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2008年11月

2008年11月30日 (日)

世界をよくする簡単な100の方法 社会貢献ガイドブック

■ 書籍情報

世界をよくする簡単な100の方法 社会貢献ガイドブック   【世界をよくする簡単な100の方法 社会貢献ガイドブック】(#1410)

  斎藤 槙
  価格: ¥1500 (税込)
  講談社(2008/4/19)

 本書は、「社会貢献は大きな組織や、多額のお金が不可欠なのでは」内として、「毎日の行動の一つひとつを見直し、よりよい選択肢を選ぶことで、世界をよい方向に変えていく」という「一人ひとりの意思」による社会貢献のためのガイドブックです。
 第1章「半径5メートルからスタート」では、「毎日食べるもの、着るもの、乗るもの、使うもの、買うもの、捨てるもの」などが、「すべてエコとつながっていることを考え、小さな社会貢献のアクションを提案」しています。
 そして、「食物連鎖の高位に位置する動物」である人間が、「自然を征服するのではなく、自然と調和して生きる存在」として、「なるべく他の動物を殺さずに、世界の飢餓や環境に貢献し、そして身体にもよい野菜中心の生活を送る」ことは、「非常に理にかなったこと」だと述べています。
 また、「環境への影響が少ない洗剤」の条件として、
(1)生分解性が高い
(2)水生生物への急性毒性が低い
(3)有機物の排出が少ない
の3点を挙げた上で、「1990年代には合成洗剤の使用をやめて石鹸に切り替えようとする運動」があったが、「現在では、石鹸のほうが環境への負荷が少ないとは必ずしもいえないというのが、定説になってきて」いるとして、「合成洗剤は(1)と(2)の点で好ましくないものの、(3)については石鹸のほうが、より好ましくないといわれるようになり」、「環境への影響を見たとき、すべての面で優れた界面活性剤は存在しない」と述べた上で、「市民の一人として、洗剤の使用量を減らすこと、生活排水を減らすこと、それから下水処理施設の普及を促すため自治体に働きかけることなどが大切」だとしています。
 第2章「社会貢献カレンダー」では、「季節の風物詩、そして毎年恒例のイベントや記念日などを節目にして、流れていく時間を上手に意識してみる」として、「忙しい現代人でも簡単に、そして楽しく実践できる『節目』の見つけ方、過ごし方を提案」しています。
 そして、「夏」の項では、「日本の気温は年々上昇するように感じられ」るが、「みながいっせいに打ち水をすれば、真夏の気温を少し下げられる」として開始された「打ち水大作戦」について紹介しています。
 また、結婚式に関して、「自分の個性を表現する結婚式」の一つとして、「グリーン・ウェディングのトレンド」も生まれていると述べ、友人が所有する庭園に1年前から花を植え、「ダイヤモンド業界には環境面と社会面の問題が多いので、婚約指輪はパス」し、ドレスは、「将来もパーティーなどで着られるもの」、「飲料や食品はすべて地元の小さな店から調達」したという例を紹介した上で、環境に適したウェディングを考えるステップとして、
(1)何が不必要かを考えること
(2)できるだけオーガニックやリサイクルのものを使うこと
の2つのステップを紹介した上で、指輪について、「ダイヤモンド、金やプラチナは、労働者にとって非常に危険な、人権すら保障されない環境で採掘されること」があり、「児童労働、採掘による環境破壊」もあることを指摘した上で、「環境や社会を考慮する会社から購入すること」ができるとして、「紛争の影響がないカナダ産のダイヤモンドなど、フェアトレードが保障された宝石やリサイクル貴金属を使って、環境と社会問題に配慮した指輪を製造販売している「ブリリアント・アース」社を紹介しています。
 第3章「あの人のために、誰かのために」では、「父親であることを楽しむ生き方」を広めようとするNPO、「ファザーリング・ジャパン」などを紹介したうえで、仕事と子育てを両立する上で深刻な問題である「病児保育」を提供するNPO、「フローレンス」を紹介しています。
 また、「個人が変わると組織が変わり、やがて社会も変わっていく」という発想を、日本の企業人として発揮している人として、NECの鈴木均氏を紹介し、企業型リーダーの育成をめざすNPO、「ETIC.」と協働で立ち上げたプロジェクト、「NEC社会起業塾」を紹介しています。
 第4章「NPOへの第一歩」では、「慈善事業は、大金持ちの専売特許」ではないとして、「世界を救うのに(ビル・)ゲイツや(ウォーレン・)バフェット(のように金持ち)である必要はない。アフリカを助けるのにアンジェリーナ・ジョリーやブラッド・ピットのように美男美女である必要もない。僕はそれを世界中に言いたい」という、「発展途上国の子どもたち日本を送り、図書館や学校の建設を支援しているNPO」、「ルーム・トゥ・リード」の設立者、ジョン・ウッド氏の言葉を紹介しています。
 そして、「ボランティア活動団体などに寄付を出すに当たって、その団体やプロジェクトを詳しく調べて効果やリスクを評価し、寄付の提供後も、どんな成果を出したかについて説明を求めていく」特徴を持ち、「場合によっては、成功するプロジェクトの立て方や財務管理の方法といった部分で、会社経営の経験者ならではの支援やアドバイスを提供していく」、「ベンチャー・フィランソロピー」について、その典型例として、1997年にシアトルで設立された「ソーシャルベンチャー・パートナーズ」を紹介し、2005年には、日本にもSVPの支部として、「ソーシャルベンチャー・パートナーズ東京」設立されたと述べています。
 第5章「ビジネスからの社会貢献」では、U2のボノが旗振り役として2006年に立ち上げたプロジェクト「RED(赤)」について、「世界を代表するメーカーなどがREDブランドの商品を開発して発売し、売り上げの一部を世界エイズ・ケッカク・マラリア対策基金に寄付する」と決めたと述べ、そのユニークな点として、「決してNPOではなくて、あくまで営利企業のプロジェクトだという点」を挙げています。
 また、「これまでなら、民間企業は営利拡大を追及する組織。NPOは社会改善に努める組織という区別」があったが、「既存の枠に囚われない社会起業家たちは、この線引きをなくしつつ」あると述べています。
 第6章「企業の社会責任(CSR)に取り組む」では、CSRや社会事業という発想は、日本には昔からあったとして、江戸時代初期に住友グループの祖となる住友家を興した初代・住友政友が、「いやしくも浮利に趨(はし)り軽進すべからず」という商人の心得を家訓としたことや、江戸中期の近江商人、中村治兵衛が、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の心得を残したことなどを紹介しています。
 第7章「自分を活かす法【スキル編】」では、「自分なりの社会貢献を探す方法」として、
(1)自分の特技や能力を役立てること
(2)素直な気持ちに耳を傾けること
の2つの着眼点を挙げた上で、映画『パッチ・アダムス』のモデルとなった実在の医師、パッチ・アダムスなどを紹介しています。
 本書は、社会に何か貢献したい、という思いを持った人に、その思いは思い立ったその日から実現できることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 とりあえず、本のつくりとしては、100個並べてみました、というものではあるものの、章によってテンションの高さがまるで違ったり、踏み込み方が異なっているのに戸惑いました。
 もしかしたら、あちこちに書いた文章をもとに下手くそな編集者が「100」という雑な括り方をしたのかもしれませんし、本人が間に合わせに書いた文章を編集者がそのままスルーで世の中に出してしまったのかもしれませんが、あくまで「100のエピソード」を収めたというだけで、100というボリューム感も網羅感もなく、ダラダラとした印象です。
 せっかく良い内容なので、才能のある編集者にリメークしてもらったら傑作になるかもしれないと感じました。


■ どんな人にオススメ?

・世の中をよくする方法を探している人。


■ 関連しそうな本

 斎藤 槙 『社会起業家―社会責任ビジネスの新しい潮流』 2005年06月01日
 斎藤 槙 『企業評価の新しいモノサシ―社会責任からみた格付基準』
 町田 洋次 『社会起業家―「よい社会」をつくる人たち』 2005年02月16日
 駒崎弘樹 『「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方』 2007年11月22日
 デービッド・ボーンスタイン (著), 井上英之 (監修), 有賀 裕子 (翻訳) 『世界を変える人たち―社会起業家たちの勇気とアイデアの力』 2007年08月28日
 渡邊 奈々 『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』 2005年08月11日


■ 百夜百音

かぐや姫ベスト【かぐや姫ベスト】 かぐや姫 オリジナル盤発売: 2008

 80年代には「四畳半フォーク」という言葉は揶揄の対象でしたが、世代が一回りすると、ノスタルジーとともに、ある種のロマン的な雰囲気として再評価されているような気がします。「神田川」の場合にはさらに狭くて「三畳一間」なのですが。

2008年11月29日 (土)

津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇

■ 書籍情報

津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇   【津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇】(#1409)

  筑波 昭
  価格: ¥620 (税込)
  新潮社(2005/10)

本書は、昭和13年5月21日に岡山県苫田郡西加茂村大字行重部落(現津山市加茂町行重)で起きた、「津山事件」または「津山三十人殺し」に関して当時の捜査資料に基づき、当時数え22歳の犯人都井睦雄の誕生から犯行に至るまでを丹念に追ったルポルタージュです。
 第1部「事件」第1章「惨劇」では、都井が遺した、「僕が此の書物(かきもの)を残すのは自分が精神異常者ではなくて前持って覚悟の死であることを世の人に見てもらいたいためである。不治と思える病気を持っているものであるが近隣の圧迫冷酷に対しまたこの様に女とのいきさつもありて復讎のために死するのである」などが記された計3通の遺書を紹介しています。
 第2章「事後」では、「事件そのものは不起訴処分によって結着したが、この狭い地域社会に突発した未曾有の大事件は、むしろ事後処理が大変だった」として、津山警察署長が岡山県警察部長に報告した「三十余人殺傷事件をめぐる事後の状況に関する件」と題した報告書を紹介しています。
 そして、当時、風紀の乱れと噂された村の痴情問題については、「犯人都井睦雄が寺井弘妻マツ子及び岡本和夫妻みよと、情的交渉ありたることは村民の認むるところなるも、その他はおおむね遺書による風評に止まり、当時これを知りたる者なく、岡本一家鏖殺しは痴情関係をめぐる怨恨なること判然したるも、他は若干にても反感を有する者及びいわゆる傍杖を食いたるものと認められ、村内全般に風紀著しく廃頽せりと認めらるる具体的事実なく、犯人の病的好色者たりしは、今日に於ても全部落民の異論なきところなり」と報告されていることを紹介しています。
 また、犯人の実姉みな子が、「目下妊娠臨月にして、事件以来家庭に不和を生じ、嫁入先に於ては分娩させぬ等の物議あるものの如くなるも、近隣並びに本人をめぐる者は同情感を抱く者多く、目下排斥または差別等の事実を認めず」と紹介しています。 さらに、「都井の従兄弟にあたる寺井元一一家九名」が、「いずれも被害を受けておらず、被害者遺族並びに一般部落民はこの点に関し、都井の計画を予め察知しながらも、これを秘しいたるものならずやとの疑点を有し」、「部落民の面前に呼び出し、種々詰問し、排斥するの態度を示し」、元一の長男が都井の遺品である自転車に乗っていたのを被害者の長男が見つけて「石を以って該自転車を破損せしめたる事実」があることや、元一が耕作していた都井の遺産の田地の畦を誰かが壊したことなどの迫害を紹介し、元一の3人の息子は、小学校への通学途上で「他の生徒より排斥的言動を受け」、元一に「親に死なれるのは悲しいことであるが、お父さんさえ死んでいてくれたら、自分たちは乞食をしても生活して行きます」と泣いて訴えたことなどを紹介しています。
 第3章「論評」では、「新聞紙の報道等によると、この村はとくに男女間の風儀が乱れているようにいわれているが、いったいに娯楽機関に恵まれぬこの種山村では、青年男女間の風儀が比較的ルーズであることは顕著な事実で、貝尾部落のみをとくに責めるのは酷に失する嫌いがある」との論評を紹介しています。
 第2部「犯人」では、都井の生涯を数え年によって追っています。
 6歳のときに、幼くして結核で父母を失った都井が、祖母の里である貝尾に引っ越してきたことについて、「この家にはいまわしい過去があった」として、痴情のもつれによる刃傷沙汰と割腹自殺があったことをとりあげ、「この犯人が22歳であったところから、『犯行の荒筋がやや本件と類似しているのみならず、犯人の年齢が同年であることなど、うたた因縁の深きを感ぜずにはいられない』」と、津山事件を研究した岡山地方裁判所の検事が記していることを紹介しています。
 そして、都井が祖母から溺愛されていたことを示すエピソードとして、9歳のときにちゃんばらで左の目の上に、「わずかに血をにじませて泣きながら帰ってきた」時に、相手の子どもの家に、「睦雄は都井家の大事なあととりじゃけん。親がいないからいうて、ばかにしとるんじゃろ。二度とこんなまねしてみい。わしゃただでおかんがの」と「血相変えてどなりこんだ」ことや、10歳のときに都井が級長に任命されると、任命証を持って近所に触れ回り、翌日には赤飯を炊いて近所に配りながら、「孫の頭の良さを触れ回った」こと、15歳のときに担任教師から、「成績がいいからこのまま百姓になるのはもったいない」と県立岡山一中への進学を勧められたが、「この家さおばやん一人残しても、睦雄は岡山さ行くちゅうのんか」とすすり泣く祖母を見て進学をあきらめたことなどを紹介しています。
 また、20歳のときには、都井が、寺井マツ子に現金や反物などを与え、「すでにこのときから確実な情交関係が生じていたとみられる」と述べ、「寺井マツ子と関係するのに成功したことが自信をつけたのか、あるいはマツ子では物足りなかったのか、これ以後都井はまるで人が変わったように、部落内の女性に積極的に攻撃を開始」したとして、「部落内の未婚の若い女性は軒なみだった」が、「いずれも不成功に終り、この年は暮れる」と述べています。
 21歳のときには、「部落の若者たちとは全く交際をしないから、夜遊びや夜這いの仲間に加わることもなかった」都井が、「帽子をまぶかにかぶりマントをはおった」姿で部落をうろつきまわった理由は、「夜遊びでもなければ夜這いのためでもなかった。他人の夜這いの実情を目撃し、部落の男女の性的人脈をその目で確かめ、動かぬ証拠をつかみ、そのうえで彼独自の性的行動を起こそうと企図したことが、間もなくこののちに彼自身の行動によって証明される」と述べています。そして、樵夫である岡本和夫の妻みよに、部落随一の資産家寺井倉一との関係をネタに関係を迫ったと述べています。
 また、徴兵適齢届の受付に初日に訪れた都井が、結核で実質的な不合格である丙種合格となり、軍医から結核と宣告された際には、
「軍医どの、ほんまに結核ですけんの? もういっぺんよく診てつかあさい」
「きさまは日本帝国陸軍の軍医を疑うのか。きさまが結核であることはまちがいない。しっかり療養せい。そんなからだで帝国陸軍の兵隊がつとまるか」
と怒鳴りつけられたことを紹介しています。
 22歳のときには、「岡本みよとの情交現場を夫の岡本和夫に見つかり、紛争を起こし」、土地の慣習に従って、酒を持って詫びにいく際に、酒だけでなく「大きな肉の包み」を提げて、「この日のために三日がかりで自分が仕留めた」ウサビの肉だといって、みなでスキ焼きにしたが、その肉は、都井が小学生の頃から育ててきた老犬「コロ」の肉で、都井は、「コロはもう年じゃけんの。どうせほっといてもそう永生きはせんじゃろ」、「わしは食わん。食うたふりしただけじゃけん」と語っていたことを紹介しています。
 そして、5月21日の事件当日、寺井千吉方を襲撃した都井は、養蚕室で3人を惨殺した後、母屋の炬燵に座り込んでいた戸主で85歳の千吉が、「格別の反応を示さずに凝然と端座したまま」でいたのに対し、「年寄でも結構撃つぞ」と銃口を首に当てたが、千吉は動かず、「こわくなかったことはないが、どうされようがかまわんという気じゃったから、わしはそのままじっとしとったけん。それで睦雄もこんな老いぼれをやっても、なんの益もない思ったんじゃろ。すぐに往んでしもうたじゃ」と後に語っているとのべています。
 また、頭に2つの懐中電灯、腹にはナショナルランプを提げた都井の姿は、暗闇では、「三つ目の怪物」に見え、その三つ目の怪物が、「『殺すぞ、殺すぞ』と大声で連呼しながら、ものすごいスピードで坂を登って」いったとして、部落では高い位置にあった寺井倉一方を襲撃する際には、「勾配のきつい隘路、小石と雑草と路面のでこぼこ。すでに三十人近くを屠った都井が、二貫目もある重い猟銃を手に、この道を信じられぬスピードで駆け上がった」と述べています。
 あとがきでは、津山事件について、「ひとつの奇妙な伝説がつきまとっている」として、「事件当時マスコミに発表されず、世間から秘匿され埋もれてきた事件」だとされているが、「実際には事件当時ラジオを始め全国のマスコミがこぞって派手に報じており、日本中にセンセーションを巻き起こしたことは、当時の新聞をひもどけばすぐにわかることである」と述べています。
 また、「日本犯罪史上空前の惨劇は、犯人の自殺によって清算されたかたちとなったが、実はほとんど清算されなかった」として、この事件の捜査を指揮した岡山地方裁判所の国枝鎌三検事正が、「犯人を生かして親しく告白を聴き、もしくはその身体を医学的に観察することができなくなったことは、貴重な鍵を失いたるもので甚だ遺憾である。数通の遺書は全面的に肯定しがたき点もあるべし。また生存関係者の陳述にも同様信憑しがたき憾もあらん」と結んでいることについて、「俗にいう、死人に口なし、である。生存関係者が犯人を悪くいうとも、自分に不利なことを口にするはずがない。まして女性たちは犯人と関係があり、それが動機の主たる部分を形成していると噂されているからには、彼女たちがすべて真実のみを陳述したとの保証はない」として、「部落の人々は現在でもこの事件に触れるのを忌避する。津山事件は明らかに禁忌なのであった」と述べています。
 本書は、「三十人殺し」という大量殺人や男女関係の面にばかり目が行きがちなこの事件について、犯人が人生の中でどんどん追い詰められていく様を丹念に追った貴重な一冊です。


■ 個人的な視点から

 昭和13年といえば、今から70年ほど前ですが、当時、貝尾部落にいた子ども、若者の中には、今でも存命の方もいるでしょうし、都井から関係を持ったと名指しされた女性たちの子や孫もいるわけですので、この惨劇の後、禁忌とされたこの事件の、「あの三十人殺しの村」という十字架を背負って、村がどう再建していったのか、ということにも興味があります。じっと、時が過ぎるのを待つ、というのがいちばん大きいのでしょうが。


■ どんな人にオススメ?

・「津山三十人殺し」の犯人の人となりを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 八つ墓村 『横溝 正史』
 西村 望 『丑三つの村』
 祝 康成 『真相はこれだ!―「昭和」8大事件を撃つ』
 合田 一道, 犯罪史研究会 『日本猟奇・残酷事件簿』
 ミステリーの系譜 『松本 清張』
 島田 荘司 『龍臥亭事件』


■ 百夜百音

小学生のための「ハロー!マイソング」 9 ~高学年向き1【小学生のための「ハロー!マイソング」 9 ~高学年向き1】 合唱 オリジナル盤発売: 2000

 散歩してたら近所の小学校から「気球に乗ってどこまでも」が聴こえてきました。お父さん世代には懐かしい曲です。

2008年11月28日 (金)

独身手当―給与明細でわかるトンデモ「公務員」の実態

■ 書籍情報

独身手当―給与明細でわかるトンデモ「公務員」の実態   【独身手当―給与明細でわかるトンデモ「公務員」の実態】(#1408)

  若林 亜紀 (著), いしい ひさいち
  価格: ¥1575 (税込)
  東洋経済新報社(2007/07)

 本書は、「霞が関の官僚や地方で働く公務員の生態を、手当てをキーワードに紹介」するもので、
・独身手当:独身生活が長いともらえる
・管理職以外手当:管理職でない人に支給される
・分限休職手当:謹慎休暇中にもらえる
など、「公務員の信じられない手当の数々と、それに対する言い訳は、冗談のような話である」と述べています。
 著者は、「親方日の丸公務員を笑い飛ばしながら、我々がお上任せにしてきた日本の行政の現状について具体的なイメージを持って」もらいたいとしています。
 第1章「独身手当―公務員の"セレブ"ライフ―」では、「結婚すれば祝い金がもらえるので、独身職員と既婚職員の公平を図るため」、「多くの自治体において、公務員が独身のまま40歳を迎えると、いわゆる『独身手当』がもらえる」と述べています。
 そして、財務省の職員が海外出張に出る際に、「海外で日本人として恥ずかしくない身なりを整えてもらうため」に、「若手の職員でも3~5万円、局長級だと4~9万円、最高30万円の支度料がもらえる」と述べています。
 また、多くの自治体が構えている東京事務所の職員に、「東京在勤手当」として、「給料の12%が加算されている」とした上で、さらに、大阪府は中央区のタワーマンションを月22万円で借り上げ、「職員にタダで住まわせていた」と述べ、代官山にあるなら県の東京宿舎、山形県、鳥取県、鹿児島県、石川県の東京宿舎について「まるで、江戸時代の大名屋敷をほうふつとさせるような豪華さである」と指摘しています。
 さらに、「互助組合、厚生会という名前の福利厚生団体」から各種祝い金が支給されているが、「本来、会員が掛け金を積み立てて運営するものだが、ほとんどの自治体で、多額の補助金を投じており、掛け金ゼロで全額が公費でまかなわれている互助組合もある」ことについて、「もはや給料の一部であるが、互助組合を迂回して支払われるために給与とはみなされず、税金もかからない」と指摘しています。
 また、国家公務員の給料について、平均年収の「623万円(行政職)」は、「課長以下の本給に限ったものである」が、「国家公務員の給料が地方公務員より安いのは、平均の学歴が低いからです。というのも、国家公務員の半分は自衛官だからです」という秘密を紹介し、「これを除いた国家公務員の平均年収はなんと825万円となった」と述べています。
 第2章「カラ残業手当―公務員の優雅な1日―」では、公務員は「遅れず、休まず、働かず」といわれるが、本当は「遅れて、休んで、働かない」公務員が少なくないとした上で、出勤時の財務省で、若い職員が、出勤簿に課員から預かった印鑑をまとめて「代印」していた現場を収めた写真を紹介しています。
 また、宝塚市の多田浩一郎議員の調査結果として、宝塚市のごみ処理施設「宝塚市クリーンセンター」に勤務する職員が、「ゴミ収集は2時間から4時間、ほとんどの者が午前中で仕事が終わり、残り時間は昼寝やおしゃべりなどで過ごすことが多い」、「『書庫』という部屋があるが、扉を開けると畳敷きで布団が敷いてあり、本や書棚はない」という実態を紹介しています。
 第3章「管理職以外手当―公務員の出世のコツ―」では、厚生労働省系の特殊法人にいた著者が、経理を担当したときに、競争入札や見積もり合わせ等によって、年間予算の60億円のうち、2億円を節約して国庫に返したが、厚生労働省からは、「せっかく予算をとってやったのになぜ返したのか、こんなことでは予算が減らされてしまう。来年はぜったいに使いきるように」と「きつく叱られ」、上司は、「おそれおののいて全職員に再発防止の経理通達を出したほど」だったと語っています。
 そして、大分県企業局で電気事業に携わる職員に、管理職には給与の12%から20%の「管理職手当」が出るが、「管理職以外」の職員にも「一律に給与の8%の手当が支払われていた」と述べています。
 第4章「予算消化手当―公務員の浪費―」では、「県民1人当たりに投じられる」行政投資額が多い島根県について、「1人あたりの県民所得が239万円、県民が治める地方税は1人に月9万円に過ぎないが、国から、地方交付税などを年40万円分もらい、さらに16万円の借金、すなわち地方債を発行して、住民1人あたり50万円分の公共工事をしている」として、
・東京都民:19万円分の工事
・愛知県民:18万円分の工事
・大阪府民:15万円分の工事
となり、「いわば、大都市で働く人が、過疎地の公共工事代を巻き上げられていることになる」と述べています。
 また、役所との取引が、「NTT、富士通、日立、NECの4大企業グループが6割を占め」、いまや「ITゼネコン」と呼ばれているとして、著者の特殊法人時代にも、「財務省OBの相沢英之元衆議院議員が理事長を務める『日本システム開発研究所』という財団法人」が出してきたシステム改善費の見積もりが、4000万円ほどだったのに対し、別のシステム会社では、「市販の3万8000円のソフトウェアを買うだけでよいことが判った」にもかかわらず、財務省から出稿している経理課長が「別の会社に頼むなんてできるわけないでしょう」と、「随意契約でくだんの財団に440万円を払うことになった」ことを語っています。
 第5章「セクハラ『手当』―女性公務員をとりまく実態―」では、「男尊女卑や興味本位のエッチな質問やホステス役の強要から、人気部署への異動や昇進をエサにした不倫の強要まで、公務員のセクハラ事情は、民間会社とさほど変わらない」が、「公務員の女性は権利意識が強く、泣き寝入りなどせずに裁判を起す例が多い」として、「2006年に報道された主な職場のセクハラ裁判の3分の1はお役所におけるものであった」と述べ、「公務員はよくも悪くも日本のセクハラ訴訟のけん引役を担っている」と述べています。
 第6章「勤務成績不良手当─公務員の休職─」では、病気休暇中に県の陸上大会で優勝した長野県塩尻市の男性職員(20代)、「5年間で26日しか出勤しなかったのに、2600万円の給与を満額もらっていた」岡山県倉敷市の男性職員(40代)、「病気欠勤を繰り返しながら、夜は身内のお好み焼き店で働いていた」神戸市の男性職員などを紹介した上で、「労働基準法では、賃金は労働の対価とされている。しかし、公務員は、賃金は身分に対する対価と考えているようで、働かずに給料をもらうためにさまざまな法制を整備している」と述べています。
 一方、「欠勤や犯罪には甘い役所も、身内の不正をばらす内部告発に対しては大変厳しい」として、特殊法人職員時代に、「毎朝ほぼ全員遅刻、昼休み3時間、経理は不正で天下りの理事長は毎月公費で海外旅行に行くなどの公費のムダ遣いを週刊誌に内部告発」して辞職した著者が、「職場の秩序を乱した」として「懲戒処分を受け、退職金を減らされた」ことについて、刑事訴訟法239条に、「公務員は不正を見つけたら告発をしなければならない」とあるため、「特殊法人を相手に、処分の取り消しと退職金の支払いを求めて裁判を起こした」顛末を語っています。
 第7章「労働組合手当─公務員改革を阻むもの─」では、選挙事務に従事した地方公務員が、「東京都では4万円から7万円の報奨金」を現金で受け取っていることや、奈良県奈良市環境整美部の男性職員(42)が、「5年でわずか8日しか出勤せずに、給与は満額もらっていた」だけでなく、「病気休暇と休職を繰り返しながら、妻が経営する建設会社を手伝い、白いポルシェを運転して、口利きのために市役所を頻繁に訪れ、思うように入札できないと担当者を脅した」ことが発覚して、懲戒免職処分となったと述べ、男性が、部落開放同盟の地域支部長や委員などの役職をしていたことを紹介しています。
 また、京都市では、「同和行政の柱として行った優先雇用」の結果、「1万9000人の職員のうち、6500人が同和地区出身者の特別枠としてほぼ無試験で採用されていた」ことや、大阪市では、「同和団体有力者が市の幹部と飲食を共にしたり、天下りをあっせんすることで癒着を強めていった」ことなどを紹介しています。
 第8章「退職手当─公務員リタイア後の生活─」では、「天下りは、キャリア官僚だけの特権ではない」として、公益法人への天下りのうち役員を除いた4分の3は、ヒラ職員として、「気楽な第二の人生」を送るが、「民間企業に天下った者には過酷な日々が待ち受けている」として、建設会社に天下った役人たちの辛い仕事ぶりを紹介した上で、「民間企業への天下りは、出身官庁からの仕事の受注という成果をあげなければいけないので大変である。それだけに、役所が公益法人という気楽な天下り先をなくしたくないもの道理である」と解説しています。
 本書は、公務員の厚遇の基本中の基本である「手当」について、わかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 一言で「公務員」といっても、本書に取り上げられているような手当を全部もらっているような人はいませんし、ラインナップしている組織もありません。その意味では、面白くするために極端な例を集めたという部分はあります。それにしても自治体の手当の例で紹介されるのは関西が多いのですが。
 一方、本書の中や著者の他の著書でも指摘されているような、働かない職員、一生懸命やる無駄な仕事、何の役にも立たない事業、予算の消化の方が、より本質的には問題の根が深いのではないかと思います。
 40歳で独身の職員が、「独身手当」をもらったからといっても、その人がまじめに世の中の役に立つ仕事をしていれば、単に報酬の設計の理屈立ての問題で済みますが、まるで仕事をしない職員に給料を払っていることのほうが、よっぽど社会への損失は大きいのではないでしょうか。
 さらには、本人も組織も大真面目に歯を食いしばって仕事をしているのに、その仕事のベクトルが、役所のアリバイ作りだったり、予算の消化だったりで、全く世の中の役に立っていない、ということのほうが悲劇ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・氷山の一角をのぞいてみたい人。


■ 関連しそうな本

 若林 アキ 『ホージンノススメ―特殊法人職員の優雅で怠惰な生活日誌』
 若林 亜紀 『公務員の異常な世界―給料・手当・官舎・休暇』
 若林 亜紀 『サラダボウル化した日本 Welcome or Reject』
 中野 雅至 『はめられた公務員』 2005年05月26日
 テリー伊藤 『お笑いニッポン公務員―アホ役人「殲滅計画」』 2006年03月16日
 山本 直治 『実は悲惨な公務員』 2008年03月31日


■ 百夜百マンガ

夜回り先生【夜回り先生 】

 こういう「人生語る」系の話にはこの人の絵は当たるような気がします。原作自体が土田ワールドに近いような気もしますし。

2008年11月27日 (木)

ウソの歴史博物館

■ 書籍情報

ウソの歴史博物館   【ウソの歴史博物館】(#1407)

  アレックス バーザ (著), 小林 浩子 (翻訳)
  価格: ¥690 (税込)
  文藝春秋(2006/07)

