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2012年4月

2012年4月27日 (金)

ヒト型脳とハト型脳

■ 書籍情報

ヒト型脳とハト型脳   【ヒト型脳とハト型脳】(#2114)

  渡辺 茂
  価格: ¥714 (税込)
  文藝春秋(2001/12)

 本書は、「ハトの脳とヒトの脳の違いとは一体何なのか?」について、「最新の実験データから、人と動物の言葉、知性、そして『心』の世界に」迫った一冊です。
 第1章「アニマル・ロジック」では、「動物が考えていることはヒト型論理とは違う」が、「わたしたちは明らかにその間に連続性を見ることができる。ヒト型論理は進化の産物である」と述べています。
 第2章「言語はわれわれだけのものか」では、「小鳥の歌は2つのことしか伝えない」として、「どのように複雑な文法で歌をうたっても」、「ここは私の屋敷だ」と「君が好きだ」の2つしかないと述べています。
 第3章「脳の成り立ちと進化」では、「ある意味では脳は保守的な器官」で、「消化管や排泄器官は種によって随分違っている」が、「私たちもトリたちも小脳があり大脳があり脳幹がある」と述べています。
 そして、「脳の進化の分岐分析をすると、脳を大きくするという進化は動物の進化の中で独立して繰り返し起きていることがわかった」と述べています。
 第4章「ヒト型脳」では、「実は人の脳はここ3万年の間に10パーセント小さくなっている」とした上で、英国レディング大学のミズン教授による心の理論の進化の段階として、
(1)ヒトと類人猿の共通の祖先が生きていた時代に、他個体の行動や表情を判断できた。
(2)150万年前に、人と類人猿が分かれる時期に、他人が自分とは異なる欲求を持っていることを認識できたが、他人の信念は認識出来なかった。
(3)20万年前には、言語を発達させ、欲求と信念の区別ができた。
(4)15万年前に、心の理論は完成した。
(5)3万年前に、他人に見せる装身具の使用がはっきりした。
の5つを挙げています。
 第5章「ハト型脳」では、「捕食者に対する警戒を絶やさないため」に、「小鳥は片半球ずつ眠ることができるらしい」と述べています。
 また、「ハト型脳においてもヒト型脳と同じように機能の分離が見られる」として、「様々な認知の機能が脳の別の場所で分業化されて実行さている」と述べています。
 本書は、ハトを調べることで、私たちの脳の仕組みを知ることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 動物に人間と同じ心の働きがあるわけではありませんが、動物にも動物の「論理」があるはず、という本書の話は面白いです。人間が持っている「論理」がどのように進化して得られたものなのか、どこまでが脳の機能そのもので、どこまでが文化や教育によるものなのか、突き詰めていくと謎はたくさんある気がします。


■ どんな人にオススメ?

・ハトが(そして自分が)何を考えているのかを知りたい人。


2012年4月26日 (木)

隕石コレクター―鉱物学、岩石学、天文学が解き明かす「宇宙からの石」

■ 書籍情報

隕石コレクター―鉱物学、岩石学、天文学が解き明かす「宇宙からの石」   【隕石コレクター―鉱物学、岩石学、天文学が解き明かす「宇宙からの石」】(#2113)

  リチャード ノートン(著), 江口 あとか (翻訳)
  価格: ¥3675 (税込)
  築地書館(2007/06)

 本書は、世界中の隕石を追う「隕石ハンター」を紹介するとともに、「科学、物理学、天文学、地質学、岩石学、鉱物学といったあらゆる既存の学問分野を統合した総合的な学問」である「隕石学」の入門書です。
 第1章「隕石入門」では、「隕石の多くは科学者が発見するのではなく、一般の人が面白い石を探しているときに見つけたもの」であり、発見者が気づく唯一の特徴として、「隕石は黒くて重い」ことを挙げています。
 そして、落下したばかりの親戚な隕石には、「隕石の外側が融点に達すると溶けた物質が流れ始める」ことから、「融除」による「表皮」が見られると述べています。
 第3章「世界初の隕石ハンター」では、1920年代に大学で生物学の教鞭をとってたが、「人生を投げ打つほど隕石に夢中になってしまった」ため、世界初の「隕石ハンター」になったアーヴィー・ハロウ・ナイニンガー博士を紹介しています。
 そして、ついには、1946年に世界初の隕石専門の博物館である「アメリカン隕石博物館」を創設しています。
 また、ナイニンガーが亡くなる数カ月前に、彼を訪れた若者、ロバート・A・ハーグの中に「かつての自分」を見つけ、「野外に出て行って天からの石をどこまでも追い求めるよう」励ましたとして、彼こそが「メテオライトマン」だと述べています。
 第4章「Mr.メテオライトマン」では、ロバート・ハーグこそ、「隕石への情熱をみごと百万ドルのビジネスに発展させ、世界で一番重要な隕石供給者になった」と述べています。
 第5章「隕石探し」では、隕石が見つかる確立は、「隕石が落下する頻度と地球上での寿命による」とした上で、「隕石が一番みつかりやすいのは、自然の岩や植物がなく、特徴のない平らな場所である」だけでなく、「隕石がゆっくり表面に運ばれる自然のメカニズム」があり、黒い溶融表皮が目立つよう地面が白っぽい場所であるとして、南極の「青白い氷以上に隕石探しに適した場所があるだろうか」と述べています。
 第6章「コンドライト」では、「隕石は構造と鉱物によって分類される」として、「過去数十年間に南極から回収された多くの隕石の中には、現在の分類システムではうまく合わないものが見つかっている」ため、「近い将来、新しい分類方法ができるだろう」と述べています。
 第7章「エイコンドライト」では、コンドライトが今まで発見されている隕石の約67%を占めており、残りは、「エイコンドライト」「石鉄隕石」「鉄隕石」の三種類があり、これらには、「どれも母天体が溶融した結果、母天体の表面または内部で形成された岩石だ」という共通点があると述べています。
 第12章「衝突地質学」では、「人類の歴史を通して、幾度も私たちの生活や物の見方を変える素晴らしい瞬間というものがあった」が、「大抵はその出来事に参加している人たちでさえ、その瞬間には気づかない。影響は後になってから現れるのだ」として、K-T境界に含まれるイリジウムから、直径約10キロの物体が地球に衝突したと発表したアルバレス親子の業績を紹介しています。
 本書は、隕石に夢中になった人たちと隕石そのものの魅力を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 隕石にのめり込んでしまったがために、大学教授の職を擲って、しまいには隕石博物館まで作ってしまうナイニンガー博士。面白いです。ぜひとも、彼を主人公にして『ライフ・イズ・ビューティフル』みたいな面白い映画を作ってくれないものでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・流れ星をどこまでも追いかけたい人。


2012年4月25日 (水)

政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年

■ 書籍情報

政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年   【政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年】(#2112)

  ジェラルド・カーティス
  価格: ¥1680 (税込)
  日経BP社(2008/4/10)

 本書は、半世紀ほど前から日本に暮らす政治学者である著者が、その間の日本社会の変化を振り返ったものです。
 序章「初めての東京」では、「一年間東京に滞在したことで、私の人生は変わった。毎日が面白くて刺激的だった。アメリカでは味わえない経験をして、自分の世界観が広がった。当時、日本人はお金がなかった。だが、その頃の日本を『貧しい国』と見るのは大間違いである。お金は物質的なものであって、お金がなくてもリッチな人生を送れる――。これは、私がその頃の日本人から学んだ大切な教訓である」と述べています。
 第1章「知日派へ」では、コロンビア大学の大学院で国際政治の修士号を取ろうと考えていた著者が、中国の専門家である指導教官から、「あなたは生きている政治を勉強したほうがいいと思うが、残念ながら中国と国交正常化をしないというアメリカの愚かな政策は当分変わりそうにない。日本なら実際に行って勉強できるが、中国は遠くから見るしかない。日本の勉強をすればいいと思う」という勧めに従って、日本を専門的に研究することになったと述べています。
 また、「知日派」を三世代に分け、「第一世代は戦前の日本研究者であり、極めて少数だった」として、この世代は「宣教師の子弟が多かった」としています。そして、第二世代は、「日本と戦った経験があったため、日本について思い入れが強かった」、「太平洋戦争という悲劇が二度と起こらないようにすることが、彼らにとって使命感になった」と述べています。さらに、著者を含む第三世代の日本研究の動機は「好奇心」であったとしています。
 そして、選挙事務所の手伝いをしたという日本人の友人の話を聞き、「これこそ、日本政治の実態だ。日本の政治社会の構造を理解するには、選挙運動の仕組みを調べれば面白い」と閃き、「地方の選挙区に入り、候補者の選挙運動を分析すれば、日本の民主主義のグラス・ルーツが分かる。当時、政治学者はまだ日本の選挙の実態をほとんど取り上げていなかった。日本政治研究の新分野を開拓できるかもしれないと勢い込んだ」と語っています。
 第2章「代議士の誕生」では、候補者と一緒に参加した宴会でのエピソードとして、両手で猪口をいただくときに「お流れ頂戴します」と言いながら頭を下げることを紹介し、「最近、この『お流れ頂戴します』のエピソードを若い人達に話すことがあるが、新聞の政治記者も含めて、この表現を聞いたことがないという人が案外多い」と語っています。
 そして、「小選挙区制が日本の政治を大きく変えたのは、当のリーダーに過剰なほどスポットライトが当たるようになったことだ。中選挙区制は、政策とか党よりも人が中心だったという批判があった。今の小選挙区制でも、選挙運動は人を中心に行われるが、その『人』は選挙区の候補者と言うよりも党のリーダーである」と述べています。
 第4章「『失われた10年』は分水嶺」では、著者が「日本の政治は後れている」と発言したことについて、「日本の政治が日本の社会の変化に後れている、ついていけていないという意味」だと述べています。
 第5章「日本政治――どこから、どこへ」では、「現在の官僚出身の政治家は、若い時に役人を辞めて政治家に転身した人が多い」ため、「優秀ではあっても官僚としてのコネも経験も乏しい。それに加えて、官僚をめぐるスキャンダルと経済政策の失敗によって、官僚のプレステージが著しく低下した。」と述べています。
 また、「政治主導」とは、「政治家が官僚の代わりに政策を作るっという意味で使われている」が、「政治家と官僚には役割分担があるはずで、政治家が本来官僚のやっている仕事をやるようになれば、それは政治主導ではなく、政治家の官僚化に過ぎない」と指摘し、「政治主導というのは、政治家が官僚の代わりに官僚がやるべきことをやるということではなく、官僚をコントロールして、リーダーシップを発揮することである」と述べています。
 本書は、日本の政治と社会が大きく変化した半世紀を第三者の目から概観した一冊です。


