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2012年1月

2012年1月11日 (水)

「どこまでOK?」迷ったときのネット著作権ハンドブック

■ 書籍情報

「どこまでOK?」迷ったときのネット著作権ハンドブック   【「どこまでOK?」迷ったときのネット著作権ハンドブック】(#2099)

  中村 俊介, 植村 元雄
  価格: ¥1,764 (税込)
  翔泳社(2006/1/14)

 本書は、「著作物を利用する側から見た著作権の利用」を重要なテーマとしたものです。著者は、「素人の無知につけ込んで、本来問題なく使えるものまで『ご遠慮ください』という著作権者側の高圧的な姿勢」に疑問を持ったことから、「同じように著作権で悩んでいる人にわかりやすく解説してはどうだろうか」と考えたと述べています。
 第1章「あなたの著作権に関する常識/非常識をチェック」では、アップしようとした写真で子どもが着ている「キティちゃん」の柄のTシャツについて、「写真に写り込んでいるキャラクターが、その写真の主目的でなければ問題ありません」と述べています。
 また、コラムにおいて、ディズニーが「著作権に厳しい」といわれる理由とされている、ウォルト・ディズニーがユニバーサル映画のために作成した「オズワルド・ラッキーラビット」の著作権を手放さざるを得なくなってしまった経験を紹介しています。
 第2章「26のキーワードでパパッと分かる著作権の基本」では、「著作物の範囲」として、「自然現象は著作物ではありません。事実や社会事象も著作物ではありません。いわゆる『トリビア』的な知識や、ランキングのデータ、スポーツのルールも著作物ではありません」と述べています。
 第3章「イラストや写真・画像の使用方法に関するQ&A」では、芸能人の名前やたんなる筆跡は著作物ではないが、芸能人のサインは、独特のデザインであることが多く、「芸能人本人、あるいはプロダクション関係者の知的営みの結果考え出されたもの」であるため、「たとえ自分あてに描かれたものだとしても、勝手にスキャンして自分のサイトに載せることはできない」と述べるとともに、サインを元にしたパブリシティ権に気をつけるべきとしています。
 第7章「音楽・映画の著作権に関するQ&A」では、ディズニーの「蒸気船ウィリー」のキャラクター「ミッキーマウス」の著作権保護期間が切れた場合について、「蒸気船、黒目のミッキーマウス、ミニーマウスなどはパブリックドメインとなり、基本的には誰でも使えます」とした上で、自分で描いた黒目のミッキーマウスを使用するなどはOKになる一方で、アダルトサイトのキャラクターとしての使用(著作者人格権の侵害)や、蒸気船ウィリーまんじゅうの販売(商標権・意匠権の侵害)などNGとなるケースを紹介しています。
 第8章「まじめなあなたのための、ちょっと本気の著作権講座」では、「屋外に設置されているオブジェなどの彫刻や建築物」を「自由に複製して公開」できるが、「複製が自由というのは、誰もが入れる場所や撮影目的の立入が認められた場所から撮影・複製(スケッチなど)したものに限定される」ことに注意すべきとしています。
 本書は、利用する側から見た著作権の問題をわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 ディズニーが著作権に厳しい話は有名ですが、「オズワルド」で痛い目を見た経験がここに繋がるとは知りませんでした。そういえば『サザエさん』の長谷川町子は「日本のディズニー」と呼ばれるほど著作権に関する姿勢が厳しいそうです。そういえば立川バスの事件もありましたし。


■ どんな人にオススメ?

・ネットで訴えられそうな不安のある人。


2012年1月10日 (火)

昆虫の誕生―一千万種への進化と分化

■ 書籍情報

昆虫の誕生―一千万種への進化と分化   【昆虫の誕生―一千万種への進化と分化】(#2098)

  石川 良輔
  価格: ¥714 (税込)
  中央公論社(1996/10)

 本書は、「他の動物群に比べて異常ともいうべき分化、多様化をとげた」昆虫類について、「昆虫全体を理解するために、体系的に解説した書物が見当たらない」ことから、「せめて昆虫のすべての目の特徴とその系統関係程度は一通り見渡せないものだろうか」という目的から書かれた入門書です。
 第1章「エントマから昆虫へ」では、アリストテレスが昆虫をエントマ、リンネがインセクタと名付けたことについて、「ともに体が分節されている動物の意味である」としたうえで、「昆虫と多足類は外見からは近縁であるとはとても想像できないほど、異なっている」が、「触角や口器ばかりでなく、昆虫では著しく退化している腹部の付属肢も多足類との間の相同性が推定され、この二群は共通祖先から陸上で分化した姉妹群と考えられている」と述べています。
 第2章「昆虫という生きもの」では、昆虫が、「われわれ人間の目から見るとミクロとマクロの世界の境界域にまたがって、地上のほとんどあらゆる環境に棲んでいる動物なのである」と述べたうえで、トビムシについて、「起源は古く、化石は古生代のデボン紀から発見されている。これは昆虫の化石としては最も古い」と述べています。
 そして、「昆虫の翅は鳥やコウモリの翼とは全く違った構造の器官である。それは中と後胸背板の横の部分の表皮が延長してできた膜質の袋状構造物で、その間に翅脈が挟まっている。翅の背面側(上側)の膜は胸背板に直接つながっている」と述べています。
 また、「カメムシやセミはアザミウマとはまったく異型の昆虫である。だいたい大きさが違う」として、「これらが近縁な昆虫類であるとは、外観からはとても想像できない」と述べています。
 第3章「昆虫の多様化」では、昆虫の多様化は翅と口器の変化、特殊化に非常に大きくかかわっていることが分かる。本来、動物の移動のための器官は脚であった。しかし、翅の発達はそれよりはるかに大きな移動能力を昆虫にもたらした。昆虫の翅は胸部の二体節の皮膚が伸びてできたものである。口器は接触のための器官であるが、それは頭部の三対の付属肢が変化してできた」と述べたうえで、「昆虫の、全動物のなかでもずば抜けた繁栄は翅の発達から始まる」と述べています。
 著者は、「自然界における昆虫の地位を何よりも優位にしたのは、翅を持ったことと、それを発達させたことであった。移動器官として発達した昆虫の翅は、その本来の機能によって行動範囲を広げ、分布を拡大し、また適当な生息環境を探すのに非常に効果的であった。しかし、翅を後方に曲げて体を覆うようになって、その機能はさらに広がった。前後の翅の大きさが変わり、前翅は後翅の覆いになり、後翅が主要な飛翔器官になる。その極致はカメムシと甲虫であろう」と述べています。
 本書は、膨大な虫の世界をなんとかまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 「昆虫」と言えば、千葉県が誇るサエキけんぞう氏の「昆虫軍」をまず思いだしてしまう人は、40過ぎと思って間違いないでしょう。それにしても世界を支配しているのは昆虫かもしれない。


