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2009年10月

2009年10月31日 (土)

旧暦はくらしの羅針盤

■ 書籍情報

旧暦はくらしの羅針盤   【旧暦はくらしの羅針盤】(#)

  小林 弦彦
  価格: ¥714 (税込)
  日本放送出版協会(2002/12)

 本書は、「知識として必要なものだ、生活に役に立つものだとの肯定論」から旧暦について書かれたものです。著者は、「旧暦を知ることは、アジアの心を知ること」だとしています。
 「はじめに」では、旧暦を学ぶメリットとして、「日本の気候は、旧暦を下敷きにして考えると毎年の天候予測ができるようになっている」ことを挙げ、「旧暦を理解して天候が読めるようになれば、商売のうえで大きなメリットがある」としています。
 第1章「旧暦は商売の羅針盤」では、現代科学の粋を集めた気象庁の長期天気予報が、60%ぐらいの確率であるのに対し、「旧暦を活用すればもっと正確に予測することが可能」だとして、「旧暦は、月の動きや太陽の動きを何時何分何秒まで計算した、天文学的な科学データに基づいて」つくられたもので、「生活に密着するよう、東アジア地域の気候に一番合うように作られた暦」だと述べています。
 また、旧暦による四季の区分の、「どこに閏月が入るかによって、一年の気候は大きく変動することになる」が、「この閏月による季節の調節が、日本の気候にぴったりと整合する」と述べています。
 そして、「旧暦は、迷信でも、不合理でもありません。天文学的に裏打ちされた、流行の言葉で言うならば、『自然にやさしい暦』なの」だとしています。
 第2章「旧暦の基礎知識」では、「二十四節気」について、「シーズンの変わり目に枕詞として、現在も活用されて」いると述べています。
 本書は、日本人に馴染みが薄くなった旧暦の良さを説いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 普段天気予報で二十四節季を聞くことはあっても実際にその季節の移り変わりを実感している人は少ないような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・季節の移り変わりを知りたい人。

2009年10月30日 (金)

盛り場の民俗史

■ 書籍情報

盛り場の民俗史   【盛り場の民俗史】(#)

  神崎 宣武
  価格: ¥893 (税込)
  岩波書店(1993/09)

 本書は、「伝統的な盛り場が消えつつある今、長年の民俗調査にもとづき、その空間を鮮やかに分析し、歴史的な歩みを明らかにする」ものです。
 著者は、盛り場は、「ケとハレが渾然と一体化」した「ケハレ」の空間であるとしています。
 第1章「盛り場の昼」では、ヤシ・テキヤの系譜を述べたうえで、「ヤシ・テキヤが、本書で盛り場の一方の原型とする高市の縁者であり演出役である」と述べ、「高市は、それ自体が集客装置である。そのなかでも、タンカバイ、大ジメ、タカモノがもっとも集客機能を果たしていた。つまり、高市の『華』であったのだ」と述べています。
 そして、高市を取り上げた理由として、高市は、「仮設の盛り場」であり、「都市の一角をなす繁華街や興行街の原型とした」ためだと述べています。
 第2章「盛り場の夜」では、「花街の形成も、江戸時代までさかのぼって見当づけることができる」として、
(1)茶屋
(2)遊廓
の2つを発端としてあげています。
 終章「盛り場のトポス」では、「山際と水際の火除地に代表される空き地は、ハレとケの中間領域ということになる」として、「立地的にも『ケハレ』の地」であり、「無縁の原理がはたらく場所なのである」と述べています。
 本書は、盛り場のルーツを江戸に辿った一冊です。


■ 個人的な視点から

 普段何気なく盛り場に足を向けることもありますが、その盛り場がどうやってできたかには無頓着なような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・盛り場の出自を知りたい人。

2009年10月29日 (木)

働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法

■ 書籍情報

働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法   【働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法】(#)

  駒崎 弘樹
  価格: ¥735 (税込)
  筑摩書房(2009/05)

 本書は、日本を蝕んでいる「働き方」の問題という、「国がどうこうする話ではなく」、僕たち一人一人が「変化と『なる』ことが求められている問題」について、「僕たちが働き方を変え、自らが変化になり、1人の変化が隣の人間の変化を生み、そして変化の科学連鎖を引き起こし、日本の未来を救うために」かかれたものです。
 著者は、「南関東では子育て世帯の男性の5人に1人が夜11時以降に帰宅し、2人に1人が9時以降に帰宅している」ことを指摘し、「長時間労働によって妻の就業意欲を削ぐだけではなく、子供を生む意欲も減退させ、労働人口減少にさらにドライブをかける」と述べています。
 第1章「自分が働くことで、誰かを壊している?」では、NPOを起業した著者が、「僕は意味と共に生きていられる」という思いに支えられ、「傍から見たらかわいそうになるくらいの状態でも、僕はハッピーであった」と述べた上で、「愛する女神である仕事と共に二人三脚で全力疾走をしているうちに、彼女は多くのものを僕に返してくれた。だがそれと同時に、僕は自分がさまざまな病にかかっていることに気づいた」と述べています。
 そして、その病とは、「病院に行っても気づけないような、些細な、そしてビジネスマンにはありがちな心の病」だとして、
<無駄な時間恐怖症候群>
・メールチェック中毒
・インプット不全症
・エンターテイメント忌避症
<常時多忙症候群>
・コミュニケーション逃避症
・常時不機嫌症
・表情喪失症
・ネットワーク断絶症
などの症状を挙げ、「多忙なことから社内コミュニケーションが減り、不機嫌になり、表情を失い、ネットワークもなくなって行ったけれど、それでも仕事は回っていった。むしろスピードは上がっていた。ウイルスは確実に僕の行動を変え、それによって周囲も影響を受けていたけれど、それはまぁ、そんなものなのだ、と僕は信じたのだった」と述べています。
 そして、社員の女性が、忙しすぎる「ヘタレ旦那」のせいで退職せざるを得なくなったことをきっかけに、「僕だってITベンチャーに負けず劣らず忙しいし、夜も遅い。寝るぎりぎりまで仕事している。そんな自分が、はたして結婚して家事や食事をすべて妻に押し付けずに、生活できるのだろうか。子どもが生まれて、子どもの面倒を見られるのだろうか。妻の可能性を奪わずにいられるのだろうか」と考えたときに「鳥肌が立ってきた」と語っています。
 第2章「自分のライフビジョンて、何だろう?」では、アフラック最高顧問の大竹氏の紹介で受けることになったアメリカでの研修で、自分自身に「常に忙しい人」という自己イメージを与えていること、「自分が忙しいのは、忙しがっている自分自身の責任だ」ということを指摘され、「僕を殺人者に、また最愛の人の監禁者になることを防」ぐためには、「自分の自己イメージを書き換えることだ。今もっている『忙しくて当たり前』『忙しいのが充実している証拠』という認識を、そうではないイメージを繰り返すことで、塗り替えるのだ」と述べています。
 そして、「自分はどんな人生を歩みたいのか。どんなライフビジョンを描くのか」を考えた際に、ホームステイしていたジェンセン家の「おやじみたいな人生が送れたら良いなと感じていた」と述べ、「働くという言葉を拡張させ、再定義し、広い意味での『働く』を実践することで、僕たちは僕たちの人生を誠実に生きる過程を、他者への貢献の過程にすることができる。それは働く、ということの意味を革命的に変えることを意味するし、逆に『働く』をそうやって押し広げ新生させることで、僕たちは新しい働き方を手に入れられる」、「働き方を変えることで、社会を変えられる。これは『働き方の革命』だ」と述べています。
 第3章「『働き方革命』の起点――仕事のスマート化」では、自ら設定した、「私は朝9時から夜6時で働き、十分に成果を出している。そして残った時間はライフビジョンの実現のために投資し、そのプロセスにいつもワクワクしている」というビジョンを実現するために、「経営者である僕は、そもそも何をすべきなのか」を考えざるを得なくなり、そして、夜6時に退社すると、「絶対にやらなければならないことは、すでにやった。今日やらなくてはいけないことは、何度考えても今日やっていた。後は明日でよいか、それかもっと先でもよいようなものだった」こと、「今までの仕事はなんだったんだ?」ということに気づいたと語り、「ひょっとしたら『自分のやるべきことを把握し、それに沿って仕事を組み立てる』ということから、逃げていただけなんじゃないか。面倒くさいことはしないで、何も考えずに手元の仕事に集中したほうが、楽だし進んでいる気がする。それに甘えていただけではなかったか?」ということに気づき、「自分が今まで何百時間、いや何千時間もシュレッダーに喜んで流していたような気がしてきて、みぞおちを強く押されたような気分になる」と語っています。
 そして、
・社員のメールを共通のコード付きにすることによって、メールチェックの時間を短縮
・カフェで1時間集中して仕事ができる「パーソナルひきこもりタイム」
などによって、「自分の仕事と組織をスマート化」することによって、「これまで16時間でこなしてきた仕事を、9時から6時の9時間で、しかも毎日やれるようになっていった」と述べています。
 第4章「『働き方革命』でたくさんの『働く』を持つ」では、家事や買い物を見直すことでそれにかける時間を合理化し、可処分時間を増やす実践を紹介した上で、「仕事のスマート化によって生み出された時間を、ライフビジョンの実現という『仕事』、食いぶちの本業(ペイワーク)で働くのとは別の『働く』、それらに投入していった」と述べ、「この『働き方革命』が、意外なところに波及効果をもたらしていった」としています。
 第5章「『働き方革命』が見せてくれた世界」では、「闇夜の泥道を這うような働き方から、晴れたハイウェイに愛車を走らせるような働き方」に、変わることで、「やむことのない不安をいつの間にか違うものに変えてくれるというリターンを返してくれた」と述べています。
 そして、資金繰りのミスによって資金ショートのピンチに立たされたときも、「『働き方革命』のお陰で、キャパシティには余裕があった」ため、「自分の時間の多くを危機回避に使えた」ことで、危機を回避できたと述べています。
 終章「『働き方』を革命し、日本を変えよう」では、「俺たちが年老いたときに年金や社会保障が破綻していないかどうか、は俺たちが『働き方革命』を起こせるかどうか、にかかっている」として、自分が実現したい社会は、「いくつもの『働く』を一個の個人の中に持て、個人が社会と繋がり、それを変えうる社会だ」と述べています。
 本書は、著者個人の「働き方革命」を通じて、日本社会の働き方の変革を訴えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 知っている人だけに著者の「病気」という言葉には心配しましたが、周りを見渡すと、「病気」に罹っている人のほうが普通で、「病気」に気づいた人のほうが少ないような気もします。


■ どんな人にオススメ?

・日本の働き方に疑問を持っている人。


■ 関連しそうな本

 駒崎弘樹 『「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方』 2007年11月22日
 小室 淑恵 『新しい人事戦略 ワークライフバランス―考え方と導入法―』 2007年08月22日
 小室 淑恵 『超人気ワークライフバランスコンサルタントが教える キャリアも恋も手に入れる、あなたが輝く働き方』 2008年05月14日
 小室 淑恵 『あなたが働き方を変えるべき48の理由』 2008年10月24日
 小室 淑恵 『結果を出して定時に帰る時間術』 2008年02月20日


クモはなぜ糸から落ちないのか 自然から学ぶ<安全>と<信頼>の法則

■ 書籍情報

クモはなぜ糸から落ちないのか 自然から学ぶ<安全>と<信頼>の法則   【クモはなぜ糸から落ちないのか 自然から学ぶ<安全>と<信頼>の法則】(#)

  大崎 茂芳
  価格: ¥735 (税込)
  PHP研究所(2004/3/15)

 本書は、25年間、クモを趣味的な研究対象としてきた著者が、「日常に遭遇するさまざまな事柄を、特に信頼という観点から見直して、それをビジュアルに表現できれば、予測の難しいこの時代の動きが読めるかもしれない」として、「古くから親しまれてきたクモの命綱が、生物の安全と信頼の原点を探るのに最適なサンプルだった」と述べ、「21世紀という予測が難しい時代を、私たちがどのように捉えていけばよいのか、命を賭けたクモの意図に学ぼう」としたものです。
 第1章「クモの驚くべき行動」では、「クモの糸は、力学的強さや柔軟性などに優れている素材である」として、「防弾チョッキの素材としてふさわしい」ことなどを述べています。
 また、毒グモについて、「多くのクモのうち、ウズグモ科以外のすべてのクモは毒腺を持っているが、人間にとって危険なのは約4万種のクモのうち20~30種に過ぎない」ことなどを述べています。
 第2章「クモから学ぶ危機管理と信頼性」では、クモの牽引糸について、「いわゆる『命綱』として知られているが、その命綱に驚嘆すべき力学的性質が秘められていることが分かってきた」と述べたうえで、2本のフィラメントからなるクモの索引糸について、弾性限界強度が体重の約2倍であるため、「2本からなるフィラメントのうち、たとえ1本のフィラメントが切れても、残りの1本のフィラメントでクモを支えることができる」として、「索引糸は万が一の危機遭遇時に備えて、安全性の観点から見ても非常に効率的な命綱である」と述べています。
 また、「クモの糸の弾性限界強度を安全性の基準値として採用し、線形領域の限界内にみずからの命を託して行動していると考えるのは、予測が可能な命綱の線形領域に絶対的な信頼を置いていることにほかならない」と述べています。
 第3章「人間はどこに信頼を置くのか」では、「ある事柄に対する考え方というものが、その人の過去の経験にもとづくバックグラウンドとその事柄との間を結ぶ延長線上に形成される」として、「人間の考え方の基本は、過去からの延長線上における線形的行動」だと指摘しています。
 第4章「そのようにすれば時代が読めるか」では、「日常生活において信頼性の意味は漠然と理解できても、その表現方法がいまひとつはっきりとしていなかった」が、クモの力学特性を調べる過程で、「クモの命綱に、『安全』と『信頼』の原点が秘められていることが分かってきた」として、「クモは予測可能な線形部分しか信用せず、予測できない非線形部分は信用していないことが判明し、クモから得られた信頼性の考え方は、人間の社会的な事柄にも適用できることが分かった」と述べています。
 本書は、クモから危機管理を学べる一冊です。


■ 個人的な視点から

 クモを見ていてここまで考えるとは著者のクモ好きには頭が下がります。


■ どんな人にオススメ?

・クモを見ていて不思議に思う人。

2009年10月27日 (火)

理工系のネット検索術100 理工系のための情報収集術

■ 書籍情報

理工系のネット検索術100 理工系のための情報収集術   【理工系のネット検索術100 理工系のための情報収集術】(#)

  田中 拓也, 芦刈 いづみ, 飯富 崇生
  価格: ¥945 (税込)
  ソフトバンククリエイティブ(2007/1/16)

 本書は、「検索エンジンを利用して、インターネットの情報を引き出すためのスキルを身につけること」を目的としたものです。
 第1章「初級編」では、検索精度を上げるため、語句の先頭に「-」(半角のマイナス)を付けることで検索結果から不要な結果を除外する方法や、キーワードの前に「+」を付けることで、ゆらぎ検索をオフにできる方法について解説しています。
 また、冠詞が「ストップ語」として無視されてしまい検索精度が落ちてしまうことへの対策として、キーワードを引用符「"」で囲むことで、「語句とその入力順序が一致するものだけを検索するオプション」である「フレーズ検索」について解説しています。
 第2章「中級編」では、「政府機関や教育機関が提供している情報を効率よく検索」するために、ドメインを指定することで検索結果の絞込みをする「ドメイン検索」などについて解説しています。
 また、高品質の画像データを検索する場合など、画像の「サイズや品質に関して条件を指定して検索」する「イメージ検索オプション」について解説しています
 第3章「上級編」では、Wikipediaの検索について、「英語版を使いこなすことにウェイトを置いて」解説しています。
 また、「どんな人でも、どんなところでも、どんな目的でも利用できるファイルの供給」を目的とした「Commons」や、特定の分野、医学系の研究結果や資料などを検索できる「NCBI(National Center of Biotechnology Information)」などの使い方を解説しています。
 本書は、ネット検索の基本動作が学べる一冊です。


■ 個人的な視点から

 特にGoogleの使い方のマニュアルそのものでは微妙に使い勝手が悪い人向けに、「文系のネット検索術」、「女性向けのネット検索術」、「中高年向けネット検索術」という本があってもいいかもしれません。それぞれの年代をターゲットにした雑誌での特集はそれに近いと思いますが。


■ どんな人にオススメ?

・ネットを活用したい理工系の人

2009年10月26日 (月)

マネジメントIV 務め、責任、実践

■ 書籍情報

マネジメントIV 務め、責任、実践   【マネジメントIV 務め、責任、実践】(#)

  ピーター・ドラッカー (著), 有賀 裕子 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  日経BP社(2008/7/10)

