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2011年11月

2011年11月30日 (水)

ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興

■ 書籍情報

ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興   【ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興】(#2069)

  武田 知弘
  価格: ¥819 (税込)
  祥伝社(2009/3/27)

 本書は、「ヒトラーの経済政策を追求すること」をテーマとしたものです。後世において「全否定」に近い評価をされているアドルフ・ヒトラーやナチスについて、「一時的にせよ、ドイツ経済を崩壊から救い、ドイツ国民の圧倒的な支持を受けていたこともある」として、「ナチス・ドイツでは、労働者の環境が整えられ、医療、厚生、娯楽などは、当時の先進国の水準をはるかに超えていた」と述べ、「経済政策面だけに焦点を当てた場合、ヒトラーは類まれなる手腕の持ち主といううことになる」としています。
 序章「ケインズも絶賛したヒトラーの経済政策とは」では、ヒトラーが「欧州新経済秩序」を発表したときに、イギリス政府が経済学者ケインズにこれを非難する論文を依頼したが、「私の意見では、ドイツの放送から引用した部分のおよそ4分の3は、もしもその中のドイツとか枢軸という言葉を、イギリスという言葉に置き換えるならば、全く優れたものになるでしょう」という回答だったと述べ、ケインズがナチスを褒めた理由は、「ケインズが提唱してきた経済理論をも、最も早く実行し、成果を上げてきたのがナチス・ドイツ」であったからだとしています。
 第1章「600万人の失業問題を解消」では、ヒトラーが、大不況のさなか1933年1月に政権につき、その3年後には、560万人の失業者を160万人規模にまで減少させ、世界恐慌以前の1928年の状態にまでドイツ経済を回復させたと述べたうえで、政権獲得後の「第一次4カ年計画」の内容は、「底辺の人の生活を安定させる」というものであり、「これはナチスにとって結党当初からの一貫したテーマ」であったと述べています。
 そして、ナチスの雇用政策について、「妻や子供がいる中高年の雇用を優先している」点を挙げ、「一家の大黒柱を雇用すれば、とりあえずその一家は飢えずにすむ。それは社会心理の上でも安定につながる」と述べています。
 第2章「労働者の英雄」では、1933年にヒトラーが労働組合を解体し、「労働戦線」に統一したことについて、労働者によるストライキも工場閉鎖も廃止させられたが、失業者が大幅に減り、賃金率は下がったが操業時間の増加で賃金総額が増加したことで労働条件は向上したとして、「組合がなくなっても労働者は得をしたので、文句をいうものはあまりいなかった」と述べています。
 そして、労働者に不満が起きなかった理由として、「大元の労働基準を大幅に改善した」ことを挙げ、ナチスが世界に先駆けて8時間労働を法的に実施し、「労働者には長期休暇が与えられなければならない」というナチス労働政策の理念を実現し、労働者の休日で年間で一週間程度延びたと述べています。
 また、「フォルクス・ワーゲン」について、ナチスが労働者のためのクルマとして開発したものであり、ヒトラーがポルシェ博士に、
・最高時速100キロ
・100キロ走るためのガソリン消費は7リットル以下
・4~5人が乗れる
・空冷式
・価格は1千マルク以下
という条件を示し、中でも価格については、労働者が買えることに最も執着したと述べています。
 そして、ヒトラーが、「国会議員やナチスの党員が私企業の役員になることを禁止し、退職した後に、私企業に再就職することも禁じた」ことについて、ヒトラーが青年の頃に、「ドナウ川輸送会社」という会社の不正を目の当たりにしたことから、政治家や公務員に厳しい目を持つようになったとして、「ヒトラーは若いころ感じた世の中の矛盾や不条理なことを、年令を重ねてからも忘れずに、それを是正しようとした。良くも悪くも、非常に純粋で、ストレートな人であったといえるだろう。そのストレートさが、また大きな災いをもたらすことにもなったのである」と述べています。
 第3章「ヒトラーは経済の本質を知っていた」では、ヒトラーが独自の経済政策を打ち出せた要因として、当時のドイツの世相を挙げ、「第一次世界大戦が終わってから、ヒトラー政権が誕生する1933年までのドイツは、『ハイパーインフレ』『大不況』『財政破綻』『通貨危機』『大量失業』など資本主義で起こりうるありとあらゆる問題を経験していた」として、「それを20代後半から30代のヒトラーは肌身で体験した」からだと述べています。
 第4章「転載財政家シャハトの錬金術」では、ナチス初期の経済政策の成功を支えた財政家・ヒャルマール・シャハトについて、「ナチス前半期の経済政策の多くはシャハトが発案、実行したもの」であり、「アウトバーンをはじめとする多額の公共事業費を捻出し、インフレが起きないように巧みに通過を調節し、ブロック経済で封鎖された世界経済に風穴を開けた新しい貿易システムを構築するなど、彼の功績を上げれば枚挙にいとまがない」と述べています。
 そして、ドイツ国民の英雄シャハトが、『わが闘争』に深い感銘を受けてナチスについたことで、「あのシャハトが後ろ盾になっているんだから間違いはあるまい」として、ナチスの株も急上昇したと同時に、シャハトは、「ナチスを利用することで、ドイツの経済を立て直したい」と考えていたと述べています。
 また、「インフレを起こさずに、経済を活性化させ失業もなくしたということは、シャハトが闇雲に通過もどきを作っていたのではなく、ドイツの経済状況を見極めながら、どの程度、信用創造をするべきかを調節していた」として、「この職人芸こそがシャハトの真骨頂であり、ドイツを救ったものといえる」と述べています。
 さらに、シャハトの経済理念について、「理念がないのが理念」だとして、「経済政策は科学ではない、ひとつの技術である」と講演していることを紹介しています。
 そして1936年に、原料輸入と外国為替に関する全権がゲーリングに渡されたことに抗議して、シャハトが経済省の辞表を提出したが、ヒトラーに突き返され、辞めることもできなかったと述べています。
 第5章「ヒトラーの誤算」では、ヒトラーが、「公職からユダヤ人を追放し、やがて経済活動からも締め出し、最後には国外追放」しようと目論んでいたが、「ユダヤ人を追放しようとしても、ユダヤ人を受け入れてくれる国がなかった」というごさんに直面し、さらに、ユダヤ人の多い地域であるオーストリア、チェコスロバキア、ポーランドなどを支配下に収めたことで、「ユダヤ人を追い出そうとしているのに、行く先々で大量のユダヤ人を抱え込む羽目になってしまった」上に、「金持ちのユダヤ人たちは、早々に逃亡しているので、残っているのは貧しいユダヤ人ばかり」であり、「その結果、多くの罪もない貧しいユダヤ人たちがナチスの迫害の犠牲になった」と述べています。
 本書は、ヒトラーの経済政策から学ぶべき教訓を探った一冊です。


■ 個人的な視点から

 第二次大戦後の一連のプロパガンダの結果、ヒトラーとナチスについて、客観的に検証しようと思うこと自体もタブー視されているかのようで、全否定か逆に崇拝するかの偏った評価が主流になっているように思われます。少なくとも教育の現場ではナチスは『アンネの日記』とセットになって子どもたちに教え込まれているようです。


■ どんな人にオススメ?

