« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月

2009年2月28日 (土)

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?

■ 「千五百夜千五百冊」ありがとうございます!

 おかげさまで、2005年1月21日のスタート以来、1500冊目に到達しました。
 今回は、1500冊を記念して、「字を読む」ということは、人間にとってどんな意味を持つ行為なのかをテーマにした一冊を取り上げました。

■ 書籍情報

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?   【プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?】(#1500)

  メアリアン・ウルフ (著), 小松 淳子 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  インターシフト(2008/10/2)

 本書は、「言葉を読むという行為の奥深い創造性についてじっくりと」考えるきっかけを提供することを目指したものです。著者は、「人間の知能の発達に、読む行為ほど、当たり前のことと思ってはいけないものはない」として、「文字を読むために自らを再編成し、その過程で新しい思考を形成していくという、奇跡に近い脳の能力がはっきりと見えてくる」と述べています。
 そして、「文字がより複雑に、より洗練されるにつれて、脳の働きも複雑で、洗練されたものへと変化していく」として、そのプロセスの特徴が、
・特殊化:元来、モノの形状を認識していたししくシステムが、文字を読む役割も担うようになり、さらには大文字・小文字ごとに異なる視覚野へと専門分化されていくこと。
・自動化:当初はたどたどしかった文字の認識や読みが、瞬時に流暢に行えるようになるような脳の働き
にあると解説しています。
 第1章「プルーストとイカに学ぶ」では、「私たちはけっして、生まれながらにして文字を読めたわけではない」として、数千年前の文字を読むことの発明によって、「私たちの脳の構造そのものが組み直されて、考え方に広がりが生まれ、それが人類の知能の進化を一変させた。読むというのはまさに、歴史上もっとも素晴らしい発明の一つだ」と述べ、本書が、「次々と明らかにされている知能の進化の謎に照らしながら、文字を読む脳についてお話しする」としています。
 そして「読み書きや計算などの機能の発明という作業に取り組むことになった時」、私たちの脳が、
(1)古くからある構造物間に新たな接続を形成する能力
(2)情報のパターン認識を行うために成功に特殊化された脳領域を形成する能力
(3)それらの脳領域から得られた情報を自動的に採用して関連づける能力
という「独創的な3つの設計原理」を「意のままに使いこなした」として、「独自の進化、発達および障害のいずれの根本にも、この3つの脳構造の原理が何らかの形で働いている」と述べたうえで、第3の原理は、「他の2つの能力を利用するもの」で、「文字、文字パターンおよび単語を認識するためのニューロン経路が自動化するのは、レチノトピック構造と物体認識能力のおかげだが、脳構造のもうひとつのきわめて重要な次元も大きな役割を担っている」として、「特殊化した脳領域において、高度の学習された情報のパターンを表象する能力」だと述べています。
 また、読字が、「脳がその構造物を本来の設計以上に進化させていく能力を反映するものだが、それと同じように、読者が本文と著者によって示された所を超えて思考を広げていく能力をも映し出す」と述べています。
 さらに、「人類の書字の歴史を子どもの読字能力の発達と結びつける、示唆に富んだ手がかりがいくつか存在する」として、
(1)人類がアルファベットで読むことを学習するために必要な認知能力の飛躍的発達を遂げるまでにはおよそ2000年の時を要したにもかかわらず、現代の子どもたちはおよそ2000日で同じレベルまで活字を理解するよう強いられるという事実。
(2)読字を学ぶために"再編成"された脳を持つことは進化と教育の両面で何を意味するか、ということに関係してくる。
などの点を挙げています。
 第2章「古代の文字は、どのように脳を変えたのか?」では、「既知の初期体系全般に言えること」として、「書字は、2つもしくはそれ以上の突然のひらめきが相まって誕生した」として、
(1)それまでの描画から抽象性を一段階進めた、新しい形のシンボルによる表象。
(2)シンボルを体系化すれば、時と場所を越えたコミュニケーションが可能で、個人の言葉や思考、あるいは文化を丸ごと保存できる用になるはずだという洞察
(3)音とシンボルの対応。言語学的に最も抽象的と言えるもので、すべての書字発生の地に舞い降りたわけではない。
の3点を挙げた上で、「書字の歴史を紐解こうとする近代的な取り組みの発端」となった、「クレイトークン」と呼ばれる粘土片について、「物体と目に見える記号によって象徴化できるという、一種のシンボルによる表象をしよう」という「人間に新しい能力が生まれたことを示す存在」だと述べています。
 そして、シンボルを読むという行為が、私たちの祖先に、「特殊化の能力と連合野間に新しい接続を形成する能力」という2つの重要な特徴が、活用、拡充されるとした上で、さらに、「視野表象を言語情報及び概念情報と結びつけることがぜひとも必要だった」として、「私たちの祖先は、レパートリーを増やしながらシンボルを使いこなしていく術を教えるという形で、脳の順応し、変化する能力に関する知識を実質的に次世代に伝えたと言える」と述べています。
 また、シュメールの楔形文字が、「発生からほどなくして、謎の、いささか驚くべき高度化を遂げた」として、言語学者が「ロゴシラバリー(logosyllabary)」と呼ぶ、
(1)単語に含まれている音よりもむしろ、音声言語に含まれている概念を直に伝えるもの。
(2)口頭のシュメール語に含まれている音節をも表すもの。
という「二重機能」を持つようになり、「これは脳に遙かに多くを求める」として、
(1)最終的には数百字を数えるまでに膨れ上がった楔形文字を解読するには、視覚野と視覚連合野に、それまでより相当多くの経路が必要になったはず。
(2)後頭葉の視覚野と側頭葉の言語野と前頭葉への接続を増やすなど、より多くの認知システムが関わらざるを得なくなったはず。
の2点を挙げています。
 さらに、「シュメール語の初期の書字がもたらした最大の効用の一つ」として、「その指導方法が概念の発達を促したこと」を挙げ、彼ら「読字教育は音声言語の主要特徴に明示的、つまり、意識的に注意を払うところからはじめるべきであることを彼らが認識していた」ことを指摘しています。
 第3章「アルファベットの誕生とソクラテスの主張」では、認知の効率性は、「特殊化した脳領域が有する、自動的といえる速さでの認知を実現できる能力」という、「脳が備えている第3の素晴らしい特徴によって左右される」と述べています。
 そして、ギリシャの「高度な発達を遂げた口承文化とうまい具合にばったり出くわしたのが、ギリシャ語のアルファベット文字である」として、「古代ギリシャ人は、2700年を経た現代の学者たちが彼らの功績に対していまだに畏敬の念を抱いていることを知ったら、びっくり仰天することだろう」と述べています。
 また、「アルファベットが成し遂げたとされる比類ない功績に関する3つの主張」として、
(1)アルファベットは効率性であらゆる書記体系を凌いでいる
 →中国語や英語のように異なる読み手が利用する経路が異なるだけでなく、日本語のように、同じ脳内でも、異なる書記体系が用いられている文章を読むときは、別の経路を使うことがあり、脳は自らの設計を順応させる脅威の能力を備えているので、読み手はどの言語でも効率性を極めることができる。日本語や中国語のように、音節文字の法が音声言語を上手く表記できるならば、習得に要する時間と必要とする皮質の場所の面で、音節文字はアルファベットに劣らず効率性に優れていると言える。
(2)斬新な思考を生み出すことにかけては、アルファベットに勝るものはない
 →認知の観点からは、アルファベット体系と音節も自体系がもたらした効率性の向上が、より多くの人々に、斬新な思考を可能にしたということになる。
(3)アルファベットは音声に対する意識を高め、読字の習得を促進する
 →文字の読み方を習っているすべての子どもの生活においては、ギリシャ・アルファベットの発明者に舞い降りたらしい素晴らしいひらめき(意識して行った音声の系統的分析)が、無意識のうちに起きている。
の3点について、考察しています。
 さらに、ソクラテスが、「書き言葉は社会に深刻な危険をもたらすもの」と強烈に感じていたとして、
(1)書き言葉は柔軟性に欠ける。
(2)記憶を破壊する。
(3)知識を使いこなす能力を失わせる。
の3つの反対理由を挙げています。
 第4章「読字の発達の始まり──それとも、始まらない?」では、小児期に、「人間が学ぶことのできる最も重要な社会的スキル、常道的スキル及び認知スキルの一つに数えられる、他人の考え方を受け入れる能力の基盤が形成される」としたうえで、「充分な読み聞かせ」をしてもらっていた群の子どもたちが、「自分の話をするのに、対照群の子どもたちに比べて、書物特有の"文学的"な表現を多用しただけでなく、洗練された統語形式や長い言い回し、関係詞節まで使ってみせた」ことについて、「自分の言葉で表現するときに多様な単語の意味と統語形式を使いこなせる子どもたちは、他人の音声言語と書記言語を理解するにも長けている」と述べています。
 そして、「書物とのふれあいが後の読字発達に数々の形で役立つことを考えてみると、就学前の読書期の準備としては、たくさんの本を読み聞かせるだけで十分と思えるかも知れない」が、「子どもたちの読字の発達を予測するもう一つの優れた判断材料」として、「文字を音読する能力」を挙げ、「子どもたちは文字を自動的に認識できるようになる前──ラベリングできるようになるよりはるか前──に視覚野にあるニューロンの一部を、個々の文字が持つ些細だが独特な一連の特徴を検出する"スペシャリスト"に仕立て上げる必要がある」と述べています。
 著者は、「脳の感覚領域と運動領域はいずれも5歳になる前にミエリン化して、独立して機能するようになるのだが、視覚情報、言語情報、聴覚情報を迅速に統合する能力を支える脳の主要領域」は、「大半の人間においては、5歳を過ぎるまで完全なミエリン化は起こらない」と述べ、「4、5歳に達する前から子どもに読み方を教えようといくら努力しても、多くの子どもたちにとっては生物学的に時期尚早であるどころか、逆効果を招く恐れさえある」としています。
 さらに、「家庭にある本の数が問題視されている」として、ロサンゼルスで行われた調査では、「子どもたちに与えられているほんの数に驚くべき差が認められた」として、「最も恵まれない層の家庭には子どもの本が1冊もなく、低所得層から中間所得層では平均3冊だったのに対し、裕福な層の家庭には200冊ほどの本があった」として、「本がまったく手に入らないとなると、この幼児期に習得していなければならないはずの単語の知識と世界に関する知識に壊滅的な影響が及ぶ」と述べています。
 このほか、「バイリンガル能力と二言語学習」について、重要な原則として、
(1)自分の母国語の概念ないし単語に関する知識があって英語を学ぶ者は、第二言語(外国語)として"学校で習う"言語、つまり英語にその知識を応用する術を身につけやすい。
(2)英語の読み方を学ぶ上で、英語という言語の発達の質以上に大切なことはほとんどない。
(3)子どもたちがバイリンガルになる年齢は、早ければ早いほど、音声言語と書記言語の発達にとって有利。
の3点を挙げ、「認知神経科学者として思うに、バイリンガルな脳を持っているというのはとても素晴らしいことだ」と述べた上で、「読字はけっして、偶然の産物ではない。いとけない脳が発達途上のあらゆる部分を駆使して読字習得の準備を整える2000日のあいだ、ひとつの単語、ひとつの概念、ひとつの社会的な日常すら、無駄にされることはない」と述べています。
 第5章「子どもの読み方の発達史──脳領域の新たな接続」では、「読字学習は、数々の発達のプロセスに満ちた、奇跡のような物語だ」として、「音韻の発達、つまり、単語を構成している小さな音の単位を聞き取り、分割し、理解する術を子どもが徐々に学んでいくプロセスは、単語解読の核心である文字の音の規則を把握・理解する能力に重大な影響をおよぼす」と述べています。
 そして、「読字初心者の音素認識と融合に役立つ有効な方法」として、「音韻レコーディング(phonological recording)」を挙げ、朗読は、「音声言語と書記言語の関係を子どもたちに強く印象付ける。読字初心者が自分なりに独習できるようにするための"読字習得の必須条件"である」と述べています。
 また、「幼い読字初心者の脳の最初の姿を描いた」図を見れば、「元々は他の機能(特に、視覚と運動と言語の様々な要素)のために設計された脳領域が、どんどんスピードアップしながら情報のやりとりを行うことを学ぶにつれて、新しい接続を生み出していく能力が脳にはそもそものはじめから備わっていることが、ここにはっきりと描き出されている」と述べています。
 さらに、「流暢さは速度の問題」ではなく、「子どもが単語について知っている特別な知識─文字、文字パターン、意味、文法的機能、語根、活用語尾など──をすべて、考えて読解する時間が取れるほど早く活用できることを言う」として、「ひとつの単語に関する知識は何であれ、それを早く読むのに役立つのである」と述べた上で、「流暢さは読解力の向上を約束してくれるものではない。むしろ、脳の実行システムが最も必要とされているところに注意を向けられる時間を延長するものといえる。つまり、推論し、理解し、予測し、時には矛盾した理解を修復して、新たに意味を解釈する時間である」と述べています。
 第6章「熟達した読み手の脳」では、「アメリカの教育が抱えている、ほとんど表面化していない問題のひとつ」として、「小学3年と4年になって、正確には読めるようになったが(たいていの読字研究が基本的な目標としていることである)、流暢には読めないという、小学校低学年の生徒たちがたどる運命」としたうえで、「アメリカの子どもの40パーセント近くが"学習不振児"であるというのは、人間の潜在能力を恐ろしいほど無題にしている」と指摘しています。
 そして、「文字を読む脳」の重要役割として、
(1)パターンの認識
(2)ストラテジーの計画
(3)感じること
の3点を挙げ、「流暢に読解する読み手の脳は、それほど労力を必要としない」のは、「脳が発達して、基本的な解読プロセスを左半球の特殊化された領域に任せてしまう」という「左半球優位」に移行することで、「両半球は今まで以上に意味プロセスと読解プロセスに専念できるようになる」と述べています。
 また、「読字学習は脳の視覚皮質を変化させる」とした上で、「認識の自動性に寄与するもうひとつの要素」として、「文章を追う目の動き」を挙げ、「読んでいる時間の少なくとも10パーセントは、戻り運動という、既に読んだところに戻って、前の情報を拾い上げる運動に割かれる」とともに、「私たちの目には素晴らしいデザイン特徴があり、そのおかげで、傍中心窩領域と、さらには、文章の行に沿って周辺領域までも"先読み"することができる」と述べています。
 さらに、「大人になってから生涯を通じて、読字の熟達度がどこまで変化するかは、何を読むか、どのように読むかによって決まるといっても過言ではない」として、「熟達した独自が最も高度な形をとるためには、さまざまな知的プロセスが一体化しなければならない」と述べ、「独自が熟達のレベルに達すると、ニューロンのレベルで変化が起こる」と述べています。
「解読すなわち読解ではない」として、「文章の表面下に潜む意味を探るために、単語の様々な用途――皮肉や意見、隠喩、視点――に関する知識を応用する能力を高めなければならない」と述べ、「読字発達のプロセスのこの長い段階では、文章の表層から離れて、表面下の驚きに満ちた領域の探索へと乗り出す」として、読字のエキスパート、リチャード・ヴァッカが、「"流暢な解読者"から"戦略的な読み手"への進歩」と説明していることを紹介しています。
 そして、「どんな単語であれ、読む速さは、その単語がきっかけとなって引き出される意味知識の質と量によって大きく左右される」として、「音韻処理と意味処理の両方に関わっている側頭葉上部の領域は、この知識の連続体の"確立された"方の端に位置する単語を読む時の方が早く活性化する」と述べ、「こうした結びつきが十分に行われている確立された語彙、つまり意味ネットワークを備えていると、それが物理的に脳にも反映される」と述べています。
 第7章「ディスレクシア(読字障害)のジグソーパズル」では、「書記言語を習得できない脳の原因を探れば、その働きを別の角度から見ることができるようになる」としたうえで、ディスレクシアの基本的原因として、
(1)言語または視覚の基盤となる脳の構造物に発達上の、おそらくは遺伝子に関わる欠陥がある。
(2)自動性を獲得する上での問題――つまり、特定の特殊化したニューロン群内での表象検索が上手くいかない、回路内の構造物の接続がきちんとできない、あるいは、その両方。
(3)これらの構造物間の回路接続の障害。
(4)特定の書記体系に使用されていた従来の回路から、まったく異なる回路が再編成される。
の4点を挙げています。
 そして、「ディスレクシアを音韻論の観点から説明することの最大の効用」として、「それが書記の読字指導と改善に及ぼす影響にある」として、「音韻研究は、最も研究が進んだ読字障害構造原因説といえる」と述べています。
 また、「命名の基礎をなす脳のプロセスと構造物は、独自の根幹を成す主要なプロセスと構造物のサブセットであること」を発見したとして、「命名速度に関わっている重要なプロセスと構造物のどれに、相互接続や自動性、別の回路の利用などの障害があっても、命名障害ないし読字障害につながりうる」と述べています。
 さらに、「脳磁気計測(MEG)と呼ばれるイメージング法」による研究の結果、「ディスレクシア児の脳の活動は、左右の後頭葉の視覚野から右角回を経て、前頭葉に移動すると確認された」として、「ディスレクシアの子どもたちはまったく別の読字回路を使っていた」と述べています。
 著者は、「どんな形のディスレクシアを抱えている子どもも、"頭が悪い"わけでも"強情"なわけでも」、「"やる気がない"わけでも」なく、「親と教師としては、あらゆる形の読字障害を背負った子どもたち全てがすぐにも集中的な取り組みを受けられるように、また、子どもも大人も決して読字障害を知的障害と同一視しないように、働きかけることが何よりも大切」であり、さもないと、「こうした子どもたちが秘めている多大な可能性を、彼ら自身はもちろん、社会も失ってしまう恐れがある」と指摘しています。
 第8章「遺伝子と才能とディスレクシア」では、ディスレクシアだったと言われる三大有名人として、
・トーマス・エジソン
・レオナルド・ダ・ヴィンチ
・アルベルト・アインシュタイン
の3人を挙げ、「ディスレクシアを抱えた大勢の人々が備えている圧倒的な創造力と"既成概念にとらわれないものの考え方"を、いったいどう説明すればよいのだろう?」と述べ、「ディスレクシアの人々の行動、認知、神経系構造物及び遺伝的特徴に関する情報を統合する多層的なアプローチは、謎解きの手始めとしてもってこいだ」と述べています。
 そして、「さまざまなニューロンの変化が重要な脳領域(すなわち、独自に必要な古くからある脳領域)でおきたら、読字に欠かせないニューロンの情報処理効率が低下して、まったく異なる読字回路の京成が促されると考えられる」と述べています。
 第9章「結論――文字を読む脳から"来るべきもの"へ」では、ディスレクシアは、「脳がそもそも、文字を読むように配線されてはいなかったことを示す最もよい、最もわかりやすい証拠である」として、「脳の設計は読字を可能にした。そして、読字のための設計は脳をさまざまに、決定的な形で変化させ、今なお進化させている」と述べ、「この相互作用のダイナミクスが、人類史における書字の誕生に、そして、子どもの読字習得に、くまなく作用している」と解説しています。
 そして、「書字の進化は、人類の知能の歴史の第1章を飾るきわめて重要なスキル、つまり、言語、自己と他者の意識、そして、意識自体の意識を文書化、体系化、分類、組織化、内面化するスキルが育つ、認知の基盤となった」と述べたうえで、「読字の発達は二段階に進むということだ。まず、理想的な読字習得の基盤として、音韻、意味、統語、語形、語用、概念、社会、感情、講音および運動と見事に勢ぞろいしたシステム一式と、これらのシステムを統合・同期させて読解力の流暢さを向上させていく能力とが発達する。次いで、読字の発達につれて、これらの能力ひとつひとつがさらに伸びていく」と解説しています。
 また、「ディスレクシアの本当の悲劇は、優れた知能に恵まれているのに、しかも、それが人類にとってきわめて重要なタイプの知能であるにもかかわらず、年を重ねても屈辱的なことに独自を習得できずにいる子どもたちに、彼らがディスレクシアであると公然と告げる者がいないことだ」と述べ、私たちの社会の利益のためには、「社会に貢献してくれる可能性があるディスレクシアの子どもたちの潜在能力を守ることだ」と述べています。
 著者は、「読字発達の自然史は、読字の至高のレベルと最も深遠なレベルへの到達を目指す、希望に満ちた、それでいて警告も含んでいる物語」だと述べています。
 本書は、本を読むという行為が、人間が人間であること自体を形作る重要な行為であることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本を読むことで脳が変化する、という感覚は、さすがにこの歳になるとそれほどはっきりと実感できるようなものがあるわけではないですが、それでも本を読むことで、ものを考える経路にバリエーションが増えたような気がします。
 よく、「本をたくさん読むとたくさん知識がたまるでしょう」と言われることがありますが、本に書かれている内容自体は全然記憶しているわけではなく、暗記物のようにすらすらと出てくるものではありません。
 しかし、本を読むことによって、著者の考え方の構造というか、議論の仕方をトレースしていくことで、いろいろな人の思考を疑似体験できる気がします。
 また、本で読んだ内容自体を暗記しているわけではないにしろ、何かのきっかけでキーワードが出てきたときには、その本を読んでいたときの風景が同時に出てくることがよくあります。特に、電車の車窓や飛行機からの景色、そのときに流れていた音楽が蘇ってくることもあり、これも本を読む楽しみの一つなのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・本を何のために読むのかと不思議に思う人。


■ 関連しそうな本

 ジュリアン ジェインズ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 2006年06月04日
 トール ノーレットランダーシュ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』 2006年06月18日
 アンドリュー ニューバーグ, ヴィンス ローズ, ユージーン ダギリ (著), 茂木 健一郎 (翻訳) 『脳はいかにして"神"を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス』 2006年07月01日
 アリス・W・フラハティ 『書きたがる脳 言語と創造性の科学』 2006年09月23日
 ロビンズ・バーリング (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『言葉を使うサル―言語の起源と進化』 2008年08月10日
 ニコラス ハンフリー (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由』 2009年02月27日


■ 百夜百音

Rip It Up【Rip It Up】 Dead or Alive オリジナル盤発売: 1987

 カーステレオからすごく懐かしいサビが聞こえてきて急に聴きたくなってしまいました。もう20年以上も前の曲なのです。

『Right Round』Right Round

2009年2月27日 (金)

赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由

■ 書籍情報

赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由   【赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由】(#1499)

  ニコラス ハンフリー (著), 柴田 裕之 (翻訳)
  価格: ¥2100 (税込)
  紀伊國屋書店(2006/11)

 本書は、「赤を見る」という行為を軸に、「意識とはいったいぜんたい何なのか」という謎に迫ることを目的としたものです。
 著者は、本書の狙いを、「私たちが理論家という立場から取り組めるような、意識の概念を生み出すこと」にあると述べ、「意識が重要なのは、重要であることがその機能だからだ」という「コロンブスの卵のような斬新な意識の仮説」を提示しています。
 第2章「赤を見る」では、赤いスクリーンを見るという行為を通じて、その主体Sには、「2つの非常に異なる種類の出来事が起きている」として、
(1)命題的な要素:見るという行為の過程で物事がどういう状態であるかを表彰するようになる。
(2)現象的な要素:際立った質感を伴う視覚的感覚を生み出す。
の2点を挙げ、彼がスクリーンを眺めるときに、「真に驚くべきことをやってのける」として、彼が、「赤い感覚を経験していると自らが呼ぶような特別な意識の状態を生み出す」と述べています。
 そして、「赤い感覚を持つことには、身体行為、あえて言えば表現のような特徴が伴う」として、その「赤い光によって刺激されることへの能動的で第一人称的な反応」に、「赤すること(レッディング)」という「特別な能動的名称」を与え、「赤すること」という感覚で最も明白なのは、「それが視覚的な感覚である」と述べています。
 また、「彼はスクリーンが赤に染まっているのを知覚する」が、「これを自分自身あるいは自分の目と、いかなる本質的な関係をもつ事実としても知覚していない」と述べたうえで、「スクリーンを眺めること」で、
・Sは赤い感覚を抱く。
・Sはこの赤い感覚を抱いていることを感じる。
・Sはスクリーンが赤だと知覚する。
・Sは自らの「自己」を経験する。
と述べています。
 さらに、「大脳皮質の視覚野に損傷を受けると起こる稀な異常」として「盲視(ブラインド・サイト)」を挙げ、「この異常をきたした非とは、色を含め、外界の特徴の一部を、依然として近くできる(あるいは、少なくとも正確に推測できる)にもかかわらず、視覚的な感覚をすっかり欠いている」上、「盲視の人は自分がどれほど正確に知覚的な推測ができようと、意識の上では自分は盲目だと声高に言い張るのが普通だ」と述べています。
 第3章「感覚とは何か」では、「人間はどんな進化の歴史をたどってきたのか。とりわけ、意識の進化史はどのようなものなのか」と述べた上で、「何が感覚を作り出しているか、何が意識の主体としての経験をこのようなものにしているか、なぜ意識は重要なのか」と問うています。
 そして、「盲視の存在は、視覚的知覚は感覚を必ずしも伴う必要がないことを裏付ける、これ以上望みようもないほどに強力な証拠だ」と述べたうえで、「感覚を持たずに見る患者は、見るという自分の行為が、どのみち『自分と』はもう何の関係もないように感じる」として、盲視の場合、
・患者は自分が見えることを知らない。
・患者はどうして見えているのか知らない。
・患者は盲視をしている自分を想像できない。
・患者は自分自身の経験に基づいて、見るという行為を他人に当てはめることができない。
・患者は気にしない。
などの点を挙げ、「感覚不在の視覚である盲視は、感情不在の視覚のようだ」と述べています。
 また、「感覚を持つことで主体は意識を持つようになる」という出発点を受け入れれば、
(1)もしこの「おまけ」の創造が感覚を持つということならば、意識の正体を理解するための、第一歩を踏み出したことになる。
(2)もし私たちが確認した重大な「副作用」が感覚の存在の一部だとすれば、意識の目的を理解するための、第一歩を踏み出したことになる。
の2つの面で「前進しつつある」と述べています。
 さらに、「意識に上る感覚の目的を突き止めても、その目的のために感覚は意識に上るものでなくてはならないのかどうかが、明らかになるとは限らない」として、「意識はその目的をどう果たすのかに関して、私たちの探求はまだほとんど進展を見せていない。意識は何からなるのかに関しては、なおさらだ。それでも私たちは間違いなく前進している」と述べています。
 第4章「意識の方程式と感覚の進化の物語」では、本書では、「『意識とは何か』という問いと『意識はどのように発達したのか』という問いをひとまとめにして考えてきた」として、「進化論的な視点に立ってこそ初めて、問題の真相が見えてくるのだ」と主張しています。
 そして、「長い進化の歴史のなかで、ゆっくりと、しかし驚くべき変化が起きた」として、「感覚的な活動がまるごと『潜在化(プライベタイズ)』されたのだ。感覚的な反応を求める指令信号が、体表に至る前に短絡し、刺激を受けた末端の部位まではるばる届く代わりに、今や、感覚の入力経路に沿って内へ内へと到達距離を縮め、ついにはこのプロセス全体が外の世界から遮断され、脳内の内部ループとなった」と述べています。
 第5章「感覚ミラーニューロン」では、「感覚」について、
・気分の変化や幻覚剤に影響を受けると考えられる。
・ときには感覚が完全に自己生成する場合も想像できる。
・他者の精神状態をシミュレーションする能力の鍵となる役割を果たしているとも考えられる。
と述べています。
 第5章「感覚ミラーニューロン」では、「本書で示した感覚の働きについての新しい理解に沿って、痛みや匂いや色の感覚といった、最も基本的なレベルの感覚が、じつは一種の隠された行動である」と考えると、「行動の模倣が、ずっと幅広い役割を担い、ありとあらゆる共感をもたらすという可能性が開かれうる」として、「『赤すること』という他人の行為を模倣すれば、赤の感覚の経験を共有することになる」と述べています。
 そして、「例の進化の物語にもう一度目を向けるならば、共感に基づく模倣行為は、一つの大切な手段と捉えるべきかも知れない」として、「人間が(そしておそらくほかの社会的な哺乳動物もまた)生物として存続していくために、一種の隠れた身体表現である感覚が、こうした模倣行為を通して、重要な役割を果たし続けていると考えるべきかも知れないのだ」と述べています。
 第6章「Xファクターの正体」では、「感覚反応を起こす指令信号は、その反応を生じさせた入力そのものと相互に作用し始め、部分的に自己生成と自己維持の効果を持つようになる」と述べています。
 そして、「心と体の二元性を信じるのは、少しも『偶然』ではない」としたうえで、「人類の進化の比較的遅い段階で、意識の厚みのある瞬間が自己を固定する錨としてすでにしっかり確立された後、変わり種の遺伝子が現れ、その影響で意識ある自己に一ひねりが加わり、人間の心が自らの性質を誇大視するようになったとしたら、どうだろう」と述べ、「『自己とその経験』は現在もこれからも『ちょうどうまく構成された世界の一片』にすぎないものの、世界のこの一片が、自らにはこの現実世界を超越した特徴があるという印象を、主体たる人間に与えるよう、絶妙に再編されたとしたらどうだろう。そして、そうした印象を与えられた一人一人の人間、つまり錯覚に陥った人間が、より長く、より実り多い人生を送るとしたら」と問いかけています。
 第7章「不可解な性質のゆくえ」では、「意識が重要なのは、重要であることがその機能だからだ。意識は、追い求めるに値する人生を持った自己を、人間の内に作り出すよう設計されているのだ」と述べています。
 そして、「意識を謎めいた不可思議な存在にしていると思われるその性質こそが、意識が自然淘汰の過程の圧倒的勝者になる契機たりえた」として、「意識が重要なのは、まさにその不可解な性質ゆえなのだ」と述べています。
 本書は、人間の「意識」の存在価値がどこにあるのかを、進化の過程とともに考察した一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本では、「脳ブーム」とかいうのがあったのか、茂木健一郎さんとかの本が売れていたり、ちょっと前には「ゲーム脳」が話題になったりしていましたが、本書のように、予備知識がなくてもしっかり読めば専門家でなくても読めるようないい本がたくさんあるので、こういう本もぜひ読んで欲しいです。


■ どんな人にオススメ?

・意識はなぜあるのかを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 村井 俊哉 『社会化した脳』 2009年02月19日
 マイケル・トマセロ (著), 大堀 壽夫, 中澤 恒子, 西村 義樹, 本多 啓 (翻訳) 『心とことばの起源を探る』 2009年01月20日
 下條 信輔 『「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤』 2007年01月21日
 トム スタッフォード, マット ウェッブ (著), 夏目 大 (翻訳) 『Mind Hacks―実験で知る脳と心のシステム』 2006年12月30日
 けいはんな社会的知能発生学研究会 (著), 瀬名 秀明, 浅田 稔, 銅谷 賢治, 谷 淳, 茂木 健一郎, 開 一夫, 中島 秀之, 石黒 浩, 國吉 康夫, 柴田 智広 『知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦』 2006年04月09日
 スティーヴ・グランド 『アンドロイドの脳 人工知能ロボット"ルーシー"を誕生させるまでの簡単な20のステップ』 2006年01月28日


■ 百夜百マンガ

親バカってやつは【親バカってやつは 】

 マンガの読者層も高年齢化し、一時の出産マンガ、育児マンガでつかんだ客層が、いまでは子どもも大きくなったということでしょうか。
 昔から高齢者向けのマンガ雑誌が出てくるとか言われ、『ビッグコミックゴールド』とかありましたが、やはり体力的にマンガの情報量の多さはきつくなったりするのでしょうか。大判、大活字で読みやすい『シルバージャンプ』なんてのも冗談じゃなくなるかもしれません。

2009年2月26日 (木)

選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?

