« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

2013年1月

2013年1月31日 (木)

暦の科学

■ 書籍情報

暦の科学   【暦の科学】(#2185)

  片山 真人
  価格: ¥1575 (税込)
  ベレ出版(2012/5/16)

 本書は、こよみを構成する要素について、主に天文学的な視点から解説しているものです。
 第1章「こよみはどのように決められているのか」第1節「1年はなぜ365日なのか」では、「こよみ上の月日と季節がずれていく」問題を解決したのが、ローマの英雄ユリウス・カエサルにより、紀元前46年に制定されたユリウス暦であり、1年を365日とし、4年に一度閏年として1年を366日とすることで、ずれの拡大を防ぐものであったと述べています。
 第2節「1カ月とは何か」では、「カレンデ(Kalendae)」について、「ラテン語で『宣言』や『布告』の意で、新月(三日月)が見えた時に新しい月の始まりを宣言することに由来」するとして、カレンダーという言葉の語源であると述べています。
 そして、古代ローマのヌマ歴において、1年304日では不便であったためにIanuariusとFebruariusという月が加えられたとして、「Ianuariusは顔を2つもち、1つは過去を、1つは未来を見据えて門を守護する神Janusuに由来しJanuaryの原型に、Februariusは祓いや清めを意味するfebruareに由来しFebruaryの原型に」なったとしています。
 第3節「季節はなぜ変化するのか」では、太陰暦では農作業の計画も立てられないことから、「日付とは別に冬至・夏至・春分・秋分などからなる二十四節気が暦に載せられ」、「これを参考にすることで、太陰暦を使いながらも計画的に農業を実施していくことができるようになった」と述べています。
 第4節「曜日はどのようにして生まれたのか」では、「7日をサイクルとする数え方は、古代バビロニアで生まれ」たとして、「月の満ち欠けを基にした太陰暦が用いられており、7日、14日、21日、28日を休日と定めていたよう」だと述べています。
 第4章「月の満ち欠け」では、「一般的な概念で満月といえば一晩中見えると考えられますが、天文学的にはそういう位置関係になる瞬間として定義され、時刻まできっちり決ま」ると述べています。
 第5章「日食と月食はなぜ起こるのか」では、日食が、「月と太陽が一直線上に並び、太陽が月によって隠される現象」であり、「新月も太陽と月が同じ方向になる現象」ではあるが、月の起動が太陽の軌道に対して5.1度ほど傾いていることから、「新月のたびに日食が起こるわけ」ではなく、「2つの軌道の交点付近で新月となったときに日食は起こる」と述べています。
 本書は、普段何気なく使っている「こよみ」に込められた天文学的な意味を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 去年の金環日食や、映画にもなった『天地明察』を読んで暦に興味を持った人も多いのではないかと思います。「こよみ」という言葉は、よくニュースで二十四節気が取り上げられて「暦の上では◯◯になりました」という言葉をよく聞くのではないでしょうか。現在でこそ、日食が予め分かる性格な暦を当たり前のように使っていますが、農業などで季節の移り変わりを知ることが生活に密着していた江戸時代の方が、暦の重要性は大きかったような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・カレンダーが当たり前だと思っている人。


2013年1月25日 (金)

震災と鉄道

■ 書籍情報

震災と鉄道   【震災と鉄道】(#2184)

  原 武史
  価格: ¥798 (税込)
  朝日新聞出版(2011/10/13)

 本書は、「日本の鉄道にとっても未曽有の事態を引き起こし」た東日本大震災に関して、「鉄道は速度や営業係数のような数値に還元される交通手段ではないこと、被災した鉄道を復旧させることは、道路を復旧させるのとは根本的に違う要素があること、それは高校生や高齢者や津波で自家用車を流された人々の『足』となるばかりか、震災によって失われた公共的空間を回復させるという意味があること」を示すとしています。
 第1章「3・11と首都圏の鉄道」では、「震災当日の地下鉄や私鉄各社も、関東大震災や東京大空襲当時の国有鉄道も、とにもかくにも鉄道を復旧させることで、『安心』を乗客にもたらし」たが、「JR東日本は『安全』を意識するあまり、『安心』をもたらすこと」ができなかったと述べています。
 第2章「東日本大震災の被災地と鉄道」では、被災した三陸鉄道が、「3月中に一部区間を復旧させたのは、ある意味では無謀だったかも知れません」が、「その決断は結果的に、地元住民を大いに勇気づけました」と述べ、「鉄道が走る、復旧するということは、それだけのインパクトを沿線の住民に与えるもの」だとしています。
 そして、東北、とくに三陸が、「全国の他の地域とは違って、鉄道に対する思い入れがかなり強い地域」だとして、「そうした沿線住民と鉄道会社の思いのあるなしが、JR東日本とは大きく違います」と述べています。
 第4章「日本のリニア建設と中国の高速鉄道」では、「国土の約73%を山地が占める日本は地形的に、新幹線やリニアのような高速鉄道を走らせるのに、あまり適した自然環境では」ないとして、「リニア建設は、大自然に対するあまりにリスクの高い挑戦」だと述べています。
 本書は、震災をきっかけに日本人にとっての鉄道の意味を考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本人が鉄道に抱く思いはなんだかんだで根深くて、「青春」を連想させる風景にローカル線の駅舎だとかホームだとかが挙がることが多いのではないかと思います。近い将来に、ローカル線の存在そのものが、現在の「黒電話」のようになってしまうかもしれないと思うと少し寂しいものです。


■ どんな人にオススメ?

・震災で失われそうな風景を心に留めたい人。


2013年1月24日 (木)

「次の首相」はこうして決まる

■ 書籍情報

「次の首相」はこうして決まる   【「次の首相」はこうして決まる】(#2183)

  柿崎 明二
  価格: ¥756 (税込)
  講談社(2008/10/17)

 本書は、「ここ十数年のあいだに永田町に起きた大きな変化」を追ったものです。
 序章「見えない権力のかたち」では、「実力者が実力者たる所以は、自民党総裁の選出過程で大きな役割をはたすこと」だったが、「そのような存在が福田と安倍の選出過程ではいなかった」として、ほとんどの国会議員が、「誰ならば次の国政選挙で勝てるか」を支持の判断基準にしていたことを指摘し、「過度の世論調査依存は、国会議員と国民から思考力・判断力を奪い、深刻な無責任体制を生み出しかねない」と述べています。
 第2章「勝ち馬に乗る派閥 2007年」では、「90年代のなかばから徐々に世論調査の重みが増し始め、2006年にいたって主従が逆転、ついに『次の首相』調査が派閥に代わって総裁選を主導するようになった」と述べています。
 第3章「派閥連合政党の終焉」では、中選挙区時代においては、「「有権者との関係が安定していれば、国会議員は選挙区内の有権者全体の意識を気にする必要「はなく、「自分を支持してくれる有権者の一部の利害」を着にしなければならなかったと述べています。
 また、派閥が果たしていた機能のひとつとして、「時の首相を退陣に追い込む」機能を挙げ、「この機能不全を象徴するのが、2007年7月、誰もが驚いた安倍晋三の続投表明である」と述べています。
 第4章「小選挙区世代の台頭」では、「自民党の小選挙区世代は、新進党、現在の民主党と、巨大化した野党第一党の脅威にさらされ続けてきた。野党第一党に一票でも負ければそれは落選を意味する。彼らにとっては『集票力のある総裁(候補)』が死活的に重要なのだ。そこでは派閥の論理は二の次となる」と述べています。
 本書は、現在の日本の選挙を左右する世論調査の功罪を問う一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、民主党政権誕生前に書かれたものなのですが、一巡して自民党政権に戻った今となっては、この当時と現在で何が違って何が変わっていないのか、そして元に戻ろうとしているのか、ということを考えながら読むと感慨深いものがあるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・そういえば自民党っってどんなふうだったかを思い出したい人。


