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2011年8月

2011年8月28日 (日)

やめられない ギャンブル地獄からの生還

■ 書籍情報

やめられない ギャンブル地獄からの生還   【やめられない ギャンブル地獄からの生還】(#2057)

  帚木 蓬生
  価格: ¥1,260 (税込)
  集英社(2010/9/3)

 本書は、「やめられない」病気の最悪のものである「病的ギャンブリング」という「地獄からの脱却法を本人と家族、そして親類縁者、友人、知人に知らしめること」を目的としたものです。著者は、「この"やめられない"ギャンブルには、説教も誓約書も一切役に立ちません。ましてこりごりした挙句の本人の会心もありません。いったんこの"やめられない"地獄に堕ちてしまうと、治療をしない限り、這い上がることはできません」と述べています。
 第1章「ギャンブル地獄であえぐ人たち」では、ギャンブル地獄の手記として、
・負債を全部返すのは、もったいない気がしました。返すくらいなら、多少手元に残しておいて、自由に使いたいという気持ちがどんどん強くなったのです。
・自分は絶対誰かに守られている、いつかはこれまでの負けを取り返せるという、妙な自信も根強く残っているのです。
・すべての借金返済に使うのは、なんとなくもったいなく思えた。
などの体験談を紹介しています。
 第2章「ギャンブル地獄の正式診断」では、「病的ギャンブリング」の特徴として、「アルコール依存症や、覚せい剤などの薬物依存と同じく、進行性で自然治癒がないということ」だと述べています。
 第3章「ギャンブル地獄の二大症状は借金と嘘」では、「借金と虚言があれば百発百中病的ギャンブリングの診断がつきます。借金と嘘、これがギャンブル地獄であがいている人間の見まごうことない二大症状です」と述べています。
 そして、本人がすべての借金を白状しないのは、「全く借金のない状態が怖いというのが真相でしょう」と述べたうえで、「病的ギャンブラーになると、どんな嘘でもつきます」と述べています。
 第4章「地獄へ誘うギャンブルの種類」では、「わが国のギャンブル産業の年商の約8割を、パチンコ・スロットが占めている計算」になると指摘し、出版業界の年商がその10分の1以下であると述べています。
 そして、「マスメディアのテレビや新聞も、パチンコ・スロット業界のおかげで懐を潤して」いるため、「ここに、マスメディアが、この業界の矛盾を本気で取り上げない理由があるのではないか」と述べています。
 第9章「ギャンブル地獄の女性たち」では、女性のギャンブルの特徴として、
(1)ギャンブル開始年齢が男性に比べて遅い
(2)ギャンブル開始から病的ギャンブリングになってしまうまでの期間が短い
の2点を挙げています。
 第10章「ギャンブル地獄では家族も無力」では、「病的ギャンブリングから借金に悩む人に対しての最も手っ取り早い〈援助〉は、その借金の肩代わり」だが、「これは、本当の援助ではない」として、「レバーを押しても押しても、脳に麻薬物質が入らないラットに対し、それを補充してやるようなもの」、あるいは「覚醒剤中毒の患者が覚せい剤が切れて苦しんでいるときに、『ほいきた』とばかりに、覚せい剤を注射してやるようなもの」であり、「中毒症状をさらに深刻化させるばかり」だと指摘し、病的ギャンブラーの回復は、「援助しない援助」から全て始まるとしています。
 第12章「自助グループこそ地獄に垂れた蜘蛛の糸」では、「病的ギャンブラーと一緒に暮らしていると、知らず知らず平衡感覚を失い、客観的に物事が見られなくなる」として、「病的ギャンブラーが繰り出す嘘と借金が、家族の判断力を歪めていく」と述べています。
 そして、「週1回以上の自助グループ参加、月1回の通院という簡単明瞭な治療が始まれば、家族の対応の仕方は大いにあります」としています。
 本書は、ギャンブルに苦しむ本人と家族にとって目を背けてはいけない症状の現実と、治療への道を示した一冊です。