■ どんな人にオススメ?

・昆虫を甘く見ている人。


2012年1月 9日 (月)

2ちゃんねるで学ぶ著作権

■ 書籍情報

2ちゃんねるで学ぶ著作権   【2ちゃんねるで学ぶ著作権】(#2097)

  牧野 和夫 , 西村 博之
  価格: ¥1,365 (税込)
  アスキー(2006/7/3)

 本書は、弁護士で大宮法科大学院大学教授の牧野和夫氏と2ちゃんねる管理人の西村弘之氏が、「著作権の『最前線』である2ちゃんねるを題材に議論」したものです。
 第1章「著作権の基礎」では、「基本的に『思想又は感情を創作的に表現したもの」であれば著作物」なので、「顔文字に著作権が認められる場合がある」と述べています。
 また、アメリカの著作権法に人格権の考え方がない点について、その違いは、「コピーライト(Copyright:複製する権利)」なのか「オーサーズライト(Author's Right:著作者の権利)」なのかの違いで理解できると述べています。
 第2章「『2ちゃんねる発』コンテンツと著作権」では、『電車男』の書籍化に当たり、「新潮社とは、『電車男本人』と『まとめサイトの人』とそれに『オイラ』の三者が契約しました」とひろゆき氏が語っています。
 また、著作権者が不明な場合に著作物を利用する場合において、「文化庁から許可を得て、使用料相当額を供託しておく」方法が紹介されています。
 第3章「コピー&ペーストはどこまで合法か」では、ニュース記事から事実だけを抽出できれば合法だが、「記事がコピー&ペーストされ、新聞社から文句を言われたら」、プロバイダー責任法で管理人であるひろゆき氏が消さなければならなくなると述べています。
 また、アニメの決め台詞や名台詞が2チャンネルで使われることについて、台詞だけだと著作物だと認めることは難しいと述べています。
 第5章「不正利用に強い利用規約」では、2ちゃんねるの投稿規約を題材に、「投稿者の著作財産権の使用権を管理人へ無償で付与させて」いる点について、「著作財産権の無償譲渡ではなく、非独占的使用権の付与というのが法的な有効性を維持するためのミソ」であるとして、「一方的に投稿者の権利の帰属を奪うものでない」点を評価しています。
 また、『電車男』の出版元である新潮社が、巻末に書いてある注釈について、「匿名投稿の著作権を一切制限するものではありません」とし、「著作隣接権者である『2ちゃんねる』に許諾を得ることで使用しています」と断っていることを、「これは弁護士に相談していますね。プロの仕事ですよ」と評価しています。
 本書は、ネットでとかくわかりにくい著作権の扱いについて、わかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 「2ちゃんねる」と言えば著作権から最も遠いところにいる存在のようにも思われますが、そういえば書き込みのときの注意書きに色々と細かく書いてあることを思い出しました。


■ どんな人にオススメ?

・ネットで訴えられたくない人。


2012年1月 8日 (日)

編集出版用語誤用集―大丈夫?!あなたの“常識”

■ 書籍情報

編集出版用語誤用集―大丈夫?!あなたの“常識”   【編集出版用語誤用集―大丈夫?!あなたの“常識”】(#2096)

  横山 和雄
  価格: ¥1,631 (税込)
  出版ニュース社(1995/10)

 本書は、「最近の日本語とその文章や文字の乱れはどうかんがえてもひどい感じがしてならない」ため、「多くの辞書を引用しながら、勘違いや間違い表現、誤植、表現不足、和文・欧文の組版ルール、その他雑学的なことを収録した」ものです。
 第1章「漢字・文字編」では、「失念といえば聞き良い物忘れ」という川柳を紹介した上で、「巳」と「己」と「已」の区別に関する覚え歌として、「ミ(巳)はふさぎ、オノレ、ツチノト(己)みな開けよ 半ば開ける(ふさぐ)はスデに、ヤむ(已)のみ」等の歌を紹介しています。
 また、戦時中に徳島連隊からの印刷物を受注した印刷業者の本から、受注前にひそかに素行・資産・思想を調べられたとしたうえで、「召集令状を刷っているとき、あの町の若者が新たに招集されるだろう、あの者は知り合いだ、と知りながらも、口にだしていうこともできず、戦時下の印刷従業者は、気分のうえですぐれなく悩みどおしであった」と述べ、「箝口」をふつうは「かんこう」と読んでいるが、「けんこう」と読むのが正しく「かんこう」は慣用読みであるとしています。
 そして、「第二次世界大戦後、国字改革によって、全く違った字を同じ形にしてしまったため、漢和辞典に混乱が持ち込まれた」として「藝」を簡単な文字にした「芸」(げい)とくさかんむりが分かれた「芸」(うん)とを同じ字にしてしまったことを指摘しています。
 さらに、著者の講演を元にしたパンフレットにあった誤植として、
(1)「手をこまぬく」が「手をこまねいて」に
(2)「捧腹絶倒」が「抱腹絶倒」に
(3)「独擅場」が「独壇場」に
それぞれ直されてしまっていたことを指摘しています。
 本書は、正しい日本語を常に意識してきた印刷人の心意気を伝える一冊です。


