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2009年5月

2009年5月31日 (日)

メキシコ榎本殖民―榎本武揚の理想と現実

■ 書籍情報

メキシコ榎本殖民―榎本武揚の理想と現実   【メキシコ榎本殖民―榎本武揚の理想と現実】(#1592)

  上野 久
  価格: ¥693 (税込)
  中央公論社(1994/04)

 本書は、「ラテンアメリカにおける日本人による最初の植民地建設計画であり、ラテンアメリカに向けての日本人移住の第一歩」であり、計画推進派の榎本武揚の名を取って「榎本植民地」と呼ばれるメキシコ移民による「建設計画から日本人の入植、その後の日本人の足跡を記述」したものです。
 序章「日本メキシコ交流史」では、「メキシコに最初に移り住んだ日本人殖民集団」として、通称「榎本殖民」と呼ばれる、南メキシコのチアバス州ソコヌスコ郡に入植した若き日本人を紹介しています。
 第1章「榎本武揚と殖民計画」では、1897年に、「ペルーに先立つこと2年、ブラジルに先立つこと11年、わが国ラテン・アメリカ日本人移住史上最初の殖民計画」である「榎本殖民」と呼ばれる35人の日本人が、「グアテマラ共和国と国境を接するメキシコのチアバス州ソコヌスコ郡エスクイントラ村に入植した」と述べ、メキシコ政府が「辺境政策として、人口希薄なチアバス州に外国移民と資本を積極的に受け入れた」と述べています。
 第2章「『夏草やつわ者共の夢の跡』」では、1987年3月24日午後4時、「早春の海風が肌に冷たい横浜港の片隅に、客気に満ち溢れた青年たちの集団がアメリカ国籍の『ゲーリック号(4200トン)』に後込もうとしていた」と述べています。
 そして、「植民地建設の使命感に燃えた35人を待ち受けていたものは、見渡す限り一軒の小屋もない一面緑の熱帯ジャングルであった」、「朝夕は過ごしやすい気候も、日中は燃えるように暑く、夕方にはスコールが強い雨を降らした」と述べ、「毎日同じ飯を食べながら、豪雨と酷暑の中で朝から夜までの開拓労働と不衛生な環境での慣れない生活を続けるうちに、病気になる殖民団員が続出した」と述べています。
 そして、「壮大な理想を実現しようとした日本人殖民計画は3ヶ月で消え去った」理由として、
(1)事前調査の不足
(2)入植時期の誤り
(3)資金の不足
の3点を挙げています。
 第3章「日墨協働会社の盛衰」では、「指導者を失った後も、チアバス州に残り細々と生活を続けながら、植民地の再建に青春をかけた殖民団員もいた」として、彼らが1905年に、「日墨協働会社」を設立したと述べ、その特色は、「日本とメキシコと2つの祖国として生きることの決意として、日本とメキシコの間に紛争あるときは平和的解決、普遍中立を守ることを義務と」したことにあると述べています。
 そして、1910年からのメキシコ革命の結果の無政府状態によって、「革命の嵐の中で揺られながら団結を維持しようとしたが、革命の混乱に乗じた暴徒は会社の商店や倉庫を襲って大量の物資を盗み、度重なる発行のために所有する紙幣は紙屑同然となり、革命は直接的にも間接的にも会社に大打撃を与えた」と述べています。
 第4章「崩壊後の榎本植民地の変遷」では、ラテン・アメリカ発の日本人植民地が、「榎本が理想を掲げてメキシコ政府と契約を結んで以来36年後には」、「そのほとんどが消え去った」と述べています。
 そして、第二次大戦時に、アメリカがメキシコに対して、「日本人の引渡しを強く要求」したことについて、カルデナス前大統領が、「メキシコに居住する日本人はなんらメキシコの権益を侵すものではなく、合法的に居住している以上メキシコ政府は本人の意思に反して第三国へ強制的に送ることはできない」と、「その要求を一蹴し、同時に在留日本人に即時集結するように命令した」と述べています。
 第5章「時の流れの中で」では、榎本殖民記念碑のあるアカコヤグア村について、人口約3000のうち、「日本人の姓を有するメキシコ人はざっと500人を超えるであろうか。もはやその容貌からは日本人らしきものを見出すことはできない」が、彼らが「自分は日本人の子孫であることを誇りに思っている。日本人の子孫として恥ずかしくないように生きることが自分のモットーである」と即答したことに、「日本人として喜びと感慨を覚える」と述べています。
 そして、榎本殖民段の特質として、
(1)当時としてはかなり教育レベルの高い日本人が入植し、彼らが指導的立場に立って植民地の開拓に勉めた。
(2)植民地建設の理想意識を有していたこと。
(3)早くにコーヒー栽培を諦め、蔬菜栽培、牧畜経営、商業へと資本回収の早い事業から始め、日墨協働会社解散後は事業は元社員により個人経営事業として引き継がれた。
(4)入植者各自の努力によるところが多く、政府やほかの機関から経済的支援を受けるとことがなかった。
(5)日本人とメキシコ人との混血が進む一方、それゆえに地域社会と密接な生活基盤が築かれた。
の5点を挙げています。
 本書は、日本の移民史の巻頭を飾るドラマチックな殖民団の運命を描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 昔のラテンアメリカ移民の大変だった話はブラジルなどの一族単位での話を聞くことが多いですが、若く教養ある青年たちで編成された榎本殖民は送り込まれた環境も苛酷ですが、さすがにバイタリティもたくさん感じさせられます。


■ どんな人にオススメ?

・新天地に乗り込んでいったサムライの姿を見たい人。


■ 関連しそうな本

 上野 久 (著), 木ノ花 さくや (著), メキシコ榎本殖民史漫画化プロジェクトチーム (編集), 京都精華大学事業推進室 (編集) 『サムライたちのメキシコ―漫画 メキシコ榎本殖民史』
 角山 幸洋 『榎本武揚とメキシコ殖民移住』


■ 百夜百音

THE GREATEST TRACKS【THE GREATEST TRACKS】 THE COLLECTORS オリジナル盤発売: 2005

 デビュー20周年を前にして発売されたベストアルバム。やっぱり「世界を止めて」が懐かしいです。

2009年5月30日 (土)

あなたもこうしてダマされる―だましの手口とだまされる心理

■ 書籍情報

あなたもこうしてダマされる―だましの手口とだまされる心理   【あなたもこうしてダマされる―だましの手口とだまされる心理】(#1591)

  ロバート レヴィーン (著), 忠平 美幸 (翻訳)
  価格: ¥1785 (税込)
  草思社(2006/07)

 本書は、「説得」をテーマに、説得の達人が利用の仕方を心得た、「説得のプロセスの状況設定、コンテクスト、非言語的特性」の「微妙な暗黙の特性」を主眼としたものです。著者は、調査の結果到達した結論として、
(1)私たちは自分で思っているより説得されやすい。
(2)有能な説得者は目立たない。
(3)説得のルールは、その行為者がどんな人物であれ、それほど大きく違わない。
の3点を挙げています。
 第1章「『自分だけは大丈夫』という落とし穴」では、「説得の真理には、3つの局面が関わってくる」として、
(1)説得者の性質
(2)標的となる人の心的態度
(3)コミュニケーションの心理的背景
の3点を挙げています。
 そして、「消費人類学」という急成長しつつある学問領域について、「この専門分野は、販売やマーケティングから政治や宗教に至るまで、幅広い領域を扱う応用心理学の主要な研究手段になった」と述べた上で、著者は、「この数年間を費やして、専門家を観察し、自ら販売に携わり、セミナーや販売イベント等に参加して人々の脆弱さ――いつ、どこで、どのように操られる傾向があるか――を観察した」と述べています。
 第2章「人を信用させる3つの条件」では、著者が出会った「きわめて有能なセールスマンたち」の共通の特徴として、「彼らがおよそ『本物の』セールスマンらしく見えないこと」を挙げ、「彼らは自分の動機を隠して、まず相手を安心させる能力に長けている。安心させておいてから、売りつける」と述べています。
 そして、著者が、高級庖丁及びキッチン用品類のアメリカ最大手の製造販売業者を名乗る「カットコ」の販売手法に注目し、「カットコの販売員になる訓練を受けて、同社の販売システムをじかに見てみることにした」としています。著者は、カットコのテクニックが、「昔の典型的な戸別訪問販売員のやり方」と大きく異なる点として、「けっして飛び込み営業をしたいところ」を挙げ、「必ず信頼できる筋からの紹介に基づいて、相手に接触する」と述べ、カットコが、「初めての、身内へのプレゼンテーションが販売に繋がる」とともに、「ここから紹介の輪が広がる」ことが重要だと述べています。
 著者は、マルチ商法やその他のネズミ講と比較し、「カットコのような、信用と個人的な評判を利用する組織がもたらす影響の方がはるかに大きい」ことを指摘しています。
 第3章「思いがけない贈り物にご用心」では、「人は、誰かに何かをしてもらったり、品物を受け取ったりすると、お返しせずに入られなくなる」という「返報性のルール」について、「人間の社会的相互作用の最も古くて最も基本的な指針の一つ」であり、「ビジネス上の法的局面から、恋愛での微妙なやり取りに至るまで、およそあらゆる社会関係の基礎になっている」として、「いわば人類の倫理的記憶」だと述べています。
 そして、「返報性の規範を利用する手立てとして、最もとらえどころがないが効果的なものの一つ」として、「時間という贈り物をすること」を挙げ、「誰かの時間をもらったという気にさせられたら、お返しに何かをあげざるを得ないと思う」と述べています。
 また、著者が「これまで目にした中で最も注目に値するマインドコントロール教本」として、1963年のCIAの尋問マニュアル「KUBARK対情報活動尋問」を挙げ、「KUBARKマニュアルの何がぞっとするかというと、それが100パーセント、社会心理学の応用である点だ」と述べています
 さらに、「統一教会が成功を遂げた秘訣」として、「これまでに考案された最も巧妙で、洗練され、なおかつ効果的な組織的改宗法の一つ」を挙げ、「愛することと好意を持つことこそ、カルトの魔法の薬だ」と指摘しています。
 第4章「背景しだいで黒も白になる」では、説得において対比が使われる面として、
(1)ある会社の商品が競合他社の商品よりお買い得だということを納得させること。
(2)買い手の期待、つまり「アンカーポイント(係留点)」と呼ばれるものを変えること。
の2点を挙げ、「私たちのアンカーポイントは、いとも簡単に操作されるので、商品自体よりも変えやすいことが多い」と述べ、「警戒すべき3つの罠」として、
(1)アンカーリングの罠:高い値段を安く見せるのに使われる。
(2)基準率の誤り:元となる比率の認識を誤らせる。
(3)おとり:客が買わないような、それでいて客の基準率をリセットし、他の商品を一層魅力的に見せるような選択肢を与えることが含まれる。
の3点を挙げています。
 第5章「損を得に見せる10のルール」では、「セールスマンがあなたに使うかもしれない枠づけにかんする10のルール」として、
(1)利得を分ける
(2)小さな利得を大きな損失から切り離す
(3)損失をまとめる
(4)小さな損失を大きな利得と抱き合わせにする
(5)損失はリスクテーキングに、利得は安全に訴える
(6)いま買わせて、あとで支払わせる
(7)金を出させる以外の方法をとる
(8)過去の損失を強調する
(9)定価を高く設定した後安くして売る
(10)参照価格をけっして超えない
の10点を挙げています。
 第6章「短絡志向はトラブルを生む」では、「わたしたちみんなの怠惰な思考を助長するような、特定の状況――問題の複雑さをじっくり考える代わりに短絡志向に走ってしまう状況――がある」として、
(1)自分の行動の結果が重要ではないと思っているとき
(2)行動をせかすような圧力がかかるとき
(3)情報が多すぎて処理しきれないとき
(4)頼みごとを持ちかけてきた相手を信頼しているとき
(5)社会的証明に取り巻かれているとき
(6)確信がなく、混乱しているとき
の「警戒すべき6つの状況」を挙げています。
 第7章「気がつけば泥沼」では、「相手に容認できるぎりぎりの線まで、あるいはそれを越えて要求を押し付けてから引き下がることによって、段階的拡大の場面に逆説的なアプローチをもたらすテクニックもある」として、
(1)ドア・イン・ザ・フェイス
(2)ザッツ・ノット・オール
の2つを一般的テクニックとして紹介しています。
 第8章「人が心をつかまれるとき」では、「人の心をつかむことは、『段階的にコミットメントを高める』原理を極めることだ」として、「必要なのは、時間を掛け、辛抱強く一連の要素を出すこと」であり、「その要求を、ある種の枠にはめることも必要」だと述べています。
 そして、統一教会のマインドコントロールについて、「最も効果的なマインドコントロールは、友人、他の新来者、信者――ボスではなく仲間のように思える人々――によってなされる。頭のいいカルト指導者は、見えない審判員よろしく自分のエゴを抑え、鳴りを潜めている」と述べ、「目に見えないように、しかも必要最低限の力で説得が行われるとき、選択の幻想が生じる」と述べています。
 第9章「ジョーンズタウンの教訓」では、「わたしがこれまで聞いた録音資料のなかで最も恐ろしかった」ものとして、1978年11月18日に、918人が集団自殺したジョーンズタウンでの集団自殺を挙げ、「ジョーンズタウンの人々の行動」は、「どんなに異常な行動でも、社会心理学の『正常な』原理で説明できるということの最たる例」だと述べています。
 そして、ジョーンズの最後の命令が、「長年にわたる数々の小さな要求と、ひっきりなしに続く規範的圧力や自己正当化の上に積み重ねられた」ものだと指摘しています。
 第10章「だましのテクニックに抵抗するには」では、「説得の技術は、昔と変わらず今なお必要不可欠な技なのだ」として、「説得は、子育てや教育や精神療法をうまく進め、友人を造り、親密さをかもし、作業を動機づけ、信念を貫くために戦い、目標を達成することの本質である」と述べ、「他人と自分の両方を説得する能力は、もっとも不可欠な社会的技能かもしれない」と指摘しています。
 そして、「説得と心理学は人間の最も重要な営みなのだ」と述べています。
 本書は、騙されないためにも騙すためにも読んでおいてまったく損はない一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者のすごいところは、やはり自ら販売員の講習を受けて実際に販売をしてしまうところでしょう。ライターさんの潜入モノはよく見かけますが、潜入と研究を両方やる人は少ないのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・自分はだまされやすいと思う人。


■ 関連しそうな本

 ロバート・B・チャルディーニ (著), 社会行動研究会 『影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか』 2006年02月16日
 榊 博文 『説得と影響―交渉のための社会心理学』 2006年02月23日
 荘司雅彦 『論理と心理で攻める 人を動かす交渉術』 2008年07月31日
 ローレン スレイター 『心は実験できるか―20世紀心理学実験物語』 2006年09月16日
 フランク・ベトガー (著), 土屋 健 『私はどうして販売外交に成功したか』 2006年11月17日
 マックス H・ベイザーマン (著), マーガレット A・ニール (著), 奥村 哲史 『マネジャーのための交渉の認知心理学―戦略的思考の処方箋』 2005年07月04日


■ 百夜百音

いとしのテラ【いとしのテラ】 杉真理 オリジナル盤発売: 2002

 ベスト版を買うほど知ってる曲があるわけでもなく、かといってシングルを買うほどでは、という人には6曲入りベストというのは手ごろかもしれないです。

2009年5月29日 (金)

ろくろ首の首はなぜ伸びるのか 遊ぶ生物学への招待

■ 書籍情報

ろくろ首の首はなぜ伸びるのか 遊ぶ生物学への招待   【ろくろ首の首はなぜ伸びるのか 遊ぶ生物学への招待】(#1590)

  武村 政春
  価格: ¥735 (税込)
  新潮社(2005/12/15)

 本書は、「想像上の、現実との境界領域に存在していると思われる生物たちの世界の面白さを、生物学的な観点から探るものであり、その実例を挙げつつ、『遊ぶ生物学』ともいうべき視点を提供していこうとするもの」です。
 第1話「飛頭蛮――耳はどのように翼として機能するか」では、「古代中国の南方地域に棲息していた」とされる「頭部だけが飛行する」という「飛頭蛮」について、「耳の前後にぽっかりと空いた筋肉の機能的空白地帯」に、「大飛頬骨筋や上飛頬耳筋など耳翼で飛翔するための強靭な筋肉」が生じることができたからだと述べています。
 第2話「ケンタウロス――人間の胴体はどのように馬からつながったか」では、「筋骨隆々たる人間の上半身に、疾走する馬の四脚」という「極めてエネルギー消費量の多い部分を併せ持つ生物」である、ケンタウロスは、「食物をより効率よく吸収するための特別な措置が必要」だとして、「ケンタウロスの人間部分の腹部は、おそらくほぼ全体にわたって四室の巨大胃袋によって占められていると考えられる」と述べています。
 第5話「カオナシ――食べた生物の声をどのようにして出せたか」では、『千と千尋の神隠し』に出てくる化け物・カオナシが「誰かを食べ、食べた相手の声をそのまま使って、自らの意思を伝えるというとんでもない離れ業をやってのける」として、「カオナシは、抗体を使って飲み込んだ相手の『声帯の型』」を取り、「その型に自分の器官から分泌される粘膜を流し込み、それを固めて自分の『声帯』を作り上げる」と述べています。
 第6話「人魚――ヒトと魚の体はどのように融合したか」では、「腰から下の魚類の部分と、腰から上のヒトの部分が実は90度ずれている」として、「魚類の部分はわれわれが普段横から見ている状態であるのに対し、ヒトの部分は正面から見た状態となっている」ことを指摘しています。
 第7話「吸血鬼――太陽の光が当たるとなぜ灰になるか」では、「太陽の光に当たるだけで燃焼反応が起こってしまう生物がいる」ことについて、「吸血鬼が灰になるのはズバリ『短時間で光合成をし過ぎる』から」だと述べ、
・吸血鬼の細胞が太陽の光に晒されると、まずドラキュラタンパク質が紫外線によって分解され、包まれていたクロロフィルがむき出しになる。
・太陽光が当たった吸血鬼の皮膚表面では急激な光合成と酸素の蓄積が起こる。
・高濃度の酸素による発熱を伴う急激な酸化現象が細胞内で起こり、あっと言う間に"燃焼反応"が引き起こされ、吸血鬼細胞は瞬く間に灰になってしまう。
と解説しています。
 第10話「ろくろ首――首はどのように伸びたか」では、「現有の生物システムの中から応用できる、伸び縮みすることができる首の構造」としては、「最も可能性の高いのは、やはり『アクチン・ミオンシステム』」だとして、「ろくろ首の巨大な筋肉細胞は、おそらくその細胞膜があたかも小腸が『絨毛』によって表面積を広げているように、普通の状態ではバネのように折り重なって存在しているのではないか」と推測しています。
 本書は、読む人によっては「くだらない」と一蹴されてしまうような問題を、専門家が大真面目に論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 一時期、柳田理科雄などによる「空想科学」シリーズがブームになったことがありましたが、一見ふざけているように見えるこれらの検証が、現実の疑似科学に対して科学的な態度を取れるかどうかを決めているのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・空想上の生き物が好きな人。


■ 関連しそうな本

 武村 政春 『ろくろ首考―妖怪の生物学』
 武村 政春 『一反木綿から始める生物学』
 佐藤 健寿 『X51.ORG THE ODYSSEY』 2008年05月18日
 マイケル・W. フリードランダー (著), 田中 嘉津夫 (翻訳), 久保田 裕 (翻訳) 『きわどい科学―ウソとマコトの境域を探る』 2006年01月21日
 伊勢田 哲治 『疑似科学と科学の哲学』 2006年02月12日
 マーティン・ガードナー 『インチキ科学の解読法 ついつい信じてしまうトンデモ学説』 2006年02月11日


■ 百夜百マンガ

パノラマデリュージョン【パノラマデリュージョン 】

 コアなファンがついていながら、絶妙な力の抜け具合が心地よい人。この感じはまねをしようとしてもなかなか難しいのではないかと思います。

2009年5月28日 (木)

機密費

■ 書籍情報

機密費   【機密費】(#1589)

  歳川 隆雄
  価格: ¥693 (税込)
  集英社(2001/08)

 本書は、外務省機密費詐取事件を取り上げ、「機密費詐取事件そのもの、事件を生んだブラックボックス的土壌、事件が提起する数々の疑惑などを詳細に検証し、根源の問いである『日本にとって機密とは何か」というテーマに」迫ったものです。
 第1章「外務官僚・松尾克俊とその犯罪」では、外務省の元要人外国訪問支援室長・松尾克俊が、『2年余りに間に行われた計14回の首相外遊時だけで総額約4億8千6百万円に達する巨額の国家資金を首相官邸からだましとった」として、「そのすべてを松尾が個人的に津カットは限らない」が、「いまのところ、そこまでは証明されていない」うえ、「組織ぐるみの流用、あるいは松尾を利用した官僚たちの利得、という疑いも濃厚」だと述べています。
 そして、松尾が、「その経歴の早い時期から、優れた実務能力で頭角を現す」として、「持ち前の優れた実務能力を骨惜しみしない勤勉さで『汚れ仕事のプロ』としての腕を磨き、その一方では私生活を犠牲にしてまでも省幹部たちにサービスする。そして、自分がキャリアエリートにとって、なくてはならない存在であることをアピール」した結果、「ノンキャリアのエース」の座を得たと述べています。
 第2章「政府の裏ガネ『機密費』」では、機密費について、「報償費と呼ぼうとなんと呼ぼうと、それは要するに政府が表に出したくない目的・用途に使う"裏ガネ"」だと述べています。
 そして、旧大蔵主計局も会計検査院も、「機密費上納という法律違反の事実を承知していた」ことを指摘しています。
 第3章「機密費はどう使われたか」では、「消費税導入に際しての機密費投入に象徴されるような政界工作は、『裏』の選挙対策としても大掛かりに行われていた」ことについて、「それが『機密』であるはずはなく、裏ガネを使った政界工作に利用されていいわけがない」と述べています。
 第4章「疑惑解明に抵抗する官邸・外務省」では、「政府秘密資金、つまり政府機密費の直接の管理者である首相官邸と外務省はこれまで、機密費をめぐるさまざまな疑惑を否定し、あるいはウソをつくことによって、事実を隠蔽し、責任を回避してきた」点に、「機密費詐取事件の大きな問題点がある」と述べています。
 そして、外務省が、「『松尾個人』にすべてをおっかぶせて、機密費疑惑から逃げ切ろうとした」と述べ、その理由は、「機密費という『聖域」をなんとしても守り抜かなければならないからだ」と指摘しています。
 また「捜査当局の上層部には捜査の基本方針に関して迷いもあった」として、「機密費をめぐる構造問題にまで踏み込めば、国家権力体制の『闇』の部分が、巨大な壁となって立ちはだかることがわかっていたからだ」と述べています。
 第5章「日本にとって『機密』とは何か」では、「『機密』とは、国益追求の前面に立ちはだかる潜在的・顕在的な脅威を回避し、排除するうえで必要になってくるファクター」だとすれば、「機密に関わる最も大きなテーマは国家の『危機管理』」だと述べたうえで、「硬直化してしまっている官僚組織に思い切ってメスを入れることなしに、日本に必要なインテリジェンス機能を獲得することはできないのは明らか」だと指摘しています。
 著者は、「機密費という国家システムのブラックボックスが国民の目にさらされ、一方で『機密とは何か』が国民に問いかけられたという点で、今回の機密費流用疑惑が意味するとことは大きく、深い」と述べています。
 本書は、日本にとっての「機密」とは何かを深く考えるきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 何億という金を個人の口座で出し入れしていたというのが恐ろしいですが、これらが全て個人に責任をかぶせるための偽装だとしたらもっと恐ろしいんです。


■ どんな人にオススメ?