 本書は、著者が研究の一助として立ち上げたウェブサイト「Museum of Hoaxes」の記事をベースにした、「世界に溢れるウソやインチキ」を収集したものです。
 第1章「中世とキリスト教の展示室」では、中世社会では、「"実在するもの"と"実在しないもの"とのちがい」はあいまいだったとした上で、「中世の人々のものの見方を形作った」出来事として、
(1)4世紀のローマ帝国の分裂:ヨーロッパ名中央集権的な制度を書いた内向型の貧困社会となり、秘密主義や閉鎖主義が中世の知識の土台になった。
(2)5世紀に聖アウグスティヌスが発表した『神の国』という書物:中世の人々は天上の国の真理を求めるあまり、地上の国の真理が歪められようが誤伝されようが気に留めなくなった。
の2点を挙げています。
 そして、「偽造の数の多さでは、中世の修道士と聖職者にはかなわない」として、彼らが、「何百年にもわたって公文書に近づく権利を支配してきたので、その気になれば文書の改竄も偽造も意のままにできる立場にいた」と述べています。
 また、「長年にわたって侃侃諤諤の論議を呼んでいる異物」として、「トリノの聖骸布」を挙げ、「長さ14フィートの布に裸の男の像が写っているもの」が、「磔刑にされたキリストの亡骸をくるんだ布」だと主張されたが、1980年代後半の炭素年代測定の結果、「聖骸布は14世紀ごろのものと判明した」にもかかわらず、「激しい論争はつづき、結論は当分出そうにない」と述べています。
 第2章「贋作と啓蒙主義の展示室」では、「ペテンを格調高い芸術にまで高めた時代があるとするなら、それは18世紀だと言える」として、「啓蒙主義の芸術家や思想家のおかげで、ペテンは単に他人をだましたり、かついだりするための道具ではなくなった。人々を教育し、啓発して、市民生活そのものを改善するための手だてとなった」と述べた上で、「教育が普及し、情報を共有する手立てが拡大したおかげで、皮肉にも贋作者やいかさま師が手腕を発揮する機会が増えた」と述べています。
 そして、「18世紀は文芸の贋作が盛んにおこなわれた時代として有名だ」として、その背景として、
(1)印刷文化が口承文化を凌駕した時代で、識字率が劇的に上がったこと。
(2)中世以前の文物や歴史に世間の関心がいやがうえにも高まった時代だったこと。
の2点を挙げています。
 また、18世紀に「エイプリル・フールの日」がヨーロッパやアメリカにますます広まったとして、「この日は、民衆が互いにたわいもないいたずらをしあって楽しむだけの祭日だったようだ」と述べ、「悪ふざけは4月1日の午前0時になればはじめていいが正午には終わりにしなければならない」というルールがあり、「このルールを破ると、いたずらをしかけた者自身が四月ばかになる」と述べています。
 第3章「大衆新聞と見世物の展示室」では、「近代のはじまりとともに、ペテンも新たに2種類の意義を持つようになる」として、
(1)1830年代に登場した"ペニーペーパー"と呼ばれる大衆紙が好んでつかう言葉の武器となった。
(2)19世紀の企業家や興行師たちもペテンを活用して、都市化した世界では顧客第一であるという価値観を宣伝した。
の2つを挙げています。
 また、1830年代のペニーペーパーの登場によって、「地元の犯罪、警察の報告、上流社会のゴシップ、人の好奇心をそそるネタなどなど」のローカルニュースの需要が発掘され、「大新聞のほとんどが地方記事専門の記者」である「ローカル」と呼ばれる記者を置くようになったとして、「大した事件がない日にも、とにかく購読者を楽しませなければならない」ローカルたちには、「ユーモア作家の才能が要求された」として、「ローカルたちはユーモアや、諷刺や、ホラや、デマを盛り込んで、活気のない記事に興趣を添えた」と述べ、中でも達人振りを発揮した、「西部の新聞社で働く3人のローカル」として、
・サミュエル・クレメンズ(別名マーク・トゥエイン)
・チャールズ・ブラウン(別名アーティマス・ウォード)
・ウイリアム・ライト(別名ダン・デ・クィル)
の3人の名を挙げています。
 第4章「珍獣と偽造写真の展示室」では、「ホラ話にはあらゆる種類のびっくりするような生き物が再三登場する」として、「こういった生き物の多くは、登場した正確な時期は不明だが、いずれも民族文化が印刷の普及によって主流となった19世紀にひろく知れ渡った」と述べた上で、「人間の声をまねる不思議な能力」をもった「枝角のあるウサギ」である「ジャッカロウプ」という生き物を紹介しています。
 また、「19世紀の終わりには愉快なホラ話が量産されたが、悪名高い不埒な偽書も一冊作られ、長い間に計り知れない害をもたらした」として、「シオン主義指導者の演説をまとめたもので、世界の金融界を支配し、キリスト教会の権威を覆して、世界制覇を達成するというユダヤの極秘計画のあらましを述べたもの」だという触れ込みの『シオンの博識な長老の議定書』を紹介しています。
 第5章「ラジオと近代芸術の展示室」では、「この時代を代表するペテンは、大衆文化の影響を折り合いをつけようとする試みに関連のあるものが多い」として、
(1)メディアを利用して大衆を操作するウソやプロパガンダを広める不気味さ。
(2)メディアの新しい力を称え、自分たちの目的に積極的に活用しようという考え方が出現した。
(3)大量消費主義や前衛芸術の侵害からエリート文化を守るためにペテンを利用する動き。
の3点を挙げています。
 そして、英国ヨークシャー州コティングリーに住む二人の少女が近くの庭園で撮った妖精の写真が、シャーロック・ホームズ・シリーズの著者コナン・ドイルによって、「超自然の妖精が存在する決定的な証拠写真」だとして国中の注目を集めたことについて、「その5枚は今も史上屈指のインチキ写真の座にとどまりつづけている」と述べています。
 また、1930年代の終わりにラジオ受信機がアメリカのほぼ8割の家庭に普及すると、「ほとんどの者が、ラジオは本質的に信頼できる」とみなすようになったとして、1926年の1月16日にBBCラジオで放送されたロンドン暴動や、1938年10月30日にCBSラジオで放送されたオーソン・ウェルズによる『宇宙戦争』を紹介しています。
 第6章「TVとカウンターカルチャーの展示室」では、第二次大戦後、「妄想めいたものが人びとの会話に紛れ込み、陰謀説や、政府の秘密計画や、宇宙からの訪問者の噂がささやかれだした。その結果、権力者(政府や企業)は民衆をだましているとか、民衆を統御するために膨大なデマを流しているという説が執拗に唱えられた」と述べ、「大衆の妄想に応えるかのごとく、50年代に後半に新しいタイプの文化的ヒーロー」である「トリックスター」が現れたと述べています。
 そして、1957年に、映画館で、「コカ・コーラを飲もう」と「おなかがすいた? ポップコーンを食べよう」という2種類のサブリミナル広告を見せた結果、ポップコーンと飲み物の売り上げが伸びたとされた実験について、データがでっち上げであったことを紹介しています。
 第7章「宇宙人とメディア不信の展示室」では、1970年代終わり以降の10年間に行われた有名なでっちあげが、「不安で不透明な時代のムードを反映していた」と述べています。
 そして、この時期のエイプリル・フールの事例として、1979年にロンドンのラジオ局が発表した、「イギリスではサマータイム期間中に毎日時計を進めることになっている」結果、「世界のほかの国より48時間も進んでしまったらしい」として、「世界の暦と合わせるために、その年の4月5日と12日をカレンダーから削除する」というウソを紹介しています。
 第8章「インターネットと消費社会の展示室」では、「インターネットの分散的かつ脈絡のない特質は、ペテン師たちにとって何より好都合だった」として、「90年代は先端技術の導入から生じる楽観主義とともにはじまったが、インターネットの奔放な環境を信頼しきることによる問題が明白になるにつれ、楽観ムードはかなり翳りを見せ始める」と述べています。
 そして、1993年2月にヨハネスブルク郊外のライ麦畑に出現したBMWのロゴの形のミステリーサークル、女装してゲイであることをカミングアウトしたバービー人形のケン、音楽的才能が一切なかったにもかかわらずポップデュオに仕立てられた「ミリ・ヴァニリ」などを紹介しています。
 また、この時期のエイプリル・フールの傑作として、1998年にバーガーキングが全面広告を打って発表した「3千2百万人の左利きアメリカ人のための特製メニュー"左利き用ウォッパー"」について、「材料は従来のウォッパーと同じ」だが、「これらの材料の配置を180度回転」させたことによって、「重量が再調整され、調味料の大部分が左側に偏り」、「レタスなどのトッピングがバーガーの右側からこぼれる率が少なくなる」とされていたことを紹介しています。
 第9章「9・11とウェブサイトの展示室」では、「過去20年に起きた情報の爆発がなおも拡大を続けるなか、ふたつの影響が鮮明になってきた」として、
(1)情報量が増えることによって、皮肉にも内容の真偽を見分ける労力も増すことになった。
(2)通信技術と情報技術の発達によって、大衆が拡大したばかりでなく、情報伝達がグローバル化し、大陸間のやりとりがこれまでになく迅速にできるようになり、嘘やデマが何のチェックもされずに国外へ流出するようになった。
の2点を挙げています。
 そして、2001年に、ある日突然、インターネットの有名人になってしまった「色男(ゴージャス・ガイ)」、ダン・バカについて、インターネットの"尋ね人"サイトに、「知らないうちに彼の写真が投稿されていた」結果、「バス停にゴージャスに立っているだけで、全国的な有名人になってしまった」とされたが、「写真が注目を浴びる原因となった初期のメッセージの大部分は、バカ自身が書いたもの」で、「さまざまな人物になりすまして投稿することで、おおぜいが自分の噂をしているかのように見せかけた」というインチキであったことが明らかになったと述べています。
 また、9月11日の直後にeメールで広まった、「厚着をした観光客が世界貿易センターの展望台に立つ写真で、人物の後ろにはハイジャックされたうちの一機と思しき飛行機が迫っている」写真(本書の表紙の写真)を紹介しています。
 本書は、さまざまな嘘が氾濫する現代において、嘘は嘘であると見抜けることが必要であることを突きつけてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「ゴージャス・ガイ」ダン・バカの話は、筒井康隆の「おれに関する噂」みたいで面白いです。もしかしたらアメリカの筒井ファンなのかも知れません。


■ どんな人にオススメ?

・自分はだまされないと思っている人。


■ 関連しそうな本

 フランク アバネイル, スタン レディング (著), 佐々田 雅子 (翻訳) 『世界をだました男』 2006年03月19日
 ゴードン・スタイン/編著 井川ちとせ/〔ほか〕共訳 『だましの文化史 作り話の動機と真実』 2006年03月18日
 デービット・カラハン (著), 小林 由香利 (翻訳) 『「うそつき病」がはびこるアメリカ』
 フランク・W・アバグネイル (著), 高橋 則明 (翻訳) 『華麗なる騙しのテクニック 世界No.1の詐欺師が教える』 2006年08月19日
 奥菜 秀次 『捏造の世界史』
 エドゥアール ロネ (著), 高野 優, 柴田 淑子 (翻訳) 『変な学術研究〈1〉光るウサギ、火星人のおなら、叫ぶ冷凍庫』


■ 百夜百マンガ

妖精事件【妖精事件 】

コティングリーの妖精の写真を見て、妖精は本当にいると信じ続けられたとすれば、それはそれで幸せなのかもしれないと思います。

2008年11月26日 (水)

消える日本の自然~写真が語る108スポットの現状~

■ 書籍情報

消える日本の自然~写真が語る108スポットの現状~   【消える日本の自然~写真が語る108スポットの現状~】(#1406)

  鷲谷 いづみ
  価格: ¥3150 (税込)
  恒星社厚生閣(2008/9/16)

 本書は、「日本列島の自然に何が起こりつつあるのかをしっかり見つめ、それが私たち自身、そして子や孫やひ孫の将来に投げかけている問題を明瞭に認識することが今求められている」として、「そのための理解を共有するための一助」とすることを目的にしたものです。
 第1章「日本の自然108スポットの現状」では、「開発による改変はもちろん、一見、自然豊かのように見える場所でも、実は、生態系が大きく変わっている場所は少なくない」として、森林、草原、湿地、里地里山、川・湖沼、海岸、干潟、サンゴ礁、海中林について、「過去と現在の写真を比較しながら解説」しています。
 千葉県の関係では、「海岸」が多く取り上げられ、「埋め立てによる海の減少」の例として、稲毛浅間神社の昭和30年代と2003年を比較し、「かつては海の中に鳥居があり、毎年7月15日の夏の例大祭の日には、船桟橋を渡り神社へと向かう親子連れが行列をつくった」が、現在では、海のなかにあった鳥居は埋立地の同じ位置に残っていると解説しています。
 そして、幕張周辺の昭和30年代と2008年を比較し、「かつて東京湾の一番奥の千葉から浦安にかけては広大な前浜干潟があった」として、「干潟にはアサリなどの二枚貝が多く生息し、機械力に頼らない漁業も盛んに行われ」、二枚貝による海水浄化や、それを採取することによる産業と地産地消などの機能が、埋め立てによる都市化で消滅したと解説しています。
 また、「掘り下げられた干潟」として、遠浅の干潟が続いた出洲海岸では、潮干狩りや海水浴の場としてにぎわっていたが、「現在は、干潟は掘り下げられ、港湾として整備されている」と述べています。
 さらに、「失われた営み」として、奈良輪で行われていた、「干潟に脚立を立てて行うアオギス釣り」が、「かつて東京湾の風物詩」だったが、「干潟は京葉工業地帯として埋め立てられ、アオギスは東京湾からは絶滅した」と解説し、検見川で行われていた、「『エビマキ』と呼ばれる道具を曳きながらゆっくり後退、砂にもぐっているクルマエビが表面に見えてきたところを、手づかみでとる漁」を紹介し、「干潟の消失は、さまざまな漁法やその産物としての味覚を失うことも意味する」と述べています。
 第2章「消えつつある日本の自然」では、「森林」について、「原生林がここ数十年で著しく変化してきた」として、「薪炭林は私たちが暮らしていく上で必要な木質燃料を生産するために、原生林を開発して作られてもの」であり、「人との関係が疎遠になった奥山の薪炭林は開発前の原生林の姿に戻されるべきだろう」と述べています。
 「草原」については、「日本の草原が手つかずの自然のものではないことを、また、どういう風に存在してきたのかを知る人は意外に少ない」として、「私たちが慣れ親しんできた草原の多くは、長年、人の手によって採草や放牧、火入れなどの管理がなされ、維持されてきた半自然草原(これを草地といいう)である」と述べた上で、「日本の田園風景で失われた最大のものは、森林や田畑ではなく、草原であるといわれる」として、肥料として、また、家畜の飼料として使われてきた草地は、明治・大正期には、「水田面積より広い草原が里山のいたるとことにあったことが想像できる」と述べています。
 また、時代小説『半七捕物帳』には、浅草辺りの話として、「東京になってからひどく減ったものは、狐狸や河獺ですね。狐や狸は云うまでもありませんが、河獺もこの頃では滅多に見られなくなってしまいました」という話を紹介しています。
 「里地里山」については、18世紀の人口を支えた水田には、「面積がその数倍ある周囲の農用林がなくては存在できなかった」として、「江戸時代の里山はよく言われるような10~20年ごとに伐採される薪炭林だけでなく、むしろ水田耕作のための刈敷きや草木灰(いずれも肥料の一種)の供給源、まぐさ場が土地の利用形態として重要だった」と述べています。
 「海岸」については、干潟や砂浜の粒径1ミリよりも細かい砂や泥が、「干潟や砂浜に昔から未来までずっとい続けているわけ」ではなく、「これらの砂や泥は『流砂系』と呼ばれ、流動するシステムである」と述べた上で、流砂系は「循環する水の系とよく似た経路を持っているが、水と違って砂は循環しない。一方向だけの流れである」として、「砂浜や干潟を維持しようとするには、この流砂形がちゃんと働いている必要がある」と解説しています。
 第3章「生物多様性の危機」では、「見える変化の背後で広く深く進行する、目に見えない、あるいは見えにくい、様々な変化」が深刻だとして、「そのなかでも最も憂慮すべき目に見えない変化は、生態系の『はたらき』とそれらの『つながり』の喪失だ。また、生態系のはたらきのうち『生態系サービス』を提供するはたらきは、ここ数十年の間に急速に劣化している」と述べています。
 その上で、1992年の地球サミットで採択された生物多様性条約が締結国に求めている「生物多様性国家戦略」について、日本では、2回目の改定後に、「生物多様性を脅かす要因を『3つの危機』に大別している」として、
(1)人間活動の直接的影響
(2)伝統的な利用・管理がすたれたことの影響
(3)外来生物による生態系攪乱や化学物質の影響
の3点について解説しています。
 第4章「私たちにできること」では、「自然環境の現状にしっかり目をむけ必要な保全・再生の実践を始めることは、地域における持続可能な経済を確保するために、もっとも重要な課題」だとした上で、日本最大の湿原である釧路湿原で行われている、「流域の森、川、湿原が一体となった生態系の回復を目標」とした、「直線化された河川の蛇行化、消失・劣化した湿原や森林の再生などの試み」や、兵庫県豊岡市で行われている、「一度絶滅した野生動物であるコウノトリを再び元の生息地である人里に帰すという世界的にも例がない野生復帰のとりくみ」を紹介しています。
 本書は、変わってしまった日本の自然を、50年単位で見返すことができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 明治時代の里山の風景がどのようなもので、田畑の風景がどのようなものであったか、というのも、写真ではイメージが湧きませんし、話を聞いてもピンと来ません。まして、江戸時代については想像も付きません。
 その意味では、江戸を偲ばせる古い建物や町並みは残っていますが、江戸の伝える田園風景というのはほとんど見る機会がないのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・現在の日本の自然は過去のものとはまるで違うことを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 河合 雅雄 『ふしぎの博物誌―動物・植物・地学の32話』 2008年05月29日
 スティーヴン・ジェイ グールド 『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語』 2007年03月03日
 ビル ブライソン (著), 楡井 浩一 (翻訳) 『人類が知っていることすべての短い歴史』 2007年04月08日
 矢原 徹一, 日本生態学会 『エコロジー講座 森の不思議を解き明かす』
 笠原 義人 『どうする国有林』
 松田裕之 『生態リスク学入門 -予防的順応的管理-』


■ 百夜百マンガ

ヒゲのOL薮内笹子【ヒゲのOL薮内笹子 】

 真実の愛が見つかるまで髭を剃らない女装好き、という設定だったら切ない話にはならなかったのでしょうが、どこからこういう主人公を思いつくのか不思議です。

2008年11月25日 (火)

対人関係の心理学

■ 書籍情報

   【対人関係の心理学】(#1405)

  星野 命
  価格: ¥1260 (税込)
  日本評論社(1998/04)

 本書は、数多く社会心理学の諸課題のうち、「古くからとりあげられながら、すぐれて現代的で当節の課題であり、1960年代から現在にかけて急速に進歩を遂げた研究分野」である「対人関係の心理学」の入門編とも言うべきものです。
 第1章「対人関係とは何か」では、「対人関係が人と人との心理学的関係であるということ」から、その特徴として、
(1)当事者が互いに相手を意識していること。
(2)個人的な結びつきである。
(3)相互作用の仕方を決めるものである。
の3点を挙げています。
 第2章「対人認知の発達」では、「相手の感情や意図を認知したり、性格や傾向を判断したり、友好的あるいは非友好的な関係を認知する」対人認知の形成について、「これらの過程は、人間敏誕生したときにゼロから出発するのではない。人間としてコミュニケートしうるある種の能力は、生まれたときからすでに備えている。乳児はこの能力を駆使することによって、次第に洗練された対人認知様式をつくりあげていく」と述べています。
 そして、乳児研究が進み、「出生直後から赤ん坊は『能動的に知覚、学習し、情報処理している個体である』ことが主張されるようになった」結果、「なくことで要求を周囲の人に示し、泣き方を変えたり工夫したりしながら、周囲の人と能動的にコミュニケーションする存在」としてとらえなおす必要があると述べています。
 また、生後12~21日の新生児が、成人モデルが示す「舌を突き出す」「口を開ける」「唇を突き出す」という顔の動作を模倣することについて、「このような動作の模倣は、共鳴動作と呼ばれ、乳児期後期の模倣、すなわち、モデルの行動を意図的に取り込んでいこうとする、知能の発達にとって重要な模倣とは区別されている」として、このような動作は、「少なくとも視覚的にモデルの行動や表情を識別し、それに対応した自分自身の身体部位を動かすという2つの側面を対応させて初めて可能になる」と述べ、「共鳴動作は、たんなる動作の協応というだけでなく、これを用いて周囲の人とコミュニケーションする道具になっていることが重要である」と述べています。
 第4章「自尊感情と対人関係」では、「自分の行動やその結果の原因を推測するときに、自尊感情を高めるように、あるいは、その低下を最小限に止めるような形で行おうとする傾向」である「自己防衛的帰属」について解説した上で、「結果が得られるまえに失敗することが予想される場合には、あらかじめ弁解の材料を自分で用意しておく」という「セルフ・ハンディキャッピング」という方略があることを解説しています。
 また、「高い価値を持った人や集団と自分との間に何らかの結びつきがあることを他の人に積極的に示す」ことで、「栄光ある個人や集団の『おこぼれ』を頂戴することによって他者から良い印象で見られるし、結局それは本人の自尊感情を高めることにつながる」として、こうした傾向を「栄光浴(basking in reflected glory)」と名づけています。
 第5章「対人感情と対人関係」では、対人関係に関連した感情を、「対人感情と情緒の2つに分けてかんがえると、人間関係の感情的側面がすっきり整理され、理解が容易になると思われる」として、
・対人感情:日頃から私たちがある人に対して持っている持続的で根底的な感情
・情緒:一時的・瞬間的な感情
の2つについて解説しています。
 そして対人感情について、
・好悪の次元:一方が好意の感情、他方が嫌悪の感情
・優劣の次元:一方が優越の感情、他方が劣等の感情
の2つの軸を挙げ、さらにこれらの組み合わせによる4つの対人感情を合わせて、合計8つの対人感情を「対人感情の円環図式」によって示しています。
<対人感情の円環図式>

        優越の
        感情傾向
   軽蔑の   |  慈愛の
   感情傾向  |  感情傾向
嫌悪の      |      好意の
感情傾向─────+──────感情傾向
   恐怖の   |  尊敬の
   感情傾向  |  感情傾向
        劣等の
        感情傾向
 
 著者は、「対人関係は対人感情によって大きく左右される。対人場面において感じる情緒、相互作用における相手に対する行動などが、対人感情によって大きな影響を受ける」と述べています。
 第6章「憎しみ・うらみ・嫉妬」については、「憎しみとは、自己を拒否したり支配しようとしたり貶めたりした相手を、逆に破壊し、無力化しようとしたときに生ずる感情であり、自己の主体性の主張に由来するものだ」と述べています。
 そして、「うらみの感情とは極めて受身的な敵意の感情である」として、
(1)二者関係的であること
(2)愛と憎しみの両価性
(3)相手が期待通りにしてくれないことへの欲求不満
(4)謝らせて一体感を確認したい欲求
(5)隠忍自重のはての爆発
の5つの特徴を挙げ、「日本的攻撃性」であると述べ、「うらみとは、甘えが許される人間関係、あるいは甘えを求めている人間関係において体験される感情であるといえる」と述べています。
 第7章「好意・恋愛・友情」では、「自分の態度と類似した人に好意を持つことがわかった」上、「好意に持つ人に対して実際以上に自分と態度が類似していると認知しがちであることが示唆された」と述べています。
 また、「一般に、人は自分が好意を寄せている人々によって好意を寄せられていると信じがちである」ことについて、「認知的斉合への欲求の一つとして好意を生じさせることを示している」として、「好意の相互交換(相応性)の予言である」と述べ、
(1)人は他者を好むようになる。その結果として、人は他者から好まれていると認知するようになる。
(2)人は他者が自分を好んでいることに気が付いて、その他者に好意を感じるようになる。
の2つのプロセスを示しています。
 第9章「異文化間のコミュニケーション」では、コンドンが示した文化の影響の例として、
「男」
という漢字が実際の男だと仮定し、「この人が右か左のどちらのほうに動いているとすると、どちらの方向に動いて見えるか」について、日本人とアメリカ人に尋ねると、「アメリカ人は右と答え、日本人は左と答える」と述べ、「このような繊細な知覚の例でも、文化の存在を強く匂わせていた面白い」と述べています。
 第10章「日本人の対人関係観──『間人』と『間柄』」では、欧米人の「対米関係観」について、「あくまで自己を単独の行為主体としてつねに保っていこうとする価値観に依拠している」として、それは「個人主義(individualism) 」渡渉されてきたものであるとする一方で、日本人は、「相手との親しい〈面識〉がある関係を樹立することが先決であって、その中にあって始め柄t自己の安定した行為主体性が確保されるものとされ、相互に〈きずな〉の維持につとめるような価値観がドミナントである」として、「間人主義(contextualism)」という用語で表現しています。
 本書は、対人関係を科学的に理解したい人にお勧めの入門書です。


■ 個人的な視点から

 本書でいちばん面白かったのは、「男」という字が右に進もうとするか左に進もうとするかが日本人とアメリカ人では異なって見えるという点でした。何となく、右から書く縦書きの文化と、左から書く横書きの文化のようにも感じました。
 それから、生後36時間の赤ちゃんが見せる驚いた顔はとっても可愛かったですが、36時間でそれほど人の顔が認識できるものなのでしょうか。自分の子どもは、泣いてるか寝ているかという印象しかなかったです。


■ どんな人にオススメ?

・対人関係を科学的に理解したい人。


■ 関連しそうな本

 ロバート・B・チャルディーニ (著), 社会行動研究会 『影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか』 2006年02月16日
 榊 博文 『説得と影響―交渉のための社会心理学』 2006年02月23日
 V.S. ラマチャンドラン, サンドラ ブレイクスリー (著), 山下 篤子 (翻訳) 『脳のなかの幽霊』 2006年09月03日
 ローレン スレイター 『心は実験できるか―20世紀心理学実験物語』 2006年09月16日
 エドワード L.デシ (著), 安藤 延男, 石田 梅男 (翻訳) 『内発的動機づけ―実験社会心理学的アプローチ』
 川上 善郎 (編集), 高木 修 『情報行動の社会心理学―送受する人間のこころと行動』 2005年11月19日


■ 百夜百マンガ

風の谷のナウシカ【風の谷のナウシカ 】

 映画のほうは年に1回は金曜ロードショーで放送されているような気がしますが、マンガ版のほうはそれほどお茶の間には浸透していないはず。
 テレビのように簡単にマンガを配信できる仕組みはないものかとも考えてしまいます。

2008年11月24日 (月)

満鉄全史 「国策会社」の全貌

■ 書籍情報

満鉄全史 「国策会社」の全貌   【満鉄全史 「国策会社」の全貌】(#1404)

  加藤 聖文
  価格: ¥1680 (税込)
  講談社(2006/11/11)

 本書は、「政治の視点から国策会社満鉄の創立から消滅までの歴史をたどる中で、近代日本が『国策』の名の下に推し進め、多くの民族の運命を翻弄していった満洲支配とはいかなるものであたのかを描くことにより、満洲支配の責任所在の不明瞭さと戦後における加害責任の希薄化の遠因を探」るものです。
 第1章「国策会社満鉄の誕生」では、ポーツマス講和条約によって、東清鉄道南部支線の約3分の2に当たる旅順─長春を手に入れた日本で、「後の満鉄の母体を日本政府内部の誰一人としてまともに理解していたものはなく、また獲得しても一体いかなる果実をもたらすかについても、誰もわかっていなかった」ことは、「政治の世界においてその重要性と必要性が認識された上で戦略的な位置づけと基本的な合意が図られるということもないままに、満鉄という組織だけができあがっていった」ことを指摘しています。
 そして、「日本人離れした合理主義者として日本近代史上類い希なる個性を発揮した後藤新平が初代総裁となったことによって、満鉄もまた独自の個性を育んでいった」と述べたうえで、「満鉄発展の道筋を付けたのは後藤だったが、満鉄が企業として確固たる地歩を築き上げることができたのは、第2代総裁の中村是公の功績」だと述べています。
 著者は、「結局、後藤や原といった強烈な政治的個性をもってしても国策会社としての満鉄を十分に活用できなかった」だけでなく、「原の死後、政治の世界において満鉄を使いこなすだけの人材はついぞ現れること」がなかったと述べています。
 第2章「『国策』をめぐる相克」では、「満鉄といえば後藤新平という、ある種の神話化されたイメージが今なお強く広まっているが、実際のところ後藤以上に重要な存在であった人物」として、「理事・副総裁・総裁としての在職年数が11年にも及ぶ」松岡洋右であったと述べています。
 そして、張作霖政権主体で建設されることになった満鉄並行線の2つの路線が、「やがて満鉄自らの首を締めることにつながってゆく」と述べるとともに、満鉄と外務省の間に大きな方針の隔たりが顕在化し、「『国策』としての満蒙政策は完全に統制が取れないものとなってしまった」と述べています。
 また、満鉄、とくに松岡が、「より積極的に張作霖支援にのめりこみ、張作霖の中央政界進出の野望を側面支援するまでになっていた」が、「これによって張作霖の政治権力が強大になればなるほど満鉄、ひいては日本にとって満洲を好き勝手にすることは難しくなるというジレンマに陥っていった」と述べています。
 さらに、張作霖爆殺事件から満州事変までの最も苦しい時期に奉天総領事として張学良との交渉に当たった林久治郎が、日本の満洲経営の欠陥として挙げた、
(1)満洲開発の主人公を自認する日本には一貫した政策もなく、満鉄以外のたいした企業もなく、居留民も頭打ちである。
(2)多くは満鉄付属地内に逼塞し、現地人社会に飛び込んで独力で事業を起こす気もなく、日本の莫大な対満投資の利潤は現地人が独占している。
(3)政府の政策は一貫性のない場当たり的なもので、東北政権に見透かされている。
の3点を紹介しています。
 第3章「使命の終わりと新たな『国策』」では、1931年の満州事変が、「この後の満鉄の運命を決定付ける一大事件となるが、満鉄首脳から社員にいたるまで事変に際して積極的に関東軍を支援し、事変の拡大の一翼を担っていった」と述べ、「その見返りとして多くの果実を手に入れた」として、「満洲国の誕生によって鉄道路線が飛躍的に拡大し、鉄道会社としての満鉄は絶頂期を迎える」と述べ、「それは、明治以来日本が満鉄に課してきた国策の一つの到達点、いやそれ以上のものでもあった」が、「それは同時に満鉄と国策をめぐる新たな迷走の始まりでもあった」と述べています。
 そして、関東軍特務部を中心とした満鉄改組作業が、「満洲国の産業開発を進めていくために不可欠な満鉄の経済力をどのようにして活用すべきか」を前提とし、「そこには、満鉄経済調査会(経調)が深く関わっていた」と述べ、「経済調査会は、人材提供も経費負担もすべて満鉄が担う、形式的には満鉄の組織ながら、実質的には関東軍の指導の下で活動する軍の機関だった。そして、関東軍特務部とは表裏一体の関係にあった」として、「満州国単独では経済的政治的自立は困難であり、日満経済ブロックを大前提とした、計画経済に基づいた強力な国家統制が必要だと考えていた」と解説しています。
 第4章「国策会社満鉄と戦後社会」では、「戦争遂行のために必要な基本的な知識の欠如に加えて、日米開戦前まで進められていた対ソ軍事作戦用の鉄道整備に参謀本部はこだわり続け、かたや陸軍省と政府は国内向け幹線輸送の強化を求め、間に立った関東軍が板ばさみになるという日本の『お家芸』とも言える意思統一のなさも加わって、軍部や政府が求める戦時物資・兵員の輸送と交通網の基盤整備、さらには満州国内での一般物資供給に加えて米軍の爆撃に対する防空設備の強化までも同時に求められた満鉄」が、「能力の限界をはるかに超え」、「こうした混乱の中で戦争の歯車でしかなくなっていった満鉄はいよいよ終焉のときを迎える」と述べています。
 そして、日本資産を「戦利品」と主張したスターリンが、ソ連軍による略奪的な接収を行い、「独ソ戦で高配した国土の急速な復興が何よりも求められていた」ソ連が、「満鉄をはじめとする旧満州国に残された資産を対日参戦前からの目論見どおり戦利品として手に入れた」にもかかわらず、「中国との関係を犠牲にしてまで獲得したこれらの産業設備は、ドイツから大量に運び出したものと同様、ほとんど役に立たずに終わる」として、「大型の産業設備などは設備だけでなく電力や通信や輸送手段など周辺の基盤と一体化することによって始めて期待通りの働きをするのであって、分解して運び出して都合のよいところだけつなぎ合わせても基盤の整っていないところではただの鉄くずにしかならなかった」と指摘しています。
 著者は、戦後日本で、「満鉄が本来持っていた刻作成が忘却され、満鉄の企業性のみが記憶として語り継がれていった」ことが、「満洲の植民地支配の実態──日本の支配政策のお粗末さとそれに反比例してもたらされる人々の悲劇──を封印する結果をもたらした」と述べています。
 そして、「日本にとって国策とはいかなるものだったのか。また、欧米列強による植民地化にこうして近代国家を作り上げていった日本は国策によって何を目指していたのか。またその過程でアジアとどう向き合おうとしたのか」との問いに対し、「残念ながら近代の日本が国家として希求した国策は、場当たり的なものでしかなく何の統一性もなかった」と述べています。
 本書は、現在では植民地の鉄道会社くらいの認識しかされていない満鉄の政治的な一面を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 満鉄といえば小林英夫先生ということで何冊か紹介してきましたが、『満鉄全史』なる意欲的なタイトルでどういう筋の人かと思ったら、やっぱり小林先生の名前が出てきました。
 とくに、歴史の分野は資料の蓄積がものを言うので、師弟関係などのつながりは重要になってくるのだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・満鉄はただの鉄道会社だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 小林 英夫 『「日本株式会社」を創った男―宮崎正義の生涯』 2006年01月02日
 小林 英夫 『満鉄―「知の集団」の誕生と死』
 小林 英夫, 米倉 誠一郎, 岡崎 哲二, NHK取材班 (著) 『「日本株式会社」の昭和史―官僚支配の構造』
 小林 英夫 『満鉄調査部―「元祖シンクタンク」の誕生と崩壊』 2007年10月22日
 小林 英夫, 米倉 誠一郎, 岡崎 哲二, NHK取材班 (著) 『「日本株式会社」の昭和史―官僚支配の構造』
 山室 信一 『キメラ―満洲国の肖像』 2006年01月13日


■ 百夜百音

別冊モダチョキ臨時増刊号【別冊モダチョキ臨時増刊号】 モダンチョキチョキズ オリジナル盤発売: 1994

 どうしても、メインボーカルの人のイメージとオバQのイメージが強いのですが、個人的にはモダチョキといえばフィリップ君。ヌルピョンとか知らなかった。いまどうしてるんでしょうか。あの駄洒落がまた聴きたいです。

2008年11月23日 (日)

ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つ

■ 書籍情報

ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つ   【ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つ】(#1403)

  オリ・ブラフマン/ロッド・A・ベックストローム (著), 糸井 恵 (翻訳)
  価格: ¥1890 (税込)
  日経BP社(2007/8/30)

 本書は、「管轄する人間がいなかったらどうなるか」を検証するものです。著者は、「ヒエラルキーが存在しなかったら何が起きるのか。秩序が乱れ、混乱すると思うかもしれない。ところが多くの分野で、伝統的な意味での指導者をもたない、けれども力強い集団が、業界や社会の、従来のやり方をひっくり返している」と述べています。
 第1章「MGMの失敗とアパッチ族の謎」では、音楽ファイルを共有するP2Pサービスに対して、レコード会社が、「泥棒たち、つまり、音楽ファイルを交換していたユーザー」と、「鍵を壊して泥棒を家に入れた者、つまりP2Pサービス会社」の2段階の戦略をとったにもかかわらず、「音楽の違法流通の問題は一向に改善」せず、音楽会社の「要求が厳しくなればなるほど、敵の勢力も増大」したと述べています。
 そして、アパッチ族がスペイン軍を破ったことをとりあげ、「アパッチ族には、他の部族における首長に当たる存在の代わりに、ナンタンと呼ばれる精神的および文化的な指導者がいた。ナンタンは行動で規範を示すだけで、他者に何かを強要する権限は持たなかった。ナンタンは部族のメンバーは、ナンタンに従いたいから従うのであって、強制されたからではない」と解説した上で、「スペイン軍がアパッチ族に負けたのは、レコード会社がP2Pサービス会社を撃退できなかったのと同じ理由だ」と述べています。
 その上で、
○分権の第1法則:分権型の組織が攻撃を受けると、それまで以上に開かれた状態になり、権限をそれまで以上に分散させる。
として、「権限が一ヶ所に集中していない相手を叩けば叩くほど、その相手は強くなる」と述べています。
 第2章「クモとヒトデとインターネットの最高責任者」では、
○分権の第2法則:ヒトデを見てもクモだと勘違いしやすい。
○分権の第3法則:開かれた組織では情報が一カ所に集中せず、組織内のあらゆる場所に散らばっている。
○分権の第4法則:開かれた組織は簡単に変化させることができる。
○分権の第5法則:ヒトデたちには、誰も気づかないうちにそっと背後から忍び寄る性質がある。
○分権の第6法則:業界内で権力が分散すると、全体の利益が減少する。
などの法則を挙げた上で、ヒトデ(分権型組織)とクモ(集権型組織)の見分け方として、
(1)誰かひとり、トップに責任者がいるか?
(2)本部があるか?
(3)頭を殴ったら死ぬか?
(4)明確な役割分担があるか?
(5)組織の一部を破壊したら、その組織が傷つくか?
(6)知識と権限が集中しているか、分散しているか?
(7)組織には柔軟性があるか、それとも硬直しているか?
(8)従業員や参加者の数がわかるか?
(9)各グループは組織から資金を得ているか、それとも自分たちで調達しているか?
(10)各グループは直接連絡を取るか、それとも仲介者を通すか?
の10のチェックポイントを挙げています。
 第3章「ヒトデでいっぱいの海」では、「権限分散型の組織」の例として、
・スカイプ:新しい技術革新で、かつて特定の企業が独占していた特権を無料で使えるように開放した。
・クレイグリスト:新聞業界は多大な打撃をこうむり、合併し、より集権的な組織になることで脅威に対抗しようとした。
・アパッチ:二つの巨大なクモ型組織、マイクロソフトとネットスケープの紛争を防いだ。
・ウィキペディア:書き込みをするユーザーたちは、客観的で、性格で、わかりやすい記事を書こうと心を砕いている。
・バーニングマン:最近ではおそらくたった一つの、24時間休みなしの騒ぎが一週間も続く、分権型の催し。
などを挙げたうえで、
○分権の第7法則:開かれた組織に招かれた人たちは、自動的に、その組織の役に立つことをしたがる。
と述べています。
 第4章「5本足で立つ」では、「分権型組織は、5本足で立つ動物のようなものだ」として、「1本か2本の足を失っても、死ぬことはない。そして、それぞれの足がすべていっしょに動き出すと、突然、大成功を収めることがある」とした上で、
・1本目の足:サークル──サークル内に規範ができてきて、メンバーがともに過す時間が増えると、互いを信頼するようになるという素晴らしい現象が起きる。
・2本目の足:触媒──開かれた組織における「触媒」とは、「サークル」を創設し、その後は身を引いて、表舞台から消えてしまう人物だ。
・3本目の足:イデオロギー──分権型の組織をまとめる接着剤の役割を果たすのは、「イデオロギー」だ。
・4本目の足:既存のネットワーク──成功した分権型組織のほとんどが、既存の組織を土台として始まっているが、インターネットは、新しい分権型組織を生み出す格好の場所になった。
・5本目の足:推進者──推進者は、新しい概念を執拗なまでに推し進める。
の5点を挙げています。
 第5章「触媒のもつ不思議な力」では、触媒が、「他の人たちに権限を与えて自分は身を引」くとともに、「信頼と理解にもとづいて重要な人間関係を築く」と述べる一方で、「固い決意だけでなく、ある種の厚かましさも必要」だとして、「触媒には、やりたいことをやってしまう不思議な力が備わっている」と述べています。
 そして、触媒たちが、「みんな似たような道具を使っていた」として、
・他人に対する純粋な興味
・ゆるやかなつながり
・地図づくり──触媒は、それぞれの知り合いがネットワークのどこに当てはまるか考えている。
・役に立ちたいという欲求
・情熱
・相手を説得せず、肯定する
・感情的知性
・信頼
・インスピレーション
・あいまいさに対して寛容であること
・干渉しない態度
・立ち去ること
などの点を挙げています。
 著者は、「こういうリーダーシップが、あらゆる状況に向くとはいえない」として、「触媒がうまく働くのは、急激な変化と創造的な考え方が必要な場合だ」と述べています。
 第6章「分権型組織と戦う」では、動物実験を行う研究所への進入などの違法な活動を含む、「動物解放戦線」の例を紹介した上で、
○分権の第8法則:攻撃されると、集権型組織は権限をさらに集中させる傾向がある。
と述べています。
 そして、「ヒトデによる侵略に対抗する具体的な戦略」として、
・戦略その1:イデオロギーを変える──ジャミイ・ボラ信託、フューチャー・ジェネレーションズ、チヌーク型ヘリ。「どうせ人生に望みはないから、テロリストにでもなろう」というイデオロギーを、「希望はある。自分の人生を良いものにできる」というイデオロギーに変えた。
・戦略その2:権限を中央に集めさせる(牛型アプローチ)──アメリカ人は、アパッチ族のナンタンたちに畜牛を与えて、その社会を壊した。人々はいったん財産を手にすると、すぐに、利益を守るために集権的なシステムを求めるようになる。
・戦略その3:自らを分権型に変える(奴らに勝てないなら──奴らの仲間になれ)──ヒトデ型組織にとっての最悪の敵は、別のヒトデであることが多い。テロ集団と戦う、奇襲作戦の訓練を受けたメンバーによるサークルに対する政府支援。
 第7章「ハイブリッドな組織」では、「分権型組織のボトムアップ的なアプローチと、権限集中型企業の構造や管理方法を併せ持ち、そして利益も期待できる」という「ハイブリッド型組織」として、
(1)顧客経験価値を分散させた中央集権型の企業:イーベイ
(2)中央集権型企業でありながら、ビジネスの一部に分権を取り入れている企業:GE、ドレーバー・フィッシャー・ジャーペットソン(DFJ)
の2種類を挙げています。
 第8章「スイートスポットを探して」では、1943年に、GMに招かれて、「その成功の背後に潜む謎」を解くことを依頼されたピーター・ドラッカーの例をとりあげ、「ドラッカーにとって、GMでの調査は金鉱を掘り当てたようなものだった」として、「当時のトップ企業の内部に、無制限のアクセスを許されて、ドラッカーは18ヵ月間、まれに見るつっこんだ形でビジネスの理解を深めることができた」と述べ、「ドラッカーは、GMの経営に携わるのに理想的な人物に見えた」が、ドラッカーが著書『企業とは何か』を刊行すると、ドラッカーが、「GMが戦略を変えて、さらに分権を進めれば、利益が上がると提案した」ことに対し、GMの幹部は「ドラッカーの本をとんでもない裏切りとみなし」て怒り狂ったと述べています。ドラッカーは、「分権制が、GMが成功した鍵だと主張した」のに対し、「GMの反応は、我々はすでにうまくいっているのになぜ変わる必要があるのか、業界トップの会社に向かってよそ者が入ってきて余計なことを言うな、というものだった」と述べています。
 そして、「GMのような企業が伝統的な指揮管理型経営に何年もこだわっている間に、日本企業は経営の革新を進めていった」として、トヨタの製造ラインと効果的なチームワークを紹介した上で、「トヨタとGMの違いは、組合でも、文化の違いでもなければ、儒教や禅の哲学とも関係ない」ことを証明するため、「トヨタは、自分たちが手を貸せば、GMにも同じレベルの品質が達成できる」と主張し、GMのフレモント工場を、「ニューユナイテッドモーターズ製造(NUMMI)」という名前で再開させた結果、「3年のうちに、そこはGM社内で最も効率の高い工場に生まれ変わった」と述べています。
 著者は、「中央集権が一方の端に、分権がもう一方の端にあるとして、権限分散のスイートスポットは、その間にある」として、「トヨタが見つけたスイートスポットは、想像力を刺激するのに十分な分権を保ちながら、社内の一貫性を維持するのに十分な構造と管理も備えていた」と述べています。
 第9章「新しい世界へ」では、「電話がコミュニケーションを変え、技術が戦争を変えたように、分権の勢力は、新しいルールを作り出していた」として、
・ルール1:規模の不経済──「私たちは、規模が小さいことが根本的な経済的優位性に繋がる新しい世界に足を踏み入れている。
・ルール2:ネットワーク効果──ヒトデ型組織組織は、新しいメンバーがネットワーク全体の価値を向上させるコミュニティを、一銭も費やすことなく作り出せる。
・ルール3:無秩序の力──ヒトデ型のシステムは、創造的か、破壊的か、革新的か、あるいはクレイジーなアイデアをはぐくむのに最適だ。
・ルール4:組織の端の知識──最高の知識や情報は、組織の端のほうに存在することが多い。
・ルール5:誰もが貢献したがる──ヒトデ型組織の中にいる人は、知識を持っているだけでなく、情報を共有し、貢献したいという根本的な欲求がある。
・ルール6:ヒュドラの反撃に気をつけろ──分権型組織と戦う方法がないわけではないが、頭を切り落とそうとするのはやめたほうがいい。
・ルール7:触媒が触発する──触媒をCEOにしようとすると、ネットワーク全体が危険にさらされる。
・ルール8:価値こそが組織──最も成功しているヒトデ型組織は、始めは非情に極端に聞こえるイデオロギーとともに登場している。
・ルール9:測定し、観測して、仕切る──分権型のネットワークを測定するには、正確に間違うよりは、あいまいに正しいほうがいい。
・ルール10:フラットにせよ──でないと負ける──分権型組織を倒せなかったら、生き残るのに最上の方法は、彼らの仲間になることだ。
の10のルールを挙げています。
 本書は、21世紀にうまくいっている組織が、それまでの組織と何が違うのかを読み解こうとした一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書が面白い内容であるのに対して、日本語版の副題の「21世紀はリーダーなき組織が勝つ」は、中身を読んでしまった後では陳腐というか、そういうことを言っている本ではないでしょ、と思うのですが、日本でビジネス本として売れるためにはこういう副題は不可欠だとも思います。これがないと生物学の棚に置かれかねません。
 こういう副題を考える会議っていうのも結構面白そうなので、一度見学できたらうれしいです。
 それにしても、本書で紹介されている「ヒトデ型組織」をそのまま真似すればうまくいく、というわけではないので、ここが教訓です、まとめです、こうやればうまくいきます、という部分がないのはGOODです。


■ どんな人にオススメ?

・「組織」といえばヒエラルキーのことだと思う人。


■ 関連しそうな本

 今井 賢一, 金子 郁容 『ネットワーク組織論』 2005年03月19日
 金子 郁容, 松岡 正剛, 下河辺 淳 『ボランタリー経済の誕生―自発する経済とコミュニティ』 2005年08月29日
 金光 淳 『社会ネットワーク分析の基礎―社会的関係資本論にむけて』 2006年02月28日
 エティエンヌ・ウェンガー, リチャード・マクダーモット, ウィリアム・M・スナイダー, 櫻井 祐子 (翻訳), 野中 郁次郎(解説), 野村 恭彦 (監修) 『コミュニティ・オブ・プラクティス―ナレッジ社会の新たな知識形態の実践』 2005年08月25日
 アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日
 ダンカン ワッツ (著), 辻 竜平, 友知 政樹 (翻訳) 『スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための新科学的思考法』 2005年09月28日


■ 百夜百音

アキラ 4【アキラ 4】 小林旭 オリジナル盤発売: 2002

 64年のヒット曲「自動車ショー歌」は、最近ではキリンの「白麒麟」のCMで知られています。ここのところ、80~90年代のカバー曲がヒットするのを見かけると、若い人は知らないだろうな、と少し寂しくなるものです。

2008年11月22日 (土)

離婚後300日問題無戸籍児を救え!

■ 書籍情報

離婚後300日問題無戸籍児を救え!   【離婚後300日問題無戸籍児を救え!】(#1402)

  毎日新聞社会部
  価格: ¥1680 (税込)
  明石書店(2008/8/27)

 本書は、「明治時代の1898年の施行以来変わらない」民法の「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」とする「離婚後300日規程」が、「離婚の増加、女性の社会進出、医療技術の進歩──など、立法当時には想像できないほど」変わった時代に対応できず、「変化する時代に取り残された存在」になっている問題について、「現代の家族の問題を見事なまでに象徴」し、「生きる権利の前提となる『戸籍』すら取れない子どもたちを何人もつくり出していた」として、毎日新聞が、2006年12月から行ったキャンペーンをまとめたものです。
 第1章「親子の苦悩」では、離婚後300日規程のため、母親の離婚成立後、226日後に誕生した女児が、出生届を受理してもらえず、戸籍のないまま2歳になったケースを紹介し、市役所は、「女児を前夫の戸籍に入れた後で養子縁組することや、前夫に親子関係不存在を確認する裁判を起こしてもらうこと」などを提案したが、「自分の娘を一時的にでも他人の戸籍に入れることは納得がいかないし、前夫とは関わりを持ちたくない」として、父親が話していることを紹介しています。
 また、これらの記事が掲載された反応として、「切迫早産のため離婚後300日以内に出産、『前夫の子』とされてしまったケース」について、「予定日から女性の妊娠期間の『十月十日=約280日』を逆算して単純に考えても、『前夫の子』であることは100%あり得なかった」と述べています。
 一方、前夫の側についても、離婚後300日以内に子どもが生まれれば、母親である女性は離婚前に前夫以外の男性と関係を持っていた可能性が高いことになる。前夫にとって、この事実を離婚後に知らされたときの屈辱感やショックや、少なからぬものだと想像できる」として、「前夫」として、調停への協力を求められている男性からの、「私には身に覚えのない子です。元妻も僕の子ではないと主張しています。一方的に離婚を成立させ、現実には身ごもっていたのですから、前夫である私は被害者であり、精神的な苦痛で慰謝料請求はできるのでしょうか」というメールを紹介しています。
 また、全国の県庁所在地の市役所の窓口担当者へのアンケートの結果に、「窓口の職員らの苦悩がにじみ出ていた」として、「現状を疑問視し、国に対応を求める意見も見られた」と述べ、「当事者が窓口で悲嘆に暮れる様子を見て、自治体の職員は気の毒に思っているのに規定があるため出生届を受理できない」という現状を憂えた自治体側が法務省に行った要求に対して、法務省民事局からの回答は、「要望には応じ難い」とわずか1行記されただけだったとして、「法務省の『事なかれ主義』を象徴するような対応だった」と述べています。
 著者は、「300日規定」の主な問題点として、
・「前夫の子」となるのを拒んだことにより、戸籍のない子どもが存在する。
・今の夫の子とするため前夫を巻き込んだ裁判が必要。
・DNA鑑定など科学的証明があっても、規定が優先。
・裁判で現夫のこと戸籍登録できても前夫の名が残る。
・離婚後に妊娠しても、早産などで300日以内に誕生するケースがある。
・規定が周知されていない。
等の点を挙げています。
 第2章「行政、国会が動き始めた」では、「無戸籍の子どもたちは、本人とは全く関係のない理由で行政サービスから長らく遠ざけられてきた。本来受けられるはずの定期検診や予防接種などの乳児医療や保険サービスだが、自治体の理解不足もあり、対象から漏れる例が少なくなかった」と述べ、2007年3月1日の衆議院予算委員会分科会で、民主党の泉健太衆院議員の質問に対する、柳沢伯夫厚生労働大臣の答弁を受け、「厚労省も無戸籍児への行政サービスの徹底に乗り出した」と述べています。
 そして、自民党の法務部会兼プロジェクトチームで、慎重派議員から、「DNA鑑定という生物学的な方法を持ち込むのは法制度を覆しかねない、いわば生物学的な親子関係がすなわち法的な親子関係ではない」として、「法律婚では、不貞行為は違法行為ということになっていて、例外を保護する場合は裁判所の手続で認めるのが民法の原則だ」と指摘したことを紹介しています。
 また、法務省による実態調査の結果、離婚後300日以内に誕生する子は、「年間約2800人」におよび、「規定に苦しんでいる家族が決して少なくないことを裏付ける内容だった」と述べています。
 さらに、無戸籍のまま年を重ねた場合に、将来懸念される大きなハードルとして、「旅券取得」と「結婚」を挙げ、支援団体の働きかけを受け、「外務省は、無戸籍のままでも旅券が発給できるよう、旅券法施行規則を改正する方針を決めた」と述べています。
 第3章「浮上する課題と見直しの動き」では、「別居などの『結婚生活の破たん』と、『離婚届の受理』は、必ずしも一致しない」として、「前夫の離婚届提出が遅れたため、『離婚前の妊娠』とされてしまい、戸籍がない男児を育てることを余儀なくされた」ケースを取り上げています。
 また、300日規定によって無戸籍となった女性が出産を控え、「2代に及ぶ無戸籍」の恐れが表面化したケースについて、「地元法務局との調整の末」、「女性が無戸籍のまま『夫』と結婚、子どもについては『夫』の戸籍に記載する」救済策が採られたが、「女性本人は、戸籍や住民票にも記載されない状態が続くことを余儀なくされた」と述べ、「それまで、結婚は困難とされてきた無戸籍者も、結婚できることを示した点で意義のある救済策となった」と述べています。
 「報道を振り返って」では、取材を通じて浮かび上がったこととして、「法律の条文を振りかざし、少数者の存在を公的に認めようとしなかった国や自治体の姿勢、また規定が今の時代にそぐわないことを理解しようとしない政治家たちの姿だ」として、中でも法務省については、「当事者や家族が苦しんでいるのを知りながら、問題を長らく放置してきたと言ってもいいだろう」と述べています。
 本書は、メディアによるキャンペーンが、いかに政治や行政を動かし得るかという、権力としてのマスメディアの力を存分に示した一冊でもあります。


■ 個人的な視点から

 生物学的な親子関係だけが親子ではない、というのも、DNA鑑定などなかった明治時代には考えられなかったことなので、それはそれで一方の真実であり、いちいちDNA鑑定をしていったら色々波風が立つというのも正しいとは思いますが、そういった問題回避のための手法はあくまで便宜的なものであり、その時代の技術レベルや社会通念などで変えていってもいいものではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・法律は杓子定規だと思う人。


■ 関連しそうな本

 二宮 周平 『家族と法―個人化と多様化の中で』
 二宮 周平 『家族法』
 星野 英一 『民法のすすめ』
 利谷 信義 『家族の法』
 二宮 周平 『事実婚の判例総合解説』
 内田 貴 『民法の争点』


■ 百夜百音

ひとつだけ/the very best of akiko yano【ひとつだけ/the very best of akiko yano】 矢野顕子 オリジナル盤発売: 1996

 ポニョでは魚たちの声をやってましたが、あの台詞でもそれとわかるキャラクターは強烈です。

2008年11月21日 (金)

ドラッグの社会学―向精神物質をめぐる作法と社会秩序

■ 書籍情報

ドラッグの社会学―向精神物質をめぐる作法と社会秩序   【ドラッグの社会学―向精神物質をめぐる作法と社会秩序】(#1401)

  
  価格: ¥2415 (税込)
  世界思想社教学社(2008/10)

 本書は、ウィリアム・バロウズのデビュー作『ジャンキー』のフレーズ、
「麻薬とは刺激ではない。それは生き方だ(Junk is hot a kick. It is a way of life)」
「麻薬をやめるとは、ある生き方をあきらめることだ(When you give up junk, you give up a way of life)」
が、「私たちにとって理解しがたいということ自体」についてかんがえ、「さらにはその理解しがたさに接近しようとする私たちのある種の作法が、それを理解するためにはいささか不十分なものであるのはなぜなのか」を考えようとするものです。
 そして、「これまでかんがえられてこなかったドラッグ」について、「どのようにしたらかんがえることができるだろうかということまでもふくめて、かんがえる試み」であり、「さらにそれをとおして、私たちがこんにちかんがえるということそれ自体が、ある特定の形の現実──あるいはある特定の現実の語り方──をめぐる努力であるということの意味をかんがえる試み」だと述べています。
 第1章「ドラッグをもってパーティに出かける」では、「近年の若者のドラッグ使用については、パーティやレイヴをもとに語られることも多く、そこでは従来とは違ったドラッグの意味が提案されている」とした上で、「パーティの結末や全体像がどうであれ、ドラッグはすでに手に入れられ、すでに使われている」として、「まだ結末が見えないこの状況にあっても、ドラッグはそれぞれの状況でそれぞれの意味を持っている」、「あるいは、特別な意味などなくても使用されている」と述べています。
 そして、「パーティやなんらかのイベントとの関係でドラッグを意味づけたり描き出したりすることは、どこに結末をおくか、その結末との関係によって全体像がどうであり、それによってドラッグをどう意味づけるかということをめぐっての、ある意味で政治的な活動でさえある」として、「それは、ドラッグを禁止する制度やそれに対抗する運動と、結果的には同じような作業をしているとかんがええられる」と述べた上で、「ドラッグを使うとは、そのような特定の意味づけ以前にすでにここの状況において成り立っている事柄なのである」と述べ、「ドラッグを使用する、あるいは使用しつづけるということは、それとかかわるような個々の状況をどのように語るか、或いは説明するか、ということと切り離せないのであって、結末を描いてそこから遡及的にそれぞれの言葉や行為を意味づけることでは捉えられないということである」と述べています。
 第2章「これまでのドラッグの社会学」では、「ドラッグは、それを使用したとしても必ずしも暴力的になったり錯乱したりするようなものではないようである」として、「ドラッグのことをかんがえるときに、まずなによりもみとめなくてはならないのは、その所持や使用が犯罪であろうがなかろうが、それを実際に使っている人がいるということである」と述べた上で、ドラッグについてかんがえる上では、「禁止するべきだとかんがえることを前提としたり、あるいは逆に解禁するべきだとかんがえることを前提とすることはできない」と述べています。
 そして、最も早い時期にドラッグの研究を始めたアルフレッド・リンドスミスが、「嗜癖の社会学的理論」を提案し、「嗜癖」について、「まず第一に、特定のドラッグにたいする強烈で意識的な欲求によって特徴づけられ、さらに、その初期の段階で確立された態度への固執によって引き起こされる再使用の傾向によって特徴づけられる行動として定義されうる」と定義していることを紹介しています。
 そして、「ドラッグの使用者にはさまざまなパターンがあり、ヘロインに嗜癖する使用者も、その一つのパターンに過ぎない」とした上で、「多くの場合、若者が使用者になっていく背景に『クールであること(being cool)』が重要な価値としてある」とのベルとともに、「たとえドラッグを使用したとしても『本物のヤク中』になることはなかなかむずかしい」として、「若者にはマリファナが好まれ、ヘロイン使用は非難されることさえある」うえ、「ヘロインを使い続けるには、その習慣を支える経済的能力すなわち犯罪能力が必要」だとして、「これらを乗り越えるという点で『本物のヤク中』は『二重成功者(double successful)』ともされている」と述べています。
 また、「ドラッグは、それを使用すれば自動的に楽しめるようになるというわけではなく、それ相応の、ある意味で『習熟』ともいえるような過程を必要とする」と述べています。
 さらに、ベトナム戦争をきっかけに、「嗜癖になるにはそれを可能とするような状況や環境があるのであって、逆にそうならずに使用し続ける人たちがいるということ、それについてかんがえられるようになった」として、「コントロール使用者」と呼ばれる使用者の研究を紹介し、「ドラッグ使用を嗜癖などの問題をさけながらつづけていくということは、そのドラッグ使用習慣のまわりに発達した慣習・儀礼・社会的制裁を受け入れながら、ドラッグとつきあっていくことを意味するとかんがえられる」と述べています。
 第3章「こんにちのドラッグ使用」では、多くの使用者が、「マスメディアなどで語られていることとは異なり、彼らのドラッグとの出会いは、自分たちの日常生活の外側にあるような集団との出会いによってもたらされたものではなかったという形で語る」として、「そのように語ることによって示される彼ら自身は、けっして私たちの日常生活の外側にいるような人物」ではなく、「むしろ私たちと同様に、通常の日常生活を営んでいる人物として示されている」と述べています。
 そして、「ほんのわずかな一瞬ではあっても、使用した誰もが跳躍のような瞬間、自分を賭けるような瞬間を経験しているとかんがえられる」として、「跳躍の瞬間──それはある意味では無謀な瞬間でもあるのだけれども──を受け入れられるかどうか、保証のない未来に自分を賭けられるかどうか、それがドラッグを体験するかどうかを決定的に分けているとかんがえられる」と述べるとともに、「注射という使用形態への抵抗は根強く語られる」が、「そのような形態ではないということが、問題発生の可能性を相対的に低く見積もらせているとかんがえられる」と述べています。
 また、多くの使用者が、「やめられなくなるという言葉、おかしくなるという言葉にことのほか敏感である」として、「彼らはみずから使用を継続したり停止したりすることによって、自分の体を通してそのドラッグがどのようなものであるのかを確認し、理解しつつ使用を行ってきたかのように語る」と述べ、「興味深いことに、使用者でありつづけたいのであれば自制できなくてはならない」と述べています。
 第4章「ドラッグをめぐる運動」では、「ドラッグについて興味深い事柄のひとつ」として、「その所持や使用が国際的に統制され、多くの国で犯罪とされている一方で、それらの統制に対抗して使うことを容認するようにはたらきかけたり、推奨したりするような運動が実際に存在して活動していること」を挙げ、その状況が、「ドラッグ使用という犯罪が、いわば『被害者なき犯罪』であることに由来していると考えられる」としています。
 第5章「ドラッグをめぐる政治」では、アメリカ合衆国で、「多くの国に先立って、阿片系ドラッグやコカインなどの麻薬、さらにマリファナなどの使用が禁止されている」として、1914年のハリソン法を、「ドラッグに関わる法律としては世界でもっとも有名な法律のひとつ」だと述べ、ドラッグをめぐる政策が、「その嗜癖の多くが医療的措置などによって引き起こされているとも考えられていたために、病気であるという視点と悪徳であるという視点が混在し、所持や使用を全面的に禁止する措置にまでは至らなかった」として、「それら阿片系ドラッグの使用者の多くが、こんにちからすれば意外ではあるかもしれないけれども、主として中産階級の白人女性であったためであると考えることができるかもしれないし、あるいはそのためにすくなくとも後述するような排斥運動を伴うようなものではなかったからであるとかんがえることができるだろう」と述べています。
 そして、19世紀中ごろの中国人移民労働者が、「西海岸のコーカサス系アメリカ人(白人)労働者」の雇用の機会を奪い、賃金下落を後押しする原因として、敵視・攻撃されるようになり、「その過程で中国人移民の娯楽も不道徳として攻撃されるようになった」として、中国人移民労働者の娯楽である、買春・賭博・阿片喫煙のうち、1875年にサンフランシスコとで阿片喫煙が違法となり、「そのような中国人移民労働者と白人女性との性的接触が問題視された」と述べた上で、「阿片系ドラッグの禁止への志向は、中国人移民への排斥運動のひとつのあらわれとしてはじまり、それはやがてそれを使用する者が『闇世界(underworld)』と結びつくものとしてとらえられた」と述べています。
 また、コカインについては、「それが主として南部の黒人と結びつくことで、さらにはそのような黒人が暴力的になったり性的犯罪を犯すなどとされたことから、嗜癖などの医療的な問題を超えておおきく問題とされたとかんがえられる」と述べています。
 著者は、これらアメリカ合衆国の初期のドラッグ政策成立過程に関して、「『悪は外部から来る』という発想であり、それにうながされた情緒的で政治的な反応」を指摘し、「その外部は性的交渉や性的犯罪など、とくに女性との性的関係に関わるような形で内部(正常生活)を侵犯するものとして語られた」ことを指摘し、「『われわれ』の一部であり中心である女性の性を、まるで『われわれ』の資産の一部であるかのように意味づけ、それを『彼ら』が侵犯しているという形で編成されている」と述べています。
 また、日本におけるドラッグ政策について、覚醒剤が禁止されるきっかけが、「当時の浮浪児や青少年に覚醒剤を与える密造や密売が問題とされた」として、「これが浮浪児にたいして大人たちが覚醒剤を与え、その代わりに盗みをはたらかせたりするなどの問題であった」と述べ、「覚せい剤取締法はそもそも密造や密売を取り締まるために制定された」ものであり、「覚醒剤を使う人たちがそれを所持しているということではなく、それを供給する密売者がそれを所持しているということ」が問題となっていたと述べています。
 そして、「覚醒剤の使用それ自体が厳しく取り締まられるようになった」理由として、「覚醒剤にかんする2つの語り方が合流し接続したことがおおきい」として、
(1)覚醒剤使用者による犯罪行為が覚醒剤に起因するものであるとする、精神病理学を起源とするような語り方。
(2)反共産主義運動と関わるもの、共産主義勢力による攻勢のひとつとして、覚醒剤の密売による資金稼ぎと、覚醒剤そのものによる日本人への攻撃
の2点を挙げるとともに、「覚醒剤はそもそもこんにちのように問題視されていたわけではなく」、
・大人たちが子どもたちに被害を及ぼすという観点から問題とされたこと
・その使用が精神異常を引き起こすといされることでその問題性が因果関係で説明可能となったこと
・外国の政治勢力によって持ち込まれた一種の戦略物質であるというし汚点によって政治性を帯びたこと、そのために強力な取り締まり対象となった
などの経緯を上げています。
 第6章「ドラッグ問題と秩序構想」では、オランダのドラッグ政策について、「その政策の正当性自体、ドラッグそのものの有害性ではなく、『リスク制限』という特別な概念をもとに語られている」と述べ、ヘロインなどのハードドラッグについても、「現実的で功利的とも呼べるような施策や方法が実施されている」と述べています。
 そして、「イギリスにおいても、そしてまたオランダにおいても、ドラッグ使用者を排除する語りや施策は存在したし、あるいは存在する」が、「それと同時に、彼らを包摂するような施策が展開し、あるいはそれが中心的な役割を果たすようになった」と述べています。
 終章「ドラッグをめぐる作法と社会的思考」では、ドラッグ使用を考える中で、「もっとも重要で基本的ともいえる観点」として、「ドラッグを使うこと、とくに使い続けることと、ドラッグについて語ることが切り離せない」として、「ドラッグを使うことの一部としてそれを説明する作業がある」と述べたうえで、「使用をつづけるために発達した作法」として、「使用者がみずから『社会的』なものにかかわる個人として自立し自律している語りやふるまい、すなわち身振りとして理解できるもの」であると述べています。
 著者は、「ドラッグを使用する人たちの多く」が、「一般的にかんがえられているのとは異なり、『社会的』な領域にみずから進んで参入し、『社会的』にふるまう人たちである」として、「社会学的秩序構想を結果的にその前提とするような政策の思想や施策は、かつては、みずからに配慮して使用を継続する使用者たちの身振りそのものであった」と述べ、「そのような発想や思想が政策として実現されると、それらはふたたびこんにちの使用者に反復される」と指摘しています。
 本書は、その性質ゆえ、倫理的な問題として「べき論」で語られることの多いドラッグの使用について、社会学の視点からの光を当てた一冊です。


■ 個人的な視点から

 最近、有名大学の学生の大麻所持がニュースになっていますが、昔から、大学に入って一人暮らしを始めたりして自由になった学生は、薬物に興味を持っていたんじゃないかと思います。とくに、学生もバイトで貯めたお金で海外に旅行に行きやすくなった円高以降は、海外で体験してきた、という人が結構いたんじゃないかと思います。
 そういえば、慌て者の警官が、麻の葉の形の芳香剤を見て職務質問したら車の中から本物が出てきた、という事件がありましたが、近所に停まっていた車にも、その芳香剤がぶら下がってました。そんなものにまで目が行くようになったというのは、大麻の取り締まり強化のお達しでも出ているのでしょうか。
 小学校のときの担任の先生が、某K士舘大学の学生時代に、同じ寮の学生がシャブ中で大変だった、おまえらクスリにだけは手を出すな、と実体験に基づくリアリティのある薬物教育をされていたのがいまだに印象的です。


■ どんな人にオススメ?

