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2011年12月

2011年12月26日 (月)

一冊でつかむ古代日本

■ 書籍情報

一冊でつかむ古代日本   【一冊でつかむ古代日本】(#2088)

  武光 誠
  価格: ¥756 (税込)
  平凡社(2011/7/16)

 本書は、日本の古代史の「大きな流れをつかむために最低限必要な重要事項」を取り上げて、丁寧に解説したものです。
 第1章「日本人の起こり――日本民族の原点とは何か」では、「旧石器時代の終わりとともに、日本独自の文化が芽生えてくる』として、「土器、磨製石器などを持つ新たな文化が、日本列島で生み出された」と述べています。
 また、縄文人が、「すべての人間が霊魂を持つと考えていた」だけでなく、「動物や植物、それにに人々が愛用する器物にも霊魂が宿るとされた」として、「縄文人は精霊崇拝に基づいて、自然を司る精霊のさまざまな祭祀を行った」と述べています。
 第2章「邪馬台国と大和朝廷」では、「銅鏡や銅剣、銅矛を祭器とする江南の有力な集団が、弥生時代中期のはじめに北九州に移住してきたのであろう。『魏志倭人伝』が記す邪馬台国時代の日本の習俗は、同じ時代の江南や江南の南方にある中国の海南島のそれと類似する」と述べています。
 また古墳の出現を、「新たな信仰の完成をあらわすものとみている」として、「首長霊信仰」と呼ぶべき、「現在の神道につらなる」信仰だと述べています。
 第3章「継体天皇から聖徳太子へ」では、「継体天皇の時代に、大和朝廷は大きく発展した」として、「単なる豪族の連合から、官僚制を持った中央集権国家への歩みを始めたのである」と述べ、「王位継承儀礼が、継体朝の前後に整備されていくことが指摘されている」としています。
 さらに、「聖徳太子の時代に、日本は大きく変化した」として、「太子の指導のもとに飛鳥文化と呼ばれる中国風の文化が、完成したのである」と述べ、「聖徳太子が初めて、紙を量産させた。支配層に漢字を学ばせて、中国の学問を身につけさせようと考えたのだ」と述べています。
 第4章「大化改新と東アジア」では、「大和朝廷では、有力豪族の合議によって重要事項を決定する形の政治が整えられていた」が、「大王、大臣などが強い指導力を発揮せねばならない場面もある」ため、「合議政治を原則とするが、必要な時は特定の人間に全権を委ねる」という調停の中央集権化が、6世紀から奈良時代開始直前まで行われたと述べています。
 そして、「大化改新のときには、反対者の声に耳を傾けずに強引に新制度を導入する実行力が必要だった」ために、「王家の嫡流を受ける者」という中大兄皇子の血筋がその企てを可能にしたとしています。
 第5章「壬申の乱と天武天皇の政治」では、天武天皇が即位時に、「中国皇帝と対等の『天皇』を名乗った。それとともに中国の下位に位置づけられた『倭国』の国号を廃して、『日本』の名称を対外的に用いることにした」と述べています。
 また、天武天皇が初めて、「天皇が全国の神社の、最上位の祭り手である。各地の神々は天皇に祭られることによって権威づけられる」とする主張を打ち出したとしています。
 第6章「平城京と天平文化」では、藤原京に、大和三山を始めとする多くの山や丘陵が存在し、「天皇が居住する内裏が、天香具山などの丘陵から、見下ろされる形」であるなどの多くの問題点があったことを挙げた上で、それ痛いして、「平城京がつくられた土地は開けた平地で、京内によけいな山や丘陵がなかった。しかも平城京は北方がやや高くなっており、内裏から街を見下ろす形のまちづくりができた」と述べています。
 第7章「仏教全盛と地方の開発」では、奈良時代の政争について、「貴族層がことあるごとに、二派に分かれて争った」のではなく、「貴族社会にとっての有害な人間の排除」にすぎないと述べています。
 本書は、日本の古代社会を概観させてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 歴史自体が時の権力者の都合によって色々と脚色されている所がある中で、現代から日本の古代の姿を遡って知ることはなかなか難しい点があるかと思いますが、それでも大枠の部分で理解できることは意義があると思います。


■ どんな人にオススメ?

・歴史の教科書以外の枠組みで日本の歴史を押さえたい人。


2011年12月25日 (日)

関東大震災の社会史

■ 書籍情報

関東大震災の社会史   【関東大震災の社会史】(#2087)

  北原糸子
  価格: ¥1785 (税込)
  朝日新聞出版(2011/8/10)

 本書は、「関東大震災の震災地東京の避難民の動きを追ったもの」です。著者は、東京を逃れた避難者を、地方の実家や親戚の家など故郷の人々が暖かく迎え入れたという点で、「関東大震災は被害地、東京・横浜の震災にとどまらなかった」としています。
 序章「メディアが捉えた震災」では、関東大震災が、震災当時、「大正大震災火災」とも呼ばれていたことについて、「この震災の本質を言い当てている」として、「地震の被害も大きかったが、それ以上に火災による被害で圧倒的に多くの人々が亡くなったし、多くの建物が失われ、莫大な損失を蒙った」と述べています。
 そして、「地震と火災に直撃され焼け爛れた荒野のごとき街々を流言に怯えながら歩きまわり、やがて1週間も経たないうちに故郷の実家、親戚の元に帰るという動きが大きなうねりのように展開された」と述べています。
 第1章「関東大震災の救護と復興計画」では、「焼け野原の東京を目前にして、巷間では帝都の移転が論じられた」が、「9月12日帝都移転の議論を封じる意味で帝都は変わらずに東京とする天皇の詔勅でひとまず世論を落ち着かせた上で、『帝都復興ノ議』の提案のなかから傍線を付した部分の臨時帝都復興調査会なる組織が具体化され、名称を帝都復興審議会と改め、9月19日、勅令418号帝都復興審議会管制が公布された」と述べています。
 第2章「震災地の罹災者・東京――救護の力」では、9月11日に東京市が公表した罹災人口調査について、「このグラフで分かることは罹災者が被害の少ない地域へ移動しているという事実である」として、「鉄道もやや整う段階であった10日過ぎには、罹災者は東京を出て続々と地方へ非難するという現象がおきていた」と述べています。
 また、「通常は治安維持に当たる軍隊あるいは警察が、救助をも担い、帝都の治安のみならず、緊急の災害救助が行われた」と述べています。
 第4章「地方へ逃れる避難民」では、震災地以外の各県における避難民への対応について、東京、横浜の罹災者が、9月3日以降、「公式に鉄道無料乗車が認められ、地震による損傷が少なく開通していた鉄道、あるいは提供された船舶などによって地方へ逃れた。その数は80万とも100万ともいわれる」と述べた上で、地方へ逃れた震災避難民を、
(1)地方へ逃れた避難民がどのように処遇されたのか。
(2)地方へ流れる避難民の流動状況をどのように把握したのか。
の2つの点から追っています。
 第5章「震災義捐金を活かす」では、「地域社会でまとまった労力を提供できる組織」として、
(1)青年団
(2)在郷軍人会分会
(3)愛国婦人会
の3団体を挙げ、「これら3団体は行政の統制下に震災救護の実質的担い手となったことがわかる」と述べています。
 終章「帝都復興計画の行方」では、後藤新平の周囲に、「帝都復興計画案の実際の線引きをした都市計画派の官僚たちがいた」として、「震災で焼け野原となった東京、横浜はまさにこの法律に基づく都市計画実施の好機と捉えられた」と述べています。
 また、「後藤が残したもう一つの行政上の革新」として、「社会局の前進となる救護課を内務省に設けるきっかけを作ったこと」を挙げています。
 本書は、戦前の大災害に対して、どのように人々が対応したかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 東日本大震災においても被災地からの避難者は相当数いましたが、交通網が整わない中で100万人が移動したというのは相当な影響があったのではないかと思います。館山の房州うちわなんかもそういうきっかけらしいですし。


■ どんな人にオススメ?

