頂期であった」と述べ、以後、「三度、大きな挫折を体験した」として、
(1)94年の社会党の連立離脱による羽田内閣の崩壊と野党転落
(2)97年の新進党の解党
(3)99年から2000年にかけての自自連立政権への参加とその解消
の3点を挙げています。
 さらに、「自自連立とその解消という実験で苦い汁をなめ、自民党の不実を『約束を重んじない。モラルもない』と難詰した」小沢が、07年11月に福田首相からの「連立含みの『新体制』への誘いという甘い話にもう一度、乗りかけた」ことについて、「7年半前の失敗体験の学習効果は伺えなかった」と述べています。
 第7章「混迷の岡田・前原時代」では、「負ければ党存亡の危機」といわれた04年の参院選を岡田新代表で乗り切ったが、「反小泉」を訴えて当選した議員と「反小泉」で結集した支持者には「2つの層があった」として、
(1)小泉改革はまやかしで有名無実に終わると断じ、本物の改革は民主党政権でと訴える「反小泉」。
(2)小泉改革は弱肉強食、弱者切り捨て、格差を拡大させる悪政と位置づけ、改革は間違いという立場をとる「反小泉」。
の2つを挙げています。
 また、「偽メール事件が露見して、民主党の政治家の『質』が問題になった」として、偽メール事件が、
(1)永田寿康議員に見られる国会議員のレベル低下
(2)前原や野田らの政治指導者のレベル低下
の2つの面で「政治家の劣化」をあぶりだしたと述べています。
 第8章「小沢民主党の内幕」では、2006年4月に代表に就任した小沢が、1年3ヵ月後の参院選を自民・公明連合軍と戦うことになったが、それだけでなく、「内なる敵」として、
(1)細川・羽田政権時代以来、根強く残る「小沢アレルギー」
(2)偽メール事件や数々の不祥事などで露呈した幼児性と虚弱体質という党の構造の問題
(3)寄り合い所帯、ごった煮といつも批判を浴びてきた民主党の団結力と統一性
の3つを挙げています。
 また、北海道のニセコ町長から05年の総選挙で衆議院議員となった逢坂誠二が、地方自治体の首長体験を基に、「党にマネジメントという概念がまったくない。党務でも政策的な部分でもマネジメントが感じられない。いざというときに指揮・命令があるかというと、それがない。相当の驚きだった」と指摘していることを紹介しています。
 さらに、司法試験に挑戦していた小沢が、「政治家になってからも、受験勉強で身につけた法律知識や法律論的発想を忘れなかった」と、「司法試験の尻尾」を引きずっていることを指摘し、小沢自身は、「司法試験の勉強をやったことは、うんとよかったと思っている。わかるんだよ、全体が。僕は手続法までやる暇がなかったけど、実体法の議論なら負けないよ。要するに一つの考え方さえわかっていれば、細かいことはその時々で全部、判断できるんだ」と語っていることを紹介しています。
 第9章「民主党は政権を担えるか」では、小沢には、「政局の小沢」「壊し屋の小沢」「政策の小沢」など、「虚実を伴ったいくつかの顔」があるが、「政局の小沢」と「壊し屋の小沢」は「ひとまず封印」し、「選挙の小沢」と「政策の小沢」の「2つの顔で再び歩き始めることになった」と述べています。
 そして、「国民の間に広がった不安を一掃するには、政権担当能力のアピールが第一だ」として、「民主党にとっては、政策や路線、自民党との違いを示す座標軸といった『民主党モデル』を国民に提示して、理解と支持を得られるかどうかが鍵となる」と述べています。
 また、「08年のどこかでおそらく行われるであろう次期総選挙と、それに続く政治の激動は、14年余に及んだ政治変革激の終幕となるか、それとも最終章の幕開けとなるのか、その行方を決める決定的な戦いとなる」と述べています。
 本書は、イメージ先行で実態がつかみにくい民主党の10数年の歴史を、とりあえず通しておさらいできる一冊です。


■ 個人的な視点から

 党首なので当たり前なのですが、小沢さんに関する記述が多く、好きな人も嫌いな人も読んでみて損はないかと思いました。
 特に、司法試験受験生だったというのは知らなかったので、それまでは、コワモテというイメージがありましたが、そういう目で見ると、「総理大臣試験に落ち続けるベテ」(ベテラン受験生)に見えてくるから不思議です。


■ どんな人にオススメ?

・民主党の姿をきちんと見据えたい人。


■ 関連しそうな本

 田村 重信 『なぜか誰も書かなかった民主党研究』
 森田 実 『自民党の終焉―民主党が政権をとる日』
 田村 重信 『民主党はなぜ、頼りないのか 不毛の二大政党制の根源を探る』
 草野 厚 『政権交代の法則 ――派閥の正体とその変遷』
 岡田 克也 『政権交代―この国を変える』
 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日


■ 百夜百マンガ

カードキャプターさくら【カードキャプターさくら 】

 一時、子どもたちの間で各種カードブームがありましたが、この作品もそういったところを狙ったのでしょうか。それにしても夢中になった「大きなお兄さん」たちが多かったようです。

2008年10月20日 (月)

日本版スローシティ―地域固有の文化・風土を活かすまちづくり

■ 書籍情報

日本版スローシティ―地域固有の文化・風土を活かすまちづくり   【日本版スローシティ―地域固有の文化・風土を活かすまちづくり】(#1369)

  久繁 哲之介
  価格: ¥2625 (税込)
  学陽書房(2008/04)

 本書は、「可視、論理、効率」から作られる均質化した都市である「ファストシティ(Fast City)」に対して、「ゆとりと豊かな感性を有する市民が地域固有の文化・風土を回復・創造」する「スローシティ(Slow City)」の視点からの「まちづくり理論書」及び「まちづくり事例集」です。
 序章「まちづくりは地域市民のライフスタイルを尊重し実現する手段」では、「欧米では皆が余暇をカップルで過ごすため、恋人がいないと余暇をもてあますことになる」として、「欧米でのまちづくり施策は、街中にカップルで過ごすための場所づくり、空間づくりが有効となる」と述べ、一方、日本のファミリーは、「余暇のイニシアチブは子ども(の年齢)にある」として、「子供が親と一緒に行動したがらない年齢に達すると、夫婦はそれぞれが同質な同性と連むようになる」と述べています。
 第1章「西欧に根づく『スローシティの精神』」では、1986年に、イタリアで起こったマクドナルド進出反対運動が、「3年の歳月をかけて国際的な『スローフード運動』に発展」し、
(1)消えてゆくおそれのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、ワインを守る。
(2)子どもたちを含め、消費者に味の教育を進める。
(3)質のよい素材を提供する小生産者を守る。
の3つの指針を主とした「スローフード宣言」を採択したことを紹介しています。
 そして、「西欧では市民の多くが『サードプレイス』をもつ」として、「仕事のある日であっても家と職場を移動する間にカフェやパブへ毎日のように立ち寄る」ことや、「仕事を終えた夕刻、家族との夕食前に街路を練り歩く『パッセジャータ』というライフスタイル」を紹介しています。
 第2章「市民ライフスタイルを知らない日本のまちづくり」では、「市民ライフスタイルのニーズに応えることで集客・売上ともに成長を続ける商業施設」である「ライフスタイル店舗」について論じるとして、スターバックス、タワーレコード、ローラアシュレイの3つのライフスタイル店舗の出店状況を分析し、
(1)街中が賑わう地方核都市には、街中に出店
(2)街中が衰退した地方核都市には、郊外に出店
(3)大都市に隣接する地方核都市には、街中と郊外のいずれにも出店せず
の「地方各都市への3つの出店戦略」を紹介しています。
 さらに、ライフスタイル店舗の日本国内出店戦略の特徴として、
(1)日本での店舗総数は約80を保つ。理由は稀少性の維持である。
(2)そのうち約7~8割は、東京など大都市の街中に出店する。
(3)残り約2~3割は地方核都市の街中か郊外に出店する。街中と郊外のどちらを選択するかは、「地方核都市への3つの出店戦略」による。
(4)その結果、それ以外の地方中小都市には街中にも郊外にも出店しない。
の4つの特徴を挙げてています。
 また、日本の「コンパクトシティ先進事例」と紹介されている富山と青森を取り上げ、富山については、「現代の若者と女性の消費完成とはかけ離れた『時代遅れのテナント・商品選定』」を指摘し、その特徴は、「一世代前の消費力旺盛な女性を主要ターゲットとしたテナント・商品の選定」であると述べる一方、青森については、「地方としにはほとんど出店しないはずの『渋谷・原宿系テナント』がいくつもある」ことに驚きを表し、「大型商業施設(アウガ)と商店街が異なる消費者層のライフスタイル・ニーズに応えることで棲み分けが成されていること」や、「消費の大都市」へのアクセスの悪さ等の特徴を挙げています。
 第3章「スローシティの取組みが必要な理由」では、「車社会、インターネット社会、グローバル社会、格差社会、カップル減少社会」の5つの社会変化に都市がどう対応すべきかを論じています。
 そして、「中心市街地衰退、郊外発展」減少は、「商業の担い手との観点から見れば、新規参入排除社会(中心市街地)は衰退し、新規参入が容易な社会(郊外)は発展することを示す象徴でもある」として、「市民に憩いと交流の場を提供する『サードプレイス』には事業承継税制を適用」し、「個人的な節税目的にシャッター商店街には更地としての税制を課す」ことで、「シャッター商店街は世襲が不可能となり、中心市街地は意欲ある新しい担い手により活性化する」と述べています。
 また、「カップル減少社会」については、「恋愛マーケティング」が通用しなくなった要因として、
(1)カップルの絶対数は年を追うごとに減少している。
(2)現代のカップルは多忙などの理由から一緒に過ごす時間・頻度が減少している。
(3)カップルの過ごす場所(デートコース)は年の街中から郊外や自宅などへシフトしている。
の3点を挙げています。
 第4章「地域固有の文化・風土を活かした『スローシティ』事例」では、「スローシティ5つの条件」として、
(1)ヒューマニズム:人間中心の公共空間を、ゆっくり歩ける。
(2)スローフード:地域固有の食を、ゆっくり味わえる。
(3)関与・地域固有の文化・物語に、市民が関与(参加)できる。
(4)交流:ゆっくり話せる・観れる・癒やされる。
(5)持続性:市民のライフスタイル・意向を把握する。
の5点を挙げています。
 そして、「スローシティは大都市でも可能」だとして、原宿と巣鴨について、「一見、全く異質な街に見える」が、「収益効率の低い年齢層」でも安心して楽しめるという視点と、「スローシティ」という視点からは「多くの共通項を見いだすことができる」と述べています。
 また、福岡市の裏通りについて、
(1)ライフスタイル店舗や大型商業施設が集積する表通りだけでなく、裏通りも歩いて楽しい。
(2)表通りと裏通りが歩ける範囲にコンパクトに集積している。
(3)福岡市の裏通りは、誰もが気軽に利用できる「屋台通り」や、消費力が高くない若者も楽しめる「ストリート」が混在している。
の3点から、福岡市が広域から多くの消費者を吸引する要因について分析しています。
 第5章「スローシティを実践する『コミュニティ』事例」では、従来の「コミュニティ」の定義である、「定住者による『定住者のため』の組織化・活動が想定」される「閉鎖型コミュニティ」に対して、「就業者や観光客など『外から関与する者』と『定住者』画工流する組織化・活動」である「開放型コミュニティ」について、「消費と生産がつながるので、地域の活力・魅力が持続可能である」として、「活力・魅力が持続可能な地域には、人と情報は集積して、人と情報の交流(コミュニティ)がさらに新たな活力・魅力を創出していく」と述べています。
 また、柏の「柏駅周辺イメージアップ推進協議会、ストリート・ブレイカーズ」について、「かつて渋谷や原宿など都心部の公共空間に、多くの若者が集まり音楽やダンスに興じる時期があった」が、中高年者の論理では騒音や景観などの問題で迷惑視されてきたとして、「郊外に住む若き『ストリート・パフォーマー』は、わざわざ街中(都心)へで向かず、郊外の駅前に出現するようになる」と述べ、柏駅周辺の商業者が「少し羽目を外す若者を中高年者の論理で排除するのではなく、『若者の活気は柏の特徴であり、にぎわい創出の要素である』と捉え、まちとの融和を図ろうと試みた点が他地域にはない貴重な発想であり、それがまちの活性化・イメージアップに繋がっている」と述べています。
 第6章「スローシティ実現に向けて」では、「地方都市のスローシティ実現への4つの指針」として、
(1)まちづくりの主役は市民、開放型コミュニティを創ろう
(2)コミュニティが運営する西欧型地域スポーツクラブを創ろう
(3)地域固有の文化・物語を発掘・創出しよう
(4)公共空間を市民ライフスタイル実現の場にしよう
の4点を掲げています。
 そして、マンハッタン中心部の「ブライアントパーク(Bryant Park)」の写真を紹介し、「公共空間という場が発信するメッセージ」が「きわめて重要である」と述べています。
 本書は、「スローシティ」という発想を日本向けに解説してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、あとがきにあるように「マニュアル調・論文調を避け」て書かれたとありますが、正直なところ、冗長な部分も見受けられ、読みにくいと言うほどではないですが、読んでいて話の展開がわかりにくい印象を受けました。
 もちろん、そういう部分も含めて、本を読む楽しみではあるのですが、担当編集者の村上さんも、著者の思いと読みやすさとのバランスで苦労されたのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・街を歩く楽しさを大事にしたい人。


■ 関連しそうな本

 鈴木 浩 『日本版コンパクトシティ―地域循環型都市の構築』
 海道 清信 『コンパクトシティの計画とデザイン』
 山本 恭逸 『コンパクトシティ―青森市の挑戦』
 海道 清信 『コンパクトシティ―持続可能な社会の都市像を求めて』
 松永 安光 『まちづくりの新潮流―コンパクトシティ/ニューアーバニズム/アーバンビレッジ』
 松永 安光, 徳田 光弘 『地域づくりの新潮流―スローシティ/アグリツーリズモ/ネットワーク』


■ 百夜百マンガ

まんがアベノ橋魔法・商店街~アベノの街に祈りを込めて~【まんがアベノ橋魔法・商店街~アベノの街に祈りを込めて~ 】

 アニメが原作の作品ということで、漫画のほうだけ読んでも、元になったアニメのほうを知らないとあまり楽しめないというか、おいてけぼりを食った幹事でちょっと寂しいです。

2008年10月19日 (日)

駅前旅館をいとおしむ―昭和の面影が残る旅の宿

■ 書籍情報

駅前旅館をいとおしむ―昭和の面影が残る旅の宿   【駅前旅館をいとおしむ―昭和の面影が残る旅の宿】(#1368)

  松尾 定行
  価格: ¥1680 (税込)
  クラッセ(2008/03)

 本書は、「今や探して見つけ出さなければならない」駅前旅館の現状をレポートしたものです。
 著者は、「『迎え入れる側』と『お世話になる側』の飾らない心と心のふれあいがあるからこそ、駅前旅館に泊まる『鉄道の旅』は面白いのだ」として、「駅前旅館に残る"暖かさ"こそが『鉄道の旅』の真髄だ」と述べています。
 第1章「日本最後の駅前旅館に泊まった」では、著者がこの「駅前旅館めぐり」で、3回宿泊を断られているとして、
・播州赤穂の駅近旅館
・奈良県のローカル線の駅前旅館
・長野県の駅前旅館
の3軒を挙げ、「駅前旅館は、成り行きで"飛び込む"のが基本だ」という考えを述べ、「細かなスケジュールを組まない気ままな『きしゃ旅』や、仕事がどこでどういう風に進むか見通しの立たない取材旅行などのとき、暗くなってから突然、玄関のガラス戸を開けても、、快く迎えてくれる駅前旅館は、本当にありがたい存在だ」と述べています。
 また、山陽線の竜野駅の「中村屋」を取り上げ、「なんでもない『昭和の情景』が思いがけず、播州平野の西端に残っている。駅前旅館から下駄を履いて歩いていける」として、山陽道「正條宿」の面影を残す通りを紹介しています。
 さらに、予讃線坂出駅の「旅館 松の下」について、「なんとかつづけているのは、お遍路さんのおかげですね」とする主人のコメントを紹介しています。
 鹿児島線の戸畑駅の「いくよ旅館」では、「駅前旅館を切り盛りする人たちの高齢化が進み、全国的に食事は出せなくなっているところが少なくない」と述べ、昭和30年代の全盛期には、「戸畑を訪れる歌舞伎役者、歌手、映画俳優、相撲取りなどの多くが『いくよ旅館』に泊まった」と述べています。
 第2章「駅前旅館・駅近温泉旅館・駅近冷泉民宿に泊まるローカル線の旅」では、会津鉄道の湯野上温泉駅の旅館「清水屋」が、「部屋の目の前が、庭の池を挟んで会津鉄道の線路」であることについて、「『鉄道の旅』にとって、最上級の名旅館と言うべきだ。大浴場もガラスの窓を開ければ線路」と絶賛しています。
 飯田線の鳥居駅については、「全国に9千余りを数える駅の中で、実在した人物の名を駅名としている駅は」数えるほどしかないと述べています。
 そして、飯田線の車窓を印象付ける川として、
(1)天竜川は大河
(2)板敷川は清流
(3)水窪川は激流
の3つを挙げています。
 第3章「駅前旅館 全国現況リスト」では、取材の中で、「電話をかけると、遺憾なことに、とても客商売をしている人の応対とは思えない旅館がままある」理由として、
(1)休業(廃業)の決断を迫られている最中で、出版物に掲載するから色々教えて欲しい──と問いかけられても、とまどうばかりというケース
(2)日本人の古くからの負の面、意固地な部分の現われと思われるケース。逆に、かたくなであればこそ平成の今日なお、駅前で日本旅館を営んでいられるのだ。
の2点を挙げています。
 本書は、今では数少なくなった「駅前旅館」の現状を追った貴重な一冊です。


■ 個人的な視点から

 「駅前旅館」と言うと井伏鱒二原作の映画を思い出す人が多いと思いますが、著者によれば、DVDを見たけど駅前の様子はほとんど出てこなかったそうです。
 ちなみに、井伏鱒二と言えば、ガンダムファンとして有名だそうです。本当??


■ どんな人にオススメ?

・駅前の旅館に泊まりたい鉄道ファン


■ 関連しそうな本

 大穂 耕一郎 『駅前旅館に泊まるローカル線の旅』
 青木 栄一 『鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町』 2007年07月18日
 原田 勝正 『鉄道と近代化』 2007年11月30日
 野田 隆 『テツはこう乗る 鉄ちゃん気分の鉄道旅』 2008年03月08日
 三戸 祐子 『定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?』 2005年10月10日
 丸田 祥三 『鉄道廃墟』


■ 百夜百音

Music From The Magic Shop【Music From The Magic Shop】 おおはた雄一 オリジナル盤発売: 2008

 コニーちゃんことクリス智子さんが参加、ということですが、そういえばコニーちゃんの「バブル・バス・ガール」ってどこかで入手できないですかね。

2008年10月18日 (土)

手塚治虫―アーチストになるな

■ 書籍情報

手塚治虫―アーチストになるな   【手塚治虫―アーチストになるな】(#1367)

  竹内 オサム
  価格: ¥2520 (税込)
  ミネルヴァ書房(2008/09)