■ 個人的な視点から

 長く日本の政治を見続けた外国人研究者ということで、それ自体も面白い話が多いのですが、そもそも日本の選挙運動を「参与観察」の形で研究したということ自体が、外国人ではなくとも面白い研究だと思うのです。まあ、外国人だから物珍しさもあって見せてくれたという面もあると思いますが。


■ どんな人にオススメ?

・日本の政治の形をざっと振り返ってみたい人。


2012年4月24日 (火)

「松代大本営」の真実

■ 書籍情報

「松代大本営」の真実   【「松代大本営」の真実】(#2111)

  日垣 隆
  価格: ¥650 (税込)
  講談社(1994/7/18)

 本書は、「政府諸機関や日本放送協会などの一部移転としての遷都計画、軍の中枢機関移動としての大本営要塞計画、これに伴う通信網設置計画、宮城の緊急移築としての離宮計画、皇位継承者の疎開計画、そして三種の神器の防御計画」が複合した計画であった松代の地下壕についての報告です。
 第2章「神々の移転」では、「大本営や一部省庁や日本放送協会海外局や御文庫や賢所仮殿などの複合移転jン先が、三里塚や日光や八王子や多摩ではなく松代となった最大の理由は、岩盤の堅さや近くに飛行場があることに加えて、何より海岸線から遠い山中にあったからだ」と述べています。
 そして、「政府機関の移転だけではマツシロ以外に考慮された事実はなく、しかもこれら全部を複合した移転計画こそ、マツシロに特徴的なのであった」と述べています。
 さらに、「松代への移転が歴史に刻まれなかったのは、その直前に宮城内大本営地下壕が完成されたからだったのである」としています。
 第3章「無駄な穴」では、「日本軍の布陣や作戦をつぶさに調べれば調べるほど、松代周辺で本土決戦を行おうとしていた形跡は、絶無であると了解される。完全敗北や無条件降伏とは異なる『終戦』をより有利に、最悪の場合にも国体だけは護持するために、いくつかの選択肢のうち、きわめて可能性の高いものとして、松代大本営はあったのだ」と述べています。
 第6章「破壊せよ」では、「アメリカ太平洋陸軍(GHQ/AFPAC)は、45年9月から半年ほどをかけて、日本中の軍事施設を徹底的に調査し記録していった。けれども従来、宮城内にあった大本営地下壕、市谷台の地下に造営されていた陸軍省と参謀本部、霞が関の地下に潜っていた海軍省と軍令部、日吉台の慶應予科の地下にあった連合艦隊司令部、そして松代大本営、これらを米軍が徹底的に調査し記録したという確証は得られていなかった」と述べています。
 本書は、様々な伝説が付加されて語られることが多い"松代大本営"の全容を知ろうとする一冊です。


■ 個人的な視点から

 戦時中に進められていたいろいろな各種プロジェクトは、もともと機密性の高い話であったことと、戦後の占領政策の中での取り扱いの問題もあって、現在まできちんと伝わっている話は少ないんだと思うのです。だからこそ『鉄人28号』みたいなストーリーを作ることもできるのですが。


■ どんな人にオススメ?

・いまだにM資金の話を信じてしまう人。


2012年4月23日 (月)

"放射能"は怖いのか―放射線生物学の基礎

■ 書籍情報

   【"放射能"は怖いのか―放射線生物学の基礎】(#2110)

  佐藤 満彦
  価格: ¥724 (税込)
  文藝春秋(2001/06)

 本書は、「人口にあまねく膾炙している割には、意味内容が曖昧なままに使われている」世間で誰一人知らない人がいない「放射能」という用語について、「放射能の実態である放射線が生物にどんな影響をあたえるのか、放射線生物学の最新の知見を紹介し、微量ならば肯定的に作用しうることも明らかにする」一冊です。
 第1章「"放射能"という言葉」では、「人体や人類にとって危険なのは、『性質や量』としての放射能ではなく、放射性物質から放出され、物質を変化(電離や励起)させうるだけの高いエネルギーを担って飛行し、生体物質に作用してそれを損傷できる放射線という実態である」と述べています。
 第4章「生物面の基礎知識」では、フランスの放射線物理学者のベルゴニエとトリボンドーが定式化した法則として、「成体を構成する細胞の中で、増殖能が大きく、分化の程度の低いものほど、放射線感受性が高い(放射線障害を受けやすい)というもの」であると述べています。
 第5章「放射線障害のあらまし」では、放射線障害の特徴として、
(1)放射線障害にだけ特有の症状というものはない(放射線障害の非特異性)。
(2)放射線障害は、放射線の線質に依存しない(線質非依存性)
(3)ある潜伏期間を経て晩発性障害の現れることがある。
(4)臨床経過が複雑で、再発、併発、悪性変化(ガン変成)が起こりうる。
(5)被曝の影響は当の被曝世代にとどまらず、後続世代にも及ぶ。
(6)放射線が視覚や知覚などの五感で感知できない。
の6点を挙げています。
 そして、「広島・長崎における気の遠くなりそうな数の犠牲者を除」くと、「全身性放射線症で亡くなった人の数は、私達が想像するよりもはるかに少ない」として、「前世界で三桁の数字に達していない」と述べています。
 また、「妊婦が用心しなければならないのは、妊娠してから四ヶ月までで、特に各種の器官が形成される2~6週目における放射線被曝である」と述べています。
 さらに、バックグラウンド(自然放射線)の10~100倍高い、いわゆる低線量被曝が生体にもたらす影響について、「マウスやラットを用いた動物実験では、ガンマ線の連続照射によって自然死による寿命の短縮がはっきり認められるのは、その一週あたりの照射線量が10ラド(0.1グレイ)、すなわちバックグラウンドの数千倍高い場合であった」として、「ヒトについては今日、放射線が寿命の短縮を引き起こすという証拠はない、とされている」と述べています。
 また、「放射線の遺伝的影響は、人類集団が浴びた放射線の総線量に比例する」として、「遺伝的影響の評価に際して重要なのは、個々人の被曝線量よりは集団全体の総被曝線量」だとして、「例えば日本人全体、あるいは人類全体といった集団が浴びる放射線の総線量(これを国民線量、集団線量などと読んでいる)を可能なかぎり低く抑える配慮が必要となろう」と述べています。
 第6章「身の周りの放射線」では、「カラーテレビは電子電圧が高く、蛍光体からある程度X線が発生している」として、「2メートル離れた位置で週50時間テレビを見ると、年間約25ミリレントゲン(ほぼ0.25ミリシーベルト)になる」ことから、「テレビは、放射線源の分類からすると放射線発生装置の範疇に入るだろう」と述べています。
 第10章「障害の克服」では、「生物は微量の放射線によっても傷つけられる。それゆえわずかな放射線でも浴びるのは危険である、という論調に接することがしばしばある」が、「生物は傷ついたDNAを手段を尽くして治そうとする精妙な機構を備えている」ことから、「"鎧袖一触"という感のあるこの図式のいささか決定論的な部分には、何らかの"修復"が施されねばなるまい」と述べています。
 第11章「低線量放射線の刺激効果」では、「放射線生物学の古くて新しい設問は、低線量放射線は、生態系に対しいかなる影響をもたらすか? 地殻・宇宙船などの自然放射線を浴びながら生物が進化してきた事実を踏まえる時、低線量放射線は生物に対してむしろ有益な効果、すなわちホルミーシスをもたらしてきたし、また現にもたらしている、とは考えられないか? というものである」と述べています。
 第12章「放射線の怖がり方」では、「十分な事実に基づいて一般化されたものをは考えにくい情報を論拠にした、『どんなに微量の放射線でも浴びたくないという願望、浴びないほうがよいという薦め、浴びてはならないという信念や主張』などに接することがよくある」が、この「公理」に対峙するのが、本「本章の課題の一つである」と述べています。
 本書は、"放射能"を「正しく知って、正しく怖がる」ための一冊です。


■ 個人的な視点から

 「放射能」という言葉が登場するだけで思考停止してしまう人も実際には多数いらっしゃるわけですが、個々人として浴びる放射線量の問題と、何万人という集団の単位で浴びる放射線量の問題を、きちんと切り分けて考えることができるようにする、というのは、「放射能」問題に限らず、きちんとした「科学」の教育の問題だと思うわけです。


■ どんな人にオススメ?