・坊主憎けりゃ袈裟まで憎い人。


2011年11月29日 (火)

植木等ショー!クレージーTV大全

■ 書籍情報

植木等ショー!クレージーTV大全   【植木等ショー!クレージーTV大全】(#2068)

  佐藤 利明
  価格: ¥2625 (税込)
  洋泉社(2010/10/23)

 本書は、1967年にスタートした植木等のワンマンショー番組『植木等ショー』の足跡と、「クレイジー・キャッツが駆け抜けたテレビの黄金時代」を検証したものです。
 第1章「植木等ショー」では、クレイジーをプロデュースしてきた渡辺プロダクション社長・渡辺晋が、「植木等をコメディアンや俳優だけでなく、フランク・シナトラのようなスケールのエンタティナーに守り立てようとした」戦略が『植木等ショー』であり、植木等としても、「どこかに、"いつまでも無責任男では……"という意識があったことだろう」と述べています。
 また、生前に行われた植木等へのインタビューでは、植木等が最初抵抗があった「スーダラ節」について、僧侶であった父から、「わかっちゃいるけどやめられない」という「この歌は親鸞上人の生き様に通じる精神が歌いこまれている」から素晴らしい、「迷わずやってこい」と言われたことや、映画の「無責任」シリーズが終わったときに、「ああ、これで他の役者さんと同じ役がフリーの立場でできるという気持ちと、無責任男との訣別に対する非常に寂しい思い」があったと語っています。
 第2章「クレイジーTV全史」では、「無責任一代男」の「こつこつやる奴ァ ごくろうさん」という歌詞が、「努力こそ立身出世の道という、それまでの"常識"をひっくり返し、さらには一生懸命努力している人に"ごくろうさん"と言い放つ」として、当初は、「こつこつやる奴ァ 馬鹿だねぇ」という歌詞だったが、それではあんまりだということで「ごくろうさん」になったと述べています。
 また、当時を知る人によれば、62年から63年にかけての『シャボン玉ホリデー』が最も充実していたと述べています。
 本書は、植木等ファンにとっては必見のマニアックな一冊です。


■ 個人的な視点から

 植木等ファンでないと、この本を読んでも知らないことばかりかもしれませんが、植木等本人が「無責任」路線に相当悩んでいたということを、画面からは微塵も感じさせないところにプロ意識を感じます。


■ どんな人にオススメ?

・わかっちゃいるけどやめられない人。


2011年11月28日 (月)

日本初の私鉄「日本鉄道」の野望―東北線誕生物語

■ 書籍情報

日本初の私鉄「日本鉄道」の野望―東北線誕生物語   【日本初の私鉄「日本鉄道」の野望―東北線誕生物語】(#2067)

  中村 建治
  価格: ¥840 (税込)
  交通新聞社(2011/02)

 本書は、740キロにも及ぶ長大路線である東北線を建設し、「東北から九州まで『全国を自社の鉄道で埋め尽くす』という野望をいだいてスタート」したわが国で最初の私鉄「日本鉄道」について、東北線開業までの明治の鉄道人の「不撓不屈の興味深いドラマ」を紹介したものです。
 第2章「日本発の鉄道会社が誕生し、岩倉具視が『日本鉄道』と命名」では、岩倉が華士族を中心とする会社創立のメリットとして、
・政府の財力を使わずに、東京~陸羽間の鉄道を建設できる。
・東北の往来運輸を便利にし、物産繁殖(生産)をさせる根底を築くことができる。
・華族の財本を活かしながら、華族の暮らしを安定させ、名を辱めず、分業生産が実行できる。
・華族も国家のために役に立っていることが知られ、戸位素餐(尸位素餐の誤りか?)の誹謗を免れ、華族の名利を損なわずに済む。
ことを挙げたと述べています。
 また、岩倉が首唱発起人たちを前にして、建設ルートとして、
(1)東京~高崎~青森
(2)高崎~敦賀
(3)中山道路線途中~新潟~羽州
(4)大里~小倉~長崎・熊本
の4路線の構想をぶちあげたと述べています。
 そして、この日の宴席では、岩倉が、創業の難しさに耐え、奢侈を戒めるため、酒の肴として、炙りスルメ、塩鮭・豆腐汁の3品を並べたことにちなみ、その後の日本鉄道の宴会では必ず炙りスルメを使うことが恒例になったと述べています。
 さらに、1881年5月に政府に提出された「鉄道会社創立願書」に添付された建設条件が、「政府に願い出ている立場なのだが、かなり自社本位とも言える内容」で、「開業してやるから出願に応えよ」と言わんばかりにも受け取れる条件だったと述べています。
 第3章「東京起点は逆転で『上野』に、攻防を経て『山手線』を開業」では、わが国初の私設鉄道の工事が、ほとんど工部省鉄道局の手に委ねられ、その後も、日本鉄道の技師養成が進まなかったことから、「結局は東京~青森間前線の建設工事を鉄道局が受託・施工することに」なったと述べています。
 そして、日本の鉄道の父と呼ばれる井上勝が、「国内を鉄道網でつなげるからには、距離だけではなく、経済効果など幅広い視点から東京起点駅を選ばなければならない。それには、東京~横浜間の官設鉄道とつながっていることが何よりも欠かせない」という信念をもっており、この条件をみたすのは「品川か新橋しかない」と考えていたと述べています。
 第4章「東北方面の分岐は『大宮』に、仙台では玄関深夜の開業式」では、1886年の利根川橋梁の完成を受けて行幸した明治天皇が発した、「誰か鉄橋の上から飛び込める者はいないか」の言葉にトビ職出身の小川勝五郎が一番に飛び込んだというエピソードを紹介しています。
 第5章「海岸路線に軍部が横ヤリ、3日間にわたり全通式典」では、「一筋縄ではいかない作業員を指導しながら工事を進める役人・監督には、大変な苦労があった」として、「手抜きをしないように作業させるには、度胸を決めて真正面から作業員と相対していく必要がある」と述べ、日本の鉄道が結局、「酒とバクチの勢いで作られた」と言われるとして、「日本鉄道線も、こうした豪傑役人・監督がいて、現場を指導したから完成できたのであろう」と述べています。
 本書は、日本の鉄道黎明期を支えた鉄道人の生き様を伝える一冊です。


■ 個人的な視点から

 鉄道工事の工事現場のドラマは誰か小説とかドラマにしてもらえないかと思います。ほとんど『サラリーマン金太郎』の世界を地で行っています。


■ どんな人にオススメ?

