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2011年4月

2011年4月28日 (木)

報道再生 グーグルとメディア崩壊

■ 書籍情報

報道再生 グーグルとメディア崩壊   【報道再生 グーグルとメディア崩壊】(#2007)

  河内 孝, 金平 茂紀
  価格: ¥760 (税込)
  角川書店(2010/12/10)

 本書は、メディアを巡る諸問題について、ビジネスの観点を取材現場の観点という対極点から議論したものです。
 第1章「『報道再生』の可能性――グーグルと新聞」では、グーグルの存在理由を、「ユーザーの求める最新情報を十分に集積し、正確に整理し、いつでも引き出せる状態にしておくこと」だとして、「検索情報の中で重要なウェイトをしめるニュースを提供する報道機関とグーグルは、ある意味で運命共同体と言っても過言ではない」と述べています。
 そして、アメリカの多くの新旧メディア関係者の共通認識として、「今後、数年間、メディア界の最大の課題はグーグルというインターネット社会の怪物とどう折り合いをつけて(あるいは調教しながら)共存していくのか」という点を挙げています。
 第2章「アメリカにおける旧来型メディアの衰退」では、「新聞社の経営が悪化して本当に危機に瀕するのは記事内容そのものなのだ」という認識がどこまで経営者に共有されているか、「新聞社が生き残っても、その新聞が生きているに値しない内容に劣化したならば意味がない」と指摘しています。
 第3章「守られるべきジャーナリズムとは」では、アメリカでの「新聞・テレビ以降」を見据えた様々な取り組みの主役は、大量にレイオフされたフリーのジャーナリストたちだと述べた上で、事件の第一報が市民からのツイッターやフェイスブックからも来るようになった今では、「専門記者の経験と判断力が必要とされるのは主として通報を受けた後の調査、解説報道の分野となる」と述べています。
 第4章「アメリカの独立系メディアの急進とその限界」では、「新旧メディアの対立の構図を理解するための一対の概念の整理」として、リンク・エコノミーとコンテンツ・エコノミーという言葉を挙げた上で、「新興、独立系のメディアが旧来型のメディアと程度の差こそあれ、協力協業体制」にあると述べています。
 第5章「報道再生のカギは何か」では、「法改正により通信と放送の垣根が取り払われたとき、通信キャリアーの放送産業への資本参加、業務提携は一挙に進むだろう」として、それは、「『老々介護』とまで陰口をたたかれながらも民放キー局との運命共同体かで生き残りを図ろうとする大手新聞社の思惑と運命をも大きく変えてゆくことになる」と指摘しています。
 第6章「ジャーナリズムとは何だったのか」では、「公共財としての『審級』というものがある。そこには一定の品位(decency)が要求される」として、「草薙・のりピー報道に見られるような筆者の仲間たちの一種の『刹那主義』を目の当たりにすると、何か大きなものが崩れ去っているような感覚に苛まれる」と述べています。
 そして、「公共財としての情報は、水や空気と同じように社会的な存在である人間が生きていくために必要不可欠なものだ」と述べています。
 終章「メディアの課題とは」では、オンライン・ビジネスの人々が既存メディアに求めているものとして、
(1)新聞やネットワーク・テレビ局がニュースを独占収集し供給する時代はとっくに終わったし、すべてのニュースをパッケージ化した商品として売ることも陳腐化したことを認めること。
(2)その認識に立ってビジネスモデルを創造的に破壊して「われわれのビジネスサークルに入ってきてくれ!」と求めている。
の2点を挙げています。
 本書は、2つの異なる視点から出発しつつも、共通の課題意識を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 10年ほど前に検索エンジンとしてのグーグルが登場したときは、その検索結果の正確さに喜んで飛びついたものですが、この10年の間にここまで社会生活そのものを規定する存在になるとは思いませんでした。そういう意味では「既存メディア対グーグル」という対決の構造を設定しようとしても意味がなく、「グーグル後」の社会における報道のあり方はなにか、という問題の捉え方なのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・まだテレビと新聞で世の中を知ろうと思っているいhと。

2011年4月27日 (水)

なんだこりゃ?!まだまだあるぞ 県境&境界線の謎

■ 書籍情報

なんだこりゃ?!まだまだあるぞ 県境&境界線の謎   【なんだこりゃ?!まだまだあるぞ 県境&境界線の謎】(#2006)

  浅井 建爾
  価格: ¥800 (税込)
  実業之日本社(2009/9/11)

 本書は、複雑に屈曲している「県境」と「市町村境」に隠された「私たちが知らなかったドラマ」を解説したものです。
 第1章「まだまだあった『県境』の謎」では、全国に20カ所近くの県境未定地があるうち、3カ所が東京都に存在しているとして、
(1)江戸川と旧江戸川の分岐点にある「河原番外地」と呼ばれる一画。
(2)江戸川区の葛西臨海公園と千葉県浦安市の東京ディズニーランドに挟まれた旧江戸川の河口部
(3)葛飾区と埼玉県三郷市との間にある水元公園に隣接する小合溜。
の3点を挙げています。
 第2章「市町村境・旧国境の知られざる秘密」では、京都府南部の井手町と和束町の町境が、「母胎と胎児をつなぐへその緒のようでもあり、ミミズが地面を這っているかのようでもある」理由として、田村清兵衛と言う人物が京都代官所に願い出て新田開発したことに由来していると述べています。
 また、千葉県船橋市に「葛飾」がある理由として、徳川幕府が江戸を水害から守るために、「瀬替え」と呼ばれる利根川の流路の変更を行ったことを挙げ、それにともない、隅田川が武蔵と下総の国境となっていたものが江戸川に変更になったためであると述べています。
 第4章「たかが境界線、されど境界線」では、全国で唯一、4県にまたがっている県道として、「栃木県道・群馬県道・埼玉県道・茨城県道9号佐野古河線」をあげ、「この道路を走ると栃木―群馬―埼玉―群馬―栃木―埼玉―茨城と目まぐるしく県名が変わる」と述べています。
 第5章「地形や文化にも境界線がある」では、東日本では「谷」を「ヤ」と読む地名が多いが、近畿以西では「タニ」と呼ぶ地名が圧倒的に多いと述べています。
 本書は、土地の境界線に隠されたドラマを追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 かつては境界そのものよりも漁業権とか入会地とか水利権とかを巡って争っていたのですが、地方交付税の算定基礎になるので面積そのものを争うようになったということ、そして境界が決まらないほうが損なので境界を定めるようになったことなど、お金が絡むと色々面倒になると感じます。


■ どんな人にオススメ?

・都道府県境なんて適当にきまってそうだと思う人。


2011年4月26日 (火)

環境と経済の文明史

■ 書籍情報

環境と経済の文明史   【環境と経済の文明史】(#2005)

  細田 衛士
  価格: ¥1890 (税込)
  エヌティティ出版(2010/3/26)

 本書は、農耕、化学工業、地球温暖化、公害など、様々な角度から経済と環境の緊張関係を解説したものです。
 第1章「農耕と人間」では、「自然環境と折り合いをつけながら安全な食を得るためにはいったいどうしたらよいのか、いまだに手探りの状態が続いている」とした上で、産業革命以前の「大開墾時代」と名の付くような時代でも、「現代と異なって森林伐採や耕作地拡大の技術は格段に劣っていた」にもかかわらず、「森林伐採は徐々に進み、森林面積は確実に縮小していった」として、「自然からの人口抑制力が非常に弱くなり、他方機械の力によっていとも簡単に森林を伐採し開墾できる現代では、森林破壊を止めることは困難きわまりない」と述べています。
 第2章「技術と環境」では、「技術進歩によって余剰生産物が増加すると、交換を通して市場の隅々まで恩恵が広がることになる」都市t、エ「市場経済は要素技術の成果を結びつける一つの場にすぎないが、歴史の中でかくまで多くの人にメリットを与えるシステムはこれまでなかった」と述べています。
 そして、市場経済のメリットとして、
(1)効率的な資源配分が達成されること。
(2)一国全体の需要の不足による不況の状況を除けば、貯蓄が投資され、経済がダイナミックに成長・発展してゆくこと。
の2点を挙げています。
 第4章「化石燃料革命」では、「産業革命前の経済社会は、原理的にはおおむね持続可能な社会であった」が、「実際はそうはならなかった」として、「森林地に存在する森林資源というストック資源は、食いつぶしてゆくことによってそのものが常にフローとしての生産物に転換できる」ため、森林伐採が止まらなかったと述べています。
 第5章「日本文明と環境」では、「江戸時代の日本では、同時代の西ヨーロッパと異なり、糞尿を含めた廃棄物が有効利用され、自然環境に極力負荷をかけないような仕組みができあがっていた」として、「江戸時代のエネルギー利用がいかに優れていたかは、里山や雑木林の持続的利用方法からも見て取れる」と述べています。
 そして、「江戸時代は安定した社会であったため、余剰生産物が戦争などの形で浪費されることがなく、経済成長・発展のために必要とされる資本蓄積に回されることになった。市場経済が順調に発達し、近代の資本主義社会を形成するのに十分な土台ができあがっていたのである」と述べています。
 第6章「貧困と豊かさの環境問題」では、1972年の『成長の限界』の形で出版されたローマクラブの予言が「そのままの形では実現しそうにない」理由として、「当時も経済学者が批判したように、しなやかな市場メカニズムの動きを無視してしまったから」だと述べています。
 第8章「資源の枯渇と循環利用」では、「自然系から資源を採取する、あるいは自然系へ残渣を排出するとき、自然に悪影響を与えることによって同時に経済にも悪影響を与えることになる」として、「これらの悪影響を何らかの形でマイナスの価値として市場経済に信号を送ってやれば、人間の動機付けに影響を与えることによって環境の価値を取り込んだ経済運営ができる」と述べています。
 終章「成熟した社会のスタイル」では、「発想を逆転して、目指すべき経済社会の目標を確定して、そこから現在の経済社会御成方、システム設計のあり方を確定することが必要である」として、「その際重要になるのは、目指すべき経済社会の目標を明確にすることである」と述べています。
 本書は、お互いに無視しては語ることのできない存在である経済と環境の関係を扱った一冊です。


■ 個人的な視点から

 タイトルに「環境」とか「文明」とか書いてある本は、著者がまともそうな経歴の人でもデムパな認識や主張が飛び出してきそうで身構えて読んでしまうのですが、本書は話があちこちに飛んでいるにもかかわらず、きちんとロジックがハンドリングされていて安心して読めました。さすがNTT出版は素晴らしい。売れなさそうな本でもきちんと作ってくれる仕事ぶりは信頼しております。


■ どんな人にオススメ?

・「環境」を信仰していない人。

2011年4月25日 (月)

官製クライシス―自治体破綻の恐怖

■ 書籍情報

官製クライシス―自治体破綻の恐怖   【官製クライシス―自治体破綻の恐怖】(#2004)

  布施 哲也
  価格: ¥1680 (税込)
  七つ森書館(2010/01)

 本書は、「主に自治体の財政と、明治以来の地方自治体に焦点を当て、そして、その2つをクロスさせた」ものです。
 第1章「それぞれの自治体」では、「離婚は、結婚の何倍ものエネルギーを必要とするというが、別れられるわけではない市町村合併にも、膨大なエネルギーを必要とする。エネルギー効率の面から考えると、たかが合併のために、そんなにエネルギーを使うのかと、あきれてしまう」と述べています。
 そして、泉佐野市を含む5市町による合併話が、泉佐野市の突出した赤字のために頓挫したと述べています。
 第2章「つくり出される格差」では、財政健全化団体に指定された福島県双葉町について、「原発の増設を見込んで多額の借金をしたためだ。増設ができれば、固定資産税をはじめとした多額の税金・補助金が町に転がり込む。町の説明では、これをあてにして下水道を整備したのだが、その原発増設が頓挫してしまう。予定した税金が入らないため、借金ばかりが残る」と述べています。
 また、総務省が、
(1)地方自治体の定数管理
(2)職員給与
の2つのことに夢中になっている上に、「財政比較分析表における類似団体」という指数が、「市町村を早期健全化団体と、財政再生団体に指定する前提となる」と述べています。
 第3章「地方自治と中央集権」では、明治4年から「郡区町村編成法」による明治11年の廃止まで7年ほど存在した大区小区制について、その制度が生まれた背景には、「地方制度をどうするかという発想」ではなく、「税金(年貢)をいかに確実に、しかも多く得るか」しかなかったと述べています。
 また、地租改正を断行した理由は、、「西欧諸国による植民地化を防ぐため、強力な中央集権国家を必要としたからだという。そして、明治強権国家のその礎となるのは、国家の根幹を支える税金となる。その徴税を全うするためには、権力が必要だが、その権力を維持するには、治安という名目のための警察力と軍事力となる。そして、それらの警察力も軍事力も、尽きることのない資金が必要だ。それは、庶民から徴税することになる」と述べています。
 そして、総務省が市町村に合併を迫るのは、「合併すれば財政危機を克服できる」からだというが、「合併しても仕事の量は減らないし、人件費も変わらない。でも合併した自治体のよくやることがある」として、
(1)税金・料金の上方への統一
(2)対象自治体の中で一番進んだ合理化の中身を、そのまま全体のものとすること。
の2点を挙げています。
 第4章「中央集権をめざす道州制」では、道州制について論議するうえで大切な点として、
(1)憲法がいう地方公共団体になるのかどうかを検証する必要
(2)中央集権化の問題
の2点を挙げています。
 本書は、財政危機に瀕した自治体の行く末を問う一冊です。


■ 個人的な視点から

 まあ、言っていることがそれほど的はずれな感じもないのですが、三部作の三作目として出したにしては、有りがちというかオリジナリティはないような感じです。現地行って話し聞かなくても書けたんじゃないか、という評論家的なスタンスを感じてしまいます。


■ どんな人にオススメ?

