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2014年2月

2014年2月28日 (金)

インターネットにおける誹謗中傷法的対策マニュアル

■ 書籍情報

インターネットにおける誹謗中傷法的対策マニュアル   【インターネットにおける誹謗中傷法的対策マニュアル】(#2292)

  中澤佑一
  価格: ¥ (税込)
  中央経済社(2013/11/7)

 本書は、「インターネットトラブルのうち、最も発生頻度が高い類型である誹謗中傷や個人情報の流出、コンテンツの盗用などインターネット上での情報発信によって被害を受けた場合の対処法を解説するもの」であり、「具体的には被害のもととなっている情報を削除し、情報の発信者を特定し、情報の発信者に対して権利を行使するための手続きを解説」するものです。
 第1章「法的対処における基本」では、「プライバシーや表現の自由など発信者の側の利益との兼ね合いから、匿名の発信者を個人特定することができるのは法律が定める要件を満たす場合に限定」されており、インターネット上での情報発信者を特定するための手続きを「発信者情報開示請求」と呼び、「プロバイダ責任制限法」に要件と手続きが規定されていると述べています。
 また、インターネットトラブルへの対応として、
【法的対応】
(1)当該情報を削除する
(2)当該情報の発信者を調べる
(3)発信者等に対して損害賠償請求を行う
(4)刑事告訴・被害届の提出
【法的対応以外の方法】
(1)積極的にプレスリリース等の情報発信を行う
(2)技術的な手段によって当該情報を見えにくくする(いわゆる逆SEO対策)
の方法を挙げています。
 さらに、被侵害権利ごとの解説として、
(1)名誉毀損
(2)プライバシー侵害
(3)名誉感情に対する侵害(侮辱行為)
(4)その他の人格権侵害
(5)知的財産権・営業権など人格権以外の権利の侵害
の5つの類型について解説しています。
 (1)の名誉毀損については、削除を求める場合の要件として、
(a)社会的評価を低下させるおそれのある事実の流布
(b)表現内容が真実ではないかまたはもっぱら公益を図る目的のものでないことが明白であること
(c)被害者が重大にして回復困難な損害を被るおそれのあること
の3点を挙げた上で、名誉毀損の成否のポイントとして、「インターネット上でなされた具体的表現を被害者の属性や周辺事情と照らし合わせながら、特定の人物に対する内容であることを主張立証することが必要」だとしています。
 (2)のプライバシー侵害については、プライバシーが保護されるか否かの要件として、
(a)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがらであること
(b)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合、公開を欲しないであろうと認められることがらであること
(c)一般の人々に未だ知られていないことがらであること
の3点を挙げています。
 第2章「対策マニュアル〜手続きの流れを理解する」では、「削除や発信者情報開示を求める場合、訴訟ではなく民事保全法の仮処分手続きを利用するほうが迅速かつ簡便に実行」できるとしています。
 そして、「サイト管理者から発信者情報の開示を受けても、ほとんどのケースでは発信者の氏名などはわからず、投稿に使用されたIPアドレス等のアクセスログしか」わからないとして、この後、「投稿に使用されたプロバイダ」を調査し、アクセスプロバイダに対して、氏名、住所、電子メールアドレスなどの発信者情報開示請求を行っていくとしています。
 第3章「対象サイト・プロバイダ別対策」では、筆頭に「2ちゃんねる」を挙げ、2ちゃんねる上で権利侵害が発生した際の法的対応として、
(1)仮処分命令申し立てを行い、裁判所の決定を取得した上で、
(2)指定の掲示板にて削除・発信者情報開示申請を行う
の2点を挙げています。
 本書は、つかみどころがないと思われがちなネットの世界で、発信者を特定し、必要な対策を講じるための手続きを淡々と解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 ネットを巡るトラブルは多々ありますが、ネットに接続している場所が自宅だったりするとプライベートな空間にいるような感覚になってしまうのかもしれませんね。


■ どんな人にオススメ?

・ネットのトラブルに悩まされている人。


2014年2月27日 (木)

群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序

■ 書籍情報

群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序   【群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序】(#2291)

  郡司ぺギオー幸夫
  価格: ¥1155 (税込)
  PHP研究所(2013/7/20)

 本書は、動物の群れが生き物のように統率のとれた行動をとれる理由について、人工知能研究などの知見を用いて、「個と集団の微妙な関係性に新たな光を当てる」ものです。
 第1章「意識と群れ——モノとコトの未分化性」では、ムクドリの巨大な群れについて、「明確な縁を持った塊であり、密度のあまりの高さゆえ、黒い、光沢さえ感じるような様態を示す」とした上で、ムクドリの群れは1個の巨大な生物のように振る舞い、同時に、群れの構成要素は各々が1個の個体であり、周囲の状況を自ら判断して行動する。だから機械よりずっと高度なシステムに思える。部分が状況判断して行動しているのだ。個体には何らかの、意識のような意思決定機構があると思われる。人間のような意識とはいわないまでも、機械とは思えない」と述べています。
 そして、「動物の群れに、モノとコトの分化・融合過程を見出す。このことが、『群れに意識を見いだせるか』という問いに答える鍵となる」とています。
 また、「集合知とは、一つ一つでは知的判断のできない単純な虫(スウォーム)ロボットが、集団として振る舞うことで知的判断を可能とする、そういった知能モデル」だとして、スウォーム・インテリジェンスにおいて現れる一般的問題として、
(1)ここに知的発見を実現するという意味での知性があるのかという問題。
(2)スウォームの身体性の問題。
(3)群れ全体の振る舞いに対するこの多様性の問題。
の3点を挙げた上で、「私たちは、群れの意識という問題を、まさしくモノとコトの両義性の形成過程、さらにはその分化・脱分化過程として、展開する時期に来ている」と述べています。
 第2章「動物の群れ——個体の視点におけるモノとコト」では、クレイグ・レイノルズが完成させた仮想空間内の鳥である「ボイド」について、「ボイドは極めて簡単な3つの規則に従って仮想空間内を飛び回る」として、
(1)群れ誘引:近くに他個体を発見したら、その個体に接近する。
(2)速度平均化:近くの個体の速度に自らの速度を合わせる。
(3)衝突回避:一定の近さを超えて接近することを互いに避ける。
の3点を挙げています。
 第3章「ミナミコメツキガニの群れは痛みを感じているか」では、「個体が水際の移動を繰り返し、個体の密集度がある場所で高まり、可能的遷移の重複が高まりを見せる。こうして、みんなが入るならおれも入るという空気が、水際に横溢し、その空気が最高潮に達したところで、ある個体が受動的に選ばれ、水域に入っていく。その構図は、熱湯風呂に入っていく竜兵そのものである」と述べています。
 第4章「群れによる時計・身体・計算機」では、「生命とは、モノとコトに分化することで、その両義性を備え、またある時は両者を融合して、新たな分化のタイミングを伺う。生命とは、モノとコトの分化・融合を繰り返す、生成の場と考えることができる」として、「ミナミコメツキガニの群れによって時計を現象させる」実験について紹介しています。
 そして、「群れを実現する相互予期過程自体に未分化な受動と能動、すなわち未分化なモノとコトが内在し、モノとコトの分化・融合を繰り返す。結果的に実現される動的な群れが、ある環境条件(楕円のミナミコメツキガニを封入する容器)のもとで、群れというレベルでのモノとコトの分化・融合を繰り替える」と述べています。
 第5章「群れの意識——条件から経験へ」では、「モノとコトとの関係」について、「操作できる身体部位の総体としての身体スキーム、帰属する全体として構想される身体イメージの対は、モノとしての身体、コトとしての身体の対であった」と述べています。
 そして、「群れは、自律的なモノ化を通して、外界からの刺激に対するイメージを、群れ内部の強相関領域として形成し、これらを操作、計算して、外界に対する判断をすることが可能となる。それは、意識をモノ・コトの未分化性から構想できるだろうという当初の目論見を満足させるものには違いない。それは、感覚し、計算し、判断する意識である」と述べています。
 本書は、動物を題材に個と集団の関係性に注目した一冊です。

■ 個人的な視点から

 ムクドリ怖いですよね。夕闇の空を大量に移動しているムクドリの群れを見ると巨大な生き物みたいで恐怖を感じます。まあ、襲い掛かってくるわけではないですが、爆弾は投下してくるので困ったものです。


■ どんな人にオススメ?

・ムクドリの群れのなかには群れを統率するボスが居るんだと思っている人。


2014年2月26日 (水)

世界史の中の近代日韓関係

■ 書籍情報

世界史の中の近代日韓関係   【世界史の中の近代日韓関係】(#2290)

  長田 彰文
  価格: ¥2520 (税込)
  慶應義塾大学出版会(2013/7/21)

 本書は、「19世紀半ばから1945年までの朝鮮(韓国)を巡る国際関係の展開を日本との関係を中心にして詳細に」みようとしたものです。
 第1章「朝鮮の開国と当時の国際情勢」では、1871年の廃藩置県によって、「対馬の宋氏の対朝鮮外交権を接収し、対朝鮮外交の一元化を完成させた」が、「大院君のもとで『衛正斥邪』が行われていた朝鮮側」はこれを認めなかったとした上で、1873年11月に、閔妃による追い落としにより大院君が隠遁したため、「閔妃は大院君への反発から、それまでの政策の転換を図り、明治政府を対日交渉の相手として認めた」と述べています。
 そして、1875年12月9日に駐日米公使のビンガムが、二十数年前のペリー艦隊の日本来航時のやり取りなどが記された『日本遠征記』を日本側に手渡し、「かつてペリーが日本に対して行ったことを今度は攻守ところを代えて日本が朝鮮に対して行うにあたっての『手順』を示していた」と述べ、「日本は、この頃において欧米との間の不平等条約の改正が不調に終わっていた一方、その不平等条約を朝鮮には押し付けるという『抑圧の移譲』を行っていた」としています。
 第2章「日清・日露戦争と朝鮮(韓国)」では、1895年、外交に関して素人でありながら、藩閥政府において薩摩に対するバランスとして駐朝日本行使に着任した長州出身の三浦梧楼が、本国から具体的な訓令を与えられていないことを、「自らにフリー・ハンドが与えられたものと解釈した」ことから、日本からの軍事指導を受けていた訓練隊解散の動きがあったことなどの黒幕と考えた閔妃の殺害を決心し、「10月7日夜に大院君を強要して擁立し、日本軍や壮士、訓練隊はよく10月8日未明、応急の景福宮を襲撃して、侍衛隊があえなく退散する中で侍女たちを次々に殺害し、その中で閔妃と思われる女性の遺体を焼却した」が、その場面を米国の軍事教官であったダイや駐朝米国公使館書記官であったアレン、ロシア人魏志のサバティンらに目撃されたために、「日本側は、事件を訓練隊の仕業と見せかけることができなかった」と述べています。
 そして、高宗がロシアからの支持を前提に近代化に乗り出し、1897年8月14日に年号を「光武」と改称し、「10月12日には皇帝即位式を行い、国王を皇帝、王太子を皇太子と改称し、国号も『大韓帝国』と改称し、ここに自らの意思を持って中国との宗属関係を否定した」が、「韓国政府は『親露派』、『親日派』、『親米派』などに分かれて、おのおの各国が背後にいるという形で角逐を展開し、またその中で賄賂などの不正も横行した」と述べています。
 また、1898年、「独立協会の影響力の拡大が自分たちを脅かすことを恐れた親露派政府は、独立協会は高宗の大権を奪おうとしていると高宗に讒言」し、そのために独立協会は解散・検挙されたことについて、「ここに韓国政府は『韓国の自立のための改革の最後の機会』を自らの手で潰す格好となったが、独立協会の人々の中からのちの愛国啓蒙運動や独立運動の担い手が多数出ることになり、独立協会は、朝鮮(韓国)のブルジョワ民族主義の出発点となった」と述べています。
 そして、1899年8月17日に議定・公布された大韓帝国国制について、「そこにおいては皇帝の絶対的と言ってもいい大権が認められた。それは大日本帝国憲法における天皇の大権をもしのぐものであり、しかも日本の場合はそのような建前とは別に実質的には権力の分立がなされていたのに対して、韓国においてはそれが建前以上のものであったため、特定の派(親露派から親日派)、特定の国(ロシアから日本)が高宗を、押さえればそれで決着してしまうという図式ができてしまい、したがって争いが起きるという状況が展開した」と述べています。
 また、1905年、「日本海(韓国・朝鮮においては東海)に位置する竹島(韓国・朝鮮においては独島)をそのように名づけた上で無主の地であるとして島根県隠岐島司の管轄に編入」したことについて、「時期的にみると、日本が日露戦争において戦局を有利に進め、韓国を軍事的に押さえて、前述のように日韓議定書、第一次日韓協約を結び、韓国を外交的にも実質的に相当に押さえていたという状況であり、韓国がそのような状況下で竹島の日本への編入に異議を唱えるということは事実上、不可能ではあったことは、指摘しておきたい」と述べています。
 第3章「韓国における日本の支配権の確立と列国」では、「安重根による伊藤の暗殺は、日本人の中にある韓国(人)に対する蔑視とその一方での脅威を増幅させる一方、それまでの日本の宣伝もあって欧米諸国には『日本の偉大な政治家の死』『韓国のために働いた恩人を韓国人自らが屠った』などと映り、日本は、韓国の併合に着手するにあたって欧米の同情心を利用したともいえる」と述べた上で、立憲政友会の原敬が、韓国併合の報せを耳にして、「熟柿が自然に落ちるまで待つべきであるのに急ぎ過ぎであること、これは山県などが功名心から急いだ結果であること、急ぎすぎた日本の韓国併合が『後の面倒』となるのではないかなどの感想を日記に記し、彼自身は日本の韓国併合自体には反対ではなかったものの、危惧の念を抱いた」と述べています。
 第4章「日本の朝鮮統治の開始と国際関係」では、「民族自決主義の朝鮮に対する影響力を過小評価するのは適当ではない一方で、朝鮮人が朝鮮内外の情勢の展開に乗じて三・一運動を起こしたというのが真相であり、三・一運動の原因を探るときに国際情勢における民族自決主義以外の諸要因、そして何よりも『武断統治』の実態をさしおいて民族自決主義だけを強調するのは適当ではない」と述べています。
 そして、1919年8月に朝鮮入りした斉藤実が、「朝鮮における『武断統治』に代わる新たな統治を行う」として、「文化政治」渡渉する改革を行う一方で、「斉藤が朝鮮に赴任した目的が治安の回復および独立運動の再発防止でもあった以上、朝鮮統治において『文化政治』とか『一視同仁』といった言葉だけでは説明のつかない側面ももっていた」として、警察官の増員などを挙げています。
 第5章「国際情勢の緊迫と朝鮮の『大陸兵站基地』化」では、スターリンが、「ソ連領沿海州地域に住んでいた朝鮮人を『日本人』かつ『日本のスパイ』と考えて、『満洲国』との国境などにおいて軍事的に対峙していた日本と内通するおそれがあるとの理由で、1935年前後を中心にして沿海州地域の朝鮮人17万人余りを『日本との内通の恐れがない』ソ連領中央アジア地域に強制移住させた」ことについて、「中央アジア地域への移住を余儀なくされた朝鮮人たちは、図らずも新天地となった場所にあった広大な荒れ地を開梱したりして生活基盤を徐々に整えていき、現在では『高麗人』という名で中央アジア各国の国民中の一民族として生活している」と述べています。
 また、1918年8月から1922年まで、最多時で万人以上の日本兵をシベリアに投入した際にの、「日本兵のロシア人女性への暴行による現地における日本に対する反感の増大及び日本兵の間での性病の蔓延による戦力の低下」を「教訓」として、「日本軍は、中国人の対日憎悪の防止及び性病の蔓延による戦力の低下の回避のため、日本軍の駐屯・移動の際に行動を共にして日本兵の性的相手をする女性たちを多数必要とした。そして、そのような女性としては、現地または日本において男性の相手となることを生業とする女性たちも調達されたが、それだけでは必要数を充足できなかった。そのため、目をつけられたのが、日本の植民地、特に朝鮮における若い女性たちであった」と述べ、「若い朝鮮人女性の調達にあたっては、『いい働き口があるから』などと誘いをかける方法、または有無を言わせない強制力をもって連れて行く方法などがとられたが、彼女たちの調達に直接あたったのは、朝鮮総督府及び日本人・朝鮮人の民間斡旋業者であった。ただ、現地に到着した後の彼女たちの健康管理には軍があたっていたことだけを見ても、『従軍慰安婦』と軍は無関係であったとはいえなかった」としています。
 第6章「日本の朝鮮統治の終焉と朝鮮の南北分断」では、1941年12月10日、大韓民国臨時政府が中国の対日宣戦布告を受けて、「主席の金九および外務部長の趙素昴の名前で『対日宣戦声明書』を出し、対日戦線を布告して、連合国とともに参戦することによって国際的に朝鮮の独立の保障を受けようとした。しかし、『声明書』は日本側には通達されてはおらず、また連合国、特に米国は、戦争終結後に朝鮮問題に関して自らの手を縛ることになるとして、臨時政府による対日宣戦布告を認めず、したがって連合国の中の一国にもなることができなかった。そのことは、大戦中からその集結にかけての挑戦問題をめぐる事態の推移、さらに下って戦後の対日講和会議であるサンフランシスコ平和会議において大韓民国の参加が認められなかったこと、さらに1951年から1965年まで続くことになる日韓交渉においても『交戦国』としての地位を求める大韓民国の主張に対して日本軍が最後まで認めようとはしなかったことなど、不利に作用することになったのである」と述べています。
 また、「FDR政権時に彼が頼み込む形で決まったソ連の対日参戦は、唯一の敵国が日本となる中でFDR政権時のように米国にとって絶対に必要というものではなくなり、むしろ逆に戦後にソ連が日本に関して発言権をもつことにつながるため、避けるのが望ましくなっていった。そして、反共反ソという立場からソ連には強い立場を取る一方で日本にはFDR政権時のように無条件降伏を求めるなど強硬な姿勢はとらず、むしろ戦後の反共反ソ政策の展開において日本を利用するために日本を温存することをトルーマンに進めたのがグルーであった」と述べています。
 そして、「朝鮮総督府の官僚たちは8月15日の『玉音放送』後、総督府庁舎の各階の窓から需要書類を投げ下ろし、中庭でそれらに油をかけて焼却し、当日の抜けるような青空の下で無数の灰が粉雪のように舞い、黒煙が立ち上り、それが十数日間続いたとのことであった。こうして、大量の朝鮮総督府文書が焼却され、その中には例えば『従軍慰安婦』に関するものも含まれていたと推定される」と述べています。
 さらに、朝鮮総督府が、「ソ連軍のソウルへの侵攻と占領を恐れる一方で、米国本国において米ソ両国による朝鮮半島の分割占領方針およびソウルは米工側にはいことが決定していたことは知らなかったことから、米軍による占領がむしろ望ましいと考えて、8月31日、沖縄にいた米第24軍と最初の無線連絡をとった。それ以降、朝鮮総督府は、英語に通じていた総督府の官僚・小田安馬が中心となって作成した朝鮮の状況を記した英文の報告書を断続的に沖縄の米軍に送付したが、その内容は、朝鮮人を誹謗中傷し、朝鮮人は朝鮮上陸後の米軍のいかなる措置をも妨害するに違いない無法な暴徒であることを印象づけようというものであった」と述べています。
 「おわりに」では、「米国側、特に国務省や大統領であるFDR自身は朝鮮および朝鮮人を日本から解放させることは日本の軍国主義を撲滅する上からも望み、カイロ宣言に『朝鮮の解放』の文句を盛り込むことに賛成したが、日本から解放させたあとの朝鮮人が独立して国家を維持していく能力に対しては懐疑的・否定的な見方をしていた」と述べた上で、「米国は、日本から切り離したあとの朝鮮を自国が全面的に引き受けるのは朝鮮における利害関係からも『オーバー・コミットメント』であり、好まないこと、しかし朝鮮人が独立してやっていけるとは到底思われないこと、そのような朝鮮は解放後、かつてのように東アジアにおいて『紛糾の種』とならないようにしなければならないことなどの判断から、国際連盟に代わって設立予定の新国際組織、その中での主要国が朝鮮を信託統治することが最善であるという考えをかためていった」と述べています。
 また、「朝鮮においては、日本との修交の前に西洋ないし日本に倣った近代化を図ることによって独立を維持していこうという動きが既にあったが、それに反してなおも西洋式・日本式の近代化にはいたらずに独立を維持していこうという動きもあった。そして、1870年代から1880年代初めにおいては、閔妃勢力が前者の立場、彼女の舅である大院君の勢力が後者の立場をそれぞれとっていたが、1882年の壬午軍乱から2年後の甲申政変を経て、清国に救われた格好となった閔妃勢力は後者の立場、大院君勢力は日本に擁立されることによって必然的に前者の立場を取るようになった」と述べています。
 そして、1941年の太平洋戦争突入により、「朝鮮はそれ以降、日本による収奪、カイロ宣言で朝鮮に関して言及されたところの『奴隷状態』ともいえる状況に追い込まれた。朝鮮は、日本が食糧の配給制度も滞るようになり、相次ぐ空襲を受けて破壊状態に追い込まれたのとは違い、空襲自体はそれほどなく、食糧事情も日本ほど悪化しはしなかった。『奴隷状態』とは、物理的な側面以上に『内鮮一体』や『皇民化政策』によって朝鮮人としての民族性の喪失、抹殺へとつながりつつあったという精神的な側面のほうが強かった」と述べています。
 本書は、現在の朝鮮半島問題を考える上でも必要となる明治〜大正〜昭和にかけての日韓関係をまとめた一冊です。