・官僚は誰でも裏ガネ使い放題だと思っている人


■ 関連しそうな本

 読売新聞社会部 『外務省激震―ドキュメント機密費』
 前田 英昭 『国会の「機密費」論争』
 佐藤 優 『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』 2008年12月31日
 手嶋 龍一, 佐藤 優 『インテリジェンス 武器なき戦争』 2008年02月06日
 大内 顕 『警視庁裏ガネ担当』 2007年09月11日


■ 百夜百マンガ

イリヤッド―入矢堂見聞録【イリヤッド―入矢堂見聞録 】

考古学者が主人公の歴史サスペンスって『ダ・ヴィンチ・コード』みたいですが、当然意識しているのでしょうか。

2009年5月27日 (水)

技術官僚―その権力と病理

■ 書籍情報

技術官僚―その権力と病理   【技術官僚―その権力と病理】(#1588)

  新藤 宗幸
  価格: ¥735 (税込)
  岩波書店(2002/03)

 本書は、日本の官庁に多数存在する、「技官」または「技術官僚」と称される「自然科学系の大学学部や大学院を卒業し採用された科学・技術畑の職員」について、「彼らは事務官とどのような関係を織り成しつつ、官庁内で行動しているの」かを論じたものです。
 著者は、技術官僚集団を、「あえてたとえると事務官(法制官僚)という巨木に根付いた『寄生植物』ではないか」として、「技術官僚がつくる『王国』を培ってきたのは、単に技術官僚が持つ技術的専門性なのではなく、大学の法文系学部を卒業し官庁の中枢にいる事務官集団でもあるのだ」と述べています。
 第1章「なぜ技術官僚なのか」では、日本の官僚制が、「官僚制組織における技術官僚集団の存在と活動」という内部組織問題を抱えているとした上で、「技術官僚集団が官僚制組織の中でどのような位置を占め、いかに行動しているかは、ほとんど考察の対象とされてこなかった」ことを指摘しています。
 そして、「本書ではまず日本の官僚制において、技術官僚どのような地位を占めてきたのかを歴史的に振り返ってみる。そのうえで、行政責任が最も厳しく問われる二つの行政分野――公共事業と薬事行政――を対象として、技術官僚集団の活動を中心に行政組織の動態を論じる」としています。
 第2章「歴史の中の技術官僚」では、「技術官僚たちが行政機構のなかで『冷遇』されてきたという言説」が、「今日なお生き続けている」とした上で、「戦前期の技術官僚は、名実ともにそれぞれの技術分野におけるエリートであった」が、「このエリート性が崩れる戦後経済発展過程において、技術官僚『冷遇』観は増殖されていった」と述べています。
 第3章「なぜ公共事業はとまらないのか」では、「大規模事業プロジェクトの際の民間への委託は、行政の効率性や民間資源の効果的な活用のためだと説明されている」が、「実のところは、高度の土木・建築技術を要する事業の基本設計や実施設計を行う能力が、技官集団に欠けていることを意味していよう」と指摘しています。
 そして、「公共事業官庁において技官集団と事務官=法制官僚手段のどちらが優位しているかは、本質的問題はない」として、「相互の依存関係、言い方を変えるならば、相互規制関係が強靭に作られ、ターミネーションなき公共事業の実施に繋がっている」と指摘しています。
 第4章「なぜHIV薬害事件はおきたのか」では、「HIV薬害事件が問いただしたものは、たえず責任を分散させてしまう行政組織の構造そのもの」だとして、「日本の行政組織では、ポジションごとの職務権限と責任が全く不明である」と述べた上で、「高度に専門的な行政分野においては、技官と事務官がそれぞれの将来利益を追求しつつ強調する体制が作られている」として、「全体として行政の責任が拡散されてしまうのも、こうした行政組織の構造ゆえである」と述べています。
 第5章「『技官の王国』の解体へ」では、「技官を多数抱える官庁において、事務官=法制官僚と技官のどちらが優位しているかといった『伝統的』論点は、現代日本の官僚制組織の考察にとって、的外れ」だとして、「問われているのは行政組織のあり方であり、もっといえば、そこにおける意思決定の責任の所在が不明であることなのだ」と述べています。
 そして、「『技官の王国』の解体とは、官庁から科学・技術系職員を排除することではない。これまでみてきたような技官と事務官の相互依存関係を打破することである」として、「生涯職公務員からなる官僚機構に、大胆な改革のメスが入れられなければならない」と主張しています。
 本書は、官僚制の大きな一面である技術官僚について大胆に切り込んだ一冊です。


■ 個人的な視点から

 道路公団のファミリー企業などの話もあって、技術官僚というとイコール「天下り」という印象が強いのですが、本書の中身としては、事務官との関係が中心でした。それはそれで面白かったです。


■ どんな人にオススメ?

・技術官僚が何をしているかを知らない人。


■ 関連しそうな本

 大淀 昇一 『技術官僚の政治参画―日本の科学技術行政の幕開き』 2008年09月11日
 川手 摂 『戦後日本の公務員制度史 「キャリア」システムの成立と展開』 2005年12月29日
 城山 英明, 細野 助博, 鈴木 寛 『中央省庁の政策形成過程―日本官僚制の解剖』 2007年03月30日
 末弘 厳太郎 (著), 佐高 信 (編集) 『役人学三則』 2005年12月12日
 宮崎 哲弥, 小野 展克 『ドキュメント平成革新官僚―「公僕」たちの構造改革』 2006年04月13日
 テリー伊藤 『お笑いニッポン公務員―アホ役人「殲滅計画」』 2006年03月16日


■ 百夜百マンガ

怪獣の家【怪獣の家 】

 この人の作品はやっぱり「家」ものが面白いうということでしょうか。ワンパターンでも問題なしです。

2009年5月26日 (火)

サンバの国に演歌は流れる―音楽にみる日系ブラジル移民史

■ 書籍情報

サンバの国に演歌は流れる―音楽にみる日系ブラジル移民史   【サンバの国に演歌は流れる―音楽にみる日系ブラジル移民史】(#1587)

  細川 周平
  価格: ¥753 (税込)
  中央公論社(1995/09)

 本書は、「最も原始的な楽しみのひとつ」である「歌」など、「日系人のさくの中で行われた娯楽」である「演芸会や喉自慢、スポーツや文芸活動」などについて、「なぜ、どのようにこのさくが設けられ、機能した」のかを追ったものです。
 第1章「演芸会の時代」では、明治41年(1908年)に始まる日系ブラジル移民の歴史について、「広い意味での演芸会は戦前の娯楽の中心的な制度だった」として、運動会、宴会、村芝居、学芸会、音楽界などの「演芸会的なるもの」の特徴として、
(1)舞台と客席が分離している
(2)場所と日時とプログラムが予め決められている
(3)プログラムは種々雑多なジャンルを含み、観客は全体を見通す必要がない
(4)入場料は特定されず、各自の裁量に任される
(5)収益は公共事業に寄付されるか主催団体に集められ、出演者は無報酬である
(6)競技はない
の6点を挙げています。
 第2章「のど自慢の時代」では、1945年の終戦直後、ブラジル日系人社会では、「勝ち組と負け組、日本の勝利を信じる信念派、敗戦を認める認識派の間の抗争」が始まったとして、「終戦後、ふたつに割れた日系社会の緩衝地帯となったのが楽団だった」と述べています。
 また、最初の本格的なのど自慢大会が、1952年に開かれた「第1回全伯のど自慢大会」だとした上で、「日系社会ののど自慢は――日本のように民主主義と結びつくよりも――コロニア分裂の危機の後にその統合のしるしとして現れた」と述べ、「のど自慢は強い競争原理が働く娯楽であり、審査という政治性を帯びた場だった」と指摘しています。
 そして、1953年に始まる戦後移民が、「いろいろな意味で戦後移民とは違っていた」として、「永住決意を持ってサントスに上陸したこと」とともに、「彼らが日本の『戦後文化』を持ってきたことは案外盲点になっている」と指摘し、グループサウンズが、「新来青年」の「民族的な絆」であり、「都会文化の象徴だった」と述べています。
 第3章「カラオケの時代」では、「カラオケは伴奏つきの歌に大きな価値を置き、しかもその伴奏が生演奏では実現しにくい文化の中で特に有利に機能する」として、「ブラジル人の間でカラオケ人気が続かなかった理由のひとつは、国民の大半にはギターや打楽器伴奏で十分だからだ」と述べています。
 そして、「日系社会でパブリックなカラオケが頭打ちなのに対して、県人会、市町村、地域の日本人会など日系団体の中の歌謡部、カラオケ部は隆盛を極めている」と述べています。
 著者は、「日系ブラジルの歌の文化の将来」についての展望として、「日本人向けのカラオケは従来どおり数は少ないが金払いのいい客を相手に栄えていくだろうが、ブラジル人向けのは今になって先進国で流行しているからといって、再びブームが訪れるとは思えない」とした上で、「ブラ実ではこの強力無比な装置によって日本の歌は救われた」と同時に、「その先に行くこと、ほかの道を行くことは阻まれた」と指摘しています。
 本書は、日系人社会における「歌」の重い位置づけを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ブラジル移民と演歌というと、やはり昔の人が多いから演歌が盛んなのだろうかとか、マルシアのこととかが頭に浮かぶのですが、日系人と歌との関係が一筋縄ではいかないことがサワリだけでもわかる一冊です。


■ どんな人にオススメ?

・演歌は日本人の心だと単純に思っている人。


■ 関連しそうな本

 ジョウ・シュン, フランチェスカ・タロッコ (著), 松田 和也 (翻訳) 『カラオケ化する世界』 2008年07月08日
 烏賀陽 弘道 『カラオケ秘史―創意工夫の世界革命』 2009年01月30日
 野口 恒 『カラオケ文化産業論 21世紀の「生きがい社会」をつくる』
 中村 伊知哉, 小野打 恵 『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像』 2006年11月29日
 堀淵 清治 『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』 2007年04月15日
 杉山 知之 『クール・ジャパン 世界が買いたがる日本』 2007年08月19日


■ 百夜百マンガ

ウルトラマン THE FIRST【ウルトラマン THE FIRST 】

 放映から40年以上経つというのに相変わらず人気は衰えません。
 今年の1月には「ウルトラサイダー」が復刻されていますが、デザインでどのウルトラマンか当てられたら結構な歳の人です。

2009年5月25日 (月)

日本人のひるめし

■ 書籍情報

日本人のひるめし   【日本人のひるめし】(#1586)

  酒井 伸雄
  価格: ¥735 (税込)
  中央公論新社(2001/03)

 本書は、「ひるめし」を縦糸に、「それを織り成す横糸として、『食の歴史』と『食の文化」という視点を選んだ」ものです。
 第1章「『ひるめし』の誕生」では、「平安時代には、1日2回の食事がごく普通のこと」であり、「人はもとより神様も1日2食が常識であった」と述べています。
 第2章「弁当の移り変わり」では、「明治から昭和の前半にかけてが弁当の最盛期であり、弁当は日本人の食事習慣に大きな影響を与えてきた」として、「一日のうちで朝昼晩のいつ炊飯するのかは、かつては職業や地方によってそれぞれであった」が、「会社や役所や学校などへ通うのに弁当が必要なため、日本全国どこでも朝の炊飯と弁当作りが日常化した」と述べています。
 そして、「家庭の内で作られていた弁当は、時とともに家庭の外でも作られるようになった」として、江戸時代の代表的な例として「幕の内弁当」を挙げるとともに、近代化していく日本を代表する例として「駅弁」を挙げています。
 第3章「給食と食生活への影響」では、「戦後盛んになった学校給食や職場での給食が、昼食全体の中に占めるウェイトは高く、現在では給食を抜きにして昼食を論ずることは考えられない」と述べた上で、「長い間パンを主食としてミルクとおかずを沿える給食が続けられてきた」結果、「そのような給食のメニューを通して、児童の好みは次第に変化してゆき、成人した後の嗜好にも影響が現れている」と指摘しています。
 また、日本列島に「東の豚、西の牛」という肉食の傾向があることについて、「この傾向は日露戦争によって形作られた」と述べています。
 第4章「外食への発達」では、「日本における外食のルーツを探ると、江戸時代に発達した茶屋と屋台にいきつく。この茶屋と屋台が日本の料理文化ならびに外食文化に大きな影響を残している」と述べ、」「そば、握りずし、てんぷら、うなぎの蒲焼など、今では日本料理の代表と見られている食べ物も元をただせば、いずれも江戸の屋台から始まった食べ物なのである」として、「てんぷらも握りずしも18世紀後半から明示までの間、単身の男性が屋台でつまむ食べ物」であり、「牛鍋にいたっては底辺の食べ物とさげすまれていた」ことを指摘しています。
 第5章「『ひるめし』と麺類」では、「麺類の普及に大きな役割を担ったのが、醤油の普及であった」として、醤油が普及する以前には、「うどんやそばは味噌をベースにした汁で食べていた」と述べています。
 終章「『ひるめし』の行方」では、「1日3回の食事の中でも社会の側への依存度が極めて高く、家族の絆を感じることが最も少ないのが昼食である」として、休日の昼食時に「家族全員がそろって共食をすることによって、薄れつつあった家族の連帯感を取り戻すための絶好の機会となるのではなかろうか」と述べています。
 本書は、日本人と「ひるめし」との関係を食の歴史とともに追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 昔、「ドラえもん」の話の中で、のび太が江戸時代の農家に居候して、「お昼はまだか」と聞いたら「そんなものはない」といわれる、というエピソードがあって、そうか、昔はお昼ご飯というのはなかったのか、と思ったことがありました。
 とはいえ、大正時代のお茶農家の生活を見ると、早朝、朝、午後、夜の4食を食べていたそうなので、時代や地域、職業によって相当異なるのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・「ひるめし」が1日の最大の楽しみな人。


■ 関連しそうな本

 湯沢 雍彦 『大正期の家庭生活』 2008年10月08日
 田中 圭一 『百姓の江戸時代』 2007年09月16日
 大久保 洋子 『江戸のファーストフード―町人の食卓、将軍の食卓』 2007年11月18日
 岡崎 哲二 『江戸の市場経済―歴史制度分析からみた株仲間』 2006年01月19日
 橋本 毅彦, 栗山 茂久 『遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成』 2006年05月11日
 鈴木 理生 『江戸のみちはアーケード』 2007年12月03日


■ 百夜百マンガ

どろろんぱっ【どろろんぱっ 】

 すでに「ドラえもん」の巻数を超えてしまった大長寿漫画の陰に隠れて地味ですがアニメ化もされています。

2009年5月24日 (日)

「しきり」の心理学―公式のリーダーと非公式のリーダー

■ 書籍情報

「しきり」の心理学―公式のリーダーと非公式のリーダー   【「しきり」の心理学―公式のリーダーと非公式のリーダー】(#1585)

  林 理
  価格: ¥1890 (税込)
  学陽書房(1998/05)

 本書は、「公式にはリーダーの立場にないのに集団の動きを規定する人がいるのではないか」という問題意識から「しきり」行動を論じたものです。
 第1章「公式のリーダーと非公式のリーダー」では、「集団が成立すると集団の構成員の行動に制約が設けられ、全員が特定の基準に基づいて行動することが求められる」とした上で、「このように行動しなさい」という個人の行動に対する制約がどのように決まるのかという問題が、本書の中心的な問題だとしています。
 そして、「リーダーの役割は簡単に『命令すること』と入っていられない。集団をうまく運営することもリーダーの役割ということになりそう」だとして、「公式のリーダーというのは、集団の中では必ずしも強い権力を持っているものではないよう」で、「どのような集団でも公式のリーダーの役割とされるのは対外的な代表という役割」だと述べています。
 著者は、これらの問題に答えるためには、「非公式のリーダーを対象にしたリーダーシップの検討が必要」だと述べています。
 第2章「非公式のリーダーはどうやってできるか」では、阪神・淡路大震災の避難所におけるリーダーの選出過程から、
(1)成り行き
(2)本来の仕事上
(3)自発的
の3つの選出方法を挙げて解説しています。
 そして、「リーダーは面倒でもさまざまなことを決めなければならない」として、非公式のリーダーが必要になる理由のひとつとして、「どう決めてもかまわないが決めなければならない問題がある」ことを挙げるとともに、「この人のいうことを聞かないと後で面倒だ」と思わせる人物ということを挙げています。
 第3章「非公式のリーダーはどんな人か」では、「しきり行動という中にいくつかの『しきりかた』が含まれていて、その場面に応じた『しきりかた』をだしていくのが、非公式のリーダーのあり方ではないかと考えられる」とした上で、「しきり行動の四類型」として、
(1)「まあまあ」型
(2)「ゴリ押し」型
(3)「おれだよ」型・・・自分がリーダーであるということ自体を重視する。
(4)「小学校の遠足」型・・・「整然と行動することを要求する人」
の4点を挙げています。
 第4章「非公式のリーダーと現代」では、「情報の流れが非常に速い社会では誰もが情報を共有しているから、公式の場での議論が容易になり、非公式の場の重要性が低くなるという考えは誤りである」として、「現実の情報化社会では非公式の場は重要になってきている」と指摘しています。
 そして、「災害時について非公式のリーダーの検討が必要」な理由として、
(1)大都市直下型地震のような「指示を待つ時間がない」状況への対応の問題
(2)日常的な防災意識の維持の問題
の2つの側面を挙げています。
 終章「『多数意見』にご注意を」では、「現在の組織は、建前として公式のリーダーシップを中心におき、非公式のリーダーは考慮されていない」ことを挙げ、「多くのリーダーシップ論の限界は、この前提に起因するもの」だと指摘しています。
 本書は、日本特有のリーダーシップ論のきっかけになるかもしれない一冊です。


■ 個人的な視点から

 非公式のリーダーというとなんだか胡散臭いものというか「ボス」的なイメージをしてしまいますが、現実には非公式なリーダー、「仕切る人」がいないと何も決まらないというのはどこの組織でも同じではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・仕切るのが好きな人。


■ 関連しそうな本

 モーガン マッコール (著), 金井 壽宏, リクルートワークス研究所 (翻訳) 『ハイ・フライヤー―次世代リーダーの育成法』 2005年08月09日
 金井 寿宏 『リーダーシップ入門』 2005年03月31日
 ジョン・P. コッター (著), 梅津 祐良 (翻訳) 『企業変革力』 2005年02月19日
 金井 寿宏, 高橋 潔 (著) 『組織行動の考え方―ひとを活かし組織力を高める9つのキーコンセプト』 2005年04月27日
 マンフレッド・ケッツ・ド ブリース (著), 金井 壽宏 (翻訳) 『会社の中の権力者、道化師、詐欺師―リーダーシップの精神分析』 2005年11月24日
 Harvard Business Review (編集), DIAMONDハーバードビジネスレビュー編集部 (翻訳) 『リーダーシップ』 2005年12月16日


■ 百夜百音

FAIRCHILDベスト・コレクション【FAIRCHILDベスト・コレクション】 FAIRCHILD オリジナル盤発売: 2008

 今聴いても相当にポップなのですが、1990年前後にこういうバンドがあったことはさすがのバンドブームという感じです。

2009年5月23日 (土)

歴代首相の言語力を診断する

■ 書籍情報

歴代首相の言語力を診断する   【歴代首相の言語力を診断する】(#1584)

  東 照二
  価格: ¥1470 (税込)
  研究社(2006/07)