 本書は、「手塚治虫という芸術的な素質を持った漫画家が、"マスコミの胃袋"のなかでいかに苦悩し、40数年にわたって漫画の世界で活動を続けたかという点に焦点を合わせて、その生涯をたどり」、「格闘の後を浮き彫りにした」ものです。
 著者は、「今日、手塚治虫が妙に神格化されている自体は好ましくない」として、手塚が「アシスタント達に『アーチストになるな、アルチザン(職人)になれ』とよく話していた」ことについて、「理想と現実のギャップに苛まれてこの世界で暮らしてきた苦い実感が込められているはずだ」と述べています。
 第1章「豊かな環境と戦争」では、「マンガ家としてデビューするまでの手塚治虫に焦点を合わせ」、「豊中に生まれ宝塚で少年期、青年期を過ごした生活の様子について触れて」います。
 そして、手塚が昭和3年生まれであるにもかかわらず、「生前は大正15年生まれ」と2歳年上であると偽称していたことについて、手塚プロの説明では、「誤って紹介され、本人が年齢なんかどうでもよいと放置していたため」であるとしているが、「若く見られて舐められないためというのが、現在のところもっともすっきりした解釈なのかも知れない」と述べています。
 また、手塚が小学生の頃に、「同じ夢をよく見た」として、「なんだかわからないグニャグニャしたもの」をペットに連れて歩き、それが、人間やウサギや犬や鳥、奇妙な怪物」に変わるのを「すごくかわいがって友達のように仲良くしている」のだと紹介誌、手塚自身、「自らの好むテーマ=メタモルフォーゼ(変容)に直接結びつくものと自己分析している」と述べています。
 さらに、手塚が空襲を体験し、「命のはかなさと、戦争の悲惨さをまのあたりに」したことが、手塚マンガに繰り返し顔を出す「反戦テーマ」に影響していると述べています。
 第2章「早熟な才能」では、「大阪でのマンガ活動に焦点を」合わせるとして、新聞連載の4コマ「マアチャンの日記帳」でデビューし、酒井七馬との合作の単行本『新宝島』で一躍有名になり、「昭和20年代の前半、主に赤本漫画の世界で活躍」したことを紹介し、「後に続く創作の基礎的な要素が示された時期でありながら、まだまだ不明なことが残されている」として、多くのページを割いています。
 著者は、「手塚の回想や発言は、ワンテンポ距離を置いて読む必要がある」として、「当然その多くは事実に基づいているのだが、自己演出されている場合が少なくない」ことを指摘してます。
 また、『新宝島』について、「200ページ近い長編という破格な長さはむろんのことだが、当時の読者に奇抜な印象を与えたのは、第一にそのスピード感溢れるコマはこびだったろう」とのべています。
 そして、当時の赤本がそうであったように、「すべて本来の描き版で出版されたとこれまで理解されてきた」が、コンピューターで取り込んで比較したところ、「初期の『新宝島』も実はある時期から写真製版されていたのではないか」と指摘し、『新宝島』は「実際に相当の売り上げを記録したと考えてよいのではないか。40万部が大げさというのなら、少なく見積もっても半分の20万部以上は売れたと考えてもよいのではないか」と述べています。
 著者は、手塚の赤本マンガについて、「今から見るとかなり自由な出版であり、手塚は思いのかぎり自らの思想と信条を盛り込むことができた」として、34作品36冊のマンガ単行本を4年あまりの間に描きおろしている」と述べ、内容的にも、「『ロスト・ワールド』ではランプ扮するアメリカのスパイが植物から生まれた少女を食べてしまったり、『拳銃天使』ではキスシーンを描くなどのタブー破りを実施、『地底国の怪人』ではキマイラの不安な内面とその悲劇を、『メトロポリス』では両性具有の性を、『来るべき世界』では壮大な物語構成のもと廃人となったロック少年の姿を印象的に当ていて見せた」として、手塚が「マンガを芸術にまで昇華できないかという思い」を抱いたと述べています。そして、「グロテスクな素材、妖しい性、人間不信、否定的文明観、終末世界、悲劇的結末が、これでもかこれでもかと単行本の中に現れた:ことについて、 「当時のマンガに戦後すぐの世相が色濃く反映されているのは事実だろう」と述べています。
 また、『地底国の怪人』について、「描き版でありながらその後の手塚マンガの基礎的な物語設定やキャラクター像が、端的な形で顔を出している」として、「科学の実験で人間化したウサギ、耳男」が、「その宙吊りの生によって悩み苦しみ、最後は悲劇的結末を迎える」と述べています。
 さらに、3つの『ロスト・ワールド』を比較し、「手塚は新形式のマンガを構想するマンガを『芸術』にまで高めようと目論む。その際に近隣の文化のその刺激を探し求めた。手本となった最も身近な文化が、小説、演劇、映画だったのである」と述べています。
 第3章「ストーリー・マンガの旗手に」では、「東京における月刊誌での活動に視点を」移しています。
 そして、単行本の世界から雑誌に発表の場を移した手塚が、「『鉄腕アトム』や『ロック冒険記』などの連載を通じ、読者の人気を極端に気にせざるをえなくなった。単行本時代には自由に空想の翼を広げていたのに、今度は子ども読者の目を強く意識しなくてはならない。そのため、マンガの表現技法や展開の方法も、意識して変化させていく。そうしたステップこそ、中央で仕事をしていくための第一の試練であった」と述べています。
 著者は、「活動の初期に、マンガを文学にも匹敵する表現に高めようと企図した手塚」が、「雑誌の世界に身を投じるや否や、流行や人気を第一に気にせざるを得なくなった」という「夢と現実の狭間で、とりあえず芸術思考を内に潜め、表向き大衆的なつくりを思考していくことに腐心していく」として、手塚がよく、「『アーチスト』と『アルチザン』という言葉を対比的に用いていた」琴について、「この頃は、アルチザン=職人的立場をいやがうえにも身につけつつ、半面心の底ではかろうじてアーチストへの志向を保ち続けていたといえるだろう」と述べています。
 また、代表作「鉄腕アトム」が、横井福次郎の「ロボット・ペリー君」(昭和23年)に「きわめて似通っている」として、
(1)少年型
(3)空を飛ぶ
(4)10万馬力
(5)「アトム大使」では調停役
(6)「鉄腕アトム」では双子ロボットが誕生
(7)悪のロボットの存在
など、「きわめて設定が近似している」ことについて、「マンガにはとりわけ、先行作品のイメージを本歌取りしていく〈引用+加工の文化〉の体質があらわだった」として、「そうした体質にこそマンガ文化の面白さの根拠があったはずだ」と述べています。
 さらに、「多忙の日々が続いていた」手塚が、「独自の睡眠法」を身につけ、「ほんの少しの間に眠ることができた」ことや、「ほぼ2、3年ごとにアシスタントの交代を促」していたことには、「若い人の完成を吸収するためという意味合いも含んでいた」と述べています。
 第4章「挫折と復活」では、「週刊誌時代、および成人向けの作品で再度注目されるようになった、晩年までの手塚とその作品」を取り上げています。
 そして、昭和30年代前後の「手塚の精神的な苦悩」として、「悪所追放運動と劇画の台頭との相互の波が、重なり合った結果生まれたものではないか」と述べています。
 また、「フィクショナルに偽装した形で自らの過去を語った作品がある」として、昭和45年の『人間昆虫記』を取り上げ、主人公、十村十枝子が、「次々と自らの肉体を武器に接近、親しくなった男の才能を吸収しマスコミ界を渡り歩いていく」というストーリーについて、「手塚の歩んだ道も、十村十枝子のそれに近い。流行の激しい漫画界で40年以上も活動を続けられたのは、他のマンガ家、とりわけその時代に最も人気のある漫画の画風や素材を流用することによって成り立ったものではなかったか」と述べています。
 そして、手塚が、『児童心理』の昭和48年9月号に執筆した「ささやか自負」という文章について、「『ささやかな』とタイトルに記されているが、かなり強烈に自らの存在をアピールした言葉」であるとして、「劇画も含めてマンガそのものが、『ぼくが戦後マンガの開拓をした後は千篇一律のごとく、僕の手法の踏襲でしかなかったと思う』『漫画は劇画やアンチ漫画と称するものを含め、ほとんど新しい改革はなされていない』と誇らしげに語っている」として、「あとにも先にもこれほど自らの仕事を誇示する文章を読んだことがない」と述べています。
 第5章「死と死後の評価」では、ガンを患った手塚の最後の言葉が、「隣へ行って仕事をする。仕事をさせてくれ」というものであったと述べています。
 そして、手塚の功績として、
(1)戦前戦中の大衆文化、少年小説のエッセンスを、戦後のマンガ文化にそっくり接木したこと。
(2)一般的に「映画的手法」といわれているが、表現技法に革新的な実験を推し進めたこと。
の2点を挙げています。
 本書は、「漫画の神様」と言われた手塚治虫の人間としての姿を伝えた一冊です。

■ 個人的な視点から

 われわれの世代では、手塚治虫と言えば「マンガの神様」というイメージが強いですが、そのうちのかなりの部分は『まんが道』によるところが大きいのではないかと思います。
 さらには、『ハムサラダくん』で治虫を「じちゅう」と読むのではないことを知った人も少なくないのか? 当初は本人も「オサムシ」と書いていたそうです。


■ どんな人にオススメ?

・「マンガの神様」は本当に神様だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 手塚 治虫 『ぼくはマンガ家―手塚治虫自伝』 2005年05月28日
 うしお そうじ 『手塚治虫とボク』 39361
 堅 信之 『アニメ作家としての手塚治虫―その軌跡と本質』 39390
 中野 晴行 『謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影』 39291
 フレデリック・L. ショット (著), 樋口 あやこ (翻訳) 『ニッポンマンガ論―日本マンガにはまったアメリカ人の熱血マンガ論』 38836
 手塚プロダクション 『手塚治虫 原画の秘密』


■ 百夜百音

Piano Stories【Piano Stories】 久石譲 オリジナル盤発売: 2000

 トトロといえば、主題歌はもちろん有名ですが、「風のとおり道」をイメージする人も多いのではないでしょうか。趣味でコンピュータの打ち込みをする人にもジブリものはメジャーな気がします。

2008年10月17日 (金)

日本のNPO史―NPOの歴史を読む、現在・過去・未来

■ 書籍情報

日本のNPO史―NPOの歴史を読む、現在・過去・未来   【日本のNPO史―NPOの歴史を読む、現在・過去・未来】(#1366)

  今田 忠
  価格: ¥2500 (税込)
  ぎょうせい(2006/06)

 本書は、「主として民間公益組織を取り上げ」、「民間強敵組織の代表的なものとして協同組合と町内会・自治会も取り上げている」ものです。著者は、「NPOをこのようにとらえれば、日本にはNPOの長い歴史がある」と述べています。
 第1章「日本の民間非営利組織の源流」では、「現在のNPOおよびフィランソロピーの源流は江戸時代に遡り、江戸時代後期には現在の公益法人の原型も現れる」と述べています。
 また、農村部を中心の行われてきた「結(ゆい)や各種の講」に関して、「結の語源は沖縄のユイマールで、友達や友愛を意味する言葉である」と解説しています。
 第2章「近代国家の建設」では、明治に入り、「みんぴに公益法人の制度が規定され、江戸時代から続いた組織が法人化され、また福祉・教育などの分野で新しい社会的起業家が生まれてきた」と述べています。
 そして、明治初期の病院が、「藩立病院として発足したものが多いが、藩立病院は西日本に位置し、東北・関東・甲信越地方には個人又は地元有志の醵金によって病院が設立された」として、新潟の共立病院、宮城の共立社病院、山形の済生館病院、福島県白河の仮病院、千葉の共立社病院、青森や秋田の会社病院などを挙げています。
 また、日本赤十字社(博愛社)について、元老院議員佐野常民と大給恒が、明治10年の西南の役の際に、「両軍に多数の死傷者が出るという悲惨な状況に対応するため、ヨーロッパの赤十字と同様な戦争・紛争時の傷病者救護を行う組織の設立を企画した」と述べています。
 さらに、「文部省開設前から各地で独自の学校設立が始まっていた」として、「京都では明治2年から翌年にかけて市の64の町組に小学校が設立された」ことを挙げ、これらが「学事のためだけでなく、同時に地域の福祉・文化・治安などの役割も似ない、現在のコミュニティ・センターのような存在でもあった」と述べています。
 このほか、「明治に入っても多くの経済人によって民間公益活動が支えられた」として、渋沢栄一などのフィランソロピストを紹介しています。
 第3章「大正デモクラシーから国家総動員法・戦時体制へ」では、「戦前の公的なボランティア」として、大正7年に大阪で始められた「方面委員」について、大正10年に設立された財団法人大阪府方面委員後援会が、27万円の原資から、当初利子を充当する計画を立てたが、経済界の重鎮・山岡順太郎が、「27万円元利とも使い切ること」を主張し、「27万円の資金を使い果たして、その補充の金が出来んような方面事業なら、その時限りやめてしもうたらよろしい。もしこの事業が世の中のために必要欠くことのできないものやったら資金は自然に集まりますやろ」と述べ、資金が底をついた昭和3年に基本金の募集を行ったところ、100万円を越える寄付金が集まったと述べています。
 また、「この時期には関西で経済界のフィランソロピーによる学校が設立されている」として、「昭和3年に設立された灘中学校も、酒造家の加納治兵衛らの灘育英会により開設されたもの」だと述べています。
 さらに、「この頃のフィランソロピーには皇室からの資金が大きな役割を果たしている」として、恩賜財団済生会など、「皇室の下賜金を呼び水として民間からの寄付金を募る方法が取られた」と開設しています。
 第4章「終戦から高度成長の始まりまで」では、「1940年代後半から1950年代にかけて企業及び企業家による財団が設立されるように」なり、その多くが奨学金を支給する財団であったことに、「戦後の混乱期にあって、若い人材に将来を託した企業家の心意気が感じられる」と述べています。
 また、GHQが「町内会・部落会を廃止する意向が強かった」ために、内務省令によって、町内会・部落会による行政的事務が市町村へ移管され、ポツダム政令15号により「町内会部落会又はその連合会などに関する解散、就職禁止その他の行為の制限に関する件」によって解散させられ、類似組織も含めて禁止されたが、「解散後3ヶ月以内に8割近くが名目を変えて復活し、実態としての町内会は存続し、多くの地域では行政の末端的な役割を果たしていた」と述べています。
 第5章「高度成長期」では、公益法人の設立について、法律的には定められていなく、「極端に言えば、主務官庁の担当者の裁量による」ものであったと述べています。
 そして、1960年代半ばからの高度成長期後期の住民運動の特徴として、「コンビナート建設に代表される大規模開発プロジェクトに反対する住民運動」を挙げ、1964年の沼津・三島市・清水町における石油コンビナート建設反対運動の成功を典型的な例として挙げています。
 また、フィランソロピーに関して、日本の助成財団の中で「日本財団の助成額は桁外れに多額である」と述べ、1962年に財団法人日本船舶振興会として設立されたものが、「時代の要請とともに、海洋船舶事業だけでなく、公益・福祉事業、ボランティア支援事業、海外協力援助事業など、幅広い公益活動に支援を行うようになった」と述べています。
 第6章「高度成長の終焉と市民公益活動の活性化」では、「1990年代になると、NPOという用語が用いられ始め、NPOの法人格ということが語られるようになってきた」として、1993年3月にはNPO研究フォーラムが設立されたことを述べています。
 そして、1980年代にNGOの設立件数が急増したことについて、この時期の特徴として、
(1)主婦の参加
(2)欧米に本部のある国際NGOがいくつも登場したこと
(3)開発教育・地球市民教育への関心の高まり
(4)アドボカシーを主目的とした団体が活発になり始めたこと
(5)NGO間のネットワーク化
の5点を挙げています。
 第7章「構造改革期と阪神・淡路大震災」では、「阪神・淡路大震災時にボランティアの活動が救援活動に大きな力となったことから、1995年が『ボランティア元年』と呼ばれるようになった」とともに、「被災地で活動した多くのボランティアの中から日本のボランティアを支える有能な人材が生まれ」、彼らは「神戸ブランド」と呼ばれ、「リーダー的存在として全国にボランティアの輪を広げて」いったと述べています。
 また、1994年に日本新党と与党3党(自民、社会党、さきがけ)の議員の間で議論が活発化し、自民党がNPOに賛成することになった要因として、「介護保険制度が実施された場合、サービスの提供をNPO法人で低廉でできるよう考えた」ことを指摘しています。
 さらに、「NPOの活動が充実発展していくためには、個別のNPOを支援するサポートセンターが不可欠である」として、1998年のNPO法制定以後、全国に設立されたNPO支援のサポートセンターについて解説しています。
 第8章「NPO法の成立後──ネクストソサエティ」では、2001年に行政改革推進事務局が「公益法人制度の抜本改正の必要性」を提言し、2003年には、「公益法人、中間法人、NPO法人を1つの非営利法人に統合するという政府の方針が明らかになってきた」ことなどを解説しています。
 また、NPOでもっとも大きな課題として資金不足を挙げた上で、「最近はNPOに対して助成を行う助成機関や行政も出てきたし、市民が市民活動を支える市民ファンドをも出てきた」とともに、「NPOに対する融資制度も少しずつ整いつつある」と述べています。
 本書は、「特定非営利活動法人」という狭い意味にとらわれず、広い意味での日本の非営利組織の歴史をわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 NPO法以前の日本の非営利組織というと、町内会などの地縁組織や社会福祉法人などが挙げられることが多いですが、本書の面白かったのは、近代の日本の「社会起業家」を何人も紹介していることです。既存の制度がなかったため、制度の枠に乗るのではなく、課題を解決するためにイノベーションを起こすしか方法がなかったのだと思いますが、非常に刺激的です。


■ どんな人にオススメ?

・日本の「NPO」は歴史が浅いと思っている人。


■ 関連しそうな本

 町田 洋次 『社会起業家―「よい社会」をつくる人たち』 2005年02月16日
 渡邊 奈々 『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』 2005年08月11日
 斎藤 槙 『社会起業家―社会責任ビジネスの新しい潮流』 2005年06月01日
 デービッド・ボーンスタイン (著), 井上英之 (監修), 有賀 裕子 (翻訳) 『世界を変える人たち―社会起業家たちの勇気とアイデアの力』 2007年08月28日
 駒崎弘樹 『「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方』 2007年11月22日
 シルヴァン・ダルニル, マチュー・ルルー (著), 永田 千奈 (翻訳) 『未来を変える80人 僕らが出会った社会起業家』 2007年03月28日


■ 百夜百マンガ

北京的夏【北京的夏 】

 先日、柏のイベントでファンキー末吉をバーべQ和佐田をバックにサンプラザ中野くんがステージに立ったそうです。見たかった・・・。

2008年10月16日 (木)

日本の国債・地方債と公的金融

■ 書籍情報

日本の国債・地方債と公的金融   【日本の国債・地方債と公的金融】(#1365)

  代田 純
  価格: ¥2100 (税込)
  税務経理協会(2007/02)

 本書は、「日本における国債と地方債について分析、検討したもの」です。
 第1章「日本の国債と地方債の累積と問題点」では、「日本の公債残高が国際的に見て、突出していることを確認する」とともに、「日本の公債残高が国際的に突出した背景について検討する」と述べ、その要因として、「90年代における財政の歳出が膨張したこと」を挙げ、この歳出増加の一因として、「地方政府主導型の公共事業」を指摘したうえで、
(1)財政の歳出が削減しにくかったこと。
(2)金融市場において日銀の買い切りオペが買い支えたこと。
(3)この下で民間銀行が国際を積極的に保有したこと。
(4)郵貯や簡保といった公的金融がまた国際保有を積みましたこと。
などを挙げています。
 そして、「日本の公債問題を解決する道すじ」として、
(1)歳出削減
(2)国と地方の財政関係の見直し
(3)税制改革
(4)日本の金融構造の転換
の4点を挙げています。
 第2章「国債保有と発行政策をめぐる国際比較」では、日本における保有構造について、
(1)元来公的部門の保有比率は高かったが2000年代に入り一段と高まり、反面、保険などの機関投資家を中心に民間金融機関のそれは低下した。
(2)1990年代後半以降、公的金融機関の期間選考は一方的に短期化しているが、民間金融機関は長期債への選考も強めている。
の2点を挙げています。
 また、日本、アメリカ、イギリスの3国の発行政策について、「共通していることは、理由は各国各様だが、、国債発行額が増加すると短期債の発行比率が上昇する」ことを挙げています。
 第3章「中央銀行によるオペレーションの国際比較」では、日本銀行の金融政策について、「日本銀行がオペレーション(公開市場操作)公定歩合操作、預金準備率操作という政策手段を用い、『物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること』を目的として行われる政策のことであり、日本銀行法の条文では、『通貨及び金融の調節』という表現で規定されている」と述べています。
 そして、「量的緩和政策採用以降、日本銀行当座預金残高目標を達成するために大量のオペレーションが実施されている」として、主に短期オペが用いられてきたが、巨額の日本銀行当座預金残高目標の達成に対応できず、「札割れ」と呼ばれる、「日本銀行がオペレーションの入札の実効を通知した際に、オペレーション対象金融機関から申し込まれた金額が入札予定額に達しない」現象が生じたことについて解説しています。
 また、2001年3月19日の政策委員会の金融政策決定会合における量的緩和政策の採用の実体経済への影響の例として、
(1)短期金利を長期間維持することによる長期金利の低下
(2)ポートフォリオ・リバランス効果
(3)期待効果
の3点を挙げています。
 さらに、「日本銀行は無制限に国債買入を続けることができるわけではない」として、「日本銀行が保有できる長期国債の残高の上限を日本銀行券発行残高まで」とする「日銀券ルール」について解説しています。
 第4章「中央銀行と国債保有」では、「各国中央銀行によるオペレーションの結果としての各国中央銀行の国際の保有構造がどのようなものとなっているか」について論じる賭して、「日本銀行が保有する発行年限10年の国債の残存期間別保有構造に偏りが見られること」を指摘しています。
 5章「郵便貯金と国債」では、「日本においては、公的金融と公共部門による投資・融資が一体化して財政投融資が形成されてきた」が、「その規模は諸外国に比しても非常に大きく、『市場の失敗』からだけで論じることには無理が」あると述べています。
 そして、財投債が抱える問題点として、
(1)国債と根本的には区別されず、国債発行計画に一括して計上されていること
(2)「経過措置」ということで、郵貯、年金、簡保が国債を引き受けていること
(3)財投債は明らかに国の債務であるが、実物資本形成との理屈から、OECDベースでの国債統計から除外されていること
の3点を挙げています。
 また、財投の出口に当たる政府系金融機関が抱える問題点として、
(1)いわゆる「使い残し」問題
(2)政府系金融機関など特殊法人への高級官僚の天下り問題
(3)政府系金融機関の調達・貸付の金利問題
の3点を挙げています。
 著者は、「わが国の国際保有構造」として、「公的金融や銀行の保有シェアが高い反面、海外投資家や家計(個人)の比率が低いことを特徴としている」ことを指摘しています。
 第6章「財政投融資改革と簡易保険の国債保有」では、「財政投融資、とりわけ計画外の短期運用による国債保有の動向、さらに公的部門として簡易保険による国債保有」を取り上げています。
 そして、「財政投融資の改革は本格的に実施されたとも見える」が、「特殊法人へ郵貯・年金から資金運用部経由で投融資されなくなったにせよ、改革後郵貯・年金・簡保が国債の受け皿という性格を強めてきた」ことを指摘しています。
 第7章「地方債の改革と公的資金」では、「地方債残高が増加してきた背景として、1990年代以降の地方財政の歳出構造と歳入構造」を健闘しています。
 そして、「地方財政の逼迫を歳出面からもたらした要因」として、「単独事業費を中心とする普通建設事業費が大きく、これに規定された公債費負担が中心である」と述べ、「さらに物件費、扶助費、補助費などの増加が多様な要因で加わったもの」だと解説しています。
 また、地方債の発行条件が、「総務省(旧自治省)が統一して(地方公共団体を代表して)銀行や証券会社からなる引受シンジケート団と交渉し、発行条件を決定してきた」結果、かつては、「すべての公募団体の地方債は個別発行に関わらず、同じ発行条件で発行されてきた」が、「各団体の地方財政は異なる」ことから、「同じ発行条件の地方債に関わらず、流通市場で価格差(利回り格差)が生まれてきた」ことを解説しています。
 第8章「アメリカ国債と外国人投資家」では、「アメリカが財政赤字、経常赤字、2つのファイナンスを実現する上での米国債の位置づけを明らかにする」としています。
 そして、「80年代には外国公的部門、民間部門両者を合わせた米国債投資が対米投資全体の一定割合を占め、経常赤字を安定的にファイナンスしていた。90年代にはいるとその役割がさらに拡大し、対米投資全体に占める比重は95-97年で30%以上に上昇した」として、「米国再発行残高に占める外国人保有比率」の急上昇を解説しています。
 また、「2003年には金融仲介機関に集まった資金の多くが家計部門に対する住宅抵当貸付に向かった」として、こうしたマネーフローが、「最終的に借入によって消費を拡大するというアメリカ家計部門の『過剰消費』を資金面から支える役割を果たした」と述べ、外国人による米国債投資が、「家計部門の過剰消費により慢性的な投資資金不足に陥ったアメリカ経済を機能させる基幹的なマネーフローになった」と解説しています。
 第9章「国債と地方債の削減に向けた政策提言」では、
(1)国債の発行額減額は可能
(2)地方債の削減は税源移譲で
(3)公的金融の存在価値は残る
(4)特別会計の剰余金を活用する
(5)日銀の国債買い切りオペを減額し、公募地方債をオペ対象とする
(6)郵貯・簡保の国債引受を減額し、資金運用を多様化
(7)地方債の引受先として公営企業金融公庫などを活用する
の7つの政策を提言しています。
 本書は、国債と地方債を合わせた日本の公債について、外国との比較を交え、ざっと概観することを助けてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本の公債残高については、家計に喩えれば年収いくらの人がこれだけの借金をしていることになる、という理屈で演説を始めてしまう人がいますが、本書はその点では、きわめて冷静というか淡々と分析をしていて、実務に携わる人の感覚はこんなものなのか、と感じさせる点で面白い一冊です。


■ どんな人にオススメ?

・「国民一人当たりの借金」という言葉に震え上がってしまう人。


■ 関連しそうな本

 真壁 昭夫, 玉木 伸介, 平山 賢一 『国債と金利をめぐる300年史~英国・米国・日本の国債管理政策』 2008年10月04日
 富田 俊基 『国債の歴史―金利に凝縮された過去と未来』 2008年08月01日
 新藤 宗幸 『財政投融資』 2007年04月11日
 星 岳雄, アニル カシャップ (著), 鯉渕 賢 (翻訳) 『日本金融システム進化論』 2007年05月08日
 鶴 光太郎 『日本の経済システム改革―「失われた15年」を超えて』 2007年05月23日
 平嶋 彰英, 植田 浩 『地方債』 2006年12月14日


■ 百夜百マンガ

イキガミ【イキガミ 】

 星新一の「生活維持省」との類似が指摘される作品です。きちんと読み比べて比較したわけではないので、「印象」にすぎませんが、ぜんぜん似てないと思いました。そもそも、「イキガミ」という言葉自体が、「アカガミ」と「シニガミ」からのアイデアなんじゃないかと思いますし、描こうとしているものがぜんぜん違うからです。
 そもそも、「設定」とか「アイデア」って著作権で保護される対象なのかもよくわかりません。これが「盗作」として非難されるのであれば、星新一の作品で先人のアイデアや設定を参考にしたものは「盗作」ということになってしまうのか、手塚治虫の作品なんかはほとんど「盗作」になってしまうように思われます。
 草葉の陰の星氏は「イキガミ」を読んで「盗作だ!」と怒ったりするのでしょうか?

