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2011年7月

2011年7月28日 (木)

捕食者なき世界

■ 書籍情報

捕食者なき世界   【捕食者なき世界】(#2049)

  ウィリアム ソウルゼンバーグ (著), 野中 香方子 (翻訳), 高槻 成紀
  価格: ¥1995 (税込)
  文藝春秋(2010/09)

 本書は、「生物多様性が頂点捕食者(トップ・プレデター)の存在によって守られてきたという仮説にいきつくまでの、科学者たちの研究の歩みを紹介」しているものです。
 著者はこの問題に対して、「動物に対する偏見という厄介な問題が生じてくる」として、「人類は数百万年にわたって――肉食獣と食料を奪いあい、自分が食料にされないよう逃げながら――肉食獣を殺す社会で暮らしてきた」ために、「ごく自然に大型肉食獣を人間的な存在としてみるようになった」と述べています。
 第1章「ヒトデの腕」では、1960年に、ヘアストン、スミス、スロボトキンの3人(のちにHSSと呼ばれる)によって発表された論文による、「この世界の陸地が緑なのは――つまり、大部分が植物に覆われているのは――、草食動物がすべての植物を食べ尽くすことがないからだ。そして草食動物がこの世界を土だけの世界に変えてしまわないようにしているのは捕食者だ」とする「緑の世界」仮説を取り上げています。
 また、ロバート・T・ペインが、「モデルとなる群衆を見つけ、ヒトデを除くことでその生活の構造がどう変化するか」の調査を実施したところ、「ヒトデを海に投げ続けるうちに、次第に岩場の様子が変わってきた。まずフジツボが縄張りを広げ始め」、次に「イガイは本気でその力を誇示し始めた」として、「岩はイガイの殻に覆われてどんどん黒くなっていく」と述べ、「実験を始めたときにいた15種の生物のうち7種がいなくなり、イガイのほかはすべて、急いで退去しようとしていた」としています。
 そして、ペインが発表した論文において、「ヒトデのような重要な種――つまり比較的、少数でありながら、それを補って余りある影響力を持つ種――を表現する言葉」として、「キーストーン種」という概念が示されたと述べています。
 第2章「捕食と進化」では、カンブリア爆発について、「大型捕食者はより大きく、よりすばやくなり、被食者はより俊敏に、より狡猾になった」として、「世界は基本的に競争によって成り立ち、捕食は競争の重要な形態の一つである」と述べています。
 また、「2万年というそう遠くない昔、北米には体重が50キロ以上の肉食動物が少なくとも10種類いた」として、「北米大陸は超捕食者の宝庫だったのだ」とするとともに、それらの餌になる大型の獲物もいたが、「彼らは突然、謎めいた最期を遂げた」として、「およそ1万3千年前までに、北米の大型捕食者は半減した」と述べています。
 第3章「ラッコが守る森」では、1911年にラット・オットセイ保護国際条約が結ばれるまでに、「捕獲できるほどのラッコは見つけられなくなっていた。殺戮が始まってから1世紀半で、50万から90万匹のラッコが太平洋から消えたのだ」とした上で、その後、まばらにラッコが復活した結果、「ラッコがパトロールしているアムチトカの礁にはケルプの森があり、海面へ伸びる葉の間には魚が泳ぎ、海底には色とりどりのカイメンやヒドロサンゴ、イガイ、フジツボが生息していた。一方、ラッコのいないシェミアやアッツの礁では、海底はピンクのサンゴモを敷き詰めたようになっており、トゲだらけの巨大な緑色のうにがそこかしこに転がっていた」と述べ、「結局はラッコがその違いをもたらしているのだ」としています。
 そして、「ヘアストン、スミス、スロボトキンが掲げた『緑の世界』仮説、すなわち捕食者の存在は地球の状態に大いに影響するという見方に対し、当時の生態学者の多くは腹をたてるか、少なくとも神経過敏になっていた」が、エステスとパルミサーノは、「この評判の悪い仮説に証拠を提供することになった」として、「かくしてラッコはヒトデとともに、後にペインが『栄養カスケード』と名づけ、広く知られるようになる連鎖の、説得力ある実例となった」と述べています。
 第4章「恐るべきハンター」では、「アリューシャン列島のラッコは、絶滅ぎりぎりの状況から素晴らしい回復を遂げて半世紀が経っていたが、実はまたしても崩壊に向かっていたのだ」としたうえで、「それはラッコだけの問題ではなかった。やがてラッコの失踪と殺し屋の暴走は、1970年代から北方の海全域で連鎖的に起きている生態学的現象の最終的なひとこまにすぎないことがわかってきた。ラッコの減少に人々が気づいたとき、ゼニガタアザラシやキタオットセイやトドが破滅に向かい始めてからすでに10年から20年が経っていた」と述べています。
 そして、第二次世界大戦後の大規模な捕鯨によって、「おそらくクジラの肉が食べられなくなったせいで、シャチは小さな食べ物に目を向けたのだ」と述べています。
 第6章「バンビの復習」では、「肉食動物がいなくなり、ハンターが締め出され、草食動物にとって唯一の危険因子が自動車だけになった森は、どこも深刻なダメージを受けた。そのような状況がほとんどの国立公園で起きていた」と述べています。
 第8章「恐怖によるコントロール」では、1995年にイエローストーン国立公園に迎えられた8頭のオオカミについて、「イエローストーンでは30年にわたって、パークレンジャーが散発的にワピチの間引きを進めてきたが、その取組が成し得なかったことを、100頭ほどのオオカミがわずか5年でやってのけた。その理由も、『恐怖』は銘菓に説明した」と述べ、「オオカミが来たからと言ってワピチが激減したわけではないが、その行動が大きく変わったのだ」として、「健全な恐怖心が戻ってきたおかげで、川のほとりの森林は息を吹き返し、徐々に活気づいてきた」と述べています。
 第10章「アメリカ再野生化プロジェクト」では、「人類が北米大陸に到達したのは、たった一度のことだ。そしてその時期が大型動物の消えた時期と一致しているのは疑いようもなかった」と述べ、1998年に、マイケル・スーレと仲間の保全生物学者リード・ノスが提唱した「野生復元」と呼ばれるようになるアイデアを紹介しています。
 エピローグ「人は再び自然を愛せるか」では、「現代の大型捕食動物の死の大半は人間によってもたらされるというのが、肉食動物を専門とする生物学者の間では定説となっている」とした上で、「死の原因が人間であるなら、最後の瞬間に彼らを救うことができるのも人間のはずだ。そうすれば、罪悪感も和らぐだろう。自分たちが苦境に追い込んだ動物たちを、この手で救いだそう」と述べ、「大型捕食動物は、人類の主としての成熟度を教えてくれる貴重なバロメーターである」と述べています。
 本書は、生態系の中に肉食動物がいることの意議を再認識させてくれるとともに、肉食動物に対する人間の偏見の深さを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 生態系としては肉食動物が必要だと思いつつも、やっぱり自分の家の裏にライオンがいたら怖いんだと思うんですよ。たとえその確率が交通事故死の100分の1だとしても怖いのは「恐怖のコントロール」が今でも徹底されているせいでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・肉食動物は怖い人。