 本書は、「戦中、戦後の歴代首相の言語行動をつぶさに検討することから、政治家とことばの関係に新しい光を当ててみる」として、「言語学の視点から日本の政治家のことばを分析、研究したもの」です。
 第1章「ことばの力と政治」では、「ことばには、大きく分けて2つの機能がある」として、
(1)指示的機能(referential function):対象物、事象をあるがまま示す際に使われることばの働き
(2)情緒的機能(affective function):話し手の感情、態度、意図、意思、操作、交渉といった、話してのかなり積極的なかかわりといったものが埋め込まれているようなことばの働き
の2つを挙げ、2001年9月11日の同時多発テロ翌日のブッシュ大統領の演説について、「ことばを通じて、視聴者、国民に、愛国心、団結、参加といった気持ちを植え付けていく。そこにはことばの情緒的側面を十分に活用した言語術、言語戦略があり、それが功を奏している」として、「政治家たちもこの情緒的機能をうまく利用して、聞き手にある種の感情を起こさせ、自分たちの政治的目的を達成させていっている」と述べています。
 また、「言語を取り巻く文化の差」として、
(1)高コンテキスト文化:人々が多くの背景情報を共有しており、直接的な言語によるコミュニケーションはそれほど重きを置かれない。
(2)低コンテキスト文化:人々のあいだでの共有された情報というものが少ないため、はっきりとことばに題して表現する、直接的、明快な話し方といったものに価値が置かれる。
の2つを挙げ、「大まかに言って、日本の言語コミュニケーションは、高コンテキスト・スタイルで、アメリカのそれは低コンテキスト・スタイルということができる」と述べています。
 また、日本の歴代首相から、東條、田中、小泉の3人を上げ、「東條の書きことばをもとにした権威主義的スタイルから、田中の話し言葉をもとにした村の寄り合いテキスタイル、そして、さらに小泉の話しことばをもとにした街の集会テキスタイルへと変わってきている」として、「特に田中と小泉の違いは、田中の高コンテキスト・スタイルから小泉の低コンテキスト・スタイルへのシフトとみなすことができるかもしれない」と述べています。
 第2章「歴代首相の所信表明演説」では、「~の」と「~こと」の違いについて、「『~』は話し手にとって身近なこと、感覚的なこと、つまり話してのウチの感情を示すものであるのに対し、『~こと』は話し手の感覚のソトにある抽象的なことを、聞き手との距離を置いて表現するもの」だとした上で、細川について、「戦後首相のあいだで、一人だけ突出して、『~こと』を多用した」ことを指摘しています。
 また、小泉の演説について、
(1)戦中、戦後の首相の中で「です」を多用したのは小泉が初めてである。
(2)話し手の意志を示す「~します」という単純、平凡なことばの持つ高価を十分に使ったのは小泉だけである。
の2点を指摘しています。
 そして、歴代首相の演説での話し方の変化、変遷について、「人間関係とことばのつながりということで、聞き手と話してのあいだにある2つの変数を考え」るとして、「力」(P)と「距離」(D)を挙げ、
・ステージ(1)『力』のステージ(+P,+D)
・ステージ(2)『力』の差に基づいた『連帯』のステージ(+P,-D)
・ステージ(3)『力』の差に基づかない『連帯』のステージ(-P,-D)
の3つのステージについて、ステージ(1)が戦中の首相のスタイルに、ステージ(2)が、田中に、ステージ(3)が小泉に対応していると述べています。
 第3章「歴代首相の国会答弁」では、小泉が国会答弁で用いた疑問形について、「質問者である聞き手にそれぞれの論点、ポイントへと導くために用意された質問である」として、「一旦、聞き手に質問を与え、それについて考えてもらうことによって、聞き手を引き込む、注意を向けさせるという手法」だと述べ、「相手の注意を喚起し、自分の論点に引き込ませるために、最もインパクトのある効果的な方法だ」としています。
 第4章「東條、田中、そして小泉」では、田中が、「実行力に裏付けられたリーダーシップがあるにもかかわらず、どうして終始、謙虚な印象を与えることばを使ったの」かについて、「多分自分が学歴もなく貧しい生活から出発したということで、何がしかの負い目、地位の差ということを感じ続けてきたからかもしれない」と指摘し、田中の母親が「総理大臣という地位、仕事も出稼ぎにすぎない」と述べている背景には、「息子はどんなに偉くなろうとも、自分の出身地、出身階層について忘れてはいない、常に頭の中には、自分と同じ田舎、社会階層の人々のことがある」ということだと述べています。
 そして、田中の話し方の特徴として、「ただ単に、地域方言というコードを使うだけではなく、地域方言と標準語という2つのコードの絶妙な交互仕様にある」として、「有能な政治、首相」というアイデンティティ(信頼、維新、権威)と「田舎出身、庶民、農民」というアイデンティティ(仲間意識、身内意識、親しさ)の「2つのアイデンティティが演説の中で両立したときに、聞き手は田中との一体感から感動を覚え、熱烈な支持者へと変身するのである」と述べています。
 また、田中の語り口について、ノンフィクション作家の佐野真一が、「誰も口をさしはさむ余地のない怒涛のような『押し』があるだけ」ではなく、「絶妙のタイミングを見計らった『引き』の呼吸が、懐に飛び込んでもいいんだな、と相手に思わせる角栄の話法の最大の武器」だと指摘していることについて、「それはとりもなおさず、力のコードと仲間意識、連帯のコードのことであり、この2つのコードをスイッチしながら話をすること、そのコードスイッチが織り成すパターンそのものが、2つのアイデンティティ(これは社会言語学ではデュアル・アイデンティティdual identityとよばれる)を象徴している」と述べています。
 第5章「ことばのダイナミズム」では、心理言語学に「マジックナンバー・セブン」という言葉があり、「人間の情報を処理する能力は、単語にして七語前後の長さが限界である」とする説を紹介し、「鍵になってくるのは、伝えたい情報をいかに相手にわかりやすくパッケージ化するかということ」だと述べています。
 そして、「日本の政治家は『低コンテキスト』化した社会の中で、ことばというものの大切さ、特に相手にわかりやすく言葉を使うということに、なお一層、そして本気で取り組んでいかないといけなくなるに違いない」と述べています。
 本書は、日本の政治家にとっての「ことば」の重要性の変化を言語学の視点から分析した一冊です。


■ 個人的な視点から

 同じ著者による『言語学者が政治家を丸裸にする』を先に読みましたが、切れ味という点ではこちらのほうが面白い。おそらく本書を読んだ文藝春秋の編集者が安倍首相を絡ませて一冊書いてくれ、というので書いたのではないかと想像しますが、やはりオリジナルのほうが力が入っている気がします。


■ どんな人にオススメ?

・政治家にとって「ことば」外貨に重要かを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 東 照二 『言語学者が政治家を丸裸にする』 2009年02月22日
 高瀬 淳一 『武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法』 2006年08月10日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年06月23日
 都築 勉 『政治家の日本語―ずらす・ぼかす・かわす』 2006年10月24日
 ドナルド・R. キンダー (著), 加藤 秀治郎, 加藤 祐子 (翻訳) 『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』 2006年06月19日
 川上 和久 『情報操作のトリック―その歴史と方法』 2007年10月12日


■ 百夜百音

3rd.BREAK【3rd.BREAK】 バービーボーイズ オリジナル盤発売: 1986

 80年代のギターという感じがうれしいです。「なんだったんだ? 7DAYS」が好きだったです。「負けるもんか」の方が代表曲なんでしょうが。

2009年5月22日 (金)

クォークとジャガー―たゆみなく進化する複雑系

■ 書籍情報

クォークとジャガー―たゆみなく進化する複雑系   【クォークとジャガー―たゆみなく進化する複雑系】(#1583)

  マレイ ゲルマン (著), 野本 陽代 (翻訳)
  価格: ¥2,730 (税込)
  草思社(1997/08)

 本書は、1964年に「クォーク」の存在を予言した著者が、「私たちが住む世界の特徴についての研究、すなわち単純さと複雑さの研究の最前線で、どんな成果が得られつつあるのかについて」語ったものです。
 第2章「発端」では、本書の題名が、アーサー・シーの詩から取ったものだとした上で、「ジャガーは、私たちの住む世界の複雑さ、とくに複雑適応系に見られる複雑さを表して」おり、「クォークとジャガーのイメージは、私が単純なものと複雑なものと呼ぶ、自然の二つの面を申し分なく表しているように見える」と述べています。
 そして、「ここ地球上では、複雑適応系の出現は、地球の生命の起源と、生物の進化の過程に結びついており、かくも著しい種の多様性を作り出してきた」と述べています。
 第3章「情報とおおよその複雑度」では、「私たちは、無限に大きくなる系に限って話をしているわけではないが、単純さと複雑さの議論が、ビット・ストリングが長くなればなるほど、より意味深いものになっていくことを理解することが重要である」と述べています。
 第7章「科学的探究」では、「人間の科学的探究は、複雑適応系という概念の素晴らしい例である」として、「スキーマが理論であり、現実の世界で起こることが理論と観測の対決となる」と述べています。
 第8章「理論の力」では、「非科学的な取り組み方で身のまわりの世界をモデル化することは、太古からの人間の思考法の特徴であったし、それは今も変わらない」と述べた上で、「私たちの身のまわりの世界を科学的な方法で理論化することの利点について述べる」としています。
 そして、「ここ数年の進歩によって、一部のベキ乗則は説明できるようになってきた」と述べたうえで、「一般的にいって、ベキ乗則分布は『スケールには依存して』いない」ため、ベキ乗則が「スケーリング則」とも呼ばれると述べています。
 第12章「量子力学とたわごと」では、「素粒子形について学べば学ぶほど、実験によって示される見掛けの複雑さと理論によって達成された単純さが、互いに影響しあったということが明らかになってきた」と述べています。
 第14章「超ひも理論――ついに統一か?」では、「歴史上初めて、すべての素粒子とそれらの相互作用、したがって自然の力全てを統一する理論の本格的な候補として、超ひも理論、とくにヘテロ超ひも理論を私たちは手にしている」とした上で、「ひも」は、「この理論が粒子を点ではなく小さなループによって記述していること」を、接頭語の「超」は、この理論がほぼ「超対象」(粒子のリストに乗っているすべてのフェルミオンに対して、それぞれに対応するボソンがあり、その逆もあること)になっていることを示していると述べています。
 第16章「生物の進化などで働いている選択」では、「残念なことに、人間の知識、理解、発明の才が、数十億年にわたる生物の進化の『巧妙さ』に匹敵するようになるまでには(いつか、そうなるとして)、長い時間がかかるだろう」と述べたうえで、「詩と個体数に焦点を当ててみると、生物の進化は、新たに生じたニッチを埋めていくという点で、長期的に見て非常に効率的である」と述べています。
 第18章「迷信とスケプティシズム」では、「科学的探究(少なくとももっともよい状態にある科学)を特徴づける特有の淘汰圧とは対照的な、異なる種類の淘汰圧もまた、現在、科学の領域を形成している学問分野における理論的アイデアの進化に影響を及ぼしている」として、「自然と比較することとは別に、権力者に気に入られるようにすること」を例に挙げています。
 そして、「私たちは神話と魔術を、少なくとも3つの異なった相補的な方法で考察することができる」として、
(1)魅惑的だが科学的でない理論、すなわち自然界に押し付けられた、慰めとはなるが偽りの規則性。
(2)よかれあしかれ、社会に同一性を与えるのと助長する文化的スキーマ。
(3)芸術作品を生み出したり、人間の生活を豊かにしたりするパターンや創造的結合の大掛かりな探求の重要な部分。
の3点を挙げています。
 また、「奇妙な信念に関する議論に必ず含めなければならない2つの主題」として、
(1)被暗示性
(2)精神異常
の2点を挙げています。
 第22章「より持続可能な世界への遷移」では、「もし人類が、(未来の歴史の枝分かれをある程度理解する)先見の明を持つことができたならば、非常に適応度の高い変化が起こるだろうが、それはまだ突破口となる出来事ではない。しかし、より大きな持続可能性へと向かう遷移の達成は、このような突破口となる出来事だろう」と述べています。
 第23章「結び」では、「本書全体を貫いているのは、自然の基本法則と偶然の働きの相互作用、という考え」だと述べ、「全ての粒子と力を統一する量子場の理論は、近い将来、超ひも理論の形で完成するかもしれない」と述べています。
 本書は、科学が人類にとってどのような位置づけにあるのかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 今まで図書館で見かけてもどうしてもハードルが高く感じて敬遠していたのですが、今回なぜか手にとってしまいました。ノーバート・ウィナーが階段で寝ていて邪魔だった話は面白かったです。


■ どんな人にオススメ?

・科学は人類とどう関わるのかを考えたい人。


■ 関連しそうな本

 ピーター アトキンス (著), 斉藤 隆央 (翻訳) 『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』 2006年5月5日
 スティーヴン・ストロガッツ (著), 蔵本由紀, 長尾力 (翻訳) 『SYNC』 2006年04月10日
 アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日
 マーク・ブキャナン (著), 阪本 芳久 (翻訳) 『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』 2005年12月21日
 ダンカン ワッツ (著), Duncan J. Watts (原著), 栗原 聡, 福田 健介, 佐藤 進也 (翻訳) 『スモールワールド―ネットワークの構造とダイナミクス』 2006年03月22日
 ダンカン ワッツ (著), 辻 竜平, 友知 政樹 (翻訳) 『スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための新科学的思考法』 2005年09月28日


■ 百夜百マンガ

大空魔竜ガイキング【大空魔竜ガイキング 】

 アニメのほうはよく見てました。名義は「松本めぐむ」となっていますが、『夏子の酒』などで知られる「尾瀬あきら」の別ペンネームです。

2009年5月21日 (木)

塩の文明誌―人と環境をめぐる5000年

■ 書籍情報

塩の文明誌―人と環境をめぐる5000年   【塩の文明誌―人と環境をめぐる5000年】(#1582)

  佐藤 洋一郎, 渡邉 紹裕
  価格: ¥966 (税込)
  日本放送出版協会(2009/04)

 本書は、「塩の、ひいては資源の偏在の程度が深まることで、自然と人間に何が起きているのか」をテーマに、「塩とインゲンの5000年の歴史を通して、文明と環境の未来」を見ようとするものです。
 第1章「塩とはなにか」では、塩が、「多様に、そして必須のものとして、人間と深く関わっている」理由を、「なによりも、塩が生命活動に必須の資源だからだった」と述べています。
 第2章「塩が生かす生命」では、「最近では食塩の評判が悪い」として、「あるものの害の側面を強調するあまり、その正の側面を否定してしまうことは、よくあること」だが、「こうした風潮が医学の世界にまで広まっているとすれば、それは由々しきこと」だと述べています。
 また、「世界には塩を使わない『無塩文化』がある」として、ニューギニアの一部の地方で、「食塩を調味料に使わない土地があること」などを紹介しています。
 第3章「塩は世界をめぐる」では、「世界的に見ると、特に乾燥地の畑では、穀物や野菜の栽培を長く続けると、収量が少なくなったり、枯れてしまったりすることがある」理由として、「灌漑などによって畑に人為的に水をかけて栽培を続けていく間に、土壌中に塩がたまってしまうことが原因」だと述べ、「いったん土壌に塩分が多量に集積すると、それを除去するのは大変に難しい。たとえ技術的に可能であっても、経済的に困難であることが多い」と述べています。
 そして、「農業を中心とする土地と水の利用の中で、人間は長い間、塩との『戦い』を繰り返してきた」として、私たちの祖先が、「何とか差し障りのないつきあい方を求めてきたように思う」と述べています。
 第4章「塩と文明の興亡」では、シュメール文明が崩壊した理由について、「決定的な説明はなされていないが、過度の灌漑による塩害が作物生産を減退させたことが原因とされることが多い」と述べています。
 そして、メソポタミア文明、楼蘭王国など、「古代に栄えた文明で塩害によって滅んだか、またはひどく悩まされていたと思われるところは多い」と述べた上で、「ひとつの例外がナイル」だとして、「ナイルの場合は土壌にたまった塩分を洪水が洗い流してくれていたから」だと解説しています。
 著者は、「文明の崩壊をもたらす個々の現象をその因果関係として捉えひとつのネットワーク図に描き出す方法」を「文明崩壊のウェブ解析」と名づけています。
 第5章「人類は塩とどうつきあうのか」では、「塩は二面性をもっている」として、塩を扱った書籍や文献は、「人類にとって塩がいかに大切であったかを書いているか、あるいは反対に、塩が健康にいかに悪いかや農業の場で塩がいかに悪さをしてきたかを書いたかのいずれか」だと述べたうえで、「プラスになるかマイナスになるかは条件しだいである」として、「それを災害と思うか、自然の恵みと思うかは、ある意味で受け取り方なのだ。それは『気のもちよう』という宗教の教えにも通じるところがある」と述べています。
 本書は、過去の文明に大きな影響を与えてきた塩と人類のかかわりを、簡単にまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の内容については、それなりに面白かったのですが、売れる本かと聞かれればそれほど売れる本になりそうに感じませんでした。思うに、NHKブックスは編集者の関与というかチャックというかが相当に甘いんじゃないかとも思いました。
 それは、構成にしても、同じような内容が後になってまた出てきたりして、一冊の本としてのストーリーや本自体の位置づけ、コンセプトをきちんと形作っていくというよりは、著者が書いてきた原稿をそのまま製本しているのではないかと思うような点です。
 ほかのNHKブックスの本も、内容は悪くないのに構成が甘かったり、ときには内容自体がトンデモ本の類だったりとちょっと残念な部分があります。


■ どんな人にオススメ?

・塩と人類のかかわりを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 マーク カーランスキー (著), 山本 光伸 (翻訳) 『「塩」の世界史―歴史を動かした、小さな粒』 2007年06月10日
 マーク カーランスキー, S.D. シンドラー (著) , 遠藤 育枝 (翻訳) 『世界をかえた魚 タラの物語』
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)』 2006年08月14日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)』 2006年08月15日
 R.P. マルソーフ (著), 市場 泰男 (翻訳) 『塩の世界史』
 ピエール ラズロ (著), 神田 順子 (翻訳) 『塩の博物誌』


■ 百夜百マンガ

走らんか!【走らんか! 】

 NHKの朝ドラの原作、というか『博多っ子純情』の別バージョンといったほうがいいのでしょうか。

2009年5月20日 (水)

もっとも美しい数学 ゲーム理論

■ 書籍情報

もっとも美しい数学 ゲーム理論   【もっとも美しい数学 ゲーム理論】(#1581)

  トム・ジーグフリード (著), 冨永 星 (翻訳)
  価格: ¥2,200 (税込)
  文藝春秋(2008/02)

 本書は、「ナッシュが作った基盤の上に打ち立てられたゲーム理論が、いかに多様な形でいかに広範な科学の分野に応用されているかを紹介する」ものです。
 序章では、「科学界では、ナッシュが作った数学が、ニュートンが作った数学やアインシュタインが作った数学に優るとも劣らぬほど、さまざまな分野とつながりを持つようになってきている」として、ナッシュの数学が、「いまやその上に打ち立てられた近代的なゲーム理論ともども、人間の行動に関するさまざまな研究の第一線にいる科学者たちが好んで武器庫から取り出す武器となっている」
と述べています。
 第1章「アダム・スミスの『子』」では、「物質世界を対象とするニュートン力学を人間行動の科学と融合させることによって何かが分かる、という発想を引き起こしたのはスミスにほかならない」と述べた上で、「スミスの着想と近代における人間性という概念とゲーム理論」という三者の関係を理解する上で欠くことのできないポイントがあるとして、スミスが、「人間は例外なく利己的である、と信じていたわけではなかった」と述べ、「スミスが人間性に関して、今日の経済学の教科書よりはるかにやさしく親切な視点に立っていた」という点に関して、ゲーム理論も、「人間は必ずしも利益が最大になるような選択をしない」ということを明らかにしてきたと述べています。
 第2章「フォン・ノイマンの『ゲーム』」では、フォン・ノイマンが、「優秀な数学者でありながら、他の科学にもいろいろと貢献した」のは、「人間同士のやり取りの後ろには、公明正大な規則があるはずだ、という信念があったから」であり、「その結果、ノイマンの業績は、数学を社会理論の重要なツールに変える上で、欠かせないものとなった」と述べています。
 そして、「フォン・ノイマンの素晴らしい洞察の本質」として、「二人で行うゼロサムゲームでは、必ず最良の戦略が見つかる。ただし、最良の戦略が混合戦略である場合が多い」と述べています。
 第3章「ジョン・ナッシュの『均衡』」では、ナッシュが、「後にゲーム理論の最も著名な柱となる『ナッシュ均衡』という概念を紹介した論文」によって、「ゲーム理論の預言者という地位を確立することになる」と述べた上で、「ナッシュ均衡という概念は、おそらく単一の概念としては、ゲーム理論における最も基本的なもの」だと述べています。
 そして、ナッシュの、
・交渉問題に関する(協調が行われる状況でのゲームを扱った)論文
・多人数参加型ゲームにおける均衡に関する業績
という2つの達成によって、「ゲーム理論の展望はフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの著作を超えて、大きく広がることとなった」と述べ、「いまやゲーム理論はさまざまなことがらを理解しようと試みる化学のさまざまな取り組みの中で広く使われるようになっている」と述べています。
 第3章「メイナード・スミスの『戦略』」では、「ゲーム理論が最初に科学分野で大成功を収めたのは、この理論を使うことによって生物学の謎が解明できるということが広く認められたときのことだった」として、「ゲーム理論を使えば、生物進化のさまざまな特徴の説明がつく」ことなどを紹介しています。
 そして、メイナード・スミスが、「進化的に安定した戦略こそが、生物学におけるナッシュ均衡」であることを説明したと述べています。
 また、アクセルロッドが、「『囚人のジレンマ』ゲームの競技会を開いて、ゲーム理論学者自身の技能をテストする、という素晴らしいアイデアを思いついた」結果、勝利を収めた戦略は、「オウム返し(ティット・トゥー・タット)」という人まね作戦だったと述べています。
 第5章「ジーグムント・フロイトの『夢』」では、「1900年代末に、ゲーム理論はまさに、神経科学と経済学を統合するにふさわしい数学であることが明らかになり、神経経済学と呼ばれる新たな複合型の学問分野が生まれることになった」と述べ、「結局のところ、経済的な効用という曖昧な概念を数値で表すには、ゲーム理論が欠かせなかった」と述べています。
 第6章「ハリ・セルダンの『解』」では、「さまざまな文化を対象としてゲーム理論に基づく調査を行ったところ、多くの文化において、人々が、従来の経済教科書が前提としてきたような利己的姿勢で経済ゲームに参加するわけではないことが明らかになった」と述べ、ゲーム理論に基づいた実験の結果、「文化が違えば生活も違い、このような文化的な暮らしの差異が経済行動にも反映される」という事実が明らかになったと述べています。
 第8章「ケヴィン・ベーコンの『つながり』」では、「科学の世界のいたるところで、ネットワークの概念に触発されて、社会の非常に込み入った問題を評価検討する新たな視点が生まれていった」と述べ、1998年6月4日に、ダンカン・ワッツとスティーヴン・ストロガッツの「スモールワールド・ネットワークにおける集団力学」が雑誌『ネイチャー』に掲載されたことで、「ネットワークに夢中なネットワークマニアが誕生した」と述べています。
 そして、「スモールワールド」ネットワークのモデルが、「驚きをもって迎えられ、マスコミに報道旋風を巻き起こし、やがてネットワークに夢中なネットワーク・マニアたちが生まれた」という考えに対して、ストロガッツ自身は、「あの論文があれほどの反響を呼び起こしたのは、僕たちが、初めて異なる分野のネットワークを比較し、ネットワークには分野を越えた共通の性質があるということを指摘したから」だと語っていることを紹介しています。
 また、「さまざまなネットワークに共通する重要な特徴の一つ」として、「多くのネットワークが実際にスモールワールドの性質を示している」ことを挙げたうえで、社会的なネットワークで特に興味深い点として、「相対的にクラスタリングの割合が高いという特徴」を挙げています。
 さらに、「典型的な普通サイズが存在しない分布」である「スケールフリー」について、「このようなスケールフリーな分布があるということは、『べき法則』が働いているという確かな証拠なのだ」と述べています。
 著者は、「結局のところネットワークとは、時とともに成長し進化した複雑系のことであって、進化生物学者たちも気づいたように、ゲーム理論は、このような複雑な進化を叙述する強力なツールなのだ」と述べています。
 第9章「アイザック・アシモフの『ヴィジョン』」では、「最小単位である粒子一つ一つの相互作用が複雑すぎてはっきりしない系を叙述するときに物理学が採用する数字」である「統計力学」を基盤とした「社会物理学(ソシオフィジックス)」について、「経済物理学よりはるかに野心的だ。最終的には人間の相互作用全てが対象となり、当然、経済物理学もその一部となる」と述べています。
 そして、「近年、社会やネットワークを叙述する上で統計力学が大いに活用されるようになってきていることや、ゲーム理論がそもそもネットワークや社会と密接な関係を持っていることを考え合わせると、統計力学とゲーム理論との関係は表面的なものにはとどまらないのかもしれないという気がしてくる」と述べています。
 第10章「デイヴィッド・マイヤーの『コイン』」では、「量子の数学とゲーム理論を融合させるのは、実はごく自然なことで、ある意味、もっと早くにそういう動きが現れなかったことのほうが不思議なくらい」である理由都市t、絵「近代ゲーム理論の創始者ジョン・フォン・ノイマン」が量子力学の先駆者であったことや、量子ゲームが作り出されることは、「元をたどれば、フォン・ノイマンがデジタル・コンピュータ開発の先駆者であったから」だと述べています。
 「エピローグ」では、「フォン・ノイマンもナッシュも統計力学を元に推論を進めたという意味で、ゲーム理論は物理学が蒔いた種から生まれた学問といえる」とした上で、「ゲーム理論が科学において非常に大きな力を持つ可能性があるのも、この理論の知的広がりが大変大きく、一見矛盾するかに見えるさまざまなものを抱え込むことができるからだ」として、「ゲーム理論は全てを統合する。それはどうしようもなく混乱しているかに見えるこの世界を意味づける数学的な処方を提供し、自然の法典を追い求める科学者たちの努力が決して無意味でもなければ到達不可能でもないことを、はっきりと示すものなのだ」と述べています。
 本書は、ゲーム理論が持つ大きな可能性を紹介した一冊です。


