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2012年5月

2012年5月31日 (木)

肖像権 改訂新版

■ 書籍情報

肖像権 改訂新版   【肖像権 改訂新版】(#2133)

  大家 重夫
  価格: ¥3570 (税込)
  太田出版2(2011/7/15)

 本書は、「アメリカで、プライバシー権が生成したこと、これについて若干の判例を紹介し、またプライバシー権からパブリシティ権が生まれ、日本はこの言葉、概念を取り入れたこと」を述べたものです。
 著者はパブリシティ権について、
(1)二元説:人格権である肖像権とは、別の財産権であるとする考え
(2)一元説:人格権である肖像権に「根ざす」ものであるという考え
に分かれているとした上で、「最近のパブリシティ権の判例は、一元説に立つものが多いようである」と述べています。
 序章「肖像保護は写真機の発明に始まる」では、「肖像権は、明文の法律による根拠はないが、判例で認められている権利である」としています。
 第1章「人格権としての肖像権」では、「『肖像権』という場合、肖像本人がもつ肖像作成(作成)についての拒絶権と撮影(絵画等を含む作成)されたものの公表についての拒絶権を含む。肖像権は、自己の肖像を管理する権利、あるいは、自己の肖像の複製作成や複製物利用についての決定権ともいえよう」と述べています。
 そして、「アメリカであれば、肖像の保護は、プライバシー権に含まれている」が、「肖像権という概念は必要で、むしろプライバシー権という概念こそ検討しなければならない」理由として、
(1)肖像権は、不法行為法において、肖像に関する法的利益を侵害するものであるが、プライバシーないしプライバシー権は、その対象、内容が広く、これを包括的、一義的に定義しにくい。
(2)人の肖像は常に、露出しているが、プライバシーとは、秘匿する、放置してくれ、隔離させて欲しい、という意味合いが中心的である。
(3)明治以来、日本の司法は、ドイツ法の影響を多く受けており、肖像権の概念は知られており、プライバシー権よりも日本の司法に定着しやすい。
(4)日本の現行法下、プライバシーないしプライバシー権について、最高裁判所の見解がはっきりしない。
の4点を挙げています。
 また、「新聞や雑誌で、『行楽地にぎわう』とかラッシュアワーの風景が撮影され、中に人物が入っていることが多い」が、
(1)公共の利害に関する事項に係わり、、
(2)かつ専ら公益を図る目的でなされ、
(3)公表された内容が相当である、
の3要件が満たされて初めて合法ということになるとしています。
 第3章「パブリシティ権とはどんな権利か」では、「パブリシティ権は、人格権から生まれ、派生したもので、ちょうど著作権法において著作物が使用される都度、これについてなされる一つ一つの承諾を財産権である『複製権』と構成したように、人格権の中から一体の財産権的要素を有する部分を、いわば政策的に取り出したものである、と考える」と述べています。
 本書は、なかなかわかりにくい「肖像権」について、判例を紹介しながら説明した一冊です。


■ 個人的な視点から

 法律の条文にない権利が判例で積み上げられていくというのは、法律のあり方としては間違ったものではないと思いますが、シンプルにどこかで法律の方をきちんと変えればいいのに、と思ってしまうのは単純すぎるのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・自分の肖像権を守りたい人。


2012年5月30日 (水)

なぜシロクマは南極にいないのか: 生命進化と大陸移動説をつなぐ

■ 書籍情報

なぜシロクマは南極にいないのか: 生命進化と大陸移動説をつなぐ   【なぜシロクマは南極にいないのか: 生命進化と大陸移動説をつなぐ】(#2132)

  デニス・マッカーシー (著), 仁木 めぐみ (翻訳)
  価格: ¥2100 (税込)
  化学同人(2011/8/22)

 本書は、「ある地域に生息する生物がよく似た条件の別の地域にいはいないというような、生物の分布について考える学問」である「生物地理学」について、「生物地理学史上の英雄たちの功績とそれぞれに個性的なエピソードを紹介し、続いてこの分野の魅力を、動植物などの豊富な実例を挙げてわかりやすく解説」したものです。
 序「あの偉大なる分野」では、「科学の多くの分野が専門科目の寄せ集めになり、研究者たちはさらに狭い部分にだけ目を向けるようになっている中で、生物地理学者たちはいまもその視点を広げ、スケールの大きなパターンに注目し、大陸、大洋どころか地球規模で起こっている原理に光を当てている。つまり、現代の生物地理学は進化と地球の変遷が強調して進んでいく様子を大きな観点から見せてくれるのだ」と述べています。
 第3章「ピグミーマンモスと謎の島々」では、「生物地理学的に理屈に合わない小さなヤモリやトカゲがあちこちにいるという例外はあるにしても、大陸から離れた大洋島には空を飛べない固有の陸生脊椎動物はいない」とした上で、「大型の哺乳類には大量のえさが必要であり、食料に乏しい(それに加えて大型の肉食獣がいない)地域に生息するうちに小型化してくる」ために、「近くの島に到達したゾウやカバ、シカが本土にいる近縁種のミニチュア版になったのである」と述べています。
 第4章「世界を変えた火山の輪」では、「恐竜絶滅後の世界、つまり今日我々がいるこの地球全体の生態系に、生物地理学的に最も大きな影響を及ぼした地質学的要因」として、「海洋の拡大によって現在の南極を取り囲むように環状の海嶺が形成されたこと」を挙げた上で、「何億年もの間、生き生きとして緑豊かだった南極は、始新世の終わりのごく短い期間で氷に閉ざされ、荒廃した不毛の地になってしまった」と述べています。
 そして、「地球温暖化への懸念をわかりやすく述べるために近年の南極を賛美するのを聞いて、生物学者が覚える違和感を想像してほしい」として、「氷河が地球の生命を守っているとか、生物多様性を絶えず見守る番人だとかいう誤解をさせないように注意するべきだ」と述べ、「我々がどんなに氷河の消失を食い止めたいと思ったとしても、そもそも氷河とは死に満ちたもので、我々が知るかぎりでは、最も長期にわたって生物多様性を抑え続け、すべての緑を殺してきた、着実で誰に求められない殺戮者なのだ」としています。
 第6章「南アメリカの無残な敗北と三畳紀のムカシトカゲ」では、「南アメリカの動植物層は数百万年前まで、オーストラリアやニュージーランドの今日の生物相のようにはっきりとした特徴を持ち、そして無防備な生物ばかりだった」が、「パナマ地峡が海から隆起したために、突然、狡猾で俊敏で歯と牙を持ったローラシアの動物たちに支配されてしまい、南アメリカが大きく変化してしまった」と述べています。
 第7章「エデンをめぐる戦い」では、「多くの動植物の進化に当てはまる生物地理学の原則が人類にももちろん現れている」とした上で、「人類の遺伝的な際の小ささと矛盾するもの」として、「技術の進歩に大きなちがいをもたらし、その結果、地球上の人々は隔てられてしまった」ことについて、「近年、ジャレド・ダイアモンドがその広範な生物地理学の知識を駆使して技術の分布という問題の本質を解明した」として、「第一の原因は、ユーラシア人が一万年前、ひっくり返すことができないほど優位なスタートを切ったこと」を挙げ、「ユーラシア大陸には自然のままで耕作や牧畜に適している動植物がたくさんあった」ことや、「移動が簡単なユーラシア大陸では、コミュニケーション、商取引、それから最も重要なアイデアの交換も東西に広がっていった」ことなどを述べています。
 著者は、「西ヨーロッパの人々がこれほどたくさんの便利な技術を開発し、素晴らしい芸術を楽しみ、重要な科学法則を打ち立てることができたのは、多民族の制服や戦争で類を見ない成功を収めたのと同じ生物地理学のとても基本的な原則のおかげなのだ」と述べています。
 第8章「生物と地球の偉大なる融合」では、「生物地理学で最も刺激的な新ジャンル」として、「思想、技術などの文明の産物への適用」を挙げ、「すでに広範な分野になっていて、全く異質に思える数多くの要素をひとつの理論にまとめている」と述べています。
 本書は、生物の分布だけでなく、人間の技術の分布をも説明しうる生物地理学の概要を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 かのダーウィンがそうであったように、元々は生物学やそのルーツとなった博物学の世界では地理というのは重要な要素であったのですが、大陸移動説と生物学がこれほどまでに力強くリンクするとは思わなかったです。


■ どんな人にオススメ?

・人間も地理的要因に大きく縛られていると思う人。


2012年5月29日 (火)

生き物たちは3/4が好き 多様な生物界を支配する単純な法則

■ 書籍情報

生き物たちは3/4が好き 多様な生物界を支配する単純な法則   【生き物たちは3/4が好き 多様な生物界を支配する単純な法則】(#2131)

  John Whitfield (著), 野中 香方子 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  化学同人(2009/1/29)

 本書は、「代謝率と体重の対応をグラフにすると、微生物からゾウにいたるまで、みごとに一直線上に」並ぶこと、そして、「生物界には、3/4、2/4、1/4、あるいは1/8、1/16といった、4やその倍数を分母とする分数がどこにもかしこにもあふれている」ことの謎を追ったものです。
 第1章「数学に魅せられて プロローグ」では、「本書では、ときに回り道をしながら、ダーシー・トムソンが切り開いた生物学の流れを追っていきたい。そして、生物のしくみを物理学や数学の法則に基づいて包括的に説明する統一理論を築こうとした一世紀にわたる試みを語ろうと思う」と述べています。
 そして、トムソンの最も重要な業績として、「生物に関する新たな考え方と、新たな説明方法を開拓したこと」を挙げ、「その進化の見方は偏っていたが、『成長と形』は生物学者に、なぜ生物が今のような形をしているのかを問いかけ、生物を構造と問題解決という視点から考えるよう促した」と述べています。
 第3章「グラフの傾きを変える」では、「表面積は体積の2/3乗に比例するため代謝率も体積(体重)の2/3上に比例するという考え方は、直感的に受け入れやすく、数学的にも納得できる」が、「代謝率が体重の3/4上に比例すると予想できる理由は存在しない。ここに生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問が浮上してきた。もし答えが3/4だとすれば、それはどこから出てきた数なのだろう」と述べています。
 第4章「類似性を求めて」では、「1977年に、ヤコブ・ブルムは、生き物が4つの次元を持っていると考えれば、四次元版の体表面積の法則は簡単に3/4という指数を導き出せるはずだとしてきた』ことについて、「この4番目の次元が何なのか」、「20年後、ある研究者グループがそれを明らかにした」と述べています。
 第5章「ネットワーク化」では、「フラクタル数学によって生物のスケーリングについての思考には新たな道が開かれ、小さなスケールで起きることと大きなスケールで起きることの関係は新しい角度から見られるようになった」とした上で、「スケーリング則はべき乗則であり、フラクタルはべき乗則を説明する。では代謝率のスケーリングには、どんなフラクタルが隠れているのだろう。それは血管系、すなわち栄養や酸素を細胞に運び、二酸化炭素などの老廃物を持ち去るくだのネットワークだ」と述べています。
 そして、「代謝率が体重の3/4乗に比例する理由」は、「体の大きさに対して代謝率と同じ比率で変わっていくのは、ルーブナーが考えた体表面積でもなければ、マクマホンの言うように自身の体重に押しつぶされないための筋肉の量でもなく、毛細血管の数とその結果としての毛細血管の表面積なのだ」と述べた上で、「4という数字の謎についてネットワーク理論は高説明する。スケーリング則が通常の幾何学から予測される1/3ではなく、1/4の倍数から鳴るのは、J・B・S・ホールデーンが考えたように、自然淘汰により生物がその体積の中に可能な限り多くの表面積を詰め込もうとした結果である。資源の輸送ネットワークとそれを処理するための表面積を合わせると、動物は四次元の存在となる」と述べています。
 第6章「生命の速度」では、「ネットワーク理論は、成長についての新しい見方を提示する。それは、サイズが大きくなることにより成長が留まる理由を説明するベルタランフィの論の上に築かれたものだ」として、「動物が大きくなると、毛細血管はそれぞれより多くの細胞に栄養を供給しなければならなくなる。そしてついにそのネットワークは生きていくのに必要なエネグリーを供給するので手一杯になるため、成長は止まってしまう」と述べています。
 本書は、多くの生物が共通して持っている数字を追うことで、物理学的な生命の仕組みを理解しようとした一冊です。


■ 個人的な視点から

 生物学の話とネットワーク理論の話がまさかつながっているとは思いもしませんでしたが、考えてみれば生きものの体の中こそ、細胞レベルからのネットワークの集合体にほかならないわけですよね。


■ どんな人にオススメ?

