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2012年12月

2012年12月28日 (金)

子育ての経済学 ビジネススクールの講義でいちばん受けた話

■ 書籍情報

子育ての経済学 ビジネススクールの講義でいちばん受けた話   【子育ての経済学 ビジネススクールの講義でいちばん受けた話】(#2170)

  ジョシュア・ガンズ (著), 松田和也 (翻訳)
  価格: ¥1680 (税込)
  日経BP社(2010/8/5)

 本書は、単純化すると、「子供を、生まれたての赤ん坊の時から、とにかく"きわめて経済合理的に行動する手強い取引相手"として扱え」と主張しているものです。
 第3章「寝かせる」では、「睡眠は交渉ごとだ。親は自分が眠りたい。赤ん坊は構ってほしい。つまり利害の衝突だ。赤ん坊が泣くのは、要は提案である。『ねえ、構ってよ。そしたら泣くのをやめるよ』。しかも明確な提案だ。それが証拠に、構ってやれば、泣き声はピタリと止む。これを数回繰り返すだけで、赤ん坊はまんまと両親を調教してしまうというわけだ」と述べた上で、「親の側からすると、ともかく子供を寝かすことが究極の目標だと考えがちだ」が、「本当の目標は、親の方が(途中で邪魔されることなく)きちんと睡眠を取ることなのである」としています。
 そして、「ポイントは、安眠を妨害されるのが嫌なら、赤ん坊がよなかに目覚めた時に期待する報酬を絶対に与えないようにすることだ」と述べています。
 第4章「食べさせる」では、「不健康な食品の売人たる我々親は、その値段を釣り上げる経済学的戦略を知っておかねばならない」として、「すきあらばすかさず低品質の商品を売りつけること」だと述べ、最初に野菜を食べさせてから、その報酬として肉やフルーツを与える戦略を紹介しています。
 第5章「トイレをさせる」では、「『完成の域に達した』製品であるがゆえに、テクノロジーの進歩が直接、親にも子にも影響を及ぼす」として、「親が直ちに使い捨ておむつの導入を切望するのは至極当然のことだ」が、「困ったことに、赤ん坊の方は、この快適さが永遠に続くと思い込んでいる」ため、「使い捨ておむつは、『トイレを使うか否か』という、赤ん坊にとっての費用方程式を変えてしまった」と述べています。
 第10章「しかる」では、「子供の処罰については、体罰は是か非かということで、時折話題に上る」が、その基盤には、
(1)暴力は大人同士の間では非合法とされていること。
(2)体罰は何らかの点で子供の心身に傷を残すのかどうかということ。
の2つの問題があるとした上で、「処罰としての体罰を繰り返すのは、それが有効に機能していないということだ。その上、この種の処罰を繰り返せば悪影響があるという証拠があれば、体罰非合法化の根拠になる。そうなれば一切合切が非合法化され、たちの悪い子供に対する正当な処罰もできなくなるだろう」と述べています。
 本書は、経済学の視点から子育てに関わる諸問題を語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 他人の行動をコントロールするには、「法」「市場」「規範」「アーキテクチャ」の4つの方法があると言われていますが、確かに子供に言うことを聞かせるのに「法」や「規範」は通用しそうにありません。技術的にコントロールするか、「餌で釣る」タイプの「市場」を使うしかないということでしょう。


■ どんな人にオススメ?

・子供に「市場」が通用するわけがないと思う人。


2012年12月27日 (木)

著作権を確立した人々―福沢諭吉先生、水野錬太郎博士、プラーゲ博士…

■ 書籍情報

著作権を確立した人々―福沢諭吉先生、水野錬太郎博士、プラーゲ博士…   【著作権を確立した人々―福沢諭吉先生、水野錬太郎博士、プラーゲ博士…】(#2169)

  大家 重夫
  価格: ¥2310 (税込)
  成文堂(2004/04)