■ 個人的な視点から

 ゲーム理論は、以前から経済学以外にも生物学や法律学などさまざまな分野への応用が言われてきましたが、本書のように幅広く紹介した一冊はなかったのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・ゲーム理論は経済学だと思う人。


■ 関連しそうな本

 ウィリアム パウンドストーン 『囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論』 2006年09月11日
 シルヴィア ナサー (著), 塩川 優 (翻訳) 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』 2006年11月20日
 ノーマン マクレイ 『フォン・ノイマンの生涯』 2006年11月21日
 ダンカン ワッツ (著), Duncan J. Watts (原著), 栗原 聡, 福田 健介, 佐藤 進也 (翻訳) 『スモールワールド―ネットワークの構造とダイナミクス』 2006年03月22日
 D・B・バラシュ (著), 桃井 緑美子 (翻訳) 『ゲーム理論の愉しみ方 得するための生き残り戦術』 2007年07月09日
 トーマス・シェリング (著), 河野 勝 (翻訳) 『紛争の戦略―ゲーム理論のエッセンス』 2008年12月07日


■ 百夜百マンガ

ラーメン王子【ラーメン王子 】

 ラーメンはここまで人をひきつけるのか、と言わせてしまうのは作品の内容というより、こういう作品ができてしまうこと自体なのかもしれません。

2009年5月19日 (火)

テレビ救急箱

■ 書籍情報

テレビ救急箱   【テレビ救急箱】(#1580)

  小田嶋 隆
  価格: ¥777 (税込)
  中央公論新社(2008/04)

 本書は、『読売ウイークリー』に連載されたテレビ批評コラム「ワイドシャッター」をテーマ別に採録したものです。
 著者は、「やんちゃ」という言葉がスタジオトークで市民権を得たことについて、「テレビに出演するタレントさんが、『建前』を捨てて、『本能』や『本音』や『欲望』を、モロに語るようになったことで、スタジオの中に、『露悪』を賞賛し、『暴力』を賞賛する空気が蔓延してきている」と指摘しています。
 第1章「傷だらけのバラエティー」では、明石家さんまについて、「さんまほどの大物になると、内容が空疎でも視聴者を誘導するだけのオーラを持っている」が、「要するに、そういう蓄積の上に、長らくこの男はあぐらを書いてきた」と指摘し、「テレビが出演者を『見切る』タイミングは、視聴者の側が急死をも疑うほどに唐突かつ性急」だとして、「どこかの局が猫の首に鈴をつけると、他局も一斉に追随する」と述べています。
 また、「現状、若手芸人が求められている役回りは、イジメ被害者の『モガキ』だ」として、「われわれの社会は、誰かが恥をかいたり、痛い目に遭ったりしている姿を大勢で眺めて笑うという、集団リンチにおける爆笑発生過程みたいなものを産業化している」と述べています。
 さらに、バラエティ番組のテロップ濫用について、「気がつくと、視聴者であるわれわれの側も、日本語聞き取り能力を喪失しつつある」と指摘しています。
 第2章「TVホスピスにほえろ!」では、北朝鮮のテレビについて、「どこをどう見ても前近代的で、我が国のテレビの水準に比べると、あらゆる点で立ち遅れている」が、「アナウンサーについてのみ言うなら、北の圧勝なのだ」と述べています。
 また、石原良純について、「俳優として二流でも、歌手としては三流でも、石原家の人間としては超一流」だとして、「いけ好かない威張りや揃いのあの家の男たちの中で、唯一、二男坊の良純だけは、ナチュラルでハイテンションでちょっと間抜けで以外に物知りな、要するに愛すべき人格の持ち主」だと述べています。
 さらに、芸能リポーターについて、「前忠、ナシモト、みといせい子、福岡翼……と、この30年」まるで変わっていないことを指摘し、「野球で言えば、巨人軍の四番がいまだに原辰徳だったりする感じに近い」と述べています。
 第3章「業界の好物は三つのS」では、「発掘!あるある大辞典2」の納豆ダイエットデータ捏造騒動について、「過剰反応」だとしたうえで、「有害なのかというと、さして致命的な被害を与えているわけじゃないことも事実」だと述べ、「犬のクソ程度のモノ」で、「無視して通り過ぎれば無問題」であるのに対して、「問題なのは、オカルトだ」と述べています。
 また、宮崎県の東国原地塩テレビ出演について、「政治家とテレビ局の間で、『テレビ出演機会』が、『利権』としていやりとりされている」ことを指摘し、「テレビ局が特定の県知事に対して宣伝機会を無償提供している現状は、構造としては特定の業者(たとえばゴルフ場)が、地方公共団体のトップに対して便宜を供与」しているのと同じ構図ではないかと指摘しています。
 第4章「毎日が仁義なき騙し合い」では、街頭インタビューについて、「いまどき街頭でいきなり顔出しのインタビューに応じてくれる通行人が何人いると思う?」として、「街頭インタビューは、最終的には、必ずや予定稿の上に着地する。というよりも、あれは、作り手の意図なり思惑を町の声に代弁させる形で映像化する演出技法のひとつであるに過ぎない」と指摘し、街録の共通項として、取材現場および取材対象が、
(1)新橋の酔客
(2)巣鴨地蔵通りのご老人
(3)渋谷センター街の山姥ギャル
あたりに集中するのは、「街録に応じてくれる人々」を確保できる場所が限られているからだと述べています。
 第5章「いつかキラキラする日」では、「ここしばらく、話題場面の視聴をニコニコ動画によるサルベージに依存している私は、ろくにテレビを見なくなった」と述べ、「ニコニコの画面に慣れてしまうと、字幕のないテレビは、どうにも退屈に見える。なんというのか『臨場感』が皆無なのだよ、通常モードのテレビ画面は」と述べています。
 本書は、ネットに対して相対化された、現代のテレビの一つの見方を示してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 基本的にテレビは見ないのでテレビ批評を読んでも面白くないのではと予想してましたが予想を裏切って面白かったのは、テレビを見ていないからこそ、テレビを突き放して見れたからではないかと思います。著者のような視聴者が増えてからのテレビのあり方はどうなるのか楽しみです。


■ どんな人にオススメ?

・テレビを最近見なくなった人。


■ 関連しそうな本

 小田嶋 隆 『テレビ標本箱』
 小田嶋 隆 『1984年のビーンボール』
 小田嶋 隆 『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』
 小田嶋 隆 『パソコンは猿仕事』
 小田嶋 隆 『人はなぜ学歴にこだわるのか。』


■ 百夜百マンガ

ネイチャージモン【ネイチャージモン 】

 お笑いの人の特技や関心のうち、テレビ向きではないものというのはあると思うのですが、漫画でそういうのを使っちゃうというのはすごいです。

2009年5月18日 (月)

現代日本の政治過程―日本型民主主義の計量分析

■ 書籍情報

現代日本の政治過程―日本型民主主義の計量分析   【現代日本の政治過程―日本型民主主義の計量分析】(#1579)

  小林 良彰
  価格: ¥3,360 (税込)
  東京大学出版会(1997/01)

 本書は、「政治学を学び、研究する者」の課題として、「現代日本の政治過程を計量的に分析」し、「わが国において、『選挙の際に政党や候補者が提示した公約に基づいて有権者が投票し、選出された議員が付託された民意に基づいて国会の中で議論をして政策を決定し、官僚がこれを執行すると言う民主主義の理念」が実行されてきたかを検証するものです。
 著者は、「われわれの『日本型民主主義』のどこに問題があり、どこを直せば、わが国の民主主義が改善するのであろうか」という課題について、
「日本型民主主義」の機能不全として、「有権者の意向が政治に反映されていないという状態」を指摘しています。
 第3章「政党公約と政府支出」では、「わが国において、有権者が選挙を通して政党・候補者に委託した民意が、どのような形で再び有権者にフィードバックされているのかを実証的に分析する」としています。
 その結果、
(1)わが国の政党公約の推移を見ると、頻繁に移動を繰り返している。
(2)政党公約が政府支出に与える影響については、わが国は諸外国とは異なり、全体的に政党公約が予算決定に反映される度合いは低い。
(3)政党を通さない形で国民の要求が政府支出に反映されている領域がある。
(4)政党公約と政府支出の関係は、政策領域によって、ある程度のバリエーションが見られる。
の4点を挙げ、「わが国では、間接代議制によって有権者の意向が政策形成に反映されることが期待されているものの、現実には、政策形成に関与できる国民は限定されている」と述べています。
 第4章「公約と投票行動」では、「候補者が選挙の際に有権者に提示する公約に焦点を当て、投票行動に際して有権者が判断材料としているのかどうかを検証」するとした上で、93年衆院選について、「政治改革を中心として争われた選挙であったのにもかかわらず、政治改革の中身についての言及も少なく、選挙結果にも大きな影響を与えることはなかった」と述べ、結果としては、「同じ選挙結果が非自民連立政権と自民連立政権の双方をもたらすことになり、有権者がこの選挙で何を選択できたのか、あらためて疑問に思う」と指摘しています。
 第5章「選挙における公約の機能不全」では、わが国の民主主義システムの機能不全を指摘した上で、「選挙の前と後で言動が異なったり、選挙前には何も公約として出さないまま、言い換えると、その問題については有権者の信任を得ないまま得た議席で、選挙が終わると、白紙委任を受けたかのように行動する政治家がいる」と指摘しています。
 第6章「政治家のキャリア・ポイント」では、「55年体制下において、わが国の政策形勢を動かしてきた論理を解明するために、キャリア・ポイントという概念を構築する」として、「一般の社会で見られるキャリア・パターンという概念を、政治家にも当てはめてみる」と述べています。
 そして、55年体制下におけるキャリア・パターンの構造として、「首相に最も近いところに大蔵大臣が位置し、これに外務大臣、通産大臣、党三役が続いている。そして、これら6ポストの後方に、内閣官房長官、農林水産大臣、防衛庁長官、運輸大臣、建設大臣が位置し、さらに少し離れて、厚生大臣、郵政大臣、労働大臣が位置していることが明らかになった」と述べ、「キャリア・ポイントという客観的な指標を用いて、国会議員の政治力を見てみると、核内閣、派閥、あるいは役職ごとに、55年体制の特徴が顕著に現れてくる」と述べています。
 第7章「政治的合理性仮説の検証」では、「わが国の政治化が自分たちの利益のために行動すると仮定し、それが現実に当てはまるのかどうかを分析していく」と述べた上で、
(1)地方自治体に対する補助金の決定に、財政状況や経済環境ばかりではなく、政治環境も影響を与えている。
(2)地方自治体の歳出の決定に、政治環境が影響を与えている。
(3)地方自治体に対する補助金の供与や財政支出は、キャリア・ポイントや票となって政治家に利益を還元している。また、キャリア・ポイントや票は、政治家に政治資金をもたらし、その政治資金がさらに政治家にキャリア・ポイントや票をもたらすという連鎖も見られる。
の3点を明らかにしています。
 第9章「有権者の反応:ミクロ分析」では、「55年体制の終了に当たり、『何故、政権交代が生じたのか』と言う質問をする人がいるが、私は、むしろ『何故、政権交代が遅れたのか』を問いたい」として、自民党の相対得票率が、67年衆院選で50%を下回っていて、「本来であれば、そのときに政権交代が起きていても不思議ではなかった」のに30年遅れたと述べ、その理由として、
(1)定数不均衡
(2)新自由クラブという補完勢力の存在
(3)棄権の存在
の3点を挙げています。
 第10章「民主主義再生のための方策」では、「選挙の際に政党や候補者が提示する政策があまりにもあいまいで具体性に欠ける」として、「選挙の際に、政党や候補者が次年度予算案を提示することを義務付けることにしたい」と述べています。
 本書は、日本の民主主義の課題を計量的に指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 いかにその後の変化が大きかったと言えども、日本の政治、特に55年体制の構造をよく理解していないと、現在の日本の政治は理解できないような気がします。その意味では、戦後政治をわかりやすく解説しているのではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・現代日本の政治を理解したい人。


■ 関連しそうな本

 ドナルド ウィットマン (著), 奥井 克美 (翻訳) 『デモクラシーの経済学―なぜ政治制度は効率的なのか』 2008年10月11日
 小林 良彰 『公共選択』 2005年04月15日
 アレンド レイプハルト (著), 粕谷 祐子 (翻訳) 『民主主義対民主主義―多数決型とコンセンサス型の36ヶ国比較研究』 2006年02月20日
 佐々木 毅 『政治学講義』 2005年03月11日
 佐々木 毅 『民主主義という不思議な仕組み』 2009年02月25日
 ロバート・A. ダール (著), 中村 孝文 (翻訳) 『デモクラシーとは何か』 2009年03月09日


■ 百夜百マンガ

ザリガニ課長【ザリガニ課長 】

 犬、猫、ザリガニと動物擬人化ものを得意とする人です。結構若いのかと思ったら、もう20年選手のベテランだということに驚きました。

2009年5月17日 (日)

ヤモリの指―生きもののスゴい能力から生まれたテクノロジー

■ 書籍情報

ヤモリの指―生きもののスゴい能力から生まれたテクノロジー   【ヤモリの指―生きもののスゴい能力から生まれたテクノロジー】(#1578)

  ピーター フォーブズ (著), 吉田 三知世 (翻訳)
  価格: ¥2,310 (税込)
  早川書房(2007/03)

 本書は、「生物の形、システム、プロセスなどをまねて、人間が利用できる技術を生み出そうという取り組み」である「バイオ・インスピレーション」(日本では一般的には「バイオ・ミメティックス:生物模倣技術」)という新しい技術分野を紹介したものです。
 第1章「日の下に新しきものあり」では、「多くの科学者たちが、人間の技術と自然のあいだにある亀裂を埋めることが可能だと考えている」として、「バイオ・インスピレーションとは言わば、これまでなかった驚くべき性質を持った材料をつくり出す、バラエティーが増す一方の新しい技術の総体」だと述べています。
 そして、「今振り返ってみると、自然はいかにしていろいろなものを作り上げるのかについて、人間がこれほど長いあいだ何も知らなかったのがとても不思議に感じられる」と述べた上で、バイオ・インスピレーションの、「他の最先端科学が持ちえない魅力」として、
(1)バイオ・インスピレーションには魅力的な生き物の研究という側面があり、蝶、ヤモリ、ハスなどの魅力に新たな次元を加える。
(2)できあがったものには利用価値がある。
の2点を挙げています。
 第2章「身づくろいする聖なる大ハス」では、ハスの葉が持つ自浄能力について、「ミクロレベルやナノレベルで観察することによって、実は表面には荒い凹凸があったという、暴かれた」として、「そのおかげで、ロータス-エフェクトを使って自浄作用を持つ表面を作るという、新しい応用分野が人間に開かれることになった」と述べています。
 そして、「水はわたしたちにとって重要な物質のひとつだが、人間は複雑な化学物質や反応ばかりを追及しているうちに、自然が起こす精妙な現象のいかに多くのものが、単純に水を何らかの方法で操作することに基づいているのだということを忘れてしまった」と述べています。
 第3章「自然のナイロン」では、「クモの糸は、並外れた伸延性と、高い引張強度を併せ持つ唯一の物質なのだ」とした上で、「バイオ・インスピレーションの創成期には、ある生物が持っている性質のうち、特に目立つ単独のものが注目されていた」が、「数億年にわたって進化を続けてきた生物は全て、さまざまな状況に適応できる能力を持っているはずだ」と述べています。
 第4章「天井の歩き方」では、ヤモリが「垂直な面を思いのままに走り回る」理由について、「電子顕微鏡で観察すると、ヤモリの足のつま先部分にはたくさんの毛が密集して立っている」と述べ、「ヤモリの毛が物の表面に接触する際に働く力の正体は何なのだろう?」として、この力が、「電気でも磁気でもなく、化学的な結合力でも」なく、「ファンデルワールス力」と呼ばれる、「ナノ領域の下端(最長でだいたい2ナノメートルまで)の領域で、すべてのものに作用する普遍的な凝集力」だと述べています。
 第5章「自然の瞳に写る小さな輝き」では、「生存競争においては、隠すことは顕すことと同じように重要である」として、「生物が採用しているカムフラージュ手段は、バイオ・インスピレーションの最初期の例の一つにも」なったと述べています。
 そして、「頭足類の脳と伸経験は高度に発達しており、体の模様を意識的に変えることができる」ことについて、東京大学大学院情報理工学系研究科の舘ススム教授が、「一人の人間がフード付きのコートを身にまとい、その人間の後ろにあるカメラが捉えた画像をコートの前面に映し出し、後ろにあるものが何であれ、それと同じ光景が前面に現れるようにした」と述べています。
 第6章「自己組織化する分子」では、メフメト・サリカヤが、「バイオ・インスピレーションの手法で、たとえばナノ・コンピュータチップのような実際に役立つ構造を人為的に作り上げたい」ならば、「作るべきは、シリコン、ゲルマニウム、ガリウム――コンピュータチップを作るための材料――でできた構造」だと気づいたと述べています。
 また、バクテリオファージについて、「人間が自己組織化する構造を科学技術を用いてつくり出すうえで、二通りのやり方を通じて助けとなる可能性がある」として、
(1)ファージそのものの生物的性質を利用して材料を組織化する方法
(2)ファージを比喩として使う方法
の2点を挙げています。
 そして、「このような有機物と無機物の複合材料」についての、最終的な研究目標が、「量子ドットコンピュータの『部品』を作ること」だとして、「バイオ・インスピレーションに基づく材料化学の目標は、今日のコンピュータチップのように全く生命を持たない素子を人間の技術によってつくり出すこと」だと述べています。
 第7章「昆虫は飛べない」では、米国防衛高等研究計画局(DARPA)が、3500万ドルをかけて開発計画に着手した「マイクロ飛行機」の目標が、
・直径15センチメートルの球に収まる
・重さ140グラム以下
・最長飛行時間2時間
・最長飛行距離10キロメートル
・時速50キロメートル以内の風の中で飛行することができる
・コントロールパネルで遠隔操作しなくても操作が可能
という条件を満たす飛行機であったと述べています。
 そして、昆虫の飛行を真似る上での問題点として、「昆虫の翅は動くが、飛行機の翼は固定されている」ということだと述べています。
 第8章「エンジニアのための折り紙」では、東京大学名誉教授で折りたたみ構造の専門家である三浦公亮が開発した「三浦折り」に関して、「葉折りを発明したのは自然だが、人間が葉折りに気づいたのは、折り紙、とりわけ三浦公亮の仕事を介してであった」と述べています。
 第9章「圧縮力と聴力の建築システム」では、「何千年ものあいだ、人間は圧縮力だけを利用して建設を行ってきた」が、「張力構造が建築の用語として公認されるようになったのは釣り橋が登場してからのことだ」と述べています。」
 そして、「建築は実用性を追求する技術であると同時に、象徴性を持った芸術でもある」として、「建築はそれぞれの時代を反映するものであるべきで、この様式自体が、わたしたちは技術力のおかげで過去に起こったことがらをすべて保存できるだけの存在ではなく、私たちの文明もそれなりの形で活力に満ちた文明なのだ」というメッセージだと述べています。
 第10章「未来を(自然に倣って)設計する」では、バイオ・インスピレーションが、「単に実用性を重んじるという態度を超えた、さまざまな形で表現される『生きるものへの向き合い方』を象徴している」と述べています。
 そして、バイオ・インスピレーションがなしうる貢献として、
(1)自然の中で起こる最も見事で美しい現象のいくつかについて、そのメカニズムを明らかにすることによって、生物学の領域を大々的に拡大した。
(2)自然の見事な現象のメカニズムを解明するというこの仕事を、実用的な技術として応用できるかもしれないということ。
の2点を挙げています。
 本書は、生き物を見る目を変えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ヤモリのことを英語で「Gekko」と言うそうですが、「オオヤモリ」とも呼ばれる「トッケイヤモリ」は「Gekko gecko」なのだそうです。ふざけた名前ですが、日本人はカエルと間違えてしまいそうです。


■ どんな人にオススメ?