・すべての生物に共通する法則を見つけたい人。


2012年5月28日 (月)

日本地図史

■ 書籍情報

日本地図史   【日本地図史】(#2130)

  金田 章裕, 上杉 和央
  価格: ¥3990 (税込)
  吉川弘文館(2012/2/16)

 本書は、「国家の土地政策を反映した、特徴的な古代の地図に加え、絵画的要素の多い中世の地図、手描き図に加えて印刷図が一般化した近世の地図を多彩な地図の内容とその変容を紹介」するものです。
 第2章「古地図の古代・中世」では、「中世から近世にかけて、簡略な日本図が広く流布した」として、いわゆる「行基図」について、
(1)仁和寺蔵日本図:日本を国政する各国の行政区画としての側面を重視
(2)称名寺蔵日本図:各国の国政把握に力点
の2つの系統があると述べています。
 そして、中世の地図の全般的特性として、「まず国家政策として作成したものが存在しない」とした上で、
(1)地図によっては古代以来の伝統を色濃く継承している場合があること
(2)特定目的に応じて作成されている地図が多いために、目的に対応した強調・選択などの強いバイアスの働いた表現内容となっていること
(3)地図としての記号化の方向にあるものの、それがまだその途上にあって、その表現意図を読み取るのが必ずしも容易ではないこと
の3点を挙げています。
 第5章「マクロな日本図とミクロな地域図」では、江戸時代に刊行された日本図を3期に分け、「第一期に属す地図のうち、一枚刷りで刊行された図として刊行年がもっとも古い図は寛永元年の刊記を持つ『大日本国地震之図』であると述べ、第二期に成功した日本図として、菱川師宣の弟子であった浮世絵師の石川流宣による「流宣日本図」を、第三期については、長久保赤水による「赤水日本図」をそれぞれ挙げています。
 第7章「近現代の地図」では、「日本の測量事業史において、伊能図が燦然と輝く業績であることは疑いない」が、「幕府の官庫に留め置かれたため、江戸時代における伊能図の社会への影響は、その成果に比して極めて限られたものとなった」と述べています。
 著者は、「地図は古くから人間のそばにあり、人間の生活の変化に合わせた変化をしてきた。そうであるならば、地図が今後、どのような展開をするのか。それは、まさに利用する人間の側にゆだねられている」と述べています。
 本書は、日本人が地図とどのように接してきたかを追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 古来、日本にはいろいろな日本地図があったと思うのですが、地図の中に表れている世界観を現在の私たちが理解するのはなかなか難しいのかもしれません。江戸時代の地図さえ、初めて見ると違和感を感じるものですし。


■ どんな人にオススメ?

・地図には宇宙が詰まっていると思う人。


2012年5月25日 (金)

歌謡曲から「昭和」を読む

■ 書籍情報

歌謡曲から「昭和」を読む   【歌謡曲から「昭和」を読む】(#2129)

  なかにし 礼
  価格: ¥735 (税込)
  NHK出版(2011/12/8)

 本書は、「ヒット(流行)を狙って売り出される商業的な歌曲」である「歌謡曲」を昭和という時代に重ねて語ったものです。
 序章「歌謡曲の終焉」では、「大ヒットした曲は多かれ少なかれ、時代をつかんでいる」として、「その時代の空気をすくい、それを詩・曲・歌の共同作業によって人々に差し出す。それがうまく時代の真実をつかんでいれば、その歌は人々の心に届いてヒットする。つまり、その歌は時代を写す鏡たりえたのだ」と述べています。
 そして、昭和が終わるとともに、「歌謡曲がもっていた枠組み、すなわち、さまざまなジャンルの音楽を包含し、ヒットを狙って売り出される商業的歌曲というものの実態が消滅した以上、歌謡曲の時代は終わった。あとに残るのは、細分化された、せまいコミュニティの中でのみ熱狂を呼ぶ音楽である」と述べています。
 第1章「日本の『うた』をさかのぼる」では、「歌詩を書きはじめたころ、心に決めたことがある」として、「敷島の道を象徴する七五調のリズムでは歌は書くまい」ということだったと述べています。
 第3章「哀しみのリアリティ」では、流行かの人気が最初のピークを迎えて、昭和8~11年ころに、「"低俗"な曲の多い『流行歌』の名を嫌ったNHKが、昭和8年、これを『歌謡曲』に言い換えた」と述べています。
 第4章「戦争を美しく謳った作家たち」では、「日本国民の歌」としての軍歌の性格を決定的にしたのが歌謡曲であるとして、各レコード会社が、「一面では当局の"指導"に基づき、一面では大衆の求める歌を提供するという本来の目的に基づいて、『軍国日本の国民精神を高揚させる歌』んぼ政策に乗り出した」と述べています。
 そして、「歌というものは直接聞き手の情緒に訴えかけるものなので、その影響力は計り知れないほど大きい」と述べています。
 第5章「戦後歌謡と二人の作曲家」では、服部良一と古賀政男について、服部が、「日本語の詩に西洋音楽を自然に乗せることにかけては天才だった」と述べた上で、「戦後に復活した歌謡曲界においては、一方では、戦中の抑圧から解き放たれた服部良一が自由を思い切りアメリカナイズされた形で謳歌するような世界をつくりだし、一方では、古賀政男がはかない日本情緒をひとり紡いでは嘆くような世界に沈み込んでいった。その後の歌謡曲は、おおむね、この両極の間にあるといって過言ではない」と述べています。
 第6章「音楽ビジネスに起きた革命」では、昭和30年代に、フリー作家たちが、「時代と大衆の思考を見ぬく独特の感覚を持って歌謡曲の世界に乗り込み、専属の作家などには到底作れない斬新な歌を書いてみせた」ことが可能だった理由として、大手芸能プロダクション「渡辺プロダクション」が、「早くから欧米の『音楽出版社』(ミュージック・パブリッシャーズ)に注目し、そのシステムを日本の取り入れた」ところに先見性があるとしています。
 そして、「フリー作家が音楽出版社と組んで、洋楽レーベルからレコードを出すという方式が定着」する一方で、元専属作家たちは、「演歌」の世界に向かったと述べ、「日本調の歌(演歌)が歌謡曲の本流であったことはかつて一度もなく、その後にもないことは、確認しておかなくてはならない」としています。
 第7章「すべての歌は一編の詩に始まる」では、「詩の言葉がそれ自体で完結していては、曲をつける意味が無いし、逆もまた真だ。つまり言葉と音楽はお互いに、どこかが"欠けた"ものでなければならないし、欠けたところを補いあうものでなければならない。だから、歌を書きたいと思ったら、音がつけられる余地をあらかじめ残して詩を書くこと」だと述べています。
 第8章「歌謡曲という大河」では、「音楽ビジネスという観点から見れば、GSはまったく歌謡曲のヒットシステムの枠組みの中にあった」として、
(1)この欧米のバンド音楽のスタイルを取り入れて商業化しようと企画したのは音楽出版社である。
(2)代表的なGSの多くのヒット曲をつくりだしたのは、音楽出版社から依頼を受けたわれわれ歌謡曲のフリー作家だった。
の2点を指摘しています。
 また、「歌謡曲黄金期の底で、テレビ局=参加の音楽出版社が、自社が権利を持っている作品を売っていくために仕組んだ新しいシステムが動き始めていた」として、「音楽は一種のテレビ戦争に巻き込まれてゆくことになる。そこでは歌を、その歌本来の力によってよりも、宣伝や露出のパワーによって売っていこうという、ビジネスの論理が働き始めていた」と述べています。
 本書は、歌謡曲の視点から昭和を振り返った一冊です。


■ 個人的な視点から

 「演歌」と言えばなんとなく戦前からずっと存在していたかのように思われがちですが、いわゆる「ド演歌」と呼ばれるジャンルが、音楽出版社と契約したフリー作家の台頭で職を追われたレコード会社専属作家たちの生き残りのために作り出されたものだというのは新鮮でした。言わば「失業対策」として、「日本人の心」とか「歌謡曲の本流」とかいうキャッチフレーズが生み出されてきたと。そう考えると、演歌の世界の作家が内弟子制度をとるなどの保守的な体制を作り、新規参入が難しい世界を作った理由がわかる気がします。で、「大御所」の皆さんが引退すれば「演歌」は廃れ、残された「お弟子さん達」が路頭に迷うということですね。


■ どんな人にオススメ?

・「歌謡曲」がどうやって生まれたかを知りたい人。


2012年5月24日 (木)

オークションの人間行動学 最新理論からネットオークション必勝法まで

■ 書籍情報

オークションの人間行動学 最新理論からネットオークション必勝法まで   【オークションの人間行動学 最新理論からネットオークション必勝法まで】(#2128)

  ケン・スティグリッツ (著), 川越 敏司, 佐々木 俊一郎, 小川 一仁 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  日経BP社(2008/4/24)

 本書は、「オークション、特にイーベイ(eBay)のようなインターネット・オークションにおける買い手や売り手の行動について記したもの」です。
 第1章「イギリス式オークションとヴィッカレー・オークション」では、「インターネットが普及し、ネットオークションが登場したことで、一般消費者も大挙して得オークションに参加している。オークションに対する興味が高まり、経済学者はもちろん、最近ではコンピュータ科学者も関心を抱くようになっている。彼らはインターネット上のオークションを取引手段としてだけでなく、ちょっと経路が違う見方ではあるが、資源配分アルゴリズムとしても考える」と述べています。
 また、「標準的な4つのオークションは2つずつのペアになる」として、
・2位価格オークションとイギリス式オークション
・1位価格オークションとオランダ式オークション
とした上で、「前者のペアよりも、後者のペアの方がより強い関係にある」と述べています。
 第3章「ネットオークションの入札戦略を観察する」では、「即時落札価格」の使い方として、
(1)即時落札価格を開始価格よりもほんの少しだけ高い額に設定することで、実質的に固定価格による販売と同じことになる。
(2)低い開始価格と併せて、即時落札価格を中くらいの額に設定することで、早期入札を促進させる。
(3)開始価格と即時落札価格を、かなり高い額に設定することで、売り手は、商品には高い価値があるというサインを送ることができる。
の3点を挙げています。
 第4章「もしネットオークションが1位価格だったら」では、「最もわかりにくく、よく誤解されるイーベイの特徴」として、「それが2位価格入札である点」を挙げた上で、「狙い撃ち入札が広く用いられているものの、イーベイを支える原動力は、早期入札によって促進される興奮と競争にある。この点を覗いては、イーベイは理想的な2位価格封印入札オークションと同じである」と述べています。
 第6章「価格」では、オークション理論が機能するための最も重要な抽象的概念として、
(1)価値
(2)均衡
(3)ホモ・エコノミカス(合理的経済人)
の3点について解説しています。
 第8章「エピローグ」では、「現在のオークション研究の方向性は、ホモ・エコノミカス(経済人)がゆっくりとホモ・サピエンス(人類)に向かって進化している」と述べています。
 本書は、日本でも馴染みの深いネットオークションの仕組みを解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本でも「ヤフオク」が一部のマニアのものではなく、インフラとして一体の存在感を持つようになりましたが、オークションに特有の戦略を分析することで、「合理的経済人」には成り得ない人間の意思決定の仕組みをより深く理解できるようになるのは興味深いことです。


■ どんな人にオススメ?