・「ダメ、ゼッタイ」がどういう文脈の中で出てきたのかを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 佐藤 哲彦 『覚醒剤の社会史―ドラッグ・ディスコース・統治技術』
 石塚 伸一 『日本版ドラッグ・コート―処罰から治療へ』
 ウィリアム B.オブライアン, エリス・ヘニカン (著), 吉田 暁子 (翻訳) 『薬物依存からの脱出―治療共同体デイトップは挑戦する』
 和田 清 『依存性薬物と乱用・依存・中毒―時代の狭間を見つめて』
 松本 俊彦 『薬物依存の理解と援助―「故意に自分の健康を害する」症候群』


■ 百夜百マンガ

コージ苑【コージ苑 】

 「あ」から順にあいうえお順に連載を続けていくという「お題」を課していく作品。ある意味一人大喜利と言えなくもないかもしれません。当時は気づかなかったのですが、一巡した後は、また「あ」に戻ったのでしょうか。

2008年11月20日 (木)

[ニッポン学]の現在 GENJIからクール・ジャパンへ

■ 書籍情報

[ニッポン学]の現在 GENJIからクール・ジャパンへ   【[ニッポン学]の現在 GENJIからクール・ジャパンへ】(#1400)

  明治大学国際日本学部
  価格: ¥1890 (税込)
  角川グループパブリッシング(2008/5/23)

 本書は、「歴史という時間軸を縦糸に現在の日本を探求する」として、「日本研究の最前線に焦点を」当てたものです。
 第1部「クール・ジャパン――最前線からの発信」、第1章「ヴィジュアル・カルチャー事始」では、江戸文芸の研究において、「『鎖国』というものがあって日欧関係は貧弱なものと考えられてきたが、このところ、少なくとも文化の点ではヨーロッパ的なものが結構入ってきていたのではないかという風に考え方が変わりつつある」として、「そうした文物をうみだした思考や美意識といったものの同時多発的発生の方にウェートを置いた東西・日欧の18世紀比較文化史を追及していきたい」としています。
 第2章「西園寺公望のパリ体験」では、「明治・大正・昭和の時代に繰り返された日本人の異文化体験、とりわけ西欧文化体験を再検討してみると、思いの外、そこが浅いのに驚く」とし、明治以後の異文化体験は、
(1)西欧かぶれ型「偽パリジャン」:西欧的な生活様式になれ、西欧的な論理を理解できたと思い込むことで、自分は西欧人に等しくなったと錯覚する類の「バナナ的」異文化体験
(2)「逆恨みナショナリスト」:コミュニケーション能力不足と体格コンプレックスから生じる、居直り型ナショナリズム回帰
の2つのパターンに改修されるとした上で、「この2つの態度を止揚して、新しいタイプの異文化体験を築き、その経験を日本の政治・経済・文化に応用したような日本人は皆無だったのだろうか」という問題について、「予備検討的サンプル」として、明治の元勲、西園寺公望を取り上げています。
 そして、「後に宮様や華族が繰り広げるような派手な散在はできなかったかもしれない。しかし、10年に及ぶ留学によって得たコネクションによって、西園寺が、別の意味での贅沢ライフ、つまり、当時のサロンに出入りして有名人を親密に交際するという、後の人には不可能な贅沢を満喫していたことは、これまた確実のようである」と述べています。
 また、西園寺が、「バカロレア受験のために、ディセルタシオンの方法を私塾で頭から叩き込まれ、弁証法的な思考法を自家薬籠中のものとした」ことで、「フランスという国家と国民の長所と欠点を正しく把握し、それを鏡として、時刻日本の長所と欠点をよく見据えることができた」として、「深く正しい異文化理解は、他国と自国を同時に相対化することを可能にする」と述べています。
 著者は、「いまわれわれに求められている」ものとして、「日本人否定論と独善的日本人論を超える新しいアプローチ」であり、「まず、日本人が、日本人の思考メカニズムとそれに依拠する社会行動パターンを客観的に把握することが求められ」、「日本的なものの捉え方そのものの限界と可能性を認識し、その上で、グローバル環境といわれるものにコンフィデンス(自信)を持って、いかに主体的に対応していくかが求められている」と述べています。
 第3章「『日本的な』を理解する視座」では、「外部新奇性を脱イデオロギー化して、向かして取り込むのが、日本化の特徴」だとして、「組織に参加して、明確な目標に裏打ちされた硬い目的を前提とした機能設計(システム)よりも、帰属意識によって働き、終わりのないプロセス遂行を重視する日本人は、この作業を絶え間なく続けることで今日の文化を築いて」きたと述べ、「それこそが、『日本人』の本質の一つ」だとしています。
 そして、「日本の本質は、外部新奇性を絶えず取り入れることであり、演歌よりJ-POP、茶道より華道、能よりスーパー歌舞伎の方が実は日本的であり、外部新規性の取り込みをやめた古きよき日本の伝統といわれるものは、実は日本の本質である進化を止めてしまったものではない」かと指摘しています。
 第4章「日本の都市風景とサブカルチャー」では、「日本の新興住宅地にテーマパークのごとく植民地様式の住宅が並ぶ風景は、建築家やデザイナーの美学に照らせば、失笑を誘うだろう」が、「なぜ日本の女性たちが、そのようなテーマパークのごとき洋風なスタイルを好んできたのか」ということであるとして、洋風な住宅の間取りに、「洋間が主体の住宅のなかに、オマケのごとく和室がついた構成をとっている」ことは、「妻が支配する領土に姑と舅のための出島を設置したような空間の構図であり、『嫁がイエに入る』という従来の構図を覆すものである」として、「女性たちの洋風趣味は、軽薄な欧米への憧れというよりはむしろ、非常に政治的な様式闘争の道具として採択されていたのではなかったか」と述べています。
 そして、「男が統べるオフィス・ビルと、女が統べる住宅。両社に共通するのは、日本風が忌避すべき旧体制の様式として捉えられ、それに対する革命様式として、洋風化が図られていったということ」だとして、「日本の都心と郊外、それぞれの風景をなす2つの『洋風』は、『職』か『住』かのファンクションというよりはむしろ、『男』か『女』かのジェンダーによって構造づけられている」と述べています。
 第5章「メディア技術が変える日本発コンテンツ」では、モノづくりとは本質的に異なるコンテンツ産業の特徴として、
(1)一品生産である
(2)量産が容易である
(3)デジタル化されると時間差なく世界に供給できる
(4)一度摂取されると価値が逓減する
(5)劣化しにくい
(6)人間の感性に訴える
(7)単独では存在しない
の7点を挙げ、「コンテンツ産業を分析する上で、考慮しなければならないポイント」だと述べています。
 また、「日本が引き続きこの分野でも世界をリードしていくため」の課題として、
(1)国際基準をめざした戦略展開
(2)技術の優位性だけを強調しないこと
(3)ソフト、コンテンツを考慮に入れること
の3点を挙げています。
 第2部「グローバルな日本研究事情――海外からの受信」では、2007年11月に開催された国際に本学部解説記念シンポジウムに参加した日本研究者から、「それぞれの国における日本研究の歴史や現状、そして課題を報告」しています。
 第1章「イタリアにおける日本研究の歴史・現状・課題」では、イタリア人が日本に興味を持つようになった19世紀後半に、商業のために日本との関係が強くなったとして、1854年頃に、蚕の伝染病が流行し、健康な蚕種が存在する唯一の国は、「開国したばかりの日本」であり、1860年頃、「日本の蚕種輸出量の3分の2ないし4分の3はイタリア向けであった」と述べています。
 そして、「翻訳の問題を解決するには、日本人の研究者と外国人研究者との協力が求められる」として、「日本語で書かれた著書を外国語に翻訳することは、日本に関する情報を世界に広めるためだけではなく、日本語が読めない外国人研究者の手助けとなる」と述べています。
 第2章「オーストリアにおける日本研究160年の歩み」では、160年前に、「膨大な量の中国語と日本語のテキストをドイツ語に翻訳」したアウグスト・プフィツマイヤーの翻訳について、
(1)すべて原文からの直接翻訳であること
(2)翻訳した文章だけでなく、かならず日本語の原文も訳の前につけて発表したこと
の2つの特長を挙げています。
 第3章「戦後アメリカの大学における日本研究事情」では、「アメリカにおける日本研究の進展」について、2003年の国際交流基金の調査が、
(1)言語・地域研究パラダイム
(2)経済競争パラダイム
(3)カルチュラル・スタディーズ・パラダイム
の3つに分類して分析を行っていると述べています。
 第4章「中国1700年の日本研究と現代」では、1915年以後、とくに20年代に入って、「中国における日本研究の重点と方向に重大な変化が起こった」として、「過去の客観的な日本紹介、明治維新と日本の近代改革に対する賞賛・宣伝から、しだいに日本帝国主義の研究およびその本質の暴露と批判へと向かっていった」と述べています。
 そして、1990年代中期以降、「中国の日本研究はまた大きな発展を遂げた」として、
(1)科学性が高まったこと
(2)より系統的な研究が行われるようになったこと
の2点をその特徴として挙げています。
 本書は、世界における日本の姿を客観的に捉えるきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本とイタリアの縁が「蚕種」というのは意外な発見でした。もしかしたら日本の蚕がなかったらイタリアのファッション業界の今日の姿はなかったのかもしれません。
 ちなみに「蚕種」というのは、紙の上に蚕の卵を産卵させたもので、生糸より輸出しやすかったので横浜から相当な量が輸出されたそうです。


■ どんな人にオススメ?

・日本の姿を客観的に捉えたい人。


■ 関連しそうな本

 中村 伊知哉, 小野打 恵 『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像』 2006年11月29日
 フレデリック・L. ショット (著), 樋口 あやこ (翻訳) 『ニッポンマンガ論―日本マンガにはまったアメリカ人の熱血マンガ論』 2006年04月29日
 堀淵 清治 『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』 2007年04月15日
 ジョセフ・S・ナイ (著), 山岡 洋一 (翻訳) 『ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力』 2007年04月27日
 杉山 知之 『クール・ジャパン 世界が買いたがる日本』 2007年08月19日
 ジョウ・シュン, フランチェスカ・タロッコ (著), 松田 和也 (翻訳) 『カラオケ化する世界』 2008年07月08日


■ 百夜百マンガ

シバトラ【シバトラ 】

 マンガの主人公の特徴のつけ方には色々ありますが、超童顔の大人、という方向は珍しい気がします。大人小学生の「よいこ」に代表されるように、昔から、大人顔負けの子ども、という設定は多かった気がしますが、その逆を行ったわけですね。

2008年11月19日 (水)

なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想

■ 書籍情報

なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想   【なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想】(#1399)

  フィル・ローゼンツワイグ (著), 桃井 緑美子 (翻訳)
  価格: ¥1890 (税込)
  日経BP社(2008/5/15)

 本書は、「ビジネスとマネジメント、その成功と失敗、そして科学と物語についての本」です。著者は、「ビジネスについて考えるときに、私たちが多くの妄想に囚われている」として、「企業パフォーマンスについての私たちの理解をゆがめる妄想、企業の成功と失敗を決定付ける要因を見極めようとするのを邪魔する妄想」が、「ビジネスについて書かれたものの多くに」浸透していると指摘し、
(1)妄想1――ハロー効果
(2)妄想2――相関関係と因果関係の混同
(3)妄想3――理由は一つ
(4)妄想4――成功例だけを取り上げる
(5)妄想5――徹底的な調査
(6)妄想6――永続する成功
(7)妄想7――絶対的な業績
(8)妄想8――解釈のまちがい
(9)妄想9――組織の物理法則
の9つの「妄想」を挙げています。
 そして、「マネジメントに関する本の大半」が、「企業パフォーマンスを向上させるにはどうすればいいのか」という「ビジネスの最大の疑問を問いかける」が、本書は、「企業パフォーマンスの要因を理解するのはなぜ難しいのか」という問いから始めるとしています。
 第1章「わかるのはほんの少し」では、「企業パフォーマンスを向上させるにはどうすればいいのか」が、「ビジネスに関する最大の疑問、いわばウォールストリートの聖杯だ」と述べ、「じつのところ、明暗を分ける真の理由はわかりにくい」、「あとからなら、なんとでもいえる」と述べています。
 そして、「何よりも事実を伝えることであり、作意や解釈が紛れ込んでいてはならない」レポートと、「人々が自分の生活や経験の意味を理解するための手段」であるストーリーについて、「ストーリーだと判って読むならかまわない」が、「科学の仮面をかぶったストーリーが知らぬ間にはびこっている。いかにも科学です、という顔をしているが、そこには真の科学の厳密さも論理もない。エセ科学なのだ」と述べ、「カーゴカルト・サイエンス(積み荷信仰の科学)」だと指摘し、「ベストセラーランキングの上位に何ヵ月もとどまった最近の大ヒットビジネス書にも、科学の衣に身を包みながら、将来を見通すちからという点では南の島のココナッツヘッドホンと大差のないものがある」と述べています。
 第2章「シスコ・ストーリー」では、「わずか1年前には、やれ『インターネット界の王者』だ、やれ『GE、マイクロソフトのCEOと肩を並べる世界一のCEO』だとしきりにシスコを絶賛していたビジネス誌が、いまや先を争うようにしてけなしていた」と述べたうえで、「過去ばかりではなく、現在の企業パフォーマンスも理解するのは難しい」という根本的な問題を挙げ、「顧客志向、リーダーシップ、組織効率はいく度となく話題に取り上げられたが、これらの要素は客観的に測定しにくい」のに対し、「私たちはもっと確実だと感じられるもの、すなわち収益や利益や株価を元に顧客志向や経営手腕も評価しようとする」と述べています。
 第3章「ABBの栄光と転落」では、1980年末から1990年末までのABBの成功が、
(1)CEOのバーネヴィクの手腕
(2)活力に満ちた企業文化
(3)複雑な組織構造(マトリクス組織)
の3つの理由で語られたが、その成長が止まると、「大胆で革新的な社風」との評価が、「思慮が浅く衝動的な企業だということになった」と述べ、「新時代の組織といわれた組織体制」は、「まとまりがなく、衝突の絶えない組織」だと、「賞賛されていたのと同じ組織が、今度はその欠点をあげつらわれている」と述べています。
 第4章「ハロー効果のまばゆい光」では、優れたリーダーの資質として、「明確なビジョン、高いコミュニケーション能力、自身、人間的魅力」などが挙げられるが、「これらの資質は見る人の主観」できまり、「その主観は会社の業績で変わる」と述べています。
 そして、「ビジネスについて考えるとき、じつは数々の妄想が私たちの邪魔をしている」として、その1番目に「ハロー効果」を挙げ、「私たちが企業パフォーマンスを決定する要因だと思っている多くの事柄は、業績を知ってそこに理由を帰した特徴にすぎない」と指摘し、「多くの意味で、ハロー効果はすべての基本となる妄想だ」と述べています。
 第5章「企業調査は答えを教えてくれるのか?」では、「ビジネスに関する調査には、相関関係から因果関係を導いて失敗しているものが多い」(妄想2――相関関係と因果関係の混同)と述べるとともに、「企業パフォーマンスをただ1つの理由で説明しようとし、他の要因に目を向けていない」(妄想3――理由は一つ)ことを指摘しています。
 第6章「星を探し、ハローを見つける」では、『エクセレント・カンパニー』の著者、ピーターズとウォーターマンの調査手法には、
(1)ハロー効果によってデータが損なわれていた疑いが濃いこと
(2)傑出した企業ばかりのサンプル軍を調査したこと
の2つの「根本的なまちがい」があったと述べたうえで、『エクセレント・カンパニー』が、絶大な影響力を持った理由として、「ストーリーとして優れていた」ことを挙げ、「すばらしいアメリカ企業が厳しい競争を勝ち抜いて成功する話を語り、読者である経営者たちに秘訣は社員と顧客と行動だと簡潔に教え、彼らを力づけたからだ」と述べています。
 また、『ビジョナリー・カンパニー』を、企業マネジャーが「大いに気に入った」理由として、「とても読みやすく、印象的なエピソードが満載だ。そして、永続する成功の秘訣を教えると約束してくれる」からだとして、「気に入らないわけがあるだろうか」と述べています。
 第7章「積み重ねられる妄想」では、「高い業績をあげている企業は、明確な戦略があるといわれたのである。実績主義の文化があると思われ、業務遂行能力のある企業に見え、階層が少なく効率のよい組織をつくっているといわれたのだ」として、「価値型企業はこれら4つの評価基準でとくに高いといわれた確率が90パーセント以上にもなる」と述べた上で、「それはこうすれば成功するというのとは全く違う話である」と指摘しています。
 第8章「ストーリー、科学、多重人格的超大作」では、トム・ピーターズ、ロバート・ウォーターマン、ジェームズ・コリンズ、ジェリー・ポラスに「共通の強みがある」として、「4人ともとびきりのストーリーテラー」であり、「経営者の理解をたすけ、行動を支持し、将来への自信をあたえるストーリーなの」だと述べています。
 第9章「ふたたびビジネスの最大の疑問」では、「企業パフォーマンスについて考えるときに懸命な経営者に求められることは、私たちの目を欺く『妄想』に気づくこと」だが、それだけでは、「企業パフォーマンスを向上させるにはどうすればいいのかというビジネスの最大の疑問の答えがまだ得られていない」と述べ、経営コンサルタントや経営管理の専門家やビジネススクールの教授の「法則や公式ばかりに目を向けていると」、「この方法で必ず成功できるという虚構が助長される」結果、「もし失敗しても、悪いのは公式ではなく」、「公式に従わなかったこちらが悪いということになる」とした上で、「企業パフォーマンスは実際には見かけほど複雑ではないが、同時に見かけほど確実ではないし、結果の予測もしにくいもの」だという「本質的な真実から私たちの目をそらせてしまう」と述べています。
 そして、「企業パフォーマンスを向上させるにはどうすればいいのか」という疑問への最良の答えとして、「リーダーシップや企業文化や顧客志向など、いつも決まって候補に挙がるものは業績アップの要因ではなく、業績のよさから後づけた理由と考えたほうがいい」として、「それらをとり去れば残るのは二つ、戦略の選択と実行である」と述べています。
 第10章「エセ科学に惑わされないマネジメント」では、「どうすれば成功するのかという疑問の答えは簡単だ。これさえすれば成功するというものなどない、すくなくとも、どんなときにも効果があることなどない、というのが答えなのである」と述べた上で、できることとして、「私たちの企業パフォーマンスの捉え方を捻じ曲げる妄想を振り払おう」、「企業の成功は相対的なものであること、競争で優位に立つには、慎重に計算した上でリスクを負わなくてはならないことを理解すべきだ」と述べています。
 著者は、「本書でいちばん伝えたかった」こととして、「ビジネスについての私たちの考え方が多くの妄想でかたちづくられていること」だとした上で、「妄想にとらわれずに、ほんの少しだけ批判的にビジネス書を読んでほしいというのが企業マネジャーたちへの私の願いだ」と述べています。
 本書は、ビジネス書の本質的な役割を鋭く指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、主に経営者向けのビジネス書が、経営者に自信を与えるというニーズから多数生み出され、相関関係と因果関係とを(意図的にか)混同したさまざまな教えを振りまいていることを指摘したものですが、同じようなことは、一般のサラリーマン(読者は「ビジネスマン」と呼ばれることを好むようですが)向けのさまざまな「ビジネス書」にもいえるような気がします。
 確かに「経営者のグル」になるよりも、「ビジネスマンのグル」になる方が、読者のパイも何倍も大きく、また、内容もシビアでなくてもいいことからか、サラリーマン向けのビジネス書は日本でも多数印刷されています。
 もちろん、その内容は、GTDなどのビジネスhack的な仕事術モノから、「デキる」ビジネスマンになるための人脈術や処世術など多岐にわたります。テクニカルな仕事術系のものは害もなく有益なものが多いのですが、「カリスマ」ビジネスマンが語る人生訓的なものは、一歩間違うと宗教チックというか、やっぱ深入りすんのは危ないんじゃないのかい、とか思ったりします。


■ どんな人にオススメ?

・成功する企業には何か秘密があるに違いないと思う人。


■ 関連しそうな本

 トム・ピーターズ, ロバート・ウォーターマン (著), 大前 研一 (翻訳) 『エクセレント・カンパニー』
 ジェームズ・C. コリンズ, ジェリー・I. ポラス (著), 山岡 洋一 (翻訳) 『ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則』
 ジェームズ・C. コリンズ (著), 山岡 洋一 (翻訳) 『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』
 ウィリアム ジョイス, ブルース ロバーソン, ニティン ノーリア (著), 渡会 圭子 (翻訳) 『ビジネスを成功に導く「4+2」の公式』
 チャールズ オライリー , ジェフリー フェファー (著), 広田 里子, 有賀 裕子 (翻訳), 長谷川 喜一郎 『隠れた人材価値―高業績を続ける組織の秘密』 2005年02月03日
 クレイトン・クリステンセン (著), 玉田 俊平太, 伊豆原 弓(翻訳) 『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』 2005年10月17日


■ 百夜百マンガ

イタズラなKiss【イタズラなKiss 】

 我が家におそらく全巻(23巻)入りの紙袋でやってきました。どうやら『20世紀少年』と入れ替わりでママ友から借りてきたものと思われます。
 作者が若くして亡くなられていますが、テーブルの下で雑巾がけをしていて起き上がろうとして頭を強打したことが原因だそうです。家庭内でも油断は禁物です。気をつけましょう。

2008年11月18日 (火)

満州と自民党

■ 書籍情報

満州と自民党   【満州と自民党】(#1398)

  小林 英夫
  価格: ¥714 (税込)
  新潮社(2005/11)

 本書は、「イギリスの東インド会社と類似した植民地経営会社」であった満鉄について、「戦前、戦後の日本国家の中で名をなした人物で満鉄出身者が数多い」として、「満鉄は、満州事変後は満州国の出現とともに人脈的には一体化し混交した姿をとって『満州人脈』を形成していく」とし、「満鉄とこの会社の人材が満州国の人材と一体となって、会社と満州国の消滅した後の戦後日本の光と影の中で、いかなる役割を果たしたのかを検証すること」を目的としたものです。
 第1章「偉大なる遺産」では、満鉄の初代総裁の後藤新平が、「文装的武備」をスローガンに、「調査活動を重視した組織をめざし、調査部を充実させた」として、「植民地支配は単に武力に頼るだけでなく、教育、衛生、学術といった広い意味での『文事的施設』を駆使する必要があり、植民地の人々の間に日本に対する畏敬の念が生じれば、いざという場合に他国からの侵略を防ぐことができる」というものであったと解説し、「この『文事的施設』のポイントをなすものが、科学的調査活動だった」と述べています。
 そして、関東軍の満州国づくりに協力するための国策立案機関である「経済調査会」を発足させた宮崎正義について、「ロシア通でソ連の計画経済を研究し、ソ連の社会主義とは異なる、日本独自の統制経済の道を模索していた」と述べています。
 また、満州の実力者として、「ニキ三スケ」という呼称で、東条英機、星野直樹、松岡洋右、鮎川義介、岸信介の5人の名が挙げられたと述べています。
 さらに、この当時、東京からパリまで、船なら3ヶ月かかったのに対し、東京からシベリア鉄道を経由すれば、大急ぎなら半月ほどでパリまで行け、また経費も3分の1で済んだとして、「満州と満鉄は、日本がヨーロッパに開いた最も近い窓口だったのである。我々は満鉄を通してヨーロッパの近代文明の香りを取り入れ、それを楽しんだ」と述べ、満鉄の「社歌の歌詞とは逆に『西より光は』来たのである」と述べています。
 第2章「敗戦、引揚げ、民主化」では、「敗戦により、これまで中国東北と日本に分離されていた"満州人脈"は、慙愧の念とともに敗戦後の日本へ結集することとなった」としたうえで、「二キ三スケ」が「いずれも戦犯容疑で巣鴨プリズンに収監されること」になり、「満州人脈のめぼしいトップの人物はことごとく戦犯容疑、公職追放で一時、歴史の表舞台から完全にといっていいほど姿を消した」と述べています。
 そして、「戦後間もない頃の満州人脈たち」の「身の処し方は、やがて彼らの中でもはっきりと行く末が分かれていくことになった」として、「その分かれ道は、満州で描いた夢を実現しようと強く思ったか否か、であった」と述べ、東条英機らが絞首刑に、同じ満州人脈の星野直樹らが終身禁固の有罪判決を受ける中で、「岸は一人だけ無罪釈放となっている」ことについて、岸を訊問したのは2人の"情報将校"であり、「GHQは、岸を起訴するために審問していたのではなく、情報を取るために訊問していた」として、その"尋問調書"に、「G2が岸の釈放を勧告した」と明確に記述されていると述べ、岸とGHQとの間の司法取引の噂や、「アメリカへの"情報提供者"となる見返りに必要な選挙資金や首相へのポストが約束されたという『密約説』」について触れています。
 著者は、「岸と鮎川、あるいは星野との差は、再起にかける際の彼らの年齢の差に、決定的な違いがあったのではないかと思えてしまう」と述べています。
 第3章「経済安定本部と満州組の活動」では、「和田の総務長官就任に象徴されるように、戦前の企画院経験者が経済安定本部には、実は多数いたこと」を指摘したうえで、「『企画院』の復活ととられても致し方ないほどであった」と述べています。
 また、「資金・資材・労働力の傾斜的配分による集中強化」策である「傾斜生産方式」について、「これは戦時中の企画院が実施した物動計画や生産力拡充計画となんら内容は変わるものではなかった」として、「戦前は戦争のために行われたものが戦後は戦災復興のために行われた」、「目的は異なるが、手段は同じだった」と述べ、「企画院と名称は異なるが、同じ機能を持った経済安定本部がその指揮に当たった」ので、「企画院と人脈的につながるものがあったとしても何の不思議もなかった」と指摘しています。
 そして、経済復興計画室長の佐々木義武や経済復興計画副室長の佐伯喜一らの名を挙げ、「安本の重要なポジションには満鉄出身者が多数いた」ことについて、宮崎正義も、「安本の部署の中で、調査、情報収集、そしてそれらを元に分析、企画するような重要なところに、かなり満鉄出身の人がいたということ」だと語っていることを紹介しています。
 また、「ドッジラインの実施のために設立された通産省」が、発足当初は、"経済統制の総元締め""官僚資本主義の中枢"といったイメージとは程遠く、「政策は打ち上げるが、1000の政策のうち実現できるのは3つだけだ」という「千三つ省」と呼ばれていたことを紹介しています。
 第4章「『満州人脈』復活の時」では、岸が統制主義者となっていったきっかけとして、大学生のときに読んだ大川周明の「大アジア主義」と北一輝の国家社会主義論『国家改造案原理大綱』に深く共鳴したことを挙げ、「官界のスター」と称された岸が、「農商務省時代から一貫して統制経済に関心を持ち研究を続けていた」と述べ、「アジアの盟主をめざす目標は戦前、戦後で同一でも、そこに行き着く手段において絶えざる変化を見せるところに岸の"昭和の妖怪"と称される一つの理由が隠されている」と述べています。
 そして、満州人脈の流れを汲む藤崎信幸が、「アジアへかけて敗れた夢を再びアジアへ」と呼びかけ、「後の通産省所管の特殊法人・アジア経済研究所につながる、アジア問題調査会」を設立したと述べ、藤崎が、「満州時代に強い郷愁を持っていた」として、「満州で俺は馬賊になりたかった」というのが口癖だったと述べています。
 また、「朝鮮戦争から高度成長期にかけて通産省は、日本経済の"参謀本部"としての位置と役割を明確にさせた」時に、「満州人脈の面々のかつての経験がふたたびよみがえることになった」と述べ、50年代後半には、「困った時の椎名まいり」という言葉があるほど、「勢いをつけた通産省に満州人脈は羽振りを利かせていった」として、1955年から60年前後までは、「次官、局長クラスはほとんどが満州人脈の息のかかった、いわゆる『椎名門下生』で固められていた」と述べています。
 第5章「五五年体制と岸内閣」では、岸が、「自由党から鳩山一郎の日本民主党旗揚げに参画し、幹事長として55年の保守合同という大事業をまとめ上げ」たことについて、「保守合同は三木が微分して岸さんが積分したようなもん」だという言葉を紹介しています。
 第6章「見果てぬ夢の行方」では、在満経験者の回想録が綴られた『あゝ満洲』をとりあげ、「岸はこうした満洲人脈と彼らが描いていた『見果てぬ夢』の実現願望に支えられて政治活動を展開した」と述べています。
 そして、満洲人脈は、「決して"仲良しクラブ"ではなかった」として、「次々と出てくる難問を解決できた人物のみが満洲人脈の戦後中枢のトップを占め続け得た」と述べています。
 本書は、戦後の日本が、何もないまっさらなところから生まれたものではないことを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「昭和の妖怪」という呼び名から、どうしても岸信介の写真を見ると妖怪めいたイメージを持ってしまいますが、さすがに見た目で妖怪と言われているわけではないようです。
 それにしても、「自民党」というタイトルの割には、あまり自民党に関係ない、という気もします。


■ どんな人にオススメ?

・「満州」は戦前だけのものだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 小林 英夫 『「日本株式会社」を創った男―宮崎正義の生涯』 2006年01月02日
 小林 英夫 『満鉄―「知の集団」の誕生と死』
 小林 英夫, 米倉 誠一郎, 岡崎 哲二, NHK取材班 (著) 『「日本株式会社」の昭和史―官僚支配の構造』
 小林 英夫 『満鉄調査部―「元祖シンクタンク」の誕生と崩壊』 2007年10月22日
 山室 信一 『キメラ―満洲国の肖像』 2006年01月13日
 原 彬久 『岸信介―権勢の政治家』


■ 百夜百マンガ

魔法使いサリー【魔法使いサリー 】

 人気アニメの原作。変身魔法少女ものは、今でもプリキュアが人気だったりしますが、つねに女の子の心を捉えます。昔は少女漫画家と少年漫画家が分かれていなかったのも興味深いです。

2008年11月17日 (月)

柳模様の世界史―大英帝国と中国の幻影

■ 書籍情報

柳模様の世界史―大英帝国と中国の幻影   【柳模様の世界史―大英帝国と中国の幻影】(#1397)

  東田 雅博
  価格: ¥2310 (税込)
  大修館書店(2008/05)

 本書は、「18世紀末にイギリスで案出された」、「17、8世紀の中国ブーム=シノワズリーchinoiserieの産物」である「柳模様willow patternと呼ばれる、中央に柳を置き、愛をささやきあうかのごとく空を飛ぶつがいのキジ鳩やマンダリン(中国の高級官吏)の館、その館を取り巻くジグザグのフェンス、さらに中国風の橋の上を歩く、もしくは走るように見える三人の人物などを周辺に配した陶磁器の文様」に関して、イギリスの人々が見出してきた「中国イメージ」について論じたものです。
 第1章「シノワズりー」では、「柳模様という陶磁器の文様は、シノワズりーと呼ばれる、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパの中上流社会を席巻した一大文化現象を抜きにしては、生まれることはなかった」と述べたうえで、「シノワズリーとは、何よりヨーロッパ人のカタイ=中国についての幻想」だとして、「シノワズリーとは、要するに想像上の中国を構築することである」と述べています。
 著者は、「柳模様にとって重要なのは、中国的な要素を配した風形式庭園が、その誕生の頃に大いに流行していたこと」だと述べています。
 第2章「柳模様とは何か」では、柳模様という文様にまるわる元が足り、伝説について、「いつ、誰によって作られたのかは全く分からない」という点では、「ほとんどの研究者の見解が一致している」と述べています。
 そして、「いわゆる柳模様物語が確認できる最初の文献」として、1849年に刊行された『ファミリー・フレンド』という雑誌に掲載された「柳模様の皿の物語」のストーリーについて、不正蓄財で財を成したマンダリン(高級官吏)の娘に恋した秘書チャンが、大金持ちの公爵と娘との結納の宴の混乱に乗じて娘を連れて逃げ、柳模様の上部の小さな島に逃げのびるも、公爵の追撃により、二人は家に火を放って死んでしまい、二人を哀れんだ紙によって二羽の不死のキジ鳩に変身する、と要約しています。
 第3章「近代イギリス社会と柳模様」では、「柳模様が人気のある陶磁器の文様として社会的に受け入れられたのは、いつの頃から」かという問題について、「柳模様という文様が案出されたのは1780年頃であろうから、柳模様はかなり早い時期からイギリス社会に広まっていたのかもしれない」と述べています。
 そして、「柳模様に中国を見た」イギリスの人々が、「中国を訪れたときには、8やはりそのイメージを捜し求めた」として、その代表的な景観である、「豫園の近辺の風景、湖心亭と九曲橋を中心とする景色であった」と述べるとともに、もう一つの場所として、「円明園」を挙げています。
 第4章「柳模様の中国観」では、「イギリスの人々は、子供の頃から柳模様に親しみ、そこにはっきりとした中国イメージを読み取っていた」として、「それが『ヨーロッパで作られたもの』だと分かるまでは、現実の中国でもあった」と述べ、「柳模様の中国観」とは、
・合理性のモデル:合理的な社会秩序であるとか、嘘も奇跡もない理性に基づく歴史叙述など。
・良き統治:啓示宗教がないにもかかわらず偉大かつ道徳的な一大帝国であるとか、安定した寛容で賢明な政体。
・暢気な暮らしのモデル:エキゾティックな快楽の源泉であるとか、お伽噺の幻想の国。
といった3つの要素があったとした上で、「柳模様の中国観は、明らかに『暢気な暮らしのモデル』の要素を代表するもの」だと述べています。
 本書は、大英帝国の皿の模様をきっかけに当時の東洋観を追い求めた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で取り上げられている「柳模様」に限らず、昔からある文様にはそれぞれストーリーがあるはずです。昔はそういう好奇心というか想像力を刺激するような図柄に出会う機会が結構あったような気がしますが、最近はあまり見かけないのは、本人の注意力のせいなのか、絶対数が減っているからなのか。


■ どんな人にオススメ?