・ヤモリの指をよく見たことがない人。


■ 関連しそうな本

 ショーン・B・キャロル (著), 渡辺 政隆, 経塚 淳子 (翻訳) 『シマウマの縞 蝶の模様 エボデボ革命が解き明かす生物デザインの起源』
 石田秀輝 『自然に学ぶ粋なテクノロジー なぜカタツムリの殻は汚れないのか』
 赤池 学, 金谷 年展 『カタツムリが、おしえてくれる!―自然のすごさに学ぶ、究極のモノづくり』
 John Whitfield (著), 野中 香方子 (翻訳) 『生き物たちは3/4が好き 多様な生物界を支配する単純な法則』
 ニール シュービン (著), 垂水 雄二 (翻訳) 『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト―最新科学が明らかにする人体進化35億年の旅』


■ 百夜百音

Bohemian Rhapsody【Bohemian Rhapsody】 Queen オリジナル盤発売: 1992

 YOUTUBEにスキャナーのモーター音で「ボヘミアン・ラプソディ」を歌わせちゃっている映像があるのですが、すごいです。

2009年5月16日 (土)

わたしたちはなぜ科学にだまされるのか―インチキ!ブードゥー・サイエンス

■ 書籍情報

わたしたちはなぜ科学にだまされるのか―インチキ!ブードゥー・サイエンス   【わたしたちはなぜ科学にだまされるのか―インチキ!ブードゥー・サイエンス】(#1577)

  ロバート・L. パーク (著), 栗木 さつき (翻訳)
  価格: ¥1995 (税込)
  主婦の友社(2001/3/1)

 本書は、「われわれは自然法則に支配された世界に暮らしており、魔法はけっして起こらない」ことを読者に理解させることを目的としたものです。
 「はじめに」では、人々が、「信奉する宗派を選び、支持する政党を選び、ひいきの野球チームを選ぶようにして、科学を選んでいる」として、「『世界はこうあって欲しい』という自分の望みに合う科学を、自分勝手な尺度で選んでいる」と述べています。
 第1章「ニュースなんかじゃない、ただのエンターテインメントさ」では、「ある出来事を単純に誤解していた人々が、やがて自分自身をあざむきはじめ、そこから一足飛びに詐欺の実行へ発展していくケースは多い。『愚かさ』と『詐欺』の境界線は実に細い」と述べ、こうした「ブードゥー・サイエンス(邪悪な科学)」について、
(1)病的科学:科学者が自分で自分をだます科学。
(2)ジャンク科学:司法関係者の科学の知識が浅いことに付け込み、集団訴訟で企業を食い物にする「集団訴訟科学」。
(3)ニセ科学:科学でカネもうけをたくらむ「詐欺科学」。
の3つに分類しています。
 そしてブードゥー・サイエンスが、「科学雑誌や学会での発表という通常の手段を全く踏まず、直接メディアに宣伝される」ため、「大衆が知らされる科学は科学界の偏った一部の世界だけとなり、インチキ科学がいかにも正統科学であるような誤解を一般市民に与える」と述べています。
 第2章「信じたがる脳」では、「人間は、必死になって他人を欺こうとするうちに、自分自身まで欺くようになる――そして、『愚かさ』と『詐欺』の境界線がどこにあるのか、分からなくなる」と述べています。
 地球温暖化論争について、「『科学論争』ではなく、『人間の価値観の論争』といえる」と述べ、「人間の考え方は政治や宗教の世界観に左右される。いくら科学者として合理的に物事を考えようとしても、人間が最初に覚える世界観は、幼い頃に親から学んだものであり、それが科学者としての世界観とのあいだに大きなギャップを生む」と指摘しています。
 そして、「われわれの祖先は、人類に進化する前から、信じたがる脳を持っていた」とした上で、「科学的な考え方を取り入れる最善の方法は、とにかく『実験を尊重する』という初心に帰ることだ」と述べ、「ある理論がどれほどもっともらしく聞こえても、最後の断を下すのは『実験』である」としています。
 第3章「ニセ薬に副作用あり!」では、『USAトゥデー』に紹介された「ビタミンO」なる商品広告について、「地球上で最も豊富に存在する物質を成分としており、安全」であり、「体内の栄養素を最大限に活用し、血液を浄化し、有毒物質を排出する――つまり病気を予防し、健康を増進する、あらゆる効能がある」とされているが、その正体は、「蒸留水中の安定化した酸素分子と塩化ナトリウム」、すなわち「ただの塩水」だと指摘しています。
 また、「動物磁気とホメオパシーとの類似点は実に興味深い」として、「治療師が治療に役立つと考えていたものが、最後には除去されても、効果は全く減じない」という共通点を指摘し、「代替療法は医学の領域に属するものではなく、『文化』ととらえたほうがよさそうだ――科学的な立証を厳しく要求されない文化」だと述べ、「反科学(アンチサイエンス)や科学技術恐怖症(テクノフォウビア)といった感情が、テクノロジー崇拝に対する批判を生み、『自然』療法の中に一つの答えを見出す。そして、なんの根拠もない代替療法にだまされてしまう」と指摘しています。
 第5章「ブードゥー・サイエンス、議会に登場」では、1989年に開催された「核融合エネルギー研究の最新開発」に関する公聴会について、下院議員たちの心を「がっちりとつかんだ」のは、「科学」ではなく、「下院議員たちがよく理解できる言葉」である「カネ」の話だったと述べています。
 そして、「『科学の現実』は、しばしば『政治のゴール』と衝突する」として、「そうした場合こそ、外部からの客観的な助言が必要なのである」と述べています。
 第6章「『永久機関』は実現可能か?」では、「フリーエネルギーを発見した」という主張が、「どれも最初は悪意がなかったかもしれないが、最後は違った。どのケースも、科学者や発明家がまず自分自身をだまし、後には故意に他人をだまし始めた」として、「こうしたアイディアを利用する腕利きの詐欺師が、いつの時代にも必ずいるものだ」と述べています。
 そして、「現代では、科学的な考え方を否定したり、科学を信用せずに批判する動きが広がっている」が、「根源的な物理学の法則に信用を置かないのは、無謀な博打である」にもかかわらず、「技術の知識があり、責任ある高い地位の人間ほど、物理学の法則に信用をおかず、無謀な博打を打つ場合が多い」と述べています。
 第7章「恐怖の電流」では、送電線とガンの問題について、「送電線近辺に居住していることと、小児白血病の発症には、わずかながら統計的関係が見られ」るが、「送電線が集中して建築される地域は、たいて貧しい地域で、住宅が密集し、環境が破壊されて」いるという「ガンの危険要因」を抱えている地域であることを指摘しています。
 そして、ホワイトハウス科学事務局が、「これまでに送電線騒動の研究にかかった費用の総額は、送電線の移転や不動産価値の下落を含め、優に250億ドルを超える」
が、「その間、電磁場が健康に悪影響を与えたという訴えで、成功した訴訟は一軒もなかった」と指摘しています。
 第8章「ジャンク科学」では、ジャンク科学が、病的科学とは明確に区別されるとして、病的科学が、「科学者が自分自身をだますところからはじまる」野に対し、ジャンク科学は、「科学者ではない人間、とくに『陪審員』をだまそぐと、慎重に計画されている」と指摘しています。
 第9章「UFO、エイリアン、スターウォーズ計画」では、「UFO神話のきっかけとなったのが〈プロジェクト。モーガル〉という政府の極秘計画であるなら、それを野放しにしたのもまた政府の極秘計画だった」と述べ、「ロズウェル事件の本当のツケは、政府が国民の信頼を失ったことだろう」と述べています。
 第10章「『まかふしぎな宇宙』を利用しろ」では、「科学者がとくべつに高い理性や美徳を備えて」いるわけではなく、「科学は『イデオロギー、詐欺、愚かしさ』と『真実』とを区別する唯一の方法」だと述べています。
 本書は、われわれが「科学」という言葉にいかに弱いかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本でも「民間療法」の名の下にテレビや雑誌で怪しげな「科学」が大手を振って歩いているのではないかと思います。特に、週刊誌や新聞にとってこれらの怪しい「科学」がお得意様であることは、使いまわされていそうな「体験談」の写真を見るたびにわかるのではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・「科学」を信用してしまう人。


■ 関連しそうな本

 池田 清彦 『科学とオカルト―際限なき「コントロール願望」のゆくえ』 2009年05月10日
 佐藤 健寿 『X51.ORG THE ODYSSEY』 2008年05月18日
 マイケル・W. フリードランダー (著), 田中 嘉津夫 (翻訳), 久保田 裕 (翻訳) 『きわどい科学―ウソとマコトの境域を探る』 2006年01月21日
 伊勢田 哲治 『疑似科学と科学の哲学』 2006年02月12日
 マーティン・ガードナー 『インチキ科学の解読法 ついつい信じてしまうトンデモ学説』 2006年02月11日
 マーティン ガードナー (著), 市場 泰男 (翻訳) 『奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究』


■ 百夜百音

REBECCA/Complete Edition【REBECCA/Complete Edition】 REBECCA オリジナル盤発売: 1999

 この人たちの曲では、いまだにカラオケで歌われることが多いのはフレンズなのではないかと思いますが、個人的には「Raspberry Dream」はいい曲だと思うのです。

2009年5月15日 (金)

古代文明と気候大変動 -人類の運命を変えた二万年史

■ 書籍情報

古代文明と気候大変動 -人類の運命を変えた二万年史   【古代文明と気候大変動 -人類の運命を変えた二万年史】(#1576)

  ブライアン・フェイガン (著), 東郷 えりか (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  河出書房新社(2005/6/10)

 本書は、「人間と自然環境及び短期の気候変動との関係は、つねに流動的なものだった」として、「気候を無視することは、人類が経験してきた動的な背景の一つに目をつぶること」だと指摘しているものです。
 著者は、「現在の地球温暖化の問題は、近年の資本主義が母なる地球に産業力を振るって危害を与えようとしている証拠でもなければ、反企業活動家が世界に抱かせている妄想でもない。それは単にわれわれの脆弱さを暗影したものであり、それについていま考え、行動しなければならないものなのだ」と述べています。
 第1章「もろくて弱い世界に踏み入れて」では、「本書が、「増大する脆弱性」に関して述べたものであり、「人類が1万5000年間に、予測不能な気候変動と関わる中で、いかにたびたびもろくて弱い世界の人口に達し、ためらいもせずそれを乗り越えてしまったかについての物語」だと述べています。
 第2章「氷河時代末期のオーケストラ」では、「行が時代末期のヨーロッパは、苛酷な環境にある未開の土地だった」として、「そこには4万人ほどの石器時代の狩人たちが暮らしており、機を逃さず、処世術を駆使し、常に柔軟な対応をすることによって、この後驚くような変化を遂げる世界で、生き延びていた」と述べています。
 第3章「処女大陸」では、「1万5000年前、シベリアとアラスカは風の吹きすさぶ平原で繋がっていた」として、「セントラル・ベーリンジア」を取り上げ、「シベリアの北東部の殺風景な土地に、人類が最初にまばらに住み着いた頃、人はまだ北アメリカまで陸伝いに』わたることができた。人類はおそらくこのように自然のポンプの最後の活動に促されてアメリカ大陸にはじめて定住したのだろう」と述べています。
 そして、「何千年ものあいだ、人々は世界のどこでも、狩猟採集生活の柔軟性と小所帯ゆえに、干ばつや洪水に、激しい気温の変化に、あるいいは上昇する海面に苦もなく順応してきた。それは単純に移動することによって、あるいは食生活を調整することによって、なしえたのだ。人間が脆弱になったのは、すぐ近くに食料が豊富にある希少な場所に、一部の集団が恒久的な村を築いてからのことだった」と述べています。
 第4章「大温暖化時代のヨーロッパ」では、「大西洋のコンベヤー・システムはアマゾン川の100倍に相当する水力があり、地球の機構を左右する最大の要因の一つとなっている」とした上で、「最後に温暖化した後、なぜ寒さが戻らなかった」かについて、「地球の起動に変化が生じ、軌道上の長期的な時間の尺度で、日射率と地表の温度が上がったためだ」と述べています。
 そして、ヨーロッパが「わずか2000年」のあいだに、温暖化したことについて、「こうした環境的な変化は、凍結した世界に適応していた人間に特殊な難題を突きつけた」として、「大型動物の狩猟が困難になった」ことなどを挙げ、「クロマニョン人を救ったのは、環境に対する彼らの知識であり、とりわけ彼らのい動力だった」と述べています。
 第5章「1000年におよぶ干ばつ」では、前1万1000年ごろの大干ばつについて、「シリアのユーフラテス川沿いに長期にわたって存在した居住地」である「アブ・フレイア」を取り上げ、「これは何千キロも離れた北アメリカで起こった地質学上の劇的な出来事に誘発されたものだった」と述べ、北アメリカのアガシー湖の「莫大な量の淡水がラブラドル海に注ぎ込んだ」結果、「電気のスイッチのように大西洋のベルトコンベヤーを停止させた」と述べています。
 第6章「大洪水」では、トルコ中部のチャタルホユック遺跡を取り上げ、「大干ばつとそれに続く温暖化の最大の遺産は、食料の生産ではなく、むしろ土地に密着した全く新しい生活様式だったのかもしれない」として、「こうして、人々はこれまで以上に短期の機構の変化という厳しい現実にさらされるようになった。すなわち周期的に襲う洪水と干ばつであり、自給農民の生活につきものの危険である」と述べています。
 また、「人類を襲った最大規模の自然災害の一つ」として、前5600年ごろに、「地中海の水位が上昇して、マルマラ海よりも150メートル下方にあったエウクセイノス湖の深い湖盆を氾濫させ、黒海が形成されたとき」だと述べています。
 そして、「前5000年になると、人類を苦しめた大きな気候変動もおおむね終わった」としながらも、「かならずしも、この期間つねに気候が良好だったわけではない。あるいは世界のどこでも雨が充分にあったわけでもなかった」と述べています。
 第7章「干ばつと都市」では、「前3800年ごろ、気候が急に乾燥してきた」理由として、「太陽にたいする地球の傾きが変わったために起きたもの」だと述べた上で、「都市国家は、乾燥化によって引き起こされた長期の問題が生み出した産物だった。それは民を養い、地元の利益を守る最善の策を提供していた。メソポタミアの都市が初期に繰り返し試みたことは、環境危機に対処するためのユニークな方法だったのだ」として、「中央集権化と土地の組織化という巧妙な戦略は、情け容赦ない世界に対する最良の防衛手段だったのである」と述べています。
 第8章「砂漠の賜物」では、エジプト文明について、「多くの古代の文化が寄り集まったものであり、世界の秩序は天空を通過する太陽と、ナイル川の変わることのないリズムを中心に繰り返されているという古代思想から生まれたものだった」としながらも、「神聖な王権や、エジプトのイデオロギーの慣習の多くは、指導力や死後の世界に冠する原始的な概念に由来するものでもあり、砂漠の草原の過酷な現実の中d暮らしてきた牛牧畜民の精神の中で培われてきたものだった」と述べています。
 第9章「大気と海洋のあいだのダンス」では、「太平洋は絶えず動き続けるマシンである」とした上で、「大規模なエルニーニョ現象と熱帯集束帯の移動は、古代エジプト文明が生まれた当初からこの地域に影響を及ぼしていた」と述べています。
 そして、「都市や町に人々が移動した時点から、人間はある限界を超えていた。大きな定住地から動けなくなり、人間の手で管理された農地に依存せざるを得なくなった瞬間から、人はこれまで以上に、突然の気候変動にたいして脆弱な存在になったのだ」と述べています。
 第12章「壮大な遺跡」では、「キリスト生誕以前から西暦900年まで、十世紀以上にわたって、マヤ族は中央アメリカの低地で繁栄した」が、「あるとき突然、彼らの都市国家は崩壊した」とした上で、「マヤ文明が崩壊した根本的な原因は、少なくとも三度の大干ばつによって飢えと社会的大惨事がもたらされたためだった」と述べています。
 エピローグでは、「気候による圧力は、それが完全な崩壊をもたらさない場合は、往々にして社会を再編成し、技術革新を促す役目を果たす」と述べ、「つまるところ、温暖化の原因を探るのは付随的な議論でしかない」と述べています。
 そして、「気候は文明を形成する一助となってきたが、それは快適であるがためではない。完新世の予測のつかない気まぐれな気候は、人間社会に負担を強いて、適応するか、滅亡するかを迫った」と述べています。
 本書は、今と同じような気候を想像しがちな古代について、気候変動が大きな要因であったことを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の発見は、文明が発展するのは、気候に恵まれた環境にあったからだという過去の先入観に対して、むしろ気候変動という試練があったからこそ文明が発達した。そして対応できなかった文明は滅びた、という点ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・古代文明に憧れを持っている人。


■ 関連しそうな本

 ブライアン フェイガン (著), 東郷 えりか, 桃井 緑美子 (翻訳) 『歴史を変えた気候大変動』 2006年12月02日
 エドマンド・ブレア ボウルズ (著), 中村 正明 (翻訳) 『氷河期の「発見」―地球の歴史を解明した詩人・教師・政治家』 2007年02月04日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)』 2006年08月14日
 ジャレド・ダイアモンド 『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)』 2006年08月15日
 ジャレド ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』 2006年09月12日
 ジャレド ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』 2006年09月13日


■ 百夜百マンガ

餓狼伝【餓狼伝 】

 大ヒット格闘小説のコミカライズ作品。格闘マンガといえばこの人、という組み合わせは魅力です。

2009年5月14日 (木)

代数に惹かれた数学者たち

■ 書籍情報

代数に惹かれた数学者たち   【代数に惹かれた数学者たち】(#1575)

  ジョン・ダービーシャー (著), 松浦 俊輔 (翻訳)
  価格: ¥2,520 (税込)
  日経BP社(2008/4/3)

 本書は、「好奇心あふれる『数学者でない人々』のために書かれた代数の歴史」です。
 第1章「4000年前」では、ハンムラビ王時代のバビロニア人が、「しかるべき代数の記号表記を持ち合わせていなかった」とした上で、エジプト人などとともに、「数を書くための方法がどんなに原始的でも、これらの古代民族は、それなりに進んでいた」と述べ、「もっと驚くべきことは、その後との何世紀かには、ほとんど進歩がなかった」と指摘しています。
 第2章「代数の父」では、ギリシア数学の特色として、「ディオファントスの前までは、主として幾何的だった点」を挙げ、ディオファントスが、「歴史の運命によって、これほど想像力豊かに提示された、包括的な広い範囲の問題群を今に伝えた最古の人物となった」と述べています。
 第3章「補完と削減」では、中世イスラム圏の学者が、「西洋に『代数』という言葉をもたらした。この学者たちは、方程式そのものがかちある問いの対象だとしてそれに注目し、1次方程式、2次方程式、3次方程式を、使える手法で解くのがどれだけ難しいかによって分類していた」と述べています。
 第6章「ライオンの爪」では、アイザック・ニュートンについて、1696年に、スイスの数学者ヨハン・ベルヌーイが出した2つの難問を、丹生ートンガ見せられたその日に解き、その回答が匿名でベルヌーイに送られたときに、ベルヌーイが「匿名の答えを読んだとたん、それがニュートンのものだと悟った」として、「爪を見れば、ライオンと分かる」といったといわれていることを紹介しています。
 第8章「4次元への飛躍」では、1840年代が、「2つの新しい数学的対象をもたらした」として、
(1)ベクトル空間
(2)多元環
の2点を挙げています。
 第9章「項を四角く並べたもの」では、「ライプニッツは死ぬまでまったく知らなかったことだが、そのライプニッツとともに行列を日本で発見したのは関孝和」だと述べています。
 第10章「ヴィクトリア朝の霧の島」では、ジョージ・ブールについて、その大業績は、「論理を、代数記号を使うことによって、数学の一部門に引き上げた」という「論理の代数化である」と述べています。
 第11章「夜明けのピストル」では、「率直に認めよう。数学はドライな科目である。見栄えもぱっとしないし、波乱万丈ということもほとんどない」と述べた上で、「そのため数学史家は、エヴァリスト・ガロアの話を大いに利用する」と述べ、「少々利用しすぎでもある」と述べています。
 第14章「代数的なあれこれ」では、「ポアンカレが現代トポロジーの創始者となったことには興味深い矛盾がある」として、「矛盾とは、ポアンカレがトポロジーにたどり着いたのは解析を通してであり、特に、微分方程式で調べていたいくつかの問題を通してのことであった点である」と述べています。
 第15章「普遍算術から普遍代数へ」では、アレクサンドル・グロタンディークについて、「代数学の最近の歴史で最も色彩豊かで論争の的となる人物である」として、「その障害については広大な文献があり、今なお増えていて、今ではおそらく本人の数学的研究に関して書かれたものよりも多くなっているだろう」と述べ、「グロタンディークの話した迫ってくるのは、それが、魅力的な『アウトサイダー』に関する定型に合致するからだ。聖なる愚者、狂気の天才、世を捨てた求道者などである」と述べています。
 本書は、代数の歴史を魅力的に語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 いわゆる「数学書」が一般読者に対してどれほど面白いかといわれると自信がありませんが、「数学者」の話は十分面白いです。


■ どんな人にオススメ?