・3.11以前は「放射能」とは無縁の生活を送ってきたと思っている人。


2012年4月20日 (金)

発達障害に気づかない大人たち

■ 書籍情報

発達障害に気づかない大人たち   【発達障害に気づかない大人たち】(#2109)

  星野仁彦
  価格: ¥819 (税込)
  祥伝社(2010/1/30)

 本書は、「15歳未満の子どもの1割以上が何かしらの発達障害の症状を示す」という統計があり、「その多くが、発達障害であるとは気づかないまま大人になっていく」ことについて、「大人の発達障害」の「症状や発祥のメカニズムと原因、そして適切に治療するための方法」をわかりやすく解説したものです。
 序章「発達障害に気づかないまま大人になる人達」では、「物事の優先順位がわからない、やるべきことを先延ばしにする、仕事のミスが多い、時間に遅れる、約束を守らない、忘れ物が多い、人の話を聞かない、人の気持ちがわからない、人付き合いが上手くできない、場の空気が読めない、キレやすい、落ち着きがない、後先考えずに行動する、片付けられない」などの「ちょっと困った人」について、「その原因として、『大人の発達障害』を疑ってみる必要がある」と述べています。
 そして、「大人の発達障害は、適切な薬物療法やカウンセリングなどを受ければ、十分、治療可能」だとしています。
 第1章「大人の発達障害って何だ?」では、「ごく大雑把に言えば、脳機能の発達の凸凹(偏り)が原因であり、一時的には家庭環境や本人の性格などは関係」なく、「あくまで本質的な原因は脳であり、心の問題ではない」としています。
 そして、軽度の発達障害が世の中の注目を浴びるようになった理由として、
(1)予想以上に高い割合で存在することがわかってきた。
(2)ストレス耐性が弱く、不利な環境に対して反応を起こしやすい。
(3)就労や社会適応が難しい。
の3点を挙げています。
 また、発達障害者(特に軽度の発達障害者)が、誤解や偏見を受けやすい理由として、
(1)知能の著しい遅れを伴わず、学業成績がさほど悪くなく、学歴も低くない。
(2)年齢と発達段階によって障害の現れ方が大きく変化していく。
(3)障害の現れ方と経過には大きな個人差がある。
(4)人によってはうつ病などの心の合併症を示す。
の4点を挙げています。
 第2章「こんな人は、発達障害かもしれない」では、「ADHDでは、仕事でミスや失敗を繰り返すことが多く、成功体験や達成感に乏しい。このためどうしてもセルフイメージ(自己像)が低くなり、劣等感、疎外感を抱きやすく、『自分は価値のない何もできない人間だ』と思い込む傾向(自己不全感)が強く」なると述べています。
 また、対人スキルに関して、「一言で言えば、他社と喜怒哀楽の感情を共有する『共感性』に欠ける」ために、「平気で人を傷つけるようなことを言ったり」する一方で、「人一倍傷つきやすく、些細なことですぐに落ち込んだり」すると述べています。
 さらに、ADHDやASのような軽度の発達障害者は「新規追求頃公(Novelty seeking)」と「独創性」が共存しており、「彼らは基本的に飽きっぽく、退屈に耐えられず、少しでも退屈を感じると、すぐに何か新しいものを探して頭の中のチャンネルを切り替え」、「古くからある決められたやり方や手順を嫌い、常に目新しい物や熱中できるものを探して、好奇心の赴くままに外界の刺激を追求」すると述べ、「発達障害者は、しばしばきわめて独創的です。無計画で注意散漫でありながら、キラリと光る才能のひらめきを見せることがあります。普通の人なら到底思いつきそうもないことを考え、しかもそれを実行に移す行動力を併せ持つことがあるのです」として、「ADHDの新規追求や独創性は、長所にも短所にもなる症状で、過集中傾向も合わせてうまくプラス方向に活用できれば、自分の才能や能力にあった職業について、思う存分、独創的な仕事をやることができ、結果的に素晴らしい業績を残せる可能性があります」と述べています。
 そして、「車、電車、昆虫、恐竜、気象、地図、歴史」など、「自分の興味や関心のあることに強いこだわりをもち、極端にのめり込んで、マニアックに一つのことをやり続ける」のは、「発達障害者によく見られるか集中とこだわり傾向の典型的なパターン」で、とくにアスペルガー症候群(AS)に見られる傾向であり、「圧倒的に男性に多く、90%以上』を占めると述べています。
 第3章「発達障害は隠れている」では、「発達障害者は、一般の健常者以上にストレスやプレッシャーの少ない環境(家庭、学校、職場)で、より温かく、より保護的にサポートされるべき」だが、「現実は全く逆で、発達障害者特有の言動が、怠け者や変わり者、自分勝手なわがまま人間と誤解され、毎日のように親や教師などから、『またそんなことして! いったい何回言ったらわかるの!』などと厳しく叱責、批難されて」いると述べています。
 第4章「発達障害はなぜ起こるの?」では、「幼児期の著しい虐待やネグレクトによって社会性の発達が傷害され、しばしば自閉症と類似の症状を示す」ことがあるとして、ルーマニアの「チャウシェスクの子どもたち」の例を挙げ、共産党政権崩壊後に、養育放棄されたストリートチルドレンが自閉症を効率で発症しており、MRI検査の結果、「大脳辺縁系(海馬と扁桃体)が萎縮しており、しかもその萎縮の程度は親から遺棄された期間が長いほど明らか」だったと述べています。
 第5章「大人の発達障害は治せる」では、治療のために重要なポイントとして、
(1)診断を受け入れ、サポートしてくれる理解者を得る。
(2)自分の得て・不得手を知り、周囲の助けを借りる。
(3)日々の暮らしの中でできる9つの工夫
(4)良きライフスタイルを確立する
の4点を挙げています。
 本書は、本人の心の問題と思われがちな様々なトラブルが、脳に起因する問題であるケースを紹介した一冊です。


■ 個人的な視点から

 私自身も、子供の頃は忘れ物が多く片付けるのが苦手で、教師からは「成績がいいのに忘れ物をするのは俺をナメてるからだ」と、学校では朝から夕方までベランダで正座させられたりするなど目の敵にされていたので、大人の発達障害は他人事ではないと思っています。


■ どんな人にオススメ?

・自分はダメな人間だと落ち込んでしまう人。


2012年4月19日 (木)

『ザ・タイムズ』にみる幕末維新―「日本」はいかに議論されたか

■ 書籍情報

『ザ・タイムズ』にみる幕末維新―「日本」はいかに議論されたか   【『ザ・タイムズ』にみる幕末維新―「日本」はいかに議論されたか】(#2108)

  皆村 武一
  価格: ¥714 (税込)
  中央公論社(1998/02)

 本書は、「世界史的にもあるいはまた日本史のうえからみても激動期であり、また社会体制の変革期であり、新たな社会体制の形成期でもある」幕末・維新期の日本がイギリスの『ザ・タイムズ』を中心とする海外の新聞にどのように写っていたかを紹介するものです。
 第1章「鎖国から開国への道程」では、「ペリーの砲艦外交がなくとも、当時の日本の開国は時間の問題であった。商人や一般庶民のある部分は外国との交易を望んでいたし、世界の列強も開国への圧力を強めつつあったので、それを跳ね返すだけの力はもはや幕府にはなかった」と述べています。
 第2章「日本に開国を迫る欧米諸国」では、「アメリカの大艦隊の日本遠征に関して、イギリスは少々冷ややかな見方をしている」として、「イギリス政府は、ペリー艦隊のような大げさで、膨大な費用を要するような遠征は、海港意外の貿易などの利益が見込まれるのでなければ、採算が合わないと考えていたからである」と述べています。
 一方で、アメリカのハリスは、「正常な国家間の通商関係は、国家相互の友愛と信頼によってのみ結ばれ、相互の間に富と繁栄をもたらすものでなければならないと考えていた」ため、「このような貿易の正道を無視して、中国にアヘンと戦争を持ち込み、戦果として貿易を勝ち取ったアングロ・サクソン流の政策を、宗教的感情とヒューマニティの立場から憎悪していた。彼は、西洋資本主義諸国の東洋市場開拓の歴史は、イギリス人の犯した罪悪行為で汚されたと考えていたのである」と述べています。
 第3章「薩英戦争とイギリス議会」では、『ザ・タイムズ』に掲載されたイギリス下院議員のブックストンの記事が、薩英戦争に伴う「鹿児島の火災」の原因が、「偶発的なものではなく、クーパー提督が故意に引き起こしたものである」と主張していることに関して、ブックストンが、
(1)イギリス人の誇るヒューマニティという特性は事件によって、外国人の目には、疑いもなく、空々しい物に映るであろう。
(2)鹿児島焼き払いは、もしそれが故意になされたとすれば、今後の戦争において、わが国のみならず他国の先例になるであろう。
の2点を理由に、「イギリス艦隊が鹿児島の町を焼き払った犯罪行為に関して議会の採決の動議を提起した」と述べています。
 第5章「異文化接触と文明開化」では、『ザ・タイムズ』に描かれた日本人の特徴について、「日本の風景や日本人の特性については、概してすばらしいとか、勤勉であるとか、器用であるとか、インテリジェントであるという表現が多いが、日本人の習俗や国民性については、奇異であるとか、なかば野蛮であるという表現が見受けられる」と述べています。
 第6章「政治・経済を変えた開国」では、「開港は、日本の商品輸出を急増させたが、国内は物資不足、物価騰貴を招き、国民生活を圧迫し、さらには金貨の流出も大きな社会的・経済的な問題になった」と述べています。
 第7章「文明開化の恩恵いずこ」では、「明治維新に先立ち、いち早く西洋諸国を歴訪し、近代的科学技術や諸制度を日本へ導入し、日本の近代化に大きく寄与したのは、薩摩藩英国留学生たちである」とした上で、「彼らを英国に送り出した国本の薩摩藩、そしてその後を継いだ鹿児島県」における彼らの処遇について、「封建的気風の一層強固な鹿児島県では、彼らが西欧で習得した個人主義、近代合理主義、近代科学技術、そして民主主義的思想は受け入れられず、また必要ともされなかった。留学生の多くは不本意な処遇にあまんじなければならなかった」と述べています。
 そして、「戊辰戦争で凱旋した下級武士(武勲派)は、維新の変革が進むに連れ、自分の社会的・政治的権益が失われていくことに対して、不平不満を募らせ、政府の要職についたものを妬み、非難攻撃したのである。有能な人材が鹿児島に愛想を尽かして去っていったのであり、お忍び意外に再び鹿児島に帰ってくることはなかった。鹿児島が地元で活躍する人材を失った大きな原因である」と述べています。
 本書は、日本史上の激動の幕末が、世界史の中でも激動であったことを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 幕末・明治期の写真を目にすると、現代文明の「目」が当時に入り込んだようなマンガの「仁」的な感覚と、そう入っても現代につながっている懐かしい感覚との両方の感覚が入り混じった不思議な感じがします。


