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2013年2月

2013年2月15日 (金)

「IT断食」のすすめ

■ 書籍情報

「IT断食」のすすめ   【「IT断食」のすすめ】(#2193)

  遠藤 功, 山本 孝昭
  価格: ¥893 (税込)
  日本経済新聞出版社(2011/11/10)

 本書は、「ITによって得られるメリットとデメリットが一部で逆転してきた」として、多くの企業とそこで働くほとんどの人達が「IT中毒」状態にあることを問題提起するものです。著者は、「現場に足を運び、現実・現物に触れ、当事者と対話し、1人でじっくり考えるといった『健全なアナログ時間」が、IT中毒によって大きく蝕まれている」と指摘しています。
 第1章「本当は恐ろしい職場のIT」では、「現代の職場で、生産性を大幅に下げている現象」として、
(1)ICF:情報とコミュニケーションの洪水
(2)BLT:バカのロングテール
の2点を指摘しています。
 そして、「IT中毒の悪影響を一番大きく受けている」のが、中間層の6割だと述べています。
 第2章「世代で異なる副作用」では、「IT中毒に冒された企業、組織にあって、最も危機的な状況にあるのが中間管理職」だと指摘し、「こなす」「さばく」「いなす」ことばかりが得意な中間管理職が大増殖していると指摘しています。
 第3章「『IT黒船来襲』に踊る人々」では、肥大化するIT予算の原因として、「日本の会社がIT予算を情報システム部門に集めていること」にあり、「利用するそれぞれの現業部門が、自分たちが使う業務システムに関する投資責任、費用対効果に関する責任を担っていない」ことを指摘しています。
 第4章「依存症克服への『処方箋』」では、「社内でIT中毒に関する調査を行い、『見える化』を実施する」必要があるとして、
(1)電子メールの受信状況
(2)時間の使い方
(3)会議の調整
の3点をポイントとして挙げています。
 本書は、ITによって便利になるはずが生産性が下がっているという現実に立ち向かう処方箋を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 一時期、「IT化」さえすれば、企業や社会が抱えているいろいろな問題が解決する、かのような「バラ色のIT」的な夢物語が語られていましたが、ITは所詮道具であり、組織的な問題、社会的な問題は、結局はその原因から根治しない限り解決しないんだ、ということがわかったことは大きな前進ではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・ITに生活をコントロールされていると感じる人。


2013年2月14日 (木)

若者が働きはじめるとき: 仕事、仲間、そして社会

■ 書籍情報

若者が働きはじめるとき: 仕事、仲間、そして社会   【若者が働きはじめるとき: 仕事、仲間、そして社会】(#2192)

  乾 彰夫
  価格: ¥1575 (税込)
  日本図書センター(2012/9/11)

 本書は、「若者が実際にどう働いているのか、できるだけ多くの人たちに登場してもらって、その働きぶりを紹介」しようとするものです。
 第1章「アルバイトで働く」では、働きやすい職場の条件として、
(1)働く仲間や上司とのいい関係
(2)新人への研修や先輩のフォロー
(3)自分たちで仕事の仕方を工夫できること
の3点を挙げ、「仕事(職業)とは、社会的分業関係のなかで働くことだということからいえば、働く(労働する)ことのひとつの目的は、誰かほかの人に役立つものをつくり出すということになる」と述べています。
 第3章「働きやすい職場をつくる、自分たちの権利を守る」では、「本来法律などで保障されているはずのものが守られていない場合」の対策として、
(1)職場のみんなでまとまって、雇用主に話し合いを求めること。
(2)労働基準監督署や都道府県の労政事務所などに訴えたり相談すること。
の2点を挙げています。
 第5章「フリーターで働くという現実」では、「会社側がフリーターなどの非正社員を雇うのは、正社員が集まらないからと言うよりは、会社側にとって非正社員のほうが都合がいいからという理由が圧倒的多数だ」と述べています。
 そして、フリーターで働くことのしんどさの理由として、
(1)仕事がなかなか安定しないこと。
(2)賃金が低くて、しかも何年たってもほとんど上がらないこと。
(3)親や家族からなかなか理解してもらえないこと。
の3点を挙げています。
 第6章「失業さえできない日本の若者たち」では、「日本の若者の失業率の低さは、決して恵まれた環境にあるからではない。むしろ失業すらできないまま、フリーターなど生活保護すれすれかそれ以下の低賃金で働き続けている若者がとても多いというのが、先進諸国の中での日本の特徴」だと述べています。
 本書は、若者の置かれた労働の状況を世間の先入観とは違った目で見た一冊です。