2008年10月15日 (水)

大失敗からのビジネス学

■ 書籍情報

大失敗からのビジネス学   【大失敗からのビジネス学】(#1364)

  和田 一夫
  価格: ¥680 (税込)
  角川書店(2002/08)

 本書は、「流通のソニー」とまで言われたヤオハングループの元代表である著者が、「成功と失敗を左右するターニングポイント」を語ったものです。
 第1章「『勝ち組』になるためのキーワード」では、「一番目のペンギン」になることの重要性を説き、「一番目、二番目のペンギンの成り行きを見てから動き出す『群れを成したペンギン』になるのは、安全策」ではあるが、そのペンギンたちは、「多勢の中の一羽」としか見てもらえず、「せっかく新たな地域に進出しても、『地の利』を活かしていくことさえ難しくなってしまう」として、「他人のあとを追い続け、常識の範疇でしかモノを考えられないようでは大きなチャンスは掴めない」と語っています。
 また、新規事業を考える際にもっとも大切なこととして、「本当に自分がやりたいと思っていることを実行する姿勢」を挙げ、著者自身が、ヤオハンジャパンの倒産後、「私の大失敗を世の中に伝えていきたい」という思いから、「カンパニー・ドクター(経営コンサルタント)」として再起したことを語っています。
 そして、起業する際、新規事業を起す際の「基本姿勢」として、
・先制
・スピード
・集中
の3つのポイントを挙げた上で、「起業家の心構え」として、
(1)失敗を恐れない
(2)若者と経営経験者との融合
(3)時流を捉え、やるべきことを見定める
の3点を挙げています。
 第2章「『個人の時代』のオンリーワンの新発想」では、21世紀が、「失敗の時代」であると同時に、「個人の時代」であるとして、その理由に、
(1)現代ではどんなビジネスであっても「グローバルな市場」を視野に入れなければならなくなっている。そこで問われるのは、あくまで個人個人の決断力や人間性である。
(2)今後は、大量供給型ビジネスは成立しづらくなっていく。
(3)IT革命が起きたこと
などの点を挙げています。
 そして、「個人の時代」のビジネスに求められるものとして、「オンリーワンの何か」を上げ、「人真似をやっていたのでは通用しない」と述べています。
 第3章「『失敗体験の時代』がやってきた」では、「失敗を信じる者は何もできはしない」として、アブラハム・リンカーンの失敗まみれの人生を紹介した上で、「偉業を成し遂げる人間は、失敗をネガティブに受け止めず、ポジティブな要素として考えられる」と述べています。
 そして、「失敗というのはそれだけ大きな財産なのだし、そのことは、これからどんどんと世間の隅々にまで浸透していくに違いない」と語っています。
 また、熱海の八百屋からスタートしたヤオハンが、「熱海の大火」や「ブラジル撤退」などの「ゼロ」から立ち直ったが、平成9年に三度目のゼロ、すなわち会社更生法を申請したことで生活が一変し、移動手段もそれまでの運転手つきのロールスロイスから地下鉄などになり、券売機の前で使い方がわからず立ち往生した経験や、車に乗るときも「自分でドアを開けるのを忘れて、しばらく立ち尽くしていた」経験などを語り、「贅沢な生活にはそれなりの楽しさがあるものだが、貧しい生活にもそれなりの楽しさはあるものだ」として、「たとえゼロになってしまったとしても、やり直しは聞くのである」、「ゼロになることをいたずらに恐れる必要はない」と語っています。
 第4章「ビジネスマンは『リストラ時代』をチャンスにできる!」では、「いくら自分の特性に合わない仕事を与えられていると感じていたのだとしても、『どうしたら、その仕事を人以上の能率、あるいはクオリティで仕上げられるか』と考えて仕事をしていたならば、それがどんなに単純な仕事であっても、人とは違うやり方を見つけられる」として、そのことが、「別の分野のオンリーワン」を見つけるのにもつながると語っています。
 そして、「希望ではないセクション」や「不得手なセクション」に回されることは、「願ってもないチャンスを与えられたのだと考えてほしい」として、「自分の苦手なジャンルを肌で体感して克服しておく」ことで、懐を広げ、「将来のいろんな場面で大きく役立ってくる」と語っています。
 著者は、「『現在いる場所』で必要とされない人間に『明日』はない」として、「たとえ会社を飛び出し、近い将来に自分の居場所を変えることを前提にしているのだとしても同じ」だと述べています。
 第5章「成功と失敗を左右する『ターニングポイント』」では、「人間というものは一人きりでは何もやっていけない」として、ヤオハンの成功と失敗の経験から、「成功するための人材登用、人材育成、人間関係」について語っています。
 そして、「かつてのヤオハンがあれだけ成長できたのも『人の力』だった」が、「ヤオハンが倒産したことについても『人との関係』『人の使い方』が大きかった」として、「ヤオハンを倒産させた私の最大の過ちは、自分たちのスタート地点の守りを固めなかったこと」にあるとして、「人材育成、人材登用の『ほころび』が生まれてきたのだ」と語っています。
 本書は、巨大な企業をつぶした経験に基づいた「生きた経営学」が詰まった一冊です。


■ 個人的な視点から

 個人的には、静岡県を中心に展開していた「ヤオハン」というスーパーには行ったことがないのですが、現在は「マックスバリュ東海」に引き継がれたとのこと。とは言え、関東にあるマックスバリュとは雰囲気が違いそうです。


■ どんな人にオススメ?

・「人生にリセットボタンはない」と思っている人。


■ 関連しそうな本

 板倉 雄一郎 『社長失格―ぼくの会社がつぶれた理由』 2005年12月23日
 湯浅 誠, 日向 咲嗣, 吉田 猫次郎, 春日部 蒼, 李 尚昭, しんぐるまざあず・ふぉーらむ 『働けません。―「働けません。」6つの“奥の手”』 『ネット起業!あのバカにやらせてみよう』 2005年07月18日
 田尾 雅夫 『成功の技法―起業家の組織心理学』 2005年04月23日
 戸部 良一, 寺本 義也, 鎌田 伸一, 杉之尾 孝生, 村井 友秀, 野中 郁次郎 『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』 2005年03月09日
 堀江 貴文 『100億稼ぐ仕事術』 2005年03月05日


■ 百夜百マンガ

メデューサの朝【メデューサの朝 】

 髪の悩みをテーマにした作品としては、「桜井くん」がありましたが、女性の髪の悩みもバリエーションに入れたことで広がりが出たのではないでしょうか。
 関係ないですが、タイトルから「レナードの朝」を思い浮かべてしまいました。

2008年10月14日 (火)

社内報革命

■ 書籍情報

社内報革命   【社内報革命】(#1363)

  産業編集センター
  価格: ¥2100 (税込)
  産業編集センター(2006/08)

 本書は、社内報のアウトソーシングを手がける著者が、「これまで蓄積してきた知識やノウハウを公開すること」で、「社内報制作という同じフィールドで日々奮闘している皆さんへのサポートとエールになる」という考えから書かれたものです。
 第1章「社内報の基本」では、「社内報の特徴や昨日をしっかり理解することから、"社内報革命"が始ま」るとして、「社内報とは、単なる社内の情報誌というよりも、企業経営をサポートするための"経営ツール"といったほうが適切」だと述べ、「財務会計ソフトが作業の効率化を通じて経営をサポートするように、社内報はコミュニケーションの活性化によって経営をサポートするツール」だと解説しています。
 そして、社内報の基本機能として、
(1)トップダウン(トップと社員をつなぐ)
(2)ボトムアップ(社員と会社をつなぐ)
(3)ヨコ・ナナメのコミュニケーション(部門間、部署間などをつなぐ)
の3点を挙げています。
 また、社内報の目的とは、「社員がイキイキと仕事に取り組むことができる風土を作り、社員がやる気を持ち、やりがいを感じられるようにする」ことである、つまり、「社員のモチベーションアップ」に他ならないとして、「社員のモチベーションをアップさせるために社員に働きかける内容が、社内報の『役割』」であると述べています。
 さらに、「なぜ今、インナーコミュニケーションなの」かについて、
(1)経営環境の変化:社員が一丸となって変化に対応し、変革に取り組む必要。
(2)企業と社員の関係の変化:企業力を発揮するために必要な企業と社員の結びつきを作る。
の2点を挙げています。
 著者は、最も重要な担当者の仕事として、「社内報を使ってなにをしたいのか、社内報を読む社員にどのような思いを持ってもらいたいのか」を「強烈に思うこと」だと述べています。
 第2章「社内報のアウトライン」では、社内報の編集部が、以前は、社員融和や研修教育の面から総務部や人事部に置かれることが多かったが、最近は、「広報部やコーポレートコミュニケーション部の中に社内広報専門セクションが設けられ、そこが主管になっている場合」や、「社内報をブランド力情勢のツールとして捉え」、ブランド推進部が主管部署となっている場合もあるとしています。
 また、「編集方針」を決める上で、「メイン読者ターゲットを想定することが必要となる」として、「主に読んでほしいのはどのような社員なのか。年齢、趣味特技、好きなテレビ番組など、詳細なプロフィールを作って」みることで「読者層の姿が具体的に見えてくる」と述べています。
 第3章「伝えるための企画術」では、「企画の良し悪しが、社内報の効果を左右するといってもいい」と述べ、特集企画に当たっては、「読者(社員)からの距離が『近』→『中』→『遠』という3つの視点で紙面を構成すると効果的」だとアドバイスしています。
 第4章「伝えるための取材撮影術」では、「社内報の取材の大きな特徴」として、「取材そのものが一つのコミュニケーションである」として、「社内報担当者の顔が売れることにより、社員にとって社内報が身近なものになり、認知度が高まるという副次的効果も期待」できるとしています。
 また、取材時には、「録音をあてにするあまり、メモがおろそかになったり、あるいは操作ミスなどでまったく録音できずに冷や汗を流すことにもなりかねない」として、「基本的にはメモを頼る」こととしています。
 さらに、人物撮影の基本として、「目にピントを合わせること」、横向きの写真を撮る場合には、「手前にある目にピントを合わせるのがポイント」だと述べています。
 第5章「伝えるための編集術」では、どうしても書いてもらえない人への催促のテクニックとして、
・書けない人にアドバイスする:「こんなときは、こんな要領で」
・懇願する:「お願いだから書いてくださいよ」
・泣き言を言う:「原稿が遅れると、私が叱られるんですよ。どうにか書いてもらえませんか……」
・おどす:「この分だと発行が遅れますね。あなたのせいだとは言いませんが……」
・強硬手段:その場で書かせる
などを挙げています。
 また、「掲載する原稿を社員に依頼する場合が多い」社内報では、「誰が読んでもわかりやすい平易な文章に書き直したり、決められた分量に短く削ったりする作業」である「リライト作業」が重要となるとして、
(1)文章量は適切か
(2)誤字・脱字はないか
(3)差別用語や他人や団体を中傷する文章はないか。
(4)表記の統一はなされているか。用字用語は適切か。
(5)意味の通りにくい表現はないか。わかりやすい言葉遣い・表現をしているか
などのチェックポイントを挙げています。
 第6章「構成と効果測定」では、「初校チェックで指示を出した修正がしっかり直っているかどうかを確認する作業」であるべき「再校」で、「初校時以上の修正を入れてしまう」ことについて、「これでは、初校の意味がありません」と指摘しています。
 また、社内報を「ある程度外に出してもかまわないのであれば、交換社内報をおすすめ」していて、「社内報を交換することで、他社の社内報を見ることができ、自社の社内報を考える上でのヒントにも」なると述べています。
 第7章「戦略社内報という考え方」では、「社内報を明確に経営目標達成のツールとして位置づけ、企画から編集までを戦略的に行っていくという方法」について論じています。
 そして、"課題解決ツール"としての社内報について、「経営レベルの課題」と「社員レベルの課題」のうち、「自ら主体となって行動する」「使命感に裏づけされた責任感を持つ」などの、「社員レベルの課題を解決することを第一義の目的として作られる」であると述べています。
 具体的には、「課題を解決するためには、社員が行動を起こすことが不可欠」であるとして、「課題解決に必要なこの行動を、社員の意識を変えること(社員の意識変化)によって促すこと」を目指し、さらに、その意識変化を「共感」によって導くことが、「大きな特長」であると述べ、「『共感』→『意識変化』→『行動』という、いわば"共感行動サイクル"を生み出すことが、戦略社内報の役割」であると述べています。
 さらに、戦略社内報をつくる際に、単年度だけの目標ではなく、複数年のフェーズ展開を考えたいとして、
(1)中長期に目標(社内報の役割・機能)を設定する。
(2)フェーズ(年度)ごとに目標(社内報の役割・機能)を設定する。
などの、「効果的な社内報の投下戦略」を論じています。
 第8章「新しい社内報へのヒント」では、「これからの社内報担当者の役割」として、「経営者の代弁者であると同時に、社員の代弁者。その両者の視点をバランスよく持ち合わせることによって、初めて効果的な社内報、効果的なインナーコミュニケーションを実現することができる」と述べています。
 本書は、社内報担当者当事者にとってはもちろん、社内のコミュニケーションの問題を認識している多くの社員にとって気づきを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 個人的にも社内報の編集長をしていたので社内報の意義をわかりやすく解説してくれる本書には、「わが意を得たり」という感じです。
 ネットと違って、昔の社内報を取っておくと、後になってから記事を探しやすかったり、家族にも読んでもらえたりするので、紙の社内報の意義はまだまだ失われていないのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・社内報は誰かが作っているものだという程度に思っている人。


■ 関連しそうな本

 福西 七重 『もっと!冒険する社内報』 2007年12月18日
 Shel Holtz (著), 林 正, 佐桑 徹, 浦中 大我 (翻訳) 『実践戦略的社内コミュニケーション―社員に情報をいかに伝えるか』 2005年10月06日
 藤江 俊彦 『はじめての広報誌・社内報編集マニュアル―目からウロコのデジタル時代の編集・印刷知識』
 丸山 尚 『広報紙・社内報づくりの実務』
 佐桑 徹 『広報部 図解でわかる部門の仕事』
 ポール・A. アージェンティ, ジャニス フォーマン (著), 矢野 充彦 (翻訳) 『コーポレート・コミュニケーションの時代』 2006年10月23日


■ 百夜百マンガ

勝ちたいんや!―劇画・星野仙一物語【勝ちたいんや!―劇画・星野仙一物語 】

 作者については、巨人の星の作者として有名ですが、本書も野球マンガを、ということでオファーがあったのでしょうか。いなかっぺ大将みたいなギャグマンガになっても面白かったかも知れません。
 現在は、熊本県の菊陽町に在住とのことです。作家では昔から田舎の山の中に居を構えるというのがありましたが、往年の漫画家たちが高齢者になった現在、田舎に暮らすことを選択した漫画家も増えるのかもしれません。

2008年10月13日 (月)

生活保護改革と地方分権化

■ 書籍情報

生活保護改革と地方分権化   【生活保護改革と地方分権化】(#1362)

  京極 高宣
  価格: ¥4200 (税込)
  ミネルヴァ書房(2008/06)

 本書は、「経済学者というよりは、むしろ社会保障に関する政策科学者としての道を約30年間歩んできた」著者による、「21世紀にふさわしい生活保護制度の改革と福祉事務所の将来方向について問題提起」をしたものです。
 第1章「社会保障改革と生活保護」では、「社会保障は、完全雇用と並んで20世紀福祉国家の二大支柱を成すものと言えるが、その在り方が経済・社会の状況に応じて変化することはいうまでもない」とした上で、将来の社会保障の基本理念として、
・自立と連帯
・総合的な生活保障
・男女共同参画
・個人単位
の4つのキーワードを挙げています。
 第2章「憲法第二十五条と生存権」では、「生命や自由とは別途に幸福追求のみを代表的権利として第13条の幸福追求件を生存権の及ばぬ領域の権利としていたずらにふりまわし、生存権の意義と限界を見定めない見解は正しくない」として、それは「公共の福祉に反しない」限りでの個人の尊重であると述べています。
 第3章「日本経済と生活保護の役割」では、戦後の日本の生活保護が、「その後の時期を問わず年金制度の発達いかんにもかかわらず、国民の最低限度の生活を国家の責任で保障するものとして特別な位置を占めている」と述べたうえで、「今日においてなお生活保護は無年金者の最低生活維持機能ばかりでなく、低年金者に対する最低生活費の公的補填という意味の、年金制度の補完的機能を依然として担っている」と述べています。
 第5章「生活保護事務の国と地方の役割分担」では、「費用負担は、現行法制によったとしても個々の事務の目的や性格に照らし、国と地方がどのように事務の分担を行うことが合理的か、また事務の同化や定着の度合いをベースに、国と地方の全体的財政配分を踏まえて、政策的に判断されるべきではなかろうか」と述べています。
 そして、「生活保護の事務は国の事務か地方の事務かという二律背反的に捉えることは適当ではなく、全国一律に行われるべき生活保護の適用基準自体などは今後も国が統一的に定め、将来において生活扶助基準の策定を地方分権化で都道府県にゆだねるという国・地方の事務配分は今後とも維持することが重要である」と述べています。
 第6章「生活保護と都道府県行政」では、「生活保護に関する国と地方の役割分担の在り方は、地方分権化を推進する方向でなのか、それとも中央集権化を維持する方向でなのかを明確にしつつ、地方自治体においても都道府県と市町村の役割分担にも目配りして議論しなければならないだろう」と述べています。
 第8章「各扶助の基準と問題点」では、著者が「関係者協議会で地方六団体の激しい怒りを買った」発言について、「誤解のないように述べれば、全国知事会や全国市長会がそう考えているとか、そう述べたということではなく、しばしばマスコミ等でおおげさにゆがめられて語られる一部の地方自治体の批判をしたのである」と述べています。
 また、「ただケチな財政的な視点から国の保護費や負担率を減らすために、救護施設を何とかするという狭隘な考えは持っておらず、新たに再編された救護施設が拠点となって、保護を受けている人が、もっと人間として尊厳を持って地域で生きていけるような方向に改革して行くべきではないだろうか」とのべています。
 第10章「新たな福祉改革にむけて」では、「地方六団体と総務省が主張しているように、これまでの経緯により生活保護行政から都道府県が手を引けば現在の矛盾はますます拡大するだろう。そうした道州制は国民生活で最も重要な最低限の生活保障である生活保護から手を引くことになる」が、欧米諸国の例から見ても、「州(国)が公的扶助の実施機関であるのと対比すると中央政府(国)と市町村(実際上は市区)の二者のみが生活保護を所管し、都道府県(ないし道州)がいわば中二階となって空洞化するというまことに奇妙な構図となろう」と指摘しています。
 本書は、生活保護制度の将来を考えるヒントを与えてくれるかもしれない一冊です。


■ 個人的な視点から

 大学の先生ともなれば色々な審議会などで委員を努められ、その発言をめぐっては議論も在るようですが、本書のように、現実の委員会などで紛糾した問題や発言について、当事者自身が解説や弁解をしているものは見ていると楽しくなります。


■ どんな人にオススメ?

・生活保護の仕事は誰が担当すべきか悩む人。


■ 関連しそうな本

 青木 紀 『現代日本の「見えない」貧困―生活保護受給母子世帯の現実』 2006年03月24日
 三矢 陽子 『生活保護ケースワーカー奮闘記〈2〉高齢化社会と福祉行政』 2006年04月17日
 副田 義也 『生活保護制度の社会史』 2007年06月29日
 久田 恵 『ニッポン貧困最前線―ケースワーカーと呼ばれる人々』
 柴田 純一 『プロケースワーカー100の心得―福祉事務所・生活保護担当員の現場でしたたかに生き抜く法』
 尾藤 広喜, 吉永 純, 松崎 喜良 『これが生活保護だ―福祉最前線からの検証』


■ 百夜百音

雨音はショパンの調べ【雨音はショパンの調べ】 Kra オリジナル盤発売: 2008

 この曲は、ユーミンが日本語詞をつけて小林麻美が歌ってヒットしたヒット曲ですが、まさか男性ボーカルでカバーしてくるとは思いませんでした。ガゼボの元の曲の方をコピーすればいいのに。
 それにしても、「ケラ」なるグループがあるとは驚きです。ぜひともケラリーノ・サンドロヴィッチのコメントが欲しいです。そもそも「Kra」なんだから「クラ」でいいじゃん、という気もしますが。

2008年10月12日 (日)

政党と官僚の近代―日本における立憲統治構造の相克

■ 書籍情報

政党と官僚の近代―日本における立憲統治構造の相克   【政党と官僚の近代―日本における立憲統治構造の相克】(#1361)

  清水 唯一朗
  価格: ¥5040 (税込)
  藤原書店(2007/01)