 本書は、文部省で著作権行政に長く携わった著者が、著作権、著作権の歴史に関係するエピソード、挿話を集めたものです。
 第1章「著作権紹介者・実践者としての福澤諭吉」では、「福澤の著書訳書は、売れ行きがよく、ベストセラーであるが偽版、海賊版が多く出た」とした上で、近江の膳所藩の藩校師範だった黒田行次郎により、ふりかなを付けたり傍注を付された「西洋事情」が京都府の許可を得て出版されたことについて、福澤が黒田に不正出版であると抗議した顛末について述べられています。
 また、「学問のすゝめ」の出版許可を文部省准刻課が出したことについて、内務省が異議を唱え、「こういう大事なことは、文部省に任しておいては大変だ」ということで、准刻課と衛生課の二課を内務省へ移管することになったと述べています。そして、「内務省への出版事務移管は、政府の一部が、福澤をどう見ていたかを知る上でも興味深い」として、明治の要人は『西洋事情』などの福澤の著作を読んでおり、政府要人に知人も多かったが、「政府の役人にならなかった福澤に対して、政府の一部は、福澤の議論に警戒を怠っていなかった」と述べています。
 第2章「旧著作権法を立案した水野錬太郎」では、「著作権」の用語は水野錬太郎の造語だと広く信じられていたが、「『著作権』の語が初めて出てくるのは、明治17年5月16日付け西郷従道農相務卿から井上馨外務卿あて文書と判明した。その役人は、原文を読み、当てたのであるが、今となっては、その人の名前はわからない」と述べています。
 第4章「日本の文化界に衝撃を与えたプラーゲ博士」では、「昭和3年のベルヌ条約ローマ会議で、日本も音楽の著作権をヨーロッパ諸国と同様に、『完全に』保護することになり、プラーゲ博士は、どういう縁からか、ヨーロッパの著作権団体から依頼され、昭和6年、高校のドイツ語教師業と並行して、著作権の管理業をはじめたのである」と述べ、「プラーゲ博士の告訴により、演奏家、歌手や劇場主、文化人達が、警視庁へ呼び出され、事情を聞かれた」ことから、「わが国の文化界は、狼狽し、一種の恐慌状態、パニック状態に陥った」として、「それまで、懸命に海の向こうの楽曲を演奏し、鑑賞し、また、懸命に外国出版物を翻訳し(相当無断翻訳があったと言われているが)、翻訳劇を上演し、それが文化に貢献と褒められこそすれ、問題になるとは殆どの人々が夢にも思っていなかった」と述べています。
 そして、当時の著作権担当部局である内務省警保局図書課は、対策として、
(1)NHKで音楽を放送する場合に、レコード再生時に作詞作曲・レコード会社の出所を言えば著作権使用料を払う必要をなしとする著作権法改正を行った。
(2)プラーゲ博士の行なっていた著作権管理業を許可制にする「著作権ニ関スル仲介業務ニ関スル法律」を昭和14年に制定し、大日本音楽著作権協会、大日本著作権保護同盟にのみ営業許可を与え、プラーゲ博士の申請を不許可とした。
の措置を取ったと述べ、「JASRACと呼ばれる日本音楽著作権協会は、このように、プラーゲ旋風を契機に結成された団体である」と述べています。
 著者は、「いまの日本には著作権尊重の思想が定着していると思うのだが、そうだとしたら、その7割方は、70年前、昭和初期のプラーゲ博士が強力な著作権管理活動をした賜物だからと考える」としています。
 本書は、著作権の歴史を人物に焦点を当てて語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 維新期の偉人として知られている福沢諭吉を、明治政府が警戒の目で見ていたというのは新鮮でした。今では「カスラック」とか一部からボロクソに言われているJASRACもプラーゲ旋風に対する日本の防衛策に端を発していると思うと面白いです。


■ どんな人にオススメ?

・日本の著作権のルーツを知りたい人。


2012年12月26日 (水)

音楽ビジネス著作権入門―はじめて学ぶ人にもわかる権利の仕組み

■ 書籍情報

音楽ビジネス著作権入門―はじめて学ぶ人にもわかる権利の仕組み   【音楽ビジネス著作権入門―はじめて学ぶ人にもわかる権利の仕組み】(#2168)

  佐藤 雅人
  価格: ¥2520 (税込)
  ダイヤモンド社(2008/9/27)

 本書は、「音楽ビジネスに関わる人、あるいはビジネスで音楽を利用する人、これからそういう方面に進みたい人、著作権に興味のある人、そんな人たちに読んでもらうことを想定」したものです。
 第1章「音楽ビジネスの基本は、三者の権利」では、「実演家の権利の中で最も重要なもの」として録音権を挙げた上で、「録音権にかぎらず、著作権は創作や実演などが行われた時点で自然発生」する「無方式主義」について解説しています。
 また、著作権法に、「裁定による著作物の利用」が規定されていることについて、「著作物の利用許諾において、著作権者の意思よりも公益を優先する必要がある場合には、文化庁長官による強制許諾が認められて」いるとして、一度CDとして発売した楽曲について、3年が経過すると、別のアーティストの歌唱でCDが発売されることを拒否できなくなると述べています。
 第3章「原盤の契約で変わるビジネス構造」では、「原盤権」という言葉について、「著作権法にはない業界用語」としながらも、「レコード製作者としてレコードを制作する権利」だと説明しています。
 第4章「音楽の利用に係る権利と許諾」では、「ビートルズの演奏による音源がTV-CMに利用されたこと」は、許諾されたことがないとした上で、「ビートルズ音源以外の既製の音源から許諾を得たり、TV-CMように新しく音源を製作したりしている」と述べています。
 また、「二次的著作物の創作としての編曲の意義」として、
(1)すでに公表されている曲をもとにして
(2)その表現上の本質的な特徴は生かし
(3)たとえば原曲の旋律の変更などにより
(4)原曲にはない新しい世界を表現しながらも
(5)原曲本来の世界を感じさせる
のような別の曲を創作する行為を編曲とすると述べています。
 本書は、音楽ビジネスに基本的に必要な著作権の知識をまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 ビートルズの音源がCMに許諾されたことがない、という話は初耳でした。ビートルズ以外にも、音源にお金を払いたくない、ということで、往年の名曲を当時の音っぽい雰囲気で新たに録音することもあるみたいです。有名なところでは、ソフトバンクのCMに使われたオリビア・ニュートンジョンの「ザナドゥ」とか。


■ どんな人にオススメ?

・ヒット曲の舞台裏を覗いてみたい人。


2012年12月25日 (火)

そこが知りたい著作権Q&A100―CRIC著作権相談室から

■ 書籍情報

そこが知りたい著作権Q&A100―CRIC著作権相談室から   【そこが知りたい著作権Q&A100―CRIC著作権相談室から】(#2167)

  早稲田 祐美子
  価格: ¥2100 (税込)
  著作権情報センター(2011/03)