・「国鉄」以前の日本の鉄道を知りたい人。


2011年11月27日 (日)

事件で学ぶ著作権

■ 書籍情報

事件で学ぶ著作権   【事件で学ぶ著作権】(#2066)

  豊田きいち
  価格: ¥2520 (税込)
  太田出版(2011/2/26)

 本書は、
(1)メディアの俎上に載せられた著作権トラブルを並べて、「こと」の起因を指摘した事件簿
(2)著作権法が、どのように改正されようと動かない基本的な知識。いろんな著作物の存在理由に通底するものの分析
の2つ視点から、著作権を理解しようとしているものです。
 No.0「無権利・写真・複製物からの複製」では、坂本龍馬の古写真を複製した切手シートに対して、原写真の所有者らしき筋から「無断使用」とのクレームが入り、販売中止にした、という事件について、「郵便会社の中止判断は、まったくおかしい。堂々と売ったらよい。中止の必要なかろう。印刷会社こそ、いい迷惑だ。古い写真だから著作権のあるはずはない」と指摘し、「物としての写真については、他人に利用許諾する権利がある」が、「その写真の複製からのに自利用については発言権が及ばない。印刷物の紙面は、原写真とは関係のない異なる物なのである」と解説しています。
 No.32「短いフレーズ・言語の著作物性」では、槇原敬之の歌詞のフレーズが「銀河鉄道999」のせりふに「酷似」しているとして謝罪を求めた事件について、
(A)松本の場合の「部分」が、法の定義に照らして著作権の客体(著作物)であり得るか
をはっきりさせた上で、
(B)槇原が意識的に類似(松本は酷似という)させたのか、それとも表現形式が偶然近づいたのか
を問うことになる、と述べています。
 No.34「画風・描法と同一性保持権」では、「そこにある絵を見て、多少の違いはあっても原画はあれだナと、第三者にも特定できる表情、場面、構図が、発信絵と重なれば、それは、複製である。しかし、絵の描き方、デフォルメ(誇張)や癖が似ているからといって、それは複製だとはされない」と述べた上で、No.39「キャラクターとキャラクター絵」では、いわさきちひろの画風で描いた挿し絵に対して、「ちひろ側」から、無断複製・無許諾掲載というクレームが付き、出版社側が非を認めるような処理をした事件について、「ちひろが描いた絵のように見える」が、「すでに公表されている彼女の特定できるものの複製・コピーではない」者であるならば、「画風、描法、描き癖そのものは著作権の客体にならない。画風は著作物ではない。著作物でもないものに著作権は発生しない」と指摘し、「著作権法という単一の視座でいえば、この出版社の対応はよろしくない」と述べています。
 No.45「漫画の無断利用」では、『サザエさん』のイラストをバスの車体に描いて「サザエさん観光」と称して走らせていた事件について、運行収入の3%tが、「サザエさん漫画の利用によって得をした額、キャラクターが被告の利益に関与・貢献した値段だと判断された」として、「キャラクターの利用価値を、その漫画絵の利用価値に置き換えたところが、この裁判の創意とでも言えそう」と述べています。
 No.47「歌詞(部分)の著作物性」では、「歌詞の、意味の纏まった表現は著作物だが、小部分は無権利、非著作物に決まっている」と指摘し、「JASRACの権利・権限と力の限界を知悉しないメディアの無駄払い」と述べています。
 No.62「剽窃・著作権と出版社」では、『最後のパレード ディズニーランドで本当にあった心温まる話』に掲載された33話のうち7話が転用されたものであったとされる事件について、「世の中に、あった事実そのものには著作権はない。事実を伝えるのにナンの遠慮も要らない」が、「他人の個性的表現、無体財産を、黙って自分のものにしてしまうのは、むかしは剽窃(掠め取ること」)と言った」と述べています。
 本書は、著作権トラブルを個別の事件に照らして解説した一冊です。 


■ 個人的な視点から

 坂本龍馬の写真の「現在」の持ち主が、切手シートの販売にクレームをつけた事件の記事は、読んだ時に自分でもおかしいと思いましたし、さも「持ち主」に何らかの権利・権限があるかのように報じるマスコミの姿勢(または著作権に関する理解力のなさ?)には驚きました。


■ どんな人にオススメ?

・実際の事件で著作権を考えたい人。


2011年11月26日 (土)

続 東北

■ 書籍情報

続 東北   【続 東北】(#2065)

  河西 英通
  価格: ¥861 (税込)
  中央公論新社(2007/03)

 本書は、前著『東北』を受け、1910年代から45年の敗戦前後までを対象に、「東北の人々の語りに耳を傾けるとともに、彼らを取り巻いた眼差しの意味も問」おうとするものです。
 第1章「東北史と世界史」では、1910年代から20年代にかけての大正時代が、13年の冷害凶作に象徴されるように、「東北全県が後進地域に固定化する時代であると同時に、『東北振興』が叫ばれた時代」であるとしています。
 第2章「凶作と希望」では、「大正初年の冷害凶作は、あらためて東北とは何なのかという問いを突きつけた」として、「自己認識は基本的に積極的な方向に進む。というのは、一つには1913年の凶作に遭いながらも、大戦景気で東北経済が活況を呈したという事情があり、凶作を宿命的に捉えるのではなく、東北の可能性を論ずる道が開かれたからである」とともに、「もう一つは戊辰戦争から半世紀が経って、あらためて東北の未来像を語る必要が生じてきたからである」とおべています。
 第3章「飢饉と絶望」では、1934年凶作において、「大根をかじる子どもたちの写真が、飢饉を象徴するものとして有名」だが、「大根をかじる姿を東北飢饉のシンボルとして伝えたマスコミとそれを受容した読者の眼差しこそが問題なのである」と述べています。
 そして、「1934年の『凶作』といわれている現象は、前年度からの繰越米、植民地米の移入という構造的問題に34年の冷害凶作が重なったため生じたのであり、それは単年度の凶作が本質的原因なのではなく、長期的な米をめぐる供給と需要の矛盾がこの年に噴出したのである」と指摘しています。
 第4章「日本海開放と雪国解放」では、「1920年代後半から、日本海をめぐる交通革命論が盛ん」となった背景として、「日本による中国東北部と朝鮮の安定的支配のために、中国の長春・吉林と北東朝鮮の海港を結ぶ吉会鉄道が重要視され、日本海に面する終端港の位置、さらには、そこと結びつく日本側の港湾の位置が取り沙汰されるという時代状況があった」と述べています。
 終章「『深日本』としての東北」では、終戦後において、「この時代の東北の歴史的位置は、後進性や未開性、総じて異境性にとどまらず、戦時体制下において現況性への急速な傾斜が見られた点が特徴である」と述べています。
 本書は、戦前の日本における東北の位置づけを考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 農家の子供が大根をかじっている写真は日本史の教科書で見たことがありますが、東北のイメージがあの写真一枚で決定されてしまうほど、写真の力、そしてマスコミの力の大きさを考えさせられてしまいます。


■ どんな人にオススメ?