■ 個人的な視点から

 最近は週刊誌も「嫌韓ブーム」になっているらしくそういった特集が増えているようですが、日韓併合以前の朝鮮半島の状況を知らないままではお互い朝鮮半島の問題は語れないということかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・最近朝鮮半島の話題が多いと感じている人。


2014年2月25日 (火)

海辺の恋と日本人: ひと夏の物語と近代

■ 書籍情報

海辺の恋と日本人: ひと夏の物語と近代   【海辺の恋と日本人: ひと夏の物語と近代】(#2289)

  瀬崎 圭二
  価格: ¥1680 (税込)
  青弓社(2013/8/1)

 本書は、「海辺と恋愛の100年にわたる物語をたどり、海辺がもつ独特の引力を描く文化史」です。
 「はじめに」では、「実はレジャーとしての海水浴の始まりを考えることは、海辺がセンチメンタル、ロマンチック、ドラマチックなイメージをもつことや、その場で男女が出会ったり、愛を深め合ったりすることと絡み合っている」としています。
 第1章「物語の発声」では、「海水浴場という場で海水浴が実践され始めた明治20年代」には、「海水浴場とは、男性たちが欲望を抱えながらも手を出すことをためらってしまうようなそうした女性の表象が、『荒波』や『塩風』によってその秩序を失い、『雪の肌を黒くし』たり、『意気な束髪』が『解け乱れて』しまうような場」であり、「その欲望を背景に、既にその場を支える重要な物語要素が胎動し始めていた」と述べています。
 そして、夏目漱石の「木屑録」において、「避暑地としての保田は、『余』にとって理想郷としてのイメージで捉えられている」と述べています。
 また、当時の小説の中からも、「旅先、避暑地での女性との出会いであり、水蔭の『海水浴』が、そのような欲望に駆られた男性の読者/消費者を海水浴へ誘おうとする力を含んでいることは言うまでもない」と述べています。
 第2章「明治後期の海辺の物語」では、「長く読み継がれ、様々な表現形態を通じて人びとに浸透していった『金色夜叉』の物語を代表するあの海岸の場面は、お宮に対する貫一の怒りの感情が凝縮されたあの足蹴のポーズゆえに、強いインパクトを残すことになった。その結果、舞台になっている熱海の浜辺は、強い感情を露呈する場、あるいは男女の劇的な別れが演出される場としてのイメージを練り上げていったのではないだろうか」と述べています。
 そして、「『金色夜叉』での熱海海岸の場面に見られるドラマチックなイメージ、あるいは、『不如帰』の浪子が逗子海岸で独り物思うようなセンチメンタルなイメージ、そして、後続の家庭小説によるそれらのイメージの反復、さらには、演劇など他の表現携帯によるこれらの物語の広まり——こうしたプロセスの中で、ドラマチックでセンチメンタルな場として海辺を捉える感性が育まれていったのではないだろうか」としています。
 第3章「男たちの海辺」では、「漱石の小説に特徴的な男性間のホモソーシャルな関係は、海辺という場にも表出していることが確認できるし、同時に、海辺という場そのものがすでにホモソーシャルな場だとも言える」として、「海辺でホモソーシャルな関係が表出するのは、そこで異性との出会いを期待させるロマンチシズムや異性愛のドラマ性とセンチメンタリズムが喚起されることの裏返しなのである」と述べています。
 第4章「映画・スポーツと〈肉体〉」では、「海水浴という習慣が余暇となり、さらには消費の対象となるにしたがって、その場に集う人々の身体に対するまなざしも少し異なったものになっていった。つまり、他者の視線を内面に取り込んだ身体意識があらかじめ一つの理想的な類型として意味づけられ、その類型を参照軸としたまなざしが生じるようになるのである」と述べています。
 そして、「大正末期ころからスクリーンに登場し始めた水着姿の女優たちは、それまでの海辺のイメージをいささか異なったものに変えていったのではないだろうか」として、「この時期の映画そのものが、現在以上に肉体、特に女性の肉体を表象するメディアとして意味づけられ、観客からもそのような期待が寄せられていたからでもある。そして、それが海辺という舞台を選びとったとき、女性の肉体の露呈と海辺とを密接に結びつけたイメージを形成していくことになるのである」と述べています。
 第5章「不良から太陽族へ」では、「大正期から昭和初期にかけて、海水浴場での不良たちの行動が問題になっていて、その一つに婦女子の誘惑という行為があったことが、これら当時の新聞記事から確認できる。海水浴場は、そのような場としてもイメージされ始めていたのである」と述べています。
 そして、『太陽の季節』に描かれている特徴的な青年男女の姿は、「不良たちがたむろする大正期以後の海水浴場イメージの延長上にあり、そのイメージを新たなものとしたという意味で、この小説や映画が果たした役割はきわめて大きい」と述べています。
 第6章「カリフォルニアと南の島」では、「『POPEYE』誌上で紹介したスポーツやレジャーを国内で実践している若者たちがほとんどいなかったような状況の中で、『元はいなかった人格を、『ポパイ』の編集者が、こんな奴がいてほしいという妄想をメッセージとして発信し、扇動し、押し切ることで、現実化した」のが『POPEYE』だった」と述べています。
 また、「鈴木英人、永井博、わたせせいぞうといった描き手はいずれも占領期の日本で幼少期を過ごし、アメリカに対するイメージをそれぞれに内面化していった。そうしたなかで、『POPEYE』などによってアメリカの若者文化が紹介されて、カリフォルニアや南国リゾートをほうふつとさせる海辺の表象が生産/再生産されていった」と述べています。
 そして、「1970年代の後半から80年代の海辺の表象を、雑誌メディア、小説、イラスト、ポップソングなどのなかに見てきたが、そこに漂っているのは、明るく乾いたカリフォルニアの海辺のイメージや、やや寂れたノスタルジックなイメージ、あるいは都市生活の疲弊を癒やす南国リゾートのイメージだ。こうした、いま・ここには存在しない場が様々な媒体の中で表象され、そのようなイメージがこの時期に大量に消費されていたことになる」と述べています。
 本書は、私たちが抱いている「海辺」に対するイメージがどのようにして形作られてきたかを追った一冊です。

■ 個人的な視点から

 最近は海水浴に行く人が減っているようです。そういえば海辺での出会いを舞台にしたストーリーが書かれることも減ってしまったような気がします。今や出会いの場はネットと合コンに取って代わられてしまったからなのか。「全部雪のせいだ」とは言いながらもいまどき出会いを求めてスキー場に行く人も減ってしまったのでしょうね。


■ どんな人にオススメ?

・海には出会いがあると思っている人。


2014年2月24日 (月)

エイズの起源

■ 書籍情報

エイズの起源   【エイズの起源】(#2288)

  ジャック・ペパン (著), 山本 太郎 (翻訳)
  価格: ¥4200 (税込)
  みすず書房(2013/7/6)

 本書は、「エイズの歴史の中に散在する『点』をつなげていく試み」です。
 第1章「アウト・オブ・アフリカ」では、「HIV-1の起源が中部アフリカにあるという初期の洞察は単純で素朴なものであった」として、
(1)推測に明らかな偏りがあったということ。
(2)HIVの場合、感染率と流行期間との関係が単純ではないということ。
の2つの問題点を挙げつつも、「中部アフリカがHIVの起源であるという初期の仮説は、単純で根拠の薄いものであったとしても、最終的にそれは正しいと証明されることになった。科学の世界では、直感はしばしば信じるに足るべきものなのかもしれない」と述べています。
 第2章「起源」では、HIV-1が中部アフリカで誕生した理由について、「この地域がHIV-1祖先ウルスの宿主である霊長類の居住地だったから」だと述べた上で、「チンパンジーより小さなサルを宿主とする免疫不全ウイルスが組み換えを起こした結果誕生した可能性が高い。おそらくシロエリマンガベイの免疫不全ウイルスとクチヒゲグエノンやモナモンキーの免疫不全ウイルスとの組み換えだったろうと思われる。こうした組み換えは、チンパンジーがそれらのサルを狩り、食べたときに起きた可能性が高い」と述べています。
 第3章「タイミング」では、「マヨンベの労働者キャンプにおける極端な男女比(10対1)と、それが原因となって起こる密度の濃い売春が、おそらくチンパンジーのサル免疫不全ウイルスに感染した一人の労働者をとおしてHIV-1を集団に広げたと推測することは可能だ」が、「当時採取された組織片や病理解剖に使用されたスライドが奇跡的に発見されない限り、こうした説は仮説にとどまる」と述べています。
 そして、「HIV-1の共通祖先は20世紀最初の30年間にヒト社会に出現し、HIV-1Mによるパンデミックは一回の種を超えた感染から始まったのだ」としています。
 第4章「カットハンター」では、「ヒトとツェゴチンパンジーが中部アフリカの森で何世代にもわたって共存していたことからすれば、種を超えた感染の機会が数百年間に何回かあったことは間違いないだろう。しかし成功裏に感染を広げることはできなかった」と述べています。
 第5章「過渡期のアフリカ社会」では、「ツェゴチンパンジーの生息地近くに位置するすべての都市で、男女比の不均衡が見られた。それは植民地政府の人口政策と、よりよい生活を求める男たちを惹きつける好景気によってもたらされた。男性過剰は、レオポルドヴィルにおいて長い間、より厳しいものであった」と述べています。
 第6章「最古の商売」では、「売春は性感染症の病原体拡大に寄与する。中部アフリカでの流行初期の何十年かを含めて、売春が、世界各地でHIV-1の伝播に決定的な役割を演じたことは疑いない」とした上で、「買春に関与する集団では、流行初期にウイルスの幾何級数的伝播が見られた。こうした核心的集団における爆発的な感染伝播は、売春婦における既存の性感染症の高い罹患率によって助長された。他の性感染症が存在した場合、性的接触によるHIVの感染確率は上昇する。結果として客は、売春と無関係な次の女にウイルスを感染させることになった。それによってウイルスは流行の核心的集団からその外へ出て行き、一般集団へ持ち込まれることになった。集中的流行から一般的流行への移行である」と述べています。
 第7章「ウイルスの感染と伝播」では、「HIV-1の非経口的伝播は、一世代分の血友病患者を死に追いやった。1970年代後半から1980年代前半にかけて、血液製剤の投与を受けた何万人もの血友病患者が非経口的にHIVに感染した。また、非経口的経路による伝播は、世界中で静注薬物常用者の感染様式で在り続けている」と述べています。
 第8章「植民地医学の遺産(1)」では、「熱帯病に対する初期の薬剤があまり有効でなかった」ため、「血中の薬物濃度を上げるために、薬は注射、それも静脈注射によって投与された。何千万回もの静脈注射が、HIV-1がまさに出現した時期に、その誕生の地とも言える場所で行われていた」と述べています。
 そして、「HIV-1の先祖ウイルスに関して言えば、感染の連鎖が始動するためには、そのウイルスに感染した一人の眠り病患者がいればよかった。その一人の患者が感染者数の幾何級数的な増加をもたらしうる。眠り病の新規発生率と治療目的の注射回数がピークに達した1920年代は、数年の誤差はあったとしても、HIV-1Mの共通祖先が誕生したと推定される年代と一致している」と述べています。
 著者は、「1921年前後に、職業的にではあるが偶然にチンパンジーのサル免疫不全ウイルスに感染した人の数はおそらく10人以下だった。しかし、そうして感染した人が、イチゴ腫や梅毒、眠り病、ハンセン病、マラリアといった病気のために治療され、静脈注射や筋肉注射を受けた確率は、彼らがそうした病気の高い流行地域に住んでいたとすれば、ほぼ100%だったと思われる。ひとたび第二の人が医原性にチンパンジーのサル免疫不全ウイルスに感染したとすれば、その人は感染初期に高いウイルス血症を発症したはずである。感染後数週間の間に同じ施設で、不十分な滅菌処理の注射器や注射針を使って治療された患者たちにとって、それは悪夢だった。きわめて高い感染性の中で、まさに感染の悪循環が起こったということになる」と述べています。
 第9章「植民地医学の遺産(2)」では、「ひとたび、ウイルスがレオポルドヴィルとブラザヴィルの都市圏に持ち込まれれば、ウイルスは、レオポルドビル東部にあるバルンブ地区の性感染症クリニックで、滅菌されていない注射器や注射針を通して増殖していったに違いない。そこでは現地医師が、梅毒に対する血清学的陽性者に対して、それが誰であれ治療を行っていた。治療を受けた者の数は尋常ではない数に上った。1951年から52年にかけて、B型肝炎ウイルスといった他のウイルスの医原性感染も注射器具の不適切な滅菌の結果として起こったことが記録されている」と述べ、「医原性に感染した奨励の大半は、何人かの男と性的関係をもつ自由女性だった。まさにパーフェクト・ストームだった」としています。
 第11章「今後からカリブ海へ」では、コンゴの崩壊に伴い、「国連の専門家として多くのハイチ人エリートが雇用された」ことについて、
(1)彼らは黒人だった。
(2)彼らは高い教育を受け、フランス語を話した。
(3)コンゴへの派遣は国で働くより高級を保証してくれた。
などのいくつかの利点があったため、「何百人ものハイチ人が、ユネスコに雇用された教師として、あるいは世界保健機関に雇用された医師としてコンゴへ向かった。1960年代初頭、ユネスコからコンゴへ派遣された教師の半数はハイチ人だった」と述べ、「1963年に、コンゴでは約1000人のハイチ人が働いていたと考えられている。1970年代半ばまでに、さらに多くのハイチ人が政府に雇用される形で今後へやって来た」としています。
 そして、「このようなハイチ人による技術協力がHIV-1をアフリカからアメリカ大陸へと持ち出すことに貢献したというのは、最も可能性の高いシナリオである。それはHIV-1の世界的流行の次の段階を仲介するものとなった。この際に必要だったのは、たった一人の感染者だった。このハイチ人が本国へ一時的に、あるいは永久に帰国することによって、カリブ海諸島におけるウイルスの性的伝播は始まることになっただろう」と述べています。
 著者は、「ここまでで、ほぼ疑いなく言えるのはHIV-1MサブタイプBウイルスは1966年頃に中部アフリカからハイチへ輸出され、ハイチから米国へ数年後に再輸出されたということである」と述べた上で、HIV-1のハイチへの持ち込みが拡大に成功した原因として、「ハイチには何らかの効果的な増幅機構が存在していたのだろうか」と述べています。
 第12章「血液貿易」では、「ポルトープランスのヘモカリビアン血漿分離センターは、コンゴから輸入されたHIV-1MのサブタイプBの非経口感染に格好の土壌を提供し、それによって感染の連鎖が回り始めることになり、さらにウイルスは、血液の国際取引を通じて他国へ輸出された」として、「HIV-1がポルトープランスの献血者集団に持ち込まれたとすれば、感染拡大はきわめて急速に起こった可能性が高い」と述べています。
 そして、「濃縮第VIII因子製剤の製造には2000人から2万5000人の献血者の血漿が必要とされた。言い換えればこれは、血友病患者は1回の治療あたり、数千人から数万人の血漿中に存在する病原体に暴露されることを意味する」と述べています。
 第13章「感染のグローバル化」では、「1970年代から1980年代初頭にかけて、ウイルスはアフリカ大陸で静かに、しかし休むことなく広がっていった。同じ頃、ウイルスは大西洋を渡り、最初はハイチに、ついで米国へと広がっていった。この時点で、引き続く世界的流行は、もはや避けることのできないものとなっていたのである」と述べています。
 第14章「パズルの組み立て」では、「1921年、ツェゴチンパンジーが生息している国の一つにウイルスに感染した人が二人いた。その二人は男だった可能性が高い」とした上で、「当時、都市化と、都市における売春が唯一のウイルス増殖機構として働いていたとすると、二人の感染男性のうち、少なくとも一人が売春婦にウイルスを感染させる必要がある」と述べ、「注射によるウイルス感染の機会は、初期には眠り病に対する介入とともに増加し、ついでハンセン病患者に対する治療によって増加した」と述べています。
 そして、「初期のHIV-1Mの注射による感染はツェゴチンパンジーの生息地で起こったに違いないが、次の段階、すなわち性交渉を介した感染拡大は、人びとの移動と交易ルートにそって見られた」とした上で、「レオポルドビルの自由女性への初期感染の一部は、性交渉を介したものでなく医原性に起こった可能性が高い」と述べ、「さらに大規模な感染の拡大は、1960年から61年頃にかけて、レオポルドビルの売春の様相が劇的に変化したときにもたらされた」と述べています。
 また、「1960年から66年にかけてレオポルドビル・コンゴに派遣された4500人の外国人教師のうち、一人のハイチ人がサブタイプBウイルスに感染し」、彼の帰国にともなってハイチでの流行が始まったと述べ、「ヘモカリビアン血漿分離センター(第12章)がハイチ人のHIV感染者の増加に完全な土壌を提供したと信じるに十分な理由はある」としています。
 さらに、「米国への血漿の輸出は、サブタイプBウイルスの米国や西ヨーロッパでの流行の引き金になったに違いない」と述べるとともに、「1970年代には、他の都市を訪れ、安全でないセックスをする男性同性愛者達によって感染が拡大した」と述べています。
 第15章「エピローグ」では、「チンパンジーのサル免疫不全ウイルスのHIV-1への変異を促した要因」として、
(1)中部アフリカで見られた社会変化
(2)滅菌されていない注射器と注射針の再利用
の2点を挙げています。
 著者は、エイズがもたらした一つのメッセージとして、「善意の下に行われた介入が、良い結果だけでなく、微生物レベルでの危機的な状況の出現を思いがけずももたらした」ことだとしています。
 本書は、アフリカのローカルな感染症が世界的に大流行するまでの道筋をたどった一冊です。


