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2009年8月

2009年8月31日 (月)

闘う経済学―未来をつくる「公共政策論」入門

■ 書籍情報

闘う経済学―未来をつくる「公共政策論」入門   【闘う経済学―未来をつくる「公共政策論」入門】(#1684)

  竹中 平蔵
  価格: ¥1575 (税込)
  集英社インターナショナル(2008/05)

 本書は、「経済学の基本を理解しつつ経済学と政策の隙間を埋めたい」という動機で書かれたもので、「経済学の基本的な考え方を十分理解するとともに、それが実際の経済現象や経済政策にどのように関わっているのか、また経済学以外のどのような知識や考え方が実際の政策問題には重要なのか」について理解できることを目指したものです。
 序章「経済学と現実政治との隙間で」では、著者が経済財政政策担当大臣に就任以来、「経済学は政策にどの程度役に立つのか」を常に問いかけたと述べ、埋めなければならない「経済学と実際の政策問題との間の隙間」として、
(1)経済学の教科書で教えられている内容に比べて、現実の経済は遙かに複雑である。
(2)経済政策を含め全ての政策は、民主主義の政策プロセスを経なければ決定できない。
の2点を挙げています。
 第1章「ケインズ的常識と闘う」では、失業問題に関して、「失業をなくすためには景気を良くしてGDPを大きくし、労働に対する需要を大きくすることが重要な政策になる」と述べた上で、「政府の財政支出によって総需要管理を行って景気を(少なくとも短期的に)ある程度コントロールできる」ということには「一応のコンセンサスがある」として、この政策を「ケインズ政策」と呼ぶと述べています。
 そして、ケインズ政策に対する反論として、「エリートが全てを解決できる」という前提である「ハーベイロード・プリザンプション(ハーベイロードの前提)」そのものが間違っているという指摘があると述べています。
 第2章「『増税論』と闘う」では、財政赤字は悪いことだとする一つの答えとして、「財政赤字が大きくなると長期金利が上昇する、あるいはインフレになる」というものを挙げています。
 また、「骨太方針」を作るようになって以降、「予算編成のプロセスは非常にすっきりした」として、予算の閣議決定が12月24日には行われているため、「財務省主計局の役人も家族でクリスマスイブを迎えられるようになった」と述べています。
 第3章「金融危機と闘う」では、かつて12倍程度だった信用乗数が1990年代に低下し続け、2000年以降はハイパワードマネー残高が増えているにも関わらず「6倍程度に急落した」が、2005年以降から反転し、2006年には約8倍に戻していることについて、「不良債権の処理によって金融の異常な事態がようやく解消されてきたことを示す一つの重要な証拠」だとしています。
 また、「世界で普通に採用された政策」である金融債性プログラムに対して、すさまじいバッシングが起こったことについて、その要因として、
(1)日本の場合、政策が常に政局づくりに利用されるという強い傾向があること。
(2)世の経済専門家といわれる人々も含め、政策の詳細については十分な知識と関心を持っていない点。
(3)ジャーナリズムの多くが、依然として官僚をニュースソースにしていること。
の3点を挙げています。
 第4章「失業と闘う」では、「高い賃金を実現するためには、技術進歩率を高めること、ないしは技術進歩率が高い産業に特化する」ことだと述べた上で、産業を発展させるための要素として、
(1)金利をできるだけ低く保つ
(2)投資税額控除を大きくする
(3)税率を低く抑える
(4)所得弾性値の高い産業に特化する
の4点を挙げています。
 第5章「役人と闘う」では、地方財政の分野では、「制度が非常に複雑なため現実の姿がなかなか理解されにくい」として、 「地方財政に関していろいろ発言している人はたくさんいるが、地方財政制度について熟知した上で発言している人はきわめて少ない」ことを指摘しています。
 そして、地方財政を考える場合の最大のポイントとして、「受益と負担の関係を明確にすること」を挙げ、「国の仕事と地方の仕事が明確に分担されていないことが、日本の地方分権の最大の問題になっている」ことを指摘しています。
 そして、地方財政制度の問題点として、
(1)地方の自由度がないこと。
(2)権限がないことの裏返しとして、地方の責任が不十分だということ。
(3)財政的に国への依存が高くなっている問題。
(4)複雑でわかりにくい。
の4点を挙げ、「民主主義社会にあって複雑な制度は悪い制度」だとしています。
 第6章「"既得権"と闘う」では、郵政民営化決定のプロセスに関して、
(1)郵政民営化という改革は、その内容においてきわめて高度な政策論が求められた。
(2)政治的に多くの国会議員が本音では優勢民営化に賛成ではなかった。
の2点について議論したうえで、「既得権益者との利害調整を行いつつ行政を進める官僚に、制度の抜本的改革を期待するのはできない」と指摘しています。
 第7章「抵抗勢力と闘う」では、経済財政諮問会議だからこそ実現できたこととして、
(1)政策論議の独占を打ち破ったこと、具体的には、それまで税制調査会が独占していた税金の議論を行ったこと。
(2)通常の省庁の権限を飛び越えて、総理主導で議論を行ったこと。
(3)消灯横断的な議論。
の3点を挙げています。
 第8章「千変万化の政治と闘う」では、大臣には、
・縦割り大臣
・横割り大臣
の2種類があり、「この2種類の大臣は、ずいぶんと仕事の性格が違う」と述べています。
 そして、日本では大臣の在職期間が非常に短いことを挙げ、「2年周期の政策を実現することはきわめて難しくなる」として、「日本の閣僚が大きな政治的な力を持ち得ない一つの理由」だとしています。
 終章「権力と闘う」では、「いくら理想的な青写真を描いたとしても、それを実現するためのプロセスまで含めて戦略的に考えなければ政策論にはならない」と指摘した上で、「改革を実現するためのヒントとなりうる」重要な戦術として、
(1)逆転の発想を持つこと
(2)重要なことについてはトップ直轄方式をとること
(3)会議を「決める場」にすること
(4)いつでも辞める覚悟を持つこと
(5)批判のパターンを知ること(常に逆のことをいう「コントラリアン的批判」、「永遠の真理」をいう批判、「ラベル」を貼って決めつける批判)
の5点を挙げています。
 また、小泉元総理の仕事ぶりから学んだリーダーであるための条件として、
(1)王道を行く
(2)瞬時の判断力
(3)直接対話の力
(4)愛嬌の力
の4点を挙げています。
 本書は、実際に闘った経済学者だからこその発言の重みを持った一冊です。


■ 個人的な視点から

 今回の選挙では自民党が負けたわけですが、その敗因は、小泉・竹中改革に対する国民の不満が高かったせいなのか、小泉・竹中改革を骨抜きにして元に戻そうとしてきたその後の内閣に対する批判なのか、どちらなのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・経済学や実際の政策には役に立たないと思う人。


■ 関連しそうな本

 竹中 平蔵 『構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌』 2007年11月05日
 佐藤 雅彦, 竹中 平蔵 『経済ってそういうことだったのか会議』 2005年06月26日
 大竹 文雄 『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには』 2006年09月04日
 土居 丈朗(編著) 『地方分権改革の経済学―「三位一体」の改革から「四位一体」の改革へ』
 土居 丈朗 『三位一体改革ここが問題だ』


■ 百夜百マンガ

パソ犬モニ太【パソ犬モニ太 】

 パソコンはロボットなど人間に似せた擬人化をされることが多いようですが、まさか犬に「擬犬化」されるとは。パソコンの位置づけが変わったということでしょうか。

2009年8月30日 (日)

いつか、すべての子供たちに――「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと

■ 書籍情報

いつか、すべての子供たちに――「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと   【いつか、すべての子供たちに――「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと】(#1683)

  ウェンディ コップ (著),渡邊 奈々 (監修), 東方 雅美 (翻訳)
  価格: ¥1680 (税込)
  英治出版(2009/4/7)

 本書は、「連邦政府に見放され、落ちるところまで落ちたアメリカの公立教育が、21歳の、大きなビジョンはあるが実社会での経験の全くない女の子の編み出した救済策によって、希望の光を取り戻しつつあるという、夢の物語」です。
 著者は、「ティーチ・フォー・アメリカ」のもとになったアイディアについて、「トップクラスの大学を卒業したばかりの人たち――専攻もめざす職業もさまざま人たち――を集めて、都市や地方の公立学校で2年間教師をしてもらう。その後も生涯を通じて、『すべての子供たちに教育の機会を与える』という目標に向かって、率先して取り組んでもらう」と述べています。
 第1章「卒業論文」では、卒業を間近に控え、「公立の教育システム」、すなわち、「この国のどこで生まれるかで、受けられる教育の中身が変わってしまう」という問題に関心を持った著者が、「アメリカで全国的なティーチャー・コープ(教師部隊)をつくれないだろうか。トップクラスの大学から学生を集めて、卒業後の2年間、都市部や地方の公立校で教えてもらうというのは、どうだろう」と突然ひらめき、「全国的ティーチャー・コープ設立のための計画と議論」と題した卒業論文を仕上げたと述べています。
 第2章「宇宙の法則を止める」では、さまざまな企業のCEOに提案書を送った著者が、6~7社の重役たちに会うことができたが、「面談を実現できたことに驚いたりはしなかった。反対に、なぜCEO自身が時間を割いて私の計画を聞きにこないのかと思った」として、著者の目標は、
(1)資金を提供してくれそうな人にできる限り多く会って、計画を理解してもらい、立ち上げ資金を確保すること。
(2)教育関係者にもあって、計画に対する意見を聞き、実現可能かどうかをテストすること。
の2つだったと述べています。
 そして、著者があきらめなかった理由のひとつとして、「多くの学区から熱い反応が返ってきたこと」を挙げ、「私が持ちこたえられたのは、私のアイディアが持っている力を盲目的に信じていたからだ」と述べています。
 第3章「理想だけでは不十分なとき」では、研修の開幕式ではメンバーは「TFA」と叫んで拍手喝采していたが、「コープ・メンバーが幻滅までの短い距離を落ちていくのに、一週間もかからなかった」として、反抗的なメンバーの問題や、メンバー同士がお互いに批判し始めたこと、初年度のコープ・メンバーは学費ローンの返済の免除対象外となっていたことなどを挙げ、「次々と出現する問題と陰で格闘しながら、同時に私は、自分の殻にも閉じこもっていた。私は本来、社交的ではない。聡明で要求水準の高いコープ・メンバーが怖くて、私の内向性はいっそう強まった」と語っています。
 そして、「持ち上がってくる問題はあったが、私はどうにか当初からの楽観的な見方を維持していた」として、「何事でも可能であるように、私には思えた。私は大きく考えること(シンキング・ビッグ)をやめなかった」と語っています。
 また、著者が、アメリカの有力な企業人に会うことができた理由として、「私たちが大胆にも『会ってください』と頼んだからだろう」と述べた上で、資金調達の過程では、「資金の足りない学校」と「アメリカの華やかな慈善家の世界」という「経済的に全く異なる二つの世界を行き来することになった」と語っています。
 第4章「新しいアイディア」では、ティーチ・フォー・アメリカを始めて1年後に、「私たちが取り組んでいること、つまり優秀な人々を教職に着かせるということを、学校側でもできるように手を貸したらどうか」というアイディアを思いつき、「学区をサポートして、新任の先生のリクルートと選抜、教育、トレーニングについて、有効な方法を一緒に開発するような組織」である「TEACH!」という組織を構想し、「どんどん熱中していくのを、とめることはできなかった」と語っています。
 第5章「暗黒の年月」では、UCLAに60万ドルの借金があった上で、「2週間ごとに20万ドルの賃金を用意しなければならない」ことが常に気にかかり、「すでに財政的に苦労しているスタッフに、いつか賃金を払えない日が来るのでは」ないか恐れていたと語っています。
 そして、1994年9月には、コロンビア大学の教育大学院の教授リンダ・ダーリン-ハモンドが、「ティーチ・フォー・アメリカに関するメディアの報道や、不満を抱いたコープ・メンバーの言葉や、学区の行政かにゃ退職したスタッフの言葉などを用いて、自身の主張を論証」する論文を教育界の専門誌に掲載し、「各側面で、TFAの不十分さは深刻なものであり、最終的には多くの学校と、そこに通う生徒を傷つけることになるだろう」と主張したことについて、「胸元を殴られたかのようだった。私たちの活動に対する学術的な分析というよりも、個人攻撃のように読めた」として、「この論文で書かれた主張に対して、反論しなければならないことはわかっていた」と述べています。
 第6章「大きな決断」では、「ティーチ・フォー。アメリカは、アメリカにおける最大の不平等、すなわち、低所得地域に生まれる子供たちがチャンスを得られないという状況に対して、解決策を打ち出そうとしている。この不平等が存在する限り、ティーチ・フォー・アメリカは戦い続けなければならない」という「原点」に立ち戻ることができ、TEACH!の解散を受け入れ、予算を削減するという決断を下したと語っています。
 そして、3ヵ年の将来計画を立て、「安定的な勢いのある組織となって、アメリカのすべての子供たちが優れた教育を受けられるようになるまで、ミッションを追及する」という野心的な目標を設定し、目標達成のための優先事項として、
(1)財務の安定性を確保すること。
(2)コープ・メンバーが受ける研修とサポートの強化に特に焦点を当てて、核となる活動をてこ入れすること。
(3)優れたスタッフを採用し、有効なマネジメントと能力開発を施して、組織の能力を高めること。
(4)世間や教育界での評判を高めること。
(5)理事会を強化し、派遣場所のそれぞれで地域理事会を組織すること。
の5つを決めたと述べ、「ようやく、プロセスではなく目標に焦点を当てることにより、スタッフの企業家的エネルギーを解き放つことができるようになった」としています。
 第7章「トンネルの向こうに灯りが見えた」では、「私の最大の長所は、私の最大の欠点でもあった」として、「世の中でも経験が少なかったからこそ、私は大きなアイディアを思い描き、それを執拗に追求していくことができた。だが、成功に不可欠である資金援助や組織能力を確立する方法に関しては、経験がなさ過ぎた」と語っています。
 そして、「ミッションを実現しようとするのであれば、理想的なビジョンに加えて、それ以上のものが必要だということ」を学んだと述べています。
 第8章「上昇軌道」では、全国の訪問を通じて、ティーチ・フォー・アメリカの「長期的なインパクトも垣間見ることができた」として、卒業生を見て、「ティーチ・フォー・アメリカの卒業生は国の資産となりつつあると感じた」と語っています。
 また、2000年の春には、ビル・クリントン大統領に招かれ、「さまざまな分野の若いリーダーたちの夕食会に参加する機会を得た」と語っています。
 第9章「ティーチ・フォー・アメリカの評価」では、「ティーチ・フォー・アメリカが10周年を迎え、私が大学4年生のときに思い描いたインパクトを生み出していることに疑問の余地はない」として、「私たちは、公共心のあるリーダーたちの一群を、未来に向けて育てているのだ」と述べています。
 第10章「ビジョンを実現する」では、ティーチ・フォー・アメリカの設立などを通じて学んだこととして、低所得地域の学校で学業成績を向上させるのに必要なこととして、
(1)「いつか、この国のすべての子供たちに、すぐれた教育を受ける機会が与えられるように」というビジョンを、しっかりと持つこと。
(2)私たちのミッションを実現するには、ありとあらゆるものが必要だということを認識しなければならない。
(3)長期的かつ組織的な取り組みが必要になるということ。
の3点を挙げています。
 本書は、ビジョンを「実現することは可能だ」ということを確信させていくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ティーチ・フォー・アメリカの話自体は、以前から耳にしていましたが、日本語版が出版されたことは非常にありがたいが限りです。日本の大学生も2年間の教職のあとに就職してくれたら面白くなりそうです。


■ どんな人にオススメ?

・公立学校を何とかしたいと思っている人。


■ 関連しそうな本

 渡邊 奈々 『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』 2005年08月11日
 町田 洋次 『社会起業家―「よい社会」をつくる人たち』 2005年02月16日
 シルヴァン・ダルニル, マチュー・ルルー (著), 永田 千奈 (翻訳) 『未来を変える80人 僕らが出会った社会起業家』 2007年03月28日
 駒崎 弘樹 『働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法』
 小暮 真久 『"想い"と"頭脳"で稼ぐ 社会起業・実戦ガイド 「20円」で世界をつなぐ仕事』


■ 百夜百音

BEST BEST BEST 1984-1988【BEST BEST BEST 1984-1988】 吉川晃司 オリジナル盤発売: 2005

 トーイのせいで、どうしても頭の中で哀川陽司のキャラクターに変換されてしまうのですが、この時代はかっこよかったです。


2009年8月29日 (土)

キャリアショック ―どうすればアナタは自分でキャリアを切り開けるのか?

■ 書籍情報

キャリアショック ―どうすればアナタは自分でキャリアを切り開けるのか?   【キャリアショック ―どうすればアナタは自分でキャリアを切り開けるのか?】(#1682)

  高橋 俊介
  価格: ¥683 (税込)
  ソフトバンククリエイティブ(2006/6/28)

 本書は、「日本のビジネスパーソンに向けたウォーニング(警戒警報)であり、そしてキャリアをめぐる環境変化の激しい時代、自分で自分の人生を切り開く方法論の解説書」です。
 著者は、「社内での人材育成方針に従って、自分のキャリアを伸ばしていったとしても、それが必ずしも、社外で通用するキャリアになるとは限らない」と述べています。
 序章「キャリアショックはある日突然やってくる」では、「会社主導のキャリア開発から、個人主導へのキャリア開発へ」移行するときに、「個人が自律的にキャリアを作っていくとはどのようなことなのか」が大きなテーマとなるとした上で、「変化の激しい時代には、キャリアは基本的に予期しない偶然の出来事によってその8割が形成される」とする「プランド・ハップンスタンス・セオリー(Planed Happenstance Theory)」について解説しています。
 第1章「成功のキャリアか幸せのキャリアか」では、幸福のキャリアを自分で切り開く方法について、
・スキル
・コンピタンシー
・パーソナリティ
の3つの面から考え、幸福なキャリアは「動機とコンピタンシーのマッチング」だとしています。
 第2章「キャリアを切り開く人の行動パターン」では、「キャリアショックに備えながら、自律的にキャリアを切り開いていく行動能力」である「キャリアコンピタンシー」について、30人近いインタビュー対象者のうち、「長期の明確なキャリアゴールや計画を持ち、そのとおりにキャリアを構築している人は、一人もいなかった」と述べた上で、彼らの行動パターンについて、
(1)仕事を膨らませる
(2)布石を打つ
(3)キャリアを進める
(4)キャリアを振る
の4つの段階に分け、「どれか1つを選ぶと言うものではなく、キャリアを自分で切り開こうと思ったら、どれも必要なものであり、ただ、いつその行動をとるかがそれぞれ違う」と述べています。」
 第3章「キャリアを切り開く人の発想パターン」では、自分でキャリアを切り開こうとしているビジネスパーソンの発想パターンの特徴として、
(1)横並びやキャッチアップにはあまり関心がなく、自らの差別性や希少性を重要視する。
(2)異質経験を生かそうとする発想が特徴的に見られる。
(3)今後の動向に賭ける、きわめて未来志向的な判断基準を共通して持っている。
(4)指導してもらえるか好きなようにできるのかでは、自由度の幅を選ぶ傾向が非常に強い。
(5)「社会的自己意識」(自分が周りからどう見られているか)よりも「私的自己意識」(自分はこうありたいと意識する)が勝っている
(6)合理的判断以上に直感を重視して選ぶケースがあり、その中にはかなりの割合で自律的な人材が含まれている。
(7)「会社の論理」よりも「職業倫理」を重視する。
の7つのポイントを挙げています。
 第4章「人生支配の代償だった雇用保障」では、終身雇用と年功序列の最大の特質として、「将来の安心を見せて、だから、いまはどのような命令にも従うように求める服従のマネジメント手法だった」と述べています。
 そして、年功序列の問題点として、「年功の部分よりも、むしろ、序列によって社員のキャリア構築を徹底的に管理した点にあった」ことを指摘しています。
 第5章「知的資本経営のできない会社は生き残れない」では、「会社にとって、社員は資産ではなく、社員の生み出す知恵が資産となる。一方、社員にとっては、会社は知恵という資本の投資先になる」とした上で、「知的資本経営を目指し、人材輩出企業を志向するなら、すべてのマネジメントにおいて、これまでとはまったく逆の方向に進まなければならない」と述べています。
 第6章「明日から取るべき5つのアクション」では、「変化の激しい時代に柔軟にキャリアを仕掛けていく」ためのポイントとして、
(1)「自分の値段」ではなく「自分の動機」を知る。
(2)動向を読み、賭けるべき流れを選ぶ
(3)自分のビジョンとバリューを掲げる
(4)価値あるWHATを構築するコンピタンシーの強化
(5)キャリアリスクを減らしキャリア機会を広げる
の5点を挙げています。
 そして、「キャリアショックの時代には、個人も変化に柔軟に対応できるキャリアコンピタンシーを付けるのと同時に、企業経営者も支配高速の発想から自由選択の仕組みを整備する」という「2つの動きが共振して初めて、日本の企業にキャリア自律の時代が到来する」と述べています。
 本書は、キャリアを自分でコントロールしたい人には必見の一冊です。


■ 個人的な視点から

 一時の転職を念頭に置いたキャリア本ブームが沈静化はしましたが、仕事生活を送る上でキャリアを意識することは不可欠であることを本書は教えてくれます。


■ どんな人にオススメ?

・仕事生活を見据える視点がほしい人。


■ 関連しそうな本

 金井 壽宏 『働くひとのためのキャリア・デザイン』 2005年01月30日
 山本 寛 『昇進の研究―キャリア・プラトー現象の観点から』 2005年09月01日
 キャメルヤマモト 『稼ぐ人、安い人、余る人―仕事で幸せになる』 2005年05月24日


■ 百夜百音

増殖【増殖】 YELLOW MAGIC ORCHESTRA オリジナル盤発売: 1980

 学生時代にナイスエイジとかタイトゥンアップとかカバーしましたが、先輩から、お前らのはハウス的な感じがするけどYMOはもっとオーケストラな感じだ、という感想をもらったのを思い出しました。

2009年8月28日 (金)

格差と希望―誰が損をしているか?