・ネットオークションの決まり方を理解したい人。


2012年5月23日 (水)

知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで

■ 書籍情報

知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで   【知はいかにして「再発明」されたか―アレクサンドリア図書館からインターネットまで】(#2127)

  イアン・F・マクニーリー, ライザ・ウルヴァートン (著), 長谷川一 解説 (その他), 冨永星 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  日経BP社(2010/9/16)

 本書は、「歴史の観点」から、「知の生産や保存や伝達が、経済や文化や技術の広範な変化を受けて、根本から問い直される」という問題に光を当てようとするものです。本書は、「知識の制度の歴史」として、「古代から今日に至る西洋の知的生活を支配してきた、図書館と修道院と大学と文字の共和国と専門分野(ディシプリン)と実験室(ラボ)の、6つ制度」を取り上げています。
 第1章「図書館」では、図書館をめぐる物語の語り口として、
(1)図書館がどのようにして建てられ、資金はどのように集められたか、本はどのように作られ、集められ、写され、分類され、保存されたか、そして学者たちがそれをどのように利用したか、という制度としての物語
(2)そもそも文書の収集という行為の哲学的な根本原理とはなんぞや、ということから説き起こされる知の物語
(3)図書館は、古代の人々の最も深い憧れをある程度満たし、権力や資源を握る人々の願望を反映し、社会の権力や政治的な権力の構造とピタリと噛み合っていたに違いないとするポリス絡みの物語
の3点を挙げていまる。
 そして、「アリストテレスと図書館をつなぐ輪であり、ポリスから帝国への変化を最もよく表す人物」として、ファレロンノデメトリウスを挙げ、プトレマイオス王朝が、デメトリウスのは次に従って、「あたう限りの文書を集めた、多額の金を支払い、地中海世界の市場で手に入る文書を、文字通り無差別にかき集めた。そしてついには、アレクサンドリアの港に入ってくる船に向かって、すべての巻物を差し出せと命じた」と述べています。
 また、「始皇帝の宰相であり自身も法子の優れた学者であった」李斯について、「「焚書政策と分かちがたく結びついたもっと積極的な文化政策、すなわち中国語の書き言葉の標準化にも関わっていた」として、「李斯は書き言葉を整備することで中国文明を救ったといっても過言ではなかった。なぜなら、中国文明が統一を保てたのは、書き言葉のシステムのおかげだったからである」と述べています。
 第2章「修道院」では、キリスト教の修道院が、「文明が崩壊する前に、むしろ意図的に都市文明から離れたところに作られたので、文明が衰微して荒廃した時代にも、巧みに学問を守ることができた。修道院は、西洋世界の様々な組織の中でも最も寿命が長いものの一つで、いわば修道院という制度自体に、長寿のDNAが組み込まれているといってもよいだろう」と述べています。
 そして、「キリスト教の知への貢献は、単に成り上がりのカルト集団がその文書を哲学的な概念で飾り立てたといったもの」ではなく、「むしろこの宗教があったからこそ、知が、古代の世界を定義していた生身の人間の弁論による競争なしでも生き延びられるようになっていた」と述べ、「修道院は、文明がない荒野に特に順応した、世界初の知の制度だった」としています。
 第3章「大学」では、中世の大学と今日の大学との大きな違いとして、
(1)12~13世紀にボローニャやパリにできた大学は、意図して作られたものではなく、学生や教師のネットワークの最も密なノードとして自然にできた。
(2)ヨーロッパの大学はすべからく都市の現象である。
(3)元来大学にはキャンパスも建物もなかった。
の3点を挙げた上で、修道院という「古い制度が反映している最中に、この新たな知の制度が登場することになった」理由として、「ヨーロッパが、ローマ帝国衰退期に受けた襲撃の傷からついに立ち直った体」と述べています。
 第4章「文字の共和国」では、「文字の共和国とは、手書きの郵便書簡から始まり、やがて印刷された書籍や雑誌によって縫い合わされることとなった学問の国際共同体」であるとした上で、「この共和国は、生まれや社会的な地位や性別や学位による差別のない共和国で、当時も相変わらず学問ではラテン語を使うことが多かったせいもあって、言語の違いや国の違いや宗教の違いを超えた共和国でもあった」と述べています。
 そして、「文字の共和国では、面と向かってのやり取りはまれで、参加者たちは互いの顔も知らぬまま、何十年位もわたって手紙をやりとりした」と述べています。
 第5章「専門分野」では、「西洋では、啓蒙運動によって、大規模な知の市場がはじめて誕生するとともに、今日『専門分野(ディシプリン)』と呼ばれている知的な労働の専門化が始まった」とした上で、「知の歴史上最も驚くべき大逆転」である「ドイツが世界を近代的な学問の時代へと導いたこと」のきっかけとして、1694年にハレに、1737年にゲッチンゲンにできた大学に誕生した新たな制度であるセミナーを挙げています。
 そして、専門分野が、「教育に熱心な大衆にひと揃いの知の甲冑をもたらすことで、はるか昔の啓蒙運動の夢を実現し、一般大衆に手を差し伸ばすことに成功した」と述べています。
 第6章「実験室(ラボラトリー)」では、「科学で名を成す女性が出てきたことで、科学的な技法は、伝統的な人文科学に深遠な課題を突きつけた格好になった」として、「実験室における科学の成功は客観的な事実であり、しかも、『その資格のない』女性でも、実験器具の扱いさえ習得すれば、自然界のものを操作して、紛れもない成果を上げることができた」と述べています。
 そして、「ビッグ・サイエンスの構成要素となるべき制度は、20世紀初頭にはすでに存在しており、しかもそれらの要素は、物理的な実験室と社会的な実験室が融合して、形を変えたものに過ぎなかった」として、「絶えず戦争が続き、目もくらむような新たな技術が生まれたところで、基本的な制度はほとんど革新されることなく残っている」と述べています。
 「結論」では、「西洋の歴史において、知が6度にわたって根本から再発明されてきたというのが、この本の主張である」とした上で、「新たな知の制度が大きな力を得るようになると、古い制度は新たな目標を与えられて新たな制度に飲み込まれるか、全く異なる使命を担わされて置き去りにされるかのいずれかになる」と述べています。
 そして、「前世界で実験室が台頭し、アメリカがはかない勝利に浸り、せわしない技術の躁状態が続く中で、私たちは永続的なものと一時的なものとをより分けなくてはならない」として、「絶えず実験を行い民主的な平等や社会を向上させようとする実験室の価値観を、人々を力づける人間的な制度として確実に具体化させることは、来る世代の使命なのだ」と述べています。
 本書は、繰り返される知の発明を歴史の観点から解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 人類は様々な方法で知識を自らの手中に収め、そして発展させてきましたが、それらを体系付けて解説した本書は、様々な「知の制度」を理解する上でわかりやすいガイドブックになると思います。
 それにしても、秦の始皇帝の悪行の象徴として取り上げられることの多い「焚書」ではありますが、それまでバラバラだった書き言葉を標準化することで結果的に中国文明の統一を保ち、さらに、現代でも当時の漢字を読むことができる、という素晴らしい業績でもある、という評価には頷かされました。始皇帝の焚書がなかったら、日本語のシステムが存在していたかどうかも怪しいのではないかと思ったりします。


■ どんな人にオススメ?

・人類がどのように「知」を作ってきたかを理解したい人。


2012年5月22日 (火)

生き物たちの情報戦略―生存をかけた静かなる戦い

■ 書籍情報

生き物たちの情報戦略―生存をかけた静かなる戦い   【生き物たちの情報戦略―生存をかけた静かなる戦い】(#2126)

  針山 孝彦
  価格: ¥1890 (税込)
  化学同人(2007/9/20)

 本書は、「生物が遺伝的にもつ種独自の情報処理系」である「環世界」を見つめなければならない理由について、「生物の歴史全般を見直し」ながら書かれたものです。
 第2章「生き物はいかに多様化したのか」では、カンブリア紀の生物たちに外骨格が目立つようになった理由として、捕食者からの防衛にはほとんど効果がなかったが、「外骨格もない骨格も、体の一部に堅いものを準備して、運動の支点として機能することが重要な役割である」と述べ、「筋肉をもった多細胞生物は、骨格をそなえることで、早く動くことができるように」なり、「カンブリア紀の生物の世界が喧騒の世界になったのは、この骨格の出現によるものだったのだろう」と述べています。
 第4章「多細胞生物の設計原理」では、真核細胞の集まりからなる組織は、
(1)上皮組織
(2)結合組織
(3)筋組織
(4)神経組織
の4つに大別できるとし、「個体を形成する何兆個もの細胞を、大きく4つに分類でき、それだけで個体が構成されている」ことはすごいことだと述べています。
 第6章「生き物たちの情報戦略」では、「カンブリア紀の運動性能上昇を支えることができたのは、感覚器官の出現であった」として、「移動のスピードに応じて、性能のよい感覚器官を創造し、進行方向の前側に集中して並べる。そして情報処理きである脳をその中心に置くことで、生存の確率は、上がりました。性能のよい感覚器官と情報処理機の形成は、カンブリア紀の生物たちに『食う食われる』関係をつくりあげ、この結果、個体群に変化を与えて爆発的な多様化を導いたのではないでしょうか? 中でも遠隔受容器として働く眼の出現は、『食う食われる』ものたちにとっての重要な感覚器官として働いたことでしょう」と述べています。
 第8章「生物がつくりあげる世界」では、「環世界」という言葉について、「その中心的な概念は、動物やヒトといった主体(生物)が働きかけて客体(環境)に対する世界を構築する」というものであり、「それぞれ別の主体が全く同じ環境に置かれたとしても、それぞれの主体は大きく異なった独自の世界を構築し、その中に生きているのではないかと考えること」であると述べています。
 本書は、多様な生物がひしめき合う世界に対する一つの見方を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 生き物が進化する上で、一番の推進力になっているのは「食われる」こと、ということなのでしょうか。素早く移動する運動能力も、いち早く危険を察知する「眼」も、食われそうになることで進化してきたようです。何だか軍隊の進化にも似ているような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・生き物を取り囲んでいる世界を知りたい人。


2012年5月21日 (月)

性器の進化論――生殖器が語る愛のかたち

■ 書籍情報

性器の進化論――生殖器が語る愛のかたち   【性器の進化論――生殖器が語る愛のかたち】(#2125)

  榎本 知郎
  価格: ¥1575 (税込)
  化学同人(2010/1/30)

