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2009年3月

2009年3月31日 (火)

インテリジェンス読書術―年3000冊読破する私の方法

■ 書籍情報

インテリジェンス読書術―年3000冊読破する私の方法   【インテリジェンス読書術―年3000冊読破する私の方法】(#1531)

  中島 孝志
  価格: ¥840 (税込)
  講談社(2008/04)

 本書は、年間3000冊を読破する「読書フリーク」の著者が、
(1)読むのが遅くて困っている人。
(2)何を読んだらいいかわからない人。
(3)たくさん読んでいるのに具体的な成果が現れない人。
の3人のために書いたものです。
 著者は、読書のスタイルとして、
(1)知的消費のリーディング:知的欲求を満たす読み方。
(2)知的生産のリーディング:具体的な付加価値や行動につなげる読み方。
の2つを挙げ、「後者の知的生産型の読書法の方がはっきり得ではないか」と述べています。
 第1章「速読教室の落ちこぼれが年3000冊!?」では、「本=発想の道具」だとして、「自分の目の前にあるこの本を叩き台にして何を思いつくか」が重要だと述べたうえで、著者の読書の基本スタンスとして、
(1)即読:いますぐ読む
(2)追読:たくさん読む
(3)縁読:なんでも読む
の3点を挙げています。
 そして、自己啓発系の本に書かれていることの要点は、
(1)目標を設定する
(2)それに向かってベストを尽くす
の2つしかないと述べています。
 第2章「本は一ページ目から読むな」では、著者が、「常にたくさんの本を、速く読まなければならない状況」にあるとして、出版プロデュースの仕事では、「そのつど"プチ専門家"にならなければならない宿命を背負っている」ため、「事前ににわかスペシャリストになるべく猛勉強することになる」と述べ、その速読法のポイントとしては、
(1)速読:時間当たりの読書スピードを速めること
(2)多読:読めば読むほど、良書とめぐり会う頻度が増す。
(3)省読:「これは!」というキーワード、キーフレーズにポイントを絞りながら読む。
の3点を挙げています。
 そして、難しいと感じる本ほど、「一冊を精読するより、たとえ10分ずつであったとしても、3回読んだほうが理解しやすくなる」として、精読をしていたら、「"部分"は理解できても、"全体"となるとさっぱり分からない」と述べ、「難解本のベストの攻略法は、じつは類書で簡単な本、たとえばマンガやイラスト、図解で詳しく説明されているような本を先に読んで」おき、「そこでトレーニングしてから」、「難しくとも気にせずそのまま読みきって」しまうことだと述べています。
 また、「あらかじめ制限時間を決めておき、その間に集中s知恵読むスタイルにすれば、結局、一週間かけて読むよりはるかに時間を短縮できますし、中身もほぼ完璧にインプット」できると述べています。
 さらに、「一冊の本でも、最初から終わりまで全ページが重要なわけ」ではなく、統計的には、
(1)冒頭部分=20%
(2)中間部分=10%
(3)終了部分=70%
のような配分になっていると述べ、著者が本を読むときには、
(1)前書き:作者自らテーマの根拠、執筆動機について書いている。
(2)全体の見取り図。
(3)あとがき:著者の考えや視点をより深く知る参考になる。
の3つをまず先にチェックすると述べています。
 第3章「知的生産リーディングのすすめ」では、「価値のある情報=インテリジェンス」が詰まっている「キラーワード」、「キラーフレーズ」について、「同じものを目にしても、誰でも同じ解釈ができるわけ」ではなく、「読む人が読んでこそ、このひと言で極意をつかみ取れるもの」だと述べています。
 そして、「読書とは、あなたが潜在意識の中ではぐくんでいた何かを、意識の奥底から引っ張り出してくれる『鍵』のようなもの」だとして、ここに「読書の本質」があると述べています。
 第4章「『その他大勢』から抜け出す情報活用術」でjは、「速読をするとき、ぜひ心がけてみてほしいこと」として、
(1)考える習慣
(2)総括する(まとめる)習慣
(3)メモする習慣
の3つの作業を習慣にすることを挙げています。
 そして、著者が速読するときには、
(1)本を読む
(2)付箋でチェックする
(3)もう一度チェックポイントをおさらいする
(4)勝ち残った情報をパソコンにインプットする
の手順を経ているとして、「インテリジェンスの最終処理工場はパソコン」だと述べています。
 また、著者が、自らのブログの中で、「通勤快読」という読書コーナーを運営していて、「紹介された本を読んだけれど、書評の方が何倍も面白かった」という評価をされることについて、「読書サイトのメリットは、『ああ、こういう見方、考え方があるのか!』という新しい着眼点、自分とは違うものの見方を勉強できること」だと述べています。
 第5章「一冊との出会いが人生を変える」では、「ほんとうにほしい情報ほど、じつは自分のすぐ隣にある」としt、え「世の中には、ムダなものはなにひとつとしてありません。ムダではなく、すべてが経験、すべてが人生の資産」だと述べています。
 本書は、有意義な人生を送る上で、おそらく有用な方法の一つである「読書」についての著者の考えやノウハウをコンパクトにまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者の本の読み方、すなわち、パラパラと大事なところを読んでいって、とくに大事なところには付箋を貼り、そのなかでも大事なところを選んでいって、パソコンに入力する、という読み方は、ほとんど自分と同じなので、大変共感して読めました。
 違いがあるとすれば、念に読む本が3000冊か365冊かの違いでしょうか。著者の言うとおり、量は質に転化するものではないかと思います。
 他の速読者の話でも、「月に100冊」というのがブレークポイントでしょうか。不可能ではないとは思いますが、さすがにきつそうだと感じます。


■ どんな人にオススメ?

・何のために本を読むのかが分からない人。


■ 関連しそうな本

 メアリアン・ウルフ (著), 小松 淳子 (翻訳) 『プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?』 2009年02月28日
 モーティマー・J. アドラー, C.V. ドーレン (著), 外山 滋比古, 槇 未知子 (翻訳) 『本を読む本』 2006年07月02日
 立花 隆 『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』 2006年07月16日
 加藤 周一 『読書術』 2006年07月23日
 梅棹 忠夫 (著) 『知的生産の技術』 2005年05月05日
 アルベルト・マングェル (著), 野中 邦子 (翻訳) 『図書館 愛書家の楽園』 2009年03月28日


■ 百夜百マンガ

謎の村雨くん【謎の村雨くん 】

 学園忍者モノと言えば、「伊賀のカバ丸」や「さすがの猿飛」などのコメディモノが思い浮かびますが、そういうのではなくシリアスとなるとどこまでがギャグなのか分かりにくいのではないかと思います。

2009年3月30日 (月)

ポリティカル・セックスアピール―米大統領とハリウッド

■ 書籍情報

ポリティカル・セックスアピール―米大統領とハリウッド   【ポリティカル・セックスアピール―米大統領とハリウッド】(#1530)

  井上 篤夫
  価格: ¥714 (税込)
  新潮社(2008/07)

 本書は、「政策や主義主張を語る前に、有権者を惹きつける力があるかどうか」という「ポリティカル。セックスアピール」という言葉について、「現代のアメリカ大統領に必要な資質は、その政治家としての力量はもちろんのこと、映画俳優のような魅力なのだ」としたうえで、「ハリウッドとワシントンがどのようにして結びついたのか、そのアメリカの政治史、とくに大統領のあり方について振り返りながら、今日ではいかに両者が記っても切れない存在になっているのか、その濃密な関係を検証して」いるものです。
 第1章「ハリウッドのダビデ王──1990年代」では、「ミスター・ハリウッド」の異名をとる、音楽・映画プロデューサーのデヴィッド・ゲフェンについて、「間違いなく現代のアメリカンドリームを実現した人物のひとり」だと述べ、「原石を見つけ、育てる才能がゲフェンにはある。ひと目見て電流が流れるかどうか、インスピレーションを感じるかどうか、『愛せるかどうか』が、ゲフェンが金の卵を見分ける物差しなのだ」と述べています。
 そして、1992年に、大統領候補クリントンに、「多数の業界のプロたちが、スピーチ演出、舞台設営、テレビ・ラジオ出演の取り付けなど、各方面で協力」したことについて、「クリントンは政治を近代化した」、すなわち、「政治をハリウッド化した」と述べ、「ゲフェンとクリントンとの関係は、ハリウッドにおける政治のあり方を変えると同時に、ハリウッドの影響力の巨大さをホワイトハウスに証明した」と述べています。
 第2章「黎明期、『ハンサムな巨人』の登場──1920~50年代」では、「ハリウッドと大統領の関係」について、「ハリウッドと政治の深い関わりは20世紀初頭に遡る」として、「映画を政治に利用したのは、ウッドロウ・ウィルソンが最初」だと述べた上で、レーガン大統領のスピーチ・コリオグラファー(振り付け師)であった政治評論家デヴィッド・ガーゲンの言葉として、「名を残している大統領はみな、民主主義国家のリーダーたるには演劇的素養が不可欠であることを知っていた」という言葉を紹介しています。
 そして、JFKについて、青年期のケネディが夢中になったのは、「美人のあとを追いかけること」だったとして、政治家になった後も、「多くのハリウッド女優たちとも関係を持った」と述べ、「ケネディの登場により、この時代、ハリウッドと政治の結びつきは強まった」と述べています。
 第3章「ニューフロンティア──1960年代」では、「60年代後半、アメリカ社会における政府への怒りは『沸点』に達していた」として、「ニクソン大統領が『誇り高き平和』公約を撤回し、戦闘が激化するや、さすがに保守層の間からも愛国主義は立ち消えていた。映画界は、一気に戦争反対に傾いていく」と述べています。
 第4章「権力と反戦──1970年代」では、「政界の大物とつながっていたハリウッドの興味深いひとり」としてロバート・エヴァンズという人物を挙げ、彼がキッシンジャーと「馬が合う」ことについて、「ハリウッドと政治は、一枚のコインの表と裏」という見解を共有していたと述べています。
 そして、1972年1月に、ニクソンとその取り巻きの嫉妬を買ったことでホワイトハウスから追い出されそうになったキッシンジャーが、エヴァンズに助けを求め、エヴァンズは、「状況打開に動いてくれそうなマスコミの人物を15人リストアップ」し、翌月5日には、『ライフ』に「キッシンジャーを賛美する特集」が掲載され、その3日後には、『タイム』の表紙をキッシンジャーの顔が飾っていたとして、「エヴァンズはメディアを駆使して、『ニクソンになくてはならない優れた人材』としてキッシンジャーを広く世に認めさせた」と述べています。
 そして、ハリウッド・スターの政治への関わり方として、
(1)スター自身があくまで在野の存在として独自に社会運動を行う場合。
(2)支持する政治家を公然と表明し、応援する場合。
(3)本人が政治家を志す場合。
の3点を挙げています。
 第5章「三人の象徴的な人物像──1980~90年代」では、1981年のレーガン政権誕生について、「ハリウッドのリベラルたちにとって不本意ではあったが、スターが政治に関与できることの証明ともなった」と述べたうえで、「レーガンが、その政治的資質を決定的に認められ、『俳優の政界入り』がメディアをにぎわすようになったのは、60年、SAGが大規模なストライキを敢行したときのこと」だとして、レーガンが「数百人の俳優と映画関係者を前に会長として演説を行い、ストライキを止めた」ときの鮮やかな演説がきっかけとなって州知事候補の白羽の矢が立てられたと述べています。
 そして、レーガンが、知事選出馬表明会見で、「どんな知事になりたいか」と問われ、「その役は一度も演じたことがないから、分からない」とユーモアたっぷりに応えたことを紹介しています。
 また、「映画は民意を反映する。たとえそれが作られた役柄であろうとも、民衆の心を掴むスターには、その時代の大衆の求める理想的人間像が現れる」として、「おそらくもっとも大統領にふさわしい俳優、いや、実際のアメリカ大統領になってもおかしくない人物」としてクリント・イーストウッドを挙げています。
 さらに、アーノルド・シュワルツェネッガーが、第41代大統領ジョージ・ブッシュ(シニア)と交流があり、「コナン・ザ・リパブリカン」(共和党のコナン)と呼ばれていた上に、「ケネディ一家」の妻を迎えたことが、「政治に足を踏み入れる大きな力となった」と述べ、カリフォルニア州知事選挙では、「完璧なスタッフを適材適所に布陣」するとともに、「わかりやすいメッセージを送った」ことが決定的だったと述べています。
 著者は、「FDR、ケネディ、LBJ、カーターなど、これまでもハリウッドに『近い』立場の政治家はたくさんいた」が、「実際に、人々の目に見える形でハリウッドとワシントンの両方を結びつけたのは、この3人が初めてと言っていいだろう」として、「エンターテインメント業界における地位と権力、そしてスターの名声は、スクリーンの上だけではなく、そのまま現実世界をも左右することのできる力となっている」と述べています。
 第6章「セックスアピールは口ほどにものを言う──現在から未来へ」では、デヴィッド・ゲフェンが、「ハリウッドで生きるためにはセクシーさが必要なんだ」と語っていることについて、「ハリウッドの新帝王デヴィッド・ゲフェンは、新人スターだった頃のトム・クルーズに見出した同じ可能性をオバマに見ている」と述べ、「大統領たる人物は、国民に感動と希望を呼び起こすことのできる資質を備えていなければならない。ゲフェンは若きオバマにその資質を見たのだ」と述べています。
 著者は、「現代の政治において最も大切なものは政策や主義主張の以前に、有権者を『惹きつけてやまない力』があるかどうか」だとして、「アメリカ大統領に必須の条件は、カリスマ性はもちろんのこと、映画俳優のようなセックスアピールにあふれた魅力、それにそう見せるための表現力なのである」と述べ、「いまや大統領の選択基準は、いわば『ミスター&ミス・コンテスト』の選択基準に近いと言えるかもしれない」と述べています。
 本書は、今、政治の世界で起きている現象の一面を分かりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本でも、選挙の応援演説に芸能人が登場するのはすっかりおなじみになりましたし、芸能人が政治家になることもずいぶん増え、ニュースキャスターを務めたりすると「政界進出を狙っているのか」と言われることも多いようです。一方で、国会議員がテレビ番組に登場することも多くなり、政治家とタレントの境界線はずいぶん低くなっているようです。相乗効果で双方が高まってくれれば有権者にとってプラスですが、衆愚政治に陥る危険を孕んでいるという指摘もあるようです。


■ どんな人にオススメ?

・投票基準は「名前を知っているかどうか」な人。


■ 関連しそうな本

 三浦博史 『洗脳選挙』 2009年03月23日
 ウィリアム パウンドストーン (著), 篠儀直子 (翻訳) 『選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?』 2009年02月26日
 高木 徹 『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』 2006年11月27日
 井上 和子 『選挙裏物語―「当選確率80%」スゴ腕選挙コーディネーターが明かす選挙のすべて』 2007年10月30日
 アンヌ・モレリ (著), 永田 千奈 (翻訳) 『戦争プロパガンダ 10の法則』 2007年11月01日
 堀田 佳男 『大統領はカネで買えるか?―5000億円米大統領選ビジネスの全貌』 2008年11月08日


■ 百夜百マンガ

戦国自衛隊【戦国自衛隊 】

 SFと戦記ものと戦国ものという、それぞれに熱烈なファンがいるオタクジャンルを3つまとめてミックスジュースにしてしまった傑作。それゆえにそれぞれのオタクの細かいチェックが入るのが面倒ながらも楽しそうです。

2009年3月29日 (日)

頭痛のタネは新入社員

■ 書籍情報

頭痛のタネは新入社員   【頭痛のタネは新入社員】(#1529)

  前川 孝雄
  価格: ¥714 (税込)
  新潮社(2008/05)

 本書は、「最近の新入社員」には「それまでの世代とは異なる特徴がある」として、「現場で接してきた若者たちの期待と本音、そして全国の職場で起きている実例」をもとに、「彼らは何者なのか。どのような価値観で動き、何を求めているのか。どのように接すればお互いにとって幸福な関係が築けるのか」を述べたものです。
 第1章「就職活動と『シューカツ』の違い」では、就職活動の流れのなかで、「リクナビ」への登録の次にしなければならないとされている作業として、「自己分析」を挙げ、最もポピュラーとされている「3つの輪」について、
(1)やってきたことの輪(過去)
(2)やりたいことの輪(未来)
(3)できることの輪(現在)
の3つの輪の重なりを見ると解説しています。
 そして、「エントリーシートに書けるような、すごい体験をしたことがない」と悩む学生が多いとして、「自己分析が中途半端な学生は、余計に苦しむ傾向に」あると述べています。
 著者は、「今の就職活動について気になる傾向」として、
(1)「自己分析」のやりすぎ
(2)ネットとの関わり方
の2点を指摘しています。
 第2章「『お客様感覚』を満喫する学生たち」では、「就職市場が突然温暖化し始めた」背景として、「戦後最長とまで言われた昨今までの景気拡大」のほかに、
(1)団塊世代の大量退職が始まったこと。
(2)若者の相対的な希少価値が上がってきていること。
の2点を指摘しています。
 そして、企業が力を入れている「つなぎとめ」について、バブル期には、高級店での接待や、研修旅行などの「物理的な拘束」を行っていたが、現在では、「お金や時間でなく、若手社員などを投入して、採用段階から職場や企業そのものへ理解を促すようになってきている」という「気持ちの拘束」に移行していると述べています。
 第3章「辞める新入社員、辞められる上司」では、大手金融企業の人事担当役員に直接「辞めます」とメールしてきた退職する若手と面談をして、気がかりに感じたこととして、
(1)直属の上司にまったくといいほど、退職について相談や報告をしていないこと。
(2)退職の理由として「このままでは成長できないため」と口を揃えること。
の2点を挙げ、この話から浮かび上がる企業課題の仮説として、
・若手が上司に報告や相談をしづらい風土になってきているのではないか。
・若者の成長意欲を充たす仕事や場所が少ないのではないか。
・上司が若手の気持ちを掴みきれていないのではないか。
等を挙げています。
 そして、「若者は自分の将来に不安を感じ、一生懸命スキルアップを考えている。大人たちは若者たちを職場に招き入れ、大切に育てようとしている。しかし、なぜか世代間のコミュニケーションはねじれてしまい、両者の気持ちは通じ合いません」と述べています。
 また、著者自身が、部下がほとんどいない「プレイング・マネジャー」として仕事をしていて、後輩から、「大変そうですね。私は将来、前川さんみたいな働き方はしたくないです」と言われて辛かったと述べた上で、新卒人材の採用意欲が高まった結果、「新たな負荷が現場のプレイング・マネジャーにかかりはじめている」として、「管理職なんだから新入社員の面倒も見ろ」と言われ、「気づくと、新入社員との年の差は20歳近くにもなろうとして」いて、「自分が若手だった頃から人事制度も様変わりして」いるので、「自分の経験値では若手に対峙できない」ため、「多くの現場管理職から悲鳴が上がって」いると述べています。
 著者は、自分が初めて管理職になった頃の失敗を語った上で、「部下がダメだと投げ出すことは、マネジメントの放棄です。どんなに手がかかり、できないと烙印を押された若者であっても、どこかに必ず強みがあるはず」だとして、「結局、部下を生かすも殺すもマネジメント次第」だと述べています。
 第4章「若手を読み解く九つの鍵」では、「同じ会社に入ったのに、上司世代と一体になって働けない若手」には、「彼ら彼女らが生まれ育ってきた二つの時代背景が色濃く影響している」として、
(1)バブル崩壊
(2)インターネットの登場と進化
の2点を挙げています。
 そして、彼らの「際立った九つの価値観」として、
(1)二次・三次情報が特異な「インターネット耳年増」
(2)メールで完了「送信しっぱなしコミュニケーション」
(3)空間を飛び越えた「トモダチ依存症」
(4)低下する「大人免疫力」
(5)遠い存在に憧れる「プラネタリウム型視点」
(6)羽目を外さずやたらと真面目
(7)昇進よりも生活が大事
(8)正解探しは自身あり、「教えてマニュアル志向」
(9)成果主義を誤解した極度の焦り
の9点を挙げています。
 第5章「一緒に働いていくための十二の技」では、「思い切って仕事に打ち込むには、まず信頼できる場が必要」だとして、「安心して働けるホームが土台となってはじめて、若者を生かす仕掛けも功を奏すはず」だと述べ、
(1)「オリジナル組織図」を描く
(2)幹事もコピーも言いよう
(3)憧れの「ヒーロー・ヒロイン社員」を創る
(4)0.1段でも「階段」を上らせる
(5)「ワークインライフ」発想に触れる
(6)「お前はどうしたいの?」で話させる
(7)二の矢は「それは、何のため?」
(8)「プロフィール付き名簿」の作成
(9)部内で遊びに出る機会を
(10)座席レイアウトに注目
(11)「職場内ぶらぶら散歩」の勧め
(12)上司が仕事を楽しむ、言葉にする
の12点を挙げています。
 著者は、「現在の組織風土は、バブル崩壊の流れのまま固定化してはいないでしょうか」としたうえで、「プレイング・マネジャーという緊急避難的なポジションは、もう過去のものにした方がよい」と述べ、「今こそ、経営者と現場管理職を含めたすべての大人たちが、将来を担う若者を暖かく育てていく職場を作り直さないといけない」と述べています。
 本書は、長らく見かけなかった久しぶりに迎え入れる新入社員に戸惑っている人にお勧めの一冊です。


■ 個人的な視点から

 そういえば、長いこと新人を見かけていないような気がします。前に新人と一緒に仕事をしたのは、就職して3年目の頃だったでしょうか。
 この4月から同じ職場に新人が入るので楽しみです。


■ どんな人にオススメ?

・久しぶりの新入社員に戸惑っている人。


■ 関連しそうな本

 柴田 陽子 『部下を、暗闇の中で働かせていませんか?』
 城 繁幸 『若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来』 2008年01月27日
 前川 タカオ 『上司より先に帰ったらダメですか? カイシャ生活の疑問と悩みが消える45のQ&A』
 前川 タカオ 『まわりはみんな敵だらけ!?と思い始めた人のサバイバル・コミュニケーション術』
 ダイヤモンド社 『だから若手が辞めていく――ミドルがカギを握る人材「リテンション」の可能性』
 樋口弘和 『新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか』


■ 百夜百音

スーパーガス【スーパーガス】 加藤和彦 オリジナル盤発売: 1971

 ずっとパナホームのCMソングだと思っていました。「欲しいのであります」という歌詞についついケロロ軍曹を思い出してしまったのであります。
 それにしても、「太陽を盗んできて」というのは、原爆を作るという意味でもローリング・ストーンズの武道館コンサートを実現させるという意味でもないのだと思うのであります。

2009年3月28日 (土)

図書館 愛書家の楽園

■ 書籍情報

図書館 愛書家の楽園   【図書館 愛書家の楽園】(#1528)

  アルベルト・マングェル (著), 野中 邦子 (翻訳)
  価格: ¥3570 (税込)
  白水社(2008/9/29)

 本書は、「答えなど出せるはずがないこと」が最初ら分かっている、「なぜ、人は情報を集めるのだろう?」という欲求をテーマにしたものです。
 第1章「神話としての図書館」では、「世界中のあらゆる人々の手になるすべての本」を厚真たとされるアレクサンドリア図書館が、「この世界は途方にくれるほど多様性に富み、その多様性には隠された秩序が存在するに違いないということ」を証明しようとしたと述べています。
 そして、「一つ屋根のもとにできるかぎり大量の本を収蔵することによって、アレクサンドリア図書館の司書たちは、それらの本が粗雑に扱われるような環境におかれていた場合に生じるかもしれない破損の危険から守ろうとした」ことで、「アレクサンドリア図書館は、思考を通じた人間の行動力の象徴であると同時に、死に打ち勝とうする人間の記念碑ともなった。詩人たちが言うように、誌とは記憶の終りだからである」と述べています。
 第2章「秩序としての図書館」では、「図書館が宇宙を映す鏡だとすれば、目録はその鏡を映す鏡といえるだろう」として、「中国ではごく初期から、図書館の持つすべての著作を一冊の本にまとめようとする試みがなされてきた」と述べています。
 そして、「このような際限のない増加に対処するには、文字による分類はテーマ別の分類よりも、数字の方が適しているようだ」」として、デューイが、「『活字になった人類の知識のすべて』という広範なフィールドを大胆にも10のテーマにグループ分けし、それぞれに100という数を与え、その下にさらに10の下位分野を設けて、限りない発展に対応できるようにした」と述べています。
 第3章「空間としての図書館」では、「物理的な世界の持つ厳然たる特質によって、秩序だった図書館で読者が感じるであろう楽観主義はたちまち冷水を浴びせられる。それは、空間の制約である」と述べ、「どんどん増えていく本を何とか収納しようとして(質が高まるかどうかは別として)、愛書家は涙ぐましいまでの努力を重ねてきた」と述べています。
 第4章「権力としての図書館」では、「本を読む人の美点は、情報収集力にあるのではない。また、秩序だて、分類する能力にあるわけでもない。読書を通じて知ったことを、解釈し、関連づけ、変貌させる才能(ギフト)にこそある」としたうえで、「学者とは、読書という技を通じ信仰力を行動力に転換させられる存在を意味する。というのも、本を通して与えられる知識は、神からの賜物(ギフト)にほかならないからである」と述べています。
 第5章「影の図書館」では、「どんな図書館にも、受け入れるものと、排除するものがある。すべての図書館は選択の結果であり、必然的にその領域にはかぎりがある」として、「読書という行為は、耐えざる検閲に等しいのだ」と述べています。
 そして、「図書館は、その存在自体が権力を誇示すると同時に、権力に疑問を投げかける存在ともなった。歴史の貯蔵書または未来への情報源として、困難な時代の導き、または手引書として、過去ないし現在の権力のシンボルとして、図書館の蔵書は集合的な内容以上のものを示しており、文字が書かれるようになって以来ずっと、脅威と見なされてきた」と述べています。
 第6章「形態としての図書館」では、「本は空間に特別な属性を与え、ときには所有者さえも侵食しようとする」として、「少しでも博識に見えると思うのか、無教養な人間ほど本がぎっしり詰まった棚の前で写真を撮ってもらいたがるという奇妙な修正がある」と述べ、セネカが、「そのような本棚に頼って教養ある立場をひけらかすこれ見よがしの愛書家を馬鹿にした」と述べています。
 第7章「偶然の図書館」では、「図書館は秩序と混沌の場というだけではない。それは偶然の場でもある」として、「書架と記号を与えられた後ですが、本はそれ自身で可動性を保っている。本ならではの計略をもって、思いがけない陣形を築き上げる」と述べています。
 第8章「仕事場としての書斎」では、「作家(読者の亜種である)が執筆に必要なものに囲まれて仕事をする部屋は、動物にとっての素や隠れ家のようなものである。その空間は、みずからを形づくるためのものであり、思索の結果を収める容器の役割を果たす」と述べています。
 そして、「家のどの部屋よりも、書斎は持ち主の秘められた個性を現すものと見なされ、持ち主が死んだ後まで変わらずに残ることもあった」として、「世界中の何千何百という仕事場や書斎が、今は亡き持ち主たちの記念碑として保存されている」と述べています。
 第9章「心のあり方としての図書館」では、「蔵書は、私たちの生き方が正しかったどうかを証言し、私たちが何者であるか、どのように生きたかの証となる。蔵書は、私たちに与えられた『生命の書』に等しい。自分のものだと宣言した本を基準にして、人は何時か裁かれる」と述べています。
 そして、「書棚に収まった実態のある図書館も、記憶のなかの変幻自在な図書館も、その力を長い間持続することはできない。不思議なことに、2つの図書館の迷宮は、時間がたつに連れて互いに溶け合ってゆく」と述べています。
 第10章「孤島の図書館」では、南太平洋の無人島に打ち上げられたロビンソン・クルーソーが、「船から回収したわずかな本に気晴らしを求める気持ちになった」ことについて、「彼の生みの親である著者ダニエル・でフォーにとって、新しい社会の誕生には本の存在が不可欠だった」と述べています。
 そして、「現代の西欧社会は、本を当然のこととして受け入れるが、本を読むという行為──かつては役に立つ大切なことだと考えられ、また時には危険で、破壊のもとになるとさえいわれた──にちうては、たんなる気晴らしだと思っている。時間を空気晴らしであり、効率が悪く、公益にはならないもの」だと述べています。
 第11章「生き延びた本たち」では、「1933年5月10日の夕方、ウンター・デン・リンデンを挟んだベルリン大学の向かいの広場で起こった焚書事件が象徴やがて本はナチスにとって目の敵となった」として、「この新時代の到来によって、書店や図書館では何千何万という本が販売および流通を禁じられ、新刊書の出版がとめられた。名作や娯楽として今の棚に置かれていた本が突然、危険物と化した。禁書目録に載った本を個人が所有することは罪となった多くの本が没収され、破棄された。ヨーロッパ各地にあった何百ものユダヤ人の図書館が、個人のものと公共の施設とを問わず、焼き払われた」と述べています。
 第12章「忘れられた本たち」では、「アメリカでは、奴隷制度の初期頃、黒人に本を読ませまいとする試みがあった」として、「奴隷が文字を読めるようになれば、政治や哲学、宗教の見地から奴隷制度廃止論が唱えられている事実を知り、主人に反抗して放棄することになるだろう」ということから、「読み方を学習していた奴隷は、たとえ聖書を読む目的であっても、死罪に処せられることがあった」と述べています。
 また、「ときには、図書館が意図的に破壊されることもある」として、「2003年4月、イラクに米英群が駐留した間に、バクダッドでは国立公文書館、考古学博物館、国立図書館が略奪された。数時間のうちに、人類史上でも最古の部類に入る記録のほとんどが忘却のかなたへと追いやられた。現存する最古の書物6千年前の草稿。サダム・フセインの部下たちによる略奪を免れた忠誠の年代記。寄進財産省に保管されていた幾多の美しいコーラン──それらすべてが、おそらくは永久に消えてしまった」と述べています。
 第13章「空想図書館」では、「架空の本だけでなく、想像上の図書館もある」として、「『海底二万里』のネモ船長がアロナクス博士に見せた図書室には、19世紀半ばに生きた裕福な文学通のフランス紳士ならこうもあろうと思える書物が並んでいる」と述べています。
 そして、「人は心の中の希望や悪夢の性質を蔵書に投影する。人は、影の中から浮かび上がる図書館や書斎を理解できると信じている。人は、自分を魅了するはずのあるべき本を空想して、内容の不正確さやばかばかしさ、執筆のときの指の痙攣、筆が止まる恐ろしさ、時間や場所といった制約を一切気にせず、創造の書物を生み出す作業にいそしむ」と述べています。
 第14章「図書館のアイデンティティ」では、「人は自分の読みたい本を、たとえそれが書かれていなくても、頭の中で思い描くことができる。また、人は自分の欲しい本がぎっしりと詰まった図書館を、たとえそれが入手不可能であっても想像できる。なぜなら、人は自分だけの関心や風変わりな思考を反映した図書館を夢見て楽しむ存在だからである」と述べています。
 第15章「帰る場所としての図書館」では、「各国の国立図書館を超えたところに、そのすべてを合わせたよりも大きな図書館がある」として、「信じられないほど広大な理想の図書館には、これまでに書かれたすべての本が納められ、可能性としてのみ存在するもの、つまりこれから出版される本まで含まれる」と述べた上で、「人はこの世界を異国か故郷かのどちらかとして認識しており、その結果として、図書館にもまた、この対立する2つの認識が反映されている」と述べています。
 本書は、「愛書家」とはどのような人たちであるかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 図書館派の自分としては自分の蔵書を収蔵できる書斎、書庫、図書室はうらやましいかぎりですが、一度借りて読んだ本のなかで、これは手元に置いておきたい、というものに出会うと、後からAmazonで買い求めてしまうことがよくあります。


■ どんな人にオススメ?