■ 書籍情報

格差と希望―誰が損をしているか?   【格差と希望―誰が損をしているか?】(#1681)

  大竹 文雄
  価格: ¥1890 (税込)
  筑摩書房(2008/06)

 本書は、「格差社会の議論が最も注目された2005年から07年」にかけて著者が書いてきた「時事的問題に関する論説をまとめ、それに追記という形で現在の視点から解説を加えたもの」です。
 第1章「資本の論理を問う」では、「一律カットに頼らず、政府の規模を小さくする有効な方法を見つけ出すことも課題となる」として、慶應義塾大学教授の加藤秀樹氏が「事業の必要性、実施主体(民間か行政か、国・都道府県・市町村か)の検討という『事業の仕分け』作業を行うことが大変役に立つ」と主張していることを紹介しています。
 また、「低所得者」という概念を見直すことが、「本当の貧困者を救う財源を作り出すためには不可欠」だとして、「特に、高齢化社会における『低所得者』は、本来の『貧困者』とはかけ離れた概念になっている」と指摘しています。
 第2章「リスクと不安」では、未婚率の上昇の問題について、東京学芸大教授の山田昌弘氏が、その理由として、「家計を支える責任を男性に求める意識が助成に強いことや、若い男性の収入が不安定化していること、結婚生活に期待する高い生活水準意識の存在」の3点を挙げています。
 そして、「少子化対策の本当の理由が、『ねずみ講』としての公的年金制度を維持し続けることにあるならば、それは間違いだ」として、「問題の本質は、生まれたタイミングによって公的年金の収益率が大幅に異なるという不合理なねずみ講が他の公的年金制度にある」と述べています。
 また、「日本の所得格差が拡大しているか否かは、統計的には明らかである」とした上で、「そのトレンドを説明するのは、人口の高齢化」だと述べるとともに、京都大学大学院橘木俊昭氏が、日本の貧困率を、アメリカについで主要先進国の中で二番目の高さだとしている点について、OECDの「この指標には問題が多い」として、
(1)貧困が相対的な指標で定義されている。
(2)可処分所得で計測した貧困指標である
の2点を挙げ、「注意所得の水準が高い国の貧困率は数字が高めに出る」として、「本来は消費水準で貧困率を計測する必要がある」と指摘しています。
 第3章「社会の中のグレーゾーン」では、「構造改革に疑問を感じ、格差社会批判に同調する人が増えている根底には、インサイダーの利益をなくすという構造改革の本来の目的が、不況のしたでは勝ち組という名のインサイダーの利益を守ることに変質してしまったのではないか、という疑念が人々の間に広まったことが影響しているのかもしれない」と述べています。
 また、派遣労働に関する規制緩和が、非正規就業を増やした原因であると主張される点について、「非正規労働の中に占める派遣労働の比率が低いことを考えると、説得的ではない。仮に、派遣労働が自由化されていなければ、パート、契約社員、請負労働がもっと増えてきたか、失業が増えていただけである」と述べています。
 そして、「税負担を少なくするために政府を効率化することは確かに必要だが、本来社会的共通資本として政府が供給すべきものまで指摘供給に切り替えると、公的負担が減った以上に、私たちの指摘負担が増えてしまいかねない」ことを指摘しています。
 さらに、東京大学大学院教授の岩本康志氏が、党主導による歳出削減計画が可能になった理由について、「政府と与党の方向性が一致したことは好ましい変化としながらも、『内閣が必要な総合調整をして政策決定を一元化できなかったことの裏返し』に過ぎない」として、「党主導の決定に高い評価を与えることに疑問を呈している」ことを紹介しています。
 また、「男女差別解消の思わぬ結果」として、教師の質の低下の問題が、労働市場における男女平等の進展に関連があるとして、「昔は女性にとってフルタイムの仕事というのは公務員あるいは教員に限られ、優秀な女性がそうした職業に就いた」が、「労働市場で男女差別がなくなってくると、学業に優れた女性にとって、教師以外の職業に就く選択肢が拡大した」結果、優秀な女性が「昔に比べて教師の仕事に就かなくなった。その結果、教師の質が低下した」という説を紹介しています。
 第4章「格差社会の行方」では、経済学の専門家が政策決定にかかわることが多くなった背景として、「市場メカニズムを無視して経済運営をすることのコストの大きさが広く認識されてきたことがあるのではないか」として、経済学者が政策に参加することのメリットとして、「経済学的な思考実験を行って、政策のメリットとデメリットを整理することができる点にある」と述べ、「経済学はお金儲けのための学問ではなく、経済政策や制度設計を考えるための基礎的研究を行うための学問だという理解が広まっていることを期待したい」としています。
 また、「どの地域に生まれるかということが、生涯所得に影響を与えることが問題なのは明らかだ」が、「生まれる場所を選ぶことはできないが、住む場所は選ぶことができる」とした上で、「再分配政策が不要だと言っているのではない。地域や産業を特定した補助金政策ではなく、税と社会保障による一般的な所得再分配政策を用いるべき」だと述べています。
 そして、学校選択制について、「誰かがより価値の高い教育を受ければ、誰かが相対的に低い価値のサービスを受けざるを得ない」ことや、「不人気の学校に取り残された非異動者たちの教育の質はどうなるのか」という批判に対して、「こうした批判は学校選択制が学校に与えるインセンティブ効果を正しく理解していない。学校選択制のもとで赴任機構は本当に何も手を打たない(打てない)だろうか」と疑問を呈しています。
 さらに、「格差拡大という社会問題が発生した際、その中身を調べ、原因を究明することが何より重要である」が、「格差論議は情緒的な議論が選考しやすく、それだけで政策を決定することは問題が多い」と述べています。
 また、貧困解消対策としての最低賃金引き上げについて、「最低賃金引き上げで被害を受けるのは、新規学卒者、子育てを終えて労働市場に再参入しようとしている既婚女性、低学歴層といった、現時点で生産性が低い人たちだ」と指摘しています。
 本書は、情緒的な議論が横行しやすい格差問題について、経済学の視点を投げかけ続けた一冊です。


■ 個人的な視点から

 地域間格差にしても親の収入による格差にしても、昔からいくらでもあったかのような気がするのですが、「一億層中流」という幻想がまかり通っていたのは、団塊の世代が大きな塊として幅を利かしてきたことが大きいのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・格差とは何かをきちんと見たい人。


■ 関連しそうな本

 大竹 文雄 『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには』 2006年09月04日
 福井 秀夫, 大竹 文雄 『脱格差社会と雇用法制―法と経済学で考える』 2008年1月15日
 上村 敏之, 田中 宏樹 『検証 格差拡大社会』


■ 百夜百マンガ

東京怪童【東京怪童 】

 脳ブームで脳を描いた小説や科学本は多くありますが、そのイメージを映像化した漫画は少ないような気がしています。さすがです。

2009年8月27日 (木)

教育格差の真実~どこへ行くニッポン社会

■ 書籍情報

教育格差の真実~どこへ行くニッポン社会~   【教育格差の真実~どこへ行くニッポン社会~】(#1680)

  尾木 直樹, 森永 卓郎
  価格: ¥756 (税込)
  小学館(2008/10/1)

 本書は、「今日の教育問題を経済学の視点から読み解く」ことを目的とした教育評論家と経済アナリストの対談です。
 第1章「深化する格差社会」では、「今の格差は、特に若い人にとっては、所得の格差と同じくらい、もしかしたらそれ以上に、恋愛格差というか、パートナーを得る格差がすごく大きくなってきて、一人ぼっちの人の割合が急速に高まってきている」ことを指摘し、「勝ち組の男たちというのは、恋愛を経験すればするほど恋愛上手になっていく」一方で、「秋葉原無差別殺傷事件の容疑者のような孤独な男性が大量に出現している」(森永)と述べています。
 また、教育格差に関しては、
(1)学校間格差
(2)地域間格差
(3)体力格差
(4)教師格差
の4つの格差が、「同時進行で拡大」し、そこには、「教育の世界にも『競争原理主義』『成果主義』というものが徹底して貫かれるようになった」ことを指摘しています(尾木)。
 第2章「経済格差が教育格差を生む」では、「新自由主義の人たちのやっていることの特徴」として、
(1)できるだけ小さな政府にして、全部マーケットに放り出して、強い人だけが生き残ればいいという弱肉強食の考え方が根底に横たわっている。
(2)金持ち層や大企業には思い切って減税して、その減収分を全部庶民に増税する。
(3)金持ち層だけに濃密は、あるいは高い学歴が与えられる仕組みに変えていく。
(4)仮想に落ちた庶民層というのを戦地に送って殺しちゃう。
の4点を挙げています。
 また、藤原和博前校長の「夜スペ」などの取り組みで知られる杉並区立和田中学校について、「公立中学校の民営化の行き過ぎ」に問題があるとして、「公立校の民営化というよりも、もはや公立中学校の私物化、私立化」であり、「ビジネスマンのまま、教育界で暴れているだけ」だと指摘し、「区の行政は、どの中学校も均等にレベルアップさせなければならないのに、それを全くやっていない」と述べています(尾木)。
 第3章「教育格差と偽装学力」では、国際社会が求めてくる学力である「生徒の学習到達度調査」(PISA)と日本の学力観は大きくずれていると指摘しています(尾木)。
 また、学校選択制の問題として、「学校が生徒を選ぶ」ようになってきたとして、中学校の説明会を聞きに来た茶髪の子供に対して、「うちには茶髪は要らないんだ」、「出て行け」と校長が言ったと述べています(尾木)。
 第4章「格差時代をどう生きるか」では、学校が、「数値目標を掲げた競争原理主義に走って、今日の経済構造とか社会体制をつくっていくのに都合のよい人材の育成工場や選別機関に陥っている」として、「長期的かつ教育原理的に考えれば、優位の人材が育つ展望が全く出てこない」と指摘しています(尾木)。
 そして、格差社会の行方として、「経済格差の是正も教育格差の見直しも両方ともやらなければいけない」として、「最低賃金の引き上げと同一労働同一賃金の原則を厳格に適用する」という2t3宇野方策だけで、「日本の社会は革命的によくなる」と述べています(森永)。
 また、学力格差は、「通塾格差」であり、「親の経済格差、文化格差にほかなりません」と指摘しています(尾木)。
 本書は、日本の教育格差の問題を仲良く語り合った一冊です。


■ 個人的な視点から

 対談ものの場合、まったく話がかみ合わないでお互いにぜんぜん違う話を開陳するだけというのも物足りないですが、お互いに思想が似ているというか話が合いすぎるのも緊張感がなくてつまらないように思われます。


■ どんな人にオススメ?

・格差社会は何とかしなきゃならんと思う人。


■ 関連しそうな本

 尾木 直樹 『教師格差―ダメ教師はなぜ増えるのか』
 尾木 直樹 『教育破綻が日本を滅ぼす!』
 苅谷 剛彦, 山口 二郎 『格差社会と教育改革』
 尾木 直樹 『日本人はどこまでバカになるのか―「PISA型学力」低下』


■ 百夜百マンガ

成りあがり 矢沢永吉物語【成りあがり 矢沢永吉物語 】

 原作は糸井重里なんじゃないかと記憶していましたが、糸井はインタビュアーなのだそうです。

2009年8月26日 (水)

指定管理者制度で何が変わるのか

■ 書籍情報

指定管理者制度で何が変わるのか   【指定管理者制度で何が変わるのか】(#1679)

  文化政策提言ネットワーク (著, 編集)
  価格: ¥1,680 (税込)
  水曜社(2004/10/25)

 本書は、2003年6月の地方自治法の改正で新設された指定管理者制度について、「これまでの公の施設のあり方を大幅に変える可能性」があるとして、「公の施設の中でも効率文化施設に的を絞り、今回の改正が与える影響について、メリット、デメリット両面から検証」しているものです。著者は、指定管理者制度の導入を、「公の施設の効率的な運営を目指したものではあるが、それはわが国の行政のあり方そのものを問い直す大きな流れの中に位置づけられる」としています。
 第1部「公立文化施設を巡る問題状況」では、「公立文化施設の民営化と公共性の確保」において、「指定管理者制度導入に関する危惧として、民間の営利企業が公立文化施設の運営を受託した場合、利潤追求を目的とするあまり、公共性が犠牲になるのではないか」との指摘を挙げ、「『サービス購入者』としての政府・自治体が適切に行動すれば、こうしたことは当てはまらない。むしろ、利潤追求を目的とするからこそ、公共性をより効率的に実現できるようになるのだといっても過言ではない」と述べ、効率性実現における民間企業のメリットとして、
(1)機動的な行動
(2)規模の経済性
(3)範囲の経済性
の3点を挙げ、政府・自治体が公立文化施設の民間委託を考える上でのチェックポイントとしては、
(1)政策目的の明確化=公共性の明確化
(2)納税者の合意=目的の正当性
(3)仕様書作成と評価能力=発注側の必要条件
(4)競争環境条件=受注側の必要条件
の4点を挙げています。
 第2部「公立文化施設の運営」では、「公共ホールの使命と指定管理者制度の課題」において、指定管理者制度の問題点として、
(1)「指定管理者制度」はハード運営のための制度で「文化政策」とは無関係
(2)「指定管理者制度」と「文化芸術進行」は分離して考えなければならない
(3)公共事業である文化芸術振興機能の民間委任は可能か
(4)民間企業による公共ホール運営
(5)解決への手がかり
の5点を挙げています。
 また、「公立美術館の事業評価と指定管理者制度」においては、「構造改革」について、その「本旨は、地方分権の確立によって、中央―地方の対立を解消し、公平な富の再分配と文化的平準化を目指すものらしい」が、「地方公共団体立の諸施設へ独立行政法人化が可能であるとした提言と合わせて考えてみると、『博物館法』の一層の骨抜き、国立美術館・博物館の独立行政法人化の流れが、このたびの、『指定管理者制度』の導入と深くかかわっているに違いない」と指摘しています。
 そして、「公立文化施設における創造・市民文化形成と運営の効率性」において、「ハコモノ文化施設は、指定管理者制度の導入により、特段マイナスの影響は受けず、むしろ逆に民間企業のノウハウによって運営の高度化・効率化が図られ、企業の利潤動機が働かない低利用の貸し館型施設は、NPOや住民団体が指定管理者がなることで、事業の充実や地域文化創造の場が形成されるチャンスとなると考えられるのに対し、芸術創造や市民文化形成の拠点の役割を果たしてきた文化施設は、新規参入を図る企業との競争にさらされ、せっかくの文化的、芸術的実績がついえてしまう心配がある」と指摘しています。
 第3部「アートNPOの活動」では、「指定管理者制度をどう受け止めるのか」において、NPO法人「DANCE BOX」が抱える大きな問題点として、「経済基盤が不安定なこと」と「ほとんどの助成金が事業助成で、運営管理に対する助成項目がないこと」を挙げています。
 また、「市民・行政の新たなる関係構築を」では、公立の施設の使いにくさとして、
(1)吊りこみのバトンがない、袖が狭い、壁が白いなど、ハードの使いにくさ。
(2)退館時間が早い、利用者の抽選、使用料金が高いなど、制度的な使いにくさ。
(3)舞台について理解のない職員が多いなど、人的・習慣的な使いにくさ。
の3点を挙げたうえで、「指定管理者制度で実現する芸術団体による文化施設の運用には、今までにないさまざまな改善が見込まれる」としています。
 「公立施設における舞台技術者の立場より」では、「舞台というのは非常に特殊で、多くの危険を孕み、熟練した技術があって出来上がる空間」だとして、「劇場」とは「激」場であり、「劇」の字の下に「薬」を置けば「劇薬」であり、飲めば生死にかかわるくらいに危険な場所であるということを忘れるな、と新人研修で言い続けていると述べています。
 第4部「『新しい公共』の可能性」では、「指定管理者制度と『新しい公共』のかたち」において、「市民参加は『新しい公共』の一つの様相」だとして、文化施設における市民参加の様相を、
(1)接遇、あるいは舞台技術といった領域でのボランティア参加
(2)市民参加ミュージカルなどの参加型事業への参加
(3)文化施設の運営母体への参加
(4)文化施設の運営に対する市民側による監督という視点
の4つに大別しています。
 また、「指定管理者制度のビジネスモデル」において、指定管理者制度の前提条件が、「企業やNPOには必ずしも十分に知られているとはいえない」として、
(1)指定管理者制度の背景には厳しい財政状況がある
(2)民間経営でも公立文化ホールが準公共財であることに変わりはない
(3)指定管理者制度の本質は競争条件の整備
(4)指定管理者制度では計画と執行が分離される
の4点を挙げた上で、指定管理者のビジネスモデルとして、
(1)収入増モデル
(2)経費削減モデル
の2つのモデルを提示しています。
 本書は、指定管理者制度のさまざまな可能性と問題点を模索した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、さまざまなバックグラウンドを持った著者たちによって執筆されていますが、指定管理者制度に対するスタンスも見事なほどにバラバラで、見方によっては、「多様な角度から照射した」と言えなくもないですが、それについてまとめているわけでもなく、消化しにくいゴッタ煮状態なので、うかつに読むと混乱するかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・さまざまな角度から指定管理者制度を検証したい人。


■ 関連しそうな本

 上山 信一, 桧森 隆一 『行政の解体と再生』 2009年1月28日
 南 学, 小島 卓弥 編著 『地方自治体の2007年問題-大量退職時代のアウトソーシング・市場化テスト-』 2005年08月22日
 八代 尚宏 (編集) 『「官製市場」改革』 2006年01月27日
 市場化テスト研究会 (著), 本間 正明(監修・著) 『概説市場化テスト―官民競争時代の到来』 2005年10月07日
 野田 由美子 『民営化の戦略と手法―PFIからPPPへ』 2006年01月30日


■ 百夜百マンガ

惑星をつぐ者【惑星をつぐ者 】

 少年ジャンプのすごいところは、必ずしもジャンプの読者には受けなさそうな作品でも無謀にも掲載してしまうところでしょうか。すぐ打ち切っちゃいますが。

2009年8月25日 (火)

会議が絶対うまくいく法

■ 書籍情報

会議が絶対うまくいく法   【会議が絶対うまくいく法】(#1678)

  マイケル・ドイル, デイヴィッド・ストラウス (著), 斎藤 聖美 (翻訳)
  価格: ¥1575 (税込)
  日本経済新聞社(2003/6/21)

 本書は、「マネジャーや管理職といった会議を主催する立場の人に向けて、会議の準備の仕方や時間どおりに終わらせる方法、現実に役立つ議論のつくり方、会議を脱線させない方法などを紹介」したものです。本書は、1976年に初版が刊行されて以来、米国だけで60万部、海外の翻訳を含めると累計80万部売れている「息の長い超ロングセラー」です。
 第1章「なぜ、会議は大切なのか」では、「3人以上の人が集まり、協力して作業をすること」を「会議」と定義した上で、「会議の席について顔を合わせることは、何かを達成するために、最も効果的な方法」だと述べています。
 第2章「会議を成功させる五つの原則」では、「上手に会議を運営するのに必要な基本的な原則」として、
(1)一つの議題にみんなが集中していること。
(2)一つの議事運営方法にみんなが同意していること。
(3)誰かが責任をもって、オープンでバランスの取れた発言ができるように努力していること。
(4)誰かが個人攻撃を受けたら、その人を守る役割の人がいること。
(5)会議におけるそれぞれの役割が明確になっていて、誰もがそれに同意していること。
の5点を挙げた上で、「インタラクション・メソッド」における会議に参加する人の役割として、
(1)マネジャー:議事進行をしてはならない。
(2)ファシリテーター:中立的な立場を守る。
(3)メンバー
(4)書記
の4つを挙げています。
 第3章「会議メモのつくり方」では、「会議メモには発言内容のみを記録し、発言者の名前は書かない」ことによって、発言内容は発言者個人のアイデアではなく、グループ全体のアイデアとなっていく」と述べています。
 そして、会議メモは、メンバー一人一人にとっても、「自分の考えを記憶にとどめようと努力しなくてもすむ」上、「自分の考えが『記憶された』ことを目で確かめることができる」ことで、「心理的に大きな安心感を与えてくれる」と述べています。
 第6章「議事進行のコツ パート1」では、「会議をうまく進行させる上で大切なテクニック」として、
(1)メンバー全員を共通の問題に集中させるには、どうしたらいいか。
(2)発言者を守り、全員に発言の機会を与えるには、どうしたらいいか。
(3)中立的な立場にとどまり、なおかつ信頼を勝ちうるには、どうしたらいいか。
の3点を挙げています。
 第7章「議事進行のコツ パート2」では、「会議において、発言を妨げるもの」として、
(1)発言の機会を捉えるのが難しい。
(2)個人的な攻撃を受けることを恐れる。
の2点を挙げ、「ファシリテーターの役目はこの問題を取り除くことだと述べています。
 また、会議で問題を起こす「問題児」を扱うためのテクニックとして、
(1)認めてやる
(2)正当化してやる
(3)後に回す
(4)徐々に進める
の4点を挙げています。
 第11章「会議に忍び寄る『集団思考』の罠」では、「専門分野やバックグラウンドが違う優秀な人たちを選んだ場合でも、周りと協力してコンセンサスにもっていこうという気持ちが強いときには、一人ひとりが独自に考えようとしないことがある」として、この傾向を「集団思考」と説明した上で、「集団思考を防ぐ11のポイント」として、
(1)最初から外部の人間を巻き込む
(2)意地悪な質問をする係を決める
(3)定例メンバー以外の人を参加させる
(4)会議のエネルギーを活用する
(5)地位の高い人の発言は最後に回す
(6)インフォーマルな会合を持つ
(7)信用されるメンバーを選ぶ
(8)投票は最後の手段
(9)決断を急がない
(10)ひと晩考える
(11)対立するグループと共同作業する
の11点を挙げています。
 第14章「問題解決のコツ」では、「問題解決というのは、終わりのない作業である」とした上で、「組織とは、問題解決をするための存在である」と考えることで、「組織は最高の状態で動くようになる」と述べています。
 第15章「プレゼンテーションを成功させるコツ」では、「プレゼンは、何を報告し何を言うかという問題ではく、聞き手との間の係わり合いすべてを考慮しなくてはいけない問題」だと述べています。
 本書は、どんな組織にも不可欠な「会議」の問題を解決するヒントを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の方法がベストで唯一のものということではないですが、会議というと誰でも何となく開けるものという印象を持っている人が多いと思いますが、実はきちんと体系的な理解と技術を必要とするものだということの認識はもっと広まっていいと思います。


■ どんな人にオススメ?

・会議は誰でもできると思う人。


■ 関連しそうな本

 堀 公俊 『ファシリテーション入門』 2006年04月24日
 堀 公俊 『問題解決ファシリテーター―「ファシリテーション能力」養成講座』 2006年5月15日
 中野 民夫 『ファシリテーション革命』 2006年04月28日


■ 百夜百マンガ

傷追い人【傷追い人 】

 敵対する悪の組織が、「闇のポルノフィルム制作組織」である「G・P・X(God Pornographic X-rated Film)」というのが斬新というかすごいというか。

2009年8月24日 (月)

テレビ番外地―東京12チャンネルの奇跡

■ 書籍情報

テレビ番外地―東京12チャンネルの奇跡   【テレビ番外地―東京12チャンネルの奇跡】(#1677)

  石光 勝
  価格: ¥714 (税込)
  新潮社(2008/11)

 本書は、「カネもモノもヒトもない。一日4時間しか放送できない」というどん底から東京12チャンネル(現テレビ東京)を脱出させた「逆境を逆手に取った逞しいパイオニア精神」を語ったものです。
 第1章「"番外地"育ち」では、1982年当時のテレビ業界が、「三強一弱一番外地」という言い方があったことを紹介した上で、「利益を追求しないで良い番組を放送しよう」という日立製作所の社長であり財団の会長でもある倉田主税氏の発想とロマンには共感したが、それが瓦解した理由として、
(1)真面目な番組は、それなりの視聴率を取り採算も取れるという、テレビメディアを誤解した経営戦略
(2)局の現場が何とかして普通の局に変わりたいと願う、現実的な人たちの集まりだったこと
の2点を挙げています。
 そして、開局2年後には、東京12チャンネルは「死に体。開店休業の惨状」で、「1日の放送時間が5時間半に減り、しかもそのうちの3時間は通信制工業高校講座。残りの2時間半も金や手間隙のかからないフィルム番組ばかりで、スタジオを使った番組は驚くなかれ週に4時間しかなかった」と述べています。
 また、現在のテレビ東京の「あそこは違う」という番組編成について、「私が育ってきた"番外地"のDNAが潜んでいるような気がして、OBとしては結構うれしい」と語っています。
 第2章「番外地のパイオニア精神」では、「おとなしい子が突然キレるようなもの」で70年には「ハレンチ学園」という番組で「大いに世間を騒がせた」と述べ、「結局は教育ママの圧力に屈し、視聴率30パーセントの大台目前に、あえなく半年で撤退した」が、「そんな危なっかしい企画」にのった理由は、「視聴率がほしかったから」だと述べています。
 また、「外部のプロダクションやタレントさんにとっては、実験劇場的な効用があった」として、最近の民法が深夜番組で人気が出たタレントをゴールデンに番組ごと移籍させる手法のさきがけではないかと述べています。
 第3章「女子プロレスとワールドカップ」では、「ローラーゲーム」、「女子プロレス」、「ダイヤモンド・サッカー」の登場が、「待ちと逃げの"番外地"編成から、一気にパイオニア精神にあふれた攻めの"番外地"編成に移った証」だと述べています。
 第4章「経済ニュースがお宝になり」では、テレビ東京が"番外地"を脱することができた理由として「日本経済新聞社の経営参加」を挙げ、「お手の物の経済情報を番組企画に生かせたことが大きい」と述べています。
 そして、「経済ニュースの極め付け」といえる「ワールドビジネスサテライト」が88年に誕生し、初代メインキャスターの小池百合子氏について、「『お固い』経済番組にあえて女性を起用したことが視聴者に広がりをもたらし、成功へと導いたのは間違い」ないとした上で、92年の参院選に日本新党から小池氏が立候補するときには、「予感めいたものがなかったわけではない」として、その背中に、「なんとなく緊張感というか、オーラが漂っている気がした」と語っています。
 第5章「今村監督とタブー」では、東南アジアに日本軍の未帰還兵を追ったドキュメンタリーで、彼らが帰国しなかった理由として、「子供の頃から差別を受けて育った」ことを放送することができなかったことを語っています。
 第9章「殴られた音楽賞」では、当時、年間40も開催される音楽賞ブームの中で、受賞できなかった演歌歌手のマネジャーから総合プロデューサーが殴られた事件の思い出を語っています。
 第10章「真夜中のセールスマン」では、テレビ東京を退職した著者がテレビ通販の仕事にかかわったことについて、新しく始めた深夜の通販番組「テレコン・ワールド」の成功を悲観した理由について、
(1)深夜というより早朝の時間帯に、テレビ通販の番組を見るものがいるのか。
(2)そんな時間に、電話番号をメモするものがいるだろうか。
(3)アメリカ製の吹き替えの通販番組が受け入れられるか。
(4)外国で売れている家庭用品が日本の消費者に受け入れられるか。
(5)30分で1商品を紹介する形式は日本にはなかった。
の5点を挙げたうえで、予想外のヒットの要因として、
(1)テレビの24時間放送が始まった目新しい時間であった。
(2)地方の人にも夜中の購買意欲はあったが買う場所がなかったこと。
(3)日本人がやったら受け入れられないようなインフォマーシャルもアメリカの文化として抵抗なく受け入れられたこと。
の3点を挙げています。
 そして、テレビ通販を通じて思い知ったこととして、「東京キー局の電波がもたらす『視聴量』のすごさ」を挙げ、視聴率は低くとも、「実数にすると大変な量」になると述べています。
 本書は、日本の後発テレビ局のパイオニア精神を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 子供の頃は「東京12チャンネル」は面白い番組があまりなくて馴染みのない局でしたが、いつの間にかアニメの殿堂みたいな局になっていました。
 そういえば、災害か何かで他の局は特番をやっていたのにテレ東だけはバカボンをやっていて史上最高の視聴率をたたき出したという話を思い出しました。


■ どんな人にオススメ?

