« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »

2009年11月

2009年11月30日 (月)

日本の官僚―役人解体新書

■ 書籍情報

日本の官僚―役人解体新書   【日本の官僚―役人解体新書】(#1775)

  村川 一郎
  価格: ¥631 (税込)
  丸善(1994/08)

 本書は、政治環境の激変にも拘わらず、「政党、官僚機構はともに経済社会の著しい変質に追いつけず、後進性が改められずに取り残されている」ことを指摘したものです。
 第1章「政党と官僚」では、「官僚は上から下まで国家──政権政党──が自分に与えてくれた国家事務のみをこなせばそれでよしとする論理に閉じこもる傾向が無くはない」ことが「日本の官僚の特性である」が、官僚は「政党政府を政策的に補佐しているという感情を捨てることがない」のが、「政治と行政の摩擦の源の一つ」だと述べています。
 第2章「形式的政府から実質的政府へ」では、「日本型議院内閣制に基づく政党政治の展開に、その運営者の政党、そして政党の政策活動を補完する官僚機構が追いつけず、歴史的に多くの問題を派生させている」ことを指摘し、「国民はこれを直視することにより、日本型議院内閣制に基づく政党政治の在り方に欠陥ありと指摘し始め、これらを直ちに改革、改善しなければならないと常日頃考えている」と述べています。
 また、「官僚社会は日本社会の縮図であるから、学歴社会の上位者、とりもなおさず一部有力校出身者が高級官僚任官試験──国家公務員一種法律職、司法試験、外務公務員一種──に合格、その中から意識的に旧帝国大学、東京大学法学部出身者を採用する傾向が強い」と述べています。
 第3章「官僚の抵抗」では、「役人の世界の上意下達は、上から下への責任転嫁を意味することが多い」として、その典型例として、昭和54年の、国の特殊法人・鉄道建設公団の不正経理発覚の例を挙げています。
 また、「役人社会における一流省庁と二流省庁の関係は、それこそ月とすっぽん、予算獲得のために貢ぎ物のやりとりすらある」として、その関係は「宴会行政」と揶揄されたと述べています。
 さらに、「国家予算の3分の1に相当する数十兆円の国庫補助金を糧とする特殊法人には、政治家、高級官僚、公社職員が、国民にお構いなく、自らの『既得権』を巡って、とくに複雑に絡み合っている」と述べています。
 第4章「官僚制度の改革」では、官僚政治家について、「官僚時代に官僚として栄達する過程において身に着けた処世術が、官僚が政治家になってもそのままぬけきれず、最後まで付き従う『属性』となる」として、ある政党政治家が、「岸信介は要領がよい、佐藤栄作は悪賢い、池田勇人は無頓着、中曽根康弘はずる賢い、宮沢喜一は人の心がわからない」と評したことを紹介し、「官僚政治家は官僚生活を送る過程で身に付いた属性を政治家になってから開花させたのにすぎなかった」と述べています。
 本書は、日本の官僚制の変わらぬ本質を指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、15年以上前の状況について書かれているものなのですが、細川政権における小沢一郎の話などもあって現在の政治状況とのリンクを感じてしまうのは、日本の官僚制が当時から全然変わっていないせいなのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・日本の官僚制の問題の根の深さを実感したい人。

2009年11月29日 (日)

不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか

■ 書籍情報

不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか   【不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか】(#1774)

  河合 太介, 高橋 克徳, 永田 稔
  価格: ¥756 (税込)
  講談社(2008/1/18)

 本書は、「職場の感情がいま、壊れやすくなっている」として、「いつごろから、どうして日本の職場はこうなってしまったのか」の原因を追究しつつ、『社員が楽しく働ける職場』づくりに奮闘している企業への訪問を行うなどの活動」をまとめたものです。
 第1章「いま、職場で何が起きているのか」では、「なぜ、職場全体の活力が失われ、社員が疲弊していくのか。職場で何が起きているのか」と疑問を呈した上で、具体的な事例として、
・直接対話をしようとしない
・関心を持ってくれない、協力してくれない
・調整がうまくできない、連携できない
・関わってくれない、放任されているだけ
・仲間になれない、仲間にしてもらえない
などの例を挙げています。
 そして、「お互いに関心を持ち、協力し合うことができない職場組織が増えてきていることが、社員のモチベーションに影響を与え、さらにまじめな人ほど追い込んでしまうということ自体、大きな問題であることは明らかだ」と述べています。
 第2章「何が協力関係を阻害しているのか」では、協力関係を阻害する構造的要因を考えるためのフレームワークとして、
(1)役割構造
(2)評判情報
(3)インセンティブ
の3点を挙げています。
 また、1990年代前半以降の日本企業にとって、最大のテーマだった「効率化」についての代表的な取り組みである「成果主義」について、「あなたの仕事は何なのか? あなたの成果は何なのか?」を全社的に問いかける運動であった、と述べた上で、最近こそ成果主義導入のデメリットが喧伝されてきたが、「成果を明確に意識して仕事に取り組む姿勢を作り上げた」メリットも同じように伝えられるべきだと述べています。
 そして、「仕事の定義を明確に持ったことにより、従来の組織が持っていた『遊び』をなくし、従業員間の『壁』を高くしていった」ことが、「組織の『タコツボ化』を進めていった」と述べ、「社員のタコツボ化は、生み出すべき成果を明らかにし専門性を深める一方、組織力の低下をもたらした」ことを指摘しています。
 また、協力行動が阻害された2つ目の原因として、「仲間に関する評判情報流通や情報共有の度合いの低下」を挙げ、「社員旅行や社内運動会を代表とする社内の集いは、福利厚生という観点からはずいぶん前にその魅力を失っていた」が、「これらの『場』は評判情報流通機能という重要な機能を持っていた」ことを指摘しています。
 さらに、協力行動を阻害する3点目の原因として、「インセンティブ構造の変化」を挙げ、
 第3章「協力の心理を理解する」では、「組織の問題を分析する上」で有効な社会心理学の理論である「社会的交換理論」について解説した上で、交換がうまくなされない場合の重要な理由として、
(1)交換しないことへの誘惑
(2)裏切りの問題
の2点を挙げ、裏切り問題解決に必要なこととして、
(1)お互いに資源を持っていること
(2)お互いが資源をやりとりするのを最上と思うこと
の2点を挙げています。
 そして、「重要なのは、自分が協力する意図と自分に協力してもらうニーズを、周りのみんなにわかってもらうための方策を皆で実践すること」だと述べています。
 第4章「協力し合う組織に学ぶ」では、グーグル、サイバーエージェント、ヨリタ歯科クリニックの3つの事例を挙げています。
 グーグルについては、そのクリエイティビティの厳選は、「ビジネスの世界に、スタンフォードを代表とする研究室やネットの世界の持つ創造的環境を『そのまま』持ち込んだ点にある」と述べ、「彼らが目指しているのは、エンジニアが快適に働ける場の実現と、技術で世の中をよくしようという理念」だと述べています。
 サイバーエージェントについては、企業のミッションステートメントを、トイレの中に掲げ、鏡に映った自分の顔とステートメントを一緒に見えるようにしている工夫を紹介しています。
 ヨリタ歯科クリニックについては、「患者が選ぶ病院ランキング 近畿東海版」の歯科医院部門で1位にランキングされていることを挙げ、ヨリタ歯科では、「一人ひとりを認める、一人一人に感謝するイベントが数多く行われている」など、「一人ひとりの存在価値をみんなの前で認めていく」ことを紹介しています。
 第5章「協力し合える組織をつくる方法」では、「共通目標・価値観の共有化は、地味な作業であるが、手を抜いた瞬間から崩れ落ちてしまう代物だ」として、「短期的な業績追求に追われ、この大切な資源を組織全体に行き渡らせる努力を、近年忘れては来なかった打老化」と述べています。
 そして、「組織がタコツボ化し、個食ならぬ『個職』化することで、自分の周囲で働く人たちの人となりを知らなかったり、下手をすると同じ会社の社員であることも気づかなかったりする状況が生まれている」ことを指摘したうえで、「自分の行為が認知され、自分の行為に効力感を得る。そして、その行為を認知してくれた個人、組織、社会に貢献しよう、役に立とうとする。その自然な感応が持つ力にもっと企業は着目し、工夫を考えるときにきている」と述べています。
 最終章「協力への第一歩の踏み出し方」では、協力行動への第一歩を踏み出す方法として、「最初にすべきは、何が起きているのかを客観的に分析すること」であり、「その上で、感情連鎖のメカニズムを解明してみる」として、「そして、この感情連鎖の構造、メカニズムを主要なメンバーたちで一度共有し、個人の問題でなく、組織の問題であるという共通の認識を持つ」べきだと述べています。
 本書は、日本企業の職場が抱えている深刻な問題を指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 ワトソンワイアットの淡輪社長も人事系で外資系のコンサルタント会社の社長というイメージに合わない、むしろ豪快なイメージの方です。以前お話を伺ったことがあります。


■ どんな人にオススメ?

・最近の職場は笑わなくなったと感じる人。

2009年11月28日 (土)

ヘッジファンド―世紀末の妖怪

■ 書籍情報

ヘッジファンド―世紀末の妖怪   【ヘッジファンド―世紀末の妖怪】(#1773)

  浜田 和幸
  価格: ¥714 (税込)
  文藝春秋(1999/01)

 本書は、1997年のバーツ危機から始まった通貨危機のプロセスから明らかになった「ヘッジファンド」という怪物について、「ヘッジファンドとは何者なのか。彼らを生んだ環境は何だったのか、言い換えれば、なぜ、こうした怪物は生まれたのか。彼らは何を目指し、世界をどうしようとしているのか、また、彼らの暴走をコントロールすることは可能なのか」を解説したものです。
 第1章「アジアが墜落した日」では、「マレーシアのみならず、タイでもインドネシアでもその通過は経済の実態以上に過大評価されてきた」とした上で、「そのギャップをついて、アジア各国の通貨や株式市場を荒らし回ったのが、海外のヘッジファンド集団」だと指摘しています。
 そして、ヘッジファンドの恐ろしい点として、「その起爆剤的役割」を挙げ、「特に、ソロス氏やロバートソン氏ら実績のあるファンドの動きは、大手の金融機関や投機集団がたちどころにかぎつけて、後追いをする」と御部低ます。
 また、「ヘッジファンドは表向き個別の動きを見せ、互いに競争関係にあるように思われがちであるが、裏ではがっちりと手を結んでいることが多い」として、「日本がその中に情報源を持っていないだけなのである」と述べています。
 第2章「ジョージ・ソロス氏の知られざる過去」では、ソロス氏の生い立ちなどについて振れた上で、ソロス氏がもっとも得意とするのは、「ウワサを使った人心(市場)操作」だとして、「経済学であるとともに心理学でもあるのだ」と述べ、要は、「あのソロス氏なら、われわれの知らない極秘情報を持っているはずだから、同じようにしていれば、必ず儲かるはずだ」と一般の投資家に信じ込ませてしまうと述べています。
 また、「ロイヤル銀行こそソロス氏を大きく育てた資金源の一つ」だとしたうえで、その人脈からも、「ソロス氏とロスチャイルド・ファミリーが、少なくとも何らかの関係を保っていることが窺える」と述べています。
 第3章「ジキルとハイド」では、ソロス氏の、「少年時代、ナチスの迫害を生き抜いたときに身につけた保身術が、今では一層研ぎ澄まされて、不確実きわまりないビジネスの世界でも生かされている」として、自ら設立、主宰している「クォンタム・ファンド」についても、自身は役員にもならず「投資アドバイザー」にすぎないと述べています。
 そして、「一般的に流布しているものは極めて断片的な事実」であり、「彼には隠された別の顔がいくつもある」と述べています。
 第4章「デリバティブという『ババ抜き』ゲーム」では、「日本人の資産はデリバティブ取引で大儲けを企む海外のヘッジファンドの絶好の標的にされている」として、われわれは「デリバティブ」と「ヘッジファンド」というようかいについて、「われわれはもっと知らなければならない」と述べています。
 第5章「『自由』の暴走」では、1992年以降のアメリカで株式市場が高騰を続け、「ニュー・エコノミー」がこの世の春を謳歌する一方で「実体経済は毎年2パーセントずつ縮小傾向を示してきている」ことから、「アメリカ経済が『虚構のカジノ資本主義』に変質しつつある」と指摘し、「ドル支配を背景に、こうしたカジノ資本主義がやがて世界を覆うようになった」と述べています。
 著者は、「われわれに欠けているのは、世界にはこうした妖怪が徘徊しており、いつ何時キバを剥くか分からない、という認識」だとして、「かつての戦争は領土を求めて銃弾が飛び交うものだったが、『自由』で『オープン』な国際社会が生まれたビッグバンの時代においては、こうした目に見えない戦争が絶え間なく闘われている」と述べています。
 終章「妖怪の運命」では、ヘッジファンドの世界を、
(1)政治、経済戦略型・・・代表格はソロス氏
(2)国際投資分散型・・・代表はLTCM
(3)ショート・ロングの短期決戦型・・・カウフマン氏
の3種類に大別しています。
 本書は、知られにくいヘッジファンドの世界をざっと概括してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 当時はずいぶん「ヘッジファンド」という言葉を聞きましたが、最近は「金融工学」という言葉もあまり聞かなくなった気がします。おそらく一般化してニュース性がなくなっただけだと思いますが。


■ どんな人にオススメ?

・「ヘッジファンド」を世界征服を企む悪の組織だと思っている人。


2009年11月27日 (金)

統計数字を疑う なぜ実感とズレるのか?

■ 書籍情報

統計数字を疑う なぜ実感とズレるのか?   【統計数字を疑う なぜ実感とズレるのか?】(#1772)

  門倉 貴史
  価格: ¥777 (税込)
  光文社(2006/10/17)