■ 個人的な視点から

 今でこそコンピュータ化されていますが、活字の時代は、実際に活字を「拾う」人の知識や経験が本の出来を左右していました。その「経験」を著者自らが身につけないとならないかと思うと気が重いものです。


■ どんな人にオススメ?

・正しい日本語を使いたい人。


2012年1月 7日 (土)

東京都の誕生

■ 書籍情報

東京都の誕生   【東京都の誕生】(#2095)

  藤野 敦
  価格: ¥1,785 (税込)
  吉川弘文館(2002/01)

 本書は、「都市と隣接地域の関連を中心に見据えながら、江戸時代から現代までの東京を」描いたものです。
 第1章「江戸と近郊農村」では、「一般的には江戸町奉行の支配する地域を『江戸』と理解されている」が、「実際には、たとえば江戸府内で寺社の寄付を募ることを許可される場合の『江戸』の示す範囲や、犯罪者が『江戸払い』といわれた場合の『江戸』の範囲などは一致しているわけではなく、さまざまな『江戸』の概念が存在していた」ため、幕府は文政元年(1818)に、「図面に朱色で『御府内』の範囲」を示し、「この決定により定められた範囲が『朱引き内』とよばれ、明治以後も一つの概念として使用されている」と述べています。
 そして、玉川上水や神田上水について、江戸が「清潔な町」と評価されるが、「その名誉に大きな功績があったのは、これらの上水施設であった。また一方で排泄物の多くは、近郊農村の施肥に利用するため、商品としての価値を持って引き取られていった」と述べています。
 第2章「江戸から東京へ」では、「江戸が直接の戦場になることなく開城がおこなわれ、しがいもほぼそのまま新政府が手に入れることができるという見通しが明らかになってきたという事実は、首都の設定場所論争に大きな変化をもたらすことになった。ここにいたって最有力候補地として江戸が急浮上することになった」と述べた上で、明治2年に天皇が東京に向かうことが決定するのに先立ち、2月24日に、京都におかれていた太政官が東京に移されることが決定しており、「一般的にはこのことが行政機能の東京への移転であり、事実上の遷都と考えられるが、表向きにはあくまでも『天皇東幸中の臨時措置』であり、京都には『留守官』が置かれ、『畿内ならびに山陽・山陰・南海・四海の諸道、東海道は伊勢まで、東山道は美濃・飛騨まで』の社寺関係の『願・伺』は京都で従来通り受け付けた」と述べています。
 また、明治に入り、諸藩の武士が国元に戻ってしまったことで、「非生産者である武士の急減は、江戸全体の消費量の激減をもたらした」とともに近隣の村々に供給されていた下肥が不足し、高騰をもたらし、「農家の経営を圧迫していった」と述べています。
 第3章「帝都・東京の建設」では、できたばかりの東京府が、「現在の私たちが『東京』とイメージする範囲とは比べものにならないほど小さなものであった」として、「江戸時代後期に『朱引内』といわれた範囲にだいたい準じたものであった」と述べています。
 また、「江戸の町には区部の共有財産として、江戸時代の町会所に蓄えられた『七分積金』が存在した。これは疑いなく町費から積み立てられたものであるから純粋に町の財産であり、『幕府のものでも新政府のものでもない』という意識が、明治になっても一部の住民の間には定着していた」と述べた上で、明治5年2月に、「火災によって消滅した銀座に煉瓦街の建設計画が持ち上がった際、政府はその資金を町会所積金でまかなおうと考える」が、「区部の共有財産であるとの意識を持つ由利府知事はこれに反対し、町会所資金の運用を巡って政府との対立が表面化する」と述べています。
 第4章「大東京市と戦時体制」では、後藤新平が内務大臣に就任するまさにそのときに、関東大震災にぶつかったとして、後藤がすぐさま東京復興の四大方針として、
(1)遷都を否定する。
(2)復興費として30億円の要求を行う。
(3)欧米の最新の都市計画を取り入れる。
(4)都市計画遂行のうえでは安易な妥協をせずに、地主達に断固たる態度をとり、不当な利益を生じさせないようにする。
の4点を掲げたと述べ、その後、「縮小された計画の中でも震災復興計画は様々な遺産を我々に残してくれた」として、「今日の東京の道路網のレイアウトはこのときにできあがっていたと言っても過言ではないだろう」と述べています。
 また、「明治から大正、昭和と多様な形の『東京都』案が生まれては消えていった」として、
(1)帝都制案
(2)千代田県・武蔵県案
(3)東京都・多摩県案
(4)立川県庁案
(5)横浜都制案
の5点を挙げています。
 第5章「再出発、そして未来への課題」では、「そもそも戦災復興計画は、当初膨張した東京を整理するために、区部の計画人口350万、自然増を含めても500万前後を想定し、商業・工業人口を『昭和5年程度』に押さえて、人口を理想的に抑制し、『住む』環境を整えるという視点に立っての東京改造を策定したもの」であったが、既に昭和22年段階で都全体の人口は500万人を突破し、「はやくも計画の前提に狂いが生じていた」と述べています。