・テレビ東京に愛着のある人。


■ 関連しそうな本

 原 克 『悪魔の発明と大衆操作―メディア全体主義の誕生』 2008年02月24日
 長谷 正人 『テレビだョ!全員集合―自作自演の1970年代』 2008年9月21日


■ 百夜百マンガ

封神演義【封神演義 】

 三国志にしても古代中国はいつの時代にも人気がありますが、ジャンプの読者にも受けたのは異例ではないかと思います。

2009年8月23日 (日)

白団(パイダン)―台湾軍をつくった日本軍将校たち

■ 書籍情報

白団(パイダン)―台湾軍をつくった日本軍将校たち   【白団(パイダン)―台湾軍をつくった日本軍将校たち】(#1676)

  中村 祐悦
  価格: ¥1890 (税込)
  芙蓉書房出版(2006/09)

 本書は、「1949年(昭和24年)暮れから1969年(昭和44年)初頭まで、総勢83名にも上る日本軍将校が台湾に渡り、蒋介石率いる中国国民政府軍を陰で支援してきた歴史」を紹介するものです。「彼らは全員中国名を名乗り、その活動は極秘とされてきたため、その全容についてはあまり多くの人々には知られていない」としています。
 プロローグでは、「なぜこの軍人たちは当時の社会的状況や立場を省みず、また国民政府軍の再訓練が任務とはいえ、前途が知れない内戦の渦中へ飛び込んでいった」のかについて、「彼ら全員が心を一つにしていた共通項」として、「蒋介石が敗戦国である日本員とった『怨みに報いるに徳を以ってする』という立場と、戦争責任賠償権の抛棄をはじめとした『対日寛大政策』の恩義に報いたいという一心だった」と述べています。
 そして、「『白団』の歴史は、こうした現状に照らして検証してみるに値する、戦後初の画期的で貴重な国際貢献だったのではないか」と指摘しています。
 第1章「蒋介石への報恩のために」では、「白団の生みの親」ともいえる曹士澂少将が1949年9月10日に交わした盟約が、「後に約20年間も継続され、その間歴史の表舞台には決して登場することがなかった覆面の軍事顧問団『白団(パイダン)』誕生の瞬間だった」と述べています。
 また、白団の歴史の中でも語り種となっているスリリングなエピソードとして、貨物船を使って密航しようとした、「後に台湾で"戦史の神様"と異名をとることになる本郷健」が、検査のために乗船してきた警察から隠れるために、司厨室でコックの白衣と帽子をつけ、「日本語なんか一切わからないといった感じで、ひとことも発せず芋の皮むきに精を」出していたと述べています。
 そして、「大陸にあって連戦連勝の大軍を指揮してきた」岡村寧次元支那派遣軍総司令官が、蒋介石の「怨みに報いるに徳を以ってする」という告文を知り、「はじめて完全な敗北を実感」し、中国の復興に協力する決心を固めたと述べ、「戦時には、お互いに両国合作の接点を探り続けた蒋介石と岡村寧次」が、「終戦を迎えてここに初めて日中の深い絆が誕生した」としています。
 さらに、連合国側の日本処理に対して蒋介石が強く主張した「対日寛大政策」について、
(1)天皇制の護持
(2)賠償請求権の放棄
(3)日本の分割占領問題
(4)引揚げ問題
の4点を挙げ、「このことを誰よりもよく理解し、深い感謝の念を抱いていたのは"敗軍の将"であり、在留邦人の引揚責任者であった岡村寧次だった」と述べています。
 第2章「大陸反攻のキーパーソンズ」では、蒋介石将軍が、「学生には、とにかくすべてを日本に学べ」と口癖のように言っていたが、実際には、学生を、「徹底的に論破すると、納得するより、みんなの前で小馬鹿にされて面子をつぶしたということで反感を買う」ので日本式にも限度があると述べた上で、日本への全幅の信頼が、「アメリカは武器はすばらしいけど、すべて金持ちの戦法だ」が、「われわれは中共軍から追われて台湾に退却し、兵力も少ないし兵器も金もない。だから贅沢な教育ではなくて、貧乏な国の教育でなければならないという信念があった」と解説しています。
 また、1950年5月22日にスタートした「円山軍官訓練団」について、8月には活動の舞台を石碑実践学社に移し、ここでの教育の主眼は、「一言で言えば日本の陸軍大学のように長期間にわたり高級幕僚教育を行うことであった」と述べています。
 そして、軍事顧問団の後方部隊として、資料蒐集のため、「陸海軍の俊秀をもって東京に軍事研究所」を作り、「軍事顧問団のことは伏せ、戦史・戦略・戦術についての試料の研究・蒐集」を行う秘密機関「富士倶楽部」が設立され、「その活動は、戦史や戦略論にはじまり国防問題や国際情勢といった広範な問題を研究していた」と述べています。
 第3章「『白団』その教育の実践」では、石碑実践学社の活動が、「アメリカの正規な軍維持顧問団との関係から、一般的に『地下大学』とよばれた」が、「蒋介石の白団に対する信任は以前にも増して篤く、"実践学社出身者でなければ師長以上には昇進できない"という不文律まであった」として、その大きな要因は、「日本人教官の学生に対する成績評価が公明正大であったこと」だと述べています。
 そして、その教育内容について、「少なくとも一週間に一度は、かならず徹夜になるような戦術作業の宿題」があり、アメリカや旧ソ連のような大国の軍隊に対抗するには「〈戦術〉を重視しなければならないのは当然」だったとしています。
 また、軍隊の再建には、軍隊を鍛え直すのとあわせ、「新たに若い兵士を集めるための兵役システムを確立しなければならない」として、日本から新たに派遣された第四師団の動員参謀だった山下耕と大橋策郎が、「台湾における動員のあり方」についsての講話と「動員演習」を直ちに実施する特命を受けていたと述べています。
 第4章「無名英雄たちの足跡と台湾」では、「白団の教育の成果」として、「台湾軍の深い部分に浸透し、いまなお生き続ける日本軍のシステム」として、「日本式の徹底的な精神教育によって負けた軍隊の士気が上がった」点を挙げると共に、「かつてに日本の国民皆兵といわれる制度がそのまま導入」された「動員制度の整備」を挙げ、その特徴は、「常備兵力は抑えながら訓練だけはほどこしておき、一朝、有事の際には動員令によって大軍を編成する」ものであったと解説しています。
 本書は、第二次大戦後の歴史に隠れた史実を明らかにした一冊です。


■ 個人的な視点から

 台湾は非常に過ごしやすいところであるのですが、いまだに中華人民共和国との"戦時"の国であるということを忘れてしまいがちになります。
 台湾にはいくつも戦前の日本が残されていますが、軍事システムに色濃く残されているというのは驚きでした。


■ どんな人にオススメ?

・台湾に残る"日本軍"を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 片倉 佳史 『台湾に生きている「日本」』 2009年8月 7日
 柯 徳三 『母国は日本、祖国は台湾―或る日本語族台湾人の告白』
 蔡 焜燦 『台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい』


■ 百夜百音

横浜銀蝿全曲集2009【横浜銀蝿全曲集2009】 T・C・R 横浜銀蝿 R・S オリジナル盤発売: 2008

 当時の「ツッパリ」ブームをきちんとマーケティングしてああいう格好をしていたかと思うと、結構理知的に思えてくるから不思議です。

2009年8月22日 (土)

昭和史を動かしたアメリカ情報機関

■ 書籍情報

昭和史を動かしたアメリカ情報機関   【昭和史を動かしたアメリカ情報機関】(#1675)

  有馬 哲夫
  価格: ¥798 (税込)
  平凡社(2009/01)

 本書は、「まず読者にアメリカの情報機関にはどんなものがあり、それぞれどのようなことをしたのか」を知ってもらった上で、「それらの情報機関が実際に昭和史の重要な場面で何をしたのか、そこにどうかかわったのか」を見てもらい、「インテリジェンスや情報がどのような機能を果たしたのか、あるいは果たさなかったのか」を考えさせることを目的としたものです。
 序章「アメリカ情報機関の歴史」では、アメリカ情報機関の歴史を、「軍事――のための情報収集期間から、政治戦、心理戦を含めて総合的に作戦・工作を行う情報収集・発信・工作機関へと発達していった」と述べたうえで、「現在のアメリカでは、多くノアインテリジェンス機関がひしめき合って」いて、「各インテリジェンス機関が通信テクノロジーによって互いにつながり、同じ情報を共有し活用するインテリジェンス。コミュニティを形成する方向に向かっている」と述べています。
 第1章「『ルーズヴェルトの陰謀』はあったか」では、「日本に先制攻撃させてヨーロッパの戦争に裏口から参戦するというところまでは、ルーズヴェルトのシナリオどおりだった」が、「真珠湾の奇襲とその犠牲の大きさは、ルーズヴェルトの想定外だった」と述べたうえで、「陸軍通信情報曲とその技術によるシギントは、太平洋戦争の始まり方、戦争の推移、その終わり方を大きく規定していった」としています。
 第2章「天皇制はいかに残されたか」では、「戦時情報局を使って歴史を大きく変える工作を行」った人物として、1932年から1941年まで駐日アメリカ大使を務めたジョセフ・グルーを挙げ、「日本を、戦前とは断絶したまったく別の国としてではなく、天皇制を中心とする体制を残すことによって、戦前と連続性を保った国としてスタートさせる上で大いに貢献した」と述べています。
 そして、「東郷茂徳外務大臣の依頼でグルーのもとに使わされ、日本側の内情、特に天皇が戦争に強く反対していることを教え」た日米協会会長の樺山愛輔のリークによって、「天皇が対米戦に反対したということ、そして天皇の周辺には平和主義のエリートがいることは、グルーの天皇制存置論の重要な主張の理論的根拠になった」と述べ、「日本人の多くは、昭和天皇は戦争に反対であった、だが、軍部に押し切られてしまった、と思っている」のは、「かなりの部分までグルーのプロパガンダのためだと指摘しています。
 第3章「ポツダム宣言受諾に導いた対日心理戦」では、海軍情報局(ONI)のエリス・ザカリアスが作成した作戦計画1-45という心理戦計画書について、その骨子は、
・日本の指導者たちにこれ以上戦っても望みがないと確信させること。
・日本軍の指導者たちに、日本が完全に絶滅し、奴隷化されることを免れる道があることを確信させること。
・「無条件降伏」の意味を説明すること。
・これに頑強に反対する敵の指導者たちを分裂させ、混乱させ、対立させること。
の4点であったと述べています。
 第4章「終戦を早めたダレス工作」では、戦略情報局ベルン支局のダレスが行った対日終戦工作について、
(1)この終戦工作全体のイニシアティヴをとっていたのはダレスであり、そのダレスを動かしていたのはグルーだった。
(2)この終戦工作の背景には、それ以前に行われていた戦略情報局と日本の情報機関のインテリジェンス活動があること。この意味でその端緒はこれまで言われてきた1945年5月ではなく、遅くとも同年3月までさかのぼれること。
(3)終戦工作は「幻」ではなく終戦に貢献していたということ。
の3つの観点から解説しています。
 そして、ダレスの終戦工作について、「トルーマン大統領とグルーに政策決定上のインテリジェンスを与えたという点、終戦交渉に進む際の受け皿を用意したという点、スイスの日本人を終戦工作に立ち上がらせ、本国に電報を打つなど働きかけさせたという点で、十二分に目的を果たしている」と指摘しています。
 第5章「戦後史の陰の演出者」では、参謀二部(G-2)が「占領軍として日本にやってきたとき、いったいどんなことをしたのだろうか」について、アメリカの日本占領史の大家ハワード・ションバーガーが、参謀二部の役割について、「参謀二部は日本の超国家主義者を監視するために設置されたが、実際には主に日本の左翼及び民生局や経済科学局(Economic and Scientific Section:略してESS)内の改革派アメリカ人の監視を行った」と述べていることを紹介しています。
 また、キャノン機関による鹿地亘の不法監禁事件について、「参謀二部が非合法な手段に訴えてでも、共産主義者や中国についての情報を欲しがっていたこと、また共産主義者に対する工作を仕掛けていたことを暗示する」と述べています。
 そして、「参謀二部は現在の日本人の想像を絶するような絶大な力を占領期の日本のメディアに対して持っていた」と述べています。
 第6章「テレビはいかにして日本に導入されたのか」では、「アメリカの公文書館や大統領図書館や大学図書館などの資料を基に研究」していると、「要するに、アメリカの情報公開なるものは情報戦略で、自分に都合のいい情報は出し、都合の悪い情報は隠している。あなたはアメリカに都合のいいことを書いているだけだ」という指摘を受けると述べた上で、「間接証拠」まで隠しきれるものではないとして、「複数の公文書館ないし図書館に行き、そこで複数の文書に当たって『外堀』を埋めていくならば、『本丸』に迫ることはできる」と述べています。
 また、「ユニテル・リレー網計画」というマイクロ波通信回線建設計画が、ジャクソンの心理戦委員会時代の文書の「S」のファイルに入っていることについて、この場合は「Shorikiファイル」ではないかとして、「ユニテル・リレー網計画」=「日本テレビ放送網計画」であり、この計画が、「心理戦委員会が検討し、実施を決めた非公然の工作だったという以外に考え付かない」と指摘しています。
 本書は、日本の現在の姿さえも規定するアメリカの情報機関の姿の片鱗を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 終戦前後の日本史は現在から一番違い政治の激変期ということで、いろいろ面白い要素がたくさんあるのですが、やはりアメリカの情報機関という役者は外すことができません。なにより、現代に直結しているのが大きいと思います。


■ どんな人にオススメ?

・終戦前後のアメリカ情報機関の活動を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 有馬 哲夫 『原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史』 2009年4月19日
 春名 幹男 『秘密のファイル(上) CIAの対日工作』 2006年08月24日
 春名 幹男 『秘密のファイル(下) CIAの対日工作』 2006年08月25日
 有馬 哲夫 『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』
 北 康利 『白洲次郎 占領を背負った男』 2007年04月23日
 増田 弘 『公職追放―三大政治パージの研究』 2007年12月 8日


■ 百夜百音

全曲集【全曲集】 海援隊 オリジナル盤発売: 1994

 今では金八先生のイメージばかりで語られてしまう人たちですが、こういう曲の方が顔が見える気がします。

2009年8月21日 (金)

社会ネットワーク分析の発展

■ 書籍情報

社会ネットワーク分析の発展   【社会ネットワーク分析の発展】(#1674)

  リントン・クラーク フリーマン (著), 辻 竜平 (翻訳)
  価格: ¥3360 (税込)
  NTT出版(2007/05)

 本書は、社会ネットワーク分析について、「ネットワーク研究者の人となり、そして研究者と研究者の関係、研究者の移動とそれに伴う大学における研究プログラムの盛衰を描き、それ自体が壮大なネットワークの記述となっている」ものです。
 第1章「イントロダクション」では、メインストリームの社会研究が、「個人と個人が交わり、彼らが互いに影響を与える仕組みについて考えること」である、行動の『社会的な』部分を無視している」ことを指摘しています。
 そして、社会科学分野では、「社会的行為者間の相互行為の研究に基づく構造主義的アプローチは、『社会ネットワーク分析』と呼ばれる」と述べ、その特徴として、
(1)社会ネットワーク分析は、社会的行為者を結びつける紐帯を基盤とする構造についての直感に動機付けられている。
(2)社会ネットワーク分析は、システマティックな経験データに基づいている。
(3)社会ネットワーク分析は、グラフィックイメージを利用する。
(4)社会ネットワーク分析は、数理的・計算的モデルを利用する。
の4点を挙げています。
 第2章「前史:社会ネットワークのアイディアと実践の起源」では、初期の社会学者たちが、「さまざまな形態の社会的集合体と個々人を結びつける、異なる種類の社会的紐帯を特定しようと試みた。つまり、彼らはみな社会的結合について考え、構造的視点を持っていた」と述べています。
 そして、「全体として、とくに社会学の分野で、かなり多くの先達がネットワーク分析の直感にかかわる土台を形作った」と述べています。
 第3章「社会ネットワーク分析の誕生I:ソシオメトリー」では、ジャコブ・レヴィ・モレノを「ソシオメトリー発展の立役者」だとした上で、「社会ネットワーク分析の発展におけるモレノの役割は、彼のパーソナリティの両面を考えることによって理解できる」と述べています。
 そして、「ソシオメトリーという分野の中で、現代の社会ネットワーク分析のテクニックが発展し、そして捨てられた」と述べています。
 第4症「社会ネットワーク分析の誕生II:ハーアv-ドでの最初の躍進」では、「社会構造の研究に焦点を当てた研究」が、1920年代後半にハーヴァード大学ではじまったとして、「ハーヴァードにおける取り組みは、1930年代の半ばには社会ネットワーク分析を定義する4つの特徴に近づきはしたが、すべてを含むことにはならなかった」と述べています。
 第5章「暗黒時代の社会ネットワーク分析I:1940年代」では、「この時代は、実質的に社会ネットワーク分析にとって『暗黒の時代』といえるだろう」としたうえで、クルト・レヴィンについて、その視点が、「その時代の社会科学に通用するパラダイムとして取り上げられることはなかった」ことや、「レヴィ=ストロースとヴェイユが社会ネットワーク分析に対して一般的なモデルを提供したにもかかわらず、それが社会研究の他の領域で研究する人々のイマジネーションを喚起したようにはまったく思えない」ことなどを指摘しています。
 第6章「暗黒時代の社会ネットワーク分析II:1950年代」では、ラシェフスキー、ラパポート、ランドー、ランダールや他のシカゴの数理生物学者たちが、「一般的な社会ネットワークの支店を発展させたことは明らかだ」とした上で、「不幸なことに、シカゴでの取り組みは、それがおおむね確立されようとする頃、立ち枯れ手しまった」と述べています。
 また、「1950年代半ばに、コロンビア大学の社会学者たちが、一般的な社会ネットワークの考え方を発展させた」として、「コロンビア大学における研究は、一連の新しい実質的な発見を生み出すことによって構造的アプローチの重要性を示した。最初の厳密な意味で社会学的な取り組みだった。そして、後にこの分野での多くの展開のモデルとなった」と述べています。
 そして、アルフレッド・レジナルド・ラドクリフ=ブラウンが、「人々の間の関係に基づく科学を構築するためには道具が必要だ」と論じ、「社会ネットワーク分析という分野が起こりつつあった約40年度の展開を正確に予期していた」と述べています。
 第7章「暗黒時代の社会ネットワーク分析III:1960年代」では、「いくつかの研究集団が1960年代に生まれ、視野を拡大し、新しい聴衆に紹介することに成功した」として、「そうした4つの集団を紹介」しています。
 第9章「組織化に向かって」では、「社会ネットワーク分析の一部の創始者たちの影響関係」を「PAJEK」というプログラムで分析し、社会学者のクラスターと、人類学者、地理学者、社会心理学者、コミュニケーション学者、政治学者、歴史学者、数学者と、少数の社会学者からなる「折衷的な寄せ集め(エクレクティックホッジポッジ)」の2つのクラスターが形成されていることを指摘しています。
 そして、1978年に創刊され、著者が編集長を務めた『ソーシャルネットワークス』誌について、何年にも渡って、「分野を統合するために重要な役割を果たし、幅広く引用される論文を出版した」と述べています。
 第10章「まとめといくつかの驚き」では、「分野の統一にもっとも大きな貢献をしたのはバリー・ウェルマンだ」として、ウェルマンが、「初期の会議を開催した。また、国際ネットワーク学会SNSNAを設立し、ニューズレターの編集や『コネクションズ』という雑誌の編集を行った。また、社会ネットワークコミュニティのオーガナイザーの1人であり、電子情報交換システムEIESの中心人物でもあった」と述べ、「われわれの知っている社会ネットワーク分析という分野は、バリー・ウェルマンのエネルギーと想像力がなければ存在しなかっただろう」としています。
 また、1998年に数学者スティーヴン・ストロガッツと物理学者ダンカン・ワッツが『ネイチャー』誌に掲載したスモールワールド現象に関する論文について、「ワッツとストロガッツは構造的パラダイムの一般性について論じ、彼らは他の物理学者が構造的アプローチを用いて社会現象を研究することに関心を持たせることに成功した」と述べています。
 さらに、スモールワールドの文献の引用関係について、「スモールワールド現象は、2つの異なる集合に所属する人々によって研究されていることが明らかになった」と述べています。
 本書は、それ自体がネットワークとして記述される、社会ネットワーク分析の歴史を語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 ネットワーク分析は、今でこそ一般人にも知られるものになっていますが、長い間社会学のマイナーな一分野として、マニア向けの研究としてひっそりと行われてきたのかということがわかります。
 近年のネットワーク分析ブームに対するチクリとした指摘にプライドが伺えます。


■ どんな人にオススメ?

・ネットワーク分析の歴史を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 ロナルド・S. バート (著), 安田 雪 (翻訳) 『競争の社会的構造―構造的空隙の理論』 2007年07月19日
 金光 淳 『社会ネットワーク分析の基礎―社会的関係資本論にむけて』 2006年02月28日
 ダンカン ワッツ (著), Duncan J. Watts (原著), 栗原 聡, 福田 健介, 佐藤 進也 (翻訳) 『スモールワールド―ネットワークの構造とダイナミクス』 2006年03月22日
 増田 直紀, 今野 紀雄 『複雑ネットワークの科学』 2005年11月18日
 アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日
 スティーヴン・ストロガッツ (著), 蔵本由紀, 長尾力 (翻訳) 『SYNC』 2006年04月10日


■ 百夜百マンガ

同・級・生【同・級・生 】

 トレンディドラマの原作にもなった作品。ドラマの主題歌はZIGGYのグローリアだったそうですが、当時はテレビとか見なかったのではじめて知りました。

2009年8月20日 (木)

あなたにめぐり逢うまで―ドラッカー博士を支えた妻の物語

■ 書籍情報

あなたにめぐり逢うまで―ドラッカー博士を支えた妻の物語   【あなたにめぐり逢うまで―ドラッカー博士を支えた妻の物語】(#1673)

  ドリス ドラッカー (著), 野中 ともよ (翻訳)
  価格: ¥1890 (税込)
  清流出版(1997/11)

 本書は、ピーター・F・ドラッカー博士と長年連れ添ってきたドリス・ドラッカー女史が、博士と出会うまでを語った自伝です。
 第1章「ドイツ中産階級の日々」では、第一次世界大戦への父親の出征に伴い、母方の実家に戻ってきた著者にとって、「何よりつらかったのは、突然、『時』と『原因』と『結果』というものが現れて、今までは、脈絡なくいろいろな出来事が起きていたのに、その殻の中から突然はじき出されたことだった」と語っています。
 そして、「『戦前』とは私たちにとっては計り知れないほどの大昔だった」として、「私たちにとって、戦争は、はるか昔から気づかないうちに発生していて、永久に続くものだった」と語っています。
 第2章「戦争、そして敗戦」では、「私には戦争(第一次大戦)が勃発した日を覚えてはいるが、それが何を意味するのか、理解するには幼すぎた」が、「戦争が終わったときには、4歳歳を重ねていた私は、軍隊の敗北の印を目の当たりにして大きな衝撃を受けた。あまりにショックで、人生で最も劇的な経験としていまでも強烈な印象を残しているほどである」として、フランスとベルギーで敗北したドイツ軍の「悲惨な撤退」を、「私にとって戦争の恐怖が始めて現実のものとなった」と語っています。
 また、戦後のインフレについて、「百万マルクの紙幣は裏が白いままで、片側しか印刷されていなかった。しかも発行されて一週間もたつと、もう何の価値もなくなり、私たちはそれを学校でメモ用紙代わりに使った。文房具屋でノートを買う方が高くついた」と語っています。
 第4章「『問題外です!』」では、リンドバーグの大西洋横断飛行を、大叔父の家の鉱石ラジオで聴いたエピソードを紹介した上で、「フロベルトの家の穏やかさが私には魅力だった。いつ爆発するかまったく予想のつかない、手のつけようがない母の大騒動のようなものはぜんぜん起こらなかった。フローラ大叔母は、自らの満たされない野望を、私を通じて実現しようなどとは望んでいなかった。したがって、私にプレッシャーをかけることもなかった」と語っています。
 また、母から、「おばかさんね。あなたの考えなんか聞いてないわ。あなたのために一番よいと私が決めたことを黙っておやりなさいといっているの。それから、このことを忘れないで。いったんロスチャイルド家の人と結婚しさえすれば、あなたも有名になれるのよ」、「そうだわ、キュリー夫人をお手本にしなさい。あの人のようにラジウムを発明するのよ! あなたも有名になれるわ!」といわれたことについて、「母はお金とコネさえあればなんでも自由に手に入ると信じていた」と語っています。
 第5章「大英帝国の光と影」では、著者がハンブルグのヴァールブルグ研究所長代理のフリッツ・ザクスル博士のもとで始めた仕事を、「最高に面白い仕事だった」として、「ザクスル博士の手引きで、私は古代信仰の小宇宙と大宇宙へぐんぐん導かれていった」と語っています。
 第6章「巴里、せつなき恋」では、ソルボンヌに留学した著者は、「図書館で勉強した」が、「図書館の薄汚れた窓ガラスの向こうにはパリがあった。ありとあらゆるものが、外に出て楽しく過ごさない? と手招き、いや強要しているのに、法律の教科書を開いて図書館に座っていたいと思うものがどこにいるだろう?」と語り、パリの「カフェ・ル・ドーム」で出会ったオランダ人絵描きについて、「はっとするほどハンサムな容貌の持ち主だった」、「私は彼に一目ぼれしてしまった。のぼせ上がったというか、うっとりなったというか、とにかく私は彼に夢中になってしまった」と語っています。
 そして、その絵描き、ヘイアから、「キュービックなタッチやデフォルメが目いっぱい使われていた」肖像画をプレゼントされたが、「私自身に、彼とずっと一緒にやっていける自信がなかった」として、「ほかの画家の妻たちは、血色の悪いやつれた顔をしていた。ありとあらゆることをして献身的に芸術家の夫の生活を支えていた。まだ若くて私と同年代なのにとても老けて見えた」、「夫がアトリエやコーヒー・ショップでのんびりと高尚なことを考えたり、きれいな若い娘と仲良くしている間にも、彼女たちはよその家の掃除や選択など、下女のような仕事を引き受けては、身を粉にして働いていた」、「私もその一人になりたいの? 真っ平だわ」と語っています。
 また、ドラッカー博士との出会いについて、フランクフルト大の国際法の教授が、「すこぶる弁の立つ二人の青年が勝手にゼミを進めていくのを黙って見ていた」と語った上で、「ピーター・ドラッカーと私は、初めての昼食のあと2、3度軽いデートに出かけたが、お互いへの関心は、真剣な恋愛どころか、軽い恋愛にさえ発展しなかった」と語っています。
 エピローグ「石炭庫の一夜から」では、「私が1932年の夏にオランダに向けてフランクフルトを発った時には、ピーター・ドラッカーは私の人生から消えていた。ずいぶん縁遠くなっていたので、彼にさよならさえ言わなかった」とした上で、オランダの船会社での1年間の仕事のあと、ロンドンに引っ越した著者が、ピカデリーの地下鉄の駅のエスカレーターを下っているときに、反対側のエスカレーターを上ってくるピーター・ドラッカーに出会ったときのエピソードについて、「私も手を振り、エスカレーターを上りつめたピーターは、私に会うために下りのエスカレーターに乗った。その間に下まで降りた私は、彼に会うために上りのエスカレーターに乗り換えていた。そんなゲームをもう一度繰り返したあと、どっちだったかは忘れたが、一方が頭を働かせて相手を待ち、ようやく私たちは落ち合うことができた」と語っています。
 また、著者の家に入ったところを、著者の母親に見つかったピーターが、地価の石炭庫に身を隠し、「母が案の定シラミつぶしに家捜しをしている間中、暗くて寒い穴の中にうずくまったまま、その夜の大半を過ごす憂き目に遭ったのだった」と語っています。
 そして、翌日、「石炭庫での一夜がもとで、彼が私の前から永久に消えてしまわないかと、私は心配で心配でたまらなかった」昼食の時間に会うことができたときに、「安堵のあまりわっと泣き出してしまった」、「実際、あの時、私はなぜ泣いたのだろう?」、「でもとにかく、ピーターと私は再び一緒になった。そのことのほうが、なぜ泣いたかよりも、実際にはずっと大事なことだった」と語り、一週間後、ドイツに帰る母親から、「あの極楽トンボのオーストリア人、ピーター・ドラッカーとは二度と会わないという約束、絶対に忘れるんじゃありませんよ」と諭されたが、「汽車が動き出すやいなや、件の極楽トンボがそれまで隠れていた柱の陰から出てきた。そして私たちはしっかり抱き合った」と語っています。
 本書は、戦前のヨーロッパの香りを垣間見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書のエピローグで紹介されているピカデリーの地下鉄のエスカレーターでのエピソードは、ドラッカー博士の自伝『知の巨人 ドラッカー自伝』でも語られていますが、本当にドラマチックなシーンで、ぜひ映像化してほしいシーンだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・戦前のヨーロッパの暮らしを覗いてみたい人。


