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2011年2月

2011年2月16日 (水)

とつぜん会社が英語になったら… 「まっとうな英語」のすすめ

■ 書籍情報

とつぜん会社が英語になったら… 「まっとうな英語」のすすめ   【とつぜん会社が英語になったら… 「まっとうな英語」のすすめ】(#1988)

  宮永 國子
  価格: ¥1365 (税込)
  武田ランダムハウスジャパン(2010/10/26)

 本書は、「仕事の現場で相手の真意を見抜く」ことのできる「まっとうな英語」を実践的に使い、グローバル化の波をのり切っていけることを目的としたものです。
 第1章「まっとうな英語を話せますか」では、「英語には表現レベルが二層あり、話者は具体レベルと中小レベルの間を、いったりきたいりする」として、「これを二人の間ですれば対話で、そのやりとりがインタラクションと呼ばれるもの」だと述べ、「文法はこのスタイルを、正しく実践するためのツールだと考えると、英語はとても分かりやすく」なるとして、「ハーバード大学を始めとするアイビーリーグの大学では、この『まっとうな英語』を教養として教えて」いるとしています。
 そして、「実践的な英語力を検定したい企業なら、むしろTOEFLでやってみるべき」だとして、その必須条件は「推理能力、分析能力、中小能力」であり、「観察能力、事実認識能力」が追加され、「一流の英語」とは、「教養を表現できる『まっとうな英語』のこと」だとしています。
 第2章「見抜く力」では、「英語では、自分のthisは相手にとってはthatで、相手のthisは自分にとってはthatという具合で、出発点は断絶」だと述べ、「抽象の次元では、thisとthatは神話して『和のit』を作り出」すと述べています。
 第3章「見えない乗っ取り」では、「英語に切り替わるということは、日本語を英語に翻訳することではない」として、「英文の報告書は全体が短いだけでなく、ズバリとして」いると述べています。
 第4章「英語は厳密」では、「英語は精密な時計のように、組み立てられて」おり、「精密機械のような言語は、あいまいさを嫌」うと述べた上で、「英語は意味の違いを細かく、形の違いに表現しようとする」としています。
 そして、「精密な英語は、リーダーの条件」だとして、「スキルで勝つのか、騙し合いで勝つのか、理想で勝つのか、人間性で勝つのか」は本人の選択であり、この選択によって「個」が立ち上がるとしています。
 第5章「個のあるローカル文化、ない文化」では、「英語と日本語の基本的なスタイルの違いは、ネゴシエーションにも典型的にあらわれ」るとして、「日本語ではあいまいさを大切にして、交渉相手との感情的な融和を図」るが、『英語のネゴシエーションでは感情的な相違は、誤差の範囲」であり、「互いに自分のthisをまず徹底的に見せ合」い、「自分でみえているだけでなく、相手にも、この人はよく分かっていっている、よく分かって行動している、という認識が生じ、信頼が生まれ」ると述べています。
 そして、「二つの言語を上手に使い分けるためには、しっかりとした『人格』が必要」であり、「同じ自分をちがった表現で、提示できる」ことが必要だとしています。
 第6章「英語は仮定と現実を分ける」では、「和の原理」は私たちに当たり前となっているため、「英語のように、願望を表すときに過去形を使うということは、ひどく分かりにくく、難しく感じられ」ると述べています。
 そして、「複数の他者こそが『社会』」であり、「お互いのthatを理解することで、互いに自分のthisから出て、共通のitをその場で作り出すこと。それがインタラクション(interaction)やネゴシエーション(寝ごちあ地温)の基本」だとしています。
 第7章「ウソとマコト」では、「国際人は『確信犯』です。『自然に』、『なんとなく』はありません」として、「『確信犯』としての態度は明瞭」だと述べた上で、「日本の組織では、ルールの代わりに関係があります。人間関係で全てが決まります」と述べています。
 そして、「国際会議のノウハウやスキルは、欧米に長く滞在しただけでは習得できません』として、「ネイティブだって良い学校を選んでいき、大学に入って習得しなければ、わからないこと」であり、「知の力」だと述べています。
 第8章「知の力としての言語」では、「近代英語社会では、特権的な地の力が、だれにでも手の届くところにある」として、「対価を払うことによって、それを身につけることができます。社会的に上昇が可能なのです」と述べています。
 本書は、英語が必要とされる社会だからこそ必要な「人格の力」の必要性を説いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の考え方にしたがえば、高校まで海外で過ごしてネイティブの英語を使えるけど大学から日本に戻ってきた「帰国子女」よりも、大学ないし大学院で海外に留学したけど発音は怪しげな三木谷社長みたいな日本語訛りのある英語のどちらが「まっとうな英語」かといえば後者ということになるのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・「まっとうな英語」を使いたい人。

2011年2月15日 (火)

ドロボー公務員

■ 書籍情報

ドロボー公務員   【ドロボー公務員】(#1987)

  若林 亜紀
  価格: ¥740 (税込)
  ベストセラーズ(2011/2/8)

 本書は、「現代は公務員が民間人を搾取しているといって過言ではない」として、「『ドロボー』公務員の驚きの実態をレポート」したものです。
 第1章「民主党への金まみれ選挙応援」では、「人口の一割弱しかいない公務関係者の労組が大量の議席を得て政権を牛耳れるのか」について、公務員労組が、「労働組合としては機能して」おらず、「選挙の道具」であるからだと述べ、「江戸時代に武士が農民を、戦前に資本家が労働者を搾取する時代を経て、現代日本は、公務員が国民を搾取する時代となった」と述べています。
 第2章「広がる民間との給与格差」では、「官公職員家庭は民間より月十万円ほど収入が多く持ち家率が高い。支出では生活全般にゆとりがあるが、ことに食費や自動車関連費、交際費に置いて差が大きい。一番大きいのは預貯金の差で月三万円以上官公過程が多く、年金などの社会保険料の掛け金も多いので将来も安定である」と述べています。
 第3章「驚くべき税金使い放題天国」では、著者が勤めていた労働政策研究・研究機構の全身の日本労働研究機構について、「研究機関とは名ばかり、実態は天下りを養う接待所だった」として、「優秀な若手研究者が職を得られずにいる理由の一つに、国の研究機関の職を、天下り官僚やその家族が不法占拠していることがある」と指摘しています。
 第5章「官民交流を推進せよ」では、全国の都道府県の行政院の報酬について、全国のオンブズマンがランキングした結果、1位は、宮城県仙台市の選挙管理委員が、年に4日間、計41分の勤務で121万2千円の報酬を得て、時給が177万円であったと述べています。
 本書は、日本の公務員を見事に叩いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 この著者の本は、『ホージンノススメ』以来いくつか読んできましたが、最近の公務員バッシングの風潮に乗っていささか評論家的になってきたような気がします。元々は自身が体験した一次情報をもとにした告発が衝撃的だったのですが、最近は伝聞情報をもとに過激なコメントをする人、というのが期待されているのかもしれません。もちろん多数の原稿依頼を抱えてそれどころではないのかもしれませんが、ジャーナリストとして骨太の原稿を期待します。


■ どんな人にオススメ?

・公務員を叩いてすうっとしたい人。

2011年2月14日 (月)

い~じゃん!J-POP -だから僕は日本にやって来た-

■ 書籍情報

い~じゃん!J-POP -だから僕は日本にやって来た-   【い~じゃん!J-POP -だから僕は日本にやって来た-】(#1986)

  マーティ・フリードマン
  価格: ¥1365 (税込)
  日経BP出版センター(2008/4/3)