・図書館は公立図書館のことだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 荒俣 宏 『本の愛し方人生の癒し方 ブックライフ自由自在』 2006年08月12日
 メアリアン・ウルフ (著), 小松 淳子 (翻訳) 『プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?』 2009年02月28日
 モーティマー・J. アドラー, C.V. ドーレン (著), 外山 滋比古, 槇 未知子 (翻訳) 『本を読む本』 2006年07月02日
 立花 隆 『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』 2006年07月16日
 加藤 周一 『読書術』 2006年07月23日
 梅棹 忠夫 (著) 『知的生産の技術』 2005年05月05日


■ 百夜百音

ベストアルバム【ベストアルバム】 古井戸 オリジナル盤発売: 2008

 自分が子供の頃は、フォークといえば、「暗い」という印象があって、「叙情派」とかいう雰囲気のものばかりでした。あのねのねの「赤とんぼ」の歌くらいしかコミカルなフォークソングは知りませんでしたが、「さなえちゃん」のライブの雰囲気はフォークならではの緩い感じが楽しそうです。

2009年3月27日 (金)

経済物理学の発見

■ 書籍情報

経済物理学の発見   【経済物理学の発見】(#1527)

  高安 秀樹
  価格: ¥798 (税込)
  光文社(2004/9/18)

 本書は、「これまで経済学を支えてきた理論の部分が実証的な根拠のない空論だったことが明らかになってきて」いるとした上で、「物理学の手法と概念を活用して、データに基づいて実証的に現実の経済現象に立ち向かう新しい科学の分野」である「エコノフィジックス」の研究成果を分かりやすく紹介していますものです。
 第1章「エコノフィジックスの誕生」では、これまでの経済学のアプローチと比較した、物理学者の研究の特徴として、「詳細な現実のデータを物理学の手法を用いて詳しく分析し、実証的に本当に起こっている経済現象を解明する点」だと述べ、物理学者と経済学者と金融の実務家の関係を、
・実務家:がむしゃらに落ちているお金を探す人
・経済学者:そんあことには無頓着に本を読む人
・物理学者:お金が落ちる様子や拾われる様子を観察して楽しんでいる人
というイメージで表現しています。
 そして、「20世紀の後半に入り、コンピュータを使って、手計算では解けなかった非線形な方程式を解く一般的な研究方法が開拓」された結果、「「ほんのちょっとでも初期の値が違うだけでまったく違う答えが出てくることもあることが分かった」として、手で解くことのできない非線形な方程式が、「多かれ少なかれ、解が歪められ、ほんのわずかな初期条件の違いでもまったく違う結果を生み出す性質を持っている」として、この性質が「カオス」と名づけられたと述べています。
 第2章「エコノフィジックスのツール」では、「パラメーターを連続的に変えていったときに、マクロな性質があるところで突然変わるような現象」である「相転移」が、「経済現象にも適用」できると述べ、「実際の市場の振る舞いを素直に受け入れて、常に価格が変動し、不安定だということをそのまま受け入れる考え方をした方が合理的」だとして、「相転移の概念を使うと、市場価格に関することがすべてすんなりと理解」できると述べています。
 そして、「いろいろな出費や経費を手繰り寄せてひとまとまりにするというように、芋づる式につながっているモノを手繰り寄せてひとまとめにしてしまう」という意味の経済学用語である「くりこみ」について、「相転移現象は、このくりこみ理論を使って研究を進めた結果、非常に見通しがよくなり」、「相転移点の近くでは、いろいろな大きさのゆらぎが複雑に入り混じっている」が、「くりこんだ結果どのようにゆらぎが変化して見えるかを定量的に記述することができると、相転移が説明できることに」なると述べています。
 また、「カオスと並んで複雑系の科学の基盤となる概念」である「フラクタル」について、「複雑な形のものが与えられたとき、あるスケールの範囲で拡大しても縮小しても同じに見える性質があるのだったら、フラクタルと見なして理想化したほうが、その形を理解しやすい」と述べ、「市場価格の変動がなぜフラクタル製を有するのかは、自明ではない、重要な問題」だとしています。
 第3章「市場原理」では、「市場価格が安定しないのは、ディーラーの売値と買値のほんのわずかな価格の差が、取引の有無を分け、取引ごとに誤差を増幅するカオスの仕組みが内在されているから」だとして、「市場における売買取引の素過程が不連続で不可逆であること、それが市場価格を確率的に揺るがす原因でもあり、価格変動のフラクタルせいもそこに端を発していた」と述べています。
 そして、金融工学の問題点として、「肝心の将来の確率を計算するところで、現実のデータとは性質が違うことに目をつぶり、計算が簡単な数理モデルを使って、数学的にきれいな公式にしてしまっていること」だと述べ、「まだブラック・ショールズにかわるわかりやすい公式は見つかって」いないが、「近い将来、より現実を正しく評価したような、そして使いやすい金融商品が開発され、事態は改善されてくるはず」だと述べています。
 また、円ドル為替のデータ解析の結果、
(1)ディーラーたちは過去3分間しか見ていない
(2)市場間の価格の違いを利用して、循環的に取引することでお金が増えるような状況である「最低機会」が存在すること。
などの点が分かってきたと述べています。
 第4章「市場の限界的性質」では、「なぜ世の中にはフラクタルがたくさんあるのか」という基本的な問題についての有力な考え方として、「自然界のフラクタルの背後には、多くの場合、自動的に臨界状態になる仕組みを内在したようなシステムがある」という「自己組織臨界現象」を挙げています。
 そして、「ディーラーモデルから理論的に導いた市場価格に関する確率動力学方程式の解として導かれたもの」として、市場の状態には、
(1)安定:市場価格は一定値の周りをわずかにゆらぐだけの状態。
(2)バブル・暴落:時間とともに指数関数的に価格が変動する状態。
(3)減衰振動:振動しながら新しい安定価格に収束する状態。
(4)振動発散:振幅が次第に大きくなる振動を起こす状態。
の4つの状態があることが分かったと述べています。
 また、「インフレの理論はマクロ経済学のひとつの柱」だとして、「マクロ経済学のインフレ方程式が、くりこみによって求めた方程式のパラメーターを特殊な値に固定した場合とまったく一致し、その指数関数解が求められている」と述べたうえで、「市場の研究に関連して、エコノフィジックスがとくに力を発揮すべきところは、金融工学やマクロ経済学が苦手としているスケール領域の現象」だとして、「10の3乗秒くらいのスケールの現象である暴騰・暴落・振動、そして、介入やニュースへの市場の反応など」を挙げています。
 第5章「所得の変動と分布」では、企業の所得について、「所得は一社一社でかなり激しく変動している」が、「企業全体の分布を見ると非情に安定している」ことを指摘したうえで、1970年から1999年までの企業所得の分布を、土地の価格で規格化してプロットしなおしてみると、「ほぼ30年間同じ分布に従っている」ことを指摘し、このことは、「日本の経済はバブル崩壊までは経済が成長していたように思っていた」が、「それは土地の値段が上がっていただけだった」のであり、「日本の経済というのは基本的にずっと土地本位制になっていて、土地の価格の変化に応じて所得が増えたように見えたり、減ったように見えたりしていた」と述べています。
 そして、「マスコミでは、バブルまでは経済が発展していて、バブルでおかしくなって、今も立ち直れないというような見方が多い」が、「バブルを挟んで最近30年ぐらいずっと日本の経済は、既に呈上的になっていた」と述べています。
 第6章「お金の特性」では、「社会は、それを構成する人たちの信用関係で維持できるものであり、その社会の信用を数値化したものがお金」であるとして、「お金は常にその時代のあらゆる方法を使って、もっとも偽造されにくいように作られて」いると述べたうえで、「既にお金のほとんどは電子化されている」として、「ドル札は、アメリカ本国ではほとんど使われていないこともあって、非情に偽造されやすいままにされて」いると述べています。
 そして、経済学の本にある「お金の基本的な性質」である、「交換・尺度・保存」という3つの機能について、「お金がこれらの機能を備えているのは、ポケットにある現金のレベル、あるいは、せいぜい個人の預金程度の金額の場合」だとして、「巨額のお金は、これらの基本的な機能を失っている」と述べ、「巨額のお金に関してもっとも重要なのは、お金の第4の機能とでも言うべき、増殖機能」、すなわち、「実際には、人間が投資したり、投機したりすることによって、お金を増やす効果」だと述べています。
 第7章「企業通過システム」では、「これまで述べてきたさまざまな為替の問題や市場メカニズムの問題を総合的に考えた結果」として、著者が考案した「複合通貨システム」について紹介し、「バスケット通貨によって通貨の価値を決める方法」について、「科学的な視点から考えてもっとも合理的なのは、新通貨システム全体が抱える既存の通貨を全部寄せ集めて、その比率をそのままバスケットの重みの比率にする」という方法だとして、「このようにバスケットの重みを定義しておくと、円ドルなどの既存通貨の為替レートがいかに変動しても、新通貨で測ったシステム内の総資産価値は、普遍になることが数学的に証明」できると述べています。
 また、「複合電子通貨システムを、企業以外にも適用すること」ができるとして、「この通貨システム構想は、アジア債券市場の通貨単位の候補にもなっている」と述べています。
 第8章「今後の展望」では、「これからの大きな発展が期待されている新しいエコノフィジックスの研究テーマの話題」として、「お金の流れのネットワーク全体を解明しようという研究」を挙げ、「最近、企業間のお金の流れのデータや銀行間のお金の流れのデータが部分的」に解析できるようになってきているとして、中銀行のリンクのネットワークが、「最近、さまざまなネットワーク構造の研究で話題を呼んでいる」、「リンクの数の分布がベキ乗則に従うようなネットワーク」である「スケールフリーネットワークになって」いると述べ、「このような研究を進めていけば、お金の流れに限らず、さまざまな物流のネットワーク構造も同じように解明できる」と述べています。
 そして、「現実の研究開発の工程をシナリオごとに確立を考えて、最適な中止時期も考慮したうえで、全体の価値判断をするような手法」である「リアルオプション」について、「金融工学から生まれてきたりあるオプションの手法には、まだ、重要な改良の余地が残って」いるとして、「お金の流れの分布がベキ分布になる性質を取り込んでいない」ことを指摘しています。
 著者は、「エコノフィジックスに課された大きな目標」として、「お金の世界の基本法則を詳細なデータからさらにきちんと把握し、さらに、自然法則をも踏まえたうえで、小さなニーズも取りこぼさないようなあらゆるスケールに対応できる経済システムの基盤を作ること」だと述べています。
 本書は、物理学者の目に経済現象がどのように見えるのかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 経済学も物理学も数学を取り入れたことで飛躍的に進歩した分野ですが、非線形分野においては経済学は大きく後れを取っていたということでしょうか。経済学の新たな発展が期待できる気がします。


■ どんな人にオススメ?

・経済学は理論的過ぎると思う人。


■ 関連しそうな本

 ディディエ ソネット (著), 森谷 博之 (翻訳) 『入門 経済物理学―暴落はなぜ起こるのか?』 2007年07月06日
 エマニュエル ダーマン (著), 森谷 博之, 長坂 陽子, 船見 侑生 (翻訳) 『物理学者、ウォール街を往く。―クオンツへの転進』 2007年03月05日
 マーク・ブキャナン (著), 阪本 芳久 (翻訳) 『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』 2005年12月21日
 ペリー・メーリング (著), 今野 浩, 村井 章子 (翻訳) 『金融工学者フィッシャー・ブラック』 2006年12月27日
 ロス・M・ミラー (著), 川越 敏司 (監訳), 望月 衛 (翻訳) 『実験経済学入門~完璧な金融市場への挑戦』 2007年01月17日
 多田 洋介 『行動経済学入門』 2006年08月31日


■ 百夜百マンガ

ハツカネズミの時間【ハツカネズミの時間 】

 舞台は学校ですが、学園ものではありません。登場人物の名前が植物にちなんだものになっています。

2009年3月26日 (木)

小泉政権―「パトスの首相」は何を変えたのか

■ 書籍情報

小泉政権―「パトスの首相」は何を変えたのか   【小泉政権―「パトスの首相」は何を変えたのか】(#1526)

  内山 融
  価格: ¥861 (税込)
  中央公論新社(2007/04)

 本書は、「民意を背景としながら強いリーダーシップを発揮する個性的な政治手法」を用いた小泉純一郎について、「小泉政権は、なぜかくも大きなインパクトを日本政治に与えることができたのか」の謎を探ることを目的としたものです。
 第1章「小泉純一郎の政治運営」では、小泉政権の政治運営の特徴として、
・パトスの首相
・強い首相
の2つの観点から浮き彫りにするとしたうえで、小泉首相のポピュリスト的手法の特徴として、
(1)メディア戦略:従来の政治報道の外縁部にあったメディアを積極的に活用した。
(2)善悪二元の構図:さまざまな改革に反対する族議員や官僚を「抵抗勢力」と呼び、彼らが「悪」であり自らは「善」であるという二元論的な構図を作り上げた。
(3)言語様式:一般の人々に分かりやすい単純なフレーズを用いて語りかけた。
などの点を挙げています。
 また、小泉首相が、「ボトムアップ型の政策決定に代え、『官邸主導』によるトップダウン型の政策決定を導入しようとした」として、「中央省庁の官僚に対する首相の主導権を確保し、族議員を政策決定から排除しようと試みた」と述べ、「首相の持ちうる権力資源」には、
(1)システムによって与えられる制度的・恒常的な資源
(2)首相となった人物のパーソナリティと大きく関わる資源
の2種類があるが、小泉の「強さ」の源泉は、「小泉固有の資源と、システムが提供する資源の両者を極めて適切に組合せ、最大限の有効性を発揮した」と述べています。
 そして、「小泉首相は、首相主導の政策決定システムを活用して、『小泉構造改革』と呼ばれる一連の改革を進めた」とした上で、「小泉の行動様式を他の政治家と差異化していた要因」は、「自民党政治家としては異例に短い時間軸を有して」いて、「コンセンサスや貸し借り関係から得られる中長期的な利益は眼中になく、首相や党総裁が本来持っている権限を存分に利用して、自らがコミットした政策を実現することに勢力を費やした」と述べています。
  第2章「内政――新自由主義的改革をめぐる攻防」では、「『抵抗勢力』との攻防の中で、諮問会議がどのように戦略的に活用されたか、そして、『強い首相』のリーダーシップがどのように発揮されたか」に注目するとして、「諮問会議を政策議論の中心的アリーナとして位置づけるという『場の変更』」が、
(1)議題設定の主導権の移動:議題設定の主導権を、かなりの程度まで官僚機構から取り上げることに成功した。
(2)政策コミュニティの開放:官庁や族議員が閉鎖的な「政策コミュニティ」を構成していたものを他のアクターにも開放した。
(3)議題の統合:諮問会議で首相、官房長官や主要な経済閣僚が一堂に会することにより、各省バラバラに検討されていた政策が、一つの場で議論の俎上に載せられるようになった。
(4)政策決定過程の透明化:誰がどのような主張をしているか、対立の構図がどのようになっているか、国民から見えるようになった。
(5)首相裁断の場の提供:首相裁断の場を提供することにより、首相主導の政策決定が促進されるとともに、それが国民に印象付けられることとなった。
(6)外部からのアイディア注入:政府の外部から政策アイディアが注入されるようになった。
という、「相互に関連しあう6つの機能を持った」として、「こうして新自由主義的改革が、政権としての議題の中心に位置することになった」と述べています。
 また、三位一体改革で、「かつてない規模の地方への補助金削減・税源移譲が実現した」として、「諮問会議の場と首相指示という手法が効果的に活用されたために、大きな政策転換が実現した」と述べています。
 そして、「郵政民営化の基本方針」について、「小泉が自民党内の反発に対抗できたのは、公式の権限に依拠して非公式の制度を無視する彼独特の『短時間軸』戦略と、人事戦略が奏功したから」だと述べています。
 著者は、道路公団民営化と郵政民営化という2つの民営化について、「同様の理念から出発したものの、その帰結には違いがある」として、「こうした違いが生じた最大の理由は、『場』の問題である」と述べ、「『場の変更』という戦略は、既存の権力バランスを揺るがすことを通じて、既得権益により固められた政策を大きく変化させることを可能とする」が、道路公団民営化には、「議論を集約させる『仕切り役』に欠けていた」のに対し、諮問会議は、「竹中経財相という仕切り役が極めて周到に議論を誘導し、必要な場合には小泉首相の祭壇を求める形で議論を集約していった」のにくわえ、「2つの民営化では小泉首相の姿勢も異なっていた」と指摘し、「経済財政諮問会議という制度的装置と、それを自在に活用する人材の両者を味方につけたことにより、小泉は『強い首相』の本領を発揮することができた」と述べています。
 第3章「外交――近づく米国、遠ざかる東アジア」では、「外交政策における戦略性」について、「戦略的に進められた経済政策とは対照的に、外交政策では戦略性が相対的に乏しかった」と述べています。
 そして、「小泉首相は、本来ならば行使できるはずのリーダーシップを対外経済政策には適用しなかった。経済財政諮問会議という司令塔はFTA交渉には活用されなかったし、そうした場で追及されるべき戦略も小泉官邸は持たなかったのである」と述べています。
 著者は、内政と外政の対照性が生じた理由として、「首相自身の関心の強さとともに、制度的な場やそれを活用する人材の問題が重要である」と述べています。
 第4章「歴史的・理論的視座からの小泉政権」では、「歴史と理論の2つの視座から小泉政権を分析する」として、
(1)小泉政権の歴史的位相を取り上げる。
(2)なぜ小泉は「強い首相」たり得たのか政治制度に着目する理論的視座から分析する。
の2点を挙げています。
 そして、「政治現象を見る上で利益とアイディアは鍵となる2つの要因である」として、20世紀の終りには、「アイディアの政治」と不適合を起こした政治構造に対して、国民は不信感と閉塞感を募らせていたと述べ、「そうした構造を乗り越え、『アイディアの政治』を適切に扱ってくれるリーダーシップ、すなわち、理念に基づく政策選択肢を国民に対してきちんと提示できるようなリーダーシップへの待望が澎湃としていた」としています。
 また、「55年体制の支配政党であった自民党は、分権的な組織構造を特徴としていた」とともに、「行政府も同様に分権的構造を有していた」とした上で、1990年代の政治改革と行政改革(中央省庁改革)によって、「自民党を集権化する効果を持った」として、
(1)小選挙区比例代表並立制は、投手のイメージが持つ重要性を高めることとなった。
(2)政治改革は派閥の力を弱めることとなった。
(3)一連の改革は、党執行部の持つ権限を強める効果を持った。
などの点を挙げ、また、内閣機能を強化するための諸制度改革として、
(1)内閣総理大臣が、閣議の主宰者として、「内閣の重要政策に関する基本的な方針」を発議できることが明記された。
(2)内閣総理大臣の補佐・支援体制が強化された。
(3)各省に副大臣(副長官)と大臣政務官を置いた。
などの点を挙げています。
 著者は、「与党と行政府の集権制が同時に高まったことが、最後の1年間における小泉政権の強力の亜リーダーシップを支えた」と述べています。
 第6章「小泉政権が遺したもの」では、小泉政権の特徴を現すキーワードとして、「強い首相」と「パトスの首相」の2つを挙げ、「小泉政権終盤では、『強い首相』と『パトスの首相』の相乗(シナジー)作用により、意思決定に掛かるコストは格段に小さくなった」と述べた上で、「政策内容や決定手法について持ちうる選択肢は一つではない」と述べています。
 本書は、小泉政権の姿を、今だからこそ冷静に見ることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 小泉元首相がどうして強い力を発揮できたのか、ということを分析している本書は、単に小泉政権を分析するだけではなく、なぜそれ以後の政権が毎年交代するほど権力を発揮できないのか、ということを理解するうえで分かりやすい視点を与えてくれるものではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・最近の首相はどうしてすぐ辞めてしまうのか理解したい人。


■ 関連しそうな本

 大嶽 秀夫 『小泉純一郎 ポピュリズムの研究―その戦略と手法』 2007年06月19日
 大嶽 秀夫 『日本型ポピュリズム―政治への期待と幻滅』 2007年05月29日
 飯島 勲 『小泉官邸秘録』 2008年01月30日
 東 照二 『言語学者が政治家を丸裸にする』 2009年02月22日
 高瀬 淳一 『武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法』 2006年08月10日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年06月23日


■ 百夜百マンガ

ギルガメッシュ【ギルガメッシュ 】

 石ノ森章太郎の作品は、大昔のものでも、作品の根本にあるアイディアをもとにどんどんイマジネーションを膨らませて新しいストーリーができるようです。仮面ライダーとか平成版で10年だし。昭和のヒーローものも相当「原作」となっていますが、もともとこれも「企画」とか「設定」という感じだったのでしょうか。

2009年3月25日 (水)

OpenPNEオフィシャルガイドブック

■ 書籍情報

OpenPNEオフィシャルガイドブック   【OpenPNEオフィシャルガイドブック】(#1525)

  伊藤 幸夫, 田端 厚賢, 手嶋 守, 米田 聡, 株式会社手嶋屋
  価格: ¥3675 (税込)
  毎日コミュニケーションズ(2009/2/7)

 本書は、「PHPとMySQLで動作し、オープンソース方式で開発」されたSocial Networking Service(SNS)である「OpenPNE」について、数多くのSNSがそれぞれ共存し、成長を続けている理由を含めて、「SNSやOpenPNEそれぞれの特徴について」解説しているものです。
 第1章「OpenPNEの概要」では、SNSを、「社会的なつながり(人間関係)をWeb上で表現すること」と定義した上で、SNSが重視しているのは、「人間関係の表現」であり、「メンバーの管理やフレンドリストなどの『人間関係』をまず一番に考え、その人間関係の上に日記や掲示板などの『機能』を載せていくところが、従来のアプリケーションとの根本的な違い」だと述べています。
 そし、OpenPNE開発の動機を、「顧客向けや自分たちの趣味用にSNSを作っていくうちに、『SNSは1つでは足りない』という発想が生まれ」たとして、「Webサービスの世界に、組織や人間関係、いわゆる『タテマエ』を持ち込んだらどうなるか? プロジェクトを通して、これを追求したい問い気持ちが、この頃に生まれ」たと述べています。
 第2章「LiveCDでOpenPNEを体験しよう」では、付属CD-ROMに収録されている「LinuxをベースにしたスタンドアロンのOpenPNEサーバ」を使ったOpnePNEの運用体験の方法などについて解説しています。
 第3章「OpenPNEのインストールと初期設定」では、「誰もが手軽に利用できるレンタルサーバにインストールすることを目標にして、プログラムの設置方法や設定、そしてSNSを運営するために必要な周辺知識について」解説しています。
 第4章「専用サーバへのインストール」では、「OpenPNEの機能をフルに引き出すこと」ができる、専用サーバにOpenPNEをインストールする方法を解説しています。
 第6章「ガンガン使うOpenPNE」では、ビジネス用とで使われるグループウェア機能などの拡張機能について解説し、「OpenPNEをビジネス用とで使うための追加機能を備えた企業内向けSNSサービス」である「PNEBIZ」について、「グループウェア機能を備えており、仲間と共有するToDoリスト、グループ単位のスケジュール管理機能、シンプルな施設予約機能などが利用できる」としています。
 第8章「外部連携―外部アプリケーションとの連携でOpenPNEはここまで良くなる―」では、「OpenPNEのユーザーアカウントを親(Master)として、外部のアプリケーションを連携させる機能」である「MasterPNE」や、「他のシステムのアカウントを親とし、OpenPNEを子(Slave)として連帯させる機能」である「SlavePNE」などについて解説しています。
 また、「LDAPを実装したオープンソースのディレクトリサービスソフトウェア」である「OpnePNE」について、「OpenLDAPとOpenPNEを連携することができれば、共通のIDでログインできるように」なるとして、その導入手順などについて解説しています。
 第9章「運営者Tips」では、「単にインストールしただけでは、SNSが完成したとは言え」ず、「SNSが組織や人間関係の上で利用されているソフトウェアである以上、構築したSNSに人を集め、運営を成功させたときこそが、OpenPNEを真にマスターしたと言える」として、「実際にOpenPNEでSNSを構築し、運営している」6人の「先輩たちの運営Tipsを紹介」しています。
 「西千葉コミュニケーションサイト『あみっぴぃ』」を運営しているNPO法人TRYWARPの虎岩雅明氏は、「SNSの装置が出来上がったときこそが、運営者として最も気を引き締めなければならない時期」だとして、オープンまでの道のりは、
(1)ステップ1:大まかな運営方針を決める(目的・規模・運営費)
(2)ステップ2:技術的なことをどうするか決める
(3)ステップ3:運営組織体制について大まかに決める
(4)ステップ4:SNSの初期設定項目を満たす
(5)ステップ5:オープンまでのスケジュールを作る
の5つのステップについて解説しています。
 また、「SNSの最初のユーザー」である「ID=1ユーザー」について、「特殊な権限を持っているので、このユーザーを管理者が利用するかしないかを決めておく必要」があるとして、「まず、このユーザーを人にするのか事務局にするのか」を決め、「事務局として存在させるのなら、できるだけ使わないようにすることをお勧め」しています。
 そして、「SNSとは何ですか」と聞かれたときには、「自分で掲示板を簡単に立ち上げられる、最近はやりのホームページです。ぜひ見てみてください」と伝えることにしているとして、「パソコンに関する知識が少ない場合には、とても効果的な方法」だと述べ、「mixiにコミュニティを作ったのとどう違うの?」と聞かれたときには、「自信を持って『同じです』と答えて」いると述べています。
 さらに、「SNSの勧め方を指導するときに非常に効果的な7つのポイント」として、
・友達3人以上と始めよう!
・見てるだけでOK。とにかくクリック!
・迷ったら「ホーム」ボタン!
・ランキングに注目してみよう!
・他人のプロフィールが面白い!
・メッセージはアドレス不要のメール機能
・次のステップは日記に「そうですね」コメントを!
の7点を挙げています。
 「エンジニアたちの珈琲ブレイク空間『encafe〔エンカフェ〕』」を運営している株式会社エンカフェの吉弘辰明氏は、「実際に運営して数ヶ月も経過すれば、なかなか思い描いた通りにはいかないことも多く出て」くるとして、「そんなときに使える(かもしれない)厳選した10個の運営Tips」として、
・率先して書き込む
・新規登録メンバーを歓迎する
・オフ会をする
・運営コミュニティを作る
・全ユーザーの新着日記を表示する
・出会いをコーディネートする
・ユーザーにスポットライトを当てる
・飽きさせない
・SNS間で連携する
・ユーザーにログインを促す
の10点を挙げています。
 第11章「今後のOpenPNE」では、開発スタンスとして、「OpenPNEは、何を実現するためのソフトウェアなのかを間違えないで開発していきたい」として、「SNSは人間関係を表現するソフトウェア」という点は見失わないでいきたいと述べています。
 また、ITジャーナリストの佐々木俊尚氏は、著者の手嶋社長が、「1人の人間にはさまざまな人格がある。1人の人間にとって、SNSは1つでは足りないと思うんです」と取材に答えたことを紹介しています。
 本書は、これから自分のSNSを立ち上げたいと思っている人にとっては、バイブルとなりうる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は紙幅の多くをSNS構築の技術的な解説に当てていますが、本書を読もうとする人、SNSを立ち上げて運用しようと思う人にとっては、技術的な部分よりもむしろ、ソフトの部分、実際に運営している人によるTipsの方を読みたいのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・ネット上に人間関係を構築したい一。


■ 関連しそうな本

 パトリシア ウォレス (著), 川浦 康至, 貝塚 泉 (翻訳) 『インターネットの心理学』 2005年10月15日
 川上 善郎 (編集), 高木 修 『情報行動の社会心理学―送受する人間のこころと行動』 2005年11月19日
 ダンカン ワッツ (著), Duncan J. Watts (原著), 栗原 聡, 福田 健介, 佐藤 進也 (翻訳) 『スモールワールド―ネットワークの構造とダイナミクス』 2006年03月22日
 早稲田大学IT戦略研究所, 根来 龍之 『mixiと第二世代ネット革命―無料モデルの新潮流』 2007年03月31日
 原田 和英 『巨大人脈SNSのチカラ』 2007年09月01日
 安田 雪 『実践ネットワーク分析―関係を解く理論と技法』 2005年10月04日


■ 百夜百マンガ

好色哀歌元バレーボーイズ【好色哀歌元バレーボーイズ 】

 高校編もすでにバレーボールは関係なくなっていたのですが、もはや全く関係ないのではないかと思わないでもないです。

2009年3月24日 (火)

公務員クビ!論

■ 書籍情報

公務員クビ!論   【公務員クビ!論】(#1524)

  中野 雅至
  価格: ¥777 (税込)
  朝日新聞社(2008/2/13)

 本書は、「全種類の公務員を経験したことが少し自慢のタネ」である著者が、
(1)「公務員の未来予想図」を示すこと。
(2)公務員には少なくとも3種類いて、それぞれが抱えている問題は違うのだということを示すこと。
(3)公務員の仕事は世間が思っているほど簡単ではないこと、少なくとも、真面目に仕事をしている何割かの公務員は、複雑化する仕事を前にして苦悩していることを示すこと。
の3点を意図して著したものです。
 第1章「公務員はいかにして公務員になるのか──公務員のしられざる世界」では「親が子供に就かせたい職業ナンバーワン」といっても、日本の就業者の「10人に1人弱が公務員」であり、「その仕事の中身は千差万別」だとして、「今後、公務員はおいしい商売とは必ずしも言えない」と述べています。
 第2章「キャリア官僚受難の時代──実は苦悩しているエリート達」では、「霞ヶ関に勤務する官僚の憂鬱」として、
(1)セクショナリズムの横行:調整に時間がかかり、その過程で大胆な政策が当たり障りのない政策に変質してしまう。
(2)政治への意味のない従属:役人を怒鳴りつけるのが政治主導だと思っている傲慢な政治家への不満と事務局の負担が増える内閣主導体制への不満。
(3)雑用の増加(知的業務の現象):定員削減と業務量増大に追われ、政策を考えたり勉強する余裕がない。
(4)世間からの厳しい目:マスコミや世論は、時と都合に応じて、「官僚は優秀」「官僚は能力がない」という両極端な評価を使い分けているように映る。
の4点を挙げ、「霞ヶ関のキャリア官僚は日々式を低下させている」ことは、
・これまでとは比較にならないくらいに多くの人が役所を辞めるようになったこと。
・志願者数が減少していること。
・国費流学者の退職者が増加していること。
・政治家への転身者が増加傾向にあること。
などの指標を挙げています。
 そして、中央官庁で頻繁に使われる、「こんな国会答弁で持つのか」「こんな資料をマスコミに差し出して持たないんじゃないか」という「持つか」「持たないか」という表現について、「世間からの支持あってこその官僚」であることを、「役所も官僚もよく分かって」いて、「それだけ世論に敏感」だと述べています。
 また、「戦後日本の官僚像は戦後の55年体制の確立期を境」に、
(1)国士型官僚:「俺達官僚こそ国家を動かすのだ」という強烈なエリート意識を持った官僚。
(2)調整型官僚:さまざまな利害を調整して、関係者のコンセンサスを得ながら仕事を進めるスタイルをとり、官僚に初めて接する人の多くは、東大卒の官僚の「腰の低さ」に驚く。
の2つのタイプに分けられるとした上で、「政策を主体的に進めることで得られる満足感と、利害調整に伴うコストが釣り合わなくなった」ため、「利害調整に嫌気がさす官僚が激増して」いるとして、「調整型官僚像というモデルもそろそろ限界に来ている」と述べています。
 第3章「追いつめられる普通の『ノホホン公務員』」では、「最近はキャリア、ノンキャリア、地方公務員を問わず、公務員全体に対する批判が強くなって」いる背景として、
(1)度重なる不祥事
(2)少子高齢化
(3)財政赤字の累積
(4)長引く経済不況
(5)官民の労働条件の大きな乖離
(6)グローバリゼーションや市場主義の影響
の6点を挙げ、「キャリア官僚のような『特権階級』でもないノンキャリアや地方公務員、官公労がこれほどまでに批判されるようになった」理由としては、「市場主義やグローバリゼーションの影響が大きい」と述べています。
 そして、2005年度の人事院勧告で、「これまでの給料体系に思い切ってメスが入れられ」た結果、
(1)年功給的要素の縮小
(2)役所によって給料が異なるようになる可能性
(3)勤務地ごとでも給料が増減する可能性
の3点で大きな変化が生じる可能性があると述べ、
 第4章「格差が広がる地方公務員」では、「地方自治体間の財政運営の優劣」が、今後相当はっきりしてくる理由として、
(1)財政運営の優劣は、知事や市町村長などのトップリーダーの力量に大きく依存する。
(2)06年度以降「地方自治体が自由に借金できる」ようになった。
(3)地方自治体の借金の多くを民間銀行が引き受ける時代に突入する。
の3点を挙げ、「地方自治体の組織パフォーマンスに差がつけば、労働条件が地方自治体ごとに多様化するのも避けられない」と述べています。
 また、民営化を急速に進めたイギリスの例を挙げ、「日本においても今後は、官業ビジネスで巨大化する会社が現れる可能性」はあるとして、
(1)指定管理者制度
(2)PFI(Private Finance Initiative)
(3)民間委託
(4)市場化テスト
の4つの民営化を通じて、「地方公務員は今以上に大きな波に晒される」そちえ、「公務員という身分がないとできない仕事とは何か」について、「今以上に活発な議論が展開される」と述べています。
 さらに、総務省が、「これまでのように地方自治体を『画一的に扱い』『上から指導する』という役割から、『地方自治体が競争しながら個性を発揮する仕組みを考える』『地方自治体のパフォーマンスを監視する』という役割に巧みに方向転換している」として、「旧自治省とは違った形で、地方自治体に対する影響力を温存することができるように」なると述べ、「旧自治省のライバルで、地方自治体のリストラを進めようとする財務省(旧大蔵省)と対抗するのにも有効」だと指摘しています。
 第5章「世界標準は『官民統一』」では、OECD各国の公務員数は、「多くの国で公務員が減っている」にもかかわらず、「公務員が減ったにもかかわらず、財政赤字は縮減して」いないとして、「財政赤字の要因=公務員の人件費」というのは「濡れ衣」だったと述べ、その背景には、「NPM(New Public Management)」(新公共経営)と呼ばれる、「民間企業で採用される経営アプローチを役所にも導入し、役所仕事の効率化・成果の改善を図ろうとする考え方」があるとして、その特徴として、
(1)市場メカニズムの活用
(2)顧客主義
(3)業績評価による組織運営
の3点を挙げています。
 そして、イギリスを例に、「公務員制度をドラスティックに改革している国では、相当の地殻変動が起きて」いることから、「改革の影響はかなり大きく」、「日本では公務員制度改革の掛け声はかかるものの、実行に移されること」はなかったと述べています。
 また、「たとえ改革が部分的にしか進まないとしても、方向性は一つしかない」として、「官民統一」から「官民流動化」への流れを挙げ、処遇の多様化は、「真面目に成果を出そうとする、やる気のある公務員にとってはチャンス」だとして、「大学教授に転職する地方公務員などが相当増える」とともに、「活躍する公務員は他の役所や組織に引き抜かれるように」なると述べています。
 第6章「市場万能時代、公務員はどれだけ努力しても民間に勝てない?」では、「公務員になるような人の大半は真面目な人たち」なのに、非効率的になる理由として、
(1)役所は民間とは違った価値基準に従わなければならないから。
(2)そもそも官とは宿命的な「赤字産業」だから。
の2点を挙げています。
 そして、「役所や公務員が非効率的になる理由を、議会など衆人環視の場で示し、公務員の仕事が非効率になる理由をみんなで考えるような仕組みを作るべき」であり、「公務員のコストと事業の関係を明確な形で国民の前に示すべき」だと述べています。
 第7章「格差社会における行政サービス──三極化するニーズに公務員は対応できるか?」では、「富裕層・中間層・貧困層に三極化」する格差社会の進展が、分厚い中間層を前提にした、「お役所の大量生産ビジネスモデルの前提をひっくり返す可能性」があると述べています。
 そして、「格差社会の到来と歩調を合わせるように、地域ごとの色分けがずいぶんと行われる」ようになったとして、「貧困層地域」とレッテルを貼られた地域の公務員が、
(1)地域イメージの回復
(2)貧困層を生み出す現況である格差社会そのものに対して、公務員が無力である。
の「2つの難しい問題に直面する」と述べています。
 そして、「貧困化・高齢化・過疎化が三位一体で進めば、歳出要素が増える一方で税収が極端に減り」、「高齢者の多くが必要とする医療、福祉、交通手段の確保などは市場ベースでは調達」できないため、「江戸幕府の天領と同じ発想で、都道府県内の特定区域だけ『政府の天領』とするような発想」も出てくると述べ、「天領になりたい地方自治体」と「構造改革を自分の力で進めたい地方自治体」に分かれた結果、「もはや行政技術や公務員論で議論する範疇を超え」、「国民に真実を説き、必要な構造改革を断行し、不利益配分と福祉の維持・向上をどのように両立させるのか」という高度な政治の力量が問われると述べています。
 さいごに「公務員冬の時代、『ひきぬかれる公務員』になれ」では、「公務員は『親方日の丸』の職業ではない」が著者の結論だとして、これから、「公務員は世間の厳しい風にさらされ」ると述べ、「役所には無駄が多い」が、「民間企業の方にはぜひ『どうして役所には無駄が多くなるのか』ということも考えて欲しい」として、「役所には無駄が発生せざるを得ない」「役所は赤字にならざるを得ない」という部分も確実に存在することを知って欲しいと述べています。
 本書は、公務員の未来像を予言してくれるかもしれない一冊です。


■ 個人的な視点から

 一口に「公務員」と言っても、なかなか一括りにできないということが、本書を読むと理解できるのではないかと思います。それにしても、著者ほどいろいろな公務員を体験した人も少ないのではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・「公務員」というと市役所の窓口と報道されるキャリア官僚しか思い浮かばない人。


■ 関連しそうな本

 中野 雅至 『はめられた公務員』 2005年05月26日
 中野 雅至 『間違いだらけの公務員制度改革―なぜ成果主義が貫けないのか』 2007年04月06日
 川手 摂 『戦後日本の公務員制度史 「キャリア」システムの成立と展開』 2005年12月29日
 城山 英明, 細野 助博, 鈴木 寛 『中央省庁の政策形成過程―日本官僚制の解剖』 2007年03月30日
 末弘 厳太郎 (著), 佐高 信 (編集) 『役人学三則』 2005年12月12日
 宮崎 哲弥, 小野 展克 『ドキュメント平成革新官僚―「公僕」たちの構造改革』 2006年04月13日


■ 百夜百マンガ

やる気まんまん【やる気まんまん 】

 スポーツ新聞といえばこのオットセイを思い浮かべる人が少なくないのではないかと思います。亡くなるまで描き続けた偉大な作品としてファンも多いようです。

2009年3月23日 (月)

洗脳選挙

■ 書籍情報

洗脳選挙   【洗脳選挙】(#1523)