■ 関連しそうな本

 ピーター F ドラッカー (著), 牧野 洋 (翻訳) 『知の巨人 ドラッカー自伝』 2009年7月30日
 P.F.ドラッカー 『ドラッカー わが軌跡』 2009年7月22日
 P.F. ドラッカー (著), 窪田 恭子 (翻訳) 『ドラッカーの遺言』 2009年7月15日
 P.F.ドラッカー (著), 上田 淳生 (翻訳) 『イノベーションと企業家精神』 2009年6月29日
 ピーター・ドラッカー (著), 有賀 裕子 (翻訳) 『マネジメントIII 務め、責任、実践』 2009年8月 9日
 P・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳) 『ポスト資本主義社会』 2009年8月13日


■ 百夜百マンガ

格闘探偵団【格闘探偵団 】

 いわゆる続編モノの一つですが、なぜ彼らが探偵に?
 キャラさえ立っていれば何でもできるいい例かもしれません。

2009年8月19日 (水)

バクチと自治体

■ 書籍情報

バクチと自治体   【バクチと自治体】(#1672)

  三好 円
  価格: ¥735 (税込)
  集英社(2009/5/15)

 本書は、「公営ギャンブルの成り立ちから約60年間に及ぶ歴史を振り返り、その功績を検証するとともに今後を展望してみる」ことを目的としたものです。
 著者は、公営ギャンブルが、「すべて戦後間もない時期に生まれ」、その目的は、「戦争で破壊された市街地の復興と、破綻寸前だった地方財政の改善」にあったとして、「公営ギャンブルは戦後の日本が生み出した大発明だった」と述べています。
 第1章「競馬場が消えた」では、1988年以来全国30場体制が続いていた地方競馬が、2001年の大分県の中津競馬の廃止をきっかけに、「雪崩を打つように全国で廃止が相次いだ」として、「理由はすべて、極度の売り上げ不振による赤字である」と述べています。
 第2章「戦後復興と公営ギャンブルの誕生」では、戦後、法に基づかない「ヤミ競馬」が全国であいついで行われ、「それぞれが自分達で勝手にルールを作って、勝手に馬券を売る。わが国の競馬史上、最も無法な時代だった。このような競馬は瞬くうちに全国に広がっていた」と述べたうえで、1946年に地方競馬法が制定されたものの、GHQから独占禁止法に抵触する可能性を指摘されるという「日本の競馬史上、最大の危機といえる一大事」を迎え、この危機を乗り切るために、政府は、「競馬を国営化、もしくは公営化」することを目論んだと述べています。
 しかし、当時、"鉄火場"そのものであった、土地の顔役に仕切られた競馬を公務員が開催するというのは「大変なことであった」として、当時の『都営競馬の回想』という資料から、「顔役に対する仁義の切り方が、競馬開催準備の中心課題となった」という証言を紹介しています。
 そして、「わが国の公営ギャンブルはすべて戦後になってから誕生している」ことについて、その最大の目的は、「戦争で荒廃した市街地の復興と破綻寸前だった地方財政の改善にあった」、すなわち、「公営ギャンブルとは戦後復興の財源を庶民から吸い上げるために生み出された巧妙なシステムだった」と述べています。
 また、1948年の自転車競技法の成立を受けて、小倉で開催された競輪が、「瞬く間に全国に普及したいった」理由として、「地方競馬の開催県はそれ以前に行われてきた競馬を継承する形となったため、既に競馬場を持っている自治体が優先された」のに対し、「1周500メートル程度の走路とスタンドがあれば、とりあえず開催することは可能」であり、「選手を集めることも容易だった」ことを挙げ提案す。
 さらに、馬券販売業務は、「戦後のヤミ競馬の時代から、『審判』『発走』『投票』は三役と呼ばれて、各地にあった馬匹組合連合会が各競馬場に専門職員を派遣していた」と述べています。
 第3章「猛烈な逆風」では、1950年9月9日に起きた、「競輪場で起きた騒擾事件の中でも最悪といわれた鳴尾事件」を取り上げ、本命選手が故障によって自転車を降りたことに一部の観客が納得しなかったため、「金網の策を壊して走路に侵入すると、大勢の観客が一気に暴徒と化した。払戻所の窓ガラスが投石によって割られ、なかにいた女子従業員6名が負傷。さらに、万一に備えて待機していた消防車を横転させ、ガソリンを抜き取るとスタンドと払戻所に放火するという悪質ぶりだった」と述べ、騒ぎを収めようとした警察官が威嚇のために発砲したところ、1発が観客に命中して即死し、「騒乱罪容疑で逮捕された者は約250人に上った」と述べています。
 また、1959年6月23日に松戸競輪場で行われた千葉県営競輪第1回5日目の第11レースでは、連勝式車券で17880円の大穴が飛び出し、本命と対抗の選手に対して1年間の出場停止などの処分が発表されると、一部のファンから「レースをやり直せ」などの声が上がり、納得しないファンが、「暴徒と化し、事務所に乱入するなどの大きな騒ぎとなった」上、夜遅くまで場内にファンが居残り続けたため、千葉県自転車振興会の役員が、「残留していたファンに1人当たり千円の『車代』を支給することを決定。1721人に支給」したことを紹介し、「一部の要求に屈し、多額の現金を支給したことは大きな禍根を残した」と述べています。
 そして、こうした一連の不祥事を受け、1958年12月に自民党政務調査会のなかに「公営競技特別委員会」が設置され、内閣総理大臣の池田勇人に当てた答申書は、会長である長沼弘毅にちなんで「長沼答申」と呼ばれ、関係者からは「公営競技の憲法」として畏れられたと述べています。
 第4章「東京都の撤退」では、1966年投じ、東京都内における公営競技上の数は、競馬1、競輪3、競艇3、オートレース1の8箇所、主催者の数は32にのぼり、「おそらくダントツで世界一の『ギャンブル都市』だった」と述べたうえで、1969年に、美濃部亮吉東京都知事が、東京都が主催する公営ギャンブルの廃止を宣言し、その理由として、
(1)革新都政は清潔であることが眼目であり、ギャンブル収入で社会福祉事業をすることは眼目と矛盾する。
(2)税収入については、都知事に改善を図る権限はないが、知事のできる範囲で支出面ばかりでなく収入面も合理化、近代化、民主化を図るべきである。
(3)不合理な税の再配分、超過負担をギャンブルの収入で補うことは、自治体財政の正しい姿ではない。
(4)ギャンブルの中でも、ことに競輪は低所得者層を相手に行われているので、これから生じる弊害を無視できない。
(5)ギャンブルは社会的郊外の一種であると考えている。公害除去を来年度の主要課題としているので、その公害であるギャンブルも自ら姿勢を正さなければならない。
の5点を挙げ、その声明は、「たちまちさまざまなところで大論争を巻き起こした」と述べています。
 そして、当時の公営ギャンブルファンについて、ファンが騒ぐ騒擾事件も相次ぎ、「つくづく懲りない人たちだった」として、「『投石→放火』『機動隊と消防車』というのが『お約束』だった」と述べています。
 第5章「公営ギャンブルはどこへ行く」では、「公営ギャンブルの側が市民権の獲得に積極的に動かなかった」ことの象徴的な出来事として、2002年頃に、奈良県の広報紙「県民だより」に「県営競輪の開催日程が掲載された」ことが「奈良県では前代未聞だった。いや、競輪や協定の日程が自治体の広報に掲載されるなど、まずありえないことだった」として、「公営ギャンブルの主催者がそれを積極的にアピールすることは、それほどにタブーだった」と述べています。
 また、「全体の売り上げが半分以下にまで縮小したというのに、競輪場の数がほとんど減っていないのは異常といえないだろうか」とした上で、「競馬も競輪も、赤字になってしまうと自治体にとってはとたんに『お荷物』になってしまう。しかし、かつては収益をあげ、それによって学校や病院が建てられ、道路や公園が整備されてきた」ことに関して、「そこで生活の糧を得ていた人々の補償問題」が必ず持ち上がると述べ、対象は、
(1)騎手、調教師、厩務員など公営ギャンブルそのものの成り立ちを支えてきた人たち。
(2)投票窓口に代表される開催従事員と呼ばれる人々。
の2点だと述べています。そして、「かつては地方競馬は自治体の財政に大きく貢献してきた。それを支えてきたのは自分たちではないか」という主張について、「たしかにそれは間違いではない。だがそれは、彼ら自身がそこで生活の場を得ていたということではないのか」と指摘しています。
 さらに、「日本で生まれた競技スポーツとしての競輪や競艇やオートレースをなくしてしまうことは、絶対にさけなくてはならない」として、「公営ギャンブルの民営化」、すなわち、「各地の自治体ごとに別れていた主催者を、一つの民間法人に集約して開催する」、「競馬のJRA方式にしてしまう」ことを提案しています。
 本書は、自治体とギャンブルというよく考えると不思議な組み合わせが生まれてきた経緯を説明してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 自治体が競馬や競輪をやっていることについて、子供の頃から不思議な感じがしていました。また、戦後の財政逼迫を支えるためにギャンブルを導入したというのも不自然な感じがしていましたが、競馬に関してはもともとヤミ競馬が開催されていたのを自治体が取り込み、競輪やオートレースは自治体が生み出した、という経緯を知ると少しすっきりします。


■ どんな人にオススメ?

・自治体がなぜバクチに手を染めたのかを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 佐々木 晃彦 『公営競技の文化経済学』 

■ 百夜百マンガ

実録!関東昭和軍【実録!関東昭和軍 】

 「ギャンブルレーサー」が代表作ですが、野球漫画ももう一つの流れになっています。もちろん清く正しく野球をするはずもないですが。

2009年8月18日 (火)

手塚先生、締め切り過ぎてます!

■ 書籍情報

手塚先生、締め切り過ぎてます!   【手塚先生、締め切り過ぎてます!】(#1671)

  福元 一義
  価格: ¥735 (税込)
  集英社(2009/4/17)

 本書は、「30年以上に渡りマンガ編集者、同業者(漫画家)、そしてチーフアシスタント」として、巨匠・手塚治虫の「創作活動を見つめ、作品に関わってきた稀有な経歴の持ち主」である著者が数多くの「手塚伝説」を語ったものです。
 第1章「編集者時代」では、少年画報社にんみゅうしゃしていきなり手塚治虫の担当を任された著者の実際の仕事は、「作家の見張り役兼原稿運び担当」のようなもので、「とくに手塚先生は、常に編集者が側にいて監視していないと、締切が競合する他社の原稿を描き出すので油断もスキも」な買ったと語っています。
 そして、著者が始めて手塚先生に出会ったときの印象として、「漫画家というと、もっと高年齢の『画伯』というイメージを持っていた」が、「こんなに若い人なのか!」と驚いたことを語っています。
 また、著者自身が、手塚番編集者と並行して、原稿の手伝いもしていたことから、「実質的な手塚治虫のアシスタント第1号」だったのではないかと語っています。
 第2章「漫画家時代、そして手塚プロ入社」では、少年画報社を退社して漫画家として独立した著者が、テレビの悪書追放の番組を見ていたら、「悪いマンガの例」として、著者の『轟名探偵』の扉絵が大写しになり、読者の少年からも、「『轟名探偵』は怖いから早くやめてください」と言われたことを語っています。
 そして、『赤胴鈴之助』などで人気の武内つなよし氏の「プレイングマネージャー」を努めていた著者が、「手塚先生が、"福元氏が作画を手伝ってくれるなら新連載をやってもいい"と言っている」との依頼を少年画報社から受け、このときに、『マグマ大使』の連載を手伝ったことを語っています。
 また、1960年代以降の劇画の台頭の影響で、手塚先生も、「これまでにはありえなかった雑誌にも作品を描き始め」田として、「女性自身」にも短編を描いたことを紹介しています。
 第3章「手塚プロ・高田馬場時代」では、手塚先生の「雲隠れ事件」の例として、イベントで北海道に行った先で行方不明になり、その翌日の夕刊に、徳島で「他の漫画家たちと一緒に『阿波踊り』を踊る先生の写真が載っていた」と語っています。
 また、手塚先生が、「空港に向かう車の中や、広島のアニメフェスティバル会場近くのホテルでも原稿を描いていた」ことについて、「下敷きに使用していた雑誌『アサヒグラフ』」の、「厚さ・硬さ等に非常にこだわりがあって、必ず使い慣れたものを持っていき、その辺で買ってきたばかりのような新品では絶対にダメ」だったと語っています。
 そして、昭和59年11月に開催された「手塚治虫40年お礼の会」の5日後、帝国ホテルで倒れられたことについて、目を覚ました先生は、「福元氏、入院したら読者から忘れられてしまわないかね」と、「自分の体のことよりも人気の方が心配になるとは」とはと、「あらためて作家の業を感じ」たと語っています。
 第4章「『アドルフに告ぐ』の時代」では、手塚先生の絶筆となった『ネオ・ファウスト』について、「最期のその時まで『頼む、仕事をさせてくれ!』と死の床で起き上がろうとされた」エピソードについて、「原作『ファウスト』の著者であるゲーテが臨終の床で、『もっと光を!』と言って亡くなった話とオーバーラップして、強烈な感動を受け」たと語っています。
 そして、手塚先生の死後、「アサヒグラフ」に連載した『手塚治虫物語』の最終回を脱稿した1991年7月10日午前0時30分に、「ずっと先生に寄り添ってきた手塚プロ漫画部はその役目を終え、解散となった」と語っています。
 本書は、「漫画の神様」を側で見てきた貴重な証言集です。


■ 個人的な視点から

 昔の漫画では、人気漫画家の原稿を取りにくる編集者というのがよく描かれていて、ドラえもんでもフニャコフニャオの原稿を取りに、階段に鈴なりに腰掛ける編集者が描かれています。
 最近はさすがにそこまで手広く描いているのは少なく、四コマ漫画家くらいなのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・漫画の神様の素顔を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 手塚 治虫 『ぼくはマンガ家―手塚治虫自伝』 2005年05月28日
 中野 晴行 『謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影』 2007年07月28日
 うしお そうじ 『手塚治虫とボク』 2007年10月06日
 堅 信之 『アニメ作家としての手塚治虫―その軌跡と本質』 2007年11月4日
 竹内 オサム 『手塚治虫―アーチストになるな』 2008年10月18日
 小野 卓司 『描きかえられた『鉄腕アトム』』 2009年6月 8日


■ 百夜百マンガ

マグマ大使【マグマ大使 】

 テレビで特撮を見た人は相当多いと思いますが、原作の開始に当たって出版社にサポートを求めていたとは知りませんでした。

2009年8月17日 (月)

買物難民―もうひとつの高齢者問題

■ 書籍情報

買物難民―もうひとつの高齢者問題   【買物難民―もうひとつの高齢者問題】(#1670)

  杉田 聡
  価格: ¥1680 (税込)
  大月書店(2008/09)

 本書は、状況によっては高齢者をしに至らしめる困難である「高齢者の買い物問題」を論じたものです。
 第1章「買物難民の出現」では、「商店街の衰退・都市の変貌は、人に、中でももっとも弱い人々に、しわ寄せをもたらした」として、特に、「買物難民層」が広範に生まれたことを指摘しています。
 そして、「商店(街)の衰退を通じて、周辺に暮らす高齢者の生活に大きな困難がもたらされている」として、スーパーや個人商店の弊店が相次いだ結果、「買物のために超えなければならない距離」がおよそ二倍になったと述べています。
 第2章「買物難民はどう生きるか(一)」では、「高齢者は全体として『買物自体が非常に疲れる』という思いを持つことが多い」として、「買物に行った翌日は、ほとんど半日の間、疲れが残って何もすることができない」という声を紹介しています。
 第3章「買物難民はどう生きるか(二)」では、ある女性が、「歩きが大変で買物にはあまり行きません。大型店舗は広すぎて目まいがします」と語っていることを紹介し、「大型店・量販店の側に高齢者に対する配慮が欠けていると言わざるを得ない」と指摘しています。
 そして、高齢者が大型店で感じる最大の苦労として、「商品をいかに家まで運ぶか」を挙げ、「配達が無料だったとしても、配達のためには一定額の商品購入が条件となっている」が、「高齢者、ことに一人暮らしの高齢者は、ふだん2000円を超える買物はあまりしないのではないか」と述べています。
 第4章「買物難民はどう生きるか(三)」では、高齢者が「あり合わせでしのぐ」ことは、「健康にとって決して望ましいことではない」として、「高齢になろうと日々の健康の源泉は、適度な運動を別とすれば、やはり十分な栄養である」と述べています。
 また、同じ高齢者でも買物難民にならない人の条件として、
(1)商店(街)まで(比較的)近い。
(2)そうでなかったとしても、健康であるがゆえに歩いてあるいは自転車などで買物にいける。
(3)自ら車あるいはバイクを運転できる。
の3点を挙げ、「第1、第2の理由だけで7割の人は、買物難民となることから免れている」として、「商店(街)が近くにある、あるいは(当人の健康状況から言って)比較的近くにあることが、決定的に重要」だと述べています。
 第5章「買物難民を支える人たち」では、「高齢者の生活を支えようと、たくさんの人たちが努力を惜しまずにいる」として、
(1)食料品を高齢者まで届ける。
(2)高齢者を商店(街)・スーパーなどに移送する。
(3)商店・スーパーが高齢者の居住地で販売する。
(4)商店そのものを高齢者の居住地に作る。
の4点を挙げています。
 そして、宅配を試みる例について、「共通なのは、担い手自らが、地元の高齢者を含む買物難民層のために何とか力になりたいという、非常に強い思いを抱いていること」を挙げています。
 第6章「何ができるのか」では、高齢者が商店街を利用する理由として、「商店街ならバスやタクシーを使わずに買物にいける」という理由を挙げ、「症手院外でたいていのものが手に入る」と述べています。
 そして、「商店街は高齢者にとっての命綱(ライフライン・生命線)であり、社会資本である」として、「個々の商店主には、商店の営業を単なる商業活動ではなく、社会資本の構築・維持という意味を有する営みと、理解していただきたい」と述べています。
 また、政府に対しては、「都市を『高齢者仕様』に変える必要がある」と主張しています。
 本書は、高齢者が社会の中心となる21世紀の日本の大きな課題を示した一冊です。


■ 個人的な視点から

 実家のほうに行くと、そもそも昔から「商店街」なんてなく、ポツリポツリと「商店」あっただけでしたが、それもだいぶ数が減ってしまいました。


■ どんな人にオススメ?

・商店街が近くにある都会の暮らしにあこがれる人。


■ 関連しそうな本

 矢作 弘 『大型店とまちづくり―規制進むアメリカ,模索する日本』
 中沢 孝夫 『変わる商店街』


■ 百夜百マンガ

東京まんぷく商店街【東京まんぷく商店街 】

 グルメスポットとしての商店街というのは楽しくていいです。何より注目されますし。商店街といえば柳ヶ瀬商店街の非公式キャラ「やなな」はなんだか見ていると寂しい気持ちになります。
http://www.youtube.com/watch?v=u6w038-0eOg

2009年8月16日 (日)

明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命

■ 書籍情報

明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命   【明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命】(#1669)

  P.F. ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  ダイヤモンド社(1999/03)