 本書は、伝説のメタルバンド「メガデス」の元ギタリストが脱退後、J-POPにはまって日本にやってきた著者が、J-POPの素晴らしさを語ったものです。
 メタルのギタリストとJ-POPの出会いについては、デビュー前にハワイに住んでいた頃に、日系人が多く住んでいる影響で演歌に出会い、演歌の「こぶし」のテクニックをギターのチョーキングに取り入れたことを語っています。
 また、ミスターチルドレン、バンプ・オブ・チキン、アジアン・カンフー・ジェネレーションの3組を取り上げ、「ギターロック」というジャンルで括られるが、むしろ曲は「どポップ」であるところに、三味線とか琴とかの弦楽器の文化が強いため、「伝統的な日本の音楽と歌謡曲、そして洋楽のロックサウンドが混じり合ったジャンルなのかもしれない」と語っています。
 ゆずやコブクロなどのアコギデュオも、ギターを買いたがるのはロックかメタル好きな若い男が多いアメリカではありえないと述べ、アメリカの音楽シーンでは、「メタルバンドはメタルだけ」「R&BシンガーはR&Bだけ」というふうに「ジャンルの壁が日本よりも厚いし高い」と語っています。
 また、サンボマスターのようなアバウトなサウンドの中に、「いきなりジャズのコードが入ったりするのはすごく日本的な現象」だと語っています。
 さらに洋楽の一部をパクる「プチパクリ」は、「悪いことではない」として、「メロディーのほんの一部分が似てるだけだし、音色とかスピードとかの解釈は超違うじゃん」と語っています。
 他にも、「アーティスト本人が曲を作るのが主流になったのはイートルズの影響」だが、ビートルズは特別で、力のない人もまねをするのは「悪影響だ」と語っています。
 本書は、日本のJ-POPを斜め上から見た一冊です。


■ 個人的な視点から

 メガデスとJ-POPというのもなかなかすぐには結びつかないのですが、書かれていることはいちいちもっともだと思います。ミクスチャーの面白さは分かって楽しめるか、わからないけど楽しめるかでずいぶん違うとは思いますが。


■ どんな人にオススメ?

・J-POPを楽しみたい人。

2011年2月13日 (日)

暴走する「地球温暖化」論―洗脳・煽動・歪曲の数々

■ 書籍情報

暴走する「地球温暖化」論―洗脳・煽動・歪曲の数々   【暴走する「地球温暖化」論―洗脳・煽動・歪曲の数々】(#1985)

  武田 邦彦,渡辺 正, 薬師院 仁志, 山形 浩生, 伊藤 公紀,岩瀬 正則
  価格: ¥1600 (税込)
  文藝春秋(2007/12/12)

 本書は、「環境騒ぎあれこれに違和感を覚える『疑り深い七名』の発言を集めて編まれた」ものです。
 「なぜ、消えた『地球寒冷化論』」では、「国連条約にしても京都議定書にしても、人為的な産業活動が地球を異常に温暖化させるという仮説が的中することを前提とする」が、「そんな前提が本当に成り立つのだろうかということに関しては、ほとんど問題視されてこなかった」点を指摘し、「人為的温暖化論の科学的妥当性に関する検討が、議論そのものから一切排除されてしまっているという事態」を問題視しています。
 そして、「人為的温暖化論を衝動してきた論者の中で、私の問うていることに正面から誠実に答えてくれる人は一人もいなかった」と述べています。
 「環境テロリストが増幅する『恐怖の存在』」では、マイクル・クライトンの『恐怖の存在』を取り上げ、「作者が問題にしたのは、根拠不明の理論と実効性の疑わしい対策が、一切の反論を寄せ付けず、ほとんど議論さえされることなく、地球規模で猛威を振るっていることに対する恐怖なのである。言わば、温暖化の恐怖ではなく、温暖化論の恐怖なのだ」と述べ、作中のセリフとして、「それが真実であるのなら、そしてそれが行動を必要とする純然たる危機であるのなら、なぜ温暖化論者は主張を誇張しなければならないのだね? なぜ入念に仕組んだメディア・キャンペーンをはらなければならないのだね?」を紹介しています。
 「大失敗の環境政策」では、「産業革命以来の長い歴史を振り返る」と見える事実として、「個別の製品や行動を省エネルギー化すると、国全体では物質生産の量的拡大をもたらし、エネルギー消費量を増大させる」と述べています。
 「『地球破壊』超先進国は中国なり」では、中国の製鉄の問題点として、「低性能の小型高炉が多数中国で稼働すると鉄鉱石、石炭などが大量に無駄遣いされる」点を指摘し、「日本にとって中国の驚異とは技術移転などのブーメラン効果などではない。資源大量消費と地球環境破壊である」と述べています。
 「『家電リサイクル』百害あって一利なし」では、「リサイクルの議論で難しいのは、やろうと思えば理論上は可能な点」だとして、「これほど労力をかけてまで、やらなければならないのでしょうか」と「分離工学の観点からすれば、やめたほうがいいという結論になる」と述べ、「回収、加工に何倍も手間がかかるリサイクルは、このプロセス工学の観点からも、環境や資源を守るという目的において合理性のない方法」だと指摘しています。
 そして、家電リサイクルに変わる方法として、
(1)ゴミは全て償却すること。
(2)自分たちのつくりだしたものを大切にすべき。
(3)情報革命を推進すること・・・携帯電話が銅の使用料を圧倒的に減らしている。
の3点を提唱し、「私たちは、コストに見合わない商品、納得がいかないシステムに対してNOと言わなければなりません」と述べています。
 本書は、頭に血が登った環境保護熱患者に冷水をかける一冊です。


■ 個人的な視点から

 「動物たちが絶滅する」という番組を見て鼻息が荒くなったのび太がゴキブリホイホイのゴキブリを逃がしてやる、という話(ドラえもん17巻「モアよドードーよ、永遠に」)がありましたが、 ゴアの『不都合な真実』を見て鼻息が荒くなった人も多いことでしょう。


■ どんな人にオススメ?

・地球を守りたい人。

2011年2月12日 (土)

キャラクターとは何か

■ 書籍情報

キャラクターとは何か   【キャラクターとは何か】(#1984)

  小田切 博
  価格: ¥735 (税込)
  筑摩書房(2010/01)

 本書は、「『キャラクター』というものが文化的な産物であると同時に常にビジネスとしての側面を持ち、歴史的に見てもその両者は不可分なのではないか」という問題意識から、「マンガやアニメといったメディアやジャンルレベルでの分割や特性を一旦棚上げし、『キャラクター消費』というレベルで日本のキャラクタービジネスを取り巻く問題点を整理しなおす」としています。
 第1章「キャラクタービジネスの近代史」では、「アトムから現在のジャンプアニメまで続くマンガ原作のアニメ化や実写化もそうだが、国内でこの種の映像コンテンツの発達の最大の要因は玩具と結びついた形で製作されるオリジナル作品の存在だ」と述べています。
 また、「高年齢層によるキャラクター消費は『遊び』より『集める』ことを重視する傾向が強い」と述べています。
 第2章「キャラクタービジネスという問題」では、「ベルヌ条約加盟後のアメリカの国際社会に対するコンテンツ保護と市場開放の要求はクリントン、ブッシュ政権で一貫したものであり、日本に対しても強く要求されてきた」結果、「日本において『コンテンツ産業政策』が問題にされるようになった」と述べています。
 また、90年代以降アジア諸国がベルヌ条約を次々に批准した結果、出版社やアニメ制作会社は大きな直接的影響を受けたとして、「これまで公式にライセンスを取らずに海賊版を出していた国々が90年代後半から公式に版権の認可を求めてくるようになり、急増した版権手続きに対応するために彼らは国際版権部を作らざるを得なくなっている」と述べています。
 第3章「キャラクターの起源と構造」では、キャラクターの三要素として、
(1)図像
(2)内面
(3)意味
の3点を挙げ、「『キャラクター』は絵柄としての外見、物語を通じて形成される性格、象徴としての記号的な意味の三点のどこを起点に発想し、作られてもいいし、三要素すべてが揃っていなくてもキャラクターそのものは成立しうる」という「融通無碍な性格」が最大の特徴だとしています。
 第4章「日本型キャラクタービジネス」では、ローレンス・レッシグ教授が、「日本の(パロディ)同人誌があきらかに著作権法上の問題を抱えているにもかかわらず、ほとんど規制されずに巨大な市場を築いていることに驚嘆し、日本滞在時にその理由を聞いて回った」というエピソードを紹介しています。
 そして、「今求められているのは安易な文化論や国産コンテンツの礼賛ではなく、国内のキャラクタービジネスや文化の現状の把握と海外の状況のしっかりした調査、そしてそれらを元にした問題の切り分けと分析だ」と述べています。
 本書は、キャラクタービジネスを俯瞰的に捉えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 そういえばキャラクターものが好きな人というのは常にキャラクターグッズに囲まれているような気がします。あれはどういう心理なのか。


■ どんな人にオススメ?