・クライシスだと思う人。

2011年4月24日 (日)

1.21人に1人が当選! "20代、コネなし"が市議会議員になる方法

■ 書籍情報

1.21人に1人が当選!    【1.21人に1人が当選! "20代、コネなし"が市議会議員になる方法】(#2003)

  佐藤大吾
  価格: ¥1500 (税込)
  ダイヤモンド社(2010/10/1)

 本書は、「若くして当選した市議会議員の体験や事例をできるだけ具体的に紹介」したものです。 
 第1章「市議会議員になるのは無謀な挑戦じゃない!」では、市区町村議会議員の平均倍率が1.21倍であることを挙げ、倍率で見ると、「佐賀県庁に転職するより佐賀市議になる方が100倍簡単だ」と述べています。
 そして、市議会議員の年齢構成が高齢者に偏っている点について、「高齢者の、高齢者による、高齢者のための地方行政」が行われた結果、「予算配分は投票してくれる年輩層や業界団体に対して手厚いものとなり、投票に行かない若年層のための投資的予算が割かれていない」と指摘しています。
 また、市議会議員の待遇について、和光市の井上わたる議員が、「毎月の収支はギリギリ、もしくは少しのマイナス」で、「実家住まいなので何とかやっていけますが、これでもし一人暮らしをし、家賃を払わなければならないとなると、副業を持たないとやりくりできない」と語っています。
 第2章「出馬を決意したらさっそく活動開始!」では、選挙に向けた活動には「政治活動」と「選挙活動」の2種類があるとした上で、
(1)印刷物の配布
(2)朝夕の駅立ち
(3)後援会への勧誘(挨拶まわり)
(4)ミニ集会への参加
(5)インターネットの活用
の「政治活動」を進めていくのが基本形だと述べています。
 そして、ビラでは、「投票を呼びかけてはいけません。あくまでも『政治活動』として、政治団体の政策提言をメインに訴え」ることとして、「印刷物には<討議資料>の記載が必要」だと述べています。
 また、選挙戦を展開する必要資金としては、「供託金+100万円」というラインを提示し、その使途として、
・スタッフの人件費
・事務所家賃及び備品レンタル料
・広告費
・通信費
・ビラ・チラシ印刷費
・文具費
・食料費
・その他雑費
等を挙げています。
 第3章「いよいよ決戦の時! 選挙戦スタート!」では、選挙期間中にやるべきこととして、
・立候補の届け出
・ポスター貼り
・選挙事務所の開設
・ポスター掲示のお願い
・街頭演説
・街宣活動
・選挙はがきの送付
・電話による投票依頼
を挙げ、「投票日前の最後の1週間は、半年間がんばってきた活動の総仕上げ」だと述べています。
 第4章「若手議員・市長にインタビュー! 選挙と議員生活の実態」では、埼玉県和光市の井上わたる市議会議員が"活動資金には"ケチっていいところ"と"ケチってはいけないところ"があると思うのですが、印刷物は絶対に後者でしょう」として、「年輩の対立候補が長年かけて築いてきた信頼や人脈を、20代そこそこの若者が半年ほどの準備で打ち破ろうというのですから、唯一の武器と言っていい印刷物までケチって勝てるわけありません」と語っています。
 また、元大阪府柏原市議会議員の友田景氏は、「現在の柏原市議の報酬は、子育て世代なら専業としてやって行くにはギリギリのレベル」だとして、「議員という仕事が副業をしなければやっていけない現実を、市民はどう考えているのか」と語っています。
 本書は、政治を志したい若者に、若い議員の経験と実態を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 市議会議員の報酬が、専業でやって行くには足りない、もっと数を減らして専業でできるようにすべき、という話も出てますが、むしろ、議会自体を休日や夜間に開催するなどの方法で、サラリーマンをはじめ、他に本業を持ている人こそが地方議員になるべきだと思うです。専業の若い市議会議員を量産することは将来的に政治ゴロを増やすばかりなのではとも思いますし。むしろ、本業は国家公務員の人とかが市議会議員をやった方がいいんじゃないかとも思います。行政の仕組みも手の内も知っているわけですし。市議会議員の報酬は原則無給とかにして議員の数も増やす。専業でやりたい人には、議会の事務局的な仕事を昼間やってもらうという方法もあるのではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・若いうちから政治の世界に足を踏み外したい人。


2011年4月23日 (土)

理系くんのトリセツ

■ 書籍情報

理系くんのトリセツ   【理系くんのトリセツ】(#2002)

  織田 隼人
  価格: ¥1365 (税込)
  大和出版(2010/5/14)

 本書は、「冷静で、やさしく、頭がよく、何よりも理解が早い」、「ついでに、かわいいところもある」「理系くん」との恋愛事情を解説したものです。
 第1章「理系くんをゲットする方法」では、「理系くんのいる場所はほとんどが、男性ばかりの場所」なので、「日常を普通に生きていくだけでは女性に出会え」ないが、合コンくらいなら「呼ばれたら」いくとした上で、「多くの理系くんは女子に免疫が」なく、「おんなのことしゃべること」に対してすら免疫がないと述べています。
 そして、理系くんの目を「死んだ魚の目」から「キラキラした目」に切り返させるには、「理系くんの興味の持っている話を聞き出すのが一番」だと述べています。
 第2章「理系くんと上手く付き合うコツ」では、理系くんが苦手な空間として、「女性限定っぽい感じがする空間」を挙げています。
 第3章「理系くんとのサプライズ」では、理系くんに最も似合うファッションとして、「スーツに着替えるだけで魅力が3割り増し」とした上で、「白衣を着ているだけでカッコよさが倍増」だと述べています。
 第4章「理系くんとの格差いろいろ」では、理系くんがものを選ぶときの思考は「機能重視」なので、「ファッションに力を入れる意味」を理解していないと述べています。
 第5章「理系くんともっと仲良くなりたい!」では、ケンカになったときの理系くんは「問題解決モード」になり、「理系くんにとって、もめごとは『原因』を追求し『解決』するもの」だと述べています。
 一方で、キャバクラが苦手な理系くんが多い理由として、「自尊心を女性で満たさない人が多い」ことを挙げ、理系くんが浮気をしにくいのも、「浮気って、異性で自分の自尊心を満たす行為」だからだと述べています。
 そして、理系くんの良いところのうち、最高は「理系くんといると落ち着くこと」だと述べています。
 本書は、理系くんを理解したい人にお薦めの一冊です。 


■ 個人的な視点から

 個人的にはガッツリ「文系」な人間ではあるのですが、キャバクラ行って自分で金払って気を使って話をしてくるのはアホらしい、というところに納得してしまうのは、実は理系クンなのか単なるけちなのか。


■ どんな人にオススメ?

・理系クンとは縁もゆかりもないと思っている人。


2011年4月22日 (金)

科学コミュニケーション-理科の<考え方>をひらく

■ 書籍情報

科学コミュニケーション-理科の<考え方>をひらく   【科学コミュニケーション-理科の<考え方>をひらく】(#2001)

  岸田 一隆
  価格: ¥798 (税込)
  平凡社(2011/2/16)

 本書は、「科学コミュニケーション」を、「共感・共有のコミュニケーション」という観点か羅漢挙げたものです。著者は、「人間の進化適応の武器の一つは共感力の強さ」とした上で、科学コミュニケーションは、「科学の側」と「そうでない側」との、「専門家」と「一般の人々」との、間をつなぐコミュニケーションのことだとしています。
 著者は、科学コミュニケーションについて考えるきっかけとして、1995年の地下鉄サリン事件の加害者の一人が、著者の友人であったことを挙げています
 第1章「科学コミュニケーションとは何か」では、コミュニケーションにとって決定的なこととして、「コミュニケーションの成否を決めているのは、受け手の側」だと述べ、「送り手にとって一番大事なのは、テクニックよりも、受け手の徹底的な分析」だとしています。
 そして、科学コミュニケーションの本来の目的の一つとして、「世の中を一つのチームにすること」だとしたうえで、「科学の無関心だけを放置して置いてはいけない理由」として、「私たち人類が未来の社会で共有すべき価値観にとって、科学が重要な役割を果たすに違いない」ことを挙げています。
 第2章「物理学が難しい理由」では、物理学を得意とする生徒が物理を好む理由として、「物理が論理的に構成されている」ことを挙げています。
 第3章「アダムとイブの子孫としての私たち」では、人間が単純なゲーム理論を越えることができた理由として、「お互いがどのような行動をとるかは、前もってわからない」という過程が崩れたこと、うsなわち、「人間は相手の心がわかる」ことを挙げ、1996年に発見された「ミラーニューロン」を解説しています。
 また、人間が確率的思考が苦手な理由は、「人間の共感力の強さと関係があるらしい」として、人間が、自動車よりも飛行機を恐れ、火力発電よりも原子力発電の方が怖い気がしながらも、そういう人が喫煙者であったりすることを挙げ、
・自動車事故による損失余命:207日
・飛行機事故:1日
・原子力発電:0.05日から2日
・喫煙:7年以上
などの例を挙げ、「人間は、一度にたくさんの人名を奪う未知の大事故を過度に恐れる一方、長い時間をかけてじわりじわりと命をむしばんでゆく身近なものをそれほど恐れません」と述べ、その理由として、
(1)確率や統計は私たちの人生にとって何の慰めにもならないこと。
(2)大事件や大事故や大災害の様子を報道などで目の当たりにすると、それを自分の身の回りで起きたことのように共感してしまうこと。
の2点を挙げています。
 そして、人間が、「確率的に起こりやすいことと起こりにくいことの区別が難しい」理由として、人間の「刺激等価性」とう心理現象を挙げ、「AならばB」という論理を学習すると、ほぼ自動的に「BならばA」という関係を結論すると述べ、「人間固有の刺激等価性は、人間に非論理性と確率に対する間違った感性をもたらしましたが、それと同時に、人間に言語をもたらし」、「さらに、言語によって、ただの記憶の集まりが概念というものに生まれ変わり、概念同士を結びつけるために、言語による洗練された論理が誕生」したとして、「刺激等価性は『非論理性』と『洗練された論理』の両方」をもたらしたと述べています。
 第4章「合理と神秘の間に揺れてきた歴史」では、科学コミュニケーションにとって、「人間の本性についてじっくり検討すること」と同時に、「科学というものの本質について考えること」が重要だとして、科学とは、「懐疑主義に基づいた合理的方法」のことであり、「これが科学と科学以外のもの」を分けるポイントになるとしています。
 一方で、現代では、「科学の方法は厳しすぎて、一般の人は完全に締め出されて」いるため、「科学者の言うことを聞いても、それを信じること」」しかできなくなってしまっているとして、「信じるだけならば、科学でも疑似科学でも神秘思想でも同じこと」だと指摘しています。
 第6章「第三の方法へ向けて」では、「人間は本質的に社会的であって、科学には向いていません」として、「スタート地点として、『科学はつまらない』『科学は不自然である』『科学は人を拒絶する』という認識からコミュニケーションを始めた方がよい」と述べています。
 また、「共感・共有のコミュニケーションの方法を探すということは、洗脳の方法を探す行為と近い」として、「カルト宗教」と「軍事教育」の例を挙げ、「全人格コミュニケーション。これを最も有効に活用しているのは、教祖であり、独裁者であり、カリスマと呼ばれる人たちではなかったでしょうか」と述べています。
 そして、共感・共有のコミュニケーションが洗脳に結びつかないようにするためには、
(1)偽りの世界に騙されないように、自己をしっかりと保つこと。
(2)一つの人間や一つの思想に支配されないために、多くのものと出会うようにすること。
の2点に気をつけるべきだと述べています。
 本書は、科学コミュニケーションの難しさが、実感されている現在において、できれば科学でない側の人に読んでほしい一冊です。


■ 個人的な視点から

 「放射能怖いから大阪に引っ越したい」とか「洗い物にもミネラルウォーター使ってます」という話を聴くたびに「科学」って義務教育で教えてなかったのかを不審に思っていましたが、「科学的に物事を考えられない」ということ自体も科学的に説明がつくことを知りました。


■ どんな人にオススメ?