■ 個人的な視点から

 ギャンブル産業がメディアのスポンサーになっている、しかも大量の出稿量を誇っている、というのは非常に危険だと思うわけです。すでに病的ギャンブラーに堕ちた人にとっては、具体的な呼び掛けは必要なく、パチンコに関する情報が目に入るだけで居ても立ってもいられなくなる、場合によってはエヴァや北斗の拳を見ただけでも我慢できなくなってしまうのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・自分や自分の家族は病気ではないと思っている人。


2011年8月27日 (土)

コミュニケーションの社会学

■ 書籍情報

コミュニケーションの社会学   【コミュニケーションの社会学】(#2056)

  長谷 正人, 奥村 隆
  価格: ¥1,995 (税込)
  有斐閣(2009/12/19)

 本書は、「コミュニケーションの『わからなさ』をできるだけ『わからないまま』に描き出そうとした」ものです。
 第1章「コミュニケーションと社会学」では、「あえて『コミュニケーション』を、社会学の中心的な主題として記述し、分析することに挑戦したい」として、「そこに従来の社会学が見逃してきた『社会』の記述をめぐるもう一つの可能性が開かれている」と述べています。
 第4章「単独性とコミュニケーション」では、「コミュニケーションという社会現象は科学的な法則として一般化することは難しい」と述べています。
 第5章「対話というコミュニケーション」では、「対話と暴力はその働きにおいてしばしば互換的」であるとして、「両者を対立的に捉えるだけでなく、一方では暴力のメッセージ性(『対話としての暴力』)に、そして他方では対話の暴力性(『暴力としての対話』)にも目を向けていくことが必要であろう」と述べています。
 第9章「恋愛というコミュニケーション」では、「恋愛の本質」について、「なぜか知らないけれど見せられるという意味での『非知性』と、恋愛そのものが目的となり他の関係や利害の手段となることを拒否するという意味での『即目的性』、この2つの要素から構成される『純粋性』にある」と述べています。
 第14章「フラット化するコミュニケーション」では、「今日の若者たちは、コミュニケーション能力に過剰にこだわり、その能力の高低だけを根拠に人間を格付けし、スクール・カーストのように序列化しようとする」として、「コミュニケーション能力だけが自己肯定感の基盤となっている」と述べています。
 第15章「暴力と悪というコミュニケーション」では、「ヤクザのコミュニケーション」について、「自らのアクを画すどころか、自分たちが悪人であることを積極的に伝えるというコミュニケーション・スタイルを取る代表的存在でもある」と述べています。
 そして、ヤクザの行動原理について、「ひっかける、喰らいつく、脅す、奪う」の4つのステップであると解説しています。
 本書は、コミュニケーションという観点から「社会」を読み解こうとした一冊です。


■ 個人的な視点から

 前半部分のいろいろな社会学者のコミュニケーションにかんする学説を解説させるところは面白い心だと思います。一方で、まとめ切れないからこそ学生がそれぞれにインタビューする、という形になったのかもしれませんが。


■ どんな人にオススメ?

・コミュニケーションさえ取れれば解決すると思う人。


2011年8月26日 (金)

マンガ建築考 -もしマンガ・アニメの建物を本当に建てたら―

■ 書籍情報

マンガ建築考 -もしマンガ・アニメの建物を本当に建てたら―   【マンガ建築考 -もしマンガ・アニメの建物を本当に建てたら―】(#2055)

  森山 高至
  価格: ¥1,659 (税込)
  技術評論社(2011/3/5)