・ビジネスとしてキャラクターを見たい人。

「困った人」にひそむ「うつ」―性格の問題と片づけてしまう前に

■ 書籍情報

「困った人」にひそむ「うつ」―性格の問題と片づけてしまう前に   【「困った人」にひそむ「うつ」―性格の問題と片づけてしまう前に】(#1983)

  下園 壮太
  価格: ¥1365 (税込)
  中央法規出版(2010/03)

 本書は、「現代の人間関係トラブルを、"うつ状態"の視点を通じて解説」するものです。
 序章「変わってきた人間関係トラブルの実態」では、「うつ状態の治りかけで職場復帰した人は、どうしても社会で『性格が悪い』と感じられることが多い。しばしば人格障害との印象を与えることもあるだろう」として、「人間関係トラブルの背景に『うつ状態』が隠れていることが多い」と述べています。
 第1章「うつで人間関係悪化って、どういうこと?」では、うつ状態の社会的症状として、
・作業能力が低下する
・自分を責める
・自信を失う
・不安が止まらない
・人を避ける
・攻撃的になる
・好不調の波がある
・体調をくずす
・しがみつき
などの症状を挙げ、「しがみつき」については、「ギャンブル、仕事、異性関係、アルコール、投資、借金、サウナ」など、「周囲から見れば、それをやるからどんどん状態が悪化していると思われるようなことを、やめればいいのに、続けてしまう」として、「中でも仕事にしがみつく人は多い」と述べています。
 そして、「うつ状態になると誰でも能無しになり、性格が悪くなってしまうのである。人間関係が悪くなっても仕方がない」と述べています。
 第2章「うつな人とうまく付き合うには」では、「うつ状態の人との人間関係が問題になるのは、うつ状態が本人にとっても周囲にとっても、分かりにくいからである」と述べています。
 そして、うつ状態の本質を、「蓄積された披露(疲労困憊した状態)」とそれに対する「体の防御反応」であると述べています。
 また、うつ状態の分かりにくさの一番の原因は、「タイミングの問題」だとして、「現代人のうつ状態の大半を占めるのが、一年もののストレスが最も大きな原因となって器があふれるパターン」だと述べています。
 第3章「現代社会における人間関係の改善方法」では、うつ状態が原因で壊れた人間関係について、「その多くは、わざと相手を苦しめようとして人間関係が崩れるのではなく、うつ状態の知識がないために、『うつの痛いところ』を触ってしまうことによって人間関係が悪化するというもの」だと述べています。
 本書は、うつに関する難しいポイントである人間関係に着目した一冊です。


■ 個人的な視点から

 うつの怖いところは見た目は普通に見えるところ、ということでしょうか。なにより本人にとって。怪我や老化で体力が衰えるのは見た目で分かるのにね。


■ どんな人にオススメ?

・うつは他人ごとと思っている人。

2011年2月11日 (金)

〈変態〉の時代

■ 書籍情報

〈変態〉の時代   【〈変態〉の時代】(#1982)

  菅野 聡美
  価格: ¥756 (税込)
  講談社(2005/11/18)

 本書は、「『変態』という誰もが知っているけれども学問対象とはならない概念を手がかりとして、大正期の性をめぐる知的状況の一端を明らかにすること」を意図したものです。
 第1章「変態のあけぼの――『変態心理』とその時代」では、「変態心理とは、『吾々の普通の精神現象から外れてゐる有らゆる異常な、または特殊な心理作用を総括した名称」だとしています。
 第2章「性とは無縁な『変態』――幽霊、神がかり、迷信」では、変態心理学の研究・普及に邁進した中村古峡による変態心理の意義として、
(1)普通心理に潜む異常の「「素因なり素質なりを、何層倍かに廓大して見せる」顕微鏡の役割を果たすから、普通の心理現象研究に利益をもたらす。
(2)狂人や犯罪者など変態心理の所有者に対する世人の態度を一変させる。
(3)知的障害児、不良少年に対する教育法に進歩をもたらす。
(4)催眠術や精神分析法によって精神治療の道が開ける。
の4点を挙げ、「これに加えて、妖怪現象、憑霊現象の真相なども明らかにできる」としているとしています。
 そして、「変態と正態の境界は確定し得ないとし、変態は病的でも悪でもないというスタンスで変態にアプローチしようとした」古峡と雑誌『変態心理』の意図は「必ずしも正しく伝わりませんでした」と述べています。
 第3章「流行語になった『変態』」では、明治から昭和初期の変態の使われ方として、
(1)変態心理として使用
(2)変態性欲として使用
(3)その他
の3点を挙げ、「変態を『異常な』に置き換えれば意味が通るような用法」だが、わざわざ「変態」を用いた理由として、「『変態』という表現がそれだけ斬新でインパクトがあり、人々を引きつけるものだったから」だとしています。
 第5章「民俗学と変態」では、「変態風俗の紹介とは、開化で塗り固め封じ込めたはずの異風俗、すなわち消え去ったけれども少し前までは当たり前に行われていたことどもを思い起こ」させるとして、「それは明治依頼の近代化路線に疲れた人々に、郷愁の念を呼び起こし、あるいは癒しをもたらしたのかもしれません」と述べています。
 第6章「『変態イコール変態性欲』への道」では、「世俗の関心が変態心理よりも、猟奇趣味と好色趣味の双方に応えてくれる変態性欲へと傾いたことと、当局の禁圧する変態が変態性欲に集中したことの相互作用によって、変態は、すなわち変態性欲と認識されるように」なったと述べています。
 第7章「変態で遊び変態で闘った男達」では、『変態知識』を編集・執筆した宮武外骨と、『変態・資料』の刊行など変態で稼ぎまくった梅原北明を取り上げ、「反権力的姿勢と社会史・新聞資料への着眼」という共通項と共に、「その手法と力量ゆえに後に体制側で働くことになるという皮肉もまた共通の運命」だと述べています。
 そして、「性地獄や戦場の残虐を掲げるグロテスク思考と対置されるのが、軍国美談と聖戦論」だとして、「汚いもの見たくないものを排除し美化する言説が隆盛する時代に、変態は対峙していました」と述べています。
 本書は、正しく「変態」を知るための一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者も書いているように、「変態」の意味の変節も面白いですが、「変態」という言葉に集まってきた知識人たちが何より面白いです。80年代の雑誌ブームの雰囲気に似たものを感じます。


■ どんな人にオススメ?

・「変態」はお嫌いな人。

2011年2月10日 (木)

テレビアニメ魂

■ 書籍情報

テレビアニメ魂   【テレビアニメ魂】(#1981)

  山崎 敬之
  価格: ¥756 (税込)
  講談社(2005/5/19)

 本書は、日本のアニメの黄金期を築いた著者が、「最もアニメに熱い気持ちで関わっているはずの政策の現場からの、発信がない」ことを憂いた一冊です。
 第1章「星飛雄馬を殺せ」では、アニメの進行が原作を超えてしまったことから、ラストシーンを自分たちで考えなくてはならなくなったドタバタが描かれています。結局、『巨人の星』のラストはハッピーエンドを迎えますが、その2年後、同じ梶原作品である『あしたのジョー』の最終回で矢吹丈がリング上で壮絶な最後を遂げたことを挙げ、「やはりこれこそが、梶原先生が『巨人の星』で本当に書きたかった最終回ではなかったか」と述べています。
 第2章「人気絶頂で消えた『オバQ』」では、「アニメをはじめとする子供向け番組の場合、関連グッズの売上は、視聴率15%を超えてしまうと、後はほとんど変わらない」ため、いくら視聴率が高くても、「関連グッズが売れなくなれば、もはや用無し」で打ち切りにあってしまうと述べています。
 また、藤子不二雄が2人のペンネームであることを知らなかった著者が、かわいらしい『オバケのQ太郎』と、シュールな雰囲気の『怪物くん』という「まったく正反対に見えるこのふたつの作品を描き分ける藤子不二雄というマンガ家の作風の多彩さに、ただ驚かされ」、安孫子素雄と打ち合わせをしながら、「この人が『オバQ』も描いているというのはどうにも腑に落ちない。藤子先生は二重人格なのだろうか、と疑ったりもした」と述べています。
 第3章「泣笑い『消える魔球』騒動記」では、『巨人の星』のアニメの進行が原作を「食い過ぎる」対策として、「振りかぶるまでを前半、投げてバッターが空振りするまでを後半っていうふうに、一球だけで30分もたせられないか」という一言から、「『巨人の星』の『名物』といわれる前代未聞、たった一球に30分かけるという新機軸」が生まれたと述べています。
 第6章「再放送はバカにできないのだ」では、『天才バカボン』の設定に、局から「パパの定職はなにか」、「バカボンの通う学校と学年はどうなっているのか」などのクレームが付き、やむなく「パパは植木屋さん、バカボンは着物姿で毎日ランドセルを背負って小学校に通っている」という設定になり、「本来の毒が弱まった形で制作が開始された」と述べています。
 第9章「そして『アンパンマン』へ」では、スポンサーの会社の女の子が書いた女の子の顔の一枚のイラストから、全く新しいTVアニメシリーズを作れ、という無茶な注文に応え、『とんでモン・ペ』を作り上げ、裏番組の『まんが日本昔ばなし』にもかかわらず二桁の視聴率を取った「奇跡」を語っています。
 そして、「『玩具が思うように売れない』という理由で、多くの子供達から愛されている番組が打ち切られてしまう。逆に、こういうキャラクターの玩具を売りたいという理由で、素人が描いた絵をもとに番組を制作する」、「アニメを楽しむ主役であるはずの子供達が、いつしか脇に追いやられている」と指摘しています。
 終章「シナリオには法則がある」では、あるキャラクターを示されて「この人物を主人公にした物語を作れ」と言われれば「たちどころにつくってみせる自身がぼくにはある」として、
(1)魅力あるキャラクターを設定すること。
(2)起承転結をはっきりさせること。
の2点を挙げ、キャラクター作りには、
(1)「葛藤」を抱えた主人公
(2)それを揺さぶる「太陽」
(3)その反対の性格を持つ「月」
の3つが揃えば、「基本的な設定は終わり」だと述べています。
 本書は、日本のアニメが熱かった時代の熱気が伝わってくる一冊です。