■ 個人的な視点から

 もともと特定の地域に住む猿の病気が世界中の人間に蔓延するに至るまでの細い細い糸をたどった本書は、知的好奇心を満足させるという意味では素晴らしい一冊です。
 たまたまエイズは世界的な感染に成功してしまっているので、後から振り返ったときに「ここさえ繋がらなければ……」と思ってしまいますが、おそらくエイズ以外にも世界中に感染が広がらなかった感染症は山ほどあるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・エイズは簡単に感染に成功したと思っている人。


2014年2月22日 (土)

フォールト・ラインズ 「大断層」が金融危機を再び招く

■ 書籍情報

フォールト・ラインズ 「大断層」が金融危機を再び招く   【フォールト・ラインズ 「大断層」が金融危機を再び招く】(#2287)

  ラグラム・ラジャン (著), 伏見威蕃, 月沢李歌子 (翻訳)
  価格: ¥1995 (税込)
  新潮社(2011/1/18)

 本書は、「経済に潜む『断層線(フォールト・ラインズ)』が、いまなお世界を脅かしていると警鐘を鳴らしつつ、サブプライム・ローンを主因とする金融危機はどうして起きてしまったのか、今後繰り返さないための処方箋は何かといったこと」を解説したものです。
 序章では、「世界経済には無数の深い断層線がある。国際社会が統合され、経済が統合されている今日では、個人投資家や企業にとって最善であることが、システムにとって最善であるとは限らない。そのことがこの断層線を広げていった」と述べた上で、
(1)国内政治、とりわけアメリカの国内政治から生まれるもの。
(2)それまでの成長パターンによって生じた多国間の貿易不均衡から生まれるもの。
(3)貿易不均衡を是正する資金供給の際に、様々なタイプの金融システムが接触するときに発生するもの。
の3つの「断層線」を挙げています。
 第1章「金がなければ借りればいい」では、「アメリカの教育の失敗、もっと言えば、自分には成功のチャンスがないという国民の不安の増大」に対して、政治家が「経済成長や技術の進歩に取り残された人びとが借りやすいローンの提供」という「万能薬」に手を出してしまったと述べ、「借金をしやすくすることで、コストを将来に持ち越せるために、ひろく、積極的に、即座に益を分配できる」として、「住宅融資が国民にあまりにも広く支持されたために、規制当局が反対することができなくなったことが、今回のアメリカの問題だった」と述べています。
 そして、「低金利によって世界中で住宅ブームが起こったが、アメリカの場合は、これまで審査に通らなかった層を対象にしたローンつまりサブプライムやオルトAの市場が急成長した」が、「破産さえ不可能なほど貧しいそうに集中した」点で「アメリカは特殊だった」としています。
 著者は、「すべての人に質の高い教育を受ける機会が与えられないことから所得格差が拡大し、それが住宅ローン拡大の政治的圧力となった。その圧力は、金融セクターのローンを歪める断層線(フォールト・ライン)を創りだした」と述べています。
 第2章「輸出による経済成長」では、「第2次世界大戦後、輸出主導で経済成長を達成する戦略は、うまく用いれば、貧困から抜け出すための主要な方法となった。初めのうちは規模もそれほど大きくないので、世界市場は消費を伸ばし、輸出を用意に吸収することができる。ところが、ドイツや日本などの成長し豊かになった輸出国でさえ、成長過程で得た習慣や制度のせいで、国内需要を強く継続的なものにし、経済成長をバランスのとれたものにすることはできなかった」と述べています。
 そして、「政府が一部の企業に有利な介入を行うこと」の問題点として
(1)フィリピンで起こったように、腐敗した政府が競争力のない友人や親類を優遇する自体は防ぎようがない。
(2)一部の企業を優遇する負担は家計に課せられるので、消費が伸び悩む→消費が抑制されるので企業が大きな国内市場を失ってしまう。
の2点を挙げています。
 第3章「逃げ足の早い外国資本」では、「国内の貯蓄から投資資金を調達できる国ほど成長が速い」一方で、「海外から資金を調達する国ほど成長が遅い」という「正の相関関係を確認した」と述べた上で、「アジアの国の政府は、融資の割り当てを決め、推進役となる国内企業を育てるという最初の役割を果たしたあとは、融資を配分することから手を引いてしまった。企業がより最先端の技術分野に参入していくにつれ、この役割が難しくなったからだ」と述べています。
 そして、「輸出志向の国々は重要な教訓を学んだ。安い商品と安易な融資に飛びつくのは愚かだということだ。借金をして消費を急拡大すれば、最後には泣くことになる。外国人投資家は、管理資本主義を理解することも操ることもできないので、株式や短期債などすぐに引き上げることができるものを買った。そして、その国のファンダメンタルズを十分に顧みることなく撤退した」と述べています。
 第4章「脆弱なセーフティネット」では、「アメリカが歴史的に欧州諸国の大半と大きく異なるのは、失業手当の水準である」として、ヨーロッパの国々より低い上に給付期間もずっと短いと述べた上で、「アングロ・アメリカンな対等で公正な企業のあり方」は、「経営資源がより収益性の高いものに素早く再配置される」として、「無慈悲であることは、効率性を向上させるだけでなく、技術革新につながる」と述べ、「アメリカの失業手当は、経済のシステムに適合したものである。契機が低迷すれば、傾きかけた企業を切り捨て、新しい企業に資金を提供して、早急に再編成を行うことに主眼が置かれている」としています。
 第5章「バブルからバブルへ」では、「海外のよりリスクの高い商品を求めてアメリカから流出した資金が、不動産担保証券のような一見安全性が高く、利回りの大きい物を求めてアメリカに再流入した」として、「ある意味でFRBの政策は、アメリカを、世界に向けて発行した債権を資金源として、世界中のリスクの大きな資産に投資する巨大なヘッジファンドに仕立て上げてしまった」と述べています。
 また、「02年から05年のFRBのの金融政策は、FRB理事や金融経済学者以外からは厳しく批判された」として、
(1)一向に改善しない高い失業率にこだわり続け、企業投資を奨励して雇用を増やそうとしたこと。
(2)経済理論上インフレ率が安定しているときは、中央銀行は何も心配をすることがないと考えられていること。
の2つの欠点を挙げています。
 第6章「金が万物の尺度になったとき」では、18世紀にフランス王室が売りだした年金公債の売り出しと債務不履行について、「今でも役立つ4つの大切なことが学べる」として、
(1)金儲けに鼻がきくのはやはりバンカーだということ。
(2)バンカーは常に、経験の浅い投資家や、金儲けにそれほどあくせくしない投資家よりも有利な位置を見つけるということ。
(3)バンカーの行動は少なくともしばらくのあいだは、自己強化型であるということ。
(4)赤信号も大勢で渡れば怖くないということ。
の4点を挙げています。
 第7章「銀行を賭ける」では、「蓋然性の分布では下位(テール)に属し、したがってめったに起こらないはず」だった「テールリスク」とみなされたローン担保証券のリスクについて、「それを引き起こすにはシステム全体に逆風となるできごとが必要」であるが、「発生したらきわめて高くつくから、確率が低いからといって無視するべきではない」と述べ、「不幸なことに、テールリスクがシステム的なものであったがゆえに、金融機関も市場も無視した。皮肉なことに、それによってリスクが発生する危険性が高まった」としています。
 そして、「総じて、攻撃な銀行がテールリスクを追うパターンは、かなり長い間成功を収めていた。こうした銀行の経営陣は、自分たちの行動がどれほど運に頼っていたかということに気付いておらず業界の集団的な行動が自分たちが恐れなければならないできごとを引き起こしたことも認識していなかった」と述べています。
 著者は、「テールリスクを負うことは、現代の金融システムではことに深刻な問題になっている。リスクを調整しつつ実績を上げるようにと、バンカーたちが常に圧力を受けているからだ。定期的に素晴らしい成績を収められる人間は滅多にいないが、それだけにそれができる人間への報酬は莫大なものになる。だから、二流のバンカーが、しばらくスーパースターに化けていたいためにテールリスクを負いたくなる気持ちは、きわめて強い」と述べています。
 第8章「金融改革」では、「私たちが取り組まなければならないのは、金融の発展から得られる利点をうまく使い、金融が不安定になるのを制限することだ」とした上で、「おおまかな言い方をすれば、たえず変化している世界経済では、静止状態がしばしば最大の不安定要因になる」として、「競争とイノベーションは、システムの順応を助け、正しい方向に向けてやれば、多様性と柔軟性を保つのに役立ちひいては動的な安定性をもたらす」が、「極度のリスクを取るインセンティブの一部は、銀行の内外のガバナンスの崩壊によって生じた。このメカニズムを修復する必要がある」と述べてます。
 そして、「できることなら、規制は絶対に必要なときだけ執行すべきであるたえず求められるのではなく、背反するできごとが起きたときに発動される方が良い」として、
(1)ときどきしか作動しないので、事が起きなくても働いている規制ほど窮屈ではない。
(2)規制が要求するレベルを必要に応じて変えられる。
の2つの利点を挙げています。
 また、「システム的に重要であるから破綻させられないといわれている企業体(エンティティ)は、インセンティブを歪めているだけでなく、そういう暗黙の保護を受けていない企業体よりも競争の面で有利だ」とした上で、こうした問題に対処する方法として、
(1)企業がシステム的に重要になるのを防ぐ。
(2)重要になってしまった場合には、民間セクターの緩衝装置を設けて、政府の介入の必要性を最小限にする。
(3)緩衝装置があっても深刻な経営難に陥ったならば、当局がそこを破綻させやすいようにする。
の3点を挙げています。
 著者は、「様々な問題は、民間セクターと政府との接点(インターフェイス)で生じている——そこに断層線がある——が、そのどちらも廃止するわけにはいかないから、現実的な改革は接点の管理ということになる」と述べています。
 第9章「アクセスの格差是正」では、「収入格差のすべての形が、経済的に有害なわけではない。秀でた才能があって一所懸命働くものは高い給料で報われるし、経済にあっても最も高い技倆を必要とする仕事がなんであるかが、それでわかる。自分自身の“人間資本(ヒューマンキャピタル)”に投資することの利点を若者に教える信号にもなる」と述べています。
 そして、「若者にとっての解決策は、人間資本を高めるような道筋を広げることだ。年配者に対しては、かつてのスキルが時代遅れになっても競争力を失わないように自己変革する方法を改善しなければならない」として、「アメリカ社会は、他者に依存しながら不満を抱く底辺層が生まれるリスクを抑えるために、同情と理解のバランスを取る必要がある」と述べています。
 第10章「蜂の寓話ふたたび」では、「多国間主義的な機構は、これまで2つの方面で機能してきた」として、
(1)世界貿易機関(WTO)がたどってきた法的機関としての役割で、加盟国間の貿易を規制してきた。
(2)国際マクロ経済の管理と連携にIMFが果たしてきた役割。
の2点を挙げ、後者については、「それほど有効ではなかった」として、「主に勧告という形をとるのだが、IMFの基金を必要としない国にはたいして効き目がない。問題はゲームのルールすらはっきりしないことだ」と述べています。
 そして、「マクロ経済政策の連携におけるIMFのの役割は、貿易促進におけるWTOの役割とは全く違っている」として、
(1)なにが許容され、なにが許容されないかというルールが明確ではないし、そういうルールを組み立てようとする試み自体が、多くの国に受け入れられない可能性が高い。
(2)その結果、改革は案件ごとに合意を得るという形を取り、各国政府は改革に自信を持って取り組むのに必要な国内政治の支援が得られない。
(3)本格的に取り組めないために、改革が長期的にはそれぞれの国の利益に結びつくとしても、各国による根本的な改革に必要な幅広い国際共役が成立する見込みは薄い。
の3点を挙げています。
 著者は、「多国間主義的な組織は、だれにも読まれない意味不明の文書ではなく現代のテクノロジーのツールを使って、地球市民的な経済行動とは何かをはっきりと示し、世界中の人々に考えるよう訴えるのに、きわめて大きな役割を果たすべきだ」と述べています。
 終章では、「諸外国は、世界経済の不均衡を是正し、世界経済の成長頼みの考えを改め、改革を実行しなければならない。それにあたり、世界が直面している他の重要課題にも取り組むのに、国際協力が必要になる。世界の大国は、先進国も新興国もともに、自分たちの政策が統一のとれた全体と噛み合っていないことを認識しなければならない」と述べています。
 本書は、アメリカ国内外に横たわる「断層線」を切り出してみせた一冊です。

■ 個人的な視点から

 リスクを追わなければ利益を得ることができない一方で、リスクを過小に評価して飛び込んでいく愚かさも一時的には夢を見させてくれるのかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・リスクを正しく評価できない人。


2014年2月21日 (金)

ネット選挙とデジタル・デモクラシー

■ 書籍情報

ネット選挙とデジタル・デモクラシー   【ネット選挙とデジタル・デモクラシー】(#2286)

  西田 亮介
  価格: ¥1365 (税込)
  NHK出版(2013/9/20)

 本書は、2013年7月の参院選挙から選挙運動にインターネットを利用できるようになったにもかかわらず、「有権者と政治家の双方向のやりとり——たとえば政策論争——は活性化せず、新しい変革が生じなかった」という問題について、2013年参院選におけるネット選挙の動向と、そこから派生する諸問題を論じたものです。
 第1章「ネット選挙解禁と、二〇一三年参議院選挙」では、「ある技術の普及と、政治や民主主義の根幹でもある選挙において、それらを自由に利活用するという話は、本来は別問題である。技術が健全な民主主義を阻害するようであれば規制が必要であり、民主主義の発展に寄与するのであれば、利用を促すべきで、随時検討が必要だ」と述べています。
 そして、今回の選挙で、「ネット中心に選挙運動を行うことを明言する候補者たち」が注目を集めたが、「投票先を決める上で、インターネット選挙運動を参考にしたか」という質問に対して、出口調査では「参考にしなかった」が86.1%、「参考にした」が10.2%であったと述べています。
 著者は、「ネット選挙は解禁されたものの、現状では、ネット選挙のみで十分な数の票を集め当選に至ることは難しく、所属する政党や、『地上戦』と呼ばれる従来型の選挙運動のほうが当落に顕著な影響を与えている。そして政党単位で見ると、ネット選挙解禁の過程から準備を進めてきた自民党や、支持基盤が強固な公明党や共産党も、その支持層とより緊密なコミュニケーションを行う手段としてネット選挙を利用している。ただしそれらの諸条件によっては、ネット選挙も当落に影響することがある」と総括しています。
 第2章「なぜ選挙に情報技術を導入するのか〜民主主義の理想、あるいはデジタル・デモクラシーを求めて」では、「ネット選挙で露呈したのは、情報技術と政治・社会の接点が増加したことで、両者の間で摩擦が生じているということだ」とした上で、「情報技術が政治・社会を変革する」という価値観を暗黙の前提にするべきではないと述べています。
 また、「ネット選挙解禁は、ここまで述べてきたように結果として自民党に資するものであった。それは2000年代を通して移民等が取り組んできた広報戦略と体制改革の一つの到達点でもある」と述べています。
 そして、「『ネット選挙』という言葉は、ともすればボトムアップで政治を変えていくという議論や投票率の向上といった、本書でこれまで記したような根拠の乏しい言説への期待感を生み出してきた」が、「選挙が短期的に直接的な利害関係をもたらす政党や政治家にとっては、ともすればネットの双方向性を活かして政策論争を行うといった理念型としての民主主義を追求するよりも、政治マーケティングやPRの手法としての利活用へと傾きがちである」と述べています。
 さらに、「マスメディアを通じた政治の透明化が、政治マーケティングと同等に機能するためには、やはりメディアの平時からの取り組みや技術の向上、ガバナンスの構築を通じた緊張関係の構築が不可欠だろう」と述べています。
 付章「海外レポート 広がるデジタル・デモクラシーの波〜ドイツ海賊党の光と影〜」では、2006年1月にスウェーデンで生まれた「インターネット時代に合わせて著作権や特許などの現行制度を変革しよう」と主張する「海賊党」がドイツにおいて2009年の連邦議会選挙で2%を得票、党員数が1万人を超えるなど「政党として最も大きな成功を収めた」と述べた上で、政治参加を促す上で、インターネットを使った「液体フィードバック」を武器としているとする一方で、「何事にも決定まで時間がかかりすぎる、具体的な問題についての解答がない」などの課題を指摘しています。
 本書は、本格的に始まったネット選挙の現実と課題を浮き彫りにした一冊です。


■ 個人的な視点から

 ネットはあくまで道具の一つであって、その新しさと古さの両方をわかっていないと怖いものだと思いました。


■ どんな人にオススメ?