・東北の子供は大根をかじっていると思っていた人。


2011年11月25日 (金)

東北―つくられた異境

■ 書籍情報

東北―つくられた異境   【東北―つくられた異境】(#2064)

  河西 英通
  価格: ¥777 (税込)
  中央公論新社(2001/04)

 本書は、「国民国家日本の形成期とされる明治時代を対象に、多様で豊かでさえあった東北が、近代的価値基準の下で、いかに後進・辺境・未開を連想させる単一的な空間領域=<東北>として成立させられてきたかという問題を、東北観・東北論・東北意識などの<東北>論の視点から再検討」したものです。
 第1章「異境と桃源郷の間」では、「東北に関する情報に異境完・差別感が含まれてくるのは、18世紀後半」だとして、「均整後期の東北は『日本』や『日本人』というアイデンティティの枠外に位置する異境であり、中世以来投げかけられた異域観が北辺の対外的危機感の高まりやアイヌ民族蔑視と結びつく中で、他国人に流布され」たと述べています。
 そして、「戊辰戦争を経た近代において、『未開』とは異民族アイヌ及び軍事的敗者(朝敵)=東北を指すこととなり、『非未開』=『開化』とは軍事的勝者(官軍)=西南を意味した」と述べています。
 一方で、東北を旅行したイサベラ・バードが、「表面上の『未開』と内実の豊かさ・充実を見抜」いていたとして、「人々の生活には『原始的な住居』と『多くの良い馬』、『腰まで裸』と『立派な着物』が自然な状態で同居していた」と述べています。
 第2章「『白河以北一山百文』」では、『明治建白書集成』などにおさめられている数多くの建言・請願・建白に含まれる東北人の自己認識や地域認識について、
(1)蝦夷意識を含んだ後進感
(2)辺境感・後進感とは裏腹の強烈な使命感
(3)辺境・後進意識が単なる疎外意識に終わらずに、政府批判につながり、さらに自由民権運動への志向を見せている点
の3点を挙げています。
 第5章「開発と差別」では、日清戦争後に三陸を襲った大津波が、東北の悲劇性を全国に広め、さらに決定的に劣悪なイメージが連続した凶作によって植え付けられたと指摘しています。
 そして、「大凶作に襲われた1905年を境に、東北はそのアイデンティティを失い始め、東北という一体性が自明視されなく」なったとして、「東北社会の動揺と分裂が自覚されたとき、『東北』というコトバが各地から名乗られてくると言うべきかもしれません」と述べています。
 本書は、豊かだった東北が、日本の後進地域に位置づけられていく過程を描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 私達が「東北」という言葉を聞いたときに、露骨に「田舎」と思わないまでも、「集団就職」とか「出稼ぎ」とか「雪国」とかそういったドンヨリと暗いイメージを思いだしてしまうのは、演歌の世界のせいばかりでなく、明治以来の歴史が積み重ねてきたもののせいでもあるのです。


■ どんな人にオススメ?

・「東北」に「暗い」イメージを持っている人。


2011年11月24日 (木)

音楽の感動を科学する―ヒトはなぜ"ホモ・カントゥス"になったのか

■ 書籍情報

音楽の感動を科学する―ヒトはなぜ   【音楽の感動を科学する―ヒトはなぜ"ホモ・カントゥス"になったのか】(#2063)

  福井 一
  価格: ¥1890 (税込)
  化学同人(2010/9/30)

 本書は、音楽の科学的研究により音楽の謎を解明することが、人間の存在や本質の理解につながることを示そうとするものです。
 第1章「音楽と科学」では、「人類の歴史を見ても、何らかの政治的支配権力を持ったものは、その基盤を確かなものにするために音楽を利用してきた」として、「洋の東西を問わず、西欧文明から隔絶した『無文字社会』も含めて、式典の音楽、晩餐の音楽、政治的宣伝に用いられる音楽から葬式音楽まで、音楽はあらゆる場面で利用されている」と述べています。
 そして、「一見多様に見える音楽にも、共通している部分が多い」として、「音楽の普遍性」があるのは、「われわれ人類(ホモ・サピエンス)がつくりだした音楽(カントゥス)だからだ。われわれは音楽するヒト、『ホモ・カントゥス』なのだ」と述べています。
 第2章「音楽が不可欠な現代社会」では、現代人が音楽に耽溺する理由として、「音楽はストレスに『効く』こと」を挙げ、「音楽はそのために生まれてきた」、「ストレスがある限り、音楽は必要とされる」と述べ、「現代社会は、音楽が溢れているが、それだけストレスも溢れているということだ」としています。
 第3章「音楽を科学する」では、音楽の医療への応用である「音楽療法」について、「残念ながら、音楽がなぜ心や体いよいのか、なぜ病気や障害に効果があるのか説得力をもって説明することができない」理由として、「音楽の科学的研究が行われて来なかったからだ。長い間音楽(芸術)と科学は、互いに最も遠い存在だった」と述べています。
 第4章「音楽と『心』」では、「ほかの情動と同様、音楽によって起きる情動も、自動的、無意識に処理されていくことが多い。その点が言語とは違う」とした上で、「音楽を聴いたときに起きる情動反応は、意識と無意識が相互に繰り返し現れることが特徴だ」と述べています。
 第5章「情動と音楽」では、「情動の源とも言える脳部位」として、大脳辺縁系に位置する扁桃体を挙げ、「大脳辺縁系に支障があると音楽の情動障害や記憶障害が起きる。すなわち、音楽を楽しみ、理解することに支障が起きる」と述べています。
 第6章「音楽が操るホルモン」では、「情動(感情)や性格(攻撃性、社会性、性愛)あるいは心理的な変化は、視床下部・大脳辺縁系を中心とした脳の神経の興奮や抑制の結果であり、それにはホルモンが深く関与している」と述べた上で、著者のこれまでの研究で、「音楽はテストステロンなどステロイド・ホルモンと深い関係にあることを示し、音楽は愛情や性行動と深く結びついていることを明らかにした」と述べています。
 そして、テストステロンと音楽の関係について、「テストステロンと音楽能力には相関関係(正・負)」があり、「男性では、テストステロンが多いと音楽能力は低いし、逆に少ないと音楽能力が高い。ややこしいことに、その関係は男女では逆になる」と述べています。
 また、創造性とテストステロンの関係について、過去のクラシックの作品が作られた月と、年間のテストステロンの変動レベルに相関関係が見られ、テストステロン値が高い11~2月には作品が少なく、最も低い5月にも少ない一方で、中間レベルにある3、7~8月には作曲数が最も多いと述べています。
 第7章「音楽は脳にどんな影響を与えるか」では、「脳には音楽を理解(知覚・認知)するネットワーク(回路)と情動(感情)を処理する回路、及び演奏する回路が別べつに存在」する、すなわち「音楽の情報は分散して処理されている」と述べています。
 そして、音楽の科学研究が、脳科学からも注目される理由の一つとして、「脳研究の大きな課題である脳の可塑性の解明に、音楽研究が役立つのではないかと考えられているから」と述べています。
 また、「音楽家と非音楽家では、脳の組織や機能が異なる。決して大げさではなく、音楽は脳を変えるのだ」と述べています。
 第8章「音楽の才能は遺伝か環境か」では、「旋律を理解する能力は遺伝性が高い」と述べ、「それ以外の和音やリズムに関しても遺伝の影響が大きいことが明らかになっている」としています。
 そして、「自閉症の人は特異的な才能と同様に、音楽に興味を示すことが多い」ことを紹介しています。
 また、「世界各地の音楽文化にみられる共通した特徴」として、「音楽と同性愛は密接な関係がある」と述べ、「テストステロンが胎児期に脳に与える影響(形成作用)によって、右脳の肥大化に代表される脳の機能的な変化が起こったのだろう。その結果、空間知覚認知能力にすぐれ、音楽能力に秀でた人たちが生まれる」と述べています。
 第9章「音楽は病気に効くのか」では、「音楽は体内で科学的変化を引き起こし、情動を喚起する。その結果、脳の機能や、構造を変えたりする」として、「こうした音楽の働きを病気の治療に応用することは十分に可能だ」と述べた上で、「近年問題になっている、脳の病気である神経症やて高障害、急性ストレス障害、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、うつ病などは、じつはストレスによって引き起こされる脳の病気だ」として、「詳しいメカニズムの解明はこれから」だが、「音楽はストレス性疾患に効果を発揮する」と述べています。
 第11章「音楽はなぜ必要なのか」では、「音楽は、もともと備わっていた音声によるストレス反応のメカニズムを効率的に利用することによって、種の保存・維持に貢献してきた」として、「こうしたメカニズムはヒトに意識されることなく働いてきた」と述べています。
 そして、ヒトと音楽の有様について、
(1)ヒトの音楽は多様だが、普遍的特徴を備えている。
(2)音楽と社会は密接に結びついており、音楽携帯と社会構造は相関している。
(3)音楽はホルモンに影響をあたえることで、生理的・心理的変化をもたらす。
(4)さまざまな種が音声行動を持つが、とくに鳥類の音声行動は構造も機能も人の音楽に近い。
(5)霊長類も含めて音楽的な音声行動を持つ種は、繁殖形態として一夫一婦制を取る種である。
(6)音声行動にはテストステロンが影響している。
の6点を挙げ、「ヒトの音楽はほかの動物の音楽や音声行動と同じように、生存価すなわち生き残って子孫を残していくという究極の目的に役だっている」と述べています。
 本書は、音楽がヒトが社会で生きて行く上で不可欠なものであることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ミュージシャンに同性愛者が多いのは、そういうカルチャーのせいだったり、営業戦略上の理由だと思っていたのですが、脳の発達時のテストステロンの量が影響するというのは驚きでした。ということは、後から同性愛方面に目覚めたとしても音楽家としての才能が目覚めるということではないようです。