2011年7月27日 (水)

数と正義のパラドクス 頭の痛い数学ミステリー

■ 書籍情報

数と正義のパラドクス 頭の痛い数学ミステリー   【数と正義のパラドクス 頭の痛い数学ミステリー】(#2048)

  ジョージ・G・スピロ (著), 寺嶋英志 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  青土社(2011/1/21)

 本書は、「人々の意志を実行に移すための私たちの民主主義的な制度とその手段が決して確実なものではないということは読者の多くにとって意外な事実であろう。しかも、それらは予想外の結果をもたらすかもしれない」とする、「私たちの最も大切にしてきた民主主義の方法に固有の問題と危険についての解明と歴史的説明」です。
 第3章「神秘主義者」では、「現在知られている限り、単純多数決以外の選挙法についての最初の言及は13世紀にスペインの神学者で哲学者のラモン・ルルによってなされたものである」とした上で、「一連の総当り的なあるいは部分的な二者比較というルルの方法は、3人以上の候補者間の選択を念頭においたものであった。ゆえに彼の2つの提案は、古来使われてきた単純多数決原理もしくは3分の2多数決原理に対する大きな進歩であった。しかしそれらにはそれらなりの欠点があった」と述べています。
 第5章「士官」では、枢機卿クサヌスや海軍士官ボルダによって提案された、「選挙人たちの順位表に従って点数(価値単位)を与えることによって候補者の中から選ぶ」方法について、「今日、ボルダ方式(ボルダ式得点法)として知られている」と述べています。
 第6章「侯爵」では、ボルダの投票方式に対する挑戦者として現れたコンドルセ侯爵について、「彼の名前は今日までずっと大きな社会的パズルの一つに結びついている」として、「コンドルセ・パラドクス」を取り上げています。
 そして、「コンドルセの『二人ずつの対決』方式では、下位の候補者は決して選ばれることはないが、勝者にその保証はなかった。ボルダの『順位に対する価値点』方式は、選挙人たちの真の選好(優先順位)を考慮に入れるが、最終的な勝者が誰のお気に入りでもなかったことが判明する(本命が選ばれない)可能性が非常に高かった」と述べています。
 第8章「オックスフォードのドン」では、ルイス・キャロルの偽名で知られるチャールズ・ラトウィッジ・ドッジソンについて、「多作の作家、写真術の草分け、そして熟達した数学者であった彼は、また投票と選挙についてのいくつかの重要な論文の著者としても知られている」と述べています。
 第11章「悲観主義者たち」では、ケネス・アローが意思決定者たちに押し付ける必要条件として、
(1)彼らがいつも選択することができること
(2)これらの選択が循環をもたらしてはならないということ
の2点を挙げた上で、よい集計(集約)機構に要求する条件として、
(1)非制限的領域:集計される個人の効用関数にいかなる制限もあってはならない。
(2)単調性の条件:たとえひとりの個人がひとつの選択肢の順位を上げても、他の皆がそれを一定のままに保つならば、社会全体としてはこの選択肢の順位を下げることによって反応を示すことができない。
(3)社会向性関数は外来因子によって影響されてはならない。
(4)市民たちの主権:選択が選挙人(有権者)に強制されてはならない。
(5)「社会向性関数は独裁的であってはならない」
の5点を挙げ、アローが、「3つ以上の選択肢があるときはいつでも、社会厚生関数を案出することは不可能である」ことに厳密な数学的証明を与えていると述べています。
 そして、「アローの到達した結論は極めて厄介である」として、「首尾一貫した社会的選択の方法を生み出す民主的憲法というものは存在せず、独裁制だけがほんの一握りの無害に聞こえる条件を満たすことができる。私たとはにっちもさっちも行かなくなっている」と述べています。
 本書は、民主主義の根幹を支える選挙制度が持つ限界を示した一冊です。


■ 個人的な視点から

 タイトルから見てアローの話だとは分かっていたのですが、実は選挙や投票をめぐる様々な分野の人達の評伝として楽しめました。


■ どんな人にオススメ?

・多数決は正義だと思う人。


2011年7月26日 (火)

若年者就業の経済学

■ 書籍情報

若年者就業の経済学   【若年者就業の経済学】(#2047)

  太田 聰一
  価格: ¥2520 (税込)
  日本経済新聞出版社(2010/11/19)