 本書は、「人間の性現象は、繁殖という枠にとどまらず、ヒトとして生きていく中で、生殖器、性生理、性行動、性交渉、雄と雌の関係性などが相互に密接に関連し合った複合体として進化してきた」として、「"生殖器の進化"という切り口から生殖器と密接に関係しあう要素を総合的に考察することで、人の性複合体の進化を浮き彫りにしていこう」とするものです。
 第2章「繁殖をめぐる内なる戦い--雄の内生殖器」では、精巣の役割として、
(1)文字通り"男のシンボル"になっていること
(2)男性ホルモンであるテストステロンを分泌すること
(3)精子を作ること
の3点を挙げています。
 そして、雄同士で配偶をめぐって争うときの戦略として、「メスの生殖管に射精した時、他のオスの精子が生殖管に入れないようにブロックする」戦略を挙げ、「精液を固めて次の交尾ができないようにする」例を紹介した上で、「ヒトの精子には、後からくる精子を撃退する戦略がある」とする「キラー精子」説を紹介しています。
 第3章「いかに良い遺伝子を獲得するか--雌の内生殖器」では、「たとえコストが掛かっても、多数の余分な卵子を作り、その中から少数のエリートを選別する方法」が採用されたとした上で、卵管峡部上皮の役割として、
(1)精子をつなぎ止めておくこと
(2)留めおいた精子が活性を失わないよう、栄養を与えて生かしておくこと
(3)受精能を与えること
の3点を挙げています。
 そして、卵管についての仮説として、「ヒトの卵管峡部は、排卵の時まで門を閉ざし、複数のオスのものであろうと精子をすべて捕獲して同じスタートラインに置く」ことから、
(1)卵管峡部は精子競争を推し進めるべく進化した
(2)人の卵管膨大部の機能や構造は、より多くのより活発な精子を送り込める雄を選ぶために進化した
の2つの仮説を提唱しています。
 また、「異性の遺伝子を選ぶ過程は、配偶相手を選ぶところから子どもが大人になるまでのあいだに4段階にわたって起こる」として、
(1)配偶期:配偶者と交尾するまで
(2)卵管期:卵管における淘汰
(3)子宮期:子宮における淘汰
(4)成長期:生まれてから大人になるまでの間における淘汰
の4つの段階を示しています。
 第6章「愛はなぜうまれたか--生殖器の進化と人間の性」では、ダーウィンが挙げた2つの性淘汰である、
(1)雄同士で雌に配偶者として選んでもらう競争
(2)雌との配偶をめぐって雄同士が争う過程
の他に、
(3)雌の生殖管における精子同士の競争である精子競争
というもう一つの性淘汰の形があることがわかってきたと述べています。
 そして、ヒトにおいて、「排卵された卵子の実に9割までが淘汰されて死んでいく」という強い生殖管淘汰が働いている理由として、「生殖管淘汰とは雌が雄の遺伝子を厳密に選ぶ機構だ」という可能性を挙げています。
 また、「ヒトでは繁殖のために雄雌の関係を規定する遺伝子のはたらきが弱く、そのかわり雄雌関係が社会的な絆を生む愛をもたらす遺伝子の進化を促したの」ではないかと述べています。
 本書は、生殖器からヒトの愛の由来を読み解こうとした一冊です。


■ 個人的な視点から

 「精子競争」という精子の間の仁義無き戦い。物理的に固めちゃうとか、後から来た精子を撃退する「キラー精子」とか、雌の生殖管におけるえげつない戦いも目に見えないものとはいえ熾烈なものがあります。配偶者を見つけた後こそが「俺達の本当の戦いはこれからだ!」なのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・配偶者を見つけてひと安心している人。


2012年5月18日 (金)

人はなぜ夢を見るのか―夢科学四千年の問いと答え

■ 書籍情報

人はなぜ夢を見るのか―夢科学四千年の問いと答え   【人はなぜ夢を見るのか―夢科学四千年の問いと答え】(#2124)

  渡辺 恒夫
  価格: ¥1785 (税込)
  化学同人(2010/5/31)

 本書は、夢に関する本の2つの流れである、
(1)フロイト、ユング流の夢の深層心理学の流れをくむいわゆる夢判断
(2)レム睡眠の脳波研究などに基づいた脳生理学的なもの
の2つを総合した上で、「夢科学を古代から歴史的に展開してきたものとしてとらえよう」とするものです。
 第1章「『ギルガメッシュ叙事詩』に始まる」では、『ギルガメッシュ叙事詩』や『創世記』のエピソードが、古代オリエント世界において、「夢には意味がある。ただし、ほんとうの意味は隠されているから、解釈の技法によって暴かねばならない」と考えられていたことを象徴していると述べ、夢の「有意味性」と「解釈技法」は、20世紀のフロイトやユングなど、深層心理学的な夢に理論にまで受け継がれた、「夢についての基本的な考え方の一つ」だと述べています。
 第2章「フロイトとユング--深層心理学の時代」では、フロイトが、「夢の分析が無意識の世界を解明するのに重要な方法になること」に気づいたことから、自分の夢の分析を始めたと述べています。
 そして、ユングが、「精神病の患者が語ったり描いたりする幻覚や、子どもの夢の中に、古代の神話や宗教儀礼のなかの図像象徴(イコン)と共通したものがあること」に注目し、「集合的無意識」について、「心とは大洋に点在する島であって、表面上は別々でも底では連続している」と述べ、ユング心理学の功績として、「近代文明社会にあってはもはやナンセンスとしか映らなくなってしまった伝統的な習俗や儀礼の深層心理学的意味をあきらかにすることによって、機械論的合理主義的な風潮に歯止めをかけるための、理論的支柱となったところ」にあるとしています。
 第3章「レム睡眠の発見--夢の現代科学のはじまり」では、深層心理学的な夢研究の方法論上の弱点として、
(1)データの信頼性に欠ける恨みのあること。
(2)検証可能性の問題。
の2点を挙げた上で、1950年代にアメリカのシカゴ大学でレム睡眠が発見されたことを、「夢科学の歴史の中でも、フロイト『夢判断』の出版(1900年)いらいの、エポックメイキングなできごと」だと述べています。
 第6章「レム睡眠の機能--記憶の整理?」では、夢とレム睡眠の機能についての、1987年時点での主要学説として、
(1)本能的衝動の解放説
(2)ホメオスタシス説
(3)学習記憶説
(4)回復説
の4点を挙げています。
 第8章「夢の進化理論」では、「主導的な認知神経科学の理論は、夢見の有用な機能を見つけ出すことを、完全に放棄してしまっているように思われる」として、「夢の意識とは、レム睡眠の期間に、眠っている脳が実行する様々な神経生理学的な機能に随伴して生じる、ある種の無秩序な雑音であるとみなされているのだ」と述べています。
 第9章「明晰夢と自己意識の誕生」では、「明晰夢」(lucid dreaming)について、「夢のなかで、『あ、自分は今、夢を見ているんだな』と自覚し、場合によっては思うとおりに夢の展開をコントロールできるという、特別の種類の夢につけられた名である」と述べた上で、「明晰夢の特徴は、夢を見ているという自覚と、夢の鮮明さ、迫真感が、相伴って現れる点にある。明晰夢とは、精巧な仮想現実世界そのものなのである」としています。
 本書は、夢とは何かを追い求めた科学と歴史をまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 脳の活動を外側から観察できる技術が進んだことで、これまで「人文系」と言われていた分野にも統計学以外の科学的なアプローチが多数入り込んできたわけですが、今さら新しい技術に乗り換えるわけにも行かない人たちが重鎮として陣取っている学問分野が順応できるまでにはまだ時間がかかるような気がします。とは言え、こういう問題は、議論とか論破ではなく、「時が解決してくれる」という側面も大きいのですが。


■ どんな人にオススメ?

・「夢」と言えばフロイトやユングと思っている人。


2012年5月17日 (木)

経済は感情で動く―― はじめての行動経済学

■ 書籍情報

経済は感情で動く―― はじめての行動経済学   【経済は感情で動く―― はじめての行動経済学】(#2123)

  マッテオ モッテルリーニ (著) , 泉 典子 (翻訳)
  価格: ¥1680 (税込)
  紀伊國屋書店(2008/4/17)

 本書は、「感情の経済学」を解説したものです。著者は、「物事を決定するまでのプロセスについては、認知心理学、神経科学、実験経済学などの分野で、驚くほど研究が重ねられてきた」として、それらの研究から、「いかなる決定も当事者が最大の利益を引き出せるかどうかにかかっている、という経済理論が的を射ていない」ということだけではなく、「いったいどういうわけで、どんなふうにして非合理な決定をしてしまうのか、というメカニズム」も明らかになったと述べ、「これまでの経済学が説く内容よりはるかに豊かで、多彩で、生き生きとして、巧妙かつ風変わりで、想像力に飛んでいて面白い」と述べています。
 パート1「日常のなかの非合理」では、「私達の頭にあるお金は、きっちり決まった絶対的で抽象的なものではないのだ。私たちはお金には相対的な価値を付与し、経験や感情によって色付けをする」と述べています。
 そして、「選択肢がふえると真ん中を選びたくなるのは、それが一番だと思わせるちょうどいい理由を見つけた気がするからなのだ」と述べています。
 また、「何か(大したものでなくても)の所有者になったというだけで、そのものの価値が、それを持たない人が考える価値のおよそ2倍にも、たちまち跳ね上がる」理由として、「保有効果」を解説しています。
 パート2「自分自身を知れ」では、「私たちは何かを判断するとき、できるだけ近道を通ろうとするあまり、ときには道を外れてしまう」として、「できるだけ手短に簡単にやろうとする」という「ヒューリスティクスを見直して合理的選択をするには、頭が描くイメージの暗示に引っかからない努力が必要なのだ」と述べています。
 そして、「うぬぼれは私達の信念のなかにも深く根を張っている」として、「殆どの人が、自分の信念を『イエス』といってくれるものを好ましいとして、その反対のものは疎んじる」と述べ、「要するに、間違っていると言われるより、正しいと言ってもらうほうが気持ちがいいのだ。私達に味方するような情報を求めることに熱心で、その反対の情報には馬耳東風なのもこのためである」としています。
 パート3「判断するのは感情か理性か」では、「私達の多くは、『公平』、『誠実』、『正義』などについての明確な観念を持っていて、そのために、ときには自分の利益を第一に考えるという利己主義が薄らぐようだ」として、「これは取引に少なからぬ影響をもたらす」と述べています。
 そして、「物事を決定する過程でとくに重要なこと」として、「相手の気持を『読む』ということ」を挙げ、「自閉症の子どもたちは他人の腹が読めないために、『最後通牒ゲーム』では『ふつうの』人より合理的な行動をしている。相手にはわずかしか与えず、自分が受け取る番になったときには、馬鹿馬鹿しいほどの量でも受け取っている。まさに経済学のマニュアルにある完璧な行動をしているわけである」と述べ、「私達がどこまでも合理的に、経済学の理論に完全に従って行動できるのは、自閉症の人や脳に障害のある人、あるいは自分の意思がないと思われるものを相手にした場合だけなのだ」としています。
 また、「私達が正しくないと思う人の行動を罰しようとするとき」には、「おいしそうな料理を見た時、お金が儲かりそうなとき、セックスやドラッグを体験した時などに覚えるのと同じ、本能的な快楽」が味わえると述べ、「この快感を教えるのは私達の脳で、喜び、満足感、報酬などをコントロールする」部位である「線条体(ことに後部の)と呼ばれる、いわゆる神経節(あるいは基底核)の一つで、尾状核と被殻とを含み、皮質の下にある奥の部分、脳の中心に向かう脳幹の上部にある」であるとしています。
 著者は、「合理的な人というのは、自分の感情のコントロールと認知プロセスについて、頭の中でより正確で精巧な把握ができる人である」と述べています。
 本書は、全然別分野と思われがちな「経済」が「感情」と密接に関係が有ることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 最近、行動経済学とか心理経済学とか神経経済学の本が沢山出ているのは、研究成果の蓄積とノーベル賞とかの影響もあるとは思うのですが、それまで経済学というか「ホモ・エコノミクス」に対して多くの人が感じていた違和感を説明してくれる理論が出てきたことで、「それ見たことか」という感情を補強するという面もあるのではないかと思います。とは言え、「ホモ・エコノミクス」が理解できない人に最新の「ホモ・サピエンス」モデルが理解できるとも思わないですが。


■ どんな人にオススメ?

