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2010年1月28日 (木)

トキワ荘の時代―寺田ヒロオのまんが道

■ 書籍情報

トキワ荘の時代―寺田ヒロオのまんが道   【トキワ荘の時代―寺田ヒロオのまんが道】(#1834)

  梶井 純
  価格: ¥1,223 (税込)
  筑摩書房(1993/07)

 本書は、『スポーツマン金太郎』などの作品で知られ、「第一級の人気があるマンガ家」から、「『みずからの意思』で消えていったように見えた」マンガ家寺田ヒロオの評伝です。著者は、「そういうかたちで後退していったマンガ家は、戦後マンガ史の中では寺田ヒロオ以外にはいない」とした上で、「なぜ、寺田ヒロオはそういう選択をしたのだろう」かが本書のテーマだとしています。
 第2章「マンガ家への夢」では、トキワ荘アパートが、「木造モルタル2階建て、炊事・トイレは共同・押入付きの四畳半一間、全22室という当時のアパートとして最も類型的な外観と構造を持った建物である」と述べています。
 また、手塚治虫を訪ねてきた初対面の安孫子素雄を、手塚の「すぐもどるから、一晩泊めてやってくれ」という言葉で結局一週間泊めてやったことについて、「初対面の人間を、一週間泊める方も泊める方だが、泊まっていく方も泊まっていく方だという常識的な世知を、いとも簡単に飛び越えてしまう彼らの人間関係は快い」と述べた上で、「安孫子素雄との一週間にわたる同居生活は、上京後に友人らしい友人のなかった寺田ヒロオにも印象的だったらしい」と述べ、寺だが、「あとのきかれと会わなかったら、僕は自分から友達を作れる性質じゃないですから、孤独なままのマンガ家で終わっただろうと思います」と語っていることを紹介しています。
 第3章「トキワ荘の日々」では、トキワ荘のマンガ家たちが、「仲間たちの部屋に群れて話し合う時間」を、異口同音に楽しかったと語ることについて、「そこにはいつも『テラさん』がいる。寺田ヒロオは常に大人びたまなざしで仲間たちを見守る存在として記憶されている。寺田への信頼感は、無限にやさしい家父長に対するもののように、ほとんど絶対的なものであったようだ」と述べています。
 第4章「マンガブームの時代」では、1956年に連載が始まった寺田ヒロオの『背番号0』が、「かれが初めて描いた野球漫画であると同時に、かれの最初の本格的なストーリーマンガでもあった」と述べ、後に、「野球や柔道漫画の名作を生み出す本物のマンガ家が、このときから指導した。野球をめぐるドラマティックな道具立てなら、身にしみてわかっている世界だった。寺田ヒロオの進むべき道が見えたように思われた」と述べて、「野球は、たしかに人生のようにおもしろいのだ。寺田ヒロオも、それを知っていたはずだった」としています。
 第5章「貸本劇画という『異人』たち」では、「現在、マンガ家の中で最も口数の少ない人物の一人と思われているに違いない」つげ義春の口から、寺田が「無口で、内向的」と評されていることについて、「考えるだけでほほえましい」と述べています。
 第6章「少年週刊誌全盛のなかで」では、「1956年(昭和31年)~57年になると寺田の仕事は順調に増えていくように見えた」として、「多忙な日々が続いていた」と述べた上で、トキワ荘の仲間たちとの集まりでは、「もっぱら聞き役に徹していた、というよりたえず微笑を浮かべて皆の話に敬意を払っていた」と述べ、寺田の結婚式での様子を安孫子素雄が8ミリカメラをぶら下げているスケッチを残していることについて、「ほかならぬ正装の花婿のテラさんが、その立場も入に介さずに参会者たちを撮ってあげたいと思っているらしいことへの、安孫子の微苦笑が表れていた」と述べています。
 そして、寺田がもっとも嫌ったものとして、マンガ雑誌の「人気投票」を挙げ、「寺田ヒロオにとっては、月刊誌体制の下でも過酷だったスケジュールは、週刊誌体制になってから限界を超えるものと感じられた」と述べ、「もっとも多忙だった時代には、週刊・月刊の連載だけで11本に及び、3時間眠れる日はいい方だったというから、たった一人での『闘い』のすさまじさが想像できる」としています。
 そして、『暗闇五段』の連載を最後に、週刊誌の連載から足を洗い、学年誌を仕事の中心に指定ったと述べ、当時、「マンガ作品には『スピード』と『スリル』がいっそう加速され、かつ過激に様式化されていった。寺田のいう『描きたい物』はもはやどこの場所にもなかったともいえる。カッコつきにちがいないけれども、そうしたはなばなしいマンガメディアの『隆盛』のなかで、寺田ヒロオは実質的な現役マンガ家としての生命を終えた」と述べています。
 本書は、マンガが急激に変化する時代の、一人の人気マンガ家の生き方を描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 まんが道が好きな人ならテラさんが嫌いだという人はいないんじゃないかと思いますが、人気がありすぎるが故に辞めることもできたのかも知れません。
 そういえば鳥山明は今何をしているのか?
 それから誰か森安なおや氏の評伝を書いてくれる人はいないものか。読んでみたいです。


■ どんな人にオススメ?

・トキワ荘の大事な登場人物の人物像を知りたい人。

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