・震災があったらどうしようか考えている人。


2011年12月24日 (土)

失業と救済の近代史

■ 書籍情報

失業と救済の近代史   【失業と救済の近代史】(#2086)

  加瀬 和俊
  価格: ¥1785 (税込)
  吉川弘文館(2011/8/22)

 本書は、「失業について、近代日本がどのような経験を積み上げてきたのか」を、「政策担当者の立ちと失業者の立場の両側に視点をおいて」検討したものです。
 「戦前の失業問題の特徴」では、本書において、「失業統計では把握されなかった者の中にも実質的には多くの失業者がいた」としています。
 「第一次世界大戦と失業問題発生の予感」では、日本の人口が、「明治時代に入ってから急増に転じ、その人員増加年齢層が明治中期以降、いっせいに職を求める事態になっていた。職業を必要とすうる人々が毎年増加する中で失業問題の素地が確実に拡大していったのである」と述べています。
 「一九二〇年代~三〇年代初頭」では、「1919年までの大戦期と1932年以降の積極政策期という二つの景気拡張期に挟まれた1920年から1931年までの時期が、マクロ的に見て就職難の時代であったことが明瞭である。この時点で学校を卒業して求職せざるを得なかった人々の多くは満足な職業につくことができず、その後に好況に転じて以降も、あとから来たより若い世代に先をこされて、長く不安定な就業状況を続けなければならなかったのである」と述べるとともに、「資本家たちは失業給付政策に対しては全面的に反対した」理由として、「実利的な意味では企業負担が増えることに反対であったからであるが、理念的には『失業しても生活できる』というしくみを作ってしまえば、労働条件の悪い労働を低賃金で担う者がいなくなってしまうことを恐れたからであった」ことを挙げています。
 「失業者の生活事情」では、「当時の大都市では借家生活が大部分であって、労働者層で自分の家を所有しているものは親の代からの都市生活者の中の一部分に過ぎなかった」ため、「失業して定期的な収入がなくなると、借家大、部屋代が払えなく」なり、これが続くとその日払いの宿泊所=木賃宿に宿まることになり、さらには野宿=浮浪者化せざるを得なくなると述べています。
 「失業対策を模索する社会局官僚たち」では、「社会局官僚たちは欧州諸国の失業対策制度を日本的に修正・緩和して適用しようとする構想を持ち、財界の反発に応じてその構想を適度に圧縮し、産業界の容認する政策に改変して制度化していった」と述べた上で、「戦前日本の失業対策がほぼ失業救済事業に限定された背景には、日雇い失業者の暴動阻止に直接的な効果を持つことが確実な同事業には財界も反対することなく黙認の姿勢を継続し」たことがあるとしています。
 「失業対策構想と財界人の対応」では、財界人の失業対策観について、
(1)「景気の回復がなければ失業問題は解決しない」ので、「景気回復のためには企業をもうけさせなければならない」として、原則として失業対策はとるべきでないという主張。
(2)退職手当を支給している事例のように「企業は解雇者に十分配慮している」ため、「雇用者に関しては国家が関与すべきではなく企業に任せるべきである」とする主張。
の2点に要約しています。
 「冬期失業救済事業」では、失業救済事業の実施によって、公共土木事業が一般公共土木事業と失業救済事業とに二分され、政府は一般公共土木事業は極力抑制する方針を取り、「地方自治体の土木部としては、財源制約の下で一般公共事業を実施することが困難な場合、財源面で優遇措置のある失業救済事業の形式で事業を実施することになった」と述べています。
 しかし、「本来は大都市に堆積した失業者の救済を意図して開始された失業救済事業が、大都市失業者の要求賃金水準よりも国内及び植民地の貧困な自営業者の要求賃金水準のほうが低いという労働市場の特性の下で、後者の人々の流入を促す役割を果たしてしまった」とともに、「ピンハネを避けて賃金の全額を雇用者に渡す」という失業救済事業の原則に従って、請負人を認めなかったため、「請負人は以下の労務管理者が就労者を指示通りに働かせるという労務統括機能が存在しなくなったため、労務管理と賃金算定を巡る現場での争いが常時発生するようになってしまった」と述べています。
 本書は、近代日本において失業がどのように社会問題化したのかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 仕事をえり好みしなければ仕事なんかいくらでもあるという人もいますが、そうは言っても一度仕事に就くと簡単に他の仕事に転職しにくい社会においては、特に最初の就職にエネルギーを使ってしまうのはわかる気がします。


■ どんな人にオススメ?

・失業の不安を体験したことがない人。


2011年12月23日 (金)

ロボットは友だちになれるか―日本人と機械のふしぎな関係

■ 書籍情報

ロボットは友だちになれるか―日本人と機械のふしぎな関係   【ロボットは友だちになれるか―日本人と機械のふしぎな関係】(#2085)

  フレデリック・カプラン (著), 西垣 通 (監修), 西 兼志 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  エヌティティ出版(2011/6/16)

 本書は、ソニーで「AIBO」の開発に携わった著者が、「エンタテインメント・ロボットを生んだ日本の文化、さらにそれを暖かく迎え入れる日本の社会に対する、一種の憧れと共感」を語ったものです。
 第1章「当惑」では、「エンタテインメント・ロボットを研究するエンジニアが理解しなければならなかったのは、「ロボットとユーザーの間で生まれる関係性であり、このような機械が受け入れられるに当たっての文化的側面の課題だった」が、「このような課題は前代未聞のものだった」と述べています。
 そして、「エンタテインメント・ロボットは、日本以外では生まれなかったのではないか? テクノロジーをよく理解するには、文化との関係を理解せねばならない」と述べています。
 第2章「系譜」では、「今日、世界じゅうの何十もの研究所が行動主義的ロボット技術を開発している」が、「多くの研究者にとって、情報工学と人工知能に導かれた自立型ロボット研究の歩みは、『不毛地帯の横断』にほかならなかった」と述べています。
 第6章「愛着」では、「ペットは単なる代用品ではなく、教育することに喜びがあるのだ。ペットが成長するのを見ることで、飼い主が教育者としての能力を確認するのが重要なのだ」と述べたうえで、「『星の王子さま』の狐が言うように、『友だちになること』とは、『関係性を築くこと』だ。それは、一緒にいて楽しいとどちらもが思えるロボットといえるだろう。学習、成長、進歩することで私たちを驚かせたり、失敗することで笑わせてくれたりする」として、「このようなロボットが少しずつ、イヌやネコ、カナリアと同じく、社会の一員となっていくことは十分考えられる」と述べています。
 第8章「異境(1)」では、「東京を理解すること、そして、この街に慣れることこれこそが、日本人が自ら作り出した対象と築く、きわめて特殊な関係を理解する鍵だと思われる」と述べた上で、「一般的に言ってテクノロジーは、飼い慣らされるとしても、融合してはいけないわけだ。このような形での技術の固有化は、この国特有の歴史によるといえるだろう。こうしたテクノロジーへのアプローチは、明治時代に始まる政治的・イデオロギー的な計画にまで遡るものだ」と述べ、「日本人にとって、テクノロジーは、本質を保存するための手段に過ぎず、決して目的そのものや形而上学的な探求にはならないのだ」として、「こうして維持されたテクノロジーとの距離こそが、その存在を問題なく受け入れられるようにし、発展しやすくするのである」と述べています。
 第9章「異境(2)」では、「形式そのものを探求すること、人工物を通して作りなおすこと、人間と自然の間に関係性を織り上げていくこと。日本人の考え方のこれらの根本的な特徴が、ロボットが日本でこれほど受け入れられる理由だろう」と述べています。
 第10章「不完全性(1)」では、「自立した創造物を作り出そうとする芸術家やエンジニアのモチベーションは、何か?」という問いについて、「被造物は、不死を手に入れる手段であったり、みずからの言うことを聞く相手という幻想を満たしたり、あるいは理想の女性を手に入れるという望みを叶えるものであったりする。しかし、いずれの場合も、被造物の不完全性が魅力になっている」と述べています。
 第14章「魔術」では、「アレクサンドリアのヘロンのような古典時代のエンジニアにとって、魔術と技術は、分かちがたく結びついていた」とした上で、「エンジニアは、スペクタクルを放棄する必要はない。しかし、科学者にとどまるには、魔術師は創造物の働きを説明し、魔術の力がなくなったときにはタネを明らかにせねばならないのだ」と述べています。
 本書は、人間社会におけるロボットの意味を、日本と西洋を比較しながら読み解いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 一時期アイボ流行りましたけどこのシリーズの続きは出ないんでしょうか。ポストペットみたいな単純なソフトでもペットがいなくなってしまう時は寂しかったのを覚えています。


■ どんな人にオススメ?

・ロボットと友だちになれると思う人。


2011年12月22日 (木)

明治を支えた「賊軍」の男たち

■ 書籍情報

明治を支えた「賊軍」の男たち   【明治を支えた「賊軍」の男たち】(#2084)

  星 亮一
  価格: ¥880 (税込)
  講談社(2010/12/21)

 本書は、薩長が天下を取った明治の世において、「しぶとく生き残った幕臣」たちや朝敵とされた会津藩や南部藩から人生を切り開いた先人たちに光を当てたものです。
 第1章「渋沢栄一」では、土佐出身の岩崎弥太郎から手を組むことを持ちかけられた渋沢が、怒ってその申し出を断ったことについて、「渋沢と岩崎には決定的な違いがあった。渋沢に言わせれば、岩崎は薩長政権と結託した御用商人ではないか。自分は違う。痩せても枯れても幕臣の端くれだ。徳川慶喜公にお仕えした者だ。幕臣をなめてもらっては困る。そんな心境だった」と述べています。
 第3章「榎本武揚」では、若き日の榎本が、江戸昌平黌での成績が悪かったことから、長崎海軍伝習所の学生選考ではねられてしまったときに、なんとか潜り込む方法はないかと、幕府の大目付伊沢美作守の息子である友人の伊沢謹吾に頼み込んでコネで潜り込んだことを紹介しています。
 そして、後に箱館戦争の首謀者として捉えられた榎本を、敵将である黒田清隆が惚れ込み、頭を丸めて助命嘆願に務めたかいあって、2年反で釈放されたと述べています。
 第5章「山川健次郎」では、一度は白虎隊に入隊したものの体力がなく鉄砲を担げなかったことで14歳で除隊になった山川が、若松城落城後に、会津藩の戦いぶりを評価した長州藩参謀奥平謙輔の手引きで長州藩の江戸屋敷で勉強する機会を得ることができたと述べています。さらに、薩長以外の子弟からも海外留学させるべきとする北海道開拓使次官の黒田清隆の提案で、エール大学に留学するという強運の持ち主であったとしています。
 第6章「後藤新平」では、後藤を、「官軍、賊軍にこだわらない人だった。会津人のように徹底的に薩長と戦ったわけではない」として、「仙台藩の柔軟な気風が与って力があった」と述べています。そして、一言で言えば、「右でも左でも自由につきあい、イデオロギーにこだわらない数少ない人物だった」、「国民に愛された解明政治家であり、敵も味方にし、女性にも大に持て、いつも若々しく生きた人だった」と述べています。
 本書は、逆境をバネにできる人間の強さを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 内容とは全く関係ないのですが、榎本武揚の写真が映画『オズの魔法使い』のライオンに見えて仕方がありません。特に目元と鼻のあたりが。


■ どんな人にオススメ?