  三浦博史
  価格: ¥1000 (税込)
  光文社(2005/1/21)

 本書は、「あらゆる手段を駆使して、候補者を当選させる」ことを使命とした「プロパガンダのプロ」である著者が、「プロパガンダの実態を、日本で最近行われた実際の選挙現場に即した語るもの」です。
 そして、著者が敬愛する友人である川上和久・明治学院大学法学部長が掲げたプロパガンダ「7つの方策」として、
(1)ネーム・コーリング:悪いイメージのレッテル張り
(2)華麗な言葉による普遍化:「自由」「正義」「愛」「平和」といった普遍的な価値との結びつけ
(3)転移:権威ある存在を味方につけ、自らを正当化
(4)証言利用:有名人の発言を利用
(5)平凡化:立場を似せて、親近感を得る
(6)カードスタッキング:都合がいいことの強調と、都合が悪いことの隠蔽
(7)バンドワゴン:ある事柄を、世の趨勢であるかのように宣伝
の7点を挙げています。
 第1章「史上最年少知事は、こうして誕生した!」では、「40、50ははな垂れ小僧」といわれる地方選挙の世界で、42歳の「若造」が当選できた舞台裏を描くとして、選挙プランナーとしての著者の役割を、「候補者自身のオリジナルな売り」をサポートすることだと述べています。
 そして、「選挙の写真を選ぶときには、候補者の容貌は無視するのが三浦流」だとして、「自分が選ぶと、どうしても自分の欠点が出ていないものを選んでしまい、他人から見ると本人らしさがかける写真となる」と述べています。
 また、新潟県内で最大部数を持つ新潟日報が、世論調査の結果を歪曲した世論操作を行ったとして、「こんなプロパガンダが許されるのだろうか」として、「今後、読者は新潟日報を読むときには注意が必要」だと述べ、一例として、候補者のプロフィールを紹介するときに、後から変えようがない「出身地」ではなく「本籍地」と現住所を紹介していたことを指摘しています。
 第2章「人はこうして乗せられる」では、「選挙は戦争であり、選挙プランナーの1つの役割は武器庫である」として、「私は選挙に必要な武器なら全て揃えられる」として、総合プランナーは、「日本では私がナンバーワン」だと自負していると述べ、自分自身の強みとして、
(1)これまで選挙の第一線の現場を数多く経験してきたこと。
(2)日本の各界の第一人者たちを結集させ、チームを作ることができること。
の2点を挙げています。
 そして、マスコミが行う定量調査について、「土日に、自宅にいてわざわざ電話に出て、10~15項目にわたる質問に最後まで付き合う人が、ある層に偏ってしまうのではないか」として、「都市部の人、もともと政治に関心の薄い人、浮動票無党派層の声が正確に反映されているとは考えにくい」と述べるとともに、「マスコミのカラーが出てしまう」ため、「主催者によってカラーが分かれる」と述べています。
 また、「選挙を戦う上で選挙に強い弁護士は絶対に必要だ」として、「公職選挙法は風営法と同じで、警察の胸三寸でどうにでもなる」と述べ、任期満了6ヶ月以降に掲出する「政党(2連/3連)ポスター」について、長野県の選管が、2連ポスターを、「『3連ならいいが、これは違反だ』といって許可してもらえなかった」際には、選管に、「公職選挙法の第何条に抵触しているのか文書に記して、記名捺印して欲しい。明快な回答が得られない場合は選挙妨害で訴える」と伝えたところ、「しばらくして『問題ありません』と言ってきた」と述べ、新しい選挙技術や手法が次々に生まれる中で、「その都度それが公職選挙法に抵触しないか弁護士や総務省に相談しないと、危ない」としています。
 さらに、神奈川県知事選での、松沢成文氏の法定ビラについて、『加治隆介の議』の中からイメージに近いキャラクターを選び、「似顔絵ではない。2年前に刊行されているこのマンガから、作者の許可を得て使用している」と反論して許可されたと述べています。
 第3章「プロパガンダ後進国」では、「選挙PRにおいては、PRコンサルタントと広告代理店の仕事は明確に区分すべきだ」として、「PRコンサルタントが候補者の要求を理解した上で戦略を組み立て、実際にメディアに露出するときは、広告代理店に依頼してテレビや新聞の広告枠を取ってもらうというふうに、分業でなされるべきだ」と述べ、「候補者にどれだけ特化し、丁寧に作るかが大切」であり、「名前を変えたり、顔を変えたりしたら通じるものではなく、候補者独自のものを作っている」と述べています。
 また、広告代理店との違いは、「大衆迎合的戦略」をとるか「啓蒙活動的戦略」をとるかだとして、広告代理店がニンニクを売り込むときには「ニンニクの臭いを消して、消費者に受け入れられることを重視」するが、「ニンニク嫌いな人をニンニク好きにするのが啓蒙だ」と解説しています。
 また、2001年参院選時の公明党の「そうはいかんざき!」のCMが、「フレンド作戦」をバックアップする、「一般国民向けに公明党への嫌悪度を低くするCM」だと解説し、「日本の政党の中で、まともに選挙戦略を立てているのは、唯一公明党だけといえそうだ」と述べています。
 著者は、「選挙はプロパガンダの塊である」
として、「選挙PRの本質は、いかに有権者を投票誘導するかがポイント」、「いかにシンパを増やすか」だと述べています。
 第4章「プロパガンダはこうして生まれた」では、「プロパガンダが世界で一番確立しているアメリカの大統領選挙における、特にメディア戦略にスポットを当てる」として、2004年の「ビンラディン・サプライズ」や、1964年の「デイジー」、マイケル・ムーア監督の『華氏911』などの事例を紹介しています。
 第5章「IT選挙の時代」では、選挙におけるIT活用について、
・選挙運動におけるITの活用
・投票におけるITの活用
の2点を挙げた上で、「時代とともに、確実に選挙手法は変わっていく」が、「演説と握手、つまりドブ板=地上戦の手法は、選挙があるかぎり、永遠に続くだろう」と述べ、「IT化が進む以上、きわめて規模の拡大した空中戦こそが、選挙の行方を左右するだろう」として、「もはや従来型の選対、選挙プロでは全く対処できなくなる」ため、「これからは、空中戦を得意とする私たち選挙プランナーの出番がますます大きくなる」と述べています。
 本書は、現代の選挙に勝つためには不可欠となった「空中戦」の戦い方の触りの部分を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読むと、選挙プロパガンダというものが、常に進化を続ける「技術」であることがよく分かります。そして、本書などで学んだプロパガンダの技術を理解したうえで、実際の選挙戦でどのように使われているかを見ると、新たな驚きと数多くの発見があるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・自分は自分の意思で投票する候補者を決めていると思っている人。


■ 関連しそうな本

 高木 徹 『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』 2006年11月27日
 ウィリアム パウンドストーン (著), 篠儀直子 (翻訳) 『選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?』 2009年02月26日
 アンヌ・モレリ (著), 永田 千奈 (翻訳) 『戦争プロパガンダ 10の法則』 2007年11月01日
 谷口 尚子 『現代日本の投票行動』 2005年05月25日
 加藤 秀治郎 『日本の選挙―何を変えれば政治が変わるのか』 2008年10月23日
 小林 良彰 『選挙・投票行動』 2008年10月22日


■ 百夜百マンガ

デザイナー【デザイナー 】

 どろどろに渦巻く愛想、複雑な人間関係、さすがに王道、さすがに大御所という感じです。誰か漫画でリメイクしないですかね。

2009年3月22日 (日)

神様に選ばれるただひとつの法則~人生を勝利に導くコミュニケーション術「プロパガンダ」~

■ 書籍情報

神様に選ばれるただひとつの法則~人生を勝利に導くコミュニケーション術「プロパガンダ」~   【神様に選ばれるただひとつの法則~人生を勝利に導くコミュニケーション術「プロパガンダ」~】(#1522)

  三浦博史
  価格: ¥1365 (税込)
  フォレスト出版(2007/10/5)

 本書は、「人生で成功するためには、多くの人に理解され、支持される必要がある」として、「究極の人気投票ともいえる選挙戦に学ぶ『自己PR術』と『コミュニケーション術』の極意を紹介」しているものです。
 Prologue「人の心を揺さぶる技術とは?」では、「プロパガンダ」の意味について、「自ら働きかけて自らの思う方向に他人や集団を動かすこと」であり、「自分の意図を個人や集団が自発的に受け入れるように仕向けること」を、「上手な誘導」だと述べています。
 そして、「人や集団を動かす基本」は、「熱伝導」と「インスパイア」しかないと述べています。
 第1章「誰も教えてくれなかった!『プロパガンダ』のテクニック」では、アメリカの大統領選挙などでの選挙キャンペーンが、「ネガティブ・キャンペーン」と批判的に取り上げられることが多いが、「アメリカのネガティブ・キャンペーンの真髄は、"事実に基づいて"相手候補を批判する=フェアなパンチを浴びせる」ところにあるとして、「フェアなパンチで攻撃されているのに、フェアなパンチで反撃しない、できない候補者は有権者から同情されることなく失望の対象となっていく」と述べています。
 第2章「あなたが入手した情報は操作されている」では、ネガティブ・キャンペーンへの対応として、「大切なことは事実を否定しないこと」であり、「事実を認めた上で、真実が違っていることを繰り返し主張する」べきだと述べ、「事実は(必ず)暴かれるが、真実は神のみぞ知る」ことも多いとしています。
 第2章「プロはどうやってプロパガンダを成功させるのか?」では、「人間は誰しもコンプレックスを持って」いるとして、「そのコンプレックス(候補者の足りない部分)をカバーしてPRすることを『コンプレックスカバー』と呼び、プロパガンダの手法の基本となって」いると述べ、「女性には男性、男性には女性、あるいは年配者には若者、若者には年配者といったように、自分が持ち合わせていないものをカバーしてくれる人とタッグを組んだり、欠点を補完し合うこと」だとして、2008年の大統領選挙で、「まずありえないでしょうが」と前置きして、民主党のヒラリー・クリントンとオバマが「本選挙直前にタッグを組むこと」が実現すれば、「史上最強のコンビ誕生」となると述べています(本書の出版は2007年)。
 そして、ヒトラーが、「最も簡単な概念を何千回も繰り返すことだけが、けっきょく覚えさせることができる」と述べていたり、小泉元首相が「郵政民営化」だけを主張して大勝したこと、都知事選で石原陣営が「東京再起動」というキャッチコピーを徹底して使い続けたことなどの例を挙げ、「政治家の主張が終始一貫し、なおかつお経の題目の妙に唱えられていると、しだいにそれが一般大衆の間に浸透していく」と述べています。
 また、近年数多く行われるようになった公開討論会について、「討論で相手候補を論破することが重要なのでは」なく、「候補者としての高感度を高め、それを有権者にアピールする場にすること」がもっとも求められるとして、そこが、議論で相手に勝たなければならない「ディベート」と、「どの候補者が観客に好感度を与えるかが勝負」である、「ディスカッション」の違いだと述べています。
 第4章「熱伝導が周りの人を変えていく!人生を変えていく!」では、「プロパガンダを成功させるために不可欠」な「インスパイア(=魂を入れ込む)」技術について、日本語では「入魂」という言葉に近いかもしれないとして、「選挙においては、選挙グッズに候補者の熱いメッセージがインスパイアされていなければ勝てない」と述べ、「簡単にインスパイアする方法」として、「常に新しいチャレンジをすること」だとしています。
 また、元政治家の浜田幸一氏が、選挙期間中に、「車の中にピカピカに磨いた革靴が何足も置いてあった」として、「農村部を回るときは、そのピカピカの革靴で車を降り、どんどん田んぼの中に入っていく。そして農作業をしている人たちに声をかけ握手をする」ことで、「農作業の人たちはその姿を見て驚くとともに、いたく感動する」と述べています。
 第5章「神様に選ばれる法則」では、「あなた自身がインスパイアできる存在になり、周りに熱伝導を発し、周りの人を取り込んでいくための技術」として、「あなたの職業が何であっても、その職業の最高の役を演じることが周りの支持者を増やす秘訣」だとして、「性格は変えられないが異なる性格を演じることはできる」と述べ、「成功している政治家や芸能人といった『外見力』を重視する人たちは、『心の化粧』をしている人が多い」と述べています。
 そして、演説のこつとして、「多くの人がカラオケで歌える十八番があるように、自分の得意なパターンを徹底的に練習」することで、「自然にメリハリもつき、うまくなる」と述べています。
 さらに、選挙コンサルタントとして、勝算率を一番にするには、「運がよくて勝てそうな人しかクライアントにしない」ことだとして、松下政経塾を設立した松下幸之助氏が熟成を採用する基準として、「愛嬌」と「運」を重視していたことを紹介しています。
 本書は、選挙には関心のないような人に対して、選挙プロパガンダの技術を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、いわゆる「成功本」と呼ばれる類のビジネス書の形式を取っていますが、中身としては選挙の話が9割です。こう言ってしまうと「羊頭狗肉」という印象を与えてしまうかもしれませんが、「成功本」と呼ばれているものの多くは、そのものずばり本当に成功するための「法則」があるはずもなく、社会心理学などの関連研究をベースにしたものか、実際に成功した人の体験談や習慣、持論などを紹介するものがほとんどなので、本書も選挙プロパガンダという技術を背景に、実際に選挙で成功してきた体験談を語っているものと言えなくはないかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・神様に選ばれたい人。


■ 関連しそうな本

 三浦 博史 『最新選挙立候補マニュアル―選挙参謀はいりません』 2009年02月18日
 三浦 博史, 前田 和男 『選挙の裏側ってこんなに面白いんだ!スペシャル』 2009年01月31日
 三浦 博史 『舞台ウラの選挙―"人の心"を最後に動かす決め手とは!』 2008年07月22日
 井上 和子 『選挙裏物語―「当選確率80%」スゴ腕選挙コーディネーターが明かす選挙のすべて』 2007年10月30日
 杉本 仁 『選挙の民俗誌―日本的政治風土の基層』 2007年11月07日
 季武 嘉也 『選挙違反の歴史―ウラからみた日本の100年』 2007年10月02日


■ 百夜百音

声に出すと赤っ恥【声に出すと赤っ恥】 ガガガDX オリジナル盤発売: 2008

 自動車のCMでおなじみの曲だと思いますが、最近の子どもたちはこの曲は知っていても、元の番組「まんが日本昔ばなし」を知らないのではないかと思います。

2009年3月21日 (土)

政治とケータイ ソフトバンク社長室長日記

■ 書籍情報

政治とケータイ ソフトバンク社長室長日記   【政治とケータイ ソフトバンク社長室長日記】(#1521)

  嶋 聡
  価格: ¥798 (税込)
  朝日新聞出版(2008/9/12)

 本書は、「38歳から47歳まで、9年間、民主党の衆議院議員」を務めた後に、ソフトバンク社長室長へ「政から民」への転進を成功させた著者が、「『出入り自由』で民から政、政から民へと移ることが政府も経済も活性化させる」ことを語ったものです。
 第1章「衆議院議員からソフトバンク社長室長へ」では、衆議院選挙で初めて落選した著者が、ソフトバンクの孫社長に、「日本ではビジネスから政界に入る人は増えてきましたが、政界からビジネスに入る人はまだいません。そのトップランナーになりたいと考えています」と語ったことをきっかけに、「衆議院議員からソフトバンク社長室長への転進が決まった」と述べ、「欧米では、政界からビジネス界へ、ビジネス界からまた政界へと回天ドアで行ったりきたりするのは普通であり、かえってめでたいことなのである。『出入り自由』の時代にすでになっているのだ」と語っています。
 そして、「日本の政治家だけが、ガラパゴス化現象で独自の進化を遂げていたのではやがて滅びてしまう」と述べています。
 第2章「国会議員から民間へのとまどい――政治家の生活、民間の生活」では、2005年11月1日にソフトバンクに入社し、9年間衆議院議員を務め、ほとんど地下鉄には乗らず、乗ったとしても議員がもらえる無料パスを使っていたので、「地下鉄の自動改札に切符を入れるのに戸惑った」ことや、定期券をどこで買えばいいのかもわからなかったことを語るとともに、「一番政治家と変わった」点として、「土曜日と日曜日が休みになったこと」と現役議員に答えるとうらやましがられることなどを語っています。
 そして、「大本営参謀から伊藤忠商事に入り、辣腕を振るい、さらには行政改革や中曽根康弘総理のブレーンとして活躍」した瀬島龍三氏を引き合いに、アルビン・トフラーの「第3の波の時代における瀬島龍三になる」ことが目標だと語っています。
 第3章「人生ブルーオーシャン戦略でスーパーロビイストに」では、「ビジネスをできる人はソフトバンクにたくさんいる」が、「行政や政治のしくみを知る人は少ない」ため「社長室長の業務である『渉外』に重点を置くことが私のブルーオーシャン戦略ではないだろうか」と考え、「意思決定システムを熟知している私だから、高度なガバメントリレーションができるはず」として、「情報通信産業の将来を決するような政策情報、政治情報をあらゆる角度から収集し、ソフトバンクグループにプラスになる情報は孫社長をはじめとする幹部に伝え、経営戦略に組み込んでいく。マイナスに働きそうな動きがあったら、スピードを緩めさせるか、プラス方向に転じるようにオープンに働きかける」という仕事を、「日本初のインハウスロビイスト」という人もいるが、「普通のロビイストではない。スーパーロビイストだ」と答えていると述べています。
 そして、自らの目標を、「机をたたいたり、火をつけたりするのでなく、堂々と正式な形で主張する『ちょっと大人のソフトバンク』にすること。ソフトバンクグループ自体を進化させること」だと述べています。
 第4章「アジアのヨン様を生んだ韓国、生めない日本──放送と通信の融合」では、「社長室長の仕事の1つとして、『情報化時代の瀬島龍三』として行動をするときは、国益の追求とソフトバンクグループの利益追求が一致するようにしなくてはならない」と述べ、「1つのメディアが出て、これが放送か通信かなどと議論していると日本は完全にデジタルビジネスの分野で敗北する」と述べています。
 第5章「ケータイ事業への参入──情報通信産業3分の計」では、ボーダフォン買収に関して、『三国志』の中で諸葛亮が、劉備に進言した「天下3分の計」に似たような思いを持っていたとして、巨大な独占企業NTTに対抗するには、「ソフトバンクグループが情報通信産業の3大勢力の一角に食い込むことが第1」だと述べています。
 また、「民間ビジネスにとって重要なのは、ゼロ金利という戦略環境を経営にいかに活かすか」であるとして、「この世界的に金余りの時期に、大規模な資金調達をして事業に投資するというのは長期的な視点で見ればたいへん賢明な決断であった」と述べ、伝説のトレーダーF氏に、「この低金利の時期にこれだけの借金をしたということを10年スパンで見れば、ものすごくいい時期に資金調達をしたと将来、評価されるに違いない」と語って評価されたことを紹介しています。
 第6章「密室からオープンへ──回転ドアだからわかる政策決定過程」では、議員時代の著者が、「NTTの独占を崩さなければ日本にデジタル革命は起きない」という1点で孫社長と意気投合したと述べ、光ファイバーの世界で巨大なNTTに挑むソフトバンクは、「巨大な徳川幕府と明治維新をめざして戦った長州藩だと思って日々、すごしている」として、「一緒に戦っているソフトバンクの渉外部門のメンバーは間違いなく『正兵』ではなく『奇兵隊』である」と述べています。
 また、竹中平蔵氏について、竹中氏の「通信産業の競争促進のためにはNTTを解体し、独占を排除すべきとする主張は、著者と全く同じであり、竹中氏が、「学問の世界から政治、しかも内閣という中枢で仕事をした」ことは、「出入り自由」人生のモデル事例だと述べています。
 第7章「松下幸之助から聞いた『成功のコツ』──情報通信維新をめざして」では、「松下政経塾で学んだ中で一番大きいもの」として、「個人の人生であっても、企業であっても『使命感』『志』というものを持つことが重要だということ」とを挙げています。
 そして、議員時代の「情報化時代の水道哲学」を、「ソフトバンクにおける進化した人生でもそのまま追求できている」として、「本当に私は運が良い」と語っています。
 さらに、堺屋太一氏のものを改良したプロジェクト成功の3要素として、
(1)大義名分の明確化
(2)象徴の擁立
(3)情報発信
の3点を挙げています。
 第8章「モラトリアムといわれていた松下政経塾──人生に回り道なし」では、政経塾2期生だった著者が、「帰省する旅に両親から『岐阜から政治家になれるはずがない。いまからでも遅くないから、松下電器にいれてもらえ』と諄々と諭される始末」だったとして、「ドラフト外でプロ野球にはいったことはいいが、パッとせず、どうすればいいか悩む選手のようだった」と語っています。
 そして、西武グループの堤義明オーナーとの出会いと、西武グループでの2年間の研修について、「今から振り返ると、西武グループでの2年が、ソフトバンク社長室長としての仕事に役立っている」として、政治学者から「無駄だ」といわれた2年間だったが、「カリスマ的なオーナーの下で企業グループを統合する手法は学べたような気がする」と述べています。
 第9章「小泉元首相いわく『議員やっているよりいいじゃない』──『出入り自由』の財界活動」では、「携帯電話事業参入も決まり、通信という公共的な責務を果たすことが期待されるグループになった」ことから、「経団連にも入会し、社会的にも貢献すべき」ことが、社長室長としての著者の任務でもあると述べたうえで、「経団連は55年体制下で自民党を支持するためにつくられた」ものであり、「出席者の中で『民主党支持者』は私1人ではないか」と述べています。
 第10章「『出入り自由』のカリスマ細川護煕元首相」では、「参議院議員から知事、そして衆議院議員となり内閣総理大臣という細川さんの人生の進化はすばらしい」、「そして、政治家から陶芸家である」と述べ、政界からビジネス界に転じることを決断したときに、細川知事引退のときの「花ニ十日ノ紅なし、権ハ十年久シカラズ」という言葉を思い出したと述べています。
 第11章「政治と経営の2つを知って──1兆円産業を立ち上げたい」では、「経験は力である」として、「政治を経験し、ビジネスも経験」するという「日本ではまだ珍しい経験」を活かして、「これからの自分の生き方を考えて生きたい」と述べ、「今まで、1度政治家になったら永久にというのが政治家のビジネスも出るだった」が、「あるときはビジネスをあるときは政治をという回転ドアはこれから増えてくる」と述べています。
 第12章「50歳は折り返し点──107歳まで生きるのが夢だった松下幸之助」では、松下幸之助が85歳の時に松下政経塾を設立したのは、「3世紀にわたって」107歳まで生きるという夢があったからだろうと述べています。
 そして、「『出入り自由』だから夢も新しくなった。50歳の折り返し点で再スタートし、新しい夢の実現のために邁進していきたい」と語っています。
 本書は、若返りが進んだ政治家の次の人生の一つのモデルを示してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ソフトバンクは元々出版事業を持っていましたが、さすがに自社の話は他所の出版社で出した方が説得力があると思ったのでしょうか。著者のような人が、再度「回転ドア」を通って政治の世界に戻ることは喜ばしいことですが、昔のように「食客」として養われるのではなく、その人脈と才能を生かして企業に利益を生んでこそ、「回転ドア」のビジネスモデルを作ることができ、ひいては、若い有為な人材をバクチのような政治の世界に引き込むことができるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・政治家は人生の「上がり」だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 浅野 史郎 『疾走12年 アサノ知事の改革白書』 2006年11月07日
 大下 英治 『孫正義 起業のカリスマ』
 孫氏の兵法製作委員会 『孫正義語録―孫氏の兵法』
 板垣 英憲 『孫の二乗の法則―ソフトバンク孫正義の成功哲学』
 井上 篤夫 『志高く 孫正義正伝 完全版』
 三木 雄信 『ソフトバンク「常識外」の成功法則』


■ 百夜百音

青春おでん【青春おでん】 twe'lv オリジナル盤発売: 2008

 60年代のGS風サウンドというのは、80年代にはジューシーフルーツが「そんなヒロシに騙されて」で使ったり、90年代にはMi-Keが「想い出の九十九里浜」で使ったりとしてきて、一定のスタイルとして定着してきた感じがあるのですが、twe'lvのメンバーが1994年生まれだったりするのを見てしまうと、彼女たちにとってどう聞こえるのか興味があるところです。
 ちなみに、コンビニのおかげで冬だけでなく通年のものになってきた「おでん」ですが、流行廃りの激しいコンビニを当てにできないという焦りがあるのでしょうか。

2009年3月20日 (金)

まず「書いてみる」生活―「読書」だけではもったいない

■ 書籍情報

まず「書いてみる」生活―「読書」だけではもったいない   【まず「書いてみる」生活―「読書」だけではもったいない】(#1520)

  鷲田 小彌太
  価格: ¥798 (税込)
  祥伝社(2006/10)

 本書は、定年を迎え、「ようやくのこと自由にできる時間」を得て、「言い残したいことを存分に書くチャンス」を得た人のために、「全体の筋=構成を大切にした、しかも細部まで明快さを貫きたい、という書く作法の習得」を論じたものです。
 序章「「書くことの悦び」では、「核とは、人間だけに備わった能力を、最高度に発揮する行為」だとして、「そんなに簡単ではなく、しかも人間を最高潮の状態に導くアクションなのだ」と述べています。
 そして、原稿用紙に手書きではなく、パソコン(ワープロ)で書くことに効果について、
(1)書くスピードがまったく違います。
(2)削除も加筆も自在です。
(3)構成や再編成も簡単です。
(4)下書き不要で、脱稿したものが即定稿で、直で編集者に転送できます。
(5)原稿整理、コピー、保管などは、考えられている以上に厄介なのですが、その厄介さが嘘のように解消されます。
(6)パソコンで書くと、手書きの数倍疲れません。
などの利点を挙げています。
 また、書くということが、「書くこと自体は全部自分が読んだものの中から、意識的あるいは無意識的にセレクトして、コピーしたもの」だと述べています。
 さらに、「人は、何を書いても、書くという行為のなかに、書いたもののなかに、自分が現れる」としたうえで、「まずは『自分』を書いてみること」を勧め、その理由として、
(1)「自分」を知るのは、他の誰でもない、自分だから。
(2)人は何よりも自分に関心があるから。
(3)書きつくすことができないほど奥が深いから。
の3点を挙げています。
 第2章「定年後に、充実した人生を迎えるために、書いてみよう」では、「激務の人に限って、現役を退いて、暇になったら、小説でも書きたい」ということを口にするが、「こういう人が、小説を書いた、という話をついぞ聞いたことは」ないとして、「定年後、書こうと思えば、新しい仕事に就くのと同じような心構えが必要だ」と述べています。
 そして、「課題が与えられ、それを書いてゆこうとするとき重要なのは、自分の視点を持つということ」だとして、「どんな短い文章でも、どんな巨編でも、全体を貫く『視点』がないと、一時一時をどんなに身長に積み上げていっても、全体と細部は結び合うことがなく、まったく首尾一貫しない、構成力の弱い、論も筋もバラバラの欠陥本になってしまう」と述べています。
 また、著者が最初の著書を出し、定職を得た年に帰省した際に、「私の本が父の枕元に、麗々しく置かれている」野を見たときに、両親に「なにかいいことをしたのだ」という感情が「どっとあふれて」来たと述べています。
 さらに、「書くためには、しかるべくトレーニングをする必要が」あるとして、「対価を要求できるため」には、「一定の水準までトレーニングに励む、ということが重要」だと述べています。
 第3章「定年から書く方法」では、著者が習得した「書く技術」について、
 一、下書きをしない。
 一、目次を特別丁寧に、心を込めて作る。
 一、抜き書き集を作る。
 一、索引を作る。
などの項目を挙げ、「もっとも重要なのは、目次をつくること」だと述べ、「文章を書く根本は、その長短に関わらず、『目次』をつくれるかどうか、にかかって」おり、「この目次がなくて、文章を書くのは、登山図がなくて、山に登るようなもの」だと述べています。
 そして、「文章の『命』は短文にある」として、「全体の流れは目次で常に確認しながら進む。その流れの一コマ、一コマをきちんと表現してゆく」ことが、「文章を書くこつの中核」だとしたうえで、「重要なのは、基本形を散文かつとすること」だと述べています。
 また、「三分割法」とは、「キーワード、キーフレーズをまず三つ立て、それをつないでゆく、という思考法」だと述べています。「
 第4章「活字になって初めて書く楽しみを堪能できる」では、「本が出てから一月もすると、あんなに嬉しかった感情がしぼんでゆく」、「自分の本も手に取るのさえ億劫に」なると述べ、「原稿段階、ゲラ段階、見本が出てからと、もう何度も何度も『通読』している」ため、「正直、手に取りたくない、聴きたくない、読むなんて、という感情が頭をもたげてきて仕方ありません。飽き飽きするのですね」と述べています。
 そして、著書は、「いったん著者の手を離れ、書店に並ぶと、著者のものではありません。著者の人格から独立したものになります」として、「逆に、著作が、著者自身を苦しめ、支配することだって」あると述べています。
 第5章「著書のある人生をめざす喜びと自尊」では、「時間つぶしのためだけに、ひがな一日読書にかかりっきりというのは、実のところ、とても難しい」として、「定年後も、仕事がある、とくに書く仕事がある場合、読書は仕事の重要な部分」だと述べ、「仕事のために本を読むなんて、読書の醍醐味が消える、とお思いの人は、大して読書をしていない人と思っていいでしょう。仕事のために読む本は、それはもうきりがありません、どんどん読めます。面白くなります。前向きに本と格闘しなければならなくなります」と述べています。
 そして、「大小、背色、ジャンル等々が異なる雑本類が雑然と並んだ本棚と書庫、精神が多種多様な要素を吸い込んでひしめき合っている生命力豊かな書斎、それが生きている書斎ではないでしょうか」とした上で、「書斎に無断で入る人は、家に無断侵入する人よりももっと礼儀知らず」だとして、「書斎をのぞかれる」ということは、「無断で心の奥所をのぞかれる」ことを意味すると述べています。
 また、「少しでも書いて原稿料や印税を得たことのある人は、絶対に『印税でおごれ!』などという理不尽な言葉を吐いたりはしません。書く意味、書いて得たものの貴重さを知っているからです」と述べています。
 本書は、人生にとっての「書いてみる」ことの意味を整理してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 昨年、「共著」のような形で本の出版に携わる機会がありましたが、著者が、「自分の本も手に取るのさえ億劫に」なると述べているように、本という形になって八重洲ブックセンターに平積みされているのを見たときには嬉しくなったものの、既に構成などで何度も通読しているので、本の中身を読むのはひどく億劫に感じました。
 やはり、読書というのは、人の頭で考えたことを追体験できることに喜びがあるのであって、自分の書いた文章を読んでも、追体験できるのは執筆の苦難だけなのかもしれません。
 5年後、10年後に読んだらどう感じるのかも楽しみです。


■ どんな人にオススメ?

・文章を「書いてみたい」と思う人。


■ 関連しそうな本

 鷲田 小彌太 『新 大学教授になる方法』
 鷲田 小彌太 『夕張問題』 2007年12月05日
 鷲田 小彌太 『社会人から大学教授になる方法』
 鷲田小彌太 『過疎地で快適に暮らす。』 2008年08月03日
 中野 明 『書くためのパソコン』 2005年06月25日
 梅棹 忠夫 (著) 『知的生産の技術』 2005年05月05日


■ 百夜百音

立ちあがリーヨ【立ちあがリーヨ】 T-Pistonz オリジナル盤発売: 2008

 博多のロックシーンといえば、「めんたいロック」を思い出してしまうのは30代後半以上かと思いますが、それにしても、70~80年代の各地のインディーズサウンドは地方色が豊かでした。「豚骨ロック」と言われてピンとこないのは歳をとったからなのでしょうか。

2009年3月19日 (木)

メディアの議題設定機能―マスコミ効果研究における理論と実証

■ 書籍情報

メディアの議題設定機能―マスコミ効果研究における理論と実証   【メディアの議題設定機能―マスコミ効果研究における理論と実証】(#1519)

  竹下 俊郎
  価格: ¥3150 (税込)
  学文社(1998/10)

 本書は、「マスメディアの議題設定機能」(the agenda-setting function of mass media)について、「メディアは日々の報道において、比較的少数の争点やトピックを選択し、またそれらを格付けしながら提示することで、人々の注目の焦点を左右し、いま何が重要な問題かという人々の判断に影響を与える」と定義した上で、「マスメディアで、ある争点やトピック協調されればされるほど、その争点やトピックに対する人々の重要性の知覚も高まる」とする「議題設定仮説」が、「マスメディアの社会的役割をどう説明しようとするものなのか。実証研究の結果として何が明らかになり、何がまだ明らかになっていないのか」という問題意識の下で著されたものです。
 第1章「議題設定仮説登場の文脈」では、「「1960年の辞典での説得的効果研究の集大成であり、重要な業績」である「限定効果論」について、「この仮説がマスコミュニケーション研究とくに効果研究に対しては逆機能的なインパクトを持った」と指摘しています。
 そして、議題設定研究の登場が、「メディア効果測定の次元を態度から認知へと移行させたというだけ」でなく、「宣伝・広告といった説得的活動から、メディアによる情報提供活動、特にニュースを制作し提供する活動へと、研究者の目を向けさせるものであった」としています。
 第2章「70年代以降の効果研究──議題設定研究以外の動向」では、「70年代初頭に提起され、コミュニケーション研究者の間で大きな注目を集めた理論仮説」として、E・ノエル=ノイマンが提起した「沈黙のらせん」(the spiral of silence)を挙げ、その仮定として、
(1)人はその社会的天性として、他者から孤立することを恐れ、それを回避しようとする傾向がある。
(2)われわれには「準統計的感覚」(the Quasi-statistical sense)が備わっている。これは、社会環境を見回し、周りの人々が何を考えているのか、特定の争点について何が多数意見なのか、これから勢いを増す意見は何か、といったことを察知する能力と定義される。
の2つを前提とし、「自分の意見が少数はもしくは劣勢であると知覚した場合、少なくとも公の場で自分の意見を開陳することを差し控える」ようになり、「こうした過程は螺旋的に進行」し、「結果として、ハジメに優勢であるというレッテルを貼られた意見は、同調者やそれに黙従する人を増やし、結果として実質的にも勢力を増していく」と述べ、「選挙期間中の情勢報道などで、ある候補者が有力視され、そこに票がなだれ込む」、いわゆる「バンドワゴン効果(勝ち馬効果)」の背景にも沈黙のらせん過程が作用しているとするものだと述べています。
 そして、この仮説が、「きわめて論争的な仮説」であり、「かつてナチスの学生組織の活発なメンバーであったらしい」とされる彼女自身のキャリアや「そのイデオロギー的立場も関係しているかもしれない」と述べています。
 また、G・ガーブナーが提起した「培養仮説」について、議題設定仮説と比較した特徴として、
(1)研究対象となるメディアや内容が異なる。
(2)受けての現実認識を調べる場合にも、問題となる現実の「次元」もしくは「層」が異なる。
(3)議題設定は数週間、数ヶ月のタイムスパンで生じる効果を仮定することが多いが、培養仮説の方はより長期的かつ累積的な効果を仮定している。
の3点を挙げています。
 著者は、限定効果論以降の研究の発達から、「限定効果論のようにメディアの説得的効果を一律に小さいものと考える必要はもはやない」が、「説得的効果を説明するためのモデルは、いきおい複雑なものになる傾向がある」と述べています。
 第3章「議題設定研究の発展」では、「議題設定において新聞とテレビのどちらが強力かという問題は、関連するさまざまな要因を考慮しなければならないため、一概に結論を出しにくい」が、新聞とテレビでは「効果のタイムスパンが異なるのではないか(テレビのほうが即時的)という点は、複数の比較研究が示唆するところ」だと述べています。
 そして、議題設定効果の時間的構造について、
(1)最適効果スパンの問題:受けて議題との関連が最大となるような、メディア議題の測定期間の長さ
(2)キャンペーン期間を通しての議題設定のパターンの問題:アメリカ大統領選挙のようにキャンペーンが長期にわたる場合、その各段階でメディアがどのような議題設定効果を発揮するかという問題
の2点を挙げています。
 また、議題設定研究で興味深い点として、「受け手のメディア利用動機の時限にまで遡り、随伴条件が考察されていること」を挙げ、代表的なものとして、「何らかの意思決定を必要とする課題に関して、それに高い関心を持ちながらもまだ態度を確定していない人は、自らの判断の拠りどころを求めようとする欲求が高まるだろう」とする「オリエンテーション欲求」(need for orientaiton)を挙げています。
 さらに、議題設定を規定するもう一つの要因として、「マスメディアとパーソナルな影響とがともに働く場合には、後者の方が受け手へのインパクトが大きい」とする「対人コミュニケーション」を挙げ、「特定の争点や問題に強く関与している人が話し相手の場合、対人コミュニケーションはメディアの議題設定効果(個人内議題における効果)を抑制する傾向がある」が、「それ以外の場合には対人コミュニケーションは議題設定効果を補強することが多い」と結論づけています。
 第4章「日本における議題設定研究(1)──基本仮説の検証」では、著者が1980年代初頭に実施した議題設定仮説の追試結果を報告し、「おそらく、日本における議題設定効果の本格的な検証例としては、最も初期の部類に属するといっていいだろう」と述べています。
 そして、調査結果について、「内容分析の測定機関を面接最終日前2週間ないしは3週間と設定した場合に、メディアと受けての争点検出性の関連がもっとも強くなることがわかった」として、「新聞の議題設定の最適効果スパンは、受けて調査に先立つおよそ2週間ないしは3週間の期間であると推定される」こと等を述べています。
 第5章「日本における議題設定研究(2)──パネル調査による検証」でjは、議題設定仮説に関する別の検証例を挙げ、その特色として、
(1)国政選挙時の選挙報道の効果に焦点を合わせていること。
(2)パネル調査データによる分析だということ。
(3)効果の測定に当たって、マコームズ=ショー・モデル以外の方法も適用しているということ。
の3点を挙げています。
 第6章「今後の研究課題」では、3つの発展の方向があるとして、
(1)議題設定研究を受け手効果分析として拡張進化させていく方向
(2)受け手分析だけでなく送り手分析も含めた、マスコミュニケーション過程全体をカバーする研究へと発展させていく方向
(3)政治過程におけるマスメディアの役割の解明を指向した、よりマクロなモデルの構築を目指す方向
の3点を挙げています。
 「終章」では、議題設定仮説が、「マスメディアの活動のうちでもとくにジャーナリズムに焦点を合わせ、ジャーナリズムがわれわれの注目の焦点を形成していること、そして、社会システム全体にとっての優先課題の認定に寄与していることを主張するものである」と述べています。
 本書は、マスメディアが具体的にどんな役割を果たしているのかを、掘り下げて捉える視点を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 私たちが、どの社会問題や政治的な課題を重要だと思うかどうかは、自分で決めているようでいて知らず知らずのうちにマスメディアから相当影響を受けているようです。
 また、マスメディアといっても会社によって相当のばらつきがあるわけですが、世論調査を見ても、新聞社によって内閣の支持率も違えば、重視する政治課題も異なってきます。そういった接触しているメディアの違いによる、政治課題の認識の違いを調査した研究っていうのもあるのだと思います。楽しみです。


■ どんな人にオススメ?