■ 個人的な視点から

 アニメと玩具については、一方の玩具側からのストーリーである『サラリーマン田中K一がゆく!』を読むと一年間のストーリーの中のテコ入れのタイミングが分かって面白いです。


■ どんな人にオススメ?

・アニメは子どもが作っているとでも思っている人。

2011年2月 9日 (水)

雇用はなぜ壊れたのか―会社の論理vs.労働者の論理

■ 書籍情報

雇用はなぜ壊れたのか―会社の論理vs.労働者の論理   【雇用はなぜ壊れたのか―会社の論理vs.労働者の論理】(#1980)

  大内 伸哉
  価格: ¥777 (税込)
  筑摩書房(2009/04)

 本書は、労働法は、「会社の論理も十分に考慮に入れた上で、そのなかで労働者の論理を実現していくというバランスを取ることが必要」だという問題意識の上で、「雇用社会の根本に関わる11のテーマ」を取り上げたものです。
 第1章「法と道徳」では、「労働者のどのような行為が企業秩序を侵害し、処分の対象になるのかの規準を、会社の論理と労働者の論理の双方を考慮に入れながら定めるのが労働法の役割」だとした上で、「問題の本質は、不倫が道徳に悖るかどうか、不倫をした社員が不道徳であるかどうかということではない。不道徳というだけで会社の論理を優先させることはできない。法と道徳を混同してはならない」と述べています。
 第3章「仕事と余暇」では、日本人の働きすぎの原因として、「年次有給休暇の未消化もあるが、なんといっても残業時間の多さである」と述べ、「将来の収入が高まる期待を持つ人は、サービス残業をする傾向にあるが、だからといって実際に収入が高まっているわけではない」ことを指摘しています。
 そして、「法は、会社に対して、たくさん働いた社員には、きっちりその対価(割増賃金)を支払いなさい、それが嫌なら、働かせないようにしなさい、というスタンスをとっている」として、「社員が無能だから労働時間が長くなったという言い訳は法的には通らない」と述べています。
 第5章「エリートとノン・エリート」では、「本人の実力は、それが自分にのみ帰属していると考えるのは幻想である」として、「仕事をする上では、他者の力を借りながら、自分の実力を涵養していく努力をするということが大事なのである。そして、そういう心構えを持てるということこそが、その人の本当の実力なのかもしれない」と述べています。
 第7章「『使える』社員と『使えない』社員」では、「解雇規制が強化されると、人を雇う余裕があるときでも、会社は、正社員の雇用に抑圧的になる」結果、
(1)景気の変動には労働時間による長生で対応するようになり、好況時には残業を増やし、不況時には時間短縮を行う。
(2)解雇規制が弱い非正社員の採用比率を増やすことになる。
として、「解雇規制は、正社員の雇用を増やせず、非正社員の雇用を増やすことになるのであり、また現在の正社員の労働条件を悪化させる」と述べています。
 第9章「ベテランと新人」では、「年齢にかかわりなく働ける社会」である「エイジフリー」の前提にある実力主義について、「雇用というケーキを実力で取り合いしなさいということでもある」と述べています。
 本書は、労働法を会社の論理と労働者の論理で考えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 労働法の授業は、労働争議の用語解説と判例の分析ばかりであまり面白いものではないという印象をお持ちの方も多いと思いますが、実際のケースで考えると面白いものです。


■ どんな人にオススメ?

・労働法は無味乾燥と感じる人。

2011年2月 8日 (火)

サラリーマン漫画の戦後史

■ 書籍情報

サラリーマン漫画の戦後史   【サラリーマン漫画の戦後史】(#1979)

  真実 一郎
  価格: ¥777 (税込)
  洋泉社(2010/8/6)

