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2013年12月 4日 (水)

がんばれカミナリ竜〈上〉進化生物学と去りゆく生きものたち

■ 書籍情報

がんばれカミナリ竜〈上〉進化生物学と去りゆく生きものたち   【がんばれカミナリ竜〈上〉進化生物学と去りゆく生きものたち】(#2214)

  スティーヴン・ジェイ グールド (著), 広野 喜幸, 松本 文雄, 石橋 百枝 (翻訳)
  価格: ¥ (税込)
  早川書房(1995/11)

 本書は、『ナチュラル・ヒストリー』誌に「この生命観」として連載された著者のエッセーの第5集です。著者はこの分野がフランスでは「啓蒙書」と呼ばれるのに対し、アメリカでは「通俗書(ポップ・ライティング)」と呼ばれることについて、「ポップ・ライティングが低俗書やまがいものと等しくみなされることを深く憂える」理由として、
(1)そうしたレッテルが職業上の足かせとなって、この開かれたスタイルに手を染めてみたいと思っているかもしれない科学者達に、二の足を踏ませてしまいかねないこと。
(2)そうした見方は、知的刺激を求めている何百万ものアメリカ人の知性を支援せずに、こばかにしていること。
の2点を挙げています。
 第1章「ジョージ・カニングの左の尻と種の起源」では、「いかなるつながりも確実ではない」が、「歴史は、当初は取るに足りないように見えた小さな気まぐれや状況から生じた動きが、大きなおどろくべきものとなり、その後予想もしなかった眼を見張るような結果へと落ち込んでいくという特色を示す。これが歴史の主たる魅力であり、事件の連鎖は、事実が生じた後にはじめてその意味が分かる。しかし、時のテープを再生してもおなじことは二度と起こらないだろう」と述べています。
 第4章「テクノロジーにおけるパンダの親指」では、「QWERTY独占の謎」を、
(1)なぜ、いちばん最初にQWERTYが登場したのか。
(2)なぜ、すぐれた競合機種を物ともせず、QWERTYが生き残ったのか。
の2つに分けた上で、(1)については、「QWERTYはタイピングの速度を落とし、キーの動作停止を避けるために現れた」と述べ、(2)については、「偶然」と「現にそうであることの強み」という「歴史の記述によく使われる2つの言葉」を挙げ、「複雑なシステムにとって、均衡状態こそが標準である。変化というものは、引き起こされてしまえば、急速であり、エピソード的である」と述べています。
 第5章「がんばれブロントサウルス」では、名称の安定性が問題となるケースとして、「単一の種に2つ以上の名前が与えられている場合」を挙げ、リンネ以来の分類学の原則として、
(1)適切さ
(2)先取権
(3)強権発動
の3つを挙げています。
 そして、「ブロントサウルス対アパトサウルスは、古脊椎動物学の歴史の中で最も世に知られた確執、コープトマーシュの反目がそのまま現在にもたらされた結果である」と述べています。
 第7章「キーウィの卵と自由の鐘について」では、「キーウィはあきらかに、からだの大きさに比べた卵の大きさの比率が全長類中最大である」とした上で、「たいていの文献は、現在の使用と歴史的起源を同一視する誤りに陥って、体の大きさにふさわしい大きさの卵を産んでいたキーウィの祖先が、どのようにして積極的に卵を大きくしてきたのかを説明する方向で問題を定式化してきた」が、「キーウィは大型の鳥の矮小形子孫だからで、それもただ進化の過程でスケーリングのごく普通の原理に従った結果にすぎない」と述べ、こうした考え方は、「こうした大きな卵は現在何かしら役に立っていて、自然淘汰がそれを選び出したから」という「進化の紋切り型の説明とははっきり異なる」と指摘しています。
 第12章「論理の鎖vs親指の鎖」では、「動物磁気」説という奇想天外な説とその時期の健康への影響で有名になったメスマーを取り上げ、1784年にルイ16世が動物磁気説を調査する王立調査委員会を発足させたことについて、「かつて、歴史上、これほどまでに聡明な集団が、実験科学的方法に基づく合理的調査のために招集されたことがあっただろうか」と述べ、委員会に、ベンジャミン・フランクリンとアントワーヌ・ラヴォアジュが参加したとしています。
 そして、委員会が、「すでに立証済みの実験技術を適用し、結果的にはメスマーの正体を暴きだした。まず複雑な状況を簡略化し、考えられる原因を性格に叙述する。対照実験をくりかえし、候補にあげられた原因をひとつずつ検証し、分けていく」として、その結果、委員会は、「磁化の技術というのは想像力を徐々に増大させていく技法である」と結論づけたと述べ、その原因として、
(1)確率を考慮した論理展開にわれわれの脳は向いていないように見える。
(2)抽象的な論理展開の能力があろうとなかろうと、我々は常に希望の囚人なのである。多くの人にとって、人生が絶望と残酷に満ちたものである限り、我々は安心を約束する非合理主義の餌食になる。
という人の心と精神にひそむ2つの傾向を挙げているとしています。


■ 個人的な視点から

 「科学」という言葉が本来的にはそれなりの厳密性を伴っているはずにもかかわらず、むしろ胡散臭い使われ方をされてしまうというのは随分昔からそうなのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・科学を正しく理解したい人。


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