・「科学」が共通語として使えないことにもどかしさを感じている人。

2011年4月21日 (木)

ヒトラー権力掌握の二〇ヵ月

■ 書籍情報

ヒトラー権力掌握の二〇ヵ月   【ヒトラー権力掌握の二〇ヵ月】(#2000)

  グイド クノップ (著), 高木 玲 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  中央公論新社(2010/04)

 本書は、1933年元旦から1934年9月のナチ党全国大会へ至る全プロセスを「権力掌握」として解説したものです。そして、当初は、「政権詐取」とも言える「国家ぐるみの策謀」から始まり、「こんなことが起こり得たという可能性はあっても、起こらなくてはならないという必然はなかった」としています。著者は、「ヒトラーの歴史は過小評価の歴史である」として、「誰もが自分の見たいことだけを、見たいようにしか見なかった」と指摘しています。
 第1章「策謀」では、「ヒトラーがごく短期間で権力の座に就いたのは、なんといっても策略と、これを幇助した人々と、誤った情勢判断とが織りなした突拍子もないドラマゆえだった。実際どん底に落ち込んでいた成り上がり政治家は、目の前に差し出された権力を掴み取るしかなかった。そしてこのとき、事態を演出した当時の国家機関の代表者たちも、必ずしもほめられた役割を演じてはいない」と述べています。
 そして、保守派の政治家フランツ・フォン・パーペンについて、「権力の舞台裏で糸を引く、この男が黒幕であった」と述べ、「政治的には衰退の局面にありながら、自分自身からは何も働きかける必要もなしに、ヒトラーの前に首相官邸への扉がほんの少し開いた」と述べています。
 第2章「運命の一日」では、「首相が交代するのは、いつの間にか当たり前の政治日程の一部になってしまっていて、そのことが政治に対する国民の関心を大幅に低下させていた」として、「それが20世紀を決する運命の一日になろうとは、誰一人予想もできませんでした」という証言を紹介しています。
 そして「褐色(ナチ)革命を公然と指示する人も隠れて指示する人も、その多くが今や自分の贔屓政党をあえて誇示するようになった」として、「ベルリンはもはや昨日までのベルリンとは何一つ同じでなくなりました。何かの記念日のように、家々は旗を飾っていました。その旗には早くもハーケンクロイツが描いてありました。これらすべての旗はそれまでどこにあったのでしょう?」という証言を紹介しています。
 また、ヒトラーが首相として初めて公式にヒトラーが姿を現したときには、「主催者側は持てる限りのプロパガンダ技術を投入した。普段は競輪選手やフィギュアスケーターが競い合うリンクを、無数のハーケンクロイツ旗と反マルクス主義スローガンを書いた横断幕が飾った。開幕と同時に軍隊行進曲と通俗的なメロディが鳴り響き、最後には『ドイツ国家』が円形ホールに響いた。前座兼レポーターとして登場したゲッペルスが、プロの手腕を発揮して会場の空気を盛り上げ、次第に高まる『ハイル』の呼び声の下、ついに主役が舞台に登場した」と述べています。
 第3章「国会炎上」では、1933年2月のドイツ国会議事堂の炎上が、「頭の混乱した若いオランダ人が、本当にたった一人で議事堂の建物に火をつけて回ったのか?」、「この火災を仕組んだのはナチ党であったのか?」、今でも意見は分かれているが、「あの夜、目盛る号火が上がって初めて、ヒトラーの前に無制限の権力への道が開かれた」と述べています。
 そして、「長い時間をかけて煽ってきた『赤い危険』に対する恐怖が、今や表面に噴出した。ゲッペルスの家来たちが書き立てる恐怖記事は、ヒステリーのうねりを呼び起こした。兵営は非常事態下に置かれ、一般の住宅街では民間人のパトロール隊が自発的に巡回した。そして村落では、毒物が投下されるのを恐れて、農家が泉のまわりに見張りを立てた」としています。
 また、2月28日の午後、ヒトラーが大統領に提出した「国会議事堂火災緊急令」こそが、「国家テロ認可証」であり、「1945年の終戦時まで、独裁支配の法的根拠であり続けた」として、「これはヴァイマール憲法が唱えた基本権――個人の自由権、報道・言論の自由、集会の権利、郵便関係者の守秘義務――をあっさり失効させ、警察に『保護拘禁』の権限を与えた。この時から、司法手続き抜きで人を逮捕し、好きなだけ勾留することが可能になった」と述べ、「内閣にも議会にも、国民にも問うことなく、そしてさしたる注目を集めることもなく、彼はヴァイマール憲法の息の根を止めた」としています。
 第4章「全権委任」では、1933年3月21日の「ポツダムの日」について、「85歳の大統領の姿をとった『古き』ドイツと、43歳の首相の姿をとった『新しい』ドイツ」が握手されたシーンは、後に何百万部も複製され、「新たに獲得された国民の統合を象徴するようだった」と述べています。
 そして、国会が開催されたクロル・オペラ劇場周辺は、「帝政時代の軍服に代わって、今やSAの褐色シャツが辺りを圧倒した。警察に代わってSSが『秩序』を維持した。黒白赤のドイツ帝国旗に代わってハーケンクロイツ旗が中央に翻った」と述べ、3月23日のクロル・オペラ劇場はSAとSSの舞台に包囲され、「少なからぬ議員、とりわけSPDに所属する議員は、生きて本会議場を出られないのではないかと危惧した」としています。
 また、全権委任法により、「大統領と議会は決定的に権力を失った。今やヒトラーは名実ともにすべての権力を手中にした。1月30日に思いがけないチャンスからわずか2ヶ月足らずで、独裁者の地位は不動のものになっていた」と述べています。
 そして、「すでに『政権掌握』直後の数週間で、ナチ一般党員らによる過激な暴力行為がユダヤ系市民と施設を繰り返し襲った」として、「上からの具体的な支持も意図的な調整もないのに、今やユダヤ人とユダヤ系施設への襲撃が日常の風景になった」と述べています。
 さらに、「公然たる敵を観光庁と役職から追放したからには、社会を国家に同調させることなど、独裁者には造作もなかった。飴はふんだんにあり、鞭はほとんど必要なかった」として、「人間の意識を最も効果的に惑わすものは、あからさまな嘘ではなく操作された真実である。このことを見抜くだけの抜け目の無さをゲッペルスは持ち合わせていた。そして彼は、大衆を自分の意のままに作り変えることができると確信していた」と述べ、「狙い定めた相手に、自分がそうされていることを全く気づかせないようにして、プロパガンダの理念をタップリとしみこませるのです。プロパガンダにはもちろん魂胆があります。けれどもそれはきわめて巧妙に、見事なまでに隠蔽されなくてはなりません。その魂胆の餌食とする相手が、それとまったく気づかないほどに」とのゲッペルスの言葉を紹介しています。
 第5章「権力抗争」では、「ドイツの独裁者は絶え間なく権力を拡充し、絶対的支配に向かって休むことなく邁進しているかに見えた」が、「ヒトラーの最終勝利を阻む3種の権力ファクターは、依然として存在していた」として、
(1)大統領
(2)軍部
(3)突撃隊(SA)の頂点に君臨するエルンスト・レーム
の3つを挙げています。
 第6章「国家の殺人」では、「長いナイフの夜」について、1934年6月29日の夜半、「ヒトラーは自ら取り巻きとともにミュンヘンへ向かった」として、よく早朝にヒトラー自らがレームの泊まっていたホテルを急襲し、逮捕したことを、「政府の汚れ仕事にヒトラー自ら手を染めたのは、これが最初で最後だった」と述べ、「レームが本気で逮捕に抵抗しようと思ったなら、この時点ではまだそれが可能だったかもしれない」が、「SAは指一本動かさず、幕僚長は沈黙した」として、「進むべき道を定めたのはヒトラーである。だがナチの殺戮機構は今やヒトラー抜きで回っていた」と述べています。
 そして、「国家による大虐殺の犠牲者が総勢どのくらいに及んだのかは、国家機密として明かされなかった」が、「今日の研究水準では、ナチ幹部にとって邪魔な存在であったがためにこの数日間で殺害された人々は、少なくとも200人をくだらない」と述べ、「権力政治の見地からすれば、『長いナイフの夜』は――虐殺はそんな邪気のない名前で呼ばれた――完全な勝利だった。すべての関係者がそう信じた。特に国軍上層部は、SAの無力化によって危険なライバルが排除され、今後国軍が『国家唯一の武装組織』になるだろうことを大勝利として祝った」が、「真の受益者は別にいた」として、レームの後任の幕僚長となったヴェクトール・ルッツェとSSを率いるハインリヒ・ヒムラーの名を挙げています。
 著者は、「1933年から324年にかけてヒトラーは段階的に権力を掌握し、完全支配へと道を進めたが、その憲法に及ぼした結果はこれ以上ないほど重大なものだった。法治国家は破壊され、議会制民主主義は排除され、三権分立は破棄された。僅か20ヶ月で、ナチ党は200年位及ぶヨーロッパ近代国家の歴史上の成果を消し去ってしまった」と述べるとともに、「政権掌握は当初『政権詐取』にすぎなかった。首相の地位が勝手にヒトラーの懐へ転がり込んできたのだから。ナチの首相を支援し、強力な独裁者という次の段階へ進むのを助けてやったのは、ドイツのエリートたちだった。ヒトラーの権力本能と、目的を遂げる際の野蛮さを、当初彼らは認識していなかった。そして次には彼を過小評価し、最終的には自らを彼に売り渡した。ナチ『総統』が完全な権力を握るための、最後に残された決定的な部分をお膳立てしてやったのは、軍の上層部だった。大臣と軍人はこうして殺人者の仲間となり、ヒトラーの無力な共犯者となった。この時点で、最悪の事態を阻止できる可能性を唯一持っていたにもかかわらず、彼らは全面的に機能不全に陥っていた。たしかにその力はあった。だが、その意志がなかった」と指摘しています。
 本書は、危機を前にして国家が迷走するメカニズムを、現代の我々にも教訓として示してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読んでヒシヒシと感じるのは、ナチ党は"かっこいい"ということです。
 旧世代への不満、時代の閉塞感に対して、ナチ党の躍進が"胸のすく思い"で受け容れられたのではないかというのは容易に想像できます。
 いろいろとタブー視されることも多く、正面から研究しにくいのかもしれませんが、ナチの"かっこよさ"から目を背けることは、これから同じ過ちを繰り返すことにつながりかねません。
 ナチのプロパガンダ技術の末裔を現在も使い続けている人にとっては迷惑な話かもしれませんが。


■ どんな人にオススメ?