 本書は、「統計数字の意味を解釈する場合、ニュースから流れてくる数字をただ見たり聞いたりしているだけでは、真実が見えてこないことがある」として、「世の中に氾濫するたくさんの統計を正確に読みこなす」ためには、「その統計の癖やパターンについてある程度の知識」が必要だとして、「普段私たちが眼にするさまざまな経済・社会統計を紹介しながら、統計の裏側に隠れて浮かび上がってこない真実を明らかに」しようとするものです。
 第1章「『平均』に秘められた謎」では、平均貯蓄残高の数字が「実感と合わない」理由として、「平均」のマジックを挙げ、「ごく一部の大金持ちが、全体の平均値を引っ張り上げている」いびつな分布を見るには「メディアン」(中央値)や「モード」(最頻値)で見るほうが、「私たちの実感に近づく」と述べています。
 また、平均初婚年齢について、「その年に結婚した夫婦を母集団として平均年齢を算出している」ため、「まだ結婚していない男女は、そもそも母集団の中に含まれていない」点を指摘しています。
 第2章「通説を疑う」では、「世の中にはびこる『通説』をひっくり返すためには、まずなによりも、それぞれの事象が示す『みせかけ』の関係に、自分自身がだまされてはならない」とした上で、社会科学で、便宜的に因果関係を確かめる方法として、「グレンジャーの因果性テスト」を挙げ、「XとYという2つの変数があったとき、YとXを過去の値で予測するのと、XをYの過去の値で予測するのでは、どちらのほうが予測値として優れているかをみるテスト」だと解説しています。
 また、「前年に比べて年末商戦が振るわないので、個人消費は低迷していると判断される」という言説について、「近年では、年末商戦の結果を見て、個人消費の基調を判断することは非常に難しくなってきている」として、
(1)高齢化の進展に伴い、会社を退職し年金生活に入る高齢者の数が増えてきたこと。
(2)企業が年俸制を導入するようになったこと。
等の理由から、「12月にボーナスを支給されるサラリーマン世帯が減少していること」を挙げ、「日本の消費者は年末商戦に当たる12月に集中して消費する」という消費の季節パターンが崩れてきたことを指摘しています。
 第3章「経済効果を疑う」では、新聞や雑誌などで発表される「○○の経済効果は××××億円!」といった記事について、「実際の作業は定型化・マニュアル化されており、必要なデータさえ揃えば、あっというまに推計は終わってしまう」とした上で、「『経済効果』と称して発表される諸々の数字を、まともに受け止めてはいけない」と述べています。
 そして、「『経済効果』はできるだけ大きい数字になったほうが見栄えがいいので、いろいろな手を使って数字の水増しが行われる」とした上で、「阪神優勝の経済効果」などについて、日本経済全体では「毎年必ずどこかのチームが優勝しているのだから、その年だけ特別の経済効果が日本国内に発生しているわけではない」と述べ、さらに、この手の試算では、「代替効果をいっさい考慮していない」と述べ、「要するに経済効果の数字は、前提条件の置き方、推計の期間、試算の対象範囲などによって大きく変わってくるので、あまりあてにはならない」と指摘しています。
 また、こういった経済効果を発表する大手金融機関関連のシンクタンクについて、「金融機関本体が、このシンクタンクの調査部を『広告塔』として位置づけているからにほかならない」として、研究員の年俸も、「マスコミにどれだけ出たかによって決定する」ことを指摘し、「世に乱立するシンクタンクの真価を見極める」ためには、「とりあえず『○○の経済効果』といったオモシロ・ネタを中心にレポートを出しているシンクタンクは、あまり信用しないほうがいい」と述べています。
 第4章「もう統計にだまされない――統計のクセ、バイアスを理解する」では、「個々の経済統計には、独特の癖があったり、バイアス(歪みや偏り)がある」としたうえで、エコノミストの景気見通しが当てにならない原因の一つとして、「予測の基礎となる過去から現在までの膨大なデータに何らかの欠陥があることが考えられる」と述べています。
 第5章「公式統計には表れない地下経済」では、「政府やエコノミストが経済に対する処方箋を書くとき、タテマエしかみせてくれない公式の経済統計に全面的に依拠していると、大きな判断間違いを犯し、後で痛いめにあう可能性がある」ことを指摘しています。
 そして、地下経済の規模が急速に拡大している場合に生じる問題として、
(1)経済活動の実態を把握することが難しくなる。
(2)地下経済の拡大が課税ベースの縮小をもたらし、結果として政府の税収の減少、財政赤字の増大につながる。
(3)政府の社会保障政策にも狂いが生じてくる。
(4)地下で経済活動を行う者と地上で経済活動を行う者との間に、経済的・社会的な不平等が生じる可能性がある。
(5)企業の生産活動が非効率になる恐れがある。
(6)地下経済で獲得した巨額の資金が多国間を移動することにより、為替レートが変動するリスクが高まる。
の6点を挙げるとともに、地下経済の拡大が社会や経済にもたらすメリットについて、
(1)地下経済が地上経済を活性化させる。
(2)地下経済の拡大が職を失った人々に働く機会を提供する。
(3)地下経済の拡大が、長期的に経済システムの効率化に寄与する可能性がある。
(4)発展途上国については、地下経済を含まない一人当たりGDPが極端に低い値と計算され、国際機関から貿易や援助における優遇措置を受けることができる。
の4点を挙げています。
 また、日本の地下経済の規模が、他の先進諸国に比べてかなり小さいと推計される理由として、
(1)日本の租税負担率が失業率が相対的に低いこと
(2)他国に比べて地下経済での活動に対する規制が厳しいこと
などを挙げています。
 本書は、鵜呑みにしがちな統計数字をきちんと見る目を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 政府から発表されたり大手シンクタンクから発表されたりする数字を鵜呑みにしがちですが、実情を聞いてみると結構いい加減な印象を受けます。産業連関表を使った経済波及効果の計算も仮定に仮定を重ねたトランプの塔のように思えなくもありません。


■ どんな人にオススメ?

・「統計」という言葉に弱い人。

2009年11月26日 (木)

APECの素顔 アジア太平洋最前線

■ 書籍情報

APECの素顔 アジア太平洋最前線   【APECの素顔 アジア太平洋最前線】(#1771)

  服部 崇
  価格: ¥1,365 (税込)
  幻冬舎ルネッサンス(2009/11/10)

 本書は、2005年12月から2008年12月まで、シンガポールのAPEC事務局に勤務した著者が、2010年の日本でのAPEC開催を前に、シンガポールでの3年間をまとめたものです。
 第1章「APEC…地域政策の空白を埋めるもの」では、国際機関での勤務を希望していた経済産業省の官僚だった著者が、予想していなかったAPECへの出向に驚いたことと、APECは、「EVSL(早期自主的分野別自由化提案)の失敗」の後、下火になっていたという印象しか持っていなかったと述べています。
 そして、APECについて、「開かれた地域主義という概念を用いることで、世界規模の貿易自由化の推進と地域における貿易自由化の推進との関係に整合性を持たせようとしていた」として、「開かれた地域主義を基本とすることで多国籍貿易体制の維持・強化という問題に対処しようとした」と解説しています。
 また、APEC事務局で過ごす中で、
(1)4年周期仮説
(2)西暦ゼロ年区分仮説
の2つの作業仮説を想定したと述べています。
 さらに、APECでは、「参加メンバーである『国・地域』を『エコノミー』と呼ぶ決まりとなっている」理由として、「メンバーが『国』として参加しているわけではないことを明確にするためのようだ」と述べています。
 第2章「APEC事務局…その素顔と国際会議の舞台裏」では、APECの主催エコノミーがカレンダー・イヤーごとに交代するとして、「首脳会合や閣僚会合に向けた準備を主導するため、高級実務者会合の議長はその年の首脳会合や閣僚会合を主催するエコノミーが務める」と述べ、翌年の主宰エコノミーは「その前の年からその年に向けたAPEC内での地ならし活動」を始めると述べています。
 また、APEC事務局内で開かれたパブリック・スピーキングに関するワークショップでの講義内容として、効果的な講演には、
(1)ストーリーに基づき
(2)忘れがたく
(3)人を鼓舞させ
(4)ひとつのメッセージを含む
(5)すばらしい内容
の5つが含まれていると述べています。
 第3章「アジア太平洋…私がめぐり合った人と国」では、少数民族の国やベトナム、マレーシア、インドネシア、キューバなどを紹介した上で、「このあまりに偏った旅のスケッチからは、アジア太平洋はどのような地域なのか、おそらくまったく見えてこないかもしれない」が、「アジア太平洋の各地をめぐって受けた衝撃は圧倒的な多様性だった」と述べ、「人々の活動は、国境内にとどまらず、何らかの形で国境を越えていく」としています。
 そして、「1997年以降、APEC自身が大きく変容してきているし、APECの外の世界も大きく変化した」として、「APECはまだまだ成長を続けなければならない」と述べています。
 第4章「シンガポール…文化、言語、宗教の坩堝で」では、「APEC事務局のあるシンガポールほどさまざまな思い出が残っている国もない」として、香港と比較されることが多いシンガポールを際立たせるのは、「その多様性」だとして、華人、マレー人、インド人、アラブ人、ブギス人などが「織り成す多様性がこの熱帯の地と他の国や地域とを峻別している」と述べています。
 そして、1965年のシンガポール独立以来、リー・クアンユー首相が取り組んだこととして、
(1)行政の効率化。そのために、象徴のオフィスに冷房を導入した。
(2)清潔な国づくり。
等を挙げ、「これらは、資源に乏しいシンガポールが、積極的に外国資本と外国人の誘致に取り組むための布石であった」と述べています。
 そして、事務局のアシスタントのメアリーから唐突に吸血鬼映画『ブレイド』のDVDを貸してもらったことに関して、「子供のころから吸血鬼に襲われる妄想に取り付かれて悪夢にうなされてきた」ことを告白した上で、「メアリーの貸してくれたDVDが吸血鬼の映画だったのを知ったとき、APEC事務局に出向している自分に違和感を持っている私の姿を見透かされたようで、ほんとうに驚いた」と述べています。
 また、「シンガポールでヨーガに出会ったことは、私にとって最大の収穫だった」として、「人生においてひとりの師にめぐり会うことは困難だ。ヨーガのよき師に出会えたことは私にとって幸せなことであった」と述べています。
 第5章「未来への提言…真のアジア太平洋のコミュニティを」では、2010年には日本でAPEC首脳会合・閣僚会合を開催すると述べた上で、2008年7月にアジア開発銀行のビンドゥ・ロハニ氏が「アジア開発銀行の戦略2020」を発表したことについて、「アジア太平洋地域は2020年までには経済開発のより高いレベルに達するだろうが、成長に伴い、国内格差や地域間格差が拡大することが懸念される。貧困から開放されたアジア太平洋を目指す。そのために3つの相互補完的な戦略的アジェンダに注力したい」として、
(1)包摂的な成長
(2)環境的に持続可能な成長
(3)地域統合
の3点を挙げたことを紹介しています。
 そして、APECが「地域の貿易投資の自由化・円滑化、経済技術協力を推進してきた」という目的を遂行するためには、「経済の担い手であるビジネス界の意向を汲み取り、APECのプロセスに反映する仕組みが不可欠」だと述べた上で、「経済の緊密化、環境の改善、多様な文化の尊重、人間の安全保障、人々の生活に密着したさまざまな側面に好影響をもたらし、参加エコノミーにとどまらず、まわりの国々とも調和した成長を続ける真のアジア太平洋のコミュニティを築く」という未来のAPECのヴィジョンを実現するためには、
(1)自由で開かれた貿易投資を通じたアジア太平洋自由貿易圏構想の実体化
(2)アジア太平洋地域における包摂的な成長と持続可能な開発の実現
(3)人間の安全保障が確保されたアジア太平余地生きの実現
の3点を目指すべきではないかと述べています。
 本書は、アジア太平洋地域の未来に眼を向けさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者の服部さんとは、APECに行く前からの知り合いだったのですが、シンガポールから帰ってきて落ち着いた印象を受けたのは不惑を超えたというだけではなく、ヨーガとの出会いなど、公私共に得るものが大きかったいうことなのでしょうか。来年のAPEC開催を前に、個人的記録と言いながらもタイムリーな一冊です。


■ どんな人にオススメ?

・実態の見えにくいAPECの素顔を知りたい人。

2009年11月25日 (水)

世界名作の経済倫理学

■ 書籍情報

世界名作の経済倫理学   【世界名作の経済倫理学】(#1770)

  竹内 靖雄
  価格: ¥693 (税込)
  PHP研究所(1996/12)

 本書は、「世界の名作とされている文学作品をとりあげて、それが伝えようとしているメッセージ、描かれている人間、そして作者自身を材料にして、人間の行動と倫理を研究したもの」です。
 第1章「人間の世界に介入する神々」では、ホメロスの『イリアス』について、トロイア戦争が、「神々の気まぐれが人間の世界に飛び火して起こったトラブルであり、ギリシア側の戦争の目的はトロイア側に取られたヘレネの奪還ということで、いわば一人の女性をめぐる戦争である」と述べ、ホメロスの面白さは、「一つには、こうした神々の間の葛藤、人間の運命への神々の介入、それを知らないで奮闘する人間、運命の歯車にはさまれて不運の死を遂げる英雄、そして最終的には神々の間で『バランス・オブ・パワー』が働いてある種の均衡状態が成立し、それに合わせて人間世界の均衡の成立する、といったギリシア人の考える世界の面白さにある」と述べています。
 第5章「中国人の行動文法」では、「『水滸伝』を読めば、法の通用しない中国的『無法社会』の仕組みと、そこで生きている中国人の行動文法とがよく分かる」として、「こうした中国式『人治社会』、『人脈社会』の行動文法は今日でも基本的には変わっていない。こういう社会で、法と契約の原理にもとづいて外国人がビジネスを展開することは至難の業である」と述べています。
 第6章「行動する人間の悲劇」では、「ハムレットは『悩める哲学青年』タイプの人間ではない。父王以上の立派な王になりそうな王子であり、武人である。智謀にも富んでいる人間と人生についても一筋縄ではいかない思想を持った大人で、未熟な青年ではない。とにかく複雑な人間で、それがハムレットの魅力である」と述べた上で、「多かれ少なかれ神経症にかかっているような近代人、現代人、それもインテリの身の丈に合わせて、ハムレットを勝手に矮小化してはならない」と述べています。
 第22章「不貞にして不逞なるもの」では、レーモン・ラディゲの『肉体の悪魔』について、「とにかくこれは『悪い』女の登場する『悪い』小説で、子供にその不倫相手の男の名前をつけるという、この『不逞』のきわみには、思わず横隔膜が抜けそうになる」と述べています。
第24章「記憶としての人生」では、プルーストの『失われた時を求めて』では、「プルーストは自分の人生のほとんどすべてを投入してただ一つの」対策を書いたと述べた上で、「プルーストは、外界からの雑音を遮断するためにコルクを張り巡らした部屋に閉じこもって、忠実な家政婦セレスト・アルバレの介護を受けながらこの長大な作品を書き続けた」と述べ、「病気で行動することをやめてしまってからのプルーストは、もはや手足もどうも失い、いわば一個の巨大な脳だけになってただひたすら言葉をつむぎだしていたということができる」としています。  そして、この小説は、「普通の読み方をしたのでは近づくことができないともいわれている」が、「この小説の魅力に取り付かれる人は徹底的に取り付かれるようで、これを読みたいため、会社を辞め、働くのをやめてしまったという人もいる。たしかにそれだけの魅力も魔力もある」と述べています。
 本書は、世界の名作をザックリと解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 普段文学作品を読まない自分ではありますが、文学家による文学論には辟易しても、経済学者らしいプラグマティックな作品紹介は読んでみたいと思わせるものでした。


■ どんな人にオススメ?

・世界の名作を再評価したい人。

2009年11月24日 (火)

PPPの知識

■ 書籍情報

PPPの知識   【PPPの知識】(#1769)

  町田 裕彦
  価格: ¥1,050 (税込)
  日本経済新聞出版社(2009/11/14)

 本書は、「PFI(民間資金を活用した社会資本整備)の限界にも触れた上で、事例に即した多様なPPPのスキームの整備に向かう英国の状況を解説」し、「日本にとって今後の大切な行政課題でもある、公共施設等の老朽化に伴う改築更新等について、PPPを使った柔軟なアプローチを提案するとともに、その際に留意すべきプリンシプルについて整理」したものです。
 第1章「なぜ今、PPP(公民連携)が求められるのか」では、「日本以外では、公民が連携して公共サービスの提供などを行うスキームをPPP(Public Private Partnership:公民連携)と呼んでいるのが一般的」だとしたうえで、「PPPを公民が連携して公共サービスの提供などを行うスキームと捉えるとすると、この中にPFI、指定管理者制度、市場化テスト、公設民営(DBO)方式、さらには下水道の維持管理等において導入されている包括的民間委託、自治体業務のアウトソーシング等も含まれる」と述べています。
 そして、「PFIの前提となる考え方として、両当事者の対等な契約主義、リスクの明確化と分担」があるとして、「公民は対等な両当事者として透明性が確保された契約関係にあること」を挙げ、「可能な限り、想定されるリスクを洗い出し、明確化した上で、両当事者の間の分担を客観的に決めていくべき」だと述べています。
 また、わが国において、「公共と民間の連携(PPP)」が注目される背景として、
(1)厳しい財政状況
(2)財政健全化法の施行
(3)少子化などによる人口減少とその影響
(4)老朽化した施設への対応
(5)民間の新たな動き
(6)スリム化する公共
の6点を挙げています。
 第2章「英国におけるPFIの進化とその限界」では、英国において、PFIが「着実に進化」し、「PFI手法が民による公共サービスの提供の手法として汎世界的に伝播している」理由として、「PFI手法が状況に応じて柔軟に変容(進化)していること」を挙げています。
 また、2003年頃、PFIに大きな批判があったとして、
(1)公共サービスの提供に関連して民間セクターが利潤の追求を行って良いのか。
(2)民間から資金調達する方が公共で資金調達するよりも金利水準が高いことから、コスト増になるのではないか。
の2点を挙げ、この問題意識から、「公共が資金を供給するPFIのスキーム」である「クレジット・ギャランティ・ファイナンス」(CGF)が提案されたと述べています。
 著者は、英国でPFIが飛躍的に発展した要因の一つとして、「PFIのに特有な契約書などを作成するためのコストや手続きに費やされる時間等の案件組成にかかるコストの縮減策」を挙げ、、なかでも、「契約書や、その他の文書、手続きなどの標準化」が最も効果的であったと述べ、「PFIにおける標準化はPFIの画一化、コモディティ化を結果として進めることとなった」としています。
 第3章「PPPの具体的な手法」では、指定管理者制度について指摘されている問題点として、
・公募でないケースがあること
・5年程度という短期間のものが多いこと
・徴収できる利用料金に上限があることから、民間事業者の創意工夫を生かすのは実質的に難しいこと
・業務が適切に執行されているかのモニタリングが必要なこと
などを挙げています。
 また、市場化テストについて、「公共サービスを不断に見直すことにより公共サービスの質の維持向上と価格の低下について適切に競争がなされるよう、十分な配慮のもと制度設計が行われている」と述べています。
 さらに、横浜市のビジネスマッチングの取り組みについて、「異なるノウハウや資産を有する民と民について、公共がこれらを束ね、相乗効果により1+1=3以上の効果を得て行こうという考え方」だとして、例として、横浜市立横浜サイエンスフロンティア高校とサイモールインターナショナルスクールの教育交流を挙げています。
 第4章「PPPを成功に導くために」では、PPPを行う究極の目的として、「納税者、公共サービスの受益者に対するサービスの価値を最大化すること」を挙げた上で、「VFMを最大化するためにPFIによりもたらされた革新的な考え方(ブレークスルー)」として、
(1)性能発注に基づくライフサイクルの一括管理
(2)リスクの最適配分
(3)業績連動支払い
の3点を挙げています。
 第6章「今後のキーコンセプトとしてのPPP」では、PPPが「単にインフラ整備にのみ適用されているものではなく、広く行政一般にすでに適用されはじめて」いるとして、ここで行われるPPPは、「公共と民間がそれぞれ異なるリソースと行動原理を有していることを前提にした上で、協働して課題に対する解決策を構築していくことが、考え方のコアとなって」いると述べています。
 そして、「PPPは、一定の前提、制約のある政策課題についえもっとも適切なスキームを構築していくプロセスであり、その意味で新しいフロンティアを開いていくプロセス」だと述べています。
 本書は、行政と民間の新しい関係を示してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 PFIや市場化テストの手法自体は次々に新しい手法が紹介され、バズワードも次々に紹介されていますが、数々の手法に通底する思想の部分を理解していると見え方も違ってくるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・手法の底に流れる思想を知りたい人。