・人間万事塞翁が馬と思う人。


2011年12月21日 (水)

アメ横の戦後史―カーバイトの灯る闇市から60年

■ 書籍情報

アメ横の戦後史―カーバイトの灯る闇市から60年   【アメ横の戦後史―カーバイトの灯る闇市から60年】(#2083)

  長田 昭
  価格: ¥861 (税込)
  ベストセラーズ(2005/12)

 本書は、17歳で大阪から上京してきて以来、60年間アメ横で生きてきた著者が語るアメ横の歴史です。
 第1章「戦後日本の曙」では、昭和21年から23年ころにかけて、芋を原料にしたアメが驚くほど売れたことから「アメヤ横丁」の名がつき、昭和25年の朝鮮戦争では、アメリカの駐留軍兵士やPXからの流入品を取り扱ったことで「アメリカ横丁」とも呼ばれ、「アメ横」の通称が付いたと述べています。
 第3章「独立創業」では、「闇に隠れている物を表に持ち出して売買するという仕事は、そこにさらに才覚が加われば、実にべらぼうは儲けをもたらしました八百屋や魚屋、まともな商売をしている人を見て、何だこんなことしてていくら儲かるんだ、いい歳をして儲け方を知らないのかなどと嘯いたりもしました。若造の思い上がりです」と語っています。
 第4章「アメリカ横丁」では、「アメ横にしかないものがたくさんあった」ので、「アメリカ大使館は大事な客があると、接待のためのスコッチウィスキーを上野に買いに来ました。アメリカ大使館でさえ自由にならないものがアメ横にはあったのです」とした上で、「贅沢ではない、どうしても必要なものを探すプロフェッショナルな人たちもいました」と写真家の命であるフィルムの例を挙げています。
 また、本来は敵同士である「税関とアメ横」が、税関で押収された密輸品の競売があるときには、アメ横が持っている「価格とは別の商品価値を見分ける目、切った張ったの闇市で鍛えられた勘」を当てにして応援を頼まれたと述べています。
 第5章「変貌するアメ横」では、「昭和45年に外国製品の輸入自由化が広く進められて、闇で大儲けしてきたアメ横は様相を変えようとしていました。変えなければならなかったのです」と、長老たちの反対を押し切ってアメ横の近代化を進めたことを語っています。
 第6章「さらば、アメ横」では、「恥をかいても義理を欠いてもと覚悟して」アメ横第一世代が稼いだ金で何不自由なく育った二世たちは、父たちの「ハングリー」に思いも及ばないとして、「父を超える金を儲けた二世は一人もいません」、「父たちはその子たちをスポイルしてきたのです。私も同様です」と語っています。
 本書は、めまぐるしく変貌するアメ横を、「アメ横の生き証人」が語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 大晦日には必ずアメ横からの中継が入りますが、子供の頃はあれを見て、わざわざ混んでるのに買い物に行かないといけないなんて大変だな、と思ってました。昔はアメ横じゃないとモノがなかったり、高かったりということだったのでしょうが、今となっては、アメ横に行くのが楽しみになっているのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・年の瀬が近づくとアメ横に行きたくなる人。


2011年12月19日 (月)

日本の童貞

■ 書籍情報

日本の童貞   【日本の童貞】(#2082)

  渋谷 知美
  価格: ¥798 (税込)
  文藝春秋(2003/05)

 本書は、「童貞はいつから恥ずかしくなったのだろう。そして、どのようなロジックが童貞の『恥ずかしさ』を支えているのか」を戦前・戦後の雑誌記事の分析を通して読み解いたものです。
 第1章「『新妻に捧げる贈り物」としての童貞」では、「少なくとも、1920年代以前の民族社会には、童貞のいない時代・空間があった」として、「近代化の波をかぶっていない農村や漁村」では、「筆おろし」「ヒラキ」と呼ばれる「前近代的」な儀式が行われていたと述べています。
 第2章「童貞のススメ」では、1929年に浅田一という医師が発表した「童貞論」という文章について、「『貞淑な妻』『妻への貞節』『玉の様な男の子』という言葉が散りばめられた浅田の童貞主義〈結婚後は貞節主義)が目指すのは、『家庭』、貞淑な妻と健康な子どもとに囲まれて幸せに暮らす家庭である。幸福な家庭を持てるような未来を築くために今は我慢して童貞を守れ、と浅田はいうのだ」と述べています。
 第3章「貞操の男女平等の暗面」では、平塚らいてうが提唱した「花柳病男子結婚制限法」と「花柳病男子拒婚同盟」に対する批判について、
(1)ロジックも何もない感情的反発
(2)らいてう―晶子論争ですでに出ていた論点をくりかえすもの
(3)法に全体的効果がないことをもって、法の部分的効果をも黙殺しようとするもの
(4)運動主体が中産階級女性であることを指摘して、運動の価値を剥奪しようとするもの
の4つのグループに分けることができるとしています。
 第5章「『恥ずかしいもの』としての童貞」では、「1960年代なかばは、童貞に対する評価が『美徳』から『恥』へと変わりはじめる分岐点でもある」と述べた上で、戦後生み出された童貞言説の主なものとして、
(1)性風俗での童貞喪失をおとしめる「シロウト童貞」言説
(2)童貞喪失年齢を規範化する「やらはた」言説
(3)童貞をマザー・コンプレックス、包茎、インポテンツなどと結びつける病理化言説
(4)「童貞は見てわかる」とする童貞の可視化言説
の4つの言説を挙げています。
 第6章「シロウト童貞というカテゴリー」では、1980年代はじめに、性風俗で童貞を捨てることの是非を当言説が顕在化してくると述べた上で、「素人童貞という下位カテゴリーが生み出され、同時にそれがバカにされるのは、男も女も婚前交渉が可能になった時代――いわゆる「恋愛の自由市場」が成立した時代――ならではの現象なのだ」と述べています。
 第7章「『やらはた』の誕生」では、「1970年代以降の女性の『気持ち悪い』という非難をかわすべく、80年代から雑誌の地の文が『喪失理想年齢』をしめして(あやふやな医学的根拠とともに)童貞読者をせかし、90年代に入って、そうしたせかしを沈静化するようにして『あせるな』言説がさまざまな人の口から出てきたあというストーリーが描ける」と述べています。
 第9章「『童貞は見てわかる』」では、「とにかく男性がどのような振る舞い(外見)におよんでも、とにかく童貞と判断されてしまうときにはされてしまうことを、物語っている」とした上で、この言説の性質として、
(1)話者である女性が「神の目」を持つ者として登場していること
(2)「典型的な童貞像」なるものを生み出したこと
の2点を挙げています。
 第10章「童貞の復権?」では、「80年代以降の、童貞に好奇の視線を注ぎ、童貞であることに恥じらいを覚えるような」社会について、
(1)恋愛とセックスが強固に結びついている社会
(2)「正しい童貞喪失」の基準が設けられた社会
(3)基準から外れた童貞は、その「原因」が追求され、「病人」として扱われる社会
(4)男性が女性に値踏みされる社会
の4点を挙げています。
 本書は、「童貞」を切り口に現代が恋愛とセックスに対してどのような価値観を持った社会なのかを読み解いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 戦前と戦後では用いられ方や意味合いが異なってくる言葉は多く、「変態」という言葉も昔は真面目な意味合いでした。そういえば、大正期の「変態真理」の第一人者だった中村古峡の記念病院が千葉市にあったりします。


■ どんな人にオススメ?