■ どんな人にオススメ?

・海外メディアの目を通した幕末を見たい人。


2012年4月18日 (水)

伊能測量隊まかり通る―幕府天文方御用

■ 書籍情報

伊能測量隊まかり通る―幕府天文方御用   【伊能測量隊まかり通る―幕府天文方御用】(#2107)

  渡辺 一郎
  価格: ¥3990 (税込)
  NTT出版(1997/10)

 本書は、「わかっているだけで440種も製作された伊能図の特質を、10回に及んだ伊能測量と関連づけながら解説するとともに、伊能測量の背景及び測量隊を受け入れた全国各地の宿場と村々・初版の協力のもようについて、事実と推論を述べた」ものです。
 序「謎だらけの大プロジェクト」では、「伊能測量は途中、事業のあり方が二度、大きく変質している」として、
(1)第2次測量までは、忠敬の個人的事業に幕府が定率の補助を与え、御用測量の看板を掲げることを認めた試行措置だったが、第3次測量からは東日本全部にまで地域が拡大され、補助率もほぼ100%に変わる。
(2)東日本図が完成し、将軍の上覧を受けてからは、忠敬は幕臣に取り立てられ、測量隊も内弟子のみの編成から、天文方の下役を配属されて幕府直轄の事業に変わる。
の2点を挙げています。
 第1章「西国測量への旅立ち」では、忠敬が実施した測量の目的として、
(1)日本の海岸線の形を明らかにすること
(2)経由した主要街道の経路を明確にすること
の2点を挙げ、「海岸と街道から外れた内陸部は、著名な山岳の位置を示す程度で、ほとんど空白のままである」ことから「沿海地図」と名付けられたとしています。
 また、測量事業が幕府直轄事業に格上げされたメリットとして、
(1)下役を配属され、内弟子にまで旅費などの手当が支給され、公用旅行者ならではの安い宿泊料ですむようになった。
(2)沿道で荷物運搬用に無賃で陣馬の提供を受けられ、さらにそれを上回る膨大な地元の支援を得られるようになった。
(3)諸藩に対しても老中から直々に測量隊を支援するよう命令がくだされた。
の3点を挙げています。
 第2章「それまでの伊能測量(第1次~第4次測量)」では、伊能忠敬が測量を始めた動機は、「緯度一度の距離を測定することにあった」とした上で、当時、ほかにも「やれば自分にもできた」と考えていた測量家はいたが、「だれからも頼まれないのに、『その必要がある』といって自ら名乗り出て、自腹を切ってやろうという積極的な姿勢があった忠敬のみが、結果として成功した」と述べています。
 第3章「東海道を機内へ(第5次測量 その1)」では、「伊能隊は道線法による測量を丁寧に行うことで誤差を減らすとともに、公会法による測量を徹底して行うことによって精度を高めた」と述べています。
 第5章「四国・大和路を巡る(第6次測量)」では、「幕府の幕府の御用測量隊として初めての測量旅行となった第5次測量では、作業量の見通しを誤ったり、下役の市野が帰府せざるを得なくなったり、忠敬自身の病気の為に隊の統率が乱れたりなどして、散々であった。測量計画が途中で頓挫しなかったのが不思議なほどである」と述べています。
 第6章「九州をめざす(第7次測量)」では、「薩摩藩は、領境の北側については厳しく閉ざし、南側には大いに国を開いていたというが、他国からの出入りが難しく、内情がわからない国であった。伊能測量が、一日ではあるが城下を測り、目と鼻の先の桜島を三日もかけて隅々まで測量するということは、薩摩側にとっては異例なことであったに違いない」と述べています。
 また、測量隊を迎える地元の対応について、「どうしても巡見使を意識した。将軍の代替わりにともなって諸国に派遣され、民情、政情を視察する御巡見は、地元にとっては大切に扱うべきもので、つつがなく終了させなければならなかった」と述べています。
 第8章「伊能測量の集結(第9次、第10次測量)」では、「伊能中図を制作年代順に見ていくと、最終版では接合方法で大きな問題が生じたであろうと想像がつく。測定データはよかったが、地図の投影法の研究が不十分だった。その結果として、一枚一枚はどうやらよくても、接合すると合わなくなっていた」と述べています。
 第9章「伊能図の果たした役割」では、「17年にわたる伊能測量隊の投句と、膨大な沿道・沿海の人々の支援により製作された伊能図が、旧幕時代にどのように使われたかは、じつはよくわかっていない」とした上で、「公の基本図として利用されたことはなかった」が、「諸侯等には所有を黙認したから、大名家などには副本、写本、あるいは写しの写し等様々な出来ばえの伊能図が保有されてきた」と述べています。
 そして、「幕末以降は地図作成に大いに利用された」として、
(1)「官板実測日本図」の公刊
(2)陸地測量部における利用
(3)海軍水路部における利用
の3点を挙げた上で、「当時の手書き地図は、原図の上に紙をおいて敷き写すのがふつうだったが、伊能忠敬は、初めに下図の低構図を作り、側線を針で突き写して作図した。信頼度を損ねずに複数枚数の制作を行うことをはじめから意識している」と述べています。
 本書は、全国測量という偉業を成し遂げるまでのリアリティのある記録を読みやすくまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 千葉県の偉人として、大河ドラマにしたい、という動きもあるようですが、歴史に名を残すには、ずば抜けた才能よりも、ずば抜けた財力と行動力の方が重要かもしれないという意味で、才能がない人にも希望を与えてくれます。


■ どんな人にオススメ?

・日本の形を知りたい人。


2012年4月17日 (火)

生命の起源を宇宙に求めて―パンスペルミアの方舟

■ 書籍情報

生命の起源を宇宙に求めて―パンスペルミアの方舟   【生命の起源を宇宙に求めて―パンスペルミアの方舟】(#2106)

  長沼毅
  価格: ¥1785 (税込)
  化学同人(2010/11/20)

 本書は、「地球生命の宇宙起源論」である「パンスペルミア説を中心にして、その考え方と歴史、科学的な根拠、これからの惑星探査への応用性、そして、知的生命との遭遇の可能性」などについて広く論じたものです。
 第1章「生命は地球で誕生しなかった」では、「生物は生物から」をよく考えると、「では最初の生物はどうしてできたのだろう」という「生命の起源」という「飛び切りにおかしな点」があることに気づくと述べています。
 第2章「生命は火星から地球に飛来した」では、「原始火星に地球より早く生命が誕生し、それが地球に飛来した可能性」について論じています。
 第3章「パンスペルミア説の発展と受難」では、パスツールの「自然発生説の否定」とダーウィンの「神による生物創造の否定」を組み合わせると、「最初の(地球の)生物はどうやって生まれた?」という問題が生じるとして、この問題の考え方は、
(1)最初だけ自然発生した
(2)最初だけ神がつくった
(3)地球外からきた
の3つに絞られるとしています。
 そして、「パンスペルミア説は昔からあって、論理的に否定されたことは一度もない。しかし、多くの科学者はそれを支持しない。いや、支持しないどころか、口にしただけで嫌悪感を示し、まじめに取り合おうとしない」と述べています。
 第5章「パンスペルミアの故郷」では、ローカル起源派が、パンスペルミア説を、「パンスペルミア説は"生命誕生の場"を地球上から地球外に逸らしただけで、生命起源の問題に応えていない、問題の先送りに過ぎない」と批判することについて、「ローカル起源派とパンスペルミア説の違いは"生命誕生の場"を宇宙のどこに求めるかだけであって、パンスペルミア説が問題の所在を逸らしているわけではないし、問題の先送りでもない。あくまでも、我々自身を含む地球生命の故郷を探すことが目的であり、その故郷が宇宙にある可能性を検討する、ただそれだけのことである」と反論しています。
 本書は、我々がどこから来たのか、ということに想いを馳せるきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 そもそも地球を構成している物質自体の多くが地球外に由来しているわけですから、生命が地球で「自然発生した」と言い切るのも難しいのではないかと思うのです。


■ どんな人にオススメ?