 本書は、社団法人著作権情報センター(CRIC)が発行している著作権専門誌『月刊コピライト』の「読者のページ」に掲載されたQ&Aを中心に100問を掲載したものです。読者からは、「あの設問は著作権法の話題・論点を掲載するために人工的に作成したものですか」という質問を受けることがあるが、「実際の生の相談を基にしているもの」だとしています。
 Q6「商品と著作物」では、キャラクター商品の写真をネットオークションに掲載する際の写真について、「あくまでも当該商品を販売するために掲載するに過ぎず、しかも、購入者に対し商品状態を明示し商品を識別特定するための情報を与えるという意味で必要な行為である」であり、「同法32条1項の引用苦いというするという解釈も可能ではないかと思われ」るが、「必要以上にキャラクター商品を大きく掲載する行為や、商品情報提供とは何ら関係なくキャラクター商品を掲載する行為は、引用要件を具備せず、著作権侵害になる可能性が高い」と述べています。
 Q13「キャラクターの保護」では、判例では、「キャラクターといわれるものは、漫画の具体的表現から昇華した登場人物の人格ともいうべき抽象的概念であって、具体的表現そのものではなく、それ自体が思想または感情を創作的に表現したものということができない」(「ポパイ事件」最高裁平成9年7月17日判決)として、「著作物にあたらず、具体的な表現を保護する法律である著作権法では保護することはできない」とされていると述べた上で、オリジナルの動物キャラクターの商品化にあたっては、「著作権法による保護以外に商標登録及び意匠登録を行うことも考えられます」と述べています。
 Q26「続編と著作権」では、小説の続編執筆について、「当該小説の題号、登場人物のキャラクター(名前・風貌・性格等)、背景事情等設定の全部または一分を使用することが多い」が、「題号自体には通常は著作物性はない」と考えられていることや、小説における登場人物は、「文章全体により表現された抽象的なイメージである場合が多い」として、「著作権法上はアイデアであると考えられ、具体的な表現の使用と認めることが難しい場合が多い」こと、「著作権法上の複製、翻案に該当するためには、続編の文章上に、現作品の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる表現がなければならない」こと、登場人物の名前そのものには通常著作物性はないことなどから、「小説の続編に現作品の御登場人物を使用する場合、登場人物の名前を使用したり、そのキャラクターを使用することによって、著作権侵害に該当する場合はそれほどないのではないでしょうか」と述べています。
 Q29「替え歌と著作権」では、歌詞と楽曲を、「全体として分離できない『歌』と解することは困難」であり、「歌詞あるいは楽曲の片方を全く別のものに変えて結合させても、他方の著作者の同一性保持権を侵害すると判断することは難しいのではないか」と述べています。
 本書は、読者が実際に直面した問題を基にしたリアリティのある問答を読むことができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 著作権がらみのお悩みは、いろいろと解釈が出てきたり、根拠のよくわからない情報が入ってきたりで大変そうです。面倒になりそうなことは避ける、というのもわからなくはないですが、一方で「著作権ゴロ」みたいな人にお金払っちゃうと彼らをのさばらせることになってしまうのではないかと心配なのです。


■ どんな人にオススメ?

・著作権の具体的な悩み事がある人。


2012年12月21日 (金)

アメリカ著作権法の基礎知識 第2版

■ 書籍情報

アメリカ著作権法の基礎知識 第2版   【アメリカ著作権法の基礎知識 第2版】(#2166)

  山本隆司
  価格: ¥3990 (税込)
  太田出版(2008/9/30)

 本書は、「観念論からほど遠く、プラグマティズムで構成されている」米国著作権法について、「デジタル・ネットワーク環境において、どのように著作物の『利用』と『創作』を促進するか」という知恵においても、日本が見習うべきが多いことなどを解説したものです。
 第1章「米国著作権法の特質」では、「日本では、独占権である著作権を正当化する理論について、定まった考え方があるとはいえない」が、米国では、「著作物の創作者に著作権という独占権を与える根拠」として、
・これを自然権とする考え方(人格理論や労働理論)
・産業・文化の進行制作として付与されるものとする考え方(産業政策理論)
農地、明確に産業政策理論に立っていると述べています。
 また、1988年10月31日に米国がベルヌ条約加盟に必要な法律改正を行ったことについて、「米国は、現在、映画、音楽、コンピュータ・プログラムなどの著作権ビジネスにおいて、世界的に優位な地位にある」ことから、「ベルヌ条約に加盟することがアメリカの利益に合致することから、産業界の要求を受けて、1980年代からベルヌ条約加盟の動きが進んでいた」として、
(1)著作権表示・著作権登録を任意的制度にする法律改正を行って無方式主義を満たした。
(2)著作者人格権(同一性保持権及び氏名表示権)の保護は不正競争法等によって満たされているとの解釈を採った。
の2点を挙げています。
 第2章「保護される著作物の範囲」では、米国には著作隣接権の制度はなく、「実演、レコード制作及び放送は、創作性がある限り、著作物として保護される」と述べています。
 第4章「著作物の保護要素」では、「著作権の保護を受ける著作物であっても、その著作物に含まれるすべての要素が保護の対象になるわけではない」として、
(1)著作物の構成要素のうち、表現の要素のみが保護されるのであって、表現されたアイデア自体は保護されない(アイデア自由の原則)
(2)表現の要素であっても、アイデアと不可分な表現(マージ理論)およびアイデアに平凡な表現(ありふれた情景の理論)は、保護されない。
(3)表現の要素出会っても、創作性の認められる要素のみが保護される。
の3点を挙げ、「創作性は著作物の保護要件であるのみならず、表現要素の保護要件でもある」と述べています。
 第5章「形式的要件」では、「1989年3月1日以降は、ベルヌ条約の無方式主義に従って、著作権表示は著作物の保護要件ではなくなり、任意的制度となった」が、「著作権表示を奨励するために、著作権表示に『善意侵害(innocent infringement)の抗弁(著作権法504条(b)(2))を排除する効力を与えている」と述べています。
 第7章「著作権の範囲」では、著作権が、「権利の束(bundle of rights)であると言われる」として、「著作権者は、その権利を任意に分割して一部譲渡することができる」と述べています。
 本書は、日本の著作権法を考える上でも重要な比較対象である米国の著作権法をわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本の著作権法は、スパっとわかりにくいところがあるのですが、アメリカの「版権」の考え方をひとつの軸にして考えると、整理しやすくなるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・日本の著作権法はわかりづらいと思う人。