■ 個人的な視点から

 「フリーターとして働くことのしんどさ」として、家族から理解してもらえないことが挙げられています。バブル期には「フリーター」という言葉は、会社に縛られず、自分のやりたいことを追い求める人、というポジティブな印象を与えられ、テレビでもさんざん刷り込まれました。そのため、他に選択肢がなくてフリーターになってしまった人に対しても、自分から好きでフリーターをやっている人、という印象を持つ人が多いということは、昔の印象操作の逆作用なのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・フリーターは気楽な稼業だと思っている人。


2013年2月 8日 (金)

生命には意味がある

■ 書籍情報

生命には意味がある   【生命には意味がある】(#2191)

  長沼毅
  価格: ¥1470 (税込)
  メディアファクトリー(2012/1/20)

 本書は、「極限環境に生きる生物の生理・生態・生化学などをよく調べることで、『生命とは何か』や『生命の起源』などの問題にアプローチ」している著者が、「ノーマルからの逸脱」という異形の生からのメッセージをつづったものです。
 第1章「異形の生命は『可能性』を見せてくれる」では、「想像力(イマジネーション)こそ、異形の正からのメッセージである。できるだけ異様な、しかし、ありうる生を想像せよ」と述べています。
 第2章「極限生物は『時間と空間』を超えていく」では、「極限生物は紫外線や放射線にかなり強い」理由として、「地球生物はもともと宇宙から来たんだよ」という「妄想」が語っていると述べています。
 そして、「クジラが大きくなれたのは、生物学的スケーリングと生態学的植物連鎖に加えて、海洋学的な湧昇と、それを可能にした地球化学的な大陸移動(プレートテクトニクス)の奇跡的な組み合わせての果て」であると述べています。
 第3章「生命は宇宙からやってきた?」では、「生命の種子のようなものが宇宙を漂い、惑星に飛来し、そこに定着して蔓延る。そうした『宇宙胚珠』を『パンスペルミア』という。地球の生命は地球で生まれたのではなく、パンスペルミアが蔓延ったものだという考えを『パンスペルミア説』という」と述べています。
 そして、土星の衛星エンケラドゥスに、「火山と塩水の海と有機物」という「生命への3点セット」があるとして、「地球外生命が初めて見つかるのも、この小さな天体だろうか」と述べています。
 第4章「人間はホモ・パックスに進化できるか?」では、「寿命の起源は『性の起源』と同じであるとした上で、「キメラになることで、細胞は真核化し、多細胞化し、知的生命体を生むことができた。僕たちが生命や地球や宇宙のことを考えられるのは、ミトコンドリアのおかげとも言える」と述べています。
 第5章「地球は温暖化のあと寒冷化する?」では、「2万年前に『最終氷期の最寒冷期』でい寒冷の底をついて以来、1万年前に氷期が終わってからずっと氷河は縮小・後退しているのだ。この10年や100年のことではない、1万年にわたってのことである」と述べています。
 そして、IPCCが、「小氷期があったことを疑問視」していることについて、「IPCCは『中世の温暖期が急に終わってひどく寒くなった』という歴史的事実をなかったことにしたいのか」と述べています。


■ 個人的な視点から

 「限界革命」ではありませんが、物事の全体像を捉える上で、そうでない物事との境界線はどのようになっているのかを探っていくアプローチはありなのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・生命はどこまで生命なのかを知りたい人。


2013年2月 7日 (木)