・ナチスのかっこよさは世界一ィィィと思いたくない人。

2011年4月11日 (月)

だまし絵のトリック―不可能立体を可能にする

■ 書籍情報

だまし絵のトリック―不可能立体を可能にする   【だまし絵のトリック―不可能立体を可能にする】(#1999)

  杉原厚吉
  価格: ¥1470 (税込)
  化学同人(2010/9/10)

 本書は、オランダの版画家エッシャーが作品の中で使っていることで有名な「不可能立体」と呼ばれるだまし絵に焦点を合わせ、「それがなぜ錯覚を生み出すのかという視覚のトリックの諸側面」を解説したものです。
 第1章「"だまし絵"の不思議」では、「だまし絵は見た人を混乱させる。見た人は、ありえない立体が描かれているという印象をもつ」ため、「不可能物体」、「不可能立体」、「不可能図形」、「変則図形」などの名前で呼ばれると述べた上で、「だまし絵の疑問」として、
(1)だまし絵を見たとき、なぜ立体として作れそうにないと感じるのだろうか。
(2)だまし絵を見たとき、作れそうにないと感じるのに、なぜ立体感をもつのだろうか。
(3)だまし絵はどのようにしたら描けるのだろうか。
(4)だまし絵の錯覚は、誰にでも起こるものだろうか。例えば赤ちゃんでも起こるのだろうか。
(5)絵を認識することのできるコンピュータも、だまし絵に対しては人と同じように錯覚を起こすのだろうか。
(6)だまし絵に描かれている立体は本当に作れないのだろうか。
(7)立体として作れるだまし絵もあるのに、なぜそれも作れそうにないと感じるのだろうか。
の7点を挙げています。
 第2章「あり得る絵とありえない絵」では、作れない証拠の基本パターンとして、
(1)2つの平面は1本しか交線を持たないはずなのに、絵の中では2本の交線をもつ。
(2)3つの平面の2つずつが作る3本の交線は1点で交わるはずなのに、絵の中では交わらない。
(3)立体の表面と背景は線で分離されるはずなのに、絵の中の線をまたがないで、背景から立体表面へ移動できてしまう。
(4)両側の面が交差してできる線は、山の尾根のように出っ張っているか、谷の底のように引っ込んでいるかのいずれかのはずなのに、絵の中の1本の線が両方の性質をもつ。
の4点を挙げています。
 第3章「絵を解釈するための頂点辞書」では、著者自身の経験として、立体感をもつか持たないかに影響を与える大きな要因として、「3方向の平行線のみを使って描いた絵は立体感を持ちやすい」という点を挙げています。
 第4章「だまし絵の描き方」では、立体感を持たせるための描画技法として、
(1)垂直の方向、右上がりの方向、左上がりの方向の3つの方向を選んで固定し、それに平行な線だけを使って絵を描くと立体感を持ちやすい。
(2)正しい絵の断片を先がスムーズに繋がるように、かつでたらめに組み合わせると、運がよければだまし絵が得られる。
(3)だまし絵は簡潔なほど美しい。
(4)だまし絵は、視点の一貫性が保たれている方が美しい。
(5)だまし絵の中の矛盾は、全体に渡るものが一つだけあればよい。それ以上に多くの矛盾は含まないほうが美しい。
の5点を挙げています。
 第7章「正しい絵の見分け方」では、「絵から立体を復元するためには、それぞれの頂点を対応する視線の上で動かしながら、全体としてつじつまの合う場所を探せばよい」と述べています。
 第8章「だまし絵の立体化と新しい立体錯視」では、だまし絵を立体化するトリックとして、
(1)繋がっているように見えるところに不連続なギャップを設ける。
(2)平面の様に見えるところに曲面を使う。
(3)絵の中で直角に見えるところに、直角以外の角度を使う。
の3点を挙げています。
 本書は、だまし絵の仕組みを分かりやすく解説してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 だまし絵というのは、いい受け止められかたでも芸術、悪くすれば単なる遊びだと思われがちだと思いますが、きちんと学術的に分析できる対象だというのは意外でした。


■ どんな人にオススメ?

・だまし絵は子供だましだと思う人。

2011年4月10日 (日)

民主党代議士の作られ方

■ 書籍情報

民主党代議士の作られ方   【民主党代議士の作られ方】(#1998)

  出井 康博
  価格: ¥756 (税込)
  新潮社(2010/01)

 本書は、市村浩一郎と神山洋介の二人の政治家の選挙までの日常を追うことで、「政権与党となる可能性が高まっていた民主党の実像、そして政治システムの問題点を浮き彫りにすること」を目的としたものです。
  第1章「リーマンショックで消えた政治献金」では、「聴衆の反応もなく、延々としゃべり続ける駅頭演説には、独特のテクニックと、そして何より、めげない気持ちが必要だ」と御部定ます。
 そして、「国政への進出に色気を持つ地方議員も、勝ち目の薄い選挙区では尻込みしがちだ」が、「民主党としても、候補者の空白区をつくって不戦敗するわけにもいかない」ため、「候補者として見栄えのする経歴を持ち、しかも負けても失うもののない市村のような存在が重宝される」と述べています。
 また、「中選挙区の選挙では、プロたちが目論んだような"足し算"だった」の票読みも有効だった」が、小選挙区では、「無党派層にアピールし、広く浮動票を引き寄せる必要がある」と述べています。
 第3章「スキャンダルに翻弄された地元市長選挙」では、市村の政治活動の資金源として、
(1)民主党兵庫県第6区総支部:実質的に総支部代表の活動資金となるケースが多い。党本部からの交付金と企業献金。
(2)個人の資金管理団体「浩龍会」:民主党大会のパーティ券を売った。
(3)後援会:個人献金の受け皿。
の3点を挙げています。
 第4章「秘書たちの役割」では、「国会議員秘書は、政治家志望の若者にとっては登竜門の一つだ」として、「秘書を経て、市議や嫌疑へ立候補するものは少なくない。中には直接、国政へと立候補していくケースもある。秘書として経験を積む間に、政党関係者や支援者とのコネができるからだ」と述べる一方で、「秘書の仕事は過酷なものである」として、「秘書となってからの4年間で、休日は4日しか取っていない。帰宅は午前零時近くになることも多い」と述べています。
 そして、「政治とは、政策の違いにもまして人間同士の『嫉妬』が左右する世界だと言われる」と述べています。
 第5章「あいさつとカネと人間関係」では、「公示日の朝、選挙事務所は多忙を極める」として、「選挙区によっては2千カ所を越す公営掲示板に、ボランティアが手分けして選挙ポスターを貼っていく。加えて、公営掲示板以外の場所に張ってあるポスターも、証紙をつけて交換しなければならない」と述べています。
 また、「自民党の国会議員や県議が地区ごとにつくっている後援会組織が、恐ろしく高齢化している」として、「七十代が最も若手なんていう後援会もザラにある。ビラを配ったりポスターを貼ったりする活動も、どう見ても体力的に無理」だと述べています。
 本書は、政治家を目指す若者の横顔を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 政治家というと、有力者、有り体に言えば金持ちという先入観がありますが、20代とか30代を売りにして政治家になった人たちは十年後にはどうなってしまうのでしょうか。スポーツ選手のセカンドキャリア問題と似たような面があるかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・若い政治家がどうやって生み出されるかを知りたい人。

2011年4月 9日 (土)

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三

■ 書籍情報

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三   【旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三】(#1997)

  佐野 眞一
  価格: ¥1835 (税込)
  文藝春秋(1996/11)

 本書は、著者が、「単なる民俗学者ではなく、徹底的に足を使って調べるすぐれたノンフィクションライター」と賞する宮本常一の評伝です。
 第1章「周防大島」では、「宮本常一は、今日の民族学の水準からは想像もできないような巨大な足跡を、日本列島の隅々まで記した民俗学者だった。その徹底した民族調査の旅は、一日あたり40キロ、のべ日数にして4千日に及んだ」と述べた上で、「紋付、袴に白足袋をはき、農政官僚や朝日新聞論説委員の肩書きを持って、日本列島と"治者"の眼差しで旅し、昭和37年、民俗世界が根底から覆された高度成長期の日本を見ることなく瞑目した柳田国男は、きわめて"幸福"な民俗学者だった」が、「ゲートルばきの宮本は、山口県周防大島の百姓という以外何一つ肩書きらしい肩書きを持たず、しばしば富山の薬売りと間違えられながら、戦前、戦中、そして高度成長期以後の荒廃する日本列島を、おそらく胸引き裂かれる思いで歩いた」と述べています。
 第3章「渋沢家の方へ」では、昭和10年4月14日に開かれた第6回大阪民俗談話会の会合を突然渋沢敬三が訪れた理由は、「有能な人材をピックアップし、自分が主宰するアチック・ミューゼアムへ入所させるための首実検だった」として、「渋沢のメガネに適ったのは、桜田勝徳と岩倉市郎、それに宮本常一の3人だった」と述べています。
 そして、「渋沢との初対面から4年半後の昭和14年10月25日、32歳の宮本はアチック入りを決めて東京に向かった。9月30日には、つとめていた取石尋常高等小学校に依願退職願を出していた」として、妻と2歳の長男をおいての上京で、「この先の生活がいったいどうなるか、宮本自身にも皆目見当がつかなかった」が、「民俗調査を通じて知った人々を単に学問の対象にするのではなく、そこで苦しい生活を続けざるを得ない人々の生活を生涯見続けていきたい」という思いが、「これから一生放浪のみになるかもしれない宮本を支えていた」と述べています。
 第6章「偉大なるパトロン」では、「財力とユーモアを兼ね備えた敬三の人柄を慕って彼のもとをおとずれた学者は枚挙にいとまがなかった」として、敬三が晩年、「アチックは小さい研究所だったけれど、学位を取ったものが11人いる。そのほかにもいろいろの人が育っていった。それを考えれば、この研究所の存在意義もなくはなかったと思う」と語り、現在の貨幣価値で、「少なくとも50億円、ひょっとすると100億円近い大金を学問発展のためにつぎ込んだ」のではないかと述べています。
 第7章「父の童謡」では、「生涯を通し、一日あたり40キロ、のべ日数にして4千日を旅に暮らした宮本は"旅の巨人"といわれるそのイメージとは裏腹に、体は決して頑健ではなく、むしろ病弱だった」と述べています。
 また、宮本の壮絶な旅を物語るエピソードとして、宮本が、「旅から帰って家の近くまで来たとき、わが子によくにた子供が歩いていたことがありました。私の顔を見ても表情一つ変えないのでよその子かと思って家に帰ったんですが、、その子も私の後をついて家に入ってきた。やはり私の子供だったんです」と語ったことを紹介しています。
 第9章「総裁の悲劇」では、昭和19年1月、大阪に去ろうとする宮本に、渋沢が、「君は足で歩いて全国の農民の現状を見てきた。私は君に対してしなければならないと思うことは一通りした。この上はどのようなことがあっても命を大切にして戦後まで生き延びてほしい。敗戦にともなってきっと大きな混乱が起こるだろう。そのとき今日まで保たれてきた文化と秩序がどうなっていくかわからない。だが君が健全であれば戦前見聞したものを戦後へつなぐ一つのパイプにもなろう」と語った言葉を紹介し、「宮本の戦前の業績を不朽のものとさせたのは、愚直なまでに日本全国を歩き続けた宮本自身の足と、宮本をそう仕向けさせた敬三の透徹した目だった」と述べています。
 また、宮本が、昭和20年7月に陸軍省から呼出を受け、「政府の力で食糧を配給できるのはもう8月末までで、あとは各地域で自給体制を取らねばならない。そのためには、日本じゅうの農村を見て回っているあなたに、ぜひ協力を願いたい」との申し出を受けたことについて、「明らかに"敗戦後"の農村復興をにらんだ郡部からのアプローチには、宮本の国内移動の便宜供与を図りたいとの意図が含まれていた」と述べ、長男の千晴によれば、「少将待遇で働いてもらうつもりだから」と言われたが、少将の事例を運んだ貨物列車が空襲を受けて焼けたため、実現を見ぬまま終戦を迎えたとしています。
 第10章「"ニコ没"の孤影」では、大蔵大臣として財産税の導入を決めた渋沢の、「ニコニコしながら没落していけばいい。いざとなったら元の深谷の百姓に戻ればいい」という言動に、「戦時中の行動への自己処罰的ニュアンス以上に、平気で没落できる男の強い自負が感じられる」と述べています。
 そして、「子爵家という重圧によって悲劇的な人生を宿命づけられた渋沢敬三の67年の生涯の中で、この"ニコ没時代"ではなく、は、少なくとも敬三個人の内面にとって、ある意味で最も幸福で晴朗な時代だった」が、「それから死に至るまでの敬三の18年は、3人の子供を置いたまま妻から一方的に別離されると言う不幸な事態を、黙ってじっと耐えていくほかない長い孤影の時でもあった」と述べています。
 第12章「八学会連合」では、対馬の浅藻の集落で、梶田富五郎という周防大島出身の80過ぎの古老に会った宮本が、宿に帰ってから、その記憶を元に一心不乱に書き留めたことについて、「話し手の前にノートを広げては相手は絶対本当のことを語ってはくれず、ましてテープに録音するなど論外というのが、宮本の聞き取り調査の基本姿勢だった」と述べています。
 そして、旅の巨人といわれる宮本の大きさは、歩いた距離にあるわけではなく、「歴史というタテ軸と、移動というヨコ軸を交差させながら、この日本列島に生きた人々を深い愛情をもって丸ごととらえようとした、その視点のダイナミズムとスケールにあった」と述べています。
 第13章「対馬にて」では、「離島を考える宮本の根底には、現在は遅れていると見なされている島々も、近代にはいって陸上交通網が整備されるまでは海上交通の要衝として中央とつながり高い文化を持っていたという歴史的認識があった」と述べています。
 第14章「土佐源氏の謎」では、「土佐源氏」として知られた山本槌造の孫の証言として、「ジイさんの話芸はそりゃ舌を巻くほどうまかった。東京から話を聞きに来たお客さんを騙すくらいは序の口だった。ジイさんは一世一代の乞食話を、腕によりをかけ、虚実取り混ぜながら宮本さんにしたというのが、"土佐源氏"の偽らざる真相でしょう」と
記した上で、「宮本は、"土佐源氏"が語る話の中に、妻を裏切り、別の女性と旅を続ける自分の姿を重ね合わせたはずである。何の束縛もなく放蕩の限りを尽くしてきた"土佐源氏"は、宮本にとって、自分の絶対に到達することのできない一種の理想的人間だった」、「いや、宮本自身が日本全国を放浪するひとりの"土佐源氏"だった」と述べています。
 第15章「角栄の弔辞」では、「敬三は宮本にとって確かに光ではあった。しかし敬三の許にとどまる限り、就職口は永遠に閉ざされるのは明白だった。敬三の許にいるのが宮本にとって、あながち幸福とばかりは言えなかった」と述べています。
 第16章「長い道」では、「宮本の第二の人生は、民俗世界を根底からつきくずす高度成長という化け物と真っ向から対決しなければならない宿命に置かれていた」と述べています。
 また、「生きた字引」とまで言われた「人並みはずれた学問への好奇心が、宮本の学問の制度を著しく弱め、専門領域への深化と体系化を拒んできたことは否めなかった」として期しています。
 本書は、日本をまるごと愛した旅人の足跡を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 戦前から戦後にかけて大きく実力を発揮した人が、高度成長期にだんだんと明後日の方向に梶を切り始めてしまうのは、人間として歳を取っていったしまうせいなのか、高度成長という社会の大きな変化のせいなのか。もしかするとその両方かもしれませんが。