 本書は、「経済学の視点から日本の若年雇用問題を論じる概説書」とした書かれたものです。
 第1章「若年雇用問題とは何か」では、「1999年から2004年にかけて若年者の所得格差が大きくなっていること」について、「他の年齢層では明確には見られない」として、その理由として、「この間に若年層でフリーターや無業状態に陥った人が増えたため」ではないかとしています。
 そして、若年者の雇用構造を大きく変化させた要因として、
(1)厳しい国際競争にさらされた製造業の苦境が、それまで技能職に多く採用されてきた中高卒男性の雇用の場を縮小させた。
(2)正社員の事務従事者の現象が、とくに女性の雇用に大きな影響を及ぼしたが、その背景には、定型的な業務がコンピュータに置き換わったことがあると推測される。
(3)正社員の仕事が減った反面、非正社員の仕事が大きく増えた。
(4)若年者の高学歴がが進んだことで、従来は中高卒者が行っていた仕事に、短大・大卒者が就くという現象が一部で見られる。
の4点を挙げ、「総じて、若年正社員の仕事で失われたのは『良い仕事』であり、それは男性にとって顕著である。そしてシェアが大きく上昇したのは、中小企業におけるサービス職という、最も給与水準が低く、労働時間も比較的長い職種であった」と述べています。
 第2章「若年失業のダイナミックス」では、「比較的長期の失業データを用いて若年失業の変動要因を考えていきたい」として、特に、
(1)若年失業は中高年に比べてどのような特徴を持っているのか
(2)日本で若年失業率が上昇していった仕組みはどのようなものだったか
(3)若年と中高年の失業率格差を規定する要因は何か
の3点に着目するとしています。
 そして、「若年はより年齢の高い世代に比べて失業状態に『入りやすく、出やすい』ことが確かめられた」としています。
 第3章「『就職氷河期』がもたらしたもの――世代効果」では、「不況期に学校を卒業した世代が、そうでない世代に比べて労働市場で不利な状況に陥ってしまう現象」である「世代効果」について、「これまでの研究から、学校卒業時における労働市場の需給バランスは、若年者の就職可能性や就職したときの雇用形態、さらには勤務先の属性(産業や企業規模)にも影響をおよぼすことが明らかにされている」と述べています。
 第4章「企業による若年の採用――なぜ新卒者が好まれるのか」では、「新卒者には質の高い労働者が含まれており、企業はそうした人材の確保のために新卒市場に参入していく。多くの企業がそうした採用方法をとっている以上、新しい企業が若い優秀な人材を募集しようとしても中途採用で確保することは難しいと判断してしまう」からだと述べています。
 また、不況期に若年採用が抑制される理由として、
(1)現在の経済状況の悪化に出口を見出しにくくなると、企業は若年採用を大きく減少させてもおかしくないこと。
(2)「それが最も容易に実行可能な人員削減作である」こと。
の2点を挙げています。
 第5章「労働者間の代替関係と若年雇用」では、中高年がこれまで若者が主にになってきた仕事に大きく進出している理由として、
(1)特に高年齢者は、寿命の伸長とともに知力・体力が向上しており、そのことが比較的若い世代が多い職場への進出を促している。
(2)技術の発展によって年齢が高くなることによって生じるハンディキャップが小さくなっている。
(3)サービス関連の仕事が急速に増えたことも関係している公算が大きい。
の3点を挙げています。
 第6章「地域の若年労働市場」では、若者の雇用問題を考える上で、地域の視点を取り入れることのメリットとして、
(1)地域の産業構造が雇用に及ぼす影響が、若年層でより顕著に見られること。
(2)求人が少ない地域の若年者が仕事を求めて求人の多い地域に移動することは頻繁に行われており、そうした仕事探しの活動が各地域の労働市場に少なからず影響を及ぼしている可能性があること。
(3)若い時期は仕事をさがす上での試行錯誤が行われる時期であるとともに、親の庇護下にある場合も多いために、一時的な仕事に就いたり、モラトリアム的に無業に陥ったりすることもしばしばである。
の3点を挙げています。
 第7章「教育と訓練――日本の雇用システムと若年者の育成」では、新卒大学生が中小企業を敬遠しがちになる要因として、
(1)日本企業では企業規模によって労働者が受け取ることができる報酬が大きく異なること。
(2)大企業への就職の最大のチャンスは新卒時であり、中小企業にいったん就職してから大企業に転職するチャンスは非常に少ないこと。
(3)入社時に自分が携わる職務が明確ではなく、仕事ベースでキャリアを思い描きにくいこと。
の3点を挙げています。
 本書は、格差論など、社会学で議論の盛んとなった若年者の雇用について、経済学の立場から分析を行った一冊です。


■ 個人的な視点から

 社会学の分野からの格差論では、なんだかいろいろな人の「言説」とかを引っ張り出しつつ、社会学の泰斗の皆さんの「定説」とかをそれらしく並べていて、結局は印象論みたいなお話に終始してしまっている気がします(印象論)。


■ どんな人にオススメ?

・社会学を信用するのは不安な人。


2011年7月25日 (月)

外貨を稼いだ男たち 戦前・戦中・ビジネスマン洋行戦記

■ 書籍情報

外貨を稼いだ男たち 戦前・戦中・ビジネスマン洋行戦記   【外貨を稼いだ男たち 戦前・戦中・ビジネスマン洋行戦記】(#2046)

  小島英俊
  価格: ¥819 (税込)
  朝日新聞出版(2011/2/10)

 本書は、「明治以降、太平洋戦争・終戦までの日本の近代において、日本人が欧米の文物を必要としたり、憧れて、それを摂取するために欧米に長旅をしたこと」である「洋行」について、あくまでもビジネスマンの洋行史にこだわった一冊です。
 第1章「明治維新から第一次大戦までの通商」では、森村家の創始者・森村市左衛門が、福沢諭吉から「学問や貿易立国の必要性」を説かれたことから、15歳下の異母弟・森村豊を慶應義塾に学ばせ、1876年には彼をアメリカに送り込んだと述べています。そして、森村ブラザーズがアメリカ市場に日本製コーヒーカップを売り込むために、「輸出小売→輸出卸商→陶磁器の絵付け販売業、陶磁器の一貫メーカー」へと変身・発展していったと述べています。
 第2章「第一次大戦から第二次大戦までの通商」では、商社のニューヨーク支店の社員の私生活について、「多忙を極めた仕事」とは裏腹に「当時の一般日本人に比べればはるかに恵まれていた」と述べています。
 第3章「技術導入には洋行が必要」では、日本の綿工業には大いに資金が必要であったが、国内ではなかなか調達できなかったため、1908年に鐘紡の専務取締役に就任した武藤山治がフランス商工銀行に折衝した結果、無担保で200万円の借入ができたとして、「これは日本の民間会社の外資調達の第一号となる記念すべき出来事となったのであるが、それは綿工業が日本の成長産業として国際的にも認知された結果でもあろう」と述べています。
 第4章「報道マンの国際化は早かった」では、第一次大戦時ロシア軍の従軍記者となった大庭柯公について、「欧米への海外特派員のパイオニア」であるが、「1921年革命後のソ連に憧れて渡航し、1924年に彼地で処刑されてしまうという、実に数奇な運命をたどったジャーナリストであった」と述べています。
 第5章「第二次大戦前の洋行ビジネスマンたち」では、戦前の欧米在留邦人について、引揚船、シベリア鉄道、米国ルート、交換船などでほとんど帰国し、「ただ一つドイツおよびドイツ占領下のフランスおよびドイツの友邦イタリアにのみ必要最低限の日本人が残った」と述べています。
 第6章「ラスト・リゾート・ベルリン」では、「戦局がドイツにとって悲観的となってくると大使館、武官事務所という大官僚集団や商社、銀行を始めとする一般ビジネスマンたちは、働きたくても仕事の仕様もなく、結果的に暇を持て余すようになっていた」として、「彼らは年俸額に匹敵するような金額をかけた博打に熱中したりして、とかく民間人や、文官からも白い目で見られがちであった」と述べています。
 本書は、あまり知られていない戦前の日本のビジネスマンの「洋行」をまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者自身が商社マンということもあって明治以来の洋行ビジネスマンの活躍が結構かっこよく描かれています。


■ どんな人にオススメ?