2009年11月23日 (月)

田舎力―ヒト・夢・カネが集まる5つの法則

■ 書籍情報

田舎力―ヒト・夢・カネが集まる5つの法則   【田舎力―ヒト・夢・カネが集まる5つの法則】(#1768)

  金丸 弘美
  価格: ¥735 (税込)
  日本放送出版協会(2009/08)

 本書は、「今、地方の、それもかつて山間地とか過疎とか離島といわれたところで、地域活力の素晴らしいところがいくつも出てきている」として、著者が「生産者と消費者、田舎と都会、ジャーナリストと地域おこしアドバイザーという複眼的な視点で実際に見てきたことから、逆転の発想で地域の持っている潜在的な力、すなわち『田舎力』を最大限に発揮する法則」をまとめたものです。
 第1章「発見力~『なにもない』土地に眠る宝を探せ」では、長崎県五島列島の小値賀島が称賛を浴びた理由として、「そのままの日本」があったことを挙げ、「『普通のもの』を観光資源として再発見するには、『外の視点』に切り替えて地元を見つめ直すということが不可欠」だとしています。
 第2章「ものづくり力~ビジョンを抱いて、きちんと作れ」では、「現実に地方に行くと、食の地域づくりがほとんど消費者のニーズとミスマッチをしていて、とても活性化にはほど遠いどころか、生産者の勝手な思いこみでひとりよがりなものが少なくない」として、「こういったことがうんざりするほど、各地で繰り広げられている」理由として、
(1)貿易自由化に伴う食のグローバル化
(2)生産偏重の農政
の2点を挙げています。
 第3章「ブランドデザイン力~ヒットの秘訣は地方に訊け」では、高知県馬路村農協代表理事組合長の東谷望史氏が、納涼で働きだした若い頃、退屈な時間を過ごしていたときに、夢に出てきた大ファンの坂本龍馬が、「おんしゃ、なにいいよりゃ、おんしゃの生まれた時代にもおんしゃのやることがあるろがや」と告げられたことから発憤して、ゆず事業に取り組み始めたことを紹介しています。
 そして、「自分たちの町をなんとかしたい、地域全体で発展するにはどうすればいいのか」と本気で考えている人たちが、「自分自身で各地に足を運び、先駆者たちにノウハウを学び、自分たちの土地に合うようにアレンジして成功している」と述べています。
 第4章「食文化力~食材の背景を知り、発信せよ」では、ノンフィクション作家の島村菜津さんを東京の農家に案内した著者が、「あなたがやっているのはスローフードよ」と言われたことをきっかけに、イタリアのトリノで行われたスローフードのイベント「サローネ・デル・グスト」を取材したことを述べています。
 そして、食のテキストづくりとワークショップのノウハウ、発想やポイントとして、「歴史や、第一次産業と密接に結びついた伝統工芸など、広くほかの文化を軸にして地域をアピールする際にも十分応用可能である」ことを挙げています。
 第5章「環境力~持続可能なコミュニティを目指せ」では、「環境づくりは、地域の心を一つにする」として、「そこには、ふるさとへの愛着、誇り、生き甲斐、活力を取り戻す物語がある」と述べた上で、兵庫県豊岡市「さまざまなアプローチで生き物と共生できる環境づくりに取り組んでいる」と述べています。
 本書は、田舎が持っている力をわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で紹介されているサローネ・デル・グストはぜひ行ってみたいのですが、流石にトリノは遠いので、日本でもぜひ開催して欲しいものです。


■ どんな人にオススメ?

・田舎の良さを知りたい人。

2009年11月22日 (日)

なぜグリーン車にはハゲが多いのか

■ 書籍情報

なぜグリーン車にはハゲが多いのか   【なぜグリーン車にはハゲが多いのか】(#1767)

  佐藤 明男
  価格: ¥798 (税込)
  幻冬舎(2009/01)

 本書は、「ハゲは男性の進化系である」として、「髪が薄くなっていくメカニズムや『ハゲの進化論』を通して、薄毛の男性がいかに優秀かを知っていただき、薄毛であるというだけで生きづらさを感じている方に誇りを持って」もらうことを目的としたものです。
 第1章「ハゲている男性は優秀である」では、「髪が薄いことは、たくましい肉体を持ち、知能が高く、生殖能力に優れた男性であることの証明」であるとして、「その根拠は、薄毛が進行していくメカニズムにある」と述べた上で、「男性の男らしい部分を作り上げるホルモン」であるテストステロンは、「ヒトの筋肉、骨格、大脳皮質を成長させる作用と、男女両性に性衝動を誘発させ、ヒトという種を存続させる重要な機能を持って」いると述べています。
 また、「歴史に名を残すような偉人たちのなかには、髪が薄い人が少なく」ないとして、シーザーやコロンブス、ナポレオンなどを紹介しています。
 そして、著者の仮説として、「薄毛の形のタイプは大脳の発達系に影響される」として、M字型薄毛の人は「大脳の前頭部にあり、感情、思考、知性などの人間の精神的な高次機能に関係している前頭葉が発達している」とする一方、頭のてっぺんの毛が薄くなっている人は、「大脳の中心にあり、聴覚、言語、記憶、判断などを担っている側頭葉が発達している」と述べています。
 第2章「ポジティブハゲになるために」では、ハゲの定義として、「頭部を観察したときに、地肌の地平線がグッと浮き上がって見えていること」を挙げ、さらに、「30代以降で、眉毛から最初の生え際までが8cm以上ある場合は薄毛」だと述べています。
 また、ハゲの都市伝説として、
(1)頭皮に脂が溜まっていると薄毛になる →△
(2)朝シャンをしていると薄毛になる →△
(3)ヘルメットや帽子をかぶると薄毛になる →×
(4)オナニーをしすぎると薄毛になる →×
(5)海藻を食べると髪が増える →△
(6)白髪の人は薄毛にならない →×
(7)頭皮が動く人は薄毛になりにくい →△
(8)M字型薄毛の人は育毛しても生えづらい →○
(9)額の広い人は薄毛になりやすい →×
(10)短髪よりも長髪の方が薄毛になりやすい →○
の10点を挙げています。
 そして、男性型脱毛症の患者を診てきて感じたこととして、「髪が薄くなることへの一番の恐怖は、『喪失感』ではないか」と述べています。
 さらに、「カツラの存在が、薄毛の地位を隅に追いやってしまった側面もある」ことを指摘し、欧米では、「自分の欠点を隠すのは恥ずかしい行為だと捉えられている」ため、「日本に比べるとカツラの需要は低い」と述べています。
 本書は、薄毛の人に自信を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者はれっきとしたお医者さんのようなのですが、本書で展開される「ハゲの進化論」では、古典的な狩猟生活をしていた人類観に基づいていて、生物学的にはちょっと不安な感じがします。


■ どんな人にオススメ?

・選ばれし優秀な人。

2009年11月21日 (土)

暴走する脳科学

■ 書籍情報

暴走する脳科学   【暴走する脳科学】(#1766)

  河野哲也
  価格: ¥777 (税込)
  光文社(2008/11/14)

 本書は、「科学技術リテラシーの向上」が、「脳科学の健全な発展にも不可欠」であることを論じたものです。
 第1章「脳の時代と哲学」では、現在の脳科学が「治療を超え出た分野にも進出してきている」として、脳機能を「人間の平均や標準を超えて能力向上をする」ことを意味する「エンハンスメント(能力増強)」することが可能になるかもしれないとして、「知性の向上や記憶力の昂進、性格の改変などといった新しい自己コントロール方法ができるかもしれない」と述べた上で、脳科学の発展に関する素朴な疑問として、
(1)脳科学者がいうように、脳研究は、本当に心の働き(知性、記憶、道徳心など)の解明をもたらすのだろうか。
(2)それ以前に、そもそも、心と脳とは同じものなのだろうか。
(3)脳を調べることで心の状態を読むこと、いわゆるマインド・リーディングは可能だろうか。
(4)脳研究から得られる知識は、心に関するこれまでの考え方や自己感にどのような変更をもたらすのだろうか。
(5)脳研究が、医療・教育・司法(犯罪捜査、裁判)などの分野に応用されると、どのような社会的インパクトを持ち、どのような倫理的問題が生じるのだろうか。
の5点を挙げています。
 そして、「脳科学の危険性は、それが個人をコントロールするテクノロジーとして権力によって利用されてしまうことにある」と述べています。
 第2章「脳と拡張した心」では、「現代の哲学も生態学的心理学も、人間の心を環境との相互作用として捉えた点において、拡張した心の概念を準備した」と述べた上で、「拡張した心の概念から見れば、脳研究は心全体の研究とはなりえない」ことを指摘しています。
 第3章「マインド・リーディングは可能か」では、「心を『内側』として表現することは、本来、比喩でしかない。しかも私は、拡張した心の概念から、それは誤った比喩だと考えている」と述べ、「脳の解読は、人間がある心的活動を行っているときに、脳のどの部位を使用しているかを明らかにしようとするものである」と述べています。
 そして、「少なくとも高次脳機能の正確なマインド・リーディングについては、技術的のみならず原理的な困難がある」としながらも、「大まかなマインド・リーディングなら可能だろうし、現に一定範囲内で成果が上がっている」と述べています。
 第4章「社会的存在としての心」では、「多くの心理学的カテゴリーは、比較的最近の時代に、ある特定の社会で形成された分類」だと指摘し、「心理的なカテゴリーが社会的な意味を担っている」と述べています。
 第5章「脳研究は自由意志を否定するか」では、農家学者のベンジャミン・リベットの実験によって、「私たちが意識的に何かをしようと意志する際には、つねにその550ミリ秒前に脳の運動領域が活動を開始している」という「驚くべき事実」に関して、「脳科学研究が自由意志を否定することになる脳かどうか」を考察するとしています。
 第6章「脳神経倫理学」では、「脳科学研究とその鷹揚は、私たちの将来の医療や福祉、教育、司法の分野に大きな影響を与えるだろうことは、これまでの考察から明らか」だとした上で、「脳科学の研究成果が私たちの生活に導入されるその前に、その倫理性を議論するニューロエシックスの確立は緊急の要請である」と述べています。
 そして、「私たちが、脳科学のエンハンスメントの使用に――それが仮に安全だと確認されても――躊躇や戸惑い、ある種の嫌悪感を持つのは、それが不自然だから」だとした上で、「エンハンスメントで本当に問題となっているのは、自律性である」と述べ、「科学は、その専門性ゆえに閉鎖的で階層的な秩序を生みやすい。時にそれは、民主主義に対立してしまうほどである。このことを忘れてはならないだろう」と述べています。
 また、「現代社会のように発達した社会では、科学知識は、潜在的に社会的・政治的文脈に組み込まれうる要素を持っている」として、「脳科学者は、その安易な利用や時期尚早な応用に対して、相互に批判すると同時に、一般の人たちの注意を喚起するように働きかけるべきだろう」と述べています。
 本書は、派手に成果を上げる脳科学の暴走を諌めた一冊です。


■ 個人的な視点から

 最近の脳ブームでは、新しい技術で出来ること、プラスの面ばかりを取り上げていますが、マイナスの面にもきちんと目を向けないといけないと感じます。


■ どんな人にオススメ?

・脳のことがわかる怖さを感じる人。


2009年11月20日 (金)

知事の世界

■ 書籍情報

知事の世界   【知事の世界】(#)

  東国原 英夫
  価格: ¥756 (税込)
  幻冬舎(2008/05)

 本書は、著者が、「宮崎県知事に就任してからの1年半に、僕が何をやってきたのか振り返」り、「知事の仕事」とは何かを述べたものです。
 著者は、「県民をその気にさせ、県全体に活力を湧かせること」が、「県知事にできる最大の仕事」だと述べています。
 第1章「選挙は何を持って戦うか?」では、「宮崎県民の多くは、戦後の県政で繰り広げられてきたイザコザやゴタゴタをよく知っている」ため、「お前みたいな、何のしがらみもない、どこにも属さない人間が知事にならんと宮崎は変わらんやろな」ということをあちこちで言われたと述べています。
 そして、「知事の仕事はマニフェストが出発点」だとしたうえで、著者の「そのまんまマニフェスト」が、
(1)みんなで作る宮崎の未来、宮崎県民総力戦
(2)宮崎の意識改革、既存の概念を打ち壊す。
(3)宮崎ポテンシャル(潜在能力)をこぶし、意識の改革と新たな発想とともに産業振興・活性化を図る。
(4)宮崎のセールスマン、宮崎を全国、世界へ。
の4つの政策理念を盛り込んでいると述べています。
 第2章「組織をどこから変えるか?」では、「知事としてまずは僕自身が実践するから、県庁職員も一生懸命に協力してくれるのだろう」としたうえで、「職員たちにもともと現状を打破したいという意思がなければ、これだけ短期間に改革が進むはずはない」と述べています。
 そして、「県議会議員とも県庁職員とも、言ってみればアウトボクシングをしているつもりだ。互いに絡み合うようなズブズブの関係ではなく、ある程度の距離を保って接している」と述べています。
 第3章「生活の価値をどこに置くか?」では、初登庁日に作業服姿で盗聴したことについて、「僕は何も『型破り』な県知事を演じたわけではない。県職員や議会の意表をついて自分のペースに巻き込もうとか、県民や国民から拍手喝采を受けようとか、そんなつまらない考えを抱く余裕はなかった」と述べています。
 そして、「知事が黒塗りの高級車に乗るか、立派な公舎に住むかどうかは、県政全体の問題から見れば些細なこと」だた、「クルマにしろ公舎にしろ、県民の目線から見れば豪華すぎる」ことが問題だと述べています。
 第4章「行動力をいかに発揮させるか?」では、「県知事というのは、自分から何か進んでやりたいと考える人には実に窮屈なポジション」だとしたうえで、「逆に言えば、何もやりたくない人にはこれほど楽なポジションはない」として、「日本はやはり、中央集権国家なのだ」と述べています。
 また、中央集権を批判しながら、道路特定財源と暫定税率の維持による道路整備を国にお願いしてきたことについては、「ようは宮崎県に道路ができれば、道路のための財源を確保すると約束してくれるなら、一般財源でもかまわない」と述べています。
 第5章「改革をいつ断行するか?」では、250万円の工事を一般競争入札に切り替えたことについて、「いろいろと支障が出てくる」として、1000万円以下の、台風で橋の一部が壊れた場合のような緊急の工事に対応できなくなる点を挙げています。
 そして、「行政出身でないことは僕の武器でもある。行政システムにどっぷり使っていないから県民目線、生活者目線がいつも頭にあり、これをないがしろにできないのだ」と述べています。
 エピローグでは、子どものころの夢は、お笑い芸人と政治家だったとして、30代後半に差し掛かったころに、「僕の中でずっと眠っていたもう一つの『夢の種』がひそかに殻を破った」と述べています。
 本書は、知事の仕事の一環を見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 お笑い芸人から知事にということで横山ノックとかと比較されることも多いような気もしますが、難しいことを難しい言葉で表現する評論家やニュースキャスターに比べて、視聴者のわかるレベルに合わせて微妙に芸をファインチューンするお笑いの方が政治家向きなのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・宮崎は変わったと思う人。