 本書は、「明治維新から昭和の政党内閣期に至る時代、立憲政治の導入から定着に至る過程を政党と官僚の関係から捉えなおすことで、近代日本における統治構造の形成と展開を論じるもの」です。
 著者は、「 政権獲得に着目した政局史的な理解から離れて近代日本政治を俯瞰していく」と、「政党と官僚の関係は単純な対立構造では捉えきれないことが明らかになってくる」として、「そこから見えてくるのは、両者の関係が時代を進むにつれ緊密化し、政党政治は両者の関係の中からこそ生み出されていくという姿に他ならない」と述べています。
 そして、本書の論を進める視点として、
(1)立憲統治構造をめぐる議論とその構築過程
(2)二大政党のいずれもが官僚との現実的な接触を経ることによって変質し、成長していったこと
の2点を挙げています。
 第1章「立憲統治構造の導入」では、「明治維新による政権交代を果たした新政府にとって第一にして最大の課題」として、「いかにして正当性のある政府を樹立し、国家の統一を確保するか」を挙げ、「明治国家形成期における統治機構の模索から成立に至る過程、そして初期議会期における運用と改編を、制度的変遷と当事者たちの意識変化の両面から再構築し、近代日本における政党・官僚関係の文脈から立憲統治機構導入の意義を明らかにする」としています。
 そして、明治15年の伊藤博文の洋行における大きな調査事項として、「官僚制度」、とりわけ「その入り口となる官吏任用法の制定」について、「情実任用の横行」が、「反政府勢力にとって格好の攻撃対象となっていた」と述べています。
 また、「帝国議会開設が視野に入ってきた」段階において、「官吏任用法の制定にはもう一つの意味が生まれていた」として、「人材を議会ではなく政府に集めることによって対議会関係を有利に展開していく、その人材収集の方途として官吏任用法を制定するというものである」と述べています。
 さらに、「試験試補」の大半を占めることとなった学士官僚たちのインセンティブについて、
(1)帝国大学における講義内容の実践主義志向への変化
(2)大学出身者の待遇が改善されたこと
(3)資格任用制度の導入が、官僚への道を藩閥への屈服から立憲国家樹立への尽力へと変える効果を持ったこと
の3点を挙げています。
 そして、明治26年の文官任用令によって、官吏任用が、
(1)試験任用制度の改善
(2)試用制度の廃止
(3)無資格者の登用を原則不可とした
の3点の大きな変更を施されたと解説しています。
 第2章「初代政党内閣の登場と崩壊」では、明治31年の第一次大隈内閣の成立によって、「立憲統治機構は政党と表裏一体の関係で政権を運営するという憲政史上初の試験に直面する」と述べ、「官僚、とりわけこの時期に台頭してくる学士官僚は、彼らが受けた立憲主義国家像に基づく教育の成果として既存の藩閥官僚とはまったく異なる意識を持って政党内閣との関係を結んでいく」と述べています。
 しかし、「政党が憲政の円滑な運用という高邁な理想を持った人物ばかりで構成されるものでなく」、「初めて政権を手にした政党人」が、「藩閥や官職から利権を奪取することに躍起になった」として、猟官運動の加熱を指摘しています。
 第3省「政党内閣像の相克」では、「隈坂内閣における行政整理の展開を通じて同内閣が描いた政党政治像、・統治構造の制度設計を明らかにした」として、「猟官の印象ばかりが喧伝される隈坂内閣が明確な方針を持ってその政党政治像、統治構造の制度設計を模索していたこと」を特筆しています。
 そして、山県内閣にとって、「爾後も彼らの政治増を維持していくためには、かつて隈坂内閣成立時に野村靖が提起していたように行政権の拡張を進めてその独立性を確保し、立法権すなわち政党及び政党人の伸張から守ることが急務であった。行政機構を政党から守る、独立論の具現化である」として、
(1)文官任用令を中心とする官吏任用法令を改正整備し、政党人の登用を不可能とすること
(2)改正任用令を守るために隈坂内閣での任用令改正阻止に有効に機能した軍部大臣の任用資格が厳とされた
(3)官制、文官試験、文官任用に関する改正事項はすべて枢密院に諮詢とすることが明治天皇の御沙汰書という形で行われ、二重三重の改正阻止策が施された
(4)民党への懐柔策、議員歳費の増加によって俸給目的による就官の抑制が図られた
の4つの施策を実行することとなると述べています。
 そして、この山県内閣による官僚組織の防御機能の整備は、「隈坂内閣における猟官の脅威にさらされた官界から概して好意的な評価を受けることとなった。官僚、行政機構の独立化は相当程度達成されることとなった」と述べています。
 第4章「立憲統治構造の変動」では、「護憲運動による『世論』の支持という正当性を得て発足した第一次山本内閣」が、「『藩閥打破』の実現に向け」、「第二次山形内閣が施した軍部大臣現役武官制の廃止と文官任用令の改正」を標的としたと述べ、このとき山本内閣の前に立ちはだかったのは、かつて第二次山形内閣が施した防御策の要となる枢密院であった」と述べています。
 また、「第二次西園寺内閣における統一性の保持と桂系の影響力排除という体質変化は、必然的に官僚組織への政友会出身大臣の影響力を高めることとなる」として、明治35(1902)年に、「次官会議が定例化されて以後、同会議が閣議の事前協議機能を有したこともあり、時間を頂点とする官僚機構といかなる関係を結んでいくかが政権にとって重要な課題となっていた」と述べています。
 第5章「官僚の政党参加と政党改良の進展」では、「第一次護憲運動、桂新党組織、そして第一次山本内閣における政友会スタイルの政党・官僚関係の現出により、統治構造は大きな転換点を迎えた」として、「政党内閣の成立が初期の政治目標とされた大正期において、多くの官僚が正当に接近、参加し、政党の隆盛と藩閥の凋落が強く印象づけられることとなる」として、「官僚の政党化」と証される現象が生じ、「政党と官僚が相たずさえて政党政治へと向かって歩んでいくことが明示的となった」と述べています。
 そして、桂系と政友会の間での数次に及ぶ政権交代によって、「官僚、とりわけ局長以上の有力官僚層を両派のいずれかに峻別させていく作用を持った」と述べています。
 また、大正2年の文官任用令改正に伴う自由任用職の設置が、「政党人登用への門戸開放策として論じられてきた」が、「実際に起こったことは政党人の就官ではなく、全く反対の形、すなわち現職官僚の政党参加であった」として、山本内閣下の有力官僚が現職のまま政友会に入党したと述べています。
 著者は、官僚の政党参加の意義として、官僚から見た意義としては、
(1)立憲政治における政党の必要性を認識し、利用と対応という客体的関係から歩を進めて主体的にこれに参加することで、従来における政府・議会間のひずみを解消し憲政の運用を円滑ならしめるものである。
(2)世代論で説明される時代の趨勢の問題。政党政治時代の到来は、官僚の立身出世、政策実現のパターンを大きく変化させた。
の2点を挙げ、政党にとっては、「ある種の『人材』を獲得するための重要なリクルート手段であった」として、
(1)元老が首相候補を奏請する明治憲法体制下においては、政権を担当しうる、すなわち元老から見て政権を渡せると見なしうる閲歴を有する人物を首相候補として擁することが政権政党足りうる第一の条件である。
(2)政権を獲得した場合を想定すると、首相候補のみならず大臣候補足りうる人材を得ておくことによって事務に精通した大臣候補を党内から挙げ得ることは重要である。
(3)次官級の人材獲得には、政党が内閣を組織した際において象徴、行政そのものを掌握しうる仕組みを施す意図があった。
の3点を挙げています。
 また、原・政友会が、「自由任用の拡大による内閣による行政の掌握、政友会スタイルを制度において確立することに成功し、政党人からも大臣候補を要請する政党改良の仕組みを得た」と述べています。
 そして、原・政友会の樹立した「政友会スタイルの横断的統治構造」が、「この後憲政会に政権が渡ったことにより彼らが構築する憲政会モデルの分立的統治構造、具体的には政務次官制度にその座を譲り、それが戦後から現在の副大臣・政務官制に連なる原型として継承されていくこととなる」と述べています。
 第6章「政党内閣型統治構造の樹立」では、「官僚の政党参加、政党・内閣・官僚関係の制度設計、そして自由任用の拡大という3つの分析視角から、政党内閣期の嚆矢たる護憲三派内閣がどのような政党政治のシステムを構築しようとしたのかを明らかにすることで、戦前日本における政党内閣型統治構造の完成過程を描き出していく」としています。
 そして、第15回総選挙について、「選挙直前の分裂によって地盤が割れたことにより苦戦を強いられた政友会、政友本党にとって選挙戦上最大の問題は候補者不足であった」として、両党とも、「現職再選に加えて百名程度の新人候補を立てる必要が生じた」として、「当該期における有力新人候補といえば、名声に富む官僚か資金に富んだ実業家である」として、「政友会、政友本党、さらには憲政会も前回に増して官僚出身者を積極的に擁立していく」と述べ、出馬した官僚候補は、現職、元職と合わせて148名に上ったことを解説しています。
 また、擁立する地方側にしても、「官僚出身候補の出馬は有意義であった」として、
(1)中央政界、財界の有力者との関係
(2)選挙資金の問題:学資官僚の多くは資産家やその類縁の出身であった
ことなどを挙げています。
 さらに、官吏と議員の兼職について、兼職禁止条項は成立したが、「官吏の立候補そのものは被選挙権が公権であるとの論理から禁止されなかったことは、我が国における政党・官僚関係の来し方と現在を考える上で看過し得ない点である」と述べています。
 著者は、「第15回総選挙において大量の官僚出身候補が出馬し、ここから戦前戦後の政党政治を担う人材が数多排出されたことは、明治国家の教育システムと政党政治進展が複合的所産を産むに至ったものであると言えよう」と述べています。
 結語「政党と官僚の近代」では、政党の質的・構造的変化を決定づけることとなった転機として、
(1)日清戦後経営の中での、議会勢力の伸張が、偶発的な要素を有しながらも初の政党内閣となる隈坂内閣を現出し、政党の側はこの機にあって政党内閣・責任内閣に適合する統治構造の再設計に取り組んだ。
(2)民衆運動によって政権が総辞職を余儀なくさせられた大正政変は、政治が世論の影響を大きく受ける時代が到来したこと、政権の維持・正当性の担保を考えた場合、いずれの日か政党内閣が現実のものとなることを知らしめた。
(3)原内閣における政友会スタイルの実現により政党への官僚参加が進んだ後、政党内閣時代の嚆矢となる護憲三派内閣では、憲政会が理想とする政党政治像を軸とする構造変化を行った。
の3点を挙げています。
 著者は、「近代日本において立憲統治構造が導入され、定着し、政党政治へと展開するに至ったことの意義は、多であった」として、明治・大正期における近代化を支える基底となり、立憲政治とその運用に向けた深い洞察が育まれ、「政党政治の経験とそこで育まれた人材が戦後日本の民主化を推進する原動力となったことは、政党と官僚が歩んだ近代の立憲統治構造を模索する営みの本質的な成果に他ならない」と述べています。
 本書は、日本の官僚制度における政治との関わり方の原型がどのようにかたちづくられてきたかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 明治時代の官僚というと、現代とは比べ物にならないくらいのエリートで、立身出世の欲の塊、というイメージで描かれることが多いですが、彼らも人の子で、自分の出世のために藩閥になびいたり政党になびいたり、地元の実家の方から手を回されて仕方なく選挙に出たりしていることを知ると、明治の官僚も大変なものだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・戦前の官僚は髭を生やしてえらそうだと思う人。


■ 関連しそうな本

 田村 洋三 『沖縄の島守―内務官僚かく戦えり』 2007年03月23日
 百瀬 孝 『内務省―名門官庁はなぜ解体されたか』 2007年06月13日
 勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日
 渡辺 隆喜 『明治国家形成と地方自治』 2007年03月26日
 岡田 彰 『現代日本官僚制の成立―戦後占領期における行政制度の再編成』 2007年02月26日
 曽我 謙悟 『ゲームとしての官僚制』 2006年02月24日


■ 百夜百音

黒盤【黒盤】 斉藤和義 オリジナル盤発売: 2005

 個人的にはどうしてもポンキッキーズのイメージが抜けない人なのですが、そういえばポンキッキーズの番組自体はどこに行ってしまったのでしょうか。平日の朝にやっていたときは楽しみだったのですが、夕方になったら見ることができず、土曜日早朝のときはよく早起きしてみてました。

2008年10月11日 (土)

デモクラシーの経済学―なぜ政治制度は効率的なのか

■ 書籍情報

デモクラシーの経済学―なぜ政治制度は効率的なのか   【デモクラシーの経済学―なぜ政治制度は効率的なのか】(#1360)

  ドナルド ウィットマン (著), 奥井 克美 (翻訳)
  価格: ¥3465 (税込)
  東洋経済新報社(2002/11)

 本書は、「民主主義市場は、民主政府を批判する人たちが主張してきたよりはうまく機能している」ことを論じたものです。
 第1章「イントロダクション:市場に喩える」では、「この本で私が主張したい」こととして、「経済・政治の両市場はともによく機能する」であると述べています。
 そして、本書が、「効率的民主主義市場の見えざる手理論を発展させ、政治市場失敗のモデルの誤りを見つけるための分析的枠組みを提供するもの」であると述べています。
 第2章「情報を有する投票者」では、「民主主義市場に対していつもなされる批判」として、「投票者が情報を十分に持っていないというもの」を挙げたうえで、「投票者無知のモデルは、偏向した判断と変更した情報および(または)情報の欠如を混同し、情報獲得のために投票者にかかる費用を過大視し、投票者の持っている情報を過小に見積もっていることを示す」としています。
 著者は、投票者が、「議員の行動についてはほとんど何も知らなくても、選挙において理性的な判断を行うことができる。投票者は似た選考を持つ人や組織を見つけ、投票に関してアドバイスを求めるだけでよいのである」と述べています。
 そして、「投票者が政治市場において完全な情報を持っていると主張するのは馬鹿げて」いるが、「効率的であるためにはなにも、完全な情報を持っている投票者が必要であるというわけではない」として、「これは経済市場が効率的であるために、全ての株主が株式を所有している企業の動きを逐一知っていることは必要でないし、全てのプリン氏パルがエージェントを完全に監視できることも必要でないのと同様である」と述べています。
 第3章「選挙市場の競争と機会主義行動の統制」では、「競争、評判、監視、および最適な契約設計が政治部門における機会主義的行動を減じ、プリンシパル-エージェント問題は民間部門と同様に深刻とはならない」と論じています。
 著者は、「競争とは、濾器の中にある水のようなものである」として、「どこか欠ける点があるから競争が存在しないと主張するのは、漉器の穴の一つが詰まっているから水が流れない、といっているのに等しい。したがって競争的であるか非競争的であるかの論争における証明の責は、競争が存在しないと主張する側のほうにある」と述べています。
 第4章「取引費用と政府制度の設計」では、コースらが、「きちんと定義された所有権と低い交渉移転費用のもとで、経済市場の失敗は消滅することを示した」ことと「まったく同様に、低い取引費用は、民主主義市場の失敗を導いてきた外部性の問題の多くを解消することができる」と述べています。
 そして、民主主義的政治市場が、「取引費用を低くするように組織されている」として、「少数のメンバーによって構成される下院および上院は交渉費用を低めることによって、効率的なログローリング(logrolling、議員相互の票の取引のこと)のための環境をつくっている」例を挙げています。
 第5章「ホモエコノミカス対ホモサイコロジカス:なぜ認知心理学は民主政治を説明できないのか」では、「認知心理学者たちは、興味深い実験結果を持っているものの、政治行動に対するわれわれの理解に重要な貢献するのに失敗してきた」と述べ、「限定合理性の問題が生じるとき、経済学者の目の子勘定の概念が認知心理学者の紛らわしい行動ルールの概念に勝ることを論ずる」とともに、「フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンの公理がその他の大域最大化アプローチに勝ることを論ずる」と述べています。
 著者は、「集計的な政治行動や経済市場に関する実験研究は、認知心理学が予想するようにはならず、期待効用最大化を支持するものになっている」として、「政治・経済制度は、それが現実のものであろうと実験計画に組み込まれたものであろうと、数多くの過去のプロスペクト理論の実験結果を否定するものになっている」と述べています。
 そして、「認知心理学と経済学の関係は、対立していくものでなく、同じ現象をマクロから見るのかミクロから見るのかという違いになっていくようにしなければならない」と述べています。
 第6章「立法の市場と組織」では、国会について、研究者たちが、「三つの相互に関連する構造的な点に問題の所在を見る」として、
(1)国会議員が地域の代表であること
(2)委員会が特殊利益を代表していること
(3)下院議員の法律生産に対する貢献を投票者が理解していないこと
の3点の結果、
(1)ポークバレル(補助金)政治
(2)貧困な法律
(3)官僚の横暴
などの問題が生ずるとしていることについて、論じています。
 第7章「圧力団体」では、「圧力団体(pressure group)」が、「政治市場に失敗の源泉である」と考えられてきたことについて、「他の事情一定のもとで、得票の最大化を諮る候補者は、個人で行動する人々よりも、圧力団体に属している人々の利益を重視することが多くなろう。さらに、候補者は政策の違いによって直接投票する票の代わりに宣伝を通じて獲得する票を手にしようとするが、宣伝のための資金を増やすのに比較優位を持つのは圧力団体である」と述べています。
 著者は、「圧力団体は、個人から政治家あるいは政治家から個人への情報伝達の費用を軽減するのに重要な役割をになっている」と述べ、「政治家は、さまざまな有権者の選好を、あまりコストをかけずに把握している」として、「圧力団体は民主的決定をゆがめるものであるというよりは、取引費用を軽減させる制度であると見ることによって、まったく新しい研究計画(アジェンダ)がみえてくる。それは、選好を引き出したり、選考を政治家に伝えるための情報ネットワークを組織するための最適な方法を探し出す、というものである」と述べています。
 第8章「官僚市場:なぜ政府官僚は効率的なのか、大きすぎではないのか」では、政府官僚について、
(1)政府官僚は、ヴィジョンがなく、無能で、惰性で動いている。
(2)官僚は、自分たちの自己利益を追求するのに大変たけている。
の2つの「相矛盾する説明」がなされているとした上で、「正反対の議論」として、「政府官僚は経済的に効率的な行動をしている。彼らは大きすぎず、プリンシパル-エージェント問題は誇張されすぎである」と述べ、「政府官僚の批判のために向けられる事実の多くには方法的欠陥があり、広く流布している理論には実証的な裏づけがないことを示す」としています。
 そして、公務員制度が、「怠惰なキャリア官僚が独占力を持つようになるための方法であると考えられているが、歴史をひもとくと、これが、政治家、特に上のクラスの政治家による機会主義を抑制する方法であったことがわかる」として、「これによって、選挙により多数派が変わることによって生計が左右されることのない、専門クラスの官僚が成長することができた。公務員制度は、議会によって可決された最適契約の一部であり、官僚との間のコミットメントを信頼の置けるものにするためのものなのである」と述べています。
 また、「議会と官僚の関係をプリンシパル-エージェントの問題と捉えれば、その関係を、自然手番によってルールが外生的に与えられているゲームになっているととらえる時よりも、官僚行動についてそれほど深刻に悩む必要がない、との見方になる」と述べています。
 著者は、「官僚が自分自身の構成の促進に興味を持つという事実をもって、政治市場の失敗を証明したことにならないのは、実業家の利己心が経済市場の失敗を証明しないのと同様である」と述べています。
 第10章「最適な社会契約としての憲法と立憲計画における取引費用の役割」では、「経済学は、憲法の理解に資する強力な理論的枠組みと、立憲計画に関する仮説の科学的検証のための方法論上の基礎を提供している」と述べています。
 著者は、「効率性の考え方が憲法上の取り決めや裁判所の解釈を決めている」ことを論じ、「ビアードその他の人たちが分配を促すものであると主張した箇所でさえ、効率性を上げるものであること」を示したと述べています。
 第11章「多数決ルールと選好の集計」では、「民主主義に対するいくつかの悲観的な見方」が、「投票の非合理性、政治家の怠慢、特殊利益によるレント・シーキングに基づくものではなく、むしろ、多数決ルール(majority rule)の集計メカニズムに固有の、よく知られた失敗の基づいている」とした上で、これらの問題が、
(1)多数決ルールでは投票者の数が問題になり、強度は問題にされない。
(2)多数決ルールの軌道(trajectory)は、実行可能領域のいかなる位置にも来る可能性がある。
(3)多数決ルールは将来世代を犠牲にして、現在世代の便益を最大にする。
の3点に集約されると述べ、「これら3つの問題が顕在化する可能性がひどく過大視されてきたことを示す」としてます。
 第12章「経済的富の分配と政治権力」では、「意外にも多くの法律は所得分配に影響を与えることができないことを示す」として、「もし所得が再分配されないのであれば、連と・シーキングや権力(パワー)の説明では、法的選択を説明することができない」として、「効率性に沿った多くの議論のほうが政治権力の不平等な分配に基づく理論構築よりも説得力を持つことを示す」としています。
 著者は、「民主主義政治におけるエリート・コントロールの理論の多くは、民主主義の部分を完全に忘れてしまっていて、政策が民主主義領域以外のところで形成され実行されている、あるいは、エリートが投票者を寝かしつけている、というものになっている」と指摘しています。
 第13章「理論の検定」では、「非効率的民主主義市場を唱える研究者が、よく方法論的分裂症に陥ってしまっている。彼らは、経済市場について学ぶ際には避けるテクニックを用いている」と指摘しています。
 第14章「エピローグ:証明の責務」では、「政府の失敗に関するすべてのモデルの背景には、投票者は無知であり、十分な競争がなされず、および(または)取引費用が極度に高い、という仮定が存在する」ことを指摘し、経済市場については、経済学者がこの仮定に非常に懐疑的であるが、「この懐疑主義は、政治市場失敗のモデルにも向けられるべきである」と述べています。
 そして、「民主的政治市場が効率的なものに向かう傾向があるというのは、政治市場が経済市場より優れていることを意味しない。そうではなく、それは、民主主義政府が経済市場に、経済市場が最も効率的に機能する仕事を割り当てるであろう、ということを意味しているのである」と述べています。
 本書は、とかくその非効率性を指摘される民主主義的政治市場が、だからといって、その存在を否定されるようなものでもないことを示してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 公共選択の本を読んでいると、政治市場がいかに失敗するか、うまく働かないかという議論を畳み掛けられますが、政治市場に失敗があるからといって、では作用していないのか、頼らないほうがましかといえば、そうでもないでしょ、ということを教えてくれます。ちょっと強引な展開に戸惑うところもありますが、楽しく読めますよ。


■ どんな人にオススメ?