・洋行したい人。


2011年7月24日 (日)

非モテ!―男性受難の時代

■ 書籍情報

非モテ!―男性受難の時代   【非モテ!―男性受難の時代】(#2045)

  三浦 展
  価格: ¥809 (税込)
  文藝春秋(2009/02)

 本書は、「モテるかモテないかは単に恋愛に関わる問題ではない。友達がたくさん作れるか、正社員になれるか、高い年収が稼げるかといった様々な人生の大テーマと深く関わっている」という問題意識から、格差問題としての「モテ」を分析したものです。
 第1章「『非モテ』男が絶望する社会」では、派遣社員の問題として扱われることの多いアキバ事件について、それ以外の要因として、「モテか非モテかの差であり、容姿への自信の差なのではないか」と述べています。
 また、「モテないこと、容姿に自信がないことが階層意識の低下に結びついている」ことを指摘しています。
 第2章「モテと容姿の格差社会」では、「男子において経済状態の良し悪しがモテと相関している」として、「モテには容姿と経済力の要素が両方含まれるため」だと述べています。
 そして、「モテたいというのは本来自然な欲求」であるが、現代においては、「雇用されていなくても、仕事をしていなくても、自分が誰かに承認されたいという欲求を意味しているものと思われる」として、「だからこそ、思い通りに仕事に就けないことに苦しむ現代の男性は、仕事で承認されにくいことの代償として、モテることをより強く求めるのかもしれない」と指摘しています。
 また、「あたかも経済活動のように、規制緩和された恋愛の自由競争市場においては、必然的にモテる者とモテざる者の格差、特に男性のモテ格差が拡大する」と述べています。
 第3章「どんな男女がモテるのか?」では、「モテ格差の根底」に「性格格差」があり、「性格の格差がモテるかどうかを規定し、さらには就職で有利かどうかも規定し、結果として年収の格差にもつながっていく」と述べています。
 第5章「なぜモテと性格がこれほど重要になったのか?」では、「男性にとって持てることが重大な意味を持つ社会」を生んだ大きな要因として、「女性の力が増したこと」を挙げ、「女性が男性を選ぶ時代になった」と述べています。
 また、「KY」という言葉が若者の間で流行語になった理由として、「友達だからこそ、相手に合わせて、その場の空気に合わせて適切な言葉を選び、適切な表現をしなければならなくなっている」として、「アルバイトや失業者は上下関係が苦手なのではなく、むしろ横の関係の中で、不特定多数の人と仲良く付き合うことが苦手なのではないか」という仮説を述べています。
 第6章「女が男を選ぶ時代」では、「女たちが、有史以来の男尊女卑に反旗を翻した如く、女があまりに男に無理難題を要求していると、そのうち今度は男が女に反乱を起こすかもしれない」として、「『女には興味がない』とばかりに男性同士でばかりつるむ男、はなから『結婚する気はない』と言い切る男、相手が望んでもセックスに応じない男が、女たちが知らないうちにじわじわと増えつつあるように思うと述べています。
 第7章「『男性保護法』のすすめ」では、「いい男がいない。いたとすると必ずもう結婚している」という無神経な女性の撒き散らす言説について、「そんなことを言っている女性は、女性が結婚したいと思う男性と結婚した女性よりも女性としての魅力がなかっただけ」であり、まさに「負け犬の遠吠え」でしかないと指摘しています。
 本書は、「非モテ」という言葉の背後にある、日本社会の格差の拡大を指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 流行語にざっくりと切り込んだだけあって、出来栄えもざっくりとした感じですが、大きなところはだいたい同意できる部分が多かったです。


■ どんな人にオススメ?

・モテは格差だと思う人。


2011年7月23日 (土)

子どもたちの放課後を救え!

■ 書籍情報

子どもたちの放課後を救え!   【子どもたちの放課後を救え!】(#2044)

  川上 敬二郎
  価格: ¥1600 (税込)
  文藝春秋(2011/01)

 本書は、子供たちの放課後から「時間、空間、仲間」の「サンマ」と「第三の大人」が消えたと言われる中で、「社会全体で子どもを育てる」を実践するためにて仰げた若者たちの活動を追ったものです。
 第2章「二人のキーマン」では、富士通と丸井を辞め、「放課後NPOアフタースクール」を立ち上げた、織畑研と平岩国泰の2人のキャリアについて取り上げています。
 第2章「アメリカの放課後改革」では、アメリカで「平日の放課後と土曜日と夏休みに、『市民先生』による『弟子入りプログラム』を提供」している「シティズン・スクールズ」を紹介し、シティズン・スクールズが大切にしている要素として、
(1)継続型
(2)実践(体験)型
(3)最後に発表会
の3点を挙げ、「多忙な弁護士や裁判官も毎年、市民先生になっている」と述べ、「貧困や落ちこぼれをなくしたいという『思い』を原点としたアメリカの放課後NPOの誕生や存続には、社会や自治体からの協力が欠かせない」としています。
 第3章「日本にも作ろう!」では、平岩が、NPO法人「ETIC.」が主催する社会起業家のビジネスプランコンペに挑戦した際に、二次審査まで進んだが、審査員から有名な若手ベンチャー企業からの審査員に、「ビジネスモデルが全くない。必要性も感じない」、「何で君はこれをやるの? 本当はお前、会社でうまくいかないから逃げてきたんだろう?」と「ボコボコにされた」と述べています。
 そして2006年に織畑が「脱サラ」を決意した際に、「三年は無償で働く」と覚悟していたが、「その間どうやって食べるかは、考えなければならなかった」として、NPO「教育支援協会」にしばらく籍を置かせてもらったと述べています。
 第4章「次のステップへ」では、一年間に渡る「放課後の家づくり」の活動が目に止まり「キッズデザイン賞に応募してみませんか?」という提案があり、その後、2年連続で「グッドデザイン賞」を獲得したことで、民間企業から「提携を検討したい」という連絡が入るようになったと述べています。
 終章「世界中で放課後が変わる」では、「無視され続けてきた『放課後』に、今ようやく光が当たり始めている」とした上で、不況のインパクトで民間からの支援が難しくなる一方、「放課後プログラムへのニーズをさらに高めている」と述べています。
 本書は、日本の放課後を再生するために立ち上がった若者を描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本作中で出てくるETIC.のビジネスプランコンテストの「STYLE」については、宮城さんも井上さんも知ってますが、厳しいのは「優しさ」なのではないかと思います。宮城さんとかダメになったベンチャーを腐るほど見てると思いますし。


