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2009年6月

2009年6月30日 (火)

ガムテープで文字を書こう! ―話題の新書体「修悦体」をマスターして

■ 書籍情報

ガムテープで文字を書こう! ―話題の新書体「修悦体」をマスターして   【ガムテープで文字を書こう! ―話題の新書体「修悦体」をマスターして】(#1622)

  佐藤 修悦(さとう しゅうえつ)
  価格: ¥1500 (税込)
  世界文化社(2009/4/10)

 本書は、JR新宿駅の改修工事現場で、乗客の誘導業務を行っていた佐藤修悦氏がガムテープで描いた不思議な書体の文字の描き方を解説したものです。佐藤氏のガムテープ文字は、「製作者である佐藤さんの名前を取って『修悦体』と呼ばれるように」なり、「その完成度の高さとユニークな作り方に加え、製作者が無名の警備員という話題性も手伝って、ブログや動画サイトなどで人々の間に広まり、雑誌やテレビをにぎわすほどの人気を集めるようになっていく」と解説されています。
 2008年11月に封切られた東映映画『まぼろしの邪馬台国」では、タイトル題字に修悦体が採用され、東映社長の岡田祐介氏は、「魅力的な文字をかかれる方が少なくなってきている」という現実を指摘し、「コンピューターで作る文字ではつまらない」と感じていたときにテレビで「修悦体」に出会い、佐藤氏への依頼では、「さとうさんの、そして『修悦体』の自由な感性や本当のよさが失われてしまう」ことを恐れて、「全てお任せで、ただ題名だけは変えないでください」と依頼したことを語っています。
 「修悦体の基本テクニックをマスターしよう」では、文字の角の丸みのつけ方として、「角の部分が90度の扇型になるようにカッターで切」ったうえで、「その外側に同心円状にもう一度切り込みを入れ」、外側のテープを角の内側に貼り付けることで独特の丸みを作る手法を解説しています。
 「修悦体設計図1」では、「ガンバレ!日本」、売り上げアップ」、「おたんじょうびおめでとう」、「運動会」などの描き方を解説しています。
 また、佐藤氏が使う(株)スリオンテックのガムテープについて、「もともとは軍事用に作られたもの」で、「朝鮮戦争(1950年~1953年)のときに輸出梱包用として、駐留米軍が注文したのがそもそもの始まりだった」と解説した上で、段なる・放熱、固定、結束、絶縁、電磁波シールド、粘着力の調整などさまざまな機能を紹介しています。
 修悦体を発見した山下陽光氏のインタビューでは、「『修悦体』生みの親が佐藤修悦さんであるならば、山下陽光さんは、最初にそれを『面白い』と感じ、世に知らしめた、いわば『修悦体』の第一発見者ともいうべき人物」だと紹介しています。
 また、美術評論家の福住廉氏のインタビューでは、「『修悦体』は、個人で所有するというよりはパブリックに干渉するためのアート」だとして、「僕にいわせれば、現代アートがまだ佐藤修悦に追いついていない」と語っています。
 本書は、まったく新しい手法で作り出されたストリートの文字を紹介する一冊です。


■ 個人的な視点から

 自分では修悦体を直接眼にしたことがないですが、まだ日暮里駅では修悦体の案内に出会うことができるのでしょうか。機会があれば見に行きたいものです。


■ どんな人にオススメ?

・ガムテープは単なる梱包材だと思う人。


■ 関連しそうな本

 ワークスコーポレーション別冊・書籍編集部 『DTP&Webデザイナーのための書体見本帳 フォントスタイルブック2009』
 MPC編集部 『昭和モダン体』
 インプレスPC編集部 (編集), 深沢 英次 (監修) 『デザインの幅を広げる 最新 フリーフォントセレクション』
 Maniackers Design 『DESIGN FONT MANIA デザインフォントマニア』


■ 百夜百マンガ

会社じゃ言えないSEのホンネ話【会社じゃ言えないSEのホンネ話 】

 元SEだけあってセキララな叫びには胸を打たれます。それにしてもエッセイマンガというジャンルはマンガの幅を広げた気がします。

2009年6月29日 (月)

イノベーションと企業家精神

■ 書籍情報

イノベーションと企業家精神   【イノベーションと企業家精神】(#1621)

  P.F.ドラッカー (著), 上田 淳生 (翻訳)
  価格: ¥2100 (税込)
  ダイヤモンド社(2007/3/9)

 本書は、「イノベーションと企業家精神を、体系として、また実践として提示」し、
(1)イノベーションの実践
(2)企業家精神の実践
(3)企業家的戦略
の表題の下に論ずるものです。
 プロローグ「企業家経済」では、1970年代の中葉移行、「現実にアメリカで起こりつつあること」は、「管理経済から企業家経済への移行という根本的な変革」だと述べ、「アメリカ経済を企業家経済たら占めたもの」は、「経営管理という名の『技術』であって、個々の発明や科学的進歩ではない。さらに進んで、今日、まさにこの経営管理という『技術』が、アメリカを企業家社会に変えようとしている」と述べています。
 第1章「体系的な企業家精神」では、「企業家たる者は、何か新しい異質のものを創造しなければならない。変革をもたらし、価値を創造しなければならない」と述べたうえで、「企業家精神とは、経済的組織に限定されるものではない」と述べています。
 第2章「イノベーションの機会――七つの源泉」では、「企業家たる者は、イノベーションを行わなければならない。イノベーションこそ、企業家に特有の道具である。イノベーションとは、資源に対し、富を創造する新たな能力を付与するものである。資源を真の資源たらしめるものが、イノベーションである」と述べた上で、「体系的なイノベーションとは、じつは、イノベーションの機会を7つの領域において探すことに他ならない」と述べ、
<企業や公的サービス機関の組織の内部、あるいは産業や公的サービス部門の内部の事象>
(1)予期せざるものの存在
(2)調和せざるものの存在
(3)必然的に必然なるもの、すなわちプロセス上のニーズの存在
(4)地殻の変動
<企業や産業の外部における事象>
(5)人口構成の変化
(6)認識の変化、すなわたいものの見方、感じ方、考え方の変化
(7)新しい知識の獲得
の7点を挙げています。
 第3章「源泉=予期せざるもの」では、「予期せざる成功こそ、イノベーションの最大の機会である。これほど成功しやすいイノベーションの機会はない」としたうえで、「イノベーションとは、明確な目的意識のもとに合理的かつ体系的に行われる組織的な活動である」と述べ、「予期せざる外部の変化が差し出している機会というものは、常に目の前にあるのである」と述べています。
 第4章「源泉=調和せざるもの」では、調和せざるものを、
(1)需要との不調和
(2)通念との不調和
(3)消費者の価値観との不調和
(4)プロセスにおける不調和
の4つに分類しています。
 第5章「源泉=プロセス・ニーズ」では、日本での自動車事故の急増と言う危機的状況をイノベーションの機会として捉えた岩佐多聞が、高速道路用の視線誘導標を改造し、「鏡の役を果たす小さなビーズ状のガラス球が、ヘッドライトの光を反射できるようにし」、政府がそれを何十万個も買った結果、「日本の自動車事故は、大幅に下がり始めた」例を紹介しています。
 第10章「素晴らしい『アイデア』」では、「企業家たる者は、いかに成功物語に心を動かされようとも、『アイデア』にもとづくイノベーションには手を染めないほうが賢明である」として、「このような不確実な分野には手を染めず、すでに述べてきた七つの明確に把握できるイノベーションの機会の分析に力を入れるべき」だと述べています。
 第11章「イノベーションの原理」では、「なすべきでないこと」として、
(1)利口であろうとしてはならない。
(2)多角化させてはならない。
(3)将来のイノベーションではなく、現在のイノベーションを狙わなければならない。
の3点を挙げています。
 そして、「結局のところ、イノベーションとは市場の近くにおいて、市場に焦点を合わせて、市場の刺激を受けて行われるべきものである」と述べています。
 第13章「企業家的事業」では、企業家的経営管理に必要な明確な方針と実践として、
(1)組織がイノベーションを受け入れるとともに、変化を機会とみなし、脅威とは見なさない姿勢が必要である。
(2)企業家およびイノベーターとしての立場から、イノベーションの業績を体系的に測定することが必要である
(3)組織の面で、さらに給料、インセンティブ、報償の面で、あるいは人事の面で、具体的な方法を確立しなければならない。
(4)禁止事項に留意しなければならない。
の4点を挙げています。
 そして、既存の企業の経営陣がやってはならないこととして、
(1)最も重要な禁止事項は、経営管理部門と企業家的部門とを一緒にすることである。
(2)既存の企業を、その守備範囲の外に連れ出すようなイノベーションの試みは、めったに成功しない。
(3)買収つまり中小の企業家的なベンチャーを取得することによって、自分の事業を企業家的にしようとすることは、つねにやってはならない無駄である。
の3点を挙げています。
 第14章「公的サービス機関の企業家精神」では、「公的サービス機関がイノベーションを推進することは、最も官僚的な企業の場合よりも、はるかにむずかしい。現に存在しているものが、障害をいっそう大きくするからである」として、
(1)公的サービス機関が支出を基にした予算を基礎とする組織であること。
(2)公的サービス機関というものが、数多くの関係者に依存するということ。
(3)公的サービス機関が存在するのは、結局善を行うためであるということ。
の3点を挙げています。
 そして、公的サービス機関のイノベーションの必要性として、「公的サービス機関が先進諸国では、重要かつ大きくなりすぎた」ことを指摘しています。
 第15章「ベンチャービジネス」では、ベンチャービジネスにおける企業家的経営管理の要点として、
(1)市場志向でなければならない。
(2)財務上の見通しがなければならない。
(3)トップ経営陣を持てるようになり、かつ持たなければならなくなるかなり前から、トップ経営陣をつくっておかなければならない。
(4)創業した企業家自身について、その役割、仕事の範囲、他との関係を決めておかなければならない。
の4点を挙げています。
 第16章「『総力をもって攻撃すること』」では、「企業家的戦略はそれ自身独立したもの」であり、「戦略一般とは異なる」として、
(1)総力をもって攻撃すること。
(2)手薄なところを攻撃すること。
(3)生態学的地位を確保すること。
(4)製品や市場の性格を変えること。
の4点を挙げています。
 第17章「『手薄なところを攻撃すること』」では、創造的模倣を、「市場や産業の独占を狙いとはしないまでも、市場や産業におけるリーダーシップを握ることを目的とした戦略」だと述べた上で、「創造的模倣は、製品ではなく市場から、生産者ではなく顧客から、出発する。創造的模倣は、市場志向であり、市場追従である」と述べています。
 第18章「生態学的地位」では、生態学的戦略として、
(1)トールゲート戦略
(2)専門技術戦略
(3)専門市場戦略
の3つの戦略を紹介しています。
 第19章「変化する価値観と顧客特性」では、本章で論ずる戦略の共通項として、「顧客をつくり出す」ことを挙げ、「顧客こそ、あらゆる経済活動の究極の目的」だと述べています。
 そして、「イノベーションとは、市場や社会に変化をもたらすことである。イノベーションは、顧客に便益を与え、社会に富の増殖能力を与える。それは価値や満足を生み出す」と述べています。
 エピローグ「企業家社会」では、企業化社会が必要とする社会的なイノベーションとして、
(1)余剰労働者に関する政策
(2)時代遅れとなった社会政策と、公的サービス機関の体系的な廃棄を実現すること
の2点を挙げています。
 本書は、企業に限らず、社会におけるイノベーションの重要性を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 今年はドラッカー生誕100周年に当たるので、それを記念したイベントが色々とあるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・イノベーションは技術に限ったことだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 P・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳) 『ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる』 2005年07月21日
 エリック・フォン・ヒッペル (著), サイコム・インターナショナル (翻訳) 『民主化するイノベーションの時代』 2006年10月16日
 クレイトン・クリステンセン (著), 玉田 俊平太, 伊豆原 弓(翻訳) 『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』 2005年10月17日
 クレイトン・クリステンセン, マイケル・レイナー (著), 玉田 俊平太, 櫻井 祐子 (翻訳) 『イノベーションへの解―利益ある成長に向けて』 2005年09月29日
 クレイトン・M・クリステンセン, スコット・D・アンソニー, エリック・A・ロス (著), 宮本 喜一 (翻訳) 『明日は誰のものか イノベーションの最終解』 2005年10月28日
 ジョー ティッド, キース パビット, ジョン ベサント (著),後藤 晃, 鈴木 潤 (翻訳) 『イノベーションの経営学―技術・市場・組織の統合的マネジメント』 2006年03月17日


■ 百夜百マンガ

阿房列車【阿房列車 】

 昭和レトロを独特のタッチで描くこの人が、「なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ」で始まる鉄道紀行の名作を漫画化。

2009年6月28日 (日)

科学の大発見はなぜ生まれたか―8歳の子供との対話で綴る科学の営み

■ 書籍情報

科学の大発見はなぜ生まれたか―8歳の子供との対話で綴る科学の営み   【科学の大発見はなぜ生まれたか―8歳の子供との対話で綴る科学の営み】(#1620)

  ヨセフ アガシ (著), 立花 希一 (翻訳)
  価格: ¥987 (税込)
  講談社(2002/12)

 本書は、著者が息子のアーロンと、科学と哲学について交わした対話に基づく問答集です。著者の主要な論点は、「科学の営みとは、定説として受容されている科学理論を正確に理解したうえで、それを批判し、修正していく試みの連続」であるとして、「こうして科学の大発見は生まれてきた」と述べています。
 第1章「科学とはそもそも何なのか」では、「科学は何世紀にもわたって続けられる仕事なのだ。多くの人々の貢献はほんのわずかで、しかもその貢献の多くがよい結果をもたらすのを見ずに人々は死んでしまう」として、「3、4百年前、人々が初めて科学の研究を始めたとき、かれらは科学がそれほど大きな仕事ではなく、自分の一生の中で完成しうると考えていた」ことを指摘しています。
 第3章「どうして科学者を信じるの?」では、「実験や観察について知っている科学者は、実験や観察について知らない科学者がおかすような間違いはしない」として、「われわれは観察と矛盾しないような最良の考えを探し求めている」と述べています。
 第6章「重力はどこでも同じなの? それとも少し違うの?」では、「ニュートンの理論は人類の歴史全体で、最も印象深い理論のうちのひとつだった」として、それが、「宇宙の全ての物質的事物」に応用できる理論dなった点を挙げています。
 第7章「科学と迷信」では、ベーコンが、「考えることをまったくせずに、われわれの持っているあらゆる古い見解を取り除き、望遠鏡や顕微鏡などの道具を用いてより多くの事物を探すことからはじめるやり方」の方が、「あまりにも少ない事実から出発して、見解を作り上げ、しかも間違いから学ぼうとはしないこと」より「ずっと安全だ」と主張したと述べています。
 第13章「ベーコン、ボイル、そしてとりわけニュートン」では、「ベーコンとガリレオの間では、伝統など重要ではなく、科学者たちは、正しいことと間違っていることを、自分自身で決定しなければならないという点で一致していた」として、ガリレオとデカルトは「主知主義者」で、ベーコンは「経験主義者」だったと述べています。
 第14章「さらにニュートン、そしてちょっぴりアインシュタイン」では、ニュートンが完全ではなく、「彼の理論はよいものではあったけれども、最良のものではなかった」として、「いまのわれわれは、ニュートンの理論よりも素晴らしいアインシュタインの理論を持っている」が、アインシュタイン自身は、「自分の理論が今ある中で最もよいとは思っていたが、それで十分だとは思っていなかった」と述べています。
 第15章「ライプニッツ」では、「奇妙に思えるかもしれないが、科学において、特に新しいアイデアを探している場合には、絶対的に明晰であるのは不可能」であり、「われわれはこのことを承知している」が、「17世紀には、科学者が明晰でない場合には、人々は腹を立てたものだ」と述べ、近年の科学者は、「科学に関する自分たちの見解を積極的に変える用意があり、科学の理論が仮説であることを進んで認める」と述べています。
 そして、「科学における開かれた精神」が発達してきたのは、「ニュートンの最大の論敵で同時代の人であったゴットフリート・ウィルヘルム・フォン・ライプニッツによってなされた批判の力によるものだった」と述べ、「ライプニッツの重要性は、アインシュタイン以後になるまで十分には認識されなかった」としています。
 本書は、子どもにも分かる形で「科学とは何か」を語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、8歳の息子との対話ということになっていますが、だからといって大人が簡単に理解できるかというとそんなことはありません。結構読み応えはあると思います。


■ どんな人にオススメ?

・科学がどうやって発達したかを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 アイリック ニュート (著), 猪苗代 英徳 (翻訳) 『世界のたね―真理を追いもとめる科学の物語』 2009年02月23日
 ピーター アトキンス (著), 斉藤 隆央 (翻訳) 『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』 2006年5月5日
 アルフレッド・W・クロスビー (著), 小沢 千重子 (翻訳) 『数量化革命』 2006年11月18日
 ピーター バーク (著), 井山 弘幸, 城戸 淳 (翻訳) 『知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか』 2006年12月31日
 ビル ブライソン (著), 楡井 浩一 (翻訳) 『人類が知っていることすべての短い歴史』 2007年04月08日
 アルフレッド・W.クロスビー (著), 佐々木 昭夫 『ヨーロッパ帝国主義の謎―エコロジーから見た10~20世紀』 2007年01月30日


■ 百夜百音

ワンルーム・ディスコ【ワンルーム・ディスコ】 Perfume オリジナル盤発売: 2009

 新入学、新社会人と新生活の始まりの不安と高揚感を歌った曲。で「ディスコ」はどこに?

2009年6月27日 (土)

自衛隊の誕生―日本の再軍備とアメリカ

■ 書籍情報

自衛隊の誕生―日本の再軍備とアメリカ   【自衛隊の誕生―日本の再軍備とアメリカ】(#1619)

  増田 弘
  価格: ¥861 (税込)
  中央公論新社(2004/12)

 本書は、
(1)自衛隊誕生に至る歴史の不透明さに光を当てること。
(2)公職追放を免除された旧陸海軍将校の動向に着目しつつ、三自衛隊誕生の個々の経緯を明らかにし、それらの相違点を描き出すこと。
(3)米国側の視座から自衛隊誕生に至る日本再軍備過程を分析し、解明すること。
の3点を目的としたものです。
 第1部「陸上自衛隊の誕生」では、マッカーサーがGHQの「民事局別館(CASA)」に命じた重大な命令として、警察予備隊について、「将来『四個師団』の陸軍に増強できる"擬似"軍隊を作ることであり、これは秘密裏に実行する必要であった。しかも当初は連合国の協定も犯さず、戦争及び戦力を永久に放棄することをうたった日本国憲法にも違反しないように予備隊を運営することが肝要であった」と述べています。
 またG2のウィロビーが、本来パージされる身である元職業軍人らを、「復員事業や戦史編纂といった名目でパージを免除」して匿っていたと述べています。
 そして、日本の独立回復に先立って、日米が、
(1)日本独立後における米軍事顧問団の位置と役割
(2)日本独立後の日米防衛戦略に関する合同委員会の設置
(3)保安隊の新設問題
(4)日本への重装備供与及び重装備訓練問題
の4つの問題をめぐって議論を重ねたと述べています。
 さらに、1954年5月1日、「MSA協定(日米相互防衛援助協定)の発行に伴い、同協定第7条の規定によって、米軍事援助顧問団の設置、任務、待遇、特権等が正式に定められ、その名称も6月7日に『在日軍事援助顧問団(MAAGJ)』となった」と述べています。
 著者は、「日本の陸上部隊が"警察予備隊"から"保安隊"へと脱皮する過程で、組織及び編成面が軍事顧問団の指導により順調に整備されていったのに対して、教育訓練及び軍事装備面では、、顧問団にほぼ全面的に依存せざるをえない状態が続いていた」と述べています。
 第2部「海上自衛隊の誕生」では、終戦直後に、米内光政海軍大臣が、最後の海軍省軍務局長であった保科善四郎中将に、
(1)海軍の再建
(2)新日本建設に海軍技術の活用
(3)海軍伝統の美風を更新に伝えること
の3点を要望したと述べています。
 そして、1951年に対日平和条約と日米安保条約が締結され、翌年に日本が独立することになると、「日米双方は日本海軍再建に向けて意見交換の度合いを増してく」として、「海軍復活のための準備機関として"Y委員会"が極秘裏に設置され、新機構をめぐって旧海軍出身者と運輸官僚側との間で意見の対立が生じる」が「結局、海上保安庁内に『海上警備隊』が創設される」と述べ、「Y委員会」の故障は、「旧軍部では陸軍をA、海軍をB、民間をCと略称していた」ことから「アルファベット順を逆にしたときにBに相当するYを用いた」と解説しています。
 第3部「航空自衛隊の誕生」では、「陸上自衛隊が米軍主導で誕生し、逆に海上自衛隊が旧日本海軍関係者主導で誕生したのに対し、航空自衛隊の誕生は、旧日本陸軍航空関係者と米空軍当局との共同合作によるものと言える」とした上で、旧陸軍航空関係者の空軍研究の基本方針が、「一国が独立国となる以上、軍備が必要であり、軍備の中には"独立空軍"を入れなければならない、というものであった」と述べています。
 また、航空自衛隊の誕生に関して、
(1)日米両国政府と米軍当局はどのように日米間の格差を縮めて懸案のMSA交渉を決着させたのか。
(2)MAAGJの新設に際して空軍顧問団がどのように成立したのか。
(3)日米当局が"分属"空軍方式を決定したことに伴う、新たな日本航空兵力の規模・構成、あるいは組織の指揮・系統などの懸案をどのように解決し、航空自衛隊が誕生したのか。
の3点を明らかにしています。
 おわりに「陸・海・空三自衛隊の違いはどこにあるか」では、「陸上自衛隊は戦前との連続性が弱く、逆に海上自衛隊は戦前との連続性が強く、航空自衛隊は戦後生まれのため非連続性が色濃い」として、「このような相違点が生まれた背景に、太平洋戦争の残滓を見ることは可能であろう」と述べています。
 本書は、日本の自衛隊が、戦後何もないところから出てきたものではないことを明らかにしてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 自衛隊がどうやってできたかについては、警察予備隊ができてから三軍まとめてできてきたかのような印象を持っていましたが、それぞれ異なる国内勢力、海外勢力の綱引きの結果だということは知りませんでした。そもそも極秘裏に進めてきたことだからアメリカの公文書が公開されないと分からないことなのだと思いますが。


■ どんな人にオススメ?