・マスメディアには踊らされないぞ、と思っている人。


■ 関連しそうな本

 蒲島 郁夫, 竹下 俊郎, 芹川 洋一 『メディアと政治』 2009年03月18日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年6月23日
 ドナルド・R. キンダー (著), 加藤 秀治郎, 加藤 祐子 (翻訳) 『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』 2006年06月19日
 ダン・ギルモア (著), 平 和博 (翻訳) 『ブログ 世界を変える個人メディア』 2006年06月22日 06:00
 河崎 曽一郎 『選挙協力と無党派』 2009年02月24日
 高瀬 淳一 『武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法』 2006年08月10日


■ 百夜百マンガ

味なおふたり【味なおふたり 】

 寿司っていうのも分かりやすいほど職人の世界で、客の前で寿司を握って、素人には分からない(最近すっかりネタバレしてますが)符丁を使っていて、映画や漫画の舞台にするにはお誂え向きの世界なのではないかと思います。職業それ自体がキャラが立っていると言ったらいいんでしょうか。

2009年3月18日 (水)

メディアと政治

■ 書籍情報

メディアと政治   【メディアと政治】(#1518)

  蒲島 郁夫, 竹下 俊郎, 芹川 洋一
  価格: ¥1890 (税込)
  有斐閣(2007/3/1)

 本書は、「大学で政治学や日本政治を教える場合、最も難しいテーマ」といわれている「メディアと政治」について、「これまであまり理論化されてこなかったこの領域に、本格的にメスを入れるという意気込みを持って執筆された」ものです。
 第1章「メディアと政治」では、政治学者の内山融が、「マスメディアが政治過程において担う役割」を分類した、
(1)ミラー:受け手に対して政治的現実を鏡のように映し出す機能。
(2)アリーナ:人々が自由に意見表明と議論を行う場を提供する機能。
(3)アクター:メディア自体の主張を直接に表明する機能。
の3つのタイプについて解説しています。
 そして、本書は、「『メディアと政治』研究へと読者をいざなうもの」だとして、「この研究領域はまだまだ荒削りだが、知的好奇心を刺激する多くのテーマを含んでいる」と述べています。
 第2章「モデルの提起」では、「入手可能なデータを用いて、本書全体を貫く理論的モデルを提起する」とした上で、モデルの骨格として、「マスメディアを含む日本政治モデルは、伝統的な権力集団である自民党と官僚組織が政策決定の核を構成し、マスメディアはこれらの権力の核外に位置し、権力から排除される傾向にある新興、弱小社会集団の選好をすくいあげ、新しい多元主義を政治システムに注入しているというもの」だと述べています。
 そして、「影響力の高い集団が、より多く自民党指導者やエリート官僚とのつながりを持っている」反面、「野党指導者への接触度と集団の影響力の間には負の相関関係がある」とするとともに、「マスメディアは、影響力の高い集団に対しても低い集団に対しても、同じように接触度を提供している」と述べています。
 第4章「メディアの政治的影響」では、メディア効果研究に従事する研究者が、「マスメディア効果についてどのようなイメージを抱き、それが時代とともにどう移り変わってきたか」について、
(1)即効理論:1920年代から30年代にかけて、マスメディアの威力は強大であり、あらゆる受け手に対して、直接的・即時的・画一的な効果をもたらすという見方。
(2)限定効果論:1940年代から60年代にかけて、メディアは人々の意識や行動に変化を引き起こすよりは、むしろ現状維持の方向に寄与する方が一般的ではないかとみなされるようになった。
(3)強力効果モデルと中効果モデルが併存:1960年代後半以降から現在まで、マスメディアの影響力が再評価され、マスメディアの効力を無条件に強大だと認めるのではないが、時と場合に応じてそれは受け手に大きな影響を及ぼす、という認識が再び広まった。
の3つの時期を挙げて解説しています。
 そして、第2期を代表する業績のひとつとして、コロンビア大学のラザースフェルドらが著した『ピープルズ・チョイス』を挙げ、「新聞、雑誌、ラジオといったメディアを介して提供される各党のキャンペーンが有権者の投票意図の変化とどう関連しているのか」について、「最も大きく見られた効果のタイプは『補強(=既存の投票意図の維持・再確認)』であり、共和党から民主党(あるいはその逆)へと投票する正統を鞍替えするような『改変』効果は、あまり見られないことが示唆された」と述べています。
 また、第3期の研究として「議題設定効果」(the agenda-setting effects)を挙げ、「政治が取り組むべき優先課題のリスト」について、「明示的には、マスメディアには公衆議題を設定する力がある」とする一方で、「暗黙裏には政策議題への効果も想定している」と述べています。
 第5章「メディアと世論」では、世論について、「ある社会内で、ある争点に関して有力なものと認知されている意見」と定義した上で、世論過程におけるマスメディアの役割として、
・報道機能(reporting function):ニュースや論評によって重要な出来事や政治的活動を描写すること。
・世論調査機能(poll-taking function):争点に対する公衆の反応がどうまとまりつつあるかを伝えること。
の2点について解説しています。
 また、「1980年代末から急速に注目を集めるようになった新たな認知的効果の仮説」として、「メディアが個々の争点や問題をどの角度から取り上げ、どう枠づけするか、という点」に関して、「争点を描写する際のメディアの枠づけの仕方が、同じ争点に対する受け手の解釈や評価を規定すると主張する」と述べています。
 そして、1970年代半ばに、ドイツの世論研究者ノエル=ノイマンが提起した「沈黙の螺旋(the spiral of silence)」仮説について、「人間は他者から孤立することを避けたいという自然な欲求(孤立への恐怖)を持つとともに、周囲を観察しコミュニティの意見動向を直感的に把握する能力(準統計的感覚)も備えている。それゆえ、ある争点に関して、自分の立場が社会で少数派である、あるいは劣勢になりつつあると感じると、少なくとも公の場での意見表明は控える(=沈黙を守る)ようになる」と述べています。
 第6章「政治取材はどう行われているか」では、官邸に対する「カメラが入らない形式の取材」として、「懇談」と呼ばれるものがあり、「背景説明を聞くのが狙いで、通常はメモを取らない。官房長官、官房副長官が官邸内で開く」と述べ、「それぞれ官房長官番、副長官番の記者が1社1人で出席する。メモなしで、記録に残らないから、思い切ったことや不確かなことをいっても、すぐさま責任を問われない。記者の側も、記者会見がタテマエなら、懇談はホンネを引き出すチャンスととらえて、さまざまな質問を発する」と解説し、懇談が、
(1)オンレコ:発言内容を記事にしても差し支えないという約束で話を聞くもので、官房長官なら「政府首脳」、副長官なら「政府筋」、首相秘書官なら「首相周辺」か「首相側近による談」といった形になる。
(2)オフレコ:記事にしないことが前提だが、出所を明示しないで、懇談の趣旨を記事の中にまぶしこみながら報じるケースもないわけではない。
に別れるとした上で、「こうしたこともいっさい認めないという約束での懇談」が、「完全オフレコ(完オフ)」といわれると述べています。
 そして、派閥担当の番記者について解説した上で、「情報産業である政治の世界では、情報をいかに取るかがポイントである。そのためには、政治家との間に人間関係を作らなければならない。名刺を出してすぐにホンネや真相、背景を話してくれることなど、政治だけでなく、どこの世界でもありえない」と述べています。
 また、政治記者と政治のかかわりについて、
(1)記者から政治家へ:記者から政治家になり、直接、政治の世界に入ってしまうケース。緒方竹虎、河野一郎など。
(2)記者から政権中枢へ:派閥記者が政権の中枢に入って政治を動かしていくケース。政治記者から首相秘書官に起用された、池田勇人内閣の伊藤昌哉、佐藤栄作内閣の楠田實など。
(3)派閥とともに:派閥記者が派閥と行動を共にし、政治を動かすケース。「ナベツネ」こと渡邉恒雄と「シマゲジ」こと島桂次。
の3つの類型に分けています。
 著者は、「政治家は情報をどこへどう流して、状況を作るのか。記者はそれに乗らないようにし、常に批判的な眼力を持って、取材先と対峙できるのか。影響力を熟知しメディアを自らにとって有利になるよう使おうとする政治家と、あくまでも中立性を保とうとするメディアとの綱引きが繰り広げられるメディア多元主義の世界。政治取材の現場はつねに真剣勝負である」と述べています。
 第7章「日本におけるニュース制作過程」では、「自民党一党支配の55年体制が崩れて連立の時代になり、選挙制度も中選挙区制から小選挙区制になって、政治報道もずいぶん変わってきた」として、
・政局報道
・国会報道
・政策報道
・検証報道
・世論調査報道
などについて解説しています。
 第8章「テレビ政治と雑誌政局」では、「かつて『密室政治』『料亭政治』といわれたように、派閥を中心に一握りの人たちが夜の料亭で動かしていた面があった」が、今は、「テレビの報道番組で政治が動き、ワイドショーで政治が芸能になって、劇場型といわれるような政治が展開していく」として、「良くも悪くも『テレビ政治』の時代である」と述べています。
 そして、月刊誌よりも、「週刊誌の方が現実政治により関わっている」として、スキャンダル暴露を挙げるとともに、「社会的責任からの自由」度、「権力からの自由」度が高く、逆に「マーケットからの自由」度が低いメディアとして、夕刊紙とスポーツ紙を挙げています。
 第9章「マスメディア、党首評価、投票行動」では、「投票行動における党首評価モデル」として、「党首の行動はマスメディアを通じて有権者に伝えられ、有権者はそれをもとに党首イメージを確立する。比例区では、政党名で投票するために党首イメージが直接、投票行動に影響する。しかし小選挙区では、有権者は候補者名で投票するため党首イメージの影響は間接的になる。さらに、選挙区の候補者イメージが有権者の候補者選択に直接的な影響を与え、他党との選挙協力が行われれば、より一層党首イメージは稀薄化する」と述べています。
 そして、「2000年総選挙では、森首相に対する低い評価が有権者の投票行動を大きく左右した」として、特に、「政党名で投票する比例区では、首相評価の影響が大きく、無党派層はもちろんのこと、多くの自民党支持者も自民党から離反した」と述べています。
 また、戦後の日本では、「強いリーダーシップを持つ、個性ある首相を生み出してこなかったことから、選挙結果に対する首相評価の影響は小さいと見なされてきた」が、2000年と2001年の選挙結果、「郵政選挙」と呼ばれた2005年総選挙は、「首相評価の重要性を証明するものであった」と述べています。
 第10章「変わるメディアと変わる政治」では、「派閥の領袖でもなく、党内に組織化された議員の支持基盤を持っておらず、その上、政策選好、自分の所属する党への敵意、そして強烈な個性のゆえに『変人』というあだ名で呼ばれていた」小泉純一郎が自民党総裁に当選し、首相として長期間高い支持をつなぎとめることができた理由として、「売れるニュースを求めるメディアと、その操縦に長けた小泉首相との共棲ゆえ」だと述べています。
 そして、2001年の自民党総裁選挙について、「メディアは、明白な橋本の勝利であった総裁選挙を、本命の先頭走者とチャレンジャーがいる『競馬』に変えた」と述べ、メディアが小泉首相を「大胆な改革者として扱った」ことは、「改革が必要と考えられているときには有利なレッテル貼りだった」としています。
 第11章「ネットと政治」では、「新たな政治の道具立てとして使われ始めたインターネットには、パーソナルメディア機能とマスメディア機能のいずれの機能もある」上に、「小さな集団で情報を共有する機能」である「グループメディア機能もある」と述べ、「ネットは政治を変える可能性を持っている」が、「危うさを合わせ持っていることも頭に入れておく必要がある」と述べています。
 また、インターネットを使った選挙運動について、総務省が設けた「IT時代の選挙運動に関する研究会(IT選挙研究会)」が2002年8月に「ネットでの選挙運動を解禁」する報告書をまとめ、そのポイントは、
(1)HPでの選挙運動を動画・音声とも解禁する。
(2)候補者や政党以外の第三者による応援サイトの開設も認める。
(3)メールは差出人の追跡が困難で、選挙妨害に使われる危険性があるため、解禁は見送る。
(4)候補者サイトを装う「なりすまし」や誹謗中傷を防ぐため、HPの開設者にはメールアドレスの表示を義務付ける。
(5)HP上での氏名などの虚偽表示や誹謗中傷には罰則を設ける。
というものであり、「総務省は報告書を踏まえて公職選挙法の改正をめざした」にもかかわらず、「棚ざらし」になった理由として、「民主党はネット世代の若手が多く、ネット政治に馴染んでいるものの、自民党はベテラン中心でネットを使わない高齢者の支持も多く、ネット選挙は不利との見方がもっぱらで、自民党が二の足を踏んだから」だと解説しています。
 本書は、政治におけるマスメディアの力を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書はあくまで政治にとってのメディア、とくにマスメディアについて書かれているものなので、社会学のメディア論の方を専門にしている人にとっては食い足りないところがあったかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・政治にとってのメディアの役割を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 蒲島 郁夫 『戦後政治の軌跡―自民党システムの形成と変容』
 東大法・蒲島郁夫ゼミ 『選挙ポスターの研究』 2007年01月15日
 三宅 一郎 『選挙制度変革と投票行動』 2008年11月03日
 G.E. ラング, K.ラング(著), 荒木 功, 小笠原 博毅, 黒田 勇, 大石 裕, 神松 一三 (翻訳) 『政治とテレビ』 2007年04月04日
 星 浩, 逢坂 巌 『テレビ政治―国会報道からTVタックルまで』 2007年04月12日
 草野 厚 『テレビは政治を動かすか』 2007年05月24日


■ 百夜百マンガ

道連れ弁当【道連れ弁当 】

 全国各地の駅弁を紹介するグルメ?漫画。鉄分の高い人にとって、当時は実用性が高かったんじゃないかと思います。堂々とパクって同じコンセプトで現代版をやる人はいないでしょうか。

2009年3月17日 (火)

研究者という職業

■ 書籍情報

研究者という職業   【研究者という職業】(#1517)

  林 周二
  価格: ¥1890 (税込)
  東京図書(2004/09)

 本書は、「研究者」「をテーマに、「これからの時代における各方面の研究者のあり方、ことにその生涯計画的な生き方について、、具体的に考えること」を狙いとしたものです。
 序章「研究者事始め」では、著者の3人の師の訓えとして、
(1)研究者たろうとするものは、世間に追従したりせず、自分独自のユニーク(unique)な研究テーマを持つべきだ。
(2)研究上これこそは重要(essential 本質的な)だと考えられるテーマに取り組むこと。
(3)研究者たるものは、つねに開拓者精神でその研究活動に当たること。
(4)研究者は、実際に世の役に立つことを、自己の研究の主旨とすること。
(5)広い全世界で、自分の学問や研究仕事が認められるように努力すること。
の5点を挙げた上で、著者自身の経験から、
(6)なるべく優れた立派な師を頼って、その下に就くよう努めること。
(7)狭いタコツボ的な道場(=研究室)に閉じこもったりせず、武者修行的にいろいろな道場の門を叩き、他流試合つまり他部門や隣接部門研究者たちとの積極交流に努めること。
(8)研究者にとって研究の職場を5年ないし10年ごとに買えることは、研究環境の転換、したがって研究そのものの視界拡大に大きく役立つと考えること。
の3点を追加しています。
 第1部「研究と研究者」では、「職業人としての研究者の仕事は、会社やお役所などに勤めている、いわゆる一般サラリーマンのような組織人としてのそれとは相異なり、本質的にはまず個人の仕事だ」と述べた上で、「一見したところ実利上何の役にも立ちそうもない知的遊戯的な基礎的な科学研究活動と、直ちに実利果実を具体的に求めることを欲する研究活動とを比較して、そのいずれが長い眼で見て人類にとり、真に実利的に役立つかは、実は簡単には速断し得ない」と述べています。
 そして、「日本の大学の研究や教育の質が劣悪で沈滞している近因、遠因的な理由」として、
(1)大学という組織における「競争のなさ」。
(2)日本の大学組織では、そのトップ管理者たる学長に、大学という組織体の管理権、経営権(具体的には人事権や給与査定権)が全くなかったこと。
(3)日本大学ことに社会・人文系の諸学部では、大学院が育っていない(大学院教育が社会的に機能していない)こと。
の3点を挙げ、「大学・大学院に学ぶ日本の若者たちは、米国などの若者たちに比べ、学習意欲、研究意欲そしてそれによる自立の意欲が全く不足している」と指摘しています。
 また、日本の研究者社会において、「ある社会で、科学研究者が彼の研究成果を引っ提げて研究競争に参加し、そこで助成金などの形の資源を獲得し、さらにそれをもとに、更なる次の成果を挙げて自己のキャリアを築いてゆくシステム」である「クレジット・システム」がうまく機能していないことを指摘しています。
 第2部「研究者を志す」では、「職業研究者が必要とする個別的な素質ないし能力」として、
(1)事物に対する行き届いた「鋭い観察能力」
(2)「理論を構築する能力」、学問上の仮説を提示する力
(3)得られた観察資料にメスを加える「分析能力」
の3点を挙げています。
 そして、「とにかく研究者は、彼が一流であろうと、二流、三流であろうと、彼の能力にかなった範囲で、他の仲間たちがあまり目を向けない、盲点になっている個性的な分野に着目し、それに専念すること」だとした上で、「人は研究者として『やりたいこと』より『やれること』をやることに専心すべき」だと述べています。
 第3部「研究者として生きる」では、「学者だなどというと、人は人格的にも立派な人間像を頭に描くかもしれないが、彼らの多くは、少しでも他人のアイデアを素早く盗み、自分の業績に役立て手柄にしようとしている知識泥棒たちである」として、「いかにスマートに他人のアイデアを剽窃するかで勝負が決まるのが、研究者の世界である」と述べています。
 そして、「わが国の研究教育界の保守的風土の元では、現状まだあまりハッキリとは見えてきていないように思えるが、ただし変化の、あるべき具体的将来方向と考えられるもの」として、
(1)これまでの、研究者たちが単独、単身で行う研究から、グループあるいはチームによる共同方の研究へと、力点を移すこと。
(2)大型プロジェクト型の研究テーマの推進には、少なくとも拡大化された大講座型の研究室が研究の単位とならざるを得ない。
(3)大型共同研究・企画では、互いに異質な専門分野、相異なったディシプリンをもった研究者の協業的な集まりがそれを担うことが要求される。
の3点を挙げています。
 本書は、一般には馴染みが薄い「研究者」の人生設計を垣間見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読むと、研究者といえでも、ひたすら純粋に真理を追えばいい、という「学者バカ」では職業にすることができないこと、いわば「個人事業主」的に自分自身を分析し、「研究」という市場の動向を見極め、しかも単純に流行を追うのではなく、自分が優位性を持てるニッチをいかに見つけるか、というマーケティング的な発想が不可欠であることを教えてくれます。「大学教授になる本」はいくつもありますが、「研究者として成功する本」、「研究者として生き残る本」というのはなかったような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・研究者は研究だけすればいい人だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 山野井 敦徳 『日本の大学教授市場』 2007年12月23日
 鷲田 小彌太 『新 大学教授になる方法』
 鷲田 小彌太 『社会人から大学教授になる方法』
 岡本 真 『これからホームページをつくる研究者のために―ウェブから学術情報を発信する実践ガイド』 2007年08月25日
 筒井 康隆 『文学部唯野教授』
 水月 昭道 『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』


■ 百夜百マンガ

魔動天使うんポコ【魔動天使うんポコ 】

 いわば小学生向けに特化した「タルるート」の焼き直しといった感じでしょうか。過去の偉大な漫画家にしても、同じモチーフを、リファインしたり、別の読者層向けに描き直したり、ということは当たり前にありましたし、焼き直し自体は悪いことではないと思います。問題は焼きなおしたことで、より前に進めるかということでしょうか。

2009年3月16日 (月)

アンディ・グローブ[下]―シリコンバレーを征したパラノイア

■ 書籍情報

アンディ・グローブ[下]―シリコンバレーを征したパラノイア   【アンディ・グローブ[下]―シリコンバレーを征したパラノイア】(#1516)

  リチャード・S.テドロー (著), 有賀裕子 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  ダイヤモンド社(2008/6/27)

 本書は、シリコンバレーを代表する企業であり、「半導体業界に秩序をもたらした」インテルの経営者であったアンディ・グローブの評伝です。
 第13章「インテル・インサイド」では、「1990年の時点でグローブは、単なる技術者から脱皮して、技術に精通するだけでなく経営者としても円熟の境地に達していた」と述べています。
 そして、「インテル・インサイド」のスローガンが、「インテル:ザ・コンピュータ・インサイド」が簡略化されたものであるとしたうえで、日本法人の「インテル入ってる」というスローガンから「着想を得たのだという神話が根強くあり、幹部の中にもそう信じている人がいる」と紹介し、「『インテル・インサイド』というスローガンは、計り知れない価値をもたらした」と述べています。
 第14章「『あと一歩で会社を破滅させるところだった』」では、「アンディ・グローブがインテルのCEOを務めていたおよそ11年間は、ふたつの時期に分けると分かりやすい」として、
(1)第1期:1987年から93年前後まで
(2)第2期:以後、98年春の退任まで
の2期に分け、「93年を分岐点としたのは、その頃までに、インテルは将来の道筋を3つの選択肢のうちの一つに明確に絞り込んでいた」と述べ、
(1)従来どおりx86アーキテクチャーを土台に、マイクロプロセッサの開発を進めるというもの。
(2)世の中がしきりに注目する新しいアーキテクチャーに軸足を移すというもの。
(3)両方を並行して開発するというもの。
の3点を挙げています。
 そして「『非情』で『必然的』な技術の世代交代は、後からそうと気づくのは簡単だが、あらかじめ予見するのは難しい」と述べ、RISCアーキテクチャーとCISCアーキテクチャーの間で揺れるインテルの苦悩を解説しています。
 また、グローブの見解として、「彼の見たところ、インテルは誤った方向に進もうとしており、それは会社の歴史上、致命傷になりかねない失策だった」として、「RISCは、ある程度の市場があったとしても、x86アーキテクチャー対応の既存ソフトウェアを犠牲にするほどの価値は、どう考えてもない」と述べ、
(1)経営力では世界でも定評のあるインテルが、なぜ崖っぷちに追い詰められたのか。
(2)自殺に近い行いをなぜ止めることができたのか。
の2つの疑問が浮かび上がってくるとしています。
 第17章「パソコン業界の覇者──ビル・ゲイツとアンディ・グローブ」では、「ゲイツのような人物にとって、長く付き合える仲間を見つけるのは難しい」として、「臨むものをすべて手に入れ、頭が切れ、恐れを知らず、野心に満ち溢れた人物についていける人は限られる」として、レイクサイド校で出会ったポール・アレンと、スティーブン・バルマーの2人を挙げています。
 そして、1993年に、「インテルとマイクロソフトは手錠でつながれていた」として、「2社独占を通して、史上稀に見るほどの利益を稼ぎ出していた」と述べ、「月並みな表現」として、「一緒に生きるのは不可能だが、相手がいなければ生きていけない」と述べています。
 第18章「ウィンテル」では、グローブがゲイツに、「独立企業なのだから、堂々と意見を述べて、自分たちにとって正しいことをすべきだろう」と諭したことについて、「業界の脅威となる人物に、愚かにも発破をかけてしまった」と述べています。
 第19章「ペンティアム発売──インテルとインターネットの遭遇」では、1994年10月30日に端を発した一連の出来事が、「警告を雑音と取り違えるとどうなるかを、まざまざと示している」として、「ペンティアムのFPU(浮動小数点数演算ユニット)の欠陥」に関して、IBMが出荷停止措置を取ったことについて、「IBMによる出荷停止の発表は、サンタクララのインテル本社に痛打を浴びせるよう仕組まれていた」と述べ、このときの試練について、「インテルが変わり、インテルに対する世の中の見方が変わり、その伝達手段が変わったにもかかわらず、インテルの自己認識がそれについていけずにいた」と指摘しています。
 そして、IBMの電撃発表から1週間後、グローブが「お客様からの製品交換のご要望には、すべて対応することに決めました」と発表したものの、「製品交換の具体的な段取りは何も整っていなかった」と述べています。
 著者は、「ペンティアム騒動はインターネットの威力を示す出来事だった」として、「インターネットは雑音ではなく警告だった。ペンティアムの欠陥騒動は、インテルの沿革やグローブの伝記はもとより、インターネットの歴史上も、決して見逃せないひとこまである」と述べています。
 第20章「人生とは思いどおりにいかないもの」では、「手記を発表したことで、グローブは前立腺がんの『患者代表』となった」として、「グローブがこの手記を書いたのは、伝えたいことがあったからだ」と述べ、「彼が訴えたかったのは、50歳以上の男性はすべて、PSA検査を受けておくべきだということ」だとしています。
 そして、この前立腺がんのエピソードが、「グローブの問題との取り組み方を知る貴重な手がかり」だとして、
(1)現実から目をそらすまいと自分に言い聞かせている。
(2)多大な労力を費やして、世の中で「事実」とされている事柄が本当にその名に値するのか確かめる。
(3)事実を知るためなら、あらゆる手だてを尽くす。
(4)状況から自分を切り離し、客観的な視点を持つという人並み外れた能力を示した。
の4点を挙げています。
 第24章「『シリコン上のソフトウェア』」では、1998年3月26日に、「シリコンバレーの生みの親アンディ・グローブ、インテルのCEOを退く」という正式発表のときが訪れたとしたうえで、「『グローブ対策』の秘訣を掴んだ人物は、会社ではなく彼、つまりグローブ個人に傾倒する」と述べ、「彼らにとって、グローブはまさにカリスマ的存在だった。理性の奥底にある琴線に触れたのだ。互いに馬が合わないとしても、グローブへの忠誠心」によって「結びついていた」と述べています。
 第25章「CEO退任後のアンディ・グローブ」では、後にパーキンソン病と診断されたグローブが、「それまでの人生においても、障害にぶつかるたびにそれに立ち向かい、幸福を掴んできたが、PDにも同じように立ち向かった。行動を起こしたのだ」と述べています。
 第29章「インテルを去って」では、「グローブは前立腺がんにも、PDにも、『実り多い天真爛漫さ』で向き合っている。ただ手をこまねいてやがて屈服せざるを得なくなるのを嫌い、何もかもに挑戦するつもりなのだ」と述べています。
 そして、「グローブ基金は臨機応変さを持ち味としている」として、「全体を貫くテーマはあるだろうか」という問いに対し、
・アメリカンドリームを甦らせ、守り育くむ。
・政教分離、移民支援、個人の自由、科学への政治の介入を防ぐために戦う。
の2点が「答えとして導き出された」と述べています。
 第30章「アンディ・グローブはいまなお泳ぎ続けている」では、「彼は決して諦めない。戦うことを好む。そして頑固である」として、本書にふさわしい結びの言葉に、アンディの自伝『僕の企業は亡命から始まった!』の結びから、「僕はいまなお泳ぎ続けている」という言葉を挙げています。
 本書は、技術者としても経営者としても、シリコンバレーを産み育てた生き証人であるグローブの半生を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 上下巻ものの評伝です。上巻のクライマックスが、ハンガリーからアメリカへの亡命であるのに対し、下巻の方は普通のビジネス書的な部分が半分くらいでドラマティックさに関してはやや浅い気がしました。その中で、引き込まれたのは前立腺がんに関する部分でしょうか。
 こうした違いはどこにあるのか。確かにアンディ・グローブの人生の前半は第二次大戦やハンガリー動乱、アメリカへの亡命とドラマティックな要素はたっぷりありますが、後半生がドラマティックでなかったかといえばそんなこともないでしょう。おそらく、グローブ自身が、自伝などで自らの内心を語った部分については人間臭く迫力のある記述ができるものの、本人が語っていない部分、特にインテルの経営に関する部分はまだ語れない部分も多く、その部分については表面的な記述に終わってしまったのかもしれません。
 その意味で、下巻の部分は、グローブがやがて書くであろう次の自伝によって、生き生きとしたものとして補完されるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・インテルの経営者の実像に迫りたい人。


■ 関連しそうな本

 リチャード・S.テドロー (著), 有賀 裕子 (翻訳) 『アンディ・グローブ[上]―修羅場がつくった経営の巨人』 2009年01月23日
 アンドリュー・S・グローブ (著), 樫村 志保 (翻訳) 『僕の起業は亡命から始まった!―アンドリュー・グローブ半生の自伝―』 2009年02月07日
 ケビン・メイニー (著), 有賀 裕子 (翻訳) 『貫徹の志 トーマス・ワトソン・シニア―IBMを発明した男』 2007年01月29日
 ルイス・V・ガースナー (著), 山岡 洋一, 高遠 裕子 (翻訳) 『巨象も踊る』 2005年03月21日
 ノーマン マクレイ 『フォン・ノイマンの生涯』 2006年11月21日
 ジョン・L. カスティ (著), 寺嶋 英志 (翻訳) 『プリンストン高等研究所物語』 2007年02月18日


■ 百夜百マンガ

カッパの飼い方【カッパの飼い方 】

 河童の名前が「かあたん」ってピンポンパンな世界ですね。でも飼ってみたいかもしれません。しりこだま抜かれる恐れもありますが。

2009年3月15日 (日)

だれが中国をつくったか 負け惜しみの歴史観

■ 書籍情報

だれが中国をつくったか 負け惜しみの歴史観   【だれが中国をつくったか 負け惜しみの歴史観】(#1515)

  岡田 英弘
  価格: ¥735 (税込)
  PHP研究所(2005/9/16)