■ どんな人にオススメ?

・放課後も格差だと思う人。

2011年7月22日 (金)

サイエンス・ファクション――疑り深い科学者のための宇宙旅行入門

■ 書籍情報

サイエンス・ファクション――疑り深い科学者のための宇宙旅行入門   【サイエンス・ファクション――疑り深い科学者のための宇宙旅行入門】(#2043)

  ヘーラルト・トホーフト (著), 二宮 正夫, 二宮 彰 (翻訳)
  価格: ¥2415 (税込)
  岩波書店(2010/12/14)

 本書は、「太陽系を越える宇宙旅行などSF小説で語られる未来は実現可能か?という難題に、あくまで科学に忠実に、自然法則を少しも曲げることなく」解説したものです。
 第1章「空想から科学へカウントダウン」では、「物理学は今後も私たちを驚かせ続けるし、将来は技術面で注目すべき展開が生まれる可能性があり、おそらくそうなるだろう。本書はこの可能性を中心にみていくことになる。だが、私たちの前提は、現在知られている自然の法則が全て正確であるか、あるいは、少なくとも、大きなズレは生じないと見て差し支え無いとの立場である。世間の考えとは逆に、100年前に人が知っていた自然の法則にこれまで間違いが見つかったことはないのである」と述べています。
 第4章「どこまで進化? コンピュータの処理能力」では、「極小コンピュータが当たり前になるのは、時間の問題だ。寸法が数センチメートルあるいは数ミリメートルの思考機は、大量生産のため、安価になるだろう」と述べています。
 第5章「紙から電子書籍、3Dへ」では、「コンピュータの専門家もまだ分かっていないのは、人間の知性と同じものをどうやって作るのか、ということだ」と述べています。
 第6章「住みよい地球を追い求める」では、素粒子物理学者のカルロ・ルビアが提唱する新世代原子炉として、「従来のモデルに比べてはるかに安全性を要求される設計による、粒子加速器で動く原子炉に関するものだが、この手法はウランやプルトニウムでなく、トリウムなどの思い化学元素の核分裂を利用するものである。このような減量を使えば、廃棄物の放射能は、当初に比べて数百年後には低レベルになる上、原子炉も、粒子加速器のスイッチが切れると、可動を停止するので、爆発も起こらない。また、トリウムでは兵器は作れず、技術的には、そう遠くない将来にもこのような原子炉は実現可能だ」と述べています。
 また、もうひとつ考えられる核融合について、「1960年代に核融合エネルギーの研究が始まったときに、核融合が実現するまでにはさらに30年かかるのではないかとの予測がなされた。50年経って、この期間がさらに50年延びたという事実は、将来に見込みがなさそうだと考えてほぼ間違いない」と述べています。
 さらに、「長期的には地球の気候に影響をあたえることができるようになりたい」として、「遠い将来には、自前の『巨大科学』を利用して、地球全体の気候をもっと上手く管理できるようになるかもしれない」と述べています。
 第11章「惑星の入植者たち」では、ジェラード・オニールが提唱したスペース・コロニー(宇宙植民地)について、「これら植民地の大きな利点は、居住者が地球上と同じ引力を体験できそうなことで、それによって、ますます家にいる感覚を味わえる。短所になりそうな点は、シリンダー建造に要する巨額の資金が集めにくいことだ」と述べています。
 第12章「ロボットを操って月を植民地化」では、「今日の世界を見てみると、ロボットは惑星やその衛生の探検を行う一番効率のよい創造物だ」と述べています。
 第16章「宇宙人はどこへ行ったの?」では、「地球上で起きた、生命の自然発生的な発展につながった出来事は、他の惑星にも起こりうるが、このような一連の望ましい状況が揃うことはめったにありえない。これが、地球の近くの惑星で、このような奇跡が起こる例が極めて稀であると私が考える所以だ」と述べています。
 本書は、科学者が自然法則に逆らわずに未来を語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 物語は、科学を聞きかじったくらいの人が想像力を広げて書いたほうが面白いとは思うのですが、科学を知り尽くした人が書いた「SF」もやはり面白いです。


■ どんな人にオススメ?

・科学の可能性を信じたい人。


2011年7月21日 (木)

ネアンデルタールと現代人―ヒトの500万年史

■ 書籍情報

ネアンデルタールと現代人―ヒトの500万年史   【ネアンデルタールと現代人―ヒトの500万年史】(#2042)

  河合 信和
  価格: ¥ (税込)
  文藝春秋(1999/08)