■ 個人的な視点から

 多くの人は、現在の「東京都」の範囲を当たり前のように受け止めていますが、奥多摩の山奥まで「都」であることに疑問を持ったりしないのでしょうか。「大阪都」が話題に上がっている今こそ、「都」とは何か、「東京」とは何かを考えてみるのもいいかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・「東京」とは何かを知りたい人。


2012年1月 6日 (金)

不透明な時代を見抜く統計思考力

■ 書籍情報

不透明な時代を見抜く統計思考力   【不透明な時代を見抜く統計思考力】(#2094)

  神永 正博
  価格: ¥1,680 (税込)
  ディスカヴァー・トゥエンティワン(2009/4/15)

 本書は、「理論を中心にして説明するのではなく、ウェブ上にある実際のデータを通して社会問題を考えながら、結果的に統計学の重要な部分が理解できるように工夫」された「新しい時代の統計(データ分析)の本」です。
 第1章「基礎編 データを見る」では、「データを先に見てから本文を読むと、記事に書かれていないことまで見えてくる」とした上で、大事なこととして、
(1)データを先に見る
(2)だれかが解釈する前のデータを見る
(3)自分の仮説に反するデータも集める
の3点を挙げています。
 また、大学生の読書離れという問題について、「大学生全体の平均読書時間が減っているのは、一つには『よく読んでいる層』以外に、『ほとんど読んでいない層』がどんどん大学に入ってきているから」だと考えられると述べています。
 そして、小泉改革と格差拡大の関係について、ジニ係数やワーキングプア、生活保護世帯、ホームレスなどのデータでは関係は明確ではないが、唯一、関係が疑われるものとして、「貯蓄がない世帯の割合」を挙げ、「小泉政権下で上昇し、その後は上昇が見られない」と指摘しています。
 さらに、データを見る際に陥りがちな間違いとして、「一部だけを見て判断を下してしまうこと」を挙げています。
 第2章「中級編 データを読む」では、本章で紹介するものとして、
(1)平均と分散
(2)正規分布とべき分布
(3)相関
の3点を挙げ、「この3つが正しくとらえられているだけで、世の中の見え方は、かなり変わってくるはず」だと述べています。
 また、パレート指数について、「べき分布の『極端なことの起こりにくさ』を表す量」だとして、「パレート指数が大きければ大きいほど極端なことがおきにくく、小さければ小さいほど極端なことが起きやすい」ことになると説明しています。
 そして、正規分布について、「正規分布が重要なのは、独立に変動する値の足し合わせというのが、さまざまなところに現れるから」だと述べた上で、金融工学に使われる「ブラック・ショールズ評価式」について、彼らのアイデアが、「『ただ飯はない』ということに基づいて、オプションの価格を決めよう」というものであるが、その前提となっているのは、「株価が正規分布を使って書ける」というものであり、「株価のように、ときおりものすごく大きく変動するものに対しては、平均や分散が存在しない」と指摘し、「ノーベル賞をとるような天才的な頭脳が生み出した公式だからといって盲信できない」と述べています。
 第3章「上級編 データを利用する」では、「それまで一度も起きたことがないことは、どんな分析手法を使っても予測できない」と「データ分析の限界」を解説しています。
 著者は、「自力で考えることの最大の敵は、自分にはわかっているという過信」だとして、「正気を保つために、データ分析ほど強力な薬は他にない」と述べています。


■ 個人的な視点から

 「統計学」というと何やら学術的な小難しい印象がありますが、世の中をさまざまなデータに直面した時、意識せずとも多くの人が「統計」を使ってものを考えているのです。問題はその考え方の妥当性ですが、その意味でもきちんと統計を学んでおきたいです。


■ どんな人にオススメ?

・世の中の数字を自分のものにしたい人。


2012年1月 5日 (木)

判例から学ぶ著作権

■ 書籍情報

判例から学ぶ著作権   【判例から学ぶ著作権】(#2093)

  北村 行夫
  価格: ¥4,200 (税込)
  太田出版(2004/07)

 本書は、「判例に照らしながら著作権の全体像を明らかにする」ことを目的としたものです。
 第1編「著作物」第1章「著作物とは何か」では、著作権法が、「創作性の要件に新規性や独創性のような要件を付加していない」ことに関して、「外的現実について表現しようとすればだれでも同じような表現に到達するしかないものは、創作性の要件を満たす余地がない」と述べています。
 また、アイデアについては、「工業所有権による保護の対象とはなりうるが(著作物の)保護対象とはならない」としています。
 第2章「著作物の例示」では、「美術の著作物の特性を様々な角度から主張した事件」として、顔真卿自書告身帖事件を挙げ、「有体物たる原著作物に財産的、美術的価値があり、複製権は、二次的な価値しか持たないとか、著作権の保護期間の満了は、著作物の自由利用を意味しないのであって、所有者の使用収益権を侵害する結果となるときは、所有者は、所有権に基づき差止請求権を行使しうる」との主張がなされたが、判決は、「そのような主張が無体財産権を無視した立論であることを否定している」と述べています。
 第1章「著作者の権利」第1章「発生(始期)と消滅(終期)」では、わが国著作権法の保護期間の原則として、
(1)死亡時起算主義
(2)期間50年制
(3)暦年主義
の3点を挙げています。
 第2章「著作者の権利」では、著作者人格権の性質として、
(1)一身専属性
(2)非譲渡性
の2点を挙げています。
 また、著作権の行使に関しては、「次の三つを意味する」としながらも、
(1)著作権者自身が、その著作物について複製権その他の権利を自ら使用すること。
(2)著作権を第三者に譲渡できること。
(3)第三者による著作物の利用の許諾をすること。
の3点を挙げています。
 本書は、判例を挙げながら丁寧に著作権を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 条文解釈や理論だけでは全容がつかめない著作権法だからこそ判例の読み込みは不可欠なのでこういう本が必要になります。とは言え、トピックメイキングな判例は少なくとも読んでおきたいものの、これだけたくさん判例が積み重ねられると読むのも大変です。


■ どんな人にオススメ?