■ どんな人にオススメ?

・日本がどこから来たのかを知りたい人。

2011年4月 8日 (金)

巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀

■ 書籍情報

巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀   【巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀】(#1996)

  佐野 眞一
  価格: ¥2500 (税込)
  文藝春秋(1994/10)

 本書は、「正力松太郎という人並み外れた我執の持ち主と、、その嫉妬心によって歴史の闇に埋葬されてしまった人々との複雑な人間関係と、情念のドラマを、百年あまりの歴史を通して描いた」ものです。
 著者は、「正力松太郎によって歴史から抹殺された人々の遺言を聞いて回った」というのが実感であると述べています。
 プロローグでは、「テレビ、プロ野球、原子力と、正力は一代ではとても成し遂げ得ない大事業を鬼神のごとく実現してきたが、その裏には」、「"正力ファミリー"と言われる何人もの有能な男たちがいたことはほとんど知られていない」として、「大業は一人では成らず、万人によって成る」と呼号しておきながら、「成ったら、すべて一人で考え、一人で成功させたと自ら喧伝してやまなかったのが、正力という男だった」と述べています。
 第1章「暴圧と故郷」では、「正力にとって群衆とは、父祖たちからいつも聞かされ、自分自身も濁流に飲み込まれたことがある故郷のあばれ川の庄川のようなものだったのかもしれない。群衆も川も、放っておけば反乱を繰り返し、取り返しのつかない事態を招くという点では同じだった」として、「正力が"治水"の発想を持って群衆を取り締まったのは、群衆というなの存在が、父祖たちを絶え間なく苦しめてきた自然の化身と見えたからに違いない」と述べています。
 また、警視庁官房主事時代の正力が、「すでにのちの事業を遂行する上で欠かせない人脈を、特高警察そのままの手法をもちこんで、ひそかにはりめぐらせはじめていたといえる」と述べています。
 第2章「虐殺と伝令」では、「警察電話が回復した地区から順に流言飛語が流布していることや、戒厳令の発令が極めて早い時期に行われ、新聞雑誌等の民間情報伝達機能が完全に当局側の統制下におかれてしまったことなどからみて、デマの発生と流布に当局側が大きく関与したことは疑いをいれない」と述べています。
 また、警務部長として天皇警護の最高責任者の立場にあった正力が、大正12年12月27日に起こった虎ノ門事件の責任で懲戒免職という、官吏としての最高の罰を受けたとして、「虎ノ門事件の銃弾は、栄達を約束された正力の行く手を閉ざす、突然の一発でもあった」と述べています。
 第3章「美談と略奪」では、正力の二人目の妻が、千葉県上総湊(現・富津市)出身で、精華女学校の和裁教諭だった吉原波満であったことを述べています。
 また、正力がよく「人のお世話をする」男だったが、「面倒を見てやったという意識を、片時も忘れない男」であり、「正力の周辺の人間で、正力から『君の今日あるは、いったい誰のおかげか』といわれなかった人間は皆無といってよかった」と述べています。
 第4章「社旗と伝説」では、「正力読売の急成長を推進した最大の人的牽引車は、昭和4年8月、報知新聞から読売入りした務台光雄だった」として、「正力を純情にしたら務台になる、といわれた、仕事以外何の趣味もない火の玉のような男だった」と述べています。
 第5章「疑獄と遭難」では、「名誉欲に関しては他人の手柄を横取りするほど我執を燃やした正力も、こと金銭に関しては、不思議なほど無欲なところがあったことだけは確かだった」としたうえで、「正力にとって最上位の価値観とは、義理人情を通すことであり、友達を守るためには、友達を守るためには『死んでも口を割らない』ことだった」と述べています。
 第6章「不倫と絹糸」では、「正力は、自らアイディアを発案する人物というより、他人のアイディアから事業家のひらめきを触発され、人並み外れた実行力と人脈で、それを実現に持っていってしまった人物だった。正力はその意味で、確かに大プロデューサーではあったが、クリエーターとしての想像力には、むしろひどく欠けていた」と述べています。
 そして、「正力の事業の最大の特徴は、その事業実現のため、一見関係ないと思われる人物まで巻き込み、星雲状の人脈をつくりあげてしまう点にあった」と述べています。
 また、「正力が異常なまでに"創業者"意識にこだわったのは、彼の事業の厳選である読売新聞が正力の"創業"ではなく、いわば乗っ取り同然によって獲得されたものということと密接に絡んでいた」としています。
 第8章「決起と入獄」では、戦後の読売争議を支援する共産党のデモ隊が読売に突入する構えを見せたときに、正力が、「共産党が襲って来るぞ、という急報に周章狼狽し、思わずそばにあった下駄箱に頭をつっこんで懸命に身を隠そうとした。むろん小さな下駄箱に全身が入るわけもなく、尻は丸出しのままだった」として、「下駄箱に頭をつっこんだ姿は、警視庁以来、剛毅さで雷名をとどろかせた正力が、おそらく、生涯でただ一度だけ見せた、公衆の面前での無様な姿だった」と述べています。
 第9章「祝宴と嫉妬」では、昭和61年にゴルフプレイ中にフロリダで客死した柴田秀利を、「29歳の若さで読売第二次争議を解決する決定的な役割を演じただけではなく、日本に初めてテレビを導入し、原子力開発を我が国に持ち込んだ人物でもあった。昭和43年、日本テレビの専務を最後に正力の許を去るまで、柴田は何度も正力と衝突を繰り返しながら、正力の野心を次々と実現していく皮肉な役割を演じた」と述べています。
 また、「正力は務台氏をいじめることが何よりの楽しみだった」として、「男の嫉妬としかいいようのないこの感情こそ、読売を巨大化へと突き動かしてきた原初の衝動だった」と述べています。
 第10章「復権と球場」では、「正力は野球というものに心底惚れなかったからこそ、『プロ野球の父』という称号を獲得できたとも言えた。野球をあくまで読売拡販の手段と見なした正力だけが、"日本プロ野球の盟主"の座に君臨することができたのも、人間世界の苦い皮肉だった」としています。
 第11章「国土と電影」では、「正力の戦後の事業は、プロ野球の復活と同様、己の早期追放解除への執着といつも道連れだった。テレビ事業はその最たるものだった」としたうえで、「わが国のプロ野球の歴史の裏に、鈴木惣太郎をはじめとする有能な"影武者"ではなく、たちの存在があったように、"正力テレビ"ではなく、実現の裏にも社史では最低限の記述しかされていない男の知られざる活動があった」と述べています。
 また、柴田が煮詰めたテレビ導入計画が、「想像を絶するほど壮大なものだった」として、「日本全土にテレビ、FM、ファクシミリ、軍事用マイクロ回線に至る全通信情報網を張り巡らせ、日本を最も近代的な情報通信の要塞国家に仕立て上げる、というもので、しかも、必要とあらばアメリカ側から最新の技術をすべて提供するという、夢のような話だった。その構想の現れの一端が、柴田による日本テレビ放送網という命名だった」と述べています。
 そして、正力が、「プロ野球の父」「テレビの父」「原子力の父」とことあるごとに言い立ててきた一方で、「プロレスの父」とは「自ら決して言おうとはしなかった」理由として、「プロレスは、正力が自分の柔道に対する夢と、朝鮮人虐殺といういまわしい過去とを二つながら封殺して実現した、まさに正力オリジナルの事業だった」と述べています。
 第12章「原発と総裁」では、「"正力テレビ"の導入で目覚ましい活躍をした柴田秀利こそ、正力を"原子力の父"に仕立て上げた本当の陰の仕掛け人だった」と述べています。
 そして、「正力が原子力に関心を示した一つの理由は、それが空前絶後のエネルギー革命を予感させていたためだった。ことを起こすに当たっての正力の判断基準は、空前絶後のものでなければ大衆をあっといわせることはできない、という明快と言えば明快、単純と言えばこれ以上単純なものもない目安だった」としています。
 第13章「発火と国策」では、「今日のプロゴルフブームは、実は40年前の原子力ブームの副産物だった」として、原子力平和利用使節団の団長で、原子力潜水艦ノーチラス号をつくったジェネラル・ダイナミックス会長兼社長のジョン・ホプキンスが、ゴルフのオリンピックといわれるカナダ・カップを始めたことを述べた上で、第5回カナダ・カップで団体優勝と個人優勝を開催国の日本がかっさらったことが、今日のプロゴルフブームをひきおこしたとしています。
 第14章「天皇と興業」では、正力が出身地の富山から衆院選に出た歳に、「読売新聞、日本テレビ、よみうりランドの三社が調達した選挙資金を地元の有力者や販売店にバラまく一方、有力者の指定を片っ端から日本テレビ入りさせて、不振の正力票をどうにか固めていった」として、「その就職斡旋はすさまじく当時、日本テレビのアナウンサーは全員富山訛りがある、といわれたほどだった」と述べています。
 そして、昭和34年6月25日の天覧プロ野球を、「この日正力は、84年の生涯において最高の光芒に包まれた。だが、それは同時に正力の衰弱の最初の兆候でもあった」としています。
 第15章「宿業と花輪」では、正力の最後の夢である天覧試合がかなった今、「正力をかりたてつづけたテーマは、彼自身の内部をいくらさがしてみても、もう見つからなかった。"天覧試合"の達成は、正力の生命力の源泉とも言える主題の喪失でもあった。目標を失った正力が、急速においを早めていったのは、むしろ当然のことだった」として、「正力に諌言するものは、柴田秀利を除き、周囲にまったくといっていいほどいなかった」ことが、「正力の老醜に一層拍車をかけていく大きな要因だった」と述べています。
 そして、「柴田の仕事ぶりが凄いと感じれば感じるほど、正力は柴田を驚嘆しつつ憎悪した。正力がごく些末なことをあげつらって柴田を怒らせ、年中行事のように辞表を叩きつけられたのも、また、その都度、卑屈なまでの態度で柴田の慰留工作に出ざるを得なかったのも、そのためだった」と述べた上で、昭和43年に、正力が、「君は最近、社長の権限を無視し、専横を極めているという専らの噂だ」と言って柴田を怒らせ、「ふざけるなッ!」という一喝のもと、日本テレビを後にすると、正力の慰留工作にもかかわらず、「もはや修復は不可能だった」と述べています。
 また、「戦前、数々のアイディアで読売を一人前の新聞に育て上げた正力は、きわめて有能な経営者であり、シャープな感覚の持ち主でもあった」が、「功成り名遂げてからの正力は、とりわけ柴田を失ってからの正力は、もはや老残以外の何物でもなかった」と述べています。
 著者は、「正力をこれほどの欲望にかりたてたもの」として、「学業不振から、東大の同級生たちが進んだエリートコースに乗れなかったことや、怪異な要望から女性に相手にされなかったコンプレックス」以外に、「堤防を築いても築いても氾濫を繰り返す庄川の流れには、あくなき欲望にとりつかれた正力の生涯がくっきりと映し出されている」として、「いつ氾濫するかもしれない大衆の欲望こそ、正力の超人的なエネルギーの源泉だった」と述べています。
 第16章「蓋棺と磁力」では、「日本近現代史と個人史とを大衆を媒介にしてシンクロさせたその生き方こそ、数々の事業を生み出し、棺を蓋うてもなお磁力を失わない、正力の力の真の源泉だった」と述べています。
 本書は、日本の大衆社会の立役者の生涯を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 正力といえば「読売」「巨人」はすぐに浮かんでも、「原子力の父」という言葉はあまり知られていないのかもしれません。少なくとも今は積極的に宣伝したい人もいないのかもしれませんが。「空前絶後」が大好きだった正力ですが、現在の「空前絶後」の大災害を見て何と言うのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・現代の日本大衆社会に全力で迎合したい人。

