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2010年1月16日 (土)

生物と無生物のあいだ

■ 書籍情報

生物と無生物のあいだ   【生物と無生物のあいだ】(#1822)

  福岡 伸一
  価格: ¥777 (税込)
  講談社(2007/5/18)

 本書は、「『動的平衡』論をもとに、生物を無生物から区別するものは何かを、私たちの生命観の変遷とともに考察した」ものです。著者は、「生命とは何か?」の問いに対し、「自己複製を行うシステム」だと述べています。
 第1章「ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク」では、「パスツールやコッホの業績は時の試練に多恵が多、野口の仕事はそうならなかった。数々の病原体の招待を突き止めたという野口の主張のほとんどは、今では間違ったものとして全く顧みられていない」とした上で、「彼が、どこの馬の骨ともしれぬ自分を拾ってくれた畏敬すべき師フレクスナーの恩義と期待に対し、過剰に反応するとともに、自分を冷遇した日本のアカデミズムを見返してやりたいという過大な気負いに常にさいなまれていたことだけは間違いないはずだ」と述べています。
 第2章「アンサング・ヒーロー」では、「ウイルスは、栄養を摂取することがない。呼吸もしない。もちろんに酸化炭素を出すことも老廃物を排泄することもない。つまり一切の代謝を行っていない」として、「ウイルスは機械世界からやってきたミクロなプラモデルのようだ」としながらも、「ウイルスは生物と無生物の間をたゆたう何者かである。もし生命を『自己複製するもの』と定義するなら、ウイルスは紛れもなく生命体である」と述べています。
 第3章「フォー・レター・ワード」では、「生命科学を研究する上で、最も厄介な陥穽は、純度のジレンマという問題である。生物試料はどんな努力を行って純化したとしても、100%純粋ではあり得ない」と述べています。
 第4章「シャルガフのパズル」では、「生命の"自己複製"しすてむ」を、「ひとつの細胞が分裂してできた二つの娘細胞に、このDNAを一組ずつ分配すれば、生命は子孫を残すことができる」と解説した上で、「これは地球上に生命が現れたとされる38億年前からずっと行われてきたことなのである」と述べています。
 また、「死んだ鳥症候群」と呼ばれる、「研究者の間で昔から言い伝えられているある種の致死的な病」について、仕事が円熟期を迎え、「鳥は実に優雅に羽ばたいているように見える」ときには、「鳥はすでに死んでいるのだ。鳥の中では情熱はすっかり燃え尽きているのである」と述べています。
 第6章「ダークサイド・オブ・DNA」では、「匿名のピア・レビュー法は、細分化されすぎた専門研究者の仕事を相互に、そしてできるだけ公正に判定する唯一の有効な方法である」が、「同業者が同業者を判定するこの方法はそれゆえに不可避的な問題を孕むことにもなる」として、「『一番最初にそれを発見したのは誰か』が常に競われる研究の現場にあって、つまり二番手には居場所も栄誉も与えられない状況下にあって、せまい専門領域内の同業者は常に競争相手でもあるという事実」を指摘しています。
 第7章「チャンスは、準備された心に降り立つ」では、「ピア・レビューの途上にある、未発表データを含む報告書が、本人の全くあずかり知らないうちに、ひそかにライバル研究者の手に入り、それが鍵となって世紀の大発見につながったのであれば、これは端的に言って重大な研究上のルール違反である」として期しています。
 第8章「原子が秩序を生み出すとき」では、生命は、「現に存在する秩序がその秩序自身を維持していく能力を秩序ある現象を新たに生み出す能力を持っている」としたうえで、シュレーディンガーが、「生命が、エントロピー増大の放送区にこうして、秩序を構築できる方法の一つとして、『負のエントロピー』という概念を提示した」と述べています。
 第9章「動的平衡とは何か」では、「生命とは要素が集合してできた構成物ではなく、要素の流れがもたらすところの効果」だとして、シェーンハイマーが提示した新しい生命観について、「ここにあるのは、流れそのものでしかない」と述べ、シェーンハイマーが、これを、「身体構成成分の動的な状態」(The dynamic state of body constituents)と名付けたとしています。
 そして、「エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになる」と述べ、「自己複製するものとして定義された生命は、シェーンハイマーの発見に再び光を当てることによって次のように再定義されることになる」として、「生命とは動的平衡(ダイナミック・イクイリブリアム)にある流れである」と述べています。
 第10章「タンパク質のかすかな口づけ」では、「ジグソーピースのように、相補的な相互作用を決定する領域は、ひとつのタンパク質に複数存在しうる」とした上で、「ジグソーパズルのピースは次々と捨てられる。それはパズルのあらゆる場所で起こるけれど、それはパズル全体から見ればごく微細な一部に過ぎない。だから全体の絵柄が大きく変化することはない」と述べています。
 第11章「内部の内部は外部である」では、「細胞は、内部で作り出されたタンパク質を細胞の外部へ運び出すために、直接、細胞の皮膜を開閉する危険を避けたかった」ために、「そのかわり、細胞はあらかじめ細胞の内部に、もうひとつの内部を作った。それが小胞体である」と述べています。
 第14章「数・タイミング・ノックアウト」では、「遺伝子を人為的に破壊して、その波及効果を調べる方法を、『ノックアウト実験』という」とした上で、著者らが、「マウスのような多細胞生物に対して」、「細胞膜のダイナミズムに重要な役割を果たしている」と考えた「脾臓の細胞に存在するタンパク質GP2」のノックアウト実験を行おうとしていたと述べています。
 そして、「すべての細胞がES細胞由来」の「GP2ノックアウトマウス」を生み出し、「このマウスの脾臓細胞ではとてつもない膜の異常が展開しているはず」だと目論でいたが、「GP2ノックアウトマウスの細胞はあらゆる意味で、全く正常そのものだった」と述べています。
 第15章「時間という名の解けない折り紙」では、「私たちは混乱した。そして落胆した」として、「GP2が、分泌顆粒膜の組織化に重大かつ必須の役割を果たしているという私たちの仮説は見事なまでに粉砕されてしまった」と述べています。
 そして、「生命とは、テレビのような機械ではない。このたとえ自体があまりにも大きな錯誤なのだ。そして私たちが行った遺伝子ノックアウト操作とは、基板から素子を引き抜くような何かではない」として、「私たちは遺伝子をひとつ失ったマウスに何事も起こらなかったことに落胆するのではなく、何事も起こらなかったことに驚愕すべきなのである。動的な平衡が持つ、やわらかな適応力と滑らかな復元力の大きさにこそ感嘆すべきなのだ」と述べています。
 エピローグでは、「生命という名の動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスを取りつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。それが動的な平衡の謂いである。それは決して逆戻りのできない営みであり、同時に、どの瞬間でも既に完成された仕組みなのである」として、「私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること意外に、なすすべはないのである」と述べています。
 本書は、生命が持つバランスの驚愕すべきすばらしさを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で紹介されている流れとしての生命体という生命観をはじめて知ったのは、藤子・F・不二雄のSF短編「宇宙からのおとし玉」だったのではないかと思います。F先生はこういう生命科学の動向にも関心を持っていたのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・生命が危ういバランスの上に成り立っていることを知りたい人。

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