・著作権の判例の実際を知りたい人。


2012年1月 4日 (水)

著作権法 第3版

■ 書籍情報

著作権法 第3版   【著作権法 第3版】(#2092)

  斉藤 博
  価格: ¥3,990 (税込)
  有斐閣(2007/5/1)

 本書は、著作権法の改正に合わせて改訂を重ねている著作権法の解説書です。
 第1章「総論」では、国際著作権界の動きの背景として、「著作権に関する2つの大きな法律思潮」として、
(1)大陸法系諸国によるコンチネンタル・アプローチ
(2)英米法系諸国によるアングロ・アメリカン・アプローチ
の2つを挙げ、「そこには著作権法制へのアプローチに違いを見る」として、コンチネンタル・アプローチが、創作者である著作者に焦点を合わせて、「著作権」を"author's right"と考えるのに対して、アングロ・アメリカン・アプローチでは、コピーに焦点を合わせて、「著作権」を"copy right"と認識すると解説しています。そして、「これら2つの潮流は国際会議において激しくぶつかり合ってきた」と述べています。
 また、「著作隣接権を著作権とは別個に認めることは大陸法の諸国において顕著」であるのに対し、「英米法系諸国を中心に、著作隣接権を認めない思潮は依然として強く、折に触れて2つの思潮が激突してきた」と述べています。
 そして、「著作権法は著作物等の『利用』と『使用』とを区分し、別異の扱いをしている」として、わが国著作権法が、「著作物の個々の『利用』に権利を対応させている」ことで、「法律の上で、『利用』とそうでない行為とが識別できることになっている」と述べています。
 第2章「権利の客体」では、「著作物」とは、「個々の精神の湧出物、表現物」であり、わが国著作権法の定義では、「思想または感情の創作的な表現物ということになる」と述べた上で、著作物の要件として、
(1)思想または感情を表現していること
(2)創作的な表現であること
(3)文芸、学術、美術、音楽の範囲に属すること
の3点を挙げています。
 また、「二次的著作物」について、「著作物を翻訳し、編曲し、もしくは変形し、または脚色し、映画化し、その他翻案することにより創作された著作物である」として、原著作物への手の加え方により、
(1)翻訳著作物
(2)編曲著作物
(3)変形著作物
(4)翻案著作物
の4つに大別されると述べています。
 第3章「権利の主体」では、英米法系諸国が、「コピーの対象になるものを、録音物や製作物を含め、広く著作権の客体とし、製作者をも、たとえ自然人でなくても、著作者に加えることに躊躇を覚えない」と述べています。
 第4章「権利」では、著作者人格権について、「その内包外延がア・プリオリに、しかと定まっているわけではなく、条約なり国内法によって個々に定められている」と述べています。
 また、「著作者人格権は一般的人格権を母権として、両人格権の間には質的に違いが存しないということであれば、著作者人格権は人格権の体系に組み入れ、経済的権利の法理から独立した、人格権の法理に服することになる」と述べています。
 第5章「権利の制限」では、パロディについて、「パロディを著作権法の領域に位置付けるとき最も苦慮する点は、それが、著作権の面では、二次的著作物の作成を含め、著作物の利用許諾に馴染まないこと、著作者人格権の面では、著作者の同意になじまないことである」と述べています。、
 また、著作者人格権の放棄や著作者人格権不行使の特約に関して、著作権を利用者に譲渡した場合に、「著作者は著作物の具体的な利用形態を全て把握できる立場にはない」が、同一性保持権の不行使を「あらかじめ一般的に約すること」については、「著作者がその著作物の未知の改変につき、包括的に権利の不行使を約することは、人格権の特性に鑑みて、良俗に反する」と述べています。
 本書は、著作権を基礎からきちんと学びたい人におすすめの一冊です。


■ 個人的な視点から

 著作権も法律を読めばすっぱりわかるという性質のものではないので、こういう厚い本はありがたいです。とはいえ基本書を読んだからといって実務がわかるわけではないのですが。


■ どんな人にオススメ?

・著作権を基本から学びたい人。


2012年1月 3日 (火)

ネットワーク・ヘゲモニー ―「帝国」の情報戦略

■ 書籍情報

ネットワーク・ヘゲモニー ―「帝国」の情報戦略   【ネットワーク・ヘゲモニー ―「帝国」の情報戦略】(#2091)

  土屋 大洋
  価格: ¥3,570 (税込)
  エヌティティ出版(2011/2/10)