■ 書籍情報

選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?   【選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?】(#1498)

  ウィリアム パウンドストーン (著), 篠儀直子 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  青土社(2008/6/25)

 本書は、「公正な投票方法、票割れに左右されない投票方法を編み出すことは可能だろうか」を問うものです。著者は、「よりよい投票方法が、いまほど必要とされているときはない」として、今日の政治コンサルタントたちが、「政府のソフト・ターゲット・リストを勝手に利用するテロリストたち」のように、「投票制度それ自体が持つ数学的脆弱さを利用している。彼らは有権者たちを、候補者への賛成票を投じる用にではなく、反対票を投じるよう説得する――そしてしばしば、そのことによって勝利を得る」と述べています。
 第1章「ゲーム理論」では、ゲーデルが、「憲法を、公理の集合であるかのように見ていた」として、第5条が「すべてを認めることは、何も保証しないのと同じだ」という「欠陥」を発見したと述べています。
 そして、投票のパラドクスが、「アローの論文執筆を混乱させた」として、彼が、「企業活動の合理的モデルにとって、これは乗り越えがたい障害になっていると考えた」と述べたうえで、アローの結論である「不可能性定理」が、「投票に関するいくつかの問題には、実際、解が存在しないと示すものだった」として、1948年の発表以来、「ただちにセンセーションを巻き起こした」と述べています。
 第2章「ビッグ・バン」では、「全員が意志を通すことのできない状況はたくさんある。集団は、その構成メンバー全てを拘束しうる選択に到達せねばならない。到達するための最良の方法は何だろうか?」という問題を、政治哲学者たちが、「長年にわたって問い続けてきた」が、「アローの斬新なアプローチは、これを純粋な論理の問題として問い直すものだった」と述べています。
 そして、アローの分析には、「投票がもつある重要な側面」、すなわち「戦略投票(strategic voting)」が含まれていないとした上で、「説得力あるケースを作り出すために、アローは特殊な条件を設定する必要があった」として、
(1)推移性
(2)全員一致
(3)非独裁制
(4)無関係な選択肢からの独立
の4点を挙げています。
 著者は、「20世紀という時代は、数学それ自体と同じくらい脆い基盤の上に、社会的契約が成り立っていることが初めて暴露され、衝撃を受けた時代であった」と述べ、「ある程度まで、アローの定理は『民意』の概念を否定している」と述べています。
 第3章「票割れ小史」では、「不可能性定理の最も有名な部分はストイシズムだ」として、投票の不完全さが一番顕著に見られるものとして、「スポイラーと票割れ」を挙げ、「スポイラーのせいで、『間違った』候補者が大統領選挙に勝利してしまうというというのは良くあることなのだろうか?」という問いが、「選挙人団のおかげでわかりにくくなっている」と述べています。
 そして、「南北戦争から大恐慌までのあいだに、民主党が大統領選挙で勝ったのは4回だけ」だが、「そのうち少なくとも2回、もしかすると3回は、スポイラーのおかげで勝っている」と指摘しています。
 また、ラルフ・ネーダーの選挙運動に携わった者たちが、「何週間ものあいだ否定の幻想を抱いていた。彼らはゴアの勝利を望んでいた。ブッシュは敗北し、ネーダーは何かしら胸を張ることのできる結果を残すはずだった」と述べています。
 さらに、「200年の大統領選の教訓は、票の科学的集計がどれほど不正確なものであるかということだった」としたうえで、「耐スポイラー効果のある投票システムの下であれば、ゴアが勝っていただろうことにほとんど疑いの余地はない」と述べています。
 第4章「アメリカで最も邪悪な男」では、「過去数回の選挙において、スポイラー効果の戦略的重要性は前例のないほど高まっている」として、アメリカで発明された職業である「政治コンサルタント」について解説しています。
 そして、「コンサルタントとして、科学とあくどさを結びつけた」のは、ハーヴィー・リロイ・アットウォーターであるとして、アットウォーターの「最も悪名高い発明」として、「操作的世論調査」(push-polling)を挙げ、「こうした調査の目的は、有権者の意見のサンプルを取ることではなく、その意見を変えることである」と述べています。
 また、1988年の大統領選への立候補のため、ジョージ・H・W・ブッシュが、選挙運動の指揮者にアットウォーターを選んだことについて、「アットウォーターは共和党の鬼才ではあるものの、そのダーティな南部政治工作が全国相手に通用するかは未知数であった」ため、「これは普通ではない選択である」と述べ、アットウォーターが、ブッシュの対立候補であるデュカキスの汚点を見つけだすことを専門とした「オッポ」(対立候補調査)のチームを結成し、6名の調査員が、25年分の地元紙のバックナンバーを熟読し、「マイケル・デュカキスか妻のキティかのどちらかが、何か弱点となるようなことを言ってはいないか調べ立てた」と解説しています。
 さらに、デュカキスが、「殺人罪で服役中の囚人に、週末外出許可を与えたこと」があり、1986年に一時帰郷で刑務所を出た受刑者が脱走し、若いカップルを恐喝し、「男は22回刺され、その婚約者は2回レイプされた」ことを見つけ、「以後のネガティブ広告のテンプレート」となった、「ウィリー・ホートン」コマーシャルについて解説しています。
 第5章「ラン、ラルフ、ラン!」では、2000年の大統領選挙が、「選挙運動技術の有効性に関する最初の全国的な、そして十分に科学的な検証となった」として、「共和党は、少なくとも大学院生レヴェルの心理学を統計学的に洗練し、それを用いて実験を」行い、これらの実験が「測定基準(メトリックス)」と呼ばれたと述べ、「広く公表された発見のひとつは、説得次第でどちらの政党にも投票しうる真の浮動票は、有権者のうちわずか6パーセントのみだということだった」として、政治コンサルタントのカール・ローヴは、この情報を「中間などというものはない」と要約したと述べています。
 そして、「ネーダーのための署名活動を共和党が行ったことは、すでにひとつの分岐点を成していた」として、「スポイラーへの援助は、選挙運動戦略におけるステロイド剤となった」と述べています。
 第6章「スポイラーの年」では、「二大政党がスポイラー効果を、政治戦略の道具として主流化してきたさま」を見た上で、「有効な法的強制策はなかなか考案できない」とした上で、「投票システムはソフトウェアなのだ」から、「使い勝手の良いソフトウェアであるためには、投票システムは、人の手が加わっても元々意図されたとおりに動くものでなければならない」と述べています。
 第7章「キリバスのトラブル」では、「3人以上で戦われる選挙はすべて、票割れの問題にさらされる」として、アカデミー賞の投票のケースを挙げたうえで、「ボルダ式投票」ヤ「コンドルセ投票」について解説しています。
 そして、「おそらくコンドルセは、のちにアローが再発見することになる、投票のパラドクスを初めて発見した人物であろう」として、「コンドルセ循環」等について解説しています。
 第9章「即時決選投票」では、「一名選出選挙に使用される形態」の「単記移譲式投票」(single transferable vote, STV)である 「即時決選投票」(instant-runoff voting, IRV)について解説した上で、「IRVと、ボルダおよびコンドルセ方式とが共有している特徴のひとつ」として、「ランキング投票」を挙げています。
 第10章「循環なんてこわくない」では、「投票者もまた、いつもほんとうのことを言うわけではない」として「自由社会における重要な決定は、このだまし合いから生まれている。このだまし合いをわれわれは投票と呼ぶ」と述べています。
 第11章「バックリーとクローンたち」では、「是認投票」(approval voting)について、「確かに単純だ」が、「いったん疑問を感じ始めたらこれはどんどん複雑になる」として、「政治においては、『是認可能性』は伸縮自在の物差しの上にある。われわれは相対評価で採点しているのであり、それがあまりに自然であるため、相対評価であることに気づきもしない」と述べ、「是認投票の第2の方法」である、「半戦略的方法」をとった場合、「実際の立候補者集団のなかで平均より上だと思える候補者すべてを、あなたは是認することになる」と述べています。
 第12章「バッド・サンタ」では、是認投票の批判者が見つけだした問題点として、
(1)投票者が不用意もしくは気まぐれにマークを記入する恐れがあること。
(2)「あるかなしか」である是認投票の性質は、政治及び政治家をずいぶん雑駁なものにしてしまうこと。
(3)他の人たちがどう投票するかを考え、その予想に基づいて自分の投票行動を決める戦略投票。
の3点を挙げています。
 そして、ロス・ペローが、「サーリとヴァン・ニューワナイゼンの言う『凡庸』なお化けの、生ける具現化、呼吸する実態となった」として、「政治スペクトルにおいて、中位に位置する、能力的にふさわしくない候補者が、勝利するに足る是認票を獲得してしまうというサーリの最悪の悪夢を、ペローは体現する」と述べています。
 第13章「ラスト・マン・スタンディング」では、「近年コンドルセ投票はブームである」として、「いまではソフトウェアが、電子投票をナノ秒単位で集計してくれる」と述べ、「コンドルセ方式のリヴァイヴァルには、リナックス[Linux]のオペレーティングシステムによる貢献が大きい」と解説しています。
 そして、「オンライン・プロジェクトは実質上、新投票システムの実験の場になっている」として、「コンドルセ方式はサイバースペースから、いわゆる現実世界へと移行しつつある」と述べたうえで、「コンドルセ投票の最大の障害は、おそらく単純か問題だろう」指摘しています。
 また、「投票理論という分野の急成長は、少数の、単純な、常識的特質を持ったシステムを、アローが見つけだそうとしたことに始まる」として、「このアプローチは今なお影響力を持っている」と述べています。
 第14章「ホット・オア・ノット?」では、投票機能を備えたSNSである「ホット・オア・ノット」で使われている投票形式が、「範囲投票」(range voting)と呼ばれているものであるとした上で、「範囲投票がなぜ上手く行くのか、理解することはそれほど難しくない」と述べています。
 そして、「投票者のパラドクスは、ゲーム理論家が研究している他の問題と類似している」として、
・「共有地の悲劇」(tragedy of the commons)
・「ヴォランティアのジレンマ」(volunteer's dilemma)
・「ただ乗りジレンマ」(free-rider dilemma)
等を挙げ、「これらは、十分な数の人々が、ヴォランディア的に利他的行為を行った場合、全員が恩恵を共有する状況を指している」と述べています。
 第15章「出席すれども投票せず」では、不可能性定理の意味について、「不可能性定理が伝えるメッセージ」は、「ランキング投票システムを使うな」というものであると述べています。
 第16章「民主主義の未来の姿」では、「2000年選挙の副産物として、あるひとつの投票システムの運動が実際推し進められている」として、ロブ・リッチーと彼が共同設立した組織である、「フェアヴォート──投票と民主主義のセンター」(FairVote: The Center for Voting and Democracy)が、「その努力の大半を担っている」と述べています。
 また、コンピュータ・シミュレーションの結果、「IRVは最良のシステムではないとしても、現在われわれが使用しているシステムよりはよいものだった」年ながらも、理論家はIRVの欠点として、「非単調性」、すなわち、「集めた票が多すぎたために敗北したり、支持者の一部が投票しないで家にいてくれたおかげで勝利したりということが起こりうる」ことを指摘しています。
 著者は、「民主的システムは、有権者と当選者とをよりよく折り合わせようとするもの」だとして、「重要なのは、政治的中庸を支持することではなく、政治的現実を唱導することだ」と述べたうえで、「投票者の考えと気持ちが本当に変わってこそ、国の行方は変わるのだとわれわれは思いたい」と述べています。
 第17章「ブルーマン大当たり」では、「科学と政治には大きな違いがある」
として、「確実性を装わないかぎり、政治変革の擁護などできないだろう」が、「現実が黒白はっきりしていることなどまれだ」と述べています。
 そして、「アメリカは、民主主義におけるコンドルセの『実験』となった。この国は独立革命以来ずっと、投票方法に手を加え続けている」として、「今日のアメリカ的文脈で、真剣に試されているのはIRVである」と述べています。
 本書は、私たちが当たり前だと思って使っている投票システムが、さまざまな課題を抱えていることを解説してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の320ページで、「tragedy of the commons」が「普通人の悲劇」と訳されていますが、これはさすがに「共有地の悲劇」ですね。せっかくいい本なのですが、もったいない。
 というか、青土社さんは、これまでにもウィリアム パウンドストーンの本を、松浦俊輔さんの訳でずいぶん出版されてきていて、「共有地の悲劇」にもずいぶん言及されてきているはずなので、もったいないです。


■ どんな人にオススメ?

・投票システムというソフトウェアの効能を理解したい人。


■ 関連しそうな本

 土場 学, 佐藤 嘉倫, 三隅 一人, 小林 盾, 数土 直紀, 渡辺 勉, 日本数理社会学会 『社会を"モデル"でみる―数理社会学への招待』 2005年11月30日
 梶井 厚志, 松井 彰彦 『ミクロ経済学 戦略的アプローチ』 2005年04月04日
 アビナッシュ ディキシット (著), バリー ネイルバフ (著), 菅野 隆 (翻訳), 嶋津 祐一 (翻訳) 『戦略的思考とは何か―エール大学式「ゲーム理論」の発想法』 2005年01月31日
 ドナルド・R. キンダー (著), 加藤 秀治郎, 加藤 祐子 (翻訳) 『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』 2006年06月19日
 ローレンス・レッシグ (著), 山形 浩生 (翻訳) 『コモンズ』
 谷口 尚子 『現代日本の投票行動』 2005年05月25日


■ 百夜百マンガ

しあわせのかたち【しあわせのかたち 】

 現在のようにリアル路線だったり詳細に描きこまれているゲームのキャラクターと違って、当時のドット絵のキャラクターは想像力が入る余地があった気がします。

2009年2月25日 (水)

民主主義という不思議な仕組み

■ 書籍情報

民主主義という不思議な仕組み   【民主主義という不思議な仕組み】(#1497)

  佐々木 毅
  価格: ¥798 (税込)
  筑摩書房(2007/08)

 本書は、「見方によっては荒っぽいようにも」見え、「甚だ心もとない仕組み」でもある「実に不思議な仕組み」である民主主義について、民主主義を「冷やかす」「けなす」ような「空中戦」の議論ではなく、「地道に一歩一歩何をどう変えていくかという地上戦」が本当に必要だと訴えているものです。
 第1章「民主主義のルーツを言葉から考える」では、「民主主義という言葉の原義でもある民主政という言葉は、古代のギリシアにおいて誕生しましたが、それを現代の民主主義と同じものだと直ちに考えるのは間違いだ」としたうえで、アリストテレスが、『政治学』において「政治体制(政体)」についての分析を行い、政体には、
(1)王政:1人の支配の良い政体
(2)僭主政:1人の支配の悪い政体
(3)貴族政:少数者による支配のうち良いもの
(4)寡頭政:少数者による支配のうち悪いもの
(5)国制:多数者の支配のうち良い形態
(6)民主政:多数者の支配のうち悪い形態
の6つがあり、「支配者の数と共通の利益にもとづくものかどうかを基準にした分類」を行ったと述べ、これらのうち、「良い政体の一つで、多数者が支配する『国制』は、極端でない民主政と極端でない寡頭政との混合物であり、これこそが現実に可能な好ましい政体であった」と述べています。
 また、「必ずしも芳しくない評価と政治的スペース上のネックという2つの障害をどう乗り越えるかが、民主政の新たな発展にとって避けられないテーマ」であり、「近代の民主主義はそれらへの回答の試みだった」と述べています。
 第2章「代表制を伴った民主政治の誕生」では、16世紀に登場する「絶対主義」に関して、基本的人権の台頭が、「特権の根本的見直しを促すものであっただけではなく、支配服従契約の見直しをも促すこと」になったと述べています。
 また、アメリカ合衆国の興味深い点として、「『近代化』や『民主化』に伴う悩みが少ない一方で、『民主政治に内在する悩み』に、非常に早くからつきまとわれた点」を挙げ、「民主政という言葉が古代の直接民主制を思い出させることを念頭に、彼らは民主政という言葉を慎重に避け、自分たちの樹立する政治の仕組みを共和政と命名」したと述べ、「ここに、代表制とスペースの拡大を含んだ新しい民主政の構想」が見られるとしています。
 さらに、代表制民主政が、「議会制と大統領制という2つのモデルを原型としてイメージされるようになり、20世紀にかけて様々な工夫が凝らされること」になったと述べ、近代の民主政治が、「古代のそれと異なり、各人の自由と平等に基礎を持ち、同義的な強さを同時に持っている点」だと指摘しています。
 第3章「『みなし』の積み重ねの上で民主政治は動く」では、「代表は代理に比べると、代表者がより自由度を持ち、いちいち指令に従って行動しなくても良いという点に特徴が」あるとして、「代表者は代理人よりもより能動的であり、裁量の範囲が広い」一方で、「本当に代表しているのか」「何を代表しているのか」がいつも問題になると述べています。
 そして、マニフェストについて、政治家個人の「願望の羅列」(ウィッシュ・リスト)と考える向きがなお見られるが、「マニフェストはあくまで、具体的な政策の実行を前提にして提案したものであって」、財源や期間などについての「数値などが含まれていなければ」ならず、「スーパーマンの計画」ではダメだと述べています。
 また、「代表する」という問題に絡む事項として、
(1)政党:議員たちが一定の政策目的や主義主張を掲げ、集団で国民を代表することを試みるもの。
(2)選挙制度:民意を「鏡のように」反映するような選挙制度はそもそも考えられず、選挙そのものも、民意についての大規模な「みなし」イベントである。
の2点について論じています。
 第4章「『世論の支配』――その実像と虚像」では、世論調査は、「世論を『鏡のように』映し出すものであるというよりは、一定程度調査する側の意図が反映する』可能性を含んでいる」と指摘しています。
 そして、政治指導者重視への逆転が極端に行くと、「大衆は自らを『代表させる』能力がないもの、専ら政治指導者によって操作されるものに変わって」いくとして、こうした「少数者支配の鉄則」を掲げる立場を「エリート主義」と呼ぶと述べています。
 また、「エリート対大衆という構図」が、「二十世紀前半において非常にポピュラーなもの」となったとして、ある学者は、エリートになるために求められる条件として、最も大切なのは、「象徴を巧みに操作する能力」だとだと論じていることを紹介したうえで、独裁者による大衆の味方を、「最もあけすけに述べているのが、アドルフ・ヒトラーの『わが闘争』」だと解説しています。
 著者は、「民主政治は有権者が横着を決め込み、無闇にわがままを言ったり、無理なサービスを政治家に求めたりする政治」ではなく、「有権者自身が自ら努力することによって、世論を変えていくこと、あるいは成長させていくものであることを忘れるならば、民主政治は怠惰を煽るような政治体制になって」しまうと述べています。
 第5章「政治とどう対面するか──参加と不服従」では、「人々が具体的に政治とどういう態度で対面するかによって、その実際の姿は違ったものになってくる」と述べ、「選挙に参加し、政党の言動や選挙の結果に目をやるのは重要ですが、私たちに求められるのは、その政党や政治家が何を、どの程度できるのかについて、真剣に見定めること」だと述べています。
 第6章「これからの政治の課題とは」では、「利益政治」の衰退が、「政府が国民の『面倒を見る』ことを見直すこと、あるいはそれを大幅に縮減すること」を意味するとして、小泉首相が、「これまでの『利益政治』を批判する政治を展開し、国民の高い支持を獲得し続け」たと述べています。
 そして、日本の政党の大きな問題として、「何にどう使うか」についての「優先順位をつけるのにふさわしい仕組みを作ることができず、議員たちがそれに習熟していない点」を指摘してます。
 また、「『利益政治』がかつてのような存在感を失った中で、政治の中には新たな動向が台頭して」いるとして、宗教やナショナリズムを挙げ、「政治学では、こうした政治を『利益政治』との対比で『自己同一性をめぐる政治』と呼んで」いると述べています。
 「おわりに──二十一世紀型社会を模索して」では、「政治は一時の興奮などによって左右されてはならないし、非合理な政策は有効性を持たないという冷静な観点を持ち続けること」が必要だと述べています。
 本書は、民主主義がどんな制度なのか、その機能と限界ををわかりやすく解説してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 多くの大人は、民主主義についてきちんとした教育を受けていません。特に、中学や高校での公民や政治経済や倫理の時間で民主主義について教育を受けていればいいのですが、個人的には、左寄りの日教組系の教員に当たることが多く、時限ストを実施したとか、こんなときこそ学生運動を一生懸命やった方が就職で有利かもしれないよ、とか、資本主義がいかに腐っているかということを熱心に説く教員が多かった気がします。教育の現場における労働組合運動の活発さと、民主主義に対する理解の低さは無関係ではないのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・民主主義はよくわからないという人。


■ 関連しそうな本

 キャス サンスティーン (著), 石川 幸憲 (翻訳) 『インターネットは民主主義の敵か』 2005年11月21日
 横江 公美 『Eポリティックス』 2005年02月11日
 ドナルド ウィットマン (著), 奥井 克美 (翻訳) 『デモクラシーの経済学―なぜ政治制度は効率的なのか』 2008年10月11日
 小林 良彰 『選挙・投票行動』 2008年10月22日
 加藤 秀治郎 『日本の選挙―何を変えれば政治が変わるのか』 2008年10月23日
 谷口 尚子 『現代日本の投票行動』 2005年05月25日


■ 百夜百マンガ

銃夢(Gunnm)Last Order【銃夢(Gunnm)Last Order 】

 自分の代表作に対する思い入れというものはさすがに強いようですが、そういう思い入れについていく読者もまたいるということです。

2009年2月24日 (火)

選挙協力と無党派

■ 書籍情報

選挙協力と無党派   【選挙協力と無党派】(#1496)

  河崎 曽一郎
  価格: ¥1470 (税込)
  日本放送出版協会(2007/01)

 本書は、「『大きくて強い』政党には圧倒的に有利な選挙制度が改革・改善されないかぎり、選挙は『選ぶ側・弱い者』の真の見方には到底なりえない」として、「選挙で『選ぶ・弱い者』は、もっともっと"怒る"べき」であることを訴えた一冊です。
 序章「旧田中派から旧福田派へ」では、「角・福」戦争に際して、小泉氏が、「福田元首相の側近として、一連の権力闘争の凄さを肌身に感じていた」「として、「小泉首相が政局・権力闘争に強かったのは、こうした『敗北経験』が教訓になっていたためだ」と述べています。
 第1章「選挙協力への胎動」では、「国政選挙のカギを握る最大の要素は、『選挙協力』と『無党派』の動向である」として、「とくに自民党の場合は、公明党との選挙協力と、それに基づく創価学会の積極的な選挙協力が政権の基盤を支えている」と述べています。
 そして、自公選挙協力に関して、「最初の第42回総選挙では、自民、公明、保守の連立与党3党の間で、かなり大規模な選挙協力が行われた」が、東京4区(大田区・中南部)では、自民党の現職議員が、「公明党との選挙協力に猛烈に反発」し、「党執行部の説得を拒否、自民党を離党して無所属で立候補してしまった」と述べ、その結果、その候補者が、「俳優で参議院議員の経験もあり、無党派層によく食い込んだうえ、公明党・創価学会に対する批判票や"感情的反発票"など」を獲得して当選したとして、この選挙で、「公明党・創価学会には"きわめて強い不満・不信感"が残った」と解説しています。
 さらに、この後日談として、総選挙から4年9ヶ月ほど後の千葉県知事選挙にこの元衆議院議員が出馬した際における公明党・創価学会の動きについて、自民党千葉県連のある幹部が、「"怨念"の凄さを強く感じて怖かったほどだ」と語っていることを紹介し、また、公明党の選対関係者が、組織的な関与を「否定していたのも事実である」と述べています。
 著者は、「自民党と公明党との選挙協力は、国政選挙だけではなく、地方選挙でも確実にその威力を発揮している」と述べています。
 第2章「自公選挙協力」では、「期日前」と「投票日当日」との間には、「その投票傾向・内容にかなりの『格差・違い』がみられること」を指摘し、「選挙の出口調査は『期日前投票』と『個人情報の保護』という大きな"歪みの要素"を抱えている」と述べています。
 そして、「圧倒的な第一党である自民党にとって、公明党・創価学会の選挙協力の威力・影響力の凄さ、重みがハッキリと数字に表れている」として、「国政選挙での選挙協力の成否が、自公連立政権の"命運"を握っている」と指摘しています。
 第3章「参院選での選挙協力」では、第19回参院選での自公選挙協力が、「自民党の議席を少なくとも3~4議席、上積みした」一方で、当時の公明党関係者は、「公明党が期待した自民党側からの積極的な"見返り票"は、『ほとんどなかった』」と見ていたが、自民党幹部による、「激戦区を中心に、すくなくとも40~50万票は流れていたはずだ」という分析には「説得力がある」と述べています。
 第4章「無党派層とは何か」では、「無党派層」と「支持なし層」の「政治的な中身とか意味合いは、必ずしも一致していない」として、「ひと言で言えば、『無党派層』は『支持なし層』から政治的・社会的に"進化"した人たちが多い」と述べています。
 そして、ロッキード事件後の「三木おろし」の動きに関して、「三木首相が衆議院の解散・総選挙を回避した最大にして唯一の理由は、自民党が『無党派などの反発・批判』を浴びて総選挙に勝てそうにもなかった、ためにほかならない」と述べ、「選挙戦では、『選ぶ側』の主役が、『労組』や『後援会』、『農協』などという『組織』から離れて、自由自在に動き回れる『無党派』に移り始めたのもこのロッキード総選挙からであった」と述べています。
 第5章「無党派拡大」では、「無党派の理由」について、
(1)特定の政党を支持しても、政治が変わりそうにないから
(2)信頼できる政党がないから
(3)魅力のある政党がないから
(4)政党が分裂したり他の政党と合併したりして、変化が激しいから
(5)支持していた政党に失望したから
などの点を挙げ、その最大の特徴は、(1)から(5)までをあわせると90%に達し、「何らかの形で『政党』の側に要因がある」と述べています。
 第6章「無党派の特徴」では、無党派の特性として、「政治の現状に強い不満・不信感を持ち、政治の改革・改善・刷新などを求めている」ため、「原則的には『野党、反・非体制』側に投票することが多くなる」として、「無党派の投票率が上昇すれば、無党派票の獲得率が高い民主党には有利で、逆に、自民党や公明党は民主党よりも不利になるのは当然である」と解説しています。
 第7章「投票と無党派」では、無党派の大きな特徴として、
(1)投票に対する「義務感」が極めて薄い。
(2)投票は「個人の自由」だという考え方が極めて高い。
の2点を挙げ、その原因は、「無党派は政治に対する『不信や不満』が強いうえ、『選挙への関心』が低いため」だと述べています。
 また、「平成の大合併」によって、「議員の定数が大幅に削減された上、選挙区が広がったため、地方選挙に変化が出始めている」として、「地方議員の選挙でも、無党派の票の獲得が勝負を決める可能性が高くなる傾向が一段と強くなる」と解説しています。
 第8章「無党派つかんだ小泉氏」では、2001年の自民党総裁選挙に関して、著者の友人である自民党のベテラン秘書が、「小泉圧勝」の投票用紙を手に、「自民党は変わりますよ。中央の永田町からではなくて、地方から変わります」と力説していたことを紹介し、「さすがに、"地べた"を這いずり回って活動している秘書氏の『眼力』は確かであった」と述べています。
 そして、2000年の長野知事選挙について、最大の特徴は、「無党派の『勝手連型選挙』が、共産党を除く県議会・各会派の推薦を受けた県庁出身の前副知事の『組織選挙』を打ち破ったこと」だと述べたうえで、翌年の千葉県知事選挙についても、無党派の堂本氏が訴えた、「千葉県を変えて、日本を変えよう!」という見事なスローガンは、「この直後の自民党総裁選で小泉淳一郎氏が叫んだ、『日本を変える、自民党をぶっ壊す"』というフレーズの"源流"になった」と指摘しています。
 著者は、「知事選挙で吹き荒れた"無党派旋風"は、自民党の党員・党友による総裁選の予備選挙の流れに大きな影響を与えた」として、「無党派が選挙戦の流れを変え、地方から中央の政治を変えた」と述べています。
 終章「小泉政治」では、小泉政権の実績を「評価する理由」のトップが、「自民党の体質を変えた」ことで、「政策課題の遂行に対する評価ではなかった点」を指摘したうえで、「小泉首相はまさに、政治を『見せる、語る、押し付ける』達人であり、その結果として国民世論を政治に『引きつけ』、政治と国民世論との距離を大幅に縮めたのも事実である」と述べています。
 そして、「表看板が単純明快・勧善懲悪型でにぎやかな刺客選挙などが、いったんは離れた無党派を呼び戻した上、公明党との徹底的な選挙協力で、創価学会の組織票を確保した選挙戦術は、ものの見事に、『選挙協力と無党派』が国政選挙のゆくえを左右することを証明した」と述べています。
 本書は、現在の日本政治で欠かすことのできない要素となった選挙協力と無党派という現象がどうつながっているのかを解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 「無党派」という言葉も数年前にはインパクトを持っていましたが、最近は地方の首長選挙では「無党派」っていうのがデフォルトになりましたし、無党派の候補者というのは新鮮味が薄れてきたような気がしますが、これで「無党派」の政治的な価値が下がったわけではなく、「無党派」の有権者というのは引き続き重要な位置を占めていると思います。


■ どんな人にオススメ?

・最近の選挙はわかりにくくなったと思う人。


■ 関連しそうな本

 長島 一由 『浮動票の時代』 2008年02月17日
 金井 辰樹 『マニフェスト 新しい政治の潮流』 2005年10月14日
 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日
 ドナルド・R. キンダー (著), 加藤 秀治郎, 加藤 祐子 (翻訳) 『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』 2006年06月19日
 世耕 弘成 『プロフェッショナル広報戦略』 2006年09月22日
 大嶽 秀夫 『政界再編の研究―新選挙制度による総選挙』 2006年12月28日


■ 百夜百マンガ

女神の赤い舌【女神の赤い舌 】

 アジアって漫画家的には結構思い入れがあるテーマなのか、結構はまる人ははまる感じです。なかなか根が深いものがあります。

2009年2月23日 (月)

世界のたね―真理を追いもとめる科学の物語

■ 書籍情報

世界のたね―真理を追いもとめる科学の物語   【世界のたね―真理を追いもとめる科学の物語】(#1495)

  アイリック ニュート (著), 猪苗代 英徳 (翻訳)
  価格: ¥2100 (税込)
  日本放送出版協会(1999/10)

 本書は、「専門的知識をもたない若い世代の人たちを対象」に、「あくまでも伝統的・保守的な立場から、自然科学の歴史をひとわたり眺めてみようとするもの」です。
 第1章「好奇心」では、「物事にはさまざまな見方があるという重要な発見」が、「今から2千5百年ほど前に、小国ギリシャでなされた」と述べています。
 第2章「おおもとはなにか?」では、「ぼくたちがなにかを知ろうとするときには、どうしても最初に問いかけが必要」であり、「その根本的な問い」は、「真理とはなにか?」であると述べ、歴史上最初の「科学者」とされるタレスが、「あらゆるもののおおもとはなにか?」を問いかけたことについて、「のちの学者たちから見れば誤りだった」が、「複雑に入り組んだ自然界の背後には、一つの単純なものがあるということを見通していた」と述べています。
 第3章「数の魅力」では、数学を学ばなくてはならない理由として、
(1)世の中で上手く生きていくためには、多少なりとも数に関する知識を持っていたほうが有利だから。
(2)自然界で起こる多くの出来事は、数学の法則に従っており、ほとんどすべての現象は数字で書き表すことができるため、数学の知識をまったくもっていないとなると、自然界で起こっていることを理解するのが難しくなってしまうから。
の2点を挙げています。
 第8章「知の宝庫――アレクサンドリアの図書館」では、「本というのは、いってみれば記憶の倉庫だ」として、「本は人間の考えを貯蔵する一番いい方法」なので、「本は何千何万と増えていき、知識の海はどんどん広がっていった」と述べています。
 第9章「世界の知恵」では、自然研究の歴史は、人類そのものの歴史と同じくらい古いが、ギリシャ人たちが持っていたような疑問を、近代以前に持っていた国は、中国と千年前のアラビア王国しかないと述べています。
 そして、「真理の探求に常につきまとう大きな問題」の一つとして、「発見されたものが、その後どんな風に応用されるのかを、誰も予測できない」ことを挙げ、中国人が、火薬や鉄製の鋤、穀物の種を列状に蒔いたほうが収穫が上がること、害虫を駆除するための農薬などを発見したと述べています。
 第10章「聖書と学問」では、1300年代の初め頃の、イギリス人修道士のウィリアム・オッカムが、「ものごとを論証する際には、必要最小限度のことばをもってすべきだ」という規則を作り、この規則が「オッカムの剃刀」と呼ばれていると述べています。
 第13章「ぼくたちの外側にある宇宙」では、ガリレオが書き上げた『天文対話』が、ヨーロッパじゅうで絶賛されたが、キリスト教会と教皇は激怒し、ガリレオを宗教裁判にかけ、ガリレオに地動説が誤っていると認めさせたと述べたうえで、「コペルニクスとガリレオはつねに正しかったということを、カトリック教会がようやく認めたのは、1992年のことだ。真理が日の目を見るまでには、長い歳月を要することもある」と述べています。
 第15章「アリストテレスに別れを」では、「1600年代の学者たちのあいだに起こったこと」が、今日「科学革命」と呼ばれていると述べ、その最も大きな成果は、「アリストテレスの思想と一致するもののみが真理だ」とする「それまでの考えを永久に葬り去ったこと」だと述べています。
 第16章「月は落下している――ニュートン」では、ニュートンが著した『プリンキピア』の中核には、今日「ニュートンの三法則」と呼び習わされている、
(1)静止している物体は、そのまま静止し続けようとする――慣性の法則
(2)運動している物体の速度の変化は、そこに加わる外からの力の大きさによって左右される。
(3)どんな力にも反対の力が働く。
の3つの法則があると述べています。
 そして、ニュートン自身は、「わたしがもし、ほかの人たちよりも、ずっと遠くまで見ることができたといえるならば、それは、わたしが巨人たちの肩の上に立ってみることができたからにほかならない」と謙虚に語り、忙くなる直前には、「わたしは自分自身を、浜辺で遊びながら美しい貝殻や小石を見つけてきた、ひとりの少年のようなものだと思っている。果てしない真理の海は、ほとんど手付かずのまま、わたしの眼前に広がっている」と語っていることを紹介しています。
 第21章「生きものの樹」では、「進化論ぐらい世間を騒がせた理論もめずらしい」とした上で、その最大の争点は、「ダーウィンが『種の起源』のなかで書かなかったことがらだった」として、「人類もある1つの種から進化したものだ」ということは、『種の起源』で取り上げることをためらい、10年以上経ってから出版した『人間の由来』で初めて、「人類の先祖は猿に似た動物だ」と述べ、これが、
・人類は猿の子孫だと主張していると受け取った。
・それが人間社会にも適用されると考えた。
という2つの面で誤解を受けたと述べています。
 第23章「世界のたね」では、「真理の探究の歴史のなかで、とりわけ感動的なのは、原子の発見だ」と述べ、「科学者たちがこういうことを理解し始めたのは、いまからせいぜい百年ほどまえのことだ」と述べています。
 第25章「科学する心」では、アインシュタインが、「ドイツが原子爆弾を開発したときの危険性を訴えた手紙」を、アメリカ大統領に送ったことを紹介した上で、ナチスドイツがすでに第二次世界大戦に敗れていたにもかかわらず、広島市と長崎市に原子爆弾が落とされたことについて、「マンハッタン計画に加わった数多くの科学者たちは、この原子爆弾の投下に大きなショックを受けた」と述べています。
 第27章「時間と空間」では、アインシュタインが、「たんに学問的知識が豊富だけじゃなくて」、「十分な情報が得られないときでも、正しくものごとを推理する能力」である「直観力にも秀でた学者だった」と述べています。
 第30章「生命の神秘」では、DNA分子の発見が、「人類史上、とくに重要な出来事だった」として、「真理を追い求めることが、人類の今後の歴史を変えてしまうこともありうる」と述べています。
 第31章「真理を追いもとめて」では、「学者たちが、それぞれちがったしかたで自然を捉えているとしたら、自然に関する彼らの理論は、どうやって検証されるのか」が問題となるとしたうえで、大半の学者は、「自然界の真理はじっさいに存在しており、それぞれの理論は、その真理を部分的に説明している」と考えていると述べています。
 そして、読者がこの本から学ぶこととして、「真理を見る学者たちの目はつねに変化しているということだ」と述べ、「きみがこの本で読んできた数々の理論も、いずれは奇妙で古臭いものに見える日が来る」ことは確かだと述べています。
 本書は、「小・中学生から」となっていますが、大人も十分に楽しめる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、「小・中学生から」ということで、漢字には仮名が振ってあり、図書館でもヤングコーナーに置いてありますが、内容的にはやっぱり結構高度なんじゃないかと思います。
 とはいえ、漢字が読めない小学生でも難しい概念を理解できる子どももいれば、漢字は読めても概念が理解できない大人もいます。
 その意味で、本書は、小中学生から社会人までを対象にしているのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・科学は難しいと思う人。


