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2014年1月

2014年1月31日 (金)

日本人は災害からどう復興したか: 江戸時代の災害記録に見る「村の力」

■ 書籍情報

日本人は災害からどう復興したか: 江戸時代の災害記録に見る「村の力」   【日本人は災害からどう復興したか: 江戸時代の災害記録に見る「村の力」】(#2267)

  渡辺尚志
  価格: ¥2100 (税込)
  農山漁村文化協会(2013/2/25)

 本書は、「江戸時代に激甚自然災害に遭った人々の経験を現代に蘇らせようとするもの」です。著者は、「江戸時代の災害そのものを追体験しつつ、そこから見えてくる江戸時代像についても」のべるために、「当時の百姓たちが著した災害記録を軸」に据えています。
 第1章「津波——『高崎浦地震津波記録』を読む」では、元禄16年(1703)11月23日に起きた元禄地震の被害の特徴として、「内房(房総半島の東京湾側)・外房を問わず、死者の90パーセント以上が津波によるものだった」としたうえで、高崎浦(現千葉県安房郡富山町高崎)の長井杢兵衛が著した「高崎浦地震津波記録」の記述として、「津波から10日ないし15日間は、波打ち際に多数の遺体が打ち上げられ、その頭や手足を犬が食いちぎり、それをくわえたまま家の戸口までやって来たりするので、怖くて浜へは出られなかった。浜辺には津波で損壊した家の壁や竹木が散乱して荒野のようになっており、哀れで無常をおぼえるありさまだった。幹回りが2尺4、5寸(約72〜75センチメートル)もある松も、根こそぎ押し流されてしまった」と紹介しています。
 第2章「洪水——『大水記』を読む」では、18世紀前半の洪水を記録した、武蔵国入間郡久下戸村(現埼玉県川越市)の奥貫友山著「大水記」について、有力百姓であった友山が行った救済活動として、
(1)食糧代金の貸し付け
(2)雑穀類の無償支給
を挙げ、「友山の救済活動は、基本的には、代金を自己負担して他から食糧を買い入れ、それを困窮者に支給するというかたち」で行われたと述べ、「普段、奥貫家が所持地からの収穫物を販売している相手から、非常時には逆に穀物を購入している」としています。
 そして、「洪水時には、多くの有力百姓が救済に尽力しました。彼らも友山と同様、自村・近隣村・物乞いの人々のいずれをも救済対象としています。また、彼らは独自に救済活動を行なっただけでなく、相互に連携して救済にあたりました」と述べています。
 また、友山の救済活動が、「僧侶・有力百姓・一般百姓・物乞いの人たちのいずれからも、ねたみ恨まれ、あるいは不満をもたれていた」ことについて、「分不相応なことをしたという後悔・反省の念と、いや自分のしたことは間違っていないという思いとの間を揺れ動き」、本書の最後は、「『身を殺して仁をなす』、すなわち他人からどう思われようと、自らが善だと考えることを行うべきである、という友山の決意で締めくくられている」と述べています。
 第3章「飢饉——三大飢饉の記録を読む」では、「飢饉時には、人間と自然との関係が問われるとともに、人と人との関係のありようも鋭く問われた」として、「賃借や雇用のルールはどうあるべきか、幕府・領主・大庄屋・富裕者らは困窮者救済にそれぞれどのようなリーダーシップを発揮すべきか、これらをめぐって人々の模索と努力が続けられた」と述べています。
 また、「藩では、担当役人を頻繁に村むらに派遣して実情を把握させるとともに、食料を支給または貸与して救済にあたりました。田については、年貢を減免しました。しかし、畑については減免を認めませんでした」として、「領主と村の間では、ギリギリのせめぎあいが続いたのですそのなかで、藩の担当役人は、村の窮状をよくわかっていることもあって、内々に村にアドバイスを与え、要求実現への力添えも約束しています」と述べています。
 第4章「噴火——『浅間大変覚書』を読む」では、天明3年(1783)の浅間山大噴火について、「民間では、商品資産が活発に行われるようになり、商品・貨幣経済が発展」する一方で、「幕府・諸藩の民富吸収策(新税・増税)や天候不順による飢饉(天明の大飢饉)も重なって、各地で百姓一揆が盛んにおこったのもこの時代」だとして、「田沼時代は、社会の矛盾が鋭く表面化した、江戸時代のターニングポイントでもあった」と述べています。
 そして、浅間山北麓のどこかの村にあった寺の僧侶が執筆したものと考えられる「浅間大変覚書」について、干俣村の小兵衛が、「人々が必要としている物は何でも与え、自分の全財産を提供して、困っている人たちの世話をした」噂が御上の耳に達し、「幕府から江戸に呼ばれて、褒美に銀10枚と裃(武士の礼服)を与えられるとともに、苗字帯刀(武士並みに、公に苗字を名乗り、二本の刀を指すこと)」を許され、干川姓を名乗ったと述べています。
 また、噴火被害の特徴として、
(1)鎌原火砕流と吾妻川・利根川の洪水・泥流による、人命と家屋・耕地の被害
(2)より広域に渡る被害として、火山灰や軽石の降下による農作物や人家への被害
(3)振動・山鳴り・雷鳴などの大音響による精神的不安・恐怖
(4)噴火後の気候不順が天明の大飢饉に拍車をかけ、百姓一揆や都市打ち壊しを引き起こし、老中田沼意次の失脚につながったという社会的・政治的影響
の4点を挙げています。
 さらに、大きな被害を受けた鎌原村では、「被災直後には近隣の有力百姓から食物や住居などの援助を受けて当座を凌ぎ、ついで幕府の多額の費用を投じての御救普請によって、田畑再開発・道普請などの本格的な復旧が進められるという、二段階の過程を経たこと」がわかるとした上で、家族の絆を新に結び直すために、近隣の有力百姓が中心となって、「それまでの家格にこだわらず、鎌原村の生存者全員に親族の約束をさせ、その上で妻を亡くした夫と夫を亡くした妻とを再婚させたり、親を亡くした子を子を亡くした老人の養子にしたりして、人為的な家族の再構成が行われた」と述べています。
 本書は、天災が多い日本の国土に、日本人がどうやって対峙してきたのかを教えてくれる一冊です。

■ 個人的な視点から

 当然ながら、災害の多い日本に暮らす以上は、昔から災害と向き合って生きていくしかなかったわけで、国家(幕府)をあてにできないなかで、どうやって村を存続させてきたのかは貴重な経験だと思うのです。


■ どんな人にオススメ?

・災害にあっても政府が助けてくれると思っている人。


2014年1月30日 (木)

卒業式の歴史学

■ 書籍情報

卒業式の歴史学   【卒業式の歴史学】(#2266)

  有本 真紀
  価格: ¥1680 (税込)
  講談社(2013/3/12)

 本書は「ほとんど日本に特有の学校文化」である卒業式のあり方や歌について、「いつごろ、どのような経緯によって、卒業式が涙や感動と結びついて観念される儀式となったのか、社会的な期待を含む感情文化を形成してきたのか」を追ったものです。
 第1章「卒業式のはじまり」では、官立・公立学校の卒業式について、「これらの儀式のあり方は軍学校と東京大学の例を下敷きにしつつ、各学校の特性によって変形が施されていた」として、
(1)授与と祝辞答辞及び演述だけの簡潔な型
(2)成果発表に重点を置く型
に大別できるとしています。
 第2章「試験と証書授与——儀式につながる回路」では、「中等・高等教育機関では明治十年代に定着していた卒業式だが、同じ頃の小学校ではほとんど行われていなかった」とした上で、「学務官吏らの立ち会いによって権威づけを行い、多数の参観人が注目する中で成績を明確に可視化するために、試験当日の勝訴授与が行われたのである。つまり、証書授与は試験という当時の学校最大の行事におけるクライマックス場面であった」と述べています。
 第3章「小学校卒業式の誕生」では、「新しい儀式は師範学校から小学校へともたらされた」として、「師範(師表)学校とは模範的な学校、『学校の雛形(プロトタイプ)』」だったと述べています。
 そして、官立師範学校附属小学校の卒業式について、「従来の『試験という評価の場をくぐり抜けた結果に対する授与』に、『そこでのふるまいに対して評価の眼差しが向けられる場としての卒業式』という意味が加わりつつあった」と述べています。
 また、明治18年12月の文部省達により、「一等級の標準学修期間がそれまでの半年から一年へと変更された」ことにより、「従来生徒は一つの学校で何度も『卒業』を経験したのだが、新しい意味の用法である『卒業生』は、一人の生徒にとって、それまで数年間を経た学校生活最後の日に初めて正式に名指される呼称となった」と述べています。
 第4章「標準化される式典——式次第の確立」では、「式次第の定型化に至る背景」として、4月1日への学年度の統一を挙げ、「特定の季節への固定は、儀式とその時候に特徴的な自然条件とを結びつける。年々同じ時期に繰り返されるうちに、卒業式は春の風物詩として認識されていく。そして、儀式は一定の時に反復されることで象徴的な意味を獲得する。春が子どもたちの巣立ちの季節として認識されるようになり、土地によって雪解けや桜の開花などと卒業式が人々の観念の中で結合していった」と述べています。
 そして、「卒業生と教員の集合写真撮影や記念植樹など、将来に向けて学校の記憶をかたちに留める活動も明治二十年代後半には一般化した。重要なのは、これらが集団の活動であったこと、つまり『集合的記憶』を『創造』するための共同作業だったことである」と述べています。
 第5章「涙との結合——儀式と感情教育」では、「儀式において、唱歌は『よき感情』の情勢を担う要となるファクターである」として、「国家が指定した祝日大祭日儀式唱歌とは異なり、卒業式歌は続々と新曲が生み出されていた」と述べた上で、「明治期最後の十年間に発表された唱歌に限れば、『悲し』を含むものが目立つようになる」と述べています。
 第6章「卒業式歌——『私たちの感情』へ捧げる歌」では、「卒業式歌、特に送られる者達と残る者達が互いに思いを交わす唱歌の歌詞には、多くの曲に共通する特徴がある。それは、異なる時間が短い詩句の中に詠い込まれることである。一つには過去が歌われる。これは師に対しても同じだが、共に睦み合った過去に言及しなければ別れを惜しむことも感謝することもできないからである。二つには、卒業の別れには必ず未来が歌われる。この未来は、近いによってもたらされる。音声に報いること、努力すること、忘れないことを誓い、離れて時を経ても共に心は一つであると確認される。そして現在が歌われる。今日が特別な祝祭の日であり、今まさに別れの時であることが強調される」と述べています。
 そして、「こうした唱歌を歌うこと」の意味として、「今まで生徒たちにとってほとんど永遠に近い時間として感じられていた、この学校でこの先生に教わり、この友らとともに過ごした日常が『もはやないもの』となる。卒業式という現在はこれまでの日常を書こという時間へ登録するために穿たれた分節点であり、この学校や師や友とは分かたれた未来の始まりでもある。これまでが『もはやないもの』となるからこそ、思い出すことが可能となる」として、「卒業式歌は、未来において行われるであろう想起に備え、時間に言葉と音を与えることで時を超える記憶を生み出そうとする企てなのだ」と述べています。
 終章では、卒業式が、「特に涙との結合を決定づけたと思われる二点」として、
(1)形式の整備と標準化により、卒業式が一つの安定した物語展開に根ざした劇場作品となったこと。
(2)参加者の立場に基づいた区分と名付け。
の2点を挙げています。
 著者は、「儀式の本質が集団の感情を喚起し行き渡らせることであるならば、卒業式は最も成功した儀式と言ってよいだろう。卒業式は学校行事の枠を超え、感情の慣行となって社会に分有され、さらに魅力的なパフォーマンスを目指して磨かれてきた。『みんなで泣いた』という記述が与えられるに至って、卒業式の成功は揺るぎないものとなったのである」と述べています。
 本書は、日本の卒業式が持つ「涙」との結合の由来を教えてくれる一冊です。

■ 個人的な視点から

 「卒業式」と「桜」がないと困ってしまう歌謡曲業界はさておき、「卒業」はあくまでもその教育課程を修了したという意味をもつべきであって、一律に小学校を6年、中高を3年で卒業させることは問題があると思います。
 9年かかってもいいから小学校の教育内容を理解していない人間には「卒業証書」を与えないことが本来の意味での「義務教育」なのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・小学校からやり直して欲しい人。


2014年1月29日 (水)

のりもの進化論

■ 書籍情報

のりもの進化論   【のりもの進化論】(#2265)

  松浦 晋也
  価格: ¥1785 (税込)
  太田出版(2012/8/18)

 本書は、「現代のモビリティに空いた穴を検討することで、次世代の新しいモビリティがどんなものになるかを考察」するものです。
 第1章「自転車進化論」では、「普段われわれは、自動車を便利に使っている。しかし、一度大規模災害が発生すると、自動車はわれわれのモビリティを確保する道具として役に立たない。それどころか、一気に有害な存在にすらなりうる」と述べた上で、「郊外に居住し、首都圏に勤務しており、なおかつ地震の際にどうしても帰宅したいと思う人は、折りたたみ自転車を買おう」と提案しています。
 また、ローラースルーGOGOが交通事故をきっかけに新聞から大きくバッシングを受けた事件について、「新たなモビリティをもたらす乗り物が、『なにか変なものが生活の中に入り込んできた』という人々の違和感や恐怖感によって普及を妨げられる可能性を示している」と述べています。
 第2章「アリストテレス号からニュートン号へ」では、「乗り物はすべからくエネルギーを使って様々な抵抗に打ち勝たねば移動できない。その意味ではすべての乗り物は『アリストテレス的』であり『アリストテレス号』とでも呼ぶべき存在だ」とした上で、「すべての運動に対する抵抗がゼロの、ニュートンの運動法則を体現した仮想的な乗り物『ニュートン号』を考えてみよう」と述べた上で、「これだけ抵抗を減らせる特性があるとすると、トライクこそはこのアリストテレス的な環境の地上において、もっとも『ニュートン号』に近い乗り物となる可能性があるのではないだろうか」と述べています。
 また、「電動モーターという動力源は、ベロモービルとの組み合わせに向いた特性を持っている。まず、低回転数から大きなトルク(ねじりの強さ)を発生することだ。これは停止状態からの加速をアシストするのに向いている」と述べています。
 第3章「自動車を巡る基本的な構図」では、宇沢弘文の『自動車の社会的費用』について、「自動車の利便性は、社会の様々な方面にツケを回すことで維持されている」と指摘した上で、「自動車の社会的費用を下げる一番簡単な方法は、自動車を小さくすることだ。小さな自動車は、道路の専有面積が小さいし、車重が軽い分道路を傷めない。軽いということは燃費の良さにもつながるし、大気に排出する汚染物質の量も減る。つまり、次世代のモビリティのために、自動車は現在の利便性を保ったままで、より小さくなる必要がある」と述べ、1979年に建築家の上田篤が提案したコンセプトカー「ツボグルマ」を紹介しています。
 第4章「新たな利便は創出されたか」では、モノレールについて、「来るはずだったけれども、結局来なかった未来のビジョン」という印象が張り付いていると指摘した上で、モノレールの利点として、「線路の幅が狭く、比較的安価に高架線を敷設することができる」ことを挙げています。
 また、「同じ三菱サフェージュ方式を採用した路線でありながら、湘南モノレールは筋肉質の引き締まった路線である一方、千葉モノレールは、はっきり書くなら最悪の路線である」と指摘し、「『市役所と県庁への通勤に便利』というお手盛りと、『千葉市役所と千葉県庁を千葉駅経由で結びたい』という見栄とで路線を決定したようにみえる」と述べています。
 第5章「住みたくなる街のモビリティ」では、路面電車のデメリットとして、
(1)速度が遅い。
(2)自動車と路面を共有するので、自動車交通の邪魔になる。
(3)輸送力が小さい。
の3点を挙げる一方で、
(1)路線敷設コストが低い。
(2)市街地に稠密な路線網を低コストで敷設することができる。
(3)既存鉄道と相互乗り入れ可能。
(4)階段の上り下りなしに、路上から直接乗降できる。
の4点をメリットとして挙げています。
 本書は、次世代のモビリティの様々な可能性に思いを巡らせることができる一冊です。

■ 個人的な視点から

 本当なら自転車はもっと移動手段としての中心的な位置づけをもらっていてもおかしくないと思います。
 なにしろ人力で動く。
 一部の自転車マニアの人達はさておき、もっとスマートな自転車の利用方法が考えられたらいいなと思ったりするのです。


■ どんな人にオススメ?