 本書は、「覇権半ばにおけるさまざまなネットワークの役割」に注目し、「覇権の維持・衰退フェーズにおけるプログラムを意識しながら、それを作動させる前件的条件としてのネットワークの役割」を解説したものです。
 第2章「領土的覇権からネットワーク的覇権へ」では、国際政治における覇権システムの変容の鍵として、「テリトリアル(領土的)な覇権」から「ネットワーク的な覇権」への移行を挙げ、「植民地は覇権国にとって不要になっている。別の方法では建国は世界に影響を与えようとしている。新しい覇権システム(ヘゲモニー)が始まっている」と述べています。
 第3章「米国の磁力とネットワーク」では、パクス・ロマーナ、パクス・ブリタニカ、パクス・アメリカーナの3つの「平和(パクス)」について、「平和のためには、帝国の内外の人々が帝国に引きつけられ、その文明を受け入れていかなければならない。その磁力が弱ければ帝国は解体へと向かう。その磁力が具現化したのがネットワークである」と述べています。
 第4章「中国におけるネットワークとウォーリング」では、中国と米国の政府の能力の比較について、「国家機構の強さ」という視点を挙げ、「公務員が活動する政治システムの構造が重要であり、国家機構(state)の内部的な強さに依存する。それは『中央の意思決定者たちが自分たちの社会の中の私的なグループの行動を変える力』だと定義されている」として、この点では、「米国は、政治的なパワーが断片化し、分散化されているので、『弱い政府』ということ」になり、「中国はこうした視点からみると、いまだに強い国家の典型である」と述べています。
 第7章「ネットワーク社会のアーキテクチャとプログラム」では、日本の地政学的位置について、「中国は一見すると長い海岸線を東シナ海沿いに持っている」が、「東シナ海は朝鮮半島、九州、沖縄諸島、そして台湾島によって実質的に閉鎖された海であり、中国の船舶が自由に航行できるわけではない」とした上で、「テリトリアルな覇権争いによる地域ブロック化、閉鎖的な貿易体制が2つの世界大戦の遠因となった」として、「日本がクローズドなアーキテクチャ、壁で閉ざされた国際政治経済システムを選択することはできないだろう」と述べています。
 本書は、「ネットワーク」を鍵として、国際社会を読み解いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 ネットワークと国際関係を結びつけて論じた野心作、ではあるのですが、いわゆる「ネットワーク理論」的なスパスパとした切れ味の良い分析を期待していると肩透かしを食らわされるかもしれません。やはり国際関係は一筋縄ではいかないようです。


■ どんな人にオススメ?

・ネットワークで世界を見てみたい人。


2012年1月 2日 (月)

グループ・ダイナミックス --集団と群集の心理学

■ 書籍情報

グループ・ダイナミックス --集団と群集の心理学   【グループ・ダイナミックス --集団と群集の心理学】(#2090)

  釘原 直樹
  価格: ¥2,100 (税込)
  有斐閣(2011/3/30)

 本書は、集団や群衆・集合を取り上げたものです。
 第1章「集団とは何か」では、集団の特性として、
(1)相互作用
(2)重要性
(3)類似性
(4)持続性
(5)共通目標
(6)共通結果
(7)浸透性
(8)サイズ
の8点を挙げた上で、集団の定義として、「上記8つの特性があり、かつ役割や構造が存在する複数の人々の集まり」と述べています。
 また、集団が役立つ面として、
(1)愛情や親密さを求める欲求を満たしてくれる
(2)1人ではできないことでも集団になれば可能になる
(3)自分や世界を理解するための枠組みを与えてくれる
(4)アイデンティティ確立に貢献する
の4点を挙げています。
 第2章「集団のパフォーマンス」では、集団のパフォーマンスに影響する要因として、
(1)集団成員の能力やパーソナリティと成員構成
(2)課題
(3)評価
の3点を挙げています。
 そして、社会的手抜きの防止のための方法として、
(1)個人の貢献がわかるようにする。
(2)課題に対する自我関与を高める。
(3)他社に対する信頼感をもつ。
(4)集団全体のパフォーマンスの変動についての情報が成員個々人に与えられる。
の4点を挙げています。
 第3章「集団意思決定」では、集団意思決定の問題点として、
(1)共有情報バイアス――隠れたプロファイル
(2)集団極化
(3)集団的浅慮
の3点を挙げています。
 第4章「リーダーシップ」では、リーダーシップの定義として、「一種の社会的影響過程であり、それは他者の協力や支持を得ることによって集団の共通目標を達成するものである」とするものを挙げ、リーダーシップの要因として、
(1)リーダー
(2)部下
(3)状況
(4)コミュニケーション
の4点を挙げています。
 第5章「集合・群集の行動」では、流言について、「情報源が明確でなく、無差別に人から人へ伝えられる社会的広がりを持ったコミュニケーション」であると述べたうえで、「便所の落書き」に関する研究として、「便所の落書きは社会的に認められていない態度や感情(例えば性的体験、排泄物、民族的敵意、逸脱した政治的見解など)を表現しているものが多い」とするものを紹介しています。
 第8章「危機事態の行動」では、「危機事態の人間行動に対して、一般の人々が抱くイメージ」が、「恐怖に駆られた多数の人々が理性を失い、原始的本能のおもむくままにヒステリックになって他者とぶつかり、あるいは蹴落としながら出口に向かって突進する。そのために群衆の中で大混乱が発生し、人が押しつぶされたり、踏み倒されたりして多数犠牲になる」という「パニック」であるが、「社会学者や社会心理学者の多くはこのようなパニック観について否定的である」として、「彼らは、危機事態においても人間は非理性的になることはほとんどなく、また反社会的な行動をすることもめったにないと主張する」と述べています。
 そして、危機事態における人間行動について、
(1)モデルA(工学的モデル、ボールベアリング・モデル)・・・非理性モデル
(2)モデルB(社会科学的、心理学的モデル)・・・理性モデル
の2つのモデルを示しています。
 第9章「危機事態の行動の実証的研究」では、1996年のガルーダ航空機事故に関する実証研究から、「理性モデルの妥当性が相対的に高いように思われる。その理由は危険状況では日常の絆がバラバラに壊れて、人々が我先に逃げるというのではなく、危険の程度が高いほうがより日常の役割(リーダーシップ)や絆(援助行動)が顕在化したこといによる」と述べる一方で、「密度が高い状況では、被災者は自分は理性的であるが、他者は非理性的な行動をしたと知覚する傾向がある」と述べています。
 そして、「寸刻を争うような危機事態では、生理的あるいは心理的に非常に掻き立てられた状態になる。そうすれば今までによく学習された行動(その人にとって簡単な単純な行動)がでやすくなる」として、「自分が慣れ親しんでいる行動の枠組みにそって、自動機械のような反応をする。危機事態だからといって普段と突然違った行動が出てくるわけではなく、普段は無意識に行なっている行動が強く表面に出てくる」と述べています。
 本書は、集団がどのように行動するのかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「三人寄れば文殊の知恵」や「船頭多くして船山に上る」など、個々人での知性とグループになったときの知性とでは違いがありそうだということは昔から知られていますが、これを学問的に捉えようとするのはやはりハードルが高そうです。