■ 関連しそうな本

 ピーター アトキンス (著), 斉藤 隆央 (翻訳) 『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』 2006年5月5日
 アルフレッド・W・クロスビー (著), 小沢 千重子 (翻訳) 『数量化革命』 2006年11月18日
 ピーター バーク (著), 井山 弘幸, 城戸 淳 (翻訳) 『知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか』 2006年12月31日
 ビル ブライソン (著), 楡井 浩一 (翻訳) 『人類が知っていることすべての短い歴史』 2007年04月08日
 アルフレッド・W.クロスビー (著), 佐々木 昭夫 『ヨーロッパ帝国主義の謎―エコロジーから見た10~20世紀』 2007年01月30日
 ジョン・D・ バロウ (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『科学にわからないことがある理由―不可能の起源』 2007年06月24日


■ 百夜百マンガ

エリート狂走曲【エリート狂走曲 】

 1968年の第1回りぼん新人漫画賞で一条ゆかり先生と同期受賞、ということを聞いてしまうと、40年もの間、第一線で活躍し続けたというか、「弓月光」という一定のスペースを保ち続けているような気がします。

2009年2月22日 (日)

言語学者が政治家を丸裸にする

■ 書籍情報

言語学者が政治家を丸裸にする   【言語学者が政治家を丸裸にする】(#1494)

  東 照二
  価格: ¥1700 (税込)
  文藝春秋(2007/06)

 本書は、「ことば、特に、話しことばは、ふだん私たちが考える以上に、はるかに大きな力で持って、私たちの行動、生活、価値判断を左右している」という視点から、「言葉を中心にすえて、政治を見直して」いるものです。
 第1章「小泉純一郎の魔術」では、小泉が、「従来の政治力学ではなく、国民の圧倒的支持によって選ばれた首相」だとして、「国民は、目に見えるモノ、利権、利益ではなく、小泉が語る言葉、そしてその言葉が生み出す効果に惹かれ、熱狂したわけである」と述べています。
 そして、私たちが言葉を使うときに、
(1)リポート・トーク(report talk):伝えたい情報があって、それをことばにする。
(2)ラポート・トーク(raport talk):聴き手との心理的なつながりに関係する、情緒中心のことばの使い方。
の2つがあり、「リポート・トークは男性の会話スタイルであり、ラポート・トークは女性の会話スタイルである」と述べたうえで、「リポート・トークをラポート・トークにまで高めていった例」として、郵政解散に際しての記者会見を挙げています。
 また、小泉の話し方の特徴として、
・疑問形を使う。
・「国民の皆さんに聞いてみたい」
・「なぜ」の繰り返し
などの点を挙げた上で、その特徴として、言語学の「コード・スイッチング(code-switching)」、すなわち、「2つのコード(code)、つまり言語や話し方をスイッチ(切り替え)しながら、話すこと」を挙げ、「このスイッチによって、小泉は、いわば2つの顔を、国民に見せようとしていることになる」と述べています。
 著者は、小泉の郵政解散記者会見の特徴について、
(1)表情、視線、声の抑揚といった非言語の要素を十分に活用する。
(2)聴き手を中心に、疑問形、さらには「聞いてみたい」、「なぜ」といったことばを繰り返し使い、聞き手をひきつける。
(3)聞き手のレベルにたった「私たちのことば」を使う。
(4)コード・スイッチを利用する。
(5)単純でわかりやすい、二元論的なフレームを利用し、聞き手をひきつける。
の5点を挙げています。
 第2章「安倍晋三の馬脚」では、歴代首相の「就任して最初の国会演説、所信表明演説あるいは施政方針演説」を取り上げ、安倍の所信表明演説における「~します」の異常な使用頻度について「小泉を徹底研究していた」と指摘した上で、その特徴として、
(1)演説口調の「~あります」をあえて使わなかった。
(2)明快で直線的な「~します」を極端に多用した。
(3)カタカナ語の多様。
の3点を挙げています。
 しかし、予算委員会での安倍の答弁について、「所信表明演説とはまったく違った安倍の姿が見えてくる」として、「安倍晋三だけが、答弁と演説の使用頻度が大きく逆転している」として、「前もって入念に準備した演説では、意識的に『~あります』を避けることができたが、より瞬間的で自然な発話である答弁になると、ふだんの話し方が思わず出てきてしまったということではないだろうか」と指摘しています。
 そして、「小泉のことばは、政治家ではないような、いわば素人が話しているようなことばであるのに対し、安倍のことばはプロの政治家がプロらしく話しているようなことばだといえる」と述べています。
 第3章「小沢一郎の継承」では、安倍と小沢との党首討論において、安倍のことばに「フォーマルな謙譲語である『ございます』がきわめて頻繁に使われている」ことについて、「社会的地位ということでいうと、首相と野党党首とでは、首相が上に位置づけられることはあっても、下になることはない」が、「ございます」の使用に関しては、「興味深いことに、その立場は逆転しているようだ」と述べています。
 そして、小沢の話し方が、「その文末表現とは裏腹に、かなり長々と回りくどい話し方、いわば渦巻きスタイルといっていいような話し方に特徴がある」と指摘し、「核心、つまり最も大切な論争点、主張点を最初にドーンともってくるのではなく、最後になってやっと持ち出してくる(そして時間切れ!)という機能的なスタイルだ」と述べています。
 また、安倍と小泉の話し方について、
・安倍晋三
  使えるコード:「です・ます」のみ
  スイッチ  :なし
  効果    :公的でフォーマル、よそよそしさ
・小泉純一郎
  使えるコード:「です・ます」+「だ」「よ」「ね」など
  スイッチ  :あり
  効果    :公的でフォーマル、しかし、親しさ、指摘でインフォーマルな雰囲気もある
のように整理し、「コード・スイッチングは、話し手と聞き手の心理的距離感を少なくし、話し手を親しみやすい、近づきやすい、人間的な温かみのある人間として演出する効果がある」と述べ、「2つのスタイルをともに使うことによって、公的な総理としての顔だけではなく、自分の本心をそのまま出す私的な小泉の顔も出しているのである」と解説しています。
 第4章「渡辺美智雄のポルノ」では、渡辺が後輩の加藤紘一に、「政治家の話はわかりやすくなければならない。そのためには『ポルノ調』に話すのがいい」とアドバイスした話を紹介したうえで、田中角栄のことばには、「政治家としての強力な『押し』があるだけでなく、相手をホッと安心させるような『引き』もある」と述べ、宮崎県の東国原知事が、地方方言と標準語をたくみにスイッチして演説している例を紹介しています。
 また、2006年10月の衆議院大阪9区の補欠選挙における小泉と安倍の応援演説を比較し、小泉が、「です・ます」体と「だ」タイトの間をたくみにコード・スイッチし、「語りにある種の会話効果を出す」という会話ストラテジーを発揮していると解説し、「その中で、浮かび上がってきたことはコード・スイッチングの重要さ、そして人々と共感によってつながるラポート・トークの大切さ」だと述べています。
 第5章「田中角栄の革命」では、田中が、「聞く人をひきつけて離さないことばの魅力という点では、今でも多くの国民のみとめるところ」だとのべています。
 そして、「情緒中心のスタイルと情報中心の酢体が混ざっているケース」として、麻生太郎を取り上げ、情緒中心のことばが、「~だぜ」、「俺~」、「うるせえ」、「自分より元気なやつ」など、「極端になりすぎ、逆効果になる傾向も無きにしも非ず」だと指摘しています。
 また、本書の検証を通して見えてきたこととして、「話し手中心ではなく、聞き手中心のことばが国民の支持を得るために必要である」と述べています。
 本書は、政治家のことばがいかにして我々の心をつかむ上で大きく作用しているかをわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で有能な政治家の能力として取り扱われているコード・スイッチング」ですが、もちろん政治家だけでなく、他の業界でも大活躍しています。営業にもばっちりです。
 ただし、聞き手の心理を一気にシフトさせようという大技だけに、外されると、麻生さんから「俺たち~だぜ」と言われてポカンとしてしまうような場合にもなりかねません。
 仕事上で話をしていても、あるタイミングから「戸崎ちゃん、ヨロシクたのむよ」みたいに急になれなれしい話し方をする人にたまに出会うことがありますが、「いいところに来た」と言われて、「いいところ」だったことはないことと同じくらい、会話の中でコード・スイッチングに持ち込みたがる人には警戒した方が懸命です。


■ どんな人にオススメ?

・政治家のことばを疑ってかかりたい人。


■ 関連しそうな本

 高瀬 淳一 『武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法』 2006年08月10日
 都築 勉 『政治家の日本語―ずらす・ぼかす・かわす』 2006年10月24日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年06月23日
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 2005年07月13日
 星 浩, 逢坂 巌 『テレビ政治―国会報道からTVタックルまで』 2007年04月12日
 川上 和久 『情報操作のトリック―その歴史と方法』 2007年10月12日


■ 百夜百音

サザエさん【サザエさん】 宇野ゆう子 オリジナル盤発売: 1992

 日曜の夜の定番サザエさんですが、エンディングの「今日もいい天気」の後に入るストリングスの微妙なピッチの悪さにいつも気持ち悪い思いをしています。なんというか、オープンリールの立ち上がりの不安定な音程と言うか、ものすごく不安感を与えます。

2009年2月21日 (土)

境界の美術史―「美術」形成史ノート

■ 書籍情報

境界の美術史―「美術」形成史ノート   【境界の美術史―「美術」形成史ノート】(#1493)

  北沢 憲昭
  価格: ¥3675 (税込)
  ブリュッケ(2000/06)

 本書は、日本における美術史の源流が、「原始や古代にあるのではなく近代にこそある」ことを主張するものです。
 そして、明治36年まで5回にわたって開催された「内国勧業博」と、明治40年に文部省が解説した「文部省美術展覧会」が「ジャーナリズムに格好の話題を提供」し、「美術展覧会」が、「日本画」「西洋画」「彫刻」という「三種の視覚芸術に絞って開かれ、それに準ずる展示がなされたことの影響は大きく、この三種の視覚芸術は、やがて日本近代美術の体制を形成してゆくことになる」と述べています。
 また、日本の「美術」概念の歴史が、「西洋語からの翻訳」によって明治に始まり、「絵画史を軸に、大正期までの過程を見てゆくと、『美術』は、はじめ文明開化やナショナリズムに加担することで権力に奉仕するあり方から出発し、明治末には、個人の内面や、絵画としての内在性に重きが置かれるようになってゆくことがわかる」と述べています。
 「『日本美術史』という枠組み」が、「日本美術史」という枠組みが、「いうまでもなく一国史と美術というジャンルとの組合せによって構成されているわけだが、これは、<特殊>性と<普遍>性の関係として捉えなおすことができる」と述べたうえで、「明治の新政権は、政治的な理由からも『美術』というシステムを受け入れる必要があったのであり、その際、『美術』は、いってみれば造形上の『万国公法』と考えられていた」と述べています。
 「文展の創設」では、文展解説の歴史的意義を考えるにあたって、
(1)小会分立──文展開設の背景
(2)競技展覧会の開設──小会分立への押木
(3)審査──「国定芸術」の制定
(4)買上げ──文展と洋画の市場
(5)美術展──<制度>としての美術
の5つの標目に従って検討したうえで、「明治30年代の美術館建設運動が、美術を<制度>として確固たらしめんとする動きであったとするならば、その動きは、まず明治初期以来、美術というものを勧業の立場から捉えてきた官の姿勢を鋭く問題化せずには置かぬであろうし、その結果、美術と産業のあいだに位置する工芸なるものの処遇が問われることになるはずである」と述べています。
 「国家という天蓋──『美術』の明治二〇年代」では、「明治の美術は、国家によって求められ、国家によって育まれていったのだ」として、「美術をめぐる制度の確立や、何を描くべきかという問題は、国民文化の形成という、新興国家のアイデンティティに深く関わる事柄だったのである」と述べています
 「美術における『日本』、日本における『美術』──国境とジャンル」では、「国境の南北に注目すると、日本は、多民族国家であるといわざるを得ないわけであり、しかも、これは国土の南北について言いうるばかり」ではなく、「文化的亀裂は、国境の奥深く、本土の内部においても認められる」とした上で、「一つの領土、一つの国家を共有する単一民族というイメージが、いかにおめでたい発想であるか判然としてくるのだが、じつはさまざまな亀裂や差異を覆い隠してしまう、この単一民族という幻想こそ、日本『国民』というものの正体に他ならず、近代の日本は、この『国民』を主体とする『国民国家』として自らを虚構していった」と述べています。
 そして、「国民の<統合>という目的意識において絵画の流派の<統合>が、この時期にもくろまれたわけで、こうした目論見から形成されたのが、いわゆる『日本画』であった」として、内国絵画共進会の<分類>は、「いわば、絵画における『廃藩置県』だったのである」と述べています。
 「裸体と美術──違式註違条例を軸に」では、明治期の裸体表現にまつわる問題について、
(1)明治期において裸体表現を積極的に行ったのは西洋派の画家たちであった。
(2)近代絵画における裸体表現の中心をなすのは裸婦増であった。
(3)明治初期から明治20年代にかけてを対象とする。
を考察の条件として挙げています。
 そして、「その当時の日本の街々には裸体画あふれており、それは高温多湿の夏を持つ日本のような風土においては、開放的な建築と同じく合理的な風俗であった」が、「西洋化を目指す当時の支配層は、裸体をおおやけの場から排除することをもって、普遍的な文明の条件と考えた」と指摘しています。
 「『日本画』概念の形成に関する試論」では、「名乗り出る感じの強い『日本』という語を冠した明治の言葉には、民族国家建設期にあったこの国の対外的な意識が多かれ少なかれ影を落としている考えてよいはずであり、この点に関して『日本画』ももちろん例外ではない」と述べています。
 そして、「『美術真説』の出版によって世人の注目を集めた翻訳語『日本画』は、明治10年代後半から流通し始め、20年代にはジャーナリスティックな言葉として人々の耳目を集めつつ、30年代にかけて論争状況を現出させた。そして30年代を通じて『日本画』/『西洋画』という枠組みはほぼ完成され、『日本画』は『西洋画』に追われる危機感の中で、『和洋画の調和』という課題を背負いつつ時の言葉となっていった」と解説しています。
 「工業・ナショナリズム・美術──『美術』概念形成史素描」では、「明治初期の美術行政では美術の代表と目されていた工芸」が、「絵画の下に置かれるようになった理由」として、「ナショナリズムの翼に乗った『絵画』の上昇」とともに、「工業に対する美術の斥力」を指摘しています。
 終章「日本近代美術史研究の課題と可能性」──時務情勢論風に」では、「明治以来、日本は自他共に認める『美術の国』であった」として、「独自の国民文化を有することは、一人前の近代国家であるための要件とされていた」と述べています。
 本書は、私たちが学校教育の中で教えられてきた、日本の「美術」が、どのような意図を持ったものであったのかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 小中学校で習った美術の教科書には、明治以来の日本の「美術」の作品が並んでいて、岸田劉生の「麗子像」なんかを見て、「誰に似てる」とかで笑っていたものですが、そんな日本の美術にこんな国家戦略が込められていたなんて知りませんでした。
 これに比べると、今の日本の「コンテンツ産業」政策とかなんとかは、しょぼく感じてしまいます。本質が見えていないだけかもしれませんが。


■ どんな人にオススメ?

・日本の美術がどのように成立したのかを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 佐藤 道信 『明治国家と近代美術―美の政治学』 2009年01月08日
 山田 奨治 『日本文化の模倣と創造―オリジナリティとは何か』 2008年08月15日
 アレックス・カー 『美しき日本の残像』 2008年09月09日
 佐藤 道信 『「日本美術」誕生―近代日本の「ことば」と戦略』
 佐藤 道信 『美術のアイデンティティー―誰のために、何のために』


■ 百夜百音

Live on the Old Grey Whistle Test【Live on the Old Grey Whistle Test】 Jack Bruce オリジナル盤発売: 1995

 クリームというとクラプトンファンが多いですが、それと張り合うベースも聴きものです。稲妻スーパーセッションは大好きです。

2009年2月20日 (金)

生物はなぜ進化するのか

■ 書籍情報

生物はなぜ進化するのか   【生物はなぜ進化するのか】(#1492)

  ジョージ・C. ウィリアムズ (著), 長谷川 真理子 (翻訳)
  価格: ¥1890 (税込)
  草思社(1998/04)

 本書は、一般の読者を対象に、「自然選択による進化というものがどういう現象であるのか、適応はなぜ生じたのかということをわかりやすく説明するとともに、適応と進化という生物現象が、直接の生物学の範囲を超えたところにも、どのような意味合いを持っているかを探ったもの」です。
 「プロローグ」では、本書が、「適応論的アプローチ」と呼ばれている考え方は正しいという前提で話を進めていくとのべています。
 第1章「適応論者の語る物語」では、「すべての生き物に日常的に起きているふつうのプロセス、つまり自然選択は、発明者のない発明品を作り出す」のであり、「そのようなプロセスは、機能的に洗練された特徴を生み出すだけでなく、一種の歴史的な仕事の積み重ねであるために、気まぐれかつ機能的でない構造をも生物にもたらす」と述べています。
  そして、「適応論的な物語は、重要な科学的発見をするうえで効果的な手段であるとともに、「もっと美的な意味の勝利とでも呼べるものがあるのではないだろうか?」と述べています。
 また、「グールドの批判にも関わらず、適応論的物語は生物についての重要な事実を発見する上で、いまなお強力な方法であり続けている」と述べています。
 第2章「機能上のデザインと自然選択」では、ダーウィンの進化論で最も重要だとされる「自然選択(自然淘汰)」というゆっくりとしたプロセスについて、
(1)生物界全体には生存のための闘争がある。
(2)遺伝というものがある。
の「十分な裏付けのある二つの一般化から演繹したもの」だとしたうえで、「現代の生物学では、動物間の競争的行動には二種類あると考えられている」として、
(1)スクランブル型競争
(2)コンテスト型競争
の2点を挙げています。
 そして、「性選択は現代の生物学の研究では繰り返し言及されている」として、「この概念は競争的行動や武器の発達、誇示行動などに関する説明にとどまらず、多くの生理学的なプロセスを包括して、さらに、花の形や、植物が他個体由来の花粉を選択的に使用したりする現象の説明にも拡張されている」と述べたうえで、「いまでは、性選択は社会的順位に関する特殊な選択で、自然選択の一部であると考えられている」と述べています。
 また、「形質の最適化という概念は、人類が初めてみずからの身体や他の生物のからだの働きを理解しようとし始めて以来、ずっとわれわれの念頭にあった」と述べたうえで、「進化の過程に対する直感は、アイディアを引き出す大きな原動力ではあるが、結論ではない」と述べています。
 第3章「何のためのデザイン?」では、「個体群あるいは種が、全体としての機能的な組織を持たないことは、実は、想像以上に悪い結果をもたらす」として、「集団内で働く自然選択は、集団にとってプラスにならないばかりでなく損害をもたらすか、少なくともつねに無駄を生むような結果をもたらすことがあるからだ」と述べています。
 第4章「適応的なからだ」では、「生物の遺伝子型は家の設計図にたとえられることが多い」が、「遺伝子型は、指示を受けるための指示を含んでいる点で、設計図ともレシピとも異なり、どちらかと言えば双方向性コンピュータ・プログラムのモジュールに似ている」と述べています。
 また、「究極的には、自分が本当にわかるのは、コンピュータや動物や友人の心ではなく、自分自身の心だけ」だという点で、「心の分野は、生物学や唯物論的な科学全般から切り離される」として、「本書では、生物学のあらゆる現象について、機械論が妥当であり、どんな形の生気論も誤りであるということを前提に論じていく」と述べています。
 そして、「視覚のような機能との関係において、脳がこれほど複雑であることが、視覚や視覚情報の処理の理解を困難にしている」とした上で、さらに、意志決定の問題に進むと、「問題はさらに深刻になる」として、
(1)身体の働きの大部分において、大きな結果を引き起こすには、ふつうは大きな原因を必要とするということ。
(2)物理的な領域と精神的な領域には共通の記述用語がなく、片方の領域に当てはまる概念を用いた理論から、もう一方に当てはまる結論に達することはできないこと。
の2点を挙げています。
 第5章「性は何のためにあるか」では、「性のもともとの機能は、それぞれの遺伝子が持つ遺伝子情報の信頼性を守ることだった」かも知れないが、「性にはまったく違う意味のあることが浮かび上がってくる」として、「性は子に多様性をもたらす」としたうえで、「子に多様な遺伝子型を伝えるような有性生殖が、有利な戦略となるのは、どんな種類の変異性や不安定性なのかを特定することが重要である」と述べています。
 そして、「性比の進化を決めているのが繁殖の効率であるとしたら、女子の出生数は、男子の出生数を遙かに上回るべきである」が、「集団全体の繁殖効率をどうこうしようということは、性比がどうなるかの決定とは関係がないようだ」と述べています。
 第6章「人間における性と繁殖」では、「母親と胎児の利益はたしかに共通している」が、「対立を予測させるものがある」として、「このような対立があるだろうと言うと、たいていは、直感に訴えるところはあるが論理的には評価しにくいようなタイプの反論があがる」と述べ、「本当に議論を明快にするためには、利益の対立のある人々の持っている遺伝子が、それぞれどれほど増えられるかを、厳密に検討しなければならない」と述べています。
 そして、「胎児に働く自然選択は、母親に働く自然選択がしむけるよりも多くの栄養を胎児に送ろうとする」として、「胎児が自分に栄養を供給するために作り上げた胎盤」が、「母親の血液の中に刺激性の化学物質を分泌しはじめ」、「その結果、さらに多くの血液が胎盤に流れ込むよう」になり、「別の化学物質は、インシュリンと逆の働きをし、母親の血糖値が上昇する」と述べ、一方、「母親は、胎児が作り出す化学物質に対抗する物質を生成」し、「そこで、胎児は進化してさらに多くの化学操作物質を作るというぐあいに、化学物質の製造に進化的軍拡競争が起こる」と開設し、その極端な例として、「黄体刺激ホルモン」を挙げています。
 また、妊婦のつわりについて、マージー・プロフェットが、「吐き気などの症状は、血液中を循環する毒素に反応してそれを探知する脳のメカニズムが再調整される結果として起こる」として、「つわりは、正常な発育を阻害する毒素から胎児を守るための適応ではないか」と提唱したことを紹介しています。
 第7章「老いと進化」では、「人間の身体が適応力を失い、死に近づいていくことは、工場でつくられた機械がだめになるのとはまったく違う」として、「生物は、物体というよりも、多様なプロセスが働いている場所である」と述べ、「ヒトの身体は洗濯機や自動車とは異なり、また、この瞬間に存在する物質によって定義されるものでもない。ヒトとは、さまざまな物質を一時的に使用して多様な活動を行う複雑なシステムだが、その物質が身体なのではない。ヒトも含めたすべての生物は、物質が連続して流入してくるシステムで、入ってきた物質は役割を果たして外に出ていく」と述べています。
 そして、「老化とは、われわれの身体が依存している物質の流れを正確にコントロールする能力がしだいに低下することを指す」と述べ、「老化は、完全に成熟するとともに始まる適応力の確固とした低下であり、すなわち、人間性の避けられない一面である」として、「死亡率の年齢分布は、進化によって獲得された老化の率と生活環境の厳しさの相互作用の結果である」と述べています。
 第8章「適応の医学」では、「現代社会に生きている多くの幸福な人々にとって、最も深刻な病気は、年老いて機能が著しく衰えることである」とした上で、「われわれは頭のてっぺんからつま先まで、機能上の欠陥デザインに悩まされている」として、「そのうちのいくつかは、それが生じたときには極めて適応的であった進化上の変化が原因で、その多くは、脊椎動物や哺乳類の進化における初期の段階で生じた」と述べています。
 第9章「哲学的意味あい」では、「妊娠の瞬間を人間の始まりと定義するという誤った考えは、哲学的に受け入れがたいだけでなく、生物学的に見てもあまりにも単純だ」とした上で、「唯一の現実的な見解は、人間というものは徐々に作られるということだ」と述べています。
 そして、「自然選択は、生物界にあまねく関わる重要なプロセスであり、私たちヒトもそれに含まれ、そのプロセスに完全に依存している」として、「そもそも、進化についての理解なくしては、人間に関する問題は、何一つ解けないのである」と述べています。
 本書は、人間を理解する上で、進化にたいする理解が不可欠であることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 同じ著者による『病気はなぜ、あるのか』を読んでいたので、多少とっつきやすかったですが、こういう世界は、理解というか、「馴染む」のには多少時間がかかる感じがします。一度進化論にはまると読む本読む本楽しくて仕方ありません。


■ どんな人にオススメ?

・生き物が進化するのは当たり前だと思う人。


■ 関連しそうな本

 ランドルフ・M. ネシー, ジョージ・C. ウィリアムズ (著), 長谷川 真理子, 青木 千里, 長谷川 寿一 (翻訳) 『病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解』 2009年01月29日
 リチャード・ドーキンス (著), 日高 敏隆, 岸 由二, 羽田 節子, 垂水 雄二 (翻訳) 『利己的な遺伝子』 2006年09月26日
 スティーヴン・ジェイ グールド 『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語』 2007年03月03日
 キム・ステルレルニー (著), 狩野 秀之 (翻訳) 『ドーキンス VS グールド』 2007年02月10日
 ビル ブライソン (著), 楡井 浩一 (翻訳) 『人類が知っていることすべての短い歴史』 2007年04月08日
 リチャード・ドーキンス (著), 垂水 雄二 (翻訳) 『祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 上』 2007年06月30日


■ 百夜百マンガ

なでしこシュート【なでしこシュート 】

 女子サッカーといえば「なでしこ」なんでしょうかね。年代的に「七変化」とかしか浮かんでこない人間にとってはすぐにサッカーに結びつきません。

2009年2月19日 (木)

社会化した脳

■ 書籍情報

社会化した脳   【社会化した脳】(#1491)

  村井 俊哉
  価格: ¥1575 (税込)
  エクスナレッジ(2007/10)

 本書は、「コインの表と裏の関係」にある私たちのこころと脳について、「こころの働きやこころの病の中」で、著者が一番妙味を持っている「社会性」というテーマを紹介しているものです。
 「プロローグ」では、「私たちが複雑な社会をつくってその中で生きてゆく力も、進化の過程で獲得されたものに違いない。そのような能力が私たちの脳のどの場所に備わっていて、私たちはどんな風にその場所を活用しているのだろうか」を調べている学問が、「社会神経科学【social neuroscience】」と呼ばれ、「その名の通り、社会学と神経科学(脳科学)をつなぐ学問で、ごく最近になって急速に科学者の注目を集め始め」、「進化の過程で私たちが獲得してきた社会的能力が、脳のどのような働きによって実現されているのかを明らかにしようとしている」と述べています。
 第1章「人とうまくやってゆくための『社会的能力』」では、社会の中で上手くやってゆくためには、
(1)周りの人がいまどう感じているとか、いま何をしたいとおもっているかという情報を上手くキャッチすること。
(2)集めた情報をもとに社会の中で実際に適切に振る舞う能力。
の2つの能力が必要になると述べています。
 第2章「協調と競争のはざまで社会脳が進化した」では、「社会的能力とは、生物が集団をつくったときに、協調と競争という互いに矛盾する能力がどちらも必要とされたために、進化してきた能力である」としたうえで、「人間が社会をつくるメリットを享受するために社会的動物になったときから、人間関係対策に使うエネルギーは、私たちが必要経費として背負う運目にあった」と述べています。
 また、「私たち人間の脳が大きくなってきた一番の理由は、あるときは協力するが別の時には競争したり裏切ったり、といった極めて複雑な社会行動をうまくやって生き残ってゆくためだ」とする考えが「社会脳仮説」だと解説しています。
 第3章「社会的認知に関わる脳領域」では、「私たちの脳には社会的な能力と関係した特定の脳の場所がある」という考えが有力になってきたとして、「人間の社会的能力についても、脳の特定の場所がその役割の中心をになっているらしい」ということが、「本書の中でもっとも伝えたいことの一つ」だと述べています。
 また、「社会的能力は単純な情動(感情)とそれにもとづいて行動する能力が分化し複雑化することで生まれてきた」とした上で、「自分の周りの事物・事象が、自分が生きていく上で有益が有害かを速やかに評価することと、そのような評価に基づく身体の反応のこと」である「情動」について、
(1)基本情動:幸福、恐怖、怒り、嫌悪、悲しみ、驚き
(2)社会的情動:誇り、困惑、罪、恥、敬服、嫉妬など
の2つを挙げています。
 第4章「『危険』を察知する扁桃体」では、扁桃体を選択的に破壊したサルの行動変化の事例を紹介した上で、「扁桃体は『脳の中の警報機』の役割を果たしている」と述べ、その役割について、「事物の客観的データについての分析ではなく、それが自分にとって危険かどうかを瞬間的に判定すること」であり、「その判定結果を扁桃体は私たちに伝えてくれる」と述べています。
 また、「この人は信用できない」とか「この人に近づくのは危険だ」ということを、「瞬時に判断してゆく」役割を、実際に行っているのが扁桃体だと述べています。
 第5章「人の表情を読み取る脳」では、脳炎の結果、「他者に対する距離感のなさ」という後遺症が残ってしまった例を挙げ、「彼女が『知らない人を知っていると取り違える』ことの問題は、他人の表情を正しく認知できないことと関係しているのではないか」として、「彼女の脳は、脳炎によって両側の扁桃体が破壊されている」ことがわかったと述べています。
 第6章「信頼できる顔・できない顔」では、「私たちの扁桃体は、単にその顔が示す恐怖や怒りといった感情だけでなく、様々な顔の信用できる程度、といった実に社会的な情報を解読している」と述べています。
 第7章「人の視線を読み取る」では、「上側頭溝周辺皮質という場所は、人の視線という極めて社会的な情報の解析のスペシャリスト」であるとのべています。
 第8章「社会的刺激を受け取る脳領域」では、「扁桃体や上側頭溝周辺皮質以外にも、脳の中には社会的な情報の解読に重要な領域がいくつかある」として、「側頭葉から後頭葉にまたがる領域にある紡錘状回と呼ばれる領域は、人の顔の認知」にとって重要だと述べています。
 第9章「社会の中でうまく行動できない」では、「社会の中でうまくやってゆくためには、情報の受け取りと発信の両方が大切で、情報を正しく受け取るだけでなく、受け取った情報をもとに社会の中で適切に行動することが重要である」と述べた上で、このような能力を発揮するためには、「腹内側前頭前皮質」と呼ばれる領域が重要だと述べています。
 そして、バイク事故で頭部に外相を受けて以降、金銭の管理がまったくできなくなった男性の事例を紹介し、通常の知能テストでは問題がないが、「報酬によって動機づけられた意思決定課題」である「アイオワ・ギャンブル課題」がうまくこなせなかったことを指摘し、腹内側前頭前皮質が、「複雑な社会の中ではうまく生き延びてゆくことができない」という「柔軟な社会行動をつづけてゆく上で必須の脳領域」だと述べています。
 第10章「暴力と反社会性」では、「私たちの脳の中では、成長と教育の結果として、社会的な逸脱行動は、他者の『怒り』というイメージと結びついてゆくために、大人になるとそういった行動を未然に回避できる」と述べています。
 そして、「前頭葉、とくに腹内側前頭前皮質は、社会的道徳的規範を獲得視してゆく上で非常に重要な場所であり、その場所に幼少期から傷があると、社会道徳が知識としても学習されないため、極端な反社会的行動が起こる」とする考えを紹介したうえで、腹内側前頭前頭皮質という脳部位が、「幼少期に発育が止まってしまう場所ではなく、青年期を通じて成熟を続ける場所である」と述べ、「発達のそれぞれの段階で、意識的・無意識的に獲得してゆくべき社会規範があり、それらが、成熟をつづけている腹内側前頭前頭皮質に次々に刻み込まれてゆく」としています。
 第11章「他人のこころを読み取る」では、前頭葉の内側にある全部傍帯状皮質こそが、「私たちが持っている『人間の心を想像する能力』の司令塔」であるとした上で、「人間のこころを想像する力も、まぎれもなく進化と成長の過程で人が獲得し、脳の特定の場所にプログラムされた能力のひとつ」であると述べています。
 第12章「それでもやはり他人のこころは読み取れない」では、「上側頭溝周辺皮質は、単に目の前の人の視線の動きを予想しているだけではなく、チキン・ゲームのような状況で、相手が次にうってくる手を予想している」と述べたうえで、「上側頭溝周辺皮質は、冷静に他人の行動を予測し続けるのに対して、前部傍帯状皮質は、自分と他者の利害がぶつかり、そこに大きな危険が予期される場面でこそ大きな役割を果たす、つまり『社会場面・対人場面での危険予期』という役割を担っている」のではないかと述べています。
 第13章「サバイバル・ゲームを超えて」では、「自己犠牲を伴う利他的行動」にともなって、「前頭葉、なかでも、前頭葉の先端近くを含む腹内側前頭前皮質であった」と述べた上で、「個々の生物、個々の人間の立場に立つならば、必ずしも自分自身の生存に最大限有利になるように脳を進化させてきたという証拠もなければ理論的根拠もない」と述べています。
 「エピローグ」では、「本書の核」は、「社会的な状況で私たちが生き延びてゆくときに、他の様々な脳の領域を指揮して、中心になって働いている脳の場所があるらしい」と述べています。
 本書は、人間の社会的行動が脳の機能であることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 脳の社会的機能についての理解が進むと、犯罪者の更生という部分のいくらかが、医学的な治療に取って代わられるべきものになるのかもしれません。度を越えて粗暴な人、反社会的な人というのが、性格的な問題ではなく医学的な問題だとわかることは、予防や治療に向けた方向にはプラスである反面、倫理的な問題や、刑事政策的な問題をはらむような気がします。個性と障害の境界はどこになるのかという問題や過去のロボトミーの反省もあります。


■ どんな人にオススメ?