・「代数」って難しそうだと思う人。


■ 関連しそうな本

 ジョン・ダービーシャー (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『素数に憑かれた人たち ~リーマン予想への挑戦』 2007年06月03日
 ジョン・アレン・パウロス (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『数学者の無神論―神は本当にいるのか』 2008年03月05日
 ウィリアム・パウンドストーン (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『パラドックス大全』 2007年01月13日
 スティーヴン ウェッブ (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス』 2007年01月27日
 シルヴィア ナサー (著), 塩川 優 (翻訳) 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』 2006年11月20日
 E.T. ベル (著), 田中 勇, 銀林 浩 (翻訳) 『数学をつくった人びと〈1〉』 2007年07月16日


■ 百夜百マンガ

ゴージャス・アイリン―荒木飛呂彦短編集【ゴージャス・アイリン―荒木飛呂彦短編集 】

 伝説の「魔少年ビーティー」が収録されているということで、年をとらない荒木好きにはお勧めの一冊。

2009年5月13日 (水)

ヒトはなぜペットを食べないか

■ 書籍情報

ヒトはなぜペットを食べないか   【ヒトはなぜペットを食べないか】(#1574)

  山内 昶
  価格: ¥714 (税込)
  文藝春秋(2005/04)

 本書は、「ペットを食べると聞いただけで、怒り心頭に発し、おぞましい厭悪感を抱くのはなぜか」を明らかにしようとするものです。
 第1章「イヌを食べた人々」では、ヨーロッパでは、中世になるとドッグ・イーターがほとんど見られなくなった理由として、
(1)ユダヤ=キリスト教が、それ以前のアニミズム的な多くの異教の神々を否定し、それらの異教で神々の化身や従者だったイヌも悪魔的存在とされた。
(2)王侯貴族がイヌを猟犬として飼い、権力の象徴としたこと。
の2点を挙げています。
 そして、西洋で20世紀になってもイヌを食べていた事実を取り上げ、「他民族の古くからの犬肉食の伝統を野蛮だ、残酷だと非難、誹謗しておきながら、自分たちはこっそり食べていたのだから、西洋のいわゆる動物愛護精神とやらをもう一度根本的に検討してみる必要があるだろう」と述べています。
 第2章「ネコを食べた人々」では、「ローマ人たちが猫を敬遠して食べなかったのも、不気味で、油断のならない七変化的なその魔性のゆえではなかったか」と述べた上で、中世になると、「猫喰いは禁忌になっていた」と述べています。
 一方日本では、江戸時代に、猫の肉を甘く脂っこいとするものと、味も悪いとする本があったことを紹介しています。
 第3章「ペットを愛した人々」では、動物とのセックスについて、「なぜそうした話題に虫唾が走るようなおぞましい嫌悪感、全身に虫が這い回るような蟻走感を感じるのか」の謎を解くとしています。
 そして、古代の神話を例に、「古代では獣姦はなんら穢らわしい行為ではなく、むしろ神聖な結婚だった」と述べています。
 第4章「タブーの仕組み」では、「食・性タブーひゃ瓜二つの構造を持っていた」として、「インセスト・タブーとは性の次元に現れたペット食タブーであり、ペット食タブーとは食の次元に現れた近親姦禁忌にほかならなかったのであり、こうして従来別々に解釈されてきた性と食のタブーを統一的に把握する道が開けてくる」とのべています。
 第5章「贈物と祭り」では、近親婚禁忌を、「相互に女性を気前よく交換して、疎遠な敵性集団を親密な友好集団に変えて、社会的紐帯を作り出すための巧妙な文化装置だった」と述べた上で、「未開の王や首長が季節の変わり目や人生の節目の祭儀で、近親相姦を冒したり、禁じられた獣肉を食べるといった違反をわざと行ったのも、この違法なケガレた超人的行動によって文化と自然の隔壁をぶち壊し、超社会的な自然=カオスの聖なる魔力を帯びた怪物となって再び社会に復帰し、女性の生殖力を増強させたり、家畜や農作物の豊凶を左右する支配力を更新し、その霊力を人民に誇示するためだった」と述べています。
 第6章「ペットと消費文明」では、「市場に操作された我欲の満足のためだけにペットを消費財として独占し、猫可愛がりするのは、動物の独自性や聖性を認めず、その権利や固有性をないがしろにすることに他ならない」と指摘しています。
 本書は、人間にとってのペットの存在とは何かを考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 豚や牛などの畜産農家さんが本当に愛情を持って育てていながら、美味しくそれらの肉を食べられるのは、本書のテーマに関係があるような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・ペット大好きなヒト


■ 関連しそうな本

 宇都宮 直子 『ペットと日本人』
 鯖田 豊之 『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見』
 マーヴィン ハリス (著), 板橋 作美 (翻訳) 『食と文化の謎』


■ 百夜百マンガ

カムイ伝【カムイ伝 】

 どうにも長編なので、週刊誌で途中から読んでもよく分からないという記憶が強いです。いつかまとめて読んでみたい。

2009年5月12日 (火)

特捜検察

■ 書籍情報

特捜検察   【特捜検察】(#1573)

  魚住 昭
  価格: ¥672 (税込)
  岩波書店(1997/09)

 本書は、東京地検特捜部について、「真実を追究してやまない捜査官気質と、ときに政治的判断と組織防衛を優先させる官僚的体質。一体どっちが彼らの本当の顔なのだろう」か、そして、「そもそも特捜部を中核にした日本独特の検察システムはどうして生まれたのだろうか」という謎を解き明かすことを目的としたものです。
 第1章「日本の黒幕」では、東京地検特捜には、約30人の「全国各地から選び抜かれた捜査のプロたちが集まっている」として、「大半が30代後半から40代半ばまでの経験10年以上の中堅・ベテラン検事である」と述べ、「彼らに共通するのは、強烈なプライドである」としています。
 そして、特捜部では、「捜査会議で情報を共有する合議的な方式」をとらず、「主任検事だけに情報を集中させる『落下傘方式』が伝統的な捜査手法だ」と述べています。
 第2章「首相の犯罪」では、ロッキード事件について、「戦後史で最も強烈な個性の光を放つ政治家と企業家の結びつき。2人は、敗戦をスプリングボードに飛躍した。その点では児玉誉士夫も同じである。戦争とそれに続く混乱の中から生まれてきた3人の『怪物』が、ロッキード事件の主役たちだった」と述べています。
 また、「戦後間もない頃、収賄罪で起訴された政治家に無罪判決があいついだ」として、裁判所で「賄賂ではなく政治献金だと思った」という弁解が認められたことを挙げ、「以来、検察には、国会議員を有罪に持ち込むには業者側からの『請託』(依頼)を明確に立証し、受託収賄罪で起訴しなければならないという不文律ができた」と述べています。
 そして、「田中にとって最大の不運は、事件が政敵の三木武夫の政権下で発覚したことだった」としたうえで、「もう一つの不運は、検察首脳人事のめぐり合わせ」を挙げ、「一線検事たちは理想的な捜査環境に恵まれて、力量を十分に発揮した。戦後疑獄史でこれほど捜査が順調に進展し、最終目標に到達したケースは他にない」と述べています。
 第3章「特捜部の誕生」では、1948年の昭和電工事件について、「特捜部発足のきっかけになった戦後最大の疑獄だ」として、「この事件には、後の裁判でも解明されなかった大きな謎が残っている。事件の『陰の主役』として昭和電工と癒着したといわれるGHQ高官の正体である」と述べています。
 そして、1948年8月11日の捜査報告書ほど「昭和電工事件の真相を伝えるものはない」と述べたうえで、「反共主義者ウィロビーのG2にとって昭和電工事件はESSやGSの『アカ』たちを追い落とす絶好のチャンスだった」と述べています。
 また、「ニューディール政策の申し子ケーディスと、国家統制経済が生んだ経済検事のリーダー馬場義続。この2人の出会いが戦後の検察システムの形成に与えた影響は計り知れない」と述べ、ケーディスが「昭和電工事件の捜査から警視庁を外せ」と命じたことは、「検察復権の絶好のチャンスでもあった」と述べています。
 さらに、馬場が、「佐藤栄作ら保守本流に接近して、自民党政権との共存を図った」として、「腐敗の摘発も、やりすぎれば自由主義体制そのものが崩壊してしまう」という「一種のジレンマの中で政治的な駆け引きを繰り返しながら、検察組織の自立性と影響力を強めて」いったと述べています。
 第4章「国滅ぶとも」では、「特捜部で仕事をするのが僕の夢なんだ。一生に一度でいいから、悪い政治家をこの手で捕まえてやりたい」と希望に燃えていながらも、志半ばにして病に倒れた特捜部の副部長、馬場俊行氏を紹介しています。
 そして、「リクルート事件をきっかけに、特捜部はそれまでの10年余りの沈滞がうそだったかのように活発に動き始める」と述べています。
 第5章「不透明な国家」では、東京佐川急便事件について、「リクルート事件を上回る大疑獄摘発の期待が高まった」としながらも、半年後には、「政界のドン」金丸信の処分をめぐって、「検察庁に対する世論の不満が爆発した」と述べ、「『正義の味方』検察庁は一転、権力に屈した卑劣漢になった。一線の検事、事務官たちにとってこれほどの屈辱はない。今まで『主人は検察庁に勤めています』と胸を張っていた妻が『恥ずかしくてもう言えない』とこぼすようになった」という話を紹介しています。
 著者は、「戦後日本の『パンドラの箱』は、バブル経済の崩壊をきっかけに特捜部の手で開かれた。高度経済成長の裏で際限なく膨張し続けてきた『闇の世界』と政財界の利権システムが、そのおぞましい姿を白日の下にさらし始めた」と述べたうえで、「彼らが何者にもひるまず、官僚制度の真相にはびこる腐敗を暴いてはじめて、この国はパンドラの箱に最後にひとつだけ残ったという『希望』を見出すことができるのかもしれない」と述べています。
 本書は、日本の「正義の味方」を体現したイメージでありながら、実態はあまり知られていない東京地検特捜部をわかりやすく語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 東京地検特捜部といえばまず頭に浮かぶのは、役所や政治家の事務所など「権威の象徴」に整列して乗り込み、ダンボール箱を抱えて凱旋してくる姿でしょうか。あれは別にトラックに積み込んで出ればいいのにと思いますが、人権に厳しい昨今、人を連れて晒し者にしてはまずいということで人権のない段ボール箱を使っているのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・特捜部は正義の味方だと思う人。


■ 関連しそうな本

 魚住 昭 『野中広務 差別と権力』 2009年03月14日
 魚住 昭 『官僚とメディア』 2008年04月20日
 魚住 昭 『渡邊恒雄 メディアと権力』
 魚住 昭 『特捜検察の闇』
 共同通信社社会部 『東京地検特捜部』


■ 百夜百マンガ

パノラマ島綺譚【パノラマ島綺譚 】

 江戸川乱歩の雰囲気を漫画にできるのはこの人、ということで他の作品もぜひ描いてほしいです。

2009年5月11日 (月)

嘘をつく記憶―目撃・自白・証言のメカニズム

■ 書籍情報

嘘をつく記憶―目撃・自白・証言のメカニズム   【嘘をつく記憶―目撃・自白・証言のメカニズム】(#1572)

  菊野 春雄
  価格: ¥1680 (税込)
  講談社(2000/01)

 本書は、「なぜ偽証自白が生じるのか、また目撃者の記憶が不正確であるのか、どのようなメカニズムによって目撃記憶が変容するのか、さらに訊問や面通しではどのような問題があるのか、どのようにすればその問題を防ぐことができるのか」について論じたものです。
 第1章「記憶のメカニズム」では、「目撃記憶の基礎にある記憶のメカニズムや理論」を解説しています。
 そして、「記憶を知覚、記銘、保持、検索の過程に分けて解説」したうえで、「短期記憶や長期記憶など記憶に関する現象を説明する理論としては、『情報処理理論』が現在有力である」と述べています。
 第2章「変容する『目撃』」では、「短期記憶には保持できる時間や保持できる量に限界があり」、「目撃者が何らかの処理をしない限り、より安定した記憶として長期貯蔵庫に保存できない」と述べています。
 そして、「目撃者の証言した人物の特徴は、どれだけ正しいのであろうか」として、「目撃者が証言した人物の特徴の正確さを分析」した研究では、「証言のうち75パーセント以上が性格であった」であったことを紹介しています。
 また、「事件現場の明るさなど物理的な要因だけでなく、目撃者の性格など心理的な要因が目撃近くや目撃記憶に影響することが明らかになった」と述べています。
 第3章「『目撃記憶』論争」では、私たちが覚えたことがらを忘れてしまうことについて、
(1)痕跡崩壊説
(2)干渉説
(3)検索失敗説
の3つの仮説を紹介しています。
 そして、「事件の記憶表象と誘導情報の記憶表象が別々に独立して保持されていると考える」仮説である「共存仮説」が、「被暗示性を説明するのに最も有効」だとした上で、被暗示性が生じるメカニズムとして、
(1)想起容易性仮説
(2)非保持仮説
(3)ソースモニタリング仮説
の3点を挙げています。
 第4章「無実の人が自白に追い込まれるとき」では、「取調べの場で、被疑者が記憶を想起することはかなり困難な作業になる」として、「取調べをする空間、孤独感、自分に疑いがかかっているというストレスの中で、どれだけの被疑者が『神経を集中して』自分のアリバイとなる記憶を想起できるだろうか」と述べ、「日常生活を省みても、強いストレスを感じると、私たちは簡単なことでも想起できなくなってしまう」として、「強いストレスを感じると、私たちは一時的な健忘状態に陥ってしまう」と述べています。
 第5章「何が証拠となりうるか」では、「検索段階に焦点を当てて、どのようにすれば目撃者の証言から適切な証拠を取り出せるのか」を論じています。
 そして、似顔絵を、「日本においては、画家ではなく、捜査に当たる捜査員が描くことが一般的」だとして、「捜査に有効な似顔絵を描ける人は、目撃者の証言から容疑者の顔の特徴を的確にとらえて描くことが重要となってくる」と述べた上で、似顔絵がモンタージュ写真よりも有効であるとされる理由について、
(1)犯人の顔の特徴をどれだけはっきりと表現できるか。
(2)再現された顔がどれだけ自然に近いか。
(4)簡便性。
の3点を挙げています。
 エピローグ「日本の捜査・欧米の捜査」では、目撃証言が証拠として認定されない理由として、「目撃者による記憶のまちがい」を挙げ、具体的には「保持過程での記憶の変容や、記銘過程での錯覚」を挙げつつも、「同時に捜査における問題もある」として、
・面通しの際の問題
・尋問における問題
などの点を挙げています。
 さらに、我が国の捜査と裁判が将来変わるべき方向として、
(1)尋問や面通しを客観的に行う公式な規準の制定
(2)被疑者や子供の証言者のように、弱者に対する配慮のさらなる具体化
(3)証言の信頼性の判断・評価をどれだけ客観化できるか
(4)過大視や過小視。
(5)目撃証言から正しい証拠を取り出す最善の方法を探す努力。
(6)現在の取調室や拘置室の空間自体に圧迫感があり、被疑者にとってストレスや被暗示性を起こさせる危険性。
の6点を挙げています。
 本書は、刑事裁判で問題になることが多い目撃証言をメカニズムを科学的に解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 こういう本を読んでも、「自分はきちんと覚えている」、「ありもしないことを見たと言うはずがない」と思ってしまいますが、いざ取り調べの場に行くとそう言えるかは自信がありません。証人として警察の取調べを受けた人の話では、相当雰囲気に飲まれるそうです。


■ どんな人にオススメ?

・自分は大丈夫と思っている人。


■ 関連しそうな本

 高木 光太郎 『証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う』
 浜田 寿美男 『自白の心理学』
 大橋 靖史, 高木 光太郎, 森 直久, 松島 恵介 『心理学者、裁判と出会う―供述心理学のフィールド』
 浜田 寿美男 『取調室の心理学』
 厳島 行雄, 仲 真紀子, 原 聡 『目撃証言の心理学』
 山本 登志哉, 脇中 洋, 斎藤 憲一郎, 高岡 昌子, 高木 光太郎 『生み出された物語―目撃証言・記憶の変容・冤罪に心理学はどこまで迫れるか』


■ 百夜百マンガ

ももたろう【ももたろう 】

 好色なキャラと言うのは、好きな人、好かれるキャラはとことん好きですが、嫌われると相当嫌われるようです。その意味で好みが分かれる作品。

2009年5月10日 (日)

科学とオカルト―際限なき「コントロール願望」のゆくえ

■ 書籍情報

科学とオカルト―際限なき「コントロール願望」のゆくえ   【科学とオカルト―際限なき「コントロール願望」のゆくえ】(#1571)

  池田 清彦
  価格: ¥693 (税込)
  PHP研究所(1998/12)

 本書は、社会、科学、オカルトの3つには「どんな関係があるというのか」をテーマとしたものです。著者は、「現代は大衆民主主義と資本主義と科学技術の時代である」として、「人々は原則平等という権利と引き替えに、細かい差異化過程に巻き込まれ序列化されることを余儀なくされる。このような社会の下で阻害され、自己実現ができないと主込んだ人々はオカルト信者の候補者となる。現代のオカルトは『かけがえのない私』探しのアイテムなのだ」と述べています。
 第1章「科学の起源とオカルト」では、錬金術と科学の決定的な違いとして、「錬金術は基本的にオカルト的であるが、科学はオカルト的ではないことにある」と述べ、「オカルトとは元来『隠されたこと』を意味」し、「オカルトと科学の区分けの問題は、普通思うほど簡単ではない」と述べています。
 第2章「オカルトから科学へ」では、「制度化された科学における研究の価値基準」として、
(1)今まで説明できなかった現象を説明したり、未知の現象を予測したりする新しい理論を提唱すること。
(2)今まで正しいと思われていた理論を反証する実験を行うこと。
(3)既知の理論が予測する現象を発見すること。
(4)理論化されていない分野において、未知の現象を発見すること。
の4点を挙げ、研究者が、「宗教や政治や倫理や道徳や経済や、その他もろもろの科学以外の価値ではなく、科学に内在する価値だけによって評価されるようになった」と述べています。
 第3章「科学の高度化とタコツボ化」では、公共性を獲得した科学が、「たてまえとしては、だれにでもわかるはずのものとなったが、客観を追及するにしたがって、専門家以外の人にはわけのわからぬものになってきた」と指摘し、自らに客観という公準を課した科学者たちは、「自分たちが作り出した技術やその結果に対し、責任をとらない」と述べています。
 そして、「オカルトから発した科学は、客観という公共性により、オカルトとはハッキリと別のものになった」として、「非専門家の普通の人にとっては、科学の理論は、わけがわからないままにただ信じるべきありがたい御宣託か、さもなくば社会に害毒をもたらす怪しげなオカルトになった」と指摘しています。
 第5章「心の科学とオカルト」では、「科学がまだ開拓していない領域の方がオカルトが横行し易い」として、「19世紀以後、オカルトの主要な活動舞台は、科学が未開拓の領域か、科学が原理的に扱えない領域になっている」として、
(1)心霊現象あるいはその周辺領域・・・テレパシー、念力など
(2)個人的な神秘体験とか未来の現象の予知とか運勢占い・・・UFO、宇宙人、占星術、など
の2点を挙げています。
 そして、「ユニークな出来事を科学は原理的に解明できない」と述べています。
 第6章「現代社会とオカルト」では、「現代のオカルトはある意味で現代科学の性質を極端な形で反映する鏡である」として、科学と現代オカルトに共通するものとして、
(1)原理への欲望:科学は自らの欲望に再現可能性という禁欲装置を装てんすることによって、すべての現象を説明したいという欲望を抑えている。
(2)コントロール願望:科学技術を基盤にしているわれわれの生活は、コントロール不能なものをできる限り排除する形で成立している。
の2点を挙げています。
 そして、「オカルトは、『かけがえのない私』を実現する方法の一つ」だとして、
(1)普通の人は持っていない「超能力」を獲得して特別な人になること。
(2)普通の人にはできない特殊な経験をして特別な人になること。
の2つの方法を挙げています。
 第7章「カルトとオカルト」では、オカルトのタイプとして、
(1)自己の努力によらないで自分が遭遇した神秘体験を信じるタイプのもの。
(2)現代物理学では想定できない精神的な力の存在を信じるタイプのもの。
の2つを挙げた上で、「前者のタイプのオカルトは、カルトとは直接的には無関係である」が、後者のタイプ、特に実践派は、「カルトと親和性が高い」と述べています。
 第8章「科学とオカルトのゆくえ」では、「タテマエにしばられて窮屈になってゆく科学とは対照的に、オカルトはずっと自由なものになってゆく」と述べています。
 そして、「超能力を獲得することによって『かけがえのない私』を実現しようとする超能力オカルト派の希望は、科学によって可能になってしまうかも知れない」と述べたうえで、「本当の意味での『かけがえのない私』を実現するためには、この世界の現実を事実として認めた上で、自分で考えて自分の責任で、可能な選択肢の中から自己の生き方を選ぶほかはない」と述べています。
 本書は、混同されがちな科学とオカルトの違いを分かりやすく解説してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 オカルトとカルトということでオウム真理教が取り上げられていますが、本書が出版された1998年当時はまだ記憶も生々しく、今読むよりも刺激が強かったのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・オカルトも科学も同じようなものだと思う人。


■ 関連しそうな本

 佐藤 健寿 『X51.ORG THE ODYSSEY』 2008年05月18日
 マイケル・W. フリードランダー (著), 田中 嘉津夫 (翻訳), 久保田 裕 (翻訳) 『きわどい科学―ウソとマコトの境域を探る』 2006年01月21日
 伊勢田 哲治 『疑似科学と科学の哲学』 2006年02月12日
 マーティン・ガードナー 『インチキ科学の解読法 ついつい信じてしまうトンデモ学説』 2006年02月11日
 マーティン ガードナー (著), 市場 泰男 (翻訳) 『奇妙な論理〈1〉―だまされやすさの研究』
 マーティン ガードナー (著), 市場 泰男 (翻訳) 『奇妙な論理〈2〉なぜニセ科学に惹かれるのか』


■ 百夜百音

ずいきの涙~ベスト・オブ・ボ・ガンボス・ライブ・レコーディング【ずいきの涙~ベスト・オブ・ボ・ガンボス・ライブ・レコーディング】 BO GUMBOS オリジナル盤発売: 2004

 「泥んこ道を二人」のイントロのギターのカッティングを聞くと多くの千葉県民が「なのはな体操」を思い出すのではないでしょうか。千葉テレビで流れていた「なのはな体操」の番組のオープニングで使われていました。微妙にフェイドアウトしてましたがよく聞くと、どんとの「泥んこ~!」という叫び声がちょっとだけ聞こえたものです。

2009年5月 9日 (土)

ことわざの謎

■ 書籍情報

ことわざの謎   【ことわざの謎】(#1570)

  北村 孝一
  価格: ¥756 (税込)
  光文社(2003/12/16)

 本書は、「西洋から入って日本語に定着したことわざのうち代表的なものを8つ取り上げ、そのルーツを探」ったものであり、「これらのことわざがどのようにして日本語に定着したか、そのプロセスを解明すること」をテーマにしています。
 第1章「生き残ることわざ」では、「二兎を追う者は一兎をも得ず」と「一石二鳥」について、「これら二つのことわざは、ともに西洋から渡来したものだが、その定着の過程はかなり対照的なものがあり、両者を対比することによって定着のメカニズムの一端が明らかにできるのではないか」と述べたうえで、まず明治20年代に「二兎を追う者は一兎をも得ず」が、大正中期までには「一石二鳥」が日本語の表現として定着し、「両者の定着には大まかに30年ほどのタイムラグがあった」として、その差が生じた要因は、「「一方が格言として受け取られ、学校教育の場で積極的に教えられたのに対し、他方には格言的要素がなく、したがって学校教育(とりわけ初等教育)に登場する機会がほとんどなかったこと」を指摘しています。
 そして、「ことわざは、一部の人が鑑賞する作品ではなく、多くの人々の共感を得て使われなければ、定着するどころか、たちまち消えてしまう運命にある」として、「2つのことわざはともに申し分のない条件を備えていた」と述べています。
 第2章「日本的解釈はなぜ生まれたか」では、「艱難汝を玉にす」が、「漢文を思わせる訳文が日本人の心をとらえ、主として国定教科書によってきわめて広く浸透し、定着した表現となっていった」と述べています。
 そして、国定教科書が、「少年時代の二宮金次郎や渡辺登のエピソードと一体のものとして教え込むことによって、人格の形成という特殊なニュアンスを確固たるものにし、そのイメージとともに表現を定着させた」としたうえで、「旧来の身分制度が瓦解した中で、明治期の人々には苦労や忍耐の先に立身出世や人間としての成長があるという期待があり、このことわざを喜んで受け入れる下地があった」と述べています。
 第3章「たった一字が左右した名訳」では、「溺れる者は藁をもつかむ」が、「日本語として全く違和感がなく、しかも原文の比ゆを過不足なく伝えている。西洋起源のことわざの中でも屈指の名訳」だとした上で、訳文が変遷を経る中で、「『藁に』ではなく『藁にも』とすることによって、わずか一字の違いであるが意味の幅が大きく広がり、比ゆ的に理解しやすい条件が備わってきた」として、「翻訳のスタンスが明らかに変わり、役者は比喩的な意味をとらえ、訳文に生かしたといってよい。名訳への一歩前進である」と述べています。
 また、「語法上の抵抗感をなくし、国民的な支持をもたらした」要因として、「『溺れる者』が身近になったせいではないか」と述べ、明治期に水泳に対する意識が変わってきたことを挙げています。
 第4章「時間とお金の限られた価値」では、「日本の『時は金なり』が英語のTime is money.とまったく同じかというと、必ずしもそうとはいえない」として、「時は金なり」が日本に入ってきた頃の時間のとらえ方が「不定時制」であったことを指摘しています。
 第5章「抹殺された表現」では、「点は自ら助くる者を助く」について、戦時期には「個人主義的、キリスト教的であるので教材として不適当」だとして国定教科書からなくなったことについて、「このような反応は、戦争のことしか頭になく柔軟性を失った日本の指導部のゆとりのなさの反映であろう」と述べています。
 第6章「未解明のルーツ」では、「大山鳴動して鼠一匹」について、「流入の経路や定着の過程を探ろうとして、明治期のことわざ関連書や辞典、イソップ寓話、用例と、さまざまなものを可能な限り渉猟してきたが、なかなか明確なイメージが浮かんでこない」と述べています。
 第7章「ことわざ本来の姿」では、「鉄は熱いうちに打て」について、「この表現には、西洋起源のことわざが日本語に定着するプロセスで生ずるさまざまな屈折が最もよく現れていて、ことわざの性質を考える上でも、また近代の日本社会を考える上でも、興味つきない」と述べた上で、「西洋から入ってきたものと見て間違いないものと思われる」が、「それが直ちに英語から入ってきたことにはならない」として、「日本における洋学の歴史を振り返れば、英語以前にオランダ語やフランス語などの学習がなされており、それらを通して入ってきた可能性を排除できない」と述べ、その流入過程をと耐えると、「オランダ語の影響が思いのほか大きかった」と述べています。
 本書は、今では日本語として定着したことわざが、どのような過程を経て受け入れられてきたのかを分かりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 古くから知っている諺も実は結構明治以降の輸入ものが多いと言うことに驚きますが、諺や故事成語の類はもともと漢文の素養のある人がジャーゴン的にと言うか教養をひけらかすような側面もありましたので、西洋から取り入れたのも流れではないかとも思います。


■ どんな人にオススメ?