 本書は、「戦後の中流層を支えたものが急速に過去のものになりつつある今だからこそ、1人のサラリーマンとして、サラリーマンという生き方を振り返り、見つめ直してみたい」という同期から、「日本ならではの大衆文化である『マンガ』というジャンルに絞り、サラリーマンがどう描かれてきたのか、その歴史を振り返る」ものです。
 第1章「島耕作ひとり勝ちのルーツを探る」では、「過度な出世願望がなく、勤勉で謙虚。過程よりも仕事を重視し、ひたすら会社のために奉仕する献身的な好漢。島耕作のこうしたキャラクターが、日本の戦後サラリーマンの集合無意識的な理想のサラリーマン像にジャストミートしたようだ」と述べた上で、そのルーツとして、1950年代初頭から人気を得た源氏鶏太のサラリーマン小節を取り上げ、その小説は、「基本的に単純明快な勧善懲悪が貫かれる。誠実な前任である主人公は報われ、主人公と敵対する卑怯な悪役は必ず失脚する」とともに、「会社をまるで家族のように長く愛する居場所として捉えている点」を特徴にあげています。
 そして、「島耕作シリーズのファンの多くは団塊世代、およびその少し下の世代である40~50台の男性」であり、「これはバブル景気を最も謳歌できた世代であり、終身雇用に守られてきた最後の『昭和サラリーマン』でもある」としています。
 第2章「高度経済成長とサラリーマン・ナイトメア」では、「サラリーマンが最大公約数の存在となる1960年代半ばになると、サラリーマンの会社生活を描いた漫画が新聞や総合週刊誌に連載され始める」として、
・サトウサンペイ『フジ三太郎』
・東海林さだお『タンマ君』『サラリーマン専科』
などを挙げ、「サラリーマンが通勤時間に消費するメディアに掲載あsれた、これら黎明期のサラリーマン漫画は、安定を手にした代わりに車内でのヒエラルキーが日常生活までついてまわるという窮屈な職縁関係を自虐的に、しかし笑えるように明るく描いた『安全な自虐メディア』として機能した」と述べています。
 また、1979年以来30年以上連載が続く『釣りバカ日誌』について、「ここにひとつの理想的サラリーマン像を完成させる。『安定』を得るために『自由』を犠牲にしてきた社畜の悲哀しか描けなかった過去の作品群とは異なり、『釣りバカ日誌』は安定と自由を同時に手に入れたサラリーマン像を提示することに成功したのだ。昭和サラリーマンの美徳である擬似家族としての会社と〈人柄主義〉を継承しつつ、出世願望を完全にデリートし、趣味のコミュニティを獲得すれば、充実した人生を過ごせる、ということにサラリーマンは気付き始めた」と述べています。
 第3章「バブル景気の光と影」では、「自虐ネタ、トホホネタが中心だった従来のサラリーマンギャグマンガとは異なり、サラリーマンの息苦しい人間関係を転覆させることで起こる『かりあげクン』の乾いた笑いは、変化に乏しいサラリーマンの日常に一石を投じている」と述べています。
 また、『ツルモク独身寮』について、「ドロドロになりかけていた〈源氏の血〉を若々しく浄化した」一方で、「会社を終の住処とは捉えていない」点が決定的に異なると指摘しています。
 第4章「終わりの始まり」では、『宮本から君へ』について、「同時期に同じ『モーニング』に連載されていた島耕作とは徹底的に真逆の人間として描かれる』一方で、「物語の構造だけ取り出すと、島耕作シリーズとの共通点も多い」として、「源氏鶏太のサラリーマン小節のエッセンスをほぼ継承してリアリティを強化した、意外にもオーソドックスなサラリーマン漫画だったのだ」と述べています。
 また、『サラリーマン金太郎』について、「主審雇用や年功序列に守られないグローバル資本主義時代の到来に戸惑うサラリーマン社会に、異物である不良が殴りこみ、不良とサラリーマンのハイブリッドとなって破壊的イノベーションを起こす、サラリーマンの世代交代の物語なのだ」と述べています。
 さらに、『いいひと。』について、「サラリーマンを支える価値観が根底から崩れた時代に、『働くとはなにか』『会社とはなにか』という本質的なテーマに真正面から取り組んだ、相当ラディカルで骨太な社会はサラリーマン群像劇だ」と述べています。
 第5章「サラリーマン神話解体」では、『ぼく、オタリーマン。』を取り上げ、「東海林さだおの作品に代表される従来のサラリーマン・ギャグ漫画は、出世できない平社員の悲哀や開き直りを笑いに消化しようとするものが中心だった」が、「出世できないことはさほど悲哀としては描かれていない。むしろ逆に、望まないのにチームリーダーに昇格させられて責任を押し付けられることのほうが深い悲哀として描かれる」と述べ、作者の「よしたにが出世のかわりに生活のモチベーションにするのは、自分の漫画を通して得られる承認だ」として、「会社に所属しつつも自分の人生のすべてを預けるのではなく、会社外での趣味活動で自意識や自尊心を確保する。それは仕事に人生を捧げたにもかかわらずリストラされてしまった上の世代を目の当たりにし、企業や転職でリスクをかぶった同世代を横目で見てきたロスジェネ世代ならではの、新しいサラリーマン像の一つと言える」と述べています。
 著者は、「親のような上司がいる家族的な会社を舞台に営業や総務、宣伝などジェネラリストが多い部門に配属された男性正社員が、誠実な人柄で得た人脈を武器に、敵と対峙しながら成長する」という源氏鶏太が確立した「最大公約数」的なサラリーマン・ファンタジーが、一旦姿を消した後、『課長島耕作』として漫画の世界で蘇り、「いくつものフォロワーやバリエーションを生んだ」と述べています。
 そして、「思えば島耕作とは、戦後のサラリーマンそのものだった。先後に生まれた団塊世代で、長いことサラリーマンという中間層のボリュームゾーンを形成し、会社に守られ、肩書きがそのアイデンティティを規定してきた、まさに最大公約数として描かれた最大公約数。〈源氏の血〉の集大成だった」と述べています。
 本書は、漫画という「自画像」に投影された戦後サラリーマンの姿を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 個人的には、島耕作は胡散臭さが鼻について感情移入できないのですが、サラリーマン漫画として評価されることの少ない『いいひと。』がきちんと紹介されていたのが嬉しいです。
 主人公と年齢設定が近いこともあって、こそばゆくなるくらいの「何のために働くのか」という正面からの問い掛けに、感情移入できる部分が結構あったのですが、今読み返してみても、納得できる気がしています。全巻持ってるし。


■ どんな人にオススメ?

・サラリーマン漫画なんて所詮消えものと思っている人。

2011年2月 7日 (月)

罪と音楽

■ 書籍情報

罪と音楽   【罪と音楽】(#1978)

  小室 哲哉
  価格: ¥1365 (税込)
  幻冬舎(2009/9/15)

 本書は、著者が逮捕された事件後に、自らの半生や音楽観、そして事件と公判などを綴ったエッセイです。が、あれだけ売れた著者ならではのヒット理論がふんだんに盛り込まれていてそういう観点からも面白い一冊です。
 第1章「奈落の底での出来事」では、「プロデューサーであり、職人でもあるのだから、芸術かぶった表現は似合わないと、自分で自分を縛っていた」が、今回の事件でその呪縛が解け、「音楽は降ってくる」と素直に言えるようになったと語っています。
 第2章「右肩上がりの軌跡」では、TMネットワークのデビューに当たって、「いい曲は当たり前であって、そこにもうひとつ、特徴なり個性なり、あるいは話題性が必要だ」と考え、そのプラスαを「企画」と名付けたと述べています。
 また、日本のポップスのに大潮流として、
(1)歌謡曲という流行歌の潮流:筒美京平、三木たかし、村井邦彦など
(2)フォークやニューミュージックという流行歌の潮流
の2つを挙げ、「まるまる下敷きに出来る先輩がいないわけだから、自分が進む道は、自分で開拓するしかなかった」ため、「歌と伴奏、メロディとアレンジが渾然一体となった『総合力で勝負』というのが、僕の発想だった」と語っています。
 第3章「絶頂からの逃走」では、「Jポップが幼児性を強めてしまった原因の一端は、僕にある」として、「『ASAYAN』から登場した鈴木亜美とモーニング娘。が売れ始めたことから、その傾向があからさまになった」と述べ、「当時は、いかに簡単な表現にするか、いかに伝わる速度を上げるかに囚われていた。その結果、NHK『みんなのうた』にかぎりなく接近していくわけだ」としています。
 また、21世紀になって、「ミュージシャンへのリスペクトが極端に薄れた」、「世の中が音楽に携わるアーティストや演奏家を、さほど仰ぎ見なくなった。子供達は憧れなくなった」として、「かつてミュージシャンが座っていた椅子に今いるのは、お笑い芸人のみなさんだ」と語っています。
 第4章「公判についての所懐」では、「ヒット曲を作るとき、僕は『半歩先』が大事だと思ってやってきた」として、二次地上生活のスピード感が「加速度的に上がっている」中で、「地デジ時代を意識した半歩先のCMソングを作るなら、4小節以内で勝負するくらいでないと駄目だろう。するとBPM=120から140くらいまで上げざるを得ない」と述べています。
 第5章「小室哲哉の秘密」では、「カラオケで受ける曲の三要素」として、
・発散:ダンサンブル、れんこ
・社交:一緒に盛り上がれる
・エクササイズ:練習や訓練が必要な高いキー
の3点を挙げています。
 本書は、幻冬舎的なタレント本でありながら、タレントになりきれない音楽オタクのマニアックな解説が詰まっている一冊です。


■ 個人的な視点から

 「かつてミュージシャンが座っていた椅子」が夜のヒットスタジオかMステだとすると、お笑い芸人は雨トークの雛壇かな。バウバウ手でも叩いてろってこった。

■ どんな人にオススメ?

・ヒットする前の小室哲哉のオタクぶりを知らない人。

2011年2月 6日 (日)

マーケティングとPRの実践ネット戦略

■ 書籍情報

マーケティングとPRの実践ネット戦略   【マーケティングとPRの実践ネット戦略】(#1977)

  デビッド・マーマン・スコット (著), 神原 弥奈子 (監修), 平田 大治 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  日経BP社(2009/2/11)