・自衛隊は一体のものだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 佐道 明広 『戦後政治と自衛隊』
 大嶽 秀夫 『再軍備とナショナリズム―戦後日本の防衛観』
 前田 哲男 『自衛隊―変容のゆくえ』


■ 百夜百音

Thriller【Thriller】 Michael Jackson オリジナル盤発売: 1983

 個人的にはそれほど思い入れがあるわけでもないのですが、80年代はこの人がいなかったら相当変わっていたかと思います。

2009年6月26日 (金)

政治記者―「一寸先は闇」の世界をみつめて

■ 書籍情報

政治記者―「一寸先は闇」の世界をみつめて   【政治記者―「一寸先は闇」の世界をみつめて】(#1618)

  野上 浩太郎
  価格: ¥693 (税込)
  中央公論新社(1999/04)

 本書は、四半世紀前に現場の政治記者をしていた著者が、「政治記者の仕事の魅力」を語ったものです。著者は、最大の魅力は、「政局の『生き物のような展開』にある」としています。
 第1章「田中角栄とリアリズム」では、「政治記者にとって、最も面白くてしかも難しいのが政局の取材だ」とした上で、その理由は、「生々しい権力闘争を繰り広げる人間ドラマだから」だと述べています。
 また、首相番を卒業して政党担当になった政治記者が直面するジレンマとして、「特定の政治家や派閥に『食い込む』努力と、つねにそれらから距離を置いて『冷たく、突き放して』判断する精神との『二律背反』」を挙げています。
 第2章「田中の挫折と悲劇」では、「政局取材は面白いと同時に『落とし穴』を伴う」として、「政局展開の生き物のような面白さを夢中で追いかけているうちに、まったく性質の違う側面を見落としてしまう危険性」を挙げ、「その典型が政治家のカネにまつわる話」だと述べています。
 そして、田中の金脈疑惑を徹底的に暴いた評論家、立花隆の論文にちうて、「土地ころがしを基本にした田中の裏金づくりの実態については、それ以降いまだに、これを上回る内容の記事や論文は出ていないだろう」と述べ、「立花論文を読んで『やられた』と感じたことも否定できない」と述べています。
 さらに、「フリーで無名の立花隆が『金脈』のからくりを執拗に取材した結果、その実態がわれわれにも明らかになった」ことについて、「立花論文はひたすら驚きの連続だった」と述べています。
 第3章「ワシントン取材」では、ワシントン特派員だった著者が、1年も過ぎると、「メモ帳に要点を書きとめ、日本の新聞の締め切り間際に『勧進帳で』草稿できるようになった」として、「記事に書いていないメモだけの状態で電話に向かい、メモを基に頭の中で記事に構成しながら受け手に読み込む手法」を解説しています。
 第4章「サムライ外交官群像」では、著者が外務省担当だった当時、条約局参事官だった高島益郎(後の事務次官)について、「まだ50歳前後だというのに頭髪は薄く昔のサムライのような風格」であったため、「この人は出世コースからちょっと外れているのかな」と内心感じていたと語っています。
 また、当時の中国課長、橋本恕について、「ギョロリとむいた鋭い目に分厚い唇、浅黒い顔。どこから見ても外交官らしいスマートさとは縁遠い風貌で、やはりサムライだった」と述べています。
 そして、「敗戦で生まれた戦後処理問題を乗り切るためにはサムライ外交官が必要だった」が、「北方領土返還を除いて大きな戦後処理問題が解決された後は、どちらかと言えば、スマートな秀才型外交官が主流になった」と述べています。
 第6章「特ダネと記者クラブ」では、「これから政治記者を目指す人たちへのメッセージのつもりで、体験に基づく助言をまとめてみたい」として、「フットワークや『カン』と並んで必要となるのが『勉強』である」ことなどを語っています。
 本書は、古きよき時代の「政治記者」の姿と心意気を今に伝える一冊です。


■ 個人的な視点から

 政治記者というと、大学出たてで政治家と付き合い、社旗つきのハイヤーを乗り回し、ということがあって世間の常識から乖離した人たちという先入観があるのですが、四半世紀前の政治記者となれば相当世間離れしてたのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・昔の政治記者を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 河崎 吉紀 『制度化される新聞記者―その学歴・採用・資格』 2006年11月10日
 高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年06月23日
 川上 和久 『情報操作のトリック―その歴史と方法』 2007年10月12日
 大井 浩一 『メディアは知識人をどう使ったか―戦後「論壇」の出発』 2008年03月22日


■ 百夜百マンガ

エイリアン9【エイリアン9 】

 かわいいキャラクターにもかかわらず、どんどん死んじゃうシリアスな展開についていけない人もいるのではと思います。

2009年6月25日 (木)

ギャンブルフィーヴァー―依存症と合法化論争

■ 書籍情報

ギャンブルフィーヴァー―依存症と合法化論争   【ギャンブルフィーヴァー―依存症と合法化論争】(#1617)

  谷岡 一郎
  価格: ¥693 (税込)
  中央公論社(1996/10)

 本書は、「ギャンブル中毒にはまりやすい性格と、そのはまりゆくプロセスをパターン化することにより予防の可能性を論じ、そしてギャンブル中毒者の治療方法として、アメリカで長い間培われてきたノウハウを紹介」しているものです。
 第1章「ギャンブルの役割」では、ギャンブルが、「神意の伝達の手段として発展し、そしてそれはやがて『どちらが正しいか判らないときに、神に尋ねる』という役割を持つようになる」として、
(1)分配
(2)裁判
(3)戦争
の3つの例を取り上げています。
 そして、本書が、「ギャンブルと人間社会とが、現代においてどう関わっているのかを開設することと、現在多くの国々で進行しつつあるギャンブル(カジノ)合法化の問題を、もし日本に当てはめるとすればどうなるであろうか」を議論するとしています。
 第2章「ギャンブルホーリック」では、「社会規範ですべきでないとされる行為は『逸脱行為(Deviant Behavior)』と呼ばれ、逸脱行動を行うものは犯罪者、不道徳者、愚か者、怠け者などの烙印を押される」として、歴史上多くの社会では、「ギャンブルで身を持ち崩す者などは単なる『人間のくず』とされていた」と述べています。
 そして、「いつも賭けていないと禁断症状を起こすという病気」である「ギャンブルホーリック」について、WHO(世界保健機関)が1977年に依存症の一つとしてあげていることを紹介しています。
 また、なぜギャンブルをするのかという内面的動機として、
(1)つきあい
(2)ひまつぶし
(3)遊び
(4)ストレス解消
(5)挑戦
(6)スリルを求めて
(7)一攫千金
(8)現実逃避
(9)自我を求めて
の9点を挙げ、これ以外の潜在的な動機として、「負けたい」と思ってギャンブルをしている人がいるという説を紹介しています。
 第3章「はまりゆくパターンとはまる性格」では、「単なるギャンブルファンがギャンブルホーリックの患者となっていくプロセス」として、
(1)冒険または勝ち
(2)負けつづけ
(3)破滅
の3段階を解説しています。
 そして、ギャンブルホーリックにはまりやすい代表的な性格として、
(1)自己暗示にかかりやすい人
(2)プライドの高い人
(3)意志の弱い人
(4)まじめだがうだつのあがらない人
(5)(自分勝手で)理屈っぽい人
(6)わりと数字に強いが認識の甘い人
の6種類を挙げています。
 第4章「ギャンブルホーリックの治療」では、アメリカやカナダ、ヨーロッパなどで「ギャンブルホーリックの治療や相談を、無料で行っている施設もしくはそのプログラムの名称」である、「ギャンブラーズ・アノニマス(GA)」について、その治療プロセスには、
(1)匿名性
(2)無宗教性
(3)どんな小さな賭けもしない
の3段階があると述べています。
 そして、「ひとつの依存症に罹りやすい人は、他の依存症にも罹りやすい傾向にある」としたうえで、「耽溺行為・依存症というのは、ある行為がやめられなくなる精神状態を指す」として、「ジョギングや読書といった、一般的に好ましいとされている行為ですら、やめられない精神状態に陥り、結局やりすぎて健康を損ねたり、他の重要なことをさぼりがちになることはありうる」と述べています。
 第5章「ギャンブル(カジノ)に反対する人々」では、「歴史上ギャンブルは禁止されたり認められたりを繰り返している」と述べた上で、カジノ反対派の論拠について、
(1)犯罪が増える。
(2)暴力団が関与する。
(3)風紀が乱れる。特に失業者が増え、街がスラム化する。
(4)ギャンブル中毒患者が増え、家庭崩壊に繋がる。
(5)勤労意欲が低下する。
の5点に整理し、「ここでは、ギャンブル自体がインモラルな行為であるとの主張は、表面上の論点ではない」と述べています。
 第6章「ギャンブル解禁論」では、「『飲む・打つ・買う』総量バランス理論」として、
(1)ストレスエネルギー発散機能はすべての社会に必要であり、この機能がうまく働かなかったり、不十分であったりする社会では、他の、より大きなひずみを生ずる。
(2)ストレス発散に必要な、「飲む・打つ・買う」またはその他の行為の総量は、その社会のストレスエネルギーの量に比例する。
(3)「飲む・打つ・買う」という三要素のうち、一つ、または二つが強制的に制限される社会においては、制限を設けないほかの要素に比重がかかる。
の3点を挙げています。
 また、「歴史上、ギャンブルが広まるプロセスとして重要なのは、戦争と移民である」と述べています。
 本書は、ギャンブルとの付き合い方のヒントを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ギャンブルが嫌いな人はとことん嫌いな人が多いですが、日本ほど泥酔する酔っ払いとギャンブル中毒者に甘い国はないような気もしますので要は節度とか程度とかの問題なのかとも思います。


■ どんな人にオススメ?

・ギャンブルが嫌いな人、好きな人。


■ 関連しそうな本

 田辺 等 『ギャンブル依存症』
 伊波 真理雄 『病的ギャンブラー救出マニュアル』
 谷岡 一郎 『ツキの法則―「賭け方」と「勝敗」の科学』
 谷岡 一郎 『確率・統計であばくギャンブルのからくり―「絶対儲かる必勝法」のウソ』


■ 百夜百マンガ

猫ラーメン【猫ラーメン 】

 猫がラーメン屋だったり、ザリガニが課長だったりと設定そのものが飛びぬけて面白いわけではないはずなのですが、徹底的に設定を生かすとたいしたものになるみたいです。

2009年6月24日 (水)

感性の起源―ヒトはなぜ苦いものが好きになったか

■ 書籍情報

感性の起源―ヒトはなぜ苦いものが好きになったか   【感性の起源―ヒトはなぜ苦いものが好きになったか】(#1616)

  都甲 潔
  価格: ¥777 (税込)
  中央公論新社(2004/11)

 本書は、「感性を38億年前の生命誕生の日までさかのぼってみた」ものです。
 第1章「『感性』とは何か」では、「私たちが普段意識している『感性』は、視覚情報や音声情報に基づく感性である」として、これら「物理感性」に対し、「生物本来の感性」として「化学感性」を挙げています。
 そして、本書では、「単細胞生物も感性を持つこと」を示すとして、「『おいしい』と感じる化学感性は、進化的に古い脳を積極的に使う。そこに私たちは生物としてのヒトの名残を見ることができる」と述べています。
 第2章「単細胞生物の知恵」では、「粘菌」の変形体の特徴として、「巨大かつ不定形の単細胞生物」であることを挙げた上で、粘菌の「感性」について、「粘菌は暖かい刺激へ近づいたり、苦い物質からは遠ざかったりする」として、「その行動からは『好き嫌い』という感情、感性のようなものが見て取れる」と述べています。
 第3章「生物の自己組織化と『場』」では、「実験室レベルで、パターンやリズムといったダイナミックな動きを再現できる」として、
(1)平衡系:要素間の相互作用に由来する内部エネルギーと多数の要素の熱運動に起因するエントロピーが拮抗し、両者の兼ね合いで、構造体か一様な常態かが決まる。
(2)外部からエネルギーや物質がどんどん流れ込み、構造体が発現する。
の2つの自己組織化を挙げています。
 第4章「『おいしさ』が脳に認知されるまで」では、「古くから味をいくつかの基本的な成分(基本味)に分解しようという試みが、行われてきた」と述べ、「味覚には、5つの味に生理的意味があった。苦味や酸味は、毒なので本来摂ってはいけないことを示す味であった」と述べ、一方、匂いは「経験と学習、状況によって快・不快が決まってくる」と述べています。
 第5章「味覚を表現する」では、「これまで暗黙知の世界であった味覚を言葉で表現するための方法を探るその試み」について解説しています。
 エピローグ「ミクロとグローバルの狭間で」では、「味覚と嗅覚が化学物質を摂る、探るための感覚であることを鑑みると、この2つの感覚は全ての感覚の元祖である」と述べています。
 そして、「私たちは、味覚や嗅覚という生物古来の感性と、進化したホモサピエンスの持つ客観的要素の大きい視覚由来の感性、これら2種類の感性が同時に現れる舞台、つまり食感性を表現できる時代にいる」とした上で、「21世紀は失われた化学感性の復権の世紀」だと述べています。
 本書は、ヒトが本来持っている感性を解き明かそうとした一冊です。


■ 個人的な視点から

 「感性」という言葉は色々な場でたいていは好ましく使われることが多いですが、よくよく考えてみると結構あいまいな言葉だということに考えさせられます。


■ どんな人にオススメ?

・「感性」を信じるヒト。


■ 関連しそうな本

 ニコラス ハンフリー (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由』 2009年02月27日
 池田 光男, 芦沢 昌子 『どうして色は見えるのか―色彩の科学と色覚』 2008年01月05日
 内川 恵二 『色覚のメカニズム―色を見る仕組み』
 大田 登 『色彩工学』
 オリヴァー サックス (著), 吉田 利子 (翻訳) 『火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者』 2006年03月26日
 ベンジャミン・リベット (著), 下條 信輔 (翻訳) 『マインド・タイム 脳と意識の時間』 2006年11月11日


■ 百夜百マンガ

パギャル!【パギャル! 】

 ホームレス漫画家を売りにしてはいますが、ほとんど色物系のタレントといって差し支えない状態ではないかと思います。

2009年6月23日 (火)

スナップ写真のルールとマナー

■ 書籍情報

スナップ写真のルールとマナー   【スナップ写真のルールとマナー】(#1615)

  日本写真家協会
  価格: ¥756 (税込)
  朝日新聞社(2007/8/10)

 本書は、「人物が入った写真には肖像権が絡んでくる」という問題に対し、「そんな悩みを解決し、楽しく写真が撮れるよう(社)日本写真家協会の著作権委員ら3人と協会顧問弁護士の北村行夫氏によって実例をあげながら指導する」ものです。
 「『肖像権』とはなにか」では、「最近はやたらと『個人情報』とか『肖像権』『プライバシー』といった言葉が広まって、人物の入った光景を捉えた写真がかなり少なくなっている」ことについて、「なかには人物を入れないようにと、過剰反応かと思える自己規制を指導する人までいる」ことについて、「こうした問題が当たり前になってしまうと、写真から生気がなくなり、時代を記録する写真の魅力が失われてしまう恐れがある」と指摘しています。
 また、「肖像権」に関する判例から、人には、
(1)みだりに顔(肖像)を撮影されない権利、撮影拒絶権がある。
(2)撮影された肖像写真、作成された肖像の利用拒絶権がある。
(3)肖像の利用に対して、肖像本人の有する財産的利益を得ることができる財産権がある。
の3点を挙げています。
 そして、(社)日本写真家協会では、「『肖像権』問題を真摯に受け止め、『撮ることができない』のではなく、どうすればすすんで『撮れるようになるか』、どんなことに配慮して『撮ったものを発表するか』ということについて、じっさいに即した回答をQ&A方式でまとめてみた」としています。
 第1章「こんな場所で撮っていいの?」では、「歩行者天国や公の道路・公園などといった、誰もが自由に出入りできる場所で、しかも多くの人を対象に無料で見せているような大道芸人やパレード、イベントなどに参加している人、出演者などの撮影は自由」であることなどを解説しています。
 また、「公務中の人に肖像権は働きません」としたうえで、「公務中の方であっても、撮った写真を商業目的のチラシや印刷物に使うこと」は、パブリシティー権が働くため、使用できないと述べています。
 第2章「撮った写真を公表したい」では、写真家が肝に銘じておくべきこととして、「撮る行為、発表する行為、すべてにおいて自分自身に責任がある」ことを挙げ、「この『責任がある』ということを念頭において、撮ったり発表したりすれば、問題はおきないはず」だと述べています。
 また、スナップ写真を撮るケースで撮影者が頭を悩ます点として、「撮影前に挨拶して許諾を取ると、相手がカメラを意識して自然な表情や情景が消えてしまう」ことを挙げ、「撮影後、写真を撮らせてもらったこと、使用目的などを説明し、了解を取り付けるようにしましょう」と述べています。
 第3章「パブリシティーがらみの写真」では、個人の庭の中にあり、そこの地主が「桜の肖像権」を主張している枝垂桜について、「枝垂桜の所有者として、所有地内に立ち入っての撮影は禁止できても、所有地外から撮影した写真について、所有権の効力は主張」できないと述べています。
 第4章「写真を撮ってトラブルに」では、ラッシュ時のプラットホームや祭りの様子の写真を撮っていて、「俺を撮ったな」と文句を言われるケースを取り上げています。
 鼎談「スナップ写真はこう撮ろう」では、「肖像権について取り上げた本や雑誌の記事の中には、肖像権に対する正しい認識を伝えるよりも、むりそ『肖像権があるのだから写真を撮らせるな!』などという否定的なメッセージだけを強調するものも、少なくないというのが実状」だと指摘した上で、基本的には「写される人の気持ちになって、配慮しながら撮る」ことが基本だと述べています。
 本書は、写真家はもちろん、人物写真に関わる仕事をしている人にぜひ読んでいただきたい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書でも少し触れられていますが、人権系の主張をする言説の中には、過剰に配慮をしたものが少なくないような気がします。その点で、本書があることはバランス的に、また実務的に大きな意味があります。


■ どんな人にオススメ?

・人物写真に関した仕事に携わっている人。


■ 関連しそうな本

 大西 みつぐ 『デジカメ時代のスナップショット写真術』
 横木 安良夫 『横木安良夫流スナップショット』
 日本写真家ユニオン, 日本写真家協会, JPS= 『写真著作権〈2005改訂版〉―写真家・著作権継承者・海外写真家団体一覧』
 飯沢 耕太郎 『写真を愉しむ』


■ 百夜百マンガ

牌賊! オカルティ【牌賊! オカルティ 】

 たしかに、麻雀の世界はオカルト的な言説があふれているように思われます。

2009年6月21日 (日)

災害都市江戸と地下室

■ 書籍情報

災害都市江戸と地下室   【災害都市江戸と地下室】(#1613)

  小沢 詠美子
  価格: ¥1785 (税込)
  吉川弘文館(1998/01)

 本書は、江戸の町で「おもに地下に設けられた倉庫」である「穴蔵」を狂言回しに、「江戸時代とは、江戸の町とは、江戸の人々とは、東京の近代化とは、そして現代とは何か」を論じたものです。
 第1章「災害都市江戸と穴蔵」では、江戸で火災が頻発し、あくまで「華」でありえた原因として、
(1)江戸では大火を喜ぶ住民がかなり多く存在していたらしいこと。
(2)大都市としての統一的政治体制が欠けていたこと。
(3)江戸で暮らしていく以上火事は当然のことで、類焼もしかたのないことと甘んじて受け入れ、せめて自火でなかったことを喜ぶ、という考え方が江戸の住民の中に深く浸透していたこと。
の3点を挙げています。
 そして、穴蔵の機能として、
(1)防火施設としての役割
(2)金庫としての役割
(3)収納施設としての役割
等の点を挙げ、「江戸の人々はさかんに地下を利用し、生活の一部として取り入れていた」として、中でも穴蔵は「職業に関わらず、武士にも町人にも、商人にも職人にも活用されている」と述べ、「明治維新以降、いち早く東京の地下開発が進んだ背景には、こうした状況が影響していたのかもしれない」と解説しています。
 第23章「土蔵と穴蔵」では、「江戸では武家屋敷や一部の富商を除いて、住宅の多くが『焼家』といわれる耐火性の全くない家屋であった」が、江戸中期以降、土蔵が普及したと述べた上で、「けっして穴蔵が廃れてしまったわけではない。多くの場合は両者を併用し、用途によってうまく使い分けていた」と述べています。
 そして、「江戸で生活する人々が、土蔵を持つのは無理だから仕方なく穴蔵で間に合わせよう、という消極的かつ否定的な態度で穴蔵を使用していたとは、考えにくい」として、「むしろ火災という観点から見た限りでは、三井家のように多くの人々が、用途によってはどうしても穴蔵でなければダメだ、と考えていたのではないだろうか」と述べています。
 第3章「穴蔵経済事情」では、穴蔵の弱点として、「江戸の低地部分の地価は、水分を多量に含んでいる」ため、「油断をすると地下水が漏れたり、材木が水ぐさりしてすぐに使い物にならなくなってしまう」ことを挙げ、また、「少なくとも半世紀を持ちこたえるだけの耐久性はなかった」と述べています。
 第4章「穴蔵大工の正体」では、鯰絵の中に「多くの職人と共に穴蔵大工が描かれていた」ことについて、
(1)安政大地震後の江戸において、穴蔵と穴蔵大工がいろいろな意味で注目されていた。
(2)穴蔵大工は、あくまでも穴蔵本体の材木部分を製造することを主な業務としていた。
の2点を指摘しています。
 第5章「消えた穴蔵」では、明治維新後、「江戸が東京と名前を変えてもまだ、穴蔵は使われていた」とした上で、銀行の登場によって、「明治初期の人々は、穴蔵がなくても代わりに財産を守ってくれる機関のあることを知り、しかもただ預けるだけでいくらかでも利息を手にすることができるといううまみを覚えてしまった」とともに、火災保険の登場により、「どうせ燃えてしまうのなら、維持・管理に手間ヒマと大金がかかり、場合によっては焼けてしまうこともある穴蔵よりも、確実に保証されて面倒のない火災保険に走るのも無理からぬこと」だと述べています。
 本書は、江戸の町の陰の主役であった穴蔵について教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 よく「穴蔵に隠れる」とか言葉としては「穴蔵」は御馴染みですが、実際のところどういうものなのか知っている人は、まして見たことがある人はほとんどいないのではないかと思うのです。


■ どんな人にオススメ?