・ネットで政治がすっかり変わると思っている人。


2014年2月20日 (木)

維新政府の密偵たち: 御庭番と警察のあいだ

■ 書籍情報

維新政府の密偵たち: 御庭番と警察のあいだ   【維新政府の密偵たち: 御庭番と警察のあいだ】(#2285)

  大日方 純夫
  価格: ¥1890 (税込)
  吉川弘文館(2013/9/20)

 本書は、江戸幕府の「御庭番」と明治14年に発足した内務省警保局との間の情報収集を担当したいた密偵の姿を、早稲田大学が所蔵する膨大な「大隈文書」などを元に追ったものです。
 第1章「密偵を追って」では、「日本最初(あるいは二番目)のプロテスタント受洗者として評価」されている「荘村省三」こそが、明治政府が太政官直属の情報収集機関として設置した正院監部(せいいんかんぶ)のメンバーであると述べ、「荘村ははじめ三条家の、ついで政府直属の密偵として、とくに不平士族層の動静を探るために大いに“活躍”していた」と述べています。
 そして、日本幼稚園教育の先駆者として知られている関信三の前歴が、「弾正台のキリスト教探索にあたった」密偵であるとして、「真宗の僧侶『猶龍』としてかねてからキリスト教排撃活動に従事し、その一環として、キリスト教の内部に潜入していた密偵『安藤劉太郎』は、ついに自ら偽装入信し、“キリスト教徒”となった。そして、キリスト教の内部情報をその中枢部で収集し、政府に送り続けたのである」と述べています。
 第2章「維新政府お抱えの密偵集団」では、大隈重信の回想の中で、「明治維新の当初は、人心がすこぶる同様して社会がはなはだしく不安に陥ったので、これにそなえるため、一種の探偵ともいうべき弾正台をおいた。弾正台は廃藩置県の改革の際、廃止されたが、人心の同様はますますはなはだしく、陰謀・暗殺があちこちで起こる。そこで新たに監部というものを置いて、人心の動きを探ろうとした。そして政府内部の相談によって、『我輩が其の長官と云ふことになつた』」と述べられていることを紹介しています。
 そして、「弾正台は諜者を駆使して密偵活動を進めることを、任務の一つとしていたのである」とした上で、司法省設置後は、監部が「密偵機関という弾正台の独自の役割を引き継いだ」と述べたうえで、大隈は「自分のところに出入りしている『浪人』『豪傑連中』、あるいは『旧幕臣』『静岡や東北辺の不平家』『嘗ては勤王を唱へて天下の志士と称して横行して居る神主』などを監部にあてた」と述べています。
 また、「1876年4月の正院の密偵機構のは石井後も、密偵の機能はその規模を縮小しながら、大臣・参議のもとで維持されていったといえよう。そして、監部にかわって、国家機構上、密偵機能を担う中心に浮上してきた」のが、「東京警視庁を中核として成立してきた警察であった」としています。
 第3章「教会に潜入した密偵」では、「弾正台のもとでキリスト教の探索にあたっていた真宗関係者は、その後、1871年7月に弾正台が廃止されたため、太政官正院監部の諜者となり、探索活動をそのまま続けていった」と述べています。
 そして、安藤たちが、「事前に監部の了解を得たうえで、洗礼を受け」、「宣教師たちの信頼を得て、いよいよ間近で角度の高い情報を収集すべく、活動を進めていった」として、「日本基督公会の創立は、二重、三重に密偵たちの監視のもとに置かれていた」と述べています。
 しかし、同じ頃に「キリスト教の禁止措置は次第に有名無実と化して」おり、「政府のキリスト教対策の変化と文明開化の風潮の中で、キリスト教は日を追って蔓延しており、もはや抑えることができない。こうした状況になってしまっては彼らの存在意義はない」という状況に至り、1874年6月には諜者達はすべて免職となり、「キリスト教に対する公的な探索活動には終止符がうたれた」としています。
 第4章「地方政情を探る密偵」では、監部への提出書類には、
(1)巷議書:世上で見聞した情報、路傍の風説や雑談といった噂から収集した情報を報告するもの
(2)探索書:指令を受けて探索した結果の報告
の2種類があるとしたうえで、1872年5月に小原沢重雄が茨城から東北にかけて巡回した「探索書」を紹介し、「探索の主要な関心が士族層の動向と、県治のあり方、特に県官の評判如何にあったことがわかる」と述べ、「監部・諜者の探索書は、文明開化期の地域状況、とくに政府の政策の貫徹をめぐる諸矛盾のさまを、密偵の“目”と“耳”を通してではあるが、リアルに今日に伝えている」としています。
 第5章「消えた正院監部」では、荘村省三が、「監部を去って以後も、大蔵省のもとに抱え込まれ、大隈の密偵として縦横に“活躍”し(克明な報告書がそれを物語る)、大隈の追放とともに密偵としての活動に終止符を打ったのではなかろうか」と述べています。
 エピローグ「警察の密偵」では、「新設の東京警視庁に正院監部の機能が吸収された」ため、「警察における国事警察機能の確立にともなって、監部の活動は意義を減退させていくことになった」と述べたうえで、「内局第一課の配下にあった密偵たちは、『仮面』をかぶって民権派の内部に潜入し、スパイ活動を展開していた。そして、秘密に集約されたその“成果”は、警察から政府首脳部にもたらされて、政府側の重要な情報源となっていたのである」と述べています。
 そして、「かつて監部が担っていた機能は警察(とその配下の探偵)によって代替され、より組織的・系統的な高等警察による情報収集体制が構築されていった」と述べています。
 本書は、維新政府の初期を支えた情報収集の最前線を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 p.141にある、1872年に小原沢重雄から報告のあった宮城県に関する報告のうち、「高知県の沢辺数馬」とある者は、坂本龍馬の従兄弟の沢辺琢磨であり、「英国人ニコライから異教を学んだ」とあるのはロシア正教会のニコライ神父のことと思われます。


■ どんな人にオススメ?

・御庭番のその後が気になる人。


2014年2月19日 (水)

江戸の風評被害

■ 書籍情報

江戸の風評被害   【江戸の風評被害】(#2284)

  鈴木 浩三
  価格: ¥1785 (税込)
  筑摩書房(2013/5/13)

 本書は「幕府の御触書や町触(町人に局限された幕府の公示法令)など、当時の公的な記録に残された事象を中心」に、江戸時代の風評被害(事実と異なる情報が(人々に)拡がることによって経済的被害が発生すること)を解説しているものです。
 第1章「蕎麦を食べると当たって死ぬ——食品をめぐる風評被害」では、文化10年(1813)4月ころから、江戸市中に「蕎麦を食べると当たって死ぬ」という風評が広がり、「蕎麦を食べる者が激減し、蕎麦屋の休業が続出する深刻な状況になった」際に、「この事態を憂慮した江戸町人の自治的組織のトップである町年寄は、6月になると、この風評の打ち消しと取り締まりに乗り出している」と述べ、「蕎麦が一般に普及していた割には、蕎麦に対する人々の知識が少ない、つまり情報量が少ないことが風聞の第一の背景であったといえる」としています。
 そして、「町年寄、名主、家主集団は相当に広い範囲の自治的能力をもった公法人あるいは公共団体として機能していた。つまり、町年寄・名主・家主から構成される自治的組織は、官でも民でもなく、町人をはじめとする都市居住者にとっての公共性や公益を実現するものだった。それ故、幕府はこれらの自治的組織の意思を尊重し、諸政策の実施に最大限に活用した」と述べ、約260年にわたって、「きわめて限られた要員」によって江戸の都市行政や経済政策が担われてきた効率性の理由は、「なによりも町年寄などを使った間接統治システムの成功にあった」としています。
 著者は、「生老病死に関係する事象(対象)があり、かつ、その事象に関する情報が十分に人々に行き渡っていない場合(条件)において、人々の不安が掻き立てられた結果、、『蕎麦中毒死』の風説が発生して拡散していった」と述べています。
 第2章「水道に毒が入れられた!」では、天明6年(1786)9月に、江戸で「上水に毒物が投入された!」という浮説(噂)がながれたことについて、十代性軍家治の薨去が発表された直後であり、浅間山の大噴火の3年後、天明飢饉の最中といった「世上が騒然とした時代背景の中で出てきた浮説であることに注目する必要がある」と述べ、この時期がクーデターに近い形で田沼意次から松平定信に老中首座が代わった時期であることから、「古今・洋の東西を問わず、そうした政治状況には謀略やデマが付き物である。そう考えると、確証はないが、田沼政権の追い落としの一環として反田沼派によって計画的・意図的にこの浮説が流されたことも否定できない」としています。
 また、18世紀中頃の「享保改革」によって米の生産量が増えたことで米価が下がり、「年貢収入に依存した幕府財政や武士の生活はさらに苦しくなっていった」ことから、「幕府は年貢収入に基礎を置く財政運営から、商品流通に財源を求めるようになった」として、この時期に、「田沼意次が老中首座として権力を握り、積極的な経済政策を展開した」と述べ、「こうした市場経済の発達に則した経済政策は、自休自足を原則とする農村を経済基盤とする、封建領主層の経済的困窮に拍車をかける面が大きかった」として、特に、天明5年と6年の御用金令は、「大坂の商業資本から徴収した御用金をそのまま大坂の町人に貸し付け、これを大坂の町人が諸大名に利付きで融資した」ことから、「大名の返済が滞れば幕府の代官がその田畑を差し押さえて、そこから収入する年貢を大坂町人に支払うこと」になり、「これは領地支配権を将軍が大名に委任するという幕藩体制の原則に関わることであり、実質的には借金のかたに幕府が諸大名の領地を取り上げることに通じていた」と述べています。
 そして、田沼の失脚は、「定信を代表とする譜代門閥層による一種の『クーデター』と位置づけ」られ、「商業資本が武家階級よりも圧倒的に優位な経済的地位を占めるようになったことへの反動でもあった」と述べています。
 第3章「大地震と風評」では、「諸大名は各自の江戸屋敷に居留守を置くとともに、江戸城内に家臣を派遣して、将軍後継や幕閣の動向、幕政の動静、他の大名家の動向などに絶えず注意をはらい、情報収集に努めていた」として、「居留守は、現在で言えば全国の大名家の『外交官兼東京事務所長』にも相当し、その交際の上手下手は、大名家の運命さえも左右した」と述べています。
 第4章「貨幣改鋳と浮説・虚説——お金をめぐる風評被害」では、「経済分野の浮説・虚説によって生じる損害は、江戸時代を象徴する風評被害であった」として、「通貨や米などの市場の中で生まれた浮説は、それぞれの相場に影響を与えて、直接的には取引市場への参加者=町人が被害を受けたのであるが、金・銀・銭の花柄相場や米相場が乱高下すれば、その影響は年貢収入を貨幣に替えなくてはならなかった幕府自身や幕臣、諸大名などにも及んだ」としています。
 そして、「現在の感覚からすれば、金・銀・銭の順で価値が高いと思われがちだが、当時はそれぞれが対等な本位貨幣として使われていた」として、世界でも非常に珍しい「三貨制」について解説したうえで、「宝暦期以後になると、江戸周辺を含むと動く全体の経済が発達」し、「江戸地廻り経済」と呼ばれたと述べています。
 著者は、「浮説や虚説が人々=市場関係者の中から湧き出してくるという点からすれば、それらは金融や米を含む諸物の市場の思惑や意思でもあった。そして、市場の思惑や意志に沿った形で発生した浮説が、新たな浮説を再生産させながら拡大する場面も見られた。その意味で、浮説や虚説は、市場機能の発露の一つの形態であったともいえる」としています。
 第7章「神社仏閣と『風評利益』」では、「善男善女からプラスの評価を獲得して、参詣人をできるだけ集めれば、寄進やお賽銭、祈祷料、御札やお守りの販売といった“宗教法人”そのものの業務と直結した収入を見込める」上に、「見世物や人出を当て込んで境内や門前に出店する諸商人に至るまで、広範な経済効果をもたらした」として、「当時の寺社の多くは、人々の信仰の対象であると同時に、巨大なエンターテインメント業という側面を持っていたため、人寄せの工夫、つまりマーケティング活動を繰り広げていたのである」としています。
 そして、立花家の太郎稲荷や有馬家の水天宮など、「逼迫する大名家の財政を補うための努力という側面が大きい」成功例の「柳の下の泥鰌」を狙い、上総国の久留里三万石の譜代大名であった黒田家が、地中から掘り出されたと称する不動尊像を祀り、宣伝チラシを配って集客するが、寺社奉行脇坂中務大輔安董の手入れを受けてしまった顛末を解説し、「この事件は、全くのインチキであっても、それをもっともらしく見せる仕掛けや、宣伝工作、口コミの利用といった事前の準備をうまく運べば、参詣人を集められたことを示している」と述べています。
 また、「神社仏閣の人気を高めるためには、従来のような秘仏や秘宝の公開と並んで、その神社仏閣にまつわるストーリー性が重要になっていた」としています。
 第8章「開帳とビジネス」では、「宝暦頃になると、幕府が祭礼を景気刺激策と考えていたことを示す触書も出てくる」として、「寺社参詣や開帳が盛んだった江戸時代の背景には、そうした幕府のスタンスも作用していたのかもしれない。幕府は浮説・虚説やそれらに伴う風評被害に悩まされ続けていたのであったが、その一方では、『風評利益』の受益者であったという二面性があったわけである」と述べています。
 本書は、江戸から現代まで変わらない風評発生の背景をたどった一冊です。

■ 個人的な視点から

 風評被害も出どころを追っていくとやはり経済的な損得があるというのは今も昔も変わらないものなのかと思いました。


■ どんな人にオススメ?

・風評被害はネットのせいだと思う人。


2014年2月18日 (火)

体罰はなぜなくならないのか

■ 書籍情報

体罰はなぜなくならないのか   【体罰はなぜなくならないのか】(#2283)

  藤井 誠二
  価格: ¥840 (税込)
  幻冬舎(2013/7/28)

 本書は、学校教育法第11条に「体罰を加えることはできない」と明記してあるにもかかわらず、「学校で子どもが教員の暴力による制裁を受け、まったく同じ悲劇が繰り返されているのはなぜなのか。体罰はなぜ、なくならないのか」を問うものです。
 第1章「繰り返される悲劇」では、1995年7月に福岡県飯塚市の近畿大学附属女子高校で起きた事件について、「事件後に加害教員の嘆願署名運動と期を同じくして、命を奪われた女子高校生や遺族に対する心ない噂や誹謗が地域に撒き散らされ、加害者が『被害者』となり、あたかも被害者が『加害者』のように扱われるという倒錯した現象が起きた」と述べています。
 第2章「学校という密室」では、「子どもが命を絶った周辺の『事実』を少しでも知ろうとする行為を、責任を学校にのみ帰し、遺族の責任等を免除するためにやっているのだという二項対立の構造でとらえてしまう風潮が私は悔しくてならない」と述べています。
 そして、「公文書に、十分に調査しないで誤った情報を記載したこと、勝手に捏造した情報を記載したこと、そして内海平君事件のケースのように、間違った情報を放置したことについても、ペナルティを与える制度をつくるべき」だと述べています。
 第3章「体罰は世論に支えられている」では、「スポーツとは関係ないところでも、子どもを一生懸命指導してくれる先生は『いい先生』だ。というのも、体育科の教員は生活指導を担当し、進路指導を兼ねていることが多い。そういう教員は就職先を見つけてきてくれたり、進学先を探してきてくれたり、子どものためによく動いてくれるので、保護者も本人も感謝することになる。頭が上がらない存在になるのだ」と述べています。
 また、「『体罰』という名称そのものが間違っている」として、「原則的にやりかえされることがない、特別な権力関係でふるわれる暴力。通常、人間はキレそうになっても我慢をする」が、「そういうキレる人びとが教育者を名乗ることができる。一体どれほど奇妙な空間なのか」と述べています。
 第4章「体罰でスポーツは強くなるのか」では、「部活動とドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)は似ているのではないか」として、「体罰依存の教員がほぼ間違いなく『熱心で、生徒思いの、いい先生』という高い評判を受けているのは、ドメスティックバイオレンスをふるう男が、ふだんは『優しい』男であることが多いということと共通している」と述べ、「暴力をふるうことにより、相手を恐怖によってコントロールし、無力感や絶望感を植え付けていく。そして、その次に一般的に『ハネムーン期』と呼ばれる時期がある」としています。
 また、「勝利至上主義はとくに捨てる必要はない」が、「体罰を伴った極端な勝利至上主義が間違っているのであり、体罰を伴わない勝利至上主義は成立する」と述べています。
 第5章「体罰はどうすればなくせるか」では、「なぜ教育現場に体罰が根付いてしまったか」について、1886(明治19)年に現在の中学校に当たる高等小学校の教材に「隊列運動」が採用され、「この教科を担った退役軍人が、軍隊的規律に従うことを求めるようになったこと」が源流となったのではないかとしています。
 また、「遺族が開示請求の黒塗り部分を、幾度にもわたる法的手続きや、訴訟によってしか知ることができないのはどう考えても理不尽」だとして、「文科省は、命を落とした子どもやその遺族の立場に立ち、遺族への開示に潰えは積極的な開示を促すべきではないか」と述べています。
 本書は、体罰に依存する学校の体質を衝いた一冊です。

■ 個人的な視点から

 「生徒思い」ゆえに本気で生徒を殴り、その一方で就職先を探してくれる先生というのは本当に悪気はないのかもしれませんが、DVにおける「ハネムーン期」的に生徒たちから絶対の信頼を得ることが癖になってしまっているのかもしれないと思いました。


■ どんな人にオススメ?

・「生徒思いの先生」なら任せても大丈夫だと思っている人。


2014年2月17日 (月)

ニコライ: 価値があるのは、他を憐れむ心だけだ

■ 書籍情報

ニコライ: 価値があるのは、他を憐れむ心だけだ   【ニコライ: 価値があるのは、他を憐れむ心だけだ】(#2282)

  中村 健之介
  価格: ¥4,200 (税込)
  ミネルヴァ書房(2013/7/12)