■ どんな人にオススメ?

・音楽が何の役に立つのかわからないという人。


2011年11月23日 (水)

形態の生命誌―なぜ生物にカタチがあるのか

■ 書籍情報

形態の生命誌―なぜ生物にカタチがあるのか   【形態の生命誌―なぜ生物にカタチがあるのか】(#2062)

  長沼 毅
  価格: ¥1260 (税込)
  新潮社(2011/07)

 本書は、「理系と文系をまたぐメタバイオロジーの観点で生物のカタチを鑑賞し、あれこれ考えを巡らすこと」を目的としたものです。
 第1章「イノチのカタチ」では、「カンブリア大爆発より3億年前には既に、体節と左右相称を指令する遺伝子の種ができていた。それが体制として百花繚乱したのがカンブリア大爆発である。左右相称により体に前後軸ができる。進行方向が全部だ。全部にはものを食べやすいように口が開き、肛門は後部に置かれるだろう。逆ならどうなるか、想像してほしい」として、「前後軸のある左右相称という動物の一般的な『かたち』の原型が出来上がった」と述べています。
 第4章「口のカタチ」では、「昆虫類でも甲殻類でも、縦に切れて左右に開く口――タテグチ――が特徴である」とした上で、「口は『食べる生物』としての動物の象徴である。動物のカタチの多様性の一端は、食べるための口のツクリ、食物を捕獲する手や脚のツクリ、そして、摂食行動を取るための諸器官のツクリにあると考えても良い」と述べています。
 第5章「不動の動のカタチ」では、1968年にハンガリーの植物学者アリスティッド・リンデンマイヤーが発表した「L-システム」について、「各部で単純な分岐パターンが繰り返されることで、複雑な全体像が形づくられる」と述べています。
 第6章「数学的なカタチ」では、「フィボナッチ数列」が、「数学という概念の世界だけでなく、人間のカタチの美意識に影響するし、人間が関与しない自然界の形にも見られる。特に、生物界では『生命のカタチ』にしばしば現れる不思議な数のマジックである」と述べています。
 第10章「カタチをつくる衝動」では、「カメの甲羅は過去のある時点に突如として完成形で出現した」としたうえで、「生物は素材と形式という束縛条件の中で、もう大きなイノベーションはできない。しかし、決められた枠の範囲でできるだけ多様に突然変異し、既存のものを流用してリノベーションしカタチの多様性をつくる。そして、できてしまったカタチで何とか生き抜き、自然選択に勝ち残ろうとする」と述べています。
 第11章「逸脱したカタチ」では、「蛹ほど逸脱したカタチはないように思え、これぞ逸脱度の金メダルだと叫びたくなる」と述べた上で、「蛹が不思議なのは、ただの容器と化した表皮の内部で、神経の一部と呼吸器系の組織を覗いて、大部分がドロドロに溶けてしまうことである。このドロドロから体の各部が再構成され、脚や羽ができる」としています。
 第12章「カタチの原型」では、「いまから5億4300万年前のカンブリア紀に突如として『眼』という視覚器官が誕生したことが生物界、特に動物界のカタチを爆発的に多様化させた原因である」とする『眼の誕生』について、「『目の誕生』の前と後では、全くの別世界である。いや、変わったのは世界(環境)であるというより、生き物が認識する世界、つまり生物サイドからの世界観が変わり、それに応じて生物界が一変したというべきか」として、「眼の誕生後は、世界が一変した。捕食者の眼には、明暗変化はよりクリアになり、おぼろげながらも景色が見えただろう。さらに、2つの眼によるステレオ効果で距離感も分かるようになった」と述べています。
 そして、「動物のカタチを考えているうちに、その起源というのは『見られる恐怖』、『喰われる恐怖』に曝されて『守りを固める』ことであると考えるようになった」と述べています。
 本書は、生物のカタチというテーマからスタートして、生物学のトピックを紹介してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 動物の「カタチ」もどこかの誰か(神様?)が思いつきで決めてあんなに面白い形になったわけではなく、こういうカタチになるまでの必然的な理由があったりいろいろな経緯があったりするわけです。


■ どんな人にオススメ?