2013年1月23日 (水)

江戸奇品解題

■ 書籍情報

江戸奇品解題   【江戸奇品解題】(#2182)

  浜崎 大
  価格: ¥1,890 (税込)
  幻冬舎ルネッサンス(2012/3/15)

 本書は、江戸時代に作られた鉢植えの中で、「明治以降ほとんど見ることのできない斑入りや葉変わりの植物」である「奇品」について、「奇品は世界のどこにもない。江戸時代の奇品家の創見である」とした上で、「奇品に込められた心性を明らかにすることで、近代化によって過去のものとされた江戸文明の一端を再現し、その文明の特質を少しでも解明したい」とするものです。
 第1章「鉢植え前史」では、有力な植木屋として知られていた伊兵衛池の三代目と言われる三之丞を、「園芸を日本全国に、身分の上下の隔たりもなく広めていくことを信念として行動した人」だとして、その信念は、「やがて幕末に日本を訪れた西欧先進国のプラントハンターたちも絶賛した、世界でも類のない江戸の園芸文化を築き上げた」と述べています。
 第2章「鉢植えと奇品愛好の歴史」では、「斑入り植物は、もともと植物の側から見れば不健全な状態であり、ある種の奇形であるが、人為を超えたところから生まれた無心無策の美」として評価されたと述べています。
 また、「享保から元文のころ、奇品は江戸中で流行」し、気品家たちが「奇品を研究する『連』を結成した」ことについて、「連においては身分が武士か町人か農民かということは問題とされず、メンバー同士は原則的に対等であった。奇品を見定め、栽培する技術を持ちさえすれば、誰でもが気品家になれた」として、「これが奇品の素晴らしさのひとつだった」と述べています。
 第6章「驚くべき栽培技術」では、「もともと正常な個体から枝変わりで生じた奇品の場合、その種子を播いたとしても実生はかなりの確率で正常な緑葉であることが多く、奇品の特徴である斑入りや葉変わりという形質が子に伝わる可能性は低いということを奇品家はよく知っていた」ため、接木などのさまざまな繁殖法が試みられていたとしています。
 第9章「奇品に宿る心性」では、「狸や猫などが人語を話したり、変身したり、森や巨木に精霊が宿ると信じる世界観」であるアニミズムについて、「江戸時代の人々は他の生き物と深く交流し、共感して生きていた。奇品はそれを示す最たるものである」と述べています。
 本書は、江戸時代に暮らした趣味人の心の一面を垣間見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 こういう本を読むと、300年間戦争を抑えこんで経済成長を続けた社会がどれほど文化的に豊かになるのか、ということを実感します。学校で習う日本史では、江戸時代は封建主義の閉鎖的な社会で、農民は搾取され、町人は退廃的に暮らしていたかのように教えられましたが、実際には一定の流動性があり豊かな社会であったという面も見逃してはならないように思えます。


■ どんな人にオススメ?

・失われた江戸の文化に思いを馳せてみたい人。


2013年1月22日 (火)

音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵

■ 書籍情報

音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵   【音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵】(#2181)

  田村 和紀夫
  価格: ¥1,575 (税込)
  講談社 (2012/1/12)

 本書は、音楽について、「魔法」「システム」「表現」「リズム」「旋律」「ハーモニー」「コミュニケーション」の7つの視点からその本質に迫った一冊です。
 第1章「音楽は魔法である」では、「西洋での音楽の語源と日本の伝説」が示しているものとして、「音楽とは神的な存在による、『歌や踊り』が区別できない一種のパフォーマンスだった」と述べた上で、「音楽の根源にあるのは『魔力』」だとしています。
 第3章「音楽は表現である」では、「いわゆる標題音楽の成功の鍵は、実はほかならぬ音楽の描写能力の不確定性にあるのではないか」として、「音楽は『それ』を描くのではなく、『それらしさ』を醸し出すことで、音楽にとどまっており、また『らしさ』しか表現できないのが音楽そのものだから」だと述べています。
 第5章「音楽は旋律である」では、「メロディとハーモニーは同時に着想されうるし、ハーモニーからメロディが導き出される場合もある」として、「旋律とハーモニーを切り離すことはできません。両者は一体なのです」と述べています。
 ん第6章「音楽はハーモニーである」では、「音楽を不安定化し、連続させる」方法として、
(1)和音の転回形
(2)機能の弱い和音
(3)より弱い終止形
(4)オルゲルプンクト
(5)カデンツ以外の和声法
の5つの方法を挙げています。
 そして、「機能和声は和音をはたらき・機能によって分類・整理した体系でしたが、それは音楽を、ちょうど明快な文章のように、意味の通った文脈とするのでありた」とした上で、「わざとはぐらかしたり、結論を先延ばしたり、要するに私達が会話で日常的に行なっている効果を可能とするだけではありません。さらにその『語り口』や『調子』までも描くのです」と述べています。
 本書は、音楽とは何かを考えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 個人的には「音楽は魔法」という言葉が一番好きです。もちろん、音楽を作り上げる要素である色々な要素も理解できなくはないですが、それらが組み合わさって生み出されるものはやっぱり「魔法」なんじゃないかと今でも思います。


■ どんな人にオススメ?

・音楽を聴いて「魔法」を思い浮かべられる人。


2013年1月21日 (月)

〈起業〉という幻想 ─ アメリカン・ドリームの現実

ac■ 書籍情報

〈起業〉という幻想 ─ アメリカン・ドリームの現実   【〈起業〉という幻想 ─ アメリカン・ドリームの現実】(#2180)

  スコット A シェーン (著), 谷口 功一, 中野 剛志, 柴山 桂太 (翻訳)
  価格: ¥2,520 (税込)
  白水社(2011/9/27)

