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2010年2月13日 (土)

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ

■ 書籍情報

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ   【教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ】(#1850)

  本田 由紀
  価格: ¥777 (税込)
  筑摩書房(2009/12)

 本書は、「日本で長く見失われてきた『教育の職業的意義』の回復を、広く世に訴えること」を目的としたものです。
 序章「あらかじめの反論」では、定番の批判として、
(1)「教育に職業的意義は不必要だ」
(2)」職業的意義のある教育は不可能だ」
(3)「職業的意義のある教育は不自然だ」
(4)「職業的意義のある教育は危険だ」
(5)「職業的意義のある教育は無効だ」
などを挙げ、それらに答えています。
 第1章「なぜ今『教育の職業的意義』が求められるのか」では、本書が、「教育の職業的意義」の向上を主張する理由として、「若者の仕事の世界が近年大きく変化しており、それに応じて教育という世界が担うべき役割や責任もまた変化しているということ」を挙げています。
 そして、「90年代初頭以降の日本社会では、正社員も非正社員も、それぞれ別の意味で、きわめて苦しい状態におかれるようになっている」とした上で、「こうした事態の重要な背景」として、「日本の労働市場において、正社員の世界と非正社員の世界が、まったく相対立する原理によって成り立っているということ」を挙げ、「ジョブなきメンバーシップ」を原理とする正社員と、「メンバーシップなきジョブ」を原理とする非正社員という、「二つの両極端な世界が並存していることが、いずれをも苦境に陥れる結果をもたらしている」と指摘しています。
 その一方で、「労働者の権利という知識の面でも、職業能力形成という面でも、働く者たちは自らの深刻な事態を改善するための手段を手にしていない」と述べています。
 第2章「見失われてきた『教育の職業的意義』」では、アメリカの社会学者メアリー・C・ブリントンが、「1960~80年代の日本の若者が経験していた教育と仕事との関係性――学校という『場』にしっかり帰属している状態から、職場という新しい『場』にしっかり帰属した状態への移行の道筋がはっきり標準化されていたこと――のほうがむしろ特異なものであったと指摘していることを紹介しています。
 そして、戦前期の「実業教育」が順風満帆であったわけでも、理想的な「教育の職業的意義」が実現されていたわけでもなかった理由として、
(1)為政者側は「実業教育」にきわめて積極的であったものの、一般の人々の中には「普通教育」への志向が強くあったこと。
(2)産業構造が大きく変化する中で、実業学校の性格そのものが、自営を中心とする在来産業のリーダー養成と、近代産業の雇用者の育成との間で、あいまいに揺れ動いていたこと。
の2点を挙げています。
 また、「戦前から1960年代初頭まで、日本の労働者の中では、生産現場で肉体労働に従事するブルーカラー職は初等教育卒、管理・技術・事務など知的労働従事するホワイトカラー職は中等・高等教育卒が担うという、学歴と職歴との対応が明確に成立していた」が、「1960年代における高校進学率の急上昇は、初等教育卒、すなわち中卒の新規就職者の急激な減少」をもたらし、従来中卒者が就くはずであったブルーカラー職に高卒が「大量に流入」したことで、「高卒者の内部ではブルーカラーとホワイトカラーが混在し、ブルーカラー職場の内部では年長の中卒者と新規採用の高卒者が混在するという自体を必然的にもたらした」と述べたうえで、「職能給制度を中心とし職務を明確化しない『日本的雇用』という『労働力実態』そのものが、高校進学率の急上昇と新規学卒者の学歴構成の急変という、『教育現実』を原因としていた面がある」と指摘しています。
 第3章「国際的に見た日本の『教育の職業的意義』の特異性」では、「日本の教育機関における『教育の職業的意義』は、国際的に見ても極めて低い」とした上で、「職業に関連するさまざまな専門療育別の教育の量的比重が小さいことが、日本の高校段階の『教育の職業的意義』を、世界の中でも低い水準に押しとどめている」と指摘しています。
 そして、「日本の大学教育で得られる知識が職場で活用される度合いの低さは、一方では大学教育のあり方に由来するとともに、他方では日本企業の内部における人と仕事の結びつけ方及び仕事の編成の仕方にも、強く影響されている」と述べたうえで、「日本の大学教育の『職業的意義』の低さをもたらしている『Jモード』のかなめとなっているのは、大学教育と仕事の世界の結節点に位置づく、『新規学卒一括採用』という慣行」だと指摘しています。
 第4章「『教育の職業的意義』にとっての障害」では、本書の立場と、「一見同じ方向を向いているようで、実は互いに相容れないどころか、『教育の職業的意義』の追求に対して、障害にさえなりかねないもの」として、現代日本社会日本における「キャリア教育」という施策・理念と「それと密接に関わる『人間力』や『生きる力』などの概念や発想」を挙げています。
 そして、「少なくとも高校段階においては、『キャリア教育』は『自分の将来や、やりたいことを考えて、自分で決めなさい』といった規範や圧力という形で、もっとも浸透している」として、「目標や活動が漠然としていながらも、『よきもの』として強力に推進されている『キャリア教育』は、そうした『漠然たるよきもの』を生徒個々人が自ら体現しなければならない、という圧力として、教育現場において実体化している」と指摘しています。
 著者は、「『キャリア教育』はその対象となる若者の『勤労観・職業観』や『汎用的・基礎的能力』を高めるという政策的意図に沿った結果をもたらすよりも、そうしたプレッシャーのみを強めることによって、むしろ若者の不安や混乱を増大させてきた可能性が強い」と指摘しています。
 そして、「進路選択とは、若者が自分自身と世の中の現実とをしっかり擦り合わせ、その摩擦やぶつかり合いの中で、自分の落ち着きどころや目指す方向を確かめながら進んでゆくことだ」という考えを示した上で、そのためには、
(1)職業人・社会人としての自分自身の輪郭が暫定的にでも一定程度定まっていること
(2)世の中の現実についてのリアルな認識や実感
の2つの条件が必要となるが、「そのような自分の輪郭や現実認識を得る機会を若者に与えないまま」に、「ただ選択を強いるという性質を『キャリア教育』はもっている」と指摘しています。
 第5章「『教育の職業的意義』の構築に向けて」では、「日本における職業教育に対する典型的な見方の一つ」として、「普遍的な『市民的教養』を賛美し、職業教育とは企業や労働市場にひたすら〈適応〉を強いるものだとする見方」を挙げた上で、「『日本的雇用』が交代し、世界的な経済競争かで企業にとって人件費コスト削減への誘引が著しく増大したとき、これまでの『能力』と処遇との『どんぶり勘定』的対応性は、際限ない『能力』の買い叩きへと転げ落ちようとしている」として、「こうした事態に歯止めをかけるためには、これまで日本では疎かにされてきた、労働者の職業上の『能力』と処遇との対応の妥当性を確保するためのしくみを、可能なところから築いてゆくしかない」として、「職種別採用をもっと拡大すること」をひとつの方策として挙げています。
 本書は、自分より後の世代に、「彼らが自らの生の展望を抱きうるような社会を残しておきたい」という著者の思いから書かれた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書主張そのものは、同じ著者のこれまでの専門書と基本的には同じトーンの上にあるのですが、冒頭に世間一般の主張に対する反論が挙げられているように、著者自身がさまざまな場所で繰り返して議論に遭遇したことをわかりやすくまとめたということなのでしょうか。こういう新書の形で一般に知られるようになるのは嬉しいことです。


■ どんな人にオススメ?

・職業意識と教育は関係ないと思っている人。

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