2012年12月20日 (木)

震災と鉄道

■ 書籍情報

震災と鉄道   【震災と鉄道】(#2165)

  原 武史
  価格: ¥798 (税込)
  朝日新聞出版(2011/10/13)

 本書は、「日本の鉄道にとっても未曽有の事態を引き起こし」た東日本大震災に関して、「鉄道は速度や営業係数のような数値に還元される交通手段ではないこと、被災した鉄道を復旧させることは、道路を復旧させるのとは根本的に違う要素があること、それは高校生や高齢者や津波で自家用車を流された人々の『足』となるばかりか、震災によって失われた公共的空間を回復させるという意味があること」を示すとしています。
 第1章「3・11と首都圏の鉄道」では、「震災当日の地下鉄や私鉄各社も、関東大震災や東京大空襲当時の国有鉄道も、とにもかくにも鉄道を復旧させることで、『安心』を乗客にもたらし」たが、「JR東日本は『安全』を意識するあまり、『安心』をもたらすこと」ができなかったと述べています。
 第2章「東日本大震災の被災地と鉄道」では、被災した三陸鉄道が、「3月中に一部区間を復旧させたのは、ある意味では無謀だったかも知れません」が、「その決断は結果的に、地元住民を大いに勇気づけました」と述べ、「鉄道が走る、復旧するということは、それだけのインパクトを沿線の住民に与えるもの」だとしています。
 そして、東北、とくに三陸が、「全国の他の地域とは違って、鉄道に対する思い入れがかなり強い地域」だとして、「そうした沿線住民と鉄道会社の思いのあるなしが、JR東日本とは大きく違います」と述べています。
 第4章「日本のリニア建設と中国の高速鉄道」では、「国土の約73%を山地が占める日本は地形的に、新幹線やリニアのような高速鉄道を走らせるのに、あまり適した自然環境では」ないとして、「リニア建設は、大自然に対するあまりにリスクの高い挑戦」だと述べています。
 本書は、震災をきっかけに日本人にとっての鉄道の意味を考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 鉄道に対する思い入れは、地方に行くほど強い一方で、地方に行くほど車がないと生活できなくなっているというのは、これからどうしたらいいんでしょうか。まあ人間の思いが及ぶのはせいぜい百年位が限界だということなのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・鉄道に乗るのは好きだけど鉄道旅行はしない人。


2012年12月19日 (水)

「次の首相」はこうして決まる

■ 書籍情報

「次の首相」はこうして決まる   【「次の首相」はこうして決まる】(#2164)

  柿崎 明二
  価格: ¥756 (税込)
  講談社(2008/10/17)

 本書は、「ここ十数年のあいだに永田町に起きた大きな変化」を追ったものです。
 序章「見えない権力のかたち」では、「実力者が実力者たる所以は、自民党総裁の選出過程で大きな役割をはたすこと」だったが、「そのような存在が福田と安倍の選出過程ではいなかった」として、ほとんどの国会議員が、「誰ならば次の国政選挙で勝てるか」を支持の判断基準にしていたことを指摘し、「過度の世論調査依存は、国会議員と国民から思考力・判断力を奪い、深刻な無責任体制を生み出しかねない」と述べています。
 第2章「勝ち馬に乗る派閥 2007年」では、「90年代のなかばから徐々に世論調査の重みが増し始め、2006年にいたって主従が逆転、ついに『次の首相』調査が派閥に代わって総裁選を主導するようになった」と述べています。
 第3章「派閥連合政党の終焉」では、中選挙区時代においては、「有権者との関係が安定していれば、国会議員は選挙区内の有権者全体の意識を気にする必要」はなく、「自分を支持してくれる有権者の一部の利害」を気にしなければならなかったと述べています。
 また、派閥が果たしていた機能のひとつとして、「時の首相を退陣に追い込む」機能を挙げ、「この機能不全を象徴するのが、2007年7月、誰もが驚いた安倍晋三の続投表明である」と述べています。
 第4章「小選挙区世代の台頭」では、「自民党の小選挙区世代は、新進党、現在の民主党と、巨大化した野党第一党の脅威にさらされ続けてきた。野党第一党に一票でも負ければそれは落選を意味する。彼らにとっては『集票力のある総裁(候補)』が死活的に重要なのだ。そこでは派閥の論理は二の次となる」と述べています。
 本書は、現在の日本の選挙を左右する世論調査の功罪を問う一冊です。


■ 個人的な視点から

 党首の顔次第で選挙の勝ち負けが決まるというのは、あんまり健全ではないような気もするのですが、それは政党システムが結構な機能不全を起こしているということの象徴なんでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・誰に投票したらいいのかをいつも迷う人。


2012年12月18日 (火)

江戸奇品解題

■ 書籍情報

江戸奇品解題   【江戸奇品解題】(#2163)

  浜崎 大
  価格: ¥1890 (税込)
  幻冬舎ルネッサンス(2012/3/15)