 本書は、「アメリカでの典型的な起業家実像がどのようなものなのか、彼は何をどのように行うのか、そして、そのビジネスがアメリカ経済に対してどのようなインパクトを持つのかをスケッチ」したものです。
 第1章「アメリカ――起業ブームの起業家大陸」では、「新たなビジネス全体のうち4分の3は、そもそも従業員を抱えていない」とした上で、「ある国が富んでいればいるほど(一人当たりのGDPが高ければ高いほど)、自営の割合は低くなるし、現にビジネスを始めようとすrプロセスにいたり、最近ビジネスを始めた生産年齢人口のパーセンテージは小さくなる」と述べています。
 そして、「データによるなら、時間的・場所的な比較の中での新しい企業の設立パターンは、誰もが思っているようなものとはぜんぜん違う」と述べています。
 第2章「今日における起業家的な産業とは何か?」では、「ほとんどの起業家は、すでに非常に多くの会社が実際に経営されているような産業でこそ、新たにビジネスを開始する」と述べています。
 第3章「誰が起業家となるのか?」では、「典型的な起業家はあなたのおとなりさん」の、「40代既婚の白人男性で、誰かの下で働きたくないから自分でビジネスを始め、こうせい町の会社を創りだすと言うよりは、普通に日々のやりくりをしようとしているだけ」だと述べています。
 第4章「典型的なスタートアップ企業とは、どのようなものなのか?」では、「たいていの新しいビジネスは革新的なことを全くしていない」として、「ほとんどすべての新しいビジネスは、既存の製品やサービスと同じものを提供しており、創業者自身でさえ、自分たちの製品やサービスが独自のものだとは思っていない」と述べています。
 第6章「典型的な起業家は、どのくらいうまくやっているのか?」では、「会社を始める以外に、あなたが大金持ちになる道はほとんどない」が、「平均的な自営業者は、平均的な勤め人に比べて、著しく稼ぎが少ない」とする一方で、「自営で働く人は、そうでない人に比べて高い仕事上の満足を得ている」としています。
 第9章「なぜ、黒人起業家は少ないのか?」では、黒人の起業割合の低さについて、「平均的な黒人は、単に企業に必要なお金を持っていないだけ」だと指摘しています。
 「結論」では、「あらゆる起業はいいものだと無邪気に信じこむ代わりに、ごく一部の起業家だけが、人を貧困から救い、技術革新を促進し、雇用を創出し、失業を減らし、市場を競争的にし、経済を成長させるようなビジネスを創出するのだということを確認しておく必要がある」と述べています。
 本書は、ごく僅かな一部のイメージに左右される「起業家」の実像を明らかにしてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「起業」と聞くと、グーグルとかマイクロソフトとか、無謀な若者が何か新しいものを世に送り出して大金持ちになる、というイメージがありますが、本書は「起業」とはもっと地味で華がなくて、でも世間では比較的ありふれているものだということを教えてくれます。そういう意味では、「一流企業を辞めるか起業するか」という選択肢よりも、「失業するか起業するか」という選択肢のほうが現実的な姿なのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・「起業」するとお金持ちになれるかもと思う人。


2013年1月18日 (金)

われら以外の人類 猿人からネアンデルタール人まで

■ 書籍情報

われら以外の人類 猿人からネアンデルタール人まで   【われら以外の人類 猿人からネアンデルタール人まで】(#2179)

  内村 直之
  価格: ¥1365 (税込)
  朝日新聞社(2005/9/9)

 本書は、「人類は生まれたからまっすぐにわれわれホモ・サピエンスに進化してきたのではない」として、「進化の過程であちこち寄り道をし、袋小路に迷い込み、あるいは何種ものヒトが共存したという複雑な道筋をたどっている」ことを述べたものです。
 第1章「最古のヒトを求めて」では、「21世紀の始まりを挟んだ2000年から2002年の間、それまでのヒト進化の常識を超えるような3つの発見が次々と明らかに」なったとして、
(1)2000年12月のオロリン・トゥゲネンシスの発見
(2)2001年のアルディピテクス・カダバの発見
(3)2002年のサヘラントロプス・チャデンシスの発見
の3点を挙げ、「これで、人類の歴史の始まりは、それまでの440万年前のアルディピクス・ラミダから700万~600万年前と100万年以上も古くなった」と述べています。
 第2章「揺籃の地アフリカ」では、「アフリカの類人猿だけがヒトへの道を歩き出した理由は、アフリカ独特の歴史を持つ大地溝帯にある」と述べています。
 第3章「ヒトへの道を進む」では、「植物食から肉食へは単に嗜好の変化があるだけ」ではなく、「ヒトがヒトたる最大の理由、脳の進化のためには、効率的にカロリーを補給できる肉食が不可欠の条件と考えられてきている」と述べています。
 そして、脳が大きくなることにつながるヒトの行動として、
(1)高カロリーの食べ物を取るようにすること
(2)食生活の変化と同時に、食べ物を消化する能力も変わり、胃腸を短くすることで胃腸で使うエネルギーを減らした。
の2点を挙げています。
 第4章「広がるヒトたち」では、ネアンデルタール人について、「風呂に入って髭を剃り、ちゃんとした服を着れば、ニューヨークの地下鉄に乗っても誰の注意も引かないだろう」という有名な言葉を紹介しています。
 第5章「われらホモ・サピエンスの時代」では、「ミトコンドリアDNAを調べてその違いを比べてみると、同じ山の2頭のゴリラよりも、違う大陸の人間の方がはるかに似ている」理由として、「現代人の祖先が、アフリカで生まれ、そこから出て世界に広がる間に、一時絶滅の危機を迎えるといってもいいような少人数に陥ったことがあるからだ」として、「ビンの首(ボトルネック)」と言われていると述べ、「ヒトはもともと10万人から4万人程度の集団だった」が、「80万年から40万年前頃までに1万人程度にぐんと減る重大な危機があった」と考えられと述べています。


■ 個人的な視点から

 歴史の教科書か生物の教科書だったかは忘れましたが、類人猿から徐々に進化していってだんだん直立歩行になっていく図を見たことがある人は多いんじゃないかと思います。あれを見ると、さも順番に進化していったかのように思われますが、あの図は全然つながっているわけではないのです。例えば、ネアンデルタール人がクロマニオン人になったわけではないのです。そう考えると、人口こそ何十億人に増え、世界じゅうに暮らしているとはいえ、たくさんに枝分かれした「ヒト」のうち、現在の枝一本しか残っていないというのは、「人類は衰退しました」ということなのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・人類がアダムとイブから始まったということが信じられない人。


2013年1月17日 (木)

5万年前―このとき人類の壮大な旅が始まった

■ 書籍情報

5万年前―このとき人類の壮大な旅が始まった   【5万年前―このとき人類の壮大な旅が始まった】(#2178)

  ニコラス ウェイド (著), 安田 喜憲 (監修), 沼尻 由起子 (翻訳)
  価格: ¥1785 (税込)
  イースト・プレス (2007/9/1)