2011年4月 7日 (木)

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈下〉

■ 書籍情報

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈下〉   【カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈下〉】(#1995)

  佐野 眞一
  価格: ¥660 (税込)
  新潮社(2001/04)

 第13章「『わが安売り哲学』」では、1969年に中内が出版し、後に自ら絶版処分とした、「キャッシュレジスターの響きはこの世の最高の音楽である。スーパーの店内を歩く人を眺めることはいかなる名画を見るよりも心の弾むことである」という挑戦的な書き出しで始まる『わが安売り哲学』について、「自分でも名状しがたい私憤を力ずくで公憤にもっていってしまったきわめて珍しい本である」と述べています。
 そして、後に"怨念の三十年戦争"と呼ばれるダイエーと松下電器の対立について、「ダイエーのバイヤーたちは、四国、九州から東北に至るまで、現金を懐に松下の製品を求めて、東奔西走する毎日を送らなければなら」ず、「ダイエーは、松下製品を店頭に並べるたび、松下から依頼された業者に、次々と買い占められるというイタチごっこの戦いを繰り返していたが、その一方で、前年12月、独禁法違反に目を光らせていた公取委が、松下をはじめとする家電7社にカラーテレビの価格カルテル破棄勧告をしたのをきっかけに、公取委に対して密かに家電製品のヤミ再販(価格維持)に関する証拠を流していた」と述べています。
 そして、松下のテレビの真空管の足の部分には特殊照射器を当てることで浮かび上がる秘密の番号が刻印されており、「この番号を見れば、その製品がどの代理店、どの問屋から出荷されたのかがわかる仕組みになって」いて、「ズボンプレッサーの秘密番号は、パッキングケースの横に、買ってから2、3週目に自動的に浮き上がってくる形でつけられていたし、電気冷蔵庫はマグネットドアの内側や、モーターの下側、フリーザー室の内側など、見当もつかないところにつけられていた。炊飯器は本体の底に、鉛筆削り器はくず入れを出した屋につけられていた」として、「この松下とのケンカの一件で、一躍、"全国区"となった」と述べています。
 また、「中内には、いくらメーカーのコストがかかろうと、価格というものは消費者が求めるバリュー(価値)によって決められるべきものである、という強い信念がある」として、「いくらで売ろうと勝手。メーカーには文句を付けさせない」という中内の口癖を紹介し、「松下と中内の対立は、生産者のコスト主義と、流通業者、消費者のバリュー主義をめぐって展開された需要側と供給側の最も根源的な対立だった」と述べています。
 第14章「三島由紀夫と格安テレビ」では、「中内の狂気も温情も本物だからこそ、人は中内のために死を厭わぬほど働くのだろう。殺しても殺しても憎み足りない人物に、気がつくと命を捧げているという不思議差こそ、中内のカリスマ性の源泉だった」と述べています。
 第15章「一兆円は一里塚」では、ダイエーが「どんなに強い反対運動があっても最後は結局、出店してしまう」理由として、「地元の反対運動は大勢ですが、ダイエーは中内さん一人だからです」、「複数は弱い。特に時間がたてばたつほど、あいつはひょっとして賛成派に回っているんじゃないかとか、お互い疑心暗鬼になり、最後は仲間割れになる。その点、一人は強い。絶対に割れっこないからです」という経営コンサルタントの言葉を紹介しています。
 第16章「バブルの予感、V革の悲劇」では、「奇跡の復活といわれたダイエーの"V革"は、なぜいまも沈黙の対象になっている」のかについて、「"V革"を担った幹部たちのほとんど全員に接触したが、彼らは固い表情をして、一様に口をつぐんだ」と述べています。
 第17章「裸のラストエンペラー」では、「一貫してかわらぬワンマン体制によってしかオペレーションできていないところにこそ、中内ダイエーの深い悩みが隠されている」とした上で、「いまにして思えば、阪神大震災下のみごとな救援作戦は、中内ダイエーがみせた最後の光芒だった」と述べています。
 第18章「持ち株会社第一号とローソンの反乱」では、「中内ダイエーの深刻な業績不振の最大の原因は、仙台勤務の社員をいきなり九州に飛ばすなどのメチャクチャな人事異動による社員間のモラールダウンと、経営者と呼べるだけの幹部を全く育ててこなかった人事政策の誤りにある」と述べています。
 第20章「南島のファミリーカンパニー」では、「中内は、ダイエーの再建役としてスカウトした河島博を総指揮官とする"V革"が成功するや、まだ31歳になったばかりの潤をダイエーの専務に大抜擢した。この当時、"V革"の戦士となった大卒組は、40歳代の働き盛りだった」として、「このとき中内の心中には、力を付けた彼ら生え抜き組みが、十歳も年下の潤の寝首をいずれ掻くかもしれないという恐怖心がよぎったのではないか」と述べています。
 第21章「夢のまた夢」では、「中内のファミリーカンパニーづくりに色濃く現れているのは、異常とも思えるほどの人間不信である」と述べ、「中内ダイエーの40年とは、重厚長大産業や金融業など日本を支配してきた基幹産業界へのドン・キホーテ的挑戦の歴史だったともいえる。経団連副会長にまで登り詰めることでその一角を突き崩した中内は、いま、日本の財界、日本のエスタブリッシュメントの厚い壁の前にたじろぐ自分の無力さを、改めて気づかされているのではないか」としています。
 第24章「墜ちた偶像」では、「リンガエン湾で中内が見たものは何か。圧倒的な物量の差が勝敗を決めるという、動かしようのない現実ではなかったか」として、中内が「この世界には一番しかない。二番は死を意味する」と常に言っていたことについて「リンガエン湾の過酷な戦争体験をひきずったこの宿痾)ともいうべき思いこみが、中内ダイエーを無謀なまでの拡大路線に突っ走らせていった。その拡大路線が、すべての綻びのはじまりだった」と述べています。
 本書は、一代で築き上げた流通業界の旗手の転落を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 最近では、ワンマン企業ということが好意的に取り上げられることは少ない気がしますが、ワンマン企業の良い面も悪い面も体現した企業の代表がダイエーなのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・ワンマン企業で働いている人。

2011年4月 6日 (水)

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈上〉

■ 書籍情報

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈上〉   【カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈上〉】(#1994)

  佐野 眞一
  価格: ¥660 (税込)
  新潮社(2001/04)

 本書は、「中内ダイエーというきわめて個性的な戦後企業の成長と停滞を通して、戦後日本流通業の歴史的変遷をたどり、あわせて戦後日本の消費社会の爆発的拡大と、戦後日本経済の成長が何をもたらし、何を失わせたのか」をさぐったものです。
 第1章「沈む半月マーク」では、「ダイエーの店舗の塔屋に飾られたシンボルマークの半月は、今、急速に沈もうとしている」としたうえで、その懸念のベースには、
(1)業績悪化にあえぎながらも莫大な投資をなお止めようとしない拡大主義
(2)97年5月の株主総会後の役員会で明らかになった人事問題
の2点があるとしています。
 第2章「メモリアルのなかの流通帝国」では、著者が中内を、「最も"戦後的"な人間」と述べる理由として、「"戦後"を頭で批判しながら、その下半身はどっぷりと"戦後"につかっているという思いが、ずっと念頭をはなれなかったため」だとしています。
 第3章「三角の小さな家」では、「中内が自らの内に封印した激情を何の遠慮もなく噴出させるには、敵弾の下で誰もが"平等"になった戦争という過酷な体験が必要だった」とした上で、「三中から神戸高商を経て、兵隊にとられ、ソ満国境からフィリピン戦線に送り込まれるまでの中内と、人肉食いの噂が絶えずつきまとったフィリピンのジャングルでの敗走戦から奇跡的に生き延び、日本に復員した中内とでは、明らかに人間が違う」と述べています。
 第4章「書かれざる戦記」では、「中内のほうりこまれた戦場は、明らかに生きて帰ることを全く想定しない地獄の戦場だった」として、中内が、「勇敢な兵士ほどあっけなく死んでいった、僕は卑怯未練な男だったから、生きて日本に帰ることができた」と語っていると述べています。
 そして、「戦後、中内がすべての秩序を破壊するように、驚くべき行動を起こしていったのは、自分は国家に裏切られた、もう法秩序は信じない、という固い決意があったからに違いない」と述べています。
 また、「指揮系統は混乱し、兵士たちは百鬼夜行の状況にあった。眠ればいつ味方に殺され、屍肉をあさられるかわからない極限状況だった」としたうえで、「戦争とそれに続く俘囚体験が中内にもたらしたもの」として、「人間の底知れぬ残虐さ、卑劣さ、弱さであり、人間の運命の一寸先もしれぬ闇の深さである。そして、権力というものが持つ、法の名を借りた不条理さだった」として、「中内のこれ以後の人生のエネルギーは、すべてこの体験が源泉となっている」と述べています。
 第5章「中内という男の内面を考えるとき、戦場で生き延び、戦後に生き残ってしまったという後ろめたさが、大きなキーとなる。死んだ仲間の分まで取り替えるソ言う戦中はならではの過剰なまでの重いが、中内のエネルギーの源泉となったことは確かだ」と述べています。
 また、中内が、「無人ののを一人行く開拓者のようにして、暗黒大陸といわれる流通業界の世界を単身切り開いていったわけでは、決してなかった。中内の前には、先人たちの切り拓いた"流通革命"の細い道がかすかにのびていた。中内はその細い道を見逃さずに突き進み、その道を持ち前の馬力で強引に押し広げていった」と述べています。
 第5章「キャッシュレジスターの高鳴り」では、中内が大阪・千林駅前に「主婦の店・ダイエー」を出店する一年半前の1956年3月に北九州・小倉市にオープンした120坪の総合食品店こそが、「わが国スーパーの嚆矢をなすものだった。この店には、現在見られるスーパーの原型がすべて備わっていた」として、その丸和フードセンターが、「これまで日本人にはほとんどどなじみのなかった、セルフサービス方式と、低価格高回転のローコストオペレーションを日本で初めて本格的に取り入れた店だった」と述べています。
 そして、丸和を創業した中心メンバーである、吉田日出男を長兄とした吉田四兄弟だったとしたうえで、「先駆者の栄光と悲惨という言葉をそのままに、吉田は日本流通業の舞台から次第に溶暗していった。これとは対照的に、舞台中央に突然踊りだし、華々しいスポットライトを浴びていったのが中内だった」と述べています。
 第5章「牛肉という導火線」では、初期ダイエーの売り上げの伸びに決定的に寄与したのは、「三宮二号店新装オープン記念の目玉商品として売り出した安売りの牛肉だった」として、中内が、「後からついてくる牛の足音を聞いただけで、その牛の目方がわかる男」と驚嘆した「ウエテル」こと、上田照雄こそ、「初期ダイエーを急成長に見導いた最大の功労者であり、中内が素っ裸になれる本当の"戦友"だった」と述べています。
 第8章「神戸コネクションと一円玉騒動」では、「中内ダイエーのようなワンマン企業の恐ろしいところは、トップの自信喪失や迷いが、そのまま組織の式や営業成績にストレートに反映してしまうことである」と述べています。
 第9章「わが祖国アメリカ」では、1962年5月に初めて渡米し、シカゴで開かれた国際スーパーマーケット大会に日本代表として出席した中内が、当時のケネディ大統領から会場に届けられたメッセージである、「アメリカとソ連の差はスーパーマーケットがあるか否かである。マス・マーチャンダイズ・メソッド(大量商品開発方式)こそ、アメリカの豊かな消費生活をさあセルものであり、スーパーマーケットを通して豊かさが実現されていく社会こそ、全国民が願い求めている社会である。一時間で買えるバスケットの中身の違いこそ、米ソの違いである」というメッセージの「一言一言に、目の前が開けていくように感じ、心の中で『これだ。これこそ自分が進むべき道だ』という思いをかみしめ、感動で涙が出てきそうだった」と告白していることを紹介しています。
 第11章「ベビーブーマーたあち」では、「河島の卓抜した指揮によって、三年連続連結赤字というドン底の状況から、文字通りV字型の業績回復をはたしたとき、"V革"の実践で鍛えられた彼ら若手は自信をもち、ダイエーの求心力は河島に移っていくかにみえた」として、「はじめての赤字転落にすっかり自信をなくした中内は、この時期、完全に鬱の季節に入り、往事のカリスマ性は見る影もなかった」が、「"V革"が成ると、中内のなかの本来の欲望が目を覚ました」として、「世襲のレールを着々と敷いた」と述べています。
 第12章「地と骨の抗争」では、「急成長に向かって走ろうとする中内ダイエーの最初の躓きの石となったのは、次弟博の経営するサカエとの合併問題だった」としたうえで、次に起きた末弟力との抗争は、「一時は東西分裂の事態にさえなるのではないか」と言われる「ダイエー第一の危機といわれる」と述べています。
 そして、「経営中枢を気心の知れたブレーンで固めたこの時点から、中内ダイエーの"衆議独裁"体制は整った。日本一の小売業を目指して本格的な快進撃を開始するのもこの時点からだった」と述べています。
 本書は、戦後流通業を体現する男の前半生を綴った一冊です。