魚を狩る民俗―海を生きる技

■ 書籍情報

魚を狩る民俗―海を生きる技   【魚を狩る民俗―海を生きる技】(#2190)

  川島 秀一
  価格: ¥2940 (税込)
  三弥井書店(2011/12)

 本書は、日本の追い込み漁を、「主に礁湖・リアス式海岸の湾・汽水湖などの、日本の典型的な地先の海を舞台にして捉え、その漁を通して繰り広げられた魚とヒトとの関わりをまとめたもの」です。
 著者は、本書の展開の上の視点ととして、
(1)捕獲の対象となる魚は、基本的に「寄り魚」が多い。
(2)水中に潜って魚を追う漁師は、船上で漁に従事する漁師と魚に対する認識が大きく異る。
(3)「追込漁」という漁法を通して、民族社会における「伝承」のあり方の一端を明らかにしたい。
の3点を挙げています。
 第2部「海原の追込み漁」第1章「イサキを求めて」では、「祭礼のときなどに、供物として一度に大量の魚を捕りたいときとか、黒之浜のように、波止の建設などの公的な費用の捻出に、大型追い込み漁はその生命を保ち続けてきた。しかし、回遊してくる魚の数も、それを取る漁師の数も激減している今日では、その得意な漁法を失ったのが現状である」と述べています。
 第2章「タイのシバリ網」では、「タイ網は『恐ろしい網だった』」と言われる理由として、「一人の失敗が他の17人の生活に影響を与えてしまうことだった。追い込み漁には集団料として一体感のある醍醐味と裏腹に、このような緊張感に絶えずさらされていた一面がある」と述べています。
 第3章「トビウオの追込み漁」では、「海面近い表層を群れ動くトビウオに対して、追い込み漁法をも、その生態に即して技術が開発され、全国的にも共通する漁法が多い」とする一方で、「トビウオの追込漁が地域ごとに、いかに多様であり、その漁法の伝承にも、伝えられた地域の様々な実態に即した主体的な選択があったことが、理解された」と述べています。
 第3部「湾内の追込漁」第1章「マグロを追い込む」では、「沖縄本島と同様に農業中心の沖永良部島では、魚を捕る人のことを特別にイトマンと呼んでいた。この島からも『糸満売り』と呼ばれた、追込漁への年季奉公があった」と述べています。
 第2章「ボラの群来」では、三浦半島では、「富士山に雪が降るまではボラ漁は行わなかった」として、高知県では、「秋口から主に農家の人達が汽水域でボラを捕った。『寒ボラ』あるいは『赤目』と呼ばれるように、目が赤くなるとともに、味はうまくなったという」と述べています。
 第5部「タタキ網の系譜」では、昭和時代以降、養殖業の生産増大により必ずしも沿岸漁業が駆逐されたわけではなく、「カキ筏には魚類の採餌場所としての役割もあり、そこに集まる魚を『タタキ網』などで捕獲する漁法が生まれている」と述べています。
 そして、「列島の追込漁は、沿岸や磯辺における、最後の集団漁と捉えることができる。個人が船を持つようになり、それぞれが工夫をこらして、釣漁や網・縄漁を行うことになったのは一種の進歩であろうが、それによって日本の集団漁の伝統が失われたことも、近代漁業士の確かな一面であったように思われる」と述べています。
 本書は、日本の追込漁の盛衰を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 ついつい魚を捕るのは「漁師」さんだと考えがちですが、必ずしも専業の漁師ばかりでなく、とにかく人出を集めて沿岸に寄付いた魚を追い込む漁があちこちで一般的に行われていたようです。


■ どんな人にオススメ?