 本書は、ドラッカーが『現代の経営』後、「その後のコンサルタント活動の知見を総合し、集大成したもの」(解説より)です。
 第49章「ゲオルク・ジーメンスとドイツ銀行」では、ジーメンスが、「経済・産業の歴史上初めて経営チームを築いた」として、「何が銀行の重要活動であるかを分析し、経営チームのメンバーをそれぞれの責任者の責任者に指名した。くわえて、主な投資先や顧客、政府などとの関係を分析し、各関係先への責任をチームメンバーに割り振った」と述べています。
 第50章「経営層の務め」では、経営層がどのような活動の責任を負うべきかについて、
(1)ほかの誰かが肩代わりできるような中身なら、経営層の仕事とは言えない。
(2)経営層の一員になったら、それまでの職能や実務からは手を引きべきである。
というルールを挙げています。
 第51章「経営層の構成」では、「ジーメンスは革新的な発想を元に経営トップの体制を定めたが、そのなかでも特に『秘書室』の設置は画期的だった」として、「企業の『頭脳』、つまり経営層は、栄養、刺激、情報などの供給源を必要とするのではないだろうか」と述べています。
 第52章「実効ある取締役会の必要性」では、取締役会の役割として、
(1)経営層に眼を光らせ、相談相手にもなる、お目付け役、両親、助言者としての役割。
(2)企業、特に大企業と世の中の橋渡しをする広報役。
の2点を挙げています。
 第53章「適正な規模とは何か」では、「どの産業や市場でも一定以下の規模の企業は生き残れない。逆に一定上の規模になってしまったら、どれほどマネジメントが優れていようとも、やはり長くは繁栄できないだろう」と述べています。
 第55章「不適正な規模への対処」では、「組織には最適な規模というものがある、一部の巨大企業のようにその規模を超えてしまうと、それ以上は拡大しても成果は増えず、むしろ規模が足かせになるくらいだ」と述べ、「最適水準を超えて拡大した企業には、分割を検討するよう勧めたい」としています。
 そして、「企業規模が大きくなるとマネジメントが難しくなる」という社内事情よりもさらに深刻な問題として、「大きくなりすぎると、外部環境との調和が崩れる」と述べ、「自社、株主、従業員の利益に沿った経営判断が下せなくなったら、その企業は最適規模を超えている」としています。
 第57章「多角化の成功戦略」では、「多角化を進めながら全体をまとめ上げる方法は、二つだけに絞られる」として、「事業と技術、製品と製品ライン、いくつもの活動が共通の市場または技術で結ばれていれば、さまざまな事業を手広く行いながらも、大本での結束を保つことが出来る」と述べたうえで、「ひとつの市場の中で多角化を進める場合」に注意すべき点として、
(1)市場の範囲を決めるのはメーカーではなく顧客である
(2)それ相応の事業戦略がないと、多角化をしながら市場の統一性を保つことはできない
の2点を挙げています。
 また、「技術を軸にして事業を多角化するうえでの最大の難題」として、「技術には独特の力学があり、枝分かれしていく傾向が強いため、それに突き動かされるようにして、企業が多角化へ向かいがち」だとする「技術の増殖」を挙げ、「技術が枝分かれするのに合わせて次々と多角化を図るやり方は、時代遅れになってきているようだ」と述べています。
 また、「財務面での相乗効果は幻想に過ぎない」として、「ビジネスの世界で2と2を足して4より大きな価値を引き出すには、いやそれどころか4にするのにさえ、金銭だけにとどまらない強い『相性』が求められる」と指摘しています。
 第59章「多国籍企業」では、「いわゆる『多国籍企業』にとっての事業機会と課題は、多国籍だからではなく、多くの国で事業を展開しているからこそ生まれるものだ」として、「それらは『超国籍』であること、つまり共通の需要、ものの見方、価値観で結ばれた単一市場が存在するという事実に根ざしている」と述べています。
 また、「多国籍企業が今日、きわめて重要な経済の担い手であるのは間違いない」理由として、「世界市場と世界経済の新しい現実を映し出しているからだ、経済資源を最適利用する手段として何よりも適しているからだ」と述べています。
 第60章「成長のマネジメント」では、「会社が成長するためには準備や戦略が欠かせない。あるべき姿を思い描き、それを元にどのような行動をとるのが理想かを判断しなくてはいけない」と述べています。
 また、「政府機関では予算が極めて重視されており、大勢の人材と多額の予算を確保することが、大きな成果と成功に恵まれた重要な組織の証だとみなされている」と述べたうえで、「病院、政府機関、大学、公的機関、あるいは企業の人事部、研究所などにとっても、規模の拡大が望ましいとはかぎらない」と指摘しています。
 そして、「会社は人類の成果である。法律上の所有者が誰であれ、信頼と義務によって成り立っている。自分を変える意思がない経営者は、手塩にかけて育て上げた会社の成長を自分の手で妨げることになる」と述べています。
 第61章「革新的な組織」では、「イノベーションは技術用語ではなく、経済や社会の用語である。その成否は科学や技術の観点からではなく、経済や社会の環境、あるいは消費者、生産者、市民、学生、教員などの行動を変えられるかどうかで図るべきだ」としたうえで、「イノベーションの真価は、新しい知識の創造よりもむしろ、新しい富や行動の可能性をもたらす点にある」と述べています。
 そして、「革新性にあふれる組織」の共通項として、
(1)「イノベーション」の意味を心得ている。
(2)イノベーションの力学を理解している。
(3)イノベーション戦略を持っている。
(4)イノベーションを実現するためには、既存のマネジメント組織とは異なる、イノベーションの力学にふさわしい目標や評価尺度が求められていることを理解している。
(5)マネジメント層、とりわけ経営層は、イノベーションを推進する組織においては通常と異なる発想をし、異なる役割を担う。
(6)イノベーションを担う組織は、既存のマネジメント組織とは異なる体制を持つ。
の6点を挙げています。
 むすび「マネジメントの正統性」では、「20世紀の社会は組織を柱としている。社会の重要な営みには必ず、大きな組織が関わっており、そこではマネジメントが行われる」ことと、「知識社会への移行も進んできた」ことを挙げ、「このふたつの潮流は互いに関係している。組織を柱とした社会が生まれたため、知識労働をとおして生活の糧を得ることが可能となった。そして、高学歴の人材が数多く輩出されるため、大きな組織が成り立ち、マネジメントの対象ともなりうる」と述べています。
 本書は、ドラッカーのマネジメントの真髄が詰まった一冊です。


■ 個人的な視点から

 この4分冊の大著を通読した人はどれくらいいるのかとも思いますが、4冊で1万円という価格設定は、サラリーマンに一念発起させるにはちょうどよいお手ごろ価格なのかもしれません。
 あと1~2冊目を読まないと。


■ どんな人にオススメ?

・ドラッカー経営学の締めを飾りたい人。


■ 関連しそうな本

 ピーター・ドラッカー (著), 有賀 裕子 (翻訳) 『マネジメントI 務め、責任、実践』
 ピーター・ドラッカー (著), 有賀 裕子 (翻訳) 『マネジメントII 務め、責任、実践』
 ピーター・ドラッカー (著), 有賀 裕子 (翻訳) 『マネジメントIII 務め、責任、実践』 2009年8月 9日


■ 百夜百マンガ

きみのカケラ【きみのカケラ 】

 少年誌(とはいっても読者の高年齢化は否めない)の読者がどれだけ着いてこれているかは心配ですが、サンデーで単行本が出るのが遅いと言うと安永航一郎を思い出してしまいます。

2009年10月25日 (日)

モンスター新聞が日本を滅ぼす

■ 書籍情報

モンスター新聞が日本を滅ぼす   【モンスター新聞が日本を滅ぼす】(#1739)

  高山 正之
  価格: ¥1260 (税込)
  PHP研究所(2008/4/17)

 本書は、「不都合があると、わが身は振り返らずひたすら他人の責任を追及する」モンスターペアレントについて、「『朝日新聞』とか『中日新聞』とかの論調を思い起こしてしまう。ホントによく似ている」としたうえで、「いまのマスコミが陥っているモンスター症候群がどれほどのものか、実際の事件に即しながら指摘し、本当は世の中がどういう姿をしているかを示した」ものです。
 第1章では、『朝日新聞』の連載「分裂にっぽん」で海外を旅して日本に税金を払わない人たちを紹介していることについて、「『朝日新聞』は基本的に日本嫌いで、この例のような日本に愛想を尽かした生き方をとてもいいと褒める」ことを指摘しています。
 また、共産主義国では、「公務員官舎は処刑場も兼ねている」としたうえで、「日本は共産主義でもないのに役人官舎を充実させ、処刑もしないで、議員以上に格安の都心生活を、それも万単位の役人が享受している」と述べ、税調の本間会長が愛人と原宿の官舎に住んでいた問題では、現大阪府知事の橋下弁護士が、「愛人と住もうと勝手。本間会長は官舎に入る資格がある」としたうえで、「むしろ原宿など一等地に多くの役人が確約家賃で住んでいるほうが問題だ」と、「ズバリ核心に突っ込んだ」ことを紹介しています。
 第2章では、『朝日新聞』が、2007年に、高校生プレーヤー石川遼の取材のため、「同伴プレーヤーに金を握らせて隠しマイクをつけさせようとしたり、ヘリを飛ばして上空から石川選手のプレーを撮影したり、と報道機関としては考えられない暴挙を重ねた」ことを指摘しています。
 また、「この新聞には頻繁に『市民団体』が出てくる」として、「『市民』とはまともではないという意味を持つが、この基地と市民と『朝日新聞』の3つが並ぶとそれ以上の危うさを孕んでくる」と述べたうえで、日本に駐留する米軍の意味は、
(1)日米安全保障のための監視と行動任務
(2)日本がいつか蘇ったときに、首都・東京を急襲し息の根を止める仕事を担っている「ビンの蓋」
の2点だと述べています。
 第3章では、トロイ発掘で知られるシュリーマンが、「どこの国でもやるように、横浜の税関役人に金を握らせようとした」が、「役人は『武士に対して失敬な』と怒った」というエピソードを上げ、「清潔を尊ぶ武士が役人を兼務し、ためにお上は清潔という形が出来上がり、それが下々にも定着した」と彼が示唆したと述べています。
 また、アメリカの日系人について、
(1)祖父の代に米国に来て、しかし日系人同士でしか結婚できずに、三世になっても日本人ヅラをしているという世代。
(2)戦後、焼け野原になった日本に見切りをつけて、渡米した世代・・・「新一世」
の2種類があるとしたうえで、新一世について、「日本を捨てて米国に夢を託した自分の設計図が破綻した。一方、祖国は目がくらむほどの復活を遂げた。日本は実は、米国よりももっと素敵で誇らしい存在だったことにやっと気づいたが、もう時計の針は戻せない」ので、「己の見込み違いを祖国・日本、あるいはその象徴として目の前に出てきた日本企業に当てつける」のだと述べています。
 さらに、「役人は洋の東西を問わず、性不浄で、犯罪性をもつ」としたうえで、「日本人はかつて武士と同義語だった役人が凄惨なまでに変質し品格を失っている事実を認識すべきだ」と述べています。
 本書は、日本のメディアを見る眼を声高に訴えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 2ちゃんねるとかで嫌朝日とか嫌韓を訴える「ネトウヨ」が喚いているような印象を受ける人もいるかもしれませんが、ロジックそのものはきちんとしているのがしっかりしている点です。


■ どんな人にオススメ?

・朝日新聞が嫌いな人。


■ 関連しそうな本

 高山 正之 『日本人が勇気と自信を持つ本―朝日新聞の報道を正せば明るくなる』
 高山 正之 『世界は腹黒い―異見自在』
 日下 公人, 高山正之 『日本はどれほどいい国か』7


■ 百夜百音

DRAGON【DRAGON】 電気グルーヴ オリジナル盤発売: 1994

 もう15年も前の曲なのに今聞いても鳥肌が立つのは、今夜が寒いからなのか、自分が成長していないからなのか、歳を取ったせいなのか。


2009年10月24日 (土)

日本語ヴィジュアル系 ―あたらしいにほんごのかきかた

■ 書籍情報

日本語ヴィジュアル系 ―あたらしいにほんごのかきかた   【日本語ヴィジュアル系 ―あたらしいにほんごのかきかた】(#1738)

  秋月 高太郎
  価格: ¥740 (税込)
  角川グループパブリッシング(2009/1/10)

 本書は、「メールやブログ等のデジタルな環境で用いられる、新しい日本語の文字の使い方」について考えたもので、そこには、「文字のヴィジュアル(見た目)を意識したと思われる、新しい使い方がたくさん現れて」いるとしています。
 第1部「【導入編】ヴィジュアルな日本語」第1章「日本語はヴィジュアル重視」では、「文字をきれいに書くことにこだわるのは、日本人、あるいは日本文化にかなり特有のことなのではないか」としたうえで、「日本人の文字に対するこだわりの強さは、このような表記システムの『複雑さ』と関係している」と述べています。
 第2章「デジタル書きことば革命とその後」では、「80年代末から現在に至る約20年の間に、日本語の書きことばにおける、2つの大きな出来事」があったとして、
(1)「かな漢字変換システム」の登場
(2)ケータイメールの普及
の2点を挙げています。
 そして、「顔文字、アスキーアート、ギャル文字は、デジタル文字の特性をうまく利用することによって生み出されたもの」だとして、「これらに共通するのは、文字や記号を、従来の使い方にとらわれずに、そのヴィジュアルという点から再利用する発想」だと述べています。
 第2部「【実践編】ネオかなづかい」序章「現代かなづかいからネオかなづかいへ」では、「多くの人が、音と文字の隔たりを強く感じ、別の表記を使うようになったとき、かなづかいの改定が行われる必要」があるとして、「現代かなづかいに代わる新しいかなづかい」である「ネオかなづかい」を提唱するとしています。
 第1章「ネオ小書き文字『っ』」では、ネオ「っ」について、「語末や文末に使われる場合、音の休止を表しているわけ」ではなく、「より『激しい』または『すばやい』といったイメージを伝えるためのものだ」と述べています。
 第2章「ネオかな小文字」では、「現代かなづかいにおける長音表記の複雑さ」を踏まえ、ネオかなづかいの長音表記として、アイウエオのそれぞれの列に「ぁぃぅぇぉ」を添える表記法を提案しています。
 さらに、助詞「を」「は」「へ」を「お」「わ」「え」と書くことは、「異様さが目立」つとする金田一京助氏の指摘に関して、「異様さが目立」たない表記法にすればよいとして、助詞「を」「は」「へ」を、小書きの「ぉ」「ゎ」「ぇ」で表記することを提案しています。
 著者は、ネオかなづかいとして、「小書き文字の新しい使い方」を提案した理由として、「小書きかな文字が、直前の文字にパラサイトして見えるというヴィジュアル的な効果を利用したもの」だと述べています。
 第3章「ネオ外来語表記」では、「suite room」の表記について、
(1)スイートルーム
(2)スウィートルーム
(3)スィートルーム
の3つの表記があるが、このうち、(2)を推奨したい理由として、
(1)[swi]という音が、すでに日本語の音として定着していること
(2)「スィ」という表記は、[si]と読まれる可能性があること
の2点を挙げています。
 第4章「ネオ四つがな」では、「じ」「ぢ」「ず」「づ」の使い分けについて、「日本語母語話者にとっても、たいへんむずかしい」としたうえで、「室町時代ころまでの『ぢ』『づ』の音は、それぞれ、[di][du]、つまり、現代日本語で『ディ』『どぅ』で表記される音であったと考えられる」と述べています。
 第5章「ネオ濁点文字」では、「以前は、ハ行の子音はすべて、唇を使って出す音、つまり両唇音であった」として、「ファ」「フィ」「フ」「フェ」「フォ」と発音されていたと考えられるとしたうえで、さらに、奈良時代以前のハ行子音は、「pの音であった」という説を紹介しています。
 第6章「ネオ長音符号」では、「長音符号には、『軽い』、あえて言うなら『軽薄な』イメージがある」と述べています。
 第7章「ネオ句読点」では、「今日の若い世代の人々のメールやブログの文末は、マルで終わることの方がまれ」だとしています。
 本書は、日本語の新しい形を提案した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で紹介されているケータイメールやネット上の文字の使われ方には抵抗のある人も多いと思いますが、提案されている「ネオかなづかい」自体は意外とすんなり受け入れられるかもしれないと思いました。


■ どんな人にオススメ?

・日本語が「乱れている」と感じてしまう人。


■ 関連しそうな本

 秋月 高太郎 『ありえない日本語』
 井上 史雄, 秋月 高太郎, 荻野 綱男 『デジタル社会の日本語作法』


■ 百夜百音

の、アッパー祭り【の、アッパー祭り】 オムニバス オリジナル盤発売: 2009

 「可愛いにもほどがある」の人が「男女」をカバーしてます。boy, girl, boy, boy, girl, boyですね。

2009年10月23日 (金)

江戸蕎麦通への道

■ 書籍情報

江戸蕎麦通への道   【江戸蕎麦通への道】(#)

  藤村 和夫
  価格: ¥693 (税込)
  日本放送出版協会(2009/06)

 本書は、「『蕎麦通』も日本全国に生まれる時代」に、「『蕎麦通』ならば知っておきたいこと」をまとめたものです。
 「江戸蕎麦とは?」では、江戸庶民約50万人は、「1年間で約150玉から200玉の蕎麦を食べていた」と述べたうえで、「江戸蕎麦」について、「珍奇な入れ物や飾りつけといったときどきの流行が一段落して、蕎麦の技術が落ち着いて確立した1800年以降、数度にわたる栄枯盛衰、淘汰の波を辛くも乗り越えて生き残り、現代にまで至った数少ない蕎麦店に伝わる『蕎麦・蕎麦汁製造技術』でいまだに蕎麦をこしらえている『木鉢会』の蕎麦屋の蕎麦、及びそれと同じやり方で蕎麦を商っているところの『蕎麦』」だと述べています。
 「蕎麦汁鑑定士」では、「蕎麦の出来不出来は、『引いた出汁の力』に左右される」として、「蕎麦の味よりも汁がおいしいほうが、その店の評価は高いのではない」かと述べています。
 「江戸の味とは?」では、「大名家がなくなり、それに付随して、江戸の贅沢の主流であった大名家の留守居役もいなく」なったため、「江戸の味は、明治維新になって失われる運命に見舞われ」たと述べたうえで、「江戸の味の伝統はわずかに蕎麦汁と鰻の蒲焼にだけ残るといった状態」になったとして、それは「出汁と醤油と甘み」の調合時のバランスであり、「それが『汁の合わせ方』の基本」だと述べています。
 「汁の合わせ方の秘伝」では、蕎麦汁の濃度は、「その店の蕎麦にあった濃度でなければいけません」として、「水の切れた蕎麦を入れて、かき回して食べても、濃いものの、当たりがきつく感じられない程度」だと述べています。
 「格好よく見える蕎麦の食べ方」では、「更科」では、「水切れある?」と聞く蕎麦通に、「今はございません」と答えると、蒸籠を持ってこさせ、「ご自分でゆっくりと、お好みのところまで水を切った」り、急ぐ人は、「一度洗われて蒸篭に盛られたものを崩さぬように、その上にもう一枚蒸籠を重ねて、上から熱湯を均等にかけ、蒸篭を斜めに傾けて隅から余計な湯を切り、蒸篭の周りを拭いてからお客様に出す」という「湯通し」(熱もり)を注文されたと述べ、「これは、『捏ねの浅い蕎麦』ではできませんから、なまなかな店ではご注文なさらぬほうが無難です」と述べています。
 「三大老舗のおいしい味わい方」では、
・「藪」は出前をとるような場所のない、仕事に出ている職人や通行人が相手であるから、すぐに食べられる蕎麦を出す
・「更科」はお屋敷へまとめて出前するか、町内の相談事の寄り合い場所を提供する
・「砂場」は町内の商家への出前を主とする
という「棲み分けがあり、それに応じた蕎麦や汁をこしらえて」いると述べています。
 「蕎麦職人の誇り」では、「老舗の蕎麦屋で、見習いからはじめて、蕎麦作りのすべての段取りを完全に覚え、常に手抜きをしないでその段取りに従って仕事をし、蕎麦の茹で方、火加減、蕎麦の洗い方、『中台』仕事と、蕎麦屋で『丁稚奉公』を勤め上げてやっと、蕎麦にまつわるすべてのことが覚えられる」として、「それには少なくとも15年の歳月が必要」だと述べています。
 「仕事場から見える蕎麦屋の質」では、「道具をどのように使っているかで、伝統の江戸蕎麦の技術を継承しているか否かがわかる」とした上で、「古い伝統技術になればなるほど、その『しぐさ』まで決まってしまって」いるため、「そのしぐさを見れば、どの程度の修行をしたかも分かる」と述べています。
 「蕎麦通なら押さえておきたい蕎麦屋用語」では、「女衆」の「通し言葉」について、「と」、「付く」、「まじる」、「幕」などについて解説しています。
 「蕎麦通への道」では、著者が、「通人には3種類ある。1つは回数を多く『通った』通人。2つ目は『何回も通った』通人、3番目は『そのものに通じている』通人である」という記述を紹介した上で、「本当の通人になるためには、やはり、最初の『通る人』から始めなければならない」としたうえで、気に入った店に「通って」、「自分の舌に基準」ができたら、他の店の蕎麦の「特徴が分かり、ご自分の贔屓の店とどこが違うのか」が分かると述べています。
 また、祖父からの言葉として、「『おいしい』と言ってはいけない。普段うまいものを食べていないと思われる。『よくできていますね』と褒めなさい』と言われたことを紹介した上で、「通人には、一所懸命努力している蕎麦屋を育てるという楽しみもあるかもしれません」と述べています。
 本書は、江戸蕎麦の厳しさと楽しみを伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 基本的に「○○通」を語る人というのは、「通以外」の人を見下す感じがして聞かされる方は少し引いてしまうところがあるのですが、本書の場合はあくまで作り手側の話であって、こき下ろされているのは手を抜いた蕎麦を作る蕎麦屋だという点が読んでも腹が立たない理由でしょうか。
 食べ手に対して、「もう見てらんない」、「女子供は、すっこんでろ」とか「まあお前らド素人は、小諸そばでも食ってなさいってこった」という態度だったら読むほうも腹が立つでしょう。


■ どんな人にオススメ?