 本書は、「21世紀の現実」を標榜し、「明日の生死を分ける致命的な問題だけを示した」ものです。
 第1章「マネジメントの常識が変わる」では、「1930年代にマネジメントの研究が始まって以来、学者、評論家、実務家の間では、2組の前提が当然のこととされてきた」として、「組織運営上の前提」としては、
(1)マネジメントとは企業のためのものである。
(2)組織には唯一の正しい構造がある(あるいはあるはずである)。
(3)人のマネジメントには唯一の正しい方法がある(あるいはあるはずである)。
の3点を、「事業経営上の前提」としては、
(4)技術と市場とニーズはセットである。
(5)マネジメントの範囲は法的に規定される。
(6)マネジメントの対象は国境で制約される
(7)マネジメントの世界は組織の内部にある。
の4点を挙げ、「今では、これらの前提のすべてが陳腐化し、無効となっている」と指摘しています。
 そして、(3)に関しては、「フルタイムの従業員さえ、これからはボランティアのようにマネジメントしなければならない。彼らは有給ではあるが、彼らには組織を移る力がある。実際に辞められる。知識という生産手段を持っている」として、「とくにこれからは、人をマネジメントすることは、仕事をマーケティングすることを意味するようになる」と述べています。
 また、(4)に関しては、「今後マネジメントは、技術とその用途を基盤とすることはできなくなった」として、「マネジメントが基盤とすべきは、顧客にとっての価値であり、支出配分についての顧客の意思決定である」と述べています。
 第2章「経営戦略の前提が変わる」では、これからの時代にあって、確実なものとして、
(1)先進国における少子化
(2)支出配分の変化
(3)コーポレート・ガバナンスの変容
(4)グローバル競争の激化
(5)政治の論理との乖離
の5点を挙げたうえで、(1)に関して、「出生率の低下は、政治的、社会的に、今日ではまだ予測しきれない規模の影響をもたらす」が、「それを機会とすることは可能である」と述べています。
 また、(2)に関しては、「成熟産業では、いくつかの的を絞った重要な分野、とくにコストと品質が意味を持つ分野でのリーダーの地位に立つ経営が必要となる。柔軟性と変化のための経営が必要となる。さらにはニーズの満足の変化に適応できる経営が必要となる。さらにはニーズの満足の変化に適応できる経営が必要となる。したがって、提携、パートナーシップ、合弁が必要となる」と述べたうえで、「企業、非営利組織のいずれにおいても、経営戦略は消費者の支出配分の変化を知り、これに対応しなければならない」と述べています。
 第3章「明日を変えるのは誰か」では、「急激な構造変化の時代にあっては、生き残れるのは、自ら変革の担い手、チェンジ・リーダーとなるものだけである」とした上で、チェンジ・リーダーの条件として、
(1)体系的廃棄――すでに行っていること、すでに行っている方法
(2)組織的改善(カイゼン)
(3)成功の追求
(4)イノベーション
の4点を挙げています。
 一方で、チェンジ・リーダーにとってのタブーとして、
(1)現実と平仄の合わないイノベーションを手がけること。
(2)真のイノベーションと単なる新奇さを混同すること。
(3)行動と動作を混同すること。
の3点を挙げています。
 第4章「情報が仕事を変える」では、トップ経営陣には、「情報についての新しい定義」と「新しいコンセプト」が欠けていたとした上で、今日の情報革命が、人類史上では、
(1)文字の発明
(2)書物の発明
(3)活版印刷・彫版の発明
に続く4度目のものだと述べています。
 そして、「企業が収入を得るのは、コストの管理ではなく、富の創造によってである」という当たり前のことが、「これまでの会計には反映されていない」ことを指摘し、富の創造のためには、
(1)基礎情報
(2)生産性情報
(3)強み情報
(4)資金情報を人材情報
の自社に関する4種類の情報が不可欠であると述べています。
 また、仕事に必要な情報を手にするためには、
(1)共に働く者や部下に対し、提供すべき情報は何か。それは、いかなるかたちで提供すべきか。いつまでに提供すべきか。
(2)自分が必要とすべき情報は何か。それは、誰からか。いかなるかたちでか。いつまでにか。
の2つの視点から取り組む必要があると述べています。
 第5章「知識労働の生産性が社会を変える」では、フレデリック・テイラーが、「肉体労働に関心を持ち、研究を行った10年後には、彼のおかげで、肉体労働の生産性が始めて伸び始めた」として、「このテイラーの偉業が、20世紀における経済と社会の発展のすべての基盤となった」と述べています。
 そして、「仕事を分析したテイラーが発見したものは、ヘイオドス、ウェルギリウスからカール・マルクスにいたる詩人や思索家が口にしていたことに、ことごとく反していた、彼らは技能を神聖視していた」として、テイラーが、「かつての詩人や思索家の光栄たる当時の文化人や知識人、すなわち自らはまったく肉体労働の経験を持たない人たちの反感を買った。彼は仕事にまつわるロマンを壊した」と述べています。
 また、知識労働の生産性を向上させるための条件として
(1)仕事の目的を考える。
(2)働くもの自身が生産性向上の責任を負う。自らをマネジメントする。自立性を持つ。
(3)継続してイノベーションを行う。
(4)自ら継続して学び、人に教える。
(5)知識労働の生産性は、量よりも質の問題であることを理解する。
(6)知識労働者は、組織にとってのコストではなく、資本財であることを理解する。知識労働者自身が組織のために働くことを欲する。
の6点を挙げています。
 さらに、知識労働者の中で最も多いのが、「知識労働と肉体労働の両方」を行う「テクノロジスト(高度技能者)」だと述べ、「彼らテクノロジストこそ、先進国にとって唯一ともいうべき競争力要因であり続ける人たちである」として、「これまでの100年間は、肉体労働の生産性向上に成功した国や産業が世界経済のリーダー役となった」が、「これからの50年間は、世界経済のリーダー役となるのは、知識労働の生産性向上に成功した国や産業である」と述べています。
 第6章「自らをマネジメントする」では、「これからはますます多くの人たち、とくに知識労働者のほとんどが、自らをマネジメントしなければならなくなる」とした上で、「知識労働者たるものは、これまでは存在しなかった問題を考えなければならなくなる」として、
(1)自分は何か。強みは何か。――フィードバック分析、自分は読む人間か、聞く人間か。自らを変えようとしてはならない。
(2)自分は所をえているか。
(3)果たすべき貢献は何か。――(1)状況が求めるもの、(2)自らの強み、仕事の仕方、価値観、(3)成果の意義。
(4)他との関係において責任は何か。
(5)第二の人生は何か
の5点を挙げています。
 付章「日本の官僚制を理解するならば」では、アメリカの対日政策の前提となっていた、
(1)政策決定や行政指導に見られる官僚主導は、日本に独特のものである。
(2)官僚を権力者から公僕に変えることは難しくない。政治的な意思さえあればできる。
(3)官僚主導は、先進国社会には必要ない。民主主義にとっても好ましくない。
(4)規制緩和への抵抗、特に金融分野での抵抗は、官僚の支配欲によるものであって、その害たるや甚大である。
(5)結局、賢明な日本は、アメリカと同じように経済原理に従うようになる。
の5点について、「いずれも間違っているか、眉唾だった」と指摘した上で、「日本の官僚がいかに考え、いかに働き、いかに行動するかを理解する上で必要なことは、日本にとっての優先順位を知ることである」と述べています。
 そして、「日本の社会が強固か脆弱かは、ここでは問題にしない。重要なことは、日本が社会を最重視することを当然としていることにある」と述べています。
 本書は、21世紀前半の社会を予見した一冊です。


■ 個人的な視点から

 今から約10年前に出版された本書に書かれていることは、まだ出版されてからの年数が短いからなのか、今読むからなのか、さっと読むと結構当たり前のことが書いてあるような気がするのですが、10年前に本書のように断言してしまうことは相当の分析があったことと思います。それと同時に、後10年後に読んだときに本当のすごさがわかるのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・21世紀はどういう社会になっているか知りたい人。


■ 関連しそうな本

 P・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳) 『ポスト資本主義社会』 2009年8月13日
 ピーター・ドラッカー (著), 有賀 裕子 (翻訳) 『マネジメントIII 務め、責任、実践』 2009年8月 9日
 P.F.ドラッカー 『ドラッカー わが軌跡』 2009年7月22日
 P.F. ドラッカー (著), 窪田 恭子 (翻訳) 『ドラッカーの遺言』 2009年7月15日
 P.F.ドラッカー (著), 上田 淳生 (翻訳) 『イノベーションと企業家精神』 2009年6月29日


■ 百夜百音

うたううあ【うたううあ】 UA オリジナル盤発売: 2007

 NHK教育の非常に楽しい番組「ドレミノテレビ」内で歌われた曲を集めたアルバム。ちゃんとDVDも出てはいるのですが、こういう番組こそ何度となく再放送してほしいものです。

2009年8月15日 (土)

もっと時間があったなら!―時間をとり戻す6つの方法

■ 書籍情報

もっと時間があったなら!―時間をとり戻す6つの方法   【もっと時間があったなら!―時間をとり戻す6つの方法】(#1668)

  シュテファン クライン (著), 平野 卿子 (翻訳)
  価格: ¥1785 (税込)
  岩波書店(2009/01)

 本書は、「時間に追われるのではなく、時間を支配して豊かな人生を生きることを勧めている」モノです。著者は、本書のテーマを、「時間の持つ隠れた特質」であるとして、「時間の意識の仕方、及びもっと注意深く時間を過ごすための方法に焦点を」当て、「私たちが体感する時間は、外界だけでなく、私たちの意識を通して生じる現象でもある」として、「この感覚は、その二つ――周りの世界と脳――が一緒に働くことで起きる」、「最新の脳科学研究によって、私たちの近くや週刊は変えられるものだということもわかっている」と述べています。
 そして、「時間の感じ方はひとえに私たち自身にかかっている」としています。
 第1章「二十五時間」では、外界から完璧に切り離された洞窟における私たちの時間感覚を験した実験として、1962年にフランス人のM・シフルが、61日間のあいだ深さ130メートルの洞窟で過ごした実験を紹介した上で、「私たちの頭の中では隠れた時計が時を刻んでおり、体のあらゆる動きを支配し、昼夜を通じて正確に私たちを導いている」と述べています。
 第2章「フクロウとヒバリ」では、「体内時計は私たちの体のあらゆる活動を指示している」として、体内時計の周期が24時間半かそれ以上ならば、朝に弱いフクロウ型、24時間ならば、夜にすぐ眠くなるヒバリ型だと述べています。
 第3章「秒に対する感覚」では、「私たちの脳は体の動きを百分の一秒まで正確にコントロールできるというのに、時刻や時間の長さを推測するのは苦手だ」と述べています。
 第4章「ヒッチコックのだまし方」では、「時間の感じ方に最も強い影響を及ぼすのは注意力である」として、「時間に対する感覚は自動的なものではなく意識的な行為だ。ということは、私たちは時間の感じ方を捜査できることになる」が、「時間は引き伸ばせるものだということを意識している人は少ない」と述べています。
 第5章「時間の原子」では、「人間が認識できる最も短い時間は、『現在』という名の時間の粒子だと考えられる」と述べたうえで、「ワーキングメモリーはおよそ2秒後に消え始める」ため、「一般的にいって、数字を繰り返し記憶できるのは、それが3秒以内で発音できる場合だ」と述べています。
 第6章「一日中考えていたのはお菓子のこと」では、「あることがさまざまに私たちに働きかけ、ほかの事をあっさりと忘れてしまうほどの強い感銘を受けたとき、私たちは完全に現在と向き合うことになる」と述べ、心理学者のチクセントミハイを有名にした「フロー」状態の研究を紹介した上で、「重要な要素は作業内容にあるのではなく、脳の情報密度がベストの状態にあることだ」と述べ提案す。
 第8章「7年間が一瞬のように」では、「私たちが時間の長さだと感じるものは、要するに情報の量なのだ。しかも意識的に見たり聞いたりしたものに限る」とした上で、テレビをはじめとするさまざまなメディアが、「ひょっとしたらもっと楽しく過ごせたはずの時間を奪うだけではなく、私たちの人生に記憶のない部分をつくり出す。大げさに言うと、人生を短くしてしまうのだ」と述べています。
 また、「思春期を過ぎるとまもなく、それまで渋滞していた時間が加速し始める」として、「年をとればとるほど、時間が速く過ぎるように思える」ことについて、「内なる時間が速く過ぎるようになるのは、記憶の操作と関係があるらしい」と述べ、「年をとるにつれ時間がたつのがどんどん速くなるのは、私たちが多くを学んだことに対する代償とも言える」としています。
 第9章「スピードという麻薬」では、「真の時間泥棒」として、
(1)ものごとに集中できないこと
(2)ストレス
(3)モチベーション
の3点を挙げ、「原因はむしろ私たちにある」と述べています。
 第10章「過剰な人生」では、「絶えず時間がないと感じることの背景には、もっと深い原因がある」として、「私たちの感じ方と考え方」を挙げ、「たえずせかされていると注意力が散漫になり、物事に専念しにくくなる。その結果、いったい何をして一日過ごしたのか自分でもわからなくなる」と述べています。
 また、「時間管理セミナーで使われる魔法の言葉」である「マルチ・タスキング」――すなわち、同時の二つ以上のことをこなすことについて、「時間を無駄にする最たるもの」として、「ワーキングメモリーの収容能力がとても少ない」ため、「私たちの頭は中断に対してからきし弱い」ことから、「二つの単純な事柄を同時進行でやろうとすると著しく能率が落ちる」ことを指摘しています。
 そして、「どうしたら時間をうまく使えるか」について、
(1)するべきことをリストアップする
(2)リストのそれぞれの項目を区分けする方法を考える
(3)今取り組んでいることと無関係なことが頭に浮かんだら、その場で書き留めて、元の作業に戻る。
の3つのステップからなるアドバイスを紹介しています。
 第11章「もうひとつの時計」では、「集中できないことに告ぐ時間泥棒」であるストレスから逃れるには、「運動すること」だとして、「運動はストレスホルモンを再び物事に集中できるレベルに戻してくれる。だから結果的に、運動のために失われる時間よりずっと多くの時間が得られることになる」と述べた上で、「そんなことをしている時間はない」と思ってしまうことは、「時間がないとストレスになるという考えが染み付いている」からだと指摘し、「これは大きな間違い」で、「時間がないことはストレスにはならない。ストレスがあるから時間がなくなるのだ」と述べています。
 また、「時間の使い方を自分で決めることのできない人は早死にする」として、「無条件で他人のリズムに合わせなければならないとき、私たちは無力感を感じ、それがストレス反応を起こすのだ」と述べ、「昔より自由時間が減ったわけではないのにストレスを訴える声が大きくなっているのは、コントロールできないことにも原因があるのではないだろうか」と指摘しています。
 第12章「時間を支配する」では、「時間の使い方においては、外からの強制が少なければ少ないほど、モチベーションが重要になる」として、「脳がやりがいのある目標を見つけると、いわゆる『報酬のシステム』が働き期待のためにニューロンが活性化する」と述べています。
 そして、「金持ちが時間に終われる理由」として一般に言われている、「裕福な人たちは、他の人たちより忙しい」という理由は適当ではなく、「したいと思ったことができないのは、時間より、お金がないのが原因だということが多い」ことから、「裕福な人間には多くの可能性がある」ため、「時間がないことを痛感する」のだと述べています。
 エピローグ「時間の新しい文化」では、「問題は、時間が足りないことではなく、時間の扱い方がよくわからないことにある」と述べ、「私たちに必要なのは、『時間の新しい文化』、つまり時間に対するまったく新しい視点」だとしています。
 そして、時間との新たな付き合いをするためのステップとして、
(1)時間の主導権を握る
(2)自分の体内時計を知る
(3)余暇をつくり出す
(4)感覚をとぎすます
(5)集中する訓練
(6)本当の優先順位は?
の6つの段階を挙げています。
 本書は、時間に対する新しい視点を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 年をとって月日が早く感じるのは、日に日に集中してできることが減っているからなのか、すっかりあっという間に過ぎていくような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・時間が足りないと思う人。


■ 関連しそうな本

 シュテファン クライン (著), 平野 卿子 (翻訳) 『幸せの公式―人生を楽しむ「脳力」を育てましょう』


■ 百夜百音

みんなのうた45周年ベスト曲集~北風小僧の寒太郎/山口さんちのツトム君~【みんなのうた45周年ベスト曲集~北風小僧の寒太郎/山口さんちのツトム君~】 TVサントラ オリジナル盤発売: 2006

 真夏だというのになぜか冬の歌を紹介してしまいます。歌ってるのは堺正章。途中で地名が出るのですが、越後湯沢から高崎へと国道17号を南下してくる寒太郎はなかなかの健脚(剣客?)です。

2009年8月14日 (金)

振仮名の歴史

■ 書籍情報

振仮名の歴史   【振仮名の歴史】(#1667)

  今野 真二
  価格: ¥735 (税込)
  集英社(2009/7/17)

 本書は、「振仮名の歴史探訪の旅」であり、「ひいては『日本語の歴史探訪の旅』の好いガイド・ブックとなること」を目指したものです。
 「はじめに」では、振仮名は「単なる『読み』にとどまらない面」を持ち、「『読み手』の立場から振仮名を捉えることもできるし、『書き手』の立場から振仮名を捉えることもできる」としています。
 第1章「振仮名とはなにか」では、「複数の文字を使っていることが振仮名とふかくかかわっている」とした上で、「いろいろな意味合いで、『漢字で書きたい!』という欲求が強く根付いていた」ことが、「振仮名を考える場合の鍵の一つになる」と述べています。
 また、コミックスに見られる振仮名について、「絵がある分だけ、文字が担う情報量が少なくなっている」として、「文字の負担が軽いということは、通常の規則からの逸脱も許されやすいということでもある」と述べています。
 第2章「平安時代から室町時代までの振仮名」では、「中国語で書かれた『日本書紀』を、中国語がわからない人が何とか理解する」ために、「『漢文』を学ぶ際に現在も使われている『返り点』や送り仮名、振仮名なども含めた『訓点』が使われるようになった」として、可能性の一つとして、「中国語分につけられた振仮名が、振仮名の起源の一翼を担った」のではないかと述べています。
 そして、「『読み』はその漢字をどのような日本語に『還元』すればよいか、いいかえればどのような日本語と結びつければよいのかということで、これは『理解』すると言うことでもある」と述べています。
 第3章「江戸期の振仮名」では、平安期の振仮名は、「読みとしての振仮名」と見ることができるが、室町末期ごろには、「『表現』とかかわる振仮名が生まれつつあることが分かった」とした上で、「読本」の代表作品とも言える『南総里見八犬伝』では、「右振仮名は平仮名、左振仮名は片仮名で書かれていて、左右の位置の違いが、平仮名、片仮名の違いに対応している」と述べています。
 また、「漢語を使わないこと」もできる「草双紙」にあっても、「漢語を使い、それを漢字で書き、振仮名を付けた」ことについて、「やはり『漢字で書きたい!』のだ」として、「日本語を『漢字で書く』という志向の潜在的な強さ」を指摘し、「日本語を『漢字で書きたい!』という志向、欲求は顕在的にも潜在的にも、なおつよくあり、それにともなって振仮名もさまざまな様相を見せている」として、「『表現としての振仮名』が『読本』を例として示したように、『開花』した時期でもある」と述べています。
 第4章「明治期の振仮名」では、振仮名のことを指すこともある「ルビ」について、約5.5ポイントの活字を表す英語「ruby」からきたもので、日本では和文本文用の5号活字(約10.5ポイント)の振仮名用として使用された小型活字7号に近かったので、「日本の振仮名用活字をルビーと呼ぶようになり、そこから転じて振仮名そのものを『ルビ』とよぶようになった」と解説しています。なお、現在コンピュータで文字を表示する際にデフォルトになっている10.5ポイントのフォントサイズは、5号の活字ということになると述べています。
 そして、「現在であれば振仮名は著者自身が付けたものか、または著者以外の人が付けたとしても最終的には著者の了解のもとにつけられていると考えられる」が、「総ルビ」に近い状態の明治期の出版物に関しては、「そのすべてを著者(にあたる人物)が付けたのではない、と考えるのが自然であろう」と述べ、夏目漱石も、「自作が新聞紙上に発表される際には『総ルビ』になることを当然知っていたはずであるが、それでも原稿を『総ルビ』にはしていない」ことから、「自身以外の誰かによって自作に振仮名がつけられることをいわばみとめていたことになる」と指摘しています。
 「おわりに」では、山本有三の「振仮名廃止論」などを紹介した上で、昭和21年11月16日に内閣告示として発表された「当用漢字表」が、「使用上の注意事項」として、「あて字は、かな書きにする」「ふりがなは、原則として使わない」としたことから、「振仮名の使用に事実上かなり強い制限がかけられた」と述べ、「原則として振仮名を使わずに日本語を書く、というやり方は『当用漢字表』によって確立し、それが現在まで続いているといえよう」と述べています。
 そして、「使用する漢字の種類を制限し、かつ振仮名をつけない、という『やり方』に伴って、『別の漢字で書く』『漢字を使わないで仮名で書く』という2つの『やり方』が生み出され、現在はそうした書き方も一般的になりつつある」と述べています。
 本書は、振仮名がいかに日本語を豊かにしたかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 普段は振り仮名を意識せずに本を読んでいますが、昔の本などで振り仮名だらけなものは鬱陶しく感じています。それさえも戦後に仕組まれたものだとは。難しい漢字を中途半端に平仮名に開くよりも振り仮名を振ってほしいとはいつも思います。


■ どんな人にオススメ?

・挨拶の原稿に振り仮名があると安心する偉い人。


■ 関連しそうな本

 今野 真二 『消された漱石―明治の日本語の探し方』
 今野 真二 『文献から読み解く日本語の歴史―鳥瞰虫瞰』


■ 百夜百マンガ

嬢王【嬢王 】

 昔、「女王」とワープロで打とうとして「じょうおう」と打ったら変換されないことがありましたが(いまは変換してもらえてます)、まさか駄洒落のタイトルでは?

2009年8月13日 (木)

ポスト資本主義社会

■ 書籍情報

ポスト資本主義社会   【ポスト資本主義社会】(#1666)

  P・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳)
  価格: ¥2100 (税込)
  ダイヤモンド社(2007/8/31)

 本書は、「1965年頃から始まり、2010年あるいは2020年頃まで続くだろう」という「歴史上の大転換期」について、「転換期の後の世界のうち、今すでに見えているものを描い」たものです。
 序章「歴史の転換期」では、「今や、知識の仕事への適用たる『生産性』と『イノベーション』によって価値は創出される」としたうえで、「知識社会における最も重要な社会勢力は、『知識労働者』となる」と述べています。
 そして、「今や知識は、資本と労働を差し置いて、最大の生産要素となった」が、「まだ、われわれの時代を『知識社会』と呼ぶには時期尚早である」として、「われわれはいまだ、『知識経済』をもつにすぎない」と述べています。
 また、「知識の知識への適用」の結果、「知識」は、「効用としての知識、すなわち社会的・経済適正化を実現するための手段としての知識」に変化したとして、「成果を生み出すために『既存』の知識をいかに有効に適用するかを知るための知識こそが、『マネジメント』である」と述べています。
 さらに、「企業以外の組織においてこそ、マネジメントが一層必要とされる」理由として、「まさに企業の基礎となっている『決算』という規律を欠いている」ことを挙げています。
 第2章「組織社会」では、「組織とは、共通の目的のために働く専門家からなる人間集団である」とした上で、「組織の機能は、道具や工程や製品に対し、仕事に対し、そして知識そのものに対し、知識を適用することである」と述べています。
 そして、「組織は、自らのうちに『新しいものの創造』を組み込まなければならない」として、
(1)組織は、その行うことすべてについて、絶えざる改善、日本人の言う「カイゼン」を行う。
(2)組織は、「開発」、すなわちすでに成功しているものについて、新しい適用方法の開発を行う。
(3)組織は「イノベーション」を学ぶ。
の3つの体系的な活動を組み込むとしています。
 第3章「資本と労働のゆくえ」では、「ポスト資本主義社会の資源が知識であるとするならば、資本主義社会(及び社会主義社会)の2つの主要資源、すなわち資本と労働の将来における役割と機能は、いかなるものとなるか」について、「社会的」には、「いくつかの大きな挑戦的な問題が、新しく登場してくる」とした上で、「政治的」には、「資本主義社会が残していった問題」として、「『資本』の役割と機能の変化であり、生産要素としての『労働』の消滅」という問題が際立つとしています。
 そして、「われわれは今日既に、経営管理陣は何に対して責任を追うべきであるかを知っている」として、我々は、「今後20年以内に、私が『事業監査』と呼ぶものを一般化しなければならなくなる」として、「企業及び経営管理人を戦略計画と具体的目標に照らして評価」し、「数年後とに、事業場の成果を明らかにする」必要があるとしています。
 第4章「サービス労働と知識労働の生産性」では、「ポスト資本主義社会が直面することになる新しい課題は、知識労働者の生産性とサービス労働者の生産性に関わる問題である」とした上で、「このうち、知識労働者の生産性の向上には、諸々の組織の構造とともに、社会構造そのものの抜本的な会改革が不可欠となる」としています。
 そして、「仕事のためのチームは3種類ある」として、
(1)野球型チーム:チームの構成員は、形としてチームをなしているが、一体化したチームとして動くことはない。
(2)サッカー型チーム:固定したポジションを持つが、チームの構成員はチームとして動き、それぞれの分担について、相互に調整しつつ仕事をしていく。
(3)テニスのダブルス型チーム:ポジションが固定しておらず、互いの領域をカバーしあい、互いに強みと弱みを調整し合う。
の3つを挙げ、「テニスのダブルス型チームこそ、あらゆるチームの中で最強である」として、「チームの構成員の強みを発揮し弱みをカバーするがゆえに、この種のチームは、チームの構成員一人ひとりの仕事ぶりの総計を超える仕事ぶりを発揮する」と述べています。
 また、「知識労働者やサービス労働者の生産性の向上を図るには、『組織』の構造を根本的に変える必要がある」として、「仕事の流れを適切なものにするための『組織』のリストラが、マネジメントの『階層』のほとんどをなくしてしまうことがある」と述べています。
 さらに、「かなり近い将来において、サービス労働の多くが、独立した専門会社に『外部委託』されていく。そしてそれらの専門会社は、サービス労働を競争して受託し、サービス労働の生産性の向上によって利益を上げていく」として、「大企業、政府機関、大病院、マンモス大学は、必ずしも大量の労働者を雇用する存在ではなく」なり、「それらの組織は、本業に焦点を合わせた仕事、成果に直接結びつく仕事、自らが価値を認め、認知し、報いる仕事に対してのみ集中し、成果を挙げ、収入を得ていく」と述べています。
 第5章「責任型組織」では、「組織社会において、諸々の組織は、それぞれ特有の目的を持つ」として、「一つの目的に関してのみ有能であり、そのように専門化している場合においてのみ、組織は成果を挙げられるだけの能力を保持する」と述べています。
 そして、第二次大戦終了時には「指揮命令型の組織構造」が「休息に時代遅れのものとなりつつあった」として、当時、著者が論じた「経営管理的行動」と「経営管理的責任」を取る「責任ある労働者」について、「今や、かなり技術の低い仕事しか行っていない組織も、責任型組織として構築しなおさなければならなくなっている」として、「彼ら働く人間が、他の誰よりも、自分の仕事を『知って』いる。そして責任を負わされることによって、事実、彼らは責任ある人間として行動する」と述べています。
 第6章「国民国家から巨大国家へ」では、「近代のあらゆる帝国と超国家が、国民国家に取って代わることはもとより、国民国家を超越することもできずに崩壊していった」とした上で、第二次世界大戦後、「国は、支給者から『管理者』に変わった」と述べるとともに、「今世紀の二つの世界大戦が、国民国家を『租税国家』に変えた」と述べ、「全世界が、第二次大戦の終了から1970年代の中葉にいたる30年間に、巨大国家の方向へと動いていった」と述べています。
 そして、「今日、『巨大国家』は袋小路に入った」として、「今日、国民国家を『バイパス』し、あるいはその土台を崩すようないくつかの新しい力が、既に発生している」と述べています。
 第7章「グローバリズム、地域主義、部族主義」では、「いかなる衛生からも受信できるテレビの受像機はもちろんのこと、パソコンやファックス、電話やコピー機、ビデオが個人の手に渡り、個々の家庭におかれるようになった今日、情報を支配する方法はない」と述べたうえで、「グローバリズムは、もはや空想の産物では」なく、「地域主義」は「既に現実である」と述べています。
 そして、「グローバリズムと地域主義は、国民国家の主権に対する外部からの挑戦である」とする一方、「部族主義は、国民国家の主権を内部から揺るがす。部族主義は、国民国家の統合力を吸い取る。全くのところ、部族主義は国家に取って代わろうとさえする」と述べています。
 著者は、「今日、グローバリズムと地域主義と部族主義が、急速に、新しい政治体制をつくりあげつつある。」として、「ポスト資本主義時代の政治における第一の仕事は、巨大国家(メガステイト)がはなはだしく減少させてしまった政府の職務遂行能力を回復させることである」と述べています。
 第8章「政府の再建」では、「企業であれ労働組合であれ、あるいは大学であれ病院であれ政府であれ、『再建』のためには、必ず3つの段階が必要とされる」として、
(1)機能していないもの、機能しなかったもの、有益性や貢献能力を失ったものを廃棄すること。
(2)機能するもの、成果を生み出すもの、組織の能力を高めるものに集中すること。
(3)半ば成功し、半ば失敗したものを分析すること。
の3点を挙げています。
 第9章「社会セクターによる市民性回復」では、社会的なニーズが高まる分野として、
(1)伝統的に「チャリティ(慈善)として捕らえられてきた「救済サービス」の分野
(2)コミュニティと人間の「変革」を目指す「社会サービス」の分野
の2点を挙げ、「歴史の転換期には、救済を必要とする人の数は、必ず増大する」と述べています。
 そして、「乳母国家」の失敗から、「政府は、社会サービスの領域においては、自らが『実行者』、『管理者』となることをやめ、『政策形成者』に徹すべきだ」として、「『社会』の領域においても、政府は『外部委託』、『外部調達』、『解体分離』へと進む」と述べています。
 第10章「知識――その経済性と生産性」では、「いまや、あらゆる産業において、労働、土地、資本という伝統的な資源によって生み出される利益は、ますます小さくなっている」として、「富の唯一の、あるいは少なくともその主たる創造者は、情報と知識となっている」と述べています。
 そして、「専門知識への特化が、あらゆる分野において、膨大な可能性を与えてくれた」として、「まさに知識が特化したからこそ、われわれは、この潜在的な可能性を具体的な成果へと転化するための方法論、体系、手順を必要としている」と述べています。
 第11章「責任ある学校」では、「今後数十年のうちに、学び方や教え方が一変する」として、「学校は、労働集約的な存在から、高度に資本集約的な存在となる」上、さらに劇的に変わるものとして、「学校の社会的な地位を役割」を挙げ、「学校は、成人、とくに高等教育をすでに受けている成人の機関ともなる」とともに、「知識社会においては、学校は、その仕事ぶりと成果に責任を負うべき存在となる」と述べています。
 そして、「教育は、学校の独占ではなく、学校がパートナーとなる共同の事業になっていく」として、「多くの分野で、学校は、互いに競争する多くの教育提供機関の一つに過ぎなくなる」と述べています。
 また、「最大の変化、しかもまだ何の準備も行われていない変化は、学校が成果を約束しなければならなくなるということである」と述べています。
 第12章「教育ある人間」では、「知識社会への移行とは、人間が中心的な存在になるということに他ならない」として、「知識社会への移行は、知識社会の代表者たる『教育ある人間』に対して、新しい朝鮮、新しい問題、あるいは、かつてない新しい課題を提起する」と述べています。
 そして、「これから起こる最大の変化は、知識における変化」だとして、「知識の形態と内容、意味、責任、そして『教育ある人間』たることの意味の変化である」と述べています。
 本書は、15年以上前に、21世紀の現在の社会の姿を予言した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で著者が予言する21世紀初頭の姿は、必ずしもすべてガラリと実現したというものではありませんが、どれも思い当たることばかりで、今現在ではきちんと見えていない現在の社会の姿をすでに指摘していたのかと思うと驚きです。