・生き物のカタチをじっくりと考えたい人。


2011年11月22日 (火)

宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰

■ 書籍情報

宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰   【宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰】(#2061)

  ニコラス・ウェイド (著), 依田 卓巳 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  エヌティティ出版(2011/4/22)

 本書は、「原初の信仰と、その体系である宗教はどのようにして生まれ、発展してきたのか。信仰や宗教は、ヒトの生存と社会化にどんな役割を果たしてきたのか、そしてこれからどうなるのか」というテーマを、「人類学や生物学の豊富な知識を駆使して解き明かした本」です。
 第1章「宗教の本質」では、「宗教は強固で独特な社会を創り上げるので、それぞれの文化の決定的な特徴となり、西欧キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教など、偉大な文明へと発展した」とする一方で、「「宗教には行き過ぎた激しい中世悪心がもたらす暗い側面もある」と述べた上で、「宗教とは何か。宗教は人の営為の中でも、最も高潔で崇高なものを引き出しうるが、同時に最も残虐で卑劣なものも呼び起こす。宗教は世代から世代へと伝えられる聖なる知の集積にすぎないものだろうか。それとも、単なる社会遺産をはるかに超えるものであり、何かを崇拝しようとする深く根付いた本能的衝動から生まれるものなのだろうか」としています。
 そして、本書の目的を、「進化論の観点からしゅうきょう行動を理解すること」であり、本書のテーマは、「宗教行動をする本能は、確かに人間の本性として進化してきたものである」として、「宗教を実践する集団は明らかに生存上有利だったため、宗教行動は少なくとも5万年前、おそらくもっと早い時期に私たちの神経回路に書きこまれた」と述べています。
 また、「宗教が何世紀ものあいだ、社会の存続にどれほど重要な役割を果たしたか」について、「宗教は社会の質を高め、戦いを価値あるものにし、社会を守るために命を投げ出させる。他の条件が同じなら、宗教的傾向の強い集団は結束力が強く、そうでない集団と比べてかなり有利だったはずだ」と述べ、「宗教行動の社会的側面の多くは、集団内の強い結束や、戦時の士気の高さといった利点をもたらし、メンバーはより多くの子孫を残しただろう。そうした理由から、自然淘汰は宗教に有利に働いた」としています。
 著者は、進化論的観点から、宗教を、「感情に働きかけ、人々を結束させる信念と実践のシステムである。その中で、社会は祈りと供犠によって超自然的存在と暗黙の交渉をし、指示を受ける。神の懲罰を恐れる人々はその指示に従い、自己の利益より全体の利益を重んじる」と定義しています。
 第2章「道徳的本能」では、「道徳的判断に関わる特別な脳内神経回路が存在することから、道徳性が遺伝的基盤を持つ能力として進化してきたことがいっそう明らかになる」として、自己で前頭葉の一部を損傷したフィネアス・ゲージやハンチントン病患者の例を挙げています。
 第3章「宗教行動の進化」では、宗教行動を人間性の進化した部分と考える根拠として、「宗教の普遍性」を挙げ、「世界じゅうに存在する宗教は、文化によって大きく異なるとはいえ、共通点も多い。宗教行動が持つそういったほぼ普遍の特色には、遺伝的基盤があると考えられる」と述べ、世界のさまざまな宗教が、「社会の恐ろしい支配者にして道徳規範の執行者である神の存在を信じること」などの共通の行動に基づいていると指摘しています。
 また、宗教が信者に負担をかける理由として、「何の寄与もせず共同体の便益を享受しようとするものを阻止するためと考えられる」ことを挙げ、「厳しい儀礼を通してのみ学ぶことができ、膨大な時間を要求する」という点で、「宗教行動をシグナルとして機能する」と述べています。
 第4章「音楽、舞踏、トランス」では、「トランス状態は、個人にとっても共同体にとっても、この世界と超自然界とのあいだにある扉を開く手段だった」と述べた上で、人間が発達させた社会的コミュニケーションの方法として、舞踏、音楽、言語の3点を挙げ、「それらはすべて宗教行動で使われ、宗教行動の進化を理解する上で欠かせない」としています。
 そして、「トランスは古代宗教の主要な特徴だったようだ」として、「おそらくこのようなトランスを通して、初めて神が見出された」、「長時間の舞踏によって引き起こされるトランスを通して、初期の人類は自由に超自然界に入る手段を獲得したと考えた。トランスは超自然界が存在することを証明した。そこから原始の人々は、想像上の不思議な並行世界に住む神の特質をたやすく構成し直したことだろう」と述べています。
 第4章「太古の宗教」では、「最初期の宗教は、超自然の力を呼び出し、集団のメンバーを感情的に結びつける舞踏という形態を取ったようだ」とした上で、アボリジニ、アンダマン諸島民、クン・サン族の3つの民族の宗教を検証し、
・どの民族においても宗教が日常生活の大部分を占めている。
・宗教の実践では精力的に歌い、踊り、強い感情を引き起こす夜通しの儀礼を行う。
・信仰より儀礼を重んじる。
・儀礼の主要な目的は、共同体を結束させ、社会構造を強固にすることである。
などの共通性を挙げ、「3つの民族はそれぞれ独自に宗教を発達させてきたのではなく、人類の祖先から受け継いできたと言えそうだ」と述べています。
 第6章「宗教の変容」では、「新しい宗教は階層社会の要請に応じて発達した」が、原始宗教から重要な遺産を引き継いだとして、
(1)遺伝子:舞踏とトランスの恍惚を求める性質は人々に備わっており、制度化された宗教への反発を絶えず引き起こしていた。
(2)超自然:のちに多くな社会が極端なほど示す超自然への強い関心。
の2点を挙げています。
 そして、「初期キリスト教が成立する頃には、トランスや預言ではなく、書物のなかの文言が宗教的真理の源泉となっていた」が、「ローマ帝国内に広まっていた他の密儀と同じく、初期キリスト教も宗教の恍惚を実践に取り入れていたようだ」と指摘しています。
 また、制度化された教会が、「恍惚の宗教と、神と直接交流したいという人々の生来の願望を怖れている」証拠として、教会の座席が、「人々を踊らせないためにヨーロッパの教会で16世紀に設けられた」ものであり、座席の導入により、「情熱的に語る司祭に信者が反応して衝動的に動き出すのを防いだ。また、木の仕切りで人と人が離されることによって、公共の礼拝に静けさがもたらされた」と述べています。