 本書は、「歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営み」だとした上で、現代中国語の「歴史(リーシー)」は、「英語の『ヒストリー』の訳語として明治時代新たに作られた」日本語を、「日本で勉強した清国留学生たちが、中国に持ち帰った」者だと述べています。
 また、司馬遷が、『史記』で書いているのは、「皇帝の『正統』の歴史」であり、「『中国』という国家の観念も、『中国人』という国民の観念も、司馬遷の時代にはまだ」なく、「19~20世紀の国民国家時代の産物」だとしています。
 そして、「『正史』は、中国の現実の姿を描くものではなく」、「前漢の武帝の時代の天下の姿」である「中国の理想の姿を描くもの」であり、「中国的な歴史観の建前では、天下に変化はあってはならない。実際には変化があっても、それを記録したら歴史にはならない」と述べています。
 第1章「司馬遷の『史記』」では、司馬遷が『史記』の著作に着手したきっかけが、「紀元前104年に宇宙が原初の状態に戻り、歴史が完成に達したという認識であったことは間違いない」として、この認識は、「皇帝制度が発展の極限に達したという、当時の現実を反映したもの」であり、「暦学の知識は、そうした現実に、時間の区切りをつけるために利用された」と述べています。
 そして、『史記』の「殷本記」の物語から見ると、「殷人が北方の狩猟民(北狄)の出身であることは疑いない。女神が野外の水浴の場で、天から降りてきた鳥の卵を呑んで妊娠し、男の子を産むというのは、北アジアの狩猟民や遊牧民に共通な始祖伝説の型である」として、「おそらくモンゴル高原から山西高原を通って南下して、河南の夏国を征服したのであろう」と述べています。
 また、「周本記」を見ると、「北方の狩猟民出身の殷を倒して取って代わった周が、西方の遊牧民の出身であったことは明白である」上、「その周を滅ぼした秦も、『史記』の『秦本記』で見ると、やはり西方の遊牧民である」と述べ、「前221年の秦の始皇帝による『天下』の統一以前には、中国と呼べるような世界がまだなかったばかりか、中国人と呼べるような民族も、まだなかったことになる」として、「夏も、殷も、周も、その実態は王朝の名に値するようなものではなかった。多数の都市国家の中で、軍事力がやや大きかったものにすぎない」と述べています。
 著者は、「中国文明の歴史は、皇帝の歴史であり、永久に変わることのない『正統』の歴史である。あとはその時代その時代の公認の『正史』が、『史記』の形式を少しも変えずに踏襲して、皇帝を中心とする世界(中国)の叙述を続けていくことだけが、中国の歴史家の宿命となったのである」と述べています。
 第3章「陳寿の『三国志』」では、後漢の人口が、一度激減し、「紀元37年に約1千5百万人を記録してから、しだいに増加に転じ、2世紀の前半を通じて4千9百万人台で安定した」が、「150年を過ぎることからまた急上昇して、157年には5千6百万人を超えている」として、この余剰人口が都市に集中し、「都市には膨大な貧民層が出現した」と述べ、彼らが縁故を頼って作った互助組織を母体に、「当時の中国の高度経済成長に取り残される」ことに「期待と現実の間のギャップ」を感じた彼らが、「だんだんに革命思想に魅力を覚えて、互助組織自体が革命団体に変わっていく」と述べ、「これが中国特有の宗教秘密結社の起源であり、道教も仏教も、この時期の中国の下層階級の、出身地別を超えた団結の指導原理として、秘密結社の地下組織を通じて広まったものである」としています。
 そして、184年の「黄巾の乱」、189年の「董卓の乱」の混乱野中から、「宦官の養子の息子である曹操が頭角を現し、後漢の最後の皇帝を名目上の主君に立てて」、南京の孫権、四川省の成都の劉備と対抗したとして、「それとともに中国の人口は、5千6百万人大から一気に4百万人台に激減し、華北の平原地帯では住民がほとんど絶滅した」と述べています。
 また、『魏志倭人伝』が信用ならない理由として、「倭国を南に伸ばして、邪馬台国を南方の熱帯にあるようにいうのは、当時の敵国である呉の背後に位置させる意図があったからだ」として、『魏志倭人伝』が、「当時の魏の政治状況を十二分に反映した記録であると結論付けることができる」と述べています。
 第4章「司馬光の『資治通鑑』」では、「2世紀の末に中国人がほとんど死に絶えた」ので、魏の文帝(曹丕)が、「河南と山東の一部を囲い込む境界線を引いて石の標識を立て、この地域を『中都の地』と名づけ、わずかに生き残った領内の中国人をかき集めて、その内に移住させた」として、その総数は、「せいぜい250万人程度」だと述べています。
 そして、唐の太宗(李世民)が、「中国統一の2年後、630年にいたって、東トルコ帝国を滅ぼ」したときに、草原の遊牧部族の首領たちが、「太宗を自分たちの共通の君主に選挙して、『天可汗』(テングリ・カガン)の称号」を贈ったことについて、「歴史の舞台がこれまで中国だけであったのが、ここではじめて中央ユーラシアをも含むようになった」が、「この重大な変化を『正史』の枠組みで取り扱うことは、中国の史官の手に余ることであった」と述べています。
 また、1004年に、契丹の聖宗皇帝が、北宋に侵入し、「北宋の真宗皇帝と対峙した」際に、「契丹と北宋のあいだに和議が成立」した「セン淵の盟(センはさんずいに亶)」について、この和平条件は、「司馬遷の『史記』にはじまる『正統』の歴史観で見れば、北宋としては2人の皇帝の並存を公式に承認したこと」になり、「これは北宋にとって、屈辱以外の何物でもなかった」と述べ、「こうした屈辱の反動で、実際は古く入植した遊牧民の子孫である北宋の人たちが、自分たちが『正統』の『中華』だ、『漢人』だといいだして、傷ついた自尊心を慰めるように」なり、「北方に起こった遊牧帝国を成り上がりの『夷狄』と蔑むことによって、せめてもの腹いせにした」ことが「中華思想」の起源になったと述べています。
 第5章「宋濂らの『元史』」では、「現実の歴史の舞台は、『正史』の枠組みにお構いなく、とめどなく拡張をつづける」として、「中央ユーラシア草原では6世紀以来、第2次取る固定国、ウイグル帝国、契丹(遼)帝国、金帝国、モンゴル帝国と、一連の遊牧帝国の系列が成長をつづけ、とうとう13世紀に至って、隋・唐の系列を継ぐ中国のなごりともいえる南宋帝国を、完全に呑み込んでしまった」と述べています。
 また、それまでの王朝の名前が、「みんな地名」であったのに対し、「『元』は違う」として、「モンゴル人が、中国の古い都市の名前や出身地の地名を国号にせず、『天』を意味する『大元』を採用したことは、中国だけの歴史の時代が終わり、新しいモンゴル世界の時代が始まったという意識を表現している」と述べています。
 しかし、「明朝の時代になっても、中国の正史の書き方は、相も変わらず『史記』と『漢書』の枠組みから出られなかった」として、「正史の伝統に養われた中国人が『元史』を読むと、幻聴が、あたかも遊牧民が中国に入ってつくった、中国式の王朝であったかのような誤解が生まれる」と述べたうえで、「中国の正史の欠陥」として、
(1)分量は多いが内容は貧弱。
(2)個々の史実についても、皇帝にとって具合の悪いことは省略することになっている。
(3)「正史」というものは、その全部が皇帝制度の内側から見た中国史である。
の3点を挙げています。
 第6章「祁韻士の『欽定外藩蒙古回部王公表伝』」では、「類まれなる史書の編纂者であった祁韻士の生涯を、その自伝を通して語ってみたい」としています。
 本書は、中国の歴史がどのように作られたかを学ぶヒントを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 中国の歴史は、世界史でも日本史でも登場しますが、なんとなく直線的に捉えがちではないでしょうか。
 世界史の時間に習う中国史では分かりにくかった、中国とは何か、中国人とは何か、ということに近づくための視点を与えてくれる一冊です。


■ どんな人にオススメ?

・中国とは何かを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った 『岡田 英弘』
 岡田 英弘 『日本人のための歴史学―こうして世界史は創られた!』
 岡田 英弘 『中国文明の歴史』
 岡田 英弘 『歴史とはなにか』
 岡田 英弘 『誰も知らなかった皇帝たちの中国』
 岡田 英弘 『世界史の誕生』


■ 百夜百音

ひっぴいえんど【ひっぴいえんど】 和幸 オリジナル盤発売: 2009

 70年代のオマージュを当時から活躍しているミュージシャンがやっちゃうっていうところに日本の音楽界の歴史を感じます。

2009年3月14日 (土)

野中広務 差別と権力

■ 書籍情報

野中広務 差別と権力   【野中広務 差別と権力】(#1514)

  魚住 昭
  価格: ¥1,890 (税込)
  講談社(2004/6/29)

 本書は、内閣官房長官、自治大臣、自民党幹事長などを歴任した元衆議院議員、野中広務の評伝です。
 第1章「漂流する村」では、地元で野中広務に冠する話を聞こうとすると、拒否反応を示されることについて、「まるで目に見えない有刺鉄線がそこらじゅうに張り巡らされていて、それが私のようなよそ者の接近を頑として拒んでいるかのようだった」として、「その理由は、かつてこのあたりが大村と呼ばれる被差別部落だったことと無縁ではない」と述べています。
 第2章「融和の子」では、大村が、戦前から「融和運動」のモデル地区として注目されていたことを挙げ、「後に広務はその融和運動の系譜を引く地方政治家として中央政界のはるかな道を歩みだすことになる」と述べています。
 そして、「本人の地位が上がるほど、周囲の嫉妬や敵意が加わって差別は一層厳しくなる」ことを、「彼ほど身をもって体験してきたものはいない」と述べています。
 第3章「祈り」では、中学卒業後、大阪鉄道局の職員に採用され、当時局長だった佐藤栄作に「判の押し方を指南した」ことや、敗戦の報を高知で聞き桂浜の龍馬の像の前で自決しようとしたことなどを紹介した上で、大阪鉄道局に復員し、異例の出世を遂げた野中が、面倒を見てきた中学の後輩から「園部へ帰れば部落の人だ」と明かされ、昇進ぶりを妬む職員たちから「鬼の首でも取ったように」騒ぎ、「なぜ、野中をあんな高いポストにつけるのか」と抗議が起きたことで、「ここはおれのおるところではない」と退職し、園部町議選に立候補、当選したと述べています。
 第4章「青雲」では、野中が、町長選挙や府議選挙への意欲を示しながら、「差別という分厚い壁」に阻まれた後、33歳の青年町長が誕生し、そのとき、「しっかり仕事をすれば、たとえ、私がどこに生まれていようと、そのことを知ったうえ町の人はこうして評価してくれるじゃないか。人間は、なした仕事によって評価をされるのだ。そういう道筋を俺がひこう」と、心に誓ったと述べています。
 第5章「田中角栄」では、町長に就任した野中が最初にした仕事は、町幹部らが料亭に入り浸ったおかげで「たまりにたまった料亭の飲食代金の清算」で、町の予算の1割近い額であったことや、野中が役場の玄関に、
「窓口には仕事のもちばに違いはありません。何でも相談に応じます。
 窓口と相談係には聞き捨てにするクズかごはありません。
 窓口と相談係にはくさいものにするふたはありません。
 窓口と相談係にはたらいまわしにするたらいはありません。
 町行政上の疑問は何でも遠慮なく相談係にたずねてください。」
と書いた紙を張り出したことを述べています。
 また、当時、野中が、「電話一本で田中角栄の部屋に入っていける」といわれ、「政治をするために生まれてきたような男」と地元記者から評されてきたと述べ、野中の「目白詣で」はその後も続き、「地方政治家にとって、田中に目をかけられるということがどれほど強力な政治的武器になるかはいうまでもない」と述べています。
 そして、「田中が『表日本』の犠牲になった『裏日本』が生んだ政治家なら、野中は明治以来の近代化の過程で困窮のどん底に突き落とされた被差別部落が生んだ政治家である」として、「田中が野中を評価し、野中が田中に惹かれていったのも自然なことだったのかもしれない」と述べています。
 第6章「転機」では、1966年の、「京都新聞の社運をかけた『反蜷川キャンペーン』」について、当時の自民党幹事長の田中角栄が野中とともに反蜷川演説を打ったにもかかわらず、結果は、蜷川の圧倒的な勝利に終り、「蜷川が5選を決めた府知事選を境に野中と共産党との新たな戦いが始まった」と述べています。
 第7章「二つの顔」では、同級生の言葉として、「野中はんのなかには、差別に憤る部落民としての野中はんと、政治家としての野中はんが二人おるんです」という言葉を紹介し、「野中の政治的特質を的確にとらえている」として、「部落から求められる役割と部落外から求められる役割。相反する二つの要請に応えながら、野中は双方の支持を取り付けてきた」と述べ、「利害の異なる集団の境界線上に身を置くという意味では、彼の政治スタンスは、中央政界入りしてからもまったく変わらない」と述べています。
 そして、古い友人の言葉として、「もともと野中という人には終始一貫した思想とか、特定のイデオロギーというのはない」として、手元のたくさんの「引き出し」の中から、「その時に一番効果のある"引き出し"をぱっと出してくる。変幻自在の男」だと述べています。
 第8章「争奪戦」では、蜷川京都府知事の引退後、林田知事の下で副知事を務めた野中が、「極端な配置転換はほとんど行わなかった」が、「野中の移行を反映できる職員を幹部にすえ、彼らが自発的に行動するよう仕向けながら、共産党員や組合活動家を不調の中枢から追い出していった」と述べています。
 第9章「政治と土建」では、衆議院の補欠選挙に出馬した野中にとって、「頼りになるのはこれまで築いてきた人脈しか」なく、府議会や市町村議会から約430人がはせ参じ、東京からは田中派議員と、総勢200人の「田中派秘書軍団」が「大掛かりな物量作戦」を展開し、田中派から「莫大な選挙資金もつぎ込まれた」と述べています。
 そして、野中陣営の戸別訪問を上げようとした京都府警捜査二課の前には、頑なに容疑を認めようとしない青年部の幹部とともに、「現場から府警本部への報告が野中陣営に筒抜けになっていた」という「厚い壁」に阻まれたと述べています。
 また、57歳で初当選した野中にとって、「そのまま『田中支配』が続いていたら」、当時の自民党の強固な序列は崩せなかったが、まもなく、「田中支配」が終り、「政界は長くて激しい動乱の時代に突入」していったと述べています。
 第10章「シマゲジ追い落とし」では、NHKの衛星放送打ち上げ時の所在についての、NHKのドンと言われた「シマゲジ」こと島桂次会長の虚偽答弁に関して、逓信委員長だった野中がすばやく事実をつかんでいたことについて、当時の郵政省担当者の証言として、「目の付け所が鋭いし、行動がすばやく、読みが深い。いろんな政治家を見てきたが、突出してすごい人だ」と述べています。
 そして、野中が、「シマゲジの首をとった男」として、「一躍政界で脚光を浴び、郵政省やNHKに影響力を持つ族議員としての地位を確立した」ことについて、「豊富な情報をもとに相手の弱点を見極め、マスコミや世論の動向を敏感にかぎ分けながらズバリと切り込んでいく」という「政界の狙撃手」と怖れられる政治スタイルが、「このとき完成された」と述べ、「政治家は『潮目』を見る人が偉くなる。野中さんはそれがうまい人でした。偏らず、全体がそういう雰囲気になったときにバンと言うと世の中が付いてくる。そういう能力に長けた人なんです」とする証言を紹介しています。
 第11章「経世会分裂」では、野中と小沢が袂を分かった一番の原因として、「政治スタンスの決定的な違い」を挙げ、「小選挙区制による二大政党制の実現」を政治目標として掲げた小沢に対し、「野中にすれば、それは親の地盤を何の苦労もなく受け継いだ二世議員のたわごとにすぎない。野中にとって政治とは選挙民の多様な声を吸い上げることだ。彼は、町議時代から地元の利害を調整し『世話役』としての実績を積み重ねながら、差別の壁を乗り越えてきた。その過程で選挙民の切実な思いを自らの皮膚感覚として身につけてきたという自負があった」として、「理念と皮膚感覚。政党の主導権と地元民の思い。小選挙区制と従来の中選挙区制。そのどちらによって立つかで政治に対する考え方はまったく違ってくる」と述べています。
 第13章「村山政権の守護神」では、「帝大出身の政治家を帝大出身の官僚が支え、経団連に集う帝大出身の財界人たちが政治資金を供給する」という「従来の55年体制」が、「馬喰の息子」田中による政権奪取でひっくり返り、これ以来、「日本の政治は平等指向を内包した非エスタブリッシュ出身者たちによる『土着的社会主義』の色合いを持つようになる」として、「なかでも野中は、被差別部落という日本社会の底辺から這い上がり、周回遅れで永田町に登場してきた政治家」であり、「田中の最後の末裔と言っていいかもしれない」と述べ、「55年体制の終着点ともいうべき自社さ連立時代の到来での中は水を得た魚のように政界の桧舞台に躍り出ていく」と述べています。
 第14章「恐怖の絆」では、1996年、新進党の権藤恒夫が、野中から、「『公明』代表の藤井富雄さんが暴力団の後藤組の組長と会ったところをビデオに撮られたらしい」という話を聞かされたと述べ、その3ヶ月前に、「自民党の組織広報本部長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた」亀井静香が「命を狙われている」という噂が流れたのは、「密会ビデオ」のなかで、「反学会活動をしている亀井さんら4人の名前を挙げ『この人たちはためにならない』という意味のことを言った」からだとする証言を紹介しています。
 また、学会が野中を恐れた理由として、学会発行の『聖教グラフ』に掲載された、「池田と外国要人などとの会見場面を撮った写真」のバックにある有名画家の高価な絵を、野中が「創刊号から全部調べ上げて、学会が届け出ている資産リストと突合せ」、「届出のない絵がいろいろあることが分かった」という証言を紹介し、後に自公連立政権が成立したさいに、「どうやって学会・公明党とのパイプをつくったんですか」と聞かれた野中が、「叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」と答えたと述べています。
 第15章「勝者なき戦争」では、元学会幹部の証言として、「学会には国会議員のブラックリスト」があり、「誰がどう発言したか、どんな反学会の動きをしたかが全部記録されている。それをもとに『この議員は敵性です』と一言いえば、簡単にその議員を落選させられる」、「こうなると議員たちは二度と学会を批判しなくなり、学会批判は政界のタブーになっていく」と述べています。
 そして、1988年に成立した、「国会周辺と外国公館および政党事務所周辺での拡声器使用を規制する法律」である「静穏保持法」について、この法律の成立が、「公明党を消費税法案の審議に協力させるためだった」と述べ、「政党事務所の法律上の要件」が、「衆議院議員または参議院議員が所属する」ことであるため、「公明が新進党に前面合流してしまえば、信濃町から『政党事務所』が消え、再び池田は右翼の街宣カーに悩まされることになる」ため、公明が、「静穏保持法をとるか、新進党に残って票を稼ぐ方をとるかの判断」で、前者を取ったと述べています。
 また、野中が、「旧国鉄長期債務処理法案の審議など」で公明の協力を得る条件として、「以前から公明が主張」していた「地域振興券」を飲むことになり、野中が若手議員たちとの会合で、「天下の愚作かもしれないが、7千億円の国会対策費だと思って我慢してほしい」と語ったと述べています。
 第16章「差別の闇」では、「独自の国家戦略を持たず、与えられた役割に忠実すぎる野中の弱点」として、小渕政権の官房長官時代に、ガイドライン関連法野党諜報、国旗・国家法、改正住民基本台帳法など「国民の基本的人権を制限し、日本を右旋回させる法律を次々成立させた」ことを指摘し、野中は、「『潮目を見る』政治家であって、潮目をつくり出す政治家ではない。利害や思想の異なる集団同士の『調停』では突出した能力を発揮するが、かつての田中角栄のように大きなスケールで国家の将来像を創出する力はない」と述べ、一方で、「半世紀にわたる彼の政治人生でまったく変わらなかった思い」として、「差別を乗り越えるには、他人に頼らず自力で道を切り開くしかないという核心と、差別の『再生産』につながりかねない行為への激しい憎悪」を挙げています。
 そして、野中が総裁選に出馬することのなかった理由として、「永田町ほど差別意識の強い世界はない。彼が政界の出世階段を上るたびに、それを妬む者たちは陰で野中の出自を問題にした」として、「自民党代議士の証言」として、麻生太郎が、「大勇会(河野グループ)の会合で野中の名前を挙げながら、『あんな部落出身者を日本の総理にはできんわなあ』と言い放った」と紹介しています。
 「エピローグ」では、「彼の演説にちりばめられた政治的粉飾をはぎとってしまえば、残るものはおそらく一つしかない」として、「自らの業に突き動かされて権力の階段をはい上がりながら、最後は巨大で不吉な時代のうねりに巻き込まれ、押し流されて敗北してしまった政治家の悲哀である」と述べています。
 そして、「この国の歴史で被差別部落出身の事実を隠さずに政治活動を行い、権力の中枢にまでたどり着いた人間は野中しかいない」と述べています。
 本書は、戦後の地方政治と90年代の激動の国政の両方に身を置いた稀有な政治家の姿を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 政界を引退したとはいえ、まだまだ影響力の大きな人物の評伝ではあるのですが、これは面白い。現役時代は政界のあちこちの動きの陰にチラリチラリと姿を見せるだけで、表舞台で大演説をする役者たちの陰に隠れていて、正直なところいい印象を持っていなかったのですが、本書を読んだ多くの人が、この遅咲きの政治家の姿に惹かれていってしまうのではないかと思います。これはすごい本です。


■ どんな人にオススメ?

・「影の総理」と呼ばれたダークヒーローに心酔したい人。


■ 関連しそうな本

 野中 広務 『老兵は死なず―野中広務全回顧録』
 野中 広務 『私は闘う』
 魚住 昭 『官僚とメディア』 2008年04月20日
 魚住 昭 『渡邊恒雄 メディアと権力』
 松田 賢弥 『闇将軍―野中広務と小沢一郎の正体』
 五百旗頭 真, 伊藤 元重, 薬師寺 克行 『野中広務 権力の興亡 90年代の証言』


■ 百夜百音

ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-【ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-】 矢島美容室 オリジナル盤発売: 2008

 去年の忘年会では余興用としてずいぶんカツラが売れたんじゃないかと思います。ちなみに、この中で一番高いのはボブのようです。

2009年3月13日 (金)

おもろい会社研究

■ 書籍情報

おもろい会社研究   【おもろい会社研究】(#1513)

  松室 哲生
  価格: ¥893 (税込)
  日本経済新聞出版社(2008/09)

 本書は、「リーダーが行動力を発揮し、ビジョンが浸透し、経営者と社員が一体となって人のやらないことにチャレンジする」という「経営の原点を思い起こさせてくれる」会社である「おもろい会社」を取り上げたものです。
  「おもろい会社序説」では、「おもろい会社に出会うと、わくわくするような気分になる」として、それは、「社長(ほとんどはオーナー)の話に対して」であると述べています。
 そして、「成功した企業には一つのキーワードがある」として、「構造変化を捉え、この構造変化に対応すべくビジネスのスキームや、商品やサービスの中身を考えた企業」が成功し、その中に「おもろい企業」が多いと述べています。
 第1章「おもろい会社とは何か」では、「おもろい会社」のキーワードとして、
・社長の顔が見える会社である
・人のやらないことをやる
・ぶれない会社である
などの点を挙げています。
 第2章「発想の原点が違う会社のユニークさ」では、「超素人発想商品」を標榜する「ファイテン」の「ラクワネック」という商品についてについて、「これを着けると、身体の中を四方バラバラに流れている電流が一定の方向に流れ始める。力が出やすくなる。血流がよくなる。その結果筋肉がほぐれる」として、「トップアスリートが自ら進んでこれを装着し、愛用しているのが何よりの効能だ」と述べています。
 そして、「ファイテンの卵はニワトリのエサにごく微量の金の水を混ぜている」ために、「その鶏だけ鶏冠が真っ赤に色づいて」、その卵の黄身は「球体かと思うような盛り上がり方を見せている」と絶賛しています。
 第3章「経営者の真っ当さが今問われている」では、「テンポスバスターズ」の「テンポス精神17か条」について、「この会社は『変』を全うしているという意味で、相当まともな会社である」として、「実は正鵠を得た言葉であふれている。本当は他の会社が変なのではないか」と述べています。
 また、「ウェザーニュース」について、「世界で最大の気象情報会社」であり、「同社の歴史は気象庁との綱引きの歴史といってもいいかもしれない」と述べています。
 第4章「一つのことにこだわり続ける集中力」では、「ジョルダン」について、「我々は『移動を極める』がテーマ」とする言葉を紹介し、「移動というのは、人の生活そのものであり、生活者の視点で見れば、事業の広がりは当然のごとく出てくるということだろうか」と述べています。
 また、「ぱど」について、「パーソナル・アド」の略で、「昨今のフリーペーパーブームのずっと以前から発行されており、フリーペーパーではダントツの強さを持つ」として、140万部という発行部数は、ギネスブックにも掲載されているとした上で、「後発のフリーペーパーとは一線を画し」、駅に配置しない宅配型で、「チラシの集合体と考えればいい」と述べています。
 第5章「人のやらないことをやるパワー」では、築地で24時間年中無休の寿司店「すしざんまい」を営業する「喜代村」の木村清社長が、大洋漁業の子会社で冷凍食品の販売会社に入り、魚の勉強をしたことで、「木村の運命を変えた」と述べ、「思いついたことはすべて実行」、「今あるものより、いいものを作る。しかも自社で開発する」をモットーに、弁当屋、コンビニ、カラオケ、レンタルビデオなど、「まだ誰も手を染めていないときに開発」していると述べてます。
 第6章「世界的な技術へのチャレンジ」では、風力発電の世界で注目されている「原弘産」の原将昭社長について、「原の力は追い詰められたときにより力強く発揮される」として、「他の人間なら会社を辞めてしまいかねないような時に、力が出るというのが面白い」と述べています。
 本書は、おもろい「日本の社長」を、さくっと楽しめる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書はクセの強い会社、クセの強い社長を集めているので、人によって好き嫌いが分かれるのは仕方がないことではないかと思います。
 個人的には、ファイテンに関する記述で、MLBなどのアスリートやドイツの医学者などの権威を持ち出して、同社の製品を絶賛する一方で、「超素人発想」とか、「治療院を経営していた昔とスタンスが変わっていないのだろう。お客のためになりそうなことはとにかくやってみる」など、胡散臭さに対して後で言い訳できる逃げを打っているところが気になりました。
 おそらく、著者自身も、こういう疑似科学的な「危うさ」に気づいているものと思いますが、それに気づいていながらも正面から指摘せず、絶賛しつつもいざとなると逃げ切れるようなスタンスの取り方は、ヤバイ企業からも広告を取らなければならないビジネス誌の編集長を務めた経験が活かされているのではないかと思います。
 値段もヤクザ円です。


■ どんな人にオススメ?

・おもろい企業の話をとにかく聞いて見たい人。


■ 関連しそうな本

 小阪 裕司 『ビジネス脳を磨く』
 西村 英俊 『会社は毎日つぶれている』
 森 一夫 『経営にカリスマはいらない』
 山田 咲道 『バカ社長論』
 永井 隆 『人事と出世の方程式』
 梅島 みよ 『日本の課長の能力』


■ 百夜百マンガ

コータローまかりとおる!L【コータローまかりとおる!L 】

 「一発屋」という言葉がありますが、本格的に20年以上もこの作品しか描いていないという点では珍しい人です。最近読んでなかったけど、休んでいるのは寂しいかぎりです。

2009年3月12日 (木)

コンビニ ファミレス 回転寿司

■ 書籍情報

コンビニ ファミレス 回転寿司   【コンビニ ファミレス 回転寿司】(#1512)

  中村 靖彦
  価格: ¥746 (税込)
  文藝春秋(1998/12)

 本書は、「飢餓世代の最後を生きた人間が、21世紀を目前にした食の世界を書きとどめておく」ことで、「現代日本の食の実態を整理」しているものです。
 第1章「安さ、早さ、うまさ」では、「"安い、早い、うまい"の3要素を象徴する食品」として、回転寿司、牛丼、ハンバーガーを取り上げ、「共通するのは、便利さと、一歩企画を間違えればすぐなくなってしまうような薄い利益による多売」だとしたうえで、「安い、早い、うまいの食生活は、伝統的な食の原点を忘れたところに成立している」と指摘しています。
 第2章「食事作り代行します」では、「"おふくろの味"とは、若い世代にとっては袋の味、つまりレトルト食品の味なのだ」という話や、「外食と家庭内食の中間に位置づけられる」弁当、調理パン、お惣菜などの「中食」を紹介した上で、「客は味よりの時間を買っているような気がしてならない」として、「食べる側に、時間の節約と価格の方が大事で、美味しさには個性を求めない一定のグループがあることは間違いないようだ」と述べています。
 第3章「食にこだわる人々」では、「最近はグルメの感覚もやや変わってきたように思われる」として、「料理っていうのは、もともとその土地にある食材をいかに工夫してうまく作るか」だとして、「新鮮さとか地域性などの要素にこだわることが、本当のグルメのようにも思えてくる」と述べています。
 そして、「安い、早い、それに簡便さ」の「正反対の位置」にいる、「食へのこだわり派も勢いを強めている」として、有機栽培に取り組んでいる「山武郡市農協睦岡支所」の取り組みを紹介し、「有機農産物の市場は確実に大きくなっていくだろう」として、「日本の食は、手軽に人任せの層とこだわりの人々との二層に別れているように思われる」と述べています。
 第4章「世界中を食べる日本」では、「私たち日本人のカロリー自給率はいま42%である」として、「コメを食べなくなり、肉や脂肪を余計に取るようになった結果の自給率の低下である」と述べています。
 第5章「なぜコメだけは余る?」では、コメ販売農家のうち、農業以外からの所得の方が多い「第二種兼業農家」の割合が68%に達し、「コメは何しろ手がかからない」ので、「サラリーマンをしながらの農業として、最も適した作物になった」と述べ、「コメの消費を伸ばすのに熱心なのは食品産業ばかりで、後は掛け声だけのように思えて仕方ない」と述べています。
 第6章「技術革新と手づくりのはざまで」では、日本の急速冷凍技術の向上を取り上げ、「日本の食生活は、この技術によって大きく変わり、多様化した」と述べています。
 そして、「日本人の味覚に少なからず影響を与えてきた"ほんだし"」を、「技術が開発した味の原点」として取材し、「出汁の世界も現代の食生活を繁栄している。早い、安いとそして画一化が一方にあり、もう片方にはこだわりの食が、根強く人々の暮らしの中に存在している現状とよく似ている」と述べています。
 第7章「遺伝子組み換え食品が問いかけるもの」では、「特別に製造した除草剤を使えば、雑草は枯れるが本体には何の影響もない大豆を、遺伝子組み換え技術によって開発した」モンサント社を取り上げたうえで、「一つの企業が組み替え農産物の趣旨で畑を覆ってしまうことには抵抗がある。科学は人間が使いこなすものでなければならない、科学に支配され、使われるようではいけない、常に人間が手綱を持っていなければいけない」と述べています。
 第8章「残飯大国・日本」では、日本人一人当たりで、「食料の市場への入りと食卓段階との差、カロリーにしておよそ650キロカロリーが、供給されたのに消費されなかった分と見ること」ができ、「これは供給された食料の25%ほどに当たる」と述べています。
 そして、コンビニ弁当の飼料化の取り組みを紹介し、「飼料化によるリサイクルに注目する」理由として、
・日本の食料自給率を先進国中最低にしている一番の要因は、食肉を生産するための大量の飼料の輸入だが、食料のムダをリサイクルして飼料にできるとしたら、自給率の点でも大いにプラスになる。
点を挙げています。
 第9章「いま、子どもの食は?」では、数多くの少年鑑別所の所長を務めてきた市原刑務所長の吉岡忍さんの「食卓状況面接」を取り上げ、「面接は、家庭での食事風景について、子どもが座る場所、テレビの位置、食事を作ってくれる人や料理内容、お袋の味、食事の時の雰囲気、会話の様子、マナーやしつけなどの項目について、ごく自然なやり取りで行わ」、「これで子どもの食の原風景が見えてくる、そして非行に走った屈折した背景に気づくことが多い」と述べています。
 著者は、「子どもの食生活は現代の食事情を映す鏡だと感じた」と述べています。
 第10章「日本の食は砂上の楼閣」では、「日本が輸入している穀類の半分以上は飼料である」が、「将来、発展途上国の人たちが肉類の消費を増やし、餌用の穀物を大量に必要とする事態になったらどうなるか、非常に心配になる」と述べ、「輸入が全く途絶える事態は考えられないとしても、日本の飽食が砂上の楼閣であることは否定し得ない事実である」と指摘しています。
 本書は、危ういバランスの上に成り立っている「飽食日本」の姿を描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 「中食」という言葉は、本書が出版された当時には目新しさがありましたが、むしろ、「中食」が当たり前になった10年後の今だからこそ、本書が指摘している問題の深刻さが増しているのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・日本人の「食」はもう戻れなくなったと感じている人。


■ 関連しそうな本

 サーシャ アイゼンバーグ (著), 小川 敏子 (翻訳) 『スシエコノミー』
 松本 紘宇 『お寿司、地球を廻る』
 大野 和興 『日本の農業を考える』
 松岡 大悟 『回転寿司の掟』
 山下 惣一 『安ければ、それでいいのか!?』
 安部 修仁, 伊藤 元重 『吉野家の経済学』 2005年06月29日


■ 百夜百マンガ

ふたば君チェンジ【ふたば君チェンジ 】

 性別が変わってしまうという設定は、「らんま」から「オカマ白書」まで、昔から日本の漫画では定番のネタですが、そのアイデア一本で話を持たせてしまえるところは、さすがは月刊ジャンプという気もします。

2009年3月11日 (水)

進化しすぎた脳

■ 書籍情報

進化しすぎた脳   【進化しすぎた脳】(#1511)

  池谷 裕二
  価格: ¥1050 (税込)
  講談社(2007/1/19)

 本書は、「高校生レベルの知識層に説明して伝えることができなければ、その人は科学を理解しているとはいえない」という物理学者ファインマンの言葉を挙げた上で、著者の専門分野である「大脳生理学のフィールドから大幅に踏み出して、心理学や哲学の世界にまで」を高校生に講義した記録です。
 第1章「人間は脳の力を使いこなせていない」では、「意志。心の問題」は、「あまりに不思議すぎて、正直言っていまの脳科学では」ぜんぜん解明できていないと述べています。
 そして、脳について、「場所によって役割が違」い、「これだけ働きがそれぞれ場所に分かれて専門化しているのは、能以外にない」と述べています。
 また、「人間の最終的な『出力』、つまり行動を決める部位」である「運動野」について、「神経は単純な運動をつかさどるのではなくて、どういうふうに腕を動かしたら(運動させたら)いいのかをコントロールしている。つまり、<プログラム>している」として、「運動がプログラムされている場所」が見つかったと述べています。
 さらに、脳の分業の仕方は「フレキシブル」だとして、「神経のつなぎ替え」、すなわち、目から入った神経を「視床」から、「第一次視覚野」に行くはずのものを、「聴覚野」に、「目からの見る情報を送るように組み替えちゃった」結果、「視覚として機能した」という<リワイヤード>(つなぎ替え)実験を紹介し、「脳の地図って大まかには役割分担は決まっているけれども、必ずしも厳密ではなく、かなり柔軟性に富んでいる」と述べた上で、「『脳の地図』は、じつはかなりの部分で後天的なもの」、すなわち、「脳の地図は脳が決めているのではなくて身体が決めている」と述べ、「事故で手を失ってしまった人の場合、失われた手に対応していた脳の部分は、どんどん退化していく」、「バイオリニストの脳を調べてみると、指が反応する脳の部分がものすごく発達している」ことなどを紹介しています。
 著者は、「水頭症」で、「小さい時に脳に水がたまってしまって、そのせいで脳の成長が妨げられちゃっている」人の、「脳の機能はまったくの正常」であった例を紹介し、「人間が人間らしくあるためには、そんなにデカい脳なんか持っている必要はない」と述べ、「人が成長していくときに、脳そのものよりも、脳が乗る体の構造とその周囲の環境が重要」だとして、「脳に関しては、環境に適応する以上に進化してしまっていて、それゆえに、全能力は使いこなされていない」、「能力のリミッターは脳ではなく身体」だと述べています。
 第2章「人間は脳の解釈から逃れられない」では、脳には、「事象を一般化」、すなわち、「汎化」する作用があるとしたうえで、「目はものを見るためにあるのか」という問いについて、「まず世界がそこにあって、それを見るために目を発達させた」と思われているが、「生物に目という臓器が出来て、そして、進化の過程で人間のこの目が出来上がって、そして宇宙空間にびゅんびゅんと飛んでいる光子(フォトン)をその目で受け取り、その情報を解析して認識できて、そして解釈できるようになって、はじめて世界が生まれたんじゃないか」と述べ、「世界を脳が見ているというよりは、脳が(人間に固有な特定の)世界をつくりあげている、といった方が」正しいのではないかと述べています。
 そして、視神経が視床で乗り換えられるときに、「そこから枝分かれして、脳の真ん中にある『上丘』という場所にも目で見た情報が運ばれている」として、「物や文字を見て判断するまでに0.5秒くらいかかる」にもかかわらず、野球やテニスなどでボールを打ち返すことができるのは、「上丘で見て、判断している証拠」だと述べています。
 また、意識の定義として、
(1)表現の選択
(2)ワーキングメモリ(短期記憶)
(3)可塑性(過去の記憶)
の3点を挙げ、「選択肢の幅が広がる。そうやって学習できる、記憶できる」という「3つの特徴がすべて言葉に備わっているから、言葉というのはまさに『意識』」だと述べています。
 第3章「人間はあいまいな記憶しかもてない」では、「共通のルールを見つけ出す、つまり、一般化する」という「汎化」について、「脳のやり方は『帰納法』」だと述べた上で、「意識や心は言語がつくり上げた幽霊、つまり抽象だ」として、「意識とか心は<汎化>の手助けをしている」と述べ、「言葉→心→汎化」だとして、「人に心がある<理由>はきっと言葉があるからだけど、人に心がある<目的>は汎化するため」だと述べています。
 そして、「記憶が『あいまいだ』ということは、記録が『減っていく』のとはイコールじゃない」として、「脳が記憶をあるところに入れる」のは、「ただ丸ごと入れるんじゃなくて、あるネットワークをつなげながら記憶を共有することによって、丸覚えじゃなくて、何かつながりを共有して容量を減らして、それによってさらにつながりができる」と述べ、「神経細胞が神経細胞である一つのキーポイントは、神経突起をつくって、ほかの細胞と連絡をし合う」ということだと述べています。
 また、「人間の記憶や思考がこんなにあいまい」な原因として、シナプスが伝達物質を放出するのが「確率的」であることを挙げています。
 さらに、「ネットワークに情報を蓄えるために絶対に必要なファクター」として、「ヘブの法則(ヘブ則)」を挙げ、ヘブという人が1949年に、「AとBの神経が同時に活動したら、そのふたつの神経の結合力が強くなる」と予言したことを紹介しています。
 第4章「人間は進化のプロセスを進化させる」では、「脳は言ってみればブラックボックスみたいなもの」で、「インプットとアウトプットの関係を決める装置」だと述べています。
 そして、「いま人間のしていることは自然淘汰の原理因反している」、いわば「逆進化」であるが、その代わりに、「自分自身の体ではなくて『環境』を進化させている」として、メガネや車椅子、都市やインターネットなどの例を挙げ、「新しい進化の方法だ」と述べています。
 また、「脳の性能はピシピシッと人間の身体によって決められちゃっている」ため、「僕たちが考えている思考パターンというのは自由なようでいて自由ではない」として、「思考は体に縛られている」と述べています。
 本書は、人間にとっての脳とは何かを考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者は、脳に関する一般書のベストセラーをずいぶん書いているようです。捉え方によっては、次の世代の「茂木健一郎」みたいなものなのかもしれません。同い年で活躍している人を見るとすごいなと思ってしまいます。


■ どんな人にオススメ?