・現在の常識が昔から変わらないものと思っている人。


2011年12月18日 (日)

似せてだます擬態の不思議な世界

■ 書籍情報

似せてだます擬態の不思議な世界   【似せてだます擬態の不思議な世界】(#2081)

  藤原 晴彦
  価格: ¥1,575 (税込)
  化学同人(2007/1/20)

 本書は、「その不思議な世界を分子生物学的な手法により解き明かしてみたい」という思いから擬態の研究を始めた著者が、「擬態をつくりだすしくみ」を解説したものです。
 第1章「だまし・だまされる生きものたち」では、「虎の威を借るように、『毒チョウのように自分も毒をもっていますよ』という偽の信号を発信して、まんまと鳥から逃れる作戦」のタイプの擬態である「ベイツ型擬態」について、
(1)モデルが強いキャラクターを持っている
(2)そのモデルが外から見て一目でわかるような、何らかの特徴を持っている
(3)そのモデルに似せてあやかろうとするものがいる
の3点を成立条件として挙げています。
 次に、「同じ毒チョウの仲間なのに、似たような文様をしている別種が複数いる」というように、「お互いに似ることによって、食べられるリスクを減らしている」という「ミューラー型擬態」を取り上げています。
 著者は、擬態の種類を、
(1)標識型擬態
(2)隠蔽型擬態
の2つに大別した上で、「標識型擬態には、赤や黄色の警戒色が含まれる。いろいろな動物の体表にある目玉模様は、相手を威嚇するためなどにも使われる。また、擬頭の擬態、鳥の糞の擬態なども捕食者に錯覚を起こさせるものであるから、偽情報をはっきりと受信者に伝えなくてはならない」と述べています。
 さらに、隠蔽型擬態と標識型擬態が、いずれも「捕食者から逃れるテクニック」であるのに対し、「捕食するための手口としても、この2つの擬態は使われる」として、「何かに似せて相手をおびき寄せて食べてしまおう」という擬態である「ペッカム型擬態」もしくは「攻撃型擬態」を取り上げています。
 第3章「紋様をつくりだすしくみ」では、「紋様がどのようにできるのかというメカニズム」として、
(1)豹柄の模様をつくるしくみ――数理生物学的アプローチ
(2)チョウの翅に紋様をつくるしくみ――分子生物学からのアプローチ
の2つのアプローチを取り上げています。
 第5章「アゲハに見る擬態の不思議」では、「アゲハチョウ科の成虫の特徴は、大型の翅に尾状突起という尾がついていることである」とした上で、「可能性の一つは突起を触覚に見せかけ、あたかも後方に頭部があるようなカムフラージュかもしれない」と述べ、「このような『尻を頭にする戦略』は多くの昆虫に見られる」と述べています。
 また、アゲハの幼虫が、「四齢(3回脱皮した)幼虫までは鳥の糞の姿をしているが、4回目の脱皮をする際に、まわりの柑橘類の葉の色に似た全身緑色の幼虫に変身する」ことについて、「脱皮のプロセスで全身の紋様をこれほど大胆に切り替える幼虫は珍しい」と述べたうえで、「幼虫紋様は、体表になる一層の表皮細胞の外側の皮(クチクラ)に描かれて」おり、「紋様を描くのは新しいクチクラをつくる脱皮の時期と考えられる」ため、「紋様の描き方を知るためには、皮の作られ方を知らねばならない」と述べています。
 第7章「視覚以外の五感でだます」では、「人間界での擬態戦略は、何を目的として、どのような情報操作によって、誰を騙すかは、きわめて多様であり、『五感』のすべてを駆使しうる点で、自然界での論理を超越している部分がある」と述べています。
 第8章「分子も擬態する」では、「免疫システムの根幹となっているのは、『自己と非自己』の識別」であり、「微生物やウイルスが侵入した宿主の中で増えるためには、この識別システムをできる限り、くぐり抜ける必要がある」として、「人間にとって最も厄介なのはこのような輩であり、おそらく現在難病と思われる感染症の大半は、巧妙な『だまし』のテクニックを使っているに違いない」と述べています。
 本書は、動物に限らず、人間にとっても重要なテクニックである「擬態」の仕組みを解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 昆虫の擬態から人間の詐欺まで一冊でつなげてしまう展開はやや強引ではあるのですが、そうすることで、昆虫の世界の「戦略」を身近に感じて欲しいのだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・虫の世界も大変だと思う人。


2011年12月17日 (土)

哀史 三陸大津波---歴史の教訓に学ぶ

■ 書籍情報

哀史 三陸大津波---歴史の教訓に学ぶ   【哀史 三陸大津波---歴史の教訓に学ぶ】(#2080)

  山下 文男
  価格: ¥1,890 (税込)
  河出書房新社(2011/6/17)

 本書は、三陸の津波研究者である著者による『哀史三陸大津波』(1990)を底本として、東日本大震災を機に復刊されたものです。
 著者は、東日本大津波の被害を、「実際には観光への否定的影響を考えすぎて住民への津波防災教育を中途半端、乃至は軽視してきたことが大被害の背景としてまず問題になる」と指摘しています。
 第2章「明治二十九年の大津波」では、三陸沿岸の人々が感じた震度がわずか2~3のゆるやかなものであり、旧暦の菖蒲の節句にあたっていて祝宴が挙げられたりしているところに「全くの不意打ち」で大津波が襲来したと述べています。
 そして、「被災地の三陸沿岸一体は電信が普通になったために、これを知らせる中央官庁や新聞社への第一報は、すべて16日(翌日)の電報であった」ため、東京の新聞で初めて報道されたのは2日後の6月17日だったと述べています。
 また、大津波の後、「防波堤や防潮堤は別としても、民家の異動は、当時としても不可能なことではなかった」が、「実際は、その家と親や子、兄弟を津波にさらわれた元の家跡(屋敷)に次々と家が再建され、多くの町村で、津波前とほとんど同じような集落が同じ場所に再興されていった」と述べ、その理由として、
・漁業を営むための便宜
・「先祖伝来の元屋敷」への愛着
・ままならぬ土地問題
・津波は天の定め
・公的推進性の欠如
などを挙げています。
 第3章「昭和八年の大津波」では、被害戸数に比して人命被害が少なかった理由として、
(1)事前の地震が大きかった
(2)生きていた前の津波の体験と教訓
(3)波勢の違い
の3点を挙げています。
 そして、小学3年生だった著者自身がこの津波を体験した際に、「父は時折、振り向いてこちらに声をかけるが、手で引いてくれるわけでもなく、いわゆる『てんでんこ』(注=人のことなどめんどうみていられないの意)の実践者で、ただ一目散に逃げるのみであった」として、15歳で前の津波にさらわれ、竹藪にしがみついて助かった経験から「無理も無いこと」だが、後に母にはその「非情」を笑われたと述べています。
 また、三陸沿岸では、昭和8年の大津波の後、「復興、防災事業によって岩手県だけでも役3,000戸が高所に移転し、護岸、防波堤、防潮堤などと併せて村々の様相が各地で一変した。これは幾万、幾千の命と家を呑んできた津波との凄絶な格闘の歴史に、人間の根気と知恵を示す画期的な一ページであった」と述べています。
 本書は、東日本大震災の記憶が鮮やかな今のうちにこそ読んでおきたい一冊です。


■ 個人的な視点から

 東日本大震災をきっかけに復刊した名著です。明治以降の資料を丹念に調べるという研究スタイルのため、著者の他の本を読んでもだいたい似ているような気がしますが、とりあえずどれか一冊読んでみるといいです。
 今月13日、著者の山下さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。

■ どんな人にオススメ?

・今回の津波を忘れてはいけないと思う人。


2011年12月11日 (日)

地震の日本史―大地は何を語るのか

■ 書籍情報

地震の日本史―大地は何を語るのか   【地震の日本史―大地は何を語るのか】(#2079)

  寒川 旭
  価格: ¥861 (税込)
  中央公論新社増補版 (2011/05)

 本書は、「多くの人たちが、自分の住んでいる地域で起きた地震を知るのが、将来の地震に備える第一歩。過去の地震を総覧してわかりやすい形で紹介できないだろうか」という思いから、「地震考古学」の成果を元に、「縄文時代から現代に至るまでに日本列島で発生した大きな地震を網羅」したものです。
 第1章「縄文時代~古墳時代」では、「考古学の伊関で初めて地震の痕跡に出会った」著者が、「各地の遺跡で地震の痕跡を探し始め」、1988年に日本文化財科学会と日本考古学協会で、新しい研究分野として「地震考古学」を提唱したと述べています。
 第2章「飛鳥~平安時代中期」では、『日本三代実録』に、「869年7月13日(貞観11年5月26日)の夜に陸奥国で大きな地震があり、倒れた人々は起きることができず、あるいは家が倒れて圧死し、地割れに埋まって死に、城郭倉庫・門櫓垣壁が無数に崩れ落ち、海水が怒涛となって多賀城の城下まで押し寄せ、溺死者が1000人ばかりなどと書かれている」ことについて、仙台市や相馬市の海岸から数キロ内陸の地点で津波の堆積物が確認されていることや、仙台平野において海岸から2~3キロまで津波が遡上したことなどが明らかになったと述べています。
 第3章「平安時代後期~室町時代」では、「文字記録のない時代は、地震痕跡から推定するだけであるが、第1章で紹介した地震痕跡の中で、南海地震や東海地震によると考えられる事例がある」とした上で、「最近では、ピストンコアなどで津波堆積物を採取して、過去の津波を研究する分野が盛んになっている」と述べています。
 第4章「安土桃山時代」では、秀吉の手紙に「なまず大事」という表現があることについて、「この手紙が地震とナマズを結びつけた最古の資料である」と述べています。
 第5章「江戸時代」では、1683年の日光付近の地震によって、日光から20キロ北北東にそびえる戸板山の山体が大音響とともに崩れ落ち、男鹿川と湯西川の合流地点を埋めたことで、「出口を失った水は巨大な湖に膨れ上がり、会津西街道の要所だった五十里宿を水没させた」と述べています。
 また、1703年の元禄関東地震では、「房総半島北東端の犬吠埼から伊豆半島南端の下田に至る範囲は津波に襲われ、安房小湊近辺で570軒、御宿で440軒、下田で500軒近くが流された」と述べています。
 さらに、1792年5月21日に島原で起きた地震では、標高700メートルに及ぶ普賢岳前山の南東部で「幅1キロの範囲が崩れ落ち、土塊が島原城下町を巻き込みながら有明海に流れ込んだ」として、「有明海に流れ込んだ土塊は海水を圧迫し、対岸に当たる肥後藩の海岸を襲う大津波となった」と述べ、この島原藩で1万余、肥後藩で4千数百の命を奪った大惨事が「島原大変肥後迷惑」と呼ばれたとしています。
 第6章「江戸時代末期」では、『稲むらの火』のモデルとなった濱口儀兵衛の逸話について、この話に光を当てたのが小泉八雲であると述べています。
 また、1855年の安政江戸地震について、自身の直後に、「神の御使としての大鯰、それを抑制する鹿島神社の要石、庶民の気持ちを代弁する鯰男」などが登場する「鯰絵」が登場したとして、「吉原の遊女たちが鯰を懲らしめている絵、大鯰が地震の復興作業で潤った大工・左官たちに小判を与える絵、逆に、彼らから鯰が接待を受けている絵など自由奔放である」と述べ、「鯰絵は瞬く間に爆発的な人気を呈したが、幕府に版木を没収されたため、3ヶ月ほどで姿を消した」としています。
 第7章「近・現代」では、1914年の関東大震災で、茅ケ崎では、地下に埋まっていた鎌倉時代の橋脚が、水田を突き破って浮上したとして、「地震に伴う液状化現象によって、比重の小さな木の柱が浮き上がったのである」と述べています。
 終章「21世紀の地震」
では、「日本の歴史を振り返ると、この国が絶え間なく大きな地震に見舞われ続けたことがわかる」として、「都市化が進んだ地域では、開発によって地形が改変され、池や川や海を埋めた場所でも、ほとんどの人が知らずに住んでいる」ことを指摘しています。
 本書は、日本に住む以上避けられない地震とどうやって付き合っていくかを考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 震災直後に東北に行ってみて初めて津波の怖さを知った気がします。全くの陸地があっという間に転げ落ちるように海の中に沈んでしまった跡を見ると、どんなに頑丈な建物もはかないものだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・日本でこれから生きていきたい人。