・「穴蔵」とは何かを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 岡崎 哲二 『江戸の市場経済―歴史制度分析からみた株仲間』 2006年01月19日
 岡崎 哲二, 奥野 正寛 (編集) 『現代日本経済システムの源流』7
 大久保 洋子 『江戸のファーストフード―町人の食卓、将軍の食卓』 2007年11月18日
 鈴木 理生 『江戸のみちはアーケード』 2007年12月03日


■ 百夜百音

氷雨/待ちわびて【氷雨/待ちわびて】 日野美歌 オリジナル盤発売: 1982

 当時、「競作ブーム」というのがあって、特に演歌では、同じ曲をいろいろな人が同時期に発売していましたが、そのうち飽きられたのか、同じような企画は「凶作」に終わったんじゃないかと思います。

裏日本―近代日本を問いなおす

■ 書籍情報

裏日本―近代日本を問いなおす   【裏日本―近代日本を問いなおす】(#1614)

  古厩 忠夫
  価格: ¥735 (税込)
  岩波書店(1997/09)

 本書は、「太平洋側に比して日本海側が差別され、格差があるという実態は、実はここ100年余りの日本の近代化の中で歴史的に醸成され、蓄積されてきたもの」であるとして、「社会的格差を表現する概念」としての「裏日本」について論じたものです。
 そして、裏日本と「表日本」の間に、ヒト・カネ・モノの移動システムが形成されていたとして、
(1)このシステムの形成・展開過程の分析
(2)「裏日本」に住む人々がこれをどのように観念し、どのように克服しようとしたかをたどる。
ことをテーマとしています。
 第1章「どのように形成されたか」では、「産業革命は資本・労働力・エネルギー資源など、いわゆる資本の本源的蓄積を前提とする。植民地をまだ獲得していなかった日本にとっては、国内農村地帯からの蓄積が必要不可欠になる」として、「太平洋ベルト地帯と脊梁山脈を挟んで位置する裏日本は絶好の後背地と目され、ヒト・モノ・カネの移転システムが、表と裏の明確な対象性を見せつつ形成されていった」と述べています。
 そして、「日本海側における資本主義化・工業化の遅れを人口面から示すものとして、まず都市形成の遅れをあげることができる」としたうえで、モノの移動システムとしては、一番に米を取り上げています。
 第2章「自己イメージと『県民性』」では、「明確な形で裏日本意識が出てくる」段階として、新潟県では、明治29(1896)~31年にかけての「三年連続の大洪水であった」として、「この大洪水は、ヒト・モノ・カネの移転システムを通じての諸価値の流出の結果を、様々な形で洗い出した」と指摘しています
 そして、「天災は往々にして地域の病理をあらわにする」として、
(1)治水問題
(2)社会問題
の2点を挙げています。
 また、「国策の恩恵を受け、社会資本が整備され、ひたひたと押し寄せる産業化の波の中にあった太平洋ベルト地帯と異なり、裏日本の先駆者が同じ技術を獲得するために費やさなければならない苦労は大変なものだあった。ただし、その努力は目の前にある在来産業に向けられた」と述べています。
 第3章「脱裏日本の道」では、昭和6年の上越線上野~新潟間の全通を、「北陸とりわけ新潟にとって、上越線の開通は様々な意味で象徴的な意味を持っていた」として、
(1)裏日本と表日本を断絶させていた「なんととほうもない重量」の脊梁山脈の土手腹に穴を開けたこと。
(2)東京~新潟は4時間短縮され、新潟を「裏日本の玄関口」とするうえで、実際以上のイメージ効果を発揮したこと。
の2点を挙げています。
 そして、昭和7年1月5日・6日の『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』に「日本海の湖水化 今や好機至る」と題する社説が載ったことを紹介したうえで、「満州国」建国が、「裏日本の人々に、大陸を含む新たな日本の勢力圏の中心部としての日本海、すなわち日本海湖水化をイメージさせた」と述べています。
 また、「高度成長期は日本の有史以来最も人口移動が激しい時代であった」として、「1955年以降には離れた故郷を思う歌があふれた」と述べ、「地方農村から大都市への流入が激しくなった時代であるとともに、都市世界と農村世界の乖離がもっとも著しかった時代であり、東京と地方の別世界性が歌い込められている」としています。
 さらに、列島改造論について、「矛盾だらけの産物であった」として、
(1)1960年代の所得倍増計画によって生じた問題の多くは急激な高度成長政策によるものであった。
(2)太平洋ベルト地帯=表日本の高度成長は、裏日本を始めとする地域の労働力や資源・市場を前提として、はじめて可能になったものであった。列島の「総表日本化」=「裏日本なき表日本化」はありえない。
(3)「基幹資源型産業」建設とは、石油コンビナート・原発・火力発電・石油備蓄基地など迷惑施設の建設であり、「工業再配置」とは、太平洋ベルト地帯を頂点とした全国的な工業体系、すなわち高度成長型「分業」体系、いいかえれば格差システムの形成に他ならなかった。
の3点を挙げています。
 本書は、日本を大きく分ける「脊梁山脈」を挟んだ表日本と裏日本の関係を近代化の過程の中で読み解いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 実際に「裏日本」に暮らしたことがないので、県民性というかメンタリティとかはよく分からないですが、「越中強盗、加賀物乞い、越前詐欺」とかの物言いは面白かったです。


■ どんな人にオススメ?

・「裏日本」とは何かを理解したい人。


■ 関連しそうな本

 阿部 恒久 『「裏日本」はいかにつくられたか』 2007年07月31日
 大石 嘉一郎 『近代日本地方自治の歩み』 2007年06月12日
 勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日
 渡辺 隆喜 『明治国家形成と地方自治』 2007年03月26日
 高久 嶺之介 『近代日本の地域社会と名望家』 2007年06月15日
 竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日


■ 百夜百マンガ

総理の椅子【総理の椅子 】

 「百億の男」の系統の男のロマン系の話ですが、それにしても最近のこの人の絵はいよいよスゴイことになってきてます。

2009年6月20日 (土)

昆虫の誕生―一千万種への進化と分化

■ 書籍情報

昆虫の誕生―一千万種への進化と分化   【昆虫の誕生―一千万種への進化と分化】(#1612)

  石川 良輔
  価格: ¥714 (税込)
  中央公論社(1996/10)

 本書は、「昆虫全体を理解するために、体系的に解説した書物が見当たらない」という問題意識の元、「せめて昆虫の全ての目の特徴とその系統関係程度は一通り見渡せないものだろうか」という目的で書かれた、「昆虫をより広く知り、そしてさらに深く楽しむため」の一冊です。
 第1章「エントマから昆虫へ」では、節足動物の分化が、「一度完成した体節制を再編成し、それぞれの場所の付属肢を用途に応じて特殊化させた」結果、「合体節を形成させた」と述べています。
 また、「昆虫と多足類は外見からは近縁であるとはとても想像できないほど、異なっている」が、「触覚や口器ばかりでなく、昆虫では著しく退化している腹部の付属肢も多足類との相同性が推定され、この二群は共通祖先から陸上で分化した姉妹群と考えられる」と述べています。
 第2章「昆虫という生きもの」では、「日常の生活でわれわれが目にする昆虫は、現実に身のまわりにいるもののごく一部に過ぎない」として、「ほとんどの昆虫は意外に小さい」と述べています。
 そして、「昆虫の翅は取りやコウモリの翼とはまったく違った構造の器官である」として、「中胸背板と後胸背板の横の部分の表皮が延長してできた膜質の袋状構造物で、その間に翅脈が挟まっている」と述べ、「その構造は羽の運動と深く関わって」いると述べています。
 また、「もっとも高等な昆虫類」として、「内翅類(完全変態類)」を挙げ、「成虫とまったく異なった形の幼虫が接触しない蛹を経て成虫になる」という「完全変態」について、不完全変態との「もっとも大きな違いは幼虫と成虫の間に蛹という時期があること」だとして、「成熟した幼虫は脱皮をして蛹になるが、蛹は食物をとらないだけでなく、ほとんど動かない。だが、その体内では急速に幼虫の筋肉が分解されて成虫の筋肉が形成され、また機能していなかった幼虫の器官から成虫の器官が再形成される」と述べています。
 さらに、「人を好むヒトノミはほとんど見られなくなり、ヒトノミに『食われた』経験のある人は老人になりつつある」として、「今ではイヌノミやネコノミなどペットにつくノミの被害にあうことが多いらしい」と述べています。
 第3章「昆虫の多様化」では、「昆虫の多様化は翅と口器の変化、特殊化に非常に大きく関わっていることが分かる」として、「昆虫の、全動物の中でもずば抜けた繁栄は翅の発達から始まる」と述べ、「移動器官として発達した昆虫の翅は、その本来の機能によって行動範囲を広げ、分布を拡大し、また適当な生息環境を探すのに非常に効果的であった」と述べています。
 そして、「全動物の主の3分の1以上を占める甲虫目は、体全体を硬い皮膚で覆い、前翅まで鎧の一部にしてしまった昆虫である」が、「運動の自由をいささかも失ってはいない。しかも、後翅は飛翔器官としての器官を損なわずに、折りたたんで硬い前翅の下に隠してしまった。加えて、基本的に咀嚼型の口器はあらゆる食性への適応を可能にした」と述べ、「こうしてできあがったコンパクトな体で、甲虫は南極以外の全ての陸地で繁栄を続けている」と述べています。
 本書は、地球上で圧倒的な繁栄を続けている昆虫の全体像をつかむ手がかりを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 子どものころは、クラスに一人は「昆虫博士」がいましたが、大人になっても昆虫好きな人はどういう活動をしてるのでしょうか。見かけないので気になります。


■ どんな人にオススメ?

・虫好きな人


■ 関連しそうな本

 安富 和男 『虫たちの生き残り戦略』
 水波 誠 『昆虫―驚異の微小脳』


■ 百夜百音

シングルVクリップス【シングルVクリップス】 ミニモニ。 オリジナル盤発売: 2004

 今ではカリスマ主婦の人もいるのですが、それにしてもジャンケンピョンを作った人は天才です。

2009年6月19日 (金)

切腹

■ 書籍情報

切腹   【切腹】(#1611)

  山本 博文
  価格: ¥735 (税込)
  光文社(2003/5/16)

 本書は、「江戸時代では、死ぬに値しない罪や手落ちでも、死ななければならないことがよくあった。江戸時代の武士は大変厳しい倫理を要求されており、現在ならどうということもないことで切腹に追い込まれた」として、「どんなことをした武士が、どういう理由で切腹を命じられたのだろうか。また、江戸時代に成立した切腹という責任の取り方は、現在の日本人にどのような影響を与えているのだろうか」を論じたものです。
 第1章「ハラキリ略史」では、「武士にとって切腹は名誉ある自死の手段だった」とした上で、戦国時代には、「戦いに敗れて捕らえられた武士は、断罪に処されるのが一般的であった」が、「武士としてみるべきところがあるといった場合に、切腹が許された」と述べ、武士身分が確立した江戸時代には、「武士の死罪として切腹が一般的になる」と述べています。
 そして、「切腹の歴史を考える上で重要な位置を占めるのは、"殉死"である」として、「死んだ主君の後を追って自主的に自死すること」である「追腹」について、「これらの殉死者は、みな死んだ主君と男色関係にあったと推測される寵愛の者たちだった」と述べ、「これらの殉死者の高い評判は武士たちを奮い立たせ、これ以後、殉死は流行していくことになる。注目すべきことは、殉死が美しいもの、賞賛されるものになってからは、男色の関係にない者までも追腹を切るようになる」と述べています。
 第2章「罪と罰と切腹」では、「武士が切腹に追い込まれる事例で最も多いのは、喧嘩をして相手を斬り殺したもの」だと述べた上で、「まったく身に覚えがないのに理不尽に斬り掛けられ、それに応戦した」場合に、罪に問われなかったケースを紹介しています。
 そして、「江戸幕府が旗本に切腹を命じた事例が少ない」ことの理由として、「どうあっても旗本に不心得者はいない、という建前を維持しようとする幕府当局」の事情から、「揚り座敷」(牢の一種)に収容された旗本が、「病死」という名目で、「服毒自殺を強要される」ことを解説しています。
 また、「現在なら懲戒免職に相当する程度の罪で、よく切腹が申し渡されていた」として、「同じ宮仕えとはいえ、江戸時代の武士に対する処分は、現在とは比較にならないほど厳しいものだった」と述べ、「江戸時代の武士は、幕府や藩といった組織を離れては生きていけない存在となっていた」ため、「主君に腹を切れといわれれば、素直に腹を切った」と述べています。
 第3章「なんとも切ない切腹」では、「江戸時代の武士は、意外なことで切腹を余儀なくされている。現在なら罪にもならないようなことで、切腹する羽目に陥った武士は多い」として、「武士がいかに奇妙な規律のなかで生きていかなければならなかった」かを述べています。
 そして、「政策の誤りから切腹を命じられた藩士もいる」として、会津藩の元締役、長井九八郎が、「藩札発行の責任を取らされ、切腹を命じられた」ことを紹介しています。
 著者は、「武士は何の不正がなくとも、結果責任で切腹を命じられることがあったということを強調しておきたい」と述べています。
 第4章「御家騒動と切腹」では、「お家騒動が勃発した藩では、大量の切腹者が出ている」ことを紹介しています。
 第5章「藩主と家臣――切腹に潜む臣の道」では、「切腹をめぐる観念で重要なことは、家臣の命は主君のものであり、主君から死ねと言われれば死なざるを得ないという武士の認識」を強調し、「武士は死ぬことを恐れなかった」ことが、「武士の長所であると同時に、弱点にもなっていた」として、「とにかく武士は、主君に対してはいかに理不尽な命令であっても服してしまう習性があった」ことを指摘しています。
 そして、「切腹は、罪や責任を償う手段であった。それは、武士身分の自立性を前提に成立した処罰のあり方だった。武士は、自己に責任があると認識したときには、自発的に腹を切ったし、また確かな罪がないときでも、責められて詰腹を切らされることもあった」と述べ、「責任を取って切腹するという潔い態度は、個々の人間の精神としては美しいと思う。しかし、それが上から強制される時には、上の者の体の良い責任逃れとして使われることが多い。現在の日本でも、そのような構造は、官僚組織や会社組織などに根強く残っているのではないだろうか」と指摘しています。
 本書は、日本人の責任のとり方の一端を垣間見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 江戸時代のハラキリの多さは、武士の雇用が単に終身雇用というだけでなく、御家そのものの存続がかかっているというところが多いのでしょうか。単に現代の宮仕えとは比較にならないほど、幕府や藩に依存していることのプレッシャーの重さを感じます。


■ どんな人にオススメ?

・自分は切腹はできないと思う人。


■ 関連しそうな本

 山本 博文 『武士と世間 なぜ死に急ぐのか』
 山本 博文 『男の嫉妬 武士道の論理と心理』


■ 百夜百マンガ

大江戸ロケット【大江戸ロケット 】

 基本的にはまったく異質な組み合わせである「大江戸」と「ロケット」ですが、組み合わせるともっと異質なものが登場したりするのが面白いです。

2009年6月18日 (木)

表現したい人のためのマンガ入門

■ 書籍情報

表現したい人のためのマンガ入門   【表現したい人のためのマンガ入門】(#1610)

  しりあがり 寿
  価格: ¥756 (税込)
  講談社(2006/07)

 本書は、「マンガ家 しりあがり寿」というブランドがいかにして築き上げられ、今後、いかにして展開していくかを、マーケティングの視点から解説したものです。
 序章「表現してみよう! でも売れなければ!」では、「何かを表現して生きてゆくことの一番の楽しさ」として、「作品を通じて『自分』が世の中に受け入れられてる実感を持てる」ことだと述べたうえで、「夢は努力すればかなうか?」という問いに対して、「努力すれば夢がかなう確率は上がる」と述べ、「一流の作家になるのは、そりゃー才能や運など、努力以外にもいろんなものが必要」だが、「努力すれば誰でも二流の作家にはなれるんじゃないか」と述べています。
 そして、モノをつくっていくには、商品をコントロールする「マネージャー」と、作品をつくり出す「クリエイター」の二種類の人間が必要だとして、「自分の中に『しりあがり寿』という作家と『しりあがり寿』を担当しているマネージャー」がいると述べ、作家の「しりあがり寿」は、「いつどこでどんなことを考え出すかわからない、ヘンテコな『ケダモノ』であり、それを担当するマネージャーは、そんなヤヤコシイ『ケダモノ』を担当する『調教師』、あるいは飼い慣らす『オリ』といったところ」だと述べています。
 第1章「マンガだからできることって何だろう」では、マンガというメディアのメリットとして、
(1)コスト
(2)再現サポート力
(3)感動アクセススピード
(4)インタラクティブ性
の4点を挙げています。
 第2章「マンガを描き始める前に」では、「まず大切なのは、描きはじめる前の『考え方』」だとして、それを整理するために広告制作のセオリーが有効だとして、
(1)目的
(2)ターゲット:ターゲット=読者のつかみ方こそが、読者の人気の獲得を目標とする一般マンガ誌でのマンガ制作では、最も重要。
(3)目立つということ
(4)好意度
(5)キャラクター
(6)タイトル
の6点を挙げています。
 第3章「オモシロイことの芽を育てよう」では、オモシロイことの芽として、
(1)読者が喜ぶこと
(2)自分が描きたいもの
(3)社会的な意義
の3点を挙げています。
 第4章「絵コンテからコマ割り、仕上げまで」では、「全体感、つまり作品の世界が持っている空気感というのが、実は結構大切ではないか」と述べています。
 第5章「笑いを考える」では、ギャグマンガの魅力として、「『ウケてる』ことがストレートに伝わってくること」だとして、それ以外のマンガでは、「読者からウケてるかどうか、どうにもよくわからない」と述べています。
 また、「笑いの持っている消耗と蓄積という側面」に着目し、意外性が命のギャグは、「昨日笑ったものはもう笑えない。今日笑ったものは明日笑えない。次から次へ、何か新しいものを見つけて笑っていかなければならない」という「消耗戦」だと指摘し、「世の中には消耗ではなく、蓄積してゆくギャグの世界」もあるとして、落語や「人にマネできない自分のスタイルをきずきあげた」マンガ家などを紹介しています。
 第6章「マンガ家になる前のこと」では、70年代後半の大学生時代に、「もう新しいマンガなんて出てこないんじゃないか」と思っていた著者の前に、湯村輝彦と糸井重里の『情熱のペンギンごはん』という「ヘタウマ」が登場し、「設計図どおりにできない」魅力で、「描こうと思ってガンバっても上手に描けない」ことの持つ「オモシロみと哀しさが開き直って、モノスゴイ地平を開いたような気」がしたと述べています。
 第7章「二足のワラジで学んだこと」では、人から「二足のワラジは大変だっただろう」と聞かれることについて、「好きなことをするんだったら、何もしないでゴロゴロしているよりは忙しくしてる方がよっぽどいい。しかもお金を使う遊びではなく、お金が入ってくるマンガ描きなのだから、楽しいし、お金も入るし、一挙両得」だったと語っています。
 また、会社に対しては、「会社に迷惑のかかるような表現をひかえるように」したことや、「本名、会社名、顔写真の3つは決して出さないよう」に決めていたと述べています。
 第8章「『しりあがり寿』をマネージメントする」では、「マンガ家だけでなく、すべての商品は既存のものに対して差別化されていなければ存在できない」として、その方向は、
・上:今あるマンガより上手でオモシロイマンガを描く
・ヨコ:今までのマンガと違う質のマンガを描こうとする
の2つだと解説しています。
 また、著者が退職を決めるまでについて、「マンガを描いている、という理由だけで、社内ではトクなポジションにいられたし、一方マンガの世界では、仮にサラリーマンとしてダメダメだったとしても、『サラリーマンマンガ家』としての独自のポジションを与えられた」ことは、「ずいぶんステキなこと」だったが、36歳になって半分の力だけでやっていけるほどマンガは甘くないこと、会社で管理職になってしまうことで、「マンガを描いていることのメリットは少なくなる」ことから、退社を決意したと述べています。
 そして、「ボクは一生、『しりあがり寿』ブランドの担当をはずれることはできない。そのブランドがポシャれば自分もいっしょにポシャる」という重みが肩にのしかかったと述べています。
 第9章「『弥次喜多』以降のこと」では、「ワカラナイものというかデタラメなものになんか執着があって、それが本気なのか、素でやってんのか? 気の迷いか、とかそういった根本的にどうとらえたらいいのかわかんないものを見ると、ドキドキしちゃう」と語っています。
 終章「マンガのこれから、ボクのこれから」では、自らの個性を、
(1)もともと、読者のボリューム層との関心領域の差がある。
(2)どんなテーマであれ、それを読者にオモシロくていねいに伝える技術がない。
(3)いろんなタイプの作品を描いていて、読者から見てイメージが一定しない。
という特徴を裏から見れば、
(1)一部のモノズキな人には受け入れられ、そーゆー人はメディア関係に多いため、メディア等にとりあげられる頻度は高い。
(2)ヘタであることがすでに受け入れられているため、時間をかけて上手な絵を描く必要がない。
(3)いろいろな作風のせいでブランドイメージが固定せず、ぎゃくにいろいろなマンガを自由に描ける。
とも考えられると述べています。
 著者は、「結局のところマンガ家に必要なのは、馬が走るように、犬が吠えるように、人が祈るように、ひとコマひとコマ、一ページ一ページ、まるで息をするようにマンガを描き続けること。ただそれだけかもしれません」とまとめています。
 本書は、マンガやマンガ家を題材に自分自身のマーケティングを語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 一時期よく、「自分ブランド」という言葉が流行りましたが、自分自身をいかにマーケティングするかを真剣にやってきた著者の言葉は重みがあります。


■ どんな人にオススメ?