・江戸蕎麦を愛してやまない人。


■ 関連しそうな本

 藤村 和夫 『蕎麦屋のしきたり』
 永山 寛康 『「蕎麦、そば、ソバ」の楽しき人生』


■ 百夜百マンガ

そばもん【そばもん】

 蕎麦屋は誰でも始められるということで転職組も多いようですが、丁稚奉公から本格的にやると15年かかるそうです。ボヤッキーの店も「会津そば」だったような。

2009年10月22日 (木)

大日本「健康」帝国―あなたの身体は誰のものか

■ 書籍情報

大日本「健康」帝国―あなたの身体は誰のものか   【大日本「健康」帝国―あなたの身体は誰のものか】(#)

  林 信吾, 葛岡 智恭
  価格: ¥756 (税込)
  平凡社(2009/08)

 本書は、「現在と戦前との相似性を浮き彫りにし、行き過ぎた『健康ブーム』を斬る」ものです。
 第1章「昔兵隊、今高齢者」では、「軍国主義と呼ばれた時代には、健康であることは『国のため』であった」としたうえで、「今また『国のために健康であれ』などと、国民に節制を強要するがごとき政策が進められてはいないだろうか」と述べています。
 第2章「昔徴兵、今検診」では、「なりふり構わず、医療費削減という目標に向かって邁進している国」が、メタボ検診について、「厳しい、なおかつ非合理的な判定基準を持ち出した」琴について、「メタボ判定基準が策定された裏にはカラクリがあったのだ」と述べています。
 そして、国民運動「健康日本21」及び、2003年の健康増進法について、「医療費抑制という『大義』のため、国民は自己責任のもと、生活習慣病対策・健康維持に努めることが義務であるとされた」として、「まさしくこれは、現代の国家総動員法である」と述べています。
 第3章「昔非国民、今喫煙者」では、「現在では高齢者と呼ばれる人たちの大半が、少なくとも過去には喫煙者であった」として、「日本人はタバコを吸っても長生きできることは『統計上明らか』」だと述べています。
 また、「喫煙者が非喫煙者より余計に医療費を使っている、という数値」には、「なにをもって『喫煙者の医療費』と規定したのかが不明確」だとして、「統計学的に無理がある」と述べています。
 第4章「昔財閥、今官僚」では、「メタボ検診の基準値が算定された背景には、相変わらずの政・官・学の癒着の構造が見え隠れする」として、「科学ではなく利権の問題」だとした上で、「まさに日本が国を挙げて『健康オタク』になったかのような観を呈している」と述べています。
 また、。文部科学省の「toto」が赤字になった背景について、「totoの主宰者である独立行政法人日本スポーツ振興センターと、発券を請け負ったシステム会社、それに宣伝を含めた実務を請け負った広告代理店との間で交わされた契約に問題があった」として、「売上高にかかわらず両社に100億円単位の経費を支払うという、定額契約を結んでいた」ことを指摘し、「文部官僚にとっては、給食利権に取って代わるtoto利権が生み出された」から、「百億単位の赤字を垂れ流しても平気でいられた」と述べています。
 第5章「昔も今も『大本営発表』」では、「戦前・戦時下の軍国主義体制について、国民は軍部にだまされていたのだ、と考える人が今も多い」ことについて、「国民の側に、『お上の言うことだから、本当だろう』と考えてしまう素地があった」ことを指摘しています。
 そして、「国が何らかの数値を公表したような時には、まずは『本当だろうか?』と考えてみること。そして、そこにはなんらかの政策意図があるはずだと思っておいたほうがよい」と述べています。
 第6章「日本は不健康な国になる」では、「昨今の、メタボ検診に象徴される健康ブームにせよ、禁煙の動きにせよ、国の本音は医療費抑制でしかなく、そのためにはデータの捏造だといわれても仕方ないようなことまで平気で行われてきた」として、「これでは、いつか国民が国を信用しなくなり、国家システムが機能しなくなるであろう」と述べています。
 そして、「健康は国民の義務である」といわれることに、「余計なお世話だ、と言うくらいの気概は持ちたい」としています。
 本書は、国に対する不信をたっぷりぶちまけた一冊です。


■ 個人的な視点から

 メタボ検診や喫煙者の医療費の数字には根拠がないといいながら、国が、メタボや禁煙を煽るのは、医療費を抑制するためだと指摘していますが、それはつまり、メタボ対策や禁煙奨励は効果のない政策にもかかわらず国が邁進しているということなのでしょうか。それとも世論を作るための数字の作り方のプロセスに問題があることを指摘しつつも、健康を奨励することは医療費の抑制になると考えているのでしょうか。矛盾している内容のように感じられましたが、私にはよくわかりませんでした。単にケチをつけたいだけだったなら納得ですが。
 と思ったら、『ネオ階級社会』の著者の人だったのですね。納得。


■ どんな人にオススメ?

・健康ブームに反感を持っている人。


■ 関連しそうな本

 林 信吾 『しのびよるネオ階級社会―"イギリス化"する日本の格差』 2005年11月27日


■ 百夜百マンガ

パート怪人 悪キューレ【パート怪人 悪キューレ 】

 駅前で配っているフリーペーパーのマンガ雑誌ということで注目を浴びましたが、単行本になってよかったです。

2009年10月21日 (水)

酒道入門

■ 書籍情報

酒道入門   【酒道入門】(#)

  島田 雅彦
  価格: ¥740 (税込)
  角川グループパブリッシング(2008/12/10)

 本書は、「酒についてあらためて思考をめぐらし、手探りながら今日的な酒道のあり方、『当世酒道』を復活させよう」としたものです。
 第1章「当世酒道のすすめ」では、「つまるところ酒上手な人というのは、飲み方がきれいである」として、「一緒に飲んでいて気持ちがいいこと。一緒に飲みたがる人が多いこと。どうすれば一緒に酒席を交えたいと思われる人になるかを考えていけば、すなわち酒上手になれる」と述べています。
 第2章「人はどういう時に酒を飲むのか」では、「酒が喜怒哀楽の感情をより波立たせる部分がある」として、「喜怒哀楽をしっかりコントロールできる人の酒はきれい」だとして、「折々の喜怒哀楽の感情に即した酒の飲み方」を挙げています。
 そして、「議論酒には、頭がいつもクリアになっているような酒がいい」として、「チェイサーの水もたっぷり用意して、焼酎など蒸留系の酒をちびちび飲みながらやっている限りにおいては、頭もよどまない」と述べ、「酔うことと、頭が冴えていることは、矛盾しない」、「頭が混濁しやすい人は、酒を飲んでいなくても混濁している」と指摘しています。
 また、酒道のポイントとして、
(1)「自分がどう見られているか」の意識
(2)聞き上手であること
(3)「踏み込み過ぎない」距離感
の3点を挙げ、「コミュニケーションのうえで万事に共通すること」だと述べています。
 第3章「酒飲みの愉楽『産地巡礼』旅の酒」では、「弥次喜多道中には地女との接触は欠かせない」大切な目的の一つだと述べたうえで、地方の店の女の子たちは、「ごくごく普通の女の子だ。派手さ、ケバさがない。過剰な自意識がないので、話していても心地いい」と述べています。
 第4章「海外そぞろ歩き、胸騒ぎの徘徊酒」では、旅先で飲む理由として、「その土地の風土を知るためには、その土地の水や産物でできた酒と料理を味わうことが一番の原則」であり、土地の人とも、「手っ取り早く本音に触れる」ことができると述べ、「酒道とは、多様性を追い求める一つの極限的自己肯定の道」だとしています。
 第5章「東京の下町、居酒屋はしご酒」では、下町に積極的に出かけるようになった理由として、「面積的には決して広くないながらも人口超密な東京という街に、実にさまざまな地方性、多様性があることに気づき、それをもっと知ってみたかったから」だと述べ、「自分にはこの東京でまだまだ知らないところが無尽蔵にある。それを知らずにいることはなんともったいないことか、という気がしてきた」としています。
 そして、「どこにいても、気取らず、気負わず、しかし背筋を伸ばして凛として飲めば、それは美しい酒飲みではないだろうか」と述べています。
 第6章「くつろぎの酒」では、「酒場はいつもと違う自分を見せるステージ」だとして、「別な人格を発揮する場所としていきつけの店を持つことで、精神の均衡を保つ」と述べています。
 そして、「バーというのは、基本的に茶席と同じような世界だと思う」として、「精神的な部分で寄り添うような深井コミュニケーションができることが、もてなしの真髄」だと述べています。
 本書は、酒飲みのこだわりをきちんと筋立てた一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者の酒の飲み方をはたして自分がしてみたいかといえば微妙ですが、酒を飲むことに対する探究心というか求道心みたいなものには憧れない部分もなくはないです。
 筒井康隆の酒飲み話も楽しくて好きですが、あの時代に比べて、作家たちがバカ飲みする話は減ってしまったのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・酒呑みを極めたい人。


■ 関連しそうな本

 島田 雅彦 『快楽のコンシェルジュ』


■ 百夜百マンガ

地獄の家【地獄の家 】

 「蒼天航路」で有名になりましたが歴史もの以外でも豪快な画風は変わりません。

2009年10月20日 (火)

会社のアカスリで利益10倍! 本当は儲かる環境経営

■ 書籍情報

会社のアカスリで利益10倍! 本当は儲かる環境経営   【会社のアカスリで利益10倍! 本当は儲かる環境経営】(#)

  酒巻 久
  価格: ¥777 (税込)
  朝日新聞出版(2009/1/13)

 本書は、「企業の『社会的責任』を果たすだけでなく、『社員の意識、誇り』を高くし、その結果『企業利益が伸びる』という一石三鳥を実現する」環境経営について解説したものです。
 序章「『環境経営』は一石三鳥を実現する」では、「環境は金食い虫」という通念が産業界に残るのは、経営者が本質的に感じる、
(1)高度成長期の陰画ともいうべき公害問題のトラウマ
(2)国内外から押し寄せる環境規制の大波への拒絶感
の2つの拒絶感のせいだと述べたうえで、「ありとあらゆる分野でリデュースに努め、徹底して省エネ・省資源を進めれば、コストダウンを実現しつつ、環境への負荷を抑制し、化石燃料の枯渇を先延ばしできる」と述べています。
 環境経営の実践(1)「オフィス──まず、個人のゴミ箱をゼロにする」では、著者がキャノン電子の社長になって真っ先に手を着けた「個人のゴミ箱」をなくしたことについて紹介した上で、「経営は常に『現時点での最適解』を求め続ける仕事であり、一番大事なのは『アカ』がつかないように気をつけて、社員の意識に刺激を与え続けること」だと述べています。
 環境経営の実践(2)「工場──『不良品の削減』が環境と利益に直結する」では、生産スペースのダウンサイジングと集約化を図るために、
(1)「間締め」によるムダ(経費と資源・エネルギー)の排除
(2)「ChiE-Tech」を駆使した装置の小型化
の2つの活動に精力的に取り組んだことを紹介しています。
 また、「大量のエネルギーを使って売れないものを作る」不良こそ、「メーカーにとって最大のムダであり、環境負荷の温床でもある」として、「不良撲滅は環境対策と利益増大のために、必須のものである」と述べています。
 環境経営の実践(3)「設計・調達──リデュース(発生抑制)が最も重要では、「環境問題は、逆手に取れば、イノベーションのチャンスでもある」として、・「『使用するエネルギーの極小化』という観点から環境対策を見直せば、大きなイノベーションのチャンスを引き出す」と述べています。
 また、グリーン調達でもっとも大事なのは、「部材納入企業の協力を引き出すこと」だとして、「どうすればこちらの設定した評価基準がクリアできるか、調達先と一緒になって考えること」だと述べています。
 環境経営の実践(4)「物流──もっとも多く『利益』が埋まっている」では、物流に関するムダのほとんどは、「運んでいる物や行き先そのものが変わっている」のに「旧来の物流体制を見直すことなく、そのまま維持しているケース」に起因していることを指摘しています。
 環境経営の実践(5)「社員──全社員に『当事者意識』を持たせる方法」では、特に環境経営は、「トップの意識次第」だとした上で、「小さなルール」ほど徹底して守らせる例として、植栽を守るための「前向き駐車」を3回破ったら解雇というルールを実践して、実際にやめてもらった社員がいることを挙げ、「前向き駐車程度のルールが守れない人間は、ほかにも必ずトラブルを起こしている」として、「私が責任を持ちますから何とか助けてやってください」と言ってきた彼の先輩社員に、「彼が会社に損害をかけたものは私が私費で全額弁償します」という一筆を断った例を紹介し、「責任」を持つという言葉の重みがわかっていないと述べています。
 本書は、会社にこびりついた「アカ」をとる方法のサワリを紹介した一冊です。


■ 個人的な視点から

 前向き駐車の違反3回で首になった人は世間的に極端だとは思いますが、この程度のルールを守れない人は他のルールも守れない、というのには同意。


■ どんな人にオススメ?

・環境と経営を両立したい人。


■ 関連しそうな本

 酒巻 久 『椅子とパソコンをなくせば会社は伸びる!』
 酒巻 久 『キヤノンの仕事術』


■ 百夜百マンガ

天体戦士サンレッド【天体戦士サンレッド 】

 宇宙スケールの特撮ものとローカルねたを押し込めるのにはそれなりの技術というか度量が必要な気がします。

2009年10月19日 (月)

「婚活」時代

■ 書籍情報

「婚活」時代   【「婚活」時代】(#)

  山田 昌弘, 白河 桃子
  価格: ¥1050 (税込)
  ディスカヴァー・トゥエンティワン(2008/2/29)

 本書は、「現在の結婚状況から、結婚活動が必要になった理由や結婚活動の実態を描く」ことを目的としたものです。
 第1章「『婚活』時代の到来」では、「仕事(職)」をもつことと、「結婚」することに、「意識的に『活動』が必要になった」のは最近のことだとした上で、就職の規制緩和によって就職活動が必要になったのと同様に、「男女交際に関する規制緩和が起きたがゆえに、自動的に結婚できない時代が出現」」舌と述べています。
 第2章「結婚したくてもできない!」では、「男女ともに、結婚したくないから結婚しないのではなくて、結婚したいのにできない」と述べた上で、男性サイドの事情として、「モテの二極化の拡大」を挙げ、「日本人は、ずっと恋愛下手だったのに、それに気がつかないまま恋愛のオープン市場化をしてしまって、そのツケを、今、支払わされている」と述べています。
 第3章「『婚活』前時代vs『婚活』時代」では、「1980年以降、1『出会い』2『相互選択』3『結婚の決断』という、結婚の3つのプロセスのどの段階においても、それ以前にあった、自動的、画一的進展というものはほとんど期待できなく」
なったことを指摘しています。
 第4章「彼と彼女が結婚できない理由」では、「女性たちが悩んでいるのは、周りに男がいないこと」ではなくて、「条件と恋愛が両立する男性」である「『いい男』がいないこと」だとしたうえで、「ふつうの男の人でいいの」とう、「いろんなものを共有できる人、情緒的にも共有していける人、そして、自分がある程度コントロールできそうな人。柔軟性のある男性」という条件は「希少価値」であり、「結婚後、女性とうまくやっていけそうな人たちは、とっくに狩られてしまっている」と述べています。
 また、「もともと魅力的な男性は常に一定数しか存在しない」にもかかわらず、「彼らが既婚者だというのに、恋愛市場に紛れ込んでいる」ことが問題だと指摘しています。
 また、男性側の問題として、「『女性経験値』が浅い人ほど、女性に対するビジュアルの要求水準が高い」ことを指摘し、「女性のこだわりは現実に立脚したものであるのに対し、男性のこだわりはファンタジーだ」と述べています。
 第5章「結婚したいのにできない社会的要因」では、結婚を取り巻く社会状況の変化として、
(1)経済環境の変化
(2)自己実現意識の高まり
(3)交際機会の拡大
の3点を挙げた上で、「男性の魅力は、経済力とコミュニケーション能力」だが、「経験のない人は、経験がないことで、ますますもてなくなる」と述べています。
 第6章「現代日本、『結婚』と『婚活』の実態」では、結婚情報サービスのタイプとして、
(1)お見合い仲人型
(2)データマッチング型
(3)インターネット型
の3つを挙げ、解説しています。
 また、合コンが「婚活」として、効率が悪い理由として、
(1)そもそも参加の目的がばらばら
(2)合コンで魅力を発揮する人のタイプが限られる
の2点を挙げています。
 第7章「四十歳からが結婚適齢期? 三十五歳からの婚活」では、35歳を過ぎた女性の婚活戦略として、「年上ですでに子育ても終わった男性との熟年再婚市場」を挙げ、「再婚市場のいいところは、スペックのいい男性が出戻ってきていること」だと述べています。
 第8章「成功する婚活」では、「まずは、とにかく出会いの絶対量を増やすこと」だとして、男性ならばボランティアがお勧めだと述べるとともに、「女性の好きな趣味を好きになれば、出会いは増えます」と述べています。
 また、「高スペック男性を狙うにも、ちゃんと仕事を持っていることが、女性の婚活の必須条件」だと述べています。
 本書は、実態のわかりにくい「婚活」とその背景を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 恋愛市場に滞留する既婚男性というのは、未婚男性諸氏にとっては甚だ迷惑極まりないのですが、昔なら子育てや住宅ローンで素寒貧なはずだったギラギラした3~40代男性が、パートナーもそれなりに稼いでいることで、金もあり、いい車に乗り、いい服を着ているということになると、市場的にも邪険にできず、金のない20代男性の立場は益々悪くなる一方なのではないかと。


■ どんな人にオススメ?