 本書は、「巨大な個体数(人口)にもかかわらず、ただ一種しか存在しない」という自然界の異端児である人類について、「ホミニド」という「かつて地上に現れた人類」は17種にも及ぶとして、「化石類人猿から現代人に至る変遷」をたどったものです。
 第1章「ネアンデルタール人の謎」では、ネアンデルタール人の特徴について、「「ずんぐりしていて身長はそれほど高くはなかったが、骨組みの頑丈さは抜群だ。四肢の骨幹は、現代人よりはるかに太く、弓なりになっている上に、関節も巨大そのものである。さらに仔細に見れば、骨稜は顕著でしたがってここに付着していた筋肉も想像を絶するほどだったろう。それでいて、四肢の長さは相対的に短い」と述べ、「仮に古典的ネアンデルタール人がこうした異常な頑丈さを持ち合わせていなかったとしたら、ヨーロッパを幾度と無く襲った氷河期を生き延びることは出来なかっただろう」としています。
 また、科学者からの扱いについて、「失脚と福建の繰り返しであった」と述べた上で、ネアンデルタール人をめぐる諸説の変遷として、
(1)現代人の祖先に位置づける説
(2)プレ・サピエンス説
(3)段階説
(4)多地域連続説
(5)単一種説
(6)多地域進化説
の6つの説を紹介しています。
 第2章「現代人の出現とネアンデルタール」では、「80年代の半ば、ネアンデルタール人が現代人の祖先だという論調が最高潮に達したまさにこの頃、新たなハイテク技術が、唐突に論議に介入した」として、「核内DNAよりも十倍というかなり速い速度で変化」しているため、「その変化率からどのくらい時間がかかったか逆算できる」こと、「母親からしか受け継がれない」こと、という2つの特徴を持つミトコンドリアDNAを調査した「ミトコンドリア・イヴ説」の発表により、「多地域進化説派にとって、横合いから食らった強烈なパンチとなった」と述べています。
 さらに、言語学のデータと重ね合わせた結果、「言語系統樹」が「DNAによる系統樹とほとんど重なりあった」と述べています。
 また、「中東で、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、見た目には少なくとも5万年間は『共存』していた」と述べた上で、「氷河期ヨーロッパでのネアンデルタール人とクロマニヨン人(ホモ・サピエンス)との遭遇は、前者の側の相当なハンデの上での競争的共存であった」として、「後代な後背地を抱える中等と異なり、ネアンデルタール人に落ち着く先はもはやなかった」と述べています。
 そして、「大きな個体群が何かの理由で急激に個体数を減らし、もう一度膨張する」という「ビン首」という現象について、「ホモ・サピエンスにも、その可能性がある」と述べています。
 第3章「私たちは何ものか?」では、「人類史の想像図は、21世紀に入っても、なお流動し続けるだろう」とした上で、「彼らは、すべて絶滅し、ヒト族にその地位を譲ったということだ」と述べています。
 第4章「母なるアフリカを離れて」では、「従来からの果実、根茎類などの植物食に加えて、肉食を大幅に取り入れた雑食化によって、ヒト族が脳を拡大させたのは確かである」と述べ、「腸は、脳の食うエネルギーに見合うだけ、明らかに短くなっていた」と述べています。
 そして、ヒトがアフリカをでた理由として、「ヒトが肉食になったからだ」とする仮説を紹介し、人口密度を減らすためにユーラシアへ拡大していったと述べています。
 本書は、人類が現在の姿になるまでの興亡をまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 昔の教科書では、類人猿から猿人、原人、ネアンデルタール人といった進化の段階を一直線に進んできたように教わったと記憶していますが、現在の人類がいくつもに枝分かれした人類の中の唯一の生き残りであり、場合によっては他の人類を皆殺しにしたのかもしれない、ということを今の教科書ではどのように教えているのかが気になります。


■ どんな人にオススメ?

・猿から人間までの進化の図を覚えている人。


2011年7月20日 (水)

離婚で壊れる子どもたち 心理臨床家からの警告

■ 書籍情報

離婚で壊れる子どもたち 心理臨床家からの警告   【離婚で壊れる子どもたち 心理臨床家からの警告】(#2041)

  棚瀬一代
  価格: ¥903 (税込)
  光文社(2010/2/17)