・自分自身をマーケティングしたい人。


■ 関連しそうな本

 南 信長 『現代マンガの冒険者たち』 2008年12月16日
 竹内 オサム 『手塚治虫―アーチストになるな』 2008年10月18日
 手塚 治虫 『ぼくはマンガ家―手塚治虫自伝』 2005年05月28日
 うしお そうじ 『手塚治虫とボク』 2007年10月6日
 堅 信之 『アニメ作家としての手塚治虫―その軌跡と本質』 2007年11月4日
 中野 晴行 『謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影』 2007年7月28日


■ 百夜百マンガ

方舟【方舟 】

 努力すれば二流の作家にはなれる、と本人は謙遜していますが、この作品をどう楽しむかに一流も二流もない気がします。

2009年6月17日 (水)

渋沢栄一―民間経済外交の創始者

■ 書籍情報

渋沢栄一―民間経済外交の創始者   【渋沢栄一―民間経済外交の創始者】(#1609)

  木村 昌人
  価格: ¥612 (税込)
  中央公論社(1991/04)

 本書は、「日本近代資本主義の父」と呼ばれる渋澤栄一について、
(1)晩年の30年間精力的に携わった国際関係の仕事に脚光が当たっていないという問題意識から、従来の研究が看過した渋澤の新しい側面を引き出すこと。
(2)渋澤を中心とする民間経済外交を通じて、20世紀前半の日米関係を考えること。
(3)渋澤の生き方を通して民間経済外交のリーダーシップについて考えること。
の3点を目的としたものです。
 第1章「前半生の経歴」では、渋澤が、「困難な仕事を大局観と卓越したリーダーシップを持って実行」できたのは、「独創的なアイデアと人並みはずれた実務能力」であったとして、
(1)渋澤が経済と道徳の一致を絶えず心がけていたこと。
(2)渋澤が優れた銀行家であったこと。
(3)渋澤が経済活動の担い手である民間経済人の地位向上に力を注いだこと。
(4)「組織化」への意欲的な取り組みであり、その名人であったこと。
(5)渋澤の情報に対する優れた能力(情報収集力、情報分析の的確さ、情報を創造すること)。
の5点によって具体的に渋澤の前半生を明らかにしています。
 第2章「国際社会への参加」では、渋澤が、「日本経済の発展にとって海運がいかに重要化を認識していた」とした上で、1902年に初めて渡米した渋澤が、「日本に対して関心を持っている人物の少ないアメリカで、まず頼れる」のは、セオドア・ローズヴェルト大統領だと考えていたと述べています。
 また、「アメリカで民間経済外交を展開するに当たって渋澤に看過を与えた実業家」として、
(1)後にナショナル・シティ銀行頭取となり、アメリカ東部実業団団長として来日することにもなるフランク・ヴァンダリップ
(2)ナショナル・シティ銀行の頭取、スティルマン
の2人を挙げたうえで、「フランス生まれの実業家ジラードの遺産によってフィラデルフィアに作られたジラード・カレッジ」から感銘を受けたと述べています。
 第3章「日米摩擦解消へ向けて」では、渋澤が「政府の軍備増強・増税路線に真っ向から反対した」として、渋澤が、「日本にとっての急務は、戦争によって疲弊した経済力を回復すると同時に、対外債務の返済をスムーズに行うこと」だと考えていたと述べています。
 また、民間経済外交の形態は、
(1)各界実力者への要望書の送付
(2)言論活動
(3)博覧会、陳列所の開催とそれへの参加
(4)実業団相互訪問
の4つが代表的なものであったと述べています。
 さらに、渡米中に渋澤がアメリカに訴えた内容として、
(1)日本は決して好戦国家でなく平和国家であることを強調した。
(2)日米経済関係のより一層の緊密化つまり貿易・資本・技術あらゆる面での両国間の取引拡大を望んでいることを表明した。
(3)渡米実業団の参加者が各方面のアメリカ人と交流を深め、相互理解を図ること。
の3点を挙げています。
 第4章「日米中三国協調への模索」では、渋澤が、1914年に中国を訪問した目的として、
(1)革命後の中国国内の状況視察
(2)経済的観点からの視察
(3)欧米列強の中国進出の状況を観察すること
の3点を挙げています。
 第5章「新国際秩序構築への参加」では、1921年に渋澤がオブザーバーとして参加したワシントン会議に「大きな期待をかけていた」として、
(1)海軍軍縮を実行し、日本経済に大きな負担をかける軍事費を削減できること。
(2)従来から進めてきた日米中三国協調の枠組みが形成されるのではないかという点。
(3)渋澤がアジア・太平洋を越えて国際社会全体の新しい国際秩序の形成に日本も積極的に参加し貢献すべきであるとの考えを持っていたこと。
の3点を挙げています。
 そして、ワシントン会議後のワシントン体制下で、「日本は着実に経済発展を遂げていくことになる」として、「経済界のネットワークは日米両国の全国的規模に拡大し、民間経済外交史上最も充実した時期を迎えることになった」と述べ、「日米協調を第一としてワシントン体制構築に積極的に協力した渋澤初め日本経済界首脳に対して、アメリカ政・経済界の評価は著しく高く、信頼は絶大なものになった」と述べ、関東大震災に対して、「アメリカ経済界は全面的に震災の復興に援助の手を差し伸べた」ことを紹介しています。
 第6章「渋澤栄一の遺産」では、渋澤の功績として、
(1)日本に日本の民間経済外交を組織化したこと。
(2)民間経済外交に対して括弧としたヴィジョンを持ち、自らリーダーシップを発揮し導いたこと。
の2点を挙げています。
 一方で、「渋澤の活動を支えて来た日本の経済界が、1920年代後半構造変化を起こしたため、渋澤の影響力は低下した」として、
(1)渋澤の経済界での活動を支えていた商業会議所と銀行集会所の勢力が弱くなった。
(2)民間経済外交の担い手は渋澤より20から30若い世代が実質的に行うことになったこと。
(3)企業の経営組織の変化。
の3点を挙げています。
 著者は、「渋澤こそ、民間経済外交の効き目を一番よく理解し、自らの行動によってそれを実業家に教育し続けた」として、「それを可能ならしめたのは、独創的アイデアとリーダーとしての自覚であった」と述べています。
 そして、「バランスの取れた大局観と強いリーダーシップを兼ね備えた渋澤のような指導者は、現在、ならびに将来の日本にとって、最も必要であろう」と述べています。
 本書は、日本の民間経済外交の基礎を築き上げた人物としての渋澤に光を当てた一冊です。


■ 個人的な視点から

 渋沢栄一というと、国内の活動がやはり印象に残っていましたが、民間経済外交の創始者という観点での本書の分析は面白いし、こういう視点がこれまであまり取り上げられなかったところに、民間外交の位置づけが現れているのかもしれないと思いました。


■ どんな人にオススメ?

・渋沢栄一の3分の1を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 佐野 真一 『渋沢家三代』 2005年08月06日
 今田 忠 『日本のNPO史―NPOの歴史を読む、現在・過去・未来』 2008年10月17日
 童門 冬二 『渋沢栄一 人生意気に感ず "士魂商才"を貫いた明治経済界の巨人』


■ 百夜百マンガ

上京アフロ田中【上京アフロ田中 】

 観察系の作風は師匠譲りですが、絵は『イオナ』の澤井健を思い出してしまいました。

2009年6月16日 (火)

グランズウェル ソーシャルテクノロジーによる企業戦略

■ 書籍情報

グランズウェル ソーシャルテクノロジーによる企業戦略   【グランズウェル ソーシャルテクノロジーによる企業戦略】(#1608)

  シャーリーン・リー, ジョシュ・バーノフ (著), 伊東 奈美子 (翻訳)
  価格: ¥2100 (税込)
  翔泳社(2008/11/18)

 本書は、世界で何千人もの企業幹部たちが格闘している「グランズウェル(大きなうねり)」というトレンド、すなわち、現代の人々が、「さまざまなオンラインツールを使って他者とつながり、主体的に行動しながら、自分が必要としている情報、サポート、アイディア、製品、交渉力などをお互いから調達している」ことについて論じたものです。著者は、本書の目的を、「企業がテクノロジーの変化にとらわれることなく、このトレンドに対応できるようにすること」だと述べています。
 第1章「なぜ今、グランズウェルに注目すべきなのか」では、グランズウェルについて、「社会動向であり、人々がテクノロジーを使って、自分が必要としているものを企業などの伝統的組織ではなく、お互いから調達するようになっていること」だと述べた上で、
(1)つながりたいという人間の欲求
(2)新しい双方向テクノロジー
(3)ネットの経済学
の3つのトレンドが、「新しい時代の扉を開いた」と述べています。
 第2章「柔術とグランズウェルのテクノロジー」では、グランズウェルは「人間のいとなみ」であり、「それが何かを理解できれば、連携することはもちろん、大きな利益を生み出すことさえできる」と述べています。
 第3章「ソーシャル・テクノグラフィックス・プロフィール」では、「どんな活動に参加しているかを元に、グランズウェルの住人を6つのグループに分け」、
(1)創造者(Creators)
(2)批評者(Critics)
(3)収集者(Collectors)
(4)加入者(Joiners)
(5)観察者(Spectators)
(6)不参加者(Inactives)
の6者を挙げています。
 そして、「グランズウェルにおける最大の課題は、テクノロジーを使いこなすことでもなければ、顧客の機嫌をとることでもない。それは事業目標を達成することであり、成功を測定し、それがグランズウェル戦略の成果だと証明すること」だと述べています。
 第4章「グランズウェル戦略を立てる」では、5つの目的として、
(1)耳を傾ける(傾聴戦略):リサーチや顧客理解
(2)話をする(会話戦略):自社のメッセージを広める
(3)活気づける(活性化戦略):熱心な顧客の影響力を最大化する
(4)支援する(支援戦略):顧客が助け合えるようにする
(5)統合する(統合戦略):顧客をビジネスプロセスに統合する
の5点を挙げています。
 第5章「グランズウェルに耳を傾ける」では、「ひとたびグランズウェルに耳を傾け、そこから得た情報を元に行動するようになれば、どんな組織も以前と同じではいられない」として、
(1)組織内の権力構造が変わる
(2)顧客からすぐに情報を引き出せるようになると、それが病みつきになってしまう。
(3)「愚行」が一掃される
の3点を挙げています。
 第6章「グランズウェルと話をする」では、グランズウェルと話をする方法として、
(1)バイラルビデオを投稿する
(2)SNSやユーザー生成コンテンツサイトに参加する
(3)ブロゴスフィアに参加する
(4)コミュニティを作る
の4点を挙げ、自社に一番適しているかは、「あなたの会社がどんなコミュニケーション問題を抱えているのかによる」と述べています。
 第7章「グランズウェルを活気づける」では、顧客を活性化するテクニックを実践するためのステップとして、
(1)本当に、グランズウェルを活気づけたいのかを考える。
(2)顧客のソーシャル・テクノグラフィックス・プロフィールを調べる。
(3)「顧客の問題は何か」と自問する。
(4)顧客の問題やソーシャル・テクノグラフィックス・プロフィールにあった戦略を選ぶ。
(5)長期的に取り組む覚悟がないなら、手を出さない。
の5つの段階を挙げています。
 第8章「グランズウェルの助け合いを支援する」では、サポートコミュニティ構築上の注意点として、
・小さく始める
・活発な顧客にリーチする
・トラフィックを誘導する
・評判システムを組み込む
・顧客に従う
等の点を挙げています。
 第10章「グランズウェルが企業を変える」では、グランズウェルに関与するメリットのひとつとして、「組織の意識が変わること」を挙げた上で、その条件として、
(1)段階的に進めること
(2)ある段階が自然に次の段階につながっていくようにすること
(3)幹部の支持
の3点を挙げています。
 第12章「グランズウェルの未来」では、グランズウェル的思考の7つの教訓として、
(1)グランズウェルでは全てが「人対人」であることを忘れない
(2)よい聞き手になる
(3)辛抱強くあれ
(4)好機を待つ
(5)柔軟であれ
(6)協力する
(7)謙虚であれ
の7点を挙げています。
 本書は、「グランズウェル」を分かりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 この本の考え方を、日本企業向けに書き直したら、個人ブログとか2ちゃんねるとかもう少し違った展開になるような気がします。同時に、本書だけを読むと、「グランズウェルに打って出よう!」と思うビジネスマンも少なくないのではと思いますが、「2ちゃんねるに打って出よう!」と考えただけで気が重くなることを考えると、ことの深刻さが伝わるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・2ちゃんねるは企業の敵だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 ロバート・スコーブル, シェル・イスラエル (著), 酒井 泰介 (翻訳) 『ブログスフィア アメリカ企業を変えた100人のブロガーたち』 2008年04月23日
 ダン・ギルモア (著), 平 和博 (翻訳) 『ブログ 世界を変える個人メディア』 2006年06月22日 06:00
 早稲田大学IT戦略研究所, 根来 龍之 『mixiと第二世代ネット革命―無料モデルの新潮流』 2007年03月31日
 原田 和英 『巨大人脈SNSのチカラ』 2007年09月01日
 安田 雪 『実践ネットワーク分析―関係を解く理論と技法』 2005年10月04日
 キャス サンスティーン (著), 石川 幸憲 (翻訳) 『インターネットは民主主義の敵か』 2005年11月21日


■ 百夜百マンガ

メーカー非公式初音みっくす【メーカー非公式初音みっくす 】

 公式イラストレーターによるコミカライズ作品。あの絵が好きな人に。

2009年6月15日 (月)

メガ・リージョンの攻防 ─人材と企業の争奪戦にどう勝利するか─

■ 書籍情報

メガ・リージョンの攻防 ─人材と企業の争奪戦にどう勝利するか─   【メガ・リージョンの攻防 ─人材と企業の争奪戦にどう勝利するか─】(#1607)

  細川 昌彦
  価格: ¥1890 (税込)
  東洋経済新報社(2008/8/22)

 本書は、「人口規模、面積などに幅はあるが、世界は数十のメガ・リージョンによって成り立っており、それぞれが国境などの枠にとらわれず、人材と企業を呼び込む競争をしている」ことについて、
(1)「メガ・リージョン」という広域の単位で考える。
(2)「東アジア」を地域間競争の一つの土俵として捉える。
(3)メガ・リージョンを「経営する」という発想を導入する。
の3つの視点から、日本の進むべき道を考えるものです。
 プロローグ「三つの点をつなぐ線を求めて」では著者が携わってきた3つのプロジェクトを紹介した上で、「『日本』そしてその中の『地域』が世界との競争に打ち勝つにはどうすればよいのか」という「一つの線」でつながっていたと述べています。
 第1章「なぜ、いま、地域間競争なのか」では、企業と人材が、「地域を、国境を越えて比較して選び、そして活動している」として、「グローバリゼーションの下では、『国』という単位は消えて、『地域』という単位が直接、前面に出てくる」と述べています。
 第2章「東アジアは『メガ・リージョン』の大競争時代に」では、東アジアが、「シンガポール、香港という都市国家、台頭著しい中国の沿海部、韓国のグレーター・ソウル首都地域、釜山、ハノイ・ハイフォンを中心とする北部ベトナム、マレーシアのペナン・クアラルンプール、タイのバンコク近郊、台湾の台北=新竹地域など、多数のメガ・リージョンが出現している」とした上で、「企業と人材の行き来を通じて、地域同士が海を越えて直接つながっている」と述べています。
 第3章「『日本の濃縮ジュース』グレーター・ナゴヤの競争力を高める」では、グレーター・ナゴヤは、「単なる『モノづくりのメッカ』から『マザー工場のメッカ』へと進化しなければならない」としています。
 第4章「『アジア一番圏』北部九州圏の競争力を高める」では、「東アジアという土俵の上で、競合地域に対していかに優位性と特色を出すかが問われている」として、その鍵は「頭脳」と「部品産業」だと述べています。
 第5章「『三都物語』京阪神の競争力を高める」では、「この地域の優位性、独自性を生かした知恵が問われている」として、その答えの一つとして、「アジアの知の交流拠点」を挙げています。
 第6章「『グローバル感性都市』東京の競争力を高める」では、「企業の本社機能、金融・サービス業、文化・芸術、学術、情報などは一極集中」であり、グローバル都市としての競争力は、一極集中と集積による規模の経済が決定的に意味を持つとして、「ほかの地域とは地域戦略画質的に異」なり、「国家直轄のグローバル都市としての国際競争力」の視点で東京を見るべきだとしています。
 第7章「企業をどう呼び込むか」では、日本の自動車産業の経営戦略から導かれるポイントとして、
(1)「マザー工場」としてのポジションを獲得できるか。
(2)さまざまな異業種との協力がカギを握る。
の2点を挙げています。
 第8章「創造的な人材をどうひきつけるか」では、企業を呼び込むためには、「地域主導の人材育成の仕組みづくり」が重要である賭して、「地域を一つの企業として見れば、大学は企業における人事部人材開発室の役割を担う」と述べています。
 第9章「集客ビジネスの成功に何が必要か」では、「いまや見本市ビジネスの分野においても、東アジアが『世界の成長センター』となっているのだ。そしてその誘致を巡って激しい争奪戦を繰り広げている」と述べたうえで、地方の見本市会場に閑古鳥が鳴いている理由として、
(1)規模が中途半端で国際的に競争できないこと。
(2)見本市ビジネスのプロの不在。
の2点を挙げています。
 そして、「シンガポール、マカオ、釜山、香港など東アジア各地で、リゾート、国際会議、見本市、国際イベントなどの複合戦略ビジネス」である「マイス(MICE (Meeting, Incentive, Convention, Exhibityon)」の大きなうねりが起こっていると述べています。
 第10章「地域の競争力を決定する『地域経営力』」では、世界で、「企業と人材をひきつけることによって経済的に反映する地域」の共通した特色として、
(1)多様性
(2)開放性
(3)広域性
の「勝ち組のための3点セット」を挙げたうえで、「企業のグローバル戦略と同じように、地域にとっても国際的な提携戦略が極めて大事になってくる」と述べています。
 本書は、広域的な地域経営の重要性を訴えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者は、今年の名古屋市長選に出馬し、惜しくも敗れています。河村たかし氏の圧倒的な知名度の強さが大きいとは思いますが、本書で展開されているグレーター・ナゴヤを易しく分かりやすく伝えるのは大変だったのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・名古屋といえば山本まさゆきを思い出す人。


■ 関連しそうな本

 サスキア サッセン (著), 伊豫谷 登士翁, 大井 由紀, 高橋 華生子 (翻訳) 『グローバル・シティ―ニューヨーク・ロンドン・東京から世界を読む』
 宮崎 智彦 『ガラパゴス化する日本の製造業』
 山下 永子 『地方の国際政策―連携・ネットワーク戦略の展開』
 藻谷 浩介 『実測!ニッポンの地域力』


■ 百夜百マンガ

はちゅねミクの日常ろいぱら!【はちゅねミクの日常ろいぱら! 】

 初音ミクのデフォルメキャラの四コマ漫画です。ネギ振り回す設定があまりに強すぎる気がしますが。

2009年6月14日 (日)

流通は進化する―日本経済の明日を読む

■ 書籍情報

流通は進化する―日本経済の明日を読む   【流通は進化する―日本経済の明日を読む】(#1606)

  伊藤 元重
  価格: ¥714 (税込)
  中央公論新社(2001/07)