・日本の恋愛市場は間違っていると思う人。


■ 関連しそうな本

 山田 昌弘 白河 桃子 『うまくいく!男の「婚活」戦略』
 佐藤 留美 『結婚難民』


■ 百夜百マンガ

結婚氷河期をのりきる本【結婚氷河期をのりきる本 】

 こういう本までマンガになってしまうというのは、マンガというメディアが持つ力の強さを実感させられます。

2009年10月18日 (日)

カリスマのつくり方

■ 書籍情報

カリスマのつくり方   【カリスマのつくり方】(#1732)

  戸矢 学
  価格: ¥735 (税込)
  PHP研究所(2008/8/19)

 本書は、企業が社会で生きていくために必要なコミュニケーション戦略の第一のものである「カリスマを作り出すこと」について解説したものです。
 第1章「カリスマ戦略――カリスマのつくり方、おしえます」では、カリスマたる人の第一の条件として、「顔」を上げ、「人は顔で判断」されるのが心理であるとした上で、その人の「印象」を左右するポイントとして、「眼」を挙げ、「『そのように見える』『そういう印象を与えることができる』とわかっている技術なら、そのために使えば効果はおのずから明らか」だとして、「カリスマづくりの戦略や戦術は、こういった考え方から編み出されたもの」だと述べています。
 そして、オバマ、ケネディ、ヒトラーなどの例を挙げ、「歴史に残る伝説的な名演説は、ほとんどすべてが『よく通る声』『はっきりした発音』、つまり『発声』と『滑舌』の条件が揃って」いると述べています。
 第2章「ブランド戦略――カリスマ性が、ブランド化の秘密!」では、「カリスマ性が個人レベルで実現すると、その支配下にある組織は『ブランド』」になるとして、カリスマの「神話」や「伝説」に裏付けられ、支えられて「ブランド」が成立すると述べています。
 また、ディズニーランドの最大の「武器」として、「ディズニーランドは、実はテーマパークでもなく遊園地でもなく『教育施設』なの」だと述べ、だから「教育委員会推薦」の教育施設になり、「校外学習や修学旅行にバスを連ねて団体でやってくる」のだとしています。
 そして、天皇は、「日本史上最大最強のカリスマ」であり、日本最大のブランドは「天皇によって保証されるブランド」だと述べています。
 さらに、「日本には大統領という政治機関が存在しないので、政治家でカリスマ性を発揮できるのは『知事』が第一の存在」だとして、前三重県知事の北川正恭氏、前宮城県知事の浅野史郎氏、熊本県知事時代の細川護煕氏などが、まぎれもなく「カリスマ知事」だったと述べています。
 第3章「メディア戦略――メディアがカリスマ性を伝道する」では、「アドルフ・ヒトラーを『カリスマ』として知らしめるのに決定的な役割を果たし、国家プロパガンダ(政治宣伝)として大きな効果を挙げた」映画として『意思の勝利』をあげ、「ドイツでは今なお一般上映は禁止されており、ビデオもDVDも販売」できない理由として、「この映像には、それほどに『恐れる』だけの力がある」と述べています。
 第4章「戦略の果てに!――カリスマ・メソッドに品格を!」では、白洲次郎について、彼が生涯かけて貫いた「プリミティブな正義感」が、「戦後の日本人が失った最たるもの」である「プリンシプル」に拠っていたと述べた上で、「白洲氏は、自身が『カリスマ』になれる資質を備えていましたが、ついに『参謀』の立場を超えることは」なかったと述べています。
 本書は、カリスマとは何かをわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 どうしても宗教の裏側的な話には抵抗がありますが、「プロパガンダ」という言葉が元々宗教の用語だったように広報と宗教は切り離せないような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・カリスマを作り出したい人。


■ 関連しそうな本

 古屋雄作 『カリスマ入門』
 島田 裕巳 『新宗教ビジネス』


■ 百夜百音

SECOND REUNION~The Best Of Sing Like Talking【SECOND REUNION~The Best Of Sing Like Talking】 SING LIKE TALKING オリジナル盤発売: 1998

 アラフォーの人たちは結構好きな人が多いようです。世間一般でヒットするかどうかは別として。

2009年10月17日 (土)

「日本は先進国」のウソ

■ 書籍情報

「日本は先進国」のウソ   【「日本は先進国」のウソ】(#)

  杉田 聡
  価格: ¥777 (税込)
  平凡社(2008/06)

 本書は、「日本は本当に先進国なのか」、「先進国であるよりは発展途上国であり、分野によってはむしろ後進国なのではないだろうか」という問題意識から、「現在日本の状況を記」したものです。
 第1章「環境後進国としての日本」では、「政府が自然エネルギー利用を放置している」理由として、「電力会社の利益を第一に考えている」ことを挙げ、「もういい加減にそんなやり方と決別すべきである」と述べています。
 また、「日本を先進国と呼ぶことをためらわせる最大の理由の一つ」として、「街中に氾濫する人工音」を挙げ、「音を発生することに対して、日本社会は奇妙なほどに鷹揚」だと指摘した上で、「音は暴力である。なぜなら音は、有無を言わさずに人の聴覚を襲うからである」と述べています。
 第2章「過酷な労働と貧しい労働の果実」では、「私たちの生活が貧しいと感じる最大の理由の一つ」として、「労働時間の長さ」を挙げ、「ドイツなら5人の労働者が雇われるところ、日本では4人しか雇われていない」と述べ、さらに、その労働時間は「実態を十分に反映しているとは到底言えない」として、「サービス残業」の問題を指摘しています。
 また、「通勤時間もウンザリするほど長い」として、「大都市圏では往復2時間はおろか3時間さえ珍しくない」として、「通勤にこれだけ時間がかかると、家庭生活に影響が出る」と述べています。
 第3章「名ばかりの『男女平等』」では、「最も顕著に他国との差が明らか」なものとして「男女平等の進展度」を挙げ、「ここでは日本は、全くの後進国である」と指摘し、国連開発計画の「人間的開発指数」が177か国中8位であるのにもかかわらず、「男女開発指数」では13位に下がり、さらに「男女権限指数」では、「比較可能な75か国中、実に42位にまで落ちる」と述べています。
 そして、「女性の社会参加が進まず、また少子化問題に十分な対応ができない」理由として、「育児に対する社会的支援が非常に貧弱」なことを挙げ、
(1)育児休暇の問題
(2)保育所・学童保育の問題
の2つの問題として現れると述べています。
 第4章「ゆがむ教育」では、「その場しのぎの教育政策のために、教師も子どもも翻弄されている」として、「これほどにまで先進国の名に恥じる教育行政が、一体ありうるだろうか」と述べた上で、「いま重要なのは、学歴、特に学校歴に意味を持たせるシステムを極力排すこと」だと指摘しています。
 また、「異常なまでの学費の高さは、国際人権規約に違反している」として、高等教育についての「無償教育の漸進的な導入」を定めた同規約A(社会権規約)を日本政府が批准していないため、「国連人権小委員会から是正勧告を受けている」ことを指摘しています。
 第5章「貧しい政治の現実」では、社会保険庁の「消えた年金」問題が、「職員らによる横領が原因である可能性」を指摘し、「これらを見ると、日本は完全に後進国であることがわかる」と述べ、さらに、「官僚制に関わる最も根深い問題は、日本では『法による行政』が実現されない仕組みが作られてきた」ことを指摘しています。
 そして、日本政府の政策の多くが、「アメリカ政府の要求から生まれた」ことについて、「これを見ていると、日本は独立なのかという不安にかられる」、「『先進国』日本がほとんど他国の意のままに国家意思を形成しているという事実を、一体私たちはどう考えるべきなのか」と述べています。
 第6章「先進国の条件」では、20世紀初頭に内村鑑三が「デンマルク国の話」という著述で「デンマークの先進性を讃えた」ことについて、今日は、先刻という言葉を使うときには、「工業化の進展、技術・経済の発展、エネルギーの大量使用、そして国富の多さが、この言葉の背景に明確に意識されている」が、「例えば国富がいかに大きかったとしても、直ちに国民生活が豊かになるわけではない」と指摘しています。
 そして、先進国の条件として、
(1)環境・女性・子ども・国民を第一に考える
(2)先進国は他国を脅かさない
の2点を挙げています。
 本書は、「先進国」という言葉の意味を考え直すきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者は大学教授ということなので、学術的な部分を期待する人もいるかもしれませんが、そういった期待はことごとく裏切られると思っていいです。決して内容がでたらめだというわけではありませんが、例えるなら「赤旗」その他の左翼系ジャーナリズムというか、アジビラに書いた原稿をまとめたもののような印象を受けました。


■ どんな人にオススメ?

・日本はやっぱりダメだと思いたい人。


■ 関連しそうな本

 杉田 聡 『買物難民―もうひとつの高齢者問題』 2009年8月17日


■ 百夜百マンガ

マリー・アントワネットの料理人【マリー・アントワネットの料理人 】

 テレビドラマ化されて人気の村上もとかもそうですが、2~30年前の少年サンデーで活躍した人たちが今も現役で頑張っているのはうれしいものです。読んでいる客層はそのまま年をとっただけなのかもしれませんが。

2009年10月16日 (金)

死体の経済学

■ 書籍情報

死体の経済学   【死体の経済学】(#)

  窪田 順生
  価格: ¥756 (税込)
  小学館(2009/2/3)

 本書は、厚いベールに包まれてきた「『死』を扱う人々の生業」のうち、「最も明確にされなかった」カネの閉鎖性について、「それらのビジネスの本質を知ることによって、一人でも多くの方に故人と満足のゆく別れをしてもらうこと」を目的としたものです。
 第1章「『ドライアイス』からわかる葬儀ビジネスのカラクリ」では、「未だに葬儀でドライアイスが使われている」理由として、「元手はかからず、それなりの金額を遺族に請求できる」点で、「葬儀社にとってこれほどおいしいものはない」からだと述べた上で、「葬儀屋は月に1体死体が出れば食っていける。月に2体死体が出れば貯金ができる。月に3体死体が出れば家族揃って海外旅行ができる」という有名な"格言"を紹介しています。
 そして、「『知らない』ということが『葬儀』という死者を送り出す儀式の格式を高め、残された人々を別れに向き合わせてきた」とする証言を紹介しています。
 また、葬儀社が真にコストをかけて、実際に収益をあげているのは、
・遺体に触れるサービス:ドライアイスの交換、死装束、死化粧など
・レンタル業:祭壇、生花など
の2つであると述べています。
 第2章「エンバーミングは葬儀業界の『救世主』になれるか」では、「葬儀業界も明朗会計や安値競争がすすみ、かつてよりも祭壇や生花の単価はだいぶ下がったが、その穴埋めをエンバーミング部門で補填している状況」だとした上で、エンバーミングの落とし穴として、「血液と防腐固定液を入れ替えるコンプレッサー」などの設備投資やエンバーマーと呼ばれる専門技術者の教育費・人件費が必要だとして、「大きく注ぎ込み小さく稼ぐ。だから受注数が多くないと全く儲からない」ビジネスだと述べています。
 また、「自然な顔色になる」「腐らない」などのメリットのほか、「遺族や葬儀業者に感染症の危険がなくなる」点を指摘しています。
 第3章「四川大地震で活躍した遺体防腐スプレー」では、15万円以上かかるエンバーミングと同様の処理がわずか3000円でできてしまうという、三重大学医学部看護学科の大西和子教授と株式会社アゼックスによって開発された「ニュークリーンジェルスプレー」について、「エンバーミングどころか、従来のドライアイス文化も一変させてしまうかもしれない」と述べています。
 そして、このスプレーが、災害時の遺体処置剤として注目されたほか、医療関係者からも注目を集めていることを述べた上で、海外では高く評価されているが、「その新技術を生み出した国ではなかなかこれが拡がらない」理由として、「日本の『死』を扱うビジネス特有の閉鎖性があるのかもしれない」と述べています。
 第4章「『納棺』と『死化粧』のパイオニア」では、映画『おくりびと』で注目された「遺体に触れるサービス」である「納棺師」について、「もともとは家族が行っていたものを、葬儀社がやるようになって、それを専門にやるようになった究極のスキマ産業」という説明を紹介した上で、そのパイオニアである佐野氏(仮名)が、葬儀社の営業として、「明らかにニーズはあるにもかかわらず、『やりたくない』という理由であまり成り手がない。だったらこれを本格的に極めてみたらビジネスになるのではなかろうか」と考え、自ら起業した経緯を述べています。
 第5章「"死臭"消臭剤開発プロジェクト」では、この10年で、「遺品整理」や「納棺師」などが急増し、「『死』を扱う仕事が非常にオープンになり、それに伴う新規参入業者も増えてきた」と述べた上で、新参業者の怖い点として、「血液や体液の扱い」を上げ、「腐乱死体の体液をキッチンの流しや風呂に流す人」もいるが、「下水に入ってしまったらマンションやアパートという建物全体に悪臭がこびりつく。建物を殺してしまうようなもんですよ」とする佐野氏の証言を紹介しています。
 第6章「『死者の引越し』というサービス」では、「遺体に触れるサービス」のニューカマーが続出していることについて、「従来の祭壇型の葬儀で高収益をあげてきた葬儀社を第一世代、佐野氏のようにそれまでの葬儀業界に疑問を抱き、『依頼に触れるサービス』に特化していく人々を第二世代とすると、この第三世代は葬儀業界はおろか、今まで『死』というものを生業にしたことがなく、単にそこに困っている人々がいて、葬儀業界ではカバーできていない『市場』があることに気づいたことから参入してきた」と述べています。
 第7章「棺業界を席巻する『中国製品』と『エコブーム』」では、「葬儀の価値が落ち、これまでのような『祭壇中心主義』ともいえるビジネススタイルの崩壊は二つの出来事を招いている」として、
(1)業界団体や大手業者がもともと葬儀社の存在意義でもあった「遺体に触れるサービス」というものに活路を見出し始めたこと。
(2)全くの異業種から遺体処置剤の開発、遺品整理、は売るクリーニングなど「死」というものを扱うサービス業への参入が増えていること。
の2点を挙げています。
 第8章「年間100万人超の火葬場は海へ地下へ」では、消臭器メーカーの担当者が、大手重工機メーカーからの「火葬」の消臭の依頼について、「メンテナンスなどでそういう場所に行かなくてはいけない」ことを理由に断ったことを紹介しています。
 また、火葬場職員への「心づけ」について、10数年前に群馬県伊勢崎市で起きた事件として、「"心づけ"を廃止して業務委託職員ではなく、市の職員に火葬場で働かせよう」としたことに、「現場で働く職員たちは猛反発」し、「社長を火葬炉に閉じ込めて怪我を負わせてしまった」という事件を紹介しています。
 本書は、知られていないこと自体がその本質でもある「死体」について掘り下げた一冊です。


■ 個人的な視点から

 葬儀業界というと、ちていは内部告発ネタというか、いかにぼったくりかという話が多いのですが、もっと構造的な変化の問題にきちんと踏み込んでいる点でお勧めできます。


■ どんな人にオススメ?

・「死体」に関しては謎が多いと思っている人。


■ 関連しそうな本

 中島 隆信 『お寺の経済学』 2006年03月21日


■ 百夜百マンガ

僕の初恋をキミに捧ぐ【僕の初恋をキミに捧ぐ 】

 お約束にお約束を重ねたような少女漫画ですが、そういうのを楽しむのもマンガの楽しみ方のひとつではないかと。今年映画化されてます。

2009年10月15日 (木)

ワークショップ入門

■ 書籍情報

ワークショップ入門   【ワークショップ入門】(#)

  堀 公俊
  価格: ¥872 (税込)
  日本経済新聞出版社(2008/11)

 本書は、「主体的に参加したメンバーが協働体験を通じて創造と学習を生み出す場」である「ワークショップ」について、「これからワークショップをやってみようという人に必要不可欠な知識を、コンパクトに提供」しているものです。
 第1章「ワークショップで組織を変える」では、「ワークショップという場は、秘めている知恵とやる気を引き出し、その相乗効果が予想もつかない力を生み出していく。自由に対話できる関係を作り、ほんのわずか後押しをしてあげれば、集団が本来持っている力を解き放ち、自ら変わっている」という力を持っていると述べています。
 第2章「脚光を浴びるワークショップの世界」では、ワークショップの基本となるキーワードとして、
(1)参加
(2)体験
(3)協働
(4)創造
(5)学習
の5点を挙げています。
 そして、100年近い歴史を持つワークショップが各界で注目を浴びるようになった理由として、「あらゆる場面で参加と協働が今ほど求められる時代はない」ことを挙げています。
 そして、ワークショップのタイプとして、
(1)組織系(問題解決型)ワークショップ
(2)社会系(合意形成型)ワークショップ
(3)人間系(教育学習型)ワークショップ
の3つを挙げ、「分野によって中身が大きく変わって」くると述べています。
 そして、ワークショップに必要なスキルとして、
(1)チーム・デザインのスキル
(2)プログラム・デザインのスキル
(3)ファシリテーションのスキル
の3点を挙げています。
 第3章「チーム・デザインのスキル」では、「チームづくりに、実質的に最も影響があるのが、メンバー選び(メンバリング)」だとした上で、その環境としては、「一般的には、非日常的な空間のほうがワークショップに適して」いるとして、ホテルの部屋、貸し会議室、会社の研修センター、公営の宿泊研修施設などを挙げています。
 第4章「プログラム・デザインのスキル」では、ワークショップのシナリオに当たるプログラムについて、
(1)オープニング(導入)
(2)本体
(3)クロージング
の3つの部分から構成されると述べています。
 そして、「セッションの狙いは適切なアクティビティを選択することで達成」できるとして、
(1)場を温めるアクティビティ:チェックイン、知識クイズ、ラインナップ等
(2)資源を引き出すアクティビティ:人間マトリクス、ペアインタビュー、ロールプレイ、ケーススタディ、フィールド調査、ゲーミング・シミュレーション等
(3)話し合うアクティビティ:ブレーンストーミング、バズ、ダイアログ、シェアリング(分かち合い)、ディベート等
(4)つくり上げるアクティビティ:言葉でまとめる、チャートにまとめる、カードでまとめる(親和図法)、作品でまとめる等
(5)分かち合うアクティビティ:バザール型発表、多重投票法、チェックアウト等
の5種類を挙げています。
 第5章「ファシリテーションのスキル」では、全員をしっかりと流れに乗せるために具体的なスキルとして、
(1)インストラクション:ワークショップの5つの要素を伝え、参加者と共有する。
(2)ベースセッティング:非言語メッセージを通じて場のムードをリードしていく。
(3)自己開示:自分の心を素直に開いて、参加者の自己開示を促していく。
(4)アイスブレイク:参加者の興味や関心をひきつけ、場への参加を促す。
の4点を挙げています。
 そして、活動の進行過程を観察して可視化するスキルとして、「議論の内容を文字や図形を使ってわかりやすく書き留める、議論を描く技術」である「ファシリテーション・グラフィック」を挙げています。
 また、一番ソフトな介入である「チームや個人を観察していて、感じたことをそのまま伝えるフィードバック」について、
(1)両者が一致した建設的な目的のために行う
(2)相手の態度・行動についてのみ伝える
(3)自分の観察・印象・判断のみを伝える
(4)具体的かつ明確に描写する
の4つの原則を挙げています。
 第6章「明日から使える身近なワークショップ」では、「ワークショップは特別な場ではなく、日常的に使えるもの」だとして、
・ワークショップ型のミーティング
・商品企画ワークショップ
・問題解決型のワークショップ
・ビジョンづくりワークショップ
・全員参加型のワークショップ
・双方向型のワークショップ
・ワークショップ型の研修
・チーム・ビルディング・ワークショップ
などについて、事例を挙げて解説しています。
 本書は、ワークショップの初歩の初歩を解説してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ワークショップという手法は、話自体は聞いたことがあっても実際に体験した人は少なく、さらに自分で運営できる人となるとかなり限られてくると思うのですが、こういう入門書は大事だと思います。


■ どんな人にオススメ?