 本書は、「インターネットが普及した結果、従来の古いルールはもはや有効ではなく、新しいルールが必要であることを、実際の成功事例を交えて説明して」いるものです。序文では、「もしあなたが、伝えるだけの価値がある情報を発信すれば、ブログ、ポッドキャスト、ビデオブログ、その他もろもろのメディアを通してその情報は繰り返し伝えられ、数十万、数百万という人々を介して世界中を飛び回ることになる」と述べエチます。
 第1部「ウェブはマーケティングとPRをどう変えたか?」では、「ウェブのおかげで、普通の消費者と直接関係を構築することが可能となった」として、「そのためには、古いルールを無視することを学ばなければならない」と述べ、「広告がマーケティング戦略の一部になることはあっても、マーケティングとは広告を一方的にまき散らすことだけではない」としています。
 そして、「オンラインのコンテンツはマーケティングとPRを1つにまとめていく」として、「ウェブコンテンツは、消費者直結型ニュースリリースとうまく組み合わせている」と述べています。
 第2部「ウェブでどのようにして直接リーチするか?」では、「ブログを読んでいない人はしばしばブログを誤解する」として、「ジャーナリストやマーケティングとPRの専門家は、ブログを自分たちに馴染みのある雑誌や新聞と比べて否定しようとする」が、「ブログは、専門家や専門家になりたい人が、自分の意見をネット上で活発にぶつけ合うための場所だ」と述べています。
 そして、ブログの使い方を、
(1)自社や、商品、市場などについて、大勢のブロガーがどのようなことを言っているのかを観察する。
(2)他人のブログにコメントし、そこで交わされる会話に参加する。
(3)自分のブログを立ち上げ、会話を始め、他の人に場を提供する。
の3つの段階でで解説しています。
 また、「200リットルのダイエットコークと500個以上のメントスミントで何が起きる?」という動画を、「たった3週間で400万人が動画を満たし、数百人のブロガーが記事に書いた」という「典型的なバイラル現象」が起きた事例を取り上げ、「マーケッターにとってウェブ最大の魅力は、アイディアさえよければコストを掛けずにブランドや会社を有名にできて、しかも収益をもたらすということだ」と述べ、「バイラル・マーケティング、つまりクチコミで自社の話を広めてもらうことは、ターゲットへリーチする手段として、最も派手で強力なものだ。その力をコントロールすることは決して簡単ではないが、ニュースを公表する前に綿密に準備し、人々の興味をひくための手立てを実行すれば、どんな企業でもウェブで有名になるチャンスはある」としています。
 第3部「ウェブの力を利用するアクションプラン」では、「マーケティングとPRのプランを構築するためには、製品やサービスのことはひとまず置いておこう。この過程で最も意識を集中するべきなのは、顧客なのだ」と述べています。
 本書は、お金をかけずに顧客に直接リーチすることができる時代のマーケティングとPRの統合を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書はある意味、ウェブPR会社の営業用の本なのですが、それを差し引いても、大手広告代理店が自ら抱えている既得権益(というより自社内の別部門)に配慮しながら遠慮がちに撃ち出すウェブマーケティングの本の類よりも、スッパリ分かりやすく実感に会った感じがします。テレビCMビジネスが急激に瓦解しているのをきちんと認めないと古いルールは捨てられないわけですし。


■ どんな人にオススメ?

・テレビを使った宣伝モデルがまだまだ続くと思っている人。

2011年2月 5日 (土)

霞が関「解体」戦争

■ 書籍情報

霞が関「解体」戦争   【霞が関「解体」戦争】(#1976)

  猪瀬 直樹
  価格: ¥1680 (税込)
  草思社(2008/11/25)

 本書は、「分権委員会の延べ200時間近い膨大な討議の議事録の一部を抜粋し、解説を加えたもの」です。著者は、「この国を元気にするための地方分権」を、「霞が関解体計画」と呼んでいます。
 第1章「不滅ななわばり争い」では、「経済産業省(旧・通産省)に経済産業局という出先機関は必要か」と問い、「60年も経つと企業を取り巻く環境も変わる」にもかかわらず、「役所の気候は、時代の変化に対応できない。経済産業局はその典型例である」と述べ、「昭和23年か24年の古いく割線が何で必要なのかということがわからない」、「出先機関を置いているがゆえに無理にその管轄区域で仕事を作る。出先機関を置いているがゆえに、管轄区域に縛られた思考回路になっている」と指摘しています。
 第2章「こんなルールはもういらない」では、「選挙で選ばれるわけではない霞ヶ関の官僚機構の役人たちが、自分たちの都合の良いように勝手に規則をつくっている」と指摘した上で、生活保護制度について、「『自立の助長』を謳いながら、現実には必ずしも自立に結びつく制度となっていない」として、年金より生活保護のほうが年収滴に高くなっている点について、「一生懸命働いほうが正しいのだということを否定するようなインセンティブになっている」と指摘しています。
 そして、個別の土地利用に関する許可権限について、「国の大臣が最後まで握っているのは、もう農林水産省の関係だけ」だとして、「農水省は、農地に関してまるで自分の支配地のつもり、封建領主の感覚を持ち合わせているようだ」と述べています。
 第3章「こんな組織はもういらない」では、「ほんとうは廃止されるべきだった旧食糧事務所が、BSE(牛海綿状脳症)問題や毒入りギョーザ問題、偽装うなぎ問題など『食の安全』に対処するという名目で無理矢理に仕事を作っているのではないか」と指摘しています。
 第4章「『国にしかできない』なんて大嘘だ」では、財団法人日本冷凍食品検査協会や財団法人残留農薬研究所という農林水産省からの天下りが居る団体が、ギョーザ事件の時に全然稼動しなかったことを指摘し、「全国規模の問題だ」というときに「全然役に立っていない」と述べています。
 第5章「税金無駄遣いシステムを見逃すな」では、「もともとは炭鉱離職者のための職業訓練という名目で作られた小さな特殊法人・雇用促進事業団が次第に膨張していき、雇用・能力開発機構という怪物に育った。失業保険が雇用保険と名称変更されたとき、怪物になる種がまかれたのだ」として、「失業保険のつもりでかけていた保険は、いつの間にか職業訓練に関わる施設を作る費用にまで使われるようになった」と述べ、「役人の悪知恵は恐ろしい」としています。
 また、国土交通相の出先機関日打て、「地方整備局で働いている人が沢山いて、その働いている人を雇用するために今度はまた仕事を増やしていくという構造が、道路特定財源がある限り生まれてしまう」と指摘しています。
 本書は、官僚が国民の見えないところで、綿々と築きあげてきた「おいしい話」を白日のもとに晒そうという一冊です。


■ 個人的な視点から

 勢いがある一方で、物の言い方は迂闊な著者ですが、雪かきやった漫画家と会ったりする辺り、転んでもただでは起きません。


■ どんな人にオススメ?

・官僚はなにか隠していると思う人。

2011年2月 4日 (金)

ソーシャル・イノベーション―営利と非営利を超えて

■ 書籍情報

ソーシャル・イノベーション―営利と非営利を超えて   【ソーシャル・イノベーション―営利と非営利を超えて】(#1975)

  服部 篤子, 武藤 清, 渋澤 健, 比留間雅人, 小林香織, 石井芳明, 金田晃一, 服部 崇
  価格: ¥2520 (税込)
  日本経済評論社(2010/5/26)