■ 個人的な視点から

 戦争を経験した世代にとって、戦争体験が強烈なエネルギー源となっていることを感じさせるとともに、それが相当に重い人生の十字架になっていることは想像に難くありません。


■ どんな人にオススメ?

・ダイエーを単なる一スーパーだと思っている人。


2011年4月 5日 (火)

新忘れられた日本人

■ 書籍情報

新忘れられた日本人   【新忘れられた日本人】(#1993)

  佐野 眞一
  価格: ¥1575 (税込)
  毎日新聞社(2009/7/18)

 本書は、数多くのノンフィクションを書いてきた著者が見つけた、「主人公以上に魅力的なバイプレイヤー」にスポットライトを当てて、「彼らの魅力を再発掘」したものです。
 「『山びこ学校』の江口江一」では、「『山びこ学校』の原稿が戦中、戦後の過酷な体験をくぐりぬけた有能なジャーナリストたちに一年以上揉まれたことは、この本にとってある意味幸福だった。野口はそこに本当に地に足がついた民主主義の到来を予感し、青木は机上の空論ではない貧しい山村の現実を実感し、佐和は一貫して自分が見を寄せてきた民衆のぬくもりを感じ取っていた」と述べています。
 「ファミレスの草分け・江頭匡一」では、ファミリーレストランの草分け的存在の外食チェーン。ロイヤルを創業した江頭について、そのユニークさは、「人並み外れた合理主義と人並み外れた一流志向が、ひとつの人格のなかで矛盾なく同居しているところにあった」とした上で、江頭が「創業以来、一日十食の試食を自分に課してきた」為、「その過重負担が、十二指腸潰瘍、直腸潰瘍、胆石、胃潰瘍、盲腸、堪能壊疽、肝炎などを発症させ、七つのメス跡となって刻まれた」と述べ、そのアタッシュケースには、大量の消火剤と下剤、そして一日二本使用する浣腸が常備されているとして、「一日に七百本の浣腸を使用しながら、日本一のレストランチェーンを目指す男の姿は、滑稽さを通り越して凄絶であり、感動的ですらあった」としています。
 「『残飯屋』弥勒久」では、「明治時代には『残飯屋』という立派な商売があった。軍隊や工場、病院から出る残飯を払い下げてもらい、貧しい人々に売ったり、養豚業者に売るビジネスが成立していた」としたうえで、「"いい残飯"は、米飯なら米飯、麺類なら麺類と食べカスがきちんと仕分けされている残飯」だと述べています。
 「『スケベ椅子』の開発者・西四辻公敬」では、「雄琴のソープ村を取材している時、もうひとり意表をつく人物に会うことができた」として、「当時、氏がプラスチック代表取締役という肩書きを持っていた西四辻公敬という人物」だとして、「公家(西四辻子爵家)の出身で、父は貴族院議員も務めたという血筋のよさである」が、「そのやんごとなき人物が経営する会社が、ソープランド用バスタブでは日本一のメーカーだと聞いたときには、思わずのけぞった」と述べています。
 「蒟蒻ジャーナリスト・村上貞一」では、「業界紙記者の最良の美質をあげるなら、社会の木鐸とやらを打ち鳴らし、鬼の首でも取ったように騒ぎまわる一般紙記者の傲岸さと愚かしさから、自覚的に遠く隔たっていることだろう。私が業界誌の世界に強いシンパシーを感じるのは、彼らがこうした屈折混じりの心ばえを持っているように思われるからである」と述べています。
 「元祖・太陽族の山本淳正」では、著者が、『てっぺん野郎』という石原慎太郎の評伝を書いた際に、「取材を通じて最も痛感したのは、危機に陥るといつもその責任を他人に転嫁する石原の困った性格だった。彼が熱望していつも果たせないできた男らしさはまったくなく、怯懦な女々しさだけが感じられた」と述べた上で、「『太陽の季節』や『狂った果実』などの湘南の不良青年者は、実は慎太郎が弟の裕次郎を通じて当時知り合った山本淳正や、その仲間の不良青年たちの奔放な生活をモデルにして書いたものだった」と述べています。
 そして、「数人の青年が二日二晩かかって一人の女性を輪姦し、挙句の果てに崖から突き落として殺してしまう」という石原の作品「完全な遊戯」が、「山本と裕次郎の遊び仲間達の生態を、ほとんど虚飾を交えずに描いたものだった」と述べ、「青春を無軌道に謳歌した正真正銘の『太陽族』の山本は、慎太郎に湘南風俗を伝授する隠れた知恵袋という以上に、実質的には慎太郎のほぼ完全なプロンプターだった」として、「慎太郎は最初からマスコミが注目する湘南の不良青年を装っていたのである」と述べています。
 「世界一長い日記の執筆者・倉富勇三郎」では、「庶民が絶対にうかがうことができない皇族や華族の動きを内部から伝え、同時に、役人としてほぼ最高の栄誉を手中におさめた高級官僚の世俗的関心の有り様を断片的ながら記すことにもなったこの日記は、一種の奇書だといってもよい」と述べています。
 本書は、決して表舞台には出ない魅力的なバイプレイヤーにスポットライトを当てた一冊です。


■ 個人的な視点から

 一冊まるごと一人の人間を追ったボリューム感のある評伝も楽しいですが、こういう短い評伝、それも光の当たらなかった脇役の評伝はなかなか世に出る機会がないので貴重かと思います。


■ どんな人にオススメ?

・主役ばかりでは物足りない人。

2011年4月 4日 (月)

「婚活」現象の社会学 日本の配偶者選択のいま

■ 書籍情報

「婚活」現象の社会学 日本の配偶者選択のいま   【「婚活」現象の社会学 日本の配偶者選択のいま】(#1992)

  山田 昌弘
  価格: ¥1680 (税込)
  東洋経済新報社(2010/6/11)

 本書は、「婚活」が流行した背景、結婚行動の実態、「婚活」の影響、欧米の目から見た「婚活現象」について、専門家が論じたものです。
 著者は、「欧米人にとって、日本の『結婚活動』の流行は、なかなか理解しにくい」理由として、
(1)欧米では、交際相手を見つけるために積極的に行動することは当たり前すぎて、いまさら言葉にする必要はない。
(2)「結婚」にこだわらないライフスタイルが確立されているため、そもそも結婚相手を見つけるという発想がないこと。
の2点を挙げています。
 第1章「『婚活』現象の裏側」では、世間一般の認識と現実のギャップとして、
(1)少子化の主たる原因が、結婚の現象にあることが語られない
(2)結婚したくてもできないことが未婚化の原因であることが語られない
(3)未婚女性の多くが男性に経済力を求めていることが語られない
の3点を挙げています。
 そして、「女性が結婚したいと思う男性の年収と現実の未婚男性の年収には、地方、東京都も相当のギャップがある」として、「その認識のギャップを埋める必要がある」と述べています。
 また、「いまの若者の結婚観の中で急速に失われているのが『恋愛至上主義』、言葉を変えて言えば『ロマンティック・ラブ・イデオロギー』なのである」としています。
 さらに、「理想的な結婚が現実に不可能なもの」になる状況に対して、
(1)理想を放棄する
(2)身近な虚構にはまる
(3)遠くの理想を追い求める
の3つの選択肢が生じてくるとしています。
 第2章「若者の交際と結婚活動の実態――全国調査からの分析」では、「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査」を用いて若者の結婚活動について分析した結果、
(1)「婚活」の実態:若者の役半数が活動をしている。男女とも友人・知人を通じた活動が多い。活動をしたほうが交際相手はみつかりやすい等。
(2)婚活の「効果」:男女とも正社員では意欲の高低が活動に影響しているが、非正社員・無職では意欲の高低と活動率に関連がない。
(3)働き方と意欲と活動の相互連関のメカニズムにもジェンダーさがある。
の3点を挙げています。
 第3章「結婚仲人の語りから見た『婚活』」では、「現代日本社会において、見合い結婚と恋愛結婚は、結婚条件としては、実質的な差が無くなっている」と述べています。
 第4章「自治体による結婚支援事業の実態――そのメリットとデメリット」では、民間による結婚支援事業の捉えられ方として、「相応の費用がかかるものの、それによって同じような気持ちのレベルの人が集まること、さまざまなオプションが用意されていることが、民間事業が選ばれる理由であった」と述べています。
 第5章「婚活ブームの2つの波――ロマンティック・ラブの終焉」では、「婚活ブームはリーマン・ショック以前と以後ではそのブームの性質が異なる」として、第一の波は、「ほとんどの人が適齢期になると何となく結婚できた時代は終わり、結婚したいなら自助努力が必要である」という婚活の趣旨を理解した人たち、であったのに対し、第二の波は、「この不況下でも安定して高収入を稼ぐ男性」を女性が勝ち取る活動であると述べています。
 第6章「誤解された『婚活』――婚活ブームを検証する」では、「日本の合コンシステムは、以前は『既婚者』『彼女持ち』『社交』『接待』など、目的がバラバラな人が集う日効率な婚活の場だったが、いまや『合コン』といえば『婚活目的』となり、既婚者が恋愛市場から締め出された」と述べています。
 第7章「アメリカ社会から見た現代日本の『婚活』」では、日本がアメリカの結婚活動から学ぶこととして、
(1)日本の結婚活動はもっと広義に捉えてもよいのではないだろうか。
(2)単によい相手を探すことに時間を費やすばかりではなく、自分の価値観を多様化させたり、自身の人間性を養うことが可能な経験をすることも必要である。
(3)「婚期を逃して」から必要に迫られて知識を持つのではなく、もっと家庭や教育場面で結婚活動に関する知識を供給する必要がある。
の3点を挙げています。
 終章「積み過ぎた結婚――日本の結婚の今後」では、「現代日本においては、『結婚』に様々なものを求めすぎていることが、結婚に関する問題を複雑化させていると言えないだろうか」と述べています。
 本書は、日本の「婚活」現象をまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 単なる流行現象として「婚活」という言葉が取り上げられている気がしますが、女性が社会的上昇手段として「婚活」を捉えているとしたら、そりゃカップル成立率は低くなりそうです。既婚男性が恋愛市場から締め出されているというのはいい傾向だとは思いますが。


■ どんな人にオススメ?