 本書は、「現在起こっている日本の流通システムの変化について分析」するとともに、「それを通じて日本経済全体に起こっている変化についての見方」を提示することを目的としたものです。
 第1章「右肩上がりの経済から成熟経済へ」では、日本が江戸時代から高度な中間流通システムを持っていた点について、「そうは問屋が卸さない」という言い回しに象徴されるように「問屋が経済や流通のシステムの中で以下に重要な存在で、しかも大きな影響力を持っているかということがわかる」と述べた上で、日本の伝統的な流通のイメージを単純化すると、「メーカーは大問屋といわれている集積地問屋と深い関係にあって、集積地問屋が各地域の消費地問屋にモノを流す。地域の消費地問屋は軽いフットワークと柔軟性で、その地域の中小小売業をサポートするという姿」だと述べています。
 そして、百貨店について、「非常に高度に発達した問屋システムという、日本の流通の特徴をフルに活用した店」だと述べています。
 また、大量の専門店チェーンが成長した背景として、
(1)モータリゼーション、あるいは都市化によって、消費者の足が非常に長くなったことが専門店の成長を促している。
(2)90年代から商業集積が非常に大きな意味を持ってきた。
の2点を挙げています。
 第2章「都市部と郊外」では、「日本のモータリゼーションが遅れたことが、戦後日本の流通の姿を考える上で非常に重要である」として、消費者の行動範囲が狭かった結果、「日本には中小の小売業がたくさん存立すること」になったが、1980年代になって急速に自動車の普及が始まったこととともに、バブル期の地価の高騰も「商業の郊外化を加速した」と述べています。
 そして、「流通業の特徴は、時代の変化、社会の変化に応じて、いろいろな小売業が栄枯盛衰を繰り返すことにある」として、今後、「日本的な商業資本によるショッピングセンターの運営という姿は変化していくかもしれない」と述べています。
 第3章「流通チャネルとメーカー」では、日本の流通の重要な特徴として、「古い時代から比較的しっかりとした流通システムができていた」ため、「問屋の組織が非常に発達していて、そこから発展する形で流通システムができてきた」ことを挙げた上で、問屋の種類について、
(1)産地問屋:商品が生産される地域で、生産者の間の調整をしながら商品を仕入れる問屋。
(2)集積地問屋:全国で作られたさまざまな商品を最終的に全国の消費地に持っていく前に、一度、大消費地である東京や大阪などに集める。
(3)消費地問屋:地域にたくさん分散した、中小の小売店に対してさまざまなサービスを提供する問屋。
の3つに分類することができるとしています。
 また、中間流通の担い手としての問屋が持つ機能として、
(1)商品を在庫として持ち、必要なときにいつでも届ける問屋としての基本的な機能。
(2)消費地問屋が、店作りや商品の選択などにもアドバイスを与える。
(3)小売店が商品を仕入れたときに、商品をすぐに届けて、その代金については少し後で集金するという金融機能。
などを挙げ、「多様な機能を同時に果たすのが、問屋の重要な特徴である」と述べています。
 そして、「こうした伝統的な日本の流通の組織が、今大きく変わりつつある」と述べ、伝統的な問屋組織を支えた経済的な条件の変化として、
(1)生産者が巨大化していること
(2)小売業が大型化し、多くの店舗を持つチェーン型の小売業が大量に出てきたこと。
(3)情報技術、運送技術が大きく向上したこと。
の3点を挙げ、「日本の問屋組織が大きな変革の波にさらされることは間違いない」と述べています。「
 さらに、返品制度について、書籍の例が面白いとして、「これがある種の合理性を持って流通システムのなかに形成されてきたこと、しかしそれにもかかわらず技術が大きく変化してくると、かつては合理的であった制度そのものが、少しずつ合理性を失っていくかもしれない」という2点を強調しています。
 第4章「技術革新は流通をどう変えるのか」では、「流通業にとって情報技術の重要性は、近年ますます大きくなってきている」とした上で、インターネットの普及は、「全ての人がつながることができる非常に汎用性の高い情報ネットワークシステム」という点で、「これまでの情報システムとは根本的に違う」と述べています。
 本書は、日本の流通を過去の歴史から俯瞰的に論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 かつては、「暗黒大陸」とまで言われていた日本の流通業ですが、さすがに現在では規模から言っても近代的な流通に押さえられているのではないかと思います。江戸時代から続いている問屋と聞いて、なぜか「21エモン」の「つづれ屋」を思い出してしまいました。


■ どんな人にオススメ?

・普段買い物している小売店の裏側を見てみたい人。


■ 関連しそうな本

 安土 敏 『小説スーパーマーケット』 2005年03月08日
 桂 望実 『県庁の星』 2005年09月23日
 伊丹 敬之, 岡崎 哲二, 沼上 幹, 藤本 隆宏, 伊藤 秀史 (編集) 『組織とコーディネーション リーディングス日本の企業システム第2期』 2006年07月03日


■ 百夜百音

ゴールデン☆ベスト-多汁果実 品質特撰-【ゴールデン☆ベスト-多汁果実 品質特撰-】 ジューシィ・フルーツ オリジナル盤発売: 2005

 当時のポップシーンでナンバー1は言いすぎだろうと思うのですが、ポップさをこれほど具現化したグループはなかったかもしれません。

2009年6月13日 (土)

まだ、タバコですか?

■ 書籍情報

まだ、タバコですか?   【まだ、タバコですか?】(#1604)

  宮島 英紀
  価格: ¥777 (税込)
  講談社(2007/6/21)

 本書は、「これから求められるタバコと社会の有様をさぐるうえで、その根幹となるタバコの素性をつまびらかにするべく、ルポしたもの」です。
 第1章「やめられない魔性のアイテム」では、「タバコにだけはほかの嗜好品にはないきわだったちがい」があるとして、
(1)口の中に入るものであるにも関わらず、飲食品ではなく、食品衛生法にも薬事法にも縛られない。
(2)タバコは喫煙者が目覚めている間中、その必要性を忘れさせない。
の2点を挙げています。
 そして、「ニコチンはタバコを購入し続けてもらうための核である」として、タバコ企業が、「ニコチンには依存性がない」「喫煙は自由意思によるもの」という姿勢を貫き通す一方で、「消費者をつなぎ止めるために必要なニコチン量を綿密に分析」していたと述べています。
 第2章「心臓と血管をニコチンが襲う」では、タバコの「ダイエット効果」について、「薬物に依存しながら病気のリスクを抱え、容姿を衰えさせてでも体重だけは減らそうなどという珍妙な努力に、いったいどんな意味があるというのか」と述べています。
 第3章「脳の機能低下とタバコ煙の驚くべき組成」では、「タバコで頭がスッキリする」といっても、「非喫煙者を上回る覚醒レベルになるわけではない」とした上で、「むしろ、吸えない状態に置かれたことで、著しく低下していたレベルが、喫煙によって正常値に近づくだけだ」と指摘しています。
 また、車の運転についても、「喫煙習慣は情報処理能力や覚醒レベルに影響を与える」として、「音や光の刺激に対する反応時間が遅くなるのはもちろん、急性的には視力を減弱させることもある」ことを指摘しています。
 第4章「タバコが暴力事件を引き起こす!?」では、「消防白書」によれば、「タバコによる火災」は10件に1件に上り、損害額は98億7000万円、犠牲者は244名に上ると述べています。
 また、タバコの薬利作用について、「喫煙は神経伝達物質の放出を促し、交感神経や副腎髄質などを刺激する」ことから、「タバコには暴力性を引き出したり、怒りを増強させたりする作用があるのではないだろうか?」と述べています。
 第5章「発がんと軽いタバコの危険性」では、財務省が、「国民にタバコをたくさん吸ってもらい、多くの税金を納めてもらいたい」と言っていることについて、今でも財務省の目には「タバコによる益」しか映っていないことを指摘しています。
 また、「軽いタバコ」が肺腺がんを発生させる原因として、「NNK(ニコチン由来ニトロソアミノケトン)」を挙げたうえで、「"軽いタバコ"が喫煙者の健康を守るなどという概念は幻想以外のなにものでもない」ことを指摘し、「健康を考えて"軽いタバコ"に替えたとしても、結局は不足分を補うために大量の煙を吸い込んだり、ニコチンの吸収量を増やすために、肺の奥深くへ吸い込んだりするようになってしまう」と述べています。
 第6章「急増するCOPD──肺疾患の恐怖」では、慢性気管支炎や肺気腫など、慢性閉塞性肺疾患の総称である「COPD」について、「肺への空気の出し入れがスムーズにできなくなり、坂を転がるように悪化していく病気だ」と述べています。
 第7章「未成年者をたぶらかす自動販売機」では、高校生で毎日煙草を吸っている者が、率で換算すると男子で16万192人、女子5万6867人という「すさまじい数となる」と述べています。
 また、未成年者がタバコに手を出すことが、シンナーや覚醒剤、麻薬などの薬物事犯へとつながる恐れについて、タバコが「ゲートウェイドラッグ」になりかねないことを指摘しています。
 第8章「タバコ業界の隠蔽と情報操作」では、80年代にアメリカのタバコメーカーのイメージキャラクターだった俳優のデイブ・ゲルリッツがタバコメーカーの役員から「喫煙する権利なんざ、ガキと貧乏人と黒人とバカにくれてやるよ」、「一日あたり数千人の子どもを、喫煙に引きずり込むことが仕事だ」、「肺がんで死ぬ喫煙者の欠員補充だ。中学生ぐらいを狙え」といわれたことを明らかにしています。
 また、1976年に、インペリアル・タバコ・オブ・カナダ社が、若年層向けキャンペーンとして、「シックスティーン計画」と呼ばれる特別なプロジェクトをスタートさせたことを紹介しています。
 そして、フィリップ・モリスの「マールボロマン」として名をはせたウェイン・マクラーレンが肺がんに侵され、51歳で志望する直前に、「タバコの広告に出たことを申し訳ないと思っている……宣伝をした製品が人々を殺したことを思うと耐えられない気持ちだ」とテレビで証言し、死の間際には「タバコは人を殺す。私がその生き証人だ」と言い残したことを伝えています。
 終章「その火を消して、タバコを手放そう」では、「太く短く生きるのだ」と豪語する喫煙者への忠告として、「タバコ関連疾患に見舞われて早世することは、寝たきりにならずに安楽な死を迎えることとはまったく別だ」と述べた上で、「どんなヘビースモーカーも、タバコを加えて生まれてきたわけではない」と語っています。
 本書は、タバコの恐ろしい身体への害を分かりやすく忠告した一冊です。


■ 個人的な視点から

 昔は、雑誌社にとってタバコ業界はどこよりもお得意様の広告主でしたのでこういう本は出せなかったと思いますが、タバコの広告規制が進んだおかげでこういう本も出せるようになったのでしょうか。
 願わくばパチンコの広告規制も進んで、パチンコの中毒性を警告する一般書が数多く出版されることを待ち望みます。


■ どんな人にオススメ?

・タバコもパチンコも中毒性はないと思う人。


■ 関連しそうな本

 SH(ACTION ON SMOKE AND HEALTH) (著), 津田 敏秀, 切明 義孝, 上野 陽子 (翻訳) 『悪魔のマーケティング タバコ産業が語った真実』 39247
 加濃 正人, 松崎 道幸, 渡辺 文学 『タバコ病辞典―吸う人も吸わない人も危ない』
 平間 敬文 『子供たちにタバコの真実を―37万人の禁煙教育から』
 磯村 毅 『リセット禁煙のすすめ―タバコの迷路から脱出し、自由の鐘を鳴らそう!』
 禁煙ジャーナル 『たばこ産業を裁く―日本たばこ戦争』
 林 高春 『たった5日でできる禁煙の本』


■ 百夜百音

35周年記念 VERY BEST OF ROCK&BALLADS【35周年記念 VERY BEST OF ROCK&BALLADS】 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド オリジナル盤発売: 2007

 タバコの歌といえばこの歌。大人になってから「なんてバカなことを」と後悔しながらこの歌を聴く人も少なくないでしょう。タバコ会社から金が出ていたかどうかは分かりません。

2009年6月12日 (金)

ヤクザと日本―近代の無頼

■ 書籍情報

ヤクザと日本―近代の無頼   【ヤクザと日本―近代の無頼】(#1604)

  宮崎 学
  価格: ¥819 (税込)
  筑摩書房(2008/01)

 本書は、「日本の資本主義、国民国家、近代に本独特の社会関係がどのように成立してきたのかということと関連づけながら、近代ヤクザが、なぜ、どのようにして、下層労働力の統括者として、周縁社会の仲介者として、また下層社会・周縁社会の社会的権力として発生してきたのかを明らかに」するものです。
 第1章「ヤクザの源流」では、「ヤクザという社会集団をまじめに取り上げて、なぜそうした社会集団が発生したのか、どういう役割を担っていたのかを明らかにし、そこから経済的・政治的・社会的変遷としてのヤクザ史が書かれなければならない」と述べています。
 そして、「さまざまな身分的周縁の中にあって、これまたいろいろな形態をとったヤクザという存在は、身分的周縁の中でも特殊な地位を持っていた」として、
(1)暴力を背景にした集団であったこと。
(2)彼らがそのような暴力を背景としながら地域の顔役として社会的権力を持っていたこと。、
(3)彼らは、同じ共同体の中だけではなく、郷村や都市、藩の行政区域を越えた独自のネットワークを持ってお互いにつながっているネットワーカーだった。
ことなどを挙げ、「このような点において、近世ヤクザは特異な身分的周縁集団を形成していた」と述べています。
 第2章「近代ヤクザの成立」では、「近代社会は、近世社会とは違ったところから、同じようなアウトロー集団を必要として、それを生み出していった」として、明治政権が産業化を強力に進めた結果、新しい産業都市が成立し、「そこに新しい型のヤクザが成立してくる」として、近代ヤクザの原型と言われている、北九州若松港から出てきた大親分、吉田磯吉を挙げています。
 そして、明治30年代の若松が、「米国西部地方開拓当時のごとき活気がみなぎっていた」が、「流入者が多く、それも、腕一本の流れ者や荒くれが多かったからどうしても治安が乱れる」と述べた上で、「警察権力だけでは、治安が維持できなかった。そこで、市民自営の装置が必要になっていた」として、「自治秩序維持のための民間暴力装置として、それぞれの地域に分権的にヤクザが生まれていく根拠があった」と解説しています。
 そして、「このころ日本各地で発生していった新しい型のヤクザにほぼ共通している」特質として、
(1)近代社会に新たに形成された最底辺層から這い上がってくる男たちによって形成された。
(2)近代ヤクザは、同職組合・同業組合的性格を持つ団体から始まった。
(3)ヤクザ組織の事業としては、労働力供給業を担った。
(4)相撲や芸能の興行と結びつくことで成長した。
の4点を挙げています。
 第3章「親方・子方関係とヤクザ」では、「ヤクザは、下層社会の共同体の中では、ヤクザ自身がその共同体の中にアイデンティティを求めている限り」、「基本的に共同体の側にいた。共同体の利益に生きることに存在意義を見いだしていた」が、「共同体のために役に立つ彼らの機能自体は共同体の枠内に収まるものではなかったのだ」として、「共同体にとって、ヤクザの世界は地続きのところにありながら、やはり異質なもの、非日常的なものだった」と述べています。
 そして、「職業を同じくしていることを規準に結びつき合っている集団」で、「その職業が専門的で熟練を要するものであればあるほど、職業意識も高くなり、人格的な結びつきも強くなる」が、「不熟練型の同職集団」では、「その集団内部での上下関係、庇護・奉仕関係を熟練型同職集団より遙かに強くすることによって、人格的な結びつきを強め、集団の結束をかえって強固なものにする」と解説し、「これら不熟練型同職集団の中から近代ヤクザ組織が形成されてきた」と述べています。
 第4章「ヤクザと芸能の世界」では、「法の支配など貫徹しようもない猥雑で危険な空間、そこを全て秩序を保つことができるのは、同じ近代の周縁社会から生まれ出て、自らの生の暴力を背景にして下層社会の『束ね』と『仕切り』をになっていくヤクザ以外にあり得なかった」と述べています。
 第5章「ヤクザと近代国家」では、幕末における藩権力のアウトロー利用政策について、「彼らは、むしろ積極的に打って出た」として、「解き放たれて上昇しようとする志向がもたらしたもの」であり、「この上昇志向が藩士との軋轢を生んだ」と述べています。
 第6章「義理と人情、顔と腹」では、「義理・人情の人間関係は、ヤクザの専有物ではなく、ついこの間までは日本社会一般をも広く支配していた」として、「だから、ヤクザは、そのような広範に共有されている義理・人情の社会関係を基盤にして生き続けていくことができていた」と述べています。
 そして、「近代ヤクザが大きく変質したのは、高度経済成長期においてだった」として、「ヤクザは、おたがいの共通感情によって結びついた地域・職域の共同体とともに生きてきた『共同社会型ヤクザ』から、もっぱら利害関係に基づいて機能的な結びつきによって成り立っている利益社会に生きる『利益社会型ヤクザ』に変質していった」と述べています。
 また、「土建の世界において、請負業者や親方、彼らを統括するヤクザが、自分たちの稼業を守るために国家や資本と対抗したとき、彼らは談合や利権の駆使という、いまから見れば『後ろ向き』『負』の符号を付けられた手段を使った」としながらも、「それはほんとうに『後ろ向き』『負』のものだったのだろうか」と疑問を呈しています。
 第7章「山口組概略史」では、「戦後、山口組は田岡一雄のもとに蘇った」として、「敗戦直後の闇市解放区において、当時『第三国人』と呼ばれた在日コリアン・台湾省民との熾烈な争闘」を挙げ、「『戦勝国民』として我が物顔に振る舞う『第三国人』に対し、配線によって意気阻喪し武装を制限された警察は、まったく対応できなかった。警察に代わって対決したのは、山口組をはじめとするヤクザだった」と述べています。
 そして、「警察が機能しなくなっていたとき、彼らヤクザこそが街の保安官、闇市自衛隊として、勝ち誇る『第三国人』武装集団と命を張って対決した」として、「こうした姿は神戸市民の喝采を浴び、英雄としての山口組は長く神戸市民の心の中に刻印されていた」と述べ、昭和34年には、「組長の田岡一雄が神戸水上署の一日署長を務めたもの不思議ではなかったのだ」と述べています。
 本書は、現代の日本社会の成立と不可分な存在としてのヤクザを論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 ヤクザそのものを肯定すべきかどうかは別として、ヤクザがどのような背景から生まれてきたのかをきちんと分析することは必要なことだと思うのですが、どうしても日本ではアウトロー文学やヤクザ映画の文脈で語られてしまって「英雄伝」的になりがちな傾向があるのは仕方がないことなのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・ヤクザは日本にとってどんな存在なのかを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 ベンジャミン・フルフォード 『ヤクザ・リセッション さらに失われる10年』 2006年02月18日
 松原 岩五郎 『最暗黒の東京』 2006年07月31日
 紀田 順一郎 『東京の下層社会―明治から終戦まで』 2006年07月27日
 横山 源之助 『日本の下層社会』 2006年08月11日


■ 百夜百マンガ

弱虫(チンピラ)【弱虫(チンピラ) 】

 「弱虫」と書いて「チンピラ」と読ませるこのセンスはさすがの少女漫画家という感じです。

2009年6月11日 (木)

ヒラリーをさがせ!