 本書は、「遺伝学と人類学はもとより、考古学、歴史学、古人類学、生物学、古生物学、言語学、霊長類学、社会学、行動科学の知見をみごとに統合」し、人類の5万年の旅を解説した一冊です。
 第1章「ヒトゲノムが解き明かす人類史の謎」では、本書の主なテーマとして、
(1)500万年前の類人猿の世界と、そこから出現したヒトの世界は途切れることなくつながっている。
(2)人類の進化をかたちづくった大きな力は、人類社会そのものにあった。
(3)ヒトははじめに身体的に変化してから、行動も進化した。
(4)有史以前のできごとのほとんどは、最後の氷河時代に起こった。
(5)闘争、宗教、交易という3つの社会的習わしに適応したのは5万年前頃である。
(6)祖先の人々には克服できない限界があった。定住してコミュニティで生活するには好戦的すぎたのである。
(7)人類の進化は、遠い過去のことではなく、現代にいたるまでつづいている。
(8)人間はかつて1つの言語を話していたはずで、その言語から現代のあらゆる言語が派生した。
(9)ヒトゲノムは最近のことも記録し、文書で知ることのできる歴史を補強する。
の9点を挙げています。
 第2章「はじまりは5万年前、たった150人」では、「アフリカを出発していた集団は、幼児も含めてたった150人程度だったはずだ」とした上で、アフリカの向こう側の世界では、古代型人類が住んでおり、特に、なかには現代人より大きい脳を持ち、筋肉も発達し、先端に石器のついた槍など本格的な兵器類も所有していたネアンデルタール人は手強い敵だったと述べています。
 第4章「祖先たちの肖像画を描く」では、6万~4万年前、「アフリカでは乾燥した気候が長い間続き、森林は縮小してサバンナはカラカラに乾いてしまった」ために、アフリカの人口は減少し、「そんな過酷な環境に生きながらえていた祖先集団も5000人足らずに減っていた」と述べています。
 そして、「現生人類の進化には3つの重要な出来事がある」として、
・言語の完成
・人類の祖先集団の形成
・出アフリカ
の3点を挙げ、「この3つは5万年前頃、ほぼ同時期に起こったかもしれない」と述べ、「エチオピアは目下、現生人類の生まれ故郷の最有力候補だ」としています。
 第5章「ネアンデルタール人たちとの死闘」では、「アフリカを出発した人たちは人類集団の遺伝的多様性のほんの一部を持っていたに過ぎず、対立遺伝子の数も少なかった」ために、「遺伝学者は移動していった人たちの人数を推定することができる」として、160人とする説や、女系に伝わるミトコンドリアDNAから、「アフリカを出発した集団の妊娠可能年齢に達した女性たちの人数」を多くて550人とする説を紹介しています。
 また、現生人類がユーラシアに侵入するまで何世代もかかった理由として、
(1)古代型人類を打ち負かすのに必要な武器類と戦術を発達させるのに時間がかかった。
(2)現生人類が遺伝学的に適応してようやく寒冷な気候に生活できるようになった。
の2点を挙げ、この2つの人類種の接触の結果、「現生人類だけが生き延び、古代型人類は全て滅んでしまった」としています。
 第7章「『定住』という人類史の革命」では、年代測定法の改善により、「新石器時代が始まるずっと以前に始めに定住生活が起こり、農耕がそれに続いた」ことがわかってきたと述べています。
 また、乳糖を消化できる能力である「乳糖耐性」の現象から、
(1)進化は現生人類がアフリカを出発した5万年前の時点で止まったわけでなく、ヒトゲノムを作り直し続けている。
(2)乳糖という刺激に対してヒトゲノムは別々の集団で別個に反応したが、どの集団も収斂の過程をたどって乳糖を消化できる特性を発達させている。
(3)乳糖耐性の現象は遺伝子が文化的変化に反応することをはっきり示している。
の3つのポイントが見えてくると述べエチます。
 第8章「惨酷と利他――人間性の不思議」では、「人類の闘争のような社会行動は祖先の類人猿から受け継いだ遺伝的雛形に根ざしていて、人はその遺伝的雛形に適応しつつ進化してきた」と述べています。
 そして、「未開社会では闘争はよく起こっていた」が、「様々な理由があって、人類学者や考古学者は未開社会の戦いを歌唱に報告してきたようだ」として、ヨーロッパ人がなちを経験してから、「闘争や征服が研究テーマとして人気がなくなった」ため、「考古学者は大昔に闘争があったことをなかなか認めたがらないようだ」と述べています。
 そして、「核家族、互恵性、言語、宗教」の4つが「社会的動物であるヒトの入り組んだシステムの土台となっている」と述べています。
 さらに、「部族が以前ほど激しくて期待しなくなった証拠は、意外にも頭骨の華奢化にある」として、「4万年前頃に同じような遺伝的変化が各集団で別個に起こったか」のように、「人類の頭骨は世界じゅうで薄くなった」と述べ、「人間の骨は上部旧石器時代の祖先に比べて華奢になり、性格もそれほど好戦的ではなくなり、信頼し合うようになって社会の結束力が増した」と述べています。
 第9章「人種はかくて世界に拡散した」では、「現在の人種に特有の頭骨は1万2000~1万年以後に現れたようだ。この時点で大陸別の人種が出現したと考えていいだろう」と述べています。
 第11章「ヒトゲノムがあばく歴史の裏側」では、ヨーロッパ北部から東部に暮らすアシュケナジ(ドイツ・ポーランド・ロシア系ユダヤ人)について、「アナシュケジは長いあいだ厳しい淘汰圧を受けてきたので、ある変異遺伝子の頻度が高い」一方で、「ユダヤ人の変異遺伝子には特別の恩恵がある」として、「職業の制限」という淘汰圧を受けた結果、「知能を高める」という恩恵を受けたと述べています。著者は、「迫害の歴史を背負っているヨーロッパのアナシュケジのユダヤ系集団には、2つの特徴がある」として、
(1)知識人が多いこと
(2)メンデル遺伝病
の2点を挙げ、「アナシュケジの職業制限と突然変異が作用した結果、彼らの知能指数はヨーロッパ北部の人々より高く、民族集団中、最高の115である」と述べています。
 第12章「人類進化の終わりのない旅」では、「人類が発達させてきた諸々の行動は闘ったり、交易したりするのに必要なものだった」として、「闘争はヒトとチンパンジーの共通祖先から受け継いだ行動と言えるが、互恵性を育んだので人は赤の他人を信用して交易できるようになった。互恵的利他主義のおかげで他人を身内のように手助けできるようになり、宗教や言語を発達させたのでペテン師やよそ者を見抜けるようになった」と述べています。
 そして、「人類は自分たちの作り上げた文化にも反応して、進化的に変化した」と述べ、「1万5000年前頃、狩猟採集生活をやめて人間がはじめて定住すると、2種類の遺伝子があまり必要ではなくなった」として、
(1)嗅覚受容体遺伝子
(2)野生植物がもともと持っている毒を解毒するのに肝臓が利用している遺伝子
の2点を挙げています。
 著者は、「人類の進化の未来はたった1つではない。進化に通じる道はたくさんある。ある道は偶然、決まり、進化の別の道は選択によって決まるのだろう。500万年前、ヒト系統が類人猿系統から分離して以来、私達はここまで歩んできた。人類の進化の道は、さらに遠くにまでつづいている」と述べています。
 本書は、5万年前のヒトの姿を描き出そうとした一冊です。


■ 個人的な視点から

 人類の歴史というと何百万年の長い進化の歴史の中で徐々に現代の人間が形作られてきた、という印象がありますが、現在の人類が持っているさまざまな行動様式や遺伝的形質を規定しているのは、5万年前のたった150人(くらい)の少人数の「ボトルネック」に過ぎないようです。さすがに「アダムとイブ」の2人から人類が始まった、というのは少なすぎて信じない人も多いと思いますが、現在の70億人の世界人口から見れば2人も150人も大差ないくらいのごく少ない集団の生き残りだと考えると、どこかの某競艇屋さんのCMではないですが、「人類みな兄弟」は本当なんだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「世界は一家」という言葉が信じられない人。


2013年1月16日 (水)

ぼくは上陸している (下): 進化をめぐる旅の始まりの終わり

■ 書籍情報

ぼくは上陸している (下): 進化をめぐる旅の始まりの終わり   【ぼくは上陸している (下): 進化をめぐる旅の始まりの終わり】(#2177)

  スティーヴン・ジェイ・グールド (著), 渡辺 政隆 (翻訳)
  価格: ¥2625 (税込)
  早川書房(2011/8/10)