・政府の失敗をたっぷり聞かされた人。


■ 関連しそうな本

 加藤 寛 『入門公共選択―政治の経済学』 2005年03月13日
 小林 良彰 『公共選択』 2005年04月15日
 アレンド レイプハルト (著), 粕谷 祐子 (翻訳) 『民主主義対民主主義―多数決型とコンセンサス型の36ヶ国比較研究』 2006年02月20日
 佐々木 毅 『政治学講義』 2005年03月11日
 アビナッシュ・K. ディキシット (著), 北村 行伸 (翻訳) 『経済政策の政治経済学―取引費用政治学アプローチ』 2005年02月06日
 Jean-Jacques Laffont 『Incentives and Political Economy』


■ 百夜百音

ファイト!ファイト!ちば!【ファイト!ファイト!ちば!】 ジャガー オリジナル盤発売: 2005

 千葉県に生まれ育った人ならなじみのある地名がたくさんある曲です。そのかわり、地名を知っているとつじつまが付かないところがちょっと出てきますが。

2008年10月10日 (金)

江戸の養生所

■ 書籍情報

江戸の養生所   【江戸の養生所】(#1359)

  安藤 優一郎
  価格: ¥756 (税込)
  PHP研究所(2005/1/18)

 本書は、「養生所という江戸の窓を通して、江戸庶民の医療について」明らかにするものです。
 プロローグ「江戸の養生」では、「養生所が取り上げられる場合、その多くが、開設された享保期(1716~1736)という時代設定のためか、いわば養生所が明るく描写されているという特徴がある」が、「本書で見ていく養生所の施療活動とは、従来の養生所のイメージを壊すもの」であり、「養生所医師の不熱心な医療行為、養生所所員(看病中間・賄中間)による入所患者への虐待行為、物品の横領行為、養生所を管轄する町奉行所役人の職務怠慢など、開設から1世紀を経過した頃には、その医療環境は最悪の状態を迎える」と述べています。
 そして、「養生所の施療活動とは、江戸の医療環境を映し出す鏡のようなもの」であるとして、「養生所という江戸の窓を通して、江戸の人々の医療環境、公的施療のありさまを覗いてみよう」と述べています。
 第1章「大都会・江戸の医療事情」では、「江戸のように、コミュニティ機能が低下して相互扶助の基盤に欠けている地域委では、公的な救済システムが不可欠であった」として、「この点を踏まえてこそ、江戸の町に養生所が設置され、明治まで百五十年もの長きにわたって施療活動を展開し、幕府もその改善のため、何度となく改革を試みた理由が理解できる」と述べています。
 第2章「町奉行大岡忠相と小石川養生所」では、享保7年(1722)正月21日に、麹町の小川笙船という町医者が、施薬院の設置を求めた意見書を目安箱に提出したと述べ、そこからは、「地域での相互扶助では対処できないため、幕府などによる公的な救済に頼らざるを獲ない社会的な背景」が読みとれるとしています。
 そして、目安箱の投書から約1年を経て、施薬院が小石川御薬園の地に開所となったが、直前にその名称が、当時、一般庶民の間にまで広く行き渡っていた「養生」を用いた「養生所」に変更されたと述べています。
 第3章「養生所の入所生活」では、「所内に居住し、医師の診療などを監督」した養生所の「肝煎職」について、「施薬院の設置を建議し、養生所開所にも深く関わった小川笙船の子孫が代々世襲した」と述べています。
 また、養生所の医療活動について、「幕医から選ばれた医師・見習医師そして肝煎(小川氏)、入所者の療養を助け、身の回りの生活を補助する看病中間(女看病人)、食事の世話をする賄中間、所内の事務を取り仕切る養生所見廻り与力・同心・小普請組同心によって支えられていた」ことを解説しています。
 そして、患者は「男性が圧倒的であった」理由として、「男性の独身者が多い江戸の都市社会の特徴をまさに反映している」とした上で、「瘡毒(梅毒)患者が多かったことは間違いない」と述べています。
 第4章「寛政の医療改革──養生所と医学館・町会所」では、町会所の窮民救済について、「個人の疾病にせよ、流行病にせよ、病気と深い関わり合いを持って実施されていた」と述べ、「この関係が養生所の施療事業にも大きな影響を与えていた」と述べています。
 第5章「養生所の病巣──劣悪な療養環境」では、「文政4年前後を境に明確となった入所希望者数減少の流れは、その後も止まらなかった。むしろ、その流れはますます顕著になり、入所者数が大きく定員割れする状態に陥った」と述べ、幕府当局は、「養生所を管轄する町奉行書を通さずに、密かに養生所の施療活動に関する情報」を集め、「自体を深刻視した幕府は、養生所改革を決意」したと述べています。
 そして、「医師の投薬量の少なさ」と質の悪さについては、「支給されていた薬種料の少なさに大きな原因があった」としています。
 また、養生所の入所に際しては、「いつの頃からか、入所者側には干肴(魚の干物)を100枚持参する慣習」があったが、「入所中、身の回りの世話をする看病中間の側では、代わりに銭400文を持ってくるよう求めていた」と述べ、「入所者はその立場の弱さから、泣く泣く看病中間に干肴代な様々な形で金銭を差し出したり、役掛りから食べ物や煎茶を買っているのが実状」であり、「その余裕のない者は、看病中間や役掛りから有形無形の虐待を受けて、いたたまれなくなり、退所に追い込まれてしまう」と述べ、入所希望者が激減した理由の一つとして、「ある程度の金銭的余裕がないと入所できない施設に変質していた」ことを挙げています。
 このほか、入所者に支給されるはずの物品を横領しては売り払って自分の所得にしていたことを挙げ、「一連の不正行為により、中間等が得た徳分は、年額で10両から15~16両にも及んだらしく、それは給金の5倍から10倍近くにもあたっていた」と解説しています。
 第6章「療養所改革の挫折」では、「幕府が何度となく改革を試みたにもかかわらず、養生所の施療活動は改善されなかった」理由として、
(1)医師の割の合わない診療報酬の問題
(2)看病中間らの不正行為に対する町奉行所の姿勢:人の嫌がる仕事の性格上、後任がいなくなってしまうことを恐れた。
(3)与力・同心の「不浄之場所」という養生所への認識
等の点を挙げています。
 そして、「天保改革のとき、養生所の要とも言うべき医師の問題に、ようやくメスが入れられたが、中間らの一連の不正行為や町奉行所与力・同心の勤務態度は結局改まらず、今回の改革もかけ声だけに終わってしまった」と述べています。
 エピローグ「養生所の遺産」では、養生所の活動は「微々たるもの」ではあったが、「数字以上のものを、江戸の社会にもたらしたという側面も無視できない」として、養生所も養生の文化を具現化したものとして、「養生の文化(知)を浸透させる大きな役割を果たしていたのではなかろうか」と述べています。
 著者は、「近代医学の限界性が露呈した今日、江戸以来の養生の文化が再評価されているが、江戸時代、養生所はそのコンセプトを具現化するものとして、養生の文化、養生の知の普及に大きく貢献していた」と述べています。
 本書は、養生文化の象徴としての「養生所」のあり方を今に伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「養生所」と聞くと心安らかに健康的な暮らしをイメージしてしまいますが、ただでさえ病に重ねて、職員による虐待やピンハネなど、まるで『カイジ』の裏社会を想像してしまいました。とは言え、看護婦さんに対する「心づけ」があるかないかで対応が違うという話は今でも聞く話ですし、福祉施設での虐待なども考えると、決して江戸時代の話、過去の話ではなく、今でも同じ問題は温存されているような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・「赤ひげ」とか好きな人。


■ 関連しそうな本

 山本 周五郎 『赤ひげ診療譚』
 吉原 健一郎 『江戸の町役人』 2008年01月04日
 田中 圭一 『百姓の江戸時代』 2007年09月16日
 大久保 洋子 『江戸のファーストフード―町人の食卓、将軍の食卓』 2007年11月18日
 岡崎 哲二 『江戸の市場経済―歴史制度分析からみた株仲間』 2006年01月19日
 速水 融 『歴史人口学で見た日本』 2007年12月26日


■ 百夜百マンガ

魔獣戦線【魔獣戦線 】

 石川賢ワールド炸裂ということで今でも根強いファンが多い作品。ストーリー的には掲載誌の都合もあって色々あるのですが、永井豪を含めてこの手の作品は、客観的にストーリーを見たりしてはいけません。とにかくその場の盛り上がりに身をゆだねるのが大切です。

2008年10月 9日 (木)

医療の限界

■ 書籍情報

医療の限界   【医療の限界】(#1358)

  小松 秀樹
  価格: ¥735 (税込)
  新潮社(2007/06)

 本書は、「医療のみならず、専門家と非専門家の齟齬が、社会の正常で円滑な運営の障害となって」いるとして、「社会を支える基本的な考え方についての齟齬を、可能な限り偏見から自由になる努力をしつつ、凝視」したものです。著者は、本書が、「医療の置かれている危機的状況の理解を促し、医療の崩壊を防ぐ一助となること」を祈るとしています。
 第1章「死生観と医療の不確実性」では、「日本人の死生観が変容した」、あるいは、「日本人が死生観と言えるような考えを失ったのかも」しれないとして、「これが、医療をめぐる争いごとに影響を与えて」いると述べています。
 そして、「現代では、日本人が死を眼前にすることは滅多になくなり」、しかも、「日本人の少なからざる部分が、生命は何より尊いものであり、死や障害はあってはならないことだと信じて」いることを、「あえてそれを『甘え』」であると指摘し、「社会は人の死を前提に成立して」いると述べています。
 また、「医療とは本来、不確実なもの」だとして、「不確実性をめぐる専門家と非専門家の齟齬は、医療に限らず、多くの分野で認められ」るとして、年金問題などの例を挙げています。
 第2章「無謬からの脱却」では、かつての病院には、「医療に過誤はあってはならず、はなから過誤などないものとして対応する傾向」、つまり「無謬」があったことを指摘した上で、「社会は医療に過剰な期待を持ち、そのぶん攻撃的になって」いると述べています。
 第3章「医療と司法」では、2001年に起きた大阪教育大学付属池田小学校の事件で、「校内の安全管理を怠った学校が悪い」ということで、高額の賠償金が支払われたことについて、「殺された児童とその遺族は確かに気の毒」だが、「学校に犯人の無差別殺傷を阻止する能力があるのかと行ったら、とうてい無理」だとした上で、「死亡した子どもの賠償金を親が受け取るということ、しかも、通常の家庭では滅多に蓄えられない額の金銭であることを見据える必要」があると指摘し、ニュージーランドでは、「不法行為による身体障害には賠償は適用」されず、無過失保障で対応し、「死亡した場合、葬祭料及び生存被扶養者への所得保障が支払われるだけ」であることは、「必要なお金を必要な人に回すため」だとして、「死亡した患者は生きていくためのお金は必要としません。死亡した患者の遺族が、お金を必要としない死人に代わって莫大な賠償金を受け取る制度は、モラルハザードを引き起こしかね」ないことを指摘しています。
 そして、業務上過失致死傷について、「例外規定の一つ」だとして、「アメリカには同様の罪なはい」、「罪刑法定主義というのは、罪はあらかじめ法律で定められていないといけない、決められた罪に対して、相応の罰も決められていないといけない」というものであり、「業務上過失致死傷はここから遠く離れた規定で、実に広い範囲まで罪に」なることを指摘し、「最新のヒューマン・ファクター工学」では、業務上過失致死傷が問われる「システム事故」で「個人に責任を負わせることは安全向上に役立たないとされて」いると述べています。
 また、「医師と司法の世界の違い」として、ある女性産婦人科医がブログで、
「偏りのない客観データの集積と分析が何より大事なわれわれの世界と、
 主観と結論に基づいた証拠の恣意的取捨選択や、"ストーリーがよくできていること"が大事な彼らの世界と。
 違いすぎて、想像もしなかった世界」
と表現していることを紹介しています。
 そして、「大半の刑事事件は非常にシンプルなもの」であり、「この中にどっぷり浸かって、法定で通常の犯罪者を相手に、反論を受けない高みから判断を下していると、現実の社会が見えなくなる」として、「故意犯罪と過失犯罪は全く異」なるという認識が、「刑法を専門にしている裁判官には乏しいように思えて」ならないと指摘し、「刑事司法は、科学的真理を問題とする場面では、能力と言えるようなものを持っていません」と述べています。
 さらに、県立大野病院事件の裁判について、「いまや、医療レジームと司法レジームの合理性の争いになって」いるとして、「担当検事は、普通の裁判同様、訴訟ゲームのとりこになっているよう」だと指摘しています。
 第4章「医療の現場で~虎の門病院での取り組み」では、1999年に、著者が当時勤めていた山梨医科大学病院で提案した、「医療倫理についてきちんと成文化すること。それをもとに若い医師を教育すること」などについて、「このときに提案した、明文化された医療倫理が、虎の門病院で実現すること」になったとして、まず、「医師のための入院診療基本方針」を作成し、「医療安全管理者」という、「病院の医療安全と事故に対応する専従の職員が置かれるように」なったと述べ、さらに、
・インシデント:エラーがあっても、実際に被害につながらなかったケース
・オカレンス報告:事故の報告制度、報告を受けたオカレンスは、調査委員会が調査する
等の制度が置かれたことについて、解説しています。
 第5章「医療における教育、評価、人事」では、「大学の大きな問題の一つ」として「研究至上主義」を挙げ、「文部科学省は、大学の役割を人材の育成ではなく、明らかに研究と見ている」として期しています。
 また、私立医科大学について、多くの分院の経営が成り立つのは、「医師に正当な給与を支払わないため」であることを指摘し、「大学院を修了しても、医師の給与は同年代のサラリーマンよりかなり低く設定されており、他の病院でアルバイトをして、生活費を稼ぐことが前提に」なっていると述べています。
 そして、大学病院の院長が「新臨床研修制度」を酷評し、「このために、医局員が不足し、地域の病院に医師が派遣できず、地域医療が崩壊しかかっている」と、「無邪気に、自らの過去を反省することもなく、昔のように、大学の卒業生がその大学に残るように戻せと主張」していることについて、賛同できないと述べ、医局にゆだねられた研修の問題を指摘した上で、「医師が不足しているのは、日本の単位人口あたり医師数そのものがOECD諸国の約3分の2であること、04年、05年と、2年分の卒業生が医局に供給されなかったこと、医師が、大病院から中小病院、さらに開業にシフトしていること、単位患者あたりの医師の業務が多くなったことなど」を挙げています。
 そして、パチンコ産業の市場規模が年間約30兆円で、医療費とほぼ同じであり、葬儀関連費用も十数兆円であることを挙げ、「日本の国民負担率(税金と社会保険料の和がGDPに占める比率)は、世界的にみるとかなり低いところにある。医療にもっと多くの資源を投入する余裕はあるはず」だとしています。
 第6章「公共財と通常財」では、世間では、「医師は高学歴、高収入と思われがち」でありため、「医師をバッシングすることに、ある種のカタルシスがあるのかも」知れないが、「全国の医師がリスクの高い病院診療から、小規模の病院に、さらに、開業医にシフトし始め」、「開業も、もっとお金をもうけたいからという理由ではなくなって」、「過労死しても不思議ではないような苛酷な労働環境と、善意の医療行為が憎悪の対象にされ、刑事訴追さえされかねないというストレスから逃れるため」、「自分と家族の生活を守るためにそこそこでもいいから、と中堅の勤務医が開業する」のだと述べています。
 本書は、瀬戸際に立たされた日本の医療の現状を、現場の医師自らが訴えた貴重な一冊です。


■ 個人的な視点から

 子どもが小さいので、夜中に熱を出すと救急病院に連れて行くべきか心配になることがありますが、同じ幼稚園のお父さんのお医者さんの話を聞いてしまうと、安易に救急医療を使ってはいけないという気になります。一方で、素人判断で病院に連れて行かないことの怖さもあるのですが。


■ どんな人にオススメ?

・医者はサービス業だと思う人。


■ 関連しそうな本

 小松 秀樹 『医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か』 2008年01月08日 06:00
 伊関 友伸 『まちの病院がなくなる!?―地域医療の崩壊と再生』 2007年12月12日
 兪 炳匡 『「改革」のための医療経済学』 2006年12月05日
 樋口 範雄 『医療と法を考える―救急車と正義』 2008年02月11日
 永田 宏 『貧乏人は医者にかかるな!―医師不足が招く医療崩壊』 2008年04月09日
 杉元 順子 『自治体病院再生への挑戦―破綻寸前の苦悩の中で』 2008年05月26日


■ 百夜百マンガ

ヴァムピール【ヴァムピール 】

 「ヴァムピール」というのはハンガリーの吸血鬼の呼び名のようなのですが、いずれにしても最近のマンガに出てくる吸血鬼の多くは血を吸うわけではないようです。ガトリング=ゴードンとかは別ですが。

2008年10月 8日 (水)

大正期の家庭生活

■ 書籍情報

大正期の家庭生活   【大正期の家庭生活】(#1357)

  湯沢 雍彦
  価格: ¥2100 (税込)
  クレス出版(2008/08)

 本書は、「今日に続く『生活の近代化』が本当に始まった」時代であり、また、「農漁村と都市の下層社会では、江戸時代さながらの古いしきたりと苦しい労働が続き、小学校に通うのさえ容易でない家庭が少なくない」時代でもあり、「新旧と和洋と苦楽の二重性が、大きく混在していた」大正時代の家庭生活に関するものです。
 第1章「ある茶作り農村の大正15年間」では、旧静岡縣志太郡朝比奈村を舞台に、「大正期における茶生産農家の生活を明らかに」しています。
 そして、お嫁さんは、「午前4時前に起床して朝ごはんの支度を」始めねばならず、4月下旬から8月のお茶の収穫期には、3時前には起床しなければならなかったこと、食事は一日に4回あり、「よじき」と呼ばれ、
・朝ご飯:朝5時前(4時前)
・昼じゃ:9時頃、お弁当
・ようじゃ、ちゃづけ、ゆうじゃ:午後1時から2時頃、お弁当(ご飯、梅干、漬物など)
・夕ご飯;午後6時から7時、ご飯、味噌汁、菜っ葉、漬物、週に1度くらいの魚や肉など
の4回であったことを開設しています。
 また、子どもたちの楽しみは、「お正月やお祭り、そしてお葬式だった」と述べています。
 第2章「家庭の中の家族の顔ぶれ」では、大正時代について、「漠然と、『祖父母と息子夫婦とその子が同居する直系の3世代家族が普通の形で、数の上でも大多数』との思い込みが多い」ようだが、「どこの家も大家族だという思い込みは、結論として正しくない」として、「平均世帯人員はのちの昭和15年になっても4.99人にとどまっていた」と述べています。
 そして、「子は平均5人も生まれていた」ので、「このうち長男とその妻になる女性もしくは女子と婿の夫婦は同居して直系家族を作ったが、他の子どもは結婚すると親がいない家庭になった」として、「単独世帯を除けば、核家族の形をとる世帯は51.5%で、直系家族の形をとる拡大家族世帯42.0%よりずっと多いことになった。これまでの常識を覆したことになる」と述べています。
 第3章「出産と堕胎・避妊」では、「総じて大正の15年間は、子どもがたくさん生まれた時代だった」とした上で、「この頃の結婚は、何よりもあととりとなり老後の面倒を見てくれる子どもをもうけることが第一の目標」であり、「結婚後2年たっても妊娠の兆しがなく、3年たっても生まれないとなると、離婚の危機に直面した」と述べています。
 また、「出産する夫婦は多産になりやすく、それはたちまち生活難につながった」として、「妻たちの多くは、古い時代から堕胎や間引きを行うことを余儀なくされてきた」と述べ、「とくに堕胎は都会に多く、間引きは農村に多いという説」を紹介しています。
 第4章「家庭と地域のしつけ」では、農家では、親が子どもに、
「仕事上手の話しべた」
「働く水車に氷は張らぬ」
「朝寝は病、昼寝は貧乏」
「上を見てもきりがない、下を見てもきりがない」
「儲けることより、使わぬこと」
「米一粒にも、手が百遍」
「竹のくずも、3年に一度は役に立つ」
などの格言を繰り返し、繰り返し言って身につけていき、「職業人として訓練」したと述べています。
 第5章「小学校教育の明暗」では、「学校へ行けば家事・家業の手伝いから解放され、同じ年頃の友達と遊べるから、普通の子には通学は楽しみだった」が、「一見のどかな大正時代の小学校にも問題はいろいろあった」として、実際に学校へ通えない児童がかなりいたことなどを挙げています。
 第6章「青年時代と結婚まで」では、「大多数の一般人は、小学校の尋常科を卒業した12歳か、高等科を出た14歳で仕事に就くのが当たり前だった」と述べ、また、「よほど重い病気か精神障害者でもない限り、男は20歳から25歳の頃までに、女は16歳から22歳くらいまでに一度は結婚した。女は、何よりも暮らしの糧を得るために夫が必要であり、男は家事万般をゆだね、性欲を満たして跡継ぎを得るために、何人も結婚することに疑いをもつ者はいなかった」と述べています。
 第7章「身の上相談にみる家族関係」では、「身の上相談の担当記者名(歌人:国文学者 窪田空穂)が特定され、かつ『創作』の疑いはきわめて薄いことがその日記などから立証できる事例を中心に、大正4年から9年の身の上相談の一部を紹介」しています。
 そして、「大正期の日本社会の大勢は、自由恋愛、自由結婚を『ご法度』として捉えていた」ので、相談のあった「これらの結婚は皆仲介婚であった」と述べています。
 第8章「衣服生活の変わりぶり」では、東京銀座などでは、「男の洋服はかなり日常化していた」が、「家ではもっぱら和服を着ることに」なっていたと述べた上で、「家庭生活が主な女の服装は、変わる必然性がなく和服が中心であった」と述べています。
 そして、「関東大震災がもたらした画期的な変化」として、大正12年末から発売された、「アッパッパ」を挙げ、「とにかく安価な木綿地で、下着も要らず簡単に着られ、素足に下駄履きでも出かけられる服装は、これまでの窮屈で高価な洋服とはまったく違った庶民的なものとして広く受け入れられた。和服から洋服へ、まさに橋渡し役を果たしたものといえる」と述べています。
 第9章「都市家庭の栄養と食事」では、農村の自動の弁当の副食物が、「梅干のみであったり、漬物のみであったりというのが普通であった」のに対し、「地主階級の子は塩鮭かたらこ」が付き、「東京下町の子どもの弁当のおかずは塩辛いこぶの佃煮か、干たら、塩鮭といった物。ご飯は海苔弁。ご飯の上に海苔を載せ、その上にご飯をおく。鰹節を入れて、しょうゆをかけて出来上がり。夏は梅干をご飯の中に一つ入れる」と述べています。
 また、「ちゃぶ台への転換が進んだのが、水道の普及した、東京で言えば関東大震災後であった」ことを紹介し、「ちゃぶ台で一斉に食事をするようになると"いただきます""ごちそうさま"の食事の挨拶が出てきた」と述べています。
 第10章「地方農山村の風土と食物」では、富山県の海辺の漁民の食事として、「朝まま(朝食)」は、「とはんに倍量の水を加え、ひと煮立ち」させた「ごはんの湯づけ」に、カワハギの干物と梅干かたくあんの漬物、「ひるま(昼飯)」は、ご飯か、「ごはんに同量のおからを混ぜ火を通」した「おからまま」に、魚の味噌汁、漬物、「夕はん(夕飯)」は、ご飯、身のしまった魚の煮物や焼き物、味噌汁であったと紹介しています。
 また、長野県の例として、「山の動物、川魚、昆虫類も食用する。厳冬期の凍み豆腐、凍み大根など凍結乾燥は気候風土を生かし、あるだけの素材を巧みに扱い、季節毎に食事を整える手法が、母から娘に、姑から嫁に暮らしの中でしつけられ昭和初期まで変わらず受け継がれた」と述べています。
 著者は、「都市部を除く農漁村の対象の食生活は、明治期からさらに昭和初期に及んでも変わらなかった」として、「米かばい、飯かばい」の「かばい」は「大切にしまっておく」を意味するもので、「混ぜる」の意味の「かてる」の「かて飯」は、「米の食べ延ばしに、古来からの雑穀・山菜、野草、海草・栽培野菜の大根、大根葉、かぶ・渡来の芋、藷を米に揉てた(まぜた)」と述べています。
 第11章「大正期における老いの意味」では、「若いときは一生懸命働き、老人になったら楽隠居をして、孫に囲まれて日向ぼっこ」というのが、「農家に生きる人びとの理想的な生涯の過し方」であったが、「三世代が食うに困らぬほどの家産を持つ農家は少数派であり、『隠居』ののちも働きづめで『楽』など望むべくもなかったのが当時の現実であった」と述べています。
 また、「人外れに」長生きすることは、「その時代の人々が心に描いていたライフスタイルから『外れて』しまうことを意味」し、その結果、「思いのよらない経験をすることになる」と述べています。
 第12章「家族の楽しみごと」では、「実際に、家族単位の楽しみごとが見られるようになるのが大正時代」であると述べた上で、『家族の和楽』が注目される背景の一つとして、「妾の存在を否定した、明治15年からの新しい刑法の施行によって、家族のあり方が意識されたこと」を挙げ、「のちの明治31年民法と相俟って、日本において初めて、法律上の一夫一婦制が確立した」が、慣習的には、「当時実力ある男にとって妾を持つことはごく当たり前」であったと述べています。
 また、「家族が団欒できる状況」は、「主に上流階層の限られた人たちにしかなく、農村で大部分を占めていた貧困小作農や、明治末から大正期にかけて増加してきた労働者層においては、娯楽どころか生活自体が大変で、大正時代はそういった労働者の生活問題が顕在化した時期でもあった」と述べています。
 第14章「都市の住宅・農村の住宅」では、「大正期の都市の住宅改良の要点」として、「和洋折衷」「家族本位」「プライバシーの尊重」「主婦労働の軽減」の4点を挙げ、「そのほう画は明治期にあった」と述べています。
 また、農村住宅の間取りについて、「全国的にほぼ共通であった」として、
・土間と床張りの部分からなっていること
・床張りの部分には4つの部屋が「田の字型」に配置されていること
を挙げ、「大きい家ではさらに2部屋が加わって『サの字型』になることもあった」と述べています。
 そして、「細民層と貧民層を除いて、中間に位置する6~7割の家族は、結局、木造の平屋か2階建ての住宅に住んでいた」が、ほとんどが、「3間程度の狭い借家であった」と述べています。
 第15章「女性のくらしと家事労働」では、「日本における主婦の誕生は、日露戦争、第一次大戦後の産業構造の変化のなかで新たに生まれたサラリーマン層においてであり、職業人口比率で言えば大正末でさえ全人口の1割にも満たない」とした上で、主婦が誕生する条件として、
(1)職住分離の労働形態
(2)性別役割分業
(3)夫がその収入だけで生活費をまかなえる給与を得ていること
の3点を挙げ、「わが国でこうした全ての条件をクリアした初めての社会階層が、大正期のサラリーマン層であった」と述べています。
 第17章「子ども文化の時代」では、大正期に、「子どもの名づけ方に大きな変化が見られるようになった」として、「それまでは、男の子なら、~吉、~蔵、~郎、~助、~作、~治といった名を、女の子は、イネ、ハナ、タケ、ウメのようなかな2字の名をつけられた子どもが多かった」が、「男子では『男、夫、雄、彦』などを末尾につけ、女子では『子』をつける名が多くなった」と述べ、「このような命名法の変化は、子どもに対する親の考え方が変わってきたこと」を示し、「子どもを一個の人間として見ようとする考えが働いている」戸述べています。
 本書は、明治と大正にはさまれ、「大正デモクラシー」「関東大震災」「モボ・モガ」などの断片的なイメージしか持ちにくい、大正という時代のリアルな姿の断片を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 山田芳裕の初期の作品で『大正野郎』というのがありまして、主人公は芥川龍之介にあこがれて、大正時代の風俗を真似したがるという青年ですが、この作品にも表れているように、大正時代と言えば文学の世界と最先端の風俗のイメージが強いようです。


■ どんな人にオススメ?