 本書は、日本の離婚制度が、「結婚中は共同で親権を持って共同で子育てしている」が、「一度夫婦が離婚すると、いずれか一方の親を親権者に決めなくては」ならないため、「このような離婚後の単独親権精度の結果として、今、種々の進行な問題が生じてきて」いるとして、「最終的に『幸せになる離婚』と『不幸せになる離婚』を分けるものは何なのかを子どもの視点から考えて」いこうとするものです。
 第1章「離婚で母親、父親はどう変わるのか――プロセスとしての離婚」では、離婚後の養育費の支払い率の低さの原因として、「養育費についての取り決めが、調停調書や審判や裁判による判決書になっている場合はよいが、協議離婚の場合には、公正証書にしておかなければ債権名義がないので、法改正によって滞納分の差し押さえが可能になっても意味がなくなってしまう」点を挙げています。
 第2章「子どもは親の離婚にどう反応するか――年齢別に考察する」では、「一般に、母親が望んでの離婚でない場合には、心の余裕のなさの結果として、別居・離婚後一年目は、子どもに対するしつけの仕方が命令的になる傾向がある」と指摘しています。
 そして、「思春期の発達課題は、親からの心理的な『離乳』である」として、「この時期の子どもは、最も安定した過程を必要としている時期でもあるといえる。そうした時期に、片親が突然に家を出て行ったりして家庭の基盤が不安定になることは、子どもにとって大きなショック体験である」と述べています。
 第3章「事例から見る――子どもにとって辛い離婚、救われる離婚」では、アマトによる「離婚後に子どもの適応に影響を与える要因」として、
(1)片親の不在の問題
(2)同居親の適応度と親機能水準の問題
(3)別居・離婚後の両親感の葛藤の程度の問題
(4)監護親の経済的水準の問題
等の点を挙げています。
 また、ワラスティンやヘザリントンなどによる米国での先行研究によるとして、「離婚という出来事自体が、子どもに永続的な心の傷を与えるわけではなく、普通は、過程の崩壊という移行期の危機は、2~3ねんぐらいでくぐり抜けられる」とされていると述べています。
 第4章「単独養育から共同養育へ――米国での試みに学ぶ」では、米国において、離婚後の母性優先原則に対して、父親たちから「法による性差別である」として、さまざまなグループが作られ、このような父親たちの声を反映し、1970年には、まずカリフォルニア州で、「離婚後に監護者を決定する際の基準として、『母親優先原則』が放棄され、代わって性的に中立な『子の最善の利益』規準が採用」され、1984年までには全集で採用されたが、「その後も根強く、事実上の母親優先原則が存続した」と述べています。
 また、米国では、「全米において、離婚後の子どもとの接触時間及び子どもに対する責任に関して、両親間でより両性具有的な(つまり、父親も母親もそれぞれが父親役割と母親役割を同時にこなすような)取り決めが推奨されている」背景にある「離婚自体に関する大きな発想の転換」として、「離婚は従来『欠損家庭』『片親家庭』『母子家庭』『父子家庭』などの呼称に象徴されるように、結婚に失敗することと考えられてきた。しかし最近は、失敗ではなくて集結であり、家庭が取り返しようもなく壊れてしまったのではなくて、『ママの家』と『パパの家』に分離することであると考えられるようになってきている」と述べ、「離婚後の『一つの家』説から『二つの家』説に通説が移行してきた」としています。
 さらに、子どもの前から姿を消す父親のタイプとして、
(1)未熟タイプ
(2)抑うつタイプ
(3)冷淡タイプ
の3つを挙げています。
 第5章「高葛藤離婚で壊れる子どもたち――『片親疎外』という病」では、「米国では、別居する前に、面会交流を含む養育計画の取り決めをしなくてはいけない」為、「夫婦の一方が相手との話し合いもせずに子どもを連れて勝手に別居することは、子どもの『拉致』に当たり、犯罪行為とみなされる」が、「日本では、母親が子どもを連れて勝手に家をでることは、違法行為とみなされないどころか、その後の親権・監護権の争いにおいて、『監護の継続性』という視点から、よほどのことがないかぎり母親に継続的に親権・監護権が付与されることになる」と述べています。
 また、母親が子どもに「パパ」「お父さん」と呼ばせず、「◯◯さん」と名前で呼ぶようにさせた事例について、「その血の半分を受け継ぐ子どもたちに、父親に対する尊敬の念を持たせないように仕向けるこうした行為もまた、子どもたち自身の自尊感情を深く傷つけていく行為であり、『心理的虐待行為』である」と述べています。
 第6章「事件・悲劇から学ぶ――子どもの福祉に適った面会交流を探る」では、カリフォルニア州において、「子どもの福祉に反するとの証明がない限り、別居親には相当なる面会交流権が与えられなくてはならない」として、「配偶者間にDVがあり、接近禁止命令などの保護命令が出ているような場合、あるいは被害者がシェルター等に非難している場合でさえも、そのことをもって直ちに、暴力的な親と子どもとの面会交流が禁止されるということにはならない」と述べています。
 第7章「葛藤を超えて離婚を成功させるには」では、日米ともに、離婚する夫婦の約9割は協議離婚であるにもかかわらず、「米国では、夫婦が離婚しても、親としての機能は共同で果たすことが大原則となって」いるのに対し、日本では、「親権者のみを決めて、役所に提出すれば、離婚が成立する。日本の協議離婚の場合には、離婚後に両親が親として子どもにどのように責任をもって関わっていくのかの取り決めをしなくても、離婚が認められる」ことについて、「これはあまりにも安易であり、子どもに対して無責任極まりない制度である」と指摘しています。
 そして、「現在の日本では、離婚とに単独親権の選択肢しかない」ため、「離婚を望まない側は、時には親権を争うことによって離婚を思いとどまらせようとしたり、時には相手を罰し、復讐するために親権を奪い、子どもとの面会交流をも拒絶するということも起きてくる」と述べています。
 そして、「日本においても今後、法改正によって、原則として離婚後も別居親と子どもが継続的に接触していく方向に向かっていく必要がある」と述べています。
 本書は、子供の目から見た望ましい離婚制度のあり方を探った一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本の法律と裁判の仕組みでは、離婚後の親権獲得を有利にしたいためには、「監護の継続性」を盾にするために、ある日突然子どもを連れて失踪してしまうほうが有利だということには驚きました。これではまさに「拉致推奨法」ではないですか。DVから逃れるためにシェルターに入る人は別のスキームで救えればいいのではないかと思いますので。


■ どんな人にオススメ?

・子どもを育てる責任と権利は両親ともにあると思う人。


2011年7月19日 (火)

政権交代の政治経済学――期待と現実

■ 書籍情報

政権交代の政治経済学――期待と現実   【政権交代の政治経済学――期待と現実】(#2040)

  伊東 光晴
  価格: ¥1785 (税込)
  岩波書店(2010/9/30)

 本書は、2009年の政権交代について、「政策のひとつひとつを経済学の常識から分析・評価し、政権の進むべき方向を明らかにする」ものです。
 第1章「鳩山新政権の経済政策を評価する」では、「戦後日本で本格的な政権交代が生じた」として、「自民党から民主党連立政権への転換は、政策の極めて"大きな"変化を予想させ、それが着たいと批判を引き起こしている」とした上で、「政権交代は、日本の政治の上で、少なくとも二つの、目に見えるプラスを作り出している」として、
(1)長期政権と利益集団との癒着関係のもたらす社会の歪みの是正
(2)野党時代に蓄えた人材と知識の顕在化
の2点を挙げています。
 また、新政権が打ち出したダム中止によって、「八ッ場ダム」が黒四ダム以上に有名になったとして、「ダム建設予定地に家を立て、補償交渉をし、保障を受け、これによって生活している人たち」である「ダム屋」に言及し、この「ダム屋」が50軒ほど「八ッ場ダム」にも出現していると述べ、「かれらの背後には必ず地方の政治家の影がある」として、山間の山林の土地を地元の政治家が斡旋している事実を指摘しています。
 そして、「政権交代は、政治に翻弄され続けた日本の地方の姿を明るみに出した。忘れてならないのは、翻弄されているとはいえ、以外にもしたたかな庶民たちである」と述べています。
 第2章「経済政策の普遍の目を」では、「複数の元主計官から知り得たこと」として、「各省も各局も、それぞれの事業について優先順位を付している。そして財務省は、許された予算の範囲内で、上から取っていく。つまr各商の政策決定権の尊重である。そして、各省、各局は予算から落とされた政策は、財務省の決定ゆえとして、責任を財務省に押し付けて、関係者を納得させる。と同時に各商は、政策官庁としての自負を保持する。財務省はその自負を侵すことはない」と述べています。
 第3章「心に確たる対抗軸を」では「自民党政府の失敗は、戦後日本の安定を破壊した。鳩山内閣の失敗は、日本の国際関係の改変の難しさを物語っている。民主党政権は、この二つに取り組まなければならない」と述べています。
 本書は、経済学者の目から見た政権交代を語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 経済学者が書いた専門以外の社会分析を読むことはそれほど嫌いではないです。というか、ベッカー教授を引き合いに出すまでもなく、現在の経済学はいわゆる「経済」の分野以外も分析対象にしています。問題は、その分野を分析するツールがないのにもかかわらず、門外漢が口をだすことでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・経済学者の言うことを信じたい人。