 本書は、江戸時代に作られた鉢植えの中で、「明治以降ほとんど見ることのできない斑入りや葉変わりの植物」である「奇品」について、「奇品は世界のどこにもない。江戸時代の奇品家の創見である」とした上で、「奇品に込められた心性を明らかにすることで、近代化によって過去のものとされた江戸文明の一端を再現し、その文明の特質を少しでも解明したい」とするものです。
 第1章「鉢植え前史」では、有力な植木屋として知られていた伊兵衛池の三代目と言われる三之丞を、「園芸を日本全国に、身分の上下の隔たりもなく広めていくことを信念として行動した人」だとして、その信念は、「やがて幕末に日本を訪れた西欧先進国のプラントハンターたちも絶賛した、世界でも類のない江戸の園芸文化を築き上げた」と述べています。
 第2章「鉢植えと奇品愛好の歴史」では、「斑入り植物は、もともと植物の側から見れば不健全な状態であり、ある種の奇形であるが、人為を超えたところから生まれた無心無策の美」として評価されたと述べています。
 また、「享保から元文のころ、奇品は江戸中で流行」し、気品家たちが「奇品を研究する『連』を結成した」ことについて、「連においては身分が武士か町人か農民かということは問題とされず、メンバー同士は原則的に対等であった。奇品を見定め、栽培する技術を持ちさえすれば、誰でもが気品家になれた」として、「これが奇品の素晴らしさのひとつだった」と述べています。
 第6章「驚くべき栽培技術」では、「もともと正常な個体から枝変わりで生じた奇品の場合、その種子を播いたとしても実生はかなりの確率で正常な緑葉であることが多く、奇品の特徴である斑入りや葉変わりという形質が子に伝わる可能性は低いということを奇品家はよく知っていた」ため、接木などのさまざまな繁殖法が試みられていたとしています。
 第9章「奇品に宿る心性」では、「狸や猫などが人語を話したり、変身したり、森や巨木に精霊が宿ると信じる世界観」であるアニミズムについて、「江戸時代の人々は他の生き物と深く交流し、共感して生きていた。奇品はそれを示す最たるものである」と述べています。
 本書は、江戸時代に暮らした趣味人の心の一面を垣間見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本の園芸マニアは江戸時代からの筋金入り、ということでしょうか。身分に関係なく園芸が広まっていった、というのは、江戸時代の身分制度の流動性をある程度示しているんじゃないかという気もします。


■ どんな人にオススメ?

・何かにマニアックにこだわってみたい人。


2012年12月17日 (月)

音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵

■ 書籍情報

音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵   【音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵】(#2162)

  田村 和紀夫
  価格: ¥1575 (税込)
  講談社(2012/1/12)

 本書は、音楽について、「魔法」「システム」「表現」「リズム」「旋律」「ハーモニー」「コミュニケーション」の7つの視点からその本質に迫った一冊です。
 第1章「音楽は魔法である」では、「西洋での音楽の語源と日本の伝説」が示しているものとして、「音楽とは神的な存在による、『歌や踊り』が区別できない一種のパフォーマンスだった」と述べた上で、「音楽の根源にあるのは
『魔力』」だとしています。
 第3章「音楽は表現である」では、「いわゆる標題音楽の成功の鍵は、実はほかならぬ音楽の描写能力の不確定性にあるのではないか」として、「音楽は『それ』を描くのではなく、『それらしさ』を醸し出すことで、音楽にとどまっており、また『らしさ』しか表現できないのが音楽そのものだから」だと述べています。
 第5章「音楽は旋律である」では、「メロディとハーモニーは同時に着想されうるし、ハーモニーからメロディが導き出される場合もある」として、「旋律とハーモニーを切り離すことはできません。両者は一体なのです」と述べています。
 第6章「音楽はハーモニーである」では、「音楽を不安定化し、連続させる」方法として、
(1)和音の転回形
(2)機能の弱い和音
(3)より弱い終止形
(4)オルゲルプンクト
(5)カデンツ以外の和声法
の5つの方法を挙げています。
 そして、「機能和声は和音をはたらき・機能によって分類・整理した体系でしたが、それは音楽を、ちょうど明快な文章のように、意味の通った文脈とするのでありた」とした上で、「わざとはぐらかしたり、結論を先延ばしたり、要するに私達が会話で日常的に行なっている効果を可能とするだけではありません。さらにその『語り口』や『調子』までも描くのです」と述べています。
 本書は、音楽とは何かを考えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 音楽は、おそらく昔は「魔法」に近い何かだと思われていたんだと想像されます。モーツァルトのトルコ行進曲の楽譜を読んでみたら転調が鮮やかで、きっと当時は本当に魔法に聞こえたんじゃないかと思いました。


■ どんな人にオススメ?

・音楽の魔法に身を委ねたい人。


2012年12月 7日 (金)

〈起業〉という幻想 ─ アメリカン・ドリームの現実

■ 書籍情報

〈起業〉という幻想 ─ アメリカン・ドリームの現実   【〈起業〉という幻想 ─ アメリカン・ドリームの現実】(#2161)

  スコット A シェーン (著), 谷口 功一, 中野 剛志, 柴山 桂太 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  白水社(2011/9/27)