2009年11月19日 (木)

オノマトペがあるから日本語は楽しい―擬音語・擬態語の豊かな世界

■ 書籍情報

オノマトペがあるから日本語は楽しい―擬音語・擬態語の豊かな世界   【オノマトペがあるから日本語は楽しい―擬音語・擬態語の豊かな世界】(#)

  小野 正弘
  価格: ¥756 (税込)
  平凡社(2009/07)

 本書は、「日本語の『へそ』」である「オノマトペを考えることによって、日本語そのものを別の角度から豊かに捉えなおすことができる」としているものです。
 第1章「創って遊べるオノマトペ」では、「最近つくられたオノマトペでも、一時の流行に終わらずに、使われ続けるものがある」として、「キャピキャピ」や「シェー」を挙げています。
 第3章「オノマトペのある暮らし」では、「毎日の暮らしは、オノマトペに深くいろどられていることがわかったが、方言のオノマトペにも、暮らしに密着したものとして、見過ごせない」と述べたうえで、「方言のオノマトペには、共通語とは違う言い方のものと、共通語と同じ言い方であっても、意味やニュアンスが違っているものとの、二通りがある」と述べています。
 第4章「オノマトペは歴史とともに」では、『万葉集』の時代のオノマトペに関して、「オノマトペには、通常の単語の規則が当てはまらないという側面があったのではないか」として、「なにか、独自の群れを形成するもの、それが、オノマトペだったのではないか」と述べています。
 第5章「オノマトペの果たす役割」では、「オノマトペとしぐさは、よくなじみ、お互いに助け合う」としたうえで、「しぐさとセットで使われて、座をなごませる」と述べています。
 また、「絵で状況や場面を説明する」マンガの「出ない音を補うのが、オノマトペである」として、「マンガでは、縦横無尽にオノマトペが活躍する」と述べ、「絵とともに用いられた、オノマトペは、強い効果を生む」としています。
 また、オノマトペの働きについて、オノマトペの語源は、古代ギリシア語にまでさかのぼる「造語すること、名前を造ること」という意味があったとされていると述べたうえで、「見たことがないものなら、それが自分の心にどう迫ってくるかで呼びかけたのではないか。オノマトペは、心の声なのである」として、「まさに、オノマトペこそは、名前の下である。だから、オノマトペのもともとの意味は、名前を造るということになるのではなかろうか」と述べています。
 本書は、日本語の「へそ」がどのような役割を持っているかを明らかにする一冊です。


■ 個人的な視点から

 「オノマトペ」という言葉がきちんと覚えられません。難しいと思ったらフランス語だったんですね。


■ どんな人にオススメ?

・ついつい会話の中でオノマトペが出てしまう人。

2009年11月18日 (水)

子どもにスポーツをさせるな

■ 書籍情報

子どもにスポーツをさせるな   【子どもにスポーツをさせるな】(#)

  小林 信也
  価格: ¥777 (税込)
  中央公論新社(2009/06)

 本書は、「20年以上スポーツの取材を重ねて」来た著者が、「自分の子どもに『スポーツをやらせたくない』と本気で思う」スポーツ界の実情を述べたものです。
 第1章「スポーツの現実」では、燃え尽き症候群になった選手の実情を紹介したうえで、「オリンピックに出場し、メダルを獲得することが、すべてだったのか」として、「メダルを目指すチャレンジを通して、自分の心身を鍛え、高めるという、本来の目的はどうしたのだろう」と述べています。
 そして、「スポーツ選手になると、依存症になる」と言っても過言ではないほど、「スポーツ選手はいま何かに頼る習慣にどっぷりと浸っている」として、「自力本願だからこそ意義のあるスポーツが、他力本願になってしまっている」と指摘しています。
 また、「いまスポーツ界は、『勝てばいい』『儲かればいい』『目立てばいい』、そんな価値観に支配され、毒されてしまっている」と指摘しています。
 第2章「誰もが石川遼になれるわけはない」では、「いま日本のスポーツ界には、『努力・挑戦は美しく、たとえ結果が敗北であっても、必ずやそこから得るものがある』と言う共通の認識が存在する」が、「これも本当にそうだろうか」として、「努力の質を問わずに、『スポーツには意義がある』と肯定してしまう安易さに、疑問を投げかけたい」と述べています。
 第3章「子どもがサッカーをする現実」では、「日本のサッカー界は、『野球に負けるな、野球をこれ以上、のさばらせるな』『サッカーを早く人気ナンバーワン・スポーツに押し上げよう』という強い思いに突き動かされている感じを受ける。それゆえ発想が相対的で、本質的なビジョンを持たない印象が否めない」と述べています。
 第5章「『あたらしいオリンピック』の実像」では、「オリンピックのような、一部エリートが集うだけの競技会はもうその役割を終えている」として、「誰もが参加できる、できるだけ多くの人たちが観客ではなく、競技者として参加できる国際大会」こそが、「あたらしいオリンピック」として必要とされていると述べています。
 また、東京マラソンの制限時間が7時間であることについて、1キロ10分という「大人がきびきびと歩く速さ」で歩き続けるのを、「マラソンと呼ぶのを、日ごろからトレーニングを積んでいる市民ランナーたちはどう感じるだろう」と述べ、あるランナーが、「私は東京マラソンに出るつもりはありません。都心を何時間も交通規制して、明らかに多くの人に迷惑をかけている。マラソンに関係ない人にそんな迷惑をかけてまで走るのは申し訳なくて」と語り、交通規制の少ない、山間のマラソンにしか出場していないと述べています。
 終章「大きな気持ちを育てる」では、「そろそろ、原点に返るときが来たのではないか。私たちは、『文武両道を求め、スポーツを通して子どもの人格を磨く』という、本来の目的を片時も忘れてはいけない」と述べています。
 本書は、日本の子どもたちを囲むスポーツの現状を指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 とりあえずスポーツは健全、という考えの無い先入観に肌寒いものを感じます。自分の子供にスポーツをやらせたいかと考えると悩んでしまうところです。


■ どんな人にオススメ?

・スポーツをやることは健全だと思っている人。

2009年11月17日 (火)

過労自殺

■ 書籍情報

過労自殺   【過労自殺】(#)

  川人 博
  価格: ¥735 (税込)
  岩波書店(1998/04)

 本書は、「今、日本の職場では、多くの労働者がみずからいのちを絶ち、残された遺族が悩み苦しんでいる」として、「闇に葬られている氏の実態を伝え、同じような悲しい死を繰り返さないための問題提起」を行っているものです。
 第1章「事例から」では、行方不明になって遺体が発見されるまでの間に、その父親を会社に呼び出し、「Aは、平成6年4月14日から会社を無断欠勤したまま今日にいたり、会社に対し種々ご迷惑をおかけしていることを深くお詫び申し上げます」、「なお、この件に関しましては、貴社には一切ご迷惑をおかけしないことを誓約いたします」と書かれた「念書」を会社に提出するように求めたことが紹介されています。
 また、有名な大手広告代理店・電通のラジオ局に配属された2年目の社員が、死の直前には3日に1回は午前6時30分まで残業していたという「常軌を逸した長時間労働」に加え、酒を無理強いされるだけでなく、靴の中に注いだビールを飲まされたり、靴のかかとで叩かれたことで、「顔色が悪くなり、元気がなく、うつうつとした暗い感じになり、仕事に対して自信を喪失し、精神的に落ち込み、2時間程度しか眠れなくなった」と述べています。
 さらに、厚生省の事例について、「月50時間以上の残業をしている職員が62%にも及び、100時間以上が29%にも達している」として、「一部のキャリア組だけでなく、非管理職を含めたほとんどの職員が異常な残業時間を記録しているのが分かる」と述べています。
 著者は、これらの事例を通じて、「いずれの人も、生前、長時間労働や心労の重なる仕事に従事し、強いストレスを覚えて心身の不調をきたしている。医学的には、自殺をした当時、うつ病などの精神障害に陥っていたと推察されている」と述べています。
 第2章「特徴・原因・背景」では、「過労死110番」の活動から見える特徴として、
(1)脳・心臓疾患の過労死と同様に、幅広い範囲の労働者に広がっていること
(2)自殺に至る原因として、長時間労働・休日労働・深夜労働・劣悪な職場環境などの過重な労働による肉体的負荷、及び重い責任・過重なノルマ・達成困難な目標設定などによる精神的負荷
(3)自殺に至る過程において、自殺者の多くは、うつ病などの精神障害に陥っていたと推定される
(4)ほとんどの企業は、その原因を労働条件や労務管理との関係で捉えようとせず、従業員の死を職場改善の教訓に生かさず、遺族に対しても冷淡である
(5)過労自殺は、その実態がなかなか外部に伝わらない
の5点を挙げています。
 また、青年の自殺の特徴として、「入社1、2年で自殺した青年労働者は、就職前の予想をはるかに上回る仕事量、責任の重さに遭遇し、心身のバランスを崩してしまっている」ことを、「拘禁反応的自殺」と呼ぶことができるとしています。
 第3章「労災補償をめぐって」では、自殺事案での労災認定件数が極端に少ない理由として、
(1)そもそも労基署に遺族が労災を申請する件数がごくわずかなこと
(2)労働省が自殺の労災認定に大変消極的であり、認定のための基準として高いハードルを設定していること
の2点を挙げています。
 第3章「労災補償をめぐって」では、「労災と認められるのは自殺の中のごく一部に過ぎない」として、労働行政が長年にわたり、「業務に起因したと思われる多くの自殺を『業務外』と判断し、遺族の請求をしりぞけてきた。とくに過労・ストレスによる自殺=過労自殺に関しては、ほぼすべて『業務外』と判断してきた」と述べています。
 また、公務員の過労自殺に関して、千葉県流山市議会事務局の職員が、東葛飾市議会連絡協議会の海外視察に随行し、精神的なプレッシャーを受けたことから、自殺に至った事案を紹介しています。
 第4章「過労自殺をなくすために」では、過労自殺は、「過労死と自殺が重なる領域の事柄」だとして、その予防には、「『過労』を解消していく視点からのアプローチと、『自殺』を予防していく視点からのアプローチの両方が必要になってくる」と述べています。
 そして、「公務員の職場でも時間のゆとりが失われている」として、「大半の職員が手当て規定どおりの残業代を支払われておらず、50%以下しか支給を受けていない職員が6割近くに上る」と述べたうえで、「公務員自身に、社会的に意義ある仕事をしているのだから働きすぎても仕方がない、との意識があるとすれば、そのような美徳観念を考え直す必要がある。もともと、官民を問わず、社会的に意義のない仕事などは存在しない」と述べています。
 本書は、なかなか労災認定されなかった「過労自殺」の問題の難しさを指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 仕事で電通の2年目の社員さんにお会いする機会があります。たまに眠そうにしていることもありますが、深夜にメールが入ることもあり、「やっぱり朝6時まで仕事をしているのだろうか」とか、「やっぱり靴でビールを飲まされているのだろうか」とか、「やっぱりラップで(ry」とかを考えると心配で指摘できません。


■ どんな人にオススメ?

・責任感の強い人。

2009年11月16日 (月)

バカのための読書術

■ 書籍情報

バカのための読書術   【バカのための読書術】(#)

  小谷野 敦
  価格: ¥714 (税込)
  筑摩書房(2001/01)

 本書は、「哲学とか数学とか、抽象的なことが苦手」という意味の「バカ」のための読書書です。
 第1小「『難解本』とのつきあい方」では、加藤周一が「難してくもわからない本は、読まないのが賢明である」とし、呉智英は、「キーワードを掴んで飛ばし読みすること」を進めていることについて、「どちらかとぴえば加藤に与する」と述べています。
 また、文学作品ではない文章を、
 A.自分が後あるべきだと考えていることを主張する文章
 B.事実を提示しようとする文章
の2つに分けた上で、「学問的な仕事は、歴史実証主義を基礎においた方がいいのではないか」と述べ、「まず『事実』に就くこと。『バカ』はそこから始めるべきだし、頭が悪くても知識があれば、頭のいい相手を論破することもできる」と述べています。
 第3小「入門書の探し方」では、呉友房が、「入門書・概説書・解説書の類は大いに利用すべし」としていることについて、「全くそのとおりである」と述べた上で、「問題はその入門書の類をどう選ぶか」と述べ、「ひとつの方法として、文庫版などに付いている『解説』を利用する、という手がある」としています。
 第4章「書評を信用しないこと」では、「書評よりも、いちばんの近道は、自分が興味を持った本の中で触れられている本を読むこと、あるいは自分が興味を持った著者が挙げている本、ないし友人に勧められた本を読むこと」だとして、「この方式だと、鼠算式に読むべき本は増えていく」と述べています。
 第5章「歴史をどう学ぶか」では、歴史の書き方として、
 A.有名人、つまり政治家や軍人を中心とした歴史
 B.中世の民衆はどういう生活をしていたか、人口変動はどうだったか、といった民衆史
の2種類があるとした上で、「重要なのは、、読んで面白くなければ、頭に残らない」と述べています。
 第6章「『文学』は無理に勉強しなくていい」では、「『文学』だって少しは読んだ方がいいのだが、無理して『文学』を勉強することはないし、中等教育の場で教わった小説を『文学』なのだと思ってもいけない」と述べていあms。
 本書は、抽象的な思考が苦手な人にも本を読む楽しみを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 面と向かって「バカ」と言われるのは癪に障りますが、抽象的なことが得意かと問われれば、たしかにごもっともだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・自分はバカだとは思っていない人。

2009年11月15日 (日)

中年男に恋はできるか

■ 書籍情報

中年男に恋はできるか   【中年男に恋はできるか】(#)

  小浜 逸郎, 佐藤 幹夫
  価格: ¥693 (税込)
  洋泉社(2000/03)

 本書は、「中年のエロス」の問題を主旋律とした対談集です。著者は、「こういうテーマは、公式的に議論されることは少ないけれど、実はどの人にとっても最重要なテーマの一つであるに違いない」としています。
 第2章「なぜ『失楽園』より『HANABI』を推すか」では、「男女の関係という点にフォーカスを絞ったとき」に、北野武が、
(1)会話をほぼ排除していること
(2)性というもの、セクシュアルなものの排除
の2つを指摘しています。
 そのうえで、『HANABI』を見て考えさせられたこととして、「逆説的なんだけれども、中年以降の年代における性愛という主題の切実さ」だと述べています。
 そして、「渡辺淳一の性愛観というのはほんとどうしようもない」として、「三角関係や四角関係がもし真剣に追求されたら必ず引き寄せてしまう、関係の深刻な葛藤の可能性がはじめから排除されている。その都合のより排除の後に、渡辺淳一的な性の骨董趣味、女に対する翫賞趣味が披瀝されているだけ」だと指摘しています。
 また、不倫を、
(1)家庭を壊す気のない、いわば遊びとか浮気
(2)病理的な渇きがあって、次々と相手を変えていく
(3)今の夫婦の関係の不幸の意識から、本気で自分を離脱させようとするもの
の3つに類型づけ、「問題はこの3番目」だ通んべています。
 第3章「人生はエロスに尽きるか?」では、「男がオシャレに心を配るというのは、まさにエロス的行為として自分を飾ることではあるけれども、もう一つ、他人への気遣いという面」もあると述べています。
 第4章「悲しき愛の結末?」では、「恋愛というのはもともとその渦に巻き込まれれば、ガキみたいになってアタフタしてしまうもの」だとして、「男が年齢を重ねていって社会的に成熟していったとしてもそのことは、エロスの成熟とはほとんど無関係ではないか」、また「恋愛関係を積み重ねれば成熟するかというと、どうもそうでもないような気がする」と述べ、「こればっかりは何回繰り返しても、自分のダメな部分とか弱さとか、幼稚な部分とかモロに」出ると述べています。
 本書は、表立って議論しにくい問題を語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 年齢を重ねても男のエロスが成熟するわけではなく、いくつになってもガキのようにアタフタしてしまうというのは何だかかわいいものです。
 そう言えば娘から愛と恋は違うのかと訊ねられてしまいました。

■ どんな人にオススメ?