・自転車にしばらく乗っていない人。


2014年1月28日 (火)

「幸せ」の経済学

■ 書籍情報

「幸せ」の経済学   【「幸せ」の経済学】(#2264)

  橘木 俊詔
  価格: ¥1785 (税込)
  岩波書店(2013/6/19)

 本書は、「経済学の立場から人の『幸せ』を考えるもの」です。著者は、「人々の『幸せ』は必ずしも消費の最大化、あるいは所得の最大化だけで得られるものではない」と主張しています。
 そして、本書の特徴として、「世界各国における人々の幸福度、とりわけ私たち日本の国民がどのように『幸せ』を感じているかを丹念に分析する」とした上で、その他の特徴として、
(1)人ば自己の「幸せ」を意思表示するときに、その人の性格が大きく左右しているのではないかと類推して、人の心理的な要因と幸福度の関係に注意して分析を行う。
(2)経済学が「幸せ」をどのように理解して分析してきたかを経済学史として評価する。
(3)格差の大きいことや強者と弱者の存在が人々の幸福度にどのような影響を与えているかを分析する。
(4)もし経済だけで「幸せ」が得られないのであれば、どういう政策が人の幸福度を高めることに寄与するのかを論じる。
の4点を挙げています。
 第1章「世界の人びとは『幸せ』をどう考えているか」では、「日本の幸福度は世界の中では高くもなく低くもなく、そこそこの幸福度」だと述べています。
 そして、「所得が高い先進国でも、所得が高くなるに連れて必ずしも比例的に幸福感が増しているようではない」ことの説明として、(1)相対所得仮説、(2)順応仮説からなる「イースタリング仮説」を挙げています。
 第2章「日本人は『幸せ』をどう考えているか」では、
(1)女性の方が男性よりも幸福度が高い
(2)年齢が高いほど幸福度が高い
(3)健康な人のほうが幸福度が高い
(4)既婚者は幸福だが、家族形態や構成に関しては複雑である
(5)学歴は中学卒を除いてさほど幸福度に影響をもたない
(6)職業・雇用に関しては労働環境の良いところで働いている人ほど幸福度が高い
の6点を挙げた上で、「一番幸福度が高いのは60代の女性で、反対に不高度が高いのは30代の男性」だとしています。
 そして、「既婚者は幸福」で「さらに子供がいない夫婦の方が幸福度が高い」としています。
 また、「所得の高い人ほど自分への信頼が高く、アイディアに富む開放性を持ち、くよくよ心配しない性格」だと述べています。
 第4章「不平等、再分配政策と幸福」では、「たとえ高所得者層であっても幸福を感じている人は高々69%に」すぎないことから、「幸福かどうかを判断するときに、所得以外の要素がその基準になるかもしれない、ということを暗示して」いると述べています。
 また、アメリカとヨーロッパの高所得者と低所得者の間での態度の違いについて、「アメリカでは開放社会であることから所得階層の移動があるので低所得者も頑張ればいつかは高所得者になれると信じているのに対して、ヨーロッパでは階層が固定されていて移動がないので、いつまでたっても低所得者であり続けなければならないとして、不満の程度が高い」との説明を紹介しています。
 第7章「『幸せ』を高めることの意義と政策」では、「人間の心理的な要因が人々の幸福度を決定すると考えられます。すなわち人々が直面するある事象に対してどういう感情を持つかはその人の心理状態、あるいは性格に大きく依存している」と述べています。
 また、「野心・嫉妬と幸福の関係を理解すると、野心を持つな、嫉妬を感じるな、ということが人々の幸福度を高めるためには有効な方策になるかもしれません」と述べています。
 本書は、「幸せとはなにか」と考える上での考え方を整理してくれる一冊です。

■ 個人的な視点から

 「幸せ」に関する経済学的な考察はなかなか難しいものではありますが、経済学にこだわらずに各種調査の結果についての異論評ということであればそれなりに面白いのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・幸せってなんだっけって思う人。


2014年1月27日 (月)

満鉄が生んだ日本型経済システム

■ 書籍情報

満鉄が生んだ日本型経済システム   【満鉄が生んだ日本型経済システム】(#2263)

  小林 英夫
  価格: ¥2100 (税込)
  教育評論社(2012/08)

 本書は、「満鉄とその調査部に焦点を当ててその活動の全生涯と戦後の日本に残した成果に迫る」ことを課題としたものです。
 第1章「満鉄とはなにか」では、南満州鉄道設立委員長の児玉源太郎と満鉄初代総裁の後藤新平が掲げた満州統治の理念である「文装的武備」について、「植民地支配は単に武力に頼るだけでなく、教育、衛生、学術といった広い意味での『文事的施設』を駆使する必要があり、植民地の人々の間に日本に対する畏敬の念が生ずれば、いざという場合に他国からの侵略を防ぐことが出来る」ことだと解説しています。
 また、「満洲国はさまざまな日本人をこの地にひきつけた。最も身近な『外国』として、自分の夢とロマンを実現できるかもしれない『日本人の桃源郷』と写ったのであろう」として、満洲映画協会理事長の甘粕正彦や指揮者小澤征爾(関東軍参謀の板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつもらっている)の父親小澤開作の名を挙げています。
 そして、日中戦争の戦線拡大に伴い、「占領した中国沿岸地域の占領地行政をどう円滑に展開できるかが、大きな課題となった」ことから「占領地運営に満鉄と満鉄調査部が動員された」と述べています。
 さらに、「戦後日本へ引き上げた満鉄調査部員の多くは教職に就くか、研究機関に再就職して、研究活動を展開することとなった」としています。
 第2章「満鉄が生んだ日本型経済システム」では、関東軍参謀石原幹事の下で様々な政治工作をした「宮崎機関」の名称で歴史に名を残す宮崎正義について、「満洲事変後の1932(昭和7)年1月に関東軍は、満洲統治の必要から満鉄調査部の別働隊としての経済調査会を新設した。関東軍の意向を受けてその組織化に奔走したのが宮崎正義だった。この経済調査会は、その名の通り関東軍の別働隊となって関東軍の経済政策を立案する組織だった」と述べています。
 そして、「満洲国が建国されると、日本の各省庁から優秀な中堅・若手の官僚が他数この地に送り込まれた」として、「彼らは、抵抗勢力が多い日本と異なる新開地で、白地のキャンバスに自由に絵を描くように、歳の割には大きな仕事を任せられて政策を大胆に推し進めた」と述べた上で、1938年に「国家総動員法」が発動されると、「日本国内で産業統制が強化される中、既に満洲でその経験を積んでいた官僚たちが続々と日本国内へと戻されることとなる」としています。
 また、1939年に帰国した岸が、1940年に帰国し企画院総裁に就任した星野直樹らと一体になって統制経済体制構築に全力を上げたとして、「宮崎が構想した金融・貿易・労務の統制アイデアが、革新官僚の手で次々と政策化される中で、『資本と経営の分離』も政策化される」と述べています。
 戦後、「満洲人脈のトップに位置する者達はいずれも戦犯として逮捕されるか、公職追放の憂き目を見ることとなった」が、「同じ戦犯のなかでも満洲人脈の中で唯一と言ってよいほどの例外措置を受けた人物がいた」として岸信介を挙げ、「岸の処遇に関する隠された新事実は、元共同通信記者の春名幹男の手で発掘された極東国際軍事裁判に関する米国国立公文書館所蔵の岸尋問資料の中に見られる」として、「審問官の二人は将校で、しかもGHQ内のG2(情報)所属の情報将校だったのである。つまりGHQは、岸を起訴するために審問していたのではなく、情報をとるための尋問だったのである。そして、その『尋問調書』の結論には、『公式の記録から見て、岸が国家主義的・拡張主義的思想団体と関与した証拠がない』『G2は岸を容疑なしとして巣鴨プリズンから釈放すべきと勧告する』と記述されている」と述べています。
 さらに、「傾斜生産方式は、官主導で重点的、計画的に資材や資金や労働力を鉄鋼・石炭といった復興産業に集中するという意味では、戦時中の企画院主導で『臨時資金調整法』などを駆使した物動計画と大差はなかった。違いは戦時中は軍事産業に、戦後は復興産業にその対象が向けられたという点にあるのであって、手法そのものは同じであった。したがって、戦時中の企画院と同じ性格を持った経済安定本部がその指揮を行った」とした上で、「この経済安定本部には、多くの元満鉄調査部員や元物動経験者が所属して活動した。統制経済を実施するわけだから、かつての企画院や満鉄調査部のスタッフが再結集するのは、ごく自然なことであった」と述べています。
 第3章「日本型経済システムとはなにか」では、「革新官僚による経済統制を通じた産業振興というアイデアは、日中戦争下で急速に進展する」として、「日中戦争を前後して宮崎の五カ年計画の構想そのものは後景に退くが、それを実現するための統制のアイデアは革新官僚の手に委ねられ、折からの戦争の遂行の中で、金融・貿易と為替・雇用といった面で具体的統制が進むこととなる」と述べた上で、「戦後日本型経済システムは再現する。宮崎がアイデアを提供し、革新官僚が財界の反対を押し切って進めた『資本と経営の分離』は、太平洋戦争勃発前は財界の反対もあって一頓挫したが、太平洋戦争に入ると商工大臣岸信介の下で急速に進められ、統制会の結成と軍需外車法の制定の中で急速に具体化された。しかも戦後はGHQの民主化政策の一環として展開された『財閥解体』によってそれが急速に進展し、財閥本社の消滅とともに『資本と経営の分離』は実現化した」と述べています。 そして、五五年体制について、「戦前から引き継ぎ、戦後完成された、一個の高度成長を推進するための仕組みだったと言ってよい。そして、これを戦後の一つのシステムにつくり上げるために需要な役割を演じた人物が、満鉄調査部の宮崎正義と将校官僚の岸信介だたと言ってよかろう。宮崎正義は立案者として、岸信介はその運用者として大きな意味を持った」と述べています。
 そして、「日本型経済システムの最大の長所であり問題点は、『政』『官』『財』三者の微妙なバランスの保持という点にあった。この三者が事柄を阿吽の呼吸で処理する点にこのシステムの長所と特徴があり、それが崩れれば、それがそのまま弱点に転換する点にある」と述べています。
 本書は、日本型経済システムの源流をたどった一冊です。

■ 個人的な視点から

 本書は、同じ著者による満鉄シリーズの総集編みたいな内容になっていますので、この本を読んで興味をもった人は他の本も読んでみてもらうと面白いかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・満洲は終戦とともに消えてなくなったかと思っている人。


2014年1月25日 (土)

社会のなかに潜む毒物

■ 書籍情報

社会のなかに潜む毒物   【社会のなかに潜む毒物】(#2262)

  Anthony T.Tu
  価格: ¥1,260 (税込)
  東京化学同人(2012/6/21)

 本書は、「われわれの安全な生活のためには社会の中に潜んでいるあらゆる毒物について認識することも大事になってきた」として、「それらの潜在的な危険性のある毒物とそれから身を守る方法について述べた」ものです。
 第1章「日常生活に潜む毒物」では、「ダイエット薬は猛毒であるもの、毒性の比較的弱いもの、だいたい無害であるものなど、いろいろと種類が多く、そのメカニズムも千差万別である」とした上で、「中国から輸入されたダイエット薬の中には、フェンフルラミンやN-ニトロソフェンフルラミンがよく入れられており、これを使った人たちが日本で800人ばかり中毒になり、死亡者も何十人か報告されている。いわゆる中国製の減肥茶や抗肥満薬は要注意である」と述べています。
 そして、解熱鎮痛剤の毒作用として、
(1)胃腸障害
(2)アスピリン喘息
(3)重症薬疹
(4)急性脳症
などを挙げています。
 また、「胆のうは苦いので『苦玉』ともいわれている」が、「胆のうは苦いから良薬と思ってはいけない。むしろ苦くて体に悪い毒なのである」と述べています。
 さらに、洗剤、漂白剤、殺虫剤などの日用品について、「使い方を誤れば重大な健康被害を生じることもある」として、
(1)家庭用品の「混ぜると危険」は、混ぜなくても危険なことがある。
(2)呼吸困難になるのは有毒ガスだけではない:スプレー類にも注意が必要。
(3)スプレー類には爆発の危険もある。
(4)爆発や発火事故はスプレー類によるものばかりではない。
(5)液体の商品の場合には、ラベルの液性に注意する。
などの点を挙げています。
 第3章「毒で死ぬ人々」では、「毒殺は人類の歴史始まって以来つきものであった。中国人は大皿をテーブルに置き、食事する人全員が同じ皿から食べる。これも毒殺を防ぐ知恵から始まったものと思われる」と述べた上で、毒殺の特徴として、
(1)毒殺は計画的であることが多い。
(2)毒殺事件では必ず加害者がいて、その人は毒について何らかの知識を持っている。
(3)毒物の入手の方法
(4)被害者に近づきやすいという特殊な環境下にある。
(5)毒殺には動機がある。
の5点を挙げています。
 本書は、身近な毒物についての知識を与えてくれる一冊です。

■ 個人的な視点から

 普通の生活をしていて「毒」と接する機会はなかなか無いような気がしていますが、使い方によっては「毒」になるものは結構身の回りにあります。
 とりあえず、中国の大皿料理は毒殺を防ぐ知恵から始まったというのは面白かったです。


■ どんな人にオススメ?

・「毒」には縁がないと思っている人。


2014年1月24日 (金)

新しいウイルス入門

■ 書籍情報

新しいウイルス入門   【新しいウイルス入門】(#2261)

  武村 政春
  価格: ¥924 (税込)
  講談社(2013/1/18)