・「中国」という言葉にロマンを感じる人。


■ 関連しそうな本

 東田 雅博 『図像のなかの中国と日本―ヴィクトリア朝のオリエント幻想』
 東田 雅博 『大英帝国のアジア・イメージ』
 東田 雅博 『纏足の発見―ある英国女性と清末の中国』
 ドロシー コウ (著),小野 和子, 小野 啓子 (翻訳) 『纏足の靴―小さな足の文化史』
 顧 蓉, 葛 金芳 (著), 尾鷲 卓彦 (翻訳) 『宦官―中国四千年を操った異形の集団』
 宮崎 市定 『科挙―中国の試験地獄』


■ 百夜百マンガ

マンガ嫌韓流【マンガ嫌韓流 】

 ネット上で大論争を巻き起こした、というかネット上で論争になっている問題を漫画という日向のメディアに引きずり出した作品。内容についてはともかく、漫画というメディアの使い方としてはむしろ本来の姿に戻ったのではないかという気もします。

2008年11月16日 (日)

科学が進化する5つの条件

■ 書籍情報

科学が進化する5つの条件   【科学が進化する5つの条件】(#1396)

  市川 惇信
  価格: ¥1260 (税込)
  岩波書店(2008/07)

 本書は、「ヒトの社会をヒトの形質が拡大した『表現型』の一つと考え、それを『進化システム』と認識すれば、科学を埋め込んでの考察を円滑に進められるのではないか」というアイデアから生まれた、「可能性の推移としての科学史」を目標としたものです。
 著者は、「科学の方法の枠組みは、わかることが進化した『モデル形成とその検証のループを回す』ことにある」として、「科学者たちはループを回すという意味で互いに協力連携して、進化システムとしての科学を生み出しつつある」と述べています。
 第1章「進化する〈知識としての科学〉」では、科学が急速に発展した原因について、「画期的な貢献を果たした巨人たちの事跡を語るという、イベントを時系列的に並べただけの科学史からは、発展の経過は分かるものの、原因は見えてこない」として、「原因を知るためには、イベントの系列の背景にある科学を駆動する仕組みが分からなければならない」と述べています。
 そして、「モデル検証法」について、「モデルがそれへの判例が見つかるまで偽でないことを示すだけで、モデルが正しいことは示していない。反例が現れるまで誤りとはいえない知識を与えるだけ」だとした上で、モデル検証法において本質的なことは、「反証のループ」にあり、「このループが科学を進歩させる」が、「モデルが偽でないことを示す実証のループは、そのモデルの適用範囲を広げることには貢献するが、新たなモデルを得ることには貢献しない」と述べ、このことを重く見たポパーが、「モデル検証法の本質は『反証可能性』にある」としたことを解説しています。
 また、「どれだけよく対象と一致するモデルであるか、それだけが科学におけるモデルの選択基準」だとして、「これが、『真理に漸近する過程』としての科学が持つ本質である」と述べています。
 第2章「『わかる』から『科学』へ進化する条件」では、「ヒトの営みで成功し発展しているものの多くが進化システムであるとすれば、成功し発展しているモデル検証法もまた進化の過程から生まれたと考えるのが自然である」として、「モデル検証法も人が持っているありふれた方法から進化したに相違ない」と述べ、「ヒトが生得的に持っている、未知のことを『わかろう』とする方法」である「LCC型発見」を挙げています。
 そして、「わかる」について、
(1)「わかる」は言葉による思考に限らない
(2)「わかる」の一つとして、対象がある「クラス」に属していることを判定できることがある
の2つの意味を挙げています。
 また、「『モデル検証法』は『わかる』が社会化するという進化の結果である」として、ことのことは、「『わかる』の社会化を可能にする必要条件を整理することで明らかになる」と述べています。
 第3章「言葉の世界を自然に写す=科学」では、「ヒトの言葉は架空のこと、すなわち事実でないことやありえないことを表現できる。その延長として、言葉を使っての思考も架空のことに及ぶ」として、「言葉のこの能力が、ヒトに他の動物と異なる生活様式をもたらし、文化と文明の形成を可能とし、そして科学を生む基盤となっている」と述べています。
 そして、「ヒト科の成立以来、言語の獲得から今日の科学の発展に至る活動とそれによる能力の拡大が、すべて同型のループを回すという進化システムに由来する」ことを強調しています。
 著者は、「『実存世界の自称を言語で記述すること』を実在世界の言語世界への『写像』と呼べば、写像による言語世界に『実在世界の像』が書ける」として、「これが科学である」と述べています。
 第4章「言語世界を実在世界に写す=技術」では、「実在世界を言語世界に写像する活動」である科学に対し、その逆向きの写像である「言語世界を実在世界に写像する活動」が技術であるとして、「ヒトの生得的な能力を延長する道具を作る活動」が技術であると述べています。
 そして、「言語世界は矛盾の存在を許すことから、矛盾を含まない実在世界より大きい」ので、「科学により実在世界の像を言語世界の中に描くことに問題はない」が、「言語世界を実在世界に写像する技術において、言語世界における矛盾を含む願望を、矛盾を含まない実在世界にそのまま写像することはできない」と述べています。
 第5章「整合的世界に束縛される科学」では、「実在世界は整合的で矛盾を含まない世界である」とする整合的世界観について、「科学の発生と進化に関わる条件のうち、日本社会が明確に意識していない条件」だとして、「日本社会に科学が生まれなかった最大の原因である」と述べています。
 そして、科学が「自然の整合性を維持しようとする」理由として、「もし自然の整合性を放棄すれば、科学の発展が止まるばかりでなく、これまでの自然科学の知見も危うくなるから」だと述べ、「自然の整合性は科学の生命線である」と述べています。
 また、「本質的に科学の証言に取り込めない世界がある」として、「元々矛盾を含む世界であり、その典型は人と社会である」と述べ、「矛盾を含む人と社会を、矛盾を含まないモデルに写そうとすれば、モデルを複数作るほかなく、矛盾はそれらのモデルの間に存在することとなる」ことが、「社会科学の成果が整合的でない理由」だと指摘しています。
 第6章「科学を生み進化させる社会」では、「西欧キリスト教社会が科学を生み発展させたこと」を、「科学が生まれ進化する5つの必要条件から見直そう」として、
(1)言語能力の余剰
(2)整合的世界
(3)経験知の獲得
(4)過程論
(5)文明社会
の5点を挙げています。
 そして、「西欧キリスト教社会におけるイベントの系列としての科学誕生の歴史は、キリスト教の元で科学を生み出す基盤が用意されており、その上でキリスト教という先見知から脱却する経緯として理解できる」と述べています。
 また、「識者の一部には、日本語の表現が曖昧であることをもって、論理的でなく科学の記述に向いていないと称える人がいる」が、「日本語の表現が曖昧である」のではなく、「日本語では曖昧な表現が可能である」と考えるべきだとして、「このことは、日本語による厳密な論理的表現が可能であり、科学論文が書けることから明らかである」と述べた上で、「日本社会が科学を生まなかった本質的理由は、世界は矛盾を含む存在であるとする矛盾世界観を持つことにある」と指摘し、多神教社会の「当然の帰結として矛盾の存在を容認する社会である」と述べています。
 本書は、世界を科学的に捉えるための基礎的な視点を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ざっくりと切れ味よく展開し、社会科学は科学ではないと切り捨て、日本には科学はないと切り捨ててしまったので、日本の人文系からは相当抵抗がありそうですが、その批判の仕方が科学的でないというか、人文系の伝統に則った訓詁学的な切り返し方なので、いとおかしな感じでした。


■ どんな人にオススメ?

・科学とは理系の話だと思う人。


■ 関連しそうな本

 ジョン・ヘンリー (著), 東 慎一郎 (翻訳) 『一七世紀科学革命』 2007年04月21日
 伊勢田 哲治 『疑似科学と科学の哲学』 2006年02月12日
 ピーター アトキンス (著), 斉藤 隆央 (翻訳) 『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』 2006年5月5日
 ビル ブライソン (著), 楡井 浩一 (翻訳) 『人類が知っていることすべての短い歴史』 2007年04月08日
 マイケル・W. フリードランダー (著), 田中 嘉津夫 (翻訳), 久保田 裕 (翻訳) 『きわどい科学―ウソとマコトの境域を探る』 2006年01月21日
 マーティン・ガードナー 『インチキ科学の解読法 ついつい信じてしまうトンデモ学説』 2006年02月11日


■ 百夜百音

白井貴子&THE CRAZY BOYS 25TH ANNIVERSARY~NEXT GATE 2006-2007~【白井貴子&THE CRAZY BOYS 25TH ANNIVERSARY~NEXT GATE 2006-2007~】 白井貴子&CRAZY BOYS オリジナル盤発売: 2007

 浜田麻里ほどではないのですが、立ち位置的な微妙さと言うか、どういう人が聴くんだろう、やっぱり中学男子かな、とか思ったりするのですが、逆にこの曖昧さというか害のなさがNHKとかには扱いやすいのかもとか思ったりしました。
 もちろん、好きだと思う人が聴く分には問題ないのですが。

2008年11月15日 (土)

流行り唄五十年 唖蝉坊は歌う 小沢昭一 解説・唄

■ 書籍情報

流行り唄五十年 唖蝉坊は歌う 小沢昭一 解説・唄   【流行り唄五十年 唖蝉坊は歌う 小沢昭一 解説・唄】(#1395)

  添田 知道
  価格: ¥987 (税込)
  朝日新聞出版(2008/4/11)

 本書は、「明治から大正へかけての、街角のシンガー・ソングラーター添田唖蝉坊」について、その息子である著者が「芸能の原点」を綴ったもので、昭和30年に朝日新聞社の朝日文化手帖の一冊として刊行されたものを復刻したものです。
 「演歌と唖蝉坊」では、唖蝉坊を、「明治から大正へかけての、日本の流行歌の元祖と言われ、また演歌の家元とも言われた」として、レコード以前の流行歌の「ひろめ役」をつとめたのが「演歌」であり、「作者はその歌を刷り物」にし、「これを演歌者がもって街頭に立つ。そして歌う。すなわち路傍に人を集めて、次々と時の歌をうたい、そして歌本を売る。聴き手は気に入った歌があれば、歌本を買い、また熱心に聴いて節を覚えるといった工合である」と述べています。
 そして、「まことに手工業的方法であったが、演歌が歌の伝播機関であり、したがって流行歌の発生機関でもあった」と述べています。
 また、「民権自由の思想を歌に託した演歌は、民権運動の副産物であったといえる。弾圧につぐ弾圧で運動に困難を感じた民権論者の苦肉の策でもあった」として、「当初演歌の本質は政治運動だったのである。歌はかりた姿であったわけだ」と述べた上で、「武骨な壮士の、武骨な歌。それはそれでおもしくないことはないが、しかしその節まわしが、多少でも美しくうたえばうたえるものを、ことさらにぶちこわすような調子にやる、それを壮士の壮士らしさとする、その気風に平吉は疑いを持った」として、「武骨な内容をもったにしろ、歌は歌である。歌ならばやはり歌らしくありたい」と思ったと述べています。
 「愉快節(壇ノ浦)」では、「壮士たちが、政治運動に熱してゆくさまを見ているうちに、それがなにやらだんだん浮き上がってゆくもののように平吉には感じられてきた」として、「演歌への愛着が次第に抜き差しのならぬものになり、ついには演歌と運命をともにすることにまでなった」と述べています。
 「ラッパ節」では、「歌は歌でありたいと念じ、音を通じて民衆に密着することに喜びを感じていた」平吉が「唖蝉坊」を名のり始めてからの作には、「いよいよ庶民の生活の実相に触れてきた観があり、ある意味では人間裸の唄をうたいだしたともいえる」と述べています。
 「四季の歌(第二次)」では、平吉に、「社会主義者として尾行がつくようになっていたが、その主義はいたずらな観念論ではなく、体験の裏づけによるヒューマニズムになって、歌にもそれがにじみ出ている」とした上で、「危険思想の持ち主」が、警視庁のリストに上がり、「要視察人」として尾行がついたと解説し、「こんな人権蹂躙はなかったわけである」と述べています。
 「むらさき節」では、明治43年1月に妻に死別し、虚脱状態にいた唖蝉坊が、「さのさくずし」と呼ばれる唄をヒントに作った「むらさき節」で、「やっと目を覚ましてきた」として、「むらさき節の好調で、唖蝉坊は次から次と作詞に追われるようだった」と述べています。
 「新有明節」では、唖蝉坊が作詞した「奈良丸くずし」のなかに
「月が出た出た月が出た セメント会社の上へ出た
 東京にゃ煙突が多いから さぞやお月さま煙たかろ」
という「近年の炭坑節の原形」があるとして、「流行歌はとんでもないところに保存されていて、時をへだてて表情を変えて現れることがあるが、これもその好見本である」と述べています。
 「新ニコニコ節」では、「どうせ巷を流れる浮き草稼業。それが自他ともに演歌認識だった」として、「事実仲間に不良分子も多く、不名誉な意味でいつも官辺から睨まれ、そのため善良な演歌者はよけいな苦しみをしていた」として、唖蝉坊は「これを職業なら職業としての自覚から発するべきだ」と仲間に説き、警視庁に「演歌屋を正当に『読売業者』として公認させることに成功した」と述べています。
 「生活戦線異常あり」では、演歌が「だんだん歌本を使わないほうへ向かっていた。カフェーやバーを流して、チップにありつくことを主とするようになっていった」として、「すでに流行歌はレコードのものになっていた。演歌師の中からレコード界へ入っていったものもあるが、のこりの流しの演歌師は次第にギターやアコーディオンを持ち出して、町の楽師と性格を変えていった」と述べています。
 著者は、「世に流行歌の研究書というものがあるが、それがただ歌詞だけ集めて、その文字面だけで、あて推量で綴られているということ」を指摘し、「歌はうたうものである。うたわれてはじめてそのすがたがたち現れてくる。その歌の大切な反面、リズムを忘れては、歌の研究とはそもそも成り立たない」と述べています。
 本書は、「演歌」の本来の姿と、それを作り上げてきた唖蝉坊の姿を綴った一冊です。


■ 個人的な視点から

 ずっと、「母のんきだね」だと思ってました。スチャダラパーの歌詞にも登場するくらいなので有名なはずなのですが、もとになった「のんき節」は知りませんでした。


■ どんな人にオススメ?

・「演歌」は着物を着てマイナーなメロディを歌うことだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 添田 唖蝉坊 『添田唖蝉坊―唖蝉坊流生記』
 小林寛明 岡大介 『かんからそんぐ 添田唖蝉坊・知道をうたう』
 オムニバス 『唖蝉坊は生きている』
 オムニバス 『大正の流行歌~民衆の喜怒哀楽と共に~』
 オムニバス 『歌と音でつづる明治』


■ 百夜百音

初期傑作集【初期傑作集】 友川かずき オリジナル盤発売: 1989

 有名なのは、「生きているって言ってみろ」ですが、こういう歌い方と端正な見た目に結構ギャップがあって、それが余計に怖い感じです。

2008年11月14日 (金)

逆境克服―元三越の天皇・岡田茂の側近が、左遷先でつかんだ「意地」の成功

■ 書籍情報

逆境克服―元三越の天皇・岡田茂の側近が、左遷先でつかんだ「意地」の成功   【逆境克服―元三越の天皇・岡田茂の側近が、左遷先でつかんだ「意地」の成功】(#1394)

  天野 治郎
  価格: ¥1470 (税込)
  PHP研究所(2008/4/2)

 本書は、「株式会社三越の天皇と呼ばれた、岡田茂元社長の側近であったがため、社長解任後、周囲の冷たい目にさらされ、大阪へ左遷され、東京地検特捜部の取調べを受け、さらには台湾への追放など、逆境と言われる境遇に身を置かざるを得なくなった」にもかかわらず、「三越の役員にまで昇格」した著者が45年間のサラリーマン生活を語ったものです。
 著者は、「サラリーマンにとって、もっとも幸せなことは、自分の人生を懸けられる上司に恵まれること」だとして、岡田元社長と台湾の新光三越の呉東興薫事長(会長)の2人の名を挙げています。
 第1章「人生を変えた岡田茂社長との出会い」では、慶応閥の三越で陸橋出身の著者が、「仕入部から本社総合企画部へという、いわば、幹部候補生の道を歩むことになった」理由として、岡田氏の存在を挙げています。岡田社長の竹久みち氏の発案による婦人服ブランド「カトリーヌ」の売上不振打開策として、カトリーヌ・ドヌーブを宣伝に使うことを提案し、手土産に持参した天麩羅ソバのドンブリをカトリーヌがカフェオレ用の「カフェドンブリ」といって気に入ったというエピソードを紹介しています。
 そして、岡田社長が口にした、「一つのものを、あらゆる方向から考えろ」という「縦横十文字思考」について、「それは後々まで私の生き方に大きな影響を与えた」と語っています。
 第2章「三越事件で学んだ人間と会社の本質」では、社長解任の報を受けた著者が、「周囲が動揺しているにもかかわらず、普段と変わらない仕事ができていた」理由として、「打算で行動する人間は信用されないという、逆の意味での打算があったのではないか」と述べています。
 そして、東京地検特捜部での、13ヶ月間にわたる取調べについて、「すさまじいもの」だったと語っています。
 また、「パリでの二人の行動も、また私のとった行動も常軌を逸することがあった」として、「岡田社長が来れば岡田天皇であり、竹久さんが来れば女王として君臨した」として、東京地検特捜部の検事が、「そこまでやったのか。天皇陛下でもそこまではやらないよ」という「二人のために完璧な舞台を設定した」と述べています。
 さらに、大阪支店に左遷された著者が、「罪人扱いだった」として、「仕事といえば、特にこれといってやることがないから、生地売り場で布をカットしているだけだった」と述べ、「大阪で孤立無援のとき、三越の人以外で理解し、応援してくれた人の中には、政治家、役人、芸能人、画家、経済人、マスメディア関係者、右翼の大物、そしてヤクザ社会の人たちまでいた」と述べています。
 また、大阪赴任のときに見送りに来てくれた100人ぐらいの部下たちが、「彼らの多くは今、うれしいことに、三越の中核になっている」と語り、他社からの誘いの声もあったが、「サラリーマンは辞めたら負け」だと思って「辞めなかった」と述べています。
 第3章「左遷された台湾での意地」では、明らかに左遷の形で「追放」された台湾で、「これは面白いかもしれない」という思いが湧き、さらに、台湾の人たちの人の良さ、中でも、台湾のボスである呉東興薫事長にやる気が出たと述べています。
 そして、「いくら出世競争の厳しい社会でも、不遇になった人を見捨てない人情味や人間性にあふれた人はいるものだ」敏t、絵「結局は、そのような人に、社内の人間も得意先もお客もついてくる」として、「仕事も組織も、つまるところ、やはり人間性の問題だ」と語っています。
 また、著者が、「明らかに『左遷』され、明らかに周囲から『無視』され、明らかに会社から『評価されない』という、まさに三大逆境ともいえる、三重苦のような状態」にあったからこそ、「自分としてこれ以上の逆境はない」と思っていたとして、「逆境をマイナスと思わず、むしろそこに価値を認めるやり方、自分が『面白い』と思えるものに挑戦して行くやり方は、マイナスからゼロを通り越して、大きくプラスの領域に入っていくやり方」だと述べています。
 さらに、新しい社長から、「お前は台湾の言うことを聞きすぎる」、「軸足をどっちに置いているんだ?」と言われ、「私は出向者です。台湾にきて仕事をしているのに、台湾に軸足を置かなかったら仕事はできません」、「それが間違いだと社長が言うのなら、私をクビにしなさい。私はスタンスを変えることはできません」と言い返したと述べています。
 第4章「原点から立ち上げた百貨店」では、「仕入担当の心得の基本」として、
(1)「今売れている物」より「これから売れる物」を探すこと
(2)取引先との共存共栄の精神を持つこと
などの10か条を挙げた上で、「もし、私がまたある国の百貨店作りを任されたとしたら、次の3つの当たり前のことを意識して挑戦する」として、
(1)「売る基本」は古今東西変わらない
(2)その国のこと、国民のことを知る
(3)世の中の動きを敏感に察知する
の3点を挙げています。
 第5章「海外だから学べた出店・経営のあり方」では、新光三越1号店のオープンに当たって、約20日間に渡って日本で研修を受けさせた者のうち、「日本で教育を受けてきたと言うので、スキルアップ、要するに箔が付いて、さらに待遇のいい企業に就職してしまった」として、「約8割は辞めてしまった」と述べています。
 また、「台湾の新光三越」と「日本の三越」の違いとして、
(1)店舗面積のちがい:店舗面積が広い
(2)工業区から商業区への変更が容易に行えるようになった:小売業がやりやすい環境
(3)商圏の広さ:半径約70キロの商圏がある
(4)来店者の年齢層:若い顧客が多い
(5)立地条件:郊外店型
の5点を挙げています。
 本書は、失脚、左遷、追放の先にもサラリーマンの活路は開けていることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「左遷」、「無視」、「評価されない」という三大逆境に直面した場合、辞めてしまったり、病気になったりする人が多い中、左遷され、追放された先にもまだ生きる道があることを教えてくれます。
 「猿は木から落ちても猿だが、 代議士は選挙に落ちればただの人だ」という大野伴睦の名言がありますが、「サラリーマンは辞めたら何も残らない」のかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・サラリーマンの悲哀を味わっている人。


■ 関連しそうな本

 佐々木 常夫 『ビッグツリー 私は仕事も家族も決してあきらめない』 2006年10月31日
 藤原 和博 『父生術』 2005年06月12日
 村山 昇 『上司をマネジメント』 2008年09月17日
 山本 寛 『昇進の研究―キャリア・プラトー現象の観点から』 2005年09月01日
 キャメルヤマモト 『稼ぐ人、安い人、余る人―仕事で幸せになる』 2005年05月24日
 金井 寿宏 『ハッピー社員―仕事の世界の幸福論 解決!組織で働く悩み』 2005年05月09日


■ 百夜百マンガ

妖怪ハンター【妖怪ハンター 】

 今見てもやっぱり怖い、「諸星大二郎」という独自ジャンルを作り出した作品。ラムだっちゃのダーリンの名前はここから来てます。ダンではありません。

2008年11月13日 (木)

ツチノコの民俗学―妖怪から未確認動物へ

■ 書籍情報

ツチノコの民俗学―妖怪から未確認動物へ   【ツチノコの民俗学―妖怪から未確認動物へ】(#1393)

  伊藤 龍平
  価格: ¥2100 (税込)
  青弓社(2008/08)

 本書は、「通常われわれが知っている、不気味でありながらもどこかしら愛嬌があるあのツチノコ」が、「元来は『幻の蛇』などではなく、今日の言葉で言う『妖怪』のような存在だったらしいことを指摘」しているものです。著者は、本書で扱うのが、「心意伝承としてのツチノコ」だとして、「前提となるのは、ツチノコを伝承をみなす立場への理解」であり、「ツチノコの存在を否定するものでもなければ、肯定するものでもない」と述べています。
 第1章「ツチノコの正体」では、「かつてのツチノコは見ることはおろか、名を口にすることさえ憚られる不吉な存在だった」とした上で、「ブーム以前のツチノコには『死』のイメージがつきまとっていた」と述べています。
 そして、「従来、未確認動物ツチノコの習性として知られていたものの中には、妖怪の行動パターンと重なるものが多いことに気づかされる」として、妖怪「よこづち」などの例を挙げています。
 第2章「ツチノコ談義」では、「妖怪の未確認動物化」の結果、「妖怪としてのツチノコは忘れ去られてしまったが、その反面、未確認動物としてのツチノコは現代社会の中で相応のリアリティを保つことができた」ことについて、「これはつまり、妖怪のリアリティが失われたことの証でもある」と指摘しています。
 そして、「古来、崇敬や畏怖の対象となる蛇は、尋常の蛇とは異なる姿をしていた」として、「大蛇のように異常に巨大だったり、トウビョウのように奇妙に小さかったり、あるいは白や金など通常の蛇にはない体色をしていることもある」、「むろん、ツチノコのような太短い形態もその範疇に入る」と述べています。
 また、「ある種の身障者を『槌』と呼ぶことがある」とした上で、「これらの『槌』たちの話では"目鼻がないこと"が強調される一方、旺盛な食欲を強調することで"口"の存在も強調されている」と述べ、「闇夜の山中に跳梁する目鼻のない口だけの妖怪の群れには、悪夢のようなインパクトがあるが、この妖怪たちこそが『野槌』なのだった」と述べています。
 第3章「『逃げろツチノコ』を捕まえる」では、1959年8月13日、京都北山の栗夜叉谷の加茂川沿いで渓流をしていた山本素石が「ビール瓶のような格好をしたヘビ」にであり、地元の老人たちから、それが「ツチノコ」という名称であることを聞かされたことについて、「この怪物を蛇の一種と認定し、『ツチノコ』という統一名称を与えた意味は大きい」と述べています。
 そして、『逃げろツチノコ』という本が、「素石自身をも含めた目撃者たちの証言の連鎖によって綴られて」おり、「それぞれの証言は、動物としてのツチノコの正体を明らかにするには不完全なものだが、甲の欠如を乙が補い、乙の欠如を丙が補うという具合にして、次第にひとつの像が形づくられていく」と述べています。
 また、ツチノコが「古い伝承を変容させながら呑み込んでいき、未確認動物としてのイメージを確定させていった。けれどもその一方で、古い伝承の中には、イメージ形成に際して排除されたものも」あるとして、「ツチノコと『崇り』をめぐる俗信」などを挙げています。
 さらに、『逃げろツチノコ』に登場する「ノータリンクラブ」について、「読み進めるほどに、『逃げろツチノコ』が現代の隠者文学であるように思えてくるが、そうした感慨を抱かせるのは、ひとえに彼らの存在による」として、「世俗に煩わされながらも、筆先で超俗の世界を描くのが隠者文学なのである」と述べています。
 著者は、「ツチノコは、素石の筆によって現代に甦った」が、「ツチノコを復活させた素石本人はブームに乗れなかったし、のろうともしなかった」と述べています。
 第4章「ツチノコが歩んだ道」では、1970年代の釣りブームとツチノコ・ブームは、「浅からぬ関係を持っていた」として、「釣りブームがなかったら、ツチノコが在地伝承から次のステップへ移行できたかどうか、はなはだ疑問である」と述べ、「ツチノコ伝承史をふりかえるとき、忘れられないマンガがひとつある」として、矢口高雄の『バチヘビ』を挙げています。
 そして、1970年代に少年だった世代とツチノコとの関わりについて、『ドラえもん』の「ツチノコ見つけた!」と「ツチノコ探そう」の2つのエピソードを取り上げ、「『ドラえもん』におけるツチノコのキャラクター化は示唆的である」として、「生活に根ざした恐怖の存在だったはずのツチノコが、時代の変遷の中で、カッコ付きの『恐怖』さえも失った姿だといえる」と述べています。
 また、水木しげるが「世間一般のツチノコ像とは似ても似つかぬ『つちのこ』を描いたことは、一つの謎として提示できるだろう」と述べ、「水木はツチノコが本来持っていた『妖怪』としての本質を描きたかったのではなかろうか」と述べています。
 さらに、「ツチノコの魅力は身近に『探索』できることにある」として、1988年に奈良県の下北山村で開催された、「第1回ツチノコ探検」と翌年に宣言された「ツチノコ共和国」や、岐阜県白川村も「ツチノコの里」として売り出していることを紹介しています。
 本書は、ツチノコという言葉に感じるロマンの奥底にある長い伝承の歴史を解きほぐしてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 こういう本を書いている人が自分より年下かと思うと恐ろしいです。
 「ツチノコ」という言葉はやっぱりドラえもんで知ったような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・ツチノコを探してみたい人。


■ 関連しそうな本

 見越 敏宏 『私が愛したヒバゴンよ永遠に―謎の怪物騒動から40年』
 柴田 宵曲 『奇談異聞辞典』
 佐藤 健寿 『X51.ORG THE ODYSSEY』 2008年05月18日
 平林 重雄 『水木しげると鬼太郎変遷史』 2007年08月12日
 水木 しげる 『図説 日本妖怪大全』
 水木 しげる 『完全版 水木しげる伝』


■ 百夜百マンガ

幻の怪蛇バチヘビ【幻の怪蛇バチヘビ 】

 1970年代のツチノコブームを支えた一冊。酔っ払って寝ている親父の横で、酒樽に群がるバチヘビ(ツチノコ)の絵は怖いです。とはいえ、自分で飲んじゃったのをツチノコのせいにする作り話かも。

2008年11月12日 (水)

旅館再生 ――老舗復活にかける人々の物語

■ 書籍情報

旅館再生 ――老舗復活にかける人々の物語   【旅館再生 ――老舗復活にかける人々の物語】(#1392)

  桐山 秀樹
  価格: ¥720 (税込)
  角川グループパブリッシング(2008/6/10)

 本書は、「日本旅館が今後、備えるべき『魅力』と『サービス』の方向性を元に」、
(1)グローバル時代を見据えた「外国人の視点」を持つ宿になること。
(2)旅館という「サービス文化」を守るため、主人一家が営む「宿屋」の原点に戻ること。
(3)「旅館」という伝統的サービスに、近代的コスト意識を導入し、それを実践するノウハウを持つこと。
の3つの「再生」キーワードを提示し、「それを実現しようとしている旅館の再生現場の苦労を紹介」するものです。
 第1章「世界に評価される『日本旅館』」では、アジアに進出するホテル・チェーンが「ミーツ・イースト&ウエスト」をデザインやサービスのシンボルにしているとして、「日本旅館もその大きな潮流に乗り遅れてはならない」と述べています。
 そして、東京に進出する外資系ホテルの多くが、「伝統的な日本美をシンプルな形で表現している」として、「その原型となっているのが、実は『京の老舗旅館』だ」と述べ、京都の老舗旅館「柊家」を、「シンプルかつ、きわめて親しみやすい」と、「絶えず瑞々しく、変わらぬ『控えめな品格』」を保っていると評しています。
 また、「至高の楽園」と呼ばれるアマン・リゾーツが、「俵屋を始めとする京都の老舗旅館にヒントを得て建てられたリゾートだった」として、「京の旅館を拡大し進化させたものに見えてくる」と述べています。
 著者は、「日本旅館の偽らざる『現実』」として、「バブル経済が崩壊し、団体需要が一気に減ると、廃墟のように巨大な施設と返済出来ぬほどの借金だけが残ってしまった」と述べ、「いつの間にか日本旅館は、ホスピタリティとサービスの館ではなく、利益を生み出すだけの『巨大な箱』と化していた」と指摘しています。
 第3章「『旅館再生』に立ち上がった宿の主人たち」では、山中温泉にあった「緑風苑東山荘」という客室数40余の旅館が、1972年に「突然休館し廃業する」ことになったのが、「いつまでも高度経済成長は続かぬ。大規模の利益追求の事業は何時か破綻する。新しい考えでやりたい」という信念を持った経営者の息子が、「父親を欧州視察に行かせた長期留守中に、突如、旅館改革を断行するという荒療治に出た」と述べた上で、新たに作った「かよう亭」は、「客室10室。最大収容人数30名。15名の宴会場が一つのみ、作りたての料理を供するために、調理場近くに食事用の部屋が2室。その他は、朝起こさない。エレベーターを設けない。玄関にはスリッパを置かず、廊下に畳を敷いて素足で歩けた」という「革命的旅館だった」と述べています。
 第4章「『地域再生』にかけた同志」では、「個人客を中心に高級旅館化した由布院」の変化を感じ取った、「山を隔てた西側にある熊本県黒川温泉の『新明館』主人、後藤哲也」が、「黒川温泉では温泉街にある24軒の旅館全体が温泉組合を中心にスクラムを組んで、旅館のみならず、『旅館街改革』を始めた」と述べています。
 そして、「由布院を否定した黒川温泉に始まり、小田温泉、下田温泉と進化しながら西上していく温泉町は『熊本温泉』の名で総称される」として、「温泉郷全体で一つの巨大な温泉旅館のように運営する、コラボレーション志向が強い」ことが特徴だと述べています。
 第5章「星野リゾートの『日本旅館』再生法」では、「経営難に陥った旅館に再建を持つ金融機関が廃業か経営再建かを迫られた結果、創業家の経営を排除し、第三者の運営力で旅館再生のための利益を生み出そう」としたときに、「とりわけ再建難易度の高い日本旅館再生に取り組んだ」、星野佳路氏率いる株式会社星野リゾートをとりあげ、「経営ビジョンを数値目標化し、若いスタッフとそれを共有して、一年、一年、改革を積み重ねていった」結果、星野リゾートが、「企業として新たに再生したばかりか、全国の経営破綻したリゾートをも運営する実力を身につけていた」と述べています。
 第6章「全国の星野リゾート旅館再生現場を歩く」では、星野リゾートが、旅館再生に入るときに、「総支配人1名を現地に派遣するのみ」で、「後は、現地社員を再雇用して現場対応する」として、「新たに加わる社員たちにも星野リゾート流の運営理念を共有させていく」と述べ、「実際の運営に入る前に、まず同調査を先行して」行い、「ゲストの声を全社員をフィードバックしていく」ことで、「新たな従業員はそれまで聞いたことのなかった顧客の声が分かるようになる。それを定期的に行い、数値化することで時系列での把握が可能になる」と述べています。
 また、星野リゾートの再生事業のもう一つの特徴として、「一度コンセプトを決めたら、目に見える結果を出すまで実行するという『粘り強さ』」を挙げています。
 著者は、星野が、「日本旅館再生事業を始める際、手がける旅館の多くが、自身の育った旧『星野温泉ホテル』より、ずっと内容的に立派だった」ことを語ったとして、「自身が育ったダメ旅館を現場スタッフと共に再生した男が、更に規模も大きく、内容も高級な一流旅館を再生していく」という「ハングリーさ」こそが、「既存の日本旅館が失ったものだ」と述べています。
 第7章「再生への苦悩と理想の姿」では、星野リゾートによる「再生スキーム」で救われる旅館は「ほんの一握り」だとして、「たとえ残ったとしても、常連客が知る以前の形とはまったく異なった形で存続せざるを得ない」ため、「膨大な借金に苦しむ旅館経営者」の中には、「ならばいっそ、廃業してしまおうと考えるものも少なくない」上、「この厳しい職業を果たして息子や娘に継がせるべきか否か」という「後継者問題」に悩まされると述べています。
 また、日本旅館の「原点」といえる経営の手堅さと安定感を持つ奥湯河原温泉の「加満田」の番頭の師星照男氏が挙げる「いい日本旅館」の条件として、
(1)寝具が清潔でよく寝られること
(2)静かであること
(3)建物が新しくなくとも、清潔であること
(4)人と人とのつきあいを大切にしていること
の4点を紹介しています。
 まとめ「日本旅館の魅力は『人』にあり」では、「日本旅館の本当の魅力は、施設や温泉ではなく『人』にある」というのが、「本書を書き上げたあとの結論」だとまとめています。
 本書は、日本のよさと悪さ、そして再生への希望を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 つげ義春の影響か、古い温泉宿に泊まるのが楽しみなのですが、本書で紹介しているような極上のサービスというよりも、ちょっと裏寂れた感じに惹かれてしまいます。このあたりは、年齢とか経済的な状況によって変わってくると思うのですが、田舎の旅館まで田舎らしさを失ってしまうとしたら、ちょっとさびしい気がします。


■ どんな人にオススメ?