■ どんな人にオススメ?

・過去に予言された現在を見てみたい人。


■ 関連しそうな本

 ピーター・ドラッカー (著), 有賀 裕子 (翻訳) 『マネジメントIII 務め、責任、実践』 2009年8月 9日
 P.F.ドラッカー 『ドラッカー わが軌跡』 2009年7月22日
 P.F. ドラッカー (著), 窪田 恭子 (翻訳) 『ドラッカーの遺言』 2009年7月15日
 P.F.ドラッカー (著), 上田 淳生 (翻訳) 『イノベーションと企業家精神』 2009年6月29日


■ 百夜百マンガ

男はつらいよ【男はつらいよ 】

 六平太でおなじみの人ですが、このタッチで読む寅さんも合っている気がします。

2009年8月12日 (水)

自治官僚

■ 書籍情報

自治官僚   【自治官僚】(#1665)

  神 一行
  価格: ¥1200 (税込)
  講談社(1986/03)

 本書は、「"外様大名"といわれる全国の知事職を押え、それを基盤に、現体制の中央支配に君臨する大蔵省を切り崩し、名実ともに総合政策官庁としての"新内務省"を築き、日本支配の頂点に立つ」とする、自治官僚の野望が可能かどうかを検証しようとするものです。著者は、昭和50年代以来の「地方の時代」を、「実際は、各地方自治体を統治する『自治官僚の時代』ではなかったのか」として、「"内務官僚の嫡流"を自任する自治官僚が雌伏30数年の歳月をかけて、みずからの権限拡大を図る中央制覇のための全方位作戦だったと見られる」と指摘しています。
 第1章「地方支配の構造」では、自治官僚による知事争奪戦を、「地方から中央制覇をめざす巨大なる"国盗り物語"の遂行過程」だとして、「いずれの日にか自治官僚による日本の支配構造を築き上げようという野望、と読み取れる」としています。
 そして、自治官僚による地方自治体支配について、知事、副知事、総務部長、財政課長、地方課長などの重要職を「自治官僚はことごとく独占していた」と指摘するとともに、受け入れる側の県庁製にとっては、「結論からいえば必要ない」として、「中央からの"代官"役であり、出世のための"腰掛け"にすぎない」と述べています。
 第2章「中央制覇の野望」では、自治官僚が、「最近は中央政界においても圧倒的な権勢を誇っている」として、その中枢は、内務省出身議員で組織される会員46人を誇る「内友会」であると指摘し、その首領(ドン)は、奥野誠亮と後藤田正晴だとして、「かつての内務省の両輪だった地方局(自治省の前身)と警保局(警察省の前身)を、いわば分担して押えている」と述べています。
 そして、日本の最高意思決定が行われる「事務次官等会議」を主催し運営するのが、「影の宰相」と呼ばれる官房(事務)副長官だとして、このルーツはすべて"内務官僚出身」であることを指摘しています。
 また、自治官僚が、「スキあれば大蔵省にケンカを吹っかけて激しい覇権争いをしてきた」として、"自治vs大蔵"戦争と呼ばれた「地方交付税」の"割り増し攻防戦"や、"自治・大蔵金融公庫戦争"といわれた争いのほか、自治官僚が、「国家予算の3分の1といわれる補助金(国家支出金)を、直接的に地方自治体に組み入れる"総合補助金制度"というのを画策中」だと述べています。
 第3章「自治官僚の源流と生態」では、戦前の日本では、「内務大臣の地位は最高決議機関である閣議での序列も高く、外務省についで2番目の位置を占め、そこには副総理格の大物が任命されるのが慣例であった」として、「戦前の内務省というのは、日本の内政全般を牛耳り中央集権国家の軸として存在するシンボル的存在だった」と述べています。
 また、自治省の人材育成法は、内務省の一種独特のシステムを受け継いだと述べたうえで、若い官僚を地方に送る際も、"若殿"的な扱いを受ける大蔵省とは異なり、「地方自治体には地方議会と記者クラブがあるため、これらが監視役となって常に"実力"を問われる」と述べ、「自治省の人事登用において他省庁と際立って違っている点は、『地方勤務での評価が最優先される』ということだ」と指摘しています。
 そして、自治官僚が、本省課長になるまでは3つ以上の地方自治体を渡り歩くと言われ、自治官僚のモットーにも、「地方に惚れよ、仕事に惚れよ、そして女房に惚れよ」と明言されていると述べています。
 さらに、いかに地方が自治官僚の人事に影響するかの例として、本省の総務課長から北九州市の助役に請われた松浦功を取り上げ、人事合理化では労組から、「立てば人斬り、座れば賃下げ、歩く姿は人殺し」とプラカードに書かれ、自宅の庭に猫の死体を投げ入れられた経験をしたことを紹介しています。
 著者は、"官僚養成機関"といわれる東大法学部の学生達に自治省が人気がある理由として、「知事になれる」という野望が持てることを挙げ、「知事は、江戸時代で言えば藩主、つまり殿様である」とともに、「地方自治体における権限と権力に最大の魅力を感じ、これまで培った地方行政の可能性を試してみたいという心情があるからだろう」と述べています。
 第4章「自治官僚の系譜」では、自治官僚の系譜を大別し、
(1)自治庁初代事務次官の鈴木俊一から続く行政官僚の流れ
(2)荻田保からつづく財政官僚派
の2つを挙げています。
 終章「『地方の時代』は可能か」では、関係者のあいだで伝えられる「自治省七不思議」として、
(1)中央官庁の中で最小の人員規模でありながら、エリート官庁として、全国的に最大の人数を支配している。
(2)地方交付税という独自財源を持ち、国家財政と同じくらいの地方財政を牛耳っている。
(3全国都道府県の要職を押え、地方自治体を支配している。
(4)局長以上のポストが極端に少ないにもかかわらず、東大法学部卒の超エリートが殺到する。
(5)中央政府のエリート官僚にもかかわらず、地方意識が強い。
(6)知事官僚OBは選挙にめっぽう強い。
(7)大臣には陣笠大臣が就任するが、自治官僚には「旧内務省の嫡流」のノウハウが流れているため、各省は頭が上がらない。
の7点を挙げています。
 そして、「自治省が、もし本気で地方自治体を含めた構造改革をいうのであれば、あるいは本来あるべき地方自治を目指すのならば、まずその前に自治官僚による地方自治体の幹部職員への出向を即刻廃止すべきである」として、「はっきりいって、地方自治体の自立性を奪ったのは自治省であるし、340万地方公務員のヤル気とモラルを低下させているのは出向組自治官僚の存在そのもの」だと指摘しています。
 本書は、四半世紀前の本ながら、現在も一向に変わらない旧自治省支配の構造を示してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の巻末には、「自治省全キャリア関係者一覧」として昭和23年から昭和60年までに入庁したキャリア官僚の勤務先、出身校、住所までが掲載されています。今見てもキラ星のような人材が掲載されていて、現職知事としては、橋本茨城県知事、石井富山県知事、谷本石川県知事、西川福井県知事、山田京都府知事、井戸兵庫県知事、平井鳥取県知事、二井山口県知事、飯泉徳島県知事、古川佐賀県知事、伊藤鹿児島県知事らのお名前を見ることができます。その他にも、現職の官僚として活躍されている方のお名前も見かけますので、いかに彼ら限られたエリートが活躍しているかがわかります。


■ どんな人にオススメ?

・「地方の時代」はいつかは来るかもと思う人。


■ 関連しそうな本

 塩沢 茂 『地方官僚 その虚像と実像』 2005年08月01日
 稲継 裕昭 『日本の官僚人事システム』 2005年02月10日
 中国新聞社編 『ルポ地方公務員』 2005年08月17日
 田村 洋三 『沖縄の島守―内務官僚かく戦えり』 2007年03月23日
 百瀬 孝 『内務省―名門官庁はなぜ解体されたか』 2007年06月13日
 勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日


■ 百夜百マンガ

のだめカンタービレ #22【のだめカンタービレ #22 】

 いよいよクライマックス。行方不明になったのだめが現れたのは・・・?
 千秋はどうするのか目が離せません。

2009年8月11日 (火)

自爆する若者たち―人口学が警告する驚愕の未来

■ 書籍情報

自爆する若者たち―人口学が警告する驚愕の未来   【自爆する若者たち―人口学が警告する驚愕の未来】(#1664)

  グナル ハインゾーン (著), 猪股 和夫 (翻訳)
  価格: ¥1470 (税込)
  新潮社(2008/12)

 本書は、「世界各地で頻発するテロの原因として、人口統計に見える『ユース・バルジ』(youth bulge)という現象に着目」し、「なぜ一握りの国だけが積極的に、かつ不安におののきつつ、若者の地球規模の暴走に備えようとしているのか」を明らかにしようとしているものです。
 第1章「古くて新しい世界敵」では、「第三世界の国々は、次男ないし四男のような、故国で必要とされる場をどこにも持たない若者からなる大軍団を戦火の中に送り出すことができ、それは彼らの目には英雄になるまたとないチャンスと映る」と述べ、「ユース・バルジというのは、後を襲う息子たちの『求めるポストの数』対『実際に就けるポストの数』の割合から生じる」と述べています。
 そして、現在、「数量的にユース・バルジの格好の例を呈するのはイスラム国家とされる国々である」とした上で、「1493年から1900年までの400年間に、ヨーロッパが世界征服のために送り出したユース・バルジの若者の数は、ざっと見積もって5000万人、それも積極果敢な連中ばかりだ」と述べ、「現実にことを決するのは――文化も宗教もない――ピークにさしかかりつつある者たちの数そのものなのだ」としています。
 第2章「若者たちはどこに住んでいるのか?」では、「2003年の世界人口63億のうち、40億は1968年以後の35年間に生まれた」として、「今ほど大量の若者が地球上にいるのはかつてなかったことであり、おそらく今後もないだろうとは誰しも認めるところだろう」と述べています。
 第3章「人口統計に見る征服者の出自とヨーロッパの世界征服という『奇跡』」では、「中世にはすでに子供の数が多くなっていたとの推測」は、「それが否認を禁じられた近代のイデオロギー^適当栄であることが明らかとなる」と述べています。
 そして、「ヨーロッパの世界征服の謎」の答えは、「白人が遺伝的に勝っているわけではなく、単に母親一人につき、貴族であれ市民であれプロレタリアートであれ、息子の数が明らかに多かっただけだったのである。その息子たちは、ただがむしゃらに、飢え死にだけはどうにかしのぎつつ、まだ残っている世界へと自分の居場所を求めて押し寄せていく」と述べています。
 第4章「超大国の昨日と明日」では、「ヨーロッパ覇権大国の興亡」について、「覇権についての理解は、所有権の構造と人口増加に同時に目を向けて、初めて先に進むことができる。覇権のバトンはそのつど、所有権にラジカルでユース・バルジにも積極的な姿勢を見せる競争相手に引き渡されなくてはならないことが見て取れよう」と述べています。
 そして、「17世紀におけるイギリスの革命を戦い抜いた主役が、ユース・バルジに勢いを得た『土地を持たない弟たち』」であったことや、アメリカは、「所有権の担保差し入れや利払い圧力を持つ実効性のあるイギリス経済だけでなく、ヨーロッパをも凌ぐ出生の活力を持っていた」琴などを紹介しています。
 第5章「ユース・バルジと国境なきテロリズム」では、「若者に関していえば、21世紀の先進諸国は、20世紀のふたつの戦争で失った後よりも、はるかに悪い状況に立たされている」と述べています。
 そして、「78年のホメイニ革命で暴れたのは、60年までに生まれた2番目から4番目の弟から成る準軍事的な大軍団であった。その時のこの国の平均年齢は15歳である」と述べるとともに、、サダム・フセインと同様に、「他の帝国づくりを目論む者にもまったく似たようなシナリオが存在する。その者たちも過剰な男子を在来型の大軍団に仕立て上げ、大量殺戮兵器と結びつけることができるのだ」と述べています。
 著者は、「サダムのようなのが出てきては失脚し、そのつど新しい帝国の誕生を阻止できたとしても、若者の間でそれを求める強烈な憧れはいつまでも生き続ける」と述べています。
 第6章「入れてもらえる者、もらえない者」では、「2003年時点で、発展途上国には15歳未満の子供が14億育っている」として、「そのうちの6億は、今後15年間に故郷を出なくてはならないかもしれない。第一世界には6000万ないしそれ以上が来るかもしれない」と述べています。
 そして、「子供世代の若者の大半は、故国で生まれた者たちと同じように上に行きたいと思っても、新しい故郷となった国でそれがかなえられることはまずありえず、そのため、出身地域の急進的な兄弟にとってこの上ないシンパサイザー集団となる」と述べています。
 本書は、世界の歴史を「爆発する若者」という観点から見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 第二次世界大戦後に、日本を含めた各国でベビーブームが起きましたが、ちょうど戦後ということで中高年の数が少なかったことや、現実的な新しい土地ではなく経済発展という新しい産業分野に若者がなだれ込んだことで、戦争につながるようなユース・バルジの暴走が少なかったということでしょうか。
 なんにしても面白い本です。


■ どんな人にオススメ?

・テロは宗教の対立だけが原因だと思う人。


■ 関連しそうな本

 ジャック・ランシエール (著), 松葉 祥一 (翻訳) 『民主主義への憎悪』 2009年7月21日
 エマニュエル トッド (著), 石崎 晴己 (翻訳) 『帝国以後―アメリカ・システムの崩壊』
 ジェームズ・メイヨール (著), 田所 昌幸 (翻訳) 『世界政治―進歩と限界』


■ 百夜百マンガ

風呂上がりの夜空に【風呂上がりの夜空に 】

 RCの名曲をタイトルにつけるだけあって80年代な作品。当時高校生だったはずですが、ヤンマガでは読み飛ばしていたような気がします。

2009年8月10日 (月)

ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト―最新科学が明らかにする人体進化35億年の旅

■ 書籍情報

ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト―最新科学が明らかにする人体進化35億年の旅   【ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト―最新科学が明らかにする人体進化35億年の旅】(#1663)

  ニール シュービン (著), 垂水 雄二 (翻訳)
  価格: ¥2100 (税込)
  早川書房(2008/9/5)

 本書は、魚類の陸上進出の「きわめて有力な新知見をもたらす」化石魚類である「ティクターリク」を発見した著者が、人体解剖学を教えることになったことをきっかけに、「ヒトと魚の間に横たわる深いつながり」についての探求を行った成果です。
 第1章「内なる魚を見つける」では、「太鼓の魚類の骨は、私たち人類がどういうものであり、どのようにしてそうなったかを知るための導きの糸になりうる」として、「突拍子もないとしか思えないようなところから、私たちは自分の体についての知識を得ている」と述べています。
 そして、2004年7月に著者が発掘した「扁平した頭」をもつ魚の化石について、「魚類と陸生動物との間をつなぐすばらしい中間種であった」として、「何が魚と陸生動物とを区別しているかという既成の概念を崩壊させてしまうような代物だった。それは、魚類と同じように背中に鱗と、膜のついた鰭を持っている。しかし、初期の陸生動物と同じように、扁平な頭部と首を持っている。そして鰭の内部を調べてみると、上腕、前腕、それに手首の一部にさえ対応する骨が見られる。関節もある。この動物は、型、肘、手首の関節を持つ魚なのだ」と述べています。
 また、ティクターリクが持つ意義深い利点として、「この魚は、魚について語ってくれているだけでなく、それは私たち人類の断片をも含んでいるのである。このつながりの探求こそが、そもそも私を北極に導いたものなのである」と述べています。
 第2章「手の進化の証拠を掴む」では、解剖学者のオーウェンが「四肢を持つすべての動物は、その四肢が翼であろうと、鰭であろうと、手であろうと、共通のデザインを持っている」として、「1個の骨(腕の場合は上腕骨、足の場合は大たい骨)が、2個の骨と間接でつながり、その先に小さな骨の塊があり、指の骨につながっている」というパターンが、「すべての四肢の構造の基礎になっている」ことを発見したことを紹介した上で、1995年にペンシルヴェニア州の崖の岩石から発見した魚の鰭の化石に、「その奥深い内部には、『標準的な』肢のほとんどに対応する骨があった」と述べています。
 第3章「手の遺伝子のかくも深き由緒」では、1993年にハーヴァード大学のクリフ・タビン研究室が、ZPA(極性化活性域)と名づけられた組織領域を制御している遺伝子の探索を開始したことについて、「一大飛躍(ブレイクスルー)」だとして、「彼らが追う獲物は、私たちの小指と親指を異なったものにする能力をZPAに与えている分子的なメカニズムだった」と述べています。
 第4章「いたるところ歯だらけ」では、歯は、まったく新しい生活様式の到来を告げるだけでなく、器官を作るまったく新しい方法の起源を明らかにもしてくれる」として、硬い骨を持たず、歯だけが化石として発見されるコノドントについて、「最初のヒドロキシアパタイトを含む体の硬い部分は歯だった。つまり、硬い骨は、動物の身を守るためにではなく、餌動物を食べるために生じたのである」と述べています。
 第5章「少しずつやりくりしながら発展していく」では、「私たちの頭骨は、3種類の基本的な部品からできている」として、板状とブロック状と棒状の骨を挙げたうえで、「頭の基本構造を解明するための鍵は、脳神経がでたらめに絡み合っているのではないと見抜くこと」だと述べています。
 そして、「人間の脳は信じられないほど複雑に見えるかもしれないが、単純でエレガントな青写真からできている」として、「この世のすべての頭骨は、それがサメのものであれ、硬骨魚類、イモリ、あるいはヒトのものであれ、一つの共通のパターンを持っている」と述べています。
 第6章「完璧な(ボディ)プラン」では、「発生過程を眺めることは、私の中に非常に大きな知的変身をとげさせた」として、「肺を眺めていると、哺乳類、鳥類、両生類、および魚類の違いは、その根本的な類似性に比べると、まるで些細なことのようにさえ思えてくる」と述べています。
 そして、「一つの体をつくる指令のほとんどは、細胞の内側にしまわれている」として、「私たちが頭、脳、あるいは腕と言ったものはもとより、『ボティプラン(体制)』といえるものをもつことができる以前に、そもそも体をつくる方法が存在しなければならなかった」と述べています。
 第7章「体づくりの冒険」では、「細胞間をつなぐもっとも重要な結びつきはおそらく、いかにして互いの情報交換をするか、ということだろう」として、「細胞は、互いの間を行き来する分子の『文字』を使って情報伝達をしている」と述べています。
 第8章「においのもとを質す」では、「私たちの嗅覚には、魚類、両生類、および哺乳類としての歴史の奥深い記録が刻まれている」とした上で、ヒトの「多くの匂い遺伝子が無効にされている」ことについて、「私たち人類は、嗅覚を資格に切り替えた霊長類の末裔」だとして、「私たちはいまや嗅覚よりも視覚に頼っており、それが私たちのゲノムに反映されているのだ。この交換において、私たちの嗅覚は重視されなくなり、私たちの嗅覚遺伝子の多くが機能を持たなくなったのである」と述べています。
 第10章「耳の起源をほじくってみる」では、「哺乳類が持つもっとも際立った特徴のいくつかが耳の内部にある」として、「哺乳類の内耳にある骨は、他のいかなる動物のものとも似ていない」として、哺乳類が3つの骨を持つ内示を必要とする理由は、「この小さな骨の連環」が、「哺乳類が中耳骨を一つしか持たない動物よりも高い周波数の音を聴くことを可能にする梃子システムを形成している」と述べています。
 そして、「私たちの中耳は、生命の歴史における2つの大きな転換に関する記録を含んでいる」として、
(1)私たちの鐙骨の起源と、それが顎を支える骨から耳小骨へ転換したことで、それは魚類が陸上で歩き始めたときに始まった。
(2)哺乳類が誕生する過程に起こり、このとき、爬虫類の顎の後方にある骨が私たちの槌骨と砧骨になった。
の2点を挙げています。
 第11章「すべての証拠が語ること」では、人間の主要な死因である、心臓病、糖尿病、肥満、卒中は、「私たちの体がカウチポテトの生活様式ではなく、活動的な生活に向いたつくりをしているせい」であると述べ、また、睡眠時無呼吸症は、「言葉をしゃべる能力を得るための潜在的な危険をはらむ交換条件である」と述べています。
 著者は、「宇宙計画が私たちの月の見方を変えてしまったのとまさに同じように、古生物学と遺伝学は、私たち自身の見方を変えつつある。私たちがより多くを学ぶに連れて、かつてははるか遠いところにあって手の届かないと思われたものが、私たちの理解と把握が可能なものになっている」と述べています。
 本書は、進化や生物学に関心がなくても探求するワクワクを楽しめる一冊です。


■ 個人的な視点から

 化石を探す生物学者というのも地味な印象を持っていたのですが、こういうのを見ると結構楽しそうです。こういう本をきっかけに生物学を志してくれる人が増えるとしたら、もっともっと紹介したいものだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・化石を探すのは地味な仕事だと思う人。


■ 関連しそうな本

 ピーター フォーブズ (著), 吉田 三知世 (翻訳) 『ヤモリの指―生きもののスゴい能力から生まれたテクノロジー』 2009年5月17日
 リチャード・ドーキンス (著), 日高 敏隆, 岸 由二, 羽田 節子, 垂水 雄二 (翻訳) 『利己的な遺伝子』 2006年09月26日
 スティーヴン・ジェイ グールド 『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語』 2007年03月03日
 アンドリュー・パーカー (著), 渡辺 政隆, 今西 康子 (翻訳) 『眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く』 2007年08月18日
 シャロン・モアレム, ジョナサン・プリンス (著), 矢野 真千子 (翻訳) 『迷惑な進化―病気の遺伝子はどこから来たのか』 2008年07月21日
 ランドルフ・M. ネシー, ジョージ・C. ウィリアムズ (著), 長谷川 真理子, 青木 千里, 長谷川 寿一 (翻訳) 『病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解』 2009年01月29日