・暮らしと切り離せない沿岸の漁を知りたい人。


2013年2月 6日 (水)

リスクの社会心理学 --人間の理解と信頼の構築に向けて

■ 書籍情報

リスクの社会心理学 --人間の理解と信頼の構築に向けて   【リスクの社会心理学 --人間の理解と信頼の構築に向けて】(#2189)

  リスクの社会心理学 --人間の理解と信頼の構築に向けて
  価格: ¥3150 (税込)
  有斐閣(2012/7/14)

 本書は、「道具を用いて生産活動や消費活動を行うことの負の側面」に関して、「現代では負の側面をリスクとして捉えてその大きさを計算し、情報として利用するようになってきた」とした上で、「リスク情報の利用には、リスク情報の多様性や不確実性、リスク情報の受け止め方の多様性、さらには社会的な要因や文化的背景が絡んでくる」として、「リスク社会に対する理解の枠組みをより明確なもの」にすることを目的としたものです。
 第1章「リスク認知の基盤」では、「リスク認知の心理的基盤として、人間の判断系の特質について理解する必要がある。人間の判断は非一貫的なものであり、それほど安定したものではない」と述べ、この非一貫性は、
(1)反応モード効果による非一貫性:どんな反応モードを取るかによって、同じ概念を測定していても、結果が一貫しない現象。
(2)フレーミング効果による非一貫性:同じ現象を指していたもその言語表現を変えるだけで、評価や意思決定が変化してしまうこと。
(3)焦点化仮説と判断の非一貫性:人間は注意のあたった属性に焦点を当てて、判断や意思決定をする傾向がある。
(4)焦点化と信頼の形成:人間は限られた情報処理能力しか持たない中で判断や意思決定をする際に、近隣の人間関係に頼った判断と意思決定をすることが多い。
などに基づくとしています。
 また、「規範的原理として、期待効用理論を仮定するのか、それをより一般化したプロスペクト理論のような一般化期待効用理論を採用するのかによって、合理性やよい社会的意思決定の基準も変わってしまうのである。同様に、リスク認知も、どのような規範理論を仮定するかによって、バイアスとみなされたり、ある程度の合理性を持つ認知と考えられたりするのである」と述べています。
 第2章「リスク認知の各論的特徴」では、「利用可能性ヒューリスティックは、知らず知らずのうちに自分が関わっている情報を過大視する結果を生み出している。これが自己中心バイアスである」と述べています。
 また、「曖昧な状況で頻度や確率を推定しようとするとき、人はまず推定のための手がかりを探し、これを初期値(一種の錨(アンカー))としてそれを調整し、最終的解答を求めようとする」として、「係留と調整ヒューリスティック」と述べ、関係する現象として、
(1)確率の劣化法性(subadditivity):人は確率を全部で100%になるように正しく加算できない
(2)選言錯誤:人は「少なくとも一度起きる」ことを過小視する
の2点を挙げています。
 第3章「リスク認知と感情」では、「一般の人々のリスク認知に関連する要素を取り出し、お互い関連の深いもの同士をまとめたもの」として、「リスク認知の2因子モデル」を挙げ、
(1)恐ろしさ:制御可能性、恐ろしさ、世界的な惨事、致死的帰結、平等性、カタストロフ、将来世代への影響、削減可能性、増大か減少か、自発性
(2)未知性:観察可能性、さらされていることの理解、影響の晩発性、新しさ、科学的理解
の2つの因子について解説しています。
 そして、「一般人と専門家はリスクやハザードを認識するときの評価基準が違うのだから、そのままではスムーズなコミュニケーションを行うことは難しい」とした上で、「死亡や疾病というエンドポイントを設定し、その発生頻度をもってリスクを評価しようとする専門家の姿勢が『正解』で、一般人のリスク認知はいろいろな要素に影響されて歪んだ『間違い』という見方は適切ではない」と述べています。