・諺は得意だという人。


■ 関連しそうな本

 外山 滋比古 『ことわざの論理』
 北嶋 広敏 『ことわざの謎と裏―なぜ江戸のかたきを長崎で討つのか』
 高桑 哲男 『「諺」今、その謎が解けた!』


■ 百夜百音

ゴールデン☆ベスト【ゴールデン☆ベスト】 ポータブル・ロック オリジナル盤発売: 2004

 野宮真貴の若いころのバンド。とは言え化粧品のCMもリアルタイムで聞いていたので他人事ではないですが。

2009年5月 8日 (金)

トマトとイタリア人

■ 書籍情報

トマトとイタリア人   【トマトとイタリア人】(#1569)

  内田 洋子, シルヴィオ ピエールサンティ
  価格: ¥735 (税込)
  文藝春秋(2003/03)

 本書は、イタリア人にとって欠かせない食卓のパートナーである「トマト」について、どのようにイタリアで食べられるようになったのかという「トマトから辿る、イタリア人と料理の文化史」です。
 第1章「トマトの歴史」では、トマトが、「コロンブスが新大陸を発見して、その後、他の果実とともにトマトもヨーロッパに持ち帰られてはいたものの、当初は〈珍しい植物〉としてしか知られていなかった。食物として世間が認めるようになるまで、実に3世紀もの時間を要した」とした上で、トマトがマンドラゴラと同じ〈敬遠すべき植物〉とみなされていたと述べています。
 そして、コロンブスが新大陸(グァナハニ島)に到着した際に、島民から献上された食物の中に「その後のヨーロッパの食文化を大きく変えることになる食物が二つ、入っていなかった」として、トマトとジャガイモを挙げるとともに、1519年にメキシコに上陸し、現地の数千年に及ぶ文明を破壊してしまったヘルナンデス・コルテスが、唯一、後世に貢献したことは、「一行が現地から祖国へトマトの種を持ち帰ったこと」だと述べています。
 また、「現在の地中海料理の中で、特にイタリア料理の基盤をなす食材は、大半が新大陸を原産地とするもの」であり、「その筆頭がトマト」だと述べています。
 第2章「絶妙のコンビ、パスタとの出会い」では、「豪華な祝典の食卓にトマトが最初に登場したのは、食用ではなく装飾のためだった」として、「上流社会では、トマトを食べることなど、思いもよらないことだった」と述べています。
 そして、「面白いことにトマトは、その原産地であるアメリカ大陸でもっと強い反発を喰らう」として、リンカーン大統領の反対派が、「トマト料理を食べさせれば彼を毒殺できるのではないかと考えて、大統領トマト暗殺計画を練った」ことを紹介し、「暗殺計画に加わった料理人はトマトの強い毒性を本気で信じていたため、リンカーン大統領の食卓にトマトが出される寸前に、自分の犯そうとしていることに恐れおののいて、命を絶ってしまった」と述べ、「リンカーン大統領は事の顛末を知らされて立腹するどころか、暗殺を企てた一味のその稚拙さと無知を大いに笑い飛ばし、この一件が起きるまでは食べたこともなかったトマトだったのだが、皆の見ている前であえて問題のトマト料理を実においしそうに平らげて見せた」として、これが「結果的にトマトにとっては大変なPRになった」と述べています。
 また、ナポリで生まれたパスタとトマトのコンビが「数ヶ月でイタリア全土に広まり、その後フランス、スペインへ伝わって、やがては世界中で食されるようになっていった」と述べるとともに、19世紀末から20世紀はじめにかけて、アメリカやヨーロッパの工業化の進んだ他国に400万人ものイタリア移民が出発したことで、「世界各地へ持ち込まれたパスタとトマトの組み合わせは、イタリア料理のブームの基盤を造ることになった」と述べています。
 さらに、「同じイタリア半島に暮らしてはいたものの、国も習慣もばらばらだったイタリア人たちをつないでいた」ものがトマトだったと述べています。
 このほか、トマトの効能として、「端的に言えば、トマトには過剰な糖分や脂肪分がないこと」だとした上で、「トマトはさまざまな効用にあふれた、食べると体内からわき起こる力を与えてくれる食べ物」だとして、「明るく強い太陽の光を受けて育ったトマトを食べることは、太陽のエネルギーを体内に取り込むようなものなのだ」と述べています。
 第3章「二一世紀のトマト」では、近頃のトマトが蔵理にくい理由として、「現代のトマトは、度重なる品種改良の結果、冷蔵庫に入れておけば数週間どころか、極端な例では数ヶ月でも保存が可能となっている」と述べています。
 そして、イタリア人が、「年間1人当たり75kgのトマトを消費する」として、中でも「とりわけトマトに目がないのは、ナポリ人」だと述べています。
 著者は、「アメリカ大陸からイタリアが授かったトマトは、長年にわたってないがしろにされてきたものの、今ではイタリア料理にはなくてはならない存在となった。トマトはイタリア人にとって単なる食物を越えて、〈幸せな気分〉と同義になっている」と述べています。
 本書は、日本人にとってもおなじみのトマトの食文化史をコンパクトにまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の中で、「たいていの日本人が間違う手順」として、「スパゲッティが茹で上がったら、その上からソースをかけて食卓へ出す人が多い」が、「これは、間違い。おいしくない」として、「本の少し芯が残るように茹で上げて十分に水気を切ったスパゲッティを、ソースの入ったなべへ入れるのである。鍋の中で手早くかき混ぜて、熱々を食べるのが本道である」と述べています。
 個人的にも、スパゲティは鍋でソースに絡めて食べるのが美味しいと思います。火にかけながら少し和えるのが美味しいです。


■ どんな人にオススメ?

・トマトは大昔からイタリア人の好きなものだと思う人。


■ 関連しそうな本

 内田 洋子, シルヴィオ・ピエールサンティ 『イタリア人の働き方』
 内田 洋子, シルヴィオ・ピエールサンティ 『三面記事で読むイタリア』
 島村 菜津 『バール、コーヒー、イタリア人―グローバル化もなんのその』
 橘 みのり 『トマトが野菜になった日―毒草から世界一の野菜へ』
 ファビオ ランベッリ 『イタリア的考え方―日本人のためのイタリア入門』


■ 百夜百マンガ

ひかりの空【ひかりの空 】

 スタープレイヤーの登場で再び盛り上がった女子プロゴルフブームに便乗した作品なのでしょうか。

2009年5月 7日 (木)

情報公開法入門

■ 書籍情報

情報公開法入門   【情報公開法入門】(#1568)

  松井 茂記
  価格: ¥693 (税込)
  岩波書店(2000/11)

 本書は、「情報公開法を最大限利用して、情報公開を求めること」を通じて、「情報公開法の不十分なところを明らかにし、さらに情報公開が進められるよう見直しを進める」ため、に、「情報公開法の考え方や仕組みを説明」するものです。
  「はじめに」では、「日本は、世界でも悪名高い秘密主義の国である」とした上で、「ようやく情報公開法が制定され、施行されることによって、今その情報公開制度が国のレベルでも確立されようとしている」と述べ、「これをどのように運用していくかは、まさに日本の政治によってきわめて重要な試金石となろう」としています。
 第1章「情報公開法とはどんな法律か」では、情報公開制度を、「国は地方公共団体など『政府』の機関の保有する情報の公開を法的に義務付け、国民(住民)に政府情報の公開を求める権利を保証した制度」だと定義したうえで、国民が「憲法で保障されて権利を行使し、国政について最終的決定を下すためには、政府の諸活動を知る機会が補償されなければならない」として、「日本国憲法はまさに情報公開を求めていたといわざるを得ない」と述べています。
 そして、情報公開に対して、「国の動きは極めて消極的であった」と指摘しています。
 第2章「どんな情報に開示請求できるか」では、情報公開法が、「『行政機関』の保有する行政情報に対して、開示請求権を保障している」とした上で、「これらの『行政機関』は、開示請求の対象機関となると同時に、開示請求に対する判断主体となる」ため、「どのレベルで決定が行われるかを示すために、こんなにややこしい規程となった」と述べています。
 そして、「行政の役割を担うために政府の外に設立されているさまざまな法人、いわゆる『特殊法人』等が、対象機関には挙げられていない」ことを指摘しています。
 また、情報公開請求の対象となるのが、「まず『行政機関の職員が職務上作成し、または取得した』ものでなければならない」ことなどを解説しています。
 第3章「開示請求の基本的な仕組みはどうなっているのか」では、「行政機関の長が、開示請求対象文書に不開示情報が何ら含まれていないと判断すれば、文書の開示決定を行う」が、「開示請求対象文書に不開示情報が記録されている場合、行政機関の長は開示拒否(不開示)の決定を下すことになる」と述べ、「開示請求に関わる行政文書の一部に不開示情報が記録されている場合」には「部分開示」されることや、「開示請求対象文書が存在しないことを理由とする開示拒否決定」(文書不存在)があると述べたうえで、「当該開示請求に関わる行政文書が存在しているか否かを答えるだけで、不開示情報を開示することとなる場合がある」として、「当該行政文書の存否を明らかにしないで、当該開示請求を拒否することができる」場合を、アメリカでは「グロマー回答」や「グロマライゼーション」と呼ばれていることを紹介しています。
 そして、「情報公開請求には、手数料の支払いが求められる」が、「要綱案が情報公開請求に手数料の支払いを求めることとしたことに対しては、強い批判が巻き起こった」と述べています。
 第4章「どのような情報が例外とされているか」では、「本来、行政機関の保有している文書に個人に関する情報が含まれている場合、その個人情報についてはプライヴァシーの権利保護のため、本人以外の人からの開示請求を拒否すべきである」としつつも、いくつかの例外を挙げた上で、公務員の氏名の取扱については、「公務員に対する懲戒処分書のように人事に関して公務員の氏名が記載されている場合は、公務員であっても氏名を開示しないことができるという点では、あまり異論はない」が、「交際や接待の場に出席した職員の氏名が記載されたり、起案の家庭で担当職員の氏名が記載されたりしている場合、記載された氏名は『個人』としてではなく担当職員の明示という趣旨と考えられる」ため、「このような担当職員名は『個人』に関する情報として非開示とすべきでは内容に思われる」が、「地方公共団体の中にはこの場合にも個人情報として非開示とすることを認めるところも現れた」と述べています。
 また、いわゆる「意思形成過程情報」を例外事由と認めたことについて、「地方公共団体の条例と比較し、『意思形成過程』という包括的な文言を意図的に避けたうえに、非公開とすることが認められる支障を具体的に列挙した点で、評価できる」としています。
 第5章「開示拒否にどのような救済が用意されているか」では、「開示請求に対して開示拒否決定をされた場合、行政不服審査法に従って不服の申し立てをすることができる」とともに、情報公開法が、「地方公共団体と同様、情報公開審査会を設置し、不服申し立てがあった場合、この審査会に諮問することとした」と述べています。
 第6章「裁判所に訴える」では、「開示拒否決定に対する不服申し立てに対し情報公開審査会も開示拒否決定を支持して処分庁・審査庁が不服申し立てを棄却した場合、それに不満であれば、もはや裁判所に訴えて救済を求めるほかない」と述べています。
 第7章「第三者の利益保護との調和をどう図るか」では、「情報公開を進める上で困難な問題の一つ」として、「第三者の利益保護との調整をどのように図るか」と述べ、第三者意見聴取手続きを設けることについて、「このような意見を述べる機会を確保することは、望ましいというだけではなく、まさに必要なことであったというべきである」と述べています。
 第8章「情報公開制度をより実効的にするために」では、「情報公開法が施行され、情報公開が実効的に確立されるためには、何よりも行政文書の作成・管理がしっかりと確立される必要がある」と述べるとともに、「情報公開法の制定に際し、地方公共団体の情報公開条例の扱いが問題とされた」 として、「地方公共団体の事務の8割近く」を占める国の機関委任事務の扱いが問題とされたと述べています。
 そして、「情報公開法の制定は、『開かれた政府』実現のための重要な一歩である」が、「これだけで『開かれた政府』が実現するわけではない。真に『開かれた政府』を実現するためには、まだこれから先、長い道のりが必要である」と述べています。
 本書は、情報公開がある程度定着した今だからこそ、改めてその意義を考えるきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 この10年で情報公開はすっかり定着しましたが、一方で、開示請求の多くが、特定の少数の人が一人で大量の開示請求をしているという実態も明らかになってきていて、各所で見直しが行われているようです。


■ どんな人にオススメ?

・情報公開制度について経緯を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 太田 雅幸 『情報公開法の解説』
 宇賀 克也 『ケースブック情報公開法』


■ 百夜百マンガ

鉄のドンキホーテ【鉄のドンキホーテ 】

 マイナーなスポーツのモトクロスを舞台にした作品。読みきり時代の『北斗の拳』が収録されていることでも知られています。

2009年5月 6日 (水)

行政指導―官庁と業界のあいだ

■ 書籍情報

行政指導―官庁と業界のあいだ   【行政指導―官庁と業界のあいだ】(#1567)

  新藤 宗幸
  価格: ¥560 (税込)
  岩波書店(1992/03)

 本書は、「行政指導を可能としている日本の行政や政治の構造や業界のそれが、究明されるべき」だとしたものです。著者は、行政指導は、官僚制と経済界の間のみならず、
(1)中央政府と自治体の間
(2)自治体が「要綱行政」として展開している行政指導
の2つの領域において、「有力な政策実施手段となっている」と述べたうえで、「国際的にも国内的にも行政指導への批判が強まっているからこそ、行政指導についての記述概念を越えた考察が、必要とされている」と述べています。
 第1章「行政指導とは何か」では、行政指導の正確として、
(1)ある特定の目的の実現に向けて、法令の根拠を基本的背景としつつ特定の相手の行動を操作する、あるいは事案に直接適用する法的根拠がなくとも、何らかの関連する法的根拠を援用しつつ特定の相手の行動を操作する、官僚制の行動である。
(2)相手の行動の操作としての行政指導には、多様な手段が用いられている。
(3)行政指導は、多数の「目的」と「手段」に関連する法令を援用した個別的な官僚制の行動ではなく、それ自体、ひとつの行政制度となっている(なりつつある)。
(4)行政制度としての行政指導には、多くの場合、行動を操作し・されることを通じて官・民の間に利害共同体とも言うべきコミュニティが作られている。
の4点を挙げています。
 そして、行政指導の主要な目標と機能している領域を基準として、
(1)産業の育成・構造転換のための行政指導
(2)事業の監督・保護のための行政指導
(3)秩序の形成・維持のための行政指導
(4)紛争調停のための行政指導
(5)社会保障・社会福祉のための行政指導
(6)組織管理のための行政指導
(7)その他──表現、思想、信条の自由などに関係する行政指導
の7つのカテゴリーに分類しています。
 第2章「なぜ行政指導が可能なのか」では、「行政指導は官僚制にとって『有効』なだけでなく、相手にとっても、どのような意味で『有効』なのだろうか」とした上で、「行政指導のうまみ」の最大のものは、「責任の回避」であるとして、「行政機関は、法廷において自らの行為について弁明しなくてもすむし、少し大げさに言えば、『行政の無謬性神話』を維持し続けることができる」と述べています。
 また、通産省の行政指導の特色として、「業界・業界団体が、行政指導の受け入れ窓口兼個々の企業に対する指示の徹底化のためのエージェントになっていること」を挙げています。
 第3章「行政指導のどこが問題か」では、石油ヤミカルテル事件における最高裁判決において、「適法な行政指導」という「注目すべき概念」が示されたとして、これによって、「行政指導は『法の支配』の番人によって承認されたともいえる」と述べたうえで、「行政指導による行政」に伴う欠陥は、「複合することによって、法の規範としての権威を失墜させる恐れがある」ことを指摘しています。
 終章「行政指導をどうするか」では、「現代の民主主義を基本とする行政にとって、『法の支配』がなによりも重視されなくてはならない」としながらも、「私たちに課せられているのは、行政指導を全面的に否定することではなく、現実の行政指導をこの理論上の可能性に近づけるにはどうしたらよいかを、検討することでなくてはならない」と述べています。
 そして、「今日必要とされる行政の役割」は、「経済社会における機会の平等の公明な保障に向け、法的ルールを確立するとともに、それを着実に運用していかなくてはならない」と述べ、「いま、問われているのは、行政との共生なくして経済社会の発展がないという呪縛から、私たちが自らを解き放つことである」と述べています。
 本書は、行政指導を今後どうするべきかという前向きな視点から取り組んだ一冊です。


■ 個人的な視点から

 行政手続法ができたことで行政指導については一定の整理がされましたが、省庁と業界団体の利害共同体としての関係など、本書にはまだまだ見るべき点があると思います。


■ どんな人にオススメ?