政権交代の政治経済学――期待と現実

■ 書籍情報

政権交代の政治経済学――期待と現実   【政権交代の政治経済学――期待と現実】(#2040)

  伊東 光晴
  価格: ¥1785 (税込)
  岩波書店(2010/9/30)

 本書は、2009年の政権交代について、「政策のひとつひとつを経済学の常識から分析・評価し、政権の進むべき方向を明らかにする」ものです。
 第1章「鳩山新政権の経済政策を評価する」では、「戦後日本で本格的な政権交代が生じた」として、「自民党から民主党連立政権への転換は、政策の極めて"大きな"変化を予想させ、それが着たいと批判を引き起こしている」とした上で、「政権交代は、日本の政治の上で、少なくとも二つの、目に見えるプラスを作り出している」として、
(1)長期政権と利益集団との癒着関係のもたらす社会の歪みの是正
(2)野党時代に蓄えた人材と知識の顕在化
の2点を挙げています。
 また、新政権が打ち出したダム中止によって、「八ッ場ダム」が黒四ダム以上に有名になったとして、「ダム建設予定地に家を立て、補償交渉をし、保障を受け、これによって生活している人たち」である「ダム屋」に言及し、この「ダム屋」が50軒ほど「八ッ場ダム」にも出現していると述べ、「かれらの背後には必ず地方の政治家の影がある」として、山間の山林の土地を地元の政治家が斡旋している事実を指摘しています。
 そして、「政権交代は、政治に翻弄され続けた日本の地方の姿を明るみに出した。忘れてならないのは、翻弄されているとはいえ、以外にもしたたかな庶民たちである」と述べています。
 第2章「経済政策の普遍の目を」では、「複数の元主計官から知り得たこと」として、「各省も各局も、それぞれの事業について優先順位を付している。そして財務省は、許された予算の範囲内で、上から取っていく。つまr各商の政策決定権の尊重である。そして、各省、各局は予算から落とされた政策は、財務省の決定ゆえとして、責任を財務省に押し付けて、関係者を納得させる。と同時に各商は、政策官庁としての自負を保持する。財務省はその自負を侵すことはない」と述べています。
 第3章「心に確たる対抗軸を」では「自民党政府の失敗は、戦後日本の安定を破壊した。鳩山内閣の失敗は、日本の国際関係の改変の難しさを物語っている。民主党政権は、この二つに取り組まなければならない」と述べています。
 本書は、経済学者の目から見た政権交代を語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 経済学者が書いた専門以外の社会分析を読むことはそれほど嫌いではないです。というか、ベッカー教授を引き合いに出すまでもなく、現在の経済学はいわゆる「経済」の分野以外も分析対象にしています。問題は、その分野を分析するツールがないのにもかかわらず、門外漢が口をだすことでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・経済学者の言うことを信じたい人。


2011年7月18日 (月)

銀行融資の掟

■ 書籍情報

銀行融資の掟   【銀行融資の掟】(#2039)

  荒 和雄
  価格: ¥777 (税込)
  朝日新聞出版(2010/4/13)

 本書は、「中小企業のための資金の作り方、借り方についてまず貸し手である銀行をはじめ金融機関の内外で今どんなことが起こっているか、特に中小企業にとって深刻な貸し渋りや貸しはがしが発生する理由とその対策について解説した」ものです。
 第1章「増加する企業倒産・廃業、激増する不良債権 銀行員はここを見ている」では、「中小企業の資金調達元である銀行をはじめ金融機関は、倒産や廃業などを事前に察知するため日頃から『危ない会社の釣行や見分け方』に深い関心を持っている」として、銀行員たちのチェックポイントを紹介しています。
 第2章「中小企業金融円滑化法の影響」では、「中小企業金融円滑化法」の施行に当たり、金融庁が、「金融マニュアルの抜本的な改正に乗り出した」として、これまでの金融検査マニュアルが、「本来金融庁が銀行などの金融機関に出向いて検査する際の検査官の手引書」であったのに対し、「銀行経営の健全性のチェックといった金融機関経営の保護から取引先、特に中小企業の支援に金融機関がどのように真剣に取り組んでいるか、その取組の監視を強化することになった」と述べています。
 第3章「揺れ動く金融行政を知れば解決策がわかる」では、中小企業が望むメインバンクの姿として、
(1)ラスト・リゾート機能
(2)シグナル機能
(3)モニタリング機能
(4)インフォメーション機能
の4点を挙げています。
 第4章「必要な時に必要な資金を安く簡単に借りるには」では、返済方法のルールとして、「設備資金や長期運転資金は原則として利益償還が原則である」として、「銀行などから借りた長期借入金を返済するのに経常利益(予想利益)-〔配当金+法人税+役員賞与の合計〕+減価償却費の総額をまず返済財源として計上する」と述べています。
 第5章「こんな銀行とは取引をやめなさい」では、頼りになる銀行か頼りにならない銀行家の見分け方として、
(1)歩積・両建預金復活? 融資と抱合せで投資信託の強引な勧誘
(2)決算書の数字だけ重視、一度も工場や本社や営業所などの現場を訪れない
(3)支店長をはじめ担当者が交代の際に挨拶に訪れない
(4)支店長以下窓口係にいたるまでいつも慇懃無礼な対応をするところ
(5)地域経済の発展にまったく貢献しない
(6)不祥事・スキャンダルの多発
(7)法令違反等で業務改善命令が金融当局から出されている
(8)顧客の風評を店の近くの酒場などで平然と口にする
(9)株価が100円以下、格付機関の格付け評価が常に下位にある
の9点を挙げ、5ポイント以上該当事項が出てくれば、「取引銀行を変え、他の金融機関に乗り換えることを進めたい」としています。
 本書は、銀行融資の現場の原則を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 銀行融資の決まり方なんて担保と保証人次第、という考え方は古いのでしょうか。いまだにバブル時代の地上げ行為の偏見が抜けないのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・銀行員は誠実だと思う人。

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