 本書は、幕末から明治期に日本で活躍したロシア正教会日本宣教団団長・日本ハリストス正教会創建者・大司教ニコライの評伝です。
 第1章「故郷ベリョーザ村からペテルブルグの神学大学へ」では、ニコライが俗名をイワン・ドミートリエヴィッチ・カサートキンとして、ロシア歴1836年8月1日にロシア帝国スモレンスク県べーリスキー郡ベリョーザ村で下級聖職者である村の輔祭の子として生まれたと述べています。
 そして、ニコライから教えを受けた者達が、「ニコライ師は本来の性向から言うと、寧ろ楽天家お云う側に属すべき人」であり、「師は天性磊落の人なり」と評していることを紹介しています。
 第2章「宣教志願、そして日本へ」では、「ロシア正教においても、外国宣教は、相手国の歴史を学び、生活の実態を把握しようとする知識人の活動領域であったようである」として、「ニコライを理解するには、ニコライが田舎育ちだったことに加えて、かれが高度の教育を受けた、きわめて優れた『教会知識人』であることをとらえておく必要がある」と述べています。
 そして、神学大学時代のニコライが、「日本へ行き函館の領事館付き主任司祭の任に就き、日本において正教を伝える仕事に取り組まんと望む者はいないか」との募集に応募したと述べています。
 第3章「函館到着、最初の洗礼」では、ロシア歴1861年7月2日、ペテルブルグ出発から約一年後に函館に到着し、25歳から33歳までの7年半をこの地で過ごしたと述べ、まずはニコライが日本語や歴史の猛勉強をはじめ、後の同志社の創立者新島襄からは『古事記』等を教わったとして、「ニコライの日本語の特徴は、漢学の素養が深く、文章語に抜群の力があったこと」だと述べています。
 そして、ニコライが洗礼を行った「最初の一人の日本人」として、函館の神明社の神官沢辺琢磨の名を挙げ、攘夷の志士であった沢辺がニコライに「天誅」を加えようと乗り込んだところ、ニコライから「貴君はハリストス教の事を能く識り居らるるか」と反問され、教義の大要を説かれ、そのまま弟子となった経緯が述べられています。
 また、ニコライが師であるイシドルに宛てた手紙から、「時代の熱気が感じられる」として、ニコライの青年期が、農奴解放令が公布され、ロシア社会の根幹にかかわる改革が次々と実行された「大改革」の時代であったと述べています。
 第4章「函館から第一回ロシア一時帰国」では、「1860年、神学大学の一学生だったイワン・カサートキン(ニコライ)は、函館の領事館付き主任司祭に選抜された。そして10年後の1870年、一介の修道司祭ニコライの請願が宗務院によってすみやかに聞き届けられ、小さいながらも一つの『海外宣教団』が設立され、ニコライはその団長に任命された。ロシアの人事の慣例から見て、これは異例のことである」として、「ロシア正教会の第一人者が、日本宣教を志したイワン・カサートキン(ニコライ)の後ろ盾であったと想像される」と述べています。
 第5章「函館への帰任と上京」では、ニコライの弟子たちの談話などから、「これまで自分たちを支えてきた物心両面の制度を失い、茫然自失の態であった武士たちが、必死に精神的に生きる道を探して、ニコライに出会い、いま新しい希望の小さな灯りを見つけた姿が浮かび上がってくる。ニコライは、自分の伝える教えを支えに生きようとするひたむきな日本の武士たちと出会って、宣教師として深い喜びを感じたようである」と述べています。
 第6章「迫害、信徒の増加」では、「徳川から明治への激動の時代に生きる道に行き詰まった多くの『寒生』たちが、士族も平民も、無料で衣食住を提供してくれ勉学もさせてくれる駿河台のニコライの学校へ集まってきた」と述べています。
 第7章「明治一一年の日本正教会」では、「規模は小さいが優秀な教師と生徒がそろった女子神学校は、『日本正教会の華』と称された」として、「キリスト教の『ミッション・スクール』でありながら、いわば和風の宗教的情操の涵養を目指したこの女学校は、日本の女性教育史において、注目されるべき特色と豊かな可能性を秘めた学校であった」と述べています。
 第8章「第二回ロシア一時帰国」では、ニコライの二度目のロシア帰国の目的として、
(1)日本に「主教」を立てること。
(2)東京に大聖堂を建設するための寄付金を募ること。
(3)日本への宣教師金の増額。
の3点を挙げたうえで、「日本とロシアは地政学的に大きく異なる、それゆえ両国の関係は必然的に相互援助になるという考えは、ニコライの基本的日露関係観であり、いわば持論であったと述べています。
 そして、ニコライの師であるイシドルが「自分がニコライを支援していることを周囲に示した」ことに対して、「周囲が嫉妬しなかったはずがない」と述べています。
 また、「かつて日本に開国を迫った」、「北からの黒船」の艦長プゥチャーチンが、「ニコライの日本宣教初期の熱心な支援者の一人であった」と述べています。
 第9章「大聖堂建築着工と有志義会事件」では、ニコライの宿願であった大聖堂建設の大工事に対して、「いわば身内である正教会の内からの反対の声があがった」理由として、「有志義会の根にあったものは、必ずしも『宣教の熱意』だけ」ではなく、「『教勢の進展』に乗じて、ニコライがロシアで集めてきた巨額の聖堂建設資金に目をつけて、『金をよこせ』の欲も出てきたのである」と述べています。
 そして、「有志義会事件は教会の外にまで知れるほどの『正教会の動乱』であったのだが、それを治めたニコライは自信を回復し、宣教団長としての自覚が深まったようである」としています。
 また、沢辺琢磨について、「かれにとって信仰は、観想や修養ではなかった。大義の旗を掲げて人を動かす活動だった。正教会に入ったのは、『信仰』を用いて人心を扇動し、事を起こすためだった」と述べています。
 第11章「大聖堂竣工と大津事件」では、明治24年2月に竣工した東京復活大聖堂が、「竣工するやたちまち東京名所の一つとなり、見物人が押し寄せた」と述べたうえで、その3ヶ月後の5月11日に起きた大津事件について、「おそらくニコライは、『あの事件だけで、日本全体に黒い覆いをかけてしまってよいものだろうか』という考えをもって、皇太子ニコライに受難後の対応を助言したと思われる」として、「日本にニコライがいなかったら、日本正教会がなかったら、この大津事件をきっかけに、日露の関係は歪んだものになったかもしれない。日本政府は、この大事件で、日本のためにとりなしに動いたニコライの『隠れたる忠誠』を忘れてはいなかった。日露戦争中のニコライと日本正教会に対する保護、ニコライ永眠時の天皇からの花輪の御下賜などに、日本政府のニコライへの感謝が伺われる」とのべています。
 第12章「三国干渉とロシアを憎悪する日本」では、「ニコライは、明治時代半ばにあって、日本のナショナリズムの勃興と急速に進む『世俗化(セキュラリゼーション)』を感じていた」として、「日本は、一方で無神論の『帽子』をかぶって『普遍科学』を称揚し、もう一方で神道を復活させて天皇を『神』として高く祀り上げ、日本は神孫統治の国であるという『選民性』を喧伝するようになっていた」と述べています。
 第13章「伝教学校、神学校、女子神学校」では、「将軍の統治が帝の統治に変わり、その変化のために日本社会に階級の崩壊と再編成の動きが起きた。それが続いていた間は、どう生きたらよいのかわからない人間がたくさんいた。伝教学校を満たしていたのは、そういう人たちだった」が、「すべてが常態にもど」り、「階級は再び形成され、確立され、それぞれの階級が自分に合う考えの道を開き、その道を進んでいる」ようになったため、「理想主義者」も消えていってしまい、「ついに伝教学校を閉校とせざるを得なくなった」と述べています。
 一方で、「聖職者の妻(マートゥシカ)を養成する『花嫁学校』のつもり」で開設した女子神学校には「教師にも生徒にも優秀な人材が集まり、それが新学校以上に教会の外にも知られて、ニコライの意図とは違って『キリスト教女子一般学校』として隆盛へ向かった」と述べていることについて、「この時代、女性たちが経営資金を保障されたうえで、自分たちで方針を決めて教育事業を実行できる場は、きわめて少なかった」が、「ニコライは、責任感ある数人の有能な女性たちに学校という活動の場とその自主的運営権を与え、それを経済面でも人事面でも守った」ため、「女性教師たちは意欲と喜びに燃えて、学校を自分たちの経堂の家のように切り盛りし、自主的に教育に打ち込んだ」ことが、「正教会の女学校の隆盛の本当の理由」だとしています。
 第15章「日露戦争時のニコライの日記」では、明治37年(1904年)2月6日の宣戦布告の一ヶ月前のニコライの日記について、「宣戦布告の前から、ニコライがまず思ったのは『教会の利益』であった。かれは宣教師であり、自分が生み育てた信徒たちを見捨てることはできなかった」としたうえで、「欧米人と、その欧米人にあこがれと劣等感をもつ日本人が、ロシア人を見下して手を取り合う光景が、日本中で見られた」として、「ニコライは、この時期日本に留まって、ロシア人であるがために『劣等者』の位置へ押しやられたのを感じただろう」と述べています。
 第16章「ロシアの混乱とニコライ堂の内紛では、「西欧由来の無神論と進歩主義を信じる『世俗知識人』は、『教会知識人』であるニコライの目から見れば、ロシアを破滅へ駆り立てている者たちに見えた」と述べています。
 また、「ロシアの神学大学で学んで帰国した日本人『神学士』たちが、次々正教会の教役者の職を離れていったとき」に、「どうやら、人の見分けがつかないということが、わたしの性格の特徴のようだ」と日記に記しているとして、「経理や教育などの面ではしっかりしたリアリストであるが、根は『馬鹿みたいに純真』だった。相手を自分の純真さのレベルで、同じ目の高さで、見てしまう。だから、副島種臣や後藤新平や内村鑑三のような優れた人たちからは尊敬されながら、幇間のような者からは馬鹿にされ、自分で認めているように、『滑稽なほど』簡単にだまされた」と述べています。
 第17章「日露戦争後のニコライ堂と各地の聖堂建設」では、「ニコライ自身は気づいていなかったかもしれないが、大津事件に際し、ニコライが日本政府の依頼で京都常磐ホテルへ急行して、負傷した皇太子ニコライを見舞い、日本のためにとりなしをはかったこと、日露戦争中は日本人信徒を守るために一人敵国日本に留まったこと、そして何十年にもわたって宣教活動で日本人のために物心両面の援助を続けてきたことに、日本人は戦後になってようやく感心するようになっていた」と述べています。
 第18章「晩年の難題と永眠」では、ニコライが、「貧窮している伝教者や司祭の給与の一時的補助、その家族の思わぬ病気の治療費、亡くなった教役者の遺族への見舞い、男女神学校生徒の結婚支度金、共益者の優秀な息子たちの大学学費などの出費が絶えずあった」ことで、「私物はほとんど何もなかった」と述べています。
 第19章「ニコライ後の日本正教会」では、日本宣教団の二代目団長セルギイ主教が、「ニコライ『子飼い』の教役者」を人事異動によって追い払ったため、「いろいろな文献に、この頃のセルギイを支えた東京本会の教役者たちの困惑と混乱が露呈している」と述べています。
 また、第二次大戦後、日本正教会は「『母』だと名乗り出た『ソ連内ロシア正教会』ではなく、その『母』から義絶されていたニューヨークの『ミトロポリヤ』と『姉妹関係』を結ぶことになった」として、「アメリカ人主教による統括は、昭和22年(1947年)から昭和47年まで、25年の長きにわたった」と述べています。
 第20章「アメリカとソ連の間で揺れる日本正教会」では、昭和43年に起きた「ニコライ堂取戻裁判」について、「ソ連内ロシア正教会から正式に『日本宣教団』三代目団長に任命されたニコライ佐山主教(原告)が、『ニコライ堂』の代表であるアメリカ人ヴラジミル(ナゴスキー)主教(被告)に対し、ニコライ堂の土地建物の所有権について訴訟を起こした」と述べたうえで、駿河台の土地については、明治、大正、昭和と日本政府からの問題のない借地であったものを、関東財務局の役人に働きかけて「払い下げ」を受け、すぐにその一部分300坪を日本大学に売却したと述べ、ニコライが、「ロシアからの宣教師金が途絶えた場合に、いかにして日本正教会の収入を確保するかという問題に長く悩んでいた」が、駿河台の土地を「切り売りしたり貸したりすることによって、経済的自立を達成した。地代など多額の恒常的収入が得られるようになったのである」と述べています。
 また、「ニコライ堂取戻裁判」では、原告である「日本宣教団」団長佐山大麓の勝訴が確実になり、昭和44年2月に、ニコライ佐山大麓を代表者とする宗教法人「日本正教会」が正式に「登記」されたにもかかわらず、昭和44年にモスクワ総主教庁と「ミトロポリヤ」が密談を行い、モスクワ総主教庁が、アメリカ人主教を迎えてニコライ堂を統括していた「ニコライ堂派」を「アフトノミヤ(監督下自治教会)」と認め、「日本宣教団」を閉鎖するという結末に至ったと述べています。
 本書は、東京の一大名所である教会を建てた人物の召命感に満ちた生涯を知ることができる一冊です。

■ 個人的な視点から

 昨年、ニコライ堂を見学に行った直後にこの本を見つけてついつい手にしてしまいました。
 お茶の水駅前のニコライ堂をご存じの方は多いと思いますが、あの聖堂をつくったニコライがどういう人かというのはなかなか知られていないのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・ニコライ堂は誰が作ったのかを知らない人。


2014年2月16日 (日)

エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇

■ 書籍情報

エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇   【エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇】(#2281)

  S. C. Kalichman (著), 野中香方子 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  化学同人(2011/1/29)

 本書は、「HIVは無害であり、むしろ治療に用いた抗レトロウイルス薬がエイズの症状を引き起こしているのだと主張」する「エイズ否認主義者」が、「どのような人びとで、何を同期として破壊的な活動を繰り広げている」のかという問題に取り組んでいるものです。
 第1章「生き延びるHIV/エイズ否認主義」では、「残念ながらHIV/エイズの問題に取り組んでいる人びとでさえ、否認主義がきわめて深刻な問題であり、そのせいでエイズに侵された人が必要な治療を受けなくなる危険性があるということに気づいていない」と述べたうえで、「否認」について、「信じがたいことを信じまいとする無意識の作用の表れ」という「受動的な対処反応」であるとしながらも、「当初はトラウマに対処するための合理的な戦略だった心理的否認が、危険なものに変貌し、ひいては有害なものになるように、熱心で積極的な患者になりたいという健全で有益な欲求が、疑惑ゆえに、望ましくない非生産的な欲求へと変わることがある」と述べています。
 そして、「否認主義は、科学や医学を完全に拒絶する」として、「否認主義の中心には強い不信がある」と述べ、彼らが信奉する陰謀説の大半は、「堕落した政府、産業、科学界、医学会が共謀し、大きく邪悪な計画を進めているらしい、という疑念から生まれる」と述べています。
 また、「否認主義はあらゆる形でエイズの疑似科学と複雑に絡み合っている」として、エイズ疑似科学が、「書籍や雑誌、インターネットなど、規制のない非科学的な発表の場を通して否認主義者の作り話を伝えるだけでなく、投書や批評といった査読を経由しない方法によって、権威ある科学雑誌にそうしたつくり話を巧みに掲載させている」と述べています。
 第2章「デューズバーグとHIV/エイズ否認主義の起源」では、ピーター・デューズバーグについて、「否認主義を正当な科学のように仕立て上げ、ゆえにそれは今日まで生き延びてきた」として、「この傑出した科学者は、なぜ、がんの研究上きわめて有望な道を発見しておきながら、その考えを捨て去り、生産的であったはずの研究の流れを急停止させたのだろう? なぜ、発見者から反対派に変貌したのだろう?」と述べています。
 そして、「デューズバーグが主流派から相手にされなくなったのは、エイズについてまちがっているからというより、むしろ、その極端で排他的な考え方と、重要で、しかも説得力のある他者の見解を押しのけて持論を押し通す、科学に背を向けた態度を嫌われてのことなのだ」としています。
 第3章「エイズ疑似科学」では、「疑似科学について、「本物の科学のように見えるが、いくつかの致命的欠点ゆえに、科学にはなりえないもの」だとして、「最も重大な欠点は、科学の基礎である厳密な実験が行われていないことだ」と述べています。
 そして、疑似科学が、「HIV/エイズの原因についていくつもの独自の仮説を立てている」ことから、「疑似科学独自の治療法があっても、驚くほどのことではない」としたうえで、「おそらく最大の悲劇をもたらしたのは、エイズ疑似科学者がこの不合理な理屈を振りかざして妊婦から胎児へのHIV感染を防ぐ治療に反対したことだ」として、「南アフリカで妊婦のHIV治療が普及しなかったのは、保健省が疑似科学者の影響を受けていたためだ」と述べています。
 また、エイズ疑似科学者の中には、「確実に悪意を持って動いている邪悪な疑似科学者もいる」として、「彼らはいかさま治療で儲けたり、HIV感染という診断結果を受け入れられずにいる人の心の弱みにつけこんだりする。特に、効き目の不確かな薬やビタミン剤や水薬を売りつけるために、HIV感染者をそそのかし、効果の確かな治療をやめさせるような疑似科学者は、言論の自由として許される範囲を超えて、公衆衛生に害を及ぼしている」と述べ、「怪しげな治療薬のために貧しい人々から金をだまし取るのは、れっきとした犯罪だ。ネス湖の怪獣や友好的な宇宙人の誘拐者は人の命を奪ったりしないが、ビタミン剤を押し売りする人やエイズいかさま療法士は、否認主義によって人びとを死に至らしめる」と指摘しています。
 第4章「否認主義者のジャーナリズムと陰謀説」では、「否認主義を広めるジャーナリストにとって一番捕まえやすいのは、科学や医学や政府を信用しない人びとだ」と述べ、「なにも知らない人がインターネットでエイズの情報を探していて否認主義のサイトを見つけたら、頭が混乱するだろうし、悪くすればその主張をすっかり信じこんでしまうだろう。悲しむべきことに、否認主義に一番引っかかりやすいのは、HIV検査で陽性と診断されたばかりの人や、知り合いがそう診断された人なのだ」としています。
 そして、「ひとつの科学的研究がなにかを『証明』したことはない」として、「ロケットが月まで飛べることを証明する単独の物理学実験があるだろうか? そのような実験はない。だからといって、ロケットは月まで飛べないことになるだろうか? ロケットが月まで飛べることの証拠は、数限りない物理学の実験と、実際の月までの飛行によって得られた」と述べています。
 第5章「否認主義の政治」では、「滅菌注射器と針の提供を合法化させなかったのは、完全に政治的配慮によるもので、すべての科学的証拠と公衆衛生の利益に反していた」として、
・注射器を交換することで麻薬の使用は増えない。
・注射器交換プログラムのせいで、薬物常習者でない人場薬物を使うようにはならない。
・プログラムは、地域社会に捨てられる注射器の数を増やさない。
と述べています。
 また、「エイズ予防の科学に照らせば、禁欲のみに頼って成功による感染のリスクを減らすことなど、とうてい無理であることがわかっている。禁欲のみを強調する政策は、科学に合致しない」と指摘しています。
 さらに、「南アフリカはとりわけ否認主義が入り込みやすい国だったのだろう」として、ムベキ大統領が、「HIVをエイズの原因にしようとする陰謀が存在すると信じ、その疑念を公表」したとして、彼の伝記には、「ネルソン・マンデラや労働組合やエイズ学者など、HIVがエイズの原因だとする正統派の考えを支持する南アフリカ人は、製薬会社から金銭的な恩恵を得ていると思い込んでいる」と書かれているとしています。
 著者は、「自らの知性に自信を持ち、西側諸国や医学、巨大製薬会社が流す情報に不信感を抱いて痛むべきは、デューズバーグのエイズ観をきわめて受け入れやすい状態にあった」として、「ムベキが否認主義に惹かれた理由のひとつは、エイズは性行為を通じて感染するという見方を、それが否定していたからだった」と述べています。
 第6章「否認から抜け出す」では、「否認主義者が書いたものを大量に読み、何人かの否認主義者と直接話しをしてきて思うのは、彼らのうちどれだけの人が、エイズとエイズ患者のことを本当に心配しているのかということだ」としたうえで、「否認主義を打ち砕くには、言うまでもなく、エイズの基本的な事実を人々に教えることが鍵となるが、教えるだけでは不十分」だとして、「エイズ学者は、仲間の科学者だけでなく、世間の人ともっとしっかりコミュニケーションをとるべきだ」と述べています。
 本書は、本人の思想信条の問題だけでは済まない命に関わる問題としてのエイズ否認主義の問題をとらえた一冊です。

■ 個人的な視点から

 自分がかかった病気を信じたくないという心理自体は当たり前のものだと思いますが、それにつけ込んでニセ薬を売る商売、怪しげな健康食品や砂糖玉を売りつける商売は、それ自体には薬効も害もないかもしれませんが、本来受けられるべきだった治療を受けさせないという意味で毒と同じなのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「◯◯でがんが治った」とかいう本を読んじゃう人。


2014年2月15日 (土)

田沼意次の時代

■ 書籍情報

田沼意次の時代   【田沼意次の時代】(#2280)

  大石 慎三郎
  価格: ¥ (税込)
  岩波書店(2001/6/15)