 そして、「リスク認知研究の流れを追うと、その時々で強調される心の性質は移ろうものの、全体を通して描かれるのは情理備えた人間像」だと述べています。
 第5章「科学技術的なリスク・アセスメントの基本的な考え方とアプローチ」では、「原子力発電プラントや石油化学プラントや航空機などの複雑な技術システムのリスク・アセスメントは近年目覚ましい発展を遂げ、技術システムのリスク・プロファイル(全体像)を描き、その分析過程から得られた知見は当該技術システムの設計から運転そして保守管理の中に反映されつつあり、また規制活動にも活用されるに至っている」と述べ、この分野で用いられる代表的な方法論である「確率論的リスクアセスメント(probabilitistic risk assessment : PRA)」について、
(1)レベル1PRA:炉心損傷に至る各事故シナリオの頻度や起因事象別の炉心損傷頻度とそれらの不確実さの程度を算出する。
(2)レベル2PRA:シビア・アクシデントと呼ばれる大量の放射性物質が環境中に放出される事故シナリオの種類とその頻度、そしてそれらの放出源情報(放射性物質の種類、性状、放出量、放出時間、放出継続時間、放出エネルギーの総称で、専門的にはソースタームという)を評価する。
(3)レベル3PRA:レベル2PRAで得られた放出源情報を用い、放出された放射性物質の環境中における移行挙動を解析し、人の生命と健康への影響及び経済的な影響を評価する。
の3つのレベルで解説しています。
 第6章「一般人と専門家の溝」では、「一般人と専門家は、科学技術について異なるイメージを持ち、異なる情報を入手し、異なる思考の枠組みで情報処理をして、その結果として異なるリスク認知が生まれている」と述べています。
 第7章「リスク情報の社会的伝搬とその波及効果」では、「科学者や専門家から見た場合には、とるに足らないようなわずかなリスクやリスク事象が一般の人々の大きな関心を喚起し、結果として社会や経済に大きなインパクトを与えることがある」理由として、
(1)専門家と一般の人々の間にリスクに対する大きな認識のギャップがあるにもかかわらず、専門家たちがリスクの客観的な評価ばかりを重視しすぎている。
(2)一般の人々のリスク認知には、ヒューリスティックスやバイアスが強く影響を及ぼしている。
(3)リスクというものを、社会的文脈と独立した価値中立的なものではなく、科学技術に関する社会的な判断や意思決定を行うために存在する何らかの価値を伴ったものとして捉えなければならない点。
の3点を挙げ、「社会で実際に生じるリスクに係る問題を解決したり、政策的な決定を行うためには、リスクに関する科学的・技術的な側面のみを取り上げて議論しているだけでは、視野が狭すぎ、不十分」であり、「リスクの社会的増幅フレームワークは、このような問題を解決するために、リスクの科学的・技術的な評価と、一般の人々のリスク認知やリスクに対する行動についての心理学的・社会学的、そして、文化的な視座とを結びつけようとした枠組み」だと述べています。
 第9章「マスメディアの災害報道と社会の反応」では、「メディアによって集中的に報道される衝撃的なニュースに関連した記憶は独特なもの」であるとして、「驚愕するようなできごとを見たり聞いたりしたときに生じるものであり、その対象や関連するものについての詳細な生き生きとした、具体的かつ長期にわたる記憶」である「フラッシュバルブ(閃光電球)記憶」であると述べています。
 本書は、一般人と専門家との大きな差が強調されることの多いリスクの認知について、心理学、社会学の観点から解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 人間は確率的な事柄を正しく理解するというのが大変苦手な生き物であるようですので「リスク」と言われても「何だか怖いもの」とか「何だか心配なもの」という感じで考えてしまうもののようです。