・日本旅館の古さに辟易している人。


■ 関連しそうな本

 後藤 哲也, 松田 忠徳 『黒川温泉 観光経営講座』 2007年12月04
 後藤 哲也 『黒川温泉のドン後藤哲也の「再生」の法則』
 宮本 和義 『和風旅館建築の美』 2007年09月30日
 アレックス カー 『犬と鬼―知られざる日本の肖像』 2007年10月04日
 高野 慎三 『つげ義春を旅する』 2007年10月07日
 つげ 義春 『つげ義春旅日記』 2007年10月27日


■ 百夜百マンガ

ああ播磨灘外伝ISAO【ああ播磨灘外伝ISAO 】

 播磨灘の少年時代を描いた外伝。今では社長になってしまった島耕作に倣えば、新弟子時代を描いた「ヤング播磨灘」や、ありえないけど相撲協会を牛耳る「理事長 播磨灘」などの外伝もあるのやら。

2008年11月11日 (火)

釣り具博物誌

■ 書籍情報

釣り具博物誌   【釣り具博物誌】(#1391)

  田代 俊一郎
  価格: ¥1575 (税込)
  書肆侃侃房(2008/3/3)

 本書は、『東京中日スポーツ』に連載されたエッセイ「釣然草」をもとに加筆、修正したもので、「日本の釣り文化の中で忘れ去られていった」、「B級の道具」や、「釣りの近代化のなか」で、「足速く、消え去ろうとしていた」伝統的な道具を、「少しでも紹介、記録できれば」との思いで書かれたものです。著者は、「釣りは楽しい。釣りはおもしろい。そのことを少しでも釣具を通して釣り人と共有できれば」と述べています。
 第1章「寡黙な恋人たち――ロッド、リール編」では、著者がよく行く中古釣具店が、「台湾リール」や、「六角のワカサギ竿」、「黒潮リール」など、「これは非売品です」と、「やたら非売品の多い」店だとして、「これで商売は成り立つのかしらと心配するほどだ」と語っています。
 そして、「ロッドとリールが別々にあるのもどうにかならないものか」という「シンプルというより、見方によっては無精者のための道具」として、「握りとリールが一緒になった20センチ弱の本体」を持つ「リール付ロッド」である「ダイワペット」を取り上げ、「これもひと昔前のいわばB級釣具ではあるが、こうした遊び心のある道具は好ましい。合理性、機能性だけの追求だけでは釣具はおもしろくない」と語っています。
 また、「一つのラインしか持って行かなかったばっかりに、大物をあげられず、悔しい思いをしたことが何度もある」という釣り師の思いに答えるリールとして、「ライン巻取りの溝が二つに分かれている」シマノの「ツインパワー黒鯛」を取り上げ、「非常に使いやすいが、釣り場でこのリールを使用している人を見たことがない」と語っています。
 さらに、旅をしながらギャンブルする「旅打ち」に対応して、旅をしながら釣りをする「旅釣り」は、「釣り人にとっては夢である」と語った上で、旅の同伴者として、「ビジネスカバンに入る大きさ」「山登りのリュックに収まるコンパクトさ」というキャッチフレーズを持つ「パックロッド」を紹介し、「韓国で『旅釣り』をしていて、パックロッドを出すと、韓国人から手品でも見るような視線を受けたことが何度もある」と語っています。
 第2章「小さなテロリスト――仕掛け編」では、プラグの原点「ラパラ」について、自分の漁のために、1930年代に、「松の皮で小魚に似せたルアーを作った」漁師のラウリ・ラパラが、「肉食魚は、小魚の群れを襲うのではなく、弱ったり傷ついたりして群れから脱落した小魚を食べているようだ。肉食魚の攻撃心を刺激するのは、死にかけた魚の突拍子もない動きではないだろうか」と語っていることを紹介しています。
 また、11月の磯で、「誰かに拾われて同じウキが作られると大変なことになる」といって、海中に引っかかったウチを回収するために、上半身裸になって海に飛び込んだ男が作った、メジナ用のウキ「釣匠」のウキを紹介しています。
 そして、大正、昭和前期に爆発的にヒットした「馬井助(ばいすけ)浮き」について、「釣り道具としての浮子が装飾品、美術工芸品としての域にまで高められた最初の浮子であった」と『日本釣具大全』に記されていることを紹介しています。
 第3章「愛しき同伴者――小物編」では、「ルアーマンにとって痛恨の極みはやはり、愛用のルアーを失くすことである」として、ルアー回収機の「ルアーリターン」について、「延ばせば2メートル以上になり、仕舞い寸法は30センチ強。なかなかの優れものだ」と述べ、「釣り場の好ポイントの周囲を見渡すと先行者のルアーがクリスマスツリーの飾りのように木々からぶら下がっている」ので、「ルアーを失くすことはあるが、拾うこともある」と語っています。
 また、ストリンガーについて、「帰る間際まで魚の新鮮さを保つためにあるが、同時に今日釣り上げた魚を誇示する装置でもある」として、「防波堤で海に下ろしたストリンガーを見ると必ずどんな釣果なのかあげてみたくなるのが釣り師の心情である」と語り、「ストリンガーにかける魚はやはり一定の大きさが要求される」として、「ストリンガーには丸太のようなスズキ、体高のあるクロダイがよく似合う」と語っています。
 第4章「孤独者の暖炉――読書編」では、「一番、好きな釣りエッセー」として、森下雨村の『猿猴川に死す』を挙げ、「森下の思いは釣りの向こう側の風景にあったのだろう。それは人である」として、「人物像の彫込みが深く、釣りをする人々の喜びや悲しみがやさしいまなざしで刻まれている」と語っています
 そして、「釣り師はそれぞれに、釣りに絡ませたもうひとつの楽しみを持っているはずだ」として、「釣りとの組合せで多いのが温泉である」と述べ、つげ義春の挿絵が入った大崎紀夫の『全国雑魚釣り温泉の旅』を取り上げています。
 また、「装丁ベスト1」として、佐藤垢石の『釣の本』を挙げ、垢石の一生は、「酒と釣りに明け暮れた、まさに釣り人の夢を代弁したような男である」と紹介してます。
 さらに、つげ義春の代表作「紅い花」について、「暗く、うらぶれた作品も多い中で、『紅い花』はどこか明るく救いのある作品に仕上がっている。釣り文学史の中にぜひ、入れたい名作である」と述べています。
 本書は、道具を通じて、釣り人の生き様や考え方をよく表している一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者が「小物編」で、「誰もいない防波堤、磯などでかける」ラジオについて、「井上陽水の『小春おばさん』が小さな箱から流れ出す」と語っているところは、さすがは九州の人だと感じます。
 関東の人間には想像がつきにくいところですが、九州のというか福岡の人はとっても陽水が大好きなようです。


■ どんな人にオススメ?

・釣りは道具じゃないと思う人。


■ 関連しそうな本

 森下 雨村 『猿猴 川に死す―現代によみがえった幻の釣りエッセイ』
 森下 雨村 『釣りは天国』
 森下雨村 『森下雨村探偵小説選』
 大崎 紀夫 『全国雑魚釣り温泉の旅』
 佐藤 垢石 『釣の本』
 つげ 義春 『紅い花』


■ 百夜百マンガ

ペナントレースやまだたいちの奇蹟【ペナントレースやまだたいちの奇蹟 】

 二匹目のどじょうというほど大ヒットはしてないのですが、愚直なまでにジャンプの思想を表したこういう作品があることが必要なのでしょう。

2008年11月10日 (月)

ハイヒールと宝石が温暖化をもたらす

■ 書籍情報

ハイヒールと宝石が温暖化をもたらす   【ハイヒールと宝石が温暖化をもたらす】(#1390)

  村井 哲之
  価格: ¥735 (税込)
  PHP研究所(2008/6/14)

 本書は、『コピー用紙の裏は使うな!』で知られる著者がたどり着いた、「環境問題と、コスト削減の問題は全く同じだ」という結論、「地球温暖化問題の本質的で、具体的な解決策を判りやすく世に伝え、その評価を問うこと。そして、地球温暖化防止に向けての日本の役割を本気になって考える仲間を一人でも増やすこと」を目的としたものです。
 第1章「安い宝石を身に着けると地球が温暖化する」では、世の中の女性たちが安価なダイヤモンドを身に着け始めるようになると、「正規ルート」であるデビアス社の流通に載らない、「サハラ砂漠から南のいわゆる『ブラックアフリカ』で産出」される、「紛争ダイヤモンド」とか「血のダイヤモンド(Blood Diamond)」と呼ばれる「不正ルートのダイヤモンド」の需要が増えるため、「ダイヤモンドが紛争の火種にさらなる油を注いでいる」として、「安価なダイヤモンドへの需要が高まると、ダイヤモンド産出国の内戦を助長することとなり、貧困の撲滅と経済発展が阻害され、CO2の吸収源である森林の減少の進行にも」つながると述べています。
 そして、「この話の中に地球環境問題の本質が隠れている」として、「地球上に先進国とそれ以外(中国などの振興開発国や発展途上国など)の国があり、発展途上の国がいつまでも途上国であり続ける限り、そこでの温室効果ガスの排出に歯止めがかかることはない」と述べています。
 また、2007年のアル・ゴア氏とIPCCへのノーベル平和賞の授与に関して、「誰かを見逃してはいませんか?」として、1992年6月12日に、リオ・デ・ジャネイロで開催された国連の地球サミットで、世界各国のリーダーを前にスピーチを行ったセヴァン・スズキ(当時12歳)の名を挙げ、「彼女こそ異なった価値観を持つ国と国の間で『階』となり、様々な立場の国々の出会いと協同を助ける役割を務めようと純粋に考え、行動した最初の人だから」だとして、彼女の「伝説のスピーチ」を紹介しています。
 また、第2章「日本人は『孫子の兵法』で温暖化に加担する」では、「日本において地球温暖化問題に関する本質の議論がなされない理由」として、
(1)ペットボトルの再生はムダ?――「なびき現象」に身をゆだねる日本人
(2)100%再生紙はムダ?――"曇りのない感性と嗅覚"がない日本人
(3)割り箸はムダ?――森全体が見えない国、日本
(4)太陽光発電はムダ?――ビジョンのない国、日本
の4つについて、「問題の本質を見抜くための様々な視点を指し示しながら、その真偽と解決方法を」探るとしています。
 そして、再生し問題に関しては、「古紙100%再生紙(R100)は地球環境に優しい」というのは正しくない、「R70K30」も怪しいとした上で、「怪しくないのは、ムダなコピーはしない」ことであり、「コピー用紙の裏は使うな!」の次は「コピー用紙は使うな」、そして最後は「コピーは使うな!」だと述べています。
 また、日本に求められているのは、「柔軟かつダイナミックな発想」だとして、「物事の必要性を原点に遡って、ゼロベースで考える『リ・シンク』だ」と述べています。
 第3章「桃太郎が鬼にきび団子をあげると温暖化が止まる」では、「問題解決の1つ目の方向性」として、「発展途上国が教育レベルを上げ、国民が『問題解決力』と『価値観の共有を前提としないコミュニケーション力』を身につけること」だと述べた上で、もう1つの方向性として、「国民全体で取り組む」ことを挙げています。
 第4章「『100ドルパソコン』が地球を救う」では、「地球環境に負荷をかけることなく、森の木の下で教室を運営するような地域にも、くまなく普及させることができるパソコンとは、いかなる機能と要件を持ったものだろうか?」と、ニコラス・ネグロポンテ博士が「リ・シンク」した結果、
(1)価格は100ドル以下の低価格
(2)操作が簡単(子どもでも使える)
(3)現在のパソコンに劣らない機能がついている
(4)低消費電力(手回し発電)
(5)屋外での使用に耐えられる(防水/光が当たっても画面が見えるなど)
(6)通信インフラ(光ファイバー網)がなくてもインターネットにつながる
の6つの要件を満たす「100ドルパソコン」(OLPC XO)を生み出そうとしたと述べています。
 また、「ビル・ゲイツ会長がヤフーの買収を断念すると温暖化が止まる」とする理由として、
(1)マイクロソフトのIT業界支配が成就しないことで「100ドルパソコン」完成阻止への圧力が弱まる。
(2)グーぐるの経営が安定し、クリーンエネルギーの開発が順調に進む。
(3)中国の教科書による森林破壊、砂漠化問題を解決する。
の3点を挙げています。
 第5章「0.004℃のはかない力」では、「日本が議定書の削減義務を2100年まで守り続けたとしても、それで抑制できる温暖化はわずかに0.004℃でしかない」ことを挙げた上で、「チームマイナス6%」という公約の達成に向けて掲げた課題が、「全く解決に向かっていない」ことを指摘しています。
 本書は、日本の環境問題に、独自の視点を与えてくれるかもしれない一冊です。


■ 個人的な視点から

 ヒットした前作に続く「二匹目のどじょう」的なタイトルのつけ方ではあるのですが、さすがにハイヒールと宝石は因果関係に無理がありすぎで説得力がなさすぎではないかと思います。
 まして、第3章の「桃太郎」と「鬼」の話は書き飛ばした感じがアリアリでちょっと寂しい気持ちになりました。
 せっかく面白い着眼点なので、出版までもう少し時間があればもっといいものになったかと思うと残念です。


■ どんな人にオススメ?

・企業にとって環境問題対策はコストセンターだと思う人。


■ 関連しそうな本

 村井 哲之 『コピー用紙の裏は使うな!―コスト削減の真実』
 ビョルン・ロンボルグ (著), 山形 浩生 (翻訳) 『環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態』 2005年09月19日
 武田 邦彦 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』
 リッカルド・カショーリ, アントニオ・ガスパリ (著), 草皆 伸子 (翻訳) 『環境活動家のウソ八百』


■ 百夜百マンガ

こもれ陽の下で…【こもれ陽の下で… 】

 「描きたいもの」と「読みたいもの」のギャップというか、作者の成長と掲載誌とのギャップが明らかになった作品。
 そういえば、中国では「キャッツ・アイ」のアニメは「猫目三姉妹」になっているそうです。

2008年11月 9日 (日)

歴代総理の通信簿 間違いだらけの首相選び

■ 書籍情報

歴代総理の通信簿 間違いだらけの首相選び   【歴代総理の通信簿 間違いだらけの首相選び】(#1389)

  八幡 和郎
  価格: ¥924 (税込)
  PHP研究所(2006/8/17)

 本書は、「明治維新からの近代日本を率いた歴代総理がどうして選ばれてきたか、それぞれの業績はどう評価されるべきかを、厳しい目で論じよう」としたものです。
 序章「忘れられた初代宰相・三条実美」では、三条実美が、「明治元年(慶応4年)から18年まで天皇のもとで政府の最高責任者だった」として、「彼こそ近代日本をつくった激動の時期に一貫して宰相だったわけであり、この人物を軽く扱うべきではない」と述べ、「明治維新直後における権力を考える場合、あまり、薩長中心にものをみるのは間違っている」として、「薩長の天下とか藩閥政府というのは、むしろ、伊藤博文が首相になった明治18年からのこと」であり、「それまでは、三条・岩倉など公家勢力、諸侯たち、土佐や肥前など薩長以外の勤皇諸藩、元田永孚などの天皇側近などそれぞれが割拠し、薩長がすべてをほしいままにできる状況ではなかった」と述べています。
 第1章「元勲たちの時代」では、第5代大隈重信について、「隈板内閣」戸井言葉に象徴されるように、「この初めての政党内閣は大隈の旧進歩党系と板垣の旧自由党の危ういバランスの上に立っていた」と述べた上で、「政党内閣も加納だという前例をなしたことのみにおいて大きな意義を持ち、それ以外には何もできなかった内閣だったし、大隈のリーダーシップもお粗末だった」と指摘しています。
 そして、山県有朋について、「民主化に棹をさした悪玉」として扱われることが多いが、「政党政治に拙速に移行することをもって正義と割り切れるものでもない」として、「安定した国家運営を可能にする官僚制度を構築する役割も、民主化を進めるのと同じく重要な車の両輪なのであり、近代国家確立に当たっての山県有朋の役割を過小評価するべきではない」と述べています。
 また、伊藤博文を、「大日本帝国憲法とその体制を一人で作り出したスーパーマンのように見るのは正しくない」として、「大きな方向を定めたのはむしろ岩倉具視ともいえるし、山県有朋が育てた官僚制度や近代的な軍隊も、伊藤の仕事に劣らず重要な近代国家の構成要素である」と述べています。
 第2章「藩閥誠司の全盛」では、「明治34年から大正2年まで、つまり明治末期から大正の初めまで桂太郎と西園寺公望が向後に政権についたこと」を指す「桂園体制」という言葉について、「厳しい対立関係が連想されるが、この二人は不思議な友情で結ばれ、おのおのの妾同伴で酒を酌み交わすような間柄であった。両者間で相互補完関係を意識しつつ、助け合い、ある種の出来レースで政権交代を繰り返したとみるべきであろう」と述べています。
 また、「山県系の軍人であり政友会の西園寺の敵対者とみなされたことから、反立憲政治のシンボルと見られることが多い」桂太郎について、「吉田松陰に始まる長州のよき伝統の正当な後継者であり、バランス感覚、知性、行動力、人間性などいずれからみても最高級の政治家であった」と述べています。
 一方、大隈重信については、「維新の志士、明治初年の名大蔵卿、自由民権運動の指導者にして立憲政治確立の功労者、そして、現在の早稲田大学の創立者」としての功績は偉大だが、「宰相としては、史上最低の部類に属する」として、
(1)大浦兼武内相による史上最悪の選挙干渉
(2)「対華二一カ条要求」を中国の袁世凱大統領に最後通牒を持って受諾させたこと
の2つの「致命的な誤り」をしたと述べています。
 第三章「政党内閣の誕生」では、第12代加藤友三郎について、「病身で議会への出席もままならず、現職のまま大腸ガンで死去したので、大宰相たりえたかどうかは判断材料に乏しいが、こののち次々と誕生する軍人政治家と比べると数段上の存在のように見える」と述べています。
 そして、第16代の田中義一について、「緻密な頭脳でありながら人づきあいは柔らかく、組織をまとめるのが得意だった」として、「軍への支援を草の根レベルで拡大することに抜群の功績を残した」と述べています。
 第4章「軍人宰相の蹉跌」では、第22代の林銑十郎について、「とんでもない総理の筆頭」だとして、「皇道派に推されて総理になりながら、組閣のときから統制派になり、予算を通してから解散するハチャメチャぶり」だと厳しく指摘し、「なにもせんじゅうろう内閣」と揶揄されながら、「変わり身の大胆さは、首相に就任してからも存分に発揮された」と述べています。
 そして、第23代の近衛文麿について「悲劇の宰相」としての人気は戦後も衰えなかったが、昭和再末期に、「昭和天皇が近衛を酷評していることが明らかになってきた」ことから、「近衛を積極的に評価する声は聞かれなくなった」と述べています。
 また、第27代の東条英機については、「陸相として開戦を積極的に支持し、開戦後も和平への努力を怠った。周囲にとり好人物だが私情に流された決定が多かった」と指摘した上で、「負け方を考えない首相はやはり最悪の首相だったとしか言えまい」と述べています。
 第5章「戦前派の復活」では、第32代吉田茂について、「土佐と薩摩につながる維新精神の政党的継承者であり、英米派の外交官。国体護持、経済再建、朝鮮戦争に巻き込まれることの回避など目標を絞り占領軍との協調に成功」と述べた上で、「態度横柄で演説は下手だった」として、「コートを着たまま演説をして野次を浴び」、「外套を着てやるから街頭演説だ」と切り返した逸話を紹介しています。
 そして、「宰相としての吉田の素晴らしさは、事の重要性についての正しい判断と、それ以外を大胆に切って捨てる思い切りの良さにある」として、「国家統一の求心力としての皇室の護持、占領軍という外圧を活用しての経済再建、朝鮮戦争へ巻き込まれることの回避、控えめな防衛力にとどめたことなど、吉田茂でなければできない芸当だったろう」と評しています。
 また、第35代鳩山一郎については、戦前は森恪、戦後は三木武吉という「腕力のある政治家」を名優としたことについて、「そういう人物を惹きつけたのが鳩山の将たる器の証かもしれない」と述べています。
 第36代石橋湛山については、任期の短さから「評価不能」とした上で、「かつて、暴漢に襲われて帝国議会への出席ができなくなった浜口雄幸首相に退陣を勧告する社説」を書いたことに縛られ、自ら辞任したと述べています。
 第37代岸信介については、商工省の少壮官僚だった岸が、「ドイツ視察旅行から帰国して提出したレポートを元に産業政策が生まれ、そこから基本ラインはほとんど変化していないこと」に驚嘆したと述べ、その後、「戦後日本の実験場」とされた満州でも徹底して実行され、「その後の日本経済繁栄もそこに多くのものを負い、さらには、アジア経済の発展モデルともなった」と評しています。
 第38代池田勇人については、「トランジスタの商人」と揶揄されたが、「経済外交の重要性を自覚した世界的にも先駆者」だったと述べ、「池田は政治の季節が終わったあと人心を掌握するには経済しかないと見事に割り切った」として、「経済のことはこの池田にお任せください」とテレビコマーシャルを流したことを紹介しています。
 第6章「戦後派の官僚と党人」では、第40代田中角栄について、「霞ヶ関の官僚たちに田中角栄ほど好かれた政治家はいない」として、「彼は省庁の壁や前例主義で身動きがとれなくなっている官僚たちを、手品のようなアイディアで救い出す術を持っていたから」だと述べています。一方で、思い切りのよい決断が「日中関係を一気に改善した」が、「米国の虎の尾を踏んだ」ことが、「のちのロッキード事件を通じての失脚にもつながったともいわれる」と述べています。
 また、第45代中曽根康弘について、「いわゆるタカ派」だが、「恨まれないタカ派」だとして、「昨今の若い政治家は、相手の感情を逆撫ですることそのものをもって目的としているようにすらみえる」として、「中曽根の知恵をもう一度勉強するべきだろう」と述べています。そして、「中曽根は外交においては史上空前の名宰相であり、経済については、史上最悪のリーダーだった」と評しています。
 第7章「地方政治家とジュニアの時代」では、第47代宇野宗佑についえ、「政治家としての宇野は、演説の達人として高く評価された」として、「宇野の所信表明演説は、その後において宇野内閣が女性スキャンダルで機能不全に陥ることにならなかったら、日本政治史に残る名演説として記憶されたのではないかと思えるほどの出来栄え出会った」と述べています。
 また、第50代細川護煕について、「自民党永久政権に終止符を打たせたのは、紛れもなくこの人である」と評しています。
 第53代橋本龍太郎については、「有力な大臣や総理になるためには、若くして永田町の住人にならなくては話にならない」として、「総理候補としてもっとも恵まれた条件」は、「代議士の子にして父親が若死にすること」になったと述べ、小沢一郎と橋本龍太郎がこの条件を見事に満たしたと述べています。
 第56代小泉純一郎については、小泉が、「大衆歴史小説以外はほとんどなにも読んでいない」ことを挙げた上で、「小泉の業績を評価するときには、実現したかどうかより、そもそも彼がやろうとしたことが意味のあることだったのかどうかの検証が、より重要になる」と述べています。
 第8章「歴代総理をランク付けすれば」では、評価の基本ステップとして、
(1)優先的に取り組むべき課題が何であるかを正しく把握したか。
(2)その課題を解決するための方策を正しく立てたか。
(3)それを実行する政治力を発揮したか。
の3点を挙げたうえで、「大隈重信が最低評価である」理由を解説する一方、Aランクには、伊藤博文、桂太郎、原敬、幣原喜重郎、吉田茂、池田隼人の6人の名を挙げ、また、Bランクについては、「戦後の政治家としては、岸信介、佐藤栄作、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、細川護煕、橋本龍太郎、小渕恵三は合格点だ」として、中でも、「福田、大平、小渕はAに近いB」だと述べています。
 そして、「歴代総理の履歴分析からみる宰相の条件」として、
(1)国際経験と語学力はいまや不可欠
(2)総理候補の学力低下を憂う
(3)ジュニアという前歴を嗤う
(4)閣僚経験の軽視傾向への警鐘
(5)総理候補の幅を拡げよ
(6)政治家同士で将来の宰相候補を育てる
の6点を挙げています。
 本書は、著者の個人的な好みや主義主張が前面に出ていて、雑に感じるところはあるものの、読み物としては楽しんで読むことができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 明治から平成までずばっと一刀両断にしていて、評価しない人は糞味噌にけなしているので、思い入れのある人や、関係者にとっては不愉快なところもあるかもしれませんが、よく週刊誌で特集しているような床屋談義の延長だと思えば腹も立たないのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・総理なんて誰がやっても同じだと思う人。


■ 関連しそうな本

 八幡和郎 『江戸三○○藩 最後の藩主』
 八幡 和郎 『江戸の殿さま全600家―創業も生き残りもたいへんだ』
 八幡 和郎, 臼井 喜法 『江戸三〇〇年「普通の武士」はこう生きた―誰も知らないホントの姿』
 八幡 和郎 『歴代天皇列伝 日本人なら知っておきたい国家の歴史』
 八幡 和郎 『全世界200国 おもしろ辛口通信簿――歴史・国民性・文化の真実』
 八幡 和郎, CDI 『47都道府県の名門高校―藩校・一中・受験校の系譜と人脈』


■ 百夜百音

戦争と平和【戦争と平和】 ザ・フォーク・クルセダーズ オリジナル盤発売: 2002

 「あの素晴らしい愛をもう一度」は合唱で歌った人も少なくないと思いますが、グループの解散後に作られた曲だと思うと意味深です。

『ザ・フォーク・クルセダーズ 新結成記念 解散音楽會』ザ・フォーク・クルセダーズ 新結成記念 解散音楽會

2008年11月 8日 (土)

大統領はカネで買えるか?―5000億円米大統領選ビジネスの全貌

■ 書籍情報

大統領はカネで買えるか?―5000億円米大統領選ビジネスの全貌   【大統領はカネで買えるか?―5000億円米大統領選ビジネスの全貌】(#1388)

  堀田 佳男
  価格: ¥756 (税込)
  角川・エス・エス・コミュニケーションズ(2008/01)