・明治と昭和をつなぐ激動の時代を、生活面から見てみたい人。


■ 関連しそうな本

 山田 芳裕 『山田芳裕傑作集』 
 石川文化事業財団お茶の水図書館 『カラー復刻『主婦之友』大正期総目次』 
 近代女性文化史研究会 『大正期の女性雑誌』 
 山崎 祐子 『明治・大正商家の暮らし』 
 下川 耿史, 家庭総合研究会 『明治・大正家庭史年表―1868‐1925』 
 桂 英澄 『小学生が見た大正末期・昭和のはじめ―綴方教育の記録から』 


■ 百夜百マンガ

おジャ魔女どれみ【おジャ魔女どれみ 】

 原作の「東堂いづみ」さんが、プリキュアと同じことにびっくりしたのですが、これは、「東映動画大泉スタジオ」の略で、架空の人物だということを初めて知りました。千葉テレビで再放送中です。

2008年10月 7日 (火)

日本リベラルと石橋湛山 いま政治が必要としていること

■ 書籍情報

日本リベラルと石橋湛山 いま政治が必要としていること   【日本リベラルと石橋湛山 いま政治が必要としていること】(#1356)

  田中 秀征
  価格: ¥1575 (税込)
  講談社(2004/6/11)

 本書は、「戦後史の奇跡」とも言える、「最高水準の識見、人柄、胆力の三拍子揃った政治家」である石橋湛山の評伝です。
 「序に代えて――私と石橋湛山」では、「石橋先生の政治的舞台は、寸劇のように短かったが、その影響力は今日に至ってもなお他を圧している」と述べています。
 第1章「政治家のたたずまい」では、昭和20年8月15日の敗戦から、昭和48年に生涯を閉じるまでの政治家としての湛山を追っています。
 第1節「八月十五日」では、玉音放送の直後、「新しい日本の前途は、実に洋々たるものがあります」と演説したことについて、「強がっている風ではない。励ましているだけでもない。明るく、前向きで力強い。すこぶる元気で希望に満ちている」と述べています。
 そして、湛山が、8月24日の状況までの10日足らずの間に、「長年このときのために練り上げ蓄積してきた構想を一気に吐き出し」、「8本の論文を仕上げた」と述べ、「湛山からすれば、敗戦という現実を前に、どこかに『それみたことか』という想いがあってもふしぎではない」として、「彼の洞察力や政治構想の正しさを見事に実証する結果ともなった」と述べています。
 第2節「戦後改革の論点」では、「戦前、戦中において、石橋湛山の言論が、最後まで息の根を止められなかったのは、彼の言論が、"経済の視点"に立っていたから」であるとして、「政治論からでなく、経済論からの体制批判を続けたところに湛山の巧妙さがある」と述べています。
 また、「戦後の農地改革による地主制度の解体によって、"人材供給"に大きな可能性が開かれた」として、「かつての小作人の家の指定も優秀であれば誰に気兼ねすることなく大学に進学するようになった」結果、「日本の人材供給のプールは一気に10倍以上に拡大した」として、「苦学して大学を出た貧しい家の子弟たちはその後、日本の高度成長の期間的な担い手となった」として、「農地改革にはそんな予期せぬ効果もあった」と述べています。
 第3節「社会党・進歩党・自由党」では、昭和20年11月9日に日本自由党に入党し、顧問に就任した湛山が、当時の心境として、「議論だけでは実際の事柄は思うようにはいかない」として、「実際政治に関与しようという気を起こした」と語っていることを紹介しています。
 そして、財閥解体や農地改革をめぐって、「自分の無力さを感じ、戦後日本の方向付けに強い危機感を持った」として、「せっかくの白いカンバスに、自らの想いとは違う絵がどんどん描かれようとしているのをこれ以上見過ごすことができなくなったのだ」と述べています。
 第4節「戦後最初の総選挙」では、昭和21年1月4日の「公職追放令」が、「政治家・石橋湛山にとってその運命を大きく展開させる重大な出来事になった」として、「これによって、国会議員として国政に参画する意欲を持った」のだと述べています。
 そして、昭和21年の総選挙に湛山が出馬したことについて、「湛山が選挙というものを熟知していたら、たぶんその選挙を見送っただろう。また、彼がもっと野心家であったとしても、傷がつくことを恐れて立候補を断念したかもしれない」が、「湛山の心中は、時代は今、自分を必要としている、という想いで一杯であった」と述べています。
 著者は、湛山が、この選挙の敗因を、「もっぱら知名度不足、準備不足、あるいは宣伝不足によるものと総括しているが、やはりこのときの湛山には一般有権者に対する魅力や技量が不足していた」と述べています。
 第5章「石橋財政とGHQ」では、第1次吉田茂内閣において、「無議席にもかかわらず、大蔵大臣に抜擢された」湛山が、「連合国を"勝者"と認め、その意向と面と向かって逆らわず、むしろそれを利用して自己主張をし、日本の国益を追求しようとした」吉田に対し、「敗者意識」が薄く、「真っ向から占領政策に異を唱え、自己主張を展開」下と述べています。
 そして、「このような湛山の姿を見て、国民的な人気が高まるのは当然のこと。湛山株はこの時期に急上昇し、吉田首相をしのぐ勢いとなっていた」が、「権力争いをしているつもりが全くない湛山は、陰で進む政治的な動きには依然として鈍感」であったと述べています。
 第6節「追放――障害物・湛山」では、昭和22年4月の総選挙で念願の初当選を飾った湛山が、5月17日、吉田首相の名において、G項該当者、すなわち「その他の軍国主義者・超国家主義者」として追放されたことについて、「明らかに不当な追放である」と述べています。
 そして、「湛山の追放は、連合国の占領史の中での最大の汚点であったが、それ以上に、日本の戦後史にとって『得べかりし利益』を失う不幸な出来事であった」として、「もしもこの湛山追放がなければ、戦後史はより実り多い成果を挙げていたであろう」と述べています。
 さらに、「湛山が、GHQと日本政府にとって障害物とされた理由」として、
(1)重要政策についての意見の相違。しかも、湛山の主張はしばしばGHQを上回る説得力を持っていたから無視できない。正しい人を倒すには陰湿な手段しかないのである。
(2)湛山自身の性格や姿勢が亀裂を大きくした。
の2点を挙げています。
 また、「当時は、こと政策に関しては、石橋湛山の独壇場であった」として、「まさに無尽の野を行くがごとく、湛山一人が縦横無尽に突っ走った感がある。戦後の確固としてグランド・デザインを念頭においていた政治家が他にいたなったこと。そのことが皮肉にも湛山に災いしたのではないか」と述べています。
 第7章「『二君に仕えず』――腹心・石田博英」では、石橋シンパ40人を集めた集会を予定していたところに、「いざ追放が決定し、約束どおり、その人たちを招集したところ」、「集まったのは、石田のほかに、島村一郎と高橋栄吉だけ。10分の1以下に急減した」ことで、「いまにみておれ、いつかきっと石橋内閣を作ってみせる」と、石田が「心中深くそう決意した」と述べています。
 第8節「鳩山一郎内閣」では、湛山の追放前と解除後には大きな状況変化があったとして、
(1)吉田首相が政治的に習熟し、強固な政治基盤を築いていたこと。
(2)追放解除された人は湛山だけではないこと。
(3)多くの政治家や政党は、終戦直後と違って、それなりの再建構想、政治構想を持つようになっていたこと。
の3点を挙げています。
 そして、保守合同を経た昭和31年11月、湛山は総裁公選への立候補を表明したが、「いわゆる選挙活動をしている人間、そういうものによく見かけられる哀れっぽさ、媚態、そういうみっともなさというものが全然なかった」都述べています。
 第9節「石橋湛山内閣」では、昭和31年12月14日に実施された初の総裁公選において、湛山が決選投票で岸信介を下し、第2代総裁に就任、「私が政治家になったのは仕事がしたいからで、肩書きが欲しいためではない。私には理想がある。こうして総裁になったからには、この理想実現のため、多少人にいやがられるようなことがあっても断固やり抜く」と政権担当への決意を語ったことを紹介しています。
 そして、「タンザン」ではなく「ナンザン」内閣だと揶揄された苦労した組閣の翌日、聴衆に対して、「民主政治は往々にして皆さんのごきげんをとる政治になる。国の将来のためにこういうことをやらなければならぬと思っても、多くの人からあまり歓迎せられないことであると、ついついこれを実行することを躊躇する。あるいはしてはならないことをするようになる。こういうことが今日民主政治が陥りつつある弊害である」と述べた上で、「私は皆さんのごきげんを伺うことはしない。ずいぶん皆さんにいやがられることをするかも知れないから、そのつもりでいてもらいたい……」と演説したことを紹介し、「日本の民主主義がいわば要求型民主主義に堕しつつある現状に彼は改めて警告を発したのだ」と述べています。
 第10節「無念の石橋退陣」では、「国民的な湛山人気の爆発。湛山本人の意欲」にもかかわらず、1週間で札幌、大阪、福岡、名古屋を一巡する強行日程の全国遊説や、待ちかまえる解散・総選挙や翌年度予算の編成などの過密スケジュールは70過ぎの石橋首相の身体をむしばみ、屋外で行われた早稲田大学の首相就任祝賀会をきっかけに、翌日倒れ、そのまま湛山は、「首相として一度も国会に姿を見せることなく退陣した。ほんの2ヶ月あまりの短命内閣であった」と述べています。
 第11節「支持者あって名峰あり」では、「偉大な政治家には、必ず偉大な支持者がいる。政治家の事業は、最も近いところにいる人との合作である。それは無名の人である場合も多い」として、政治家石橋湛山を支え続けた沼津の名取栄一を取り上げ、「湛山にとっての幸運は、筆頭の支持者が、心の底から日本の再建を優先させていたことだ。極上のみこしが、極上の担ぎ手に恵まれたのである」と述べています。
 第12節「石橋湛山の晩年」では、炭山の妻、梅子が、「いつも本ばかり読んでいる人だと思いました」と語っているのに対し、湛山自身は、「これは買いかぶりではなはだ読んでいないね。もっとも、ぼくは元来あんまり本を読む方ではない」と語っていることについて、「当の湛山には、いつも読みたい本がいっぱいある。一生かかっても読めるかどうか、いつも不安に思っている。読みたい本の多さに比べると、実際読んだ本はきわめて少ない」と思っていただろうと述べた上で、「湛山は自分を格別の読書家だとは思っていない。他の人たちも、自分と同じか、それ以上に本を読んでいると思っている」として、「湛山にとっての読書は、自分の考えや直感を試したり鍛えたりする道場のようなものだ」と述べています。
 また、昭和48年4月25日、88歳の生涯を閉じ、本人の希望により解剖に付された湛山の心臓が、普通の人が220グラムであるのに対し、470グラムと倍以上の大きさがあったことについて、「おそらく天は、湛山という希有の人材に対して、二人分の心臓を持たせるという粋な計らいをしたのであろう。しかし、二人分の心臓をもってしても、日本の政治転換には足りなかった」と述べています。
 第2章「石橋湛山の思想と政策」では、湛山の政策を現代に照らして検証しています。
 第1節「国連と安全保障」では、湛山が、「日本の外交・防衛に関して、また国債安全保障に関して、多くのメッセージを」発した中でも、最も重要なものとして、「湛山が首相の立場に立って発信したメッセージ」を挙げ、「それらは、"現実政治"との厳しい調整を経たもので、それゆえに、湛山の譲れない一線を読みとることができるからである」と述べています。
 第2節「日本国憲法」では、「戦後日本の不幸は、『憲法制定勢力』がそのまま『護憲勢力』ではなかったことだ」として、「GHQから押しつけられた憲法を、政府も議会も渋々認めたという事実が、今日まで尾を引いている。石橋湛山のように、新憲法の先を行く指導者が、もっと憲法の起草や成立過程で主導的な役割を果たしていたなら、戦後の憲法論争は違った経過をたどったことであろう」と述べています。
 第6節「行政改革」では、「"官権政治"には致命的な限界がある」として、
(1)新しい価値目標を生むことができないこと。
(2)価値目標のみならず、官僚組織は自らの力によって基本的な政策の方向転換もできない性格を持っていること。
の2点を挙げています。
 本書は、戦後の日本政治史に輝く「名峰」と、現代にあっても失われないその意義を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 もと政治家の本ということで、第2章では、本人の考えが色濃く現れている部分がありますが、湛山の評伝としてコンパクトにまとまった第1章も、著者が「意気に感ずる」部分が強調されていて読み応えがあります。


■ どんな人にオススメ?

・最近の政治家しか知らない人。


■ 関連しそうな本

 石橋 湛山 『石橋湛山―湛山回想』
 小島 直記 『気概の人 石橋湛山』
 田中 秀征 『判断力と決断力 リーダーの資質を問う』
 林 信吾, 葛岡 智恭 『日本人の選択―総選挙の戦後史』 2008年10月06日
 春名 幹男 『秘密のファイル(上) CIAの対日工作』 2006年08月24日
 北 康利 『白洲次郎 占領を背負った男』 2007年04月23日


■ 百夜百マンガ

競艇少女【競艇少女 】

 どうしても名作と言われる『モンキーターン』と比較されてしまうのですが、何しろ、小中学生レベルの読者がそのまま年を取ったような『スーパージャンプ』に掲載されていたのですから、無理な注文というものです。

2008年10月 6日 (月)

日本人の選択―総選挙の戦後史

■ 書籍情報

日本人の選択―総選挙の戦後史   【日本人の選択―総選挙の戦後史】(#1355)

  林 信吾, 葛岡 智恭
  価格: ¥819 (税込)
  平凡社(2007/06)

 本書は、「日本の有権者は、なにを考え、どのような投票行動をとったか」をテーマに戦後日本政治を概観したものです。
 第1章「政党の胎動」では、「バカヤロー解散」について、「選挙で国民に対して信を問う前に、与党内、あるいは政党間の駆け引きによって政権を奪い合うという、戦後日本の政党政治の原型ともいえる構図が見て取れる」と述べています。
 また、1946念4月10日に実施された、戦後初の総選挙について、敗戦直後に、「それまで『鬼畜米英』『一億玉砕』をとなえていた日本人が、1945年8月15日を境に、突如として『民主主義』『反戦平和』へと、コペルニクス的な思想の転換を遂げたかのような印象を持ってしまいがち」だが、「決してそうではなかった」と述べ、占領軍=GHQがこの結果に危機感を抱き、「選挙後に追放が拡大され、鳩山一郎は、当選したにもかかわらず公職に就けなくなってしまった」ことを指摘しています。
 そして、吉田茂が、「古参の党人たちを無視して官僚を登用した」理由として、
(1)戦前から議席を持っていた政治家は大半が公職追放の対象となっており、人材が払底していた。
(2)戦後の悪性インフレと食糧不足を乗り切るためには、経済政策のエキスパートで固めた内閣が必要だという、現実的理由。
(3)吉田はそもそも戦前派の党人を信用していなかった。
の3点を挙げています。
 さらに、1948年の「昭電疑獄」について、「GHQの内部対立、具体的には、日本国憲法の成立にも深く関わり、日本の民主化・日軍事化をさらに進めようとしていた幕僚民生局と、日本を早く資本主義陣営の一員とし、再軍備させたかった参謀第二部との対立抗争の結果、仕掛けられたものだというのが、今では定説になっている」と述べています。
 そして、「バカヤロー解散」による、1953年の総選挙について、「国民は明らかに、この選挙の争点は首相の暴言などではなく、『憲法改正・再軍備』の是非であることを見抜いていた。そして、はっきりと再軍備拒否の意思表示をしたと言えるだろう」と述べています。
 第2章「安保から経済成長へ」では、池田勇人の「所得倍増」の四文字について、ノンフィクション作家の沢木耕太郎が、「戦後最高のキャッチコピーである」と評価していることを紹介した上で、「私はウソは申しません」と言い切り、「海千山千の政治家たちの中にあって、馬鹿正直に所信を述べてしまう池田がこう言い切ったからこそ、『所得倍増』という突拍子もないスローガンにも、国民は聞く耳を持ったのだと言える」と述べています。
 また、朝鮮戦争を契機とした再軍備(警察予備隊の創設)とレッドパージが、「戦前の軍国主義に逆戻りし始めたのではないか」と警戒され、「逆コース」と言われたことについて、「もともとアメリカン・デモクラシーは、反ファシズムであると同時に、反共というイデオロギー(世界観)の上に成り立っている」として、「まずは占領下で日本の軍国主義を解体し、その後『民主的な』反共国家として、あらためて独立させるというのは、逆コースどころか、いたって自然な成り行きであったのではないか」と述べています。
 さらに、1960年のアイゼンハワー大統領の来日を巡り、羽田空港から皇居までのパレードが計画されたが、連日、国会周辺に10万人単位のデモ隊が押しかける中で、警察力が足りず、そこで、児玉誉士夫が登場し、「右翼団体のみならず、博徒(ヤクザ)やテキ屋までを説いて回り、最終的に5万人近い動員が可能、と見られるまでになった」と述べ、ヤクザが戦前から「警察力を補完する、権力側の暴力装置」として機能してきたと解説しています。
 第3章「保守・革新の瞑想」では、1972年6月17日の佐藤栄作首相の引退会見について、「単に佐藤政権の終焉を国民に告げたにとどまらない。官僚が自民党を支配し、ひいては日本国を支配する構図が、この日を境に、がらがらと崩れていくのである」と述べています。
 そして、1975年には、東京、大阪、京都、横浜、神戸、名古屋、川崎などの大都市を始め、「実に147もの都府県および市町が、革新系の首長で占められた」として、「これはほどなく国政選挙にも反映され、保革伯仲時代がやってくる」と述べています。
 また、田中角栄と大平正芳に対する評価が高い理由として、田中が佐藤内閣の蔵相時代に義務教育の教科書無料化を実現し、大平も、大蔵官僚時代から育英資金の拡充に取り組み、「代議士になってからは文教族として、教育環境の整備に努力してきた」ことを挙げています。
 第4章「保守『奔流』」では、ロッキード事件が明るみに出たのが、ロッキード社の内部文書が、チャーチ小委員会の事務所に「誤って」配達されたことが発端であり、「これを単なる偶然だと言われても信じがたいし、こうした暴露のされ方そのものが、日本に対する何らかのシグナルだった、と考える方が自然だろう」と述べ、「あまりに泥沼化し、負担が大きかったベトナム戦争に対する反省から、米国は、中国と『手打ち』することでアジアにおけるパワー・バランスを見直すこととなった」として、「『裏』においては、アジアにおける公然・非公然の反共勢力に資金を垂れ流すのをやめたのだと考えられている」ことを挙げ、「こうした視点から見直してみると、ロッキード事件も、単なる贈収賄事件とは、また違った面が見えてくる」と述べています。
 そして、「田中支配が始まって以降の有権者の投票行動」について、東大法学部の樺島郁夫教授が、「バッファー・プレイヤー」という言葉を用い、彼らが、「自民党支持層に分類されるのだが、実際には、しばしば自民党に投票しない」理由について、「『政権担当能力がある政党は自民党だけだ』と考えてはいるものの、自民党が安定多数を占めることは望ます、むしろ与野党伯仲の状態を歓迎しているから」だと述べ、「保革伯仲の状態でないと自民党に緊張感が失われ、国民の欲求に対して鈍感になる」と考えているとして、「都市部を中心に、こうしたバッファー・プレイヤーが増加したことが、およそ10年にわたって保革伯仲が続いた理由のひとつだと考えてよいだろう」と解説しています。
 第5章「政変から再編へ」では、高度経済成長期に、農村で義務教育を終えた少年少女が、集団就職列車で都会に送り込まれ、大部分が中小企業の現業労働者となっていったが、「特別なスキルもなく、それゆえ不安定な労働環境に甘んじるしかないという、言うなればプロレタリアートの名にもっともふさわしい彼らに手を差し伸べたのは、労働運動でも社会主義政党でもなく、宗教団体であった」として、創価学会を挙げています。そして、政治評論家の藤原弘達が、『創価学会を斬る』というタイトルの本を執筆したときに、「政府与党の最要職にある有名な政治家」、すなわち、公明党の竹入委員長からの強い要請を受けた自民党幹事長・田中角栄が、「出版を取りやめるよう直談判」の電話をかけてきたという、「戦後史に例を見ない」出版妨害事件を取り上げています。
 また、1993年6月17日、宮沢内閣の不信任案に、「羽田・小沢グループが賛成したため、可決して」しまい、羽田派が結局、「衆参合わせて44名の議員をもって新生党を結成」し、武村正義、鳩山由紀夫、田中秀征らのグループも、「ユートピア政治研究会」を母体に「新党さきがけ」を結成したことなどを解説しています。
 そして、相次ぐ金権スキャンダルで高まる一方であった国民の政治不信の空気を読んだ細川護煕が、「新しい受け皿」が必要だと考え、自らが評議員であった松下政経塾の出身者をも集め、1992年5月22日に「日本新党」を立ち上げたことを解説しています。そして、社会党、新生党、さきがけ、日本新党、公明党、民主党、社民連、民改連の8党による連立内閣として誕生した細川内閣が、71パーセントという高い支持率を記録した理由について、「貴公子然とした細川の個人的魅力や、県知事などの経歴があるとは言え、衆議院の当選一回生で首相になるという斬新さが寄与したことは間違いない」とした上で、「このあたりで、政権交代のための政権交代でもよいから、とにかく一度やってみるべきだ」という国民の声に応えたことを挙げています。
 第6章「国民の、次なる選択」では、「聖域なき構造改革」を唱えた小泉内閣が、道路公団の分割民営化を成し遂げられた理由について、「小泉はどうやら『民主党カード』を上手く使ったのではないか、という推論が容易に導き出せる」として、「抵抗勢力」が、「あくまで民営化阻止を狙うのであれば、自らの改革路線を支持する勢力を引き連れて党を割り、民主党と合流することも辞さない構えであった」と述べています。
 そして、「党内基盤がないに等しい小泉が、郵政民営化という荒業を成功させられた」のも、「選挙に勝てる『顔』を求めたあまり、よりによって一匹狼をリーダーに担いでしまった自民党は、ぶっ壊されたと言うより、自己崩壊したのであった」と述べています。
 著者は、2005年の総選挙において、自民党と民主党の得票総数が、「実は1.3対1に過ぎなかった」ことについて、「小選挙区制では、このように得票数と議席数がかけ離れた結果になることがある」が、「そうであるからこそ、劇的な政権交代も可能なシステムなのである」として、「国民はもはや、『1.5大政党制』など望まず、明確に二大政党制を望んでいる」と述べています。
 本書は、総選挙を中心に、わかりにくい戦後日本の政治をわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、教科書に書かれている評価の定まった堅い政治史と、さまざまな意見が分かれる政治学の世界、そして、週刊誌やスポーツ新聞の世界の間を取り持ってくれる一冊といえるでしょうか。さすがに大雑把というか、雑に感じる部分もありますが、こういうスタンスで書かれた本は読んでいて楽しいです。
 昔は、こういった歴史の隙間を埋めていくような読み物といえば、政治小説や時代小説だったのだと思いますが、最近は小説は流行でないので、こういった新書の読み物が増えたのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・戦後日本の政治をざっと読んでおきたい人。