 本書は、「ウイルスとはどんな形をし、どんな種類があり、どんな“悪さ”をしているのか、そうした視点で深く解説することを目的と」しつつ、「最近のウイルスの研究の最前線の様子を含めて、ウイルスの『生物学的な側面』を強調し、わかりやすく読者諸賢に伝えること」を目的としたものです。
 第1章「生物に限りなく近い物質」では、「ウイルスは生物ではないとみなされている」理由として、「あるものが生物であるためには、最低限『細胞』の形をしていなければならないと、学者が勝手にそう決めているからだ」と述べています。
 そして、ウイルスについては、「タンパク質で出来たカプセルの中に核酸が入っている」ことが「ウイルスがウイルスであるための『必要最低限の形』である」と述べています。
 第2章「ウイルスの生活環」では、ウイルスの増殖のステップとして、
(1)吸着:感染する宿主の細胞の表面に、ウイルスがピッタリとくっつく
(2)侵入:感染する宿主の細胞の内部へのウイルス、もしくはウイルスのDNAやRNAが入り込む
(3)脱殻:タンパク質の殻を壊し、ウイルス自体の核酸を細胞質内に解き放す
(4)合成:DNAにある遺伝子の情報を元に、ウイルスのタンパク質を作るとともに、DNAをもまた複製し、たくさんの“子“ウイルスを作り出す
(5)成熟:「合成」過程で作られた核酸とタンパク質を、分子レベルで構築された筋書きに沿って、“子“ウイルスへと組み立てていく。
(6)放出:宿主の細胞内で成熟したウイルスが細胞の外に飛び出す。細胞を殺して出て行く「細胞崩壊」と殺さずに出ていく「出芽」がある。
の6点について解説をしています。
 また、細胞の中でタンパク質が作られる過程について、
(1)転写
(2)翻訳
の2つの段階を説明した上で、「この転写・翻訳の過程は、バクテリアからヒトまですべての生物に共通しているために、『セントラルドグマ(中心定理)』と呼ばれる」と述べ、「ウイルスは生物とはみなされていないが、生物共通の原則であるセントラルドグマの仕組みを用いて自らを増やすという意味では、ウイルスもまた『生物的』なのである」としています。
 第3章「ウイルスはどう病気を起こすのか」では、「ブタに、トリインフルエンザウイルスとヒトインフルエンザウイルスが同時に感染すると、ひとつの細胞の中に2種類のインフルエンザウイスルのRNAがそれぞれ放出されるという事態が引き起こされる。インフルエンザウイルスのRNAは8本に分節化しているから、8本プラス8本、すなわち16本(16種類)のRNAが、同じ一つ屋根(細胞)の下で添い寝をするというわけだ」、「すると、その細胞の中で、16本の分節化RNAの間で”交換”が生じ、新しい分節の組み合わせをもった、新しいインフルエンザウイルスが生まれるのである」と述べています。
 そして、「生物は、ウイルスとともに生活し、世代交代し、種を維持し続けてきたし時には大きな変化を伴って、進化へと続く階段を登ってきた」として、「本来ウイルスは、生物と共存共栄してきた。ウイルスは、宿主に対して病気を引き起こすことが第一の目的ではなかったはずである。そうでなければ、宿主が死に絶えるとともに、ウイルス自身も死に絶えてしまっただろう」と述べています。
 第4章「ウイルスは生物進化に関わったのか」では、「私たちヒト・ゲノムのゆうに半分が、何らかのウイルスに由来する塩基配列らしいことがわかった」として、「かつてレトロウイルスが感染し、そのRNAから逆転写されたDNAが私たちのゲノムに組み入れられて残った塩基配列と、かつてDNAがウイルスが感染し、それが私たちのゲノムの中に残った塩基配列(そのメカニズムはよくわかっていない)が、私たちヒト・ゲノムの半分弱を占めているらしい」と述べ、前者を「レトロトランスポゾン」、後者を「DNAがトランスポゾン」と呼ぶとしています。
 そして、「今からおよそ2500万年前、まだ人がこの世に生まれていなかったはるか昔のこと。哺乳類のとあるグループに、あるレトロウイルスが感染した。しかも、体細胞ではなく、生殖細胞に!」として、「このレトロウイルスが哺乳類のあるグループ『有胎盤類』(の祖先)に感染した『証』が、じつは現在の私たちのDNAにきちんと残っている」と述べ、「その「内在性レトロウイルス配列」について、「かつてレトロウイルスが私たちの祖先の細胞に感染してできた、プロウイルスの成れの果て」だとしています。
 第5章「ウイルスの起源」では、ウイルスの誕生について、
(1)もともとは細胞だった:何らかのきっかけで、他の細胞の代謝メカニズムや複製メカニズムを利用して、自分の子孫を作るという働きのみを残し、残りのすべての機能や細胞小器官を失った。
(2)細胞内の自己複製分子がウイルスになった:「プラスミド」と呼ばれる環状DNAや「ウイロイド」などの小さな自己複製分子が細胞の中の遺伝子を取り込み、やがてウイルスへと「進化」していった。
(3)細胞とは別個に誕生した
の3つの仮説を紹介しています。
 第7章「ウイルスによる核形成仮説」では、「細胞核の形成、すなわち真核生物の誕生にDNAウイルスが深く関わっており、むしろDNAウイルスそのものが細胞核の起源になったのではないか」とする説を紹介しています。
 本書は、人間に最も身近に存在するにもかかわらずよく理解されていないウイルスについて、わかりやすく解説した一冊です。

■ 個人的な視点から

 インフルエンザや胃腸炎などで「ウイルス」という言葉は身近になっていますが、目に見えるものでもないので、どんなものかはなかなかイメージしにくいんじゃないかと思います。とりあえず「細菌」とか「カビ」とかの仲間くらいに思われているのではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・「ウイルスは怖い」って思っている人。


2014年1月23日 (木)

日本人と宇宙

■ 書籍情報

日本人と宇宙   【日本人と宇宙】(#2260)

  二間瀬敏史
  価格: ¥798 (税込)
  朝日新聞出版(2013/5/10)

 本書は、「人間が解き明かしてきた宇宙の姿を、そして宇宙と人間との深い関わりを紹介する上で、キーワードに『日本人』を掲げ」たものです。
 第1章「『愛でる月』から『探査する月』へ」では、「岩石の塊である巨大な衛星・月」がどのように生まれたのかについて、
(1)共成長説(兄弟説):同時期に作られた兄弟惑星である
(2)分裂説(親子説):遠心力で地球の一部がちぎれた
(3)捕獲説(他人説):太陽系のどこかで作られ、のちに地球の重力に捕らえられた
の3つの説を紹介した上で、現在最有力とされている、
(4)ジャイアント・インパクト説(巨大衝突説)
について、「誕生して間もない原始地球に、火星サイズの巨大天体が衝突。破壊された巨大天体の残骸が再度集まって固まり、それが月になった」と解説しています。
 第2章「母なる太陽の異変を探る」では、「古代の人々は、日食を単に天の異変として恐れただけでなく、地上の凶事の象徴あるいは前兆ととらえ」、「過去の天変と地位との関連性を見受けだし、体系化した」ものである「天変占星術」が主に東洋で発達したと述べています。
 第3章「我ら星の子—恒星をめぐる物語」では、「我々の遺伝子構成する元素である窒素も、骨を作るカルシウムも、血液中の鉄も、すべてかつて重い星の内部で合成されたもの」だとして、「我々はまさに『星の子』」だと述べています。
 第5章「太陽系の小さな仲間たち—小惑星と彗星」では、「星」という字の付く地名には、「流星や隕石の落下に由来するもの」があるとして、愛知県名古屋市南区の「星崎(本星崎町)」にある「星宮社」が「飛鳥時代の637(舒明天皇9)年、この地に星が降り、それを祀って創建された神社」だと述べています。
 第7章「日本人の宇宙観—飛鳥人から江戸っ子まで」では、「古来日本人は海外からもたらされた新しい思想・理論を『最新の知識・知見』としてあっさり受容する傾向」があるとした上で、江戸時代には「キリスト教そのものは絶えても、地球天球説の宇宙論は日本に生き続けること」になったと述べています。
 第8章「日本の近代天文学の誕生」では、明治6年の太陽暦への改暦に伴い、「明治政府は従来の暦に書かれていた『暦注』の記載を一切禁じ」たが、あるカレンダー業者が、「単純な規則で決まる吉凶だったので江戸時代にはマイナーであり、政府も規制しなかった」六曜を記載した暦を発売ことで、六曜を信じる人が増えたことを紹介しています
 本書は、日本人と宇宙の関わりについて解説した一冊です。

■ 個人的な視点から

 日本は四季がはっきりしているせいか、季節ごとの自然の変化を楽しむのがうまいというような話を聞いたことがありますが、宇宙への眼差しも独特なものがあるのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・月や星の動きに思いを馳せたい人。


2014年1月22日 (水)

生まれ変わる動物園: その新しい役割と楽しみ方

■ 書籍情報

生まれ変わる動物園: その新しい役割と楽しみ方   【生まれ変わる動物園: その新しい役割と楽しみ方】(#2259)

  田中 正之
  価格: ¥1,785 (税込)
  化学同人(2013/3/30)

 本書は、京都市動物園を舞台に、「実際に京都市動物園で行っている具体的な取り組みについて」紹介することで多くの人達に動物園の役割を知ってもらおうとするものです。
 第1章「研究フィールドは動物園」では、著者が所属する京都大学野生動物研究センターについて、「野生動物に関する教育研究をおこない、地球社会の調和ある共存に貢献することを目的とする」として、
(1)絶滅が危惧される野生動物を対象とした基礎研究を行う。
(2)フィールドワークとライフサイエンスなどの多様な研究を統合した新たな学問領域を創る。
(3)動物園や水族館と協力し環境教育をおこない、人間を含めた自然のあり方についての理解を進める。
等の課題を掲げています。
 そして、「仲間のすることはまねしたくなる」という、「私たち人間やチンパンジーなどのヒト科の仲間(この他に、ボノボやゴリラ、オランウータンも含まれる)に見られる特徴のように思っていたが、その萌芽はサルとの共通の祖先まで、もっとずっと遡れるのかもしれない」と述べています。
 第2章「チンパンジーのお勉強」では、「京都市動物園では、『チンパンジーの勉強部屋』をとおして、チンパンジーの知性を、できるかぎり正確に伝え」るために、勉強部屋の設計段階から著者も加わっていた京都大学霊長類研究所における「アイ・プロジェクト」で培われたノウハウや発見を活かした工夫を盛り込んだと述べています。
 第3章「動物園にいるいろいろな動物の姿」では、哺乳類に共通することとして、子どものたくましさを挙げ、「母親が初産だったりして、育児に慣れていなくても、腹をすかせた子どもは父を求めて母親についていく。少しくらい邪険にされても、負けない。やがて母親のほうがあきらめると、無事に乳が吸える。だから、乳を与えるという意味の『授乳』という言葉を使うのは、違和感を覚えるほどだ」と述べています。
 第4章「動物園の飼育員はどんな仕事をしている?」では、キリンの睡眠について、夜間にビデオ撮影で観察した結果として、一晩のうち約3回、座って過ごしている時間が合計で7〜8時間あったが、「座って過ごしているときでもキリンの長い首は立っている。体を休めて入るが、必ずしも眠っているわけではない。その中でも、1回あたり2,3分ほど、首を回し背中を枕のようにして『眠っている(と思われる)』時間」があり、この「眠り」の時間が一晩に3、4回あるのがキリンの寝方のようだと述べています。
 第5章「動物園はどんなところ?」では、日本動物園水族館協会が掲げている動物園が目指す4つの目的である、
・種の保全
・教育・環境教育
・調査・研究
・レクリエーション
について述べた上で、動物園人にとっての幸せについて、「飼育している動物たちが健康で長生きし、子どもを産み育ててくれることだろう。また、動物園を訪れた人たちが動物を見て、楽しい時間を過ごしてくれることだろう。そして望むらくは、動物に興味を持ち、もっと多くのことを知りたいと思ってくれること、さらには動物たちが本来暮らしている野生の環境、地球環境の危機的状況について思いを馳せてくれれば、何より嬉しいに違いない」と述べています。
 本書は、動物園に新たな関心を持てるようになる一冊です。


■ 個人的な視点から

 子供と動物園に行くのは楽しくて、近所の動物園でも新しい発見があり、上野動物園も広くて回りきれないほどです。
 よく「動物園に行く機会は人生に3回ある」(子供のとき、子供が小さいとき、孫が小さいとき)なんてことを言いますが、大人が行っても十分楽しめるのが動物園です。騙されたと思って一度行ってみませんか。


■ どんな人にオススメ?

・動物園は見世物だと思っている人。


2014年1月21日 (火)

連鎖する大地震

■ 書籍情報

連鎖する大地震   【連鎖する大地震】(#2258)

  遠田 晋次
  価格: ¥1,260 (税込)
  岩波書店(2013/2/7)

 本書は、「東北地方太平洋沖地震を例に、震災前後の地震活動の変化を紹介し、地殻・断層に作用する力の変化・伝播(伝わり方)という観点からその仕組みを解説」し、「地震の統計学的性質、活断層、地震発生確率、長期予測など折々に解説を加えつつ、震災の影響が懸念される地域・活断層などを指摘」するものです。
 第1章「東日本大震災の衝撃」では、「震源の位置決定制度が向上した今日、震源断層から大きくはみ出した場所でも多数の『余震』が発生することがわかって」来ており、「オフフォールト余震(off0foult aftershock)」や「誘発地震」と呼ばれると述べています。
 また、断層面に伝わる応力(ストレス)には2種類あるとして、
(1)剪断応力:断層面を横にずらそうとする応力
(2)法線応力:断層面を押さえつけようとする応力
の2点について解説し、この2つを組み合わせたものを「クーロン破壊応力(Coulomb failure stress)」と言うと述べた上で、「これまでの世界各地での研究事例から、地震活動に少なからず影響を及ぼすクーロン応力変化の絶対量は0.1バール程度とされている」として、「東北沖地震による影響は中部地方~北海道南部まで及ぶと考えられ」ると述べています。
 第2章「ピラミッド型『地震組織』」では、マグニチュードという指標には、
(1)これらのマグニチュードを用いて地震同士の物理的な比較ができないこと。
(2)大きい地震でマグニチュードがある大きさ以上に大きくならないこと(マグニチュードの飽和)
という2つの根本的な欠点があったとして、「これを解決すべく提案されたのがモーメントマグニチュードという指標」だと述べています。
 そして、地震学者ができるだけ小さな地震を検知しようと、感度の高い地震計を地下100メートル~3500メートルの深さに設置する理由として、「小さな地震の観測が大きな地震の予測につながる」ことを挙げ、経験則的にわかっている統計法則の一つとして、「グーテンベルク―リヒター則(GR則)」について、「滅多に起きない大地震を直接観測しなくても頻繁に発生している章地震の頻度(数)から、大地震の起こりやすさを評価」できるとしています。
 また、「断層は毎回繰り返し同じ範囲が動き、同じ範囲が規模の大地震が発生する」という「固有地震モデル」についても解説しています。
 そして、「巨大地震・超巨大地震の繰り返しに地震活動全体が支配」されることで、「数十年から数百年オーダーの『静穏期と活動期』の繰り返しが生じる」と述べてます。
 第3章「傷だらけの日本列島」では、「地震防災という立場から見た活断層とプレート境界の重要な違いは、震源断層から生活圏までの距離」だとして、「活断層による地震は内陸直下型です。地表から案層までの距離が数キロメートル以内です。まさに地面に埋められた時限爆弾が炸裂したような状態になり、局所的に激震(震度7)に見舞われます。一方で、プレート境界地震は地震規模の割りには激震が生じる地域が少なくなります」と述べた上で、「もう一つの違いは地震を引き起こす断層のずれ、すなわち地震断層が直接地表に現れるか、それとも海底かどうか」だとしています。
 第4章「今後どうなる列島の地震活動」では、「大地震後のゆっくりとした地面の動き」である「余効変動」について、「本震直後に余効変動のスピードは早く、その後急激に衰えていく傾向」があると述べた上で、「過去の超巨大地震を調べるかぎり、東北沖地震の場合も今後数十年間は余効変動が続くと予想され」るとしています。
 第5章「首都圏の地震危険度」では、地震確率の計算には大きく分けて2つの考え方があるとして、
(1)ポワソン確率:「大地震はこのくらいの頻度で発生する」という平均像を用いるもの
(2)条件付き確率:「大地震の繰り返しの間隔が推定できるので、最後に起こった地震からの経過時間によって次の地震の切迫度が決まる」
について解説しています。
 そして、首都圏が普段から頻繁に揺れを感じる地域である理由として、「複数のプレートがせめぎ合いながら関東平野直下に沈み込んでいるため」だと述べています。
 また、「首都圏で発生するプレート境界地震は必ずしも海溝型地震を意味しません。プレート境界地震が陸域直下で発生することもあります」として、「その点が首都圏特有」であり、安政江戸地震をその典型としています。
 本書は、大地震の後にいかに他の地震が続くかというメカニズムを解説した一冊です。

■ 個人的な視点から

 大きな地震が起きると「次は◯◯辺りが危ない」とか「今度は△△だ!」とかいったような「専門家」の記事が週刊誌に載ったりします。何を信じるかは人それぞれですが、まずはオーソドックスな基礎知識を仕入れるのも悪くないと思います。


■ どんな人にオススメ?