 本書は、「党や政治団体、さらに政府が出すカネなどをすべて含めると5000億円になるともいわれる、世界で最もカネがかかる選挙」であるアメリカ大統領選挙について、「カネの力がどれほど大統領選挙に影響を及ぼすのか」を多角的に探っているものです。
 第1章「ヒラリーの驚くべき集金システム」では、ヒラリーへの政治献金のうち93%が、「一般有権者からの個人献金」だったことについて、「アメリカであればほとんどの人が持つ個人用小切手を切るか、最も利用度の高いインターネットを通してクレジットカード番号を入力して行う」と述べています。
 また、ヒラリーの短縮形の呼び名である「ヒル」のあとに「レイザー(集金者)」という単語をつけ、「ヒラリーのために選挙資金を集める人たち」を意味する「ヒルレイザー(Hillraiser)」と呼ばれる組織が作り上げられたと述べています。
 そして、ヒラリーと並ぶ有力候補のオバマについて、著者が初めて目にしたのは、04年大統領選挙のとき、ボストンでの民主党全国大会で、「颯爽と壇上に登場し、鳥肌がたつほど秀逸な演説を行った。青年といっても差し支えない風貌と、張りのある声だった」として、「リベラルのアメリカとか保守のアメリカなどと言っていてはいけない。アメリカ合衆国という国があるだけ」と主張したことを紹介した上で、「ヒラリーとの戦いでは、オバマは2歩、いや3歩後ろを歩かざるを得ない。選挙資金の集金額でヒラリーに及ばないだけでなく、候補として、総力が足りていないからだ」と述べ、オバマが、「中道派の票を取り込むために『誰にでも好かれるために無難なことを言う』候補になり始めた」と指摘しています。
 さらに、党において、「ライバル政党の候補と相対したときに勝てる候補を選出しなくてはいけない」として、「当選可能、『エレクタビリティー』のある候補」という言葉を紹介しています。
 第2章「大統領選挙の隠れた真実」では、主要候補たちが、金集めとともに、「キャンバシング」と呼ばれる戸別訪問に力を入れるとして、「日本の選挙で禁止されている戸別訪問(公職選挙法第138条)は、アメリカでは大統領選挙だけでなく連邦議員や衆議院の選挙でも認められている選挙活動である」と解説しています。
 そして、「カネで大統領を買う」というフレーズを、「多くの選挙関係者は否定しない」が、「ボランティアを志願して実際にキャンバシングを行う人たちはカネで動いていない」として、「誰かがやらなければいけないという使命感がそこにはある」と述べています。
 第3章「ジュリアーニのカネへの執着」では、共和党から出馬したジュリアーニが、「理念的には民主党と共和党の中間点に位置する」上、「ライフスタイルという点では、ニューヨークに住み、ニューヨーク・タイムズを愛読し、カフェら手を飲みながら外国者に乗るタイプの弁護士」で、「今風のリベラルを絵に描いたような人物」だと指摘しています。
 また、カソリックのジュリアーニも、「イスラエルが支援するアメリカ最大の利益団体『アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)』の政治力には逆らえない」と述べ、「全米に600万人弱しかいないユダヤ系アメリカ人が大統領選挙の候補を選別できるほど、アメリカ政治は単純ではないはず」だが、「カネの集め方とロビー活動による圧力のかけ方は、他のどの政治団体もまねができない」と述べています。
 第4章「本選挙への果てしなく長い道程」では、大統領選挙が、「11月の最初の月曜日の次の火曜日と投票日が決められている」ことについて、「土曜、日曜は一般に仕事が休みなので、公の行事をなるべく避けるため」、「日曜は教会に行く日であり、安息日に政治的なことを避けるべきとの考え方」、「アメリカ人は週末を家族と一緒に過す飛騨と思ってもいる」などの諸説をあげています。
 そして、「多くの点で効率のよさを追求している」アメリカが、「大統領選挙に限っていうと、非効率の極みといっても過言ではない」として、そのひとつとして、「選挙期間の長さ」を挙げ、「一国のリーダーになるためには一般的に助走期間が短いよりは長いほうがいい」として、「日本の首相の場合、あまりに短すぎる」ことを指摘しています。
 また、大統領選挙の仕組みとして、アメリカの「予備選」が、「プライマリーとコーカス(党員集会)という二つのシステムでできている」と述べ、「生涯をアメリカで過すアメリカ人でも、いまだに予備選のシステムをよく理解していない人が多数いる」と述べています。
 そして、代議員を選ぶシステムについて、
(1)党員集会や予備選挙で有権者が入れた票が州ごとに集計される。
(2)得票数が全得票数のパーセンテージ(得票率)で計算される。
(3)州ごとに割り振られた大議員数を、得票率で割ると各候補の大議員数が出る。ただし、最低15%の得票率がないと代議員は得られない。
(4)州ごとに代議員が加算されていき、総代議員数の過半数を超えた時点で、候補の指名がほぼ確定する。
の4つの手順を挙げています。
 さらに、本選挙について、「普通の選挙では、有権者の1票1票が集計され、より多くの票を得た候補が勝者となる」が、「選挙人制度を使う大統領選挙では、州ごとに割り振られた選挙人が間接的に大統領を選ぶかたちをとる」として、「州ごとに勝った候補がすべての選挙人を奪っていくシステム」である「ユニット・ルール・システム」などを解説した上で、「こうした制度はすでに時代遅れになってきている」として、00年のゴア対ブッシュの戦いでは、「最後はフロリダ州の取り合いという接戦」になり、「選挙人数ではブッシュが271人、ゴアが266人でブッシュ当選となったが、総得票数ではゴアの方が約54万票も多かった」ことを挙げています。
 第5章「仁義なきテレビ広告戦争」では、08年大統領選挙では、「候補へのカネの集まり方だけをみると、民主党のトップ3候補が共和党の3候補をはるかに凌いでいる」ことについて、「今のブッシュ政権への反対票であると同時に、共和党候補が展開するイラク政策への反対の声と受け取れる」と述べ、アイオワ大学が教育目的で開いている、「非営利の電子先物市場」である「アイオワ電子市場」について、「大統領選挙の候補や党を『先物』として、1回5ドルから500ドルの掛け金で売買する」もので、「88年以来すべての大統領選挙で誤差1.8%で当選者を予言してきた」と解説しています。
 また、ヒラリーの選対でメディア戦術を担当するマンディ・グランウォルドについて、その真骨頂は、「バック・アンド・フォース(行ったり来たり)」という戦術であり、ライバル候補による批判広告を全米規模でモニターし、ヒラリーを攻撃する広告を5分以内に察知し、48時間以内に相手候補を攻撃する避難広告を制作するという手際のよさを解説しています。
 さらに、オバマの選対委員長のデイビッド・プロウフに地打て、「選挙のプロ」で「候補を勝たせるためには何でもするタイプの参謀」だと述べています。
 本書は、日本人には分かりにくいアメリカ大統領選挙を、共通の関心事であるカネを切り口に解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で中心的にとりあげていたヒラリーは失速、マケインについての言及は1回くらい、オバマについては、「候補として、総力が足りていない」とまではっきりと言い切ってしまっているのを、現時点からみると、「あんまりあてにならなそうな感じがする」と言ってしまうのは簡単ですが、とりあえず、あの複雑なアメリカ大統領選挙の仕組みを分かりやすい切り口から解説しているというのはありがたいです。


■ どんな人にオススメ?

・アメリカの大統領選挙はお祭りみたいだと思う人


■ 関連しそうな本

 堀田 佳男 『大統領のつくりかた』 
 横江 公美 『第五の権力 アメリカのシンクタンク』 2005年06月13日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年06月23日
 のり・たまみ 『フー・アー・ユー?』 2008年08月31日
 有馬 哲夫 『中傷と陰謀 アメリカ大統領選狂騒史』 
 マーリーン・タージ・ブリル (著), 日本漢字教育振興会 (編さん), 本間 正人 (翻訳) 『オバマ-アメリカを変える挑戦』 


■ 百夜百音

エッセンシャル・ベスト トワ・エ・モワ【エッセンシャル・ベスト トワ・エ・モワ】 トワ・エ・モワ オリジナル盤発売: 2007

 昔、アルフィーの「ある日ィ突然」という語呂合わせを聞いても元ネタを知らなかったのでピンとこなかったのですが、ようやくこのギャグの面白さが分かる年代になってしまったのかと思います。

2008年11月 7日 (金)

活力ある日本乗りたくなる電車・バス

■ 書籍情報

活力ある日本乗りたくなる電車・バス   【活力ある日本乗りたくなる電車・バス】(#1387)

  中島 啓雄
  価格: ¥1575 (税込)
  交通新聞サービス(2007/12)

 本書は、JR出身で、1999年8月から2007年7月まで参議院議員を務めた著者が、自民党の各部会で発言してきた内容や、メールマガジンに掲載したコメントを取りまとめたものです。
 第1章「生い立ち」では、中国の大連生まれの著者が、満鉄の看板列車「アジア」号をきっかけに鉄道好きになり、国鉄に入社、JR退社後の1995年に参議院比例区に出馬、「あえなく落選」したものの、199年8月に繰り上げ当選し、2001年7月の選挙でも落選したものの、3ヵ月後の10月に繰り上げ当選し、「2回の繰り上げ当選という珍しい経歴を持つこととなった」と述べています。
 第2章「経済・財政」では、JR関連の固定資産税の承継特例・「三島特例」について、1987年に、国鉄からJRへの改革に際し、「JRの経営安定化のため」、
(1)国鉄から各JRが承継した固定資産の課税標準額を2分の1とする(承継特例)
(2)特に経営の厳しいJR北海道、四国、九州の三島会社の固定資産課税標準額は2分の1とする(三島特例)
の2つの特例が設けられたことについて、「5年ごとに延長・更新され」、徐々に特例が引き上げられてきたが、20年を経過した2007年度税制改正においても、「承継特例、三島特例」の延長を要望し、認められたと述べています。
 第4章「国土交通」では、「地域における公共交通の担い手である鉄起動、バス」について、乗客が減り経営が悪化しているが、「高齢者、自動・生徒、身障者などの通勤、通学、買い物、通院、あるいは観光客の足として不可欠であるばかりでなく、地球温暖化防止、省エネルギー、交通渋滞緩和、地域の活性化にも重要な役割を果たすものとして見直さなければならない」として、2005年7月に、自民党国土交通部会に「地域公共交通小委員会」を設置し、著者が事務局長に就任、2007年2月には、「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律案」を国会提出、5月18日に全会一致で成立したと述べています。
 また、自動車の踏切手前での一旦停止義務があるのは、「世界で日本と韓国だけ」だとし、「一旦停止義務を廃止してノンストップ化すれば渋滞が解消し、排気ガスの現象、省エネに役立ち、事故もかえって減る」というH議員の主張から、自民党内に「踏切問題研究会」が設置されていると述べ、これに対して、「JRはじめ鉄道事業者、国交省、警察庁は猛反対」し、
(1)踏切事故は致死率が高く、列車の乗客にも死傷者が生じ、列車の運行が乱れる可能性が高い。
(2)事故の発生要因の多くは、渡りきれると思った、遮断機に気づかなかったなどの判断ミス。
(3)ノンストップかにより安全確認が不十分となる。
(4)1960年に一時停止義務を法定化した後、事故は激減した。
の4点等を主張していることを紹介し、「賛否両論あり、結論は保留されている」と述べた上で、「欧米の大都市内では鉄道と道路は立体交差し踏切は作らないのが原則であり、踏切問題はわが国の都市計画の貧困さを示すもの」だと述べています。そして、「開かずの踏切は500箇所以上、複々線区間でも踏切があり(東武鉄道竹ノ塚など)、外国よりはるかに高い密度で列車が走るというわが国の現状ではノンストップ化は無理であり、当面取り組むべきは立体交差化の促進」だとしながらも、「ノンストップ化で事故が増えるか否か」については、「よく検証する必要があろう」と述べています。
 さらに、JRが関連事業の拡大を図ることに関して、駅構内や駅周辺の土地を利用した商売を拡大すると、地元からの反対があることについて、著者が、「JRもまだまだ武家の商法でいろいろご無礼もあろうかと思うが、共存共栄の一環としてホテル問題についても円満解決できるよう話し合いを進めてほしい」と語ったことに、JR側から「『武家の商法』とはケシカランとの話」が聞こえてきて驚いたと述べています。
 第5章「メールマガジンから」では、2002年6月から2007月8月まで発行していた「参議院議員『中島ひろお』のメールマガジン」で紹介したコメントを紹介しています。
 内容的には、やはり鉄道関係の記事が多く、2004年1月の新潟県中越地震に関しては、「震災後の道路状況など新潟県は刻々と詳しい情報をインターネットのホームページに載せていましたが、JR東日本のホームページ・トップには各線の運転見合わせ、バス代行の有無が表示されているのみで、情報不足の感じ」だとコメントし、2005年4月の福知山線脱線事故のときには、「事故当日、与党事故調査団の一員として現地に赴き、一両目がビルの一階駐車場部分にすっぽり食い込み、二両目がビルの壁面にへばりついて、プレスされたような状態になっている悲惨な状況を見て」きたと述べています。
 また、2005年12月の羽越線列車事故では、翌日に自民党内に事故対策本部が設置され、著者は、翌々日に、対策本部副本部長として党所属国会議員7名と現地を視察したと述べています。
 本書は、構成的にも前半は「活動記録」というか資料集のような感じで、読み物としておもしろいものではありませんが、地味な存在である業界代表の比例区出身の参議院議員がどのような関心を持ち、どのような活動をしているのかを知るという意味では興味深い一冊です。


■ 個人的な視点から

 国会議員が本を書くのは、在任中に自分の主張したい政策や国家観を書いたものか、引退後に正解の内幕ものを書いたものが相場だと思っていましたが、引退後に自分の政策や活動をまとめたもの、というのは珍しい気がします。何しろ売れそうにありませんし。
 それでも、地味な印象のある参議院比例区の議員が、業界との人脈をバックに専門家として期待される仕事をしていることが分かったのは面白かったです。


■ どんな人にオススメ?

・参議院議員の仕事振りを見てみたい人。


■ 関連しそうな本

 牛嶋 正 『租税原理―課題と改革』 2007年08月31日
 佐藤 信之 『コミュニティ鉄道論』 2008年07月25日
 吉田 一紀 (著), ビーコム (編集) 『モハようございます。 あの人はなぜ、鉄道にハマるのか?』 2008年07月06日
 野田 隆 『テツはこう乗る 鉄ちゃん気分の鉄道旅』 2008年03月08日
 一坂 太郎 『東海道新幹線歴史散歩 カラー版―車窓から愉しむ歴史の宝庫』 2008年04月30日
 原田 勝正 『鉄道と近代化』 2007年11月30日


■ 百夜百マンガ

デトロイト・メタル・シティ【デトロイト・メタル・シティ 】

 映画化されて大ヒットしたおバカな作品。『ヤングアニマル』という客層の心をがっちりつかんだんじゃないでしょうか。

2008年11月 6日 (木)

日本の偽書

■ 書籍情報

日本の偽書   【日本の偽書】(#1386)

  藤原 明
  価格: ¥714 (税込)
  文藝春秋(2004/05)

 本書は、「世間を騒がせた『太古文献』と呼ばれる偽書を取り上げ、ただあげつらうのではなく、どのようなメカニズムで人々の興奮を掻き立ててきたのかを検証」したものです。
 第1章「人はなぜ偽書を信じるのか」では、近代の日本で、「歴史に関する偽書は単に生き残っただけではなく新たな息吹を与えられることになった」理由として、「世界史の舞台に登場した近代の国民国家としては日本が新参者」であり、「前代の幕藩制という封建領主の連合国家のもとで養われた地域割拠的傾向を克服し、近代の国民国家にふさわしいナショナリズムを育成すること」を、明治の新政府が必要としたことを挙げています。
 そして、「偽書には抗しがたい魅力があった」理由として、「正史には見られない精細な歴史像が存在した」ことを挙げています。
 また、偽書を信じる側の論理として、
(1)荒唐無稽に見える話にも、実は現代の人間には理解できない深遠な真実が隠されている。
(2)偽書の量が膨大なことから、一個人はもとより複数の偽作者を想定してもその作成は不可能である。
(3)史学者たちは、仮名遣いの誤りなど文体の問題からそんなに古いものとは思えないと批判的だが、現在残っているのは写本であり、長い歳月の書写の過程で生じた誤りと見るべきだ。
の3点を挙げています。
 著者は、偽書に対する「糾弾調の論議」とは別の路線として、「偽書というものが存在するのも一つの歴史的事実であることを受け止め、それがどういう意味を持つのかを醒めた目で分析し、学問の上に位置づけることにある」と述べています。
 第2章「超国家主義者と二大偽書」では、昭和10年に、大分県より上京した安藤一馬によってもたらされた「全編神代文字で記された『上記(うえつふみ)』の謄写」が、国家主義者の最も突出した人々の間に広まった理由として、「国体明徴運動の存在に示されるように、時代は『国家主義の季節』を迎えつつあった」と述べています。
 また、もう一つの偽書『竹内文献』について、「茨城県多賀郡磯原町磯原に本部を置く天津教が奉斎する神代以来のわが国最古の神宮、皇祖皇大神宮(もとは越中に所在したという)の証とされる」と述べた上で、「一見して近代の偽作であると看破できる杜撰な代物に過ぎない」とし、「常識的には、史実を伝承したものとは考えられない」としながらも、「大正10年代より竹内巨麿が神宝と称する文献の公開に踏み切ると、華族・軍の将星をはじめ政界、官界、実業界の名士、特に超国家主義者たちの"磯原詣で"がはじまるようになった」と述べています。
 そして、国家主義者が、第一次大戦後の中国による挑戦が、「ただでさえ不安定な日本の国際的地位に対する潜在的脅威となりつつあった」という状況に「焦燥感を募らせつつ」あり、「そうした人士の中に『竹内文献』は甘美な響きを持ったものとして歓迎される要素があった」と述べています。
 また、『竹内文献』信奉者の間で、「巨麿が『上記』の大本と喧伝した『神代文字神霊宝巻』」が、「文献の肝心要とみなされた」が、「『上記』とウガヤ王統譜が共通する事実が意味するものは、巨麿の言とは反対に『上記』をもとに造作されたことが容易に想像されるところである」と指摘しています。
 第3章「東北幻想が生んだ偽書」では、『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』に関して、「東北の風土そのものに怪しげな伝説や偽書を生み出す土壌があるようにいわれる」が、「果たしてそうであろうか」と述べています。
 そして、『東日流外三郡誌』が、「江戸時代の半ば、蝦夷の後裔を自認した東北の覇者安藤(東)氏の末裔という羽州土崎の浪人秋田孝季が、その妹婿の津軽飯詰の庄屋和田長三郎とともに、安藤(東)氏の故事来歴を調査するために、諸国を行脚、苦心惨憺の末に、蒐集した雑多な資料をもとに編纂した秘蔵の書と位置づけられる」とした上で、昭和50年、青森県北津軽郡市浦村から最初のテキストが公刊されるや、「地味な地方史の資料集としては考えられない異常な反響を巻き起こした」と述べています。
 また、「『東日流外三郡誌』にかわって近代日本の東北幻想をかなでる新たな偽書が今登場しつつある」として、「大物主櫛甕玉命(おおものぬしくしみかたまのみこと)の78世の末裔・和仁估安聡(わにこやすとし)と称する近江国高島郡西万木の井保勇之進の家に伝来した一子相伝の秘書とされる『秀真伝(ほつまつたえ)』を取り上げた上で、「近年、民族主義・国家主義の潮流が再び勢いを得つつある中、この種の思想の持ち主による『秀真伝』の喧伝は注意すべき問題である」と述べています。
 第4章「『記紀』の前史を名のる偽書」では、「わが国の史書の初めは聖徳太子勅撰の『先代旧事本紀』」であり、「『日本書紀』はそれを骨子にして書かれた」という説について、「近世に至って陰りがみえてきたとはいえ、『旧事紀』は単純に偽書として一蹴されたわけではない。この書を巡る論議は複雑な様相を呈していた」と述べています。
 そして、『旧事紀』が「長い間真書と信じ続けられ、偽書とされた今日でも高い評価を受けている」理由について、「偽作者の巧みなわざが、出現当初『旧事紀』の招待を覆い隠した。そして、それが偽書であることの分かった今日でも、それでも原書は確かな資料に相違いないと学者にさえ言わしめる不思議な魔力を発揮している」として、「史上最大の偽書」の名に値するのは、『旧事紀』を置いてほかにないと述べています。
 また、「数ある三教調和思想の中で、なぜ『大成経』の『三教鼎立』が幕府の要人や大名に魅力あるものと映ったのか」について、「『三教鼎立』にこそ偽書『大成経』の秘密を解く鍵があるとみられる」と述べた上で、「近代に台頭した偽書"記紀以前の書"は『大成経』の濃厚な影響を受けている」と述べています。
 第5章「偽書の何が人をひきつけるのか」では、「偽書の根底にある『人をひきつけるもの』の実態の解明」という課題について、
(1)第2章で、『竹内文献』の典拠に、地方の怪しげな伝承を記した偽書があることを指摘した。
(2)第3章で、『秀真伝』に、中世の古今注や両部神道系の偽書等にみられる奇妙な言説が垣間見られるという問題を提起した。
の2つのキーワードを挙げ、「『竹内文献』を含めいずれの偽書も元来は怪しげな伝承を取り込んだローカルな書であったと位置づけられる」と述べています。
 そして、「中世の奇妙な言説の典拠が創造の産物であるとすれば、『偽書の裏に隠された真実がある』という偽書を信じる人の論理が成立しないことは明白」だとした上で、「ひきつけるもの」の実態について、「中世の特異な『伊勢物語』注釈のあり方」が、偽書を信じる人の深読みと共通するとして、「彼らは、中世の知の世界に魅了されたのである」と述べ、近世儒学の台頭による合理主義の前に歴史の舞台から消滅したと見られた「中世の知の世界」が、「近代以降も命脈を保ったのが、本書でとりあげた近代の偽書"記紀以前の書"ではなかったろうか」と述べています。
 本書は、日本の歴史観の「ダークサイド」とも言うべき偽書の生成過程を分かりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 偽書の魅力は、妖しげなオカルト雑誌『ムー』のネタ元としてオカルト好きの子どもたちにも伝えられています。いまだに残っているとは知りませんでした。
http://www.gakken.co.jp/mu/mumagazine.html


■ どんな人にオススメ?

・偽書に惹かれてしまう人。


■ 関連しそうな本

 佐藤 弘夫 『偽書の精神史―神仏・異界と交感する中世』
 斉藤 光政 『偽書「東日流(つがる)外三郡誌」事件』
 アレックス バーザ (著), 小林 浩子 (翻訳) 『ウソの歴史博物館』
 奥菜 秀次 『捏造の世界史』
 佐藤 健寿 『X51.ORG THE ODYSSEY』 2008年05月18日
 皆神 龍太郎 『UFO学入門―伝説と真相』


■ 百夜百マンガ

愛ぬすびと【愛ぬすびと 】

 A先生の哀愁のあるダークな世界は子どもたちにもサラリーマンにも人気なのですが、女性誌でも人気だったようです。なんとなく植木等の『日本一の色男』を髣髴とさせる展開です。

2008年11月 5日 (水)

行政広報―その確立と展開

■ 書籍情報

行政広報―その確立と展開   【行政広報―その確立と展開】(#1385)

  本田 弘
  価格: ¥2205 (税込)
  サンワコーポレーション(1995/6/30)

 本書は、行政広報に関して、
(1)戦後わが国における地方自治制度がほぼ50年を閲したこと
(2)それゆえにこれまでの行政広報についての筆者の考え方を一応整理をする絶好の機会でもあること
の2点を理由として、「広報が期待に応える活動を展開することは、どのようなことなのか」を焦点に据え、「広報の原点に立ち返って検討」したものです。
 第1章「広報広聴に占める首長の位置」では、「広報広聴活動にたいする首長の意識の変革の必要」について、
(1)首長の日常的な政策方針が広報広聴活動の成果を中軸に決定・指示されるよう取り組みが必要。
(2)予算編成に当たっても首長は広報広聴の成果を反映するように制度化する必要。
(3)首長は毎年度事業報告とは別途に『広報白書』を作成し、全住民に公開するよう努力すべき。
の3点を挙げています。
 そして、最小限、「政策広報の中立性の確保」が必要だとして、「首長の政治姿勢の影響力の許容限界を常に中立の立場に位置させることによって、広報の中立性も確保される」と述べています。
 著者は、「広報広聴の活動過程にあって、首長がオールマイティーの影響力を及ぼす立場に位置することは、けっして広報広聴活動を真に発展させることにはならない」として、「自治体広報は、本来、『自治体の広報』であって、『首長の広報』ではないと述べています。
 また、「逆説的には首長が最大の広報マンでなければならない」として、「政治の側面での首長の役割や機能ではなく、行政の側面での首長の役割や機能を積極化することを期待し、広報広聴活動において、それを十分に発揮することを求めたい」と述べ、「最高の広報マン」としての首長に求められるものとして、
(1)行政運営についての全般管理、すなわち庁内での指導力発揮が全職員を広報広聴活動への認識高揚に向かわしめる。
(2)首長の持つ多様な役職が広報広聴活動の実質的な場を醸し出している。
(3)広聴は広報であるという逆接に立つ。
の3点を挙げています。
 第2章「行政広報についての再認識」では、「行政の誘導性・先導性の昨日としての広報活動」は、「広報担当者だけに任されてもよいものではない」として、「本来的には全庁的なものとして行われなければならない性質のものである」と述べています。
 そして、「広報ががんらいパブリック・リレーションズであることを想起すれば、自治体広報が自治体当局の一方的な活動であってよいはずがない」として、「パブリック・リレーションズとは、すなわち、住民と自治体との善意友好の関係を設定することであるから、広報活動に住民が関わることは当然のことだといえる」と述べています。
 第3章「地域社会の変貌と広聴」では、「職域社会指向型コミュニティにおける広聴の問題」を挙げ、「『定時制住民』による一方において住民の地方自治体にたいする行政需要の増嵩と他方において住民自身が地域社会の主体的存在であるという自覚意識の希薄な状況における広聴の問題、ということを意味する」と述べています。
 そして、「広聴活動の実際的な方向」として、
(1)広聴活動を政策の重点項目設定に役立たしめる方向
(2)行政の内部機構の領域としては企画部門と広聴の専担組織の位置づけ
(3)広報広聴のオンブズマン的役割の方向をとる必要
(4)広聴活動の日常化の方向
の4点を挙げています。
 第4章「行政広報の理念と課題」では、「住民と行政体当局との間に最良の関係を設定し、これを継続的に維持することを実現する」ことが「行政の本質」だとした上で、「行政の広報の理念」として、
(1)情報真実性:住民などを対象になされる広報が、その内容として情報が真実でなければならない。
(2)周知徹底性:対象とする住民などに広報が完全に周知されることが不可欠。
(3)反応期待性:広報の結果からの反応への期待。
(4)平等並行性:行政の実施する広報であっても、住民などを対象とする広報は住民といわば同じレベルで並行した立場で実施されるべきである。
の4点を挙げています。
 そして、「行政と住民との共同作業としての行政の展開を期待」する「プロデュース型行政」を掲げ、「主として計画策定段階から計画実施段階に至るまで共同作業を保持し、しかも、あるなんらかあの成果を予測して処置をするもの」だと述べています。
 第5章「参加型行政広報の構想」では、「広報過程における医師の相互的なフィードバックを、より可能とするための、行政体当局における狭義の広報活動の必要要件」として、
(1)住民と地方自治体当局の立場の並行性
(2)提供される情報の真実性
(3)広報の総合性
の3点を挙げています。
 第6章「行政広報とボランティア活動」では、「ボランティアの広報参加に望まれる役割」として、「広報紙の製作過程を通じて、行政一般の理解の促進及び地域と行政との間の情報の相互交流」だと述べています。
 そして、行政広報におけるネットワーキングについて、「全庁的な情報網の形成だけではなく、協力網の形成をももくろむことをひとつの到達点」と考えるとして、「広報にたいする協力、すなわち広報の主要な計画・管理・運営など一貫した広報過程に全庁各部課が何らかの形式で関わることが、生きた広報か可能とする」と述べています。
 第8章「行政広報のネットワーキング」では、「ネットワーキングづくりの観点から、全庁職員の広報意識を醸成し、かつ高揚するに当たって」不可欠となる点として、
(1)地方自治体の性格の理解
(2)行政の経営的な認識と処置の必要
(3)「広報なければ業務なし」の観念を普及する努力
の3点を挙げています。
 第9章「危機管理の広報活動」では、「阪神大震災を念頭に据えながら、地方自治体の震災時における広報活動を検討する」として、広報すべき項目として、
(1)避難:避難場所、避難施設、誘導経路、避難人数など。
(2)連絡:住民組織、住民団体、学校、警察、報道機関など。
(3)救援:医療機関、備蓄用品、救援物資、救援隊、ボランティアなど。
(4)調査:電気、ガス、水道、電話、テレビ、有線放送、交通手段など。
の4点を挙げています。
 第10章「議会広報の課題と問題点」では、「議会広報の課題とは何か、何が議会広報に期待されるのか、そして、それらの具体化には、いかなる解決すべき問題が伏在するのか」について検討するとしています。
 そして、「今日の地方議会の機能の低下を回復するひとつの手だて」として、「議会広報の充実による住民の自治意識の啓発と育成とにかかっている」と推量し、「対極的には住民と連動する地方議会こそ、参加型分権化の地方自治確立の拠点となりうる」と述べています。
 第11章「行政広報の構図」では、「自治体固有の情報が広報化される横軸と国などの情報が広報化される縦軸が交差する接点に位置する広聴は、終局的には広報の構図の中心にあり、広報活動の中枢機能を担っている」とした上で、「実務上、広聴は十分にそうした理解と認識の対象に到っていないうらみのあることは事実であろう」と述べています。
 著者は、「地方自治体を取り巻く環境は大きく変化しつつある」として、「自治体当局自身がそうした変化に追随するだけでは、住民の諸要求を充足できない。変化を予測し、変化の到来に先行して行政を展開する必要がある」と述べ、「行政広報にも横軸と縦軸の構図と枠組みを見極めながら、自治体独自の広報活動と広報体系の確立が望まれてならない」と主張しています。
 本書は、行政における広報のあり方を、広い視点から論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 最近でこそ「行政広報」について書かれた本は増えましたが、13年前にはこういう本は少なかったのではないかと思います。ちょっと堅い印象はありますが、しっかりと課題を論じていると感じました。今読んでも遜色ありません。


■ どんな人にオススメ?