 本書は、進化生物学者である著者が『ナチュラル・ヒストリー』誌に書いた一般向けのエッセイをまとめたものの上下巻の下巻です。
 第15章「少ないほどほんとうに豊かな場合」では、「一遺伝子一タンパク質、基本のコードから精妙に組み立てられた全体への情報の流れは一方向という教義が崩壊したことは、生物現象と呼ばれる複雑なシステムに対する還元論の失敗を意味している」とした上で、その理由として、
(1)複雑性をどんどん進化させる上で重要な要素は、遺伝子の数ではなく、少数のコード(暗号)の構成単位によって生み出される組み合わせの数と相互作用の増加である。
(2)物理学の法則とはちがい、たった一回ずつしか起こらない歴史の偶発性は、複雑な生物システムにたくさんの特性をもたらしている。
の2点を挙げています。
 第20章「サン・マルコ大聖堂の拝廊とパンジーン説のパラダイム」では、サン・マルコ大聖堂拝廊のモザイク画が、「最初は未文化のかたまりからかたちのあるものが連続的に分化落下していくという物語を語っている」とした上で、「太古の神話が重要なのは、人間の頭が複雑な素材を筋の通った物語に仕立てる能力と限界を教えてくれることにある」と述べています。
 第23章「尾羽のおはなし」では、「進化とは、一つの種類が別の種類へとしだいに変化することではなく、潅木の枝分かれであり、古い種が消えて新しい種へと置き換わっていく過程である」として、「私のエッセイの多くは、系統樹はさもさに広がる潅木だとする考えと、いやいやまっすぐにしか伸びない梯子だとする考えの対比というテーマを強調するものだ。このテーマにこだわるのは、進化に対する一般の人々の理解を一番歪めているのがこの誤解だと信じるからだ」と述べています。
 第24章「在来植物という概念についての進化論的な視点」では、「"在来"種とは、たまたま生きる場所を見つけた(あるいはその場所でたまたま進化した)種のことであり、その場所において望みうる最高の種というわけではない」として、「古くから住んでいる者は環境と生態学的に調和して生きる術を学んでいるのに対し、後からやってきた侵入者は環境を搾取することになりがちだ」という考え方は、「ロマンチックな戯言として退けられねばならない」と述べています。
 本書は、生物の進化を題材にしながら、「科学的に考えるとはどういうことか」を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 グールドのエッセイは長期間にわたり何冊も本になっていますが、主題としたいことはそれほどバリエーションが多くはありません。素晴らしいのは、そのテーマに持っていくためのきっかけとなる話題の多さやインパクト、いわゆる「つかみ」の部分が素晴らしい。そして、そこからテーマまでの展開のエレガントさが毎回楽しみです。文章を書く人なら参考になるんじゃないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・人に読んでもらえる「つかみ」を学びたい人。


2013年1月15日 (火)

ぼくは上陸している (上): 進化をめぐる旅の始まりの終わり

■ 書籍情報

ぼくは上陸している (上): 進化をめぐる旅の始まりの終わり   【ぼくは上陸している (上): 進化をめぐる旅の始まりの終わり】(#2176)

  スティーヴン・ジェイ・グールド (著), 渡辺 政隆 (翻訳)
  価格: ¥2625 (税込)
  早川書房(2011/8/10)

 本書は、進化生物学者である著者が『ナチュラル・ヒストリー』誌に書いた一般向けのエッセイをまとめたものです。著者は、「一般向けのエッセイでは専門用語を避けること」を除けば、「専門書でも一般書でも概念上の深みに差があるべきではない」という確信を得たと述べています。
 第2章「想像力なき科学も、事実なき芸術もありえない」では、『ロリータ』の著者ナボコフが、蝶の分類の専門家であったことについて、「ナボコフは鱗翅類研究に打ち込んだことで文学作品にかける時間はほぼ確実に減らされたものの、科学の研究から特別な知識や哲学的な生命観を得たことで、ナボコフ文学特有のスタイルと素晴らしさがまさに生み出された」と述べています。そして、「彼は、自分が従事する二つの専門分野に共通の基盤を説明し、総合的な見解に欠かせない対をなす要素を例示しようとしているのだ」と述べています。
 第3章「ジム・ボウイの書簡とビル・バックナーの股間」では、「アメリカ史の二大伝説において、重大な情報が規範的な物語に仕立てられることで、意外なことではないが、その意味が取り違えられたり無視されていることを明らかにしたい」とした上で、「人間はパターンを求め、物語を作りたがる生きものである。そうした性癖は、一般には大いに役立っているのだが、しばしば、人間の歴史だけでなく、地質学的な変化や生物の進化などといった自然界のあらゆる種類の時間的経緯を骨抜きにしてしまう。そして、入り組んだ実際の歴史を、人間の物語が『進むべき』単純なコースに押し込めてしまう」と指摘しています。
 第6章「マルクスの葬儀に出席したダーウィン主義者の紳士」では、「1880年にランケスターと出会ったカール・マルクスを、人類史において最悪とも言うべき犯罪の数々の唱道者というレッテルと死後に冠されたカール・マルクスという人物と混同すべきではない」とした上で、「歴史を探求する研究は、人の伝記か生物学の進化的系統化を問わず、すべからく『現代人の視点』の誤謬を免れ得ない。現代から過去を振り返る者は、過去の出来事からは予測できない結果として、実際には進展しなかった結果を知っている。そのため、年代記をまとめようとする対象の動機や行為に対して当時の時点では知りようのなかった未来の出来事から判断を下すという不適切なことをしがちである」と述べています。
 本書は、生物学を題材にしながらも、私達の過去を見る目にかかっている曇りを指摘してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 歴史上の人物を評価するにあたっては、現在からの視点、言わば「後出し」の視点で評価しようとすると事実関係を見誤る、というテーマは著者のエッセーで何度か出てくるものです。それくらい「後知恵」には抜け難い魅力があるのかもしれません。

■ どんな人にオススメ?

・過去と歴史をみる曇りのない目を手に入れたい人。


2013年1月11日 (金)

修羅場の経営責任―今、明かされる「山一・長銀破綻」の真実

■ 書籍情報

修羅場の経営責任―今、明かされる「山一・長銀破綻」の真実   【修羅場の経営責任―今、明かされる「山一・長銀破綻」の真実】(#2175)

  国広 正
  価格: ¥819 (税込)
  文藝春秋(2011/09)