・昔習った経済学に納得出来ない人。


2012年5月16日 (水)

フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説

■ 書籍情報

フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説   【フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説】(#2122)

  スティーヴン・ジェイ グールド (著), 渡辺 政隆 (翻訳)
  価格: ¥924 (税込)
  早川書房(2003/11)

 本書は、「進化とは進歩前進の歴史であり、その最終的な成果としてわれわれ人類が登場した」という「世の中の大勢を占めている漠然とした進化観」に対し、「進化によってもたらされたのは多様性の増大であり、"進歩している"ように見える生物の登場は、あくまでもその副産物にすぎない」ことを、アメリカ大リーグにおける4割打者消滅の歴史の例で示したものです。
 第1章「ハクスリーのチェス盤」では、本書において、「"システム全体"(全容あるいは『フルハウス』)内での変異と時間と共にその変異が広がる変化様式を調べようとするとき、全体の中から乱暴に選び出した特例や抽象概念(ホモ・サピエンスすなわり人類の系統といった、往々にして変更した例)にばかり目が向くのは、特徴的ではない限定された事例が何かに向かっていると錯覚するせいではないのかと言いたい」と述べています。
 第2章「戦略的広報担当官に囲まれたダーウィン」では、「人類は、よく茂った生命樹の小枝に過ぎず、その小枝が分枝したのは地質学的に見てほんの一瞬前のことだとしたら、人類は前進する定めにある過程(生命の歴史において称揚されるぎている進歩のトレンド)が最終的に生み出す約束になっていた存在ではないかもしれないではないか。もしかしたら人類は、いかに輝かしい偉業を達成していようと、再び同じような条件下で生命樹の種子が発芽して育つことがあったとした場合には二度と出現しない、宇宙のはかない偶然にすぎないかもしれないではないか」と述べています。
 そして、本書の眼目は、「進歩は社会的先入観と心理的願望に根ざす錯覚であり、フロイト式第4の革命が語る明白な(しかも正しい)意味を受け入れたくないという人々の気持ちのなせるわざであることを明らかにしよう」というものであると述べています。
 第3章「トレンドをめぐる解釈と印象のちがい」では、本書で取り上げる、
・プロ野球界に四割打者が出なくなったのはなぜか
・生命の歴史を特徴づけるのは進歩か
という2つの問いかけについて、「いずれも重要なしきたりの本質と歴史を要約しており、双方とも道徳的な意味合いを含んでいるという意味で古典的なトレンドである」と述べています。
 第4章「最初の例--個人的な物語」では、本書で取り上げる例をきちんと理解するためには、変異の本質にかかわる、
(1)右の壁あるいは左の壁が変異の広がりを制限すること
(2)そういう制限があると、分布が右に歪むか左に歪むということ
(3)中心部の傾向を示す値でも、平均値とメジアンとモードにはちがいがあるということ
の3点を理解するだけでいいと述べています。
 第5章「第二の例--生物のささやかな冗談」では、ウマの進化が進化の「トレンド」の代表的な例になっていることについて、「ウマが選ばれた理由は、尻すぼみの系統の末端に位置する種が現在も生き残っているからなのだ。これで状況はさらに『悪化』したわけで、いまや完全なる一般化も可能だ」として、「システム全体の変異を考えようとはせずに、『どこかへと向かう実体』をトレンドとして描こうとする偏見のせいで、進化の動向と『進歩』の代表的な例とされているものはどれも皆、初期の繁茂からかつての栄光の名残である一本の枝のみを残すまでに衰退してしまった失敗したグループとならざるをえないのだ。これを生物のささやかな冗談と言わずしてなんと言おう」と述べています。
 著者は、「なんらかの実体(グループや進化の系統など)の歴史をたどるなら、構成要素すべての変異の変化--それらの全容--をたどるべきであって、直線的な経路を移動する単一の品目(平均値のような抽象か典型的とされる例)として間違った要約をすべきではないということ」だと述べています。
 第7章「従来の説明」では、「野球史の数ある統計的トレンドの中で、四割打者の消滅ほど多くの活字を費やされてきた話題はない」として、その根底には、「四割打者の絶滅は、野球の中で何かが悪化したことの表れであり、何が悪くなったのかがわかれば問題点は解決される」というものだと述べています。
 第8章「全般的向上の理由を探る」では、「ほぼすべてのスポーツで、絶対的な記録の工場は明確なパターンに従っており、その理由はおそらく私が四割打者問題に関して展開しようとしている論拠の要である」として、「スポーツ選手たちは、それ以上の向上を阻む『右の壁』に到達するのだ」と述べています。
 第9章「右裾が縮んだせいで死滅した四割打者」では、「四割打者とは、あくまでも全選手の打率を集めた完全な分布の右裾であって、いかなる意味でも、それ自体で定義して分離できるような『モノ』ではない」として、「四割打者は全選手の打率を集めた釣鐘状分布の右裾にすぎないという正しい見方をしてはじめて、全く新しいタイプの説明が提出できる」と述べています。
 第10章「四割打者の死とプレーの向上との関係」では、「打率などはあくまでも相対的な記録であることをきちんと認識し、プロ野球選手も、他の優秀なスポーツ選手同様、時代とともに向上しているに違いないと認めれば、それまでとは異なった(しかもほぼ確実に正しい)構図が浮き上がってくる」とした上で、「野球史の初期の頃」は、「プレーの平均はまだ、人間の限界である右壁からずっと離れたところにあった」ため、「2割6分という平均打率は右壁より遥か下にあり、その両側に変異が広く裾を広げていた」が、現代の平均的な選手は、「昔よりも何フィートか右壁に近い位置に立っている」ため、「並の選手(2割6分を維持する選手)と最高の選手との差は縮まってしまったため、4割という高打率は消されてしまったのだ。つまり皮肉なことに、四割打者の消滅はプレーの全般的向上のなせる技であって、何かが低下した証ではないのだ」と述べています。
 第12章「自然淘汰の骨子」では、「進歩を読み取らないと気が済まないというのは、トレンドを実体の移動としてみる伝統的な考え方の典型的な例である」として、「われわれは、そのような進歩が進化の過程全体の決定的な推進力に違いないという見方で凝り固まっている」と述べています。
 第13章「最小スケールでの予備的な例--体のサイズの進化に関する一般性」では、生命の歴史における複雑さを扱うこの章において、「考えうる最も単純な構造をした生物という"下限すなわち『左壁』からの拡大が変異全体の増大をもたらす"」という例を提供するとしています。
 第14章「最頻を誇る細菌の威力」では、「左壁から出発して変異を拡大させる歴史を根拠にした最良の弁論を展開する」として、
(1)生命は左壁から出発するほかなかった
(2)最初に出現したバクテリア状態の一貫した安定性
(3)生命のみごとな拡張は必然的にますます右に歪んでいく分布を生む
(4)分布全体を右裾の最大値一つで特徴付けようとする短絡傾向
(5)原因は壁の存在と変異の拡大--右裾は結果であって原因ではない
(6)そのようなシステムに進歩を忍び込ませる唯一有望な方法は論理的には可能だが、経験的には相当な確率で間違っている
(7)右裾だけに注目するという身贔屓を決行しても渇望する結論、すなわち全般的進歩に対するわれわれの切望を後押しする心理学的機動力は得られないだろう--つまり意識を授けられたわれわれ人間のような生物の支配へと、期待を裏切ることなく導いてくれる進化は手に入らない
の7点を挙げています。
 第15章「人間の文化を論じるエピローグ」では、「ダーウィンが苑革命的な書『種の起源』を締めくくるにあたって注意深く選んだ文章に、魅惑されつつ敬意の目を向けよう」と述べ、「ダーウィンは、人間の知能が発達したことや、あらかじめ定められた好ましい複雑さに向かった行進を称揚することで進化を称えたりはしていない。ダーウィンは、生命のさんざめくはち切れんばかりの多様さを、ニュートン的な荘厳さを湛えながら太陽の周囲を回る地球の単調な回転運動と対比することで称える方を選んでいる」としています。
 本書は、「進歩」という言葉に囚われやすい私たちの進化観にわかりやすい一撃を加えてくる一冊です。


■ 個人的な視点から

 生物の「進化」という言葉には色々と語弊があって、環境の変化にともなって変化に耐えられない種は退場せざるを得なく、対応でき多種は生き残るわけですが、それはどこか一定の高みに向かった「進化」というわけではなく、環境変化に翻弄された「成れの果て」ということでもあるのです。それを「進化」と呼べるかどうかは、
後から後ろ向きに振り返ったときの「後付け」の説明にすぎないわけです。


■ どんな人にオススメ?

・生命は常に「進化」していると思っている人。


2012年5月15日 (火)

なぜ経済予測は間違えるのか?---科学で問い直す経済学

■ 書籍情報

なぜ経済予測は間違えるのか?---科学で問い直す経済学   【なぜ経済予測は間違えるのか?---科学で問い直す経済学】(#2121)

  デイヴィッド・オレル (著), 松浦 俊輔 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  河出書房新社(2011/2/16)