・大きな地震が心配な人。


2014年1月20日 (月)

人類とカビの歴史 闘いと共生と

■ 書籍情報

人類とカビの歴史 闘いと共生と   【人類とカビの歴史 闘いと共生と】(#2257)

  浜田信夫
  価格: ¥1,470 (税込)
  朝日新聞出版(2013/6/11)

 本書は、「現代人の生活と深く結びついて生きているカビについて考察した」ものです。
 第1章「カビとは何か」では、「カビは微生物の中では大きい方だ」として、「一方、細菌はどんどん細胞分裂して増殖しても細かい透明の水滴のような塊にしかならず、食品に生えていても肉眼ではなかなか見つけることができない」と述べています。
 そして、「カビは、樹木の戦意であるセルロースも栄養にすることができる。また、他の微生物が利用できない防腐剤のクレオソートを栄養にして生育するカビまでいる。分解可能なのは植物由来の物質だけではない。動物の毛や固い爪なども分解して栄養にしている。その他、プラスチックやレンズ、ジェット機のアルミ合金製の燃料タンクまで栄養にすることができる」と述べています。
 第2章「食品とカビ」では、生鮮食品にカビが生えない理由として、「生鮮食品では、カビは常に細菌との生存競争にさらされている。湿っていて栄養分がたっぷりの食品では、カビは生長の速い細菌にほとんど負けると言ってよい。」あるいは、細菌がカビより先に繁殖して、鮮魚など多くの生鮮食品は悪臭を放つ。人はその段階で腐った生鮮食品を捨ててしまうのだろう」と述べています。
 また、「餅を保存する方法として、今日では乾燥、冷凍、冷蔵、脱酸素剤の使用などが挙げられる。それに対して、保存するためにかき餅などとして完走させる場合以外は、水餅にするのが日本における伝統的な保存法であった」と述べています。
 第3章「住居とカビ」では、「全自動洗濯機には一般に半年ぐらいの使用で、カビ汚染が見られるようになる。新しいからといって安心していられない。また、カビ数は1年ほどで、増殖が緩やかになっている。ただし、胞子の増加が収まったからといっても、それ以降にカビの菌体が増えないということではない」と述べた上で、洗濯機に多いカビは、空気中に多いクロカワカビではなく、一般の室内空気中には稀にしか見つからないエキソフィアラ、スコレコバシディウムなどの暗色のカビが多く見られたと述べています。
 また、「日本で浴室にカビの多い原因は、ウサギ小屋と言われた小さな住宅と同様に、浴室が狭いこと、そこに設置した浴槽に長時間お湯を張ったままにしていることにある。また、欧米に比して浴室の換気システムが発達していなかったこともあると思われる」と述べた上で、ユニットバスの繋ぎ目に使うシリコンに生えるカビの原因が、フォーマというカビであり、「フォーマは塩素系カビ取り剤使用の申し子といえよう。浴室に多い界面活性剤を好むカビの中で、フォーマは塩素系カビ取り剤の作用を受けにくい構造の子実体を持ったカビである。最強のカビ取り剤もシリコンに潜んだフォーマだけは退治できない。まさに、フォーマはユニットバスに適応したカビであり、新しい生存領域を見つけたカビがまた1種出現したのだ」と述べています。
 さらに、「住宅のカビ被害が、居住者の住まい方より、立地条件に影響されていることは案外知られていない。だから、住宅のカビは主婦の不始末と言う人が今でも多い。しかし、どんなに掃除しても、湿った住宅ではカビ被害から逃れることはできない」と述べています。
 第4章「カビと健康」では、「カビ汚染した食品を食べた場合や胞子を吸引した場合の健康被害、さらにはカビが体内に生えた場合の真菌症や、体表に生える水虫の実態について明らかにしたい」としてます。
 また、ペニシリンを発見したフレミングについて、「フレミングの偉大さは、誰も興味を示さなかった現象に目をつけたことと、微生物は発育阻害物質または殺菌物質を作ると考えたことだ。そして、それらは培養液中に分泌される物質であり、物質単独でも作用すると考えたことだった」と述べています
 「おわりに」では、「カビの撃退法について決め手が絶対ないと思っていた時代は、人は少しでも減らす工夫をしたのである。カビとうまく共存するのが生活の知恵だった。そして、ほどほどに予防すれば、カビは大発生することはない。少しばかりカビが生えても、健康上恐れるには足りない。カビを毛嫌いする必要はない。人の生活に依存して生きるカビに対して、昔の人はやさしく我慢強く対応したことだろう」と述べています。
 本書は、カビとうまく共存する策を語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 「水餅」って見たことないのですが、昔はこれが餅の保存方法だったようです。今でも地方によってはお盆に水餅を食べる習慣があるみたいです。


■ どんな人にオススメ?

・とにかくカビが嫌いな人。


2014年1月19日 (日)

気候変動を理学する―― 古気候学が変える地球環境観

a■ 書籍情報

気候変動を理学する―― 古気候学が変える地球環境観   【気候変動を理学する―― 古気候学が変える地球環境観】(#2256)

  多田 隆治 (著), 日立環境財団(協力)
  価格: ¥2520 (税込)
  みすず書房(2013/4/2)

 本書は、2012年2月から10月にかけて5回にわたって開催された「環境サイエンス・カフェ」の講義を書籍化したものです。
 第1回「地球の気候はどのように制御されてきたか」では、カール・セーガンが提唱した「暗い太陽のパラドックス」について、「太陽の明るさが今の7割しかなかったら、地球の表面は凍りつき、凍ったら現在に至るまで絶対にそこから抜け出せないはずだ」というものだとした上で、「強い温室効果をもつガスで地球が覆われていたから、全球凍結を免れた」と述べています。
 また、地球の大気について、「太陽の光はほとんど通すけれど、地球が出す長い波長の電磁波はあまり通さない」ため、「地表が出す長波放射を大気が吸収し、それにより大気が温められてまた放射をすることによって地表を暖めるのに使われていた」ことが温室効果だとしています。
 さらに、全球凍結からの脱出メカニズムについて、カーシュビングが提唱した、
(1)何らかの理由でCO2が減少
(2)全球凍結
(3)化学風化停止
(4)CO2濃度上昇
(5)全球凍結解除
というメカニズムについて紹介しています。
 第2回「地球は回り、気候は変わる」では、「ミランコビッチ・サイクルと氷期―間氷期」について、「地球の公転軌道の離心率、地軸の傾き、公転軌道に対する地軸の歳差運動の変化による日射量分布の変化」であるミランコビッチ・サイクルが、氷期―間氷期サイクルを生み出すという仮説について紹介した上で、ミランコビッチ・サイクルに関する要素として、
(1)公転軌道の離心率変化:地球が太陽の周りを回る軌道が丸くなったり楕円になったりと変化すること
(2)地軸の傾斜角変動:地球が太陽の周りを回る公転軌道面に対して地球回転軸(地軸)が傾いている角度が変化すること
(3)地軸歳差:地軸のごますり運動
の3点を挙げています。
 第3回「CO2濃度はどのように制御されてきたか」では、「自然界が生み出しうるCO2の変化速度としては、多分氷期から間氷期にかけての上昇が一番速いと思われる」が、「それと比べても人為的なCO2の放出の速度は3桁大きい、そのぐらい人間はすごいスピードでCO2を出している」と述べています。
 また、CO2を海に押し込めるプロセスである「ポンプ」について、
(1)生物ポンプ:CO2を有機物の形にして深層水に送り込み、そこで酸化分解することによりCO2を一時的に深海に押し込めるプロセス。
(2)アルカリポンプ:生物ポンプで一時的に送り込んだCO2を、深層水中でCaCO3を溶かすことにより大気に戻らないようにするプロセス。
(3)溶解ポンプ:海洋の温度を下げることによってCO2を余計に溶かしこみ、より多くのCO2を海洋に蓄えるプロセス。
の3つについて解説しています。
 第4章「急激な気候変動とそのメカニズム」では、
(1)最終氷期にグリーンランドで急激な気候変動が繰り返したことがわかってきた。
(2)それは北米のローレンタイド氷床をはじめとする氷床の崩壊にともなって氷山が北大西洋に流出し、一時的に北大西洋での深層水形成を止めた、もしくは弱めたことによって引き起こされたものだった。
(3)北大西洋の深層水循環には複数の安定モードがあって、小さな撹乱によってモードジャンプが起こる。その撹乱の程度によって、深層水循環が弱まるか、止まるところまで行ってしまうかという違いが生じる。そして最後に、氷床は独自のリズムで自ら成長・崩壊を繰り返していた。
の3点について言及した上で、「地球にはさまざまなサブシステムが存在していて、条件が整うと与えられた信号を増幅する機能を発揮する場合がある」と述べています。
 第5章「太陽活動と気象変動」では、「黒点が多い時に太陽がより明るいのは、実は『黒点が多い時には白斑も多く、それが黒点の暗さを埋め合わせても余りあるぐらい明るいから』なの」だと述べています。
 そして、「古気候記録や観測記録を総合的に見ると、太陽活動に連動して高緯度地域では北極振動に似たパターンが生まれている。低井戸地域では、エルニーニョ、ラニーニョに似たパターンの変動が起こっている赤道域から中緯度域ではハドレー循環が強まったり弱まったりしているらしい」と述べています。
 本書は、気候変動に関する議論の前提となる地球の気候制御システムを理解するための一冊です。


■ 個人的な視点から

 地球温暖化も心配ですが、もっと怖いのは氷河期です。氷河期まで行かなくても太陽の活動の変化や火山の噴火で気温が下がることの方が近い将来の心配としては深刻な気がします。


■ どんな人にオススメ?

・地球温暖化問題に意識の高い人。


2014年1月18日 (土)

驚きの数学 巡回セールスマン問題

a■ 書籍情報

驚きの数学 巡回セールスマン問題   【驚きの数学 巡回セールスマン問題】(#2255)

  ウィリアム・J・クック (著), 松浦俊輔 (翻訳)
  価格: ¥3360 (税込)
  青土社(2013/5/23)

 本書は、「特定のリストにある都市をすべて訪れて出発点に戻る最短距離のルートを計算する」という「悪名高い」問題について、「ありとあらゆる答えを順序よく並べることがそれ程の手間だとしても、それでセールスマン問題が実際に難しことが納得できるわけでは決してない。これと似た、解き方は簡単なのに、候補となる答えがセールスマンがたどりうるルートの数よりもはるかに多いという問題は、他にもいくつかある。巡回セールスマン問題が別格なのは、世界中にいる一流の応用数学者が何十年も調べていながら、一般的に、単純に力任せで調べる以上に大きく改善する方法が知られていないところ」だとして、「巡回セールスマン問題がすたれない強みの一つは、それが応用数学、特にオペレーション・リサーチや数学的計画法といった分野での発見を生み出す原動力として著しく成功しているところだ」と述べた上で、本書の目的は、「この数学の難問を解くための方法を読者に自分で追いかける気になってもらうことだ」と述べています。
 第1章「手強い問題」では、「巡回セールスマン問題(トラヴェリング・セールスマン・プロブレム)」、略して「TSP」について、「一般的な形で言えば、都市名と、リストに載ったそれぞれの都市間の距離が与えられる。問題は各都市を回って出発点に戻る最短距離を見つけることだ」とした上で、「この問題は一般に易しいのか、難しいのか、それとも解けないのか。簡単に答えれば、本当は誰もしらない。そこがこの計算数学の世界で有名な難問の謎であり魅力だ。そしてセールスマンの悩みを解決するよりずっと大きなことがそこにかかってくる。TSPは複雑性の正体や人間の知識にありうる限界という、もっと広い論争の焦点なのだ」と述べています。
 そして、本書の目的として、「読者にTSPの基礎になじんでもらうレベルをはるかに超えて、理論の現状と最先端の解決手段のところまで進んでもらうことをもくろんでいる。究極の目標は、読者に自分でもセールスマンを追いかけようという気持ちになってもらい、できることなら、まだ知られていない方向から決定打が出てくることだ」としています。
 第2章「問題の由来」では、巡回セールスマン問題の「祖父」として、オイラーとハミルトンの名を挙げ、オイラーが1735年に提出したケーニヒスベルクの橋に関する論文が、「必要な情報だけを抽出して問題の本質を捉える古典的な数学の方向をたどっており、オイラーはそうすることによって、グラフ理論と呼ばれる新しく重要な数学の分野の基礎を敷いた」と述べるとともに、ハミルトンも「特定のグラフのたどり方に関する問題に惹かれた」として、オイラーから1世紀後に正十二面体の20の頂点をすべて通る道を調べたと述べています。。
 そして、グラフにおいて、「各頂点を一度ずつだけ通る閉じた散歩」である「ハミルトン閉路」と、「各辺を一度ずつ通る閉じた散歩」である「オイラー小道」について、「どちらの散歩もグラフ理論では根本的な概念だが、明らかな類似はあっても両者間の違いも大きい」と述べ、「グラフにハミルトン閉路があるかどうかを判定するのはNP完全問題で、TSP一般にある複雑さの大部分を捉えている」が、「グラフにオイラー小道があるかどうかの判定には、単純な規則がある」として、「一体になっていて、各頂点は偶数本の辺の端となっていなければならない」と述べています。
 第3章「実地のセールスマン問題」では、「人や乗り物の動きから目を転じると、TSPを元にした驚きの使い方が見つかる」として、遺伝子研究の分野で焦点となっている「遺伝子地図の目印として使われるマーカーの正確な位置」についての情報を得る上でTSPが出番が生じると述べています。
 また、「TSPは、コンピュータでコード化された音楽の膨大な集合を読み取るためにも使われている」として、日本の産業技術総合研究所が開発した「人が自分の音楽上の趣味に合いそうな新しいアーティストを発見するのを助けてくれる」システムである「ミュージックレインボー」について解説しています。
 第4章「巡回路探し」では、「1匹のアリの動きは気まぐれでも群れ全体ではフェロモンの痕跡を通じて連絡し、効率的なルートを見つけている。この集団行動が“蟻コロニー最適化(ACO)と呼ばれるTSPがヒューリスティック群の元になる」と述べています。
 そして、「ヒューリスティックな方法は実行時間と巡回路の質との釣り合いを取らなければならない。最高品質のものについては、膨大な時間をかけて実際に可能な中で最善の回を出そうとする。これはF1レースのようなレベルで、参加者は、課題となるデータセットを回る既知の最善の長さを縮めるため、あらゆる手段を使う」と述べています。
 第3章「線形計画法」では、「一群の点を通る最善の巡回路を選び、それが最善であることを確かめるのがTSPの課題の全体となる。あらゆる順列を並べ替える力任せのアルゴリズムを使えば確実にこの課題をこなすことができるがそのような手法にはわかりにくいところもない代わりにすでにお分かりのとおり、実用的な効率に欠ける。必要なのは、順列をいちいち調べなくても巡回路の質を保証する手段だ。この脈絡では、線形計画法という驚くほど効果的な方法がお薦めの道具となる。これによって、すべての巡回路が満たす多数の単純な条件を組み合わせて、『この点集合すべてを通る巡回路でXより短くなりうるものはない』という形の単独の規則が得られる。数Xは直接に質を表す尺度となる。長さXの巡回路を創ることもできれば、それはたしかに最適解だと考えられる」と述べています。
 そして、「産業界で線形計画法を使える範囲は息をのむほどで、名前が上がるどんな分野にも及ぶ。定量化することが難しいとはいえ、線形計画法による計画が、世界中の膨大な量の自然資源を日々節約しているのは明らかだ」と述べています。
 第6章「切除平面」では、「LP問題全体を一発で解こうとはせず、LP限界を『その都度払い』方式で計算して、必要な時だけ特定のTSP不等式を生成する」という「複雑な問題を処理するためのスッキリとしたアイデア」について、「これはゲームのあり方を変えたし、セールスマン問題だけの話でもなかった」と述べています。
 第9章「複雑性」でが、「セールスマン問題を都市数をますます大きくしてとこうとすることで、数学、計算、工学に飛躍がもたらされ、また多くの実用的な応用面でも前進があった。それこそがTSP研究者の埃であり、喜びだ。しかし一歩ずつ進める方式ではTSPのすべての例を効率的に解けるかという、究極の複雑性の問題は解けない」とした上で、「セールスマン問題の一般的な複雑性についてわかっていること、わかっていないことを解説」しています。
 本書は、有名な数学の難題について、何がわかっていて何がわかっていないのかをわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 グラフ理論は人間関係をはじめとするネットワークを理解する上で必修課題ではないかと思うのでTSPがこれからも色々なネットワーク問題をとくツールになってくれることを期待しています。


■ どんな人にオススメ?