2011年12月10日 (土)

キャッチフレーズの戦後史

■ 書籍情報

キャッチフレーズの戦後史   【キャッチフレーズの戦後史】(#2078)

  深川 英雄
  価格: ¥550 (税込)
  岩波書店(1991/11/20)

 本書は、「敗戦後46年間の代表的なキャッチフレーズを時系列的に取り上げ、それらのキャッチフレーズが、どんな時代背景から生まれ、時代の空気をどう繁栄してきたか、また、その時代に、どんな社会的影響(良きにつけ悪しきにつけ)を及ぼしてきたか」を追ったものです。
 第1期「敗戦から戦後復興へ」では、昭和20年の「世界の聲を聽け」という異例の広告コピーには、「世界の声から遮断され、天気予報さえ禁止されていた暗い時代からの解放の喜びと、ある種の気負いが溢れている」と述べています。
 第2期「家庭電化と消費革命」では、昭和28年の「セイコー舎の時計が正午をお知らせいたします」というテレビCM第一号について、「フィルムが裏返しに放送され、音声もでず、わずか3秒足らずで放送を中止してしまった」と述べています。
 第3期「高度成長とモーレツ時代」では、「ファイトでいこう!」「大きいことはいいことだ」「ガンバレ! 大正生まれ」などといった威勢のいいキャッチフレーズが登場したのもこの頃だと述べています。
 また、昭和44年のネスカフェゴールドブレンドのCMでは、「従来のものとは味も香りも違う高級なインスタント・コーヒーを、日本のマーケットに定着させるにはどうすればいいかという課題を解決するため」に「違いがわかる男のゴールドブレンド」というフレーズが開発されたと述べています。
 第5章「『国際化』と『成熟化』」では、「『生活者』と名を変えた消費者は、モノつまりハードではなく、モノがあたえてくれる生き方や生活の仕方を求めるようになった。それも、『量よりも質』、『均質なものより個性的で多様なもの』を、である」と述べています。
 そして、「いま、広告の受け手は、一方的に発射されるメッセージをただただ素直に受け入れ、商品を買いに走るロボットではない」として、「『広告だから』という殻に閉じこもって、大仰な言葉による非日常コミュニケーションに明け暮れる、そんな甘えや特殊事情は通じなくなっているのである」と述べています。
 本書は、戦後の広告をキャッチフレーズで振り返った一冊です。


■ 個人的な視点から

 キャッチフレーズという言葉は何やら軽薄な雰囲気がつきまといますが、時代を映しているとすれば、軽薄な時代には軽薄なフレーズが、重い時代には思いフレーズがついてくるのだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・時代を代表する言葉を知りたい人。


2011年12月 9日 (金)

ニッポン居酒屋放浪記

■ 書籍情報

ニッポン居酒屋放浪記   【ニッポン居酒屋放浪記】(#2077)

  太田 和彦
  価格: ¥1,545 (税込)
  新潮社(1997/01)

 本書は、「自分のことを誰も知らない地方の酒場」で、「何も知らずに入った店が良かった時の嬉しさ」を探しに全国の居酒屋をめぐったものです。
 「大阪でタコの湯気にのぼせる」では、「古いということは客が途絶えず続いてきたわけで、それは良心的な店だからだろう。また場末であればこそ、開発云々の波から逃れ昔の建物のまま残る。表通りでないからフリの客より近所に住む人を大切にし、アコギな商売はできない」とした上で、「肝心なのは、古い店には長年かけて主人と客が作り上げてきた独特の雰囲気があることだ」と述べています。
 「松本の塩イカに望郷つのり」では、松本特有の塩イカについて、「最も一般的なお惣菜で小イカの腹に塩を詰め込み下足で蓋をした塩蔵保存食だ。切手水で塩出しし、きゅうりもみと和え醤油を少しかけて食べる」と述べています。
 「静岡の黒ハンペンにむせび泣く」では、「居酒屋はどんな名酒珍味を出しても、この、人の心を温もりで包む気持ちがなければなんにもならない」と述べています。
 「松山でカメノテをおびえ喰う」では、「自分の家は建て替えても、なじみの店は昔のままであって欲しい。客は勝手なものだがその気持ちは分かる。それは昔の自分をそこへ残しておきたいからなのだ」と述べています。
 「房総にセグロイワシの背が光る」では、「地方の漁港を訪ね、その地の居酒屋に入り、とれたての刺身で一杯やるのは酒呑みの憧れだろう」が、「漁港には居酒屋があまりなく、たいていはスナックでブランデーかショーチューのボトルを開け、真紅のソファに腰を下ろしママさんとカラオケを歌う」と述べています。
 そして、御宿の「船勝」では、「キンチャクガニを叩き、すり鉢でよくすりつぶしてザルでこし、味噌汁やすまし汁に注ぎ入れ」て、かき玉のように固めた「かにこし汁」に舌鼓を打っています。
 「鳥取のラッキョーは歯ごたえせつなく」では、「山陰の知らない町にやってきて一日あてもなくうろうろした。旅は他人の日常を眺めるときでもある」として、「この町にも大勢の人が生き、自分の人生を持っていた」と述べています。
 「青森のタラの白子は精がつく」では、「私は居酒屋にうるさい。『いい酒、いい人、いい肴』を居酒屋三源速と称しそのバランスを重んじる」と述べています。
 そして、「男には孤独願望、漂白願望、もっといえば零落願望があるのではないだろうか。栄達や幸福を自ら遠ざける気持。女性には判らないかもしれない。わずわらしい世間や人間関係から逃れ、自分の名も肩書きも一切捨て知らない町へ身をひそめる」と述べています。
 「釧路の毛ガニは毛深かった」では、「ホッケやじゃが芋を目の前で焼いて出す炉端焼は居酒屋の一ジャンルとして日本中に定着し発祥は北海道という」とした上で、「炉端のルーツは開拓時代の生活にあるのではなかろうか」として、「炉端は風土に根ざし、そこの人々に本能的な安心感を抱かせるものだ」と述べています。
 本書は、自分も旅先の居酒屋に飛び込んでみたい気持ちにさせる一冊です。


■ 個人的な視点から

 遠くに旅行に行ったときに、まず行ってみたいのが地元の料理が食べられる居酒屋。ホテルのフロントに話を聞いてから行ったりしますが、金沢で呑んだ「菊姫」、富山で食べた白海老とか美味しかったです。やっぱり地元のものを食べたいのです。


■ どんな人にオススメ?