・生命はどこから来たのかを考えたい人。


2012年4月16日 (月)

世間のウソ

■ 書籍情報

世間のウソ   【世間のウソ】(#2105)

  日垣 隆
  価格: ¥714 (税込)
  新潮社(2005/01)

 本書は、「ウソには5種類ある」として、
(1)社交辞令
(2)皮肉
(3)その場の雰囲気が作り出すウソ
(4)特定の組織または誰か(たいていは自分)を守るため、あるいは飾るためのウソ
(5)世論を誤らせる構造的なウソ
の5点を挙げた上で、5番目の「世論を誤らせる構造的なウソ」を取り上げたものです。
 著者は、「様々な事象について、『これこれには何種類ある』と先に断定してから無理矢理にでも中身を列挙しつつ矛盾を調整してゆくと、考えを深めるのにとても役立つことと、ニュースなど外部情報の真偽を問論点を整理し本質を抉り出すためには、『要するに』と概括してみることが最短の近道だ」と述べています。
 第1章「宝くじのウソ」では、「日本の公然たる賭博は、実際のところ象徴の既得権益としてだけ罷り通っています」として、
・宝くじ:総務省
・競馬:農林水産省と地方自治体
・パチンコ:警察庁
・競輪:経済産業省
・協定:国土交通相
・サッカーくじ:文部科学省
・オートレース:経済産業省
と述べた上で、ギャンブラーにとって一番寛容な指標である「一万円をかけるごとに負ける平均額」について、バカラが「67円または117円」であるのに対し、日本の競馬は2500円、日本の宝くじは5200円であると指摘し、「胴元(国または自治体)がこれだけ暴利を貪れる日本の宝くじと競馬は、ギャンブルの世界標準からすると実に異常な搾取率だという事実だけでも、我々はよく知っておいたほうがいい」と述べています。
 第3章「安全性のウソ」では、「飲食を巡る安全性論議においては、どうしても一点突破全面展開というがごときゼロか百かの単純二分思考が日本では突如として暴走してしまいがちであり、人の安全を守るという名目のためなら行政は何をしてもいい、一刻も早くリスクをゼロにせよ、という莫迦げた議論が巻き起こりがち」だと指摘しています。
 第8章「児童虐待のウソ」では、今世紀に入ってから児童の「虐待」と「逮捕」を含む記事が増えた理由として、「家庭内の傷害事件に警察が立入るようになった」ことを挙げ、警察がお題目としてきた「民事不介入の原則」とは実は幻であり、「ようやく家庭での暴力や傷害についても、警報を適用する動きになった」というのが真相だと指摘しています。
 第9章「部活のウソ」では、「部活の指導者に、生徒から『スポーツを楽しむ日常』を奪う権利があるのか」とした上で、その解決方法として、
(1)部活を解体すること
(2)学校スポーツを生徒の希望に応じて上位を目指すチームとスポーツを楽しむチームに分けること
(3)課外活動の法的経済的教育的位置づけを明確にすること
の3点を挙げ、「日本のスポーツ教育の致命的な欠点は、基礎練習の名で正当化される指導者による私物化と、総じて学校体育に依存しきった古い体質に根ざしている部分が圧倒的」だと指摘しています。
 本書は、日本社会の様々な「ウソ」をわかり易く解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者が冒頭で使っている、「◯◯は何種類ある」と「要するに~」という文章の書き方はいろいろなところで使えそうです。
 それから、部活の目的は「スポーツ教育」ではなく、「上司の命令を疑うことなく体を動かせる人間を作ること」ですから、著者の言っていることは明確な誤りです。大企業の採用における運動部出身者の扱いを見れば明白にわかることです。


■ どんな人にオススメ?

・世界は間違っていると思う人。


2012年4月13日 (金)

世界は分けてもわからない

■ 書籍情報

世界は分けてもわからない   【世界は分けてもわからない】(#2104)

  福岡 伸一
  価格: ¥819 (税込)
  講談社(2009/7/17)

 本書は、「この世界のあらゆる要素は、互いに連関し、すべてが一対多の関係でつながり合っている」として、「世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからない」ことを説いたものです。
 第1章「ランゲルハンス島、一八八九年二月」では、「顕微鏡の倍率を十倍だけ上げる」と、「視野が暗転する」こと、そして、「もともと見えていた視野のうち99%はその光と共に失われてしまった」と述べています。
 第3章「相模原、二〇〇八年六月」では、コンビニのサンドイッチについて、「72時間放置しても何ごとも起こらない」からくりとして、「保存料(ソルビン酸)」について、「これが微生物の生育を妨げて、腐敗が進行するのを防いでいる」と述べ、「ソルビン酸は、微生物にとってはその生命活動を止めてしまう毒」として働く一方で、「人間にとっては加工食品の消費期限を延ばしてくれる便利な薬として働くこと」になるとしています。
 第4章「ES細胞とガン細胞」では、「おおよそ世の中の人間の成功は、マップラバーとマップヘイターに二分することができる」とした上で、「各細胞は、非常に単純な排他的行動ルールに従って、隣接した細胞とだけ更新し、その結果、排他的に自らを変化させる」として、「マップラバーは、このプロセスの最初から最後までどこにも存在していない」と述べています。
 第6章「細胞のなかの墓場」では、「生命現象において、全体は、部分の総和以上の何ものかである。この魅力的なテーゼを、あまりにも素朴に受け止めると、私達はすぐにでもあやういオカルティズムに接近してしまう」とした上で、「生命現象を、分けて、分けて、分けて、ミクロなパーツを切り抜いてくるとき、私達が切断しているものがプラスαの正体である」として、「エネルギーと情報の流れ」を挙げ、「生命現象の本質は、物質的な基盤にあるのではなく、そこでやり取りされるエネルギーと情報がもたらす効果にこそある」と述べています。
 第7章「脳の中の古い水路」では、「世界は分けないことにはわからない。しかし分けても本当にわかったことにはならない」一方で、「私たちは世界の全体を一挙に見ることはできない」として、「大切なのはそのことに自省的であるということである。なぜなら、おそらくあてどなき解像と鳥瞰のその繰り返しが、世界に対するということだから」と述べています。
 本書は、解像度にこだわりがちな私達に全体を見ることの大切さを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 とかく、世界を要素要素に分解することで理解したつもりになってしまう私たちは、もしかすると、時計を分解してもとに戻せなくなって途方に暮れる子供に近いのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・世界をどうやって理解したものかと考えこんでしまう人。


2012年4月12日 (木)

図書館は本をどう選ぶか

■ 書籍情報

図書館は本をどう選ぶか   【図書館は本をどう選ぶか】(#2103)

  安井 一徳
  価格: ¥2205 (税込)
  勁草書房(2006/9/8)

 本書は、公共図書館の図書選択について論じられる際の基本的な前提となっている、
(1)価値論:本の価値に基準を置く
(2)要求論:利用者の要求に基準を置く
について、「価値論/要求論」図式にとどまらない図書選択の議論はどのようにして可能なのか、という問題意識から書かれたものです。
 第1章「図書選択の正当性とは」では、「ある図書を蔵書に含め、別の図書を含めないという点で、収集も廃棄も究極的には同じ行為であり、両者は『図書選択』として一元的に把握することが可能である」と述べています。
 第2章「アメリカの図書選択論」では、世界の「公共」図書館の期限を、1854年のボストン公共図書館設立に求め、「図書選択論の源流も、ボストン公共図書館に求めることができる」としています。
 第3章「日本の図書選択論」では、「現場」の理論の代表者として、伊藤昭治と山本昭和の2名を挙げ、「彼らの理論に見られる最大の特徴は、要求の全面的肯定である」と述べ、その主張として、「『価値論』的姿勢の徹底的排除」を挙げ、そのかわりの優先順位として、彼らが「貸出冊数」を重視したことを指摘し、その立場上、「複本はリクエストと並んで貸出冊数を増加させるための不可欠の手段である」と述べています。
 そして、「現代日本における図書選択論の出発点の一つは『価値論/要求論』という図式をどう扱うかということであった」と述べています。
 第4章「選書ツアー論争」では、選書ツアーが「要求論的、価値捨象的図書選択論における図書館員の存在の自明性に疑問を発したと言える。そしてそれに(少なくとも無意識的に)気づいたからこそ、多くの図書館員は、一見自らの信奉する理想と融和的なこの試みに対して容赦ない批判を浴びせたのではないか」と述べています。
 本書は、普段何気なく利用している図書館の蔵書をめぐる熱い議論を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 戦後日本で独自に発展したっぽい「ヒューマニズム」あふれる図書館理論に、「それってやっぱりおかしいでしょ」ってツッコミを入れている本書は、独自の奇天烈な理論が展開される労働組合のアジビラを読んでいてツッコミを入れたくなる気持ちに似ているような気がしました。Amazonのレビュー欄をみると先輩の「ライブラリアン」が顔を赤くして書いているようなコメントも見られたりして面白いです。


■ どんな人にオススメ?