 本書は、「大好きなマンガの中で、建物がどんなふうに活躍しているのか。はたしてあの主人公の住まう、戦う、その建築たちはどんな規模、素材で、いつ、どこで建てられたものなのか」を想像したものです。
 第1章「巨大建造物」では、『機動警察パトレイバー』に登場する「バビロンプロジェクト」の原型と考えられる「ネオ・トウキョウ・プラン」が、松永安左エ門の私的機関である「産業計画会議」によって、1959年、東京湾2億坪の埋立が構想されたものであると下位8節しています。
 また、『ワンピース』に登場する懐中刑務所「インペルダウン」について、「現在インペリダウンを建設しようとするなら、ちょうどいい大きさの島を拡幅しながら上部構造を建設し、同時に島の地下を掘り進みながら内部空間を拡張していくという工法」になると述べています。
 そして、『進撃の巨人』に登場する「壁」について、「ここまで大きな建造物となると、コンクリートで建造されているとして、その自重に地盤が耐えられるのかということが重要に」なるとして、「すぐ岩盤が出くるような地層でなければならない」と述べています。
 第3章「日本建築」では、『へうげもの』について、この漫画が登場したおかげで、「戦国武将みたいに厳つくてむさくるしい男どもが、なぜこぢんまりとした茶室で女子の芸事をしていんだろう? といったような間違った疑問を払拭できたのは、マンガというわかりやすくてマスを相手にするジャンルの持つ大きな力のおかげ」だと述べています。
 第4章「豪邸・洋館」では、『けいおん』に登場する平沢家のファサードについて、「安藤忠雄さんの『住吉の長屋』という有名な建築作品に似ている」と述べています。
 第5章「集合住宅」では、『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する綾波の部屋について、「綾波の部屋はコンクリート打ち放しだ」と思われる人が多いが、
(1)いちばん歪みやすいベニヤの中心部分にセパ穴がない。
(2)パネルを取り付けるビス位置のように角々にセパ穴が寄っている。
という理由から、「コンクリート打ち放しではない」と判断され、おそらくニチエー吉田株式会社の「ノンクリート打放しボードB-1」ではないかと推測しています。
 また、『童夢』に登場する団地について、「高島平団地」以外考えられないと指摘しています。
 本書は、マンガに登場する建築物を真面目に考察した一冊です。


■ 個人的な視点から

 こういうマニアックな本が出版されるのはネットで裾野が広がっているからでしょうか。何となく雰囲気的に、ネットのコンテンツを書籍化したような雰囲気がします。


■ どんな人にオススメ?

・マンガを見ると建物が気になる人。


2011年8月25日 (木)

テレビは見てはいけない

■ 書籍情報

テレビは見てはいけない   【テレビは見てはいけない】(#2054)

  苫米地 英人
  価格: ¥735 (税込)
  PHP研究所(2009/9/16)

 本書は、「テレビをはじめとするメディアの『洗脳』によって、自分が生きるほんとうの目的を見失ってしまったり、他人に植えつけられた価値観や目標に縛られている人が、いまの日本には圧倒的に多い」として、「メディアと脳」という視点から、「どうすればメディアの『洗脳』から解放され、自分自身の人生を取り戻すことができるのか」を解説したものです。
 第1章「テレビは見てはいけない」では、「その場にいるような強い臨場感を感じられる空間」である「臨場感空間」について、「現代人の生活において、臨場感空間を支配する人の姿をよく目にする場所こそがテレビ番組」であり、「テレビに映し出される空間を支配するそうした人々は、さまざまな好感度調査でも非常に人気が高」いと指摘しています。
 そして、「いまテレビの広告収入が大きく落ちているのも、背景に『ウソ』や『虚構』が横たわっているから」だとして、「現代は、戦後のテレビ流星の時代をつくりだした世代が幕引きを迫られている時期なのかもしれません」と述べています。
 第2章「脱・奴隷の生き方」では、「アメリカ企業の研修プログラムのほとんどは、もともと軍隊の教育プログラムから生まれて」いるとして、アメリカで最も有名なメンタルコーチとして知られるルー・タイスが作ったそのプログラムの原型について、「いかに高い自己イメージを維持するか」であり、「徹底して自己のイメージを高く保ち、その自分にそぐわない行動を取ることを不快に感じる自我を構築する」ものであり、「すべての行動を『have to』(やらなければならない)から『want to』(やりたい)に変えること」が根本であると述べています。
 そして、ルー・タイス・メソッドの中心にある「自己評価の肯定」について、
(1)エフィカシー(efficacy):自分の能力に対する自己評価
(2)セルフエスティーム(self-esteem):自分の地位やポジションに対する自己評価
の2つの概念にわけて解説しています。
 また、「人間が快適に生活できる外部環境」の幅である「コンフォートゾーン」について、「心理的な麺においても人間にはコンフォートゾーンがある」として、自分の理想とするコンフォートゾーンを見つけるためのプロセスとして、
(1)暫定的なゴールを一つ設定する。
(2)そのゴールを満たした未来がかならず来ることをリアルに思い浮かべる。
(3)その場合、自分は現在どうあるべきかを徹底的に吟味する。
の3点を挙げています。
 本書は、他人に洗脳されず自分の人生を生きる方法を考えるヒントを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 テレビの話よりも、後半の自己イメージの話のほうが面白かったです。問題は読んでみてその気になったくらいでは自己イメージを高めることが難しいことでしょうか。だから何冊も自己啓発本を買ってしまう人が絶えないのでしょうが。