・旅に出ると美味しい酒を飲みたい人。


2011年12月 8日 (木)

「時」の国際バトル

■ 書籍情報

「時」の国際バトル   【「時」の国際バトル】(#2076)

  織田 一朗
  価格: ¥724 (税込)
  文藝春秋(2002/06)

 本書は、「人類は『時』をどのように知り、どのように計ってきたのか――、その歴史を辿り、さらに日本人の『時』に対する感覚と、現代の『標準時』を巡る国際的な戦いの現状」を解説するものです。
 第1章「『時』を計る 『時』を知る」では、「1月から始まる暦の一年を使っていながら、4月から始まる年度を併用する」理由として、「イギリスの制度に倣ったもので、イギリスではグレゴリオ暦を採用するまで、新年は3月25日に始まる暦を採用していたが、世界の暦を導入してからも、財政上の一年には4月から始まる会計年度が残ったため」だと述べています。
 また、秒以下の補助単位について、「時計の計測技術の進展で暫定的に使用されていたものが次第に定着したと推測できる」と述べています。
 第2章「時計進化論と残された謎」では、時計の針が右回りである理由として、「人類が初めてつくった時計は太陽の影の位置で時刻を知る日時計に始ま」り、「その文字盤が奇怪次代に受け継がれたものと考えられる」と述べています。
 また、時計の文字盤の4時が「IV」の代わりに「IIII」と書かれている理由について、14世紀にフランスのシャルルV世が、「自分の称号と同じVからIを引くのは、何か自分の治世はすぐに終わってしまうかのようで縁起が悪い」として、「IIIIに改めさせた」ためだと述べています。
 第3章「文明と時間制度はまるでシーソー」では、「時間制度への要求が社会的に高まったのは、精度の誤差が重大事故に直結する海運、鉄道など交通分野だった」と述べ、一般の日本人が生活の中で「分」の単位を意識するようになったのも明治期の鉄道の開通だと言われていると述べています。
 第4章「時間感覚で分かるお国柄」では、「日本人は、『せっかちなのは民族としての生来の特質』だと自分たちで思い込んでいるのだが、実は昔からアクセクしていたのではなかった」と述べています。
 本書は、時間に関するコネタが詰まった一冊です。


■ 個人的な視点から

 家から駅まで5分くらいかかるのですが、朝、通勤のために家を出るときに、秒単位(30秒単位くらいか?)で電車に間に合うか間に合わないかがわかってしまうというのは、それはそれであまり幸せでないような気もします。


■ どんな人にオススメ?

・自分は時間に縛られていると思う人。


2011年12月 7日 (水)

定食学入門

■ 書籍情報

定食学入門   【定食学入門】(#2075)

  今 柊二
  価格: ¥756 (税込)
  筑摩書房(2010/01)

 本書は、「男たちの『心の基地』ともいえる」定食の楽しさと魅力を伝えようとするものです。
 第1章「素晴らしい定食屋にいこう!」では、「定食上級者になるためのまとめ」として、
(1)店内が見えないときは、メニュー情報をチェックすべし。安めはやや安心
(2)やさしいサービス精神は、ちょっとした工夫にあり
(3)商品見本が食品サンプルでなく、その日につくった「生」であるとはずれが少ない
(4)人の流れにも注意。サラリーマンや近所に住むようなおじさんが入って行くなら期待大
(5)客がマナーを守って喫煙している店は「大人度」が高い。寛容の精神も必要
の5点を挙げています。
 第2章「揺れる男心が決断する『おかず』」では、「煮魚は、年齢を重ねると、その美味しさが身にしみてくる」とした上で、「『煮物』も子供の時はほとんど見向きもしなかった料理」だが、「実家を離れると、これが妙に食べたくなってきて、煮物定食があると不思議と進んで食べてしまうものなのだ」と述べています。
 第3章「独身男のライフライン発展史」では、江戸について、「定食史を紐解く上で肝心なのは、この大都市が男だらけだったことである」として、「江戸八百八町に大量の『食難民』があふれていたことは想像に難くない。外食のできる店は重宝されたのだ」と述べています。
 明治期には、「軍隊生活で洋食のうまさを覚えた人々が除隊後、その味を再び堪能したいという思いから、家庭で再現したり、さらには飲食店で注文したりするようになっていった」と述べています。
 さらに第二次大戦後、「深刻な食糧不足だった日本に、占領軍である米によって、対日食糧援助が開始」され、「日本人の食生活に大きな影響を与えたのは『小麦』の供給だった」として、給食におけるパン食と、小麦粉に一手間加えて食べる発想の確立だと述べています。
 第4章「全国の『心の基地』を訪ねて」では、秋葉原について、「牛丼専門の『サンボ』などは伝統ある個性的な店だ」と述べています。
 第5章「定食学徒誕生の記」では、「現代において危険なのは、同じ食品をずっと食べ続けることではないか」として、定食は、「食のリスク回避に繋がるのだ」と述べています。
 本書は、何気なく食べている定食の楽しみ方を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 最近は、250円で食べられる牛丼屋さんがあったりするので、1000円の定食を食べるのには相当な勇気が入りますし、もしかするとワンコインでも高いと感じてしまうのかも。普段、お昼の食費がカロリーメイト半分(79円相当)の我が身にとってはどれも高く見えたりします。


■ どんな人にオススメ?

・定食を食べるとほっとする人。


2011年12月 6日 (火)

ヤミ市幻のガイドブック

■ 書籍情報

ヤミ市幻のガイドブック   【ヤミ市幻のガイドブック】(#2074)

  松平 誠
  価格: ¥680 (税込)
  筑摩書房(1995/07)

 本書は、「一口にヤミ市といっても、時期と場所によって様々な姿がある。半世紀経った今日、その実態にはわからないところがたくさんある」として、「貧しく生き抜いていた敗戦後の盛り場」を探訪したものです。
 第1章「望遠レンズで見るヤミ市」では、「郊外へのターミナル駅に繋がる新宿、渋谷、池袋には巨大なヤミ市ができ、都心に近い有楽町には飲食店が立ち並んだ。また、新橋と上野広小路とには、後に述べる特殊な条件があり、ともに独自な展開を遂げている」と述べた上で、新宿が大きなヤミ市を抱えるようになった背景として、「後背地として、JR中央線、私鉄小田急、京王(現在名称)沿線に戦前から形成されていた住宅地が、戦後さらに膨張したことがあげられる」上に、「新宿に限らず、東京でもっとも不足していた食料品を供給する後背地と結びつく鉄道駅は、ヤミ市の供給基地としての役割も果たしていた」と述べています。
 そして、「新宿、池袋などのヤミ市が、かなり統制のとれた『組』組織のもとで運営されているのに対し、渋谷は『組』の勢力が入り乱れ、まとまりがないままにヤミ市が出現している」と述べています。
 また、上野のアメ横の誕生について、「1947年秋、東京都が管理していたこのガード下の道路を、まとまった露店街として借り受けたのは、なんとなんと『下谷引揚者更生会』という引揚者団体である。『組』の人々のような戦前からの香具師ではない全くの素人が、ガード下の西側道路に沿って、30余個のコマ割りをし、このうち20余コマを引揚者会会員に充当し、3、4人で1コマを共同するという露店街を作るのである」と述べています。
 第2章「覗きこむヤミ市」では、「新宿をはじめ、新橋、浅草、上野、渋谷などに出現したヤミ市は、露天の次がヨシズ張りである」が、後に、「ヨシズと屋台の組み合わせで店らしい体裁」が出来上がり、「ヨシズのまわりに柱が立ち、そのうえさらに、ヨシズの簡易な屋根というか、日よけがかけられる。さらに、わずかの期間をおいて、ベニヤの板壁になり、屋根がつく」と述べています。
 そして、「東京でのヤミ市の多くは、新橋西口や新宿東口のように、鉄道駅付近の強制疎開の跡地か、戦災の跡地に作られたものであった」が、当時の行政と警察は、「土地使用権も帝都復興のため」というお墨付きを与えて積極的に関与しているものも少なくないと述べています。
 著者は、「ヤミ市は、都市としての機能を全て失った日本の都市の中で、それでも都市の人々の生活と欲求とが必然的に生み出したエネルギッシュな存在だった」と述べています。
 第3章「ヤミ市にひしめく人々」では、「ヤミ市を管理するテキ屋のシステムは、あくまで出店者を一時的に保護し、同時にその日その日で日銭を稼ぐ方式で、土地に長く住み着くための配慮などは一切ない。だから、出店者の方も、一方では『組』の若者の横暴に辟易しながらも、他方では日々縄張りの外から加えられる暴力や警察の手入れに対する保護を『組』に期待するとともに、その範囲の中で、互いの生活を共同して守っていかなければならなかった」と述べています。
 第4章「ヤミ市料理のレシピ」では、「戦後日本人の国際的とも言える食生活は、この当時のヤミ市に端を発している」として、「戦後のヤミ市には、これまで日本人が口にしたこともない国際的なメニューが登場し、東京人の食生活は、一挙に広がった」と述べています。
 そして、「ヤミ市でもっとも目新しい食べ物の一つは、在日韓国・挑戦の人々が創りだした料理であった」として、「現代ではすっかり日本化してしまったモツ」を挙げ、「日本の民衆は、第二次世界大戦前まで、動物の肉を食卓に載せることがほとんど無かった」として、「どんぐりやザリガニと同列で、とことん嫌われてきた臓物が、忽然と戦後のヤミ市に登場した」と述べています。
 また、「戦後すぐのアルコール飲料といえば、すぐに思い浮かぶのがカストリとバクダンである」として、「米やさつまいもなど手当たり次第の原料で、素人手作りの釜で蒸留した速成品」であるカストリと、「燃料用のアルコールを主体にして薄めたもので、呑んだ途端に胃が燃え上がり、破裂するほど強烈だというので、この名が付いた」バクダンを紹介しています。
 第5章「太陽の下のヤミ市」では、「飛行機の材料になるはずのジェラルミンが匙や弁当箱となり、ジェラルミンのフライパン、アルミの茶碗や盆など、不思議なものが次々と工場から生み出され、たちまちヤミ市に現れた」と述べています。
 第6章「新宿ヤミ市・死のシナリオ」では、「ヤミ市の呑み屋は、死と隣り合わせである。1946年には、占領軍が、兵士をメチールで死に至らしめたものは死刑、という通達を出している」と述べています。
 第7章「焼け跡再興のプロデューサー」では、「東京のヤミ市を仕切っていたのは、『組』組織である」として、ヤクザや暴力団との違いとして、
(1)駅前の焼け跡にいち早く手をつけたのは、多くの場合、香具師(ヤシ)またはテキ屋と呼ばれ、縁日や夜店を仕切っていた露天商の組織である。ヤクザとテキ屋は第二次世界大戦中までは、全く別個の存在で、両者がひとつになることはなかった。
(2)ヤミ市はあくまで場所代を元にしたテキ屋の発想で経営されていたのであり、ユスリ、タカリや暴力が昔からなかったとはいえないが、それが本業ではない。
の2点を挙げています。
 本書は、今でも一部の駅前に面影を残すヤミ市の仕組みと文化を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 最近、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』を3冊一気読みしてしまったお陰で闇市にも興味があるのですが、さすがに当時の人はもう現役で店をやってはいないのかなあ?と思うと少し残念です。