・自分の脳を意識したい人。


■ 関連しそうな本

 V.S. ラマチャンドラン, サンドラ ブレイクスリー (著), 山下 篤子 (翻訳) 『脳のなかの幽霊』 2006年09月03日
 オリヴァー サックス (著), 吉田 利子 (翻訳) 『火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者』 2006年03月26日
 アリス・W・フラハティ 『書きたがる脳 言語と創造性の科学』 2006年09月23日
 ジュリアン ジェインズ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 2006年06月04日
 トール ノーレットランダーシュ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』 2006年06月18日
 アンドリュー ニューバーグ, ヴィンス ローズ, ユージーン ダギリ (著), 茂木 健一郎 (翻訳) 『脳はいかにして"神"を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス』 2006年07月01日


■ 百夜百マンガ

桜通信【桜通信 】

 受験シーズンも真っ盛りですが、進路選択、上京、とかのいろいろな要素から、本来的には恋愛との葛藤が生じやすい受験というテーマにもかかわらず、結構内面的で複雑な判断でもあるので、なかなか漫画の中で消化するのは難しいような気がします。

2009年2月18日 (水)

最新選挙立候補マニュアル―選挙参謀はいりません

■ 書籍情報

最新選挙立候補マニュアル―選挙参謀はいりません   【最新選挙立候補マニュアル―選挙参謀はいりません】(#1490)

  三浦 博史
  価格: ¥1575 (税込)
  ビジネス社(2005/03)

 本書は、選挙プロとして数多くの選挙に携わってきた著者が、「『これだけ知っていれば選挙通』と思われる最新・最強の選挙ノウハウを満載」したものです。著者は、従来の選挙プロを「中世カトリック教会の神父」にたとえ、「たいしたことのないノウハウを『ひた隠し』にして、小出しすることにより、その存在感を高めようとする」と指摘し、本書は、「選挙という種目のスポーツマニュアルと思って」もらえればと述べています。
 第1章「立候補を決断する」では、「立候補の動機」とは、「現状の政治の批判をし、何が問題かを明確にして、その問題について自分が当選すれば解決できると主張できること」だと述べています。
 また、選挙資金について、「選挙の経費はほとんどが前払い、あるいは半金を先に支払わなくてはいけない」として、「今、払うお金がない」といった段階で、「その人の選挙運動はジ・エンド」だと述べています。
 第2章「選挙体制を整える」では、「国政選挙の場合、ドブ板選挙だけでは絶対に勝てません」として、「会いきれない有権者に対し、握手の代わりにいかにどのようなメッセージを伝えるか」という「空中戦の登場」になると述べています。
 そして、政策については、「どの陣営でも通用しそうなグローバルインタレストだけを並べる」ことは控え、「その地域に特化した関心事をよく把握し、その対応を訴えることが重要」であり、「自分が経験した仕事、スポーツ、趣味などから発想したエキスパートイシュー(専門的な課題・テーマ)を1つでも打ち出した方がよい」と述べたうえで、マニフェストについて、新人の場合は、「従来のきれい事を並べた無責任なスローガンや公約と異なり、"最低限、これだけは向こう4年間で実現させる"というものと、いくつか具体的に挙げれば有権者は納得する」と述べています。
 また、「知事選と市区長選等には確認団体という選挙運動方法」があり、「確認団体は選車も出せるしビラも配れるしポスターも貼れ」るとして、「首長選挙では必ず確認団体をつくることをお勧め」すると述べています。
 さらに、選挙運動のためのツールとして、
・シンボルマーク
・立札・看板
・名刺
・後援会入会パンフレット・後援会入会申込書
・ビラ(チラシ)
・ノボリ
・ホームページ
・メールマガジン
・選挙用名簿管理ソフト
・選挙事務所の看板・ポスター・立札
・ポスター
・選挙運動用ハガキ
・選車
などを挙げ、パンフレット等には、「後援会入会を検討するための資料であることを明示しておくべき」として、通常は「討議資料」と表記していること、ビラ等でも「不特定多数に撒かない一定の限られた人たち向け(後援会内)の資料の場合は『後援会内部資料』と表記」することなどを述べています。
 第3章「選挙費用と資金集め」では、「クリーンな選挙をすれば法定費用を超えるはずがない」という考えは「法的費用の意味が分かっていない」と述べています。
 そして、政治資金パーティについて、「無所属の人であっても企業団体のお金を受け付けることのできる唯一の受け皿」であるとして、その案内状へのナンバリングの打ち方の極意として、若いナンバーほど、「自分は優先順位の高いほうの人間なのだ」と受け止められることから、「1番から500番、A1番からA500番、S1番からS500番」などのようにナンバリングを打つことを紹介し、「本当は費用を出して欲しい」が、「一応、形式上御招待にしたいという人」には、「金額は見えるようにし、その上に"御招待"のゴム印(普通は赤)」を押すとして、「政治家からの会費1万円のうえに御招待のゴム印が押してある招待状は1万円の会費を持参してくださいというサイン」だと解説しています。
 また、一般の人からの献金の集め方として、田中康夫氏が長野県知事選のときに使った「献金袋」の例を挙げ、小規模の会合時に、「会合の参加者に学校給食の茶封筒のような封筒」を渡した手法を紹介しています。
 第4章「告(公)示日までの戦い」では、
・告(公)示前にできること
・選挙運動期間中にできること
・してはいけない選挙運動
について解説しています。
 そして、シンポジウムの開催にあたり、「必ずしも有名人でなくてもメリットの高いシンポジウムを開くこと」はできるとして、「選挙区の有権者の関心が高いだろうという特定の問題についてもシンポジウムを行えば、必ずそれなりの人数は」集まると述べています。
 そして、民間の有志が主催する公開討論会について、「一部には候補者が公開討論会に出ても意味がない、その時間に他を回っていた方がより票を稼げるのではないかと批判する人」もいるが、「公開討論会にはできる限り出るべき」だとして、
(1)候補者を比較して誰に投票するかを決めるというチャンスを有権者に与えるという行為は選挙の基本中の基本であること。
(2)公開討論会の模様は聴衆が少なくてもマスコミが取り上げてくれるケースがあること。
の2つの理由を挙げ、「公開討論会からは決して逃げずに、むしろ有権者に対して『他の候補とじっくり見比べて欲しい』という積極的な気持ち」で前向きに参加して欲しいと述べています。
 第5章「選挙運動期間の戦い」では、「選挙は告示日までには終わっている」といわれることを紹介した上で、広告代理店PRと選挙PRの違いとして、「選挙は商業広告のような迎合では」なく、「候補者が持っているメッセージを有権者にきちんと伝えるのが選挙キャンペーン」だと述べています。
 そして、選挙日程の作り方のポイントとして、
(1)ダブルブッキングを避けるということ
(2)最初に大きな票田を回るなど地域別に回る優先順位をつけること
(3)選挙区地図を作って強弱などの科学的根拠に基づいた作戦を立て、遊説日程を作ること
の3点を挙げています。
 また、「テレビカメラの前では絶対に気を抜いてはいけません」として、有名な小渕首相の「株よ、上がれ」というパフォーマンスの後、隣にいた側近に「もう、いいな」といったシーンまでしっかりと放送されてしまった例を紹介しています。
 さらに、候補者の健康管理について、「選挙運動とは、その候補が政治家になってから体力面、気力面で通用するのかという健康チェックの側面」もあるとしながらも、「選挙運動期間中、候補者を酷使するのではなく健康に元気で活動できるように気を配ってあげるのが本来のスタッフ、後援会の役割の1つ」だと述べています。
 その他、ワンポイントアドバイスとして、
・候補者の写真は本人に選ばせない(本人の欠点が出ていない本人らしくない写真を選んでしまう)
・提出物の期日は必ず守る
などの点を挙げています。
 第6章「IT選挙への取り組み方」では、「政治家のホームページのトップページはまず何よりも軽くなければ」ならないこと、などのポイントを挙げた上で、「『人と人との対面』が選挙の基本であること」は古今東西変わらないと述べています。
 第7章「投票日以後の身の処し方」では、「政治家を続ける、あるいは政治家を目指す限り、投票日は選挙の終わりではなく、次の選挙に向けてのまた新たなスタートライン」だと述べた上で、初登院・初登庁前の勉強の方法として、
(1)親しいマスコミ人に訊いて教えてもらう
(2)親しい先輩議員や元議員などに相談する
(3)選挙や行政のことをよく知っている人を私設秘書に採用する
の3点を挙げています。
 本書は、選挙に立候補するための実務的なポイントをあからさまに公開した一冊です。


■ 個人的な視点から

 単なる手続きの話から、司法当局の解釈によっては法に触れかねないグレーゾーンの部分まで親切に書いてあって、選挙に出たい人の裾野を広げるという意味では、選挙ビジネスのマーケット拡大とも取れるし、民主主義の活性化とも取れる、影響力のある本です。
 もちろん、本書は選挙のスタートラインに立つ(立候補する)ところまでのガイドであって、当選するためのガイドブックではないので、ここから先のノウハウは有料ということでしょうが、このレベルのノウハウを売りにしていた「選挙プロ」もいただろうことを考えると業界のレベルアップに貢献しているのでしょう。


■ どんな人にオススメ?

・立候補はプロの世界のものだと思う人。


■ 関連しそうな本

 三浦 博史, 前田 和男 『選挙の裏側ってこんなに面白いんだ!スペシャル』 2009年01月31日
 三浦 博史 『舞台ウラの選挙―"人の心"を最後に動かす決め手とは!』 2008年07月22日
 井上 和子 『選挙裏物語―「当選確率80%」スゴ腕選挙コーディネーターが明かす選挙のすべて』 2007年10月30日
 杉本 仁 『選挙の民俗誌―日本的政治風土の基層』 2007年11月07日
 季武 嘉也 『選挙違反の歴史―ウラからみた日本の100年』 2007年10月02日
 藤谷 治 『いなかのせんきょ』 2006年10月28日


■ 百夜百マンガ

笑う出産―やっぱり産むのはおもしろい【笑う出産―やっぱり産むのはおもしろい 】

 出産・育児系漫画の古典。少子化とはいいながらも、家にいてアクティブには動けず時間がある妊婦さんターゲットの漫画というのは売れる要素ありな気がします。

2009年2月17日 (火)

見えざる敵ウイルス―その自然誌

■ 書籍情報

見えざる敵ウイルス―その自然誌   【見えざる敵ウイルス―その自然誌】(#1489)

  ドロシー・H. クローフォード (著), 寺嶋 英志 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  青土社(2002/10)

 本書は、「静かに姿を見せずに私たちの身体に進入し、ほとんど完全に私たちの制御のできない方法で細胞に寄生する」ウイルスに関する疑問を探究し、「ウイルスの持つ魅力を一般読者に伝えること」を目的としたものです。
 著者は、「人類が類人猿から進化して以来、人類とウイルスとの間で起こってきた戦いについて検討する」としています。
 第1章「黴菌、最近、微生物」では、ウイルスを、「これ以上剥ぎ取るものがないというところまで裸にされた生命」であり、「これまでに明らかにされたなかで最も小さくもっとも単純な病原体」だとした上で、「単独では絶対的に何もできない。ウイルスは細胞ではなく粒子であり、エネルギー源を持たず、たんぱく質の生産に必要な細胞機械を何一つ所有していない」として、「ウイルスが増殖するためには、生きている細胞に潜入して支配権を握らなければならない」と述べています。
 そして、「彼らウイルスは、宿主細胞が活動を開始するまえに細胞に進入しなければならないが、ここでもまたウイルスは、著しい臨機応変の才を見せる」として、ウイルスが、「自分の表面に分子鍵を携えることによってもさも正常な身体の一部かのように変装し、それに合う錠をもったどんな細胞にもしっかりとくっついて、その中へ入り込むことができる」と述べています。
 また、「疑いもなく人間の身体は戦場であり、日々ウイルスが攻撃し、そして免疫系が防衛する」として、「あらゆる微生物の進化と彼らの引き起こす病気は、宿主のなかで彼らを防ぎ、彼らと戦う効率的な方法の発達と平行して起こってきたし、またそれによって方向を定められてきた」と述べています。
 第2章「新顔か、変装した古顔の敵か?」では、「新しいウイルス感染症の出現は、まったく偶然の出来事ではない」として、「新生感染症は、ふつう厳密には『新顔ではない』ウイルスが原因である」と述べています。
 そして、HIVの世界的流行について、「このウイルスは主として成功によって感染し、しかもそれが異性愛敵であろうと同性愛的であろうと関係はない」として、「世界中で、絶えず成長するクモの巣のように、性のネットワークがこの病気を広めている」と述べています。
 また、医師たちが、「恒常的にHIV感染パートナーを持つゲイや売春婦のようにハイリスク行動をするが、つねにHIV検査で陰性を示す少数の人たち」に注目しているとして、彼らが、「HIVが自分の細胞に感染するのを妨げる遺伝性の突然変異体を持っている」と述べ、「この注目すべき発見は人類の遺伝的多様性をはっきり示すものであり、例えば呼吸器によって広がる仮想のHIVのような最も荒廃的な伝染病においてさえも、一部の人々はおそらく生き延びるに違いない、ということを示している」と述べています。
 さらに、BSEに関して、「牛肉の安全性に関する公衆の不安が大きくなってきたため、イギリス政府は全力をあげて国内外の恐怖心の沈静化に努めた」として、農業大臣のジョン・ガンマーが、イギリス産の牛肉から作ったハンバーガーを自分の娘に食べさせようとして拒否された結果、「彼自身がそれを食べた」ことで、
「頼むよ、このバーガーを飲み込んでパパの出世を助けておくれ」
と新聞の見出しに書かれたことを紹介しています。
 第3章「咳とくしゃみが病気を広げる」では、インフルエンザワクチンに対する問題点として、
(1)ワクチンというものは株特異的であり、新しい株が出現すると、現在使用中のワクチンは役立たなくなる。
(2)生産が難しくて費用もかかる。
の2点を挙げています。
 また、「世界中どこでも、感冒(風邪)ほど頻繁に人を襲うウイルス感染症はない」として、「ライノウイルス感染は、一見したところ取るに足らないようである」が、「最もふつうの欠勤の原因が風邪」であることから、「経済的観点からみれば非常に重要である」と述べています。
 第4章「愛とは違い、ヘルペスは永遠に」では、「水痘も帯状疱疹も同じヘルペスウイルス――水痘-帯状疱疹ウイルス――によって引き起こされる」とした上で、初めて感染したときに水痘を引き起こしたウイルスは、「生涯にわたり神経細胞の中に隠れて生き続け」、「しばしば最初の水痘から数十年して、ウイルスが神経細胞のひとつからひょいと出てきて、その神経の達する皮膚の部分に感染する。これが原因となって局部的な帯状疱疹の発疹が現れる」と述べています。そして、「このような潜伏タイプの感染が成功するためには、ウイルスは非常に長い寿命の細胞に隠れていなければ」ならず、「分裂せず、老化もしないし、死にもしない」神経細胞は「理想的である」と述べています。
 また、「きわめてありふれたもの」である「慢性疲労」について、「慢性疲労症候群(CFS)」が、「6ヶ月以上続く原因不明の疲労」と定義され、イギリスでは「最近、保健局長によって本物の病気として認められた」が、「何世紀にもわたって流行している様々な病気と明確な類似点を持っている」として、
・癇癪
・メランコリー(鬱病)
・気ふさぎ
・ヒポコンドリー(心気症)
・ヒステリー
・萎黄病
などを挙げた上で、1980年代にCFSが「ME(筋痛性脳精髄炎)という名前で再び人々の前に姿を現した」と述べつつ、「CFSの罪をウイルスに着せる証拠は説得力を欠いている」と述べています。
 著者は、「持続性ウイルスは、急性ウイルスよりもはるかに安定な関係をそれぞれの宿主と結ぶ」として、「彼らは、免疫攻撃をたくみにかわして、宿主を搾取し、自分の長期的生存を確保する」と述べています。
 第5章「ウイルスと癌」では、腫瘍ウイルスなどの持続性ウイルスについて、「これらのウイルスが自分たちの生き残りを促進する微妙な方法──彼らの戦略はときに意図せずして癌を引き起こしてしまうが──について探求」すると述べています。
 そして、「あるウイルスがあるタイプの主要の原因であると最終的に言えるようになる」ためには、
(1)すべての腫瘍患者が感染しているのか?
(2)ウイルスは腫瘍細胞の中にいるのか?
(3)ウイルスは正常な細胞を増殖させるのか?
(4)ウイルスは動物に腫瘍を引き起こすのか?
の4つの疑問に答えられる必要があると述べています。
 また、「癌細胞はまったく制しきれていない細胞である。癌細胞は正常細胞を統制するルールにまったく従わず、果てしなく分裂するだけであり、ほかに何があろうがお構いなしに、正常な組織を押しつぶし、それに侵入し、それを破壊する」として、「どのように癌が発生するかを理解する前に、まず、『どのように正常な細胞が制御されているか?』という疑問を解決しなければならない」と述べた上で、「細胞は自殺するためのフェールセーフ機構を持っている」として、その「アポトーシス」は、「おそらく最初は体から有害なウイルスを退治するために進化したのであろう」と述べています。
 第6章「治療法を求めて」では、「ウイルスの増殖は細胞の増殖に非常に密接に関わっているので、一方を害するものなら必ず他方を害するはずであり、したがってウイルスだけを選択的に殺すことは不可能なことである、と最近まで多くの科学者は考えていた」が、「現在は、いくつかの安全な抗ウイルス薬が市販されており、私たちは50年前の抗生物質時代の夜明けに相当する時点にいる」と述べています。
 また、「世界的規模でのHIV感染と蔓延を防止するための最良のかつ最も経済的な手段は、ワクチンの生産であることはほとんど疑いがない」として、「目下、科学者たちは、ワクチンを摂取されたマカクサルにおいて、防御的免疫の標的となるウイルスたんぱく質を突き止めるのに忙しい。もしこれが解明できれば、そのときにはウイルスの全体でなくて個々のウイルス遺伝子を含むサブユニットワクチンを試みることができるであろう」と述べています。
 そして、「HIVが1980年代に初めて発見されたとき、科学者たちはすぐにでもワクチンがつくれるものと楽観していた」が、「HIVは、奸智にたけた手ごわい交渉相手であり、数多くの予見されない問題が持ち上がった」として、
(1)このウイルスの極端な変異性
(2)このウイルスの持続性
の2点を挙げています。
 結論「未来──敵か、味方か?」では、「私たちの健康をおびやかすウイルスには3つのタイプがある」として、
(1)老いて静かなウイルス:私たちの進化上の先祖に住みついてきたものであり、哺乳類がおよそ8000年前に進化したときに受け渡されたもの。
(2)若くて活発なウイルス:流行と汎流行を引き起こす周期的感染パターンが始まったのは、およそ1万年前に私たちの祖先が農業を基礎にした定着型共同体へと落ち着いたとき。
(3)生まれたての攻撃的なウイルス:私たちの主要な対戦相手となっている。
の3点を挙げたうえで、「現在、私たちは自然環境との平衡をひどく欠いており、これが最近の『新型』ウイルス感染症の増加に対する直接の原因である」と述べています。
 本書は、私たち人間と切っても切り離せないウイルスについての理解を深めてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 私たちは、ウイルスというと、感染すれば病気になり、病状が治まればウイルスはいなくなったものだと考えがちですが、どうやらウイルスは私たちが暮らしていく上で、常に伴走している生き物のようです。


■ どんな人にオススメ?

・ウイルスとビールスの違いがわからない人。


■ 関連しそうな本

 ダンカン ワッツ (著), 辻 竜平, 友知 政樹 (翻訳) 『スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための新科学的思考法』 2005年09月28日
 リチャード・ドーキンス (著), 日高 敏隆, 岸 由二, 羽田 節子, 垂水 雄二 (翻訳) 『利己的な遺伝子』 2006年09月26日
 岡田 晴恵 『感染症は世界史を動かす』 2007年03月10日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)』 2006年08月14日
 ジャレド ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』 2006年09月12日
 ランドルフ・M. ネシー, ジョージ・C. ウィリアムズ (著), 長谷川 真理子, 青木 千里, 長谷川 寿一 (翻訳) 『病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解』 2009年01月29日


■ 百夜百マンガ

スター・ウォーズ×マンガ【黒】【スター・ウォーズ×マンガ【黒】 】

 ガンダムの漫画はよく見かけますが、こういう作品でも漫画になるもんなんですね。楽しそうといえば楽しそうです。

2009年2月16日 (月)

議員秘書の研究

■ 書籍情報

議員秘書の研究   【議員秘書の研究】(#1488)

  平田 有史郎
  価格: ¥2205 (税込)
  創成社(2002/08)

 本書は、「議員秘書の実像を広く多くの人に紹介すること」を目的としたものです。
 著者は、「議員と秘書の関係は、よく主君と過信、あるいは商家の主人と番頭・手代の関係にたとえられる」として、その典型例として、山本元代議士の政策秘書給与詐取事件を挙げています。
 序章「秘書とは何か」では、本書で取り扱う問題として、「秘書制度自体に内在する特異性(主要各国の秘書制度には見られない日本独特の特色)の問題」を仰げ、日本の現行秘書制度が、「一報では公設秘書増員要求の、また他方では、公設秘書の身分保障の強化と待遇改善要求の歴史の帰結であると見ることができる」と述べています。
 第2章「公設秘書」では、公設秘書を、「国会議員に付く秘書のうち、国庫から給料その他の手当てを受ける公務員として位置づけられる秘書」であるとした上で、議員に秘書を付するという構想を実現したGHQの意向では、秘書の給与は議員の雇用手当でまかなわれており、「世界のどこにも公務員秘書など存在してなかったのであるから、秘書を公務員として位置づけるなどという発想は当然持っていなかった」と述べています。
 そして、日本の公設秘書制度が、「その特異性から中途半端な制度であると言われることもあるが、制度の遠隔と背景を知れば、様々な矛盾を孕みつつも、日本の政治風土にもっともマッチするように作られているのだということが理解」されると述べています。
 また、公設秘書制度ができたときの、秘書の給与の性格は、「議員に対する雇用手当(職務遂行の弁に関わる出費の補填)」というものであり、「国会法が、秘書と議員会館を同列に規定している」ように、「秘書は議員会館の備品並みの軽い扱いであった」と述べ、戦後の混乱期が終わり、社会全体が落ち着きを取り戻すと、「それまで多くを占めていた政治家志望の書生秘書や、臨時・短期の手伝い秘書など、議員の身の回りの世話や庶務的雑務を専門に行っていたベーシックな秘書に代わって、長期の専業秘書が増え始めた」ことなどから、「秘書の生活保障の充実・強化の機運が高まり始めた」と述べています。
 第3章「政策秘書」では、公設秘書増員問題に関して、平成3年度に秘書制度調査会に出した答申が、「議員にとっては予想外の厳しい内容のもの」となっており、「議員の大半は、秘書の増員問題については、私設秘書が第三秘書に格上げされるだけの、単純な増員を予想していた」が、「答申では、新設される秘書については、政策スタッフとして、
・議員の政策立案を十分に補佐しうるだけの高度な能力と適性を備えた者であること
・そのことを証明する資格試験の合格者からの採用に限ること
・現行の公設秘書の上位に格付けされるべきこと
などが盛り込まれていたと述べ、この後、成立した政策秘書制度が、「議員の本音(第三秘書)と答申の建前(政策スタッフ)の妥協の産物であった」と述べています。
 そして、現実の政策秘書制度の問題点として、「現職秘書の横滑り採用を狙いとしていた」ものであり、「試験組が市場から締め出され、採用の機械を奪われていること」と指摘しています。
 また、政策秘書として選考による採用が認められる研修修了者について、
(1)公設秘書の職務経験は、政策秘書資格を認定するための要件として、本当にふさわしいものなのか。
(2)研修受講資格の要件を確認する場合の正確性はいかに確保されるべきか。
の2点を重要な問題として指摘しています。
 著者は、以前から「議会先進各国の中でも得意な制度である」と言われていた日本の秘書制度の中でも、政策秘書制度は、「その特異性を一層特異ならしめた」として、
(1)世界で初めて秘書の資格試験制度を導入したこと。
(2)職務内容を限定した秘書が誕生したこと。
の2点を挙げたうえで、「現状では政策秘書は、法律で定められているような、政策秘書としての機能は果たしていない」として、「納税者としての立場から言えば」政策秘書は不要だと述べています。
 第4章「私設秘書」では、私設秘書を、「議員の職務執行を補佐するため、議員が私的な契約により雇用する秘書」であるとした上で、「現実には歳費以外の所得のない議員にとって、個人負担で複数の私設秘書の給与をまかなうのは相当な負担だろう」と述べています。
 そして、私設秘書と公設秘書とを比較し、「結局、私設秘書と公設秘書は、職務配分の重点の置き方に若干の相違が認められるのみで、実質的な職務実態の相違は認められない」と指摘しています。
 第5章「主要各国の秘書制度」では、「日本と主要国における秘書の制度と実態の比較・検討を行うことによって、両者の共通点と相違点を識別し、政策秘書制度の導入の過程で主要国の秘書制度のどのような点が、どのようにアレンジされて取り入れられたのかについて考察する」としています。
 そして、アメリカの国会議員による議員提案法案について、「会期ごとに(1会期は2年)1万数千件に及んでいる」が、「選挙区向けの宣伝法案が多くを占めるため、実際の成立率は低く、せいぜい数パーセントにとどまっている」として、「議員にとっては、法案が成立に結びつくことより、むしろ選挙区有権者に対して、自己の心情や活動実績を示す機会となることの方が重要」だと述べ、「議員の個人スタッフである秘書には、選挙区の様々な要望を立法化するための政策立案・立法調査の補佐に関する能力が特に求められる」と述べています。
 一報で、「日本のような議院内閣制を採用する国では、議員の制作活動は、もっぱら政党・官僚に依存する傾向が強く、秘書が政策・立法面での補佐に関与することはほとんどない」と述べています。
 また、待遇面では、「米国連邦議会の議員秘書は、日本の公設秘書よりはるかに薄給に甘んじている」が、米国のビジネス社会では、「議員秘書という職業は、次の華々しいポストを射止めるための単なるステップに過ぎず、したがって給与の多寡は、それほど問題とはされないため」だと解説しています。
 さらに、「各国の議員秘書制度のタイプは、その国の政治構造や議会制度のあり方」によって特徴付けられる傾向が認められると述べています。
 第6章「議員秘書と政治倫理」では、「大物秘書・実力秘書」という評価が、「カネを集める力があるかどうかで決まっていく」としたうえで、「議員事務所に持ち込まれる陳情や依頼の中には、処理の仕方を間違えば罪に問われかねないものがいくらでもある」と述べています。
 そして、「政治家の影響力に期待し、カネを使ってなんでも頼む有権者。行政に圧力をかけ口をはさみ、横車を押して依頼者の要求を実現し、経済的な利益を得る政治家」といった「この国の政治風土」に問題の根があると述べています。
 終章「秘書の給与は誰のものか」では、「秘書制度の見直しを求める動きが永田町で波紋を広げている」として、「総額一括制」(プール制)導入の是非の問題を挙げ、「米国式の秘書雇用手当主義に倣い、秘書の給与制度を根本から変えて」しまうことは、「秘書の待遇を間違いなく悪化させる」と述べています。
 そして、プール制の考えが、「国から支給されるカネは、秘書のものではなく議員のもの」という発想に基づいている」と述べています。
 著者は、「秘書は、議員の職務達成のための重要なパートナー」だとして、「責任と権限の違いを除けば、両者は基本的に対等」だとして、「いかに優秀なパートナーを得るかということが、議員にとって自己の仕事を成功させる鍵になっている」と述べています。
 本書は、イメージで語られやすい議員秘書という存在が、国際的にはいかに特殊なものであるかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 多くの日本人は、「議員秘書」と聞くと胡散臭いイメージを持つのではないかと思いますが、「政策秘書」となるとイメージしづらいのではないでしょうかと思います。知り合いの政策秘書の人は、麻雀好きの普通の人です。


■ どんな人にオススメ?

・議員秘書とは何かを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 石本 伸晃 『政策秘書という仕事―永田町の舞台裏を覗いてみれば』 2008年10月27日
 白崎 勇人 『政策秘書が書く国会議員改革―国会議員を科学する 常識・うんちく・論争学』
 上杉 隆 『議員秘書という仮面―彼らは何でも知っている』
 永田 長太 『永田町のからくり―元議員秘書の歯ぎしり、言い分、そして提言』
 細川 珠生 『政治家になるには』
 橋本 五郎, 玉井 忠幸, 大久保 好男 『議員秘書の真実』


■ 百夜百マンガ

SIDOOH【SIDOOH 】

 近未来モノだったり、四半世紀前のものだったりといろいろな時代の作品を描いていますが、侍モノも描くとはちょっと意外な感じでした。

2009年2月15日 (日)

自滅する企業 エクセレント・カンパニーを蝕む7つの習慣病

■ 書籍情報

自滅する企業 エクセレント・カンパニーを蝕む7つの習慣病   【自滅する企業 エクセレント・カンパニーを蝕む7つの習慣病】(#1487)

  ジャグディシュ・N・シース (著), スカイライト コンサルティング (翻訳)
  価格: ¥1995 (税込)
  英治出版(2008/4/22)

 本書は、「なぜ優良企業がダメになるのか」という難問に端を発し、「なぜ変わることができないのか。なぜ変わりたがらないのか。その根底に、成功した企業が名声を獲得していく過程で身につけてしまう、自滅的な習慣があること」を明らかにしているものです。 著者は、「会社が自滅的習慣を回避する、あるいは断ち切るためには、有能なリーダーシップが欠かせない」と述べています。
 第1章「なぜ優良企業が自滅してしまうのか」では、「人間は死を免れないが組織は不滅である」という一般通念に反し、「人間の平均寿命は延びているのに企業の平均寿命は縮まっている」と述べています。
 そして、DEC、IBM、インテルの3社を挙げ、そこに見ることができる「自滅的習慣」として、「現実否認」「傲慢」「慢心」があり、「コア・コンピタンス依存症」「競合近視眼症」もあり、「拡大強迫観念症」と「テリトリー欲求症」も例示していると述べています。
 第2章「現実否認症」では、著者の調査によれば、「底辺から出発したことを忘れ去り、自らの偉大さを神話化するようになると、現実否認が進行しはじめる」と述べています。
 そして、現状否認症の「主な症状」として、
(1)「我々は違う」症候群
(2)「自前主義」症候群
(3)「正当化」症候群
の3点を挙げ、「否認が人間の基本的反応であることは明らか」としながらも、「現実否認による安心感は、会社組織にふさわしくない」と述べています。
 第3章「傲慢症」では、「過去の異例の業績によって自滅的習慣が形成されること」や、「業界の新参者が強大な王者をトップの座から引きずり降ろす場合」など、傲慢に陥る原因を挙げた上で、「主な症状」として、
(1)話を聞かない
(2)自らを誇示する
(3)人を威嚇する
(4)横暴になる
(5)同意ばかり求める
(6)自社開発主義(自前主義)症候群
の6点を挙げています。
 そして、「人も会社も、一晩では傲慢にならない」が、「傲慢が目に見えるダメージ──商談を逃し、顧客を失い、利益を失う──を引き起こすようになって初めて、改革の必要性に気づく」と述べています。
 第4章「慢心症」では、「過去の成功がいつまでも続くと確信することで抱いてしまう、安心感や油断」だとした上で、その症状として、
(1)意思決定を急がない
(2)意思決定プロセスがひどく官僚的である
(3)ボトムアップ、分権、合意の文化である
(4)高コスト構造になっている
(5)完全な垂直統合の企業構造である
(6)機能、製品、市場、顧客の相互補助が盛ん
の6点を挙げ、「最善策は、過去ではなく未来を見ること、将来は予測できないという真実をしっかり肝に銘じること、そして『何をしたか』ではなく『何をすべきか』に意識を集中すること」だと述べています。
 第5章「コア・コンピタンス依存症」では、ほとんどの企業が、「コア・コンピタンスに頼って成功しようとする」がために、「視野が狭くなり、他の機会が見えなくなってしまう」として、「コア・コンピタンス依存症の企業は井の中の蛙に似ている」と述べています。
 そして、「部門の偏見が会社をコア・コンピタンス依存に陥らせる経緯」として、
(1)研究開発への依存
(2)デザインへの依存
(3)販売への依存
(4)サービスへの依存
の4つの異なるシナリオを検討し、主な症状として、
(1)会社を変える努力が実っていない
(2)わくわく感が消えた
(3)ステークホルダー(利害関係者)が逃げ出している
の3点を挙げています。
 第6章「競合近視眼症」では、「競合近視眼」を「『競合』をごく狭い範囲に限定するという間違いを犯している会社、直接挑戦してくる目前の敵しか認識していない」とした上で、この症状が蔓延するシナリオとして、
(1)産業の自然な進化
(2)クラスター(産業集積)現象
(3)業界ナンバー・ワン、かつパイオニア
(4)二番手がトップを追いかける場合
の4点を挙げ、その症状として、
(1)小さなニッチ企業の共存を許している
(2)供給業者の忠誠心を、新進の競争相手に奪われている
(3)顧客の戦略が「買う」から「作る」へ転換する
(4)新規参入企業の脅威を見くびっている
(5)代替技術に対して無力である
の5点を挙げています。
 そして、「問題が禁止なら、解決策は視力の改善だ」として、「市場勢力図のあらゆる特徴に徹底して精通することが、もっとも確実な治療法」だと述べています。
 第7章「拡大脅迫観念症」では、この習慣を経営用語的には「コスト非効率性」と表現されるとしたうえで、その症状として、
(1)ガイドラインのない場当たり的な支出
(2)コストセンター中心の組織
(3)内部相互補助の文化
(4)数字の真実
の4点を挙げています。
 そして、「この現代社会で『スリムになれ』というのは難しい注文だ」として、「多くの企業が瀬戸際で策を講じている」が、「生き残る可能性が高いのは、そういう対策を必死の改善策としてではなく、予防策として実践する企業だ」と述べています。
 第8章「テリトリー欲求症」では、「効率を上げるために分かれた部門が、派閥や地盤、すなわちテリトリーになる恐れがある」としたうえで、その症状として、
(1)不和
(2)優柔不断
(3)混乱
(4)不快感
の4点を挙げています。
 そして、「企業にとっての成長は、人間にとっての成長と同じくらい難しい」が、「懸命なCEO」は、会社そのものより「もっと大きな目標を示すビジョンを持っている」として、「そのビジョンを伝えることこそが、CEOのリーダ井シップの真髄なのだ」と述べています。
 第9章「予防は治療にまさる」では、「自滅的習慣を断ち切るためには、企業も人間も、まず自覚する必要がある」とした上で、「結論として、自滅的習慣との決別やその予防は、人よりも企業にとってのほうが難しい」と述べ、「認識することが重要」であり、「第一歩」だとして、「今日うまく行っていることが、明日にはうまく行かないかもしれないことに気づくこと」だと述べています。
 本書は、企業の成長管理の難しさを、豊富な実例とともに示してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で指摘されている「症状」のなかでも、研究開発や販売力など、それまでその企業ならではの強みとして知られていたコア・コンピタンスに依存してしまうことから発生してしまう、ということは新鮮でした。
 一時、「選択と集中」ということでコア・コンピタンスに資源を集中せよ、ということがいわれていましたが、そうすることが必ずしもプラスに働かない状況もある、ということで、そういった意味でも経営はArtなのだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・強い企業がなぜ滅びるのかを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 ゲイリー ハメル, C.K. プラハラード (著), 一條 和生 (翻訳) 『コア・コンピタンス経営』 2005年02月09日
 フィル・ローゼンツワイグ (著), 桃井 緑美子 (翻訳) 『なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想』 2008年11月19日
 安部 修仁, 伊藤 元重 『吉野家の経済学』 2005年06月29日
 マイケル デル 『デルの革命 - 「ダイレクト」戦略で産業を変える』 2005年09月05日
 ジョセフ・H. ボイエット, ジミー・T. ボイエット (著), 金井 壽宏, 大川 修二 (翻訳) 『経営革命大全』 2006年01月06日
 ジェームズ フープス (著), 有賀 裕子 (翻訳) 『経営理論 偽りの系譜―マネジメント思想の巨人たちの功罪』 2006年11月06日


■ 百夜百音

DOWN TOWN【DOWN TOWN】 YMCK & DE DE MOUSE オリジナル盤発売: 2008

 ファミコン風の同時発音数に制約のある音源とアレンジで展開される「チップチューン」と呼ばれる分野のサウンド。このサウンドで展開される日本の名曲を聴くと、曲自体の力を感じます。
 昔、ヤマハのFB-01という同時発音数8音のFM音源の音源を使っていましたが、同時発音数に制約があるほうがアレンジがすっきりするというかアイデアが湧いたような気がします。当時はシーケンサーも持っていなかったのでリズムマシンでFM音源を鳴らしてました。

2009年2月14日 (土)

民主主義は機能しているか?