 本書は、「真に豊かで平等で持続可能な社会」を作るために、「思想や価値観のレベルまでさかのぼって社会のあり方を変革し、新たな価値を生み出す『ソーシャル・イノベーション』が必要」という問題意識から書かれたものです。
 第1章「市民社会の王道を導く社会起業家」では、社会起業家について、「営利・非営利という境界を問わず、社会が必要とする変革を認知し、問題解決を成し遂げる事業を自ら発案して起こす者」と定義しています。
 そして、「社会問題とか労働問題などのごときは、単に法律の力ばかりを持って解決されるものではない。法の制定はもとよりよいが、法が制定されておるからと云って、一も二もなくそれに裁断を仰ぐということは、なるべくせぬようにしたい。もしそれ富豪も貧民も王道をもって立ち、王道はすなわち人間行為の定規であるという考をもって世に処すならば、百の法文、千の規則あるよりもはるかに勝ったことと思う」という渋沢栄一の言葉を紹介し、「日本の社会起業家の元祖」と評しています。
 第2章「ソーシャル・イノベーションとその担い手」では、ピーター・ドラッカーが、「イノベーションを技術革新という意味合いを超えて、経営革新や、社会変革など、社会全体に及ぼす影響力」という視点から見ていたことを紹介し、「ソーシャル・イノベーションは、企業、社会双方のセクターが必要としている、経済及び社会を変える概念であることを再認識すべき」と述べています。
 また、「社会起業家」について、ディーズ&アンダースンによる、
(1)社会的な課題を改善するためのミッションを提示し、経済的価値のみならず社会的価値を想像する。
(2)問題が生じたとき、それを機会と捉え、新しい行動を歩み出す。
(3)よりよい成果を実現するために常に学び、改革しようとする。
(4)手持ちの資源は少なくても、臆することなくより良い手段を求めていく。
(5)受益者を満足させ、より良い成果をあげるために説明責任をしっかり果たす。
の5つの特徴を紹介しています。
 第3章「社会起業家を支えるインフラ」では、「社会起業家の登場により、社会事業にもビジネス的なマネジメント手法が求められるようになったのに似て、支援する側のフィランソロピーにもベンチャー・キャピタル的な『投資』マインドと技術が要求されている」と述べています。
 そして、「支援者の育成も社会起業家支援に向けて取り組むべき点である」として、1980年に「非営利組織の成長を支援し、コミュニティの発展を図ること」を目的として創設された米国NFF(Nonprofit Finance Found)を取り上げ、その代表クララ・ミラー氏が、社会起業家の課題として、
(1)いかに社会的リターンや社会的価値を社会にみせていくことができるか。
(2)資金提供者や市場に理解してもらう物差しは何であろうか。
(3)いかに強調して有志をしていくことができるか。
の3点を挙げていることを紹介しています。
 また、今後社会起業家の議論をすすめる上での留意点として、
(1)従来のNPOや中小企業支援とどこが異なるのか。
(2)資金的な視点では、事業の社会性を評価する視点を持つ点。
(3)非営利、営利、政府の各セクターと、領域を越えた人材の流動化を促すこと。
の3点を挙げています。
 第4章「英国と韓国政府の社会的企業支援」では、社会的企業が、政府や自治体に注目されるようになった背景として、
(1)行政改革や自治体の財政難を受けてのスリムで効率的な公的組織の構築の要請(官から民へ)
(2)高齢化、医療福祉、環境、雇用、地域経済などの政策ニーズの複雑化・深刻化
(3)社会的企業の成長による新しい産業分野の拡大による雇用創出への期待
の3点を挙げています。
 第5章「企業によるソーシャル・イノベーションと生活者」では、「企業によるソーシャル・イノベーション」について、「企業活動を通じてもたらされた何らかの変化」であり、「一企業の取組を超え、生活者も巻き込む広がりを持つ変化」であると述べたうえで、その高層の前提として、
(1)生活者はその取組が短期的にでも中長期的にでも自分の利害と一致することを重視する。
(2)生活者にとっての「社会的課題」や「社会的意義」が多分にメディアなどで接する情報に左右されるものであり安定的・累積的なものではない。
(3)企業のソーシャル・イノベーションの意義をどう評価するかは「企業」と「社会」に対する生活者自身の当事者意識にも影響される。
の3点を挙げています。
 本書は、「イノベーション」という言葉をより根源的な意味で問う一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の執筆メンバーは、一緒の勉強会などをお手伝いさせていただいているので、こうやって一冊の本の形でまとまったものを読むと、感慨もひとしおです。ちなみに「ひとしお」ってどういう意味だったかしら?・・・漢字では「一入」と書くようです。


■ どんな人にオススメ?

・社会は誰かが変えてくれると思っている人。

2011年2月 3日 (木)

できる公務員の交渉力

■ 書籍情報

できる公務員の交渉力   【できる公務員の交渉力】(#1974)

  渡邉 泰弘, 星川 敏充
  価格: ¥1,890 (税込)
  学陽書房(2010/4/15)

 本書は、「公務員に求められる『交渉力』を養うため、現場での実体験をもとに基本的な心構えや考え方、コミュニケーション・スキルなど、交渉相手への対応の方法や留意点を実践的に解説」するものです。
 第1章「『交渉力』なくして、行政は動かず」では、「交渉は必ずしも条件だけで成否が決まるわけではない」として、「交渉を成功させるためには、丁寧に相互の関係性を築き、信頼を得た上で、相手の立場も考慮しながら懇切な対応をしていくことが大事だ」と述べています。
 第2章「これだけは知っておきたい! 5つのルール」では、
(1)人間関係をつくろう
(2)まずは汗を流そう
(3)外見・印象をよくしよう
(4)報・連・相に努めよう
(5)十分な準備をしよう
の5つのルールを挙げた上で、相手が主語になる雑談のできた関係をつくること、不調時対策としてBATNA(Best Alternatibe To a Negotiated Agreement)を用意すること、等のポイントを上げています。
 第3章「できる公務員の交渉術」では、傾聴(アクティブリスニング)のスキルとして、
(1)あいづち
(2)うなずき
(3)オウム返し
(4)要約・言い換え
の4点を挙げています。
 そして、交渉のテーブルには、原則として複数で対応することを挙げ、「詳細な説明や具体的手順の説明が必要なときに、適切に進められる」、「2人の眼で見て、2人で聞き、記録をつくる」等のメリットを挙げています。
 また、交渉論の古典である『ハーバード流交渉術』から、
(1)人と問題を分離すること
(2)立場でなく利害に焦点を合わせること
(3)決定する前に多くの可能性をつくり出すこと
(4)結果は客観的基準によるべきこと
の4つの基本原則を紹介しています。
 第4章「事例から学ぶ――交渉は『現場』で起こっている!」では、用地買収の折衝ポイントとして、「法令で決められている手続はもとより、まず町や県がどう考えているかをつぶさに、時間をかけて住民や地主に理解してもらい」、「それと同時に、逆に住民や地主がどのようなことを望んでいるのかを十分に知る機会をできるだけ多くすることが重要」だと述べています。
 本書は、著者らの長い行政経験を後進に伝えようとしてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 行政は究極的には権力を背景とした強制力を持っていることが多いというものの、現実にそんなものをすぐに使えるはずもなく、中には「公務員は公僕、俺の税金で食わしてもらってるくせになんだその態度は」という人にもひたすら低姿勢に頭を下げ続ける、ということが必要になることも少なくありません。


■ どんな人にオススメ?

・交渉力不足を感じている人。

2011年2月 2日 (水)

自治体の外部評価―事業を見直すための行政評価の活用策

■ 書籍情報

自治体の外部評価―事業を見直すための行政評価の活用策   【自治体の外部評価―事業を見直すための行政評価の活用策】(#1973)

  小島 卓弥
  価格: ¥2,730 (税込)
  学陽書房(2010/09)

 本書は、「自治体における外部評価をテーマに、それが必要な背景、行政評価との連携の意義、実際に実施している自治体の実践例、そして外部評価を実施するための検討自己について網羅的に整理」したものです。
 第1章「なぜ外部評価が必要か<概論整理編>」では、外部評価が導入される背景の一つとして、「この厳しい財政状況において、行政評価が業務改善や予算(コスト)削減に十分な役割を担うことができなかった」点を挙げた上で、「多くの自治体職員にとって事業を廃止する、もしくは見直すというインセンティブは乏しい」要因として、「事業(そのもの)を維持すること、予算を削られないこと、定数を守ること、が自治体組織内における所管課の課長の暗黙の『査定値』、という因習が現在でも継続されているから」だと述べるとともに、行政評価が、「『職員の意識改革』『成果意識、コスト意識など民間的な意識・経営マインドの啓発』などのために検討された手法であり、それ自体に『業務改善機能』を持たせようとしたところに無理があった」と指摘しています。
 そして、自治体における行財政改革の最大の抵抗勢力として市民自身を挙げ、「多くの首長や議員は市民の顔色をうかがいながら発言をしている。議員が改革に抵抗するということは、すなわちその議員を選びだした市民が改革に抵抗する考えを持っている、と考えるのが間接民主主義制度における一般的な考え方である」と述べています。
 また、外部評価のメリットとして、
(1)しがらみのなさ
(2)外部評価者の経験・視点
(3)「前例踏襲主義」「思いこみ」の排除
(4)事業見直しの過程を公開する
の4点を挙げた上で、「外部評価委員による評価は、改善箇所を発見できる可能性を高め、自治体内部で議論するだけでは生み出されないような着眼点や改善策が出てくることがある」と述べています。
 第2章「外部評価導入自治体の事例<事例編>」では、福岡市の「事業の仕分け」について、平成16年度より行政評価(事務事業評価)を取り入れてきたが、「評価が所管局部課の自己評価のみにとどまっている」「事務事業評価の対象が重点事業のみ」「評価結果を具体的効果に反映させる仕組みが弱い」という問題意識を有していたことから、事務事業評価に第三者評価を導入する「事業の仕分け」を平成20年度から2年間試行実施したと述べ、その特徴として、
(1)既存の行政評価スキームの活用
(2)評価の過程から評価結果までの情報公開の徹底
(3)予算額が500万円以上の事業等を5年間でローリングすること
の3点を挙げています。
 大野城市の「フルコスト計算書による事業の診断」については、平成16年度から外部評価をスタートさせ、予算を枠配分方式に切り替えることにともない、「事業の見直しや廃止を検討するための仕組みの一つとして、外部評価の手法である『フルコスト計算書による事業の診断』を導入している」と述べ、外部評価委員として、
(1)市役所の「財政」「行革」「総合計画(企画)」部門
(2)公募を含む市民委員
(3)委託コンサルタント
の3者で三位一体の評価を実施していることや、評価結果である「診断書」にかかれている「改善提案」に相当する金額を「改善時期」に予算枠から減額するというユニークな対応方法を採っていることなどの特徴を紹介しています。
 この他、流山市、札幌市、愛媛県、佐賀県の事例を紹介した上で、外部委員の構成や、コンサルタントの活用などについて比較しています。
 第3章「外部評価をどのように実施するべきか<実践編>」では、外部評価を実施する前に、もっとも大切なこととして、「何のために」「どのような位置づけ」で実施するかを決めることを挙げたうえで、外部評価を実施する目的として、「改革力の強化」と「職員の意識改革」の2つに重きを置いて実施し、「結果として事業の見直し過程の透明化によるアカウンタビリティ機能の強化や職員の能力開発にも効果が期待できる」と述べています。
 また、外部評価委員の人選の重要性として、
(1)学識経験者
(2)民間企業経営者、出身者
(3)他自治体職員
(4)市民
などそれぞれについて解説しています。
 そして、市民委員の声の活かしかたとして、
(1)市民委員はあくまでも意見、感想を言う役割に限定
(2)外部評価委員全体に占める市民委員の比率を50%以下にする
の2つの方法を挙げています。
 さらに、外部評価におけるコンサルタントの役割として、
(1)外部評価のフレームワークの構築
(2)外部評価委員や評価委員会のコーディネーター
(3)中間的な評価の担い手
の3点を挙げています。
 本書は、自治体における外部評価の意義とその運用上の課題を網羅した一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者の小島さんにはいつもお世話になってます。一般的な認識では役所で役に立たなくなった、もとい、ポストがなくなった人を外に押し付けるのが「天下り」と言われていますが、その流れに逆流して民間から役所に求められてしまうというのは、いかに必要とされているのかがわかります。


