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2013年12月 3日 (火)

八匹の子豚―種の絶滅と進化をめぐる省察 (下)

■ 書籍情報

八匹の子豚―種の絶滅と進化をめぐる省察 (下)   【八匹の子豚―種の絶滅と進化をめぐる省察 (下)】(#2213)

  スティーヴン・ジェイ・グールド (著), 渡辺 政隆 (翻訳)
  価格: ¥ (税込)
  早川書房(1996/09)

 第19章「一万回の親切」では、「大量の証拠が揃っている時代の大半に関しては、大したことは何も起こっていない」が、「ほとんど記録が残っていない、地質学的に見れば瞬時に等しい期間に、すべてのことが起こっている」というパラドックスについて述べた上で、「人間はとても攻撃的で、しかもそれは生まれつきのことだという印象を持っている人が大半」である理由として、「引き起こされる結果の非対称性」を挙げ、「残念なことに、1回の暴力は、1万回の親切を帳消しにしうる」と述べ、「われわれは、結果と頻度を混同することで、攻撃よりも親切のほうが圧倒的に多いという事実を簡単に忘れてしまう」としています。
 第20章「類人猿帝国の衰亡」では、「進化の梯子という言い方は、進化のトポロジーを表現するメタファーとしては間違っている。灌木こそが正しいメタファーである。この正しいメタファーが、祖先グループに当たる生物(例えば類人猿)がその子孫(例えば人間)と一緒に生存していられるのはなぜかという、根強くはびこる愚問を解消してくれる」と述べています。
 第21章「運命の女神と進歩の楔」では、「生命の長い歴史の中での進歩と予測性をめぐるダーウィンの型通りの見解を形成したのは、自然淘汰という概念そのものよりもむしろこの、正しく評価されていない重要な概念である。だからこそ私は、楔というメタファーへのダーウィンのこだわりに的を絞るのだ」と述べています。
 第22章「タイヤからサンダルへ」では、「もともとの趣旨とはこっけいなくらい異なる目的へのリサイクルというテーマは、生命の歴史では主流であるばかりか、前章で半分書き残した議論を完結させるものでもある」として、「私は、コインの裏表やサイコロの出目で種の運命が決まってしまうというふうに、大量絶滅が完全にランダムに仕事をするとは思っていない。生存者は、おそらく理由があって勝ち残るのだろうが、実はここが問題である」として、「大量絶滅という尋常ならざる事件では生存のための規則が変わるし、激変を生き抜く上で役立つ種の形質が平常時の成功の源とは限らないからだ。大量絶滅をくぐり抜けるには、特別な意味で、幸運の活躍が必要かもしれない。ここでいう特別な意味とは、平常時の弾き出しにおいてひとつの機能を果たすために進化した形質が、別の理由と幸運から、時たま起きる激変が課す異なる規則の下で決定的な恩恵をもたらすに違いない、という意味である」と述べています。
 さらに、「逆説的とも思える発言をしたい」として、「奇抜で予想外の機能の移行(タイヤからサンダルへ)という運命の輪は、じつはあらゆる尺度でわれわれが進歩と呼ぶものの主要な源であると、私は主張したい」と述べ、「長期にわたる成功には、フェイントと横への動きが必要である。斜行するたびに、新たな向上と、新しい経路が利用できなくては実現しようのない進歩が可能となるのだ。進化の経路は障害走路であって高速道路ではない」としています。
 第24章「ハルキゲニアの逆転」では、「ハルシネーション(幻覚)が生んだ動物」を意味するハルキゲニアについて、「ハルキゲニアの逆転は、物語を完結させた上にお墨付きを与えた」として、「現存するデザインを備えた多細胞せ動物を地球上に初めて送り出したカンブリア紀の爆発のまさに直後に、解剖学的多様性が最大に達し、その実験が試みられた大変な時期があった。その時期、有爪類は、海生生物として成功していた多様な種類を抱えた」と述べています。
 第29章「期待の盾と現実」では、「ケファラスピスは、その名が示すとおり、頭部を骨質の熱い装甲ですっぽり覆われていた」として、「ケファラスピスの化石のほとんどは頭部装甲だけである」ことから「多くの三葉虫(化石節足動物)の頭部の端のようにも見える」と述べた上で、「世界観は社会的な解釈であり、事実探求のしかたを方向づける。しかし、事実は見つけられ、知識は、途切れがちではあるにしても前進する。事実と理論はより合わされ、偉大な科学者はみな、事実と理論の相互作用を理解している」と述べています。
 第31章「進化の歩兵」では、「これまで何百万個ものタマキビが調べられているが、左巻きの貝殻はひとつも見つかっていない。もし私が、明朝のノブスカ海岸での散歩の途中で左巻きの貝殻を一個見つけようものなら、一世紀にわたって立派に育まれてきた、そんなものは存在しないという証拠は、一瞬にして瓦解してしまう」と本文の中で記した後に、後記の中で「怪力サムソンのように概念体系を叩き潰す『醜くていやらしい些細な事実』ほど本書のフィナーレにふさわしく、じつに喜ばしいものはない」として、大英博物館の軟体動物部のキュレイターが厖大なコレクションの中から左巻きのタマキビを発見するというオチを持ってきています。
 本書は、エッセイの形で記述された進化の入門書です。


■ 個人的な視点から

 グールドの話で面白いのはやはりカンブリア大爆発の話なのですが、中でもハルキゲニアの話はぜひ一度は読んでおく価値ありだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・進化論に関する常識をアップデートしたい人。


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