 本書は、企業の危機管理を専門にする弁護士である著者が、山一證券と日本長期信用銀行の破綻という著者が携わった2つの事件を中心に語ったものです。
 第1章「山一證券破綻と社内調査委員会」では、「民暴対策」を得意分野としていた著者が、1997年に山一證券の「総会屋絶縁チーム」に誘われたことで山市に関わったことが縁で、山一證券破綻後の調査委員会の仕事を引き受けることになったと述べています。
 そして、破綻の原因となった簿外債務について、「91年末に生まれたが、その後、破綻直前の97年夏まで隠蔽されていた」として、「この間、簿外債務を知る経営陣の中に、身を持ってこの問題に立ち向かおうとするものはいなかった。彼らは株価の劇的上昇という『神風』を待ち、先送りを続けた」と述べ、97年8月に、山一の最後の社長となる野澤正平氏は「就任後初めて簿外債務の存在を知らされた」としています。
 そして、「山一の死は、経済変動に巻き込まれたことによるやむを得ない生理現象ではなかった」として、l山一の旧経営陣の行動が、
(1)企業の社会的責任、企業倫理という規範のレベルから見て重大な問題であっただけではなく、
(2)社会における最低限の規範である「法律」にも違反していた可能性が大であった
と述べています。
 第2章「長銀破綻と国策捜査との闘い」では、「長銀の場合は山一のように違法な損失補填を簿外に隠したという粉飾ではなく、不良債権の『評価』に関わる問題であり、闘う余地がありそうに思えた。また、不良債権を作った経営陣ではなく、その処理に奔走していた『最終ランナー』が逮捕されるというのも落ち着きが悪い」と述べています。
 また、裁判では、東京地検特捜部が、長銀が「十分な引当・償却を行わない『粉飾決算』を行ったというストーリー」を構築したことについて、「通常の粉飾決算とは全く異なるもので、不良債権化した貸し出し金に対する引当・償却が不足していた、つまり、『現実に存在する資産(貸出金)の価値の評価を故意に誤らせた』という内容であった」と述べ、「長銀の決算が粉飾だったかどうかを判断するためには、まず、『98年3月期当時の引当・償却額を算定するための「公正な会計慣行(=実務慣行)」がどういうものであったか』を定めなければならない」としています。
 そして、並行して行われた民事配当事件において、東京高裁において、長銀経営陣による98年3月期決算が、「粉飾決算ではない」ことが認められたことに関して、「『公正な会計慣行』が何であるかは、関係者の民事上及び刑事上の責任が問われることにつながるという事柄の重大性に十分に留意して検討する必要がある」として、「刑事高裁判決をターゲットにすることを宣言した上で、98年3月期において『新基準』が『唯一の公正な会計慣行』となっていたとは認められない、と結論づけている」と述べています。
 第3章「『企業の社会的責任』と果たす『前向きの責任論』」では、山一の「社内調査委員会」の意義として、
(1)山一の破綻にいたる事実関係を、第三者的観点から、詳細かつ徹底的に調査、検証し、これを「社内調査報告書」という形で対外的に公表したこと。
(2)破綻した企業でも自浄作用を発揮し、ステークホルダーに対する説明責任の実行を通じて、社会的責任を果たせることを示した。
の2点を挙げています。
 また、国策としての長銀裁判が、
(1)長銀経営陣を無実の罪で、足掛け10年の長きにわたり「刑事被告人」の地位に立たせたこと
(2)長銀の経営者たちから「失敗の真実を語ることにより経営責任を果たす機会」を奪ったということ
の2つの意味で大きな禍根を残したと指摘しています。
 本書は、バブル後の大きな二つの金融機関の破綻を間近に見てきた著者ゆえの説得力を持った一冊です。


■ 個人的な視点から

 バブル崩壊の象徴として後々まで長く語り続けられている山一證券ですが、破綻したらそれで終わりというわけではなく、やっぱり誰かが尻拭いをしているということを忘れてはならないと思います。


■ どんな人にオススメ?

・山一はもう終わったことだと思っている人。


2013年1月10日 (木)

原発「危険神話」の崩壊

■ 書籍情報

原発「危険神話」の崩壊   【原発「危険神話」の崩壊】(#2174)

  池田 信夫
  価格: ¥756 (税込)
  PHP研究所(2012/2/15)

 本書は、福島第一原発の事故によって、
(1)安全神話:最悪の事態でも炉心溶融は起こらない
(2)危険神話:炉心溶融が起こると数万人が死ぬ
の2つの「神話」が崩壊したとして、「人々の心理的な安心を際限なく求めるのではなく、何が客観的に安全かという科学的な基準を再検討する必要がある」ことを訴えたものです。
 第1章「安全神話と危険神話」では、「原発事故では100ミリシーベルトイカの低線量被曝の影響が重要である」として、「この規制は、チェルノブイリ事故の検証や近年の放射線医学の発達で見直しを迫られている」と述べています。
 また、東電の賠償額が2年間で4兆5千億円と推定されていることについて、「プラント事故としては日本最大であり、原子力損害賠償法の想定している1200億円をはるかに上回ることは確実」だが、「死者が1人も出ていない事故で兆単位の賠償が必要になるのはおかしくないだろうか」として、「福島県産の野菜や畜産物によって健康被害が出ることも考えられない」にもかかわらず、「農産物の被害推定が9000億円近くに上るのは、福島県の農産物出荷額が2450億円(2010年度)であることを考えると、過大と言わざるをえない」と述べ、「放射性物質を含まかどうかと無関係に特定の地域をまるごと補償すると、農家は安全な作物も全て廃棄して補償金を要求するインセンティブをもち、莫大な農産物を浪費するばかりでなく、東電の賠償額も必要以上に膨張させてしまう」としています。
 第2章「放射能はどこまで怖いのか」では、「除染によって何が解決するのか」として、「このような無意味な除染を行うのは、『安心』のなによる税金の浪費である」と述べ、「安心を求める人々が自己負担で除染を行うのは自由だが、行政が科学的根拠のない『霊感商法』を行うべきではない」と指摘しています。
 第3章「危険神話はなぜ生まれたのか」では、「過剰報道の原因は、メディアのニュース判断のバイアスである」とメディアの「代表性バイアス」を指摘し、「ニュース価値は出来事の絶対的な重要性ではなく相対的な稀少性で決まるので、ありふれた大きなリスクより珍しい小さなリスクが報道される。タバコで毎年10万人以上が死んでも、ニュースにはならない」と述べています。
 また、「戦時中に最も過激な戦意昂揚記事を書いたのも、朝日新聞だった」として、「朝日の戦意昂揚記事と『原発ゼロ』キャンペーンに共通しているのは、可能か不可能かを考えず、理想を掲げて強硬な方針を唱える主観主義だ。戦時中は大本営に迎合し、敗戦すると一転してGHQに迎合する。高度成長期には電力会社に迎合して原発推進キャンペーンを張り、事故が起こると一転して『原発ゼロ』に転向する」と指摘しています。
 第4章「『空気』の支配」では、「かつて軍部が最も警戒したのは社会主義者ではなかった」、「戦争の遂行にとって一番邪魔なのは、大衆に迎合しないで軍部の勇ましい話に水を差す瀧川幸辰、美濃部達吉、河合栄治郎などの自由主義者だった」と述べ、「国に依存しながら国を攻撃するのが、戦前から変わらない国家社会主義者の習性だ」と述べています。
 第5章「『リスクゼロ』を求める人々」では、大江健三郎氏が原発再稼働に反対していることについて、「『経済活動より生命を優先』するなら、大江氏はなぜタバコの禁止を主張しないのだろうか。福島事故で放射能で死んだ人は1人もいないが、タバコは確実に毎年10万人以上を殺す。ノーベル賞の権威と『経済合理性や生産性ばかりにとらわれない理念』をもって、タバコの全面禁止に立ち上がってほしいものだ」と述べています。
 本書は、福島原発事故で失われた「もうひとつの神話」に、寄りかかる続ける人々を痛烈に批判した一冊です。


■ 個人的な視点から

 去年は原発反対デモが国会をはじめとしたあちこちで盛り上がっていましたが、「人命は経済活動より大事だ!」ということであれば、ぜひとも大気汚染を撒き散らす「火力発電反対デモ」や「タバコ販売反対デモ」も合わせて開催してほしいものです。


■ どんな人にオススメ?