■ 百夜百マンガ

ミスター味っ子2【ミスター味っ子2 】

 荒唐無稽な料理対決で人気だった前作に続いて期待をした人にはちょっと残念だったようです。個人的には昔の作品の後日談、外伝の類は面白いのですが。

2009年8月 9日 (日)

マネジメントIII 務め、責任、実践

■ 書籍情報

マネジメントIII 務め、責任、実践   【マネジメントIII 務め、責任、実践】(#1662)

  ピーター・ドラッカー (著), 有賀 裕子 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  日経BP社(2008/6/12)

 本書は、「マネジメントを発明した」と言われる著者自身がマネジメントについて語った4分冊の3冊目です。原著は1973年。840ページに及ぶ大著です。
 第29章「なぜマネジャーが必要なのか」では、「マネジャーは、企業の屋台骨を支える経営資源」だとして、「たいていの企業にとっては、マネジャーは何より高価な経営資源である」が、「何より早く価値が衰えるため、頻繁に入れ替えなくてはならない」と述べています。
 第30章「マネジャーの本質とは何か」では、「部下たちの仕事に責任を追う」という従来の定義は、マネジャーの「従たる特徴に焦点を当てている」ものであり、「役割や責任によってマネジメント層を定義すると、マネジャーとプロフェッショナルの関係を整理できる」としています。
 第31章「マネジャーとその仕事」では、マネジャーの具体的な仕事として、
(1)個を全体へとまとめ上げ、個の総和以上の生産性を引き出す仕事
(2)判断を下したり、行動を起こしたりする際には必ず、当面と将来の要請をうまく調和させる。
の2点を挙げたうえで、マネジャーの仕事の基本要素として、
(1)目標設定
(2)組織を取りまとめる
(3)部下の動機づけとコミュニケーションを担う
(4)業績評価
(5)人材の育成
の5点を挙げています。
 第32章「マネジャーの職務の構想と中身」では、マネジャーやマネジメント組織の職務効果を損なう原因として、
(1)職務内容があまりに取るに足らないため、人材が鍛えられない
(2)職務とすら呼べないような「アシスタント的職務」
(3)マネジメントは仕事の一種であるが、それだけのためにすべての時間を費やすような仕事ではない。マネジャーを手持ち無沙汰にしてはいけない。
(4)マネジャーの職務内容を決める際には、できる限り、本人だけ、あるいは本人と直属の部下たちだけでこなせるように、配慮すべきである。
(5)報償の代わりに肩書きを与えることは、絶対に慎まなくてはいけない。
(6)特定の職務に就くと、優れた人材が次々と潰れてしまう「魔の職務」については、中身を再検討し、改めるべきである。
の6点を挙げています。
 第33章「マネジメント開発とマネジャー育成」では、「知識労働者、とりわけ高い実績を誇る知識労働者は、40代の前半から半ばにかけて、精神面の危機に陥りがち」だとして、「マネジャーは40台半ばになるまでには、組織の外に生きがいを見つけなくてはいけない」と述べています。
 第34章「目標による管理(MBO)と自己管理」では、目標による管理(MBO)の最大の利点として、「マネジャーが自身の業績をコントロールできること」を上げ、「自己管理をすると、モチベーションが高ま」り、「より広い視野のもと、より高い業績目標を目指す」と解説し、「MBOと自己管理には、自己規律が欠かせない」として、「要求が控えめになるどころか、行き過ぎにつながる恐れ」こそ、「MBOに対して向けられてきた批判のうち最大のもの」だと述べています。
 第36章「成果への意欲」では、「組織の目的は、平凡な人材から非凡な成果を引き出すこと」だと述べ、マネジメントの具体的な技能の例として、
・効果的な判断を下す技能
・組織の内外とコミュニケーションを図る技能
・コントロール手段や評価尺度を適切に使う技能
・分析ツール、つまりマネジメント科学の成果をうまく使いこなす技能
などの点を挙げています。
 第37章「効果的な意思決定」では、「効果的な意思決定をするに当たっては、異論が必要」だとして、アメリカ史上の有能な大統領が「異論を生み出すための独自の手法を持っていた」とした上で、異論が求められる理由として、
(1)意見の相違があれば、意思決定者は組織の囚人にならずにすむ。
(2)異論がなければ対案は生まれない。
(3)イマジネーションを刺激するためにも、意見の対立は求められる。
の3点を挙げ、「意思決定に秀でた人は、『ある行動だけが正しく、他はすべて誤っている』などという前提から出発することはない。『自分は正しく、彼は間違っている』という発想とも無縁である。むしろ、なぜ人によって意見が違うのか、その理由を懸命に探ろうとする」と述べています。そして、「有能なエグゼクティブは、何よりもまず『理解しよう』と努める。誰が正しくて誰が間違っているかを考えるのは、その後である」と述べています。
 著者は、「意思決定は機械的にこなせる仕事ではない」として、「重要なのは『正しい判断』を導くこと」ではなく、「何が問題の本質であるかの見極めこそが、最も重要なのだ」と述べています。
 第39章「管理手段、方向づけ、マネジメント」では、マネジャーの管理手段の条件として、
(1)少ない費用ですむ
(2)有意義である
(3)的を射ている
(4)適合性がある
(5)タイムリーである
(6)簡潔である
(7)業務に根ざしている
の7点を挙げています。
 第42章「組織の構成要素」では、組織の構成要素を決めるに当たっての課題として、
(1)何を単位に組織をつくるか
(2)どの要素をまとめ、どの要素を単独のまま残すか
(3)各要素の大きさと形態はどう決めるべきか
(4)各組織単位をどこに位置づけ、どう関係付けるのが適切か
の4点を挙げた上で、全般的なルールとして、「同じような貢献をする諸活動は、たとえ専門分野が異なったとしても、一つの組織にまとめ、包括的にマネジメントしてかまわない。反面、貢献内容の異なる活動どうしは原則として一まとめにすべきではない」と述べています。
 第44章「組織の設計原理と仕様」では、「組織構造とは形式であり、形式は形式上の要件を満たす必要がある」として、
(1)明快さ
(2)経済性
(3)ビジョンの方向性
(4)各人が個と全体の務めを理解する
(5)意思決定
(6)安定性と適応性
(7)永続性と自己革新
の7点を挙げています。
 第46章「成果重視の組織設計:分権制と擬似分権制」では、「これまでの組織原理の中では、連邦分権性こそあらゆる要件を満たす理想の形態に最も近い」とする一方で、「擬似分権制」を採用する動きが広がっていることについて、「組織設計の要件すべてに反している」とし、「擬似分権制でもっとも不満が残るのは、経済性、コミュニケーション、判断の権限」だと指摘しています。
 第48章「組織についてのまとめ」では、「きわめてシンプルでありながら十分に目的を果たせるのが、最善の組織形態」であり、「余計な問題を引き起こさないのが『好ましい』組織の要件」だとしています。
 そして、「組織はそれ自体が目的ではなく、あくまでも手段に過ぎない」として、「事業が健全であるかどうかは、組織の美しさ、明快さ、完璧さで決まるのではない。それを決めるのは、人々の成果である」と述べています。
 本書は、ドラッカーのマネジメント論の一部をカバーする一冊です。


■ 個人的な視点から

 ドラッカーと言えば、目標による管理(MBO)の提唱者と言うことで知られていますが、本書ではMBOを取り上げていると言うこともあって、本書だけ読みたいと言う人も少なくないのではないかと思います。
 ちなみに、ドラッカーの著書は、その多くを上田惇生氏が翻訳してきましたが、個人的には読みなれている有賀裕子氏の訳で読めるのはありがたいです。


■ どんな人にオススメ?

・ドラッカーのマネジメント論に挑戦したい人。


■ 関連しそうな本

 ピーター・ドラッカー (著), 有賀 裕子 (翻訳) 『マネジメントI 務め、責任、実践』
 ピーター・ドラッカー (著), 有賀 裕子 (翻訳) 『マネジメントII 務め、責任、実践』
 ピーター・ドラッカー (著), 有賀 裕子 (翻訳) 『マネジメントIV 務め、責任、実践』
 P.F.ドラッカー 『ドラッカー わが軌跡』 2009年7月22日
 P.F. ドラッカー (著), 窪田 恭子 (翻訳) 『ドラッカーの遺言』 2009年7月15日
 P.F.ドラッカー (著), 上田 淳生 (翻訳) 『イノベーションと企業家精神』 2009年6月29日


■ 百夜百音

Grow【Grow】 松本卓也 オリジナル盤発売: 2009

 木更津出身だということなのでがんばってほしいものです。

2009年8月 8日 (土)

「裏声」のエロス

■ 書籍情報

「裏声」のエロス   【「裏声」のエロス】(#1661)

  高牧 康
  価格: ¥714 (税込)
  集英社(2008/12)

 本書は、「裏声による幸福論」を提唱し、「理念だけにとどまらず、実際に『裏声』を鍛え、駆使することで得られる効果について、できるだけ具体的に提示」したものです。
 第1章「『裏声の幸福』恋愛編」では、「声は、性選択の一要素としても用いられる」として、「哺乳類のメスたちは、複数のオスたちの中から最も低い声を発するオスを選んで群がることがある」ことを紹介した上で、ニホンザルのメスが交尾のときにしきりに発情音をあげることについて、「メスは発情音を発することで他個体の注意を引き、妨害行動を誘発することでオスをふるいにかけている」と述べています。
 また、裏声を意味する「ファルセット」について、「"偽りの"とか"不正直な"という意味を持つ"falso"という言葉からの派生語で、直訳すれば"嘘っぽい声""真実ではない声""つくられた声"ということに」になると解説しています。
 第2章「『裏声の幸福』話術改善編」では、「実は言語の音というものは口の中だけでつくられるものではなく、喉でもつくられている」として、「母音の基礎となる『u=ウ』『i=イ』『a=ア』のこと」である「原始母音=Primary Vowel」について、「構音による母音の形成以前に、すでに発声器官の段階から生じているもので、構音の母音とは異なるもの」だと述べています。
 また、吃音の治癒に関して、「自然治癒する人には裏声との深い関わりがある」として、成人になるまでに自然治癒した人の共通点として歌唱経験を挙げ、「吃音が自然治癒する分岐点には、裏声の存在があった」として、「裏声を出すことには、喉の筋肉全体を鍛え、神経支配を行き届かせ、バランスを整えることに大きく貢献」すると述べています。
 第3章「『裏声の幸福』ストレス解消編」では、「古来より悲劇の詩歌、小説が音読されたことでカタルシス効果が得られてきたことは間違いない」と述べた上で、「声を上げて泣く、大泣きする」時の声は、「裏声か、裏声交じりの声」だとして、「泣くときの声というものは『理性を超えた声』」すなわち「裏声」なのだと述べています。
 第4章「『裏声の幸福』健康編」では、「農耕を営む民族は、話す声が比較的甲高く、早口なのが特徴」だとして、その理由として、
(1)共同で作業を行うことが多い農耕生活におけるパートナーシップの構築には、声はコミュニケーション手段として重要な役割を担っているから。
(2)南方の高温多湿な地域に住む農耕民族は一般的に背や鼻が低く、首も短いため、結果として長身の民族よりも咽頭が比較的高いところに位置している。
の2点を挙げています。
 第5章「『裏声の幸福』歌唱上達編」では、「音痴矯正」の研究所を開く著者の元を訪れる人のタイプとして、
(1)「近々、接待がある」「結婚式で歌わなければならない」といったイベント対策
(2)「子供のころからのコンプレックスを克服したい」「苦手なものをなくしたい」という自己改革意識を持っている人。
の2種類を挙げた上で、音痴とは、「歌おうとするとき、その音程が出せないこと」を指すが、「それは出すべき声、使うべき声を間違えているから」であり、音痴は、「あたかも耳の問題であるかのように言われますが、音が耳から入って正しく認識していても、それを声で表示出することができないだけ」だと述べ、「これは、歌声を出すときに使われるべき筋肉が動いていないために起こるもの」だと解説しています。
 また、音痴のもう一つの原因として、メロディを漠然としたイメージできない「うろ覚え」を挙げています。
 そして、美しい歌声の条件として、
(1)音程が正しいこと
(2)音域が広いこと
(3)音量のコントロールができること
(4)長いブレスで歌えること
の4点を挙げ、「この4つの条件を満たす歌声は、裏声発生によって同時に鍛えること」ができると述べています。
 本書は、人間が本来豊かに使えるはずの「裏声」の魅力を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 普段から裏声で話をする人はいないと思いますが、歌でも歌ってないとなかなか裏声を出す機会はないのではないかと思います。女性ボーカルの曲を歌おうとするときや、男性ボーカルのメロディーの上にハモリを乗せようとすると裏声を使わざるを得なくなるので練習になるでしょう。


■ どんな人にオススメ?

・裏声が苦手な人。


■ 関連しそうな本

 DAISAKU 『レッスンCD付 ボーカリストのための 高い声の出し方~ミックスボイス・ホイッスルボイスをマスター!!~』 
 弓場 徹 『奇跡のハイトーンボイストレーニング―プログラムCD付き 高い声を手に入れる』 
 石川 芳 『1週間で3オクターブの声が出せるようになる本 無理な力を入れずに声域を拡げる驚きのボイス・トレーニング』 
  『』 
  『』 
  『』 


■ 百夜百音

酒井法子 Best Selection【酒井法子 Best Selection】 酒井法子 オリジナル盤発売: 2005

 逮捕による販売中止で中古品にプレミアが付いてしまっているわけですが、ファンの人にとっては辛いんでしょうか。
 ファンクラブは200人くらいしかいないようですが。


2009年8月 7日 (金)

台湾に生きている「日本」

■ 書籍情報

台湾に生きている「日本」   【台湾に生きている「日本」】(#1660)

  片倉 佳史
  価格: ¥945 (税込)
  祥伝社(2009/2/27)

 本書は、「台湾に残る日本統治時代の遺構や産業遺産を取り上げつつ、台湾の文化や歴史について紹介している」ものです。著者はこれらを、「台湾文化の中に入り込んだ日本」と呼び、「これはもはや、台湾文化の一部であるとしても反論はあるまい」と述べています。
 第1部「台湾に生きている『日本』を歩く」では、「建成尋常小学校」について、「台湾で生まれ育った日本人」である「湾生(わんせい)」と呼ばれる人たちが、「焦土と化した本土に縁者があるとは限らず、また、台湾の地に対する愛着も強い」ため、「台湾に引き続き暮らすことを望んだのは想像に難くない」が、進駐してきた国民党政府が、「前統治者である日本人が居残ることを嫌ったため」、「ほぼすべての日本人居住者が本土へ引き上げることとなった」と述べています。
 また、「和美公学校構内神社」については、すでに一世紀以上の歴史を刻んだ学校には、「何らかの遺構が残っていることが多い」として、「私は見知らぬ町へ赴いたときには、努めて学校を訪ねるようにしている」と述べています。
 「琴山河合博士旌功碑」については、「阿里山開発の父」と呼ばれた林学博士・河合し(金偏に市)太郎の石碑を取り上げた上で、阿里山森林鉄道について、「連続スイッチバックやスパイラルの存在でも知られ、アンデス高原鉄道やインドのダージリン鉄道などとともに世界三大山岳鉄道の一つにも数えられている」と述べています。
 「竹子門水力発電所」については、発電所の構内に3人の日本人技師の殉職碑が残されている事について、「これらの石碑はいずれも工員たちによって建てられ、そして守られてきた」として、案内してくれた古老が、「職務に対する真摯な姿勢は何人たりとも否定できません」と語ったと述べています。
 第2部「台湾人と日本人――日本統治時代の絆を訪ねて」では、嘉義県東部の東石という町にある「義愛公」という名で祭られている日本人の警察官を取り上げ、明治30年に台湾に渡った森川清治郎巡査が村人の税の減免を当局に訴えたにもかかわらず、「巡査が村民を扇動しているとして、結果的に懲戒処分を受けること」になってしまい、自己の潔白を晴らすために自決したという来歴を紹介し、「各地を巡り、こういったエピソードに触れていくと、当時、日本人と台湾人がいかに強い結びつきを築いていたかという事実を痛感させられる」と述べています。
 また、「敗戦国である日本の将校が台湾に渡り、中華民国軍の顧問団として兵を鍛えた」とする「白団」については、「白団は日本人によって構成された軍事顧問団である。蒋介石の提案で招聘され、メンバーの素性はもちろん、顧問団の存在そのものが極秘とされていた。いわば国家公民の地下組織というべきものである」と述べ、蒋介石は、日本の軍隊システムに注目し、「第二次世界大戦で長らく劣勢に置かれながらも戦い抜いた日本軍を評価し、その長所を吸収することで不利な状況を打破したかった」のではないかと述べています。そして、白団が活躍した場面として、金門島を舞台に繰り広げられた一連の戦闘を挙げ、この戦闘については、「終戦時に北支方面軍司令官権駐蒙軍総司令官」であった根本博中将に触れ、1949年に金門に上陸した3万人の人民解放軍の歩兵を約8千あまりの兵を指揮し、「わずか2昼夜で撃退している」と述べています。
 第3部「台湾の言葉となった日本語」では、台湾で、「周囲で交わされる人々の会話に時折日本語が混じるのを耳にしたことがある」として、台湾語の「出張(ツッティウ)」、「都合(トーハッ)」、「便所(ピェンソ)」など、「もともと台湾語の語彙ではなく、日本語起源の単語を台湾語の読み方で発音している」ものなどのほか、
、台湾の言葉となった日本語として、
・アイサツ
・ダイジョブ
・チャンポン
などの言葉を紹介しています。
 本書は、今では日本国内でも目にすることができない戦前の日本を台湾で探した一冊です。


■ 個人的な視点から

 何年か前に、台湾を一周したときに、阿里山森林鉄道に乗りました。嘉義の駅で切符も買えましたし、宿も山の上についてから探しましたが見つかりました。台湾というと暖かいところというイメージがあると思いますが、早朝にご来光を見に行くときにはダウンジャケットをレンタルしてました。山を降りたら絶対必要ないものでしょう。帰りは残念ながら時間が合わなかったのでバスで山を降りました。烏龍茶の茶畑がきれいでした。


■ どんな人にオススメ?

・戦前の日本に会いたい人。


■ 関連しそうな本

 中村 祐悦 『白団(パイダン)―台湾軍をつくった日本軍将校たち』
 柯 徳三 『母国は日本、祖国は台湾―或る日本語族台湾人の告白』
 蔡 焜燦 『台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい』


■ 百夜百マンガ

隣人13号【隣人13号 】

 いじめをテーマにした作品。いじめられっこが殺人鬼になる設定は「殺し屋1」を思い出しますが、こういう作品をいじめの当事者たちはどういう心境で読むのでしょうか。

2009年8月 6日 (木)

マス・ヒステリーの研究―民衆の踊らせ方の法則

■ 書籍情報

マス・ヒステリーの研究―民衆の踊らせ方の法則   【マス・ヒステリーの研究―民衆の踊らせ方の法則】(#1659)

  角間 隆
  価格: ¥571 (税込)
  角川書店(2001/08)

 本書は、魔女裁判やナチス・ドイツ、日本の「ええじゃないか」などを例に挙げ、大衆の躍らせ方を論じたものです。
 第1章「日本人は60年周期で集団ヒステリー状態になる」では、「ワイドショー内閣」と呼ばれた小泉ブームを「これは一種の集団催眠的トランス(恍惚)状態に入った国民的な『マス・ヒステリア』(mass-hysteria=集団ヒステリー)現象ともいうべき大状況」だとした上で、「日本民族60年周期発狂説」を紹介しています。
 そして、ヒトラーが『我が闘争』野中で、「いかなる宣伝も大衆に好まれるものでなければならず、その知的水準は宣伝の対象相手となる"大衆のうちの最低レベルの人々"が理解できるように調整されねばならない。さらに、それだけではなく、獲得すべき大衆の数が多くなるにつれて、宣伝の純粋の知的レベルはますます低く抑えねばならない」と書いていることを紹介しています。
 第2章「セイラム村の『魔女狩り』騒動 狂気の『集団催眠』が虐殺を生んだ」では、17世紀にアメリカのセイラム村で発生した「魔女狩り」裁判を取り上げ、「女性14人と男性5人、合計19人が縛り首の刑に処せられた」ことなどを紹介した上で、アメリカという社会には、「自己治癒」の自浄作用が働いていると述べています。
 そして、第二次世界大戦後の「マッカーシー旋風」について、「アメリカの『自由の守護神』という金科玉条こそが、かえって建国以来の大理想であるはずの『自由』や『独立』の死守という『アメリカ民主主義』の基本理念を踏みにじってしまう引き金となった」
と述べ、野心満々のマッカーシーが、「アメリカ国民の危機感や不安感を煽り立てる一方、自分は上院の『査問委員会』に陣取って、少しでも『怪しい』とにらんだ人々を片っ端から上院の聴聞会に呼び出し、しゃにむに、『お前はアカ(共産主義者もしくはその同調者)だ!』というレッテルを貼り、社会的に抹殺し始めた」と述べています。
 第3章「『ドイツを盗んだ』ヒトラーの野望『政治宣伝』と『扇動』の狭間で」では、「民衆が抑えようもない狂熱(ファナティシズム)に駆り立てられ大暴走(スタンピード=stampede)し始めるときには、必ずといっていいくらいその背後にいくつかのトリッガー(引き金)、すなわち必要にして十分な絶対条件、が隠されている」として、「何よりも、彼らを居ても立ってもいられないようにする社会的な不安や不満、危機感……といったせっぱ詰まった空気がなくてはならない」と述べています。
 そして、ヒトラーを例に、「『権力関係の正当性』に対する一種の信念が『服従者』に植え付けられたとき、『権力』は『権威』と呼ばれることになる」と述べ、「一介のオーストリア出身の貧しい青年」が「権威」を保ち続けたのは、「彼の存在や権力の行使が、『公に認知され』、『社会的に承認され』ていたからにほかならない」と指摘しています。
 また、レーニンが、「宣伝」(プロパガンダ)と「扇動」(アジテーション)を峻別し、「宣伝(propaganda)は知識階級向けに行い、扇動(agitation)は大衆向けに使え」と喝破していたと述べています。
 第4章「『マス・ヒステリー』と『国民性』 日本人は『熱し易く冷め易い』!?」では、ルース・ベネディクトの『菊と刀』について、「日本の文化」を、「内面に善悪の絶対の基準を持つ西洋の『罪の文化』とは対照的な、『内面に確固たる基準を欠き、他者からの評価を基準として行動が律されている「恥の文化」である」として大胆に類型化した」ことが、「戦後の日本人に大きな影響を与えた」と述べています。
 また、江戸時代にたびたび発生した伊勢神宮への「集中参詣」現象について、中でも「文政のお蔭参り」では、4ヶ月という短期間に「宮川の渡船場」を428万人が渡ったことのすさまじさを指摘しています。
 そして、「わが国には、昔から『流行神』という形の『集団ヒステリー』現象も見られた」として、幕末の「ええじゃないか」に連なる流行神の系譜を解説しています。
 第5章「『神は死んだ!』か? 現代『仮想現実』社会の新たなる大魔神」では、アドルフ・ヒトラーが建設した「第三帝国」が、「惨めな"敗戦国"であるにもかかわらず、『第二次世界大戦』後の世界を席巻するすばらしい文化遺産を残したこともまた事実」だとした上で、「大日本帝国」は、「『全体主義』の『国民総動員』体制の下で、ほとんど窒息させられ、戦後世界を主導するようなめぼしい文化的成果を生み出すことはできなかった」ことを指摘しています。
 そして、日独伊参加国の「ファシズム体制化」への過程や方法論について、
(1)「イタリア」のファシズム・・・下からのファッショ化
(2)「ドイツ」のナチズム・・・大衆と結託してのファッショ化
(3)「日本」のファシズム・・・上からのファッショ化
の比較を行っています。
 本書は、踊らされる民衆によって国が左右されることを危惧した一冊です。


■ 個人的な視点から

 単に世代的な問題なのかもしれませんが、本書の文章は非常に高圧的というか、文章の中に著者の個性がそこかしこに現れていて、非常に自己主張が強い個性の持ち主なのかもしれませんが、読みやすさという意味では「エッセイのように読みにくい」という印象を持ちました。
 ジャーナリストが書いた本というよりも、物知りの「教養人」が語ったご高説というような感じです。


■ どんな人にオススメ?