■ どんな人にオススメ?

・自分のイメージを持ちたい人。


2011年8月24日 (水)

電通とリクルート

■ 書籍情報

電通とリクルート   【電通とリクルート】(#2053)

  山本 直人
  価格: ¥756 (税込)
  新潮社(2010/12)

 本書は、「電通とリクルートに代表される情報ビジネスの歴史と未来をもう一度考えてみること」を目的としたものです。
 第1章「買いたい人と稼ぎたい人」では、「広告活動における企業と人々の関係」には、
(1)個々の広告は人々の思考や行動とどう関係するのか?というミクロの視点
(2)広告活動全体と人々の消費活動、あるいは経済活動前たいとがどう関係するのか?というマクロの視点
の2つの側面があると述べています。
 そして、電通とリクルートの広告の特徴を、
(1)発散志向広告:商品についての拡声と伝達
(2)収束志向広告:消費行動(収束)へのガイド
の2つに分けて解説しています。
 第2章「元栓のうまみ、毛細管の凄み」では、「電通のシェアが高いのは、電通が仲介している広告、つまり電通がメディアを購入している(メディア・バイイング)量が多い」からだとして、「歴史的経緯」が最大の理由であり、「広告ビジネスというのは、長きにわたる『付き合いの深さ』のようなものが重要な要素だったのである」と述べています。
 そして、「リクルートが毛細管の拡張と維持を最大の経営資産としていったのに対して、電通は元栓を押さえることで収益の基盤を確立した」と述べています。
 第6章「『感動をありがとう』の正体」では、オリンピックなどで、「おめでとう」ではなく、「感動をありがとう」という声が目につくようになった理由として、「メダルの獲得が自分の『感動への期待値』を満たしたことによる感謝なのだ」と述べ、「感動への欲求が満たされるかどうかも情報によって左右され、感動そのものも情報化されて、複製される」として、「それは、モノを消費する行動と変わらない。そして、その過程で『ありがとう』が生まれていたのである」と指摘しています。
 本書は、2つの特徴的な情報ビジネスを比較した一冊です。


■ 個人的な視点から

 入口と出口をそれぞれ巨大な企業が押さえている、というアプローチの違いは面白いです。問題は、押さえるべき蛇口の数が増えすぎてしまったこと、出口を押さえるにも価格競争にさらされてしまうということでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・情報は産業の要だと思う人。


2011年8月23日 (火)

パンドラのメディア―テレビは時代をどう変えたのか

■ 書籍情報

パンドラのメディア―テレビは時代をどう変えたのか   【パンドラのメディア―テレビは時代をどう変えたのか】(#2052)

  稲増 龍夫
  価格: ¥1,890 (税込)
  筑摩書房(2003/06)