・原発も私たちを取り巻くリスクの一つであると理解できない人。


2013年1月 9日 (水)

喫煙と禁煙の健康経済学 - タバコが明かす人間の本性

■ 書籍情報

喫煙と禁煙の健康経済学 - タバコが明かす人間の本性   【喫煙と禁煙の健康経済学 - タバコが明かす人間の本性】(#2173)

  荒井 一博
  価格: ¥924 (税込)
  中央公論新社(2012/1/6)

 本書は、「過去20年ほどの間に目覚しい発展を遂げた」喫煙と禁煙の健康経済学について、体系的に論じたものです。
 プロローグ「〈準備編〉やめられない消費の経済分析」では、「ある程度継続して消費をすると、それを断つことが極度に難しくなる点は、タバコの最も特異な性質である」とした上で、喫煙やタバコに顕著な性質である「嗜癖」について、
(1)嗜癖は習慣である。
(2)嗜癖は有害である。
(3)嗜癖者は嗜癖財に対して依存症を呈する。
(4)嗜癖は衝動脅迫的な消費と渇望をともなう。
(5)嗜癖財の断絶は顕著な離脱症状を引き起こす。
の5つの条件によって定義されるとしています。
 そして、「現在がどの程度重視されるかは個人によって異なり、現在を相対的に高く評価し将来を相対的に低く評価する個人の割引率は大きくなる」ことから、「個人ごとに異なりうる割引率は特に主観的割引率」ないしは「時間選好率」と呼ばれるとしています。
 第1章「誰がタバコを吸っているのか」では、「喫煙者は時間選好率が大きいので、遠い将来に便益を生み出す投資にあまり関心がない。そのため、自分の教育や技能に対する投資量が少なく、低賃金職にしかありつけない。また、就職後も知識や技能があまり向上しないので、賃金(生産性)の成長率が大きくない」と指摘しています。
 そして、「喫煙者が喫煙危険を課題に評価しているという事実は、禁煙キャンペーンの効果を疑問視させる」と述べています。
 また、「下層の人たちが高額の医療サービスを受けられないにもかかわらず、タバコという不健康な消費行動をすることには、なにか重大な意味が含まれていると考えられる。彼らは喫煙という行為によって、自分には危険を冒す度胸があり、独立性や反権威主義も備えていることを示していると解釈することもできる」と述べています。 第2章「喫煙はどのような害や損失を生み出すのか」では、喫煙者と非喫煙者の賃金格差の要因として、
(1)雇用者・労働者・消費者が喫煙者を嫌うこと。
(2)喫煙すると生産性が低下すること。
(3)雇用者が喫煙者の雇用費用は高く付くと考えるために、彼らの賃金を低くしたり採用を避けたりする可能性がある。
(4)喫煙者は健康保険の費用が割高になるために嫌われる可能性がある。
の4点を挙げています。
 第4章「『先送りする個人』の喫煙経済理論」では、先送りをする行動の原因となる選好について、「その先行では現時点が特別に重視される」ため、「時間の経過とともに次々と実現する現時点の効用と比較して、その時点から見た将来の効用は(時間が経過する前に見た時より)かなり軽視されることになる」として、このような割引方法が「双曲割引」と呼ばれると述べています。
 第5章「増税と禁煙条例は禁煙を促進するか」では、多くの国で高タバコに率の税が課せられている理由について、
(1)喫煙が非喫煙者に生み出す受動喫煙・不快感などの外部不経済の存在。
(2)タバコ消費が喫煙者に生み出す多様な疾病や早死の個人的費用に関して、消費者が完全情報を有しないこと。
(3)喫煙の生み出す嗜癖の実態を知りながら喫煙する個人がまずいないこと。
(4)今日の自分の喫煙が将来の自分を害する内部不経済の存在。
(5)今日の経済では社会保障政策が広く実施されており、喫煙が医療費を引き上げ、非喫煙者の負担を高めること。
の5点を挙げています。
 また、増税によるタバコ消費量の減少が、
(1)喫煙者が禁煙する。
(2)喫煙者が消費量を減らす。
(3)喫煙開始者が(以前より)減る。
(4)再喫煙者が減る。
の4つの要因から生じるとして、中でもきわめて重要なのは、「十代から二十代初期の喫煙開始を抑止することが長期的なタバコ消費量の減少に有効であると考えられる」と述べています。
 第7章「私がタバコとの訣別に成功した『経済学的禁煙法』」では、禁煙に重要なハードルとして、「3日、3週間、3ヶ月、300日、3年」を挙げ、これを「三の法則」と名づけ、禁煙に3日間成功すれば「禁煙に50%成功したといえる」と述べています。
 また、どんなヘビースモーカーでも睡眠中には喫煙しないことから、「吸いたくなったら日中でも、畳の上、ソファーの上、ベッドの上、布団の上などどこでも良いから寝るのがよい」と述べ、禁煙のスタートは三連休を選ぶべきだとしています。
 本書は、喫煙という人間行動を経済学で研究した実績をまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 「わかっちゃいるけどやめられない」の代表であるタバコ。昭和30年台には成人男性の8割が喫煙者だったらしいので、みんなが吸っているから美味しくなくても吸う、ということでニコ中の道にズブズブとはまっていったのだと思います。冗談抜きで医療機関の禁煙外来でタバコやめたほうがいいと思いますよ。


■ どんな人にオススメ?

・タバコはもうしょうがないと思っている人。


2013年1月 8日 (火)

進化と感情から解き明かす 社会心理学

■ 書籍情報

進化と感情から解き明かす 社会心理学   【進化と感情から解き明かす 社会心理学】(#2172)

  北村 英哉, 大坪 庸介
  価格: ¥1995 (税込)
  有斐閣(2012/4/7)