■ 関連しそうな本

 今西 光男 『占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎』 2008年04月27日
 竹中 治堅 『首相支配-日本政治の変貌』 2006年12月26日
 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日
 春名 幹男 『秘密のファイル(上) CIAの対日工作』 2006年08月24日
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 北 康利 『白洲次郎 占領を背負った男』 2007年04月23日


■ 百夜百マンガ

クロカン【クロカン 】

 受験マンガで大注目された人ですが、本人の原点は野球マンガにあるそうです。そういえば、監督と部員、教師と生徒、という構造自体は共通しているようにも思います。

2008年10月 5日 (日)

子どもとケータイ―Q&Aで学ぶ正しいつきあい方

■ 書籍情報

子どもとケータイ―Q&Aで学ぶ正しいつきあい方   【子どもとケータイ―Q&Aで学ぶ正しいつきあい方】(#1354)

  遊橋 裕泰, 宮島 理 (著), モバイル社会研究所 (監修)
  価格: ¥1470 (税込)
  リックテレコム(2008/07)

 本書は、「子どもにケータイを持たせようか悩んでいる」、「子どものケータイを持たせているのが不安だ」と、「子どもの心配をしている大人に読んでもらうための本」です。
 著者は、「子どもとケータイ」の本質は、「ケータイを持ち、ネット社会の自由を手に入れた子どもたちが、その一方で、一人前の人間として振舞うことができるかが、問われているということ」だと述べています。
 第1部「導入編:子どもたちの『ケータイ社会』に対するインパクト」では、「これからケータイを使っていく際」に、子どもたちに、
「十分に自立的な存在に成長しているのか」
「自由と責任のバランスはとれているのか」
「コミュニケーションという行為において他者への配慮ができるのか」
の3点が求められると述べています。
 そして、普及率の問題ではなく、「成長過程のわずか数年のうちに、人と人の関係をつなぐコミュニケーションの根底にケータイが入ってくるということ」が重要だと述べています。
 第2部「速攻編:Q&Aでわかる子どもとケータイの正しいつきあい方」では、フィルタリング機能についての問題点として、
(1)「良いサイト」も閲覧できなくなる可能性がある。
(2)情報更新が追いつかないため万能ではない。
の2点を挙げています。
 そして、「友達みんなケータイを持っている」という子どもの要求については、友達の親などに話しを聞き、グループ内保有率の実態を把握した上で、「わが子自身の成長の度合いを考慮に入れながら、最終的な判断をするべき」だと述べています。
 また、子どもたちの「三十分ルール」について、「問題なのは、三十分以内に返信するために、勉学などへの集中が途切れたり、いつまでもメールを返信しあって時間を無駄に過しかねないこと」だと指摘し、「夜九時以降はメールをしない」などの家庭内ルールをつくることを提案しています。
 さらに、「ケータイは子どものものだから……」と遠慮せず、「ケータイは親のものであって、子どもはそれを借り受けているだけ」だとして、「子どものものだから、口出しするわけにもいかない……」などと遠慮せず、「私が貸し与えたものなのだから、ちゃんとルールを守って使えないなら返しなさい」という意識を持つべきだと述べています。
 第3部「探求編:子どものために大人としてこれだけは知っておこう」では、「普及の影響から以下に自律的であるか、自分なりの意見が持てるかが情報社会での重要な能力であることを考えると、実は最初に持たせるときこそさまざまな葛藤をさせるなかから学ばせるのがよい」と述べています。
 また、「子どもの安全のためにケータイを」という議論について、「多くの保護者がケータイに安全効果を期待してはいるものの、子どもの身に起きる危険な場面やリスクを、現実のものとして具体的には想定していない」として、「その解決や低減の手段として、ケータイの機能を結び付けているわけでもない」ことを指摘しています。
 そして、「ケータイは、上手に利用すれば、むしろ子どもの安全性を高め、親子の安心を維持することに貢献する」が、そのためには、
(1)「子どもにどんなことが起きるのか」、「どのように備えるべきか」、「起きた場合はどのように対応すべきか」に付いて具体的にイメージする。
(2)「ケータイを持たせることでどのようにリスクが下がり、どのように対応の精度が上がるのか」を想定した上で、ケータイの利用法を考える
などを心がける必要があると述べています。
 さらに、子どもにケータイが、「必要か、不必要か」という問いと、「持たせても大丈夫か、持たせると危ないか」という問いを切り分けて考えた上で、子どもにケータイを持たせた後に、「きちんと効果が得られるように使いこなせるか、それとも効果が得られそうにないか」という運用についての視点が必要だと述べています。
 そして、「ケータイを持たせる前の三か条」として、
(1)ケータイを持っただけでは、何の安全にもならないことをわかっている。
(2)子どもと一緒に、新しい世界とケータイの関係を理解しようと決意している。
(3)ケータイへの関心とかかわりを継続する覚悟を持っている。
の3点を挙げています。
 著者は、「ケータイの使い方とは、つまるところ、『情報社会で人としてどう振舞うか』ということでもある」として、その根っこにある「人としての振る舞い」という価値観を教えられるのは、「個々の家庭になる」と述べています。
 また、「ケータイがない時代には、子どもを誘うような『悪い大人』から子どもを守るのは、比較的容易だった」が、「現在のようなケータイ全盛の時代になると、子どもと『悪い大人』が接触する可能性は増大する」とした上で、「子どもたちを守る」には、
・関与力
・対応力
・抑止力
の3つの力が欠かせないと述べています。
 本書は、子どもに関する本という体裁をとりながらも、実は、ケータイに対する付きあい方を大人自身が理解していないことを指摘している一冊です。


■ 個人的な視点から

 といいつつも、私自身もPHSユーザーで、メールを使ってもPC用のeメールの延長として使っているだけで、ネット社会に繋がる端末としてのケータイを使っていないので、本書に書かれているような「プロフ」とか「30分ルール」とかは想像がつかないというのが本当のところです。
 こういうのは、機械を手に入れればその世界に入れるというものでもないのですが、自分の子どもがケータイを持ちたいと言ったときには、住み慣れたPCベースのネット社会を基準にするだけではなく、新しい社会に対する順応性と対応力が必要だと感じています。


■ どんな人にオススメ?

・「ケータイ」と「携帯電話」の区別が付かない人。


■ 関連しそうな本

 遊橋 裕泰, 河井 孝仁 (編さん) 『ハイブリッド・コミュニティ―情報と社会と関係をケータイする時代に』 2008年02月01日
 小林 哲生, 天野 成昭, 正高 信男 (著) 『モバイル社会の現状と行方―利用実態にもとづく光と影』 2007年08月06日
 川上 善郎 (編集), 高木 修 『情報行動の社会心理学―送受する人間のこころと行動』 2005年11月19日
 パトリシア ウォレス (著), 川浦 康至, 貝塚 泉 (翻訳) 『インターネットの心理学』 2005年10月15日
 T. コポマー (著), 川浦 康至, 山田 隆, 溝渕 佐知, 森 祐治 (翻訳) 『ケータイは世の中を変える―携帯電話先進国フィンランドのモバイル文化』 2007年09月02日
 水越 伸 『コミュナルなケータイ―モバイル・メディア社会を編みかえる』 2007年11月29日


■ 百夜百音

Best 森田公一とトップギャラン【Best 森田公一とトップギャラン】 森田公一とトップギャラン オリジナル盤発売: 2006

 代表曲が「青春時代」、曲調もあんな感じということでナツメロといえばナツメロなのですが、1976年のリリースということで、当時でも少し懐かしめだったのではないかという気もします。

2008年10月 4日 (土)

国債と金利をめぐる300年史~英国・米国・日本の国債管理政策

■ 書籍情報

国債と金利をめぐる300年史~英国・米国・日本の国債管理政策   【国債と金利をめぐる300年史~英国・米国・日本の国債管理政策】(#1353)

  真壁 昭夫, 玉木 伸介, 平山 賢一
  価格: ¥2940 (税込)
  東洋経済新報社(2005/7/15)

 本書は、「国際市場参加者(ファンド・マネージャー)、中央銀行、政策構築の視点に立ち、英国・米国・日本の300年の国債をめぐる歴史から考察し、国債管理政策を原点から見つめなおすもの」です。
 序章「歴史から見る国債と金利──中世以降イタリア・オランダで本格化した国債発行の歴史」では、「一国の経済問題としての国債管理ではなく、グローバル経済システムの維持という視点から、政府の資金調達の円滑運営を維持していく必要が強調されるべきである」と述べています。
 また、オランダが、17世紀を通じて、「チューリップ・バブルを経験し、物価変動の影響を受けつつ」も金利が低下していった理由として、「予算管理も含めた調達管理の仕組みを導入することに成功した点」に注目すべきであるとして、その特徴として、
(1)政治と経済が融合し官民一体となった政策運営は、増税に対する抵抗が少ないという特質をもたらし、デフォルトのリスクが極端に低くなることで、投資家からの信用度を高く維持することができた。
(2)貿易などによる富の累積が一般家計に広く行きわたっており、一般家計が国債を購入するという資金の流れを確保したため調達管理が上手く機能していた。
の2点を挙げています。
  第1部「英国の公債管理政策300年史」、第1章「三大特権会社による国債投資をバブルの崩壊:18世紀」では、「度重なる予算管理としての『減殺制度の工夫』や、調達管理としての『多様な国債の統一化』は、投資家層の拡大にはとってはきわめて重要な要素となってくる」と述べた上で、必ずしも有期債よりも永久債を好むとは限らない投資家の反発を惹起させないような変革を成し遂げた理由として、「英国国債を保有する投資家構成の特殊性」を挙げ、「18世紀初頭から英国国債の保有構成は大きく変化し始め」、「英国政府の方針に同調する投資家勢力が拡大し、投資家からの反発が発生しないように、管理しながらの永久債化を図ることが可能になった」と解説し、「当時、英国国債の大部分を保有していたのは、ごく一握りの三大特権会社であった」として、イングランド銀行、東インド会社、南海会社の3つを挙げています。
 また、英国政府が、「投資家からのクレティビリティ(信任)を獲ることと、低利借換を合理的に執行するために、減債資金制度を確立」下として、1717年に設立した「ウォルポール減殺基金」の仕組みを解説しています。
 第2章「戦争と資金調達:18世紀後半」では、英国政府が、「独善的に国債発行を考えるのではなく、市場の反応を、そのシンジケートの中心的役割を果たした公債請負人から常にヒアリングしつつ、国債を管理した」と述べています。
 そして、「戦時体制への切替えと、資金潤沢な一部市場参加者の意思に左右されすぎた国際市場という要因」を背景に、「減殺資金という効果的な仕組みが作り上げられたとしても、戦時経済環境に翻弄されつつ、結果的には政府債務の削減には貢献できなかった」と述べています。
 第3章「平和と技術革新の時代:19世紀」では、「資金調達の中心者が、英国政府から民間企業、そして外国政府へと移行するにつれて、国債管理も19世紀初頭までとは様相が異なることになる。代替的な投資対象が台頭してきたことから、英国国債が窮地に陥ったわけではなく、むしろ政府の資金調達ニーズが後退する中で投資対象の多様性が進んだため、金利低下を伴いつつ資金循環の経路が円滑に移行していった」として、「国債管理政策に対する圧力が大きくかかることはなく、むしろ市場の資金最適配分機能を高めることに注力することが可能になるのであった」と解説しています。
 また、1875年以降に顕著であった政府債務の圧縮が、「財政支出の削減により達成されたのではなく、増税と債務削減の具体的な方策としての減債努力により遂行された」のであり、「増税を実施できるだけの国府の増大があってこそ達成できた」と述べています。
 そして、「18世紀が戦争の世紀だったのに対して、対仏戦争終結後の19世紀は、英国にとって平和の世紀であった」として、「資金調達の中心者も、戦費調達の楔を解かれた英国政府から民間企業へ、そして外国政府へと移行するに伴って、予算管理も19世紀初頭までとは異なり、緩やかなスタンスへ変転することになる」と解説しています。
 第4章「2つの世界大戦の戦費調達:20世紀前半」では、20世紀の英国長期金利の推移を第二次世界大戦後も振り返っての特徴として、
(1)長期金利がピークを打つ時期が米国と異なっている。
(2)18世紀から19世紀にかけての200年間が2.25%から6.00%のレンジ内での循環推移であったのに対して、20世紀の金利変動幅が大幅に拡大し、ボラティリティ(変動率)水準も高まっている。
(3)財政状態の悪化が、米国以上に長期金利の上昇に影響した。
の3点を挙げています。
 そして、「19世紀末の『減税よりも債務減』と好対照を成す第一次世界大戦中の『増税よりも債務増』という姿勢は、その後の第二次世界大戦の際に、債務増加のリフレインとなって現れてくる」として、最終的に標準税額が最高50.0%間で上昇したことを挙げています。
 第5章「社会福祉と財政赤字:20世紀後半」では、20世紀の英国国債管理政策について概括した上で、18世紀から20世紀にかけ、「英国においては、予算管理の度合いは環境に応じて大きく変化するものの、調達管理の伝統は持続的に保たれている傾向がある」とし、「19世紀以降の国債市場は、政府の資金調達の場、もしくは市場参加者の資産選択の場としての機能のみではなく、国民資源の効率的配分機能を満たす動きも強まった」ことを強調しています。
 第2部「米国の国債管理政策200年史」、第6章「国家の台頭と信用制度の構築:19世紀」では、1789年に初代財務長官となったアレキサンダー・ハミルトンが、「独立戦争に要した費用を捻出するために、拡大した政府債務の問題に着手した」として、「新政府の将来にわたる財政基盤を確立するために公債額面償還政策を実施し、信用システムの再構築に乗り出すこと」となったと述べています。
 そして、「戦争債務を着実に完済したという事実」が、「多くの投資家に、債権発行者としての米国の高信用度を印象づけること」となり、「その後の米国政府に対する財政的信任(クレディビリティ)は、ハミルトン等の長期的戦略(大計)により確保された」と述べています。
 第7章「世界大戦と大恐慌:20世紀前半」では、米国の国債管理政策について、「第二次世界大戦に至るまでに、古典的国債管理政策→景気対策型国債管理政策→国債価格支持政策という変転をたどることになる」として、「国債管理政策の軸足も、予算管理中心→予算管理の後退→市場統制という具合に変化した」と述べています。
 第8章「累積する債務と調達管理:20世紀後半」では、1951年に、「中長期財務省証券の価格支持政策も解除されることになった」として、1951年3月4日、「財務省と連邦準備制度との『アコード』が発表され、連邦準備制度による中長期財務省証券買いオペが停止された」と述べ、「国債管理政策は新たな局面にはいることになった」と解説しています。
 そして、1970年代の長期金利上昇期を乗り越えた後、「膨大な累積財政赤字をマクロ経済的与件として捉えることで、予算管理の範疇よりも調達管理こそが国債管理政策の中心軸であると考えられるようになった」と述べ、その主眼として、
(1)「国債発行の定期化」により、市場参加者が予測可能な発行を実施することで、需給の不確実性を低下させた。
(2)市中国債平均残存年限の「長期債の発行」が図られた。
(3)市場参加者のニーズを把握するために、公共債協会の「国債及び政府機関債委員会」が、四半期に一度、財務長官に報告書を提出することにした。
の3点を挙げています。
 著者は、米国の国債管理政策史の200年を振り返り、「英国の国債管理政策のよさを生かしながら、さらに発展的に市場の機能を高める工夫が見られた」と解説しています。
 第3部「日本経済の歩みと国債管理政策──日本銀行と国債のかかわりを中心に」、第9章「戦前の国債発行と日本銀行──戦争とハイパーインフレーション」では、「1882年(明治15年)いらいの日本銀行の歴史の中で、それぞれの時代を反映して、日本銀行と国債のかかわり方は、今とは大きく異なるものであった」として、
・しばしば政府に対する貸し出しを行っていた。
・日露戦争においては、外債発行のため、高橋是清日本銀行副総裁が、英米を奔走した。
等の例を挙げています。
 第10章「日本銀行による国債を用いた金融調節の開始:昭和30年代──昭和37年の『新金融調整方式』」では、オーソドックスなセントラルバンキングの考え方では、「中央銀行貸し出しは緊急の流動性供給のための手段であり、資産・負債を管理していくことが想定される」が、「当時は、大幅な日本銀行借り入れが主要な銀行において恒常化していた」として、「オーバーローン・オーバーボロイング」という状況を解説しています。
 第12章「財政政策と国債管理政策:昭和50年代──国債流通市場の本格的な成長」では、「昭和50年代は国債大量発行の時代であり、『大量』発行という事実が、わが国の国債市場に質的な変化を起こした」と述べています。
 第13章「累増した国債と深刻化した国債管理:昭和60年代から平成の時代へ」では、1985年(昭和60年)前後の、わが国の国債市場における大きな変化として、
(1)1984年(昭和59年)の金融機関による国債ディーリングの開始
(2)1985年の国債先物市場の創設
の2点を挙げています。
 第14章「平成10年の『運用部ショック』:現代の国債問題」では、最近の国債管理政策の「一つのターニング・ポイント」として、1998年(平成10年)に起きた、いわゆる「運用部ショック」を挙げ、「デフレーションの進行と金融不安や世界的な信用不安を背景に、大量の資金が国債に流れ込み、長期金利が史上最低水準まで低下する一方で、それまでの財政再建路線が一転して積極財政に転換され、度重なる補正予算編成で国債発行額は倍々ゲームのように増大した」として、「国債の需給に対する懸念から長期金利は秋ごろからじりじり上昇に転じ、同年末に至って『運用部が国債買い入れを中止する』との報道をきっかけに一気に急騰した」と述べています。
 第15章「現代の金融政策と国債──国債の日本銀行引き受けはなぜいけないのか」では、「財政規律の維持は、大事業である」として、「財政当局が一人で頑張るのではなく、他の力を動員する仕組みを、社会にビルトインしてしまうことが求められる」と述べ、「中央銀行が引き受けをしないという仕組みは、ここに言う『他の力』の一つとして重要である」と解説しています。
 第4部「わが国の国債管理政策の進展と課題」、第16章「国債管理政策のバックグラウンド」では、「国債には多くの種類が存在する」として、予算制度に即して分類すると、
(1)新規財源債
(2)借換債
(3)財投債
の3つに分けられる、と述べています。
 そして、わが国の国債残高が「大きく膨らんで」いて、「主要先進国と比較しても際立っている」と述べ、「このように国債発行額が増大してくると、いかにして低コストで国債を発行し金利負担を低く抑えるかが重要になってくる」戸述べています。
 第19章「競争的で効率的な市場の育成」では、「国債発行当局は、競争入札の拡充を通じた競争性、効率性の向上と、未達をはじめとする国債入札のリスクの抑制という、二兎を追うことが求められている」と述べ、こうした観点からわが国でも導入される「プライマリー・ディーラ制度(PD)」について解説しています。
 第22章「国債管理政策とリスク対応等」では、「近年とられてきた各般の施策、すなわち国債市場の流動性を高める、市場のニーズを十分に吸い上げる、市場の予見可能性を高めるといった施策は、基本的には、市場にショックを起こさない、あるいは何らかの兆候が生じてもそれが金利の乱高下に繋がらないようにするための施策であったといえる。つまり、金利急騰に臨機応変に対応できるための施策というよりも、金利急騰を起こさないための施策である」と解説しています。
 本書は、家計の感覚で、「一人当たりいくら」ということばかりが取りざたされがちな国債と金利の姿を理解するためにお勧めの一冊です。


■ 個人的な視点から

 どうしても、富田俊基著『国債の歴史―金利に凝縮された過去と未来』と比較されてしまう内容ですが、イギリスとアメリカのところは、『国債の歴史』を読んだ後でも十分楽しく読めました。
 一方で日本部分はと言えば、封鎖経済での国債消化など、『国債の歴史』の方が面白い部分が多かったように感じます。


■ どんな人にオススメ?