 第7章「宗教の樹」では、「宗教の歴史を一瞥すれば、それが幾つかの重要な点で言語に似ていることがわかる」として、「おそらく今日のすべての言語がひとつの樹から枝分かれしたように、宗教もひとつの樹から派生しているのだ」として、「総じてひとつの宗教は先行する宗教から信念や儀礼の核となるものを引き継ぎ、それに新しい要素を付け加える。その意味で宗教は合成された文化的創作物である」と述べています。
 そして、ユダヤ教について、「聖書は人々に生来備わる宗教行動の性質をきわめて効果的に刺激した」として、「トランスに代わって知的に満足できる方法、すなわち神と交流する預言者を提供することによって、超自然界に接触したいという人々の望みを満たしたのだ」と述べています。
 また、キリスト教に関して、「初期のキリスト教人口の増加を促した要素として、キリスト教の結束力と、教義に起因する高出生率のふたつ」を挙げ、「キリスト教の新しい信条には倫理的な魅力があり、彼らの相互扶助のネットワークはローマの行政より優れた社会事業や福祉を提供したので、教徒の数が増え始めた」と述べるとともに、出生率低下の原因である、女の赤ん坊を殺すことや堕胎、同性愛などが「キリスト教の信条によって禁じられた」としています。
 さらに、「キリスト教はもろもろの信仰と実践からなる複合体だ。それらすべてがひとつの宗教の伝統から引き出されたと考えるほうがおかしい」として、初期教会が、「おそらく新しい信者を獲得するために、他の宗教の信仰やシンボル、祝祭日などを利用した」ため、「4世紀にキリスト教は他の宗教から剽窃者と非難された」と述べています。
 また、イスラム教について、修正主義者が、イスラム教の起源を、「シリア・キリスト教の伝統に根ざす、アラブ・キリスト教帝国の信仰として始まった」と説明し、「帝国の主要建築物である岩のドームはキリスト教の礼拝の場であり、ビザンチンの三位一体論に反対し、神はただひとつであるというシリア・キリスト教の見解を説いていた」としていることを紹介しています。
 著者は、「3つの一神教の誕生を振り返ると、ひとつのプロセスがあるのは明らかだ」として、「歴史を通して、宗教は社会が変わるたびに生じる新しい要求に答えるために、何度も作り変えられてきた。そして、大きな文化的刷新がもたらすこの作り変えは、宗教行動を施行する性質という、きわめて柔軟な遺伝的枠組みの中で起きた」と述べています。
 そして、宗教は単なる文化の一要素ではなく、「民族や言語といった他の結束力のある力と重なり合うと、特別な力を持ち、社会をひとつにまとめる。宗教は社会の結束にとって不可欠となりうる。宗教なしで長期にわたって存続した社会はない」と述べています。
 第8章「道徳、信頼、取引」では、「古代や中世の社会では、宗教はほとんどすべての営み、とりわけ品物やサービスの交換に浸透していた」とした上で、「現代の経済においても、あらゆる経済取引の根幹である『信頼』を築く上で、きわめて重要な役割を担っている」と述べています。
 第9章「宗教の生態学」では、「多数の社会に性交のタイミングを定めた宗教規定があり、それらを定めた者に基本的な生理学の知識があったはずはないのに、最も受胎しやすい時期をかなり的確に捉えているものもある」ことや、イスラム教の一夫多妻について、ムハンマドが、「624年のバドルの戦いで多くの信徒の命を失った後、一夫多妻を法として定めた」といわれているとして、「女性の数が男性の数を上回る社会であれば出生率を向上させるだろう」と述べています。
 そして、「進化論的に見て、神が性行動に多大な関心を寄せることは完全に理に適っている。神の命じるルールは、共同体の人口規模をその時々の状況に合わせて調整する、強力な手段となっているのだ」と述べたうえで、「高い出生率を維持することは強力な人口戦略となる。人口の多い集団に脅かされている少数宗教にとってはなおさらである」としています。
 第10章「宗教と戦闘」では、「宗教は戦闘に対応して進化してきた。宗教によって人々は共通の目標に身を捧げ、味方のために躊躇なく命を投げ出すほどだった」と述べています。
 また、「世俗国家の実に驚くべき功績は、宗教的な働きかけをせずに戦闘で人々に命を投げ出させている点である」として、現代の軍隊が、「通過儀礼による精神的刺激や神託による導き、戦勝祈願の舞踏や楽園の約束なしに」、男たちを戦いに駆り立てていることについて、
(1)現代の軍隊にも儀式がある。
(2)現代社会に人間は原始社会に人間より規律に従わせやすく、まとまった戦闘部隊を形成しやすい。
(3)宗教における戦闘準備の中心である音楽と舞踏を取り入れて応用している。
等の点を挙げています。
 第11章「宗教と国家」では、「宗教行動は感情レベルで人と人を結びつけるため、他の社会的絆より強く人々を団結させるまた、言語や国の異なる大勢の人々をつなぐことができるので、その影響力は言語や民族より広い範囲に及ぶ」ため、「多くの人々が複数の言語を使う国」においては、「宗教は大きくはあるが相反する2つの役割を果たしてきた」として、「人々を結びつけることも分裂させることもできる」と述べています。
 そして、「アメリカには事実上、単一の宗教が広まっていて、人々を団結させていると考える論者もいる。その宗教には教会も聖職もなく、信者と称する者もいない。けれどもアメリカ人の日常生活にすっかり溶け込んでいるので、誰も改めて考えることはない」として、社会学者のロバート・ベラーが指摘した「アメリカ市民宗教」について、「アメリカは神の特別な恩恵を受けている、正しいおこないをするかぎりそれが与え続けられる」とするテーマがあるとしています。
 第12章「宗教の未来」では、「今も昔も宗教には社会全体の知恵が表れている。社会が生き残るために一人ひとりがどう振る舞うのが最適かという知恵だ」としたうえで、「進化の観点からみると、宗教にとって欠かせない知識は、進学ではない。道徳や軍事や生殖行動に関する実際的なルールである。それは、過去から現在に至る指導者たちが社会の存続に最も役立ちそうな指針とみなした知恵の結集だ」と述べ、「祈ったり香を焚いたりする宗教行動によって、人間社会の構造は何世紀も保たれてきた。それが全く無用のものになるとは考えにくい」としています。
 著者は、「宗教行動が進化した理由はひとつしかない――人間社会がより長く生き残れるようにすることだ」として、「宗教は、第二の転換期を迎えるべきなのかもしれない」と述べ、「そうした新たな形を取れば、道徳であれ、防衛であれ、共通の目的のもとに人々を結束させる従来の力を保ち続けるだろう」としています。
 本書は、宗教が持っている根源的な役割を考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 宗教は、科学としてはこれまで文化の一部としてアプローチされてきたのではないかと思いますが、生物学的な考え方を宗教の発達と結びつけた本書のアプローチは非常に面白いです。
 それにしても、進化論自体を否定したがる一部の宗教関係者にとっては、まさか自分たちの宗教自体が進化論的に分析されるとは思ってもいなかったでしょう。