・「行政指導」は過去のものだと思う人。


■ 関連しそうな本

 新藤 宗幸 『財政投融資』 2007年04月11日
 宮崎 哲弥, 小野 展克 『ドキュメント平成革新官僚―「公僕」たちの構造改革』 2006年04月13日
 持田 信樹 『地方分権の財政学―原点からの再構築』 2007年03月15日
 松本 英昭 『新地方自治制度詳解』 2007年03月12日
 大森 彌 『官のシステム』 2007年07月30日
 金井 利之 『自治制度』 2007年10月24日


■ 百夜百音

KING'S NIGHT DREAM WESTERN & EASTERN【KING'S NIGHT DREAM WESTERN & EASTERN】 THE ALFEE オリジナル盤発売: 2002

 三億円事件を題材にしたことで発売中止になった「府中捕物控」という曲が収録されています。作曲はヤッターマンで知られる山本まさゆきさんです。一般に知られているアルフィーの雰囲気とは違う気もするのですが、こっちが本当なのかもしれません。

2009年5月 5日 (火)

地方分権事始め

■ 書籍情報

地方分権事始め   【地方分権事始め】(#1566)

  田島 義介
  価格: ¥662 (税込)
  岩波書店(1996/03)

 本書は、「史上初めて『地方分権推進法』が制定されて、地方分権推進委員会が設置され、明治以来挫折を繰り返しながらも、5度目の高まりを迎えている」地方分権について、「現場の動きを盛り込みながら、身近なところで分権とは何かを考えてみよう」としたものです。
 第1章「なぜ分権が必要なのか」では、地方分権の必要性を、「まちづくりに繋がる都市計画と、高齢化と少子化を抱える福祉問題を中心に」検討し、「意欲ある自治体が自分たちのまちの自然を守ろうとしたり、個性ある地域づくりをしようとしても、全国一律の法にさえぎられて、なかなか思うとおりには行かないのが現実」だとしています。
 そして、住民に近い自治体が思いを込めて打ち出す条例や要綱を、国は警鐘と受け止め、法で最低基準を定めても、地域の個性は条例で活かせる分権の道を開く必要がある」と述べています。
 第2章「分権と政党・官僚」では、95年12月22日に、地方分権推進委員会が発表した中間報告の骨格となる見解について、「分権推進を明治維新、戦後改革に次ぐ第三の改革」とした「基本的考え方」から一段と踏み込み、「国と地方の関係の根本的な改革を打ち出した」としています。
 そして、地方分権推進法が、「中央省庁と自民党の抵抗を受けながらも、なぜ成立したのか、この時代の波とも言うべき状況」を振り返るとして、神奈川県の長洲知事が、分権論議の高まりの背景として、
(1)国際化への対応
(2)東京一極集中の問題
(3)政治の構成や透明性の確保への強い要請
(4)地方の実力の向上
の4点を挙げていることを紹介しています。
 また、地方分権推進委員会に関して、官僚側が、「地方分権推進委員会の権限強化と引き換えに、たくみに方向性を骨抜きにした」と指摘しています。
 第3章「参画と自治を求める住民たち」では、「原発や空港建設など賛否が割れる地域の政策課題の方向づけに、住民投票求める動きが目立つ」とした上で、「各種の選挙で、投票率の低さが問題になっている」中、「政治を住民に近づけるために、重要問題では、議会は投票結果を参考にするが、拘束はされない諮問型『政策投票』制導入に取り組むべきときではないだろうか」と述べています。
 第4章「分権への厚い壁」では、「地方分権への壁は厚い」として、「分権には、集権システムだけでなく、意識の改革が必要なのだ。明治維新、戦後改革に次ぐ第三の改革といわれるわけだ」と述べています。
 そして、国による自治体への「関与」が、「権力的なものと非権力的なものに大別される」とした上で、「地方税、地方交付税、地方債などの収入が、国によって厳しくコントロールされてもいる」として、「自治体が地域にあった新規事業を計画しても、その財源を増税で調達はできない。かといって、地方債発行もままならない。地方交付税を頼りにしても、自治省が決めるルールに沿わないものは無理だ。勢い補助金獲得に走ることになるが、これも各省庁が決めた補助基準があり、これにあわせないと補助金は出ない」と指摘しています。
 第5章「分権論の軌跡」では、「地方分権は今に始まったことではない」として、
(1)明治時代の自由民権論
(2)大正時代の大正デモクラシー
(3)敗戦後のシャウプ勧告を受けた地方行政調査委員会議(神戸委員会)
(4)美濃部都政をはじめとする革新自治体期
に次ぐ、5度目のうねりだと述べています。
 そして、「中央集権のなかでの自治体の公害や福祉への政策展開や職員の自己改革への努力、市民・住民の行政や公共事業への参画、自治を求める動きが明治以来5度目の地方分権への波を支え、地方自治法の殻をやぶろうとしている」と述べています。
 本書は、第一次地方分権改革の成立前夜の雰囲気を伝えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は13年前の本ということで、さすがに内容としては古いのですが、今ではすっかり当たり前になった地方分権推進一括法や機関委任事務の廃止がまだ姿がきちんと見えていない時代に書かれたものなので、それゆえの臨場感を感じられるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・地方分権改革の同時代感を追体験したい人。


■ 関連しそうな本

 西尾 勝 『地方分権改革』 2008年04月01日
 西尾 勝 『未完の分権改革―霞が関官僚と格闘した1300日』 2007年04月09日
 西尾 勝 『行政学』
 石見 豊 『戦後日本の地方分権―その論議を中心に』 2007年02月09日
 大森 彌 『官のシステム』 2007年07月30日
 金井 利之 『自治制度』 2007年10月24日


■ 百夜百音

Abba-esque【Abba-esque】 Erasure オリジナル盤発売: 1992

 映画「マンマ・ミーア」のヒットでアバに脚光があたっていますが、アバをカバーしたこの人たちも忘れるわけにはいきません。女装はどうかと思いますが。

2009年5月 4日 (月)

自分でできる情報探索

■ 書籍情報

自分でできる情報探索   【自分でできる情報探索】(#1565)

  藤田 節子
  価格: ¥693 (税込)
  筑摩書房(1997/05)

1 本書は、「図書館の利用からデータベース検索まで、その基本的考え方と技法をわかりやすく」解説したものです。
 「はじめに」では、「情報をうまく探せるかどうかは、今注目が集まっているコンピュータの操作やネットワーク技術の問題」ではなく、「情報探索の能力は、デジタル情報とかアナログ情報という情報の形態にかかわらず、必要な情報内容を的確に探し利用する、人間の技術や能力の問題」だとした上で、本書は、「あふれる情報の中で、いかにして自分の求める情報を見つけ出していくか、いわゆる情報探索の基本的な考え方と方法を、具体的なテーマで解説」するとしています。
 第1章「情報探索能力を身につけよう」では、「目的の明確な情報を探すには、偶然性の高い情報探索法ではなく、体系的に、間違いなく、正確な情報を、迅速に得る方法をとらなければ」ならないとしつつ、私たちが、「学校でも社会でも、必要で役に立つ情報を、いかにして探し出し利用するかという、基本的な情報利用能力を系統的に学ぶ機会がなかった」ことを指摘しています。
 そして、情報探索の方法を、
(1)資料を探す
(2)人に尋ねる
(3)実際に行う
の3点に整理しています。
 第2章「情報と情報流通」では、情報が物と異なる特徴として、
(1)複製をすることが可能で、複製してもその価値が変わらないこと。
(2)情報の価値は利用者が決めるということ。
の2点を挙げています。
 そして、「利用者が主体的に情報を探す環境が可能になると、これからは、漫然とテレビや新聞を見るような方法だけでは、決して情報を得ることはでき」ず、「利用者一人一人が、自分が何を求めているかを知り、自分で探せるようにならなければ、誰も適切な情報を与えてはくれない」と述べています。
 第3章「情報探索を実際にしてみよう」では、イルカを例に挙げ、百科事典、絵本、情報センター、データベースなどでの情報探索を実際に行っています。
 第4章「情報探索の極意」では、「情報を探すには、まず、求めている情報内容を収集し、整理しているポイントにアクセスすることが大切」だとして、「何でも公共図書館にまずアクセスするというのは、もっとも正しいアプローチ」だと述べています。
 そして、情報探索の方法として、
(1)索引法:最も網羅的で体系的な探し方。
(2)芋づる法:ある情報を出発点にして、関連ある情報を、芋づるをたぐるように、次々と探していく方法。
(3)現物法:直接書架で本を探したり、図書や雑誌をぺらぺらとめくって、ほしい情報がないかと探す方法。
の3つの方法を解説しています。
 第5章「データベース検索の秘訣」では、情報探索とは、「探そうとする情報の概念やイメージと、情報源のそれを合致させる行為」だと定義しています。
 そして、「コンピュータによるデータベースを使いこなすには、索引法をマスターしなければうまく利用でき」ないとして、「コンピュータでデータベースを検索するには、百科事典や蔵書目録に比べると、より高い情報探索能力が必要」だと述べています。
 また、「コンピュータによるデータベース検索は、情報内容に対して適切なキーワードが付与されていて、なおかつ、利用者が、自分の情報要求に対して適切なキーワードを選択していることを前提」としているとして、「このキーワードの問題が、情報検索の根幹にかかわっている」と述べ、全文検索や自動抽出キーワードの問題点は、「原情報の内容、概念、主題を表現したキーワードではなく、原情報の文章表現をそのまま抜き出したものである」ことや、「キーワードとキーワードの関係がばらばらになり、検索すると関係のないキーワード同士が結びついてしまうこと」を指摘しています。
 第6章「さらに情報探索を進める」では、「現在のところ、インターネットは発展途上の混沌とした状態」だとしたうえで、「インターネットという全世界に開かれたシステムは、情報探索にも大いに影響を与えることになる」と述べています。
 本書は、情報探索の基本をわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書が出版されたのは、今から12年前です。その後、世界のインターネット上の情報量は爆発的に増え、それと同時にGoogleをはじめとする検索エンジンの性能も格段に上がりましたが、そんな情報の海の中にいるからこそ、本書で解説している、情報探索の技術は、さらに必要になっているのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・情報探索とはGoogleのことだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 渡部 昇一 『知的生活の方法』 2005年10月09日
 加藤 秀俊 『取材学―探求の技法』 2005年10月16日
 佐々木 俊尚 『グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する』 2007年11月20日
 嶋田 淑之, 中村 元一 『Google―なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか』 2005年08月18日
 ジョン・バッテル (著), 中谷 和男 (翻訳) 『ザ・サーチ グーグルが世界を変えた』 2006年06月20日
 津田 大介 『ググる―検索エンジンGoogleを使ってネット上の情報を検索すること』


■ 百夜百音

はっぴいえんど【はっぴいえんど】 はっぴいえんど オリジナル盤発売: 1970

 ファーストアルバム。これが70年に出ているというのは衝撃的ですが、日本語をロックに乗せるという試行錯誤の後をうかがい知ることは、現在の人、とくに作詞をする人には大変参考になると思います。

2009年5月 3日 (日)

広告の実際

■ 書籍情報

>広告の実際   【広告の実際】(#1564)

  志津野 知文
  価格: ¥871 (税込)
  日本経済新聞社(1988/02)

 本書は、あまり人に知られていない「広告の実作業面や広告の持つ機能といった内容面」について、「広告の実務をわかり易く説明」することを狙いとしたものです。
 第1章「広告ができるまで」では、「CMプラナーにはどうも楽天的な人が多い」うえ、「体が丈夫」だと述べています。
 そして、「広告づくりというものは個人想像ではなく、集団創造である」という点が、他の創造活動と大きく異なるポイントだとしています。
 第2章「企業と広告」では、広告会社の営業マンについて、「得意先広告主の手足となって効率的、効果的なマーケティングコミュニケーションの実現を追及」すると述べ、広告主の上位が25年間常にメーカーが占めていることから、「日本の広告産業を育ててきたのはメーカーだ」と述べています。
 そして、行政・公共団体との関係について、「これまでに経験したことのない高齢化社会を目前に、老人福祉、保健医療のあり方について国民コンセンサスを得ながら現実的な解決策を見出していかねば」ならず、「この問題提起と解決の方向付けに広告は大きな力を発揮する」と述べるとともに、「今日」では、「博覧会をはじめとするイベントブームで観光客の動員を図り、レジャー、観光需要を刺激し、その波及効果で地域経済を活性化しようと」しているとして、「イベントによる地域おこしに広告はその社会的な告知機能を十分に発揮する」と述べています。
 第3章「メディアと広告」では、広告会社の媒体マンが、「広告主に売るための広告の枠(スペースやタイム)を媒体社から仕入れる仕事を担当」しているとして、「広告主の目的に沿った媒体計画を立てたり、広告主の希望する時間帯やスペースを、他の広告会社に先駆けて確保することが重要な仕事」だと述べています。
 そして、広告主が、特定の媒体を選ぶ理由として、
(1)オーディエンス
(2)表現伝達能力
(3)コスト
の3つのポイントを挙げています。
 また、媒体の評価基準として、
(1)普及率
(2)接触率
(3)リーチ、フリークエンシーとGRP
(4)CPM
(5)オーディエンスの属性
(6)媒体心理特性
の6点を挙げています。
 第4章「人々と広告」では、「広告をただ単に、商品を売るための道具とだけ取るのは狭すぎ」だとして、「文化的なものにも、そして、生活全般にかかってくる幅の広い社会現象」であると述べ、「『商いと美』、『企業の売りと人びとの快』、『営業機能と文化機能』との交点、あるいは矛盾の周りに広告がある」と述べています。
 そして、生活者起点発想のために、
(1)生産と消費の循環図式
(2)生活要素の分解図
(3)生活設計に関する図
の3点を挙げています。
 第5章「広告とマーケティング」では、広告会社のマーケティング部の仕事として、「得意先広告主の商品・サービスを市場に出し、順調に成長軌道に乗せること」だと述べています。
 本書は、広告会社の実務の実際を描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、もっともバブリーな時期の広告会社の仕事振りを「実際」として扱っているため、「24時間働けますか」の世界を地で行っているのですが、広告会社の基本的機能については今でも通用する部分がほとんどではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・広告会社の仕事を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 デイヴィッド・オグルヴィ (著), 山内 あゆ子 (翻訳) 『ある広告人の告白』 2007年01月02日
 矢島 尚 『好かれる方法 戦略的PRの発想』 2006年10月25日
 ジャック・セゲラ (著), 小田切 慎平, 菊地 有子 (翻訳) 『広告に恋した男』 2007年09月20日
 津金沢 聡広, 佐藤 卓己 『広報・広告・プロパガンダ』 2008年08月02日
 ポール・A. アージェンティ, ジャニス フォーマン (著), 矢野 充彦 (翻訳) 『コーポレート・コミュニケーションの時代』 2006年10月23日
 猪狩 誠也 『広報・パブリックリレーションズ入門』 2007年03月29日


■ 百夜百音

御色なおし【御色なおし】 中島みゆき オリジナル盤発売: 1985

 当時はアイドルを含めていろいろな歌手に曲を書いていたような気がします。柏原芳恵に書いていた一連の曲もよかったです。

2009年5月 2日 (土)

イノベーションと日本経済

■ 書籍情報

イノベーションと日本経済   【イノベーションと日本経済】(#1563)

  後藤 晃
  価格: ¥693 (税込)
  岩波書店(2000/08)

 本書は、「技術大国・日本にとって、長期的視点ではイノベーションの促進が最重要課題である」として、「技術という角度から日本経済を考え」たものです。
 第1章「日本経済の持続的成長はあるのか」では、イノベーションシステムを考えるに当たってのポイントして、
(1)長期的な視点に立ち、考えてみること。
(2)技術開発を国全体のイノベーションシステムの進化のプロセスとして見ていくこと。
の2点を挙げ、「産業、大学、政府の三社が国のイノベーションシステムの基本的なプレーヤーであることは間違いなく、三者とその間の連関を把握することによって、一国のナショナル・イノベーションシステムの特徴をつかむことができる」としています。
 第2章「イノベーションとは何か」では、イノベーションを「新しい製品や生産の方法を成功裏に導入すること」と定義した上で、技術開発は、「そのなかの(重要な)一部分」だと述べています。
 そして、「大企業ほどイノベーションを活発に生み出す理由」として、
(1)イノベーションを起こすための研究開発資金を豊富に利用できる。
(2)研究開発においては規模の経済が存在する。
(3)新しい技術を生み出すための研究費は、固定費としての性格を持つ。
(4)情報としての技術は市場で取引することは困難である。
(5)多角化している大企業は、研究開発面での範囲の経済性を享受できる。
の5点を挙げています。
 第3章「日本の産業発展とイノベーション」では、1930年代に日本経済が不況から脱出し、軍備が増強されることで、「戦争関連産業にたいする需要の拡大」が促され、これらの産業が、「1920年代の長期的不況の中でも徐々に技術能力を蓄積し、本格的に離陸する段階に入っていた」と述べています。
 また、1933年に設立された学術振興会の目的として、
(1)大学やその他研究機関における研究資金を増加させること。
(2)組織間の共同研究を促進すること。
の2点を挙げています。
 第4章「戦後の産業発展とイノベーション」では、「戦後の日本の技術能力の形成は、海外からの活発な技術導入と深くかかわっている」として、
(1)輸入された機械や設備が、多くの産業で製品の品質や生産性を改善することに重要な役割を果たした。
(2)日本企業は熱心に欧米企業と技術協定を締結しようとした。
(3)コンサルタント(その多くはアメリカ人)が生産プロセスの近代化を進めるために雇われた。
(4)技術のみを青写真の形で輸入することも、たびたび行われた。
(5)日本企業は将来的に有望な技術を捜し求めて、社内の優秀な技術者をしばしば海外に派遣した。
(6)多くの発展途上国が先端的外国技術を導入sるう主要な手段として、直接投資を受け入れ、奨励したのに対し、日本は1960年代後半から70年代初頭における段階的自由化まで、直接投資を制限したが、いくつかの例外もあった。
など、「多様なチャンネルを通じてなされ、戦後の技術進歩の重要な要因となった」と述べています。
 また、石油危機の技術面における影響として、
(1)多くの企業にとって、エネルギー節約型の生産プロセスの開発が、研究開発の重点目標の一つになった。
(2)全般的な産業構造が、エネルギー節約型や技術集約型、高付加価値型のものへと移っていった。
の2点を挙げています。
 第5章「アメリカのイノベーションシステム」では、アメリカのイノベーションシステムの特徴として、
(1)研究開発の規模の圧倒的な大きさ。
(2)政府の役割が大きいこと。
(3)ベンチャービジネスと呼ばれる小規模な、新機軸を実現していく企業が大きな役割を果たしていること。
(4)高い研究水準を持ち、優れた人材を供給し、活発に産業と連携、交流している大学の存在。
の4点を挙げています。
 第7章「日本のイノベーションシステムをどう変えていくか(2)」では、直接的に科学技術にかかわる政策として、
(1)政府主導の技術開発プログラム
(2)研究開発促進のための財政的措置
(3)知的財産権政策
の3点を挙げています。
 本書は、日本の技術についての概括的な視点を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者の後藤先生は、個人的にはコースの『企業・市場・法』やティッドらの『イノベーションの経営学―技術・市場・組織の統合的マネジメント』の役者としてもおなじみです。これらに比べて本書は新書ということもあって一般論的で踏み込みの浅さに物足りなさを感じる人もいるかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・日本におけるイノベーションの重要性を押さえておきたい人。


■ 関連しそうな本

 ロナルド・H. コース (著), 宮沢 健一, 藤垣 芳文, 後藤 晃 (翻訳) 『企業・市場・法』 2005年04月29日
 ジョー ティッド, キース パビット, ジョン ベサント (著),後藤 晃, 鈴木 潤 (翻訳) 『イノベーションの経営学―技術・市場・組織の統合的マネジメント』 2006年03月17日
 伊丹 敬之, 岡崎 哲二, 沼上 幹, 藤本 隆宏, 伊藤 秀史 (編集) 『戦略とイノベーション リーディングス日本の企業システム第2期』 2006年05月01日
 伊丹 敬之, 岡崎 哲二, 沼上 幹, 藤本 隆宏, 伊藤 秀史 (編集) 『製品戦略マネジメントの構築―デジタル機器企業の競争戦略』 2006年05月24日
 伊丹 敬之, 岡崎 哲二, 沼上 幹, 藤本 隆宏, 伊藤 秀史 (編集) 『戦略とイノベーション リーディングス日本の企業システム第2期』 2006年05月01日
 ヘンリー チェスブロウ (著), 大前 恵一朗 (翻訳) 『OPEN INNOVATION―ハーバード流イノベーション戦略のすべて』 2006年06月12日


■ 百夜百音

忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館【忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館】 忌野清志郎 オリジナル盤発売: 2008

 個人的にそれほどRCとかにはまり込んだわけではないですが、世代的にやっぱり存在感大きかったです。

2009年5月 1日 (金)

NPO入門

■ 書籍情報

NPO入門   【NPO入門】(#1562)

  山内 直人
  価格: ¥871 (税込)
  日本経済新聞社(1999/05)

 本書は、「NPO(民間非営利組織)について、その活動実態から、収入構造、社会的な役割、マネジメント、関連制度にいたるまで、系統的に解説したコンパクトな入門書」です。
 序「NPOの神話」では、「NPOに対する誤解」として、
(1)期待と現実のギャップ
(2)非営利=善ではない
(3)NPO=ボランティアではない
(4)精神論の落とし穴
の4点を挙げています。
 第1章「NPOの世界」では、NPOにこゆうな「非分配制約」について、「重要なのは、利潤を組織外部に分配しないということ」であり、「これは、NPOが収入を得てはならないとか、会計利潤が毎期毎期必ずゼロでなければならないといっているのでは」ないと述べています。
 また、JHCNPによるNPOの定義として、
(1)利潤を分配しないこと
(2)非政府
(3)フォーマルであること
(4)自己統治していること
(5)自発性の要素があること
の5点を挙げています。
 そして、1995年に、「日本の非営利セクターの経常支出は22兆円」にのぼり、「これは同年のGDPの4.5%に相当」すると述べたうえで、「日本の収入構造において民間寄付が特に少ない理由としては、まず寄付にインセンティヴを与える税制優遇措置が不十分であること」や、「助成財団のように民間寄付を調達・分配する機関が発達していないこと」などを指摘しています。
 第2章「非営利革命の背景」では、政府のリストラが、「NPOにも新たなビジネスチャンスを提供」するとして、「民間委託は、ただ安上がりになるというだけでなく、サービスの質が改善するケースが多い」と述べています。
 第3章「さまざまなNPO」では、
・教育・文化分野
・医療・福祉分野
・国境を越えるNPOの活動
などについて、具体的な例を挙げて解説しています。
 第4章「フィランソロピー」では、「フィランソロピーとは、人類愛を意味するギリシャ語から派生した言葉で、寄付やボランティアといった直接の見返りを期待しない慈善活動のことを意味」すると述べています。
 第5章「NPOのマネジメント」では、「NPOの経営基盤強化のためには、マネジメント(経営管理)をきちんとすることが重要」だとして、日本のNPOのマネジメントに焦点を当てています。
 そして、NPOの労働市場の特徴として、
(1)賃金が総じて安いこと。
(2)中途採用が多く、転職率が高いこと。
(3)女性の比率が高いこと。
(4)ボランティア労働の存在。
の4点を挙げています。
 第6章「NPOの制度改革」では、「日本独自の税制や法制がNPOの日本的特徴を生み出している」とする仮説に基づき、日本のNPOの特徴を論じています。
 そして、「民法の公益法人制度とそれに連なる寄付税制は、NPOを行政への『下請け』にするのに非常に都合よくできている」と指摘しています。
 本書は、NPOの実態をコンパクトに知ることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 さすがに10年前のNPOの話では制度などの面では古いよな、と思っていたら2004年に改訂版が出ているようです。そうなると今度は法人制度改革を反映した第3版が必要になりますね。
 それにしても、制度は変わって10年たっても、NPOが抱えている構造的問題はご健在のようです。


■ どんな人にオススメ?

・NPOについて知りたい人。


■ 関連しそうな本

 上山 信一 『「政策連携」の時代―地域・自治体・NPOのパートナーシップ』 2005年03月28日
 町田 洋次 『社会起業家―「よい社会」をつくる人たち』 2005年02月16日
 沢 昭裕, 経済産業研究所『公を担う主体としての民』研究グループ (編集) 『民意民力―公を担う主体としてのNPO/NGO』 2005年05月18日
 谷本 寛治, 田尾 雅夫 (編著) 『NPOと事業』 2005年01月28日
 シルヴァン・ダルニル, マチュー・ルルー (著), 永田 千奈 (翻訳) 『未来を変える80人 僕らが出会った社会起業家』 2007年03月28日
 渡邊 奈々 『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』 2005年08月11日


■ 百夜百マンガ

人類ネコ科【人類ネコ科 】

 アシスタントを使わず全て自分の手で仕上げるために週刊連載を断ったという人。読んでいた当時はそんなことにはまったく気づきませんでした。38歳の若さで亡くなられたのが惜しまれます。

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