 本書は、現在の経済システムの問題点を、「そのシステムが予測しがたいことではなく、途轍もなく生産性と創造性がありながら、不健康な状態にあるらしい」ことだとした上で、「正統的な経済学理論の背後にある誤解」について、「その考え方の由来を見るために歴史をさかのぼり、そう考えることが日常生活にどう影響するかを説明し、そんな考え方は成り立たない証拠があるにもかかわらず守られる理由を考え、修正の仕方、あるいは代替案を提起する」ものです。
 第1章「『ニュートン力学』で読む経済法則」では、「そもそも基本法則があって、それは簡単な方程式で表せるという考え方が適用できるのは、重力のような、一定の、その法則専用の事例だけ」だとした上で、雲のようなものは大気の力学の「創発特性」とするのが良いとして、創発的現象は、セル・オートマトンやエージェントベース・モデルなどの手法を用いた複雑系の科学者によって、広く調べられていると述べています。
 第2章「『ブラウン運動』で読む人の動き」では、「効率的市場仮説は、突然の変化が存在することを予想しておらず、その点で間違っている。効率的市場仮説で記述される経済では、変化は小さくてランダムなものだけなので、変わった空模様はありえず、嵐も日照りもない」が、実際には、「経済は実際の天気と同じく、様々であり変動する」と述べています。
 そして、その変動の理由の1つとして、「人がニュートン力学に出てくる原子のようには行動せず、互いの行動に作用しあっていることがある」と述べています。
 第3章「『つりあい』で読む市場」では、「正統的な経済観を規定する言葉」として、「効率、安定、合理」を挙げた上で、「19世紀に新古典派の経済が考えられた時、安定性という前提が求められたのは、当時の数学では、この前提がないと方程式が解けなかったからだ。しかし、この言い訳はもう通用しない」と述べています。
 そして、「経済のような複雑系の特徴は、長期的に見ると比較的安定しているように見えることが多いところにある」が、「安定と見えているものは、実は対立する強い力--性のフィードバック・ループと負のフィードバック・ループ--の間での休戦協定に過ぎない」と述べています。
 第4章「『パスカルの三角形』で読む価格変動」では、「正規分布は半世紀にわたり、私達の金融システムで中心的な活躍をしてきた」が、「その答えはというと、あまり大したことはなさそうだ」として、「価格変動が実際には正規分布には従っていない」という問題点があると述べています。
 そして、「複雑系では効率と堅牢性は相反する関係にあり、そのことからすると、短期的的効率の水準を下げる気になれば、経済のリスク水準は下げられるのではないか」として、「私達の金融システムは、危ない橋の上にあるように思えることが多い。複雑性の科学、ネットワーク理論、非線型力学、フラクタル統計学から得られる知見が、もっと安定し、停滞することの少ない体制に戻る道を見つける助けになるかもしれない」と述べています。
 第5章「『無理数』で読むホモ・エコノミクス」では、経済学をもっと現実的にするための次のステップとして、「合理的経済人という概念をきっぱり捨て、その代わりに、人が実際にどう行動するかについて、経験的に観察した結果を反映したものを取り入れることだ」と述べています。
 第8章「『ミツバチ』で読む経済成長」では、「大学の学部学生が教わり、政府の政策や企業の戦略を支配している」主流派の経済学が、「天然資源、汚染の影響、将来の世代の権利といったものの本当の価値を計算に入れていない」と指摘しています。
 そして、「経済の主要な問題は、予測しにくいとか、拡大の速さが十分でないとかのことではなく、多くの点で、それが病んだ状態にあるということだ」として、「私たちの今の経済への取り組み方は統合失調症的だ。私たちは経済的にも生態的にも不安定な、規制のないシステムを設計している。それについて、安定を仮定する手法を用いてモデルと建てようとし、未来の予測をしようとし、おかしなことになると、びっくりする。システムは不安定なものだと認識すれば、それは、受動的に次の動きを当てずっぽうに読もうとするより、積極的に改善する機会を開く」と述べています。
 第10章「『ファジイな倫理』抜きでは読めない経済」では、「世界経済は大きくなり、古い神話は力を失いつつある。台頭しつつある新しい筋書きは単純ではない。あるいは特に耳あたりの良いものでもない--私たちは理性的ではなく、有能ではなく、公平でも善でもないと言われるのだから」と述べています。
 本書は、いくら経済学を勉強しても経済が予測できないと思う人におすすめの一冊です。


■ 個人的な視点から

 経済学を学んだところで、この先の経済状況を事前に予測できるわけでもないですが、少なくとも今起こっている出来事が何故起きているのかを知ることができるだけでもぜんぜん違うと思うのです。例えばバブル景気が始まった時に、その好景気がバブルであることを理解している人が少なかったように、そして、バブルが崩壊し始めた時に、あくまでも一時的な失速だと信じ込んでいた人がたくさんいたように。


■ どんな人にオススメ?

・経済学の役割に半信半疑な人。


2012年5月14日 (月)

ジャーナリズムが亡びる日―ネットの猛威にさらされるメディア

■ 書籍情報

ジャーナリズムが亡びる日―ネットの猛威にさらされるメディア   【ジャーナリズムが亡びる日―ネットの猛威にさらされるメディア】(#2120)

  猪熊 建夫
  価格: ¥1785 (税込)
  花伝社(2011/01)

 本書は、「丹誠込めて作ったコンテンツを、無料、あるいは無料同然の安値でインターネットに流通させる愚行は、直ちにやめるべきである」として、「『有料課金』に徹してこそ、ジャーナリズムは維持できる」と主張するものです。
 第1章「広告はインターネットになびく」では、「広告の『紙離れ』が始まった」として、「多くの大衆がリーチするサイトがこんなに増え、しかもそこに出す広告は既存メディアと比べめっぽう格安とあって、ネットは広告媒体としての地歩を一気に固めてしまった」と述べています。
 第2章「『テレビ離れ』が始まっている」では、「広告主が、インターネット広告になびきテレビ広告を敬遠しだしたのは、景気の悪化で広告主が経費削減に走った中で、ネットと比べそもそもテレビの広告費が高すぎると判断したことが主因である。さらに、『広告媒体としての力の低下』や『出稿したい番組が減った』ことなども要因に挙げられる」と述べています。
 そして、「国民全体を一つにまとめたマクロのデータで見るかぎりでは、『テレビ離れ』は確認できない」が、「年配者のテレビ傾斜はますます進んでいるものの、若い人のテレビとの接触の仕方はこの数年でかなり変化している」として、「NHKは『皆さまの』ではなく、『高齢者のNHK』になっている」と指摘しています。
 第3章「『紙離れ』は止まらない」では、1996年に日本の新聞社、通信社がヤフーのサイトに新聞記事を提供したことについて、「ネットに記事を提供すれば、新聞社の名前も表記されるので新聞の購読者が増えるかもしれない」という「ほんの軽いノリ」であったと述べ、「日本の新聞界は今、臍を噛んでいる」としています。
 第5章「ジャーナリズムは誰が担うのか」では、「ネット上の情報・言論は玉石混交であり、新しい情報機関として認知され、多くの人から信頼されるような状況にはなっていない」背景として、
(1)まだ日が浅いという単純な事実
(2)悪貨が良貨を駆逐している
(3)「編集」を経ていない情報がほとんどである
の3点を挙げた上で、「新聞社、テレビ局の市場規模が縮小すれば、通信社だって経営が維持できなくなる。一次情報は集まらなくなるのだ」と述べています。
 本書は、紙のメディアへの郷愁と後進への(今更ながらの)警告が詰まった一冊です。


■ 個人的な視点から

 新聞業界の人間が既存メディアの衰退を語る、ということで、読んでいると非常にいたたまれない感じが伝わってきます。新聞やテレビが無くなれば一次情報が集まらなくなる、と言ってはおりますが、一次情報が集められる人材はお金が集められるところにいるんであって、前世の因縁か何かで紙メディアや放送メディアに縛り付けられているわけではないのです。新聞社の記者がテレビ局に乗り換えたように、お金があるところに自然に集まってくるのです。そういう点でも読んでいて悲しくなりました。


■ どんな人にオススメ?

・紙メディアの断末魔の叫びを聞いてみたい人。


2012年5月11日 (金)

ウイルスと人間

■ 書籍情報

ウイルスと人間.   【ウイルスと人間.】(#2119)

  山内 一也
  価格: ¥1260 (税込)
  岩波書店(2005/5/13)

 本書は、「人類よりもはるかに長い歴史を持つウイルスの生命体としての存在意義は何なのか」を人間との関係から解説したものです。
 第1章「ウイルスの歴史は長く、人間の歴史は短い」では、ウイルスがどのようにして生まれたのかについて、
(1)細菌のような大型の微生物が退化したものであるという説
(2)ウイルスのほうが細胞よりも先に現れたという説
(3)細胞の後にウイルスが現れたという説
の3つの説を挙げ、現在では(3)の「ウイルスは細胞の遺伝子が外に飛び出してタンパク質の殻を獲得し、自己増殖できるようになったものと考えられている」という説が有力だと述べています。
 第2章「進化の推進力となったウイルス」では、真核生物の起源について、
(1)細菌と古細菌合体説
(2)真核細胞が古細菌や細菌以前に出現していたという説
(3)核はウイルスに由来するという説
の3つの仮説を挙げ、「真核生物の核がウイルスにより生まれたものと仮定すれば、我々は元をたどればウイルスの子孫ということになる」と述べています。
 第4章「ウイルスと生体のせめぎ合い」では、ウイルスの生存戦略として、
(1)持続感染
(2)宿主との関係から病原性を変化させる
(3)免疫反応をごまかして生き延びようとする
(4)空気感染などで他の人に急速に感染を広げる
(5)昆虫により感染を広げる
などの戦略を挙げた上で、「ウイルスは本来、宿主の動物にはほとんど病気を起こさないのが普通であり、これがウイルスの存続の戦略でもある」が、「別の動物種に感染すると重症感染になることがある」と述べています。
 第8章「人間とウイルスの関係を考える」では、「ウイルスの究極の生存戦略は平和共存である」とした上で、「人類が出現する以前から地球上に存在していたウイルスは、単に病毒としてではなく、シンシチンのように、寄生する宿主に役立っている側面を持っているのではなかろうか」と述べています。
 本書は、ウイルスの多面性を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ウイルスというと人間に厄介な病気をもたらす害悪と思われがちではありますが、人間がウイルスの存在を所与の条件としてこれまで進化をしてきたことを考えると、ウイルスを見る目も変わるかもしれません。とはいえ、ウイルス性の病気になりたくはありませんが。


■ どんな人にオススメ?

・「ウイルス=病原体」と思っている人。


2012年5月10日 (木)

犯罪捜査の心理学―プロファイリングで犯人に迫る

■ 書籍情報

犯罪捜査の心理学―プロファイリングで犯人に迫る   【犯罪捜査の心理学―プロファイリングで犯人に迫る】(#2118)

  越智 啓太
  価格: ¥1470 (税込)
  化学同人(2008/5/20)

 本書は、「現実のプロファイリング研究について、できるだけ最新の研究までを焦点に入れて紹介」しているものです。
 第1章「FBIによるプロファイリングプロジェクト」では、殺人事件の多くは、「金か愛」のトラブルが原因で起きたものであるが、「連続殺人(serial murder)」などの、「被害者と加害者に金銭関係や恋愛関係などのない事件」もあり、「このような事件では、捜査は前者の場合に比べて格段に難しく」なることから、1960年代後半からFBIが「この種の犯罪を解決するための研究プロジェクトを発足」させ、これがのちに「プロファイリング」として知られることになったとしています。
 そして、FBIの方法論について、「一人、一人の犯人の『心の闇』について想像をふくらませるのではなく、科学者としての冷静さをもって多くの連続殺人事件のデータを収集しデータベース化した」結果、犯人の行動を「Organizedタイプ(秩序型)」と「Disorganizedタイプ(無秩序型)」に分けることができたとしています。
 第2章「プロファイリングの新たな展開」では、FBIのカテゴリー分類がうまく当てはまらないケースもたくさん出てきた結果、「より客観的に犯人の行動を分析し、より適切なカテゴリーを設定していく」というアプローチが要求され、リヴァプール大学のカンター教授のグループの研究では、「最小空間分析」という統計的な手法を用いて犯罪行動を分析すつことを考えたと述べ、「この方法を用いると、類似している行動は相互に近くに、類似していない行動は離れて空間的に配置した図を作成すること」(空間マッピング)ができるとしています。
 第4章「犯人の危険性を推定する」では、ミューレンによるストーカーの分類として、
(1)拒絶型ストーカー
(2)憎悪型ストーカー
(3)無資格型ストーカー
(4)親密希求型ストーカー
(5)略奪型ストーカー
の5つを挙げ、それぞれについて、危険度を分析しています。
 本書は、映画などでは何やらブラックボックスめいた技術として描かれがちな「プロファイリング」を、地道な科学技術として解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 映画でよく目にする「プロファイリング」技術ですが、ブームのきっかけは、やはり1990年代の『FBI心理捜査官』なのではないでしょうか。当時はテレビでまるで魔法のように扱われた(ほとんど「FBI心霊捜査官」と同じような扱い)この技術にも、きちんとした統計的な裏付けがあることを本書は教えてくれます。


■ どんな人にオススメ?