・予備知識なしに脳のことを考えたい人。


■ 関連しそうな本

 坂井 克之 『心の脳科学―「わたし」は脳から生まれる』 2009年03月07日
 ニコラス ハンフリー (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由』 2009年02月27日
 トール ノーレットランダーシュ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』 2006年06月18日
 ジュリアン ジェインズ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 2006年06月04日
 下條 信輔 『「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤』 2007年01月21日
 けいはんな社会的知能発生学研究会 (著), 瀬名 秀明, 浅田 稔, 銅谷 賢治, 谷 淳, 茂木 健一郎, 開 一夫, 中島 秀之, 石黒 浩, 國吉 康夫, 柴田 智広 『知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦』 2006年04月09日


■ 百夜百マンガ

シートン動物記―定本【シートン動物記―定本 】

 子どもの大好きな動物ものの代表的な動物記ですが、この漫画をきっかけに動物を好きになった人も少なくないと思います。

2009年3月10日 (火)

道路行政

■ 書籍情報

道路行政   【道路行政】(#1510)

  武藤 博己
  価格: ¥2730 (税込)
  東京大学出版会(2008/07)

 本書は、「主として道路法の適用される道路」を対象に、「道路についての関心をさらに深めることができるよう、説明と議論を展開」しているものです。
 第1章「高速道路」では、高速自動車国道の要件として、
(1)自動車の高速交通の用に供する道路であること
(2)全国的な自動車交通網の枢要部分を構成し、
(3)かつ、政治・経済・文化上得に重要な地域を連絡するものその他国の利害に特に重大な関係を有するもの
の3点を挙げています。
 そして、「建設省として利用できる道路法の道路を対象とした有料道路制度」を提案した、1952年の「道路整備特別措置法」について、「一時的の措置」であり、「容易に収支の償う個所を厳選の上、適用すること」などとした付帯決議が、後に守られなかったと指摘し、今日では当然の有料道路制が、「一時的な特例措置として成立」したが、4年後には新法に置き換えられ、有料道路が通常の方法になっていったことについて、「日本の役所の得意な小さく産んで大きく育てた典型であった」と述べています。
 また、国幹道とは別の有料道路カテゴリーとしての「一般有料道路」について、「高速道路ネットワークを拡充していくために、法律では高速道路の建設計画がない地域にもネットワーク網を広げる手段」として、「入場券」と呼ばれる道路として、「一般有料道路が積極的に建設されるようになった」と述べています。
 さらに、「入場券」として建設された「隠れ高速」の典型として、東九州の4つの道路を挙げ、「自動車専用道路の機能を持つ道路、すなわち将来、東九州縦貫自動車道に移行しうる規格の高い道路」を建設しようというアイディアにより、「高規格幹線道路」というアイディアが建設省道路曲から示唆されたと述べ、その路線要件として、
(1)地域の発展の拠点となる地方の中心都市を効率的に連絡し、地域相互の交流の円滑化に資するもの。
(2)大都市圏において、近郊地域を環状に連絡し、都市交通の円滑化と広域的な都市圏の形成に資するもの。
(3)重要な空港・港湾と高規格幹線道路を連絡し、自動車交通網と空路、海路の有機的結合に資するもの。
(4)全国の都市、農村地区からおおむね1時間以内で到達しうるネットワークを形成するために必要なもので、全国にわたる高速交通サービスの均てんに資するもの。
(5)既定の国土開発感染自動車道などの重要区間における代替ルートを形成するために必要なもので、災害の発生などに対し、高速交通システムの信頼性の向上に資するもの。
(6)既定の国土開発幹線自動車道などの混雑の著しい区間を解消するために必要なもので、高速交通サービスの改善に資するもの。
の6点を挙げています。
 第2章「高速道路の民営化」では、小泉内閣の民営化推進委員会の提言において示された、
(1)合併施行/整備新幹線方式スキーム:新会社が採算性の範囲内で建設費を負担するが、採算性の範囲を超える分は国と地方が負担する、新会社と国・地方の合併施行。
(2)内部留保活用スキーム:新会社が単独で内部留保および自主調達した資金を建設費に活用する。
(3)直轄スキーム:国と地方が税金などで建設費を負担し、自ら建設を行う。「新直轄」方式。
の3つの建設スキームについて、「新直轄は新会社を民間企業として採算性の範囲にとどめるための方式であり、『不要な道路はつくらない」というスローガンは、新会社はつくらない、つくらなくてもよい、ということにすぎない」と指摘し、政府が作る理由は、「政府が必要と判断すればよい」のであると述べています。
 そして、民営化が目指すべき民間企業の要素として、
(1)採算性
(2)資金調達
(3)経営の自立性
の3点を挙げたうえで、「高速道路サービスの民営化という考え方は、経済学や経営学の観点から望ましい姿を描き出すということはほとんど不可能であり、政治学・行政学の観点からどのように考えるかという問題であることがわかる」と述べています。
 第3章「一般道の歴史」では、道路行政に関する江戸幕府と明治政府の違いとして、江戸幕府が、「的の迅速な兵力の移動を抑制して、河に橋を架けず、むしろ自然の障害を活用した」のに対し、明治政府は、「国内の敵の攻撃というより、国内各地に発生する反乱・暴動を鎮圧するための軍隊を迅速に移動させる必要から交通・通信網を整備した」と述べています。
 そして、明治前半における道路関係の法令が、「きわめて断片的であり、内容も不十分なものであったが、中央集権的な行政の仕組みと費用負担が慣例的に形成された」として、不安定な政治状況の中で、「中央集権的手法が強化されていく過程としてみることができよう」と述べています。
 第4章「一般道の管理」では、戦後の道路行政の飛躍的発展を支えた「二本の柱」として、「道路特定財源制度と有料道路制度」を挙げ、このうち前者について、「小さく産まれた道路特定財源の制度」が、「その後の経済成長に伴う自動車交通の拡大、ガソリン消費量の拡大に伴い、確実な道路財源として機能した」と述べています。
 また、道路整備を促進した大きな要素として、「道路整備の計画」を挙げ、道路特定財源が、「道路整備五箇年計画と一体となってその税率が引き上げられてきた」と述べ、五箇年計画について、
(1)膨大な量の行政活動があり、現実にも自動車交通の急激な増加は計画という手法を不可欠とした。
(2)財源の裏づけについては、道路特定財源が十二分に機能したことがわかる。
(3)道路管理者間の調整については、国道の指定区間制度が導入され、直轄工事が増えていったことは、都道府県の道路行政に対する何らかの問題意識があったからであろう。
(4)説明責任という考え方は全く認識され提案買ったといえよう。
の4点を指摘し、「戦後の計画は財源の確保とそれによる量的整備のための計画であった」と述べています。
 そして、「都道府県が国に要望する都道府県胴の国道への昇格運動」である「国道昇格運動」について、
(1)財政負担
(2)事務手続きの負担
(3)国道があることの満足感やステータス
の3つの理由を挙げています。
 第5章「道路行政の分権と政策評価」では、今日的な問題として、
(1)地方分権と道路行政
(2)道路の政策評価
(3)政治と道路の関係
の3点について検討しています。
 本書は、巨額の金が動き、政治的なイシューとなりやすい道路行政についての基礎知識を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 私たちが一般に「高速道路」と呼んでいるものについて、行政的には色々なカテゴリーがあり、なかなかわかりづらいところがありますが、単に制度として説明されるよりも、歴史的な経緯を知ることが一番の近道ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・報道番組で道路の話を聞いてもよくわらかない人。


■ 関連しそうな本

 松下 文洋 『道路の経済学』 2007年12月21日
 加藤 秀樹, 構想日本 『道路公団解体プラン』 2006年5月18日
 清水 草一 『この高速はいらない。―高速道路構造改革私案』
 猪瀬 直樹 『道路の権力 道路公団民営化の攻防1000日』 2006年06月05日
 猪瀬 直樹 『日本システムの神話』 2006年06月14日


■ 百夜百マンガ

株式会社大山田出版仮編集部員 山下たろーくん【株式会社大山田出版仮編集部員 山下たろーくん 】

 何をやらせてもキャラが立ってしまう山下たろーくんは、何をやらせてもドラマが生まれるのではないかと思います。それにしても過去の漫画の主人公が失業者になるっていうのは、「いっしょうけんめいハジメくん」を思い出します。

2009年3月 9日 (月)

デモクラシーとは何か

■ 書籍情報

デモクラシーとは何か   【デモクラシーとは何か】(#1509)

  ロバート・A. ダール (著), 中村 孝文 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  岩波書店(2001/05)

 本書は、「20世紀が生み出したデモクラシーのタイプを主に議論の対象」として「現状を分かりやすく記述し、専門家よりも一般読者を想定した内容になって」いるものです。
 第1章「旅をするときには、ほんとうはガイドが必要ではないだろうか」では、「そもそもデモクラシーという用語は何を指しているのか」という問いを提示しています。
 第2章「デモクラシーは、どこでどのようにして発展してきたのか」では、「デモクラシーは、古代ギリシアで2500年前に発明されて、その後、多かれ少なかれ持続的に発展してゆき、次第にその小さな始まりをこえて外に広がり、今日にいたって全大陸に達し、人類の大部分に行き渡った」とする描写は、「少なくとも2つの理由で間違っている」として、
(1)古代のギリシアやローマでは、初期の数世紀が経過し、その後に勃興した民衆中心の政体は、やがて衰退し、消滅してしまった。
(2)デモクラシーを、一度限りの発明品とみなすこともおそらく誤りである。
の2点を挙げ、「デモクラシーは、適当な条件がそろったときにはいつでも、その場所で独自に、生み出されたり、再生されたりしうるもの」であり、「デモクラシーにふさわしい条件は、さまざまな時代、さまざまな場所で存在したことがある」と述べています。
 第3章「さらに問われなければならない課題」では、「デモクラシーを論ずるときに混乱が生じる」原因は、「『デモクラシー』ということばが理念を表すためにも使われるし、現実を表すためにも使われるという単純な事実にある」としたうえで、「デモクラシーとは何か。デモクラシーとは何を指すのか。別の言い方をすれば、ある政府が民主的かどうかということ、そして、どの程度民主的なのかということを判断するためには、どんな基準を使ったらいいのか」という問いかけをしています。
 第4章「デモクラシーとは何か」では、「各メンバーすべてが、集団の政策決定に参画する資格を平等に持つという要求を満足させるため」には、
(1)実質的な参加
(2)平等な投票
(3)政策とそれに代わる案を理解する可能性
(4)アジェンダの最終的調整の実施
(5)全市民の参画
の最低5つの条件を満たすことが必要だとしています。
 祖sの上で、「若干のきわめて重大な問い」として、
(1)これまで述べてきた規準が、きわめて小規模で自発的な集団の運営に適用して役に立つものだとしても、そのままで、本当に国家の統治に応用できるものなのであろうか。
(2)以前に完全にこうした規準にあてはまる集団があったと考えることは現実的だろうか。
(3)先に述べた規準が指針として役に立つということを認めるにしても、デモクラシーの政治制度を案出する上で、全部が必要になるのだろうか。
(4)仮に、主要な発言者の見解が、なんらの異議もなく受け入れられたとしても、なぜ、受け入れられる必要があったのだろうか。またなぜ、デモクラシーが望ましいとみなされなければならないのだろうか。
の4点を挙げています。
 第5章「なぜデモクラシーなのか」では、「非民主的なやり方に比べて、デモクラシーの方が国家統治の方法として優れている」と考えられる点として、
(1)デモクラシーは残酷かつ強暴な独裁者による統治を阻止する力になる。
(2)デモクラシーは、非民主的視し打て無我承諾しなかったり、承諾できなかったりする数多くの基本的権利を市民に保証する。
(3)デモクラシーはそれ以外の方法に比べて、個人の自由を各市民に幅広く保証する。
(4)デモクラシーは、人々が自分たちの基本的な利益を守るために役に立つ。
(5)自己決定の自由――つまり、みずからが選択した法の下で生きること――を個人が行使する機会を最大限に提供できるのは民主的な政治だけである。
(6)道徳上の責任を果たす機会を最大限に保証してくれるのは民主的な政治だけである。
(7)デモクラシーは、デモクラシー以外の政治体制に比べれば、いっそう人間性の展開に役立つ。
(8)政治的平等の深化を促すことができるのは民主的な政治だけである。
(9)近代代表制デモクラシー諸国は相互に戦争することはない。
(10)民主的な政治を行っている国々は、非民主的な政治を行っている国々よりも繁栄しやすい。
の10点を挙げています。
 第6章「なぜ政治的平等なのか――その1」では、「本質的平等は、合理的な原理であって、一国の政治はそれに基づいて行われなくてはならない」とする理由として、
(1)倫理上、宗教上の理由
(2)本質的平等に代わる原理の不十分さ
(3)慎慮
(4)受容可能性
の4点を挙げています。
 第7章「なぜ政治的平等なのか――その2」では、「守護者による統治を主張する立場を拒否するということ」は、「成人であれば誰でも、政治に関わる視覚は平等なので、その国の政府のあり方を左右する権限は、すべての人に全面的かつ最終的にゆだねられるべきである」と述べています。
 第8章「大きな規模のデモクラシーにとってどんな政治制度が必要になるのだろうか」では、「大きな規模のデモクラシーにおける政治制度、すなわち、民主的な国で必要とされる政治制度に焦点を」当てると述べ、「近代代表性デモクラシーの政治にふさわしい政治制度」として、
(1)選挙によって選出された公務員
(2)自由で公正な選挙の頻繁な実施
(3)表現の自由
(4)多様な情報源にアクセスできること
(5)集団の自治・自立
(6)全市民の包括的参画
の6点を挙げています。
 そして、「近代になって実現した新しいタイプの大規模な民主政治」を「ポリアーキー型デモクラシー」と呼ぶとした上で、「多くの国々に課せられている任務は、民主化を推し進め、ポリアーキー型デモクラシーのレベルまでデモクラシーを引き上げること」だと述べています。
 第9章「多様性――その1」では、「集会デモクラシーは明らかに長所をいくつも持っているのに、なぜ、非民主的な起源をもつ政治制度に合わせるために、デモクラシーの旧来の理解の仕方が変わった」理由として、「ある政治単位の人口と領域の広さとがデモクラシーの姿を決める要因」だとして、「規模が重要となる」と述べています。
 そして、「時間と数の法則」として、「民主的な集団が抱える市民が増えるにつれて、政治的な決定に市民が直接参加できる可能性は少なくなり、逆に、他の人に権限を委任しなければならない可能性は大きくなる」と述べる一方で、代表制デモクラシーの「闇の側面」として、「市民は、代議政体の下にあっては、極めて重要なことがらに関する決定権を権力の巨大な裁量にゆだねている」が、「政府のやり方や決定に市民が影響を及ぼせるようにしているポリアーキー型デモクラシーの制度」と「不可分の関係にあるものが、非民主的な決定過程、すなわち、エリート政治家やエリート官僚の間で繰り広げられる取引(バーゲニング)なのである」と述べています。
 第10章「多様性――その2」では、「根底にある諸条件が雑多で、デモクラシーに有利な条件と不利な条件それぞれが混在しているような国の場合には、憲法が上手く工夫されていれば、民主的な諸制度の存続を促すことができるかもしれない」が、「憲法が良く練り上げられていない場合には、民主的な諸制度を崩壊させる引き金になりかねない」と述べています。
 第11章「多様性――その3」では、「民主的な国の政治のあり方を決定する上でもっとも大きな役割を演じているもの」として、「選挙制度」と「政党」を挙げ、「これほど多様さを示しているものは他にない」と述べ、選挙制度が限りなく多様である理由の一つとして、「選挙制度の善し悪しを決める規準を完全に満たす選挙制度などどこにも」なく、「選挙制度には、つねにトレード・オフの関係がつきもの」だと述べています。
 第12章「デモクラシーにとって好ましい基礎的条件は何か」では、「デモクラシーにとって不可欠な条件」として、
(1)選挙で選ばれた文民が軍と警察をコントロールしていること
(2)民主的な信条や民主的な政治文化が普及していること
(3)デモクラシーに敵対的な外国勢力の干渉が強くないこと
の3点を挙げるとともに、「デモクラシーにとってあったほうが望ましい条件」として、
(4)近代的市場経済と近代社会
(5)サブカルチャーの文化が多元的すぎないこと
の2点を挙げた上で、「一般的な命題」として、
(1)5つの条件がすべて存在している国の場合には、民主的な制度をほぼ確実に、維持、発展させることができる。
(2)5つの条件すべてが存在しない国では、民主的な制度を発展させることはきわめて困難である。
(3)デモクラシーに有利な条件と不利な条件とが混在しているような国の場合は、デモクラシーが危うい状態にあり、ひょっとしたら実現しないかもしれない。
の3点を挙げています。
 第13章「資本主義市場経済はなぜデモクラシーに有利なのか」では、デモクラシーと資本主義市場経済の関係を、「喧嘩を繰り返しながらも結婚生活を続けている夫婦」にたとえ、「植物の世界にたとえれば、この両者は一種の敵対的共生(アンタゴニスティック・シンビオシス)を維持しながら関係を取り結んでいる」とした上で、この両者の関係についての、5つの重要な結論のうち、
(1)ポリアーキー型デモクラシーは、資本主義市場経済が支配的な国々でのみ存続してきた。そして反対に、非市場経済が優勢な国では、決して存続してこなかった。
(2)こうした密接な関係が両者の間に成立する理由は、資本主義市場経済のある基本的な特徴が、民主的な制度にとって好都合であるからに他ならない。反対に、非市場経済が優勢である場合には、その基本的な特徴のいくつかが、デモクラシーの発展を阻害するのである。
の2点を挙げています。
 第14章「資本主義市場経済はなぜデモクラシーを阻害するのか」では、前章に引き続き、
(3)デモクラシーと資本主義市場経済とは、常に対立し合う関係にあって、相互に影響を与え合ったり制約しあったりしている。
(4)資本主義市場経済は不可避的に経済的不平等を生み出す。そしてそれは、政治的資源の配分の不平等をもたらす。その結果、デモクラシーに潜在的に秘められているポリアーキー型デモクラシーを実現する可能性は制限されてしまうことになる。
(5)資本主義市場経済は、デモクラシーの発展にとっては好都合で、特にポリアーキー型デモクラシーに至るまでの発展に大きく寄与する。しかし、ポリアーキーのレベルをさらに超えてデモクラシーが発展しようとするときには、市場経済は、政治的平等を損なう帰結をもたらすために不都合なものとなる。
の3点を挙げています。
 そして、「デモクラシーの活力とデモクラシーの質」は、
(1)経済秩序
(2)国際化
(3)文化の多様性
(4)市民教育
などの課題を、「民主的な市民や指導者たちがどのくらいうまく処理できるか、ということにきわめて大きく依存している」と述べています。
 本書は、当たり前に使っている「デモクラシー」という言葉が抱えている深い論点へのガイドブックとなる一冊です。


■ 個人的な視点から

 私たちは、子供の頃から生徒会の選挙などを通じて、民主主義の手続きというか仕組みそのものには馴染んでいるものの、どうして民主主義なのか、ということはあまり考える機会がなかったような気がします。それは、やはり、民主主義を自分たちで選択した、さらに言えば、勝ち取ったという経験がないからなのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・民主主義とは何かを再確認したい人。


■ 関連しそうな本

 ドナルド ウィットマン (著), 奥井 克美 (翻訳) 『デモクラシーの経済学―なぜ政治制度は効率的なのか』 2008年10月11日
 小林 良彰 『公共選択』 2005年04月15日
 アレンド レイプハルト (著), 粕谷 祐子 (翻訳) 『民主主義対民主主義―多数決型とコンセンサス型の36ヶ国比較研究』 2006年02月20日
 佐々木 毅 『政治学講義』 2005年03月11日
 佐々木 毅 『民主主義という不思議な仕組み』 2009年02月25日
 ウィリアム パウンドストーン (著), 篠儀直子 (翻訳) 『選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?』 2009年02月26日


■ 百夜百マンガ

アウト・ロー【アウト・ロー 】

 15年の長期連載の後だからなのか、ちゃんとヤクザ漫画からスタートしておきながら野球漫画になってしまうところは、柔道漫画から野球漫画になったドカベンのようです。主人公の名前も前の作画の人に似てるし。

2009年3月 8日 (日)

学校崩壊と理不尽クレーム

■ 書籍情報

学校崩壊と理不尽クレーム   【学校崩壊と理不尽クレーム】(#1508)

  嶋崎 政男
  価格: ¥735 (税込)
  集英社(2008/8/19)

 本書は、「教育解におけるクレーマーの実態の解明と、それによって引き起こされる問題の解決策の提言」を目指して、「教育に関するクレーム問題を取り上げたもの」です。
 第1章「壊れていく教師たち」では、「学校(教師)に対して、自己中心的で理不尽な要求やクレームを繰り返す保護者を意味する和製英語」である「モンスターペアレント」という言葉を紹介した上で、「保護者も教師も、子供の健全な成長を願い、ともに手を携えていくパートナーであるとの認識」を基本として抑えておかなければならないと述べています。
 そして、実際のクレーマー事例を紹介しながら、クレーマーの「三種の神器」として、
(1)議員
(2)人権および法曹関係者
(3)マスコミ関係者
の3点を挙げています。
 第2章「クレーム社会の到来」では、「保護者クレーマー」に共通した特徴として、
(1)誇張した表現
(2)権威の誇示
(3)優位性の確保
(4)内容の転換
(5)複数の苦情
(6)激情の演出
(7)「正義」の代弁
(8)全員への強要
(9)巻き込み
(10)不定期の再発
(11)実利の獲得
(12)刑法への抵触
などの点を挙げています。
 そして、クレーム発生のモデルとして、「問題の発生をコップから水が流出したとき」と捉える「コップ論」を提示し、
・長い間かけて溜まって行った「原水(要因)」に、
・大量の水が短時間に注入された場合(誘因1)、
・何らかの力によってコップが傾けられた場合(誘因2)、
に、「水がコップから流出し始め、問題が発生すると想定する」と解説しています。
 また、1990年代半ばに義務教育段階の子供を持っていた保護者が、1980年代に、「全国の中学校で校内暴力の嵐が吹き荒れ」たことを経験し、「何をやっても許される」という「幼児万能感に基づいた、身勝手きわまる不条理がまかり通るのを見て育った世代が、『教師への反発・反抗は当たり前』という感覚をもつようになった」と述べています。
 第3章「クレーマーを生み出す社会」では、1980年代に中学時代を過した子供たちが、1990年代半ばに保護者になったことについて、「多感な中学生期を送った人々に、『教師、尊敬に値せず』とい1う強烈なメッセージが伝えられた」結果、当時の中学生が「相手が反撃できない状況ではやったもん勝ちがまかり通る」という方法論を学んだとして、「『モンスター・ペアレント』と『校内暴力』は同じ現象」で、「同じ人間が時代を経て同じ場所で同じことを行っているにすぎない」、彼らは「『ペアレント』ではない。今も『チャイルド』なのだ」とする言葉を紹介しています。
 第4章「クレーマーを生み出す家庭」では、「子どもを持つ家庭の役割は、大きく社会化機能と安定化機能に分けられ」るとしたうえで、「この2つの機能が、家庭において十分に果たされないと、子供の問題行動につながるさまざまな要因が蓄積されて」いると述べています。
 第5章「クレーマーの類型」では、著者が、これまで収集したクレーマーの事例として分類した類型として、
(1)問題指摘型(善意のクレーマー)
(2)子どもベッタリ型(溺愛型クレーマー)
(3)関係保持型(依存型クレーマー)
(4)自尊型(自尊感情過多クレーマー)
(5)敏感・神経質型(敏感型クレーマー)
(6)欲求不満解消型(欲求不満解消型クレーマー)
(7)攻撃型(愉快犯型クレーマー)
(8)理解不能型(混乱型クレーマー)
(9)利得追求型(利得追求型クレーマー)
(10)無クレーム型(無クレーマー)
の10類型を挙げています。
 第6章「理不尽なクレーマーとならないために」では、「子どもの『虚言』がクレームの出発点となること」があるとして、
(1)叱責や非難など、葛藤場面から一時的に逃避するための虚言
(2)反抗や攻撃のための道具としての虚言
(3)自分をよく見せたい、認められたい、欲求を充たしたいなど、何らかの利得を得ようとするための虚言
(4)他からの強要、あるいは他の人をかばうなど、他者との関係から生まれる虚言
の4点を挙げています。
 第7章「教師のクレーム対応」では、クレーム対応の「さしすせそ」として、
・最初が肝心(初期対応能力)
・しっかり傾聴(カウンセリング力)
・すばやく行動(判断力・決断力・実行力)
・正確な記録(記録力)
・組織で対応
の5点を挙げています。
 本書は、理不尽な親が実は単なる大きくなった子どもであることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 クレーマーはどこの世界にでもいるわけですが、今問題になっている保護者クレーマーが、1980年代に無抵抗の教師に対して暴力を振るっていた校内暴力を行っていた当時の生徒だった、という指摘にはなるほどという気がしました。「大人」の肩書きを手に入れた、歳を取っただけの中高生たちが、無抵抗の教員たちに何をするのかと考えるだけで恐ろしいです。


■ どんな人にオススメ?

・学校にクレームを入れるのは良識のある大人だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 本間 正人 『モンスターペアレント―ムチャをねじ込む親たち』
 諸富 祥彦 『モンスターペアレント!?―親バカとバカ親は紙一重』
 嶋崎 政男 『"困った親"への対応―こんなとき、どうする?』
 多賀 幹子 『親たちの暴走 日米英のモンスターペアレント』
 小野田 正利 『親はモンスターじゃない!―イチャモンはつながるチャンスだ』
 尾木 直樹 『バカ親って言うな! モンスターペアレントの謎』


■ 百夜百音

ばちかぶり ナゴムコレクション【ばちかぶり ナゴムコレクション】 ばちかぶり オリジナル盤発売: 2007

 プロジェクトXの人という印象が強いと思いますが、当時としてはやはり「ばちかぶり」の人。過激なステージは有名でステージで脱(自粛)。

2009年3月 7日 (土)

心の脳科学―「わたし」は脳から生まれる

■ 書籍情報

心の脳科学―「わたし」は脳から生まれる   【心の脳科学―「わたし」は脳から生まれる】(#1507)

  坂井 克之
  価格: ¥945 (税込)
  中央公論新社(2008/11/25)

 本書は、「ヒトの心のさまざまな側面における脳の仕組みを取り上げながら、脳という物質的なメカニズムで『わたしとは何か』という問いかけにどこまで答えられるのかを見て」行こうとしているものであり、また、「脳研究によって変わってゆく未来社会」について、「深い倫理的問題をはらんだ脳研究と人間社会の未来について考察」しているものです。
 第1節「未来の脳社会」では、「現在の脳科学の最先端の成果」を現実世界に応用した場合、大学入試に「脳機能試験」が行われる、という架空のストーリーを紹介した上で、「脳画像を使うことで、脳の形だけでなくその働きを見ることも可能」になっていると述べています。
 第2節「脳の中の世界地図」では、「脳は単に周囲の世界を映し出すだけの装置」ではなく、「得られた映像を脳の中に映し出した上で、これをさまざまな形に加工して」ゆき、「その究極の形が意識であり、主観なの」だとして、脳における視覚情報処理を「外の世界が内なる意識、主観の世界に変換されてい行く過程」だとしています。
 そして、「網膜に映し出された映像に対して反応する神経細胞が、その映像の空間的位置関係を保つような形で配列していること」である「網膜地図」について解説した上で、V1からV8の8つの視覚領域の「すべてにおいて網膜地図を持った形で神経細胞が配列して」いることを、「ちょうど外界がいくつもの鏡を使って何重にも映し出されているように、このそれぞれの領域で外の世界が脳内に表現されている」と述べています。
 また、頭頂葉や前頭葉の網膜地図が、「外界の情報の空間的位置性格に表現して」いるが、「それぞれの位置における情報の重み付けはその人がどこに注意を向けているかによって柔軟に変化」するとして、「目から入ってきた外界の80万がその情報は、そのヒトがどこに注意を向けているかに応じて、その一部が強調された形で脳内に表現」されると述べています。
 著者は、「私たちがどこかに注意を向けるという場合には、注意を向けている主体としての『わたし』という存在が前提になって」いるが、「私たちの意図的な注意は、前頭葉の網膜地図上の特定の空間位置に対応した神経細胞活動の増加として現れ、その神経インパルスが同じ空間位置に対応した後方の視覚領域の網膜地図に伝えられてゆく」過程で、「私が外界に対して注意を向けた」という意識的体験が成立する、と述べています。
 第3節「脳のアナリスト」では、私たちの脳が外界の視覚情報を分析するときに、「『どこに』ものがあるかの位置情報」については、「網膜地図を使って処理」するが、「そのものが『何であるか』についての分析は、後頭葉の視覚領域から側頭葉底部へといたる経路」で行われ、このときには、「どのようなものであるかに対応した専門の情報分析システム」が働くとしたうえで、側頭葉底部右側の直径2センチメートルほどの「紡錘状回」に「顔領域」が存在するとして、ここが障害されると、「人の顔が分からなくなってしまう相貌失認という症状」が出るとしてオリバー・サックスの「妻を帽子と間違えた男」のエピソードを紹介しています。
 そして、脳画像や脳波などを使った研究から、「顔を見たときに特に強く反応する脳領域が発達とともに次第に明瞭になってくるとの結果が得られて」入ることを紹介し、バードウォッチャーがシジュウカラとヤマガラ、ホオジロ、ツグミなどの鳥を見たときや、車好きな人が自動車の画像を見たときに「顔領域が活動すること」を紹介し、「顔領域は顔に対して反応しているのではなく、個別事象の区別に関係していることを示唆」するとしています。
 著者は、本節のポイントとして、「『もの』のカテゴリー特異的な脳活動が、その『もの』事態によって既定されているのではなく、その『もの』がなんであるかを認識する主観によって左右されていること」を挙げています。
 第4節「見ることと、見えること」では、「脳活動と私たちの意識の中身との因果関係が、脳科学が現在直面している一番の問題」だとした上で、「見えたものを意識する脳メカニズムについて、脳画像を中心とした研究がどこまで迫っているか」を解説するとしています。
 そして、「左右の目に別々の画像を提示する」という「眼球間闘争」という実験について、「被験者に見える画像、つまり被験者の意識に上る画像が自然に切り替わ」る状態である「知覚交代現象」が、「何が意識されているかという被験者の心の内面を繁栄している」と述べたうえで、「顔が見えるためには、顔領域の活動が一定レベルを超えて強く活動するか、あるいはそのほかの脳領域と十分な信号のやりとりをすることが必要」であるが、「ある脳領域に活動が生じると、意識に上らなくてもこの神経活動はある程度は別の脳領域に伝わって」行き、「意識に上らなくても、無意識のうちに脳内の情報処理過程が変化し、私たちの行動も無意識のうちに変化すること」が「サブリミナル効果」であると解説しています。
 また、「ものが『見えている』と感じるとき、私たちは自分の後ろに自分自身がいて、目という窓を通して外の世界を眺めているような感じ」を抱いているが、脳の側頭葉と頭頂葉の境界部分の「TPJ(temporo-parietal junction)」といわれる領域を中心としたてんかんを起こす人に「同じような現象が体験されること報告されて」いることについて、「このTPJという脳領域は、視覚、触覚、そして身体の平衡感覚の情報が集まってくる場所」で、「それぞれの情報を統合した上で、外界を見ている『自我』の位置が、自分自身の身体との相対的関係の上で計算され、導き出される」と考えられているが、「この領域の神経細胞が異常な活動をしてしまうと、自分自身の身体の位置とは違った場所に『自我』の位置を『解』として導き出してしまう」ため、「これとつじつまを合わせるような形で、視覚情報や触覚情報を解釈し直した結果、周囲の光景を、本来自分の目のある場所とは異なった位置から見ているような感覚が生じると考えられて」いると述べています。
 著者は、「『見える』ということは外界の中から一部の情報を選択してこれを意識という表舞台に上げることである」として、「子の過程で、外界から得られた情報に対して意識的・無意識的にさまざまな操作や改変が行われる」と述べています。
 第5節「時間を越えて存在する『わたし』」では、全身の痙攣を伴うてんかん発作を抑えるために海馬とその周辺部分を切除された、「脳科学の分野でもっとも有名な人物」HMさんの症状から、「過去の出来事の長期的記憶を作るために海馬が必須であることが明らかに」なったと述べています。
 そして、「記憶の書き込みと再生における海馬の働き」について、「私たちの意識とは無関係に起こりうる」として、「睡眠中にも自動的な記憶再生が起こっている」ことについて、睡眠中にも学習が進む事例を紹介し、「日中に起こった新しい出来事が無意識のうちに再生され、これに関わる大脳皮質の神経細胞が活動」し、「日中獲得した新たな知識を睡眠中に強固なものとする」と述べています。
 第6節「知性を制御する仕組み」では、「いくつかの研究では、知能検査の点数、つまり知能指数が高い人ほど脳の特定の領域が大きいという結果が得られて」いるとした上で、知能指数と脳の発達過程の関係を調べた研究では、「知能指数が高いグループの子供たちは、10歳以下の段階では平均的な知能指数の子供たちよりも大脳皮質が薄いものの、その後急速に大脳皮質が熱くなり、12、3歳の頃には他の子を追い抜くこと」がわかったと述べています。
 そして、「自分の好きなタイミングで人差し指を上に持ち上げてください」という課題について脳波を観測すると、「被験者が指を持ち上げようと思ったときよりも数百ミリ秒前から、脳活動の変化が観察」されたとする実験を紹介し、最近のMRIを用いた計測では、「指を動かそうと思ったときよりも8秒も前から前頭葉内側部の活動が変化し、しかもこの活動パターンに基づいて、被験者がこれから右手を動かすか、左手を動かすかを予測することができた」ことを紹介しています。
 著者は、「思考に関わる情報処理過程すべてをひっくるめて、たったひとつの知能指数という値で表現できるとはとても思いません」と述べています。
 第7節「社会的な脳」では、「じっくり考えないでも、相手の意図や気持ちを推察すること」がある程度という「相手の気持ちや意図を察して自身の行動を決定する働き」である「心の理論」について、これに関連した課題を行っているときに、「前頭葉内部だけでなく腹側運動前野と呼ばれる領域の活動も報告されて」いることについて、この領域には、「ミラー・ニューロン」と呼ばれる神経細胞があるとして、「相手の動作を自動的に自分の脳の中にコピーするような仕組みは、相手の心の動きを推測する場合にも重要な役割を果たしている」と述べています。
 そして、「他人の気持ちを思いやるという美しい行為」が、「ミラー・ニューロンによる相手の動作、感覚情報のコピーとシミュレーションに基づいた推測という機械的なメカニズムで説明されようとして」いると述べています。
 第8節「遺伝子によって左右される脳」では、「今の『わたし』を生み出している脳は、『わたし』が実体験してきた環境要因によって作られていると信じる気持ちの方が強い」が、「最近の研究では、この『わたし』のハードである脳のかなりの部分が遺伝子による影響を受けていることが明らかになって」いるとして、「脳の形ばかりではなく、その活動パターン、つまり脳の働き方おも遺伝的影響を受けており、しかもこれは脳の特定の領域に見られる」と述べています。
 第9章「脳はここまで変わる」では、ロンドンのタクシードライバーの脳の大きさを測定した研究では、「彼らの海馬は普通の人よりも平均で5%程度大きくなっている」とした上で、「世界レベルの記憶チャンピオンたちを集めてその脳を計測したところ、海馬は普通の人と比べても、大きくなっていない」として、「おそらく、彼らは記憶の仕方を工夫するすべを身につけていて、その方略を反映して特定の脳領域の活動が増加している」と推測質得ます。
 そして、盲目の人たちが、「点字を指で謎って読むとき」には視覚野が活動することについて、図形の形を指で触っても視覚野は活動しなかったとして、「盲目の人たちが訓練して点字を読めるようになったその学習過程には、触覚領域と言語領域が関係しているだろうと考えられて」いたが、「脳活動を計測することではじめて、視覚情報が入力されず本来の役割を果たせなくなった視覚領域が、この新しく獲得した点字を読む過程に関係していることがわかった」と述べています。
 第10章「21世紀の読心術」では、「脳活動をもとに、手足を使わずに直接、コンピュータなどの外部危機を操作して意思疎通を行うことが可能になりつつ」あるとして、「ブレイン・マシーン・インターフェイス(BMI)」という技術を紹介しています。
 そして、「脳研究データをもとにつむぎだされたいくつもの神話が、社会を変えてしまう可能性」がより現実的なものとなっていることについて、「脳科学の現実はできるだけ厳密な実験設定のもと、限られた状況ではあるけれども、そこに間違いのできるだけ少ない真実を見出そうとする地道な努力の過程」だと述べています。
 終章「物質現象の結果として『わたし』が生まれる」では、「『わたし』を脳から説明しようとする試み」が、
(1)「わたし」の定義すらあやふやなのに、こんなものを物質現象に基づいて説明できるのかというハードル。
(2)「わたし」が物質現象から生じた虚構に過ぎないなんて話は心情的にとてもじゃないけれど受け入れられない、という人たちを説得するというハードル。
の2つの「異なったハードルを乗り越えなければ」ならないと述べた上で、「科学の進歩と大衆化の結果として、脳のある領域が特に発達している人というような他者の評価をきっかけとして自分自身の物質基盤である脳を注意してみるようになった場合、実は『わたし』が脳の持ち主なのではなく、『わたし』の持ち主が脳であることを認識せざるを得なくなる」と述べています。
 著者は、「私の仕事は、ほかの多くの研究者と手を携えて、できるだけ真理に近づき、これをできるだけ正確な形で発信してゆくこと」だと述べています。
 本書は、脳を切り口に、「わたし」とはなにかに切り込んだ一冊です。