 本書は、「アメリカでの典型的な起業家実像がどのようなものなのか、彼は何をどのように行うのか、そして、そのビジネスがアメリカ経済に対してどのようなインパクトを持つのかをスケッチ」したものです。
 第1章「アメリカ――起業ブームの起業家大陸」では、「新たなビジネス全体のうち4分の3は、そもそも従業員を抱えていない」とした上で、「ある国が富んでいればいるほど(一人当たりのGDPが高ければ高いほど)、自営の割合は低くなるし、現にビジネスを始めようとすrプロセスにいたり、最近ビジネスを始めた生産年齢人口のパーセンテージは小さくなる」と述べています。
 そして、「データによるなら、時間的・場所的な比較の中での新しい企業の設立パターンは、誰もが思っているようなものとはぜんぜん違う」と述べています。
 第2章「今日における起業家的な産業とは何か?」では、「ほとんどの起業家は、すでに非常に多くの会社が実際に経営されているような産業でこそ、新たにビジネスを開始する」と述べています。
 第3章「誰が起業家となるのか?」では、「典型的な起業家はあなたのおとなりさん」の、「40代既婚の白人男性で、誰かの下で働きたくないから自分でビジネスを始め、高成長の会社を創りだすというよりは、普通に日々のやりくりをしようとしているだけ」だと述べています。
 第4章「典型的なスタートアップ企業とは、どのようなものなのか?」では、「たいていの新しいビジネスは革新的なことを全くしていない」として、「ほとんどすべての新しいビジネスは、既存の製品やサービスと同じものを提供しており、創業者自身でさえ、自分たちの製品やサービスが独自のものだとは思っていない」と述べています。
 第6章「典型的な起業家は、どのくらいうまくやっているのか?」では、「会社を始める以外に、あなたが大金持ちになる道はほとんどない」が、「平均的な自営業者は、平均的な勤め人に比べて、著しく稼ぎが少ない」とする一方で、「自営で働く人は、そうでない人に比べて高い仕事上の満足を得ている」としています。
 第9章「なぜ、黒人起業家は少ないのか?」では、黒人の起業割合の低さについて、「平均的な黒人は、単に起業に必要なお金を持っていないだけ」だと指摘しています。
 「結論」では、「あらゆる起業はいいものだと無邪気に信じこむ代わりに、ごく一部の起業家だけが、人を貧困から救い、技術革新を促進し、雇用を創出し、失業を減らし、市場を競争的にし、経済を成長させるようなビジネスを創出するのだということを確認しておく必要がある」と述べています。
 本書は、ごく僅かな一部のイメージに左右される「起業家」の実像を明らかにしてくれる一冊です。

■ 個人的な視点から

 数年前に、とある起業家セミナーに呼ばれてパネリストをした時に、「起業なんてやるもんじゃない」という話をしてしまったことがあります。自分の親が会社を辞めて商売をはじめた時には、子供ながらに人を雇って手広くやればもっと儲かるのに、と思っていましたが、自分が歳を取ると人を雇うということがどんなに怖ろしいことかがわかった気がします。まあ起業なんて一攫千金を狙ってみたり、採算の取れるあてのない夢に賭けてみたり、というものじゃなくて、事情があって仕方なく自分で商売を始めるもの、というのが妥当な気がしています。


■ どんな人にオススメ?

・起業は人生の夢だと思っている人。


2012年12月 6日 (木)

われら以外の人類 猿人からネアンデルタール人まで

■ 書籍情報

われら以外の人類 猿人からネアンデルタール人まで   【われら以外の人類 猿人からネアンデルタール人まで】(#2160)

  内村 直之
  価格: ¥1365 (税込)
  朝日新聞社(2005/9/9)

 本書は、「人類は生まれたからまっすぐにわれわれホモ・サピエンスに進化してきたのではない」として、「進化の過程であちこち寄り道をし、袋小路に迷い込み、あるいは何種ものヒトが共存したという複雑な道筋をたどっている」ことを述べたものです。
 第1章「最古のヒトを求めて」では、「21世紀の始まりを挟んだ2000年から2002年の間、それまでのヒト進化の常識を超えるような3つの発見が次々と明らかに」なったとして、
(1)2000年12月のオロリン・トゥゲネンシスの発見
(2)2001年のアルディピテクス・カダバの発見
(3)2002年のサヘラントロプス・チャデンシスの発見
の3点を挙げ、「これで、人類の歴史の始まりは、それまでの440万年前のアルディピクス・ラミダから700万~600万年前と100万年以上も古くなった」と述べています。
 第2章「揺籃の地アフリカ」では、「アフリカの類人猿だけがヒトへの道を歩き出した理由は、アフリカ独特の歴史を持つ大地溝帯にある」と述べています。
 第3章「ヒトへの道を進む」では、「植物食から肉食へは単に嗜好の変化があるだけ」ではなく、「ヒトがヒトたる最大の理由、脳の進化のためには、効率的にカロリーを補給できる肉食が不可欠の条件と考えられてきている」と述べています。
 そして、脳が大きくなることにつながるヒトの行動として、
(1)高カロリーの食べ物を取るようにすること
(2)食生活の変化と同時に、食べ物を消化する能力も変わり、胃腸を短くすることで胃腸で使うエネルギーを減らした。
の2点を挙げています。
 第4章「広がるヒトたち」では、ネアンデルタール人について、「風呂に入って髭を剃り、ちゃんとした服を着れば、ニューヨークの地下鉄に乗っても誰の注意も引かないだろう」という有名な言葉を紹介しています。
 第5章「われらホモ・サピエンスの時代」では、「ミトコンドリアDNAを調べてその違いを比べてみると、同じ山の2頭のゴリラよりも、違う大陸の人間の方がはるかに似ている」理由として、「現代人の祖先が、アフリカで生まれ、そこから出て世界に広がる間に、一時絶滅の危機を迎えるといってもいいような少人数に陥ったことがあるからだ」として、「ビンの首(ボトルネック)」と言われていると述べ、「ヒトはもともと10万人から4万人程度の集団だった」が、「80万年から40万年前頃までに1万人程度にぐんと減る重大な危機があった」と考えられと述べています。


■ 個人的な視点から

 現在のわれわれにならなかった人類ということで、ネアンデルタール人に対する思い入れは結構多くの人が持っているような気がします。混血があったともなかったとも言われていますが、何れにしてもアウストラロピテクスから始まって現生人類にいたるまで直線状に進化してきたかのように教えられてしまうのは大きな不幸ではないかと思うのです。


■ どんな人にオススメ?