・ネットワークのグラフを理解したい人。


2014年1月17日 (金)

「つながり」の進化生物学

a■ 書籍情報

「つながり」の進化生物学   【「つながり」の進化生物学】(#2254)

  岡ノ谷 一夫
  価格: ¥1575 (税込)
  朝日出版社(2013/1/25)

 本書は、こころとコミュニケーションの進化の研究を高校生向けに話した講義録です。
 第1章「鳥も、『媚び』をうる?」では、「コミュニケーションは、僕たちの心のはじまりと深く関わっている」として、「コミュニケーションについて考えることは、僕たちの心のひみつに近づくこと」だと述べたうえで、コミュニケーションについて、「送り手から受け手へ信号の伝達がなされ、受け手の反応によって、長期的には送り手が利益を得るような相互作用」とする進化生物学での定義を述べています。
 また、ハダカデバネズミが17種類もの鳴き声でコミュニケーションしているとした上で、女王を守るためにヘビに食べられる「兵隊ネズミ」など、「死ぬ役」が出てくる理由として、「生物の使命は、遺伝子セットを安全に長期間保存することになる」ため、「自分の遺伝子セットと似たものを持っている他の個体がいれば、その個体をできるだけ助けてあげるような行動をとるほうが、遺伝子セットにとって有利」であるとして、「自分の親や兄弟、子供たちには、損得抜きに親切にできる」とする「血縁淘汰」について解説し、「ある個体がどれだけ子どもを残すかではなく、その個体と遺伝子を共有する他の個体までひっくるめて、その個体を構成する遺伝子全体がどれだけ広がるかという見方で、動物の行動を理解する」考え方である「包括適応度」を解説しています。
 そして、「コミュニケーションを『わかり合い』のための行動と考えず、自分を構成する遺伝子を最大限に拡散するための方略と考えると、より生物学的な理解」ができるとしています。
 第2章「はじまりは、『歌』だった」では、ニコラス・ティンバーゲンという動物行動学者が作った動物行動学の研究の枠組みである「メカニズム・発達・機能・進化」の4つの質問について、
・至近要因:「HOW」メカニズム・発達
・究極要因:「WHY」機能・進化
の2つのカテゴリーに分けることができるとしています。
 そして、「われわれは言葉をもつ過程で、論理的には間違った推論をしてしまう能力が必要だった」として、「誤った推論をするという能力が人間にあるので、シンボルと意味の対応関係が両方つくられる。これが自動的に出来てしまうことが、人間の不思議なところ」だと述べています。
 また、「動物は、情動の状態に応じて発声がなされ、そこから発声が続けて行われたり、異なる発声が組み合わされたりして、歌ができていったのではないか」と述べています。
 さらに、「言葉をもつ前の人間の祖先の歌は、多分絶対音感に基づくものだった」だろうが、「絶対音感を隠蔽して、音の高さの比率関係に頼ることで、相手の体の大きさ、声の高さにかかわらず、発した音を、同じ音として認識できる」と述べています。
 第3章「隠したいのに、伝わってしまうのはなぜ?」では、「扁桃体に損傷がある方は、すぐに結婚し、すぐ離婚してしまうことが多い。なぜかというと、対人恐怖がないからです。人と人は、どれほど仲がよくても他人なので、ある程度の距離を保つようになっているのですが、対人恐怖がなくなると、どこまでも近づいてしまいます」と述べ、「人間以外の動物でも、扁桃体と前頭前野内側部の相互調整機能によって、情動によって調整される社会的な行動が維持されていると考えられます」としています。
 また、「目の周りの筋肉が意図的に動かせない」ことについて、「もし、表情を完全にコントロールすることができれば、僕たちは表情を信じることができなくなる。だから、表情をつくる顔の中に、どうしても意思では制御できない部分が残っていないと、コミュニケーションの信号として機能が成り立たないということに」なると述べています。
 第4章「つながるために、思考するために」では、「他人に心があると仮定して行動するという性質」である「心の理論(セオリー・オブ・マインド)」について、「心の理論」には適応価があるだろうとした上で、「他者の行動と自分の行動をマッチングさせることで、他者の意図を理解できるかもしれないし、他者がやった行動で有益な行動を、そのまま真似できる」ことから、ミラーニューロンにも適応価があると考えられるとしています。
 著者は、「人間の心は、宇宙全体を飲み込んでしまうような複雑さ」があるとして、「みなさんがどんな進路に進むのであれ、皆さんが人間に興味を持って生きてゆく限り、それは人間の心の理解を、ほんの数ミリだけ進めることにつながるのだと思います」と述べています。
 本書は、人間の心の成り立ちをコミュニケーションから考えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 一昨年くらいに千葉大の理学部でハダカデバネズミの巣を展示していたのを見たことがあります。写真のアップで見るとギョッとしますが土の中で動き回っている彼らはとてもキュートでした。


■ どんな人にオススメ?

・こころの話は難しいと思っている人。


2014年1月16日 (木)

東海地震も関東大地震も起きない! ~地震予知はなぜ外れるのか

a■ 書籍情報

東海地震も関東大地震も起きない! ~地震予知はなぜ外れるのか   【東海地震も関東大地震も起きない! ~地震予知はなぜ外れるのか】(#2253)

  木村 政昭
  価格: ¥1000 (税込)
  宝島社(2013/2/20)

 本書は、「なぜ政府機関や権威ある地震学・火山学研究者の予知は外れるのか。そんな疑問を抱く多くの人々に正しい理解が広まり、防災意識が高まること」を狙いとしたものです。
 第1章「東海地震や三連動地震は起きない」では、「地震を予知しようとする努力は重要だが、現状では実用的な予知はできていない」とした上で、「東海地震の震源域とされる地域で、向こう30年以内に巨大地震が発生するとは考えていない」とする理由として、「地震の目」という著者が考案した概念を挙げ、地震活動の輪(サイスミックリング)の「空白域内で人に感じられないような小さな地震を含め、地震活動が活発に起き始めると、そこで大地震が起きる」ことから、その地域を「地震の目」と命名したと述べています。
 そして、著者の大地震の予測法について、
(1)数十年間にわたって大地震が起きていない「第1種空白域」を探す。
(2)第1種空白域の中で地震活動が集中していて活発な場所である「第2種空白域」(本震に先立って先行すべりするゾーンと推定される)を探す。
と述べ、「巨大地震が発生するのは『地震の目』が出現してからおおよそ30年後」だとしています。
 また、「政府が巨額の予算を投じているために、逆に地震予知は自由な発想をもって研究しにくい傾向がある。その一方、政府予算が多く配分される研究をおこない、より高額な研究機器を購入し、政府の委員会委員に選ばれるような研究者が高く評価される気質がある」と指摘しています。
 第2章「次に起こる大地震は予知できるか」では、「M8.5以上の超巨大地震は、環太平洋で集中的に発生しており、この地域で地震・火山活動が活発化している」原因として、1965年頃に南極に近い東太平洋の海底にある「東太平洋海膨」で起きた巨大噴火を挙げ、「この噴火により、海膨が一気に裂けてプレートを急激に押し出し、その圧縮応力が環太平洋の各プレートに伝わった可能性が指摘されている」と述べています。
 また、「東日本大地震後の応力変化により新たに大地震の発生が危惧される地域」として、「三陸沖中部」「宮城県沖」「三陸沖南部海溝寄り」「福島県沖」「茨城県沖」「三陸沖北部から房総沖の海溝寄り」の6領域からなる長さ約450キロメートル、幅約200キロメートルにわたる一帯を挙げています。
 第3章「富士山の噴火予知はできるのか」では、1990年代の普賢岳噴火の深刻な被害から心すべき教訓として、
(1)人の寿命より長い間、平穏だった火山が突然噴火して、記録的な被害を及ぼした。
(2)顕著な活動が始まってからわずか半年ほどで火砕流を伴う大噴火に至った。
(3)気象庁や火山予知連の学舎は、社会的混乱を引き起こすことを恐れて悲観的な見通しが報じられることを嫌がり、住民に有益な情報を迅速に広める姿勢に乏しかった。
の3点を挙げています。
 また、「近いうちに始まる可能性が高い国内の火山として筆頭に挙げるべき」火山として富士山を挙げる理由として、
(1)富士山に「噴火の目」が見出される。
(2)1923年大正関東地震の頃から「第3の活動期」が始まった可能性が高い。
(3)富士山で本格的な噴火の前兆とみなすべき現象が相次いでいる。
の3点を挙げています。
 第4章「新たな予知体制を目指して」では、「宝永噴火によりマグマだまりのガス成分は空に近い状態になった」だろうが、マグマはたまったままだとして、「次は溶岩が多く流出する貞観型噴火のほうが可能性が高いのではないか」と指摘しています。
 本書は、地震予知と噴火予知について、独自の研究手法をわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 もうすぐ地震予知が可能になるという話をもう何十年も聞かされていますが、しばらく大きな地震が無かったところに周期的に地震が起きるという話はわかりやすいです。


■ どんな人にオススメ?

・お金をかければ地震は予知できると思っている人。


2014年1月15日 (水)

「左脳・右脳神話」の誤解を解く

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「左脳・右脳神話」の誤解を解く   【「左脳・右脳神話」の誤解を解く】(#2252)

  八田 武志
  価格: ¥1680 (税込)
  化学同人(2013/3/30)

 本書は、「左右脳研究の歴史的な経緯を振り返ることと、左右脳研究の過程で生み出された科学神話――『右脳神話』と『日本人の脳神話』――について考えること」を目的としたものです。著者は、「稀有といっても誇大ではないほどの持続性をもち脳科学ブームの先駆けといえる離断脳患者における左右脳の機能差(左右脳研究またはラテラリティ研究)の話題に、初期から関わってきた」として、「左右脳研究の歴史的変遷を概観しながら、脳科学情報のあるべき受け取り方について考えること」も本書の狙いの一つだとしています。
 第1章「左右脳研究とは何なのか?」では、「現在、ほとんどの人が見聞きする右脳や左脳の役割が扱われる話題の原点は、1960年代半ばから発表された、左右の脳を結合している神経線維を、てんかんの治療のために切り離した人を対象とした、いわゆる離断脳患者を用いた実験結果にもとづいている」と述べた上で、左右脳差を調べた結果の主なものとして、
(1)左脳だけが言語の働きを担うのではない。右脳は話せないが10歳児が理解できる程度の語彙をもつ。
(2)右脳のほうが左脳より優れる働きがあり、空間認知能力はその代表例である。
(3)情報を処理する様式に左右差があり、左脳は言語を媒介した処理、分析的、経時的な処理に優れる。他方、右脳は画像を媒介とした処理、全体的、同時的な処理に優れる。
の3点を挙げ、注意深く原著論文を精査すると、
(1)情報を処理する様式の差に関する知見は確固としたデータに基づくとは言いがたい。
(2)実験的に明らかとなった差異は相対的なものである。
(3)実験対象者が少数に限定されている。
等、注意が必要で十分な追認実験が行われていないものであることを指摘しています。
 そして、「左右脳差のみがメディアでは強調して取り上げられた」理由として、「左右という二分法的な話の単純さがメディアに好まれたため」だと述べています。
 第4章「左右差確認の時代」では、「150年ほど前までは左右の脳の働きの違いが指摘されることはなく、50年ほど前までは左右の脳は対象であると信じられてきた」が、失語症患者を診断したブローカが「左脳の第三(下)脳回(前頭葉の下部)が、言葉を話すことに必要な運動を秩序だてる働きをしている」と結論づけ、1885年には「われわれは左脳で話す」と宣言したと述べています。
 そして、「あくまで相対的に推計学的のも意味がある程度に違いがあることを左右脳差というのであり、右脳が優れるとか左脳が優れていることの実態である;一方だけが可能で、他方の脳にはその機能が存在しないかのように思っていたという読者にはショックかもしれないが、現実は2~3割程度成績がよいという事実を指しているに過ぎない」と述べています。
 第7章「左右脳研究の展開――発達と左右脳差」では、単純な結論に修正が加味される過程は、「科学的な検討では当然のこと」だが、「メディアが伝えたがっているのは最も単純な結果」であり、「紋切り型の表現であり、これこれの条件が加わったり減じられたすると結果は一様でなくなる、という段階の知見はメディアから忌避されることになる。そのために、メディアが伝える科学情報は嘘とも言えないが正しくもない情報になる」と指摘しています。
 本書は、「脳ブーム」と呼ばれる状況がどのように作られてきたかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 「右脳人間・左脳人間」という言い方はすっかり世間ではお馴染みになっていますが、本書の大事なところは、それが正しいか嘘であるかではなくマスコミはその言葉が人々の目をひきつけるかどうかを基準にしているということでしょうか。最近ではネットでお馴染みのいわゆる「釣りタイトル」的なテクニックをマスコミは何十年も前から使っているということです。


■ どんな人にオススメ?

・自分が右脳か左脳かをつい考えてしまう人。


2014年1月14日 (火)

自治体行政の領域-「官」と「民」の境界線を考える

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自治体行政の領域-「官」と「民」の境界線を考える   【自治体行政の領域-「官」と「民」の境界線を考える】(#2251)

  稲継 裕昭
  価格: ¥2520 (税込)
  ぎょうせい(2013/3/5)

 本書は、自治体行政の第一線で活躍する実務家が、「現場ではどういう課題が起きているのか、それには、どのように対応すべきなのか」について、「様々な実例を元に、自治体行政の領域を考えていく」ものです。
 プロローグ「行政の“外延“」では、日本の地方政府における守備範囲について、「20世紀末には5万人以上の職員を抱え、政令指定都市として極めて広範囲で多種多様な行政事務を行っている大阪市も、明治初期にはごく限られた業務しか行っていなかった。しかし、その後の産業化・都市化に起因するところの諸問題に対応するため、徐々にその守備範囲を広げていかざるを得なかった」と述べています。
 そして、「公共の分野を、官だけが担うのではなく、市民も担う、NPOも担う、そして企業も担うという新しい公共の考え方が次第に広まりつつある」としています。
 序章「官民二元論から官民融合へ」では、「委ねる」ことの意味について、
(1)「委ねるA」:行政が行う領域から純粋に民間領域に移す
(2)「委ねるB」:行政が行う公共的な仕事と位置づけながら、民間企業などに仕事をしてもらい、民間のノウハウをうまく活用していこうとするもの
の2つに分けた上で、「こうした二元論を超えて、行政と民間の融合的なものが生じつつある」として、「公的領域を、NPOや民間企業などが担うこと」を指す「新しい公共」について論じています。
 第2章「多主体共同による持続可能な地域づくり」では、「様々な地域で持続可能な地域づくりに携わっている自治体職員達を見ても、業務としてではなく、一個人のNPO活動として関与しているケースが大半である」として、「行政の領域が変化している中で、新たな領域で求められている業務に行政職員が一定の継続性をもって積極的に参画できるよな職場環境の整備・改善という観点も大事ではないか」と主張しています。
 第5章「地域医療を守る医療提供体制」では、「官民の病院が共同して地域医療を守っていくというスキームで、公立病院のある自治体ではその病院を効率として存続させ、逆に公立病院がない自治体ではそのままの公立病院をもたないという体制を基本とすべきである」と述べています。
 第6章「変わる公立博物館の存在意義」では、明治19年に博物館の管轄が内務省から宮内庁に変わった理由として、「欧化政策が進む中で、その批判的勢力として国粋主義が台頭し、博物館の役割も、殖産興業的な位置づけから、古器旧物の保存・収集といった役割に注目が集まった」からだと述べた上で、博物館の2つの系統として、
(1)政府の産業政策の推進拠点から国体護持のための政府のプロパガンダ機関へと役割を変えた。
(2)国民を教育するための機能を果たすもの。
の2点を挙げています。
 本書は、さまざまな現場から行政の領域の変化を論じた一冊です。

■ 個人的な視点から

 「どこまでを行政が税金でカバーすべきか」という問題は昔から常に変化していて、ゴミ収集だとか電気ガス水道の類は常にそういったボーダーライン上で揺れ動いたわけです。
 できればこの部分でインセンティブの問題を扱う経済学が出番なのではないかと思うのですが、なかなかコンセンサスを得ることは難しいようです。


■ どんな人にオススメ?