 本書は、「わが国におけるテレビ50年という節目にあたって、テレビ・メディアがわれわれの中にどのような『テレビ的世界観』を構築し、そして同時に、われわれが生きた『時代の深層』にどのような構造変化をもたらしてきたのかを解き明かそうとする試論」です。
 第1章「マスの解体」では、「すみわけ社会」が進行した結果、「人々の生活を規定する絶対的規範がなくなり、擬似的自己実現価値である『快楽主義』が行動原理を代行し、そして互いの『快楽』が衝突しない限りにおいて相互排他的な私生活主義が徹底していくようになっていく」と述べています。
 そして、「すべての若者に絶大な影響を与える『若者の教祖』がどこかに存在するというのは、まさに、マスコミ人間が抱く『郷愁』(もっと言えば『幻想』)であり、ここにも、現代における『すみわけ』の現実が如実に反映されている」と指摘しています。
 第2章「若者の解体」では、「若者」について、「たんなる年齢構成の問題ではなく、社会の中で一定の影響力を行使しうる世代集団であって、しかも、新時代の理念を先取りする潜在力を内包した存在を指している」として、「その意味での、社会学的存在としての『若者』が消えてしまった」と述べています。
 また、団塊ジュニア世代以降の若者から「変革」のイメージが遠くなった理由として、
(1)当の若者たちが一枚岩の存在ではなくなったこと。
(2)大人世代との「対抗」意識が薄れてきたこと。
(3)「先端」意識が喪失しつつあること。
の3点を挙げています。
 そして、「世代としてのオリジナリティにこだわらなくなり、『世代間闘争が新しい流行や文化を生む』という図式が崩壊してしまった」と述べています。
 第3章「遊びの解体」では、「『先端』とはその時代では決して主流派ではないが、やがては時代のメジャーな流れを形成していく萌芽であり、新しい社会システムやライフスタイルを先取りした運動」であったが、「多様化の進展で自信をつけた若者たちは、簡単には流行に踊らされなくなった。『先端』を意識していいカッコをしたいからではなく、自分の等身大の欲求に忠実な選択をする。その結果、価値観や行動様式における『すみわけ』化が進展していった」として、「90年代以降の時代状況を理解する際に最も留意すべきは、この『先端喪失』という状況変化であり、それは同時に『すみわけ社会』化という『マスの解体』とパラレルな現象なのである」と述べています。
 第4章「リアリティの解体」では、今のテレビの中で日常的に「いじめ」が充満しているという印象を受けるのは、「価値の多元化という規範解体のベクトルが暴走して『いじめ(的企画)』を触発しているというのが、現代社会のテレビ的構図」だと指摘しています。
 第5章「テレビの解体」では、大人が「自分たちの小さい頃は、学校から帰ったら近所の原っぱで元気に遊んだものだ。それに比べ、今のこどもはテレビゲームばかりしているから社会性がなくなるのだ」という言説を「原っぱ史観」と名づけ、「自分たちの育ってきた環境と違うから理解出来ないために、今のこどもを取り巻く環境を『悪』だときめつけるのはあまりに自己中心的であり、それは、はっきり言って大人たちのエゴである」と述べています。
 本書は、現代をテレビというメディアの影響から読み解いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本中の人が同じテレビ番組を見てたり、同じ世代なら共通の話題になる番組があったり、というのはすごく過去のものになった気がします。


■ どんな人にオススメ?

・テレビが大好きだった人。


2011年8月22日 (月)

公共広告の研究

■ 書籍情報

公共広告の研究   【公共広告の研究】(#2058)

  植条 則夫
  価格: ¥6,300 (税込)
  日経広告研究所(2005/06)