■ どんな人にオススメ?

・リスクとは付き合いづらいと感じている人。


2013年2月 5日 (火)

ダムと鉄道―一大事業の裏側にいつも列車が走っていた

■ 書籍情報

ダムと鉄道―一大事業の裏側にいつも列車が走っていた   【ダムと鉄道―一大事業の裏側にいつも列車が走っていた】(#2188)

  武田 元秀
  価格: ¥840 (税込)
  交通新聞社(2011/12)

 本書は、「ダムをめぐる鉄道ばなし」として、日本全国に残る「ダムを建設するために作られた鉄道」を、ルポを主体にまとめたものです。
 第1章「黒部ダム」では、「欅平から黒部ダムまで、黒部川本流にそう“交通手段”がひとつだけある」として、関西電力専用の「黒部ルート」について、「標高600メートルの欅平下部から竪坑エレベーターで200メートル昇り、欅平上部に着く。そこから峡谷鉄道と同じ762ミリゲージ(軌道幅)の『上部軌道』と呼ばれる関西電力黒部専用鉄道の線路がほぼ全線トンネルで、さらに上流の黒部川第四発電所前まで6.5キロ伸びている」と述べています。
 第2章「白岩砂防ダム」では、「かつて、ダムなどの大規模建設工事には、工事用トロッコの存在がつきものだった。昭和20年代までは、黒部峡谷鉄道の762ミリゲージ(軌間)をさらに下回る610ミリ幅の線路を、小型のディーゼル機関車が資材を積んだり作業員を載せたりしながら、広い現場を走り回る姿は当たり前だった」とした上で、「専用軌道が80年以上も撤去されることなく、今も現役として運行を続けているのは、立山砂防工事が『永遠に終わらない』からだ」と述べています。
 そして、「険しい地形の工事現場の只中を走る専用軌道には、一般の乗車が認められていない」が、富山県と立山カルデラ砂防博物館が主催する「立山カルデラ砂防体験学習会」に参加すれば乗車可能であるとしながらも、荒天中止とされるケースも多く、実施率は60%台で5人に2人は「当選しても乗れない」と述べています。
 第4章「「奥只見ダム・田子倉ダム」では、「ダム建設のために、工事専用線として作られた鉄道は少なくないが、それが国鉄に引き継がれ、今もれっきとしたJR線として旅客列車が運行されている路線」として、JR東日本・只見線のうちの会津川口~只見間27.6キロを取り上げています。
 第7章「消えた『ダムと鉄道』」では、糠平ダムに沈んだ国鉄士幌線が、「全線が廃止された今でも、ダム湖に沈んだはずのタウシュベツ橋梁が、減水期には湖上に姿を現す。11のアーチを連ねたコンクリート橋は『幻の橋』として、いまも出現を心待ちにしていた人達が、数多く訪れる観光スポットになっている」と述べています。
 本書は、ダム好きと鉄道好きの両方のマニア心をくすぐる一冊です。


■ 個人的な視点から

 狭軌よりもさらにゲージの狭い鉄道っていうのも趣があっていいものです。軽便鉄道マニアの人も多いと思います。成田ゆめ牧場のトロッコ列車や期間限定で運行されるSLが好きな人の中にもダム好きな人はいるんでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・ダムと鉄道の合併症を患っている人。


2013年2月 4日 (月)

狡猾の人

■ 書籍情報

狡猾の人   【狡猾の人】(#2187)

  森 功
  価格: ¥1470 (税込)
  幻冬舎(2011/12/16)