 本書は、「日本史の三大悪人」の一人であり、「大変賄賂を好み、賄賂によって政治を左右する腐敗した日本史上最悪の政治家」として描かれてきた田沼意次について、その根拠とされる資料に当たり、その時代がどのようなものであったのかを検討したものです。
 プロローグ「郡上一揆と田沼意次の登場」では、郡上八幡藩の一気に絡んで、「老中以下の幕閣が、金森藩政にからんでいたとして処罰された」ことについて、「この一揆は直接税増徴派幕閣を一気に追放してしまったので、幕初以来続いてきた幕府の直接税増徴型政策がここで頓挫して、田沼意次をリーダーとする間接税派の登場の契機ともなっている」と述べています。
 第1章「田沼意次の虚像と実像」では、意次が側用人と老中を兼ねたことについて、足軽の子供の意次が正規の老中になったことは、「このようなことはこれまでには例のないこと」だとして、「同僚はもちろんのこと、権力から外れた普代門閥層から怨まれ、憎まれたのは当然のこと」だと述べています。
 そして、「田沼意次の悪評を記した資料」に関して検討を加えた結果、
(1)これらの資料はすべて田沼意次が失脚した後に書かれたものである。
(2)国史文献としてパスポートを与えられている文献でも、田沼意次の評価に従来使われてきたように使うのは適当でない。
(3)資料としては抜群に信頼度が高いが、その読み方に問題がある。
と述べています。
 第2章「吉宗の退陣と意次の登場」では、「宝暦8年9月3日以降、評定所の審議についての将軍への奏請権は、田沼意次が握っていた」として、「評定所というのは幕政に関する最も重要な事項の審議立案をするところであり、それが将軍の決裁をえれば、はじめて法として成立するところであるから、その奏請権を握った田沼意次の地位はほとんど決定的と言ってよいほど、大きい」と述べています。
 そして、「将軍のもとで三奉行以下を指揮して幕政を総括指導する首脳権力」への昇進コースとして、
(1)I型:奏者番→寺社奉行(兼)→大坂城代→京都所司代→老中
(2)II型:小姓→側衆→側用人(側用取次)
の2つを挙げ、「その権威の発生源が家柄(家格)とそのポストではなくて将軍の信任であるところがI型と決定的にちがっている」としています。
 第3章「田沼意次の政策」では、田沼意知が佐野善左衛門に切りつけられた事件について、「田沼意次とその子意知によって推進されている改革政治が、ある階層(徳川幕府の普代門閥層)にとって、たいへん困ることであるので、佐野善左衛門政言を使嗾して、田沼意知を暗殺させ、田沼政権を倒し、その改革政治を阻止しようとした」と述べています。
 そして、意次が「年貢増徴に抵抗して起こる一揆」がますます激しくなり、「有毛検見法による年貢増徴作が破綻を来し、幕閣内の直接税増徴派が連座して追放される」ことで、「直接税の引き上げはやめて、新たに元禄以来とくに盛んになった商品流通に課税して税の不足分を補うという、いわば間接税の採用」を打ち出したと述べています。
 また、「通貨銀を通貨金に直接的に連動させた『明和五匁銀』」について、「田沼政権は巨大商人資本と結託しているということがよくいわれるが、通貨政策で見る限り、巨大商人の利益を擁護し、それと結託しているのは松平定信ということになる」と述べています。
 さらに、印旛沼の干拓事業について、「蝦夷地調査・同開発計画の場合と較べあわせてみると、田沼意次の政策と関係のあった者は、小者に至るまで徹底的に追放処罰するというのが、松平定信の方針だったようである」と述べています。
 第4章「田沼時代の社会」では、「17世紀の末葉、つまり元禄時代は江戸時代社会の大きな曲がり角であった」と述べ、その理由として、
(1)16世紀中葉以来大発展を続けてきた近世社会生産力(農業生産力)が停滞段階に入ったこと。
(2)農民所得の拡大をてこに起こった庶民の消費性向の向上が、17世紀前半の原型的な幕藩社会の体質を大きく変えていたこと。
(3)領主経済の困窮が顕在化し、もはや放置できないところに来ていたこと。
などの点を挙げ、「そのうえ幕藩体制社会の礎石である石高体制が、それまで米価に追随して変動していた諸色値段が連携を失ったことによってゆらぎはじめたこと、また島原の乱(1638)からでもすでに50年以上もたったため、創業期の苦難と緊張を知らない人々の世代になっていたこと、などなどは問題をいっそう困難にしていた」と述べています。
 エピローグ「『遺書』を通してみた意次の人がら」では、「田沼意次については個的な資料はもちろんのこと、彼を取り巻く根本的資料もほとんどと言ってよいほど、残っていない」としたうえで、意次が、「財政の健全化をはかろうと、年貢の増徴などをしようとするのは、筋違いだ」と断定していることについて、「彼は世子家重の小姓時代に、八代将軍吉宗が幕府財政再建のためにと年貢増徴策を打ち出して、百姓一揆の厳しい反撃を受け、また郡上八幡藩主金森頼錦が出世金をひねりだすため無理な年貢増徴にのりだして、前代未聞の大一揆をひきおこして家を滅ぼしてしまった事情を見聞きしていただけに、この言葉は重みをもった教訓である」と述べています。
 著者は、「彼はすぐれた財務家であるが、誠実一筋の人間であるうえに常々目立たぬよう心がけていた、大変な気配り人間であった」と総括しています。
 本書は、「悪徳政治家」として知られてしまっている政治闘争の敗者の姿を追った一冊です。

■ 個人的な視点から

 賄賂といえば田沼意次、田沼意次といえば賄賂、というのが日本人の大部分かと思いますが、当時の町人からすれば松平定信の方がよっぽど迷惑だったのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・田沼といえば賄賂だと思っている人。


2014年2月14日 (金)

日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか

■ 書籍情報

日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか   【日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか】(#2279)

  山田 奨治
  価格: ¥2520 (税込)
  人文書院(2011/9/15)

 本書は、「著作権とはそれによって利益を得たい権利者や権利の管理者、法律家や文化庁の官僚だけが制定や改正にかかわることで、著作物のユーザーである大部分の国民は、彼らが決めたことにしたがうだけの存在だと思われている」ことに疑義を唱え、法律改正のプロセスに市民が積極的にかかわることの必要性を訴えるものです。
 第1章「パクリはミカエルの天秤を傾けるか?」では、日本の著作権業界を支配する傾向として、
(1)被害の過大な見積もり
(2)強い保護だけ横並び
の2点を指摘しています。
 第2章「それは権利の侵害です!?」では、日本の映画盗撮防止法の罰則が、海外の同種の法律と比べて際立って厳格であるとして、アメリカでは「初犯で最高3年、再販で最高6年の懲役刑」、香港では「諸藩で最高5000香港ドル(約5万円)の罰金、再販で5万香港ドルの罰金または3ヶ月以下の禁錮刑」であるのに対し、日本では初犯でいきなり「十年以下の懲役もしくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する」となっていることを指摘しています。
 また、著作権法の目的は、「文化の発展に寄与すること」であるにもかかわらず、「必ずしもこの目的にそぐわないような使い道」もあるとして、
(1)権利者の意に反する言論をけん制するため
(2)他の法律では対応できない犯罪的な行為を取り締まるため
の2点を指摘しています。
 第3章「法律を変えるひとびと」では、文化庁の文化審議会著作権分科会について、
(1)著作権分科会の委員が特定の団体の「充て職」でよいのか。
(2)おなじ人間が長期にわたって委員の座を占めていることは公正か。
の2点を問題視しています。
 第4章「ダウンロード違法化はどのようにして決まったのか」では、私的録音録画補償金に関して、「記憶にとどめておいていただきたいこと」として、
(1)「私的使用のための複製」は利用者の権利であって、利用者は権利者の「お目こぼし」にあずかっているのではない。
(2)補償金制度はデジタル時代に対応するために、現行著作権法が施行されたから31年後に追加された制度であって、「私的使用のための複製」と補償金は一対のものではない。
(3)「私的使用のための複製」からはずされたことは、家庭内での行為であっても違法になる。もちろん、「私的使用のための複製」に当たらない違法行為は、補償金の対象にはらなない。
の3点を挙げています。
 そして、「私的録音録画補償金制度の抜本的な見直しが、利害関係者の対立によって潰されてゆく中で、ダウンロード違法化が『鬼子』として産み落とされた経緯」を述べたうえで、「ここからみえてくることは、著作権法改正の方向性は、公平中立な委員たちによって決められているのでも、各界からバランスよく委員が選ばれた委員会で議論されているのでもないということだ」と指摘しています。
 第5章「海外の海賊版ソフトを考える」では、「海賊版VCDやDVDによって日本の大衆文化に触れる機会は、2000年代なかばには明らかに減少に転じていた」として、
(1)日本政府からの働きかけによる取り締まりが強くなったこと。
(2)アジアの市民が日本の映像文化に触れる手段が、インターネットからのファイル・ダウンロードへと代わったこと。
の2点を理由として挙げています。
 また、海賊版の判断基準として、
・ディスク上のコードが故意に消されているもの
・発行元の記載がないもの
・テレビからの録画や映画館での盗撮とわかるもの
のいずれかかに引っかかるものであると述べています。
 そして、「海賊版の流通がディスクからネットへと代わったことにより、より多くの映像がより早く広がり、過去の作品もよりかんたんに入手できるようになった」ことで、「海賊版の世界でも日本のコンテンツが他国との競争にさらされるようになっている」と述べ、権利者側も「ファン活動を違法なものとして抑えこむのではなく、逆にその流通力を宣伝の一形態として活用する工夫」が必要だと述べています。
 第6章「著作権秩序はどう構築されるべきか」では、この本の論点として、
(1)じゅうぶんな議論を経ないで法律が作られたり変えられたりすることに、わたしたちはもっと注意を払うべきだ。
(2)海賊版は権利者に経済的な損失を与えるだけのものではなく、文化を異国に伝える強力なインフラとして作用し、時にはその市場創造力によって長期的には権利者に利益をもたらすことも否定しきれない。
(3)知財保護の推進者達は秘密の外交交渉に議論の場を移す戦略を取り始めている。
の3点を挙げています。
 本書は、著作権法が「著作権業界」の関係者のみで決められている実態を鋭く衝いた一冊です。

■ 個人的な視点から

 著作権に関するルールを決めているのが、著作権者側の人間と官僚だというのはなんとも寂しいものです。


■ どんな人にオススメ?

・著作権に関するルールの決め方を知らない人。


2014年2月13日 (木)

地震の社会史: 安政大地震と民衆

■ 書籍情報

地震の社会史: 安政大地震と民衆   【地震の社会史: 安政大地震と民衆】(#2278)

  北原 糸子
  価格: ¥2940 (税込)
  吉川弘文館(2013/3/15)

 本書は、「安政2年の江戸大地震に対する人々の対応」について、「地震という災害に対して人びとがどう対応したか、人々をそのように対応せしめたものは何であったのかという災害の社会史的分析」を試みたものです。
 序論「災害社会史の方法」では、「災害時に一時的に人びとが陥る心理的虚脱状態」について、「そこにおいては、通常の社会関係が立たれ、人々は一種の無階級状態にあって、利他主義に基づいて行動し、ある種の充足感のある状態が一時的に出現する」とする「ディザスター(災害)・ユートピアとか、ディザスター・パラダイスなどと逆説的に表現されるところの、災害によって作られた夢想郷」について言及しています。
 第1部「災害と情報」第1章「災害の社会性——被害の軽重」では、関東大地震が海洋性の巨大地震であるのに対し、安政江戸地震は直下型地震であったと述べたうえで、「社会の上部に軽く、下部に重いといった被害の社会的特性は、同時にまた災害に対する人びとの社会的・心理的反応に多様な変化をもたらす要因ともなったと考えられる」としています。
 第2章「情報における事実と真実」では、残された資料を通じて、「わたしたちが考えてみることができるのは、たとえばかわら版に反映される彼らの災害感、あるいは死生観である」としたうえで、安政地震の場合、「世直しあるいは世直りは、それがいかに他律的な意味で使われているにせよ、地震除けの呪文といった呪術性からは解放され、現実の世の中に向けられた言葉として自立し始め、地震の振動による世直しを強く主張するようになる」と述べています。
 そして、江戸時代の戯作者・仮名垣魯文について、文学上の評価としては、「その文学的資質を際物師的要素に求めることも大方の評価の一致するところである」が、「社会市場の立場からすれば、彼の文学者としての評価を低めている際物師根性こそ、高く評価すべき歴史性、社会性を表現しうる要件といえよう」と述べています。
 また、かわら版・地震鯰絵、錦絵について、「従来かわら版ということでその作者像は“名もなき刷り師”と片付けられてきたが、事実はこれに相違して、安政江戸地震の場合、伝統的教育を受けた絵師たちも何らかの形で活躍している」と述べています。
 第3章「さまざまな地震誌」では、仮名垣魯文と二世一筆庵英寿の共作で発禁処分となった「安政見聞誌」について、数ある安政江戸地震誌の中で「地震ルポルタージュ文学の傑作の一つ」だと述べたうえで、人事に関する24の挿話を、
(1)異常時の人間行動として珍しいには違いないが有り得る話
(2)自身の吉兆を夢などの非現実的方法で早く察知できた人間の奇譚の類
の2つのタイプに分けたうえで、「哀話・悲話・奇談は感情を移入して語るに恰好な材料であり、こういった類の人の涙を絞る話や、世の中には人間には見えない神意のあることを口にすることで、地震で受けた衝撃や感情的緊張がなにほどか解消されている心理的紅葉のあったことが考えられる」としています。
 また、服部保徳による「安政見聞録」について、「人事に関する儒教的リゴリズムの強要と自然に関する客観性の消極的保持という不統一のために、著者の立つ地点がどこにあるのか読むものに混乱した印象を与える」が、「当時の知識人の一部は、単純な天譴論ではもはや満足できなかったが、それに変わる科学の蓄積が未だ社会に形成されていない現状では、社会と自然について分裂した思考を抱かざるを得なかった」ことがわかるとしています。
 著者は、「この時代にあって、情報は至る所に氾濫していたと考えることはある視点からは正しく、別の視点からは正しくはない」として、「幕末期の読売・錦絵・絵草紙などの普及は情報化社会への一歩とすることはもはや常識化している」が、「依然として、身分制社会に根ざす価値体系によって情報の取捨選択がなされる社会であったことも忘れてはならない」と述べています。
 第4章「地震鯰絵と民衆」では、「安政江戸地震の場合の情報は量的に見て、それまでの災害には見られなかったほど多量であり、また内容的に多様であった」としたうえで、地震鯰絵に見られる立場について、「地震そのものは禍であるが、それがもたらした結果はむしろ福、それも富の偏在を改めさせ、職人層に潤いをもたらす経済的恩恵であった」として、「鯰から小判・銭を噴出させるものか、あるいは夷神が小判・銭、あるいは米俵を庶民」に分け与えているという「鯰が福の神とはっきりと位置づけられる構図」を示しています。
 そして、鯰絵の中に災害ユートピアを示唆するものとして、
(1)我が身は助かったという安堵感
(2)日常生活の全き中断
(3)公・私レベルの重層的な救済
(4)現実の非現実性
(5)復旧活動による活況
の5つの要素を示しています。
 本書は、鯰絵を手がかりに江戸の庶民が地震の衝撃をどのように受け入れていったのかを追った一冊です。

■ 個人的な視点から

 日本史の教科書で、牛肉を食べる明治の日本人のイラストを見たことがない人はいないでしょう。あの作者が江戸時代から活躍していた様子がわかるのが嬉しいです。


■ どんな人にオススメ?

・日本人がどのように災害に向き合ってきたかを知りたい人。


2014年2月12日 (水)

気候は変えられるか?

■ 書籍情報

気候は変えられるか?   【気候は変えられるか?】(#2277)

  鬼頭 昭雄
  価格: ¥1470 (税込)
  ウェッジ(2013/11)

 本書は、「IPCCの評価報告書に20年来関わってきた筆者」が、「気候変動とその理由や影響、それへの対処」について述べていますものです。
 序章「四季に富んだ日本」では、「今世紀末には、太平洋高気圧の北上が弱まることにより梅雨明けが遅れ、梅雨が長引く」と考えられ、「温暖化により気温は今より上昇し、大気中の水蒸気量が増えて、太平洋高気圧の西縁を時計回るに回ることで南からの水蒸気の量が格段に増えるため、大雨が振りやすくなる」と述べています。
 第1章「異常気象はいつから現れたのか」では、「気象庁では2012年から、50年に1回程度の頻度で起こるような稀な大雨が、ある程度の面的な広がりを持って起こっているときに、『これまでに経験したことのないような大雨』という表現を使って、『記録的な大雨に関する全般気象情報』を出して警戒を呼びかけて」いるとしています。
 また、「日本の記録的な高温の出現は、おおむね1990年以降に集中」しているとして、真夏日・猛暑日や熱帯夜の増加および冬日の減少は、「地球温暖化と都市化の複合産物」だと述べています。
 さらに、「日本の年間総降水量には過去100年間の長期的な変化傾向は見られませんが、大雨が降る頻度は増加しつつあり、逆に弱い降水も含めた降水日数は減少(無降水の日数は増加)しつつある」ことがわかってきたとしています。
 第2章「地球の気候はどのように維持されているのか」では、「地球が太陽からどれだけのエネルギを受け取り、どう宇宙空間へ放出するか、といった地球の放射エネルギーの収支が、地球の気候を決める上で決定的な役割を果たしている」として、地球の放射収支が変化する要因として、
(1)入射する太陽放射の変化(地球の軌道や太陽自身の変化など)
(2)太陽放射の反射率の変化(雲量、エーロゾル、植生の変化など)
(3)地球から宇宙空間へ戻る長波放射の変化(温室効果ガス濃度の変化など)
の3点を挙げています。
 第3章「気候は変えられるか」では、温暖化への対象方法として、
(1)緩和策:温暖化を増大させない、あるいは温暖化の程度を小さくしようとする。
(2)適応策:気候変動に伴う様々な影響を防ぐための対策。
の2つの方向性を挙げたうえで、前者の「緩和策」について解説しています。
 そして、「人為的な気候変動の対策として行う意図的な地球環境の大規模改変」と定義される「気象工学」について、
(1)太陽放射管理(SRM:solar radiation management)
(2)二酸化炭素除去(CDR:carbon dioxide removal)
の2つの方法を挙げ、太陽放射管理については、「おおむね安価で、かつ温度上昇を抑えるのに即効性がある」とされるが、「二酸化炭素の排出削減ではなく、大気中二酸化炭素濃度の削減にはつながらない」とする一方で、二酸化炭素除去については、「温暖化のみならず海洋酸性化を抑えることができる可能性がある」が、「温室効果ガス削減(緩和)策と同等かそれ以上に費用がかかること、効果が出るまで数十年を要し即効性がないこと」などの欠点を挙げています。
 第4章「気象変動を上手く付き合うために」では、「21世紀末までの予測として、気温が極端に高い日が大幅に増加することは確実」だとしたうえで、「予測される極端な気候・気候減少の増加による影響やリスク」への対応策について論じています。
 第6章「これから気候はどうなるか」では、気象庁が2013年3月に刊行した「地球温暖化予測情報 第8刊」から、21世紀末には20世紀末と比較して、日本付近でどのような気候変化が予測されるかについて解説しています。
 本書は、淡々と気候変動について解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 地球が今後、温暖化するのか寒冷化するのかは一概には言えませんが、少なくともかつてないほどの二酸化炭素濃度が続くことは間違いなさそうです。


■ どんな人にオススメ?