 本書は、世界の公共広告の沿革をまとめたものです。
 第1章「公共広告の定義と概念」では、公共広告について、「公共広告とは、人間、社会、国家の抱える公共的、社会的問題、あるいは将来起こりうるであろう問題に関し、コミュニケーション・メディアを介して、一般市民に対する注意の喚起、問題の認識、啓蒙、啓発をうながし、その解決のための協力と行動を呼びかける自発的な広告コミュニケーションである」と定義しています。
 第4章「アメリカWACの聖地ると公共広告活動」では、アメリカの公共広告が、1941年にジェームス・W・ヤングが行った演説を動機にして、現在のアメリカ広告評議会の全身である戦時広告評議会(The War Advertising Council, Inc.・WAC)が誕生したと述べています。
 そして、アメリカWACの設立の動機として、
(1)第二次世界大戦を勝利に導くこと
(2)経済的背景からくる広告不信に対する人々の信頼を回復すること
の2点を挙げ、「特に戦争に勝つことは国家の至上命題であり、そのためアメリカ国民を戦争に結集することは当時のアメリカにとって最大の社会的、公共的問題であった」と述べています。
 また、「戦後、広告の力を平和時にも引き続き公共のために使用することが国の利益にもなり、広告会や産業界のためにもなるという考え」から、名称をWACから「広告評議会」(The Advertising Council、Inc.・AC)と改め、「新しい社会的、公共的キャンペーンを展開することになった」と述べています。
 第5章「アメリカACの運営と基本方針」では、「ACの組織と運営は、経済界、マスコミ界、広告界を中心にアメリカ社会を構成するあらゆる人々から、アメリカ連邦政府までも包括し、幅広い視野と意見が集約されるような仕組みが出来上がっている」と述べています。
 そして、アメリカのメディアが、「ACに対してラジオ682万スポット、テレビ103万スポット、新聞5万2,600件、雑誌8,100件の協力を行っている。中でもテレビ・ラジオはきわめて協力的である」理由4087753956 として、放送免許の更新時に、各放送会社の業績内容を厳しく審査することを挙げています。
 本書は、公共広告の歴史を知ることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 元々が業界誌の連載だったようなので、冗長な感じは否めないです。しかし、読み応えはしっかりあるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・ポポポポーンというCMにイライラしている人。


観光まちおこしに成功する秘訣

■ 書籍情報

観光まちおこしに成功する秘訣   【観光まちおこしに成功する秘訣】(#2051)

  渡辺千賀恵
  価格: ¥2,300 (税込)
  ぎょうせい(2011/1/14)

 本書は、著者自身が、ある日突然、「観光振興策を考えよ」と命じられた場面を想定して、「取り急ぎ知っておきたい項目を選び出し、そのイロハ」を書きだしたものです。熊本県が立ち上げた「新幹線くまもと創り協議会」の会長職を引き受けた著者が、「観光で地域を起こすにはこうすれば良い!――そうした実践上のコツというか、成功するための条件があるのなら、それを知りたかった」がそうした指南書が見当たらなかったことが執筆の動機であるとされています。
 第1部「成功した先駆例に学ぶ」では、由布院、黒川温泉、「昭和の町」豊後高田、熊本名産になった太平燕、熊本県山鹿市の八千代座の事例を紹介した上で、「先駆例が成功に至るまでの過程には、大なり小なり主体的要因・偶然的要因・客観的要因が連鎖している」としたうえで、先駆例を見ると「これはとても真似できない!」といった「あきらめに近い気分に襲われる」が、「成功に至ったのは、紆余曲折と『踏ん張り』を経ての成り行きだった」と述べています。
 第3部「実践面の各論を考察する」では、観光客の発生圏を、
(1)地元の県内とその周辺エリア・・・「近場」圏
(2)大阪・名古屋・東京といった大都市エリア・・・「大都市」圏
の2つに分けた上で、「近場客と大都市客の割合は観光地によって異なる」としています。
 また、観光地を取材している記者たちが、「大都市に比べて九州の人たちはゆったりと生活している。通勤時間は短いし、すぐ近くに自然がある。本人たちは自覚していないかもしれないが、普段からリラックスできている。だから、わざわざ遠くへ『エスケープする必要がない』。九州で海外旅行があまり盛んでないのもひとつの証拠だろう」と語っていることを紹介し、「そういう人たちに来てもらうのだから、九州の観光地はしのぎを削ることになる」と述べています。
 本書は、観光振興策をこれから考えたい人向けの一冊です。


■ 個人的な視点から

 地域ごとの観光政策というのは、都道府県単位で考えれば47しかない狭い世界で限られたパイを奪い合っている状態でもあるので、「こうすればうまくいく」というノウハウ本はなくて当たり前のような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・地域振興のノウハウが欲しい人。