・『羊たちの沈黙』でビビった人。


2012年5月 9日 (水)

聞き書 武村正義回顧録

■ 書籍情報

聞き書 武村正義回顧録   【聞き書 武村正義回顧録】(#2117)

  御厨 貴, 牧原 出
  価格: ¥2940 (税込)
  岩波書店(2011/2/26)

 本書は、90年代の日本政治を、さきがけの武村代表の立場から語ることで、「はっきりくっきりと、その深層的な状況」を明らかにしたものです。
 第1章「滋賀県知事から衆議院議員へ」では、滋賀県知事から祝儀委員議員に転身した著者が、自民党の阿部派を選んだ理由として、「いろいろな人」がいて、「活発というか、個性を認められている派閥だ」と思ったことを挙げています。
 また、知事の12年間にキャッシュを一度も手にしなかったため、国会議員当選後、あいさつに行った竹下幹事長から、幹事長室で「公認料だ」といわれて3千万円入りの紙袋を渡されたときに、慌てふためいて、幹事長室を出たあとに、「あちこちのポケットに百万円の札束をしまい込んだこと」が「今でも印象に残って」いると語っています。
 第2章「リクルート事件とユートピア政治研究会」では、当時の自民党に、「派閥」と「当選回数」という「2つの秩序が厳然として存在していることを知らされた」として、「日常の立ち居振る舞いから発言の順序から、場合によっては発言の内容まで気を遣わなければならない」と語っています。
 また、「僕は思ったことを言う質」だとして、リクルート事件の時も、「こんな大きな事件が起こっているのに、党内では目して語らずでみんな黙っているのが不思議です」「自民党と金の関係、あるいは政治と金の関係が問われているんだから、このことを党としても正式に取り上げて、まずリクルート事件の真相を党自らも見極める必要があります」と発言したことがきっかけで、「ユートピア政治研究会」という私的な集まりが始まったと語っています。
 第3章「政治改革のうねり」では、自民党の議員について、「ただ言いたいことをおっしゃる」一方で、「彼らはまた一面おおらかなところもあって、言ったらそれで満足というか、その通りにならなくても、自分はもうしゃべったということになる」と語っています。
 第4章「新党さきがけ結成」では、さきがけをつくるときの理屈の組み立てとして、「冷戦が終わったから、社会党の時代も終わっただけでなく、これまでの自民党も終わったんだ」「自民党は、冷戦が終わったと言うことと、自浄能力が全くないという2つの面で駄目なんだ、だから訣別しよう」というものであったと語っています。
 第5章「細川政権の誕生」では、先がけ結党までの政治行動について、ユートピア政治研究会が「ホップ」、制度改革研究会が「ステップ」、自民党離党・新党さきがけ結党が「ジャンプ」出会ったと語っています。
 第6章「官房長官として」では、細川護煕の『内訟録』において、「私のことが最初から最後まで出てくるけれど、一貫して細川さんにはあまりよく思われていなかったんだな、ということを認識させられました」と語っています。
 また、「自民という政党は金権体質もあるけれど、イデオロギーとして、戦後の反共産主義というか、東西冷戦の中で西側の政治勢力を表現している政党であって、それが大活躍してきたんですね。しかし冷戦が終わったところで自民党という政党は一時代を終えた、社会党も終えた、だから政界が新しく再編されていく」という認識があったと語っています。
 第7章「細川内閣の崩壊と『自社さ』の始動」では、自社さ政権の発足と同時に、「自民党が圧倒的に数が多くて、さきがけがうんと少ない中で、自民党を三、社会党を二、さきがけを一としてものごとを決める」という「三・二・一」というルールで合意したとして、「社会党とさきがけが組んで『それは困る』と言ったら、自民党単独では決められない.非常に大きなルールです。これが、自社さ政権のあいだ、自民党が数よりも謙虚でなければならなかった背景」だと語っています。
 第8章「村山政権の舞台裏」では、自社さ政権が「わりあいうまく行った」理由として、「村山さんというトップの人柄が大きい」として、「村山さんに対する信頼感、人間的な信頼感が与党の中ではすぐに生まれました」「さきがけはもちろんのこと、自民党も、人柄で村山さんのファンになりました。それをリードしていたのが、閣内に入った亀井と野中ですね。この2人は閣内でうるさ方の存在でしたが、真っ先に村山さんを褒めだして、党に帰ってもいつも村山さんをプレイアップしていました」と、「そういう不思議な人間的魅力を備えた、めずらしい人物だったということは言えます」と語っています。
 第9章「大蔵大臣時代」では、消費税について、「村山内閣で5%に上げさせていただいてから、もう16年以上経っていますが、あれ以後上げられない。上げることがいかに難しいか。消費税をアップすることは日本の政治の舞台では最高に重たい課題です」として、「社会党の入った自社さ政権で、半年以内に5%に上げる法案を通したというのは、大きな成果ですね」と語っています。
 第10章「新進党の結成・阪神淡路大震災・円高」では、「村山内閣のときも、全体としては官僚と政治とは、よく言えば強調していたと言えるし、要所要所では官僚がかなりリードしていたとも言える」として、「基本的な流れは、日々の行政では官僚がむしろ中心だった。行政と政治を対立としてとらえようとはしなかった」と語っています。
 また、橋本龍太郎について、「人一倍負けず嫌いの人ですね。政治家としては実によく勉強された人だとも言えますね」「東大卒の官僚に負けるものかという気持ちがあって、担当する政策については、法律も何もかもすごく勉強した人らしいですね」と評価する一方で、「自意識の強さというか、『俺が』という気持ちがわりあい強く出る人」なので、「近くにいる自民党の代議士諸公からは人柄があまり好かれていませんでしたね」と語っています。
 第11章「村山内閣から橋本内閣へ」では、住専の処理問題について、「とにかく不評でした(笑)。国民大衆を巻き込んで非難囂々でした」と語り、「反省して考えると、私どもの説明努力が足りなかった」「全部決まってから発表するのは仕方がなかったんだけれど、税金を投入するという結果だけ見せられて、国民はガーッと燃えて反発したという感じですね。だからもう少し早く、方針を決める前に事前のいろいろな情報を流して、国民に理解していただけるような努力をすべきだったな、というのが一つの反省点です」と語っています。
 また、村山総理から辞職の意志を告げられた際に、発表まで誰にも話さなかったことについて、「私は政治生活の中で、自慢ではないけれど、2回だけ言わないということを守りました」として、さきがけを結党するときと村山総理の辞任との2回を挙げ、「必要なときにしゃべるということが政治家にとっては大事ですが、必要なときにしゃべらないという努力も確かに大事です」と語っています。
 また、1996年正月号の『文藝春秋』で「21世紀の政治のリーダーは誰か」という特集があり、鳩山由紀夫が一番だったことが、「鳩山さんの独立というか、鳩山新党を激励したというか、火をつけた発火点かもしれません」と語っています。
 また、1996年に行われた小選挙区になって初めての衆院選でさきがけが惨敗したことで、著者が代表を辞任した際に、堂本暁子を党首にしようとしたが、田中秀征が「あんな人は絶対駄目だ。あんな人が党首になるなら、俺は即刻脱党する」と怒り出したので、しかたなく座長という形にしたが、「彼女はだんだん日が経つにつれて、『なんで私を党首にしないのよ』と言いだし、「最後まで党首にしなかったから今度は彼女が怒り出して、私がいないあるところで、『私は村のつく人はみな嫌い。村山、武村、奥村』と言っていた」と語っています。
 第12章「さきがけの終焉と政界引退」では、首長と議員との両方を経験し、30年ぐらい政治に身を置いてきた著者が、「いつが一番よかったですか?」とか、「何が一番働きがいがあったんですか?」と質問されたときに、迷わず「いや、滋賀県知事のときでした」「どちらかというと、国会議員のときよりも、地方の首長のときのほうがやり甲斐がありました」と答えていると語っています。
 本書は、日本の政治の仕組みが大きく変わった90年代の政界の渦中に身を起き続けた著者ならではの必読のオーラルヒストリーです。


■ 個人的な視点から

 約20年前の非自民政権の時には、8ヶ月間という短期間で自民党が政権に復帰したので自民党も生き長らえることができましたが、今回の3年にわたる非自民政権においては、かつての政権を支えた地場の後援会組織も高齢化でバタバタと潰れてしまい、政治家本人に相当な「地力」がないといくら民主党政権の評判が悪くても生き残れないのではないかと思います。何しろ「与党のセンセイ」としての仕事から3年近く離れてしまっているわけですから。その意味で、この数年で自民党国会議員の「選別」が本格的に進むのではないかと、ある意味では「楽観的」に期待しています。


■ どんな人にオススメ?

・20年前の歴史の舞台裏を知りたい人。


2012年5月 8日 (火)

近世日本の経済社会

■ 書籍情報

近世日本の経済社会   【近世日本の経済社会】(#2116)

  速水 融
  価格: ¥2940 (税込)
  麗沢大学出版会(2003/04)