・ワークショップをやってみたい人。


■ 関連しそうな本

 堀 公俊 『ファシリテーション入門』 2006年04月24日
 堀 公俊 『問題解決ファシリテーター―「ファシリテーション能力」養成講座』 2006年05月15日
 堀 公俊, 加藤 彰 『ファシリテーション・グラフィック―議論を「見える化」する技法』 2007年09月07日
 中野 民夫 『ファシリテーション革命』 2006年04月28日


■ 百夜百マンガ

イエスタデイをうたって【イエスタデイをうたって 】

 表紙の絵がヤンジャン過ぎるというか、きたがわ翔みたいで不思議な感じ。そういえば弐瓶勉とか高橋ツトムもアフタヌーンとジャンプ系青年誌を描いていましたが。

2009年10月14日 (水)

自己デザインする生命―アリ塚から脳までの進化論

■ 書籍情報

自己デザインする生命―アリ塚から脳までの進化論   【自己デザインする生命―アリ塚から脳までの進化論】(#)

  J.スコット ターナー (著), 長野 敬, 赤松 眞紀 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  青土社(2009/2/24)

 本書は、「生物がうまく働く仕組みのこと、別の言い方をすると、生物があたかも『デザインされている』ように見える理由のことを書いたもの」です。
 著者は、「生物は特定の遺伝子の自然選択によってそのようにデザインされたのではなく、ホメオスタシスの作用因(エージェント)によってそのように作られた」と主張しています。
 第1章「クレアンテスのディレンマ」では、「生物はデザインされたものなのだろうか」という問いに対して、「答えは決して簡単ではない」とした上で、本書を、「生理学のレンズを新たに取り上げ、これを通してデザインと進化を改めて見直したいという私のささやかな試み」であり、「生物が構造と機能のすばらしい調和――私がデザイン性と呼ぶ特性――を見せているのは、遺伝子の自然選択が生物をそのように作り上げてきたからでなく、ホメオスタシスという作用者(エージェント)の働きによるものだったという単純なこと」を主張したいと述べています。
 第2章「ベルナール・マシン」では、「私は生物学的構造について全く誤った考え、生物の構造は機能がそこで作用すべき物体だという従来の考えを持っていた」が、「それがすべて間違っていること」で、「生きた構造は物体ではなく、その中で起こる機能と同様に、それ自体が過程なのだ」ということに気づいたと述べています。
 そして、シロアリの塚について、「実体化された生理学の一つの形」だとして、「それは同時に構造でもあり機能でもあって、土の運搬と塚の構造とガス交換が一緒に共役して、閉じた一つの機能的ループを形成している。さらにまたそれは、実体化されたホメオスタシスでもある」と述べた上で、コズマ・シャリジがこれを、19世紀フランスの大生理学者クロード・ベルナールにちなんで「ベルナール・マシン」と名づけたことを紹介し、「塚を作るシロアリのようなベルナール・マシンはホメオスタシスの動因であり、環境を作り出してそれを調整する装置だ」と述べています。
 第3章「ソックスの楽しみ」では、「繊維でまかれた円筒には多くの長所があり、そのひとつとして、比較的少ない構造の変種から、驚くべき多様性のある機能が得られる点」を挙げた上で、「ホメオスタシスを示すコラーゲンの網目構造は、それ自体がまた多くの場合、ベルナール・マシンが形成する別のホメオスタシス的なシステムから編み出されている。両者間の相互作用によって、デザインされたシステムの特徴の一つというべきこと、すなわち多数の要素が、うまく機能する全体に統合されるという事態が得られる」と述べています。
 第4章「血液の大河」では、「血管の網目が『単なる』自己組織化されたシステムに過ぎないのか、あるいはその驚異的な構造にはそれ以上の何かがあるのかという問題を考えてみたい」と述べています。
 そして、「動脈系を持つことのコストを最小にするデザインの原則」を提案した「マレーの法則」を紹介した上で、それが、「樹状の放射版のように縮尺変えができる」点で、「卓越したデザインの法則だ」と述べるとともに、「マレーの法則には、マレー自身の動機づけになっていた効率の規準とは全く無関係な興味深い特徴がもう一つある」として、「血管のネットワークがマレーの法則に従わなければならない理由ばかりでなく、実際どのように従うようになるのかを理解する道を開く」点で興味深いと述べています。
 第8章「意図的な挿話」では、「デザインはどこから生じるのかという問題」に「正面から取り組もうとすれば、意図性の問題は避けることはできない」として、「本書の残りの部分では、こうした疑問とそれに対する暫定的な答えを考えてみたい」と述べています。
 そして、「今日のダーウィニズムが直面する最大のギャップは生物学的デザインの問題だ。そのギャップを埋めることは意図性の問題と取り組むことを意味する。そしてダーウィニズムはネオダーウィニズムの原子論主義に強く結びついている限りそれができない」と述べた上で、「意図性という『物自体』に関して同じことを考えるには、種に関する転換が達成された方法の簡単な概説から始めて、その転換によって解明されたことと不明瞭なまま残されたことをはっきりさせるのがいいだろう」と述べています。
 また、「ダーリンとウォレスは生物が何であるかということについては、意図性とされているものに致命的な打撃を与えたが、生物が何をするかということに根拠を与える非常に異なる種類の意図性は無効化しなかった」ことを指摘しています。
 第10章「ピグマリオンの贈り物」では、「認知は明らかに多面的──科学的、哲学的、美学的──なテーマであり、それの考察は形而上学の深い藪に迷い込みやすくなる」とした上で、「認知とは何か」について、「認知とは世界の一貫性ある心的表象の集体であるという、ごく限定された定義することから始めたい」と述べています。
 そして、ADHDについて、その多くの面は網様体賦活系(RAS)の「新規さの検出装置」が「過敏状態にあることに起因する」として、「極めて些細なことでも即座の注目に値する新しいこととしてとらえられてしまう。そのため、新しく入ってくる刺激を評価して認知的状況に置く働きをする脳の残りの部分は一時的停止状態になる。これによって、注意持続時間が短くて現在まさしく直面している課題以外には注意を払うことができない状態が説明できる」と述べ、「ADHDは認知機能のコンピュータ部品が壊れたから生じるのでなくて、認知において優位を争う二組のベルナール・マシンの不釣り合いから生じている」と解説しています。
 第11章「生物学の輝線」では、「進化には未来があるだろうか」という問いに対して、「断固として『ノー』と答える」理由として、「さもなければ、すべての変人を惹きつけるあの前向き、意図的、『知的な』世界を認めることになる」と述べたうえで、「遺伝と昨日の徹底的な分離は、分子生物学からネオダーウィニズムへの贈り物」だとして、「これをダーウィニズムのセントラルドグマ(CDD)と読んでもおかしくない」と述べています。
 そして、かつてCDMB(分子生物学のセントラルドグマ)が、「遺伝子をタンパク質決定の(したがって機能を決める)単純なヌクレオチド配列に奉り上げようとしたが、プリオン様タンパク質や、メチル化のパターンや、トランスポゾンその他多くのメカニズムの存在は、もはやそれを不可能にしている」と述べ、このことが、ダーウィニズムのセントラルドグマにたいする重大な挑戦、すなわち、「生物学の他の一つの輝線である環境と遺伝の分離線を疑問視することになる」と述べています。
 著者は、「真に包括的な進化論は、『もの』ベースの適合性と過程ベースの適合性の両方を考えに入れるものであるべきだろう」と述べ、「両者を融合させる一つの道」として、「過程ベースの遺伝的(受け継ぎ可能的、heritable)記憶という新しい一つの部類(クラス)を定義すること」を挙げ、その一つの候補として、「ベルナール・マシンのシステムによって作り出され、管理される永続的(パーシステント)な環境」、すなわち「パーシスター(永続子)」を提案しています。
 本書は、デザインという観点から生命と進化を見つめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 進化と生物学の話はとても好きなのですが、ある線からポピュラーサイエンス読みの限界というか、ぶっちゃけ分からない話が多すぎて辛くなるところも出てしまうのですが、本を大量に読むコツ、特に知らない分野を読むコツは、中身に分からないところがあっても本の全体像、ロジックの構造を俯瞰してみてそこから重要なポイントを攻める、というものなので、そういう意味ではサイエンスものは読みやすいです。


■ どんな人にオススメ?

・生物の進化は体の中だけだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 ピーター フォーブズ (著), 吉田 三知世 (翻訳) 『ヤモリの指―生きもののスゴい能力から生まれたテクノロジー』 2009年5月17日
 リチャード・ドーキンス (著), 日高 敏隆, 岸 由二, 羽田 節子, 垂水 雄二 (翻訳) 『利己的な遺伝子』 2006年09月26日
 スティーヴン・ジェイ グールド 『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語』 2007年03月03日
 アンドリュー・パーカー (著), 渡辺 政隆, 今西 康子 (翻訳) 『眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く』 2007年08月18日
 シャロン・モアレム, ジョナサン・プリンス (著), 矢野 真千子 (翻訳) 『迷惑な進化―病気の遺伝子はどこから来たのか』 2008年07月21日
 ランドルフ・M. ネシー, ジョージ・C. ウィリアムズ (著), 長谷川 真理子, 青木 千里, 長谷川 寿一 (翻訳) 『病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解』 2009年01月29日


■ 百夜百マンガ

ヤッターマン【ヤッターマン 】

 日曜の朝7時のメガテンの後枠に入って視聴率も振るわなかったようですが、最終回直前の暴走振りは、この番組を誰が注目しているかをよく分かっていると思いました。

2009年10月13日 (火)

断絶の時代―いま起こっていることの本質

■ 書籍情報

断絶の時代―いま起こっていることの本質   【断絶の時代―いま起こっていることの本質】(#)

  P.F. ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  ダイヤモンド社(1999/09)

 本書は、「単なる経済や技術」、「政治体制でも、知識や教育」でもなく、「それらのものの断絶」を扱ったものです。
 第1部「起業家の時代」第1章「『継続の時代』の終わり」では、「今日のアメリカ、ヨーロッパ、日本における経済は、1885年から1913年の延長線上にある」とした上で、「この半世紀は継続の時代だった」として、驚くべきは、「あの1900年の世代が築いてくれた基盤が、この50年間の不正と愚考と暴力を乗り越えて経済を発展させられるだけの強さを持っていたこと」だと述べています。
 そして、「いまや、経済も技術も断絶の時代に入っている。われわれは、この時代をさらに偉大な発展の時代にすることができる。ここで明らかなことは、技術、経済政策、産業構造、経済理論、ガバナンス(統治)、マネジメント、経済問題のすべてが、断絶の時代に入るということである」と述べています。
 第2章「誕生する新産業」では、「生産性向上の主たる要因は、既存の産業の内部で起こるのではない。それは、生産性の高い産業が、生産性の低い産業よりも急速に成長することによる」として、戦後の生産性向上は、「農業の生産性が上昇」したことによる、「農業から近代産業への労働力の移動によってもたらされた」と述べています。
 そして、「人類の歴史を通じて、情報はほとんどなかったに等しい。たとえあっても効果で、古く、頼りにならなかった」ことをしています。
 第3章「方法論としての起業家精神」では、「第一次大戦後の50年は、起業家としての能力よりもマネジメントの能力のほうが意味を持つようになった」とした上で、「今日、ふたたび起業家精神を強調すべき時代に入った」として、「今日必要とされているものは、過去50年に培ったマネジメント能力の基盤の上に、起業家精神の新しい構造を作る能力である」と述べています。
 第4章「転換を迫られる経済政策」では、「経済には、操作のきかない世界が一つだけある」として「グローバル経済」を挙げ、「これからは、いかなる国といえども、グローバル経済を基準にしなければならなくなる」と指摘しています。
 第2部「グローバル化の時代」第1章「グローバル化した市場」では、「経済を規定するものは需要である。今日では、経済や政治の状況に関わりなく、全世界が共通の需要曲線、共通の経済的価値観をもつ。言いかえれば、全世界が、欲求、反応、行動に関して、一つの経済圏となった」と述べた上で、この背景に情報化があることを指摘しています。
 また、「もはや金は、グローバル経済の通貨の基盤として機能できない」として、
(1)グローバル経済の現実・・・交易量が金でまかなえないほどに増大した
(2)金の機能の変化・・・工業用原料としての金の有用性が高まった
の2つの原因を挙げています。
 そして、「グローバル経済は、グローバル企業、すなわちグローバル経済そのものに基盤を置き、共通の利益のための機会を追求し、責任あるリーダーを育てる機関を必要としている」ことを指摘しています。
 第2章「深刻化する途上国問題」では、「第一次大戦から今日まで、先進国入りした国が一つもないという事実こそ、グローバル経済における最大の社会的、政治的問題」だとして、「これこそ、第一次大戦の前と後との最大の違い」だと述べています。
 そして、「19世紀にあって日本は、先進国入りした唯一の非白人国家、唯一の非西洋国家だったというだけでなく、例外であった」とした上で、「この日本に課されていた当時としては例外ともいうべき過酷な条件が、今日では一般的となっている」と述べています。
 第3章「役に立たなくなった経済学」では、「経済の領域ほど、正しく行動する上で、正しい理論が必要とされる世界はない」としながらも、「経済の領域ほど、確立したとされている理論が、現実の行動と政策の役に立たず、常識に反している世界もない」と指摘した上で、「知識が生産性を高めるとの公理の上に、経済学を再構築する必要がある」、「われわれは、知識に関わる政策決定のための経済学を必要とする」と述べています。
 第3部「多元化の時代」第1章「多元化した社会」では、「この半世紀の間に出現したものが新種の多元社会である」と述べ、「現代社会の多元的な構造は、既存の法律や規制、既存の社会学や経済学では扱えない。そのようなものとして取り組まなければならない。新たな多元主義は、多元社会のための政治理論と社会理論を必要とする」と述べています。
 第2章「多元社会における組織の理論」では、「組織は、いかに機能し、活動するか。いかにして自らの仕事をするか。まずはじめに組織の役割を明らかにしておかないことには、何を考えてもあまり意味がない」とした上で、組織の役割が持つ側面として、
(1)目的
(2)実行
(3)人
の3点を挙げています。
 また、「組織は、自らの目的によって規定される構造を必要とする。同時に、組織としての普遍的な原理によって規定される構造を必要とする」として、「あらゆる組織において、この二つの構造が、ダイナミックな関係の元に並存しなければならない」と述べています。
 そして、「今日の組織は、集中することによってのみ成果を上げうる」として、「成果こそが、組織にとって唯一の存在理由である。組織が権限を持ち、権力を振るうことを許しうる唯一の理由である」と述べています。
 第3章「政府の病」では、「政府への幻滅の原因」として、われわれが政府に、「政府が無料でサービスしてくれ」、「そのための費用は、誰かが負担してくれる」という奇跡を求めたためだとして、「奇跡を求めれば、得られるものは幻滅に決まっている」と述べています。
 そして、「政府の仕事は、意思決定を行うこと、しかも意味ある正しい意思決定を行うことである。社会における政治的なエネルギーを結集させることである。問題を浮かび上がらせることである。選択を提示することである。換言するならば、統治することである」と述べた上で、アメリカの企業の経営陣が、今日の政府が直面している「統治と実行の両立の問題」に取り組んできた結論として、「この両者を分離し、特にトップの機関すなわち意思決定者を、実行から分離させなければならないことを学んだ」と述べ、「政府にこの教訓を適用するならば、実行の任に当たるものは、まさに政府以外の組織でなければならない」として、分権化とは、「実施、活動、成果という実行に関わる部分は、政府以外の組織が行うという原則のことである」と述べています。
 著者は、「新たな政治理論と新たが法理論が必要とされる」として、多元社会において必要とされるのは、「統治でき、実際に統治する政府」であり、「それは自ら実行する政府ではない。管理する政府でもない。統治する政府である」と述べています。
 第4章「知識の時代」第1章「迫りくる知識経済化」では「アメリカ経済は、第二次大戦までの財の経済から、知識経済へと移行した」と述べた上で、知識経済の特質として、
・労働はなくならない
・技能はなくならない
・人生を変える
・組織に依存する
等の点を挙げています。
 第2章「変わる仕事」では、「プログラム化された知識によって高度の技能を得られるようになったために、かつてのような技能の習得の意味がなくなった」とした上で、「今後必要とされるものは、徒弟的な修行ではなく、知識である。さらには、仕事に対する新しいアプローチの仕方であり、職場の安定についての新しい考え方である」と述べています。
 第3章「必然の教育革命」では、「教育は、機会と昇進にとって、財産や才能よりも重要になった。最も重要な価値となった」と述べています。
 第4章「問われる知識」では、「知識が社会の中心に据わり、社会の基盤になったことは、知識そのものの性格、意味、構造を大きく変える」として、「諸々の断絶の中でも、この断絶こそが、もっとも急激であって、かつ重要である」と述べています。
 そして、「知識社会における最大の問題は、知識あるものの責任である」と述べています。
 本書は、20世紀と21世紀の断絶を見極めた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、後のNPMの中心的な理念となる政府における統治と執行の分離の必要について、はっきりと言及し、後のイギリス政府の改革の理論的支柱になったという点で記念碑的な一冊です。単に技術的に企画と執行を分離すればいい、ということではなく、NPMがどのような思想的背景を持っていたかを知る意味でも必読の一冊です。


■ どんな人にオススメ?

・20世紀と21世紀の断絶の本質を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 P・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳) 『ポスト資本主義社会』 2009年8月13日
 ピーター・ドラッカー (著), 有賀 裕子 (翻訳) 『マネジメントIII 務め、責任、実践』 2009年8月 9日
 P.F.ドラッカー 『ドラッカー わが軌跡』 2009年7月22日
 P.F. ドラッカー (著), 窪田 恭子 (翻訳) 『ドラッカーの遺言』 2009年7月15日
 P.F.ドラッカー (著), 上田 淳生 (翻訳) 『イノベーションと企業家精神』 2009年6月29日
 P.F. ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳) 『明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命』 2009年8月16日


■ 百夜百マンガ

ポポロクロイス物語【ポポロクロイス物語 】

 この作品を原作にしたゲームがヒットしたことで有名になりました。もはや30年近く前の作品です。

2009年10月12日 (月)

エニグマ・コードを解読せよ

■ 書籍情報

エニグマ・コードを解読せよ   【エニグマ・コードを解読せよ】(#1726)

  マイケル パターソン (著), 角敦子 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  原書房(2009/1/9)

 本書は、第二次世界大戦時、連合軍の勝利に関わっていた「名も知られぬ、いや存在すらも秘められた人々の集団」に関する記録です。著者は、彼らが、「想像力と柔軟性をもって無線情報をまとめ、分析した結果を配布し、それにもとづいて行動する。こうすることによって、敵の声は兵器庫の武器と同等になった」と述べています。
 第1章「暗号と戦争」では、「1939~1945年に繰り広げられた目に見える戦争と平行して、別の戦いが秘密裏に進行していた」として、「それはいずれも通信をめぐる戦いで、いかに情報を秘匿し固くガードするかが成功の鍵を握った」と述べたうえで、「敵地で絶えず命を危険にさらしているものもいれば、戦場や危険から遠く離れた場所で、日常のデスクワークにいそしむ者もいた」として、「そんな中で最も重要な役割を果たしたのが、枢軸国の暗号を解読していた男女だ」と述べています。
 また、「敵の交信を継続的かつ綿密に傍受したことが、決定的な勝因となったのは間違いない。それで枢軸国の意図や戦力、弱点が露呈されたばかりでなく、連合国の方策や先手、欺瞞作戦に対する反応も知ることができたのだ」として、「イギリスの秘密の場所で暗号戦争を戦っていた者は、戦場とは遠くはなれて、たいていは単調で退屈な仕事をこなしていた」と述べています。
 そして、「世界で最もよく知られる暗号機」である「エニグマ」について、1918年に発明された当初は、「一般的な政府機関や軍組織からは顧みられなかった」とした上で、その大きなメリットは、「暗号化された通信文が傍受されても、傍受側に全く同じマシンがなければ解読が不可能なこと」であり、「1930年代のその後と対戦に入ってからの年月は、ドイツのエニグマのオペレーターと敵との頭脳線が繰り広げられた時期だ」と述べています。
 第2章「ブレッチリー・パーク」では、事務員として働いていた若い女性の証言として、「3年間過ごした場所なのに、わからないことだらけでした。私たちは、特定の場所に閉じ込められていたのです。昼も夜も毎年、世界中から送られてくる通信文を扱っていて、その内容を一切知らなかったのですから、驚きです」という証言を紹介しています。
 一方で、「多くの事務員が『ボンブ』の秘密を知ることになる」として、「アラン・チューリングが設計し、地元の会社が組み立てた解読マシン」である「ボンブ」について解説しています。
 このチューリングについては、彼が事務員に単純な割り算をとくことを依頼した際に、「ぼくは簡単な算数はやったことがないんだよ」と語っていたことを紹介しています。
 第3章「1940年――運命の年」では、イギリスがドイツの通信文の解読に成功したことで、「イギリス空軍は、敵が現れる時間と場所を正確に捉えて迎撃するという、超能力でも備えているかのような活躍を見せた」と述べています。
 第4章「大西洋の戦い」では、ドイツ海軍の設定を割り出すために、暗号解読員が使った「バンブリスムス」と名づけられた手法について、「これはチューリングが考案した手順で、この名前は専用シートの印刷業者があるオックスフォードシャー州バンベリーにちなんでつけられた」として、「幅およそ30センチ、長さ1メートルを超えるこの長いシートには、アルファベットを縦に書いた列がいくつも並び、字と字の間には横の罫線が入っている」ことなどを解説しています。
 また、「連合軍に海戦での勝利をもたらしたのは、海軍エニグマばかりではなかった」として、「空軍エニグマから、連合軍の大きな勝利を決定付ける情報が提供されたこともあった」と述べています。
 第5章「北アフリカとイタリア」では、「地中海地域では一見、ドイツと連合国の間で戦争を起こす可能性も、交戦の必要すらないように思えるかもしれない」が、「この地域はいくつかの要因から戦略的に重要だった」として、
(1)ドイツの共戦国であったイタリアがこの地域で支配的な力を持っていた。
(2)地中海はスエズ運河への鍵となる場所であり、スエズ運河はインドと極東へと続く関門だった。
(3)イギリスの勝敗を左右するイラクの油田があること。
等の点を挙げています。
 第6章「レジスタンス」では、「先の大戦、および今回の大戦は他のいかなる戦域でも、レジスタンス部隊を主要な軍事作戦にこれほど利用したことはなかった」とするアイゼンハワーの言葉を紹介した上で、「レジスタンス運動には2つの敵がいた」として、
・占領軍
・彼らに協力する同国人
を挙げ、「同国人のほうが、ともすれば残忍で冷酷だった」と述べています。
 そして、「このような地下闘争を継続するために、イギリスは独自の秘密部隊、特殊作戦局(SOE)を創設した」と述べた上で、「SOEの訓練学校はイギリス国内の随所に創設されたが、その大半は不つりあいなほど優雅な環境にある田園邸宅を校舎にしていた」と述べています。
 また、「SOEが作戦行動を展開した中でもっとも厳しかった地勢は、地球の裏側にあるビルマのジャングルだった」と述べ、アメリカ軍のスティルウェル将軍が、「雨、雨、雨、泥、泥、泥、チフス、マラリア、赤痢、消耗、化膿する足、体の痛み」という有名な言葉でそれを要約していることを紹介しています。
 著者は、「ビルマの戦いでは、ほかの戦局で成功した軍事作戦と同様、秘密部隊から提供された情報と、彼らと共に任務に当たった通信のスペシャリスト――無線暗号解読員――が大いに貢献した」と述べています。
 第7章「ヨーロッパでの勝利へ」では、ドイツの幸福を「一番先に知ったのは暗号解読員だった」として、彼らが、当直の数を半分にしてロンドンにお祝いに繰り出した様子を紹介しています。
 そして、「ある意味では暗号解読員にとって、戦争はこの後30年間、終わらなかったのだ」として、1975年までイギリス政府が、彼らが誓った機密保持の規則を解除しなかったため、「その年になってはじめて、彼らの多くの家族は、彼らの本当の任務やそのとてつもない重要性を知らされた」と述べています。
 第8章「太平洋戦争」では、1921年に日本が英米と海軍条約に調印し、海軍の軍縮に同意したことについて、「この合意が成立した経緯は、暗号解読史上に残る壮大なドラマとなっている」と述べています。
 そして、日本軍が「非常に多くの種類のコードやサイファを採用していた」ことについて、「ヨーロッパやアメリカ、オーストラリアとは全く趣を意にする言語や文化やものの考え方に対処するのは難しかったが、暗号解読員は敵の流儀を短期間でマスターした」と述べています。
 このほか、アメリカでは、ネイティヴアメリカンのナヴァホ族が軍事通信に多大な貢献をしたことを紹介し、「ナヴァホ族がいなかったら、海兵隊は硫黄島を奪還できなかっただろう」とする証言を紹介し、「ほかのアメリカ軍のコードはやすやすと解読した日本軍も、ナヴァホの通信コードには全く歯が立たなかった」として、ナヴァホ族の通信員が、「私の武器は言葉だった。そしてこの言葉がおそらくは無数の命を救ったのだ」と語っていることを紹介しています。
 本書は、第二次世界大戦の派手な実践の裏で展開された暗号戦の重要性を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ドイツが基本的に暗号はエニグマ1つだったのに対して、日本軍が何十種類もの暗号を使っていたのは単にセクショナリズムだったのか、そういう思想の元に行われたのかわかりませんが、なんとなく国民性が現れている気がしました。