・中年男は恋をすべきかどうか考えてしまう人。

2009年11月14日 (土)

若者はなぜ怒らなくなったのか―団塊と団塊ジュニアの溝

■ 書籍情報

若者はなぜ怒らなくなったのか―団塊と団塊ジュニアの溝   【若者はなぜ怒らなくなったのか―団塊と団塊ジュニアの溝】(#)

  荷宮 和子
  価格: ¥777 (税込)
  中央公論新社(2003/07)

 本書は、若者の、「考えてもしょうがない」=「あきらめ」とも、「考えると怖い考えになってしまうから考えたくない」=「不安」とも異なる、「なんともおぼつかない『投げやりさ』」を、「団塊と団塊ジュニアの溝」に着目して読み解こうとしたものです。
 第1章「『決まっちゃったことはしょうがない』」では、映画『バトル・ロワイアル』について、「『決まっちゃったことはしょうがない』と考える子どもたちのお話」だと指摘し、「こう考える人間ほど、『「信用できない」と呼ばれる側』にとって御しやすい生き物はない」と述べています。
 また、「近頃の若いもん」は、「怒るべきときに怒ろうとしない」ことが、「私の世代をいらだたせる」として、「彼らの価値観が苦手である」と述べています。
 第2章「『決まっちゃったことはしょうがない』で納得する若者たち」では、「彼らは毎日をできるだけ快適に、幸せに過ごしたいと願っている。そんな彼らにとっては、『(たとえ怒るべき時であっても)怒らない』という生き方は、日々を幸せにすごすためには当然の処世術なのである」と述べています。
 また、「団塊ジュニアは脊髄反射をしている」として、ダウンタウンの松ちゃんが、「俺は二度と漫才をやらない、あんなに面白い漫才をやってたのに受けなかった、これは俺の復讐だ」と語っていたことを紹介しています。
 第3章「こんな若者に誰がした!?」では、「私よりも年上=団塊の世代」&「私よりも年下=団塊ジュニア」という「今の日本で多数派と呼べる人間たちの立居振舞いが、どうにもこうにも不愉快なために『むかつく』ことが多い」のが、「私の本音」だと述べています。
 第4章「『どうせ少数派!』な私たち」では、「基本的に『そうだ!そうだ!』体質である団塊の世代と比較して、『私たちの世代=くびれの世代』は、子どものころから、理屈っぽくっておたくくさかった」と覆う理由として、親の世代である戦中派のメンタリティが影響していると述べています。
 第5章「日本の未来」では、石原慎太郎が「フツーの人たち」から少なからぬ支持を集めている理由として、「人を見下すのは気持ちいい、ということを『フツーの人間』に思い出させてくれたから」だと指摘しています。
 終章「『怒るべきときに怒れる人間』になるための方法」では、著者の座右の銘として、よしもとよしともの『レッツゴー武芸帖』の台詞「おまえら、みんながうんこうまいって言ったらうんこ食うのかよー!?」を紹介すると共に、島本和彦の
「熱血漫画家十訓」
一、命がけで描け
一、限界を超えて描け
一、夢を見て描け
一、自信をもって描け
一、思い切って描け
一、喰うのを忘れて描け
一、よく寝てから描け
一、明日も描け
一、最後まで描け
一、失敗したら新しいのを描け
を紹介しています。
 本書は、段階と団塊ジュニアが嫌いな人にもお勧めしがたい一冊です。


■ 個人的な視点から

 この人の肩書きは「文筆家」となっているのですが、まとまりがないというか、小中学生が原稿用紙を前にしてズラズラと書き出したようだというか、2ちゃんねるで長い文章を推敲もせずに書き込む人のような読みづらい文章で非常に読むのが疲れました。
 もしかしたら自分が「女子供」ではないから読みにくいだけで、若者には読みやすい高尚な文章なのかもしれませんが、個人的には非常に疲れたです。
 評価できる点は、『レッツゴー武芸帖』と『燃えよペン』を取り上げている点でしょうか。これはすばらしい作品です。


■ どんな人にオススメ?

・読解力があって我慢強い人。


2009年11月13日 (金)

天職の見つけ方―親子で読む職業読本

■ 書籍情報

天職の見つけ方―親子で読む職業読本   【天職の見つけ方―親子で読む職業読本】(#)

  キャリナビ編集部
  価格: ¥714 (税込)
  新潮社(2004/08)

 本書は、「キャリナビ」のウェブサイトのメインコーナーである「この人がカッコいい!(お仕事人辞典)」に掲載された学生記者が作成した記事を再編集したものです。著者は、ほとんどの人は、「自分がなれもしないプロ野球選手の就職過程については知っている」のに、「『世の中のいろんな仕事』の実態も分からないまま、なんとなく決めてしまっている」と述べています。
 第1章「10代で仕事を決めた」では、メイキャップ・アーティストの下積み生活として、「最初の3ヶ月は給料なし。荷物持ちや、先生の使った鏡を拭くといった道具拭きをしていた。意外なほど"徒弟制度"が残っていて、手取り足取りの指導、なんてものはまったくなかった」ことを紹介して、急に仕事が入るので、「働き出して3~4年は友達と会う約束ができ」なかったと述べています。
 また、ウィーン菓子店「シーゲル」店主の話として、「先輩たちを抜くにはどうしたらよいか」考え、ヨーロッパに留学する費用を捻出するため、昼間はホテルで働き、夜の8時から翌朝6時まで印刷所でアルバイトをして、「この時期の寝る時間は、ホテルか印刷所のどちらかが休みのときと、通勤時間だけ」だったことを紹介しています。
 第2章「大学で仕事を決めた」では、テレビ朝日の番組プロデューサーが、「日本人って、仕事選びに深刻になっちゃうでしょ。だから考えすぎて、"なぜ"深刻に考えていたかを忘れるんですよ。本当は、楽しく生きたいから、そのためにどういう仕事をしようかじっくり考えるんですよね」という言葉を紹介しています。
 また、経済産業省のキャリア官僚が、「給料が安定」している代わりに「とてつもない責任と重圧を背負うことになる」として、「『日本中でその問題を担当している人はその人しかいない』という、代わりのいない仕事だからこそ、若いときに任される仕事の権限は大きい」が、事前に「死ぬほど働くぞ」と言われていたが、「入ってみるとやっぱりすごく大変だった。みんな死ぬほど働いて死にそうなんだ。それくらい『当たり前に厳しい』世界だった」と語っていることを紹介しています。
 さらに、写真家の話として、「百点はプロでもアマチュアでも取るんだけれども、プロは常に85点を求められる」、「今は95点くらい取っていないと駄目かもしれない」と語っていることを紹介しています。
 第3章「大人になって仕事を決めた」では、逗子市長(当時)の長島一由氏が、フジテレビの勤務時代の経験として、「組織は怖いなと思うのが、ある日突然、人事の裁量で自分の希望外のところに異動させられるっていうこと。だから『いつ会社辞めてもいいや』と考えられるように、どこかに心の保険があったほうが、逆にその仕事で冒険できるのでいいのではないかな」として、自らが夜間開校の大学院で修士号を取った経験を語っていることを紹介しています。
 本書は、自分の仕事の決め方を考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書に登場する、経済産業省の「佐分利」さんは、珍しい名前なので印象に残っていたのですが、名刺を確認したらやっぱり去年お会いした人でした。


■ どんな人にオススメ?

・天職を探したい人。

2009年11月12日 (木)

できる人は5分間で仕事が終わる

■ 書籍情報

できる人は5分間で仕事が終わる   【できる人は5分間で仕事が終わる】(#)

  マーク フォースター (著), 青木 高夫 (翻訳)
  価格: ¥1470 (税込)
  幻冬舎(2003/12)

 本書は、「仕事と遊びのバランスが取れれば、両者がお互いに助け合う関係になる」というバランスを日常にもたらすために書かれたものです。
 第1章「まず、"NO"と言う」では、タイムマネジメントの、
(1)第一歩は、既存の仕事に新しい仕事を加えるのを今すぐ止めること。
(2)第二歩は、時間を作って、手がけている仕事に注意が行き届くようにすること。
の2歩を挙げ、これを飛ばして、「仕事の効率を上げようと、新しいテクニックに飛びつくのが私たち」だと述べています。
 第2章「魔法使いからの5つのアドバイス」では、よくあるタイム・マネジメントの方法として、
・優先順位をつける
・今すぐやる
・トゥドゥリストを作る
・スケジュールを作る
・一番怖れていることから始める
・流れに任せる
を挙げた上で、「どの方法を使っても、袋小路から間然に脱出できない」と述べています。
 第3章「人間のもつ最高の道具――注意力」では、「注意を向けたことが、自分の生きる環境になる」ことが「人生の法則」だとしたうえで、「注意を向けるとはお金をかけることであり、注意には限りがある」と述べています。
 第4章「締切がない仕事の対処法」では、「時間に制限のない状況で働くのは、制限のある場合よりも効率が落ちる」ことを「期限の効果」と述べたうえで、「短距離ダッシュ」は「抵抗の克服に効果がある」と述べています。
 第6章「プロジェクトにはどう対処するか?」では、「今抱えている仕事を一度、すべて俎上に載せ、それを、これ以上分けられないところまで半分にし続けたうえで、実行に移す」という「二等分法」について解説しています。
 第7章「仕事の枠組みをシステム化する」では、「自分を特定の仕事のために雇う」と考えることで、「自分を仕事から切り離し、仕事に枠組みを作ること」ができると述べています。
 第8章「それでも『やりたくない』仕事の対処法」では、「抵抗を一番感じる仕事から始めて、一番感じない仕事で終わるというのは、一日を下り坂に例えると、そこを自転車で下るようなもの」だと述べています。
 本書は、5分間で仕事を終わらせたい人におススメの一冊です。


■ 個人的な視点から

 毎日の仕事を5分で終わらせられたら非常にうれしいですが、よく考えてみると、自分で「冴えてる」と波に乗れるときが毎日あるわけではないことを考えると、1日に5分でも冴えてる時間を持てれば仕事は十分進むような気もします。


■ どんな人にオススメ?

・一日5分でも冴えた頭で仕事をしたい人。

2009年11月11日 (水)

読書進化論~人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか~

■ 書籍情報

読書進化論~人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか~   【読書進化論~人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか~】(#)

  勝間 和代
  価格: ¥777 (税込)
  小学館(2008/10/1)

 本書は、「『ウェブ』という破壊的なテクノロジーが現れてことで、私たちの読書の仕方は抜本的に変わって」しまったという認識の上で、
(1)ウェブによる本というコンテンツの読み方の進化
(2)ウェブによる著者と読者の関係性や書き方の進化
(3)ウェブによる本の売り方と書店の進化
の3つの新しい機軸を取り込んだ、「新しいウェブ時代の読書論」を提示したものです。
 序章「成功や自由は、読書で手に入れる」では、「インターネット」と「本」は、「とてもよく似ている」として、インターネットと同様に本も、「著者の頭から出てきたコンテンツを、サーバーの代わりに紙という形で保管し、共有している」と述べたうえで、本のほうが優れている点として、
(1)有料のために市場原理が働きやすいので、コンテンツやその制作者が、質に応じて淘汰されやすくなる。
(2)「第三者による編集」という手間隙がかかっているぶん、インターネットよりよくまとまって、きれいに整頓されている。
点を挙げています。
 そして、「読書により人生を大きく変えること」は可能であり、「どんな場所に住んでいても、何歳になっても、本は私たちに『努力が報われる環境』をもたらしてくれる」として、「良書による読書は、成功や自由を継続的にもたらし、私たち読者を進化させ続ける」と述べています。
 第1章「人を進化させる読書がある」では、「現在のテクノロジーの制約条件下において、固定費なしに、比較的安価に、どのような場所でも、人々がポッと買えるように流通させられる良質なコンテンツとしては、本が最も優秀」だとしたうえで、本というものは、「著者が書店を通じて見知らぬ人たちに名刺を配っている」イメージに近いと述べています。
 そして、「本を読むことは著者の体験を、読者が疑似体験すること」であり、「本により戦略的なことをひと通り、すべて学ぶ」ことができるため、「読書には、人を進化させる力」があると述べています。
 第2章「進化している『読む』技術」では、「「本を読むときに目的意識を持っているといないとでは、まったく読書の時間効率が違って」くるとして、「本を読むときには、その本の著者とどういう話がしたくて、何を質問したいのか、という意識を持つことが重要」だと述べ、著者が本を読むときには、「帯、目次、『はじめに』、『おわりに』をざっと読」むことで、「ほんのおおよその構造とメインのテーマ」を理解すると述べています。
 また、読書レベルとして、
(1)初級:緩急をつけずに頭から最後まで読む
(2)中級:目次などから構造を把握し、読むスピードをコントロールできる
(3)上級:著者と適当な会話をしながら読みすすめ、全体を把握したうえで、自分が必要とするところをスキャニングして探し出せる
の3つの段階を挙げています。
 そして、著者を通じて多くの人に知られるようになった「フォトリーディング」について、「小説ではなく知識や情報を得る本に関しては、きちんと読む場合の20%くらいの時間で、本の内容の80%くらいを補足」できると述べています。
 また、本とは基本的に、「学術書以外は、ある意味、著者の『与太話』、もう少しいいことばで言うと、著者たちの経験談だ」としたうえで、「著者の与太話に対しては、すべてに好奇心と健全な疑いを持ちつつ、調べたり、体感することが、著者との体験談の共有」だとしています。
 さらに、「本は全部を、隅々まで、読む必要はない」として、好きなところだけ拾い読みして」いくことで、「その内容が私たちの考え方や行動にどれだけしっかりといい影響を与えられるか」が大事と述べています。
 第3章「『書く』人も進化する」では、「広く世の中に向けて何か発信したい」人にとって、「現在の技術要件とビジネスモデル下では、『本を書く』のが、いちばんリーズナブルで、手っ取り早い手段」だと述べています。
 そして、「相手が分かりやすく読みやすく書く」ための技術として、
(1)「自分の事例」「アンソロジー形式」を利用して親しみを持たせる
(2)「役に立つフレーズ」を必ず入れ、読書だけに体験を閉じない
(3)「共通体験」や「流通していることば」を使って行動を促す
(4)「コンテンツ力」と「編集力」で進化していく
の4点を挙げています。
 第4章「『売る』仕組みを進化させる」では、「本は、書くだけではなく、売ることを合わせて、完結する」として、「書く努力の5倍、売る努力をする」と述べた上で、「本は、『いかに人に知ってもらうか』ということに、実は読者の方々が思っているよりも、ずっとコストが」かかると述べ、「本の最大の競合」である「ネットのほうで本に誘導するような動線を設計し、ネットユーザーの本へのタッチングポイントを増やしていけばいい」と述べています。
 終章「これから『読みたい』『書きたい』『売りたい』と思っている皆さんへ」では、「著者の私たちが読者と一緒に、資本主義の問題、貧困の問題、社会構造の問題などについて何ができるのか、真剣に考えるため」に立ち上げた印税寄付プログラム「Chabo!」について、そのきっかけとなったのは、
・『セイビング キャピタリズム』(ラジャン/ジンガレス)
・『暴走する資本主義』と『勝者の代償』(ライシュ)
を取り上げ、「これらの本を見ていると、ふだんもやもやしていた問題意識のあぶり出しがあって、自分が持っている問題が整理されてくるのです。自分が進みたい方向に対して、何をどのように積み重ねていくか、結果として、私に何ができるかしら、ということにつながっていく」と述べています。
 著者は、「読書は決して受身的なものではなく、人生に目標と指針を与え、私たちを日々進化させてくれるすばらしい方法」だとして、「ネットが全盛期の今こそ、ぜひ、本の役割をもう一度見直し、私たちの大事な時間をもう少し多く、読書に投資してください」と述べています。
 本書は、ウェブの存在を前提とした読書のあり方を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の巻末には、「私と進化させた20人の著者」が挙げられています。個人的に同意するのは、
・筒井康隆
・P・F・ドラッカー
・クレイトン・クリステンセン(「クリントン・クリステンセン」と誤記)
・ジャレド・ダイヤモンド
・マルコム・グラッドウェル
というところでしょうか。シンクロ率25%ですね。


■ どんな人にオススメ?