・人間の活動が気候に与える影響を知りたい人。


2014年2月11日 (火)

歴史から探る21世紀の巨大地震 揺さぶられる日本列島

■ 書籍情報

歴史から探る21世紀の巨大地震 揺さぶられる日本列島   【歴史から探る21世紀の巨大地震 揺さぶられる日本列島】(#2276)

  寒川 旭
  価格: ¥861 (税込)
  朝日新聞出版(2013/3/13)

 本書は、「日本列島で千数百年にわたって書き綴られた文字記録さらに、考古学の遺跡調査で発見された地震痕跡を用いて、日本列島の地震と被害の歴史」を探求したものです。
 第1章「首都圏の地震と南海トラフの巨大地震」では、1703年に江戸周辺を襲った元禄関東地震について、「房総半島南丹の館山・白浜間で、北東—南西方向で幅十数キロの範囲が最大6メートル隆起した。そして、房総半島から伊豆半島に至る海岸に大津波が押し寄せている」と述べています。
 そして、「江戸時代から現代に至る三百年間を振り返ると、90年から150年の間隔で南海トラフの巨大地震が発生している」とした上で、「このような巨大地震の発生は、歴史の大きな筋目に重なっている」として、
(1)元禄・宝永の巨大地震:幕府や諸藩の財政が悪化し、享保以降の諸改革の始まりとなった。
(2)安政年間の3つの地震:鎖国体制のもとで君臨していた江戸幕府が衰退し、世界の列強が日本に開国を迫った時期に発生して、歴史の流れを加速させた。
(3)大正関東地震:空前の被害と財政的な負担がその後の大陸進出の要因となった。
 第2章「日本列島が激しく揺れた時代」では、「“東日本の各地で内陸地震が続いてから太平洋沖で巨大地震が発生した”という流れは、9世紀初頭から貞観地震に至る道筋と似ている」とした上で、「2011年」を「869年」に置き換えると、「貞観地震の9年後に当たる878年」には広い意味で「首都圏直下型地震」に相当する地震が起き、887年には南海トラフ全体からの巨大地震が起きていると述べています。
 第3章「太平洋海底の巨大地震」では、「房総半島の南端に位置する白浜(南房総市)周辺の海岸では、内陸に向かって、地形が階段のように高くなる」ことについて、「海面付近で波に削られて水平になった海底が、巨大地震のたびに陸上に隆起したことを示している」と述べています。
 第4章「日本列島各地の内陸地震」では、1792年に普賢岳で起きた地震により、「標高700メートルに及ぶ前山の南東部(天狗山)の、幅1キロの範囲が引き裂かれて、大音響とともに崩れ落ちた。そして、大量の岩屑や土塊が、城下の家々や神社や仏閣のすべてを押し流しながら、有明海に流れ込んだ」と述べ、これらにより、「対岸に当たる肥後(熊本県)の沿岸に、巨大な津波が押し寄せた」として、これらの惨事が「島原大変肥後迷惑」と呼ばれていると述べています。
 終章「地震と日本人」では、「過去、千数百年にわたって文字記録が残され、全国各地で緻密な考古学の発掘調査が実施されている国土は世界でも例がない。この利点を、十分に生かすことが、この国に住む人達の生命や財産を守ることにつながるはずである」と述べた上で、「私達にとって、過去に発生した自身の歴史を十分に把握しながら、現代科学の手法を結集して、予想されるさまざまな被害に立ち向かうことが大切である」としています。
 本書は、「日本列島の地震と人々の暮らしについて、さまざまな角度から紹介した」一冊です。

■ 個人的な視点から

 東日本大震災が1000年に一度の地震だったように、人間の寿命よりも長い単位で繰り返す地震に備えるためには地質学的な調査はもちろん、古文書の調査も重要になるようです。


■ どんな人にオススメ?

・先人が残した教訓を活かしたい人。


2014年2月10日 (月)

Basic 地方財政論

■ 書籍情報

Basic 地方財政論   【Basic 地方財政論】(#2275)

  重森 暁, 植田 和弘
  価格: ¥2520 (税込)
  有斐閣(2013/4/13)

 本書は、「わが国における地方財政の歴史・制度・課題について、できるかぎりわかりやすくその基礎から解明しようとするもの」です。
 第1章「現代地方自治と地方財政」では、「歴史上三度に渡る大規模な合併推進の結果、わが国の町村は自然村(共同体としての町村)から、行政村(行政体としての市町村)へと変貌を遂げた」と述べています。
 また、わが国の国と地方の関係について、「わが国は明らかに集権・融合型である」とした上で、「地方の担当する事務は多いけれども権限は国に集中している集権的分散システムという特徴を持ってきた」と述べています。
 第2章「日本における地方自治と地方財政の歩み」では、明治地方自治制度の基本的性格について
(1)中央集権的で、かつ天皇制国家の官僚による支配という意味で官治的性格の強い地方制度が作られたこと。
(2)地方政治に参加できるのは有力者=地主であり、地主を地域支配の担い手とする地方制度であったということ。
(3)市制町村制による行政上の業務を担える規模の行政組織を編成するために、大規模な町村合併が行われたこと。
(4)市町村は国の機関委任事務の担い手としての義務を持つが、市町村の財源は独自に調達することとされ、国の末端行政機関として自生的に制度化されたこと。
の4点を挙げています。
 また、1949年、50年の二度にわたって行われたシャウプ勧告の要点について、
(1)地方、特に市町村の独自財源の強化
(2)国による地方財政に関する一方的決定の排除
(3)市町村優先の事務配分
(4)補助金の整理と一般的な地方財政調整制度の導入
の4点を挙げています。
 第3章「地方自治体の役割と経費」では、経費の効率性がしばしば問われてきた背景として、「1970年代の地方財政危機の際に提起された『都市経営論』や80年代に進められた『行政改革』の一環としての、外注化・民間委託など」を挙げた上で、その後も、PFIやNPM、「指定管理者制度」などの「次々と新な手法が導入されてきた」として、「それらにおおむね共通する考え方は、自治体の経費支出に『コスト感覚』を反映させるために民間企業的手法を導入する、サービスの受け手である住民を『顧客』とみなすなどである」と述べています。
 第4章「地方経済と地方財政」では、「地方圏では、政府部門による雇用が地域経済にとって重要な役割を演じている」とした上で、「地方圏では政府サービスとは別に、建設業についても大都市圏よりも比重が大きいことも特徴である」と述べています。
 第9章「地方自治の財政基盤」では、「三位一体改革」を主導した理念として、地方分権改革推進会議「事務・事業の在り方に関する中間報告」(2002年6月)で打ち出された「当会議は、我が国はすでに多くに分野でいわゆるナショナル・ミニマムを達成しているという前提に立ち。地方公共団体は、それぞれ地域住民のニーズに応えて、地域ごとに最適の施策の組み合わせを探求し、その実現に努力すべきであると考える」とした「ローカル・オプティマム」論を挙げています。 
 第11章「地方交付税と国庫支出金」では、シャウプ勧告を受けて実施された地方財政改革のポイントとして、
(1)従来からの国庫補助負担金を分類した上で、国が奨励的に用いるものなど一部を除いて、廃止しようとしたこと。
(2)地方配布税を廃止して、新に財政需要と課税力の両方これに対して国が財源保証するという建前を取るとともに、その妥当性を審議し、政府や国会に意見提出などを行う組織として、地方財政委員会を新に設けたこと。地方財政平衡交付金では基準財政需要額と基準財政収入額の差額についてすべての地方自治体分を積み上げ、を考慮した、地方財政平衡交付金を創設したこと。
(3)
の3点を挙げています。
 第12章「地方債と地域金融」では、「かつては公的資金からの借入が地方債の過半を占めていた」が、「2000年ころより個々の地方自治体が金融市場から直接的に資金を調達する割合が増加している。とくに市場公募債の急増傾向が目立つ」と述べています。
 そして、「地方債はあくまで投資家の自発的な意思を前提にして発行されるものである。それゆえ地方自治体には、投資家の運用ニーズを汲み取り、それに応える姿勢が求められる。とくに市場公募債の発行に際しては、銀行等引受債と違って不特定多数の匿名の投資家を相手に発行される点を踏まえ、より積極的な取り組みが必要となろう」と述べています。
 第14章「予算制度と住民自治」では、「日本の地方予算制度は従来、本来の地方自治体が果たすべき地域社会のニーズを充足するための政策的機能よりも、国の提示する開発計画を地域で下請的に実施するための行政管理的機能が重視されてきた。この結果、財源や資金の管理は厳密ではあるが議会や住民によるコントロール機能が十分働かず、現実の変化や住民のニーズに答えることができず、自治体独自の計画機能も弱かった」と指摘しています。
 本書は、日本の地方財政制度に関する諸問題を指摘した一冊です。

■ 個人的な視点から

 日本の地方財政の制度が持っている複雑さを理解する上で、戦前、戦中の地方財政制度と、それを終戦後どのように改革しようとした結果、今の制度になっているか、という歴史的経緯の理解が不可欠です。


■ どんな人にオススメ?

・地方財政が現在の姿になるまでを理解したい人。


2014年2月 8日 (土)

図説 日本のメディア

■ 書籍情報

図説 日本のメディア   【図説 日本のメディア】(#2274)

  藤竹 暁
  価格: ¥1260 (税込)
  NHK出版(2012/9/26)

 本書は、「日本のメディアの現状を把握する上で必要な問題点を、第2次世界大戦後67年にわたる変化を視野に入れて、数量的データによってきちんと説明し、読者に日本のメディアを考える材料を提供」しようとするなどのものです。
 著者は、「マスメディアに依存しているだけでは、正しい情報を、適切な形で入手することは難しい」として、「人間が自由に生きていゆくためには、必要な情報を適切に処理し、多角的な視点で判断しなければならない」と述べています。
 第1章「新聞」では、大阪で誕生した「朝日新聞」と「毎日新聞」が、在京の新聞が深刻な被害を被った「関東大震災をきっかけに全国紙の地位を確立した」と述べた上で、「明治から昭和初期にかけては大小の新聞が林立し、37年末時点の日刊紙発行社は全国で1208社あった。それが、太平洋戦争下の1942年に、情報統制と資材の節減を目的に、新聞事業令による新聞統合が実施され、新聞社数は全国紙を1県1紙の計55社に減った」として、「現在の全国紙5紙と地方紙の1県1紙という全国地図は、歴史的には、関東大震災と太平洋戦争が契機となって形作られた」と述べています。
 そして、「日本の新聞は戦後長い間、1世帯あたりの発行部数が1部以上という高い普及率を誇ってきた。新聞の宅配によるところが大きいが、この数字も下落に歯止めがかからない」と述べています。
 第2章「放送」では、「現在、民放のネットワークは主に在京社をキー・ステーションとしてテレビ、ラジオとも5系列存在する」とした上で、「テレビにはこれ以外に3大広域圏内の圏域テレビで組織する『全国独立放送協議会』がある」としています。
 第3章「出版」では、「寡占状態にある販売会社のプラス面」として、トーハン・日販に委託すれば、「出版物が全国に配送される」ことを挙げた上で、「販売会社は出版社から委託された出版物を配送するが、出版物の特性である多品種少量生産品で扱い量が膨大であるため、出版物の配送が適時、適正、適量で書店に回らない」という「配本の偏在」の問題を指摘しています。
 第4章「映像・音楽」では、「音楽産業は、主要な収入源だったCDなどのパッケージの売上低下に伴い、新な収益構造を持つビジネスモデルの構築を迫られている」として、「水平的分業の下、異なる業種の企業がそれぞれ分担していた昨日を、今日では、一つの企業が自社内で完結させようとする試みが顕在化している。実際、レコード会社がアーティストのすべての活動に関与し、ライブコンサートや出版、関連グッズ販売など、多角的にビジネスを展開すべく、アーティストと包括的な『360度契約』を結ぶビジネスモデルが注目を集めつつある」と述べています。
 第5章「インターネット」では、「SNSやTwitterなどは日常的なコミュニケーション手段としても利用価値が高いが、緊急時の連絡手段としても有効であることが東日本大震災の際に明らかになった」と述べています。
 第6章「広告」では、「ネット広告が存在感を増すにつれ、『数字』がより厳しく問われるようになってきた。特に、制作費がかかるテレビや新聞は関係者が多く、独創的なアイデアは支持されにくい」と述べています。
 また、「マスコミ広告への依存に危機感をもたらした」インターネット広告、モバイル広告について、「総合広告会社も新しいメディアの登場に注目したが、マスコミ広告と比べて多種多様なため、取り扱いの効率の悪さから、メディアレップ(2次代理店)という業態の広告営業が医者を介して広告の買い付けを行なっているのが現状である」と述べています。
 第7章「情報の取得・利用」では、「テレビは、接している人の多さ(約90%)とその接している人の時間(行為者平均時間)の長さ(4時間近い)の両面で、他のメディアを圧倒している」とした上で、「1995年から2010年の変化を見ると、最も目立つのは、新聞の行為者率の現象とインターネットの行為者率の増加である」と述べています。
 本書は、日本のメディアの現状を包括的に知ることができる一冊です。

■ 個人的な視点から

 ジリ貧オワコンと言われて久しいマスメディアではありますが、外国と比較すると、これほど多くの人が宅配で新聞を読んでいる国は少ない(多くは新聞配達所で捨てられているとしても)上に、国民の何割もがテレビを見ている国は少ない(「世帯視聴率」であって家族全員がテレビの前に陣取っているわけではないにしても)わけであります。
 これからもマスメディアは日本の報道の中心を担っていくのは間違いないと考えてよいでしょう。


■ どんな人にオススメ?

・いまどきマスメディアなんて信用するまともな人はいないと思っている人。


2014年2月 7日 (金)

津波の夜に: 3.11の記憶

■ 書籍情報

津波の夜に: 3.11の記憶   【津波の夜に: 3.11の記憶】(#2273)

  大西 暢夫
  価格: ¥1575 (税込)
  小学館(2013/2/20)

 本書は、東日本大震災の被災者の現状を、「見ていない人に伝えなければならない」という気持ちからインタビューしたものです。
 著者は、安置所に通う被災者の青年から、「行くべきだ。一度でいいからこの光景を目に焼き付けておくべきだ。これが現実だって思うだろうし、これ以上の悲惨な現場はないと思う」と言われ、大槌中学校の体育館の遺体安置所を訪れています。
 また、遺体の捜索をする自衛隊員は、「私たちは瓦礫を一刻も早く横に積み上げ、前進しなくてはなりませんでした」、「ご遺体の上に瓦礫を積み上げていることはわかっていました」が、「あの時の最優先は動いている命でした」と語っています。
 東松山市の成瀬川右岸、野蒜新町の被災者は、避難所になっていた新町コミュニティセンターに津波が侵入してきた時に、「もう死ぬかもしれないって思いました。でもなぜかその覚悟をしたとき、恐怖から解放されました。その感覚は不思議なもので、初めての経験でした」と語っています。
 同じ野蒜新町の被災者は、「今回のように、家や財産や手元のものがすべてなくなると、ショックを通り越し、何も考えられないんですね。命があったことを一番喜ばなくてはならないのですが、他の人のことを考えたら、生きていることが申し訳ないって思うんです」と語っています。
 成瀬川左岸の牛網の被災者は、「避難所では、知っている顔がほとんどいなくて、どこにどうやって逃げたらいいのか、パニックになったんです。知っている顔の中で共に暮らすって、ほんとうに大事なんだなって改めて思いました。いまではその地域がバラバラになってしまって、本当に悲しくつらい」と語っています。
 本書は、被災した当事者がその時何を思い、どんな行動をしたのかを伝える一冊です。

■ 個人的な視点から

 被災した当事者に話を聞くのは辛いことが多かったのだと思うのですが、普段なら絶対に人に話さないような話をしてしまうのも被災直後でもあるということを感じさせます。


■ どんな人にオススメ?

・被災するとはどういうことなのかを知りたい人。


2014年2月 6日 (木)

地方財政のヒミツ

■ 書籍情報

地方財政のヒミツ   【地方財政のヒミツ】(#2272)

  小西 砂千夫
  価格: ¥2200 (税込)
  ぎょうせい(2012/10/30)

 本書は、「地方財政の相対としての地方財政計画の内容や、地方交付税の財源不足への手当などの運営に注目し、マクロの動きが個々の自治体の財政運営にどのように影響するかを表そう」としているものです。
 著者は、本書が、「国が必要とみなす総額をどのような考え方で積み上げているのか、自治体に配分するときに何を重視しているのか」といった「交付する側の国の担当者にとって、仕事をする上で特に重要」な論理を重視した視点で書かれていると述べています。
 第1講「自治体はさまざま、財政調整は不可欠」では、「自治体の財政は、国から一定の行政任務を委任されているところから始まる」ため、「任された自治体からすれば、そのような行政任務を担う上で、それに必要な財源が調達できるような地方税財政制度を、国の責任として設けることを求める」と述べています。
 そして、「戦前は、義務教育経費に対する国の補助金である国庫支出金による支弁を、地方が根気よく求めて、長い時間をかけて実現していった」とした上で、「その過程で、義務教育に関する国庫負担を求めて、三重県の1人の町長の発案を契機として、地方6団体の1つである全国町村会が結成されている」と述べています。
 また、「わが国の地方財政制度に関わる政策課題の大半は、地方財政計画の歳出の見積もりが妥当なものか、個々の自治体に適切に配分されているのか、その結果として、団体間の税収格差をどの程度是正し、残る格差をどの行政分野でどの程度許容するかなのである」としています。
 さらに、地方交付税の機能として、
(1)財源調整機能:地方公共団体間の財源の不均衡を調整する。
(2)財源保障機能:どの地域に住む国民にも一定の行政サービスを提供できるよう財源を保証する。
の2点を挙げた上で、「2つの機能を切り離すのではなく、均てん化すべき財政需要の範囲をどこまでと考えると、財政調整制度の本質に迫ることができる」と述べています。
 第3講「地方交付税における需要算定の考え方」では、特に注意すべき点として、「基準財政需要額の算定は、配分のためにルールであるので、算定が簡素か複雑であるかは、個別自治体への配分には影響するが、地方交付税の総額決定には影響しないこと」だと述べ、「普通交付税算定の簡素化を求める声」の動機が総額の抑制にあるとすれば「あまり意味がない」と指摘しています。
 また、「基準財政収入額に含まれない地方税収(25%相当分)」である「留保財源」について、「財政需要として存在するものの、普通交付税の算定式で客観的に補足しきれない部分など、財政需要のうち基準財政需要額に算入されない部分である。また、それがあることで地方税収が増えると標準財政規模が増えることを通じて、税源涵養努力を促すなどの効果が期待されている」と述べています。
 第4講「地方交付税における収入算定の考え方」では、「軽減税率や超過税率を採用する場合、その部分を基準財政収入額の算定から除外しているのは、自治体の自主性や独立性を保証し、自主財源である地方税の税源涵養に対するインセンティブを地方交付税が削がないようにする意味がある」としています。
 また、「税源偏在を是正することは、地方税を中心とする地方財政制度の確立のために必要な条件となるが、富裕な団体からは自らの財源を圧縮されたとして強い反発が起きる。とりわけ、不況期には法人関係税収のウェイトが相対的に高い富裕な団体ほど税収の落ち込みが大きく、その一方で、地方交付税による税源保障効果が働かない不交付団体は、税収減のショックが交付団体のように緩和されない」と指摘しています。
 第6講「地方財政計画の歳出の内容」では、地方財政計画の役割として、
(1)国家財政・国民経済等との整合性の確保
(2)自治体が標準的な行政水準を確保できるよう地方財源を保障
(3)自治体の毎年度の財政運営の指針
の3点を挙げた上で、「地方財政計画は、国会の議決対象ではないが、閣議決定を受けている。かつ、その内容を反映して地方交付税の算定が行われ、毎年度の地方交付税の改正の中で、単位費用や補正係数の種類について議決を得て成立している」と述べています。
 また、予算編成時期に、「地方交付税など地方財源の確保をめぐって、財政当局である財務省と総務省との間で予算折衝が行われる」ことについて、「最終的に生じた財源不足を国と地方が折半して、国は地方交付税財源を加算(臨時財政加算)し、地方は臨時財政対債で埋めることから、折半ルールとも呼ばれる」と述べています。
 第8講「地方財政計画と地方交付税の関係」では2点を指摘しています。、地方財政計画と地方交付税の関係について、
(1)地方財政計画の歳出サイドではなく、歳入サイドで基準財政需要額が決定される。
(2)策基準財政需要額の総額を、地方財政計画の歳出の各項目に一定の考え方にそっては配分するのが、基準財政需要額の算定である。
の2つの考え方を挙げています。
 そして、「かつて、地方財政計画の規模が十分でなく、地方財源が十分に確保できなかった時代には、単独事業の規模は小さく、交際費の事業費補正等もごく限定的であった。そこでは、地方交付税は給与関係経費と補助事業の補助裏をかろうじて手当できたに過ぎなかった」と述べています。
 第10講「地方交付税の決定過程と算定の見直し」では、「交付税算定上、昼間流入人口等が補正に十分反映されていないなど、東京都の膨大な財政需要の実態を捉えきれているとは言えません」という東京都のコメントには、「注意が必要」だとして、「基準財政需要額の算定は、実際の財政需要にできるだけ近づけることが望ましいとはいえない」、「東京都特有の財政需要は、東京都特有の財源のなかでカバーすべきであり、基準財政需要額で補足すべき財政需要は他団体に共通する部分にとどめて問題がない。そこでも、留保財源分も含めて財政需要に対応するという考え方がキーとなる」と指摘しています。
 第12章「自治体がデフォルトしない理由」では、地方債の安全性を担保する柱として、
(1)地方債の元利償還に要する財源の確保
(2)早期是正措置としての起債許可制度
(3)自治体財政健全化法の施行(財政の早期健全化や財政の再生等の適用)
の3点を挙げ、「この3つの条件は、いずれも地方債の償還を可能とする枠組みを示している。しかし、デフォルトしそうになった時に国が肩代わりするなどの表現はない。そこで地方債には、いざとなれば、国が自治体に変わって肩代わりするというイメージを想起させるのか、『暗黙の政府保証』があるといわれることがある」が、「国が肩代わりするしくみはなく、暗黙の保証という表現も制度に忠実な解釈ではない」と述べています。
 第14章「地方財政へのよくある誤解」では、「地方税収が伸張して不交付団体が増えるなど、格差が拡大する状況になると、どちらかといえば交付団体は不利になる。不交付団体を増やすことを目指す際に、不交付団体水準超経費を除く地方財政計画を据え置いて地方税を拡充すれば、交付団体は影響を受けない。しかし、不交付団体が潤うことで、一種の『財源のロス』が生じるとみられることもある」と述べています。
 本書は、法令に全て書かれているにもかかわらず、何か「ヒミツ」であるかのように扱われている地方財政制度のしくみを解説した一冊です。

■ 個人的な視点から

 国が集めて地方が使うという日本の財政の仕組み上、国の財政と地方の財政は密接に関連しているわけで、地方が独立したりなどということは難しいわけですが、そのあたりのからくりを一番知っていそうな先生の本です。


■ どんな人にオススメ?