■ 書籍情報

民主主義は機能しているか?   【民主主義は機能しているか?】(#1486)

  杉原 佳堯
  価格: ¥840 (税込)
  英治出版(2007/1/1)

 本書は、「『なぜ、改革が進まないのか?』という国民の素朴な疑問を外部環境の環境の変化に焦点を当てて本当に民主主義が機能しているのか、考え直そうとした」エッセー集です。
 著者は、「政治における競争は、経済競争とは根本的に異なっている」として、政治家個人については、「『当選するか』『落選するか』、あるいは『食うか』『食われるか』、オール・オア・ナッシングの熾烈な競争だけ」だと指摘しています。
 「電子政府とeデモクラシー」では、「今、公共の概念が変わってきている」として、「コミュニティのコンセンサスが世の中を左右する時代である」と述べています。
 「高信頼性社会」では、「今、日本のソフトパワーが世界で注目されている」として、「それを支えている」のが、電車は時間通り、お釣りは確認しなくても間違われない、夜に女性が1人でタクシーに乗ってもさらわれる、という「高信頼性社会ではないか」と述べています。
 「国際標準と日本の産業力」では、「日本人は、集団の中から長を出せない」と言われると述して、「一旦決まったことには、たとえ最初はそのことに意義があっても、決められたことに従うという行動様式が苦手」であり、「自らの集団の独自の個性にこだわりを持ちすぎ、外の世界を知らずに自分たちの考えが正しいと思ってしまう側面も持っている」と述べています。
 「他流試合」では、トクヴィルの「一つの国について知らない者は、実はその国についても知ってはいない」という言葉を引用し、「地方政治もその地域や現状にとどまっているのではなく、他の地域と交流したり、そのパフォーマンスを競い合ったりして、変化を促すことで本当の姿が見えてくる」のではないかと述べています。
 「人気と期待」では、世の中で発揮されているリーダーシップについて、
(1)統治型、上意下達のベクトルであり、上からの統制によってリーダーシップを支えるもの。
(2)人々の気持ちを集めることによってリーダーシップを支えるベクトル。
の2つのベクトルによって支えられていると述べたうえで、「国民の期待を煽ることは、政治システムに無理を強いる」として、「最高権力者はその任期の前期には公約の実現を試みるが、任期の後期になると成功の見せかけを作らなければならなくなる」と指摘しています。
 「ポピュリズム」では、ポピュリストが、「政治に『金持ち』と『庶民』との、あるいは『エリート』と『人民』との二元論的対立が存在するようなレトリックを駆使する」として、「こうした二元論は、利害調整を必要とする政治対立の場面をも道徳的次元で捉える『モラリスト』的政治解釈を将来し、複雑な結論よりも、白・黒をはっきりさせることを促す」と述べ、「政治争点の単純化は、物事の潜在的な内部対立を覆い隠し、本質を見えなくすることにもなる」として、「大衆が指示する政治権力者の大衆迎合的な政策を助長させることとなる」と指摘しています。
 そして、ポピュリズムが、「海外においても、現代日本政治の中でも閉塞状況において決断を下してくれるものに対する待望感が生み出しているとも言え、そこにリーダーの『決断主義』を期待する傾向を見て取ることもできよう」と述べています。
 「改革が成功しない理由?」では、「改革者にも2つの異なった性格を想定することができる」として、
(1)「功利的な」改革者:国益には関心があるが、その分配には関心がない
(2)「派閥的な」改革者:総所得の向上よりも、「正しい」人々にとって利益があるかどうか
の2点を挙げ、「改革者は、しがらみのない、また全体の社会構成関数の向上を狙うものだと考えられているが、実際は派閥的利益を追求する改革者である」と指摘しています。
 「劇場型政治は終わらない」では、「劇場型の政治家には改革政治家という側面が強い」と述べたうえで、政治リーダーの手法の共通点として、
(1)改革型の政治リーダーは、サプライサイドを重視する。
(2)保守系の政治家あるいは保守思想の持ち主が多く、「善・悪」の対立を明確化し、自らが「モラルヒーロー」としての存在であることを利用する。
(3)有権者の認識(パーセプション)の特性を上手く利用する。
などの点を挙げた上で、小泉元首相や田中前長野県知事のような政治家の退場にもかかわらず、「劇場型政治を生み出した土壌は、まだあまり変わっていない」と指摘しています。
 「世論を動員する政治手法」では、「アメリカにおける世論の動員を重視する政治手法を確立したのは、第一次世界大戦時代のウィルソン大統領であった」としたうえで、ウィルソン以降は、「大統領の直接的なうったえにより世論を動員することが政治的慣習となっていった」として、
(1)「大統領は演説その他によって直接国民に訴えかけ、世論を形成し、場合によってはそれを議会に自分の考え方を受け入れさせるための原動力としてよい」という認識
(2)「国民を動かすには、国民の感情を喚起し、争点を分かり易く単純化したり、その願いを満たすような修辞(レトリック)を用いてもよい」という認識
の2つの大きな特徴を挙げています。
 「We must change to remain the same!(変わらずに生き残るためには、自ら変わらなければならない)」では、「日本語には、自然の描写の中で私たちの生活に密接な認識を与えてくれる表現が多い」として、「潮目が変わる」という表現ほど「その本質をついた言葉はないような気がする」と述べています。
 そして、日本の政治リーダーが、「有権者は、対立するのではなく差異を認め、すべてを包含するような、新たなものを作り出す価値観を求め始めているというのに、リーダーたちは過去の成功体験にもとづく対立軸にこだわり続けている」として、ヴィスコンティ作品『山猫』に登場するサリーナ公爵の言葉、「変わらずに生き残るためには、自ら変わらなければならない」という言葉を引用し、「自らが変わろうとしている人や国家、地域にこそ、これからの未来があるだろう」と述べています。
 本書は、日本の民主主義を考える数多くのきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ポピュリズム政治と言えば、首相の郵政見直し発言をきっかけに、本書でも取り上げていた小泉元首相の周辺が騒がしくなったような気がしますが、やっぱりニュースを見てワクワクさせる、というのは、その評価は別として、一つの才能なのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・「民主化」という言葉はアメリカの属国になることだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 杉原 佳堯 『ソフトな政治』
 大嶽 秀夫 『小泉純一郎 ポピュリズムの研究―その戦略と手法』 2007年06月19日
 大嶽 秀夫 『日本型ポピュリズム―政治への期待と幻滅』 2007年05月29日
 飯島 勲 『小泉官邸秘録』 2008年01月30日
 田中 康夫 『日本を』 2006年11月28日
 チームニッポン特命取材班 『「脱・談合知事」田中康夫―裏切り談合知事は逮捕、談合排除知事は落選。』 2007年05月02日


■ 百夜百音

ゴールデン☆ベスト【ゴールデン☆ベスト】 かまやつひろし オリジナル盤発売: 2006

 いつもひらがなで表記されていたので知りませんでしたが、「釜萢」って書くんですね。確かに「釜萢 弘」では誰のことだかわからないです。

『Sing a Simple Melody』Sing a Simple Melody

2009年2月13日 (金)

民営化される戦争―21世紀の民族紛争と企業

■ 書籍情報

民営化される戦争―21世紀の民族紛争と企業   【民営化される戦争―21世紀の民族紛争と企業】(#1485)

  本山 美彦
  価格: ¥2100 (税込)
  ナカニシヤ出版(2004/10)

 本書は、「現在、イラクの戦場で吹き荒れている歴史の強風」である「民主化」の「説教調の衣の下」に隠された、権力側からは叙述されない「俗悪な物欲・支配欲」の「鎧」を、記録しておくことを目的としたものです。
 第1章「アラブの惨状と軍事請負企業(PMC)の蹉跌」では、「兵站業務(物資補給)はもちろん、復興・医療・建設・兵員訓練、等等のあらゆる業務をペンタゴンから受注していて、現地の人々にとって、世紀の軍事活動と民間業務との区別はほとんどつかなくなっている」と述べた上で、21世紀の戦争の特徴として、
(1)これまであった軍人と民間人との明確な区分けができなくなった。
(2)詩切り案・コントロールの意味合いが異なってきた。
(3)冷戦の終りとともに、弱小国の政府がPMCの治安維持力に依存するようになった。
(4)ハイテク武器に依存するようになった。
(5)軍事行動のハイテク化に伴い、PMCの専門家に依存する度合いが強くなった。
の5点を挙げています。
 そして、PMCの区分として、
(1)直接軍事行動に出る企業(軍事プロバイダー)
(2)軍事コンサルタント企業
(3)軍事支援企業
の3つを挙げています。
 また、傭兵がジュネーブ条約第47条で正式に禁止されているが、「PMCは、自らを傭兵ではないと弁明している」と述べています。
 さらに、民間軍事会社が不正利得を取得している例を指摘し、「コスト削減は口実で、実際には、緊密に形成されている新しい軍官産複合体が戦争をビジネスとして利用している構図が浮かび上がる」と述べています。
 第2章「新しい軍産複合体」では、米国で出版された『Corporate Warriors』という本のタイトルについて、「企業戦士」と約したくなるが、「企業が、社員を戦地に派遣し、軍事サービスを提供して制服を着用した正規軍人の肩代わりをするという、異常な事態をこの用語は表現している」と解説しています。
 また、「戦闘に参加しているPMCの従業員は正規軍の先輩に当たる人が多い」ため、「PMCが正規軍に命令を下す場合が多々ある」と述べています。
 第3章「ベクテルのアバーブ・ザ・ライン」では、「国防予算がGNPの7%(日本は1%)、国家予算の60%を超えるという古今東西に類例のない巨額の軍事予算を持つ米国で軍事大国化への反乱が生じないのは、その莫大な軍事支出が、多国籍化した超巨大企業の世界支配を支えてきたからに他ならない」と指摘した上で、「これまでの米国式企業統治論の多くは、差しさわりのない人事の『きれいごと』ばかりを云々してきた傾向が強い」として、「いかなる外部からの統治も拒否し、そのくせ、外部に対しては、大統領すら動かしうる米巨大企業の行動様式に対して、私たちはいま少し関心を高めるべきだ」と述べています。
 第4章「兵站技術の革命家ウォルマートと労働の破壊」でjは、「ペンタゴンとウォルマートの連携は、兵站技術の開発にある」として、「ウォルマートの兵站技術は世界でトップクラス」にあり、「いまや先輩の軍の方が兵站技術を民間企業から学ぶようになった」と述べています。
 そして、「労働の破壊」を内包する「グローバリゼーションの陥穽」を指摘したいと述べ、「グローバリズムとは『ウォルマート化』(Walmartization)のことであるとして、『ウォルマート化』という単語が反グローバリズムを標榜するさいの象徴的な言葉になっている」とした上で、「専門的職業をパートタイマーで置き換える同社のグローバル戦略は必ず進出先の抵抗を受けて挫折する」と述べています。
 第5章「サダム・フセインの世界経済指摘意義」では、OPECの主要メンバーであるクウェートが、「加盟国の経済破綻をもたらすような石油増産・安売りが、いかに犯罪的な敵対行為となるか」を十分に承知した上で「あえて盗掘した」ことは、「イラクを挑発していたと見なされるべきである」と述べています
 そして、「イラン・イラク戦争後、経済的に疲弊したイラクに、狙い済ましたように、米軍を中心とする多国籍軍が侵攻した」経緯を見る限り、「イラクを単に『侵略主義者』と決め付けるのは、一方的に過ぎる」と指摘しています。
 第6章「『日米投資イニシアティブ報告書』に見る米国の対日株式交換圧力」では、『日米投資イニシアティブ報告書』に盛り込まれた米国の要求を検討することで、「日本の経済政策がいかに米国の要求どおりのものであるのかを検証すること」を目的とすると述べています。
 そして、対日進出米国企業の成功例として紹介されている、リップルウッドの専用ファンドで買収された新生銀行(旧日本長期信用銀行)が、「企業を再生させるどころか、瑕疵担保条項を利用して、顧客の企業を強制的に倒産に追い込み、その再建を政府に買わすという手段を多用して、『あまりにも露骨な収益確保策』を採用するハゲタカ・ファンドとして多くの日本人からの批判を受けた」と述べたうえで、「小泉構造改革には、日本の社会風土に根ざした政策など何一つない。全ては、米国でアレンジされた政策を、オリジナリティのないお利口さんとして、そのまま日本に導入しただけ」だと指摘し、小泉首相は、「指令通り実施したのでほめてくださいと、尻尾を振る、飼い主の米国にとって可愛いポチ以外のなにものでもない」と述べています。
 第7章「ブッシュのイラク攻撃決意とユーロ」では、2003年の財務省のドル買い介入の規模、回数が、「ともに、史上空前絶後のものであった」とした上で、「外貨準備に組み込まれている米国債は、ドル安で既に8兆円もの評価損が発生している」と述べています。
 また、冷戦終結後、米国が、中央アジアとコーカサスを戦略的重要地域としていることについて、「これはもはや共産主義の侵入を防ぐためではなく、ロシアと中国が『資本主義国』としてこの地域で影響力を強めることを阻止することが目標である」と指摘し、「実際には、米国とロシアは宣戦布告なき戦争状態に既に入っているのではないだろうか」と述べています。
 さらに、日本が、「円高阻止のために、ドル買い介入を継続している」のではなく、「ドル没落阻止を明確に目指して、無謀なドル買いを行っている」として、「ドルからユーロへと準備通貨がシフトする世界の傾向に抗して、日本が懸命に足掻いている姿がそこには見て取れる」と述べています。
 第8章「消えたアフガニスタンのドル化案」では、「近年、米国の新古典派経済学者たちの中で流行している考え方」として、「アフガニスタンのドル化」(dollerizing Afghanistan)を取り上げ、「ドル化によって、これら諸国の経済圏駅を全て貨幣高権の行使によって乗っ取ってしまおうという、とんでもない傲慢な理論」だとして、「市場化万能というスローガンの影で米国資本の展開場所の確保といった露骨なエゴを衣の下に隠している」と述べています。
 第10章「ルパード・マードック帝国とメディア戦争」では、イラク侵攻を、参加の170を超えるメディアを動員して、「子ブッシュを積極的に応援した」マードックへの論功行賞として、2003年のディレクTVの買収認可は、「子ブッシュと子パウエルが提供した破格の厚遇であった」と述べています。
 第11章「近年の民族紛争略史」では、田中宇の指摘として、「内戦に陥りやすい国は、石油や金など地下資源の輸出がその国の経済を支えていて、しかも極貧状態にある、(複数)民族国家」だと述べています。
 本書は、アメリカの軍事行動を支える経済的な構造を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 タイトルにある戦争の民営化の話は冒頭部分だけで、全体としては、著者がいかにアメリカのことを嫌いか、ということが伝わってきます。
 歴とした文部科学省のCOEのお金が入った研究で、価格も2100円に抑えられているのですが、子ブッシュに尻尾を振るポチ小泉、といった感じのアジビラみたいな言葉遣いが多く見られるのも新鮮です。


■ どんな人にオススメ?

・アメリカが嫌いな人。


■ 関連しそうな本

 菅原 出 『外注される戦争―民間軍事会社の正体』 2008年01月07日
 松本 利秋 『戦争民営化―10兆円ビジネスの全貌』 2008年12月25日
 高木 徹 『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』 2006年11月27日
 アンヌ・モレリ (著), 永田 千奈 (翻訳) 『戦争プロパガンダ 10の法則』 2007年11月01日
 ポール・ポースト (著), 山形浩生 (翻訳) 『戦争の経済学』 2008年12月05日
 P.W. シンガー (著), 山崎 淳 (翻訳) 『戦争請負会社』


■ 百夜百マンガ

特攻の島【特攻の島 】

 「特攻」と聞くと飛行機の方を思い浮かべる人が多いのではないかと思いますが、魚雷や船による特攻もあったということで。

2009年2月12日 (木)

なぜ政府は信頼されないのか―MPAテキスト

■ 書籍情報

なぜ政府は信頼されないのか―MPAテキスト   【なぜ政府は信頼されないのか―MPAテキスト】(#1484)

  Jr.,ジョセフ・S. ナイ, デビッド・C. キング, フィリップ・D. ゼリコウ (著), 嶋本 恵美 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  英治出版(2002/3/1)

 本書は、「民主的社会におけるいっそうの理解及び公共サービスの向上を促す」という使命のもと、「政府への信頼がなぜ損なわれたか」を見ているものです。
 序論「政府に対する信頼の低下」では、「政府に対する信頼が低下している」とした上で、本書の目的は、「解決策を示すことではなく、今、民主主義的な統治の発展段階のどの辺りにいるのかをよりよく理解できるように障害物を取り除くこと」だとして、
(1)その領域:政府は何をするのか
(2)その業績:仕事ぶりはどうか
(3)その業績の認識:それを国民はどう見ているか
の3つの問いを通してそれを進め、「原因についての一連の政治的・経済的・社会文化的仮説を検討する」としています。
 第1章「変わりゆく政府の領域」では、「人々が政府を信頼しなくなった」理由として、「政府の領域の問題」がよく挙げられているとした上で、「産業化に巻き込まれた労働者の暮らし」が、
(1)比べものにならないほど豊富な日用品を手に入れられるようになった。
(2)多くの労働者から自宅から離れた職場に出向くようになり、家族がいっしょに過ごす時間が減少した。
の2つの点等で変化したが、「こうした大きな変化に対応して、政府は行動の範囲を狭めたり広げたりした」と述べています。
 そして、第二次世界大戦によって、「米国人が『政府』というとき」に、「それまでは、政府というと地方または州の政府をさすことが多かった」が、「『政府』といえばワシントンDCを意味するようになった」と述べています。
 著者は、「これからの政府の領域を考える際、まずしなければならないのは、答えを必要としている問題を見極めること」だとして、「出てきている重要な問題は、以前の産業革命のときとは違うはずだ」と述べています。
 第2章「政府の業績を評価する」では、「米国の連邦政府についてハッキリしているのは、国民がその業績をほとんど評価していないことだ」とした上で、「国や政府の達成度を評価する方法にはどれも問題がある」が、「歴史的評価や比較分析評価は何らかの役には立つ」と述べています。
 そして、「米国政府の効率を評価しようとすると、どうしても大雑把なものになる」が、「ここ30~40年間の米国政府の業績」について、「大半の米国民が政府に対して抱いている圧倒的に否定的な印象を正当化するほどではないが、概して失望させられるようなものだ」と述べています。
 第3章「失墜――政府への信頼を失った国民」では、「政府が良くならないで悪くなっているという確信と今日の官僚の能力不足は、現代政治の大きな特徴となった」とした上で、「大衆が政府に敵意を抱いていることは深刻に受け止めるべきであり、解決策を見つけるには、国民の見方と期待がどういうものであるかを細かく分析しなければならない」と述べています。
 そして、行政府、連邦議会、最高裁判所に対する信頼が、「1966年から71年のあいだに急落し、その後はわずかに下向き(84年頃に少し回復したのを除いて)かなり低い水準にとどまっている」と述べ、「州政府と地方自治体は、、それより少しはましという程度だ」と述べています。
 また、「政府に対する満足感は、認識と期待のどちらにも左右される」として、私たちの認識が、「長期的・短期的視点の両方を反映している」と述べています。
 第4章「ほんとうに経済のせいか」では、「実際に経済実績が信頼の低下に決定的役割を果たしたかどうかはまったく明らかではない」として、
(1)経済実績の尺度
(2)実績の受け止められ方、評価のされ方
(3)どの程度、その政府の責任だとみなされるか
の3点においてハッキリしないと述べています。
 そして、米国民が、「伸びが減速したのは自分が生産性を向上させられなかったからだという事実に直面しないで、人のせいにしている」と指摘し、「成長の鈍化と不平等の拡大は責務を果たそうとする政府に大きな課題を突きつけている」と述べています。
 第5章「不満の社会的・文化的原因」では、「この30年間に社会的・文化的変化が米国政府に対する満足度に及ぼした影響の大半は、政府の業績の質を低下させたことによる間接的なものだった」とした上で、「現代の民主的政府が抱える最大の問題のいくつかは、その原因に社会的・文化的変化があるようだ」と指摘しています。
 そして、「政府へのオーバーロードをもたらす社会的・文化的変化は、大半の先進国において政府の業績が低下したことの間接的説明になっている」と述べています。
 第6章「政党の分極化と政府への不信」では、「政党が極端になってきても、米国の有権者は支持する政策とイデオロギーが比較的一定していた」として、「米国民は基本的選択を大きく変えて」おらず、「政治指導層の間でイデオロギーに隔たりができて、国民と政府の溝が広がった」隙間に入り込んだのが、「不信と、ますます分極化している両党の候補者に票を分割するという新しい習慣だった」と述べています。
 そして、「政治イデオロギーの様々な観点から見て最近、ゆっくりと少しずつ保守化の傾向が現れている」と述べるとともに、「連邦議会で党が結束を強めてきている」ことを指摘しています。
 第7章「不信の政治学」では、政治学者ヒュー・ヘクロが、「国民がこれまでになかったほど不信を募らせている一方で、統治に携わっていることになっているワシントン人たちからこれほど注視され、口説かれ、相談されたこともかつてなかったという事実」を「正当性の逆説」としてあげるとともに、「4つの密接に関連している展開症候群が米国政治にある」として、
(1)テクノロジーと管理に関するもの
(2)米国政治に以前から存在する制度である、熱烈な党員と議会
(3)昔からある党、教会、地域活動、経済的利益集団を通して行われていたような様々な「運動」にシステムが開放されたこと
(4)公共政策の普遍的範囲に関する国民の認識であり、目につく社会的成果を政府の意図または失敗のせいにすること
の4点を挙げています。
 そして、「われわれの現在と将来について考える手がかり」として、「米国には、一世代もの間、昔と比べて、あるいは予期していたより経済的・社会的に恵まれないままだったグループ」として、
(1)都市のスラム街に住む若者で、多くが黒人で、安定した家庭、教育、仕事、われわれと共有できる価値観などを持っていない。
(2)かつてブルーカラー中流階級と呼ばれた人々で、今では様々なホワイトカラーも仲間入りしており、黒人より白人が多く、大半が男性で、彼らの父親は第二次大戦後の繁栄の最たる受益者だった。
の2つがあり、「今日の社会の『不安を抱いている階級』――より正確には不安を抱いている有権者――の中心層がここにいる」と述べています。
 第8章「米国における意識の変化」では、「米国で過去30年間に見られるようになった」、政府への不信と問題解決能力に対する懐疑的態度の進展を実際に即してたどっていくとしています。
 そして、「米国人が政府を信頼しなくなっていること関連する大きな要因として、連邦政府が国の最も深刻な問題の多くを解決するのに失敗したという国民の認識がある」としています。
 また、この30年間に起こったもう一つの文化的傾向として、「人々が他人を信頼しなくなったこと」を挙げるとともに、「経済発展によって生存に関する安全度が高くなると、大衆は権威に従わなくなる」が、「逆に、不安定な状況のときは権威主義的反応――大衆が強い権威主義的な指導者を求めて理想化する傾向――を起こす」と述べています。
 第9章「ポスト物質主義的価値と制度における権威の失墜」では、「ポスト物質主義的な価値観の出現はポスト近代の変化の一つであり、先進国の国民が政府の業績を評価するときの基準を変化させている」として、「先進国ではエリートの立場が以前より難しくなった」と述べています。
 そして、「一般大衆の政治的直接行動が拡大している」ことと、「投票率の低下や党員の減少」について、紛らわしい理由として、「エリートが先導している参加は減っているが、もっと自発的で積極的な形の参加は増えている」という「二つの異なるプロセスをいっしょにしている」と述べています。
 また、「権威が尊重されなくなり、民衆参加が増える長期的傾向は続いているだけでなく新しい性格を帯びるようになっている」として、「ポスト近代の社会では、力点が投票からもっと積極的で問題点を特定した形の民衆参加へと移行している」と指摘しています。
 第10章「日本における国民の信頼と民主主義」では、日本における不満の特徴として、
(1)政治不信は戦後の時代の特徴であった。
(2)国民の不満が官僚や官僚制ではなく、政治家と清司に集中していた。
(3)矛先が地方ではなく中央省庁に向けられている度合いが高い。
(4)もっとも不信を募らせていたのが都市の住民、高学歴層、若年層であった。
の4点を挙げています。
 そして、日本に固有の不満が、「経済的な生活状況が飛躍的に向上した50年代から80年代にかけてなくならなかったばかりか高まっており、経済的要因が政治不信の主な原因だというのは疑わざるを得ない」と述べています。
 また、「日欧米委員会の大半の国より民主主義の歴史がはるかに短い日本に不満が見られることは、脱工業時代の不快感が決して西欧諸国だけのものではないことを示している」と述べています。
 結論「新たな統治方法へ向けて」では、日本が戦後政治の発展において独自の道を歩んだことに関して、ひとつの政治的仮説として、「日本の政界の上層部が(イタリアの政界と同じように)腐敗しきっているとずっと思われてきたからではないか」と述べています。
 本書は、世界各国に共通する政府不信を比較分析した一冊です。


■ 個人的な視点から

 編者の一人ジョセフ・ナイ氏は、オバマ政権の駐日大使になるといわれていますが、「ソフト・パワー」の提唱者である氏が日本をどのように見るのかが楽しみでもあるような気もします。


■ どんな人にオススメ?