 本書は、「感情研究の重要さが社会心理学領域内でもよく認識され、感情関連の研究が内外の学会発表においても爆発的に増加」した1980年代以来、「感情革命」と、「バラバラにあった人間の欲求というものがきわめて整合的に捉えられるようになり、社会生活、人間関係を営む人々の方向性を協力に説明する枠組み」が得られた「進化革命」の2つの大きな動きを柱とした社会心理学のテキストです。
 序章「なぜ進化と感情なのか?」では、「私たちの社会的判断や社会的行動は、私たちが思っている以上に感情に影響されている」とした上で、「そもそもなぜ私たちの感情システムがそのように働くようにできているのかを適切に理解するには進化論の発想が必要」だとして、私たちの社会的判断や社会的行動全般について、
(1)社会的場面で私たちの心はどのように働くのか。
(2)そのような心の働きはなぜ存在するのか。
の両方を考えたいとしています。
 そして、「進化論的視点を社会心理学に取り入れることは、多くの観察事実とそれらを記述する処理論を適応的機能という観点から一貫性をもってまとめること」だと述べています。
 第2章「適応としての感情」では、「気分はその人が周囲に向けてどのような情報処理、対処をすべきかについて、デフォルト的に適切そうなスタンスを用意し、人を環境に対峙させるはたらきを持っている」として、「適応に向けた人間の行動が自然にスイッチングされて、状況に応じて変化していく準備の一翼を感情システムは担っていて、その働きは動機づけを高める、かなり強い推進力となっている」と述べています。
 第4章「恋愛と対人魅力」では、禁煙の研究では、「ロマンティックな愛情」が「コミットメント問題解決の機能を持つ関係維持戦略(relationship maintenance strategy)である可能性を示して」いると述べています。
 第6章「集団過程と自己過程」では、集団状況に高度に対応するには、
(1)集団のメンバーを記憶する。
(2)協力的な互恵的行動、さらに一般的信頼に基づく協力行動の進化。
(3)非協力的な人に対する制裁システムの形成・発展。
の3点が必要だとした上で、「これらの機能が有効に働くには、集団の中で、何が守られるべき道徳的行いであり、何がそれに違反する悪い行いであるかの合意を形成して行かなければ」ならず、それが「集団規範」だと述べています。
 第7章「集団への適応と社会的認知」では、「「ポジティブ・イリュージョン」と呼ばれる現象について、「人は自分に起こる出来事では基本的にポジティブな事象は人より多く、ネガティブな事象は人よりは少なく生じるものと素朴に考えていること」と述べた上で、「平均以上効果」について、「自分の能力や遂行は、平均的な人よりも優れていると認知する傾向」があることを紹介しています。
 本書は、心理学と進化という一見離れた分野に見える研究が強く結びついていることを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 人間が持っている感情も進化の賜であることは間違いないと思うのですが、どうしても「感情」は万物の霊長である人間だけが持っている、という感覚から、進化と結びつけるのが難しいという「感情」もわからないでもない気がします。


■ どんな人にオススメ?

・「感情」も進化の結果だと理解したい人。


2013年1月 7日 (月)

Free Culture

■ 書籍情報

Free Culture   【Free Culture】(#2171)

  ローレンス・レッシグ, 山形 浩生, 守岡 桜
  価格: ¥2940 (税込)
  翔泳社(2004/7/23)

 本書は、「各種の著作権強化や知的財産権保護手段がもたらす実際の害を、しつこく描き出し続け」、本書の前半では、あらゆる創作や発明に必要な「過去の成果が、ますます利用しづらくなり、参照することもできなくなりつつある。クリエータが圧迫され、イノベータが弾圧され、一般市民の遵法精神まで破壊される世界だ」と主張し、本書の後半では、その具体的な手法として、「著作権延長法を違憲とする訴訟と、その敗訴に関する分析」、そして、「著作権既製を弱めるための新しい案」を提案しています。
 「はじめに」では、「フローのものとコントロールされたものとの大雑把な仕分けは、今や消えた。それを消すお膳立てをしたのがインターネットで、それを推進したのが大メディアで、いまや法がそれを実現した」と述べています。
 第1部「『海賊行為』」では、「今日、われわれは『海賊行為』に対する別の『戦争』のただ中にいる」として、「法の役割はますます創造性の保護ではなくなり、ますます特定産業を競争から保護することになってしまっている。まさにデジタル技術が凄まじい商業・非商業的創造性を解放できるようになったとき、法はこの創造性に、正気とは思えないほどのややこしい漠然とした規則で負担をかけ、異様に厳しい罰則で脅しをかける」と述べています。
 第1章「クリエータ」では、バスター・キートンの『キートンの蒸気船(蒸気船ビル・ジュニア)』が、『蒸気船ビル』という唄に霊感を受けて作成され、それをそのまんま漫画でパロディ化したのがディズニーの『蒸気船ウィリー』だとして、「この『拝借』はディズニーにとっても業界にとっても、ちっとも珍しいものじゃない。ディズニーはいつも当時の主流の長編映画を真似てばかりいた」と述べています。
 第4章「『海賊たち』」では、「もし『海賊行為』というのが他人の創造的な財産からの価値を、創造者の許可なしに使うということなら――現在それはますますこういうふうに定義されるようになっている――今日著作権に影響を受けている産業は一つ残らず、何らかの海賊行為の産物であり、その利益を被っている」にもかかわらず、「それがこの世代で変わろうとしている」と述べています。
 第10章「『財産』」では、「法の変化と市場の集中、技術変化の影響を足し合わせると、それらはまとめて凄まじい結論を生み出す:歴史上、文化の発展をこれほど少数の人々がここまでコントロールする法的権利を持っていたことは未だかつてないのだ」と述べています。
 第12章「害」では、「アメリカにおけるフェアユースは、想像する権利を守るのに弁護士を雇う権利があるというだけの話だ。そして法律家たちが忘れたくてたまらないことだが、フェアユースのような権利を守るアメリカのシステムは驚くほどお粗末だ」と述べています。
 第13章「エルドレッド」では、「現在の政府制度の腐敗の中心」にあるものとして、「議員が収賄をしている」という意味ではなく、「議会の行動によって利益を受ける人々が、資金を集めてそれを議会に渡すことで、議会の行動を促すような制度になっているということだ」と述べています。
 また、「人間がこれまで生み出した創造的な作品のうち、今でも商業価値を持つものはごくわずかだ」とした上で、「そのわずか一部でさえ、創造的な作品の商業的寿命はきわめて短い」と述べ、「期間延長のもたらす害の中心はここにある:今のテクノロジーでアレキサンドリアの図書館を再構築することもできるのに、法がその邪魔をするのだ」と述べています。
 そして、1999年1月にワシントンDC地区連邦裁判所に訴訟を起こし、著作権延長法が違憲であるとして、
(1)現行期間の延長は憲法の、「有限期間」との要件に反し、
(2)さらなる20年間延長は米国憲法修正第1項に反する
の2点を申し立てたとしています。
 第14章「エルドレッドII」では、『ニューヨークタイムズ』紙に掲載された著者の論説記事として、「作品刊行後50年経ったら、著作権保持者は作品を登録して少額の料金を支払うようにしよう。払ったら、著作権の最長期間に渡り便益が得られる。払わなければ、その著作はパブリックドメインに入る」という内容を解説しています。
 また、「車と同じく、創造的財産の場合にも、誰が作者でその権利が何かを認証する簡単な方法がなければ、それを安心して売買できない。手続きがなければ単純な取引はありえない。代わりに出てくるのは複雑で高価な弁護士付き取引だ」と述べています。
 「結論」では、「政府の役割が『バランスを追求する』ことであるべきだというのがバカげているというのであれば、わたしはバカの側に分類して欲しい」とした上で、「政府高官が真実をしゃべると期待するのは頭がおかしいのかもしれない。政府の政策が、強力な利益団体のお手盛り以上の何かだと信じるのは頭がおかしいのかもしれない」が、「それが頭がおかしいなら、キチガイをもっと増やさなきゃいけない。それもすぐに」と述べています。
 本書は、創造や発明に欠かせない過去の成果への自由なアクセスの重要性を教えてくれる一冊です。

■ 個人的な視点から

 いまや著作権の用心棒か守り神のようになっているディズニーも、もともとは既存の文化からの「パクリ」の組み合わせでできている、というのは何と皮肉なことでしょうか。時代が進んで、「パクリ」をしなくても作品が作れるようになったのか、「パクリ」の方法が巧妙になったのかはわかりません。


■ どんな人にオススメ?

・文化を守るためには著作権を絶対的に守られるべきだと思う人。


« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

無料ブログはココログ