■ どんな人にオススメ?

・暗号戦の実態に触れたい人。


■ 関連しそうな本

 サイモン シン (著), 青木 薫 (翻訳) 『暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで』 2006年05月03日
 ゲリー ケネディ, ロブ チャーチル (著), 松田 和也 (翻訳) 『ヴォイニッチ写本の謎』 2006年09月10日
 小谷 賢 『日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか』 2009年1月 3日


■ 百夜百音

Whenever You Need Somebody【Whenever You Need Somebody】 Rick Astley オリジナル盤発売: 1987

 いかにも80年代というかユーロビート流行ってました。当時はこんなダサい音作りは最低だと思っていましたが、今聞くと結構参考になります。


2009年10月11日 (日)

陸上競技のルーツをさぐる

■ 書籍情報

陸上競技のルーツをさぐる   【陸上競技のルーツをさぐる】(#1725)

  岡尾 恵市
  価格: ¥2854 (税込)
  文理閣(1996/09)

 本書は、「陸上競技」の各種目が200年来たどってきた成立の経過を明らかにしたものです。
 第1章「近代陸上競技の歴史」では、「歩く、走る、飛ぶ、投げるといった運動の様式は、生産のための労働や軍事の目的で行われてきた以外に、太古の昔から『豊かな実り』や『豊漁』への願い、紙への崇拝、死者の葬祭、戦勝への祈念として世界各地で行われてきて」いたとして、「どのような時代、どのような地方であっても、すぐれた身体を持ち、修練を積んだ若者が、英雄や有名人の葬儀とか崇拝する神々の祭典のときに競技を行い、彼らの能力を発揮する機会があったことだけは、十分考えられる」と述べています。
 そして、イギリス社会の新興ブルジョワジーたちが、「上流・中流階級以外の出身者で占められていた『プロ走者』を見下し、しかも産業革命によって生まれた労働者階級をもこうした競技会から締め出すための『紳士条項』ともいえる『競技会参加資格』」を陸上競技会にも導入したことを解説しています。
 第2章「近代女子陸上競技の歴史」では、1895年にニューヨークで開催されたはじめて近代女子陸上競技大会について、「人目に触れずにプログラムが終わるよう、あらゆる配慮がなされた」として、生徒たちを、「好ましくない見物人たち」から守るための、「高さ12フィート(約3.65m)の厚い緑色の垣根」が張り巡らされたと述べています。
 また、オリンピックでは、1928年の「アムステルダム大会」に女子の陸上競技種目が登場するまでの敬意として、「1926年8月5日から始まった総会では、オリンピックに女子種目を解説するかどうかをめぐって大論議が巻き起こ」ったとして、「今日の状況殻見るとなぜこのような問題が大真面目に議論されたのか」と思われるが、「当時としては各国代表者は本当に真剣に議論をしたことが」わかると述べています。
 第3章「短距離走とスタート」では、クラウンチングスタートの誕生について、「1884年にスコットランドのマクドナルドが考えた方法を、87年にエール大学コーチのM・マーフィー氏が選手に指導し、ついに88年5月12日この大学のC・シェリルがニューヨークのロングアイランド競技場で初めて」使ったことを紹介しています。
 第8章「ハードル競争の歴史」では、「ハードル」とは、「本来、軽い木材を骨組みとし、柳やハシバミまたは曲がりやすい枝をもっているさまざまな樹木を使って編み上げた移動が可能な仮の塀とか、柴の束で作った野原の門などを指していると同時に、鉄や針金などでできている同様の構造物をも意味して」いると述べた上で、この競技が「本来自然の野原やら放牧場にあるさまざまな障害物を飛び越えて走る形態を競技化したもの」に他ならないと述べています。
 また、「ハードル・クリアランス」の技術に一大革命をもたらした、ペンシルバニア大学のA・クレンツレーンについて、「彼は前足をまっすぐに伸ばし、後ろ足を後方に直角に曲げる今のハードリングの基礎を築く技術を披露して、インターバルを3歩で走りきり、1898年には15秒2の世界記録を生んだ後、1900年の『パリ大会』では15秒4で金メダルを」得たと述べています。
 第10章「リレー競争の歴史」では、「陸上競技大会では必ずといって良いほど、各種のリレーで大会が締めくくられ」ることについて、このような「しきたり」は、おそらく、1908年の「第4回ロンドン大会」で初めて国別対抗の1600mのメドレー・リレーが行われたのを契機に、1912年の「ストックホルム大会」で4×400mリレーが大会のフィナーレを飾ったことが手本となっているのではないかと述べています。
 第14章「走幅跳びの歴史」では、「片足踏切」による「回転式走幅跳」によって、1973年にドイツの「第2TV」の番組でラゲルクィストという選手が7m近くを跳んだことについて、「危険だが革命的な跳び方」として紹介され、「この跳び方をマスターすれば記録は60cm伸びる」と研究されたと述べたうえで、「着地が安全マットでなく『砂場』で行わなければならない『走幅跳』の条件下では、試合や練習段階で頚や背骨の骨折が十分予測される」として、はやばやと「禁止」され、「闇の中に消えて」いったと述べています。
 第20章「混成競技の歴史」では、陸上競技の中でも、「混成競技」のチャンピオンには、「ここの種目のチャンピオンに対するのとは別の、高い評価と大きな賛辞が送られ」る理由として、「古来より、歩・走・跳・投など人間のもつすべての運動能力を全面に渡って発揮できる人に対して、敬意の念を払ってきたから」だと述べています。
 本書は、今ではわれわれが共通のイメージを持つにいたっている陸上競技の進化の歴史を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で一番インパクトがあったのは「回転式走幅跳」でしょうか。たしかに宙返りしながら幅跳びするアスリートの姿は見てみたい気もします。


■ どんな人にオススメ?

・陸上競技は昔から変わらないと思う人。


■ 関連しそうな本

 高橋 秀実 『素晴らしきラジオ体操』
 吉見 俊哉 『一九三〇年代のメディアと身体』


■ 百夜百音

GOLDEN☆BEST 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション【GOLDEN☆BEST 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション】 山口百恵 オリジナル盤発売: 2008

 秋の桜と書いてコスモスと読ませるのは子供の頃はよく分かりませんでした。あまりはかなげでない感じがするのでイメージが合わないのかもしれません。

2009年10月10日 (土)

オタクはすでに死んでいる

■ 書籍情報

オタクはすでに死んでいる   【オタクはすでに死んでいる】(#1724)

  岡田 斗司夫
  価格: ¥714 (税込)
  新潮社(2008/4/15)

 本書は、「オタクと昭和の死」について語ったものです。著者は、オタクが成立する条件である「高度消費社会」と「勤勉な国民性」という「昭和後期型、言い換えると第二次大戦以降の日本という国」が失われたと述べています。
 第1章「『オタク』がわからなくなってきた」では、著者が思うオタクが、「何かを『好き』という気持ちを抑えきれずに人に伝えてしまう人」であるのに対し、著者が出会った若者は、「自分が楽しいのが大事」であるように感じたと述べ、オタクが「本当に終わっているのでは」と真剣に思うようになったと述べています。
 第2章「『萌え』はそんなに重要か」では、著者が「萌え」を「あまりわかんない」とする理由として、「そもそもそれが、オタクであることと本質的にはあまり関係がないと思っている」と述べた上で、著者のオタク観は、「他ジャンルのオタク知識・見識など、詳しくなくて当たり前。それでも世間から見れば、お互い立派なオタク」というものだったと述べています。
 そして、「オタクは死んだ」という本書の結論は、「従来のオタクが共有していた共通意識」が「喪失された」ということだと述べています。
 第3章「オタクとは何者だったのか」では、今の世間のオタクの定義として、
(1)オタク=秋葉原にいる人
(2)オタク=社会性がない人
(3)オタク=萌える人
の3点を挙げています。
 第4章「おたくとオタクの変遷」では、著者が1996年に『オタク学入門』という本を書いたときに持っていたオタク像は、「何が好きかというのは表面の第一層にすぎないその底の層に、全員共通している何かがある」として、「自分の好きなものは自分で決める」という「強烈な意志と知性の表れ」があったと述べています。
 また、オタクを世代別に分類し、
(1)第一世代のオタク=なんとなく育ちがいい
(2)第二世代のオタク=オタク論が大好き
(3)第三世代のオタク=生まれたときからオタク商品に囲まれていた
の3つの世代の特徴を挙げています。
 第5章「萌えの起源」でえは、「1980年代あたりから、日本は美少女好き、もしくは女の子が好きになっていった」ため、「水着姿の少女が表紙を飾っている雑誌を、人前で一所懸命見ていてもあまり恥ずかしいと思わなくなっていった。すごくヘンな国に、日本がなっていった」ことを指摘しています。
 第6章「SFは死んだ」では、SFファンには、「ダメと言いながらも、でも全部押さえておかなきゃダメだよなという、それがSFファンとして正しい、SFファンとしてふさわしいよなぁという、自意識というか、プライドもしくは義務感みたいなもの」があ ったと述べています。
 そして、SFが「死んだ」とする理由として、「『私はSFファンだ』というときの連帯感というか、誇らしさみたいなもの」がなくなったことを挙げています。
 第7章「貴族主義とエリート主義」では、SFファンであることは、「千冊読まなきゃダメだ」、「自分で翻訳してでも未訳の本を読め」といった、「かなり求道的なもの」であり、「何か道を極めて、それで一人前になるためにはものすごく修行しなければいけない、修行とか精進するのが当たり前だった」とのべています。
 また、著者は、「オタクとは貴族である」と思っていたと述べ、「貴族だから一般庶民と感覚が違って当然。いいとか悪いとか、劣っているとか優れているとかいう問題じゃない、違うんだから仕方がない」というオタク貴族主義の考え方を表明しています。
 そして、「共通文化というものを失ってしまった、もしくは相互理解という幻想を失ってしまった以上、オタクはもういなくなってしまった」と述べています。
 第8章「オタクの死、そして転生」では、オタク文化とは、「大人になっても子供時代の趣味をやめない」ということであり、オタク文化が成立するためには、
・日本の大人は子供っぽいので、オタクになる
・日本の子供文化は大人っぽいので、卒業する必要がない
という2つの要素が両立していることが必要だと述べています。
 そして、日本でオタクが発生した条件として、
・日本では子供に「お小遣い=趣味の自己決定権」を与える。
・同時に日本では、大人向けの「思想や表現の過激性」を備えた子供文化が増えた。
の2点を挙げています。
 本書は、日本のオタクが死んだ理由を突き詰めた一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者は「オタキング」と呼ばれてオタクの代表みたいに言われていますが、そのオタキングが「オタクは死んだ」とかくインパクトはそれなりにあるかと
 でも昔ながらのオタクは今や再び人目のつかない日陰の土地に追いやられているだけで、今もしぶとく生き残っているのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・オタクは萌え~!のひとだと思っている人。


■ 関連しそうな本

 岡田 斗司夫 『オタク学入門』


■ 百夜百音

プレミアム・ベスト 狩人【プレミアム・ベスト 狩人】 狩人 オリジナル盤発売: 2009

 これを聞くと8時ちょうどのあずさ2号に乗りたくなってしまうが、見当たらないという曲。どうしても「春マーダー(殺人)祭」と聞こえてしまって仕方ありません。

2009年10月 9日 (金)

アマチュアスポーツも金次第

■ 書籍情報

アマチュアスポーツも金次第   【アマチュアスポーツも金次第】(#)

  生島 淳
  価格: ¥735 (税込)
  朝日新聞社(2007/5/11)

 本書は、「スポーツの世界ではこれまで見過ごされがちだったお金、経済。それがどんな力を持っているのか」を明らかにするものです。
 第1章「西部の裏金問題があぶり出したもの」では、裏金問題によって、「プロとアマチュア指導者の間の『黒いパイプ』」が表沙汰になったとして、「アマチュア球界の指導者が『代理人化』しているのが日本球界の現状」だと述べ、「日本で代理人制度が発達しない背景には、アマチュアの指導者が代理人的な役割を担っている事実がある」と指摘しています。
 また、専大北上のスポーツ特待生問題について、「優秀な選手の勧誘には学校側が供与する『経済的な援助』が、選手の野球留学を支えている」ことが明らかになったとして、「高校野球の世界も、選手や指導者同士の戦いだけではなく、経済的な戦争という側面があった」と述べています。
 第2章「女子フィギュアばかりがなぜモテる?」では、「フィギュアスケートはとにかくお金がかかるスポーツ」だとして、トップスケーターの年間強化費は4000万にも上り、「これだけの金額を1つの家庭が負担するのは無理な話で、競技者として台頭してからは、スケート連盟が強化費から遠征費用などを出していく構造になっている」と述べています。
 また、「日本のアスリートがアマチュアからプロフェッショナルに転換する上で、大きな役割を果たしたのが有森裕子だった」と述べ、有森が取締役を務める「株式会社ライツ」の企業ミッションから、「わたしたちライツは、アスリートの競技活動・生活設計において、主体的な選択が可能となる環境の整備に貢献します」というメッセージを紹介しています。
 第3章「学校がマーケティングを始めたぞ」では、「総合大学のスポーツへの取り組みが、体育大学を窮地に追いやることになるだろうというのが支配的な見方」だとして、その強みとして、「スポーツを学問の対象として考えたときに、横断的に勉強することができること」を挙げています。
 そして、「大学スポーツを単なるアマチュアスポーツとしてみてはならない。学校はPR効果のために入試制度を整え、その中でも極めて優秀な選手のためには奨学金制度を設けて学校に迎え入れる」として、「現在の大学スポーツは大学側があらゆる面で投資をしなければ強くならず、リターンを得られない構造になっている」と述べています。
 第4章「北海道経済と冬季五輪の関係って?」では、たくぎん野は単による北海道経済の不振が、スキージャンプの不振に結びついていることについて、「スポーツの世界ではお金は嘘をつかないのである。選手が大きな故障に見舞われることがなければ、投資には必ず見返りがある」と述べています。
 そして、「子どもたちがスポーツを続けるに当たっては親の協力が不可欠」だとした上で、北海道でアイスホッケーが衰退し、代わりに野球が強くなった理由として、「景気が減速して行くと、どうしても夫婦が揃って共働きせざるを得なくなる」ため、親が深夜に校庭に水撒きをしなければならないアイスホッケーは難しくなり、「かつては運動能力に秀でた子どもはアイスホッケーを選択していたのだが、野球に才能が集まり出した」と述べています。
 第5章「松坂に60億円!」では、「極端な話をしてしまうと、メジャーリーグは経済的な弱肉強食の論理が大手を振って歩いている」とした上で、「ポスティングというシステムは、形態を変えながら存続して行く運命にある」、「日米間でチーム間の移籍が自由になる、そんな労働協約が結ばれるのはだいぶ先のことだ」と述べています。
 第6章「サッカー世界の経済地図」では、「最初は不動産の売却から始まった経営戦略」が、「スター選手へのあくなき『投資』という形で、収入を増やすことを可能にした」として、「経営面で見れば、投資が莫大な利益を生んだ」と述べています。
 第7章「姚明と2008年北京五輪」では、後にNBAで活躍することになる姚明の誕生について、「驚くべきことに、姚明の誕生は『遺伝的な実験』だった。ともにバスケットボールのナショナルチームで活躍していた父と母は、半強制的に結婚させられた。関係者は2人の遺伝子を組み合わせれば、父と母よりも身長の高い子どもが生まれるに違いない」という「仮説に基づいて結婚と出産を進めた」と述べた上で、関係者が、「バスケットボールで世界の頂点を極めるためには、『巨人』が必要だ」と考えていたと述べています。
 また、姚明のNBAの移籍問題では、「姚明が亡命してしまわないかということ」と、「姚明の収入の利益配分」がもめたと述べています。
 著者は、「アマチュアでさえも、いや、アマチュアだからこそ、お金の力が競技力そのものに影響力を与えている」と指摘しています。
 本書は、プロでないからこそお金が大きな威力を発揮するアマチュアスポーツの世界を描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 多くの人が高校野球や箱根駅伝を見て感動しているところに水を差す一冊ではありますが、「アマチュアだから」ということで、本人はエージェントとの接触も許されず、裏で金を受け取っている監督や親の言うことを聞かざるを得ない日本のアマチュアスポーツ界の不健全な部分を指摘してくれて胸がすきます。


■ どんな人にオススメ?