・行政と民間の境界線上で揺れ動いている人。


2014年1月13日 (月)

出版・新聞絶望未来

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出版・新聞絶望未来   【出版・新聞絶望未来】(#2250)

  山田 順
  価格: ¥1575 (税込)
  東洋経済新報社(2012/11/2)

 本書は、「4マス」と呼ばれる4大マスメディア(出版、新聞、テレビ、ラジオ)のうち、出版、新聞の「プリントメディアがおかれている現状を描き、現場から将来を展望」しているものです。「どう見ても既存の紙メディアに未来はない。しかし、メディアそのものがなくなるわけではないので、これまで紙メディアが持っていた社会的機能、文化的役割を誰かが受け継ぎ、新時代のデジタルメディアをつくっていかねばならない」という問題意識から書かれたものです。
 第1章「いつまでたっても電子書籍元年」では、アマゾンの電子書籍サービスの日本上陸が、記事が先走っても事実が追いつかなかった理由として、アマゾンが、「アメリカで成功した電子書籍販売の『ホールセールモデル』を持ち込もうとした」が、「日本の出版社にとっては受け入れがたいことだった」として、「小売、つまり書店が販売価格を決定できる」ホールセールモデルに対して、出版社側で価格を決められる「エージェンシーモデル」のどちらモデルもアメリカの電子出版史上には存在すると述べています。
 そして、「電子書籍というのは、ハードのイノベーション(技術革新)の話ではない。本が紙から電子に変わる、そういう単純な話でもない。電子書籍というのはウェブ上で流通するコンテンツの一つであって、それを流通させる最大のポイントはサービスである」と述べています。
 第2章「電子出版の越えられない壁」では、「日本で電子出版が進まないのは、いくつかの『越えられない壁』が存在するからだ」として、
(1)電子書籍のタイトル数が少なすぎること。
(2)「Kindle」のような電子書籍専用端末、「iPod」のようなタブレット端末が普及していないこと。
(3)著作権処理が煩雑で手間がかかりすぎること。
(4)出版社側に著作隣接権がないこと。
(5)紙と電子で流通・販売制度が違うことで、出版社が消極的にならざるをえないこと(価格決定権の問題)
(6)フォーマットが乱立し電子書店ごとに異なること。
(7)流通を阻害している厳しいDRM規制があること。
の7点を挙げています。
 そして、「日本の出版社が単なる出版権しか持っていないことが、実は、アマゾンの日本上陸が遅れた原因でもある」として、日本の著作権法では、送信可能化権を出版社が持っていない点を指摘しています。
 また、「日本の著作権の使い勝手の悪さ、そして時代遅れぶりは、世界一ではないかと思うことがある。著作権をもつ作家や漫画家との校章や契約に直接あたった人間なら、このことを痛感していると思う」と述べた上で、「既刊本の電子化は手間がかかりすぎて、タイトル数はそうそう簡単に増えない」と述べています。
 そして、「今後、日本で本格的な電子書籍市場ができて、流通側が家格決定権を持てば、人気漫画なども100~200円ぐらいで売られてしまうだろう」と述べています。
 著者は、「日本の電子出版には『超えられない壁』がいくつも存在する。そして、いまのところこの壁を、誰も積極的に乗り越えようとはしていない」と述べています。
 第3章「電子書籍は紙のライバルか?」では、「これほど、紙の本を手軽に買える環境にある国は、世界でも珍しい」と述べています。
 第4章「止まらない出版不況」では、「かつて書店は、街の情報ステーションといってよかった」、「書店は未知の知識に出会える胸がわくわくする場所だった」ためか、「昔は書店員も書店の仕事にはプライドを持っていた」が、「十数年に及ぶ出版不況が、そんな彼らのプライドを粉々に打ち砕いてしまった」と述べています。
 第5章「クール・ジャパンの終焉」では、「マンガこそが、日本の出版産業の生命線」であるにもかかわらず、「クール・ジャパンが失速したのは、人材にお金を使わなかったからだ」として、「それを放置したまま、ただ世界に向けて宣伝する。これまでの日本は、それを繰り返しただけだ」と指摘しています。
 そして、「一部の売れっ子漫画家以外は、一般サラリーマン、OL並みの生活もままならない状況にある」として、2009年に単行本を発行した漫画家5300人のトップ100人の印税収入は約7000万円だが、残りの5200人の平均は約280万円だったとして、「上位2パーセントの人気漫画家が印税の3分の1を独占し、残った3分の2を98パーセントの漫画家でシェアしている」と述べています。
 第6章「苦悩する新聞、苦悩するジャーナリズム」では、過去12年間、営業赤字を続けている時事通信が存続できる理由として、「カネのなる木」である電通株を持っていることを指摘しています。
 そして、新聞の経営を支えてきた日本の柱である、
・販売部数(購読料収入)
・広告収入
が落ち込み、「低迷状態を打開する見通しも立っていない」と述べています。
 そして、「アメリカでは、この5年間で新聞の広告収入が半減したため、新聞はページ数を減らし、記者の賃金は下がり、記者の数も大幅に減った。経営が行き詰まって休刊した新聞は212紙に上り、20年前、全米で6万人いた新聞記者は4万人に減ってしまった」結果、「取材空白地域」が広がり、「公務員の不祥事や投票率の低下など予想されなかった現象が起きた」と述べています。
 第7章「もっとも衰退している産業」では、『ワシントン・ポスト』の原稿の原則として、
(1)「KISS」、つまり“Keep It simple, stupid!"(シンプルにしておけ!このバカ者が)
(2)「ワンセンテンス・ワンアイデア」
の2点を挙げています。
そして、「アメリカの新聞を支えているのは広告収入だが、アメリカ全新聞の広告収入はグーグル単体にさえ及ばない」と述べています。
 第8章「課金モデルは成功するのか?」では、「新聞社がデジタル事業で1ドル稼ごうとすると、代償としてプリント事業で7ドル失う」という調査結果について、これに対して、プリント事業で失うのは27ドルだとの指摘があったことを紹介しています。
 また、日本の新聞社の課金モデルについて、
(1)アメリカ式「ペイウォール型」(日経、朝日):プリント版と同じ記事とオリジナル記事をデジタル版で読む場合、プリント版と同じように課金するもの。
(2)「付加サービス型」(読売、中日):プリント版の購読者がデジタル会員になるとデジタルでおまけを読むことができる。
の2つの種類を紹介し、後者は「アメリカで進んでいる、サバイバルをかけたビジネスの紙からデジタルへの転換ではない」と指摘しています。
 第9章「デジタル化は不況を招く」では、「デジタル化が進むと、コンテンツから得られる収益は減り続け、最終的に多くの既存メディア企業の経営が傾く。そうなると社員の給料を下げたり、リストラせざるをえなくなる。デジタル化が失業をつくり出すわけで、それがまたコンテンツの質の低下を招くのだ」と指摘しています。
 本書は、ネットに直面したプリントメディアの未来を憂う一冊です。


■ 個人的な視点から

 マスメディアを退職した人が「マスメディアの危機」を煽るような本を多く目にしますが、マスメディア自体にも効率性などの強みはあるわけです。行政が作る広報紙とか防災行政無線のような類に近いものではありますが。
 その意味では、今後マスメディアは消えてなくなりはしないものの、現在のような「特権」的な利益を享受することのできない水準に落ち着くのではないかと思われます。


■ どんな人にオススメ?

・マスコミの役目は終わったと思っている人。


2014年1月12日 (日)

科学技術をよく考えるクリティカルシンキング練習帳

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科学技術をよく考えるクリティカルシンキング練習帳   【科学技術をよく考えるクリティカルシンキング練習帳】(#2249)

  伊勢田 哲治, 戸田山 和久, 調 麻佐志, 村上 祐子
  価格: ¥2940 (税込)
  名古屋大学出版会(2013/4/11)

 本書は、「科学技術について、特に社会とかかわりの強い側面について、きちんと考えられるためのスキルや知識を身につけてもらうことを目的」としたものです。本書は、「科学技術についてよく考える」ための手助けとして、
(1)クリティカルシンキング(Critical Thinking:CT):他人の主張をうのみにすることなく、吟味し評価するための方法論
(2)科学技術社会論(Science, Technology and Society:STS):科学技術と社会の関係について研究・教育・実践する分野
という分野の知見をミックスして利用していることが特徴です。
 ユニット1「遺伝子組み換え作物」では、「議論の構造がわからないかぎり、議論を批判的に吟味することはできない」として、「議論の構造を特定するスキルは批判的思考の基礎をなすもの」だと述べています。
 ユニット3「喫煙を認めるか否か」では、自由主義の原則について、「(1)判断能力のある大人なら、(2)自分の生命、身体、財産にかんして、(3)他人に危害を及ぼさない限り、(4)たとえその決定が当人にとって不利益なことでも、(5)自己決定の権限を持つ」とする加藤尚武による定式化を紹介した上で、「パターナリズム」について、「当人の利益のために、当人の意思にかかわらず、当人の行動に干渉すること」とした上で、「パターナリズムの正当化には、合理的な人間であればその後でその介入に同意できるか、当人の人格的統合性に即した介入か」などの様々な議論があるとしています。
 ユニット4「乳がん検診を推進するべきか」では、「人の意見が対立するにあたっては、さまざまなパターンが有る」として、
(1)言葉づかいの違いによる対立
(2)事実についての対立
(3)価値や規範についての対立
(4)問題の見方についての対立
の4点を挙げています。
 ユニット5「血液型性格判断」では、「科学的理論・真理そのものに含まれる文化的要素の有無については議論の余地が存在するが、研究に関する営みや科学理論の適用に関して社会的な意思決定が行われる際には、必ず文化的・社会的な価値及び評価がその言説には含まれる」と述べています。
 ユニット6「地球温暖化への対応」では、「科学研究活動では通常、新しい原理・法則の発見、新しく観察された現象の合理的説明のための分析に重点が置かれる」のに対し、「健康・安全・環境政策の科学的合理性の確保を目的とする科学研究」である「レギュラトリー・サイエンス」について、
(1)レギュラトリー・サイエンスでは研究課題の設定から総括までのあらゆる研究段階で政策的検討が関与し、社会的文脈を色濃く反映する。
(2)レギュラトリー・サイエンスでは知識生産だけでなく、その知識に対する評価や知識に基づく予測が含まれ、通常科学以上にそれらに重点が置かれる。
の2点で通常科学(リサーチ・サイエンス)と異なるとしています。
 ユニット7「宇宙科学・探査への公的な投資」では、「さまざまな物理的・社会的プロセスから、特定の現象や側面を注目すべきものとして選び出すことによって問題を設定し、知識を組織化すること」である「フレーミング」について、「CTのスキルとして、自分おフレーミングから理解できないような意見の対立が生じたら、まず相手のフレーミングが自分のものと異なるのではないかと疑ってみることが必要である」と述べています。
 本書は、科学技術についてきちんと考えることが出来るための技術を身につけるために有益な一冊です。

■ 個人的な視点から

 ビジネスに役立つ「クリティカル・シンキング」をうたった本は多数ありますが、本来の使い方は「社会と科学の関わり」のようなシビアな世界にこそ使われるべきものであるのです。


■ どんな人にオススメ?

・社会と科学の上手な関わり方を考えたい人。


2014年1月11日 (土)

倭人伝、古事記の正体 卑弥呼と古代王権のルーツ

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倭人伝、古事記の正体 卑弥呼と古代王権のルーツ   【倭人伝、古事記の正体 卑弥呼と古代王権のルーツ】(#2248)

  足立倫行
  価格: ¥798 (税込)
  朝日新聞出版(2012/11/13)

 本書は、「『魏志』倭人伝のルートを辿りながら、新たな視点から倭人伝のメッセージを読み解く」前編と、「『古事記』を、『出雲』『日向』『倭』などの舞台を巡りつつ、これまた新しい解釈で検証した」後編からなるものです。
 前編「倭人伝を歩く」第1章「森浩一氏・特別インタビュー『卑弥呼は死を迫られた』」では、「魏は呉との対抗上、倭国が軍事的にも重要な国なので、なんとか一つにまとまってほしいと願っていた。ところが卑弥呼の女王国、これは北部九州28ヶ国(クニ)連合のことですが、これが南の狗奴国と戦争し、倭国は分裂していた。だから、『倭伝』や『倭国伝』ではなく、例外的に『倭人伝』なんです」としています。
 そして、魏が派遣した官吏・張政が長期間滞在し、新女王が丁重に送り返した理由として、「卑弥呼を見限って死を言い渡し、都を九州からヤマトへ東遷させ、台与を新女王に擁立」するという大きな仕事を果たしたからだとしています。
 第3章「玄界灘沿岸、女王国の中核・伊都国と奴国」では、銅鏡が威信具や祭器となり破鏡を伴う墓制ができたことについて、「この埋葬儀礼は3世紀半ば過ぎの奈良盆地における初期ヤマト王権の前方後円墳の墓制に継承されるのだが、その源流が伊都国にあった意味は、やはり大きい」と述べています。
 第5章「卑弥呼はどこに眠るのか?」では、奈良県桜井市の箸墓古墳を卑弥呼の墓とする説について、「箸墓はヤマト王権の最初の大規模な陵墓(前方後円墳)だ。もしその被葬者が『親魏倭王』の卑弥呼なら、初代の卑弥呼の功績は代々伝えられ正史に誇らしく記されるはずだが、実際は無理やり神功皇后の活動の一部に変形させられている。ということは、ヤマト王権の王の系譜の中に卑弥呼は元々存在しなかったと考えるほかない」と述べています。
 後編「古事記を歩く」第1章「ヤマトタケル物語は『日本書紀』となぜ違う」では、「『古事記』は『日本書紀』と同時代のものではなく、もっとずっと古い、しかも傍流の歴史的伝承なのだ」としています。
 第2章「ヤマト王権と対立した古代出雲の盛衰」では、「オオクニヌシを支配者とする葦原中国の物語を、『古事記』が詳しく伝え、『日本書紀』が削除してしまった」理由として、「『古事記』には律令国家成立以前の古層的な性格が潜んでいるから」としています。
 本書は、歴史の舞台を訪ね歩いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 大和政権誕生前の日本の形というのはどうしてもロマンを掻き立てるものがあるようです。もともと「均一な日本」というものがあったわけではないことだからでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・「日本」以前の日本を知りたい人。


2014年1月10日 (金)

人種は存在しない -人種問題と遺伝学

a■ 書籍情報

人種は存在しない -人種問題と遺伝学   【人種は存在しない -人種問題と遺伝学】(#2247)

  ベルトラン・ジョルダン (著), 山本 敏充 (監修), 林 昌宏 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  中央公論新社(2013/3/22)