・「進化の階段」という言葉を信じてしまう人。


2012年12月 5日 (水)

5万年前―このとき人類の壮大な旅が始まった

■ 書籍情報

5万年前―このとき人類の壮大な旅が始まった   【5万年前―このとき人類の壮大な旅が始まった】(#2159)

  コラス ウェイド (著), 安田 喜憲 (監修), 沼尻 由起子 (翻訳)
  価格: ¥1785 (税込)
  イースト・プレス(2007/9/1)

 本書は、「遺伝学と人類学はもとより、考古学、歴史学、古人類学、生物学、古生物学、言語学、霊長類学、社会学、行動科学の知見をみごとに統合」し、人類の5万年の旅を解説した一冊です。
 第1章「ヒトゲノムが解き明かす人類史の謎」では、本書の主なテーマとして、
(1)500万年前の類人猿の世界と、そこから出現したヒトの世界は途切れることなくつながっている。
(2)人類の進化をかたちづくった大きな力は、人類社会そのものにあった。
(3)ヒトははじめに身体的に変化してから、行動も進化した。
(4)有史以前のできごとのほとんどは、最後の氷河時代に起こった。
(5)闘争、宗教、交易という3つの社会的習わしに適応したのは5万年前頃である。
(6)祖先の人々には克服できない限界があった。定住してコミュニティで生活するには好戦的すぎたのである。
(7)人類の進化は、遠い過去のことではなく、現代にいたるまでつづいている。
(8)人間はかつて1つの言語を話していたはずで、その言語から現代のあらゆる言語が派生した。
(9)ヒトゲノムは最近のことも記録し、文書で知ることのできる歴史を補強する。
の9点を挙げています。
 第2章「はじまりは5万年前、たった150人」では、「アフリカを出発していた集団は、幼児も含めてたった150人程度だったはずだ」とした上で、アフリカの向こう側の世界では、古代型人類が住んでおり、特に、なかには現代人より大きい脳を持ち、筋肉も発達し、先端に石器のついた槍など本格的な兵器類も所有していたネアンデルタール人は手強い敵だったと述べています。
 第4章「祖先たちの肖像画を描く」では、6万~4万年前、「アフリカでは乾燥した気候が長い間続き、森林は縮小してサバンナはカラカラに乾いてしまった」ために、アフリカの人口は減少し、「そんな過酷な環境に生きながらえていた祖先集団も5000人足らずに減っていた」と述べています。
 そして、「現生人類の進化には3つの重要な出来事がある」として、
・言語の完成
・人類の祖先集団の形成
・出アフリカ
の3点を挙げ、「この3つは5万年前頃、ほぼ同時期に起こったかもしれない」と述べ、「エチオピアは目下、現生人類の生まれ故郷の最有力候補だ」としています。
 第5章「ネアンデルタール人たちとの死闘」では、「アフリカを出発した人たちは人類集団の遺伝的多様性のほんの一部を持っていたに過ぎず、対立遺伝子の数も少なかった」ために、「遺伝学者は移動していった人たちの人数を推定することができる」として、160人とする説や、女系に伝わるミトコンドリアDNAから、「アフリカを出発した集団の妊娠可能年齢に達した女性たちの人数」を多くて550人とする説を紹介しています。
 また、現生人類がユーラシアに侵入するまで何世代もかかった理由として、
(1)古代型人類を打ち負かすのに必要な武器類と戦術を発達させるのに時間がかかった。
(2)現生人類が遺伝学的に適応してようやく寒冷な気候に生活できるようになった。
の2点を挙げ、この2つの人類種の接触の結果、「現生人類だけが生き延び、古代型人類は全て滅んでしまった」としています。
 第7章「『定住』という人類史の革命」では、年代測定法の改善により、「新石器時代が始まるずっと以前に始めに定住生活が起こり、農耕がそれに続いた」ことがわかってきたと述べています。
 また、乳糖を消化できる能力である「乳糖耐性」の現象から、
(1)進化は現生人類がアフリカを出発した5万年前の時点で止まったわけでなく、ヒトゲノムを作り直し続けている。
(2)乳糖という刺激に対してヒトゲノムは別々の集団で別個に反応したが、どの集団も収斂の過程をたどって乳糖を消化できる特性を発達させている。
(3)乳糖耐性の現象は遺伝子が文化的変化に反応することをはっきり示している。
の3つのポイントが見えてくると述べエチます。
 第8章「惨酷と利他――人間性の不思議」では、「人類の闘争のような社会行動は祖先の類人猿から受け継いだ遺伝的雛形に根ざしていて、人はその遺伝的雛形に適応しつつ進化してきた」と述べています。
 そして、「未開社会では闘争はよく起こっていた」が、「様々な理由があって、人類学者や考古学者は未開社会の戦いを歌唱に報告してきたようだ」として、ヨーロッパ人がなちを経験してから、「闘争や征服が研究テーマとして人気がなくなった」ため、「考古学者は大昔に闘争があったことをなかなか認めたがらないようだ」と述べています。
 そして、「核家族、互恵性、言語、宗教」の4つが「社会的動物であるヒトの入り組んだシステムの土台となっている」と述べています。
 さらに、「部族が以前ほど激しくて期待しなくなった証拠は、意外にも頭骨の華奢化にある」として、「4万年前頃に同じような遺伝的変化が各集団で別個に起こったか」のように、「人類の頭骨は世界じゅうで薄くなった」と述べ、「人間の骨は上部旧石器時代の祖先に比べて華奢になり、性格もそれほど好戦的ではなくなり、信頼し合うようになって社会の結束力が増した」と述べています。
 第9章「人種はかくて世界に拡散した」では、「現在の人種に特有の頭骨は1万2000~1万年以後に現れたようだ。この時点で大陸別の人種が出現したと考えていいだろう」と述べています。
 第11章「ヒトゲノムが暴く歴史の裏側」では、ヨーロッパ北部から東部に暮らすアシュケナジ(ドイツ・ポーランド・ロシア系ユダヤ人)について、「アナシュケジは長いあいだ厳しい淘汰圧を受けてきたので、ある変異遺伝子の頻度が高い」一方で、「ユダヤ人の変異遺伝子には特別の恩恵がある」として、「職業の制限」という淘汰圧を受けた結果、「知能を高める」という恩恵を受けたと述べています。著者は、「迫害の歴史を背負っているヨーロッパのアナシュケジのユダヤ系集団には、2つの特徴がある」として、
(1)知識人が多いこと
(2)メンデル遺伝病
の2点を挙げ、「アナシュケジの職業制限と突然変異が作用した結果、彼らの知能指数はヨーロッパ北部の人々より高く、民族集団中、最高の115である」と述べています。
 第12章「人類進化の終わりのない旅」では、「人類が発達させてきた諸々の行動は闘ったり、交易したりするのに必要なものだった」として、「闘争はヒトとチンパンジーの共通祖先から受け継いだ行動と言えるが、互恵性を育んだので人は赤の他人を信用して交易できるようになった。互恵的利他主義のおかげで他人を身内のように手助けできるようになり、宗教や言語を発達させたのでペテン師やよそ者を見抜けるようになった」と述べています。
 そして、「人類は自分たちの作り上げた文化にも反応して、進化的に変化した」と述べ、「1万5000年前頃、狩猟採集生活をやめて人間がはじめて定住すると、2種類の遺伝子があまり必要ではなくなった」として、
(1)嗅覚受容体遺伝子
(2)野生植物がもともと持っている毒を解毒するのに肝臓が利用している遺伝子
の2点を挙げています。
 著者は、「人類の進化の未来はたった1つではない。進化に通じる道はたくさんある。ある道は偶然、決まり、進化の別の道は選択によって決まるのだろう。500万年前、ヒト系統が類人猿系統から分離して以来、私達はここまで歩んできた。人類の進化の道は、さらに遠くにまでつづいている」と述べています。
 本書は、5万年前のヒトの姿を描き出そうとした一冊です。