・アマチュアはお金にかかわるべきでないと思う人。


■ 関連しそうな本

 生島 淳 『スポーツルールはなぜ不公平か』
 生島 淳 『駅伝がマラソンをダメにした』
 生島 淳 『大国アメリカはスポーツで動く』


■ 百夜百マンガ

東京アンダーグラウンド【東京アンダーグラウンド 】

 東京の地下世界といえば、バイオレンスジャックで八重洲の地下街に閉じ込められた人々の話を思い出しました。

2009年10月 8日 (木)

自民と民主がなくなる日―永田町2010年

■ 書籍情報

自民と民主がなくなる日―永田町2010年   【自民と民主がなくなる日―永田町2010年】(#)

  歳川 隆雄
  価格: ¥798 (税込)
  幻冬舎(2008/11)

 本書は、「次の衆院選挙がいきなりの政界再編に突き進まないまでも、政党再編のトリガー(引き金)となる」という視点に立って、「自民と民主の対立が表面化した07年9月発足の福田康夫内閣での出来事を振り返りつつ、08年9月の突然の福田首相辞意会見から麻生内閣誕生に至る経緯を詳細にトレースし、かつ表舞台に出ることがなかった『事実』を掘り起こすことで、これから出来する予測不能の『政変劇』を先取りするための『参考書』と位置づけ」られるものです。
 第1章「麻生政権誕生の裏側」では、08年9月1日の福田首相の電撃辞意表明について、「少なくとも数日前から、首相の様子は明らかに『おかしかった』」とした上で、「辞意発表の緊急記者会見を9月1日にしたのは偶然でも、たまたまそうなったわけでもない。自民党総裁選をやった上で1日も早く新内閣を発足させるには、自分の辞意表明は、この日でなければならなかった」と述べています。
 第2章「暗躍するフィクサー」では、「ポスト安倍」が福田になった背景は、「2人の老人の存在を抜きにしては語れない。この老人たちが福田内閣を誕生させた」として、
・「新聞界のドン」と言われる「ナベツネ」こと渡邉恒雄・読売新聞グループ本社会長・主筆
・「民放界のドン」と言われる氏家齊一郎・日本テレビ放送網取締役会議長
の2人の名を挙げ、「奇しくも共に1926年5月生まれの当時81歳の2人の老人が福田政権実現に固執したのは、残り少なくなってしまった人生のうちに、自分らが考えている方向に日本を持って行こうと考えているから」だと述べています。
 そして、日本では、「ジャーナリズムのあるべき姿が無視され、報道機関の経営トップが『政治的影響力』を行使するケースが珍しくない」として、「日本は、世界でも稀有な国なのだ。そして、その典型が、渡邉と氏家という2人のマスコミ人である」と述べています。
 第3章「分岐点――福田VS.小沢」では、福田首相が、「嫌いな安倍(晋三・前首相)より1日でも長く総理の座にいたい。そしてできれば、アホな森(喜朗・元首相)さんより1日でも長く総理を務めたい」と語っていたことを紹介し、福田首相の最大の関心事は、「自らが1日でも長く政権の座にいること」だったと述べています。
 第4章「派閥の論理」では、自民の結束力を、「いまや脆弱となった」として、「従前とは違った意味で、派閥のつながりや関係性が今後は重要になる」と述べています。
 第5章「政界再編のシナリオ」では、来る衆院解散、総選挙、その後の政界再編の先行きを読む上で、「政策やイデオロギー」ではなく、「ヒューマンファクター=人間関係」が重要になると述べた上で、「総選挙後に自民、民主の大連立、または中連立ということになれば、自民党も民主党も割れることになる」として、「その割れ方が大きければ大きいほど、自民党と民主党が実質的に姿を消すことになる可能性も高くなる」と述べています。
 また、昔の政界再編は、「きちんとしたメルクマールで、政策で、イデオロギーで起きるものだった」が、これからの政界再編は、「『あいつとなら仕事がしたい』というヒューマンファクターで決まってくる要素が強い」ことを指摘しています。
 そして、「ハッキリしているのは、これまでの自民党も民主党も、現状維持の政党としては立ち行かなくなる」と述べています。
 本書は、まさに総選挙後の「今」の状況を1年前に先読みした一冊です。


■ 個人的な視点から

 これだけ激変する政治の世界で、1年後のことを予測するのは相当難しいわけですが、08年当時の政治情勢を後から読む読み物としては面白かったです。


■ どんな人にオススメ?

・総理が毎年変わる時代の背景を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 村山 富市, 辻元 清美 『そうじゃのう…―村山富市「首相体験」のすべてを語る』
 五百旗頭 真, 薬師寺 克行, 伊藤 元重 『90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』
 五百旗頭 真, 薬師寺 克行, 伊藤 元重 『90年代の証言 森喜朗 自民党と政権交代』


■ 百夜百マンガ

Harlem Beat【Harlem Beat 】

 ジャンプのスラダンに対して、マガジンらしいバスケ漫画。同じバスケとはいっても好みは分かれるようです。

2009年10月 7日 (水)

スタジアムの戦後史―夢と欲望の60年

■ 書籍情報

スタジアムの戦後史―夢と欲望の60年   【スタジアムの戦後史―夢と欲望の60年】(#)

  阿部 珠樹
  価格: ¥777 (税込)
  平凡社(2005/07)

 本書は、「5つのスタジアムを取り上げ、そこに関わった人々、演じられた勝負、引き起こされた反響を手がかりに、スポーツとスタジアムが戦後史の中で果たしてきた役割、映し出してきた時代の空気を探ってみよう」としたものです。
 第1章「後楽園球場」では、「後楽園球場で注目されるのは、構想の段階から、単なる野球専用の球状ではなく、コンサートなどのステージを作ったり、タクシーの駐車場を観覧席の下に設けるといった多目的球状として計画されていた点」だとして、スキーのジャンプ大会、サーカス大会、映画の上映会、軍関係のイベントなどが盛んに行われたことを紹介しています。
 そして、「日本のアマチュア野球には独特の禁欲主義が根強い」として、甲子園に「華美な電光スコアボードは必要ない」とするアマチュア関係者の考え方の対極に後楽園球場があるとして、「楽しいものを楽しく見る。つぎつぎに導入される設備は、楽しさ、心地よさをひたすら増幅させるアイテムである。新しい設備に彩られた後楽園球場は、個人の欲望に忠実な戦後の世相に歩調を合わせた、享楽的な空間とさえいえた」と述べています。
 第2章「両国国技館」では、「天皇が熱心な相撲ファンであったことは良く知られている」とした上で、「昭和天皇にとって、両国は、災厄の記憶と強く結びつく場所だったはずである」として、関東大震災や東京大空襲を挙げ、「領国を訪れるたびに、昭和天皇はその地に眠る死者たち否応なしに向き合うことになった。いや、そうすることを自らに課していたのかもしれない」と述べています。
 第3章「川崎球場」では、「工業都市としての発展は、若い働き手を全国から大量に川崎に呼び集めることになった」として、「川崎は、『働く若者の町』だった」と述べ、「競輪、競馬や野球観戦は若い男の手ごろな気晴らしだった。3つのスタジアムに隣接して、日本有数のソープランド地帯が出来上がっていったのも、やはり、ここが若い男の遊び場だったからだ」と述べています。
 そして、川崎を本拠地にした大洋ホエールズについて、「どちらかといえば無名の若い選手たちが、三原というよき指導者を得て、才能を存分に開花させ、権威であるジャイアンツを打ち破り、日本一の座につく」と言うシンデレラストーリーは、「川崎に集まる若い働き手たち」の夢を「いち早く実現してくれたようなものだった」と述べています。
 第4章「日本武道館」では、「伝統文化と国際化の相克」が、「日本武道館そのものと深く関わる問題だった」として、武道館の設計を、「単なる復古思想、国粋主義への傾斜とみなすのは誤り」だとして、「この時代、日本的テイストを持つことは、国際主義と相反するものではなかった」と述べるとともに、ビートルズの武道館公演に「武道関係者や民族は団体などを中心に、反対の声が湧き起こった」ことを紹介し、「一見、国粋主義の牙城に見えないこともない武道館だが、ビートルズの公園で示されたように、一面ではきわめて国際的な要素も併せ持っていた」として、「そうした二面性が、武道館に、他のスポーツ会場とは違う個性を与えていた」と述べています。
 また、爆風スランプの『大きな玉ねぎの下で』を取り上げ、「玉ねぎとは武道館の屋根の頂上に置かれた黄金の擬宝珠のことである」と述べています。
 第5章「東京スタジアム」では、大毎オリオンズのオーナーだった映画会社大映の社長、永田雅一について、「永田の行くところ、決まって波乱、騒乱が巻き起こる」として「ラッパ」と呼ばれる名物男だと紹介しています。
 本書は、スタジアムを通じて戦後の日本の娯楽の歴史を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 爆スラのたまねぎの曲は、初武道館で空席があったときの言い訳用に、空席はペンフレンドが来てくれなかったから、という歌詞なんだと最近知りました。当時は知らずにコピーしたりしていましたです。


■ どんな人にオススメ?

・スタジアムの興奮が好きな人。


■ 関連しそうな本

 佐野 正幸 『あの頃こんな球場があった―昭和プロ野球秘史』


■ 百夜百マンガ

最強伝説 黒沢【最強伝説 黒沢 】

 冴えない中年という点で「鉄人ガンマ」っぽい感じもしますが、基本は「破壊王ノリタカ!」系なんでしょうか。

2009年10月 6日 (火)

ラジオ体操の誕生

■ 書籍情報

ラジオ体操の誕生   【ラジオ体操の誕生】(#)

  黒田 勇
  価格: ¥1680 (税込)
  青弓社(1999/11)

 本書は、「ラジオ体操の『発明』とその後の経過を明らかにすること」を狙いつつ、「ラジオ体操とは何であったのか、いいかえれば、当時の日本人にとってのラジオ体操の意味を、日本人の身体と時間の問題を中心として明らかに」しようとするものです。
 第1章「ラジオ体操の創始と保健衛生」では、1928年11月1日午前7時に、「東京中央放送局(AK)で開始されたものをもってラジオ体操の開始とするのが一般的」だとした上で、簡易保険がラジオ体操を開始した理由として、「その加入者を増やすばかりでなく、被保険者の健康の保持増進もまた事業の使命であり、そのことがひるがえって死亡者を減少させ、保険事業が発達することにもなる」ことを挙げています。
 第2章「身体と健康の近代化」では、「からだを資本」とする主張が「説得力を持つのは、日本人の中に、健康不安、個人の身体に関する不安が、家族や家族の経済との関連で認識し始めたから」だとして、「かつて農村共同体においては、個々の身体は生殖によって再生産され維持されていき、また生産活動においても、他の人の身体と代替されうる身体として把握されていた」が、「明治維新以来の近代化は、徐々にその農村共同体から都市という場に個人を吐き出し始め、とりわけ1920年代に至って工場労働者をはじめとしたサラリーマン層を増大させていった」結果、「これらの人々は自らの進退にだけ依存して生活する人々」であり、「その身体は家庭を請一回限りの固有性を持ったものとして現れてくる」として、「近代固有の身体への不安が人々に認識され始めた時期、そして生命保険の考え方が人々に現実感を持って迎えられるようになった時期であった」と述べています。
 また、ラジオ体操に見られる近代的生産様式の適応を、
(1)身体そのものの矯正
(2)身体の近代的時間への同調
の2つの側面で考えることができると述べています。
 そして、「日本における体操というもののあり方が重要な条件となっている」として、「日本における体操とは、兵式体操に始まり」、「学校教育の中で行われる集団のもの、屋外で行うものという考え」があり、「それは個々の身体の鍛錬とともに、集団の規律を内面化させる場でもあった」と指摘しています。
 第3章「ラジオ体操と時間の近代化」では、「ラジオ体操は『早起き』が重要な構成要素となっている」として、「ラジオ体操以前に、朝早く起きる運動、そして集団での体操などによって、身体及び精神にいい影響を与えるはずだという一種信仰にも似た信念は、十分な下地が完成していた」ことを指摘しています。
 また、明治政府がそれまでの不定時法を捨て、太陽時による定時法を採用したことについて、「国家的制度としての時間制度の変更は瞬時になされたが、日本人の時間感覚の変更は、そう簡単にできるものではなかった」とした上で、「こうした時間の再編成過程で、それを人々にもっともリアルな形で示すことができたのはラジオであった」と述べています。
 第4章「ニューメディアとしてのラジオ」では、ラジオが、「新しい時代の健全な家庭生活の必需品として迎えられつつあったが、ラジオと体操が結びつくことによって、ラジオ体操は当然、健全な過程のためにという文脈のなかに位置づけられることにもなる」と述べています。
 第5章「ラジオ体操とスポーツへの熱狂」では、「厳密に言えば、ラジオ体操は文部省の思想善導政策の具体的方策として生まれてきたわけではない」が、簡易保険局の保健事業として企画されたものに、「文部省が思想善導との親和性に気づき、その企画に乗り、ラジオ体操と思想善導が次第に公式に結び付けられていった」と述べています。
 そして、「誰にでもできる身体の合理化運動」と受け取られたラジオ体操について、「自らの身体への働きかけにより現実感を持たせたのは、メディアを通したスポーツへの注目であった」として、「メディアを通して、身体を動かす楽しみ、そしてその熱狂が伝わり、それらが人々の身体への注目を支えた」と述べています。
 また、1931年7月・8月に東京でラジオ体操の会が行われたことについて、「こうした集団化によって、ラジオ体操の意義も変化してくる」として、「ラジオ体操は、その集団性によって共同性や民族精神の象徴行為として認識されるようになった」と述べています。
 著者は、ラジオ体操は、「健康づくりの運動として、そして『身体そのものの合理化』のための簡易な運動として開始された。そして、戦争が終わるまでその目的に大きな変更はなかった」として、「あえていうならば、健康の意味が変更されたと言うべきだろう。ラジオ体操によって達成すべき健康が個々人の価値から国家的価値へと変換されたのである」と指摘しています。
 本書は、おなじみのラジオ体操が持つ、深い根と長い歴史を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 ラジオ体操自体が古いのは想像つきましたが、ラジオ体操の下地に「早起き運動」があると言うのは発見でした。本当は早起きよりも睡眠時間を確保するほうが健康になれそうです。


■ どんな人にオススメ?

・ラジオ体操を不思議だと思う人。


■ 関連しそうな本

 高橋 秀実 『素晴らしきラジオ体操』
 吉見 俊哉 『一九三〇年代のメディアと身体』


■ 百夜百マンガ

JIN―仁【JIN―仁 】

 ドラマ化されて話題になりました。タイムスリップものはやっぱり設定自体で面白い。スーパージャンプって昔の黄金時代の少年ジャンプの漫画家の再生工場かと思ってたらサンデーの人もいるんですね。

2009年10月 5日 (月)

運動会と日本近代

■ 書籍情報

運動会と日本近代   【運動会と日本近代】(#)

  吉見 俊哉, 平田 宗史, 入江 克己, 白幡 洋三郎, 木村 吉次, 紙透 雅子
  価格: ¥1680 (税込)
  青弓社(1999/12)

 本書は、「世界に類を見ない日本独特のイベント」である「運動会」について、「人々が民族的記憶として培ってきた祭りを取り込みながら、近代的な社会システム構築の礎とされたその歴史を検証し、日本人の集団的無意識が顕現する場としての運動会を多角的に考察」したものです。
 第1章「ネーションの儀礼としての運動会」では、「運動会もまた、こうした近代の国民国家がみずからの権力の新たなフォーメーションの一環として発明し、演出していった典型的な『近代のマツリ』の一つである」と述べた上で、「運動会はけっしてたんに国家が『上から』児童=国民の身体を規律=訓練化していく装置としてのみ存在したわけでは」なく、「日本近代を通じたこの催しに対する地域社会のなかでの根強い人気は、運動会が、国家的な制度という以上にまず何よりも村の祭りとして受容されていたことを示している」として期しています。
 そして、「運動会が全国の学校行事となっていくなかで起きたのは、かならずしも国家による児童の身体に対する統制力の貫徹ではなく、むしろ運動会の祭礼化・興行化であった」と述べています。
 第2章「福沢諭吉の運動会」では、福沢諭吉の子育ての基本姿勢が、「まず身体をつくる、健康に育てること」にあり、そのことを、「獣身を成す」と表現していることを紹介した上で、「福沢諭吉と身体運動とをつなぐものはスポーツではなかったようだ」として、福沢が、「精神に先立つ肉体、心を支える身という、いまでなら普通の心理から導き出される運動論を語り続けた」と述べています。
 第3章「わが国の運動会の歴史」では、1974年に海軍兵学寮で始まった「アスレチック・スポーツ」を翻訳した「競闘遊戯」について、注目すべき点として、参加者には水路寮・軍医寮などの生徒もいたことや、その内容は当時の授業のカリキュラム内容にないものであること、外交人の来観を奨励していることなどを挙げています。
 そして、明治期の運動会について、一貫して頻繁に実施された種目は「綱引き」であり、ついで徒競走が続くと述べています。
 また、大正時代には運動会の風景が変わってきて、「運動場の中央に高いポールがたてられ、そのてっぺんに『日の丸』がを掲げ、それに万国旗を結びつけた長いロープを四方八方へ引っ張り、その中央においたオルガンを教師が弾き、そのまわりと児童・生徒が取り囲み演技する風景が多く見られるようになる」と述べ、開会式では「君が代」が斉唱され、閉会式では万歳三唱が行われたと述べています。
 第4章「明治政府の運動会政策」では、「日本の運動会の成立過程には身体運動を集団的に展覧する2つの方式が存在し、その交錯したところに運動会が成立した」として、
(1)競闘遊戯会の系譜
(2)体操演習会の系譜
の2点を挙げ、「その形成の過程にあっては、一方で政府による運動会の開催と普及の奨励が行われるとともに、他方では運動会の政治化を抑え込むための徹底した抑圧策がとられた」ことを指摘しています。
 そして、「明治政府は、近代国家形成の前提となる国民の身体・集団の規律訓練・秩序化を推進するために学校の運動会を大いに奨励しながら、一方では国家権力の設定した秩序から逸脱する群衆的・政治的性格の書生運動会を禁止し、弾圧していった」と述べています。
 第5章「近代の天皇制と明治神宮競技大会」では、戦後の国民体育大会の創始過程を、昭和戦前の明治神宮競技大会の創始の過程と「あまりに酷似している」と指摘し、「当時の関係者の心底に、戦前の明治神宮大海への追慕とスポーツへの郷愁と情熱との流れ」があったと述べています。
 そして、神宮大会が、内務省の主催で1924年の第1回大会から、第14回大会まで、「昭和戦前の天皇制絶対主義のもとで皇道主義・日本精神主義などを理念とする日本ファシズムの浸透とともに、満州事変以後には、数百万の国民を侵略戦争に駆り立て他国や他民族を軍靴で支配し、圧殺する一大国家装置として、わが国近代スポーツの体質を象徴するものだった」と述べています。
 また、「ナショナルな集団や組織への帰属意識を強化するためには、たんなる強制や掛け声だけでは不可能であり、統合や従属のシンボルに心情的に癒着させる装置が不可欠である」として、「超自然的営力の神神同型説的人格化」をうながし、「身分や従順についての現行の感覚を固定させ」、さらには「見栄や差別的比較の習癖を練成強化させ、(略)個人的な支配と服従の関係を判別し、是認する」性格を持つ「さまざまなスポーツ・イベントなどを通して国民の身体を能動的、かつ自発的に支配―被支配の関係に参加させ、権力構造を内面化させてきた事実を思い起こすべきである」と述べています。
 本書は、スポーツがどのように日本社会に活用されてきたかを、歴史の事実から教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 いまどきの若い人が「運動会」なんかで思想統制されるはずがないとお思いの方も多いと思いますが、本書から学ぶべきは、その時に大衆に一番受ける流行が国家による統制の道具とされていることであって、もしかすると「J-POP」や「カラオケ」なんかが国民の思想統制に使われているのではないかと心配してみることではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・運動会はどうして今の形になったのかを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 吉見 俊哉 『一九三〇年代のメディアと身体』
 高橋 一郎, 谷口 雅子, 角田 聡美, 萩原 美代子, 掛水 通子 『ブルマーの社会史―女子体育へのまなざし』
 高橋 秀実 『素晴らしきラジオ体操』
 橋本 毅彦, 栗山 茂久 『遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成』 2006年05月11日