・国と地方の財政のからくりを知りたい人。


2014年2月 5日 (水)

著作権法概説

■ 書籍情報

著作権法概説   【著作権法概説】(#2271)

  半田 正夫
  価格: ¥3990 (税込)
  法学書院第15版 (2013/02)

 本書は、「著作権法の内容を体系的かつ平易に叙述することを目的として著した」ものです。
 第1章「序説」では、「独仏法では両国間で権利構成上多少の相違はあれ、いずれも著作者人格権を著作権概念に包摂してとらえ、著作権が財産権的性質のみを有するものではないことを明らかにしているのに対し、英米法ではこれを著作権概念から除外し、いぜんとして著作権の財産権性を固持している」と述べています。
 また、万国著作権条約について、1989年にアメリカ合衆国がベルヌ条約に加盟したために「この条約の比重は相対的に低下している」とした上で、「本条約は、すべての複製物に(c)表示を付することにより、方式主義国の要件を満たしたものとして扱うことを定め(同条約3条)、方式主義国と無方式主義国それぞれの体制を維持しながら、手続きを簡略にすることによって両者間の架橋を図ったもの」だと述べ、「(c)表示とは、(c)の記号(Copyrightの略符である)、著作権を有する者の氏名及び最初の発行の年の3要素からなって」いると述べています。
 第3章「著作権の主体および客体」では、キャラクターについて、「キャラクター自体は、漫画や小説などの具体的表現から昇華した登場人物の人格ともいうべき抽象的概念であって、具体的表現ではないことから、思想または感情を創作的に表現したものと見ることはできない」と述べています。
 第4章「著作者の権利」では、「著作権法は、改作利用券について、『著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する』(27条)という表現」により、
(1)翻訳権
(2)編曲権
(3)変形権
(4)脚色権
(5)映画化権
(6)翻案権
などについて承認していると述べています。
 第5章「著作権の制限」では、平成24年の法改正により、
・付随対象著作物の利用(30条の2):写真の撮影、録音・録画の方法によって著作物を創作する際に、著作者外としなくてもその作品の中に他人の著作物が付随的に取り込まれてしまう場合(映り込み)
・検討の糧における利用(30条の3):適法な著作物の利用を達せしようとする過程において必要と認められる著作物の利用
などについて、使用できるようになったと解説しています。
 本書は、日本の著作権法について、一冊でできるかぎりわかりやすく解説した一冊です。

■ 個人的な視点から

 日本の著作権法については、厳しすぎるという意見もありますが、実情を考えると建前上は厳しいザル法っていうのも恣意的な運用をされそうで怖いものです。


■ どんな人にオススメ?

・著作権の仕組みを知りたい人。


2014年2月 4日 (火)

10万年の未来地球史 気候、地形、生命はどうなるか?

■ 書籍情報

10万年の未来地球史 気候、地形、生命はどうなるか?   【10万年の未来地球史 気候、地形、生命はどうなるか?】(#2270)

  カート・ステージャ (著), 岸由二 (監修), 小宮繁 (翻訳)
  価格: ¥2310 (税込)
  日経BP社(2012/11/15)

 本書は、「地球温暖化の未来について、大多数の読者によく知られているものよりも、ずっと広大な眺望(パースペクティヴ)に読者を誘うこと」を目的としたものです。「これまでお馴染みの遠近法(パースペクティヴ)では、『長期的な』気候変動をわずか数年ないし数十年という時間規模の傾向として捉えてきた」のに対し、「未来の温暖化を予測する上で、古生態学者ができる最大の貢献」として、「時間の観念を提供すること」を挙げています。
 そして、「人間活動に起因する衝撃が消し難く刻印されている時代」を表す最新の学術用語として「人類世(Anthropocene)」を挙げ、その始まりは、「人間が排出する温室効果ガスによって、大気の状態が著しく変わりはじめた」西暦1700年代だとしています。
 また、「私たちは今後100年からそこら」のうちに、「できるだけ早期に非化石燃料に切り替えるのか、あるいは化石燃料の埋蔵量の残りをすっかり燃やし尽くしてから、やむなく切り替えを行うのか」の選択をしなければならないと述べ、「どちらを選んでも、温室効果ガスの濃度はおそらく西暦2400年までに頂点に達し、その後は、意図的な消費量の減少あるいは化石燃料の不足によって、横ばい状態になるだろう。二酸化炭素汚染が頂点を過ぎると、ゆっくりとした気候の『反転』が始まる。地球温暖化の傾向は一旦頂点に達した後に急転し、長期に渡りゆっくりと寒冷化し回復へ向かう。その結果、最終的には18世紀の産業革命以前の気温へと戻るだろう。だがこの過程は数千年ないし数万年にもわたって続くことになる」と述べた上で、「私たちは次の氷河期の到来を止めてしまった。自然の気候周期からすれば、5万年後に次の氷河期を迎えることになっているはずだ。いや、迎えることになっていた、というべきか。温室効果ガスによる汚染が長期にわたるために、次の大きな寒冷期はいつまでも漂う炭素の霧が十分に希薄化するまではやって来ない。おそらくは今から13万年後か、さらにはもっとずっと後になる。今日の私たちの活動の影響が計り知れない遠い未来に及ぶということが、炭素汚染の倫理学に重要な新しい要素を付け加える。人間が引き起こす気候変動はおそらくはほとんど否定的なものであろう。しかし私たちがさらにその先に続く物語にまで目を向けたとしたらどうだろうか?」と述べています。
 第1章「氷河を止める」では、「大衆的なメディアに載る多くの記事の書かれ方からすると、私たちが温室効果ガスの排出を止めさえすれば気候変動は完全に防げるのだと読者は考えるかもしれない。だが気候というものは、私たちが存在しようがしまいが、常に変化するものなのである」と述べています。
 そして、「軌道周期カレンダーによれば、北極の夏に氷を生じさせるほどの寒気が次に訪れる危険性は西暦5万年ころまではない。しかし、人類が次の氷河期問題に参入してしまうのはまさにここだ。ほとんどの気候モデルでは、もし大気中の二酸化炭素の濃度が250ppmを超えることがなければ、未来のこの時点で氷河期の引き金が引かれることになっている。しかしこれを書いている時点での二酸化炭素濃度は387ppmで、しかも上昇中である。明らかなのは、濃度が下がって250ppmという閾値を再び下回ることは、非常に長い期間にわたってありそうもない」と述べ、「次の寒冷化周期がそもそもあまり厳しくない点、ならびに私たち人間の生み出した炭素汚染の長期効果が重なって、驚くべき結論が導き出される。この1世紀の間、私たちは炭素の排出によってこの世界を温暖化してきたばかりではない。私たちは、やって来るはずの次の氷河期への進行に、突如、ストップをかけてしまったのだ」としています。
 第2章「地球温暖化を超えて」では、「歴史上の今この瞬間に私たちが存在するという事実そのものが、私たちに驚くような力——人によっては名誉と呼ぶかもしれない——を与えてくれる。数十万年の未来のために地球のサーモスタットをセットするという力だ。私たちは既に複雑な気候という遺産を、延々と続く未来世代のために残してしまった」と述べています。
 第3章「最後の大いなる解氷」では、「人類世の温暖化が未だ明かされない気温のピークに向かって進んでいくとき、私たちの隣人として長い苦しみを味わってきた生き物たちは、氷河期と間氷期が織り成す長い劇的な歴史の中で一度も経験したことのない、新たな状況に直面することになるだろう」として、私たち人間の存在が、「生物の移動にとって大きな障害になっている」ことを指摘しています。
 第5章「未来の化石」では、「化石燃料に由来する汚染が身近な問題になっている専門家」として、
(1)生態系を生物学的活動レベルで観察する生態学者
(2)比較的最近の出来事について、それがいつどこで起こったかを調べる法医学研究者
(3)泥や氷や木や石といった太古の堆積物の中に、はるかな古い歴史を読み取る地球科学者
の3つを挙げ、「これらの研究者達は、炭素原子を道具として利用し、自然界の科学的理解を革命的に変えた秘密のテクニックを駆使することができる」が、「その研究自体も、気候の変化を引き起こしているのと同じ気体によって、強い影響を受けてしまっている」として、「私たちはすでに5500万年前のPETM期の超温室と肩を並べるほどの、地球規模で炭素13が減少した状態の中を生きている」と述べています。
 第6章「酸の海」では、「純粋に気候中心の見方からすれば、余分な二酸化炭素を取り込んでくれる海は、頼もしい同盟者に似ている」が、「二酸化炭素は海洋のような水塊に入っても単に消滅してしまうわけではない。それは炭酸へと姿を変えるのである」と述べています。
 第7章「上昇する海」では、「私たちの子孫のほとんどにとって、将来受けることになる苦痛は急性の激痛というよりは慢性の鈍痛により近いものとなろう」として、「海水順の上昇は破局の原因であるというよりは、経済的な負担の増大という意味で悩ましい問題である」と述べています。
 そして、「かつてのように内陸への移動を促すというよりは、海面上昇は世界中の潮間帯の生物生息域を人間居住域という突破しがたい壁に向かって容赦なく追い詰めているのだ」と述べています。
 第10章「熱帯はどうなる?」では、「ハドレー空気塊、エルニーニョ、および関連する気象システムが地球の平均気温の上昇にともなってどのように反応するのか、確かなことは分からないにしても、それでもかなり確実に言えることがある。それは、変化は進行中ではないにしろ、差し迫ったものであるということ、そして変化の中には過酷なものもありうるということだ」と述べています。
 エピローグでは、「私たちが不安に感じるのは、地球温暖化というよりは、いかなる種類であれ変化というものに対してではないか」と述べ、「一部の活動家たちが、どんな手段を使ってでも多くの人々を刺激してよりよい方向へと動かしていくことを正当な行為だと感じている理由が、私には理解できる。しかし自分たちで引き起こした汚染を私達が制御し、多くの朱を絶滅に追い込むのを止められるよう、私は確かに願って入るが、その際に騙されて行動を起こすよりは、むしろ、人々がはっきりとした意図を持って行動できるよう促したいものだ」としています。
  そして、「私たちがどんな決断をしようともこの人間中心の時代の舵取りをし、私たちと未来の地球を共有する生態系および生物種たちの運命を決定することになるのは、私達自身だということ」だと述べています。
 本書は、地球的な規模の時間軸から温暖化の問題を考えた一冊です。

■ 個人的な視点から

 いっときの「地球温暖化ブーム」の時にはすぐにも海面が上昇してシロクマが絶滅してしまうかのような論調が聞かれました。
 今はなき銀座のLOHASカフェとかでオーガニックな食事を楽しみ、二酸化炭素を出さない原子力発電をCOOLと言っていた皆さまとか「ソトコト」とかもいましたね。


■ どんな人にオススメ?

・数十万年単位で温暖化の影響を見てみたい人。


2014年2月 3日 (月)

チェーンストア 災害対策の原則

■ 書籍情報

チェーンストア 災害対策の原則   【チェーンストア 災害対策の原則】(#2269)

  渥美 六雄
  価格: ¥1890 (税込)
  ダイヤモンド社(2013/2/1)

 本書は、「災害発生時に、チェーンストア組織をどう動かすかをまとめたもの」です。
 著者は、「人びとの生活が脅かされる災害時だからこそ、われわれがチェーンストア組織を最大限活用し、商品の供給責任を果たさなければならない。そのために必要なのは、従業員一人ひとりの士気高揚や肉体的献身ではない。われわれが求めるべきなのは、緊急時にもそれぞれの人が活躍できるように、どうすれば組織を機能させることができるか、そして、その組織を使ってどのような対策を実行すべきなのか、という知識である」と述べています。
 第1章「組織活動の条件」では、「災害発生時にはプル型組織のままでは身動きが取れなくなるため、プッシュ型体制で挑まなければならない。現場の状況が不透明でも、組織として必要だと考えられる活動を本部が決定し続け、実行できなければならない」と述べています。
 第2章「災害対策本部の設置」では、災害対策本部を造らなければならない理由として、「これがないと、どの人物が何の決定権を持ち、自分は誰から命令を受け誰に報告すべきなのか、皆が理解できなくなるから」だと述べています。
 第3章「災害対策本部の体制」では、「チェーンストア組織が災害時に直面する課題」として、
(1)物
(2)人
(3)情報
(4)設備
の4点を挙げ、「これらの課題ごとに、わが社の実力者と呼ばれる人物を奥の場組織体制の基本原則となる」と述べています。
 また、「トップは災害対策の立案と実行の場面にいないほうが、組織にとってずっと都合がいい」理由として、
(1)トップが災害対策本部の内部で仕切りだすと、せっかく作った分業体制が壊れてしまう。
(2)トップには、他の人でもできる職務に手出しをしているよりも、ずっと重要な役割がたくさんある。
の2点を挙げています。
 第4章「緊急時におけるトップの役割」では、「トップには災害対策本部長を務めることよりも重大な役割」があるとして、
(1)企業全体の経営管理
(2)災害対策活動の目的表明
(3)災害対策活動の規模明示
(4)社内と社外に対する協力要請
(5)これまでの経緯と活動内容報告
(6)現場の従業者激励
(7)人材配置の活発な変更
の7点を挙げています。
 第7章「現地への人員派遣」では、「組織活動の成果は、どれだけ大量の従業者を動員し、現地に派遣できるかで決まる」と述べた上で、応援隊には労務管理の徹底が重要であるとして、
(1)応援隊は滞在期間を短くし、隊の入れ替えを頻繁に繰り返すことが重要
(2)現地対策本部に労務管理担当者を置き、一人緋桜里の労働時間数を性格に記録すること
の2点を挙げています。
 第9章「物資の集荷と供給」では、東日本大震災直後の「買いだめ、買い占め」批判について、「本来、商品供給を行い消費者の生活を守る立場である流通業が、自らの能力不足の罪を消費者に着せて裏切った。これは日本の流通業史に残る大汚点である」と指摘しています。
 本書は、流通業に限らず、震災時の組織対応についての示唆を与えてくれる一冊です。

■ 個人的な視点から

 コンビニやスーパーなどのチェーンストアは東日本大震災の時にもその強さを発揮しました。
 電気もない中で営業を続けたコンビニはもちろん、震災から半月ちょっとで充実の品ぞろえを実現したイオンもすごかったです。
 なお、支援物資のパンやおにぎりが大量に届いていた被災地では、「パンはもういい」と言われてしまい、食パンは人気がなく売れ残っていました。


■ どんな人にオススメ?

・チェーンの底力を知りたい人。


2014年2月 1日 (土)

コンビニと日本人 なぜこの国の「文化」となったのか

■ 書籍情報

コンビニと日本人 なぜこの国の「文化」となったのか   【コンビニと日本人 なぜこの国の「文化」となったのか】(#2268)

  加藤直美
  価格: ¥1575 (税込)
  祥伝社(2012/12/5)

 本書は、「コンビニと社会の関係について語りながら、日頃から考えてきたコンビニのネットワークの活用を控えめに提案」しているものです。
 第1章「東日本大震災とコンビニ」では、東日本大震災で被害が発生した地域にある5000店舗を超えるコンビニのうち、約4割に及ぶ2000店舗以上が、「1日以上の閉店を余儀なくされる」状態にあったが、「コンビニ業界には、被災地では店舗の営業を継続すること、被災した店舗は早期に復旧させて営業を再開することが、災害時の優先事項として」あると述べ、「コンビニが、これほどまでに店舗の営業再開にこだわるのは、小売業として、“ライフライン”を守るという使命感があるから」だとしています。
 また、コンビニが、東北から首都圏にかけて広範囲で起こった“品不足”に対してとった行動として、
(1)チェーン本部の商品調達で、既存のルートにこだわらず、即座に新規ルートを開拓したこと。
(2)品薄状態を補うために、店内調理の商品をいつもより多めに作ったこと。
の2点を挙げています。
 第3章「少子高齢社会とコンビニ」では、「昨今ではセブンーイレブンの来店客の約7割は、30代以上」であり、「もう若者の店とは言えなくなっている」とした上で、「コンビニが、このところ力を入れて開発しているオリジナル商品には、食器に移して替えて食べることが想定されるパウチ入りの惣菜とか、レンジなどで加温して食べる冷凍食品などが目に」つく背景として、
(1)内食化の傾向
(2)「おひとりさま」の人口構成上の変化と食生活の多様化
の2点を挙げています。
 また、コンビニの24時間営業について、「高齢者や子供よりも多かったのは、女性の駆け込み対応」であり、うち約3割がストーカー被害によるもので、その対応時間も過半数が23時台から5時台にかけての深夜帯であることから「コンビニの灯りが、女性にとっていかに心強いものか感じさせ」るとしています。
 また、「シニアにやさしいローソン」各店舗に共通する点として、
(1)新鮮な野菜、惣菜、日用品の品揃えを強化したこと。
(2)軽量なショッピングカートの導入。
(3)大型プライスカードの採用。
(4)休憩スペースの設置。
(5)出店地が、高齢化率の比較的高い地域であること。
の5点を挙げています。
 本書は、災害や高齢化など日本が抱える問題にコンビニがいかに対応しているかを教えてくれる一冊です。

■ 個人的な視点から

 コンビニが登場して以来、ずっと若者はコンビニ、老人は商店街、というような印象を持たれていましたが、特にセブンイレブンのお惣菜コーナーの充実ぶりを見ると、食が細く世帯の人数が少ない老人の家庭こそコンビニ向きなんじゃないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・コンビニ=若者の店だと思っている人。


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