■ 個人的な視点から

 どうしても私たちは、頭の中に本物の「わたし」という「小人」がいて、その小人が目を通してものを見たり手足を動かしたりといった、まるで「マジンガーZ」的な状況を想像してしまいがちですが、そういう考え方は「ホムンクルス仮説」というようです。こっちの方がわかりやすくはあるのですが。


■ どんな人にオススメ?

・「わたし」とは何かを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 ニコラス ハンフリー (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由』 2009年02月27日
 トール ノーレットランダーシュ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』 2006年06月18日
 ジュリアン ジェインズ (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 2006年06月04日
 下條 信輔 『「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤』 2007年01月21日
 けいはんな社会的知能発生学研究会 (著), 瀬名 秀明, 浅田 稔, 銅谷 賢治, 谷 淳, 茂木 健一郎, 開 一夫, 中島 秀之, 石黒 浩, 國吉 康夫, 柴田 智広 『知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦』 2006年04月09日
 スティーヴ・グランド 『アンドロイドの脳 人工知能ロボット"ルーシー"を誕生させるまでの簡単な20のステップ』 2006年01月28日


■ 百夜百音

Unknown Pleasures【Unknown Pleasures】 Joy Division オリジナル盤発売: 1979

 イアンのダンスは映像で見ると病的で怖いところもあるのですが、本人が癲癇を患っていたことは知りませんでした。日本のバンドでJDの影響を受けたバンドというとどんなのがあるでしょうか。電気は除きます。

2009年3月 6日 (金)

日本政治の対立軸―93年以降の政界再編の中で

■ 書籍情報

日本政治の対立軸―93年以降の政界再編の中で   【日本政治の対立軸―93年以降の政界再編の中で】(#1506)

  大嶽 秀夫
  価格: ¥798 (税込)
  中央公論新社(1999/10)

 本書は、「政界再編の中で、戦後数十年にわたって続いてきた政策対立軸が消滅したにもかかわらず、それに代わるべき対立軸が不在のままにとどまっていて、政党再編に理念を与えることができず、そのため『政党本い、政策本位』の政治を実現することができないでいる」と言うテーゼについて論じたもので、「政策対立軸(の混乱)をいう概念を鍵として、現在の政局を理解しようとしたもの」です。
 第1章「五五年体制下における政策対立」では、「1993年に自民党による一党支配体制が崩れるまでのいわゆる『1955年の体制』においては、政党支持は、日米安保条約と自衛隊に対する態度をめぐる自民党と社会党の対立によって構造づけられており、その他の政党は、この両者の中間に位置するものと認識されていた」と述べた上で、「戦後における防衛という争点は、単なる戦争と平和、安全保障という論点として議論されたのではなく、戦前の軍国主義、ファシズムの復活という問題と密接に絡むこととなった」と述べています。
 また、「新自由クラブ、(後述する)日本新党という2つの新党の躍進と、社会党の2回の勝利とは、反既得権益の姿勢に支えられたものであり、既成政党さらには政党政治、あるいは、官僚・政治など、政治・行政のプロフェッショナルに対する拒否反応をその中核に持つもの」だと述べたうえで、「そこには重大な転換が存在する」として、
(1)この反感は(伝統的文化に対抗するという意味で)「近代的」政党と見られていた社会党に対しても向けられている。
(2)この社民的エリートに対する反感は、1980年代になると、いわゆるリベラル勢力にも向けられることになった。
(3)かつては、権威主義的な経緯も含めて国民の間で高く評価されていた、あるいは、少なくとも、党派的中立性というシンボルによって、政党に浴びせられるダーティなイメージからは免れていた高級官僚も、既得権益の擁護者とみなされ、厳しい批判にさらされるに至っている
の3点を挙げています。
 第2章「政界再編の中の対立軸」では、「「1993年から始まった日本の『政界』再編は、有権者の政策志向や政党支持の変化によって始まったのではなく、自民党の分裂を契機として、国会議員の離合集散によって始まった」と述べた上で、「政界再編の過程において、それを政党再編につなげるべく」、
(1)利益政治とそれに対する批判
(2)そこから派生した市民参加の主張
(3)55年体制下の最大の対立軸であった防衛問題をめぐる対立
(4)その規定にあったとされる(道徳、宗教などの争点をめぐる)リベラリズム対伝統主義の対立の(形を変えた)再現
(5)第二臨調以来登場したネオ・リベラリズムとそれへの対抗理念
などの「いくつかの対立軸が、政党の側から提起され、いずれがその後の主要対立軸をなすかをめっぐて競合した」と述べています。
 そして、「『政党本位、政策本位』の政治を選挙制度改革によって実現することは、1988年のスキャンダルの再発とともに、マスメディア、識者、民間指導者にとっても共通の課題と認識され、小沢は、そうした世論の動きに自らの構造実現のチャンスを見た」として、「イギリス型政党政治の実現という構想」を挙げています。
 また、「現在の日本政治における対立軸の喪失が、政界再編中の過渡的な現象であるにしても、新たな対立軸の登場によってその事態が克服され、政党再編につながるためには、きわめて困難な課題の解決が必要とされることをこれまでの分析は示している」と述べています。
 第3章「『第二』の政党」では、「1990年代の後半に誕生した2つの『民主党』を取り上げる」として、
(1)96年の衆院選の直前に、いわゆる「鳩山新党」として、社会党と新党さきがけの所属議員を中心として結成された民主党(第一次民主党)
(2)新進党の解党を受けて、第1の民主党に旧民社系並びに保守系の議員が合流することによって結成された民主党(第二次民主党)
の2つを挙げています。
 そして、政党が「無党派層の支持を得て得票し、選挙で勝利するための戦略」として、
(1)組織戦略:従来型の組織を通じて、あるいは従来にはなかったような組織を通じて、無党派の有権者を新たに組織化すること。
(2)政策戦略:無党派の利益意識やイデオロギー意識を刺激するような組織を提示し、彼ら無党派層の利益・イデオロギーに沿うような政策を提示することを通じて、支持を獲得しようとすること
(3)政権戦略:選挙後にどのような政権を作るのかを示すことによって、無党派層に向けてドラマを演出して支持を獲得しようとするもの。
の3点を挙げています。
 また、2つに民主党を比較した際の特徴として、
(1)議員の政党
(2)労組の政党
(3)社会民主主義勢力と経済的自由主義派の同居
(4)リベラル?
(5)第三極から第二極へ
などの点を挙げています。
 著者は、「現在の政党再編を取り巻く要因は、『二党化』あるいは『二極化』について複雑な圧力を持っている」ため、「現在進行している政党再編が今後どのような政党制へと至るのかは、結論づけることが困難である」と述べています。
 第4章「一九九〇年代中期における日本の経済社会」では、日本で政策対立を軸とした政党再編が進まない一因として、「日本に一般有権者にとって、新保守主知、とくにネオ・リベラルな政策が『難しい争点』である」ことについて、「その社会的、文化的背景として、日本の社会経済の深部において、ネオ・リベアッルな主張を拒否する傾向が存在することを指摘」するとしています。
 そして、「1980年代中期以降、日本経済が二度にわたる石油ショックを乗り切り、世界でもっとも優れたパーフォーマンスを示した時期には、明らかに反ネオ・リベラル的な日本型労使関係は危機克服の過程で強化され、かつ、内外で賞賛の対象となった」としています。
 また、「民間企業の高成長、高収益を前提として、公的制度の赤字をそれへの統合で解消した形の80年代の改革は、その前提が崩れることによって、再度、そしてさらに深刻な危機に直面した」と述べチエます。
 第5章「『橋本行革』の登場、展開、挫折」では、「本書が検討してきた文脈から、橋本政権が取り組んだ政策課題のうち、首相自身が土台改革(後に六大改革)として掲げたネオ・リベラリズム的政策の登場と展開とを焦点に、考察を加える」としています。
 そして、政治過程に現れた橋本の政策主張について、「全体として社会民主主義的特徴が強いが、明確に理念の体系として提示されているわけではないという特徴」を挙げ、「実際的、具体的な政策として、ある意味では技術的な議論を展開している」として、「橋本という政治家の持つ問題解決型というか、テクノクラート的というか、実際政治家としての特徴である」と述べています。
 また、金融ビッグバンと並ぶ六大改革のもうひとつの柱である行政改革・省庁再編について、「橋本自身のイニシアティヴによって始まり、終始彼のリーダーシップが発揮された改革であった」として、その前史には、
(1)村山内閣における特殊法人改革
(2)第一次橋本内閣の時期に浮上し、六大改革の提唱に先立って事実上の決定を見た大蔵省改革、すなわち金融と財政の分離の一環として実現された日銀法改正と金融監督庁設置
の2つがあったと述べ、「省庁の数を半減するという構想」が、「国民に『大胆な改革である』というイメージを与え、わかりやすいという政治的にきわめて重要な利点がある」と解説しています。
 さらに、「橋本が行革に込めた戦略とその前提となる理念を再構成してみた上で、それがなぜ世論・マスコミの支持を受けることに失敗したかを考察」するとして、
(1)橋本行革は、民主党のような民対官という対立図式をもとにした官僚バッシングではなく、橋本が、官僚エリートに対して強い信頼を持ち、官僚組織を再編すると、その機会に無駄な部局を削減し、必要な部局を拡充するイニシアティヴが官僚自身から生まれてくるとの期待があったと解釈できる。
(2)彼の省庁再編案は、理念なき改革、単なる数合わせとの厳しい批判を受けることとなったが、激しい官僚バッシングの世論の中で官僚の良識への期待を表明する状況になく、また、ネオ・リベラルな小さい政府論とは反対の理念に基礎づけられていたことから、自らの理念を前面に出して明確に反論することができなかった。
の2点を挙げています。
 著者は、「橋本にとって最重要課題であった財政構造改革・財政再建」が、「実は彼の『弱者のための政治』の実現を阻む客観的制約要因であった」と述べています。
 「結語」では、本書の議論の要約として、
・冷戦の終結によって、戦後日本の最大の争点であった防衛問題が政党間の対立軸としての意味をほとんど失った。
・日本の政治においては政策の違いで有権者の支持を集めることが極めて難しくなった。
などの点を挙げ、このために、「1990年代に『政治改革』が最大の課題と受け止められた時期に、まさに改革の主目的であった、『政策本位』の選挙を不可能にするような辞退が到来した」と指摘しています。
 本書は、「防衛問題」という対立軸を失ったことで、混迷を極めた90年代の日本政治を描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 1990年代の政治シーンは、なんでもアリの政党の合従連衡が続いたため、共産党以外は全部がくっついたり離れたりでわかりにくいことも確かです。このころ在った政党の名前を全部言える人は少ないんじゃないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・1990年代の日本政治を理解したい人。


■ 関連しそうな本

 大嶽 秀夫 『政界再編の研究―新選挙制度による総選挙』 2006年12月28日
 大嶽 秀夫 『小泉純一郎 ポピュリズムの研究―その戦略と手法』 2007年06月19日
 大嶽 秀夫 『日本型ポピュリズム―政治への期待と幻滅』 2007年05月29日
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 河崎 曽一郎 『選挙協力と無党派』 2009年02月24日
 竹中 治堅 『首相支配-日本政治の変貌』 2006年12月26日


■ 百夜百マンガ

櫻の園【櫻の園 】

 演劇を舞台にした漫画と言えばあの有名な超大作少女漫画が浮かぶ人が多いと思いますが、映画やドラマ、小説に比べて、思っていることを別の吹き出しで表現できる漫画という媒体は、劇中劇の表現には向いているのではないかと思います。

2009年3月 5日 (木)

経済心理学のすすめ

■ 書籍情報

経済心理学のすすめ   【経済心理学のすすめ】(#1505)

  子安 増生, 西村 和雄
  価格: ¥2835 (税込)
  有斐閣(2007/12/12)

 本書は、「経済学と心理学が交差する経済心理学について、経済学者と心理学者が協同してこの分野の存立の意義を明らかにし、その研究の現段階での発展をまとめることを目指して編集したもの」です。
 著者は、経済学者が、「多少心理学的現実に合致しなくても、きれいに定式化できる」ような経済学理論を好み、心理学者は、「多少要因がごちゃごちゃしていてもよいから心理学的現実性をよく反映した理論構成を好む」と述べています。
 第1章「心理学と経済学の交差点」では、「行動経済学の領域でなされてきた研究と、今後の展開について」論じるとして、「心理学(特に行動分析学)がどう経済学の専門用語や論理を取り入れてきたのか、いかにその概念を心理的、行動的現象に適用してきたのか、どのような相違が両者の間に生じてきたのかに触れることで、経済学と心理学の共同作業の一事例を描いてみたい」と述べています。
 そして、「現在において経済心理学を学ぶということ」は、
(1)行動的アプローチ、認知的アプローチと言った心理学の伝統的な考え方と研究法
(2)ミクロ経済学、行動生態学、行動経済学で発展してきた最適化理論やゲーム理論によるアプローチ
(3)現在急速に発展しつつある実験経済学の成果と方法論
の3点に、「焦点を当てて学ぶことにほかならない」としています。
 著者は、「強化子の効果の1つとしての強化『力』を3つの関数(需要関数、マッチング関数、割引関数)から取り上げ、それらをめぐって心理学的アプローチと経済学的アプローチがどのようにその学問的蓄積を交換し相互に影響を与えあっているかを紹介した」と述べています。
 第2章「意思決定過程の心理学」では、「意思決定の過程を明らかにすること」の意義について、
(1)意思決定過程を把握することによって意思決定結果の予測精度が向上することが指摘できる。
(2)意思決定過程を把握すると、意思決定現象の理解が促進することが指摘できる。
(3)理論の精緻化や修正に役立つことが指摘できる。
の3点を挙げています。
 そして、「意思決定問題をどのような枠組みでとらえるかということが、後の意思決定結果に影響する」として、「客観的にはまったく同じ意思決定問題でも決定フレームの相違によって、意思決定の結果が異なる現象」である「フレーミング効果(framing effect)」について解説しています。
 また、フレーミング効果が生じる原因について、意思決定過程は、「編集段階と評価段階とに分かれるが、編集段階では、わずかの言語的表現の相違などによってフレーミングのされ方が異なってしまうので、意思決定問題の客観的特徴がまったく同じであってもその問題の認識が異なってしまうこと」である「プロスペクト理論」について解説しています。
 さらに、「最適解を必ず導く実行方略であるアルゴリズム(algorithm)と対比される認知的な簡便法(発見法)の概念」である「ヒューリスティックス」について解説したうえで、サイモンの「限定された合理性」の考えをさらに発展させた、「最低限の時間や知識や計算に基づいて現実の環境において適応的決定を行うヒューリスティックス」である、「高速倹約ヒューリスティックス(fast and frugal heuristics)」について解説しています。
 第3章「リスク認知の心理学」では、「人は経済リスクに関してどのように認知し、行動しているか、それを左右する要因は何なのか、どのような情報が、こうした人の態度に影響を及ぼしているのか、リスク志向性の個人差はあるのか、私たちはどのような態度や能力を身につけるべきなのか」について、著者らの調査研究結果に基づいて解説しています。
 そして、「人はリスクの存在に気づくと、そのリスクに対してイメージを作る」として、
(1)重大性
(2)未知性
(3)感情性
(4)制御可能性
の4点を挙げたうえで、「こうしたリスク事象に関して、運と能力が関与する度合いの認知にはバイアスが存在する」と述べています。
 第4章「市場競争と経済心理学」では、1970年代アメリカの人気ゲーム番組「レッツ・メイク・ア・ディール」の山場シーンをモチーフにした「モンティ・ホール・パラドクス(Monty Hall paradox)」の名で知られる意思決定問題を紹介し、「モンティ・ホール・パラドクスが有名なのは、一般の人々だけでなく数学者や統計学者にとっても、これが直感と一致しないことに由来する」として、「このように知的能力の欠如が理由とは思われないのに合理性から外れる行動」が「アノマリー(anomaly)」と分類されると述べ、「経済学では、アノマリーの存在を突きつけられても、それが自己利益最大化を追及する合理的な経済主体像に対する脅威とは受け取られてこなかった」と述べています。
 第5章「賭けのシステムと経済心理学」では、よく「競馬をする人間なんて非合理的だ。なぜなら得られる利益の期待が負だから」という話があるが、「不確実性下での意思決定理論、特に期待効用理論などを勉強すると、その考え方は変わる」として、「このような理論を勉強した後では『そうか、競馬や宝くじをする人はリスク選好的な個人であり、そのもとで高揚を最大化をして賭けているのだ。合理的な行動じゃないか』と思い、納得したりもする」と述べたうえで、本章では、「競馬という賭けのシステムに対する経済学や心理卓における研究を紹介し展望する」と述べています。
 そして、賭けのシステムが多くの分野で盛んに行われる理由として、
(1)「賭けのシステムの研究は資本市場の情報効率性の解明に役立つ」とするもの
(2)「賭けの市場を実験室と考えて個人の不確実性に対する行動を明らかにしよう」というもの
(3)そのギャンブル産業の規模の大きさ
(4)「何とかギャンブルで儲けられないだろうか」という俗な興味
の4点を挙げています。
 第6章「行動ファイナンス」では、人間心理市場仮説と効率的市場仮説の2つの考え方が、「ヨーロッパ中世の天文学者たちの、天動説か地動説かという議論に似ている」とした上で、「市場の効率性とは裏表の関係にある」人間心理市場仮説の検証という立場をとる行動ファイナンスについて、「価格のゆがみを生む原因が認識され、市場の効率性が高まっていくことが期待される」と述べています。
 そして、「ここで述べたような心理的なバイアスは、学習、教育によって改善することはできるが、消滅することはないだろう」と述べています。
 第7章「思考活動停止時における脳活動」では、「思考を停止する能力で、人々の行動が特徴付けられる」理由として、「思考を止められない人は、物事を前もっていろいろ考えるので、用意周到ではあるが、逆にいえば、心配せいで決断力に欠ける」一方で、「思考を停止できる人は、前もって心配をしたり、後から悩み続けるということがなく、ストレスに強い。無駄な思考をしないので、集中力が高く、決断力があるということにもなる」と述べています。
 第8章「保険・年金・医療の経済心理学」では、「経済学と心理学の融合の歴史は、社会・経済システムの設計のあり方についても多くの示唆を与える」と述べた上で、「人々の行動様式をどのように解釈するかによって、社会の制度のあり方は、さまざまに異なる」と述べています。
 第9章「問題商法とクリティカルシンキング」では、「問題商法や悪質商法の大部分は消費者を『だます』ものである」として、こうした手口の特長について、「消費者が購入(非購入)に至る石決定過程を、『前提の理解』『情報の探索(多面的検討)』『情報の評価』『結論の導出』という段階に分けて捉える考え方」をベースに検討すると述べ、問題商法の悪質性について、
(1)商品情報自体を偽装して不当に情報をコントロールする点
(2)消費者側の心理をコントロールして購入や契約へ追い込む点
の2つの特徴を挙げています。
 そして、疑似科学の特徴について、「一般の消費者にとっては、科学の記述よりも疑似科学の言葉の方が、単純でわかりやすく、受け入れやすい表現形態をとる」として、例として、「プラスイオンは体に悪く、マイナスイオンはよい」という「二分法的な考え方で、曖昧さを排して白黒はっきりと結論を出してくれる」ことを挙げ、「こうした二分法は、本来科学とは最も相容れないものであるにもかかわらず、わかりやすさという点で科学的に正確な表現よりも消費者に影響を及ぼす」と述べています。
 第10章「経済活動に関する信念と知識」では、「経済活動や経済事象に関する人々の信念(belief)と知識(knowledge)について、特に信念を知識に変えるときに大きな力を持っている『仮説検証的思考』(hypothetical thinking)に焦点を当てて論ずる」としています。
 そして、「ポパーの反証可能性は、科学的知識とそうでないものの境界設定を行うための基準であるが、ソロスの『可謬性』は、全体主義や官僚主義の特徴の1つとしての自らの過ちや依拠する理論の欠陥を頑として認めない『無謬性』(infallibility)に対抗するための実践的知識であり、両者は目標とするところが最初から異なっている」と述べています。
 第11章「高校生・大学生のための経済学教育」では、「過程における経済学教育の重要性が指摘されてきている」とした上で、「より具体的で実効性のある教育を求める傾向が見られる要因あってきている」と述べ、わが国の学校教育現場においては、「経済に関する教育が体系だって行われているとは言いがたい」理由として、「経済に関する教育が学習指導要領の中に体系的に位置づけられていないこと」を指摘しています。
 本書は、経済をより人間臭い現象として捉えるための視点を提供してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 人間の意思決定を扱うということで、経済学は社会科学の他の分野、政治学や法学、社会学などに進出(侵略?)することを可能にしたのですが、さらに根源的な人間がどのように意思決定するのかという問題に遡ると、心理学や脳科学による経済学への進出ということが出てきているのではないかと思います。その点で、ゲーム理論などは格好の水先案内人になるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・経済学と心理学は相容れないと思う人。


■ 関連しそうな本

 ポール・W. グリムシャー (著), 宮下 英三 (翻訳) 『神経経済学入門―不確実な状況で脳はどう意思決定するのか』 2009年02月05日
 多田 洋介 『行動経済学入門』 2006年08月31日
 ロス・M・ミラー (著), 川越 敏司 (監訳), 望月 衛 (翻訳) 『実験経済学入門~完璧な金融市場への挑戦』 2007年01月17日
 リチャード・セイラー (著), 篠原 勝 (翻訳) 『セイラー教授の行動経済学入門』
 ディディエ ソネット (著), 森谷 博之 (翻訳) 『入門 経済物理学―暴落はなぜ起こるのか?』 2007年07月06日
 ポール・ミルグロム (著), 計盛 英一郎, 馬場 弓子 (翻訳) 『オークション理論とデザイン』 2008年03月04日


■ 百夜百マンガ

あさきゆめみし【あさきゆめみし 】

 この作品をアニメ化する企画があったそうですが、結局、源氏物語を原作にしたオリジナルということになったそうです。コンセプト的にはどうなのかとも思いますが。

2009年3月 4日 (水)

自民党の終焉―民主党が政権をとる日

■ 書籍情報

自民党の終焉―民主党が政権をとる日   【自民党の終焉―民主党が政権をとる日】(#1504)

  森田 実
  価格: ¥777 (税込)
  角川SSコミュニケーションズ(2007/10)

 本書は、「自民党の終焉のときが近づいている。自民党には、もはや、復活する倫理的力も、知的な力も、人的パワーも残っていない」という認識のもとで、「時代の潮流が変わった。民主党と参議院が新たな政治の先導役になった」として、新しい政治の流れを分析したものです。
 第1章「日本政治激動の予兆──政権交代の条件が整った」では、1955年11月の保守合同以来、「日本の政治を主導してきたのは自民党政権だった」という時代が、「終わりかけているのが今日の政治状況である」として、「自民党の時代は間もなく終わると予想している。自民党にはもはや政権を担い続けるだけの力量は残っていない」と述べています。
 そして、「政権交代の条件が整った」として、
(1)いままでの政治権力支配に対して、多数の国民が不満を持ち、既存の政権の退場を望むようになること。
(2)政治権力に国民の支持をつなぎとめる力と政策がなくなること。
(3)変わりうる新しい政治勢力が成長していること。
の3つの条件を挙げています。
 第2章「『自公』から『自公VS民主』時代へ──『二大政党制への道が開いた』」では、「7・29参院選は、日本政治史上の『重大な機会』となった」として、「ほとんど消えかかっていた政権交代可能な二大政党制が実現できる可能性が高くなってた」と述べています。
 そして、7・29参院選で、「地方の大切さを訴えた民主党が大勝し、野党が参議院の多数派を形成したこと」は、「自公連立政権を支えている『東京エリート』」の敗北を意味したとして、この集団を「平成版大政翼賛体制」だと指摘し、「この大政翼賛体制が大多数の国民から不信任された」と述べています。
 第3章「否定された小泉構造改革路線」では、「小泉構造改革はごく少数の強者にのみ希望を与え、大多数の国民から希望を奪った。小泉構造改革によって日本は希望なき社会に転落した」として、「『国民の生活が第一』の小沢民主党が政権を担って初めて、深刻なひずみ是正に取り組むことができる」と述べています。
 第4章「小泉政治の"興隆"と"破綻"を振り返る」では、「小泉政権は『調和』に反し『道義』に反する政治を行った」として、「すべての国民が小泉政治こそが諸悪の根源であったことを知ったとき、日本国民は本当に目を覚ましたといいうる」と述べています。
 第5章「小沢と安倍、どちらの訴えが国民に届いたのか」では、「自民党は2世、3世議員が多い。中央官庁エリート出身者を加えると、自民党国会議員の約3分の2になる」と指摘し、「彼らは地方の住民の苦しみは理解できないと、地方の人々からみられている」として、「安倍首相は、これら鈍感な2世、3世議員の代表的人物と見られいてる」と述べ、「小泉政権は地方を切り捨てたが、今度は、自民党が地方から切り捨てられた」と指摘しています。
 第6章「与野党の財源論争を検証する!」では、「今回の与野党間の財源論争には大いに問題があった」として、「議論が細か過ぎた」ことを指摘し、「政治の場における政策論争は基本問題を中心にして行うべきであり、あまり些細な問題に深入りすべきではない」と述べています。
 第7章「民主党・国民新党の共闘で小泉構造改革路線に決別を!」では、「2007年7月29日の参院選最大のテーマは、小泉構造改革を克服することでなければならなかった。小泉構造改革こそは、日本国民にとっての諸悪の根源である」と述べた上で、「民主党の日本の政治における役割は、小泉自公連立政権が崩壊させた『日本』を再建しうることにある」と述べています。
 そして、「ブッシュ・小泉・安倍」政治を克服することが、「これからの日本国民の課題」だとして、「民主党を中心とする新しい政権をつくる」ことが、「日本再生の第一歩」だと述べています。
 第9章「政治をここまでダメにした世襲議員たち──自民党長期政権の弊害」では、「日本の政治の劣化を痛感せざるを得ない」として、その背景には、「「政治家の世襲化と、政党の官僚化、政財界の癒着とくに閨閥化」を指摘した上で、「30年前までの政治家と現在の政治家を比較」し、
(1)昔の政治家は、表面上はともかく精神の根本のところで、歴史と国民に対して謙虚だったが、最近の政治家は精神において傲慢になっている。
(2)昔の政治家の多くは、国民と同じ目線に立っていたが、最近の政治家は国民を上から見下ろすタイプが増えた、。
(3)人間の社会や人生に対する態度において不真面目な人間が増えてきた。
(4)エゴイスト政治化が最近とくに目立つようになった。
(5)人間の小型化。
の5点を指摘しています。
 また、「数十年の間、長期政権の弊害として感じ続けてきたこと」として、「政界、官界、経済界、学会、マスコミ界に張り巡らされた閨閥の幅の広さ、奥行きの深さ、暑さ」を指摘し、「政権交代が行われず、同じ支配層が固定化すると、階級社会化・差別社会化が進行する」として、「閨閥は表面的には見えにくいが、大変に根強いものである」と述べています。
 そして、「自民党国会議員の娘が結婚適齢期になると、『釣書』が各官庁の大臣官房のしかるべき部署に渡される。大臣官房は国会議員の気に入りそうなキャリア官僚を推薦して、見合いをさせる。国会議員の女婿となった官僚の中には国会議員の後継者になるものが少なくない」と述べ、「今日の日本支配層の中心にあるのは政官財指導層の鉄の団結である」として、「この『政官財』鉄の団結の根底にあるのが閨閥である」と指摘しています。
 さらに、「政治家の世襲化は日本政治の劣化の最大の原因のひとつである」として、その原因は、「政治家の後援会組織のリーダー群の地位保全の欲望」だと指摘し、「政治家の世襲は政治を劣化させる」とする理由として、
(1)世襲議員の場合は選挙が後援会主体であるため、選挙のための自分自身の努力が少なく、世襲でない議員に比べて国民大衆との結びつきが弱く、一体感が希薄になるため、江戸時代の殿様のように育てられ国民を上から見下す性格が強くなる。
(2)生活とカネの苦労をほとんど知らないため、一般国民の苦しみが理解できない。
(3)常に誰かを頼りにする性格が強く、独立自尊の精神が弱い。
の3点を挙げています。
 第10章「民主主義を忘れた自公時代錯誤内閣に起死回生の妙薬はない!」では、「自民党政権は結党以来最悪の危機に立たされている」としつつも、1983年以後、「5回の危機を権謀術数を駆使して乗り切ってきた」として、
(1)1983年12月18日の第37回総選挙において大幅に議席を減らし過半数を割り敗北したとき。
(2)1989年7月23日の第15回参議院議員選挙における自民党大敗。
(3)1993年7月18日の第40回衆議院議員総選挙で223議席を獲得したが過半数を割った。
(4)1996年10月の第41回衆議院選挙寸前、新進党の優勢と政権獲得の可能性が高いことが伝えられたとき。
(5)1998年7月12日の第18回参議院議員選挙において敗北したとき。
の5つを挙げています。
 また、「しゅうぎんのカーボンコピー」と揶揄され、「無用の長物」とされてきた参議院が、2007年7月29日の第21回参議院議員選挙の結果、生まれ変わり、「本来の政治権力と衆議院へのチェックの機能が蘇ることになった」と述べています。
 第11章「自公支配から脱却した参議院が本来の使命を取り戻す」では、「小泉・安倍政権の秘密外交は日本国民に大きな不利益をもたらし、日本の国益を侵害してきた」として、「過去十数年間、日本お経済政策を決定してきた『米国政府の日本政府に対する年次改革要望書』を、小泉・安倍政権が隠し続けてきていること」を指摘し、「1994年から今日に至る『日本の構造改革』の指令書であった」と述べ、「新しい参議院の役割は、このような政府の情報化駆使と不正行為を解明することにある」と述べています。
 第12章「民主党政権の可能性はホンモノか?」では、2006年4月に小沢一郎氏が代表に就任して以後の民主党は、「徹底的なドブ板選挙を推進」し、「候補者とスタッフは有権者の中に深く入り、対話を重視した。『働け!働け!そして働け』の小沢イズムは民主党の地方の活動家に浸透した」として、「この努力を通じて、民主党は地域に根を持つ組織政党に変質した。党の体質も『頼りない党』ではなくなった」と述べ、「民主党全体が大人の政党に成長した」としています。
 第13章「命運尽きたり! 自公連立政権」では、「衆議院においては自民党は政権をとるのに必要な過半数を確保している」ことから、「参議院での多数確保」を大義名分とした自公連立の理由は失われたと指摘し、「それでも連立を維持するのは政党政治の原則に背くものだ」と述べています。
 そして、「かつての自民党では、アメリカ民主党的な中道保守主導者とアメリカ共和党的な市場原理主義者が共存していた」が、「いまや自公連立政権は、事実上、ブッシュ共和党の日本支部となった」と述べ、「今後は小沢民主党が国民重視の中道保守主義の政治を担うのである」という点に、「民主党政権が生まれる可能性と必然性がある」と述べています。
 第14章「小沢民主党の『中道保守主義』を解き明かす」では、「ブッシュ大統領は宗教政治・イデオロギー政治を実行した」として、「一般的に右翼は既存の特定イデオロギー模倣型である」のに対し、「中道保守は国民生活重視であり現実重視である」と述べた上で、「真の日本の保守主義を担うことができるのはもはや自民党ではない。小沢一郎代表の民主党が、日本の真の保守主義の担い手となったのである」と述べています。
 第17章「『民主党に政権を任せられるのか?』を検証す」では、「民主党は2007参院選に大勝利して大成長を遂げている。政治家一人一人の成長も著しい」としたうえで、内外のプレスが、「民主党に政権担当能力はあるか?」を質問することについて、
(1)民主党には経済政策がない。自民党政権が倒れて民主党政権ができると、日本経済は停滞してしまうのではないか
 →自民党政権だから経済がよくなり民主党政権になったら経済が悪化する、ということはないと思う。
(2)民主党は頼りないし、内部は分裂している
 →民主党は政党として10年の歴史を積み、失敗の体験から多くのことを学び、今の民主党は組織された政党である。
(3)小沢一郎代表の健康状態は? 総選挙で勝っても小沢氏は手法になることができるのか。
 →小沢氏は政権獲得と政権獲得後を含めた長い戦いに耐えられる健康の保持に努めている。
(4)政権を取ったときの政策が明確でないから民主党は政権をとったら行き詰るのではないか。
 →いまの民主党は自民党より有能な政策通がそろっている。
(5)外交は大丈夫か。日米関係は心配ないか。
 →民主党の外交方針の第1は日米関係重視だ。政権が代わったからといって日米協調関係が乱れることはない。
などの問答を紹介しています。
 一方で、民主党の改善すべき点として、
(1)幹部間の同志的連帯を強める必要がある。
(2)地方議員を増やし、地方組織、地域整備を進め組織政党らしさを確立すること。
(3)衆院選に向けての「政権政策」づくりを急がなければならない。
(4)党員を増やすこと。民主党としての政治教育システムを整備すべき。
(5)民主党を支持する有識者との幅広い協力体制をつくること。
などの点を挙げ、「これらの諸課題を達成すれば、民主党政権への道が開けるだろう」と述べています。
 本書は、本格的な二大政党の時代の実現可能性、または必然性を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 日々政治状況は刻々と変化していますが、その中に大きな流れを見出す能力、そして時にはその流れを生み出すことに参画したり煽ったりする能力は、経済や政治の世界から日本政治を見つめ続けてきた著者ならではの力ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・物心ついてから自民党が政権を取るのが当たり前だと思ってきた人。