■ 書籍情報

ヒラリーをさがせ!   【ヒラリーをさがせ!】(#1603)

  横田 由美子
  価格: ¥746 (税込)
  文藝春秋(2008/01)

 本書は、「女性首相が生まれる可能性」を含め、「政治は女に向いた職業か?」をテーマとした女性議員へのインタビュー集です。
 序章「女のキャリアすごろく」では、丸川珠代の当選によってもたらされた変化として、
(1)女のキャリアすごろくのアガリに明確な変化が現れたこと。
(2)女性が政治の世界に飛び込むための垣根がやや低くなったこと。
の2点を挙げています。
 第1章「『総理の椅子』を狙う女たち」では、「女性政治家にインタビューを繰り返して、『明確に総理というポスト』について話をしてくれたのは、小池を含めたほんの数人の自民党の議員であった」ことについて、「違和感を感じざるを得ない」と述べています。
 そして、女性の政治家のパターンとして、
(1)女優やキャスターなどが選挙の顔として「お飾り的」に出馬し当選するというもの。
(2)コネの世界。父や祖父、はたまた夫の弔い合戦などで地盤とブランド力を受け継ぐ形。
(3)公明、共産、社民型の女性議員によく見られる、イメージや女性票を意識して、「女性枠」的に出馬していく。
の3点を挙げています。
 また、小池百合子について、そのキャリアは、「人脈を広げながら出会った『メンター』によって、引き上げられてきた」として、「成功している女性には当たり前だがこうしたメンターのひとりやふたりはいる」と述べたうえで、「意欲も能力もある女性が、メンターの男性と恋愛関係に陥るのは、わたしはある程度は仕方がないことかも知れないと思う」と述べています。
 さらに、小池について、「子どもも作らず、結婚せず(バツイチではあるが)、彼女は、現在のところ最も腹をくくって政治家という職業を見つめている女性なのかも知れない。そこには冷徹さすら感じさせた」と述べています。
 第2章「スキャンダルにさらされて」では、片山さつきについて、「わたしが取材で会った女性議員の中で、唯ひとり、これまでに会ったキャリアな女たちと『違う』と思った」と述べ、「身体の中に異分子が紛れ込んできたような気分に襲われ、わたしは取材後の数日間、高熱を発した。体調不良は一週間続いた」と語っています。
 そして、「会話をしているとき、片山の発する言葉は、あまりにも真っ直ぐで厳しい。繊細な人間にとっては、針山の上を歩いているような気になるかも知れない」と述べています。
 また、野田聖子が、「メディアとのつきあい方を『余計な露出はしない』と決めているようだった」として、「風に左右されない政治家になることが最重要だから」だと語っていることを紹介し、「政治は地味でいいと思っている。スポーツ新聞に載らないくらいがいい政治かなと(笑い)」というスポーツ報知へのコメントを取り上げています。
 第3章「女性枠はありがた迷惑?」では、民主党の高井美穂議員が、民主党の公募を受けて2000年の総選挙に出馬、落選した経験について、「選挙ほど人生修行ができる場所はないと思う。人間の本性が見える。選挙は武器を使わない戦争だった」と語っていることを紹介しています。
 また、選挙戦直前に「キャバクラで働いていた過去」を報じられた太田和美について、「太田を勝利に導いたのはこのスキャンダル報道だったのではないかと言ったら、太田は面白くなさそうな顔つきであった。当たり前である」としながらも、「元キャバクラ嬢vs官僚」というわかりやすい対立の構図が、「小泉元総理がはからずも導いてしまった格差社会への恐怖と怒りをかき立てた」と述べています。
 エピローグでは、「取材していて少し疑問に感じた」こととして、「女性の政治家には良くも悪くも『権力』に対する強い固執が感じられないこと」を挙げ、「自らの政策や理念を通すためには、総理大臣というポストに就かなければ、すなわち権力を掌握しなければ意味がないのではないか」と述べています。
 本書は、女性と政治家を率直な視点で論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 この人のすごいところは、政治家でも何でも平気で不機嫌にさせてしまったり、自分が不機嫌に思ったことを平気で書いてしまうところです。政治評論家などでは政治的な鋭い攻撃をすることはありますし、ナンシー関などのように毒舌の評論家もいましたが、実際にあってインタビューした上で、失礼なことを平気で書いてしまえるのは、ある意味で強みかも知れません。相当取材拒否とかに遭いそうな感じもしますが。
 後は、評論の途中でいきなり自分を語りだしちゃうところにはついていけない人も少なくないのではないかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・男社会に恨みのある人。


■ 関連しそうな本

 横田 由美子 『私が愛した官僚たち』 2007年11月13日
 小池 百合子 『女子の本懐―市ヶ谷の55日』 2008年07月14日

■ 百夜百マンガ

公権力横領捜査官・中坊林太郎【公権力横領捜査官・中坊林太郎 】

 こういう社会悪を挫く正義の主人公の名前に「中坊」が使われるのはやはり中坊公平氏の影響力の大きさを感じます。

2009年6月10日 (水)

寿司屋のカラクリ

■ 書籍情報

寿司屋のカラクリ   【寿司屋のカラクリ】(#1602)

  大久保 一彦
  価格: ¥735 (税込)
  筑摩書房(2008/11)

 本書は、「寿司屋の経営のメカニズムや、寿司屋の違いを考察することを目的」に、「経営の本質とおいしさのメカニズムは不可分であること」を明らかにしているものです。
 第1章「なぜ、人は回転寿司に行くのか?」では、20年くらい前から外食産業には「大きな変化」が押し寄せたとして、"ハレの食のシーン"から"日常生活の中の食のシーン"への外食の利用シーンの変化があったと述べ、飲食店のスタイルも、「食材を規格化して、マニュアルで管理するやり方」、すなわち、「調理は誰でもできる作業にして、運営コストを最小化する」やり方に変化したとして、「この見本のようなモデルが回転寿司であった」と述べています。
 第2章「回転寿司を越えた大衆店」では、JR赤羽駅の下「アルガード」の「寿し常」を取り上げ、「おいしい瞬間のシャリに、冷蔵庫から取り出した冷たいネタを載せると、それだけでおいしい」を実現するために、「包丁技術を持った職人による運営が一番となり、結果、均一料金の寿司屋になった」と述べています。
 第3章「寿司屋いろいろ、おいしさいろいろ」では、寿司屋の分類として、
(1)立ちの寿司屋
(2)回転寿司
(3)持ち帰り寿司
(4)宅配寿司
の4つを挙げ、さらに立ちの寿司屋は、大衆店と高級店に大きく分けることができると述べています。
 そして、「高級店でマグロを食べたけどおいしく感じなかった」という話について、「人間はどのようなものをどのように食べてきたかでおいしいと思う概念が違う」として、「子供の頃にどんな食事がおいしいかと感じたかで選ぶ店が変わる」と述べ、「高級店では醤油を最低限、刷毛塗りして提供」するのに対し、「大衆店では、醤油入れにお醤油を自分の好きなだけ入れて付けて食べ」ることに「カラクリ」があるとして、「醤油の使い方でその人の育ちがわかり、食文化がわかる」と述べています。
 第4章「高級店を楽しむ」では、魚の締めかたとして、
(1)大量の氷水による締め
(2)クビを曲げて撲殺する締め
(3)手かぎなどによる刺殺による締め
(4)エラから包丁を差し込み、脊髄を切断し血抜きするという締め
(5)脊柱を切断して針金を延髄に差し込み、延髄を掻き出す締め
の5点を挙げ、(4)と(5)が完璧な方法だと述べたうえで、瞬間即殺締めの効用として、
(1)鮮度の長期維持が可能となった
(2)旨さの発生の遅延
(3)効果的な調理時間を設定できること
の3点を挙げています。
 第6章「理念を売る回転寿司」では、回転寿司の名店として「銚子丸」を挙げ、銚子丸のおすすめメニューのほとんどが天然魚でる理由について、「日本中の産地から仲買人を通さず、港、そして港から売り買いできるところから直接魚を買って」いることを挙げ、同社が「ユニクロの成功要因をベンチマーキング」し、「魚は海にいるわけで、わたしたちはそれをタダで獲ることができる。それを運んでくるのが一番速いんだ」と発想したことを紹介しています。
 そして、「銚子丸のように産地を回り、獲れた魚を船ごと買い、流通自体を変え、漁師さんの生活自体をよくするという気概で望むことは大きな会社の使命である」と述べています。


■ 個人的な視点から

 著者の分類の中では、(2)の回転寿司くらいしか行く機会はないのですが、「銚子丸」がそんなに面白いとは気がつきませんでした。今度行ってみたいと思います。


■ どんな人にオススメ?

・寿司屋なんてどれも一緒と思っている人。


■ 関連しそうな本

 大久保 一彦 『行列ができる店はどこが違うのか―飲食店の心理学』
 大久保 一彦 『飲食店「儲かるメニュー」の作り方』
 大久保 一彦 『繁盛力―女性リピーターが収益を運び込む!』
 重金 敦之 『すし屋の常識・非常識』


■ 百夜百マンガ

コギャル寿司【コギャル寿司 】

 「コギャル+寿司」という異種組み合わせで全3巻まで引っ張るエネルギーがすごいです。

2009年6月 9日 (火)

服従の心理―アイヒマン実験

■ 書籍情報

服従の心理―アイヒマン実験   【服従の心理―アイヒマン実験】(#1601)

  スタンレー ミルグラム (著), 岸田 秀 (翻訳)
  価格: ¥3262 (税込)
  河出書房新社(1995/10)

 本書は、「権威への服従に内在するディレンマ」について、「実験的調査のテーマとして扱い、それに現代的な形式を与えるもの」であり、「この問題について道徳的立場から判決を下すことではなく、理解することが目的」だとしています。
 第1章「服従のディレンマ」では、演技をしている「生徒」役の人物に対して、実験協力の名目で参加した「教師」役の被験者が、「実験者」の指示にいつまで服従して「生徒」に電気ショックを与え続けられるか(「生徒」役はショックで苦しむ演技をする)という実験の概要を解説しています。
 そして、実験結果について、「個人の道徳感覚が及ぼす力は、社会的神話に基づいてわれわれが信じているほどには効力がない」と指摘したうえで、「多くの被験者が、被害者に苦痛を与えた後で、被害者を苛酷な仕方で蔑視した事実は非常に興味深い」と述べています。
 第2章「研究法」では、「被害者から最高に強い抗議をされても、多くの被験者は、実験者に命じられた最も苛酷な罰を与えるのをやめなかった」ことについて、「この状況によって、有効な実験手続きを発見する技術的困難が明らかにされただけではなく、われわれが創造していたより遙かに強く、被験者が権威に服従するという事実が浮かび上がった」と述べています。
 第4章「被害者の近さ」では、「40人の被験者のうち、26人が最後まで実験者の命令に従い、送電器の最高のショックに達するまで被害者を罰し続けた」ことについて、「被験者たちはしばしば、いらだっていた」と述べています。
 第6章「追加実験と検証」では、実験場所を、「立派なエール大学相互作用実験室から、同じ建物の地階の質素な場所」や、近くの工業都市であるブリッジポートのある会社の建物に移したりといった条件の変更を行っています。
 そして、実験結果について、「ブリッジポートでの服従の水準はエール大学の場合よりいささか低かったものの、有意の差はなかった」と述べています。
 第8章「役割の交替」では、実験場面の中に見いだせる要素として、
(1)立場
(2)地位
(3)行為
の3点を挙げ、これらの要素の変更を行っています。
 そして、「被験者たちは権威に要求されれば進んでショックを送るが、生徒に要求されても送らない」ことについて、彼等が、「自分に対して権威は権利を持っているが、生徒はそれほど権利を持っていないと考えている」と述べています。
 また、「決定的な要因は、ショックを送れという特定の命令に対する反応ではなく、権威に対する反応」だと述べ、「重要なのは、被験者が何をするかということではなく、誰のためにそうしているかということ」だと述べています。
 第9章「集団効果」では、「悪逆非道な権威に対する反逆が最も効果的に行われるのは、個人的行動というより集団的行動によってである」としたうえで、「集団はこのように効果的に実験者の力を跳ね返すという事実から、われわれは、個人の行動には三つの主要な理由があることに気づく」として、
(1)個人は内在化されたある種の行動規準をもっていること。
(2)権威が自分に加えるかも知れない制裁に非常に敏感なこと。
(3)集団が自分に加えるかも知れない制裁に敏感なこと。
の3点を挙げています。
 第10章「なにゆえの服従か──一つの分析」では、「人間において、自律的方式から体制的方式への移行を操作するスイッチはどこに見いだされるだろうか」として、「権威組織にはいった個人は、自分自身を自分の目的のために行動しているのではなく、他人の要望を実行している代理人と見なすようになる」として、個の状態を、「代理状態(agent state)」と名付け、「個人が自分自身を他人の要望を遂行する代理人と見なしている状態」だと解説しています。
 第11章「服従の過程──実験への分析の適用」では、「代理状態がわれわれの分析の中心にあるとしたからには、ある種の核心的問題が起こってくる」として、
(1)どのような条件下で、個人は自律状態から代理状態へ移るのであろうか(先行条件)
(2)いったん移行が起こったとき、個人のどのような行動的・心理学的特性が変えられたのであろうか(結果)
(3)何が個人を代理状態に引き止めているのであろうか(拘束要因)
の3点を挙げています。
 そして、「代理状態はどのような特性を持ち、被験者にどのような影響を与えるか」について、「代理状態に移ると、個人はそれまでの彼とは違った何者かになり、彼の通常の人柄からはたやすく伺われ得ない新しい特性を持つに至る」と述べています。
 また、「代理状態の最も重大な結果」として、「個人が自分を指図している権威に対しては責任を感じるが、権威に命じられた行為の内容については責任を感じなくなるということ」を挙げ、「道徳は、消滅するのではなく、根本的に違った点に集中される」と述べています。
 第14章「方法の諸問題」では、「実験室のなかの服従と、ナチ・ドイスにおける服従とはどの程度似ているか」の問題について、「明らかに大変な違いがある」として、時間のスケールの違いを挙げ、「情況及び規模において大変な違いはあるものの、いずれの出来事においても、共通の心理学的過程が中心にあったというのが、その答えでなければならない」と述べています。
 また、この実験が、「アイヒマン実験」と呼ばれることについて、「ぴったりした名称であろうが、それに引きずられて、この研究の意義を見誤ってはならない。ナチの行為がどれほど見下げ果てたものであろうと、ナチだけに焦点を当て、広く知れ渡っているその残虐行為だけが本研究の対象であったと考えるなら、重要な点を全て見逃すことになる」として、本研究が、「主として、命令に忠実な普通の人々が遂行する普通の日常的破壊行為を対象としている」と述べています。
 第15章「エピローグ」では、「実験によって明るみに出され、ここに報告された行動は、正常な人間の行動である」とした上で、「われわれが個人においてかくも高く評価している忠節、規律、自己犠牲などの美徳が、戦争の破壊的組織の道具であり、人間を邪悪な権威組織に結びつける特性そのものであるというのは、皮肉なことである」と述べています。
 本書は、誰にも共通する人間の心の一面を、人によっては大変抵抗のある方法でえぐり出した一冊です。


■ 個人的な視点から

 最近は、ネットワーク理論で盛り上がっている「6次の隔たり」で有名なミルグロムですが、一般的にはこの「アイヒマン実験」で知られています。
 うかつだったのは、昨年、山形浩生の新訳が出ているのに気がつかなかったことです。ぜひこちらも読んでみたい。


■ どんな人にオススメ?

・軍隊やナチスの残虐さを見聞きするたびに自分は自分の道徳心に従えるはずと思う人。


■ 関連しそうな本

 スタンレー ミルグラム (著), 山形 浩生 (翻訳) 『服従の心理』
 トーマス・ブラス (著), 野島 久雄, 藍澤 美紀 (翻訳) 『服従実験とは何だったのか―スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』
 ヨッヘン・フォン ラング (編集), 小俣 和一郎 (翻訳) 『アイヒマン調書―イスラエル警察尋問録音記録』
 ロバート・B・チャルディーニ (著), 社会行動研究会 『影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか』 2006年02月16日
 ダンカン ワッツ (著), 辻 竜平, 友知 政樹 (翻訳) 『スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための新科学的思考法』 2005年09月28日
 アンソニー プラトカニス, エリオット アロンソン (著), 社会行動研究会 (翻訳) 『プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜く』 2008年08月08日


■ 百夜百マンガ

賭博覇王伝 零【賭博覇王伝 零 】

 極限状態の心理を描かせたら右に出る者はいないこの作者ですが(…ざわ)、アイヒマン実験とかも好きそうです(ざわ、ざわ…)。

2009年6月 8日 (月)

描きかえられた『鉄腕アトム』

■ 書籍情報

描きかえられた『鉄腕アトム』   【描きかえられた『鉄腕アトム』】(#1600)

  小野 卓司
  価格: ¥2940 (税込)
  NTT出版(2008/03)

 本書は、手塚治虫の代表作である『鉄腕アトム』について、雑誌連座維持と単行本収録時では、「ストーリーが微妙に(場合によっては大きく)変わったケースが多々見られる」として、「どこがどう変わったのか」を比較検討したものです。
 第1章「宇宙からのチン(門構えに馬)入者」では、「アトムのエピソードにはいつもどこかに『理不尽な暴力に打ち勝つ知恵の力』というヒントが隠されている」と述べています。
 また、昭和42~43年頃にエピソードは、「単行本化されるときにほとんど手が加えられていない」ことについて、掲載が本誌のみとなり、「(判型の小さい別冊付録がないので)切り張りをしてサイズを統一する必要がなくなった」ことや、「頁制限の厳しい『カッパ・コミクス』シリーズも終了」し、「頁数の削減をあまり考えなくてもすむようになったことも一因」だと述べています。
 第2章「長編から短編まで、読み切りの面白さ」では、「昔はコピー機など便利なものはなく、容易に原稿の複製を作ることはできない」ため、「失った原稿を復活させるには、印刷物からの復刻かトレースしかないが、前者は鮮明度が落ち、後者はオリジナルの線が微妙に変わる」と述べています。
 また、アトムシリーズの中でも傑作といわれている「ブラック・ルックスの巻」について、エンディングのコマと対をなした印象的な冒頭シーンと、読み切り127頁という満足感とが相まって、「アトムのエピソードの中で1・2を争う傑作と位置づけている」と述べています。
 第4章「アトム兄弟の物語」では、「ミドロが沼の巻」について、「オリジナルではコバルトが怪物ロボットを破壊するが、自らも犠牲になって死んでしまう」のに対して、単行本では、「怪物を倒す役はアトム」になり、「ふたりとも無事なのだ」と述べています。そして、「オリジナルではコバルトの墓まで作られた」ことを指摘しています。
 第6章「アトム、東奔西走す」では、いくつかのエピソードの導入部について、「オリジナルは総じて映画のいわゆる『コールド・オープニング』的なものが多い」と指摘し、「『これから何が始まるのだろうか』と、謎がうごめき期待は膨らむ、フィクションの世界への心地よい誘いは魅力的だ」と述べた上で、単行本化の際に描き直されると、「説明的な前置きが多くなった」ことを指摘しています。
 第7章「人間のエゴの愚かしさ」では、「総じてオリジナルには『執筆の勢い』というものがある」として、「つい筆が走ってオーバーな表現をしてしまい、単行本化の際に描き直しや削除をしたくなるケースも多々あったのではなかろうか」と述べています。
 第9章「人工知能の反乱」では、「アトラスの巻」について、「このエピソードには、シリーズを通しての重要なテーマが内在している。すなわち『心の善・悪』とは何か・・・・・・」と述べた上で、ロボットが「心が不完全」であると述べた上で、ロボット学者・ラム博士が完成させた「悪の心『オメバ因子』」について、これを取り付けたロボット「アトラス」が、「博士の命ずるまま悪事を重ねるが、やがて博士にも逆らい始める」と述べています。
 また、手塚が、「今までのアトムじゃダメですよ、すこし悪い子にかえてみてください」という編集者の意見を聞いて、「今までと違ったアトムを描くことに」なったと語っていることを紹介しています。
 本書は、多くの人におなじみの『アトム』が様々な葛藤の中で形作られてきたことを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 附録「昭和編/ギャグ編」で紹介されている、「エジプト陰謀団の秘密の巻」でのバリバリー博士のセリフ、「わしはクレオパトラを使って大帝国をつくる それにひきかえきみはどうだ アトムを使って何ができて? フンせいぜいテレビマンガぐらいのとこだ」というセリフについて、元ネタは、『第三の男』の「スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義はいったい何をもたらした? 鳩時計だよ」ではないかと思ってしまいました。


■ どんな人にオススメ?

・アトムを読んだおぼろげな記憶を追ってみたい人。


■ 関連しそうな本

 手塚 治虫 『ぼくはマンガ家―手塚治虫自伝』 2005年05月28日
 中野 晴行 『謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影』 2007年07月28日
 うしお そうじ 『手塚治虫とボク』 2007年10月06日
 堅 信之 『アニメ作家としての手塚治虫―その軌跡と本質』 2007年11月4日
 竹内 オサム 『手塚治虫―アーチストになるな』 2008年10月18日
 手塚プロダクション 『手塚治虫 原画の秘密』


■ 百夜百マンガ

鉄腕アトム【鉄腕アトム 】

 手塚作品は、いろいろな時代に単行本化されていますが、それぞれの時代やタブーを背景に少しずつ描き直されています。マニアはそういうのを発見して楽しむのでしょうが大変そうです。

2009年6月 7日 (日)

キャラ化するニッポン

■ 書籍情報

キャラ化するニッポン   【キャラ化するニッポン】(#1599)

  相原 博之
  価格: ¥735 (税込)
  講談社(2007/9/19)

 本書は、「今、日本は急速にキャラ化している」として、この「キャラ化」の実態を明らかにしようとするものです。
 第1章「キャラクターと日本人の精神史」では、日本人が、「戦後一貫して、マンガ、アニメ、ゲーム、キャラクターにびっしりと囲まれる生活をしてきた」として、「こういったキャラクターとの強いつながり、記憶に深く刻み込まれたキャラクターとの幸福な関係が、僕らにその後の生活意識に少なからぬ影響を及ぼしていることは間違いないだろう」と述べています。
 そして、キャラクターから得られる効能として、
(1)やすらぎ
(2)庇護
(3)現実逃避
(4)幼年回帰
(5)存在確認
(6)変身願望
(7)元気・活力
(8)気分転換
の8点を挙げています。
 著者は、「キャラ化するニッポン」の前提に、「このようなキャラクターを手放せない多くの日本人たちの姿がある」ことをしています。
 第2章「大人も子どももキャラクターの虜」では、「無表情なキャラクター」を意味する「むひょキャラ」という言葉について、「キャラクターが無表情なため、かえって、子どもたちは自分の方で勝手にキャラクターの表情を解釈し、自らの感情をさまざまに投影することができる」と述べています。
 第3章「『私』と『キャラとしての私』」では、「戦後60年の間、日本人はつねにマンガやアニメ、キャラクターと共に生きてきた。そして、それらとの間に強い精神的絆を結んでもきた」結果、「いつのまにか、ぼくら日本人は『生身の現実』『生身の人間』に負けないくらい『マンガやアニメで描かれた現実』あるいは、そこに登場する『キャラクター』にリアリティや親近感を感じるようになってきた」と指摘した上で、「僕らは日々の生活の中で、情報化された現実世界と向き合って」おり、「多くの日本人たちに、こういった現実との乖離、現実に対する違和感、仮想現実を現実と感じる間隔が広がっていたとしても、それはむしろ当然といわざるを得ないのかもしれない」と述べ、「かつて牧歌的に語られた現実と仮想現実の倒錯、そして『私のキャラ化』が、気がつくと、今では既に日常化してしまっていた」と述べています。
 また、「社会一般でのアニメの評価は依然として、複雑で高度な現実世界を子どもでも分かるように平易に簡素化した下位のジャンルといったもの」であるが、「実社会では、『生身の現実世界』と『キャラ的現実世界』の間に逆転現象や揺らぎ、倒錯が広がりつつある」として、マンガ原作の実写化について、「マンガでしか描き出すことができない複雑で高度な現実世界を、実写という牧歌的、かつ古典的な手法を使って平易に簡素化する作業」だと述べています。
 第4章「拡大する『キャラ化意識』」では、「最近の政治の世界も、まさに『キャラがすべて』といった傾向が顕著だ」として、小泉純一郎を挙げた上で、東国原知事が他のタレント知事と違う点として、「彼が『政治のキャラ化』、つまりは有権者が政治そのものではなくキャラを求めているということに自覚的だということだ」と述べ、一方で、「『ふつう』の政治家はつらい」として、安倍内閣が「現代政治における最も致命的な弱点、すなわち『キャラの立たなさ』を抱えてしまった」ことを指摘しています。
 第5章「『キャラ』の持つ社会的存在の意味」では、「最近の若者たちによるうわべだけのキャラ的コミュニケーション」について、「彼らはキャラ化することで自分の居場所を見つけ、存在証明をしている」として、「若者たちのコミュニケーションの所作は、まさにアニメ・マンガにおけるキャラ作りの状況と極めて近いと言うことができる」と述べています。
 第6章「消費・ブログ・ケータイ・セカイ化」では、「現代のオタクたち=若者たちは物語やキャラクターといったものをバラバラに分解し、その構成要素たるパーツやスペックを言わばデータベースのように編集しなおし、それを消費しているということになる」と指摘しています。
 そして、蛯原友里が、「蛯原友里というキャラクターと『エビちゃん』というキャラとが別の存在であることに対して自覚的に見える」とした上で、「彼女はひたすら雑誌という平面世界=二次元的な記号の集積としての、いうなれば、『キャラ属性』の集合体としての場に存在することで、時代を席巻した」と述べています。
 また、「セカイ系」小説などについて、「『私=キャラ』が客観的な中間項の全てを飲み込むように肥大化し、ついてには世界そのものと同化してしまう」作品群だと述べています。
 終章「キャラ化社会はどこへ向かうのか」では、「今日、目の前に、不可能を可能にした空間が広がろうとしている」として、「絶望的なほどに『硬直化』してしまっている『現実世界』を完全に脱ぎ捨て、『キャラとしての私』として生きることが可能な社会が出来上がった」と述べています。
 本書は、子供から大人まで「キャラ化」した日本の現状に、少し変わったスタンスから切り込んだ一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で指摘している、若者たちの人間関係がキャラベースのものになりつつあるというのはなんとなく分かるような気がします。それができないと「KY」と言われてしまうわけです。キャラとお約束をわきまえていないと。


■ どんな人にオススメ?