・自分を進化させたい人。


■ 関連しそうな本

 ピエール・バイヤール (著), 大浦 康介 (翻訳) 『読んでいない本について堂々と語る方法』 2009年04月16日
 メアリアン・ウルフ (著), 小松 淳子 (翻訳) 『プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?』 2009年02月28日
 モーティマー・J. アドラー, C.V. ドーレン (著), 外山 滋比古, 槇 未知子 (翻訳) 『本を読む本』 2006年07月02日
 立花 隆 『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』 2006年07月16日
 加藤 周一 『読書術』 2006年07月23日
 ポール・R・シーリィ (著), 神田 昌典 (翻訳) 『あなたもいままでの10倍速く本が読める』 2006年1月15日

2009年11月10日 (火)

週末作家入門 まず「仕事」を書いてみよう

■ 書籍情報

週末作家入門 まず「仕事」を書いてみよう   【週末作家入門 まず「仕事」を書いてみよう】(#)

  廣川 州伸
  価格: ¥756 (税込)
  講談社(2005/10/19)

 本書は、「会社に勤めながらいろいろな『顔』を持つ時代」が来ているとして、「仕事」の体験のノウハウ、技術、知恵などを活用した「ビジネス書」づくりを勧めているものです。著者は、「あなたに『仕事』の経験があるならば、まずは『経済小説』を書いてみてください。経済活動に視点をすえて、事件や人間模様を描く『経済小説』なら、あなたのサラリーマン生活がそのまま題材として活用できますので、リアリティのある作品に仕上がります」と述べています。
 第1章「誰でも作家になれる」では、「ものづくり」の中でも、「ものを書くという行為は、誰でも子どものころから親しんで」いるものであり、「ものを書くという表現方法ならば、誰でも、最初からある程度のレベルには達しているもの」だと述べています。
 そして、「ビジネス書の場合、会社勤めをしている人は、書く素材、下地を、会社から給料をもらって得ているという、とても恵まれた立場」にあると述べ、「仕事をすることが、作家活動にプラスに働き、作家活動をしていることが、あなた自身の精神的な充実を生み、さわやかな笑顔となって、お客様へ幸せな気分を伝えるというような、プラスの循環ができれば、しめたもの」だと述べています。
 第2章「あなたの人生の棚卸し」では、「週末という大切な時間を有功にすごすためには、まずあなた自身が、『本当は何をしたいか』を、知ることが必要」であり、それが「人生の棚卸し」だと述べています。
 そして、人生の棚卸しの結果を、
(A)好きなこと
(B)嫌いなこと
と、
(A)得意なこと
(B)苦手なこと
の2つの軸によって4つの部分に振り分け、「AAゾーン」の「好きだし得意なこと」を思い出すことに棚卸しの主眼があるとしています。
 また、1週間のうち、平日の自由時間と土日の自由時間を加えると、「36時間26分」になるとして、1年間では「78日22時間32分」もの自由時間があり、平日に務めていて自由時間が少なくても、「1年を通して考えれば丸々2ヶ月間は自由時間が取れる」と述べています。
 第3章「ビジネス書をつくろう」では、優秀な編集者のアドバイスのツボは、
(1)徹底的に「わかりやすく書く」こと
(2)書く内容の「焦点を絞る」こと
(3)あなたらしい「独自の意見を際立たせる」こと
の「たった3点しか」ないと述べています。
 第4章「経済小説をつくろう」では、「経済小説で面白いのは、そこに『いろいろな人物の視点』が成立すること」だとして、「どの視点から現場を捉えるかで、それぞれまったく別の経済小説が成立」し、「経済小説では、『多様な視点が認められる』」と述べています。
 そして、評論家の佐高信氏が、読者にとっての「経済小説の効用」として、
(1)経済問題を、生きたまま捉えることができる
(2)登場人物と自分の生き方を比較することができる
(3)モデルを知って、実物を探求することができる
にまとめていることを紹介した上で、「経済小説のリアリティは、作者の原体験が大きく関係して」いるとして、「サラリーマンが経済小説の舞台にできるのは、現実的には『身近な仕事の現場』であり、モデルもサラリーマンが中心となる」と述べています。
 第5章「あなたの本を出版する」では、広告制作会社に勤めていた著者が始めて書いた本を、「この本が出れば、クライアントから、インターネットがらみで広告の受注が増えるはずです」と社長に報告したところ、「『二束のわらじ』だと思われると、他の社員にしめしがつかなくなる」という理由で、会社の名前は出さず、ペンネームにしてほしいと言われたことを語っています。
 そして、就業規則で「副業禁止」を謳っている場合でも、「『ものを書く』という行為は『基本的人権』として許される行為」であり、「二足のわらじを履いても罰せられるということはありません。正々堂々と、仕事をしながら『もの書き』という仕事をして印税を得る生活を送ってください」と述べています。
 本書は、多くのサラリーマンにものを書く生活の魅力を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 個人的にはビジネス書というのはビジネス研修の講師がヨタ話込みで自分のしゃべりネタをそのまま本にしたような緊張感のなさが苦手なのですが、もの書きを本業としていない人たちが、自分のビジネスで得た経験をきちんとした編集者付きで書いてくれたら結構面白いのではないかと思います。

2009年11月 9日 (月)

行政不況

■ 書籍情報

行政不況   【行政不況】(#)

  中森貴和
  価格: ¥680 (税込)
  宝島社(2008/3/8)

 本書は、昨今の法改正ラッシュとそれに伴う規制強化について、「法改正が関連業界の淘汰を招き、格差の拡大をさらに加速させ、個人消費の冷え込みに影響を与えている」として、「各種改正法が、互いに"負の連鎖"を引き起こし、企業活動に負荷をかけていること」などを指摘したものです。
 第1章「なぜ今、規制強化なのか?」では、一連の法改正の影響に関して、キーワードとして、
(1)消費者保護
(2)反社会的勢力の排除
の2つを挙げています。
 そして、改正建築基準法について、「一部の悪徳業者のために、すべての業者が死活問題にさらされるほどの規制には到底、納得できない」という中堅建設業者の「怨嗟の声」を紹介しています。
 また、改正貸金業法について、「劇薬」であり、「その副作用は大きい」にもかかわらず、消費者金融業界、及びその利用者に対して、「法改正に伴う明確なセーフティネットを、政府・金融当局はいまだに見出せていない」ことを指摘しています。
 著者は、「このところの監督官庁の各業界に対する締め付けは半端ではない」として、「まさに、改正法が相互に作用した"負の連鎖"であり、"法改正ショック"の波紋は拡がりこそすれ、治まる気配はない」として、「まさに行政不況と揶揄される所以である」と述べています。
 第2章「業界再編リセッション」では、「わが国の産業界では、ガリバー企業グループが次々と誕生している」として、「日本の経済は、一面においては『統制型経済』へと移行しつつある」ことを指摘したうえで、改正薬事法によって、「スーパーやコンビニなどでも大衆役の販売が解禁されて競争が激化すれば、更なる寡占化が進む」として、「地域小売専門業者の淘汰は避けられそうになり」と述べています。
 そして、「日本の構造的な不況の根本にあるのが、『オーバープレーヤー状態』」であり、「これまでのような構造を引きずっていては、経済の軟着陸(ソフトランディング)を望めないのは事実だ。オーバープレーヤー状態を放置し続けてきた、行政の責任は重い」と指摘しています。
 第3章「マフィア経済vs金融庁・警察」では、新たに登場した「ヘルスケア・リート」、通称「病院ファンド」について、「今後、部分的とはいえ、反社会勢力の大きな草刈場となる可能性がある」として、「病院経営が彼ら反社会的勢力の投資ターゲットになれば、病院の乗っ取り→転売あるいは資産の解体→病院の破綻」というさまざまな弊害が生じると述べ、「病院ファンドには、運用実態がベールに包まれるSPC(特別目的会社)を活用するところに、大きなリスクが潜んでいる」ことを指摘し、「急成長を遂げてきた不動産ファンドも、SPCを利用する形で私募不動産ファンドを運用してきたため、そこにはマネーロンダリングがらみの資金やアングラマネーが組み込まれてしまうケースがあった。部分的とはいえ、SPCを利用するファンドが、悪の温床になっているのである」と述べています。
 第4章「『失われた30年』の始まり」では、現在の「行政不況」と呼ばれる状況の「"下準備"をしたのは小泉政権だった」と述べたうえで、「表向きこそ規制緩和、構造改革が叫ばれてきたが、日本の実態は、官製国家に近づいているかのようだ」として、「日本が統制型経済(コントロールド・エコノミー)へと着実に向かっている気がしてならない」と指摘しています。
 本書は、行政によって引き起こされた不況の要因を分析した一冊です。


■ 個人的な視点から

 諺に「角を矯めて牛を殺す」というものが有りますが、そういうことが言いたいということでしょうか。決してグレーゾーンを推奨しているわけではないです。


■ どんな人にオススメ?

・規制強化の負の側面も気になる人。

2009年11月 8日 (日)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる

■ 書籍情報

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる   【ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる】(#)

  梅田 望夫
  価格: ¥798 (税込)
  筑摩書房(2006/2/7)

 本書は、「ネット世界の最先端で何が起きているのかに焦点を当て」、「IT関連コストの劇的な低下=『チープ革命』と技術革新により、ネット社会が地殻変動を起こし、リアル世界との関係にも大きな変化が生じている」ウェブ時代をどう生きるかを説いたものです。
 序章「ウェブ社会――本当の大変化はこれから始まる」では、日本では、「よくも悪くもネットをネットたらしめている『開放性』を著しく限定する形で、リアル社会に重きをおいた秩序を維持しようとする」として、この傾向が、「特に日本のエスタブリッシュメントそうに顕著」だと指摘しています。
 第1章「『革命』であることの真の意味」では、「次の10年への三大潮流」として、
(1)インターネット
(2)チープ革命
(3)オープンソース
の3点を挙げ、これらが相乗効果を起こし、「そのインパクトが有る閾値を超えた結果、リアル世界では絶対成立しえない」新しいルールである「三大法則」に基づき、ネット世界が発展を始めたとして、
(1)神の視点からの世界理解
(2)ネット上に作った人間の分身がカネを稼いでくれる新しい経済圏
(3)(≒無限大)×(≒ゼロ)=Something、あるいは、消えて失われていったはずの価値の集積
の3つの法則を挙げています。
 第2章「グーグル――知の世界を再編成する」では、グーグルが自らのミッションを、「世界中の情報を組織化(オーガナイズ)し、それをあまねく誰からでもアクセス出来るようにすること」だと紹介した上で、「グーグルを考える上で押さえておかなければならない基本」として、「ネットの『こちら側』と『あちら側』の違い」であり、「技術進化のパワーシフトとして、ネットの『こちら側』と『あちら側』へのパワーシフトが、これから確実に起きてくる」ことだと述べています。
 そして、グーグルが、ネットの「あちら側」に自分たちが作る「情報発電所」を、「コンピュータ・システムそのものを設計する」として「全部ゼロから自分たちで作ろう」としたことについて、「そもそもコンピュータ・メーカーというのは、このように『新しい考え方のコンピュータを設計して世に問う』会社」だとして、グーグルが、「PC産業交流の副作用として消滅した『本当のコンピュータ・メーカー』になろうとしたのだ」と述べています。
 第3章「ロングテールとWeb2.0」では、「いま大企業のシステムは、ネットの『こちら側』に作られる」のに対し、「ネットの『あちら側』では、ありとあらゆるリソースが自在に融合され始めている。それがWeb2.0の核心だ」と述べています。
 第4章「ブログと総表現社会」では、ブログが社会現象として注目されるようになった理由として、
(1)量が質に転化した
(2)ネット上のコンテンツの本質ともいうべき玉石混交問題を解決する糸口が、ITの成熟によってもたらされつつあるという予感
などの天を上げた上で、
「総表現社会=チープ革命×検索エンジン×自動秩序形成システム」
という方程式で、「ブログと総表現社会の今後を考えてみたい」としています。
 第5章「オープンソース現象とマス・コラボレーション」では、「リアル世界がかかわる『オープンソース現象』を真に大きなうねりとしてくためには、『既存の社会の仕組と軋轢』と戦い続けるという強い意志だけでなく、『コスト構造の壁』を乗り越えるための資金調達能力とマネジメント能力が不可欠となる」が、「コストゼロ空間」たるネット社会では、「誰かがやすやすとその難しさを超えてしまうことがある」として、「そんなとき『既存の社会の仕組との軋轢』は、必然的に大きくなる」と述べています。
 第6章「ウェブ進化は世代交代によって」では、「コンピュータの私有に感動した」ビル・ゲイツなどの世代と、「パソコンの向こうの無限性に感動した」世代との決定的違いとして、「ネットの『こちら側』と『あちら側』の違い」を挙げています。
 終章「脱エスタブリッシュメントへの旅立ち」では、2001年9月11日の同時多発テロの数カ月後に、著者が、「9月9月11日という日が自分の前半生と後半生を分ける分岐点となるに違いない」と予感したとして、「大きな環境変化が起きたときに、真っ先に自分が変化しなければ淘汰される」という「シリコンバレーの掟」に、「私は知らず知らずのうちに強く影響されていたのだろう」と述べています。
 そして、2002年7月に「Japanese Technology Professionals Association」(JTPA)を立ち上げた著者が、「日本という国は『いったん属した組織を一度もやめたことのない人達』ばかりの発想で支配されている国であるという再発見をした」と述べ、日本のネットベンチャーへの「はてな」への参画という「新しい洗濯」が、「私にとっての『脱・エスタブリッシュメント』への旅立ちの第一歩」となったと述べています。
 本書は、ネットの世界を切り口に、日本社会にちょっと切り込んだ一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、とりあえずはウェブ評論という位置づけの本として書かれてはいますが、一番説得力があるのは、ここに書いたほどに世界はすごいスピードで変化しているのに日本のエスタブリッシュメントはわかってねえ、俺は1970年代生まれ以降としか付き合わないぞ、ドントトラストオーバー40だ!、という決意が込められていることでしょうか。この本が売れたのは、世の中の人がウェブの世界に関心を持っているためだけではないと思います。


■ どんな人にオススメ?

・40代以上しか信じない人。


2009年11月 7日 (土)

「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか

■ 書籍情報

「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか   【「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか】(#)

  P.F. ドラッカー (著), Peter F. Drucker (原著), 上田 惇生 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  ダイヤモンド社(1997/05)