・行政における広報の役割を考えたい人。


■ 関連しそうな本

 電通プロジェクトプロデュース局ソーシャルプロジェクト室 (編集) 『広報力が地域を変える!―地域経営時代のソーシャル・コミュニケーション』 2007年02月21日
 井之上パブリックリレーションズ (著), 井之上 喬 (編集) 『入門 パブリックリレーションズ―双方向コミュニケーションを可能にする新広報戦略』 2006年12月13日
 矢島 尚 『PR会社の時代―メディア活用のプロフェッショナル』 2006年11月13日
 ポール・A. アージェンティ, ジャニス フォーマン (著), 矢野 充彦 (翻訳) 『コーポレート・コミュニケーションの時代』 2006年10月23日
 世耕 弘成 『プロフェッショナル広報戦略』 2006年09月22日
 猪狩 誠也 『広報・パブリックリレーションズ入門』 2007年03月29日


■ 百夜百マンガ

ライスショルダー【ライスショルダー 】

 女子ボクシング、それもヘビー級という際物っぽい設定を、この人に書かせてしまった、というキャスティングの勝利というか企画の勝利を感じる作品。モーニングの編集の人はすごい。

2008年11月 4日 (火)

パソコンは日本語をどう変えたか

■ 書籍情報

パソコンは日本語をどう変えたか   【パソコンは日本語をどう変えたか】(#1384)

  YOMIURI PC 編集部
  価格: ¥945 (税込)
  講談社(2008/8/21)

 本書は、「ひとつの言語を表記するのに3種類も文字がある」という「難しい日本語をコンピューターで処理するためにどのような努力が行われてきたのかを紹介」するとともに、「ハードウェアやソフトウェアの技術的限界、JISコードの存在などによって、コンピューターで日本語を扱う際にどれだけ制約を受けざるを得ないのか、その実態も明らか」にしたものです。
 第1章「『漢字』がコンピューターに登場した日」では、1967年に、「電算機の活用」を経営計画に掲げた日経が、「コンピューターで日本語を処理し、紙面を組む」という前例のないプロジェクトの開始に当たり、国産各メーカーは全滅し、結局、日本IBMがこの難事業を引き受けたと述べています。
 そして、1970年代後半に、「コンピューターで漢字を扱えるようにするか、それとも日本人が漢字を捨てるか」と、「漢字の存亡を真剣に懸念していた人」として、富士通でで汎用日本語システム「JEF(Japanese processing Extended Feature)」の開発を主導した神田泰典氏を取り上げ、神田が、JEFの成功に関して、「漢字があるから日本語は世界で通用しない」「コンピューターで扱えないような文字はダメ」という「日本語駆逐論に勝った」と自己評価していることを紹介しています。
 第2章「国産機種で広まった日本語処理」では、漢字ROMを使ったNECのアーキテクチャーが日本のパソコンの標準になった時代の最大のヒットとして、「98」+「一太郎」(ATOK)+「エプソンのプリンター」=「1980年代のビジネススタンダード」という組み合わせが完成したと述べています。
 そして、ジャストシステムの浮川和宣が、ワープロ専用機が低価格化し、家庭に普及しだした1980年代に、「汎用性のないものはだめ」という理由で「ワープロ専用機はなくなるよ」と予言していたことを紹介しています。
 第3章「ワープロ専用機と『かな漢字変換』の進化」では、1970年代に、東芝で日本語ワープロ専用機の研究に取り組んだ森健一が、開発コンセプトとして、
(1)人間が書くより速く打てること
(2)ポータブルであること
(3)自分で作った文書、他人からもらった文書に電話線などを使ってアクセスできること
の3点を掲げていたことを紹介しています。
 そして、森らが開発していたワープロが、「ユーザーが自分で文節を区切って入力する方式」をとるとともに、「同音異義語」対策として、
(1)短期学習:ひとつの文書内で同じ読みが再度現れると、前回確定した文字を変換候補の先頭に出す。
(2)長期学習:使用頻度の高い候補を先頭に出す。
の2つの「学習」という考えを持ち込んだと述べています。
 また、「ワープロほど急激に値下がりした電子機器も珍しい」として、1979年発売のJW-10が630万円であったが、モデル2では340万円に、普及モデルのJW-5は260万円になり、1982年には富士通が100万円を切ったワープロを発売、1983年には「アンダー50万円」商品が登場し、85年ごろには10万円を切り、5万円、3万円台の製品が店頭に出回るようになったとして、「登場からわずか7年程度で、価格は100分の1以下に下がった」結果、「ワープロ専用機はオフィスだけでなく一般家庭にも浸透した」と述べています。
 さらに、キーボードについて、富士通の「親指シフト」が、高い支持を得た背景として、「考えていることがそのまま打てる」という抽象的な評価があったことを挙げ、「その特性上、親指シフトは作家や記者など大量の原稿を処理する人に愛された」と述べ、その後、パソコンの普及に伴って親指シフトの勢力が衰退した理由として、「親指シフトを必要とするほど速く大量に文書を入力する必要のある人が少なかったからだ」とする「皮肉な指摘」を紹介しています。
 第4章「DOS/Vが夢見た『世界標準』」では、DOS/Vパソコンの特徴として、「漢字ROMを使わずに日本語の文字を処理しようとしたところ」を挙げています。
 第5章「『工業規格』が使用漢字を決めた」では、「漢字変換ソフトに『どの漢字を収録すればいいのか』という基準ができた」として、「JISコードからコンピューターの日本語を見て」います。
 そして、「日本語をコンピューターで表示させるための文字コード」の統一規格第1号である「JIS X 0201」が1969年に制定され、その後改定が続き、2004年には「JIS2004」が制定されたが、「ユーザーがパソコンで自由に使える漢字が、JISコードの範囲内にほぼ限られているという状況は変わっていない」と述べています。
 第6章「『ケータイ文字入力』が日本語表現を変えた」では、「携帯電話用のメール開発競争は、日本語入力技術の最新の見本市である。さらに若者に普及した『ケータイ』は新しい日本語文化を生み出しつつある」と述べています。
 そして、ソニーコンピュータサイエンス研究所で開発されたパソコン向けの入力補助機能である「POBox」にちうて、「入力された文字から、ユーザーが使いたい言葉を予想する」というものであり、技術部門とはまったく関係のないデザイナーが、「それ、携帯電話の文字入力にいいんじゃない?」と目をつけたと述べています。
 また、移動端末による文字情報のやりとりについて、「技術史の上では決して画期的なものではない」として、「端末を製造するメーカーでは、ワープロ専用機の開発に関わった人と技術が注ぎ込まれている」と述べています。
 さらに、iモードの「絵文字」を開発した栗田穣崇について、「元は手書きというアナログの世界」だとして、「最先端のデジタル技術の開発史」の根底で共通するのは、「汗を搾り出すような技術者の『マンパワー』だ」と述べています。
 第7章「フォント制作技術の最前線」では、日本に西洋風の活版印刷が紹介されたのは幕末の長崎で、通詞(通訳)として活躍していた本木昌造が、オランダ船から入手した鉛活字と印刷機をもとに日本の文字を活字化に取り組み、明治に入ってから招聘したアメリカ人技師のウィリアム・ガンブルから活字鋳造の技術を学び、「そのときに造られた活字(本木活字)が、日本の印刷書体の基本となる『明朝体』であった」と述べています。
 そして、Mac OS Xの標準日本語フォントに採用された「ヒラギノ」について、その開発コンセプトは、
(1)グラフィックと並べて違和感がないこと
(2)ほかと類似しない書体であること
の2点であり、フォント開発に少なくとも数千万円はかかる理由として、「基本部分が手作り」だからだと述べています。
 また、ウィンドウズ・ビスタ用の新しいフォント「メイリオ」の狙いとして、
(1)ディスプレー上での可読性向上。
(2)和文と欧文を違和感なく調和させる。
の2点を挙げ、「コンピューターのディスプレー上で診るために開発されたフォント」がメイリオだと述べています。
 第8章「大規模文字セット──深遠なる漢字の世界」では、「パソコンで日本語を完全に自在に扱う」ために、「すべての漢字をデジタルの世界に収録」するという「壮大な夢」を追った人たちを紹介しています。
 そして、『三国志』のゲームを作りたい、というきっかけから、登場人物の固有名詞の漢字がないことに直面し、「図形」としての漢字に着目したソフト「文字鏡」の開発に着手したエーアイ・ネットを紹介しています。
 また、文字鏡と同様に「使える漢字の少なさ」を克服するために開発された「超漢字」について、文字鏡が「あくまで漢字を図形として捉えることで、独自の『文字図形番号』を割り振っている」のに対し、超漢字は、「JISやUnicodeと同じような文字コードの一種」であり、文字セットによるダブりは無視して、「あるものは全部入れるというのが基本」だとして、トンパ文字や架空の文字「アーヴ文字」や「ホツマ文字」まで、「実体として文字があるなら何でも入れられる」ことが特徴だと述べています。
 第9章「漢字新時代──JIS2004の静かなる船出」では、「朝日新聞社が戦後、新聞活字用に独自に開発した字体」である「朝日文字」を紹介した上で、1946年の「当用漢字表」の内閣告示を受け、「当用漢字以外にも多くの漢字を使わなくてはならない」新聞のため印「表外漢字の字体を独自にデザインした」と述べています。
 そして、「葛飾区」の「葛」の字が正しくは「ヒ」ではなく「人」を使った「人カツ」が正しいとして、葛飾区が1986年に「区名の表記に正式に『人カツ』を採用」し、1993年に、「当時の区長が、区長選に絡む闇献金事件で逮捕された」時に、「全国紙6紙のうち2紙が『人カツ』、1紙が『ヒカツ』、残る3紙は同じ新聞なのにふたつの表記が混在していた」ことをきっかけに「人カツ」キャンペーンを開始し、ワープロメーカーに対して、「『東京都葛飾区』の『葛』の字の取り扱いについて」と題した文書を送付したが、「返事は『否』」であったと述べています。
 第10章「パソコンは『日本語力』を低下させたか?」では、コンピューターで日本語を扱うときの制約と、かな漢字変換は、「漢字を正確に覚えていなくても『書ける』」ことの問題点を提示しています。
 そして、「キーボードで入力しているとき」に、「物を見る=視野をつかさどる部位がある」後頭部が「ほとんど活発化していない」として、「コンピューターを使う人は、ディスプレーや、キーボードの手元を見ていない」という実験結果を紹介しています。
 著者は、「コンピューターは一種の『補助脳』であり、人間の代わりにデータを記憶してくれるものとも考えられるが、実は日本語の入力をしているとき、知らぬ間にコンピューターの能力に合わせてしまっていないだろうか」と述べています。
 本書は、今では携帯電話を含めると、日本語を書く場面に欠かすことができなくなっているコンピューターと日本誤変換について、数十年の歴史をざっと概括してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 いまどきの若者は、「活字文化」が失われ、日本語の危機を迎えている、といった言説をよく見かけますが、今の若者ほど、毎日日本語を書いている世代は、過去にないのではないでしょうか。
 何しろ、これほどまで高頻度に文章を使って毎日コミュニケーションをとっている世代は過去に例がないのかもしれません。
 もちろん、過去の文豪のように、漢文の手習いをベースに古典に親しんだ上で文章を書いているわけではありませんが、文章をこれだけ自由に使いこなしている若者たちが、文学や文章の新しいブレイクスルーをやってのける可能性は相当高いのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・漢字を書くのがすっかり苦手になったと感じる人。


■ 関連しそうな本

 中野 明 『書くためのパソコン』 2005年06月25日
 トール ノーレットランダーシュ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』 2006年06月18日
 ジュリアン ジェインズ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 2006年06月04日
 アリス・W・フラハティ 『書きたがる脳 言語と創造性の科学』 2006年09月23日


■ 百夜百マンガ

ゴキちゃん【ゴキちゃん 】

 まさかこの人が子ども向けの雑誌で連載を持つとは想像も付きませんでした。モーニングを読んでいたサラリーマンにとっては同じ思いではないでしょうか。

2008年11月 3日 (月)

選挙制度変革と投票行動

■ 書籍情報

選挙制度変革と投票行動   【選挙制度変革と投票行動】(#1383)

  三宅 一郎
  価格: ¥3675 (税込)
  木鐸社(2001/06)

 本書は、1996年に実施された衆議院議員選挙における小選挙区比例代表並立制を例にした、「新制度の投票行動に及ぼす効果分析の試み、言い換えれば、新制度にたいする有権者の反応分析の試み」です。
 著者は、このときの選挙制度変革の目標として、
(1)「候補者本位」の選挙に換えて、「政党本位」、「政策本位」の選挙
(2)「政権の選択についての民意を明確な形で示し、政権交代による緊張をもたらす」
(3)同時に、「少数意見の国政への反映にも配慮する」
の3点を挙げています。
 そして、本書の立場について、「調査データに基づく、一般有権者の投票行動の社会心理学的分析」であると述べています。
 第1章「小選挙区制における候補者対立構造と『候補者投票』」では、「中選挙区制では『候補者本位』で選挙が行われるが、小選挙区制では『政党本位』になるというのが、中選挙区制から小選挙区制への選挙制度改革の主要な理由の一つであった」と述べた上で、「何らかの候補者個人対立構造は、候補者個人に投票する選挙制度の下では、常に存在するが、小選挙区にはそれに特有の『候補者個人対立構造』が見られ」る賭して、
(1)議員定数1をめざす候補者対立構造
(2)定数1に見合った候補者適性(イメージ)対立
の2点を挙げ、本省では、「候補者個人投票を進める『候補者個人対立構造』の分析に専念」するとしています。
 著者は、中選挙区制による大政党内の党内競争の激化が、候補者個人選挙の理由としてしばしば上げられた(党内競争説)」が、党内競争がなくなったはずの1996年の選挙において、候補者個人要因の効果は、「中選挙区制の選挙と同様に、あるいはそれよりもさらに重要になった」ことを指摘し、「党内競争説はエリート・レベルでならともかく、有権者レベルでは妥当しない。党内競争の有無でなく、選挙区制特有の候補者対立の違いに目を向けねばならない」と述べています。
 そして、小選挙区制の一般的な候補者対立として、「よく知られ評価の高い前職候補と、認知度も低く、認知されていても評価の低い新人の対立」を挙げ、
(1)このような対立構造を持つ選挙区では、候補者評価による投票(候補者投票)がよりしばしば行われるだろう。
(2)投票(意図)候補者の評価得点と対立候補者の評価得点の差は大きいが、得点差が大きければ大きいほど、候補者投票率は高くなる。
の2つの仮説を掲げています。
 第2章「小選挙区制における党派的対立構造と『政党投票』」では、「有権者のレベルで、小選挙区制と『政党本位の選挙』を結びつけるものがあるとすれば、政府形成を目指す二つの比較的大きな政党間の対立による両党支持者の政党投票の促進」だと述べ、「政府形成を目指す二つの比較的大きな政党間の対立の機能について分析する」としています。
 そして、「政党支持の衰退」について、政党支持の作用を、
(1)政党「支持なし」の増加と、政党支持を保有するときは、その強度の低下
(2)政党支持の機能、とくに、その規定性の低下
(3)「支持なし」の場合は、その党派性の機能低下
の3つに分解しています。
 著者は、「政党投票率の変動を理解するには、選挙制度変革とは別に、以前から進行しつつある政党支持の『衰退現象』を考慮に入れねばならない」と述べています。
 第3章「政党投票と候補者投票のバランス」では、「中選挙区制下で『候補者個人を重視』の比率が一定の水準を保ってきた」理由として、「中選挙区制で過半数を獲得するためには、各選挙区に同一政党から複数の候補者を立てねばならない」ため、「まず政党を選んでも次に候補者を1人選択する必要があった」ことを挙げています。
 そして、「政府形成を目指す党派間の競争の激しさ、あるいは、有効政党1(有力政党1)による投票選択肢の厳しい制限が、投票決定に対する働きを説明する」と述べています。
 著者は、「選挙集計データと有権者の個人データとに基づき、小選挙区制化の最初の選挙という状況下で、選挙区内の候補者対立構造が、有権者の投票(とくに政党投票か候補者投票か)に及ぼす影響力を分析した」としています。
 第4章「政党支持の上位集中と『有力候補投票』」では、「小選挙区制最初の選挙」であった1996年衆議院選挙について、「小選挙区相対多数決制は、二党制に有利に働くという、デュヴェルジェの法則(デュベルジェ 1970)に従えば、自民党と新進党の二党制化が予想される」として上で、「政党支持の上位政党集中と再編成、それに候補者や政策争点などの選挙効果が重なって起こっており、党は変化を複雑にしているので、この3要因を独立させて別々に分析する」べきだと述べています。
 第5章「小選挙区投票決定要因の中の『勝ち馬投票』」では、「民主党結成を機会に行われた政党支持者の離合集散は部分的にだが、中道や保守の『政党再編成』と呼ぶことができるものであった」と述べています。
 第6章「小選挙区・比例代表2票の決定因と『政策投票』」では、1996年選挙における政策争点を分析の主な対象にするとして、
(1)第1課題:消費税増税争点の有効性
(2)第2課題:小選挙区比例代表並立制の効果
(3)第3課題:政策評価尺度と業績投票
の3つの課題を中心に分析を行っています。
 そして、「1996年の選挙では各党との政策距離差に基づく製作評価尺度の投票決定効果は小さかった」として、「回答者の自己判定による『政策近似政党』と『政策近似候補』は投票(意図)説明能力という点でははるかに優れている」と述べています。
 第7章「小選挙区と比例代表・2票の配分と『均衡投票』」では、「政党間あるいは違う評価ベースの間の均衡を考える『分割投票』」である「均衡投票」について、その典型として、「与野党伯仲がよいと考えて」、あるいは政権党が「必要以上勝ち過ぎないように」、比例代表では対抗政党に投票するものである「バッファプレーヤー」による「牽制投票」を例に挙げています。
 本書は、めったにない選挙制度の変革の機会を捉えて、投票行動の変化を分析した一冊です。


■ 個人的な視点から

 小選挙区制の面倒なところは人口変動の影響をもろに受けることでしょうか。千葉県でも、元は12区だった選挙区が有権者数の増加によって13区に増えることになって区割りの変更がありました。何しろ、現に議員がいる選挙区を変えることになるので単純に人口で機械的に分けるわけにはいかないようです。有権者増で選挙区が増えるところはまだましですが、減るところは相当シビアなのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・選挙制度なんてどれもおんなじだと思う人。


■ 関連しそうな本

 加藤 秀治郎 『日本の選挙―何を変えれば政治が変わるのか』 2008年10月23日
 小林 良彰 『選挙・投票行動』 2008年10月22日
 小林 良彰 『公共選択』 2005年04月15日
 谷口 尚子 『現代日本の投票行動』 2005年05月25日
 マーク ラムザイヤー, フランシス・マコール ローゼンブルース (著), 河野 勝, 永山 博之, 青木 一益, 斉藤 淳 (翻訳) 『日本政治と合理的選択―寡頭政治の制度的ダイナミクス1868‐1932』 2007年05月17日
 東大法・蒲島郁夫ゼミ 『選挙ポスターの研究』 2007年01月15日


■ 百夜百音

Ultimate Video Collection【Ultimate Video Collection】 WEIRD AL YANKOVIC オリジナル盤発売: 2007

 日本では、マイケルジャクソンのパロディ曲「Eat It」や「Fat」が有名ですが、出世作はザ・ナックの「マイ・シャローナ」のパロディ「マイ・ボローニャ」だったそうです。結局食べ物なのかと。
 実は隠れたアコーディオンの名人という側面もあります。

2008年11月 2日 (日)

倒産はこわくない

■ 書籍情報

倒産はこわくない   【倒産はこわくない】(#1382)

  奥村 宏
  価格: ¥735 (税込)
  岩波書店(2002/01)

 本書は、「企業がつぶれた時、企業の本質が最もよくわかる」として、「倒産の経済学」を体系的にまとめたものです。著者は、「倒産はこわくない」と開き直るところから、「企業改革、会社革命の考え方が出てくる」と述べています。
 第1章「二度の倒産」では、山一証券を取り上げ、1997年11月24日の記者会見で、社長が、涙を流しながら、「私たちが悪いです。善良で能力のある社員たちに申し訳なく思います。一人でも再就職できるように、みなさんも支援してください」と訴えたことについて、「公の席、テレビに映っている記者会見で、社長が泣くなどということはアメリカやヨーロッパでは考えられない」が、「このテレビを見た日本人には、会社の倒産がいかに恐ろしい悲劇であるか、ということを深く印象づけた」と述べています。
 そして、山一証券が二度目の倒産に至る直接の原因を、「経営者の秘密主義と判断力のなさにあるということが言えるが、もっと構造的な要因があることを忘れてはならない」として、「安定株主工作によって株価をつり上げ、その高い株価で増資を引き受け、それを個人投資家に売っていく。これで手数料収入を稼ぐというやり方が1966年以後強まり、それがバブル経済を生み出していった」として、やがて「株式の過大発行」をもたらし、株価の暴落、証券スキャンダルにつながったと述べています。
 第2章「これまでの倒産」では、「銀行が倒産しそうな企業を支えて追加融資をしていく」という「管理不倒産方式」が、一度は成功したが二度目は大失敗となったとして、「バブル経済崩壊後、日本経済にとって最大の問題になる銀行の不良債権」となったと述べています。
 そして、「これまで倒産した企業のその後の再建過程を見てみると、その多くが大企業の系列化という形で再建されている」として、「結果として倒産は舵機業による系列化の道具になっている」として、1964年の、サンウエーブ工業の会社更生法の適用について、サンウエーブ工業の社長であった柴崎勝男が、日新製鋼と岩井産業による「悪質な乗っ取り」だと語って物議を醸したことを紹介しています。
 第3章「銀行の責任」では、これまでの会社倒産を個別的に見ると、「メインバンクが見放した時、会社は倒産する、というのがほとんどであった」と述べ、メインバンクが「慈悲心からそうしている」のではなく、「最も大きな原因は、これらを倒産させると銀行にそれが跳ね返って貸し倒れが発生するが、それを処理するだけの余裕が銀行になくなっている」ことを挙げています。
 そして、「メインバンク・システムが崩れ始めた原因の一つ」として、「金融構造の変化」を挙げ、「もはや企業にとってメインバンクは頼りにならない、という時代になった」と述べています。
 第4章「会社が倒産するというのはどういうことか」では、「会社が倒産すれば、いわゆるオーナーである経営者が被害を受けるのは当然である」として、 「現在、首相官邸の裏側にある日比谷高校」が、「もと、"村井御殿"といわれ、村井銀行の頭取の屋敷」だったが、銀行倒産後、「未亡人がそれを東京府に売って債務の弁済にあてたといわれる」と述べています。
 そして、「戦後の法人資本主義のもとでは、少なくとも大企業ではオーナーとしての資本過大株主はほとんどいなく」なり、「その代わりに会社が所有する株式に基づいて経営者が相互に会社を支配するようになった」として、「法人所有に基づいた『経営者支配』」のもとで「会社が倒産すれば、会社を代表し、その所有に基づいて会社を支配している経営者が責任を負わなければならない」にもかかわらず、「日本の経営者にはそのような責任観念がない」として、「会社を代表しているにもかかわらず、単なる『サラリーマン重役』あるいは『傭われ重役』という意識しかない」ことを指摘し、「その結果、法人資本主義は無責任資本主義になっている」と述べています。
 第5章「会社を買い取る」では、1980年代にアメリカで流行した「レバレッジド・バイ・アウト(LBO)」について、「個人あるいはグループで、まず小さな会社を作り、それが社債を発行して資金を調達し、それで相手の会社の株式を買い占め」、「会社を乗っ取ったあと合併して、その会社が上げる利益で社債を返していく、あるいはその会社をバラバラにして資産を売り飛ばし、そのカネで返済するというやり方」だと解説しています。
 また、「資本主義でもなければ、ソ連型社会主義でもない第三の道を歩むものとしての労働者自主管理の思想」について、「最も大きな問題は、国有企業にしても民間企業にしても、大企業をそのままにして労働組合が自主管理しようとしても、それはうまくいかないということ」であると述べています。
 第7章「会社を変える思想」では、企業に関する「実体概念と機能概念をどう結びつけていくのか」について、「会社を実体と考え、『企業それ自体』と考えるのは戦後の日本の一般的な通念である」として、「このような人々の考え方を無視して会社をとらえることはできない」と述べ、「会社を機能的に分解することによって会社を変えていくことが必要なのではないか」と述べています。
 第8章「倒産を超えて」では、「倒産は日常化し、大型倒産もそれほど驚くべきことではなくなる」として、「平素から会社が倒産した場合にどうするか、ということを考えておかねばならない。そういう時代がやってきた」と述べています。
 そして、「あらゆる革命がそうであるように、それまでの体制が危機に陥った時初めてそれが可能になる」として、「会社革命もまた会社が危機に陥った時、すなわち倒産に直面した時に初めてそれが可能になる。というよりも倒産をチャンスにして会社革命を起こさせることが必要なのである」と述べています。
 著者は、「単なる企業救済ではなく、企業の構造を変え、それを支援していくことが必要」だとして、「企業が倒産する前に、そういう構造改革をやらせるような政策を打ち出すことが本来求められている」と述べています。
 本書は、企業にとっては「死」のときである倒産が、同時に企業にとっての「再生」のきっかけであることを再認識させてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「倒産はこわくない」というタイトルではありますが、読んだ感想は、やっぱりこわい、という感じです。倒産そのものを扱っているのは前半部分で、後半では、「会社とは何か」を解説しています。


■ どんな人にオススメ?

・倒産はこわいと思う人。


■ 関連しそうな本

 奥村 宏 『会社はどこへ行く』
 奥村 宏 『株式会社に社会的責任はあるか』
 奥村 宏 『会社は誰のものでもない。―21世紀の企業のあり方』
 奥村 宏 『会社はなぜ事件を繰り返すのか―検証・戦後会社史』
 奥村 宏 『三菱とは何か―法人資本主義の終焉と「三菱」の行方』
 岩井 克人, 木村 政雄, 紺野 登, 奥村 宏, 小林 慶一郎 『会社は株主のものではない』


■ 百夜百音

Sweet Dreams (Are Made of This)【Sweet Dreams (Are Made of This)】 Eurythmics オリジナル盤発売: 1983

 来日して日本の歌番組に出てたかと思うとびっくりですが、25年前の客席で手を叩く多数の聖子ちゃんたちに驚きです。彼女たちも今では、もうすぐ50の大台を迎えようとしているのでしょうか。

2008年11月 1日 (土)

日本兵捕虜は何をしゃべったか

■ 書籍情報

日本兵捕虜は何をしゃべったか   【日本兵捕虜は何をしゃべったか】(#1381)

  山本 武利
  価格: ¥714 (税込)
  文藝春秋(2001/12)

 本書は、太平洋戦争で捕虜になった日本兵に対する尋問を軸に、太平洋戦争の帰趨は、「武器や経済力での彼我の格差」だけでなく、「諜報戦、情報戦といったソフト面での巧拙が日本軍の敗北を加速した」として、「前線での軍機漏洩という単純な事態を軍幹部が見逃したことに、敗戦の根因があった」とするものです。
 第1章「米軍の対日諜報システム」では、日本軍や日本政府が捕虜の存在を認めなかったが、連合軍は、「戦術、戦略上の貴重な情報源」として、捕虜を比較的大切に扱ったと述べ、日本兵は、「前線まで日記や日誌あるいは手紙、遺書をポケットや背嚢に入れて持参」し、「作戦命令、作戦地図、舞台配置図などを持参して、アメリカ兵との白兵戦に挑むことが多かった」ため、「諜報の固まり」であったとして、「日本軍の撤退後の戦場には、あらゆる戦術的、戦略的価値を持つ文書が遺棄されていたといっても過言ではない」と述べています。
 そして、アメリカ人には、「日本軍が何故文書をかくも大量に戦場に持参するのか」摩訶不思議でならないとして、日本軍の兵士が、前線で日記や日誌をなぜつけるのかについて、軍隊でも日記付けが強制されたことをあげ、「思想統制の手段」や「押さえつけられた不満のはけ口」だったのではないかと推測しています。
 また、日本兵が、捕虜になると、「拷問されるどころか、待遇や食事がよいことに驚き、感謝の気持ち」を抱き、「アメリカ側の好意に報いるべく、ペラペラしゃべり出す」とした上で、彼らに情報守秘の姿勢が欠如しているのは、降伏は家族全員に対しても恥辱だとする軍隊の教育のせいであり、捕虜になったときには自殺せよ、としか教えられてないために、「つかまった後は、日本以外で将来の日々を送らねばならないと認識するようになる」と解説しています。
 第2章「日系二世の秘密戦士たち」では、アメリカ社会から排除された日系二世が、「かれらの日本の言語と文化についての知識が、アメリカ軍の諜報活動にかけがえのないものであること」が次第に認識され、その立場を高めていったと述べています。
 そして、1945年の日本の降伏を機に、「翻訳隊のそれまでの通常の任務は突然廃止となった」が、「日本占領という新しい事態に直面して」その能力が問われることになったとして、「降伏文書の翻訳、占領下の最高司令官の仕事に関わる文書の翻訳、戦争犯罪人の文書の翻訳」などに追われたと述べています。
 また、ATIS(南太平洋連合軍翻訳尋問部隊)の最大の戦果とされる1944年3月5日付の日本連合艦隊の「Z作戦文書」の翻訳について、連合艦隊参謀長福留繁中将の搭乗機が、フィリピンのセブ島沿岸に不時着し、この機の防水コンテナに封印されていた最重要機密書類Z文書が、フィリピンのゲリラなどを経てATISに届けられ、この計画書が、「太平洋の複数の地域での連合軍の攻撃を阻止するための一連の防衛作戦が記されていた」もので、「Z作戦文書を連合軍が手に入れた利益は計り知れなかった」と述べています。
 さらに、"バターン・ボーイズ"の一人、チャールス・ウィロビー大佐が、「二世は無数の連合軍の生命を救い、戦争終結を二年早めるのに貢献した」とATISの功績をたたえたことを紹介しています。
 第3章「ずさんな日本軍の情報管理」では、日本の権力は、敗色濃厚となっても、「防諜よりも国内世論対策」を重視し、「大本営発表を否定する真実の情報(権力側にとっては流言蜚語)が流れて、非戦、厭戦の世論が喚起されるのを何よりも恐れた」として、当局が、「なぜ国外とくに前線での兵士からの情報の漏洩に気づかなかったのか。これには首をひねらざるを得ない」と述べています。
 そして、アメリカ軍が日本人捕虜を「厚遇」したことについて、国際的な捕虜情勢を遵守したためだけではなく、兵站線が充実していたアメリカ軍は、「特別な配慮をしなくても、食料、医療の欠如に苦しんでいた日本兵にとっては、夢のようなサービスを提供できた」と述べています。
 また、アメリカ軍の尋問者を驚かしたのは、「母国帰還拒否の姿勢」だけでなく、「アメリカ軍に対する積極的な日本軍情報の提供であり、プロパガンダさらにはスパイ活動での協力申し込み」であったと述べ、この敵への協力は、「自殺の意思の裏返し」であり、「平時の教育や軍隊の訓練、戦闘によって、自主的で柔軟な思考とそれに基づく行動を長く排除させられてきた日本兵」が、「捕虜となったとき、敵側の姿勢に同調した硬直的行動をとった」のだと解説し、「捕虜になれば連合軍に殺されるとのデマの浸透、原隊や祖国への生きた帰還を峻拒せよとの指令、追い詰められた際の自殺の美学のキャンペーン」が、「兵士の逃げ道」をふさぎ、「心ならずも捕虜になった者には、敵軍への軍機漏洩による日本軍の敗北でしか、生きる道あるいは母国への帰還の展望を開けなかった」と解説しています。
 さらに、「近代戦において、敵の暗号解読の成功ほど、味方を裨益するものはない」として、日本軍からの捕獲文書のなかに、「危急の際、暗号表を土中に埋めるなどの処分の不十分なものが多い」ことを注意する指令書が発見されたことから、アメリカ軍は日本軍が撤退した付近から暗号表を掘り出すことに成功し、これによって、「陸軍の通信はどんな内容であれ、連合軍は大量、正確、迅速に解読できるようになった」と述べています。
 第4章「ガダルカナル戦線」では、日本兵捕虜の中で将校捕虜が少なかった理由として、「上級将校のいち早い指揮放棄」を挙げ、死亡したとされた、大本営派遣の参謀越次一雄少佐が、収容所の中で特別待遇を受け、後にアメリカ本土に送られたといううわさを紹介し、「たしかなことは一般兵士を見捨てて脱走した高級将校が多かったこと、そしてかれらの行動に捕虜が憤っていたということ」だとして、「こうした将校へのうらみつらみが、裏切り高級将校の生存説を強めた」と推測しています。
 第6章「中国、ビルマ、インド戦線」では、「主として華南・華中とビルまでなされた尋問所を中心に、代表的事例をとりあげ、将校か兵卒までの日本兵捕虜、さらには朝鮮人軍属、慰安婦が連合軍に対し、日本軍の情報をどのように供述していたかを見てゆく」としています。
 そして、中国漢口在勤武官の沖野亦男大佐について、「連合国側が獲得した最高位の捕虜の一人」であるとして、本人は、「常識の域を出ないくらいの情報しか提供していない」と著書で述べているが、米国側資料からは、沖野が、「北京から上海、漢口に至る大使館付武官としての経験、観察をかなり体系的かつ詳細に供述している」として、「これらの機関は非公然のもので秘密性が高く、とくにその命名法が英米の諜報機関の幹部には理解しにくかったので、彼の解説は有益だったろう。また陸海軍、外務省などを全般的に把握しやすい立場にあった彼の証言が、連合軍の対敵謀略、諜報活動に役立ったことは確かである」と述べています。
 また、ある日本兵捕虜が、ミッチナーの第18師団第114連隊の「連隊長の丸山大佐」が、「従軍慰安婦の所に入りびたりで、彼女らに兵用の食料を渡し」ていたことを嫌っていたことや、他の軍曹は、「大佐の逃走を見て、捕虜になるよりも自殺を選ぶとの決心は消滅し、自殺を馬鹿らしいと考えるようになった」と供述していることを紹介しています。さらに、従軍慰安婦の供述として、丸山大佐がよく慰安所に通ったために、そこが「マルヤマクラブ」といわれたことや、丸山大佐が慰安所の料金を半分に値切っていたことなどを紹介しています。
 終章「捕虜と日本占領」では、アメリカ軍の対日諜報、宣伝機関が、日本へのプロパガンダ作戦におけるタブーとして、
(1)天皇や皇族への個人攻撃
(2)日本人の天皇崇拝への攻撃
(3)日本人の神話、宗教、宗教行事への攻撃
(4)「チビの黄色人種」、「類人猿」といった日本人への言及
などの12項目を挙げていることを紹介し、アメリカ軍が、捕虜の供述や捕獲文書を通じて、「占領後の日本ならびに日本人への対応のノウハウを学んでいる」と述べています。
 本書は、捕虜になるのを恥として自決していったと教えられてきた日本兵が、現代の日本人と断絶した特異な人たちではなく、やはり人間であったことを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本兵というと、「天皇陛下万歳!」を唱えて特攻していった特攻隊や手りゅう弾を抱いたりの集団自決というイメージが強調されていますが、それが心の底からマインドコントロールされた結果なのか、いわゆるそういう「空気」の中でそうせざるを得ない状況になったのか、ということを考えると、これはやはり後者だったのではないかと思われます。
 米軍につかまったために、そんな変な空気から切り離されてみると、米軍の「空気」に同調してペラペラと利敵行為に走ったと考えると、このあたりに「空気」によるコントロールの限界があるような気がしてなりません。
 職場の空気を読むのが苦手でいつも上司に怒られるダメ社会人の自分としては身につまされる話です。


■ どんな人にオススメ?

・場の「空気」を読むのが得意な人。


■ 関連しそうな本

 山本 七平 『「空気」の研究』 2006年12月21日
 猪瀬 直樹 『日本人はなぜ戦争をしたか―昭和16年夏の敗戦』 2006年01月01日
 猪瀬 直樹 『空気と戦争』
 冷泉 彰彦 『「関係の空気」 「場の空気」』 2006年12月15日
 河野 仁 『"玉砕"の軍隊、"生還"の軍隊―日米兵士が見た太平洋戦争』
 ジョン・ダワー 『容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別』


■ 百夜百音

科学忍者隊ガッチャマン【科学忍者隊ガッチャマン】 TVサントラ オリジナル盤発売: 2003

 「地球は一つ、割ったら二つ」で知られる作品。タツノコプロの創設者である吉田竜夫が「忍者部隊月光」の原作者だったので科学忍者隊になったのかどうかは不明。ヤッターマンのヒットに続いてリメイクしたりするのでしょうか。
 それにしても、ガチャピンとくっつけた人は天才。しかもこういうところに出てくるのはやっぱりピエール。

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