■ どんな人にオススメ?

・知らないうちに闇市由来の文化に親しんでいる人。


2011年12月 5日 (月)

農林族―田んぼのかげに票がある

■ 書籍情報

農林族―田んぼのかげに票がある   【農林族―田んぼのかげに票がある】(#2073)

  中村 靖彦
  価格: ¥745 (税込)
  文藝春秋(2000/12)

 本書は、「これまで重要な農業政策には全て関わり、行政当局や農業団体とせめぎ合いながら最終的に決定を下してきた」農林議員が、政策決定に当たって果たしてきた役割を検証しするものです。
 第1章「口利きが票を集める」では、北海道の上川支庁で行われた官製談合について、
(1)まず道は、毎年建設業者ごとの受注目標額を決定する。
(2)この目標に従って、道は落札業者を決め、工事予定価格も含めて業界と落札予定業者本人に通知する。
(3)入札は一応行われるが、落札が予定されている業者以外は、適当な価格でいわば八百長入札する。
と解説し、「こうして、年間を通して多くの建設業者に満遍なく仕事が行き渡るようにする」と述べています。
 そして、「北海道の農業土木工事を取り仕切っていた農政部には、毎日のように行われた口利きを記録した、日記のようなノートがあった。いつ誰が、どんな内容の要求をしてきて、どう処理したかを書いたメモである」として、「そこには、ほとんどの道議会議員の名前が登場していると言われている」と述べています。
 第2章「理屈はあとで考えろ――混乱の米価劇」では、昭和45年度に150万トンを生産調整することは決まったが、このために必要な予算措置が100万トン分しか無かったため、当時の田中角栄幹事長が、「残りの50万トン分は農地転用でやれ」と命令したと述べています。
 第3章「農林議員たちの系譜」では、農林議員の元祖として、「昭和23年に当時の首相吉田茂により、代議士2年生で自由党の幹事長に任命された広川弘禅が、いかにもそれらしい政治家として浮かぶ」とした上で、次に特筆すべき人物として、河野一郎を挙げ、「河野ほど評価がまちまちに別れる男も珍しい。味方百人、敵百人とも言われる」と述べています。
 そして、「河野一郎の時代から今日まで、農林族、農林議員と呼ばれる人たちに共通する意識は、"金と票"である」とした上で、「平成も半ば頃になると様相が少し変わってきた」として、「農政改革によって農産物価格が市場原理に基づいて決められるようになり、価格そのものに政治家が介入する余地が狭くなった」上に、「日本の農業生産のバランスの変化」により「野菜がコメを抜き出荷額の一位に進出した」ことに「議員たちも戸惑っている」と述べています。
 第6章「使った補助金百二十億円」では、「国会―県議会―町議会という縦の系列でつながる人脈」について、「各段階の議員たちをつなぐ」のは「補助金付き事業であり、選挙である。単純とはいえ重要な要素を媒体にしながら、彼らは互いに助けあって繁栄してゆく。そして、それぞれの人脈が属するのは、まず例外なく自民党という政党である」と述べています。
 第7章「農地整備をめぐる政治地図」では、2つの汚職事件を取り上げた上で、「ポスト長でもない一行政官が大きな権限を持って地方の農協に便宜を与えていたのは、まさに班長行政の典型だったと言える」と述べています。
 第10章「どこへゆく農林議員」では、「農林議員の栄光は、やや色あせた感が否めない。現在は、愛国心の別の角度からの表現なのか、農政は全部自分たちで決めるという発想が支配的である」として、「俺たちが全部いいようにやるから、余計なことを言わずに任せておけ、というわけである。驕り以外の何ものでもない」と述べています。
 本書は、農林議員が何をする人たちなのかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 農林族というと既得権益の代表格的な扱いなわけです。
 現在もTPPの話ではそれなりに発言するのかもしれませんが、問題点があるとすれば、農林族がシルバーデモクラシーとほぼ一致してしまう点でしょうか。正しく農林水産業の利益を代表する議員がいることは大事な事だと思いますが、あくまでも現時点での「金と票」を代表しているに過ぎない点が課題です。


■ どんな人にオススメ?

・農林業に関係がない人。


2011年12月 3日 (土)

売場づくりの知識

■ 書籍情報

売場づくりの知識   【売場づくりの知識】(#2072)

  鈴木 哲男
  価格: ¥903 (税込)
  日本経済新聞出版社(2011/8/11)

 本書は、「『お客が望む商品(サービス)は何か』を売り場から、あるいは生活の現場から発想」するという基本に磨きをかけることを目的とした売場づくりを解説したものです。
 第1章「売場づくりの重要性」では、売場づくりが、
(1)商品分類
(2)商品構成
(3)売り場構成
(4)レイアウト
(5)陳列
(6)プレゼンテーション
という順序で決められると述べています。
 そして、お客が売り場に求める期待として、
(1)気軽で自由な買い物ができること
(2)豊富な商品の中から選べること
(3)安い値段で信頼して買えること
の3点を挙げ、「この3つの期待のうち、商品構成のあり方によって実現されるのが、『豊富な商品の中から選べる魅力』」だと述べています。
 また、「一つの店は、購買頻度の同じ商品で構成される」ことが原則だとして、「ふだんのくらしのための店なのか、特別な日の特別なくらしのための店なのか、どちらかにはっきりと振りきらなければなりません」と述べています。
 第2章「レイアウトの基本」では、「売り場をくまなく歩いてもらうこと」が必要であり、「お客に売り場を、店側が期待する通りに歩いてもらうための方法」がレイアウトだと述べています。
 そして、「入店したお客の8割以上が歩く、入口から続いている、店内のメーンストリート」である「主通路」の条件として、
(1)入口からまっすぐ入り、突き当たって直角に折れる逆L字型になること
(2)店内で最も幅広い通路であること
(3)主通路の突き当りは入口から対角線の一番奥であること
(4)主通路の両側は、魅力的な商品が、涼感を持った陳列で連続していること
の4点を挙げています。
 第3章「陳列のポイント」では、「商品価値」に不可欠なものとして、
・お客が求められる機能を満たせること
・安心であること
・経済的であること
の3点を挙げています。
 また、「価格の範囲を決めること」である「プライス・ゾーンの設定」について、「プライス・ゾーンを広げると、価格の種類は増えますが、比較のしにくい『何でも屋』的な品揃えとなってしまい、本当の意味の豊富さは実現できません」と述べています。
 さらに、「売れる量が最大の品目は、陳列量もそのとおり最大でなければ」ならないが、「最大の陳列量」とは、「見た目に最大であれば良い」と述べています。
 第4章「ビジュアル・マーチャンダイジングの仕組み」では、VMDを行う目的として、
(1)商品のもつ価値を最大限に表現することである
(2)重点商品が何であるかをお客に伝えることである
(3)インストアプロモーションである
(4)すべての商品に売れる機会をつくることである
の4点を挙げています。
 本書は、普段何気なく使っている商店の売り場がどのような思想で作られているかを知ることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 普段、お店で商品を探すときに、どのようにして品物が並べられているのか、というお店側の戦略を頭に入れていると探しやすいです。その意味では主婦必読かも。


■ どんな人にオススメ?