■ どんな人にオススメ?

・人が集まると何を考えるのかを知りたい人。


2012年1月 1日 (日)

恐竜はなぜ鳥に進化したのか―絶滅も進化も酸素濃度が決めた

■ 書籍情報

恐竜はなぜ鳥に進化したのか―絶滅も進化も酸素濃度が決めた   【恐竜はなぜ鳥に進化したのか―絶滅も進化も酸素濃度が決めた】(#2089)

  ピーター・D. ウォード (著), 垂水 雄二 (翻訳)
  価格: ¥2,350 (税込)
  文藝春秋(2008/02)

 本書は、「地質年代を画するような新しいタイプの生物の出現は、すべて酸素濃度の変動によって生まれた」とする、すなわち、「動物の時代と言っていい過去5億5000万年間に起こった、ずば抜けて重要な出来事と、進化的な大躍進(ブレイクスルー)についての解釈のやり直しを目指すものであり、また、動物の様々な門のあいだにおける進化的な変化の主要な引き金となったのが、酸素濃度の変動に対する多様な適応であったと信じるべき理由を、年代記的なやり方で示していくもの」です。著者は、「歴史を通じての大気中の(ひいては海中の)酸素濃度の時間的変化が、地球上の動物の性質、すなわち、形態及び基本的な体制(ボディ・プラン)、生理、進化及び多様性を決定するもっとも重要な要因であった」との仮説を示しています。
 第1章「哺乳類の呼吸とボディ・プラン」では、「酸素は動物にとって不可欠なものであり、その結果として、動物は、酸素の獲得のために一群の構造を進化させてきた。地球上の酸素濃度は、環境のちがいによって大幅に異なるので、呼吸器官のちがいは、部分的に生息環境の酸素条件のちがいと関連している」とした上で、「ある生物の呼吸システムのタイプは、その生物が最初に進化したときの地球の酸素濃度に関連したいたということはありそうに思われる」と述べています。
 第2章「地質年代における酸素濃度の変化」では、「現在の地球の大気がいかにしてできあがったか、そして空気が比較的最近(地球の年齢との比較で)になって高酸素と低酸素の時期をくぐり抜けたのに対して、海洋底は高酸素の時期を体験しただけでなく、時には無酸素、つまり全く酸素のない時期をくぐり抜け、さらにまた、現在よりも酸素濃度が高い時期も体験したという事実が、近年発見されるに至った」と述べています。
 そして、「大気中の酸素と二酸化炭素に影響を与えると考えられている多数の要因を考慮に入れたコンピューター・モデル」である「ゲオカーブサーフ(GEOCARBSULF)・モデル」を紹介した上で、「カンブリア紀の値は現在よりも低く、ペルム紀は地球の歴史の中で酸素濃度の最大の下落を体験したように思われる」と述べています。
 また、「本書で述べようとする主要な仮説は、6億年間にわたる大気の酸素レベルの変化が動物に顕著な進化的変化を引き起こしたというものである」とした上で、「海中でも陸上でも、高酸素の時代は進化の停滞した時代であった」と述べています。
 著者は、「実際に進化的な変化の刺激となったのが酸素量の変化であることはまだ実証することはできないが(相関関係は因果関係を意味しない)、あらゆる動物にとっての呼吸の重要性をよく理解すれば、酸素の値の変化が実際に主要な刺激であったという推測が導かれる」と述べています。
 第3章「カンブリア紀大爆発はなぜ起こったのか」では、「体節の繰り返しという体制が、鰓という呼吸器官の一部として進化した顎基への水流をつくりだし、大きな鰓表面積を可能にするために出現したものである」という仮説を提示するとともに、頭足類について、「驚嘆すべき効率的な鰓の進化に付随した生じたもので、それは今日でさえ、彼らが無酸素水塊を訪れることを可能にし、どんなものであれ、そこで見つかる限りの酸素を未だに取り入れることができるのである。これこそが、彼らの成功の秘密であり、酸素レベルが上昇した後の時代には、さらに一層効率を高めることができた」と述べています。
 第5章「シルル紀=デボン紀」では、全長が3メートル近くある、「それまで地球上で進化した動物の中で最大のもので、将来を含めて海にすむ動物の中で最も獰猛なものの一つ」であるウミサソリに関して、「ある動物が利用できる酸素の量が、その体の最終的な大きさを決定する要因であることがわかっている」として、「このような巨大動物は高酸素濃度によってのみ存在し得るのである」と述べています。
 第6章「石炭紀=ペルム紀初期」では、「昆虫、クモ、そしてサソリは、酸素が体の最深部まで拡散によって到達できる度合いによって大きさが制約されているように思われる」と述べています。
 第7章「ペルム紀絶滅と内温性の進化」では、「ペルム紀絶滅は、酸素レベルが相対的に最大の下落を見せたときに訪れた(それにともなって、地球の歴史上最大級といえる大気中の二酸化炭素量の短期的な上昇もあった)。この二つの出来事はどちらも、諸大陸の合体によって最大の大陸塊が形成され、最大級の火山活動(あふれ出た噴出玄武岩は、アラスカほどの大きさの溶岩原を残した)があったときに起こった」と述べた上で、「死滅した動物相のパーセンテージや地球の生物相に及ぼした影響から見て、過去6億年間の五大絶滅の中で最も破滅的なものとして描かれることは確かである」と述べています。