 本書は、「ブルジョア資本主義とマルクス社会主義が崩壊したあとの世界を描いたピーター・F・ドラッカーの処女作」の新訳です。
 著者は、新版への序文の中で、「本書が第二次大戦後の学界の流れに反していた」原因として、本書が「社会現象を社会の動きそのものとして扱った」ことを挙げています。
 第1章「反ファシズム陣営の幻想」では、「ファシズムの脅威に対する闘いが実を結んでいない原因」として、「われわれが何と戦っているかを知らないから」だとして、「この無知が原因となって、民主主義国の中に、ファシズムの過激さは一過性のものに過ぎないとの見方が生まれ、さらには、ファシズムそのものも永続しないとの錯覚が生まれている」と指摘しています。
 そして、ファシズムに特有の新しい症状として、
(1)ファシズムは、積極的な信条を持たず、もっぱら他の信条を攻撃し、排斥し、否定する。
(2)ファシズムは、ヨーロッパ四条初めて、すべての古い考え方を攻撃するだけでなく、政治と社会の基板としての権力を否定する。すなわち、その支配下にある個人の福祉の向上のための手段として政治権力や社会権力を正当化する必要を認めない。
(3)ファシズムへの参加は、積極的な信条に変わるものとしてファシズムの約束を信じるためではなく、まさにそれを信じないがゆえに行われる。
の3点を挙げています。
 著者は、「暗黒の絶望を知りつくした哲人の『背理ゆえに信ず』の叫びが、世紀を経た今日、再び聞こえてくる」として、「大衆の絶望こそ、ファシズムを理解するうえでの鍵である」と指摘しています。
 第2章「大衆の絶望」では、「ファシズムは、ヨーロッパの精神的、社会的秩序の崩壊によって生まれた。この秩序の崩壊にとどめを刺したのが、資本主義を葬り、新しい秩序をもたらすはずだったマルクス主義に対する信条の崩壊だった」と述べています。
 そして、「社会の基盤として『経済人』の概念が登場してきたことを明らかにしたものが、科学としての経済学の成立と興隆だった」とした上で、「一人ひとりの人間が位置づけと役割を持つ秩序が崩壊したことによって、当然、合理の秩序だったはずのこれまでの価値の秩序が無効になった。秩序の柱である自由と平等は、合理の社会において現実のものとされなければ、理解もされないし、意味も持たない」と述べています。
 第3章「魔物たちの再来」では、「資本主義と社会主義の崩壊」が、第一次世界大戦と大恐慌を通じて、「人間ひとりの実体験となった」として、「これら二つの破局が、既存の社会、信条、価値観を不変のものとして受け入れてきた日常を粉々にした。突然、社会の表層の下にある空洞をさらけ出した。ヨーロッパの大衆は初めて、社会が合理の力ではなく、目に見えない不合理の魔物によって支配されていることを知った」と述べています。
 そして、「自由と平等を実現できない経済発展には価値がない」という経済発展への拒絶反応が、「無制限に広がりつつある」として、「その代わりに、恐慌に対する安定、失業に対する安定、経済発展に対する安定など、安定が普遍かつ最高の目標となっている。経済発展が安定を脅かすのであれば、経済発展の方を捨てる」と述べ、「大衆は、世界に合理をもたらすことを約束してくれるのであれば、自由そのものを放棄してよいと覚悟するに至った」として、「自由が魔物の脅威を招くのであれば、自由の放棄によって絶望からの解放を求める」ことを指摘しています。
 著者は、「大衆がファシズムとナチズムに群がり、ムッソリーニとヒトラーに身を投じたのは、ファシズムが理性に反していたにもかからずでも、すべてを否定したにもかかわらずでもない。まさに、それらが理性に反し、伝統を否定していたからである」と述べています。
 第4章「キリスト教の失敗」では、「協会は、社会的領域においては、マルクス主義に似た役割しか果たすことができない。それは既存の秩序における鋭い批判者であるにとどまる」とした上で、「そのような役割でさえ、協会が社会的な力を発揮できるかどうかは、既存の秩序が存続しうるか否かにかかっている」と述べています。
 第5章「全体主義の奇跡――ドイツとイタリア」では、ドイツとイタリアにおいて「民主主義が崩壊した原因を見つけることこそ、緊要である」とした上で、「旧秩序の崩壊によってファシズムが現れるとの見方に従うならば、民主主義が生き延びるためには、それが自らの公約を果たすだけでなく、大衆の心に訴える力を持たなければならない」と述べています。
 そして、ドイツとイタリアにおいて、「民主主義の崩壊を招いた原因そのものは、両国だけに存在していたわけではないことが明らかである」が、「両国に特徴的だったことは、両国の民主主義の信条、制度、スローガンには、大衆の信条と知性のいずれにも訴えるだけの力がなかったということ」と述べています。
 第6章「ファシズムの脱経済社会」では、「産業社会の脱経済化は、ファシズムが目指す奇跡である。それは産業社会を脱経済化することによって、不平等たらざるを得ない産業社会の維持を可能にし、かつ妥当なものにしようとする」と述べ、「ファシズムは、資本主義と社会主義のいずれをも無効と断定し、それら二つの主義を超えて、経済的要因によらない社会の実現を追及する」としています。
 そして、「全体主義経済は、消費削減、すなわち生活水準の低下によって、資本財生産に必要な資金を生み出すことに成功している」と述べています。
 第7章「奇跡か蜃気楼か」では、「軍国主義による脱経済社会は、失業という名の魔物を退治することには成功した」が、「それは、現代社会のもう一匹の魔物たる戦争を合理的で意義あるもの、望ましいものとして位置づけられなければ意味を失う」として、「全体主義は、ブルジョア民主主義とマルクス社会主義が経済発展を自らの目的としたように、戦争を自らの目的として正当化することができなければならない」と述べています。
 そして「ファシズムは、自らの存在と存続を正当化するために、まさに恒久的に共産主義の陰謀を必要とする」と述べ、「ここにおいて、反ユダヤ主義は、いかなる説明も抜きにして、世界に合理を回復し、ナチズム社会を正当化するために有効な悪魔論となる」としたうえで、「人種的反ユダヤ主義の本当の原因は、当時のブルジョア階級をめぐる社会構造が、ユダヤ人を邪悪なブルジョア資本主義と自由主義の代表として捉えることを、必然とまでは行かなくとも、可能にしたことにある」と述べています。
 著者は、「『経済人』の社会が崩壊したあとに現れる新しい社会もまた、自由と平等を実現しようとすることになる」として、「宗教が社会の基盤でなくなったとき、初めて宗教上の自由と平等が実現された」野と同じように、「経済的な平等は、それが社会にとって最も重要なことではなくなり、新しい領域における自由と平等が新しい秩序のもたらす約束となったとき、初めて可能となる」と述べています。
 第8章「未来」では、「西ヨーロッパの民主主義諸国は、資本主義、社会主義、あるいは両者の折衷によって、全体主義を打ち破ることはできないことを認識すべきである。それを打ち破れるのは、自由と平等の社会についての非経済的な新しい概念の確立しかない」とした上で、西ヨーロッパの民主主義国にとって、「独ソ戦は起こってくれなければ困る」という考え方が出てきて、「『二匹の怪物に共喰させる』ことを夢み、ファシズムの身長を歓迎する気配をみせている」が、「現実には、独ソ戦が希望的観測以上のものだったことは一度もない。それどころか、現在の状況がつづくならば、西ヨーロッパ諸国に対抗するために、両国は同盟を結ぶと考えられる」と指摘してます。
 そして、「もし、次の戦争において全体主義が勝つならば、ヨーロッパは、その秩序が完全に崩壊した13世紀や16世紀に匹敵する暗黒と絶望の時代に入る。しかし、いつかは全体主義は崩壊し、その暗黒の中から、やがて自由と平等に基づく新しい秩序が現れる」と述べた上で、「やがて、ふたたび再生が行われる。今は社会から隠遁している者たちが、今度は『経済人』の枠を超えて、新しい非経済的な社会的実態を生み出し、自由をもたらすに違いない」と述べています。
 本書は、1930年代に次の世代のヨーロッパ社会のあり方を「予言」した一冊です。


■ 個人的な視点から

 今から70年以上も前の本ですが、こういう本を読むと、それまで歴史を「戦前(戦中)」と「戦後」のように区切って理解しがちだったことが、実に連続していることなんだと考えさせられます。


■ どんな人にオススメ?

・第二次世界大戦前は現代とは遠い過去だと思っている人。


■ 関連しそうな本

 P.F. ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳) 『断絶の時代―いま起こっていることの本質』 2009年10月13日
 P・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳) 『ポスト資本主義社会』 2009年8月13日
 ピーター・ドラッカー (著), 有賀 裕子 (翻訳) 『マネジメントIII 務め、責任、実践』 2009年8月 9日
 P.F.ドラッカー 『ドラッカー わが軌跡』 2009年7月22日
 P.F.ドラッカー (著), 上田 淳生 (翻訳) 『イノベーションと企業家精神』 2009年6月29日
 P.F. ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳) 『明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命』 2009年8月16日

2009年11月 6日 (金)

いじわるな遺伝子―SEX、お金、食べ物の誘惑に勝てないわけ

■ 書籍情報

いじわるな遺伝子―SEX、お金、食べ物の誘惑に勝てないわけ   【いじわるな遺伝子―SEX、お金、食べ物の誘惑に勝てないわけ】(#)

  テリー バーナム, ジェイ フェラン (著), 森内 薫 (翻訳)
  価格: ¥1680 (税込)
  日本放送出版協会(2002/01)

 本書は、「私たちの脳は、良くも悪くも、従順なしもべではない」という認識の上で、
・なぜ、自分の行動を自分でコントロールするために闘わなくてはいけないのだろう?
・なぜ、この闘いに勝つのはこんなに困難なのだろう?
と問いかけたものです。 著者は本書を、「現代のダーウィン革命を、よりよい人生のために実用できるようにした最初の本」だとしています。
 第1章「お金」では、「冷蔵庫や銀行のない世界において、『もしものときに備える』とはすなわち、たっぷり食べて体内に脂肪を貯蓄することなのだ」として、そこにある「憎むべき贅肉」は、「進化という視点から見れば、それはたっぷりと残高のある(そしておそらくこの先も増え続ける)『貯蓄預金』だ」としています。
 そして、「進化は、人間を取り巻く多くの問題に対してすばらしい解決方法を生み出してきた」が、「私たちの金銭管理能力には、このような本能的な防衛機能はない」と述べています。
 第2章「脂肪」では、「倹約遺伝子」が、「今なお人間の行動を操っている」として、「先祖の生きた不安定な時代の遺物であるこの遺伝子は、人間をとりまく環境が変化したことなど知らぬげに今も機能している」と述べています。
 そして、「進化は倹約家を好み、つまらないことにエネルギーを浪費する生物には、冷たく厳しい視線を投げかける」として、「私たちは、肉体的活動を"節約する"人間の子孫であり、エネルギーを節約する遺伝子を彼らから受け継いでいるのだ」と述べています。
 第3章「ドラッグ」では、「快感を引き起こす薬物を摂取すると、人間の脳は、正しい手順で放出された神経伝達物質が脳内にあふれているかのように錯覚してしまう」としたうえで、「アルコールは少なくとも4種類のレセプター分子を手玉に取る、腕利きの偽装者だ」として、
(1)ニューロンを"リラックス"させ、体の機能をスローダウンさせる
(2)快楽のブザーを鳴らす
(3)痛みをブロックする
(4)少なくともアルコールが体内にある限り、気分を明るくさせる
の4点を挙げています。
 第4章「リスク」では、「賭け事に対するこの世界共通の愛は、危険を冒すことで快楽を得るという人間の一般的な傾向をほんの一部あらわしているに過ぎない」としたうえで、「危険な行為が興奮をもたらすのは、『危険を冒せ』と人間をおだてあげようとする遺伝子の仕業だ」と述べ、「危険な行動は、ドーパミンの報酬システムを刺激する」が、「人によってはこのシステムに生まれつき不全があり、危険を冒したことで得られるはずの快楽信号が弱められてしまう」として、こうした人々こそが、「ドーパミン・ハイを求めて極端な行為に走る」リスク・フリークたちだとしています。
 第6章「性」では、「女性が1回の妊娠のために投資するカロリーはぜんぶで8万キロカロリーと推定されている」として、マクドナルドのハンバーガー300個分よりも多く、1300キロメートルを走破するのに必要なエネルギー量であるのに対し、男性の側の投資は「うっかりすればスーパーボウルのコマーシャルの時間ほどもかからないし、5ミリリットル強の液体を伴うだけだ」と述べています。
 第7章「美しさ」では、「人間は世界を通じて美しい肌を好む」のは、「寄生虫の感染や病気、そして他の疾患は皮膚の表面に現れることがある」ため、「人間は美しい肌によって自分の健康を宣伝するのだ」と述べるとともに、「左右対称性はまた、自然界にほぼ共通の媚薬でもある」と述べています。
 また、「自分とは遺伝的にかけ離れた相手をパートナーとして求める欲望は、単にきょうだいを回避するだけにとどまらない」として、「人間は自分とちがう免疫システムの印を持つ相手にもっとも強く惹かれる」という研究結果を挙げ、「いちばん相違が大きいのは、地球規模で出身地の異なる相手同士だ」と述べています。
 そして、「全ての動物は、自分の遺伝子を首尾よく子供に受け継がせることを目指し、そのために役に立つ相手と交尾しようとする」として、「人間の女性は高い地位を持つ男性の力にあやかることで、自分の利益を追求しようとする」と述べています。
 第8章「浮気」では、「自分のパートナーがだれかと性交をするという考えに男性は女性以上に動揺」するのに対し、女性は男性に比べ、「パートナーがほかのだれかと深い心のつながりを築いている」ことに「より脅威を感じていた」と述べています。
 そして、「男性の浮気に遺伝子が影響していることは明白か強く知られており、『男は犬だ』の一言に要約できる」として、「男性の繁殖にまつわる生産高は、配偶者以外に性交渉の相手を持つほど向上する」と述べ、その一方、夫の浮気によって、「妻が自身の"生殖"という面で被害を受ける」ことはないが、「夫がだれか別の女性と深い心の絆を結ぶ方が妻にとってはより以上の脅威のはずだ」と述べています。
 また、「女性には、ふたつの種類の浮気をする傾向がある」として、
(1)子に与える遺伝子の質を向上させるための浮気
(2)自分により尽くしてくれる相手を得るための浮気
の2点を挙げています。
 さらに、「オスがパートナーをガードするのは、そして『ガードしなくては』という嫉妬心を感じるのは、その根本に不確実さと不安定さがあるからだ」と述べています。
 第9章「家族」では、「遺伝子は家族の協力関係を築く際にたしかに中心的役割を果たす」が、「遺伝子の利益にわずかでも相違があるとき、争いが起こるのは避けられない」と述べています。
 第10章「友と敵」では、「人間には長きにわたる集団同士の争いの歴史」があり、「すぐ目に付く表面的な相違を確かに持っている」が、「表面的な相違をはいでしまえば、人間はお互いのクローンも同然だ」として、「人種というのは私たちの想像が作り出したものではなく、私たちの知覚が主としてでっちあげたものなのだ」と述べています。
 まとめ「消えない欲望」では、「時代遅れの遺伝子はしばしば私たちをつまずかせる」として、「人々が抱える問題の多くは単に、本来良いことを過剰に求めすぎた(そして過剰に得すぎた)結果だ」と述べた上で、「遙か昔から受け継がれた利己的で意地悪な遺伝子は、日々の生活のあらゆる面に影響を与える」が、「その影響を予測するのは可能」であり、「自己認識プラス自制によって、遺伝子との闘いに勝利する策を生み出すことはできる。そして闘いの勝利は満ち足りた、道徳的な人生へとつながっていくのだ」と述べています。
 本書は、人間の行動が遺伝子によって左右される部分が多いことを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 遺伝子ものはポピュラーサイエンスの定番というか相当な数が出ていて、それほどそれぞれにオリジナリティがあるわけではないような気もしますが、どれもそれなりに面白いような気もします。


■ どんな人にオススメ?

・自分のことは自分で決めていると思いたい人。


■ 関連しそうな本

 ピーター フォーブズ (著), 吉田 三知世 (翻訳) 『ヤモリの指―生きもののスゴい能力から生まれたテクノロジー』 2009年5月17日
 リチャード・ドーキンス (著), 日高 敏隆, 岸 由二, 羽田 節子, 垂水 雄二 (翻訳) 『利己的な遺伝子』 2006年09月26日
 スティーヴン・ジェイ グールド 『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語』 2007年03月03日
 アンドリュー・パーカー (著), 渡辺 政隆, 今西 康子 (翻訳) 『眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く』 2007年08月18日
 シャロン・モアレム, ジョナサン・プリンス (著), 矢野 真千子 (翻訳) 『迷惑な進化―病気の遺伝子はどこから来たのか』 2008年07月21日
 ランドルフ・M. ネシー, ジョージ・C. ウィリアムズ (著), 長谷川 真理子, 青木 千里, 長谷川 寿一 (翻訳) 『病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解』 2009年01月29日


2009年11月 5日 (木)

思想検事

■ 書籍情報

思想検事   【思想検事】(#)

  荻野 富士夫
  価格: ¥693 (税込)
  岩波書店(2000/09)

 本書は、戦前の日本の抑圧統制機能について、「人的規模でははるかに特高警察に見劣りしながらも」、「治安体制のもう一方の機軸たりえた」とする「思想検察」について、司法省・裁判所が、治安維持法をはじめとする治安緒法令を運用して、「思想司法」と呼ぶべき機能を創出したとして、その運用の実質的になったのが「思想検察」であり、「思想検事」であると述べたうえで、「思想検察=思想検事の創出・展開の過程をたどり、戦前治安体制の構造と特質」を考えたものです。
 第1章「『思想司法』という発想では、1920年代の共産党などの動きに関して、「司法省には、国内治安の悪化への憂慮のほか、日本の共産主義運動が国際的な連携の中で展開されることへの強い警戒があった」と述べています。
 第2章「弾圧と『転向』の体系」では、1928年7月に誕生した思想検事が、同年の共産党幹部の中間検挙や翌年の四・一六事件など、「膨大な司法処理の実践を通じて次第に体制を整え、治安維持法を中心とする治安緒法令の運用に習熟していった」と述べ、「その推進力となったのは、東京・大阪の地裁検事局の思想部であった」としています。
 そして、思想検察が、1928年6月の改正で導入された「目的遂行罪」について、「特高警察と協力しつつ、この目的遂行罪を徹底的に利用した」として、「目的遂行罪は、思想検察にとってまさに打ち出の小槌であったが、それゆえにというべきか、ほかならぬ司法省自身がそのゆきすぎをたしなめるほどであった」と述べています。
 また、「特高警察が『近視眼的取締』に追いまくられるのに比べると、後発組ながら、思想検察には時間をかけた司法処分を通して、思想犯罪全般の銅製を観察する余地があった」として、思想検察が、「転向」方策という「みずからが主導権を握れる領域を発見・開拓しようとしていた」と述べています。
 第3章「検察主導の『思想戦』」では、1930年代、為政者にとっては、「人々の戦争への協力と参加を引き出す動員の要素が大きな意味を持ってきた」として、「思想検察の果たすべき役割も、社会運動の抑圧取り締まりにとどまらず、社会それ自体の監視と統制・動員が大きな課題となった」と述べた上で、思想犯保護観察法の成立に関して、「『保護観察』処分となると、施設に収監されはしないものの、思想チェックのためとして、定期的に保護司からの呼び出しを受けなければならず」、「旅行や転居の自由も制限された」と述べています。
 第4章「『思想国防』態勢の構築」では、1941年3月の治安維持法の大改正に関して、「新治安維持法で特に重要なのは、罪刑法定主義の原則をくずした『予防拘禁』制の導入」であると指摘し、その性格は「改善的機能よりも保安的機能、換言すれば社会防衛的機能を重視するもの」だとしています。
 第5章「公安検察への道」では、GHQの「人権指令」について、「事実上、八・一五以上の衝撃を持った」として、「当局者は、その骨抜きと緩和を画策しつつ、大勢としては遂行せざるを得なかった」と述べています。
 さらに、46年1月の「公職追放」覚書について、「司法省で言えば、追放の範囲を思想課長などの経験者以上に限定し、事務官クラスは除外された」ため、「実務を担った中堅層は温存された」と述べています。
 本書は、戦前の治安体制の一翼を担った思想検察とその現在へと至る継続性を指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 戦前の思想統制に対する批判は強いのですが、その体制は戦後も脈々と受け継がれているとしたらショックを受ける人は多いのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・戦前の思想統制は過去のものだと思っている人。