・自分の「キャラ」をつかみかねている人。


■ 関連しそうな本

 荻上 チキ 『ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性』 2008年05月13日
 川上 善郎 (編集), 高木 修 『情報行動の社会心理学―送受する人間のこころと行動』 2005年11月19日
 パトリシア ウォレス (著), 川浦 康至, 貝塚 泉 (翻訳) 『インターネットの心理学』 2005年10月15日


■ 百夜百音

DON'T TRUST OVER THIRTY【DON'T TRUST OVER THIRTY】 ムーンライダーズ オリジナル盤発売: 1986

 日本語を使って曲を作る以上避けて通ることのできないはずのバンドです。80年代の音だと思って舐めていると大変に痛い目にあいます。恵比須さんとかに。

2009年6月 6日 (土)

萌える男

■ 書籍情報

萌える男   【萌える男】(#1598)

  本田 透
  価格: ¥735 (税込)
  筑摩書房(2005/11/7)

 本書は、
・純愛精神を胸にひそかに抱いている「萌えるオタク男」が、バブル期以後の日本で増え続けているのか、あるいは、なぜ、純愛を求める男の多くがオタクにならなければならなかったのか。
・なぜ、オタク男は二次元のキャラクターに「萌え」るのか。
・そもそも、「萌える」という行為にはどういう意味があるのか。
などの疑問に答えているものです。
 著者は自らの主張を、「『萌える男』は正しい」の一言に要約できるとしています。
 第1章「萌える男は正しい」では、「男性は一部の『モテ系』と、そうでない『非モテ系』に二極分化しつつある」としたうえで、「80年代という時代に、ナンパや『軽薄短小』と呼ばれる一連の『恋愛資本主義文化』の裏側でひそかに誕生し、徐々に拡大していった勢力が、『オタク』なのだ」として、オタクとは、「恋愛資本主義に組み込まれなかった人々」だと定義しています。
 また、「萌える男は、恋愛とは、『萌えて忍ぶものなり』という受動的態度で女性に対しても一種フェミニスト的というか気弱な平和主義者だが、萌えない男は『恋愛とはセックスなり、セックスとは恋愛なり』という能動的(?)態度で女性に接する」として、「萌えない男」の態度を「生身の女性をあまり大事に扱わない態度ともいえる」と述べています。
 そして、「現実の社会は、結局のところ、いまだにこのような狩猟的な男性を肯定する価値観を持っている」として、「生身の女性とセックスせずに空想に耽っている男のほうが、生身の女性を強姦する男よりも下位に置かれている」と指摘し、「萌える男を非難する男たちは、『萌える』という行動の持つ意味が理解できない。それは『萌える』能力が欠落しているからであり、彼らは『脳内に別の現実世界を構築する』という想像力に欠けているのだ」と述べています。
 さらに、「映画『私をスキーに連れてって』のタイトルが示すとおり、恋愛資本主義社会では、男性とは女性に消費生活の楽しみを与えるための下僕」であるのに対し、「萌える男は、自分自身のために消費する。すなわち、彼らは恋愛資本主義のルールと真っ向から対立している存在なのだ」と述べ、「だから萌え趣味は、必要以上に批判され、忌み嫌われるのだ」と指摘しています。
 第2章「萌えの起源」では、「『萌え』とは『脳内恋愛』である」と定義した上で、「萌えオタクの増加とは、つまり、萌えという『脳内純愛』を目指す芸術運動がオタク史上の成立と拡大によって大衆化・普及化した結果」だと述べ、「『萌え』という精神活動は、すでに大昔から存在していた。当初は芸術家のような限られた層だけが萌えていたが、その後、科学技術の発達や萌えオタク市場の確立によって、誰でも萌えることが可能になった」と述べています。
 そして、「萌えは宗教(神)が死に、神に代わる『恋愛』も死んだ現代の日本において、必然的に生まれてきた新たな信仰活動」だと述べ、「むしろ動物化したのは、恋愛資本主義システム下で恋愛とセックスを切り離して肉体的な快楽を刹那的に貪り続ける『萌えない男』たちのほうなのだ」と述べています。
 第3章「萌えの心理的機能」では、「萌え」ゲームとして「ONE」「Kanon」「痕」の3タイトルを取り上げ、「感動的なストーリーだったために『泣きゲー』という呼ばれ方をした」と述べた上で、「ONE」について、「『恋愛というレゾンデートルの再生』という、萌えの最も重大な心理的機能を体現した作品」だと述べ、「『現実世界における恋愛の機能』を作品世界内で(現実にありえない純度で)純粋に再現しようとした物語」であり、「ONEが作り上げた『恋愛』の姿があまりにも完全で理想的な形態だったがために、現実よりもONEの世界の方に自らの居場所を見出す人が続出した」と述べています。
 一方で、現実の恋愛について、「ある種の人間――異性にとって魅力的な人間――は、そのような恋愛の優れた機能を享受できるのかもしれない」が、「ある種の人間――異性にとって魅力のない人間――は、絶対に恋愛によって癒されることがない」と述べています。
 第4章「萌えの社会的機能」では、「70年代的な『純愛』は現実世界では80年代以後に滅び去り、援助交際やヤラはたに代表されるような恋愛の各機能を分散した相対的な関係性へと還元されてしまった」が、「純愛という概念はオタク界に『萌え』として生き残った」と述べています。
 そして、「『萌え』の話すもう一つの役割」として、「『萌え』は恋愛を脳内に生き残らせようとする保守的な性質を持つと共に、すでに破綻した〈恋愛―結婚―家族〉という男女関係の連続性を再生するための新たな関係性の物語をシミュレートするラジカルな思考実験の場ともなっている」として、「恋愛関係以外の男女関係の構築」を例に、萌え属性の一つである「メイドさん」について解説しています。
 著者は、「萌えはもともとは現実における恋愛の模倣からスタートしているのだが、徐々に恋愛のルールを解体・再構築する方向へと進んでいる。しかも、そのルートは多岐に渡り、あたかも複数のコンピュータが最適な解を求めるべくさまざまなルートで演算を繰り返すように」、「萌える男たちが膨大な情報を分散処理しながら崩壊した恋愛に変わる新しいシステムを作り出そうとしている」と述べています。
 第5章「萌えの目指す地平」では、本書が「萌え」の機能や目的を考察した最大の理由として、「恋愛結婚を基盤にすえた現代の家族制度(広義には、男女関係及びそこから派生する人間関係にまつわる制度全般)が有効に機能しなくなっており、さまざまな問題が発生しているという現状を説明し、その閉塞的な現状を打破するための一つの思考実験運動として『萌え』が登場してきた、ということを説明するため」だと述べ田上で、目的の第二として、「崩壊しつつある現在の社会システムを萌えという思考実験によって改善できる可能性を、『萌える男は現実逃避しているだけ』『燃えとは恥ずべきことであり、萌える男側に全責任がある』というドグマによって摘み取らせてはならないという危機感」だと述べています。
 そして、恋愛が「『誰もが行える』という建前を現実のものにすることができず、恋愛できない人間や恋愛に癒しを見出すことができない人間を大量に生み出すこととなった」という「孤立状態に陥った人間が自我を安定させる」方法として、
(1)何が何でも恋愛し、家族を持つという道
(2)空想の世界で萌えキャラに萌えるという道
(3)仕事などに自己を捧げ、自我を絶対的に支える他者などは存在しないという相対主義を受容して孤高を貫くという厳しい道
の3点を上げています。
 第6章「萌えない社会の結末」では、著者が『電車男』に耐えられない点として、「電車男の内面がエルメスに愛されているからこそ恋愛関係が発生しているはずなのに(そうでなければ純愛とはいえない)、なぜ電車男が恋愛資本主義的なマニュアルに基づいて恋愛スキルを上げて『外見』を『向上』させなければ恋愛が成就しないのか」という点を祖適し、「オタクに恋愛資本主義のマニュアルを教え込んで恋愛システムを延命させたからといって、恋愛と家族の崩壊が阻止できるとは思えない」と述べています。
 最後に著者の主張として、
(1)「萌えの正当性と必然性」:萌えの流行には社会的な原因があり、オタク男個人を道徳的に責めるのは間違いである。
(2)「萌えには効能がある」:萌えの機能論的解説。萌えによって数々の心理的・社会的効能がもたらされる。
(3)「萌えの可能性と重要性」:萌えは恋愛及び家族を復権させようとする精神運動であり、燃えが挫折すれば家族も滅びる。
の3点を述べています。
 本書は、世間から後ろ指を差されがちな「萌え」が持つ意味、社会的役割を肯定的に論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 社会的な変化を背景にオタクを読み解こうという試みは大変面白かったです。
 本書を読むまでは「萌え」って単なる趣味嗜好の話だと思っていましたが、本書を読んでしまうと、そういう「生き方」なのだということがわかります。とは言え、自分でも恋愛シミュレーションゲームとかをやってみようというほどには理解しようと思わないですが。


■ どんな人にオススメ?

・「萌え」は異常者だと思う人。


■ 関連しそうな本

 本田 透 『喪男の哲学史』
 本田 透 『脳内恋愛のすすめ』
 本田 透 『電波男』
 本田 透 『電波大戦』
 本田 透 『世界の電波男 ― 喪男の文学史』
 本田 透 『がっかり力』


■ 百夜百音

フジテレビ系列ドラマ 電車男【フジテレビ系列ドラマ 電車男】 オリジナル・サウンドトラック オリジナル盤発売: 2005

 電車男って映像化したときにはオタクからオシャレに変身してたって印象があったですが、原作ではそれほどじゃなかったような気がするのですがどっちだったでしょうか。
■ 書籍情報

萌える男   【萌える男】(#1598)

  本田 透
  価格: ¥735 (税込)
  筑摩書房(2005/11/7)

 本書は、
・純愛精神を胸にひそかに抱いている「萌えるオタク男」が、バブル期以後の日本で増え続けているのか、あるいは、なぜ、純愛を求める男の多くがオタクにならなければならなかったのか。
・なぜ、オタク男は二次元のキャラクターに「萌え」るのか。
・そもそも、「萌える」という行為にはどういう意味があるのか。
などの疑問に答えているものです。
 著者は自らの主張を、「『萌える男』は正しい」の一言に要約できるとしています。
 第1章「萌える男は正しい」では、「男性は一部の『モテ系』と、そうでない『非モテ系』に二極分化しつつある」としたうえで、「80年代という時代に、ナンパや『軽薄短小』と呼ばれる一連の『恋愛資本主義文化』の裏側でひそかに誕生し、徐々に拡大していった勢力が、『オタク』なのだ」として、オタクとは、「恋愛資本主義に組み込まれなかった人々」だと定義しています。
 また、「萌える男は、恋愛とは、『萌えて忍ぶものなり』という受動的態度で女性に対しても一種フェミニスト的というか気弱な平和主義者だが、萌えない男は『恋愛とはセックスなり、セックスとは恋愛なり』という能動的(?)態度で女性に接する」として、「萌えない男」の態度を「生身の女性をあまり大事に扱わない態度ともいえる」と述べています。
 そして、「現実の社会は、結局のところ、いまだにこのような狩猟的な男性を肯定する価値観を持っている」として、「生身の女性とセックスせずに空想に耽っている男のほうが、生身の女性を強姦する男よりも下位に置かれている」と指摘し、「萌える男を非難する男たちは、『萌える』という行動の持つ意味が理解できない。それは『萌える』能力が欠落しているからであり、彼らは『脳内に別の現実世界を構築する』という想像力に欠けているのだ」と述べています。
 さらに、「映画『私をスキーに連れてって』のタイトルが示すとおり、恋愛資本主義社会では、男性とは女性に消費生活の楽しみを与えるための下僕」であるのに対し、「萌える男は、自分自身のために消費する。すなわち、彼らは恋愛資本主義のルールと真っ向から対立している存在なのだ」と述べ、「だから萌え趣味は、必要以上に批判され、忌み嫌われるのだ」と指摘しています。
 第2章「萌えの起源」では、「『萌え』とは『脳内恋愛』である」と定義した上で、「萌えオタクの増加とは、つまり、萌えという『脳内純愛』を目指す芸術運動がオタク史上の成立と拡大によって大衆化・普及化した結果」だと述べ、「『萌え』という精神活動は、すでに大昔から存在していた。当初は芸術家のような限られた層だけが萌えていたが、その後、科学技術の発達や萌えオタク市場の確立によって、誰でも萌えることが可能になった」と述べています。
 そして、「萌えは宗教(神)が死に、神に代わる『恋愛』も死んだ現代の日本において、必然的に生まれてきた新たな信仰活動」だと述べ、「むしろ動物化したのは、恋愛資本主義システム下で恋愛とセックスを切り離して肉体的な快楽を刹那的に貪り続ける『萌えない男』たちのほうなのだ」と述べています。
 第3章「萌えの心理的機能」では、「萌え」ゲームとして「ONE」「Kanon」「痕」の3タイトルを取り上げ、「感動的なストーリーだったために『泣きゲー』という呼ばれ方をした」と述べた上で、「ONE」について、「『恋愛というレゾンデートルの再生』という、萌えの最も重大な心理的機能を体現した作品」だと述べ、「『現実世界における恋愛の機能』を作品世界内で(現実にありえない純度で)純粋に再現しようとした物語」であり、「ONEが作り上げた『恋愛』の姿があまりにも完全で理想的な形態だったがために、現実よりもONEの世界の方に自らの居場所を見出す人が続出した」と述べています。
 一方で、現実の恋愛について、「ある種の人間――異性にとって魅力的な人間――は、そのような恋愛の優れた機能を享受できるのかもしれない」が、「ある種の人間――異性にとって魅力のない人間――は、絶対に恋愛によって癒されることがない」と述べています。
 第4章「萌えの社会的機能」では、「70年代的な『純愛』は現実世界では80年代以後に滅び去り、援助交際やヤラはたに代表されるような恋愛の各機能を分散した相対的な関係性へと還元されてしまった」が、「純愛という概念はオタク界に『萌え』として生き残った」と述べています。
 そして、「『萌え』の話すもう一つの役割」として、「『萌え』は恋愛を脳内に生き残らせようとする保守的な性質を持つと共に、すでに破綻した〈恋愛―結婚―家族〉という男女関係の連続性を再生するための新たな関係性の物語をシミュレートするラジカルな思考実験の場ともなっている」として、「恋愛関係以外の男女関係の構築」を例に、萌え属性の一つである「メイドさん」について解説しています。
 著者は、「萌えはもともとは現実における恋愛の模倣からスタートしているのだが、徐々に恋愛のルールを解体・再構築する方向へと進んでいる。しかも、そのルートは多岐に渡り、あたかも複数のコンピュータが最適な解を求めるべくさまざまなルートで演算を繰り返すように」、「萌える男たちが膨大な情報を分散処理しながら崩壊した恋愛に変わる新しいシステムを作り出そうとしている」と述べています。
 第5章「萌えの目指す地平」では、本書が「萌え」の機能や目的を考察した最大の理由として、「恋愛結婚を基盤にすえた現代の家族制度(広義には、男女関係及びそこから派生する人間関係にまつわる制度全般)が有効に機能しなくなっており、さまざまな問題が発生しているという現状を説明し、その閉塞的な現状を打破するための一つの思考実験運動として『萌え』が登場してきた、ということを説明するため」だと述べ田上で、目的の第二として、「崩壊しつつある現在の社会システムを萌えという思考実験によって改善できる可能性を、『萌える男は現実逃避しているだけ』『燃えとは恥ずべきことであり、萌える男側に全責任がある』というドグマによって摘み取らせてはならないという危機感」だと述べています。
 そして、恋愛が「『誰もが行える』という建前を現実のものにすることができず、恋愛できない人間や恋愛に癒しを見出すことができない人間を大量に生み出すこととなった」という「孤立状態に陥った人間が自我を安定させる」方法として、
(1)何が何でも恋愛し、家族を持つという道
(2)空想の世界で萌えキャラに萌えるという道
(3)仕事などに自己を捧げ、自我を絶対的に支える他者などは存在しないという相対主義を受容して孤高を貫くという厳しい道
の3点を上げています。
 第6章「萌えない社会の結末」では、著者が『電車男』に耐えられない点として、「電車男の内面がエルメスに愛されているからこそ恋愛関係が発生しているはずなのに(そうでなければ純愛とはいえない)、なぜ電車男が恋愛資本主義的なマニュアルに基づいて恋愛スキルを上げて『外見』を『向上』させなければ恋愛が成就しないのか」という点を祖適し、「オタクに恋愛資本主義のマニュアルを教え込んで恋愛システムを延命させたからといって、恋愛と家族の崩壊が阻止できるとは思えない」と述べています。
 最後に著者の主張として、
(1)「萌えの正当性と必然性」:萌えの流行には社会的な原因があり、オタク男個人を道徳的に責めるのは間違いである。
(2)「萌えには効能がある」:萌えの機能論的解説。萌えによって数々の心理的・社会的効能がもたらされる。
(3)「萌えの可能性と重要性」:萌えは恋愛及び家族を復権させようとする精神運動であり、燃えが挫折すれば家族も滅びる。
の3点を述べています。
 本書は、世間から後ろ指を差されがちな「萌え」が持つ意味、社会的役割を肯定的に論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 社会的な変化を背景にオタクを読み解こうという試みは大変面白かったです。
 本書を読むまでは「萌え」って単なる趣味嗜好の話だと思っていましたが、本書を読んでしまうと、そういう「生き方」なのだということがわかります。とは言え、自分でも恋愛シミュレーションゲームとかをやってみようというほどには理解しようと思わないですが。


■ どんな人にオススメ?