 そして、大量絶滅が、「久しい以前から影響力の大きな進化的出来事だと見なされてきた」のが、
(1)絶滅を通じて多くの種が取り除かれることが、突然空っぽになった生態的地位(ニッチ)を満たす新しい種の形成につながる道を切り開く。
(2)もし大量絶滅が、なんらかの長期的な環境変化によって引き起こされるのであれば、種は、新しい環境条件への適応を試みるチャンスを与えられることになるだろう。
の2つの側面で進化的な変化を育むからだと述べ、「あまりにも破局的であったために、ペルム紀絶滅は、間違いなく世界の生物学的な構成に影響を与えた」と述べています。
 また、化石の記録が、「内温性がペルム紀の終わり近く、酸素レベルが急速に落ちているときに進化したことを示している」ことについて、「内温性は大気中の低酸素に対する適応として始まったという考え方を提案したい」と述べています。
 第8章「三畳紀爆発」では、「三畳紀の動物の体制の多様性は、カンブリア紀爆発の結果生じた海生動物の体制の多様性によく似ているのである。それだけでなく、ほとんど同じような理由のゆえに起こったのであり、また、これから見るように、海生動物にとってカンブリア紀爆発が重要であったのと同じく、陸上の動物にとって三畳紀爆発は重要なものであった」と述べた上で、三畳紀の酸素が「10~15%という最低レベルまで落ち、そこで少なくとも500万年はとどまった」ことについて、「苦難の時は、進化と新しい工夫のエンジンを始動させる最良の起爆剤でもある。酸素量が史上最低のレベルまで落ちたこの時点から、長引く酸素危機にうまく対処できる呼吸システムを誇る新しい種類の動物が出現した。陸上では、2つの新しいグループ、哺乳類と恐竜が瓦礫の中から姿を現そうとしていた」と述べています。
 そして、恐竜について、「三畳紀の低酸素基、つまり酸素濃度がここ5億年で最低値にあった時期に、あるいはその直後に進化したものである――そして、その体制は低酸素に対する適応の結果である」として、「『恐竜らしさ』の多くの側面は、低酸素下で活きるための適応という観点から説明できる」と述べ、恐竜の二足歩行が、「四本の脚ではなく、二本の脚で走れば、肺及び胸郭は圧迫を受けない。呼吸を移動運動から切り離すことができる」として、「これが最初の恐竜の体制で、ここから、残りのすべてが進化した。すなわち、二足歩行、長く伸びた首、機能的な親指でものを握ることができる手、巨大な筋肉が付着するための骨盤、そして歩いたり走ったりするときに使われるそうした筋肉に必要な広大な付着面などである」と述べています。
 また、2005年7月の『ネイチャー』に乗った、古生物学者のパトリック・オコーナーとレオン・クレサンによる「鳥類の肺の基本的デザインと、鳥類以外の獣脚類恐竜における貫流式換気法」と題する論文について、「この論文の核心は、鳥類において機能を入れ込むのに必要とされる特殊な骨の形状が、竜盤類恐竜の骨にも見られることを示した点にある。恐竜の骨に空洞があるというだけでなく、同じ(あるいは相同な)骨に同じ形の空洞があるのである」と述べています。
 さらに、「三畳紀は低酸素――現代では非常な高山で見られるような――の時代だった。しかし、大気圧は現在と同じか、ひょっとしたら、それ以上だったかもしれない。これは私たちの体験の域を超えるものである。非常に二酸化炭素濃度の高い時代だった」と述べた上で、この時代に残ったものは、「驚異的に速い成長速度と、現代の鳥類の裁量のものには劣るが、他の現在の動物よりも薄い空気からうまく酸素を抽出できる肺システムを持つ変温動物なのだ。三畳紀末期からジュラ紀に入り、白亜紀を通じての恐竜の優越性は、他のどの動物よりもうまくやっていけることによって可能になったのである」と述べています。
 第9章「ジュラ紀」では、はじめのうちは多くの種類があるように見える恐竜の体制について、実際には、
(1)二足歩行
(2)首の短い四足歩行
(3)首の長い四足歩行
の3種類だけしかなかったとして、「この3つはどれも、鳥類及び哺乳類と一つの特徴を共有していた」として、「完全な起立姿勢」を挙げています。
 第11章「酸素の未来を危ぶむべきか?」では、「すべてのなかでもっとも重要なのは、世界中に広がる新しい世代の科学者が、化石記録から、生命の歴史をよりよく理解するための新しい手がかりを掘り起こすことである」と述べています。
 本書は、生命の進化を促す要因としての酸素濃度に着目した野心的な一冊です。


■ 個人的な視点から

 「ビッグファイブ」と呼ばれる五大大量絶滅とその後に起きる「爆発」的な進化についてはいろいろな説が出されていますが、酸素量に着目したことは非常に面白く、興奮して一気に読んでしまいました。ぜひとも『白亜紀に夜がくる』とあわせて読んで欲しい一冊です。


■ どんな人にオススメ?

・進化を司る「エンジン」を知りたい人。


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