・政府不信は日本だけだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 ジョセフ・S・ナイ (著), 山岡 洋一 (翻訳) 『ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力』 2007年04月27日
 ジョセフ S.ナイ・ジュニア (著), 田中 明彦, 村田 晃嗣 (翻訳) 『国際紛争―理論と歴史』
 Jr.,ジョセフ・S. ナイ, ジョン・D. ドナヒュー (著), 嶋本 恵美 (翻訳) 『グローバル化で世界はどう変わるか―ガバナンスへの挑戦と展望』
 中村 伊知哉, 小野打 恵 『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像』 2006年11月29日
 堀淵 清治 『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』 2007年04月15日
 杉山 知之 『クール・ジャパン 世界が買いたがる日本』 2007年08月19日


■ 百夜百マンガ

プラネテス【プラネテス 】

 アメリカとロシアの人工衛星がぶつかって大量のデブリが発生したということですが、まじめにデブリ回収業者が成り立つようになるかもしれません。

2009年2月11日 (水)

失敗学―デザイン工学のパラドクス

■ 書籍情報

失敗学―デザイン工学のパラドクス   【失敗学―デザイン工学のパラドクス】(#1483)

  ヘンリ ペトロスキ (著), 北村 美都穂 (翻訳), 柏木 博
  価格: ¥2520 (税込)
  青土社(2007/07)

 本書は、「デザインにおける成功と失敗との相互作用を考究し、とくに、成功達成において失敗に対する反応と失敗の予想とが演ずる重要な役割について」述べたものです。
 第1章「プラトンの岩屋からパワーポイントまで」では、「工学、科学、電気、及びコンピュータの発達は、われわれをプラトンの岩屋から開放すると同時に、もうひとつの岩屋の中に閉じこめた」として、現代の岩屋は、「一群の人々が、その時代を規定する規範に縛られて、岩屋のような部屋に座らされ」、「人々が座る床は椅子に、また相互にしっかりと固定され、人々の目は、前のスクリーンに映る映像に釘付けにされている」などのように述べています。
 そして、パワーポイントを用いた講演について、「話者はコンピュータ・スクリーンにだけ話しかけているばかりか、そのスクリーン上の箇条書きと画像に集中している」上、「話者の多くはまた、パワーポイント・スライドを一字一句読み上げるだけで、『スクリーンに現れ、大声で話され、聴衆の前の交付資料(一部では「置き去り資料」として知られる)にプリントされたのと全く同じテキストを読むという、三重発表の罪』をおかすことになる」と述べています。
 著者は、「新しい技術は当然古い技術を駆逐するが、古い技術がもはや容易には利用できなくなると、新しい技術は古い技術を機能の面でも用語の面でも模倣するもの」であるが、「新しい技術があらゆる面で古い技術より優れているということにはならない。それは、デザイン改変に先立ってどれほど包括的で意図的な事前の失敗分析がなされたかいなかにかかっている」と述べたうえで、「デザインはつねにデザインを生む。だが、デザインは人間の活動だから、不完全なものでもある。デザインされたすべてのものには限界と欠点がある」として、「成功する新しい事物は、それが置き換わることを意図した事物が失敗したような仕方では失敗しない事物なのだ」と述べています。
 第2章「デザインの成功と失敗」では、「世の中には、どんな些細な失敗をも、受け入れるどころか、容易には見過ごさない一群の人々がいる」として、「この人々とは、世界中の発明家、エンジニア、デザイナーたちで、世界の中の事物を通じて世界を改良しようとつねに試みている人々である。これら恐れを知らぬ意図的な先駆者たちにとっては、いかなる種類の失敗も、不満ではなくて好機なのである」と述べています。
 そして、「最初のデザイン上の選択がある恣意的な決定に基づいていたとしても、その選択の後に起こった多くのことが、それらのいずれかを変えて、失敗の集中を招くことはないようにする、ということが往々にして起こる」と述べています。
 第3章「手に触れ得ないもの」では、「あらゆる種類のシステムもまた大きな意味ではデザインされるものである」として、書物を棚に並べる完全な現代のシステムが、「17世紀になるまで広く受け入れられるところとは」ならなかったと述べています。
 そして、「エンジニアされた事物またはシステムが、先行事物またはシステムに劣るように意図的に作られるということはない」が、「成功したお手本の後では、とりわけ歴史的な流れが抜きにされると、しばしば失敗する結果に終わるのだ」と指摘しています。
 第4章「小さいものと大きいもの」では、「19世紀には、小さい事物と大きい事物とを分ける線は、多少とも容易に引くことができた」として、「ふたつの個別の、だが関連した発展があり、小さいものと大きいものとの区分を先鋭にした」と述べ、
(1)手作りでは、分業の有利さにも関わらず、われわれが今日消費者向け商品と呼ぶようなものを、信頼でき、能率良く、経済的な仕方でより大量に産出することが、できなくなってきていた。
(2)部品から出発して複雑なシステムを組み立て建設することがますます多くなった。 
の2点を挙げています。
 第5章「成功の上に成功を」では、「鋼と安全なエレヴェーターとが広く使われるようになる前に、ビルの高さ全般を制約していたのは、人々がいやがらずに登ってくれる階段の踊り場の数だった」として、「エレヴェーターが鋼以上に、摩天楼を可能にしたのだ」と述べています。
 そして、「高価な摩天楼は、建てるのにも運営するのにも、もっと能率的な(控えめな)事務所空間よりも、賃貸面積当たりのコストがずっと高くつく」ため、「摩天楼建設は財政的失敗の可能性の固まりのような事業決定だった」が、「形にはならない別の利益」として、「イタリアの塔のように、突き出た摩天楼は権力と影響力の表示であって、たいていの人が自分の側にほしいと思う種類の質である」ため、「競争相手からきわだたせるイメージに極めて多くを頼りたい銀行や保険会社のような事業体が先に立って、社名をつけた摩天楼を建てた」と述べています。
 第6章「飛び石から超長橋へ」では、「橋の最大のものは、世界で最も大きく最も野心的な、意図的にデザインされた構造物に数えられるが、成功の模倣によってではなく、失敗への反応として進化してきた」として、「とりわけ、巨大な事故が近代の橋のデザインの革命的な変化の原因となった」と述べています。
 そして、「橋の進化は、他のすべての作られたものの進化と同じように、現状の技術の欠陥と限界を──現実のものと感じられるものとを含めて──見つけだし克服することによって進行する」と述べています。
 また、「デザインの誤りの詳細は橋のオーナーや将来のユーザーの気にかけるところではなく、かれらはは自然体の形が失敗のもとだと考えた」として、「その種の失敗に対する自然な反応は、その建造物をはっきり強化されたとわかる形で再建するか、代わりにまったく違った型の建造物を建てるかのどちらかである」と述べています。
 著者は、「失敗を克服し限界を乗り越えることが、発明やエンジニアリングやデザインのすべてが行うこと」であるが、「不幸なことに勝利は人を酔わせることがある」として、「成功はやがて失敗に出会う。この方が繰り返される」と述べています。
 第7章「歴史としての未来」では、「デザインにはヤヌス神の顔があって、いつも後方と前方とを見ている」として、「過去の側ではデザインは、尊敬に値するとともに改良を加えるべき事物に満ちた、心わくわくするとともにまだ不完全な世界を、同時に見ている」、「予想の面では、デザインはあまりにも安易に、完全な世界、ユーザーに親切で間違うことのない世界を見ている」と述べています。
 また、スペースシャトルの失敗について、NASAの「より早く、より良く、よりやすく」という哲学と、より現実的な哲学との対照について、「スローガニアリング対エンジニアリング」と評した言葉を紹介しています。
 そして、「あらゆるエンジニアリングまたはデザインの問題にはふたつの対し方がある」として、「成功に基づくのと失敗に基づくのと」をあげ、「矛盾しているが、後者すなわち失敗に基づく対し方の方がつねに成功することになりやすい」と述べています。
 さらに、「きわめてよく人目を引く悲劇的な失敗が起こった直後には、制約を課する傾向が生ずるが、技術の固定を立法化する試みは、社会全体にとっては必ずしも最も効果的な公共政策ではない」として、1992年のハリケーン・アンドルーのもとで健在だったタイルの屋根が、ハリケーン・チャーリーでは「広凡な失敗を被った」として、「タイルをミサイルのように風下の近隣に送りつけた」ことを挙げ、「過去の成功は未来の成功の保証にはならない」と述べています。
 著者は、「良いデザインはつねに失敗を計算に入れ、それを最小にするよう努力している」が、「デザイナーは何よりも人間で」あるとして、「成功の魅力に用心し、失敗の教訓に耳を傾けるのはわれわれの義務である」と述べています。
 本書は、過去の失敗に学ぶことが成功に通じていることを、広範な事例とともに教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「失敗学」というタイトルは本としては相当売れるキーワードのようで、アマゾンで検索したら300件以上関連文書がヒットしました。
 本書の元の題が『Success through Failure: The Paradox of Design』ということを考えるとそれほど外れではないですが、「Paradox」という言葉は英語圏では受けやすいタイトルなのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・失敗は成功の母だと思える人。


■ 関連しそうな本

 ヘンリー・ペトロスキー (著), 忠平 美幸 (翻訳) 『ゼムクリップから技術の世界が見える-アイデアが形になるまで』 2008年04月17日
 ヘンリー ペトロスキー (著), 忠平 美幸 (翻訳) 『フォークの歯はなぜ四本になったか―実用品の進化論』 2005年12月31日
 ヘンリー ペトロスキー (著), 池田 栄一 (翻訳) 『本棚の歴史』 2006年03月12日
 ヘンリー ペトロスキー (著), 中島 秀人, 綾野 博之 (翻訳) 『橋はなぜ落ちたのか―設計の失敗学』 2008年08月09日
 ヘンリー ペトロスキー (著), 渡辺 潤, 岡田 朋之 (翻訳) 『鉛筆と人間』 2008年07月04日
 ヘンリー ペトロスキー (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『もっと長い橋、もっと丈夫なビル―未知の領域に挑んだ技術者たちの物語』 2008年08月12日


■ 百夜百音

ANRI the BEST【ANRI the BEST】 杏里 オリジナル盤発売: 2000

 いつも、「オリビアを聴きながら」を聴くたびに、ジャスミンティー飲んだら目が覚めるだろうに、と思ってはいたのですが、それにしても、半音下がりのコード進行は、もう一つの代表曲「悲しみがとまらない」とイメージがかぶるのですが、やはり林哲司先生も「オビリア~」を意識して作曲されたのでしょうか。

2009年2月10日 (火)

女性(あなた)の知らない7つのルール―男たちのビジネス社会で賢く生きる法

■ 書籍情報

女性(あなた)の知らない7つのルール―男たちのビジネス社会で賢く生きる法   【女性(あなた)の知らない7つのルール―男たちのビジネス社会で賢く生きる法】(#1482)

  エイドリアン メンデル (著), 坂野 尚子 (翻訳)
  価格: ¥1680 (税込)
  ダイヤモンド社(1997/07)

 本書は、「仕事をするうえで苦労したり、実力を発揮できない女性が多い」のは、「男性中心に展開してきたビジネス社会に存在する『暗黙のルール』を彼女たちが知らない」からだとして、「女性も男性たちのルールを知り、それを活用すればビジネスの勘所がつかめること」を示したものです。
 第1章「こうして『男性』はできあがる」では、「男性と女性は全く別々の成長過程をたどる」として、「こうした違いに対する知識を深め」ることが、「いままで腑に落ちなかった互いのふるまいや態度を理解可能にしてくれる」と述べています。
 第2章「男女の違い」では、「職場では、男性のルールと論理が基盤になっているため、男性の道徳観が適用されている」として、「男性の道徳観を理解することは、女性にとっても必要だ」と述べています。
 そして、「男性は効果的に働くために、厳格なグループ組織、明確な役割、徹底的な階級制度、そしてチーム精神を求める」と述べています。
 第3章「ビジネスは男性中心のゲーム」では、男性が、「責任や義務を果たすことで自分の存在を確認する」ため、「仕事が大変重要なものとなってくる」と述べています。
 そして、「いまのところ職場は男性によって支配されている」ので、「彼らと同じ場所でゲームをしたいのなら、そのルールを知らなくてはならない。そして、ルールと上手に付き合っていく方法を知る必要がある」と述べています。
 第4章「【ルール1】できるふりをする」では、「ときには、自分の思い以上に有能なふりをすることが必要な場合もある」として、「ほとんどの場合、失敗のリスクは大きなものではない」ので、「もし自分を有能だと思うなら、その有能さを外に見せることもお勧めする」と述べています。
 また、男性にとって「質問」の意味は、「相手より劣ることを認める意味を持つ」と述べています。
 第5章「【ルール2】自分を強く見せる」では、「自分の態度を振り返り、上司に頼っているように見えていないか確かめよう。単に自立するのではなく、自立を明確に示すのである」として、「男性にとって依存心は弱さを意味する」と述べています。
 第6章「【ルール3】つらくても継続する」では、仕事を開拓する上で必要な「4つの単純な目標」として、
・人から理解され、好感をもたれること
・人にあなたが何をしているか知らせること
・人にあなたがその道のプロであると知らせること
・人にあなたが仕事を請けたがっていると知らせること
の4点を挙げ、「生活に支障なく、これらの目標が達成できる創造的な方法を見つけよう」と述べています。
 第7章「【ルール4】感情的にならない」では、「人間関係を気づかい、それを育てようとする傾向は女性の強みである」が、「弱みになる可能性もある」として、「顧客のことや自分の立場にこだわりすぎて、客観性を失ってしまう」ことを指摘しています。
 第8章「【ルール5】アグレッシブになる」では、「男性的風土の組織では、自分に注目を集めなければリスクを負うことになる」として、「自分の業績は明確に主張しよう」、「静かに、そして上品に、自分が達成したことを必ず認められるように申し出よう」と述べています。
 第9章「【ルール6】戦う!」では、「女性は、他人の弱みに付け込むことをためらったり、逆に付け込まれると起こったりする」が、「もし、敵の弱みに付け込むことが最も手っ取り早く適切な方法であるならば、そこを攻撃してみよう」と述べています。
 第10章「【ルール7】真のチームプレーヤーになる」では、「チームの一員だと認識してもらえる服装は重要だ」として、「ユニフォームを着ることは、ハイヒールを履いて男性を喜ばせるのとは異なる。男性は互いの関係をたしかなものとするためにユニフォームを着用する。だから女性の同僚にもユニフォームの着用を期待する。それは媚びを売るサインではなく、チームの一因であることを知らせるサインなのだ」と述べています。
 また、「男性は互いのメンツを守ることに気を使う」として、「他の男性が全力を傾けてもどうにもならない場合に助けることをよしとする」と述べています。
 第11章「【欠点1】失敗を恐れすぎる」では、「成功した男性は、失敗に対して共通の姿勢をとっている」として、
・間違いを犯しても訂正してしまえば人に報告する必要はない。
・訂正に助けが必要なら誰かに依頼しよう。そして直すのだ。
・もし直せないのなら、失敗によるダメージを最小限にとどめること。
・その失敗に関してはそれで終り。忘れてしまおう。
という態度を挙げています。
 第12章「【欠点2】消極的すぎる」では、「女性は誰かが悲しんでいるのに気づいたり、イライラをなだめたりすることに長けている。それを謝るというかたちで表す」が、男性は、「単に問題をうまく進めたいだけだ」として、「怒っている人やイヤな気分になっている人を、そのまま放っておくことに慣れよう」と述べています。
 第13章「【欠点3】優先順位をつけられない」では、「多くの女性にとって、完璧主義が妨げになっている」として、「最高の仕事とは、必要な結果を最短の時間と最小の労力で得ることである」と述べています。
 第15章「『女性排除』という攻撃」では、「少年時代と同じで、男性は大人になっても男だけのグループから女性を追い出そうとする」として、「男性には知り合い同士の自由な集まりとしてのネットワークがある。高校や大学、会合や食事会、ふるさとの会やスポーツジム等で知り合った人脈」を挙げ、「男性はこのネットワークのメンバーを友人と考える」として、「こうしたネットワークに女性を入れないというやり方が、女性を活躍の場から遠ざける際にとても効果がある」と指摘しています。
 第17章「『脅し』という攻撃」では、「大声を出す男性を癇癪もちの子どもと思えばいい。大人の男性なら大声など出さずにきちんと話せるはずなのだから」として、「大声や罵声に負けないこと。怒鳴るのは弱い男性の武器である。あなたが相手を怖がる以上に、相手はあなたを怖がっていることを覚えておこう」と述べています。
 第18章「『セクハラ』と『男女差別』という攻撃」では、「セクハラの加害者は、女性との付き合い方が下手な男性」とされるのは固定観念であり、「セクハラは虐待的な態度の一つで、加害者の多くは何人もの女性を虐待してきている。彼らは、権力への欲求を充たすことや、他人を犠牲にして不安感に打ち勝つことを求めている」と述べています。
 第19章「働く女性の未来の役割」では、「ルールを学んで自分のために役立ててもらいたい」とした上で、「自分の強みを評価する。自分に正直になる。自分が変わる必要のあるようなシステムには入らない」ことが「さらに大切」だと述べています。
 本書は、女性だけでなく、男性にとっても自分たちが暗黙のうちにしたがっているルールについて教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読むと、なぜ就職に体育会系出身者が有利なのか、ということがわかるような気がします。
 一方で、1980年代以降に青春時代を過した体育会系嫌いの社会人が増えた最近では、こういった男性社会の組織文化になじめない人も相当多いのではないかと思います。
 とはいえ、こういう文化が残る組織で成功する人は男性社会の体育会系組織文化に適応できる人だということを考えると、男性社会の文化が変わるのには時間がかかりそうです。


■ どんな人にオススメ?

・男性中心の組織文化に疑問をもっている人。


■ 関連しそうな本

 ロザベス・モス カンター (著), 高井 葉子 (翻訳) 『企業のなかの男と女―女性が増えれば職場が変わる』 2005年10月11日
 佐野 陽子, 志野 澄人, 嶋根 政充 (編著) 『ジェンダー・マネジメント―21世紀型男女共創企業に向けて』 2005年12月06日
 赤岡 功, 長坂 寛, 渡辺 峻, 筒井 清子, 山岡 煕子 『男女共同参画と女性労働―新しい働き方の実現をめざして』 2005年09月08日
 白波瀬 佐和子 『少子高齢社会のみえない格差―ジェンダー・世代・階層のゆくえ』 2006年03月10日
 樋口 美雄, 太田 清, 家計経済研究所 (編集) 『女性たちの平成不況―デフレで働き方・暮らしはどう変わったか』 2006年03月30日
 本田 由紀 『女性の就業と親子関係―母親たちの階層戦略』 2006年05月23日


■ 百夜百マンガ

ジナス-ZENITH【ジナス-ZENITH 】

 どうしても「湘爆の人」という印象が強すぎて、そういう作品のオファーが多いのではないかと思いますが、ヒデトラにしてもそうですが、伝奇モノっぽい作品も書きたいようです。というか、湘爆系の作品にしても、人間の恐怖を描くシーンには気合が入っているような気がします。

2009年2月 9日 (月)

子どもが本好きになる瞬間(とき)―学校図書館で見つけた元気の出る話

■ 書籍情報

子どもが本好きになる瞬間(とき)―学校図書館で見つけた元気の出る話   【子どもが本好きになる瞬間(とき)―学校図書館で見つけた元気の出る話】(#1481)

  五十嵐 絹子
  価格: ¥1785 (税込)
  国土社(2008/02)

 本書は、図書館活用教育で全国に知られている鶴岡市立朝暘第一小学校で学校司書として取り組んできた著者が、「一人ひとりの子どもと本との出会いには、それぞれの経緯があり、そこにはすてきな物語が生まれ、語れば感動のドラマがあり、それはまさに人間変革のドキュメント」だとして、「子どもたちが本好きになっていった本当にあった話」を綴ったものです。
 第1章「本を読む子は必ず伸びる」では、「学校図書館の仕事に長年携わって、一番気になるのがめったに図書館に来ない子どもたちのこと」だったとして、「学校図書館のいいところは、本が苦手な子も利用対象者」であり、「その子が好きそうな本を紹介」したり、「『聞く読書』や『読み聞かせ』で本の楽しさを満喫させ、いつか本を手に取る日が来るのを期待」すると述べています。
 そして、「図書館はここの子どもたちとかかわるところ」であり、「一人ひとりの『読みたい』『調べたい』『何かないか』に応えることができるところ」であり、「学校図書館を活かした教育活動は、全国的にもっともっと広がって欲しい」と語っています。
 第2章「どのようにして本好きな子を育てたのか」では、学校は、毎年教職員の移動が常となっているが、「読書を習慣化し、それを定着させる効果的な取り組みは、伝承文化のように各学年に語り継がれ、継承されていくことが必要」だとして、「図書館スタッフは、前年度の優れた取り組みを、伝統文化の語り部のように、新しく赴任してきた教職員に伝えるオリエンテーションを毎年」行ってきたと述べています。
 また、「読書」を「生活に根ざした日常の習慣」にするために、試行錯誤を繰り返し、「子ども自身から学びながら修正を加えつつ積み上げてきた読書教育」だとして、「日々進化と深化を遂げている朝暘一小の読書教育を発達段階ごとに」、
(1)読書動機(きっかけ)
(2)読書時間の確保
(3)読書訓練(レベルアップトレーニング)
(4)読書生活の習慣化
の4段階で解説しています。
 そして、「読書は放っておいて自然にできるもの」ではなく、「文字を読めることと、本を読めることとは別の次元」で、「文字を読んで頭の中にその映像を描けることが、読書できるようになるファーストステップ」ではないかと述べています。
 さらに、朝読書の効果として、「毎朝、物語に自分の気持ちが入ってから一日が始まる、というのがそう快でたまりません」という子どもの言葉を紹介しています。
 著者は、「図書館スタッフへの信頼感と、図書館への期待や利用度とは比例する」と述べています。
 第3章「学級で取り組む読書活動と図書館の活用」では、「図書館活用教育は、一部の先生だけでなく学校全体で、しかも普段の教育活動で当たり前に行われてこそ子どもたちの力になり真価を発揮」するとして、「先生たちの普段の読書指導のノウハウ」を、「職員用図書館だより」で紙上発信したことが、「図書館を活用した教育活動の情報に加えて、様々な相乗効果をもたらした」と述べています。
 第4章「特別支援を要する子供たちに図書館を活かして」では、落ち着きがなく、「3年生になっても、時に落ち着きのない行動をしてしまっては、まわりの子達から顰蹙を買うことが多かった」ただしくん(仮名)が、「お話の中に入って楽しむことが好きな子」だったので、「本を読むことも抵抗なくできて」いて、3学年の担任から「図書の時間」に「30分の静読を習慣づけていく中で、ただしくんの読書も次第に変わっていった」と述べています。
 第5章「『みんなでみんなを育てる』読書ボランティアと心を合わせて」では、朝暘一小の読書活動を支えている「保護者や地域の方たちによる図書館ボランティア」である読書支援サークル「本のたからばこ」を紹介しています。
 そして、「読み聞かせに適した本の選び方」として、
(1)低学年・・・いろいろな楽しい本と出合わせたい
(2)中学年・・・物語、民話、歴史、化学、ノンフィクションなどいろいろな分野の本を
(3)高学年・・・心に染み入る作品でたくさんの感動体験を!
の3点を、「読み聞かせに適した絵本」として、
(1)遠目のきく本
(2)見やすい場面割り
(3)絵と文のバランスの良さ
の3点をそれぞれ紹介しています。
 第6章「図書館で、教室で、職員室で、一冊の本をめぐるすてきな話」では、障害者に対して、「マイナー」なイメージを持っていた先生が、山本おさむ作『どんぐりの家』に出会ったことで、「障害は誰にでも起きうることで、できる人もできない人も、健康な人もそうでない人も皆いっしょに生きていくんだ、ということに気づかされた」というエピソードを紹介し、「一冊の本の一人の感動が小さな波紋をつくり、次第に広がっていきます。図書館はその中継地点になり、受信したり、発信したり、そんな位置にいるのかもしれません」と述べています。
 第7章「子ども時代の読書は何をもたらしたのか」では、「子ども時代にたくさんの本と出合い読書を楽しんだ人たちにとって、読書はその後の人生にどのような影響を与えている」のかを、「子ども自身からの生の声で、なぜ本を読むようになったのか、読書は自分にとってなんだったのかを語って」もらっています。
 また、「先生みたいな学校司書になりたい」といわれることは、「学校司書冥利に尽きる思い」だと語っています。
 さらに、「読書は興味の幅を広げます。現在の自分が多趣味ということは、小学校の読書経験が一番直結しています。本による情報によって、興味が広がり、可能性も広がりました」という、大学生になった卒業生の言葉を紹介しています。
 第8章「学校図書館スタッフのあなたへ」では、非常勤職員の学校司書の方が、「週に1~2回、1日4時間とわずかな日数と少ない勤務時間で学校図書館の仕事をされている」が、「ほとんど勤務日以外の日も仕事の準備などに時間を費やしてしまいがち」だと紹介した上で、平成に入ってから「新しい学力観」として、「教えこみ一辺倒の教育から、児童自ら学び方を学ぶ学習が打ち出された」が、「学校図書館で図書・資料を使って児童生徒自身が調べる学習を展開する」という「新しい学習スタイルがなかなか広がっていないのが現実」で、先生方の問題もあるが、学校図書館自体が、「教育課程の展開に寄与」する機能を備えていなかったことを指摘しています。
 そして、「学校図書館こそ、日本の未来展望を切り開く『学びの宝庫』」であり、「『書庫』を『宝庫』に変えるのはあなたです」と語っています。
 第9章「本は『生きる力』」では、「子ども達は、自らの力で本を読み、本を楽しみ、本で渇きを癒し、本から養分を吸い取り、本を通して友達と共感しあい、魂を輝かせてきた」が、「子どもたちが本を手にするには、大人の力が必要」だと述べています。
 「おわりに」では、学校図書館の現場で長年学校司書の仕事をしてきて、「何が嬉しいといって、子どもが本好きに変わる瞬間や成長する姿を目にするときほど元気の出る楽しいことはありません」と語っています。
 本書は、子どもたちの成長の瞬間を数多く綴った一冊です。


■ 個人的な視点から

 自分の子どもたちにも本好きになって欲しいと思いますが、学校も大事ではあるけれども、家庭での読み聞かせや、図書館に行く習慣、本を読む習慣などがまずは大事なのではないかと自己弁護しています。


■ どんな人にオススメ?

・ほんとの素敵な出会いを見たい人。


■ 関連しそうな本

 五十嵐 絹子 『夢を追い続けた学校司書の四十年―図書館活用教育の可能性にいどむ』 2008年06月17日
 山形県鶴岡市立朝暘第一小学校, 高鷲 忠美 『こうすれば子どもが育つ学校が変わる―学校図書館活用教育ハンドブック』
 山形県鶴岡市立朝暘第一小学校 『みつける つかむ つたえあう―図書館を活用した授業の創造』
 山形県鶴岡市立朝暘第一小学校 『図書館へ行こう!図書館クイズ―オリエンテーション・図書委員会資料付 知識と情報の宝庫=図書館活用術』


■ 百夜百マンガ

翔んだカップル21【翔んだカップル21 】

 作者の代表作の「二世モノ」作品。親子二代で因縁の対決というのは二世漫画の基本ですが、なにも三角関係まで二代に渡らなくてもと思うのですが。

2009年2月 8日 (日)

先生と生徒の恋愛問題

■ 書籍情報

先生と生徒の恋愛問題   【先生と生徒の恋愛問題】(#1480)

  宮 淑子
  価格: ¥714 (税込)
  新潮社(2008/11)

 本書は、教師と生徒の恋愛という学校現場のタブーを取り上げ、「わいせつ行為で処分された先生や年齢差を乗り越えて結婚したケースなど、当事者たちの生々しい言葉」で構成したものです。
 「プロローグ」では、2001年に起きた「中国道女子中学生転落死事件」(援助交際をしようとして、教師が中学1年の少女に手錠をかけ、中国道を車で走行中、逃げだそうとした少女が転落死した事件)以来、「文部科学省が、教師の性的な行為はすべて『わいせつ行為』と括り、懲戒免職の対象にし始めたことから、本来は『恋愛』と捉えられるものでさえ、一様に『わいせつ行為』とくくられ、教師側への処分に傾く傾向になってきたこと」に疑問が生じると述べています。
 第1章「先生を許さない!」では、教師と生徒との恋愛の当事者の一方である元生徒の言葉から、「教師と生徒という関係における恋愛は、『相手の期待に添えるようにがんばってしまう』ことがある」として、「学校の成績がいい生徒は、学校や先生が持つ価値観を先回りして捉え、自分の思いとは別に、求められる価値観に過剰に適応してしまう」ことを指摘しています。
 第2章「隠蔽された禁断の恋」では、先生側の立場から、「生徒との恋愛が発覚すると、突然その日から教師の方は、『性的存在だ』という目で見られてしまう」として、それからは同僚も生徒も「見る目が変わって」しまい、「どんなにがんばっても認めてくれない」、「今まで積み上げたものは一瞬で消えて」しまったと述べています。
 そして、「教師が信頼を失うのは簡単」だとして、「公になると、教師には『処分』が待ち受ける傾向になってきた」と述べています。
 第3章「『淫行』で逮捕された先生」では、ある県の青少年健全育成条例に抵触した「淫行教師」として逮捕され、懲戒免職を受け、逮捕後に起訴猶予になったため、「有罪でも無罪でもないという中途半端な立場で、その後の人生を過ごすことになった」例を取り上げています。
 そして、「淫行規定」は、「解釈次第でどうにでもなる」、青少年健全育成条例が、「認知事件」(警察が発生を認知した事件)であるため、「そこに恣意性が多分に入る余地がある」とする当事者の言葉を紹介しています。
 そして、生徒がアルバイト先で優しくしてくれる男性とつきあうことになり、教師と別れた後に、彼の父親が、「後見人」として、学校に二人の関係を糺しにきて、警察官と接触したために、逮捕となり、世間に公けになったと述べています。
 第4章「先生と生徒は幸福になったのか?」では、教え子の3年生と恋愛関係になった中学校の教師が、生徒の卒業を待って6月に結婚したが、7月に出産したことから、「教師と教え子の女子生徒という関係の時からつきあい、妊娠させていたことが公になり、青少年健全育成条例に抵触するとして、県教育委員会から懲戒免職処分を受けてしまった」例を紹介しています。
 そして、職を失った後も民間企業の営業職で働いていたが、将来に向けて医療関係の専門学校で学んでいるときに、アルバイトをしながら2人の子育てをしていた妻が、アルバイト先の若い男性に唆され、突然失踪してしまったと述べています。
 第5章「『清らかな交際』のゆくえ」では、「教師と生徒の恋について、禁断の恋だ、(教師の側には)教育公務員としてのモラルが欠落する行為だ、わいせつ行為だ、と騒がれるようになったのは最近」で、「1980年代までは、ひと知れず愛を育み、結婚したカップル、また学校という場で誕生した予想外のカップルとして、周囲から驚かれながらも祝福されていたのではないか」と述べています。
 そして、教え子と結婚した教師に、成功談や秘訣を訪ねようとしたが、「周りにうまくいっている教師と生徒の夫婦なんて、一組もいません」と「みんな断られてしまった」と述べています。
 また、ある現役校長は、「教師には生徒にのめり込みやすい性質があるゆえに、恋愛には要注意」だとして、「情熱的な教師、ハートを持つ教師ほど、生徒に恋愛感情を持ちやすい」としたうえで、「意識して選んでいるわけではないけれど、自然発生的に」、「可愛くてハートのある子を『選ぶ』の」だと語っています。
 第6章「女教師と男子生徒との恋愛模様」では、男子生徒からの「コクられ体験者」の女教師は結構多いが、女教師と男子生徒の恋愛関係は「数としては圧倒的に少ない」と述べています。
 そして、「女教師と男子生徒」が結婚まで至ったケースとして、年齢差16歳、教師には夫と2人の子供がいたが、その後愛を貫いて結婚し、「女教師は教え子との子どもを3人出産した」というケースを取り上げ、「女教師と教え子」のカップルとして生きることは、「社会の通念、道徳との闘いを常に迫られながら生きることであり、周りの愛しい人たちを悲しませる罪深い行為なのだろうか」と述べています。
 第7章「過去が裁かれるとき」では、中学校教師と教え子が、生徒が高校進学後恋愛関係になり、後に学校の生徒指導担当から注意を受けたことから別れ、それぞれ結婚し子どもももうけていた14年後に、「ある圧力団体に所属する」と自称する男性が、元生徒の代理人として教師に過去の交際について面談を申し込み、教師の過去を避難する抗議文を県教委に提出したことから、「ふたりの過去が再び公」になり、諭旨免職を勧められたがこれを断ったことから懲戒免職処分を受けた事例を取り上げています。
 そして、裁判で争った結果、県教委が「十分な弁明の機会を与えず、かなり強引に処分を下した」として、懲戒免職処分が取り消され、停職6ヶ月の処分を受け、現場復帰したと述べています。
 第8章「文部科学省とタブー」では、「行政の立場からすると、性的行為は『非行』なので」あり、「性的行為があったということが『外形的』に明らかになれば、懲戒免職になるということであり、個人の事情は斟酌されないことになる」と述べています。
 第9章「恋愛と『みだらな性行為』との境界」では、最高裁の判例では、「『淫行規定』がかなり限定的に解釈された」としたうえで、「たとえ合意があっても、青少年の心身の健全な育成を阻害するおそれがあり、社会通念上、非難に値する行為=淫行だ」として、
(1)青少年を教育する職務上強い支配関係下で行われる性行為
(2)家出中の青少年を誘った性行為
(3)一面識もないのに性交渉だけを目的に短時間のうちに青少年に会って性行為すること
(4)代償として金品などの利益提供やその約束の元に行われる性行為
の4点を挙げ、教師と生徒の恋愛は、(1)に相当するため淫行とされると解説しています。
 第10章「『処分された恋愛第一号』を訪ねて」では、「教師と生徒の恋愛のすてきなモデルと見られるのが嫌」だとする当事者の言葉を紹介しています。
 そして、「内心の自由に入る領域」である恋愛に第三者が介入することについて、「性的な行為というのは、女の子にとって妊娠の可能性、出産の可能性が出てくることを意味」することが、男性と違うとして、「経済的な自立ができる時期まで、あるいは、人生に対して自分で選択ができる時期まで、性的な行為は待つべきではないか」とする言葉を紹介しています。
 「エピローグ」では、「教師と生徒の恋愛はいまの時代、多大なリスクを覚悟しないとできない」と痛感したと述べたうえで、問題点として、
(1)教師と生徒の「恋愛」そのものを許すべきか否か
(2)性的行為は「許されざる非行」か
(3)結婚は必要条件か
(4)第三者の判定は可能か
(5)「わいせつ行為」の認定は可能か
(6)妥当な処分はどのようなものか
の6点を挙げています。
 著者は、「行き過ぎた処分主義の横行は、ひとが本来持っているひとを愛する素直な気持ちの芽を摘んでしまうのではないか」との懸念を述べています。
 本書は、教育現場のタブーに正面過ぎるくらいに正面から取り組んだ一冊です。


■ 個人的な視点から

 教師と生徒のラブストーリーといえば、『おくさまは18歳』を思い出してしまうのは50代くらいの人が多いのではないかと思いますが、再放送で見たことあるような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・先生と生徒の間の恋愛は有りうると思う人。


■ 関連しそうな本

 宮 淑子 『黙りこくる少女たち―教室の中の「性」と「聖」』
 宮 淑子 『セクシュアル・ハラスメント』
 宮台 真司, 山本 直英, 藤井 誠二, 速水 由紀子, 宮 淑子, 平野 広朗, 金住 典子, 平野 裕二 (著) 『「性の自己決定」原論―援助交際・売買春・子どもの性』


■ 百夜百音

First Contact【First Contact】 →Pia-no-jaC← オリジナル盤発売: 2008

 これ見ちゃうとカホン欲しくなります。そうやってだんだんパーカッションが増えていってしまうのですが、そういえばボンゴもタンバリンもそうやって買ってしまった気がします。

2009年2月 7日 (土)

僕の起業は亡命から始まった!―アンドリュー・グローブ半生の自伝―


■ 書籍情報

僕の起業は亡命から始まった!―アンドリュー・グローブ半生の自伝―   【僕の起業は亡命から始まった!―アンドリュー・グローブ半生の自伝―】(#1479)

  アンドリュー・S・グローブ (著), 樫村 志保 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  日経BP社(2002/9/26)