・図書館の本がどのように選ばれているかを知りたい人。


2012年4月11日 (水)

図書館の興亡―古代アレクサンドリアから現代まで

■ 書籍情報

図書館の興亡―古代アレクサンドリアから現代まで   【図書館の興亡―古代アレクサンドリアから現代まで】(#2102)

  マシュー バトルズ(著), 白須 英子 (翻訳)
  価格: ¥2625 (税込)
  草思社(2004/10)

 本書は、永年司書を務めてきた著者が「人間にとって図書館とは何だろう?」という問題を語ったものです。
 第1章「図書館は宇宙に似ている」では、著者が着目する点として、「図書館の変容の節目、読者、著者、司書が図書館の意味を疑問視する瞬間や場所」をあげています。
 第2章「アレクサンドリア炎上」では、プトレマイオス王朝が、「アレクサンドリアに学者たちを招聘し、王家が費用を負担して、膨大な蔵書の中で生活させ、仕事が出来るように仕向けて、図書館を王家の管理下にあるシンクタンクのようなものにした」と述べた上で、「大図書館は戦争、災害、体制の衰退期には問題をはらむ。蔵書はその図書館と運命をともにするからである」と述べ、「図書館は、真理を発見するのと同じくらい--王侯や、大統領や、王位を狙うものなど内なる野蛮人の欲望を満たすために--真理を失うことも多い」と指摘しています。
 また、中世中国の思想史について、「束の間のものと永続性のあるもの--国家による石や青銅の刻文と、学者や僧による絹布や竹簡にしたためられた墨書とのせめぎ合いの物語である」と述べています。
 そして、「衰亡の憂き目に遭わない政治制度はない」ことから、「どんな図書館もいずれ消滅し、のちの世代の人々がその欠落の謎解きに耽る物である」と述べています。
 第3章「知恵の館」では、「総合図書館建設の意欲は西欧で萌芽したのに、花開いたのは中東だった」として、「アレクサンドロス大王の死からイスラームの台頭までの一千年間に、ローマとペルシアの支配者の間には絶え間なく抗争があったにもかかわらず、シリアはギリシアの学問にとって一番の安住地だった」と述べ、「西欧の書物文化はイスラームの遺産に負う所が大きい」としています。
 そして、「13世紀から15世紀にかけて、ムスリム世界の数々の素晴らしい図書館は姿を消すことになる--モンゴル軍、トルコ軍、十字軍の征服者たちは、イスラーム教徒がギリシア=ペルシアの先駆者から受け継いだ学問愛好精神を持ち合わせていなかった」と述べています。
 第6章「知的遺産の焼失」では、「20世紀に破壊された図書館のリストは長い」として、「中華人民共和国の人民解放軍はチベットへ侵攻し、たくさんの僧院を徹底的に破壊して、数十万冊の書物が炎の中に消えた」と述べています。
 本書は、人類の知識をめぐる歴史の主要登場人物である図書館の歴史をそのターニングポイントに着目してまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 日頃、図書館のお世話になる機会が多い身としては、図書館に収められている知識を自由に利用できるということが、長い人類の歴史の中で稀な幸福であることを実感します。


■ どんな人にオススメ?

・日頃図書館を利用している人。


2012年4月10日 (火)

白亜紀に夜がくる―恐竜の絶滅と現代地質学

■ 書籍情報

白亜紀に夜がくる―恐竜の絶滅と現代地質学   【白亜紀に夜がくる―恐竜の絶滅と現代地質学】(#2101)

  ジェームズ・ローレンス パウエル (著), 寺嶋 英志, 瀬戸口 烈司 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  青土社(2001/07)