■ 関連しそうな本

 飯尾 潤 『政局から政策へ―日本政治の成熟と転換』 2008年08月28日
 飯尾 潤 『日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ』 2008年03月25日
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 塩田潮 『民主党の研究』 2008年10月21日
 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日
 大嶽 秀夫 『政界再編の研究―新選挙制度による総選挙』 2006年12月28日


■ 百夜百マンガ

ドージンワーク【ドージンワーク 】

 オタクの世界は奥が深いというか、奥が深いからオタクになるのかと思いますが、ある分野に突き抜けた人たちというのは日本の貴重な人的資源のような気がします。

2009年3月 3日 (火)

グローバル化で世界はどう変わるか―ガバナンスへの挑戦と展望

■ 書籍情報

グローバル化で世界はどう変わるか―ガバナンスへの挑戦と展望   【グローバル化で世界はどう変わるか―ガバナンスへの挑戦と展望】(#1503)

  Jr.,ジョセフ・S. ナイ, ジョン・D. ドナヒュー (著), 嶋本 恵美 (翻訳)
  価格: ¥3570 (税込)
  英治出版(2004/9/1)

 本書は、「グローバル化」について、
(1)21世紀のはじめにグローバル化はどういう展開を見せるか。
(2)その趨勢が、かつて国民国家と密接に関連していた統治にどう影響するか。
(3)グローバリズムをいかに管理すべきか。
の3つの基本的な問題について論じているものです。
 第1章「序論――グローバル化の実態」では、「広域にわたるネットワークで生じる動きと方の関係」について、
(1)経済におけるグローバリズム
(2)軍事におけるグローバリズム
(3)環境におけるグローバリズム
(4)社会と文化におけるグローバリズム
などの側面を挙げたうえで、「グローバリズムを古い起源を持つ現象として位置づけ、グローバル化を今であれ昔であれ、グローバリズムの高まる過程」としてとらえると述べ、「グローバル化はハリウッドやブレトンウッズよりずっと前からあるものだ」として、スパイス貿易や仏教・キリスト教・イスラム教の伝播、米国の建国などを挙げています。
 そして、著者らが考えているガバナンスの構造として、「ネットワーク化されたミニマリズム」を挙げた上で、グローバリズムがガバナンスに及ぼす影響として、
(1)近い将来に起こる変化を大げさに言い立てないこと。
(2)グローバル化は分配の政策と不平等に大きく影響するかもしれないが、今日のグローバル化に対するこの影響は、19世紀の場合ほど明確ではないこと。
(3)グローバル化が国家に及ぼす影響は、政治・経済の体制によってかなり違うこと。
の3点を挙げています。
 また、「グローバル・ガバナンスにおける規則の制定と解釈は、多元化している」として、規則は、国と政府間組織だけのものではなく、「民間企業、NGO、政府の下部組織、国家と政府を超えたネットワーク」などが、「中央政府機関と政府間組織とともに役割を果たしている」と指摘し、「政府間組織と国際的な管理体制の政治的基盤が、高水準のガバナンスを維持するには脆弱すぎるということがあるかもしれない」と述べています。
 第2章「経済のグローバル化」では、経済のグローバル化を推し進める大きな要因として、
(1)民間部門において輸送と通信のコストが下がること
(2)公共部門において貿易と投資に関する政策の障壁が低くなること
の2点を挙げたうえで、19世紀のグローバル化が、「現在と比べてもまったく見劣りがしないほど印象的なものであった」と述べています。
 そして、「自由貿易の利点に関する古典的な考え方」について、
(1)完全競争、規模が拡大しても変わらない収穫、固定された技術といった、あまり現実的ではない条件を前提としている。
(2)貿易から得られる利益はそもそも静態的なものであり、実質所得の「水準」に影響するものである。
の2つの「注目すべき属性」があると述べ、グローバル化に対する懸念について、
(1)所得分配
(2)環境
の2つの主要な価値観について検討しています。
また、「この章における経済のグローバル化の影響に関する議論は、必然的にことのほか簡潔になった」として、「理論と証拠のどちらからも、貿易が実質所得にプラスの影響があるという主張をはっきりと支えていることが理解できる」と述べています。
 第3章「国家及び国際安全保障のグローバル化」では、グローバル化は、「特定可能なネットワーク」という観点から考えるべきものだとして、グローバル化を、「特定可能なネットワークが世界中に作られたり広がること」と定義しています。
 そして、「グローバル・ネットワークの概念を利用すると、グローバル化に関する2つの重要な問題が見えてくる」として、
(1)システムにおけるどの特定の地点の間に、どういう特定のつながりがあるのか。
(2)システムの各構成単位は、他の構成単位にどういう影響を及ぼしているのか。
の2点を挙げ、「グローバル化を特定のグローバル・ネットワークという観点から定義すれば、平等を実現する偉大なるものというグローバル化に関する戯言を大体退けることができる」と述べています。
 第4章「環境のグローバル化」では、「社会におけるアクター間の大陸にまたがる関係のネットワークをめぐる広い概念的枠組みの中に、環境がアクター間の世界的規模の関係にどう関わっているのか理解するのに際だって重要なリンケージ」として、
(1)環境の成分:どこかで誰かが起こした行動が、環境を通したエネルギー、原料、有機体の動きによって、遠く離れた人々が直面する脅威や機会とどう結びつけられるかについて考えるもの。
(2)環境の考え方:人々が遠く離れた他者との関係の構築に、環境をどう引き合いに出すかに関するもの
(3)環境の管理:社会が環境の成分及び考え方のグローバル化に取り組むにつれて現れてきたアクター、規範、期待感の変わりゆく構成に目を向けるもの
の3点を挙げています。
 また、「白いハンター」の保護として、アフリカやインドの大型狩猟動物が、自然保護論者のハンターによって、「地球全体の利益のために保護されなければならない絶滅に瀕した希少な種」と決められ、「現地の人々の行動を違法で正当とは認められない」としたことについて、「自然保護という環境の考え方が、いとてきであってもなくても、別の名による植民地主義の延長でもあった」ことを指摘しています。
 そして、「国家レベルでのグローバル化への最大の貢献」として、「環境規制が国から国へと真似されたこと」を挙げ、「国内環境規制が国を越えて収斂していること」が、「多くの学者によって指摘されていた」と述べています。
 第5章「社会と文化のグローバル化」では、「アメリカ文化は決して、現代の世界で全世界的な広がりを持つ唯一の文化ではない」として、「国や地方の文化は、他文化と接触して種々に変化している。たとえば現代の中近東は、固有の文化だけでなく、古代ギリシャ・ローマ、ビザンチン帝国やササン朝ペルシャ、中世及び近代ヨーロッパ、そして今日では米国の文化の影響をさまざまに受けた結果である」と指摘し、「だからといって、この地域には世界の他の地域とは違う独特の文化的アイデンティティがなくなってしまったと主張する者はいない」と述べています。
 また、「米国の大衆の多様な嗜好を満たすことが、幸運にも国際市場進出の訓練となった」としたうえで、「さらなる決定的要素」として、英語を挙げ、さらに、「米国の大衆文化の人気ひいては力にとって絶対不可欠な最後の要素」として、「市民が魅力的で、自己主張し、成功を収め、身なりが良く、愉快で、歯切れが良く、想像力豊かで、自由に考えを述べ、夢を実現できるような国」という米国のイメージを挙げています。
 そして、インターネットについて、「米国の強みと考え方を推進するために特注されたもの」だと指摘した上で、「時としてあるのが、他国が米国の大衆文化を利用するために変えようとすること」だとして、ダライ・ラマの伝記映画をディズニーの子会社が配給したことに激怒した中国共産党指導部をなだめるために、「共産主義支配下の中国がアメリカ映画でこれほど肯定的に描かれたこと」はないというアニメ映画「ムーラン」の例を挙げています。
 第6章「通信のグローバル化」では、新しい情報通信ネットワークの重要な特性として、
(1)デジタル化
(2)情報処理
(3)帯域幅
(4)標準規格と分散型アーキテクチャー
の4点を挙げています。
 また、グローバル通信革命の評価のために、
(1)ネットワークのおよぶ範囲
(2)コンテンツの豊富さ
(3)経済的影響
の3つの観点から「デジタル・ネットワークの拡張と変化の様子」を見ています。
 第7章「グローバル・ガバナンスと世界市民」では、「この数十年間、グローバル化の大波によって、国境を越えて世界に向かう資本、商品、人、考え方の流れの規模が拡大し、速度が増した」としたうえで、「最大の変化は、重層的なガバナンスが増えたこと、政治的権限が拡散したこと」だとして、
・欧州連合(EU)
・北米自由貿易協定(NAFTA)
・東南アジア諸国連合(ASEAN)
のような地域貿易ブロックの発展、
・世界貿易機関(WTO)
・国連
・北大西洋条約機構(NATO)
といった国際機関の役割の拡大、超国家的な非政府組織(NGO)ネットワークの急増などの例を挙げています。
 そして、「グローバル・ガバナンスの出現は世界主義の拡大につながるだろうというもっともらしい説があるにもかかわらず、入手可能な実証的研究のほとんどが懐疑的な見方に傾いている」としています。
 第8章「発展途上国とグローバル化」では、「グローバル化の利益は、国や国民のあいだで均等に分配されることはない。世界の最貧国と最貧民は、グローバル化の特徴である財、サービス、資本、情報の広がりがもたらす利益を受けるのに最も不利な立場に置かれている」としたうえで、「国際的で知識を基盤としている経済では、十分な教育を受けて技能を持つ人材のある国の方が、投資の機会やグローバル市場から利益を得るのに有利である」として、途上国における情報エリート層の存在は、当てにされている一方、「貧しい人たちにとって、グローバル化は社会的進歩から取り残されることを意味する」と述べています。
 また、「政策決定者は、制度を強化し、急迫するグローバル化に政策を適合させるという二重の求めに応じて、難しい均衡政策を採らなければならない」として、「制度改革は、政策の決定と実施にいっそうの安定をもたらすはずだが、改革の過程では政治的緊張が高まることが少なくない」と述べています。
 第9章「中国はグローバル社会へどう統合するか」では、「中国が国際的なガバナンスについて良く理解していない例」として、国連の2つの人権規約に署名したことを挙げ、「中国指導部は、まず署名して、それから主権国家を盾にして歴史も国内の状況も違うといいながら実施を遅らせることができると考えていたらしい」と述べ、中国が、「国際機関が行う人権についての調査が国内の慣行を批判することにつながるのを断固として阻止してきた」と述べています。
 第10章「グローバル化と行政改革」では、「21世紀の初め、世界の多くの中央政府が官僚制を改革しようと努力している」として、これらの国が、「1980年代に英国とニュージーランドで始まって93年に米国を含む他の国々に広まった、『新しい行政管理』や『政府の作り直し』と呼ばれている改革の動き」から出たものであると述べています。
 そして、最近の世界的な政府機構改革の動きが、
(1)1980年代に、各国政府は経済の自由化とそれまで国有化されていた産業の民営化に専念した。
(2)その中心が民営化から中核的な国家機能の行政改革へと移る。
の2つの段階に分かれているとしたうえで、行政改革の動きの原因として、
(1)世界的な経済競争
(2)民主化
(3)情報革命
(4)業績の赤字
の4つの要因を挙げています。
 また、「権限の移譲、民営化、人員削減が、国務の規模とりわけ中央官僚制を縮小させる努力の要だとすると、公務員制度改革、顧客サービスの唱導、予算と財政の改革、規制改革は、政府機構の質を向上させて説明責任を増すためのものだ」とした上で、
(1)公共サービスを競争に開放し、「舵取りと漕ぐこと」を切り離す。
(2)内部の競争や執行機関を作り出すことによって、公的部門に革新と効率をもたらす。
の2つの改革の要素を挙げています。
 第12章「NGOとグローバル化」では、「市民団体が様々な問題点について国際的なイニシアチブを取る回数、活動、目立ち方が近年になって爆発的に増えたこと」について、「これは通信、輸送、生産のグローバル化の急速な拡大と無縁ではない」と述べ、「グローバル化は、多くの人にそれまで手に届かなかった情報と考え方をもたらし、国際的で世界主義的な新しい意識の可能性を開いた」と述べています。
 そして、「グローバル化の勢いが全国に広がると、国が経済を統制することが減ったり、民主主義的な説明責任への圧力が高まったり、国家主権について疑問が呈されたりする」として、「グローバル化によって政治空間が広がると、以前の体制では声なき存在だった貧しい取り残された集団の懸念に対応する市民団体が現れる」と述べています。
 また、「国際NGO/連合が世界全体の意思決定や制度構築に関わると、国際的なガバナンスに通じた積極的なアクターの顔ぶれが多彩になる」として、「グローバル化した世界における国際的なガバナンスは、さまざまなアクターと利益に対応するようになってきている」と述べています。
 第13章「グローバル化と国際制度の設計」では、「世界的な問題の解決は多くの場合、さまざまな国際制度の設立を軸として進められる」として、「国際制度は、国際関係の分野において規範と組織の面からかなり研究されてきた」と述べ、「グローバル化に伴う問題で、国際的行動が求められているもの」として、
(1)調整の問題
(2)世界の共有地の問題
(3)基本的価値観
の3点を挙げています。
 そして、「国際制度の権限を委任する際、統制と自由裁量との適切なバランスを見出すのは時間がかかり、試行錯誤を繰り返しながら学ぶことになる」として、「国際制度の構築には、さまざまな制度の形態が利用されることになるはずだ」と述べています。
 第14章「文化、アイデンティティ、正当性」では、グローバル化を恐れる理由として、「国や民族に特有の文化が破壊されるかもしれない」というものを挙げたうえで、「自由主義者は心配するには及ばない。文化的な権利が優先されるという説は、ほぼ全面的に間違っている」として、「自分の文化から追われるよりさらに悪いこと」として、「自分の文化に囚われること」を挙げています。
 第15章「情報政策とガバナンス」では「インターネットをはじめとする世界的情報システムによって利用できる情報が増え、それがガバナンスと政治プロセスに影響する」として、
(1)身元が特定される個人情報
(2)いわゆる好ましくない情報内容
の「2種類の情報に焦点を合わせて、グローバル・ネットワークをめぐる情報政策の展開と現状を見ていく」としています。
 そして、「21世紀における個人情報保護の基礎」として、
(1)プライバシーを指定しなくても自動的に選択される「デフォルト」とする。
(2)個人情報の管理と所有を個人に戻す。
(3)全世界的な解決策を講じる。
の3点を提案しています。
 第16章「経済のグローバル化の管理」では、「長期的に見て、市場、管轄権、政治が及ぶ範囲がそれぞれ本当にしかも同じようにグローバルな世界――地球規模の連邦主義の世界――は考えられるだろうか」と問いかけ、「これはありうる」とする理由として、
(1)技術が進歩し続けることによって、国際的な経済統合が後押しされ、全世界的な政府の障害となっていたもの(距離など)がいくらか取り除かれる。
(2)世界戦争や大規模な自然災害が起こった場合を除き、世界の大半の人々が統合の進む(したがって効率のよい)世界市場がもたらす利益を放棄したがるとは思えない。
(3)ようやく手に入れた市民の権利(代表権や自治権)も簡単に放棄されそうもなく、政治家に対して有権者の意向に沿わせる圧力となる、
の3点を挙げています。
 そして、「国際的な経済統合による効率がもたらす利益を増大させるには、多国間制度にもっと力を与え、国際基準にもっと依存することが必要だ」と述べています。
 本書は、グローバル化が長い歴史を持つものであり、世界を大きく変えうる力であることを、大きな視点から見ることの手助けをしてくれる一冊です


■ 個人的な視点から

 本書の第4章、118ページでは、「世界気象の『バタフライ効果』という示唆に富んだイメージ」が、「ジョン・フォン・ノイマンによって認識された」と解説されていますが、一般的にはバタフライ効果と言えば、ローレンツの名前がまず挙がると思いますし、ノイマンがルーツだったとは知らなかったので新鮮でした。そういえば、ノイマンはコンピュータの使い道として世界の気象予測を目的にしていたような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・今世紀の世界の姿を目にしたい人。


■ 関連しそうな本

 Jr.,ジョセフ・S. ナイ, デビッド・C. キング, フィリップ・D. ゼリコウ (著), 嶋本 恵美 (翻訳) 『なぜ政府は信頼されないのか―MPAテキスト』 2009年02月12日
 ジェラード・デランティ (著), 山之内 靖, 伊藤 茂 (翻訳) 『コミュニティ グローバル化と社会理論の変容』 2007年07月24日
 ラグラム ラジャン, ルイジ ジンガレス (著), 堀内 昭義, 有岡 律子, アブレウ 聖子, 関村 正悟 (翻訳) 『セイヴィング キャピタリズム』 2007年07月12日
 ジョセフ・E. スティグリッツ (著), 楡井 浩一 (翻訳) 『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』 2007年08月03日
 ジェレミー シーブルック (著), 渡辺 景子 (翻訳) 『世界の貧困―1日1ドルで暮らす人びと』 2007年08月15日
 ピエトラ リボリ (著), 雨宮 寛, 今井 章子 (翻訳) 『あなたのTシャツはどこから来たのか?―誰も書かなかったグローバリゼーションの真実』 2008年01月22日


■ 百夜百マンガ

マエストロ【マエストロ 】

 「音」を音のないマンガの紙上で表現するのにはなかなか難しいものがあるのかと思いますが、潰れた楽団を描いたマンガの掲載誌が休刊になってしまうというのは皮肉なものです。

2009年3月 2日 (月)

なぜ毎日コンビニで買ってしまうのか?

■ 書籍情報

なぜ毎日コンビニで買ってしまうのか?   【なぜ毎日コンビニで買ってしまうのか?】(#1502)

  漆原 直行
  価格: ¥819 (税込)
  毎日コミュニケーションズ(2008/3/1)

 本書は、「日頃何気なく利用していくコンビニ」に巧妙に隠された、「私たちを惹きつけるさまざまな仕掛け」を紐解いていくものです。
 第1章「『日本最強の小売業』コンビニ考現学」では、コンビニ各社がサービスの基本要件にしているポイントとして、
(1)時間の利便性:年中無休・長時間営業
(2)立地(距離)の利便性:家や職場、学校、駅の近くにある
(3)品揃えの利便性:幅広い商品・サービスを提供し、必要なものが全て揃う
の3点を挙げています。
 また、店舗オーナーを悩ませる問題として、「フランチャイズのロイヤリティ料」や、「オーナーの高齢化」を挙げています。
 第2章「なぜ今日も余計な"ついで買い"をしてしまうのか?」では、店内レイアウトの留意点として、「壁沿いに主要商品を陳列して、顧客が入り口から外周の通路を回るような動線を生み出すこと」を挙げ、「顧客の店内動線を1メートルでも伸ばすことができれば、それだけ多くの商品が顧客の目に入る」と述べています。
 そして、コンビニは「店に入った顧客を左回りに一周させようという意識で売場を構築している」という「左回りの法則」について、それは、「日本人の大半は利き手が右である、という事実に基づいて」いると解説しています。
 また、コンビニの発注が、「店長や発注担当者のひらめきやオリジナリティが介在するのも事実」だが、旧来の小売業と決定的に異なる点として、「大規模かつ即時的なデータ収集とそれをベースにした分析を積み重ね、論理的な裏付けをしたうえで商品開発や販売展開に活かしている点」を挙げ、この仕組みの根幹をなしている「POS」(販売時点情報管理)システムについて解説しています。
 第3章「壮大なるマーチャンダイズ実験場」では、「つねに先手を打った、タイムラグのない品揃えで顧客のニーズに対応する、というコンビニの使命を果たすために欠かすことのできない仕組み」としてPOSを挙げ、「コンビニにおける発注作業とは、データや実績を検証し、付帯情報なども勘案しながら仮説を立て、そのうえで注文する商品を絞り込んでいく頭脳労働」だと述べています。
 また、日用雑貨について、「大きく動く商品では」ないが、「顧客が『欲しい!』と思ったときにはちゃんと見つかるようにしておく必要が」あるとして、「行けば必ず欲しいモノがある場所」、「困ったときの駆け込み寺」を望まれているのがコンビニだと述べ、「日々の品揃えは、まるでタイトロープを渡るような緊張感をはらみながら続けられている」と述べています。
 第4章「おでん、弁当、から揚げに隠された壮大なプロジェクト」では、「セブン-イレブンでは、役員昼食会で必ず新商品の試作品が並ぶ」という例を挙げて、「常に最良の商品を追求し続ける意識の高さ、PB商品にかける思いの強さ」を語っています。
 第5章「なんで我が県にはセブン-イレブンがないの?」では、「コンビニの出店方式を理解するうえで重要な概念」として、「高密度他店舗出店方式」とも言われる「ドミナント方式」と呼ばれる、「一つの地域に集中して出店していく経営戦略」を解説し、この方式によって、「短時間で効率よく配送を終えることができる」として、これを背景として、「セブン-イレブンが競合チェーンに先駆けて"保存料ゼロ"を実現できた」と述べています。
 第6章「コンビニを支える、小売業最大の物流システム」では、「売場で顧客の目に触れる時間が長いほど、かってもらえる可能性が高まる」ため、「販売機会のロス、商品そのもののロス(廃棄)、その両方をいかにして抑えることができるか」という考え方から、コンビニの配送システムが確立されたと述べています。
 また、常時3000アイテムとも呼ばれるコンビニの品揃えを成立させるには、理屈では、「コンビニには体育館並みのバックヤードが併設されていないと間に合わないこと」になるが、「小分け配送」と呼ばれる、「売れ行きに応じた個数を店舗が入荷できる」配送方法によって、「余分な在庫を長々と抱えることなく、臨機応変に陳列アイテムを変更しながら、新しい商品を販売できるように」なり、「『いつも新鮮』「常に新商品でいっぱい」というコンビニの魅力は、小分け配送によって支えられている」と述べています。
 第7章「こんなお客さんはイヤだ!」では、「買い物に来るたび、どう考えても過剰な数量を求めていく客がたまにいる」ことや、「千円に満たない買い物で一万円を出したりする」などの例を紹介しています。
 第8章「フランチャイズ契約、高齢化、万引き、防犯……店長・オーナーはつらいよ!?」では、店舗が本部へと支払うロイヤリティについて、
(1)月々の売り上げから一定の料率で算出するパターン
(2)一律の金額を徴収するパターン
(3)売り上げの粗利に一定の料率をかけて算出するパターン
の3つのパターンを挙げ、「ロイヤリティは本部に搾取される負担金」というイメージをお垂れるが、「高いネームバリューでの集客効果を期待できたり、優れた商品開発力を持っていたりと、ロイヤリティ率がそれなりに高いチェーンほど、店舗側も経営上のメリットを数多く享受できる」と述べています。
 また、「レジのなかにあるすべてのお金を合計しても、5万~7万円程度しか入っていない」として、「強盗のターゲットとしてコンビニには余り旨味がありません」と述べています。
 さらに、万引きに狙われやすい店舗の条件として、
・売り場の形が不規則で、レジやカメラからの視覚が多い
・棚が高い
・従業員の数が極端に少ない時間がある。
・従業員の声かけが徹底されていない。顧客とアイコンタクトしない。
・バックルームのドアがよく開け放たれている
・トイレが使いたい放題になっている
・店内が薄暗い、売り場が汚い
・ドアチャイムが切られている
・店内音楽のボリュームが大きい
などの点を挙げ、これらは、「スキの多い、締りのない店=危機意識の低い店」と受け取られると述べています。
 第9章「コンビニの未来はどうなるか」では、高級志向では、
・健康志向・自然食志向を前面に押し出した「ナチュラルローソン」
・特定施設内でそれぞれのカラーに合わせた店舗「ファミマ!!」
などの展開を紹介しています。
 また、環境面からのコンビニの24時間営業の見直しの声に対して、業界からの反論として、「コンビニの24時間営業をやめて電力消費を多少なりとも削減したところで、実は大して二酸化炭素の削減にはならない」との声を紹介し、
・深夜も店舗の冷蔵庫、冷凍庫は動かしておく必要がある。
・深夜に行っていた商品配送を昼間に集中するとトラック台数が増えて交通渋滞を起こす。
などの理由を挙げています。
 本書は、日本人の生活に欠かせないものになったコンビニがどうやって成立しているのかを解説してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 昔からコンビニ大好き人間で、深夜まで営業しているスーパーが少なかった学生時代には、夜10時過ぎにバイトから帰ると、コンビニで買い物するしかなく、カルボナーラのスパゲティとかよく作ってました。
 そう言えば、右回りのコンビニはよく潰れているような気もしないではないです。


■ どんな人にオススメ?

・コンビニはただの小さいスーパーだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 笠井 清志 『ビジュアル図解 コンビニのしくみ』
 竹内 稔 『コンビニのレジから見た日本人』
 月刊「ベルダ」編集部 『コンビニ 不都合な真実』
 鷲巣 力 『公共空間としてのコンビニ 進化するシステム24時間365日』
 吉岡 秀子 『セブン-イレブンおでん部会―ヒット商品開発の裏側』
 木下 安司 『コンビニエンスストアの知識』


■ 百夜百マンガ

Blow UP!【Blow UP! 】

 ジャズにはやっぱり場末の雰囲気が合う、ていうのは先入観なのか偏見なのか。それにしてもジャズ研の人ってささくれた雰囲気を好んでかもし出していたような気がします。落研の人とは明らかに違う雰囲気です。

2009年3月 1日 (日)

地域再生システム論―「現場からの政策決定」時代へ

■ 書籍情報

地域再生システム論―「現場からの政策決定」時代へ   【地域再生システム論―「現場からの政策決定」時代へ】(#1501)

  御園 慎一郎, 服部 敦, 大前 孝太郎, 西村 清彦
  価格: ¥2625 (税込)
  東京大学出版会(2007/10)

 本書は、「構造改革特区制度・地域再生制度の導入に関わった国の制度担当者が中心となって私見を交えつつ執筆したもの」です。
 著者は、構造改革特区と地域再生制度における「地域からの提案による政策形成」システムについて、「従来の国中心の政策形成システムを根底から変換させるきっかけとなった」として、これらの制度のポイントとして、「『地域からの提案』を、内閣の中に設置された組織が受け付けることにした点」だと述べています。
 第1章「構造改革特区」では、構造改革特区について、「地域を限って規制改革を行う仕組み」だと述べ、具体的な仕組みとして、
(1)提案制度
(2)認定制度
(3)評価制度
の3つの仕組みを挙げて解説しています。
 そして、構造改革特区制度の目的として、
(1)全国的な規制改革の実現
(2)地域活性化の推進
の2点を挙げ、「地域の自主性・自立性を重視する観点から、従来型の地域振興立法からの脱却を目指したもの」だと述べています。
 また、構造改革特区の政策モデル化について、
(1)政策主体の側面:全員参加型政策立案モデル
(2)調整過程の側面:合理的判断ゲームモデル(公開ディベートモデル)
(3)立法構造の側面:地方自治体関与方制度改革モデル
の3点を挙げています。
 第2章「特区と教育・農業改革」では、構造改革特区制度において、「地方・地域からの提案が多く、また特区導入後に成果をあげてきたのが教育分野と農業分野である」と述べ、その背景として、
(1)教育・農業ともに生活に関わる分野であり、関心の高いテーマであること
(2)特区制度の創設が検討されていた時点で、既にさまざまな場で政策的な議論が進んでいたこと
の2点を挙げ、地方自治体などとの意見交換でも、「自治体側から出された構想例のうち、最も例次数が多かったのが教育分野であった」と述べています。
 第3章「特区制度の将来像」では、2002年12月施行の構造改革特区制度が、07年2月までに、951件の規制改革を実現し、07年5月までに累計で963件の特区が実現したと述べ、この過程で、「農業、医療、教育といった分野における株式会社参入など、これまでの規制改革の議論の中で実現できなかったテーマについて、特区が規制改革の突破口としての役割を果たすとともに、構造改革のうねりを全国に波及させるツールとしての役割を果たしてきた」一方で、「地域からの提案の実現数の減少や内容の小粒化、迅速な特区の全国展開による特区の現象など、さまざまな課題が指摘されている」と述べています。
 そして、評価制度について、「特区の全国展開によって地域が知恵を絞った特区計画が取り消されるため、創意工夫あふれる取り組みへの意欲を減退させ、特区提案数の減少や特区計画の申請数の減少につながっているのではないか」と地域や民間化からの指摘を受けると述べたうえで、構造改革特区が、「地域のニーズを汲み取り地域を活性化するツールとしての期待感が、今まで以上に高まっている」と述べています。
 第4章「地域再生制度」では、「地域再生とは何か」について、「有効な回答は見出せない。地域再生は、地域が抱える課題を解決するための政策全般として捉えておけばよいのであって、地域に関係する内政の全てと言い換えてもよいだろう」と述べています。
 そして、初期の地域再生制度が、
(1)政府予算案の組み換えを行わない限り、財政措置に関する背策について初期の地域再生が目指した政策の実現は不可能であった。
(2)特区の政策モデルの踏襲を余儀なくされたこと。
の2点を挙げています。
 そして、「今後、地域間のアイデア競争が進めば、人材の地域的な偏在や構想力の地域差というものが歴然としてくる」として、その結果が、「新たな地域間格差の拡大にもつながりかねない」と述べ、「教育やコミュニティ施策の充実によりソーシャル・キャピタルを政策的に高めていくような地域再生施策も、今後必要となってくるだろう」と述べています。
 第5章「地域再生法と地域再生税制」では、「実際に地域再生法の立法化に向けてどのような検討が行われたのかについて振り返る」としています。
 そして、「地域再生を推進していくに当たっても民間資金の有効活用という視点が重要」だとして、「民間資金を誘導する政策ツール」として、
(1)財政措置
(2)政策金融
(3)税制措置
の3点を挙げたうえで、「地域再生税制の創設の起点となったもの」は、「これまで採算に乗らず有効需要化していなかった需要を有効需要化」する役割を担う「社会投資ファンド」構想であると述べています。
 第7章「人材拠点としての大学」では、「地域の抱える事情は多様であり、それぞれの地域政策にノウハウを応用していく場合には、少なからず、地域読字のアレンジをしていくことが必要となってくる」として、人材の面で、「地域における大学の存在」に注目したいと述べ、「地域から移動しない固有資源の中でも、地の源泉となる地域の大学こそ、地域活性化のひとつの中核要素」だと述べています。
 終章「『社会的投資』の深化と拡大に向けて」では、「社会的に重要な事業や資本が十分に供給されていないのは、投資の『社会的な』性格」を「正当に評価していなかった」ことにあるとして、「われわれの経済社会はもはや環境に対するインパクトを考えずに経済活動を行うことはマクロ的に見た場合でも許されない」と述べています。
 そして、「いま必要なのは、発想の転換である」として、「その根底にあるのは、われわれの思考に染み付いている旧来の『公と民の二分法』を克服すること」であると述べています。
 本書は、トピック的に扱われることの多かった、構造改革特区と地域再生制度の背景にある思想を当事者が体系的に語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 いろいろと縁があって、内閣府の特区・地域再生関係者とお会いする機会が多く、編著者の中にもお世話になっている方がいらっしゃいますが、これまでバラバラにポイントポイントで関わってきた特区・地域再生が、どんな思想で形作られてきたのかを知ることができることは貴重であり、また、これまで揺るぎない強固なものだと考えられてきた「国」のシステムをどのように解体していこうとしているのかを示唆している一冊でもあります。


■ どんな人にオススメ?

・国のシステムは決して揺るがないと思う人。


■ 関連しそうな本

 金井 利之 『自治制度』 2007年10月24日
 西尾 勝 『地方分権改革』 2008年04月01日
 片山 善博 『市民社会と地方自治』 2008年04月03日
 埼玉新聞社 (編集) 『生き生きまちづくり 埼玉県志木市の挑戦』 2005年04月17日
 竹中 平蔵 『構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌』 2007年11月05日
  『』 


■ 百夜百音

K25~KOIZUMI KYOKO ALL TIME BEST~【K25~KOIZUMI KYOKO ALL TIME BEST~】 小泉今日子 オリジナル盤発売: 2007

 有線で「月ひとしずく」が流れていたのを聞いてしまったのですが、井上陽水に、月、夜、雁とくると「神無月にかこまれて」を思い出してしまいます。

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