 本書は、「半導体メーカー、インテルの創業に加わり、1987年には最高経営責任者(CEO)に就任、同社を世界のトップメーカーに育て上げた著名な企業経営者」であるアンドリュー・グローヴの初の自伝です。
 著者は、1936年にハンガリーのブダペストで生まれ、20歳になるまでに、「ハンガリーのファシスト政権による独裁政治、ドイツ軍の占領、ナチスの『ユダヤ人絶滅計画』、ソ連赤軍のブダペスト侵攻、終戦直後の民主主義の混乱期、共産党政権の圧制、武力で鎮圧された有名な革命を経験して生き延びた」と語っています。
 そして、1956年のハンガリー革命でソビエトの武力介入によって、多くの若者が殺され「20万人ものハンガリー人が西側へ脱出した」として、「私も、その一人である」と語っています。
 第1章「父と母」では、「当時の私の回りの世界では宗教が入り込む余地は一切なかった。我が家を訪れる人の中には、ユダヤ人もいたし、そうでない人もいた。ユダヤ人でない人々も、私たちと何も変わらないように思えた」と述べています。
 第2章「しょうこう熱」では、4歳のときに罹ったしょうこう熱で、数ヶ月に及ぶ闘病生活を送った末に、「包帯や絆創膏がなくなっても、私の耳はもう以前のようにはよく聞こえなかった」と述べています。
 第3章「戦争が始まる」では、「ドイツ兵の姿は市内のいたるところで見られるようになった。大きな隊列を組んで行進している部隊もいれば、肩から胸に機関銃をかけ一列縦隊で歩いている部隊もあった。トラックや軍隊輸送車が市内のあちこち、とくに感情どおりを走り回っていた」と語っています。
 第4章「ユダヤハウス」では、「ユダヤ人とユダヤ人でない人々の接触」等を禁じる新しい法律が告げられ、「ユダヤ人はみな、いま住んでいるアパートを所定の日までに出て、ユダヤ人の家として特別に指定された建物に移らなければならなくなった」として、その家は入り口に大きな黄色いダビデの星が描かれていたため「星の家」と呼ばれていたと述べています。
 そして、「上着の胸の心臓の上に当たる部分に黄色いダビデの星を付けさせられ」、「星を付けないでユダヤハウスの外にでることは禁じられた」と述べています。
 第6章「戦後の日々」では、ある日アパートにやってきた、「ひどくやせ衰え、汚れた男」が、捕虜収容所でひん死の重病を煩った父親だったことに、「私はうろたえた。これが父のはずなのだが、私には見覚えがなかった。父を愛しているはずなのに、自分の気持ちがわからなかった。確かだったのは、私が母に父は帰ってこないと頑固に言い続けていたこと……そしていま、父はここにいる。私は自分が間違っていたことを恥ずかしく思った」と語っています。
 第7章「エヴァンゲーリクシュ・ギムナジウム」では、「ギムナジウムは教会の附属学校のほうが質が高い」という理由から、ハンガリーのプロテスタントで第2に大きい宗派、ルター派が運営するエヴァンゲーリクシュ・ギムナジウムに通うことになったと語っています。
 そして、「私は耳のせいで教室の最前列の席に座った。耳は相変わらず膿がたまってよく聞こえなかったが、先生がその席のまん前で教室全体によく聞こえるような大声で話してくれれば、ちゃんと聞こえた」ことや、「ほとんどの生徒は互いに姓で呼び合っていた」が、著者は、「戦後の数年間で太った」ために、「同級生たちからプフィ(でぶの意)からレォフィ(豚がたてる音)までいろいろなあだ名で呼ばれるようになった」ことなどを語っています。
 さらに、「共産党に対して複雑な感情を抱いていた」として、「一方では、母と私を救ってくれたのは彼らだと感じていた。それについてはとても感謝していたし、感謝の気持ちから彼らのことも彼らの主張も信じたいという思いがあった」が、「反面、共産党は権力を握って以来、私たちの日々の生活にますます干渉するようになった」と述べています。
 第8章「共産党政権下で」では、新しい「ドブ・ウッツァ学校の先生」が、「明らかに多くが新米」で、「先生になれたのは、教える技術があったからではなく、共産党政府の見解を代弁できる能力があったからなのだ」と述べ、歴史の授業でも、「歴史の教科書と先生によれば、日本は攻め入ったロシア軍に降伏した」とされているが、「アメリカが日本に勝つための窮余の策だったと説明していた原子爆弾の記述は、一行もなかった」として、当時、「戦争を終わらせたのはアメリカの原子爆弾だと誰もが考えていた」ことを「先生に指摘したくて仕方なかったが、思い直してやめた」、「どんなにささいなことであれ、共産党がらみの見解に異を唱えるのは賢明ではないと思えた」と述べています。
 そして、「内面的に豊かで多彩な顔を持つ自分。それを文章で表現してみたいという野望を抱」き、「ジャーナリストになる機会」を得ることができたが、「伯父が逮捕され、拘禁され」たことをきっかけに新聞に文章が掲載されなくなったことに気づき、「ジャーナリズムの仕事は突然、色あせて見えた」と語っています。
 第9章「マダーチ・ギムナジウム」では、「子ども向けの簡単な化学実験の本に出会ったこと」をきっかけに、「ギムナジウムでの4年間、私はますます化学に熱中するようになった」と述べ、「化学歴のハイライト」として、「本物のニトログリセリンを作ったこと」を挙げています。
 第10章「ブダペスト大学一年生」では、ブダペスト大学で親しくなったゾルターンについて、「私はそれまでユダヤ人でない親友を持ったことがなかったし、ゾルターンもユダヤ人の親友を持ったことがなかった」と述べ、「ゾルターンの辛辣なウィットや鋭い洞察力にも、また西側の文学や音楽に対する関心の高さにも感嘆するばかりだった」として、ハンガリー語で、「『嫌なユダヤ人』という二単語の頭文字がビスマス(蒼鉛)という金属元素の記号とほぼ同じで、『バカな異教徒』の頭文字は水銀の記号と完全に一致すること」に気づき、お互いに「ビスマス」、「水銀」とからかいあったことを語っています。
 第12章「革命勃発」では、1956年のハンガリー革命について、膨れ上がった群集が大通り全体を占拠し、本来ハンガリー国王の紋章が描かれた場所に、共産党がソビエトのシンボルである「交差した金づちと鎌を小麦の束が囲んでいるマーク」に取り替えられていたハンガリーの国旗から、共産党マークを切り取り、真ん中に穴の開いた旗が飾られた光景を見て、「旗は永久に変えられたのだ」、「私たちはもう後戻りできない一線を越えてしまった」と思い、「少し不安を覚えた」と語っています。
 第13章「国境を越える」では、著者のおばのマンツィがあわてて「行かなくちゃだめ。それもいますぐに」と勧めたことについて、「マンツィおばの訪問が全てを変えた。おばはアウシュヴィッツの生き残りであり、ありうる最悪の事態をその眼で見てきた人である。それに感情的になる人ではなかったので、間違っても大げさなことを言うはずがなかった」と語っています。
 そして、国を出るためにアパートを出て家族と別れるときに、「アパートの鍵を無意識にポケットに入れておいた」ことに気づき、「たぶん、もう必要ないと思うから」と言って母親に鍵を渡したことを語っています。
 また、夜にまぎれて国境線のぬかるみの原野を何マイルも歩いたところで、近くの家から出てきた男から、ハンガリー語で「そこにいるのは誰だ?」、「安心しなさい。ここはオーストリアだ」と声をかけられたときに、「一瞬、私は頭の中が真っ白になり、ドッと安心感に襲われほとんど息がつけなかった。急に体中から汗が吹き出した」と語っています。
 その後、ウィーンにたどり着き、検閲を恐れ両親ではなくマンツィに自分の到着を伝える手紙を送った著者は、「何年も自分が信じていないことを信じる不利をし、私とは違う誰かの一部を演じてきたけれど、これでもう二度と自分を偽らなくてすむかもしれない。そんな考えがふと頭をよぎった」と語っています。
 第14章「アメリカへ」では、第二次大戦中にアメリカ軍兵士の輸送船として使われていた「ジェネラル・W・G・ハーン」号でヨーロッパを離れた著者が、ドーバー海峡を目にしたときに、「急にことの重大性が頭をよぎった。私はいま、ハンガリーを離れ、ドイツを旅して、初めて海を、そしてイギリスを見ている。どのでき事も、一つひとつがたった数週間前には想像もできないことだった。それがいま、矢継ぎ早に次々と起きている。私は感無量だった」と語っています。
 また、ハンガリーでは、「コーヒー」は「ヒッコリーの実を挽いて煎ったものから作られていた」が、「本物のコーヒーの味はとても素晴らしかった」こと、「黒人やアジア人は映画の中でしか見たことがなかった」が、「ここの乗務員は、白人と黒人、そして黒くも白くもない中間職の顔立ちの違う人で構成されていた」こと等を語っています。
 そして、「アメリカの第一印象はあまりよくなかった」として、「街には人っ子一人見えなかった。目に入るものといえば、道路の両側に駐車してある果てしない車の列だけだった」が、「道路に人影は全くなかったから、これらの車を運転する人はどこにいるのだろうと不思議に思った」と語っています。
 第15章「新しい生活」では、ニューヨークに住むマンツィの姉レンケと義兄のラヨーシュのもとに身を寄せた著者が、初めて実物のテレビを目にしたこと、大学で化学を学びたかったが、紹介されたブルックリン・ポリテクニック大学は私立大学なので、2千ドルの授業料を払わねばならず、「それは2百万ドルと言われたも同然の金額だった」こと、その後、授業料が無料のニューヨーク市立大学の化学工学科の学生として入学し首席で卒業したことなどを語っています。
 また、グリーンカードの申請をする際に、「Grof」という姓が「Gruff」と発音されてしまうことを嫌がり、「Grove」という姓に変える手続きをしたと述べています。
 「エピローグ」では、「以来一度もハンガリーに帰っていない」こと、そして、「どうにか湖を渡りきった──大いに努力し、大いに挫折し、そして、ほかの人々から大いに助けられて、励まされて」、「私はいまも泳いでいる」と語っています。
 本書は、インテルの創業者がそれまで口にすることのなかった壮絶な人生を語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 内容的には、後に出版された評伝『アンディ・グローブ』の上巻の前半部分に当たるところなので、重複する部分もありますが、やはり評伝で読むのと自ら語るものとでは迫力が違います。


■ どんな人にオススメ?

・IT起業家が背負っていた重たい歴史を読みたい人。


■ 関連しそうな本

 リチャード・S.テドロー (著), 有賀 裕子 (翻訳) 『アンディ・グローブ[上]―修羅場がつくった経営の巨人』 2009年01月23日
 リチャード・S.テドロー (著), 有賀裕子 (翻訳) 『アンディ・グローブ[下]―シリコンバレーを征したパラノイア』
 ケビン・メイニー (著), 有賀 裕子 (翻訳) 『貫徹の志 トーマス・ワトソン・シニア―IBMを発明した男』 2007年01月29日
 ルイス・V・ガースナー (著), 山岡 洋一, 高遠 裕子 (翻訳) 『巨象も踊る』 2005年03月21日
 ノーマン マクレイ 『フォン・ノイマンの生涯』 2006年11月21日
 ジョン・L. カスティ (著), 寺嶋 英志 (翻訳) 『プリンストン高等研究所物語』 2007年02月18日


■ 百夜百音

ベスト・オブ・マッドネス【ベスト・オブ・マッドネス】 マッドネス オリジナル盤発売: 1995

 ホンダ「シティ」のホンダァ、ホンダァ、ホンダァ、ホンダァのCM自体は覚えている人もいるかもしれませんが、その曲も入ってます。1984年のCMですね。

2009年2月 6日 (金)

ワールドインク なぜなら、ビジネスは政府よりも強いから

■ 書籍情報

ワールドインク なぜなら、ビジネスは政府よりも強いから   【ワールドインク なぜなら、ビジネスは政府よりも強いから】(#1478)

  ブルース ピアスキー (著), 東方 雅美 (翻訳)
  価格: ¥1995 (税込)
  英治出版(2008/4/8)

 本書は、「利益の出る製品と社会的な視点との融合という新たな状況を描き出し」、「資本主義経済において企業を今度何十年かにわたり動かしていく」であろう、「革命的なビジネスの真理を提示する」ものです。
 第1章「ワールドインクの時代――企業の役割が変化する」では、「仕事や生活において、変革を推し進めるような前向きな行動が、可能であるだけでなく、同時に利益をもたらす」として、「社会対応型資本主義(Social Response Capitalism)」の仕組みについて、「個人の選択が積み重なると、テコの力で世界さえも動かせる」と述べています。
 第2章「フロンティアをめざせ――『社会対応』とは何か」では、「グローバル・エクイティ文化」が、「事業の利幅を減少させ、競争を世界に広げ、競争の厳しさを強める。グローバル・エクイティ文化は、勝者と敗者を決める社会の力だ」として、「ある会社の製品が山積みの社会問題を解決し、信頼できる年金やより高い賃金、きれいな空気と水などをもたらすとき、グローバル・エクイティ文化はその製品を賞賛し、資金を提供する」と述べています。
 そして、「ビジネスにおける社会に関連した側面」を「Sフロンティア」と名づけ、
(1)新たな世界市場の情報の速さ(Swiftness)
(2)われわれの前に立ちはだかる主要な社会問題の厳しさ(Severity)
(3)社会対応(Social Response)の資本主義の必要性
の3つの現実を表すことができると述べています。
 また、「大衆が社会をより意識した製品を要求し、手に入れるというこのチャンス」を、「意識の高い資本主義(conscious capitalism)」の夜明けだと紹介した上で、「企業戦略には、新たな三種の神器が生まれた」として、
(1)価格
(2)技術的品質
(3)社会対応(social response)
の3点を挙げています。
 さらに、「21世紀の最初の10年で、社会対応型資本主義は企業のエンジンを作り直す完璧なツールだということが明らかになり、より良い世界に向けてエンジンを動かしていくことが明らかになるだろう」と述べています。
 第3章「社会対応型資本主義――経済は根本から進化する」では、「社会対応型の製品開発(SRPD: Social Response Product development)」を「資本主義の新たな形である」と述べたうえで、「持続的に利益を得るには、山積みの社会的問題を解決するよう、資金と経営資源とエネルギーと人間を活用しなければならない」と述べています。
 そして、社会対応の製品開発の利点をして、
(1)利益率の向上
(2)サイクルタイムの短縮
(3)世界市場へのアクセス
(4)製品の差別化
(5)製品の価値に社会性を組み込む
(6)企業のリスク・プレミアムを減らす
の6点を挙げています。
 第4章「トヨタに学ぶ――『持続可能な成長』への戦略」では、「トヨタは社会対応型資本主義を実行し、成功して大きな利益をあげている」として、同社の製品戦略の核は、「人々のこの先のニーズを読むこと」だと述べ、1957年のアメリカ市場参入以来、「アメリカの競合企業を上回る優位性」として、
(1)トヨタは「ムダのない生産方式」を開発した。
(2)トヨタは長持ちする品質を提供することができた。
(3)トヨタのブランドは若い世代のあいだで人気が出始めた。
の3点に気づいたと述べています。
 そして、トヨタが、「新技術を用いて、過去を改善し、新たなものを加える。そうすることにより市場をすばやく、効率的に変えようとしている」としたうえで、「じょうご」型の製品グループから生まれる戦略面での機敏さによって、「政府の要求や社会の意識、そしてそれらが形成する市場のトレンドなどによって動かされる」経営環境における競争力を手に入れたと述べています。
 また、「今世紀、グローバル化と国際市場での激しい競争が進む中で、自社の従業員と顧客が求める社会的ニーズに対して、自動車メーカーはどうすれば最善の方法で応えられるだろうか」と問いかけ、「トヨタがとっている方法は、真に前進的な動きだ。同社の社会的製品という選択は示唆に富み、大変に優れたものだ」と述べています。
 第5章「隠れた企業価値を探せ──屋敷の構造を解き明かす」では、「現代の多国籍企業が直面する課題と機械をイメージ」するために、「巨大企業を『屋敷』として考えてみる」として、
(1)ナレッジの深さ:企業の基盤部分
(2)ナレッジの階層:企業のナレッジと組織のピラミッドの高さ
(3)ナレッジの耐性:企業のナレッジの壁
(4)ナレッジへの依存:他の企業のモデルとなる製品やサービス
の4つからなるモデルを提示しています。
 そして、「耐久力があり依存される製品をもつ企業のみが、企業の価値を持続可能な未来へと運ぶことができる」として、「そのためには、あなたの会社のナレッジの深さと耐性の中から、新たな価値とアイディアを見つけるためのカギが必要だ」と述べています。
 第6章「信頼できるリーダーを育てる──10のレッスン」では、「人間は、リーダーになるとはどういうことなのか、何度も何度も繰り返し学ばなければならない。リーダーについての何らかの見解を持つ前に、最善のリーダーと最悪のリーダーについて知っておく必要がある」と述べた上で、「リーダーシップについてのパラドックスや、リーダーの愚かさや力についての話」としt、え
(1)市場の制約の中から優れた製品を作り出す
(2)バランスをとり、ヘッジする
(3)リーダーシップとは社会におけるあり方のことである
(4)リーダーは説明する力がある──トゥーングッドの著作から学ぶ
(5)社会的リーダーのモデル、リンカーン
(6)リーダーは成長のための新しい道筋を見出す──トムズ・オブ・メインの事例から学ぶ
(7)価値観を重視する──ペインの著作から学ぶ
(8)外の世界とその動きについて知る──バージニア・メイソン病院の事例から学ぶ
(8)憧れの企業から発想を得る──GEのエコマジネーションから学ぶ
(10)企業文化が勝者を決める。その逆ではない
の10のレッスンを挙げています。
 そして、「世界のためにあなたが良いことをしているとわかったならば、困難な選択、例えば『社会のニーズや職人的なこだわりと、利益をあげることの間でバランスを取ること』など、もはやトレードオフの問題とはならないはずだ」と述べています。
 第7章「ヒューレット・パッカードの世界観──すべては『あなた』次第だ」では、「社会対応」という力が、「近い将来ビジネスの現場をどう変えるのだろうか」として、新たな経済社会のリーダーであるHPの事例を取り上げ、「社会を変える」というHPのビジョンについて検討しています。
 そして、「HPはIT分野の様々な成長市場で製品やサービスを提供しているが、それでもその市場には世界の人口の10%だけしか含まれていない」という根本的な事実は、「HPの経営陣が交代しても変化していない」と述べています。
 また、「ピラミッドの底辺」に取り組むために、HPが、
(1)零細企業促進プログラム
(2)デジタル・コミュニティ・センター
(3)マイクロファイナンス
(4)iコミュニティ
などの戦略を発展途上国で展開し始めたと述べています。
 さらに、HPにおいて特筆すべき点として、「同社がグローバル社会における富について、新たな見方を作り出そうとしていること」を挙げています。
 第8章「お金は自分では動かない──投資家が変わる、市場が変わる」では、「ブームの頂点では、投資家は売り上げの10%増、利益の10%増を期待するようになる。しかし、簡単な計算でわかるはずだが、それを永遠に続けることはできない。このことが明らかになると、経営陣は数字を弄ぶようになる。こうしたことは、全てのビジネス・サイクルで起こる」とするドラッカーの言葉を引用した上で、「より良い世界を追求するに当たって、もはやドラッカーに問うことはできない新世紀の質問」として、
(1)優れた情報技術とファイナンスのツールを使って、このような愚かなパターンを打ち砕くことができるか。
(2)一般の消費者や笛続ける個人投資家が、暗号を見破って、騙されて損をするのを避けることは可能なのか。
の2点を挙げています。
 そして、「企業が社会的な面でどのように実績を挙げるかを知れば知るほど、ある企業への投資のリスクとリターン、そして社会的な位置づけと将来の見通しを評価できるようになる」と述べています。
 第9章「われわれの新たな責任──価値の変化にどう向き合うか」では、「グローバル・エクイティ文化の話をするとき、格付け機関をヘリコプターにたとえる。寡黙な企業の上空でパトロールするヘリコプターだ。格付け機関はわれわれの投資を危険から守ってくれる」としたうえで、「文化や政策や情報がぶつかり合った結果、市場において大小の企業の新たな形が生まれてきた」という「グローバル・エクイティ文化」の形態が、「企業の正否を左右し、格付け機関の発言力を決める。最終的には、格付け機関による企業価値評価のツールが、良い世界を作るための最善の道具だということが証明されるかもしれない」と述べ、「最も有望な5つの評価機関」として、
・バリュー・クリエーション・インデックス(VCI)
・カルバート
・イノベスト
・IRRC
・S&P
の5つを取り上げています。
 そして、「われわれには、政府と企業の両方が必要だ。政府に対しては、資源やエネルギーの差し迫るニーズに対する解決策を探す上で、強い役割を求める必要がある。加えて、政府には、社会対応の企業という新しい勢力を支え、励ましてもらわなければならない」と述べています。
 本書は、「より良い世界」における企業のあり方を官gなえるヒントを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 第9章の格付け会社の紹介は、ちょっと宣伝ぽい印象というか、雑誌で言えば記事広告的な印象を受けましたが、全体としては説得力ある一冊かと思います。
 社会的に良いことをすることが会社の評判を高める、というCSR的な「企業市民」論ではなく、社会に良いことをする方向(低燃費の車の開発など)で商品を開発することが世界を変えていく、というのは非常にポジティブなメッセージと思います。


■ どんな人にオススメ?

・社会に良いことは余ったお金でやることだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 フィリップ・コトラー, ナンシー・リー (著), 早稲田大学大学院恩藏研究室 (翻訳) 『社会的責任のマーケティング―「事業の成功」と「CSR」を両立する』 2008年01月24日
 フィリップ コトラー/ナンシー リー (著), スカイライトコンサルティング (翻訳) 『社会が変わるマーケティング――民間企業の知恵を公共サービスに活かす』 2008年02月26日
 フィリップ コトラー, エデュアルド L. ロベルト (著), 井関利明(監訳) 『ソーシャル・マーケティング』 2005年02月14日
 フランシス ウェスリー, ブレンダ ツィンマーマン, マイケル クイン パットン, エリック ヤング (著), 東出 顕子 (翻訳) 『誰が世界を変えるのか ソーシャルイノベーションはここから始まる』 2009年02月04日
 C.K.プラハラード 『ネクスト・マーケット 「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略』 2006年07月28日
 ニコラス サリバン (著), 東方 雅美, 渡部 典子 (翻訳) 『グラミンフォンという奇跡 「つながり」から始まるグローバル経済の大転換』 2009年01月05日


■ 百夜百マンガ

リベロ革命【リベロ革命 】

 どこかの工業高校とは違ってちゃんと部活やってます。さすがは少年サンデーです。

2009年2月 5日 (木)

神経経済学入門―不確実な状況で脳はどう意思決定するのか

■ 書籍情報

神経経済学入門―不確実な状況で脳はどう意思決定するのか   【神経経済学入門―不確実な状況で脳はどう意思決定するのか】(#1477)

  ポール・W. グリムシャー (著), 宮下 英三 (翻訳)
  価格: ¥3990 (税込)
  生産性出版(2008/07)

 本書は、「行動あるいは意思決定を行う脳のメカニズムを解明するために、環境に対する合理的な行動を説明するために発展してきた経済学を神経科学に導入しようと試みて」いる著者によるもので、「神経経済学のみならず、その背景にある数学、物理学、生理学、行動生態学、進化学、さらに、哲学の分野で関連する研究者の業績とともにその人物像も生き生きと」紹介しています。
 著者は、「少なくとも100年間は神経生物学者を悩ませてきたデカルトの二元論は、誤った前提から出発している」とした上で、「相互に関連する2組の目標」として、
(1)神経生物学的なレベル:神経系を理解するために反射モデルが有効であるかを検証し、できれば反証したい。
(2)哲学的なレベル:二元論の大きな誤りは反射型の機構の存在を信じるところにあるが、適切に開発された認知理論は原則として反射型の機構を必要としない。
の2つを掲げています。
 第1章「Rene Descartesと神経科学の誕生」では、デカルトの二元論が、「行動の生理学的研究を始めることを可能にした、まさに決定的な概念的進歩をもたらし」たが、「二元論的なアプローチは予測不能で非決定論的な行動が存在することも、17世紀の科学者が利用できる時計仕掛けの科学的説明ではこのような行動を機械論的に説明することが望めないことも認め」田と述べています。
 第2章「反射の発明」では、デカルトの反射モデルに、「明らかに幾何学的特徴」があったとして、「デカルトにとって、反射は解析幾何学の一部だった」のだと述べています。
 第3章「Charles Scott Sherringtonと反射という命題論理」では、Charles Scott Sherringtonと彼の仲間が展開した「反射」という概念が、「神経系がどのようにして感覚事象と運動応答とを結びつけるかというモデル」とした上で、死後、Charles Scott Sherringtonが「20世紀のIsac Newton」としばしば呼ばれていると述べています。
 そして、Charles Scott Sherringtonが、「デカルト本来の行動に対する二元論的アプローチを全体として保持していたことを指摘しておくことは大切」だと述べています。
 第4章「Charles Scott Sherringtonのパラダイムにおける限界の発見」では、T. Graham Brown、Erik von Holst、Horst Mittelataedt、そして彼らの同僚が、「神経系はCharles Scott Sherringtonが提案したような受動的な感覚から運動への連結ではない」と主張し、代わりに、「脊椎動物の神経系は刺激なしでも行動を生成する能動的な要素を含有しなければならない」と主張したと述べています。
 第5章「今日の神経生物学」では、神経生物学の機能に関する最近のモデルとして、(1)ヒトの幼児がどのようにして話し方を学ぶのかを記述するために、計算機シミュレーションによる神経回路網(neural network)を用いるモデル
(2)どこを見るかについて視覚誘導性の意思を猿の脳がどのように生成するのかを記述するモデル
の2つを紹介しています。
 そして、本章で紹介している、Net talkやMichael Shadlenのモデルの反射学的な性質が、「問題あるいは概念的な限界を反映している用意の燃える」として、これらのモデルが内包しているもっとも大きな限界として、「研究のために特定の行動を選択し、他の行動を無視している」ことを指摘するとともに、「反射学によってもたらされた危険性」として、「検証し実証することができるが、森全体をうまく記述することができない個々の木の理論を我々は開発しつつあるのではない」かというものだと述べています。
 第6章「包括的な計算」では、Charles Scott Sherringtonが開拓した論理的アプローチの強みとして、
(1)同定された個々の構成要素は、説明しようとしている行動応答には絶対必要である。
(2)提案する神経ハードウェアは、可能な限りもっとも小さくもっとも単純な構成要素の組に還元されている。
の2点を挙げ、「この特性のために、Charles Scott Sherringtonのパラダイムは脳研究に対してそれほどまでに実用的で、かつ、それほどまでに制限を与えている」と指摘しています。
 そして、「デカルト─Charles Scott Sherrington的な取り組み方では、行動を可能な最小単位要素に還元することに焦点を当てて」きたが、David Marrによって、「行動と脳との関連性を理解するためには、『行動の目標あるいは機能を理解することから肺j目なければならない』という」違った考え方が生まれたと述べています。
 第7章「モジュール性と進化」では、「手に入る心理学的並びに生物学的な証拠」からは、「神経処理はモジュール性であると概念化できるという考え方に有利」だとした上で、ケニアからモザンビークにかけて住む魚であるシクリッドと、バハマのアノールトカゲとのデータから、「進化は、環境により決定される存在に関連した目標へと生物の特徴を導くことができることを暗示している」と指摘しています。
 そして、デカルトが、「物質から構成される物理的なハードウェアを用いて、人間のように振舞う物体をどのようにして構築可能であるかを説明しよう」と試みたが、David Marrはこのアプローチを逆転するかのように、「ハードウェアから始めるのではなくて、ハードウェアが解いている問題から始め」、「どのようにして解が達成されているかを問う」ことで、「神経系がどのように機能しているかを本当に理解することができる」としたと述べています。
 第8章「目標を定義する」では、神経系の目標は、「究極的には、生物にとってもっとも可能性が高い包括適応度(inclusive fitness)を生み出す運動応答を生成することである」とした上で、「神経系が直面している本当の挑戦的な問題は、不確実性のある状況下で進化的適応度を最大化する運動応答を選択する(意思決定をする)こと」だと述べています。
 そして、本書の主題として、「神経生物学が今日直面している基本的な限界は、脳を理解するために用いるアプローチに確率理論を適切に取り込むことに失敗していることによる」と述べています。
 また、「Thomas Bayesの確率推定や効用関数(utility function)のような手法を用いて経済学者は、理想的、あるいは彼らが言うところの合理的な、行動方針を同定すること」ができるとしたうえで、「自然淘汰の理論は、経験論的には困難であっても、理論的に完全な効用関数を提供して」くれるとして、「経済理論は神経系が機能的な能力を進化させる、その目標を定義するための手段となるかも」知れないと述べています。
 著者は、本章で、「経済理論の基本的な手法が行動と脳との関連性を研究するための将来有望な手法であるかもしれない、ということを示唆したい」としています。
 第9章「進化、確率、そして経済学」では、「動物の行動をよりよく理解するために、そして、包括適応度(inclusive fitness)を最大化する行動を生成するために進化が作用するという仮説を検証するためにある生物学者のグループが経済理論を用い、それによってどのようにしてBlaise Pascalの遺産を再発見し始めているのかを紹介したい」としています。
 そして、本書で紹介に提示しているモデルが、「起こりやすさと利得という経済学に基づいたモデルが、どのようにして生物学研究に利用可能か」という1つの例だと述べています。
 著者は、これらのモデルの最も重要な点として、「確率理論を用いることによって不確実な世界へ、進化生物学からの架設を用いて複雑な行動から広範な分野へと、双方にDavid Marrのアプローチを拡張することが可能であるということ」だと述べています。
 第10章「確率、評価、そして神経回路」では、この章における目標として、
(1)頭庁皮質の感覚運動処理における現代の生理学研究が、いかに反射に基づいた古典的な概念化に固執する傾向があるかを示したい。
(2)確率理論と価値化の理論を、もっぱら決定論的な反射のような理論の領域だと一般的に思われていた頭頂皮質での生理学的な問題に適用可能であるということを示す。
(3)経済学に基づいたアプローチを適用すると、脳の計算論的な構造について驚くほど輝かしい結果を導くことができることを証明する。
の3点を挙げています。
 第11章「信じられないほどの不確実性とゲーム理論」では、この章と次の章で、「デカルト二元論者の系とIvan Pavlovのような科学者により提案された典型的な一元論者の対案との双方について、あまり普通ではない批評を提示したい」と述べています。
 そして、John Nashの考え方について、「行動の混合戦略は均衡点をとりうるという彼の考え方はデカルトに言論の核心」にまさに迫るとして、「定義として最適解である混合戦略は、生物が彼らの敵に対して還元不能に不確実な行動戦略を生成可能であるということをまさに要求」し、「John Nashによって証明された混合戦略に均衡が存在するということは、経済モデルには決定論的な行動と非決定論的な行動との双方が必要であるということをまさに意味して」いると述べ、「感覚運動の問題をこのような枠組みで捉えると、決定論的なのも非決定論的なのも両方の行動すべての階層が、経済理論の数学的な手法によって厳密に提示可能な問題に対する解として見なすこと」ができると述べています。
 また、「現代のゲーム理論の大きな制約」として、「均衡に到達する動的過程を記述するための手法が提供されていないということ」を指摘しています。
 第12章「ゲームと脳」では、本章で紹介する実験のデータが、「感覚運動の過程のあらゆる要素に対する完全な計算論モデルとして1つの経済学的なアプローチが役立つかもしれないことを示唆して」いるとした上で、「1970年代から生態生物学者はこのような経済学的なアプローチを、野外そして実験室での行動動物に適用し始めて」おり、「このモデルによって、動物が直面する計算論的な問題並びに動物が採用する行動戦略の双方をうまく記述できることを彼らは発見して」いると述べ、「この動物の行動は脳によって実行された計算の産物であることを、この結果は示唆して」いると解説しています。
 第13章「総括I」では、「神経科学の究極の目標は、脳がどのようにして行動を生成するのかを理解すること』だとした上で、この目標は、
(1)行動は何を達成するのかを定式的に確定するために必要な手法を開発しなければならない。
(2)行動と神経生理学とを結びつけるための数学大系として、この行動の効率を量的に測定する方法を学ばなければならない。
の「2段階の過程を通してのみ達成可能であることを示唆する理論的ならびに経験論的な証拠を概説して」来たと述べています。
 そして、「神経科学者が直面している革新的な問題」である、「行動と脳とを結びつけること」を達成するためには、「最終的には行動の理論が必要となることは明らかである」として、「経済学はまさにそのために設計されて」いると述べています。
 また、「脳の完全な神経経済学理論を構築することは途方もない、そして、概ね経験論的な作業」だが、「本書は、このような理論が最終的にどのようなものかを示唆することよりも、この試みを始めるかを記述することにその役目が」あると述べています。
 さらに、「神経生理学の目標は、生物が何の計算をどのように行うのかを理解すること」だとした上で、「現代の反射に基づいたアプローチに対する基礎として役立ってきた伝統的な決定論的なモデルとは異なり、神経経済学的なアプローチにより、不確実性を解析することも生成することも可能なモデルを構築すること」ができると述べ、「人間がどのようにして、そしてなぜ、自らが下す選択を行うのかを本当に理解するためには疑いなく神経経済学の科学が必要」だと主張しています。
 第14章「総括II」では、著者が、本書を通して、「古典的二元論と生理学的一元論の双方における限界は、確定的な数学手法が行動の複雑性を記述できないことに端を発している」と主張してきたとした上で、「決定論と哲学との最大のとんち問題の1つに対する解をゲーム理論が提供するように」思うと述べています。
 本書は、「神経経済学」という神経生理学における新しいアプローチの必要性を根気強く解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 ある新しい分野を切り開こうとするとき、一から新しい概念、しかも読者にとって馴染みのない概念を解説していこうとすると、その文章はどんどん冗長になります。過去にも、後に大きく発展する分野を切り開いた記念碑的な著作は、文章は冗長であり、また大著になりがちです。本書も、科学哲学、脳科学、進化生物学、ゲーム理論などを全てカバーしている読者にとっては、大変冗長で読みにくいものなのではないかと思いますが、同様に、これらの分野に馴染みがない読者にとってはかなり苦痛だったのではないかと思います。
 本書が「神経経済学」という分野を発展させる記念碑になるかどうかはわかりませんが、他の分野の本を見ていると、「○○△△論序説」とかのタイトルが付いている本は、著者自身も風呂敷を広げすぎてまとめきれず、散漫な内容になって後に続かない(引用されない)ものになりがちな気がしますが、「□□××学入門」というタイトルのものは、かろうじてその分野の見取り図が示せているものが多いような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・脳に対する新しい視点をもちたい人。


■ 関連しそうな本

 スティーヴ・グランド 『アンドロイドの脳 人工知能ロボット"ルーシー"を誕生させるまでの簡単な20のステップ』 2006年01月28日
 トール ノーレットランダーシュ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』 『フォン・ノイマンの生涯』 2006年11月21日
 シルヴィア ナサー (著), 塩川 優 (翻訳) 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』 2006年11月20日
 E.T. ベル (著), 田中 勇, 銀林 浩 (翻訳) 『数学をつくった人びと〈1〉』 2007年07月16日
 スティーヴン・ジェイ グールド 『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語』 2007年03月03日


■ 百夜百マンガ

日本国初代大統領・桜木健一郎【日本国初代大統領・桜木健一郎 】

 『よろしくメカドッグ』の人が政治漫画を書いているということにショックを隠せないんですが、やっぱり最近ではある意味で「二世モノ」的な車の漫画描いてるんですね。

2009年2月 4日 (水)

誰が世界を変えるのか ソーシャルイノベーションはここから始まる

■ 書籍情報

誰が世界を変えるのか ソーシャルイノベーションはここから始まる   【誰が世界を変えるのか ソーシャルイノベーションはここから始まる】(#1476)

  フランシス ウェスリー, ブレンダ ツィンマーマン, マイケル クイン パットン, エリック ヤング (著), 東出 顕子 (翻訳)
  価格: ¥1995 (税込)
  英治出版(2008/8/18)