 本書は、「資本主義経済が成立するためには、工業化を進める主体の形成と同時に、またはそれ以上に、経済社会の成立が必要であったが、これは、封建社会という特定の社会の内部で進行したことが世界的に認められる」として、「この経済社会の形成が、いついかに進行したかをつきとめること」が経済史の課題であるであるという問題意識で書かれたものです。
 第1章「経済社会成立以前」では、「ヨーロッパでは、経済活動が最も衰滅した状態を前提として封建社会の形成があったのに対し、日本では、一方で古代国家的枠組みが長く残存したこと、地方的にはともかく、全国的な政権として次に登場してきた織田・豊臣・徳川政権は、その枠組みの内に、当初から経済社会の存在とそれへの対応を考慮しなくてはならなかった」として、「これらの点で、西ヨーロッパと日本では、同じコースでもそれぞれの歴史的経験において差違を生ずるのである」と述べた上で、「経済社会成立以前の日本が、いかにして"古代国家"の枠組みを取り入れ、矛盾に満ちた歴史的経過をたどったか、その下での経済はどのような性質を持たざるを得なかったのか」
を考察するとしています。
 そして、鎌倉幕府の成立について、「11・12世紀の、荘園制の最盛期は、同時に、律令政府の財政的基盤が掘り崩され、また荘園が不輸租の特権ばかりでなく不入の権利を獲得し、さらにこれが拡大解釈されて、警察権の介入を排除する権利となるに及んで、あらゆる国家権力の及ばない一種の真空地帯の出現を意味するようになった。律令制の権威が後退すれば、それを埋めるべき一つの勢力が形成されてくる。それは、もはや律令という方の力ではなく、より直接的な力=武力を拠り所とする勢力であった」と述べています。
 第2章「経済社会の形成過程」では、「政治的な不安定は、かえって強固な政治支配と経済的支配(富の所有)との結合を妨げ、条件としては経済社会の形成を容易にすることになった」と述べています。
 そして、小農経営への移行によって、「農民生活の内に、経済的インセンティブが入ってきたことは、農民の日常行動や意識を大きく変えることになる。精算に対する考え方も変わってくる。今までの、労働はやむを得ず行う苦役という対応から、勤労は、より高い経済的報酬、よりよき生活をもたらしうる一つの"徳"になるのである」と述べた上で、「家族労働は、このような労働に最適の労働力であった。家族は、同時に経営を構成する一員であったから、激しい労働、長時間の労働は、先に報酬で受け取るかもしれない一種の投資であった」と述べ、「長時間の激しい労働をもって特徴づけられている日本農民のメンタリティ、あるいは現在の日本人に対する一つの評価とさえなっている勤勉さは、この時期にその原型がつくられたとみられる」としています。
 また、「日本の鎖国という選択とその実施は、当時の日本が一つの国家形成(ネイションビルディング)を行っていたことの証左でもある」として、「だから、二百数十年後、今度は開国を決意したときに、若干のトラブルはあったにしても、180度の方針転換をやって開国し、西洋化(ウェスタナイゼイション)を東洋諸国の内で最も急速に、劇的に行うことが同様に可能であった」と述べています。
 第3章「経済社会の成立」では、「江戸時代がいかに経済変化の激しい時代であったか」は、
(1)人口は、この時代に3倍以上に増大したものと見られる。
(2)耕地面積は約2倍に増加した。
(3)生産量(石高)は、人口の増大と生活水準の増大を考えれば、4倍以上の増大を考えることは不当ではない。
の3つの指数から明らかであるとした上で、「人口増大は江戸時代の初頭からそれほど遠くないどこかで開始されたものであり、それ以前は、増大はなかったか、あったとしても微増にとどまっていたと考えるべきである」と述べています。
 また、集約農業が発達し、土地生産力が上昇したことは、「地力維持のための努力の必要が増大したことを意味する」として、「大量の肥料投入と深耕が導入された」と述べ、「これらの技術変化はいずれも労働を激化させることとなった。農民は、もはや隷属労働力ではなくなったけれども、そして、小経営の主体として行動しうるようになったが、同時に長時間の、激しい労働を要求されたのである。いってみれば、これは隷属的地位からの会報の、一種の代償であった」と述べています。
 一方で、「他身分と比較して、武士層はついに経済的チャンスをつかみ得ず、江戸時代の内部で一人だに富を蓄え、産をなした者はいなかった。政治的権力を持つ者が、経済的チャンスをつかみ得ない状態は、実は大変不思議なことなのである」と述べています。
 第4章「日本近代化の史的特質」では、「農民層にとって最大の問題は、集約農業の極致とでも言うべき小規模経営に投じられる激しい、長時間の労働であった。一坪の土地も無駄にせず、最新の管理を行い、収穫を上げるべく、農民は家族ぐるみ朝から晩まで働かねばならなかった」と述べています。
 そして、日本の工業化の特徴として、
(1)それは"急速"でなければならなかった。
(2)日本が工業化に乗り出した時期は、欧米諸国による世界制覇の絶頂期であったため、経済力の弱い日本は、過大な軍備によって自らを守ると同時に、他を侵すという選択をしてしまった。
(3)政府と工業化、政府と企業との癒着的関係。
(4)家族制度の浸透。
の4点を挙げ、「江戸時代の経験は、日本の工業化にいくつかの重要な条件を構成したというべきであろう」と述べています。
 本書は、日本における経済社会がいかに形成されてきたかを、学校で習う歴史区分とは違った形で教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本の学校で習う(基礎的な)歴史教育では、明治維新で西洋の技術や思想を取り入れるまで、江戸時代は300年間鎖国をして進歩が止まっていた「遅れた社会」であるかのように教えられていた気がしていましたが、むしろ江戸時代の農業生産性の向上や経済社会の形成こそが、明治維新以後の日本を支える力の源になっていたのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・江戸時代は社会が停滞していたと思う人。


2012年5月 7日 (月)

プライスレス 必ず得する行動経済学の法則

■ 書籍情報

プライスレス 必ず得する行動経済学の法則   【プライスレス 必ず得する行動経済学の法則】(#2115)

  ウィリアム・パウンドストーン (著) , 松浦俊輔, 小野木明恵 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  青土社(2009/12/24)

 本書は、「ものの値段にかかわる心理学――心理物理学――であり、それを学問や経済活動として切りひらいてきた人々」について書かれたものです。
 第1章「290万ドルのコーヒー」では、「値段をつけるというありふれた行為において、私たちは、心の中にある欲求を、数字でできた公共の言語へと変換している。調べてみるとそれは、驚くほど巧妙なプロセスだった」と述べています。
 第2章「ものの値段はわからない」では、「価格心理学で現在流行の論調によれば、金銭的な価値の判断は、重さのような――あるいは明るさ、音量、暖かさ、冷たさ、においの強さなどの――感覚の判断とよく似ているという。感覚の知覚についての研究は、『心理物理学(サイコフィジックス)』と呼ばれている」と述べた上で、「相対的な評価は一定で一貫性があるのに、実際にいくらにするかとなると、どうしようもなく恣意的になる」という「確かさと不確かさ」が「奇妙に混じり合うこと」を「一貫した恣意性」と述べています。
 第3章「ブーメラン神話」では、「弁護士は、多額な要求を出して期待よりも少ない額しか認められなかったという経験の方を、よく覚えているものだ」として、「弁護士は、法廷のルーレットを前にして、陪審に具体的な数字を提示するのを控えることもある。妥当な金額をいうと思いもよらない高額が与えられる機会が失われるのではないかとか、あまりに高い金額をいうとブーメラン効果が起こるのではないかと恐れるのだ。だが、チャップマンとボーンスタインの実験から、そうでないことがうかがわれる。二人の論文の題名がすべてを語っている。『ふっかけた方が得』」と述べています。
 第16章「プロスペクト理論」では、カーネマンとトヴェルスキーによって提唱された「プロスペクト理論」の土台となった「いくつかの単純で強力なアイデア」として、
(1)お金(一般的には利益と損失)には相対的な性質がある。
(2)損失回避:お金を失った場合の打撃の大きさは、それと同じものを得た場合の喜びの大きさよりもずっと大きい。
(3)確実性の効果:確実であることと、単にかなり可能性が高いこととの間には、主観的には大きな断絶が存在する。
の3点を挙げています。
 第24章「ステーキ72オンス、無料になります」では、「1980年代以降、価格コンサルタント産業が急成長を遂げている」として、「価格心理学は、『客がほしいもの』はあまり明確ではない」「そうしたものは、意識すれば取るに足らないと分かるような細かな事柄に影響されて、その場その場で構成される」と述べています。
 第26章「プラダのさくら」では、「小売において客を巧みに操るための2つの鉄則」として、
(1)極端の回避:消費者の気持ちが定まらないときには、提示された商品の中で一番高いものや、一番低いものは避ける。
(2)兼ね合いの対比:損失を回避したい客は、やたらと選択肢があると気持ちが落ち着かない。商品Xが、それより劣る選択肢Yよりも明らかに優れている場合、消費者はXを買う傾向が強い。
の2点を挙げています。
 第27章「メニューの心理」では、心理学的メニュー設定の目標は、「利益の出る品に客の注意を惹きつけること」だとして、レストラン業界が慣例的にメニューの品を、
・スター:人気があった高い利益の見込まれる品
・パズル:高い利益が見込まれるが人気のないもの
・プラウホース(耕作用の牛):人気はあるが利益のでないもの
・ドッグ:人気がなく利益も出ないもの
と呼んでいると述べ、「コンサルタントの仕事は、パズルをスターに昇格させ、客の目をプラウホースからそらし、メニューにある価格は、見た目よりもっと妥当なものだと思い込ませることだ」と述べています。
 第30章「電話代の請求書なんか恐くない?」では、「この数十年間で、たいていの人は、電話料金、ケーブルテレビ、インターネットの請求書(あるいはこの3つすべてを合わせた請求書)、航空運賃、レンタカー料金、ホテルの宿泊料、健康保険や自動車保険料金や生命保険料金の特約料金、ヘルスクラブやカントリークラブの回避、クレジットカードの請求書、変動金利住宅ローンの仕組みは決して理解できないものと、諦めてしまった」と述べ、「価格の『最適化』とは、一般的に、もっと複雑にするという意味だ」としています。
 第33章「安く、さらに安く」では、「価格にうるさいことから、航空運賃の価格では『価格分離(アンバンドリング)』の習慣が生まれた。預かり荷物、枕、食事、コーヒー、電話予約、従来の紙の航空券、座席の選択、それにこれまでは無料だったその他もろもろのサービスの代金をいちいち請求するのだ」と述べています。
 第34章「99セントストアの謎」では、「半世紀近くもの間、指揮者の大方の意見では、端数価格は害のない迷信だとされてきた。それでも小売業者は端数価格を使い続けた』と述べています。
 第37章「ヲーホルの海辺の家を売る」では、「高すぎる価格をつける売り手のほとんどは、その価格で売れることを期待してそうしている。その期待は破られるに決まっている。アンカリングとは、『ふっかけただけ丸ごと儲ける』ではなく、『ふっかけた方が得』という意味なのだ。アンカリングをうまく利用するには、売り手は、高い価格を提示する必要があるのであって、それで売れると期待してはいけない」と述べています。
 第40章「注意不足」では、「提案を2つする最後通牒ゲーム」が、
(1)テーブルの上の死んだ犬:絶対に受け入れられないと分かっている提案にしばらくこだわった後、考え直し、相手にもっと都合のよい第2の提案をする。最初のものと比較すると新しい提案がとてもよく見えるので、相手はそれに飛びつく。
(2)よい警官、悪い警官:交渉チームの一人が死んだ犬の提案をする。この人がトイレに行くと、相方の「良い警官」が、相手に同情を示し、もっと太っ腹な条件の可能性を臭わせる。悪い警官が戻ってきて、良い警官と対立する。最終的によい警官が議論に勝つ。相手は喜んで、良い警官の提案を受け入れる。
という古い手法に似ていると述べています。
 第48章「すべてはテストステロンにある」では、相手のテストステロンのレベルを知るには、「相手の薬指を見るだけで、手がかりが得られるかもしれない」として、
(1)結婚指輪があるかどうかを見る。既婚男性のテストステロンのレベルは、独身男性のものより低いことが、研究結果から分かっている。
(2)薬指が人差し指よりどれくらい長いかを見る。人差し指と薬指の長さの比は、胎児のころに、性別を定める男性ホルモンにどれくらいさらされたかで決まってくる。最近の数々の研究では、薬指が長い男性(人差し指よりも)は、人と競うスポーツや取引が得意で、最後通牒ゲームでは低い提示額を拒否する傾向が強いと報告されている。
の2点を挙げています。
 第57章「お金、チョコレート、幸せ」では、「行動決定理論で最も答えにくい問いは、人は本当は何を求めているのかである。価格か選択が真の価値を移していると前提することはできない。問題は、この戸磯のものにあるらしい。そこでは、はっきりと定義されていて文脈に左右されない『真の価値』があるという、架空の正確な心の働きが前提されている。実際にはそうでないことを示す証拠が次々と重ねられている。選好逆転(広い意味での)こそが、人間の姿なのだ」と述べています。
 本書は、われわれが日々接しているものの値段が持っている本当の意味を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 心理学と脳科学の境界線がどんどん消失していった結果、これまで「人文系」とか「社会科学」とか言われていた分野にも脳科学の知見と手法がどんどんと取り入れられるようになりました。これは一昔前にゲーム理論が「ゲーム理論帝国主義」とか言われながら様々な社会科学分野に進出して成果を上げていったことを思い出させますが、脳科学や実験経済学とか行動経済学とか言われる分野の研究が、ゲーム理論で前提とされていた「ホモ・エコノミクス」を覆していくさまは壮観です。


■ どんな人にオススメ?

・人間がどうやって物事に値段を決めているかを知りたい人。


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