■ どんな人にオススメ?

・宗教の必要性が理解出来ない人。


2011年11月21日 (月)

行ってみたい!と思わせる「集客まちづくり」の技術

■ 書籍情報

行ってみたい!と思わせる「集客まちづくり」の技術   【行ってみたい!と思わせる「集客まちづくり」の技術】(#2060)

  大下 茂
  価格: ¥2310 (税込)
  学陽書房(2011/02)

 本書は、「地域に眠っている独自の資源を生かして、地域の外からたくさんの人が訪れる、魅力あるまちをつくること」である「集客まちづくり」をテーマに、著者が携わっている豊富な事例の紹介を交えながら、まちづくりの手法を解説したものです。
 第1章「[知る]――集客が地域にもたらすもの」では、「集客まちづくりとは、地域の中に眠っている個性や魅力を見出して磨きを書け、多くの人々の気を惹き、人々を集める『地域集客商品』をつくり出すことで、地域全体の活性化を図る取り組み」だとしたうえで、
(1)企画次第で地域創発・地域主導のまちづくりを進めることができる
(2)地域で生み出した集客商品を売りに行く必要はなく、マーケットの側から出向いてくれる
(3)おもてなしの心を大切にすることで、大きな経済的効果も得られる
(4)"これっ"といった知名度のある資源がなくても、アイデアや工夫次第でどんなまちでも商品づくりの可能性がある
の4つの特徴を挙げています。
 また、地域にとって大切な指標である「人×時間」に「満足度」をかけ合わせることで、「次の『人』を呼ぶことに、そして『時間』を延ばすことにもつながって」いくと述べています。
 そして、事例として、「伝統的な街並みと大祭という2つの地域のお宝を誇りに、地方都市に蔓延している閉塞感からの脱却をはかり、周辺地域とも連携して、集客・観光・交流を通じた地域のにぎわいづくりに成功」している千葉県香取市佐原について、
(1)「江戸優り」の町並みが地域の宝に
(2)「自分たちが楽しむ祭り」から「魅せる祭り」へ
(3)「佐原おかみさん会」のおもてなし
(4)地域の記憶を辿る集客まちづくりの展開
の4つのポイントを挙げています。
 第2章「[診る]――自分の地域の診断の仕方」では、地域の課題を認識・共有できないケースとして、
(1)現状を正しくかつ客観的に評価していない、あるいは現状認識が明確になっていないケース
(2)将来目標・ビジョンが具体的かつ明確でない、あるいは地域で共有されていないケース
(3)現状認識や将来目標はきちんと見定めており、そのギャップが課題であることは認識しているものの、それを体系的に捉えられなかったり、どこから手をつけてよいか、わからなくなったりしている地域
(4)先進地域への視察、雑誌や新聞あるいはテレビで見た取組にを自分の地域に持ち込もうとするケース
の4点を挙げています。
 そして、地域を客観的に評価するための心構えとして、
(1)いろいろな立場から地域を見てみる
(2)「こんなものだ」と思い込まない・決めつけない
(3)近隣地域や全国の他の地域と比較してみる
(4)数値化(標準化・基準化)して比較する
の4点を挙げています。
 また、地域を評価するためのチェックポイントとして、
(1)心構え
(2)地域の個性・資源性
(3)資源の変化・多様性・連続性
(4)地域イメージ・空間の快適性
(5)地域のマネジメント特性
の5つのカテゴリーからなる11のチェックポイントを挙げています。
 第3章「[気づく]――地域資源のみつけ方・探し方」では、「地域の記憶を呼び起こすこと」が、地域資源を見つける第一歩だとした上で、「活字から得られた知識を背景に、今目の前に広がる佇まいや風景から、人々の暮らしの中で大切に育まれ継承されてきた地域の履歴や地域に対して慮る気持ちを感じ、人との対話の中から地域における固有の物語を知ることが大切」であり、「その佇まい・風景と物語とを『地域の記憶』の視点から紡ぐ」のだとしています。
 第4章「[構える]――構想・プランの描き方」では、構想・プランの意味として、
(1)これまで地域の中で行ってきたまちづくりに対する志や取り組みの姿勢、目論見などを整理しておくこと。
(2)この後に続く行動の方向性や行動の規範となるものとして取りまとめておくこと。
(3)補助事業の投入を含む様々な支援を得るための根拠となること。
の3点を挙げています。
 そして、現状から「目標像・夢」に向かう筋道である「シナリオ」に盛り込む要素として、
(1)目的
(2)目標
(3)対象
(4)手段・手法
(5)主体
(6)手順
の6点を挙げています。
 第5章「[企てる]――集客商品のつくり方・磨き方・売り込み方」では、「地域集客商品づくりには、『作り手側(地域側からの視点)』と『利用者側(市場動向・志向からの視点)』の両方からの視点を持って取り組む必要」があるとした上で、「集客商品づくり=素材×調理法×賞味法」の方程式を示しています。
 そして、地域素材から集客商品を作り出す手法として、
(1)トレンディ型加工法:マーケットの動向を先取りしたトレンディな商品をつくる
(2)合わせ技一本型加工法:風土・環境・伝統・暮らしぶりを商品に活かす
(3)アドバルーン型加工法:地域全体のイメージをつくりアピールする
(4)地域資源保全型加工法:地域資源を保存・保全する中から地域商品を見出す
の4つの手法を紹介し、「王道的な手法にとらわれず、幅広い思考で地域集客商品づくりにチャレンジ」すべきだと説いています。
 第6章「[広げる]――地域の魅力を維持し続ける方法」では、「集客力の陳腐化(低下)」を防ぐポイントとして、「訪れたいと思わせ続ける」ための具体的な手法として、
(1)再来の気持ちにさせる
 ・おもてなしの心と気配りをさり気なく展開する
 ・満足顧客に対してきめ細かく対応する
(2)再来の必然性をつくる
 ・一度にすべてを見せない、見られない仕組みをつくる
 ・継続して体験できる商品メニューをつくる
(3)再来することで得(実利)となる仕組みをつくる
 ・「地域のファン」になってもらい、特典や情報を与える
 ・リピーターには特典を与える
の3点を挙げています。
 第7章「[動かす]――まちづくりの組織のつくり方」では、まちづくりを推進するリーダーに求められる資質として、
(1)徳(哲学者)
(2)経済(経営者)
(3)実践(戦略家)
の3点を挙げた上で、まちづくりの哲学を具体化した知恵として、
(1)地域経営の視点
(2)自治体の既成概念にとらわれない柔軟な思考
(3)複眼的思考による「×(掛け算)」の発想
(4)シナリオに即した「集中的・モデル的・高率的な事業」の積極導入
の4点を挙げています。
 本書は、全国で同時並行的に進んでいるまちづくりの知恵がたっぷり詰まったお得な一冊です。


■ 個人的な視点から

 小説『県庁おもてなし課』などがヒットしたことで「観光」や「おもてなし」を核にして地域おこしに取り組む人たちが注目を浴びていますが、1年や2年で直ぐに効果が現れないこの世界ではじっくりと取り組んでいらっしゃる人たちがたくさんいます。観光地に行ったら、決して表舞台には現れないそういう人達の「痕跡」を感じ取ってもらえればと思います。


■ どんな人にオススメ?

・自分の住むまちを元気にしたい人。


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