 本書は、「可能性の技術、可能性の科学、可能性の体験について」書かれたもので、「最大の目的は、世界を変える方法を変えることだ」としています。
 第1章「暮れ初めの灯り」では、「ライブエイド」やブラジルにおけるHIV感染者・AIDS患者の急激な減少の例を挙げ、「いったい誰がそれを導き、誰が従い、何が障害となり、何が転機となったのか? 多くの個人の努力がどのようにしてこんな結果につながったのか? この奇跡を生み出したのは誰なのか?」と問いかけ、「本書はこうした疑問に答える本」であり、「不可能を可能にする方法を解き明かす本だ」としています。
 また、ソーシャルイノベーションを成功させるには、
(1)単純なもの
(2)煩雑なもの
(3)複雑なもの
の3つの問題すべてを考えなければならないが、「理解が一番不足しているのは『複雑な問題』だ」と述べ、「ソーシャルイノベーションを起こすには、たとえ結果を予測できなくても、より変化につながりそうな相互作用を生み出すことが求められる」と述べています。
 そして、本書の目的は、「『変化を生み出す(メイク・ア・ディファレンス)』ことを望む人々を結びつけること」だと述べています。
 第2章「『かもしれない』をめざして」では、「ソーシャルイノベーションにおける特徴的な傾向」として、「何かを変えようとすることは、自分自身の変化を受け入れることだ」という「逆説(パラドックス)」だと述べ、人と世界は、「共進化(コ・エボリューション)」していると述べています。
 そして、成功の理由について、「複雑系の理論」では、「彼らの行動が新たな相互作用のパターンを示し、それを誘発したことにある」として、彼らが、「ストレンジ・アトラクタ」をつくりだし、強化もしたと述べています。
 著者は、「私たちは、変えようとしている世界の外に立っているのではない。世界が変われば私たちも変わり、私たちが変われば世界も変わる」と述べています。
 第3章「静思の時」では、世界中のソーシャルイノベーションの成功者に共通する資質として、「自分の直感、つまり自分の問題認識を信じ、行動しながら学ぶという点」を挙げ、「沈思黙考と行動を両立できる」として、「これはめったにあることではない」と述べています。
 そして、生態学者のホリングが、生態系や社会システム、政治システム、芸術的な形式にも見出せる同じパターンとして、「大きな変化を経験しても、もとの状態を保つ能力」である「レジリエンス(resilience:復元力)」を挙げ、さらにこの能力を、
(1)解放(release)
(2)再編(reorganization)
(3)利用(exploitation)
(4)維持(conservation)
の4つの段階である、「適応(アダプティブ)サイクル」に分けて具体的に考えたと紹介しています。
 第4章「強力な他者」では、「ものごとを変えるために権力や資源を動員することは、社会起業家に一つの逆説を提示する」として、「システムを変えたい人は誰であれ、現状が牛耳っている資源を解放しなければならない」が、「人は変えようとしているシステムの一部」であることを指摘しています。
 そして、「権力と『強力な他者(パワフル・ストレンジャー)』が旧システムの既存の構造に立てこもり、ものごとを変えたい人々にとって近寄りがたいもののように見えるとき、逆もまた真なのだ。力は波であり、いったん解放されれば、帆走する船のように変革を前進させる」として、「強力な他者は、『敵か見方か』ではない。両方なのだ」と述べています。
 第5章「世界があなたを見つける」では、チクセントミハイの「フロー体験」について紹介した上で、社会起業家にとっては、「フローは内的というよりも外的、つまり本人の行動と他者の行動との関係において生じるもの」だとして、「人が状況に影響を与える一方で状況が人に影響を与える」という「双方向のフロー」を体験すると述べています。
 そして、「ソーシャルイノベーションの探求において逆説的なのは、リーダー個人の姿を無視するのでもなく、かといって自己組織化──局所的(ローカル)な状況を評価し、大極的(グローバル)なパターンを生み出すような形で行動する関係者一人ひとりの能力──を見逃してしまうほどリーダーばかりを分析するものでもない」と述べています。
 また、ミンツバーグ、ジェイコブズ、クルーグマンが、「この世界で作用しているものは何かを観察し、そして、それがなぜ作用しているのかを問う」とした上で、「この視点からソーシャルイノベーションを見ると、変化を生み出す達人は、相互作用のローカルなルールを明確に理解し、それを強化して、その潜在能力を高めるのだということが見えてくる」と述べています。
 著者は、「変化が確固たるものになるには、あるいは、本物のイノベーションに必要なティッピング・ポイントに向かう勢いがつくには、社会的なフローが必要だ」が、「社会企業家はこのフローを作ること」はできず、「識見を握るのに負けず劣らず、なすがままにまかせることが肝心だ。ソーシャルイノベーションの達人は、自分を見つけさせる方法を知っている」と述べています。
 第6章「冷たい天国」では、「変化を生み出そうと戦っている人々」が、
(1)成功は住所不定だということ。
(2)失敗は成功への道を切り拓くということ。
の2つの逆説に直面しなければならない、とした上で、「ソーシャルイノベーションの非常に難しいところの一つは、決してこれで十分ということがない、ということ」だと述べ、「常にもっとやるべきことがある。その結果、深い孤独や絶望さえ感じることにもなりかねない」と指摘しています。
 そして、「社会起業家は、頭は空高く、足は地に着けていなければならない」として、「複雑系の理論によれば、大きな変化は小さな行為から創発しうる」ことが、「頭は空高く」の面であり、「足は地に着ける」とは、「現実を直視する」ことだと述べ、「行動の根拠を日々の現実検証に置きながらも、どこまでも夢を追い、希望を持ち続ける」として、「発展的評価の確信は、何がうまくいくかを学び、うまくいかないことを認め、そして、その違いを区別できるようになることにある」と述べています。
 第7章「希望と歴史が韻を踏む時」では、1980年に、飲酒運転の常習者による事故で娘を失ったキャンディ・ライトナーが、「飲酒運転防止母の会」(MADD: Mathers Against Drunk Drivers)を設立し、8年で、「一人の母親の運動から世界的な運動へと発展させた」と述べた上で、MADDの「常習犯に対する報復と処罰という基本的な主張」が、「希望ある社会復帰から厳しい非難へ、治療更正から処罰へ」と転じた文化の潮流と符合したとともに、「フェミニズムが勢いを増している時代にあって、女性が率いる運動だった」という点でも、「MADDの成功が歴史を韻を踏んだ」理由だと述べています。
 そして、MADD創設から8年で、「MADDが自分の思惑を超えて禁酒論に走りすぎ、その目標が変わってしまった」ことを理由に、ライトナーがMADDを去ったことについて、「彼女の個人的な危機は、より大きな社会的勢力という文脈で検討してみなければならない」として複雑系の科学の概念である、「進むにつれて新しい光景が現れる起伏のある地形上の動きとして進化を考えるべき」だとする「適応度地形(fitness landscape)」について解説しています。
 第8章「ドアは開く」でjは、「障害と不確実性。たくさんの選択肢。たくさんのドア。どれもソーシャルイノベーションにはいくらでもあるものだ」として、ソーシャルイノベーションを、「チチェスターの探検のように、前もってイメージできる具体的な目的地に到着することよりも、ひたすら前へ先へ進むことの方がはるかに多くなる」として、彼らが、振り返ってみると、「確かに社会は変化したが、自分の役割については半信半疑なものなのだ」と述べています。
 本書は、複雑系の理論を切り口に、社会起業家の生態に切り込んだ一冊です。


■ 個人的な視点から

 社会起業家の生態を複雑系のツールで切る、というコンセプト自体は面白く、読み物としては大変楽しめるものになっていますが、「分析」というよりは「アナロジー」的な使われ方がされているというか、分析のツールとして使われているわけではないという印象を受けました。
 もちろん、この一般書の背後には厳密な分析が控えているのかもしれませんが。


■ どんな人にオススメ?

・社会起業家の生態に感動したい人。


■ 関連しそうな本

 ニコラス サリバン (著), 東方 雅美, 渡部 典子 (翻訳) 『グラミンフォンという奇跡 「つながり」から始まるグローバル経済の大転換』 2009年01月05日
 デービッド・ボーンスタイン (著), 井上英之 (監修), 有賀 裕子 (翻訳) 『世界を変える人たち―社会起業家たちの勇気とアイデアの力』 2007年08月28日
 駒崎弘樹 『「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方』 2007年11月22日
 マーク・ブキャナン (著), 阪本 芳久 (翻訳) 『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』 2005年12月21日
 マルコム グラッドウェル (著), 高橋 啓 (翻訳) 『ティッピング・ポイント―いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか』 2005年02月12日
 スティーブン ジョンソン (著), 山形 浩生 (翻訳) 『創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク』 2006年02月25日


■ 百夜百マンガ

いでじゅう!【いでじゅう! 】

 漫画の世界には学園モノの一ジャンルとして、「部活をしない部活漫画」が立派に成立していて、春風高校の光画部とかボンボン坂高校の演劇部とかがあるわけですが、それでも思い出したように学園祭があったり合宿があったりすることでストーリーにリズムを作れる「部活」の存在は重要なのです。

2009年2月 3日 (火)

極端な未来 政治・社会編

■ 書籍情報

極端な未来 政治・社会編   【極端な未来 政治・社会編】(#1475)

  ジェームズ キャントン (著), 椿 正晴 (翻訳)
  価格: ¥1995 (税込)
  主婦の友社(2008/03)

 本書は、未来予測専門のシンクタンク「インツシチテュート・フォー・グローバル・フューチャーズ(IGF)」会長で未来研究家である著者が、世界とアメリカの未来を語った上下巻ものの下巻に当たるものです。
 第6章「グローバリゼーションと文化の衝突」では、「グローバリゼーションをどう解釈するかは、人によって文化によって異なる」が、「変化のスピードが著しく速い21世紀においては、さまざまなトレンドが融合して未来を形成するということと、そうしたトレンドの中心にあるのがグローバリゼーションだということ」ははっきりしていると述べたうえで、「グローバリゼーションがさらに進むこれからの時代の国際ビジネスでは、生産性と国際競争力のいっそうの向上を実現する高度なテクノロジーが決定的な役割を果たすようになる。グローバリゼーションを推進する最大の要因は、イノベーションである」と述べています。
 そして、「グローバリゼーションに対する認識が十人十色であること」について、「目の不自由な人と像の寓話」を思い出すと述べています。
 また、グローバリゼーションを導くのは、「自由貿易、自由な精神、自由企業の3つ」であり、「グローバリゼーションの使命は、自由な社会の出現を促し、個人の権利を擁護すること」だと述べ、こうした本来の使命が果たされれば、「発展途上世界でも民主主義が栄え、生活の質が欧米並みとなる」と述べています。
 第7章「未来の安全保障」では、「必要な情報を提供し、私たち全員が直面するかもしれない未来の脅威についての意識を高め、最終的にあなたがそうした脅威にうまく対処できるようにする」としています。
 そして、本書では「来るべきイノベーション経済の時代を賞賛している」が、「技術革新には負の側面もある」として、「ナノ・バイオ・IT・ニューロの融合技術が、世界を脅かす最大の要因にもなる」と述べています。
 また、「デジタル資本主義には、情報への自由なアクセスが欠かせない」として、「個人が独自に、つまり何者にも影響されることなくものを考える権利」である、「認知の自由」の問題を挙げ、認知の自由を侵害する要因として、
(1)人間の認知を探り、思想チェックと監視を行うためのテクノロジー。
(2)薬物や遠隔操作型・埋め込み型装置を用いるマインドコントロール。
(3)民主主義が未成立で、個人の自由が保障されておらず、人々に自己決定権が付与されていない国や地域が世界各地に存在していること。
の3点を挙げています。
 さらに、「今後は全世界を巻き込む、より複雑で危険なリスクが新たに生まれると予想される」として、「安全な未来をつくるのは、簡単なことではないし、すぐに実現するものでもない。まずは、自分たちに何ができるのか、新たな脅威を未然に防ぐにはどうすればよいのかを新たな視点で考える必要がある」と述べています。
 第8章「未来の労働力」では、「次世代の労働力を自前で育成することと、やがて激化する国際的な人材獲得競争で勝利を収めるための準備を進めることは、アメリカ経済の未来にとって死活的に重要な意味を持つ」とした上で、「アメリカの若者の四類型」として、
・未来の開拓者:未来準備度が最も高く、変化に最も柔軟に対処できる。
・未来の伝統主義者:未来の開拓者には及ばないけれども、ある程度の成功を収める可能性が高い。
・未来の不満分子:時代の変化についていけず、取り残される危険性が最も高い。
・未来の活動家:生産的な社会改革の担い手になる可能性もあれば、社会不安の元凶となる可能性もある。
の4つを解説しています。
 そして、労働力市場の未来図として、
(1)人材中心の未来戦略:人材難に悩む世界の産業界では、優秀な人材をすばやく発掘し、成功する確率が高いベンチャー事業に投入することが勝利の方程式となる。
(2)人材使い捨て型の未来戦略:労働力が豊富で、常に人材の補充が可能だった時代は、既に終わろうとしている。現状認識の甘さは企業に死をもたらす。
の2つのシナリオを提示しています。
 第9章「個人の権利と自由の行方」では、「個人の権利は、中国だけでなく、世界中で擁護されなければならない」として、「あなたは危険にさらされている。そして、『極端な未来』では、状況は悪化する一方だ」と述べ、「私たちは、自分たちの民主的権利を奪おうとするあからさまな試みと、密かに進められる試みから身を守らなければならない。油断は禁物である」と指摘しています。
 そして、個人の権利に多大な影響を与えている要因として、「宗教と政治の分裂」を挙げ、「現在、宗教側がこうした現状を打破し、巻き返しを図ろうとする動きが世界各地で見られる」と述べています。
 また、「テクノロジーがイデオロギーと融合するとき、強力な新兵器が誕生する」として、「あなたが軽快すべき脅威のリスト」として、
・向精神薬を使った思想統制
・安全のために自由を放棄すること
・薬物による言論封殺
などを挙げています。
 第10章「中国はどう動くか」では、「中国の人口は、やがて20億人に達するだろう。そのとき、世界市場における貿易と国際競争にどれほどの変化が起きるかを正確に予測することはできない」としたうえで、『中国という国をどう見るか」について、
(1)中国脅威論:われわれが彼らと競争しても勝ち目はない。世界全体にとって重大な脅威となる。
(2)中国戦略的パートナー論:中国は手ごわい競争相手だが、世界最大の消費者市場であり、ビジネスチャンスの宝庫でもある
の2つの主な考え方を挙げ邸升。
 そして、『世界に平和と繁栄をもたらし、数十億の人々の生活水準を向上させるためには、新たな世界秩序が必要であり、その構築には中国という存在が欠かせない。一言で言えば、中国を抜きにして地球の将来を語ることなどできないのである」と述べています
 第11章「アメリカと民主主義の将来」では、「移民は、アメリカの活力の源である」とした上で、「最近、移民を制限しようとする動きが見られるようになった」として、
(1)アメリカは、世界の人々にとって理想の国、憧れの地であり続けるだろうか。
(2)アメリカは、世界で民主主義を促進し、人権を擁護する役割を担い続けるだろうか。
(3)民主主義と自由は、今後も魅力的な価値観として移民をひきつけるだろうか。
の3つの問いの答えによって、「アメリカの未来が代わる可能性がある」と述べています。
 そして、「移住先としてのアメリカの魅力が薄れる」としたら、「アメリカを偉大な国とするのに大きく貢献してきた貴重な人的資源が減少し、アメリカの将来の発展にかげりがでるかもしれない」と述べた上で、未来のアメリカがどうなるかを予測したシナリオとして、
(1)繁栄する国:移民に対する制限が緩和され、より多くの人々の入国が認められるようになった。
(2)苦闘する区員:未来への準備をしなかったために、「苦闘する国」に成り下がってしまった。
の2つを示しています。
 著者は、「私たちの前途には、さまざまなリスクが待ち受けている。それらへの対処の仕方がまずければ、アメリカは、『偉大な国』の座から滑り落ちることになる」と指摘しています。
 本書は、極端な未来を予測するという長期的な視点から、現在の問題を指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、上下巻ものの後半、ということなのですが、知らずに手にとってしまいました。こっちから読んでしまうと上巻も読みたいところですが、なんとなく、下巻である本書は、生生しい話であるせいか、こっちを先に読んでしまうと、未来予測というよりも単なる政治的な主張のようにも読めてしまいました。上巻から順に読むともっと素直に読めるのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・2050年の未来を予測したい人。


■ 関連しそうな本

 ジェームズ キャントン (著), 椿 正晴 (翻訳) 『極端な未来 経済・産業・科学編』
 ジャック・アタリ (著), 林 昌宏 (翻訳) 『21世紀の歴史――未来の人類から見た世界』
 ファリード・ザカリア 『アメリカ後の世界』
 松谷 明彦 『2020年の日本人―人口減少時代をどう生きる』
 ミチオ カク (著), 斉藤 隆央 (翻訳) 『サイエンス・インポッシブル―SF世界は実現可能か』
 ジョエル レヴィ (著), 柴田 譲治 (翻訳) 『世界の終焉へのいくつものシナリオ』 2006年12月23日


■ 百夜百マンガ

MAJOR【MAJOR 】

 『ガラスの仮面』ほどではないですが、いつから大河漫画ってこんなに長くなったのでしょうか。野球漫画だと、『あぶさん』『なんと孫六』に続く長寿作品。主人公が成長していくスポーツ漫画としては、『はじめの一歩』に続く超スロー展開になっています。10歳で読み始めたとして、すでに20代も後半になるとなると、少年誌としては辛いのではないかとも思いますが。

2009年2月 2日 (月)

戦後観光開発史

■ 書籍情報

戦後観光開発史   【戦後観光開発史】(#1474)

  永井 弘
  価格: ¥2625 (税込)
  技報堂出版(1998/10)

 本書は、「戦後、観光開発をリードしてきた」、「いわゆる大物のオーナー型経営者」について、「そうした大物たちの観光開発における足跡を克明に追い、同時に彼らの事業観、開発戦略、開発手法などを徹底的に比較するという新たな角度で、戦後観光開発史を検証」したものです。
 序章「大物たちの軌跡と時代背景」では、戦後のパージによって、財閥系企業において主要役員が追放され、「代わって昇格したのが、各企業の部長、工場長クラスといった中間管理職」で、「特にメーカー、金融機関では、いわゆるサラリーマン経営者が台頭した」のに対し、「これとは対照的に観光開発分野ではオーナー型経営者が勢力を保持した」と述べています。
 そして、「戦後の観光開発の担い手たちの多くは、事業化精神にあふれるオーナー型経営者」であり、「しかも、"大物揃い"」だとして、「ピストル堤」、「強盗慶太」、「政商」などの異名のように、「大物たちは時に強硬な手段を用いて観光開発を進めた」と述べています。
 著者は、本書が、「大物のオーナー型経営者の軌跡を克明に追うことで、戦後半世紀に及ぶ観光開発の歴史を検証するもの」だと述べています。
 第1章「堤康次郎と五島慶太」では、戦前の堤康次郎の軽井沢開発について、「康次郎が一つの地域に複数の種類の観光施設を整備したことに注目したい」として、西武鉄道グループによるリゾート開発の基本である「ゾーン開発」の原形を見ることができると述べています。
 また、戦前から戦中に事業を急拡大した五島慶太と堤康次郎に、「敗戦によって二人にも劇的な変化が訪れることとなる」として、
(1)公職追放
(2)独占禁止法と集中排除法の制定
(3)労働民主化
の3つの要素が激変をもたらしたと述べています。
 そして、終結までに約20年を要した「箱根山戦争」の発端が、昭和22年9月の駿豆鉄道による小涌谷~小田原間定期バス路線免許の申請だとした上で、これに対して、箱根登山鉄道が真っ向から対決し、「訴訟の応酬や株式の買収、そして調停の不発といった具合に『箱根山戦争』はドロ沼化するばかり」だったと述べ、箱根地区における道路売却や株式の引渡しによって「箱根山戦争」が事実上終結したと述べています。
 さらに、堤康次郎と五島慶太の東京におけるホテル開発に流儀について、「康次郎は旧皇室や旧華族の広大な邸宅地を活用することを目的にホテルを開発、これに対して慶太は海外のホテル運営会社の力を利用することに主眼を置いてホテルを整備した」と述べています。
 第2章「五島昇と堤義明」では、東急グループによる観光開発が、「『点』と『線』の組合せを基本としており、西武グループのゾーン開発(面開発)とは好対照である」と述べたうえで、堤康次郎が、「義明の事業センス、観光開発に対する才能を認め、自分の後継者として考えていた」として、義明が、「康次郎が取得した不動産と保有する株式のみを受け継いだ」のではなく、「先代の事業観や経営手法も継承した」と述べています。
 そして、五島昇と堤義明が、「個人的にも親しい関係」にあり、両グループの和解には、「二人の相性のよさも協調路線の推進力となっていた」と述べています。
 第3章「小佐野賢治」では、小佐野賢治が、「ホテル、ゴルフ場、レジャー施設、交通運輸、不動産、金融など約50社からなる国際興業グループを一代で築き上げた」として、小佐野がホテル業を手がけた理由について、日本人が復興したときには、「日本人は娯楽を求める」と考えたことを挙げた上で、戦後すぐに、高級リゾートホテルを買収できたのは、「戦時中、軍部に深く食い込んで事業を行い、蓄財したから」だと述べています。
 そして、富士屋ホテルなどの名門ホテルを手中に納めた小佐野が、「知名度が高く老舗のイメージが強い『富士屋』のブランドを手に入れたこと」が、「その後、ホテルをチェーン展開する上で大きな意味合いを持った」と述べています。
 また、「日本航空と国際興業グループとのハワイにおける関係は極めて深い」として、「大株主小佐野の発言力をバックに、日航が日本人客をハワイに運び、国際興業グループが日本人客をホテルに止めるという体制が確立した」と述べています。
 さらに、小佐野賢治が、「既存のホテル・旅館やバス会社を買収し、さらには航空会社へ資本参加することによって観光事業を展開してきた」として、「内輪もめを起こしていた企業」に「介入して乗り込んだ」と述べるとともに、「経営権を獲得しないまでも、大株主としての発言権を遺憾なく発揮して自社の観光事業に結びつけたのが、日本航空のケース」だと述べています。
 第4章「ホテル御三家」では、日本を代表する名門ホテルである帝国ホテルの戦後史が、「所有権をめぐる攻防の歴史」だとした上で、戦前の帝国ホテルを語る上で、欠かせない事柄として、
(1)「ライト館」の登場
(2)「帝国の犬丸か、犬丸の帝国か」とも言われた犬丸徹三の登場
の2点を挙げています。
 そして、帝国が、約30年間、「一点(一店)豪華主義」の戦略をとり、同じ「ホテル御三家」のホテルオークラやホテルニューオータニとは好対照であると述べています。
 また、ホテルオークラが、「創業以来、帝国ホテルと激しく競合してきた」のには、「戦後、財閥解体と公職追放によって定刻を追われた大倉喜七郎の執念がその原点になる」とした上で、「喜七郎亡き後、ホテルオークラは大倉家とは一切関係がなくなった」と述べています。
 さらに、東京オリンピック開催の直前にオープンしたホテルニューオータニについて、初代社長である立志伝中の人、大谷米太郎について、ホテル事業進出の理由は、「終戦後に購入した伏見宮邸跡の土地」だったとした上で、当時、ホテルといえば500室規模といわれていた時に1000室規模のものを立てた理由について、「鉄の業界では、新日鉄があって日本一になれない。ホテル業界で日本一になってやろう」という野望だったのではないかと述べています。
 そして、ニューオータニが、「チェーン展開におけるスケールメリットを、人件費と事務処理コストの圧縮という点でも大胆に追求した」と述べ、約30年間二代目を務めた大谷米一が、「意思決定の早さ」「素人経営」「合理主義」を武器に、「スケールメリットを大胆に追求し、東京の旗艦ホテルを築き上げ、また国内外でチェーン化を急ピッチで進めていった」と述べています。
 終章「」バブル経済と観光開発」では、「バブル経済のもと、鉄鋼、造船、機械、化学、食品といった製造業から電力、流通、商社まで、観光事業とは無縁の異業種も雪崩を打ってリゾート開発に乗り出した」が、西武鉄道グループの堤義明は、「投資効率も良くないのにどうして皆やりたがるのか不思議でしょうがない」と述べていることを紹介しています。
 本書は、戦後の観光開発のダイナミックな一面を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 くせのある大物経営者たちによる観光開発争いは、ダイナミックではありますが、こうした「戦争」に巻き込まれて、地元は一喜一憂したり、共同体が分裂したりと影の面も相当あったのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・戦国絵巻のような昭和の観光開発史に触れたい人。


■ 関連しそうな本

 猪瀬 直樹 『土地の神話―東急王国の誕生』 2006年07月21日
 猪瀬 直樹 『ミカドの肖像』 2006年08月02日
 坂西 哲 『東急・五島慶太の経営戦略―鉄道経営・土地経営』
 城山 三郎 『東急の挑戦―五島慶太から昇へ』
 柴岡 信一郎 『報道写真と対外宣伝―15年戦争期の写真界』 2007年05月20日
 宮田 珠己 『晴れた日は巨大仏を見に』 2008年08月13日


■ 百夜百マンガ

鉄腕ガール【鉄腕ガール 】

 女子プロ野球も見てみたいですが、女子ソフトボールはプロ化しないんでしょうか。と無責任なことを言ってみる。

2009年2月 1日 (日)

創造都市・横浜の戦略―クリエイティブシティへの挑戦

■ 書籍情報

創造都市・横浜の戦略―クリエイティブシティへの挑戦   【創造都市・横浜の戦略―クリエイティブシティへの挑戦】(#1473)

  野田 邦弘
  価格: ¥1995 (税込)
  学芸出版社(2008/08)

 本書は、「人の創造性に注目し、それにより都市を発展させようという考え方」である「創造都市」を目指した横浜市の取り組みに関して、「文明が都市を生み、都市が文明を生む。そして文明の骨格を形成するのが文化である」という基本認識に立ち、「芸術・文化の想像性と都市の関係について考察」したものです。
 第1章「都市横浜の誕生と創造的遺伝子の懐胎」では、横浜でかつて「三重苦」と言われた、
(1)関東大震災
(2)戦災
(3)米軍による接収
の3点を挙げ、さらに、
(4)人口急増と都市問題の深刻化
を加えた上で、1963年に飛鳥田一雄市長による革新市政が誕生したと述べています。
 そして、飛鳥田が、「旧社会党左派にふさわしくイデオロギッシュな政治家という印象」を持たれるが、「飛鳥田の真骨頂は、イデオロギッシュな面ではなく、実は横浜の都市の骨格を大胆にデザインし、それを着実に実現した点にこそある」と述べ、「接収などで遅れている都市計画も急ぐ必要」があったため、環境開発センターのスタッフであった田村明が「国際都市」というコンセプトで出した提案をもとに、
(1)都心部強化
(2)金沢地先埋立
(3)港北ニュータウン
(4)高速道路
(5)地下鉄
(6)ベイブリッジ
の「6大事業」として、市の政策となり、「それを実行するために田村は市職員となった」と述べています。
 また、飛鳥田時代の市政が、「横浜からの情報発信を重視」し、「世界で初と言えるか」「アジアで初と言えるか」「日本で初と言えるか」と、「常に外から横浜がどう見えるかを気にしていた」と述べています。
 第2章「文化事業から文化政策へ」では、「戦後から創造都市政策が始まるまでの横浜市の文化政策を概観する」として、「そこに見られる前衛芸術の重視、オールターナティブスペースの活用、民間活力導入といった特徴を紹介し、それらがクリエイティブシティ政策へとつながっていく様子を描き出したい」と述べています。
 第3章「創造都市政策が生まれた背景」では、「創造都市政策が誕生する背景を素描したい」として、「そこには、横浜市にとって旧市街地の衰退をどうにか食い止めなければいけないという切実な危機意識があり、そこから大胆な政策が生まれた」と述べています。
 そして、飛鳥田時代に市長の側近だった幹部職員の一部が、「市長交代以後は冷遇」され、「飛鳥田を支えた田村明は法政大学へ、鳴海正泰は関東学院大学へ転出した。他にも市の幹部職員で『飛鳥田派』と見なされた人物は不遇の人事に甘んじなくてはならなかった」として、「飛鳥田時代を通じて市職員の間で芽生え始めていた『市民の方を向いて仕事をしよう』という脱官僚主義の『改革志向』マインドが萎縮して行った」と述べています。
 また、2002年の中田宏市長の誕生による成果に関して、「大きな成果をあげてきた」一方で、「問題と言わざると得ない政策も散見される」として、
・ネーミングライツの推進
・横浜私立大学の改革
等を指摘しています。
 第4章「文化芸術都市創造政策の誕生」では、「創造都市政策が始まる時期」に焦点をあわせ、「『文化芸術と観光振興による都心部活性化検討委員会』の設置、及び委員会の提言内容、文化芸術都市創造事業本部の設立」などを紹介しています。
 そして、2004年に委員会が、「文化芸術創造都市─クリエイティブシティ・ヨコハマの形成に向けて」と題した提言を提出し、そこでは、「文化芸術創造都市─クリエイティブシティ・ヨコハマの実現に向けた基本的方向と目標」として、
(1)アーティスト・クリエーターが住みたくなる創造環境の実現
(2)創造的産業クラスターの形成による経済活性化
(3)魅力ある地域資源の活用
(4)市民が主導する文化芸術創造都市づくり
の4点が示されたと述べています。
 また、提言が、「横浜市の新しい都市ビジョン」として「創造都市」を掲げ、
(1)創造人材(創造界隈形成)
(2)創造産業(映像文化都市)
(3)創造空間(ナショナルアートパーク)
の3つのフェーズから政策を形成し、創造都市づくりを推進する組織の整備を提言したと述べています。
 第5章「創造界隈形成の起爆剤BankART1929」では、都市部活性化検討委員会の提言が、「クリエイティブコア(創造界隈)の形成」を馬車道近辺で展開すべきと述べたことを受けて、「横浜都心部歴史的建築物文化芸術活用実験事業」が構想されたと述べています。
 そして、横浜市が、「BankART1929を高く評価する一方で、横浜市自身も含めた今後の課題として、市民参加型のプログラムの構築、世界へ向けての情報発信、交流の場の更なる拡大、施設の立地性や特長を生かした効果的活用、活動拠点の確保と創造的産業の誘導、更なる効果的効率的運営を経済的自立をあげた」と述べています。
 第6章「創造都市への躍動」では、「創造界隈形成のためのリーディングプロジェクトBankART1929が周辺地域に影響を与え、様々な創造拠点が新たに形成されてきたこと、また、BankART1929の成功をその後の政策展開に連結させてきた横浜市の創造都市政策の発展過程を概観したい」としています。
 そして、「歴史的建築物文化芸術活用事件事業=BankART1929」が、「予想以上の成果をあげ、それにより周辺地域に多くの創造拠点が形成され」、「その結果、横浜市は創造界隈のエリアを関内地区から周辺地区まで拡大した」と述べています。
 また、「映像都市を標榜する都市は当時全国に数多く見受けられたが、これを創造産業の一環として、より大きな位置づけの中で捉え、総合的な政策として展開したのは横浜市だけであった」と述べています。
 第7章「創造都市政策の検証」では、「2004年から始まった横浜市の創造都市政策についての検証を行う」として、その特徴として、
(1)従来のような局のようなタテワリを超えた総合政策として位置づけられ、取り組まれている。
(2)事業手法の転換。
(3)セクター間の協働の推進。
の3点を挙げています。
 そして、「総合都市政策を掲げて以降、横浜市は一層注目を浴びるように」なり、2004年のみなとみらい線の開通により、「横浜への観光客は増加した」と述べています。
 また、創造都市へ懐疑的な立場の人から、創造産業の経済的規模の小ささや欧米の創造都市モデルがわが国には妥当しないなどの批判があるとしたうえで、
(1)創造産業は世界の先進国で間違いなく成長する分野であり、この分野をどのように経済政策の中で位置づけていくかは、今後重要になる。
(2)創造都市政策の意義を経済効果のみに矮小化してはならない。
の2点を指摘しています。
 第8章「創造都市論と行政のイノベーション」では、創造都市論が、
(1)創造階級論:優秀であると同時に、組織や機関の指示に従わせられることを嫌い、伝統的な集団的規範に反抗し、多様性と開放性を求める。
(2)創造産業論:産業構造の変化を背景にイギリス政府により提起されたコンセプト。
(3)創造都市論:都市内部にイノベーションシステムが組み込まれており、それが進化していく知識基盤社会型の都市発展モデル。
の「3つの理論が重なることで成立する概念」だと述べています。
 本書は、「創造都市」の名にふさわしく絶え間なく改革と再生を繰り返す横浜市の強さの秘密を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の著者の野田さんとは、数年前、野田さんがまだ横浜市の職員だったころに、田村明さんの勉強会でお会いしました。本書の中でも触れられていますが、野田さんの世代に飛鳥田市政と田村さんに憧れて横浜市に入ってきた人が多く、その人たちが、中田市政になって生き生きと活躍している、というお話をされていました。
 歴史は繰り返すというか、じっと耐えてきた人たちが花を開くときがくるというのは嬉しい話です。


■ どんな人にオススメ?

・横浜はなぜ創造的なのかと思う人。


■ 関連しそうな本

 田村 明 『都市ヨコハマをつくる―実践的まちづくり手法』 2005年07月27日
 田村 明 『まちづくりの実践』 2005年7月29日
 田村 明 『まちづくりの発想』
 田村 明 『現代都市読本』
 横浜市広告事業推進担当 『財源は自ら稼ぐ!―横浜市広告事業のチャレンジ』 2007年10月10日
 南 学, 上山 信一 『横浜市改革エンジン フル稼動 中田市政の戦略と発想』 2005年04月13日


■ 百夜百音

denim-ed soul(2【denim-ed soul(2】 EAST END×YURI オリジナル盤発売: 1995

 なまじヒットしちゃったばかりにパクリ元からすっかり訴えられちゃったわけですが、そういえば当時はポケベルが普通で携帯電話は貴重品でした。

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

無料ブログはココログ