 本書は、「今日の科学の貢献をできる限り広く一般に周知」させるために、「明らかになった事実を詳細に紹介しつつ、あらゆるタブーを排除し、これらの問題を解説」したものです。
 第1章「人種および人種差別に関する小史」では、「アメリカでは、人種的な帰属が重要な意味を持つ。アメリカは、国の調査によって人種の情報を集める、今日では珍しい国だ。このことに歴史的な背景があるのは間違いない」と述べています。
 また、「かなり長い間基本文献として認められていた」ものとして、ゴノビー伯爵による『諸人種の不平等に関する試論』について、「ゴノビーは、歴史的、哲学的、科学的なアプローチを用いながら、人種間に序列を打ち立てようとした。彼の論証をじっくり読むと、彼が依拠していた前提を垣間見ることができると同時に、彼の論証が時代遅れであることを感じさせられる。彼の論証は明らかに破綻しているのだ」と述べています。
 第2章「人種は明白なものか」では、「人種という考えは極めて曖昧で、つかみどころのないものだ。人種が何を意味するのであれ、また人種が根拠薄弱な考えであることがきちんと証明されても、それは無意識のうちに、われわれの社会共同体に深く染み込んでいる」と述べています。
 そして、「人種という言葉は、19世紀から20世紀前半まで頻繁に用いられたが、その後は疑わしい言葉になり、フランスでは現在、ほとんど使われなくなった。だが今日でも、その言葉はわれわれの脳裏に焼き付いている」と述べています。
 第3章「科学は人種を否定する」では、複数の人々の間でのDNAの均質性について、
(1)人類の誕生は比較的最近であること。
(2)これまでに人類は、大陸から大陸へと渡り歩いてきたこと。
の2つの説明を紹介しています。
 第5章「ヒト集団の多様性――最初の目印」では、最先端のDNA分析によって、「人類の均質性がきわめて高い一方で、人類を区別できる祖先グループの存在も明らかになった」と述べています。
 そして、「明確に定義したヒト集団について、ミトコンドリアDNAとY染色体の遺伝的多型マーカー(ミニサテライト、マイクロサテライトなど)をきちんと調査した後に、ある人物のDNAを分析すれば、母方と父方の祖先に関する情報を得ることができる」と述べています。
 第6章「スニップスがヒト集団を定義する」では、「DNAに最も頻繁な遺伝的多型性は、局所的な変化であり、これがスニップスである。ほとんどの場合、あるスニップ(SNP)にアレルが存在したとしても、その性質は、人の外観あるいは整理に、何の影響も及ぼさない」と述べた上で、「あるヒト集団に特有のスニップスの形式はほとんど存在しない」としています。
 また、「スニップスの形式を分析すれば、祖先にたとえ様々な地域の出身者がいたとしても、その人物の祖先を示すことができる」としています。
 第7章「さらに詳しく解説するなら……」では、「スニップスはお互いに独立しているのではない。ヒトのDNAには、祖先に存在したアレルの組み合わせの名残がある」とした上で、「洗練された分析を行えば、曖昧である人類全体の身元を突き止め、あるヒトがどのヒト集団に属するのかを見つけ出すことは可能だ」が、「集団内における多様性が集団間の多様性よりも高いのは明らかである」と述べています。
 第9章「人種ビジネス」では、「個人を対象に分析しても、そのヒトの出身地域を明らかにできる」ことから、「そのような検査ビジネスがかなり繁盛している」と述べています。
 第10章「犬とヒト」では、「移住、征服、ヒト集団間の交わりは、われわれにとってありきたりの出来事だった」ため、「人数が多いにもかかわらず、われわれは哺乳類の中でも、最も互いに均質な種の一つなのである」と述べています。
 第14章「旅の終わり」では、考古学並びに最先端のDNAマーカーを利用した研究から導き出される結論として、
(1)厳密な意味において「人種」は生物学的な意味を持たない。
(2)そうはいってもDNAの分析によって、人類という種の祖先集団は明確にすることができる。
(3)病気によっては、これらの集団間で発生率が著しく異なる。
(4)ある種の「先天的な能力」が祖先集団によって異なることはありうる。だが、そのような遺伝に基づく差異は、今日まで証明された試しがない。
の4点を挙げています。
 本書は、「人種」という曖昧な観念を最先端の研究の成果で切り込んだ一冊です。


■ 個人的な視点から

 現在の人類が5万年前にアフリカを旅だったごく僅かな人々の子孫であることを考えれば、「人種」と言われていたものは、人類が居住することに成功した各環境に対する豊かな「適応」の成果と考えたほうがいいのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・外国人と自分がぜんぜん違う人間だと思っている人。


2014年1月 9日 (木)

災害復興の日本史

a■ 書籍情報

災害復興の日本史   【災害復興の日本史】(#2246)

  安田 政彦
  価格: ¥1785 (税込)
  吉川弘文館(2013/1/21)

 本書は、「古来多くの自然災害に見舞われてきた」日本において、「そのたびに人々は必死の努力で、災害から立ち直ってきた」として、「いくつかの巨大な災害を取り上げ、その激甚な様相とそこからの復興の様子を時代順にまとめ」たものです。
 第1部「古代の災害復興」では、富士山三大噴火のうち2つが平安時代初期に怒っているとして、延暦19年(800)と貞観6年(864)の噴火について取り上げ、富士山の噴火による焼砕石が道を塞いだために足柄路を廃止して箱根路を開いたことや、貞観大噴火の際の溶岩流が現在の青木ヶ原となったことなどを述べています。
 また、浅間山の噴火について、「縄文時代以来少なくとも9回はあった」として、天仁元年(1108)の大噴火では、長野県軽井沢で3メートル以上に及ぶ堆積があったことなどを述べた上で、「被災地の人々は他所に移住することなく、その地に居住し続けたのであり、長期間を要して水田から畠耕作に生活基盤を転換することによって復興を成し遂げていったものと思われる。そして、この復興過程で、再開発地が豪族などの私領として広範囲に出現し、荘園設立ラッシュとでも言うべき現象を生む」と述べています。
 第3部「近世の復興を支えた人々」では、元禄16年(1703)の元禄地震について、「津波は房総半島から相模湾一帯を襲い、鎌倉では600人ほどが死亡した。鶴岡八幡宮の二の鳥居まで波が押し寄せたという。伊豆半島の伊東では2キロほども川を遡り、高さは10メートルにも達したと推定されている。房総半島では数え切れないほどの犠牲者を出し、今でも津波供養碑を見ることができる」と述べています。
 また、宝永大地震が襲った49日後の宝永4年(1707)11月23日の富士山の大噴火について、「宝永山は現在の富士山の下に眠る古い富士山(古富士)が宝永大噴火を起こしたマグマの上昇によって押し上げられて、一山を形成したものといわれる」と述べています。
 そして、「浅間焼け」として知られる天明3年(1783)の浅間山大噴火について、「二次災害も含めての直接被災地だけでなく、放出された膨大な量の火山灰が成層圏に数年間滞留して日光の照射を妨げ、全国的に霊k外を引き起こして天明の大飢饉を悲惨なものにした一因とも言われる。また、偏西風に乗った火山灰は北半球全体の気候にも大きな影響を与え、同年に噴火したアイスランドのラーホ火山とともに、西ヨーロッパの冷温を引き起こして例年の凶作となり、それが政治的動揺と社会不安を増幅させ、フランス革命の遠因にもなったという考えもある」と述べています。
 さらに、「飢饉からの復興は、飢饉が疫病を生み、また飢饉を招くといった悪循環に陥りやすく、連年の共作と飢饉という図式は前代にも見られたところであるが、そこから復興するには天候が回復して作付が行われ、数年はかかったのである」としています。
 第4部「濃尾地震から阪神・淡路大震災へ」では、明治24年(1891)10月28日の濃尾地震について、大垣町では巡査が不足していたため、「たまたま前夜から宿泊していた『若湊・小柳』などの力士一行が動員され救助にあたった。また刑務所に収容されていた囚人も動員され、警部・巡査等の指揮の下救助にあたっている。救済された被災者は200~300人に達したと言われ、力士も囚人もその活躍を高く評価された」と述べています。
 そして、明治29年(1895)6月15日の三陸地震について、「交通・電信網が途絶し三陸は陸の孤島と化したため、内陸に位置する盛岡市内の岩手県庁まで大津波襲来が伝えられたのは、発生から10時間後のことで、さらに岩手県から東京に伝えられたのは、翌日16日の午後6時ころであった。政府や県が救援を始めたのはさらに翌17日になってからである」と述べた上で、「被災後の復旧には、まず瓦礫や遺体の片付けが必要であったが、被災地に生き残った人では到底足りず、近隣から人夫を募っている。それでも、近隣に無傷の村落は少なく、結局は内陸から雇用せざるを得なかった」と述べています。
 大正12年(1923)9月1日の関東大震災については、「計画の大幅な縮小にもかかわらず、帝都復興計画に基づく事業は大きな成果を上げた」として、
(1)焼失区域の約9割に相当する3119ヘクタールの区域で土地区画整理事業が実施され、街路や公園が整備された近代的な街並みが造られた。
(2)幹線道路が174路線260キロにわたって整備され、今日の東京の骨格をなす道路網が形成された。また、復興事業の関連事業で、同時期に東京発の環状道路が整備された。
(3)大小の公園が多数整備された。
(4)近代的な公共施設やインフラが整備された。
の4点を挙げる一方で、「縮小されたために実現しなかった復興の問題点も少なくない」として、
(1)非焼失区域(山手線内側)のインフラ整備が行われず、バラック住宅の解消を図るための代替住宅の供給が不十分であったことや、規制が不十分で住宅の不法状態の既得権化を許したことが、危険なスラムの温存と再生につながり、今日まで悪戦苦闘する結果となった。
(2)都市に潤いを与える質の高い都市インフラは、一部を除いて実現しなかった。
(3)無秩序に郊外へ拡張した脆弱な市街地の形成。
などを挙げています。
 さらに、関東大震災からの回復が早かった理由として、
(1)政府が都市復興よりも経済復興や社会政策を重視する道を選んだこと。
(2)国庫に蓄積されていた剰余金をフルに活用したこと。
(3)可能なかぎりの資金援助と金融面での優遇措置を講じたこと。
(4)当時の生産システムが単純で修復が簡単にできたこと。
(5)震災を契機とした産業構造や工業立地の転換がスムースに行われたこと。
(6)産業のリスク分散による非被災地からバックアップが容易であったこと。
の6点を挙げています。
 著者は、「被災直後からの復旧には、江戸時代以来の施しの慣習が、お互いを助け合う共助の形で、被災者の自助努力を支援したが、その共助はボランティアとして、全国的規模で行われたのである。江戸時代にもお手伝い普請のように、他藩の協力が得られたこともあったが、明治以降には日本赤十字をはじめ、宗教関係、青年団、在郷軍人会といった集団などによって、全国的かつ組織的にボランティア活動が行われたところに大きな違いがある」と述べています。
 本書は、災害の多いわが国における災害からの復興の歴史を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 災害がなく現状の社会システムがそのまま維持されることはもちろん大事なのですが、歴史的に見ると自然災害がきっかけで社会に圧力がかかって歴史の歯車が回るということは多々あるわけです。浅間山が噴火してフランス革命が起こったりとか。というよりもむしろ自然災害が歴史の歯車を回す原動力自体なのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・災害の起きたその後を見据えたい人。


2014年1月 8日 (水)

国家とインターネット

a■ 書籍情報

国家とインターネット   【国家とインターネット】(#2245)

  和田 伸一郎
  価格: ¥1575 (税込)
  講談社(2013/4/11)

 本書は、「インターネット、ハード、サービスの利用において、〈国家〉、〈資本主義〉、〈創造的生産集団〉という三つの担い手がある組み合わせにおいて互いに連携をとることによって、〈社会〉に普及するという理論的構え」を持ったものです。
 序章「ネットを〈創造〉したのは誰か」では、「いまのインターネットを生み出したアーキテクチャはどのような努力、格闘の上に作られてきたものなのか」を考えるとして、「どんな技術上の衝突、企業の競合、国家との摩擦、大衆仕様にするための妥協があったのかを見ることで、今後のインターネットのありようについての見方を広く多様にできれば」と述べています。
 そして、インターネットの構築は、
(1)様々な人々
(2)いくつかの大きな力(国家などの)
(3)歴史的偶然
など多様にうごめく要素が、突如シンクロして、同じ方向を向き始めたとでも言うかのように誕生したと述べています。
 また、「20世紀型の大衆社会は、人々に想像させないことで自らを維持してきた。みんなが創造的になると、みんな同じで均質的で同質的な大衆社会は壊れてしまうからだ」と述べています。
 第1章「三つの担い手(創造的生産集団/資本主義/国家との関係性についての理論的枠組)」では、「私達が現在使用しているハードウェア、ソフトウェア、インターネットの一連の技術を〈ネット〉と呼んでおこう。ネットの現実化には3つのエイジェンシー(担い手)がある」として、
(1)創造的主体集団(研究者、プログラマ、倫理的ハッカーなど)
(2)資本主義
(3)国家
の3点を挙げています。
 そして、「ネットの先進性の実現をあきらめて妥協し、理想的水準を大幅に引き下げたからこそ、普及が現実のものとなった、つまり、メディア社会の向上(一般的ユーザーの底上げ)が実現された」と述べています。
 第2章「国家とイノベーション」では、「国家による強い管理の下に行われたイノベーションの例が、放送メディアであり、国家の管理が届かない領域が解放区となって、国家の思惑とは別の方向へと展開したイノベーションの例がインターネットである」と述べた上で、インターネットに採用されたパケット交換ネットワークが、「情報社会による妖精(早くて効率がよく便利だから)ではなく、軍事的要請によるものだったという点は重要である」と述べています。
 また、「国家による技術の所有、企業による独占といった締め付け、技術の自由な利用を大きく制限するアレンジメントは、絶対的なものではありえない。こうしたものはどこかで水漏れを起こしうる。というのも、技術のポテンシャルの縮減は、ポテンシャルそれ自体を消してしまうものではなく、それを抑圧するにすぎないからである」と述べています。
 第3章「国家とその《外部》」では、「もともと孤立した計算機として考案されたコンピュータが『対話型』コンピュータとして、すなわちコンピュータを一人一台というパーソナルなものにしつつ、互いに対話可能な通信手段として生まれ変わらせ」るにあたり、「初期のコンピュータはそれぞれが様々な企画を採用していて、それらの間に互換性がなかった」ため、これを解決することは、「ARPAネットの軍事利用の側からも利益になったが、逆の側にいる研究者、プログラマたちにとっても利益になった。というのも、コンピュータ開発はその性質上ネットワークを必要としたのであり、これによって互いに通信し合い、資源をシェアすることによって、コンピュータ科学の水準を劇的に向上させることが見込まれたからである」として、「ARPAネットは、防空システムとしても利用可能だったが、しかしARPAの研究者達はそれよりも、コンピュータ科学を向上させることの方に関心があった」と指摘しています。
 第4章「新自由主義国家とインターネット」では、1990年代初頭に、「国家と創造的生産集団が蓄積してきた技術が、市場へと流れこむことになった」ことで、「最後の軸である資本主義市場経済との接合が果たされ、この接合面に、世界中の一般的ユーザーがどっと雪崩れ込み、ここにイノベーションと社会形成が爆発的に進んだ」と述べています。
 そして、「FacebookやTwitterのようなソーシャル・メディアが、中東において独裁軍事政権の転覆に役割を果たし、ヨーロッパ、アメリカ、日本においても、大規模デモや抗議集会のためのコミュニケーション手段の役割を果たしているというところに、この技術が軍事的要請にかなっている場面を見ることができるかもしれない」と述べています。
 また、「『戦争の民営化』という口実は、国家が違法行為によってしかできないことを、民間企業にやらせて自らは関与を否定する、というやり方をやりやすくする。そうするとここに、民営化の隠れた利点を見出すことができる。民営化とは、資金的な国家の負担を減らすというような利点だけでなく、国家の非公式な活動、外部の闇の領域での活動を、自らの関与を否定しつつ、肩代わりしてくれる代行者に任せやすくするという利点がある」と述べています。
 第5章「アラブ動乱とソーシャル・メディア」では、アラブ動乱は、
(1)〈国家〉形態の人工性と、その形態に包摂されている/されきれずにいる伝統〈社会〉との〈内的〉競合関係
(2)人工的な国家と、欧米諸国との外交的・軍事的な〈外的〉競合関係
の両面に、インターネットがどう関わったかという視点を取る必要があると述べています。
 また、2009年に、強硬派のブッシュ大統領の共和党政権から代わったオバマ大統領の民主党政権が、「イランでインターネットの利用者を増やし、TwitterやYoutubeというアメリカ企業のサービスを用いさせることで、外側から軍事介入したりCIAなどの諜報機関を使わずに、自発的に反米政権に対して内側から暴動を起こさせるというやり方を取ったのではないか」として、「ここで起きているのは、(戦争の民営化に並ぶ)〈諜報活動の民営化〉ではないか」と述べ、「もしそうだとすると、これは中東からの石油安定確保のためのソフトな介入の仕方であり、軍事戦略の転換による帰結とみなすことができる」としています。
 著者は、「国際社会、国内社会に対して戦争の正当性をでっち上げることの困難から、戦争のあり方を、戦争という外見を取らないものへとシフトさせる動きが、1990年代後半、アメリカ軍に非公式に推進された」と指摘しています。
 第6章「インターネットの軍事化」では、「ネット(インターネット、コンピュータ端末)の軍事的ポテンシャルは、もともとこれらに備わっていたものに過ぎず、これがますます現実化されだしたということにすぎない」と述べた上で、「アメリカが、インターネットの非常に危険な部分を、軍事目的で利用するという新たな段階に踏み切った」のは、危険な度合いにまで高まっている核拡散を阻止するためという「歴史的要請によるもの」だと述べています。
 本書は、その出自に関してネットがもともともっている軍事的性質を指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 ベルリンの壁の崩壊は東ヨーロッパに届いてしまった衛星放送のせいだとも言われているわけですが、インターネットにももちろんそういった軍事的な戦略というのは込められているに違いないと思うのです。


■ どんな人にオススメ?