 本書は、「防衛省の天皇」と呼ばれ、4年にわたって事務次官を務めた、山田洋行事件の中心人物、守屋武昌のインタビューを元にしたノンフィクションです。
 「はじめに」では、もともと本人の希望で始まり、『懺悔』というタイトルで出版されるはずだった本書の企画が、家族の反対でポシャりそうになった経緯が述べられています。
 そして、「本質のすり替えや責任逃れの弁明、巧みな保身……。決して能力がないわけではないが、真が感じられない。あげく、しまいには自らの弱さを露呈してしまう。守屋武昌という防衛省きっての大物次官には、そんな現代官僚の問題点が集約されているようにすら感じた」と述べています。
 序章「審判――裁判長が呆れたご都合主義」では、「事件の端緒となったのが、06年夏に起きた軍需専門商社『山田洋行』の内紛だ」として、「山田の懐刀である実力専務の宮崎元伸米国の大物ロビイストを紹介し、が業績を伸ばしてきた会社だった。その宮崎が独立し、新たに『日本ミライズ』という同業の会社を設立する。それがグループのオーナー、山田正志の逆鱗に触れ、山田による宮崎の追い落としが始まった」と述べ、「そうした企業の内紛騒動で漏れてきたのが、海苔屋に対するゴルフ接待である」としています。
 そして、「東京地検の本当の狙いは国会における偽証罪でも、ゴルフ接待でもなかった。あれほど大騒ぎした事件には、もっと根深い背景がある。しかし、軍需産業をめぐるその一大疑獄が解明されたわけではない。疑惑の大部分が暗い海に沈んでしまった」としています。
 第1章「失脚――山田洋行事件の闇」では、「防衛汚職では、軍事・防衛省者の商権という言葉がクローズアップされた」とした上で、防衛省が外国から製品を購入する場合の商社に対する仲介手数料について、「価格が1万ドルを超えたら、10%以上の手数料が、民間取引の常識なのに、いつまでたっても防衛省は100万ドルする製品に対し1.4%の1万400ドルの手数料しか払わない。一見、安くて国益にかなっているように思えるかもしれない」が、「防衛省では低い手数料レートのままなのを理由に、価格の水増しを容認してきた」と述べています。
 そして、「陸海空の自衛隊は大きくなり、契約件数は飛躍的に膨らんできた。契約金額も大きくなっているが、調達のチェックに携わる内局の人数は同じ」で、「自分たちで装備品の価格を精密にチェックできない。それが現実なのである」と述べています。
 第2章「名門一家――国防意識の芽生え」では、衆議院議員や塩釜市長を歴任した守屋の父を紹介した上で、「政治家や高級官僚、軍人、左翼学生にいたるまで、守屋武昌は多士済々の親族に囲まれて育った」と述べています。
 第4章「利権――防衛産業と米ロビイストの怪しい関係」では、社団法人「日米平和・文化交流協会」専務理事の肩書きを持つロビイストの秋山直紀について、「防衛庁をめぐるいびつな商取引を利用し、防衛利権の闇を巧妙に泳いできた人物」だとして、「もとはといえば一介のブローカーに過ぎなかったが、やがて防衛界のフィクサーと呼ばれるようになる」と述べています。
 そして、防衛庁長官官房広報課長であった守屋が、訪米する中西防衛庁長官の米国要人との会談のアポイントが取れなかったときに、秋山の人脈で会談が設定され、防衛庁内での存在感を高めたと述べています。
 また、守屋が航空機課長時代に、次期支援戦闘機「FS-X」の国産開発問題をめぐって暗礁に乗り上げていた交渉を、山田洋行専務だった宮崎元伸から大物ロビイストを紹介されることで乗り切ることができたことについて、「有力ロビイストとのパイプは、防衛官僚にとって大きな武器になる。守屋は日米交渉でそれを実感した。だがそこには落とし穴もある。その危険性について、守屋は深く考えた様子がない」と述べています。
 第5章「汚職――禁断のゴルフ接待と守屋家の蹉跌」では、「山田洋行の宮崎にとって、エリート官僚としてトップにのぼり詰め、権勢を振るってきた守屋は頼もしい存在だったに違いない。だがその反面、家庭には居場所のない駄目オヤジだということも承知している。守屋にとって山田洋行が用意したゴルフ場は、そうした家庭崩壊からの唯一の逃げ場だった。かたや宮崎にとっては、営業活動の域を出ないパイプ作りのための手段である」と述べ、「日帰りゴルフ」が108回、「お泊りゴルフ」が12回、合計389万円相当のゴルフ旅行接待が、「数千億円、数兆円という防衛装備品ビジネスにおける収賄額としては、いかにも少ない。凄腕の商社マンによる安上がりの饗応だとも言える」としています。
 また、高校を中退し雀荘に入り浸っていた守屋家の長男を、雀荘から連れ戻し、山田洋行グループの「安洋水産」の遠洋漁船に乗せて更生させたことについて、守屋が「宮崎さんは守屋家にとっての、救いの神でした。息子の矯正に関して、私は何一つできなかった。それをしてくれたのは、山田洋行の宮崎元伸という人です。だから感謝してもしきれない」と語っていることを紹介しています。
 さらに、久間章生初代防衛大臣が、「原爆しょうがない」発言で辞任したことについて、「どうしても額面通りには受け取れない」として、「ひょっとすると久間は、このまま防衛大臣の職にいたら山田洋行問題に巻き込まれみずからの立場が危うくなる、と察知したのではないだろうか。政界では、危機感を抱いた政治家が、一見突拍子もない行動を取るケースが少なくない」と述べています。
 終章「獄中記――検察との取引」では、守屋がインタビューで一貫して、「ゴルフ接待を受けてきたのは恥ずべき行為ですが、私は防衛行政において宮崎さんに便宜供与をしたことは一切ありません」と強調していたと述べています。
 本書は、「防衛省を喰い物にした」というタイトルで煽ってはいるものの、防衛汚職の中心人物である「小物」事務次官の半生を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 「防衛省の天皇」という見出しで一大疑獄事件になるかと思いきや、小者官僚に小者なりの接待をした部分しかあげられなかったという感じが強い結末になりました。とはいえ、小者ゆえに家庭の問題をきっかけに業者に絡め取られていく様は、ちょっと怖くなる内容ではあります。