 本書は、「今では茶の間のテレビ番組にまで登場してあたかも周知の『事実』となっている」、6500万年前に「白亜紀に終わりを宣告した生物の大絶滅の隕石衝突説」に対して、当時、「この学説に猛然と反対して拒否したのは、当の地質学者たちであり、古生物学者たちであった」理由はなぜかを徹底的に一般の読者に解説してみせたものです。
 プロローグ「最大のミステリー」では、恐竜が「何百万年という長い間繁栄した後、突然に、つまり地質学的な時間で言えば瞬間に、完全に、そして永久に消えてしまった」として、「いったいなぜ恐竜は絶滅したのか?」という「最大の科学の謎が残された」述べ、「恐竜は一世紀半前に発見されて以来ずっと強い関心を人々に呼び起こしてきたというのに、彼らの絶滅の謎を解くのにどうしてこれほどまでに時間がかかったのであろうか?」と居う問に対して、
(1)歴史科学(地質学、考古学、古人類学など)では決定的な答えを見つけるのが特別に難しいこと。
(2)地質学者たちが尋問していた相手は海水準や地理や気候の変化といった「平凡な容疑者」だけであったこと。
の2つの理由を挙げています。
 そして、「地質学者たちにとって、隕石衝突説は、大陸移動説よりも飲み込むのがはるかに難しい、ということが明らかになった。というのは、この学説はデウス・エクス・マキナ[古代ギリシャ演劇で急場の解決に登場する宙乗りの神]に訴えているからであり、地質学者たちが通常研究し考えるやり方とはまさに正反対であったからである」と述べています。
 第1章「アルヴァレスの発見」では、物理学者のルイス・アルヴァレスについて、「型にはまった鈍感で内向的な科学者ではなく、インディー・ジョーンズとハンフリー・ボガートを足して2で割ったような男にさえ見える。彼は、普通の人間なら成功に安住してそれ以上は何もやらなくなるような年を過ぎた後も、つねに新しい挑戦を続けて一生を送った男であった」と述べています。
 そして、アルヴァレス父子が、「2つの離れた場所において、近くで最もまれな金属の一つであるイリジウムが異常に高いレベルをもち、これがK-T絶滅と恐竜絶滅をしるす明瞭な薄い粘土層に含まれている」ことについて、「このことを偶然の一致とすることはほとんど不可能であり、この高イリジウム・レベルは何らかの形で絶滅と関連しているに違いないと結論した」と述べています。
 そして、「この学説そのものは2つの部分からなりたっていた」として、
(1)隕石が6500万年前に地球に衝突したこと
(2)それによって生じた効果は非常に激しかったのでK-T大量絶滅をもたらしたこと
の2点を挙げています。
 第2章「過去は現在への鍵である」では、「地球上の力としての隕石衝突は、私達を新しい領域へと導く」として、「私達は大きな隕石が地球に衝突する瞬間をいまだかつて観測したことはない。しかし地球上のクレーターの存在が隕石衝突であったことを私たちに告げているので、私達が現在観測できる過程だけを頼りにしていては地球の歴史は理解できないということになる。要するに、現在は過去を理解するための信頼できる鍵ではないのである。まさに逆である」と述べています。
 第3章「空から降る石」では、「私達の理性は、隕石衝突が太陽系と地球の生命にとって冷酷な事実であったということを認めるよう私たちに要求している。しかしたとえ私達がそのことを認めたとしても、私達の理性はなぜ隕石がそれほど恐ろしく破壊的なのかということを語ってはくれない」と述べた上で、「彗星または小惑星が個体の地球に衝突するときには、その大きな速度に内在するエネルギーが莫大な衝撃波に変換される」と述べています。
 第4章「裁かれる学説」では、アルヴァレス説の予測として、
(1)衝突効果は、K-T境界に世界的規模でみつけられるであろう
(2)K-T境界以外の地質断面では、イリジウムや他の衝突マーカーはまれであろう
(3)イリジウム異常値は、確認済みの隕石衝突クレーターにともなっているであろう
(4)境界粘土層は一般に薄く、かつ世界的に分布しているであろう
(5)K-T境界粘土層は衝撃変成効果を含んでいるであろう
(6)巨大な衝突クレーターが6500万年前につくられた。もしそれが消滅していなければ、まだ見つかるであろう
の6点を挙げた上で、「さらに、遠大な含蓄をもつ学説が追求されるときにはいつでも安全になされうる7番目の予測がある」として、
(7)予期しなかった発見がなされるであろう
と述べています。
 第5章「反撃」では、「アルヴァレス説に最も腹を立てていたのは古生物学者たちであったことは明らかであるが、この学説に詳細な攻撃を加えた最初の人間は、意外にも、ダートマス大学の地球物理学者チャールズ・オフィサーと彼の同僚の地質学者チャールズ・ドレークであった」と述べ、オフィサーとドレークが、「3つの地質断面からの証拠を提出して、K-T事件がそれぞれ異なる時期に起こった、それゆえ瞬間的な地球規模の大変動の結果ではありえない、従ってこれがもし真実ならアルヴァレス説の誤りを立証するものである」と主張したが、「彼らが引用した原著論文を細かく検討してみると、彼らの主張した証拠がどこにも存在していないか、きわめて疑わしいものであることが判明したのである」として、「2人が標準的な科学的手順を踏まなかったことは彼らの動機とやり口に関して疑惑を生んでいた」と述べています。
 第7章「クレーターを捕まえる」では、北アメリカのチチュルブ構造が、「厚さ1kmの若い堆積層の下に埋まっているけれども、重力異常図によってはっきりとその存在が示されている』として、「重力異常の端から端までは、この構造が少なくとも170kmの直径を持つことを示しており、衝突帯の直径が10kmであったことと矛盾していない」と述べ、「チチュルブは、衝突クレーター説を支持する妥当な予測のすべてを満足させただけでなく、その他にも幾つかの点を満足させている」として、
(1)同心円状の重力パターンとその巨大なサイズは、チチュルブが火山性構造ではなく衝突クレーターであることを示している。
(2)ブレッチア(角礫岩)や、イリジウムや衝撃変成鉱物に富んだ逆磁化した溶融岩石があることから、チチュルブはK-Tクレーターに期待される特徴を持っている。
(3)チチュルブは正確にK-T境界の時代に形成されている。
(4)その年代と同位体の地球化学が、異常な配置のテクタイトに決定的に関係付けられている。
(5)イリジウムや、スフェルールや、スピネルに富み、ほとんどの専門家たちから一日かそこらで堆積したと信じられているタービダイト様のK-T境界堆積物が、チチュルブを取り囲んで分布している
の5点を挙げ、「もしこの構造がK-Tクレーターでないならば、一体何と分類すればいいのか想像することすら難しいのである」と述べています。
 第8章「化石記録からの手がかり」では、「アルヴァレス説が現れてから最初の2、3年間は、古生物学者たちはそれをまじめに取り上げる必要があるなどとは思いもしなかった。たとえ衝突が新たな証拠によって強く補強(確証)されたとしても、たとえクレーターが見つけられたとしても、その衝突が大量絶滅を引き起こしたことを必ずしも意味するわけではない。さらに重要なことに、古生物学者たちは、何よりも重要な恐竜に対して、問題はすでに片付いていると信じていたことである」と述べています。
 そして、「大絶滅は、ほとんどあらゆる生態的地位(ある動物または植物に特有の生活場所)にいたような生物に及んでいた。K-T絶滅は、微生物の有効中、複雑に巻いたアンモナイト、陸上植物、恐竜といったお互いに似ていない生物――海に住む最小の生き物から山の斜面に生活する大型獣まで――を払拭したのである」と述べています。
 第9章「『めそめそとか、バーンとか?』」では、「すべての種の70%を取り除いてしまうほどに十分巨大な爆発があったのなら、その破壊力の明瞭な証拠を化石記録の中に残しているに違いない」として、
(1)K-T境界以前に、ほとんどの種は、何か他の理由によってすでに絶滅への道を歩んでいたのではなかった。それらの種の絶滅は突然であり、まさに境界で起こった。
(2)再食が起こった場合を除いて、K-T境界で絶滅した種はイリジウム層準よりも上の地層には見出されないであろう。
の2つの非常に重要な予測を挙げています。
 第11章「すべての大絶滅は衝突が原因か?」では、ビッグ・ファイブと呼ばれる五大絶滅に始新世-漸新世とジュラ紀-白亜紀の2つの境界を加えた7つの絶滅境界の年代と、その各々に付随してこれまでに発見された衝突の証拠を一覧にし、この表が、
(1)衝突の証拠にはどんなものがあるか?
(2)同じ年代の大きなクレーターはあるか?
の2点を暗黙に問いかけているとしています。
 そして、古生物学者のデイヴィッド・ラウプが、「自分でも無謀で一見ばかげていると認めざるをえない疑問を投げかけずにはいられなかった」として、「著しい数の種の絶滅はすべて――主要な大量絶滅だけではない――が、衝突によって引き起こされたということはありうるであろうか?」として、種殺戮%を衝突クレーターのサイズに関係づけた「衝突―殺戮曲線」(impact-kill curve)をつくったと述べています。
 また、ナイルズ・エルドリッジとスティーヴン・ジェイ・グールドが、「進化上の変化の大半は、ある新しい種がその祖先から分岐したまさにその直後に爆発的に起こっている」という進化のモデルを「断続平衡説」(punctuated equilibrium)と読んだことについて、「種だけでなく生態系の全体もまた長い期間にわたって安定したままであり、何かが多数の絶滅を引き起こすに足るほど十分に種とか生態系を撹乱して初めて、進化のエンジンは回転数を挙げ、絶滅後の条件に適応した新しい種を生み出すのである」とした上で、「もし『パンク・イーク』が法則ならば、何かが進化に『区切りをつけている』ことになる。何かが絶滅をつくり出し、次に絶滅が生態的地位(それぞれの種に独特の生活場所)を開放し、その中へ自然淘汰の圧力が一組の新しい生物を送り込むというわけである。このような見方によれば、進化の背後にある駆動力が『区切りをつけるもの』そのものである」と述べた上で、「大量絶滅が複数の原因で起こりうるとはいえ、私達が到達する疑問は、衝突がほとんど誰も評価したことがないほどに地球の歴史において重要な役割を演じてきたのではないかということである」と述べています。
 第12章「絶滅とクレーター形成は周期的か?」では、1989年に古生物学者のジョン・セプコスキが、「11の絶滅ピークのうち9つは2600万年周期にあるか、その近くにある」と結論したことを取り上げています。
 第13章「地質学の黄金時代」では、「科学も進化も断続平衡的に進行する。ほとんどすべての科学者たちは、優勢なパラダイムを拡張して、それを完成するために研究を行う。彼らはそうすることを続けているうちに、ついに、しばしば偶然に、新しい発見がなされ、そのパラダイムの再検討が必要になってくる」と述べた上で、「地質学は、1960年代のプレートテクトニクスに始まって、宇宙時代の成果の取り入れに遭遇し、そして現在はアルヴァレス説を探求中であり、明日は衝突の真の意味と大量絶滅の原因の決定へと進もうとしている。地質学は今、黄金時代なのである」と述べています。
 本書は、科学の世界でいかにして物の見方がガラリと変わるのかを垣間見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 今では小学生でが読む本でも、巨大な隕石が地球に衝突して恐竜が滅んだ、というストーリーを知っていますが、自分が子供の頃にはなぜ滅んだのかは「謎」だったので、どうやって隕石衝突説が受け入れられたのか、という本書の内容はリアルタイムで知っていたらきっと面白かったのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・恐竜の滅ぶ原因がどうやって変わったのかを知りたい人。


2012年4月 9日 (月)

ミトコンドリアが進化を決めた

■ 書籍情報

ミトコンドリアが進化を決めた   【ミトコンドリアが進化を決めた】(#2100)

  ニック・レーン (著), 斉藤 隆央 (翻訳)
  価格: ¥3990 (税込)
  みすず書房(2007/12/22)