2009年11月 4日 (水)

公務員入門―「不況の時はやっぱり公務員」のウソ・ホント

■ 書籍情報

公務員入門―「不況の時はやっぱり公務員」のウソ・ホント   【公務員入門―「不況の時はやっぱり公務員」のウソ・ホント】(#)

  山本 直治
  価格: ¥1500 (税込)
  ダイヤモンド社(2009/5/29)

 本書は、「不況時はやっぱり公務員だよね」という言葉に関して、「一見うらやましいことこの上ないように見える公務員の生活が、蓋を開けてみたら実はおぞましいものであった、ということもあるかもしれない」と言う問題意識から、「世にいう公務員の恵まれた環境や仕事の実態のほか、職業としての向き・不向きなどについて、公務員から民間企業への転職経験を持つ」著者が解説したものです。
 第1章「『公務員』とひとくくりでいっても……――最初に知っておくべきこと」では、「公務員と言うのは大きなカテゴリーの中に、スポーツや芸の世界と同じようにさまざまな『種目』があり、それぞれのなり方も、仕事内容も、待遇もかなり違う」ことを指摘しています。
 そして、「自分が望むキャリアパス」を選ぶ方法として、「公務員人生のスタート地点、いわば本籍地をどこにするかを決めること」を挙げ、「公務員という職業を選択し勤務を続けていくに当たり、自分のキャリア(職務経歴)の構築について主導権を発揮できる最大かつ唯一の機会が、本籍地の選択」だと述べています。
 第2章「公務員の待遇は恵まれているのか?――収入面を検証する」では、一般的に公務員をうらやむ場合、
(1)給与や福利厚生がいい
(2)仕事が楽
(3)安定している(クビにならない)
の3つが「ゴールデントライアングルを形成している」としたうえで、「一流~中堅大学を卒業して国家I種・II種に合格して霞ヶ関の本省に勤める人たちは、民間企業への就職活動をしていれば大手企業に就職できるチャンスがあった人たち」
だとして、「下手に公務員になるより一流企業に飛び込んでいれば、短期~中期的な所得は多くなる可能性がある」と述べています。
 また、公務員の出世の仕組みについて、自治体では昇任試験を設けているところがあるとしたうえで、「激戦区(大変な部署)に投入され続ける仕事能力の高い人ほど勉強時間がとれず、試験を受けられない(あるいは受からない)という皮肉な事態」が起き、「逆に、仕事ではキレがない人ほどしこしこと勉強して先に受かって出世してしまう(有能でない上司の出現)という矛盾」が生じるという指摘を紹介しています。
 また、「残業代を含めた総収入で生活設計してる」ために、周囲の仕事を手伝ったところ、「仕事が早く終わっては困る」と怒られてしまうという某県庁の例を紹介しています。
 第3章「公務員は楽で安定しているのか?――仕事と身分保障について」では、公務員の仕事のスタイルを拘束時間の点から、
(1)Aタイプ(時間依存型):一定の拘束時間の最中、あらかじめ決められた作業に従事することを求められるスタイルの仕事
(2)Bタイプ(目的指向型):調査・資料作成など、その場その場の必要に応じて特定の作業をするスタイルの仕事
の2点に大別したうえで、公務員の仕事が楽かどうかを決める要素として、「目の前の仕事をまじめにやるか、そうでないか」を挙げ、「役所の仕事は、仕事をする人・優秀な人に偏っていく傾向」があると述べています。
 第4章「公務員になってこんなはずではなかった?――知っておくべき公務員のリスク」では、公務員という職業を選ぶことにより生じるリスクについて、
(1)職業選択上のギャップに起因するもの
(2)前提条件・外部環境の変化に起因するもの
(3)現状の役所仕事に内在するもの
の3つに大別し、原因別にリスクを解説しています。
 第5章「心身の健康を脅かす"お役所仕事"のリスク――現状では避けがたい問題」では、前章の(3)のリスクについて、
・人事異動・配属をめぐる諸問題
・役所特有のムードがストレスになること
・人間関係の継続性(閉塞感)
等の点を挙げています。
 本書は、役所と民間の両方を経験した著者が、公務員の仕事の一面を紹介した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の中で一番の山場といえるのは、役所の仕事自体に内在するリスクをきちんと峻別したことでしょうか。著者自身が役所を辞めた動機そのものなのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・公務員の仕事の実態を知りたい人。


2009年11月 3日 (火)

科学史から消された女性たち

■ 書籍情報

科学史から消された女性たち   【科学史から消された女性たち】(#)

  大江秀房
  価格: ¥ (税込)
  講談社(2005/12)

 本書は、「女性の社会的評価基準のひとつとしてノーベル賞をとりあげ、まずノーベル賞の歴史において女性がどのような扱いを受けてきたのかを明らかに」し、「代表的な7名の女性科学者について、それぞれが生きた時代の社会通念の中で、女性の家庭教育や学校教育がどのような制約を受けていたか、そして彼女らはそれとどう戦いながら自分の道を切り開き、特に新しい学問分野ですぐれた業績をあげたのか、を具体的に描き出した」ものです。
 序章「ノーベル賞から見えてくる女性の地位」では、「才能からいえばノーベル賞に値すると思われるのに、実際は手にできなかった人物がいる」として、X線結晶学のロザリンド・フランクリンと核物理学者リーゼ・マイトナーの2人の名を上げています。
 第1章「二重らせん構造を決定づけたロザリンド・フランクリン」では、今日もなお彼女のことが口の端に上るのは、「彼女が単にノーベル賞を逃したためではない」、共同研究者であったジェームス・ワトソンが出版した『The Double Helix』において、「科学史上きわめて重要な発見がなされた過程を、当事者のひとりであるノーベル賞受賞者が、分かりやすく、臨場感を持って描いた迫力に富む物語」が描かれたことを挙げています。
 第2章「抽象代数を確立したエミー・ネーター」では、「エミーの得意とする不変式論は、相対性理論と密接に関係していた」として、彼女の提示した「ネーター定理」から、「ある現象をちがった場所にいる観測者あるいは速さも方向も異なる動きをしている観測者が見るとき、その現象が違って見えるかどうか」という相対論にとって、「本質的な結果が誘導された」と述べています。
 そして、1933年に、ユダヤ人であったエミーが、「ナチの迫害にあい、大学から追放されてしまう」という悲劇が起きたと述べています。
 第3章「放射原子の班跳現象をはじめて観察したハリエット・ブルックス」では、「放射能の分野ではカナダ人で最初の研究者」であるハリエット・ブルックスについて、「ノーベル賞に輝いた一流の研究者たちとの共同作業に彩られ、放射能現象の初期の研究としてはきわめて重要な位置を占めている」にもかかわらず、「ほとんど注目されていない」うえ、「科学史から抹殺されようとさえしている」と述べています。
 そして、一般的に言えることとして、「これまでの科学史がヒーローあるいはヒロインの展望のみで語られてきた」と述べ、結果として、「無名の人から名声を吸い上げ、有名な人の名声をますます高くする」という「噴水のような効果」が、「男性女性に関わりなくおこなわれてきた」と述べています。
 第4章「核分裂の解明に尽くしたリーゼ・マイトナー」では、「ノーベル賞受賞の栄誉に預かることのできなかった女性科学者の中で最もよく知られる」のが、リーゼ・マイトナーではないかとしたうえで、「ユダヤ系という事実」が、「エリーゼ自身の人生を大きく変え、彼女を破滅寸前まで追い詰めること」になったと述べています。
 第5章「パリティは保存されないことを確かめたチェン-シュン・ウー」では、ニューヨークのクラーレモント街に、ひっそりと暮らしていた年老いた中国人女性が、「かつて物理学の研究者として名をはせたこと、また数々の学術賞を授与され、ハーバードやプリンストンをはじめとする一流大学から名誉博士号を受けたことを、誰ひとり知らない」と述べた上で、彼女が、「科学の世界における女性の地位の問題が解決されない」理由について、「どんなに女性に対して偏見がないといわれている人でも、本音のところでは、女性が科学・技術に対して能力がないという誤った考えを信じているのです」と語ったことを紹介しています。
 本書は、科学者という世界を舞台に女性がどう生き、どう苦しんできたかを描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、同名タイトルの本をはじめ、相当な著作物からの"盗作"が発見されて絶版となったようです。まあ。


■ どんな人にオススメ?

・科学における女性の貢献を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 ロンダ・シービンガー, 小川 眞里子, 藤岡 伸子, 家田 貴子 『学史から消された女性たち―アカデミー下の知と創造性』

2009年11月 2日 (月)

消えゆく日本―ワタシの見た下町の心と技

■ 書籍情報

消えゆく日本―ワタシの見た下町の心と技   【消えゆく日本―ワタシの見た下町の心と技】(#)

  桐谷 エリザベス (著), 桐谷 逸夫 (翻訳)
  価格: ¥1890 (税込)
  丸善(1997/05)

 本書は、庶民の生活の中から生まれた日本の伝統文化について、「多くの日本の伝統文化が極めて危うい基盤の上にかろうじて存続している現実」を伝えているものです。
 著者は、「壊し、そしてまた建て直し」を繰り返す日本について、「よく考えてみると、何も変わってはいないのです。活動することが大好きで、ものが変わっていくことが、そして新発売や新しいものが大好きなこの日本人の心は、少なくとも江戸時代にまで遡ることができ」、「この国の一つの伝統」なのだと述べています。
 第1章「街頭の商売」では、飴職人が作ろうとしないものとして、カエルを挙げ、「雨は、飴の仕事にはよくないからね」という言葉を紹介しています。
 第2章「日本家屋」では、「長屋にははっきりした社会的な役割があって、それは今日まで続いています」としt、え同じ長屋に住むいくつかの家族が、「お互いのつながりや協力関係において一つの家族のようになりました」と述べたうえで、「長屋住まいの関係は、長続きのする親密なもの」だとして、「長屋のライフスタイルは、せかせかした現代生活のストレスとプレッシャーの完璧な解決方法」だと述べています。
 第3章「職人芸」では、千社札について、「日本独特の落書きの一種」であり、「スプレー絵の具を使ったり汚らしくしたりしないで自分の名前やマークを残す、気のきいたやり方」だとした上で、「千社札に熱中している人たちは、もっとも変わった難しい場所に自分たちの名前のはいった札を貼って、どうやってあんな所に張ったのだろうと不思議がらせる」都述べています。
 そして、「考えられないような高いところに千社札を張るための秘密は、伸び縮みできる『振り出し竿』」だとして、竿の先端の「夫婦刷毛」によって、自分の望む場所に千社札を貼ることができることを解説しています。
 また、「交換納札」に関して、「日本の歴史を通じてわかることですが、庶民たちには何かに凝ってこれを見せびらかしたいという傾向」があると述べています。
 第5章「季節の味わい」では、風鈴や蝉の声、下駄の音などを挙げ、「日本の耐え難い蒸し暑さのおかげで、人々はひどい不快感から気をそらすために、天才的な方法を見つけだして」きたが、エアコンが市場に出回ることによって、「多くの夏の伝統が急に消えていくように」なったと述べています。
 第6章「日常生活」では、銭湯に関して、明治18年に男女混浴が廃止され、男湯と女湯が分けられるようになったことに、「アメリカの宣教師の果たした役割が大きかった」と述べています。
 本書は、消えつつある日本の姿を伝える一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書が執筆されたのは、もう20年以上も前のバブル直前か最初の頃くらいの話のようですので、まさに「消えゆく」進行形の話だったのでしょう。


■ どんな人にオススメ?

・東京に残っていた江戸の残り香を嗅ぎたい人。

2009年11月 1日 (日)

日本の予算を読む

■ 書籍情報

日本の予算を読む   【日本の予算を読む】(#)

  新藤 宗幸
  価格: ¥693 (税込)
  筑摩書房(1995/11)

 本書は、「予算が、歳入と歳出に加えた政府金融の複雑かつ快気とすらいえる、政治と技術の交錯であることを基本として、予算の実像に迫ってみようとするもの」です。
 第1章「予算の構造と編成」では、「予算のフレームの決定は、単に予算の『ぶんどり合戦』の序盤戦ではない。それが権威をもたないならば、予算編成の焦点は、密室の『秘術』ともいうべき『やりくり算段』に集中する」と述べています。
 そして、予算編成のクライマックスを、「大蔵原案の内示後の復活折衝の過程である」として、復活折衝の過程と同時進行する「全国から動員された利益集団の圧力活動」について解説しています。
 また、特別会計の活用について、「『表のポケット』と『裏のポケット』の巧みな組み合わせこそ、予算編成の隠された真髄であるかもしれない」として、アメリカの予算論の第一人者であるA・シックが唱えた「多元的ポケット予算」について紹介しています。
 第2章「予算と政策実施」では、「補助金が一種の『打ち出の小槌』のように、支出額の2倍・3倍の事業を生み出す」としたうえで、補助金を受ける団体の側の自己資金が「用意されていない方が普通」だとして、「ここに、補助金と財政投融資が結びつく理由がある」、「自治体の自己負担分の一部は、各種の地方債によって面倒見がおこなわれている」ことに加え、「政府金融機関による融資もおこなわれている」と述べています。
 そして、「予算が、細分化された補助金を中核的手段として、中央―自治体にわたって実行されるとき、資源配分の効率性を損なう事態が生じている」ことを指摘しています。
 また、各省庁の傘下にある特殊法人、そのもとの認可法人、入札融資各業者について、「たんに官僚OBの『天下り』先ではなく、予算の実行過程に構造的に組み込まれている」ことを指摘しています。
 第3章「予算政策のどこが問題なのか」では、事業別予算シェアが固定された公共事業予算の構造について、「自民党長期政権時代に事業分野ごとに族議員集団が作られ、そのような集団が予算の獲得にあたって絶大な影響力をふるい、同時にそれを通じて、地元からは表を業界団体からは政治資金を、得てきたためであると言われる」と述べています。
 また、「深刻な高齢化の進行は、国民所得に占める租税・社会保障費負担の増加を避けて通ることはできまい。だからこそ、特定政策分野に視野を限定した『粗雑』な費用負担制度を、構想してはならない」と述べています。
 終章「どのように改革すればよいのか」では、「予算の編成や実行の細部に入り込むほど、手続きの複雑さの陰で既得利益を追求する官僚制や政治家の姿が明らかになり、うんざりさせられる」とした上で、「私たちも、戦後50年あるいはそれ以前から培ってきた政治・経済体制へのかかわりを、根底から見直すことを問われていよう」として、「世界経済システムを見渡した国際的な制度間調整に向けた政治・経済体制の改革が、問われている」と述べています。
 本書は、20世紀後半の日本の予算の仕組みを解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 さすがに15年近く前の話なので古臭い面もあるのですが、予算をめぐる権益という構造自体は相変わらずというか事業仕分けで踏み込まれているとおりです。


■ どんな人にオススメ?

・予算の作られ方を知りたい人。

« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »

2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

無料ブログはココログ