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2010年1月30日 (土)

手塚治虫の冒険―戦後マンガの神々

■ 書籍情報

手塚治虫の冒険―戦後マンガの神々   【手塚治虫の冒険―戦後マンガの神々】(#1836)

  夏目 房之介
  価格: ¥690 (税込)
  小学館(1998/06)

 本書は、「手塚治虫はどこにいる」を出発点に、「他の重要な作家たちとの比較、さらに手塚がマンガシーンで先端的な作家でなくなった'70年代以降までを視野に入れ」た、戦後漫画表現史です。
 第1講「手塚治虫の線とコマ」では、
「現在マンガについて発言している人たちは、マンガがどう描かれているか、どんなコマで、どんな絵で描かれているか、そういうことを踏まえないと漫画の面白さを語ることにはならない」と考えているが、「昔はそうじゃなかった」と述べています。
 そして、「手塚以前の子どもマンガってのは、大人の作家が子どもの読者にわかりやすく面白く説いてあげるという発想のもの」だったが、「手塚もそういう発想を大切にしてたけども、一方で自分がやりたい高度なことをやっちゃってる」と述べています。
 第2講「初期手塚マンガの達成」では、「手塚が初期作品群によって実現した<物語>という大きな概念こそが、戦後マンガを革命したものであった」として、「概念の玉葱状態」という物語の構造を指摘しています。
 そして、手塚が、「マンガ的な絵とコマの展開の革新をまずやって、そのことで映画の手法の映像効果を模倣した」として、「『来るべき世界』は手塚が戦前から夢想し、敗戦後目指した新しいマンガを、たぶんほぼ完全に実現できた作品」だと述べています。
 第3講「様々な実験」では、「モダンなハイカラな異文化の象徴が宝塚で、手塚はそのまっただ中で育った」と述べています。
 そして、「敗戦時16歳で、『ジャングル大帝』、『来るべき世界』という高度な物語を成し遂げたのが22歳頃。『罪と罰』25歳」として、「その青年期に、戦後マンガの基礎的な工事を終えている」と述べています。
 第4講「手塚マンガのライバルたち」では、「手塚マンガの青年性から、たとえば劇画というものも生まれてきた」として、「手塚治虫の手法を極端に拡張することで劇画は出てきたっていってもいいくらい」だと述べ、「手塚マンガの新しい様式があって、それで初めて非手塚的な戦後マンガも可能だった」としています。
 そして、「人間は人間のリアリティをもって、動物は動物のリアリティをもって描かれなければいけない」が、「手塚マンガの描線では、これは描けない」とした上で、「白土三平は、石や草は石や草として、動物はあくまでも動物として、人間は人間として、描線を描き分けていこうと」したと述べています。
 第5講「'60年代手塚マンガの変容」では、「手塚は本当にいろいろ、あっちから取り、こっちから取り、やってる」として、「自分がつくりあげたものも多いけれど、人がやって受けたものも、さかんに模倣」したと述べています。
 そして、『どろろ』という作品が、「人物と風景が同じ生命観のある有機的な線で描かれていた手塚マンガから、劇画的な写実的風景と人物の描線を分離した表現に変容している」として、「そういう変容の要素がたくさん入っていて、全体を読むと絵の描写としては、ややアンバランスな印象を受け」ると述べています。
 第6講「手塚マンガの再構築」では、「'60年代後半というのは、手塚が築きあげた物語の緊密さみたいなものが壊れて行く時代」だったと述べた上で、「手塚治虫は日本的な風土に対してい文化的な存在として登場してきて、漫画の手法をぬりかえてしまった」が「逆に手塚マンガは、規範とすべき制度になってしまって、今度はそれを破っていく表現が出てくる」として、'60年代後半には、「手塚マンガはその根底を問われるような危機に見舞われている」と述べています。
 第7講「大友克洋と手塚治虫」では、「手塚マンガに対抗するように劇画が出てきて、その後制度化した劇画を打ち消すものとして大友克洋が出てきた。でも手塚マンガに帰るわけじゃなくて、べつの場所に移る」と述べています。
 そして、「大友克洋は、いわば戦後マンガが達成してきた修辞法を打ち消し、解体したあげくに、物語ってものを、自分の修辞法でもう一度読み替えて作り上げる」と述べています。
 第8章「最後の手塚治虫」では、「晩年の手塚治虫は、まだまだ概念の組み換え、拡大、画像化の実験を続けている最中だった」として、「幼児の頃から持っていた宝塚的な、一種のユートピア志向みたいなものを、生態系重視の凡生命的な世界観に組み換え、未来へのあこがれを終末論的に組み換え、歴史概念を加え、『アドルフに告ぐ』『グリンゴ』などの現代世界の構図みたいなものに膨張していく、そんな形で概念を拡大し続け越境性を持続し続け」たと述べています。
 本書は、マンガの神様がいかに苦しんでいたかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者はもちろ手塚治虫に敬意を払いつつも、自らの子供たちとも言える白土三平、水木しげるら劇画作家や大友克洋らによって追い込まれた手塚治虫が、60年代に変容に苦しみ、そして新しい境地を開いていく様を技術論からアプローチしていて非常に興味深いです。
 こういうのは、手塚治虫の長いキャリアと膨大な作品群があればこそできるのかも知れませんが、文学部とやらで小説家の研究をしている人達がいるのだから、ぜひ、他のマンガ家についても研究して欲しいです。まずは藤子不二雄でお願いしたい。


■ どんな人にオススメ?

・マンガの神様が迷う様を知りたい人。

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