 本書は、「ミトコンドリア」をキーワードに、「われわれという存在がどこから来たのかを真核生物の起源から説き起こし、なぜこの世に女性と男性しかいないのかを論じ、さらには、なぜわれわれがガンによって生命を脅かされるのか、なぜ老化するのか、アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患に悩まされるのか、といった数々の疑問に対して大胆かつ明快な回答を与えてくれる」ものです。
 序章「ミトコンドリア」では、「ミトコンドリアが細菌と類縁関係にあることは確かに思えるかもしれないが、実は別の解釈も可能で、そんな解釈が長い論争の背後にあった。つまり、ミトコンドリアのもつ、細菌に似た性質は、ミトコンドリアの進化の速度が核より遅いからとしても説明がつくのだ」と述べた上で、「細菌は40億年近くにわたって互いに協力したり競合したりしてきたのに、一度しか真核細胞を生み出していない」として、「ミトコンドリアの獲得は、生命史上、決定的に重要な瞬間であった」と述べています。
 第1部「ホープフル・モンスター」では、「複雑な生命の秘密は、真核細胞のキメラ――20億年前、ありそうにない融合によって生まれた『ホープフル・モンスター(有望な怪物)』であり、この出来事はいまもわれわれの内奥の組織に刻み込まれ、生命活動を支配している――が形成されたことにある」と述べています。
 そして、「融合による当初のメリットは酸素に関係したものだったと思われる」としたうえで、「真核生物である宿主(ホスト)は『食べること』に長け、その捕食性の生活様式によって、寄生体であるゲスト(客)に絶えず食物を供給する。『この世にタダ飯などない』とよく言われるが、寄生体は宿主の代謝による老廃物を燃やしているだけのようで、宿主を特に弱らせておらず、この状況はタダ飯からほど遠くもない。やがて宿主は、ゲストの膜にチャネル――蛇口(タップ)――を差し込んで、相手のエネルギー生成能力を利用(タップ)することを覚えた。これで関係が逆転した。それまでゲストは宿主の寄生体だったが、今や奴隷となってそのエネルギーを宿主に差し出すようになったのである」と述べています。
 第2部「生命力」では、「ミトコンドリアがエネルギーを生み出す方法は、生物で最高に不可思議なメカニズムのひとつだ」として、「ミトコンドリアは膜を通してプロトン(容姿)をやりとりし、数ナノメートルの隙間に稲妻並みのパワーを持つ電位差を生み出す。このプロトン・パワーが『生命の素粒子』――膜に埋め込まれたキノコ型のタンパク質――に利用され、ATPの形でエネルギーを生成するのだ」と述べています。
 そして、「呼吸はプロトンポンプを使ってエネルギーを生成する」として、「まず、酸化還元反応で発生したエネルギーによって、膜を通してプロトンが汲み出される。すると膜を挟んで、およそ150ミリボルトの電位差に相当するプロトン濃度の差ができる。このプロトン駆動力がATPアーゼのモーターを動かし、生命の普遍的なエネルギー通貨であるATPを生み出すのだ」と述べています。
 また、「プロトンポンプは、細菌細胞になによりまず必要な生命維持装置なのだ。生命の3つのドメインすべてに共通で、あらゆる形態の呼吸や光合成の他、細菌におけるホメオスタシスや移動などのすべての生命活動にとって、最重要といえる根本的なメカニズムなのである。つまりは生命の基本的特性といえるだろう」と述べています。
 第3部「内部取引」では、「ミトコンドリアの起源は細胞内共生――ふたつのゲノムが同じ細胞の中で合体することで、遺伝的隔たりを超える大飛躍にあたる――しか考えられず、またミトコンドリアがなければ複雑な真核細胞には決して進化できなかっただろう」と述べたうえで、ビル・マーティンとミクロス・ミュラーの水素化説について、「二つのまったく異なる原核細胞どうしの科学的な相互依存が、やがてその両者のあいだに緊密な結びつきを作り出したという。そしてついには、片方の細胞がもう片方の細胞を物理的に飲み込んでしまい、二つのゲノムがひとつの細胞の中で結合する。遺伝的隔たりを超えた大きな飛躍によって、『ホープフル・モンスター』が生まれるわけである。するとこの飛躍が、その新たな存在にダーウィン的な選択圧を次々と与え、寄生者から宿主へと遺伝子を移動させた」と述べ、「水素化説の重要な点は、原始的な真核生物――おそらくは核をもち、捕食性の生活を営みながら、ミトコンドリアはいっさい持たないような細胞――が存在しなかったとすることだ」としています。
 そして、「エネルギー生成が内部化する(細胞内でおこなわれるようになる)と、細胞壁はもはや不要となり、失っても細胞が脆弱にならない」上に、「なにより重要なのは、内部化によって真核生物が、細菌を押さえつけていた幾何学的な制約から解放されたことだ。真核生物は、平均して細菌の1万~10万倍の体積を持つが、大きくなっても細菌のようには呼吸効率が低下しない。エネルギー効率を高めるには、真核生物は細胞内のミトコンドリア膜の表面積を増加させればよく、それはミトコンドリアをいくらか増やすだけで可能なのである。したがって、エネルギー生成を内部化すると、細胞壁をなくせると同時に、細胞の体積をはるかに大きくできる」と述べています。
 第4部「べき乗則」では、「動物が大きくなると、その細胞の生存のために必要な栄養は少なくなる。その結果、大型動物の代謝率は、なるはずの値よりずっと低くなる」とした上で、「大型の生物は、生きていく営みに、持てる資源の多くを使う必要がない。その上、1より小さい指数が、単細胞生物からシロナガスクジラにいたるまであらゆる真核生物に当てはまる事実は(やはり指数の値はすべての生物で厳密に同じでなくていい)、エネルギー効率の傾向がきわめて普遍的に言えることを示している」と述べ、「筋肉と違って臓器はスペース配分の問題に悩まされない――ミトコンドリアの密度は、筋肉ではサイズに合わせて変化しないが、臓器では変化するのだ。大きな動物ほど、前の章で論じた『べき乗則』に従えば、臓器のミトコンドリアはまばらになる。ここにチャンスがある。大きな動物の臓器がパワーを獲得するのに、筋肉のように組織の構造を変える必要はない。ミトコンドリアを増やすだけでいいのだ。このチャンスに乗じて、内温性が進化したと考えられる」としています。
 そして、「ミトコンドリアでエネルギーを生み出すことによって、真核細胞は細菌よりはるかに大きくなれた――『平均』で、1万~10万倍にはなるだろう。大型化は、同時にエネルギー効率という恩恵をもたらした。供給ネットワークの効率によって決まると思われる制約のなかでは、大きいことはいいことなのだ」として、「エネルギー効率という直接的なメリットは、真核生物に複雑さの坂を登らせるのに役立ったのではなかろうか」と述べています。
 第5部「殺人か自殺か」では、「社会に受け入れられる行動を法制度がさせるのと同じように、分子の警察は利己的な利益の追求に歯止めをかけている。体内では、『アポトーシス』というプログラム細胞死が、対立を鎮めるのに中心的な役割を果たしている。今日、アポトーシスはミトコンドリアによって実行させられていることから、ミトコンドリアが個体の進化の鍵を握っていた可能性が浮上する」と述べています。
 そして、「ガンは、個体内部の対立から現れた恐ろしい亡霊だ。1個の細胞が身体の集中管理から抜け出し、細菌のように増殖する。分子レベルでみると、その一連の現象は、自然選択の作用を最高に鮮やかに描き出している」として、「ガン細胞は自然選択によって進化を遂げるのである」と述べ、「1個の細胞が、いつもなら増殖をはbんでいる束縛から解き放たれると、当然増殖する。ほどなく、それは1個の細胞ではなく細胞のコロニーとなり、そのすべてがまた新たな変異をせっせとためていく」と述べています。
 また、「死のメカニズムの大半が、ミトコンドリアの祖先から融合によって真核細胞の持ち込まれた」として、「アポトーシスは自殺と言うよりもむしろ内部からの殺害であり、居候が恩を仇で返す行為に見えてくる」と述べた上で、「ミトコンドリアと宿主細胞の利益は必ずしも共通しているとは限らない」として、食糧不足のように
「十分な資源もないのにミトコンドリアが宿主に分裂を迫ったら、両方共死んでしまう」点を挙げるとともに、「宿主細胞の分裂を妨げる要因として、細胞の損傷、とくに細胞核のDNAに対する損傷もある」として、「宿主を殺しても、何もいいことはない」が、「宿主細胞が他の細胞と『融合』し、そのDNAを相手のものと組み替えたら、ミトコンドリアの得になるはずだ」と述べています。
 さらに、「有性生殖と死は絡み合っている。ある程度までは、どちらも同じ目的にかなうのだ」として、「フリーラジカルは、細胞において遺伝子の水平移動(ほかの細胞や環境から遺伝子を取り込むこと)を促進する」とともに、「多細胞生物では、アポトーシスは損傷を修復する手段にもなる」として、「有性生殖は傷ついた遺伝子の除去に役立ち、アポトーシスは傷ついた細胞の除去に役立つ」と述べています。
 第6章「両性の闘い」では、「性行動は核の融合を伴う(また異系交配は不和合性の型を持つことによって実行できる)といっていいが、性そのものは、細胞質が共有されるときに初めて区別される。言い換えれば、性は核だけでなく細胞本体も融合するときに現れるのである」と述べたうえで、「ミトコンドリア遺伝子は、まれではあるが両性から受け継がれることがあり、きわめてまれではあるが組み換えも起こす。また、変異の速度が環境によって変わるため、推定されている年代の正確さにも疑問符がつく。おまけに、ミトコンドリア遺伝子が自然選択を受けるのも間違いない」と述べています。
 そして、「ふたつの性が必要なのは、二つのゲノムによるシステムがミトコンドリア遺伝子と核内遺伝子とのぴったりの組み合わせを求めるからだといえる。遺伝子が合わないと、呼吸が上手くできなくなり、アポトーシスや発育異常が起こる危険性が大幅に高まるのだ」と述べています。
 第7章「生命の時計」では、「代謝率は、やや大雑把ではあるが、ミトコンドリアの呼吸鎖からフリーラジカルが漏れる速度の代用になる」とした上で、「長寿の動物は、ミトコンドリアからのフリーラジカルの漏出を抑えることによって、長生きしている」と述べています。
 そして、「細胞の最終的な運命は、その通常のエネルギー需要にどれだけ対応できるかによって決まり、このエネルギー需要は組織の代謝の必要量によって変わる。ミトコンドリア病の場合のように、細胞の活性がいつも非常に高いと、ミトコンドリアに大きな欠陥が生じてすみやかにアポトーシスが実行される」と述べています。
 また、「フリーラジカルの漏出率が低いと、呼吸の効率を維持するのに、より感度の高い検知システムが必要になる」として、「われわれが長生きをしたい、そして老年性疾患を免れたいのなら、より多くのミトコンドリアが必要になるだろうが、同時にまたフリーラジカルのより高精度の検知システムもなくてはならない」と述べています。
 エピローグでは、「ミトコンドリアは、とても考えられないような方法で、われわれの生き方を決定し、われわれお住む世界を形成したのである。そうした進化の変革のおおもとには、呼吸鎖における電子の流を極める一握りのルールがある。そして何と、こうしたことが、しっかり適応してから20億年もたった今、解き明かされているのだ」と述べています。
 本書は、ミトコンドリアが生物の進化をドライブさせた動力源の仕組みを解き明かそうとする一冊です。


■ 個人的な視点から

 多くの人が、生物の授業とかでミトコンドリアというのが細胞の中にいるということは知っていると思いますが、ミトコンドリアを調べることで、なぜ私たちが老いて死んでゆくのか、癌になるのか、ということがわかるというのは不思議な気がします。


■ どんな人にオススメ?

・私たちがどこから来たのかを知りたい人。


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