・「萌え」は異常者だと思う人。


■ 関連しそうな本

 本田 透 『喪男の哲学史』
 本田 透 『脳内恋愛のすすめ』
 本田 透 『電波男』
 本田 透 『電波大戦』
 本田 透 『世界の電波男 ― 喪男の文学史』
 本田 透 『がっかり力』


■ 百夜百音

フジテレビ系列ドラマ 電車男【フジテレビ系列ドラマ 電車男】 オリジナル・サウンドトラック オリジナル盤発売: 2005

 電車男って映像化したときにはオタクからオシャレに変身してたって印象があったですが、原作ではそれほどじゃなかったような気がするのですがどっちだったでしょうか。

2009年6月 5日 (金)

イワシはどこへ消えたのか―魚の危機とレジーム・シフト

■ 書籍情報

イワシはどこへ消えたのか―魚の危機とレジーム・シフト   【イワシはどこへ消えたのか―魚の危機とレジーム・シフト】(#1597)

  本田 良一
  価格: ¥819 (税込)
  中央公論新社(2009/03)

 本書は、「マイワシが減り、サンマが増える」という「ある種の魚が減るにつれ、別の肴が増えていく減少」である「魚種交代」をテーマとした、「海の謎解きの旅のガイドブック」です。
 プロローグ「レジーム・シフトの誕生」では、「だれも予想しなかったマイワシ漁獲量の大きな変動」に注目した、当時、東北大学農学部教授だった川崎健氏が、メキシコのカリフォルニア半島の南端にあるラパスに米国、メキシコ、南アフリカ、カナダなどの研究者を集め、「レジーム・チェンジ・ワークショップ」を立ち上げ、これが後に、「大気―海洋―海洋生態系という地球の仕組みの基本構造(レジーム)が数十年の周期で転換する『レジーム・シフト』という概念へ発展する」と述べています。
 著者は、「レジーム・シフトというプリズムを通すと、海の不思議と、日本の水産行政の不可思議、そして水産資源管理のあるべき姿が見えてくる」と述べています。
 第1章「マイワシの巻」では、「『寒冷な海』になるとマイワシが増える要因」として、
(1)水温が成長に直接、いい影響を与える。
(2)餌となるプランクトンが増える。
(3)天敵(スルメイカ)が減る
の3点を挙げ、「逆にアリューシャン低気圧が弱くなると『温暖な海』となり、マイワシの成長に悪い影響を与える上に餌が減り、天敵のスルメイカも増えてマイワシは減ってしまう」と述べています。
 第3章「アンコウの海」では、ハタハタの禁猟に踏み切った漁業者にとって「思わぬ救世主」となった「アンコウ」について、「底魚にとっていい環境になった」という「レジーム・シフト」が起こったことを指摘しています。
 第4章「スケソウの巻」では、「日本の漁業者のさまざまな努力にもかかわらず、スケソウ資源の減少に歯止めはかかっていない」と述べています。
 第5章「サンマの巻」では、「80年代後半以降、サンマにとって『いい時代』が訪れた」と述べた上で、日本が自国2百カイリの資源さえ使い切っていないのに公海のサンマを取ろうとする理由として、「公海のサンマ資源を巡る争奪戦はもう始まっている」ことを挙げています。
 第6章「水産庁の巻」では、北方領土水域を、「乱獲の海」になっているとしたうえで、日本の漁業者がTAC(TAC=Total Allowable Catch)を受け入れた理由として、
(1)中韓両国との漁業協定の改定交渉で、日本漁船が率先してTACによる資源管理を行う姿勢を示すことで、相手側に強く迫ることができる、という水産庁の説明。
(2)独占禁止法が見直され、漁業にも適用されていた除外規定が廃止されようとしていたため、生産調整を行っていた業界は、それに変わる漁獲制限措置としたこと。
(3)中韓両国の漁船に対してTACが適用されない魚種については、漁獲量がTACの上限に達しても罰則を伴った中止命令を発動しないこと。
の3点を挙げています。
 第7章「人間の巻」では、レジーム・シフトのリズムを大きく狂わせる犯人として、「温暖化」と「乱獲」を挙げ、「温暖化による生態系の変化を予測し、それに対応する政策決定のプログラムを作成していかなければならない」と述べています。
 また、世界の水産資源管理の基本を定めた国連海洋法条約が、「二つのミスを犯した」として、
(1)人類の共有物(コモンズ)を沿岸国の基線から200カイリという人為的な線で分割したこと。
(2)その水産資源の管理基準にMSY(Maximum Sustainable Yield)理論を持ち込んだこと。
の2点を挙げています。
 著者は、エピローグで、自分でできることとして、「まずは日本の漁業を守り、育てるために国産の身近な魚を食べること」を挙げています。
 本書は、イワシやサンマなどの身近な魚がどんな現状におかれているかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 イワシもニシンもある時期から急に取れ始めてそれで財を成した人がいて、近年に急に取れなくなって、という周期をとっていますが、レジーム・シフトという考え方は本書で初めて知りました。


■ どんな人にオススメ?

・サカナがなんで獲れなくなるのかを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 野地 恒有 『漁民の世界 「海洋性」で見る日本』 2008年06月27日
 駒村 吉重 『煙る鯨影』 2008年09月15日
 渡邊 洋之 『捕鯨問題の歴史社会学―近現代日本におけるクジラと人間』 2008年01月31日


■ 百夜百マンガ

やじきた学園道中記【やじきた学園道中記 】

 トラブル解決のために転校し続けるなんてまるで「秘密教育委員会」みたいだと思ってしまいました。

2009年6月 4日 (木)

一話3分 落語ネタ入門

■ 書籍情報

一話3分 落語ネタ入門   【一話3分 落語ネタ入門】(#1596)

  桂 歌若
  価格: ¥819 (税込)
  朝日新聞出版(2009/5/13)

 本書は、「落語のストーリー紹介のほか、落語家のエピソードや落語界に伝わる教訓、また舞台となった江戸庶民の生活事情なども織り交ぜ」た「読む落語」でで、『電通報』という業界紙に連載されていたものです。
 第1章「上席」では、落語「たがや」の落ちが、もともとは侍が「たが屋」の首をはね、それを見た見物人が「たぁーがや~」と落としていたものが、明治以降に「弱い立場の者が強者を叩きのめすという痛快な演出へ変更され」、町人が侍の首をはねるというものになったと解説し、「落語のやり方にも時代の空気が色濃く反映されていた」と述べています。
 また、落語「松竹梅」に関連して、落語家も披露宴でスピーチを求められると述べ、とある師匠が「あいさつを短く縮めるから縮辞(祝辞)という。これが長いと長辞(弔辞)になっちゃう」と話していることを紹介し、「あいさつは短めに、お二人の幸せは末永く」と語っています。
 さらに、「三年目」に関して、「落語には幽霊の登場する作品が数多くあり、怪談噺をのぞけば多くがコミカルに描かれて」いると述べています。
 第2章「中席」では、昔の落語家は「よく質屋を利用していた」が、質草として、「われわれのユニフォームである黒紋付き」を質入れし、「夏になったら冬物を、冬になったら夏物をと交互に質入れ」し、「質屋にとっては大事な預かり品」なので「傷まないように管理も万全」だと語っています。
 また、落語家の楽屋が「いつでも賑やかにおしゃべりをして過ごして」要る理由として、「楽屋で陽気な笑い話をして、その陽気な雰囲気のまま高座へ上がると、それがお客様にも伝わって落語がやりやすくなる」からだと語っています。
 第3章「下席」では、曲芸や奇術などの落語家以外の寄席の出演者を「色物」と呼ぶ理由として、「演者の芸名が書かれた札」である「めくり」を落語家は黒で書かれているのに対し、それ以外の芸人は朱で書いたことからだと述べています。
 また、役人が登場する「ぜんざい公社」や「二番煎じ」の「甘い汁は先にこちらで吸いました」や「二番を煎じておけ」などの落ちを紹介しています。
 そして、落語に登場する子供が、「頭の回転が速く小生意気」だが、「不思議と嫌味を感じさせ」ない理由として、「父親は権力の象徴で、子供はそれに対する庶民の素朴な疑問と感情を現している」という「落語のトリック」があると解説しています。
 また、落語界の「符丁」として、
一・・・ヘイ
二・・・ビキ
三・・・ヤマ
四・・・ササキ
五・・・カタゴ
六・・・サナダ
七・・・タヌマ
八・・・ヤワタ
九・・・キワ
という数の数え方を紹介しています。
 本書は、落語に馴染みのない人にも落語の世界に親しみを感じさせる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書が『電通報』に連載されていたということは、つまり広告業界にとっても落語は欠かせない基礎知識ということなのでしょうか。とりあえず、ゆうきまさみとか一部のマンガを読む上では落語がわからないとつまらないということは確かですが。
 そういえば、ドラえもんの「世の中うそだらけ」という話では、「壷算」を下敷きにジャイアンがのび太からアイスをせしめています。


■ どんな人にオススメ?

・落語は大人の基礎知識だと思う人。


■ 関連しそうな本

 吉原 健一郎 『江戸の町役人』 2008年01月04日
 福田 アジオ 『番と衆―日本社会の東と西』 2008年03月07日
 宮本 常一 『忘れられた日本人』 2006年06月25日
 八幡 和郎, 臼井 喜法 『江戸三〇〇年「普通の武士」はこう生きた―誰も知らないホントの姿』


■ 百夜百マンガ

タフ外伝OTON【タフ外伝OTON 】

 決して欠くことのできないいい味を出している「おとん」を主人公にしたスピンアウトものです。こっちのほうが面白いかも?

2009年6月 3日 (水)

重光葵―上海事変から国連加盟まで

■ 書籍情報

重光葵―上海事変から国連加盟まで   【重光葵―上海事変から国連加盟まで】(#1595)

  渡辺 行男
  価格: ¥734 (税込)
  中央公論社(1996/08)

 本書は、「アメリカ戦艦ミズーリ号上で日本の降伏文書に調印した首相全権として有名」な重光葵が、「戦前・戦後を通じて、和平の調整役として東西を奔走し続けた」足跡を追った評伝です。
 著者は、重光を、「いつの場合でも事態に真剣に向き合い、真正面から正しい認識を得ようと努めた」としたうえで、その著書を通して、「彼が時代に対する優れた観察者であるとともに、思想家である」と述べています。
 序章では、「重光葵の本領は戦後の政治家としてよりも、むしろ戦前・戦中の外交官、政治家としての足跡にある」として、「重光葵の座標軸は戦争と平和の間の調整者という役割にあった」と述べています。
 第6章「ミズーリ号への道」終戦後、東久邇宮内閣の外相に就任した重光の最初の仕事は降伏文書調印であったが、「内閣でも『降伏」の文字を嫌がって、何か別の文字にできないかを言い出す者がいる」ことについて、「surrenderという英語を変えるわけには行かない。サレンダーはあくまで『降伏』であり、単なる『終戦』ではない。この際は完全に対抗意識を捨て去り、完全に無条件に先方の支持を受け入れ、『降伏』の実を示すことが、日本を将来に向かって生かす所以であり、敗戦を完全に認識することを全ての前提条件とするとともに、国家としても個人としても、敗者は敗者としての気品を維持し、徒に責任を回避して敵の憐憫を請い、卑屈の態度に出ることは絶対に防がねばならぬ」と語ったことを紹介しています。
 また、占領軍総司令部が「日本に軍政を敷いて行政各部門を統治する」との情報を得た重光が、マッカーサーに会見し、「日本の現状に適せぬものであるから、これを撤回していただきたい」として、
(1)元来、天皇は戦争に反対し、平和維持に終始熱意を示されており、今回も戦争を終結せしめるために決定的役割を演ぜられた。
(2)占領軍としては、日本国民の絶対崇拝する天皇の指令する日本政府を通じて占領政策を実行することがもっとも簡易な方法である。
(3)もし占領軍が軍政を布くとすれば、それより生ずる困難な事態は全て占領軍で処理し、その責任は当然占領軍に帰すべきである。
(4)ポツダム宣言は明らかに日本政府の存在、すなわち日本の主権の存在を前提としている。
(5)占領軍として占領政策を遂行するには、日本政府を利用してもっとも安易にして効果的な方法を選ぶのが最も利益となる。
の5点を主張し、最後まで聞いていたマッカーサーが即座に軍政施行の発令を中止するよう命じたと述べています。
 第7章「巣鴨獄窓日記」では、巣鴨に収監されることとなった重光に、「いったい、終始軍閥に反対し、平和と国交の一時専念してきた自分が、なぜ戦争犯罪人として収容されねばならないのか。天は果たして何を裁こうとするのか」という思いが脳裏を掠めたと述べています。
 第8章「改心党総裁、保守合同」では、昭和25年、刑期を1年残して保釈されることとなった重光が、巣鴨在獄中に執筆した『昭和の動乱』が、たちまちベストセラーになったことを紹介しています。
 第9章「日ソ交渉、国連加盟、終焉」では、昭和30年に外相として始めて訪米した重光が、マッカーサーに会い、天皇と初めて会ったときに、「もし国の罪をあがなうことができれば進んで絞首台に上ることを申し出るという、この日本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ますます高まるばかりでした」との証言を得て、このことが、「天皇を迎えたときのマッカーサーの態度には冷然たるものがあったが、天皇が帰られるときは打って変わって慇懃な態度で、抱えるようにして玄関まで送って出た」という態度の変化の謎を解いたと述べています。
 本書は、戦前の外交官の危害を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 吉田茂にしても重光葵にしても戦前の外交官というのがスケールが大きく感じるのは、現代との通信事情の違いのせいなのか、戦争という極限状態における外交のせいなのかはわかりませんが。


■ どんな人にオススメ?

・戦前の外交官を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 重光 葵 『昭和の動乱〈上〉』
 重光 葵 『昭和の動乱〈下〉』
 重光 葵 『重光葵―外交回想録』
 重光 葵 (著), 服部 龍二 (著) 『満州事変と重光駐華公使報告書―外務省記録「支那ノ対外政策関係雑纂『革命外交』」に寄せて』


■ 百夜百マンガ

あたし天使あなた悪魔―きょうだい育児は大騒動!編【あたし天使あなた悪魔―きょうだい育児は大騒動!編 】

 子育てマンガというのも、出産と育児で一線を退いた女性漫画家の定番の書き物だと思うのです。当たりはずれがあるですが。

2009年6月 2日 (火)

14歳からの政治

■ 書籍情報

14歳からの政治   【14歳からの政治】(#1594)

  長谷部 尚子
  価格: ¥1470 (税込)
  ゴマブックス(2006/8/21)

 本書は、2005年の衆院選をきっかけに、政治について感心を持った14歳の中学生である著者が、「直接聞いてみよう。自分の耳で聞いて、考えてみよう。政治家という仕事を知ってみたい」という動機で書いたものです。
 第1章「官房長官のお仕事」では、安倍晋三官房長官(当時、以下同じ)に話を聞き、「いつもハラハラドキドキして気の休まるヒマのない大変な仕事」で、「朝刊の1日は本当に長い長い1日」だと述べています。
 また、「家ではめちゃくちゃ子ども扱いされる中学生の私のことを、一人前の大人として扱って、質問に答えてくれたのが強く印象に」残ったと語っています。
 第2章「大臣のお仕事」では、小池百合子環境大臣について、「今まで私は権力ということばをわかっていなかった」として、「権力というと悪いイメージがありますが、正しい使い方の中では、必要なものだとわかった」、「それがリーダーシップ」だと語っています。
 第4章「衆議院議員のお仕事」では、小沢鋭仁衆議院議員(民主)について、国会議員の生活は、「バスにも乗るし、朝から晩まで会議や勉強会で土日もなかなか休みがない」生活だが、「国のために、弱い人のために、よりよい社会を作ろう」という強い気持ちがその生活を支えていると語っています。
 第5章「参議院議員のお仕事」では、世耕弘成参議院議員(自民)が、政治の世界には、会社以上に怖く、「君、これはダメだよ!」という人がいるが、「自分に信念があれば、選挙区の人に選んでもらえばいい、この人に選んでもらったわけじゃない、と吹っ切れる」という「精神的自由度がいい」と語ったことを紹介しています。
 第6章「委員会のお仕事」では、原口一博衆議院議員(民主)が、著者のことを大学生と間違えたエピソードを紹介しています。
 第7章「知事のお仕事」では、松沢成文神奈川県知事が、知事の仕事として、
(1)県の職員とのミーティング
(2)議会の仕事
(3)団体の方との意見交換
(4)国や市町村の皆さんとのミーティング
(5)県内をくまなく回ること
の5つを挙げていることを紹介しています。
 また、松沢知事が松下政経塾の入塾試験に合格した理由として、松下幸之助が「君には運と愛嬌がある」と答えたことを紹介しています。
 第8章「市長のお仕事」では、中田宏横浜市長が「無所属のいいこと」として、「自らの見識と両親に基づいて、行動できる」と答えていることを紹介しています。
 著者は、「政治家がするから政治ではなく、政治とは私たちの生活のなかにある、身近なものであること、『政治とは私自身』のことだと分かってきました」として、「他人事だと片付けているあいだは、社会はよくならない」と述べ、「政治に対する悪いイメージを肯定することは私たちの不幸」だということが、「この本を作る前にあった疑問」に対する答えのひとつだと語っています。
 本書は、わたしたちにとっての政治のあり方を考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 二匹目か三匹目かわからない「14歳からの~」シリーズのうちの一冊ですが、世の中の政治に関する情報は政治に詳しい人の目線で書かれているために、基礎知識がないと読むのがつらいのが現状です。もちろん、一定の判断力が必要という意味でそれ自体に意味があることだと思いますが、14歳という免罪符を盾にしてこれだけ割り切ったものにしてしまうのはありだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・政治の話は苦手だという人。


■ 関連しそうな本

 浅古 瑞紀/柳田 隆太/渡部 謙太郎 『14歳からの政治 2』
 宮台 真司 『14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に』
 池上 彰 『14歳からのお金の話』
 赤塚 不二夫 (漫画) (著), 福田 淳 (著) 『天才バカボン公認副読本 これでいいのだ14歳。 ~バカボンパパに学ぶ14歳からの生き方哲学100~』
 玄田 有史 『14歳からの仕事道』
 村上 龍 『13歳のハローワーク』


■ 百夜百マンガ

てんで性悪キューピッド【てんで性悪キューピッド 】

 なぜか昭和の時代の作品だと思っていたのですが、実は平成の作品でした。とはいえ「ラブコメ」というジャンル自体が相当昭和ですが。

2009年6月 1日 (月)

義賊伝説

■ 書籍情報

義賊伝説   【義賊伝説】(#1593)

  南塚 信吾
  価格: ¥663 (税込)
  岩波書店(1996/11)

 本書は、「世界史上に現れた義賊群像を簡単に紹介し」たうえで、ハンガリーの国民的義賊であるロージャ・シャーンドルを通じて、「義賊の実像と伝説の関係」を探ったものです。
 第1章「世界市場の義賊たち」では、義賊の「黄金時代」は、「あきらかに18世紀後半から20世紀前半にかけてであり、この時期、世界各地に義賊とみなされる人物・集団が排出した」として、地域的には、東欧、スペイン・イタリアなどの地中海世界、アメリカ合衆国、ラテン・アメリカ、オーストラリアなど、「周辺世界がその舞台となった」と述べています。
 第2章「義賊増の誕生」では、シャーンドルについて、「文献によって確認できる最も早い伝説」は、184年末にプトノキ・ヨージェフという作家が著した「ロージャ・シャーンドル」というバラッドだと述べ、彼が「ベチャール」(義賊)になるには、「兵役という同情すべき理由があったこと、貧しいものには害を加えなかったこと、48年革命において『セルビア人』(オーストリア帝国の軍隊を指す)と勇敢に戦ったこと、いつでも村の社会に帰りたがっていたことなどが歌われていた」と述べています。
 そして、シャーンドルが、「必ずしもはっきりとした罪によってではなく、民衆からは同情の余地のあるかたちで、『公式の』秩序から『のけ者』にされた」として、「ベチャールとなる動機をめぐる伝説には一定の現実的基礎があったということになる」と述べています。
 第3章「社会的正義の体現者」では、「権力者の悪を正す」というモチーフが、「義賊の最も大切なイメージの一つである」と述べた上で、史実として、本当にシャーンドルが権力者の不正を懲らしめたのかについて、1851年に貴族の農場の監督官パラーシュティを殺害した事件などを挙げ、「ベチャールは、多くの貧しい農民に共通する権力者への不満を代弁してくれただけでなく、かれらに代わって権力者への報復を実行してくれた」と述べています。
 また、ベチャールが皇帝を救ったという伝説について、「正されるべきは現地の不正な代官や農場監督官であり、その上位の国王や領主は正義を行おうとしているのだ、という信仰が示されている」と指摘しています。
 第5章「民衆社会の周辺で」では、「ベチャールは村人に支持され、守られていた」としたうえで、ベチャールの社会観は、「伝統的正当性の主張以上に出るもの」はなく、「より積極的に民衆を指導するようなそれ独自のイデオロギーは持っていなかった」と述べています。
 第6章「地域権力とのかかわり」では、「ベチャールは地方の公的権力とどのような関係にあったのか」について、ベチャールが最も直接的な権力と捉えたのが、治安権力と、「貴族の農場の監督官、村や町の役場や司祭であった」と述べ、ベチャールが「在地の公権力と基本的には対立していた」と述べています。
 また、ベチャール衰退の理由として、「行政制度の近代化のみにあったのではない。かれらを支持していた農民の世界にも次第に変化が生じていた」と述べています。
 終章「記憶された歴史=民衆の夢」では、「実像としての義賊は民衆・地域権力の相互関係に規定される」として、
(1)イギリス型:中央権力が地方権力はもとより、地方の民衆社会まで掌握していて、民衆もまた早くから権利義務観念を身につけていたため、地方社会に義賊が現れる余地がない。
(2)ラテン・アメリカ型:近代に入っても、地方社会においてパトロン=クライエント関係が強く残存する地域に現れ、権力と民衆社会の中間に義賊が現れ、徐々に地方権力と癒着して中間的権力となり、民衆社会を支配する側に立つ。
(3)東欧型なかんずくハンガリー型:権力と民衆の間に義賊が登場し、多くの場合、民衆の側に立つ。
の3つのパターンを挙げています。
 そして、この3つのパターンは「発展段階」の差ではなく、「諸地域の世界的関連のなかで、義賊を取り巻く諸要素の展開の仕方の違いの中で考えるべきこと」だと述べています。
 本書は、「義賊」という民衆の夢を当時の地域像とからめて解説した一冊です


■ 個人的な視点から

 現代の義賊というと、やっぱりルパン三世なんでしょうか。そういえば、狙うのは金持ち、不必要な殺しはしないなどの要素は義賊っぽいです。でももともとのルパンはもっとハードボイルドだったのですが、クラリスの心を盗んだあたりでは相当義賊っぽくなってます。


■ どんな人にオススメ?

・義賊はお話の中だけだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 千葉 治男 『義賊マンドラン―伝説と近世フランス社会』


■ 百夜百マンガ

くじびきアンバランス【くじびきアンバランス 】

 「げんしけん」の作中のマンガを実際に作っちゃったものですが、やっぱりマンガは設定が命だということがよくわかります。

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