・国債の歴史をたどりたい人。


■ 関連しそうな本

 富田 俊基 『国債の歴史―金利に凝縮された過去と未来』 2008年08月01日
 落合 弘樹 『秩禄処分―明治維新と武士のリストラ』 2005年05月19日
 新藤 宗幸 『財政投融資』 2007年04月11日
 星 岳雄, アニル カシャップ (著), 鯉渕 賢 (翻訳) 『日本金融システム進化論』 2007年05月08日
 鶴 光太郎 『日本の経済システム改革―「失われた15年」を超えて』 2007年05月23日
 池尾 和人 『開発主義の暴走と保身 金融システムと平成経済』 2007年06月06日


■ 百夜百音

Shangri-La【Shangri-La】 BeForU オリジナル盤発売: 2008

 電気のファンは、こんなの見ると怒り出しそうだけど、卓球も瀧もこういうPVは嫌いではなさそうなので、本人たちに会えたりしたら喜びそうです。

『Shangri-La』Shangri-La

2008年10月 3日 (金)

所有と分配の人類学―エチオピア農村社会の土地と富をめぐる力学

■ 書籍情報

所有と分配の人類学―エチオピア農村社会の土地と富をめぐる力学   【所有と分配の人類学―エチオピア農村社会の土地と富をめぐる力学】(#1352)

  松村 圭一郎
  価格: ¥4830 (税込)
  世界思想社教学社(2008/03)

 本書は、「『わたしのもの』を最大限に個人に帰属するものとして扱う『私的所有』という原則」について、「『わたし』は『わたしのもの』に対する排他的な決定権を持つ。この私的所有権は、現在、多くの社会で基本的な自由を守るための権利として受け入れられている」が、「私的所有という概念が、さまざまな新しい『所有』をめぐる問いに対して、どれほど有効で、そして、はたして正当なものなのか、答えは出ていない」として、著者が「エチオピアの一つの村における『富の所有と分配』という問い」を考え、「エチオピア農村社会の民族誌という小さな針の穴から、われわれの世界の『所有』のあり方を見通して」みたものです。
 第1章「所有と分配の人類学」では、「人類学を中心に所有という問題が、いかに『法』のパラダイムのなかでとらえられてきたかを概観」下上で、「土地の所有という問いが、長いあいだ、財産所有を支える『概念』の問題として、そして土地への『権利』をかたちづくる『制度』の問題として論じられてきたことがわかる」ことなどの先行研究を踏まえたうえで、「本書がそれらの視座を克服する試みであることを明らかにする」と述べています。
 そして、本書が、「商品作物の栽培が浸透し、さまざまな民族が流入してきたエチオピアの農村の事例を検討する」として、「大きな変化の途上にあるような現代的な農村社会を対象とすることで、これまで伝統的な狩猟採集社会や農村共同体という枠組みの中で議論されることの多かった富の所有や分配という現象を、人びとの実践のプロセスから動態的に捉えなおしていく」と述べています。
 著者は、「現実の『所有』という現象が、必ずしも単一の概念から構成されているわけではない」と強調し、「『所有』は社会の多様な要素によってかたちづくられており、たとえ近代社会であっても私的所有概念だけに基づいているわけではない。そこには『概念(言説)としての所有』と『実践としての所有』との混同がある」と述べています。
 第2章「単民族化する農村社会」では、「これまで権利を規定する制度として、あるいは固有の概念によって構成されるものとして描かれてきた『所有』という現象を、家族からコミュニティ、国家といった複合的なコンテクストの中の力学によって枠づけられるものとして、捉えなおしていく」と述べています。
 第3章「土地から生み出される富のゆくえ」では、「人々はどれほど自分で手に入れた富を他者に与えているのか」について、「農民の日常的な実践について分析する」としています。
 そして、農民の分配の観察から、
(1)食料に困る雨季に、より頻繁に作物などが与えられている。
(2)必ずしも近親者ばかりだけではなく、むしろ関係が遠い相手に対しても頻繁に与えられており、いずれの場合も返礼がほとんどなされない。
の2点が明らかになったと述べています。
 第4章「富を動かす『おそれ』の力」では、「臨まれない豊かさ」として、「一生懸命に働いているとまわりからは非難を受ける。村で生活していると、成功して金を手にした者やたくさんの収穫があった者を冷やかしたり、攻めたりする場面をたびたび目にする。とくに友人どうしなどの関係では、あからさまな皮肉や罵倒の言葉があびせられることもある。身近な者が自分よりも豊かになることは許されない。どうにかして、人が豊かになることを阻止しなければならない。そのためには、他人をおとしいれる邪術が駆使されることもある」と述べ、「あいつは邪術者に違いない」という憶測が飛ぶとしています。
 そして、「彼らにとって、『うらやましいな』とか『いいなぁ』と思って投げかけられる視線」は「邪視(budah)」として「それ自体が悪い作用を及ぼす」と述べ、「畑の場合であれば、ただじっと見て黙っていると、作物が育たないなどの悪い影響が出てしまう」として、畑の中に立てられたビニールの切れ端をつけた50センチほどの棒や牛野津が遺骨は、「人の目がじかに作物に向かわないようにそらすため」のものであると解説しています。
 さらに、「『親族』といった身近な領域には、自分たちよりも豊かになることへのネガティブな感情が横たわっている」として、「より豊かな者は、富を分配するよう圧力をかけられ、自分たちよりも豊かになっていくことへの嫌悪感=『妬み』の対象となる。ときには、その感情は親族への呪術(の嫌疑)というかたちでも表出する」と述べ、「こうした妬みが富の分配の背景となっていることは、これまでの研究でも指摘されてきた」が、「ここで重要なのは、その『妬み』が社会関係によって異なる作用をするのではないか、という点である」と述べています。
 第5章「分配の相互行為」では、「たくさん収穫があった者は、つねに『分け与える』ことを期待され、さまざまな働きかけを受けている」として、「もし、サトウキビを自分の手元に置いたままにしていたら、それはすぐに『分配』の対象になって親族や村の知人などに分け与えなければならなくなる。そこで、熟して他人に壊れる前に売却するという方法がとられた」と述べ、この事例から、
(1)欲しいといって人から乞われると、サトウキビのように「商品」になりうる作物であっても、分け与えざるを得なくなる。
(2)現金が「分配」の領域の外に位置していたということ。
(3)サトウキビをめぐって「分け与えるべき関係」と「分け与えなくてもよい関係」との区別が顕在化しているということ。
の3つのことがわかると述べ、「ひとことで『商品作物』といっても、農村社会の中では『分け与える』こととの微妙なバランスのなかで『売る』という行為が成り立っているのがわかる」と述べています。
 第6章「所有と分配の力学」では、「『分配』が行われる理由はひとつではない」が、「そうした限定条件の中でも『神への祝福の言葉』や『呪術をかけられる可能性』が富の受け手に有利な圧力となりうるのは、それら『神』や『呪術』が人びとに『おそれ』を抱かせる存在であるからにほかならない」と述べています。
 第7章「土地の『利用』が『所有』をつくる」では、「土地のサイズを自由に拡大・縮小できないような人口稠密な農村社会では、資源領域の大きさやその予測可能性よりも、ある固定した領域内における資源の価値や侵害への脆弱性に応じて、土地所有の排他性が変化していた」としたうえで、「ある領域を守って利用することの『経済的防御可能性』が、土地所有の多様性やその排他性の変化を理解するひとつの指標になることは間違いない」と述べています。
 第8章「選ばれる分配関係」では、「土地を『所有』していることの意味や価値が、その土地の条件の違いや去勢牛の有無、あるいは土地を耕すものの社会的地位といったさまざまな要素との関係によって変化してきたことがわかる」として、「『土地』を所有していること、『労働力』をもっていること、『去勢牛』をもっていること、これらの3つの要素がひとつの土地の上で重なり合って、はじめて作物の栽培という資源利用が成り立っている」と解説しています。
 また、「コーヒーの栽培をめぐって、さまざまな人々の関係が幾重にも築かれている」として、「土地という資源への複合的な社会関係が、土地とそこから生み出される富の分配をめぐる争いの背景となっている」と述べています。
 第9章「せめぎあう所有と分配」では、「土地をめぐる争いが起きたとき、農民たちには解決を図る3つの選択肢がある」として、
(1)数人の村の「年長者」を調停役として立て、双方で話し合いを行うこと。
(2)カバレ(行政村)で週に一度行われる「裁定」に申し立てを行うこと。
(3)ゴンマ地区の役所が置かれているアガロや県庁があるジンマなどの公的な裁判所に訴えること。
の3点を挙げた上で、「じっさいには、これらの場は相互に関連している」と解説しています。
 そして「土地を『所有』するということは、かならずしも所与の安定した『事実』として存在しているわけではない。人びとは、さまざまな社会関係のなかで積極的に『働きかけ』という行為を繰り返すことで、なんとか『所有』という状態を維持しようとしている」と解説しています。
 また、土地争いの事例から、「その争いの過程が物理的にせよ、心理的なものにせよ、複数の拮抗する『力』を帯びた相互行為の場になっていること」が見えてきたと述べています。
 著者は、「土地という資源に関わるもの立ちは、自らの利益を確保するために、絶え間ない『働きかけ』を繰り返していた。土地と富の所有をめぐる争いは、そうした人々の普段の相互行為が顕著に現れる場でもある。この争いのプロセスで顕在化していた複数の枠組みとその力を導く人々の行為を描き出すことで、『所有』という現象の動態性を浮き彫りにし、より厚みのある記述と理解が可能になる」と述べています。
 第10章「国家の所有と対峙する」では、「エチオピア帝国の支配に編入される過程で、土地の『所有』がひとつの大きな争点となった」として、「それまでの『先占』の原則が通用しない、アムハラ貴族など外部権力という新たな枠組みとの遭遇でもあった。そこでは、いかに上位の権威、かつてのゴンマ王国の王、首都アディスアベバの官僚機構、ゴンマ地方の行政、といったところから『認証』を引き出せるかが鍵となっていた」と解説しています。
 第11章「国家の記憶と空間の再構築」では、「アムハラの貴族や国家による土地の収奪、そしてコーヒーの森としての資源開発」という目に見えやすいかたちの中央からの介入の歴史と平行して、「幹線道路に繋がるように築かれた道路は、コンバという場所を首都や世界へと結びつけ、村の土地のなかに商品や人が行きかう空間を作り出してきた」と述べています。
 第12章「歴史の力」では、「コンバ村の土地が経験してきた歴史をたどると、農民と土地との関係が、次第に農村社会を離れたより大きな枠組みの中で決定されるようになってきたことがわかる」と述べています。
 そして、「かつて農民どうしの『先占』という原則をめぐるものだった土地所有が、外部者との関係が強まるなかで次第に上位の権威が必要とされるようになった」が、「じっさいの農村内部の土地をめぐる動きを見ると、国家の政策や法律という権威は、いまだに農民の所有のあり方をかたちづくる力のひとつに過ぎない」と述べています。
 第13章「所有を支える力学」では、「本書が一貫して乗り越えようとしてきたのは、所有を理解するときのふたつの優勢な枠組みであった」として、
・概念としての所有
・制度としての所有
の2点を挙げ、「それとは異なる視点から土地や富の所有という現象を理解するために、作物の分配をめぐる交渉のプロセスや土地の『利用』との関係、そして村の土地がたどった歴史過程に注目してきた」と述べています。
 そして、「本書の所有や分配を捉える視点」を、「富の所有や分配のあり方は、いくつかの規則性を生み出す限定条件の下で、人びとが相互に複数の枠組みを参照して、その拘束力を元に働きかけや交渉といった相互行為を繰り返す中でかたちづくられている」と述べています。
 また、「本書のたどり着いたひとつの結論」として、「多元的権威社会の所有や分配のあり方は、人々が複数の異なる枠組みの力学のなかで相互行為を繰り返していることでかたちづくられている」と述べています。
 著者は、「さまざまな所有をめぐる行為の配置と再配置のプロセスを見ていくと、あるものに所有されたり、分配されたりする富のあり方には、そのじっさいの行為に先立つかたちで、『分配が期待される形式』と『独占して蓄積することが許される形式』というふたつの異なる形式が並存していることがみえてくる」と述べています。
 そして、「ひとつの原則を支える枠組みだけが『正当』だと、われわれが思い描いて行為するとき、その原則は、いっそう協力に拘束力を発揮しはじめる。私的所有が、近代社会の基本的な原則だとわれわれが創造するとき、その所有のかたちは当然のもので、交渉されるべきものでも、侵害されるべきものでもない、という思いにとらわれるようになる」と述べた上で、「もしかしたら、ひとつの所有者の論理だけを唯一の正しい原則として『想像』してしまっているからではないのか。その『原則』のリアリティは、何らかの『力』によって支えられているだけではないのか。多元的な主張が拮抗する社会の『所有』を目の当たりにしてきたことで、その『正当性』の空虚さが透けて見え始めた気がする」と述べています。
 本書は、われわれが当たり前だと思ってきた「所有」が絶対的なものではないことを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書ではエチオピアとか沖縄を例に挙げていますが、明治維新以前の日本の所有権のかたちも決して現在のようなものではなかったはずなので、過去の日本における「所有」の概念についても同じ著者にまとめてもらうと読んでみたい気がします。学問的にはジャンルが違ってきてしまうのでしょうが。


■ どんな人にオススメ?

・ものや土地を「所有」する、という考えはどこでも同じだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 ロナルド・H. コース (著), 宮沢 健一, 藤垣 芳文, 後藤 晃 (翻訳) 『企業・市場・法』 2005年04月29日
 林田 清明 『法と経済学―新しい知的テリトリー』 2005年06月07日
 山田 奨治 『〈海賊版〉の思想‐18世紀英国の永久コピーライト闘争』 2008年09月06日
 キャス サンスティーン (著), 石川 幸憲 (翻訳) 『インターネットは民主主義の敵か』 2005年11月21日
 ローレンス レッシグ (著), 山形 浩生 (翻訳), 柏木 亮二 (翻訳) 『CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー』 2005年2月1日
 立岩 真也 『私的所有論』


■ 百夜百マンガ

父の魂【父の魂 】

 スポ根ものの原点というか、『巨人の星』の父と息子の物語の原点はここにあるということですが、さすがに最近の人は知りません。千葉県職員OBの有名人ということではプリティ長嶋に並ぶということでしょうか。

2008年10月 2日 (木)

Q&Aで学ぶ図書館の著作権基礎知識 第2版

■ 書籍情報

Q&Aで学ぶ図書館の著作権基礎知識 第2版   【Q&Aで学ぶ図書館の著作権基礎知識 第2版】(#1351)

  黒澤 節男
  価格: ¥2940 (税込)
  太田出版(2008/05)

 本書は、「全ての人が情報を発信する時代にあって、学校や地域で著作物やコンテンツの接点にいるのが図書館職員であるとすれば、著作権の正しい知識を得た上で、時には権利者の見方になり、時には利用者の見方になって、文化の発展を目指す著作権法の新の伝道者に相応しいのは図書館職員の方々であろう」との確信の下に書かれた著作権法の入門書です。
 第1章「図書館と著作権」では、図書館において、「法第31条だけでなく著作権法に基づく様々な権利と関わる」として、「そのような著作権の講習を受けている人たちが全国に2万人いる以上という職能集団はほかにはない」として、「著作権の伝道師」としての図書館職員の重要性を述べています。
 第2章「著作権制度の基本の基本」では、「その国でどのような著作権法を持ち、その権利の保護と円滑な利用を促しているかが、世界での知的レベル、文化水準のバロメーターと言われている」と述べています。
 そして、著作権法が、「教育目的、福祉目的など様々な理由で著作物を使用する場合には、厳しい条件を付けた上で、権利者にも我慢をしてもらいましょう」という「著作権の制限規定」を設けていることを解説しています。
 また、民事上の救済措置として、「著作権の侵害している書物の出版を差し止めることができる」として、三島由紀夫手紙事件を例に挙げています。
 第3章「Q&A:図書館と著作権」では、国や地方公共団体の著作物には著作権がないと誤解されている向きがあるが、官公庁の著作物は、
(1)権利の目的とならない著作物:法令、告示、判決など
(2)一定の条件下で大幅な転載が可能とされている著作物:国や地方公共団体などが一般に周知させることを目的に作成し、公表する広報資料、調査統計資料、報告書などを説明の材料として新聞、雑誌などに転載する場合
(3)一般の著作物と同様の場合:会社や団体あるいは個人名義で出版するものと同様に、○○省とか△△県という名義で発行するもの。
の3つに大別できると解説しています。
 また、講習会における講演について、受講生が録音することは、「私的使用のための複製」であれば著作権法上は制限できないが、主催者として、「会場管理権に基づいて録音機器を預かる」などの方法をとらざるを得ないと述べています。
 同様に、「デジタル万引き」という言葉が使われる携帯電話などを使って必要ページなどを撮影することについて、「個人的に家庭内で使うために当人が自分の携帯電話で撮った写真ですから法第30条の私的使用のための複製に該当」するとして「著作権法上は無断でやってもよいことになって」いると解説した上で、本屋さんは対抗措置として、「そこにある本の所有権ないし占有権を根拠に、勝手に私の所有または占有下にあるものから写真を撮るなと言うしかない」と述べています。
 さらに、「図書館で図書館職員のチェックなしで自由にコイン式複写機でコピーするのは、著作権法上問題がある」とした上で、「図書館の本を借りて、外のコンビニ店のコイン式複写機で私的使用のためにコピーするのは『現在の』法律=著作権法では適法」であることを解説しています。
 本書は、図書館職員にとってまず手に取るべき基本書の一冊です。


■ 個人的な視点から

 公立図書館の職員は、必ずしも司書の資格を持っているわけではなく、昨日まで窓口で住民票を発行していたような普通の事務職員が多いので、本書のような入門書の需要は結構高いのではないかと思います。とはいえ、入門書も読まない人が多数いるのでしょうが。


■ どんな人にオススメ?

・図書館の職員の人


■ 関連しそうな本

 山田 奨治 『日本文化の模倣と創造―オリジナリティとは何か』 2008年08月15日
 福井 健策 『著作権とは何か―文化と創造のゆくえ』 2006年06月10日
 名和 小太郎 『情報の私有・共有・公有 ユーザーから見た著作権』 2006年10月14日
 ケンブリュー マクロード (著), 田畑 暁生 (翻訳) 『表現の自由vs知的財産権―著作権が自由を殺す?』 2006年04月23日
 山田 奨治 『〈海賊版〉の思想‐18世紀英国の永久コピーライト闘争』 2008年09月06日
 豊田 きいち 『著作権と編集者・出版者』 2006年5月4日


■ 百夜百マンガ

ABフリャー【ABフリャー 】

 3人の将軍を生んだ、ということで「名古屋至上主義」というのがあるそうですが、外国人から見るとどう見えるのか、というのは遠慮がなくていいです。

2008年10月 1日 (水)

子連れファミリーにうれしいお宿

■ 書籍情報

子連れファミリーにうれしいお宿   【子連れファミリーにうれしいお宿】(#1350)

  藤田 洋
  価格: ¥1575 (税込)
  週刊住宅新聞社(2008/10/3)

 本書は、「子連れ歓迎の施設やエリアが増えることで、少子化の流れの中でもがんばっている子育て中のママやファミリーに、思い切りおでかけを楽しんでもらえる機会」を増やし、「これから乳幼児を連れて、お出かけを考えているパパ・ママ、また新たな集客策を考えておられる」宿泊施設経営者、旅行代理店、地方自治体など、観光ビジネスに携わる方々の役に立つことを目的としたものです。
 第1章「子連れおでかけ事情」では、子連れ旅行が、幼稚園の春休みや夏休み、平日中心であることを挙げ、「お宿側から見ても、接客サービスに余裕のあるときにきていただける、客室の稼働率を高めてもらえる、有難いお客様層」ではないかと述べています。
 そして、「祖父母が一緒の三世代旅行が多いのも、乳幼児連れの旅行ならではの特徴」だと述べています。
 また、「ママ自身のニーズ」として、「おでかけは、ママ自身も日頃の家事を忘れ、リフレッシュできるまたとない機会であることは間違いない」と述べています。
 第2章「子連れおでかけ、阻害するものは何?」では、「普段、自宅のリビングや寝室、お風呂やトイレで気をつけていることを、初めてお泊りするお部屋で、施設側が特に安心安全に配慮してくれていれば、大変心強い」と述べています。
 そして、事故対策として、
・子どもの手の届かない位置の収納棚
・コンセントカバー
・家具などの角にカバー
・扉には指挟み防止ロック
などを挙げています。
 第3章「子連れ歓迎のお宿づくり100のポイント」では、「施設(客室)」について、和室の良い点として、
・ふとんなので添い寝がしやすい
・落下等の危険が少ない
・畳敷きで段差がなく転んでも適度なクッション性がある。
などを挙げています。
 そして、子どもがはしゃいだり夜泣きをしたときの気遣いをすることないよう、「客室自体が隣室や階下に対して、防音の配慮がなされた構造」になっていたり、離れの利用や、お互い様の状況にするなど、部屋割りの工夫を挙げています。
 また、「接客サービス」として、託児サービスを挙げ、「育児休暇明け近くのタイミングでママ友同士がお互い子連れで出かける『卒休旅行』という言葉」を紹介しています。
 そして、「従業員の方が子どもと接するのが大好き」という自然体の姿勢がもっとも大切だとして、「ポイントは、子ども本人にどれだけ明るく楽しく接することができるか、またママやファミリーの本来、無用な気遣いをどれだけ減らすことができるかという2つの点に尽きる」と述べています。
 さらに、入園入学、七五三や誕生日やおじいちゃんの還暦祝いなど、「ファミリーのメモリアルなニーズに宿泊プランが対応できれば、宿泊先選定の強い誘因となる」として、「貸衣装の提供、特性バースデーケーキ、プロの写真撮影、植樹、祈とう・祈願など、有料で十分満足されるプランの開発も容易」だと述べています。
 著者は、総合満足度として、重要なポイントは、
(1)子どもの安全・安心
(2)快適・清潔
(3)子ども自身が喜ぶ
(4)ママのストレス軽減
(5)家族の絆・思い出づくり
(6)接客満足度
の6点であると述べています。
 第4章「『ウェルカムベビーのお宿』認定事業の概要」では、「日々の子育てに追われるママだからこそ、『リフレッシュしたい!』、『日常ではあきらめがちな体験をしたい!』、『子どもと一緒だからこそ楽しめる経験がしたい』など、現住所を離れた、非日常の時間を持ちたいと強く願って」いると述べ、「乳幼児のいる子連れファミリーにとって安心して宿泊できる施設」を「ウェルカムベビーのお宿」として、2008年3月1日から認定をはじめたと述べています。
 「クラブメッド・サホロ(北海道)」については、「世界各国から集まったスタッフ(G・O)が、いつも笑顔で話しかけ、様々な要望にも快く応えてくれる」と述べています。
 「オリエンタルホテル東京ベイ」では、「角のある家具は一切排除され、コーナーは丸く加工されているので万が一転んでぶつけても大怪我にはなりにくい」ことや、子供用パジャマの用意などの配慮が紹介されています。
 「八幡野温泉郷 杜の湯 きらの里」では、「村人従業員には子育て経験者が多く、皆それぞれに工夫した子ども用のお菓子やシール、絆創膏などを常備している」と述べています。
 第5章「先輩ママに聞いたおでかけのコツ」では、「離乳食を卒業している場合でも、慣れない食事だと食べないこともある」ため、果物、パン、シリアルなどの食事代わりの用意を薦めています。
 第6章「『ベビーズヴァカンスタウン』選定プロジェクトとは?」では、「宿泊施設が独力で子連れ歓迎の努力をするだけでなく、観光地や市町村といった自治体が、エリア全体で連係して、子連れ歓迎を強化したとしたら」、「そのエリアでの滞在や周遊のイメージがわきやすく、時間的にも子どもの体調をみて観光プログラムの絵を出し入れしやすく、いわゆるおでかけのストーリーが組み立てやすくなる」と述べ、そのようなエリアを「ベビーズバカンスタウン」と名づけて、全国に広げるプロジェクトを開始したと述べています。
 そして、"おすすめのベビーカーロード"の訴求を重要視していると述べ、山梨県北杜(ほくと)市と群馬県昭和村の事例を紹介しています。
 本書は、実際に乳幼児を育てているファミリーにはもちろん、心遣いのある宿に泊まりたいという人にもヒントを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、今週月曜にある勉強会でお会いした著者の藤田社長にいただきました。私自身も、子どもが小さい頃は一緒に旅行に行くことに気後れしてしまった経験があるので、本書で勇気付けられる人は少なくないのではないかと思います。
 本書は国内旅行が中心ですが、海外旅行編もあってもいいかもしれません。サイトにはあるかもしれませんが。


■ どんな人にオススメ?

・乳幼児連れでの旅行は大変だと思う人。


■ 関連しそうな本

 駒崎弘樹 『「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方』 2007年11月22日
 小室 淑恵 『結果を出して定時に帰る時間術』 2008年02月20日
 小室 淑恵 『超人気ワークライフバランスコンサルタントが教える キャリアも恋も手に入れる、あなたが輝く働き方』 2008年05月14日
 小室 淑恵 『新しい人事戦略 ワークライフバランス―考え方と導入法―』 2007年08月22日
 大沢 真知子 『ワークライフバランス社会へ―個人が主役の働き方』 2006年07月24日
 佐藤 博樹, 武石 恵美子 『男性の育児休業―社員のニーズ、会社のメリット』 2005年04月07日


■ 百夜百マンガ

ジオラマボーイ パノラマガール【ジオラマボーイ パノラマガール 】

 80年代のまだサブカル雑誌だった『宝島』ファンにとって大好きな作家の一人。当時のファンは、作者の復帰を長く待ち続けています。

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

無料ブログはココログ