・インターネットがただの便利なサービスだと思っている人。


2014年1月 4日 (土)

災害に強い情報社会―東日本大震災とモバイル・コミュニケーション

a■ 書籍情報

災害に強い情報社会―東日本大震災とモバイル・コミュニケーション   【災害に強い情報社会―東日本大震災とモバイル・コミュニケーション】(#2244)

  本條 晴一郎, 遊橋 裕泰 (著), モバイル社会研究所 (その他)
  価格: ¥2,520 (税込)
  エヌティティ出版(2013/1/25)

 本書は、「東日本大震災において情報がどのような役割を果たしたのか、あるいは、果たせなかったのか、そして、今後起きる災害に対して、何をすべきであるか」について、さまざまな角度から検証するものです。
 第1章「災害に強い社会とは?」では、「東日本大震災の被害実態は現代社会のあり方に強く影響されて、複合災害(自然災害+人為災害)の様相を呈している。ゆえに、東日本大震災をむしろ社会現象と捉えて、実際に何が起こっていたのかを検証することで、防災・減災につなげていくアプローチが必要となる」と述べています。
 そして、「社会を災害に強いものとするために、情報メディアはいかなる貢献ができるか、そして情報の力をどのように活用していくべきかを明らかに」するために、
(1)ICTに何が期待されているか
(2)ICTを通して利用される各種のサービスは災害時にどのような役割を果たしたのか
(3)災害時というICTの維持・運営が厳しいタイミングにおいて情報の扱いに長けたICTの運営主体には何ができるか
の3点について言及するとしています。
 第2章「地震・津波被害と情報行動」では、「非常時の社会システムが平常時以上に機能することは難しいため、災害時には社会的に脆弱な部分が露呈しやすくなる」として、「被害が甚大であった東北地方沿岸部では、震災前から多くの市区町村で過疎化や高齢化が進んでいた。災害時に高齢者は社会的弱者となりやすく、また高齢者を支援する働き盛りの世代も不足していた。このことが情報の利用を難しくした可能性がある」と述べています。
 そして、「震災当日から1か月後頃までの情報行動について、東北・関東全域と津波被災地域を比較することで、情報面から防災・減災策を検討するためのいくつかの手がかりが得られた」として、「ケータイの高い所持率と、通話・メール・災害用伝言板といったさまざまなコミュニケーション手段、放送波をも利用できるという柔軟性は様々な情報メディアの中でも群を抜く」一方で、「商用サービスで使われているケータイの通信ネットワークは処理能力に限界があり、災害時に十分機能できるとは限らない」点を指摘しています。
 第3章「ケータイは災害時の意思決定を支えられるか」では、「直接的な被害からの避難が必要ない場合、大都市圏では社会システムの維持を目的に外出者の帰宅を抑制することが重要な課題となる」と述べています。
 第4章「モバイル・コミュニケーション・ネットワークの災害対策」では、「災害への対策として最も有効なのは建築物の強化と、冷静で素早い避難である。これらはそれぞれロバストネス(堅牢性)とレジリエンス(復元力)に対応する」として上で、「レジリエンスに対応する避難行動は、情報によってどのように支援できるのだろうか」と述べています。
 第5章「『インターネット的』なコミュニケーションの支援」では、「情報伝達において『いつでもどこでもすぐにやり取りができる』こと、情報発信において『誰でも情報を発信できる』こと、そして、情報蓄積・利用において『自分が何かをすることを助けてくれる人がたくさんいる』ことが、ICTが人々にもたらした情報の力として挙げられる」と述べています。
 また、「災害は個人に物理的な打撃を与えるだけではなく、被災の程度にちがいを生むことによって地域内の人間関係を壊すこともある」として、「津波到達区域かそうでないかで被害の程度がはっきりと線引される」ことが、「同一の地域の中に、被災の程度の大きなばらつきを生み出し、近所に住んでいた友人・知人との間に心理的ギャップを生み出し得る」と述べています。
 本書は、ICTがどのように災害と向き合うべきかを論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 とりあえず携帯電話用に乾電池をつなげる充電器は持っておきたいものです。携帯は持ちだしても充電器はなかなか持ち出せないようです。

■ どんな人にオススメ?

・日頃あたりまえだと思っているシステムを再認識したい人。


2014年1月 3日 (金)

女子と就活――20代からの「就・妊・婚」講座

a■ 書籍情報

女子と就活――20代からの「就・妊・婚」講座   【女子と就活――20代からの「就・妊・婚」講座】(#2243)

  白河 桃子, 常見 陽平
  価格: ¥987 (税込)
  中央公論新社(2012/10/9)

 本書は、「ある意味頭の中が『お花畑』状態の、女子たちの夢を消すこと」を目的としたものです。
 著者は、「女子が幸せになるための10ヶ条」として、
(1)いつか子供を持ちたい人なら出産
(2)仕事は細く、長く、常に傍らにあるもの
(3)とにかくやってみる、ダメだったら撤退する
(4)長期的な目線を持つこと
(5)自分で考える力、自分で選択する力
(6)英語をやろう
(7)労働リテラシー
(8)勉強熱心になりすぎるな
(9)職場に味方を作る
(10)専門性を身につけた方が絶対つぶしが利く
の10点を挙げています。
 1時間目「[概論]就・妊・婚――三大『活』はつながっている」では、自活女子の最高峰として漫画家の西原理恵子氏を挙げ、「『どうしたら夢が叶うか?』って考えると、ぜんぶを諦めてしまいそうになるけど、そうじゃなくて『どうしたらそれで稼げるか?』って考えてみてごらん」
という言葉を紹介しています。
 3時間目「女子学生の就活・常識のウソ」では、「女子学生が就活で悩むポイント」として、
(1)「産んでも働く」を実現する就職先選びとは?
(2)女子が活躍できる業界・企業はどこなのか?
(3)女子は就活に有利なのか、不利なのか?
の3点を挙げた上で、「女子学生に足りないと感じること」として、
・女子学生は会社や社会のことを知っているのか? (考えが甘いのではないか?)
と指摘しています。
 4時間目「女子学生のための“納得就活”のコツ」では、「就活がうまくいく女子学生の5つの法則」として、
(1)「本当はどうなのか?」と考えるクセがある
(2)男友達が多い
(3)自分に期待されていることに気づいている
(4)「現実の目標」を持っている
(5)「女子らしさ」と「女を捨てること」を両立させている
の5点を挙げる一方で、「就活がうまくいかない女子学生の5つの法則」として、
(1)真面目で勉強熱心(でも、自分の頭で考えない)
(2)憧れ、思い込みだけで業界・企業・職種を選ぶ
(3)自分の課題に気づかない、放置する
(4)自分だけで就活しようとする
(5)「かわいく」ない
の5点を挙げ、「真面目にやっても報われるわけではない」ことを理解して欲しいと述べています。
 そして、「就活の隠れた問題」として「親が就活にうるさいくらいに介入する」ことを指摘しています。
 5時間目「女子が働きやすいのはどんな職場?」では、「地方の女性公務員は独身も多い」理由として、「地方に優秀な女性がUターンして就職すると、どうしても公務員という選択が多くなる。しかし優秀な男性は県外にでてしまう。地方では優秀な女性たちは、結構、伴侶探しに苦労します」と指摘しています。
 また、ワーク・ライフバランス社長の小室淑恵氏の、「いま、女性活用が行き詰まっているのは、子育てとの両立の問題を女性だけの問題として処理しようとしたからです。本当の問題は長時間労働と生産性の低さ」だという指摘を紹介した上で、「日本の長時間勤務や勤務年数の長さで評価されるシステムでは、仕事をする女性を幸福にするのは難しい」と述べています。
 7時間目「後悔しないための『結婚』とお仕事の基礎知識」では、「いま婚活市場で一番苦戦している」のは、
(1)「どうせキャリアは無理! 普通のお嫁さんでいいの」の「どうせ系」女子
(2)「憧れの仕事一直線」女子
(3)「短距離型バリキャリ志望」女子
の「稼ぎは男性に依存したい系女子」だと指摘しています。
 そして、「婚活しても結婚できない理由」のほとんどは、「養われたいと思っている女性に対して、養える、または養いたいと思う男性の数が圧倒的に足りない」からだと述べています。
 本書は、就職→結婚→出産の3つを合わせて考えることの大切さを説いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 「就・妊・婚」のどれも完璧にこなそうと思うとどこかにしわ寄せが集まるような気がしてなりません。


■ どんな人にオススメ?

・トレードオフだと思って悩んでいる人。


2014年1月 2日 (木)

サボり上手な動物たち――海の中から新発見!

a■ 書籍情報

サボり上手な動物たち――海の中から新発見!   【サボり上手な動物たち――海の中から新発見!】(#2242)

  佐藤 克文, 森阪 匡通
  価格: ¥1,575 (税込)
  岩波書店(2013/2/7)

 本書は、「世間の人々が抱いている野生動物観からちょっと外れた〈本当の姿〉を紹介するものです。
 第1章「実は見えない海の中」では、「動物に小型の記録計を取り付け、野生の生息環境可における動物の生態をしらべるやり方」である「バイオロギング」について、「日本のグループが、装置の小型化に加えて、深度や温度以外にも新しいパラメータを測定できる装置を次々と開発し、この分野を牽引してきた」と述べています。
 第2章「他者に依存する海鳥」では、「オオミズナギドリは同種の他個体が水面にいるとそこに自分も舞い降りるという行動指針で振舞っているようであった」として、「他人が餌をとっているところに自分も参加する」というものであったと述べています。
 また、「動物の生態研究では、何かを始める前にまず何を明らかにするの科目表を立て、それを達成するために手段を選び、野外調査や実験を行うのが通例だ。研究を始めると、なかなか目標は達成できないもので、予想外の結果がもたらされることも多い。想定外の結果のほうが面白かったりすると、当初目指していた目標とは別の路線に研究が発展することもある」と述べています。
 第3章「盗み聞きするイルカ」では、「スナメリは、音による探索をたまにサボる」として、「だいたい5秒に一度はしっかりとまわりを探索するが、しばらく音を出さない時間がある。そして再び音を出す。しかし単にサボるだけなのではない。サボる前に音で前方を探索し、きちんと前方の状況を把握した上でサボっているのだ」と述べた上で、もうひとつの例として、「イルカは他のイルカのエコーロケーションを『盗み聞き』している可能性がある。つまり、一緒に並んで泳ぐ個体のうち、一頭が発したクリックスの跳ね返り具合を他の個体も聞いて、前方の障害物の情報を得ている、という考えである」と述べています。
 第4章「らせん状に沈むアザラシ」では、「野生動物は、いつでも最大限がんばっているわけではなく、淡々と動き、そして結構長時間休んでいた。そんな実態を把握できるようになったのは、記録計を使った手法による大きな進展だ」と述べています。
 第5章「野生動物はサボりの達人だった!」では、「われわれ人間は、ついつい動物の最大能力に目を奪われがちだが、動物の真の能力は最大値ではなく平均値にこそ現れる。ごくまれにしか行わない最大値の動きより、日々の暮らしぶりに着目することで、彼らの生き様を正しく理解できる。深いとか、長いとか、速いといったことに感心するのはもうやめよう」と述べた上で、「本来持っている能力をすべて発揮することなく、ときには同種他個体や他種、あるいは人間に頼ってまで餌とりという目的を達成している野性動物たちは、一見サボっているようで、実は能率を重視して暮らしていたのであった」と述べています。
 著者は、「サボっていると書いてはみたが、動物たちが行なっているのは目的を達成しつつ手を抜く行為、すなわち効率の追求だ。最大能力のかなり手前に最も効率よい動きがあり、多くの動物達は滅諦に最大能力を発揮せずに暮らしていた。それどころか、しばしば他個体に頼って生きていた。これこそ、自力で餌をとりつつ日々暮らしていかなければならない野生動物が、やむにやまれず選択した効率を上げるやり方であった」と述べています。
 本書は、野生動物の本当の姿の一面を見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 野生動物は自然に生きているからこそ無駄なエネルギーは使わないっていうのは非常にわかりやすい。どこぞの精神主義の職場にも野生動物が来てくれたらいいのにね。


■ どんな人にオススメ?

・野生動物は力の限り生きていると思っている人。


2014年1月 1日 (水)

災害・崩壊・津波 地名解: 地名に込められた伝言

a■ 書籍情報

災害・崩壊・津波 地名解: 地名に込められた伝言   【災害・崩壊・津波 地名解: 地名に込められた伝言】(#2241)

  太宰 幸子
  価格: ¥1,260 (税込)
  彩流社(2013/2/25)

 本書は、「地名は、そこに暮らしてきた人々の、小さくても、一人ひとりの大切な生き様や歴史を伝えている」として、先人が伝えてきた「声なき声をずっと発し続けている」、「災害・崩壊地名」について解説したものです。
 第1章「洪水など水による災害を知らせる地名」では、「いかり〈碇・猪狩・五十嵐・五十里など〉」について、「多くは川のそばに見られる地名で、イカルは怒る・あふれるという意味を持ち、洪水などによりたびたび被害を受ける地、水はけの悪い地を言う」としています。
 また、「かけ・かき〈欠・欠山・懸・懸向・柿崎・大柿など〉」について、「川の沿岸、川の蛇行する地の近くや急流が曲流しているような崖地に多く見られる地名。時には山の中にもある地名で、大雨や増水などにより土地が欠ける・崩れたり、抉られたりしたことのあることを伝えている」と述べています。
 第2章「崖崩れなどの災害を知らせる地名」では、「あざぶ・あおそ〈麻布・麻生など〉」について、「アザブは、崖地を意味し、崖崩れの起こりやすい地を伝えている」とするとともに、「あずき〈小豆・小豆坂・小豆島・小豆畑など〉」について、「土砂災害のある所・崖崩れなどが起こりやすい地に多い地名」とした上で、『民俗地名語彙辞典』から「アズは、アゾともいい、山岳語としても用いられ、谷筋が崩れて岩などが堆積している所をいう」と引用しています。
 「くい・くらう〈鳥喰など〉」については、「トリは、土地が取られる、欠けることをいい、クラウはクレの転訛であり、崩れやすい地を伝えている。崩れやすい地形や地質を伝える地名」だと述べ、「さる〈猿田・猿鼻・猿跳など〉」については、「サルは、古語のザレ(礫)の転訛で、山の崩れて欠け落ちたところや岩の崩れることをいう(『民俗地名語彙辞典』)」としています。
 また、「ぬき〈大貫・佐貫・平貫など〉」については、「鉄砲水などで、岩石が雨雪などのため崩れた所」とした上で、「ヌケは、土などが陥没するとか、穴が空くことなどと同じ意味のものであろう」と述べています。
 さらに、「ひら〈片平・柿ノ平など〉」について、「ヒラは、急傾斜地や崖地をいう。アイヌ語では、ピラとなり崖地をいう」としています。
 第3章「3.11東日本大震災の津波に関わる地名」では、津波伝説を残す地名として、慶長16(1611)年の津波が襲ってきた時、浜の下の方を逃げ惑う人々に、『こっちへこい。あがってこい』と呼びかけて招いたこと」にちなんだ「招又 まねきまた(宮城県七ヶ浜町)」や、同じ慶長三陸津波で、「津波が二手に分かれて引いていった」と伝わっている「浪分神社 なみわけじんじゃ(仙台市霞目)」などについて紹介しています。
 第4章「東日本大震災津波被災地の地名」では、「地名は文字だけでその意味を判断することはできない。同じ地名でも違った意味を持つこともあり、現地で確かめなければ当たらない場合も多々ある。必ず現地に立ち、現在の地名が古くからあったものかどうかを確かめ、新興住宅地と開発された地では、開発以前の地名や地形をきちんと把握し住宅地に適しているかどうかを判断し、防災や穏やかな暮らしに役立ってほしい」と述べています。
 本書は、先人から残された災害の記憶を受け継ぐ「地名」に込められたメッセージを読み解くための一冊です。


■ 個人的な視点から

 地名は過去に起きた災害を教えてくれるということはありがたいですが、逆に考えると地名にでもならなければ過去の災害を忘れて人は住み着いてしまうということでもあります。


■ どんな人にオススメ?

・自分の住んでいる土地で過去に起こった出来事を知りたい人。


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