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2013年12月18日 (水)

人類の足跡10万年全史

■ 書籍情報

人類の足跡10万年全史   【人類の足跡10万年全史】(#2228)

  スティーヴン オッペンハイマー (著), 仲村 明子 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  草思社(2007/8/31)

 本書は、アフリカで生まれた人類が、「驚くべき速度で世界各地へ広がっていった」ことについて、「いったいいかにして、どの道を通って、われわれは今ここにいるのか? その足あとはいかなる形でわれわれに受け継がれているのか?」を、遺伝子と化石記録と気候学から追ったものです。
 プロローグでは、「DNA分析によって、現生人類の地域的な生物学的歴史への理解は驚異的な進歩を遂げた」とした上で、古人類学においても、
(1)過去200万年の間に繰り返し行われた出アフリカに関する、年代や地理的な範囲の解明が行われた。
(2)高速コンピュータの出現により、頭蓋の形の比較分析がより科学的な基盤に基づいて行われるようになり、その結果、世界に散らばる先史時代の集団のかなめとなる頭蓋を、人類の遺伝子系統樹上の近接する大枝に、そして彼らの現代の子孫をその小枝に、置くことができるようになった。
という重要な目覚ましい発展があったと述べています。
 そして、「私たちの種ホモ・サピエンスは17万年前、最も厳しい氷期に、総人口が1万にまで落ち込んで人類が絶滅しかけたあとに誕生した」と述べています。
 第1章「出アフリカ」では、「現生人類が受け継いでいる遺伝子は、19万年前頃生きていた2000~1万人のアフリカ人を核とする集団に由来するものだろう」と述べています。
 そして、「現生人類は12万年前に、開いていた北の門を通って初めてアフリカを離れた」が、「この最初の進出は失敗に終わっている。二度目の進出は成功し、既に先人によって踏みならされていた道を通って、アジアを南や東に向かう道を進んでいった。ヨーロッパは5万年前までは迂回され、無視されていた」と述べています。
 第3章「二種類のヨーロッパ人」では、「現生人類による初めてのヨーロッパ植民に関して言えば、実際に、彼らがもたらした新しい文化的様式に対応する少なくとも二つの異なる移住があったことを、遺伝的証拠が示している」と述べた上で、「遺伝子と人類の時間の旅は、二つの驚くべき結論を示唆している」として、
(1)ヨーロッパ人の遺伝的故郷は5万年以上前の南アジアのパキスタン/湾岸地域だったということ。
(2)ヨーロッパの祖先たちは少なくとも2つの遠く離れたルートから、最終的には同じ、寒冷だが豊かな庭に入ってきたこと。
の2点を挙げています。
 第4章「アジア、オーストラへの最初の一歩」では、「成功した南からの出アフリカの最初の故郷である南アジア地域では、その拡大の遺伝的な源が、インド洋沿岸のいわゆる先住民の中だけではなく、現代の多くの集団の中にも存在している。これらの源のなかには、やがて内陸の広大なユーラシア大陸に進んでいくための、西端にある遺伝子のベースキャンプも突き止められる。小休止の後、この集団はヨーロッパ、コーカサス、中央アジアへと出発した。海岸採集コースの先頭集団は、出アフリカ集団に残された原初の遺伝的多様性を驚くほどの割合で保持しながら、かなり早くインド洋沿岸を回っていった。実際、非常に早かったので、彼らのいとこが初めてヨーロッパに着く前にインドネシアへ回り、近辺のオセアニアに入り、オーストラリアまで到着していた」と述べています。
 第5章「アジア人の起源を求めて」では、「少なくとも二つの進化的選択の力が共に働き、肌の色を緯度によって変えていく。太陽が促進する肌と髪の色の変化は、多くの世代をかけて進化していく」と述べています。
 また、「出アフリカ時代からの最大の変化は、アフリカ人を含む世界のすべての民族で、大きさと頑強さが縮小してきたこと」だとして、「長期に渡る変化には遺伝的な部分もあるだろうが、最も急激な身体の縮小は過去1万年の間に起こっており、逆説的だが、遺伝定期というより栄養的なことから起こったと思われる」と述べています。
 そして、「モンゴロイドは主に南から由来し、一方中央アジアの人々は主に西アジアの集団からやってきたが、中央アジアと北東アジアにおいて、さらに東アジアと東南アジアからの集団が加わった」と述べています。
 著者は、「ここまでは、いかに、早期の海岸採集民がインド-太平洋沿岸をめぐる旅の様々な時点で次々に分裂して、4万年前にはアジアとオーストラリアの大半を植民していたかについて述べてきた。最初の内陸への分枝はインドから北へ行き、中央アジアのステップの上部旧石器分化の狩猟民をもたらし、また後の分枝は東南アジアの大河をさかのぼり、やがて現在私たちがモンゴロイドと呼ぶ集団になった」と述べています。
 第6章「大氷結」では、「旧石器時代の時計が2万年前に近づくと、地球の自転軸の変化と公転軌道の変化が強く作用した。太陽系の3つの大きな周期が合に入り、そのことによって夏の間北半球に届く太陽熱が最小になった。気候は寒冷化し、3万~5万年前の間の特徴であった短く温かい期間、つまり亜間氷期の繰り返しは止まってしまった」として、「考古学者はこの大氷結の最盛期を氷河時代ではなく、最終最大氷期[Last Glacial Maximum]、LGMと呼ぶ」と述べています。
 そして、LGM前後の時期は、住める土地が縮小して人類が避難地を求めていたばかりではなかった。逆説的に、凍結によって閉ざされた土地以上に、海水面の低下によって植民できる土地が大きく開けたのだ」と述べています。
 また、「遺伝的な証拠が裏付けているのは、東アジア系統が南の東南アジアで拡大し、それは1万8000年前(LGM)に始まって今日までつづいている」と述べています。
 エピローグでは、「過去250万年に渡る人類の物語は、長い空白の時期の間に、時々技術の大きな飛躍や世界探検が入る、というものだ」と述べています。
 本書は、現生人類がどのように世界に広がったのかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 人類の旅がどこから始まったのかははっきりしているようなので、問題はいつ、どのルートで移動したのか、ということになるわけです。私たちのDNAはたしかにその旅の痕跡を「記憶」しているんですね。


■ どんな人にオススメ?

・自分の先祖が体験した旅に思いを馳せたい人。


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