・「婚活」は単なる流行語だと思う人。

2011年4月 3日 (日)

DNA鑑定は万能か―その可能性と限界に迫る

■ 書籍情報

DNA鑑定は万能か―その可能性と限界に迫る   【DNA鑑定は万能か―その可能性と限界に迫る】(#1991)

  赤根 敦
  価格: ¥1680 (税込)
  化学同人(2010/4/10)

 本書は、「DNA鑑定法の変遷と現状、原理と問題点について解説しながら、DNA鑑定の可能性と限界」について論じているものです。
 第1章「法医学鑑定と個人識別」では、司法解剖について、「犯罪の関与が疑われる死体を解剖して死因や死亡推定時刻、使用された凶器などを鑑定することで、警察の犯罪捜査の一環として実施される法医学鑑定の一つ」だとした上で、その内容から、
(1)人体の検査
(2)物体の検査
(3)書類の検査
の3つに分類することができるとしています。
 そして、また、DNA鑑定が実用化されるためには、
(1)個人差が大きいDNA多型の存在
(2)微量の試料から特定の遺伝子の一部の領域を、2、3時間で数百万倍に増やす(増幅)することができる「PCR(Polymerase Chain Reaction:ポリメラーゼ連鎖反応)」法が開発されたこと
の二つの科学的発見が必要だったとしています。
 第2章「DNA鑑定でなにができるか」では、「一般的に血痕からの血液型判定は数日から半月、薬物鑑定(各種の薬物の特定と定量)は早くて一週間、通常は一ヶ月以上」かかるとした上で、DNA鑑定の場合は、「試料からのDNAの抽出、PCR法による増幅、電気泳動法による型判定」を「連続して行い、順調に検査が進めば朝から始めて夜に鑑定結果を出すことが可能かもしれません」が、「実際には数日ないし一週間以上かかる」と述べています。
 第4章「塩基配列の反復STRと塩基の変異SNP」では、「DNAの塩基配列を調べていくと、特定の配列が繰り返し並んでいる領域がヒトのDNAのいたるところにあること」がわかり、このような繰り返し構造部分を「反復配列」と呼ぶとした上で、「反復配列のうち、特定の塩基配列が同じ向きに並んでいる部位」を特に「縦列型反復配列」と呼び、「縦列型反復配列を調べると、人によって配列の反復回数が異なっていて、個人差が大きい領域であることがわかり、『縦列型反復配列多型(タンデムリピート)』と呼ばれるように」なったと述べています。
 そして、現在のDNA鑑定では、「キットを用いてSTRを検査する方法が標準」だと述べています。
 第5章「父親由来のY染色体と母親由来のミトコンドリアDNA」鑑定では、「Y染色体は父親から男の子へそのまま遺伝する」として、「男系家系であれば何世代も受け継がれるという事実は、人類遺伝学の研究にも応用されて」いると述べています。
 また、「ミトコンドリアDNAは母親のものがそのまま子供へ遺伝子、父親からは遺伝されない」という遺伝様式について、「細胞質遺伝」あるいは「母系(母性)遺伝」と呼ぶとしています。
 第6章「DNAは鑑定は万能か――その限界と問題点」では、足利事件の当初のDNA鑑定の問題点として、
(1)菅家さんと下着の体液のDNA型を同じゲルで電気泳動して直接比較することをしなかったこと。
(2)D1S80とABO式血液型以外に両方の資料を比較できる方法がなかったこと。
の2点に要約できるとしています。
 そして、「DNA鑑定は、犯罪現場に残された僅かな試料からDNA型を判定でき、高い確率で該当者を特定することができる」という一般人、警察官や検察官、裁判官の認識は、「誤りではありません」としながらも、「DNA鑑定が万能ではなく、これまで説明してきたように限界があることも事実」だとして、「DNA鑑定が裁判の証拠として採用される場合は、関係者がその点を利用して裁判に臨むことが肝要」だと述べ、「鑑定書に記載されたデジタル情報である結論のみでなく、検査過程のアナログ情報も含めた、鑑定結果の検証体制を整えておく必要がある」としています。
 本書は、DNA鑑定の有効性と限界を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 DNA鑑定というと、何やらDNAを全部解析してしまうかのような印象を受けますが、あくまで個人を特定するための手段の一つでしかないという当たり前の操作方法であることを再認識させてくれます。


■ どんな人にオススメ?

・DNAという言葉に気負ってしまう人。

2011年4月 2日 (土)

「事業仕分け」の力

■ 書籍情報

「事業仕分け」の力   【「事業仕分け」の力】(#1990)

  枝野 幸男
  価格: ¥735 (税込)
  集英社(2010/4/16)

 本書は、事業仕分けを統括した立場から、事業仕分けを解説し、実態について具体的に報告したものです。
 著者は、事業仕分けが注目を集め支持された理由として、「これまで国民が一切眼にすることができなかった『予算編成』という国家統治の中核を、仕分けを行う過程で細部にわたって可視化したこと。そして、衆人環視の中、私たち仕分け人(正式には評価者)が発した意見や質問、あるいは出した判定の多くが、納税者たる国民の感覚、常識と合致したから」ではないかと述べています。
 第1章「『政治文化』の革命としての事業仕分け」では、仕分け人の議員メンバーの人選に当たっては、
(1)論理的な思考ができるか
(2)外からの圧力に屈しないか
の2点を基準にしたと述べています。
 そして、事業仕分けが、
(1)議会の役割は、予算を増やすことではなくて、減らすことだというところへ認識を転換させるきっかけとなった点。
(2)事業の目的と手段というものは、区別して議論するのが当たり前なのだというところに立ち返らせる契機となった点。
(3)事業は必要だと主張する方に立証責任があるのであって、不要だという方に立証責任があるのではないと、認識を改めさせた点。
の3つの点で日本の政治文化を変えるきっかけとなったとしています。
 第2章「事業仕分けとは何か」では、事業仕分けが、「非営利独立の政策シンクタンク『構想日本』によって生み出された行政改革の手法」だとした上で、事業仕分けとは、国や自治体が行っている事業を、
(1)予算項目ごとに
(2)「そもそも」必要かどうか、必要ならばどこがやるか(官か民か、国か地方か)について
(3)外部の視点で
(4)公開の場において
(5)担当職員と議論して、最終的に「不要」「民間」「国」「都道府県」「市町村」などに仕分けていく作業
とされていると述べています。
 第3章「事業仕分け最前線」では、各省庁の国の事業のムダ、不合理な要求について、
(1)ピンハネ、中抜き(補助金等の交付が、不必要な団体を経由する形で行われること)
(2)事業の重複
(3)公益法人や独立行政法人の資産と基金
(4)モデル事業の効果の検証
(5)効果の薄い広報、イベント活動
(6)コスト高の傾向があるIT関連の調達
(7)スリム化の余地がある独立行政法人、公益法人向けの支出
(8)不要不急、効果の薄い特別会計の事業
(9)地方自治体に移管すべき事業
の9つのパターンに分類しています。
 第4章「事業仕分けに対する批判に答える」では、「事業仕分けを通じて常につきまとたこと」として、「手段と目的の区別が付いていない」ことを指摘しています。
 第5章「有権者の意識改革としての事業仕分け」では、「事業仕分けによる政治文化の変革」が大きく、「政治がこの10年くらいで大きく変わったんだ」と述べています。
 また、次の事業仕分けでは、「仕分け人を務める国会議員の位置づけだけは整理した方がいい」と指摘しています。
 本書は、当事者が事業仕分けを語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 最近、事業仕分けという言葉を全然聞かなくなってしまいました。予算編成過程の肝の部分が公開されるということが大事だったのですから、仕分けの結果が実際の予算編成にどの程度反映されるのか、という問題を含めて、数年間の長いスパンで継続していくことが必要だと思います。


■ どんな人にオススメ?

・事業仕分けの嵐が過ぎるのをじっと待っている人。

2011年4月 1日 (金)

さえずり言語起源論――新版 小鳥の歌からヒトの言葉へ

■ 書籍情報

さえずり言語起源論――新版 小鳥の歌からヒトの言葉へ   【さえずり言語起源論――新版 小鳥の歌からヒトの言葉へ】(#1989)

  岡ノ谷 一夫
  価格: ¥1260 (税込)
  岩波書店新版版 (2010/11/26)

 本書は、「鳥の歌とヒトの言葉の形式的な共通点・相違点をより深く考察することによって、ヒトの言語の起源について新しい仮説を提示」しているものです。
 第1章「小鳥の歌とヒトの言葉」では、「鳥の歌の学習過程とヒトの音声言語の獲得過程にたくさんの共通点がある」として、
(1)小鳥の歌もヒトの言葉も複数のシステムの協調により可能になる行動である。
(2)大脳が非対称的に働く
(3)お手本の記憶と自己の発声とを照合する学習過程
という共通点があるため、「鳥の歌の神経科学的研究を進めてゆくことでヒトの言語の謎が部分的にも解明されることが期待できる」と述べています。
 第3章「ティンバーゲンの理想」では、ノーベル医学生理学賞を受賞したティンバーゲンが、「動物行動学研究の概念的な枠組みを纏め上げ、動物行動学を学問として体系化」した「4つの質問」として、
(1)行動のメカニズム
(2)発達
(3)機能
(4)進化
の4点を紹介しています。
 第3章「ジュウシマツの歌と四つの質問」では、全体の要約として、「ジュウシマツはなぜ複雑な歌をうたうのか? この疑問に徹底的にアプローチするため、ティンバーゲンの思考法を適用した。メカニズム、発達、機能、進化の4つの側面から、この疑問を解明していった。結果、ジュウシマツの複雑な歌は大脳の3つの神経核により制御され、ヒトの発話と同様な道筋をたどって発達し、メスの繁殖行動を刺激することが分かった。ジュウシマツは250年にわたって飼育された家禽種であるが、原種の歌は単純である。歌の複雑さは、この250年の間に性淘汰によって進化したのであろう」と述べています。
 そして、機能停止実験の結果として、「ジュウシマツの歌のフレーズ、チャンク、歌要素という階層は、NIf、HVC、RAという解剖学的な階層に対応していることが分かった」と述べています。
 第5章「四つの質問を超えて」では、「ジュウシマツやキンカチョウなど、カエデチョウ科の小鳥では、オスが求愛の歌を歌い、メスが歌にもとづいたオスの品定めを行う」とした上で、「野鳥であるコシジロキンパラ」が、「捕食などのコストにさらされ、歌の複雑さをめいっぱい進化させることができなかった」一方で、「家禽種となりジュウシマツとしてペット化されると、野外における淘汰圧のほとんどが焼失する」ため、「当初のコストのほとんどは問題でなくなり、そのためメスの好みがより強くストレートに反映されることになった」と述べています。
 第7章「氏か育ちか」では、「コシジロキンパラは歌の学習に際して遺伝的な制約が強いが、ジュウシマツはこれが非常に弱くなっている。このことが、ジュウシマツの歌を複雑にしている要因の一つであることは間違いない。言い換えれば、コシジロキンパラは志向性の高い歌学習をするが、ジュウシマツではこれが非常に低いのである」と述べています。
 第9章「さえずり言語起源論」では、「ジュウシマツの歌の研究から、たとえ一つひとつは意味を持たない歌要素でも、それらを文法的に配列する行動が進化することがわかった。この事例は、意味のないところにも、文法という形式が進化しうることの存在証明である」と述べた上で、「ヒト言語の文法の性淘汰起源説」として、「言語の文法構造は、性的なディスプレイとして性淘汰により進化した行動を支えているのと同じ神経機構が受け持っている。人間は、集団生活、道具の使用、農耕牧畜に拠って自己の棲む環境を安全で豊かなものに作り変えてきた。これを『自己家畜化』過程と呼ぼう。性的ディスプレイを有限状態文法にまで進化させるのは、性淘汰によって当初方向づけられた行動が、人間の自己家畜化により制約を緩和されたことで、より極端な方向に変異が蓄積されていった結果である」と提唱しています。
 本書は、一見結びつかない鳥の歌とヒトの言語の共通の起源を探った一冊です。


■ 個人的な視点から

 鳥のさえずりと人間の言語が関係あるかと言われると一見関係なさそうですが、『歌うネアンデルタール』という本もありましたし、歌うということは人間にとって本質的に大事なことなのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・歌うことは大事だと思う人。

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