■ どんな人にオススメ?

・役所には外の目が必要だと思う人。

2011年2月 1日 (火)

労働市場改革の経済学

■ 書籍情報

労働市場改革の経済学   【労働市場改革の経済学】(#1972)

  八代 尚宏
  価格: ¥2,310 (税込)
  東洋経済新報社(2009/11/20)

 本書は、「経済社会環境の変化にもかかわらず、過去の高い経済性長期の産物である日本的雇用慣行を、大企業の労働組合と経営者がともに固守しようとしていることが、様々な雇用格差を引き起こしている要因である」ことを示すとともに、「派遣社員を含めた非正規労働者にとって大事なことは、その働き方自体を否定されるのではなく、よりよい働き方への改善を図るための制度・規制の改革である」ことなどを主張しているものです。
 序章「労・労対立」では、「正社員と批正社員との格差は、ほかの多くの労働市場の問題と密接にかかわっている」として、
(1)日本では正社員の雇用を守るため非正社員の雇用契約が更新されない「解雇リスクの身分差」がある。
(2)日本の男女間の賃金格差はOECD諸国では韓国に次いで大きく、男女共同参画社会もかけ声のみで終わっている。また、大企業と中小企業との賃金格差等の「労働市場の二重構造」も古くから存在する。
(3)ワーク・シェアリングには労使とも消極的
の3点を挙げています。
 第1章「なぜ今、労働市場の改革が必要なのか」では、「長期雇用保障・年功賃金の働き方が崩れると、効率的かもしれないが公平性に欠ける社会にならないか」という懸念に対し、「日本型の雇用慣行が『公平』という概念は、あくまでも限られた特定企業の正社員の間で通用するものである」と指摘し、「長期雇用保障・年功賃金の働き方は、その恩恵を受けられる者にとっては公平な仕組みであるが、それ以外の労働者との間には、もともと大きな不公平が存在していたことが認識される必要がある」と述べています。
 第2章「非正社員問題とはなにか」では、「解雇のコストを、正社員よりも弱い立場にある非正社員に対して、まず負担させるということを裁判所が命じることは、公平性の観点からも望ましくない」とした上で、「より現実的な対応としては、企業の『解雇回避努力』のかわりに、『解雇保障義務』を設けることである」と述べています。
 また、「終身雇用・年功賃金の日本的雇用慣行は、これまで『非効率的でも平等な働き方』と言われているが、じつはこれは正反対である。企業内で多様な業務に対応できる熟練労働者を育成する日本企業の仕組みは、効率的なものであった。しかし、これを『平等な働き方』というのは、あくまでも正社員の間のことである」と指摘し、「すでに雇用者の3分の1を越えた非正社員から見れば、仕事能力だけでなく、その『身分』で賃金が決まるという正社員の存在は、不平等な仕組みである」と述べています。
 第3章「派遣労働禁止では誰も救われない」では、本来の労働者派遣法の望ましいあり方として、「現行の派遣事業者を取り締まる法律を、純粋に『派遣労働者保護法』ヘと転換することに尽きる」として、
(1)派遣対象職種の拡大
(2)派遣期間の制限撤廃
(3)派遣先企業の義務強化
(4)派遣元企業に対する派遣社員への教育訓練強化へのインセンティブづけの仕組み
の4点を挙げています。
 第4章「日本的雇用慣行の光と影」では、「大企業でも官庁でも、その組織内には『良いポスト』と『悪いポスト』とがある」として、良いポストでは「上司や同僚から学ぶ、質の高い『業務上の訓練』が得られる」一方で、悪いポストは、「学ぶ内容の乏しい上司の下で働く、努力しても報われず、注目もされない定常的な業務である」として、「どちらのポストにつけられるかで、当初は仕事能力に大差のなかった若年労働者の間に、勤務年数が長くなるほど、累積的に大きな差が生じることになる」と御部定ます。
 第5章「こうすれば少子化は止められる」では、「政府が重点を置いてきた育児休業制度の改善とは、基本的に現行の男性世帯主の働き方を所与としたままで、共働き世帯の女性に対して、それと同じ働き方をするための支援策にすぎない」と指摘した上で、最大の「子育て費用」は、「子育てのために母親が仕事を辞めることにともなう『機会費用』である」として、大卒女性が子供を産まずに働き続ける場合の生涯賃金2億7700万円と比べ、生涯賃金では約2億3千万円のマイナスになることを指摘しています。
 第6章「男女共同参画とワーク・ライフ・バランス」では、「ある程度まで安定した雇用の下で、労働者にとっての適切な労働時間の選択が可能となり、ワーク・ライフ・バランスが実現できるため」の政策として、
(1)年間総労働時間に対する上限設定を行うこと
(2)渉外を通じて、性別・年齢にかかわらず、多様な働き方の選択が可能となっていること
(3)労働時間の短縮が労働生産性を引き下げるのではなく、むしろ時間当たりの生産性を引き上げることが前提
の3点を挙げています。
 第9章「公共職業安定所と労働行政の改革」では、現在の公共職業安定所の根拠とされている、1948年に採択されたILO第88号条約の「(無料の)職業安定組織は、国の機関の指揮監督の下にある職業安定機関の全体的体型で構成される」と「職業安定組織の職員は、(中略)当該組織上の必要による場合を除く外、身分の安定を保障される公務員でなければならない」という規定について、「『公務員が従事する全体的体型のネットワーク』というILOの条文は、それを具体的な国内制度に当てはめる際にも幅広い解釈権が与えられており、通商条約のような他国との調整は不必要である」と指摘しています。
 本書は、大企業正社員の既得権益には手をつけないままで非正社員の雇用対策を論じることの矛盾を指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 「派遣切り」がセンセーショナルに報じられた背景には、やはり非正規社員が多く、ブラック系労働条件職場が多いマスコミの下請けの製作会社の社員の同情があったのかもしれません。批判の矛先は政府や大企業に向きましたが、本書で一番批判の対象となっている一流企業の正社員の既得権を一番享受しているマスコミの正社員に対する批判は望めるはずもありません。彼らは特権階級ですから。


■ どんな人にオススメ?

・悪いのは経営者や政治家だと思っている人。

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