2011年8月21日 (日)

生命は、宇宙のどこで生まれたのか

■ 書籍情報

生命は、宇宙のどこで生まれたのか   【生命は、宇宙のどこで生まれたのか】(#2050)

  福江 翼
  価格: ¥819 (税込)
  祥伝社(2011/2/1)

 本書は、「私たち人類を含む生命がいつ、どこで生まれ、どこへ向かうのか」という「誰もが一度は疑問に感じることに答えようとする学問」である「宇宙生物学」をわかりやすく解説したものです。
 序章「生命は、宇宙のどこで生まれたのか」では、約10万種ある人体のタンパク質を構成するアミノ酸が「たったの20種類」しかないとした上で、地球上の生命は、「なぜかほとんど左手型アミノ酸ばかりを使用している」ことについて、「この謎がわかれば、生命がどのようにして生まれたのかについてもわかるかもしれない」と述べています。
 第1章「地球上の生命の起源とは」では、生命が、「変化する環境を経て、現在に至っていることから、生命の歴史を振り返ることは、宇宙空間における地球の歴史についても振り返ること」になるとして、「宇宙生物学は、これらの状況がどのように生命に関わってくるのか、総合的に考えていく学問」だと述べています。
 第3章「生命とはなにか」では、「細胞の中では、糖や脂質がタンパク質によって分解される際にエネルギーが発生していて、このエネルギーを細胞が使って」いるとして、「地球のそれぞれの生物がどのようにエネルギーを取り込んでいるかは、生物の進化についてのヒントを示して」いると述べています。
 第4章「なぜ地球の生命はすべて『左手型アミノ酸』でできているのか」では、「タンパク質が、含まれているアミノ酸の違いだけでなく、立体的な形状の違いも利用しているために、アミノ酸そのものの立体的な形状、つまり左手型なのか右手型なのかがきわめて重要になっている」とした上で、「通常の合成では、左手型と右手型アミノ酸がほぼ等量作られて」しまうが、宇宙空間において、「円偏光」という特殊な光の影響により、アミノ酸の前駆体に偏りがもたらされることを指摘し、「およそ40億年前、地球が誕生してからおよそ6億年後、そして見つかっている最古の生命が存在していた直前の時期に、隕石落下が激しくなった時期」がありお、「この時期に、隕石中のアミノ酸、もしくはアミノ酸の前駆体が、たくさんの隕石と共に地球に持ち込まれ、左手型アミノ酸を用いる生命が生まれたと考えることができる」と述べています。
 そして、円偏光が存在している場所について、「オリオン大星雲の中心部では、その星雲の奥深くで、太陽よりもずっと重たい星が生まれつつ」あるとして、「このような重たい星が生まれている場所付近に、巨大な円偏光が広がっていた」と述べた上で、「太陽系もオリオン大星雲の星たちと同じように、オリオン大星雲のような、重たい星が生まれている星雲の中で、他のたくさんの星たちとともに、生まれてきたと考えられて」おり、「おそらく、オリオン大星雲で見つかったような、若い重たい星周囲の円偏光に、原子の太陽系がさらされたのではないか」として、「こういった円偏光のために、地球の左手型アミノ酸による生命が生まれてきたのではないかと考えることができる」と述べています。
 第5章「地球外に生命は存在するか」では、「太陽系にも太陽家の外にも、この宇宙には実に様々な環境があると考えられ」、「その中には、地球のように液体の水をもとにした環境もあれば、水ではないその他の物質の液体をもとにした環境もあるだろうと推測」できるとして、「それぞれの環境に、それぞれ適した生命が存在している可能性」があると述べています。
 本書は、宇宙における生命の存在を考えることで、私達自身について考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 地球外の生命体というとついつい宇宙人がいるかいないか、ということを短絡的に考えてしまいがちですが、地球の生命がそもそも宇宙からの隕石に由来している、という話は現実性の高いものではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・宇宙に生命はあると思う人。


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