■ 個人的な視点から

 人類の進化の話はいろいろと本が出ているわけですが、具体的になんで今のような状態になったのか、ということを考えるとジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』あたりの本にたどり着くわけです。この本と本書を組み合わせると、なんとなくですが、人類がこうなってしまい始めてから今に至るまでの経緯がわかるような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・人類がどうして今のようになったのかを知りたい人。


2012年12月 3日 (月)

ぼくは上陸している (下): 進化をめぐる旅の始まりの終わり

■ 書籍情報

ぼくは上陸している (下): 進化をめぐる旅の始まりの終わり   【ぼくは上陸している (下): 進化をめぐる旅の始まりの終わり】(#2158)

  スティーヴン・ジェイ・グールド (著), 渡辺 政隆 (翻訳)
  価格: ¥2625 (税込)
  早川書房(2011/8/10)

 本書は、進化生物学者である著者が『ナチュラル・ヒストリー』誌に書いた一般向けのエッセイをまとめたものの上下巻の下巻です。
 第15章「少ないほどほんとうに豊かな場合」では、「一遺伝子一タンパク質、基本のコードから精妙に組み立てられた全体への情報の流れは一方向という教義が崩壊したことは、生物現象と呼ばれる複雑なシステムに対する還元論の失敗を意味している」とした上で、その理由として、
(1)複雑性をどんどん進化させる上で重要な要素は、遺伝子の数ではなく、少数のコード(暗号)の構成単位によって生み出される組み合わせの数と相互作用の増加である。
(2)物理学の法則とはちがい、たった一回ずつしか起こらない歴史の偶発性は、複雑な生物システムにたくさんの特性をもたらしている。
の2点を挙げています。
 第20章「サン・マルコ大聖堂の拝廊とパンジーン説のパラダイム」では、サン・マルコ大聖堂拝廊のモザイク画が、「最初は未文化のかたまりからかたちのあるものが連続的に分化落下していくという物語を語っている」とした上で、「太古の神話が重要なのは、人間の頭が複雑な素材を筋の通った物語に仕立てる能力と限界を教えてくれることにある」と述べています。
 第23章「尾羽のおはなし」では、「進化とは、一つの種類が別の種類へとしだいに変化することではなく、潅木の枝分かれであり、古い種が消えて新しい種へと置き換わっていく過程である」として、「私のエッセイの多くは、系統樹はもさもさに広がる灌木だとする考えと、いやいやまっすぐにしか伸びない梯子だとする考えの対比というテーマを強調するものだ。このテーマにこだわるのは、進化に対する一般の人々の理解を一番歪めているのがこの誤解だと信じるからだ」と述べています。
 第24章「在来植物という概念についての進化論的な視点」では、「"在来"種とは、たまたま生きる場所を見つけた(あるいはその場所でたまたま進化した)種のことであり、その場所において望みうる最高の種というわけではない」として、「古くから住んでいる者は環境と生態学的に調和して生きる術を学んでいるのに対し、後からやってきた侵入者は環境を搾取することになりがちだ」という考え方は、「ロマンチックな戯言として退けられねばならない」と述べています。


■ 個人的な視点から

 進化についての教科書で描かれるような一方向に伸びる「梯子」とする見方に対して、進化は「灌木」であり、人類はその中の細いひょろっとした枝でしかない、とする著者の立場は本書以外でも繰り返し語られています。


■ どんな人にオススメ?

・学校の授業でしか進化について学んでいない人。


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