・お店の作られ方を知りたい人。


2011年12月 2日 (金)

ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ

■ 書籍情報

ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ   【ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ】(#2071)

  ドン・タプスコット/アンソニー・D・ウィリアムズ (著), 井口 耕二 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  日経BP社(2007/6/7)

 本書は、「技術や人口構造、世界経済が根底から変化しつつあり、従来の階層構造と支配による生産モデルに代わる新しいパワフルなモデル」として、「コミュニティとコラボレーション(共同)、自発的秩序形成によるモデル」が生まれつつあることを解説したものです。
 第1章「ウィキノミクス」では、「無料のインターネット電話からオープンソース・ソフトウェア、世界規模のアウトソーシング・プラットフォームに至る低コストのコラボレーション・インフラストラクチャーのおかげで、従来なら大企業にしかできなかった形で数多くの個人や小規模メーカーが製品を協創し、市場に浸透し、顧客に満足を届けられるようになった」結果、「新しいコラボレーション能力とビジネスモデルが登場し、これを受け入れる企業が力をつけ、対応出来なかった企業は没落していく」と述べています。
 そして、「ピアプロダクションという新しいやり方は様々な可能性を秘めており、巧みに利用すれば、社内外の豊富な資源が持つ画期的な潜在能力を発揮させることが可能だ」として、現在登場していようとしている「コラボレーションの真髄ともいうべきもの」を「ウィキノミクス」と名付けています。
 また、「21世紀の企業が競争するやり方として広がりつつある」四本柱として、
(1)オープン性
(2)ピアリング
(3)共有
(4)グローバルな行動
の4点を挙げています。
 第2章「嵐の中の嵐」では、「コースの定理」として、「企業は、基本的に、新しい取引を社内で行うコストがオープンな市場で行うコストと等しくなるまで規模を拡大していく。社内の方が安上がりなら社内でやれ、市場で調達したほうが安上がりなら社内でやろうとするな、というわけだ」と述べた上で、インターネットの登場によって、「インターネットの登場で取引費用が急低下した結果、コースの定理の有用性はむしろ高まった」として、「昔、企業の巨大化をすっきりと説明したコースの定理が、今度は、従来の企業が新しい種類の事業体に取って代わられようとしている理由となっている」と述べています。
 第3章「ピア開拓者」では、「ピアプロダクションでは、契約や交渉といった間接業務がなく、興味のあるプロジェクトへ参加者が自由に参加できるから、資源の分配効率が高い」とした上で、「人々がピアプロダクション・コミュニティに参加する理由は、人間がもともともつ本質的なものから利己的なものまで、様々である」と述べています。
 そして、ピアプロダクションの事業的メリットとして、
・社外の人材が活用できる。
・ユーザーとともにあることができる。
・関連製品の需要を喚起できる。
・コストが削減できる。
・競争のポイントを動かすことができる。
・コラボレーションから摩擦をなくすことができる。
・社会資本の形成ができる。
等の点を挙げています。
 第4章「アイデアゴラ」では、「企業は、台頭しつつある世界的市場で備えある人材を探し、新製品や新サービスを今までよりも素早く、効果的に発見し、開発できるようになった」として、このような市場を「アイデアゴラ」(アイデアの広場)と名付けています。
 そして、「アイデアゴラはコースのいう取引費用を引き下げ、確信速度を高め、市場参加者の効率を高めるのだ」と述べた上で、アイデアゴラには、
(1)解決策があった課題を探す「課題を求める解決策」
(2)課題があって解決策を探す「解決策を求める課題」
の二種類があるとしています。
 また、「今後は、研究開発の費用が高騰し、社内で革新を進めようとしてもなかなか成果が得られなくなる。新製品や新サービスのアイデアを社外から取り入れなければ、競争に勝ち抜くために必要な成長率、敏しょう性、応答性、世界的な経験・知識、創造性などを維持できなくなる」と述べています。
 第7章「参加のプラットフォーム」では、オープンプラットフォームのポイントとして、
(1)あらゆる新技術の進化経路が変化し、最初に実験ではなく淘汰が行われるようになったこと。
(2)徹底的な分散化とオープン化からは扱いにくい環境が生まれるが、そこで的確となるビジネスモデルを作らなければならないこと。
(3)利害関係者、全員が、各自の貢献に対して十分かつ適切な金銭的補償を得られなければ、参加のプラットフォームは継続的に成立できないということ。
の3点を挙げています。
 第8章「世界工場」では、「自動車メーカーといえば、車を造る企業のはず」だが、「トップメーカーは、車を設計し、ブランド力を高め、高性能車を動かす複雑な電子機器を組み合わせるだけになりつつある」とした上で、「コラボレーションが増えると、自動車メーカーとサプライヤーの距離が縮まり、従来よりも密接な関係が生まれる」と述べています。
 第9章「ウィキワークプレイス」では、「新しいウェブは、メディアや文化、経済に大きな変革をもたらすように、組織や職場にも大きな変化をもたらそうとしている」として、「従来の硬直した雇用関係に基づく閉鎖的で階層構造の職場から、自発的参加による分散型でコラボレーションによる人的資本のネットワークを通じて企業内外の知識と資源を活用する形へのシフトが起きようとしている」と述べています。
 そして、「企業の周りに生まれるエコシステムは、その大部分が当該企業の社員ではない。契約もないため、中核企業が直接的に管理統制することもできないし、エコシステムの知的財産、すべてを中核企業が所有したり、金儲けに利用したりすることもできない」と述べています。
 また、「ロナルド・コースは、企業を、広く分散した市場活動の海に浮かぶ階層の島と表現した。それに対して今は、市場の見えざる手が産業分野や各企業だけでなく、そこで働く人々に直接作用するようになったと言えよう。企業の戦略や企画、事業遂行にも市場の力が大きく働いており、企業の意思決定に対し、広範な利害関係者をまさしく代表する洞察が影響を与えるようになった」と述べています。
 第10章「コラボレーションの精神」では、ウィキノミクスの四大原則である「オープン性、ピアリング、共有、グローバルな行動」は、「いずれも、企業管理職にとって唾棄すべきものと感じられるかもしれない」が、「この四大原則は前代未聞のスケールで革新を推進し、富を形成する力となりうる。それだけでなく、科学的な探求を行い、文化を想像し、情報を伝達し、教育を行い、そして、コミュニティや国家を統治運営する方法までも変えるほどの力がある」と述べています。
 本書は、企業と社会のあり方を変えようとする新しいモデルを解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 世の中で起こるさまざまな革新的な組織戦略を見る上で、「コースの定理」というのはかなりわかりやすい枠組みを示してくれます。問題は、「取引費用」という概念がわかりにくいと言うか場当たり的な感じがするためでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・世界のしくみがどう変わっているかを見たい人。


2011年12月 1日 (木)

佐藤さんはなぜいっぱいいるのか? 身近な疑問から解き明かす「商標」入門

■ 書籍情報

佐藤さんはなぜいっぱいいるのか? 身近な疑問から解き明かす「商標」入門   【佐藤さんはなぜいっぱいいるのか? 身近な疑問から解き明かす「商標」入門】(#2070)

  茅原 裕二
  価格: ¥1575 (税込)
  講談社(2011/7/1)

 本書は、「商標」を中心に「結果が出せる目印の使い方」を解説したものです。
 第1章「佐藤さんはなぜいっぱいいるのか?~名字から考える目印の基本的な考え方」では、「佐藤さんは有名にならなかったからこそ、いっぱいになった」として、特別な名字である「徳川」を引き合いに出して解説しています。
 そして、目印を使う上でのポイントとして、
(1)目印は、同じ目印を使う人が複数いると、見つけてもらいにくくなる。
(2)目印を使って見つけてもらえるか否かは、相手次第。
(3)自分で作った目印であっても、周りの環境次第では目印として機能しなくなる。
(4)機能しづらい目印であったとしても、使用するエリアによっては目印として機能する。
(5)機能しづらい目印であったとしても、何かをつければキチンと目印として機能する。
(6)機能しづらい目印であっても、付ける対象を変えれば目印として機能する。
(7)機能しづらい目印であっても、有名になれば目印として機能する。
の7点を挙げています。
 第3章「あなたの『目印』似てますよ!」では、商標が類似するか否かの客観的なものさしとして、
(1)外観
(2)呼称
(3)概念
の3つについて解説しています。
 第4章「スターバックスとエクセルシオール、コーヒー勝負」では、2000年当時、緑色を基調としたスターバックスのロゴマークに、当時のエクセルシオールのロゴマークも緑色であったことから、スターバックスがエクセルシオールに対して、ロゴマークの使用差止めの仮処分を申し立て、和解が成立してエクセルシオールがロゴマークを青色を基調としたものに変更した事件について、「この事件の真の勝者はエクセルシオールカフェ」だと述べ、和解交渉において、「色彩」のことだけに重点が置かれ、「デザイン変更の制約も受けない状態で和解ができた」だけでなく、和解成立が、各種メディアで取り上げられ、「青色のカフェといえば、エクセルシオールカフェ」と一般消費者に印象づけられた上に、業界内に、「エクセルシオールカフェの青色をマネすれば、株式会社ドトールコーヒーから訴えられる」と思われることで「青色のロゴマークの独占的地位を実質的に手に入れた』ことを指摘しています。
 第6章「有名になるための死闘}では、「商品名を考えているときに、他者の登録商標と同一あるいは類似することが分かったら、その商品名を採択」しないと考えるのが普通だて、アップル社は、「i」で商品名を展開するという自社の商品展開が先にあり、「その後に生じる商標の問題は交渉で解決する」と考えているのではないかと述べています。
 本書は、「商標」をめぐるポイントを、おなじみの事例を交えてわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 どうしたら注目されるか、どうしたら他の人を黙らせることができるか、という駆け引きを展開する商標の世界は結構スリリングです。名目的な勝利よりも「実」をいかにして取るかという知恵比べは見てる分には楽しいのですが。


■ どんな人にオススメ?

・商標を巡る戦いを垣間見たい人。


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