■ 百夜百マンガ

ムダヅモ無き改革【ムダヅモ無き改革 】

 各国首脳によるマージャンと聞いてタモリの「四カ国麻雀」を思い出してしまうのは年寄りの証拠でしょうか。ああそうですか。

2009年10月 4日 (日)

スポーツ・エージェント―アメリカの巨大産業を操る怪物たち

■ 書籍情報

スポーツ・エージェント―アメリカの巨大産業を操る怪物たち   【スポーツ・エージェント―アメリカの巨大産業を操る怪物たち】(#1718)

  梅田 香子
  価格: ¥693 (税込)
  文藝春秋(2000/04)

 本書は、「もはや単なる裏方を脱し、華々しい脚光を浴びる表舞台に登場しつつある『スポーツ・エージェント』たちの、その仕事ぶり、内幕と形態、歴史、問題点を通して、ビジネス社会アメリカの実態」に迫ろうとしたものです。
 第1章「アメリカ社会とスポーツ・ビジネスの繁栄」では、「成功しているエージェントには法律学校出身者が多い」として、「やはりエージェントより弁護士のほうが、世間一般のとおりがいいようなのだ」と述べています。
 そして、NBAチャールズ・バークレーが、「スポーツ・エージェントなんかとは手を切れ。契約の交渉は弁護士を使って自分でやるべきだ。スポーツ選手のサラリーなんて、案外、簡単に決まるものなんだ」と断言していることについて、彼が契約したランス・ラスニックと名乗るエージェントが、「バークレーから預かった金をひそかに不動産や株などの危険なベンチャー・ビジネスにつぎ込んで」しまった上、「バークレーの所得税さえ払っていなかった」ことに、「プロ入りしてから4年間というもの、バークレーはそのことに全く気づかずにいた」と言う経験を紹介しています。
 また、「選手組合の顧問弁護士からエージェントに転進して成功を収めた」ディック・モスについて、「裏事情を知り尽くしていることもあり、選手組合からエージェントになったものには成功者が多いようだ」と述べています。
 第2章「素顔のスポーツ・エージェントたち」では、「エージェントの仕事は、球団と金銭交渉をするだけではない。顧客がトラブルを起こすたびに、アメリカ中を駆け回らなくてはならない」として、こうしたトラブル処理のエキスパートであるアーン・テーレムについて、彼が、「トラブル処理係」のイメージを持つようになったのは、アルバート・ベルとラトレル・スプリーウェルという「彼らだけでゆうに百人分のトラブルを引き起こすと言っても過言でないほどの、スポーツ界きってのトラブルメーカー」であるからだと述べています。そして、顧客第1号のラングストンが、「テーレムならどんな厄介ごとでもイヤな顔せず、選手の見方になって処理しようと最善を尽くしてくれる」と語っていることを紹介しています。
 また、「エージェントには大きく分けて2つある」として、
(1)〈IMG〉や〈プロサーブ〉のように、三百人以上の顧客を抱える大手のエージェント会社
(2)家族や友人と小さなオフィスを抱え、ほんの少数の選手をマネージメントするケース
の2つを挙げたうえで、「スポーツ・エージェントの世界でも圧倒的に多いのはユダヤ系アメリカ人で、ゆうに半数以上を占めている」と述べています。
 第3章「組織化されていくスポーツ・マネージメント」では、アメリカの三大スポーツ・マネージメント会社として、〈IMG〉〈アドバンテージ・インターナショナル〉〈プロサーブ〉の3社を挙げた上で、〈IMG〉の創業者マーク・マコーマックについて、アメリカで1950年代にゴルフのテレビ中継が始まり人気が急速に高まっていることに目をつけ、資本金500ドルで会社を起こし、その第1号クライアントはアーノルド・パーマーだったと述べ、「〈IMG〉の成功は、動きがスピーディなところにあった」と述べています。
 そして、〈IMG〉が、「世界最大規模のエージェント会社であると同時に、単体としては世界最大規模のスポーツ番組のテレビ放映権配給会社であり、ライセンス管理会社であり、コンサルタント会社でもあるのだ」と述べています。
 著者は、「欲望と権謀術数の限りをつくした結果、プロスポーツ界における金の問題は行き着くところまで行き着いた感がある」と述べています。
 本書は、映画のイメージで語られることの多いスポーツ・エージェントの最前線を伝える一冊です。


■ 個人的な視点から

 アメリカは訴訟社会というのはよく聞きますが、有名人になるとダメ元で訴訟を起こされることが必ずあるというのは大変な話だと思いました。「有名税」って言葉で済まされるのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・アメリカのスポーツビジネスの様子を聞きたい人。


■ 関連しそうな本

 平田 竹男, 中村 好男 『トップスポーツビジネスの最前線2007――モーニング娘。のフットサル普及ミッションから中田英寿引退プロジェクトまで』 2009年10月 1日
 広瀬 一郎 『新スポーツマーケティング―制度変革に向けて』 2009年9月16日
 堀 繁, 薄井 充裕, 木田 悟 『スポーツで地域をつくる』 2009年9月17日
 原田 宗彦 『スポーツ産業論 第4版』 2009年9月18日
 原田 宗彦, 松岡 宏高, 藤本 淳也 『スポーツマーケティング』 2009年9月19日
 広瀬 一郎 『スポーツ・マネジメント入門』 2009年9月29日


■ 百夜百音

FALL IN LOVE【FALL IN LOVE】 小林明子 オリジナル盤発売: 1985

 金妻の主題歌ということで話題になりましたが、声質が似ているということでカーペンターズのカバーをしたり、リチャードがプロデュースをしたりということがあったようです。


2009年10月 3日 (土)

無駄学

■ 書籍情報

無駄学   【無駄学】(#1717)

  西成 活裕
  価格: ¥1050 (税込)
  新潮社(2008/11)

 本書は、『渋滞学』の著者が、「今、混迷の世に『無駄とは何か』を問う必要があると強く思うに至」ったことから、「無駄」を徹底検証したものです。
 第1章「無駄を科学する」では、「なぜそうなるのか」を考える科学者のスタンスから、「どうすれば」への飛躍は、「一般に考えられているよりもはるかに大きく、ほとんどの科学者はこの段差を登れないでいる。あるいは登ることにあまり興味がない」と指摘しています。
 そして、「厳密論理としての学問体系に、この直感を組み込み、さらにどうやったら無駄がなくなるのか、と考えて生まれたのが本書だ」と述べています。
 また、「無駄という言葉は日常使っている馴染み深いものだが、深く考えてみると難解で、きちんと定義することが難しい」として、「この学問は、論理の積み重ねだけでなく直感を重要視し、われわれの意識の奥に潜むものに光を当てることで問題解決を図るという、新しいタイプの文科系と理科系の融合型の学問」だと述べています。
 第2章「無駄とは何か」では、「無駄」とは、「時間、資源、労力、お金、命」などの「貴重で価値があると考えられるもの」が、「有効に使われていない」あるいは「失われてしまったとき」に使うと述べています。
 第3章「無駄との真剣勝負」では、トヨタ生産方式の他分野への応用例として、
(1)回転寿司チェーンの「くら寿司」
(2)茨城県取手市の選挙の開票
などを取り上げています。
 第5章「社会は無駄だらけ」では、電子メールの発達によって、「紙でやり取りしていたころの数年分の手紙の量が1週間で来るという、恐ろしい時代になっている」として、「このままメールが増え続けると、近いうちに人間一人が1日で裁ける量の限界に達するのではないか」と述べています。
 また、昼間の仕事の無題について、PEC産業教育センター所長の山田日登志氏が、「ビジネスマンは、毎日8時間デスクで仕事をしているが、本当は頑張れば2時間ぐらいでできるのではないだろうか」と指摘していることを紹介し、「人間が本当に仕事に集中できるのは2時間ぐらいだとすれば、8時間労働とは、2時間でできることを8時間かけてやっているだけ」だと述べています。
 また、「道路が最も効率よく使われている最適状態」の交通量は、「1kmあたり25台なので、車間距離でいえば約40mになる」として、「この知識を運転手一人一人が持つことは、渋滞緩和にとても役立つ」と述べています。
 第6章「無駄と資本主義」では、「高度資本主義社会においては、無駄は必要悪になっている」として、「消費社会が資本主義を支えているため、過剰なサービスを提供して需要を喚起し、そしてそれが無駄を発生させている。マネーが資本主義の血液ならば、無駄は資本主義の脂肪のようなものだ」と指摘しています。
 本書は、無駄とは何かを考えてみた一冊です。


■ 個人的な視点から

 前作の『渋滞学』は10年の研究成果を踏まえて非常に知的好奇心を刺激する内容だったのですが、今回はエッセイに近いというか。本人も「まえがき」の中で心苦しさというか言い訳をつづっていますが、次回作は『無駄の品格』とか『無駄の壁』とかがよろしいのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「無駄」jはよくないことだと思う人。


■ 関連しそうな本

 西成 活裕 『渋滞学』 2007年2月17日
 西成 活裕 『クルマの渋滞 アリの行列 -渋滞学が教える「混雑」の真相-』
 西成 活裕 『ムダとりの歌』
 山田 日登志 『改善の鬼 山田日登志のムダに喝!』


■ 百夜百音

たま ナゴムコレクション【たま ナゴムコレクション】 たま オリジナル盤発売: 2005

 見た目のインパクトがあったので色物扱いではありましたが、マンドリンを使った音作りはよいです。

2009年10月 2日 (金)

トップスポーツビジネスの最前線―勝利と収益を生む戦略

■ 書籍情報

トップスポーツビジネスの最前線―勝利と収益を生む戦略   【トップスポーツビジネスの最前線―勝利と収益を生む戦略】(#)

  平田 竹男, 中村 好男
  価格: ¥1700 (税込)
  講談社(2006/7/26)

 本書は、「スポーツビジネスを学問に、そしてスポーツビジネスをこの国の一大産業にしたい当壮大な夢の実現」を目指した早稲田大学の講義の2年目の講座を収録したものです。
 第1回「スポーツビジネスとは」では、「スポーツを"職業"としてもっと高めなければならない」という問題意識を述べた上で、スポーツの使命として、
(1)勝つ
(2)お金――儲かる、うまく収支が合う
(3)裾野に対する普及
の3点を挙げています。
 第4回「トップスポーツの現場(陸上)」では、「各自治体が開催している市民マラソンは非常に人気が」あるとする一方で、「現在はテレビに映らない競技については、非常に苦戦をして」いると述べています。
 第5回「スポーツ選手強化の現場」では、「成長過程に応じたトレーニングが非常に大事」だとして、「ゴールデンエイジ」と呼ばれる10~12歳の間に、「ヒトの神経の発達の95%は達成」されると述べ、「成長過程に応じて無駄のないトレーニングをすることは、すごく大事」だと述べています。
 第9回「スポーツ・エージェントの現場」では、「選手寿命は短くて、一時ウワッと稼いでもピタッと稼げなくなること」があるとして、「いかにお金を蓄え、将来のために増やしていくかということ」を、税理士、会計士、ファイナンシャル・プランナー、証券マン、銀行マンなど、外部のスタッフとコミュニケーションして、「選手に紹介してけるような関係をつくって」いると述べています。
 第10回「スポーツマーケティングの最前線」では、30年前に電通が、「4マス」(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌)だけで「将来も食べていけるだろうか」、「4マス以外のビジネスを今から手がけていかなければ、電通の将来はないのではないかという危機感」から、新聞や開発の社内プロジェクトと立ち上げ、「結論として、やはり広告とかかわりのあるビジネスに取り組んでいくべき」だとする結論に達し、そのきっかけのひとつが「スポーツのビジネスの誕生」だったと述べています。
 そして、1976年の「ペレ、さよならゲーム」の成功によって、サッカー協会も「やり方によってはサッカーにも人が呼べる」ということを体験したと述べ、「その主たる要因は、マスコミにいかにうまく協力していただくか」だと指摘しています。
 そして、「全社と付き合って、全部門が会社の中にあるということこそ、電通の力だ」として、「スポーツの分野で突出して電通がIOCやFIFAとお付き合いいただいている理由は、販売も企画も全部会社の中にあるからということに尽きる」として、「この分野では欧米の広告会社はまったく競合になりえません」と述べています。
 本書は、スポーツビジネスの現場の声を伝える一冊です。


■ 個人的な視点から

 第6回「スポーツビジネス」最前線では、木村剛氏が、IBMのトーマス・ワトソン・シニアが、「コンピュータの市場は世界全体で5万台程度だろう」という予測をしたという逸話を紹介していますが、ワトソンが行ったといわれているのは「5台」だったかと思います。それを考えると予測の難しさがわかります。
 もっとも、この「世界に5台」という話自体も都市伝説のようですが。
http://blogs.itmedia.co.jp/mm21/2007/03/5_03b5.html


■ どんな人にオススメ?

・スポーツをビジネスの視点から見たい人。


■ 関連しそうな本

 平田 竹男, 中村 好男 『トップスポーツビジネスの最前線2007――モーニング娘。のフットサル普及ミッションから中田英寿引退プロジェクトまで』 2009年10月 1日
 広瀬 一郎 『新スポーツマーケティング―制度変革に向けて』 2009年9月16日
 堀 繁, 薄井 充裕, 木田 悟 『スポーツで地域をつくる』 2009年9月17日
 原田 宗彦 『スポーツ産業論 第4版』 2009年9月18日
 原田 宗彦, 松岡 宏高, 藤本 淳也 『スポーツマーケティング』 2009年9月19日
 広瀬 一郎 『スポーツ・マネジメント入門』 2009年9月29日


■ 百夜百マンガ

甲子園へ行こう!【甲子園へ行こう! 】

 『ドラゴン桜』で勝つための受験勉強にショックを受けた人も多いと思いますが、高校野球もそういう目で見ると面白そうです。

2009年10月 1日 (木)

トップスポーツビジネスの最前線2007――モーニング娘。のフットサル普及ミッションから中田英寿引退プロジェクトまで

■ 書籍情報

トップスポーツビジネスの最前線2007――モーニング娘。のフットサル普及ミッションから中田英寿引退プロジェクトまで   【トップスポーツビジネスの最前線2007――モーニング娘。のフットサル普及ミッションから中田英寿引退プロジェクトまで】(#)

  平田 竹男, 中村 好男
  価格: ¥1700 (税込)
  講談社(2007/9/21)

 本書は、最新のトップスポーツビジネスの姿を伝える早稲田大学の人気講座を収録したものです。
 第1回「スポーツビジネスとは」では、日本のスポーツビジネスが、常に降格と昇格が繰り返される「欧州型」と、基本的には昇格、降格がなく、ドラフト制などによって各チームの戦力均衡に苦心している「アメリカ型」の両方が混在していると述べています。
 第2回「女子フットサルの普及――『モーニング娘。』の挑戦」では、「ハロー!プロジェクト」がフットサルをはじめた敬意として、日本サッカー協会から「女子サッカーの普及のために協力をしてほしい」という依頼があり、「実際に自分たちでチームを作ってやってみたらどうだろう」ということで始まったと述べた上で、ふっとサルで一番伝えたいことは、「フットサルの面白さ、スポーツの魅力」だと述べています。
 第3回「スポーツ産業に生きる――ころんだら起きればよい」では、アシックスの創業者・鬼塚喜八郎氏が、株式会社アシックスの前身「オニツカ株式会社」の経営について、「弱者の差別化戦略」だと述べた上で、戦争が終わり、神戸に出てきた著者が、闇市で非行化していく青少年を目の当たりにし、戦友たちの死を無駄にしないためには、「生き残った者が新しい日本をつくらなければならない。新しい日本をつくるには、この青少年たちを立派な国民に育てていかなくてはいけない」と考え、県の体育保健課長になっていた戦友に、「これからあの青少年を立派に育てる仕事をやりたい」と相談に行くと、スポーツマンシップの大切さを説かれ、「よし、俺はスポーツによって徹底してあの青少年たちを育成していくぞ」と決心したが、教員免許を持っていない著者に、「おまえはスポーツシューズ屋になれ」、「おまえがつくったスポーツシューズを全国の青少年に履かせて、彼らがスポーツを通じて立派な人間になるようにやってみろ」とアドバイスを受けたことを語っています。
 第4回「ベンチャービジネス戦略論」では、株式会社パソナの南部靖之氏が大学卒業前に就職活動をして、
(1)就職する半年以上前に就職活動をすること
(2)社長に会いたいと思っても、なかなか会えないこと
(3)忙しい時期がそれぞれ集中的にあるにもかかわらず、人材をずっと張り付けていること
の3つ目の疑問を持ったとして、「この三つ目の疑問こそが今の僕の本業になっています」と語っています。
 第5回「最前線のスポーツビジネス」では、ネット配信の普及によって、マイナースポーツも「自ら配信できる」ようになり、「自分たちで積極的に、主体的に発信できること」になったと述べています。
 また、広告料収入について、JFLのチームでは、「約6800万円は確保しなければならない」などのビジネスモデルを分析したことを解説したうえで、「看板スポンサー、胸のスポンサー、シーズン券、入場者」といった、「地道な働きかけによって達成していくことが、クラブづくりの基本だ」と述べています。
 第7回「スポーツを伝えるメディアビジネス」では、人気を集めるスポーツに育つ要素として、
(1)世界
(2)女性
(3)ヒーロー、ヒロインの登場
の3つのキーワードを挙げています。
 そして、技術、機会が豊富になると「いろいろなことをやりたがる」が、「スポーツは、基本的にはシンプルに見せることがいい」と述べています。
 第8回「プロスポーツチームの経営とビジネス戦略」では、楽天株式会社の三木谷浩史氏が、楽天のプロ野球参入の理由として、
(1)楽天グループのブランド力の向上
(2)ベンチャー流の経営でもプロ野球球団経営を成り立つことを証明したい
の2点を挙げています。
 また、プロ野球参入に当たって決めたこととして、
(1)経営スタイルを抜本的に変えよう。
(2)球場を持つ。
(3)地域密着活動の強化
(4)レベニューソース(収益源)の確保
の4点を挙げています。
 第9回「スポーツリーグのプロモーションとマネジメント」では、「日本でアリーナスポーツがメジャーにならない大きな原因」のひとつとして、「体育館というハコモノ」を指摘し、「何とかbjリーグは先頭に立って、この問題を少しずつ変えていくことによって、バレーボール、ハンドボール、卓球その他いろいろな屋内競技スポーツが地域経済とともに活性化する方向へ持っていきたい」と述べています。
 本書は、臨場感あふれるトップスポーツの最前線に案内してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 モーニング娘。をフットサルの広報に引っ張り出した手腕は評価されるべきですが、まさか講義までするとは。当日の大学の浮き足立った学生の様子が目に浮かぶようです。


■ どんな人にオススメ?

・日本のトップスポーツの現場を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 平田 竹男, 中村 好男 『トップスポーツビジネスの最前線―勝利と収益を生む戦略』 
 広瀬 一郎 『新スポーツマーケティング―制度変革に向けて』 2009年9月16日
 堀 繁, 薄井 充裕, 木田 悟 『スポーツで地域をつくる』 2009年9月17日
 原田 宗彦 『スポーツ産業論 第4版』 2009年9月18日
 原田 宗彦, 松岡 宏高, 藤本 淳也 『スポーツマーケティング』 2009年9月19日
 広瀬 一郎 『スポーツ・マネジメント入門』 2009年9月29日


■ 百夜百マンガ

実録たかされ【実録たかされ 】

 たとえば日本の野球界を語るのに、今の若い人には「空白の一日」と言ってもピンと来ないでしょうが、まして外国人ならなおさらでしょう。

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