・民衆は愚かだと思う人。


■ 関連しそうな本

 アンヌ・モレリ (著), 永田 千奈 (翻訳) 『戦争プロパガンダ 10の法則』 2007年11月01日
 高木 徹 『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』 39048
 スチュアート ユーウェン (著), 平野 秀秋, 挟本 佳代, 左古 輝人 (翻訳) 『PR!―世論操作の社会史』 39647


■ 百夜百マンガ

あずまんが大王【あずまんが大王 】

 サザエさんが何十年も歳をとらないのに対して、歳をとる学園ものは当たり外れが大きいです。当たりのときは卒業してしまうのがもったいなかったり、卒業してもずるずる続いたりします。

2009年8月 5日 (水)

大統領になりそこなった男たち

■ 書籍情報

大統領になりそこなった男たち   【大統領になりそこなった男たち】(#1658)

  内藤 陽介
  価格: ¥798 (税込)
  中央公論新社(2008/09)

 本書は、「"大統領になりそこなった男たち"の物語から、大統領を主役とする歴史とは別の、もう一つのアメリカ(とその歴史)のスケッチを描いて」みたものです。
 第1章「アレクサンダー・ハミルトン」では、10ドル紙幣に取り上げられているハミルトンが、「年齢的にも、時代的にも、大統領になれる可能性が十分にあったし、本人もその意欲があった」とした上で、「連邦党の長であるハミルトンが、大統領への野心を持っていながら、ワシントンの後継大統領を目指して選挙に出馬しなかったことは、アメリカ政治史上の最大の謎」と延べ、その理由として、
・政治の世界で重要視される年功が足りなかった。
・カリブ海の島で非嫡出子として生まれた出自は明らかに異色であった。
・彼に対してアレルギー反応を示す者も多かった。
などの点を挙げています。
 第2章「ヘンリー・クレイ」では、「アメリカ史上、最も偉大な上院議員5人("フェイマス・ファイブ"と呼ばれるの1人」とされながらも、大統領選挙に「5回も挑戦し、結局、一度も当選を果たすことなく敗れ去った稀有なキャリアの持ち主として注目に値する」と述べています。
 そして、クレイが、「アレクサンダー・ハミルトン以来の連邦派の系譜に連なる"アメリカン・システム"論を展開」したとして、その骨子は、
(1)製造業を発展させて工業かを進める。
(2)道路や運河建設などの政府主導の公共事業を推進して、国内のインフラを充実させる。
(3)その費用を捻出するため、国が払い下げる西部の土地の価格を高く設定するとともに、英国からの輸入品には高い関税をかけて国内産業を保護する。
の3点であったと述べています。
 第3章「ウィリアム・ヘンリー・スワード」では、「後になってみると、選挙に落選し、大統領になりそこなったことで天寿を全うし、別の職務において業績を残すことになった人物」の典型として、スワードを挙げています。
 第4章「ウィリアム・ジェニングス・ブライアン」では、「歴史に残る名演説を残したゆえに、社会的成功への道が開け、大統領候補にまでなった」人物として、「アメリカ市場、最も人気のあった雄弁家」として知られるブライアンを挙げ、1896年の民主党大会で行われた「金の十字架演説」を紹介し、「この演説は、集まった聴衆を熱狂させ、ブライアンは一躍民主党の大統領候補に選出された」と述べています。
 第5章「アルフレッド・スミス」では、「かつてのアメリカでは、ワスプの男性以外は合衆国大統領になれない(させない)という不文律があった」とした上で、「このときのスミスの敗退により、非WASP大統領の誕生は、1961年のケネディ政権誕生まで持ち越されることになる」と述べています。
 第6章「ロバート・アルフォンソ・タフト」では、タフト家が、「実質的にオハイオ州の殿様で、州都のシンシナティはその城下町であるといっても過言ではない」と述べた上で、共和党の全国大会で、政敵から、対抗馬であるアイゼンハワー派の代議員が、タフト派の圧力によって辞退に追い込まれているとクレームをつけたため、「このクレームは"プロの政治家"としてのタフトのイメージを決定的に悪くした」と述べています。
 第7章「ダグラス・マッカーサー」では、「アメリカでは、愛国心の指標として軍歴を挙げる人が多い」として、「特に、三軍の最高司令官である大統領の資質としては、実際に戦場で戦ったか否かが、有権者にとって、しばしば重要な判断材料とみなされる」と述べ、「軍歴という点で言えば、アメリカの歴史において、最も輝かしいキャリアを誇る人物の一人として、日本人にもなじみの深いダグラス・マッカーサーをあげることができるが、彼がみずからの武勲を手に大統領のいすを目指したことは、日本人には案外知られていないようだ」と述べています。
 本書は、日本人にはあまり知られていない、大統領に届かなかった人たちを通して、アメリカを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本人は、アメリカの大統領になった人には関心を持ちますが、負けたほうの候補者にはあまり関心は内容です。それに、アメリカ大統領選挙が日本でもこれほど取り上げられるようになったのは最近のことのような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・アメリカの政治の深さを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 飯山 雅史 『アメリカの宗教右派』 2009年7月11日
 横江 公美 『日本にオバマは生まれるか』 2009年7月28日
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 2005年07月13日
 岸本 裕紀子 『ヒラリーとライス アメリカを動かす女たちの素顔』


■ 百夜百マンガ

中崎タツヤ作品集【中崎タツヤ作品集 】

 今ではメジャー出版社やテレビでも取り上げられますが、やはりこの人は竹書房とかの方が雰囲気が合うような気がします。

2009年8月 4日 (火)

物価迷走 ――インフレーションとは何か

■ 書籍情報

物価迷走 ――インフレーションとは何か   【物価迷走 ――インフレーションとは何か】(#1657)

  神田 慶司, 原田 泰
  価格: ¥740 (税込)
  角川グループパブリッシング(2008/11/10)

 本書は、「物価はなぜ上がるのか、物価が上がるとどうなるのか、物価を無理やり抑えつけるとどうなるのか、物価を上げないようにするためにはどうすれば良いのか、をできる限り平易に解説したもの」です。
 第1章「原油価格はなぜ上がったか」では、冬季と資源価格の関係について、「投機は価格を不当に吊り上げ、資源の不足を大きくする悪いものだと、多くの人に思われているが、、経済学では、投機は本来価格を安定させる効果があると考える」とした上で、「将来、価格が下がることを恐れて」、「長期の先物を買う投機家はいない」ため、「投機は価格を安定させるはずだが、その機能を果たす投機家が少なすぎる」と述べています。
 第2章「資源価格と物価の関係」では、「日本の物価は徐々に上がっているが、全体としてみればあがり方は小さい」として、「原油など資源価格は高騰したが、それが日本に波及する程度は限定される」と述べ、「インフレ率がどうなるかは、原油価格以外の要因も大きい」としています。
 第3章「インフレーションとは何か」では、インフレーションを、「物価が全般的に、ある期間にわたって持続的に上昇すること」とした上で、「多くの先進国では、消費者物価上昇率が2%程度以下ではインフレが問題であるとは思われ」ないと述べています。
 また、2002年以降の日本経済の景気拡大が、大都市部に集中したのして、「景気拡大の恩恵をあまり受けられなかった地方の可処分所得はこうした地域よりも低い上に、エネルギー消費額のウェイトが都市部よりも高いため、地方に住む人々の購買力は都市部に住む人々よりも低下している。原油高は都市部と地方の格差を拡大させている」と述べています。
 第4章「なぜインフレになるのか」では、マネーの機能について、
(1)交換手段
(2)価値貯蔵手段
(3)価値尺度
の3点を挙げ、「現在でもマネーは幾通りかの定義があり、一般的なものとして、M1、M2、広義流動性などが挙げられる」としています。
 そして、本性で最も重要なメッセージとして、「物価は個々の物価を平均しても分からない。全般的な物価水準を決めるのは金融政策である」と述べています。
 第5章「先進国のインフレ」では、「金融を引き締めてマネーの伸びを抑えれば、インフレは抑えられる」としながらも、そうできなかった理由として、「金融を引き締めて物価を抑えれば、景気が悪くなって失業が増える。失業が増えれば、政権は人気を失い、政権の座から追放される可能性が高くなる。だから、マネーを抑えることはできない」と述べています。
 第6章「世界のインフレ」では、ジンバブエのインフレーションについて、インフレ率が年率で200万%に達したと述べ、「お札を刷った挙句が、220万%というインフレだ。お札を刷らなかったらただ混乱だけが起きていたが、お札を刷ったがゆえに、混乱とインフレの両方が起きてしまった」と指摘しています。
 本書は、言葉としてはよく耳にする「インフレーション」がどんなものなのかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 オイルショックの時にはまだ物心ついていなかったのでインフレというのはあまり実感がないのですが、お金が目減りしていくというのは大変だとは思います。


■ どんな人にオススメ?

・インフレの実感を持っていない人。


■ 関連しそうな本

 内田 真人 『デフレとインフレ』
 高橋洋一 『この金融政策が日本経済を救う』


■ 百夜百マンガ

冷食捜査官【冷食捜査官 】

 『犬家の一族』にも収録されていましたが、モーニングにも掲載されたなんて。しかも単行本が出てるなんて知りませんでした。

2009年8月 3日 (月)

心はなぜ不自由なのか

■ 書籍情報

心はなぜ不自由なのか   【心はなぜ不自由なのか】(#1656)

  浜田 寿美男
  価格: ¥756 (税込)
  PHP研究所(2009/1/16)

 本書は、「発達心理学と供述分析の視点から、自由と不自由のあいだで絡み合う心のメカニズムを解明」し、「自由を妨げる『見えない壁』を浮き彫りにする」ものです。
 序「講義をはじめるまえに」では、特別弁護人として「甲山事件」に関わったことをきっかけに法廷に付き合いはじめた経緯を語っています。
 第1回講義「取調室のなかで『私』はどこまで自由か」では、自由な素朴な定義として、「天上の視点・神の視点」からみた「選びうる」ことと「選び得ない」ことを一つの軸に、生身の視点から見て「選べる」ことと「選べない」ことをもう一つの軸に取り、天上の視点から「選び得ない」ことは「絶対的不自由」とした上で、天上の視点からは「選びうる」ものでも、「生身の視点」からは、「選べる」ものを「相対的自由」、「選べない」ものを「相対的不自由」だと定義しています。
 そして、自白についての私たちの先入観・誤解として、「被疑者の立場に立って想像すればすぐに分かるようなことにも、案外、気づかない」として、
(1)被疑者は自白して有罪となれば重大な刑罰を受けると分かっているのだから、よほど特別の事情がない限り、無実の人が嘘で自白することはないはずだ。
(2)無実の人の虚偽自白があるとすれば、それは取調べ側の完全なでっち上げだ。
の2つの誤解を挙げています。
 また、これまでの冤罪事件での自白を見て感じることとして、「異常状態で、精神的に錯乱して自白をしたというよりは、被疑者はその正常な心理において、自ら選択をしている」と指摘しています。
 第2回講義「この世の中で『私』はどこまで自由か」では、羞恥心が成り立つための条件として、
(1)人はなぜ自分の特定部分について、優秀だとか劣等だとか思ってしまうのか。
(2)人はなぜ他者からの評価を気にするのか。なぜ自分の劣等部分が人前にさらされるのを嫌うのか。
(3)人は他者からの評価を直接見たり、聞いたりできる以前のところで、羞恥心を感じてしまう。なぜか。
の3点を挙げています。
 そして、身体について、
(1)個別性(本源的自己中心性)
(2)共同性(本源的共同性)
の、「一見すると矛盾して見え」るが、「つねに合い携えている二つの側面」を持っていると述べ、(2)についてはさらに、
(a)相補性(能動―受動のやり取り)
(b)同型性(相手と同じ型を取る)
の2つに分けて解説しています。
 また、「人は皆、自分の周りに張り巡らせた関係の網の目に支えられて生きている」が、このことは、「関係の網の目に絡まれ、縛られている」琴田と述べ、「羞恥の感情に絡みつかれたとき、人はそこから自由になることが容易では」なく、「関係の網の目に絡みついた評価軸、あるいはその網の目に編みこまれた他者の視点に、自分も深く浸透されてしまっているから」だと指摘しています。
 第3回講義「『私』はどこまで自由か」では、「『神の視点』からは、無実の主張を選び続けることが可能であるように見えて、そのじつ『生身の視点』からは、それがあまりにくりる市九手、耐えられない。そのために、あえて『犯人になる』ことを主体的に選ぶ」と述べています。
 そして、「文明が進み、目の前の選択肢が広がって、それに比例して欲望が肥大していくとき、人が頭のなかで描く自由度は高まり、しかし現実に味わう不自由度も高まる」ことを指摘したうえで、「何かしようとしてできないことを第1の不自由と呼ぶとすれば、できないと分かった上で、当初したいと思ったその思いそのものを自分でコントロールできないというのは、いわば第2の不自由」だと述べています。
 本書は、自由なものだと思っている自分の心が思った以上に不自由であることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 個人的には、取調室に連れてかれたら、あることないこと喋ってしまいそうな意思の弱さには自身があります。
 人から聞いた話ですが、自分が容疑者でなくても、参考人として調書を取られるときも相当プレッシャーを感じるそうです。


■ どんな人にオススメ?

・自分は意志が強いと思っている人。


■ 関連しそうな本

 浜田 寿美男 『「私」をめぐる冒険―「私」が「私」であることが揺らぐ場所から』
 浜田 寿美男 『障害と子どもたちの生きるかたち』
 浜田 寿美男, 奈良女子大学子ども学プロジェクト 『赤ずきんと新しい狼のいる世界―「子ども学」構築のために』


■ 百夜百マンガ

THE END【THE END 】

 この人の話はストーリー自体も重いのですが、絵自体が後味が悪い感じというか夢に出てきそうな感じです。

2009年8月 2日 (日)

ネットワーク思考のすすめ―ネットセントリック時代の組織戦略

■ 書籍情報

ネットワーク思考のすすめ―ネットセントリック時代の組織戦略   【ネットワーク思考のすすめ―ネットセントリック時代の組織戦略】(#1655)

  西口 敏宏
  価格: ¥1890 (税込)
  東洋経済新報社(2009/07)

 本書は、最新のネットワーク理論と社会システム理論を駆使し、「何か根源的に新しく、環境変化に柔軟に対応でき、しかも、比較的簡単に利用できて、今日のめくるめく状況への適応に役立つ普遍的な原理はないのか」という問いに答えようとする試みです。
 第1章「ネットワークで読み解く社会」では、中国浙江省の温州人が、欧州で「服飾、比較など日用品商売でネットワークを築き上げ、繁栄を謳歌している」ことについて、「温州人ネットワークは、血縁、地縁を通してイモヅル式だ」と述べ、「温州の例と新しいネットワーク理論は、結局、大切なのは、人々のつながり方と適度のリワイヤリング(温州の場合は、故郷と交流する離郷人の適度の増加)であることを示唆する」としています。
 また、本性の帰結として、
(1)ネットワークの有効機能のためには、結節点間の結びつき方、つまり、情報伝達の全体経路を定義づけるトポロジーが重要ということである。
(2)頑健(robust)なトポロジーの典型は、完全に規則的でもランダムでもないつながり方のネットワーク、つまり、大多数の点は規則的につながっているが、一部のつながり方にランダム性を残したスモールワールド・ネットワークということである。
(3)トポロジーは可変的という点。
の3点を挙げた上で、今、私たちは、「意志決定や活動の『中心』が特定の一転ではなく、ネットワークそのもにあるとする新しい考え方」である「ネットセントリック(netcentric)時代の幕開けを迎えている」と述べています。
 第2章「トポロジーで考えるネットワーク」では、「サプライチェーンのマネジメントに関連して、たった一つだけ、トヨタが世界中のあらゆる競合他社と、基本的に異なっていること」として、「特定の選ばれたサプライヤーどうしを横串的に結ぶ『バイパス』を巧妙に制度化することによって、そうしなければ、限りなく『レギュラー型』に近いままであったろう自動車部品のサプライチェーンを、みごとに『スモールワールド化』して運営していること」だと述べ、その「バイパス」は「自主研究会」のことだと解説しています。
 また、トヨタの「ネットセントリック」な問題解決能力が発揮された例として、1997年2月1日に起きたアイシン精機の工場火災事故を挙げ、「危急の際、混乱のなかであちこちの関連企業が自律的に必要な情報の探索を同時に進めた結果、数週間や数ヶ月ではなく、わずか数日で、複数の出所から著しく有用な技術情報を入手でき、ただちにサプライヤー間にヨコテンされ、共有されたという事実」を挙げています。
 そして、「自主権を通じて、サプライチェーン全体から見れば少数かもしれないが、力量と影響力のあるサプライヤーどうしが、ふだんから専門領域を越えた『遠距離交際』をしており、ネットワークのスモールワールド化に貢献していた」結果、火災事故に対して、「わずかな労力で比較的簡単に、数本のリワイヤリングを行うことができ、そうでないシステムに比べて、遙かに安いコストで必要な技術情報を得て問題解決し、さらに、同じ知識を多くの協力者に普及させることができた」と解釈しています。著者は、これを、「個人や個別企業の能力以上に、だれと日常的にいかにリンクしているかという『つながりの構造』が大切なのだ」と解説しています。
 第3章「企業と政府のスモールワールド化」では、「近頃、科学技術の著しい進展と複雑さの増大」によって、
(1)共時的:時間を共有しながら併存している状態
(2)継時的:過去、現在、未来という時系列を考慮した状態
の2つの次元で、「あいまいさと事前にわからないことが増加している」とした上で、「部門横断型プロジェクトチームによるスモールワールド化は、そのような問題を克服する助けとなる」と述べています。
 第4章「信頼とソーシャルキャピタル」では、「ソーシャル・キャピタルの豊かな社会では、かりに制度や法に不備があり、運用面で多少ギクシャクしても、人々は、互いの信頼に基づく共同活動と問題解決能力によって、究極的には問題を克服し、低コストで全体目的を達成するであろう」と述べています。
 第5章「社会ネットワークの駆動力」では、「取引関係において、より普遍性が強く、組織、地域、国を越えて人々を結びつける信頼」の条件として、
(1)優れた問題解決法(経営原理、生産方式)の存在
(2)そうした問題解決法の組織の枠を越える実践
(3)生じた利益の公正な分配
(4)取引関係におけるウィン・ウィン・ゲームの好循環
の4点を挙げ、この4つがそろって初めて、「事後的に生成するのではないか」と述べています。
 また、トヨタが中国の内陸部、四川省の成都に進出し、高い物流コストと長いリードタイムを解決するため、揚子江をベルトコンベア化していく例を紹介しています。
 そして、今回の事例で注目すべき点として、「並外れた普遍性を持つトヨティズムという『社会的しかけ』であり、その幅広い応用可能性」を挙げ、「ソーシャル・ソフトウェア」と言い換えてもよいと述べています。
 第6章「社会システムを考える」では、「社会システムは自己準拠的であり、その再生産プロセスはオートポイエティックであるが、環境からのチャンスの取り込みに対しては開かれている。そして、自己を維持しながら、チャンスの取り込みに対して開かれた社会システムほど頑健(robust)であり、生存能力が高い」としています。
 そして、「複雑な環境に対して、高度な適応能力を備えた社会システムとは、それ自体の内部に複雑性を維持し、多様な選択を可能にするシステムに他ならない」と述べています。
 第7章「循環する社会システム」では、「社会システム」の本質を、「ある共通目的のために、意識的に調整された、二人以上の人間の、協働活動や諸力の体系」だととらえた上で、社会システムのうち、「公式かつ統一的な命令系統によって律せられ、その境界が明確に定められた、社会システムの一形態、いわば、その特異形態(anomaly)である」と定義したうえで、「組織はダブル・コンティンジェンシーの克服に役立ち、ネットワークは最小有効多様性の確保に貢献する」と述べています。
 そして、「ネットワーク」を、「公式かつ統一的な命令系統によって限定された、組織の排除作用によって、いったん失われ、あるいは、保留となった連結可能性を再検索し、再利用するために、組織の枠を超える浸透作用によって調整された、二人以上の人間の、協働活動や緒力の体系」と定義づけています。
 第8章「人生を楽しく生きる秘訣」では、「近年ITの発達によってもたらされた膨大な新しい社会システム群は、、以前は考えられなかった大胆なリワイヤリングの可能性を人々に与えた」と述べています。
 また、社会ネットワークの成功の条件として、
(1)喫緊のニーズはあるか? なんとなくおもしろそうだからとか、外部の権威者に焚きつけられて参加するだけの「異業種交流会」は長続きしない。
(2)協働の成果がすぐ「見える」形で現れ、その利得は公平に分配されるか? また、利得は繰り返し発生し、公平な分配の仕組みは維持されるか?
(3)ノード間で根本的な価値観は共有されているか? もし共有されていれば、彼らの間に信頼は自然に生じる。
(4)適度なリワイヤリングを促す制度やメカニズムはあるか?
の4点を挙げています。
 そして、ネットワークの真髄として、「ネットワークの本質は『浸透』であり、その浸透作用によって、組織の『排除』作用で一度失われた連結可能性を回復し、再吟味し、再利用できる選択肢を増やすことにある」と述べています。
 本書は、現場に立脚したネットワーク理論を展開する一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者の西口先生には、2年ほど前にお会いしたことがありますが、お話を直接伺っていても非常に頭の早い方だということが伝わってきて著書が出るのを楽しみにしていました。
 一時のネットワーク理論ブームは、何年か前のゲーム理論ブームのときのように、理論をいろいろなものに当てはめる人が続出して来ましたが、理論が先にあって現場を探すよりも、西口先生のように現場での研究が先にあって、そこに理論を見出していく方のほうが読み応えがあります。


■ どんな人にオススメ?

・ネットワーク理論は面白いけど現場感が足りないと思っている人。


■ 関連しそうな本

 西口 敏宏 『遠距離交際と近所づきあい 成功する組織ネットワーク戦略』 2007年07月02日
 ダンカン ワッツ (著), Duncan J. Watts (原著), 栗原 聡, 福田 健介, 佐藤 進也 (翻訳) 『スモールワールド―ネットワークの構造とダイナミクス』 2006年03月22日
 ダンカン ワッツ (著), 辻 竜平, 友知 政樹 (翻訳) 『スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための新科学的思考法』 2005年09月28日
 アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日
 安田 雪 『実践ネットワーク分析―関係を解く理論と技法』 2005年10月04日
 安田 雪 『ネットワーク分析―何が行為を決定するか』 2005年10月13日


■ 百夜百音

もんた&ブラザーズ ベスト10【もんた&ブラザーズ ベスト10】 もんた&ブラザーズ オリジナル盤発売: 2005

 今聴くとさすがに古いですが、個人的には「DESIRE」とか好きです。

2009年8月 1日 (土)

「汚い」日本語講座

■ 書籍情報

「汚い」日本語講座   【「汚い」日本語講座】(#1654)

  金田一 秀穂
  価格: ¥714 (税込)
  新潮社(2008/12)

 本書は、「何を持って汚いとするのか、汚いというのはどういうことなのか」という感覚について考えたものです。
 第1時間目「『汚い』のオリエンテーション」では、「汚いということは、かなり深い」が、「書いていて、どこへつながるのか、著者自身、全く分かっていない。どういう結論になるのか、分からない」と語っています。
 第2時間目「字義では視覚か、触覚か」では、「汚さには、私たちの理解を超えたものがある」が、「わけの分からなさが、人に対して、これほど強いインパクトを持つものであろうか」と疑問を呈し、「汚いものは、そこにあって、私たちに、汚いというメッセージを強く持続的に送り続ける。自己を主張してやまない。人に不快感を与えてやまない」として、「分からなさが汚さを発するというだけでは、説明として、まだ不十分であるだろう」と述べています。
 第4時間目「メタファーによって認識する」では、「人間が何かを認識するために、とても基本的なところでメタファーが使われる」と述べ、「メタファーなしに生きていくのはかなり難しい」としています。
 第6時間目「相対と絶対のあいだ」では、「貧しさと汚さは結びつきやすい」として、「清潔であり、健康であることが善である。不潔は悪であるという考えの裏には、貧困も悪であるという思想があり、不健康も悪であると考えられていく」と述べています。
 そして、「汚いは判断であり、汚らしいは、汚く見える、ということである」として、「ウンコ色のカレーは汚らしいけれど、カレー色のウンコは汚いのである」と述べています。
 第7時間目「文化と習慣から考える」では、「日本で、最も個別的であるのは、箸である」と述べたうえで、「『汚い』という感覚は極めて文化的である。すなわち、後天的に学習して獲得した感覚である」と述べています。
 第9時間目「なぜ『汚い』を恐れるのか」では、「不潔恐怖」について解説した上で、問題点として、
(1)彼らが何を汚いと思うのか、ということ。
(2)汚いという感覚は脳で起きる。
の2点を挙げています。
 第11時間目「アナログからデジタルへ」では、「『汚い』について考えていると、我々ヒトの原始的段階にまで遡りたくなるとしたうえで、「アナログ言語だけだったとき、ヒトは多分、この世界の中に包まれて生まれてきた」と述べています。
 第12時間目「『汚い』の起源と日本人」では、『歌うネアンデルタール』でS・ミズン、「子どもが最初に覚えるべき言葉は『ばっちい」であるだろう」と述べていることについて、「問題は、私自身がこの説にちっとも納得していないこと」だと述べています。
 本書は、「汚い」という言葉をめぐって、時間を越えて旅をさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「汚い」日本語というタイトルからは、ブロークン・ジャパニーズの話か何かかと思ってしまいましたが、「汚い」という言葉をキーワードにここまで話を広げるとは予想もしませんでした。


■ どんな人にオススメ?

・「汚い」とは何かを考えたい人。


■ 関連しそうな本

 金田一 秀穂 『新しい日本語の予習法』
 金田一 秀穂 『ふしぎ日本語ゼミナール』
 金田一 秀穂 『気持ちにそぐう言葉たち』
 金田一 秀穂 『適当な日本語』


■ 百夜百音

究極のベスト!【究極のベスト!】 葛城ユキ オリジナル盤発売: 2005

 それまでハスキーボイスといえば、もんたよしのりでしたが、この人がいなければ、中村あゆみも受け入れられていなかったかもしれません。

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