■ どんな人にオススメ?

・家では「ダメおやじ」でも職場でなんとかなると思っている人。


2013年2月 1日 (金)

ネアンデルタール人 奇跡の再発見

■ 書籍情報

ネアンデルタール人 奇跡の再発見   【ネアンデルタール人 奇跡の再発見】(#2186)

  小野昭
  価格: ¥1365 (税込)
  朝日新聞出版(2012/8/10)

 本書は、石灰岩の採掘によって切り開かれ削平されてしまったネアンデル渓谷(タール)で、1856年の人骨発見から143年後に人骨発見場所である洞窟のあった場所が特定されるまでのドラマを描いたものです。
 プロローグでは、本書において、「削平され何もなくなってしまった人骨発見の場所を奇跡的に発見するなどということが、しかしどうして可能になったのか。場所を突き止めるまでの問題関心、計画、実行に移すまでの入念な予備的探査、野外調査の苦心などのさまざまな物語を通じ、場所を特定できただけでなく、そこからネアンデルタール人研究の新たな地平が切り開かれていったこと」を伝えたいと述べています。
 第2章「ネアンデルタール人骨の発見」では、「実際に骨が発見されたのは、1856年8月初旬のことだ。石灰岩の採掘にとってロームの堆積物は余計なものである。必要のないローム質の堆積物は、邪魔なものとして洞窟の20メートル下に投げ捨てられた。そうこうするうちに、採掘作業をしていた二人の労働者が偶然に骨を発見した」と述べています。
 そして、「ネアンデル渓谷は、ロマン主義の運動に揺れたロマンティックな隠れ家から、ルール工業地帯を支える産業革命のセメント資源供給地へと変貌し、採掘によって景観全体が破壊され、次第に忘れられたネアンデル渓谷へと退却していった」と述べています。
 第5章「人骨標本をDNAの分析に」では、「ネアンデルタール人骨が発見された洞窟のあった場所を突き止める作業は、ケルン大学のボジンスキーの努力にもかかわらず、失敗に終わった。ボジンスキーの一連の発掘を間近で見ていたシュミッツとティッセンは当時ケルン大学の学生であったが、諦めきれず、いつか必ず自分たちで突き止めてやろうという思いを持ち続けていた」と述べています。
 第8章「発見場所の特定」では、「当初の骨の出土位置の詳細を考古学的に復元することはもはやできない。だが、洞窟の残りの壁と底に溜まった堆積物の中から1997年に発見された1点の骨の小破片によって、破壊された小フェルトホーファー洞窟の一が、接合を介して確かめられたのだ。最初の発見後143年が経って。これが考古学的な意味で、本当のネアンデルタール人の再発見となったのである」と述べています。
 本書は、人類をめぐる150年前の発見を現代に繋げた一冊です。


■ 個人的な視点から

 私たちは「ネアンデルタール」と一続きで覚えてしまっていますが、「ネアンデル渓谷」という意味だと知っている人は少ないのではないでしょうか。それにしても切り開かれてしまった渓谷でかつての洞窟を探し当てることができた執念には驚きます。


■ どんな人にオススメ?

・ネアンデル渓谷がどこにあるかを知らない人。


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